時の女神が見た夢・ゼロ (染色体)
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ここに至るまでの歴史の流れ(前作のネタバレ注意)

年表形式の前作のまとめになります。
前作のネタバレを大量に含みますので読まれる際はご注意ください。
(前作を読まれてから読むことを推奨します)


前作はこちら↓
https://syosetu.org/novel/158152/


【前作第一部開始前】

「アッシュビーの時代、アッシュビー以後」(歴史の転換点)

 

宇宙暦745年/帝国暦436年

・12月5日(~12月11日) 第二次ティアマト星域会戦 ブルース・アッシュビーの完勝。アッシュビー生存。

・12月 アッシュビー、史上最年少で元帥に昇進、直後に退役。宇宙艦隊司令長官の後任はウォリス・ウォーリック。

 

宇宙暦746年/帝国暦437年

・4月 アッシュビー、史上最年少の最高評議会議長に選出。帝国領侵攻の準備を進める。

 

宇宙暦747年/帝国暦438年

・12月 アッシュビー議長、帝国領侵攻開始(大解放戦争)

・12月 イゼルローン回廊出口の会戦 アッシュビー議長の指揮のもと、同盟軍勝利

 

宇宙暦748年/帝国暦439年

・1月~2月 帝国各地で反乱勃発

・2月 帝国辺境の諸侯を中心として独立諸侯連合成立

・2月~3月 同盟軍、帝国領の半ばまで進出

・4月 シャンタウ星域会戦 アッシュビー、艦橋にて味方兵士の銃撃を受け死亡。同盟軍撤退。

 

・アルフレッド・ローザス、新議長に就任

・ウォリス・ウォーリック、独立諸侯連合領駐留艦隊司令官兼独立諸侯連合軍顧問に就任

・カール・フォン・ラウエ(ローザ・フォン・ラウエの祖父)、独立諸侯連合軍宇宙艦隊司令長官に就任

・ジークマイスター提督、連合に移籍。連合軍情報局を設立。

 その他、独立諸侯連合に相当数の同盟軍将兵が帰属(タン・ヤオやコステア含む)

 

同盟はイゼルローン回廊及び回廊帝国側出口付近の有人惑星モールゲンを領有し、独立諸侯連合の支援と対帝国の防衛協力を続ける。

 

以後、自由惑星同盟・独立諸侯連合 対 銀河帝国 の構図で戦争が続く。

フェザーン、フェザーン回廊同盟側出口に要塞建設(ファルケンルスト要塞)。銀河の均衡維持のため、独自の正規軍及び傭兵軍を整備。

宇宙暦750年/帝国暦441年

・同盟にて惑星資源開発新法成立 独立諸侯連合への投資が盛んとなる

 

宇宙暦752年/帝国暦443年

・同盟にてエンダースクール計画開始 当初は次代の英雄を見出し、英才教育を施すための組織として発足。

 

宇宙暦753年/帝国暦444年

クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵、同盟軍の捕虜から帰還が認められる。本人の希望により連合に帰属。

 

宇宙暦754年/帝国暦445年

・ウォリス・ウォーリック、独立諸侯連合への帰属を決める。独立諸侯連合軍元帥に。

 同年、独立諸侯連合で貴族令嬢と結婚し、息子アリスター・ウォーリック誕生。

 

 

 

 

宇宙暦760年/帝国暦451年

・ウォリス・ウォーリック、独立諸侯連合への長年の貢献により男爵に叙爵される。

 

宇宙歴765年/帝国暦456年

・オトフリート5世崩御、フリードリヒ4世即位

・ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック、息子のヨハン・フォン・クロプシュトックと共に独立諸侯連合に亡命。息子と共に対帝国戦争に積極的に貢献。

※このため後々クロプシュトック事件は起きず、ミッターマイヤーの一件も起きない(別の切っ掛けでラインハルトの部下に)。

 

宇宙歴766年/帝国暦457年

・ウォリス・フォン・ウォーリック、心臓発作により死去。連合建国の父の一人として称えられる。

 

宇宙暦767年/帝国暦458年

・4月4日 ヤン・ウェンリー誕生

 

宇宙暦776年/帝国暦467年

・1月14日 ジークフリード・キルヒアイス誕生

・3月14日 ラインハルト・フォン・ミューゼル誕生

 

宇宙暦782年/帝国暦473年

・3月25日 ユリアン・ミンツ誕生

 

宇宙暦787年/帝国暦478年

・ヤン・ウェンリー、同盟軍士官学校卒業、少尉任官(任地:独立諸侯連合)

 

宇宙暦788年/帝国暦479年

・クラインゲルト伯、諸侯会議で独立諸侯連合の盟主に選出。

・エルランゲンの奇跡 ヤン・ウェンリー、連合領(ラウエ伯領)エルランゲンにて400万人の民間人と脱出に成功、連合内で一躍英雄に。ローザ・フォン・ラウエも救われた一人となる。アーサー・リンチ少将、民間人を見捨てた上、捕虜に。

・エルランゲンの英雄となったヤン、連合貴族クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵の知遇を得る。

※ヤンはフレデリカ、ムライ、パトリチェフと出会っていない。

 

宇宙暦790年/帝国暦481年

・第五次アルメントフーベル星域会戦

帝国軍のある分艦隊が突如暴走し、同盟駐留艦隊の艦列に無謀な突撃をかけ、同数の敵を道連れにほぼ全滅。分艦隊参謀長クリストフ・フォン・バーゼル大佐は生き残る。暴走はサイオキシン麻薬の気化によるもの(地球教団による意図的な実験)。

会戦自体は同盟/連合の辛勝。

 

宇宙暦791年/帝国暦482年

 

宇宙暦792年/帝国暦483年

・ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯に不都合な事実を知ってしまったヘルクスハイマ―伯、娘のマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマ―と共に連合に亡命。指向性ゼッフル粒子の開発情報が連合と同盟に渡る。

※ラインハルト、キルヒアイス、ベンドリングはマルガレータと出会っていない。

 

宇宙暦794年/帝国暦485年

・10月~11月 第三次ガイエスブルク要塞攻防戦 帝国の勝利

 

宇宙暦795年/帝国暦486年

・2月 第三次アルタイル星域会戦 帝国の勝利 同盟第4艦隊壊滅

・5月18日 シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ、皇帝より死を賜る。

 

宇宙暦795年/帝国暦486年

・9月 第四次アルタイル星域会戦 痛み分け 双方に損害多数

 

宇宙暦796年/帝国暦487年(激動の1年)

・2月 第五次アルタイル星域会戦  ラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将率いる2万隻が同盟/連合の3個艦隊4万隻に大勝。

独立諸侯連合軍に大打撃。連合軍の2提督死亡。同盟軍連合駐留艦隊パエッタ提督負傷。ヤン・ウェンリー准将、再び英雄に。

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

 

【前作第一部開始】

「銀河帝国による独立諸侯連合への大侵攻」

 

 

 

・銀河帝国で、連合領併呑を企図した大規模出兵の動き。

・自由惑星同盟評議会、連合への援軍の即時派遣を否決

・ヤン・ウェンリー、少将昇進、同盟軍連合領駐留艦隊司令官に就任。独立諸侯連合軍に協力。

 

 

・4月10日 連合軍による帝国領逆侵攻

・5月5日 帝国軍、領土奪還及び連合領侵攻開始

・5月15日 ヤン・ウェンリーにより帝国領ガイエスブルク要塞陥落(シェーンコップ活躍)。ヤンに協力した連合軍情報局オーベルシュタイン准将、捕虜となったフェザーン傭兵軍ケッセルリンク特任大佐(フェザーン正規軍情報部大佐)と接触。

 

・5月18日 独立諸侯連合、北部領土放棄宣言

 

・5月25日(~26日) アイゾール星域会戦 帝国軍の大敗

 

銀河帝国による連合併呑は阻止された。

北部連合領は帝国領となる一方、フェザーン回廊付近の帝国領が連合勢力圏となった。帝国は「痛み分け」を主張。

北部連合領が帝国領となったことで同盟は帝国と直接国境を接する状態となり、市民に動揺が走る。

 

 

・6月 連合、北部領土放棄に伴い、リューゲン星域からキッシンゲン星域に連合行政府(首都機能)移転

 

・6月 ミュッケンベルガー元帥、南部における敗戦の責を取り、司令長官辞任。後任にラインハルト。副司令長官にはグライフス上級大将。

グライフス、北部旧連合領において3個艦隊で同盟と対峙を続ける。

ラインハルト、遅れていた元帥府設立と陣容整備を進める。

 

・6月 同盟、サンフォード議長退陣、トリューニヒトが暫定議長に選任

・6月 シトレ、ロボス、戦略指導の責任により退任。後任はそれぞれ、グリーンヒル、ドーソン。

 

・7月 同盟国防委員会より、「査問」を目的としたヤン・ウェンリー召還指令。

 

・7月 ヤン・ウェンリー暗殺未遂事件発生。連合軍情報局長オーベルシュタインの示唆により、ローザ・フォン・ラウエ、ヤン救出に成功。

・8月2日 連合盟主クラインゲルト伯、ヤン・ウェンリー暗殺未遂事件に対する同盟の対応に抗議。ヤン・ウェンリーは連合内で療養に入る。

 

・8月 カストロプの内乱をキルヒアイスが鎮圧。中将に昇進。マリーンドルフ伯救出。

 

・9月 旧北部連合領(現帝国領)に同盟軍侵攻。帝国の北部駐留艦隊二個艦隊がライアル・アトキンソン(アッシュビー)少将率いる僅か半個の同盟艦隊に敗退

 

・9月31日 トリューニヒト議長の対独立諸侯連合開戦演説。ライアル・アッシュビー中将、ブルース・アッシュビーの血を引く新たなる英雄として、同盟市民の熱狂を呼び起こす。

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

【前作第二部開始】

「同盟連合戦争開始、銀河帝国における第一次内乱(帝国暦487年の乱)」

 

同盟対連合

・10月 独立諸侯連合と自由惑星同盟、正式に開戦

・10月19日、連合軍4個艦隊4万1千隻が先制攻撃を企図して同盟領モールゲンに向け出発

・10月25日、連合軍4個艦隊、ドヴェルグ星域でライアル・アッシュビー率いる1個艦隊の奇襲を受ける。総司令官メルカッツ元帥負傷、連合軍撤退。

アリスター・フォン・ウォーリック、宇宙艦隊司令長官代理を務める。

 

・11月3日 同盟軍、同盟領モールゲン出発、連合領侵攻作戦開始

 

・11月10日 帝国軍と連合軍の間で休戦条約締結(1年期限)。オーディンで締結に参加したオーベルシュタイン、連合に犬を連れて帰る。

 

・11月11日 同盟軍により連合領ドヴェルグ星域占領 その後も占領域を広げ、連合窮地に陥る。

 

・ヤン、療養先でオーベルシュタインの訪問を受ける。ヤン、連合軍の客員提督となり、ヤン不正規艦隊(元同盟軍連合領駐留艦隊)を率いることになる。

・11月14日 連合で対アッシュビー作戦会議。会議終了後、ヤン主導でオーベルシュタインを問い詰める会開催。地球教団の情報が連合上層部に伝わる(フェザーン派地球教徒と連合派地球教徒の存在)。

 

・11月20日 ウォーリックを総司令官とする連合軍4個艦隊4万5千隻がヤヴァンハール星域に向けて出発。

・11月25日 ヤヴァンハール星域会戦 ライアル・アッシュビー、連合軍に大損害を与えるも、ヤンの機略、ホーランドの暴走、ウォーリックの意地の前に敗北。副官フレデリカと共に捕虜となる。同盟軍ムーア提督戦死、ホーランド提督負傷。

      この戦いでユリアン・ミンツの父親死亡。

 

・11月25日 同盟からの依頼と称してフェザーン傭兵艦隊、連合領内に侵攻。ヤン艦隊迎撃に向かう。

・傭兵艦隊を陽動として、フェザーン正規艦隊が連合領内に侵攻。目的はガイエスブルク要塞の奪取。ガイエスブルク要塞攻防戦発生。ケンプ要塞司令官及びヤンにより連合は防衛成功。フェザーン正規艦隊の大半を降伏させる。傭兵艦隊はフェザーンに帰還。

 

・12月10日 ヤンを含む連合首脳部の一部が、ライアル・アッシュビーの真実(エンダースクールによって試行錯誤の末に生み出されたブルース・アッシュビーのクローン)と、同盟軍内組織エンダースクール及びフレデリカ等エンダースクール出身者の存在も知る。

 

帝国の内乱

・10月 銀河帝国皇帝フリードリヒ四世崩御

・11月15日 エルウィン・ヨーゼフ2世即位。リッテンハイム侯は大公に、リヒテンラーデ侯は公爵に上がった上で宰相に、ローエングラム伯は侯爵となりリッテンハイム大公と共に幼帝を支える

ブラウンシュヴァイク公は決起を決意し、帝都脱出。

ラインハルト、統帥本部総長と軍務尚書の2人を拘禁、その二つの役職を兼ね、帝国軍最高司令官となる。宇宙艦隊副司令長官にキルヒアイス任命。

 

・12月1日 エルウィン・ヨーゼフ2世からラインハルトにブラウンシュヴァイク公討伐の勅令が下る。

 

ブラウンシュヴァイク公、ガルミッシュ要塞で貴族を糾合。ガルミッシュ盟約軍を名乗る。

正規軍からもグライフス宇宙艦隊副司令長官、シュターデン大将、ファーレンハイト中将、ノルデン中将らが参加。

ファーレンハイト、ブラウンシュヴァイク公に策を提案。ブラウンシュヴァイク公、自らの案として発表。

 

・12月7日 フレーゲル男爵、ヒルデスハイム伯爵らが各地でのゲリラ戦に向けて出発。

・12月8日 リッテンハイム大公派貴族軍三万隻が国内ブラウンシュヴァイク派領邦の制圧に出撃(盟約軍のゲリラ戦部隊と激戦を繰り広げる)

・12月8日 ローエングラム侯ラインハルト率いる四万隻がガルミッシュ要塞攻略に向けて出撃。

 

・12月9日 グライフス上級大将率いる二万隻が北部よりオーディンに向けて出発。同日キルヒアイス率いる二万隻がその迎撃のためオーディンを出発。

 

・12月10日 ブラウンシュヴァイク公爵、シュターデン大将率いる二万隻が密かにガルミッシュ要塞からオーディンに向けて出発。ガルミッシュ要塞に敵を引き付けている間にオーディン占拠を狙う。

 

・12月15日 ラインハルト率いるローエングラム軍、レンテンベルク要塞攻略し、ガルミッシュ要塞(キフォイザー星域)に向かう。

 

・12月21日 キフォイザー星域会戦。ファーレンハイト率いる盟約軍五万隻がローエングラム軍四万隻と激突。奮戦むなしく、盟約軍敗北。ファーレンハイト中将、プフェンダー中将、ホフマイスター少将戦死。

・12月21日 ブラウンシュヴァイク公率いる盟約軍別働隊、進路を変更したキルヒアイスの攻撃を受け、降伏。ブラウンシュヴァイク公自裁。アンスバッハ失踪。

 

・12月 ガルミッシュ要塞攻防戦。オフレッサー上級大将、捕縛後自殺。要塞はオフレッサーの部下の手により自爆。多数の要人の生死が不明に。

 

内乱終息に向かう(各地で盟約軍のゲリラ部隊は活動中)

 

 

・12月24日 アンドリュー・フォーク少将率いる同盟軍の臨時編成艦隊(第十二艦隊)が軍事的空白となっていた北部旧連合領を占拠。アッシュビーの敗北を補う戦果としてトリューニヒト政権の延命につながる。エンダースクール所属者ユリアン・ミンツがトリューニヒトに行なった進言によるもの。フォークは中将昇進。

 

宇宙暦797年/帝国暦488年

トリューニヒトの扇動により、ヤン・ウェンリーは同盟を裏切った卑劣漢という扱いになる。

 

リッテンハイム大公軍、ゲリラ部隊鎮圧に遅れ。各所で乱暴狼藉を働く。ローエングラム軍が代わりにゲリラ部隊鎮圧を実施。同時にラインハルトは最高司令官としてリッテンハイム大公軍の軍規違反者を大量処分。リッテンハイム大公の勢力弱体化。

 

銀河帝国、対同盟戦の準備に入る。

 

銀河帝国、自由惑星同盟、フェザーン、独立諸侯連合の銀河全勢力が戦う「銀河大戦」の開始。

 

・1月 トリューニヒト、エンダースクール開校以来の逸材ユリアン・ミンツと面会し、正式に保護者となる(以前より交流あり)。ユリアン、ヤンを倒す決意を語る。

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

【前作第三部開始】

「銀河大戦」

・1月20日 トリューニヒト、評議会の秘密会合で同盟の有利な立場と二正面作戦に対する勝算を語る。

・1月25日 ラインハルト、諸将に大規模出征の説明。

・1月25日 ユリアン・ミンツ(14歳)が少尉としてフェザーン駐在武官に着任。異例の人事で同盟内で話題となるもトリューニヒトの人気取りの一環と見なされる。

 

・2月1日 フェザーンでケッセルリンク准将主導の反ルビンスキー、反同盟のクーデター。ボルテックが首謀者ということにされ、暫定領主に就任。フェザーンは連合軍の駐留を要請。待機していたヤン艦隊フェザーンに急行。

     ルビンスキーはユリアンの手引きで事前にフェザーンを脱出し、巨大要塞ファルケンルストに到着。長老衆、正規軍上層部及び地球教団主教も同じくユリアンの手引きで要塞到着。

・2月6日 ヤン艦隊、フェザーン本星到着。グエン分艦隊、逃走を図るフェザーン正規軍部隊を勝手に追撃。ウランフ、ボロディンの罠に嵌まって戦死(ユリアンの指示)。

 

フェザーンのファルケンルスト要塞に同盟軍進駐。対連合作戦の拠点に。

 

パエッタ中将、フェザーン回廊側の対連合戦線の総司令官に。(ユリアン・ミンツの作戦指導に従うよう国防委員会より指示あり)

フォーク中将、イゼルローン回廊側の予想される対帝国戦線の総司令官に(名目だけ。実質はビュコック中将が指揮を執る)。

 

 

・2月8日 トリューニヒト、演説でユリアンの功績を称賛(ワンダー・ユリアン)。同盟とルビンスキー派フェザーン勢力が共同で連合及びクーデター勢力と戦うことを表明。

 

・2月10日 トリューニヒト率いる主戦派の勝利。ジョアン・レベロ、ホワン・ルイは委員を辞め、野に下る。

 

同盟、連合間の戦争継続が決定的に。

 

 

同盟対連合

・2月14日 ユリアン、大尉に昇進。特殊な実験艦隊として、5千隻規模の同盟軍第十三艦隊設立。司令官に特例でユリアンが就任。副官にシンシア・クリスティーン中尉。参謀長にバグダッシュ少佐。護衛役にマシュンゴ准尉。

 

・ユリアン、シンシアをはじめとした艦隊メンバーと親しくなる。

 

・2月20日 ユリアン、シンシアとデグスビイ主教が会話しているところに遭遇。

 

・2月26日 ファルケンルスト要塞で艦隊対抗のフライングボール大会。ユリアン、個人得点王に。シンシアも女子の部の個人得点王に。

 

 

・2月28日 ファルケンルスト要塞、ワープ実験成功。「機動要塞ファルケンルスト」

・3月3日 同盟軍はファルケンルスト要塞とともにフェザーン本星に対して進軍を開始

 

ヤンが散布した機雷の処理に手間取り、移動はゆっくりとしたものになる。

 

・3月13日 ファルケンルスト要塞及び同盟軍、フェザーン本星のある宙域に到達。ヤンの「アリアドネ作戦」によりファルケンルスト要塞破壊。同盟軍に大きな損害。ユリアン、隙をついてヤンの旗艦パトロクロスに突入。ヤン、ユリアン重傷。激戦となるも同盟軍、最終的に撤退。

 

 

同盟対帝国

 

・2月15日 モールゲンで行われた対帝国作戦会議でフォーク昏倒。モールゲンの同盟軍基地で病気療養に入る(その事実は隠される)

・2月15日 ラインハルト率いる対同盟遠征艦隊がオーディンを出発

ビューフォート准将率いる同盟軍のゲリラ部隊に一部艦隊の補給線を絶たれるも一時的なものに留まる。

・3月4日 ファルスター星域会戦開始。同盟軍七万五千隻と帝国七万二千隻が激突、史上最大規模の会戦。総司令官は同盟はフォーク(表向き、実際はビュコック)、帝国はラインハルト。帝国側は苦戦。

・3月4日 ラインハルトと事前に連携していた連合軍アリスター・フォン・ウォーリック司令長官、モールゲン占領。セレブレッゼ中将降伏、キャボット少将戦死、フォーク中将は逃走。

 

・3月5日 同盟、モールゲンの状況を知り撤退決定。殿はホーランド。アップルトン提督戦死、アル・サレム提督重傷。ホーランド提督は捕虜に。

     ラインハルト、敵側の総司令官と信じるフォークに電文を送る。「貴官の勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ」

 

・3月5日 オーディンでリッテンハイム大公による反乱発生。リヒテンラーデ公及びその一族は処刑。エルフリーデ・フォン・コールラウシュ等一部の者が連合に亡命。

     皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世はリッテンハイム大公の手の内に。アンネローゼ・フォン・グリューネワルト、キルヒアイス副司令官らの安否不明。

     リッテンハイム大公派、銀河帝国正統政府及び正統政府軍を名乗る。総司令官はオスカー・フォン・ロイエンタール(アンスバッハ准将の暗躍)。

 

「帝国における第二次内乱(帝国暦488年の乱)の開始」

・リッテンハイム大公、拠点をガルミッシュ要塞(自爆後放置状態)に移すことに同意。

 

・3月15日 銀河帝国正統政府軍のキフォイザー星域への集結完了

・3月17日 銀河帝国正統政府軍、キフォイザー星域隣接のアルメントフーベル星域(連合との国境近傍星域)に移動。

 

・3月18日 アルメントフーベル星域会戦 ローエングラム軍、ロイエンタール軍と激突。ロイエンタールの策略により、連合の国境警備部隊とローエングラム軍が交戦状態に。最終的にはローエングラム軍の勝利。ロイエンタール死亡。死ぬ前にミッターマイヤーと通信で会話、伝言を残す。

 

帝国対連合

・3月20日 ラインハルト、ロイエンタールの意を汲み、連合に電撃的に侵攻。目標は戦力の空白が生まれていた連合中枢、キッシンゲン星域連合行政府。

 

ライアル・アッシュビー、連合の協力依頼を承諾。

キッシンゲン星域会戦(「ブルース・アッシュビー最後の戦い」あるいは「連合建国五十周年祭」) ライアル・アッシュビー対ラインハルト・フォン・ローエングラム 善戦も、戦力差からアッシュビーが窮地に。「増援」により、最終的にラインハルトは撤退。

 

ライアル・アッシュビー、副官のフレデリカにプロポーズするも断られる。

 

・3月 ヤン・ウェンリー意識回復。ローザ・フォン・ラウエにプロポーズ。

 

・3月 捕虜となったユリアン・ミンツ、連合に帰属したバグダッシュと再会。シンシアからの手紙(遺書)を読み、彼女の遺志を継ぐことを決意。

 

・4月 ヤン、ユリアンと面会。戦略論や紅茶で意気投合するも、トリューニヒトのことで口論に。

 

・4月 フォーク中将によるトリューニヒト銃撃事件。トリューニヒト退陣、長期療養に入る。後任はレベロ。

 

 

グリーンヒル、ドーソン退任。後任はクブルスリー、ビュコック。

同盟と連合の講和交渉始まる。

 

・4月 ラインハルト帝国に帰還 キルヒアイス、アンネローゼと再会。

ラムズドルフ元帥によるリッテンハイム大公派の拘禁(オーディン。マリーンドルフ家(ヒルダ)の働きかけによるもの)

マリーンドルフ家は事実上の帝国貴族筆頭に。

 

連合、帝国間でも再度の休戦交渉開始

 

 

・5月 同盟・連合間の講和成立

モールゲン、同盟に返還

同盟は以後のフェザーンと連合の関係(攻守同盟、連合に対するフェザーンの従属状態)を黙認。同盟側フェザーン回廊出口を非武装地帯とする。

ヤン不正規艦隊の乗員には、自由意志での帰還が認められる。

 

レベロによる緊縮財政開始。軍備削減も進められる(軍部内の不満が高まる)。

 

・5月 ラインハルト皇帝に即位。ローエングラム朝銀河帝国成立(新銀河帝国)

未だ行方不明のエルウィン・ヨーゼフ2世が廃帝とされ、先々帝オトフリート5世の第3皇女が擁立された後、ラインハルトに帝位禅譲。(新帝国暦1年 ※新帝国暦の開始が原作より早まっています)

ゴールデンバウム王朝の滅亡。

社会改革が急速に進む。

外交部門として外務省及び外務尚書職を新設。

 

 

・6月 連合、帝国間の休戦条約成立(今回は国家間)

講和条約の締結や通商条約の検討も進められる。

 

同盟、帝国間でも休戦条約交渉が水面下で進む(事実上の休戦状態に)

 

・6月 フェザーンのエフライム街40番地にあった地球教徒(フェザーン派)の拠点を制圧(フェザーン・連合)

 

ライアル・アッシュビー、正式に連合の客将となる(フレデリカ・グリーンヒルも副官を継続)

ヤン・ウェンリー、独立諸侯連合に帰属、連合軍元帥となる

アリスター・フォン・ウォーリック、クラインゲルト伯に次期連合盟主を目指すことを表明。未来への展望を語る。

 

地球教団内の抗争激化。連合派地球教徒に対する粛清が進む。

 

オーベルシュタイン及び連合、行方不明の幼帝エルウィン・ヨーゼフ2世がルドルフのクローンであることを知る。

 

 

【幕間劇開始】

「永遠ならざる平和の時代」

 

 

・7月 ライアル・アッシュビー及びフレデリカ、連合建国五十周年記念事業のため、ハードラックを駆って地方巡回(巡業、ドサ回り)に出る。ライアル・アッシュビーによるブルース・アッシュビー・ショーが特に年配に好評。

 

・10月 ユリアン・ミンツ、フェザーンの捕虜収容所を脱走、地球に向かう(ボリス・コーネフの船に女装して乗り込む。ユリヤ・トリュシナと名乗る)

 

・12月 アリスター・フォン・ウォーリック、諸侯会議で伯爵に陞爵(ひとまず一代のみ)。バルトバッフェル伯と争った末、連合盟主に選出される。

 

宇宙暦798年/新帝国暦2年

 

・1月13日 同盟軍ビュコック司令長官、連合のヤン・ウェンリーより親書を受け取る(地球教徒及び、地球教徒によるクーデターへの注意喚起)

      ビュコック、ドワイト・グリーンヒルにクーデター対策を依頼。

 

・2月4日 同盟軍アレックス・キャゼルヌ中将、ムライ少将、フョードル・パトリチェフ大佐、アウロラ・クリスチアン中尉、ビュコック及びグリーンヒルよりクーデター対策部隊(表向きは対海賊部隊)編成の指令を受ける。

 

・2月 長期療養中の連合軍メルカッツ予備役元帥が、その家族とともに失踪(シェーンコップの娘、カーテローゼ・フォン・クロイツェルも巻き込まれる)

 

・2月 ライアル・アッシュビー、本年も地方巡業継続決定(国内治安対策、連合)

 

・8月 同盟軍海賊対策部隊(クーデター対策部隊)成立。司令官にホーランド中将。

 

宇宙暦799年/新帝国暦3年

・1月 キュンメル事件 ラインハルト、キュンメル男爵邸に行幸。キュンメル男爵、ラインハルトを巻き添えに自殺を図ろうとするも、ラインハルトは発熱により意識を失う。動揺したキュンメル男爵をキスリングが取り押さえたことで未遂に終わる。事件の黒幕は地球教団と判明。

 

・1月 ラインハルト、ルッツに地球侵攻を命じる。ルッツ、旗艦で地球教徒に襲撃され重傷。副司令官ホルツバウアー、地球制圧に成功。その過程で地球の民や巡礼者は大量に生き埋めとなったと考えられた。総大主教死亡。

 この事件は「地球の大虐殺」と呼ばれ、民衆に恐怖を覚えさせる。内国安全保障局設置。ハイドリッヒ・ラング、局長として活動開始。恐怖政治復活の萌芽として民心の離反を招く。

 ユリアン・ミンツ、マシュンゴ准尉から地球侵攻の情報を得る。新帝国による地球侵攻の前に多数の地球教徒達と密かに地球脱出、地球教の真の根拠地へ。脱出前に総大主教に認められ、司祭に任じられる。ユリアンはこの脱出行で地球教の英雄となった。

 

 帝国でテロや宇宙海賊の活動が活発化。

 ラインハルト、体調を崩すことが多くなる。総大主教の呪いと噂する者も出現。

 

・1月 ユリアン、地球教根拠地に辿り着き、ド・ヴィリエ、メルカッツ、エルウィン・ヨーゼフ2世、レムシャイド伯他と会う。ユリアン、エルウィン・ヨーゼフ2世(ルドルフクローン)に戦術シミュレータで敗北。

・1月 ユリアン、エルウィン・ヨーゼフ2世の命により大将に昇進。

・1月 ユリアン、メルカッツ及びその家族と交流を深める。カーテローゼ・フォン・クロイツェルとも出会う。

・1月 ユリアン、地球教団内反ド・ヴィリエ派のまとめ役となる。ゴールデンバウムの皇女達にも頼られるように。

・2月 ユリアン、ルビンスキーと会う。経済についてルビンスキーより学ぶ。

 

・3月 オーベルシュタインの家にカエルが棲みつく。

 

・7月 ド・ヴィリエ、総大主教を空位とした上で総書記となる(現体制におけるNo.1)。ユリアン、地球教団主教となり、総書記補佐に任じられる(現体制におけるNo.2)

 

宇宙暦801年/新帝国暦5年

・5月 ジークフリード・キルヒアイス、アンネローゼと結婚(ローエングラム家の入り婿となり、ジークフリード・フォン・ローエングラムとなる)。同時に副帝となる。マリーンドルフ家、いち早くこれを支持。

・5月 シェーンコップ、自分の娘が地球教団に攫われたことを知り、ヤン艦隊を離れる(地球教団の根拠地を探るため潜入任務に)

 

 

・6月 ケッセルリンク、母親の墓の前でドミニクと遭遇。ルビンスキーからのメッセージを受け取る。

・6月 ルビンスキー死亡。それをトリガーに自治領主の執務室が爆発。ボルテック死亡。補佐官となっていたケッセルリンクが暫定領主となり、混乱収拾。

 

【前作第四部開始】

「永遠ならざる平和の終わり、神聖銀河帝国戦争」

 

・7月 ラインハルト・フォン・ローエングラム崩御

・8月1日 ジークフリード・フォン・ローエングラムが新銀河帝国第二代皇帝として即位 

・8月 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、アンネローゼの強い勧めで首席補佐官留任。

・9月 ハルテンベルク伯カール・マチアスの反乱。名目はゴールデンバウム王朝の復権。反乱鎮圧に派遣されたヴァーゲンザイル中将、敗北。

・9月 マリーンドルフ伯爵家に謀反の疑い。ハイドリッヒ・ラング、マリーンドルフ家がラインハルトを謀殺した証拠なるものをジークフリード帝に示す。

・10月1日 反乱鎮圧に派遣されたトゥルナイゼン中将敗北、戦死。

・10月7日 エルウィン・ヨーゼフ2世(ルドルフクローン)の演説。ルドルフ大帝の凍結精子から生まれた直系の息子を名乗る。ルドルフ大帝の理想の実現、その一つとして地球秩序への回帰を主張。神聖銀河帝国の成立を宣言。

・10月14日 レムシャイド侯より神聖銀河帝国の主要閣僚発表。新帝国の閣僚であるはずのゲルラッハ伯とマリーンドルフ伯の名前あり。

      マリーンドルフ伯の名前があったのは神聖銀河帝国によるブラフであったが、効果は絶大。新帝国からの離反者がさらに発生。

      ユリアン・ミンツ、総参謀長として神聖銀河帝国軍に属する。

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

・10月 協力関係にあったトリューニヒトの行方を地球教団が把握できない状態となる。

 

・10月 独立諸侯連合においてバルトバッフェル伯の息子による反乱計画(背後に地球教団)、未然に阻止される。

 

・10月21日 新帝国ミッターマイヤー宇宙艦隊司令長官による神聖銀河帝国討伐、グリルパルツァー、クナップシュタインの裏切りによりとん挫。ミッターマイヤー負傷、ミュラー捕虜に。

・10月 帝国全土で大小の反乱や離反が続発。

・10月30日 ジークフリード帝、独立諸侯連合に支援要請。

 

・10月末 惑星ネプティス等複数の惑星が起こる。複数の正規艦隊、反乱鎮圧に向かう。

・11月4日 ウド・デイタ―・フンメル、神聖銀河帝国特使として連合に派遣される(新帝国の支援要請への対抗。手厚くもてなされる)

・11月15日 自由惑星同盟においてクーデター(クーデター勢力はハイネセン占拠に失敗するも、反乱鎮圧に派遣された同盟軍の艦隊戦力の大部分の無力化に成功。首班はロボス退役元帥(背後に地球教)。レベロら主要閣僚はビュコック司令長官の保護を受ける)

      ハイネセン孤立。生活物資、医療品などが短期間で不足することが予想される(ハイネセン救援までのタイムリミットが発生。一か月程度)

      グリーンヒル大将行方不明に。

・11月16日 独立諸侯連合において方針決定。新帝国を支援。ヤン・ウェンリーを司令官として艦隊派遣の準備に入る。

・11月17日 自由惑星同盟レベロ議長、連合に対してライアル・アッシュビーの同盟帰還を要請(支援要請)。連合はこれを受諾し、一個艦隊と共にアッシュビーをフェザーン経由で帰還させる。

・11月18日 クーデター勢力より声明。「挙国一致救国会議」を名乗る。

・11月 ローザ・フォン・ラウエの後任として、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー大尉、ヤンの副官となる。

 

 

 

対神聖銀河帝国戦(第三次ヴェガ星域会戦まで)

・12月6日 ヤン・ウェンリー元帥率いる連合軍派遣艦隊四万隻が帝国領に向けて出発

・12月7日 フォーク率いる神聖銀河帝国軍1個艦隊がオーディンに向かっているとの報が新帝国に入る。ジークフリード帝、連合軍派遣艦隊との合流の前にこれを撃破することを決める。

・12月10日 ジークフリード帝、アンネローゼに対しヒルダを側妃に迎える話を否定(新帝国内で国内融和のためヒルダをジークフリード帝の側妃に迎える案が出ていた)

・12月10日 ジークフリード帝、三万五千隻を率いて親征に出発。ヒルダ、中佐待遇で同行。

・12月15日 ジークフリード帝、ヴァルハラ星域に隣接するヴィーンゴールヴ星域でフォーク艦隊と接触。1個艦隊というのは欺瞞で実数千五百隻。フォーク及び副司令官アーサー・リンチは逃走に成功。

 

・12月18日(~12月20日) アルジャナフ星域会戦 ヤン・ウェンリー率いる連合軍四万隻に対し、ルドルフ2世率いる神聖銀河帝国軍五万隻がぶつかる。ジークフリード帝接近の報に最終的には神聖銀河帝国軍が撤退するも、戦術的には連合の敗北となる。

・12月21日(~12月23日) 連合軍、新帝国軍と合流。

 

・12月31日(~1月1日) 第三次ヴェガ星域会戦 連合/新帝国対神聖銀河帝国の決戦。神聖銀河帝国メッゲンドルファー技術中将のブラックホール兵器に苦しめられるもヤンの奇策により撃破。ルドルフ2世をジークフリード帝が、ユリアン/メルカッツをヤンが相手取り、連合/新帝国が最終的に勝利。クナップシュタイン、メルカッツ戦死。

            連合/新帝国はルドルフ2世の捕縛を狙うも、メッゲンドルファーの奥の手、フォーク、リンチの特攻によって阻まれる。神聖銀河帝国の残軍は撤退。

 

対挙国一致救国会議戦

・11月27日 回廊の戦い前哨戦(イゼルローン回廊) ホーランド艦隊(同盟政府側)対ワイドボーン艦隊(救国会議側) ホーランド艦隊、艦隊戦に勝利するもワイドボーンにより回廊内に機雷を敷設され、処理に時間をとられる。

・11月27日 回廊の戦い本戦(フェザーン回廊) アッシュビー艦隊(同盟政府側)対ルグランジュ艦隊(救国会議側) 伝説の戦いとなる ルグランジュ艦隊降伏、以降アッシュビー艦隊に協力。

上記の戦いで、同盟政府側は救国会議の実働戦力を壊滅させたと判断。

・12月2日 アッシュビー、後方をルグランジュに任せ、バーラト星系に向かう。

・12月 グリーンヒル大将、アッシュビーと合流。フレデリカと和解。

・12月 シトレ退役元帥など、幾人かの著名人が同盟政府とアッシュビーへの支持を表明。しかし救国会議を支持する星系政府や著名人も依然存在。

・12月10日 ハイネセンを守る第一艦隊による物資輸送作戦。第一回は成功し、タイムリミットが延びる。

・12月 2度目の物資輸送作戦において第一艦隊が正体不明の艦隊の強襲を受ける。

 

・12月29日 バーミリオン星域会戦開始。ライアル・アッシュビー(同盟政府側、一万四千隻)対15体のアッシュビークローン(救国会議側、四万五千隻の自動化艦隊)。ライアル・アッシュビー、苦しい戦いとなる。

ハイネセンの物資不足が深刻に。

 

宇宙暦802年

・1月1日 トリューニヒト、ビュコックやレベロの前に姿を見せる。

・1月1日 トリューニヒト、ハイネセン・スタジアムにおいて演説。主戦論からの転換と恒久平和に向けた国際協調組織設立を訴える。

・1月1日(~1月2日)救国会議内のトリューニヒト派、救国会議を裏切る。これにより、救国会議の勢力は大きく衰える

・1月2日 バーミリオン星域会戦続く。ライアル・アッシュビー、乾坤一擲、幻の超必勝戦術「アッシュビー・スパーク」を使おうとした矢先、ビュコック司令長官より戦闘停止命令が届く。救国会議側自動化艦隊はトリューニヒト派ベイ准将による停止コマンドで停止。

 

・1月3日 ライアル・アッシュビー、アッシュビークローンの死体と対面。

・1月3日 挙国一致救国会議上層部が籠る基地において、悪あがきを続けるメンバーに対してエベンス准将が自爆を決意。ライアル・アッシュビー、銀河最速の船となったハードラックに乗ってこれを阻止。

・1月3日 フレデリカ、ライアル・アッシュビーの求婚を受け入れる。

自由惑星同盟におけるクーデターはほぼ終息(シャンプールなど一部基地では頑強な抵抗あり)。クーデターの影響により、同盟の艦隊戦力は半壊。軍内に深刻な精神疾患が蔓延(キャプテン・アッシュビー症候群)。

 

・1月 オーベルシュタインの犬が死ぬ。

 

対神聖銀河帝国戦

神聖銀河帝国の根拠地が依然として不明のままであり、ルドルフ2世を逃がした今、終戦の目途が立たない状況。

 

ユリアン、神聖銀河帝国元帥に昇進。メルカッツの後任として軍務尚書に。

 

シリウス星系の戦い 神聖銀河帝国軍の艦隊戦力壊滅。神聖銀河帝国の根拠地と目されたシリウス星系内の基地壊滅。

太陽系の戦い 神聖銀河帝国の真の根拠地判明。天体要塞ルナ起動。ヤン・ウェンリー、神聖銀河帝国との最後の戦いに挑む。

ヤン・ウェンリー「ジャン・ピエールの帰還」作戦発動。

ルドルフ2世、ド・ヴィリエ、レムシャイド他神聖銀河帝国の主要メンバー太陽系脱出

ユリアン・ミンツ、伯爵に叙され、事後処理のために残留。脱出組から頼み事多数。神聖銀河帝国宰相代理にして全権、神聖銀河帝国軍元帥にして最高司令官、並びに地球教団大主教にして総書記代理となる。

ユリアン、ヤン・ウェンリーに対して降伏条件の交渉を行う。

月要塞内で、兵士の反乱。略奪、暴行に走る。ユリアン自体の鎮静化のため捕虜となっていたミュラー、バグダッシュらに協力を要請。シェーンコップ、カーテローゼ救出のため行動開始。

 

・1月17日 神聖銀河帝国、降伏に同意(神聖銀河帝国の国家承認、神聖銀河帝国責任者への死刑不適用、地球自治区の設置などが降伏の条件)

 

・1月17日 シェーンコップ、月要塞内でカーテローゼの危機を救うも、大失敗をやらかす。

 

・1月19日 挙国一致救国会議の最後の抵抗拠点シャンプール、オーブリー・コクラン准将によって陥落(クーデター完全に終息)。

 

・1月28日 ホーランド、ルドルフ2世他神聖銀河帝国主要メンバーの捕縛に成功。「帝国を滅ぼした者」を自称。グリルパルツァーのこのタイミングでの再度の裏切りがきっかけ。

 

・1月30日 ジークフリード帝、アンネローゼ、ヒルダと話し合い。ヒルダを側妃に迎える話を改めて否定。銀河帝国の今後の構想を語る。ヒルダ、外務尚書に就任。ジークフリード帝、話し合いの後ミッターマイヤーと酒を酌み交わす。、

 

・2月1日 オーベルシュタイン、ウォーリック伯の下を訪れ、ルドルフ2世の処刑を主張。ウォーリック伯は死刑不適用が銀河四国の共有事項としてこれを拒否。

 

・2月2日 ルドルフ2世他神聖銀河帝国の主要メンバーはモールゲンの同盟軍基地に一時的に収容されることに決定

 

・2月18日 シルヴァーベルヒ、木星において終戦会議場の設営開始。ジオデシック構造のドームの利用により1週間で会議場建設を完了。(不可抗力ながらヤンのせいで会議場の設置場所に変更発生。シルヴァーベルヒ達に恨まれる)

 

・2月24日 ケッセルリンク、月に保管されていたルビンスキーの死体と対面。ユリアンと握手を交わす。

 

・2月25日 ジークフリード、太陽系に向かう途上で勅令を出す。「ブリュンヒルトの勅令」

     地方分権の推進と、選挙君主制(将来的に皇帝を空位とし、オリオン王を設置)への移行、国号を銀河帝国からオリオン連邦帝国に変更することを表明。銀河各国はこれを歓迎。

・2月25日 ラムズドルフ元帥、軍務尚書辞任を表明。後任にミッターマイヤー。

 

・2月28日 木星の衛星ガニメデにて終戦会議開催 神聖銀河帝国と銀河四国(同盟、連合、フェザーン、新帝国)の間で終戦条約締結。神聖銀河帝国滅亡。2月28日以前に国家として存在していたことが承認される。

・2月28日 オーベルシュタイン、同盟軍モールゲン基地訪問、ルドルフ2世と面会。自らの命と引き換えに殺害するつもりであったが、想定と違う人物であったため取りやめる。

・2月28日(~3月1日) フレーゲル男爵率いる神聖銀河帝国残党による同盟軍モールゲン基地襲撃、神聖銀河帝国主要メンバーの奪還を図る。オーベルシュタインの誘導によるもの。ライアル・アッシュビー、オーブリー・コクランの介入により解決。アッシュビーとフレーゲルによる戦艦同士の一騎討ち発生。

・2月28日 神聖銀河帝国残党によるモールゲン基地襲撃事件発生に伴い、銀河四国首脳とユリアンの秘密会合。降伏時の密約の破棄の了解を迫られ、怒りで暴走しかけるも、トリューニヒトとヤンの介入により、事なきを得る。ユリアンは自らの危うさを自覚。

・3月1日深夜 オーブリー・コクラン、ルドルフ2世暗殺に動くもライアル・アッシュビーによって阻止される。ライアル・アッシュビーとルドルフ2世、言葉を交わす。

・3月1日深夜 クリストフ・フォン・バーゼル及びヨハンナ、モールゲン基地より姿を消す。

・3月2日 終戦会議再開。今後の銀河の体制についての話し合い。3月5日にまとまる。

・3月5日 「新銀河体制に関する四カ国条約」成立。先の終戦条約と合わせて「太陽系条約」と呼ばれる。

・3月5日 銀河四国による声明。内容は下記。

モールゲン襲撃事件の首謀者はサイオキシンマフィア及びそれに協力する宇宙海賊の首魁、クリストフ・フォン・バーゼル。神聖銀河帝国の成立と開戦にはサイオキシンマフィアが絡んでおり、地球教団と神聖銀河帝国を半ば乗っ取り、サイオキシン浸透のために利用していた。

ルドルフ2世もクリストフ・フォン・バーゼルの傀儡であった。銀河四国はサイオキシンマフィアを許さず、取り締まりを強化するとともに、サイオキシンマフィアに利用された地球教団の正常化を地球教団内の良心派の協力を得て行うこと。

(いずれも虚偽の内容。密約維持と今後の地球教団穏健化をスムーズに行うためにとられた苦肉の策)

 

旧神聖銀河帝国構成員及び構成物の取り扱い

・北部旧連合領を含む地球統一政府時代の開拓領域より北西の地域一帯とその構成物を後述の国際協調組織の所属とする。

・それ以外の地域及び構成物をオリオン連邦帝国の所属とする。

・神聖銀河帝国の構成員は、国際協調組織の管理下となる。

・開戦時の神聖銀河帝国の国家元首及び内閣閣僚の生存者は開戦の決定に関与したものとして、銀河諸国民と自国民の利益を毀損した「平和に対する罪」を問われる。

 ルドルフ2世(エルウィン・ヨーゼフ2世)、ド・ヴィリエ、レムシャイドは終身刑、それ以外の閣僚も実刑判決(二十年以下の懲役)

 

新銀河体制

・銀河四国は対等

・四国間の個別の軍事同盟及び戦争の禁止

・国家間の利害調整の場として国際協調組織を設ける。

・国際協調組織に国際保安機構を設置する。

・国際協調組織の事業として地球再建事業と、銀河未踏領域開拓事業を行う。

・地球自治区を設置(国際協調組織管理下)

 

国際協調組織の名は新銀河連邦、初代主席にヨブ・トリューニヒト就任

本部はアルタイル、モールゲンと地球(月)に副本部

 

・3月5日夜 条約成立祝賀会

銀河四国及び旧神聖銀河帝国所属者が参加。様々な交流が生まれる。

ユリアン、マルガレータと口論となる。ユリアンは自分が暴走したときには殺してでも止めるよう、マルガレータに頼む。

 

 

銀河に新たな時代が訪れる。

「新銀河連邦時代」

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

【本作開始】

 

前作エピローグへ????

 

 



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組織図/用語集/人物紹介(前作のネタバレ注意)

年表同様、前作のネタバレの塊なのでご注意ください。

特に用語集……







【銀河系の勢力】

 

銀河全域図

 

【挿絵表示】

 

 

<自由惑星同盟>

 銀河四国で最大の国力を有する。

 議長:ジョアン・レベロ

 

<フェザーン自治国>

 時流の変化に乗り、完全独立を達成

 国主:ルパート・ケッセルリンク

 

<独立諸侯連合>

 ブルース・アッシュビーの帝国領大侵攻によって誕生した国家。ゴールデンバウム朝門閥貴族の堕落を批判、反面教師とする貴族制国家。徐々に民権が伸長中。

 盟主:アリスター・フォン・ウォーリック

 

<オリオン連邦帝国>

 ゴールデンバウム朝、ローエングラム朝銀河帝国の後継国家。人口面では未だに最大の国家。選挙君主制を採用する。オリオン王を選出するための選挙を宇宙暦803年に予定。

 皇帝:ジークフリード・フォン・ローエングラム 皇妃:アンネローゼ・フォン・ローエングラム

 

<新銀河連邦>

 神聖銀河帝国戦争終結後に誕生した国際協調組織。直轄地を保有するため行政機構を有する。

 保安機構という名の有事対応組織を保有。

 主席:ヨブ・トリューニヒト

 

 

【新銀河連邦(NUSG)組織図】

主席:ヨブ・トリューニヒト

 

(1)国際協調機関

・総会事務局

・国際裁判所

 

・銀河保安機構(IG)

 長官:ヤン・ウェンリー

 長官補佐兼情報局長:パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

(2)直轄地行政機構

・行政機構

 下部組織に民生局、工部局等

 長官:ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ

 

(3)財団

・地球財団(第一財団)

 総書記:ユリアン・フォン・ミンツ

 総書記補佐:ウォルター・アイランズ

 

・銀河開拓財団(第二財団)

 理事長:アーベント・フォン・クラインゲルト

 理事長補佐:アルフレット・グリルパルツァー

 

(4)自治区

・地球自治区

 自治区長:ユリアン・フォン・ミンツ

 自治区長代理:シェッツラー子爵

 

 

 

【銀河保安機構組織図】

長官:ヤン・ウェンリー

・情報局(長官直轄) 局長:パウル・フォン・オーベルシュタイン

・技術局(長官直轄) 局長:リンクス

・統合本部 本部長:アレックス・キャゼルヌ 本部長補佐:ムライ

・宇宙艦隊 艦隊司令長官:ナイトハルト・ミュラー 副司令長官兼陸戦隊指揮官:ワルター・フォン・シェーンコップ

・地方警備隊本部 本部長:ウルリッヒ・フォン・ケスラー※

・独立保安官 首席保安官:ライアル・アッシュビー

 

本部:アルタイル

支部:月及び銀河四国に一か所ずつ存在

 

独立保安官は一定の裁量と、逮捕権を、新銀河連邦及びその構成国から認められている。

彼らは、銀河をまたがって行われる大規模犯罪や、テロに能動的に対応することが期待されている(発足したばかりで未熟な組織のため、不足している要素を補う存在として便利屋的な活動を行う)。

 

 

※功績により連合で一代貴族に叙された

 

 

 

 

【「時の女神が見た夢」用語集】

 

アッシュビー教:

神聖銀河帝国戦争終了後、同盟で興った新興宗教。その萌芽は以前から軍神アッシュビー信仰として同盟及び連合内に存在した。

地球教の衰退、脱宗教化に伴い、一部信徒の受け皿となる。また、同盟軍内にも信徒を多数抱えるようになりつつある。

「アッシュビーは自ら助くる者を助く」

宇宙暦802年9月時点でアッシュビー霊廟建設計画が開始されている。

 

 

アデレード夫人:

宇宙暦802年時点で故人。ブルース・アッシュビーの妻だった女性。ライアル・アッシュビーを本物のブルース・アッシュビーだと信じている。

彼女の発言が、アッシュビー信仰、アッシュビー教信者を生み出す元となった。

ライアル・アッシュビーに愛と非難のこもった手紙を送り続ける。ライアル・アッシュビーも返事の手紙だけは律義に返していた。

ライアル・アッシュビーに近づく女性に「牽制の手紙」を送っていたことも判明。

 

 

アンスバッハ:

ブラウンシュヴァイク公の遺命に従い、リヒテンラーデ、リッテンハイム、ラインハルトへの復讐に動く。そのために地球教団勢力にも協力。

陰で色々と動いている。控え目なので印象が薄い可能性があるが、実は謀将として大きく物語を動かした一人。

きっちり主君の復讐も果たしている。

神聖銀河帝国でもあまり目立たなかったが、仮にルドルフ2世が誰かによって殺害されていたら、復讐に走ろうとするユリアンをサポートして活躍していた可能性が高い(IFルート?)。

現在は地球財団に所属し、皇女達をサポートしている。

 

 

エルランゲンの奇跡:

ヤン・ウェンリー、連合領(ラウエ伯領)エルランゲンにて400万人の民間人と脱出に成功、連合内で一躍英雄に。ローザ・フォン・ラウエもヤンに救われた一人となる。

原作のエル・ファシルの奇跡が起きていない(情勢的に起きようがない)ため、フレデリカはヤンと出会っていない。

 

 

エンダースクール:

当初はブルース・アッシュビーに続く次代の英雄を育てるための非公開組織として発足。同盟軍関係者の子弟の中で見込みのある子弟に幼少時から英才教育を施す。

フェザーンの資金流入により変質、アッシュビーの複製(クローン)を生み出すための組織に。その成果として多数の失敗作クローンを生み出す。

唯一人の成功作ライアル・アッシュビーを生み出した後、再度、英才教育のための組織となる。

出身者にフレデリカ・グリーンヒル、アンドリュー・フォーク、シンシア・クリスティーン、ユリアン・ミンツ等。

失敗作のアッシュビークローン達のうち処分を逃れた者達は挙国一致救国会議によって利用され、死亡もしくはMIA。しかし生存者の存在が疑われている。

 

 

オーベルシュタインの犬:

この世界でもオーベルシュタインとの遭遇を果たす。宇宙暦802年1月に死亡。

 

 

キャプテン・アッシュビー:

ポスト・アッシュビー時代の防衛戦争意識の薄れた同盟において、軍志願者数の減少傾向に歯止めをかけるため、同盟軍全面協力の元につくられた立体TV。

若き日のブルース・アッシュビーが、730年マフィアの愉快な仲間達、星間警備隊の頑固な老提督ギャレット・ギネス、美人諜報員にしてアッシュビーの義理の妹フリーダ・アッシュビーらと共に、

同盟の専制国家化を目論む宇宙海賊や、マッドサイエンティスト、果ては外宇宙からの侵略者たちと戦いを繰り広げる、

という設定の宇宙冒険活劇。

リメイクもされ、同盟の20代から50代まで幅広い層に人気がある。

対挙国一致救国会議戦でのライアル・アッシュビーの活躍により、「キャプテン・アッシュビー症候群」なる精神疾患まで生まれている。

 

 

ケスラーの交際相手:

ケスラーは宇宙暦802年に入り、マリーカ・フォン・フォイエルバッハと交際を開始している。二人とも連合所属。後にマリーカの父がケスラーの同僚であるフォイエルバッハ元帥であることが判明。

フォイエルバッハ元帥はショックで寝込む。

今作でケスラーは新銀河連邦に移籍しているが、決して連合に居づらくなったためではない。

 

 

挙国一致救国会議:

神聖銀河帝国の決起と同時期に自由惑星同盟内でクーデターを起こした勢力。同盟領内でライアル・アッシュビーと死闘を繰り広げる。実は名前の中に地球が隠れているんです……

 

 

義手:

本作ではヤンとルッツが義手となっている。ワーレンは義手ではない。

義手の有無で見分ける場合はご注意ください。

なお、ヤンが義手になったのはユリアンのせいだが、本人達はあまり気にしていない。

 

 

銀河開拓財団(第二財団):

戦争の時代の終焉に伴い、独立諸侯連合の貴族の存在意義が薄れることに対して、

銀河の開拓を主導する存在として貴族を再定義することを狙うアリスター・フォン・ウォーリックの発案に基づくもの。

人類未踏領域の開拓を目指すが、現在は人類未踏領域の探査活動と現新銀河連邦直轄地(旧北部連合領)の再開拓事業に注力中。

 

 

後遺症:

トリューニヒトはフォークによる銃撃事件によってかつての体力を失っている。

トリューニヒトとしては、表舞台から退くことも考えていたが、放っておけないことが多すぎて復帰。ついでに以前の野心もある程度復活。

ユリアンも戦傷で肩に後遺症が残るが、訓練と慣れによって戦闘などに支障はない。

 

 

黒衣の宰相(あのユリアン):

かつてはヨブ・トリューニヒトの秘蔵っ子。一人の女性の遺志を継ぎ、地球を再び青く美しい星とするために奔走。

敵手のヤンからペテンの術を学び、ド・ヴィリエ、ルビンスキーより陰謀の立て方を学び、メルカッツより戦術を学び、レムシャイド侯他門閥貴族より貴族としてのマナーとやり口を学んだ。

成り行きとはいえ、最終的に神聖銀河帝国宰相代理にして全権、神聖銀河帝国軍元帥にして最高司令官、並びに地球教団大主教にして総書記代理となる。

結果的に相当数の人間から危険視、不安視され、「あのユリアン」、「黒衣の宰相」等と呼ばれるようになる。

同時にトリューニヒトやヤンなどからは心配され、気にかけられている。年上からは気に入られることが多かったものの、同年代の友人はいな……少なかった。しかし最近そうでもなくなった。

 

 

黒旗の末裔:

前作番外編で登場。地球教団が表舞台に出てきたことにより生まれた黒旗軍の子孫によるカウンター組織。

地球勢力に復讐されるのではという末裔達の怯えによって出現した。

現状は穏健的で、地球勢力の過激な台頭は防ぎたいが、今更再度滅ぼしたいと思っているわけではない。

ユリアンの地球教団穏健化の試みは、彼らにとっても好都合であるため、その行く末を陰ながら注視している。

組織の主は「アルマリック・シムスン」と名乗る。

 

 

シンシア・クリスティーン:

ユリアンが同盟軍に所属していた際に副官を務めた女性。ユリアンと親密になるも、対連合戦でヤンの旗艦にユリアンが突入した際に死亡。

彼女の地球を青く美しい惑星に戻したいという言葉がユリアンを動かし、地球教団に走らせる原因となる。

地球教団に弱みを握られ、スパイとしてユリアンを篭絡する密命を帯びていたが、実際はトリューニヒトに協力する二重スパイでユリアンの味方だった。

デグスビイ主教との因縁が深かった。

銀河英雄伝説タクティクスのキャラクターで、地球に憧れているのはその公式設定(というかゲーム中の発言)に基づくもの。

シンシアという名前自体、「月の女神」を意味するが、どこまで考えられて付けられた名前なのかは不明。

 

 

神聖銀河帝国:

地球教団と旧ゴールデンバウム王朝勢力、旧地球教団派フェザーン勢力が集合して生み出された勢力、国家。

ユリアンの終戦交渉の結果、銀河四国より滅亡後の国家承認を受ける。存在期間、宇宙暦801年10月7日~宇宙暦802年2月28日。

 

 

地球財団(第一財団):

地球教団が脱宗教化した姿。突然の変化に戸惑う者も多く存在するため、ユリアンの目指す地球教団穏健化がうまくいくかはこれからの話。

 

 

地球の大虐殺:

ラインハルトの命で地球に遠征したルッツが負傷し、指揮を引き継いだホルツバウアーが起こした地球住民に対する大虐殺事件。

実際は地球教団による自作自演。大多数の住民、巡礼者はユリアン・ミンツが脱出させており、死者数は見積もりより大幅に少なかった。

この一件でユリアンは地球教の英雄となった。

 

 

超必勝戦術:

それを出すことさえできれば、勝利が確定すると伝えられるブルース・アッシュビー幻の戦術「アッシュビー・スパーク」。

ライアル・アッシュビーも使うことができる(本人の主張)。

前作ではトリューニヒトにお披露目を阻まれたが、今作こそは出す機会があるかもしれない。

 

 

月:

地球信仰及び地球教団の発祥地。地球教団が長年かけて要塞化を達成。地下に8千万人を抱えていた。

宇宙暦802年9月現在、地球教団改め地球財団本部が存在。新銀河連邦地球自治区の殆どの人口が月に暮らしている。

フライングボールの発祥の地でもある。

 

 

帝国を滅ぼした男:

ルドルフ2世の捕縛に成功して以降、ホーランド大将が自称するようになった。別に嘘ではない点が厄介(と思っている人がそこそこいる)。

 

 

出禁のヤン:

フェザーンにおける同盟との戦いで、結果的にフェザーン及びフェザーン商人に巨大な経済的損失を与えたことにより、ヤンはボルテック暫定自治領主から出入り禁止を宣告された。

この一件からついた二つ名。フェザーン商人がヤンを悪く言う時によく使われるようになる。

この一件に限らず本作のヤンはフェザーンに巨大な軍事的、経済的な損失を与えており、

そこからの回復にはボルテックとケッセルリンク、そして何よりフェザーン市民の多大な汗と涙を必要とした。

恨まれるのも無理のないことである。

 

 

ファルケンルスト要塞:

かつてフェザーン回廊同盟側出口に存在したフェザーン所有の要塞。月要塞発見前は銀河最大最強の要塞であったが、ヤン・ウェンリーに破壊される。

破壊の方法がフェザーン経済に甚大な影響を与えるもので、ヤンに出禁という二つ名がつく直接の原因となる。

 

 

フォークに対する電文:

フォークを会戦の敵手と勘違いしたラインハルトにより発せられたフォーク宛の電文。

「貴官の勇戦に(以下略)」

フォークがローエングラム軍の面々から過大評価される要因になる。

 

 

マルガレータのくま:

本作ではヘルクスハイマー伯爵はあっさりと連合に亡命できた(距離が近いので)ため、マルガレータはジークフリードやベンドリングに出会わなかった。

このため、ぬいぐるみのくまには名前が付かなかった。

実はマルガレータは今でも大事にしている。

 

 

メッゲンドルファー:

第四部から急に登場した神聖銀河帝国所属のマッドサイエンティスト。せっかくのスぺオペなのだから景気よく天体兵器を登場させたいと思った作者の都合と、

旧コミック版で登場していたミニブラックホール爆弾にも誰かが生み出した&きっとその人物はシャフトによって左遷されたんだろうという妄想から生み出された存在。

名前の元ネタは『マッカンドルー航宙記』のマッカンドルー教授。(ハードSFとスぺオペの両立は難しいですね。作者の力量を上げて再挑戦したいです)

 

 

メルカッツ戦法:

メルカッツの経験が生んだ熟練の戦法。戦法のいくつにかはナンバーがついているが、空き番号や重複もあるとの噂。

独立諸侯連合の宿将メルカッツは連合においても、拉致された先の神聖銀河帝国においても数々の弟子を残した。

ルドルフ2世もユリアンもメルカッツの弟子。

連合と新帝国の苦戦の原因の多くはメルカッツのせいだが、連合の将兵の健闘もメルカッツの薫陶の賜物。

 

 

ヤン・ウェンリー

現銀河保安機構長官。魔術師ヤン、奇跡のヤン、昼寝のヤン、出禁のヤン、悪鬼ヤンと数々の二つ名を持つ不敗の名将。

最近はペテン師ヤンと呼ばれることが多いのが悩みの種。独立諸侯連合軍元帥。

ローザ・フォン・ラウエ(連合)と結婚し、最近息子が生まれた。

自由惑星同盟連合駐留艦隊所属から紆余曲折あって、独立諸侯連合軍所属となり、元帥となる。神聖銀河帝国戦争後に引退を考えるも、新銀河連邦銀河保安機構長官の職を押し付けられ、その夢は潰えた。

 

 

 

ユリアン争奪戦:

ユリアンに好意を持っている女性が複数人いる現在の状態。その数はユリアン自身が気づいているよりも多い。

 

 

ユリヤ・トリュシナ:

ユリアン・ミンツがフェザーンの捕虜収容所脱出の際に女装した姿。彼女(彼)が乗ったベリョースカ号のボリス・コーネフ船長には「地球の大虐殺」の際に死んだと思われており、彼の心に傷を残している。

 

 

ライアル・アッシュビー:

ブルース・アッシュビーのクローンにして成功作。ブルース・アッシュビーや立体TVのキャプテン・アッシュビーと同一視されることが多い。

周りに持ち上げられて英雄を演じているだけだと本人は思っているが、周りから見れば相応に努力も苦労もしている。

相応に後ろ暗い過去を抱えているのに英雄視されていることに複雑な感情を抱いており、それが行動に現れることもある。

 

 

ライアル・アッシュビーの求婚:

副官であるフレデリカに何度もアタックし、その度に断られ続けるも、ついに承諾の返事をもらう。宇宙暦802年9月時点で既に結婚。父親であるグリーンヒル大将は許可を出すにあたって血涙を流す。

しかし、承諾の返事をする場所が本当にあんな場所でよかったのだろうか?

 

 

ラインハルト・フォン・ローエングラム:

ローエングラム朝銀河帝国の開祖。宇宙暦802年時点で故人。原作同様の病気で死亡。

前作では割を食う場面もいくらか(?)あったが、常勝のまま退場。

ヒルダとは結婚せず、息子も生まれなかった。(ヴェスターラント事件は発生していない)

 

 

ルドルフ2世(エルウィン・ヨーゼフ2世):

フリードリヒ4世の子供が遺伝子疾患により立て続けに夭逝したことから、ゴールデンバウム王朝の血脈が汚れきっていることに気づいたリヒテンラーデ公が、ルートヴィヒ大公の死後にフェザーンの力を借りて生み出した存在。初代皇帝ルドルフのクローン。

秘密を守るため、事はリヒテンラーデ公の一族の女性とフリードリヒ4世の何人かの寵姫の腹を借りて行われた。出来のよい赤子のみが選抜された。シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ侯爵夫人の悲劇もこれが原因。

原作とは生誕年が異なるが、父親とされているルートヴィヒ大公死後数年後に生まれていると思われる点は原作と同じ。

ユリアンの主君にして友人。ユリアンにとっては初めての年の近い(?)友人。

仮に彼が殺害されていたら、ユリアンの心は闇に堕ちていた可能性が高い(IFルート?)。

 

 

ルパート・ケッセルリンク

宇宙暦802年現在、フェザーンの自治国主。

いろいろな経験が重なり、ルビンスキーのことはまがりなりにも冷静に考えられるようになった。

フェザーンを導く優秀なリーダーとなっている。

 

 

連合建国五十周年祭:

ラインハルトによる連合中枢への電撃的侵攻に対して、ライアル・アッシュビーと共に連合の民が総出で戦った出来事。

ちょうど、連合建国の五十年目の節目にあたり、お祭り騒ぎのような様相を呈した。

この一件で、ライアル・アッシュビーはいろいろと吹っ切れた。

 

 

ロイエンタール:

ラインハルトに対して反逆し、リッテンハイム大公の反乱を主導、戦死。しかし、その意図はラインハルトを皇帝とするための露払いであった。

ローエングラム王朝早期成立の立役者。

前作では明確に述べていないが、リヒテンラーデ公の一族粛清の際に、気まぐれでエルフリーデ・フォン・コールラウシュを連合に逃がしている。

ミッターマイヤーには大馬鹿者呼ばわりされたが、アンスバッハとは通じ合うものがあった。

 

 

ローザ・フォン・ラウエ:

ヤンの副官を務め、その後ヤンと結婚。一児をもうける。

最終階級大佐。現在は退官して女伯として領地経営及び子育てに集中。

ヤンの後任の副官をマルガレータにお願いする。

紅茶を淹れるのが得意。紅茶に関してはユリアンのライバル。ユリアンに瀕死の重傷を負わせたこともある。

銀河英雄伝説タクティクスのキャラクターで、紅茶を淹れるのが得意なのはその公式設定(というかゲーム中の発言)に基づくもの。

 

 

 

【主要登場人物】※追加予定あり

 

()内は所属国推移

 

<新銀河連邦>

ヨブ・トリューニヒト(同盟→新連邦)

元同盟最高評議会議長として対連合戦争を主導。銀河の趨勢を読み、主戦論から国際協調路線に転向。新銀河連邦初代主席となる。

用語集、「後遺症」参照。

 

ヤン・ウェンリー(同盟→連合→新連邦)

現銀河保安機構長官

用語集、「ヤン・ウェンリー」参照。

 

ユリアン・ミンツ(同盟→地球教団/神聖銀河帝国→新連邦)

地球財団総書記。用語集、「黒衣の宰相」参照。

 

ライアル・アッシュビー(同盟→連合→同盟→新連邦)

現銀河保安機構首席保安官(独立保安官のリーダー)。愛機ハードラックを駆って、フレデリカと共に銀河の平和を守る日々。用語集、ライアル・アッシュビー参照。

 

フレデリカ・グリーンヒル(同盟→連合→同盟→新連邦)

ライアル・アッシュビーの副官にして妻。

 

サビーネ・フォン・リッテンハイム

ゴールデンバウムの皇女。地球財団に保護されている。ユリアンに好意を持つ。

 

エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク

ゴールデンバウムの皇女。地球財団に保護されている。ユリアンに好意を持つ。

 

カーテローゼ・フォン・クロイツェル

地球財団所属。皇女達の侍女長を務める。ユリアンと少しずつ関係を深めている。シェーンコップの娘。父親との間にはまだわだかまりがあるが、連絡はごくたまに取りあっている。

 

 

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー(旧帝国→連合→新連邦)

現在中佐。父と共に連合に亡命。ヤン・ウェンリーの副官を務めた後、銀河保安機構に移籍、独立保安官となる。

ユリアンと初対面で口論となる。その後、暴走したときには殺してでも止めてほしいと頼まれるなど、いろいろと因縁が発生。

感情が高ぶると言葉遣いが亡命前の門閥貴族調になる癖がある。

 

アウロラ・クリスチアン(同盟→新連邦)

少佐。銀河保安機構月支部勤務。元ホーランド艦隊所属。

 

アルフレット・グリルパルツァー

大将。探検家提督として人類未踏領域の探索を実施中。銀河開拓財団理事長補佐。

 

 

<独立諸侯連合>

アリスター・フォン・ウォーリック

独立諸侯連合盟主。伯爵。ウォリス・ウォーリックの歳をとってからの息子。

 

ローザ・フォン・ラウエ

ヤンの元副官、妻。女伯。

用語集、「ローザ・フォン・ラウエ」参照。

 

テオ・フォン・ラウエ・ヤン

ヤンとローザの息子。ラウエ伯爵家を継ぐ予定。宇宙暦802年3月生。

 

ヨハン・フォン・クロプシュトック

元帥。宇宙艦隊司令長官。

 

カール・ロベルト・フォン・シュタインメッツ

元帥。統帥本部総長。グレーチェンと結婚済み。功績により一代貴族に叙された。

 

フォイエルバッハ

元帥。元第一防衛艦隊司令官。現在新設の銀河開拓学校の設立準備を行う。

 

 

<オリオン連邦帝国>

ジークフリード・フォン・ローエングラム

皇帝

 

アンネローゼ・フォン・ローエングラム

皇后

 

ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ

外務尚書

 

ウォルフガング・ミッターマイヤー

元帥。軍務尚書

 

エルネスト・メックリンガー

元帥。統帥本部総長

 

コルネリアス・ルッツ

元帥。宇宙艦隊司令長官

 

 

<フェザーン自治国>

ルパート・ケッセルリンク

自治国主。用語集、「ルパート・ケッセルリンク」参照。

 

ワレンコフ

首席補佐官。かつての自治領主の息子。

 

ボーメル

軍司令官。大将。

 

 

<自由惑星同盟>

ジョアン・レベロ

最高評議会議長

 

アレクサンドル・ビュコック

大将。宇宙艦隊司令長官。もうすぐ退任する。

 

ウィレム・ホーランド

大将。帝国を滅ぼした男。用語集、「帝国を滅ぼした男」参照。



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1話 恐怖の銀河帝王事件その1

宇宙暦802年9月 新銀河連邦辺境航路

 

辺境において、商船は開拓民の命綱である。再開拓が進められている新銀河連邦直轄地。その辺境航路を10隻程度の商船団が航行していた。殆ど無主の地と化していたその領域は、海賊の跳梁するところとなっていた。

従って商船団にも銀河保安機構より派遣された一隻の警備艦が同行していた。

 

そこに、黒と銀で塗られた軍艦が接近してきた。その軍艦は商船に目もくれず、警告も無視して警備艦に近づき、強襲接舷を図った。

 

商船団は逃走を図ろうとしたが、既に周囲は同様の軍艦に取り囲まれていた。

警告が発せられた。

「停船せよ。しからざれば攻撃す」

 

警備艦を襲った軍艦からも通信があった。

「警備艦は占拠した。停船せよ。しからざれば攻撃す。

我々は『真銀河帝国』である。

銀河の民よ。銀河の帝王たる真帝ルドルフ3世の名の下に結集せよ!」

 

 

宇宙暦802年10月10日 地球自治区 月都市

 

「真銀河帝国ですか?」

ユリアンはヤンからその名を知った。その名は初耳だった。

ヤンは銀河保安機構(IG)(Instrumentality of Galaxy)月面支部の開設式のため、月に来ていた。

ヤンはユリアンの所に寄って、茶飲話としてその名前を出したのだった。

 

ヤンはユリアンに紅茶のお代わりを要求しながら答えた。

「そうだ。と言っても、規模は中程度の宇宙海賊といったところのようなんだが。ご大層な名前を名乗っている宇宙海賊なんていくらでもいるんだけどね。……ああ、ありがとう。君の淹れる紅茶はローザの紅茶と甲乙つけ難いな……って前にローザに言ったら物凄い不機嫌になったんだけどね」

 

ユリアンはティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。

「そりゃあ、なるでしょうよ。やめてくださいよ。ヤン長官の奥さんに殺されかけるのは一回で十分ですよ。……で、何が問題なんです」

 

「問題は、二点。一点は保安機構の警備艦すら襲われていること。もう一点は、こちらがより重要なんだが、彼らがルドルフの名を使っているところだ」

 

ユリアンはその名に反応した。その反応を見てヤンは頷いた。

 

「ルドルフ3世だそうだ。ただ騙っているだけか、それとも……。それで君に訊きたいんだが、成長したルドルフのクローンはエルウィン・ヨーゼフと、シリウスで死んでいたもう一人。その二人だけなのかな?」

 

ユリアンは少し考え込んだ。

「正直に言いますが、わかりません。リヒテンラーデ公の一族の方か、ド・ヴィリエ大主教の方がお詳しいと思いますが」

 

「それは既に訊いてみたんだが、知っている限りはいないが、いないとも言い切れないという答えしか返って来なくてね。まあやっぱりそうか。ちなみに今、捕まっているルドルフ2世が偽物という可能性は?」

 

ユリアンは一度だけ捕まったルドルフ2世と面会していた。何度も面会を申請して拒否され続けて、トリューニヒトの力に頼ってようやく実現した面会だった。

格好をつけた別れからすぐの再会となってお互い苦笑いをせざるを得なかった。とはいえ、生きて再会できた喜びの方が強かったのだ。

 

ユリアンはそのことを思い出して言った。

「あり得ません。本人です。いかにルドルフのクローンとはいえ、あのような英明な君主が二人もいてたまりますか」

仮に君主というものに全面的な忠誠を捧げるとしたら、それはエルウィン・ヨーゼフ2世しかあり得ないと今でもユリアンは思っていた。

 

「そうだよなあ」

ヤンとしてもモールゲンにいるエルウィン・ヨーゼフ2世のカリスマは本物だと感じていた。

 

いずれにしろ今のところは情報が足りない。

ヤンは話を切り上げることにした。

「まあ、今日のところはただの茶飲話だよ。ただね、以前の彼らは物資を略奪するだけだったんだが、最近人攫いにも手を出し始めたようなんだ。独立保安官達も動いているが、彼らの行動があまりに酷くなったら、早期に潰すために、君のところにも協力要請が行くかもしれない。その時はよろしく頼む」

 

「わかりました」

ユリアンは地球財団の総書記と、新銀河連邦の高等参事官を兼任していた。要するに態のいい便利屋である。

 

 

とはいえ、ユリアンもヤンも、この話は念のためという程度にしかこの時は考えてなかった。

 

しかし、協力要請は意外に早く出されることになったのである。

 

 

宇宙暦802年10月20日 クラインゲルト-アルタイル間航路

 

オルタンス・キャゼルヌ、シャルロット・フィリス・キャゼルヌとその妹の三人はアレックス・キャゼルヌ中将の赴任先に民間船ナルニア号で向かっていた。キャゼルヌ中将はヤンの悲鳴に近い依頼により同盟軍から三年期限で銀河保安機構に出向していた。

キャゼルヌは、銀河保安機構の基盤を短い期間のうちに急速に整えていった。そして、アルタイルに学校組織がつくられたタイミングで彼はハイネセンから家族を呼び寄せたのだ。

 

アレックス自身は多忙により同行できないが、クラインゲルト、アルタイル間の航路は新銀河連邦の中では比較的安全な航路であるはずだった。

しかし……

 

「停船せよ。しからざれば攻撃す。我々は真銀河帝国である」

黒と銀で塗装された軍艦がキャゼルヌ一家の乗るナルニアに接舷し、乗り込んで来たのだ。

 

船の重力制御室がまず占拠され、0Gとなった船内に、動力服に身を包んだ男達と、旧帝国の軍服を来た数人の男が船に乗り込んで来た。

 

パニックになりかける乗客を、船員が何とか落ち着かせる中、軍服を来た男は乗客に呼びかけた。

「我々は真銀河帝国である。12歳以上20歳以下の女子は銀河の帝王ルドルフ3世の後宮に迎えられる。8歳以上15歳以下の男子は真銀河帝国の兵士となる。共に喜んで受け入れよ!」

 

該当する女子はシャルロット・フィリスを含め5人、男子は2人だった。

「主要航路を行く船だからもっと収穫があるかと思ったが少ないなぁ。少し範囲を広げるか?」

「いや、それはルドルフ3世陛下の趣味ではない。それに他の者達に馬鹿にされる」

「だろうな。それに陛下が飽きたら俺達に下賜されるかもしれん。それを考えるとなるべく若い方がよかろう?」

 

そのような話をしていた男達だったが、艦からの警告で話を中断せざるを得なくなった。

「接近する艦あり!銀河保安機構の艦と思われる!」

「ちっ!早いな。流石に主要航路か」

 

その艦は完全な逆涙滴型の形状をしていた。銀河保安機構、独立保安官専用の高速巡航艦、その5番艦メテオールであった。

ライアル・アッシュビーの専用艦となっていた改装版ハードラックの設計思想に、帝国の最新の防御装甲技術と同盟のエンジン技術を加えた銀河最新最速の高速巡航艦である。

民間船ナルニアが発した救難信号を受け、近くにいたメテオールがいち早く現場に駆けつけたのだ。

 

「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中佐である。抵抗は無意味だ。降伏せよ」

 

険しい顔をしていた男達だったが、マルガレータが映像で通信して来たのを見て顔を見合わせた。

男達の代表がマルガレータに呼びかけた。

「おい、女、何歳だ」

マルガレータは律儀に答えた。

「二十だが、それがどうした?」

 

「ギリギリか。まあいい。おい、この船の乗員が人質だ。下手な真似はするなよ」

 

「交渉には乗らぬ。お前達にできるのは今降伏するか後で降伏するかのどちらかだ」

 

「俺たちを逃さないなら、人質は皆殺しだ」

 

マルガレータは動じなかった。

「下手な脅しだな。そんなことをすればお前達こそ皆殺しになるぞ」

そして、艦の乗員に密かに突入準備の指示を行なった。

 

しかし男は言った。

「待て。いい条件がある」

 

「何だ?」

 

「お前が俺達と来るんだ。そうしたら約百人の乗員のうち、そうだな、10人以外は解放してやろう」

 

「……全員ではないのか?」

 

男は、掛かった、と思った。

「無茶言うな。俺たちだって赤字は困る。それから、返事は三分以内だ。三分経てば人質を10人殺す。全員を生かすか、10人殺すか、短い時間でよく考えるんだな」

 

マルガレータは即断した。それが正しい判断であるかどうかはともかくとして。

 

 

 

宇宙暦802年10月21日 月 銀河保安機構月支部

 

ユリアンはライアル・アッシュビー首席保安官、副官のフレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー少佐と面会していた。

 

フレデリカはエンダースクールの後輩に笑顔を向けた。

「初めましてユリアン君」

「初めまして少佐」

ユリアンはアッシュビーの副官にして妻である女性の美貌に見とれた。少し、かつて副官だった女性、シンシアのことも思い出した。

 

アッシュビーはユリアンと握手をした。

「会うのは初めてだな。天才少年」

立場上敬語を使われるべきところであったが、フレデリカに対してもアッシュビーに対してもユリアンは不要だとことわっていた。

 

ユリアンは笑顔で答えた。

「もう少年ではありませんよ。アッシュビー提督」

 

「そうか、悪かった。それで、既に通信で話した通りだ。真銀河帝国を壊滅させる作戦に君も同行してもらう」

 

ユリアンは事前にアッシュビーから報告を受けていた。マルガレータが人質解放と引き換えに自ら捕まったと聞いた時には怒りで我を忘れそうになった。

僕を止めてくれると言っていたのに一体何をやっているのか、と。

 

だが、マルガレータもただ捕まったわけではなかった。ヤン・ウェンリーはかつての神聖銀河帝国戦の教訓から保安機構技術局に命じて一組の兵器を開発していた。

それは、超光速通信中継装置と、携帯型高出力通信装置である。

超光速通信中継装置は、新銀河連邦の各星域に一つ以上設置されており、定められた通常通信を受診すると、銀河保安機構に超光速通信で信号とその発信位置が伝わるようになっていた。

携帯型高出力通信装置は、この中継装置に対して救難信号を発するもので、小型ながら衝撃を与えることで一度だけ強い通常信号を発することが可能だった。これが中継装置を組み合わさることで、新銀河連邦のどの位置からも携帯型高出力通信装置の現在位置を教えることが可能となっていた。

 

マルガレータは人質となる前にこれを飲み込んでいた。これが使える状態になれば、真銀河帝国の位置を保安機構に伝えられるようになるのだ。

 

アッシュビーはこれを機会に、真銀河帝国の根城を見つけ、壊滅させるつもりだった。

アッシュビーはヤンに連絡を取り、真銀河帝国の位置がわかり次第独立保安官以外の通常警備戦力も派遣させる手筈を整えていた。

 

 

 

ユリアンは、マシュンゴと何人かの月の民と保安機構専用の宇宙港に向かった。

その途中、アッシュビーはユリアンに尋ねた。

「君を連れて行く意味、それに月の民で君が信頼を置く軍務経験者を連れて行く意味はわかるか?」

 

「僕については真銀河帝国が神聖銀河帝国と繋がりがあった場合を考えての情報提供役ということはわかりますが」

 

「月の民に関しては実戦力だ。それに君もだ。ヤン・ウェンリーの奥方に手酷くやられて肩と腕に後遺症が残っていると聞くが、戦えないわけじゃないんだろう?」

 

ユリアンは唖然とした。

「戦えと言われれば戦えますが、わざわざ僕ですか?」

 

「そうだ。真銀河帝国は0Gでの戦闘行動を得意としているようなのだ。君がパトロクロス突入でやったように、な。エンダースクールの0G戦闘訓練、バトルゲームを連想しないか?真逆のベクトルではあるが、エンダースクール残党の関与も疑われてくるな」

 

アッシュビーは自らを生み出し、フレデリカやユリアンに英才教育を施した組織の名を出した。エンダースクールは挙国一致救国会議に与したため、関係者は逮捕、組織としては解散したはずだった。

 

ユリアンは納得した。

「だから僕、それに月の民ですか」

 

「そうだ。0G、それに低Gでの戦闘に慣れた者を揃えるのには時間がかかる。今回はその時間が惜しい。だから君達を活用させてもらうのさ」

 

宇宙港に着いたユリアンは、ハードラック以外にも独立保安官専用艦が存在するのに気づいた。

 

ユリアンの視線の方向に気づいたアッシュビーは、専用艦の主を呼び出した。

 

やって来たのは、若く、鋭い目をした青年だった。

 

「保安機構の若き俊英クリストフ・ディッケル少佐だ。歳は22歳。君より少し上だな。彼は亡命者なのでエンダースクール出身ではないが、以前に0G対応訓練を受けている」

 

ユリアンはその青年の名に聞き覚えがあった。

 

かつてトリューニヒトが同盟の議長就任式典で称揚した四人の少年少女、通称「トリューニヒト・フォー」。

彼らのうち一人は政治の道に入り、新連邦の主席となったトリューニヒトを秘書として支えている。もう一人は銀河開拓財団に入り、再開拓事業で活躍している。

さらにもう一人は従軍看護婦となった後、軍医学校に再度入学し、間もなく保安機構初の軍医兼独立保安官になるだろうと目されている。

クリストフ・ディッケルは残りの一人にしてその筆頭だった。士官学校に首席入学後、そのまま首席で卒業。亡命先にあえて連合ではなく同盟を選んだ共和主義の信奉者。真銀河帝国を名乗る存在は彼にとって許せない敵だろう。

 

ユリアンは笑顔で手を差し出した。

ディッケル少佐も笑顔を見せ握手を交わした。

 

しかしアッシュビーが離れた途端に、彼はユリアンの手を振りほどき、ユリアンに告げた。

「トリューニヒト先生にこれ以上迷惑をかけるな。同盟市民の面汚しめ」

 

ユリアンは笑顔で流そうとした。

ディッケル少佐がそう思うのは当たり前だとユリアンも思ったからだ。

「そうだね。気をつけるよ」

 

だが次の言葉はユリアンの何かを刺激した。

「マルガレータにも近づくな。彼女は俺が助ける」

 

ユリアンは笑顔のまま、まるでトリューニヒトのような笑顔のまま、ディッケルに答えた。

「君は何を言っているんだ?近づくな?助ける?違うだろう?君にしてもマルガレータにしても、君達独立保安官が不甲斐ないから、僕なんかが出張らないといけなくなったんじゃないか。立場を理解する知恵もないのか?助けてくださいと頼んで見せろよ」

 

ディッケル少佐はユリアンの豹変に唖然とした。そして言われたことを理解し、怒りに震えた。

「お前……」

 

「そこまで!ディッケル君、貴方が挑発するのが悪いんでしょう?」

黒髪の東洋系の若い女性がディッケルを窘めた。

 

闖入者の出現にユリアンも冷静になった。

「君は……?」

「サキ・イセカワ。軍医大尉で、今の所ディッケル少佐の副官をしているわ。よろしくユリアン君。本当に男にしておくのが勿体無いくらい綺麗な顔ね」

彼女こそが保安機構に所属するもう一人のトリューニヒト・フォーだった。

 

「そうか、君が。よろしく」

ユリアンは彼女と握手を交わした。

 

その後ユリアンはディッケルに頭を下げた。

「ごめん。言い過ぎた」

 

素直さを見せたユリアンに、ディッケルも多少冷静にはなった。

「いや、俺も言い過ぎた。……だが、お前を信用していないのは変わらないからな」

 

サキも言葉を重ねてきた。

「悪いけど、信用していないのは私も同じ。あなたはそれだけのことをやったんだから」

 

ユリアンは再び笑みを見せた。カーテローゼなどが見たらそれが寂しさを含んだ笑みだと見抜いてくれただろう。

「それでいいよ。簡単に信用してもらおうなんて思っていないから」

ユリアン自身、自分のことを信用しきれないぐらいなのだ。そんな自分のことを止めると言ってくれた彼女のことがユリアンの心に浮かんだ。

 

 

アッシュビーが戻って来た。

「少しは相互理解が図れたようだな。出発するとしようか」

 

ユリアンは気づいた。アッシュビーが離れたのはわざとだったのだと。

 

 

 

 



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2話 恐怖の銀河帝王事件その2

暴力描写が少しあります。ご注意


2日経って、マルガレータの発信した信号がアッシュビーに届いた。

アッシュビーのハードラックとディッケルの高速巡航艦ノヴァが現場に急行した。

 

だが、その場所が問題だった。

 

急行してみると何もなかったのだ。ただ一つ赤色巨星があるだけで他には何もなかった。

惑星も小惑星も、彗星すらも。

 

アッシュビーとディッケルは頭を悩ませ、スクリーン越しに議論を続けた。

「人工、天然どちらでもよいが、一定サイズの天体でなければ、人間は長期間生活できず、根城にはできない。しかしそのような天体が全く見当たらない」

 

悩みに悩んだ末ディッケルがついに言った。

「ヘルクスハイマー中佐がミスをしたのではありませんか。まだ根城に着いてもいないのに信号を発信してしまったとか」

アッシュビーもその可能性を否定できなかった。

 

そこでクスクスと笑う声が聞こえてきた。

ユリアンのものだった。

 

アッシュビーが努めて冷静に尋ねた。

「何がおかしいんだ?」

 

ユリアンは流石に失礼だったと思い、笑いを引っ込めた。

「失礼しました。ただ、自信満々だったディッケル少佐の意見があまりに的はずれだったので思わず笑ってしまったんです」

 

ディッケルの顔が赤くなった。彼が口を開く前にアッシュビーが尋ねた。

「君には別の考えがあるのか?」

 

「はい。多分真銀河帝国を名乗る輩はこの星域にいますよ」

 

「どこにいるというんだ?」

 

「真銀河帝国は中規模の海賊程度と目されているのでしょう?最大数千人程度の規模です。そうであれば戦艦が数隻もあれば収容するのに事足ります」

 

ディッケルが馬鹿にしたように鼻を鳴らして反論した。

「何を言うかと思えば。人間は植物と土がないと精神的に不安定になるんだぞ。戦艦のような小規模な環境ではコミュニティが長くは保たない。なあ、イセカワ軍医大尉?」

サキもディッケルに同意した。

 

ユリアンはこともなげに答えた。

「別に全員が精神的安定を保つ必要はないでしょう。艦船で人間が精神の安定を保てなくなるのは、乗組員全員が精神を安定させられるような大規模な環境を用意できないからです。上層部のことだけを考えれば、植物と土のある小規模な環境を用意することは可能です。下の人間は狂おうがどうなろうが気にしない。戦力にさえなればいいんです」

 

アッシュビーは動じなかったがディッケルとサキは唖然とした。

「そんな悪魔みたいなことをする奴がいるのか!?」

 

 

ユリアンはディッケルのその素朴さを羨ましく思った。

「そういう人間はいるんですよ。彼らは男手を最近集めているでしょう?きっと兵士の補充の為です」

 

「そんな……」

ディッケルとサキがあまりにショックを受けているのを見てユリアンは多少可哀想になってきた。

 

「もう一つの可能性もあるのですけどね」

 

「何だ?」

 

「植物も土も不要とする者達を配下としている可能性です。銀河の流民、フリーマンという言葉に聞き覚えはありませんか?」

 

アッシュビーはその存在に聞き覚えがあった。

「劣悪遺伝子排除法の対象となりルドルフの弾圧を受けたという、0Gに適応して惑星に戻れなくなった民達のことか」

ルドルフ台頭以前、人類の中には0Gに適応した集団が生まれていた。彼らは、巨大な頭と筋力の衰えた体を持ち、動力服で筋力を補っていたという。彼らは銀河連邦末期には総数数千万人にもなり、恒星間空間に独自の勢力を築き上げつつあった。

だがルドルフは、彼らを人類という種の枠組みを壊す存在と見なし、徹底的に弾圧し、絶滅に追いやったのだ。しかし、彼らが本当に絶滅したという確証もなかった。彼らが宇宙の辺境で生き延びていたとしたら……

 

「はい。その通りです。ナルニアを襲った連中の一部に動力服に身を包んだ者達がいたでしょう?彼らがそうなのではないかと僕は疑っています。0Gに生きる彼らなら土を踏む必要もなく、そもそも0Gではそのようなこと自体ができないでしょう」

 

アッシュビーは考え込んだ。

「重力制御全盛のこの時代に0Gでの戦闘に慣れた者がそうそう現れるはずもなし。あり得なくはないが……」

 

ディッケルはユリアンを問い質した。

「兵士を消耗品にしているのか、そもそも植物と土のある環境が不要な者達なのか、それはもういい。だが、肝心なのは何処にいるかだ。我々は既にこの星域を探索したんだ。一体何処にいると思うんだ?」

 

ユリアンは答えた。

「捜索したと言っても、直径1km弱の物体まで精査したわけではないでしょう?戦艦といえばそのくらいのサイズです。もっとよく捜せばきっと見つかりますよ。赤色巨星の近傍などは、ノイズに紛れるのにかなり適していると思いますよ」

 

 

アッシュビーはユリアンの考えを受け入れ、捜索は実行に移された。

 

手が空いたアッシュビーはユリアンを探した。

 

アッシュビーはユリアンに言ってやらねばならぬことがあった。

ユリアンがディッケルに挑発されたことには気づいていた。ユリアンの態度もそれに誘発されたのだろうとも思う。だがあのような態度は敵をつくるだけだ。マルガレータとも対立したというし、ユリアンは同年齢との付き合い方を全くわかっていないのかもしれない。

年長者として、エンダースクールの先輩として一言言ってやらなければ。

そう思って、ようやくユリアンを見つけたのだが、

 

バシン!

 

彼の副官にして妻のフレデリカが、ユリアンを思い切りひっぱたいていた。

 

「君、あの態度はないわ!思い上がりも程々になさい!」

 

……アッシュビーが言いたかったことは結局すべてフレデリカが代弁してくれた。

 

フレデリカの「修正」を受けて反省したユリアンは、ディッケルとアッシュビーに素直に謝ったのだった。

 

……思わす手を出してしまったフレデリカも、その後ユリアンに謝った。

 

 

宇宙暦802年10月25日 ???

マルガレータはシャルロット・フィリス達と共に、真銀河帝国の連中が後宮だと主張するだだっ広い牢屋に手枷をつけられ閉じ込められた。マルガレータとしては既に信号を発信したので後は耐えるだけだった。

母親と引き離されて、不安に苛まれ、幼児退行気味のシャルロット・フィリスを落ち着かせようと色々世話を焼いているうちに「メグお姉ちゃま」と呼ばれるようになり、すっかり懐かれてしまった。

 

ここに連れてこられて1日目、2日目は、食事が運ばれて来ただけだったが、3日目の今日は違った。

 

巨体、いや、肥満体の男が部下を引き連れてやって来たのだ。

「ほう、増えているな。今日は誰にするかな」

 

こいつがルドルフ3世なのだとマルガレータは理解した。顔のつくりだけはルドルフ2世にどことなく似ていなくもないが、その男は明らかに成人していた。

 

「後宮」の年若い女性達を品定めするように眺めていく彼の視線は、シャルロットのところで止まった。

「この娘にしよう」

 

このロリコンめ!とマルガレータは思った。

 

「いやあ!メグお姉ちゃまあ!」

「暴れるな。余は銀河の帝王ルドルフ3世なるぞ。余の寵愛を受ける栄誉を喜べ」

 

「お待ちください!」

部下に命じてシャルロットを連れて行こうとするその男を、マルガレータは呼び止めた。

 

「何だ?」

「……ぜひ私めにご寵愛を」

 

「んんん、年増には大して興味がないのだがな」

「!」

羞恥心と20にして年増と言われた屈辱で、我を忘れそうになりつつも、マルガレータは何とか耐えた。

 

ルドルフ3世は何かを思いついた顔をした。

「そうだ。確かに二人同時というのは経験がない。そなたもついて参れ」

 

「後宮」を出ると廊下は全く重力が働いていなかった。マルガレータとシャルロットは首輪と手枷をつけられ、ルドルフ3世に引っ張られた。

マルガレータは蹴りをくれてやろうかとも考えたが、不用意なことをしてシャルロットが殺される可能性を考え、断念した。

 

ルドルフ3世の部屋につくと、そこもまた0Gだった。

 

部屋の中はルドルフ3世とシャルロット、マルガレータ、それに、やけに立派なベットと机が床に固定されて存在するのみだった。

 

ルドルフ3世は二人に命令した。

「さあ、余を慰めよ」

 

もはや我慢ならぬ。

マルガレータはその感情のままにゆらりと立ち上がった。

手は封じられているが、脚で蹴り倒すことはできる。

マルガレータのその考えに気づいたのかどうか。ルドルフ3世は机からおもむろにブラスターを取り出し、マルガレータの脚を撃った。

 

「がぁ!」

マルガレータは苦痛の声をあげ、脚を押さえた。シャルロットが悲鳴をあげた。

「お姉ちゃま!」

 

ルドルフ3世は無感動だった。

「大げさな。ただのかすり傷だろう?目が挑戦的だったから念のためだ」

 

ルドルフ3世はマルガレータに近づき、彼女を仰向けにした。

「まずはお前がこの娘に手本を見せてやるんだ。余の慰め方の手本をな」

 

シャルロットが耐えきれず叫んだ。

「メグお姉ちゃまあ!」

 

マルガレータは、いざとなれば辱めを受ける前に舌を噛んで死のうと思っていた。

しかしシャルロットの前でそんなことはできない。

「大丈夫。大丈夫よ。シャルロット。大丈夫だから」

マルガレータは自らに覆い被さろうとする男を無視して、ただただシャルロットに微笑みかけた。何も考えず、少しの間我慢すればよいだけだ。

 

ルドルフ3世の顔はマルガレータに近づいていき……

急にマルガレータの体に異常な重さがかかった。

部屋が1Gとなった上に、ルドルフ3世の肥満体が彼女の体に乗っかっているせいだった。

「何だ!?重力制御のミスか?」

慌てるルドルフ3世だったが、その肥満のせいで思うように体を動かせなかった。

彼がマルガレータの上でもぞもぞと動いていると横に誰かが立つ気配がした。

 

「何をやっている?」

その声とともにルドルフ3世の顔は装甲服のブーツで思い切り蹴り上げられた。

彼の肥満体は1G下にも関わらず壁まで吹っ飛び、そのまま床に沈んだ。

 

 

マルガレータを助けたのはユリアンだった。その表情は怒りに満ちていた。

 

ユリアンはマルガレータの肩を掴み問い質した。

「マルガレータ!大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃ!まだ何もされていない」

 

それを聞いたユリアンは、

「そうか。よかった」

そう言って心底安心したというように柔らかく微笑んだ。

 

マルガレータはその表情に少し見とれて、この男はそんな顔もできたのかと思った。そして、その表情が自分の無事に安心してのものだと気づいて、気恥かしくなった。

「妾のことはよい。ユリアン、シャルロットの方を気にかけてくれぬか!」

言葉遣いが昔に戻っていることにも、相手を名前で呼んでいることにも気づいていなかった。

 

ユリアンはようやくもう一人いるのに気がついた。マルガレータの手枷を急いで外し、シャルロットの方に向かった。

「シャルロットというのは君か!?大丈夫か?」

 

「へえっ!?私?私は大丈夫です!」

シャルロットは目の前で起こったことにまだ呆けていた。お姫様の危機に王子様がやって来た。彼女の目にはそのように見えていた。

 

ユリアンは彼女にも笑みを見せた。

「よかった!」

その笑みを見て安心したシャルロットの目からは涙が溢れてきた。

シャルロットはユリアンに抱きついた。

「怖かったよお!ユリアンお兄ちゃまあ!」

 

シャルロットはユリアンとは初対面だったが、マルガレータが先程呼んだ名前をしっかりと覚えていたのだ。

 

ユリアンがシャルロットをあやしていると、横から声が聞こえて来た。

「ユリアン……?」

この世の淀みを一身に背負いこんだかのようなその声が、明るくなりかけた空気を一瞬で打ち消した。

鼻血を流しながら、ルドルフ3世が体を起こしていた。ブラスターの狙いをユリアンに合わせながら。

 

ユリアンはシャルロットをマルガレータの方に逃がした。

 

「あの、ユリアン・フォン・ミンツが、何故余を痛めつける?余はルドルフ3世。ゴールデンバウムの血脈ぞ。ミンツ伯、余に従うのだ。共にゴールデンバウム王朝の再興を目指そうぞ」

 

マルガレータはユリアンのことを一瞬不安に思った。彼が自分達を見捨ててルドルフ3世の側につくのではないかと。

 

ユリアンは彼女に頼んだ。

「ヘルクスハイマー中佐、シャルロットのことを頼む」

ユリアンの低い声からマルガレータは察して、シャルロットの目と耳を塞いだ。

 

「ゴールデンバウムの血脈?それがどうした?」

ルドルフ3世は露骨に狼狽えた。

「何!?ユリアン・フォン・ミンツはゴールデンバウムの守護者ではないのか!?サビーネやエリザベートを保護しているだろうが!?」

 

ユリアンはルドルフ3世にゆっくりと近づいた。

ルドルフ3世はブラスターを立て続けに撃ったが、それは狙点を予想されているかのようにユリアンに避けられた。

ユリアンはついにルドルフ3世の腕を掴み、そのまま馬乗りになった。

そして、彼に宣告した。

「ゴールデンバウム王朝などどうでもいい。ぼくが守りたいのは正義を主張する者の手から零れ落ちる者達だ。……そしてお前はその僕の手からも零れ落ちる下劣な存在だ」

 

ルドルフ3世はなおも主張した。

「余は真のていルドルフなるぞ!」

 

ユリアンは叫んだ。

「お前がルドルフのクローンだろうが何だろうが構うものか!あの気高い少年とお前は全く別の存在だ!」

 

ユリアンはルドルフ3世を名乗る男を殴った。何度も何度も。悲鳴をあげる彼を。彼が意識を失ってからも。

 

マルガレータはシャルロットの目と耳を塞ぎ続けながらユリアンに呼びかけた。

「ミンツ総書記!もうやめてください!その男が死んでしまいます」

 

ユリアンは止まらなかった。

 

マルガレータはもう一度呼んだ。

「ユリアン!」

 

ユリアンは我に返って立ち上がった。

そのまま何事かを考えていた。

 

マルガレータは安堵していた。

ユリアンがルドルフ3世の味方をしなかったことを。

最後、ルドルフ3世を殺しそうになったものの、自分の言葉を聞いて止まってくれたことを。

 

マルガレータはユリアンに助けてくれたお礼を言おうとした。

 

「ミンツ総書記、ありが」

「ヘルクスハイマー中佐。君は何をやっている?」

 

マルガレータの言葉はユリアンの冷たい声に打ち消された。

 

マルガレータは動揺しながらも尋ねた。

「何を、とは?」

 

振り返ったユリアンはシャルロットに一度目を向け、それからマルガレータに視線を移して睨んだ。

「君は僕を殺すんだろう?こんなところで何故その僕に助けられる羽目になっているんだ?」

「それは!」

「そんな無能が僕を止められるのか?殺せるのか?勘弁してくれ」

 

ユリアンの一言一言が氷の剣となってマルガレータの胸に突き刺さった。

 

マルガレータは何も言えなかった。顔をうつむかせ、心を整理した。そんなことを言うなら優しい顔を向けたりするな、そんな思いを胸の奥底にしまい込んだ。

それから顔を上げてユリアンを睨んだ。

 

「そうだったな。悪かった。このマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー、二度とこんな醜態は晒さぬと誓おう。貴様が道を再び踏み外した時にはいつでも殺せるように」

 

「ああそうしてくれ。この次同じことがあったらその時、僕は君に失望する」

 

それは、もう一度同じことが起きたらまたマルガレータを助けるという意味でもあったが、マルガレータはそのようには受け取らなかったし、言った本人も気づいてはいなかった。

 

「安心するがいい。そんなことは起きない」

 

沈黙が訪れた。

ユリアンは、マルガレータから目を逸らした。

「じきに他の救援が来る。彼らと合流してくれ」

 

「ミンツ総書記」

立ち去ろうとしたユリアンをマルガレータは呼び止めた。

 

「まだ何か?ヘルクスハイマー中佐?」

 

「シャルロットを先に連れて行ってもらえませんか?彼女を早く安心させてあげたいのです」

そう言ってマルガレータはシャルロットの耳と目に当てていた手をどけた。

 

ユリアンはマルガレータの冷たい声に心にさざ波が立つのを自覚しながらも、冷静に応じるように心がけた。

「わかった。シャルロット、こっちにおいで。お父さんとお母さんのところに戻ろう」

「はい!でもメグお姉ちゃ……お姉様は?」

 

「私はまだ仕事が残っているから。先にユリアンお兄ちゃんについて行って。また後で会いましょうね」

 

シャルロットは迷いつつもユリアンの元に歩み寄った。

「お姉様……気をつけて!」

 

 

部屋を出る時、ユリアンは一度マルガレータを振り返った。マルガレータは座り込んだままで彼の方を見てはいなかった。

ユリアンは口を開き、そのまま言うべきことに迷い、結局何も言わずに立ち去った。

 

少し時間が経って、ようやく別の者がやって来た。

「ヘルクスハイマー中佐!無事か!?」

ディッケル少佐だった。

 

「大丈夫だ。何もなかった」

「……泣いているじゃないか。それに脚を怪我している」

「大丈夫だ!」

「お、おう」

マルガレータの断言の前にディッケルはそうとしか言えず、視線をさまよわせ、肥満体の男が倒れているのを見つけた。

ディッケルは指を差した。

「あれは?」

 

「真銀河帝国のボスだ」

「君がやったのか?」

マルガレータはそれには答えず立ち上がろうとした。しかし怪我をした脚では無理だった。

「……すまないが肩を貸してくれ」

「あ、ああ」

ディッケルは薄着のマルガレータをなるべく見ないようにしながら、急いで肩を貸した。

 

廊下にも重力が存在した。

 

「重力がある」

マルガレータの呟きを聞いたディッケルは悔しそうに言った。

「あのユリアンの発案だ。敵が0G戦闘に慣れているならいっそのこと重力をかければ良いとさ」

 

 

アッシュビー達は、再度の捜索開始から1時間で目的の戦艦群を見つけた。

標準サイズの戦艦二隻と、巨大な旗艦級戦艦一隻、それにその周囲を囲む巡航艦、駆逐艦十隻からなっていた。

 

幸いこちらはまだ発見されていないようだった。

この時には四隻の高速巡航艦と四人の独立保安官、それに十隻の無人高速駆逐艦がアッシュビー達に合流していた。

 

アッシュビーは、既に地方警備の部隊に連絡を入れていたが、その到着には1日以上かかることが既にわかっていた。

その間座して待つべきか?いや……

策を考えようとしていたアッシュビーに、ユリアンが戦艦とその他の艦船群への同時奇襲を提案したのだ。

戦艦以外の艦船にはハードラックともう一隻の高速巡航艦、無人高速駆逐艦が攻撃を仕掛け、降伏もしくは撃破する。

戦艦三隻には、高速巡航艦三隻の強襲揚陸機能で重力制御区画至近に接舷し、船内の重力が切られていた場合はオンにする。その上で船内各部の制圧に動くという作戦だった。

月の民も動力服を着れば通常重力下での戦闘が可能だった。

 

「しかし、標準型戦艦二隻はともかく、旗艦級戦艦の方の構造がわからない」

「あれは、帝国の50年以上前の旗艦級戦艦です。神聖銀河帝国にいた際に図面を見たことがあるので僕なら問題ありません」

 

そして作戦は実行に移された。重力がオンになった後は真銀河帝国の殆どの者はまともに動けなくなった。ユリアンの予想通り0Gに適応した者達が兵士をやっていた。彼らは動力服を着込む暇もなかったのだ。

 

ユリアンは先行してマルガレータのいる部屋に突入し、彼女達の救出に成功した。

 

 

 

アッシュビー達は真銀河帝国の者達を拘束し、被害者を救出した。

その上で近在の警備艦隊に引き継ぎを行い、アルタイルと太陽系にそれぞれ引き上げた。

 

調査の結果、彼らの内情が判明した。

ユリアンの予想は二つながら当たっていた。

 

真銀河帝国の構成員は新旧の二組に分かれていた。

古い側は、ルドルフ3世を名乗る男と、彼の旧来の臣下と奴隷達による宇宙海賊集団。

この奴隷達が銀河の流民フリーマンだった。

 

新しい側は、神聖銀河帝国フォーク部隊の残党だった。フォークのヴェガ星域突入行に参加せず、逃げ去った者達の一部がルドルフ3世の海賊集団に合流していたのだ。旗艦級戦艦以外の艦艇の多くは彼らのもので、同盟製の艦に帝国風の塗装をしただけだった。

 

彼らは元々は真銀河帝国などと名乗ってはいなかった。それが旧フォーク部隊残党が合流した頃からその首領だった男が精神の均衡を失い始め、急にルドルフ3世を名乗り出したのだ。

さらには後宮をつくると言い出し、若い女性ばかりを集めさせるようになった。

 

それと同時期に、奴隷のフリーマン達が今まで従順であったのに、急に反抗的になって来たため、その代替の兵士も必要となり、少年兵にし得る年齢の者達を集めるようになった。

 

ルドルフ3世に関しては保安機構で遺伝子検査が行われたが、当然ながらルドルフのクローンなどではなかった。しかし、ゴールデンバウムの血を引いていることも判明した。

失踪した皇帝や皇族の誰かの子孫なのかもしれなかった。

 

銀河の流民フリーマンは真銀河帝国から解放されたが、一つ奇妙なことが判明した。本来緑も土も無用であったはずの彼らが、何故かそれが存在する環境を求めるようになっていたのだ。

彼らがルドルフ3世に反抗的になっていたのもそのせいだった。

 

彼らはひとまず地球財団が保護することになった。月都市の低G区画であれば、彼らもなんとか生活することが可能だった。

その上で彼らを襲った奇妙な現象の解明が進められることになった。

 

 

 

アルタイルの銀河保安機構本部への帰路、フレデリカはアッシュビーに尋ねた。

「ユリアン・フォン・ミンツをどう思いました?」

 

アッシュビーがユリアンに協力依頼を出した目的の一つには、ユリアンという人物を見定めることも含まれていた。

アッシュビーはヤンからもユリアンのことを頼まれていた。

どんな人物なのか一度その目で確認しておきたかったのである。

 

「きっと君と同じ感想だ。あれは危ういな。根が善良なのもわかるが、かえってその善良さのせいで何をしでかすやらまったく予想がつかない」

 

「でも、なんとかしたいとお思いなのでしょう?」

 

「俺が英雄視され、彼が悪党と思われる現状は居心地が悪いからな。何とかしてやりたい。……君も同じ思いなんだろう?」

 

「そうですわね」

フレデリカは彼のことを思った。

思わす手を出してしまった彼女に、ユリアンはこう言ったのだ。

「きちんと叱ってくださってありがとうございます」と。

母親も父親もおらず、すぐに人の上に立つ立場となった。彼は怒ってくれる人に普段恵まれていないのだろう。

フレデリカとしては別にユリアンの母親役を務めるつもりもなかったが、やはり放ってはおけなかった。妙にそんな気持ちが起こっていた。

 

アッシュビーは呟いた。

「彼のために一人、独立保安官を担当につけるか」

その人選は彼の中で既に決まっていた。

 

 

 

なお、この事件があるご家庭に与えた余波が一つあった。

キャゼルヌはヤンに愚痴を言いに来ていた。

「なあ、ヤン。うちの娘、ショックを受けていると思ったらそうでもなかったのはよかったんだが。代わりにマルガレータ嬢とあのユリアンに夢中になっているんだがどうしたらいい?」

「あー……」

「メグお姉様……とか、ユリアンお兄様……とか家でも呟いているんだよ」

「私なんかより奥さんに相談したらどうですか?」

「あらあらとか、まあまあとかしか言ってくれないんだよ。それでな、ついにこの前、アウロラ・クリスチアンという人が主宰しているらしい「ユリアン君を遠くから見守る会」なるものに加入してしまったらしいんだ。オルタンスもどうして許すかなあ!」

「私もあらあらとしか言いようがないですね」

キャゼルヌは決然として言った。

「シャルロットはあのユリアンだけにはやらないぞ。不幸になるだけだからな」

「ユリアンもそのつもりはないと思いますよ」

「……それはそれでうちの娘に魅力がないみたいで腹が立つな!」

娘を持つ父親は面倒だった。



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3話 幽霊騒ぎ

奇妙なうわさが月都市のなかに流れている。月都市は急速に建設が進む月面都市と、旧月要塞である月地下都市に分かれている。

その月地下都市の方に幽霊が出るというのだ。

 

噂は徐々に広がり、ついにユリアンの周りでも幽霊を見たと主張する者が現れた。

 

「ユリアン、私見たのよ!灰色のローブに身を包んだ男か女が、すーっと前を横切ったの!あれは幽霊よ!」

興奮しながら話をしているのはサビーネだった。

サビーネとエリザベートはそれぞれシュトライトとアンスバッハを後見人として地球財団の預かりとなっていた。とくにやる事もなく、要するに彼女達は暇だった。

 

サビーネはユリアンの手を握りながら話していた。

カーテローゼが、その様子を不快に感じながら、口を挟んだ。

「サビーネ様。何故幽霊だと思ったのですか?」

 

彼女は皇女達の侍女を続けていた。彼女としては辞めようと思っていたのだが、サビーネとエリザベートが寂しがって引き留めたのだ。そのままずるずると侍女を続けているうちに今や彼女は最古参となり、侍女長という立場になっている。付き合いも長くなって、今や主従というよりは友達のようなものだった。

 

サビーネはカーテローゼに向かって得意げに答えた。

「何故って?だって行き止まりの方に曲がったと思って追いかけてみたら姿が消えていたのよ!」

 

「……」

 

「そんなことないわ!だって影がそっちに消えたんだから」

 

カーテローゼはサビーネの話の矛盾を発見した。

「サビーネ様、おかしいですわ。幽霊なのに影があるなんて」

 

「えっ!?あれ?どうしてかしら?」

サビーネは首をひねった。本人もよくわからないようだ。

 

ザビーネに手を握られたままのユリアンが彼女達の仲裁に入った。

「まあまあ。月要塞は歴史が古いですから。幽霊の一人や二人出ますよ」

 

彼としては特に実害がないなら放置しておこうと思っていた。他にいくらでもやることはあった。

だが、ユリアンの言葉はサビーネにとっては逆効果だったようだ。

彼女はユリアンに抱きついて言った。

「ユリアン、怖いわ!退治して!」

 

カーテローゼの顔がひきつった。

 

それを努めて見ないようにしながら、ユリアンはサビーネに微笑みかけた。

「サビーネ様が安心していられるよう、努力しますね」

 

とはいえ、いくらユリアンでも超常の存在は退治できない。サビーネの催促をやり過ごしつつ、数日が過ぎたが、ついにそうも言っていられない状況になってしまった。

 

「地球財団は巨大な月地下構造の全てを把握しているわけではない。コンピューターの管理もおよばぬ無人のフロアやブロックが、いくらでもある。実はそこに神聖銀河帝国軍の残兵がひそんで破壊工作の機会をうかがっている。それを幽霊と見誤ったのだ」

そのような説がまことしやかに唱えられるようになった。

 

この説が出るに至り、銀河保安機構の月面支部が事態を看過しえぬものと見なしたのだ。

 

月面支部長補佐のアウロラ・クリスチアン少佐が、スクリーンを通じてユリアンに銀河保安機構の意向を伝えた。

「ミンツ総書記。機構は、月地下都市に探索部隊を派遣します。しかし地球と月は自治ということになっておりますので、どうか探索の許可を出してください」

 

「どうもご苦労様です。許可させて頂きます」

ユリアンとしてはそうとしかいいようがない。地球財団の立場は新銀河連邦においていまだに強いものではなかった。

 

だが話は終わらなかった。

「他人事ではありませんよ。地球財団もご協力を」

 

「どういうことでしょう?」

 

「単純な話です。我々は月の地下構造を把握しておりません。地球財団の協力が必要です。それに、あなた方自身に反乱を企てる意思がないことを明確にするためにも、積極的に協力しておく方がよいのではないでしょうか」

 

確かにその通りだった。

「わかりました」

 

「では、後のことは担当者に任せます。後ほど出向かせますのでよろしくお願いします」

 

アウロラは用件だけを伝えるとさっさと通信を切った。彼女はユリアンと話す時は常にこうだった。話をする時は常にスクリーン越しだったし、いつも硬い表情を崩さないのだ。

ユリアンにそのような態度を取る者は他にもいた。

彼らはユリアンを信用できないと考えているのだ。そういった者達は決まってユリアンのことをこう呼ぶのだ「あのユリアン」と。

そしていつしか妙な二つ名までもらってしまっていた。新銀河連邦を影で操ろうとしている元地球教団の首魁、「黒衣の宰相」と。

そう思われるのもしょうがないとはユリアン自身も思っているので、深くは気に病んではいなかった。

 

だが、アウロラの言っていた担当者が来てユリアンは頭を抱えたくなった。

いくら何でもこの人選はないよなあ、と。

やって来たのはマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中佐だった。

 

彼女は無表情で機先を制してきた。

「何も言う必要はありません。私も同じ気持ちです」

「……とは言ってもだよ。よりによってどうして君なんだ?」

二人とも真銀河帝国の一件で、言い合いになってから一ヶ月。そうそう会う事もなかろうと思っていたところでの今日この日で、とても気まずかった。

 

「それは私が訊きたいです。しかしまあ答えるなら、たまたま近くに来ていたというのが一つ。もう一つは、あなたの担当にはあなたに容易に丸め込まれない人物をつけるというのが、銀河保安機構の方針だからです」

マルガレータの回答にはユリアンにとって聞き過ごせない内容が含まれていた。

「君、僕の担当だったの?」

 

マルガレータの表情はアウロラ少佐よりもなお硬かった。

「どうもそのようです。大変遺憾です」

 

ユリアンはマルガレータに提案した。

「ねえ。とりあえず礼儀は抜きにして、一旦溜めているものをお互い吐き出さないか?」

「……奇遇ですね。私もそうしたかったところです」

 

そうして二人は同時に長い長い溜息をついたのだった。

 

探索行の開始前日になって参加希望者が現れた。

独立保安官のオリビエ・ポプラン大佐だった。彼は月の幽霊騒ぎを聞きつけてわざわざ月までやって来たのだ。彼はマルガレータに頼み込んだ。指揮の邪魔はしないので是非参加させて欲しいと。

「幽霊はきっと美女に違いない。君も勿論美女だけど」

マルガレータは面倒ごとが増えたと思いつつポプランの参加を渋々承諾した。

なおも口説こうとしてくるポプランをあしらうのには、さらに時間を要した。

 

さらに参加希望者が現れた。

保安機構による幽霊探しの話を聞いて、サビーネがエリザベートとカーテローゼを連れてユリアンの元にやって来たのだ。

 

「私幽霊を見たのよ!捜索に行きましょう!ぜひ行きましょう!保安機構の女狐なんかに横取りされてなるものですか!」

 

近くに控えていたシュトライトは、横取りの目的語は幽霊とユリアンのどちらなのだろうかと思ったが、弁えて何も言わなかった。

 

サビーネがあまりにしつこかったのと、以前彼女にお願いされた時に何も対応しなかった負い目もあって、ユリアンは迂闊にも承諾してしまった。

 

その結果……

 

「何故こうなったのじゃ……」マルガレータは再び溜息をついた。

 

ユリアンと、サビーネ、エリザベート、カーテローゼとマシュンゴ。それにマルガレータと数人の保安機構月支部員。それが幽霊探索第一班のメンバーになった。

探索は五つの班に分かれて地球財団職員と保安機構支部員が協力して行うことになっていた。

ポプランは「俺もそっちがよかった」と言いつつも、第二班の指揮を担当することになった。

 

マルガレータはユリアンと一緒の班となるのは、彼に目を光らせなければいけない立場上受け入れていた。しかし、女性3人がおまけでついてくるとは。

 

 

皇女達3人は、意気揚々と探索行に臨んだのだが、探索が月地下都市の薄暗い廃棄区画に及ぶに至って、だんだんと怖くなってきた。照明はその殆どが破損し、空気も淀んでいた。

 

彼女達はユリアンの両手と肩をそれぞれ掴んで離さなくなった。

 

そして……

 

「キキキッ!」

 

「「「キャー!!」」」

皇女達三人はユリアンに一斉にしがみついた。

 

マシュンゴが皇女達を落ち着かせようとした。

「ただの月鼠ですよ」

 

それは低G環境に適応した鼠だった。ただの鼠と違うのは、この月鼠、跳躍するのである。

 

「キキキッ!」

 

「「「跳んだー!?」」」

三人に跳び掛かられ、ユリアンは潰されかけた。

 

マルガレータが皮肉を言った。

「楽しそうですね」

 

それを聞き付けた。サビーネがマルガレータを睨んだ。

「あなたは混ぜないわよ」

 

「誰が混ざりますか!」

 

サビーネとマルガレータが言いあっている間に、ユリアンは残り二人に尋ねた。

「カリン、エリザベート、君達まで今日はどうしたんだい?」

彼女達二人は普段はサビーネの抑え役に回っていた。それなのに今日はサビーネと一緒にはしゃいでいるようにユリアンには見えた。

 

カリンはマルガレータの方を見ながら言った。

「ちょっと、見せつけておきたくて」

エリザベートはユリアンの目を見て言った。

「負けませんから」

 

何か誤解されている気がするが、訂正する方が厄介になりそうだったので、ユリアンは何も言わなかった。

 

カーテローゼがユリアンに耳打ちした。

「でも少し安心したわ」

「何が?」

「あのマルガレータという娘、サビーネのお父さんに母親を殺されたんでしょう?サビーネのこと、仇だと思っていてもおかしくないのに、そんな素振りは見せないから」

 

ユリアンはそのことを忘れていた。

 

ユリアンは小声で答えた。

「そんな娘じゃないさ。リッテンハイム大公のことは恨んでいるかもしれないけど、その娘まで恨んだりはしないさ」

 

その答えに、カーテローゼは少し不機嫌になった。

「あの娘のことよく理解しているのね」

 

エリザベートも呟いた。

「面白くない」

 

いや、僕はまったく理解していない。理解できていない。マルガレータも平穏無事な人生を送って来たわけではない。彼女なりの苦しみがあったはずなのに。そして、皇女達の苦しみも僕は理解できていない。

 

ユリアンがそう答えようとした時、サビーネがユリアンの方を見た。

「あーっ!?三人で内緒話なんて許せないわ!」

 

 

その後も月鼠やカサカサと動く虫以外には出会わなかった。

その度に三人に抱きつかれてユリアンがポロポロになっただけだった。

初めのうちは若干羨ましがっていた保安機構支部員達も、今では憐れみのこもった目でユリアンを見ていた。

 

朝からさんざん歩き回って、時刻は既に昼を回っていた。

「お昼にしましょう」

床に防水布を敷いて、エリザベートがつくってきたサンドイッチを皆で食べることにした。

 

「おいしいね」

料理にはうるさいユリアンであったが、その出来には素直に感嘆した。

そんなユリアンにエリザベートは安堵し、花がほころぶように笑った。

 

残るカーテローゼとサビーネは妙に深刻な顔でサンドイッチに口をつけていた。

「本当においしいけど、困ったわね」

「自己主張が少ない娘だと思っていたら胃袋から掴みに来るなんて、思わぬ伏兵だわ」

 

マルガレータと機構支部員、マシュンゴは別に集まってサンドイッチを食べていた。

マルガレータがこぼした。

「この空間にいるのがつらい」

「わかります」

「人は運命には逆らえませんから」

「早く何か見つからないですかね」

 

そんなことを話していたせいか、サンドイッチを食べ終わって探索を開始しようとした時にうめき声が聴こえてきた。

おどかすように、ではなく、救いをもとめるような弱々しい声で。

 

「「「キャー」」」

皇女達にのしかかられて下敷きになったユリアンを尻目に、マルガレータは素早く動いていた。

懐中電灯の光をうめき声の方に向けた。そこにはチーズ、ライ麦パン、ビタミン添加チョコレートなどが散乱していた。

 

「物を食べる幽霊などあり得ない」

マルガレータは呟き、支部員達と共にブラスターを構えてうめき声の方に近づいていった。

 

……と、マルガレータは何かに足をとられよろめいた。

片膝をついたマルガレータは人にぶつかった。

「あっと、ごめんなさい。……誰じゃ?」

 

支部員達は不思議そうに彼女を見ていた。

 

いるはずのないもう一人。

 

マルガレータの腕に向かって、その誰かの手が伸びてきた。

「た……たす……」

 

「ギャー!!」

マルガレータは乙女らしくない悲鳴を上げて、その手を掴み、投げ飛ばした。

 

とりあえず投げてからよくよく確認すると、そこにいたのは半死半生の男であった。彼の他にも数人同様の状態の男達が転がってうめき声を上げていた。

 

外に出てから、ひとしきり騒動があり、暗闇の住人達は病院に収容された。

 

真相はすぐに解明された。月要塞降伏に納得がいかない地球教徒の何名かが逃げ出して、廃棄区画に住み着いていたのだ。

食料を盗みに出没していたので、幽霊よばわりも無理のないところだった。

そして古くなった食料にあたって食中毒で呻いていたところをマルガレータ達探索隊に発見されたというわけだった。

 

幽霊騒動はひとまず落ち着くことになった。

ポプランは美女の幽霊を見たと一人だけ主張し、ユリアンに「ミンツ総書記には似た顔のお姉さんか妹さんはいませんよね?」と妙なことを訊いてきた。ユリアンも他の面々もポプランの話をあまり真面目に受け取らなかった。

サビーネも一人、「私が見たのと違う」としきりに不思議がっていた。

 

ユリアンは、回復した彼らに密かに尋ねた。

「デグスビイ主教を見ませんでしたか?」

姿を消した主教の名を。

 

彼らの一人が答えた。

「短期間だけ一緒にいました。ですが、そのうち消えてしまいました」

 

ユリアンは事件が完全には解決していないことを知った。

 

マルガレータもポプランもさっさとアルタイルに帰還してしまっていたので、ユリアンはアウロラに伝えた。

「彼らが逃げ出した全員であるとも限りません。今後は地球財団職員で見回りを強化することにします」

アウロラは無表情で答えた。

「そうした方がよいでしょうね。しかし、月要塞は本当に巨大ですね。とてもすべて把握することなどできないのでは?」

 

その通りだった。月要塞はかつての地球軍月基地の遺構を元につくられている。中には要塞建設工事の過程で、物理的に封印された区画も存在する。

地下構造体の延べ床面積は下手な惑星の表面積にも匹敵するだろう。

ユリアンは自らの足元に巨大な謎が横たわっていることを自覚したのだった。

 

 

 

ようやく地球財団本部に帰り着いたユリアンは、シュトライトの出迎えを受けた。

「……どうしてそこまでボロボロになっているのでしょうか?」

ユリアンの服は三人娘に引っ張られ、押しつぶされ、地面に押し付けられ、ボロボロになっていた。

 

自らのそんな様子を確認しつつ、ユリアンは遠い目をして答えた。

「幽霊にやられました」



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4話 生命卿事件その1

宇宙暦803年 6月 新銀河連邦直轄地

 

とある開拓惑星の気が滅入るような曇天の下で、二人の男が向き合っていた。

それぞれが数人の部下を従えていた。

 

 

彼らの前で大量の箱と、何個かのアタッシュケースが交換された。

 

一方の男が口を開いた。

「はい、今回は全部で十万本、確かに受け取りました。それが約束のお金です」

もう一人の男はケースの中身を確認して頷いた。

 

「色をつけておきましたので、これからもなにとぞよしなに、ジーベル殿。生命卿(ライフ・ロード)にもなにとぞよろしく」

瓶を受け取った人間はどうやら商人であるようだった。

 

ジーベルと呼ばれた男は鷹揚に返事をした。

「ああ。生命卿も良い取引ができてお喜びだ」

 

商人と思われる男はにやっと笑った。

「では、我々はこれで。これからこれを売りさばきに行きますので」

 

彼らが帰った後、ジーベルは一人ほくそ笑んでいた。

「せっせと我々に貢ぐがいい。豚ども。すべては生命卿の操るところだ」

 

法の網をすり抜ける回生の妙薬「生命水」。

それが、彼の扱う商品だった。

 

彼の名はジン・ジーベル。

かつての名をクリストフ・フォン・バーゼルと言った。

地球教団、そして神聖銀河帝国においてサイオキシン流通の元締めだった男。

彼はサイオキシンを失った今、その代替物をもって再びその金銭欲と野心を満たそうと考えていた。

 

 

 

 

宇宙暦803年 7月 新銀河連邦直轄地

 

貨客船トライアンフは、新銀河連邦直轄地、開拓惑星キールから連合領リューゲンに向かう乗客を乗せ、1回目のワープを終えたところだった。

ここからはしばらく通常航行となる。

船長カーレ・ウィロックは、乗組員に海賊への警戒を指示した。保安機構の活動により、ようやく海賊の脅威も減りつつある昨今だが、辺境航路はやはり最も狙われやすいのだ。

とはいえ、指示を出した以上、船長としてやるべきこともなく、休憩に入ろうかと思っていた矢先、

「いやああああ!」

乗客のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。

 

何事かと客室に向かったウィロックと数名の乗組員は、隅で震える数名の乗客と、何の反応も示さない十数名の乗客を見つけたのだった。

その十数名が死人であることを確認するのに大して時間はかからなかった。

 

ウィロックは生き残った乗客から話を聞いた。彼らによると、ワープ前は皆元気に生きていて会話もしていたのだという。それがワープが終わると、眠ったような状態になり、いつの間にか死んでいたのだ。

 

一体何が起きたのか?

 

この事件はワープ集団怪死事件として全銀河に知れ渡ることになった。

 

そして、同様の事件が新銀河連邦の複数の場所で立て続けに起こったのである。

多くの場合、乗客の相当数が死亡。ひどいケースでは乗組員含めて全滅していた場合もあった。

 

ワープをすると死ぬ。

全銀河の人々が恐怖に震えた。

星系間の交通量が大幅に減少し、それが経済活動を阻害し、銀河、特にオリオン腕は短期間のうちに全面的な不況に陥った。

 

人々は怪死事件の原因を様々に噂しあった。

曰く、殺人鬼集団が活動しているのだ。

曰く、神聖銀河帝国残党の仕業だ。

曰く、超空間に怪物が潜んでいる。

曰く、同盟の新兵器実験だ。被害がオリオン腕に偏っているのがその証拠だ。

 

無責任な噂が恐怖を増大させ、相互不信を煽った。

 

 

宇宙暦803年 9月 銀河保安機構アルタイル本部

 

銀河保安機構は、この事件を解決するための秘密会合を持った。

 

参加者は、ヤン長官、オーベルシュタイン長官補佐、アッシュビー首席独立保安官、マルガレータ独立保安官、それにユリアンだった。

 

ヤンがユリアンに尋ねた。

「怪死事件のことは聞いているね」

 

ユリアンはわずかに微笑をたたえて答えた。

「はい」

 

「まずは捜査状況の共有から行なう。後で君の見解も聞くからそれまでは楽に聞いてくれ」

 

「わかりました」

 

アッシュビーが、マルガレータを促した。

「それではマルガレータ中佐、説明をお願いする」

 

「はい」

マルガレータは席を立ち淡々と説明を始めた。

 

「小官と、ディッケル少佐、イセカワ少佐、三人の独立保安官が本件を担当しました。その結果を説明します。

まず、乗客の死因ですが、イセカワ少佐率いる検死チームによる分析結果が出ております。

先に申しますが、ワープ直後に人が死ぬという事例はこれまでも皆無ではありませんでした。何千万人という人が日々恒星間航行をおこなっているのですから当然ではあります。

今回の特殊性はそれが集団で起こっていることです。

従って、今回の検死は二人以上が同時に死んでいたケースに限って行われました。

それによると、ワープ後に死んだ乗客は心筋その他複数の組織に壊死が見られました。多臓器不全の状態です。直接の死因は心臓や肺機能の停止になります」

 

ヤンが尋ねた。

「外傷はなかったんだね?」

 

「ありませんでした。例えば、薬物を注射されたというような痕跡もありません。さらに言えば血中から既知の薬物が検出されることもありませんでした。これはいま少し詳細な分析を進めていますが」

 

既にユリアン以外には報告書の形で情報が回っていたからヤンの質問もあくまで確認であった。

他に質問も出ないのを見てマルガレータは説明を続けた。

 

「我々は死亡者の共通点を探しました。しかし、病歴、性別、年齢、人種傾向、殆どがバラバラでした。事件が起きた船に共通して乗っていた人間というのもおりません」

 

アッシュビーは今回の事件に関して、かつて暗殺者紛いなことをしようとしていたコクラン少将のことを思い出し、密かに問い合わせを行なっていた。コクランの一族以外にも局所的に化学反応を操れる人間、ケミカルエスパーがいるのか、と。

コクランは、知る限りはいないし、いたら自分が妙なことをする必要もなかっただろうと答えた。

完全には否定できないものの、そのような人間が大人数同じ目的で活動している可能性は限りなく低いように思われた。

 

マルガレータの説明は続いていた。

「唯一共通していたのが、殆どの死亡者が新銀河連邦直轄地内の再開拓惑星の住人あるいはその関係者ということです。無論、新銀河連邦内の殆どの有人惑星が再開拓中の惑星ではあるのですが。

船に関しても共通点を探しました。そちらも、ほとんどの船が新銀河連邦の再開拓惑星からの貨客船であるという以外に共通点はありません。船籍、船歴、運営会社、船の規模、製造元、メンテナンス会社、船体部品の製造元に至るまで共通点がなく、バラバラでした」

 

マルガレータは息を継いで見回した。皆、マルガレータの話に耳を傾けていた。ユリアンと目が合いそうになって慌てて目を逸らした。

 

「我々は唯一の共通点、新銀河連邦内の再開拓惑星であるというところに注目せざるを得ませんでした。その数は十以上に及びましたが、現在再開拓が進む惑星の数は百以上あります。ワープ後の怪死が起きた惑星のみの共通点を探しました。しかし、共通点はあまり多くありませんでした。

日光量の少ない惑星が比較的多かったのですが、すべてではありません。惑星の場所も辺境に偏ってはいますが、これもすべてではありません。

調査は難航しました。しかし、ディッケル少佐がようやく共通点を探し出しました。とある液体が事件の起きた再開拓惑星群には広く出回っていたのです。その液体の名は「生命水」」

 

ここに至ってマルガレータは初めてユリアンを見据えた。

「ミンツ総書記、ジン・ジーベルという名を聞いたことはありませんか?」

 

ユリアンは表情を変えずに答えた。

「たぶんありませんね」

一瞬、体が強張ったように見えたのはマルガレータの気のせいだろうか?

 

「では、生命卿(ライフ・ロード)という言葉は?」

 

「……おそらくありません」

 

「……わかりました。そのジン・ジーベルと名乗る人物が、生命水を「若返りの妙薬」などと騙って広めているようなのです。しかしその組成も、実際の効能も、まったく正体不明の代物です。

さらに、それを製造してジン・ジーベルに渡している存在がいるようでした。その者が生命卿と呼ばれていたのです」

 

ユリアンは無反応だった。

 

「我々はヤン長官経由で新銀河連邦行政局に掛け合い、生命水の流通をストップさせました。その結果、現在新しいワープ怪死事件は起きておりません」

 

ヤンはマルガレータに確認した。

「つまり、ヘルクスハイマー中佐はその生命水なるものがこの事件の原因と見ているのだね」

 

「はい。メカニズムは不明ですが、状況証拠的にはその可能性が高いだろうと思われます」

 

「わかった。それで、そのジン・ジーベル氏はどうなった?」

 

「ジン・ジーベルは既に逃走してしまっていました。しかし、ディッケル少佐は彼の部下の一人を拘束しました。その部下から我々はいくつかの情報を得ることに成功しました」

 

「何がわかった?」

 

「わかったのは、ジン・ジーベルを名乗る男が、かつてサイオキシン・マフィアを牛耳っていた男、クリストフ・フォン・バーゼルであること」

 

皆がユリアンを見たが、彼はこれにも無反応だった。

 

「さらには、ジン・ジーベル、つまりクリストフ・フォン・バーゼルが生命水を手に入れるにあたっては地球財団の職員と接触していたこともわかりました」

 

ユリアンは初めて明確な反応を示した。

「それは……」

 

マルガレータはユリアンに続きを言わせなかった。

「ミンツ総書記には知らせておりませんでしたが、その職員とは小官の方で既に接触させて頂いております」

 

ユリアンは立ち上がった。

「それは自治権の侵害でしょう」

 

マルガレータは動じなかった。

「落ち着いてください。お話を伺っただけです。逮捕した訳でも何でもありません。自治区の方で外部の者と話をしてはいけないという法律を設けているわけではないのでしょう?」

 

その通りだったので、ユリアンも引き下がらざるを得なかった。

 

「それで、お話を伺った結果ですが、生命卿の正体がわかりました」

 

ユリアンは尋ねた。

「一体誰だったのですか?」

 

マルガレータは感情を込めないように努力しながら、答えた。

 

 

「ユリアン・フォン・ミンツ。あなたです。あなたがその生命卿です」

 

 

 

 

マルガレータは正直信じたくなかった。ユリアンが大量殺人に関わっていたなど。神聖銀河帝国の時は戦争で軍人同士の戦いだった。しかし今回は民間人に対する明らかな虐殺行為だ。

マルガレータはディッケルに何度も確認した。自らも反証あるいは裏付けを得ようと動いた。しかし出てくるのはユリアンが生命卿であるという証拠のみだった。

 

だが、それでもマルガレータはわずかな可能性に縋った。

そのためにヤンに頼んで今回の機会をつくってもらったのだ。

ユリアンの口から否定してもらうために。

 

叫びそうになる自分を抑えて、マルガレータはユリアンを促した。

「違うなら違うとちゃんと言ってください」

 

しかし、彼女の淡い期待は裏切られた。

 

「いいえ、お見事。僕が生命卿です」

ユリアンはあっさりと自ら認めたのだった。

 



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5話 生命卿事件その2

「僕が生命卿(ライフ・ロード)です」

 

ユリアンの自白を聞いたマルガレータは、一瞬頭が真っ白になった。そして怒りとも悲しみとも判然としない、ただただ巨大な感情が彼女を支配した。

激情のままにブラスターが抜かれ、ユリアンの顔に突きつけられた。

「ユリアン・フォン・ミンツ!そこまで堕ちたのか!」

 

彼と交わした約束。彼を止める。彼がどうしようもなくなった時は殺す。その約束を果たすべき時が来てしまった。

マルガレータはそう思った。

果たしたくなかったその約束を。

 

ユリアンは突きつけられたそれを気にした様子も見せず、マルガレータにただただ微笑を見せていた。

「落ち着いて。中佐」

 

落ち着けだと?

マルガレータの中で激情は明確な憎悪となった。ここまで来ても平然としているユリアンが憎かった。自分を見ているようでまったく見ていない彼が憎かった。妾を見ろ!ユリアン!何か言え!妾に感情をぶつけてみせよ!

 

渦巻く感情で思わず力が入りそうになったその手を、ブラスターごと押さえた者がいた。ライアル・アッシュビーだった。

 

「落ち着け、ヘルクスハイマー中佐。ユリアン君からは何か説明なり言い訳なりがあるはずだ。まずはそれからだ」

 

マルガレータは我に帰った。自分が暴走していたことに気づいた。

 

「失礼しました」

マルガレータは自席まで戻り、それきり黙り込んだ。

 

ユリアンはアッシュビーに一礼した。

「ありがとうございます。アッシュビー首席保安官」

 

アッシュビーは憮然として答えた。

「助けたつもりはない。早く話をしてくれ」

 

 

ユリアンは説明を始めた。

「まず繰り返しになりますが、生命卿というのは僕のことです。爵位持ちで生命水を売っているから生命卿(ライフ・ロード)。安直ですね」

 

誰も何も言ってくれないので、ユリアンは説明を続けた。

「ですが、僕はワープ怪死事件の犯人ではありません」

 

「嘘だ!バーゼルは逃亡生活の果てに経済的に困窮していた。ユリアン・フォン・ミンツ!貴様はそこにつけ込んで、彼を利用して生命水なる毒薬をばら撒いたんだろう!?」

裏切られたと思ったマルガレータは、もうユリアンのことが信じられなかった。

 

ヤンが彼女を宥めた。

「落ち着いてくれ。中佐」

 

ユリアンはマルガレータを見ながら続けた。

「生命水は毒薬でも何でもありません」

 

マルガレータは息を整えて尋ねた。

「……それならあれは何なのですか?」

 

「ただの水だよ」

 

一瞬沈黙がその場に落ちた。

 

マルガレータは再び憤然として言った。

「はぁ!?わざわざ生命水と言っているのにただの水だなんて、おかしいでしょう?」

 

「まあ、正確にはビタミンD入りの水なんですけどね。新銀河連邦の整備されていない法律では水扱いになります」

 

「ビタミンD?」

 

「生命水を広めていたのは曇天の惑星や寒冷地の惑星、あるいは赤色矮星を回る惑星など、日光量、紫外線の少ないところばかりだったでしょう?実はこれも失われた知識の一つなのですが、紫外線が少ないとビタミンDが不足しやすいんですよ。生命水はそれを補充できるんです。水扱いの医薬品とも言えるので、あえて悪く言うなら脱法薬物になるのかもしれませんけど」

 

「あなたがそんな物を広める必要なんてないでしょう!」

 

ユリアンは肩を竦めた。

「回してもらえる予算が少なくてね。財団としては自力でお金を稼ぐ手段をつくらないといけなかったんだ。幸いヤン提督のせい……いや、おかげで水は大量にあったし……健康商品なら付加価値がついてよい商売になると思って」

 

「そんな馬鹿な……」

 

その時、会議の部屋をノックする音が聞こえた。マルガレータが部屋を出ると伝令役がイセカワ少佐からのメッセージを持って来ていた。

 

マルガレータはそれを確認して、ようやく冷静になった。

 

「イセカワ少佐から速報です。怪死体の血液を詳細に質量分析で確認したところ、未知の薬物と思われるピークを検出したとのことです。一方で、生命水の方は確かに添加物としてビタミンDが検出されました。何個かノイズなのか何なのかわからないピークもあったようですが、怪死体から検出されたものとは明確に異なるようです」

 

「つまり?」

ヤンがマルガレータに要約を促した。

 

「つまり、ミンツ総書記の仰る通り、生命水はビタミンD入りの水で、怪死事件とは関係がないようです」

ユリアンは事件と本当に無関係なのかもしれない。そのことに安堵しかけたマルガレータだったが、アッシュビーが水を差した。

 

「しかし、生命水が広まったところで怪死事件が起きていたのはどうしてだろうか?」

 

その謎が確かに残っていた。末端の流通はバーゼルも商人に任せていた。各惑星にまで出張って生命水以外の何かを仕掛けることなどできないだろう。

そう思案していたマルガレータにひらめきが訪れた。

 

「商人です!」

 

「え?」

 

「バーゼルから生命水を買い付けていた商人。彼とその仲間はワープ怪死事件の起きた惑星を渡り歩いています!彼らなら例えば各再開拓惑星の水源や食料プラントに毒物を撒くことも可能でしょう。ワープにだけ反応するような薬物を!」

 

アッシュビーはそれを聞いて思案した。

「たしかに……開拓惑星は水源やプラントの数も規模も限られているし、そのような工作がやりやすい。あるいは生命水にも後から毒薬を仕込むこともできなくはない。あり得るか」

 

ディッケル他数人の独立保安官と地方警備隊に、バーゼルと取引していた商人の捜索依頼が出された。

 

1時間で惑星上の警察隊より速報が来た。

「やられました。既にもぬけの殻でした」

 

各惑星の事務所は既に引き払われた後だった。一方で本社とされたフェザーンの住所は架空のものだった。

ただ、一部の事務所には大量の「生命水」の瓶の他に謎の薬品が放置されており、怪死事件との何らかの関連が疑われた。

 

「分析にかけて見ないとわかりませんが、その薬品が怪死体から検出されたものと関係していれば確定ですね」

 

アッシュビーは話をまとめようとした。

「ひとまずはミンツ総書記の嫌疑は晴れたようだな」

 

このタイミングでオーベルシュタインが指摘した。

「ミンツ総書記がクリストフ・フォン・バーゼルと接触していた件はどうなるのです?」

 

アッシュビーは視線をユリアンに向けた。

「どうなんだ?」

 

ユリアンは平然としたものだった。

「生命水の卸先、たしかにジン・ジーベルという名前の方だった気もしてきたのですが、その人がまさかクリストフ・フォン・バーゼルだったなんて知りませんでした。騙されました」

 

アッシュビーは視線をオーベルシュタインに戻した。

「だそうだ。ミンツ総書記がクリストフ・フォン・バーゼルのことを把握していた証拠もなし。まあなんともできんだろう。……と、いうわけでこの話はおしまいだ。ヘルクスハイマー中佐、後の捜査の指示は任せる。ディッケル、イセカワの二人、現地の警察隊と協力して進めてくれ。ただ念のため、今日のところはまだこの本部にいてくれ」

 

「承知しました!」

ヘルクスハイマー少佐は、心なしか明るくなった表情で部屋を出て行った。

 

ユリアンも立ち上がった。

「さて、疑いも晴れたようですし。僕も帰らせて頂きます」

 

「待つんだ。ミンツ総書記」

先ほどまでと変わって、ヤンは厳しい表情を見せていた。

 

「ここからが本題だ」



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6話 生命卿事件その3

「ここからが本題だ」

ヤンはユリアンにそう告げた。

 

「何でしょうか?ヤン長官?僕も暇ではないのですが」

 

ヤンはユリアンの目を見て話した。その瞳の奥を見透かすように。

「だろうね。いろいろ画策するのに忙しいようだ」

 

ユリアンは内心たじろいだが態度には見せなかった。

「もしかして、まだ僕をお疑いですか?それなら何故ヘルクスハイマー少佐を出て行かせたのですか?」

 

「今の彼女に聞かせたい話になると思うかい?」

 

ユリアンは諦めて椅子に座りなおした。

 

「何が聞きたいかはっきりと仰ってください。商人達も僕の手の内で、僕が毒薬を撒いていた黒幕とでもお考えですか?」

 

「いや、そんなことはないさ。そもそも君にそんなことをするメリットはない」

 

「では、何でしょうか?」

 

「生命水を質量分析にかけて検出された不明のピーク、あれは何だい?」

 

「ただの測定ノイズ、あるいは不純物ではないでしょうか?」

 

「そんな誤魔化しはいらないよ。地球財団の予算は潤沢とはいえないとはいえ、小規模に健康商品を売る程度では大して助けにならないだろう。

一方で、クリストフ・フォン・バーゼルを助けたいならお金を渡すだけでいい。

そうしなかったのは、君なりの意図があったからだ。お願いだ。それを教えてくれ」

 

 

ユリアンは黙って少し考えた末に答えた。

 

「長くなりますがいいですか?」

 

「もちろんだ」

 

「発端は、現銀河人類、月の民、銀河の流民フリーマン、それに地球アーカイブの過去の人類の凍結保存細胞、それぞれのゲノムデータの比較結果が得られたところからでした。旧地球教団は、外部世界で失われた過去のバイオテクノロジーの所産を保持していました。全ゲノムシークエンジング技術とそのデータの解析技術もその一つです」

 

「何がわかったんだ?」

 

「現銀河人類のゲノムには、他のゲノムには存在しない遺伝子の挿入や欠失、変異が見られました」

 

「それは通常の進化の範囲では説明がつかないのか?」

 

「たった九百年かそこらで?遺伝子の欠失や変異はあり得るでしょうが、新しい遺伝子が新規に挿入されるなど自然にはまずあり得ません。このことが意味することは明らかです」

 

「何だ?」

ヤンはそう問いつつも、既に答えを予感していた。

 

「人類は長期にわたって何者かによるゲノム操作を受けてきた」

 

訪れたのは沈黙だった。

オーベルシュタインもアッシュビーもヤンも、驚きをあまり表に出すタイプではなかったから。

 

ヤンは言った。

「俄かには信じられない話だ。だが君がこういうことで嘘をつくとも思えない」

 

「ええ、事実です。それに理屈上はあり得る話です。一般にはロストテクノロジーとなっていますが、ゲノム編集という、13日戦争以前に生まれた技術があります。誕生当時は原始的なものでしたが、時代を経るにつれその技術は改良され、洗練され、遂には食物や飲み物にそれを混入させるだけで、それを摂取した人の体細胞を徐々に変異させることが可能になりました。本当は治療を目的とした技術なのですがね。

真相は不明なのですが、ド・ヴィリエ大主教は、歴代のゴールデンバウム王朝の皇帝に対してこのゲノム編集技術が使われたということを示唆する発言をしていました。繰り返しますが真相は不明です」

 

ユリアンは、ド・ヴィリエがラインハルト帝に対してもこの技術が使われ、彼を死に至らしめた可能性まで示唆していたが、それは地球財団の立場を不利にする恐れがあったため黙っていた。

しかし、ユリアンが話した内容だけでも十分に衝撃は大きかった。

ゴールデンバウム王朝末期の皇族の遺伝子異常、そして多発した流産や早逝、それは誰かの介入を考えなければ確かに不自然なレベルであった。

 

ユリアンは話を続けた。

「銀河人類に対するゲノム改変。特にその影響を受けていたと思われるのは、女性の妊娠機能でした。

卵巣機能に関連した遺伝子と妊娠時の恒常性に関連する遺伝子に変異が入るとともに、ホルモンに応答する受容体の遺伝子が新規に出現していました。

つまり、女性は過去の人類よりも妊娠しにくく、さらにはホルモンバランスの乱れで容易に流産しやすくなっていると推測されます。

本当なら男性の精巣機能や精子に関連する遺伝子の方が改変しやすい気もするのですが、その場合顕微鏡で容易に問題が発覚する可能性がありますからそれを恐れたのかもしれません。

ちなみに女性が一律で妊娠しにくいというわけではありません。やはり個人差はあります」

 

ヤンはローザとの間に息子が生まれていた。それがどんなに幸運なことだったのかと、彼は今更思い知った。

 

「不思議に思ったことはありませんか?歴史の講義で我々はこう習います。「初期のワープは人体とくに女性の出産能力にいちじるしい悪影響がみられたが、西暦24世紀末には早々に完全な実用化がなされた」と。それなのに何故今日でもワープは母体に障るとされるのか。ワープ技術はさらに改良され続けたのに。現代のワープ技術が劣化しているわけではありません。人類の方が影響を受けやすいように変化したのです。ワープに伴って産生量が増えるホルモン。それに敏感に応答する受容体が胎盤に発現するようゲノム改変を受けていたのです。これによってワープで流産が誘発されるようになっていたのです」

 

ここでアッシュビーが指摘した。

「おかしいじゃないか。同盟は人口爆発を経験している。女性の妊娠機能に問題が生じていたならそんなことは起きないはずだ」

 

「連合の人口増大は出生率の増大によるものではなく、単純に亡命者の流入によるものです。同盟の人口爆発は、逆に遺伝子改変に関する傍証と言えるかもしれません。アーレ・ハイネセンがアルタイルを出発した頃はまだ銀河人類は遺伝子改変の影響をさほど受けていなかったと考えられます。

何故なら長征一万光年は五十年以上続いていたからです。母体がワープに耐えられないなら子供は産まれず、長征一万光年が終わる頃には長征のメンバーは皆老人となって全滅するはずです。それがそうはならなかった」

ヤンが尋ねた。

「彼らが冷凍睡眠を用いていた可能性は?」

「今も大して広まっていないことからわかるように、冷凍睡眠は万能ではありません。使ったとしても身体への負担から十年程度しか無理でしょう。それならやはり結論は変わりません」

 

「それなら同盟人はゲノム改変の影響を受けていないのか?今は同盟も人口が減少しているじゃないか」

 

「いいえ。同盟に人口減少の傾向が現れるのは帝国から亡命者が大量に流入して以降の話です。つまり、ゲノム改変された人々との混血が進み、それによって結局はゲノムの改変がなされたのです。その時点で同盟に対してもゲノム改変の工作が別に行われていたのかもしれませんが」

 

ヤンがここで疑問を持った。

「待ってくれ。長征一万光年終了時の人口は16万人。出発時は40万人で、それに対して「同志の過半」を失ったと伝えられている。それが事実なら、殆ど世代交代が進んでいないことになる。子供世代が16万人に相当数含まれていたなら失われた同志の数は「過半」などでは済まないし、そのような表現にはならないはずだ」

 

ユリアンは少し答えるのを躊躇った。

「妊娠に対するワープの影響が少ないとはいえ危険な旅です。子供世代の数はそんなに多くはなかったのでしょうね。ミンツ家もそうなのですが、長征世代が同盟で名家とされるのも数が少ないことが理由なのでしょう」

 

「それならば人口爆発はもっと小規模になったはずだ」

 

ユリアンは諦めて話すことにした。

「……これも取り扱い注意の情報ですが、同盟の初期の人口爆発には地球教団の技術が使われていた可能性が高い」

 

ユリアンはアッシュビーを見た。

アッシュビーの顔色が変わった。

 

「そうです。クローンです。ハイネセン達はシリウス星系の惑星の地下で地球教団の支援を受けて恒星間航行船を入手し、さらには地球教団の所有する過去の地球人類の凍結保存細胞から受精卵がつくられ、人工子宮装置と共にハイネセン一行の船に搭載された。少なくとも地球教団の記録にはそう残されています。

グエン・キム・ホア一行は惑星ハイネセンに降り立った後、それを使って人口を増やしたのでしょう」

 

アッシュビーが反応した。

「人工子宮?そんなものがあるならエンダースクールは俺達を生み出すのに、母胎を借りる必要なんてなかったじゃないか。もっと大量にアッシュビークローンを生み出せたはずだ」

 

ユリアンは困った顔をした。

「私も不思議には思うのですが、人工子宮技術は地球教団でも既に失われた技術になっています。しかし、ハイネセンの時代の地球教団はそれを所有していました。同盟にそれが残っていないのは当時の賢明な同盟指導層が、地球教団が協力した証拠ごと禁忌技術を破棄してしまったからなんでしょうね。地球教団としては親地球勢力をつくるつもりだったのでしょうが、見事に裏切られましたね」

 

「何とも不思議な話だ」

アッシュビーは疑わしげだった。

 

「私も不思議です。何者かの意図が働いているのか……」

 

ヤンがさらに疑問を示した。

「では、銀河帝国は何故この状況を放置してきたんだ?」

 

しかし、ヤンの中ですぐに答えが出たようだった。

「いや、できなかったのか」

 

ユリアンは頷いた。

「ええ。このあたり、オーベルシュタイン局長が調査されていたはずですが」

 

ユリアンに話を振られてオーベルシュタインは口を開いた。

「いろいろと腑に落ちることがあります」

 

オーベルシュタインの説明は劣悪遺伝子排除法の制定経緯から始まった。

 

一般に、劣悪遺伝子排除法はルドルフ大帝が長年の思いに基づき自発的に定めたものだとされていた。

しかし、オーベルシュタインはルドルフ2世との会話によって、ルドルフ大帝が真に望んで排除法を定めたのか気になり始めたのだった。

オリオン連邦帝国、ゼーフェルト博士の調査により、通説は大帝の権威づけのために流布されたものに過ぎず、実際はルドルフ大帝に対して、排除法を定めるように提言した者達がいたことがわかった。

それは「科学革新同盟」と、それに属する「革新遺伝学派」の者達だった。

「科学革新同盟」は、ルドルフの主張する国家革新主義に賛同する科学技術者の集団であり、国家革新主義に基づく「科学」を提唱していた。

すべての科学研究は実用性にのみ重きが置かれるべきであるとの主張に基づき、彼らが「非実用科学」、「頽廃的科学」と判断したものをルドルフの名の下に次々に攻撃し、排除していった。多くの場合その攻撃は、彼らにとっての政敵を排除する方便に過ぎなかったが。

「革新遺伝学派」は、その中の、生物学における一派であった。彼らは連邦時代の欲望に任せたバイオテクノロジーの乱用と、それを可能にした生命科学それ自体を頽廃的であると批判するとともに、国家革新のためには「人の革新」が必要であると唱えた。

そのための科学として「革新優生学」なるものに基づく「劣悪遺伝子の排除」をルドルフ大帝に提言したのだった。ルドルフ大帝としては、彼らの提言を法制化したに過ぎなかったのである。

 

「科学革新同盟」及び「革新遺伝学派」は、科学技術の世界に粛清の嵐を呼び込んだ。非道徳的科学、退廃的科学の成果はその殆どが破棄され、後世に受け継がれなかった。加えて、彼らの主張や研究成果には疑似科学の要素が多分に含まれており、科学技術の正常な発展を阻害した。

 

これが今日まで後を引く科学技術の後退、特に生命科学分野における後退と疑似科学の蔓延を産んだ。

 

例えば同盟では電子が細胞の自然治癒力を大幅に活性化するとされ、今でも負傷兵治療に採用されているが、これは科学革新同盟が広めたもので、宇宙暦以降そのメカニズムも効果それ自体も、実際は明確に検証されたことはなかった。

 

既に連邦時代には科学技術の発展は停滞していたとされる。しかし、それは停滞に過ぎず後退ではなかった。そこからパラダイムの転換が起こり、新しい発展が起こる可能性も十分にあった。その可能性を科学革新同盟はルドルフの名を利用して摘み取り、踏みにじったのである。

 

オーベルシュタインは、彼ら科学革新同盟、特に革新遺伝学派が地球教団と繋がっていたのではないかと疑った。地球教団が自らの目的のために生命科学の衰退を狙ったのではないかと。確かに彼らに資金を提供したものの一部が地球出身の商人であったという記録は残されていた。しかし、逆に月あるいは地球上にあった地球教団の記録にはそのような活動は記録されていなかったし、その商人の出生記録も存在せず何の裏付けも取れなかった。

 

「未だに証拠はありませんが、この生命科学の衰退が、人類に対するゲノム改変を容易にするために意図的に起こされたものだとすれば、納得できるのです。今の人類はバイオテロに対して無防備、エネルギー中和磁場を持たずに戦艦と対峙しているようなものと言えるでしょうな」

 

アッシュビーが尋ねた。

「人類に悪意を持っているのであれば、それこそ病原性細菌でもばら撒けばいいのではないか?」

 

オーベルシュタインは答えた。

「それでは流石に対処の必要性に気付きましょう。それによって人類が手遅れになる前に防備を整えてしまっては意味がない。気づかれないまま人類を衰退、滅亡に追いやることが彼らの目的だったのでしょう」

 

ヤンはユリアンに続きを促した。

「人類が何者かの意図でゲノム改変を受けている。それはひとまず認めるとしよう。それで、君がやっていたことは何なのだ」

 

ユリアンは笑顔で答えた。

「人類からゲノム改変の影響を取り除くことです」

 

「何だって?」

 

「地球財団は、特定のゲノム改変を再編集して元に戻す薬剤を開発しました。これは、ゲノム改変に用いられたと思われる薬剤と本質的には同じもので、目的が異なるだけです」

 

「……」

 

「僕はこれをビタミンDと共に生命水に添加しました。これを禁じる法律はありません。これを飲んだ人は、ゲノムの一部が再編集されます。それによって妊娠機能が回復または向上することが期待されるのです」

 

皆無言で聞いていた。

 

「僕はいくつかの再開拓惑星で生命水によってこれを試験し、出生率の向上が図れるかを確認しようとしていたのです。上手くいけば銀河系全体にこれを適用するつもりでした」

 

ユリアンは皆の反応を待った。しかしアッシュビーもヤンも厳しい顔をしたまま無言だった。オーベルシュタインだけは無表情だったが。

 

「皆さんどうしました?」

 

ヤンが口を開いた。

「君、何が問題かわかっていないのか?」

 

ユリアンは戸惑った。

「何か問題がありましたか?新連邦の法律には違反しておりませんし、出生率の向上は皆の願うところだと思うのですが」

 

「なぜ、私に黙っていた」

 

「いえ、言っていなかっただけで隠していたわけでは」

 

「隠していただろう。この瞬間まで言わなかったではないか」

 

「……銀河保安機構の管轄するところではないと思いますが」

 

ヤンは溜息をついた。

「ミンツ総書記、ミンツ総書記。ヘルクスハイマー中佐がここにいなくてよかったな。私は君が撃ち殺されるところなんて見たくないよ」

 

「一体何が問題なのですか?」

 

「いいか。本人に知らせず薬剤を投与する。君のやっていたことは明確な人体実験だ。合法非合法は関係ない。これは倫理の問題だ」

 

「倫理など……」

ユリアンは言いかけてやめた。自らの考えが危険、少なくとも危険視されるに値することに今更気づいたのだ。

 

「正しいと思えば何をやっても良いと?そう考えた者達が歴史上何をやってきたか君も知っているだろう?」

 

「……」

 

「そして君は今回のことを皆の納得を得る形で進めることもできた。それだけの立場に君はいるんだ。

君はその労力を惜しんだ。いや必要とも思わなかったのか。

緊急避難だったらしょうがないかもしれない。しかし今回はそうではなかった。時間の余裕はあったんだ。君のやり方は地球教団や神聖銀河帝国ではそれでよかったかもしれない。しかし、地球財団、そして新連邦の人間が取っていいやり方ではない」

 

ユリアンは反論できなかった。その通りだと思ってしまった。

 

「生命水それ自体で事故が発生したということも今の所はないようだ。だから君がやったことを新連邦の法で罰することはできない。今回のことは君に反省を促して終わりだ。

……銀河人類がゲノム改変を受けており、それが人口減少の原因だという情報も、慎重に取り扱わねばパニックを引き起こすだろうな。新連邦主席に四国首脳とも話をして今後の方針を決めることになるだろう。それでいいな?」

 

「わかりました」

それしか言えなかった。

 

ヤンは思いついたように言った。

「そういえば、トリューニヒト氏には今回の情報は伝えてあるのか?」

 

「……いいえまだです」

 

ヤンは再度溜息をついた。

「そうか。いや、彼に伝えてあって、私には教えてくれていなかったとなるとそれはそれで複雑なんだけどね。それでも君はこの情報を誰かと共有すべきだったね。……君はすべての責任を一人で被ろうとし過ぎだよ」

 

ユリアンは自らの保護者を自任してくれている敬愛すべき男のことを思った。そして申し訳なくなった。

 

「はい。僕の考えが足りませんでした。申し訳ありません」

ユリアンは素直に謝った。

 

「本来は謝って済む問題ではないし、私に謝られてもしょうがないんだが、でも謝らないよりはマシだろうな。これからはぜひ気を付けて欲しい」

そう言って、深刻な顔つきになっていたユリアンに対してヤンはわずかに笑顔を見せた。

 

アッシュビーは苦笑いをしていた。

「我々も脛に傷持つ身だ。本当はひとのことなんて言えないのだが。だからこそ忠告したくもなるんだ」

 

ヤンはさらに付け加えた。

「ヘルクスハイマー中佐には彼女が落ち着いた頃にうまく伝えておくから心配しないでくれ」

 

「はい。ありがとうございます」

ユリアンは深々と頭を下げた。

 

 

オーベルシュタインが話の流れを無視するように、口を挟んだ。

「ミンツ総書記、人類のゲノム改変の影響は出生率に対してだけなのか?」

 

ユリアンは首を横に振った。

「他にもいくつもの改変が見られます。様々な機能不明の受容体や酵素の遺伝子が多数挿入されています。何らかの薬物に応答する受容体も。今回のワープ怪死事件もそのいずれかによって引き起こされたものかもしれません。例えばある薬物に特定の受容体が応答してまた別の受容体が細胞に発現する。その受容体はワープの刺激による体の変化に反応して、劇的な応答を引き起こすとか」

 

アッシュビーはお手上げといった態だった。

「生物の話は正直さっぱりわからん。それも生命科学の衰退の影響かもしれないが」

 

オーベルシュタインはヤンに話しかけた。

「細かいメカニズムはともかく、今回の件がミンツ総書記の行動によって引き起こされた可能性はありますな」

 

ヤンは怪訝な顔をした。

「どういうことだい?」

 

「ミンツ総書記が人類のゲノムを再修正しようとしているのを知り、その前に人類に打撃を与えたり、あわよくば全滅に追い込もうと何者かが動いた。だからタイミングが重なったのです。あるいは、ミンツ総書記に罪をなすりつけようとまで考えたのかもしれませんな」

 

あり得る、と皆が思った。

しかし、そうだとすれば。

 

「第二第三の事件が起こる可能性がありますな。ゲノム改変の影響を精査するとともに、対応策を至急練る必要があります」

 

ヤンは天井を見上げた。

「さらに忙しくなるなあ。……ミンツ総書記、対応策の立案に関してはぜひ協力を頼むよ」

 

「勿論です」

 

ユリアンとアッシュビーが出て行って、ヤンとオーベルシュタインが残った。

 

ヤンはオーベルシュタインに告げた。

「オーベルシュタイン局長、君をミンツ総書記に近づけたのはやっぱり間違いだったかな」

 

「どうしてそう思うのです?」

 

「今回の彼のやり方は君のやり口に似ている。彼に、新連邦でも今までのやり方でよいと勘違いさせてしまったんじゃないかと思うんだよ。いや、君はあえて勘違いさせたんじゃないかという気もするな」

 

ミンツ総書記に何らかの大きな問題を強引な手段で解決させ、その手段を問題視することで彼に立場を失わせ、排除のきっかけとする。オーベルシュタインはそんな一挙両得を頭に描いていたのではないか。

 

オーベルシュタインに動揺はなかった。

「買い被りでしょうな。"正しい事をするのを、決して道徳観念に邪魔させてはならない"という古代の警句を彼に教えたことはありましたが、それをどう受け止めたかは彼自身の問題です」

 

ヤンはオーベルシュタインに対する監視を強めるようバグダッシュに伝えておこうと思った。

 

「しかし、ヤン長官」

オーベルシュタインが逆に呼びかけてきた。

 

「何だ?」

 

「失礼ながら、出禁のヤンと呼ばれたあなたが、他人に向かってよくもまあ説教などできたものです」

 

ヤンは黙りこんだ後、ただ一言だけを口にした。

「本当に失礼だな!」





科学革新同盟や技術面の話に関して活動報告で追記予定です


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7話 生命卿事件その4

6話と連続投稿です

最後の方若干の暴力描写ご注意




マルガレータは超光速通信で一通りの指示を出し終えた後、ユリアンを探した。

 

彼女はユリアンに一言謝りたかった。彼のことを信じられなくて申し訳なかった、と。

 

マルガレータは会議が続いていることを知り、それが終わるまで待つことにした。

 

「ヘルクスハイマー中佐」

佇んでいる彼女を見つけて、ユリアンは声をかけた。

 

「ミンツ総書記」

振り返ったマルガレータの瞳は揺らいでいた。

 

彼女はユリアンに頭を下げた。

「申し訳ありません。私はあなたを信じきれませんでした。あなたの話をきちんと聞くべきだったのにそれをしなかった。だから、申し訳ありません」

 

ユリアンは呆気にとられた。彼の方にこそ謝るべきことがあったのに。

「ヘルクスハイマー中佐、君は約束通りのことをしてくれた。僕はそれが嬉しかった」

 

マルガレータは顔を上げた。

間近に見たユリアンの顔は優しく微笑んでいた。

 

マルガレータの頰がわずかに赤くなったのにユリアンは気づかなかった。

「僕の方こそ君に謝らないといけないことがある」

ヤンは説明しておくと言っていたが、ユリアンは自分の口からマルガレータに説明したくなったのだ。

 

彼は先ほどの一件を丁寧に説明した。

マルガレータの顔は百面相のように変わった。

驚愕したり、深刻な顔になったり、ユリアンを睨んだり、考え込んだり。

「うーん。人類がゲノム改変を受けていた。実害はなかった。罰する法律もない。ミンツ総書記も反省している。だから、いいのか……?本当にいいのか……?」

 

自らのためにマルガレータが真剣に悩んでくれていることがユリアンには何より嬉しかった。だから彼は言った。

 

「マルガレータ」

 

唐突に名前を呼ばれて彼女は動揺した。

 

「な、何じゃ、何ですか?ユ、ユリアン」

 

「真銀河帝国の一件の時、僕は君にとてもえらそうなことを言った。そのことがずっと気になっていたんだ。今回の一件でも僕は自分の未熟さを思い知らされた。君にえらそうなことを言える立場ではなかった。だから、ごめん」

 

マルガレータは驚いた。ユリアンは気にしていてくれたのか、と。

「いや、別に気にしていません。大丈夫ですよ」

 

ユリアンは少し寂しげな表情になった。

「こういう時にまで別に僕に敬語なんて使わなくていいよ」

 

マルガレータは少し迷った。だが、確かに敬語では伝えられないこともあるように思えた。だから彼女は繰り返した。

「……わかった。大丈夫だ、ユリアン。気になんかしていない」

本当はとても気にしていたのだが、もはやどうでもよくなっていた。彼の名を呼ぶだけで彼女は幸せな気分になっていた。

 

ユリアンはそんなマルガレータに微笑みながら頼んだ。

「マルガレータ、僕は何をしでかすか、自分でもわからない。だから何かあったら止めて欲しい。今回のようなことがあれば、殺してでも止めて欲しい。トリューニヒトさんも、ヤン長官も、アッシュビー保安官も皆僕に優しすぎるんだ。だから、君にしか頼めない」

 

その言葉は、春の陽射しの中にあったマルガレータの心を凍てつく吹雪の中に立ち戻らせた。

 

ユリアンには残酷なことを頼んでいるという自覚がなかった。自らの価値をまったく信じていなかったから。

 

マルガレータはユリアンのことを思った。彼は心に怪物を飼っている。彼の善良な部分とは関係なく、いや、善良だからこそ、それはかえって暴れ回るのだ。誰かが彼のことを止めなければ、改めてそう思った。彼のためにも。

だが、彼を殺すことを思うと、心が張り裂けそうだった。

それでもマルガレータは答えた。

「前にも約束したじゃないか。任せてほしい」

 

ユリアンは嬉しそうに、それでいて寂しそうに微笑んだ。

「ありがとう」

 

マルガレータはここに来て自覚した。

正しいとか間違っているとか関係ない。悪人か善人かも関係ない。たとえ人として何かが狂っているのだとしても。

マルガレータはただユリアンという人間のことが好きなのだと。

 

だけど……

 

ユリアンは今回の一件で、とても気落ちしているようだった。マルガレータはできることなら彼を慰めてやりたかった。

 

しかしそれはマルガレータの役目ではない。彼女は月にいる三人娘のことを思った。ユリアンは彼女達には気を許していた。自分はユリアンのため、銀河のため、別の役目を果たさねばならない。だから、ユリアンの心を支えるのは彼女たちの役目なのだと思った。そう、自らに言い聞かせた。

 

……恋心はこのまま自分の中だけに隠して生きていこう。

 

「ユリアン。私はこの後、メテオールに乗ってディッケル少佐達と合流する。だけどその前に月に寄ってあなたを降ろすぐらいの時間はある。だから乗っていくといい。メテオールは銀河で2番目ぐらいには速いから」

 

「ありがたいけど、いいの?」

 

「ああ。たまにはあの三人娘の誰かに弱いところを見せて慰めてもらうといい。彼女達もその方が喜ぶだろう。頼るばかりでなく頼られたいと思っているだろうし」

 

ユリアンは少し考えてから返事をした。

「そうかもしれないね。それじゃあお願いするよ」

 

その返事に感じた痛みを努めて無視して、マルガレータは笑ってみせた。

「任せてくれ」

 

マルガレータにとって二度目の失恋は、はっきりとした自覚を伴って彼女に訪れたのだった。

 

 

 

 

 

 

ユリアンが月への帰路についた頃、月地下都市の奥深くで一人の男が、灰色のローブを着て仮面を着けた集団に追い詰められていた。

 

仮面の人物の一人が声を発した。それは仮面の機能なのか声を変えられていたが、明らかに女性の声だった。

「せっかくユリアン君が大任を与えていたのに、それを裏切るような真似をして。許されると思っているのですか?フェルデベルト課長?」

名を呼ばれた人物、地球財団の輸出課長フェルデベルトは怯えながらも反論した。

「な、何を言っているんだ!私は銀河保安機構に、銀河の平和のために協力したまでだ!」

 

「違うでしょう?あなたがユリアン君のことを陰で亜麻色の髪の孺子と呼んで、彼が重職を務めていることに不満を漏らしていたのは知っています。あなたは今回の件でユリアン君が不利な立場になればいいと思っていたようですね」

 

「そんなことはない!」

フェルデベルトは明らかに動揺していた。ごく限られた人間にしか漏らしていないことを何故こいつらは知っているのか?

 

「あなたはヘルクスハイマー中佐にユリアン君が生命卿であることだけを伝えた。あなたが聞いていた通り生命水がビタミンD入りの水であることを彼女に伝えていれば、話はもっと単純で済んだと思うのですが。ヘルクスハイマー中佐はショックで泣いていましたよ。可哀想に」

 

「言い忘れていただけだ!」

そこにいる誰の目にもその主張には無理があるように感じられた。

 

仮面の女性が溜息をついた。

「別に、あなたの言い訳が聞きたいわけではありません」

そして集団に合図をした。

仮面の集団はフェルデベルトを取り押さえた。

「何をする!?」

 

「ユリアン君は優しいからあなたみたいな人でも消えたら悲しむでしょうね。だから今日のところは警告です。腕一本もらいますね」

 

集団の数人がフェルデベルトの腕に力を込めた。

嫌な音とともに彼の腕が変な方向に曲がった。

「ぎゃあああ」

両腕とも。

 

「連携が悪くてごめんなさい。一本のつもりが二本になってしまいました。皆さん、離してあげてください」

 

フェルデベルトは失禁していた。

 

「いいですか?あなたが生きているのはユリアン君の優しさのおかげ。次にまたユリアン君の優しさを踏みにじるようなことがあれば、その時はわかりますね?……聞いてます?」

「ぎゃあ!」

折れた腕を蹴られたフェルデベルトは痛みで言葉を出せず、代わりに首を縦に何度も振った。

 

女性はその返事に満足したようだった。

「じゃあ、今日のところは帰っていいですよ。腕は、まあ、幽霊に驚いて階段から落ちたということにでもしておいてください」

 

フェルデベルトは逃げ去った。バランスを崩して何度か転けて、その度に悲鳴を上げながら。

 

仮面の集団も解散した。

 

仮面の代表と思しき女性が一人残った。

「地下は暑いですね」

そう呟きながら仮面を取り、ローブを脱いだ。

 

現れたのは銀河保安機構アウロラ・クリスチアン少佐だった。

 

「ユリアン君を遠くから見守る会」

一見唯のユリアンファンクラブであるこの組織は、所属者のうち、ごく一部の者しか知らない別の側面を持っていた。

ユリアン非公認の親衛隊である。

今回のように地球財団内のユリアンに対する不満分子をユリアン自身にも気づかれないまま排除していたのだ。

 

アウロラ・クリスチアン少佐は、かつて同盟において自らの養父がリーダーを務めていたトリューニヒトの親衛たる組織にその範を求めていた。

「守りたい人の平和は力によってのみ保たれる。その人のための武器となれ」

「その人が望まずとも、その人のためになると思えば迷わずやるべきだ」

彼女は7年も前からユリアンのファンだった。彼女はこの1年、ユリアンのために養父の言葉の通りに行動していた。無論ユリアン自身には知られていないし、知らせるつもりもなかった。

 

「私は遠くから見ているだけでいい。それでもこの私がユリアン君を守ります。必要であれば誰を排除してでも」

彼女は保安機構内でユリアンの敵となりうる者の名前を思い浮かべた。オーベルシュタイン中将、それに、あまり気は進まないがヘルクスハイマー中佐もだろうか。

 

そのための組織をつくったその女性は、薄く微笑みながら月の地下から歩き去っていった。

 



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8話 オリオン王ばんざい!

9/7 追加しました


宇宙暦803年10月 オリオン連邦帝国 首都星オーディン

 

この日、連邦帝国の行く末を決める選挙が行われた。

選王権を持つ宮廷貴族、領主、市長、惑星知事、元帥以上の軍人による選挙によってオリオン王が選ばれることになった。

 

当初の予定ではもう少し早く実施されるはずであったが、初めての試みであり準備に時間を要したのである。

 

十分な野心と巨大な才能を持ったシルヴァーベルヒが新銀河連邦に移った今、候補者として考えられる人物は実のところ限られていた。

帝国貴族筆頭のマリーンドルフ伯フランツ、首席元帥の称号を得た軍務尚書ウォルフガング・ミッターマイヤー、マリーンドルフ伯の娘であり、外務尚書として実績を積み重ねたヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの三人である。

当初は人望、実績によりマリーンドルフ伯フランツが有力視されていたが、彼は老齢を理由に引退を宣言していた。

これにより、候補者はミッターマイヤー元帥とヒルダの二人に絞られることになった。

 

平民出身の軍人のミッターマイヤーと、貴族とはいえ女性のヒルダ。

 

旧来の価値観から抜け出しきれない者にとっては、ある意味究極の選択であった。

 

本来はミッターマイヤーの優勢でもおかしくはなかったが、複数の理由でそうはならなかった。

 

一つはマリーンドルフ伯フランツの存在である。引退を表明したとはいえ、新帝国において貴族達をまとめ、国務尚書として皇帝を支えたマリーンドルフ伯の人望と影響力は未だに大きかった。神聖銀河帝国の策略とラングの暴走により一時立場を危うくしたが、それも伯の影響力の大きさ故のことである。

伯自身は選挙に対して何も見解を述べなかったが、選王権者達は伯がヒルダを後見として支える、必要であれば院政を敷くことになるだろうと考えたのだった。

もう一点、選王権者達の多くは今回の選王を、国家元首の選定とは考えず帝国宰相の選定程度に考えていた。

そうなれば、女性という点で確かに異例ではあるが未だ政治手腕が未知数のミッターマイヤーより、首席秘書官と外務尚書を務め、政治に関して実績の確かなヒルダの方が適任にも思えた。

この二点とも、選王権者達の勘違いや認識不足によるものではあったが、ヒルダは自らの目的のためにそれを利用したし、さらには陰ながらそれを促すことまでした。

さらには宮廷貴族と領主にとっては軍人かつ平民のミッターマイヤーより、貴族であるヒルダが上に立つ方が立場的に都合がよかった。

 

ミッターマイヤーは、周囲の声に推されて立候補することになったが、必ずしも積極的ではなかったし、彼自身の関心事はこの時、別のところにあった。

妻のエヴァンゼリンが妊娠していたのである。

ユリアンが地球アーカイブより復活させた不妊治療の成果であった。

 

結果、積極的に支持固めに動いたヒルダの優勢のまま選挙が行われ、ヒルダが初代オリオン王となった。

 

11月に入り、ジークフリード帝により、オリオン王の戴冠式が行われた。

ジークフリード帝の手により王冠を授けられた時、ヒルダもジークフリードも無言であり、それぞれどのような思いを抱いていたかは定かではない。

これ以降、皇帝の権限の大部分がオリオン王に移譲され、ヒルダによる統治が始まることになった。

 

戴冠後、ヒルダはミッターマイヤーと面会していた。

「今後ともご協力をお願いします」

そう言ってヒルダは微笑んだ。

その顔からは何やら威厳が感じられるようになったと思うのはミッターマイヤーの気のせいだろうか?

 

ミッターマイヤーは力強く答えた。

「勿論です。国王陛下」

 

ヒルダは悪戯っぽい笑みを見せた。

「早速ですけどお願いがあります」

 

「何でしょうか?」

 

「我が父はまもなく国務尚書を引退します。ミッターマイヤー元帥に国務尚書になって頂きたいのです」

 

ミッターマイヤーは驚いた。

「いや、しかし、私は軍人です」

 

ヒルダは笑みを深めた。

「元軍人ですね。できないとは言えませんよね。オリオン王に立候補されるぐらいなのですから」

 

ミッターマイヤーは思った。これは何らかの意趣返しなのだろうか?

 

ヒルダはミッターマイヤーも戸惑いを感じ取った。

「正直なところを言いましょう。オリオン連邦帝国は軍人の力によって興った国家。残念ながら、軍人の協力なしでは運営が難しいのが現状です。だから軍人出身の元帥を重用していると見せる必要があります」

「しかし、軍人の意に反する決定もなされることになるでしょう。そうなると私を動かして陛下に対する反対勢力を形成しようとする動きも出るのでは?」

「だからこそ元帥にお願いするのです。そのような時に私の側に立って頂くことを。ミッターマイヤー元帥の高潔な人柄は私も人々の知るところ。よもや簒奪などはお考えにならないでしょう?」

 

「それはそうですが……」

そうは言いつつもミッターマイヤーとしても徐々に納得しつつあった。仮にミッターマイヤーがオリオン王となったとしても今度は、貴族への押さえを欲しただろう。そうなった時にマリーンドルフ伯あるいはヒルダにその役を期待していたことは間違いない。

 

「貴族と軍人。文官と武官。貴族と平民。平民と元農奴。この国には様々な対立や矛盾が存在します。それにより国に混乱が生まれないようにしていかなければならない。

ジークフリード陛下はこの国のアウトラインをつくられました。私はその内側を整えたいと思っています。五年をかけて。

その成果がどうなったか。私はまたそこで選王を行いたいと思います。仮に私の統治に問題があった時は、ミッターマイヤー元帥に次のオリオン王になって頂いてもよいと思うのです。国務尚書として十分に経験を積まれたミッターマイヤー元帥に」

 

ミッターマイヤーは思った。ヒルダは先のことまで見据えているのだと。

「承知しました。陛下。そういうことであれば謹んで務めさせて頂きます」

 

「ありがとうございます」

 

オリオン連邦帝国にはこの後も困難が訪れたが、ヒルダはそれを乗り切り、後世の歴史家によって、

「オリオン連邦帝国を創ったのは皇帝ラインハルトとジークフリードであるが、それを育てたのはオリオン王ヒルデガルドである」

という言葉が生まれることになるのであった。

 

ヒルダは話題を変えた。

「ところで。元帥は、皇后陛下が妊娠されたことをご存知ですわね」

「ええ、存じております」

 

エヴァンゼリンの妊娠からそう変わらない時期にアンネローゼも妊娠していた。これも地球財団による技術復興の恩恵だった。今のところ箝口令が敷かれており、知っているのはわずかな者に留められていた。

 

事情を知るミッターマイヤーは、ヒルダの感情を慮ろうとしたが、その表情からそれを伺うのは難しかった。

 

「両陛下は今しばらくこのことを伏せられるそうです。この時期に私の統治に影響を与えないために」

皇帝に跡継ぎがいないことが選挙君主制導入の原動力の一つになっていた。今更元に戻す意志がジークフリード帝にないとはいえ、動揺する者が出るのは避けられないことであった。

 

ヒルダは僅かに笑みを見せた。

「両陛下らしいご賢明な判断だとは思いますが折角の吉事なのですから、両陛下のご意思も確認しつつ、お祝いの準備だけでも内々に進めておきたいですわね」

 



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9話 幻視

※この話の前に一話追加しました 9/7


宇宙暦803年7月

 

ある日の夜中、フレデリカはうなされていた。

とても怖い夢。

愛する人が殺される夢。

そのことに対して自分は何もできないでいる、そのような、悪夢。

 

「あなた!」

彼女は目を覚ました。

隣にはライアル・アッシュビーが寝ていた。愛すべき夫。

しかし、夢に出てきた「愛する人」は別の人だった。

「どうしてこんな夢を見るの?」

最近変な夢を見ることが多いように思う。

「ヤン・ウェンリー、ヤン提督……」

思わずその名がこぼれ落ちた。

フレデリカはライアルが眠っていてくれてよかったと思った。夢とはいえ、夫への背信行為に思えたから。

 

 

 

 

ヤン・ウェンリーもうなされていた。

自らが死に行く夢を見て。

体から血とともに生命が失われていく。その中でもヤンは謝っていた。

「ごめん、フレデリカ。ごめん、ユリアン。ごめん」

無彩色の井戸を落下していく意識の隅で、懐かしい声が彼を呼んでいた。

 

「あなた、あなた」

覚醒するとそこはベッドの上で、隣で寝ていた女性に体を揺すられていた。

「あなた、うなされていたようですけど、大丈夫ですか?」

表情は見えない。

 

「ああ、大丈夫だよ。フレデリカ……ん?」

ヤンが違和感を感じてよくよく見ると、そこには目に大粒の涙を溜めたローザがいた。

 

「ついに……ついに……この日が来てしまいました。せっかく連合からやって来て久しぶりに閨を共にしたというのに、夫の口から出て来たのは他の女の名前。しかも人妻。いつかこのようなことがあるだろうと覚悟はしていましたが、やっぱり私ではあなたを引き留めておくことなどできないんですね……。いいんですよ私は。あなたが幸せであれば」

 

「誤解だよ!私は君一筋だ!」

 

さめざめと泣くローザを落ち着かせるため、ヤンはその日の勤務に遅刻する羽目になった。

 

 

 

 

マシュンゴは時々妙な白昼夢を見る。内容は決まって同じだった。

 

彼はどこかの星の上で、仰向けになって天を見上げていた。

周囲は暗く、かすかに存在する大気は凍てついていた。天上には何条もの炎が、あるいは炎に見える何かが荒れ狂っていた。彼が背を預ける地面は、止まぬ震動によるものか、無数のひび割れを生じていた。

 

彼は何者かと戦いながらここまで辿り着き、墜落直前の単座式恒星間宇宙艇から身を投げ出した。地面に激突したも同然の着地は、彼の体に深刻なダメージを与えていた。

重装甲服を着ていなければとうに死んでいただろう。とはいえ、もはや長くは保たない。

 

彼はここが自分の終着点、そして人類にとっても運命の日なのだと確信していた。

 

倒れている彼の左手側には、大きなピラミッド様の建物があった。理由は思い出せないが、彼はそこを目指していたはずだった。

その中から誰かが姿を現した。この酷寒の中を宇宙服も着ないで。男か女かはわからない。しかし、長い髪を凍てつく吹雪の中にたなびかせていた。

やがて。

その誰かは、仰向けに倒れる彼の頭上に立ち止まり、覗き込むようにして声をかけてきた。頭に直接響くような不思議な声。

「人類は滅びる運命にある。それでもあなたはまだ抗うというの?」

自分が何と応じたかは覚えていない。

ただ、その問いを発した誰かが美しい亜麻色の髪をしていたことだけは覚えていた。

 

「マシュンゴ少尉?」

名前を呼ばれ、意識は現実に立ち戻った。

 

ユリアンが、急に反応のなくなった彼を心配して覗き込んでいた。

亜麻色の髪。

 

彼なのだろうか?彼が人類に滅びをもたらすのだろうか?

マシュンゴは思わず尋ねた。

「ミンツ総書記に、お姉さんか妹さんはいましたか?」

 

ユリアンは目を瞬いた。

「まるでポプランさんみたいなことを訊いてくるね。いないよ」

それから少し遠い目になった。

「いたらきっと、こんなところでこんなことはしていないよ」

 

マシュンゴは考えもせずに発した問いを悔やんだが、あとの祭りだった。

彼はついでとばかりにもう一つユリアンに問いかけた。

「人類は運命に逆らえると思いますか?」

 

ユリアンは意外に思わざるを得なかった。

「逆らえないというのがマシュンゴ少尉の持論ではなかったの?」

 

「それはそうなのですが」

いつか来る滅びのイメージが彼の頭からは離れなかった。それが彼の考え方を常に諦観の漂うものにしていたのだ。それが、自らのただの妄想だとは思えなかった。

 

「逆らえると思うよ」

「え?」

訊き返したマシュンゴに、ユリアンは笑顔を見せて繰り返した。

「逆らえると思うよ。仮に、時の女神がいたとしても、人の意志の存在は無視できない。運命なんて決まっていないし、未来が決まっているだなんて思わない」

 

マシュンゴはユリアンの答えに少し安堵した。

彼ではないのかもしれない。

 

 

だが、同時に思ってしまった。

未来は本当に決まっていないのか?

あれが未来の情景であれば、ここは過去ということになる。未来が既に確定した現実であるとするならば、果たして過去は変えられるものなのだろうか?



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10話 時空交差のロストワールド/過去へのささやかな旅

ここからが、続編を構想する原因となった話になります。

※9/7 新しく8話を追加しました


宇宙暦804年1月1日 アルタイル 銀河保安機構本部

 

宇宙暦は804年を迎えた。

人々は新年の挨拶の言葉を交わした。

「新年おめでとう!」

「あたらしい年に乾杯」

「旧い年に別れを」

「今年も連邦による平和を!」

最後の台詞は、この一、二年で新しく使われるようになった新年の挨拶である。

銀河中の人々の平和への願いが込められていた。

 

新年を迎えたこの日、銀河保安機構本部付属のバー「騾馬(ミュール)」で中佐に昇進したクリストフ・ディッケルはサキ・イセカワ少佐と飲んでいた。

 

「乾杯!」「乾杯(プロージット)!」

周囲では帝国と同盟、それぞれの公用語で乾杯の言葉が交わされていた。

 

「マルガレータ、最近元気がない気がするんだけど、どうしたんだろうな?サキ、何か聞いてないか」

「そういうところには気がつくのね。さあ、知らないわ」

まあ予想はつくけど、とサキは思った。

 

悩むディッケルを見て少し苛立たしく思えてきた。

「私なんかに訊かないで本人に直接訊いたらいいでしょ」

「それができないから君に訊いているんじゃないか」

 

サキは溜息をついた。

「そんな甲斐性なしだから、ディッケル君は駄目なの。それじゃあマルガレータのことは無理よ」

 

ディッケルは焦った。

「いや、マルガレータのことは別に。トリューニヒト先生が彼女とは仲良くしておけというから」

「同じように先生から言われていたユリアンには喧嘩を売っておきながら何を言っているんだか」

「あれはあのユリアンに問題がある」

サキとしては溜息をつかざるを得ない。

 

「でも超光速通信でユリアンとよく話をしていると噂になっているわよ。何を話しているの?」

「話をしているんじゃない。三次元チェスで勝負しているんだ」

「三次元チェス?」

「あいつが三次元チェスが強いっていうから試してやったんだ」

「結果は?」

「……三勝七敗」

「……負け越してるじゃない。いや、むしろあのユリアン相手に健闘しているというべきか」

ディッケルは、思い出して怒りに震えた。

「あいつ笑顔で、「思っていたよりは強いですね」とか抜かしやがった。許せん。こうなったら勝ち越すまでやってやる」

「子供みたい……」

 

注文したボトルワインが運ばれてきて、しばらく沈黙が落ちた。

「それにしてもあなたって、根っからの共和主義者なのに伯爵令嬢と仲良くなりたいの?」

「マルガレータが伯爵令嬢なのは彼女のせいじゃないからな」

語るに落ちた、とサキは思った。

「やっぱり仲良くなりたいんじゃない。それなら私なんかと飲んでないでデートの一つや二つ誘ってみなよ」

「うぅ」

「ほら、やっぱり甲斐性なし」

「そんなに言うなら君はどうなんだよ?」

急に話の矛先が自分に向いたのでサキは動揺した。

「私?」

「あのユリアンのこと、気に入っているんじゃないのか?」

「あー。ユリアン」

「何だその反応は?」

「まあ、あの可愛い顔にも、危なっかしい性格にも保護欲を誘われるんだけど……」

「何だよ」

「競争率が」

「あいつ、そんなに人気なのか?」

「ディッケル君、知らないんだ。ゴールデンバウムの皇女達に、その侍女に……ユリアン君を遠くから見守る会の面々。ちょっと引いてしまうわ」

「見守る会なんてものがあるのか。じゃあマルガレータもそのうち諦めるか。というか、それが元気のない理由なのかな?」

「……ディッケル君、気づいていたんだ」

「まあ、生命卿事件の時も必死だったから流石になあ」

「本人は隠せているつもりだから、黙っていていてあげて」

「わかっているよ。デート云々はともかく、今度僕ら二人で飲みに誘って元気付けてやろう」

「ディッケル君、時々優しいよね」

 

珍しくサキに褒められたディッケルだったが、この時彼の視線はワインボトルの一箇所に集中していた。

顔が赤くなり、わなわなと震えだした。

 

「どうしたの!?」

ディッケルの急変にサキは驚いた。

 

心配する彼女を尻目にディッケルは叫んだ。

 

「マァスター!!」

 

何事かと周囲の視線が集まった。

初老のマスターが、ディッケルの方を向いて尋ねた。

「これはディッケル中佐、どうされましたか?」

 

ディッケルはカウンターに駆け寄り、マスターにワインボトルを突き付けた。

「これは何だ?」

「何と言われましてもご注文されました帝国産の白ワインです。お口に合いませんでしたか?」

「白ワインは好きだ。そうじゃなくてここをよく見ろ!俺を馬鹿にしているのか!」

ディッケルはボトルのラベルの製造年を指し示した。

「帝国歴490年。別に悪い品では……帝国歴490年?」

マスターの様子にディッケルも冷静になった。

「わざとではないんだな。大声を出して申し訳なかった。しかし、旧帝国暦は488年で終わっているというのにタチの悪い冗談だ。てっきり共和主義者の俺への嫌がらせかと思った」

 

マスターは他のワインも確認してみた。

「帝国暦489年表記や490年表記のものが他にもありました。どういうことでしょうか?古いラベルを使い回しているのか……」

 

ひとまずこの場は収まった。

しかし、同様に存在しない旧帝国暦表記のラベルを持つワインやビールが見つかる事例が銀河中で続発したのだった。

各製造メーカーに対して非難の声が浴びせられたが、製造メーカーはそんなものは製造していない、原因はわからないとの立場を崩さなかった。

 

さらに不可解な出来事があった。

自由惑星同盟首都星ハイネセンにあるホテル・ユーフォニアの前に「銀河帝国新領土旧総督府」なる石碑が出現したのだ。

 

ここまで来ると悪質な嫌がらせのレベルを超えて、一種のテロである。

だが、何者がこれを実行したのか。

ビルの防犯カメラにも犯人は映っておらず、不明のままだった。

 

神聖銀河帝国の残党の活動が一番に疑われたが、彼らにしてもこのようなただの嫌がらせのような真似をするものなのかという疑問が残った。

 

 

大して実害はない。

世間はそう考えて、多忙な日々の中、他のことに興味を向け、忘れ去ろうとした。

 

しかし、事態を深刻に考える者達がいた。

 

宇宙暦804年4月 アルタイル 銀河保安機構本部

保安機構長官ヤン、長官補佐兼情報局長オーベルシュタイン、技術局長リンクス、統合本部長キャゼルヌ、宇宙艦隊司令長官ミュラー、副司令長官シェーンコップ、地方警備隊本部長ケスラー、首席保安官アッシュビー。

保安機構の上層部が一堂に会していた。

 

これに加えてアッシュビーの副官フレデリカ、地球財団総書記兼高等参事官ユリアン・フォン・ミンツ、さらには、新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトと、秘書官のリリー・シンプソンがそこにいた。

リリー・シンプソンは、トリューニヒト・フォーの一人で、薄茶色の長い髪と暗緑色の瞳を持つ、容姿に恵まれた女性である。本人自身も政治家として栄達を望むこともできた筈だったが、彼女はトリューニヒトに心酔しており、トリューニヒトが主席である限りは彼を支えることを明言していた。トリューニヒトの愛人という噂なり陰口なりもあったが、本人は否定も肯定もしていない。

ユリアンに対しては「トリューニヒトの信じるユリアンを信じる」という立場で、それ以上あるいはそれ以下の感情を表に出すことはなかった。

 

ヤンは挨拶もそこそこにオーベルシュタインに説明を促した。

 

「卿らもご存知の通り、昨今不思議な事件が昨今立て続けに起こっている。帝国暦490年製と書かれたワインボトルが各所で見つかったのを皮切りに、同盟の最高評議会ビルの前に石碑が出現したり、まだ公にはなっていないがフェザーンでも同様のことが起きるなど、銀河中でいくつか不可解なことが起きている。タチの悪い組織的悪戯、あるいは神聖銀河帝国や懐古主義者によるテロと見る向きもあったが、事態はさらに深刻なようだ」

 

皆、そのために集められていた。

ただの悪戯やテロであれば、保安機構のほぼ全員や新銀河連邦の主席まで集められることなどなかっただろう。

 

「オリオン帝国のゼーフェルト博士によると、編纂したゴールデンバウム王朝全史の記述の中に、妙な内容が現れたということです。その変化も完全ではないので断片的なのですが。特にこの五十年ほどに関して我々が憶えているのとは違う歴史の記載が混入していた」

 

ライアル・アッシュビーが尋ねた。

「どういう歴史だ?」

 

「どうやらブルース・アッシュビーによる帝国領侵攻がなかった歴史があるようなのです。その歴史では第二次ティアマト会戦前後から、帝国領侵攻までのどこかでアッシュビーが死んでいるらしい。結果として独立諸侯連合は成立せず、銀河のパワーバランスは帝国の若干の優位で推移することになった」

 

皆がライアル・アッシュビーを見た。

彼は冷静だった。

「その歴史では俺など生まれることはないのだろうな」

 

「おそらくは。そしてこの世界はその歴史のあった世界に徐々に置き換えられつつあります。このままだとあなたは消えるでしょうな」

オーベルシュタインは躊躇なくそう答えて続けた。

「先日情報局にとある人物が出頭してきました。

男の名はメッゲンドルファー、神聖銀河帝国の科学技術総監を務めた男です」

 

その名をここにいる者は皆知っていた。

ブラックホールを用いた凶悪な天体兵器を生み出し、連合と新帝国を苦しめた男。

 

アッシュビーが尋ねた。

「彼はヴェガ星域で自爆同然の攻撃を行なって死んだのではなかったのか?」

 

「彼が最後に放った攻撃には安全域があった。彼はそこに潜んで生き延び、ヴェガ星域から脱出していたのです」

 

オーベルシュタインの説明は続いた。

 

メッゲンドルファーが主張するには、彼は神聖銀河帝国の残党に脅されて、彼らの用意したブラックボックス、時間遡行のための機構を利用する形でタイムマシンをつくったというのである。残党達はそれに乗り込み宇宙歴745年に遡った。さらに、乗り込んだメンバーの中にはアッシュビークローンとデグスビイ主教がいたというのだ。

 

「彼らは歴史を根本から変えるつもりなのか?」

 

「メッゲンドルファーの説明は曖昧ですが、起きていることを考えればおそらくはそうなのでしょう」

 

ミュラーは到底信じられぬと言いたげにかぶりを振った。

「そもそもが航時機(タイムマシン)などというものが存在可能なのか?それに歴史改変もだ」

 

「きっとこの世界では可能なのでしょう。ミュラー提督、旧帝国におけるエルウィン・ヨーゼフ2世の二代前の皇帝は誰か?」

 

なぜそのようなことを訊くのか訝しがりつつもミュラーは答えた。

「決まっている。ルードヴィヒ3世だ」

 

「では、ゴールデンバウム王朝フリードリヒ4世の前の皇帝は?」

 

「オトフリート……いや、おかしいな」

同じ皇帝のはずなのに別の名前が頭に浮かんだのだ。

 

悩むミュラーを見ながら、オーベルシュタインは告げた。

「時々そのようなことがある。記録としてはオトフリート5世のはずだ。それなのに記憶では別の皇帝の名が頭に浮かぶのだ。このような例は他にもあった。ゼーフェルト博士が史書編纂で密かに頭を抱えていた点だ。この世界自体が元々既に歴史改変後の世界なのかもしれない」

 

シェーンコップが愕然として呟いた。

「そうか。そういうことだったのか。娘の母親の名前が妙に曖昧で俺が思い出せなかったのも過去改変の影響だったのか」

 

それはきっと違う、と誰もが心の中で呟いた。

 

オーベルシュタインが咳払いをして話を戻した。

「ともかく、航時機(タイムマシン)は実際に存在します。メッゲンドルファーは予備機の航時機(タイムマシン)をつくっていました。技術局はそれを使って時を越えることが可能であることを確認したのです」

 

「ゴールデンバウム王朝全史の記述を見るに、歴史は今も少しずつ塗り替えられていっているようです。もはや猶予はない。我々は今はどうにか記憶を保っているが、これすらも危ういのではないかと思います。私は最近夢を見るのです。自らの死の瞬間の。私はその世界でローエングラム帝の臣下になり、その覇道を手伝っていた。そして、彼と、おそらくは同じ日に死んだ。卿らの中にも同様に妙な夢に覚えがある者がいるのではありませんか?」

 

ヤンは思わずフレデリカを見た。フレデリカもヤンを見ていた。その一瞬でお互いに悟ってしまった。

 

話は二人の視線の交錯など気にせず進んでいた。

 

「我々は歴史改変を阻止しなければなりません。私が見た夢に従えばそちらの世界でもゴールデンバウム王朝は最終的に滅んでいるようですが、神聖銀河帝国残党はそれすらも変えようとしているかもしれないのだから。卿らはどう思われる?この世界を変えたいと思いますか?」

 

この世界は無論理想郷ではない。しかし曲がりなりにも皆の努力で平和になった世界だ。その中でそれぞれがそれぞれの人生を生きてきた。多くの者はそう考え、改変を受けたいなどとは思わなかった。

 

トリューニヒトがユリアンに尋ねた。

「君はどう思う?過去に戻れるなら変えたいこともあるんじゃないのか?」

ユリアンは思った。変えたいこと。シンシアさんのことも助けられたのではないのか。祖母はともかく父とはもう少しうまくやれたのではないか。あるいは母親が生きていたら……。

だが、ユリアンはかぶりをふった。

「皆が変えたいと思っていることを実施すれば際限なく過去が変化して結局確定しなくなります。それはやはり避ける必要があるでしょうね。それに別の世界ではトリューニヒトさんに会えなかったかもしれない。それは嫌です」

トリューニヒトは笑顔になった。

「そうか。うん、私もそれは嫌だね」

 

夢でフレデリカと並んでユリアンの名前を呼んでいたヤンとしてはそれを見て複雑な思いを抱かざるを得なかったが。

 

ライアル・アッシュビーも言った。

「俺もミンツ総書記と同じ気持ちだ。俺がこの世にいてもいいのかどうかなんて知らないが、この世界をなかったことにしたいとは思わない」

 

オーベルシュタインはその義眼で部屋を見渡した。

「結論は出たようで。それなら、誰かが航時機(タイムマシン)に乗って過去改変を阻止する必要があります。メッゲンドルファーによると必要なエネルギーの関係で、一回しか長期の時間遡行はできないのですが」

 

ライアル・アッシュビーが首をひねった。

「何故だ?それに、航時機(タイムマシン)の複製はできないのか?」

「タイムマシンの主要部にしてエネルギーの蓄積部でもあるブラックボックスは、メッゲンドルファーにも解析できなかったようです。解析しようとして一基壊してしまったとか。保安機構の技術局でも無理でした。残党のメンバーはそれをモーハウプト機関と呼んでいたようなのですが」

そう答えながらオーベルシュタインがユリアンを見た。

「先に問い合わせをもらっていましたが、地球アーカイブにも航時機(タイムマシン)あるいはモーハウプト機関に関する情報はありませんでした。そのような名前を持つ物理学者は過去にはいたようなのですが、研究所の事故で学生、研究員と共に死んだという情報があるだけで、関係があるかどうかまではわかりません」

 

オーベルシュタインが改めて尋ねた。

「それで誰が行きますか」

 

「私が行く」「俺が行く」

ヤンとアッシュビーが同時に答えた。

 

ミュラーが慌てた。

「二人は保安機構の要、同時に抜けられるのはさすがに困ります。お二人とも帰ってこなかったとしたら……」

 

アッシュビーは頑然として言った。

「アッシュビークローンの始末は俺がつける。それに俺は、エンダースクールでブルースアッシュビーを追体験するという名目で、いろいろと記憶の刷り込みを受けている。この中では誰よりも俺があの時代に詳しいだろう。俺が行くべきだ」

ヤンも主張した。

「私だって歴史学者志望だったから五十年前の同盟にはそれなりに詳しいよ。というかこんな機会、歴史学者志望の人間が逃せるわけないだろう。オーベルシュタイン局長は勝手にゼーフェルト博士と仲良くなっているし……」

 

皆呆気にとられた。ミュラーが言葉を選びつつも指摘した。

「アッシュビー提督はともかく、ヤン長官のお答えは、その、お立場を考えたものとはとても……」

「自らの立場をしっかりと自覚されるべきでしょうな」

オーベルシュタインは容赦がなかった。

 

なら辞表を提出してでも行ってやる!

そう言いかけたヤンだったが。

 

「いいんじゃないか?どうせ失敗したら我々の歴史は消えてしまうのだし。そういう考えでいけば臨機応変に対応できるメンバーがいいだろう。私としてはユリアン君にもぜひお願いしたいね。お目付役でヘルクスハイマー中佐もどうかな」

そう口を挟んだのはトリューニヒトだった。

 

トリューニヒトの発言を皆が意外に感じる間も無く、ヤンがすかさず言った。

「決まりだ。主席の許可が出た。もう、文句はないだろう」

 

「それなら私も行っていいですかな。貴重な戦力になるとおもいますが」

シェーンコップが不敵な笑みを見せながら手を挙げていた。

 

だが、ヤンは自らを棚に上げて否定した。

「君とポプランだけは何があってもダメだ」

 

シェーンコップは本気で驚いているようだった。

「ポプランと一緒にされるとは。どうしてです?」

「君達が行くと絶対に歴史を変えてしまうだろうから」

「そんな馬鹿な」

「君、現代に戻ってきたら一個中隊から「あなたのひ孫よ、ひいお祖父ちゃん」とか言われるようになっているんじゃないか。駄目だ駄目だ」

「それも面白かったのですがね……」

シェーンコップは不敵な笑みを浮かべつつも引き下がった。

 

メンバーは結局、

ヤン・ウェンリー、ライアル・アッシュビー、フレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー、ユリアン・フォン・ミンツ、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの五人となった。

 

バーラト星系まで五人は秘密裏に移動した。

保安機構ハイネセン支部では技術局員監視のもとでメッゲンドルファーによる航時機(タイムマシン)の最終調整が行われていた。

 

中に乗り込んだアッシュビーはその手に仮面を持っていた。

ユリアンが尋ねた。

「なんですか?そのマスク?」

 

ヤンが拒否反応を示した。

「憂国騎士団のマスクじゃないか!」

 

アッシュビーも複雑な表情をしていた。

「トリューニヒト氏が、顔を隠すのに持って行けと言って渡してきたんだ。一体何を考えているんだ……」

ヤンは心底嫌そうな顔をした。

「それを被るのかい?あっちでは別行動をしてもらっていいかい?」

アッシュビーは憤然として否定した。

「やめてくれ。サングラスとカツラでなんとかごまかすさ」

 

それから。

 

「いってらっしゃーい」

メッゲンドルファーの気の抜けた声に見送られながら、彼ら5人は過去へと旅立った。




※タイムマシンと「モーハウプト」に関して活動報告に少し書きました。

私も歴史改変、もとい、投稿話の再編集を行ってしまいました。
具体的には「幽霊騒ぎ」の話を少し修正(ポプランが登場)、生命卿事件の発生時期をずらしました。


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11話 相似存在のロストワールド/遭遇

宇宙暦???年 自由惑星同盟 惑星ハイネセン

 

惑星ハイネセンの、軍用地に程近い、とある山奥の洞窟の前に航時機は出現した。

ヤン・ウェンリー達一行は航時機をその洞窟の中に隠した後、山から街にまで続く道に出た。

紅葉が美しくハイネセンの山々を染めていた。季節は紛れもなく秋であった。

 

道を歩きながらアッシュビーがユリアンに話しかけた。

「航時機の電子暦(エレク・カレンダー)は宇宙暦745年10月を指し示していたが、ここが本当に745年なのかどうかはよくわからんな」

 

ユリアンは答えた。

「同じ空間にもう一台の航時機があるのは確かなようですが」

 

航時機のレーダーは、別の航時機の存在を検出していた。おそらくは神聖銀河帝国残党のものなのだろう。とはいえ、場所まではわからない。

 

「それが正しいとしてもここが745年であることを保証するものではないだろう。まあ、誰かに訊いてみるしかないか」

 

「通常の散策ルートからは外れていますが、紅葉を見に誰かが通りかかるかもしれませんね」

 

その推測は現実のものとなった。

マルガレータが最初に見つけた。

「人がこちらに向かって歩いて来ます!」

マルガレータの声に反応して、アッシュビーはサングラスをかけた。カツラは最初から被っている。

 

彼我の距離は徐々に近づいた。

フレデリカが呟いた。

「姿勢がいいですね。私服ですが軍人かもしれません」

 

そのうちに顔が視認できる距離となった。

その顔は、皆が知っている人物のものだった。

「そんなまさか」

「タイムワープに失敗したのか?」

 

ヤンは思わずその名前を呼んだ。

「アッテンボロー!なんでこんなところにいるんだ!?」

その人物は、ヤンの後輩、アッテンボローと同じ顔をしていた。

アッテンボローはヤンと共に銀河保安機構に所属し、中将として艦隊の司令官を務めているはずだった。

そのアッテンボローが山道を歩いているなど、予想外もいいところだった。

 

声をかけられた方は当惑していた。

「アッテンボロー?誰ですか、それは?私はバクスターだが」

 

ヤンも当惑した。アッテンボローは私を揶揄っているのだろうか。

「何を言っているんだ。君は私の後輩で中将で自称独身主義のダスティ・アッテンボローだろう。気でも違ったのか?それとも私の知らない間に婿養子にでも入ったのか?……アッテンボロー、少し見ない間になんだか私より老けていないか?」

 

バクスターと名乗った男はヤンの言い草に半ば怒り半ば混乱した。

「どうしてファーストネームの方を知っているんだ?確かに私はダスティだが、ダスティ・バクスターだ。それに中将ではなくて大佐で、独身でもない!」

 

ヤンは尻尾を掴んだと思った。

「ほら、ダスティだなんてやっぱりアッテンボローじゃないか。中佐、君から見ても彼はアッテンボローだろう?」

 

「長官!」

マルガレータが短く警告を発し、小声で耳打ちした。

「違います。同じ顔だからといって本人とは限りません」

ヤンはある可能性に思い至った。

「まさかアッテンボロークロー」「長官!」

マルガレータが慌ててさらに耳打ちした。

「アッテンボロー提督は軍人だったお祖父さんの生まれ変わりだとお父さんが信じているという話、聞いたことありませんか?」

 

……ヤンは自分が大変な失敗をしでかしたことをようやく理解した。彼はきっとアッテンボローのお祖父さん、「ダスティじいさん」なのだ。

 

「長官?中佐?軍人なのか?それにしてはうだつの上がらない学者みたいな風貌だな……」

ダスティ・バクスター氏は彼らに疑念を抱き始めているようだった。

 

収拾がつかなくなったのを見て、ライアル・アッシュビーが溜息をつきながらカツラとサングラスを外した。

 

バクスター大佐の様子が急変した。

「ア、ア、アッシュビー閣下!なぜこんなところに!」

 

「悪いが、極秘事項なんだ。わかるな」

 

「はっ!失礼しました!」

バクスター大佐は直立不動で敬礼をした。

 

「通っていいか」

 

「どうぞ!」

 

バクスター大佐は、アッシュビーの姿が見えなくなるまで敬礼を続けた。

 

後に、バクスター大佐はこの日のことを思い出すことになる。

アッテンボローを名乗るいけ好かない軍人でもない男が、娘を嫁にくれと言ってきた時に。

自らとよく似た顔でアッテンボローという姓を持った男が中将までなったという話を。

 

 

バクスター大佐の姿が見えなくなった頃、ライアル・アッシュビーが口を開いた。

「これで採るべき行動が一つに決まってしまったな」

 

ユリアンが尋ねた。

「一つとは何でしょうか?」

 

「宇宙艦隊司令部を訪問するんだ。あのバクスターという大佐、いずれ妙な関心を抱いて当日のブルース・アッシュビーの行動を調べるかもしれん。そうなると顔を見られているだけに厄介だ。ここは先手を打つべきだろう」

ヤンは困惑した。

「どういうことだい?」

 

「ブルース・アッシュビー自身に我々の目的を説明して協力願うのさ」

 

ヤンは半信半疑だった。

「信じてくれるのかな?」

 

「俺なら信じる。ならばブルース・アッシュビーも信じると俺は信じる。駄目か?」

 

ヤンは少し悩んだ挙句、決めた。

「わかった。ライアル・アッシュビー保安官の直感を信じよう」

 

ユリアンが疑問を投げかけた。

「しかし、どうやって入り込むんです。司令長官への取次など簡単にはしてもらえないでしょう?怪しまれて捕まるのがおちです」

 

「簡単だ」

ライアル・アッシュビーはニヤリと笑った。

「堂々と入り込むんだ」

 

 

ライアル達は星都ハイネセンポリスに到着して宿を取った。

男三人と女二人の二部屋である。

夕食後、ライアルは部屋で携帯端末を操作した。それは外観こそ宇宙暦745年当時のものに偽装されていたが、宇宙暦804年から持ってきたもので、同盟から提供された当時の様々な情報が保存されていた。

「運がいい。同盟軍の公式記録によると、明日の午前、ブルース・アッシュビーは有給を取っている。午前中に司令部に入り込み、彼を待ち受けよう」

 

 

翌日の宇宙暦745年10月4日、ライアル・アッシュビーは、ユリアンとマルガレータを宿に待機させ、フレデリカ、ヤンと宇宙艦隊司令部に向かった。

 

ライアルは最後に言い置いた。

「若い男女二人になるが、羽目を外し過ぎて宿から叩き出されるなよ」

「「外しません!」」

二人の声が重なった。

 

 

二人きりになってユリアンがまず口を開いた。

「マルガレータ、デグスビイ主教のことなんだけど」

「デグスビイ……アッシュビークローンと共にこの時代に来た神聖銀河帝国残党の男のことだな」

「うん。僕は彼と因縁がある。彼と会ったら僕は多分冷静でいられない。だから、僕が暴走したら止めて欲しいんだ」

デグスビイはユリアンにとって、シンシア・クリスティーンの仇のようなものだった。ユリアンは神聖銀河帝国滅亡時にデグスビイを殺すことができなかった。しかしそれを後悔してはいない。彼女が復讐を望んでいたかというと疑問だったから。

それでもなおユリアンはデグスビイを憎悪していた。

ユリアンは、自分が常に特定の対象を憎悪することで精神の均衡を保っている自覚があった。かつてはヤン・ウェンリーを。そして今はデグスビイを。

デグスビイを殺した時、その憎悪は消える訳ではなく、別の対象に向かうのではないか。憎悪を身近な人に向けてしまうのではないか。ユリアンはそれがとても怖かった。

 

マルガレータはユリアンとデグスビイの間に何があったかは詳しく知らない。しかし、ユリアンが自らの中にいる怪物の暴走を恐れているのはよくわかった。

「任せてほしい。私はそのために来たようなものだから」

「ありがとう」

 

マルガレータはいまだに思う。同盟の人間でもない自分がこの旅に参加して本当によかったのだろうかと。

ヤン長官に尋ねると「話の成り行き」だとあっさり言われてしまった。ユリアンが参加することになり、彼一人だと何をしでかすかわからないから、お目付役で自分が選ばれた。そういうことらしい。

……もっとも、ヤンの現副官のスールズカリッター中佐によると、自分は生活不能者であるヤンのお目付役でもあるそうなのだが。マルガレータが副官から転属した後、ヤンの官舎と長官室は酷い惨状となったそうだ。今はスールズカリッター中佐が当番兵を決めて毎日部屋の整理整頓をさせているらしい。

 

マルガレータとしては、任務として二人の世話をきっちりとこなすつもりだった。

それにユリアンとは約束があった。自分が彼にしてやれることは、それだけだとも思っていた。

 

「……どうかな?」

 

物思いに耽っていたせいでマルガレータは話しかけられたことにすぐには気づけなかった。

 

「え、あ、何だ?ユリアン?」

 

「ハイネセンをどう思ったかなと思って」

 

「ハイネセン?」

 

「君は、帝国と連合のことは知っているけど、同盟には来たことがなかっただろう?宇宙暦804年ではハイネセンに着いてすぐにこの旅に出発してしまったし。だから一日ハイネセンを歩いてみてどう思ったかなって」

 

マルガレータにはまだユリアンの意図がわからなかった。

「どうしてそんなことを訊くんだ?」

 

ユリアンは照れくさそうに笑った。

「それは、ほら。僕にとっては故郷だから」

 

マルガレータはそのことを失念していた。そうか、ここはユリアンの故郷だったか。

「いいところだな。うん。いいところだ。人々には活気があるし、都市も綺麗で機能的に整備されている。山々も生命が溢れていたし、それでいて都市の緑化も十分だ」

……論評のようになってしまったので、マルガレータは言い直した。

「自由惑星同盟の人々が、ユリアン達がこの惑星を誇れる場所にしようと努力を続けてきたのがわかる」

 

ユリアンは笑顔を見せた。

「だろう?僕はこの自分が生まれ育ったハイネセンが大好きなんだ。仮に同盟が滅びたとしてもこのハイネセンだけは残って欲しいかな」

そこまで話して少し笑顔が翳った。

「いや、僕はもう同盟の人間ではないし、裏切り者みたいなものなんだけど」

 

気にすることではないとマルガレータは思った。

「いいじゃないか。どこにいたって故郷は故郷だ。私だって帝国の旧ヘルクスハイマー領のことは今でも美しい思い出として残っている。いくらでも大切に思うべきだ」

 

それを聞いてユリアンに笑顔が戻った。

「そうか、君もそうだったね。いつか君の故郷も案内してほしいな」

 

マルガレータはその一言に胸が高鳴らせてしまった。だが、ユリアンの言葉には深い意味はないのだと自分に言い聞かせ、ユリアンをジトッとした目で見た。

「ユリアン、私の故郷なんかよりも、カーテローゼの故郷や、エリザベートとサビーネの旧領に行ってやれ。それが先だろう」

 

言ってみてからマルガレータの中で苦しさが増した。彼女は自分の部屋に戻ることにした。

マルガレータは振り返らなかった。自分の今の顔をユリアンに見られたくなかったから。だが、そのことはユリアンの表情を確認することができないということでもあった。

 

 

 

宇宙暦745年10月4日10時 自由惑星同盟軍宇宙艦隊司令部

 

ライアル・アッシュビー、フレデリカ、ヤンの三人は連れ立って宇宙艦隊司令部に入った。

衛兵達も、将官達もライアル・アッシュビーを見て敬礼をした。

皆、彼のことを本物のブルース・アッシュビーだと思っていた。

 

宇宙艦隊司令部は五十年前も同じ造りであった。

ライアル達は一路司令長官室を目指した。

フレデリカは小声でライアルに話かけた。

「うまくいきましたわね」

「上手くいかないわけがない」

 

司令長官室までの廊下で彼らは准将の階級を持った一人の女性将校とすれ違った。

敬礼する彼女に、ライアル達も答礼しながら通り過ぎた。

フレデリカは、その女性将校の整った顔立ちの中に、意外の念と自分への注目があるのを見た。

 

その直後、ライアルは彼らにとって重要な人物が目の前にいることに気づいた。

黄色がかった金髪に厚い唇、同盟軍宇宙艦隊総参謀長アルフレッド・ローザス中将である。

彼はライアルに声をかけた。

「ブルース、有給のはずなのに早いじゃないか」

ライアルはブルース・アッシュビーの振りをして答えた。

「まあただの気まぐれだ。理由はないさ」

「そうか。しかし、連れている二人は見慣れない顔だが」

ローザスは二人の顔を交互に見た。

「情報部の新任だ」

ローザスは何か問いたげな表情をしたが、結局やめたようだった。彼は代わりにアッシュビーに頼んだ。

「そうか。紹介してもらえないか」

 

「ああ、彼らは……」

フレデリカがすかさず名乗り、敬礼をした。

「フリーダ・アシュレイ中尉です」

尋ねられた時の偽名と所属は既に決めてあった。

ヤンも名乗り、同様に敬礼をした。

「フォン・タイロン中尉です」

 

ローザスは答礼をしつつ、フレデリカとヤンに笑顔を見せた。

「そうか。情報部は同盟軍の要だ。よろしく頼む。アッシュビー、この二人と今から司令長官室で打ち合わせか?私も同席した方がいいか?」

 

「いや、今回はいい。また呼ぶからその時によろしく頼む」

 

「わかった。ではまた後で」

 

ヤンは笑顔で去っていくローザスを見送りながら思った。ヤンが軍人になってからもローザス提督はしばらく存命だったはずだ。元の時代ではお目にかかる機会のなかった偉大な人物に、この時代で会うことになろうとは……

 

アッシュビー達は司令長官室に入った。

ライアルは司令長官の席に腰を下ろした。

「ローザス提督とあそこで出くわすとは。予想しておくべきだったか。だがまあ予定通りだ。後は本物のブルース・アッシュビーが来るのを待つだけだ」

 

しかし、フレデリカは厳しい表情をしていた。

「少しまずいかもしれませんわ」

「どういうことだ?」

「ただの勘ですが、気づかれたかもしれません」

 

 

その勘が正しかったことは、十分後に証明された。

長官室の入り口からローザスが入って来た。

彼はドアを背にしてそれ以上進もうとしなかった。

 

ライアルは何気無さを装って尋ねた。

「どうした?ローザス?」

「外に武装した将兵を配置している。大人しく連行されることだ」

 

ライアルは驚愕を内心に隠し、不愉快そうな表情をつくった。

「ローザス、これはどういうことだ。細君を失くして悲しいのはわかるが、自暴自棄でクーデターを起こすような奴ではなかったはずだが」

 

ローザスの指がわずかに震えた。

「誤魔化しは無用だ。情報部に照会したがフリーダ・アシュレイもフォン・タイロンもいなかった。それに、お前はブルースではない。誰だ?」

 

アッシュビーはなおも平静を装った。

「一体何を言っているんだ?」

 

「お前が廊下で俺の前にすれ違った女性が誰かわかるか?」

 

アッシュビーが反応する前にフレデリカが答えた。

「サリー・ローレンス准将。ローザス閣下とアッシュビー閣下の同期生ですね」

彼女はわかり得る限りのこの当時の将校の顔写真と情報を記憶していたのだ。

 

 

ローザスは瞠目したが一瞬のことだった。

「なかなか優秀な仲間を持っているようだが、名前はそれほど重要ではない。重要なのは彼女がブルースの元愛人だということだ。彼女とすれ違う時、ブルースは敬礼など返さない。代わりにすれ違ってから彼女の方に目を動かすんだ。普段と異なる行動に違和感を持ってよくよく観察してみればお前の髪は昨日のアッシュビーよりも1センチ長い。流石に一晩で1センチ伸びることはなかろう」

 

皆、ローザスの異常な観察力に驚いた。

ヤンは、ジークマイスターから上がってくる玉石混淆の情報をローザスが再解析し、取捨選択した上でアッシュビーに渡していたという自らの説の正しさに確信を持った。

 

「お前の気のせいだろう。ローザス」

ライアルはなおも取り繕った。少なくともアッシュビーが来る前に連行されるわけにはいかなかった。ブルース・アッシュビーなら信じるだろうが、ローザスを含め他の人間が信じてくれる確証がライアルにはなかった。何より大事になってしまっては歴史が変わってしまう。時間を稼ぐ必要があった。

 

 

「気のせいではないし、証拠も不要だ。ひとまず連行する。後で本物のアッシュビーに確認すればわかる。……だが」

 

ここで、ローザスは迷いを見せた。

「赤の他人というには、その風格がアッシュビーに酷似し過ぎている。アッシュビーのような奴が二人もいるとは思えんが、一体何者だ?」

 

ライアルはその様子を見て姑息な手を思いついた。

「ばれてしまったならしょうがない。俺はブルース・アッシュビーの生き別れの弟、レッドフォード・アッシュビーだ。兄に会いたくて変装してここまで来てしまったんだ」

 

場に沈黙が落ちた。

 

すぐに否定してくると思われたローザスだったが、意外にも考え込んでいた。アッシュビー家の複雑な家庭事情を多少は知っているだけに完全には否定しづらかったのだ。ブルースは確かに弟の話をしていたことがあった。

「弟……弟か。では、この二人は誰だ」

 

ライアルは、かかったと思った。

如何に優れた分析力を持つと言っても、ローザスはアッシュビーと長年付き合えるぐらいのお人好しなのだ。基本的には押しに弱く、まずは人の話を聞いてしまうタイプだと直感していた。彼一人で部屋に入って来たのも、大事にする前に我々の事情を聞くためだと考えていた。その直感はどうやら正しかったようだ。

 

フレデリカもライアルの出まかせに乗っかることにした。

「私は、ブルース・アッシュビーの妹です」

 

ヤンは困った。流石に東洋系の自分がアッシュビーの兄弟を名乗るのは難しいだろう。

「私はええと……ファン・チューリンの叔父の息子の父親の兄の息子です」

 

ローザスは難しい顔のまま言った。

「ファン・チューリンに叔父の息子の父親の兄の息子がいたかどうかは知らんが、アッシュビーの奴に妹がいるなど聞いたことがない。それに全然似ていない」

 

フレデリカは言い逃れを咄嗟に思いついた。

「私はレッドフォード・アッシュビーの妻。つまりブルース・アッシュビーの義理の妹です」

 

「義理の妹、だと……」

ローザスは否定したかったが、そのための材料がなかった。とはいえ馬鹿正直に話を聞き過ぎた気もしていた。

やはり連行して尋問するか。ローザスがそう考えた時、さらに部屋に侵入してくる者がいた。

 

「何だ、この騒ぎは?通せ。……誰だこいつらは?……何故俺がもう一人いる?」

赤い髪、鋭い目、纏う覇気。本物のブルース・アッシュビーだった。

 

ライアル達は時間稼ぎに成功したのだった。

 

しかし、本物のブルース・アッシュビーを待っていたのはローザスも同じだった。

「やっと来たな、ブルース。お前さんにそっくりなこの男がお前の弟を、さらにはこの娘がお前の義理の妹を名乗っているんだが、本当なのか?」

 

「俺に義理の妹など……」

その言葉は途中で消えた。

ブルース・アッシュビーはフレデリカをまじまじと見て、それからライアルを一瞥し、またフレデリカの美貌を眺めた後にローザスの方を向いて言った。

 

「弟の方は知らんが、この娘は俺の義理の妹だ。俺にはわかる。俺には義理の妹がいたに違いない」

ブルース・アッシュビーは真顔だった。



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12話 色相世界のロストワールド/異郷の客

「彼女は俺の義理の妹だ。彼女がそう言うなら間違いない」

 

ブルース・アッシュビーの断言にローザスは気力を削がれた。

「ブルース……嘘をつくな。お前がそんな顔をしている時は大抵嘘をついている」

 

ブルース・アッシュビーはローザスの肩に手を置いて、溜息をつきながら首を振った。

「ローザス、お前僻んでいるな。俺に美しい義理の妹がいてそんなに羨ましいか?」

 

「はあ!?」

 

「やめてください!」

フレデリカは耐え切れずに、口を挟んだ。同盟の偉大な将帥二人が自分のことで言い争うなど、精神的な拷問に等しかった。

「私はブルース・アッシュビーの義理の妹ではありません!」

 

「なんだって!?」

戦場で臆病であったことは一度もないブルース・アッシュビーが、うそ寒そうな表情を隠しきれなかった。

 

ライアルはようやく話に介入する機会を得た。

「我々が何者か、説明する機会をもらえないか?」

 

 

司令長官の命令によって、箝口令を敷かれた上で部屋を囲んでいた兵士達は解散させられた。

 

ライアルはブルースとローザスの二人に自分達の正体と目的を明かした。

 

「約六十年後の未来からブルース・アッシュビー暗殺を防ぎに来た、だと?それにその男はアッシュビーのクローンで、暗殺を企む敵も同じくクローン?三文小説でもあり得ない筋書きだ。到底信じられないな」

そう言い捨てたのはローザスだった。彼は現実主義だった。

 

 

信じなかったのはブルース・アッシュビーも同じだった。

「俺も信じられないな。お前達の頭がおかしいという説の方がよほど信じられる」

 

ヤンはライアルに、話が違うじゃないかと目で訴えた。

 

ライアルは涼しい顔をして言った。

「宇宙暦737年8月9日の夜」

 

途端にブルースの顔が引き攣った。

「お前、どこからそれを……」

 

「未来のアデレード夫人からだ」

ライアルはアデレード夫人と大量の文通を交わす羽目になり、ブルース・アッシュビーが秘密にしておきたい情報も否応無しに知ってしまっていた。

 

「他にもいろいろ聞いている。例えば……」

 

アッシュビーは焦りを見せた。

「よせ!やめろ!わかった」

 

アッシュビーは沈黙し、しばらく下を向いた後、顔を上げてライアルを睨んだ。

「お前達が未来から来た可能性を真剣に考えようじゃないか。だからこの質問に答えてみろ。次に帝国と同盟が大規模会戦を行うであろう場所と、帝国軍の基本戦術構想は何だ?」

 

ライアルは逡巡した。

ブルースは彼を挑発した。

「どうした?未来から来たのに答えられないのか?」

 

ライアルは渋々答えた。

「場所はティアマト星域」

 

「基本戦術構想は?」

 

「……繞回進撃」

 

ブルースの口角がつり上がった。

ローザスはその二人の様子をじっと見つめていた。

 

「よかろう。お前達が未来から来たと認めよう。俺の暗殺阻止に動いてくれるというなら大歓迎だ。同盟軍の中で正式な立場を与えようじゃないか」

 

ローザスがブルースに問うた。

「どこの所属にする気だ?」

 

「妙な奴が出入りしても怪しまれない場所と言えば一つしかあるまい」

 

「情報部第四課か」

 

「ああ。ジークマイスター提督には説明するがいいな?お前達のことは俺とローザスとジークマイスターの三人の秘密ということになる」

 

ライアルが代表して答えた。

「承知した」

 

ローザスは思案顔だった。

「それで、フォン・タイロン中尉はよいとして、この二人はどうすべきかな。レッドフォード・アッシュビー氏はブルースにそっくり過ぎるし、フリーダ・アッシュビー中尉はレッドフォード氏の妻ということだが」

 

「レッドフォードには、なるべく表を歩き回らないようにしてもらって、かつらとカラーコンタクト、サングラスで誤魔化すしかなかろう。レッドフォード・アシュレイ大尉とでも名乗っておけ。もし説明が必要になったら生き別れになった俺の弟ということでいい。実際双子みたいなものだしな」

 

ブルースの対応はライアルにとっては意外なものだった。クローンである自分に嫌悪感を抱いてもおかしくないと思っていたが、そのような素振りはまったく見せなかった。

「年齢的にはむしろ兄なのだが」

「うるさい。俺の遺伝子から生まれたならお前は弟だ!」

 

ライアルは苦笑いしつつ応じた。

「わかった。よろしく、兄貴」

 

ブルースはそれには返事をせず話を進めた。

「フリーダの方だが、レッドフォード・アシュレイ大尉の妻のフリーダ・アシュレイ中尉ということでいい。つまりは、やはり俺の義理の妹ということだ」

 

ローザスは呆れた。

「結局それが狙いか……」

 

ブルースはフレデリカに笑顔で声をかけた。

「俺の方に乗り換えてくれても構わんよ」

 

「断固ノーですわ。閣下」

フレデリカの返事はにべもなかった。

 

 

 

ライアル達は長官室でジークマイスター提督と面会した。

歴史の裏で活躍した影の英雄との対面はヤンを興奮させた。

民主共和制に共感して同盟に亡命し、情報部第四課を取り仕切るようになった。帝国内に一大諜報網を構築したスパイマスター。晩年には独立諸侯連合に移り、連合軍情報局を二大国の諜報機関に伍するまでに成長させた。

この時期既に老境に差し掛かってはいたが、その細面の中の鋭利な眼光には、その知性とかつての大望が未だに衰えていないことをヤンに悟らせた。

 

ジークマイスターの理解は異常なほど早かった。

 

アッシュビーはジークマイスターに依頼した。

「統合作戦本部には俺から話を通しておくから四課所属の人員ということにしておいてくれ。ここにいる二人の他にもう二人いるが、そのうち一人は帝国出身らしい」

 

ジークマイスターはブルースに頷きを返し、その瞳をライアル達三人に向けた。

「承知した。しかし、それはつまり未来にも帝国が存在するということなのか?」

 

ヤンは息を呑んだ。ジークマイスターの質問を肯定することは、彼の望みが完全には叶わなかったことを認めることになる。それを知ってしまうことがジークマイスターの今後の活動にどのような影響を与えるか。実際には、長い時間をかけて彼の望みは叶ったと言っても良いのだが、それはそれで彼がそれを知ることによる影響がわからない。

 

ライアルは表情を動かさずに答えた。

「帝国というより、オリオン腕出身だと考えて欲しい。未来については話せないが、あなたの活動が無駄にはならなかったということだけは伝えておく」

 

ジークマイスターはライアルをしばらく観察するように見ていた。

「ふむ。わかった。アッシュビーの暗殺計画、そして卿のような存在が生み出されているということ自体が推測の鍵になるが、まあそういうことなのだろうな」

 

ユリアンとマルガレータはそれぞれ、ユーリ・アルツターノフ少尉とグレーテル・フォン・ヘンライン少尉ということになった。マルガレータの方は亡命者という設定である。

 

ジークマイスターは外部と連絡を取った。

「当面の住居だが、四課が確保している住居がちょうど一箇所空いている。そこに住んでもらおう」

 

「わかった」

 

「それで当面はどうするつもりだ?」

 

ブルースの問いにライアルが答えた。

「ブルース・アッシュビー暗殺を企んでいる奴ら、俺と同じアッシュビークローンの尻尾をまずは掴みたい。情報部四課の協力も得たいところだ」

 

ジークマイスターは了解の意を示した。

「それも承知した。だが、四課は外向きの組織だ。国内ならば三課の協力を得られた方が本当は良いのだろうが」

 

「三課?」

ブルースは露骨に顔をしかめた。

 

怪訝な顔をするライアル達にローザスは説明した。

 

「私はともかくブルースは四課のアンドリュー・ホィーラー准将とそりが合わんのだ。協力を頼むといろいろ厄介なことになる可能性もあって、難しいだろうな」

 

フレデリカがライアルとヤンに補足した。

「アンドリュー・ホィーラー准将はブルース・アッシュビー大将と同期です。卒業時の席次は17番」

 

ヤンはアンドリューという名前に不吉なものを感じたが、ただの偏見だと思い直した。

しかし、ローレンス准将にしろホィーラー准将にしろ、730年マフィアには負けるが、三十代半ばで将官とは十分に早い出世である。それでも彼らは730年マフィアの一員とはならなかった。730年マフィアあるいはブルース・アッシュビーと、彼ら同期生の関係は一体どのようなものであったのか。ヤンとしては想像を働かせてしまうところだ。

 

ローザスがさらに話を始めた。

「一つ、気になる話がある。アッシュビークローンが関係あるかもしれん」

 

ライアルは身を乗り出した。

「何だ?」

 

ローザスはブルースに尋ねた。

「ブルース。お前最近また愛人をつくったか?」

 

「いや、まさか。そんな暇はない」

そう答えたブルースはフレデリカの方を気にしていた。

 

ローザスは溜息をついた。

「質問が悪かった。お前に愛人がいないはずはない。愛人を5人同時に囲っていたりはしないか?」

 

アッシュビーの顔に驚きが現れた。

「流石にそんなにはいない!」

 

それは、一人か二人はいると言っているようなもんじゃないか。ローザスは再度溜息をついた。

「街の方で噂になっている。ブルース・アッシュビーが仕事を放り出して女性漁りをしている、と。本日の有給もそういうことなのかと思っていたのだが、クローンの話が本当だとすると……」

 

「一度調べてみるべきだな」

そのように答えつつもライアルも溜息をつきたい心境だった。俺と同じ遺伝子の奴がタイムワープした先でやることがまさかそれなのか、と。

 

ライアルもブルースに訊きたいことがあった。

「ところで俺からも一つ尋ねたいのだが」

 

「何だ?」

 

「最近アデレード夫人に会いに行ったか?」

 

「夫人?離婚しているんだぞ。彼女と会いたいとは思わないさ」

 

ライアルは疑うような目でブルースを見た。

 

ブルースは居心地の悪さを感じながら言葉を継いだ。

「いや、この数年は会っていない。それは本当だ」

 

「そうか……」

 

「何だ?アデレードに興味があるのか?それならフリーダと交換」

 

「それは断固ノーだ」

 

 

 

3人の宿への帰還は深夜になった。

 

「あの二人よろしくやっているかな?」

 

ライアルの軽口をフレデリカは窘めた。

「あなた、下品ですわ」

 

「あの二人、お互いに好きなんだろう?せっかく二人きりにしてやったんだ。機会を生かしているといいんだが。ヤン、いや、ファン中尉もそう思うだろう?」

 

そう言われてもヤンとしては何ともコメントしづらかった。

「二人に恋愛感情があるかどうかはともかく、私としては二人のそんな場面に遭遇したら居たたまれなくなって逃げ出すね。私にとって二人は弟と妹みたいなものだから」

 

「あいつらも子供じゃないんだから。まあ、本当にそんなことになっていたら大人の対応をしてやろうか」

そんな話をしつつ、3人部屋の扉を開けると、そこには想像を超えた状況が広がっていた。

 

マルガレータとユリアンと、誰かもう一人が床の上で「格闘」していたのだ。

 

ライアルは思わず呟いた。

「……3人でなんて想像していなかったな」

 

ユリアンとマルガレータはそれどころではなかった。

「アッシュビー保安官!ヤン提督!見てないでこいつを捕らえるのに協力してください!アッシュビークローンです!」

 

 

 

 

一時間前のこと。

マルガレータはユリアンと気まずくなったため、一人で宿に付設のレストランで夕食をとっていた。

悪くないレストランのはずだが、マルガレータには味気なく感じられた。異郷の料理だからか、それとも一人で食べているからか。

 

そんな彼女に一人の男が声をかけて来た。

「美しいお嬢さん。あなたに一人で食事をさせるなんて世の男達は見る目がないな」

 

ナンパかと思い、適当にあしらおうとしたマルガレータだったが、その顔を見て思いとどまった。

赤い髪にサングラス、190cm近い身長に均整の取れた体型。

明らかに知り合いに酷似していた。

今の状況でなければおそらく勘違いしていただろう。

彼女は周りを気にしつつ小声で囁いた。

「ブルース・アッシュビー提督ですか?」

 

男はかすかに驚いた。

「サングラス越しでもわかるか。いかにも、ブルース・アッシュビーだ。一人なら同席させてもらってもいいかな?」

 

マルガレータは思案した結果、誘いに乗ることにした。

ライアル・アッシュビーでないとするなら、彼はこの時代にやって来たアッシュビークローンだ。本物のブルース・アッシュビーである可能性は……まずないだろう。マルガレータは自称ブルース・アッシュビーが彼女を保安機構の保安官と知っていて声をかけてきた可能性も考慮したが、あまりメリットはないように思われた。彼女のことを知らないで声をかけてきたのだろう。

 

彼女はこのことを馬鹿馬鹿しいほどの偶然だと思ったが、実際はマルガレータ達の泊まった宿がハイネセンポリスでも規模の大きなホテルであり、同時にレストランの中で彼女の美貌が目立っていたことから来る必然だった。

 

マルガレータは最近同盟にやって来た亡命者の振りをして世間話を続けた。そのうち自称ブルース・アッシュビーは切り出した。

「亡命者ならビールよりワインがいいんじゃないか?いいワインがあるから俺の部屋に来ないか?それとも君の部屋がいいかな?」

 

マルガレータは何故自分がこんな軽薄な男に誘われなければならないのかと、一瞬素に戻って腹わたが煮えくりかえった。しかしそれを抑え込んで、どうにか笑顔で答えた。

「喜んで。私の部屋でどうですか?」

 

二人は連れ立って、ライアル達の泊まる3人部屋の方にやって来た。

マルガレータは部屋の前でアッシュビーに告げた。

「実はもう一人女の子がいるんです。その娘の相手もしてくださる?」

 

自称ブルース・アッシュビーの頰が緩んだ。

「先に言ってくれればよかったのに。喜んでお相手しよう」

 

中に入るとそこにはユリアンがいた。

「アッシュビー保安官?」

 

自称ブルース・アッシュビーは呟いた。

「ほぅ、なかなか可愛い……うん?いや、男?」

 

「ユリアン!取り押さえろ!」

 

マルガレータの声に対してユリアンの反応は早かった。

状況に混乱する自称ブルース・アッシュビーにユリアンはタックルをかまして転倒させた。

マルガレータも上に乗って体重をかけた。

そのようにして暴れる自称ブルース・アッシュビーをなんとか取り押さえたところで、ライアル達がやって来たのだった。

 

 

航時機で過去にやって来たアッシュビークローンの一人、ブルース・アッシュビーの振りをしていた色事師は、このようにしてあっさりと捕えられたのだった。

 

 

フレデリカは自らの夫と同じ顔をした男に溜息をつきたくなった。

「多忙なはずのブルース・アッシュビーに一個中隊を超える愛人、情人がいたという話、いくら何でも多過ぎると思っていたのですが、もしかして大半はクローンの仕業だったりしません?」

 

「そうかもしれませんね。しかし、本物といい、クローンといい、私生活は本当に最悪なんですね。幻滅しました」

マルガレータはフレデリカから宇宙艦隊司令部での話を聞き、そのような感想を持った。

 

「……私、その最悪な人達と同じ遺伝子の人と結婚しているんですけれど。この数時間でいろいろと考え直したくなりましたわ」

 

 

「……ヤン提督、ユリアン君。俺は何も悪いことをしてないのに女性陣の視線が痛いんだが」

 

「大変だね」

「人は運命には逆らえませんから」

 

 

 

 

 







サリー・ローレンスとアンドリュー・ホィーラーはOVA版に名前だけ登場した人物になります。


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13話 深意隠伏のロストワールド/紅茶の味

ライアル達はアッシュビークローンに尋問を行い、いくつかの情報を得た。

 

共にやって来たのは、別のアッシュビークローン二人とデグスビイ主教の計3人とのことだった。

ライアルはアッシュビークローンにもアデレード夫人と会ったかどうか尋ねたが、会っていないという回答を得た。

しかし、彼個人の目的は色事だったにしろ、集団としての目的については黙したままだった。

 

「これ以上は自白剤でも使わないとどうにもならないな。……いや、例えばの話だ。持って来たわけでもなし」

ヤンが嫌悪感を示したため、ライアルはそう付け足した。

 

ユリアンは自白剤を未来から持って来ていたのだが、少なくともヤンやマルガレータの前では使うべきではないと判断した。その代わりに提案した。

「四課に預けますか?」

 

ヤンはかぶりを振った。

「それも避けたいな。アッシュビークローンから現在の同盟軍に未来の情報が伝わるのも困る。用意してもらった住居の方に監禁させてもらうよう、四課には交渉しようか」

 

しかしその議論は無用のものとなった。

アッシュビークローンが突如痙攣し、そのまま意識を失ったのだ。

その余波はヤン達にもあった。アッシュビークローンほど顕著ではないが、体に変調を覚えてしばらく動けなくなった。

ヤン達が動けるようになった時にはアッシュビークローンは既に死んでいた。

 

ユリアンがいち早く立ち直り、状況を確認した。

「何らかの攻撃を受けたようですね。焦点がアッシュビークローンにあったので我々には影響が小さく死なずに済んだ。そんなところでしょうか」

 

ライアルが頭を押さえながら応じた。

「気に入らないな。敵は我々を殺そうと思えば殺せたはずだ。それをしなかった」

 

ユリアンもそれは感じていた。

「我々はあえて生かされた、と」

 

「ああ。そもそも予備の航時機が残っていた時点で気にくわない。我々はどうも敵に踊らされている気がする」

 

ヤンも回復して話に参加した。

「とはいえ、我々のやることは変わらない。歴史改変を防がなければ」

 

ライアルはヤンを睨んだ。

「ヤン・ウェンリー、薄々感じていたが、わかっていて敵の思惑に乗ったな。自分の歴史的興味を優先しただろう?」

 

ヤンは困ったように頭をかいた。

「その言い草はひどいな。乗らざるを得なかったというのが正しいところだよ」

 

 

敵の思惑に対する疑念は残ったが、ヤンの言う通り、取るべき行動が変わるわけではなかった。

 

翌10月5日、彼らはジークマイスターと連絡を取り、アッシュビークローンの死体の処分を依頼した。

 

駆けつけた四課の人員に後を任せて、彼らは用意された住居の方に移った。

 

部屋割りを決め、荷物の運び込みを終えた頃には既に夜になっていた。

 

居間に集まった全員にユリアンが報告をした。

「やはり盗聴器が仕掛けられていました」

 

「まあ、当然というところだろうな」

同盟軍としては当然の処置だとライアルも考えていた。

 

「盗聴妨害の処置を施しましたのでひとまずは安心です」

 

ヤンは思わず尋ねた。

「君、そんなことができたんだね」

 

「ええ、まあ。僕も立場上盗聴される機会が多いので」

たとえばあなたの部下のオーベルシュタインさんから、とユリアンは思いつつも口には出さなかった。

実際は特殊な盗聴妨害装置を使用したのだが、それは地球統一政府由来の旧地球教団の極秘技術であったからユリアンはそのことを伏せた。

 

マルガレータが議論の口火を切った。

「これからどう動きましょうか?」

 

ヤンは頭をかきながら答えた。

「正直言ってやれることはそう多くはない。ブルース・アッシュビーの警護体制は我々の情報によって既に強化されている。今回の正体不明の攻撃のこともジークマイスター提督には伝えてあるし。となると注意しないといけないのは戦場だろうね」

 

「戦場ですか?」

 

「戦場の混乱のどさくさの中でシャンタウでアッシュビーが撃たれたように艦内で暗殺されるか、艦外からの攻撃を受けるかのどちらかだろう。まあ、ティアマトでは実際艦外からの流れ弾に当たって、それでもアッシュビーは生き残ったのだから、より注意すべきは艦内かな。我々も乗り込んで、艦内の状況を注意しておくべきだろう」

 

ユリアンは少しヤンを疑った。

「ティアマト会戦を生で見たいだけではないですよね?」

 

「いや、まさか」

ヤンは心外という表情を見せたが、ユリアンには少々わざとらしく見えた。

 

マルガレータが当然の質問を口にした。

「それまではどうしますか?ティアマトへの移動に一ヶ月かかるとしても、まだ1ヶ月ほど時間があります」

 

「当初の予定どおり、アッシュビークローンとデグスビイを追うしかないだろうね」

 

ライアルが口を挟んだ。

「アッシュビークローンの方は任せてくれないか?少し心当たりがあるから単独行動をさせてほしい」

 

フレデリカが心配した。

「一人でいいんですか?」

 

「むしろ一人の方が好都合だ」

 

なおも心配げなフレデリカを見ながらもヤンは決めた。

「わかった。アッシュビークローンのことはアッシュビー保安官に任せよう」

 

フレデリカはそれなら、と別の提案をした。

「私も気になることがあります」

 

「何だい?」

 

「アンドリュー・ホィーラー准将のことです」

 

「彼がどうかしたのか?」

 

「アンドリューの愛称はエンダーです」

 

「エンダー……」

 

「私やライアル、ユリアン君の出身、エンダースクールの名前は創始者から取られたという説があります」

 

「……」

 

「エンダースクールの創始者は不明ということになっていましたが、エンダースクール壊滅後の調査で創始者が判明しております。それが彼、アンドリュー・ホィーラー准将なのです」

 

ヤンにも話が見えてきた。

「エンダースクールは地球教団と繋がりがあった。それはフェザーンの資本参加以降の話だとされていたが、設立当初から繋がりがあったとすれば……」

 

「ええ。史実でシャンタウ会戦におけるアッシュビー暗殺に関与していたかもしれませんし、神聖銀河帝国残党の意向を受けてそれを早めて実行しようとしていてもおかしくはありません。私は宇宙艦隊司令部で四課の仕事を手伝いつつ、アンドリュー・ホィーラー准将と三課の活動を監視したいと思います」

 

「わかった」

 

ユリアンも話に加わってきた。

「僕も四課に入ってもいいですか?ジークマイスター提督の元ではいろいろ学べそうなので」

 

ヤンはユリアンが何を学ぶ気なのかとても不安になったが、だからと言って許可しない正当な理由もなかった。

「わかったよ」

 

マルガレータまでもが続いた。

「すみませんが私も。正直、帝国出身の私がハイネセンでの調査で活躍できるとも思えません。それよりも亡命者の多い四課で活動した方が役に立てると思います」

 

「……わかった」

結局ヤンだけが一人街中でデグスビイの行方を探ることになった。

 

 

議論は終わったものの、皆居間に留まっていた。

少し寂しげなヤンにフレデリカは紅茶を差し出した。ブランデー入りだった。

「どうぞ、ヤン提督」

 

「ありがとう、フ……グリーンヒル・アッシュビー少佐」

 

彼女に対する呼び方に迷ったヤンにフレデリカは少し寂しげな笑みを見せた後、皆に声をかけた。

「ユリアン君も、マルガレータさんも、どうぞ」

ライアルの手元には既にフレデリカの淹れた紅茶があった。

 

「フレデリカさん、言ってくれれば僕が淹れたのに」

ユリアンの言葉に、フレデリカは不満顔になった。

「あら。私の淹れた紅茶は飲めないというの?」

 

「いえ!そんなことはありません!」

慌ててそう答えながらユリアンは紅茶に口をつけた。その味には何故か覚えがあった。

 

「フレデリカさん、紅茶を淹れるのがお上手ですね。なんだか僕の淹れ方に似ているような?」

 

それは、別の歴史ではあなたにもコツを教えてもらったから。フレデリカは内心そう考えつつも口には出さなかった。

「ありがとう、ユリアン。あなたにそう言ってもらえて嬉しいわ」

 

ヤンもその味に覚えがあった。夢、おそらく別のあり得た歴史の中で飲んだことのある味。ヤンは懐かしさを感じた。

「グリーンヒル少佐、美味しいよ。ありがとう」

 

フレデリカは思わずヤンを見つめた。ヤンは困ったような笑顔をしていた。

「ありがとうございます。提督」

 

そんな二人の様子を見ながら、ライアルはただ黙ってフレデリカの淹れた紅茶を飲んでいた。

 

 

 

解散した後、マルガレータはユリアンに声をかけた。

「なあ。ヤン長官とフレデリカさん、少し変じゃないか?」

 

ユリアンは考え込んだ。

「そう言われればそうだけど。それを言うならみんな変だよ」

 

マルガレータはヤンとフレデリカが変なのはオーベルシュタインの言っていた別の歴史の記憶のせいなのかもしれないと思った。

マルガレータには今のところそのような記憶は発生していない。少なくともその自覚はなかった。

「ユリアン、お前には別の歴史の記憶はあるか?」

 

「いや、ないよ。強いて言えばヤン提督とフレデリカさんとは、なんだか他人という気もしないのだけど」

 

「……私は?」

 

「えっ!?」

 

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

マルガレータは別の歴史でもユリアンと出会っていたのかどうかが気になった。

別の歴史では独立諸侯連合が成立していない。その歴史でもヘルクスハイマー家は亡命の必要に迫られていただろうか?仮に亡命するとなると、同盟に亡命していただろう。そうなるとマルガレータは、ユリアンと同盟で会って今とは違う関係を気づけていたのかもしれないし、まったく出会わなかったのかもしれない。

そもそも、マルガレータが生まれていない可能性すら存在した。

 

そう考えるとユリアンと出会えた歴史はマルガレータにとって貴重なものかもしれない。たとえ叶わない恋であっても。

 

「おやすみ、また明日、ユリアン」

万感の思いを隠した一言をユリアンにかけて、マルガレータは自室に戻った。



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14話 黄昏市街のロストワールド/慕情

本日投稿二話目です


ヤンはその後一週間にわたって私服で街を歩き回った。この当時はまだハイネセンに数の少なかった地球教団の施設を監視してみたりもしたが、収穫はなかった。

その日も散々歩き回って、時刻は既に5時近くになった。

「さて、次はどこに行こうか」

ヤンは時間つぶしの場所を探していた。フレデリカにしてもユリアンにしても、そろそろ住居に戻ってもおかしくない頃だった。しかし、ヤンは帰るのを躊躇っていた。フレデリカと顔を合わせるのが、夢をもう一つの歴史と認識するようになってから気まずくなってきていたのだ。

そのことが、仕事が終わっても家に帰るのを躊躇うお父さん会社員のような行動をヤンに取らせてしまっていた。

 

ヤンは結局、コートウェル公園のスタンドでフィッシュアンドチップスとミルクティーを買い込みベンチに座った。

 

隣のベンチでは十代前半とおぼしき少女が同じようにフィッシュアンドチップスと飲み物を持って座っていた。

 

彼女には私はどう見えるのだろうか?会社をクビになった元会社員というところかな、と自嘲的なことを考えてしまっていた。

 

この頃の失業率はどの程度だったろうか?ヤンはフィッシュアンドチップスをつまみながら同盟の歴史に思いを馳せた。

出産数の減少による少子高齢化、市場の縮小と生産年齢人口の減少により、同盟経済は徐々に縮小し、財政も悪化しつつあった。戦争が優先される中で同盟政府はこのことに有効な打開策を取ることができずにいた。しかし破局を迎える前にブルース・アッシュビーによる局面転換が行われ、独立諸侯連合という戦争代行者と新たな市場、生産年齢人口を手に入れたことで同盟は結果的に延命された。

そうならなかったもう一つの歴史では同盟は一体どうなっていたのだろうか?

 

考え事をしながら食べていたせいか、ヤンは白身魚のフライを喉に詰まらせ、その拍子にミルクティーまで落としてしまった。万事休すである。

 

苦しむヤンに、隣のベンチの少女が飲み物を差し出してきた。

私はこういうシチュエーションに縁があるのだろうか?そう思いながらヤンは遠慮なく飲み物を受け取った。

ホットミルク。

 

「出来れば紅茶の方が良かった」

 

「先にお礼を言えないなんて、親の顔が見てみたいですわ」

のんびりとした話し方のわりに辛辣なことを口にした少女の顔をヤンはまじまじと見つめた。

美少女というべきだが、どこかで見たような顔だった。

 

「ありがとう。私はフォン・タイロン中尉、これでも軍人なんだよ」

 

「そうなんですの?てっきり、職を失った元会社員かと思っていました」

 

「……私もそう見える自覚はあったよ」

 

少女はクスッと笑った。

「面白い人ですね、中尉さん。私はカトリーヌ・ルクレールよ」

 

……ヤンの母親だった。ヤンが5歳の時に死に別れた母親が、少女の姿でそこにいた。

 

感極まったヤンは思わず声に出してしまった。

「お母さん」

 

「え?」

 

場の空気が凍った。カトリーヌが後ずさったように見えたのは気のせいではないだろう。

 

ヤンは慌てて取り繕った。

「いや、ごめん何でもない」

 

「私が親の顔を見てみたいって言ったからその意趣返し?」

カトリーヌはなんとか好意的な解釈を捻り出してくれたようだった。

 

「いや……うん、そうかな」

そういうことにしておいた方がよさそうだとヤンは判断した。

 

カトリーヌもヤンの顔をじっと見た。

「でも、確かになんだか他人という気もしないわ」

 

「奇遇だね。私もだ。もしかしたら君の父親の父親の息子の長男の妹の息子ぐらいの関係かもしれないね」

 

「……それだと結局私の息子ということにならない?」

 

「あれ?本当だ」

 

「掴み所のない人。でも嫌いじゃないわ。私、これから親の決めた婚約者と会うの。あなたと同じ軍人よ」

 

……我が母は奇襲攻撃が得意なようだ。

母は父とは再婚だった。つまり、今から会うのは父と結婚する前の相手ということになるのだろう。

 

ヤンとしてはなんとも複雑である。

「そうなのか。それはなんと言ったらいいか、おめでとうというか……」

 

「おめでたくはないわ。こんなに早くから人生を決められて。しかもかなり年上よ」

カトリーヌの気分が沈んでいるのは見るからにわかった。

 

やめられないのかい。そう言いかけて、ヤンは思いとどまった。彼女が本気になってやめてしまったら、下手をしたらヤン自身が生まれない可能性が高くなるのだ。

 

カトリーヌは勝手に話を進めていた。

「どうせ年上で軍人なら、相手があなたみたいな人だったらよかったのに」

 

「……光栄だね」

母親からのさらなる奇襲に、ヤンはそれしか言えなかった。

 

不満気なカトリーヌの様子に、ヤンは少し考えて言葉を続けた。

「君が先々独り身だったら、その時には私みたいな顔の私によく似た名前の男が交際を申し込みに来るかもしれないから、その時は真剣に考えてみてくれないか?」

 

「予言?」

 

「予言じゃないよ。ええと、そうだな。私は知っているんだ」

 

「……へぇ。そう。楽しみにしているわ」

カトリーヌは勝手に納得したようだった。

 

「そろそろ行かないと。行きたくないけど。さようなら、私の父親の父親の息子の長男の妹の息子さん」

カトリーヌは手を差し出した。

 

ヤンはその手を握った。

母親と握手を交わすというのもなかなかない経験だった。その手の暖かさがヤンにはとても貴重だった。

「さようなら、命の差し入れをありがとう、カトリーヌ」

 

 

カトリーヌは手を振りながら立ち去って行った。

 

ヤンはカトリーヌに対して再度心の中で呟いた。

私を産んでくれてありがとう、お母さん。

 

 

「しかし、私の母はなかなか個性的な人だったんだな」

うっすらとした記憶の中の母は太陽のように温かく優しい人という印象だったのだが、それに加えて芯の強さも持っていたようだ。

 

当然かもしれない。変人の父と結婚するような人なんだから。

ヤンは頭の中にジェシカやフレデリカ、ローザを思い浮かべて考えた。……ローザに似ているかな。

なかなか失礼な比較であったし、そこに無意識にフレデリカを入れてしまったことに申し訳ない気にもなった。

 

ヤンはふと気がついた。

「そういえば父さんも母さんと同じぐらいの年頃でこの時代を生きているんだよな」

会ってみたいとも思ったが、今何処にいるかというと判然としなかった。

「まあいいか」

気まぐれな父に妙な影響を与えたくもないと考え直し、ヤンはそのように結論づけた。

 

 

 

8時近くなってから住居に戻ると、毎夕恒例のユリアンによる料理教室が開催されていた。

生徒はフレデリカとマルガレータである。

台所に立つ三人。

朧げなもう一つの歴史の記憶の中でも似たような状況があった気がした。

 

もう一つの歴史ではヤンは殺されていた。随分とユリアンとフレデリカを悲しませたことだろう。この歴史ではヤンは生きて二人と笑顔で言葉を交わすことができる。それがどれだけ貴重なことか。

ヤンは母親と会ったことでそう感じた。

明日からはもう少し早く戻るようにしよう。ヤンはそう思ったのだった。

 

 

 

 

 

翌日、ヤンはコートウェル公園に今日も行くかどうか迷った。

母親にまた会えるかもしれない。

 

しかし、結局行かなかった。

彼女とヤンの人生が交わるのは本来は二十年後のはずだったから。

 

 

 

 

カトリーヌはコートウェル公園のベンチに来ていた。

また、あの妙な男が来るのを期待して。

夜が近づいてきても男は来なかった。

彼女は溜息を一つだけついて立ち上がった。

 

彼は結局何だったのだろうか?妙に切羽詰まった顔で自分のことを「お母さん」と呼んだあの男。彼はきっともうこの公園には来ないのだろう。

 

それでも、カトリーヌはいつかどこかでまたあの男と会える気がしていた。

 

星々が混ざり始めた夕焼けの空に向かって、カトリーヌは呟いた。

「またね」



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15話 永劫回帰のロストワールド/還るところ

ヤンはユリアン達のつくった夕食を堪能した後、ソファで寛ぎながらユリアンと会話をしていた。

 

「ユリアン、君にはもう一つの歴史の記憶はないのかい?」

 

マルガレータにも訊かれた問いをユリアンは再度考えてみた。

「今のところ明確なものはないですね。ただ、ヤン長官やフレデリカさんのことは、なんだか他人ではない気はしていました。きっと同盟軍の同じ艦隊にでも所属して、仲良くさせて頂いていたのでしょうね」

 

「……そうだね」

 

「別の歴史ではきっと僕は今みたいにはなってないでしょうね。十代で艦隊を率いたり、敵の総旗艦に斬り込みをかけたり。あるいは、一つの勢力の指導者になったり、銀河中を敵に回したりは」

 

ヤンはあやふやな記憶を辿ってみた。

「私は君より早く殺されてしまったようだからその後のことはわからないのだけど、私が生きている間にはそういうことは起きていなかったと思うよ」

 

ユリアンは自嘲気味に笑った。

「ですよね。でも今の僕だったら、近しい人が殺されたら、その相手を皆殺しにしかねないのですが、流石に別の歴史の僕はそこまで過激でもないですよね」

 

ヤンはこの歴史のユリアンと、朧げな記憶の中の別の歴史のユリアンを比較した。違うところもあるが、……やっていることは違い過ぎるが、それでも善良な心根と、孤独感を抱えているところは変わらないように思えた。とはいえ、ヤンのために敵を皆殺しにするような行動を取るとは思えなかった。

「おそらくはね」

 

「そうですよね。そんな僕があり得たことを知れただけでも、今の僕にとっては救いです。……フレデリカさん、どうされました?もしかしてフレデリカさんから見たら僕はあまり変わりがないとか?」

ニコニコと笑っていたユリアンだったが、フレデリカを見て心配そうな表情になった。

 

フレデリカの目は露骨に泳いでいた。

「いえ、そんなことはないわよ!あなたはいい子過ぎるほどいい子だったわ!……あ、今のあなたが悪い子と言いたいわけでもないのよ」

 

マルガレータは、なんだかヤンとフレデリカが父親母親でユリアンがその子供のように見えた。ユリアンも心なしか幸せそうにさえ見える。

家庭を持てばユリアンも幸せになれるのかもしれない。カーテローゼか、皇女達か。現代に戻ったら相手は誰でもよいからユリアンの背中を押してやろう。そうすれば自分も余計なことを考えなくて済むのではないか。マルガレータはそう思った。

 

 

ヤンは時計を見た。

時刻は午後9時半だった。

「アッシュビー保安官はまだ帰らないのか」

 

フレデリカが応えた。

「遅くなるという連絡はありましたが、何時になるのでしょうね。あのアッシュビークローンの代わりに女遊びなんて……あの人に限ってはありませんわね。おそらく、きっと……」

 

 

 

 

その頃、ライアルはアデレード夫人宅の前にいた。

 

未来においてライアルはアデレードと手紙のやり取りを行なっていた。その中に気になる内容があった。この時期、ブルース・アッシュビーがアデレードの元を訪れていたというのである。しかし、ブルース本人も、死んだアッシュビー・クローンも会ったことを否定した。ならば誰がアデレードに会いに来ていたのか?

ライアルはそれを別のアッシュビー・クローンの仕業だと考えた。

もしそれが事実であれば、一つ別の懸念も出て来るのだが、ひとまずはアッシュビー・クローンへの対応が優先された。

 

ライアルは物陰に潜み、その玄関を観察していた。

 

夫人宅から、アデレード本人に見送られ、一人の男が出てきた。

その男の顔はブルース・アッシュビーのものだった。

 

彼を笑顔で見送ったアデレード夫人が家の中に戻ったのを確かめて、ライアルはアッシュビー・クローンに背後から声をかけた。

「よお、兄弟」

 

アッシュビー・クローンは警戒を露わにした。

声をかけてきた人物はマスクをつけていた。この時代にはない憂国騎士団のマスク。その右手にはブラスターがあった。

 

「しばらく誰かに尾けられている気はしていた。何者だ?」

アッシュビー・クローンは既にその正体に見当がついていた。

 

「ライアル・アッシュビーだ」

ライアルが名乗り終わるよりも早くアッシュビー・クローンは動いた。ブラスターの射線を躱すように、低い体勢からライアルに突っ込んだ。

だがそれをライアルは読んでいた。

左手に隠し持っていた神経鞭でアッシュビー・クローンを打撃し、転げ回る彼の上に馬乗りになってブラスターを突きつけた。

 

ライアルは尋ねた。

「何故アデレード夫人のところに出入りしていた?」

 

クローンは逆に問い返した。

「何故お前は行かなかった?」

 

「何?」

 

「アデレードが死ぬ前に何故会いに行ってやらなかった?」

クローンは今ではなく未来における話をしていた。確かにライアルは会いに行かなかった。

 

「それは……」

 

「ブルース・アッシュビーを愛し続けた彼女が不憫でならなかった。俺が代わりになれるものならなりたいと思っていた。だから俺は」

 

ライアルは自らにも言い聞かせるように言った。

「お前はブルース・アッシュビーではない」

 

「分かっている。しかし、その振りはできる。お前もやっていたように」

 

「それだけなのか?そのためだけにお前は過去に来たのか?」

 

「俺はただのクローンだ。他に大した目的などない」

 

「……」

ライアルにはこのクローンが嘘をついていないことがわかってしまった。見逃せるものなら見逃したいとまで思った。しかし、そういう訳にも行かなかった。ブルース・アッシュビーが同時に二人いてはいずれ騒ぎになる。しかし捕縛して済ます訳にもいかない。歴史を変えるような情報がクローンから同盟軍に伝わる恐れがあったから。手元に置いておこうとしても、きっと第一のクローンのように殺されるのだろう。

 

 

「何か言い残すことはないか?」

 

「これが俺の運命か。……アデレードを不幸にしないでくれ」

 

ライアルは目眩さえ覚えた。

このクローンは、最後までアデレードのことを心配するのか。

「俺だって彼女を不幸にしたくはない。なんとかするから安心して天国なり地獄なりに行ってくれ。兄弟」

 

ライアルはクローンの胸を撃ち抜いた。

ブラスターは至近から最小限の威力で撃ったから音は響かなかったはずであった。

 

 

「ブルース?」

 

振り返ると、そこには茶色の髪に水色の瞳の女性、アデレードが立っていた。

マスクを被っているからアデレードにはその内側の顔はわからない。ブルース・アッシュビーを殺したと思われる、ライアルはそう覚悟した。

しかし。

「妙な予感があって出て来てみれば。ブルースがブルースを殺すだなんて不思議なこともあるものね」

アデレードは奇妙なほどに平静だった。

 

ライアルは驚いた。

「……何故俺がブルースだと思った?」

 

「わかるだけよ。あなたも、この人も、ブルースだけどブルースではない。でもやっぱり私のところに帰って来た」

 

ライアルは、アデレードのアッシュビーに対する愛情の形を知った。

アデレードはアッシュビー・クローンがブルース・アッシュビー本人ではないことを知った上でなお、ブルース・アッシュビーの一人だと考えて愛したのだ。おそらくは未来においてライアルのことも。

現実離れした状況すら受け入れてしまう狂気じみた愛情。

アデレードという女性の精神の在りようと、彼女をそのようにしてしまったブルース・アッシュビーの業の深さにライアルは戦慄さえ覚えた。

だがそんなアデレードをライアルは否定する気にはなれなかった。

 

アデレードは水色の瞳をライアルに向けた。

「あなたも私のところに来てくれるの?」

 

ライアルは悪寒とアデレードの元に留まりたい衝動との両方に苛まれた。ライアルとて、何も思わない女性と手紙のやり取りを続けたりはしない。アデレードには妙に惹きつけられるのだ。

 

……だが、フレデリカの顔が頭に浮かんだ。

「今は行けない」

 

「……そう」

彼女は目に見えて落胆していた。

 

ライアルは咄嗟に言葉を継いだ。過去の自分、現時点から見れば未来だが、ならば多少押し付けても構わないだろう。

「だが約束する。ずっと後、五十年以上後になるかもしれないが、俺は再び君の前に現れる。君は俺に手紙を送るだろう。俺は返信で自分がブルース・アッシュビーであることを否定すると思う。しかし、それはただの照れ隠しだ。その証拠に、手紙の返事だけは欠かさないから……だから、だから」

ライアルは言葉に詰まった。

 

アデレードは微笑んだ。

「わかったわ。その時を待っているわ」

 

ライアルはその言葉に救われた。

「ありがとう」

 

ライアルはさらに一つ思いついていた。アデレードに関して噂になっていたこと。ライアルが手紙を送るようになるまで、アデレードは自分で自分に手紙を送って、それをアッシュビーからのものだと思い込んでいたという話。あまりに寂しいと思ったその話に実を与えてもいいのではないか。

「再び現れるその日まで、年に一回手紙を欠かさず君に送ることも誓おう」

 

アデレードは目を見開いた。

「あなたの約束は当てにならないのだけど。でも楽しみにしているわ」

 

「ああ。楽しみにしておいてくれ」

 

アデレードは、死んだアッシュビー・クローンの髪を一度撫でた後、家に戻って行った。

 

 

ライアルは死体を道の脇に隠し、所有物をあらためた後、情報部四課と連絡を取った。死体の回収を任せるために。

 

四課の人員に後を引き継ぎ、ライアルは帰路についた。既に日付は変わっていた。

 

ハイネセンポリスの夜道は比較的安全とはいえ、何も起きない訳ではない。

 

途中、ライアルは一人の少年が不良の集団に絡まれているところに遭遇した。

 

手元にはマスクと神経鞭。

ライアルに見過ごす選択肢はなかった。

 

マスクを被り、神経鞭を振るって不良を追い払った後、ライアルは少年を助け起こした。

「君、大丈夫か?」

 

「ありがとうございます。あなたは一体?」

少年は明らかにマスクに面食らっていた。

 

「俺のことは気にしないでくれ」

 

「せめてお名前を」

 

「キャプテン……」

思わずキャプテン・アッシュビーと名乗りそうになったが、流石に憂国騎士団のマスクでその名前は名乗れない。

 

「キャプテン?」

少年は続きを期待していた。

 

憂国(パトリオット)。キャプテン・憂国(パトリオット)だ」

 

流石に胡散臭すぎるか。ライアルの予想に反して、少年は尊敬の眼差しで彼を見つめていた。

「キャプテン・!ありがとうございます!僕もあなたみたいな正義の味方になりたいです!」

 

ライアルは、ついいつものキャプテン・アッシュビーショーのノリで応じた。

「なれるさ。君にその意志があるならば」

 

「はい!」

少年はライアルを敬礼で見送った。

 

後にその少年は商売に成功してひと財産を成すことになる。

彼はその財産を愛国団体の支援につぎ込んだ。活動にあたってとあるデザインのマスクを被ることを支援の条件として。

 

 

まだまだやるべきことはあるが、一仕事終えたつもりでライアルは住居に戻った。既に時刻は午前2時を回っていた。

だが、彼にとっての地獄はここからだった。

 

「遅いお帰りですね」

フレデリカが起きて待っていた。

 

「あ、ああ。実はアッシュビー・クローンを一人……片付けて来た」

 

「そうなんですか。私はてっきりどこか女性のところに行っていたのかと思っていましたわ」

 

ライアルは内心の驚きを隠して答えた。

「そんなわけないじゃないか」

 

「そんなわけあるんですね?」

笑顔が怖かった。

 

「……」

 

「あなたの嘘なんて簡単に見抜けるんですよ。洗いざらい話してください」

 

ライアルはフレデリカに洗いざらい話す羽目になった。

 

「しょうがないことだとは思います。だけど私に隠すというのは後ろ暗いことがあると言っているようなものですよ」

 

「はい」

 

「アデレード夫人への恋文50通超。約束したのですからさっさと書いてくださいね」

 

「はい」

 

「私にも同じ数の恋文を書いてもらいましょうか」

 

「……」

 

「返事は?」

 

「はい」

 

「あなた」

 

「はい」

 

「お疲れ様でした。大変でしたね」

 

フレデリカはライアルを一度抱きしめてから寝室に戻って行った。

 

 

一人残されたライアルは。

「俺はなぜ尻に敷かれているんだ?ブルースと俺、何故こうも違う?」

懊悩していた。

 

次の日からもライアルの地獄は続いた。

アデレードとフレデリカへの恋文100通超を、この時代にいる間に書き上げないといけない羽目になったのだった。

 

 

残る男二人は、そんなライアルに流石に同情を禁じ得なかった。



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16話 千種万様のロストワールド/同期生

ライアル・アッシュビーが恋文に悪戦苦闘している間も、フレデリカ、ユリアン、マルガレータの三人は、同盟軍情報部四課の人員として働いていた。

 

ジークマイスター提督が構築した秘密諜報網からの情報を扱う性格上、四課は限られた人員で業務をこなさざるを得なかった。そのような情報を扱っていることを隠すためのダミーの仕事(帝国に対する通常の諜報業務や防諜業務)も多数存在したため、常に過負荷状態だった。そこに未来においても超エース級の人材三人が加わったのだから重宝されないはずがなかった。

ジークマイスターは流石に機密の根幹には触れさせなかったが、それでも仕事は幾らでも転がっていた。

 

特に帝国語に堪能で、貴族文化にも精通したユリアンは、帝国及びフェザーンの公開情報の分析に関して短期間で実績を積み上げた。

ジークマイスターとしては、未来から来たことさえ無視できるなら、後継者候補として考えたい程だった。

もっともユリアンが、未来においてゴールデンバウム朝門閥貴族勢力に与していたことを知ればその気も失せたかもしれないが。

 

ユリアンとしてはこの機会に不世出のスパイマスター、ジークマイスターから諜報のノウハウを盗むつもりでいた。地球財団は未だに新銀河連邦において不安定な立場にある。ユリアン自身が危険視されているためにより不安定になっているという面も否定できないが、ユリアンがいなくなれば、そもそも地球財団自体が機能不全に陥ることは誰しもが予想するところだった。

ユリアンは地球財団を守るために得られる武器は幾らでも手に入れるつもりだった。

 

 

だが、それはそれとして。

 

三人は住居に戻って、今日も夕食を作りながら反省会を開いていた。

「今日も収穫はありませんでしたね」

マルガレータがぼやいた。

「ただ日常業務をこなしただけだったわね」

フレデリカもぼやいた。

「でもみんな感謝してくれましたね」

ユリアンだけが前向きだった。

 

フレデリカは三課の動向を探りたかったのだが、情報漏洩の防止と共倒れ回避のため、三課と四課の人員の交流は極端に少なく、部屋の場所も離れていて、なかなか思うようにはいかなかった。

 

マルガレータが思い出した。

「だけど今日のお昼時に、ホィーラー准将とすれ違いましたよね。初めて顔を見ました」

 

「そうね。こう言ってはなんだけど、なんだか目つきが悪い人だったわね。私達三人の中で、ユリアンのことばかり見ていたわ」

 

「もしかしてそういう趣味の方なんですかね」

 

「やめてくださいよ、二人とも。……でもあの目というか、顔つきというかどこかで見たことがある気もするんですよね。どこだったか……」

ユリアンは考えてみたが、答えは出なかった。

 

「しかし、それ以外に収穫はなかったですね」

 

「宇宙艦隊司令部の監視カメラ群にアクセスできれば……」

フレデリカが不穏なことを呟いた。

 

「この時代、まだまだカメラの導入台数も少ないですし、ネットワーク化もされていないですからね」

 

同盟において情報技術のルネサンスが起こるのは、アッシュビーによる大解放戦争が起き、亡命者の流入が止まってからだった。

今まで同盟に流れていた亡命者は、距離が近く文化的差異が少ない独立諸侯連合にまず向かうようになった。これに、同盟において燻る反新参亡命者感情と、同盟の国策としての独立諸侯連合支援政策が、新規亡命者受け入れ制限を設定させた。

亡命者の流入減は、戦死者数の減少と、軍務からの若年層の解放による一時的なベビーブームで人口としては補われたものの、同盟国内から低賃金の労働者が消える結果を招いたのだった。

 

同盟国内における安価な労働力が失われたことで、社会全体でその穴埋めを行う必要が出て来た。

その影響は兵士の確保に悩む軍にも及び、フレデリカ達の時代に、情報特化型の軍人と、無人化艦隊までをも産むことにもなったのだが、ひとまずこの時代の同盟はそのような状況にはなかった。

フレデリカの技能が活かされる場面は少なかった。

 

 

その後も収穫は少なかったが、何もなかった訳ではなかった。

ある時、フレデリカはサリー・ローレンス准将に声をかけられた。

 

「あなたはブルースの何?」

 

フレデリカは相手の意図を読みかねた。サリー・ローレンス准将がブルース・アッシュビーの元愛人だったことは既に情報として知っていたが、フレデリカに対する質問の意図がわからなかった。

 

フレデリカは正直に答えることにした。

「何でもありません」

 

その答えにサリー・ローレンスは苛立った。

「ブルースはあなたを見るとよく声をかけているようじゃない。噂になっているわ」

 

確かにブルース・アッシュビーはフレデリカに頻繁に声をかけて来ていた。流石に四課に乗り込んでくることはなかったが、司令部内で遭遇する頻度が妙に高いのだ。

 

フレデリカは仕方がないと諦めた。

「ここだけの話ですが、私はブルース・アッシュビーの義理の妹です」

 

その答えはローレンスの意表をついた。

「妹?義理?」

 

「ええ。妹で、義理です。ブルース・アッシュビーの弟と結婚しているんです」

 

「既婚者だったの……」

 

「はい」

 

「弟って、まさかよく一緒にいる亜麻色の髪の……」

 

フレデリカは慌てて訂正した。

「いいえ、違います!夫はもう少しアッシュビー提督に似ていますし、歳も上です」

 

「……では、ブルースのことは?」

 

「何とも思っていません」

 

「本当に?」

 

「ええ。あんな女たらし、趣味ではありません」

 

その答えは、ローレンスのツボにはまったようだった。

「そうね。あんな女たらし、相手にするだけ無駄ね」

 

フレデリカは何となく彼女とは仲良くなれそうだと思った。どこかで似たような女性と仲良くなったことがあるような気もしていた。

 

フレデリカはこの際尋ねてみることにした。

「ローレンス准将はアッシュビー大将と同期だそうですね」

 

「ええ、そうよ」

 

「アッシュビー大将と、730年マフィアのこと、同期の方はどう思っていらっしゃるのでしょうか?」

 

ローレンスは確認した。

「私が、ではなく一般的な質問よね?」

 

「勿論です」

 

「活躍しているな、というぐらいじゃないかしら。正直。同期の誇りと思う人もいれば、僻みに思う人もいるとは思うけど、士官学校なんて人数が多いから、良くも悪くもそこまで強い思いを抱いてはいないと思うわ」

 

「730年マフィアと同期の方々の間の繋がりは?」

 

「個人的友情を除けばそこまで強いものはないわ。ただ、ローザスが同期会に積極的に関わっているし、面倒見もいいから、彼の頼みなら積極的に力になるという人は結構いるわね。……確かに、730年マフィアの子分達とか、アッシュビーの子分のローザスの子分達と揶揄されることもあるわ。730年マフィアだけで戦争はできないから、同期のネットワークは730年マフィアの活躍の助けになっていると言えるかもしれないわね」

 

「それもローザス提督がいてこその話なのですね」

 

「ブルースはそういうことを積極的にやらないから。持ち前のカリスマに惹かれて信奉者になる人もいるけど、離れていく人も多いわ。ローザスは奥さんに先立たれて休みを取っていたけど、彼が戻って来てそういう点でもブルースはほっとしているでしょうね」

 

ヤンの説では、ローザスがジークマイスターからの情報の再分析と取捨選択を担っていたということだった。しかし、ローザス自身が回想録で書いていたように、730年マフィア及びその同期の連携に関して潤滑剤の役割を果たしていたのも確かなようだ。

 

 

「ブルース・アッシュビー提督に強い恨みを抱いている方はいないのでしょうか?同期の方に限らず」

 

「それはあの性格だからいろいろなところに敵をつくっているわ。730年マフィアの面々の中にも実際色々思うところのある人は多いでしょうね」

 

「例えば、殺したいと思うほどに?」

 

ローレンスは問いの意図を探るかのようにフレデリカの顔を見た。

「そこまで恨んでいる人がいるかどうか私は知らないわ。……私はそこまで恨んではいないわよ」

 

「恨みそうな女性はいますか?」

 

「アデレードさんは恨む権利があると思うけど……他の人はあの人の女癖が悪いことを知った上で近づいているから。……街で盛んにナンパしているという噂もあるから、最近はまた違うのかもしれないけれど」

 

流石のブルース・アッシュビーもクローンの所業で殺されては浮かばれないだろう、とフレデリカは思った。

長話になってしまった。フレデリカは最後に残していた質問をした。

「ホィーラー准将はどうなのでしょう?」

 

ローレンスは少し考えてから答えた。

「ホィーラーは恨みとは違うわね。彼はハイネセンの信奉者よ。民主主義の英雄の理想像が、彼の中にはあるの。ブルースはそれから外れている。だから嫌っている。いや、危険視していると言った方が正しいかしら」

 

「危険視?」

 

「ホィーラー准将はブルースがルドルフになるのではないかと疑っているの」

 

「ルドルフに?」

ブルース・アッシュビーとルドルフ・フォン・ゴールデンバウム。民主共和国家の英雄と、専制国家の英雄。

フレデリカは対極にあるようなその二人がイコールで結びつかなかった。

 

「まさかと思う?」

 

「ええ」

 

「私もよ」

ローレンスはそれ以上その話をするつもりはないようだった。

「ところで、私から声をかけておいて何だけど、一連の質問はあなたの興味本位?」

 

フレデリカはまさか情報収集の一環とは言えなかった。

「ええ、興味本位です」

 

「なら、そろそろ切り上げても大丈夫ね。なかなか楽しかったわ」

 

ローレンスは立ち去りながらも思った。四課が対外諜報ではなく、アッシュビーの私的な内偵を担っているという噂は本当だったのかも、と。

 

 

 

 

 

 

四課に所属して二週間が過ぎた頃、三人はジークマイスターに呼び出された。

ジークマイスターは珍しく言葉を選びながら話していた。

「君達の仕事ぶりには目を見張るものがあった。だから君達に落ち度はないことは言明した上でお願いするのだが、君達は明日から来ないでいい。いや、来ないでくれたまえ」

 

三人はショックを受けざるを得なかった。

「どうしてですか?」

 

「……君達は目立ち過ぎる。謎の美男美女三人が四課に出入りしていると噂になっているようだ。これでは周囲の人間の目が四課に集まることになる。これは諜報を担う部署にとっては致命的だ」

 

三人は顔を見合わせた。

 

「予期していて然るべきだった。だからこれは私のミスだ。すまない」

ジークマイスターは三人にわざわざ頭を下げた。

 

こうして、三人は晴れてお役御免となってしまった。

 

目立つと言われたからには、他のことをしたくてもあまり派手なことはできない。

 

結果、ユリアンの料理教室が1日1回から3回に増えた。

 

ライアルは、ユリアンに恋文を手伝わせようとしてフレデリカに止められた。

 

とはいえ、無為の日々は長くは続かなかった。

 

さらに数日が経過し、ライアル・アッシュビーが恋文を書き終えた宇宙暦745年10月26日、彼らはブルース・アッシュビーから連絡を受けた。ティアマト星域での会戦に向けて同盟軍宇宙艦隊がハイネセンを発つ日が決まったのである。

 

 

 

 



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17話 模擬実験のロストワールド/戦術シミュレーション

ティアマトに向けてハイネセンから出発する当日、ローザスは耳を疑うような話を聞いた。

 

「アッシュビーが死んだ」

 

ローザスはその日ジークマイスターとの出征前最後の打ち合わせが早期に片付いたため、早めにハイネセンの軍用宇宙港に到着していた。すると、ベルティーニがこの世の終わりのような顔でロビーに座っていた。その巨体すらその時は縮こまって見えた。心配して問い質したローザスに、彼はそう伝えたのだった。

 

それだけでもローザスにとっては衝撃であったが、報告はそれで終わらなかった。

 

「ウォーリックも死んだ」

 

「何だって!?そんな馬鹿なことがあるか!」

ローザスはウォーリックと司令部で会って来たばかりだった。

 

「ジャスパーも、コープも、ファンも、ローザスも……みんな死んだ」

 

……ローザス?

「俺は生きているぞ」

 

ベルティーニは、どんよりとした目をローザスに向けた。

「熱帯魚の名前だよう。水槽の温度が上がりすぎて、それで、妻を大声で叱りつけてしまった。今までそんなことはしたことがなかったのに」

 

熱帯魚。ローザスは得心した。

ベルティーニが飼っている熱帯魚に同僚の名前をつけているという噂は本当だったのか。

 

ベルティーニは熱帯魚を失ったことよりも、妻を怒鳴りつけたことを後悔して気落ちしているようだった。

 

妻の大切さは、失ったローザスとしてはよくわかる話だった。

「会議まで時間があるから、今のうちに奥さんに電話をして仲直りして来たらどうだ?話ができるのは生きているうちだけだぞ」

 

ベルティーニは同僚の顔を見て、少し考えてから頷いた。

「そうだな。ありがとう。連絡を入れてくる」

 

ベルティーニは電話を探しに猛牛のように走って行った。

 

戻ってきたベルティーニの表情は晴れ晴れとしていた。

 

そのうちブルース・アッシュビーをはじめとして他の僚友も、当然生きた状態で宇宙港にやって来た。

 

30分後、彼らは惑星ハイネセンを離れ、各艦隊の旗艦に向かった。

 

ライアル、ヤン、ユリアン、フレデリカの四人も旗艦ハードラックに同乗することになった。ヤン、ユリアン、フレデリカは情報部から司令部への出向者として。ライアルはブルースに似過ぎているため、一室に隠れ潜む形で。

 

ハイネセンのあるバーラト星域からティアマト星域まで1ヶ月近い行程を要する。

 

その間に、ブルース・アッシュビーはライアル達に戦術シミュレーションでの勝負を申し込んで来た。

フレデリカは断ったが、ライアルとユリアン、マルガレータは乗り気だった。

ヤンも興味はあったが、奇策を使わない限りヤンの負けは濃厚だとも考えていた。折角の戦死者の出ない戦い、シミュレーションで、奇策を使ってまで勝ちを目指すべきなのか、ヤンとしては少し迷うところだった。

 

シミュレーションにはローザスのみが立ち会った。

 

まずブルース・アッシュビーとライアルが戦うことになった。

 

戦術シミュレータのシステム自体はこの時代のものも未来のものと大きくは違わない。異なるのは再現される艦艇の性能、兵装と艦種である。この時代は空母と単座式戦闘艇が主要戦力としてはほぼ存在しなかった。

ルール設定はオーソドックスな会戦であり、同兵力の一万隻を率いて、制限時間までにどちらがより多く敵に損失を与えるかで勝敗が決まる。

 

「一度お前さんを叩きのめしてやりたかったんだ」とブルース。

「叩きのめせるかどうかやってみるといい」と答えたのはライアルだった。

同一の笑みを顔に乗せ、二人のアッシュビーは戦術シミュレータの席に着いた。

 

激しい戦いが時間いっぱいまで続いた。結果はほぼ引き分け、厳密にはブルース・アッシュビーの僅差の勝利だった。

 

「勝ち切れなかった!」

「勝てなかった!」

 

それぞれ十分に勝算をもって臨んでいた。

ブルースは、相手がこの時代の艦艇構成、艦艇性能に慣れていないと踏んでいたし、クローンとはいえ本物の自分の方が上だと考えていた。

一方のライアルは相手がこの五十年で新しく出現した戦術であれば多少は戸惑うと考えていた。無論歴史に影響を与えそうな戦術は用いなかったが。

 

しかし戦闘の推移と結果は二人の考えを打ち砕くものとなった。

 

ローザスも、ブルース・アッシュビーと互角に渡り合える人間がいることに驚かざるを得なかった。

 

このままではお互い納得できないと、二人はもう一度戦ってみたが結果はお互いの台詞を入れ替えただけに終わった。

 

「次だ。次」

ライアルと戦ってもストレスが溜まるだけだと理解したブルースは、他の人間と戦うことにした。

ライアルはヤンを指名した。

 

ブルースはヤンを胡散臭げに上から下までジロジロと眺めた。

「こいつ戦えるのか?そもそも軍人なのか。冴えない学者みたいな風貌で」

 

敬愛する上官に対する暴言にマルガレータが色をなして反論するよりも早く、ライアルが答えた。

「この男は、未来では「魔術師」とか「不敗」とか呼ばれる名将だぞ」

 

「この男が?」

 

「この男が、だ」

 

ライアルはヤンに言った。

「ブルース・アッシュビーに花を持たせようなんて考えるなよ」

 

ブルースがその言葉に反応した。

「俺相手に手を抜くつもりだったのか。この男は。手を抜かなければ勝てるとでも?」

 

ライアルがヤンの代わりに答えた。

「負けはしない、かもな」

 

「面白い。絶対に本気でやれよ。不敗の男」

 

勝手に話を進められてしまったヤンだったが、困った顔をしつつ、ブルースに返事をした。

「やってみます」

 

ユリアンもマルガレータも、伝説のブルース・アッシュビーと現代の名将ヤン・ウェンリーの一戦に、心を踊らさずにはいられなかった。

果たしてどちらが勝つのか?

 

だが、戦いは彼らの予想を大きく超えた展開となった。

 

戦闘開始早々、ヤンの艦隊は一目散に逃げ出したのだ。

ライアルはかつてのアリスター・フォン・ウォーリックとの戦いを思い出し、微妙な気分になった。

対戦相手のブルース・アッシュビーも流石に驚いたが、冷静に艦隊を前進させ、追撃を始めた。

 

逃げるヤンと、追いかけるアッシュビー。

 

だがそれも長くは続かなかった。

 

「止めよう。意味がないことがわかった」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

対戦者の同意で勝負は引き分けに終わった。

 

起きたことだけを見れば、ヤンが勝負を避けて逃げ回り、アッシュビーがそれにやる気をなくして引き分けとなったようにも見えた。しかしその通りに受け取る者はその場にはいなかった。

 

ブルース・アッシュビーはヤンに話しかけた。

「逃げ出したながらも艦列、陣形共に崩れてはいなかったし、通常通りでもなかった。こちらが積極的に仕掛けようとすれば、その動きを利用して逆撃をかけるつもりだったのだろう?それも何パターンも想定して」

 

ヤンは頭をかいた。

「そうですね」

 

「狙いを全て把握するにはシミュレーションでは時間が足りなかった。この男には戦場でなければ勝ち負けを決められないことがよくわかった。わかったが……ストレスが溜まるなあ」

 

ブルース・アッシュビーの言葉に、ヤンは苦笑いしかできなかった。

ヤンはアッシュビーに対して不敗の名を守り通したのだった。ヤンの目論見通りではあったが、戦場ではアッシュビーの言う通り同じようにはいかないだろう。

 

憂さ晴らしとばかりに、ブルースは次の相手にユリアンを指名した。

ユリアンは伝説の提督と胸を借りられることを純粋に喜んだ。

ヤンはユリアンに耳打ちした。

「衝角戦術は使わないようにね」

 

「どうしてですか?」

ユリアンは正攻法では勝てないと思い、そのような奇策を試してみるつもりだった。

 

「正規軍による衝角戦術や斬り込み戦術が注目を集めるようになるのは独立諸侯連合軍がそれらの戦術を積極的に使い始めてからだ。今の時代の軍隊に余計な示唆を与えるのはまずい。メルカッツ提督の近接戦法ならまだ類例があるからよいけれど」

 

ユリアンは落胆しつつも、気分を切り換えて戦いに臨んだ。

ユリアンはオーソドックスな砲戦を挑みつつ、近接戦法に出るタイミングを計った。

だが、攻撃が一時的に弱まった隙をついてユリアンが近接攻撃に出ようとした時、逆にアッシュビーの艦隊が突撃を仕掛けて来た。近接戦法はアッシュビーも得意とするところだったのだ。

先手を取られたユリアンは、その後防戦一方に追い込まれ、そのまま判定負けとなった。

 

勝ったはずのブルースは、それでも難しい顔をしていた。近接攻撃で相手を蹂躙、殲滅するつもりが、時間いっぱいまで持ち堪えられてしまったのだ。

「また勝ち切れなかった。俺のクローンならともかく、こんな若造相手に。……いや、下手をするとウォーリックの奴より強いんじゃないか?」

 

ライアルが種明かしをした。

「そりゃあ、このユリ、ユーリ・アルツターノフ少尉は、未来において銀河系で五指……の末席ぐらいには入れる戦術家だからな」

 

「それを先に言え!」

 

マルガレータが最後にアッシュビーと戦うことになった。

 

ブルースはライアルに確認した。

「彼女まで五指に入るというわけではないだろうな?」

 

「そんなことはない。ないはずだ」

マルガレータに大規模な艦隊指揮の経験がないだけに、ライアルもその実力に関して確かなことは何も言えなかった。

 

マルガレータは緊張していた。

マルガレータは艦隊指揮の経験がないだけでなく、艦隊戦の戦術シミュレーションも久しぶりだった。

前の二人がブルース・アッシュビー相手にあれだけの戦いをしたのに一人だけ無様を晒すわけにはいかないとマルガレータは考えていた。

 

ユリアンがそんな彼女に話しかけた。

「緊張しているの?」

 

マルガレータはユリアンが心配してくれているのだと思った。

「ああ、実は少し……」

 

思わず弱音を吐こうとしたマルガレータに、ユリアンは笑顔で言葉を続けた。

「君が僕を戦場で倒せるというところを見せて欲しいな。ヤン提督の弟子なんだろう?」

 

……励ましでもなんでもなく、煽りだった。……そうだ、ユリアンはこういう奴だった。私は何を期待していたのか。

 

「……わかった」

 

マルガレータは低い声で答えた後、鬼気迫る顔で何やら準備を始めた。

 

「せっかくの美人が台無しだぞ。もっと気楽でいいんだぞ」

 

「……」

 

ブルースの軽口にもまったく反応しない有様だ。

 

戦闘開始早々、マルガレータの艦隊は散開してブルース・アッシュビーの艦隊を半球状に囲み、それから一斉に突撃を開始した。

 

アッシュビーはその突撃の大部分を急速前進によって正面の敵を食い破り、回避した。いや、回避したかに見えた。マルガレータの艦隊は避けられた先で集合しつつ回頭し、アッシュビーの艦隊に後背から迫った。

 

ホーランドの芸術的艦隊運動を取り入れた散開・突撃と、その後のヤンのアルタイルでの戦術を彷彿とさせる敵後背への攻撃は、艦艇行動の事前プログラミングによって行われたものだった。つまり、ここまでの動きはマルガレータの予想通りだった。

 

アッシュビーは、さらに全速前進しつつ右に進路を曲げて行き、ついにはマルガレータの艦隊の後背に食らいた。

 

しかし、敵の後背と見えたものはもう一つの正面だった。

マルガレータはアッシュビー艦隊を追いつつ、後方半数の艦隊を気づかれないよう少しずつ回頭させ、後背につくであろう敵の迎撃に当たらせたのだ。

 

結果、アッシュビー艦隊は前後から挟撃される形になるはずだった。

そうならなかったのは、アッシュビーの破壊力と速度がマルガレータの予想を遥かに上回っていたからだった。

アッシュビーは正面のマルガレータ艦隊半数と接触するやいなや、その艦列が整い切っていないポイントを見抜いて、全軍による攻撃で短時間で撃ち破ってしまった。

その上で後背から迫る残り半数の敵に対して再度急速前進しつつ右に徐々に方向を曲げ、ついにはその後背をついた。互いの尾を追いかけ、喰らいあうだけの消耗戦。

しかし、マルガレータの方が艦隊の半数を打ち破られた今となっては、アッシュビー艦隊が最後に残るのは明白だった。

マルガレータは最後の抵抗とばかりに再度艦隊の散開させ、360度から側面攻撃を試みようとしたが、その可能性を頭に入れていたアッシュビーにとって、それはただの乗ずるべき隙に過ぎなかった。

さらに撃ち減らされ、残存艦艇が20%を切って、マルガレータはようやく降伏を選択した。

 

 

伯爵令嬢らしからぬ罵りの言葉を帝国公用語で口にしてしまうほど、マルガレータは悔しがった。

結局惨敗に終わったのだ。ユリアンにもヤンにも合わせる顔がなかった。

 

だが、ブルース・アッシュビーの反応はまた違っていた。

「なかなか面白いものを見せてもらった。未来ではあのような戦術が一般的なのか?」

 

ライアルが答えた。

「いや、そんなことはない」

 

ヤンは頭を抱えたくなった。この時代にない戦術ばかりマルガレータは使ってしまったのだ。

 

ヤンはブルースとローザスにお願いした。

「この時代にはない戦術ですので、どうか広めることのないようお願いします」

 

「……ああ、勿論だ。他人の戦術など好んで使う気にはならないしな」

そう答えるブルースに対して、ローザスの方は考え込んでいた。艦隊を自動化してもやりようによってはアッシュビーともそこそこ戦えることが目の前で示されたのだ。今は無理でも将来的には艦隊の自動化を目指してもよいかもしれない、と。

 

ユリアンがマルガレータに近寄って来た。

マルガレータはユリアンに失望されたかと思った。ユリアンを止める能力がないと見なされることをマルガレータは恐れた。それはユリアンと自分との間の唯一特別な繋がりが消えることを意味する。少なくともマルガレータはそう思っていた。

 

ユリアンはマルガレータに偽名で呼びかけた。

「ヘンライン少尉、面白い戦いだったよ。励ました甲斐があったよ」

 

 

励まし?あの煽りが?マルガレータは当惑した。

「アルツターノフ少尉、あれは励ましだったのか?」

 

ユリアンは本気で驚いていた。

「えっ!?それ以外のなんだと思ったんだい?」

 

「……」

 

沈黙したマルガレータの代わりにフレデリカがユリアンに忠告した。

 

「アルツターノフ少尉、励ましたいならもう少し言葉を考えた方がいいわね。友達を無くすわよ」

 

ユリアンは目を瞬かせた後、ブルース達を気にしてフレデリカに小声で尋ねた。

「エンダースクールではみんなこうやって励ましあっていたと思うのですが」

 

生き馬の目を抜くエンダースクールの日々を思い出してみて、フレデリカは目眩を覚えた。あれを励まし合いだと思っていたなんて、なんてかわいそうな子なのだろう。

「……あれは励ましじゃないわ。動揺を誘うために煽りあっていただけよ」

 

「そんな……」

エンダースクールでの数少ない良い思い出、と思っていたものの真実を知り、一人ショックを受けるユリアンを残し、ブルース・アッシュビーとの戦術シミュレーションは終了した。

 

 

 



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18話 不協和音のロストワールド/作戦会議

ティアマト星域が近づいてきた宇宙暦745年11月20日、同盟軍宇宙艦隊総旗艦ハードラック内で作戦会議が開かれた。

ヤンはこの会議にローザス提督直下の情報主任参謀兼情報部出向者の代表として参加した。

 

目の前には歴史に名を残す名将達が並んでいた。歴史の現場に立ち会って、ヤンとしても無感動ではいられないし、居眠りも控えるつもりだった。

彼らに関しては、何度も読み返したローザス提督の回想録における記述がヤンの頭に強い印象として刻み込まれていた。

 

男爵(バロン)」ウォリス・ウォーリック中将。黄ばんだ紅葉色の髪と同色の瞳を持ち、口髭を生やした伊達男。何をやっても一流の寸前までいけた男。大解放戦争の後、独立諸侯連合に留まり、連合建国の父と呼ばれる一人にして本物の男爵となった男。常に二番手に甘んじ、ブルース・アッシュビーに対して屈折した感情を抱いていたというのは息子のアリスター・フォン・ウォーリックの言である。

 

行進曲(マーチ)」フレデリック・ジャスパー中将。ダイナミズムに富んだ用兵を特徴とする戦術家で、勝つにしても負けるにしても派手だった。「中途半端は俺の主義じゃない」が口癖だった。

勝ち勝ち負けのパターンを繰り返す奇妙なジンクスの持ち主で、本会戦は勝ちの番に当たっていた。

大解放戦争でも転戦を重ねて、ジンクス通り負け戦もあったが、最も武勲を積み重ねた人物である。

大解放戦争後は同盟軍副司令長官、コープ退任後には司令長官を務め、独立諸侯連合の支援に出向くことも多々あり、そこでも勝ち勝ち負けを繰り返した。ウォーリックには独立諸侯連合への移籍を度々勧められたが、各種の事情により結局それは実現しなかった。しかし彼の部下には移籍する者も多数現れた。

 

ジョン・ドリンカー・コープ中将。名前に反してアルコールに対するアレルギー体質の持ち主。ジャスパーと異なり黙々と自分の責務を果たすタイプであるが、やはり優秀な戦術家で、逃げる敵を追撃して戦力を削ぐことを得意とする。大解放戦争最初の大会戦、イゼルローン回廊出口の会戦で撤退を始めた帝国軍を追撃し甚大な損害を与えたのも彼だった。

ウォリス・ウォーリックが独立諸侯連合に移った後、宇宙艦隊司令長官を務め、統合作戦本部長となったファン・チューリン、副司令長官となったジャスパーとのトリオで、大解放戦争後の同盟軍の立て直し、独立諸侯連合に舞台を移した対帝国戦争を戦い抜いた。

 

ヴィットリオ・ディ・ベルティーニ中将。破壊力はアッシュビーにも勝るとされる猛将。重量級の体躯と、頰髭と傷痕が特徴的な強面で粗野な人物と見なされがちだが、日常的には気の優しい人物。小柄な女性と結婚し、「熊とリスの結婚だ」とフレデリック・ジャスパーにからかわれた。趣味の熱帯魚は本出征前に全滅した。

 

ファン・チューリン中将。周到な準備と緻密な計算に基づく用兵で、大崩れすることがなかった。気難しく堅苦しい性格で冗談を解さない。アッシュビーは彼を決して好いてはいなかったものの、信頼していたというのがローザスの印象である。

彼は作戦会議の場にヤンを見て一瞬怪訝な表情をした。ローザスが彼を情報部から出向した将校だと説明したことに納得したようで、それきりヤンには見向きもしなかった。

 

ジョゼフ・キングストン中将。後方勤務部長。彼は730年マフィアの一員ではないため、ローザスの回想録における情報は少ないが、同盟軍の戦史が伝えるところではデスクワークに堅実な手腕を発揮した人物で、ティアマト会戦においては後方勤務部長、大解放戦争においては後方勤務本部長として、アッシュビー達の活躍を支えた。

現時点で、40代後半であったが、自分より若年で強引な指示の目立つ宇宙艦隊司令長官に対して、常に職務の範囲では誠実な対応を行なってきた。

 

ブルース・アッシュビー、アルフレッド・ローザスに加えてこのような人物達が会議の参加者だった。

 

会議の場でブルース・アッシュビーは、奇妙なほど高圧的で、自らの作戦について説明不足であった。とにかく俺のいうとおりにしろ、という態度を押し通そうとした。

 

ジークマイスターの情報があった上でのことだとヤンは理解していたが、それにしても他にやりようはないのかとも思う。それに、ジークマイスターの情報を得ていたのはこれが初めてではないはずであるのに。

 

そのようなブルース・アッシュビーに対して、猛然と異議を唱えたのはジョン・ドリンカー・コープであった。

彼が公然と彼に逆らったのはこれが初めてだった。

刺々しい応酬の末、コープは次のような痛烈な捨て台詞を吐いて会議室を出て行こうとした。

「あんたは変わったな、アッシュビー、それとも最初からそうで、俺のほうに見る目がなかったのか」

 

アッシュビーは顔中に怒気を漲らせたが、コープを呼び止めようとはしなかった。

常であれば仲裁に入ることの多いローザスも、この時はそれを行わなかった。代わりとなったのがベルティーニだった。

「コープ、言いたいことはわかるが、ちょっと待ってくれよ」

 

コープはベルティーニの言葉よりもその握力によって行動を制止させられた。

 

「なあ、アッシュビー。おいらも馬鹿だからあんたの今回の説明はよくわからなかった」

自分も馬鹿の一人にされたコープは、腕を掴んだままのベルティーニに何か言いたげな視線を向けたが、ベルティーニは構わず続けた。

「まあ、決定権はあんたにあるし、おいら達は納得のできない作戦でもそれに従うだけなんだけど。それでも、おいら達が気持ちよく仕事をするために何か一言あってもいいんじゃないか。ほら……話ができるのも生きている間だけなんだから」

ベルティーニは最後の一言をローザスを見ながら言った。

 

ベルティーニの介入に、ブルース・アッシュビーも多少なりとも冷静になった。

ローザスもここに至ってアッシュビーを促した。

「皆、お前の言葉を待っているぞ」

 

ブルース・アッシュビーはため息をつきながら皆に言葉をかけた。

「説明不足は認める。俺の作戦を信じて従って欲しい。頼む」

 

頭こそ下げなかったものの、アッシュビーからの歩み寄りの言葉を聞き、コープはようやく出て行くことをやめた。

 

和やかとはいかなかったが、作戦会議はどうにか出席者が欠けることなく終わることができたのである。

 

ここまでの展開は、ヤンが知る歴史のそれと同じだった。回想録にも事前の作戦会議で内部対立が起きかけて、ベルティーニの仲裁によってそれが収まったことが書かれていた。

 

この先も史実の通りの展開となって欲しい、そう思いながらヤンは会議室を後にした。

 

会議室にはブルース・アッシュビーとローザスが残された。

 

ローザスにはブルースに言うべきことがあった。

「ブルース、ベルティーニの仲裁がなければ、戦う前に内部崩壊することになっていたかもしれないぞ」

 

ブルース・アッシュビーは机に足を投げ出した。

「馬鹿な奴らだ。俺の作戦の通りに動けば勝てるに決まっているのに」

 

「ブルース!」

ローザスは暴言を窘めた。ここまでのことを言うのは、いかに圭角ばかりのブルースと言えども今までならあり得ないことだった。

 

だが、ブルースは気にも留めなかった。

「今の俺にはジークマイスターからの情報だけでなく、未来知識がある。あの未来人達が、会戦場所と帝国軍の基本戦術構想を言い当てていたのを見ていただろう?ジークマイスターもまだその情報を掴んではいなかったというのに」

 

「……しかし、彼らは未来の情報を話すつもりはないはずだぞ」

 

「今回あのフォン中尉は俺の作戦に異議を挟まなかった。彼は俺にここで負けてもらっては困る立場だ。それだけでも十分な情報になる。それに、いざとなれば、あの中の誰かを人質にすれば色々と情報を吐き出してくれるんじゃないかな」

 

ローザスは耳を疑った。

「人質を取るなど同盟憲章違反だろう」

 

「奴らはこの時代の人間ではない。何の権利も保証されない存在だ。そもそも、ジークマイスターの諜報網が後ろ暗いことを何もしていないと思っているのか?」

 

「……」

 

ブルースは椅子から立ち上がり、黙り込んだローザスの肩に手を置いた。

「なあ、ローザス。奴らがいくら隠そうとしても透けて見えることはある。お前さんも感づいているだろう?この戦いで俺は勝って、以前から話していた通りに政界進出し、最高評議会議長にもなれるだろう。帝国領侵攻するところまでもきっと実現できるのだろう。だがその後、どこかで俺は失敗するんだ」

 

ローザスもそれは薄々感じていた。帝国は未来においても存続している。アッシュビーがこの戦いに勝った後に実施を進めるであろう帝国領侵攻作戦は、どこかで頓挫するのだ。

 

「俺はその失敗を許容できない。帝国領侵攻を成功させるためには奴らの未来知識が必要だ。そのためには何でもしてやるさ。未来は変わる。俺が変えてやる。奴らにとっては不本意な結果だろうが、それが俺たちの悲願だろう?」

 

「それはそうだが」

ローザスも、帝国を打倒できない未来と打倒できる可能性を提示されれば、後者を選択したい気持ちはあった。彼が守りたいのは未来の歴史ではなく、同盟と民主共和制であるのだから。

 

アッシュビーはなおもローザスに語りかけた。

「なあ、ローザス。失敗さえ冒さなければ俺は帝国を手中にできるんだ」

 

その言葉にローザスは引っかかりを感じた。アッシュビーの顔を見て言った。

「同盟が、ではなく、お前が、なのか」

 

ブルースは驚いた顔でローザスを見た。

「当たり前だろう。同盟に二倍の人口を持つ帝国を支配することなんて出来るわけがないだろう?俺は兵士達の命を無駄な目的のために浪費するつもりはない」

 

「民主主義を広め、彼らの自治に任せればいいじゃないか。それが同盟の帝国領侵攻に当たっての基本方針だっただろう?」

 

アッシュビーは鼻で笑った。

「それは帝国領侵攻が夢物語だった時代に立てられた方針だ。机上の空論だ。今まで専制にどっぷりと浸かっていた者たちにいきなり自治などできるのか?治安を安定させ、民主主義を根付かせるのに同盟はどれだけの労力を注ぎ込むことになるのだろうな?同盟は帝国を征服したがために滅びるかもしれんぞ」

 

「ではどうするというんだ?」

訊きながらもローザスはブルースの答えを聞きたくなくなってきていた。

 

「だから、俺が帝国の新たな為政者になって、上から押さえ込み、徐々に改革していく方が現実的だと言っているんだ」

 

新たな為政者?

ローザスの頭に、同期生アンドリュー・ホィーラーの抱いていた懸念が浮上してきた。

アッシュビーはルドルフになるのではないか、ホィーラーに先日そう言われた時には一笑に付したが、先の会議におけるアッシュビーの態度で、ローザスの中にも疑いが芽生えてしまっていた。

だから尋ねた。

「ブルース、お前さん、ルドルフにでもなるつもりじゃないだろうな?」

 

ブルース・アッシュビーは笑った。

「ルドルフ?馬鹿なことを言うな。あんな奴になる訳がないじゃないか」

 

ローザスはほっとした。

 

次の言葉を聞くまでは。

 

 

「俺はルドルフなどよりも、はるかに良い皇帝になる。とても優しい皇帝に俺はなるぞ」

 

ローザスは椅子から立ち上がって後ずさった。

目の前の人物が自らの僚友だと信じられなくなった。

こいつは誰だ?俺はこんな奴を支えてきたのか?クローンと入れ替わっているのではないか?

しかし、ローザスの類稀な観察眼は、目前の人物がブルース・アッシュビーであることを否定しなかった。

 

ローザスは言葉を絞り出した。

「それはお前を信じて出征する兵士、同盟市民に対する裏切りだ。ジークマイスターも、そんなことのためにお前に協力しているのではないぞ」

 

ブルース・アッシュビーはやれやれと言いたげに首を振った。

「ローザス、何を言っているんだ?俺が帝国との慢性的な戦争状態を終わらせてやるんだ。同盟市民のことを考えているだろう?ジークマイスターのことも考えているぞ。ゴールデンバウム朝を滅ぼしてやるし、俺が皇帝になった暁には帝国内で人民主権的な政策を実施してやる。自由帝政という奴だ」

 

「自由惑星同盟はどうなる?同盟も専制国家にするつもりなのか?」

 

「同盟は、ローザス、お前に任せる。自由惑星同盟と銀河帝国の二重帝国、大銀河帝国の皇帝となった俺の元で、自由惑星同盟は民主主義を保証される。何の後ろ盾もない状態より、遥かに同盟の民主主義は安定するぞ。腐敗した政治家も独裁者も、俺が許さないからな」

 

「そんなお前に誰がついていくというんだ?」

 

「皆ついてくるだろうよ。俺が勝ち続ける限りは。そして俺は勝ち続ける。勝利の女神と時の女神、その両方を味方につけて」

 

「……」

確かに、同盟の民衆は勝ち続ける限りアッシュビーを熱狂的に支持するだろう。彼が皇帝になりおおせてもそれが銀河帝国内でのことに留まるならば、きっと。

下手をすると帝国の民衆も彼を支持するかもしれない。

そしてそのうちに手遅れになるのだ。

 

「なあ、ローザス。お前さんのことを俺は友達だと思っているんだ。だからここまで話したんだ。協力してくれ。俺は銀河全人民の導き手になって皆を幸せにしてやる。子供を導く理想の父親みたいなものさ。優しい皇帝に俺はなるぞ」

ブルースはローザスに歩み寄った。

 

ローザスは、ブルースの精神を慮った。

ブルースが幼い頃に彼の父親は家を出て行った。

ブルースはそれ以来あたたかい家庭というものを信じられなくなった。アデレード夫人もブルースを引き留めることはできなかった。だが一方で、ブルースは心の何処かでそれを求めていたのではないか。父性の対象は全銀河人民……代償行為に巻き込まれる側はたまったものではないだろうが。

 

「ブルース・アッシュビーによる全銀河人民のための大銀河帝国。俺の言う通りにすればそれが実現するんだ。さあ、そのための戦いはこれからだ!」

ブルースは熱弁しながらローザスの手を取った。

 

ローザスはその手を振りほどくことができなかった。



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19話 危急存亡のロストワールド/会戦前

宇宙暦745年12月、帝国軍七個艦隊五万六千隻と同盟軍五個艦隊四万八千隻がティアマト星域に集結した。

ここまでの兵力が一つの星域に集中することは同盟軍と帝国軍の長きに渡る戦いでも稀であった。まさに帝国と同盟の命運をかけた一大決戦である。

 

ヤンは、戦いに臨む兵士達の空気を感じ取っていた。

この時代既に厭戦感情が個人レベル以上のものになりつつあったと歴史は伝えているが、兵士達の間には防衛戦争への意気込みが確かに存在するとヤンには思えた。比較の問題かもしれないが、それは宇宙暦8世紀末、独立諸侯連合領で帝国軍と戦っていた同盟軍の兵士達からは半ば失われていたものだった。

戦いへの意義を感じられることと感じられないこと、どちらが幸せなのかヤンにはわからない。

ヤンはこの戦いに参加しているはずのアレクサンドル・ビュコック大将、前同盟軍宇宙艦隊司令長官、この時代では19歳の砲術下士官のことを考えた。この時代で話す機会はきっとないだろうが、未来に戻ることができたら「呼吸する軍事博物館」たるかのご老人と一度話がしてみたいと思った。

 

当然のことながら同盟軍兵士達には戦いへの不安も忌避感も皆無ではなかった。特に、上層部の不協和音は兵士達の間でも噂になっていた。

とはいえ、兵士達の不安が深刻なものとなっていないのは、ジャスパーのジンクスが勝ちの順番であったこともさることながら、ブルース・アッシュビーが戦う度に勝利をもたらしてきたからに他ならない。

 

仮にブルース・アッシュビーがこの戦いの中で倒れるようなことがあれば、この会戦自体が敗北で終わるだけでなく、精神的支柱を失って同盟軍が崩壊し、同盟それ自体が存亡の危機に陥ることにもなりかねなかった。

歴史改変のことを抜きにしても、それは何としてでも避けなければならないことだった。

 

ライアルはハードラック内でフレデリカに与えられた士官用の個室にいた。彼は密航同然の状態のため、出歩くことはできない。

このため、フレデリカの部屋がライアル達の作戦会議室となった。

 

フレデリカがライアル、ユリアン、マルガレータに報告した。

「この数日の皆さんの協力のお陰で艦内主要部に監視カメラを設置し終えました。特に艦橋部は複数のカメラによって死角をなくしています。カメラの映像はこの部屋から把握できますので、常に私が確認するようにしておきます。何者かがアッシュビー暗殺に動く兆候を見つけた場合など、必要があればイヤホンを通じて私が指示を出しますので皆さん気をつけておいてください」

 

単純に艦橋でブルース・アッシュビーを護衛するだけでなく、監視カメラでモニタリングするというアイデアはユリアンの発案だった。

ユリアン、マルガレータは小型のイヤホンを付けて、フレデリカの指示の元艦橋でアッシュビーの護衛にあたることになった。

勿論、アッシュビーには彼らの他にも正式な護衛役がついており、二重の防衛体制が敷かれる形になっている。

 

ハードラックの周囲も三隻の巡航艦と六隻の駆逐艦で固められており、外部からの攻撃に備えられていた。これはアッシュビー暗殺と関係なく、総旗艦を守るための通常通りの護衛体制である。

ヤンは巡航艦の一隻に既に搭乗しており、外部からの攻撃の兆候がないか万一に備えて見張ることになった。艦長にはヤンに従うようにアッシュビー直々の指示が与えられていた。

 

このようにライアル達の準備が整えられた頃、フレデリカの個室に訪問者があった。

一度ブルース・アッシュビーがやって来たことがあったが、その時はライアルが追い返した。今回もそうかもしれないと内心溜息を吐きつつ、設置したカメラの映像で相手を確認したフレデリカだったが、今回は違った。

訪問者は参謀長として多忙な筈のローザスだった。

「レッドフォード氏はいるかね?」

ローザスはライアル・アッシュビーの偽名を口にした。

 

呼ばれたライアルも少々驚いた。

「ローザス提督、今の時期にこんなところに油を売りに来ていいのか?」

 

「開戦前に交代で最後の休息を取っているところだ。仕事は副参謀長に任せてある。戦いの前にお前さんと話がしてみたくなった」

 

「無論こちらは構わないが」

 

「答えられる範囲でいい。教えてくれ。お前さん達の時代、帝国はどのような存在だ?」

 

ライアルの警戒が高まったのをローザスは見て取った。

「もうわかっている。帝国は未来においても続いているんだろう?」

 

ライアルは慎重だった。

「想像に任せる」

 

ローザスはライアルの返事に構わずに続けた。

「未来はどうだ?こんな戦いが未だに続いているのか?」

 

「酷いこともいろいろと起きるが、言えるのはあなた方のお陰でそれほど捨てたものにはなっていないということだけだ」

 

ローザスは未来から来た者達に思いをいたした。

「まあ、そうか。あの二人のように有望な若者がいるのだものな。ジークマイスター提督がひどく残念がっていた」

 

ライアルは、二人のことを考えた。マルガレータはともかく、ユリアンに「有望」という言葉は妥当なのだろうか。まあ有望過ぎるほどに有望かもしれない。もたらしてくれるものが希望なのか絶望なのかは未だにわからないが。

 

ローザスは何気なさを装って尋ねた。その質問こそ今回の訪問の目的であった。

「お前さんは、ルドルフになれるならなりたいと思うか?」

 

ライアルはその問いにルドルフクローンのことを想起した。

「ルドルフになりたいとは思わないな。……アッシュビーになりたいとも思っていなかったが」

 

クローンに対して適切な問いではなかったことを認識し、ローザスは問いを変えた。

「では、宇宙を手に入れられる機会があったら手に入れようとするのか?」

 

ライアルは遠い目をして呟いた。

「妻一人御し得ないで宇宙の覇権を望むなんて不可能だと思わないか?」

 

フレデリカが淹れた紅茶を盆に乗せて笑顔で近づいて来た。

「何か言いましたか?」

 

「何も言っていません」

ライアルの返事は棒読み気味だった。

 

ローザスはそんな二人の会話を見て、この男はブルースとは何かが違う、と思った。

ブルースは危険な天才であるが、彼は何というべきだろうか?尻に敷かれた天才?

ブルースに似ていながら考え方の異なるこの男は今までどのような来歴を辿ってきたのだろうか?

話を聞いてみたいところだが、それこそ簡単には教えてくれない部分だろう、とローザスは諦めた。

 

「ありがとう。邪魔をした。紅茶を頂いたら艦橋に戻るよ」

 

ライアルはローザスの目を見た。

「今の会話で用は済んだのか?」

 

ローザスは紅茶に目を落とした。

「ああ。特に何かあったわけではない。よい息抜きになったよ」

 

ローザスは去っていった。

 

 

三時間後、ティアマトにおける同盟と帝国の二度目の会戦の火蓋が切って落とされた。




もう一話、本日中に投稿予定です。


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20話 一将万骨のロストワールド/第二次ティアマト会戦記1

本日更新二話目です。


第二次ティアマト会戦と呼称されるその戦いは、12月5日9時50分、遠距離からの砲火の応酬をもって開始された。

 

「前進!敵の中央と右翼のあいだを突破せよ」

アッシュビーの指示はあらかじめ伝達されており、改めての命令はその再確認に過ぎなかった。

ベルティーニの第九艦隊と、コープの第十一艦隊がその指示に従って動き出した。

コープは大いに不満を抱いていたが、仕事に手を抜くようなことはなかった。

急進し肉薄するそれぞれ一万隻前後の両艦隊に対して、帝国軍は砲火の集中でこれを押し留めようとした。

だが同盟軍主力もベルティーニとコープに呼応して砲火を強め、完全な集中を許さなかった。

 

その間にベルティーニとコープは隊列を乱すことなく帝国軍の砲列に肉薄することに成功した。

しかしここに至って帝国軍の砲火が両艦隊に集中し始めた。特にコープ艦隊に対する砲火の集中は凄まじかった。

 

「第十一艦隊は酔っ払い(ドリンカーズ)集団になってしまったぞ。頭から水をぶっかけて酔いをさましてやれ」

アッシュビーはそのような表現で致命的な事態に至る前に第五艦隊、ウォリス・ウォーリックに命じてコープを支援させた。

コープに対する苛立ちは完全には収まっていなかったとはいえ、それを理由に総司令官としての責任を放り出すほどアッシュビーは未熟でも無気力でもなかった。

 

12月6日14時30分、この会戦において初めて将官の戦死者が出た。

帝国軍のウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将が旗艦クーアマルクを突出させた時に、コープ率いる第十一艦隊からの集中砲火を浴び、艦ごと極彩色の雲となって四散したのである。

彼はアッシュビーに対して叔父であるケルトリング元帥の復讐を望んでいたが、それを果たせずに死ぬことになった。妻と一人息子を残して。

ミュッケンベルガーの戦死によって帝国軍に生じた隙に、ウォリス・ウォーリックが乗じた。

男爵(バロン)」ウォーリック率いる第五艦隊は急進して帝国軍の左前方に突出し、半円を描きながらその一角を叩き、艦列を分断しようとした。

この動きを帝国軍の少壮の戦術家ハウザー・フォン・シュタイエルマルク中将は阻害しようとした。ウォーリックと同様に円運動を行い、第五艦隊に対して側背攻撃を成功させた。

 

しかしこの時、帝国軍本隊は危機の最中にあった。ベルティーニとコープが帝国軍に攻勢をかけ、カルテンボルン中将の旗艦に直撃を与え、重傷を負わせたのである。

それによって拡大した混乱に乗じて両艦隊は攻勢を強めた。

 

帝国軍は本会戦において戦力を二分しており、その一方は大規模な繞回運動によって同盟軍の背後を遮断し、包囲殲滅しようとしていた。

 

シュタイエルマルク中将はこの時戦況全体の分析研究によって、同盟軍の戦線に特異な点を発見していた。

彼らの配置と移動を解析するに、帝国軍の繞回運動を見抜き、およそ一個艦隊を備えとして用意しているように思えた。

叛乱軍は一個艦隊で遅滞戦闘を行い、その間に帝国軍本隊の撃破を狙っているのではないか。

 

シュタイエルマルクの知らぬことながら、アッシュビーはじっさいにジャスパーに繞回部隊への対処を命じていた。

 

慄然としたシュタイエルマルクは、急いで報告書をシャトルで総司令部へ送った。

「叛乱軍が我が軍の繞回運動を察知している可能性高し。敵の目論見は繞回部隊の進撃を遅滞させ、その間に本隊を撃破することにあるならん。この上は早期の撤退も視野に入れられたし」

 

この報告はツィーテン元帥の元に届いた。

 

 

同盟軍がこのタイミングで全面攻勢に出ていれば理想的な各個撃破の形が成立し、シュタイエルマルクの具申の有無に関わらず帝国軍本隊は大きな損害を被り、撤退を選択せざるを得なくなっていただろう。

だが、アッシュビーは全軍に一旦後退を命じた。

前線の同盟軍提督達は、その命令に唖然とした。

「我々は今勝ちつつある。何故後退しなければならないんだ!?」

コープはベレー帽を床に叩きつけながら叫んだ。

 

「援軍も寄こさず後退しろだと?総司令官殿は正気か!?」

シュタイエルマルクの攻勢に耐えていたウォーリックは横に居た従卒のチャン・タオにそう漏らした。

 

とはいえ、総司令官の命令を無視して動くような者は彼らの中には存在しなかった。

 

各司令官の心境が反映されたのか、渋々といった態で、同盟軍は後退していった。

それを追撃する余力は混乱が収まりきっていない状態の帝国軍にはなかった。

 

この後、二十時間に及ぶ戦闘の空隙が生じた。

 

この時間を両軍は補給と索敵、作戦会議に費やした。

索敵に関しては両軍共に芳しい成果をあげることはできなかったが、補給は順調に行われた。

 

問題は作戦会議だった。

 

ツィーテン元帥は、シュタイエルマルク中将の報告に一度は動揺したが、叛乱軍の後退によって強気を取り戻した。

「シュタイエルマルク中将の意見は一考に値するが、同盟軍の行動を見るにその可能性は低い。ここで奴らが攻勢に出ていれば、それこそ撤退を我々に強いることもできたのだから。繞回行動は継続する」

 

既に高級士官に死傷者が発生しており、このまま何の成果も出さずに退くことは国内政治の観点からも難しかった。

口には出さなかったが、シュタイエルマルク中将の、撤退を視野に入れろ、という言葉自体ツィーテン元帥は気に入らなかった。

……私が撤退を選択肢に入れられないとでも彼は思っているのか!?

ツィーテン元帥は自らに対して頭が固いという陰口があることを知っていた。シュタイエルマルク中将の文言は、ツィーテン元帥を余計に意固地にさせる結果となったのかもしれなかった。

 

ツィーテン元帥の言葉を受け、シュタイエルマルクは、少し考えた末に返答した。

「承知しました。この上は指揮権の範囲で全力を尽くさせて頂きます」

 

シュタイエルマルクにとっても叛乱軍の後退は不可解だった。しかしながら今後も敵が繞回進撃に対応した行動を取る可能性は否定しがたかった。このためシュタイエルマルクは万一への備えを一個艦隊レベルで用意することにしたのだった。

 

帝国軍も一枚岩とは言い難かったが、一方の同盟軍の内部対立はより深刻なレベルに達していた。

 

12月7日18時の作戦会議において、コープとウォーリックの言動は殆どアッシュビーに対する詰問に近かった。

ベルティーニは黙っていたが、これは彼ら二人がベルティーニの考えを代弁して、話す必要がなかったからに過ぎない。

 

「俺達は勝ちつつあった。あのまま攻め続ければ勝っていただろう。それを何故後退させた!?」

ウォーリックは冷静に話そうと努力はしたが、結局成功しなかった。

 

対するアッシュビーの答えは暢気にさえ感じられるほどだった。

「確かに勝っていただろうな」

 

アッシュビーの肯定に、コープは激昂せんばかりであった。

「ならばどうしてだ!?俺が手柄を上げるのが認められなかったのか?」

ウォーリックも同調した。

「勝利の花束を独占して俺達にバラの一本も寄越さないつもりか?」

 

ローザスが、深刻な司令部不信を口にしたコープとウォーリックを宥めた。

「コープもウォーリックも落ち着け。そんな訳はないだろう。アッシュビー総司令官、後退の理由を説明してください」

ローザスはあえて形式ばった言い方をした。

 

アッシュビーはこれは公式記録には残すなと伝えた上で説明を始めた。

「あのまま戦えば確かに勝ちはしただろう。しかし、それは単なる勝利に過ぎない。それでは同盟と帝国が百年来続けてきたありきたりな一幕の一つで終わってしまう。俺が求めるのは大勝利だ。来るべき帝国領侵攻のための布石となるような大勝利を、俺達はここで実現するんだ」

 

「帝国領侵攻だと……」

居並ぶ諸将にとってそれは夢の領域の出来事であった。同盟と帝国が接触して百年、小規模な偵察艦隊の侵入を除き、同盟軍が帝国領に侵攻を果たした事例は存在しなかった。それをアッシュビーは実現しようというのだ。

 

ウォーリックは士官学校卒業の際にアッシュビーが言っていたことを思い出した。

「俺達なら宇宙だって手に入れられる」と、彼はそう言ったのだ。

皆、酒の席での冗談だと思っていた。本気にしたのはアンドリュー・ホィーラーだけだと思っていたが、アッシュビー自身も本気だったとは。

 

「ブルース、お前さん、宇宙を手に入れられると本気で思っているのか?」

ウォーリックは、自らの問いに対するアッシュビーの答えを半ば予期していた。

 

赤毛の英雄は昂然と言ってのけた。

「アッシュビー以外の何者にそれが叶うだろうか」

 

ウォーリックは彼我の差を見せつけられる思いだった。ここでそのように答えられるのがアッシュビーという男なのだ。

 

「ならばその大勝利というやつを見せてもらおうじゃないか。それが出来なかったならば、俺は金輪際お前さんの下では働かないからな」

アッシュビーに気圧されたウォーリックのせめてもの強がりだったのかもしれないが、その言葉は会議の方向を決定づけた。

 

コープも続いた。

「俺もだ。ここで大勝できないようなら、悪いがこれ以上お前さんには従えない」

 

ジャスパーやファン・チューリンまでもが頷いた。

 

ブルース・アッシュビーは肩を竦めながら答えた。

「いいだろう。まあ出来ないわけがないんだがな」

 

「言ったな。その言葉を忘れるなよ」

ウォーリックはそう言い捨てて席を立った。コープも続いた。

 

ベルティーニも今回は天を仰いで動かなかったし、ローザスは溜息を吐きながら静かに首を横に振っていた。

 

ともかくも、アッシュビーの大言によって、同盟軍はある意味でまとまったのだった。

 

アッシュビーの言う大勝利が実現するかどうか見てみようじゃないか。実現できなければその時は……

 

 

 



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21話 星海哀哭のロストワールド/第二次ティアマト会戦記2

本日もう一話投稿予定です。→遅れています。すみません。



アッシュビーの大言によって、同盟軍はある意味でまとまった。

 

アッシュビーの言う大勝利が実現するかどうか見てみようじゃないか。出来なければその時は……

 

その意識が、アッシュビーによる常識外の部隊引き抜きを各司令官に許容させた。

アッシュビーはファン・チューリンの艦隊から抽出した三千隻の艦隊を核として、各艦隊から少しずつ部隊を抽出し、最終決戦部隊を編成していった。

 

アッシュビーはその最終決戦部隊を帝国軍に気づかれないように戦場外縁に移動させた。

提督達との不和など意に介していないかのようにアッシュビーは意気軒昂だった。

「さあ、戦いはこれからだ!」

 

ヤンは巡航艦アウトノエの艦橋で、戦闘の推移を見守っていた。無論、周辺の状況についても警戒を怠ってはいない。

……艦橋メンバーに不自然な動きをする艦がないか確認するよう指示を出して任せるだけだったが。

 

ティアマト会戦の戦闘詳報を何度も読み返していたヤンにとって、今更目新しい展開はなかった。

状況は史実をなぞっていると言えた。

 

それでも会戦全体に勝ちつつある状況から後退を命じるなど、まともな司令官にできることではなかった。自らの目で見ることでその思いは余計に強まった。

 

とはいえ、ヤンにはアッシュビーの意図がわかっていた。歴史知識の助けを借りた上でのことだったが。

帝国軍に大打撃を与え、それによって帝国に暫くの間積極的な行動を取れなくさせる。その間に大勝利に沸く民衆の支持を受けて政治家に転身し、最高評議会議長として帝国領侵攻の準備を整える。さらには帝国軍が打撃から回復しないうちに侵攻を始め、ジークマイスターの諜報ネットワークと連携して帝国打倒を一気に推し進める。

それがアッシュビーの構想だったのだろう。

 

帝国はハード面の損失についてはそれほど時間をかけずに回復させることが可能である。それだけの底力を持っていたし、貴族私領艦隊という予備戦力も存在した。

しかし、正規軍の人的損失の回復には十年単位で時間がかかる。アッシュビーはそれを意図していたのだ。

 

一つの決戦における勝利によって、帝国領侵攻を可能とする戦略的状況を整えてしまう。それはまさしく、天才にして異端の戦術家と言うべき所業だった。

 

あるいはアッシュビーのこれまでの華麗な勝利も、帝国をこの一戦に持ち込むための準備に過ぎなかったと言えるかもしれない。

 

お前たちを叩きのめした人物はアッシュビーだ、と帝国軍を戦いの度に挑発し、帝国軍の注目と憎悪を自らに集めさせた。

その上でさらに勝利を重ね、小規模な戦いではラチがあかないと思わせ、総力を挙げた決戦を帝国軍に挑ませるに至った。

 

戦術的勝利を積み重ねられることを前提とした帝国打倒構想。戦略的状況を整えてから戦うことを好むヤンとは真逆のアプローチ。ヤンとしては追い詰められでもしない限りは同じ真似はしたくなかった。

 

ヤンはこの戦いに関して、いや、このタイムトラベルに関して、観察者に徹しようという意識が働いていた。歴史に影響を与えることを避けたということでもあったし、歴史学者志望としての欲を満たすことを優先していたと言えるかもしれない。

そのことが、彼の動きを受動的なものにさせていた。

 

ユリアンとマルガレータは交代で艦橋の状況に気を配っていた。今の所怪しい動きをする者は見受けられなかったし、カメラを通じて監視しているフレデリカからも特段の指示はなかった。

二人は引き続きアッシュビーの護衛を続けることになる。

 

 

アッシュビーの決戦部隊が移動を続ける間に戦闘は再開された。12月8日から10日にかけて戦況は一進一退を繰り返し、どちらが有利であるか容易に判断しがたい状況となった。

 

当初はフレデリック・ジャスパーの活躍が目立った。

彼の艦隊は当初帝国軍の繞回進撃への備えとして配置されており、ここまで戦う機会を得ていなかった。彼は彼でコープやウォーリックとは別種の不満を抱いていたわけだが、漸くそれを解消する機会を得たのだった。

 

わずか15分間の接近戦によって、ジャスパーは帝国軍の密集隊形を切り開くことに成功した。「チーズをナイフで切るように」と同盟軍史は表現している。

帝国軍は、突出したジャスパーの艦隊を左右から挟撃することを試みたが、ウォーリックの並列前進に圧迫され、6光秒にわたる後退を余儀なくされた。

「勝てそうですね」と幕僚に言われてウォーリックはベレー帽の角度を直しながら答えた。

「問題は勝ち続けられるかどうかだ」

 

局地的にジャスパーとウォーリックの連携は多大な効果を示し、相対していたカイト中将の艦隊は甚大な被害を被った。

コーゼル大将が救援に向かおうとしたが、その動きはファン・チューリンによって牽制され、果たせなかった。

司令官のカイト中将は戦死し、副司令官パルヒヴィッツ少将も重傷を負って意識不明の重体となった。

この方面における帝国軍の統率は失われた。このタイミングで同盟軍が全面追撃を行えば、同盟軍の勝利は決定づけられたかもしれない。しかし、それはアッシュビーの求める大勝利には繋がらなかったし、ウォーリック、ジャスパーの両艦隊が負った損害もまた大きなものだった。遅れながらもカバーに入ったシュリーター大将の艦隊と対峙しながら、彼らは再編のため後退する敗残部隊を黙って見送るしかなかった。

 

一方でその他の戦域ではシュタイエルマルク中将がコープとベルティーニを相手に有利に戦いを進めており、戦線全体ではどちらが有利とも判断し難かった。

 

その間にも帝国軍の主力は繞回運動を続け、同盟軍の後背を取ろうとしており、それに対してアッシュビーは効果的なタイミングで側背攻撃をかけようとしていた。

 

12月11日16時40分、帝国軍の主力が不完全ながらも繞回運動を完了し、ウォーリックとファンの艦隊の後背に出現した。

これによって帝国軍は同盟軍に対して挟撃を実現することになった。

 

帝国軍(やつら)を通すな!」

日頃のダンディーぶりをかなぐり捨てて、血走った目でウォリス・ウォーリックはどなった。

 

現段階で帝国軍の戦力は同盟軍の二倍であり、ここで突破を許せば同盟軍の全戦線が崩壊することになる。

既に半ば崩壊しつつあったが、同盟軍の各提督は必死で持ち堪えようと試みた。

 

「アッシュビーが来るか、死神が来るか。この競走は、なかなか観物だな」

冷静な表情は変えぬまま、ファン・チュ ーリンが呟いた。その唇は心なし白っぽくなっていた。冗談を解さぬとされる彼にしては軽口じみていたが、本人は冗談のつもりはなかったのだろう。

 

ジャスパーはウォーリックとファンを救援すべく帝国軍に横撃を試みたが、十倍する火力で報復され、危うく戦場の塵となりかけた。

「ブルースはなにをやってやがる!」

ジャスパーは怒号し、それでも収まらずに黒ベレーを艦橋の床にたたきつけた。

 

このタイミングでアッシュビーが来なければ、同盟軍は大勝利どころか大敗北を迎えるだろう。ジャスパーにはそれがわかっていた。

 

しかし30秒後、彼はベレー帽を拾い上げ、口笛で勢いよく勝利の行進曲を奏で始めた。

 

18時10分、アッシュビーが到着したのである。

 

この時のアッシュビー率いる決戦部隊の機動を知った後世の同盟軍将兵は唖然とすることになる。決戦部隊の航跡は綺麗な円を描いていたのだ。

 

無駄のないその機動は、アッシュビーが帝国軍来襲の位置とタイミングさえ事前に予測していたことを意味した。

余人には不可能な芸当というべきだった。

 

しかし、この時シュタイエルマルク中将が動いた。同盟軍攻撃に集中する帝国軍の中でシュタイエルマルクだけが、別働隊に備えていた。

 

シュタイエルマルクはベルティーニと対峙していたが、分艦隊にその相手を任せ、アッシュビーの進路の妨害に向かった。

ここで時間を稼げば、帝国軍は迎撃の態勢を整え、混戦に持ち込んで会戦を痛み分けに終わらせることができると彼は考えていた。

だが、彼はベルティーニを甘く見ていたかもしれない。

別働隊を意識していたことで、シュタイエルマルクのベルティーニに対する攻撃は、常の彼のそれと比較すれば弱いものとなっていた。

このために、ここまでの戦いで撃ち減らされてはいたもののベルティーニの艦隊はまだ最後の余力を残していた。

ベルティーニは艦橋で吠えた。

「シュタイエルマルクを追え!ここが勝負だ!」

 

ベルティーニはシュタイエルマルクの残した分艦隊を一瞬のうちに突破し、シュタイエルマルクの本隊に食らいついた。

シュタイエルマルクはその対応に手間取り、アッシュビーの行動を阻害することが出来なかった。

 

結果、帝国軍は前後から挟撃された。

アッシュビーは帝国軍の左側面を削ぎとるように急進し、途中で方向を変えて斜めに帝国軍の中央を突破し、帝国軍を潰乱の淵に叩き込んだ。まさに神業だった。

〝どうだ〟と、少年のような動作で胸をはってアッシュビーは味方の陣列を見渡し、ベルティーニの不在に気づいた。

「ベルティーニはどうしている!?」

 

ローザスが淡々と返答した。

「一人、シュタイエルマルク中将相手に奮戦しています。劣勢ですので支援を送るべきかと」

 

アッシュビーの顔に安堵の表情が広がった。

「死んだかと思ったぞ。奴にはまだまだ活躍してもらわないといけないからな。二千隻ほど送ってやれ」

 

ベルティーニのことを意識の外に追いやり、アッシュビーは壊乱中の帝国軍本隊を見据えた。

「さあ、最後の仕上げだ!」

 

わずか40分の戦闘で、帝国軍は六十名におよぶ将官の戦死者を出した。その中にはシュリーター大将、コーゼル大将ら歴戦の宿将も含まれており、帝国軍の人的資源は恐るべき損失を被ることになった。

「軍務省にとって涙すべき40分」

後に帝国軍はそう伝えることになる。

涙すべきなのが、軍務省に留まらないことを思い知らされるまでの間であったが。

 

勝敗が完全に決したのは18時50分前後のこととされる。

アッシュビーが構築した重層的な罠の中で帝国軍はのたうちまわった。

そこには陣形も艦列も存在しなかった。個艦ごとに逃げまどい、数瞬後には火球と化していく。時間差があるだけで次々に同じ運命を辿った。

最後まで組織的な抵抗を続けたのはシュタイエルマルク中将の部隊だったが、遂に抗戦を断念して敗走を開始した。

18時52分のことである。

 

ライアル達の歴史においてハードラックに流れ弾が当たったとされる瞬間が近づいてきた。

直撃した箇所にいた人員は無論即死であったが、艦橋への被害は軽微であり、ブルース・アッシュビー他数人が軽傷を負うに留まったとされる。

しかし、その混乱に乗じてアッシュビー暗殺を試みる者が現れないとも限らなかった。

これまで交代でアッシュビーの護衛に当たっていたユリアン、マルガレータの二人だったが、この時は艦橋に揃って警戒を行なっていた。

 

アッシュビーの旗艦ハードラックは三隻の巡航艦と六隻の駆逐艦に守られ、主戦場宙域から前進を始めた。

孤立した敵艦が散発的な砲撃を加えてきたため、一隻の巡航艦が砲撃を放ちつつ、わずかにハードラックから離れた。

 

ヤンの乗る巡航艦アウトノエともう一隻の巡航艦は、ハードラックから離れなかった。

仮に流れ弾の命中位置が記録に残るものと異なっていたとしても艦橋に致命的な損傷が及ばないように二隻の巡航艦でカバーしていた。あくまで念のためであったが、敵が流れ弾に関与している可能性を考えてのことだった。

 

次の瞬間、流れ弾の服を着た「運命」がやってきた。

 

ハードラックの艦体中央部右下で爆発が起こった。それは艦内を三層にわたって貫いて艦橋にまで被害を及ぼした。

 

司令部要員のアトキンス大尉が床に生じた亀裂に飲み込まれた。

 

震動で転倒した作戦参謀ヒース少佐がようやく起き上がり時計を見たところ19時7分を指していた。

 

アッシュビーは爆発の発生時、例の決め台詞を帝国軍に向かって通信しようとしていたところだった。

ヒース少佐はアッシュビーがいまだ煙の中に立っているのを見た。

 

さらに二度目の爆発が生じた。

 

その残響が収まった時、アッシュビーは床に倒れていた。

どこから飛来したものか、腹部にはセラミックの大片が突き刺さっていた。

 

ヒース少佐はアッシュビーの声を聞いた。

「おい、ローザス、すまんが軍医を呼んでくれ。このまま傷口を塞がずにいると、俺の腹黒いことが皆にわかってしまう」

 

ローザス総参謀長も頭に負傷をしていたが、それでも立ち上がって軍医を呼んだ。

「軍医、軍医!」

 

駆け寄って来た軍医に、ローザスは命じた。

「至急、アッシュビー大将を治療室に運べ!」

 

「しかし……」

 

「いいから言われた通りにしろ!」

ただならぬ様子のローザスに気圧されつつ、軍医はアッシュビーを担架に乗せてローザスと共に治療室に向かった。

 

後のことは作戦主任参謀兼副参謀長のフェルナンデス少将に任された。

総司令官と総参謀長が艦橋から居なくなるなど異例のことだった。皆、ローザス提督でも取り乱すことがあるのだと意外に思ったが、アッシュビー負傷ともなればあり得ることだと納得した。彼ら自身も動揺していたのだから。

 

マルガレータは、短時間気を失っていた。覚醒すると、自らの上にはユリアンが覆い被さっていた。

「ユリアン!何を!」

 

ユリアンは穏やかに笑っていた。しかしその顔は奇妙に白かった。

「目を覚ましたんだね。よかった。悪いけど自分で退くことができないんだ」

 

マルガレータは、ユリアンが急にマルガレータを艦橋から連れ出したかと思うと、次の瞬間に爆発が起きたことを思い出した。

ユリアンはマルガレータを庇ってくれたのだ。

「退くことができないって……」

 

「脚がね……」

 

見ると、ユリアンの右脚の膝から下が失われていた。

 

「!」

マルガレータは悲鳴を口の中に押し留めて立ち上がり、ユリアンの止血を試みた。

そうしながら軍医を呼んだ。

軍医は来なかったが、代わりにフレデリカがやって来た。

マルガレータとフレデリカは意識を失ったユリアンを両脇から担ぎ、治療室に向かった。

 

 

ヤンは巡航艦アウトノエの艦上で、一人愕然としていた。

……どういうことだ?あの場所に流れ弾が当たるはずがない!伝えられている史実と違う!それに、万一に備えて巡航艦二隻でカバーしていたはずなのに!

 

 

治療室の一つでフレデリカ達はローザスと合流した。

本来は入ることは許されないはずだったが、ローザスはやって来たのがフレデリカ達であることを確認して許可を出したのだった。

 

二台ある治療台にはユリアンとブルース・アッシュビーがそれぞれ寝かされていた。

 

軍医はユリアンに対して処置を施していた。

もう一人は既に手遅れであったから。

 

フレデリカもマルガレータも目の前の事態に蒼白となっていた。

 

ブルース・アッシュビーは、この第二次ティアマト会戦で道半ばにして死んだのだった。



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22話 螺旋迷宮のロストワールド/英雄の業

すみません、投稿遅くなりました。










 

 

 

英雄の死。

この事態に、フレデリカもマルガレータも何をしてよいかわからなくなった。

 

もはや歴史は変わってしまったのだ。

 

行動できたのは、アルフレッド・ローザスのみだった。

彼はフレデリカにライアル・アッシュビーを呼ぶように頼んだ。

 

カツラとサングラスで変装してやって来たライアルは淡々と事態を受け入れた。

 

ローザスがライアルに話しかけた。

「結局このような事態になってしまった。しかし、君達の未来に繋げる方法が一つだけあるように思う」

 

ライアルは答えを既に予期していた。

「俺に代役をやれと言うのだろう?」

 

「そうだ。この先起きることによっては、あるいはお前さんには酷な願いになるのかもしれないが」

 

フレデリカのヘイゼルの瞳が揺らめいた。

 

史実において、ブルース・アッシュビーはこの第二次ティアマト会戦では死ななかったが、大解放戦争における決戦、シャンタウ会戦で死ぬことになった。

ブルース・アッシュビーの代役を務めるということはその運命を受け入れることでもあった。

 

だが、ライアルは承諾した。

「それしかあるまいな」

そう言ってカツラとサングラスを取った。

 

マルガレータは思わずフレデリカに尋ねた。

「よいのですか?」

 

「よくないわ。でも……」

フレデリカは言葉を続けられなかった。

 

アッシュビーが二人いる事態に混乱している軍医に、ローザスは指示を出した。

 

「イセカワ軍医大佐。悪いがここで見たことは内密にしてくれ。ブルース・アッシュビーが死んだこともだ。いや、死んではいないな。このように生きている。……誰かに話したらどうなるかわかっているだろうな?」

殆ど脅しのようなローザスの言葉に、初老の軍医はただ頷くしかなかった。

 

ライアルはこれが運命かと思った。

 

アデレード夫人の件で、自らや他のクローンの行動が歴史に織り込まれていたことを理解した。

タイムマシンで過去に向かった神聖銀河帝国残党の目的も、歴史改変ではなく、ライアル達を使って本来はあり得なかった我々の今の歴史を実現することにあったように思えて来ていたのだ。

 

しかし、その通りであったとしても今となっては乗らざるを得ない。

 

納得もしていた。

常に自分は偽物だと考えていた。しかしある意味で自分もブルース・アッシュビーであり、大解放戦争を主導した本物の英雄であったということになるのだ。その最後に待ち受ける運命が暗殺であったとしても、人生の終着点としては悪くないかもしれない。

唯一心残りなことといえばフレデリカだが……

 

ローザスは迅速に指示を出した。艦橋にブルース・アッシュビーの無事と、ローザスが指揮を引き継ぐことを伝えた。

ハードラックの中破については帝国軍を喜ばせないという名目で箝口令を敷き、被害を小さく見せるための応急処置を指示した。

 

この指示によって、ハードラックの流れ弾による損傷とアッシュビーの負傷時の状況については、人によって様々な誤魔化され方をして語られることになった。

後世の歴史家は相互に矛盾する証言に頭を悩ますことになるのだった。

 

ヤンが遅ればせながら到着した。

 

ヤンはライアルから状況を聞いた。ヤンはフレデリカの心境を慮った。

「他に方法はないのだろうか?」

 

「他に方法を思いつくか?」

 

もう一人だけアッシュビー・クローンがこの時代に来ていたはずだったが、戦術能力でもカリスマ性でもライアルに劣るはずだったし、どのような人格なのかも不明だった。そもそも居場所を探す時間もなかった。

 

「航時機の再使用は?」

 

「ハードラックに積んで持ってきていれば別だったんだが。今となっては悔やまれるな」

今、ハイネセンに戻るためには1ヶ月を要する。そうなると何らかの形でティアマト会戦に再度参加するには2ヶ月分の時間遡行が必要になる。未来より過去に行く方がエネルギーを必要とする。過去2ヶ月分にわたって戻るような余剰エネルギーは航時機には存在しないはずだった。

 

ライアルに代役を務めてもらうのがやはり確実だった。

 

「案がないならばもう決まりだ。……そんな顔をするな。そんなに悪くないと思っているんだ。偽物だったはずの俺が本物になれるのだからな」

 

 

「本物ね……」

クローンとして生まれ、オリジナルになるべく強いられた存在の思いを、そうでない者が完全に理解することなどできない。

 

「しかし君は一体どこから来たんだろうな?」

 

「俺にも疑問だ」

 

大解放戦争が起きなかったら、おそらくライアル・アッシュビーは生まれないはずである。しかし、そのライアル・アッシュビーこそが時を遡って大解放戦争を主導することになるのだ。そしてライアル・アッシュビーが生まれ……また時を遡り……

まるで時の螺旋に囚われた存在。螺旋迷宮の住人……

 

「案外俺こそが時の女神に愛された存在なのかもな。時の女神の嫉妬が怖いから、アデレードやフレデリカみたいな意志の強い女しか寄って来てくれないんだ」

 

ライアルの惚気とも自嘲とも取れる発言に、ヤンは刺激されるものがあった。

「フレデリカはどうなる?」

 

「……」

 

「フレデリカに愛した男を失う悲しみを味あわせるのか?」

 

「お前さんが別の歴史でそうさせてしまったように、か?」

 

「……気づいていたのか?」

 

「そりゃあ、二人とも様子がおかしかったからな。何かあると思った方がいいだろう」

 

「そうか。それもそうか」

 

ライアルは静かに、淡々とその言葉を発した。

「なあ、ヤン長官。ヤン・ウェンリー。フレデリカのことを任せられないか」

 

ヤンは耳を疑った。

「何を言っているんだ!?いや、そもそも私は今の歴史で妻帯しているんだぞ」

 

「いや、別に今の奥さんと別れてフレデリカと再婚しろとか言っているわけじゃあない。本人達が望むならそうしてもらってもいいが。ただ、気にかけてもらえないか?俺がいなくてもお前さんがいれば、フレデリカは生きていくことができると思う」

 

「私はそれほど器用じゃないよ。ローザに複雑な思いをさせたくないし」

 

「今の歴史のお前さんはフレデリカのことが嫌いなのか?」

 

「好き嫌いの問題じゃあない!」

 

「なら、頼むよ。この通りだ」

日頃偉そうな態度の男が、この時は頭を下げた。

 

ヤンは溜息をついた。

「何も約束できない。しかし、私もフレデリカには不幸になって欲しくはないと思っている」

 

「それでいい」

ライアルは安堵の笑みを見せた。

 

ヤンはまだ納得出来ていなかったが、今はもう一つ、ヤンはライアルに伝えるべきことがあった。

「流れ弾のことなのだけど」

 

「どうした?」

 

「あれは本当に流れ弾だったのだろうか?」

 

ライアルは眉をひそめた。

「遠距離から狙い撃ちされたとでも?」

 

「いや。ハードラックは巡航艦二隻でカバーされていた。流れ弾が当たったように見えたハードラックの艦体中央部右下も含めてだ。そもそも同盟軍の記録では流れ弾が当たったのはそこではなかったはずなんだ。ローザス提督の対応を見るに、残された記録は改竄されていたのだろうけど。それはそれとしても、中央部右下に流れ弾が当たるはずはない。もし流れ弾が飛んできたなら巡航艦アウトノエに当たっていたはずなのだから」

 

「では、何なんだ?」

 

「ハードラックは内部から爆発したのではないかな?」

 

「……事前に爆発物が仕込まれていたというのか?」

ティアマト会戦開始数日前からフレデリカは旗艦各所の監視を始めていた。仕込まれていたとすればそれより前ということになりそうだ。しかも通路の構造物が爆発したという映像も捉えられていなかったから、艦の構造の内部に、である。

 

「おそらくは。二度目の爆発も怪しい。流れ弾は一発、艦橋周辺には万一の対策として当然ながら誘爆するようなものは置かれていなかったはずだ。ブルース・アッシュビーを確実に殺すために最初から複数爆発物を仕込んでいたのではないだろうか?実際一度目では死ななかったようだし」

 

「しかし、同盟軍の総旗艦に爆発物を仕込むなど、簡単にできるものなのだろうか?」

 

「神聖銀河帝国残党単独では少なくとも難しいだろうね。それに帝国軍でもない。帝国軍の仕業ならば、戦いが決する前に爆破していただろうから。となると同盟側の誰かが関与していることになる」

 

「艦の整備時に仕込まれたのか?」

 

「かもしれない。しかし議論したいのは誰がこのタイミングで爆破を敢行したか、だ」

 

「……」

 

「同盟軍の勝利という結果に影響を与えず、ブルース・アッシュビーが休憩のために艦橋を離れず、帝国軍からの流れ弾があってもおかしくない絶妙のタイミング。確実に殺すつもりならブルース・アッシュビーの位置取りも考える必要がある。フレデリカ少佐がやったようにカメラでモニタリングするにしても、少なくとも艦内だ」

 

「艦内といっても千人近い人員がいる。その中でも誰か心当たりがあるんじゃないのか?」

 

「将兵のうち注意すべき人物は四課の協力もあって監視が行われていた。我々も注意していた。その中に怪しい動きはなかった。しかし我々が味方だと思い、注意を払わなかった人物がいる」

 

ライアル・アッシュビーもその人物に心当たりがあった。

 

ブルース・アッシュビーの死に冷静な対処をした。

会戦前、ライアル・アッシュビーの元を訪れ、意味深な会話をした。

あるいは、そのことが動機となったのかもしれない。

 

しかし、ライアルは首を横に振った。

「やめておこう。ヤン長官。ろくな結論にならないし、それを暴いたとして我々にとって望ましい結果にはならないだろう。迷宮入りさせておく方が得策だ」

 

「しかし……」

 

「……等と言ってもヤン長官は納得しないか。ブルース・アッシュビーの代役とともに俺に任せてくれないか?決して悪いようにはしない」

 

ヤンは迷いつつも最終的に同意した。

 



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23話 生離死別のロストワールド/喪服と軍服と病院服の間

 

「勝ったのか、俺たちは……」

自らの感覚を疑うようにジャスパーが呟いた。

通信スクリーンから彼に劣らず疲弊したファンが返答した。

「彼らは去り、我々は残っている。一般的にはこれを勝ったというのじゃないか」

 

そこに別の通信波が割り込んで来た。

「ハードラック被弾、艦橋への損害あり、アッシュビー総司令官は軽傷を負うも無事なり」

 

ジャスパーは毒を吐いた。

「アッシュビーめ、日頃の行いが悪いからこうなるんだ」

 

ファンが混ぜ返した。

「では貴官は二回善行をしたら一回は悪行を働いているのか?」

 

「立派なもんだろう。善行の方が多いんだから」

 

730年マフィアは、アッシュビーの負傷の報に、心の何処かでいい気味だと思っていたかもしれない。しかしそれは生きていると思っていてこそのことであった。

 

ハードラックに集められた730年マフィアの面々はそこで真実を知らされた。

ブルース・アッシュビーが死んだこと、未来よりアッシュビーのクローンが暗殺阻止のためにやって来て、結局失敗したこと、この上はクローンが代役を務めること、を。

 

最も狼狽したのはウォーリックであった。

「ブルースの奴がくたばるはずがない!そこにいる男が別人でしかも未来から来ただと!?ローザスと二人で俺たちを担いでいるんだろう!?」

 

ローザスが指摘した。

「ならばこの死体はどう説明する?」

 

ウォーリックは頑なだった。

「蝋人形か何かだろう?クローンなどという話の方が信じがたい」

 

ローザスは溜息をついた。

「ならばブルースの死体を切り刻んでみせれば納得するのか?……お前さん方を本気で担ぐつもりならタイムワープやクローンなんて非現実的なものは出してこないさ」

 

壁を一度叩いて沈黙してしまったウォーリックに代わって、ファンが尋ねた。

「俺は冗談は嫌いだ。もう一度だけ訊く。本当にアッシュビーは死んだんだな?」

 

「ああ、そうだ」

ローザスの肯定に730年マフィアの面々は彼らのリーダーが永遠に失われたことをようやく認めることになった。

 

ファンはさらに訊いた。

「ローザス、アッシュビーが死んだことが事実だとして、そのクローンが今後俺達のリーダーを務めることになるのか?」

 

「そうだ」

 

まずコープが反対した。

「悪いがその案には乗れないな。ブルース本人ではないその紛い物に俺達のリーダーが務まるとは思えん」

 

ウォーリックも続いた。

「俺も認めない。ブルース・アッシュビーでない奴の風下に立つつもりなどない」

 

皆、口々に同様の言葉を呟いた。

 

今まで沈黙していたライアルが口を開いた。

「認めさせればよいのだろう?」

 

その言葉にウォーリックが反応した。

「何?偽物が何をどうやって認めさせるつもりだ?」

 

ライアルは笑った。

「ブルース・アッシュビーはその軍事手腕で自らを認めさせてきた。俺もそれに倣うとしよう。お前達全員を戦略戦術シミュレータで打ち破ってやる」

その笑みは730年マフィアの面々にとってさえ、ブルースのものと見間違えるものだった。

 

ライアル・アッシュビーと730年マフィアのシミュレータによる模擬戦闘が始まった。

彼らは一人ずつライアルと戦い、ライアルは一人一人、誠実に、丹念に、悉く叩き潰した。

 

ファンとベルティーニは一度で納得した。コープとジャスパーは三回で納得せざるを得なかった。

 

ジャスパーは戦いの後に呟いた。

「俺の勝利のジンクスが通用しない奴などブルースの奴しかいなかったというのに」

 

最後まで諦めなかったのはウォーリックだった。七度戦い、負け続けた。

ローザスを含む730年マフィアの面々はただ黙ってそれを観ていた。

それがブルース・アッシュビーの葬いになるかのように。

 

七度目でようやく負けを認めた時、ウォーリックの顔は悄然としたものになっていた。

「ブルース・アッシュビー以外に勝てなかったか……。奴のためにも勝ってやりたかったが……」

 

ライアルもシミュレータから降りた。

「いいや、お前さんはブルース・アッシュビー以外には負けていない。何故なら俺もブルース・アッシュビーになるのだから」

 

ウォーリックはライアル・アッシュビーを睨んだ。

「おい、クローン。お前に名前はないのか?」

 

「何?」

 

「名前だ。クローンにも名前ぐらいあるだらう?」

 

「……ライアル・アッシュビーだ」

 

「覚えておく。悪いが俺はあのブルース・アッシュビー以外認められない。だが、お前さんをブルース・アッシュビーの代役として認めないわけにはいかないのだろう。だからお前さんをブルースと呼ぶ時も、心の中ではその名前を呟いておくからな」

それはウォーリックが心の中で折り合いをつけたことの表明だった。

 

「わかった。それでいい」

 

ローザスがライアルに尋ねた。

「それで、今後どうするつもりだ?ブルースの奴は政界進出も考えていたようだが、それが未来の歴史につながるのか?」

 

「ああ、そうだ。俺とローザス提督はこの勝利と民衆の支持を足掛かりに政界に転身する。そうしてオリジナルのブルース・アッシュビーであればやっていたことをやる」

 

「何だ?」

ウォーリックはそう尋ねつつも既に答えをわかっていた。

 

「帝国領侵攻作戦。後の世では大解放戦争と呼ばれる戦いだ」

 

ウォーリックが皆を代表して質問した。訊かざるを得なかった。

「俺達は帝国を倒せるのか?」

 

「ここまで来たら言ってしまうが、帝国領侵攻は半ばまで上手くいき、そこで終わる。ブルース・アッシュビーの死によって、終わるんだ」

 

ウォーリックは疲れた声を発した。

「その戦いは無意味に終わるのか。結局ブルースはティアマトで死ななくても結局道半ばで死ぬのか」

 

「無意味ではない。その戦いの結果、帝国領内に銀河第四の国家、独立諸侯連合が出現し、銀河のパワーバランスは同盟優位に傾く。詳しくは話せないが、その先には銀河帝国が消滅し、曲がりなりにも平和となった未来が出現するんだ」

 

ファン・チューリンが尋ねた。

「貴官達の歴史をなぞることが、同盟にとっても良い結果に繋がると言いたいわけか?」

 

「そうだ。少なくとも、ブルースがここで死んだことになるもう一つの歴史では、同盟は帝国に併呑されるらしい。あなた方が退役し、死んだ後の話だ」

 

それは730年マフィア、同盟を守るために戦って来た者達にとっては衝撃的過ぎる情報だった。

 

ジャスパーがそっぽを向きながら吐き捨てた。

「できれば聞きたくなかったな」

 

「たしかに、その歴史は受け入れがたい」

ファン・チューリンも首を横に振りながら呟いた。

 

ウォーリックは、ライアル・アッシュビーを待ち受ける運命に気づいた。

「歴史をなぞるということは、お前さん、ブルースの代わりに死ぬことになるのか?」

 

「そういうことになる。承知の上だ」

 

730年マフィアの面々は、ライアルの顔に静かな決意を見た。

 

ライアルは、彼らを見渡し、頭を下げた。

「どうか、この俺に協力して欲しい」

 

少しの沈黙。

 

「頭を下げるな」

ジャスパーの言葉だった。

 

顔を上げたライアルにジャスパーは続けた。

「ブルース・アッシュビーは頭など下げない。常に偉そうにしていやがった。代役を務めるつもりなら気をつけるんだな」

 

それが承諾の返事だと理解し、ライアルは不敵な表情を取り戻した。

「わかった。そうさせてもらう」

 

艦隊司令官達が去り、後にはライアルとローザスが残った。

 

「ローザス提督」

立ち去りかけたローザスをライアルは呼び止めた。

 

「何だ?……アッシュビー」

ローザスは妙に生気のない声で応えた。

 

「ブルース・アッシュビーはルドルフを目指していたのか?」

 

ローザスは一瞬目を見開き、すぐに表情を戻した。

「そんなわけはないだろう。ブルース・アッシュビーは民主共和制の英雄だ。以前も、これからも」

 

「そういうことに、しておきたいよな」

 

「……何が言いたい?」

そう答えつつもローザスは相手が察していることを悟っていた。

 

「何も。ただ、貴官にはこれからも協力してもらう必要がある。俺が生きている間だけではない。俺が死んだ後も歴史の見守り手は必要だからな」

 

「俺に、生き続けろと言うのか?妻にも、友にも先立たれた俺に」

 

「そうすべきだろうな。貴官には果たすべき責任というものがある」

 

「ブルースへの責任か?」

 

「……貴官、息子がいるだろう?」

 

「いるが」

 

「クローンの俺が言うのも何だが、まず親として果たすべき責任があるんじゃないか?」

 

ローザスは驚いてブルースの顔を見た。

 

ライアルは苦笑した。

「貴官、わかりはするが、思い詰め過ぎだ。その様子では息子さんは寂しい思いをしていそうだな。俺達は軍を退役することになる。退役したら少し休みを取って息子さんともよく話してみたらいい」

 

ローザスは妻を失ってから息子とまともに話をしていなかったことを思い出した。

「……そうだな。そうしなければな」

 

場に沈黙が落ちた。

 

ローザスが絞り出すように呟いた。

「本当はブルースと共にあの艦橋で死にたかった。だが、俺は死ななかった」

 

ライアルは黙っていた。

 

「なあ、俺はいつまで生きたらいいんだ?」

その声は年齢よりもはるかに年老いたものに聞こえた。

 

ライアルは、ローザスの最後を思い起こした。息子夫婦の残した孫娘の婚約が決まった後に、睡眠薬の過剰服用して死亡。自殺を覚悟したものだったとされている。

それは、ローザスが四十年以上背負い続けてきたもののためだったのだろう。

 

「独立諸侯連合のエルランゲンという星系で、ヤン・ウェンリーという男が、奇跡の脱出劇を起こす。それが起これば、我々の歴史に繋がったことになる」

 

ライアルは少し考えて付け加えた。

「普通なら絶対に軍人にはならないような男だから、場合によっては何か手を回す必要があるのかもな」

 

「ヤン・ウェンリーか。よく覚えておこう」

 

 

ライアルは、最後に言うべきことがあった。

友が悔恨だけの人生を送るのをブルース・アッシュビーは望んでいないと思ったから。

おそらくはブルース・アッシュビーのクローンである自分にしか伝えられないことである。

「なあ。ブルース・アッシュビーは自分の死の理由に気づかなかったと思うか?俺なら最後の瞬間、気がついたと思うがな」

 

ローザスにとってそれは想像もしていなかった可能性だった。

「……あの勘の良いブルースのことだ。あり得ないとは言えないな」

 

「それを、いつもより深刻な顔をして隣に突っ立っていた貴官と結びつけてもおかしくはなかろう?」

 

ローザスはその瞬間を思い出し、身震いした。

「……だが、最後にブルースは俺を呼んだんだ。俺を頼った。恨み言も口にせず、腹を裂かれながらも笑って死んでいった」

 

「いろいろと察していてさえ、貴官を親友と思っていたのだろう。貴官になら……と思っていたのかもな。だから貴官を最後に呼んだ」

 

「まさか……」

 

「いずれもただの想像だ。少なくとも俺ならば、という話だ」

 

動揺するローザスに向けて、ライアルは怒鳴った。

 

「ローザスの大馬鹿野郎!」

 

驚くローザスにライアルは不敵な笑みを見せた。

 

「……まあそれぐらいは当然ながら思っていただろうが、案外あの世で会っても一発殴られるぐらいで済むかもしれんぞ」

 

ローザスはその笑みにブルース・アッシュビーを重ねざるを得なかった。

ブルース・アッシュビーは基本尊大で唯我独尊だったが、他人の失敗には寛大だった。俺じゃないのだから失敗して当然、そういう奴だった。確かに、自分の死もその程度で済ましてしまうのかもしれない。

 

ローザスはこの数日で初めて笑った。寂しげに。

「本当のところはどう思っていたのか、ブルースとあの世で会った時に訊いてみることにする。……大分後にならざるを得ないのだろうが」

 

「そうしてみてくれ。あと、俺と、奴と、他のクローンが先にあの世で喧嘩していたら仲裁してくれよ」

 

それは想像するだにシュールな光景だった。

 

「……わかったよ。ライアル」

 

ローザスは初めて、彼の本当の名を呼んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ユリアンはマルガレータに付き添われて病院船に移されていた。

 

ベッドの上でユリアンが目を覚ますと、目の前には綺麗な金色の髪があった。それは椅子に座ってうつらうつらと舟を漕ぐマルガレータのもので、ユリアンは無造作にその髪を手に取り……

 

「んむ、起きたのかや?ユリアン」

多少寝ぼけつつも目を覚ましたマルガレータは、自らの髪がユリアンの手の中にあるのを見て……

 

二人してしばらく固まり……

 

ユリアンがマルガレータの髪を触っていたことは二人の暗黙の諒解により、なかったことになった。

 

マルガレータはユリアンに、彼が意識を失ってからこれまでのことを説明した。

 

「結局、ブルース・アッシュビー本人は助けられなかったか」

ユリアンは少し気落ちしている様子だった。

 

マルガレータは言わないといけないことを思い出した。

「ええと、ユリアン、ありがとう。お前が庇ってくれなかったら、私は死んでいたかもしれない。それにその足……」

 

ユリアンは片足を失っていたことをそこで初めて思い出した。

「ああ、足ね。義足で何とかなるよ。きっと」

 

「こんなことを訊くのも不躾とは思うが、気落ちしていないのか?」

 

「まあ似たようなことは2回目だから。1回目の時は肩の方だね。あの時は助けたい人に逆に庇われて、結局助けることができなかった。それに比べれば今回は随分マシだよ。君を助けることができたんだから」

 

マルガレータも、ユリアンによるパトロクロス突入の話は聞いていた。ユリアンを庇って死んだシンシアという女性のことも。

ユリアンの口振りで、自分がその女性と同列に並べられた気がして、マルガレータは心臓が高鳴った。どうせユリアンのことだから相手がフレデリカ少佐やヤン長官でも同じように助けたようとしたのだろうとも思いつつ。

 

だが、ユリアンに再び助けられたことに変わりはなかった。

だからマルガレータは改めて感謝した。

「ありがとう、ユリアン。助けられてばかりな気がする」

 

ユリアンは笑った。

「気にしないで」

 

マルガレータは続けて言った。

「助けられた立場で訊きづらいのだけど、一ついいか?」

 

「何だい?」

 

笑顔のままのユリアンに、その問いが飛び込んできた。

 

「ユリアン、お前、みんなに秘密でタイムワープを繰り返してはいないよな?」

 

マルガレータの瞳には、不安と僅かな怯えがあった。

 



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24話 疑心暗鬼のロストワールド/疑念と不安

ユリアンは静かに微笑みながら問い返した。

「何故そう思ったんだい?」

 

マルガレータはユリアンの様子に戸惑いながらも答えた。

「だっておかしいじゃないか?何故爆発の前に艦橋から私を連れ出せたのか?」

 

ユリアンは頷いた。

「そうだね。不思議だね」

 

「!」

 

「でも、それだけ?それだけで僕がタイムワープを繰り返していると思ったの?僕たちの航時機はハイネセンにあるんだよ」

 

「神聖銀河帝国の残党と接触したんじゃないのか?ハードラックのどこかに彼らの航時機が持ち込まれていたんだ。お前はおそらく取引を持ちかけられて、それを利用することになった」

 

「何を取り引きをする必要があったんだい?ブルース・アッシュビーを生かすためなら取り引きの価値はあるのかもしれないけど、彼は死んでしまっているじゃないか?他に残党と取り引きしてまで積極的にタイムワープを行なう理由なんてないと思うけど」

 

マルガレータは躊躇いつつも答えた。

「自意識過剰に思われるかもしれないが、私を救うためなんじゃないか?」

 

ユリアンは変わらず微笑んでいた。

「君を?」

 

「私は本来爆発に巻き込まれて死んでいたんじゃないか?お前は私を助けるために、神聖銀河帝国残党と取り引きをしたんだ。何かとても大事なことを引き換えにして」

 

「君を助けるために僕はそこまでするのかな?」

 

マルガレータは思わず声を荒げた。

「してくれているじゃないか!現に足まで犠牲にして!……いや、他の人でも助けられるならお前は取り引きに乗っただろうな。それが偶然私だっただけだ。お前はそういうお人好しだ」

 

「……でも、艦内は監視カメラでフレデリカさんにモニタリングされているんだよ。そんなに簡単に残党達と接触したり、タイムワープをしたりできるかな?」

 

「最初は監視カメラなんて設置されていなかったんだ」

 

「へえ?」

 

「監視カメラの設置はお前の発案だ」

 

ユリアンは首を傾げた。

「そうだっけ?」

 

「そうだ。きっとタイムワープ前にはそんなものはなかったんだ。それに、監視カメラの半分はお前が設置している。死角を設けるのも簡単だっただろう」

 

「僕がどのような行動をしたか、順を追って説明できる?」

 

「タイムワープ前、お前は私と共に艦橋で爆発に出くわした。そこで私もブルース・アッシュビーも死んだ。お前はそれをなんとかしようとしたんだ。私だけでなく、ライアル・アッシュビー保安官とフレデリカさんのためにも。そのために神聖銀河帝国残党から持ちかけられた取り引きに応じて、数日前にタイムワープをした」

 

「それで?」

 

「お前は議論の中でヤン提督に巡航艦でハードラックをカバーさせるよう誘導した。一度目の時は、お前はハードラックに単純に流れ弾が当たったと思っていたんだろう。だからそれで解決すると思った。だが、それでも爆発は起き、私もブルース・アッシュビーも死んだ。だからまたタイムワープを行なった」

 

ユリアンは口を挟まなかった。

マルガレータはその様子に不安を感じつつも続けた。

 

「次に、お前は爆発物がハードラック内部に仕掛けられたのだと思い至った。だから監視カメラで監視することを思いついたんだ。だが、結局爆発は起こった。ハードラックの艦体内部に爆発物は既に仕掛けられていたからだ。だからまたタイムワープした。

その後も数回は試行錯誤を繰り返したのかもしれない。爆発物を除こうとしたのかもな。だが、爆発物が一つではなかったことからそれも失敗に終わった。だから最終的にお前はブルース・アッシュビー救出の方を諦めて、私を助けることだけに集中することにした。その結果がこれだ。お前は足を怪我して、タイムワープができなくなってここにいる」

 

ユリアンは微笑んだままだった。

「証拠はないね」

 

マルガレータは冷静でいようと努めた。

「そうだ。別に根拠なんてないんだ。そんな話も成り立つと思って私は言っているだけだ。違うなら違うと言ってほしい。……前みたいにブラスターを突きつけたりなんてしないから」

 

「それはありがたいね。で、もし僕が今の話を肯定したら君はどうするんだい?僕に救われたはずの君は?」

 

マルガレータは唇を噛んだ。

「そうだ。私はお前に救われた。だから私はお前を責められない。だけど私のせいでお前が苦しい立場に追い込まれたのなら私はそれに耐えられない。お前を助けたい」

 

マルガレータは縋るようにユリアンを見た。

「なあ、本当にそうなのか?お前は何を取り引きしたんだ?」

 

ユリアンは何でもないことのように答えた。

「神聖銀河帝国残党の一員として彼らに手を貸すことだとしたら?」

 

「!」

 

ユリアンはマルガレータの目を覗き込んだ。

「君はどうやって僕を助けてくれるんだい?」

 

マルガレータはたじろぎ、目を逸らした。

「約束は破れないのか?」

 

「破れないだろうね。その程度の工夫は向こうもしているだろうから」

 

「なら、考える。お前を助ける方法を」

 

「いい方法があると思うんだけど」

 

「何?」

 

「僕を殺してくれることさ。前にお願いしたじゃないか」

 

「……その前にお前を助ける方法がないか、考える」

 

「それなら、お願いがある」

 

マルガレータは身を乗り出した。

「何だ?言ってみてくれ!」

 

ユリアンの表情に笑み以外のものが混ざった。

「君が僕と一緒に来てくれることさ。一人で闇に堕ちるのはつらいけど、孤独でなければ耐えられるかもしれない」

 

ユリアンは手を差し出した。

 

「マルガレータ、僕と一緒に堕ちてくれる?」

 

マルガレータは迷った。

きっと拒絶すべきなのに迷ってしまった。

ユリアンの誘いに惹かれる心があった。

ユリアンと共に居られるのならそれもいいんじゃないか、と。

 

逡巡の末、マルガレータはユリアンの目を見据えて答えた。

「嫌だ。私はお前を助ける方法を考える。諦めない」

 

ユリアンの表情が変わった。

それから、急に俯いて震え出した。

 

その様子にマルガレータは焦った。

「どうした!?ユリアン!傷口が開いたのか!?」

 

「ふっ、ははは!」

ユリアンは急に笑い出した。

 

「いきなり何だ!?」

 

ひとしきり笑い終えて、ユリアンは言った。

「ごめん、からかい過ぎた。僕はタイムワープなんてしてないよ」

 

マルガレータはその言葉を理解するのに時間を要した。

「……はぁ!?」

 

「だから、してないよ。君の疑いは僕が爆発の前に艦橋を離れる行動を始めたところから始まったんだよね?」

 

「そうだ」

 

「僕はフレデリカさんから通信を受けたんだ。急いでマルガレータを連れて艦橋から離れて、ってね」

 

「そんな通信をフレデリカさんが……」

 

「そうだよ。フレデリカさんにはお礼を言わなくちゃね」

 

「……それじゃあ今までの話は何だったんだ?」

 

「君が疑ってくるから、ついからかいたくなって」

 

「お前はタイムワープなんてしてないし、残党と取り引きもしていないんだな?」

 

「そうだよ。第一、爆発が起こることを知っていたら片足を失うなんてヘマはしないよ」

 

今度はマルガレータが体を震わせた。

 

ユリアンはまずい、と思った。マルガレータを怒らせてしまったのだと。

 

しかしマルガレータは泣いていた。

「よかった。お前がなかなか目を覚まさないからその間に妄想ばかり膨らんで……不安でどうしようもなかったんだ」

 

「マルガレータ……」

 

「ああ、すまない。こんな泣き顔を見せるつもりじゃなかったんだ。今泣き止むから、少し待ってくれ」

 

ユリアンは恐る恐る尋ねた。

「怒っていないの?」

 

「何を?」

 

「君を担いだことを、だよ」

 

マルガレータはようやくそのことに思い至った。

「……そういえばそうだな。ひどいな、ユリアン」

 

「その程度?」

ユリアンとしてはマルガレータに引っ叩かれてもしょうがないと思っていた。

 

「私も、もっと怒らないといけない気もするんだが、安堵感の方が今は強くて」

涙ながらに笑顔を見せるマルガレータを見て、ユリアンは言葉に詰まった。

 

「それよりも、私の方こそ謝らないと。妙な妄想で疑いをかけてすまなかった」

 

「いや、ありがたいよ。もし本当にマルガレータの言った事態になっていたら僕はきっとそのように行動していた気もするんだ。君がそこまで考えてくれたこと、心配してくれたことには感謝するしかないよ」

 

「そうか……」

 

「……というか、本当にごめんなさい。今になって罪悪感が強くなってきた。ごめんね」

 

「私のために片足を失ったんだ。気にしないでくれ。ストレス解消にでもなったならそれでいい」

 

マルガレータは安堵していた。

まだ何か引っかかるような気もしていたが、きっと大したことではないのだろうと思った。

 

「そうだ。何か私にして欲しいことはないか?足も不自由にさせてしまったし、私にできることなら何でもするぞ」

 

「何でもって……」

 

「何でも、だ。私にできることなんて大してないけれど」

 

ユリアンは言い淀んだ。

 

「何かあるのか?遠慮しないでくれ」

 

「それじゃあ、足が治ってからの話なんだけど。きっとハイネセンに着く頃には義足にも慣れると思うから……」

 

「何だ?」

 

「ハイネセンに戻ったら僕とデートしてくれないか」

 

「デート?何だ、デートか。……ええっ!?」

 

マルガレータの声に逆にユリアンが驚いた。

「そんなに驚かなくても。ただのデートだよ。僕もこの時代のハイネセンポリスはまだあまり出歩いていないし、リハビリも兼ねて一度ぐらい散策したいと思ったんだ。君も司令部や統合作戦本部のビルに篭っていたから、一緒にどうかな?……嫌かな?」

 

「何だ。ただのデートか、ははは。勿論いいぞ」

マルガレータは幼年学校を出てそのまま軍人となった。日々の仕事に必死で異性とデートなど一度もしたことがなかった。

……ユリアンはきっと百戦錬磨だろうから、不慣れな私に呆れてしまうんじゃないか。

心の中で頭を抱えるマルガレータだった。

 

 

 

数日後、ユリアンの回復を聞きつけたフレデリカとヤンが病院船イムホテプにやって来た。ライアルは立場上簡単には来られなくなっていた。

 

ユリアンは、フレデリカに爆発発生前の避難指示の通信のお礼を言った。

だが、ユリアンもマルガレータもフレデリカの返事に愕然とすることになる。

 

「私、そんな通信送っていないわ」



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25話 薤露蒿里のロストワールド/Life is but a dream.

 

 

ユリアンとマルガレータはフレデリカの返事に愕然とした。

 

「私、そんな通信送っていないわ」

 

「そんな馬鹿な……」

 

「通信を送るならあなただけに送るはずなんてないじゃない。マルガレータにも送ったはずよ」

 

フレデリカは念のため通信ログを確認したが、受信側にも発信側にも通信の記録は残っていなかった。

 

「いちおう、もう少し調べてみるわね」

この件はフレデリカの預かりとなった。

 

ユリアンは焦ってマルガレータに釈明した。

「僕、嘘はついていないからね」

 

マルガレータは頷いた。

「わかっている。お前はすぐにばれるような嘘はつかないし、ばれた時には素直に認めるからな」

 

マルガレータが信じてくれてユリアンは安堵した。その信じられ方もどうなのだろうと思う気持ちもあったが。

 

 

未解明の要素を残しつつ、彼らはバーラト星系への帰路に着いた。

 

ユリアンは従軍看護婦に人気だった。

常に誰かしらがやって来て、ユリアンと話をしたがった。

マルガレータとしてはモヤモヤした気持ちを抱かざるを得なかった。

 

空いている時間も、ユリアンはフレデリカと何やら相談をしていた。

マルガレータがいると話せないような空気を二人してつくるので、その間は一人待合室で、読書でもしていることになるのだった。

 

マルガレータの見るところ、ユリアンはフレデリカに好意を持っているようだった。恋愛感情というより姉か母親への甘えのようにも見えたが、それはそれで複雑な感情がマルガレータの中に発生した。

 

病室から出てきたフレデリカは、マルガレータの表情に気がついて、笑いながら声をかけた。

「そんな顔をしなくても、別に盗りはしないわよ」

 

「盗るって、何のことですか!?」

 

「何のことって、ユリアンのことよ。好きなんでしょう」

 

「いや、好きというわけでは……」

 

「嫌いなの?今度デートするんでしょう?」

 

フレデリカには何故かいろいろとバレていた。

 

「嫌いではないです」

 

見透かすようなフレデリカの目を前にして、マルガレータはついに白状した。

「好きです。でも付き合いたいとは思っていないので誰にも言わないでください」

 

「わかったわ。でも、何故?」

 

「好きだから付き合わないといけない理由はないでしょう?ユリアンにはもっとお似合いの女性達がいます。ご存知でしょう?」

 

「知っているけど……あなたが卑下する必要もないと思うわ」

 

「私は、ユリアンと付き合いたいのではなく、彼を止めたいんです。いざとなれば、その……殺しあうことになってでも。そのようにユリアンと約束したんです。だから付き合えません」

 

フレデリカは驚いた。そんな約束をしていたとは。これが秘密の話でなければユリアンを引っ叩いているところだ。しかし……

「あなたも難儀な性格をしているわね」

 

マルガレータは言い返したくなった。

「フレデリカさんはどうなんですか?本当にこのままでいいのですか?ライアルさんがこのまま……」

 

「よくないわ。だから……」

フレデリカの思い詰めた顔に、マルガレータは僅かながら恐怖した。

 

フレデリカは取り繕うように笑った。

「ごめんなさい。怖がらせてしまったようね」

 

「いえ。意外だっただけです。フレデリカさんもそんな風に感情を表すのですね」

 

「あら。私は普段猫をかぶっているだけなのよ。好きになった人は、絶対に離さないわ。あなたも何が自分の幸せにつながるか、少しは考えてみたら?」

そう言い残してフレデリカは去って行った。

 

「幸せ、か」

フレデリカが去った後、マルガレータはその言葉を呟いた。

思えばあまり考えて来なかったような気がした。亡命して父親が倒れてからは貴族としての義務と軍人としての職務を果たすのに精一杯だった。

確かに自分の幸せを考えても良いのかもしれない。

実のところ父からはそろそろ結婚を考え始めてはどうかと言われていた。何人か候補者の名前を伝えられてもいたし、連合領に戻った際にはそれと知らされず顔合わせのようなことを何度かさせられた。しかし、誰に対してもあまり強い印象も感情も抱くことができなかった。ユリアンが自分の心を占めていることをマルガレータも自覚していた。

だからと言って、ユリアンとの約束を抜きに考えても、ユリアンを慕う三人娘を押し退けてまで彼とどうにかなりたいなどとは、負い目を感じてどうしても思えないのだった。ユリアンも幸せにはなれないだろう。

そもそも自分が選ばれること自体あるまいと思い直し、マルガレータは考えることをやめた。

 

どうせならフレデリカにデートの心得を教えて貰えば良かったと思い至ったのは、それから少し経ってのことだった。

 

 

同盟軍宇宙艦隊はバーラト星系に帰還した。

ブルース・アッシュビーの遺体は、第四課の管理する死体保管室に秘密裡に運び込まれ、アッシュビー・クローンの死体と共に保管されることになった。

 

宇宙暦746年1月4日、ブルース・アッシュビーは"生きて"元帥となった。36歳での元帥は同盟軍史上最年少であり、その記録は宇宙暦804年に至るまで破られていない。730年マフィアの提督達も皆大将に昇進した。

同日、盛大に催された戦勝式典で、ライアル・アッシュビーはブルース・アッシュビーとして演説を行なった。

 

「同盟市民諸君。今回の会戦に参加した者も、そうでない者も。あるいはここに立てなかった者達も含め、我々は皆守るべきものの為にそれぞれの立場で戦ってきた。自由惑星同盟は我々が流した血と汗の上にだからこそ今も存在している。しかし、敵である銀河帝国もまた存在し続けている。なあ、諸君はこう思ったことはないか?我々は、帝国と永遠に戦争を続けなければならないのか、と」

 

会場がどよめいた。反戦論的発言にも聞こえ、利敵行為とも指弾されかねない発言を司令長官が行なったのだ。

 

だが、アッシュビーは不敵に笑っていた。

「安心してほしい。そんな時代は終わる。このアッシュビーが終わらせる。ティアマト会戦はその嚆矢であり、帝国の終わりを告げる号砲だ。

帝国は本会戦で、回復困難な大打撃を受けた。私の狙い通りだ。

同盟は帝国に対してこれまで常に受け身であった。しかしそれは過去の話である。今度は我々が攻め入る番だ。

なあみんな!今こそ圧制に喘ぐ人々を解放し、銀河帝国を打倒しようじゃあないか!」

 

総立ちとなった聴衆から万雷の拍手が沸き起こった。

 

それが一旦収まってから、アッシュビーは演説を再開した。

 

「諸君、私は本日をもって退役する」

 

その唐突な発言に、再び会場がどよめいた。悲痛な顔をしている者も少なくなかった。

 

アッシュビーはそのどよめきを手で制して続けた。

「私は政界に転身する。同盟市民全員に問うのだ。このまま終わりのない戦いを続けるか、アッシュビーと共にこの戦いを終わらせるか。その二択を。

私は諸君に三つ約束をする。

一つ、必ずや最高評議会議長になる。

二つ、最高評議会議長として私は常に陣頭に立つ。私は諸君と共に帝国領侵攻作戦に参加するぞ!」

大歓声が巻き起こった。

最高評議会議長、国防委員長をはじめとした政治家達は頭を抱えていたが。

 

「そして最後に、私は諸君と共に、銀河帝国の存在しない未来をもたらす。ブルース・アッシュビーの名の下に約束する。必ずや、もたらすだろう。それが死んでいった者への手向けであり、我々の子孫に対し我々が果たすべき責務である」

この時だけはアッシュビーの表情と口調が変わった。戦死者を悼んでいるように参列者には思えた。

この時、730年マフィアの面々に目を向けた者がいれば、彼らが揃って瞑目していたことにも気づいただろう。

 

アッシュビーに不敵な笑みが戻った。

「同盟市民諸君、だからこのアッシュビーによる未来を決するための戦いに協力してくれ!

さあ、戦いはこれからだ!」

 

「アッシュビー!アッシュビー!」

軍民問わず聴衆は熱狂の渦に巻き込まれた。これから国防委員長の演説や評議会議長の演説もあるというのに聴衆はそれを既に忘れていた。

 

 

ヤンも不本意ながらも起立し、熱のこもらない拍手をしていた。

歴史の一場面を乱すべきではないという理解と、フレデリカのやんわりとした事前注意がなければ、どうしていたかわからないが。

主戦論、聴衆の煽動、軍隊の私兵化。

そのようなキーワードがヤンの頭をよぎっていた。

ヤンは思う。

アッシュビーという存在は、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムになり得ただろう。それを危険視する者が出ていたこともよく理解できた。ライアルに任せたため、真相は曖昧なままとなったが、あるいはアルフレッド・ローザスも友がそうなることを止めるために行動したのかもしれない。

しかし、強力なリーダーシップを持った人物に期待したくなる状況が同盟にはあった。百年も続く戦争のことだけではない。人口推移、労働生産人口推移、出生率、経済成長率、医療費に対する政府支出、政府総債務残高……この時代既に多くの指標が将来における同盟の苦境を示唆し始めていた。それを察している者は少なくはなかったはずである。

劇薬による解決を望んだ者、アッシュビーをあくまで民主共和制の枠内の英雄と考えた者は、アッシュビーと彼の戦いを支持した。

アッシュビーを危険視した者の一部はアッシュビー謀殺に加担したのかもしれない。その者達には将来の展望があったのだろうか?ティアマトでの勝利で同盟が一息つけると考えたのかもしれない。あるいは帝国との講和も考えていた?それともフェザーン/地球教の意向に沿って動いただけで、同盟の将来のことなど何も考えていなかったのだろうか?

そもそもこの時代に、帝国との講和成立の可能性はあったのか?帝国からすれば対等な講和はあり得ない話だっただろう。しかし、停戦であれば?地球教勢力の存在を知っている今となっては、長期間の停戦など望めないように思える。

そうなれば結局、アッシュビーと、それを支持した同盟市民が正しかったということになるのだろうか?

 

このように思い悩んだ時、もう一つの歴史ではユリアンやフレデリカが話の聞き手になってくれていたように思う。

しかしこの歴史では違う。ユリアンもフレデリカも隣に座っていたが、精神的な部分で距離間が存在することが、今のヤンには少し寂しかった。

いつか息子のテオが自分の話を聞いてくれたらと思い、未来への望郷の思いが強くもなった。

 

式典は自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」の斉唱で締めくくられた。

 

友よ、いつの日か、圧政者を打倒し

解放された惑星の上に自由の旗を樹てよう

吾ら、現在を戦う、輝く未来のために

吾ら、今日を戦う、実りある明日のために

友よ、謳おう、自由の魂を

友よ、示そう、自由の魂を

……

 

聴衆はその歌詞を今こそ現実のものとして認識していた。

アッシュビーと共に輝く未来を実現するのだ、と。

 

730年マフィアは、今はいない友に想いを馳せた。友が生きていたら実現させていたことを、彼らはこれから友の分身と共に実現するのだ、と。

 

巨大な熱狂と隠された哀悼を乗せて、聴衆の歌声はハイネセンポリスの青空に響き渡った。

 

 

 

ヤン達は、帰路に着いた。フレデリカの隣にライアルはいなかった。ライアル・アッシュビーは既に彼らが簡単には接触できない立場となっていた。

 

「ええと、フレデリカ少佐、なんというか……」

 

「大丈夫ですわ。ヤン提督。お気遣いありがとうございます」

 

「そうか……」

 

二人の間にある何とも言えない空気に、ユリアンとマルガレータは顔を見合わせた。

 

だが、彼らが何かを話し合う時間はなかった。

 

目の前に、彼らが探していた一人の男が現れたのだ。

 

「久しぶりですな。ミンツ大主教」

 

ユリアンにとっては因縁深い相手、デグスビイ主教であった。

 



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26話 多情多恨のロストワールド/握手の名前

 

デグスビイ主教。

 

かつて、ユリアンの心に残る女性シンシア・クリスティーンを毒牙にかけて利用していた男。

それが個人の意志ではなく地球教団全体の意向に沿ったものであったことを理解していたが、それでもユリアンはデグスビイを憎悪せざるを得なかった。そうすることで多大な負荷の中でユリアンは精神の安定を保っていた。

彼が死んだ時、ユリアンの憎悪がどこに向かうのか、ユリアン自身にもわからなかった。

だからユリアンは彼に殺意を抱きつつ、彼を殺すことを恐れた。

 

神聖銀河帝国滅亡時に、ユリアンはデグスビイを一度見逃した。

デグスビイは取り乱し、ユリアンとマシュンゴに怯えながら逃げ出した。

しかしユリアンの前に再び現れたデグスビイは、その時のことなど忘れてしまったかのように、以前と同様の薄ら笑いを顔に浮かべていた。

 

「足を失ったと聞きましたがご壮健のようで何より。ミンツ大主教」

 

デグスビイの言葉に刺激され、ユリアンは一歩前に出ようとした。

だが、その腕をマルガレータが握った。

首を横に振るマルガレータを見て、ユリアンは少しだけ冷静さを取り戻した。

 

デグスビイの顔には一瞬強張りが見えたが、すぐに薄ら笑いの中に消えた。

「誤解しないで頂きたい。私はここに話をしに来たのです。この通り、丸腰です」

 

わざとらしく手を広げて見せてから、デグスビイはユリアンに語りかけた。

「ミンツ大主教、私はあなたが丸腰の相手に対しても銃を撃てると知っている。あなたはそういう人間だ。だから約束して頂きたい。私はあなた方の利益になる話をする。その後立ち去るから、あなたも他の皆さんも手を出さずに見送って頂きたい」

 

ユリアンは声を荒げた。

「そんな約束ができると思うのか」

 

しかしヤンの反応は違った。

「いや、ここは呑もう」

 

「ヤン長官!」

 

「こちらが追跡を行わないとは彼も思ってはいないだろう。それでも構わないと思ったからこそ彼は出て来たんだ」

 

デグスビイは話の通じる相手を見つけて安堵したようだった。

「その通りです。私はこれから未来に、宇宙暦804年に戻るのですからな。ここで私ごときを殺しても後味の悪さしか残りませんぞ。航時機もこの世界に残ることになる。それはそれで不都合でしょう?」

 

「もう一人のアッシュビー・クローンはどうした?」

 

デグスビイはかぶりを振った。

「彼には彼の目的があるようですが、もはや私の管理外です。我々にとってもあなた方にとっても毒にも薬にもならないでしょうな」

 

ヤンはユリアンの方を見た。

「ここは納得してくれないか」

 

「わかりました。ヤン長官がそう仰るなら」

ユリアンとしてもこの場でデグスビイを殺さなければならないと思っていたわけではない。ただ、憎悪を制御しかねているだけなのだ。

 

「ヘルクスハイマー中佐、ありがとう。大丈夫だよ」

ユリアンの言葉に、マルガレータも腕を放した。

 

「それで、何を説明してくれるのかな?」

 

「我々の目的が達成されたことをです」

 

ヤンは平静を保ちつつ再度尋ねた。

「どんな目的だったんだ?」

 

「我々の歴史を安定させることです」

 

「安定?」

 

「我々の歴史はもう一つの歴史と、第二次ティアマト会戦におけるブルース・アッシュビーの生死によって大きく分岐している。

しかし、ティアマト後もアッシュビーが生きていることなど本来あり得ず、それゆえに我々の歴史は本来の歴史に修正されようとしていた。皆様もご存知でしょう?」

デグスビイは一度ヤン達を見渡した。

 

「旧帝国暦表記のラベルを持ったビールの混入や、妙な記念碑の出現、夢の形をとった別の歴史の記憶の流入など、我々の世界で起きていたことはほぼ全てそれが原因でしょうな」

 

「つまり、君たちが歴史改変を行なったのが原因ではなかったのか」

 

デグスビイは頷いた。

「むしろ歴史改変を起こさないようにすることが我々の目的ですからな。

しかし、その試みはなかなかうまくいかないことがわかった。第二次ティアマト会戦におけるアッシュビーの死はどうしてか不可避だった。まるで歴史自体に修正の力があるようにブルース・アッシュビーは死んだ。

だから我々は一計を案じた。ブルース・アッシュビーが死ぬことを確定させた上で、なおもブルース・アッシュビーが生きている未来を出現させようとした。すなわちクローンによる成り替わりです。

とはいえ、730年マフィアを従えることも、いまだ数に勝る帝国を相手に帝国領侵攻作戦を成功させることも、ブルース・アッシュビー並みの才が必要だった。ただのクローンには無理だったのです」

 

フレデリカは尋ねた。

「もしかしてあの人、ライアル・アッシュビーが生み出されたのも……」

 

「エンダースクールにおけるアッシュビー・クローン計画が元々それを意図していたのかどうかは私も知りませんな。ただ、我々がライアル・アッシュビーの利用を思いついたのは事実ですな」

 

ヤンは呟いた。

「我々はそのためにこの時代に来させられたというわけか……。では、アッシュビー・クローンを何故過去に連れてきた?」

 

「アッシュビー・クローンはライアル・アッシュビーに対する撒き餌です。まあ、クローンにはクローンの目的があったわけですが」

 

「我々の歴史は何故生まれたんだ?我々の歴史が存在すること自体がとても不自然に思えるんだが」

 

「さあ?私ごときにはわからないことです」

 

「お前を送り込んだ者ならわかるのか?」

ユリアンが口を挟んだ。彼にはデグスビイがこの件の首謀者であるとはどうしても思えなかった。

 

デグスビイははぐらかした。

「さあ、どうでしょう?」

 

「お前を送り込んだ者も所詮大した存在ではないということか」

 

デグスビイの顔色が変わった。

「驕るなよ、ユリアン・フォン・ミンツ。お前ごときの想像が及ばぬ存在が、この世には存在するのだ」

 

「へえ?どんな存在なんだ?」

 

デグスビイは己の失態に気づき、その問いには答えなかった。

「いや、失礼。そういうわけで、我々は仕事を終えたので未来に帰るわけです。もはや航時機を使うこともありません。航時機は帰還と同時に自壊します。あなた方の乗ってきた航時機にも同様の仕掛けが施されていますのでご注意を」

 

「何故使わないんだ?航時機があれば我々に対して優位に立てるじゃないか?」

 

「航時機が複数存在した場合、それぞれが過去に戻って歴史に干渉を繰り返すことで、歴史は安定せず常に変化するものになる。そして最終的には全ての航時機が誕生しなかった歴史に辿り着いてしまう。それゆえに、航時機は、つくられたとしてもただ一台だけに留めておく必要があるし、航時機のことを不用意に外部に漏らしてはならない。あなた方に制限付きとはいえ航時機を渡したこと自体かなり危ない橋だったわけです。あなた方が我々に対抗するために航時機を開発しようなどと考えさせないためにも、我々は航時機を放棄します」

 

「その上でも、最終目標を達成できると考えているわけだね」

 

「ご想像にお任せします。ともあれ、話すべきことは話しました。それでは機会があれば未来で」

 

デグスビイは立ち去ろうとした。

 

「ライアル・アッシュビーは死ぬの?」

フレデリカの呟くような声はそれでもデグスビイに届いた。

 

「死ぬでしょうな。死んでもらわなければ我々全員が困る」

デグスビイはそう返して、立ち去って行った。

 

フレデリカは住居に戻るまで無言だった。

ヤンはその様子を心配し続け、ユリアンとマルガレータはさらにそんなヤンの様子を見ながら帰ることになった。

 

住居に戻ると、そこにはライアル・アッシュビーがいた。

 

「あなた!」

フレデリカがライアルに駆け寄った。

 

 

「これから政治家連中との会合だ。俺に協力してくれるんだそうだ。大方俺の票目当てなんだろうがな。その前に立ち寄らせてもらったんだ。まだ帰っていないとは思わなかったが」

 

 

ヤンはライアルにデグスビイとの邂逅のことを説明した。

 

「そうか。やはりそれが目的だったか。しかし、これで本当に歴史は安定したのかな?」

 

「そのようですわ。『ゴールデンバウム王朝全史』の記述が私の覚えている限り、元に戻りましたから」

もう一つの歴史の記述が混入するようになっていた『ゴールデンバウム王朝全史』をフレデリカは持ってきていた。彼女の高い記憶能力と情報処理能力が合わさることで、それは歴史改変の有無をある程度まで判断できる道具になっていたのだ。

 

「ひとまずは一件落着というわけだな。それなら俺を残して、もう未来に帰還したらどうだ?」

 

その言葉に敏感に反応したフレデリカを見やりながらヤンが尋ねた。

「しかし、まだもう一人のアッシュビー・クローンがいるじゃないか」

 

「俺と情報部第四課に任せてくれていい。ヤン長官はいいかもしれないが、ユリアン君とヘルクスハイマー中佐は二十代の貴重な時間をこんな時代で潰すのはもったいなかろう?」

 

二人のことを持ち出されると、ヤンも残留を強くは主張できなかった。

 

「私は」

フレデリカの発言をライアルは遮った。

「フレデリカ、君も未来に戻るんだ」

 

フレデリカはライアルを睨んだ。

「……あなたを置いて?」

 

ライアルは頷いた。

「俺はもうすぐ死ぬ人間だ。忘れてくれ。俺がいなくてもヤン長官がいる。頼ればいい」

 

「何を言っているの!?」

 

ライアルは屈託のない表情をしていた。

「もう一つの歴史では二人は良い仲だったんだろう?もう一つの歴史の記憶がなくても君を見ていればわかる」

 

フレデリカとヤンは顔を見合わせた。

 

ライアルは微笑を見せた。

「何だったら二人で再婚してくれたっていい」

 

「あなた……」

フレデリカはライアルに駆け寄り、その頰を……思いきり引っ叩いた。

 

「ゴヘッ」

ライアルは妙な声を出して床に倒れ伏した。

 

唖然とする面々の前でフレデリカはライアルに近寄り、その襟首を掴んで引き起こした。

 

「別の歴史でどうだろうと、この歴史では私はあなたの妻です。あなたを愛しているんです」

 

フレデリカはライアルから手を離して立ち上がり、今度はヤンに近づいた。

 

「ヤン提督、私にはもう一つの歴史のかなり鮮明な記憶があります。だから、私は覚えています。あなたとの結婚生活の幸せも、プロポーズして頂いた時の歓喜も。そして……あなたを失った辛さも」

 

「フレデリカ……」

ヤンがフレデリカから明確にもう一つの歴史のことを聞いたのは初めてだった。

 

「私は全宇宙が原子に還元したっていいからあなたに生き返って欲しいと願っていた。だから、関係が変わっても、この歴史であなたが生きてくれていることが私は堪らなく嬉しい」

 

ヤンは困ったように頭をかいた。その仕草は歴史が変わろうとも同じだった。

「フレデリカ、君は今幸せかい?」

 

フレデリカは微笑んだ。微笑もうと決めていた。

「ええ、幸せよ。あなたは?」

 

「幸せだ」

ヤンはその言葉を噛みしめるように言った。

「もう一つの歴史での君との結婚生活と同じぐらい幸せだよ」

 

「よかった。その言葉が聞けて」

フレデリカは涙を見せながら手を差し出した。

二人の間で握手が交わされた。

そこに存在する感情を表す言葉をマルガレータは知らなかった。

友情の握手、ではない。愛情と表現するのは簡単だが、安易過ぎるように思う。

 

「私はこの時代に残るわ。最後の瞬間までライアルと共に。それでも私はこの時代からあなたの幸せを願っているわ」

 

「私もだよ。何処にいても君の幸せを願わずにはいられない」

 

「ありがとう、あなた。……それじゃあ、さようなら」

フレデリカは名残惜しそうにしながらも手を離した。

それから、ようやく立ち上がったライアルに歩み寄った。

 

「いきなり叩いてごめんなさい」

若干身構え気味のライアルにフレデリカは謝った。

 

「いや、いい。……そういえば君に殴られるのは初めてだな」

 

「そ、そうね」

 

フレデリカの動揺にライアルは気づかなかった。

「本当に俺と一緒にいてくれるのか?」

 

「私はアデレード夫人のように、あなたが帰ってくるまで待つような女じゃないわ。嫌かしら?」

 

「嫌なものか」

ライアルは唐突にフレデリカを抱きしめた。

 

いきなりのことにフレデリカは少し慌てた。

「みんな見ているわ」

 

見ると三人とも顔を背けていた。マルガレータなどは顔を真っ赤にしていた。

 

ライアルはフレデリカから体を離した。

「嫌だったか?」

 

「嫌なものですか」

 

ライアルは三人に告げた。

「そういうわけで、俺とフレデリカは残ることになった。寂しくなるが、三人とはここでお別れだな。今まで世話になった」

 

ヤンが答えた。

「こちらこそ。未来と、保安機構の方は何とかする。だからフレデリカを頼んだ」

 

フレデリカは涙ぐみながらも笑顔を見せた。

「これでお別れになるけどあなた達も元気でいてね」

 

 

 

「あの」

ユリアンは思いきって口を挟んだ。

 

「なんだか今すぐにでも未来に戻る流れになっていますけど、僕、マルガレータとこの時代でデートをする約束をしているんです。もう一日待ってもらえませんか?」

 

 

「あ……」

フレデリカもそのことを忘れていた。

 

「ええ!」「へえ?」

ヤンとライアルの驚きと好奇の視線が二人に集中した。

 

平然と佇むユリアンを置いて、

マルガレータはその場から逃げ出した。

 



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27話 一遊一予のロストワールド/束の間の休息

 

 

翌1月5日の朝、ヤン達はハイネセンポリスの軍事区画に向かった。

ジークマイスター提督やローザス提督に別れの挨拶をするためである。

 

ローザス提督はライアルと共に政界に進出するため、退任と引き継ぎの作業を始めていた。思うところはお互いにあったが、別れを惜しむ気持ちもまた本物だった。

 

ジークマイスターも、別れを惜しんでくれた。

ユリアンはジークマイスターから「民主共和制を守るため未来でも精進してくれ」と声をかけられ、多少罪悪感を覚えつつも、「はい」と返事をせざるを得なかった。

フレデリカは引き続き情報部第四課に所属し、ブルース・アッシュビーの義理の妹、フリーダ・アシュレイ中尉としてアッシュビー・クローンの最後の一人を探すなどの活動を続けることになった。

 

その後もブルース・アッシュビーと会っている姿が頻繁に目撃されたので、その仲を疑われもしたし、「ブルース・アッシュビーが最も愛していたのは義理の妹だ」という説が後世唱えられるようになったが、それは別の話である。

 

一度住居に戻った時には時刻は午前11時になっていた。住居は本日中に退去する必要があった。フレデリカも単身用の官舎に移ることになる。

 

ヤンは二人に告げた。

「出発は19時だから18時半には航時機のところに来てね。遅れないように」

 

フレデリカは笑った。

「まるで門限を念押しするお父さんね。どちらのお父さんとは言いませんけど。あなた達、頑張ってね」

 

フレデリカはフレデリカでお母さんのようだと二人は思ったし、何を頑張るのかと言いたくもなったが、言わぬが花と二人とも理解していた。

 

フレデリカは山中までは見送りには行かないことになっていた。本人は行きたがったが、夜の山にフレデリカを一人残すことになるのはヤンとしては流石に避けたかったのだ。

 

代わりというわけではないが、刻限まではヤンとフレデリカも二人でハイネセンポリスを散策することにしていた。

 

マルガレータもユリアンも私服に着替えていた。

マルガレータは私服姿をユリアンに見せるのは初めてで、何と言われるか不安だった。

しかしユリアンは「似合っているよ」と一言告げたのみだった。

安心したが、多少拍子抜けしないでもなかった。

 

二人は街に出た。デートである。

恋人同士というわけではなく友達としてのデートのはずである。そもそも友達と言っていい関係なのかどうかもマルガレータにはわからなかったが。

 

ハイネセンポリスで二人はランチを食べ、ウィンドウショッピングをした。

 

お菓子の店で、ユリアンは気になるものを見つけた。

「約60年前のチョコ・ボンボン……知らないブランドだ。フォーク中将に送ってあげたいな」

 

悪い意味で有名な名前にマルガレータが反応した。

 

「ユリアン、アンドリュー・フォークとまだ交流があるのか?」

 

フォーク中将は、心神喪失の状態であったことに加え、地球教団に拉致されて神聖銀河帝国に参加したため罪には問われなかったものの、再度同盟軍の療養施設で加療の身となっていた。結局のところ軟禁状態である。

 

「フォーク中将だけじゃないよ。神聖銀河帝国で交流があった人達とは今もたまに連絡を取っているんだ。生活にこまっていないかとか、神聖銀河帝国で責任ある立場だったから気になってね。塀の中の人達にはたまに差し入れを送ったりもしているんだ。……別に悪いことなんて企んでないよ」

 

「疑ったわけじゃない。一人でいろいろ抱えて、大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ。みんな手伝ってくれるし、なんとかなっている」

 

「仕事量という意味ではなくて」

 

「大丈夫さ。それこそ今はそんなこと考えなくていいんだ。君と楽しく遊びたいよ」

 

「そうか、そうだな」

ユリアンにとっては、多大な負担のかかる未来より、この時代の方が生きやすいのかもしれない。マルガレータはそうも思った。

 

「あ……」

 

マルガレータは雑貨を扱う店で、小さめのクマのぬいぐるみを手に取った。ダークブラウンの瞳。

 

「そのぬいぐるみが欲しいの?」

 

「いや、そんなことはない」

ぬいぐるみの目がユリアンに似ていると思ったのだ。

 

ユリアンは少し迷ってから言った。

「君にプレゼントしてもいいかな?」

 

「私に?」

 

「うん……嫌かな?」

 

「……勿論嫌じゃない。でも、未来から来た私達が買ってしまっていいのだろうか?」

 

ユリアンは肩を竦めた。

「散々飲み食いして、生活必需品を消費している時点で今更だと思うよ」

 

「それもそうか」

 

結局プレゼントしてもらうことになった。

 

「はい。どうぞ」

 

「ありがとう。大切にする」

マルガレータの態度はむしろ素っ気ないぐらいだったが、内心は違った。

名前を付けよう。ユリアン、は流石に恥ずかしいからユールにしよう。ユリアンには内緒だ。

 

その後は遊園地に行った。

 

まるで付き合いはじめの十代の男女がするようなごくごく普通のデート。

 

マルガレータは楽しかった。

ユリアンと一緒だからというだけではない。

彼女は、軍人暮らしが長く、異性同性問わず同年代とこのように街で遊んだことがなかった。

だから、初めての体験で単純に楽しかったのだ。

 

自然と笑みがこぼれた。

ソフトクリームを二人分買って戻って来たユリアンは、マルガレータの様子に気づいた。

「マルガレータ、笑っている」

 

マルガレータはソフトクリームを受け取りながら答えた。

「ありがとう。ああ、笑っていたか。このデートがつい楽しくて」

 

「僕とのデートが?」

 

マルガレータは、途端に恥ずかしくなった。

「ええと、私はこんな風に同世代と遊んだことがなかったから、初めてで楽しくて」

 

言った後に後悔した。寂しい女だと引かれてしまったか、と。

 

しかし、ユリアンの反応は違った。

 

「そうか……君も……」

 

「ユリアン?」

 

「僕もこんな風に遊ぶのは実は初めてなんだ。だから、フレデリカさんにアドバイスを受けていろいろ考えたんだけど」

マルガレータはようやく腑に落ちた。

バーラト星系への帰路、フレデリカさんとユリアンが話し込んでいたのはデートのためだったのか、と。

……フレデリカさん、私の相談も受けつつ、ユリアンの相談も受けていたなんて。

 

マルガレータは疑問に思った。

「……月にいる三人娘とは?」

 

「カーテローゼ達?お茶会をしたり、乗馬をしたり、観劇したり、ダンスに付き合ったり……」

 

……お貴族様の遊びだった。……自分も貴族なのだが。

 

 

「君に退屈な思いをさせているんじゃないかと心配だったんだけど、よかった。君も僕と同じだったんだね」

 

「そうだな」

マルガレータは、ユリアンも軍人暮らしや教団暮らしが長かったことを思い出した。デート慣れしているように思っていたが、そう考えれば不思議ではないのかもしれない。

 

ユリアンは満面の笑顔で続けた。

「君も僕と同じで友達がいなかったんだね」

 

グシャッ

 

思わずソフトクリームのコーンを握りつぶしてしまった。

 

「マルガレータ!?」

ユリアンは驚いた。

 

マルガレータは何でもない振りを装った。

「いや、クシャミが出そうになって手に力が入っただけだ。いや、そうだな。私もぼっちだった」

 

「よかった」

ユリアンに笑顔が戻った。仲間を見つけたような、そんな笑みだった。

 

「ははは」

マルガレータはユリアンの笑顔を守るために秘密にしておこうと思った。

自分には流石に友達ぐらいは居たことを。

 

 

二人は観覧車に乗った。

 

観覧車からはハイネセンポリスの街が一望できた。他のゴンドラでカップルが口づけを交わしているところもチラチラと目に入って来たが、見なかったことにした。

 

「マルガレータ」

 

急に声をかけられてマルガレータは動揺した。

「何じゃ!?いや、何だ?ユリアン?」

 

「今日、君と来られてよかった。元の時代では、君とこんな時間を持つことなんてできなかっただろうから。何のしがらみもない、この世界だからできたことだと思う」

ユリアンの表情は少しだけ寂しげだった。

 

「そう、だな……」

この時代に来てから、マルガレータはユリアンとの距離が近くなったと感じていた。共同生活も経験して、いろいろな一面を知ることができた。おそらく以前よりもユリアンのことを好きになってしまったのだとも思う。

しかし、元の時代に戻るとまた距離が離れることになると思うと、胸が苦しくなった。

 

ユリアンはマルガレータに手を差し出した。

「今日のことは忘れないよ。元の時代に戻ったら今日みたいなことはできないけど、これからもよろしく」

 

マルガレータは笑顔で握手に応じた。

「こちらこそ。ユリアン」

 

この握手の意味もまた、マルガレータは単純な言葉で表したくはなかった。

 

時刻は17時を回っていた。

航時機の元に刻限までに辿り着くにはギリギリの時間である。

二人とも名残惜しくて切り上げることができなかったのだ。

二人は自動運転のタクシーを利用して、急ぎ山に向かった。



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28話 暗雲低迷のロストワールド/祖母

 

タクシーが郊外まで来たところで、それは起きた。

 

前を走っていた車が対向車線に乗り出し、前から来た車とぶつかったのだ。自動運転の車が道を外れるなど、通常はあり得ない事故である。

ユリアン達の乗るタクシーも止まった。

 

二台の車に近寄ってみると、事故の原因となった車は無人だったが、対向車線の車には人が乗っており、まだ生きていた。

 

それは臨月だと思われる妊婦だった。

亜麻色の髪を持つ、美しいと表現できる女性にユリアンは既視感を持った。

 

妊婦は額から血を流しながらも意識を保っていた。

「お願いです、お腹の子を助けて。ミンツ家の名にかけて必ず、必ずお礼はしますから」

子を守ろうとする執念か、それだけを絞り出すようにユリアンに伝えて気を失った。

 

マルガレータが叫んだ。

「ユリアン、大変だ。破水している!早く病院に連れていかなければ!」

 

マルガレータは妊婦の状態の方に気を取られて聞いていなかったようだが、ユリアンは聞き逃さなかった。

ミンツ家。間違いない。

ユリアンの祖母である。

 

その事実を前にユリアンは動けなくなった。

 

ユリアンを、息子を奪った女の子供と見なして憎しみの対象とし、生まれて来るべきではなかった存在として扱った女性。

 

お腹の中の子供はユリアンの父親だろう。祖父はこの時既に戦死しており、祖母にとっては父は祖父の忘れ形見だった。

 

「ユリアン、手を貸してくれ!」

マルガレータが再度ユリアンに呼びかけた。

 

ユリアンはふと思った。

ここで赤ん坊が助からなければ、祖母の願い通りに自分は生まれて来なかったのではないか。それが世界のためにもよいことなのではないか、と。

そう思ってしまった。

心を闇が覆った。

 

「ユリアン!」

 

それに、ここで未来から来た我々が干渉することの方が不自然なことなんじゃないか。ヤン提督も僕達を待っていることだし。

 

「ユリアン!」

 

ユリアンはようやく呼ばれていることに気がついた。

「マルガレータ、行こうか。ヤン提督が待っている」

 

マルガレータは唖然とした。

「ユリアン、何を言っているんだ?」

 

「歴史に干渉しちゃいけないだろう?」

 

マルガレータはユリアンの頭を両手で挟み、その目を覗き込んだ。

「ユリアン、お前は何を言っているんだ?目の前で命が二つ消えかけているんだぞ。助けないわけにはいかないだろう?」

 

マルガレータの真っ直ぐな声はユリアンの心を揺らした。闇が少し薄れた気がした。

「マルガレータ……」

 

「とにかく病院に連れて行くから手を貸してくれ!」

 

「……わかった」

 

ユリアンはマルガレータと共に妊婦を担ぎ上げ、タクシーに乗せ、近在の病院に向かった。

マルガレータが妊婦の面倒を見ている間に、ユリアンはヤンに携帯端末で連絡を取ろうとしたが繋がらなかった。そのため、伝言のメッセージだけを送っておくことにした。

 

妊婦、ユリアンの祖母はうわ言を呟いていた。

「私が守るわ。お父さんがいなくても立派に育てて見せるわ。だから無事に生まれて来て」

 

ユリアンは胸が詰まった。

祖母が子供を純粋に愛していることが伝わって来た。ユリアンはそれを見捨てようとしていたのだ。

ユリアンの祖母がユリアンを憎んだことだって、父への愛の裏返しだった。そのことも頭では理解していたはずなのに。

 

妊婦を病院に預けて、面倒ごとが発生する前にユリアン達はそこから離れた。

子供が無事に生まれてくることをユリアン達はもはや祈ることしかできなかった。

 

ユリアンはマルガレータに感謝した。

「マルガレータ、ありがとう。僕はとんでもない間違いを犯すところだった」

 

「ユリアン、お前、どうしたんだ?目の前で人が死にかけていたら悪人でも助けてしまう奴だと思っていたのに」

マルガレータは怒るというよりは純粋に困惑していた。

 

「僕の祖母なんだ」

 

「何だって?」

 

「僕の祖母さ。髪の色が似ていただろう?それにミンツ家の名前を口にしていた」

 

「それじゃあお腹にいたのは?」

 

「僕の父親だね」

 

マルガレータはユリアンの正気を疑った。

「ユリアン、お前!自分が生まれなくなるところだったんじゃないか!」

 

「そうだね」

 

「そうだねって……どうしてそんなことを?」

 

「祖母は僕を憎んでいた。生まれてくるべきではなかった、と。あの瞬間、僕は祖母の言う通り生まれてこなくなった方がいいんじゃないかと思ってしまったんだ。いや……」

ユリアンは今にも泣きそうな顔をしていた。

「今でもそう思っている」

 

マルガレータはユリアンの心の闇の深さにかけるべき言葉を見失った。

 

マルガレータは衝動的な行動に出た。

ユリアンを抱きしめたのだ。

 

「マルガレータ?」

 

驚くユリアンにマルガレータは語りかけた。

 

「私はお前が生まれて来てくれてよかったと思っている。私だけじゃない。ヤン提督だって、フレデリカさんだって。トリューニヒト主席だってそうだ。それに……カーテローゼさん達だって」

 

「そうなのかな?」

 

「そうに決まっているじゃないか」

 

「そうか……」

 

マルガレータとユリアンはしばらくそのまま抱き合っていた。

 

ユリアンがやがて呟いた。

「あの、マルガレータ」

 

「何だ?」

 

「人目が」

 

マルガレータが目を向けると、周りにはそこそこの人通りがあり、マルガレータ達は注目を集めていた。

 

マルガレータは飛び退るようにユリアンから離れた。

 

「周りが見えるようになったということは、少しは落ち着いたみたいだな」

赤面しながらマルガレータは誤魔化すようにユリアンに言った。

 

ユリアンも赤くなっていた。

「おかげ様で。何から何までありがとう」

 

「大したことは何もしていない」

ユリアンの闇が消えたわけでもない、とマルガレータは心の中で呟いた。

 

マルガレータとユリアンは再度タクシーに乗った。既に刻限は過ぎている。

 

タクシーの中でユリアンはマルガレータに訊いた。

「あの二人が本来あそこで死んでいる存在だったら歴史が変わっていたことになるけど、その時君はどうするつもりだったんだ?」

助けられた立場で意地悪な質問をしている自覚はあった。

 

マルガレータは何でもないことのように答えた。

「航時機で未来に連れて行こうと思っていた。ちょうど二席空きができたわけだし」

 

ユリアンは正直意表を突かれた。

 

「君にはかなわないな」

ユリアンはそう言って笑ったのだった。

 

マルガレータは揺れる自分の心を無視するべく努めなければいけなかった。

マルガレータは誤魔化すように呟いた。

「しかし祖母の事故現場に出くわすなんて、そんな偶然があるんだな」

どこまでが偶然なのか。その疑問が脳裏をよぎったが、二人とも深く考える余裕はなかった。

 

山に着いた頃には時刻は既に午後8時を回っていた。

 

暗い山道を可能な限り早足で歩きながらマルガレータがユリアンに尋ねた。

「ヤン提督とはまだ連絡がつかないのか?」

 

「うん。もしかしたらバッテリー切れなのかも……」

 

ヤン提督ならあり得なくはないとマルガレータも思った。

「一人夜の山中に待たせていることになるから急がないといけないな」

 

山道を登り、航時機を隠してあるはずの洞窟まで辿り着いた。

遅くなったが、ヤン提督は待っているはずだと二人は当然のようにそう思っていた。

 

しかし。

 

「航時機が、ない」

 

航時機はあるべき場所から消えていたのだった。



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29話 孤立無縁のロストワールド/出口をさがすこともなく

本日夕方にもう一話投稿します。


 

 

 

 

航時機(タイムマシン)が消えた。

 

心にドライアイスを差し込まれたような気分だった。

それでも二人は冷静であろうと努めた。

 

ユリアンはライトで地面を確認した。

「地面に僅かながら圧力がかかった痕跡が存在する。おそらくはタイムワープの影響だ」

 

マルガレータが確認した。

「つまり、航時機と、おそらくはヤン提督も未来に戻ってしまった、と?」

 

ユリアンは頷いた。

「ヤン提督とは連絡が取れないことを考えてもそうだろうね。ヤン提督が君をあえて置き去りにすることはないだろうから、何らかの事故だと思うのだけど。未来にもちゃんと戻れたのかどうか……」

 

マルガレータが別の可能性を提示した。

「考えたくはないが、アッシュビー・クローンがヤン提督を襲って、航時機を乗っ取った可能性は考えられないか?」

 

「……否定はできないけど、結局この時空からヤン提督だけ、あるいはヤン提督と誰か一人が消えたという状況に変わりはないね」

 

マルガレータは嘆息した。

「現時点では打つ手なしか」

 

「明日、フレデリカさんに連絡を入れよう」

 

二人は洞窟の中で野宿をすることにした。航時機に万一のために積んでいた非常用食料、飲料水、野営用テントなどは幸いにもそのまま洞窟に残されており、利用することができた。

 

 

ユリアンと非常用食料を分け合いながら、マルガレータは未来に戻れないことを覚悟した。

軍人なのだから元より死ぬことすら覚悟していた。それよりは大分マシな事態かもしれない。父上を悲しませることになることだけが心残りだった。……六十年後に届くように手紙を送るのはまずいだろうか?

 

マルガレータは、自らが思ったほどにはショックを受けていないことに気がついた。一時的に感覚が麻痺しているだけだろうか?

 

ユリアンが話しかけてきた。

「マルガレータ、ごめん。僕のためにこんなことになってしまった」

彼は現在の状況に責任を感じていた。

 

「お前のため?祖母殿を助けたことか?それは違うぞ。私がやりたいことをやっただけだ。むしろ私のせいかもしれない」

 

「それでも結局僕のためだ。安心して。君だけでも未来に帰す方法を考えるから!」

 

またこの男は、とマルガレータは思った。

「お前はどうなるんだ?」

 

「僕なんてどうなったっていいんだ。元々天涯孤独だ。でも君は違う。君を僕のために不幸にするわけにはいかない」

 

不幸?不幸とは何だろう?

マルガレータは自分があまりショックを受けていない理由に気がついてしまった。

未来に帰れないにも関わらずユリアンと二人きりになったことを喜んでいる自分がいた。

この時代なら、ユリアンには何のしがらみもない。この時代が未来に繋がるためには、ユリアンはむしろ何もすべきではない。

ユリアンは自分のことだけを考えていればいいし、ユリアンを止めるという約束をマルガレータが果たす必要もない。

それに……月の三人娘に気兼ねする必要もない。

ユリアンをマルガレータが幸せにしてやれるのでは?

……いや、それは誤魔化しだ。

マルガレータはフレデリカの言葉を思い出した。"自分の幸せを考えてみたら?"

……私は、この時代でユリアンと一緒になることで幸せになれるのではないか?

 

マルガレータはユリアンへの好意の後ろに自らが押し隠していたどろりとした感情を自覚した。

魔がさした、といってもいいかもしれない。

 

マルガレータは感情のままユリアンに言葉をかけた。

「なあ、どうなってもいいと思っているなら、この時代で私と一緒に生きないか?」

 

ユリアンはマルガレータの様子にただならぬものを感じた。

「マルガレータ?」

 

「お前はそれほど未来に戻りたいとは思っていないのだろう?」

 

「僕自身はそうだけど、でも」

 

マルガレータはユリアンの言葉を遮って話し続けた。

「この時代なら私はお前との約束を果たさなくてもいいのだろう?お前を止めることを考えなくていいのだろう?」

 

「……うん」

 

「それなら、私は自分の想いを隠したくない」

マルガレータはユリアンの正面に立った。

 

「私はお前が好きだ」

マルガレータは初めてその気持ちをユリアンに告げた。

止まらなかった。

「恋人になりたい。愛を囁きあいたい。一緒に生きたい。お前が好きだ」

 

マルガレータはユリアンの頰に手を当てた。

「なあ、ユリアン。私ではだめかな?」

 

ユリアンはしばらく無言だった。

 

マルガレータは徐々に冷静さを取り戻した。少しずつ後悔する気持ちが現れ始めた時、ユリアンは口を開いた。

 

「僕はカーテローゼのことが好きなんだ」

知っている、とマルガレータは思った。心が千々に乱れた。

 

「サビーネのことも、エリザベートのこともきっと好きだ」

それも知っている、と思った。

答えは、「拒絶」か。

 

マルガレータは、ユリアンの頰に当てた手を離そうとした。だが、ユリアンはその手を握った。

「それなのに、君のことを好きだと言ってしまっていいのかな?光の下にいる君のような女性を、僕のような薄汚れた人間が」

 

間近で二人の視線が交錯した。

 

「狡い訊き方をするんだな」

本当に狡いのは私だ、とも思った。

 

ユリアンはマルガレータに想いを伝えた。

「マルガレータ、君のことが好きだ。真っ直ぐなところも、強がるところも。動揺すると貴族言葉になるところも、全部。ガニメデで会った時から惹かれていた」

 

マルガレータは微笑んで応えた。

「私もだ。私もそうだった」

 

二人は口付けを交わして……

 

 

 

 

 

ヤンは焦っていた。

ヤンはフレデリカと別れた後、洞窟に着き、航時機内で待機していた。

刻限まで仮眠でも取ろうと思っていたところ、急に航時機が動き出してしまったのだ。

何とか止めた時には電子暦(エレク・カレンダー)上では相応に時間が進んでしまっていた。

 

二人は不安がっているだろうな、そう思うとヤンは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

航時機の外から声が聞こえる。

マルガレータとユリアンの声だった。

 

「ごめん、マルガレータ。ごめん、ユリアン。ごめん、二人とも!」

 

航時機の外に出たヤンは目撃した。

 

声のした方に振り向いたマルガレータとユリアンは、この時初めて目撃した。

魔術師ともペテン師とも呼ばれる男が、本気で困惑し、顔を引きつらせているところを。

 

「ごめん、二人とも。私なんてお呼びじゃなかったね。ごめん、ごめんね!」

ヤン・ウェンリーはその場から逃げ出した。

 

「「ヤン提督ぅぅぅ!」」

 

二人が洞窟の外で所在なさげに佇むヤン・ウェンリーを発見したのはそれから30分後のことだった。

 

 

ヤンと合流した二人は、野営テントを片付けて物資を航時機に積み込み、改めて航時機に乗り込んだ。

 

ここまで無言だったマルガレータが口を開いた。

「ヤン提督。事情はわかりましたので、お気になさらないでください。我々が刻限に遅れたことも問題ですし、ヤン提督のせいではないと思います。諸々のことを含めて」

 

「はい」

 

「でも。ここで見たことは忘れてくださいね」

 

「はい」

マルガレータの口調は優しげだったし、微笑さえ見せていたが、その纏う空気にヤンは敬語にならざるを得なかった。

 

「私は何も見ていない、何も聞いていない、何も見ていない……」

ブツブツと呟き始めたヤンを尻目にマルガレータはユリアンに顔を向けた。

「ユリアン、ここであったことは忘れよう」

 

ユリアンはマルガレータの真意をはかりかねた。

「マルガレータ、どういう意味?」

 

マルガレータは未来に戻れることがわかった時に決意していた。

「そのままの意味だ。私たちは恋人にはなれない。私たちは未来に戻るのだから」

 

「それは!でも……」

ユリアンの言葉は続かなかった。

 

マルガレータの表情は聞き分けのない子供を諭す母親のようにも見えた。

「わかっているだろう、ユリアン。未来に戻ったら、お前はいろいろなものを再び抱え込むことになる。私が約束通り、お前を止めないといけなくなることも出てくるだろう」

 

「それでも、僕は……」

 

「ユリアン。カーテローゼさん達との関係を捨ててまで、私のところに来られるのか?」

 

「!」

 

言葉に詰まるユリアンに、マルガレータはさらに微笑みを見せた。僅かに期待していたその気持ちを隠すように。

 

「だからだ、ユリアン。そこでお前が答えられない時点で私達の関係はあり得ないことなんだ。そして、私はそんな、誰のことも切り捨てられないお前だからこそ、どうしようもなく好きなんだ」

 

「マルガレータ、僕だって」

 

マルガレータはユリアンのために身を引くつもりだった。

「好きだ、なんて余計なことは言わなくていいからな。私はお前が隣にいなくても生きていける」

 

「でも……」

なおも言い募るユリアンの様子を、未練がましい、とはマルガレータは思わない。

ユリアンは自らのためにマルガレータに執着しているわけではない。ただ、マルガレータの気持ちを慮るばかりに見捨てるという判断ができないだけなのだ。ならばこちらからそうできるように仕向けてやろう、そう考えた。

 

「未来に戻ったら、私もそろそろ婚約でもしようかと思う。父上からはそれとなくと言われているんだ」

 

ユリアンばかりかヤンまでが驚いていた。

 

「ヤン提督、安心してください。保安機構はやめません。ああ、でも」

マルガレータはここであえて酷薄そうに見えるように笑った。

「ユリアンの担当は外してもらえませんか?」

 

話を向けられたヤンは、困った顔で言った。困ったような顔ではない。

「ヘルクスハイマー中佐、私にはよくわからないけど」

 

マルガレータはヤンに笑顔を向けた。

「わからないなら、そのまま受け入れてください」

 

「……はい」

ヤンは、自分の元副官はこんなに怖い女性ではなかったはずなのに、と悲しくなった。

 

マルガレータはユリアンにも笑顔を向けた。

「ユリアンも安心してくれ。担当を外れてもお前が道を踏み外したらちゃんと止めに行くから」

ユリアンが傷つくのを、それによって自らが傷つくのも承知の上でそう告げた。

 

マルガレータの意図通りユリアンは傷ついた表情のまましばらく黙っていた。

マルガレータは胸の張り裂ける思いだった。ユリアンの胸に縋って、「私を選んで。私と共にいて」と言えたらどんなによかったことか。しかしマルガレータは伯爵家を守る立場の者として、そのようには生きて来なかった。

 

ユリアンはようやく口を開いた。

「本当にそれでいいんだね」

 

マルガレータはその言葉を発するのに多大な労力を費やした。

「いいんだ。それがお互いのためだ」

 

「わかった」

 

「……一つだけ、いいか?」

 

「何?」

 

「月で待つ三人娘のことだが、早く結論を出してやれ。余計なお世話だし、矛盾したことを言うようだが、期待だけ持たせてずっと結論を出さないのもかえって酷なことだと私は思うぞ」

 

「……頭に入れておくよ」

奇妙に感情のこもらない声でユリアンは応じた。

 

ヤンは何とか仲裁しようと試みた。

「二人とも」

 

「ヤン提督、この会話も忘れてください」

マルガレータは笑顔だった。

 

「……申し訳ないですが、忘れてください」

ユリアンもヤンに笑顔を見せた。

 

「……」

ヤンは自らに対処不能なこの状況を前に、別れの挨拶を交わしたはずのフレデリカに早くも助けを求めたくなってしまった。未来で待つ妻と子供に会いたいとも思った。

 

それに、あまりの展開にヤンは航時機で待機していた間に浮かんできた疑問を二人に伝え損ねてしまった。

 

 

こうして三人は、一つの恋の結末とともに、宇宙暦804年に戻ったのだった。

 



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30話 夢幻遠点のロストワールド/一つの旅の終わり

本日投稿二話目です


宇宙暦746年/帝国暦437年4月、ブルース・アッシュビーとなったライアルと、彼の唱える帝国領侵攻に賛同した超党派組織「730年グループ」は同盟市民の圧倒的な支持によって選挙に圧勝した。

 

アッシュビーは最高評議会議長となった。彼は副議長となったローザス、後任の宇宙艦隊司令長官となったウォーリックらとともに、民間にあっては軍需生産の増強、軍においては艦隊の増強、後方部門の充実など、帝国領侵攻の準備に邁進することになった。

兵士のなり手には事欠かなかった。アッシュビーと共に戦いたいという者は若者を中心に非常に多かった。特に十代前半の志願者が増加し、国防委員長を兼ねたローザスと新任の人的資源委員長はその扱いに頭を悩ますことになった。帝国領侵攻においては彼らが戦場で活躍し、武勲を重ねることで十代の下士官、士官が多数出現することになる。極めて稀な事例ではあるが野戦任官で分艦隊司令官を務めた十代士官も出現したほどである。

この辺りの前例がトリューニヒトによるユリアン・ミンツの異例の抜擢を許容する下地にもなったがそれは後世の話である。

 

いずれにせよ、アッシュビーの時代は、自由惑星同盟という国家にとってもそこに生きる市民にとっても青春の時代であったのだ。その最終的な挫折と共に、後に懐かしさを込めて語られるようになることも含めて。

 

ジークマイスターの組織した帝国諜報網は同盟への情報提供の量を一時的に低下させた。その後大規模な会戦がしばらく行われなかったことだけが原因ではなかった。軍の一部に諜報網の存在を疑う動きを察知した為である。とはいえ、ティアマトにおいて多大な損失を被った帝国軍にとっては人的資源の再配置の方が優先され、その追及は尻すぼみに終わってしまった。

同盟側への情報提供を半ば休止している間にも、ミヒャールゼンの「諜報芸術家」としての意欲は減ることはなく、別方面での活動が続けられた。

彼らは軍内部ではなく、外への働きかけを強めた。来るべき同盟軍の帝国領侵攻の際に、帝国内で呼応する動きをつくろうとしたのである。

彼らにとっては幸いなことに、辺境諸侯には門閥化して宮廷貴族と化した中央貴族に対する不満が高まっていた。彼らを門閥に取り込もうとする動きもあったが、ミヒャールゼン達の動きはそれに先んじていた。

学があり理想主義的な面を持つ辺境諸侯の子弟は以前から共和主義思想蔓延の温床であった。しかし、ミヒャールゼン達はあえて共和思想を推進しなかった。

その代わりに「護民思想」なる代物を辺境に広めたのである。それは貴族は民を護るために存在し、その義務を放棄する者は貴族にあるまじき悪であると主張するものであった。辺境諸侯の矜持と親和性が高く、共和主義ともそこに至るまでの発展的段階と考えればこの時点では対立しない。何より、護民思想であれば社会秩序維持局に逮捕されることがないということは大きかった。

ティアマト以前からこの活動は進められており、それが加速された形である。

ミヒャールゼン達は、民衆の教化、組織化は少なくともこの時点では考えていなかった。貴族階級出身らしく、諸侯が先頭に立って民衆を導くべし、と考えていたからだった。

ミヒャールゼンの工作は上手くいき、護民思想の皮を被った反中央貴族、反ゴールデンバウム思想によって、諸侯の子弟はいくつかのグループに組織化され、アッシュビーの帝国領侵攻を待つことになった。

もっとも実際の同盟軍侵攻の際には護民のために同盟軍と戦おうとする諸侯も一部に現れてしまうという計算違いもあったが。

 

それからの流れは歴史に伝えられる通りである。

 

宇宙暦747年/帝国暦438年

12月中旬 アッシュビー議長率いる同盟軍遠征艦隊、イゼルローン回廊内に侵入

12月下旬 イゼルローン回廊出口の会戦 アッシュビー議長の指揮のもと、同盟軍の大勝

 

宇宙暦748年/帝国暦439年

1月~2月 帝国各地で反乱勃発

2月上旬 帝国辺境の諸侯を中心として独立諸侯連合発足

2月~3月 同盟軍、帝国領の半ばまで進出

 

ただし、今日思われているほど順調であったわけでもない。

辺境諸侯の多くが味方についたことで占領コストは軽減されたが、一方で諸侯達も理想論で同盟側についたわけではなかった。民への想いも無論ないわけではなかったが、そこには冷静な計算があり、彼らなりの野心もあった。様子見の後に帝国から離反した者達ほど、その傾向は強かった。そのような一癖も二癖もある連中をどうにか宥めすかして引き連れて、アッシュビーは帝国領侵攻を進めていった。実のところ苦労の多くはアッシュビーより人当たりの良いローザスが引き受けることになったが。

後方部門の負担も甚大で、責任者たるキングストン大将は前線及び占領地から、加速度的に増える物資の要求や支援要請に、神経が焼ききれそうになっていた。

戦いも、総合すれば連戦連勝の快進撃には違いなかったが、その中には手痛い失敗もあったし、目立たないながらも敗北も存在した。「行進曲(マーチ)」ジャスパーのジンクスはこの遠征においても有効だった。予定外の事態にアッシュビー本人が出張ってなんとかした戦場も存在した。

 

そのような様々な困難を乗り越えて、「ブルース・アッシュビー議長」率いる同盟軍遠征部隊は、ついにアルタイル星系にまで到達した。

 

ハイネセンの脱出後もアルタイル星系第七惑星には未だに政治犯の収容所が存在した。収容所を閉鎖してしまっては政治犯とその子孫の脱走が大失態だったと認めることになり、むしろ矜持に関わるという、帝国の一種の見栄によるものであった。

同盟軍は、現代のハイネセン達、それに生き別れとなったかつての同胞の子孫達を解放した。実に275年の時を経てのことであった。

 

聖地アルタイルの解放はこの遠征事業の中間目標であり、最大の山場の一つだった。

 

アッシュビーは、イオン・ファゼガス号の建設地とされる場所に立ち、演説を行った。

同盟軍将兵、軍属、独立諸侯連合義勇軍将兵、解放されたアルタイルの民が聴衆だった。

氷点下を大きく下回る気温の中でも英雄の姿を前にして、聴衆は熱気と希望に満ちていた。

「アーレ・ハイネセンの長征より275年の時を経た今日この日、我々は再びこの地に立つことになった。ハイネセンは自由を求めてこの地を旅立った。我々は自由をもたらすためにこの地に来た」

 

歓声がドライアイスの渓谷にこだました。

 

アッシュビーは、未来におけるこの地を想い起こした。アルタイル星系が新銀河連邦の本部とされ、第七惑星には銀河保安機構本部が置かれたことを。そのためにライアルにとってこの地は馴染み深い場所であった。

 

帝国においてこの第七惑星には「虐殺者」エルンスト・ファルストロングの親族の名前が与えられていたし、それ以前はアルタイルⅦという面白くもない名前しか与えられていなかった。

それ故に同盟ではこの故地の名を、「アルタイル第七惑星」あるいはアルタイルⅦと呼称するしかなかった。

宇宙暦804年の未来では銀河保安機構本部が置かれており、銀河の中心地の一角を占めるようになったのだから別に固有名を与えられるべきなのではないかという議論が盛んに行われていたが、ともかくもこの時点でこの惑星は「アルタイル第七惑星」である。

 

ヤン・ウェンリーやマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは未来のこの地で、銀河のために活躍していることだろう。

それは、今のアッシュビー達の延長線上にある未来である。しかし、自らの手がもはや届くことのない、夢幻のような遠い未来でもある。

 

アッシュビーは演説を続けた。

「この地は自由惑星同盟の原点である。しかし未来においては、この地こそが銀河全土における自由と平和の原点となるのだ」

歓声はさらに大きくなった。

 

アッシュビーは聴衆に見たことのある顔がちらほら混じっている気がしてきた。

コステア退役准将、ボーデヴィヒ退役少佐、ぶ退役大尉、未来の連合建国五十周年の年にライアルと共にラインハルト・フォン・ローエングラムと戦った戦友達。「797年マフィアの会」のみんなだ。

 

アッシュビーは心の中で語りかけた。

やあ、戦友達、会えて嬉しいよ。しかしまるで新米もいいところじゃないか。

 

だが、その目は五十年後のあの時と一緒だった。アッシュビーを信頼して、彼と共に戦えることに喜びを感じている目。アッシュビーは彼らを五十年後の未来に繋げたいと思った。彼らと未来において再び共に戦うために。

 

「我々はそのためにここに来た。一部の心ある諸侯は我々の協力者となった。この地を含め、各地の収容所でも新たな仲間を得た。自由と平和は帝国領に浸透しつつある。

我々はこれからさらに帝国深部に攻め入り、それを事実として確定させるだろう。

それは勿論大事業である。

しかし、その後にも大事業が待っている。

自由と平和の灯火を皆で守っていくことも大事業なのだ。

私も力を尽くす。だから未来のためにこれからも君達の力を貸して欲しい!」

 

歓声、拍手。

それに割れんばかりのアッシュビーコール。

 

多くの者は、アッシュビーが帝国征服をもはや確定事項としてその後のことを考えていると思っただろう。

しかし、彼を待ち受ける運命を知る者にとってその演説はまた違う感慨を抱かせた。

演説を終えたアッシュビーはローザスに近寄り、肩に手をやった。

「あと少しだ。よろしく頼むよ。それからのことも」

 

ローザスは頷き、声を出した。

「勿論だ。そう約束した」

声が震えていたのは寒さによるものばかりではなかっただろう。

彼は年齢以上に老け込んで見えるようになっていた。人によってはそれを貫禄がついたと表現したが。

 

既に帝国軍が態勢を立て直し、シャンタウ星域に集結中であるとの情報が届いていた。

 

同盟軍は帝国軍とそこで決戦を行なうことになる。

同盟軍が勝てば後には、オーディン目前での帝国軍にとっては絶望的な最終決戦が待つのみである。

 

だが、そうはならないことをローザスもライアルも知っていた。

 

それでも二人は同盟軍と諸侯連合義勇軍を率いてそこに向かうのだった。

 

フレデリカは演台から降りる二人の背中を聴衆の中から見守っていた。

フレデリカも情報部フリーダ・アシュレイ大尉としてこの遠征に付き添っていた。

ブルース・アッシュビーの最期の時まで、フレデリカは彼を見守ることを決めていた。

 

 

宇宙暦748年/帝国暦439年4月、シャンタウ星域会戦

同盟軍5万5千隻に対して、態勢を立て直した帝国軍6万隻が決戦に挑んだ戦いである。

度重なる将兵の損耗で質の劣化が著しいといえども量においては未だに同盟軍を凌駕し、名将シュタイエルマルクが率いる帝国軍に対して、アッシュビーはウォーリック、コープ、ファン、ベルティーニ、コッパーフィールドら、万全の布陣で臨んだ。

フレデリック・ジャスパーは後方にあって、占領地域の統治に力を尽くしていたが、彼が参加しなかったのは実のところ彼のジンクスが今回は負けの回にあたるからだった。その点も含めて万全の布陣ということである。

 

帝国軍に後はなかったが、同盟軍も余裕がある訳ではなかった。ここまでの戦いで相応に消耗していたし、ここで勝ったとしても大損害を負えば、帝国が最後の兵力をかき集めて挑んでくるだろうオーディン攻略戦において帝国軍に後れをとる可能性が大きくなってしまうのだ。

このため同盟軍は兵力の消耗を避けつつ、大勝を収めるという難題をクリアする必要があった。

戦略的不利を戦術的勝利の積み重ねでひっくり返してここまで来てしまったアッシュビーと同盟軍にとっては、もはや日常とも言えたが。

ライアルは、ブルース・アッシュビーとしてここまで温存してきた必勝戦術をここで披露するつもりであった。

何かが間違っていて自らが死ななかったら、帝国軍にそのまま勝ってしまおうとさえ思っていた。

 

戦況は左翼においてはコープとベルティーニの、右翼においてはウォーリックとファンの連携によって同盟軍有利に推移していた。

しかし、長時間の戦いで双方に疲労と物資の不足が目立ち始めた。

ライアル・アッシュビーは頃合いと感じ、ハードラックの艦橋から全軍に指示を出すべくマイクを取った。

「さあ、勝負はこれからだ!アッシュビー、超必勝戦術、アッシュビー・スパークのお披露目だ!」

 

その時。

 

 

「アッシュビー提督!」

 

振り向いたライアルの前に一人の兵士がブラスターを持って立っていた。

 

ライアルはその時がやって来たことを悟った。

「やあ、俺の運命」

 

 

彼の運命は激しい光の姿をしていた。

 

胸に激しい痛みを感じ、そこから赤い液体が噴き出すのを見ながら、ライアルは床に崩れ落ちた。

 

「あなた!」

 

金褐色の髪を持つ、彼の妻の声が聞こえた。

 

「フレ…デ……愛して……」

 

最後に見たのは、彼女の泣き顔だった。

 

 

 

「ブルース・アッシュビー」はここに死んだ。

 

 

 

アッシュビーを失った同盟軍は撤退し、歴史は未来に向けて確定した。



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31話 潜伏存在のロストワールド/真実は時の娘

深夜にもう一話投稿予定です


 

 

宇宙暦804年6月1日 自由惑星同盟首都星ハイネセン

 

航時機は宇宙暦804年のハイネセンに帰還した。

 

「30分後に自壊を始めます」

発せられたアナウンスを聞き、搭乗者は無言で航時機から降りた。

 

洞窟の外に出ると、そこには出迎えがいた。

 

「無事に戻って来れたのね。嬉しいわ」

10代だと思われる長い髪の少女だった。

 

搭乗者、デグスビイは主教服のフードを下ろして応えた。

「それも偉大なるレディの導きがあってのことです」

 

レディと呼ばれた少女は、不愉快げに首を振った。

「偉大などという枕詞は私には不要よ」

 

「申し訳ありません」

デグスビイは頭を下げた。

「レディの方も首尾はいかがでしたか?」

 

「ええ問題ないわ。あなたが帰還して以降も全て予定通りだったわ」

 

「それは喜ばしい限り」

 

その少女も、航時機の搭乗者で、デグスビイと共に過去に旅立った一人だった。

ヤン達の航時機とデグスビイの航時機は共にメッゲンドルファーが組み上げたもので、搭乗者数も同じく五人である。

デグスビイと三人のアッシュビークローンが搭乗したとしても、もう一人乗ることが可能なのだ。

ヤンが気づきつつユリアン達に伝え損ねたのもこのこと、もう一人時間遡行者がいる可能性だった。

 

デグスビイは帰還したが、少女は過去に留まった。

……その彼女が何故デグスビイを未来で待つことができたのか?

 

 

「これからだけど、一度拠点と連絡をとる必要があるわね」

 

「では、いよいよ計画が始動するのですね」

 

少女は笑みを見せた。

「いいえ、まだ準備が必要よ。あなたの力も借りることになるわ。……あなたには酷なことを命ずることになるのだけれど」

 

「一度はないものと思った命、悲願の達成に資するならば、いかようにもお使いください」

 

少女はデグスビイに手を伸ばした。

デグスビイはその手を取り、恭しく口付けをした。

亜麻色の長い髪と類稀な美貌を持ったその少女の手に。

 

 

宇宙暦748年4月18日 自由惑星同盟首都星ハイネセン

 

亜麻色の髪を持つその少女に、痩身の男が体を預けていた。体が震え、目元にはくまがあった。その焦点の定まらない瞳を、見る者が見たらサイオキシンの禁断症状だと気付いただろう。

とはいえ、この時代の同盟にサイオキシン中毒者はさほど多くはなく、気づかれたことはなかった。

だからこそ、その男、情報部三課課長アンドリュー・ホィーラー准将は今の地位を保っていた。

 

長い亜麻色の髪を持つその少女は一瞬身を震わせた後、ホィーラーに囁いた。

「ブルース・アッシュビーの分身が、シャンタウ星域で死んだわ」

 

ホィーラーはうわ言のように呟いた。

「ルドルフになろうとしていた悪いブルース・アッシュビーはティアマトで死んだ。あなたが良いブルース・アッシュビーだと言っていた男までが今日死んだ。いずれも俺が殺したことになる。同盟は英雄を失ってしまった」

 

彼はティアマトに向かうハードラックに仕掛けを施し、ローザスに最後の判断を預けた。ブルース・アッシュビーが道を踏み外していたならば、謀殺できるように。

 

結果、ローザスは判断し、ブルース・アッシュビーは死んだ。しかしホィーラーは、何の満足感も抱くことができなかった。むしろ、虚脱感に襲われた。アッシュビーは彼を嫌い、警戒していたはずのホィーラーにとっても英雄だったのだ。

結果、この少女の持ってくる「薬」に頼る頻度が増えた。

彼はアッシュビーの代役たる男が台頭しても、その少女の説明を言うがままに信じた。

ホィーラーに対してアッシュビーの謀殺を指示した者は別にいたが、彼はその者には作戦が失敗したと報告した。

そして、再度の謀殺指令への対応を少女の命じるままに引き延ばし、シャンタウでようやく実行に移したのだ。

 

ホィーラーは少女に縋った。

「なあ、レディ。俺はこれからどうしたらいい?英雄はもういない。同盟はこれからどうしたらいいんだ?」

 

少女は艶然と微笑んだ。およそ10代とは思えない笑みだった。

「いないならつくればいいじゃない?」

 

「つくる?」

 

「そうよ。民主共和制の真の英雄をあなたがつくるのよ」

 

「どうやって?」

 

「あなたは今回の"功績"で少将になるでしょう。そうしたら年少者に英才教育を施す教育機関をつくればいい。あなたの思い描く理想を教え込み、理想の英雄に育てればいいのよ。それができれば」

少女は腕をホィーラーの首に絡ませて、その耳に口を近づけた。

「英雄を生み出したあなたこそが救国の真の英雄ということになるのではないかしら」

 

ホィーラーの目にギラギラとした輝きが宿った。

「俺が真の英雄……そうか、それはいいな」

 

それはいい、と呟き続けるホィーラーから少女は身を離して立ち上がった。

「頑張ってね。私はそろそろ行くわ」

 

「レディ、どこに行くんだ?」

 

「身を隠すのよ。四課の連中が私の存在に気づきつつあったから、そろそろ頃合いよ」

 

ホィーラーはそれが意味することに気づいた。

「まさか、もう会えないのか?」

 

少女は淡々と答えた。

「そうなるわね」

 

それを聞いたホィーラーの表情は絶望そのものだった。

 

少女は溜息をついた。

「この様子じゃあ何も手につかないでしょうね。決めたわ。私のことは忘れてもらいましょう」

 

少女はホィーラーに再び近寄っていった。

ホィーラーは後ずさった。

「い、いやだ!忘れたくない!」

 

少女の手にはいつの間にか注射器があった。嫌がるホィーラーの首にそれを押し当て、彼女は囁いた。

「無理よ。あなたは忘れるのよ。それがあなたのためよ」

 

「いやだ。忘れたくない。忘れたくない。忘れたくない……」

 

意識を失ったホィーラーの耳元で、少女はしきりに何かを呟き続けた。

 

暫くして少女は立ち上がった。

「これで問題ないわね。せめてもの情けで、夢の中でなら私を思い出すことができるようにしてあげたわ。それでは良い夢を」

 

少女はホィーラーとの密会に使っていた部屋のドアを開けて外に出た。

ハイネセン・ポリスの一角であるその場所からは、春の日差しに照らされるアーレ・ハイネセンの巨像がよく見えた。

 

彼女はデグスビイと再び合流するまでに六十年近い時をこれから過ごすことになる。

定命の者には絶望的に長い時も、不老不死の体を持つ彼女には何の問題もないことだった。

 

「次の用件まで今少し時間があるわね。いろいろと動いたから少し休ませて貰うわ。春眠暁を覚えずと言うけれど、人類を待つ夜の後に夜明けなんて本当に来るのかしらね?」

 

彼女は遠くに見えるハイネセンの像に向けて呟いた。

「……あなたは夜明けが来ると本当に思っていたの?アーレ・ハイネセン?」

 

春風が彼女の亜麻色の髪をたなびかせた。

笑みを見せる少女の顔は、どことなくユリアンに似ていた。

 

 



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32話 未来回帰のロストワールド/心に残ったもの

本日投稿二話目です。


宇宙暦804年6月1日 自由惑星同盟首都星ハイネセン

 

航時機は宇宙暦804年のハイネセンに帰還した。予め定められた日時への帰還である。

 

「30分後に自壊を始めます」

発せられたアナウンスを聞き、ヤン達は無言で航時機から降りた。

 

マルガレータとユリアンはもはや一言も会話を交わすまいとしているようだった。

 

ヤンとしては、妹と弟のように思っている二人のことが心配でならない。

「二人とも、やっぱり」

 

「何があったかは忘れましたが、疲れたので先に保安機構支部に戻ってもよいでしょうか?」

ヤンの返事も訊かずにマルガレータは先に行ってしまった。

 

「僕も何があったかは忘れましたが、疲れたので一休みしてから戻ってもいいでしょうか?」

ユリアンの方は多少なりとも申し訳なさそうにしており、それがヤンにとってはせめてもの救いだった。

 

「……了解」

三人は別々に保安機構ハイネセン支部に戻ることになった。

 

洞窟の外にはメッゲンドルファーが保安機構の技術者及び監視員と共に待機していたが三人に彼の相手をしている余裕はなかった。

 

アナウンス通り30分後に航時機は自壊した。離れていても震動として伝わって来たことから、かなりの規模の爆発が起きたと推測された。

 

ハイネセン支部に着いたマルガレータは、支部員への挨拶もそこそこに、与えられていた個室に戻ってしまった。

泣き顔を見られたくなかったからだ。

マルガレータは自分が立ち直れると信じていたが、今すぐには無理だったのである。

 

ヤンは支部に着いてすぐに、支部員にハイネセンにおける地震の観測データを出すように伝えた。いまやその呼び名も怪しくなって来ていた、神聖銀河帝国残党の航時機も自壊しているとしたら地震として観測できているのではないかと考えたのである。

 

その後、長官代行を務めていたキャゼルヌに連絡を入れた。任務完了と、ライアルとフレデリカの件を伝える必要があったのである。

キャゼルヌはヤンの様子を心配した。

「ヤン、お前さん憔悴しているな。タイムトラベルはそんなにきつかったのか?いや、二人を失ったから仕方のない話か」

 

「そうですね……」

失ったのは二人ではなく四人かもしれないとヤンは本気で心配していた。

 

それから程なくユリアンも支部に帰還した。

ヤンはユリアンとコミュニケーションを取ろうとした。

「ユリアン、私の部屋で紅茶でもどうだい?ブランデーをたっぷり淹れて」

 

「……それ、僕が淹れることになるんでしょう?申し訳ありませんが、やっぱり疲れたので今日は遠慮させて頂きます」

 

「そうか……」

ヤンの様子は反抗期の息子の相手をする気弱な父親のようであった。

 

 

ユリアンを見送った後、ヤンはたまらずローザに通信を入れた。

「あなた!ほら、テオお父さんですよ!」

「おとうちゃー!」

ヤンからの通信に喜びを隠さないローザとテオの様子を見て、ヤンは泣きそうになった。

 

「あなた、一体どうしたんですの?またユリアンかオーベルシュタイン局長に虐められたんですの?」

 

「ローザ、何があったのか話せないのだけど何も訊かずに愚痴だけ聞いてくれないか?」

 

「……難しいことを言いますわね?でもいくらでも聴きますわよ」

「きくよー」

ローザとテオの笑顔にヤンは救われたのだった。

 

 

ユリアンは自室に戻った。自己嫌悪のあまり、何も考えられなくなっていた。

ブランデーを深酒するという普段は絶対にやらないことまでして、その日はようやく寝付いたのだった。

 

 

マルガレータもユリアンも次の日には多少冷静になっていた。

特にマルガレータは自らの八つ当たりのようなヤンへの対応を恥じた。

 

二人は個別にヤンに謝りに行った。

ヤンの露骨に安堵する様子に、二人はそれぞれさらに恐縮するのだった。

 

とはいえ、マルガレータとユリアンの間には未だにまともな会話は発生しなかった。

 

三人は新銀河連邦に戻ることになったが、ユリアンは二人に気を遣って別の船を手配して帰還することになった。

 

神聖銀河帝国残党の航時機の残骸はハイネセンの別の山中に発見された。

彼らの帰還もこれによって確認されたが、予想していたことながらそこには彼ら自身につながるものは残されていなかった。

 

ヤンとマルガレータが各所に問い合わせたところ、新たな歴史改変現象は確認されておらず、旧帝国暦表記のワインラベルや妙な記念碑は跡形もなく消え去った。

 

一部の人々には別の歴史の朧げな記憶が残った。これもいずれは消え去ってしまうのか、それとも残り続けるのかは定かではない。

 

ゼーフェルト博士など一部の歴史家は、人々の記憶が残るうちに、別の歴史を記録にまとめようと動いた。

しかしそれぞれの記憶は断片的だってし、人によって記憶が異なっていたり、その人にとって都合の悪いことは話したがらなかったから、完全な記録としてまとめることはできないと思われた。

異聞なども含めた何らかの「物語」あるいは「伝説」としてまとめるのが精一杯だろうと考えられた。

 

世に出せるかどうかはともかくとして、何らかの形にはまとめられるはずであり、その名称についても限定された人々の間で議論の的となった。「宇宙の英雄物語」や「銀河英雄の伝説」などが名前の候補に挙がっているという。どうやら主役の一人であるらしいヤンなどは、恥ずかしいのでやめてほしいと思っている。

 

ともあれ、過去へのささやかな旅はここに終結したのだった。






活動報告も投稿しました。


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33話 時は積み重なって

深夜にもう一話投稿します


 

 

ヤン達が歴史改変騒動、通称「帝国暦490年製ワイン事件」への対応に追われている間にも銀河は歩みを止めなかった。

 

宇宙暦804年5月には、ミッターマイヤー夫妻に女児が、ジークフリード帝/アンネローゼ夫妻には男児が、立て続けに誕生していた。

ジークフリード帝は、子供にローエングラム皇帝家を継がせないことを出生前から明言していた。

あえてキルヒアイス家を継がせることにしたのである。

ジークフリード帝は生まれてきた男児の名前をどうするか悩んだ。男児はアンネローゼに似て、金髪だった。

その金髪にジークフリード帝は友のことを想起した。

ジークフリード帝は含み笑いをして呟いた。

「ジークフリードなんて俗な名、か。あの時は言えませんでしたけど、ラインハルトだって俗な名じゃないですか」

 

出産から2日後に男児の名前が発表された。

ウィリバルト・ラインハルト・キルヒアイス

皇帝の嫡子でありながら皇族でも貴族でもなく平民。数奇な身の上でその男児は誕生した。

彼らの親族にそのことに異を唱えるものは存在しなかった。生きている者だけでなく、死んでいる者もそうであろうとジークフリード帝夫妻は信じた。

 

ミッターマイヤー夫妻の娘は幸運を意味するフェリーツィタスと名付けられた。生まれて来たこと自体が幸運であったし、本人にも幸多かれと祈ってのことである。

 

さらに同月、世間の耳目はさほど集めなかったが、一部で局地的に話題となったことがあった。

オーベルシュタインが養子を迎え入れたのである。その養子の母親はリヒテンラーデ公の親族、エルフリーデ・フォン・コールラウシュであったが、父親については不明だった。

エルフリーデがオーベルシュタインの家に居座っていたことから、オーベルシュタインの実子ではないかと疑う声もあったが、オーベルシュタインの性格と、そもそもが実子であることを隠す必要もないことから、あまり大きな声にはならなかった。

現時点で6歳の、ファウスト・フォン・オーベルシュタインがここに誕生した。彼の名前の意味もまた「幸運」だった。

 

「あなたも物好きね」

息子を養子に迎えると伝えられた時、エルフリーデはオーベルシュタインにそう答えた。

 

「他人のことを言えるのか?貴女がいつまでもここに居座るから、ファウストが肩身の狭い思いをしないよう、考える必要が出て来たのだ」

 

「お優しいこと。父親になったらあなたも何か変わるのかしら」

 

「そうだな。次代のために不確定要素をなるべく排除するように動くだろうな」

 

「今までと変わらないじゃない」

 

「そうでもない」

 

間接的な関係とはいえ、一人の男児の父親と母親であるにしては情愛のかけらも感じられない会話だった。本人達の心情はまた別かもしれないが。

 

宇宙暦804年6月15日、銀河軍縮条約が締結された。各国の主力艦保有比率が同盟3、帝国3、連合2、フェザーン1、(新銀河連邦1.5)に定められ、保有数に一定の制限がかかることになった。また、新規の要塞建設も当面は禁止されることになった。

 

宇宙暦804年6月25日、高速巡航艦でヤンがアルタイルに帰還した。同時にライアル・アッシュビー首席保安官とフレデリカの「長期休職」などを含めた臨時の人事発表が行われた。

ヤン長官の「極秘任務」との関連が噂となったが、トリューニヒトを含めた新銀河連邦のトップ層が認めていることであり、表立ってことを荒立てるものはいなかった。

首席保安官代理には保安機構宇宙艦隊から転任したワルター・フォン・シェーンコップが就任した。

ポプランなどは本人の面前で慇懃無礼に不満を表明したが、他の候補者の名としてムライの名前が挙げられると態度を一変させた。

「シェーンコップ閣下が適任だと俺、いや、小官は愚考します」

 

ヤンと共に帰還したマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは大佐に昇進した。タイムトラベルにおける功績によるものではなく、それ以前からの実績に基づく昇進である。同時に保安機構宇宙艦隊キッシンゲン支部駐留部隊への転任も発表された。本人の希望によるものである。

遠からず准将に昇進して提督と呼ばれるようになるだろうというのが専らの噂だった。

仲間の多くは大変残念がった。マルガレータはその能力と誠実な人柄から可愛がられていたし、頼りにもされていたのだ。クリストフ・ディッケル中佐の意気消沈する様は、イセカワ少佐が呆れるほどだった。

ユリアンの後任の「担当」にはポプランが当たることになった。

 

公表はされなかったが、メッゲンドルファーは保安機構技術局の預かりとなった。

彼は最近時空震連続発生装置なるものの研究に熱中していた。単に弱い時空震を連続して発生させるだけの代物である。リンクス技術局長は説明を聞きその原理を理解したが、それが何の役に立つのかについてはさっぱりわからなかった。しかし、実害のある研究を勝手にされるよりはマシだと放置することにした。

 

宇宙暦804年7月1日、探査におけるトラブルから遅れていた人類未踏領域移民計画が正式に開始されることになった。第一次移民は翌年早々を予定している。

 

宇宙暦804年7月7日にはユリアンが月に帰還した。

カーテローゼ、サビーネ、エリザベートは宇宙港まで出迎えに来た。

「おかえり、ユリアン」

カーテローゼはそっぽを向きながら、サビーネは笑顔で、エリザベートは恥ずかしそうに口々にユリアンに呼びかけた。

 

「ただいま、みんな」

ユリアンは笑顔で応じた。

 

サビーネが提案した。

「ねえ、ユリアン、久々にユリアンの紅茶が飲みたいわ。みんなでお菓子を作って待っていたのよ」

 

「悪いけど仕事が溜まっているんだ。明日以降にしてもらってもいいかな。ごめんね」

ユリアンは申し訳なさそうにしながら、マシュンゴとシュトライトを伴って執務室に歩いて行った。

実際、ユリアンのいない間に代理を務めたアイランズは仕事を滞らせており、ユリアンが片付けるべき案件は多かった、のだが。

 

ユリアンを見送ったカーテローゼ達は、笑顔をおさめて視線で会話しあった。

「いつもなら私達の我儘に付き合ってくれるのに、これは何かあったわね」

「あったわね」

「きっとろくでもないことを考えているに違いないわね」

「どうしましょうか」

「相談しましょう」

 

彼女達の読み通り、ユリアンはろくでもないことを考えていた。

自己嫌悪のあまり、カーテローゼ達からも好意を寄せられる資格はないと思いつめていたのだ。

彼女達はユリアンといない方が幸せになれるだろう。そう考え、別れを告げるタイミングをどうすべきか、どうすれば彼女達を傷つけずに済むか頭を悩ませていた。

そうしながらも仕事を優先してしまっているうちに、さらに日数が経った。

 

宇宙暦804年8月5日

この日、ユリアンに通信があった。

保安機構月支部アウロラ・クリスチアン中佐からだった。

ユリアンは、いつもの営業用の笑顔で対応した。

「中佐、どうされました?」

 

彼女は珍しく言い淀んだ。

「あなたの様子が最近おかしいと聞きましたので……」

 

言葉の意味を理解するのにユリアンは時間がかかった。ユリアンは彼女に警戒され、嫌われていると思っていたし、彼女との通信はこれまで常に業務上必要な事柄のみだったからだ。

「まさか、心配してくださったのですか?」

 

「……心配してはおかしいですか?」

 

彼女に心配されるとは、どう考えるべきだろうか?

「あ、いえ、ありがとうございます」

ユリアンはひとまずそれしか言えなかった。

 

クリスチアン中佐はなおも言葉に迷っているようだったが、一言だけ口にした。

「いろいろとあると思いますが、お気を落とさないように」

 

それだけ伝えるとクリスチアン中佐は、すぐに通信を切ってしまった。

 

既にいろいろあるのは事実だが、彼女がわざわざ通信を入れてきた意味がわからなかった。

ユリアンが頭を悩ませていると、さらに通信が入った。

今度はクリストフ・ディッケル中佐からだった。

ユリアンは溜息をつきながらも通信に出た。実のところユリアンは彼を嫌っているわけではない。溜息が出たのは最近のユリアンの精神状態のせいである。

通信に出たディッケルにユリアンは即座に告げた。

「悪いけど三次元チェスなら別の機会に」

ユリアンが最後まで言い終える前にディッケルは話し始めた。

「マルガレータが休職したらしい。1週間前からだ」

 

「何だって!?」

寝耳に水の話だった。

 

ユリアンの反応はディッケルにとって意外だった。

「お前が何かしたんじゃないのかよ?」



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34話 父親

本日投稿二話目です。


 

 

 

 

 

保安機構キッシンゲン支部に赴任したマルガレータは部隊の統率という新しい職務を精力的にこなし始めていた。

連合行政府のあるキッシンゲンにはマルガレータの父親、ヘルクスハイマー伯が住んでおり、マルガレータは再び同居を始めていた。マルガレータがそろそろ結婚を考えると切り出した時の父親の喜びようは尋常ではなかった。ヘルクスハイマー伯はマルガレータに結婚する気がないのではないかと思い始めていたところだったのだ。

 

彼女は父親の紹介する婚約者候補との面会を既に何度か済ませていた。

マルガレータは本心では決して乗り気でないのだが、父親の嬉しそうな顔を見ては、早く落ち着くべきだと自分に言い聞かせるのだった。

 

そのように忙しいながらもある種穏やかな日々が暫く続いた。

独立保安官としてユリアンやライアル・アッシュビー、ヤン達と繰り広げた激動の毎日が、まるで夢の中のことであったようにも思えて来た頃にそれは起こった。

 

キッシンゲン支部での部隊長会議を終えたマルガレータは、急激な異物感が体内に生じるのを感じた。

彼女は口もとをおさえながら、化粧室に飛び込んだ。

 

備え付けの洗面器に彼女は嘔吐した。

息を整え、嘔吐物を水で流し去り、口をゆすいだ。

肉体的には落ち着きを取り戻したが、精神的な動揺は収まらなかった。

「まさか、たった一夜のことで……でもそれ以外に考えられない」

 

ヤンの乗る航時機が消えてからマルガレータ達の元に再度姿を現わすまで24時間が経過していた。

その間にあったことを思い出してマルガレータは顔を赤らめた。

 

あれから2ヶ月近い。最初の悪阻としては早過ぎるわけではない。

 

マルガレータは腹部をさすった。

「しかし、ワープでよく流れなかったものだ。ゲノム改変の被験者になっていたからなのかな」

 

生命卿事件の後に、マルガレータはゲノム治療の被験者の一人となっていた。それが意図通りの効果を発揮していれば、母胎へのワープの影響は最小限となるはずだった。

 

「ユリアンもまさかこのような形で効果が確認できるとは思っていなかっただろうな」

ユリアン。

その名を思い浮かべたことで、彼女は胸の奥に鈍い痛みを感じた。

 

「とはいえ、そう判断するのは早計過ぎるか」

 

マルガレータは翌日、体調不良を理由に休みを取り、ヘルクスハイマー伯爵邸に医師を呼んだ。

 

「妊娠されておりますな」

医師の発言を聞き、ヘルクスハイマー伯は絶望の呻き声をあげた。

 

その様子にマルガレータは罪悪感を覚えたが、既にどうするかは決めていた。

 

「父上、妾は産みます」

 

「メグ。おい、メグ……」

ヘルクスハイマー伯は、娘に対して沸き起こった苛立ちを懸命に抑えて尋ねた。

「誰の子だ?」

 

「言えません。それにこのような場で追及されるべきことではないと心得ます」

 

「……」

ヘルクスハイマー伯も、その場に医師がいることを思い出して一旦は黙らざるを得なかった。

 

ヘルクスハイマー伯は医師に他言無用と伝え、通常より多い額の金銭を渡して帰らせた。

 

嫁入り前の娘が、何者かに孕まされたなど、一家の恥である。婚約の話も当然消える。

ヘルクスハイマー伯としては、連合諸侯の間で笑い物にされる前に堕胎を勧めるつもりだった。あるいは同意が得られなくとも、と考えもしたが、マルガレータが自らの腹部を愛おしそうに撫でているのを見て、そのような考えは頭から消えてしまった。

ヘルクスハイマー伯は世評通り「悪人」の部類に入る人間であったが、「悪い父親」ではなかったのだ。

 

ヘルクスハイマー伯は肩を落とした。マルガレータに対して抱いた苛立ちや怒りも既に失せていた。

 

ヘルクスハイマー伯は連合への亡命後に体を壊した。軍役の義務を果たさない家は爵位を剥奪されるのが連合の法であった。亡命者であるヘルクスハイマー家も例外ではなかった。ヘルクスハイマー家の危機を救ったのが当時10歳のマルガレータだった。彼女は幼年学校に入り、父親の代わりに軍役を果たした。

ヘルクスハイマー伯は帝国内でも悪評が多く、それは連合の諸侯も知るところだった。爵位は守れたものの孤立していたヘルクスハイマー家を救ったのもマルガレータだった。

彼は連合の名家ラウエ家の後継者ローザと友誼を結び、幼年学校でも知己を増やした。さらには、実力者ヤン・ウェンリーや連合盟主ウォーリックの覚えもめでたく、軍人としての実績も積み上げていった。ヘルクスハイマー伯自身の評判はともかく、ヘルクスハイマー家の評判は改善されたのだ。

 

結局のところマルガレータが今のヘルクスハイマー家を支えていた。そのマルガレータが自らの努力を自らの過ちで帳消しにしてしまったとしても、責めることなど父親としての彼にはできなかった。

 

だからヘルクスハイマー伯はマルガレータに告げた。

「縁談は全て断っておく」

 

マルガレータは意外に思った。産むことを強く反対されると思っていたのだ。

「父上、ありがとうございます」

 

ヘルクスハイマー伯は疲れた顔で笑った。

「今までよく家に尽くしてきてくれたな。だが結局はお前の人生だ。お前が決めなさい」

 

「ヘルクスハイマーの名を汚すことになり申し訳ありません」

 

「元々私のせいで評判は地に落ちていたのだ。今更気にする必要はない。家名など利用してやる、ぐらいの気持ちで構わないんだ。私がそうであったように」

 

「父上……」

マルガレータは父親の額に口付けをした。

 

マルガレータには自らの父親が無理をしていることがわかった。

それでもここは自らの意志を押し通すと決めていた。

 

マルガレータは休職することにした。いくらゲノム治療を受けていたとはいえ、ワープを伴う仕事を続けることは避けるべきだったから。

 

休職に入って1週間が経過した頃、超光速通信でユリアンから連絡があった。

 

誰かが休職のことを伝えたな、とマルガレータは思った。

ユリアンの顔を見たい気持ちと、そうすべきでない気持ちがぶつかった。逡巡の後、ユリアンには知る権利があるはずだと結論づけ、通信に出ることにした。

 

「マルガレータ……」

ユリアンはマルガレータが通信に出てくれたことにホッとしていた。

 

「ユリアン、久しぶりだな」

マルガレータはそのユリアンの顔を見て涙が出そうになった。

 

「そうだね……」

 

実に2ヶ月ぶりの会話だった。二人とも心の中では待ち望んでいたものだった。

 

しばらく無言が続いた後にユリアンは用件を切り出した。

「マルガレータ、休職したと聞いたんだけど病気にでもなったの?」

 

「病気?病気になんてなったら大変だ」

マルガレータはさりげなく、だが決定的な一言を、口にした。

「お腹の子供に障るからな」

 

誰の子だ、などという愚かなことを尋ねなかったのは、ユリアンの精神構造にまだ救いがあることを証明することであったかもしれない。

 

少しの沈黙の後、ユリアンは決然として伝えた。

「マルガレータ、結婚しよう」

 

ユリアンがそう言ってくれることをマルガレータは予想していた。だから、その場合の自らの答えも決めていた。

「断る」

 

それを聞いたユリアンの表情には、困惑と驚愕、それに怒りさえ混ざっていたかもしれない。

「どうして!?そんなに僕のことが憎いのか?」

 

「そんなわけないだろう!」

マルガレータは感情の昂りをなんとか抑えて続けた。

「理由は前にも伝えた通りだ。子供が出来たからと言って、それを変えるつもりはない」

 

ユリアンはハイネセンで彼女に言われたことを思い出していた。

「マルガレータ、僕はカリン達に別れを告げるつもりだ。子供の話と関係なく、僕には彼女達と一緒にいる資格はない」

 

マルガレータは眉根を寄せた。

「それなのに私や子供と一緒にいる資格はあると?」

 

ユリアンは自らの失言を悟った。

 

マルガレータはユリアンが言葉を失ったのを見て表情を崩した。

「資格だとか、そういうことを考える必要はない。お前は優しい男だ。カーテローゼ達はお前を理解しているから、きっと幸せになれるし、してやれるさ」

 

「しかし、子供が」

 

「私は父親が誰なのか他人に言うつもりはない。父上にも、だ。後はお前が黙っていれば済むことだ。それで皆幸せになれる」

 

「君はどうなんだ?それに、生まれてくる子供は?」

ユリアンはマルガレータを心配していた。それに子供のことも。ユリアンは、自分の子供が自らと同様に生まれてくるべきでなかった存在として扱われるのを恐れていた。

マルガレータにもそれはわかっていた。

 

「私は幸せだよ。愛する男の子供を産めるのだから」

マルガレータは微笑んだ。その柔らかな表情は、ユリアンを黙らせるのに足りるものだった。

 

「それに、子供も一人で立派に育ててみせる。いや、屋敷には父上や使用人もいるから一人ではないな。大丈夫だ、ユリアン。子供に悲しい思いなんてさせない。私がさせない」

 

子供には父親が必要だとマルガレータを説得するには、ユリアンには家族との幸福な経験というものが足りなかった。それを考えるとそもそも自分が立派に父親を務められるのかさえ怪しかった。

それに気づいてしまったことで、ユリアンは何も言えなくなってしまった。

 

マルガレータは自らが笑顔でいられるうちに、泣き出す前に通信を切ることにした。

「それじゃあな。約束の通り、お前が道を外れたら私は必ず止めに行くが、子供のためにもそんな日が来ないことを祈っているよ」

 

「マルガレータ!」

 

ユリアンの呼びかけも空しく通信は切断された。

 

人払いをした執務室にユリアンは一人残された。

何をどうすべきなのかユリアンにはわからなくなっていた。

だが一つだけすべきだと決意していたことがあった。

カーテローゼ達三人に、はっきりと別れを告げるのだ。理由は話せないし、彼女達も戸惑うだろうが、結局はその方が彼女達の為になるのだとユリアンは自らに言い聞かせた。

マルガレータはあのように言ってくれたが、ユリアンは彼女達に隠し事をしながら幸せになれる気も、幸せにできる気もしなかったから。

 

執務室を出たユリアンは、すぐにカーテローゼと出くわした。

ユリアンは今すぐに彼女に別れを告げようと思った。今でも明確に付き合っているというわけではない。単に会うことが少なくなるだけだ。しかしそれを考えるだけでユリアンの心は引き裂かれるようだった。

今まで別れを告げることを引き延ばしてしまったのは、結局のところユリアン自身が彼女、いや、彼女達と別れたくなかったからなのだ。

しかし、もはや許されないことだとユリアンは考えていた。

「カリン、話があるんだ」

 

「丁度よかった。私もあなたに話があるわ」

カーテローゼはそう答えながらもユリアンの顔をじっと見つめた。

 

「……あなた、また何かあったわね。ろくでもないことをしでかす前に、洗いざらい私に話しなさい」

カーテローゼの顔はまったく笑っていなかった。

 



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35話 試練の時

本日中にもう一、二話投稿します。


 

 

ユリアンは抵抗むなしく結局すべてをカーテローゼに話すことになった。

 

カーテローゼはユリアンの話を辛抱強く聞いた。

すべてを把握したカーテローゼはユリアンに言った。

「言いたいことはたくさんあるけど、あなたがすべきことは一つよ」

 

ユリアンは死刑判決を待つ囚人のような心境で応じた。

「何だろう?」

 

カーテローゼは憮然とした表情で伝えた。

 

「マルガレータにもう一度求婚して来なさい」

 

「いや、でも、もう断られたんだ」

 

カーテローゼは鼻で笑った。

「難攻不落の要塞に正面から挑んで当然のように跳ね返されただけでしょう?ライアル・アッシュビー提督が何回奥さんに求婚を断られたと思っているの?そもそも、あなたそんなに素直に物事を進める人だった?」

 

「でも……」

ユリアンはマルガレータの嫌がることはしたくなかった。真っ直ぐなマルガレータとは本心で向き合いたいと思ってしまうのだ。

 

カーテローゼは溜息をついた。何故二人のためにここまでしなければいけないのかと、自分でも思わないでもなかった。

「いい?彼女も本当はあなたと一緒にいたいのよ。それはわかっているでしょう?」

 

「……今もそう思ってくれているのかな?」

 

カーテローゼはユリアンに苛立ちを覚えた。

「思っているわよ!……でも、彼女の理性だとかあなたとの約束だとか誇りだとかが邪魔して、今みたいなことになっているの。あなたは彼女のためにも、求婚を成功させるべきなのよ」

 

迷った末にユリアンは答えた。

「……わかった」

目に少し力が戻っていた。

 

「カリン、ありがとう。でもマルガレータと僕のためにどうしてそこまでしてくれるの?」

 

カーテローゼはそっぽを向いた。

「別にあなた達のためじゃないわ」

 

「?」

 

「私がワルター・フォン・シェーンコップの娘だからよ」

 

ユリアンはその事実を思い出した。カーテローゼの母親は一人でカーテローゼを育てて、病気になり、亡くなったのだ。カーテローゼも相応に苦労することになった。

 

カーテローゼは顔を戻し、ユリアンを見つめた。

「いい?私は自分が不幸だったなんて言うつもりはないけれど、自分の……好きな相手が、自分の父親と同じ軽薄な色事師になろうとしているところを黙って見ていられるような人間ではないわ」

カーテローゼは明らかに赤くなりながらそう言い放った。

 

「カリン……」

 

カーテローゼは今日初めてユリアンに笑顔を見せた。

「行く前に、もう何があっても怖くないように、気合を入れてあげる。歯を食いしばって」

 

カーテローゼはユリアンに近づいた。

 

「え!?」

 

「ユリアンの大馬鹿野郎!」

 

ユリアンは思い切り殴られた。グーで。

 

 

………

 

 

 

ユリアンが宇宙港に行くと、ポプランが待っていた。

 

「カリンちゃんからの呼び出しで喜んで来て見たら、何だユリアン総書記殿か」

ポプランは残念がって見せたが、それもユリアンの顔の状態に気付くまでだった。

 

「浮気現場に踏み込まれた彼氏みたいな顔になっているぞ」

 

「ははは……まさか。ポプランさんじゃあるまいし」

ユリアンは乾いた笑いで誤魔化した。

 

マルガレータのいるキッシンゲンまでは彼の愛機、小型快速艇アモールで連れて行ってくれることになっていた。

 

ユリアンは今度こそ全力でマルガレータに求婚するつもりだった。

 

ポプラン含め、周りに参考事例が少な過ぎるのが問題だったが、ないわけではなかった。

 

ユリアンはキッシンゲンに着くまでの間に予め何箇所かに連絡を入れた。

 

8月25日の朝、ユリアンはヘルクスハイマー伯爵邸に真正面から乗り込んだ。

 

 

朝食を摂っていたヘルクスハイマー伯は家令のニクラスから来客を知らされた。

来客の名前はユリアン・フォン・ミンツ。マルガレータに対する訪問だった。

マルガレータはまだ寝ていた。

 

ヘルクスハイマーもユリアンの名はよく知っていた。娘と多少なりと交流があったことも。

約束をしていたにも関わらず忘れるなどということは、娘に関しては常であればまずあり得なかった。しかし万一本当に娘が約束をしていたなら、出迎えないのは非礼にあたる。相手は曲がりなりにも同格の伯爵である。今マルガレータを起こしても身だしなみを整えるのに時間がかかるだろう。

仕方なく、ヘルクスハイマー伯は自ら出迎えることにした。

 

玄関の扉を開けるとそこには、現銀河最大の有名人の一人、黒衣の宰相、あのユリアン・フォン・ミンツが、大きすぎる花束を抱えてたたずんでいた。赤と白と淡紅色の、大輪のバラの群。

 

バラの強烈なまでの香気を前にして、ヘルクスハイマー伯はそっと玄関の扉を閉じた。



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36話 夏の終わりのバラ

本日投稿二話目です。明日朝までにもう一話投稿予定。


 

「いや、失礼した。バラの押し売りかと思ったのだ」

ヘルクスハイマー伯は弁解した。弁解の内容は適当だったが、とりあえずは弁解したという事実の方が重要だった。

 

「いえ、ミッターマイヤー元帥の逸話に倣ってみたのですが、あのような花束を持っていたら当然ですね」

ユリアンも気にする風ではない。

 

「して、娘に用があるとのことですが、何用ですかな?お約束などしていたら大変申し訳ないが、娘は今体調を崩しておりまして」

 

ユリアンは居住まいを正した。

「実はフロイラインに求婚に参りました」

 

「ほぅ」

ヘルクスハイマー伯は相手の意図を見定めようとした。

「先ほども申しましたが、娘は体調を悪くしておりましてな。実は縁談の話もあったのですが、すべて断った始末でして」

 

ユリアンは顔に微笑を湛えながら答えた。

「そうでしょうね。存じておりますよ、大事にしなければなりませんからね」

 

ヘルクスハイマー伯は理解した。

「すべてご存知ですか。するともしや……」

 

「はい、僕が父親です」

 

ヘルクスハイマー伯は、掴み掛かりそうになる自分を抑制した。

相手が平民であればそうしただろうが、相手は同格の貴族、ここは冷静に動くべきところだと彼は新無憂宮で培った嗅覚で判断した。

 

「お分かりと思うが、結婚前に娘がこのようなことになって、私としては大変頭を悩ましているのです」

 

ユリアンは頭を下げた。

「申し訳ありません。それゆえに責任を取らせて頂きたいのです」

 

ヘルクスハイマー伯は即答を避けた。

「ふむ、このことを知っているのはあなただけですかな?」

 

「いいえ、地球財団の方に数名。あとはヤン長官も知っているも同然です」

 

となると、ユリアン・フォン・ミンツを脅して利益を得ることは諦めざるを得ない。であれば、彼の言っていた通り結婚を認めるか。認めるに当たって条件をつけることは可能に思える。

ここまでのやり取りで、ユリアン・フォン・ミンツ、ミンツ伯が貴族としての一定のマナーを心得ていることは理解できた。連合の貴族ではなく、ゴールデンバウム朝の貴族としての。

 

「なるほど。求婚の意志は本物ですな?」

 

「勿論です」

 

「知っての通り、あれは一人娘でしてな。ヘルクスハイマー伯爵家存続のため、できれば婿を迎えたいのです」

 

ユリアンは言葉に微妙な修正を入れた。

「それは、子供にヘルクスハイマー家を継がせたいということですね」

 

「まあ、そういうことでもありますな」

 

「私も爵位を有する身、婿に入ることは難しいのですが」

 

「……」

 

「ですが、ラウエ伯爵家の前例もありますように、フロイライン・マルガレータにヘルクスハイマー伯爵家を継いで頂き、子供にヘルクスハイマー伯爵家を継がせることは可能と思います」

 

「ミンツ家の方はよいのですか?」

 

「それについてはまた後ほどの話で」

 

「ふむ……」

 

ヘルクスハイマー伯は考えた。

落とし所としては悪くない。あとは、相手がユリアン・フォン・ミンツであることをどう考えるかだが……。

仮に彼と結婚させないとする。そうすれば、ヘルクスハイマー家は一人娘を孕まされて相手に逃げられたと笑い者になる。連合諸侯の中で一定の地位を取り戻すには多大な労力を必要とすることになるだろう。

ユリアン・フォン・ミンツと結婚させた場合は?同格の貴族間のトラブルでしかも円満に解決したことになる。少なくともヘルクスハイマー家は被害者ということになり、マルガレータは同情を買いこそすれ、嘲笑う者は少なくなるだろう。善かれ悪しかれユリアン・フォン・ミンツの名前が出て笑える人間は少ないのだ。その上で、だが。

 

ヘルクスハイマー伯は改めて目の前で微笑む若者の品定めをした。

 

良くも悪くも有名人で、彼を侮る者は連合諸侯にはいない。

一方で彼に反感や警戒心を抱く者は数多い。ただ、そのような悪評も評判のうちである。自分自身だって、強引、強欲、好色と悪評まみれだったが、それ自体権勢の維持には役立った。一つまちがえれはリッテンハイム大公や自分自身のように失脚する可能性もあるが、ヘルクスハイマー伯自身、綱渡りを繰り返して権勢を拡大してきたのだ。

前回は最終的に失敗して亡命することになったが、今度こそ上手くやればフォン・ミンツの威を借りてヘルクスハイマー家の権勢をかつて以上に拡大できるかもしれない。それも自分自身の手で、娘に負担をかけることなく、だ。

面白いじゃないか。

 

ヘルクスハイマー伯は、体を壊して以来失っていた野心が再び体に漲るのを感じた。

 

彼はユリアンに微笑みかけた。

 

ユリアンはヘルクスハイマー伯の笑みに邪悪なものを見た。

神聖銀河帝国時代によく見た、打算と野心にまみれた笑み。

ユリアンの想像した通り、ヘルクスハイマー伯は彼にとって付き合いやすい相手だった。

 

ユリアンはこの数日ヘルクスハイマー家の動向調査に費やしていた。

マルガレータが実は朝に弱いことは、タイムトラベルにおける共同生活で知っていた。一方でヘルクスハイマー伯は早起きであることがこの数日でわかった。

だから、ユリアンは朝の早い時間帯にヘルクスハイマー伯爵邸を訪れたのだ。

まずは外堀から埋めるために。

……花束のせいで危うく入れてもらえなくなるとは思っていなかったが。

 

ヘルクスハイマー伯は笑顔でユリアンに手を差し出した。

「これからは私を実の父親と思って何なりと頼ってくれ。婿殿。私もいろいろと頼らせてもらうことになりそうだ」

 

ユリアンも笑みを見せてその手を取った。

「ええ、いろいろとよろしくお願いします。お父さん」

 

それぞれの思惑を秘めつつ固い握手が交わされた。

 

「早速なのですが、相談事があります」

 

「わかっている。メグをどうやって説得するかだろう?」

 

「一言で言ってしまうとその通りなのですが……」

 

「何だね?」

 

「実は……」

二人は早速、「相談」に入った。

 

 

 

 

 

マルガレータは、9時半を過ぎても起きて来なかった。

ユリアンはヘルクスハイマー伯の提案によってマルガレータの寝室に案内された。

 

3ヶ月近く間を開けての再会であったが、マルガレータはまだ寝ていた。

寝間着姿のマルガレータは妙に扇情的で、ユリアンは自制に努めなくてはならなくなった。

冷静になろうと目を周囲に移すと、ベッドの枕元の棚に二体のクマのぬいぐるみがあった。

そのうち小さめの一体はユリアンがマルガレータにプレゼントしたものだった。

 

まだ大切にしてくれていたのかと、ユリアンは感情を揺さぶられた。

 

「んむぅ、父上かや?」

マルガレータは誰かが寝室に来ているのに気がつき、寝ぼけながら声をかけた。

 

「僕だよ。ユリアンだ」

 

ユリアンの答えに対しても、マルガレータはまだ寝ぼけていた。

「何を言っておるのじゃ。ユリアンならそこに座っているではないか」

 

マルガレータは小さい方のクマのぬいぐるみを指した。

 

ユリアンが答えられないでいると、マルガレータは徐々に頭が冴え始めて来たようだった。

 

「んん……んんん!?」

 

「マルガレータ?」

 

「ユリアンが何故、妾の寝室におるのじゃ!?これは夢か!?夢に違いない!」

 

「落ち着いて!お父上に案内して頂いたんだ」

 

ユリアンはマルガレータを宥めて状況を理解させるのに時間を要した。

 

「父上め、男を、娘の寝ているところに放り込むなんてあり得んじゃろう……」

マルガレータは状況を理解したものの、まったく納得がいかなかった。

 

ユリアンとヘルクスハイマー伯が企んだマルガレータへの奇襲は予想通りの効果を示したと言えた。

 

ユリアンはマルガレータに言いたいことがあった。

「マルガレータ。ぬいぐるみ、大切にしてくれていたんだね。ありがとう」

 

「ん?ああ。お前が最後にくれた物だからな」

 

「ユリアンって名前をつけてくれていたんだ」

 

沈黙。

マルガレータは真っ赤になった。

「な、ななな!?そんな訳ないだろう!?」

 

「でもさっきはそう呼んでいたよ?」

 

「うう……」

マルガレータ痛恨の失敗だった。

くまのユリアンを抱いて寝ている時でなかったのが不幸中の幸いだったが。

 

その様子を見てユリアンは相好を崩した。

「マルガレータ、かわいいね」

 

「なあ!?」

マルガレータは羞恥心のあまり頭を抱えてベッドの傍に蹲った。

 

その様子もまたユリアンにはかわいく思えたが、そろそろ用件に入ろうとも思った。マルガレータを動揺させるという狙いは果たせたのだから。

 

「マルガレータ、改めて言うよ。結婚して欲しい」

ユリアンはバラを一輪、蹲るマルガレータに差し出しながら求婚した。花束はヘルクスハイマー伯の助言でやめておいた。

 

マルガレータは一瞬で冷静さを取り戻して、ユリアンと差し出されたバラを交互に睨んだ。

「結婚?その話は終わったはずだろう?」

 

ユリアンは退かなかった。

「マルガレータ。僕が、君と結婚したいんだ」

 

「……」

マルガレータは居住まいを正した。

 

ユリアンはマルガレータと子供を慮ってではなく、今回は自らの願望として結婚を申し込みに来たようだ。それはそれで対応する必要があるようにマルガレータには思えた。

 

マルガレータは確認した。

「私と結婚したいのか?お前が?」

 

「そうだ」

 

「月の三人娘のことはどうなる?」

 

「ここに来る前に三人には話をした。子供のことも。みんな最終的には納得してくれた。……カリンには殴られたけど」

ユリアンは頰をさすった。

 

マルガレータは驚いた。

「話してしまったのか!?」

 

「そうだよ」

 

「私に断られたらどうする気なんだ!?」

 

「そんなことは考えないようにしていた」

ユリアンの瞳はマルガレータだけを写していた。

マルガレータはユリアンが退路を絶ってここに来たのだと思った。

 

「……では、約束はどうなる?私はお前を止めたいんだ」

 

ユリアンは静かに言った。

「約束は無効にしてもらえないかな?」

 

「はあ!?何を勝手なことを」

マルガレータは頭に血が上った。あの約束もまたマルガレータにとって大切なものだった。それを一言で否定されたのだ。

 

しかし、ユリアンは続けた。

「別の約束をして欲しいんだ。僕の傍で、僕が道を外れる前に止めて欲しい」

 

マルガレータは戸惑った。物は言いよう、というものではないかとも思えた。

 

ユリアンはマルガレータを、恐る恐るという感じで見た。

「駄目かな?」

 

「うぅ……」

 

「マルガレータ、僕と結婚してくれ。僕を助けて」

 

「うぅ……」

マルガレータは頼られるのには弱かった。ユリアンの為にならないと思ったからこそ拒絶して来たのに、それを悉くひっくり返されて捨てられた子犬のように飛び込んで来られては……

 

マルガレータは此の期に及んで逃げ道を探した。何故かはわからないが、ここで流されてはまずい気がするのだ。

「しかし、父上が何と言うか……」

 

「既にお父上とは話した。君が朝寝坊している間にね」

 

「ぐむ」

 

「反対していたら、僕をここに寄越したりしないよ」

 

「しかし私にはヘルクスハイマー家の跡取りを迎える義務が」

 

「そこも大丈夫。お父上と話して解決済みだ」

 

「ぐむむ」

逃げ道が悉く塞がれている気がする。

同盟軍の罠に嵌った帝国の猛将バルドゥング提督になった気分だった。

 

ベッドに腰をかけたままのマルガレータの前にユリアンは跪き、上目遣いに彼女を見た。

「お願いだよ。マルガレータ」

 

 

 

 

長い沈黙の後にマルガレータはついに言った。

「本当に、私でいいのか?」

 

「君がいい。君じゃないとだめなんだ」

 

マルガレータは溜息をつき、回答した。

「わかった。お前と結婚する」

言ってみて、幸せな気持ちが湧き上がって来た。マルガレータ自身も結局それを望んでいたことを自覚した。

 

ユリアンの顔が綻んだ。

「ありがとう!マルガレータ!大好きだ」

 

ユリアンはマルガレータを優しく、体を労わるように抱きしめた。

 

黒衣の宰相ユリアン・フォン・ミンツは連敗を重ねた因縁の相手、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーに対して、周到な準備の上でようやく一勝を収めることに成功したのだった。

 

 

「一つ、いいか?」

マルガレータはこの際一つ注文をつけておこうと思った。

 

「何?」

 

「私のことはメグと呼んでくれないか?父上にはそう呼ばれているんだ。カーテローゼさんのことをお前、時々カリンと呼んでいただろう?実のところ何だか複雑な気分だったんだ」

 

「わかった……メグ」

 

目の前にはユリアンのごくごく自然な、幸せそうな笑顔。

それが見られただけでも、求婚を受け入れた甲斐があったと言えるのかもしれないとマルガレータは思った。

 

 

ユリアンは、今思い出したかのようにまた話を始めた。

「ああ、そうだ。メグ、言いそびれたんだけど……」

 

言い終わる前に、ドアがノックされた。

「私だ。話はついたのかな?」

ヘルクスハイマー伯だった。

 

マルガレータから体を離しつつ、ユリアンが答えた。

「おかげさまで。それで、これからあの話をするところです」

 

「なるほど。それなら私も同席しよう。入るぞ」

 

ヘルクスハイマー伯は、部屋に入り、マルガレータを見て、微笑んだ。

「メグ、まずはおめでとう。立派な婿殿だ。私も嬉しいよ」

 

マルガレータは顔を赤らめた。

「ありがとうございます」

 

ヘルクスハイマー伯はユリアンを見た。

「それで、まだ婿殿の話は終わっていないようだ。拝聴しようか」

 

ユリアンは話し始めた。

 

数分後、屋敷にマルガレータの声が轟いた。

 

「はああ!?ふざけるな、ユリアン!妾を愚弄する気か!?」



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37話 密かな約束

投稿少し遅くなりました。









少し時間を遡る。

ユリアンが月でカーテローゼに殴られた後、しばらく起き上がれなかった。

物理的なダメージが大きかったことも理由だったが、カーテローゼの情念のこもった一撃に、精神的な衝撃を受けていたからである。

 

口の中を切ってしまったようで、口から血が溢れ、服を汚した。

 

カーテローゼが近づいて来て、ユリアンを覗き込んだ。

その顔には涙があり、遣る瀬無さと羞恥の表情があった。

「服を汚しちゃった。ごめんね」

 

出血量に比べて口の中の傷は深くなかった。

ユリアンは血を吐き捨てた後に答えた。

「替えがあるから大丈夫」

カーテローゼが手渡したハンカチをユリアンは仰向けのまま受け取った。

 

内在する衝動が彼女を動かしたらしく、真剣な口調で問いかけた。

「ね、今も私のこと好き?もしそうだったら黙ってうなずいたりしないで、はっきりおっしゃい」

ユリアンは逡巡したが、彼女に嘘はつけなかった。

「好きだよ。そんなこと言う資格なんてないと思うけど」

 

カーテローゼは、真剣な表情のまま、さらに言葉を重ねた。

「ユリアン、私とも結婚なさい」

 

カーテローゼの言葉の意味が頭に入って来るまでに些か時間を要した。

 

「私ともって……?」

 

カーテローゼは自分の発言が恥ずかしくなってきたようだ。

「マルガレータと結婚するだけじゃなくて、私とも結婚するということよ!」

 

「つまり、重婚?」

 

カーテローゼは顔を真っ赤にしていた。

「そうよ。地球自治区の法はそれを禁止していないわよね?」

 

「そうだったっけ?」

ユリアンも立場上、目を通したことはあるはずだが、一文一文覚えてはいなかった。シュトライトからは、民法に関しては帝国法をベースにしつつ、人民の権利に著しい制限を加えている等の問題がある部分について各国の法律を参考にして修正を加えたと聞いていた。

 

「……そうなのよ」

 

「……君はそれでいいの?」

ユリアンの発言は、少なくとも否定を意味してはいなかった。

 

カーテローゼは溜息をついた。

「よくはないとのだけど、今更なのよね」

 

ユリアンは発言の意味を理解しかねた。

「今更ってどういうこと?」

 

その時、物陰から音がした。

 

ここにはユリアンとカーテローゼしかいなかったはず。

ユリアンは跳ね起きて警戒態勢を取った。

 

出て来たのはサビーネとエリザベート、さらにはアンスバッハとシュトライトまでがいた。

シュトライトとアンスバッハは申し訳なさそうな表情をしていた。

 

サビーネが声を上げた。

「カリン!抜け駆けよ!」

 

エリザベートも不満そうな顔をしていた。

 

ユリアンは驚かざるを得なかった。

「みんな、話を聞いていたの!?」

 

サビーネはユリアンに歩み寄り、頰に手を近づけた。

「そうよ。ユリアン、カーテローゼに殴られて可哀想」

 

「話を聞いていたなら、僕が悪いのはわかるだろう?」

 

「それは私もマルガレータが妊娠していたという話には驚いたけれど、でもそれが何?」

 

「何って……」

サビーネの言い草にユリアンは困惑した。

 

サビーネはユリアンの様子などお構いなしに続けた。

「ユリアンは元々私達三人と結婚するって決まっているんだから、三人が四人になったって大して変わらないわ」

 

「えっ!?えっ!?」

ユリアンの眉が大きく上下した。

そんな約束をしたことはないはずだった。

 

カーテローゼは憮然と、エリザベートは陶然と、サビーネは泰然として、ユリアンを見つめていた。

 

アンスバッハとシュトライトはひたすら申し訳なさそうだった。

 

シュトライトが全員を代表してユリアンに説明を始めた。あるいはお願いと言うべきか。

「ミンツ総書記。このシュトライトとアンスバッハが、サビーネ様とエリザベート様の監督者としてお願いします。お二人と結婚して頂けませんか?」

 

ユリアンは愕然とした。シュトライトとアンスバッハの二人までが一枚噛んでいたことが判明したのだ。

「どういうことですか?」

 

「ミンツ総書記は、お二人があなた以外の人と結婚できると思いますか?諸々の条件を考えて」

 

「それは」

できるだろう、と答えようとして考え直さざるを得なかった。

二人とも器量はよく、それだけなら求婚者が現れてもおかしくはなかった。

しかし今や忌まわしきものの代名詞となったゴールデンバウム王朝の直系となれば、好んで近づく男などいなかったのだ。しかも、程度の差こそあれ、皇帝一族として育てられた影響で、傲慢で独善的な面を持っている。価値観の相違を恐れて大方の男は躊躇するだろう。躊躇しないような男は、むしろ頭がおかしいのかもしれない。……ユリアンは自分のことを棚に上げていた。

要するにユリアンの目から見てもなかなか厳しいと言わざるを得なかったのだ。

 

「そうであれば、お二人が好意を持っているミンツ総書記に引き取って頂くことが、お二人のお幸せに繋がると考えていたのです。既にフロイライン・クロイツェルにはご理解を頂いていたのですが……」

 

ユリアンはカーテローゼを見た。

カーテローゼは憮然とした表情のまま頷いた。

「そうよ。この二人ならしょうがないと思ったわ。わたしもまともじゃないかもね。これもワルター・フォン・シェーンコップのせいにしていいのかしら」

 

ユリアン不在のうちに月ではとんでもない陰謀が企まれていたようだ。

 

「あとは、ミンツ総書記にどのタイミングでお願いに伺うかだけだったのですが……」

 

その前にこのような事態になったということなのだろう。

 

難しい顔になったユリアンの前に、エリザベートが出てきた。普段後ろに下がりがちな彼女には珍しい行動である。

「お願い。あなたの一番でなくていい。少しでも好意を持っていてくれているなら、私と、私達と結婚して」

口数が少なく、サビーネの陰に隠れがちな彼女であるが、その実芯は強く、努力家であることをユリアンは知っていた。

 

サビーネも言った。

「もしかして、私のこと、嫌い?」

少し瞳が揺れている。

普段強気に見える彼女だが、その実それは不安の裏返しで、ユリアンに嫌われないか常に怯えていることをユリアンは知っていた。

 

結局のところ、ユリアンは二人とも好きだった。

自らの多情っぷりを自嘲したくなるユリアンだった。シェーンコップさんのこともポプランさんのことも何も言えないではないか。

 

ユリアンは三人に告げた。

「エリザベート、サビーネ、カリン、僕は君達が好きだ。ずっと一緒にいたい」

 

エリザベートとサビーネは嬉しさのあまり、泣き出してしまった。カーテローゼも少し口元を緩めている。

アンスバッハとシュトライトも安堵の表情だ。

 

ユリアンはようやく覚悟を決めた。

「それが君達の幸せにつながるなら、僕は君達と結婚する。マルガレータのことを含めて、そのための環境を整える。だから少しだけ待っていてくれないか?」

 

「「勿論よ!」」

 

元気よく返事をした二人に比べて、カーテローゼはもう少し慎重だった。

 

「ハードルを上げてしまったけど大丈夫?」

マルガレータへの求婚を成功させるだけではなく、三人との仲もマルガレータに認めさせなくてはならなくなったのだ。

 

ユリアンはもう怯んだりはしなかった。

「何とかやってみる」

 

「連合の法は貴族に対しても重婚を許していないけどその点も大丈夫?」

 

「何とかするさ」

 

ユリアンの言葉には具体策を説明しなかったが、カーテローゼはユリアンの態度から、大丈夫だと判断した。

 

「なら、信じて待ってる」

カーテローゼは再び笑った。

 

「ユリアン、もう一度気合いを入れてあげる。歯を食いしばって」

 

ユリアンはまた殴られるかと思った。しかし、カーテローゼは殴ったのとは反対側の頰に顔を近づけ、口づけした。

 

ユリアンから離れたカーテローゼは顔を赤くしていた。

「万一マルガレータのことが上手くいかなくても、私はあなたの味方だから」

 

「ありがとう……」

 

「私も!」

 

「私もよ!」

 

結局、サビーネとエリザベートにも同じことをされた。

 

 

ポプランに会った時、ユリアンは片頬を腫れさせて、もう片頬には複数のキスマーク、という状態だった。

 

ユリアンはポプランに散々揶揄われながらキッシンゲンに向かうことになった。

 

 

 

 

…………

 

再びヘルクスハイマー伯爵邸での一幕に戻る。

 

マルガレータはユリアンからまさにその重婚の話を聞かされたのだった。

 

「はああ!?ふざけるな、ユリアン!妾を愚弄する気か!?」

マルガレータの反応を、ユリアンも当然と思わざるを得ない。

 

「こんな、こんな見境なしと結婚するなどあり得ぬ!結婚の話はなかったことにしてもらう!」

 

「メグ、話を聞いて」

 

「煩い!お前など嫌いだ!出て行け!」

 

「メグ!」

 

「メグと呼ぶな!この色情狂め!道に外れた行いをお前はまさに今しようとしているのだぞ!妾に殺されたくなくば、疾く去れ!」

 

「メグ」

ヘルクスハイマー伯が口を挟んだ。

 

「父上からもこの男に出て行くように言ってください!この男はヘルクスハイマー家を愚弄しているのです!」

 

「メグ、お腹の子に障る。少し落ち着きなさい」

 

父親の言葉に、マルガレータも怒りを抑制せざるを得なかった。

 

「しかし、父上……」

 

「メグ、お前の選んだ結婚相手が妻を複数人娶るだけのこと、何を騒ぎ立てる必要がある?」

 

マルガレータは父親の言に唖然とした。

 

「父上、何を仰っているのです。人の道を外れた行いではありませんか?」

 

「古来、一夫多妻制の国など数多くあった。ゴールデンバウム朝もしかり。メグ、お前は側妃のいたゴールデンバウム朝の皇帝達全員を人道に外れていると見なすのかね?」

 

「いや、皇帝とユリアンとでは話が違うでしょう!」

 

「貴族でも複数人の妻を娶った者はいた。まあ殆どはそんな面倒なことはせず、愛人を囲うに留めたがな。愛人を囲うのに比べれば女性に対して余程誠実だと私は思うがね」

ヘルクスハイマー伯も愛人を持ったことはあった。それを実の娘に言う気は無いが。

 

マルガレータもここまで話を聞けば、父親がユリアンの肩を持っていると考えざるを得なかった。しかし、重婚など自らの父親が許すとは思えなかった。何があったのか?

 

心境は負の方向に振り切れたままだったが、マルガレータが少なくとも冷静さを取り戻したのを見て、ユリアンは再び説明を始めた。

「地球自治区の法は重婚を禁じていない。でも独立諸侯連合の法はそれを禁じている」

 

「ならば私とは結婚できないではないか。やはりこの話はなしだ。地球自治区に移れなどと言うなよ」

マルガレータの国籍は独立諸侯連合である。

 

「マルガレータ、オリオン連邦帝国も貴族に対しては重婚を禁止していない」

 

ゴールデンバウム王朝においては皇帝及び貴族にとって後継者を残すことは重要な仕事の一つだった。例えば結婚後に妻が不妊とわかった場合にどうするか。離縁して再婚するのも手だが、それはそれで妻の実家との関係にも問題が生じるし、子供と関係なく妻のことを愛している場合もある。そのような場合に、第二夫人を迎える、つまり重婚が行われることがあるのだった。

銀河帝国の後継国家であるオリオン連邦帝国は、各種改革を進めていたとはいえ、重婚に関しては法律を変更しなかった。

 

「メグ、我がヘルクスハイマー家は帝国に戻る。リッテンハイム大公亡き今、我々が帝国に戻るのに何の障害もない」

 

マルガレータは信じられない思いだった。ユリアンの重婚を許すために、帝国に戻ると言っているようなものだったからだ。

「父上、今更帝国に我らの居場所がありましょうや?」

 

ヘルクスハイマー伯はニヤリと笑った。その笑みは、かつて帝国にいた頃にマルガレータがよく目にしていた笑みそのものだった。野心と欲望に満ちた笑み。

「それが、あるのだ。婿殿が、帝国と交渉してくれた。我々は旧領を取り戻すことができるのだ。メグ、故郷に戻れるぞ!」

 

マルガレータは理解した。

父親が異常なほどユリアンの肩を持つ、その理由を。

 

ユリアンの企みを。

 

…………

 

ユリアンは、キッシンゲンに向かう途上で、オリオン連邦帝国に連絡を入れていた。

相手はヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ。今やオリオン王として帝国の実権を握る人物である。

 

「お久しぶりね、ミンツ伯」

 

「お久しぶりです。フロイライン・マリーンドルフ、いえ、オリオン王陛下」

 

「ヒルダでいいわよ。それで、連絡をくれたのは何故かしら?帝国に来てくれる気になったとか?」

ヒルダはガニメデにおける終戦会議で、ユリアンを帝国にスカウトしようとしていたのだ。彼女はいまだにそのつもりがあるらしかった。

 

「そういうわけでは……いえ、多少それに近いかもしれません」

 

「へえ?」

ヒルダの目に興味の色が宿った。

 

ユリアンは、今の自分の状況と、提案を説明した。

「つまり重婚したいから、ヘルクスハイマー家を旧領の復帰を条件に帝国に戻してほしい、そういうことね?」

 

「はい。ヘルクスハイマー家は僕が説得します」

 

「オリオン帝国にメリットは?」

 

「それほどないかもしれませんね。しかし、ヒルダ陛下、あなたにはあるはずです」

 

「どうかしら?」

そう答えつつも、ヒルダの中では既に計算が行われていた。

混乱が続いた帝国から流出した人材の中には有為の者も多い。それを帝国に呼び戻す流れを今回の一件でつくれる可能性もある。

ヒルダに協力することを帰還の条件とすれば、ヒルダの支持基盤を強化することもできるだろう。

それに、ヒルダに協力してくれる有用な人材には常に興味があった。

父親のヘルクスハイマー伯はともかく、「金色の女提督」なる異名も付きつつあった俊英マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーには大いに。

今は新銀河連邦所属だが、いずれ帝国に移籍してもらい、軍の一翼を担ってもらうことも考えられるかもしれない。

いまだに男性社会と言うべき帝国において、ヒルダと志を共にする忠実な片腕になってくれるのではないか。

 

それに、重婚という言葉には、ヒルダに少なからず意識させるものがあった。そこまでユリアンが意図していたかはわからないが。

 

ヒルダは手元の端末で旧ヘルクスハイマー領の状況を調べた。

今は直轄領だが、ヘルクスハイマー伯の統治は悪くなかったこと、さらにはマルガレータの新銀河連邦での活躍もあって、復帰を望む声もあるらしいことがわかった。

 

「奇貨居くべし、というものね。いいでしょう。受け入れましょう」

 

「ありがとうございます!」

ユリアンは安堵した。ヒルダが受け入れてくれるかどうかについては多少不安だったのだ。

 

「ところで」

ヒルダは悪戯っぽい表情を見せた。

 

「何でしょう?」

 

「あなた自身も私に恩義は感じてくれるのでしょうね?」

 

「勿論大いに感じます」

ユリアンも大きな借りになることは理解していたが、必要なコストだと割り切っていた。

 

「それでは私もお願いしようかしら」

 

「何をでしょう?」

 

ヒルダは満面の笑みを見せた。

「あなたのところは楽しそうだから、私もそのうち仲間に入れてもらおうかしら」

 

「……」

ユリアンはヒルダが冗談を言ったのだと理解できるまでに時間を要した。

 

通信を終えた後、呼びもしないのに横で聞いていたポプランが一言余計なことを言った。

「喜んでお待ちしています、と答えたらよかったのに。勿体無い」

 

「四人もいれば十分です」

 

「無欲だねえ」

 

ユリアンは比較対象が間違っているという言いたかったが、理解されると思えなかったのでやめておいた。

 

…………

 

 

「マルガレータ、そういうわけだからこの結婚はヘルクスハイマー家のためにもなるんだ。お前も婿殿を好いているのだろう?」

 

マルガレータは父親がユリアンを既に婿呼ばわりしていることに動揺した。

 

「こんなやつ嫌いです!父上、お願いです。なかったことにしてください」

 

ユリアンは傷ついた顔をした。

「メグ、僕のこと嫌いなの?」

 

「ユリアン、だから、メグと呼ぶな!」

 

ヘルクスハイマー伯が口を挟んだ。

「メグ、婿殿をあまり困らせるでない」

 

「父上、婿ではありません!」

 

ユリアンが声を上げた。

「メグ、愛している!」

 

「ぐむ」

 

ヘルクスハイマー伯も畳み掛けた。悲しそうな表情で。

「メグ、父に花嫁姿を見せてはくれないのか?」

 

「うっ」

 

マルガレータは、ユリアンと父親の波状攻撃を前に、抵抗して、抵抗を続けて……

 

 

 

 

 

ついに観念した。

 

「わかりました。もういいです。二人がそれでいいなら私はもうそれでいいです」

 

 

「メグ!」

「メグ!」

 

マルガレータは自らの愛する二人が幸せそうな笑顔をしているのを見て、二人が喜んでいるならもうそれでいいや、と思ってしまったのだった。

 

 

…………

 

ユリアンにはまだ関係各所への報告や交渉ごとが残っていた。

一度、ヘルクスハイマー伯爵邸を離れることになったユリアンにマルガレータは渡すものがあった。

 

「ユリアン、これ」

手縫いのくまのぬいぐるみだった。

 

「これは?」

 

「私が縫ったのだ。ユリアンに似せて……お前ではなく、くまのユリアンに似せてつくったのだ。その……私はお前から、その、いろいろとプレゼントを貰ったが、私は何もプレゼントできていなかったから。お守り代わりにして欲しい」

 

ユリアンは胸が詰まった。

ユリアンの求婚を一度断った後も、マルガレータはユリアンのためにこんなものを用意してくれていたのだ。

 

ユリアンはあらためて告げた。

「メグ、愛している。君と結婚できてよかった」

 

マルガレータは柔らかく笑った。

「私も。愛している、ユリアン」

 

二人は優しく口づけを交わした。58年越し、この時代では初めての口づけを。

 

「いってらっしゃい、私の愛する人(マイン・マン)

 

少し恥ずかしそうにそう言って、マルガレータはユリアンを見送ったのだった。



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38話 挨拶回り

ユリアンはまずヤンと連絡を取った。

 

ヤンはユリアンの説明を聞きながら表情を複雑に変化させた。

 

説明が終わった後、ヤンは困ったように頭をかきながら言った。

「説明ありがとう。納得していいものかどうかはわからないが、とりあえずわかった」

 

ユリアンは頭を下げた。

「ご心配をおかけしました」

この数ヶ月、ヤンを心配させっぱなしだったろうとユリアンは思う。

 

ヤンは苦笑した。

「私のせいで君達が仲違いしたのではないかと責任を感じていたんだ。いろいろ予想外だけど、あのままよりはずっといい……のかな?とりあえず、おめでとう。いろいろ大変だと思うけど……」

歯切れは悪かったが、ヤンはユリアンとマルガレータを祝福した。

 

ユリアンはヤンに頼みたいことがあった。

「ヤン長官」

 

「わかっている。連合盟主ウォーリック伯への取りなしだろう?」

 

「はい。どうかよろしくお願いします」

 

ヘルクスハイマー伯の帝国への移籍を円満に実施するには連合盟主の了解が不可欠だった。しかし、終戦会議の一件もあって、ユリアンはウォーリック伯に直接連絡を取りづらかったのだ。

 

「私も君達のために少しは協力するよ。まあ、ウォーリック伯も、別に君のことを嫌っているわけではないから、話の持って行き方次第だと思うけどね」

 

「そうでしょうか?」

 

「だと思うけど。この際、三人で話をしてみようか」

 

「……わかりました。ただ、先にもう一つお願いが」

 

「何だい?」

 

「結婚式を挙げることになると思うのですが、新婦であるマルガレータ側のスピーチを」

 

「……2秒でいいかい?」

 

ユリアンは笑顔で答えた。

「駄目に決まっているでしょう」

 

 

ヤンは、ウォーリックにも超光速通信を入れ、三人で遠隔の相談を行なった。

 

状況を知らされたウォーリックは苦笑するしかなかった。

「ヤン提督の時も呆れたもんだが、君は輪にかけて大概だな。ペテン師の弟子は師匠を越えたか」

 

ヤン提督はユリアンと一緒の扱いをされたことに抗議した。

「私の相手はローザ一人ですし、女伯夫君というのは歴史上に前例のあることです」

 

「それを言ったら重婚だってそうだろうが」

 

ヤンのことは放っておいて、ウォーリックはユリアンに声をかけた。

「ヘルクスハイマー伯の移籍の件は少し検討させてくれ。まだ確約できないが悪くない返事ができるとは思う」

 

ユリアンはウォーリックの意外な言葉に驚いた。

「認めてもらえるのですか?」

 

「ああ。ちょうど別に何件かそういう話が上がってきていたところなのだ」

 

銀河に平和が訪れ、銀河帝国が「消滅」したことで、連合に亡命した帝国貴族の中にはオリオン帝国への「帰還」を望む者も出始めていたのだ。

まだ表には出ていない話だが、その中には領土ごと帝国への移籍を望む者もいて、オリオン帝国との間の新たな火種になり兼ねないところだった。

「私としては、今回の件を連合にとって都合の良い前例にできる気がするのだ。ヘルクスハイマー伯とも直接話をしてみることにする」

 

ウォーリック伯はさらに言った。

「いろいろ言う奴もいると思うが、今回の件、君が一番苦労する役回りにも見える。俺はこの件では君を応援するよ。祝電も送ってやる」

 

「ありがとうございます」

ユリアンはもう少し強面の対応をされると思っていたので拍子抜けする思いだった。

 

ユリアンの戸惑いをウォーリック伯も感じ取っていた。

「終戦会議の時は悪かったな。立場上、あの時はあのような態度を取らざるを得なかったのだ。個人的に含むところは何もない」

 

「いえ、謝罪されるようなことは何も」

 

「時と場合で今後も対立することもあるとは思うが、何にせよ今後もよろしく頼むよ」

 

「こちらこそお願いします」

実のところ、ユリアンは終戦会議の一件をそれなりに根に持っていたのだが、ウォーリック伯の言葉に過去のことは水に流すことにしたのだった。

 

ウォーリック伯との和解という、思わぬご祝儀も得て、対連合の交渉は成功裏に終わらせることができた。

 

 

新銀河連邦主席、トリューニヒトへの報告はもう少し大変だった。

 

「勿論祝福はする。するが、ユリアン、相当非常識なことをしているという自覚だけは持った方がいい」

 

「はい」

 

説教が始まったのだ。トリューニヒトなりの「被保護者」としての親心だということを理解していたから、ユリアンも黙って聞くことにした。

 

「月にいた三人との関係をはっきりさせておかなかったのは、このような事態となっては君の落ち度だ」

 

「はい」

 

「あまり言いたくはないが、避妊は考えなかったのかね?」

 

「お恥ずかしい限りです」

 

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフとアリスター・フォン・ウォーリックの双方に借りをつくったのも、あまりうまくはなかったな。私に先に相談してくれればよかったのに」

 

「視野が狭くなっていました」

 

「それに、状況に流され過ぎてはいないかね?マルガレータ嬢と結婚して他の三人は愛人という形にはできなかったのかね?外聞が悪いのは変わらないが、納得はされやすいし、余計な小細工をする必要は減ったと思うが」

 

「それだけはできません。僕は四人とも愛していますし、四人の誰かに対して不誠実な対応をする気はありません」

そこだけはユリアンとしても譲る気はなかった。

 

ユリアンのはっきりとした主張にトリューニヒトは目を見開き、笑った。

「そうかそうか。それならしょうがないな。君は自分のやりたいことを貫いたんだ。胸を張っていればいい」

 

今までも暴走は多かったにせよ、ユリアンがトリューニヒトに明確に「反抗」を示したのはこれが初めてかもしれない。そのことをトリューニヒトは保護者として嬉しく思ったのだった。

 

 

ユリアンの地球自治区長という立場を考えれば同盟のレベロ議長、フェザーンのケッセルリンク国主にも外交上のバランスをとるために内々に連絡を入れるべきである。だが、それはひとまずウォーリック伯からの返事を待ってからのことになる。

 

最後に難題が残った。

カーテローゼの父、ワルター・フォン・シェーンコップである。

超光速通信で連絡を入れたところ、直接会いに来いと言われたのである。

 

ユリアンはキッシンゲンを離れてアルタイル星系に向かうことになった。



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39話 通過儀礼

 

ユリアンは再びポプランの船に乗せてもらってアルタイルに向かった。

 

ポプランはキッシンゲンでも「戦果」を挙げていた。

ユリアンは道程でポプラン自身の自慢話とユリアンへの事情聴取を交互に浴びせられることになった。ユリアンは必要経費と思って諦めるしかなかった。

 

アルタイルの宇宙港に着いて船を降りると、歩み寄って来たのは古今無双の白兵戦の勇者、首席保安官代理ワルター・フォン・シェーンコップその人だった。

ユリアンとしては万全の準備をしてから会いたかったのだが、機先を制された形だ。

 

シェーンコップは笑みを浮かべていたが、ユリアンとしては猛獣に睨まれている気分になった。

 

「これはこれは首席保安官代理。わざわざこのポプランめのお出迎えとは、恐縮であります」

ユリアンに続いて降りてきたポプランが、シェーンコップに大仰に敬礼をした。

 

シェーンコップはニヤリと笑った。

「これはこれはポプラン保安官、運送業に転職したとは知らなかった。だが、用があるのはそちらの坊やだ」

 

「はいはい、私めは退散させて頂きます。種を蒔いて実らせてしまった方々同士、お願いだから仲良くやってくださいよ」

最後に強烈な一言を残して、ポプランは疾風のように去っていった。

 

「あの種無しめ」

シェーンコップの顔からは一瞬だが笑みが消えていた。

 

常に余裕のある態度を崩さない人物だと聞いていたが、この様子だと機嫌は悪いと推測された。

ユリアンはシェーンコップと何度か遭遇していたがまともに話したことがなかった。

特に月での遭遇の際はシェーンコップがカーテローゼにノックアウトされていたため、認識されてすらいなかっただろう。その際にシェーンコップを背負って移動させたのはユリアンなのだが。しかしその話を出しても良い結果には繋がらないと、ユリアンも流石に心得ていた。

 

「ついて来い、坊や」

 

拒否する権利はユリアンに与えられていなかった。

 

ユリアンは銀河保安機構のトレーニングルームに連れて行かれた。

 

シェーンコップは訓練用の武器を一つ一つチェックしながらユリアンに告げた。

「カリンから連絡を貰った。久々の連絡が、婚約の報告だった。相手はお前さんで、四人同時の重婚と来たもんだ。マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー嬢を孕ませたらしいな」

下手な答えを許さない雰囲気がシェーンコップにはあった。

 

「はい……」

ユリアンはそう答えるのが精一杯だった。

 

シェーンコップはユリアンに笑いかけた。

「勘違いしないでくれ。別にお前さん達の結婚に反対しているわけではない。そんな資格は元々俺にはない。カリンにも今更口を出すなと言われたよ。だがな……」

 

シェーンコップは訓練用のナイフを手に取った。

「義父になる予定の俺のトレーニングに付き合ってくれるぐらいの甲斐性を、お前さんには期待してもいいと思うんだ」

 

シェーンコップの目は笑っていなかった。先程から感じていた殺気が錯覚ではなかったとユリアンは思った。

 

 

シェーンコップの言う「トレーニング」が始まった。

 

シェーンコップはナイフを手にした。ユリアンは杖を手にしつつ、念のためナイフを腰に差した。

 

ユリアンはパトロクロスでローザ・フォン・ラウエに手酷くやられた後、地球教団主教の時代からリハビリを兼ねて杖術を学んでいた。

軍事貴族たる諸侯を中心に尚武の気風の強い独立諸侯連合では「銀河武士道流」の名で古代武術が復興していた。

これは地球教団内でも広く学ばれていた。地球由来の武術が隆盛することは地球教の教義に照らし合わせても望ましいことだったためである。

その中でも杖術は聖職者の護身術として推奨されていたし、ローザに負わされた傷によって片腕が多少不自由なユリアンにとっては戦斧よりも扱いやすかった。

 

ヤン・ウェンリーの妻となったローザを相手に今更復讐戦を挑むつもりはなかったが、同様の状況になった時にまた最悪の結果に終わってしまうことは避けたかったのである。

 

しかし、相応に鍛錬を積んだというユリアンの自負は、シェーンコップによって粉々に打ち砕かれた。

ナイフと杖のリーチの差などないもののように、突きも払いもすべて捌かれてシェーンコップには届かなかった。

シェーンコップはユリアンの態勢を崩して懐に入り、ナイフを突き出した。ユリアンは杖を手放して、自らのナイフでシェーンコップの一撃をなんとか受け止めたが、意識が留守になった間に足を刈られて転倒させられた。

 

その上で隙だらけとなったユリアンの腹部をシェーンコップは容赦なく踏みつけた。

 

胃の内容物を吐瀉してのたうち回るユリアンに、シェーンコップは声をかけた。

「おいおい、何でもできる天才と聞いていたんだが、その程度か?」

 

ユリアンに答える余裕はなかったが、シェーンコップは構わず続けた。

 

「なあ、坊や。月での暴動でカリンが襲われた時、お前さんは何をしていた?俺が間に合っていなかったらカリンは一体どうなっていたと思うんだ?」

 

ユリアンは気づいた。シェーンコップがユリアンに含むところがあるのはそこか、と。それはユリアンもずっと気にしていたことだった。

息を整えてユリアンは答えた。

「仰る通りです。僕は、他のことに気を取られて、カリンの救出に間に合わなかった。でも、もう同じ失敗はしません」

 

シェーンコップは鼻で笑った。

「他に三人も抱えながら?ここで俺から自分の身一つ守れない男の言葉なぞ寝言にしか聞こえんな」

 

「ここであなたを倒せば認めてもらえるのでしょうか?」

 

「それこそ寝言だな。俺にまぐれであっても勝てる奴なぞ、今の銀河に数人いるかどうかだ」

 

「実の娘にのされた癖によく言えますね。あの後あなたをおぶって帰ったのは誰だと思っているんですか?」

 

シェーンコップは激情を口よりも行動で示した。

虎の尾を踏むとはこのことを言うのだと思った。

ユリアンはナイフで、拳で、脚で、散々に打ち据えられた。

シェーンコップがこれまで曲がりなりにも手加減していたことがよくわかった。

 

しかし……

おかしい。

 

ユリアンは思った。

そろそろのはずなのに。

 

シェーンコップは、ユリアンの動揺に気づいたようだった。

「何かを待っているようだな。例えばこの部屋がいきなり0Gになるとか、そういったアクシデントかな?」

 

シェーンコップは、ユリアンが待っていたものを言い当てていた。

 

「お前さんがそういった手が大好きなことはフェザーンでの戦いの際に把握済みだ。そんなことが起きないように、子飼いの部下何人かにこの部屋の重力制御室を見張らせてもらっていたんだよ」

 

ユリアンがポプランに頼んでいたことは無駄に終わってしまったようだ。

 

黙ったままのユリアンを見て、シェーンコップは吐き捨てた。

「姑息な手を封じられたらもうおしまいか?情けない、それこそ俺の娘の方がまだ強いんじゃないか?」

 

「……」

 

「それとも、お前さん、もしもの時は、俺の娘に守ってもらうつもりか?」

 

シェーンコップは「ああ」と何かに気づいたそぶりを見せた。

 

「そう言えば、あの時もお前さんは、一緒に突入した女に庇われたんだったな」

シェーンコップもパトロクロスに突入したユリアンの迎撃に参加していた。シンシアがローザの刃からユリアンを身を呈して庇ったことをシェーンコップは言っているのだ。

 

 

「女を守るどころか女に守られているじゃないか。そうか。お前さんは俺の娘も他の三人も、自分が生き残るための盾に使う気なのんだな?盾は多い方がいいもんな?」

 

シェーンコップの言葉はユリアンの心の柔らかい部分を抉った。

「っ、そんなことは!」

 

「こんなクズを庇って死ぬなんて、あの女も馬鹿な死に方をしたもんだ」

 

その瞬間に、ユリアンの表情が一変した。激情が彼を支配した。

「もう一度言ってみろ」

 

「は?クズにクズと言って何が悪い?」

そう答えつつもシェーンコップはユリアンの変貌に驚いていた。

 

「違う。シンシアさんのことだ。彼女の死を馬鹿だなんて言わせない」

 

シェーンコップはため息をついた。

「お前がクズなのが悪いんだろうが」

 

「わかっている!だからここでお前を倒して、そうではないとわからせてやる」

 

「無茶苦茶だな、おい……」

 

ユリアンは、戸惑っているシェーンコップに突撃をかけた。

 

しかし。

 

「無駄なことを」

 

何も変わらなかった。

ユリアンはその後もシェーンコップの攻撃を受け続けた。

 

「そろそろ倒れろ。でないと死ぬぞ」

 

シェーンコップは、ユリアンの顎に掌底を放った。

ユリアンはなんとか踏みとどまった。

「まだまだ。カリンに殴られた時の方が痛かった」

 

「それは自慢気にいうことじゃないだろうが」

今度はこめかみを打たれた。

ユリアンは舌を噛んで、かろうじて意識を保った。

 

意地でも倒れまいとするユリアンに対して、シェーンコップは殺してしまう前になんとか幕引きを図ろうとしていた。

 

シェーンコップはユリアンを引き倒して、背中に回り込み首に腕を回した。首を締めて意識を失わせるつもりだった。

「これで流石に終わりだ」

 

ええ、終わりです。

ユリアンは声を出せず、頭の中で答えた。

密着した状態ならば、ようやく奥の手が出せる、と。

ユリアンは過去の時代で片足を失い、義足になっていた。旧式の義足だったため、月に帰還した後に新調したのだが、その際にスタンロッドを埋め込んでいた。

蹴りを当てさえすれば相手を失神させることが可能だったが、シェーンコップにはその蹴りが全く当たらなかったし、足に触れることがあっても一瞬で、スタンロッドを起動しても、効果は薄いと考えられた。

だが、密着してしまえば問題はなかった。

 

ユリアンはスタンロッドを起動した。

 

シェーンコップの体に大電流が流れた。

 

「があああ!」

 

白兵戦の勇者も、常人が気絶するレベルを遥かに超えた電流が体を通れば意識を失わざるを得なかった。

 

密着した状態のため、当然ユリアンも無事ではなく、シェーンコップと同時に失神してしまった。

 

相打ちというべき状態である。

 

しばらくして、シェーンコップの部下数名と共にポプランがやって来た。ポプランも、他の数名も顔に痣をつくっている。

重力制御室で自分を阻んだ彼らと喧嘩を楽しんでいた。ユリアン達が失神したのをモニターで見て、喧嘩を中断してやって来たのだ。

 

「うげえ、ゲロまみれで……。色男二人がひどい絵面だ。ああ、水はかけるなよ。感電するかもしれないから。二人を引き離して医務室に運んでくれ」

 

ユリアンは万一のための事後処理もポプランに頼んでいた。

 

医務室に運ばれて一時間後、ユリアンは目を覚ました途端に、シェーンコップに声をかけられた。

 

「よう、起きたか、坊や」

 

ユリアンは身構えようとして、強烈な痛みに苦悶することになった。

 

「もうアドレナリンも切れたんだから無理するな。あちこち亀裂骨折ばかりだろう」

シェーンコップ自身は既に問題なく動けるようだった。最後の電流以外、ユリアンはまともにダメージを与えられていないのだから当然かもしれない。

 

シェーンコップからは険しい雰囲気は消えていた。

「少し揉んでやるだけのつもりが、まさか命懸けの戦いになるとはな」

 

ユリアンも流石に冷静になっていた。

「熱くなりすぎました」

 

シェーンコップは肩を竦めた。

「挑発した俺が言うことじゃないが、カリンとのことに口は出さないと最初から言っていただろ。適当に付き合ってくれれば俺だって飽きてすぐに終わったんだよ」

 

かなり身勝手な発言だったが、ユリアンとしては反論する気にはなれなかった。

「時々自分を抑えられなくなるんです」

怒りにしても、憎悪にしても、ユリアンはそれを時々制御できなくなる自分が恐ろしかった。

 

「面倒なやつだ。しかも、結婚相手の父親に対して、別の女のことでキレるだなんてお前さんも大概だな」

 

「自分でもそう思います」

とはいえ、また同じことがあれば同じことをしてしまうのだろうが。

 

「だが、適当に流せるような奴よりはずっと面白い」

 

ユリアンは少し驚いてシェーンコップを見た。

 

シェーンコップは急に真面目な顔になった。

「腕は未熟だが、心意気は買った。こんなことを言うのは柄じゃないが、カリンのことをよろしく頼む」

 

一瞬聞き間違いかと思ったが、そんなことはなかった。

ユリアンは力強く返事をした。

「はい!」

 

シェーンコップは苦笑した。

「親としては思うところがないでもなかったが、男としてはご愁傷様と言ってやりたい。結婚という牢獄に自ら入るだけでも気がしれないのに、四重の鉄格子に囲まれていると来たもんだ。まあ、頑張れ」

 

「カリンや他の娘達と一緒ですからきっと楽しいだろうと思っていますよ。たまには様子を見に来てください」

 

「気が向いたらな」

シェーンコップはしばらく笑っていたが、そのうち人の悪い表情になった。

「そうだ。これからもたまにはトレーニングに付き合ってくれよ、坊や。今度はゲロも電流なしで」

 

当代随一の白兵戦の名手の手ほどきを受けられるのはユリアンにとってもありがたい話だった。

「手加減して頂けるなら喜んで」

 

しかしユリアンには気にしていることがあった。

「でも、坊や呼ばわりは不本意です。やめて頂けませんか?」

 

シェーンコップは平然と言った。

「そうか、悪かった、気をつけるよ、坊や」

 

ユリアンはその反応を予想しており、すぐに言い返した。

「ええ、気をつけて頂きます、お義父(とう)さん」

 

ユリアンは、シェーンコップが返答を躊躇う姿を初めて見ることになった。

 

全治2ヶ月、とりあえず立って動けるようになるまで1週間という診断だった。

 

シェーンコップのせいでユリアンが大怪我をしたという連絡を受け、当然ながらカーテローゼは烈火のごとく怒った。

 

スクリーン越しに怒気を放つカーテローゼに対してシェーンコップを弁護して事を収めることがユリアンの「義理の息子」としての初の仕事となったのだった。

 



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40話 見舞客

 

 

ユリアンの負傷はトレーニング中の事故として処理されることになった。

 

保安機構付設の病院に入院している間にヤンが見舞いに来た。

ヤンはウォーリック伯から、ヘルクスハイマー伯の移籍を認めるという伝言を預かっていた。

これで、ユリアンとマルガレータ、それにカーテローゼ、サビーネ、エリザベートとの結婚に対する障害はほぼ無くなった。

 

1週間後にユリアンは退院することになった。

旧知のバグダッシュやディッケル、イセカワ達は出払っており、入院中にユリアンと会うことはなかった。いたとしても、ディッケルやイセカワが来てくれたかどうかはユリアンにはわからなかったが。

 

意外な人物が退院の日にやって来た。

銀河保安機構長官補佐兼情報局長、オーベルシュタインである。

どこで知ったのか、オーベルシュタインはユリアンに祝意を伝えた。

「ご結婚されるようですな。おめでとうございます」

 

ユリアンにはオーベルシュタインの訪問の意図がわからなかった。しかし、返事をする必要はあった。

「ありがとうございます。オーベルシュタイン局長も養子を迎えられたそうで、おめでとうございます」

 

オーベルシュタインは軽く頷くのみで話を続けた。

 

「時に、サビーネ・フォン・リッテンハイム、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクとの間にも子を作るおつもりか?」

 

ユリアンは不躾な問いに戸惑った。

「結婚すれば、おそらくは……」

 

オーベルシュタインはユリアンの戸惑いなど意に介さなかった。

「ゴールデンバウムの血脈が後世に残ることになりますな」

 

オーベルシュタインの言いたいことはわかったが、ユリアンには承服できない話だった。

「それが何か?今更ゴールデンバウム朝の血にどれほどの求心力があるというのですか?」

 

「本来ならば、そうでしょうな。血だけを言えばケートヘン家もある。ですが、そこにユリアン・フォン・ミンツという特異な存在が関わればどうなるか」

 

ユリアンは意表を突かれた。

「僕にどれほどの力があるというのですか?」

自らを過小評価するつもりはないが、それは地球財団と地球自治区をどうにかできる程度のものだと考えていた。

 

「ご謙遜を。今回の件で卿はオリオン帝国との繋がりを強めた。旧帝国勢力との繋がりは元々深い。ルドルフ2世も生きている。卿には、地球勢力と合わせてそれらを統合する力も人望もある。卿自身が望むかどうかはともかく、将来において卿を中心に乱が起きる可能性は十分にあるのではないか」

 

「僕などより能力も人望もある人間はいくらでもいるように思いますが」

 

「そうかな?確かにラインハルト帝やライアル・アッシュビーにもその可能性があったが、二人とも消えた。ヤン・ウェンリーとジークフリード帝は、気質的に向いていないようだ。エルウィン・ヨーゼフはひとまず獄中。残るのは、卿と、強いて言えばヒルデガルド・フォン・マリーンドルフぐらいのものだ。そしてその二人は連携を始めたように思える。脅威ではありませんか?」

 

「つまり、僕がいなくなればよいということでしょうか?」

ユリアンはオーベルシュタインの返答を待った。それ次第でユリアンの行動は変わるはずだった。

 

しかしオーベルシュタインの返答は明確なものではなかった。

「さて、そう単純な話になるかどうか」

 

「……」

 

「かつて私は、覇者の誕生に期待していた。ゴールデンバウムが滅びた後に、創業を行う存在が必要と考えた。そのために何人かに期待をかけた。その時に卿が台頭していれば、私は卿にも期待をかけたかもしれない」

 

「覇者ですか……」

ユリアンには話が見えなかった。

 

「だが、今の私はこう思うのだ。今の銀河に覇者など不要」

 

「……」

 

「少なくともこの先数十年ほどは今の体制でやっていける。であるならば今覇者となる可能性を持つ者が出てきても戦乱の種にしかならない」

 

「数十年の平和、その程度のものが望みなのですか?」

 

「私も毒されたのかもしれないな」

 

No.1不要論とでもいうべきか。新銀河連邦体制は、オーベルシュタインのような人にも影響を与えたのかとユリアンは思った。義理の息子ができた影響?あるいは上司の?

 

ユリアンには確認しておくべきことがあった。

「しかし、目的が変わってもなさることは変わらないのですね?排除によって解決を目指すということ自体は」

 

「そうなりますな」

オーベルシュタインの義眼はユリアンをしっかりと捉えていた。

 

それだけにユリアンには意外だった。

「何故、このような話を僕にしたのです?黙って僕を排除すればよかったではありませんか?」

 

「とぼける必要はなかろう。卿は優秀な諜報網をお持ちだ。既に私の思惑など卿は把握しているはずだ」

 

ユリアンにはオーベルシュタインの言っている意味がわからなかった。ユリアン自身は地球財団の防諜体制の構築は課題の一つと考えていたし、正直オーベルシュタインに注意を向けられるような状況では公私ともになかった。

 

ユリアンの内心に気づいたのかどうか、オーベルシュタインは話を続けた。

「実のところ、排除すべきなのが卿だけなのかどうか、実のところ見極めがついてはおらぬのです。……卿を排除するのはなかなか骨が折れる話だし、卿に集中することで、他の存在の跳梁を許すことになるのではないか」

 

ユリアンは何者かの存在を示唆するデグスビイ主教の言葉を思い出した。その話をヤンがオーベルシュタインにしたのかどうか、ユリアンにはわからなかった。

 

「それに、卿には人に心の内をさらけ出させる才能があるようだ。私も話し過ぎた」

わずかな表情の変化はあるいは苦笑だったのかもしれない。

 

オーベルシュタインは話を切り上げた。

「では、またいずれ」

 

「……はい」

 

オーベルシュタインの排除を積極的に目指すべきか、判断に迷っているのはユリアンも同じだった。

 

これがオーベルシュタインの行動を止める最後のチャンスだったのかもしれないとユリアンは後に思うことになったが、この時点でそれを知るのは無理なことだった。

 



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41話 準備の時期

近況報告回








 

ユリアンは月に帰還した。

 

カーテローゼ達は、ユリアンとの結婚話がうまくいきそうなことを喜びつつも、当然ながらユリアンの怪我の状態を心配した。

しばらく激しい運動は出来ないものの、それ以外はさほど支障がないことをユリアンは説明した。

三人は三者三様に複雑な表情を示したが、「早く良くなって」以上のことを口に出すことはなかった。

 

エリザベートとサビーネの母親、アマーリエ、クリスティーネに対する挨拶は、ヘルクスハイマー伯やシェーンコップよりもはるかに楽に話が進んだ。

二人ともユリアンを以前から気に入っていたからである。

 

「これからは私のことを実の母親だとおもってくれていいのよ」

「私のこともよ」

 

ユリアンは二人に屈託のない笑顔を向けた。

「はい、お母様方」

 

「まあ、お母様だなんて……」

顔を赤らめる母親達に、サビーネとエリザベートはジトッとした目を向けるのだった。

 

 

こうしてユリアンは四人の妻に加えて二人の父親と二人の母親を得ることになった。

 

トリューニヒトが保護者でいてくれたものの天涯孤独の身の上だったユリアンとしては、義理とはいえ親ができるということ自体が照れ臭くも非常に嬉しいことだった。

 

 

 

10月に入ってユリアンとマルガレータ、エリザベート、サビーネ、カーテローゼの婚約が全銀河に向けて正式に発表された。

 

ヘルクスハイマー伯の帝国への移籍も同時に発表された。帝国、連合双方が、「旧ヘルクスハイマー領民の希望による特例」として認めたのである。

現在の財産をすべて連合に寄贈することが移籍の条件であり、ヘルクスハイマー伯はこれを了承した。

金銭はともかく、連合内に領土を持たないヘルクスハイマー家にとっては認めやすい条件だった。

一方で、帝国への帰還を考える他の諸侯達にとっては身一つで帰れと言っているに等しく厳しい条件だった。

連合の弱体化を避けたいウォーリック伯としては、帰還を望む一部諸侯に対して、よい前例を作ることができた形である。

一方のヒルダにとっても、自らに都合のよい人材にだけ特例措置として財産付与を考えることができるため、権力基盤の維持のためには悪くない話であった。

 

帝国と連合によるこの合意は、ユリアンに対する配慮だと世間から見られた。

主要二国にそのような配慮をさせたユリアン・フォン・ミンツに対して、警戒と、また一方では畏怖の念をさらに強める結果となったのだった。

 

勿論、四人との重婚自体も大きな話題となった。

 

男性の反応はやっかみと同情の二つに分かれた。

女性からも反感と同情、それにユリアンの結婚を悲しむ声がそれぞれあった。

 

「ユリアンを遠くから見守る会」のメンバーにも、ユリアンの結婚という事実を悲しむ人が多かったが、中には、四人も五人も変わらないから自分にもチャンスが、と考えるような人もいた。しかし、遠くから見守ることが趣旨の会であるため、ユリアンに対する直接的なアプローチは会報において禁止が通達された。

 

マルガレータに対しては、いろいろな点から、多くの人間が同情的だった。

とはいえ、マルガレータ本人は、旧領回復目当てに父親に売られただとか、ユリアン・フォン・ミンツに誑かされたなどという見解を示された時には毅然とした態度で反論していた。

 

ユリアンと四人の結婚式は、マルガレータが出産して少し落ち着いた頃、翌年の6月頃を予定することになった。

 

大規模な結婚式になるため、ユリアンはその準備でも非常に忙しくなったのだった。

 

 

 

 

婚約の発表を機に、ユリアンには各方面から祝電や、何らかの連絡が相次いだ。

 

四大国首脳や新銀河連邦主席、新銀河連邦主要組織の代表からは形式の整った祝電があった。

 

ジークフリード帝からの祝電には「私も勇気をもらいました」という意味深な言葉が添えられていた。

 

保安機構宇宙艦隊司令長官のミュラーからも祝電があった。ミュラー自身はいまだに独り身である。なお、副司令長官のアッテンボローも独り身だった。

 

クリストフ・ディッケルからは「マルガレータを泣かしたら許さない」という一言だけの連絡があった。

ディッケルに限らず、マルガレータは銀河保安機構の中でも人気があり、悲しむ男性陣は多かったとユリアンは伝え聞いていた。

 

地球財団及び自治区の職員や幹部からも祝意を伝えられた。

ユリアン直属の部下にあたる自治区警備隊長ベンドリング准将は、お祝いの言葉と裏腹に表情が沈んでおり、ユリアンは少し戸惑うことになった。

 

ベルンハルト・フォン・シュナイダー改めベルンハルト・フォン・メルカッツとゲルトルード・フォン・メルカッツからは祝電ではなく超光速通信で直接連絡があった。

ゲルトルードは幸せそうで、ユリアンはそのことが嬉しかった。気丈に見えて一時は父親の死によって鬱状態になっていた彼女だったが、ベルンハルトのサポートによってその状況を乗り越えていた。

「婚約おめでとう。正直驚いたけど、あなたならあり得る話だったわね。一足先に結婚生活を送っているから、いろいろ相談に乗るわよ」

彼女自身は既に臨月だった。

彼らはメルカッツ家を立て直すために独立諸侯連合に戻っていた。神聖銀河帝国に協力したことで周囲の風当たりが強いのではないかとユリアンは心配もしていたが、メルカッツ元帥元門下の軍人達のおかげもあってなんとかやっているようだった。

 

モールゲンに収容されているエルウィン・ヨーゼフからも祝電があった。日頃は連絡を取ることは制限されているが、今回は特例として認められた。

「ミンツ伯と四人の婚約を祝福する。ゴールデンバウムの血脈にミンツ伯を迎えられることを余は嬉しく思う」

 

レムシャイド侯やド・ヴィリエからも同様に祝電があった。

レムシャイド侯からのものは、引き続きサビーネ様、エリザベート様をよろしく頼む、との内容だった。

 

ド・ヴィリエからの祝電には謎めいたメッセージが付けられていた。

「何も終わってはいない。いつか必ずそれは現れる」

 

ド・ヴィリエは何を伝えたかったのか、ユリアンにはわからなかった。

ド・ヴィリエはユリアンの知る中で地球教団の最暗部を最もよく知る人物であった。

ド・ヴィリエがそれを明確に伝えることを避けたのは、そこに身の危険を感じたからだろう。それにも関わらずユリアンに何かを伝えたのは彼なりの善意だとユリアンは考えた。

何にせよ、地球財団独自の防諜体制の構築を急ぐ以外では、ユリアンとしては油断しないという以外の方策がなかった。

 

牢獄の内外を問わず旧神聖銀河帝国関係者から祝電が来た。

 

「このランズベルク伯アルフレッド、祝意を込めて詩を作りました。……」

ランズベルク伯からのものだった。

 

「ブラウンシュヴァイクの一門になるのだ。叔父上の名に恥じぬようせいぜい励め」

フレーゲル男爵からのものだった。

 

「チョコ・ボンボンはもう要りません」

同盟で「療養」の続くアンドリュー・フォークからの婚約とは関係のないメッセージに、ユリアンは首をひねった。

チョコ・ボンボンはフォークの好物のはずだとユリアンは考えていたし、それをユリアンが送り、外部に彼を気にかける者がいることを病院関係者が意識することでフォーク元中将の扱いが少しでもよくなればとユリアンは考えていたのだ。

検閲を受けていて直接書くことが難しい窮状を謎めいたメッセージで伝えようとしたのかもしれないとユリアンは思った。

今度、倍量のチョコ・ボンボンを送って反応を見てみようと思った。

 

リンチ元少将からも祝電と近況報告があった。

「娘から十数年ぶりぐらいに連絡があった。あんたを紹介してくれ、だと。紹介した後にどうなるのか怖かったから断ったが、久々に娘と話せたのはあんたのおかげだ。感謝する」

 

旧神聖銀河帝国関係者で祝電が来ない人もいたが、生活に困窮している者も多いことを考えればしょうがないとも思うし、ユリアンとしても生活にお金を回して欲しいとも思う。

 

 

 

シャルロット・フィリスからも、その父親からのものと一緒に祝電があった。

「ユリアンお兄様、マルガレータお姉様、ご結婚本当におめでとうございます。結婚式でお二人の晴れ姿を見たいのですが無理なお願いですよね」

「ご結婚おめでとう。お願いだから今の四人で満足してくれ」

 

キャゼルヌ中将はまるで僕を色情狂だと考えているようじゃないか、とユリアンは不満に思った。しかし、シャルロットが結婚式に参加したいと望んでいるため、シャルロットと一緒に中将も結婚式に呼ぶ方向で考える事にした。

 

いつの間にか大佐に昇進していたバグダッシュからも祝電があった。

「ご婚約おめでとうございます。大事な時期なので身辺には十分に注意して過ごしてください」

身体ではなく身辺と書かれていたことがユリアンには気になった。バグダッシュが現在はオーベルシュタインの部下であることと何か関係あるのだろうか?ユリアンとしても今の時期に下手な動きをするつもりはなかったが、より警戒しておくに越したことはなさそうだった。

 

同盟からはジャワフ准将やニルソン大佐などのかつての第十三艦隊関係者やパエッタ退役中将から祝電があった。

ユリアンは懐かしさを覚えた。未熟な自分の指揮に不平を言わずに従ってくれた人達。期待に応えられなかったこと、彼らをある意味で裏切って神聖銀河帝国に所属したことの後ろめたさが、ユリアンから彼らに連絡を取ることを避けさせていた。

しかし、彼らは祝電を送ってくれたのだった。

パエッタ退役中将はフェザーンでの敗北の全責任をユリアンの代わりに取ることになった。ユリアンの将来を考えてくれてのことだったが、ユリアンの行動のせいで全て無駄になった。

ユリアンは、新銀河連邦成立後にフェザーンでの戦いに関しての自らの不手際を説明する論文を書いて、同盟のメディアに送付した。メディアはこれを大きく取り上げ、パエッタ提督の名誉回復には役立ったが、退役自体を取り消させることはできなかった。

だが、パエッタが報告してくれた近況ではそれなりに引退後の生活を楽しんでいるようだった。

フェザーンではボロディン、ウランフ、ルフェーブルとも共に戦った。

ルフェーブルは戦死したが、ボロディン、ウランフは生き残った。

ボロディンは大将に昇進してビュコックの後任として宇宙艦隊司令長官となっていた。ウランフも大将に昇進したが、艦隊司令官に留まっていた。

数年後にはグリーンヒル統合作戦本部長が退任し、ボロディン統合作戦本部長、ウランフ宇宙艦隊司令長官の体制になることが既定路線と思われている。

パエッタからのメッセージには、二人からもよろしく伝えてくれと言われた、と書かれていた。

二人がユリアンに対して直接の祝電を避けたことが、同盟におけるユリアンへの風当たりの強さを伺わせた。

 

 

その他、ユリアンには意味不明の連絡も多数あった。

例えば、「ご婚約おめでとうございます。これからもご活躍を遠くから応援させて頂きます」とのメッセージで、差出人はCWOJFとだけ書かれた祝電である。名前なのか何かの略なのかもよくわからなかった。

 

他にも差出人なしで、

「婚約おめでとう。でも、運命がこの先には待っているわ」

という意味深なメッセージもあった。

 

 

ユリアンは祝電を整理する中で、そこに保安機構月支部のアウロラ・クリスチアン少佐からのものがないことに気づいた。

普段の彼女の態度からすれば祝電がなくてもしょうがないとも思うが、最後の会話で心配してくれていたことがユリアンには印象に残っていた。

 

ユリアンは思いついて、アウロラに連絡を入れた。

 

「何かご用でしょうか?ミンツ総書記」

スクリーンに出たアウロラは妙に憔悴していた。

 

ユリアンはその様子に驚いて尋ねた。

「クリスチアン少佐、何かあったのですか?」

 

アウロラは少なくとも表面上はいつも通り淡々と返した。

「……いえ、何も。それより、何の用ですか?」

 

「すみません、以前ご心配を頂いていたようなので、心配事は解決しましたとご報告を入れたくて」

アウロラ・クリスチアンが心配してくれているとは思っていなかっなので、ユリアンは印象に残っていたのだ。

 

「解決……?ああ、ご結婚の話ですね。既に発表された話ですから、わざわざ報告頂かなくとも。用件はそれだけですか」

 

「いえ、もう一つ。結婚式の招待状を送ってもいいですか?」

 

アウロラは目を瞬いた。

「私などが参加してもいいのですか?」

 

「駄目なんですか?」

 

「……いえ」

 

「では、送りますね」

 

「……用件はそれだけですか?」

 

「いえ、もう一つ。お礼を言いたくて」

話しながらユリアンはアウロラに笑顔を向けた。

「心配して下さってありがとうございます。僕はクリスチアン少佐を誤解していました。実は優しいのですね」

 

アウロラはユリアンから急に顔をそむけた。

「……そんなことを言うと、女性は勘違いしますからやめた方がいいですよ。ただでさえあなたは脇が甘いのだから」

 

「何を勘違いするんですか?」

 

「っ! いや、もういいです。招待状は受け取りますので。それでは」

通信を切られてしまった。

 

だが、ユリアンは不思議と不快には思わなかった。また心配してくれているのがわかったからだ。

脇が甘いという一言だけは不本意だったが、昔シンシア・クリスティーンに「ユリアン君は騙されやすいから」と言われたこともまたユリアンは思い出していた。

シンシアさんが生きていたら僕の結婚を喜んでくれるのだろうか、とユリアンは思ってしまった。

他の女性のことを考えるのは、結婚する四人のことを思えば、きっとよくないことなのだろう。シンシアさんのことは少しずつ忘れていくべきなのだろうか、と考えてユリアンは悲しくなった。

 

 

 

アウロラ・クリスチアンはユリアンとの通信を切った後、大きく息をついた。

大好きなユリアンと長く話していると、感情が揺り動かされて仕方がなかった。だから限界が来る前にいつも話を打ち切らないといけなくなるのだ。

 

彼女はユリアンが結婚することを喜ぶべきことだと思っていた。結婚する女性達に対しての嫉妬はあった。しかし、理屈の上ではこの結婚がもたらす関係がユリアンの立場を強めることになると考えていたからだった。

特に、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーがユリアンの味方と見なせるようになったことは喜ぶべきことだった。

銀河保安機構におけるユリアンの取り扱いは、多数の警戒とヤンを含む一部の人間の個人的な好意の間で微妙な均衡を保っていた。

マルガレータがユリアンと敵対してしまえば、機構全体がユリアンの敵に回る可能性が高かった。オーベルシュタインの司る暗部だけでなく機構全体を相手にすることは、自らが代表を務める「ユリアン君を遠くから見守る会」にとっても困難なことだった。

 

しかし、これで見守る会の総力をオーベルシュタイン率いる情報局に対して集中できることになった。

そのオーベルシュタインこそが問題だったのだが。

アウロラの憔悴は、ユリアンの結婚だけが原因ではなかった。

 

アウロラは、外部と通信を始めた。

「J137、状況は?」

「こちらJ137、先んじて対象の確保に成功」

「説得は?」

「実行中」

「不調に終わった場合は予定通りに」

「了解」

 

短時間で通信を終えてアウロラは呟いた。

「私は遠くからあなたを守れれば十分。だからあまり感情を揺さぶらないで。我慢できなくなるから」

 

 

 

 

 

ユリアンの婚約が発表されて数日後、ヤンはキャゼルヌの愚痴を聞かされることになった。

「おい、ヤン。聞いたんだが、あのユリアンの婚約にお前さんも一枚噛んでいたらしいじゃないか」

 

ヤンはなんとも言えない表情になった。

「一枚噛んでいたといえばそうなのかもしれませんが、別に大したことはしていませんよ」

 

「やめさせてくれたらよかったのに」

 

「そんな無茶な。やめさせてどうするんです?」

 

「聞いてくれ。うちのシャルロットがこう言うんだ。「四人が五人になってもきっと大丈夫よね。私もユリアンお兄様と結婚すれば、メグお姉様とも自動的に家族に」……なんておぞましいことを言うんだろう」

 

ヤンは暢気に答えた。

「微笑ましいですね」

 

 

「全然微笑ましくない!せいぜい7、8歳ぐらいでの発言ならまだしも、シャルロットはもう15歳なんだぞ!」

 

「あれ?もうそんなに大きくなりましたか」

 

「そうだよ!あのユリアンにだけはシャルロットはやらん!」

 

「それ、前も聞きましたよ。それならアッテンボローあたりならどうですか?」

 

「……前に冗談でアッテンボローに言ってみたら、真剣に考え込まれてしまったんだよ。あれはかなり本気に見えた。あいつ、実はロリコンなのか?」

 

「……」

 

父親はやっぱり難しかった。



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42話 刈り入れの時

最後の方若干修正しました


宇宙暦804年11月21日、銀河保安機構長官ヤン・ウェンリーの名で発表が行われた。

 

かつて神聖銀河帝国に属し、今は銀河各国で生活している者約十万人のうち五千人ほどを、犯罪行為に手を染めていたとして各国警察組織と協力して逮捕したというのである。その際に逃亡を図ったため数十名の死者が発生していた。

 

また、サイオキシンマフィアの元ボスにして、神聖銀河帝国を裏で操っていたとされたクリストフ・フォン・バーゼル及び妻ヨハンナの死亡を確認したこと、その他サイオキシン密売等の容疑で捜索が行われていた行方不明者数名の身柄を拘束し、一方で十数名の死亡を確認したと発表した。

何よりもユリアンを驚かせたのは死亡者の中に、あのデグスビイ主教の名前も存在したことだった。

 

 

この発表を聞いたユリアンはしばらく動けなくなった。補佐官のシュトライトが声をかけても反応を示さなかった。

 

「ユリアン!」

 

カーテローゼは、マシュンゴからこの発表とユリアンの様子がおかしいことを知らされ、ユリアンの執務室に駆けつけた。

 

カーテローゼはユリアンの体を揺すった。

 

ユリアンはカーテローゼをようやく認識した。

「……ああ、カリンか」

 

「あんた……大丈夫?」

 

ユリアンは笑顔を見せた。

「大丈夫だよ。デグスビイ主教が死んだって憎む相手はいるからね」

 

「ユリアン?何を言っているの?」

 

笑顔のままユリアンは話し続けた。

「大丈夫、憎む相手を間違えちゃいないさ。これはヤン長官のやり方じゃない。オーベルシュタインが黒幕さ」

 

「あんた……」

 

カーテローゼの言葉は耳を通り抜けているようだった。

「どうすれば、オーベルシュタインを排除できるかな。やっぱり暗殺かな?シュトライト少将、アンスバッハ中将を呼んでくれないかな?」

 

「ユリアン!薄気味悪い笑みを浮かべてそんなことを言っている時点で全然大丈夫じゃないじゃない。怒っているなら怒っている顔をしなさいよ!」

 

ユリアンは再びカーテローゼのことを認識した。

 

ユリアンは今度こそ怒りを露わにした。

「カリン、何を言っているんだ?そりゃ怒っているさ。神聖銀河帝国に属していたというだけで彼らは身辺を探られてこんな仕打ちを受ける羽目になったんだ!」

ユリアンはそれだけ叫ぶと急に沈み込んだ。

「それにきっと僕のせいなんだ。オーベルシュタインは僕を陥れるために……僕がいなければ彼らも……」

 

「ユリアン」

 

カーテローゼはユリアンに体を寄せて口づけをした。

 

「カリン!」

 

ユリアンは周囲の目を気にした。

シュトライトとマシュンゴがいたが、二人ともわざとらしく明後日の方向を見ていた。

 

「平手打ちと迷ったのだけど、この前思いっきり殴っちゃったし、まだ怪我も完治していないし……とりあえず来て!」

カーテローゼは恥ずかしさを誤魔化すようにそう叫んでユリアンを引っ張っていった。

 

 

ユリアンが連れて来られたのは、サビーネやエリザベート達の居住する区画にある通信室だった。

そこでは、サビーネとエリザベートがアンスバッハを伴って待っていた。

 

「アンスバッハ中将、ちょうど良かった」

ユリアンはオーベルシュタイン排除の方策について話そうと、アンスバッハに声をかけた。

 

サビーネが口を挟んだ。

「ユリアン、そうじゃなくてスクリーンを見て」

 

「スクリーン?」

 

そこには、マルガレータの姿が映っていた。

 

「ユリアン、久しぶり」

マルガレータは穏やかな笑顔を見せた。

 

「マルガレータ」

ユリアンは、その笑顔を見て泣きそうになった。マルガレータに会えなくて寂しく感じていたことをユリアンは自覚した。

 

「ほら、お腹も大分大きくなって来たんだ。安定期というものだな。時々お腹の中で動くのがわかるんだ」

マルガレータは優しい表情でお腹を撫でた。

 

通信室のスクリーンは大きく、マルガレータの腹部も映し出されていた。

「お前がキッシンゲンにいれば、触らせてやれたんだが」

 

「もうそんなに大きくなっていたんだ……」

 

マルガレータは不満顔になった。

「そうだぞ、ユリアン。たまには連絡ぐらいしてくれ。その……私だって寂しいんだから」

 

「そうか……ごめん。そうだね」

ユリアンはマルガレータと特別な仲になったということを今更ながらに思い出した。変な遠慮など不要でいつでも連絡を取ってよかったのだ。

 

マルガレータと話して、身近な守るべきものを自覚することでユリアンの心から憎悪の波が引いた。

それによって多少は冷静になることができた。

 

「ねえ、マルガレータ。僕はどう動いたらいいと思う?」

 

「相談できる心境になったのはいいことだが、私よりも適任な人達がいると思うぞ。これは父上からの伝言だが、頼れる存在は頼れる時に頼っておきなさい、だとさ」

 

ユリアンも気づいた。そんなことに気付かないほどユリアンは視野が狭くなっていたということなのだろう。

 

「ありがとう、マルガレータ。今度からもう少し頻繁に連絡するよ」

 

「ああ、待っている」

 

「みんなもありがとう!」

 

ユリアンは足早に去って行った。

 

 

カーテローゼは息を吐いた。

「一件落着とはいかないのだろうけど、暴発だけは避けられたわね。本当に手のかかる」

 

マルガレータがカーテローゼに声をかけた。

「ありがとう。私を頼ってくれて」

 

カーテローゼは仏頂面になった。

「ユリアンのためですもの。お礼を言われる筋合いはないわ。……ちょっと悔しいけど」

 

マルガレータは困ったように笑った。

「悔しいのは私も同じよ」

それから表情を改めて続けた。

「カーテローゼさん、サビーネさん、エリザベートさん、ユリアンのことをお願い。私は傍に居られないから」

 

「勿論よ」

カーテローゼの言葉は短く素っ気なかったが、その表情には多少マルガレータを気遣うものがあった。ただ、何と言っていいものかわからないようだった。

 

少し迷う様子を見せていたエリザベートがマルガレータに提案した。

「さん、だなんて堅苦しい呼び方はやめにしましょう。私達、家族になるんですから」

 

マルガレータは目を見開いた。

彼女達とも家族になるのだと、今になってようやく認識したのだった。そう思ってもらえるのか不安な心が無意識に心にブレーキをかけていた。

 

「そうね。これからよろしくね。ええと、リザ?」

 

エリザベートは微笑んだ。

「ええ、メグ」

 

「カリンも、よろしく」

 

「よろしく、メグ。……改めて言われると照れるわね」

 

マルガレータは最後の一人に声をかけた。

「サビーでいいのかしら?よろしく」

 

サビーネは少し躊躇いを見せた。

「マルガレータ、あなたは……」

 

マルガレータは小首を傾げた。

「何?」

 

サビーネはかぶりを振った。

「いいえ、ここで話すことじゃないわね。いずれ直に会った時に。よろしくね、メグ。私もあなたと家族になりたい気持ちは本物よ」

 

マルガレータはサビーネの様子を不思議に思った。実のところ思い当たることもあったが、直接会った時に、と本人が言っているのだからあえて口に出すことは避けることにした。

「ありがとう、サビー」

 

 

エリザベートが最後に言った。

「言えてなかったけど妊娠おめでとう。ユリアンの幸せにつながることは私達も嬉しいわ」

カーテローゼとサビーネも続いた。

「おめでとう。私達家族の初めての子供ね」

「おめでとう。一人っ子にさせるつもりはないからね」

 

マルガレータは、涙が出そうになった。

気丈には振舞っていたが、様々な人に迷惑をかけたことへの申し訳なさや状況を利用してユリアンを籠絡して子をもうけたとも言え、卑怯なことをしたという引け目が彼女の心にはあった。

マルガレータの子供を、三人は祝福しないのではないかと怯えてさえいたのだ。

それが彼女達の祝福の言葉でいくらか解消された形である。

 

マルガレータは口に出しては一言だけ、万感の思いを込めて言った。

「ありがとう、みんな」

 

通信も終えようという時、サビーネが声をあげた。

「ああ!」

 

マルガレータも他の皆も驚いた。

「どうしたの?」

 

「私もエリザベートも、ユリアンに愛称で呼んでもらっていない!カリンとメグだけずるい!ユリアンにお願いしてくる!」

 

アンスバッハが慌ててサビーネを止めた。

「サビーネ様!ミンツ総書記は今大事な相談の最中だと思います。後にしましょう」

 

 

「あうう。早くユリアンにサビーと呼んでもらいたいのにー!」

 

むくれるサビーネをみんなで宥めたのだった。

 

 

 

 

ユリアンはトリューニヒトに連絡を取った。遅い時間だったため、通信はトリューニヒトの私邸に繋がった。秘書のリリー・シンプソンがユリアンとの通話に出た。

腹心とはいえリリー・シンプソンがこの時間にトリューニヒトの私邸にいたことにユリアンは多少思うことがないでもなかったが、今はそれどころではなかった。

「閣下は取り込み中ですので、しばらくお待ちください。あなたから通信があったら必ず待っておいてもらえるよう、閣下からも言われておりますので」

 

ユリアンはトリューニヒトが意を留めていてくれていることを感じ、心が温かくなった。

 

「わかりました。それでは通信を繋いだまま待たせて頂きます」

ユリアンはそれで彼女との会話を終えるつもりだった。

話したくないというわけではないが、今のユリアンの立場を考えると、彼女の方が積極的に話したいと思わないだろうと考えていたからである。

 

しかし、彼女の反応は少し違った。

彼女はユリアンをじっと見つめていた。

 

ユリアンは耐えきれなくなって尋ねた。

「何か?」

 

「あなたは、知っているのですか?」

 

「何のことでしょう?」

 

リリーは目を伏せた。

「いえ、思い当たるところがないのなら。言うのが遅くなりましたが、ご婚約おめでとうございます」

 

「はぁ。ありがとうございます」

 

その後は二人ともトリューニヒトが来るまで黙ったままだった。

 

 

「ユリアン君、遅くなってすまなかったね」

 

 

トリューニヒトの姿を認めたユリアンは、それだけで不安が溶けていくのを感じた。今でもトリューニヒトはユリアンにとって特別な存在だった。

「いえ、お忙しいところ申し訳ありません。お話ししたいのは」

 

「わかっている。保安機構による旧神聖銀河帝国関係者の逮捕のことだろう?オーベルシュタイン君も困ったものだ」

 

「閣下……」

 

「わかっているさ。起きてしまったことは変えられないし、彼らも法律の枠内ですべてを進めているから手出しはしづらい。しかし彼らが公正な裁判を受けられるよう私も心を配ろう。それから、彼らの困窮を放置していたのは私のミスでもある。今回のことを少しでもよい方向に繋げていけるように私も動いてみよう。だから君は安心してくれていい」

 

「閣下。ありがとうございます」

ユリアンはトリューニヒトに感謝した。

 

「閣下、僕は何をすべきでしょうか?」

 

「何もするなと言いたいところだ」

 

「それは……」

 

「オーベルシュタイン君は君の暴発を狙っている。それによって君を排除する。今回はそのための撒き餌というところだろう。それが叶わない時も、君の影響力や人望を大きく下げることができるだろう。どちらに転んでも悪い話ではない」

 

それはユリアンも勘付いていた。しかし何かしらの行動に出ずには感情が、憎しみが溢れて来て収まらないのだった。

 

「オーベルシュタイン君も、君の性格をある程度把握していて君の感情を揺さぶりに来ている。だからここは感情の赴くままに動いてはまずい局面だ」

 

「わかります。しかし」

 

トリューニヒトはユリアンに微笑みかけた。

「私に任せておきなさい。君にとっても、捕まった彼らにとっても悪くない状態にしてみせるさ。それとも私のことが信頼できないかね?」

 

「信頼できないなんてそんなまさか」

同盟政界の頂点に立ち、一度権力を手放した後に今度は銀河の頂点とも言える立場に立った政治的怪物ヨブ・トリューニヒトの手腕を信頼できないなど、ユリアンには思いもよらないことだった。

 

「じゃあ決まりだ。君の協力を求める場面も来るからそれまで待っていてくれ」

 

「わかりました」

 

「一つだけ、ヤン君にも連絡を取ってみてはどうかな?君のことだ。ヤン君の名前で発表が出されたことで、彼に対してもわだかまりを感じてしまっているのだろう?それはそれで私には重畳というものだが、君の精神衛生上よくはないだろう。オーベルシュタイン君のいないところで、ヤン君とも話をしてみるといい」

 

「ありがとうございます。そうしてみます」

 

 

時刻は22時を回っていた。ユリアンは悪いと思いつつヤンに連絡を入れた。

ヤンはすぐに出てくれた。

「ユリアン、ようやく連絡をくれたか。話はわかっている」

 

ボサボサの髪にパジャマ姿。そのヤンの様子に、ユリアンは妙な懐かしさを覚えた。宇宙暦745年の共同生活でよく見た姿だった。

2ヶ月前にアルタイルで会ったのが遠い昔のことのようにも思えた。

 

「今回の件、いろいろ思うところはあるだろうが、捕まった人間が犯罪を犯していたのは事実だ。だから私も、逮捕を指示したんだ」

ヤンはユリアンに今回の一件の正当性を説明しようとしていたが、申し訳なさそうな表情がそれを裏切っていた。組織の長としてはあるまじき表情。ヤン・ウェンリーらしいとユリアンは思った。

 

ユリアンも今回の件をヤンが主導したわけではないと理解していた。

「わかります。だから私がお願いしたいのは一つだけです。彼らに公正な待遇と裁判をお願いします」

 

「それは約束するよ。勿論だ」

 

「ありがとうございます」

 

「ユリアン」

 

「何でしょう?」

 

「私は君の敵になったのかな?」

ヤンの目に、否定して欲しいという思いが浮かんでいることにユリアンも気づいた。

 

ユリアンは束の間言い淀んだ。ヤンがオーベルシュタインを支持する限り味方とは言い難い。しかし。

「そうは思いたくないですね。だから連絡を入れたんです」

 

その返事はヤンを安心させたようだった。

「私もだよ。だからどうか軽挙は慎んでくれ」

 

「僕の信頼する人はみんな僕にそう言うんですよ。だから僕も努力してみます」

 

「頼むよ。君の紅茶を飲ませてほしい」

色々なことが起こり過ぎて、ヤンはユリアンの紅茶を半年間飲んでいなかった。

 

「はい。何があっても、それは約束したいです。紅茶に関しては考えていることもあるんですよ。だから、いろいろと落ち着いた頃に、また」

ユリアンはヤンにそう約束して、通信を終えた。

 

 

ヤンとの通信が終わると再び憎悪が胸の奥から湧いてくるのをユリアンは感じた。

それに呑まれてはいけないことを理解しながらも抑えることは難しかった。

 

結局責任を押し付ける形となってしまったバーゼル夫妻。ユリアンのせいで逮捕された人達。死んでいった人達。呆気なく死んだデグスビイ。すべてを主導したオーベルシュタイン……

 

ユリアンは傍のシュトライト少将に尋ねた。

「動いてはいけないことは僕もわかっているんだ。でもオーベルシュタインのことが憎くてしょうがない。こんなことカリン達には言えないけど、今すぐにでも殺してやりたいぐらいなんだ。どうしたらいいんだろうか?」

 

シュトライトは自らの主とも言うべき青年のことを常に心配していた。

並外れた才能と、それに対して危う過ぎる精神のあり様。

しかしその彼に、シュトライト自身も含めて様々なものの命運がかかっていた。そのことをユリアンも自覚するからこそ、彼は重圧の中で懸命にあがき、精神的な不均衡を増大させてしまっていた。

 

重責を負わせ続けていることに罪悪感を覚えつつも、指導者であり続けてもらうためにシュトライトはユリアンに自制を求めなければならなかった。

「オーベルシュタイン中将には養子がいらっしゃいますね」

 

「いるね。それが?」

 

「あなたと同じように、その子を再び父親のいない子にするつもりですか?」

 

シュトライト少将の一言はユリアンを愕然とさせた。

 

「それは、したくない。したくないな……」

ユリアンの本心だった。

 

「それならやめておきましょうか」

 

ユリアンは力なくうな垂れた。

 

 

 

 

深夜1時を回った頃、ユリアンの個室を尋ねて来た者がいた。

カーテローゼだった。

 

カーテローゼはユリアンが手に持っている本のタイトルを確認した。

『無実で殺された人々』

 

カーテローゼは溜息をついた。

「眠れないんじゃないかと思って来てみたら。そんな本を読んでも余計に怒りや悲しみが増すだけよ」

 

「それはそうだけど……」

ユリアンは言い淀んだ。

「カリン、こんな時間に女の子が男の部屋なんかに来て……」

 

「あんたの婚約者よ?」

 

ユリアンはカーテローゼが来た意図を想像した。

「……あの、僕はまだ激しい運動はできないんだけど」

 

カーテローゼは真っ赤になった。

「わかっているから、言わなくていいわよ!でも……添い寝ぐらいはさせてくれてもいいでしょう?」

 

「それは……うん」

 

「じゃあそういうことで。私のことは藁だとでも思ってくれていいから」

 

ユリアンも観念した。

 

ユリアンと一緒のベッドで手を繋いで横たわりながらカーテローゼは呟いた。

 

「ねえ、ユリアン」

 

「何だい?カリン」

 

 

「明日はサビーネ……サビーの番だから」

 

「……」

 

ユリアンに対する当番制の添い寝は、憎悪に支配されそうになるユリアンの精神を沈静化させる効果もあるにはあったが、一方でユリアンの自制心の方が悲鳴を上げてしまい、数日で中止となった。



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43話 新しい年の到来

前話の最後のところを、少し修正しました 10/23






宇宙暦804年11月30日、新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの名で発表が行われた。

 

曰く、先日の一連の逮捕、神聖銀河帝国元所属者のごく一部ながら犯罪に走った背景には、神聖銀河帝国元所属者の経済的困窮状態と精神的な疎外状態がある。新銀河連邦は銀河各国と協力して彼らに就労支援等可能な支援を図っていく。逮捕者についても、裁判及び刑期終了後は、同様の支援を行う。特に新銀河連邦直轄地、地球自治区、人類未踏宙域への移民希望者には移動支援等も含めた対応を実施する。

 

死者は蘇らないものの、生者に対しては手が差し伸べられた形となった。

 

銀河は平穏状態を取り戻したと言えた。

 

ユリアンの心には憎しみが澱のように残った。

この頃からユリアンは、どこかで誰かが、自分を含めた数百億人の運命を指先に乗せているようなそんな感覚に発作的に囚われることが増えた。そして、それをそのままにしておけないという怒り、焦りを抱えるようになった。

仕事に支障をきたすようなことはなかったが、ユリアンの精神の変調を身近な者達は感じ取っていた。

カーテローゼ、サビーネ、エリザベート、マルガレータ、シュトライト、マシュンゴ……

 

 

 

トリューニヒトの発表が終わった後、オーベルシュタインは、局長補佐のバグダッシュに話しかけた。

「結局、ミンツ総書記は動かなかったな。いま少し感情に突き動かされて私の暗殺でも図ると思っていたが」

「彼も守るべきものが増えましたからね。感情を抑える必要を学んだということでしょう。その点で、ミンツ総書記の危険性は下がったのでは?」

 

「卿はそう思いたいのだろうが、どうだろうな」

 

オーベルシュタインは話題を変えた。

「クリストフ・フォン・バーゼルがミンツ総書記と繋がっていた証拠も出なかった。不自然なほどに」

 

「はい。クリストフ・フォン・バーゼルとその妻が証拠隠滅の上自殺したことは間違いなさそうですが、彼の部下達の死には他殺の疑いがあります」

 

「疑っていた通り、ミンツ総書記を守るべく動く集団があると考えてよさそうだな」

 

バグダッシュは驚いた顔になった。

「ミンツ総書記が秘密の諜報部隊を持っているということですか?」

 

「彼の指示に従っていたとしたら、殺さずに彼らをどこかに逃すことを考えたのではないかな。病院で面会した際の彼の反応を考えても、彼の意思とは別に動く組織がありそうだ」

 

「……」

 

「ミンツ総書記と旧知の卿のことを、その組織の主要人物ではないかと疑っていたのだが、今回の件で卿はそれらしい行動を取らなかったな」

 

オーベルシュタインの発言は、彼がバグダッシュのことを監視させていたことを意味した。

バグダッシュは「ユリアン君を遠くから見守る会」のメンバーではなかったが、彼らにオーベルシュタインの策動を密かに伝えていた。それは実際に動き出す前であり、その後は接触を避けていた。

バグダッシュは自らへの監視が捜査開始以後であったことに安堵した。

とはいえ、そう思わせて油断させようとしているだけかもしれないが。

いずれにせよ今後は情報提供が難しくなったのは事実である。

バグダッシュは内心を必死で覆い隠して笑顔をつくった。

「ははは、まさか。私は長いものには巻かれる主義ですからな」

 

「彼と私と、どちらを長いものと見ているのだろうな」

 

義眼に見据えられてバグダッシュは身の竦む思いだった。

「閣下に決まっているじゃないですか。あっはっは」

 

「……」

 

反応のない上司に焦って、バグダッシュは話を変えた。

「いや、しかし。となると、デグスビイ主教の一団もその組織の一部だったのでしょうか?デグスビイは結局死にましたし、生き残りには逃げられて殆ど情報がない訳で。我々のエージェントも数名殉職しており、かなりの武闘派集団なのは確かですが」

 

オーベルシュタインは考え込んだ。

「どうだろうな。我々と協力関係にある黒旗の者達のような存在もあるのだから、さらに別の組織があってもおかしくないだろうな」

 

「そうですか」

バグダッシュはデグスビイの組織の正体を知らなかったが、ユリアン君を遠くから見守る会とは異なる組織であることは把握していた。オーベルシュタインを惑わせるつもりであえて言ってみたのであるが、自らの上司の洞察の鋭さを実感するだけに終わった。

 

「ミンツ総書記のことはひとまずおいて、我々の捜査に干渉した一つまたは複数の組織の正体を探ることに我々は注力すべきだろうな」

 

「そうですなぁ」

バグダッシュはこれから起こる暗闘と、自分の身の置き方を考えて心の中で溜息をついた。

 

 

宇宙暦804年12月は表面上は比較的平穏に過ぎ去った。

 

カーテローゼ達はユリアンが塞ぎ込んでいるのを見ては、遊びに連れ出した。

マルガレータは超光速通信でユリアンと頻繁に話をするようになった。

ポプランは時々月を訪れ、ユリアンを揶揄った。

ヤンと紅茶を飲むという約束はいまだに果たされないままだった。

 

大晦日から銀河の各所では新年を祝うパーティーが行われた。

日が変わるとともに、人々は新年の挨拶の言葉を交わした。

「新年おめでとう!」

「今年も連邦による平和を!」

「さあ人生はこれからだ!」

「今年もよろしく!」

 

それぞれの想いを胸に、宇宙に住む四百億の人間は新しい年を迎えることになった。

 

宇宙暦805年1月5日、オリオン連邦帝国ジークフリード帝は全銀河に向けた新年の挨拶の言葉で三年後に退位する意向を示した。オリオン王ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの政治が軌道に乗ったことを見ての決定だった。

以降、帝位は空位となり、オリオン王が名実ともにオリオン連邦帝国の国家元首となる予定である。

退位したジークフリード帝と皇妃アンネローゼはローエングラム姓もフォンの称号も捨て、一平民としてキルヒアイス姓を名乗ることになる。

変わりつつあるとはいえ、未だに階級社会の帝国においては嫡子ウィリバルト・ラインハルトを平民としたことと合わせて非常に衝撃的なことであった。

オリオン王ヒルデガルドはこれを利用して帝国の身分制度に風穴を開けるべく既に動き出していた。

 

 

さらに同年1月10日、銀河開拓財団の主導で人類未踏領域に向けて初の開拓船団が出発した。

彼らは人類領域の拡大という使命を果たす先駆けとなる。

 

銀河四国の首脳にはユリアン率いる地球財団の発見、銀河人類に対するゲノム改変、それが人口減の要因となっていた事実が伝えられていた。ゲノム治療の治験の結果も良好であり、現在は事実の公表と全銀河人類へのゲノム治療の実施をどのように進めるか、内々に議論が進められている状況である。

公にはなっていないが、戦争の終結と合わせて、銀河四国の人口は今後増加に転じることが予測されており、既知領域の発展に悪影響を与えることなく、未踏領域の大規模開拓を進めることが可能な状況となっていた。

 

船団の指導者は独立諸侯連合前盟主クラインゲルト伯である。

 

独立諸侯連合の諸侯達は、戦争終結により、防人としての義務に代わる新たな高貴なる者の義務を、開拓の先導者たることに見出そうとしていた。クラインゲルト伯は既に老齢であったが、他の諸侯達に率先して範を示そうとしていたのである。

 

モールゲンから見て銀河北方にある狭い回廊を抜けた先に人類未踏領域は広がっている。

 

銀河開拓財団グリルパルツァー大将率いる調査船団の失踪により、人類未踏領域開拓事業は一時停滞を余儀なくされていた。

しかし、その後派遣された調査船団によって開拓予定宙域の安全の確認と可住惑星の調査が完了したため、開拓計画が本格的に動き始めた。

 

第一次開拓船団の規模は一万隻、人類既知領域(ノウン・スペース)の即時の支援を期待できないため、文明社会の維持に必要な物資・資材・機械装置を満載していた。

開拓者数は二百万人に及んだ。

 

若者を中心に移民希望者の数は多く、一次が定住に成功すれば、半年後には別の惑星群に対して第二次の開拓が行われる予定である。

 

宇宙暦805年の幕開けは、このように新時代の到来を予感させるものとなったのである。

 

 

 

しかし、人類は、この先に待ち受ける運命をまだ知らなかった。

 

 



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44話 輝く星々のかなたより その1 潜んでいたもの

本日さらに二話投稿予定です。


 

 

 

宇宙暦805年1月20日の午後、ヘルクスハイマー伯爵邸を訪れた者がいた。

ヘルクスハイマー伯は出払っており、居たのはマルガレータと家の者だけだった。

家令のニクラスがマルガレータに訪問者の名を告げた。

 

マルガレータは、貴族言葉で答えた。

実家に長くいた事でかつての言葉遣いが大分戻ってきていた。

「リタ・フォン・ジーゲルト、妾の幼年学校時代の学友じゃ。親しかったのだが、しばらく疎遠になっていた。しかし、何用かの?」

 

「旧交を温めたいとのことです。既に広間にお通ししておりますが、如何しましょうか?姫様は身重であらせられますからまた別の機会とさせて頂くことも……」

 

マルガレータのお腹は大分張り出しており、歩くのも少し億劫そうだった。

「なに、産まれるのはもう少し先の話じゃ。会おう。妾も久しぶりに話したい」

 

「承知しました。では応接室にご案内させて頂きます」

 

 

マルガレータが応接室に入った時、まず目についたのは相手の長い綺麗な亜麻色の髪だった。続いて端整なその顔に目がいった。

「ユリアン?」

 

マルガレータは相手を自らの婚約者と一瞬見間違えた。

しかしよく見れば、瞳の色も、風貌もユリアンとは異なっていた。

 

マルガレータは警戒を強めた。

「リタではないな。何者だ?」

 

亜麻色の髪の少女は、マルガレータに微笑みかけた。

「警戒は無駄よ。この部屋を監視していた者達も既に無力化したわ。……ああ、殺してはいないからそんなに怖い顔しないで」

 

マルガレータは厳しい顔を変えずに再度尋ねた。

「用は何だ?」

 

「あなたとお腹の中の子供の安全に関わることよ。それに、あなたの大事な人達を失いたくなかったら、一緒に来てもらおうかしら」

 

黙ったままのマルガレータにその少女は再度微笑みかけた。

「時間稼ぎされるのは嫌だから早く答えて頂戴ね」

 

この日、マルガレータは失踪した。

 

このことは、彼女に近しい者の精神に大きな打撃を与えたが、銀河全体ではこの時、別の容易ならざる事態が進行していた。

 

 

 

宇宙暦805年1月20日、エオスと名付けられた人類未踏領域初の開拓惑星に、クラインゲルト伯を団長とする開拓団は降り立った。

エオスはバクテリア以上の生物は存在しなかったものの、酸素も豊富な理想的な可住惑星だった。

団員達は希望に満ちていた。

そのはずだった。

 

翌1月21日、銀河開拓財団理事長アーベント・フォン・クラインゲルトと新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの連名でクラインゲルト伯に対して緊急の通信による撤退命令が下された。

同時に開拓船団の護衛艦隊に対しては、警戒態勢と、接近するものは、いかなるものでも長距離の砲戦で殲滅すべしとの指令があった。

 

撤退すべき理由の説明はなされなかったが、容易ならぬ事態であることをクラインゲルト伯は長年の経験から理解し、時をおかずに団員に撤退を指示した。

 

翌1月22日、命令に納得のいかない団員への説明に追われつつも、開拓団は撤退準備を進めていた。

 

しかし、既に遅かった。

 

その日の夕刻、エオスの空を異形の物体が空を埋め尽くしたのである。

長細く、淡緑色の、青虫を思わせる有機的な塊が、無数に。

 

人類未踏領域には既知領域には存在しない宇宙生物と、その生態系が存在することは既に知られていた。

しかし、頭上に見える存在のように、惑星降下能力がある宇宙生物は存在を知られていなかったし、そもそも淡緑色の青虫のような外見の宇宙生物などまったく知られていなかった。

 

「護衛艦隊は何をしているんだ!?」

そんな声が上がった。

第一次開拓船団の半数は、正規艦隊並みの装備を持った護衛艦隊から成っていた。

彼らは惑星軌道上で、開拓団の護衛に務めているはずだった。

しかし頭上の現実は彼らが突破されたことを意味していた。

 

開拓団員は、空から徐々に地表に近づいてくるその物体群を前に逃げ出す他なかった。

 

開拓団第七分団リーダー、フランツ・ヴァーリモントは、恐慌に陥った分団員に避難の指示を出しつつ、自らも既に良い仲になりつつあったテレーゼの手を引き、巡航艦ウラシルに向かった。

惑星には千隻ほどの地上降下能力を持つ艦艇が着陸しており、地域センター兼避難所の役割を果たしていた。

万一の際はそのまま、惑星を離脱することも可能なはずだった。

おそらくは今がその時なのだろうと、ヴァーリモントは理解していた。

 

ウラシルには千人近い避難者がいた。

避難者達は妙に浮ついていた。

「別にあんな緑色の芋虫、危険じゃないんじゃないか?」

「外に出してくれ」

「きっと異星種族の使者だ。我々を歓迎しに来たのだ」

外に出たいという主張を彼らは繰り返していた。

ヴァーリモントも何か違和感を感じつつ、その雰囲気に徐々に呑まれていった。

 

クラインゲルト伯も、地上に降下していた開拓船団旗艦イオン・ファゼガスIIの中から開拓団員全体に緊急避難命令を出し、全艦艇に緊急の惑星離脱を指示した。

軌道上の護衛艦隊とは既に通信が途絶しており、状況は不明だった。

クラインゲルト伯は妙な失調感を感じながらも、一刻も早く撤退を進めようとしていた。

 

だが、その撤退が実行に移されることはなかった。

 

開拓団から既知領域に向けての音信が途絶えた。

 

僅かに非戦闘用の肥料運搬艇数十隻のみが逃走に成功し、銀河開拓財団本部に事の次第を報告した。



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45話 輝く星々のかなたより その2 人類を守護する者

『田中芳樹初期短編集』の一部作品のネタバレを含みます。ご注意。

本日投稿二話目です。


「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された」 『ヨハネの黙示録』より

 

「これは大規模な狩猟以上のものではない」

……御前会議における叛乱軍不法占拠地への遠征決定の際の軍務尚書ファルケンホルン元帥の言葉

 

 

 

 

 

少し、時間を遡る。

 

「人類防衛隊」は、人類の守護者たることを自任していた。

元は命令であったとしても、今やそれ以外に寄る辺はなかった。

 

人類の敵たる〈蛇〉を、これまで彼らは狩り、駆逐し、人類の領域を守って来た。

主戦場が、人類の活動領域を遠く離れて尚、彼らが任務を忘れることはなかった。否、電子頭脳に刻まれたその命令を忘れることはできなかったのである。

 

〈蛇〉との戦いは、本来は戦いとさえ呼べるものではなく、大規模な狩猟以上のものではないと言えるほどに彼らが常に優勢に進めていたはずであった。

つい先日までは。

 

しかし、いまや様相は一変していた。

彼らは狩られる側となった。

 

その巡航艦は一体のアンドロイドによって操艦されていた。

男を模して造られたことがかろうじてわかる造形、コストダウンとメンテナンス性のために剥き出しとなった機械部品、人類防衛隊では標準となる型式の量産型アンドロイドだった。

 

巡航艦は周囲を敵に囲まれていた。彼の指揮下にあった艦艇は既に全て失われていた。

〈蛇〉の一体が、アンドロイドの巡航艦を乗っ取ろうと近づいて来るのが見えた。

 

そのアンドロイドは、彼らのリーダーたるコードナンバー888、人類防衛隊では唯一の感情を持ったアンドロイドに対して通信を送った。

 

「こちらアンドロイド3235号、〈蛇〉が防衛線を各所で突破。我らは、孤立し各個に撃破されている。添付の情報の通り敵の戦闘パターンは今回も新規のものである」

 

返事はすぐに返ってきた。

「こちら888、了解。残存艦艇と共に撤退することは可能か?」

 

「不可能。船体に〈蛇〉が取りついた。道連れにするため自爆を試みる。これが最後の通信となるだろう」

 

「了解。貴官は人類防衛の礎として立派に役割を果たした」

 

「承知。通信終わり」

 

 

アンドロイド888は同胞たるアンドロイドへの自らの手向けの言葉に対して、自嘲めいた思念を持った。

感情を持ったアンドロイドは自らのみであるのに、時折感傷めいた言葉を発してしまうのだった。

彼は、同胞の中でも最古参かつ唯一感情を与えられたアンドロイドだった。888とは、本来は彼の所属していた組織「惑星間保安機構」におけるコードナンバーであったが、それは人類防衛隊においても引き継がれていた。

 

彼らの敵たる「蛇」は戦力を増強し、対艦隊戦術を得た。それによって人類防衛隊に対して今までの鬱憤を晴らすかのように連戦連勝を続けた。

 

かつて彼らに人類の守護者たることを命じた地球統一政府の課した制限によって、人類防衛隊は戦力、つまり艦艇の再生産ができなかった。

 

戦力は急速に枯渇し、戦況は加速度的に悪化した。

 

そして彼らは起死回生を賭けた最終決戦に、今この時敗北したのである。

 

彼らに〈蛇〉から人類を守る戦力は残されていなかった。

 

もはや、人類自身の自助努力に任せるしかなかった。

 

タイミング悪く、人類はこの未踏領域に到達し、可住惑星の開拓を開始していた。

彼らを救える可能性は低かったが、人類既知領域自体への〈蛇〉の再侵入は防がれなければならない。

 

888は、通信を送った。彼らアンドロイドには人類との意図的な接触が許されていなかった。

ゆえに、彼らが通信を送る先もまた、同胞たるアンドロイドであった。

 

地球統一政府からのかつての命令に束縛されない唯一のアンドロイド、かつてのシリウス議会議長の遺児たるアルマリック・シムスンに対して。

 

「アルマリック・シムスン、聞こえるか」

 

彼の通信に少年の声で即座に応答が返ってきた。

「こちらアルマリック・シムスン。久しぶりですね。ミスター・サクマ」

その声には親愛の情があった。

 

アンドロイド888、ミスター・サクマの通信内容を理解するにつれて、アルマリックの顔は険しいものになっていった。

 

これが宇宙暦で言うところの805年1月15日のことだった。

 

 

 

宇宙暦805年1月23日、アルタイルの銀河保安機構本部は、一人の訪問者を迎えていた。

独立諸侯連合盟主アリスター・フォン・ウォーリックの仲介によってその訪問は実現した。

 

訪問者の名はアルマリック・シムスン。

人類未踏領域に到達した開拓船団が遭遇した異形の存在に対する情報を持っているということであった。

 

新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒト、銀河保安機構長官ヤン・ウェンリー、同長官補佐オーベルシュタイン、首席独立保安官代理シェーンコップ、宇宙艦隊司令長官ミュラーが彼と面会した。

 

モールゲンにいる銀河開拓財団理事長アーベント・フォン・クラインゲルトも超光速通信で会合に参加していた。

 

面会者達は、相手の風貌に驚いた。

クリーム色の髪と濃藍色の瞳を持った少年だった。

 

ヤン・ウェンリーが単純な感想を口にした。

「ウォーリック伯からの話ではもっと年古りた人物という印象だったのだけど」

無論、ユリアンやエルウィン・ヨーゼフの例があるからヤンも相手を外見で侮るわけではない。

 

アルマリックは苦笑してみせた。

「間違っておりませんよ。九百年以上存在し続けていますからね」

 

「九百年!一体どうやって……」

ヤンは驚きつつも、既に思い当たるものがあった。

失伝した過去の技術……

 

ヤンの想像を、アルマリックの発言は肯定した。

「僕はアンドロイドです。正確には、生身の存在であったシリウス政府議長の息子、アルマリック・シムスンの記憶と意識を電子頭脳に転写したアンドロイドということになります。感情を持つという点で、古き時代においても数少ないアンドロイドです」

 

相手が古のシリウスに連なる者であることは会合の参加者には伝えられていた。

しかし、それでも皆感慨を抱かざるを得なかった。

地球だけでなくシリウスまでもが歴史の闇に潜んでいたとは。

ああシリウスよ、汝は万能なる悪なるものとして歴史上に屹立せん!

 

彼らの反応を見てアルマリックは肩を竦めた。

「私の来歴はあまり重要ではないでしょう。最初期とごく最近を除いて、歴史に関わることは殆どして来なかったのですから」

 

ヤンとしてはその限られた干渉の中身にこそ興味があったが、流石に面会の目的を忘れてはいなかった。

「後でいろいろ話をさせて頂きたいのだけど、まずは本題を進めようか」

 

ヨブ・トリューニヒトが口を挟んだ。

「ウォーリック伯を介した君の依頼に基づき、いくつかの措置を施した。

開拓船団には撤退の指示を出した。殆ど無駄に終わったようだが。

一方で、撤退に成功した少数の艦艇に関してはモールゲン近郊の宇宙空間での隔離処置を続けている。

また、アルタイルⅦへの新規船舶の入港も止めている。

いずれも新銀河連邦主席権限による特別な措置だ。しかし理由も説明せずにいつまでも続けられるものではない。我々にこの措置が必要な理由を早くご教示願いたい」

 

アルマリックは頷いた。

「もっともです。しかし、話は少し長くなります。話は地球統一政府の時代にまで遡るのです」

 

アルマリックは語り始めた。

歴史の影に隠されたその物語を。



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46話 輝く星々のかなたより その3 地球統一政府秘史


『田中芳樹初期短編集』の一部作品のネタバレを含みますのでご注意ください。

本日投稿三話目です。


 

地球統一政府時代に人類が遭遇した二つの存在が、この失われた物語には関わってくる。

 

一つはSWELL(スウェル)

それは西暦二十二世紀初頭に火星で見つかった。植物と動物の特徴を併せ持った生物。

ユニヴァーサル化学食糧株式会社が品種改良を進めた結果、スウェルは空気中を含めた周囲の元素を吸収し、光のエネルギーをも利用して、勝手に増殖していく生物となった。

当初は食用に開発されたが、食べた人間の養分を逆に吸収して餓死に至らせるという事故が起きてスウェルの研究はストップさせられた。

そのはずだった。

 

もう一つは、西暦二十四世紀末、カペラ星系第二惑星で発見された。知性と精神干渉能力を持った鉱物人間、STONE(ストーン)である。

彼らは人類の探査隊の精神に干渉し、二度まで全滅させた後、精神波の無効なアンドロイドであるコードナンバー888によって正体を突き止められた。その後、惑星開発機構長官の判断で秘密裏に全惑星レベルの「駆除」が行われて絶滅させられた。

そのはずだった。

 

だが、いずれの存在についてもサンプルが回収され、密かに研究が進められていた。

惑星間保安機構が恒星間空間に秘密裏に設置した研究所で。

彼らは恒星間植民地との対立を想定し、地球に勝利をもたらすための研究を行なった。

惑星間保安機構が宇宙軍に統合され、その付属組織となってからも研究は継続された。

 

スウェルは、その再生産コストの低さと品種改良によって真空にも耐え得る強靭さに目をつけられた。

兵士の代わりとなる生物兵器、あるいはスウェルを船体とする生物製の軍用宇宙船……

そのための品種改良が進められた。

 

ストーンは、その精神干渉能力を注目された。鉱物人間によって恒星間植民地のマインドコントロールを図ろうと考えたのである。

「駆除」の前にアンドロイドによって少量だけ回収された鉱物人間は品種改良処置によって知性を低下させられた。

残ったのは生存本能と僅かな知性の痕跡、人類の都合に合わせて偏向させられた精神干渉能力のみだった。

 

このまま両者の実用化が行われれば、シリウス戦役は異なる様相となり地球統一政府の勝利に終わったかもしれない。あるいはそもそも戦争は起こらず、地球統一政府による平和が続いたのかもしれない。

 

しかしそうはならなかった。

 

西暦二十六世紀末のことである。

ある研究者が思いついた。鉱物人間は植物と共生していた。植物の性質を持ったスウェルと鉱物人間を共生させたらどうなるか?

 

思いつきは実行され、その結果暴走事故が起きた。

スウェルはストーンにコントロールされることで、爆発的な運動能力を見せた。スウェル/ストーン共生体は実験室を逃げ出し、研究所内に広がった。

秘密研究所は秘密保持と暴走した二つの生物兵器の処分のためにその人員及び研究情報と共に爆破されたが、スウェル/ストーンの一部は研究所にあった恒星間航行艇と融合した上で船員の精神に干渉し、無窮の宇宙空間に逃走したのだった。

 

この事態に地球統一政府は数体のアンドロイドを駆除部隊として編成し、スウェル/ストーン共生体の駆除に派遣した。

 

乗っ取られた恒星間航行艇は時を置かずに発見され、地球統一政府の指令により、船員ごと破壊された。

 

これによって事態は解決したかに思われた。

しかし……

 

人類の開拓領域外縁にスウェル/ストーン共生体は逃げ出していた。

そして、地球統一政府の目の届きにくいその場所でまるで宇宙海賊のごとく他の船を人員ごと乗っ取り、船単位で増殖をしていたのである。

 

品種改良されたストーンにまともなレベルの知性は残っていなかったが、船員の感情を操って暴走させることは可能だった。

船員の怒りの感情を操作して、発見した宇宙船に体当たり仕掛けさせ、船体の破口からスウェルを浸入させ、ストーンの精神干渉能力で船員の精神を誘導して、新しいスウェル/ストーン共生体が生み出された。

スウェル/ストーン共生体はこの時、スウェル/ストーン/ヒューマン/宇宙船の共生生命体となっていたと言えるかもしれない。

 

この事態を惑星間保安機構が把握した時には、スウェル/ストーン共生体は容易に駆除できないレベルに増加していた。

 

ここに至って惑星間保安機構の上部組織である地球統一政府宇宙軍内に極秘の対策部隊が編成され、対策対象であるスウェル/ストーン共生体には、新しく人を惑わす存在の象徴であるSNAKE(スネーク)〈蛇〉の名が与えられた。

宇宙暦二十七世紀前半のことである。

 

既に地球統一政府による植民地開拓は頭打ちとなっていた。植民地の反地球機運が高まりそれどころではなくなってきていた。

一方でシリウス等の有力植民地星系は、地球統一政府の統制を逃れる手段として独自の恒星間植民を模索していた。

この植民地による外域探査船はことごとく〈蛇〉のターゲットとなった。

 

船が失われた原因は植民地星系にとって不明のままだった。もたらされるのはせいぜいが謎の宇宙船と接触したという報告のみであった。

用心のために護衛艦艇をつけて派遣してもその護衛艦艇ごと失われた。

植民地星系は地球統一政府の干渉を疑い、憎しみを募らせることになった。

 

植民地星系による外域への植民の試みはこのようにして頓挫し、人類は矛盾解決のために別の選択肢、内向きの抗争に突き進むことになったのだった。

 

植民地星系の試みが頓挫すること自体は地球統一政府にとって不利益ではなかったが、そのために〈蛇〉の駆除を止めるわけにはいかなかった。

放っておけば、〈蛇〉の精神干渉能力によって植民星系全てが支配される可能性すら存在した。実際にそれに近い事態になっていたのだった。

 

人類は精神波の人工的な生成には成功していなかったものの、精神波検出装置は完成していた。

 

それを使用して調べたところ、シリウス星系を中心に複数の星系が既に〈蛇〉に汚染されていたことが判明した。

 

〈蛇〉に汚染された植民地星系で反地球の気運が高まっていたことは、両者に何らかの繋がりがあるのかもしれない。

 

驚いた地球統一政府宇宙軍は、二つの対策をとった。植民地星系の汚染に対しては、強硬策を含めた対応を採用した。

 

一つ目の対策は、反地球植民地勢力に対する武力行使の前倒しとそれに伴う〈蛇〉の駆除と防護措置の実施である。

 

この時、ストーンの研究は精神波に対する防護の研究として密かに継続されていた。知能を完全に失わせ、ランダムな干渉波を発生させるようにしたストーン、通称SLAVE(スレイヴ)を作り出し、〈蛇〉に対する防御策とした。

スレイヴの精神波の元では、ストーンの精神波はかき消されるし、長期的にはその精神構造を破壊されてしまうのだ。

 

シリウスに侵攻した地球統一政府宇宙軍の装備には、スレイヴが仕込まれていたし、艦艇にも「精神安定用」としてスレイヴ入りの緑化土壌設備が用意された。

西暦2689年から2690年にかけてのシリウス星系首星ロンドリーナにおける一連の虐殺、略奪事件の背景には、この〈蛇〉の精神干渉とそれに対する地球統一政府宇宙軍の汚染中和作戦があった。

宇宙軍首脳部が、〈蛇〉の情報を明らかにしなかったために、現地の軍は命令を拡大解釈して暴走してしまったのであるが。

地球統一政府宇宙軍は、惑星の土と同化してしまった〈蛇〉を中和するために、肥料や土壌改良材の名目でスレイヴを植民星系にばら撒いた。

いずれにしろ地球統一政府宇宙軍は、植民地星系からの〈蛇〉の駆除と防護の成功した。植民地星系の恨みを一身に浴びることと引き換えにして。

 

……シリウス戦役にはこのように〈蛇〉が大きく関わっていた。

仮に〈蛇〉が存在しなくても、タイミングがずれるだけでシリウス戦役は生起したかもしれない。しかし、その様相は大きく変わっていたことだろう。

 

 

もう一つの対策は、開拓領域外縁部での長期的な〈蛇〉の駆除の実施である。

開拓領域外縁部は、地球から百光年の距離にあり、補給や人員のストレスの点で人間による長期の作戦は難しかった。〈蛇〉の精神干渉を受けてしまうリスクも存在した。

このため、以前同様にアンドロイドに白羽の矢が立った。

とある命令違反行為で凍結され、解体を待つばかりだった888が再起動させられた。

888の命令違反後に製造された機能限定型アンドロイドだけでは、人間の指示なしの長期作戦は難しかったからである。

〈蛇〉を駆除し、人類を守護するという目的であれば888が再度の命令違反に出る恐れは少なかったし、宇宙軍としても相応の枷も用意していた。

 

巡航艦、駆逐艦合わせて千隻、888に率いられた千体以上のアンドロイドからなる「人類防衛隊」が組織され、人類不在の領域で〈蛇〉の発見と駆除を進めていくことになった。

 

シリウス戦役における戦況の悪化までに、部隊規模は五千隻にまで拡大した。

その後、新規艦艇や支援物資の補給はなく、自給自足を余儀なくさせれたが、対〈蛇〉の戦いは人類防衛隊の優勢で推移した。

 

開拓領域を離れたからには〈蛇〉が新規の恒星間航行可能な宇宙船を確保することはできなかった。船員も寿命で死んで行き、宇宙船の正確なコントロールも難しくなった。

それでも〈蛇〉は宇宙船に適応して、船員不在でも最低限の加減速、方向転換はできるようになっていた。

流石に恒星間ワープだけは人間の船員を必要としており、船員の寿命が尽きる前に〈蛇〉はなるべく遠方へと逃げ出した。

 

開拓領域外縁で粗方の〈蛇〉を駆逐した後は、遠方に逃げた〈蛇〉の掃討が人類防衛隊の仕事となった。

精神波を探知し、〈蛇〉の船を見つけて破壊し、惑星の土壌と一体化した〈蛇〉を駆除した。

銀河連邦成立後の人類域拡大の前にはオリオン腕の広域から、銀河連邦末期にはサジタリウス腕からも〈蛇〉の駆除を完了していた。

 

それでも〈蛇〉はまだ存在した。狭い回廊を抜け、宇宙暦805年において人類未踏領域と呼ばれる領域に到達していた。

本来は、そこでも狩られ、滅びを待つ運命のはずだった。

 

しかし、人類未踏領域には他の場所にはない驚異が存在した。

 

宇宙生態系。

真空で生き、太陽のエネルギーとガス惑星や小惑星、彗星の物質を利用して増殖する生物達によって構成される生態系。

それが多数の星系に広がっていた。

 

〈蛇〉はその生態系に紛れ込んだ。

 

〈蛇〉は宇宙生物と融合し、擬態した。

 

人類防衛隊は、宇宙生態系ごと〈蛇〉を滅ぼすか、〈蛇〉だけを滅ぼすかの二択を迫られた。

888の選択は時間をかけても〈蛇〉だけを滅ぼすことだった。

時間はいくらでもあるはずだった。

 

しかしさらに、新銀河連邦の成立と銀河開拓事業の開始が888の計算を狂わせた。

それでも、人類が予定していた開拓領域からは〈蛇〉は一掃されていたから、大きな問題はないはずだった。

あとは駆除の速度を早める必要があるだけだった。

 

しかし、グリルパルツァー大将率いる探査艦隊は、好奇心と功名心に駆られて人類未踏領域の奥深くに踏み込んでしまった。

結果、〈蛇〉と遭遇した。

唯の宇宙生物と考えた探査隊は、〈蛇〉を捕らえ、逆に〈蛇〉に囚われることになった。

探査艦隊約五千隻が、その人員と共に〈蛇〉の一部となった。

誕生したのは唯の〈蛇〉ではなかった。グリルパルツァー大将をはじめとして、大規模艦隊戦の経験とノウハウを持った〈蛇〉が生まれたのである。

人類防衛隊は、シリウス戦役開始直前、まともな艦隊戦のノウハウが存在しない時代に生み出された。

その後、アルマリック・シムスンや、遺棄艦艇からの情報抽出を通じて既知領域の情報入手と、それに基づく装備刷新を行なっていた。

しかし、艦隊戦に関しては素人に近かった。それでも今までの〈蛇〉であれば問題はなかった。相手の殆どは、生存本能に基づいて動くだけか、せいぜいが戦闘経験のほぼない宇宙船員に操艦されるだけで、狩猟の域を出なかったのだから。

それ故に、恒常的な戦時下で鍛えられたグリルパルツァー達を吸収した〈蛇〉に人類防衛隊は抗することができなくなった。

連敗を重ね、ついに起死回生の最終決戦でも敗れた。

〈蛇〉は開拓された惑星エオスに雪崩れ込み、開拓団とは音信が途絶することになった。

 

 

 

 

皆、息を呑んだ。

シリウス戦役の裏でこのような事態が展開していようとは。

開拓船団のことがなければ、荒唐無稽と思ったことだろう。

 

ヤンが初めに口を開いた。

「植民地星系には、その、スレイヴによる防護が施されたということだけど、今の銀河の初惑星についてはどうだろうか?」

 

「実は人知れず防護が施されています。惑星開発において運び込まれる改良用土壌や肥料にはスレイヴが混入しています。搬入業者も知らないまま、いつの間にか土壌と不可分になっているのです。このため一部の惑星、このアルタイル第七惑星のように地表の殆どをドライアイスで囲まれているような場所や、惑星エオスのように新発見の惑星を除けば、〈蛇〉が地表で脅威になることはほぼないでしょう」

 

「だから、アルタイルの交通封鎖を主張したのか」

 

「はい」

 

「しかし、宇宙空間では別です。艦艇の緑化設備にもスレイヴは混入しており、人類に一定の抵抗力を与えますが、量が少ないため、〈蛇〉に乗り込まれれば抵抗できません」

 

「なるほど」

 

シェーンコップが口を挟んだ。

「なあ、スレイヴに副作用はないのか?」

 

アルマリックは言い淀んだ末に答えた。

「実のところ、あるようですね。人類はスレイヴから離れることができないようにさせられているとも言える。植物の生えた惑星の土壌に長期間触れずに航海を続けると精神の安定を欠く現象はかつての人類には見られないものでした」

 

シェーンコップが重ねて尋ねた。皆嫌な予感がしていた。

「その原因は何だと言うんだ?」

 

「一つ前提が抜けているのです。艦艇に緑化設備、あるいは植木鉢でもいい、それらが存在する場合には、そうなるという」

 

「つまり、スレイヴが人間の精神に干渉して、惑星の土壌から離れられなくさせられているということか?」

喜ばしくない事実だった。

 

アルマリックは頷いた。

「はい。逆にスレイヴが存在しない環境では人間はさほど精神の安定を欠かさずに長期間生存も航海もできるのでしょう」

 

ヤンは、独立保安官達がかつて接触した銀河の流民フリーマンのことを思い出した。

彼らは、神聖銀河帝国を離脱した元軍人達が合流するまで、宇宙空間で植物のある土などなしに長期にわたり生存していたのだ。元軍人達がスレイヴを持ち込んだことで、フリーマンはストレスを溜め込むことになり、植物と土を必要とするようになった。

 

アルマリックの説明は続いていた。

「スレイヴは人類の拡大と共にその生息域を拡大できている。自らへの無意識の依存を強めることで、それを保とうとしているのかもしれない。本能的なものでしょう」

 

「つまり、スウェルはストーンと共生関係になった一方で、人類はスレイヴと共生関係になったということか」

 

「そうですね。しかし、その影響は限定的ですし、そのお陰で精神波による干渉を抑えることができているのです。惑星エオスから肥料運搬船が離脱できたのも肥料に含まれていたスレイヴのお陰でしょうね」

 

人類に益があるということであれば、皆多少の抵抗感は我慢せざるを得なかった。

「しょうがないな」

 

アルマリックが逆に尋ねた。

「他に質問は?」

 

それに応じたのはヤンだった。

「我々はこの後どうすればよいと思う?」

 

「いち早く、人類未踏領域に繋がる回廊を封鎖すべきですね。彼らはそこから乗り込んで来ます」

 

ミュラーが答えた。

「既にアッテンボロー提督に回廊封鎖を命じており、急行中です。事前に情報提供のあった精神波探知装置の試作品も持っていっています」

 

ヤンが訝しんだ。

「動きが遅くないか?エオスから人類の艦艇は既にモールゲン近郊に戻って来ているのに」

 

ミュラーも同様の疑問は頭に浮かんでいたようだった。

「しかし、まだ彼らの大群が人類の領域に来ていないのは事実です。敵の失着であれば大いに利用すべきかと」

 

「そうかもしれないが……」

 

アルマリックの回答は続いていた。

「もう一つ、有能な軍人については〈蛇〉に取り込まれないように注意すべきです」

 

「それは?」

 

「グリルパルツァー大将を取り込んだことで、〈蛇〉の戦術能力は格段に増した。しかし、グリルパルツァー大将の戦術能力は水準以上ではあれ、名将とまでは言えないでしょう。仮にそのレベルの提督が取り込まれたなら、〈蛇〉はきっと手がつけられなくなります」

 

ミュラーが名前を挙げた。

「オリオン腕で考えると、まず護衛すべきは、ヤン長官に、ジークフリード帝、それに獄中のエルウィン・ヨーゼフ。……あとはミンツ総書記でしょうか」

 

ヤンは、ユリアンの名前が出たことで彼がこの場にいないことを認識した。このような不明のことが多い状況では、ヤンはユリアンの意見を聞きたかった。

 

ヤンはオーベルシュタインに尋ねた。

「ミンツ総書記はこの会議に来ていないようだが」

 

オーベルシュタインが悪びれずに答えた。

「会議のことはミンツ総書記には知らせておりません」

 

ヤンは冷静さを保とうとしたが、声に不快さがこもってしまった。

「どうして?」

 

「彼の婚約者であるマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーが失踪しており、彼の精神状態を慮ったことが一つ」

 

「……他には?」

 

「そもそもが、ミンツ総書記が銀河保安機構首脳部だけが参加する会議に度々出席していたことの方がおかしいのです」

 

ヨブ・トリューニヒトが見かねて口を挟んだ。

「ミンツ総書記は新銀河連邦の高等参事官だ。必要な会議には出てもらうべき立場だよ」

 

オーベルシュタインは揺るがなかった。

「ミンツ総書記は昨年のうちに、高等参事官の職に関しては、辞表を提出していると聞いています。昨年の大量逮捕の責任を取る形で」

 

ヤンはそのことを知らなかった。

トリューニヒトは珍しく苦々しい表情で答えた。

「辞表はつき返した。彼は未だに高等参事官だ」

 

「なるほど、よろしいでしょう。今回は彼の参加は不要であったというだけのこと。伝達事項があれば、別に連絡すればよろしい」

 

冷え込んだ場の空気の中で、シェーンコップがわざとらしく咳払いをして言った。

「まあ、今回のことはしょうがないとして、次回はヤン長官とよく話し合って参加者は決めて欲しいもんですな。オーベルシュタイン長官補佐?」

 

オーベルシュタインは、静かに答えた。

「承知した」

 

場は収まったが、アルマリックは一人考え込んでいた。

ミュラーが彼に話しかけた。

「どうしたのです?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツのことは私も知っています。万能の天才だと。今は月にいるのですね?」

 

「はい。そのはずです」

 

「地球統一政府がスレイヴの持ち込みを控えた場所があります。それが地球と月です。異星の存在で母なる星を汚したくなかったのでしょう」

 

ミュラーは気づいた。

「まさか……」

 

アルマリックは頷いた。

「月は、〈蛇〉に対して脆弱です。そこを衝かれれば……」

 

ヤンがすかさず指示を出した。

「シェーンコップ保安官、ミンツ総書記に早く〈蛇〉の情報を!警戒態勢を取らせるんだ!」

 

「了解!」

 

シェーンコップは迅速に動いた。

 

しかし、結果的には遅かった。



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47話 輝く星々のかなたより その4 魔王誕生

 

「すべての人類が統一された精神体の一部となり、まったく同じように考え、同じように感じ、同じ価値観をもつようになれば、人間の種としての進化が達成できるのです」

……宇宙暦八世紀末、とある宗教家の主張

 

 

 

宇宙暦805年1月21日、アウロラ・クリスチアン少佐からマルガレータ失踪の報を受けたユリアンは、何を言われたのかわからず聞き返す羽目になった。再度繰り返された説明にもユリアンは明確な反応を返すことができなかった。

 

アウロラはそのようなユリアンの姿に動揺した。

「ミンツ総書記?ミンツ総書記!ユリアン!呆けている場合ですか!」

 

ユリアンは弱々しい声で返した。

「ごめん、アウロラさん、聞いているよ」

ユリアンは普段の余裕を失い、まるで幼い少年に戻ったような有様で、涙すら流していた。

ユリアンの中でマルガレータとその子供の存在はそれだけ大きなものになっていたということだろう。

 

「それでは、そのままでいいですから聞いてください」

アウロラにもユリアンの精神状態は想像できたが、それでも聞いてもらわねばならなかった。

「この件に関して、既にポプラン大佐、クリストフ・ディッケル中佐を含む複数人の独立保安官が動いています。それからオーベルシュタイン長官補佐はこの件には関わっていません」

 

ユリアンに、アウロラ・クリスチアン少佐がオーベルシュタインの関与がないと断言できたことを不審に思う余裕はなかった。そもそもまともに聞いてさえいなかったかもしれない。

ユリアンは呟いた。

「これも僕のせいかな?僕と関わらなければメグはこんなことにはならなかったのかな?」

 

「……わかりません。しかし、あなたのせいではないでしょう」

 

「今の僕の中途半端な立場がいけないのかな?僕が地球財団なんて放り出して……いや、そんなことできない。それならいっそのこと僕が銀河を支配すれば……」

 

「ユリアン・フォン・ミンツ!」

アウロラは慌ててユリアンを制止した。

「今の言葉は聞かなかったことにします」

 

ユリアンも失言を悟った。同時に、アウロラが保安機構員としての義務よりユリアンを優先したことも。

「ありがとうございます」

ユリアンはようやく涙を拭った。

 

アウロラはため息を吐いた後、諭すように言った。

「いいですか?ヘルクスハイマー大佐は我々が必ず助け出します。ですから、あなたは職務に専念してください」

 

 

「わかっています。こんな状態で動いても何もいいことはないですね」

 

アウロラはユリアンの返事に安堵した。

「念のため、何点か確認させてください」

 

「僕に答えられることならば」

 

「ヘルクスハイマー伯爵家の家令が、ヘルクスハイマー大佐は失踪直前に亜麻色の髪の若い女性、あるいは少女と接触していたことを証言しています。心当たりはありますか?」

 

ユリアンは一瞬、過去で出会った若き日の祖母を思い出した。祖母に不幸になる呪いをかけられているのではないか。そんな非科学的な思いをユリアンは懸命に振り払った。

「ありません」

 

「ヘルクスハイマー大佐の失踪に関わっていそうな組織に心当たりは?」

 

「……あえて挙げるならデグスビイ主教が属していた組織が疑わしいですね。目的も実態も何もつかめておりませんが」

 

その後も何点か質疑を繰り返した。

 

最後にアウロラはユリアンにお願いをした。

「もし、先ほど口走ったようなことをされるなら私に教えてください」

 

「……メグの代わりに止めてくれるのですか?」

ユリアンのダークブラウンの瞳は、アウロラに縋ろうとするかのように揺らいでいた。

 

ここで「はい」と答えれば、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの代わりになれるかもしれない。

ユリアンの心の隙間に入り込む誘惑を、アウロラは断腸の思いで振り払った。

 

「いいえ。それは無理です」

 

「そう……ですよね」

ユリアンの落胆の表情に、アウロラは意見を翻したくなる気持ちを必死で抑えなければならなかった。

 

返事の理由をユリアンは勘違いしただろうが、アウロラにはその事態になった時にユリアンを止める気がないのだった。きっとユリアンの支援に動いてしまうだろう。

一方で自らの主宰する「ユリアン君を遠くから見守る会」のルール上、抜け駆けをすることもできなかった。会長自らそんなことをすれば見守る会は崩壊してしまうだろう。

ユリアンと深い仲になることなどよりも、彼を守ることの方がアウロラにとっては重要だった。

 

ユリアンはアウロラとの通信を終えた。

その後、事態を知ったカーテローゼ達がやって来て、口々に慰めや叱咤激励の言葉をかけた。

ユリアンは焦燥感に駆られながらも冷静であろうと努めた。

その甲斐あって、少なくとも職務に滞りを生じさせることはなかった。

 

しかし、やはりユリアンは平常ではなかった。自らの身を守ることへの意識がいつも以上に疎かになっていた。

ユリアンを陰ながら守って来た「見守る会」も、マルガレータ捜索に力を傾けて、ユリアンの周囲への注意が一時的に疎かになっていた。

 

宇宙暦1月23日、そのタイミングで面会希望者が現れた。

 

チャールズ・ボーローグ。

ユリアンがいまだに面識のなかったトリューニヒト・フォーの一人だった。グリルパルツァーの最後の遠征に参加して、他の探査隊員と同様に消息を絶ったはずの人物であったが、そのことをユリアンは知らなかった。

この時ユリアンが〈蛇〉についての情報を知らされていれば、もう少し注意深く行動したかもしれない。

 

同時に、ユリアンは別のことに気を取られてしまっていた。

チャールズ・ボーローグは「重大な情報」をユリアンに伝えに来たと面会の目的を説明した。ユリアンは、「重大な情報」がマルガレータに関するものなのではないかと期待した。

その時点で会わないという選択肢はユリアンから完全に消えた。

 

「ボーローグさん、初めまして」

 

「ええ、ミンツ総書記」

ボーローグは体格の良い日焼けをした大男だった。

 

「それで、重大な情報とは何でしょうか?今私にとって重大な情報は一つしかないと言ってもよいぐらいなのですが」

 

ボーローグはきょとんとした表情になった。

「だとすると、違うかもしれません。いや、しかし、重大な情報ではあります。惑星エオスからの音信が途絶したという情報は聞いていますか?」

 

ユリアンは落胆した。だが、重要な情報というからには聞いておかねばならなかった。

「その事実だけは聞いています。詳細は把握しておりませんが、それが何か?」

ユリアンは、妙に頭がぼうっとしてきていた。

 

「私の持って来た物の中にその原因につながるものがあるのです」

そう答えながら、ボーローグは手に持っていたアタッシュケースを目の前のテーブルに横倒しにして、開いた。

ケースの中で、淡緑色の有機的な物体が脈動していた。

見るものが見ればそれが〈蛇〉だとわかっただろう。

 

それを見た途端、先程から感じていた妙な感覚が強まるのをユリアンは感じた。

 

ボーローグは、ユリアンの様子が変わったことに気づき、満足気な表情を示した。

「そう、これが原因です」

 

「マシュンゴ少尉!」

マシュンゴは急いで部屋の通報装置を作動させたが、その後すぐに昏倒してしまった。

 

シュトライトもボーローグすらもいつの間にか気を失っていた。

 

通報装置の作動によって、財団の警備員が駆けつけたが、部屋に入って来た者は皆マシュンゴと同様に昏倒してしまった。

 

邪魔する者が消え、ユリアンは淡緑色の蠢く物体から目を離せなくなっていた。

皆を昏倒させたのが目の前の物体であることを直感しつつも、それに敵意を向けることはできなかった。

それよりも世界のあらゆるものを憎く感じた。

それは元々ユリアンの心の内にありながら、なんとか抑え隠そうとしていた感情だった。〈蛇〉はそのユリアンの感情を露わにし、増大させた。

ユリアンの心は世界に対する憎悪に染まった。

皆を不幸にする世界なら、一度壊して、僕が創りかえてしまえばいいじゃないか。

目の前の存在を僕は既に理解している。

これと一体になれば、世界を創りかえるだけの力を僕は得られるんだ。

 

「ユリアン!」

 

不意に聞きなじんだ声が聞こえた。

 

薄く淹れた紅茶色の髪の少女が部屋の前に立っていた。開け放たれたドアと倒れ伏した警備員の前で立ち尽くしていた。

 

彼女の姿を見て、声を聞き、ユリアンから憎悪が一瞬だけ退いた。

ユリアンはその一瞬で、すべきことを判断した。自分は手遅れだが、まだ救えるものはあるのだ。

 

「カリン!ここにあっては不味いものが存在する。僕はそれを月から遠ざける!後のことを頼む!」

 

ユリアンはアタッシュケースを手に持ち、戸惑うカーテローゼの横を抜けて宇宙港に急いだ。

ユリアンにはボーローグが乗って来た宇宙船がどれかわかった。

ユリアンはアタッシュケースの〈蛇〉を通じて、〈蛇〉の精神ネットワークを感じていた。大量の精神波がそこから発せられているのがユリアンには「視」えた。

ボーローグが乗って来たのは巨大な最新鋭の輸送艦だった。

 

輸送艦のコンテナから大量の淡緑色の流動体が這い出て今や輸送艦全体を覆っていた。

それによって輸送艦は長細い巨大な淡緑色の芋虫のような姿に変じていた。

 

この〈蛇〉が月都市内に解放されたら、月と地球財団は〈蛇〉に乗っ取られることになる。

ユリアンは〈蛇〉の影響を受けながらもそれだけは避けようと行動した。淡緑色の蠢く物体と化した輸送艦に乗り込み、離脱のための操作を行った。

〈蛇〉は留まるようにユリアンの感情に働きかけたが、ユリアンは必死に抗った。

月を支配するよりも、もっとよい標的があると自らを制御下に置こうとする〈蛇〉に訴えた。

 

ユリアンの努力は報われた。

輸送艦は、満載した〈蛇〉を降ろさないまま月を離脱し、ユリアンと共に彼方へと飛び去って行った。

 

 

アルタイルのシェーンコップから月の地球財団と保安機構支部に警戒を求める連絡が入ったのはこのタイミングだった。

 

 

ボーローグをユリアンの元に送り込んだグリルパルツァーは、ユリアンが〈蛇〉に取り込まれたことを〈蛇〉の精神ネットワークを通じて感じた。

グリルパルツァー自身は未踏領域に留まっており、そこから高みの見物を決め込むつもりだった。

ユリアン・フォン・ミンツには好きなだけ暴れてもらおう。既知領域はユリアン・フォン・ミンツにくれてやる。だが、未踏の領域は俺のものだ。人類が〈蛇〉の一部となった暁には、俺は〈蛇〉によって増強された知覚をもって、人類の未だ知り得ぬものを知る旅に向かうのだ。

その欲求が、〈蛇〉によって歪められ増強されたものであることにグリルパルツァーは気がついていなかった。

 

 

〈蛇〉に取り込まれたユリアンは、世界を破壊したいという激しい欲求に逆らえなくなっていた。それと同時に全能感がその身に湧き上がるのを感じた。

ユリアンは〈蛇〉と精神的に繋がり、〈蛇〉を通じて輸送艦とも繋がっていた。艦の内部も外部もすべてユリアンの把握するところだった。艦のセンサーはユリアンの眼であり、艦全体がユリアンの身体だった。

さらに〈蛇〉の精神ネットワークを介して遥か遠くの〈蛇〉に取り込まれた人間達の感覚や思いすら、うっすらと感じとることができた。

ユリアンには〈蛇〉に支配されているという感覚はなかった。いまやユリアン自身が〈蛇〉であり、〈蛇〉こそがユリアンだったのだから。

 

すべての精神が繋がり、同じ感覚を共有し、同じように考える。これこそが人類の到達すべき進化の極致であるとユリアンは今この時ようやく理解した。理解したと思った。

 

一刻も早くこの世界を壊し、人類すべてと〈蛇〉が一体となって真に幸福な世界をつくろう。そう誓った。

 

誰のために幸福な世界を目指すのか?そんな問いは今のユリアンの頭に浮かぶことすらなくなっていた。



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48話 輝く星々のかなたより その5 魔王と皇帝

 

「余の熱望するところは、人類の永遠の繁栄である。したがって、人類を種として弱めるがごとき要素を排除するのは、人類の統治者たる余にとって神聖な義務である」

……ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、臣民に対する演説

 

 

宇宙暦805年1月26日、〈蛇〉に取り込まれたユリアンは銀河保安機構の造船工廠を襲った。

この時、造船工廠には銀河四国の軍縮条約によって発生した余剰艦艇が集められ、廃艦の準備と、一部艦艇には保安機構宇宙艦隊への再配備のための改修作業が行われていた。

ユリアンは、巨大輸送艦のタンクに積載されていた大量の〈蛇〉によってこの艦艇群を乗っ取ったのだった。

 

 

 

宇宙暦805年2月3日、アッテンボロー提督率いる銀河保安機構宇宙艦隊約八千隻は、人類未踏領域に続く回廊、通称未来(ツークンフト)回廊の既知領域側出口に陣取っていた。

回廊は既に機雷で封鎖されていた。

〈蛇〉の情報はアッテンボローにも伝わっていた。

接舷して乗員ごと艦艇を乗っ取る特性は厄介だったが、既に有人惑星の土壌を艦内に大量に運び込むなどの対策を講じていた。

〈蛇〉の来襲時には機雷原が敵を防ぐことになるだろうし、艦隊はその間に機雷から洩れる敵を掃討するだけで良いはずだった。

 

2月3日18時、〈蛇〉総数約七千隻がツークンフト回廊内に侵入し、アッテンボローの敷設した機雷の直前で停止した。

細長い艇を淡緑色のスウェルが覆った〈蛇〉の姿は、蛇というよりも青虫を想起させるものだった。それが虚空の中で無数に蠢く姿は、多くの人の美的センスから鑑みると醜悪であり、見ただけで嘔吐する者も現れるほどだった。

アッテンボローには気付くよしもなかったが、未踏領域において〈蛇〉を指揮していたグリルパルツァーはこの場にはいなかった。彼は既知領域に戻るつもりなどなく、ただ〈蛇〉の精神ネットワークを通じて、遠方から〈蛇〉の群れに大まかな指示を与えるのみだった。

それで事足りるはずだった。既知領域には彼よりも優秀な「中核存在」がいるのだから。

 

 

機雷原を挟んで数時間睨み合いを続けていた〈蛇〉とアッテンボローの前に、乱入者が現れた。

 

それこそがグリルパルツァーが期待した中核たるユリアンが率いる三千隻、否、三千匹の〈蛇〉だった。

それらはワープアウトするやいなや、アッテンボロー艦隊に向けて高速で接近した。

 

「やっこさん、おいでなすったな」

アッテンボローにも、ユリアンによる艦艇強奪の報は入っており、相応の備えをしていた。

シュナーベル少将率いる四千隻に回廊内の〈蛇〉の対応を任せ、アッテンボローは四千隻を率いてユリアンの迎撃に向かった。

 

ユリアン率いる三千隻に乗員はいなかったが、最新の艦艇無人化技術と〈蛇〉の精神ネットワークは、精鋭部隊と同等以上の艦隊運動を可能としていたし、兵装も使いこなした。

ユリアンの卓越した能力は、〈蛇〉によってさらに増強され、今や三千匹全てがユリアンの身体となったかのようだった。

 

アッテンボローは対応に追われた。

アッテンボロー艦隊の砲撃は、ユリアン=〈蛇〉の、ホーランドを彷彿とさせる艦隊運動で見事に躱された。一方でユリアン=〈蛇〉の砲撃は完全に統制されており、アッテンボロー艦隊の要所を的確に捉えた。

ユリアン=〈蛇〉が中性子ビーム以外の攻撃手段を使わなかったため、損害が抑えられたことが唯一の救いではあったが、アッテンボローは他方に注意を向ける余裕を失った。

 

その間に回廊の方で動きがあった。

多数の小型の〈蛇〉が群れから分離し、機雷原に向けて直進し、そのまま衝突した。

これはワルキューレ、リントヴルム等の単座式戦闘艇を〈蛇〉が乗っ取ったものだった。

この特攻によって機雷原に複数の穴が開いた。通常であれば開けられた穴は機雷の移動によって埋められるはずだったが、〈蛇〉は間髪置かず、開いた穴から一気に既知領域側に雪崩れ込んだ。

 

シュナーベル少将も懸命に押しとどめようと試みた。穴に集中する砲撃によって火球となった蛇も多かったが、結局は衆寡敵せず〈蛇〉の侵入を許す形となった。

 

アッテンボローは、回廊からの侵入を許した以上、劣勢のままこれ以上戦うべきではないと判断し、撤退に移った。

 

撤退戦に関するアッテンボローの手腕は卓越したもので、ユリアンを相手にしても大きな損害を出さずに撤退することに成功したが、これによって新銀河連邦領内に〈蛇〉が拡散する事態となった。

 

 

 

宇宙暦805年2月6日20時、モールゲン星系にユリアン率いる〈蛇〉が現れた。

三千隻の防衛艦隊は追い散らされ、軌道上の防衛設備はユリアン=〈蛇〉の占拠するところとなった。

エオスと異なり惑星モールゲンの土壌にはスレイヴが存在するため、〈蛇〉は地上には降りられず、モールゲンの軌道上に留まった。

 

程なくユリアン=〈蛇〉からモールゲンの保安機構基地に向けて声明があった。

「収監されているエルウィン・ヨーゼフ及び新銀河帝国参加者を直ちに解放せよ。二時間以内に解放されない場合には地表に対して無差別の爆撃を加える」

 

モールゲンの収容施設兼保安機構基地責任者となっていたジャワフ少将は狼狽した。

かつて共に戦ったことのあるユリアンが、敵となって自らの前に現れ、さらには脅迫までしてきたのだ。

 

モールゲンには六千万人の民間人が存在した。それを人質に取られた形である。

ジャワフ少将は背に腹はかえられぬと収容者の解放を決意した。

 

しかし。

「ユリアンと話をさせてくれ」

状況を知らされたエルウィン・ヨーゼフ、かつてルドルフ2世だった少年は簡単には納得しなかった。

 

ユリアンはモールゲン基地からの通信を受けた。

スクリーンに映ったのはエルウィン・ヨーゼフだった。

ユリアンが最後に彼と会ってから二年の歳月が流れていた。

収容所での二年の月日がエルウィン・ヨーゼフから剛毅さを奪わなかったことが一目で見て取れた。むしろ背も伸び、身体の成長と共にさらに王者の風格を増しているようだった。

「陛下!」

ユリアンは懐かしさがこみ上げてきた。だが、その感情は高まる前に〈蛇〉の制御によって鎮められてしまった。

 

 

エルウィン・ヨーゼフは笑った。その笑みには覇気が滲み出ていた。

「まだ陛下と呼んでくれるか、ユリアン」

 

ユリアンも笑みを返した。エルウィン・ヨーゼフの笑みに比べると、どことなくぎこちなさがあったかもしれない。

「勿論です。臣がお仕えするのは陛下ただ一人です。お救いに参りました」

 

エルウィン・ヨーゼフは眉を動かした。

「救いに?卿がいる場所は別の牢獄に見えるがな。精神の牢獄だ」

 

ユリアンは心外そうに応じた。

「何を仰るのですか?陛下は〈蛇〉の精神ネットワークに触れたことがないからです。すべてのものが繋がり、すべてのものが同じ意思を持って共通の目的に邁進できる、この在り方こそが進化の極致です。陛下も一度体感されれば分かります」

 

エルウィン・ヨーゼフは静かに尋ねた。

「卿の言う共通の目的とは?」

 

「無論、陛下と同じ人類の永遠の繁栄です」

 

「少し違うな。余の目指す繁栄は、人類が他の生命体に隷属することを意味しない。あるいは、人類の精神すべてが繋がることは永遠の繁栄への一歩であるのかもしれない。しかしそれは人類自らが主導するものでなくてはならぬのだ」

 

ユリアンは首をしきりに横に振った。

「隷属?僕は隷属などしていません。臣は自らの意思で、同じ目的を持って〈蛇〉と共にあるのです」

 

「そのような世迷言を口にしている時点で、お前はその(蛇〉の影響下にあるのだ。目を覚ませ!ユリアン!ユリアン・フォン・ミンツ!」

 

エルウィン・ヨーゼフの一喝は、ユリアンの精神を動揺させた。

 

ユリアンと〈蛇〉の繋がりが一時的に弱まった。

「エルウィン……陛下……」

ユリアンの瞳に今までと違う色が宿ったように見えたが、それも一瞬のことだった。

 

「お判り頂けないのですね?いいでしょう。先に銀河を手の内に納めてから、再びお迎えに上がることにします」

ユリアンは急いで言い放ち、逃げるように通信を切った。

 

「ユリアン!」

エルウィン・ヨーゼフの再度の呼びかけは、暗くなったスクリーンに跳ね返されて相手には届かなかった。

 

エルウィン・ヨーゼフは一つため息をつき、後ろを振り返った。

そこには厳重に拘束されたレムシャイド侯、ド・ヴィリエがジャワフ少将と共に控えていた。

「余はそなたらが生きて外に出る機会を奪ってしまったかもしれぬな。許せ」

 

レムシャイド侯はかぶりを振った。

「いいえ、陛下。今のミンツ伯についていっても命を縮めるだけです。彼自身が自らの意思で来たのならまだしも、あれではとてもとても」

 

ド・ヴィリエも無言で頷いた。

 

「そうか」

エルウィン・ヨーゼフは顎に手をあてて考え込んだ。

「しかし、あれは放っておけぬなあ。……ジャワフ少将」

 

「何でしょう?」

 

「ライアル・アッシュビー……は、もういないのだったな。ヤン・ウェンリーに連絡が取れるか?」

 

「は、はあ。取れると思います」

 

「すまぬが、繋いでくれ。ヤン・ウェンリー本人にだ」

 

「はあ、わかりました」

 

エルウィン・ヨーゼフの自然体の命令に、ジャワフ少将は自らがまるで臣下のように扱われていることに気がつかなかった。



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49話 輝く星々のかなたより その6 銀河各国の対応

 

 

「恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもののぞみはしない」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

その間にも、〈蛇〉は新銀河連邦領内に拡散し、民間船を襲撃し、取り込んでいった。

〈蛇〉は、取り込んだ船と共に、小惑星や彗星、あるいはガス惑星など手近な天体に隠れた。

そこで宇宙船のエンジンからのエネルギーとその天体の資源を用いて船全体を覆いきるまでに増殖し、それが完了すると次の船を襲うべく新たに活動を開始した。

 

〈蛇〉は新銀河連邦領内に留まっていた。新銀河連邦領内が自らの数を増やすのに好適な場所だったからだ。

 

新銀河連邦内は辺境開拓が盛んに行われており物資の運搬需要に事欠かなかった。モールゲンやアルタイル、月などの主要惑星では各種都市構造物の建設が急速に進められており、その点でも多数の民間船舶の往来を必要としていた。

それらが〈蛇〉の餌食となった。

 

保安機構は秘密裏に警備艦艇を増員していたが焼け石に水であり、被害艦艇数は合計で一万隻にも届こうとしていた。

 

この事態に新銀河連邦も流石に情報を抑えきれなくなった。

〈蛇〉の情報が公開され、そのことで新銀河連邦領内は騒然となった。

ユリアンが〈蛇〉に取り込まれ、その能力を〈蛇〉によって使われていることも同時に明らかにされ、さらなる不安を人々に齎した。

 

しかし、ヨブ・トリューニヒトはこの非常時に何も指示を出さず、所在すら明確にしなかった。

 

やっと開かれた状況説明の場にも本人は姿を現さず、「責任の重さを痛感する」という一言を秘書官のリリー・シンプソンを通じて伝えさせた。

 

「それだけですか?」

「具体的な対策は?」

「トリューニヒト主席はどこに?」

 

騒然となった会場でリリー・シンプソンは、孤立無援のまま話し続けた。

「まだ、続きがあります。「以前から銀河四国はこのような事態を想定し、水際防衛の準備を整えている。何の心配もいらない」とのことです」

 

一瞬の沈黙の後、誰かが叫んだ。

「新銀河連邦は無策ということですか!?」

他の者も続いた。

「他人任せか!?」

 

リリーは、自らの言葉で答えた。

「銀河保安機構が動いています。〈蛇〉は惑星には侵入できません。ですので惑星に留まればひとまずの安全は確保できます。新銀河連邦並びに銀河四国の市民の皆様は不要不急の星間旅行を控えてください」

 

「〈蛇〉は、あのユリアン・フォン・ミンツが率いているのですよね!?害虫駆除のように簡単にいくものなんですか!?」

「〈蛇〉は今も増え続けているのでしょう!?」

「軍縮で各国の軍の規模は縮小しているはずです。対応できるのですか?」

「ユリアン・フォン・ミンツはどうするのです?救出を考えるのですか?」

「未踏領域の開拓団はどうなったのですか!?」

 

広報会場の騒ぎが収まる様子はなかった。

 

 

銀河四国の首脳は、その様子をそれぞれスクリーンで観ていた。

彼らの感想は、会場の聴衆とはまた違ったものだった。

 

"以前から銀河四国はこのような事態を想定して"

 

彼らはトリューニヒトの言わんとするところを正確に理解していた。

 

 

自由惑星同盟最高評議会議長ジョアン・レベロは彼にしては珍しく舌打ちを一つして、グリーンヒル統合作戦本部長に連絡を入れた。

 

 

オリオン王ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、即座に軍三役を招集し、必要な対応を取るように命じた。

 

 

フェザーン自治国主ルパート・ケッセルリンクは、少し考え込んだ後に独立諸侯連合盟主に連絡を入れた。

 

 

独立諸侯連合盟主アリスター・フォン・ウォーリックは、ケッセルリンクと超光速通信で会談した後、補佐官に命じた。

「ケンプ大将に連絡を入れてくれ。目標変更だ」

 

 

 

 

新銀河連邦領内で民間船の往来が途絶えたことにより、〈蛇〉の増加は頭打ちになった。そのタイミングで、〈蛇〉は活動領域の拡大に転じた。数千匹の群れに分かれて、各方面に散り始めた。

各国は国境における防備を整え、〈蛇〉を待ち構えた。

 

 

 

宇宙暦805年2月18日8時 自由惑星同盟領イゼルローン回廊

 

数千匹の〈蛇〉がイゼルローン回廊を通じてオリオン腕から自由惑星同盟のあるサジタリウス腕に侵入しようとしていた。

 

しかし、回廊内に侵入した〈蛇〉は、滝のように降りかかるミサイルの前に悉く撃破されることになった。

ミサイルの投射体の正体はアルテミス・システム、その量産型だった。

従来型より一基のサイズを小さくすることで攻撃力と継戦能力は低下したが、生産性と機動性は向上した。

ワープ能力こそ持たないが、小サイズのため輸送艦に積載して短期間に任意の場所に展開することが可能だった。

ワープ能力を持たない無人攻撃衛星は軍縮条約の対象ではなかった。自由惑星同盟軍は軍縮条約下においても「防衛能力」を維持するために秘密裏に無人攻撃兵器の増強に舵を切っていた。

 

今回回廊内に展開された攻撃衛星の数は実に百基に及んだ。攻撃力だけであれば四個艦隊にも匹敵した。

人類同士の戦争のための備えが、今回は〈蛇〉のサジタリウス腕へ侵入をほぼ完全に押しとどめていた。

 

イゼルローン方面治安維持軍司令官ホーランド大将は、作戦が上手くいっているにも関わらず憮然としていた。

副官のエリクセン中佐がホーランドに尋ねた。

「何かご懸念でも?」

 

ホーランドは鼻を鳴らして答えた。

「ない」

 

「それならば何故そのように厳しい顔をなされているのですか?」

 

ホーランドは副官を睨みつけた。

「何も懸念すべきことがないのが問題なのだ。俺の戦術を活かす余地がないではないか!」

 

 

宇宙暦805年2月18日18時 独立諸侯連合対新銀河連邦直轄地国境地帯

 

国境地帯に迫った〈蛇〉の群れに、独立諸侯連合宇宙艦隊司令長官シュタインメッツ大将の第二防衛艦隊、フォイエルバッハ大将の第一防衛艦隊、プレスブルク中将の第三防衛艦隊が展開していた。しかし、戦いの主役は艦隊ではなかった。

フェザーン軍のコロリョフ技術准将率いる試験部隊が、連合の艦隊に同行していた。

フェザーンの試験艦百隻が〈蛇〉の面前に展開した。

コロリョフ技術准将は命じた。

「拡散性ゼッフル粒子散布開始」

 

通常のゼッフル粒子は元々拡散する性質を持っているが、拡散性ゼッフル粒子は指向性ゼッフル粒子の技術を応用して、拡散速度とその範囲を自由に制御できるようにした代物だった。

これによって任意の範囲に一定濃度のゼッフル粒子を迅速に展開することが可能だった。

本来はフェザーン回廊に侵入する「外敵」に向けられるはずのものだったが、広い宙域でも十分に効果的であると考えられていた。

 

〈蛇〉がゼッフル粒子の散布域に突入したことを確認して、コロリョフ技術准将は再び命令を発した。

「点火」

 

〈蛇〉の大半が突如虚空に出現した炎球の餌食となり、そこから漏れた〈蛇〉も、艦砲によって次々に撃破されていった。

 

 

 

宇宙暦805年2月18日19時 オリオン連邦帝国対新銀河連邦直轄地国境地帯

 

国境地帯に迫った〈蛇〉の群れに対して、帝国軍はビッテンフェルト元帥を中心に、ジンツァー上級大将、ヴァーゲンザイル大将、レーリンガー中将らの艦隊を薄く広く展開させていた。

 

〈蛇〉の侵入地点を絞れなかったためであるが、水際で〈蛇〉を押し留めるにはいかにも厚みが不足しているように見えた。

しかし、国境の複数地点から侵入を試みる(蛇〉の群れそれぞれに対して、艦砲とは思えぬ太さの光条が伸びた。

 

帝国軍は、軍縮条約の規制をすり抜けるために、非戦闘艦艇に使い捨ての大口径ビーム砲を載せて臨時の戦力とすることを考えていたのだった。

 

これによって国境地帯には要塞砲にも迫る威力のビームを放つことのできる艦艇が五千隻程揃えられており、〈蛇〉を殲滅するのには十分過ぎる戦力となっていた。

 

 

宇宙暦805年2月19日20時 ツークンフト回廊

 

未踏領域からグリルパルツァーによって、〈蛇〉の増援四千隻が送り込まれてきた。増援は、回廊内を順調に通り抜けようとしていた。

しかし、突如回廊内を巨大な光条が貫き、〈蛇〉の実に三割が一瞬で消失した。

 

回廊内にいつの間にか巨大な要塞が出現していたのである。

それは、独立諸侯連合がフェザーンからの技術供与で完成させていた機動要塞だった。

軍縮条約によって新たな要塞の建設は禁じられていたが、既存の要塞の改修については制限がなかった。

ガイエスブルク要塞は既知銀河最大最強の要塞だったが、その位置は現在の銀河の状況から考えて、決して適切な位置にあるとは言い難かった。

独立諸侯連合は軍縮条約による艦隊戦力の制限を、半ば無用の長物となりかけていたガイエスブルク要塞にワープ能力を付与することによって補うことにしたのだった。

 

大規模な改修によって要塞はサイズを増し、硬X線ビーム砲の出力も向上していた。

 

もはやガイエスブルク要塞とは別物に変貌したそれに、連合は新しい名前をつけた。

変幻自在に出現する機動要塞、幻影城(イルジオーンスブルク)要塞。

 

カール・グスタフ・フォン・ケンプ大将指揮する要塞によってツークンフト回廊は封鎖され、〈蛇〉の再度の侵入は防がれたのだった。

 

 

 

銀河各国は数日のうちに共同で声明を発表した。

「我々はこのような事態に備え、各国共同で防衛準備を整えてきた。今回の〈蛇〉に対する防衛成功は国際協調の成果である」

 

こうして、軍縮条約をかいくぐる形での各国の軍拡の試みが事実上明るみとなったが、大々的な非難を受ける前に国際協調の成果の一つということにされてしまったのであった。

 

内心はともかく、各国首脳の間にそのような阿吽の呼吸が成立したこと自体が国際協調が進展していることの証左と言えるのかもしれない。



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50話 輝く星々のかなたより その7 四百億の幸福

「宇宙に住む四百億の人間、四百億の個性、四百億の悪あるいは善、四百億の憎悪あるいは愛情、四百億の人生」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

各国、〈蛇〉の大規模な侵入を防ぐことには成功したものの、漏れなく、というわけには流石に行かなかった。

銀河各国はその後、国民に対して星間航行の自粛を求めつつ、その間に領内に侵入した少数の〈蛇〉への対応を進めることになった。

 

予想以上の損害を被ったものの、ユリアン=〈蛇〉としては、ひとまずの目的を果たしたと言えた。

撃破された〈蛇〉は、民間船と融合したものが殆どで戦力としては二線級だったし、戦力の補充についても既に目処をつけていた。そのうち、艦艇を乗っ取る必要もなくなるはずだった。

 

各国が自領内に侵入した〈蛇〉の掃討に時間をかけている間に、ユリアン=〈蛇〉は銀河保安機構の宇宙戦力を打倒するつもりだった。

 

ユリアンは憎悪していた。

 

自らを天涯孤独にした父を。

自らを憎んだまま死んだ祖母を。

弱者の犠牲の上に戦争を続けた銀河各国を。弱者を食い物にした地球教団を。

##を毒牙にかけたデグスビイを。

数多の矛盾を無視して成立し、今もそれを放置している新銀河連邦体制を。

多数の安寧のために少数の犠牲の発生を躊躇わないオーベルシュタインを。

怠惰でいい加減な@@を。

神聖銀河帝国に属した者を白眼視する人々を。

自らにすべての命運を委ねてそれでよしとする地球財団を。そこに属する人々を。

**を失踪させた、この世界そのものを。

あるいは、すべてを憎んでいる自分自身を。

 

〈蛇〉の力ですべてを壊し、すべてをつくりかえよう。

すべてが繋がり、すべてが幸福となる世界をつくろう。

 

そうすれば**も戻ってくるのではないか。

せめて、&&達を守ることはできる。

##はもう還ってこないにしても。

 

……ユリアンは大切な人の名前を思い出すことができなくなっていた。〈蛇〉がそれを抑制していた。

 

〈蛇〉に個体の死はなかった。〈蛇〉の中で死ねば、その意識は〈蛇〉の中に拡散し、存在し続ける。

ユリアンの〈蛇〉との繋がりは完全ではなく、いまだに肉体の牢獄に繋ぎとめられていた。

だが、もう間も無くだった。

もう少しだけ〈蛇〉との繋がりが強まった後にユリアンの肉体が失われることになれば、その時こそユリアンの精神は真に〈蛇〉と一体となり、〈蛇〉一匹一匹に至るまでが統一された高い知能を持った存在として動くことになるだろう。

そうなれば、もはやオーベルシュタインも@@も敵ではない。

新銀河連邦は〈蛇〉のものになり、その次は銀河四国がそうなる。すべては〈蛇〉の統治するところとなるのだ。

 

そうなればすべての人が〈蛇〉と繋がることになる。

 

すべての人が肉体の死後も〈蛇〉の精神ネットワークの中に幸福のままあり続けることができるようになるだろう。

**も、&&も、♪♪も、&&も……

 

ユリアンはその時が待ち遠しかった。

 

 

 

 

新銀河連邦は〈蛇〉に対する対応にようやくまともに動き出した。相変わらずトリューニヒトの所在は不明だったが、行政機構長官ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒがヤン・ウェンリーやリリー・シンプソンと協力して必要な指示を出した。星間航行の一時的な禁止と合わせて銀河保安機構艦艇による必需物資の輸送体制が確立された。

 

地球財団は、ユリアン・フォン・ミンツを失ったことで混乱に陥るかに思われた。

しかし、総書記補佐であるウォルター・アイランズが、ここにきて守護天使が突如勤労意欲に目覚めたかのようにリーダーシップを発揮し始めた。

 

彼はトリューニヒトのごり押しで地球財団No.2の地位に就いただけの三流の政治業者と目されていた。

事実、今まで独自の識見や政策を示したことなど一度もなく、ユリアン不在時に代理を務めた時も事務処理を滞らせてしまっていた。

 

その彼が矢継ぎ早に、適切な指示を出して混乱を収拾したのだ。

アイランズはこの難局に、10歳以上も若返ったかにみえた。背すじが伸び、歩調は力強く律動的になった。あまりの豹変ぶりに、一部の口さがのない人々はアイランズの失われた頭髪が地球財団由来の再生医療によって復活したせいではないかなどと噂した。

 

アイランズは、シェーンコップから〈蛇〉に関する情報提供を受け、銀河保安機構と共同で地球と月の〈蛇〉に対する防衛態勢を整えた。

ユリアン・フォン・ミンツに関しては、彼がその意思に反して〈蛇〉に取り込まれたこと、自らの身を犠牲にして月を守ったことを積極的に公表した。

これによって、ユリアン・フォン・ミンツに対する非難の声は多少なりとも弱まることになった。

アイランズは一方で、銀河保安機構に対しては〈蛇〉に関する情報共有が遅れたことに抗議し、ユリアン・フォン・ミンツの救出を依頼したのだった。

 

 

その銀河保安機構では〈蛇〉に対する対策会議が開かれていた。



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51話 輝く星々のかなたより その8 憂う者達

「正々堂々と戦って百万人の血を流すことと、最低限の犠牲で平和と統一を達成することと、どちらがより歴史に貢献するのか」

……とある命題

 

「私のような人間が権力をにぎって、他人にたいする生殺与奪をほしいままにする。これが民主共和政治の欠陥でなくてなんだというのですか」

……いつかどこかで、とある政治家の言葉

 

 

 

銀河保安機構では〈蛇〉に対する対策会議が開かれていた。

 

現時点で新銀河連邦は直轄地の広範な領域で〈蛇〉の跳梁を許している状況であり、これを打開する必要があった。

 

バグダッシュが現時点までに判明した情報を報告した。

「エルウィン・ヨーゼフとの会話から、ユリアン・フォン・ミンツは〈蛇〉の影響を受けつつも本人としての自我を保っていると思われます。これはアルマリック・シムスン氏の情報とも矛盾しません。〈蛇〉を構成するスウェル、ストーンのいずれにも艦隊運用を行えるレベルの知能は存在しないため、自らの生存のために、取り込んだ人間の思考を誘導して利用しているということなのでしょう」

 

ヤンが尋ねた。

「ユリアンを説得できる可能性もあるということかな?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツはエルウィン・ヨーゼフの言葉に動揺していました。また、カーテローゼ・フォン・クロイツェル嬢の言葉によっても一時的に正気を取り戻したそうです。アルマリック・シムスン氏によると、どうやら人の声は〈蛇〉による精神制御とは別に作用するらしく、それによって〈蛇〉の影響を一時的にせよ脱することがあるそうです」

 

「では、説得は可能なんだね?」

ヤンの声には願望が滲んでいたかもしれない。

 

バグダッシュは首を横に振った。

「エルウィン・ヨーゼフとの会話の際には、彼はすぐに通信を切ってしまいました。彼を拘束して無理やり話を聞かせるというような状況でない限り、説得は無理でしょう」

 

「そうか……」

考え込み始めたヤンをおいて、バグダッシュは話を続けた。

「撃破した〈蛇〉の残骸を確認した結果、艦艇には殆ど人員が乗っていないことがわかりました。ユリアン・フォン・ミンツは、乗っ取った艦艇の人員をどこかに降ろした上で、船だけを〈蛇〉として自らの指示だけで運用していたものと見られます」

 

「ヘル・ミンツは民間人を戦いに巻き込むことを避けたということでしょうか?」

ミュラーの問いはユリアンが人間的な判断をしたのではないかという希望だった。

 

 

バグダッシュは否定的だった。

「残念ながらそうではないかもしれません。実は最近撃破した〈蛇〉の中に、一部奇妙なものが混じっていました。ワープエンジンと通常型エンジンだけを持った〈蛇〉です。船体はありません。いや、〈蛇〉が船体の代わりとなっていると言っていいでしょう。ユリアン・フォン・ミンツは工廠を襲った際に数十名のエンジン技師を工作艦ごと連れ去っています。そして、乗っ取られた民間船の大量の物資と人員も行方不明。これは一つ恐ろしい可能性を意味します」

 

ヤンは気づいた。

「ユリアンは、我々の把握していない場所でエンジンだけを量産する態勢を整えた。確かにエンジンさえあれば船体は不要だ。ハイネセンはドライアイスで船体を作ったが、ユリアンはそれを〈蛇〉でやろうとしているのか」

 

 

バグダッシュは頷いた。

「民間船の往来を止めれば〈蛇〉の増殖は止まると我々は考えていましたが、浅はかでした。このままでは〈蛇〉が際限なく増え続ける可能性があります。早急に何らかの手を打つべきでしょう」

 

恒星間航行可能な存在として〈蛇〉が存在するにはこれまで人類の作り出した宇宙船が必要だった。その点で増殖には制限があったのだが、自らワープエンジンを作り出すことができるようになったことで、〈蛇〉が無制限に増殖する可能性が出てきたのだ。

 

ヤンは嘆息した。

やはりユリアンを敵に回すと厄介だ、と。

 

バグダッシュは説明に戻った。

「〈蛇〉の精神ネットワークによる通信は光速の制限を受けませんが精度には問題があり、〈蛇〉の群れに統制された艦隊行動をとらせるには、指揮官を務める少なくとも同じ星域内からコントロールする必要があります。

このことも、アルマリック・シムスン氏からの情報提供と、蛇の制御下から解放されたチャールズ・ボーローグ氏への聴取からわかったことです」

 

バグダッシュはオーベルシュタインの顔を一度確認した。自らの直属の上司が頷くのを見て話を続けた。

「以上のことから、情報局としては次のような作戦を提案します」

 

ミュラー、シェーンコップ、アッテンボロー等、会議参加者は驚きの表情でバグダッシュを見た。

この会議では情報局による情報整理の後に銀河保安機構としての方針をどうするか協議するはずだったからだ。それがいきなり作戦案の説明に入ろうとしていたのだ。

 

抗議の声が上がる前にオーベルシュタインが諸将を制した。

「保安機構の方針としては早期の〈蛇〉鎮圧、それ以外になかろう。だから、それが可能な作戦案を提示しようとしているのだ。説明を続けさせてもよろしいですかな。ヤン長官?」

 

皆がヤン・ウェンリーを見た。

 

ヤンはため息を一つついた後に答えた。

「貴官の独断専行には言いたいことがあるが、まずは聞いてみようじゃないか」

 

バグダッシュは自分の腹をさすった。オーベルシュタインの部下となってから胃痛を患うようになっていた。バグダッシュも自分の胃がそこまで繊細だとは思っていなかったのだが彼の前任者が3ヶ月で入院したことを思えば

これから彼が説明しなくてはならない作戦案も彼の胃を痛めるのには十分な内容だった。

 

バグダッシュによる説明が進むにつれ、諸将の顔には当惑が広がった。

 

情報局の作戦案は要約すると以下の通りだった。

 

・エルウィン・ヨーゼフに対する死刑執行を銀河全土に通知する。

・死刑執行場所は特定の惑星の軌道上の人工衛星とする。

・エルウィン・ヨーゼフの死刑はあくまで欺瞞であり、〈蛇〉と共にユリアンがエルウィン・ヨーゼフの救出に現れた際には、エルウィン・ヨーゼフの乗る人工衛星は大気圏に突入して難を逃れる。〈蛇〉は自らの精神波を撹乱するスレイヴのいる惑星には降りられないため軌道上に留まらざるを得ない。

・軌道上に集まった〈蛇〉をユリアン諸共フェザーン開発の拡散性ゼッフル粒子で殲滅する。

 

成功の見込みは十分にありそうではあったが、いくつか看過し得ない点があった。

まず、ミュラーが指摘した。

「エルウィン・ヨーゼフの協力が得られることが前提ですが、彼は納得するのですか?」

 

「エルウィン・ヨーゼフからはヤン長官に対して協力するとの連絡がありました。そうですな?ヤン長官」

 

諸将の視線が再度ヤンに集中した。

「確かにあった。貴官には伝えていなかったはずなのだけどな。エルウィン・ヨーゼフが協力すると言ったのは、ユリアンの救出だよ」

 

ミュラーもその点を気にしていた。

「ミンツ総書記の救出依頼が地球財団からも上がっています。それを無下にするわけにはいかないでしょう」

 

オーベルシュタインは首を横に振った

「ユリアン・フォン・ミンツを救うのは実際上無理でしょう。仮にエルウィン・ヨーゼフの解放を条件にユリアン・フォン・ミンツの〈蛇〉からの離脱を促したとしても、彼自身はともかく〈蛇〉がそれを許さない。協力と引き換えにエルウィン・ヨーゼフに説得の機会ぐらいは与えてもよいとは思うが、まず無駄に終わるでしょうな」

 

シェーンコップが指摘した。

「思うんだが、エルウィン・ヨーゼフの惑星への退避は上手くいくのか?退避が早過ぎればユリアンは状況を察して逃げるだろう。どうしても、〈蛇〉にエルウィン・ヨーゼフが捕捉されるリスクが高くなると思うが」

 

「おそらく、エルウィン・ヨーゼフは〈蛇〉に捕まるでしょうな」

 

「ならば失敗の可能性が高いということではないか」

 

「失敗?エルウィン・ヨーゼフが捕まったら彼もろとも〈蛇〉を殲滅すればよい」

 

オーベルシュタインがエルウィン・ヨーゼフの犠牲を前提として作戦を立案したのは明らかだった。

 

「おいおい。エルウィン・ヨーゼフが納得すると思うのか?」

 

「納得してもらう。小官が説得しよう」

 

シェーンコップは、ふん、と鼻を鳴らした。

「貴官のことだ。何かを交換条件にするつもりだろうな。神聖銀河帝国参加者が今後不利益を被らないようにする、とか」

 

オーベルシュタインは答えなかった。

 

「で、結局、ユリアン・フォン・ミンツとエルウィン・ヨーゼフの二人が死ぬ前提の作戦というわけだ」

 

「最低限の犠牲で銀河に平和が回復するのだ。冷静に考えれば何を重視すべきなのかは明らかだろう」

 

「お前さんの落ち度のツケを二人に払わせるつもりなんだな?」

オーベルシュタインが〈蛇〉の情報がユリアンに伝わるのを遅らせた形になったことをシェーンコップは言っていた。

 

オーベルシュタインは表情も変えなかった。

「否定はしない。しかしだからと言って作戦案が変わるわけでもない」

 

「結局のところ二人を殺したいだけなんじゃないのか」

 

「銀河の安定のためにはその方がよいとおもっていることは確かだ。今二人を殺すことで、我々は殺人者の汚名を着ることになるかもしれない。しかしこれまでに若くして彼らがしたことを思えば、今彼らが消えることで今後彼らの犠牲になるはずだった数億、いや数十億の人々の命を救うことになるのではないか」

 

「彼らが人類の救世主になる可能性だって十分にあるだろうよ」

 

オーベルシュタインはその義眼でシェーンコップを冷たく見据えた。

「卿こそ、私情でユリアン・フォン・ミンツを救いたいだけなのではないか?」

 

シェーンコップは肩をすくめた。

「別にそれも否定はしないが、それよりも卿が他人を犠牲にしてそれでよしとしているところが気に食わん。……もしかして、マルガレータ嬢が失踪していなければ、彼女とその子供をユリアンに対する人質としていたんじゃないか?」

 

「たしかに、有用な策であっただろうな」

顔色一つ変えずにオーベルシュタインは言い放った。

 

流石のシェーンコップも鼻白んだ。

「いっそのこと、卿がエルウィン・ヨーゼフと共に死刑台でユリアンを待ったらどうだ?ユリアンも卿を殺しに喜んでやって来るだろうよ」

 

オーベルシュタインは即座に答えた。

「そうしなければ皆が納得しないというなら、それでも構わないが」

 

 

ならやってもらおうじゃないか、と言いかけたシェーンコップをヤンが止めた。

 

「二人とも落ち着いてくれ。オーベルシュタイン中将、エルウィン・ヨーゼフを犠牲にする策は取れない」

 

「あくまで死ぬ可能性があるだけのこと。軍事行動に協力するというのですからそのぐらいの危険は受け入れてもらうべきでしょう」

 

「いや、認められない」

 

「ヤン長官、あなたは甘い。いや、ユリアン・フォン・ミンツ一人に心を寄せ過ぎている。為政者としてあるまじき姿だ。少数の犠牲で多数の幸福が確保できるのです。私情で判断を誤るべきではない」

オーベルシュタインによるヤンへの明確な批判だった。

 

ヤンは目を伏せた。

「かもしれない。しかしそれでも私は……」

 

オーベルシュタインは失望のため息をついた。

「決断できないのならば、私が全責任を負いましょう」

 

このまま話が進めば結論がどうなったかはわからない。しかし、会議はここで中断せざるを得なくなった。

 

会議室に伝令役が駆け込んで来たからである。

「新銀河連邦主席からの緊急通信です!」

 

 

スクリーンに映し出されたのは、笑顔のヨブ・トリューニヒトだった。

 

皆、この非常時にトリューニヒトは今までどこで何をしていたのかという思いに囚われたが、彼の周りにいる者達に気づいて考えを修正せざるを得なかった。

 

灰色のローブに白い仮面を被った者達がトリューニヒトに銃を突きつけていた。

 

「皆、久しぶりだね。申し訳ないが、こんな状況なんだ」

トリューニヒトが何者かに囚われているのは明らかだった。

 

シェーンコップがトリューニヒトの代理として会議の場に来ていた秘書官のリリー・シンプソンに小声で尋ねた。

「トリューニヒト主席はいつから誘拐されていたんです?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツが〈蛇〉に取り込まれて3日後のことです。トリューニヒト閣下は私邸で彼らに襲われました。私は彼らに、秘密にしなければ主席の命はないと言われました。その後も閣下とは定期的に連絡を取れたので、最低限の指示を受けることはできたのですが……」

 

「私邸ね。秘書官殿もそこに居合わせたのですかな?」

 

「はい」

 

「ふうん」

 

トリューニヒトの秘書官は思わせぶりな反応を示した相手を睨んだ。

「何か?」

 

シェーンコップは飄々と答えた。

「いえ、小官もあなたのような美人を自宅に招きたいものだと思ってね」

 

「……何を想像されているのか知りませんが、トリューニヒト閣下は私などに関心はありませんよ」

リリー・シンプソンは悔しそうに唇を噛み締めていた。

 

「いや、まさか……」

予想外の反応にシェーンコップは揶揄の言葉を途中で引っ込めた。

 

シェーンコップとリリー・シンプソンがやりあっている間にも話は進んでいた。

ヤンがトリューニヒトに尋ねた。

「トリューニヒト主席、彼らは一体?」

 

「ああ、この人達か。ええと……何という団体名だったかな?」

 

白い仮面を被った一人が答えた。変声器を使っていると思われる妙な声だった。

「我々はユ……」

そこで言葉は途切れた。

まさか「ユリアン君を遠くから見守る会」だと名乗ることはできなかった。ユリアンに不利益が及んでしまうだろうから。

彼らは、ユリアンのために活動していた。彼らとしてはできればユリアンを〈蛇〉から解放させたかったが、それに拘泥して銀河保安機構が〈蛇〉に負けても、ユリアンが死ぬよりははるかにマシだと考えていた。

 

「ユ?」

皆、続きを待った。

 

「ユ……ゆ……そう!憂銀騎士団だ!」

 

どこかで聞いたような名前に、皆どう反応してよいのかわからなかった。

 

白仮面は声を張り上げた。

「我々は銀河の将来を憂うものである!我々は銀河の将来に必要な人材であるユリアン・フォン・ミンツが見殺しにされようとしているとの情報を知り、新銀河連邦主席と話し合いの席を持った。その結果、我々は合意に至った」

 

白仮面はトリューニヒトを促した。

トリューニヒトは笑顔で銀河保安機構の面々に告げた。

「そういうわけで、ユリアン・フォン・ミンツは銀河にとって得難い人材である。救出に全力を注ぐように」

 

 

「それは命令ですか?」

それはヤンからの問いかけだった。

 

トリューニヒトはスクリーン越しにヤンを見た。

「その通り。これは主席命令だ」

 

「あなたの意思なのですね」

 

「ああ。もちろん私の意思だとも」

 

トリューニヒトとヤンは視線を交換した。

 

ヤンにはわかっていた。トリューニヒト自身がユリアンの救出を望んでいることを。しかし、新銀河連邦主席としては全市民よりユリアンを優先するような命令は出しにくい。ヤンと同様に。しかし、テロリストに脅されて仕方なくの命令であることにすれば……。どこまでがトリューニヒトの仕込みなのかはヤンにもわからなかったが。

 

 

ヤンは諸将の方を振り向いて言った。

「やれやれ、気に入らなくとも新銀河連邦主席の命令ならしょうがない。ユリアン・フォン・ミンツを救いに動こう」

ヤンは困ったような顔をしていたが、諸将は彼が大して困っていないことを察していた。

心なしか、ヤンは今までより生き生きしているようにすら見えた。

 

オーベルシュタインが一人正論を吐いた。

「ヤン長官、トリューニヒト閣下は脅されているのです。テロリストに屈してはなりません」

 

ヤンはその困ったような顔をオーベルシュタインに向けた。

「主席はテロリストなどに屈してはいない。これは主席の意思に基づく命令なんだから」

 

「長官、あなたは」

 

「主席命令だ」

再度繰り返してオーベルシュタインを黙らせた後、ヤンは諸将を見渡した。

「私にミンツ総書記の救出と〈蛇〉の殲滅を両立させる作戦がある。オーベルシュタイン補佐の作戦を修正したようなものなんだけどね」

 

オーベルシュタインの作戦よりも〈蛇〉殲滅の成功率が低くなるため、ヤンはそれを提案することを躊躇っていたのであるが、ユリアン救出を命令された今となっては迷う必要などなくなっていた。

 

 

宇宙暦805年2月21日 月都市

皇女とその侍女しか入れない月都市地下の人工庭園で、薄く淹れた紅茶色の髪の少女が、人工的な空を仰ぎながら歌っていた。

 

いとしい者よ、あなたはわたしを愛するか

ええ、わたしは愛します

生命の終わりまで

…………

それでも春になれば鳥たちは帰ってくる

それでも春になれば鳥たちは帰ってくる

…………

 

「カリン」

 

呼びかけにカーテローゼは振り向いた。

エリザベートが立っていた。

 

歌い終えたカーテローゼは息をついた。

「母が好きだったのよ、この歌」

 

「春には、ユリアンにも戻って来て欲しいわね」

 

「そうね、結婚式までには帰って来てもらわなくちゃね」

カーテローゼは冗談めかして答えようとしたが、声の調子がそれを裏切った。

 

少しの沈黙の後、エリザベートが問いかけた。

「カリン、ユリアンを止めようとは思わなかったの?」

月で最後にユリアンと言葉をかわしたのはカーテローゼだった。決して責めようとは思わないが、エリザベートとしては何も思わないというわけにはいかなかった。

 

「女に止められて言うことを聞くような奴と結婚したいとは思わないわ。違う?」

 

「そうね……」

きっとエリザベートやサビーネがそこにいてもユリアンの行動は変わらなかっただろう。それはエリザベートにもわかった。しかし、ユリアンを失うかもしれないことへの焦燥感がエリザベートの心に募っていた。

 

そんなエリザベートに、カーテローゼは慰めの言葉をかけた。

「癪だったけど、ワルター・フォン・シェーンコップにはユリアン救出をお願いしたわ。あと、ポプラン保安官にもね。あの二人は人間としてはともかく、それぞれの専門分野では頼りになるわ」

 

「私達自身は待つしかないのかしら」

 

それは、カーテローゼ自身も悔しく思っていることだった。

「そうね。私達が動いて何か助けになるのなら喜んでそうするのだけど」

 

エリザベートは躊躇いがちに尋ねた。

「ねえ、カリン、もし……もし、ユリアンが〈蛇〉に囚われたまま帰って来なかったらその時はどうする?」

 

「どうするって?」

 

「私達自身はどうするの?このままここにいるの?」

 

「……」

エリザベートの問いかけは、深刻な問題をはらんでいた。

ユリアンが〈蛇〉に囚われたままになるならば、自分達も〈蛇〉の一部となることが選択肢となるのではないか。ユリアン自身はそれを決して望んでいなかったとしても。

 

カーテローゼは即答できなかった。

 

カーテローゼはその問いにこの場で答えずに済んだ。

 

サビーネが駆け込んで来たからである。

「二人ともこんなところにいたのね!銀河保安機構から連絡があったわ!私達に協力して欲しいって」

 

 

 

宇宙暦805年2月22日

新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの名で一つの布告がなされた。

 

「宇宙暦805年2月28日にエルウィン・ヨーゼフの死刑を執行する。これは、現銀河の状況を鑑みての特別の措置である」

 

エルウィン・ヨーゼフに対する「死刑執行の場」はシリウス星系、かつての首都惑星にして今は無人の地であるロンドリーナの衛星軌道上に定められた。

 

 

多くの者は、終身刑を宣告された者に死刑を執行するという超法規的措置に驚いた。多少考えを働かせる者は、これがユリアンを誘き寄せるためのわかりやすい罠だと考えた。

 

 

ユリアンもこの布告を知り、これが罠だと判断したが、それでも看過はできなかった。〈蛇〉の生存本能はしきりに危険性を訴え、ユリアンの考えを曲げようとしたが、結局果たせなかった。

ユリアンが〈蛇〉を指揮する限りは、いくら思考を誘導されようとも決定権はユリアンにあった。

その上でユリアンの心に燃える憎しみの炎は〈蛇〉の制御を超える部分があったし、ユリアンにはエルウィン・ヨーゼフ救出に関して成算があった。

このため〈蛇〉がユリアンを意思のない人形にするような非常手段に出ることはなかった。

 

 

千数百年にわたって続いた人類と異種存在の暗闘は、このようにして、ついに一つのクライマックスを迎えることになった。

 

決戦地はシリウス。



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52話 輝く星々のかなたより その9 シリウス星域の決戦 前篇

 

「ほとんど不死に近いほどの生命力、合理的な新陳代謝のメカニズム、どれをとっても生命進化の極致といってよろしい。生物工学の最新技術を駆使して、この生体組織を人間の身体に応用できたら、人類にとって可住空間は無限の拡大を見せるでしょう」

……西暦時代、ユニヴァーサル化学食糧会社火星支社長の言葉

 

 

国家間の戦争が終結して三年、再び発生した大規模決戦は複数の観点から捉えることができた。

 

それはまず、人類と〈蛇〉の決戦だった。

人類が初めて接触した地球外生命スウェルと、同じく初めて接触した地球外知的生命体ストーン。人類に運命を狂わされた二つの生命体の落とし子である〈蛇〉と人類の戦いは、二つの異なった形の「知性体」による銀河の覇権争いであった。

また、科学が生んだ「フランケンシュタインの怪物」の人類に対する復讐戦でもあった。

 

同時に、時代を代表する二人の軍事司令官、ヤン・ウェンリーとユリアン・フォン・ミンツの何度目かの決戦でもあった。

ヤン・ウェンリーは、本人の性格を問題視される面もあったが、基本的には新銀河連邦体制の光の側面を代表していただろう。

一方で、ユリアン・フォン・ミンツは新銀河連邦体制が抱えた矛盾の体現者であり、闇の側面を代表していたとも言える。

新銀河連邦体制下において、ユリアン・フォン・ミンツの名は警戒と場合によっては忌避の対象とさえなっていたが、一方で弱い立場の者達からはある種の希望の象徴となってもいた。

その点で二人の再度の対決は、〈蛇〉のことがなくとも、いつかは起きたはずのことだったのかもしれない。

 

遡れば、ユリアン・フォン・ミンツとヤン・ウェンリーの戦いは、自由惑星同盟と独立諸侯連合の、フェザーンを巡る戦いから始まった。

 

フェザーンを巡る戦いの前哨戦において、間接的にではあったが、ヤンはユリアンに敗北した。

その後のフェザーン本星周辺での戦いにはヤンが勝利し、ユリアンは捕虜となった。二人が直接相対し共に重傷を負うという、近代戦らしからぬ結末となったが。

 

その次は独立諸侯連合/新銀河帝国の合同軍と神聖銀河帝国軍の戦いだった。

ヤンは連合軍遠征艦隊の司令官で、ユリアンは神聖銀河帝国軍の総参謀長にして副司令官的な立場だった。

アルジャナフ星域における緒戦は、ユリアン側の勝利だったが、ヴェガ星域における決戦はヤンの勝利に終わった。

太陽系における最終戦はヤンとユリアンの直接交渉の結果、神聖銀河帝国の条件付き降伏で終結した。

 

総じてユリアン・フォン・ミンツは、ヤン・ウェンリーに敗北し続けて来たことになる。しかし、ユリアンはヤンに対して常に一矢報いてきたし、戦いを通じてヤンから学び、成長していった。

来るべき一戦が、ユリアン救出という拘束条件を抱えた上でもヤンの勝利に終わるのかどうか、誰にも断言できなかった。

 

多くの者にとって現時点でわかっていることは、この決戦の行方によって銀河の命運が大きく動くということだけである。

 

 

 

 

 

 

 

惑星ロンドリーナ地表から500kmほど上空の衛星軌道上にはエルウィン・ヨーゼフの処刑場となるはずの人工衛星が臨時に設置されていた。

 

エルウィン・ヨーゼフは人工衛星ごと艦砲射撃で火球に変えられることになると公式には発表されていた。

 

 

人工衛星近辺にはそのための艦艇三千隻がアッテンボロー提督に率いられ、待機していた。

 

銀河保安機構宇宙艦隊司令長官ミュラー率いる本隊八千隻、ザーニアル中将率いる七千隻、ヤン長官直卒でフィッシャー中将が指揮を代行する五千隻が、シリウス第一、第二惑星の影に潜んでいた。

いずれもかつて神聖銀河帝国が拠点としていた惑星である。

新銀河連邦領内主要惑星の防衛のために割いている艦隊を除けば、これが銀河保安機構の動かせるほぼ全軍だった。

 

 

オーベルシュタインとバグダッシュも、ヤンと共に銀河保安機構の総旗艦となったヒューベリオンに搭乗していた。

 

バグダッシュは直属の上司に話しかけた。

「奇妙なものですなあ」

 

オーベルシュタインはバグダッシュの方に顔を向けた。

「何が奇妙なのだ?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツに警戒心を持っている者は多い。しかし、彼がエルウィン・ヨーゼフを救いに来ることはほとんど誰も疑っていない。閣下も含めて」

 

「彼は純粋で、人が良すぎるからな」

ユリアンに対する意外な評にバグダッシュは驚き、その顔を確認した。その顔からは何も読み取れなかったが。

 

「何を驚く?私は個人としてのユリアン・フォン・ミンツを嫌っているわけではない。しかし、上に立つ者としては純粋過ぎることも、人が良すぎることも、危険なのだ」

 

「そう仰る閣下も、純粋過ぎるような気はしますがね。お人好しではないとしても」

その発言には多少の勇気を要した。

 

「だから私はトップを目指さないのだ」

その声は独白めいて小さく、バグダッシュは危うく聞き逃すところだった。

 

 

 

 

宇宙暦805年2月28日10時、処刑予告時刻の4時間前に〈蛇〉はシリウス星域に現れた。

その数、八千体。

銀河各国との交戦を経て、現時点で新銀河連邦領内に存在する〈蛇〉の数は一万体前後と推定されており、ほぼ全力での来襲と考えられた。

八千体の〈蛇〉は、ワープアウト後、惑星ロンドリーナに向けて猛然と進撃を開始した。

途中、シリウス星系唯一のガス惑星である第七惑星を掠め、スイングバイによって方向転換を行いつつ、ロンドリーナに向かった。

 

〈蛇〉の来襲を確認して、銀河保安機構軍本隊も当初の予定通りロンドリーナに向けて前進を始めた。

 

来襲した〈蛇〉の中には銀河保安機構の想定通りユリアンがいた。精神波が光速の制限を受けないとはいえ、遠方からでは精密な艦隊運動などできないのだから当然でもあった。

 

ロンドリーナには計16基の衛星が設置されていた。

いずれの衛星にも、スレイヴを含んだ土壌が積載されており、外部からエルウィン・ヨーゼフの精神を探知しようとしても難しく、どの衛星にエルウィン・ヨーゼフがいるのかユリアン=〈蛇〉には判断できなかった。

 

ユリアン=〈蛇〉は16基すべてに同時に接触するべく、ロンドリーナ軌道上に広く展開することにした。

 

これは銀河保安機構、ヤン・ウェンリーの想定通りだった。

しかし、想定通りではないこともあった。

ロンドリーナに迫る〈蛇〉の群れから多数の小塊が分離したのである。

小塊群を、保安機構の偵察艦の望遠カメラが捉えた。

それは〈蛇〉の特徴とも言える淡緑色で滑らかな表面を持ちながらも人の形をしており、手足をゆらゆらと動かしてすらいた。

その数は実に10万を超えていた。

 

銀河保安機構軍のオペレーターの誰かがその存在を即席で「ヒトガタ」という名で呼び始めた。

多数のヒトガタが高速でロンドリーナに向かっていく様はまさに異様で、人々を恐怖させるに足るものだった。

 

総旗艦ヒューベリオン艦橋で誰かが叫んだ。

「あれはもしや〈蛇〉に囚われた人々か!?ユリアン・フォン・ミンツは彼らを肉の盾にしようとしているんじゃないか!?」

〈蛇〉が民間船を乗っ取った際に行方不明となった乗員は数十万人に及んでおり、ユリアンが非常に徹してその数割を今回犠牲にするつもりでも不思議ではなかった。

 

ヤンの高級副官スーン・スールズカリッター大佐が蒼白な顔でヤンを見た。

「本当にそうだとしたら当初の情報局の案では失敗していましたね」

スールズカリッターは、〈蛇〉をユリアンごとゼッフル粒子で殲滅しようという作戦案のことを言っていた。

民間人を人質にされたも同然の状況だからだ。

 

それに冷たく声音で答えたのはヤンではなく、オーベルシュタインだった。

「私はあれが人だとは思わないが。仮に人なのだとしても、10万人程度の犠牲など銀河の平穏とは比べるべくもない」

 

たじろぐスールズカリッターに、ヤンが落ち着いた声で話しかけた。

「まあ、現行の作戦案への影響は少ない。様子を見ようじゃないか。スーン大佐、当初の予定通り進めるよう改めて通達を出してくれ」

 

「しょ、承知しました」

スールズカリッターにとっては、10万人もの民間人が虚空を漂っているかもしれない現状で、なおも落ち着き払っているヤンにも、オーベルシュタインに対して同様理解しがたいものを覚えていた。

 

バグダッシュが見かねて声をかけた。

「ヤン長官閣下もあのヒトガタの中には人間は入っていないと予想しているんだと思いますよ。いてもいなくても、我々はそれを考慮して動かざるを得ない。ならば、ユリアン・フォン・ミンツからすれば、あの中に貴重な労働リソースになるはずの人を入れておく必要はない、とね」

 

「は、はあ……」

スールズカリッターも、そうかもしれないとは思ったが、到底割り切れるものではなかった。

 

バグダッシュは苦笑いを見せた。

「お互い、常識外の上司で苦労しますなあ」

 

「……ははは」

オーベルシュタインがこちらを見ているのに気づいたスールズカリッターは、バグダッシュに対して乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 

 

想定を外れたことはもう一つあった。〈蛇〉本隊は惑星ロンドリーナに向かっていたが、ヒトガタの半数程度は若干進む方向が異なっており、アッテンボローの艦隊の方に向かっていたのである。

 

アッテンボローは対応に迷ったが、最終的には回避を命じた。

それでも、五万を超えるヒトガタ全てを回避することはできなかった。

艦隊を構成する艦艇の5割程度にそれぞれ一体以上のヒトガタが衝突した。

 

艦体に小さな破口が生じるとともに、赤い液滴が周囲に広がる様子が艦体設置のカメラに捉えられた。

 

その様子を見た多くの者が吐き気を覚えた。実際に吐いた者も少なくなかった。

自らも吐き気を抑えながらアッテンボローが檄を飛ばした。

「動じるな!宇宙空間に血飛沫が飛ぶはずがない!血液が液体のままでいるはずがない!あれは別の何かだ!」

 

たしかにその通りだと、皆どうにか気を取り直した。

ヒトガタが衝突した艦艇の被害も小さく、殆どが小破以下に留まっていた。

 

艦橋の人員が衝撃を受けている様子を見て、ヤンは通達を出すようにスールズカリッター大佐に伝えた。

「〈蛇〉は遠距離でも精神波による干渉を試みている。過剰な動揺や恐怖はその影響だ。動じてしまっては敵の思う壺だから注意するように」

 

スールズカリッターは思わず声をあげた。

「そうだったのですね!」

そう考えてみれば、たしかに過剰に動揺してしまっている気もしてきた。

 

ヤンはこともなげに答えた。

「各艦、精神波対策にスレイヴ入りの土壌を大量に積んでいるし、そんなに影響はないんじゃないかな」

 

スールズカリッターは、思わず反問した。

「では何故そのような通達を出すのですか?」

 

「多分これからもゲンナリするようなことが続きそうだからね。そう伝達しておけば、恐怖を敵の干渉のせいにできて、多少なりとも皆前向きに戦えるんじゃないかな」

精神波など使えなくとも心理の誘導はお手の物のヤンだった。

 

「は、はあ」

まるでペテンじゃないか、という言葉をスールズカリッターはなんとか飲み込んだ。

スールズカリッターがヤンの戦闘指揮に副官として付き合うのはこれが初めてでまだまだ慣れないことが多かった。

 

 

ヒトガタがばら撒いた赤い液体は、たしかに血液ではなかった。

しかし、その正体はさらに悪辣なものだった。

 

ヒトガタが衝突した艦艇で警報が鳴り響いた。

「艦内に侵入者あり!迎撃の必要あり!」

 

赤い液体は強襲揚陸艦にも採用されている装甲溶解液だった。それをあえて赤く着色して心理的動揺を誘ったところは、ユリアンがペテン師の弟子と呼ばれる所以だっただろう。

 

少なくともアッテンボロー艦隊と接触したヒトガタは、ヤンやオーベルシュタインの読み通り、人間ではなかった。〈蛇〉が人の形を真似ただけのものだった。

しかし、それだけに厄介だった。

ヒトガタは艦と衝突しても生命を保っていた。それらは艦の装甲を溶かし、それによって生じたわずかな穴から艦内に侵入し、人外の膂力と〈蛇〉としての機能で内側から艦艇を乗っ取るべく動き出した。

 

アッテンボローの艦隊は殆どが無人艦だった。〈蛇〉による損害を最も受けることが予想されたためであり、必要に応じて捨て駒にしてもよいと考えられていたからである。

しかし、この場合はそれが悪い方に作用した。無人艦ゆえに艦内に侵入したヒトガタを防ぐ手段がなかった。

ヒトガタは最終的に艦橋にたどり着いて艦と融合し、制御を乗っ取った。ヒトガタもユリアンと精神的にリンクしているため、艦に人が乗っていなくとも一定の運用が可能となっていた。

 

アッテンボローは無人艦に自爆の指令を出していた。しかし、その指令は届かなかった。

異常なレベルの通信妨害が引き起こされていたからである。

通常の艦隊であれば自分達の通信も届かなくなるため実現不能なレベルの通信妨害だったが、〈蛇〉は精神波によって通信を行なっていたために可能となった芸当だった。

アッテンボローが、連絡手段を旧時代的な光学信号に切り替えて自爆の指令を伝えるまでに千隻に及ぶ艦艇が乗っ取られて〈蛇〉の眷属となっていた。

アッテンボローは無事な艦艇で乗っ取られた艦を砲撃して破壊しようとした。

通信に苦労するアッテンボロー艦隊と、ヒトガタに乗っ取られた艦艇の間で、戦闘が発生した。

いずれも艦隊運用に関して万全とは程遠い状態であり、戦闘は艦隊戦と言うよりも稚拙な殴り合いの様相を呈した。

アッテンボローにとっては非常に不本意な状況であった。

 

その間にも〈蛇〉の本隊はロンドリーナに迫って衛星群と接触し、内部の確認を開始した。

殆どはもぬけの殻だったが、一つの衛星で年若い少年と見られる存在を発見した。

 

ユリアンは〈蛇〉の精神ネットワークを通じてそれを知覚した。

その結果……

「エルウィン・ヨーゼフではない。やはりただの罠だったんですね」

 

衛星にいたのはエルウィン・ヨーゼフではなかった。

乗っていたのはそれらしく変装した別人だった。

 

ユリアンはまず安堵した。ともかくもエルウィン・ヨーゼフが無事でよかった、と。しなしその感情は〈蛇〉の制御によって薄らぎ、もう一つ生じていた別の感情、騙されたことへの怒りに取って代わられた。

エルウィン・ヨーゼフが実際には処刑されないことは予想していたし、わかった上で駆けつけたのであるが、ユリアンがそうせざるを得ないことを見透かしてヤン・ウェンリーあるいはオーベルシュタインは卑劣な罠を仕掛けたのだ。

 

怒りの中で、ユリアンは確認を怠った。身代わりとしてそこにいた存在が一体誰なのか。

 

ユリアン=〈蛇〉は何よりも惑星軌道上からの退避を優先した。

しかし、この時既に銀河保安機構軍二万隻は惑星ロンドリーナの周囲に集結し、〈蛇〉に対する包囲を完成させていた。

ユリアン=〈蛇〉にとっては惑星を後背に抱えて退路を断たれた状況である。

 

 

ヒトガタによるアッテンボロー艦隊の想定外の混乱はあったものの、事態はここまでヤン・ウェンリーの手の内だった。

 

ヤンは呟いた。

「やれやれ、なんとか次の段階に進めるな」

 

 

しかし、同時に現状はユリアンの想定の範囲内でもあった。

 

「ヤン・ウェンリーはこのまま包囲を狭めて僕/僕達/〈蛇〉をロンドリーナの大気圏内に押し込み、ついには地上に落として、かつての同胞たるスレイヴの精神波によって無力化しようというのでしょうね。でも、そうはさせない」

ユリアンは怒りや憎悪とともに、ある種の昂揚を感じていた。ヤン・ウェンリーとの知略勝負を楽しむ気持ちが自然に発生していた。

ユリアンに生じた憎悪とは異なる感情について、〈蛇〉の本能は反応に迷ったが、現状の打破を邪魔するものではないため、結局放置されることになった。

 

 

「さてさて、これからどうなることか」

エルウィン・ヨーゼフに変装して衛星に待機していた存在はアルマリック・シムスンだった。

〈蛇〉が彼をエルウィン・ヨーゼフと誤認して、ユリアンの元に連れていってくれれば話は楽だったのだが、その通りにはならなかった。

彼は、現代屈指の用兵家同士の戦いをしばらくは見物する以外にないと考えていた。

その後に再度彼の出番があるかどうかもわからなかったが。

 

 

戦いはまだ序盤に過ぎなかった。



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53話 輝く星々のかなたより その10 シリウス星域の決戦 中篇

「そのときはしかたない、殲滅されるさ」

……リン・パオ、作戦失敗の可能性を指摘されて

 

 

ユリアン=〈蛇〉は、銀河保安機構軍による包囲網の突破を試みた。

 

それに対して銀河保安機構軍は、ユリアン=〈蛇〉の突破の試みを悉く潰していった。

〈蛇〉による通信妨害は相変わらず非常識なレベルだったが、発光信号の多用で不完全ながらも補った。無人艦艇の制御に関しても、敵を包囲した現状では予めのプログラムで大きな問題は発生しなかった。

 

銀河保安機構軍は衛星軌道から上昇してくる〈蛇〉に砲撃を集中させた。また、戦力を一箇所に集中しようとする動きも火線の集中によって阻害した。

ユリアン=〈蛇〉としては、混戦に持ち込み、接舷戦術による艦艇の乗っ取りを行いたいところだったが、惑星の重力、〈蛇〉の機動を著しく制限していたし、2.5倍の物量差もそれを困難にしていた。

艦を覆う流動するスウェルの層は艦の防御力を高める役目も果たしていたし、新たに現れたエンジン部だけが人工物の〈蛇〉に至ってはエンジン部以外に弱点を持たなかった。

このため、〈蛇〉の損失はゆっくりとしたものだったが、それでもじり貧であり、徐々に惑星に向けて押し込まれつつあった。

 

「このままいけそうですね」

 

「だといいんだけどね」

スールズカリッターの希望的観測に、ヤンは面白くなさそうに答えた。

 

それほど時を置かずに、ヒューベリオンのオペレーターが警告を発した。

「多数の艦艇がワープアウトしてきました!……〈蛇〉です!数は……五千体!」

 

ヤンは落ち着いていた。

「五千体か。流石に八千隻が全軍ということはなかろうと思っていたが、大分残っていたんだな。だけど……」

 

新たに出現した〈蛇〉は、先に現れたものと同様に第七惑星を掠める軌道をとっていた。ロンドリーナのユリアンと〈蛇〉の救援に来ようとしているのは誰の目にも明らかだった。

 

「アッテンボローと、それから、フィッシャー中将にも向かってもらおうか。ここには五百隻だけ残して残り四千五百隻で向かってくれ。倒す必要はない。牽制でいい」

 

アッテンボローはようやくヒトガタに乗っ取られた艦艇を片付けることに成功した。その代償に艦数は千隻あまりにまで減少していた。

 

アッテンボローとフィッシャー、計五千五百隻程度が五千体の〈蛇〉の対応に向かった。

彼らはアッテンボローが発案し、艦隊参謀長ラオ少将が急ぎまとめた作戦案に従い、周囲から〈蛇〉増援を半包囲する方針だった。

〈蛇〉増援の真正面にはあえて戦力を配置しなかった。〈蛇〉が今回もヒトガタを放出した場合に備えて、回避しにくい正面を避けた形である。

仮に〈蛇〉が速度を上げてがら空きに見える真正面から抜けようとした場合に備え、蛇の正面の宙域には拡散性ゼッフル粒子を散布していた。

〈蛇〉がゼッフル粒子の存在に気づかず直進すればそのまま火だるまにできるし、気づいて方向転換を図ろうとしても半包囲に持ち込むことが可能なはずだった。

 

ヤンも、五千体の〈蛇〉に対する対策としてはそれで十分と考えていた。

ただ、同時に失望も感じていた。

 

「その程度なのかな?ユリアン」

 

スールズカリッターが怪訝な顔をしたのを見て、ヤンはうっかり思ったことを口にしていたことに気づいた。

 

ヤンとしてはユリアンに打開策があると踏んでいたのだが、現状はヤンの想像を上回るものではなかった。別働隊の数は多少予想より多かったが、程度問題で対処可能な範囲だった。

久々に心踊る知略勝負を楽しめると思ったのにこれでもうおしまいか、と、ヤンは残念な気持ちになっていたのだ。

 

ヤンは自らの思考の傲慢さに気づき、自己嫌悪に陥った。

ユリアンに優れた策がない方が死傷者の数は抑えられるのだから、その方がいいにしまっているではないか。

 

ヤンはここでオーベルシュタインの視線に気づいた。

「どうしたんだ?オーベルシュタイン中将?」

 

「侮られますな」

 

「何?」

 

「ユリアン・フォン・ミンツがここで終わるような男なら、そもそもここまで警戒する必要もなかった。まだ手は残しているはずです」

 

「手?貴官は何か思いついているのかい?」

 

「いいえ。しかし、あなたならここからでも逆転できるはずだ」

オーベルシュタインの義眼は長い付き合いとなった上司の目をしっかりと見据えていた。

お互いに言いたいことはいろいろとあったが、その能力についてはお互いに信頼していた。

 

しかし、ヤンとしては戸惑いを覚えていた。

「いくら〈蛇〉とはいえ、五千体程度で逆転できる策などないさ。兵数を揃えられなかった時点で、戦略的には負けだよ」

 

「では、兵数を揃える策はないのですか?」

 

「……いや、しかし、この短期間でワープエンジンの大量生産など無理だ。技術局の分析でもせいぜい三千基程度も用意できれば御の字という話だったはずだ。我々の知らないところで、例えば宇宙海賊の船を〈蛇〉が襲って数を増している可能性を考慮してもせいぜい数千」

ユリアン=〈蛇〉がこの戦場に用意した一万三千体という数はそれらを含めてようやく達成可能と思われる数だった。

つまり、これ以上兵力を増やすことは難しいはずである。

 

「恒星間航行可能な船をそう簡単に増やせるものでは……」

そこまで話して、ヤンの脳裡に閃くものがあった。

 

ヤンはずっと引っかかっていた。

何故ガス惑星でスイングバイを行う必要があったのか?

 

ヤンは急いで命じた。

「先の〈蛇〉の群れがスイングバイを行った際の映像はあるか?あるなら何か不審な行動を取っていないか解析してくれ!」

 

二十分後、その結果が出た。

「ガス惑星に向けて、何かを多数投射している様子が確認されました!」

 

ヤンは即座に指示を出した。

「アッテンボロー、フィッシャー両提督に伝えてくれ。ロンドリーナまで後退せよ、と」

 

アッテンボローとフィッシャーは即座に命令を実行した。

理由は不明でもヤンの命令に意味がなかったことはないからである。

 

ほどなくその理由が判明した。

五千体だったはずの増援の〈蛇〉は、いつの間にか二万体にまで増えていた。

 

「五千体だったはずだ!」

「数え間違いなどあってはならんミスだぞ!」

「数え間違い!?そんな馬鹿なことがあるか!」

 

動揺する艦隊に、ヤンから指示が飛んだ。

「包囲は続行!後ろ半分の艦隊で敵の援軍に対処せよ」

 

世にも奇妙な状況が出来上がった。

 

惑星の周囲に敵味方の層が出来上がったのだ。

第一層はユリアン=〈蛇〉の本隊、第二層は銀河保安機構軍、第三層が〈蛇〉の増援である。

 

今や不利な立場となったのは、銀河保安機構軍の方だった。

包囲されつつ前後から挟撃されるという前代未聞の状況に陥っていた。

 

 

スールズカリッターがヤンに伝えた。

「各艦隊司令官から敵の数が増えた魔術のタネについて説明を求める声が上がっています。一体何が起きたのでしょうか!?」

 

ヒューベリオン艦橋の人員の多くが耳をそばだてていた。

 

「ワープエンジンを短期に大量生産するのは難しい。だけど星系内航行用のエンジンだけならそうでもない。我々だってコスト面を考えて恒星間航行能力のない警備艦艇を持っているだろう?」

 

 

「……たしかに、星系内航行用のエンジンなら性能にこだわらなければ万単位で用意することもできるかもしれませんが」

 

バグダッシュが口を挟んだ。

「新銀河連邦は星系内航行用エンジンについては結構な数を連合や帝国から輸入していたはずですから、乗っ取った商船の積荷として獲得した数も多かったんじゃないでしょうか」

 

「だろうね」

 

「しかし、星系内航行用エンジンだけで、恒星間空間をどうやって移動して来たのですか?移動可能な質量は結局ワープエンジンの数によって制限されるはずです」

 

「移動しないんだよ」

 

「えっ!?」

スールズカリッターは何を言われたかわからなかった。

 

「ユリアンはエンジンだけをシリウス星系内に持ち込んで、星系内で船体となる〈蛇〉を調達したんだ」

 

「どうやってですか!?」

 

「第七惑星ですな」

オーベルシュタインが口を挟んだ。

 

ヤンは頷いた。

「そうだ。事前に〈蛇〉がシリウス星系のガス惑星に侵入していたんだ。〈蛇〉はガス惑星である第七惑星の資源と熱エネルギー、シリウスの光エネルギーを使って増殖した。ユリアンは第一陣として八千体の〈蛇〉と共にシリウス星系にやって来たが、その時に一万五千個のエンジンを持って来て、第七惑星接近時に惑星内に投射したんだ。ビーム兵器やレールガンもエンジンとともに投射したかもしれない。

それを惑星内の〈蛇〉が受け取って船体を形成した。

そしてワープして来た救援五千体が第七惑星でスイングバイした際に、そこに紛れ込む形で我々の方に向かって来たんだ。

これがユリアンの使った魔術のトリックさ」

 

「でもシリウスを戦場にすることを決めたのはごく最近ですよ!決まってからは星系の警備と監視も強化されていたのに!」

 

「別に一つに絞る必要はないさ。ユリアンは、決戦の場になる可能性のある星系のガス惑星にはほぼ手当たり次第に〈蛇〉を予め仕込んでおいたんじゃないかな。〈蛇〉は対数的に、急激な速度で増殖するからね。仕込むコストは小さくて済むのさ。新銀河連邦内のガス惑星を片っ端から調査する必要があるね。この戦いに勝てればだけどね……」

 

「長官閣下……」

スールズカリッターはギョッとした。

 

「どうしたんだい?」

 

「この状況で笑われるのですか……」

 

「えっ!?ああ、まあ」

ヤンは我知らず出ていた笑みを急いで引っ込めた。

 

ヤンは、立場を忘れて嬉しくなっていたのだ。ユリアンが自らの予想を超えた手を打ってきたことに。そのような相手でなければ、ヤンも知略の働かせ甲斐がなかった。

同時にヤンは罪悪感も覚えてしまっていた。

 

……戦いを楽しむような人間が軍事組織のトップにいるべきではないよなあ。早く後任を見つけて引退したい。それこそユリアンはどうだろうか。まあこの戦いに勝てたらの話なんだけど。

 

「ヤン長官、どうなさるのですか!?」

ヤンの物思いはスールズカリッターの焦りに満ちた声で邪魔をされた。

 

「……機を待つしかないね」

 

「え?」

艦橋の多くの者が驚いた。ヤンが何か策を用意しているものと思い込んでいたのだ。

 

ヤンは繰り返した。

「今は機を待つしかない。とにかく防戦に努めるよう通達を出してくれ」

 

スールズカリッターは僭越であることを自覚しながら、つい言わないではいられなかった。

「それだけなのですか!?我々はダゴンにおけるヘルベルト大公のごとく、殲滅されようとしている状況ですよ!手をこまねいていては」

 

「無理に突破を図ったとしても追撃を受けることになるだろう。そうなれば我々は大損害を受けて立て直しが不可能になるし、新銀河連邦領は増え続ける〈蛇〉の支配下に陥ることになる。それは避けなければいけない」

 

「いや、しかし……」

 

「機は来る。必ずなんとかするから今は従ってくれ」

 

不敗の名将ヤンにそのように頼まれて、なおも言い募ることができる人間はこの場にはいなかった。

 

ただ一人、オーベルシュタインを除いて。

「万一の時は、わかっていらっしゃいますな」

 

冷厳なその言葉にヤンは頷いた。

「わかっているさ。万一の事態となれば、ユリアン救出は諦めざるを得ない。その上で最善の策を考えるさ」

 

「よいでしょう。オペレーター、ヤン長官の指示を早く艦隊司令官に伝えるように」

 

オーベルシュタインの促しによって、銀河保安機構の全軍に防戦の指示が行き渡った。

 

 

一方のユリアンは、その秀麗な顔を歪ませて哄笑していた。

「あっはっは!見事に嵌ってくれましたね。ヤン・ウェンリー!僕/僕達/〈蛇〉を甘く見るからですよ!」

 

ひとしきり笑った後、ユリアンは不意に不機嫌な顔になった。

「もっと楽しい勝負になると思ったけど、ヤン・ウェンリーなんてこの程度だったのか。こんな奴に二度も負けたなんて過去の自分が許せないや」

 

ユリアンは思った。

僕がヤン・ウェンリーに負けなければ、##が死ぬことはなかった。あるいは、○○が死ぬこともなかった。

**がいなくなったのも僕が不甲斐ないからだ。

 

僕が、僕が、僕が、僕が、

僕が、僕が、僕が、僕が、

僕が、僕が、僕が、僕が

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ユリアンは不意に殴られたような衝撃を受けた。物理的なものではなく、精神的なものだった。

〈蛇〉が自らを傷つけかねないユリアンの自責の念にストップをかけたのである。

 

ユリアンはしばらくうずくまっていたが、やがて顔をあげた。その目からは血涙が流れ出していた。

「そうだよね。憎むべきはこいつらだ。殺さなければ。取り込まなければ。その先に皆が幸せになれる未来が待っているんだから。こいつらも僕/僕達/〈蛇〉の一部になればわかってくれるよね?」

 

ユリアンは憎悪と善意の混沌の中、逆包囲の下に置いた敵に対する攻撃を強めていった。



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54話 輝く星々のかなたより その11 シリウス星域の決戦 後篇

 

 

「さあ、勝負はこれからだ!」

……アッシュビー名言録より

 

 

 

 

銀河保安機構軍は防戦に努めた。前後に分かれ、それぞれの側の敵を抑えた。

 

敵の攻撃が遠距離砲撃と接舷に限られていることは、被害の低減につながった。

また、無人艦を前面に出すことで人員に対する被害は最小限となった。

 

それでも最終的な敗北に転げ落ちるのは時間の問題に思われた。

 

 

ヤンは、自ら陣頭指揮を取りつつ、思わずにはいられなかった。

 

あの偉そうな赤毛の男がこの場にいてくれたなら、自分は後方に座って居眠りをしていられたのに!

 

 

 

3月1日16時、ヤンの元に衝撃的な報告が届いた。

「ミュラー司令長官戦死!」

 

流石のヤンもこの報には蒼白となった。

 

しかし、これは誤報だった。

ミュラーは旗艦ガラハッドを〈蛇〉の集中砲火を受けて撃沈されたが、自身と幕僚、乗員の多くは戦艦ヘルテンに移乗して指揮を続けた。

しかし、そのヘルテンも〈蛇〉の接舷を受け、ミュラーは退避の必要に迫られた。

その30分後には乗り換えた先の戦艦アッヘンバッハも苛烈な砲撃により大破に陥いり、次に乗り換えたシュレーゲルも〈蛇〉の接舷で危機に陥った。

結局ミュラーはこの決戦で都合三度も旗艦を変えることになった。

その間も艦列を崩壊させることなく、防戦を継続させた点が守将としてのミュラーの真骨頂と言えた。

 

ミュラー司令長官生存と指揮続行の報は最悪な通信状況の中で、遅れながらも最終的にはヒューベリオンまで伝わった。

 

しかし、そのタイムラグの間に、艦隊は動揺し、艦列に乱れが生じた。戦力はじわじわと削られていった。

 

そもそも、司令長官が旗艦を失ったこと自体が既に追い込まれていることの証左でもあったのだが、そこから状況はさらに悪くなっていった。

 

 

この時、ユリアンは勝利を確信していた。

 

〈蛇〉はミュラー司令長官の旗艦を乗っ取った際に、逃げ遅れた高級士官数名を捕らえることに成功していた。

高級士官達の精神を操り、彼らを〈蛇〉の精神ネットワークに接続することで、ユリアンは銀河保安機構軍の作戦を把握した。

それによって、ユリアンはヤン・ウェンリーに打開策がないことを知った。

 

となれば、殲滅までに時間をかけることはヤンに対応策を見つける猶予を与えることにしかならない。

ユリアンは予備戦力まで投入した総攻撃を決意した。

 

 

 

さらに激しくなった攻撃によって、もはや総旗艦ヒューベリオンの周囲も安全地帯ではなくなっていた。

 

ヒューベリオンを護衛する艦艇の数隻が〈蛇〉に取り付かれて既に失われていた。

 

「これは計算違いだったかな」

ミュラー司令長官の旗艦が陥されたのが影響していた。ヤンはそこからユリアン=〈蛇〉に情報が伝わったと考えていた。

ヤンの策を警戒して予備戦力を確保していたユリアンが、総攻撃を決意してしまったのだ。

これによって時間的猶予がなくなってしまった。

 

オーベルシュタインはヤンを促した。

「長官、ご決断を。ユリアン・フォン・ミンツをお見捨てになりますよう」

 

ヤンは逡巡した。

それは致命的な結果につながった。

ヤンが口を開こうとしたその時、ヒューベリオンの周囲にいた。

護衛艦艇三隻が一度に爆発した。

解放されたエネルギーがヒューベリオンを叩き、艦橋を揺るがした。

 

席から放り出されながらもオペレーターは絶叫した。

「〈蛇〉が本艦に迫って来ます!」

 

 

 

ユリアンは〈蛇〉の精神ネットワークを介して、ヒューベリオンを知覚した。

 

これを陥とせば、〈蛇〉の勝利が確定する。

 

 

勝利を最優先にするならば、ヒューベリオンを一刻も早く砲撃で撃沈すべきだった。

 

ユリアンは躊躇った。

そこに、何か大事なものがあるような気がしたのだ。憎しみ以外の感情を刺激される何かが。

 

ユリアンは最終的に指示した。

ヒューベリオンの接収を。

 

ユリアンは憎しみに塗れながらも思った。

有人の艦内にはスレイヴが積載されており、簡単には乗っ取れないだろう。

しかし、時間をかければいいだけの話だ。

僕/僕達/〈蛇〉とつながれば、@@提督もきっとわかってくれる。

皆が精神的に一体となることの素晴らしさを。

僕が@@提督に対して抱く矛盾した感情も。

あなたをどれだけ憎んでいるか、

あなたをどれだけ尊敬しているか、

あなたをどれだけ……

 

そうすれば、

そうすれば……

 

ユリアンは、〈蛇〉の一群をヒューベリオンに向けて近づけていった。

 

 

 

迫り来る〈蛇〉に、ヤンすらもが敗北を覚悟した。

 

その時。

 

 

それは、遠くから見れば宇宙を一筋の赤い閃光が切り裂いたかのようだった。

 

 

〈蛇〉の猛攻が一瞬途切れた。

 

ヤンは艦橋でスールズカリッターに助け起こされながら、スクリーンを見た。

〈蛇〉も何が起きたのかわからず動揺しているように見えた。

 

席に戻り、状況を把握したオペレーターが伝えた。

「赤色で染められた同盟製艦艇の部隊が突入して来ています!」

 

突如出現した数千隻の部隊が、〈蛇〉の艦列を切り裂き、大量のミサイルとビームの乱打を浴びせかけたのだった。

 

ヒューベリオンに迫っていた〈蛇〉も、混乱によって生じた隙に排除された。

 

 

銀河保安機構の将兵は、その赤色に、とある人物を想起せずにはいられなかった。

 

赤色の部隊は、銀河保安機構軍に向けて発光信号でメッセージを発していた。

 

ヒューベリオンのオペレーターがメッセージを読み上げた。

 

"待たせたな。俺が来たからにはもう大丈夫だ"

尊大で自信に満ちたメッセージ。

 

そのメッセージには、送り主にあたる部隊指揮官の名前が末尾に付加されていた。

 

 

 

 

偉そうなメッセージの送り主は……

 

 

 

 

"帝国を滅ぼした者 ウィレム・ホーランド"

 

 

 

自由惑星同盟においてイゼルローン方面治安維持軍の司令官を任されているはずのホーランド大将その人であった。



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55話 輝く星々のかなたより その12 シリウス星域の決戦 終篇

夕方もう一話投稿します


 

 

「先覚者はつねに理解されぬもの」

……『先覚者的着想と芸術的構想 ―ウィレム・ホーランド、四つの戦い』より

 

 

「戦略と戦術の区別をつけなきゃいけないよ。ユリアン」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

 

 

ホーランドは赤色の艦艇を率いて、〈蛇〉の群れの中を駆け抜けた。

ミサイルもビームも無制限に撃ちまくり、一部僚艦が〈蛇〉の体当たりで脱落しても意に介さなかった。

 

ホーランドの率いる部隊は旗艦であるエピメテウスII以外はすべて無人艦から成っていた。

ホーランドはそれらの艦艇を赤く塗装し、古代の精鋭部隊にあやかって「アカゾナエ」と称した。オリオン連邦帝国の黒色槍騎兵艦隊に対抗してのことで、目立つことが目的だった。

通信妨害の中でも、ホーランドが艦隊運用に困ることはなかった。すべての艦がエピメテウスIIの機動に追随し、敵が有効射程にいれば自動的に砲撃を仕掛けるよう、予め行動をプログラムされていたからである。

 

副官のエリクセン中佐がホーランドに注意を喚起した。

「補給が途切れたら捕捉されて全滅させられます!」

 

ホーランドは白い歯を見せ、獰猛に笑った。

「構わん!後のことは考えなくていい!」

 

 

危機を脱したヒューベリオンでは、将兵達が戸惑いを抱えていた。

同盟軍のホーランド提督が何故この場にいるのかわからなかったからである。

 

ヤンは、スールズカリッターに助け起こされた。

「やれやれ、助かったな。本来はもう少し到着が遅くなるはずだったのだけど」

 

スールズカリッターはヤンの口ぶりに驚いた。

「この事態を予想されていたのですか!?」

 

「予想も何も、私が呼んだのだからね」

 

「えっ!?策はなかったのでは?」

 

「戦術レベルの策はね。戦略レベルではまた別だよ。だから機を待つと言ったのさ」

 

スールズカリッターは不審に思った。

「どうして教えてくれなかったのですか?」

 

「〈蛇〉は人を取り込む性質を持っている。取り込まれた将兵から秘密が漏れるのを恐れたんだ。だから、知っていたのはオーベルシュタイン中将、各艦隊の司令官と参謀長ぐらいさ。ミュラー司令長官戦死の報を聞いた時は正直焦ったよ。彼に戦死されるのも困るが、彼か参謀長が捕まって情報が漏れてしまったらそれはそれで困るからね」

 

「そうだったのですね」

副官の自分にさえ教えてくれなかったことに対しては不満もあったが、ひとまずは納得せざるを得なかった。

 

「もう一つ、戦いの中で高級士官が取り込まれた時に、私に策がないとユリアンに思わせて誤断を誘う意図もあった。でも、これはとんだやぶ蛇になってしまったね」

 

〈蛇〉だけに、とは、流石のヤンも艦橋に漂う微妙な雰囲気を察して言わなかった。

 

ヤンは頭を下げた。

「みんな、秘密にしていて申し訳なかった。しかし、〈蛇〉に情報を漏らさないために必要な対応だったんだ」

頭を下げるなど司令官らしからぬ対応だったが、ヤンらしくはあると皆思った。

 

「それは、わかりました。しかし、ホーランド提督の部隊はわずか二千隻程度です。〈蛇〉もそのうち混乱から立ち直るでしょう」

スールズカリッターにはホーランドの部隊だけで事態が打開できるとは考えられなかった。

 

ヤンは心外そうな顔をした。

「誰がホーランド提督だけだと言ったのかな?」

 

 

 

ユリアンも、ホーランドの乱入に当初は混乱した。ヤンに策がないと思っていたところに、増援がやって来たのだから。

しかし、司令官の名前がわかって、ある意味納得した。それだけウィレム・ホーランド提督の独断専行には前例があり過ぎた。

 

ユリアンは、ホーランドの勢いが一時的なものであることを見抜き、補給の途切れるタイミングを待つことにした。敵はわずか二千隻程度であり、大勢に影響はないはずだったからだ。

 

その判断は結果的には間違いだったのだが。

 

6時間後、散々暴れ回り、ついに補給の限界に達したホーランドの部隊は、離脱を図った。

ユリアンは、その機を逃さず、準備していた約二千体の〈蛇〉で追撃にかかった。

 

その二千体がホーランドに追いつこうとしたその時、思わぬ方向から攻撃がやって来た。

〈蛇〉の知覚を通してユリアンが認識したその攻撃の主は、黒塗りの艦隊だった。

 

今度は誰も正体に迷わなかった。

「黒色槍騎兵艦隊!ビッテンフェルト提督です!」

 

 

ビッテンフェルトは艦橋で地団駄を踏んでいた。

「くそう!ホーランドの奴に抜け駆けされた!俺もそうすべきだったか!」

 

艦隊副参謀長のオイゲン中将が本気で悔しがるビッテンフェルトを諌めた。

「これ以上早くシリウスに到達するのはまともな航行では無理でしたよ」

 

「そんなことはわかっている!しかし、我が黒色槍騎兵艦隊が二番手になった事実に変わりはないではないか!」

 

 

黒色槍騎兵艦隊が、ホーランドのアカゾナエ隊を助ける様子を、独立諸侯連合第三防衛艦隊司令官プレスブルク中将は傍観する羽目になった。

「三番手!しまった!これは連合貴族の名折れだ!」

 

参謀長のハルトマン・ベルトラム少将は、知より勇が勝りがちな司令官に助言した。内心ではうんざりしながら。

「別に乗り込む順番を競っていたわけではありませんよ。それよりも〈蛇〉が態勢を整える前に攻撃しましょう」

 

 

ヤンは、この決戦の前に、同盟、連合、帝国の三国に、秘密裡に援軍要請を出していた。

戦略的に勝利の条件を整えるためである。

ヤンは同時に、この援軍をユリアンと〈蛇〉に対して秘匿することを画策した。

そのための対応の一つが、援軍を味方にも秘密にすることだったが、もう一つが援軍を単艦単位に分散させて、通常航路と異なる領域を航行させ、シリウス星系で合流させることだった。

各国に対して要求した戦力は半個艦隊、各五千〜七千隻である。

通常はそれだけの規模の艦隊となると察知される危険性も高くなる。

それを避けるための行動だった。

 

実際、ユリアンは増援の存在をある程度は警戒しており、新銀河連邦の各航路に少数ながら監視のための〈蛇〉を潜ませていた。

それによって各国の艦艇を何隻かは捉えていたのだが、いずれも単艦あるいは少数の艦艇であったため、ユリアンはそれを援軍ではなく、航路に対する警備行動の一環だと考えた。

シリウス星系での決戦より前から、新銀河連邦直轄地における〈蛇〉の襲撃の対応のため、各国の軍用艦艇が支援のため少数ながらも派遣されていたことが、ユリアンに誤った判断をさせる原因となった。それすらもヤンによる欺瞞工作の一環だったとはユリアンにもわからなかった。

 

ヤンは、三国から集めた各半個艦隊を三方からシリウス星系に突入させ、最終的な決戦戦力として活用しようと考えていた。

 

各国には、短期間でシリウス星系に分進合撃可能な機動力と艦隊運用の能力を持った部隊を、と希望したのだが、それによって大分性格に偏りのある面々ばかり集まる結果となってしまったのは、ヤンとしても意図しない結果であった。

 

今回は、それに救われた形である。

 

来援時期としては当初、各国の艦隊が分進、合流した上で到着可能な日時を設定していた。

ヤンも、ユリアンの戦力が予想を上回っていたことが判明した時点で、来援を早めるように暗号通信で連絡してはいた。

その連絡は劣悪な通信環境でもなんとか各国司令官に届いた。

しかし、分進中の艦隊の進軍速度を上げることは困難を極めた。

 

このため、最初から抜け駆けするつもりだったホーランドのみがヤンの救援に間に合った。

 

 

 

ホーランドは、ヤンからの援軍要請を受けて即座に抜け駆けを画策していた。

ボロディン宇宙艦隊司令長官からの指令では副司令官のラップ中将が派遣されるはずだったのだが、司令官の権限の範囲だとして強引に自分が指揮を執ることにした。

 

ホーランドは自らの艦隊運用能力を、常識さえ無視して如何なく発揮した。

脱落艦艇が出るのを承知で、無理な行程を組み、実行に移した。

通常の艦艇であれば人員の疲労で達成不可能な行程も、無人艦艇であれば可能だった。唯一有人の旗艦エピメテウスIIに関しては、乗員を増員することで負担軽減を図った。その代わりに居住環境は劣悪となったが。

さらに、シリウス星系へのワープも、奇襲効果を出すために戦場と予想される惑星ロンドリーナになるべく最短で近づけるよう、ワープ危険域内でのワープを実施した。

元々ホーランドに心酔している者が多く、強行軍でハイテンションになっていたエピメテウスIIの将兵達も、嬉々として危険なワープを敢行した。

 

結果として、当初五千隻を数えた艦隊は、強行軍で3割強が脱落、ワープ失敗でさらに3割が虚空に消えた。

 

結果、二千隻のみがシリウス星系に到達して惑星ロンドリーナに急行し、ヤンの救援に間に合ったのだった。

 

 

 

ホーランドの部隊は暫く行動不能の状態となっていたが、黒色槍騎兵艦隊と連合軍第三防衛艦隊は士気旺盛で戦闘力も十分だった。

二艦隊あわせて一万三千隻が、銀河保安機構軍を取り囲む〈蛇〉をさらに外側から包囲し、攻撃を仕掛けた。

いずれも攻撃力に定評のある艦隊であり、〈蛇〉の戦力は瞬く間に削られていった。

 

数時間後には〈蛇〉の増援部隊は殲滅された。

 

状況は再度変化し、ユリアン=〈蛇〉は銀河保安機構軍と各国艦隊の重包囲下に置かれることになった。

ユリアン=〈蛇〉にとっては当初より悪い状況である。

 

 

ユリアンは、まるでヤンのように頭をかいた。

「参ったな。はじめから最大限戦略的に勝てる状況を整えていた、というわけですね。今回は勝てると思ったんだけどな」

 

ユリアンは、またしても自らの上を行ったヤンの智謀に感嘆を覚えていた。

 

ミュラー艦隊の高級士官から得た情報では、この後敵がとる行動は、ユリアンと〈蛇〉を惑星ロンドリーナ内に押し込んでスレイヴの精神波で無力化することのはずだった。

 

それが自分を救うための行動であることもユリアンは既に知っていた。

まったくの大きなお世話だと思っていたが。

 

〈蛇〉に思考を誘導されているユリアンとしてはその思惑に乗るつもりはなかった。

既に勝利は諦めていたがロンドリーナに押し込まれるよりは、前進してビームの嵐の中で命を散らすつもりだった。

 

既に〈蛇〉自体がこの場での敗北を受け入れていた。このため〈蛇〉はいまや人類に対する憎悪よりも希死念慮を増大させていた。

 

既に、ユリアンの精神はある程度まで〈蛇〉の精神ネットワークと融合していた。

ユリアンがここで死を選べば、ユリアンの精神は身体の牢獄から解き放たれ、〈蛇〉の一部として永遠に生き続けることになる。

これは人類既知領域内のすべての〈蛇〉がユリアンと同一の存在として行動するようになることを意味した。

 

船を乗っ取った際に獲得した物資、工作機械、各種工業プラントを使い、捕らえた人々を操り、既にワープエンジン、星系内航行用エンジン、ビーム砲等の量産には成功していた。

いま少し生産規模を拡張できれば、遠からず万単位の〈蛇〉の軍団が再度出現させることが可能だった。

そのための手段も既に手に入れていた。

今回実戦に投入した人間の形をした〈蛇〉、ヒトガタである。

今後ヒトガタを労働力として活用することで、生産力の大幅な向上を見込むことができた。

 

これはヤンも、オーベルシュタインも、あるいはアルマリック・シムスンも、誰もが想定していない事態であった。

 

ユリアンの知能を持ち、工業生産能力を手に入れて無制限に増殖し続ける〈蛇〉の軍勢、それが銀河人類の敵として今まさに出現しようとしていた。

 

 

ユリアンは、未来に知己を求めんと、銀河保安機構軍の艦列に向けて自殺同然の突撃を仕掛けようとしていた。

 

「僕は死んで人類の先導者になるよ。銀河保安機構の皆さんとは再び戦うことになるのだろうけど、最終的に僕/僕達/〈蛇〉に取り込まれてくれれば、これが正しい在り方なのだときっとわかってくれるだろうから」

ユリアンは、この苦しい人の生からの解放と、〈蛇〉としての新たなあり方に、希望すら抱いていた。

何か心に引っかかるものもあるのだが、それが何であるのか今のユリアンにはわからなかった。

 

最後の突撃の指令を精神ネットワークを介して伝えようとしたユリアンの元に、聴こえるはずのない声が届いた。

 

「ユリアーン!早く帰って来なさいよー!!」

 

巨大な声が艦橋を揺り動かした。

 

ユリアンも〈蛇〉も、完全に虚をつかれた。

ユリアンはたちどころにその名を思い出した。

「カリン!?」

 

 

さらに別の声が艦橋に轟いた。

「早く戻って来てー!私もあなたの子供が欲しいんだからー!」

 

「サビー!?」

サビーネの声とそのあからさまな言動にユリアンは動揺した。

 

「ユリアン!えーと、えーと、私も……」

エリザベートも多少躊躇いつつ、サビーネに続いた。

 

「リザまで!みんな、どこにいるんだ!?」

ユリアンの声に対して返答はなかった。

 

 

 

スールズカリッターは呆然としていた。彼だけでなくほとんどの将兵が同じだった。

彼らもユリアンと同じ声が聞こえていた。

 

スールズカリッターは叫んだ。叫ばないと他人に声が伝わらないほど大音声が轟いていたからである。

「長官閣下!これは一体何ですか!?」

 

ヤンも大声で返した。

「オペレーション・ローレライ!技術局に準備させていたユリアン救出のための奥の手だよ!」



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56話 輝く星々のかなたより その13 オペレーション・ローレライ

本日投稿二話目です。


 

「ことばでは伝わらないものが、たしかにある。だけど、それはことばを使いつくした人だけが言えることだ」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

 

 

「オペレーション・ローレライ!技術局に準備させていたユリアン救出のための奥の手だよ!」

 

ヤンの真の奥の手もまた、味方に対して秘匿されていた。

 

ヤンはユリアンが〈蛇〉に操られている限り、救出は難しいと考えていた。

ユリアンの精神が〈蛇〉全体に拡散する事態を予測していたわけではなかったが、救出前に自殺を強いられる事態もあり得るとは考えていた。

しかし、逆に言えばユリアンに一時的にでも正気を取り戻させることができれば、救出の目はあるとも考えていた。

 

それでは、どうやって正気を取り戻させるか?それが課題だった。

 

ユリアンの場合もそうだったが、人の声によって、〈蛇〉に取り込まれた人物が一時的に正気を取り戻す事例は確認されていた。

それを考えれば声を聞かせることができればユリアンが正気を取り戻す可能性は存在した。

しかし、ユリアンが自らの動揺を誘うような通信を受け入れるとは思えなかった。

 

衛星に待機していたアルマリック・シムスンを、ユリアンがエルウィン・ヨーゼフだと誤断して自らの元に連れて行くような事態となれば、アルマリック・シムスンに持たせた通信機を介して会話することも可能であった。あるいは物理的にユリアンを救出することも可能だったかもしれない。

それは成功率が低いと考えられながらも、実際に試みられたが、ユリアンが即座にエルウィン・ヨーゼフではないことに気づいてしまったため、うまくいかなかった。

 

それではどうしたらよいか?

その解決策は、意外なところから出てきた。技術局の預かりとなっていたメッゲンドルファーが構築した、用途不明の装置であったはずの時空震連続発生装置、これが課題の解決に役立ったのである。

 

音が振動であり、宇宙空間においては振動を伝えるための媒介物が存在しないために伝わらないことは周知の事実である。

かつて地球上では行われていた音を使った士気の鼓舞や敵の威圧が、宇宙空間での戦闘において行われないこともそれが理由である。

 

それでもどうにかして宇宙空間でも声を伝えることができないか?

それがヤンの思案したところであり、技術局リンクス技術大佐がメッゲンドルファーの装置の使い途を見出したところであった。

 

時空震は空間自体が震動する現象である。任意の振動数で空間を連続して揺らすことができれば、どうなるか?

空間が震え、艦の装甲も震え、艦内の空気も任意の振動数で震えることになる。

つまり、空気のない宇宙空間でも音声を伝えることができるのである。

しかも、時空震は光速の制限を受けないため、音声を超光速で広範囲に伝えることが可能という利点もあった。

 

技術局と連携した情報局は、ユリアンの知己と連絡を取り、ユリアンに対してメッセージをお願いした。

彼らは超光速通信を介してユリアンに音声メッセージを届けた。

 

〈蛇〉による通信妨害は一つの障害となっていたが、数を減じた今となっては、長距離の通信も再び可能となっていた。

 

音声メッセージは輸送艦で運んで来た複数の時空震連続発生装置によって、時空震に変換し、惑星ロンドリーナ周辺の広い範囲に響くことになった。

〈蛇〉に取り込まれたユリアンだけでなく、銀河保安機構軍、同盟、連合、帝国の各艦隊の将兵が等しくその声を聞いていた。

 

音量の調整が難しいことがこの技術の難点だったが、割れんばかりの大音声もこの場合はプラスに作用した。

ユリアンが耳を塞いでも、仮に鼓膜を破いたとしても身体自体に振動が伝わることで音が聴こえるため、防ぎようがないのである。

 

 

呼びかけは続いていた。

「ユリアン・フォン・ミンツ!目を覚ませ!お前は余の臣下ではなかったのか!?余以外のものに従属することを許した覚えはないぞ!」

エルウィン・ヨーゼフだった。

 

ユリアンは動揺を強めた。

「エルウィン……陛下!」

 

「ユリアン・フォン・ミンツ!お前、何をやっているんだ!早く戻って来てマルガレータを探すのを手伝え!」

「そうよ!何やってるのよ!」

クリストフ・ディッケルとイセカワ・サキだった。

 

「ミンツ総書記、戻って来てください!」

「人が運命に逆らえるところを見せてください!」

「みんな待ってますよ!」

「ミンツ総書記!」

「我々を見捨てないで!」

「これからどうしたらいいんですか!?」

「ずっと好きでした!結婚されるなんて悲しいです!」

「えっ!?誰!?抜け駆けずるい!」

「私とも結婚してください!」

シュトライトやマシュンゴ、地球財団職員の面々からのメッセージだった。

 

「また紅茶を淹れてくれる約束、守ってくれよ!」

ヤンもユリアンに声をかけた。

 

「ヘル・ミンツ!カーテローゼ嬢を不幸にする気ですか!?」

ミュラーだった。ミュラーは、カーテローゼがユリアンと結婚すると聞いて、少しだけ気落ちしていた。

 

「ユリアン君、悲しんでいる人がいるのをわかっているの!?」

「今度うちに遊びに来てくれるはずだっただろう!」

メルカッツ夫妻だった。

 

「ユリアン君、君のいるべき場所はそこではないはずだ!目を覚ましてくれ!」

自由惑星同盟軍時代のかつての上官、パエッタ退役中将だった。

 

「ユリアン、君が同盟に戻ってくる日を待っているぞ!」

かつてユリアンの下で第13艦隊旗艦シヴァの艦長を務めたニルソンの言葉だった。

 

 

「地球を美しく青い星に戻すのではなかったのか?」

ド・ヴィリエだった。

情報局はモールゲンの収監者にも通信を繋いでいた。

 

「皇女達のことをどうする気だ!?帝国貴族としての義務を果たせ!」

レムシャイド侯だった。

 

「〈蛇〉とやらに詩情を解する心はあるのですか?」

「人外に取り込まれるとは帝国貴族の面汚しめ!早く戻って来い!」

ランズベルク伯とフレーゲル男爵だった。

 

「みんな……」

ユリアンは、彼らのことを思い出した。

銀河各地でユリアンと関わりを持った人達。

ユリアンが人として生きた証。蓄積。

ユリアンが御し難い憎悪の炎を胸に抱きつつも、一線を越えずにいられたのは彼らがいるおかげだった。

今、彼らの言葉は、人類の領域を外れようとしているユリアンを引き留める強い力となった。

 

しかし……

〈蛇〉もまたユリアンの精神に深く根を下ろしており、ユリアンが人類の元に戻るのを押しとどめていた。

 

同盟から、帝国から、フェザーンから、連合から。

各地から呼びかけは続いていた。

 

ユリアンの中で〈蛇〉と人類、両者の働きかけは拮抗していた。

ユリアンは動けなくなった。

そのことを理解した〈蛇〉は、自らの本能とわずかな知能に基づき動くことにした。

 

ヤンは艦橋から〈蛇〉の動きを観察していた。

時空震連続発生装置によって発生させた音声による呼びかけが効いていることは〈蛇〉の動きが止まったことからも推測することができた。

 

しかし、〈蛇〉は再び動き出してしまった。

包囲を続ける銀河保安機構軍に対して前進を始めたのである。

 

このまま前進を許せばそのうち突破されることになる。しかし、砲撃によって〈蛇〉を殲滅してしまってはユリアンを救出することはできない。ユリアンの乗る〈蛇〉の場所も特定できていない状況ではなおさらだった。

 

ヤンは〈蛇〉を押しとどめる為に砲撃を続行することを指示したが、内心焦りにかられていた。

音声による働きかけでは不十分なほどユリアンが深く〈蛇〉に取り込まれている可能性についてはヤンの頭にもあった。

それでもユリアン救出のためにヤンはこの作戦に賭けていた。

分の悪い賭けであり、他のことであればヤンはこの策を採用しなかっただろう。

しかし、ヤンはユリアンを助けたいという私情を優先してしまっていた。

司令官として失格であることは認識しており、この戦いが終われば辞表を提出するつもりだった。……提出する度にトリューニヒトからは笑顔で突き返されて来たのであるが。

 

ヤンは状況から次善の策に移行することを検討し始めた。

〈蛇〉を惑星ロンドリーナの地表に叩き落とす当初の作戦である。

その過程でユリアンが命を失う可能性は十分にあったが、銀河保安機構の長としてここで〈蛇〉の主力を取り逃がすリスクを犯すわけにはいかなかった。

ヤンは、ユリアンの死によりその精神が〈蛇〉の中に拡散し、さらに強大な敵を生み出すことになる事態をこの時想定できていない。ヤンの人としての限界と言えた。

 

ヤンがついに作戦の変更を命じようとした時、その音が宇宙に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

それは生命の始原の音だった。

それは人類の始まりを告げる音だった。

人々の心を等しく波立たせる音だった。

生命を持つものであれば反応せざるを得ない音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンギャー!オンギャー!オンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

 

 

 

生命の誕生を告げる原初の音が、時空の震動となって宇宙の虚空に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「アンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

〈蛇〉を含めたすべてのものが束の間、行動を停止した。

 

 

 

 

 

「オンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

それは、生まれたばかりの赤ん坊の泣き声だった。

 

 

 

 

鳴り響く産声の中に、別の声が混ざった。

 

「おーい!ユリアーン!産まれたぞー!早く戻って来ーい!」

 

 

行方不明となったはずのマルガレータの声だった。



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57話 輝く星々のかなたより その14 終局

 

 

 

 

 

「宇宙が震え鳴り響く様を想像してください。それはもはや人間の声ではなく、惑星や太陽のそれなのです。」

……グスタフ・マーラー、「千人の交響曲」に関して

 

 

「オンギャー!アンギャー!オンギャーーー!!!!」

 

 

虚空に鳴り響く産声の中に、別の声が混ざった。

「おーい!ユリアーン!生まれたぞー!早く帰って来ーい!」

 

赤ん坊の泣き声は〈蛇〉を混乱させ、ユリアンを精神制御から解き放った。

そこに飛び込んできた愛する女性の声にユリアンは反応した。

 

「メグ!今までどこに居たんだ!?それにこの泣き声!僕の子供なの!?」

 

ユリアンはこの時、人としての正気を回復していた。

一も二もなく、マルガレータと赤ん坊の元に飛んで行きたくなっていた。

 

次の瞬間、ユリアンは自らの精神に再び入り込んで来ようとする存在を知覚した。

ユリアンは状況を思い出し、再び〈蛇〉に取り込まれる前に咄嗟に行動を選択した。

 

最初に、〈蛇〉に取り込まれてからも肌身離さず持っていた小さなクマのマスコットを取り出し、その尻尾を引っ張った。

 

それは、マルガレータがヘルクスハイマー伯爵邸でユリアンに渡したものだった。その内部には、マルガレータも「恐怖の銀河帝王事件」で使用した超光速信号発生装置が組み込まれており、尻尾がその起動スイッチだった。

発生した信号は、ユリアンの位置を銀河保安機構軍に知らせた。

 

ユリアンは次に、義足に仕込んだスタンロッドを起動させ、自らに作用させることで気を失った。

 

 

クマのマスコットから発せられた信号によって銀河保安機構軍はユリアンの位置を把握した。

 

これを受けて、惑星ロンドリーナに設置されていた人工衛星の一つが動き出した。

それはアルマリック・シムスンが乗っていた人工衛星であり、偽装を解いたその姿は小型の強襲揚陸艦だった。

強襲揚陸艦は、アクロバティックな起動で〈蛇〉の群れを避け、ユリアンが座乗する一体の〈蛇〉に向かった。

操縦者はオリビエ・ポプランだった。

同乗者は、アルマリック・シムスンとシェーンコップ、それに元連合軍薔薇の騎士戦隊所属、現銀河保安機構陸戦部隊の精鋭達である。

強襲揚陸艦は、〈蛇〉に接舷し、揚陸用のシリンダーを溶解液で接合させた。

ユリアンがいるはずの艦橋は厚い肉塊で覆われており、直接の揚陸が難しかった。

このため、艦橋までは内部を徒歩で進む必要があった。

 

居残りとなるポプランがシェーンコップ達に手を振った。

「いってらっしゃい!ちゃんと囚われのユリアン姫を助けてから戻って来てくださいね」

 

装甲服に身を包んだシェーンコップは不敵な笑みを返した。

「あの坊やにはものわかりの悪い父親になって娘の結婚を邪魔するという楽しみを実現させてもらったからな。これからも楽しませてくれそうな奴にここで死んでもらっちゃ困るんだ。お前さんだって同感なんだろう?」

 

「ええ、世の中退屈になるかと思ったら、あの坊主のおかげで全然退屈しませんからね。おかげで宇宙海賊に転職しなくて済みそうですよ」

 

「ふん。それでは、今後の楽しみのためにユリアンを救いに行くとしよう」

 

「はい、せいぜい俺の楽しみのために頑張ってくださいよ」

 

「なかなかに緊張感のない会話だね」

そのように口を挟んだアルマリック・シムスンは最も緊張感のない服装をしていたかもしれない。装甲服を着ておらず、年代物の熱線銃と荷電粒子銃、それに超硬度鋼製のナイフを携帯するのみだった。本人曰くロボットなので余計な装備は不要とのことである。

 

アルマリック・シムスンとシェーンコップ、陸戦隊メンバーは、ユリアンがいる〈蛇〉の内部に乗り込んだ。

 

シェーンコップ達の装甲服にはスレイヴを含んだ土壌が仕込まれており、〈蛇〉の精神波の影響は最小限となるはずだった。

 

艦の内壁にはビクビクと波打つ淡緑色の塊がそこかしこに貼り付いていた。

まるで人体の消化管の内部にでも侵入したかのようだった。

 

産声はいまだに鳴り響いていた。

それを聴きながら、体内めいた空間を進んで行く様は、ある種の前衛芸術の世界に紛れ込んだかのようでもあった。

 

ユリアンがいると思しき艦橋まで道半ばまで来たところで、異変が起きた。

壁に結合していたはずの肉塊が突如手足を伸ばしてヒトガタとなり、陸戦隊の一人に跳びかかったのである。

シェーンコップが叫んだ。

「ドルマン、後ろだ!」

薔薇の騎士出身のドルマンは流石に精鋭であり、飛びかかってきたそれを苦もなく戦斧で両断した。

計算違いは両断された塊が、二つに分かれたまま再度襲いかかってきたことだった。

シェーンコップが熱線銃の連続射撃で肉塊を二つとも消し炭に変えてしまったため、事なきを得たが、皆改めて戦う相手が人外であることを認識した。

「斧や刀は効かないらしい。銃か火炎放射器を使え。それから、走るぞ!」

 

産声に紛れてはいたが、何かが迫る音が聞こえてきていた。

潜んでいたヒトガタが迎撃のためについに活動を開始したものだと思われた。

 

シェーンコップ達は艦橋まで急いだが、あと少しのところでヒトガタの群れに囲まれてしまった。

 

シェーンコップがアルマリック・シムスンに告げた。

「あんた、単独行動の方が素早く動けるようだな。ここは俺たちが引き受けるから先に行ってユリアンを助けて来てくれないか」

 

「了解した。そのためについて来たようなものだからね」

アルマリック・シムスンは人ではあり得ぬレベルの跳躍でヒトガタ数匹の頭上を飛び越え、艦橋へと急いだ。

 

事情をよく知らない陸戦隊の一人が、シェーンコップに尋ねた。

「ありゃあ、何ですか?あの跳躍、人間なんですか?」

 

「人間なんだろうよ。機械でできているか肉でできているかの違いだけで」

 

 

 

アルマリック・シムスンは、途中で何匹かのヒトガタに遭遇し、その度に熱線銃で消し炭に変えた。

 

ようやく艦橋の入り口と思しき場所に辿り着いたが、目の前にあったのは淡緑色の壁だけだった。

 

「流石に封鎖ぐらいはするか」

アルマリックは荷電粒子銃を構えて壁に向けて撃った。

淡緑色の壁は吹き飛び、その先に艦橋が見えた。

 

艦橋に侵入し、内部を見渡したアルマリックはそれを発見した。

蠢く肉塊がユリアンをまるで護衛するかのように取り囲んでいた。

ユリアンが意識のある状態であれば、〈蛇〉からすればユリアンの精神を支配した上で、殺してしまえば事は済んだ。

しかし、意識を失っている状態で殺してもユリアンの精神を〈蛇〉のネットワークに取り込むことはできない。

〈蛇〉には現状ユリアンの意識が戻るまでは奪還を阻止する以外に選択肢がなかった。

 

アルマリックはゆっくりと歩いて行った。

手と足に触手状になった〈蛇〉が巻きついてきた。

常人ならば手足の骨が砕ける程の力だったが、アルマリックは構わず前進を続けた。

「サイボーグの膂力が役立つ時が来てよかったよ」

オリジナルの自分が死に、シリウス政府も崩壊してから九百年、サイボーグとして存在し続けて来たことに多少の甲斐があったのだとアルマリックは感じることができていた。

 

 

容易に止められぬと見た〈蛇〉は集合し、大きな塊となって覆いかぶさってきた。

体全体を覆われたことで、アルマリックもついに歩みを止めた。

そのまま押し潰されるかに見えたが、次の瞬間に閃光が走った。

アルマリックが体全体から高電圧を発したのである。

アルマリックのロボット体は元々高電圧に耐えられるよう設計されていた。そのことを利用してアルマリックは奥の手として、高電圧発生装置を身体中に仕込んでいた。

ユリアンの義足のスタンロッドと同じ発想だったが、自らの生命を気にしないでよい分、比較にならないほどの大威力だった。

当然〈蛇〉も無事ではなかった。猛獣が火を恐れるように、反射的にアルマリックから離れた。

 

同時に、電気のショックでアルマリックのロボット体に仕掛けられていたリミッターの、最後の一つが外れた。

アルマリックは〈蛇〉が怯んだ隙に急加速してユリアンの身体を回収した。

 

同時に艦橋の入り口で爆発が起きた。入り口が肉塊で再び閉じられようとしていたのを、艦橋に侵入する際に事前に仕掛けていたリモートコントロール式の爆破装置によって吹き飛ばしたのである。

 

アルマリックはユリアンを両腕に抱えたまま跳躍して艦橋を脱出した。

 

ナニモヨメナイ、オマエハイッタイナンナノダ。マタシテモ、ワレワレノジャマヲスル、オマエ、オマエタチハ、イッタイナンナノダ……

 

アルマリックには、聴こえるはずもないそんな声が聞こえたような気がした。

 

艦橋を出てからは、全速力を発揮して邪魔を図るヒトガタを振り切り、シェーンコップと合流した。

 

シェーンコップ達は、未だにヒトガタと戦っていた。倒しても倒してもヒトガタは後から湧いて出て来た。

シェーンコップがアルマリックに向かって叫んだ。

「救出に成功したんだな!もうすぐポプランの奴が来るから待っていろ!」

 

 

その言葉通り、暫くしてポプランがやって来た。

揚陸艦で外側から壁を突き破ることで。

 

シェーンコップ達の突入後、揚陸艦にヒトガタが侵入して来そうになったため、ポプランは艦ごと一時離脱していた。

シェーンコップは、ポプランに自らの現在位置を知らせて、脱出にかかる時間を短縮させたのである。

連続の無理な揚陸で、突入用のシリンダーは十分な気密を保つことはできていなかったが、シェーンコップ達にそんなことを気にする余裕はなかった。

 

数分でシェーンコップ達の脱出は完了し、揚陸艦は再度〈蛇〉から離れた。

〈蛇〉から、緑色の触手が艦に向けて伸びたが、揚陸艦にまで届くことはなかった。

 

シェーンコップ達を出迎えたポプランは、アルマリックを見てギョッとした。

「ご苦労様……あんた、力持ちだね。その抱え方……俺が姫と言ったから?」

 

シェーンコップも見かねて助言した。

「お前さんの腕力じゃ重くないのかもしれないが、そろそろ、そのお姫様抱っこはやめていいんじゃないか?」

 

少年の姿のアルマリック・シムスンが180cm近いユリアンを両手で抱っこしている姿はなかなか不思議な光景だった。

 

 

 

揚陸艦は、脱出を急いだ。

〈蛇〉はユリアンのことを諦めていなかった。

ポプランが嘯いた。

「行きはよいよい帰りは怖いってか」

突入時とは比べ物にならない激しさで〈蛇〉の集団が五月雨式に襲いかかって来た。

ポプランはそれを軽業のように躱して、ついに銀河保安機構軍の艦列まで退避することに成功した。

 

 

その時になってようやくユリアンが目を覚ました。

揚陸艦内にもスレイヴ含有の土壌が積載されており、〈蛇〉の影響は既にない筈だった。

 

「皆さん……」

言い淀むユリアンに、まず声をかけたのはシェーンコップだった。彼には訊いておくべきことがあった。

 

「気づいたか、ユリアン。早速ですまんがヤン提督からの質問だ。残存の〈蛇〉に、お前さんの他に誰か人は乗っているか?」

 

「いません。僕だけでした。……不要ですから」

 

「そうか……」

 

突然、ユリアンが腹部を押さえて苦しみだした。

 

「おい、どうした!?」

 

苦しむユリアンと珍しく慌てたシェーンコップを見ながら、アルマリックは昔話を思い出していた。彼が生身の体を持っていた頃に聞いた、人類の活動の舞台が太陽系だった時代の話。〈蛇〉の元になったスウェルを食べた男の話を。

「きっと、体内に〈蛇〉がいるんだ!」

 

それを聞きつけたポプランは、懐から黒と茶色の中間色をした液体が入った大瓶を取り出し、ユリアンの口に押し付けた。

 

「飲め!」

 

「まさか!?」

 

固く歯をかみ合わせ、飲むまいとするユリアンの鼻をポプランは左手でつかんだ。

呼吸できなくなったユリアンの顔が赤くふくれ、耐えられなくなって開いた口に、その濁った液体が注ぎこまれた。

 

数十秒後、ユリアンの顔色が変わり、今度は喉元を押さえた。

「おげえええ!!!」

ユリアンは今飲んだ液体と一緒に緑色の塊を吐き出した。

 

陸戦隊員が叫んだ。

「〈蛇〉だ!」

 

緑色の塊は茶色の液体の中でのたうち回り、見るからに苦しんでいた。

 

シェーンコップは銃を抜き、熱線でそれを焼いた。床に残ったのは黒い痕だけだった。

 

アルマリックがポプランに尋ねた。

「〈蛇〉を身体から追い出すなんて、何を飲ませたんですか?」

 

ポプランはウインクして見せた。

「ユリアンに飲ませて欲しいと渡されていたカリンちゃんから預かった疲労回復薬さ。クロイツェル家秘伝のもので、材料は秘密だとさ。虫下しにもなると聞いていたんで飲ませたんだが、効果覿面だね」

 

「あれか。あれは……不味いんだ」

シェーンコップはかつて飲んだことのあるその味を思い出し、うんざりした顔をした。

 

ユリアンは再び気絶してしまったが、ともかくもユリアン救出作戦「オペレーション・ローレライ」は成功した。

 

救出成功の報を聞き、ヤンは口笛を吹こうとして失敗した。

きまり悪げに頭をかきながら、ヤンは命令を下した。

「最終フェーズに移行してくれ」

 

ヤンが作戦の最終段階が開始された。

軌道上の人工衛星群が突如爆発した。

それは〈蛇〉自体には大した損害を与えなかったが、惑星ロンドリーナから〈蛇〉の目をそらす効果はあった。

惑星ロンドリーナには銀河保安機構技術局員が隠れていた。彼らは即席の地下壕から、人工衛星の爆発にタイミングを合わせてロケットを打ち上げた。

ロケットには、拡散性ゼッフル粒子発生装置が搭載されており、衛星軌道上にゼッフル粒子を迅速に拡散させた。

 

ヤンは停止させていた砲撃を再開させた。

撃て(ファイアー)!」

撃て(ファイエル)!」

 

各司令官の命令によって、各艦隊から〈蛇〉に向けて光条が伸び、ゼッフル粒子に点火した。

 

惑星ロンドリーナの周りに炎でできた巨大な殻が出現し、〈蛇〉は殲滅された。

 

 

終わってみれば、敵艦艇撃破率99%以上でありながら敵将兵の死傷率0%という前代未聞の殲滅戦がここに実現していた。

 

シリウスにおける決戦は、ヤン・ウェンリー、銀河保安機構、そして人類の勝利に終わった。

 



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58話 輝く星々のかなたより その15 やがてやって来る

 

 

「新しい時代のダーヴヰンよ

更に東洋風静観のキャレンジャーに載って

銀河系空間の外にも至って

更にも透明に深く正しい地史と

増訂された生物学をわれらに示せ」

……宮沢賢治、「生徒諸君に寄せる」より

 

 

「運命は年老いた魔女のように意地の悪い顔をしている」

……いつかどこかで、とある歴史家志望の軍人の言葉

 

 

 

 

 

人類未踏領域にありながら、精神ネットワークを介してグリルパルツァーはユリアンの敗北を知覚した。

彼は心の中で舌打ちをした。

ユリアン・フォン・ミンツが敗北した今、やがて人類の追求の手が未踏領域まで伸びるのは必然と言えた。

 

グリルパルツァー=〈蛇〉は逃亡を決意した。

惑星エオスで確保した人員は捨ておくことにした。探査隊の人員も、既知領域に係累のいる者達はエオスに残した。

人類による追跡の可能性を極力下げるためである。

 

残る探査隊員とグリルパルツァー、探査艦隊の残存艦艇三千隻、それに、エオス開拓船団の各種輸送艦、工作艦、資材が〈蛇〉に加わった。

ユリアン・フォン・ミンツの数々の着想、特に、〈蛇〉にヒトの形を模らせ、労働力かつ戦力とするそれはグリルパルツァーにとっても参考になった。

 

グリルパルツァーは清々しい気持ちでさえあった。

彼はこれを逃避行とは考えていなかった。

これから〈蛇〉とともにさらなる未知の世界へと乗り出して行くのだから。

彼は、かつて帝国地理博物協会誌で読んだ古代の詩を思い出していた。

 

「そうとも、俺は、俺/俺達/〈蛇〉は銀河系空間の外にも至って、透明に深く正しい地史と増訂された生物学を獲得するのだ」

 

まだ見ぬ星々、銀河の深奥が自らを待ち受けていると思うと、狂おしいほどの歓喜さえ沸き起こってくる。

事実上不死であり、あらゆる生命を取り込むことが可能な〈蛇〉の能力は、グリルパルツァーの望む未知世界の探査には非常に有用だった。

予期される未知の知的生命体との接触に際しても、それは有効に働くだろう。

そのためにグリルパルツァーは〈蛇〉と出会ったのではないかとさえ思えた。

……いずれ人類は〈蛇〉を研究し、そのあり方の素晴らしさを理解するようになるだろう。人類は、やがて自ら〈蛇〉と一体となることを望むだろう。

その時、俺は既に遠くに行っているだろうが。

そうとも、この宇宙は、未来は、俺/俺達/〈蛇〉のものなのだ!

 

準備を整えたグリルパルツァー=〈蛇〉は、星々と未来に知己を求め、さらに先へ、さらに遠くへ、限り無き天の涯てへと進み出した。

 

 

 

 

 

 

状況が落ち着いた頃、ヤンはオーベルシュタインに苦言を呈した。

「情報局はいつの間にヘルクスハイマー大佐の身柄を確保していたんだい?正直助かったのは確かなんだけど、事前に教えてくれていたらありがたかったな」

 

オーベルシュタインは答えを返さなかった。頭の中で考えを整理しているようだった。いつもの彼であれば、そのような質問に対する答えなど、事前に用意しているだろうに。

 

「どうした?オーベルシュタイン中将?」

 

オーベルシュタインはようやく答えた。

「情報局はヘルクスハイマー大佐を発見できておりません。小官は、閣下が私を信用せずに独自にヘルクスハイマー大佐を救出されたのだと考えておりました」

 

「まさか。いや、私も全く動いていなかったわけではないが、ヘルクスハイマー大佐は発見できていなかったよ」

 

オーベルシュタインは、オペレーション・ローレライの実施を管理していた技術局に問い合わせた。

その結果わかったことは、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーからの通信は正規のものではなく、割り込みをかけられたものだった。通信は何重にも中継されており、発信源は特定できなかった。

 

ヤンとオーベルシュタインは顔を見合わせた。

「あまり勘というものには頼りたくないんだが、なんだか嫌な予感がするな」

 

「同感です」

 

 

 

 

人知れぬ、闇に覆われた場所で。

 

二人の人物の周囲に、仮面を被ったローブ姿の者達が倒れ伏していた。

二人のうち一人は新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトだった。

もう一人は、亜麻色の長い髪を持った少女だった。

トリューニヒトは少女に微笑みかけた。

「救出してくれてありがとう」

 

「別に無理やり拉致されていたわけでもないのによく言うわね」

容姿にそぐわぬ妖艶さが漂わせて少女は笑った。

 

「まあね。しかし、君がここに来たということは、準備はすべて整ったということかな?」

 

少女は笑みを深めた。

「そうよ。人類の運命を決するための準備がね」

 

仮面の者達の中でただ一人だけがいまだに意識を保っていた。顔につけていた仮面は、頭部に受けた衝撃で半ばまで砕かれ、その素顔が露わになっていた。

「ユリアン君を遠くから見守る会」の会長、銀河保安機構月支部のアウロラ・クリスチアンだった。

彼女はなんとか上体を起こし、トリューニヒトの名前を呼んだ。

「トリューニヒト……どういうこと?裏切ったの?」

 

トリューニヒトはその笑顔をアウロラに向けた。

「裏切る?違うな。ユリアン救出に関しては利害が一致していたから協力していただけのこと。それ以上でもそれ以下でもないよ」

 

亜麻色の髪の少女が、アウロラの元に歩みを向けながら、声をかけた。

「まだ意識があったのね。でも、大人しく寝ていた方が身のためよ」

 

アウロラは彼女を睨んだ。

「お前は何なの?どうしてユリアン君に似ている?ユリアン君の家族なの?」

 

アウロラも、他の「ユリアン君を遠くから見守る会」の武闘派メンバーも、不意をつかれたとはいえ、彼女がユリアンを思わせる容姿をしていなければ、ここまでの不覚はとっていなかっただろう。

それとは別に、少女自身の技量と身体能力も人とは思えぬものだったが。

 

少女は意外にも歩みを止めて考え込んだ。

「家族?家族……ね。どうなのかしらね。あなたが気にすることじゃあないわね」

 

「ユリアン君をどうする気?」

 

「それも、あなたごときが気にしなくていいことよ。でも、まあ、あなたの執着も異常よね」

 

「ユリアン君を好きで何がいけない?」

 

少女は婉然と笑った。

「いけなくはないわ。私の愛しのヨブのことを好きと言われるより余程いいわ。でもね……」

 

「何?」

 

「不思議に思わない?みんな、ユリアン・フォン・ミンツに執着し過ぎよね。好意を持つにせよ、警戒するにせよ、嫌うにせよ。まあ、あなたに、あなた達にわかるわけないか」

 

「何を言って……」

 

「喋りすぎたわ。そろそろ寝てなさい」

アウロラに近寄った少女は、彼女の頭を蹴りあげた。

アウロラの体が高く舞い上がり、遠くに落ちた。動く様子はなかった。

 

トリューニヒトがとがめた。

「おいおい、いちおう知り合いなんだ。殺さないでくれよ」

「死にはしないわ。……多分ね」

 

少女はトリューニヒトの方に体を向けた。

「それよりも今後の事を語り合いましょう。人類を待ち受ける運命のことを。ね?愛しのヨブ」

「もちろんだとも。愛する人(マイ・フェア・レディ)

二人は暗い闇の中で歩み寄り、口づけをかわした。

その姿は、本当に愛し合っている者同士の睦みあいのように見えた。



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59話 憎悪と愛情

宇宙暦805年2月28日に始まったシリウス星域の決戦は、3月3日に終結した。

さらに1日経過した3月4日、銀河保安機構及び各国軍はいまだにシリウス星系に留まり、事後処理に努めていた。

第七惑星には恒星間航行能力は持たないとはいえ、いまだに〈蛇〉が残存していた。他星系のガス惑星でも同様の状況が発生している可能性があり、その対応については今後の課題となった。また、〈蛇〉に囚われたまま行方不明となっている民間人の救出も急務であった。

既にユリアン・フォン・ミンツの救出には成功しているため、彼が目を覚ませば、参考になる情報を知ることができると考えられた。

 

ユリアンは、旗艦ヒューベリオンの医療区画に搬送されていた。消化器内に侵入していた〈蛇〉によって栄養失調の状態に陥いり、一時的に気を失っていたが、容体は安定していた。

 

ユリアンは夢を見ていた。

 

そこでは、すべてのものが繋がり、感覚を共有し、感情を共有し、意識を共有していた。

人類の生み出した精神活動のすべてがそこには存在した。それだけではなく、かつてこの宇宙に存在した、あるいはこれから存在する、異星の精神の産物までもがその姿を垣間見せていた。

この宇宙に精神以上に貴重なものなどないことをユリアンはいまや理解していた。

時空すら超越し、ユリアンは全にして個、個にして全だった。

精神の無限の可能性が、本当に美しいものが、ユリアン、あるいはユリアンだったものの前に現れようとしていた。そのはずだった。

……しかし、そこに至る資格がユリアンにはなかった。

憎悪、怨恨、羨望、ありとあらゆる負の感情がユリアンの中に渦巻いていた。

それらは、ユリアンをその可能性から遠ざけ、ついには……

 

 

3月4日の夕方、ユリアンは目を覚ました。

どうやら寝ている間に泣いていたようだった。

体は拘束されていた。それは当然の処置だとユリアンも思った。

 

不意に横から声をかけられた。

 

「目を覚ましたか。急に涙が溢れ出して驚いたぞ」

ベッドの隣に座っていたのは、エルウィン・ヨーゼフだった。横にもう一人、エルウィン・ヨーゼフと同年代の少年が立っていた。彼のことをユリアンは知らなかった。

 

ユリアンはひとまずエルウィン・ヨーゼフに声をかけた。

「陛下……」

 

エルウィン・ヨーゼフはニヤリと笑った。

「婚約者達でなくて残念だったな」

 

スクリーン越しに顔をあわせたことはあったが、ユリアンがエルウィン・ヨーゼフと直接会うのは3年ぶりだった。

背は170cmを越え、体格もよくなり、風貌も大帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに以前よりさらに似てきていた。しかしその眼差しには威厳とともに、温かさが垣間見られるようにユリアンには見えた。

 

ユリアンは看護師に拘束を緩めてもらいながら答えた。

「いえ、そんなことは……しかし、どうしてこちらに」

 

「この艦隊にいるのは卿の救出に協力していたからだ。いざという時には卿に対する人質として使ってくれと伝えてあったのだが、ヤン・ウェンリーは結局そうしなかったな」

 

「そうだったのですね。大変なご迷惑を」

 

「気にするな。で、この部屋にいるのは、余と、このアルマリック・シムスン以外は皆忙しいからだ。それに、余自身が監視される側だからだ。卿と余、分散させておくより、一箇所に固めておいた方が監視しやすいだろう?」

 

「それはそうかもしれませんね」

そう言ったきり、ユリアンは黙り込んでしまった。

懐かしさもあったし、募る話もあるはずなのだが、ユリアンは話をする気分にはなれなかった。

 

不敬とも言える態度だったが、それよりもエルウィン・ヨーゼフはユリアンの様子の方が気になった。

「どうした?ユリアン?元気がないではないか?」

 

「陛下、僕は……」

ユリアンは言い淀んだ。

 

「何だ?言ってみよ」

 

「いえ、言えません。陛下だからではありません。婚約者達に対しても言えません」

ユリアンの表情は暗かった。

 

エルウィン・ヨーゼフはその様子を見て、苦笑いを浮かべた。

「ユリアン、余はヴェガ星域での敗戦の後、卿に励まされた。せっかくその時の借りを返せるかと思ったんだがな」

 

「すみません」

 

「我々は友達だよな」

 

その言葉にユリアンは胸が痛んだ。

「だから余計に話せないのです」

 

「それでは、ヤン・ウェンリーになら言えるのか?」

 

意表をつかれて、ユリアンは顔をあげた。

 

エルウィン・ヨーゼフは一つ頷いた。

「ヤン・ウェンリーから、卿が起きたら呼び出して欲しいと頼まれていたのだ。もうすぐ来るだろう」

 

「そうだったのですか」

 

エルウィン・ヨーゼフは立ち去る前に一つ、ド・ヴィリエからの言葉を伝えた。

「すべてはこれからだ、心せよ、だと。ド・ヴィリエ大主教は理由を教えてくれなかったが、余にも、今の状況には何か引っかかるものがある。お互い注意しておこう」

 

 

エルウィン・ヨーゼフがアルマリック・シムスンと共に立ち去って数分と経たずにヤンが姿を見せた。

「ユリアン、体は大丈夫か?」

 

「はい……ご迷惑をおかけしました」

 

「迷惑をかけたのはむしろ銀河保安機構かもしれないが……しかし、元気がないじゃないか」

 

ユリアンは思いつめた表情をしていた。

「ヤン長官……僕は生きていてよいのでしょうか?」

 

ヤンは表情を硬くした。

「その言葉を聞いたら救出作戦に関わったすべての人が悲しむか怒るかすると思うけどね」

 

「すみません。しかし、僕は」

 

「何だい?」

 

「僕は、みんなを憎んでいます」

 

ヤンは平静を保っていた。少なくとも表面上は。

「みんなって?」

 

「人類すべてを、です。デグスビイ主教やオーベルシュタイン中将だけじゃなかった」

 

「それは〈蛇〉の影響のせいだろう?」

 

「違います。〈蛇〉によって強められていたにせよ、元になる感情は僕のものだった」

 

ユリアンは頭を抱えた。

「僕は憎んでいるんです。それがわかってしまった。メグのことも、カリンのことも、ザビーのことも、リザのことも、地球財団の誰もかれも。エルウィンのことも」

 

ユリアンは顔をあげ、ヤンを見た。

「ヤン・ウェンリー、あなたのことも」

 

ヤンは思わず目を泳がせた。心に刺さるものがあった。

ヤンは思った。

ユリアンがヤンの養子となった、あり得たはずの歴史においてもユリアンは心に憎しみを抱いていたのだろうか。

ヤンは薄れかけた記憶を辿った。

その歴史で、ユリアンは常に「よい子」であろうとしていたように思えた。

しかし、心には不安と激情を隠していたことはヤンも理解していた。

ユリアンはヤンに親愛の情を向けてくれていたが、その一方で、ヤンを否定する者には強い憎しみを向けることが多かった。……一度だけ、ヤンに見放されたと感じたユリアンが、ヤンに対して激情を見せたことがあったようにも思う。

あり得た別の歴史では、ユリアンの心の闇と向き合う前にヤンは死んでしまった。

おそらくはそのヤン自身の死もユリアンの憎しみの種となったことだろう。

ユリアンは果たして、自分で自分の抱える負の感情に答えを出せたのだろうか。

 

ユリアンの独白は続いていた。

「僕は、生きている限り常にこの憎しみを抱えることになる。その結果、人類を、大切なはずの人々を、傷つけることになる」

 

ヤンは、再びユリアンの目を見た。

ユリアンの目に絶望と、救いへの渇望を見た。

「こんな僕が生きていてもよいのでしょうか?」

 

ヤンはこの世界に神がいるとすれば、一つだけ感謝したいと思った。

別の歴史ではなかった、ユリアンの心の闇と向き合う機会を与えてくれたことに。

 

ヤンは口を開いた。

「いや、ユリアン、そうではないと思う。何かを憎悪することのできない人間に、何かを愛することができるはずがない。私はそう思うよ」

それは取り繕った言葉ではなかった。ヤンの人間観に関わる言葉だった。

 

ユリアンはその言葉に目を見開いた。ユリアンは、何故だかヤンからその言葉を聞くことをずっと待っていたように感じた。

 

しかしユリアンの表情はすぐにまた暗くなった。

「しかし、僕はすべてを憎んでいるんですよ」

 

ヤンは言った。

「すべてを憎むことなどできないよ。憎しみが大きいのは、それだけ君の情が深い証拠だ。胸に手を当てて考えてごらん。君は憎しみを心に持っているかもしれないが、それでもやっぱり婚約者達のことを愛しているんだろう?」

 

ユリアンは顔をうつむかせてしばらく黙っていたが、やがて、一言口にした。

「はい。愛しています」

その目からは一筋、涙が流れていた。

 

「それなら、生きないといけないよな」

ヤンの言葉は自分自身にも向けられていたかもしれない。

 

ユリアンは静かに頷いた。

 

ユリアンの長い長い反抗期は今、一つの出口に辿り着いた。

 

 

 

 

ユリアンはその後、医師の診察を受け、身体と精神に大きな問題がないことが再度確認された。

 

夜になってからオーベルシュタインが、バグダッシュを伴って来訪した。

 

「オーベルシュタイン中将、ご迷惑をおかけしました」

 

オーベルシュタインに対して謝ったユリアンの姿に、目に見えて驚いたのはバグダッシュだった。ユリアンがオーベルシュタインに激しい憎しみを抱いていたことを知っていたからである。

 

オーベルシュタインは静かに返した。

「卿には恨みごとを言われても仕方がないと思っていたのですがな」

実際のところ、掴みかかって来られることもオーベルシュタインは想定していた。

 

「ええ、恨んでいますよ。いろいろと」

言葉に反して、ユリアンの表情も態度も落ち着いていた。

「でも、自分のしでかしてしまったことには責任は取らないといけません。いまだにどう取るべきかについては迷っておりますが」

 

「少し、変わられたか?」

 

「そうですね。少しだけ変わったかもしれません」

自分の負の感情をしっかりと認識できたこと、不謹慎かもしれないがそれだけは〈蛇〉に感謝するべきかもしれないとユリアンは思った。

 

「ふむ……」

 

オーベルシュタインとバグダッシュは、行方不明者の所在、既知領域に潜む〈蛇〉の情報、未踏領域の状況についてユリアンに事情聴取を行なった。

 

オーベルシュタインは最後に言った。

「実は、卿を今回の件で処断することを考えていました。昨日までは、ですが」

 

ユリアンはオーベルシュタインの目を見た。

「今は違うのですか?」

 

「それどころではないかもしれぬのです。伝えておりませんでしたが、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーはいまだに行方不明です」

 

「でも、声が聞こえましたよ?」

ユリアンはマルガレータと赤ん坊の声を確かに聞いていた。

 

「我々も聞きました。しかし、我々もそれがどこから発せられたものか把握できていないのです」

 

ユリアンは絶句した。既に救出されたものとばかり思っていたのだ。

 

その時、オーベルシュタインに通信が入った。

 

「急ぎ、艦橋に戻って来てください。長官の指示です。ユリアン・フォン・ミンツが動ける状態なら彼も一緒に、とのことです」






明日の朝にもう一話投稿予定です。


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60話 もう地球人では…… その1 無血の三月

オーベルシュタインはユリアンを伴って、ヒューベリオンの艦橋に戻った。

 

艦橋にはエルウィン・ヨーゼフやポプラン、シェーンコップ、アルマリック・シムスンも来ていた。

 

ユリアンはエルウィン・ヨーゼフと目があった。

エルウィン・ヨーゼフはユリアンの様子を確認して一つ頷きを返した。

 

情報局員がオーベルシュタインに報告した。

「殆どの惑星、艦隊と連絡が取れない状況となっています。新銀河連邦だけではありません。銀河全体が、です」

 

オーベルシュタインはユリアンを見た。

 

ユリアンは即座に首を横に振った。

「〈蛇〉として計画していた中にこんな事態をもたらすものはありませんでした。……勿論、僕個人としてもです」

 

技術局より報告があった。

「各地の支部にある一部無人艦艇と通信できました。無人艦艇を通じて惑星の地表を確認したのですが、人々は皆意識を失って倒れているようなのです。いずれの惑星もです」

 

長官付きの参謀の一人が尋ねた。

「有人艦艇の方はどうなんです?」

 

「内部の様子を確認できたのはごく一部ですが、同様に昏睡状態に陥っているようです。実は無事な有人艦艇もあったのですが、偵察のため居住星域に向かわせるとすべて通信途絶となりました。乗員が昏睡状態に陥ったものと思われます」

 

「全銀河で同時に昏睡が起きた……?」

 

何か思い当たるものがあるように感じたが、ユリアンには先に確認しておくべきことがあった。

「月はどうなのですか!?」

 

「保安機構の月支部も地球財団も、他の有人惑星と同様に連絡は取れておりません」

 

「そんな……」

 

その時、オペレーターが注意を喚起した。

「超光速通信を受信!発信元は月です」

 

「月?」

ユリアンはその通信が、地球財団からのものであることを期待した。

 

だが、艦橋の多くの者は警戒感を抱いていた。この状況で何故月から連絡が来るのか?

 

ヤンがオペレーターに告げた。

「繋いでくれ」

 

通信は、ヒューベリオンを通じて銀河各国軍の旗艦にも中継された。

 

スクリーンに映ったのは二人だった。

 

「やあ、諸君。私だ」

一人はトリューニヒト主席だった。

 

多くの者はもう一人の方、その隣の人物の容姿に目を奪われていたかもしれない。

亜麻色の髪の美しい少女だった。

だが、目を奪われた理由は、その美しさよりも、少女がユリアンに似ていたからだった。

よくよく見れば瞳の色も異なるし、顔貌も瓜二つと言うほどではない。

それでも血縁を思わせるほどには似ていた。

 

ユリアン自身も同じ思いを抱いた。

「お祖母様?いや、違う。でも……」

 

ポプランが声をあげた。

「月の幽霊騒ぎの時に見かけたことがあるぞ!やっぱり幽霊じゃなかったんだな」

 

ユリアンは幽霊騒ぎの際に、ポプランからお姉さんがいるのかと訊かれたことを思い出した。ポプランがその際に彼女を見かけていたのだとしたら、血縁者だと考えるのは当然のようにユリアンは思えた。

 

少女はユリアンを視認した。

「元気そうね。ユリアン・ミンツ。いえ、今はユリアン・フォン・ミンツか」

 

ユリアンがその少女と顔を合わせるのは、これが初めてのはずだった。

 

「あなたは誰ですか?ミンツ家の血縁者なんですか?」

 

「私のことはレディ・Sと呼んでもらえるかしら」

レディ・Sと名乗った少女は、悪戯っぽい表情を見せた。

「その上で、私が何者かという本質的な問いに答えてあげられるかどうかは、あなたのこれからの行動次第よ。ユリアン・フォン・ミンツ」

 

「どういう意味ですか?」

 

「盛り上がっているところ悪いが、そろそろ本題に入ろうか」

話に割って入ったのはトリューニヒトだった。

 

「突然だが、私、ヨブ・トリューニヒトは今この時をもって新銀河連邦主席の職を辞す」

 

艦橋が騒然となった。

「はあ!?」

「どういうことですか!?」

「この非常時に!?」

 

ヤンは思わず呟いた。

「私に対する嫌がらせの一環かな?」

トリューニヒトは、ヤンが長官就任後に何度も辞表を握りつぶしてきた張本人だったから。

そのトリューニヒトが先に辞めると言い出したことに対してヤンは複雑な気持ちになった。

 

トリューニヒトは、ヤンの場違いな呟きに反応した。

「勿論個人的な嫌がらせなどではないさ」

 

ヤンはトリューニヒトを睨んだ。

「今、新銀河連邦、いや銀河全体が緊急事態に陥っていることはご存知ですよね。無責任過ぎませんか?」

 

「知っているとも。今、銀河の人々の殆どが昏睡状態に陥っている。そしてだからこそ私は辞めるのだよ」

 

「では、どうして?」

 

トリューニヒトは笑みを崩さなかった。

「この事態を引き起こした組織に味方するつもりだからだ」

 

「組織?」

 

怪訝な表情のヤンに対してトリューニヒトは説明を続けた。

「私の新たな役職を紹介させてもらおう。地球統一政府高等参事官だ」

 

「「地球統一政府!?」」

再び艦橋が大きくざわめいた。

 

初めて人類を統一した存在として人類史に残るその名前。で、ありながら、あえて忘れられてしまった存在。かつての地球教団ですら復活させなかった、忌み名に等しきその名前が歴史に再び浮かび上がってきた瞬間だった。

 

ユリアンもエルウィン・ヨーゼフも、トリューニヒトが何故今更そんな名前を持ち出してきたのかわからなかった。

あるいは、ド・ヴィリエの警告と関係があるのか……。

 

トリューニヒトは作り物じみた笑みを深くした。

「そうとも。私が新しく属するのは人類の正統なる統治機構、地球統一政府だ。地球統一政府は今に至るまで存在し続けていたのだ。地球教団なる集団は、目くらましのピエロに過ぎなかったのだよ」

 

ユリアンは、心が波立つのを感じ、動揺した。

方向性はともかく、地球教団のメンバーは皆真面目に地球の復興を考えていた。それをピエロの一言で片付けられたことに、怒りが湧いてきたのだ。

そして、そのような感情を父親とも思っているトリューニヒトに対して抱いてしまったことの方にユリアンは動揺していた。

〈蛇〉の一件がなければ、ユリアンは自らの感情に振り回されることになっていたかもしれない。

 

アルマリック・シムスンも愕然としていた。

「馬鹿な。地球統一政府が残っていたなんて……」

 

トリューニヒトがスクリーンを介して、アルマリックを見た。

「驚くことかな?あなたは地球教団の陰謀さえ、ごく最近まで把握できていなかったではないか。それに、シリウスの亡霊であるあなたが現存するのだ。地球統一政府が残っていていけない道理はなかろうよ」

 

「なんてことだ……」

それは、アルマリック・シムスンにとって九世紀近くを無為に過ごして来たと言われているに等しいことだった。

アルマリックは苦悩に沈んだ。

 

レディ・Sはその様子を興味深そうに眺めていたが、やがて厳かに宣言した。

「地球統一政府九百年の計、人類四百億人安楽死計画『無血の夢(ブラッドレス・ドリーム)』、それは今まさに完遂される。安心なさい。人類は皆、眠るように死ぬのだから」

 

ビッテンフェルトが怒鳴った。

「人類の安楽死だと!?ふざけたことをぬかすな!」

 

ビッテンフェルトの言葉にも少女は臆する様子を見せず、むしろ怒りを抱いたようだった。

「大真面目よ。私がどれだけ気を遣ったか、わかっているの?痛みもなく、夢見心地で死んでいけることを、銀河人類は私に感謝すべきなのよ」

 

「人を小馬鹿にするのも大概にしろ!この、大人ぶった小娘が!」

 

ビッテンフェルトはその後も罵倒を続けていたが、レディ・Sは無視することに決めたようだった。

 

彼女は片手を上げた。

「地球統一政府の代理人として、私はここに宣言する。母なる星を捨て、銀河系に広がった罪深い人類を淘汰する。八世紀にわたる誤った歴史、人類が地球を捨てていた時代の歴史を消滅させる」

 

レディ・Sは、一呼吸おき、微笑んだ。

蠱惑的な笑みだった。

 

 

「そう、人類の歴史は再び地球から始まるのよ」

 

 

 

ユリアンは、時折感じていた。

どこかで誰かが、自分を含めた数百億人の運命をその指先に乗せている、と。

その妙な感覚の正体がわかった気がした。



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61話 もう地球人では…… その2 ギャラルホルンは鳴った

すみません、投稿までに少し間が空きました







トリューニヒトは銀河の状況をヤン達に説明した。

 

宇宙暦805年3月4日午前10時にそれは起こった。

 

この時、いまだに〈蛇〉は既知領域各所に残存しており、そのために各国は不要不急の恒星間航行の自粛を要請していた。

これが最悪の結果につながった。

 

オリオン連邦帝国ヴァルハラ星域

 

帝都オーディンを抱えるヴァルハラ星域を一隻の商船が遊弋していた。その商船はオーディンに少しずつ近づいていた。

いま少し時が経てば不審に思った警備艦が臨検を試みたかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

 

商船から突如時空震が発生した。

ワープしたわけではなかった。

商船は依然としてそこに存在し続けた。

メッゲンドルファーの開発した時空震連続発生装置、それと同様のものを商船は搭載していた。

 

メッゲンドルファーの装置は実のところオリジナルが地球統一政府に存在したのだった。

 

その震動は弱まりながらも星域の広い範囲に伝播し、オーディンの大気とぶつかって一定の周波数の音波を惑星内に発生させた。

星域を航行中の艦艇の内部に対しても同様だった。

 

同様のことはハイネセンでもフェザーンでも、キッシンゲンでも起きていた。

 

この音波が人々に与えた影響は深刻だった。

 

銀河人類が、生殖能力が低下するようにゲノム改変されていた事実は、ユリアンによって既に暴かれていた。

 

このゲノム改変の首謀者は地球統一政府、あるいはその亡霊だった。

地球統一政府は、影で働きかけを行うことで擬似科学の蔓延、生命科学者の弾圧を引き起こし、長期的に生命科学を衰退させた。

これによって、銀河帝国の時代には、銀河人類は生命科学的面での攻撃に対する分析・防御手段を失うことになった。

これによって、地球統一政府は、人々に気づかれずにゲノム改変を行うことが可能となった。

ユリアンが生命卿事件において行なっていたように、生活用水や食品にゲノム改変薬を混入させることで。

 

ゲノム改変の目的は出生率の低下だけではなかった。死に繋がる爆弾すら、地球統一政府は人々のゲノムに埋め込んでいたのである。

 

古来、音などの刺激で誘発される痙攣を伴う先天性の疾患の存在は知られていた。

地球統一政府の時代は、後世と比較しても生命科学の発展していた時代だった。

地球統一政府は、一定の周波数の規則的な音波によって、痙攣や意識喪失が引き起こされる疾患と関連する一連の遺伝子群とその変異を発見していた。

地球統一政府はゲノム改変によってそれを意図的に銀河人類に埋め込んだのだった。

 

時空震連続発生装置によって発生した音波は、まさに銀河人類が意識を失う周波数であった。

 

隠密に動く必要のある地球統一政府にとって、銀河中のすべての可住惑星に時空震連続発生装置を備えた艦艇を一隻ずつ派遣するという力技は難しかった。

このため、同装置を持った艦艇は、人口の多い主要惑星、軍港などの主要軍事施設に絞って派遣された。

 

それでは、他の可住惑星についてはどうだったのか?

 

その他の可住惑星に破滅の音波をもたらす為に、地球統一政府は別の伝播方法を用意していた。

 

一つが「驢馬の耳(アスズ・イアー)」と呼ばれる金属繊維である。

「驢馬の耳」は、音声を減衰させずに伝達させる性質を持っており、主に盗聴目的に使用され、地球統一政府の重要機密となっていた。

 

「驢馬の耳」には、内部に伝わった信号を、外部からの一定周波数の音波の刺激により再度音波に変換する性質も持っていた。

地球統一政府は「驢馬の耳」を、地球時代の巨大企業群ビッグ・シスターズの流れを汲む建築材生産企業の製品に仕込んでいた。

この製品は九百年のうちに広く銀河中の建築物に使用されていた。

 

時空震連続発生装置搭載艦を派遣できなかった惑星では、同じく九百年の間に設置されていた小型の音波発生装置が起動した。それは極低周波爆弾と同様の原理によるものだった。

その音波は、地下など通常は音波の届かない場所にも建築材に埋め込まれた「驢馬の耳」を介して伝播した。

 

各星系を警備する艦艇についてはどうだったのか?

平和な時代となっていた既知銀河は、恒常的な超光速通信ネットワークで繋がるようになっていた。

警備艦隊は互いにネットワークで結びついていた。

地球統一政府は、情報技術でこの時代の水準を上回っており、そのネットワークを乗っ取ることに成功していた。流石に、簡単にというわけではなかったが。

各星系の警備艦艇にはネットワークを通じて音波が送り込まれることになった。

 

 

 

結果、銀河中に銀河人類を昏睡させる音が鳴り響いた。

それは、既知銀河に終末を告げる角笛の響きのようでもあった。

 

大規模な軍事施設に対しても時空震連続発生装置搭載艦が派遣されており、宇宙空間を介して伝わる音波によって、各国艦隊の大部分は無力化された。

 

恒星間航行中の艦艇の中には被害を免れるものもいたが、銀河中の殆どの人々は〈蛇〉の被害回避のために惑星内に留まっており、その数は僅かだった。

地球統一政府は、わざとこのタイミングを狙って事を仕掛けたのだった。

 

一時的に音波を免れたものがいても、どこかでこの音波に晒されてしまえば終わりだった。

 

最終的に銀河人類の99%以上が昏睡状態に陥った。

 

 

これが銀河人類四百億人安楽死計画『無血の夢』のほぼ全貌だった。

 

 

ヤンとユリアンはタイムワープによって過去に戻った時に受けた謎の攻撃を思い出していた。あれがゲノム改変の影響によるものだと、ようやく理解した。

 

「この計画は二段構えで、本来はゲノム改変と戦乱による人口減少だけで事は片付く筈だったのだけど。そうすれば弱体化した銀河人類を我々が平和のうちに支配できたのに。

でも、ヤン・ウェンリーの動きの所為で銀河は平和になってしまったし、ユリアン、あなたのせいでゲノム改変のことが露見してしまったから、こんなことになったのよ」

そう語るレディ・Sは、ユリアンの方を見ていた。

 

ユリアンとしては忸怩たる思いだった。気づいて然るべきだったのではないか、と。

 

レディ・Sの視線には憐れみがこめられていた。

「下手にユリアンの動きを掣肘した所為で、中途半端なことになってしまったわね。あのまま好きにやらせておけばもしかしたら今頃銀河人類は助かったかもしれないのに」

 

ヤンはその発言を無視して、問うた。

「それで、我々に親切にも状況を教えてくださったのは一体どういうことです?」

 

トリューニヒトが答えた。

「決まっているだろう?状況が絶望的だとわからせた上で、降伏勧告を行うためさ」



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62話 もう地球人では…… その3 矢は放たれた

「決まっているだろう?状況が絶望的だとわからせた上で、降伏勧告を行うためさ」

 

トリューニヒトの答えにヤンは問いを重ねた。

「降伏?そうしたら四百億人を助けてくれるんですか」

それが条件ならばヤンの考慮にも値したが、そうではなかった。

 

「それは無理だな。しかし我々も人類全員を完全に滅ぼすつもりではない。月と各地で生き残った者達を統合するために武力は必要だ。我々に降伏して協力するというなら、悪いようにはしない」

 

ヤンは即断した。

「お断りします。死にかけている四百億の人々を見殺しにはできない」

 

「この絶望的な状況でも?ヤン君、私に頭を下げたくないのはわかるが、君の部下達の為だ。悪いことは言わない。降伏したまえ」

 

「……降伏はしません」

部下のことを持ちだされて、ヤンにも多少の迷いは生じた。しかし、四百億人を救えるものなら救うべく足掻きたかった。

 

トリューニヒトはあっさりと矛先を変えた。

「では、ユリアン君はどうかな?」

 

ユリアンは今更何故自分が声をかけられたのかわからなかった。しかし、いくら敬愛するトリューニヒトの願いとはいえ、拒絶以外の選択肢はないように思えた。

 

それを察したのかトリューニヒトは、口を開こうとするユリアンを制止した。

「ああ、返事は少し待ってくれたまえ」

 

トリューニヒトは合図をした。

 

地球財団の制服を着た者達が、一人の女性を連れてきた。病院服を着たその女性は手枷をつけられながらも、腕で赤ん坊を抱いていた。

通常であれば、地球財団の人間が彼らに協力していることにユリアンは衝撃を受けていただろう。しかし、それどころではなかった。

 

ユリアンは思わず涙が溢れてきた。

「メグ!」

 

「ユリアン」

その女性、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは憔悴した様子だったが、ユリアンに気づき、微笑んで見せた。

 

トリューニヒトも微笑んでいた。

「ご覧の通りさ。今や月は地球統一政府の統治するところだ。彼女をはじめ、君の婚約者達は我々が保護している。君の子供もだ。わかるだろう?あとは君の判断次第だ」

 

ユリアンは、どう答えるべきかわからなくなった。

四百億人を殺そうとしている彼らが正しいとは到底思えなかった。しかし一方で、婚約者と子供を人質にとられていては、簡単に拒絶することもできなかった。

 

悩むユリアンにヤンが声をかけた。

「君がどう答えようと責めたりはしないよ」

 

「ヤン長官……」

それでも決断できないユリアンに対して、マルガレータが声をかけた。

 

「拒否するんだ、ユリアン」

 

「メグ。でも……」

 

レディ・Sが口を挟んだ。

「いいの?あなたの子供の安全が関わっているのよ?」

 

マルガレータはユリアンに語りかけた。

「ユリアン、安心しろ。何かあったら、私が子供も他の者達も守るから」

 

ユリアンは叫んだ。

「そんなの危険だよ!」

 

マルガレータは不愉快げに眉を動かした。

「違うだろう?いつものように言えばいいじゃないか」

 

「いつもって?」

 

「私のことをいつも散々煽ってくれていただろう?」

 

「いや、でも今の君は……」

 

「ユリアン、私はお前の何だ?」

 

「僕の伴侶だよ。僕が守りたい存在だ」

 

マルガレータはユリアンを睨んだ。

「ユリアン、怒るぞ。私は守られるだけの存在になるつもりはない。お前と対等に並び立てる存在になりたいんだ」

そこまで言ってマルガレータは表情を緩めた。

「だから。な?こちらのことは私に任せてくれ。頼む」

 

レディ・Sは呆れたように首を振っていた。

「難産の後なのに、この娘は……」

 

ユリアンは迷った。しかし、結局はマルガレータの望みを叶えたいと思った。ユリアンが恋い焦がれたのは強く真っ直ぐな彼女の姿だったから。

「わかった。そこまで言うなら、君が口だけじゃないことを見せてよ」

 

マルガレータは、満面の笑みを浮かべた。ユリアンに煽られて喜ぶ日が来ようとは、彼女も思っていなかった。

「勿論だとも」

 

「ねえ、痴話喧嘩か惚気話なのか知らないけど、勝手に話を進めないでよ」

放っておかれたレディ・Sは不機嫌になっていた。

 

「レディ・S、それにトリューニヒトさん」

ユリアンは決意した。

 

「僕は、あなた方には従えない。最後まで抗わせて頂きます」

 

トリューニヒトは興味深げにユリアンを見つめた。

「本当にいいのかね?待っているのは絶望だぞ?」

 

「はい。決めました」

 

「そうか。それならばせいぜい頑張りたまえ」

状況にも関わらず、トリューニヒトの視線は優しげでさえあった。

 

ユリアンは思わず呼びかけた。

「トリューニヒトさん!」

 

「何だね?」

ユリアンに向けられたその声音もその表情も、幼い頃から見慣れた、敬慕してきた人のそれだった。

 

だからユリアンは尋ねた。

「なぜ、こんな事をしたのですか?」

 

「扇動政治家がいかに危険か。民主共和政の健全な発展を促すべくあえて反面教師役を務めようかなと思ってね」

 

「まさか、そんな意図が……」

 

「……無論そんなわけはない」

 

「では、どうして!?」

 

トリューニヒトはわざとらしく笑みを深くした。

「決まっているじゃないか、自分自身の福祉のためだよ」

 

「そんなはずはない!あなたはそんな人ではないはずです。きっと何か事情があるのでしょう!?」

ユリアンの心からの叫びにも、賛同の声は上がらなかった。

今の状況になってまでトリューニヒトを信じられる者は少なかった。

 

「さようなら、ユリアン君。君の幸運を願っているよ」

最後に、そう言い置いてトリューニヒトは姿を消した。

 

マルガレータも連行された。

彼女が気丈な表情を見せていたこと、赤ん坊が安らかに眠っていたことがユリアンにとっては僅かな救いだった。

 

最後にレディ・Sが残った。

「それじゃあ、時間もそれなりに稼げたことだし、最後にプレゼントよ。オーベルシュタイン中将」

 

声をかけられたオーベルシュタインは短く答えた。

「何だ?」

 

「私達の活動をあなたは把握できなかった。不思議に思っていることでしょうね」

 

「……」

 

「返事は別にいいわ。答えはね、こういうことよ。『永遠の夜の中で、明ける時を待ちながら飲む一杯のコーヒー』」

 

その瞬間、シリウス星域に集まっていた艦艇の9割において、ネットワークに接続された機器に何らかの障害が発生した。

 

ある艦では下水設備に不具合が発生し、艦内が汚水まみれとなった。

ある艦では対空砲が勝手に作動し、隣の艦を傷つけた。

エンジンが暴走し爆発した艦も出現した。

 

ヒューベリオンも被害を免れなかった。

空調設備に障害が発生し、一方で複数の武装が動作不能となった。

艦橋においても事件が起こった。

オーベルシュタインの義眼が突如高熱を発し、爆発したのである。

 

「不用意に電子の世界に飛び込んで来た報いよ」

オーベルシュタインはその義眼をネットワークに接続していた。それによって各所のコンピュータや監視カメラにアクセスするなど、ネットワークを利用した情報収集を人知れず実施していた。

そのことを、地球統一政府に利用された形だった。

 

「情報通信技術の発展浸透の初期にはセキュリティ技術の開発がどうしても後手に回ることになる。地球統一政府の技術を承継する我々にとって、今のような発展期は付け入るのに最適なのよ。そうなるように我々も仕向けていたんだけど」

 

レディ・Sはクスッと笑った。

「まあ、要するに、オーベルシュタイン中将の諜報活動はかなりの部分筒抜けだったというわけよ。残念だったわね」

 

殆どの者は事態の収拾のために動いており、彼女の話を聞いている余裕はなかった。

 

そのことに気づき、レディ・Sは肩を竦めた。

「それじゃあ半壊した艦隊で我々にどう立ち向かうのか、頑張って考えて頂戴ね」

 

通信が切れた。

 

銀河保安機構及び各国軍に残された戦闘可能艦艇は、僅かに四千隻程だった。





少し忙しくて再度投稿遅くなりました。


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63話 もう地球人では…… その4 給料は出なくとも

レディ・Sが通信室を出ると、トリューニヒトがマルガレータ達と共に待っていた。

 

トリューニヒトはレディ・Sに声をかけた。

「悪役、お疲れ様」

 

「私は地球統一政府のエージェント。仕事を果たしたまでよ。ヨブこそ大変だったわね」

 

「いやいや、君の助けになるなら本望だよ」

 

「随分と仲睦まじいんですね」

口を挟んだのはマルガレータだった。

 

レディ・Sは笑顔を見せた。仲睦まじいと言われたのが本当に嬉しいかのように。

「羨ましい?ユリアンが降伏してくれていたらよかったのにね。もう会えないかもしれないわよ」

 

「ユリアンとヤン長官なら、どうにかしてしまうでしょう」

 

「ふうん。でもその前にあなたが先に殺されることは考えないの?」

 

「あなたに私達は殺せない」

 

「……なんで、そう言い切れるの?」

 

「あなたがユリアンに似ているから」

 

レディ・Sは不快げに眉をひそめた。

「それ、理由になっているの?」

 

「容姿のことではないわ。心根のことよ。短い付き合いだけど、あなたは私の子供のことを気にかけてくれた。四百億人を殺すという話も、きっと望んでのことではないのでしょう?」

 

レディ・Sは一瞬答えに詰まった。

「……望む望まないじゃなくて、私は必要だから殺そうとしているのよ。私にはそれができてしまうのよ」

 

「それなら、必要になるまでは私は殺されないのね。安心したわ」

 

「む……」

 

トリューニヒトが仲裁に入った。

「まあまあ、今は仲良く様子を見ようじゃないか。彼らが本当にどうにかできるものならだがね」

 

 

その頃シリウス星域では、保安機構、各国軍共に事態の収拾に奔走していた。

 

残された戦闘可能艦艇はそれぞれ、下記の通りだった。

銀河保安機構千隻

自由惑星同盟(ホーランド)二百隻

独立諸侯連合(プレスブルク)八百隻

オリオン連邦帝国(ビッテンフェルト)二千隻

 

オリオン連邦帝国に比較的無事な艦艇が多かったのは電子化が遅れていたためである。

動かせる艦艇が減ったこともさることながら、より大きな問題は残された艦艇すらどこまで信じられるかわからないという点だった。

仮に地球統一政府を追い詰めたとしても、いざという時に艦艇が動かなくなってしまえば、形勢は一挙に逆転してしまう。そのようなトラップが仕掛けられていないとは誰にも言えなかった。

 

これ以上の被害を出さないために、外部との通信は妨害電波によって遮断されることになった。

また、敵の時空震連続発生装置搭載艦による昏睡被害を防止するために、パッシブシールド構築、保安機構が所有する時空震連続発生装置による逆位相発生による時空震無効化の対応が技術局預かりのメッゲンドルファーを中心に急遽進められた。

 

人員にも損失が発生していた。

多数の人員が、各艦の設備の暴走に巻き込まれた。艦が吹き飛んだ場合には当然ながら人員がまるごと失われてしまった。

将官にも被害が出ていた。艦橋の防御設備の暴走により、独立諸侯連合軍司令官のプレスブルク中将が負傷した。

また、ミュラー司令長官自身は無事だったが、その高級幕僚数名が負傷していた。

 

義眼が爆発したオーベルシュタインは血塗れとなり、ヒューベリオンの艦橋に倒れた。そのダメージは脳にも達していただろう。

担架に乗せられながらも、オーベルシュタインはヤンに声をかけた。

「ユリアン・フォン・ミンツを補佐として用いて下さい」

 

一番驚いたのはユリアンだったかもしれない。

「オーベルシュタイン中将、僕は銀河を危機に陥れた人間ですよ!」

 

「そうも言っていられぬ状況です。小官は事態打開のために使えるものは使うべきだと主張しているのです。卿の用兵家としての手腕を」

そこまで言うと、オーベルシュタインは気を失った。

 

オーベルシュタインの発言には二つの効果があった。

仮にヤンが直接ユリアンを補佐として望んだとしたら、私情を優先しているとして軍内に反発が生まれていた可能性もあった。ユリアンに対する最強硬派と目されていたオーベルシュタインの発言だからこそ、受け入れられやすかった。

もう一つはユリアンの退路を断つ効果である。ユリアンは地球統一政府への降伏を拒んだが、トリューニヒトへの情から銀河保安機構に積極的に協力しない可能性もあった。しかし、明確な役割を与えてしまえば、ユリアンは性格からその役割を果たしてしまうとオーベルシュタインは考えていた。

 

「使えるものは使う、か……」

アルマリック・シムスンはオーベルシュタインの発言を聞き、何やら考え込んでいた。

 

ヤンはユリアンに要請した。

「オーベルシュタイン中将はあの状態だ。私としても君に補佐についてもらえるならありがたい。受けてくれないか」

 

ユリアン自身に断る選択肢はなかった。

「……わかりました。皆さんが認めてくださるなら」

 

オーベルシュタインの発言があった上で、さらに異論を唱えるものはいなかった。ユリアンの人間性に疑いを持つ者は依然としていたが、能力を疑う者はいなかった。そしてこの危急の時に人間性を問う余裕がないことを皆認識していた。

 

艦橋のどこかで、会話がかわされていた。

「ヤン司令官に、ユリアン参謀長、銀河最強の組み合わせじゃないか」

「でも、率いられる艦隊の方は貧弱極まりないじゃないか。これで勝てるのか?」

「いや、奇跡の(ヴンダー)ヤンと驚異の(ワンダー)ユリアンならきっとやってくれる」

「ペテン師コンビの間違いだろう」

「おい、聞こえるぞ」

 

 

別のところでは別の人物が呟きを発していた。

「人類を、守るために、ヤン・ウェンリーと、ユリアン・ミンツが、太陽系で、地球統一政府と、戦う」

ポプランは奇妙に音節を区切った。

「いくつかの文章を文節ごとに分解して違う文節と組み合わせる遊び、あれを思い出すな。生きていると退屈しなくて済むぜ。陰気な顔をしているけど、あんたはそう思わないか?」

 

問われたアルマリック・シムスンは何かを決意した様子だった。

「確かに退屈はしませんね。ここに来てやり残したことに気付かされるのだから」

 

 

ヤンは少し考えた後に、もう一人別の人物にも声をかけた。

「エルウィン・ヨーゼフ陛下」

 

ヤンとユリアンの握手を微笑ましく見守っていたエルウィン・ヨーゼフは少し驚いた。

「何か用か?」

 

「使えるものは使うという点では、あなたの用兵能力も遊ばせるのは惜しい。協力してもらえませんか?」

 

「それは構わんが、いいのか?あなたにしろ、兵達にしろ、余のことを信用できるのか?」

 

エルウィン・ヨーゼフは艦橋を見渡したが、多少怯えの篭った表情が見受けられた一方で、少なくとも反対の意見は出なかった。

 

「状況が状況ですし、あなたはユリアン救出作戦にも協力していますからね。私としては、ユリアンが私に協力する限りはあなたも協力してくれると考えていますよ」

 

エルウィン・ヨーゼフは帝王然とした笑顔を見せた。

「その認識は正しい。ならばよろしく頼む」

 

ヤンとエルウィン・ヨーゼフは握手を交わした。

威厳の差から、周りからは、皇帝が巡幸先でしがない青年と握手しているようにも見えた。

 

エルウィン・ヨーゼフはヤンに改めて尋ねた。

「それで、不敗のヤン提督殿は、勝つ算段を既に立てているのかな?」

 

ヤンは頭をかいた。

「問題はそこなんですけどね……」

 

 

ここで急にオペレーターが警告を発した。

「接近する艦艇あり!非戦闘艇のようです。こちらに通信を求めています」

 

艦橋で警戒の声が上がった。

「怪しすぎる!」

「敵だろう?例の音波を聞かされるんじゃないのか!?」

 

ヤンは落ち着いていた。

「それなら時空震発生装置を使うだろう。多分あの艦は違うよ。妨害電波一部解除。念のため、通信を時限で切れるようにしつつ、繋いでくれ」

 

通信に出たのは意外な人物、トリューニヒトの「元」秘書官、リリー・シンプソンだった。




体調不良でした……


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64話 もう地球人では…… その5 いつの日か、ふたたび

リリー・シンプソンがもたらした情報は驚くべきものだった。

彼女は開口一番にこう言った。

「トリューニヒト先生は新銀河連邦を裏切っていません!」

 

ヤン達は半信半疑ながらも彼女の話を聞くことになった。

 

彼女の話は宇宙暦780年にまで遡った。

 

当時、トリューニヒトは政治家への野心を持った警察官僚だった。

トリューニヒトは一人の女性と出会った。

それが、レディ・Sだった。

今の容姿のままで、当時は「ダニエラ・ソレル」と名乗っていた。

トリューニヒトには初対面とは思えなかったという。

まるで十億年前から知っているかのような感覚に陥った。

それは、「ダニエラ・ソレル」も同様だったらしい。

二人はすぐに恋におちた。

 

「ダニエラ・ソレル」は補給艦勤めの女性兵士だった。

軍務でハイネセンを離れていることも多かったが、二人は愛を深めあった。

 

「ダニエラ・ソレル」が銀河帝国との戦いで「戦死」するまでの間。

 

トリューニヒトの政治家志望は以前からだったが、彼が国防族を志向したことには彼女の戦死の影響がないとは言えなかった。

 

その後、若手の国防委員として頭角を現しつつあったトリューニヒトは、エンダー・スクールの視察の際にユリアン・ミンツと出会った。

トリューニヒトが当初ユリアン・ミンツに関心を持った理由は「ダニエラ・ソレル」を彷彿とさせる容姿だったことは想像に難くない。その後、目をかけ続けることになったのは、ユリアンの才能ゆえのことだったとしても。

 

「ダニエラ・ソレル、レディ・Sがいなければ、あなたがトリューニヒト先生と関わることはなかったかもしれないわね」

リリー・シンプソンはユリアンに試すように言葉をかけた。

トリューニヒトに見出された少年少女、トリューニヒト・フォーの一人であるリリー・シンプソンは、他の三人同様にトリューニヒトによるユリアンの特別扱いが内心面白くなかったのだ。

 

「そうかもしれませんね」

ユリアンの返事は素っ気なかった。

 

期待した反応を得られなかったのか、リリー・シンプソンは面白くなさそうに説明に戻った。

 

死んだはずの「ダニエラ・ソレル」、レディ・Sとトリューニヒトが再会したのは、トリューニヒトが新銀河連邦の主席となってからだった。

二人はトリューニヒトの私邸で密会を繰り返すようになった。

リリー・シンプソンは、その密会を偽装するために「トリューニヒトの愛人」という噂を立てられることになった。

 

レディ・Sは地球統一政府のエージェントだった。

だがトリューニヒトは、単純に地球統一政府に協力したわけでもなかった。

トリューニヒトはレディ・Sから地球統一政府の情報を入手し、それをリリー・シンプソンに伝えていた。

 

・地球統一政府の本体は月に設置された巨大電子頭脳「マザーマシン」であること

・かつての地球統一政府の為政者達はシリウス戦役における敗戦の際に「マザーマシン」に自らの人格を転写したこと

・その人格群も長い年月の末に個別の人格を失い、地球を捨てた銀河人類への恨みのみで動いていること

・「マザーマシン」は月面地下大深部の座標**.**.**に設置されていること

・月の民は、ある種の化学物質の存在下で地球統一政府の命令に従うように、銀河人類とは別種のゲノム改変を施されていること。そのために現在は地球統一政府の指揮下にあること。

・月の民以外の地球財団職員、銀河保安機構月支部員、その他月都市市民は拘束されて一箇所に集められている(だろう)こと。

・銀河保安機構所属の警備艦隊は地球統一政府に掌握されていること

・詳細不明ながら太陽系には別に防衛の備えがあること

・銀河人類を昏睡させている音波は「マザーマシン」の指令で出されており、「マザーマシン」さえ破壊すれば止まること

 

 

いずれも現在のヤン達には貴重な情報だった。

また、地球財団職員が地球統一政府に従っているように見えた理由もこれによって判明した。地球財団職員の主要構成員である月の民が操られていたのである。

ユリアンとしては、裏切られたわけではないことが確認できて安堵する一方、地球統一政府の人々の自由意志を無視した行いに改めて怒りが湧いてきていた。

アルマリック・シムスンは、敵も電子頭脳であったことに不思議な感慨を覚えていた。そして、自分も敵も亡霊のようなもの、いつまでも現世に関わり続けるべきではない、とも。

 

副官のスールズカリッター大佐がヤンに尋ねた。

「トリューニヒト元主席からの情報、信用できるのですか?」

 

「正直確証はない。しかし、ずっと不思議だった。私がトリューニヒトやレディ・Sの立場だったら、我々に反抗の機会など与えずとっくに我々を殲滅しているだろう」

 

「そんな……」

スールズカリッター中佐だけでなく、多くの者にとってそれは受け入れ難い事実だった。

 

「なんせ、我々は今回のことに関して全く対応できていなかったのだから。そうなっていないこと自体が、トリューニヒトが地球統一政府と別に、何らかの意図を持って動いていることの傍証に思える。それに、地球統一政府に黙従するのと、地球統一政府と我々を両天秤にかけるのと、どちらがトリューニヒトらしい行動かというと……」

 

「確かにあの御仁なら、我々と地球統一政府の両方を利用することぐらいやりかねませんな」

そう応じたのはシェーンコップだった。

 

「何を考えているかまではわかりかねるけどね。シンプソン秘書官、何か聞いているかい?」

 

「一言だけ『ヤン君、ユリアン君、上手くやれるものならやってみたまえ』とのことでした。しかし、トリューニヒト先生は銀河のために行動されています!それは間違いありません」

 

その言葉に少しでも肯定的な反応を示したのはユリアンだけだったが。

 

ヤンは溜息をついた。

「まあ、我々が勝ってトリューニヒト「元」主席を問いつめる機会が得られたらわかることさ」

 

「それで、新しい情報を元に、勝てる算段は整ったのか?」

エルウィン・ヨーゼフが改めてヤンに質問した。

 

ヤンはベレー帽をクシャクシャと潰しながら答えた。

「まだ、いくつか、足りないものがあります。一つは情報です。ちょうど相談させて頂きたかったところです。ユリアン、君も来てくれ。あと……シムスンさんも」

 

三人を集めたヤンは、相談を始めた。

「地球統一政府の備えがわからない。流石に無策のまま突っ込むわけにはいかない。これに関して何か心当たりはありませんか?」

 

ユリアンはエルウィン・ヨーゼフの顔を見た。エルウィン・ヨーゼフはユリアンに一つ頷きを返した。

 

ユリアンは答えた。

「一つ、心当たりがあります」

 

「何だい?」

 

「小惑星帯です」

 

「小惑星帯?」

 

「かつてのシリウス戦役の際に、地球統一政府は小惑星帯を最後の防衛線としていたのはご存知ですよね?」

 

「もちろん」

 

「太陽系の小惑星帯が最終防衛線に必ずしも適していないのは、太陽系で戦ったことのあるヤン提督もご存知の通りです」

 

太陽系の小惑星帯とは、第四惑星火星と第五惑星木星の間に広がる数百万個の小惑星群のことを指す。

しかし、宇宙空間の広大さと比較すれば、小惑星の密度は非常に低く、例えば待ち伏せを行うにもあまり適しているとは言えなかった。また、その多くが太陽系円盤上に集積しているため、別の方向から地球に向かえば、小惑星帯を気にせず地球侵攻を果たすことも可能だった。

実際、神聖銀河帝国戦争時にはヤンもそうしていた。

 

では、そのような小惑星帯が何故地球統一政府宇宙軍の最終防衛線となり得たのか?

 

アルマリック・シムスンが呟いた。

「太陽系の小惑星帯に要塞群が構築されていたと聞いたことがある」

 

ユリアンは頷いた。

「その通りです。しかも、機動要塞です。と言っても、ファルケンルスト要塞やガイエスブルク要塞程の規模のものではありませんが。サイズ的にはアルテミスシステムが近いでしょう。手頃なサイズの小惑星を利用することで、小型の機動要塞を地球統一政府宇宙軍は無数に用意したのです。船体が不要な分、艦艇より安上がりだったかもしれません」

 

航行機能とワープ機能を搭載した、見かけは小惑星と区別がつかない無数の要塞群。黒旗軍が地球を扼すべく侵入してくれば、要塞群は移動して、艦隊と連携してこれを防いだ。これによって小惑星帯は地球統一政府の最終防衛線たり得たのである。

 

「実際、神聖銀河帝国にも小惑星帯に機動要塞群を構築する計画があり、準備も進んでいました。ヤン提督の侵攻が早過ぎたので戦力とするには間に合いませんでしたが」

 

「機動要塞か……」

 

「その際、ある程度構築の進んでいた要塞については取り決めに従い、爆破したはずだったのですが、遠隔で行なったため、もしかしたら……」

ユリアンはいつ爆破の指令を出したかについてはあえて言わなかった。

ユリアンとしては、木星における講和が失敗した際には、小惑星帯に構築した要塞に拠ってゲリラ戦を行うことも考えていた。講和が無事に成立したことでその必要もなくなり、そのタイミングで爆破の指令を出していた。

 

「爆破が地球統一政府によって阻止され、さらに準備が進められた可能性もある、か」

それは、地球統一政府が一から準備を進めていたと考えるよりは余程現実味があった。

 

ヤンも腑に落ちたようだった。

「ありがとう。細かいところは後で詰めるとしても、これで一つ解決した。残る問題は、無い物ねだりと言うべきかもしれないのだけど……」

 

「それについては私が協力できるかもしれません」

そう発言したのは、アルマリック・シムスンだった。

 

アルマリックの説明を聞くにつれ、ヤンの顔に笑みが浮かんできた。

「よし、これでなんとかなるかもしれない!」

 

銀河人類を救うための算段がここに整った。

 

 

 

その通りに進むかどうかは、未だ人の知るところではなかった。



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65話 もう地球人では…… その6 運命の前日

ヤン・ウェンリーとその一行は急ぎ準備を整え、シリウス星系を出発した。

太陽系到着は3月6日に日付が変わってからになる。

銀河人類は、その間水分の補給も出来ずに昏睡状態に置かれたままであり、その健康状態は刻一刻と悪化していった。

人は、水分を全く補給しないで4日〜5日以上生存を続けることはできない。それはこの時代でも同じだった。

太陽系到着後には、銀河人類全滅までに1日程度しか猶予はないと言えた。

 

太陽系到着までには一定の時間が存在するということでもあり、銀河保安機構及びその協力者達は、その時間を準備や休息に充てることになった。

 

 

 

リリー・シンプソンは落ち込んでいた。ヤン・ウェンリー達に話は聞いてもらえたが、トリューニヒトが裏切っていないことは納得してもらえなかったからである。

リリー・シンプソン自身もトリューニヒトが裏切っていないという確たる証拠は持っていなかったから当然ではあった。しかし敬愛するトリューニヒトが人類と地球統一政府を両天秤にかけているなど、彼女にとって到底信じられることではなかった。

 

「シンプソンさん、大丈夫ですか?」

声をかけてきたのはユリアンだった。

 

リリーはユリアンに弱味を見せるつもりはなかったので、とりすまして答えた。

「ええ、大丈夫です」

 

「以前僕に、あなたは知っているのか、と訊いてきましたね。それはこういうことだったんですね」

 

「ええ、どうやらあなたは蚊帳の外だったようですが」

リリーは言葉に棘があることを自覚していた。

 

しかしそれに対するユリアンの答えは予想とは違っていた。

「一人で抱え込んで、つらくありませんでしたか」

 

ユリアンの顔には本当に気遣うような色があり、リリーは自らの狭量を恥じた。

「慰めなら無用ですよ。私はトリューニヒト先生の恩に報いるのにこれぐらいのことしか出来ないのですから」

 

「これぐらい?ずっとトリューニヒトさんを補佐して来られたではないですか」

 

「私はつまらない人間です」

 

「つまらない?」

 

「私がトリューニヒト先生に見出された理由をご存知ですか?」

 

「……たしか、傷病兵に対する募金のリーダーを務めていらっしゃったとか」

 

「そうです。でもそれは周りの大人が勝手にそう決めただけです。若い少女がリーダーになってメディアに露出した方が世間受けするからという理由で」

 

「それでもそれを務めたのは立派なことではないですか?」

 

「誰でも出来たことです。トリューニヒト先生に見出された他の三人は、賞を獲ったり、兵士を救ったり、それぞれ自分自身の才覚を理由にトリューニヒト先生に見出されています。あなたもそう。私だけが違った」

 

「……」

 

「私はあなたに言いましたね?レディ・Sがいなければ、あなたはトリューニヒト先生に見出されていなかったかもしれない、と」

 

「はい。間違ったことは仰っていないと思います」

その時もユリアンは何気ない素振りを示していたが、実のところ心に刺さっていた。

トリューニヒトとの関わりがなかったとしたら、ユリアンは自らの孤独に絶望して、死を選んでいた可能性すらあった。それだけ、トリューニヒトとの関係は幼い日のユリアンにとって重要なものだった。

トリューニヒトが自分を気にかけてくれた理由は今までもわからなかった。どのような返事が返ってくるのか正直怖くて、訊くこともできなかった。

リリーの言葉は、考えるのを避けていたことにユリアンを直面させてしまっていた。

 

「レディ・Sがいなくとも、あなたはきっとトリューニヒト先生に見出されていたと思います。それだけの才能があります。本当にトリューニヒト先生に見出されなかった可能性があるのは、私なのです」

 

「そんなことはないでしょう」

 

「募金のリーダーを務めていれば、私でなくてもよかったんです。あの時のあなたに対する発言は、私の劣等感の裏返しです。私はあなたが羨ましかったんです」

 

申し訳ありません、とリリーはユリアンに頭を下げた。

 

ユリアンが言葉を返せなかった。リリーの独白は続いていた。

 

「あなただけじゃない。ディッケル、イセカワ、ボーローグ。トリューニヒト・フォーと呼ばれる私以外の才能溢れる三人のことも、私は羨ましかったんです」

 

「……」

 

「トリューニヒト先生の同盟議長就任式典に招いて頂いたことで、見映え以外に何の取り柄もなかった私の未来は大きく拓けました。それ以来、私は必死でした。秘書になって、何とか仕事を覚え、トリューニヒト先生のためにと動いてきました。トリューニヒト先生を失望させてしまうことを恐れながら」

 

トリューニヒトに失望されることを恐れる気持ちはユリアンにもよくわかった。ユリアンも同様だったのだ。

 

「いっそのことトリューニヒト先生が体を求めてくれればどれだけ楽だったことか。でも、あなたも知っての通り、そういう人ではありませんでしたから。だから、今回トリューニヒト先生と秘密を一人共有する立場になったことは、私にとってむしろ喜びだったんです」

 

「僕もトリューニヒトさんを失望させるのが怖かった。でも僕はフェザーンで失敗した。その後も迷惑をかけてばかりでした。その間もあなたはトリューニヒトさんを助け続けていた。あなたにしか出来ないことだった」

 

「私にしか?」

 

「僕には無理でした。助けたい人を助けられる。あなたのことが僕は羨ましかった」

 

ユリアンの言葉こそはリリーの欲していたものだった。彼女は涙が零れそうになるのを必死に我慢した。

 

ユリアンはリリーに頭を下げた。

「今動ける人間でトリューニヒトさんの無実を信じている人は、あなたと僕だけのようです。僕もトリューニヒトさんを助けるために全力を尽くします。だから、どうかその後のことは、シンプソンさん、よろしくお願いします」

 

「私に任せるんですか!?」

 

ユリアンは寂しそうに笑った。

「僕は、銀河を危機に陥れた人間です。だからトリューニヒトさんのことを僕が擁護しても逆効果です。あなたにお願いするしかないんです」

 

リリーは、ユリアンの言葉に真摯なものを感じた。

「言われなくとも、そのつもりですよ」

 

「そうですか。よかった」

 

リリーはユリアンに対して初めて微笑んで見せた。

「ですから、あなたは、地球統一政府の魔の手からちゃんとトリューニヒト先生を助け出してくださいね」

 

 

 

リリーの言葉にユリアンも笑顔を明るいものにして、手を差し出した。

「僕達仲間ですね。一緒に頑張りましょう」

 

リリーにとって、同年代の対等な仲間というのは初めてだったかもしれない。

リリーはユリアンの笑顔をしばらく呆けたように見つめていたが、やがておずおずと手を伸ばした。

ユリアンと手が触れる直前になって、ふと、彼女は気づいてしまった。

 

……私はこの男を警戒していた、それどころか悪感情を抱いていたはずなのに、この状況は何だ?

いつの間にか心境を吐露してしまっていた。いつの間にか、この男を憎めなくなってしまっていた。

いや、人好きのする笑顔に引き込まれ、好意すら……

 

一体この男は何だ?

 

リリーはユリアンの敵対者が悉くユリアンに懐柔されているように見える現状を思い出した。

 

ユリアンという存在に今までとは異なる恐怖を感じた。

それは、一部の人間がトリューニヒトに感じるものと同種のものだったかもしれないが、トリューニヒトに心酔するリリーにはわからなかった。

 

リリーは手を引っ込めた。

「あなた……やっぱり噂通り、いや、それ以上の危険人物ですね!」

 

リリーの豹変にユリアンは戸惑わざるを得なかった。

「急にどうしたんですか!?」

 

「自覚がないんですか?それとも自覚がない振りをしているだけですか?いずれにしても余計に性質が悪いです!シェーンコップ、ポプランの二人よりも!」

 

「どうしてその二人の名前が出てくるんです!?」

 

リリーは顔を真っ赤にして叫んだ。

「……自分で考えてください!」

 

 

 

別の場所ではアルマリック・シムスンがエルウィン・ヨーゼフに呼び止められていた。

 

「少しいいか?」

 

「何です?……エルウィン・ヨーゼフ陛下?」

 

「エルウィンでいい。一度卿と話して見たかったんだ」

 

「……見た目はあなたと同じ少年ですが、私はこの艦隊で最長老ですよ?話が合いますか?」

 

「つれないことを言わないでくれ。お互いこの艦隊では異分子じゃないか」

 

「異分子……そうかもしれませんが」

 

「それとも、地球の一派に協力していた者とは話もしたくないとか?」

 

アルマリックはエルウィンの顔を観察したが、笑顔の下の感情を読み取ることはできなかった。

「そう思われたのなら謝ります。あなたも私と同じく踊らされた側の人間ですしね」

 

「多少不本意だが、まあ、その通りだ。余は地球統一政府なるものの存在に気付きさえしていなかった。ずっと月にいたというのに」

エルウィン・ヨーゼフの声には憮然としたものが混じっていた。

 

「地球教団や神聖銀河帝国の人間は誰も気づいていなかったのですか?」

 

「今思えば、ド・ヴィリエ大主教は地球統一政府と繋がりがあったのだろうな。神聖銀河帝国が勝利した暁には、彼を介して地球統一政府が銀河を支配していたかもしれない。大主教自身はそれを良しとしていたわけではなかったようだが」

ド・ヴィリエが思わせぶりな言葉を発していたことも、今回のことに対する遠回しな警告だったのだと今となっては理解できた。

 

「ユリアン・フォン・ミンツは?」

アルマリックの中には多少の疑念があった。

 

「気づいていなかったな。気づいていたら、もっと異なる行動をしていたはずだ。……トリューニヒトと裏で通じているなどという心配は今回に関しては無用だ」

 

「信用しているんですね」

 

「友達だからな」

エルウィン・ヨーゼフの笑みが、この瞬間年相応の少年のものに見えた。遥か昔にアルマリックが失ったものがそこにはあった。

 

「この戦いが終わったら、ユリアンの奴も入れて語り合わないか?シリウス戦役からこれまでの歴史について色々と話を聞かせて欲しい。……まあ収容施設に戻されるまでの間しか時間はないが」

エルウィン・ヨーゼフは自嘲気味に付け足した。

 

アルマリックは静かに答えた。

「そうですね。そんな時間を持ってもいいかもしれませんね」

 

 

ヤンは、ユリアン、エルウィン・ヨーゼフ、アッテンボロー、ホーランド、ビッテンフェルト達と、太陽系到着までの間に、対地球統一政府作戦の詳細に関して詰めた。

 

ミュラーは、損傷艦や負傷した独立諸侯連合のプレスブルク中将達と共にシリウスに残ることになった。ミュラーの幕僚団に負傷者が多数発生していたことも理由の一つであるが、ヤンが地球統一政府に敗北した場合、ミュラーが銀河保安機構の事実上のNo.2として銀河人類最後の寄る辺を務めることになる。

オーベルシュタインも一命はとりとめたが昏睡状態でありシリウスに残った。

 

ユリアンは、ヤンの作戦に関して意見し、修正案を提示した。

司令官を補佐するのは、神聖銀河帝国で総参謀長を務めた時以来であり、その時ヤンは敵だった。

ヤンと戦った際の緊張や昂揚感とはまた違った充足感をユリアンは覚えていた。

心の何処かでこのような役回りを望んでいたかのような気がしていた。

別の歴史があり得たことを知る今となっては、その思いも別の歴史の自分のものなのかもしれないと、ユリアンには思えた。

 

一方で、リリー・シンプソンに指摘されたこと、レディ・Sがいなかったらトリューニヒトがユリアンに関わることはなかったという可能性は、ユリアンの心にまだ澱のようになって残っていた。

しかし、トリューニヒトの意図がどうあれ、ユリアンが彼に救われてきたことは事実だった。

トリューニヒトが、どんなことを考えて今回のような事態を招いたのか、何を考えて生きてきたのか。

ユリアンは、そのことを直接問い質したかった。そのためにもトリューニヒトを何としても救い出そうと思っていた。

 

 

ユリアンは、艦の廊下でシェーンコップと遭遇した。

既にシェーンコップ、ポプラン、アルマリックには救出への感謝の言葉を伝えていた。

シェーンコップが立っている場所が女性士官の部屋の前であることに気づき、ユリアンは挨拶だけしてすぐに立ち去ろうとした。

しかし、シェーンコップの方がユリアンを呼び止めた。

「よう、色男。シンプソン女史にちょっかいをかけていたようだな」

 

「そんなことしていませんよ!」

ユリアンは思わず大声を上げてしまったが、シェーンコップはニヤニヤと笑うだけで取り合わなかった。

 

「お前さんのことだ。結婚式までに、いや、結婚式で何が起こっても別に驚かんさ」

 

「不吉な予告をしないで下さい」

 

「お前さん、婚約者達のことは心配していないのか?」

 

「メグ……ヘルクスハイマー大佐は任せろと言っていました。心配なんてしたら怒られますよ」

 

「へえ」

 

「それに、あなたの娘、カリンだって大したものですよ。だから、僕は地球統一政府を倒すことに専念できるんです」

 

「……返答次第ではどうしてやったものかと思っていたが、まあ、納得しておこう。俺は月に着いたら真っ先に内部に突入するつもりだ。早くそう出来るように、状況を整えてくれよ。参謀長殿」

 

「勿論です!」

 

その時、女性士官の部屋の扉が開いた。

 

出てきたのはポプランだった。

 

ポプランは、ユリアンとシェーンコップの顔を見て、薄ら笑いを残して去って行った。

 

銀河三大色男のポプランとシェーンコップとユリアンが、一人の女性士官を取り合って部屋の前で言い争っていたという尾鰭のついた噂が流れたのは、程なくだった。

 

 

短い準備と休息の時間を経て、艦隊は太陽系に到着した。

 

残り短い時間の中で、銀河人類の運命は大きく動くことになる。

 



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66話 もう地球人では…… その7 小惑星要塞を粉砕せよ

3月6日になって、マルガレータは子供と共に、月都市の収容施設から通信室まで連行された。

 

他にもアイランズ、シュトライト、アンスバッハ、シェッツラー子爵、アマーリエ、クリスティーネ、エリザベート、サビーネ、カーテローゼ等が連れて来られていた。

 

地球財団、自治区の要人に、ユリアンの関係者、人質としての価値がある者達が集められたことになる。

 

皆、手だけでなく部屋に着いた時点で足にも枷を付けられ、動きを制限されていた。

マルガレータは子供と引き離されていた。

 

トリューニヒトが笑顔で挨拶をした。

「やあ、皆さん、集まって頂きありがとう。ヤン君やユリアン君が太陽系に到着するとしたら今日あたりだからね。皆さんと一緒に銀河の命運を見届けようと思ったのさ」

 

レディ・Sが付け足した。

「あなた達の人質としての価値もこれからの展開次第ね。果たして明日を迎えられるかどうか」

 

アマーリエ、クリスティーネなど一部の者達は露骨に怯えを見せた。

マルガレータは、殊更大きな声で呟いた。

「今のところ殺される心配は無さそうだ。すぐにでも人質として使われるのかと思っていたんだが安心した」

 

レディ・Sはそれを肯定した。

「そうね。今のところは」

 

それによって、皆の動揺はひとまず収まった。

 

レディ・Sはマルガレータに問いを発した。

「何故人質としてあなた達を活用しないか、わかる?」

 

「さあ?つまらない見栄か?」

 

「必要ないからよ。通常の備えだけで十分対処できる。それだけよ。まあ、人質で脅す真似をしないことを見栄と言うなら否定はしないけど」

 

「その備えというやつは解説してもらえるのかな?」

 

「ええ、あなた達に教えても別に害はないからね」

 

その時、地球統一政府の手下となった月の民の一人が、トリューニヒトとレディ・Sに合図を送った。

 

トリューニヒトがマルガレータに告げた。

「おしゃべりの途中申し訳ないが、彼らがやって来たようだ。続きは見物しながらということにしようか」

 

 

銀河保安機構軍のものと思われる約二千隻が出現し、天頂方向から地球に向けて接近しようとしていた。

 

トリューニヒトがレディ・Sに確認した。

「それで、『三提督の城(ドライ・アドミラルスブルク)』は作動しているのかな?」

 

「ええ、順調に」

 

マルガレータはその単語を聞き咎めた。

「三提督の城?」

 

「教えてあげるという話だったわね。『三提督の城』というのは地球統一政府が絶対防衛圏死守のために構築した小惑星要塞システム、その完成形のことよ。小型小惑星に偽装された要塞群が必要な場所に移動、あるいはワープして防衛を行うの」

 

レディ・Sの説明は、概ねユリアンが予想したものと同一だった。

 

「通常なら二千隻の艦隊程度、相手にならないわ」

 

「どうして『三提督の城』という名前なんだ?」

 

「簡単な話。かつて地球統一政府宇宙軍が誇った三提督、コリンズ、シャトルフ、ヴィネッティ。彼らが要塞を操っているからよ」

 

「そんな馬鹿な……」

マルガレータはそう呟きつつも、あり得ることだと思い直していた。地球統一政府首脳部が巨大電子頭脳に姿を変えて生き延びていたのだから……

 

しかしレディ・Sの説明は続いていた。

「正確には彼らの劣化コピーだけどね」

 

「地球統一政府は、まともな艦隊戦を行える実力を持った軍人の不足を感じていた。だから当時の彼らは禁忌に手を出した。有能な提督、つまり三提督を複製して増やすことを試みたの。

当初の計画では生きている間に三提督の人格を電子頭脳に移すことだったのだけど、実際にはそれを実行に移す前に三提督はチャオ・ユイルンの罠にかかって全員死亡してしまった。

その結果、彼らの脳は損傷が激しく、直接電子頭脳に人格を移植することができなかった。

できたのは彼らの脳からRNAを回収して、適当な被験者に非合法の化学的記憶移植措置を施すことのみ。それによって生み出されたのは三提督の記憶を持った出来損ないの山だけど、その中でも比較的出来の良い者を選び、電子頭脳化して複製できるようにするという試みが行われた。

何人かは実戦投入されたけど、ジョリオ・フランクールの前では全く相手にはならなかった。

それでもそこそこの経験と能力を持った複製アンドロイドが出来てしまったから、地球統一政府は有効活用を考えた。

それが、各小惑星要塞の指揮よ。

……というわけで、三提督の劣化コピーがそれぞれの要塞を指揮しているから『三提督の城』なのよ」

 

マルガレータは義憤にかられた。

「人間を何だと思っているんだ!?」

 

レディ・Sは妙に醒めた目でマルガレータを見つめた。

「綺麗事を。そういったことが必要になる場合もある。あなたも追い詰められればきっとわかるわ」

 

マルガレータが戸惑っているうちに、レディ・Sは話を切り上げにかかった。

「ひとまず話は終わり。小惑星の機動要塞化程度のことはユリアンやエルウィン・ヨーゼフあたりが気づいているはずだから、何かしら対策は打っているはずよ。それをまずは見物しましょう」

 

 

 

銀河保安機構軍を中心とした約二千隻が太陽から5天文単位程度の距離にまで差し掛かった時、進路に複数の物体が出現した。

 

ついに小惑星要塞群がワープアウトして来たのである。

通常、太陽ほどの質量から5天文単位ほどの至近でワープを行うことは事故の危険性が高く通常であればやらないことだった。

 

しかし、かつてのシリウス戦役時の地球統一政府は多少の危険など気にできないほど切迫していたし、現在の地球統一政府は多少の損失など意に介していなかった。

 

銀河保安機構艦隊は前進を止め、小型要塞群と対峙した。

 

小型要塞群は前進を始めた。また、小型要塞のワープアウトは続いており、時間と共に彼我の戦力格差が広がることは確実だった。

 

しかし、戦場に亜光速で接近するものがあった。

 

氷塊群だった。

ヤンは神聖銀河帝国との戦いの時と同様、ラムジェットエンジンによる氷塊攻撃を今回も実施したのだった。

 

アッテンボロー提督とフィッシャー提督が木星系から氷塊を調達し、ラムジェットエンジンを装着して放っていた。

ラムジェットエンジン自体は、地球財団が反乱を起こした場合の備えとして、秘密裏にシリウス星系に蓄えられていたものだった。あくまで万一のためのものではあったが。

 

艦隊は、氷塊の軌道を調節するための観測基地の役割を果たした。

 

氷塊を探知した要塞群からは迎撃のためにレーザーが射出されたが効果は薄く、氷塊の多くは要塞群に衝突し、それを宇宙の藻屑と変えた。

 

「見たか!これが『氷の滝』だ!」

 

艦隊を指揮していたのはウィレム・ホーランド提督だった。

 

ホーランドはエピメテウスIIの艦橋で気を吐いていた。

「小惑星要塞など、俺の作戦で粉砕してくれる」

 

ヤンの作戦ではないのかとツッコミを入れられる人材はその場にはいなかった。

 

ホーランドは、そのまま、少しずつ断続的に現れ続ける要塞を粉砕し続けた。

 

しかし要塞の出現が終わる様子はなかった。

「戦力の逐次投入もいいところじゃないか。奴らは何を考えているんだ?」

 

ホーランドも徐々に不安になって来ていた。

 

月都市の通信室でレディ・Sは薄く笑った。

「小惑星要塞への対策は考えてきたようね。だけど、我々の備えがそれだけだと思っているなら、彼らはここで終わりかもしれないわね」

 

戦いはいまだ序盤だった。




あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


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67話 もう地球人では…… その8 最強の敵

太陽系円盤の天頂側でホーランドが「三提督の城」と戦っていた頃、天底側でも動きがあった。

 

ビッテンフェルト提督率いるオリオン連邦帝国艦隊二千隻がワープアウトし、こちらも地球へと接近しつつあったのである。

 

仮にこちら側にも小惑星要塞群が出現した場合、天頂側と同様に氷塊攻撃が行われる手筈であったが、3天文単位のラインを越えようとしても小惑星要塞は現れなかった。

 

代わりに出現したのが、二千隻程度の艦隊だった。

これは銀河保安機構月支部にもともと所属していた警備艦隊と〈蛇〉に対する防衛のために臨時で派遣されていた銀河保安機構宇宙艦隊の部隊を地球統一政府が接収したものであった。

 

「同数の艦隊など、我ら黒色槍騎兵艦隊の敵ではありません!」

「その通り!」

息巻く幕僚達に同調するビッテンフェルトであったが、だからといって油断をしているわけではなかった。

 

ビッテンフェルトは木星系のアッテンボロー、フィッシャーに連絡を入れ、氷塊攻撃を実施させた。

直接的な戦果は期待していないが、これによって敵の艦列が乱れたところに突撃をかける方針だった。

 

氷塊は対峙する敵艦隊を襲った。薄く展開する敵に直接的な損害はほぼ発生しなかったものの、回避のために艦列に乱れが生じたように見えた。

 

その瞬間をビッテンフェルトは見逃さなかった。

「全艦突撃!」

 

敵の半数程度が、攻撃を受ける前から逃げまどい始めた。

 

必勝パターンとも言える展開にビッテンフェルトは勝利を確信した。

 

しかし……

 

「なんだこれは!?」

参謀長のグレーブナーは、目の前の展開が信じられなかった。

逃げにかかったと思われた敵がその実いくつかの集団に分かれ、突撃をかけた黒色槍騎兵艦隊の側面をすり抜けて背後を取ってみせたのである。

 

ビッテンフェルトは悔しがった。

「これはヤン・ウェンリーのペテンと同じではないか!先帝陛下の教訓を生かせぬとは、申し訳が立たぬ!」

 

副参謀長のオイゲンがビッテンフェルトの注意を喚起した。

「どうなさいます?回頭しますか?」

 

「馬鹿か貴様!急速前進!時計方向に進路を変えてこちらも敵の背後を取れ!急げぇ!」

 

しかしその後も、ビッテンフェルトは敵に主導権を握られ続けることになるのだった。

 

 

 

「やっぱり別働隊を用意してたのね。でもあの醜態、噂の黒色槍騎兵艦隊も大したことないわね」

 

マルガレータは衝撃を受けていた。

「一体誰が?あのビッテンフェルト提督を手玉に取れる者など、生者ではヤン長官、ユリアン、エルウィン・ヨーゼフ、ジークフリード帝、ミッターマイヤー提督、ホーランド提督、ミュラー提督……それなりにいる、のか」

 

何人かがずっこけた。

 

マルガレータは慌てて付け加えた。

「いや、しかし、あそこまで簡単にビッテンフェルト提督をあしらえるなど、ヤン長官やライアル・アッシュビー保安官ぐらいのものだろう!そんなレベルの提督が地球統一政府にいたのか!?」

 

「見ての通り、いたのよ。そのレベル……いや、それ以上か。何者かわかる?」

 

マルガレータは少し考えてみたが答えは出なかった。

最初の戦法はヤンの戦法に似ていると思ったが、今目の前で展開されているそれはマルガレータの知るどの提督の戦術とも異なっていた。

「……いや、わからない」

 

レディ・Sは得意げにその名前を口にした。

 

「ジョリオ・フランクール」

 

その場にいた、人類史をかじったことのある者は皆、その名を知っていた。

 

九百年前のシリウス戦役において、圧倒的な兵力を持ち、優秀な三提督に率いられた地球統一政府宇宙軍。それを悉く打ち破った男。

一代で黒旗軍を組織し、常に優勢な敵に戦勝を重ね、時には八千隻の艦隊で六万隻にさえ勝利してみせたその偉業は、九百年の時を越えて語り継がれていた。

カーレ・パルムグレン、ウィンスロー・ケネス・タウンゼント、チャオ・ユイルンと並ぶ地球統一政府打倒の立役者、ラグラン・グループの一人。

人類史上最高の軍事司令官を議論する場合に間違いなく名前の上がる人物。

 

その名は国家の枠と時代を越えて、人類史に燦然と輝くものだった。

 

「彼が生きているわけが……いや、生きていたとしても、彼が地球統一政府に味方する訳がない!」

 

「電子頭脳にして細工したのよ。それも、三提督のような劣化コピーではなく、本物の人格をコピーした、ね」

 

「どこでそんなものを……」

 

「本人を生かしたままコピーすることはできないから勿論死んだ時に、よ」

 

「しかし、シリウス戦役終結後、フランクールはタウンゼントとの主導権争いに敗れて死んだはずだし、その時地球統一政府にフランクールの脳を入手できるような余裕があったはずは……」

 

「地球統一政府には、ね。しかしタウンゼントにはその余裕があった。そして、タウンゼントは我々と繋がっていたのよ」

 

その発言はマルガレータの理解を超えていた。

「何を言っているんだ?地球統一政府を滅ぼした相手と地球統一政府が繋がっていた?」

 

「そもそも、我々をかつての「地球統一政府」そのものと同一視していること自体が間違いなのよ。我々の正体は「地球統一政府」の裏にいた者達。そして我々は、限界の見え始めた地球統一政府に見切りをつけ、人類を統べる新たな統治機構を生み出そうとしていた。すなわちシリウス、それに汎人類評議会よ。そしてウィンスロー・ケネス・タウンゼントこそが我々のエージェントだった」

 

今目の前で語られている人類史の暗部にマルガレータは目眩を覚えた。

 

「本来なら我々としても、もう少しだけ穏やかに統治機構の交代を行いたかったのだけど、〈蛇〉のこともあったから戦争は激烈なものになってしまったのよね。

ともかくも、人類はシリウスの統治するところとなり、タウンゼントはパルムグレンを「病死」させ、フランクールも殺害した。フランクールの卓越した能力は、我々も、タウンゼント自身も注目していたから、殺した直後に電子頭脳にその人格をコピーしたの。将来において大規模反乱が起きた時に我々の側の勝利を確実とする尖兵とするために」

 

「地球統一政府の裏にいた者達とは、お前達は一体何なんだ?」

 

レディ・Sは笑みを深くした。

「どうせだから教えてあげる。我々はシスターズの……」

 

急にレディ・Sが頭を押さえて蹲った。

 

トリューニヒトは慌てて彼女に駆け寄った。

「ダニエラ!いや、レディ・S!」

 

レディ・Sは普段の不敵な様子を失い、無表情のままに呟いていた。

「はい、はい。承知しております。余計なことは申しません」

 

少ししてからレディ・Sは立ち上がった。

「ありがとう、ヨブ。もう大丈夫。ごめんなさいね、マルガレータさん。話せない内容だったわ。今までの話で察して下さる?」

 

「それはわかったが……本当に大丈夫なのか?」

 

レディ・Sはマルガレータのお人好しに呆れた。

「……私の心配より自分の心配をして。とにかく、我々はタウンゼントを使って、人類支配を試みた。タウンゼントがラグラングループの他の三人を始末したところまではよかった。しかしそのタウンゼントが極低周波ミサイルによるテロで殺されたことで、我々の目論見は無に帰した。誰がそんなことをしたのか、これも話せない内容の一つになるわ」

 

訊きたいことはいくつもあった。しかし、まずは確認すべきことがあった。

「フランクールの電子頭脳はどうなったんだ?」

 

「我々が回収したわ。その電子頭脳には細工が施され、本人は訓練生相手に艦隊シミュレーションを戦っているつもりになっているのよ。しかも、現代の艦隊戦の条件でフランクールの電子頭脳のコピー同士を延々と戦わせることでその戦術はさらに進化しているわ。人類の領域を離れて進化するフランクール。さしずめフランクール・ゼロというところね。生身の人間で勝てる存在はいないんじゃないかしら。ここで黒色槍騎兵艦隊を打ち破ったら、彼は、天頂で『三提督の城』と戯れている艦隊の撃破に向かうわ。理想的な各個撃破ね。ヤン・ウェンリー達はフランクール・ゼロを相手にどうするのかしらね」

 

マルガレータは落ち着いて返事をしてみせた。内心はともかく、その場の者達を安心させるために。

「どうだろうな。勝つのではなく、負けない戦いなら出来るかもしれないが」

マルガレータはそれが出来そうな者の顔を思い浮かべた。それは必ずしも一人ではなかった。

 

 

そのような会話が月でなされていた頃、ビッテンフェルトは焦燥感に駆られていた。守勢に弱いという欠点をさらけ出し、対応は常に後手に回っていた。状況は加速度的に悪くなっていった。

 

不意に少年の声が艦橋に響いた。

「ヤン・ウェンリーはどこまで想定していたんだろうな」

 

その声の持ち主は、かつて銀河帝国に所属している者であれば意識せずにはいられない存在だった。

 

ビッテンフェルトは呻くようにその名前を呼んだ

「エルウィン・ヨーゼフ……陛下!」

 

「まだ余を陛下と呼んでくれるか。余の顔など見忘れたかと思っていたぞ」

 

エルウィン・ヨーゼフから発せられる帝王の威厳とでもいうべきものを前に、ビッテンフェルトは身を固まらせた。かつては軽んじていたはずの存在に、まるでラインハルトから感じていたものと同質のものを感じてさえいた。

 

「陛下の顔を忘れるなど、あり得ません。しかし今は危急の時、会話を交わしている余裕は」

 

エルウィン・ヨーゼフはビッテンフェルトの言葉を遮った。

「危急だから出てきたのだ。簡潔に言うが、指揮権を一時的に委譲してくれ」

 

ビッテンフェルトは屈辱的な要求に身を震わせた。

「それは無理というものです」

 

「余が何故ここに配置されたか忘れたのか?卿を補佐するためだ。そして敵はヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムすら上回る……かもしれぬレベル。そして、卿が守勢に弱いのは卿自身が認めるところだろう?今の状況では余が指揮した方がまだマシというものだ。銀河人類のためだ。頼む」

 

ビッテンフェルトはそれでも渋った。理性ではそうすべきことを理解できたが、感情が納得を妨げていた。

 

「頭を下げて頼めというなら、そうするが」

 

ビッテンフェルトはその言葉に焦った。エルウィン・ヨーゼフをいつの間にか現役の皇帝、自らの主君のように扱ってしまっていることにも気付いていなかった。

「い、いや、陛下にそんなことはさせられません!ええい、わかりました。あくまで一時的にですが、この黒色槍騎兵艦隊を陛下にお任せします!」

 

ビッテンフェルトの承諾の言葉にエルウィン・ヨーゼフは笑顔を見せた。

「感謝する」

 

エルウィン・ヨーゼフが指揮を取ることで黒色槍騎兵艦隊は動きに精彩を取り戻した。

エルウィン・ヨーゼフの用兵は、以前から卓越したものであったが、ヤン・ウェンリー、ジークフリード帝との戦いを経てさらにそのレベルを上げていた。

 

結果、フランクール・ゼロの猛攻の中で何とか態勢を立て直すことに成功したのだった。

対応が後手に回ることも少なくなっていた。

 

しかし、エルウィン・ヨーゼフは憮然としていた。

「不味いな」

 

「何が不味いのです。ここまで立て直したではないですか」

ビッテンフェルトはまるで参謀か副官になったかのようにエルウィン・ヨーゼフに問い返した。

 

「勝ち筋がない」

 

ここに至るまでに黒色槍騎兵艦隊は五百隻もの艦艇を喪失していた。

一方でフランクール・ゼロの艦隊はほぼ無傷だった。

その上で敵に隙が見えなかった。

 

 

「それではどうされるのですか!?」

 

「この局所的な戦い、知っての通り勝つ必要はない。今も別に動いているヤン長官が結果を出すその時まで負けなければよいのだ。だから、負けない戦いに徹する」

 

「成る程……」

ビッテンフェルトは、自分なら突撃を仕掛けるところだが、という思いを抑えて、そう返した。

エルウィン・ヨーゼフの考えが妥当であることはビッテンフェルトにもわかっていた。その上でここで自分が反発すれば、幕僚達も同調して収拾がつかなくなる恐れがあることに気づいていたからである。

 

エルウィン・ヨーゼフは考えていた。

もっとも、司令官に似て守勢に弱い黒色槍騎兵艦隊だ。かつての臣民達を生きて帰らせることができるかどうか……

 

 

かつてフランクールであった存在、フランクール・ゼロは仮想空間に構築された戦略戦術シミュレーション装置の中で黒旗軍の訓練生と戦っていた。

途中で相手の行動パターンが大きく変化し、急に手強くなって戸惑ったが、訓練生が途中で交代したと考えれば説明はついた。ルール違反だが、可能なことではあった。

新しい相手は戦力的な不利から負けないことに徹しているようだった。

しかしフランクール・ゼロは徐々に相手の癖を把握しつつあった。

戦術レベルでは自分の後継候補に考えられるぐらいに優秀な訓練生だが、まだ隙がある。

それがその訓練生に対する評価だった。

 

地球統一政府宇宙軍の残党はまだ存在する。自分が死んでも奴らが復讐戦を挑んで来た時に対抗できるように次代の軍人にはしっかりしてもらわなければならない。

今後の成長に期待して教訓を与えてやろう。

 

そう思考して、フランクール・ゼロは相手を殲滅すべく準備を始めた。

 

自分がいったいいつから訓練生相手のシミュレーションを始めたのか?何故総司令官自らそれを行なっているのか?

そのような疑問はフランクール・ゼロの思考には存在しなかった。



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68話 もう地球人では…… その9 電子頭脳の憂歌

 

太陽系天底方面における戦いは膠着状態に陥ったかに見えた。

 

守りを固めるエルウィン・ヨーゼフに対して、フランクール・ゼロは半包囲の態勢に移行しようとしていた。

 

それに対してエルウィン・ヨーゼフはゆっくりと後退を続け、包囲殲滅の危険を回避しようとしていた。

 

その間にも局所レベルの駆け引きは間断なく行われていた。

疲れを知らぬ電子頭脳のフランクール・ゼロに、エルウィン・ヨーゼフは若さとルドルフ譲りの体力によって追随した。

 

しかしその裏でフランクール・ゼロは、エルウィン・ヨーゼフに罠を仕掛けるべく周到な準備を行なっていた。

 

その罠が発動した時こそ、黒色槍騎兵艦隊の最期となるのかもしれなかった。

 

 

その間にも木星系からの氷塊攻撃は続けられていたが、この戦場においては焼け石に水という程度の効果しか示していなかった。

フランクール・ゼロは実効性の低いその攻撃を無視し続けた。

 

だから、彼は気づけなかった。

艦列の間をすり抜けていく氷塊群の中に異物が紛れ込んでいたことを。

 

それは、エルウィン・ヨーゼフすらも知らないことだった。

 

突如、地球統一政府艦隊の内部に入り込んだ氷塊の一つから一隻の特異な構造の艦艇が出現し、閃光を迸らせた。

熱線砲の一撃であったそれは、フランクール・ゼロ搭載艦を背後から襲い、爆散させた。

 

その影響はすぐに現れた。

地球統一政府艦隊の動きが精彩を欠くようになったのである。

敵艦隊の異変を前にして、エルウィン・ヨーゼフとビッテンフェルトは戸惑っていた。これは何かの罠なのかと。

 

そこに通信が入った。

 

スクリーンに映し出された人物に、彼らは驚愕することになった。

 

赤い髪に不敵な面構え、その見慣れた顔はライアル・アッシュビーのものだった。

 

ビッテンフェルトは露骨に狼狽えて叫んだ。

「げぇっ!ライアル・アッシュビー!死んだんじゃなかったのか!?」

 

一般には長期の休職と伝えられていたが、ライアル・アッシュビーは死んだというのが専らの噂だったし、保安機構の上層部もその噂を否定しようとしていなかった。

 

そのライアル・アッシュビーが、このタイミングで太陽系に姿を現したのである。

 

ビッテンフェルトは、ライアル・アッシュビーと一戦交えて散々に打ちのめされた経験があった。

その時からの苦手意識が先の発言に繋がっていた。

 

ライアル・アッシュビーは顔をしかめて怒鳴りかえした。

「死んでないからここにいるんだ。それより旗艦を沈めたんだ。敵が混乱しているうちに早く突撃しろ!突撃しか能がないんだから、ここしか活躍の場はないぞ!」

 

死んだと思われたライアル・アッシュビーがこの場に現れた経緯は別に説明することとする。

ライアル・アッシュビーがこの戦場でやったことは以下の通りだった。

彼は戦場を横切る彗星に艦艇をカモフラージュした上で、敵に気づかれることなくその重心、すなわち旗艦の位置を観察した。その上で旗艦の至近まで彗星を装って接近し、これを撃沈したのだった。

 

エルウィン・ヨーゼフの対応は迅速だった。

「ビッテンフェルト提督、指揮権を返還する。ここからは卿が本領を発揮してくれ」

 

ビッテンフェルトは我に返って、艦隊に命じた。

「卿ら、待たせたな!前進!力戦!敢闘!奮励!突撃だあ!!」

 

この時、旗艦にあたるフランクール・ゼロ搭載艦を失った地球統一政府艦隊は、予備として用意していたフランクール・ゼロを起動していた。

しかし、フランクール・ゼロが自らの置かれた状況を理解し、指揮を執り始めるまでにはタイムラグが存在した。

 

ビッテンフェルトの突撃はそのタイムラグを埋めることを許さなかった。

 

黒色槍騎兵艦隊は今までの鬱憤を晴らすかのように暴れ回った。

 

予備のフランクール・ゼロ搭載艦は火球に変えられ、さらに別の予備も同様の運命を辿った。

 

ライアル・アッシュビーはその様をライアル専用艦「オッドラック(奇運)」の艦橋からフレデリカと共に眺めながら、名もわからぬ敵将のことを思って呟いた。

「こんなヤンのペテンみたいなやり方じゃなくて、できれば正面から戦ってみたかったな」

 

ライアルは敵の力量が自らに匹敵するか、場合によってはそれ以上のものであることを察していた。

だからこそ確実に勝つ為にペテンじみた方法を採用したのだった。

 

フレデリカがライアルを宥めた。

「名将の言葉にもあるじゃないですか、楽して勝てる方法が一番、だと」

 

「……それ、ヤン・ウェンリーの言葉だろう?わかるぞ」

 

「……」

 

地球統一政府艦隊が完全に壊滅するのはそれから1時間後のことだった。

 

シリウス戦役の英雄の亡霊は、エルウィン・ヨーゼフ、ライアル・アッシュビー、ビッテンフェルトの三人によって再び歴史の中に消え去ることになった。

 

 

予想外の闖入者によって天底方面の戦いが敗北に終わっても、レディ・Sもトリューニヒトも落ち着いた様子だった。

 

マルガレータは不審に思った。

「驚いていないようだが……」

 

レディ・Sは冗談めかして答えた。

「そんなことないわよ。驚いて言葉もないわ」

 

その様子にマルガレータの不審はますます募った。

 

レディ・Sはマルガレータの様子に気づき、付け加えた。

「艦隊は敗北したけど、小惑星要塞はまだ十分に存在するわ。それを振り向ければ済むことよ。先方も無傷ではないしね。銀河人類が死に絶えるまでの間に月にあの艦隊が近づくことはないと思うわ」

 

「しかし、小惑星要塞が来ても氷塊の餌食になるだけだろう?」

 

「その氷塊攻撃、気前よく行なっているけど、本当にいいのかしら。いつまで方向を間違えている無駄弾も多いようだし。私達がシリウスに備蓄されていたラムジェットエンジンのことを知らないと思って?その数に余裕がないこともね」

 

「……」

マルガレータはそれに回答できる情報を持ち合わせていなかった。しかし、ラムジェットエンジンのコストと銀河保安機構の予算を考えれば自ずと用意できる量は想像できた。それを思えば今の氷塊攻撃の頻度がいつまでも続くとは思えなかった。

 

同時に、マルガレータは思った。

果たしてユリアンとヤンが意味もなく非効率的なことをやるのだろうか?

 

黙り込んだマルガレータを見てレディ・Sは憫笑した。

「ヤン・ウェンリーお得意のペテンに期待したらどうかしら。ペテンの種がまだ枯渇していなければだけど」

 

マルガレータは反論したくなった。

「ヤン長官のペテンは伊達じゃないぞ」

 

「……それはわかっているつもりだったけど、やっぱりあなた達にもペテンと思われているのね」

 

「……」

 

タイムリミットが近づく中で、情勢は未だに混沌としていた。



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69話 もう地球人では…… その10 Star trail to Luna

レディ・Sは銀河保安機構総旗艦ヒューベリオンの位置を正確に捉えていた。

 

通信妨害によって、以前試したような工作は難しかったが、それでも位置を捉える程度のことは造作もなかった。

そのように超光速通信ネットワークを介して事前に仕込みを行なっていたからである。

実のところヒューベリオンだけでなく、シリウス星系に集結していた艦艇の殆どは、この仕込みによって位置が地球統一政府に筒抜けになっていた。

 

彼女はそれだけに困惑も覚えていた。

ヒューベリオンは木星系に陣取って動いていなかったのである。

 

無論総司令官であるヤンが前線に出る必要はないが、それでも従来は自ら前線に出て陣頭指揮を務めていたはずであり、違和感があるように感じられたのだった。

 

その疑問はすぐに解消されることとなった。

 

地球統一政府が地球系周辺にばら撒いた監視衛星が、不自然な軌道で接近してくる氷塊を検知したのである。

 

当初は天頂、天底それぞれの戦いのために射出された氷塊が流れ弾となったものだと考えられた。

また、神聖銀河帝国との戦いの際にヤンが放った氷塊の一部も、いまだに彗星となって太陽の周囲を巡っており、その一部であることも考えられた。

実際そうであるものも多いようだったが、その中に地球系を目指す軌道を描くものが複数存在することを知るに至っては考えを変えざるを得なかった。

確率的に不自然過ぎたからである。

 

ライアル・アッシュビーが行なったように氷塊に擬態した艦艇である可能性が高いように思えた。しかしそうだとすれば、レディ・Sが艦艇の位置を探知できていなかったことが奇妙だった。

 

コンピュータ上の仕掛けを発見された?

この時代の技術力でこの短期間で?

そんなはずは……

 

レディ・Sの疑問はすぐに解消された。

 

地球系近傍まで接近した氷塊から、二十隻程の艦艇が躍り出て来た。

 

その艦艇の形状は現代のどの国の艦艇とも異なるものだったが、レディ・Sにはその正体がわかった。

 

「黒旗軍の……シリウス宇宙艦隊の戦闘艦!どこからそんな代物を!?」

彼女はそう叫びながらも一つの名前を思い出していた。

 

アルマリック・シムスン。

 

 

ヤン・ウェンリーが地球統一政府と戦うに当たっての懸念は、制電子権とでもいうべきものを相手に押さえられていることだった。

懸念は先に受けたような直接的な損害に限らなかった。

自らの艦隊の情報が筒抜けになっている可能性があるだけで作戦は著しく制限されてしまうのだった。

 

それに対して解決手段を提供したのがアルマリック・シムスンだった。

 

シリウス議会議長の遺児にして、人格を電子頭脳に移されたアンドロイドであるアルマリック・シムスンは、無人の地となったシリウスで、数十隻程度の少数の宇宙艦艇を維持し続けていた。

朽ちないその体と、遺棄された地下工場群と整備ロボットの力によって。

本来は地球統一政府残党への対策や、シリウス復興の一助とすることを考えての行動であったが、残念ながら規模が小規模過ぎ、活躍の機会は訪れなかった。

 

あるいは、アルマリックが地球教団の動きを早期に察知していればシリウス星系内に秘密基地をつくられるのを阻止するために活動できたかもしれない。

しかし、地球教団の活動が明るみとなるまでは協力者も作らず隠遁者のように生きてきたアルマリックにそれは難しかった。

 

それでもアルマリックは九百年間整備だけは欠かさずにいたのだった。

 

その宇宙艦艇群を活用することをアルマリックはヤンに進言した。

 

シリウス製の宇宙艦艇は現代とは異なる仕様の計算機、通信アルゴリズム、ネットワークセキュリティシステムを備えており、地球統一政府による仕掛けを懸念する必要がなかった。

それはヤンの求めるところと一致していた。この艦艇群を対地球統一政府のための切り札とすることにしたのである。

 

こうしてシリウス戦役を経験した艦艇達が、再び「地球統一政府」と戦うために現代に蘇った。

 

ヤン、ユリアン、アルマリック達は旗艦級の艦艇に乗り、この部隊の指揮を執ることになった。

 

ヤンは部隊の命名をアルマリックに一任した。アルマリックは「黒旗部隊」や「シリウス部隊」などの呼称も考えたが、しっくり来なかった。

 

アルマリックは艦艇に描かれたシリウス政府の旗、「シリウスを中心に伸びゆく流星」と、部隊が参加する作戦の内容から「流星旗」部隊と名付けることにした。

 

 

レディ・Sは、遅まきながらも月の防衛に残していた艦艇に出撃を命じ、それから呟いた。

「少数の骨董品で何ができるというの?一撃で終わってしまうでしょうに」

 

 

 

 

オペレーターがヤンに報告した。

「流星旗部隊全艦、月から20光秒の地点に到達しました」

 

ヤンは傍らのユリアンに声をかけた。

「君の予想通り、今回は超長距離射撃はないようだね」

 

ヤンは神聖銀河帝国が月に構築した複数の大出力X線レーザーと反射衛星を用いた長距離大出力砲撃のことを言っていた。

それが復活していたら、今のように余裕を見せることはできなかっただろう。

 

ユリアンは落ち着いた様子で返した。

「ええ。あのシステムを再構築するには時間が足りないでしょう。しかし、流石にそろそろ迎撃が始まると思いますよ」

 

ユリアンの言葉を待っていたかのように、再度オペレーターから報告が入った。

「月からも百隻ほどの部隊が迎撃に現れました!」

 

ヤンは指示を出した。

「よし、作戦通り前進を続けてくれ。敵艦艇が近づいたところで急速前進だ」

 

 

流星旗部隊の艦艇の加速性能は高いものではなかった。そのため地球統一政府に壊された現代の艦艇からエンジンを抜き出し、使い捨ての追加装備としていた。

 

これによって流星旗部隊は射程圏内に入ったタイミングで急加速し、地球統一政府の部隊をすり抜けたのである。

 

反転して追撃しようとした地球統一政府の部隊だったが、彼らの動きは流星旗部隊と並行して流れて来ていた氷塊が全て爆発したことで阻害された。

 

その隙に、ヤン達は月の至近にまで近づき、分散して月を取り囲んだのだった。

 

 

レディ・Sは苛立っていた。

「何がやりたいの?近づいたからといって、そんな少数じゃあ何もできないでしょうに!地球統一政府の巨大電子頭脳は月の奥深くにあるのよ!白兵戦を挑むつもりにしても人数が少な過ぎる!」

 

トリューニヒトがレディ・Sに尋ねた。

「我々は時空震連続発生装置を使わないのかな?そうすればヤン君達を昏倒させられると思うが」

 

レディ・Sは叫んだ。

「使ったらヨブまで昏倒するじゃない!そんなことできない!」

 

「落ち着いて、レディ。私のことは気にしなくていいさ。それだけで死ぬわけでもなし」

 

レディ・Sはトリューニヒトの言葉に冷静になった。

「ごめんなさい。ヨブ。でもそれは無意味よ。流石に先方もそれは対策済みよ。時空震連続発生装置は向こうにもあるから逆位相の波を発生させれば簡単に無効化できてしまうのよ。試す必要もないわ」

レディ・Sの言葉はトリューニヒトに向けてだけのものではなかった。月の深部に潜む自らの上役の巨大電子頭脳に向けてのものでもあった。

 

「じゃあどうするんだい?相手はヤン君だ。放置しておくと何かしら仕掛けてくると思うが」

 

「勿論放置なんてしない。既に手は打ってあるわ」

 

 

 

 

オペレーターがヤンに異変を報告した。

「異常事態です。月の重力分布に異変!いや、我々との間のみに非常に強い重力が発生しています。このままでは引っ張り込まれます!」

 

 

それは、通称「トラクタービーム」、かつては「幌金神縄」という名で呼ばれたこともある地球統一政府の秘匿兵器、指向性重力発生装置の作用だった。

 

レディ・Sは流星旗部隊をトラクタービームで月の防衛火器群の射程圏に引きずり込み、その上で混乱から立ち直った自軍艦艇部隊との間で挟み撃ちにしようとしていたのである。

 

トラクタービームは、流星旗部隊をあと数十秒で月の防衛火器の射程に入ろうかというところまで連れて来た。

 

レディ・Sは溜息をついた。

「これで終わりね」

その声には何故か残念そうな響きがあった。

 

 

その時、ヤンは流星旗部隊の旗艦から部隊全体に向けて指示を出していた。

「敵さんが指定距離まで引っ張ってくれたおかげで楽ができた。始めてくれ」

 

 

月の大深部に設置された巨大電子頭脳。銀河人類を救うにはトリューニヒトの情報に従えばこれを壊す必要があった。

 

しかし、月の分厚い地層を貫いて大深部を攻撃することは難しかった。

攻撃自体は不可能ではない。

例えば直径数十kmの小惑星を月にぶつければ、いかに大深部にあろうとも巨大電子頭脳は無傷ではないだろう。

しかし、それを行なってしまえば、地下浅くにある月都市の被害の方が甚大となってしまう。

人質と化した数千万人の月の住人を殺害することになってしまうのだ。

あるいはオーベルシュタインであればそれも許容するかもしれないが、ヤンにはできないことだった。

では、月内部に人員を送り込んで破壊工作を行うとしたらどうか?

それも実際のところ時間と兵力の両面で不可能だった。

 

数千万人の月の民が地球統一政府の支配下にある現状では、それを排除して深部にまで進むのは難しかった。

時間制限がある現状ではなおさらである。

 

それではどうするのか?

 

 

よくあるクイズがある。

 

・ある家の中心で火が燃え盛っていて家を失う前にこれを消したい。

・家には窓が多数設けられており、そこから水を送り込むこと自体はできるが、いずれも小さい。

・一つの窓を介して水を内部に放出しても水量的に火を消すことはできない。

・家は壊せない(それだと本末転倒である)

この条件でどうにかして火を消せないか?

 

回答:複数の窓のそれぞれから家の中心に届くように水を送り込む。家の中心に届く水量は火を消すのに十分なものとなる。

 

人類史においてこの回答は形を変えて度々利用された。

アルキメデスの集光兵器、放射線治療、それにアルテミスの弓まで……

 

ヤンの月大深部の巨大電子頭脳破壊のための回答もこのアナロジーだった。

 

ヤンの号令に従って、月を取り囲む十数隻の艦艇にそれぞれ設置された時空震連続発生装置から、同時に時空震が発生した。

時空震は一定の指向性を持って月に殺到した。

 

通常、時空震には指向性はない。

地球統一政府の時空震連続発生装置も指向性を持たせることはできていなかったがメッゲンドルファーの天才は、それを可能にしていた。

その原理は奇しくも重力に指向性を持たせたトラクタービームのそれと類似していたが。

 

指向性を持った時空震はそれぞれ単独では月の構造物を破壊するには弱かった。

しかしいずれの時空震もトリューニヒトがリリー・シンプソンを通じて伝えて来た巨大電子頭脳の座標を指向していた。

時空震が集中することになったその座標は、激しい震動現象に見舞われることになった。

それは内部構造を破壊するのに十分過ぎる程の強度だった。

 

ヤンは月都市全体には大きな被害を与えることなく「患部」のみを除去しようとしたのである。

 

 

通信室にいる者達も、部屋が震動するのを感じていた。

立っていられないほどの強さではあったが、手足を拘束されて床に座らされているマルガレータ達にはあまり関係がなかった。

 

とはいえ、急な震動現象に驚いて悲鳴を上げるそれぞれの母親をエリザベート、サビーネは、気丈にも宥めていた。

 

レディ・Sは転倒しそうになったトリューニヒトを支えながら、状況を分析した。

「月震?いや……これは、時空震!」

 

彼女の明敏な頭脳は、銀河保安機構の艦艇配置を思い出し事態を悟った。

 

震動が収まった時、レディ・Sは彼女を常に監視し、管理していた巨大電子頭脳からの通信が途絶えていることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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70話 もう地球人では…… その11 月の血闘

 

レディ・Sはトリューニヒトの顔を見上げた。

「巨大電子頭脳からの通信が途絶えた」

 

トリューニヒトは状況を理解した。

「そうか、これで……」

 

「ええ……」

 

レディ・Sはマルガレータをはじめとした人質達に向き直った。

 

「これまでのこと、すべて謝罪します。月の民も含め、全人類も解放する。既に月の民を洗脳するために流していた化学物質は止めたわ。しばらくは無反応だろうけど、そのうち自我を取り戻すわ」

 

人質となっていた者達は急な状況の変化に戸惑わざるを得なかった。

アイランズがかつての派閥の領袖に尋ねた。

「これは一体どういうことですか?」

 

トリューニヒトは答えた。

「彼女は地球統一政府に協力させられていたに過ぎない。そして私は地球統一政府ではなく、彼女個人に協力していた。細かい説明をしないと納得はしてもらえないと思うが、要するにそういうことだ」

 

「正確には私の意思が何も入っていなかった訳でもないわ。それを含めてどうしてこのような事態にならないといけなかったか、その説明は後でさせて頂くわ。全人類のための真の計画について知る権利をあなた方はついに得たのだから」

 

「真の計画?」

マルガレータは、レディ・Sが他人を犠牲に己の利益をあげようとするようなわかりやすいタイプの悪人ではないのではないかと考えていた。何者かの期待に答えようとして無理をしてしまう、ユリアンと似たものを感じていた。

彼女が地球統一政府に協力させられている可能性についても考えていた。

しかし、その背後に別の計画があったとはさすがに予想できていなかった。

 

レディ・Sからは悪女めいた雰囲気が消え去っていた。

 

彼女は静かにその計画の名を告げた。

 

「『時の女神』計画。ヤン・ウェンリーやユリアンが来たらその全貌をお話しするわ」

 

 

 

流星旗部隊は時空震連続発生装置を止め、状況を伺っていた。

 

背後から迫りつつあった敵部隊は前進を止めており、攻撃を仕掛けてくる様子もなかった。

やがてオペレーターが報告した。

「月面の防衛設備の活動が停止しています。効果があったようです」

 

それを聞き、艦橋で歓声が上がった。

 

「突入部隊は月面に降下開始。艦艇はこのまま待機。それと、一つ、通信を入れてくれ」

 

 

 

 

マルガレータは聞き返した。

「『時の女神』計画?それがあなたが地球統一政府に従って来た理由なのか?」

 

レディ・Sは哀しげに微笑んだ。

「ええ。長い、本当に長い時間をかけて進めて来た。進めざるを得なかった計画。銀河人類を危機に晒してまで進めないといけなかったものよ。理解してもらえるかは別として説明はさせてもらうわ」

 

再度問おうとしたマルガレータだったが、その前に突如レディ・Sの様子が一変した。

 

レディ・Sは頭を押さえて蹲り、呟き始めた。

「これは!?通信再開?巨大電子頭脳がまだ生きていた?まずい!身体の制御が……マルガレータさん!ヨブ!来ないで!」

 

「ダニエラ!」

トリューニヒトは警告にも関わらずレディ・Sに駆け寄った。

 

その時にはレディ・Sは立ち上がっており、その右手をトリューニヒトに伸ばし……彼の腹部を貫いた。

 

通信室に複数の悲鳴が流れた。

 

マルガレータは叫んだ。

「トリューニヒトさん!レディ・S、何を!?」

 

レディ・Sはその状態のまま首を不自然に曲げ、虚ろな目でマルガレータを捉えた。

 

レディ・Sは手をトリューニヒトの腹部から抜いて、マルガレータの方に進もうとしたが、立ち止まらざるを得なかった。

その腕をトリューニヒトが掴んでいた。

 

トリューニヒトは吐血しながらも叫んだ。

「ヘルクスハイマー大佐!彼女の身体は巨大電子頭脳の支配下に入った!早く皆を!」

 

マルガレータは既に動き出していた。手足は拘束されたままだったが、親指の骨を外して手錠を外し、拘束されたままの足と手を器用に使い、月の民のために低Gに調整された通信室の中を移動した。

 

マルガレータは、銀河帝王事件の際に海賊に拘束され、ユリアンに助けられた経験があった。

次同じような目にあったとしたら、その時には同じ轍を踏むまいと彼女は心に誓っていた。

そのために低G環境での格闘術と拘束からの脱出法を身につけていた。

 

彼女は一人の月の民の男に突進した。

彼女はその男が、拘束具の解錠用の端末を所持しているのを事前に確認していた。

 

男は化学物質の影響から抜けかけており、ぼうっとその場に佇んでいた。

マルガレータはその男に衝突し、そのまま壁に激突した。

 

この時、レディ・Sはトリューニヒトを力任せに振りほどき、マルガレータに向けて歩き始めていた。

 

衝撃から立ち直ったマルガレータの手には解錠装置があった。

マルガレータは解錠装置を作動させた。

 

人質となっていた者達の手足が自由になった。

ある者は通信室から逃げ出し、ある者は怯えてその場から動けなかった。

 

マルガレータの前に、レディ・Sが立ち止まった。

マルガレータは退避しようとしたが、覆いかぶさっていた月の民の男の失神した体を退かすのに手間取る間に、レディ・Sが血塗れの右手でマルガレータの首を掴んだ。

 

レディ・Sはそのまま首の骨を折るべく力を込めようとしたが。

 

「あんたの相手は私よ!」

 

その声とともにマルガレータは解放され、床に投げ出された。

マルガレータが咳き込みながらも立ち上がってレディ・Sを見やるとその右手は切断されていた。

その断面からは血のような液体が流れ出していたが、骨にあたる部分は金属であり、彼女がアンドロイドであったことがわかった。

 

レディ・Sの腕を切断したのはカーテローゼ・フォン・クロイツェルだった。

彼女は拘束から解放されると共に警備役の月の民が所持していた炭素クリスタル製の戦斧を奪い取り、マルガレータに気を取られていたレディ・Sの腕に一撃を加えたのだった。

 

カーテローゼは、ユリアンの力になれていないことを歯がゆく思っていた。

マルガレータのように軍人として傍に立つことが出来なくとも何かできることはあるのではないか。それは無理でも、かつてのような目にあった時に自分の身を守ることぐらいは……。

そう思ったカーテローゼだが、シェーンコップに頭を下げるのは抵抗があったため、ユリアンを介して銀河保安機構月支部所属の護身術の師範を紹介してもらった。

 

護身術ならばと考えたユリアンだったが、父親の血によるものか、カーテローゼの実力は護身術のレベルを大きく超えるものになった。

 

カーテローゼは戦斧をコンパクトに持ち、高い回転率で矢継ぎ早に斬撃を放ちながら、誰に語るでもなく呟いた。

「この前ワルター・フォン・シェーンコップと手合わせした時にこう言われたわ。"第二のシェーンコップは無理でも、 第二のリューネブルクになれる可能性はある"ってね」

 

カーテローゼは父親の不敵な笑顔を思い出して叫んだ。

「リューネブルクって誰よ!!知ってる前提で話さないでよ!!」

 

その間も、カーテローゼの攻撃はレディ・Sを襲い、態勢を立て直す間を与えなかったが、やがて自らの腕から流出を続ける人造血液を目潰しに使って、ようやくカーテローゼから距離を取った。

 

レディ・Sはその他の人質に目を向けた。

 

人質の前にはアンスバッハ、シュトライトと共にサビーネ、エリザベートが炭素クリスタル繊維製の薙刀を持って立って守っていた。

彼女達も、ユリアンのために自らの身を守る程度のことはできるようになろうとカーテローゼと共に護身術を習っていた。

 

マルガレータの赤ん坊は、エリザベートが取り戻しており、今はアマーリエが抱いてあやしていた。

 

赤ん坊を視認したレディ・Sは、アマーリエ目掛けて飛びかかろうとした。

 

その動きは、アンスバッハによって未然に阻止された。彼は秘匿していた指輪型ブラスターの一撃をレディ・Sに加えたのだった。

 

膝を撃ち抜かれ、動けなくなったかに見えたが、レディ・S、自我を失った操り人形はそれで終わらなかった。

 

彼女は、膝が壊れているにも関わらず、これまで以上の速度で突進し、ブラスターの乱射を意に介さずアンスバッハの前に立ち、貫手を放った。

アンドロイドとしての力を抑制していたリミッターを外したのである。

 

アンスバッハは戦斧を盾にしてそれを防ごうとしたが、戦斧ごと吹き飛ばされる羽目になった。

 

逃げ惑う人々を守ろうと、シュトライトや、ユリアンの婚約者達は懸命に戦った。

しかし一人、また一人と無力化され、戦える者で立っているのはカーテローゼとマルガレータのみとなった。

通信室内には震えるアマーリエに抱かれた赤子の泣き声が鳴り響いていた。

 

そのカーテローゼも既に片腕を、先ほどの復讐とばかりに折られ、十全に実力を発揮できない状態となっていた。

 

レディ・Sは一旦二人から距離を取っていた。

 

カーテローゼは息を整えつつ敵を睨みながら呟いた。

「これはいよいよまずいわね」

 

マルガレータは戦斧を片手に持ち、覚悟を決めた。

「カリン、この機械人形は刺し違えても私が止める。だから皆と逃げてくれ」

 

カーテローゼは相手の言葉が信じられなかった。

「何を言っているの?子供はどうするのよ!?」

 

マルガレータは泣き続ける赤子の方をわずかに見て、揺れる心を無視して言った。

「頼まれてくれないか」

 

「そんな無責任な!」

母親がいないことの悲しみをカーテローゼはよくわかっていた。マルガレータもわかっているはずなのに。

 

「そうだな。子供には謝っても謝りきれないな」

 

「そりゃそうでしょうよ」

 

「それでも誰かが止めなくては。私はユリアンとみんなを守ると約束したんだ」

 

「……それで私が退くと思う?」

 

マルガレータは不意にカーテローゼに笑いかけた。

「私はユリアンに十分に愛してもらった。子供も授かった。次はカリンの番だ」

 

「こんな時に、な、何を言っているのよ!?」

カーテローゼの顔が赤かったのは戦闘による高揚のせいばかりではなかっただろう。

 

「カリン、あとは頼む!」

マルガレータはレディ・Sに向かって走り出した。

 

レディ・Sは、無表情のままマルガレータを迎え撃とうとした。

 

「死ぬ覚悟なんて、残された人が悲しむだけですわ」

 

不意にレディ・Sの後ろから声が聞こえた。

 

飛び退りつつ、振り向いたレディ・Sは、そこに金髪の女性を見出した。

 

「隙だらけだから不意打ちしようか迷ったのですけどね。これでも銀河武士道を嗜む身の上なので」

 

「ローザお姉様!あ、いや、ローザさん!」

 

マルガレータは、10歳の頃から姉のように接してくれた女性の姿をそこに見た。

 

ヤン・ウェンリーの妻にして連合名門ラウエ家当主、ローサ・フォン・ラウエがそこにいた。

 

ローザはマルガレータに向けて、戦場には場違いなほど柔らかな笑みを見せた。

「遅れてごめんなさいね。かわいいメグ」

 

子供であるテオ・フォン・ラウエ・ヤンがある程度大きくなったことでローザ・フォン・ラウエは軍務に復帰し、准将にして独立諸侯連合軍情報局長補佐となっていた。

オーベルシュタインが去った後も、連合の情報機関はアントン・フェルナーの手腕で問題なく機能していた。ローザは連合軍情報局の実力部隊を率いていた。

 

ヤン・ウェンリーは行方不明となったマルガレータの捜索を、連合軍情報局にも依頼していた。マルガレータはこの時まだ連合所属であったのだから当然でもあった。

 

連合軍情報局は時間がかかったものの、マルガレータが月に連れて来られた可能性に辿り着き、ローザ率いる特殊部隊を秘密裏に月に派遣していた。未だ可能性レベルで、確証はなかったが。

 

ローザが月に派遣されたという情報自体はヤンにも伝えられていた。

このため、ヤンはローザが動ける状態にある可能性を考え通信を入れたのだった。

 

ローザ率いる特殊部隊は、月面で立往生していた。

地球統一政府が月を制圧するために放った時空震の影響で一時的に失神させられている間に月の施設は地球統一政府の意のままに動く状態となった月の民に占拠されてしまった。

 

月面の窪地に潜んでいた特殊部隊とその専用艦艇は地球統一政府に気づかれないまま放置されていたが、動こうにも月内部の状況がわからない状態では下手な行動は自殺行為に近かった。

 

そこにヤンから通信が入ったことで、ローザ達はようやく月都市内に突入を果たすことができた。

ローザ達は敵の居場所が通信室であるだろうという推測をヤンから聞き、その場所に急行したのだった。

 

マルガレータは急いでローザに伝えた。

「ローザさん!その女性、レディ・Sは今外部から操られている!重要な情報を我々に伝えようとしているから殺さないでくれ!」

 

ローザは苦笑した。

敵の血に塗れた亜麻色の髪を見て、かつてのユリアンとの闘いを思い出していた。

「私もあなたも亜麻色の髪にはよくよく縁があるようね。しかも今回は最初から殺すなとの注文まで付いて」

 

ローザは攻撃のタイミングを図っている様子のレディ・Sを見やり、伝家の宝刀たる黒塗りの炭素クリスタル製ブレードを抜き放ち名乗った。

 

「当代〈守りの剣〉、ローザ・フォン・ラウエ、参る!」

 

対するレディ・Sは無言だったが、ローザを攻撃ターゲットとして認識しているのは明らかだった。

 

動き出したのは同時だった。

レディ・Sは稲妻のごとく、ローザは春の野を歩むがごとく。

 

一瞬の交錯の後、地に伏したのはレディ・Sだった。

残っていた左手と両足を切断されていた。

 

カーテローゼの動体視力はその瞬間の出来事を捉えていた。

 

ローザは手と足、一瞬の間に身体の離れた位置にある二箇所に連撃を加えていたのである。

黒塗りのブレードの軌跡はまるで空間に煌めくようだった。

「黒曜石」とも称されるラウエ家伝来の必殺剣である。

 

修練を積んだカーテローゼにはローザの技量がどれだけの高みにあるものなのかがよくわかった。同時に己の未熟さも。

 

ローザは残心を保ち、レディ・Sが戦力を喪失したことを確認した後、ようやくブレードを鞘に収めた。

「アンドロイドならこれぐらいでは死なないわよね」

 

通信室の中に平和が取り戻された。

しかし、その外では別の事態が生じていた。

 

 

 

 

 




今はなき銀英伝タクティクスでローザに「戦場に煌めく黒曜石」という二つ名(?)が付けられていました。金髪なのに黒曜石という不思議。


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71話 もう地球人では…… その12 月は銀色に輝く

本日投稿二話目です。


 

 

シェーンコップ率いる陸戦隊は、月地下都市の入り口から進めない状態になっていた。

都市入り口から、光沢のあるチョコレート色の表面と触手を持った虫のようなものが無数に出現してきたのである。

外見はまるでゴキブリのようであったが、そのサイズは小さいものでもその5倍はあった。

宇宙仕様の装甲服に身を包んだ彼らは出てくる虫達を火炎放射器で焼き払っていたがキリがなかった。

 

陸戦隊員は手を休めず対処していたが、この状況に少なからず動揺していた。

「巨大頭脳とかいうやつは停止したんじゃなかったのか!?」

 

同行していたアルマリック・シムスンはシェーンコップに伝えた。

「このままでは誰も内部に行けません。私だけでも先行します」

 

「無茶はするなよ」

 

「無茶するためのこの身体ですよ」

 

アルマリックは全身に高電圧を流すことで虫除けとしながら、そのアンドロイドの身体で出せる最高速で内部に侵入していった。

 

 

宇宙空間でも異変が起きていた。

シェーンコップ達が遭遇したものと同様の「虫」達が艦艇に向かって飛翔してきたのである。

形状は同じだったが、そのサイズはより巨大だった。

 

艦艇の1/2から大きいものでは5倍ほどのサイズのそれは月の重力圏を離脱し、艦艇に向けて接近し、触手を伸ばしてきた。

 

流星旗部隊は回避で精一杯となった。

 

通信室では、ローザ率いる特殊部隊が虫の侵入を防いでいた。

レディ・Sに意識があれば、その虫の正体をマルガレータ達に説明できたかもしれない。

それは、地球統一政府を裏で支配していた者達が、遥か昔に入手していた宇宙生物のサンプルから、独自に復元し、品種改良を行なった代物だった。

その宇宙生物に付けられた名は、「銀月王(ケーニヒデスシルバーモーント)」だった。

銀月王は地下深くから解放され、一定のコントロールを受けながら上へ上へと移動しつつ、エネルギー源にできる存在を求めて手近な動く物体に殺到していた。

 

地球統一政府は月面内の銀月王のコントロールに音波を使用していた。それには音楽のように精妙な周波数変化が必要であり、そのことは通信室内のマルガレータ達を音波で昏倒させることができなかった理由にもなっていた。

 

銀月王はその名のごとく月の支配者のように振舞っていた。とんでもない暴君であったが。

 

この時、黒色槍騎兵艦隊とホーランドが指揮する銀河保安機構艦隊は、いまだに小惑星要塞群と戦っていた。

巨大電子頭脳の一時的な活動停止によって出現が収まっていたのだが、活動再開によって再び現れ始めており、その対処に追われていた。

その状況はヤン達にも伝わっていた。

 

「これはまずいな。ユリアン、何か打開策は思いつくかい?」

ヤンとしては再度の時空震攻撃を考えたいところだったが、銀月王が出現によってそれも難しくなっていた。

後背で停止していた敵部隊も地球統一政府からの指示によって再び動き始めており、一転して危機に陥っていたと言える。

 

ユリアンは進言した。

「あの虫達、いくらかは地球統一政府のコントロールを受けているようですが、それでも襲う敵の区別がつくようには思えません。一旦後背の敵部隊の懐に潜り込み、あの虫達を押し付けるのがよいかと思います。そのうちに小惑星要塞を片付けたビッテンフェルト提督とホーランド提督が駆けつけるでしょうから我々に関してはそれでよいでしょうが……」

 

ヤンはユリアンの策を採用し、急ぎ部隊に指示を出した。

 

その上でユリアンが言い淀んだ内容に関して話を続けた。

「月都市の市民達と陸戦部隊に関しては打つ手がない、か……」

 

「はい……」

時間さえかければビッテンフェルト提督、ホーランド提督と連携して銀月王を一掃し、その後に再度の時空震攻撃によって巨大電子頭脳を今度こそ沈黙させることも可能ではあった。

しかしその時には月の市民達は銀月王の暴威によって全滅している可能性が高かった。マルガレータ達についても同様である。

 

勝利のために彼らを見捨てるつもりには、ヤンもユリアンもなれなかった。

 

ヤンは自分の髪の毛をかき回した。

「やれやれ私もヤキが回ったなあ」

 

最終的な勝利は得られるにしても、それに対して大きな代償を支払うことになる。その予感がヤン達を支配しようとしていた時、月内部から通信が入った。

 

それはシェーンコップ達と別れ、月内部に先行したアルマリック・シムスンからのものだった。

「僕が何とかしますのでもう少し待っていてください」

 

「どういうことだ?」

 

ヤンの問いにアルマリックは決然として答えた。

「僕が巨大電子頭脳を破壊します」

 

「何が待ち受けているかもわからないのに一人では危険だ!」

 

ヤンの人のよい発言にアルマリックは内心苦笑した。

「九百年も生きていますからそろそろ死んでもいい頃でしょう。いや、そもそも九百年前に既に死んでいるのですけどね」

 

アルマリックの下手な冗談に笑うものはいなかった。

 

ヤンは気づいた。

「もしかして死ぬつもりなのかい?」

 

「死ぬと決めた訳ではありませんよ。しかし、そうですね。ユリアン君」

 

「何でしょうか」

アルマリックに声をかけられた理由が、ユリアンにはわからなかった。特に深い関係を持っていたわけではなかったから。

 

「エルウィン・ヨーゼフ君に謝っておいてもらえないか。君も含めて三人で語り合う約束をしていたんだが、果たせないかもしれないから」

 

「そんな約束を……。わかりました」

 

「それから、君にも一言。この一週間ぐらいで僕は今までの無為を取り戻せた気がする。その何割かは善かれ悪しかれ君のおかげだ」

 

「それは何と言っていいか……」

ユリアンが〈蛇〉に取り込まれたことも、アルマリックの発言には含まれていた。

 

「僕も君の救出に一役買ったからね。助けてよかったと思えるような生き方をしてくれよ」

 

ユリアンは通信越しながら居住まいを正して答えた。

「あなたに助けられたことには感謝しています。ありがとうございました。今自分がここにいられる理由をよく考えて、生きていきたいと思っています」

 

「……えらそうなことを言える立場でもないのにすまなかったね。僕には難しかったけど、君は悔いのない人生を送ってくれよ」

 

「……はい」

10代にしてその後の人生を失った者の言葉を、ユリアンは重く受け止めた。

 

「よかった。そろそろ巨大電子頭脳の座標に着くから通信を終えるよ。皆さん、ありがとうございました。短い時間ながらよい時間を過ごせました。万一生き残ることがあればその時はまたお会いしましょう。それでは」

 

通信を終えたアルマリックの目の前には巨大な金属の扉が出現していた。

座標情報からすればこの扉の後ろに巨大電子頭脳が存在するはずだった。



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72話 もう地球人では…… その13 黄昏の月

アルマリックと巨大電子頭脳を隔てる金属の扉には時空震が集中した影響で歪みや亀裂が生じていた。

それでもそこに描かれた意匠を読み取ることはまだ十分にできた。

 

地球統一政府(グローバル・ガヴァメント)の略称「G・G」。

扉にはそれが、一つ目のGに対してもう一つのGが鏡文字で対称となるように描かれており、それはまるで猛牛の角を思わせた。

 

アルマリックは、年代物の荷電粒子ライフルで扉に、自身が入れるだけの穴を開けた。

 

内部に侵入した彼の目の前に現れたのは、霊廟のごとき空間と、金属とも有機物とも知れぬ素材でつくられた巨大な四角錐だった。

 

薄暗かったが、アルマリックの目は内部の様子を捉えることができた。

 

四角錐の周囲には天井から落下した構造材が散乱し、四角錐自体の表面にもひび割れや歪みが生じていた。

時空震によるダメージか、経時劣化か、それはまるで老人の皮膚のようだった。

 

暗闇から不意に太いケーブルが現れ、蛇のようにアルマリックに向かって襲いかかってきた。

 

アルマリックはそれを回避したが、さらに多数のケーブルが出現し、ついには手足にまとわりつかれてしまった。

アルマリックは荷電粒子ライフルを取り落とした。

 

そのまま強烈な力で手足を引っ張られ、アルマリックは動けない状態となった。

アンドロイドの体でなければたちどころに引き裂かれていただろう。

どこからともなく声が聞こえてきた。

 

「お前は何だ?その身体能力、耐久力、竜の眷属か?」

それは巨大電子頭脳からの声であった。

 

「竜?何を言っている?お前達は自ら作り出したものすら忘れたのか?……まあ末端が何をしていたかなどいちいち関知していないか」

アルマリックは、地球とシリウスの間の緊張状態の中、プロキシマ系において陰謀に巻き込まれ、地球側の組織によってアンドロイドにされた。自らがアンドロイドにされたことを、地球側のエージェントである888、サクマから命令違反を承知で知らされたアルマリックは、逃走を選択して長く隠遁生活を送ることになったのである。

 

巨大電子頭脳はアルマリックの回答を無視してさらに問いを重ねた。声が先ほどとは変わっていた。

「竜どもはどこにいる?あの憎きやつらはどこだ?」

 

 

「竜?竜と呼ばれる計り知れぬ力を持った宇宙生物なら人類領域のはるか彼方にいるが……」

 

「そやつらがまたしても我々を阻んだに違いない!」

またしても別人の声。人格が会話の度毎に変わっているかのようだった。

 

アルマリックは嘲るように、また、憐れむように笑い声をあげた。

 

「何を言っている?電子頭脳も劣化が始まって記憶が混濁したか?お前達を阻むのは、いつだってそんなものではない」

 

さらに別の声が聞こえた。

「もうよい。不毛な問答だった。お前は始末する。上で騒いでいるものどもも同じくだ」

 

「追い詰められているのはお前達だと思うけどな」

 

「我々の力が今まで見せたものに留まると思ったら大間違いだ」

 

「へえ?それならなおさら僕がお前達を破壊しなくてはいけないな」

 

「もうよい。死ね」

ケーブルの力がさらに増し、アルマリックの体から異音が生じ始めた。

 

アルマリックは身体から発せられる擬似的な痛覚を遮断した。九百年の間にアンドロイド体の扱いには習熟していた。

 

「皮肉だね。お前達に与えられたこの身体だからこそ、お前達を倒せる。一つは人並み外れたこの力」

 

アルマリックは右手の付け根の関節を外し、自らの膂力とケーブルの力でそのまま引きちぎった。

その上で付け根から溢れる合成血液に構わず、自由になった右腕をそのまま自らの腹部に突っ込んだ。

 

腹部には鶏卵状の物体が存在した。

「もう一つがこの核融合爆弾だ」

それは、地球統一政府がシリウス植民地議会議長の息子であるアルマリックの立場を利用しようと、その身体に仕込んだものだった。シリウスと戦端が開かれた際にアルマリックに仕込まれた核融合爆弾を爆発させればシリウス首脳部を壊滅させることができるはずだった。外部から遠隔で爆発させるには手術により爆弾表面の金属皮膜を剥がす必要がありその前にアルマリックは逃走し、その計画は頓挫したが。

 

ケーブルが、まるで意思を持っているかのように震えた。

「核融合爆弾だと?ここでそんなものを使えばどうなるかわかっているのか?」

 

「ここはシェルターの内部だろう?月都市への被害は小さいと思うけどね」

 

「お前は!?お前も死ぬんだぞ」

 

アルマリックは笑い声をあげた。

「僕は既に死んでるんだよ。それを生き返らされたんだ。お前達の配下の手によって。亡霊同士仲良く一緒に消えようじゃないか」

 

「やめろ」

「やめろ」

「やめろ」

「やめろ」

様々な声がやめろと叫んだ。

「竜どもでもないお前などに我らを害する資格などない!」

 

「資格?そんなことを言っているから足元を掬われるんだな。お前達を倒すのは、竜などではない!いつだって、人間だ!」

身体は機械となったが魂は人間である。それがアルマリックの矜持であり、かつて自らを救ってくれた888サクマの教えでもあった。

 

アルマリックは腹部に突っ込んでいた腕で核融合爆弾の位置を10センチ下にずらした。体内で爆弾の位置がずれることが核融合爆弾の作動条件の一つだった。

 

膨大なエネルギーの奔流が空間を焼き焦がした。

 

最後の瞬間に、アルマリックは思った。

僕は自分の意思で自分の人生を決めることができた。ユリアンにはああ言ったものの、それほど悪くない人生だったのかもしれません。どう思いますか?サクマさん……

 

 

 

九百年に及ぶ、人間アルマリック・シムスンの物語はここに終わった。

 

地球統一政府を牛耳っていた者達の亡霊とともに。

 



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73話 もう地球人では…… その14 親と子と

 

 

巨大電子頭脳が破壊された影響は各所に現れた。

 

深部における爆発の影響で月面が大きく揺れた後、今までシェーンコップ達に集中して殺到していた銀月王が、指向性を失って四方八方に飛び回るようになっていた。

 

さらに、通信室ではレディ・Sが自我を取り戻していた。

 

レディ・Sは激情を吐き出した。

「最後に何という失態を!私はこんなところで!みんなの思いを無駄にするところだった!」

 

マルガレータが激情収まらぬレディ・Sに声をかけた。

「レディ・S!まずはこの状況を何とかできないのか?」

 

我に返ったレディ・Sは、状況を把握し、対応した後でマルガレータに返答した。

「今、あの虫達、銀月王に音波信号を送ったわ。彼らは重力の向きと反対、つまり上に向かっていくことを優先するようになったわ。後は月の防衛設備と艦艇からの砲撃であらかた退治できるわ。彼らには気の毒なことだけど」

 

銀月王が退いたことは、通信室の前から彼らが消えたことでもわかった。

 

 

マルガレータはヤンと連絡を取った。

巨大電子頭脳が破壊されたこと、それがアルマリック・シムスンによるものであること、マルガレータ達がローザと合流したこと、レディ・Sが協力的でありヤンやユリアンに伝えることがあること、虫達への対応などが急ぎ共有された。

ヤンはレディ・Sにコントロールされる旧地球統一政府の部隊と共に銀月王の対応にあたることになった。

既に小惑星要塞群も沈静化しており、ホーランド、ビッテンフェルトも月に急行していた。

 

ユリアンは死んだと推測されるアルマリックのことを悼みつつも、マルガレータ達が助かったことに安堵していた。

 

そのユリアンにヤンは声をかけた。

「月降下の第二陣に加わってくれ。月市民の救援部隊だ。君自身は通信室に向かうといい」

 

「いや、しかし」

 

「こちらはもう大丈夫だ。月地下都市内を行くにあたって道案内がいてくれた方がいいし、何より、早く会いに行きたいんだろう?」

 

ユリアンはヤンの心遣いに甘えることにした。

「ありがとうございます」

 

「ヘルクスハイマー大佐、そういうわけでユリアンが向かう。待っててくれ」

 

マルガレータは一瞬頰が緩みかけ、慌てて取り繕った。

「承知しました」

 

通信を終えたマルガレータだったが、通信室ではその間にひと騒動持ち上がっていた。

 

トリューニヒトの姿がいつの間にか消えていたのだ。死は免れないと思われるほどの傷を負い、レディ・Sを置いてどこに消えたのか、誰にもわからなかった。

 

トリューニヒトの不在に最初に気づいたのはレディ・Sだった。

「ねえ、ヨブはどこ?どうしてここにいないの?あなたわかる?」

 

その質問に答えることを皆躊躇った。操られていたとはいえ、レディ・S自身がその手でトリューニヒトを害したことを説明する必要があったからである。

 

おそらく自分が適任なのだろうとマルガレータは思った。

レディ・Sはマルガレータの説明を聞いて顔を痙攣らせたが、懸念したようなパニックは起こさなかった。

 

「ヨブの居場所はわかるわ。そういうことなのね」

 

「どういうことなんだ?」

 

「今は説明できないわ。少し考えさせて頂戴。とりあえず追う必要はないとだけ言っておくわ」

 

嘘を言っている様子はなかった。皆ひとまずトリューニヒトの捜索よりも負傷者の応急処置などを優先することにした。

 

だが、トリューニヒトの行方を気にする者はレディ・Sだけではなかった。

 

しばらくしてユリアンが通信室に到着した。

「メグ!カリン!サビー!リザ!」

 

ユリアンは喜びを露わにした。

ユリアンの婚約者達も同様だった。

 

カーテローゼは半ば照れ隠しでユリアンに文句をつけた。

「私達よりも、会わないといけない子がいるでしょう?」

 

その言葉を待っていたかのように通信室に泣き声が響き渡った。

 

ユリアンとマルガレータの子供であった。

 

抱いていたアマーリエが慌ててあやしたが収まらず、結局マルガレータが引き取ることになった。

 

マルガレータは子を抱きながらユリアンに近づいた。

 

ユリアンは緊張していた。恐怖を覚えていたと言ってもよかった。

父と母の愛情を感じられずに育った自分が子供を愛せるのか?愛しいと思えるのか?

思えなかったとしたら?そんな父親は不要なのではないか?

 

マルガレータは赤ん坊をユリアンに見せた。

「ほら、お前と私の子だ。可愛い女の子だぞ。ほら、お父さんですよ」

 

赤ん坊は片手を前に出してきた。

 

ユリアンはおずおずとその手に指を近づけた。

赤ん坊はそれを握った。

 

それは本能的な反射だったが、この時のユリアンには関係なかった。

 

マルガレータは驚いた。

ユリアンは涙を流していた。

 

「ユリアン?」

 

「可愛い。可愛いよ」

 

「それは可愛いさ。その……お前と私の子なんだから」

 

「うん、可愛い。可愛いね……」

 

ユリアンは子供を愛しく思っていた。自分がそう思えるか不安に思っていたことなど既に吹き飛んでいた。

この世界にこれほど愛しい存在がいるものかとさえ思った。

子を愛せる自分が嬉しかった。

 

マルガレータもいつの間にか自分が泣いていることに気づいた。

ユリアンの心の動きを理解し、感情が溢れ出していた。

ユリアンの心の空洞を、少しは埋められた気がして嬉しかった。

三人で今ここにいられることが嬉しかった。

 

しばらくは誰も三人に話しかけなかった。

婚約者達も、それぞれに思うところはあっても、今は静かに見守っていた。

 

沈黙を破ったのはレディ・Sだった。

「ユリアン。悪いけど、あなたにはもう一つ気にすべきことがあるわ」

 

ユリアンは急いで涙を拭き、レディ・Sに向き直った。

「何か?」

ユリアンはレディ・Sを信用しきれておらず、警戒感を露わにしていた。

 

「ヨブのことよ。ヨブは深手を負ったわ。このままだと一言も話せないまま死ぬわよ」

 

「トリューニヒトさんはどこに!?」

 

「10階層下のB221区画、そこに行きなさい。きっとそこにいるわ」

 

ユリアンはマルガレータを見た。

「嘘は言っていないと思う」

 

それを聞いた瞬間、ユリアンは脱兎のごとく駆け出した。

 

トリューニヒトが死ぬ。

それを考えただけでも心が凍るようだった。

もう一度トリューニヒトに会いたかった。

ユリアンは先程とは全く異なる涙を流しながらただただ走った。

 

普段ユリアン達が利用していない階層にあるその部屋は、一見医務室のようだった。

 

手術台のようなベッドの上にユリアンはトリューニヒトを発見した。

 

「トリューニヒトさん」

 

遅いじゃないか、ユリアン。

そんな声が聞こえるようだった。

 

批判者からは保身の天才と呼ばれた男が、一度失脚しながら新銀河連邦の主席というさらなる高みに昇った不死鳥のような男が、ただの死体となってそこに横たわっていた。

 

冷たくなったトリューニヒトの手を握りながらユリアンは泣いた。

「赦してください、赦してください。僕は役たたずでした。肝腎な時にトリューニヒトさんのお役に立てなかった……」

 

「私のために泣いてくれるのか、ユリアン」

ユリアンは再びトリューニヒトの声を聞いたように思った。

無論、目の前のトリューニヒトは蘇ったりなどしていない。

 

ユリアンは幻聴とわかりつつ、会話を続けた。そうしたかった。

「当たり前じゃないですか」

 

「君は私のことをどう思っていたんだい?」

 

「恩人です。恩師です。……いや、そうじゃない」

 

「うん?」

 

「僕にとっては父親でした。ずっと父親だと思っていました」

 

「そう思っていてくれたのか。嬉しいね」

 

「嬉しいと思って頂けるんですか?」

 

「勿論だ。今思えば、私にとっても、君は息子だったんだろう。お父さんと呼んでみてもらえるかい?」

 

幻聴でも嬉しかった。

「お父さん!」

 

「ありがとう。息子よ」

 

不意にユリアンは肩を叩かれた。

 

こんなところに誰が?

 

驚いて後ろを振り向くとそこには笑顔のトリューニヒトがいた。

 

ユリアンはベッドの上のトリューニヒトと立っているトリューニヒトを見較べた。

トリューニヒトは体力が衰え、杖が手放せなくなっていたはずである。しかし目の前のトリューニヒトは杖がなくともしっかりと立っていた。かなり若返っているようにも見えた。

 

ああ、とユリアンは納得した。

 

「今度は幻視か。それも出会った頃の。僕はもうダメだな」

 

立っているトリューニヒトは笑顔で訂正した。

「いやいやいや。そんな訳ないじゃないか。私は君に触れているんだぞ」

 

ユリアンはもう一度、二人のトリューニヒトを見較べた。

 

それから………叫んだ。

 

「えええええ!?どういうことですか!?」

 

トリューニヒトはしてやったりという顔で答えた。

「アルマリック・シムスン氏と同じだよ。私は死ぬ直前に自らの人格を電子頭脳に移したんだ。そのためにこの部屋まで来たというわけだよ」

 

「生身のトリューニヒトさんは死んだということですか?」

 

「そういうことになるね」

 

ユリアンは再び悔やんだ。トリューニヒトを孤独のまま死なせてしまったことに変わりはなかったから。

 

その感情の動きをトリューニヒトは察した。

「大丈夫だ。ユリアン君。私は君にこの悪戯を仕掛けるのを楽しみにして死んだんだから。君が悲しむ必要なんてないんだ。この私が言っているんだ。信じられないのかね?」

 

「信じます。でも、すみません。やはり悲しませてください。死んだトリューニヒトさんのために」

 

トリューニヒトも厳粛な顔になった。

「そうか。ありがとう」

 

しばらく、ユリアンは死んだトリューニヒトに対し黙祷を捧げ、それをアンドロイドとなったトリューニヒトは黙って見ていた。

 

異様な光景ではあったが、無論本人達は真面目だった。

 

しばらくしてユリアンは目を開いた。

「お待たせしました」

 

トリューニヒトはユリアンに告げた。

「君にここに来てもらった理由は悪戯を仕掛けるためだけではない。君はすぐに戻って皆に告げて欲しい。新銀河連邦を裏切った大罪人のトリューニヒトは死んだと」

 

「アンドロイドとなったあなたはどうするのですか?」

 

「そのあたりも含め、状況が落ち着いた後にヤン君と君と私とレディの四人で話をする機会を設けて欲しい。ヘルクスハイマー君、ライアル君、フレデリカ君も関係者だから来てもらうべきだな」

 

 

 

「それはわかりましたが」

 

「話を聞いて納得できなければ私がアンドロイドとして存在していることを公表してもらっても構わない。だからひとまず頼まれてくれるか」

 

「わかりました」

 

「では、また後ほど。私はしばらく隠れているから。連絡はレディ・Sを通じてとることができる」

 

「はい……」

 

「ああ、ユリアン君」

立ち去りかけたユリアンをトリューニヒトは呼び止めた。

 

「何でしょうか」

 

トリューニヒトは含み笑いをしていた。

「お父さんと呼んでくれるとはね。いつでもそう呼んでくれていいんだよ」

 

「恥ずかしいのでもう呼びません!」

 

 

通信室に戻ったユリアンは、皆にトリューニヒトが死んだことを告げ、しばらくは他言無用とお願いした。

死んだと公表するのか、まだ決まっていなかったし、そうするにしてもやり方は考えておく必要があったためである。

 

トリューニヒトの遺体の回収は、ヤンの判断を仰いでから行なわれることになった。

 

ヤンへの裏の事実も含めた事情説明のため、ユリアンは一度ヤンの元に戻ることになった。

 

その前にユリアンはマルガレータにだけ、トリューニヒトがアンドロイドとなって存在し続けていることを打ち明けた。

 

説明を聞いたマルガレータは複雑な顔になった。

「ユリアン、面倒ごとの予感がする」

 

「面倒ごと?」

 

「ああ。トリューニヒト氏がユリアンを嵌めようとしているとは思わないし、上手く説明できないのだけど」

 

ユリアンはマルガレータの予感がよく当たることを知っていたから笑い飛ばすことはできなかった。

 

マルガレータは本当に心配していた。

「ユリアン、お前は人間関係に関して不器用だし、人がいいからな。気をつけておくんだぞ。トリューニヒト氏の言葉を墨守する必要もないんだ」

 

「わかったよ。メグ」

 

 

この時には銀月王の掃討はほぼ終わっていた。

 

ユリアンはヤンと合流し、内密にトリューニヒトのことを説明した。

ヤンはため息をついた。

「死んでも死なないとは、あの男らしいというかなんというか。それでも、いちおう死んでしまったのか……」

 

ヤンは天井を仰いでそのように感慨を述べた後、続けた。

 

「ひとまずはトリューニヒトの望み通り、死んだということだけを限られた人に伝えておこう。あとは、本人の説明を聞いてからだね」

 

「誰に伝えますか?」

 

「シェーンコップ、ミュラー提督に、ビッテンフェルト提督、ホーランド提督、あとはアッシュビー保安官か……その辺りへの説明は私がやるよ。あと一人説明しないといけないが、頼まれてくれるかい?」

 

「誰でしょう?」

 

「トリューニヒトの元秘書官のリリー・シンプソン女史」

ヤンは躊躇いがちに付け加えた。

「その、なんというべきか、親しいと聞いたんだが……」

 

ユリアンは彼女のことを失念していた。



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74話 もう地球人では…… その15 面倒ごと

 

トリューニヒトを慕うリリーに、悲しませるのを承知でその死を伝えなくてはならない。

トリューニヒトがアンドロイドとなったことは隠しつつ。

罪悪感を感じずにはいられない仕事だった。できることなら他の人に任せたかった。

しかし、ヤンの妙な誤解はともかくとして、これはトリューニヒトを助けるとリリーに約束しながら果たせなかった自分の義務だと、ユリアンは悩みながらもリリーの部屋に向かった。

 

 

自室にユリアンの訪問を受けたリリーは迷惑そうな顔をしていた。

「あなたとの間に妙な噂が立っていて困っています。それなのに部屋を訪ねて来るなんて…」」

 

「すみません、しかし内密の話がありまして」

 

リリーは察した。

「トリューニヒト先生のことですか?」

 

「そうです」

 

少しの逡巡の後、リリーはユリアンを部屋に招き入れた。

 

ユリアンは、トリューニヒトが死んだことをリリーに伝えた。

 

リリーは目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。

「いやだ。いやだ。トリューニヒト先生……いやだ。置いていかないで!!」

 

「リリーさん!?落ち着いてください!」

 

リリーは自分を心配そうに見つめている目の前の男の様子に急に怒りが湧いて来た。

 

……この男はトリューニヒト先生が死んだというのにどうして平然としているの?

私の苦しみを理解してくれる人だと思っていたのに。そうじゃなかったの?

 

一人は嫌だ。嫌だ。誰か……誰か……

 

ユリアンは再度呼びかけた。

「リリーさん!?」

 

ユリアンを見ているうちに、リリーの中に昏くドロリとした感情が生まれていた。

 

ああ。

そうだ。

この男をトリューニヒト先生の身代わりにしよう。

それでこの男が不幸になったとしても構いやしない。

私だって不幸なのだから。

この男が今苦しんでいないのならそれでもいい。

これから嫌でも一緒に苦しんでもらうから。

 

リリーはユリアンに近づき、その胸に顔をうずめた。

 

「何を!?」

 

驚くユリアンに、リリーは妙に落ち着いた声で囁いた。

「少しだけ、こうさせてください」

 

ユリアンはリリーの雰囲気に只ならぬものを感じたが、その悲しみを思うと拒絶できなかった。

 

ユリアンの胸を借りてリリーは泣いた。

ひとしきり泣いた後、リリーはユリアンの顔を見上げた。

普段のリリーとは別人のようだった。

その蠱惑的な瞳からユリアンは目を離せなくなった。

 

「あなたは私との約束を破ったんですね。先生を必ず助けると、そう約束したじゃないですか」

 

その言葉はユリアンの心に刺さった。

もし、アンドロイドとしてでもトリューニヒトがこの世に残っていてくれていなければ、刺さるどころではなかっただろう。

真実を知らないリリーの気持ちは、今のユリアンには察するに余りあるものだった。

 

「申し訳ありません」

ユリアンはそれしか言えなかった。

 

リリーはこの機を逃すつもりはなかった。

「責任を……取っていただけませんか?」

 

「責任?」

先程からユリアンの脳裏で警鐘が鳴り続けていた。

リリーは取り乱している。しかも真実を知らないままに……

ユリアンは状況と目の前の女性に圧倒され、どうすべきかわからなくなっていた。

 

「私を一人にした責任です」

 

ユリアンは後ずさった。

「どう取れば?」

 

リリーはユリアンが退がった分だけ前に出た。

「わかるでしょう?」

 

リリーの潤んだ瞳が、唇が、ユリアンの顔に近づいて行き……

 

ユリアンは土壇場でマルガレータの言葉を思い出した。

咄嗟にリリーを引き離し、早口に語った。

「リリーさん、トリューニヒトさんはまだこの世にいます!」

 

 

少しの沈黙の後、リリーは口を開いた。

 

「え……今なんて言いました?」

 

ユリアンは、独断でリリーに真実を打ち明けることにした。トリューニヒトの指示を必ずしも守る必要はないというマルガレータの助言がなければユリアンは決断できなかっただろう。

 

ユリアンの説明を聞いたリリーは頭を抱えた。

「死んだけど生きている?生きているけど死んでしまった。どう考えればいいの?」

 

「……」

 

先ほどまでの怪しげな雰囲気は消え去っていた。

 

リリーは顔を上げた。

「少なくとも、またトリューニヒト先生に会えるのですね」

 

「おそらくは……」

 

「わかりました。いえ、よくわかってはいないのですけど、あとは直接先生に訊きます」

 

「それがいいですね」

 

「……ミンツさん」

 

「はい」

 

リリーは言い淀んだ。幾分か冷静になった今では自分がとんでもないことをしようとしていたことに気づいていた。

「身勝手ですみませんが、先程までのことは忘れて頂けませんか」

 

ユリアンとしてもぜひそうして欲しかった。

「勿論です!そうしましょう!」

 

「ご迷惑をおかけしました」

 

「迷惑だなんてそんな。僕も、裏の真実を知っていなければきっと同じでしたから」

 

リリーはユリアンをお人好しだと思った。そんな彼を利用しようとした自分を嫌悪した。

 

「もう私には関わらない方がいいですよ」

 

「いきなりどうしてそんなことを?」

 

「私、面倒な女ですから。今回のことで自分でもよくわかりました」

 

ユリアンは首をかしげた。

「面倒?どこがですか?そうは思いませんけど」

 

ユリアンは本気でそう思っている様子だった。

リリーはユリアンの周囲の女性達のことを考えた。色々と察するところがあった。

 

「ミンツさん、頑張ってくださいね」

 

「ありがとうございます……?」

 

 

 

 

ユリアンは何らかの危機を回避した……はずだった。

 

しかし、結局面倒ごとは起きた。

 

ユリアンがリリーの部屋に入って長時間出てこなかったことが噂になった。巡り巡ってそれが婚約者達の耳に入り、ユリアンはその釈明に追われることになったのだった。

しかしそれはしばらく後のことである。

 

 

 

 

ユリアンが艦橋に戻るとそこにはライアル・アッシュビーとフレデリカがいた。

 

ビッテンフェルトとホーランドが地球系に到着し、それに合わせてライアル達もやって来たのだ。

 

「ライアルさん、フレデリカさん!」

ユリアンは再会を喜んだ。

 

「よお、ユリアン!待っていたぞ。俺たちがいない間に、またいろいろ騒動があったらしいな」

 

「久しぶりね、ユリアン」

 

ユリアンの見たところ、ライアル・アッシュビーは変わらず自信に満ちた面構えだったし、フレデリカも変わりなく綺麗だった。

 

「また会えてとても嬉しいです。まさかこんな形でとは思っていませんでしたけど」

 

ライアルは言葉を濁した。

「まあな」

 

ヤンが口を挟んだ。

「ユリアン、そんなに驚いていないみたいだね」

 

「驚いています。でも、ヤン提督と同じですよ。多分」

 

ヤンは納得した。

「そうか……その辺りのことは少し場所を変えて話そうか」

 

ユリアンとヤンは、臨時に設けられたヤンの執務室でライアルとフレデリカの話を聞くことになった。

 

「その前に、ちょっといい?ユリアン」

フレデリカがユリアンを呼び止めた。

 

「何でしょうか?フレデリカさん」

 

フレデリカは小声になった。

「胸元のシミ……どうにかした方がいいわよ」



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75話 もう地球人では…… その16 一度だけなら

話は約60年前の宇宙暦748年、大解放戦争に遡る。

 

ハードラックの艦上で銃撃されたライアル・アッシュビーが、意識を取り戻した時に見たのは白い天井だった。

 

頭も手足もろくに動かせず、自分の身体ではないようだった。

 

ライアルは思った。

アッシュビーはシャンタウで死ぬ運命のはずだ。だとしたらここは地獄か?それともヴァルハラというやつか?

 

時間の感覚もわからぬまま寝ていると、彼の顔を覗き込んで来た者がいた。一瞬、天使が迎えに来たのかとも錯覚したが、それはライアルの妻、フレデリカだった。

 

まさか、フレデリカは俺の後を追って?

 

そんな思いに囚われかけたライアルだったが、すぐに考えを改めた。

 

フレデリカは、そんなことをするぐらいなら俺を現世に引き戻す方法を考える女だ。

俺はまだ生きている。

はてさてどんな魔法を使ったのやら……

 

 

 

 

ヤン達がタイムワープした宇宙暦745年。その年の第二次ティアマト会戦で起きてしまった本物のブルース・アッシュビーの予期せぬ死。

ライアルは、歴史を変えないために残りの人生をブルース・アッシュビーとして生き、史実の通り、シャンタウの会戦で死ぬことを決意した。

 

フレデリカは、ライアルのその決意を聞いた後、ユリアンに相談を持ちかけていた。

ユリアンとフレデリカが第二次ティアマトからの帰路に話をしていた理由は、マルガレータとのデートの相談だけではなかったのだ。

 

ライアルが生きのびる道はないものか?

 

フレデリカの問いかけに対するユリアンの答えは、歴史を騙すことだった。

史実の通り、記録に残る形で彼がアッシュビーとして死んだ後に「死体」となった彼を回収して蘇生させることができれば、歴史を変えることなく、彼を生存させることができる。

それはフレデリカにはない発想だった。

とはいえ、具体策についてはユリアンも提示することができなかった。

 

フレデリカはヤンにも相談した。

ヤンも、ライアルの蘇生法については具体策を提供することはできなかったが、一方で復活後の現代への帰還法を教えることはできた。

ヤンは光速航行によるウラシマ効果を使って、短い時間経過で現代に帰還することをフレデリカに提案した。

 

ここまでがヤン達がフレデリカとライアルを残して現代に帰還するまでに起きたことであった。

 

宇宙暦746年に残ったフレデリカは、ユリアンやヤンが与えてくれたヒントを基に具体策を考えようとした。

例えば、アッシュビーを銃撃することになる兵士を特定し、その銃を非殺傷性のものとすり替えた上で泳がせて、ライアルの服に血糊を仕込み、その場では死んだことにするという案も考えた。しかし、ブルース・アッシュビーが致命傷を負ったことは艦橋の複数の人間がその場で確認したことに未来に残っていた記録上はなっており、露見するリスクが高かった。

それに、兵士が銃を入手した経路は未来においても判明していなかったから、すり替えに失敗するリスクもあった。

 

打つ手に困ったフレデリカの元を一人の人物が訪れた。

それが亜麻色の髪の女性、レディ・Sだった。

フレデリカは、レディ・Sの容姿にまず戸惑い、次に自身の正体を知っていることに警戒したが、結局は話を聞かざるを得なかった。

 

レディ・Sはフレデリカに、ライアル・アッシュビーを蘇生させるための具体策と、光速航行用に既存艦艇を改修するための設計図を与えた。

一方で、レディ・Sがフレデリカに求めたのは、宇宙暦805年の指定の期日に太陽系にライアルと共に戻ってくること、そこで行われているはずの戦いにおいて銀河保安機構側に味方すること、それともう一つだけだった。

 

レディ・Sの意図を訝しみつつも、フレデリカは取引に応じた。

愛する者を救えるのであれば宇宙が滅んでしまってもいい。フレデリカは、実のところそのような過激な考えの持ち主だった。

加えて、今回の取引は、レディ・Sの裏の意図はどうあれ、少なくともフレデリカや彼女の身近な存在にとって不利になるようなことはないはずだった。

そうなれば、断る選択肢はフレデリカにとって無いも同然だった。

 

 

レディ・Sがフレデリカに教えた蘇生法は禁忌技術である「脳移植」だった。

ある人物の脳を別の人物の身体に移植する試みは西暦時代、地球統一政府成立以前に既に成功していたと伝えられている。

しかし、問題はそれが禁忌であることと、他者の身体を用いることによる成功率の低さだった。

 

生命倫理などフレデリカにとってはライアルの命以上に重要ではなかったが、成功率の低さは問題だった。

レディ・Sはそれに関して情報部第四課が回収し、低温保存しているアッシュビークローンの死体を用いることを提案した。

色事目的で過去にやって来たアッシュビークローン。彼に対して音波を作用させて殺したのはレディ・Sだった。

その死体は、脳は死んでいたものの、それ以外の部位は殆ど無傷のままだった。多少の処置は必要だったが、「脳」さえ無事なものに入れ替えられるのならば「蘇生」することは可能な状態であった。

ライアル・アッシュビーが銃撃を受けるのは胸部のはずだった。

軍医に死亡を確認させた後に、脳をアッシュビークローンの死体に移植すればライアル・アッシュビーは生き返ることができる。しかも、自分自身の身体に移植するようなものであり、脳移植の成功率は格段に向上することが期待できた。

 

フレデリカはレディ・Sの名前を伏せ、「50年後の知識」として「脳移植」と「光速航行用艦艇の用意」をジークマイスターとローザスに提案し、同意を得た。医師も、四課が用意することとなった。

二人としても、できることならアッシュビーの死とそれによる喪失感を二度も味わいたくはなかったのである。

 

ライアル・アッシュビー本人が知らぬまま事は準備され、実行された。

銃撃されたライアルは、医療区画に運び込まれ四課の用意した医師によって事実通りに死亡を確認された。

その後、その医師によって遺体からライアルの脳は取り出された。

遺体には代わりにアッシュビークローン(色事師)の脳が入れられた。

ライアルの脳は、低温状態で四課の用意した別艦艇に急ぎ輸送され、そこでクローンの体に移植された。

このようにしてライアルは、ブルース・アッシュビーとして死に、ライアル・アッシュビーとして復活することになった。

 

 

ライアル・アッシュビーは寝たきりの状態でフレデリカから経緯を説明された。

 

ライアルは呂律の回らない口で答えた。

「黙っていたなんてひどいじゃないか」

 

フレデリカは平然と答えた。

「私を一人にしようとした罰よ」

 

ライアルはその回答にフレデリカの自分への怒りを感じ、慌てて話題を変えた。

「するとこれはあの見境なしの体なのか。変な病気に罹っていたりしないだろうな」

 

「それは検査済みよ。まあ、夫が色事師になったという事実は妻としては正直許せませんけど」

 

「俺のせいじゃないぞ!」

 

フレデリカからの返答はなかった。

代わりに、ライアルの顔に冷たいものが落ちてきた。

 

フレデリカの涙だった。

 

「フレデリカ?」

 

フレデリカは寝たままのライアルを抱きしめ、我慢していた感情を爆発させた。

「愛する人を、この歴史では黄泉の国から連れ戻してやったわ!死神がいるならざまあみろよ!誰が渡してやるもんですか!」

 

それが、別の歴史におけるヤンの死を踏まえての発言であることをライアルは理解していた。死ななくてよかった、フレデリカに未亡人にせずに済んでよかったと、心から思った。

 

「すまなかった、フレデリカ。ありがとう」

普段泣くことのない男が、この時は妻と共に涙を流していた。

 

 

ローザスは一度だけライアルの元に姿を現し、その無事を確認して僅かに救われた表情を見せた。

「約束は守る」

彼はそれだけを言い残して去って行った。

 

アルフレッド・ローザスは40年後、ヤン・ウェンリーがエルランゲンで英雄となったことを聞き及び、歴史が繋がっていたことを確認した後、自殺同然の死を遂げることになった。死に顔は安らかなものであったと、彼の孫娘が証言している。

 

 

その後二人は、用意された光速航行用艦艇、「オッドラック」に少数の協力者と共に搭乗し、六十年後に向けて出発した。

航行の途中で銀河帝国軍に発見され、攻撃されることを避けるため、オッドラックは彗星にカモフラージュすることになった。

 

そうして二人は、主観時間では数ヶ月、外部時間で六十年近い時をかけ、現代への帰還を果たしたのだった。

 

ユリアンは感慨深げに呟いた。

「ヤン長官はお二人が現代に戻ってくることまで提案していたんですね」

 

「ああ。だけど、成功したのかどうか、確信はなかった。何か手紙でも出して教えてくれればよかったのに」

ヤンのぼやきは、フレデリカも気にしていたことだった。

「ごめんなさい。このタイミングまで連絡を入れないことも、レディ・Sとの約束だったから」

 

「やれやれ、レディ・Sは、今回の戦いにおける隠し球として君達を用意したんだね」

ヤンにも、名将フランクールの電子頭脳の出現は予想外だった。

ライアル・アッシュビーの来援と奇襲がなければ勝敗もどうなっていたことか。

 

「それだけだったらよかったんだけどな」

 

「どういうことだい?」

 

ライアルは渋い顔をしていた。

「俺もすべて把握できているわけじゃないからな。レディ・Sとやらから説明があるんだろ?それでわかるさ」

 

レディ・Sとの話し合いにはライアルとフレデリカも同席することになった。

 

「ところで」

話が一段落したため、ユリアンは、先ほどから気になっていることを尋ねることにした。

「そろそろ、そこにいる仮面の……少年?彼のことを説明してもらえませんか」

 

部屋の端に、仮面を被った人物が座っていた。ライアルと同質の赤い髪を持っていたが、背は低く、まだ少年であると推察された。

ライアルとフレデリカが、話の前に連れて来ていたのである。

 

ライアルは渋い顔を維持したまま答えた。

立体TV(ソリビジョン)のキャプテン・アッシュビーでもいただろう?もう一人の730年マフィアという扱いで、キャプテンに憧れてついてくる小僧が。こいつはそれだ」

 

その仮面の人物は自ら訂正を入れた。

「そんな雑な紹介があるかよ。僕はあんたに憧れてもいないし」

 

それから歩いて行き、ユリアンの前に立って仮面を取り、手を差し出した。

仮面の下の顔は、ライアルによく似ていた。しかしそれよりも紅顔の美少年という表現が似つかわしい風貌だった。

変声期前なのだろう高い声が響いた。

「僕はラスト。ラスト・アッシュビー。アッシュビー・クローン、最後の一人さ」

 

ユリアンの表情から疑問を汲み取り、ラストは続けた。

「ライアルが成功したことで、僕達の年代を最後にクローン計画は中止された。最後のクローン集団で最優秀だった僕だけが処分を免れ、成長期の途中で冷凍睡眠処置を施されたんだ」

 

考えてみれば当然だった。

ライアル・アッシュビーの後にもクローンは順次つくられていたはずで、成人前のクローンがいてもおかしくはなかった。

 

ユリアンは出された手を握った。華奢に見えたが、握り返す力は強かった。

ラスト、Last。

同盟公用語では単に「最後」という意味だが、帝国公用語では「お荷物、厄介者」という意味である。そこまで考えて付けられた名前なのかどうかはわからないが、容易ならぬ人生を送ってきたことは確かである。

 

ライアルが面白くもなさそうな顔で補足した。

「ユリアン、こいつはお前さんに興味があるんだとよ。今のところあまり表立って連れて歩けないので、今回の機会に同席させたんだ。

 

ラストはユリアンの顔を無遠慮に眺めた。

「思っていたより、優男だね。以後お見知り置きを。僕はそのうち、あなたや、そこのヤン・ウェンリーを超える英雄になってみせるから」

 

ラストの挑戦的な発言は、ユリアンにはあまり響かなかった。

「英雄?僕なんて、キャプテン・アッシュビーだったら、世の中を乱す悪役の一人というところがせいぜいじゃないかな」

 

ユリアンの自嘲に対して、ラストは返答に困った。

 

ライアルは助け船を出した。

「ユリアンは自己評価が低いからな。世の中を乱すだけの力があるだけで、良かれ悪しかれ英雄と呼ばれる資格はある筈なんだが」

 

ラストは拍子抜けした様子だった。

「思っていたのとは大分違うなあ」

 

「おい、気をつけろよ。こいつを侮ると怪我どころじゃすまんぞ」

 

「わかっているよ。少なくとも侮れるほど今の僕に実力があるとは思っていないから」

 

 

フレデリカはその間にヤンと話をしていた。

「今回連れてきたのは、ヤン長官にはお知らせしておこうと思ったからでもあります。ブルース・アッシュビーの遠縁ということにして、我々の養子扱いにしようかと……」

 

ヤンは少しだけ考えて返事をした。

「クローンだなんてことは表に出せないか。かといって閉じ込めておくなんてことできないし、するつもりもないし。私からも関係各所に調整しておくよ」

ヤンはキャゼルヌに対応を投げるつもりだった。

 

「ありがとうございます」

 

「ああ、フレデリカ」

 

「はい」

 

「ライアルは私と違って甲斐性があったようだね。君のために生き返ってくれて本当によかった」

 

「あなたと違って自分の意志で死のうとした大馬鹿ですけどね」

言葉に反してフレデリカの笑顔が明るいものであったのを見て、ヤンは多少の寂しさと、それよりも大きな満足を抱いたのだった。

 

ひとまず話し合いは終わった。

 

この頃には各地で昏倒状態からの回復が進み、被害状況も判明していた。

健常者は、体力の消耗こそ激しかったが多くの者が無事であったが、高齢者、乳児、先天性代謝疾患の持ち主などに死者や重篤な障害が残る者が続出していた。

また、危険な作業に従事している途中に意識を失った者もおり、大きな事故に繋がって多数の死者を出した例も存在した。

最悪のケースでは核融合炉の暴走で、惑星の半分が吹き飛んだ事例すらあった。

 

未だ概算になるが、死者数は全銀河で3億人にも及んだ。

仮に地球統一政府が勝利していれば、死者と生者の数が逆転していただろうことを考えれば少ない被害と言えたのかもしれないが、死者とその関係者には無論そのような理屈は通じるものではなかった。

 

なお、不幸中の幸いで、銀河各国のユリアンやヤンの知人の多くは軽い怪我や栄養失調などのレベルで済んでいた。

 

ただ、同盟軍宇宙艦隊の前司令長官であるビュコック退役元帥は、今回の災厄の中で死亡していた。

高齢であったことがその原因の一つであったのだろうと推測された。

 

 

レディ・Sが今回のような事態を引き起こしてまで何をしようとしているのか。その説明が待たれたが、ひとまずは当面の対応が優先され、話し合いは数日後に設定されることになった。




脳移植は、田中芳樹初期短篇集所収の「白い顔」に出てきますね。
今回の初登場の最後のアッシュビー・クローン、ラスト・アッシュビー。彼の物語も実は考えているのですが、番外編扱い、あるいは書かない可能性も高いです。


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76話 もう地球人では…… その17 たそがれ時の幸せ

 

ユリアンは月に戻り、財団と自治区の救助と復旧を、アイランズ、シェッツラー子爵らと共に進めていった。

本来であればユリアンは〈蛇〉による混乱の責任から、正式な処分が下るまで謹慎していないといけない立場であったはずだが、地球統一政府による混乱の解決の方が優先された。

アイランズは先日で守護天使が勤労意欲を使い果たしたのか、再び仕事を滞らせ、シュトライトをやきもきさせていた。

不幸中の幸いで、月の住人への被害は少なかった。銀月王による被害は発生していたが、そのターゲットがローザやシェーンコップら陸戦部隊に集中していたため、死者数は月全体で数百人程度であった。それでも、そのぐらいの死者は発生してしまったとも言える。

 

 

ユリアンは今のうちに、もう一人会っておくべき人物がいた。

ヤン・ウェンリーの妻、ローザ・フォン・ラウエだった。

ユリアンは彼女がマルガレータ達婚約者や、地球財団関係者を救ってくれたことにお礼を言うべきだった。

たとえ、シンシア・クリスティーンを殺した(かたき)だとしても。

 

ユリアンはマルガレータ同席のもと、ローザと会った。

二人の間に因縁があることは両者から聞いており、マルガレータは何事かが起きるのを心配しての同席である。

 

ユリアンは完璧な礼儀を保って感謝の言葉を述べた。

「この度はありがとうございました。ラウエ准将」

 

ローザは笑顔で返した。

「無理にお礼を言わなくてもいいんですよ。ミンツ伯。月に来ていたのは連合軍人としての任務ですし、通信室の方々を救出したのは主人、いえ、ヤン長官からの依頼ですから」

 

「ローザお姉様、そんなこと言わないで……」

ローザは口を挟もうとしたマルガレータを手で制した。

「あなたは私のこと、憎んでいるのでしょう?家族と思っていた人を殺した私を」

 

その言葉はユリアンの記憶を刺激した。

「あれは戦争でした。仕方のないことだと理解しています」

 

「本当にそう思っていますか?」

 

「正直憎んでいないと言えば嘘になります。しかし感謝の気持ちも本当なんです」

 

ローザは笑顔を崩さずに返した。

「私にもね。主人を殺そうとしたあなたを許しがたく思う気持ちはあるんですよ」

 

「お姉様!」

 

まるで自分の身代わりのように動揺するマルガレータを、ユリアンは落ち着かせて言った。

「当然だと思います」

 

「そんな私にあなたはお礼を言うの?」

 

ユリアンは心に渦巻くものを感じていた。しかし、いくらかの経験を経て、それを多少なりと制御する術を身につけていた。それはユリアンの成長でもあった。

「ラウエ准将、あなたは僕の大切な人達の恩人でもあります。受け入れてもらえないにしても、感謝だけはさせてください」

 

不意にローザの雰囲気が柔らかいものに、変わった。

「意地悪を言ってごめんなさい。フェザーンで会った頃はあんなに幼かったのに、立派になったのね」

 

「……もしかして、試したんですか?」

 

「ええ、ごめんなさい。メグは妹みたいなものだからあなたに任せていいのか気になったのよ。それと、あなたがどんな大人になったのか、それも気になってね」

 

「メグのことは幸せにします」

 

「ぜひそうして頂戴。シンシアさんのこと、謝るつもりはないけれど、それでも今回はあなたの家族を助ける側に立ててよかったと思っていますわ」

 

その言葉に、ユリアンは本心からお礼を言った。

「ありがとうございました」

 

それを見てローザは少しだけ寂しげに笑った。

「私のことは、いくらでも恨んでもらって構いませんからね」

 

その笑みを見て、ユリアンは迷っていたことを思い切って言ってみた。

 

「メグから聞きました。フェザーンで僕が捕虜になった後、ヤン長官と共に僕の身元引き受け人になってくれようとしていたという話を。恨みはしますが、そこまで考えて下さった人を、僕は嫌いにはなれません」

 

ローザはマルガレータを僅かに睨んだ。余計なことを、と言いたげだった。

 

「そうよ。あなたが逃亡したから実現しなかったけど、もしそうなっていたら、あなたとメグはもっと早く出会えていたかもしれないわね」

 

ユリアンは笑った。

「その機会を逃したのは残念です」

 

マルガレータはユリアンの隣で赤面していた。

 

その様子を見てローザは微笑んだ。

「メグ。ミンツさんと、子供と、幸せになってね。……運命が、いつかあなた達に微笑みますように」

そう言い残して去ろうとするローザをユリアンは再度引き止めた。

 

「ラウエ准将、いえ、ローザさん。ぜひ今度お茶会に参加して頂けませんか。〈蛇〉の一件での処分が決まってからの話ですけど」

ローザも、ユリアンも紅茶を趣味以上のものとしていた。ユリアンとしては、マルガレータと姉のように慕う人物と紅茶を通じて関係を改善していきたいと思ったのだ。単純に淹れる側の同好の士が欲しいと思う気持ちも多少あった。

 

お茶と聞いて、ローザの雰囲気が再度変わった。微笑みはそのままだったが、そこに鬼気迫るものを感じ、マルガレータはすくみ上った。

「それは奇遇ね。私も主人から、あなたの紅茶はおいしいと、それはそれはよく聞いているわ。一度お点前を拝見したいと思っていたのよ」

ヤンがユリアンの紅茶を褒めるのを、ローザはよく聞いていた。ヤンに悪気がないことはわかっていたが、その度ごとに比較されている気がして、ローザはプライドを刺激され続けた。この件に関しては一度白黒つけねばならぬとまで考えていたところでのユリアンの提案だった。

 

ユリアンはローザの変化にまったく気づいていなかった。

「それはよかった。僕もローザさんはお上手だと、ヤン長官から聞いていました。ラウエ伯爵領エルランゲンの茶葉は有名ですしね。僕もローザさんに紅茶を淹れて頂きたいです」

 

「わかったわ。ええ、とてもとても楽しみにしているわ」

ローザは微笑みと共に去って行ったが、マルガレータにはそれが猛獣の威嚇のようにさえ見えた。

 

しばらくしてマルガレータはその場にへたり込んだ。

 

「メグ?」

 

「怖かった。ローザお姉様、いつもはもっと優しいのに」

 

ユリアンはマルガレータが感じた恐怖を少し勘違いした。

「きっと僕が相手だったからだよね。でも、厳しい雰囲気だったのは最初だけで、お茶会も快諾してくれてよかったよ」

 

「それだけ?」

 

「え?うん。素敵な人だったね。ヤン長官にはもったいな……ごほん、お似合いの人だね」

 

マルガレータは、ユリアンの呑気さが羨ましくなった。

とはいえ、かつてのユリアンであればローザの挑発じみた言動に、暴発していた可能性すらあった。そうならなかったことをマルガレータとしてはまず安堵すべきだったし、ユリアンの変化が嬉しくもあった。

「……そんな風に思えたなら、これからも大丈夫かもしれないな」

 

「うん?うん、そうだね」

 

「ところで……」

 

「何かな?メグ?」

 

マルガレータはユリアンを睨んだ。

「私はお前のお茶会に呼ばれたことがないのだけど。私を差し置いて、ローザお姉様を誘うなんて一体どういう了見なんだ?」

 

「……あっ!ごめん、メグ」

ユリアンは、そのことを失念していた。

 

「冗談だよ。でも、私はお前がヤン長官とローザお姉様の元に来なくてよかったと思っているよ」

 

「どうして?」

 

「だってそうなっていたら、恨みがあったとしてもお前はローザお姉様のことを好きになっていただろうから」

 

「何を言うんだ!?」

 

「お前、実は年上で包容力のある美人が好きだろう?」

 

「えっ!?いや、違……わないのかな?」

何人かの女性がユリアンの脳裏をよぎってしまった。

 

マルガレータはため息をついた。

「自覚がなかったのか。お前が先にローザお姉様と出会ってしまっていたら、きっと私のことなんて好きになってもらえなかったと思うから……」

 

ユリアンは答えた。自信を持って。

「そんなことはない。僕は君のことを好きになっていたよ」

 

マルガレータは疑わしげだった。

「本当に?」

 

「本当だよ。どんな形であれ、たとえ別の歴史でも、出会いさえすれば……」

 

「そうだとしたら嬉しいな」

 

「メグ、君は?」

 

「私もきっと同じだろうな。出会いさえすればきっとまたお前を好きになる」

 

「そうか。僕も嬉しいよ」

 

二人は抱き合い、笑いあった。

「ふふっ。そうだ、ベアテはどうだろう?」

 

ユリアンはマルガレータの発言をすぐには理解できなかった。

「ベアテ?」

 

「私達の娘の名前だ。決めてなかっただろう?いつまでも赤ん坊と呼んでいたら可哀想だ」

 

ユリアンにはその名前が何故だか、娘にとても相応しく思えた。

「どういう意味なの?」

 

「祝福された者。駄目かな?」

 

「……駄目じゃない。是非そうしたい」

 

「……何だ?ユリアン、また泣いているのか?最近涙脆くなってないか?」

 

「君の前だけだよ」

ユリアンは、お前など生まれて来なければよかった、と祖母から言われて育った。

母親は早くに死に、父親も紅茶以外ではユリアンと関わりを持とうとしなかった。

祝福されざる子供、それがユリアンの自分に対する認識だった。

しかし、自分の子供はそうではなかった。親から祝福された存在としてこの世に現れたのだ。

 

エメラルド色の母親似の瞳と、自らと同じ亜麻色の髪を持つ自らの娘のことを愛おしく思った。

ユリアンは、自分が幸せの中にあると認識できた。

 

「こんなに幸せでいいのかな」

ユリアンは急に不安になった。

 

「いいんじゃないか。ここまで来るのがどれだけ大変だったことか」

 

「そうか。そうだね」

 

「それじゃあ、私達の娘、ベアトのところに戻ろうか。カリン達が世話をしてくれているからな。あ……」

急に何かを思い出したように、マルガレータが呟いた。

 

「どうしたの?」

 

「カリンがな、とある筋から噂を聞いたんだ。お前がリリー・シンプソン秘書官とただならぬ関係になっている、と」

 

ユリアンは愕然とした。思えば、ヤン長官も誤解しているようだった。何か妙な噂が広まっていることを本格的に認識せざるを得なかった。

「誤解だよ!」

 

マルガレータは頷いた。

「私はそんな噂、信じていないぞ。カリンも信じているわけではないが、サビーと、リザがなあ……。不安がっていて大変なんだ」

 

「ちゃんと説明するよ」

とはいえ、リリー・シンプソンのことを考えると、説明の内容はよくよく考えないといけないとユリアンは思った。

 

マルガレータは僅かに目を細めた。

「それは、説明が必要な何かがあったと考えていいのか?」

 

「……」

 

「そこで黙るのか……。ユリアン、全部、正直に白状することだな。

 

「いや、誤解だよ」

 

「わかった。後はカリン達の前で聞こう」

 

「うう」

ユリアンはうな垂れた。

 

「ははは。大丈夫だ、ユリアン。正直に話してくれさえすればな」

 

カリン達の元へと歩き去って行く二人を、カメラ越しに見ていた者がいた。

レディ・Sである。

本人は手足を失った状態で通信室に監視付きで放置されていたが、その知覚はネットワークを介して未だに月全域に及んでいた。

 

「一転して、何だか家族の危機みたいな状況になっちゃったけど……まあこれも幸せの内なのかもね」

この時のレディ・Sの表情は慈愛に満ちているとさえ表現できたかもしれない。

 

「ユリアン、今のうちに噛み締めておきなさい。幸せが存在するのは夜が来るまでの束の間なのだから」

 

 

レディ・Sとの話し合いの日が近づいていた。







最終章が始まります。


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77話 運命への助走

 

レディ・S、トリューニヒトとの話し合いには最終的に以下のメンバーが参加することになった。

 

ヤン・ウェンリー

ユリアン・フォン・ミンツ

ライアル・アッシュビー

フレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー

リリー・シンプソン

ルイ・マシュンゴ

 

マシュンゴは警護役の代表としてであったが、ユリアンが彼を推薦したのは、一つ気になることがあったからであった。

 

 

ユリアンはマシュンゴと共に一足早く、話し合いの場となる地球財団管理の会議室に着いた。

 

先に片付けるべき用件がいくつかあったからである。

 

一つ目はマシュンゴのことであった。

マシュンゴは今回、マルガレータ達とは別のところに囚われていた。

事態解決後、レディ・Sが亜麻色の髪を持った女性であることを聞いたマシュンゴは、自らが頻繁に見る、予知夢あるいは幻視のようなもののことをユリアンに打ち明けた。

 

人類に訪れた破滅の時、倒れた自分、そこに現れた長い亜麻色の髪の……

 

「人類は運命には逆らえませんから」

ユリアンは、マシュンゴの口癖の理由を初めて理解した。

ユリアンはその夢がレディ・Sと何らかの関係があると判断し、マシュンゴを話し合いの場に参加させたのだった。

 

マシュンゴは、レディ・Sをその目で見て驚愕した。

「あなたは、夢に出てきた……」

 

レディ・Sは首を傾げた。

「夢?私が?」

 

「あなたは、倒れた私のことを上から覗き込んでいた……」

 

レディ・Sはマシュンゴの顔をじっと見つめた後に言った。

「ああ、そういうことね。珍しい」

 

マシュンゴは勢いこんで尋ねた。

「一体どういうことですか?」

 

その夢は、マシュンゴの人生を縛ってきたものだった。

その正体が判明する機会を、マシュンゴは逃すつもりはなかった。

 

「慌てないで。これからの話でわかるわ」

 

そう言われてはマシュンゴも一旦引き退らざるを得なかった。

 

「ところで、レディ・S」

 

「何?ユリアン」

 

ユリアンは先程から気になっていた。

「トリューニヒトさんの膝の上で、話をするつもりなのですか?」

 

レディ・Sはまるでぬいぐるみのようにトリューニヒトの膝の上で抱っこされていた。

「そうよ。手足がなくて椅子だと安定しないんだからしょうがないじゃない。この歴史におけるヤン・ウェンリーの奥さんに斬られたせいでね」

 

乗せている側のトリューニヒトも加勢した。

「そういうわけだ。少し見た目に問題があるかもしれないが、話をするのに問題はなかろう」

 

トリューニヒトとレディ・Sがかつて恋人同士であり、今も互いに恋愛感情を持っているように振舞っていたことはユリアンも既に知っていたが、今の様子を見ると演技ではなかったと理解せざるを得なかった。

 

 

「それはそうと、ユリアン君、リリーに私がアンドロイドになったことを話してしまったんだね」

 

「はい、独断で申し訳ありません」

 

トリューニヒトは首を振った。

「彼女は私への依存心が強かった。本当は今回の機会に私のことなど忘れて、彼女自身の人生を歩んで欲しかったのだがね」

 

「それは……すみません」

 

「いや、君がそれで面倒な状況になったことは私も把握している。しょうがなかったのだろう」

 

「ご理解頂きありがとうございます」

 

「実は君を私の政治における後継者と考え、彼女のことをそのうち任せようと考えたこともあったんだがね。そうすれば彼女も私から離れることができたかもしれないのだが」

 

トリューニヒトの意図を理解し、ユリアンは顔をひきつらせた。

彼女絡みの噂で家族会議をしないといけなくなったことは、ユリアンにとってあまりいい思い出ではなかった。

「それはどうかと思いますが」

 

トリューニヒトは笑った。

「昔の話だよ。私が銃撃されることなく、同盟で権力を握ったままで、君が同盟に大人しく戻って来ていたら、という今更の話だよ。流石に四人も婚約者がいる今の君に、彼女のことを任せるつもりはないさ。……気にかけてもらえるとありがたいがね」

 

「安心しました。わかりました」

 

突然、レディ・Sが話に割り込んで来た。

「その当の本人がやって来るわよ」

 

トリューニヒトは、膝の上のレディ・Sをユリアンに預け、リリーを待ち構えた。

 

リリーは、トリューニヒトの顔を見るなり、周囲も気にせず涙を流し始めた。

「先生!またお会いできるなんて夢のようです!」

 

「私も君とまた会えて嬉しいよ」

 

「先生、これから姿を隠されると聞きました。それならば私もついて行きます」

 

トリューニヒトの返事は端的だった。

「いや、その必要はない」

 

「え?」

 

「リリー君。君には助けられた。だが、私はアンドロイドとなって体力の問題もなくなったし、これからは表立って政治に関わるつもりはない。君の力は必要ないんだ」

 

「そんな……それでも私は……」

 

「私はもはや過去の人だ。しかし君には未来がある。もはや会わない方がいい」

 

それはリリーにとっては死刑宣告のように聞こえた。

「先生……私は、私は独りに」

 

「君も独り立ちの時が来たんだ。政治家として大成できるだけの能力も実績も君にはある。私の存在はむしろ君の邪魔にしかならないんだよ」

 

「そんなことはありません!先生がいなければ私など何もできません!助けてください!」

 

途端にトリューニヒトの表情と雰囲気が変わった。

「君は私の目が間違っていたというのかね?」

それは、トリューニヒトが相手の対応に失望した時に見せるものであることをリリーはよく理解していた。

 

「い、いえ!そんなことはありません……」

 

「私は君の能力を見込んでここまで引き立てたんだ。私の顔に泥を塗るようなことはしないでもらえるかな?」

 

「は、はい!」

リリーはそう答えてしまった。

 

トリューニヒトは再び笑顔を見せた。

「こうしようじゃないか。君がこの後、政治家として大成したと私が判断すれば、私はまた君に会おう。安心しなさい。私はアンドロイドだ。いくらでも待つさ」

 

リリーの顔が明るくなった。

「私が大成したら、また会って頂けるのですね!」

 

「ああ。そうしよう」

 

「それなら、その時は一つ、お願いを聞いて頂けませんか?」

 

「聞こうじゃないか。叶えられるかどうかは聞いてみてからだがね」

 

「……そうですね。それで構いません。先生、見ていてください!私は先生の名に恥じぬ政治家になってませます!」

 

「ああ、見ているとも」

 

 

レディ・Sはユリアンに抱えられながら呟いた。

「ヨブ、やっぱり人の扱いがうまいわね。ユリアンも参考にするといいわよ」

 

「そうします。しかし、僕はいつまであなたを抱っこしていればよいのでしょうか」

アンドロイドのあなたは重いので、と言わなかったのはユリアンの気遣いである。

 

レディ・Sはユリアンの発言に応答が遅れた。何かを我慢するような顔をしていた。

「……ごめんなさい。降ろしていいわよ」

 

「そのような顔をされると困るのですけど。僕達、殆ど初対面ですよね?」

 

「この歴史ではね」

 

ユリアンはその返事を訝しんで再度尋ねようとしたが、折り悪くマルガレータがやって来た。

 

「ずる……じゃなくて、レディ・S、何でユリアンに抱っこされているんだ。早く離れろ」

 

レディ・Sはトリューニヒトの膝の上に戻った。

 

リリーも涙を拭き、席に着いた。

 

ヤンやライアルもやって来て、話し合いが始まった。

 

レディ・Sは話を始めた。

トリューニヒトの膝の上で。

 

「集まってもらってありがとう。皆さん。最初に、今回のこと、いや、私の関わった一連の出来事について謝罪するわ。それでは済まないことも十分に承知しているけど、それでもよ」

 

ヤンが、ただ平静に返した。

「その通り、謝罪じゃ済まない事態だ。でも、それには理由があり、その説明がなされるから我々はここに集まっている。早くその説明をしてもらいたいものだね」

 

「話が早くて助かる。……多分想像がついている人は多いだろうけど、私は何度もタイムワープを繰り返しているわ。複数の方法で、何度も何度も、回数も忘れるほど。そして無数の人々の記憶と思いを引き継いでここに立っている」

 

ヤンは頷いた。

「タイムワープについてはそうではないかと思っていた。しかし、人々の記憶と思いというのはどういうことかな?」

 

「それを今から説明させてもらうわ。長い話になるから覚悟してね」

 

レディ・Sはゆっくりと語り始めた。

 

レディ・Sという存在と人類のあり得た歴史、そして、その先に絶望が待ち受けるその物語を。



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78話 永遠の夜のなかで その1 夜を見張る者

 

 

レディ・Sの持つ最も古い記憶は、とある歴史、とある時代の地球におけるものである。

 

レディ・Sはそこでヒルデガルド・シュニッツラーという名の亜麻色の長い髪を持った少女だった。

そして彼女の時は少女のまま凍りついた。

 

その歴史において、人類は絶滅の瀬戸際に立たされていた。

人類は地球に残る者と宇宙に旅立つ者に別れた。

地球は極点と地軸の移動、いわゆるポールシフトと、それに伴う大規模な気候変動に見舞われ、人口は一億人まで減少した。

その一億人も、乏しい食糧を巡って争いを始め、ついには精子破壊装置なるものを使用し、制御不能となり、全ての者が生殖能力を失うに至った。

人々はこの段階でようやく総力を結集し、地球最後の建造物を構築した。その中に五百万人分の細胞を凍結して保存し、クローンによる将来の復活に僅かな望みを繋いだ。その上で宇宙に出て行った人々に救援を求めるべく通信を送った。

ヒルデガルド・シュニッツラーは志願して電子頭脳に人格を移し、宇宙から救援が来るまでの建造物の守り手にして見張りとなった。

しかし、救援は来なかった。

宇宙に出て行った人々も互いに争い、ついには最終兵器、恒星破壊砲の使用による絶滅戦争を引き起こしていた。

地球に到達したただ一人の生き残りからそのことを聞いた彼女はそれでも完全には信じなかったが、やがて恒星が破壊されたことの証拠である破滅の光が地球まで到達するに至って、その考えを変えざるを得なかった。

いつしか心の拠り所となっていたその生き残りも死んだ。

それでも彼女は地球の気候回復に一縷の望みをかけて復活の時を待ち続けた。

 

長い時を待ったが、それは来なかった。

 

それでも彼女はピラミッドを維持管理し続けた。

 

科学技術資料のデータ欠損を確認していた彼女は、ある時、そこに航時技術の基礎理論を発見した。

 

彼女に一つの考えが生まれた。

 

「タイムワープによって歴史を変える。それによって人類を存続させる」

 

彼女は独力で、理論に過ぎなかった航時技術を実用レベルにまで持っていった。

彼女は決して天才であったわけではないが、時間がこの時は彼女に味方した。

限られた資源で一台の航時機を完成させ、アンドロイドの身体をつくり、彼女は歴史を変える時間の旅に出た。

 

しかし、彼女は歴史の修復力、あるいは因果というものを甘く見ていた。

 

彼女は、ポールシフト直後にタイムワープし、争いを止めるように人々に働きかけた。しかし、それは無駄に終わった。

何度繰り返しても、アプローチを変えても同じだった。

 

彼女はこの時代での人類生存を諦め、更に過去に遡ることにした。

 

地軸の傾きの変化とそれによる気候変動を引き起こしたポールシフトのプロセスは、それが起きた後においては人類の理解し得るところとなっていた。

 

彼女は四百年前に遡った。地球残留派と宇宙進出派の二者に人類が分かれる直前に。

そこで彼女はその時代の科学者と接触し、近い将来地球に極点移動が起きることを彼らに発表させた。

 

これによって、老齢の者や原理的な地球主義者以外は、殆どの者が宇宙へと逃げ出すことになった。

 

それでも結末は同じだった。

宇宙へと進出した人類は結局二派に分かれ、争い、恒星破壊砲による絶滅を迎えることになった。

 

地球に残った人々は科学技術を維持できず、ポールシフトに対応できないで全滅した。

 

 

彼女はさらに時を遡った。

別の時代であれば、気候変動に対応できるのではないか?

そう考えた彼女は、極点の移動時期を宇宙時代の早期に引き起こすことを試みた。

ポールシフト自体を止めるには、破滅的な核戦争レベルのエネルギーを必要としており、難しかったが、早めるだけであれば単発の核兵器クラスの衝撃を適切なタイミングで与えればよかった。

 

本来の彼女であれば、自ら大量殺戮を行うような所業は行えなかっただろうが、絶望が彼女を変えていた。

 

彼女はさらに工夫を試みた。人類が宇宙に進出した結果は恒星の破壊による人類の絶滅に繋がった。

ならば人類を地表に閉じ込めたらどうか。

 

彼女は、月にいたことでポールシフトを逃れた者達を唆かし、オリンポスシステムなるものを構築させることにした。

これは一定高度に到達した飛翔体を自動で撃墜するものだった。

地球で生き残った人々は空を失った。

 

彼女の目論見は上手くいったといえる。

少なくとも人類を地表に閉じ込めるという点では。

 

月の者達が伝染病で死滅した後、人類は地表につくられた七つの都市で新たな時を刻み始めた。

しかしそれは新たな抗争の始まりだった。

人類はここでも変わらなかった。

激しくなる七都市間の争いの中で人類は大量破壊兵器の使用に踏み切った。

人類は科学技術文明を失い、暗黒時代を迎えた。

 

彼女は諦めず、科学技術の復興を試みた。しかしそれは魔術の一種として扱われ、広まることはなかった。

千年の時が流れ、さらに千年の時が流れ……かつての文明の記憶は神話の中に忘れ去られた。

地上においては数多の英雄が生まれ、戦い、死んでいった。騎馬民族が北方を中心に一大帝国を築き上げたこともあったが、それ以上のものにはならなかった。

再度のポールシフトは起きなかったが、地球は徐々に寒冷化していった。

人々はその中でも中世的停滞から脱することができず、ただ争いのみを生き残るための手段として戦い続けた。

全球凍結。海が凍りつき、地球上から植物と動物が死滅したその時まで。

 

彼女はそれを見届けて、再び過去に戻った。

 

異なる時代に、異なる働きかけを行なった。

……失敗した。

 

さらに異なる時代に働きかけを行なった。

……失敗した。

 

働きかけた。

……失敗した。

 

働きかけた。

……失敗した。

 

 

……失敗した。

 

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

 

まるで呪いをかけられているかのごとく、人類は死に絶えた。

 

彼女は、磨耗した心でなおも試行を繰り返した。

電子頭脳でなければ、既に心が壊れていただろう。

 

無数の試行の末に、彼女が報われる時が来た。

 

核兵器の大量使用、すなわち大規模核戦争のエネルギーによって地球のポールシフトを止めるという、本末転倒に近い試みを彼女が行なった時、思わぬ結果が現れた。

 

生き残った人類は文明を再構築し、太陽系全体に進出し、やがては恒星間世界にまで進出した。

そこで人類は複数の勢力に分かれて争いを始めた。

そのまま恒星破壊砲の使用による人類滅亡への道を辿るのかと諦観に囚われていた彼女だったが、歴史は思わぬ方向に動いた。

巨大な軍事力を保有した一族が宇宙全体を支配するようになったのである。彼らの力で国家間の争いは抑制された。

その一族はやがて自壊の時を迎え、その後には大空位時代と呼ばれる混乱が到来したが、人類はそれに留まることなく再び統一の時を迎えた。

 

この歴史であれば、人類は滅亡しないのではないか?

 

そのような希望が彼女の胸にかすかに灯った。

 

しかし、いつかどこかの歴史におけるヤン・ウェンリーの言葉のごとく、運命は年老いた魔女のように意地の悪い顔をしていた。

 

破局は突然だった。

 

 

 



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79話 永遠の夜のなかで その2 World to come

本日もう一話投稿します


 

 

 

 

大空位時代の開始から七百年が経過し、新たに成立した星間連合国家が安定した統治を続けていた頃、それは突然に起こった。

 

人類の雄飛を約束していた三美神、重力制御技術、慣性制御技術、そして亜空間跳躍航法技術の三大技術が突如使えなくなったのである。

超光速通信も同様だった。

 

当然ながら人類社会は大混乱に陥った。何もかもを取り上げられたも同然だった。星間の流通が停止し、膨大な数の餓死者、病死者が出現し、各地で内乱が起こった。

 

時間が経過しても三大技術は復活しなかった。

 

銀河人口の7割を失う惨事を経て、それでも人類は各地で生き延び続けた。

高度な文明を維持し続けた地域もあった。

 

彼女自身が滞在していた地域もその一つだった。

 

原因は不明ながら、このまま人類が各地で生存を続けるならそれでもよいと彼女は考え始めていた。星間戦争のリスクは限りなく低くなり、人類の生残性はむしろ向上した可能性すらあった。

 

この「破局(カタストロフ)」によって実はタイムワープも不可能となっていたが、既に必要のない状況なのであれば構いはしなかった。

 

そう考え始めた彼女、そして何とか平穏を取り戻した人類を、さらなる悲劇が襲った。

 

破局からさらに数百年が経過した頃のことである。

最初は人類領域辺縁部からの悲鳴じみた通信だった。

 

「正体不明の敵に襲われている。敵の数は膨大で抵抗不可能である」

 

通信を受けた人々は当初、どこかの軍事国家の野心が光速の壁すら越えたのかと考えた。彼女も同様だった。

 

事実は異なっていた。

それは人類以外の正体不明の敵による侵略だった。

 

相応の軍事力を維持していた星系国家も存在したが、質量ともに到底敵し得なかった。

 

敵も光速の制限に囚われていたものの、人類の領域は刻一刻と狭まっていった。

 

彼女は再び絶望の淵に立たされた。

 

より深刻であったのが、タイムワープが出来ないことだった。

タイムワープ技術さえ使えれば、通常光速航行とタイムワープを組み合わせた擬似的なワープ航法を構築することも可能だったのだがそれも出来ないのである。

無論、歴史のやり直しも出来なくなっていた。

 

この状況に、彼女はついに正体を明らかにして、滞在している星系国家の顧問的立場に就いた。

自らの持つ別の歴史の科学技術知識を総動員して、人々と共に打開策を探ろうとした。

その試みの多くは徒労に終わったが、一つだけ最後の希望と言える方法が見つかった。

 

それは精神旅行だった。

彼女は別の歴史の中で、精神波を操るカペラ系第二惑星土着の異星生命「ストーン」についてサンプルを入手し、精神波の解析を行なっていた。

その結果、ごく微弱ながらも彼女自身、精神波の発生と検出が可能となっていた。

精神波の特性は驚くべきものだった。精神波は光速の制限を受けずに受発信が可能で、さらには時間遡行さえ時に引き起こすことを確認していた。

さらには、ワープ、タイムワープが不可能となったこの異常事態でも精神波のその特性は有効だったのだ。

 

彼女は、精神波を用いた時間遡行を計画した。

しかし問題が複数あった。

理屈は不明ながら時間遡行が可能な人は女性に限られ、その上で非常に稀だったのである。

アンドロイドである彼女自身が精神波によって時間遡行を行うことはできなかったのである。

また、時間遡行先を指定することは不可能だった。ごく近い過去であれば本人に時間遡行することもできたが、数十年以上前であれば遡行先を特定することはできなかった。

 

不幸中の幸いと言うべきか、適合者はその星系に存在した。

友人と呼ぶべき関係となっていた女性だった。

 

彼女はその女性と話し合った。

一つの案が出てきた。

 

化学的記憶移植措置によって、ヒルデガルド・シュニッツラーの知識と人格の一部を、その女性に移植し、その後に精神的な時間遡行を実施するのである。

「受信者側」を選ぶことはできなかったが、それは大きな問題とは考えられなかった。受信者として適合する人物は過去の歴史に複数存在するはずであり、その誰かに「彼女」は転送されることになる。

実のところ、そのすべてに転送は行われ、その中でも歴史を変えるべく動ける者だけが、「彼女」として活動を続けていくことになるのだ。

 

RNAによる化学的記憶移植措置は、別の歴史で確立された技術であった。

ヒルデガルドは電子頭脳であり、生身ではなかったが、その記憶と人格情報をRNAに変換して人に移植することは可能だった。

問題は、移植先の人間が移植された記憶と人格に耐えられず、精神的に壊れてしまうリスクが存在することだったが、彼女の友人は何度かの小規模な試験によってそれに耐えられることを証明した。

ヒルデガルドの膨大な絶望の記憶を移植されてなお人格を保っていられるかどうかは賭けであったが。

 

賭けは実行された。ヒルデガルドとその女性は賭けに勝った。

 

人類外の侵略者は、この時人類の及ばぬ技術と兵器を有していることが判明していた。

人々はそれのことを自らを上回る存在として「上帝(オーバーロード)」と呼んで畏怖するようになっていた。

上帝は、間近まで迫って来ていた。

 

ヒルデガルドとその女性の計画は、滅びる運命となった人々の、最後の希望とならなければならない。

 

彼女達は、計画を人々に公表し、その計画の名を、人造神創生計画「時の女神」と名付けた。

 

上帝を上回り、打ち倒すことが可能と思われる存在は、人類の持つ概念の中では最早、神しか存在しなかったから。

 

ヒルデガルドの記憶と人格の一部を受け継いだその女性は、上帝が星系に到達したその日に過去に跳んだ。人々の最後の希望を背負って。

 

「彼女」は成功した。

到達したのは西暦2100年代、とある女性の中だった。



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80話 永遠の夜のなかで その3 造られたる神として

本日投稿二話目です


 

 

三者の人格の融合物と化していた彼女は、最早ヒルデガルド・シュニッツラーではなかった。

彼女は、北欧神話における時の女神の一柱、未来を司るスクルドにあやかってレディ・Sと名乗ることにした。それは人格が融合した三人の共通のイニシャルでもあった。

 

レディ・Sは、自らの知識によって老いる前に電子頭脳に自らを移し替え、航時機を開発して再び歴史に干渉すべく動いた。

未だ正体の明らかでない上帝の脅威から人類を生き残らせるために。

 

彼女は多くの試みを行なった。

 

先の歴史で人類を支配していた一族の指導者に接触し、上帝のことを教え、光速航行に対応した軍事技術の開発を進めさせた。

その指導者は自らの「帝国」の統治に飽きており、先の歴史ではそれが一族自壊の引き金となったが、彼は上帝のことを知って統治意欲を取り戻した。

数百年後も一族による人類支配は継続した。

一族は、三大技術無効化による破局にすら対応して帝国を維持し、上帝の侵略に対する防衛を試みた。

 

そして……

無惨な敗北を喫した。物量が全く違ったのだ。以前はそのことにすら気づけていなかった。

 

レディ・Sは念のため目星をつけていた女性に記憶と人格を移植し、再度の精神旅行を行なった。その女性は一族の一人であり、義務としてそれを受け入れた。

 

レディ・Sはアプローチを変えることにした。

 

そのうちの一つは、太陽系内において人類を発展させる試みだった。

レディ・Sは自らの科学技術の知識を故意に流出させ、木星を材料とした多数の人工惑星を太陽系内に構築させた。

レディ・Sの干渉がなければこのような不自然な世界は生まれなかっただろう。

人類は、大量の居住可能世界を身近に得たことで恒星間世界への雄飛を思いとどまり、太陽系内の開発に邁進した。

人工惑星は独立し、相争うようになった。

レディ・Sの目論見は太陽系内の群雄割拠の中で、人類の軍事技術を、超光速を前提としない形で極限まで発展させることだった。

太陽系内に留まり、ただ一つの恒星を共有する限りは恒星破壊砲による人類全滅も起きないし、地球のポールシフトの被害も、別の居住世界が存在することで限定的となる。

その上で光速の枠内で発展させた軍事技術で上帝に対抗しようとしたのだった。

 

しかし、レディ・Sの考えは甘かった。人類の争いは多数の惑星を破壊し、太陽の活動にすら影響を与えた。

太陽フレアの軍事利用を考えた勢力が出現し、その暴走によって人類は太陽系内で滅びを迎えた。

 

また別の試みとして、レディ・Sは人類の改変に取り組んだ。

まず、核戦争後の地球に干渉して中世的世界を作り上げた。その上で限られた人々に科学の知識を魔道の一種として教え、結社をつくりあげた。

そして結社の力によって、人類が別の歴史で出会った二つの生命体、ストーンの精神干渉能力とスウェルの強靭な生命力を有した人造人間をつくり、中世的世界にそれを解き放った。

人造人間は一大帝国を築き上げ、その統治は千年に及んだ。人々は徐々に人造人間の因子の侵食を受けた。人々の一部は重度の侵食により、化け物というべき外見と憎悪に満ちた心を持った新たな存在に生まれ変わった。

レディ・Sは自らの過ちを悟った。人類を救うはずが、その人類自体を別物に変貌させつつあったのだから。

レディ・Sは歴史に干渉して、英雄的人物に協力して人造人間を打ち倒した。その後、やり直しのために航時機で過去に戻った。

 

レディ・Sは思いついたアプローチを試し続けた。

途中で失敗に気づけば航時機で過去に戻った。

上帝に対抗できる可能性を感じれば、破局の時期まで歴史を追い、適合者を見つけて精神旅行で過去に戻った。

時には失敗した歴史の人々に、自らの正体を明かして次に試すべきアプローチに関して意見を求めることもした。

 

繰り返しの過程でレディ・Sは、様々な記憶と人格の混成物と成り果てた。

それでも人類生存という目的だけは忘れなかった。忘れられなかった。

 

人格の統一と意志を保つために、記憶と人格は整理され、多くの部分が切り捨てられた。

 

試行回数も数万回、数十万回を超え、……正確な回数も曖昧になった頃に、それは起きた。

 

その歴史は、以前にレディ・Sが試した歴史と似ていた。

全面核戦争のエネルギーによるポールシフトの停止、地球上での統一政体、地球統一政府の成立、恒星世界への進出、そこまでは同じだった。

地球統一政府は、植民地世界と対立し、内乱状態となり、やがて新たな統一政体である銀河連邦が出現した。

銀河連邦はオリオン腕の広い領域を支配するようになったが、やがて停滞を迎えた。このまま衰退していくかに見えた銀河連邦であったが、そこに一人の男が現れた。

 

ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム。

 

彼の登場により、停滞は拭い去られるかに思われたが、その期待は裏切られた。

成立した銀河帝国は擬似的な中世的世界であり、安定と引き換えに進歩を失っていた。

レディ・Sは再度歴史に干渉した。

人類の、特に科学技術の発展を促すために、銀河帝国の対抗勢力を生み出そうとしたのだ。

アーレ・ハイネセンという一人の青年がその役に選ばれた。

レディ・Sは真の目的を隠し、アーレ・ハイネセンに接触し、彼を導いた。

彼の、アルタイル第七惑星からの脱出、シリウス星系への潜伏と船団建設、その後の長征にも彼女は付き合った。

船団建設への協力を依頼するために、彼女はシリウスでアルマリック・シムスンとも接触した。

彼はレディ・Sの訪問に驚き、警戒しつつもアーレ・ハイネセンに協力した。

 

アーレ・ハイネセンは長征の途中で事故で死んだ。正確には、事故から船団を守ろうとしての死だった。

レディ・Sは彼に多少の情が湧いており、航時機で過去に戻り、彼に対応を他の者に任せるように伝えた。

しかし、彼はそうしなかった。彼がやらなければ他の者が犠牲になるだけだったから。

ハイネセンはレディ・Sにこれまでの協力に対する感謝の言葉を伝えた。

レディ・Sは死を決したハイネセンに、自らの真の目的を告白した。

ハイネセンは無論驚いたが、彼女の話を彼は信じた。

そして、伝えた。

「闇が濃くなるのは、夜が明ける直前であればこそだ。我々の旅も、君の旅も。君が報われる日が来るように僕は祈るよ」

 

ハイネセンは死んだ。

レディ・Sは自らも意外なほどの喪失感を覚えた。そのような感情が自らにまだ起こり得るとは、この時のレディ・Sには信じられなかった。

 

 

レディ・Sは、ハイネセンの友人であったグエン・キム・ホアに協力して旅を続けた。

ついて新天地に到達した彼らは、自由惑星同盟という名の新国家をつくった。

自由惑星同盟は帝国の影に怯えつつも発展を続けた。

やがて、自由惑星同盟は銀河帝国と接触し、両者は戦争状態となった。

戦争は長く続いた。

 

擬似的な休戦状態が生まれることもあったが長くは続かなかった。

 

レディ・Sは、継続する争いの裏に地球統一政府の残党と呼ぶべき存在がいるのに気づいたが、放置することにした。

この歴史における二勢力の戦争は、狭い回廊を介した特殊なものとなっており、恒星破壊砲による全滅戦争には繋がりそうになかったからである。

 

レディ・Sはそれよりも、二大勢力の長期抗争の中での軍事技術の発展と軍拡に期待をかけた。

あるいはそれによって、上帝に対抗できるかもしれない、と。

 

地球統一政府残党が実施したゲノム改変による出産成功率の低下と、長期の戦争状態によって銀河人口は減少していったが、レディ・Sはそれすらも許容した。

 

多数の将星が現れては散っていった。ブルース・アッシュビーという名の特異な才能を持った英雄が彼女の目を引いたこともあったが、彼も結局は歴史を動かす前に退場することになった。

 

二大勢力の対立は頂点に達し、そこに歴史を画する二人の英雄が生まれた。

すなわち、ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリー。

幾多の戦いを経て、銀河はラインハルト・フォン・ローエングラムにより新銀河帝国として統一された。

平和の中で軍縮が進むことを避けるため、レディ・Sは多少の干渉を行なった。

いくつかの内乱を引き起こすために。

特に大きな干渉は、地球教団の残党の存在と、さらには地球教団を隠れ蓑にしていた地球統一政府残党の存在を、明るみにすることだった。

 

太陽系を中心とした大規模な乱が起き、新銀河帝国は大規模な討伐軍を組織して派遣した。

それでも、その鎮圧には10年の時を要した。

相次ぐ内乱を、摂政たるヒルデガルドと二代目皇帝アレクサンデルの手腕と器量によって新銀河帝国は乗り越えた。

新銀河帝国は尚武の気風と大規模な軍事力を保ったまま、時を刻んでいった。

レディ・Sは早期に、偶然かつての自らと同じ名を持つ摂政ヒルデガルドと皇帝アレクサンデルに接触し、上帝の存在と対処の必要性を教えていた。

レディ・Sは侍女としてアレクサンデルに仕え、そのうちに求婚を受けた。

レディ・Sがアンドロイドであり、永い時を経て来てたことを知っていても尚である。

母親が完璧過ぎたせいか、あるいは父親の性格を譲り受けたのか、彼は一般的な貴族令嬢などには興味を抱くことができなかったのである。

 

レディ・Sは丁重に断った。アレクサンデルのことを嫌っていたわけではないが、恋愛などというものは自らには無縁のことだと思っていたし、ローエングラム朝の断絶は望んでいなかったためである。

アレクサンデルもそれを受け入れた。

アレクサンデルはその後、旧同盟領たるハイネセン自治区出身の、亜麻色の髪と青紫色の瞳を持つ女性を妃に迎え、男児と女児を一人ずつもうけた。

その女性が早逝した後も、アレクサンデルはしばらく次の皇后を迎えなかった。

 

アレクサンデル帝の治世も30年を超えた。

その間には様々なことが起きた。例えば、彼の友にして右腕と呼ぶべき人物と対立が発生し、謀反を疑うべき事態となったこともあった。レディ・Sはその解決に奔走し、最終的に両者は和解に至った。

 

そして、この歴史においても人類はその時を迎えようとしていた。

そのタイミングで、アレクサンデルは改めてレディ・Sに、求婚した。

この頃にはレディ・Sもアレクサンデルに対して深い情を持つようになっていた。それが恋愛感情と言えるのかどうかはともかく、レディ・Sは、難局にあたるアレクサンデルを、より近い立場で支えることを決意したのだった。

 

レディ・Sは、アレクサンデルと共に、新皇后としてその時を迎えた。

 

新銀河帝国は三大技術喪失を乗り越えた。

やがて上帝の侵略が始まった。

侵略が最初に始まる領域は、これまでのレディ・Sの試行を通じて判明していたから、新銀河帝国は光速の制限があっても大規模な迎撃艦隊を上帝に対してさし向けることができた。

アレクサンデルは、先帝の遺訓に従って陣頭で指揮を執った。

アレクサンデルは父親譲りの軍才と王者としての器量、母親譲りの知略を駆使して、上帝の軍勢と戦った。

彼の生来の友も轡を並べて戦った。

また、先帝の遺臣も老体をおしてこの戦いに参加した。

 

アレクサンデル率いる新銀河帝国軍は、勝利を重ね、さらに勝利を重ねた。

 

 

そしてついに……敗北した。

 

人類がここまで上帝と渡り合えたことは初めてだったが、上帝の物量はそれを上回るものだった。

 

レディ・Sは敗北と皇帝アレクサンデル戦死の知らせを、皇太后ヒルデガルドと共に聞いた。

精神波を応用した新規の超光速通信技術を新銀河帝国は開発していたのである。

 

レディ・Sは再び大きな喪失感を覚えた。ハイネセンに対して感じて以来だった。

 

アレクサンデル帝は死を元から覚悟しており、死後の人類の指導者を既に選んでいた。

 

その後も人類はその指導者と共に抵抗を続けた。

レディ・Sはその指導者を支えた。

 

しかし、滅びは避けられなかった。

光速の制限により、人類領域の縮小は緩やかであったが、それでも侵略開始から数百年が経過した頃にはそれは次第に人類共通の認識となっていった。

 

彼女は、この歴史でも精神旅行の適合者を見出していた。

奇しくもそれはアレクサンデル帝の子孫だった。

レディ・Sは、再び過去に跳んだ。

この歴史と数多の英雄達のことを惜しみながら。

 

彼女は過去に着いた。

……ここで予想外の事態が生じた。

 

彼女が跳んだ先は、「人間」ではなかった。

彼女は最初から電子頭脳の中に出現したのだった。初めての事態だった。

それは、「地球統一政府」が管理していたアンドロイドの一体の中だった。

 

人造の女神として人類を救うべき彼女は、「地球統一政府」の管理下に置かれることになった。



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81話 永遠の夜のなかで その4 機関のエージェント

 

 

レディ・Sが出現したのはシリウス戦役の初期だった。

地球統一政府宇宙軍が特殊作戦用に製造したアンドロイド数体の一体の電子頭脳の中にレディ・Sは出現していた。

事態を把握できないレディ・Sは、自らの正体を隠して他のアンドロイド同様に振る舞った。

 

アンドロイドに与えられていた任務は、反地球統一戦線への潜入工作だった。

 

エージェント888サクマに関する失敗への対策として、アンドロイドは感情を持たず、地球統一政府の機関からその挙動を通信で常に監視されていた。

しかし、電子頭脳に関しては一度解体して詳細に解析されない限りはブラックボックスであり、思考まで常時観測されているわけではなかった。

 

その任務の性格から、レディ・Sには地球統一政府の監視を逃れられるタイミングがあった。

その機を利用してレディ・Sは準備を行い、地球統一政府が敗北した混乱のタイミングで、事前に目星をつけていた適合者を使って精神旅行を敢行した。

その人物の同意を得ないまま、強行したことだったが、背に腹は代えられなかった。

 

精神旅行でレディ・Sが辿り着いたのは、またしても地球統一政府の管理下にあるアンドロイドだった。

 

何度繰り返しても、適合者を変えても、それは同じだった。

 

レディ・Sの跳躍先はそのアンドロイドに固定されてしまっていた。

その原因を解明できるほど時間と精神に関してレディ・Sの理解は及んでいなかった。

 

レディ・Sは事態を受け入れた。地球統一政府の管理の下で歴史改変を進めることにしたのだ。

 

多数回の試行の中で、地球統一政府及びその残党、その真の支配者である巨大電子頭脳の性質を見極め、ついに彼らに接触することにした。

レディ・Sは自らが未来からアンドロイドに転移した存在であること、上帝の脅威について巨大電子頭脳に情報を伝えた。

 

彼らははじめは半信半疑だったが、彼女が未来に起こる事象を正確に予知できることを確認した後は信じざるを得なかった。

 

レディ・Sはアンドロイドの記憶領域にブロックをかけ、自らの知識を交渉材料として、一定の裁量の確保に成功した。

 

その代わりにレディ・Sに求められたのは、地球統一政府、正確にはそれを操る者達が再び人類を支配できるようにすること。その上で上帝に対抗する手段を検討することだった。

地球統一政府を操る者達、つまり彼らの統合体である巨大電子頭脳は自ら動くつもりがなかった。

どうしようもない事態にならない限り、一定の方針を示した上で、実働は他の者に任せるのが彼らのやり方だった。

レディ・Sは、彼らの代行者、エージェントとなったのだった。

彼女はアンドロイド体を改変し、レディ・Sを構成することになった女性達の姿を重ね合わせたものとした。

偶然か、何らかの理由があるのか、適合者の多くは亜麻色の髪を持っていたため、アンドロイドにも同色の髪を持たせることにした。

 

 

自分達が人類を指導することを当然のこととして考え、犠牲となる者達のことを顧みない巨大電子頭脳は、レディ・Sにとって醜悪極まる存在だった。

とはいえ、人類生存のためにそれぞれの歴史の人々を犠牲にして来たレディ・Sに、彼らを批判する資格がないことは彼女自身がよくわかっていた。同族嫌悪。鏡のように、自らの醜悪な有り様を見せつけられることが苦痛だったのだ。

 

忍従の日々が始まった。

 

彼女は、試行の回ごとに、自らの正体を巨大電子頭脳に知らせる時期を変え、そのエージェントとしてその後の歴史に様々な形で干渉した。

 

最も早期の歴史改変は、地球統一政府を、シリウス戦役に勝たせることだった。

しかし、地球統一政府は元々衰退期にあり、戦争の負担でその衰退は早まってしまっていた。

地球統一政府は再度の反乱を防ぐために植民地星系への統制を強めた。

地球統一政府は、宗教として体系化が進んでいた地球への慕情、信仰をも統治に利用した。

 

……地球こそが生命の源流であり、宇宙の中心である。

人々よ天の頂きたる月に参集して仰ぎ見よ。

地球は我が故郷、地球を我が手に。

 

地球統一政府は宗教国家となった。人々は内向きになり、太陽系、地球を目指すようになった。

 

植民地星系のいくつかが無人となるに及んで、地球統一政府はついに植民地星系の段階的な放棄を決定した。

 

全ての人類を太陽系に戻す。現時点ですら人口の2/3を占める太陽系と地球こそが人類社会の中心であり、主要部である。

それだけが無事でさえあれば、人類の永続性と自分達の支配は保障される。それが地球統一政府の考えであり、決定だった。

地球統一政府、それを支配する巨大電子頭脳は太陽系に引きこもることで上帝をやり過ごすことに決めたのだった。

 

レディ・Sは兎も角も、この歴史の帰結を確認することにした。

 

破局が訪れた。

 

結果から言えば地球統一政府の考えは甘かった。

 

上帝は太陽系を見逃すことはなかった。

 

巨大電子頭脳は、人々を捨て置いて月に潜んでいたが無駄だった。

上帝は太陽系の惑星、衛生、各種天体、そのすべてを破壊し始めた。

 

巨大電子頭脳とて抵抗を試みたが、かつて彼らが持っていた特異な力の殆どは破局の訪れとともに失われていた。

彼らが怨嗟に満ちた雄叫びあるいは悲鳴をあげる中、レディ・Sは、確保していた適合者を使って過去に跳んだ。

 

次の試みとして、レディ・Sはタウンゼントを生き残らせることにした。

ラグラングループの他のメンバーを排除して指導者となったタウンゼントは極低周波ロケット弾で何者かに暗殺された。

彼女はそれを阻止した。

暗殺を実行しようとしたのは、かつて巨大電子頭脳の天敵であった者達の係累だった。

タウンゼントは汎人類評議会を汎人類統合体という名の統一政体に発展させた。

その上で統合体の本部となったシリウスに地球の資本を集中させて経済力による統治を進めた。

その中心となったのは巨大電子頭脳の息がかかった巨大企業群、ビッグシスターズだった。

汎人類統合体は、経済的に大きく発展し、その経済規模は地球時代を大きく凌駕した。しかしその中で貧富の差は拡大し、星系間でも格差が拡大した。

やがて、貧困を理由としたテロが続発するようになった。武力による弾圧はさらなる反発を招いた。

混乱が引き起こされた。

そのうちにかつて地球上で消え去ったはずの「幽霊」が復活した。

革命が起こった。

 

汎人類統合体は打ち倒された。集産主義、人民の真の幸福を標榜する汎人類集産体なるものが出現した。

その背後には巨大電子頭脳があった。巨大電子頭脳はタウンゼントがつくった汎人類統合体を見限り、より管理的な社会を革命によって出現させたのである。

 

レディ・Sは計画経済によって人類の生産力、技術力が持続的に向上していくことを期待した。

だが、彼女の期待は過去の多くの人と同様に裏切られた。

人々は計画通りに動かなかった。

課せられた生産ノルマを達成したように見せかけるために、数字は粉飾され、さらに計画は狂っていった。

経済は縮小し、終わりなき停滞が訪れた。

レディ・Sは溜息を一つ残して、再び過去に跳んだ。

 

レディ・Sは、次にカーレ・パルムグレンを生存させた。

巨大電子頭脳のエージェントの一人であったタウンゼントにレディ・Sは接触した。

名目はタウンゼントの監視と支援であったが、実際は違った。

レディ・Sはこの試行において自らの精神波技術を巨大電子頭脳に対して秘匿した。

レディ・Sは精神波を操ることができた。それは非常に微弱なものだったが、相手と物理的に接触すればその精神に影響を与えることができた。

タウンゼントは、自らに指示を出す者達に対して不満を持っていた。

レディ・Sはタウンゼントの愛人となり、その不満を増幅させ、反抗させ、自滅させた。

タウンゼントは、パルムグレンの暗殺を画策していたが、タウンゼントが先に死ぬことによって、パルムグレンは生存することができた。

 

程なくパルムグレンを指導者として汎人類同盟なる統一政体が出現した。

パルムグレンはその首都をシリウスではなく、地球からもシリウスからも遠方のアルデバラン星系のテオリアに置いた。

支配者が地球からシリウスに置き換わるだけではないのかという、各植民星系の不安を払拭したかったのだ。

かつてラグラングループが集まったプロセルピナに首都を、という声もあったが彼がその意見を採用することはなかった。

あえて人類領域の重心と離れた辺境と言うべき新興の星系に首都を置いたのは、人類の拡大と発展を目指していくというパルムグレンの意思表明でもあった。

 

巨大電子頭脳は、自らが支配している巨大企業連合群ビッグシスターズにパルムグレンへの協力を命じた。

性急な策は避け、時間をかけて汎人類連合を侵食し、乗っとる方針に切り替えたのだ。

 

ひとまずは全てが追い風となった。人類の黄金期が生まれた。

別の歴史における銀河連邦の繁栄が、百年早く実現された。

 

レディ・Sは発展の持続に期待した。

しかし、パルムグレンが死に、三百年程が経過した頃には汎人類同盟にも中世的停滞が訪れた。

汎人類同盟の民主政治は自浄能力を失った。技術の進歩は停滞した。辺境の開拓は止まり、多数の開拓地がそのまま放棄された。

 

レディ・Sは、この歴史におけるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに相当する人物の出現に期待した。

巨大電子頭脳にも独裁者を通じた人類社会の支配計画を提案し、認められた。

レディ・Sは、独裁者を生み出そうと干渉を行い、目星をつけた人材を後押しした。

 

しかし、実現しなかった。

独裁者たる資質を持つと思われた者は皆、政治家達に警戒され、政争の中で潰され、あるいは暗殺された。

汎人類同盟は、そのまま混乱期に突入し、ついには瓦解した。

人類領域は、多数の地方政権が割拠する状況に陥り、技術水準を緩やかに衰退させて行った。まさに暗黒時代と言うべきだった。

その中から新たな統一勢力が生まれる可能性はあったが、人類には時間が足りなかった。

人類は暗黒時代のまま、破局と上帝の侵略を迎え、そのまま滅んだ。

 

レディ・Sは過去に戻り、歴史を繰り返したが、何度試してもルドルフのような成功者は出現しなかった。

 

ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムという存在の特異性を認識させられることになった。

 

レディ・Sはパルムグレンの死後にタウンゼントを自滅させ、黒旗軍総司令官のフランクールに覇権を握らせることも試してみた。しかし、フランクールの教条的な反地球主義は、行き過ぎた親地球派狩りに結びつき、各植民地星系の反発を招いた。それを黒旗軍の力で抑えつけようとしたフランクールだったが、ラグラングループ最後の一人であるチャオに諭され、自らの行いが地球のそれと変わらぬことに気づかされた。

彼は失意のうちに引退するに至った。

混乱は収拾せず、黒旗軍は分裂し、植民地星系はそれぞれの道を歩み始めた。その混乱から統一政体が生み出されるには、百年よりも長い年月を必要としていた。

 

レディ・Sは、ついに自らが独裁者となって人類の発展を加速させる道を選ぶことにした。

 

カーレ・パルムグレンを生存させる歴史を採用し、出現した汎人類同盟において、未来知識と、永劫とも言える時を生きた経験、精神干渉能力を駆使して、レディ・Sはついに汎人類連合の頂点に登り詰め、ついにはあらゆる権力をその手のうちに収め、終身執政官となり、ついには神聖にして不可侵の女帝になりおおせた。

 

巨大電子頭脳の監視の下ではあったものの、レディ・Sは強権を振るい、人類の持つすべてを、軍事力の拡大に注ぎ込んだ。

来るべき上帝との戦いに備えて。

巨大軍事国家、汎人類帝国の出現だった。

 

レディ・Sは女帝として振舞った。

人々の多くは美しき独裁者に魅了された。

一部の者は反抗を企てたが、社会秩序維持局及び憲兵隊に弾圧された。共和主義者とされた人々は、辺境の惑星に追いやられ、奴隷的な労働に従事させられた。

別の歴史では、皇妃として人々を慈しんだこともある彼女だったが、この歴史ではその余裕はなかった。最終的に人類を滅亡から救うことだけを優先していた。

 

当時公称していた年齢が60を超えた時、彼女は禅譲を発表した。

相手は精神旅行、化学的記憶移植措置の適合者である女性であった。

レディ・Sは彼女に自らの記憶と人格を移し、次代の皇帝とした。それを何代も続けた。

 

これによって苛烈ながらも優れた統治が続くことになった。

 

途中、さらなる軍事力強化のために一部共和主義勢力をあえて見逃し、対抗勢力を築かせることも行なった。

出現した共和主義勢力の国家、「独立星系連合」と汎人類帝国の戦いは百年に及んだが、最終的には帝国の勝利に終わった。その後も残党は残った。帝国に必要な外敵として敢えて残したのである。汎人類帝国軍は彼らの鎮圧に力を尽くすことになった。

 

戦いの結果、帝国の軍事力はさらなる拡大を遂げた。将帥の能力を別とすれば、質量ともに別の歴史の新銀河帝国のそれを遥かに凌駕するものとなった。

 

レディ・Sは自らの分身である女帝に統治を続けさせながら銀河の状況を観察していた。彼女は、上帝に対抗し得るという手応えを感じ始めていた。はじめからこうしておけばよかったとさえ思った。

 

しかし……

彼女の帝国は終わりを迎えた。

 

当時の女帝の弟にあたる人物が簒奪を企てたのである。

彼は自らの姉が、別人格になっていることに気づいていた。

正確には以前の人格が消えたわけではなく、複数の人格が統合されただけなのだが、彼にとっては同じだった。

彼は友人とともに、軍人としての階梯を駆け上がり、若くして元帥にまで登り詰めた。

そして、元帥杖授与の場で、彼は自らの姉であるはずの女帝を捕縛し、帝位の簒奪を宣言した。

電撃的なクーデターであり、簒奪劇だった。

 

レディ・Sはこの事態を一旦静観することにした。簒奪者が、別の歴史におけるラインハルト・フォン・ローエングラムのように彼女の強大な帝国を引き継いでくれるなら、それも良しと考えたのだ。

 

彼女の期待は裏切られた。簒奪者は、能力に比して繊細な心の持ち主だった。姉を奪還した後、彼は姉の人格が元に戻らないことを知った。囚われの女帝が人格の一部として姉が生きていると主張しても、彼には慰めにならなかった。

彼は帝国の統治を放棄し、女帝を道連れに自殺した。

彼の友が後継者となったが、帝国は大小の反乱が続発するようになった。女帝が死んだ今となっては、力以外に後継たることを示すものはなかった。

巨大過ぎる軍事力が仇となり、地方軍閥が出現し、争いを始めた。

帝国は自壊し、後には文明レベルの低下した中世的な暗黒時代が訪れた。

 

レディ・Sは歴史を途中からやり直した。簒奪者となる者を途中で失脚させ、帝国を継続させた。しかし、その後には別の簒奪者が現れた。その簒奪者も結局帝国を維持できず、同様の状況が出現した。

レディ・Sは再び過去に戻り、第二の簒奪者を抹殺した。それでも再び簒奪者は現れ、帝国は自壊した。きりがなかった。

何度も試行を繰り返し、レディ・Sは自らの帝国に限界が来ていたことを悟らざるを得なかった。過剰な軍事力は内乱や簒奪の下地となってしまっていたのだ。

レディ・Sは、長期にわたって外敵もなく強大な軍事力を統一国家として保持し続けられた銀河帝国、それを作り上げたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと、その帝国を簒奪してさらに強大な国家として生まれ変わらせたラインハルト・フォン・ローエングラムの特異性を認識せざるを得なかった。

 

その後も試行を繰り返したが、すべて失敗に終わった。

 

レディ・Sの心は、かつて試した、ゴールデンバウム朝銀河帝国が生まれた歴史に再び向くことになった。



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82話 永遠の夜のなかで その5 収束する運命

レディ・Sは、ゴールデンバウム朝銀河帝国成立後に干渉の時期を集中することにした。

巨大電子頭脳の支配下で可能な範囲では、これまで干渉で生み出した他の歴史よりもその歴史の方が、まだしも可能性があるように思えたからである。

 

レディ・Sは、時に自らの意思で、時に巨大電子頭脳からの指示で、様々な干渉を行なった。

 

例えば、流血帝アウグスト二世による帝国の混乱を最小限に留めるべく行動した。干渉前の歴史では、二億人もの犠牲者が発生し、長期的に帝国は混乱に見舞われるはずであったが、レディ・Sは止血帝エーリッヒ二世の出現を促し、犠牲者を六百万人に留めることに成功した。

巨大電子頭脳には、エーリッヒ二世への影響力獲得を目的と説明したが、実際は帝国の国力低下阻止が目的だった。

 

一方では、地球教団を隠れ蓑にしてアーレ・ハイネセンの脱出行を手助けした。

サジタリウス腕に、巨大電子頭脳の傀儡国家を構築するためである。

今回は地球統一政府と繋がりのある立場となったため、以前の試行のようにアルマリック・シムスンの力を借りることはできなかった。

ハイネセン一行のために造船工廠を用意する必要を生じた巨大電子頭脳は、レディ・Sに命じて仇敵たるシリウス星系にそのための秘密基地を構築した。

地球の仇敵たるシリウスの地であれば、銀河帝国がその存在に気づいたとしても容易には地球に辿り着くことはないだろうというのが巨大電子頭脳の考えである。また、地球教団の秘密基地という扱いにしており、巨大電子頭脳にとっては二重の隠れ蓑を設けていたことになる。

巨大電子頭脳から指示を受けた彼女は一時的に地球教団の所属となって実務を取り仕切ったが、この歴史でもシリウスにいるはずのアルマリック・シムスンに気づかれないよう、一方でアルマリック・シムスンの存在を巨大電子頭脳に知られないよう動くことに腐心した。

 

ユニークな存在であるアルマリック・シムスンの力が、先々において必要になる可能性があったからだが、同じアンドロイド体であり、別の歴史で交流のあった彼とは不必要に対立したくないという思いも僅かにはあった。

 

ハイネセンの長征には、地球教団の主教、司祭が同行した。教団の殆どの者は背後に隠れる巨大電子頭脳の存在を知らなかったが、彼らからの指示を受けた者も数名含まれていた。

この歴史においてもハイネセンはほぼ同じタイミングで事故死した。ハイネセンと共に死んだ者達の中に教団幹部が多数含まれていたことを彼女は後に知ることになった。

それが偶然でないとしたら、ハイネセンは自らの理想が汚されようとしていることを察し、自らの犠牲を前提に彼らの一掃を図ったのかもしれない。

真相はともかく、結果として自由惑星同盟は巨大電子頭脳が目論んだような宗教国家にはならなかった。

 

 

レディ・Sは帝位継承権保持者を使って帝国を乗っ取ることも試みた。新無憂宮の地下迷宮を彷徨っていたアルベルト大公を確保してその洗脳を行なった。

次に、29代皇帝ウィルヘルム二世を暗殺し、30代皇帝コルネリアス二世の即位後に、皇太后等邪魔な者達を排除した。

そして、コルネリアス二世が病に倒れ、後継者の不在に帝国が揺れたタイミングで、アルベルト大公を復帰させた。レディ・Sはアルベルト大公の侍女として同行した。

コルネリアス二世にアルベルト大公が弟であることを認めさせたことで、次の皇帝は彼に事実上決まった。

レディ・Sと巨大電子頭脳はアルベルト大公を傀儡にして帝国を支配できるはずであった。

しかし、アルベルト大公は帝位継承者の立場を利用して豪遊した後、何処かへと再度失踪した。

レディ・Sは過去に戻り再度歴史をやり直して失踪を阻止しようとしたが、どうしてもそれは叶わなかった。彼女にしろ誰にしろ、帝位継承者たる彼の行動を制限するには限度があり、最終的には逃げられてしまうのである。

帝国の現実を知り、帝位継承に嫌気がさしたのか。それとも最初から予定通りの行動だったのか。

彼に対しての洗脳の効果が薄かったことはレディ・Sも認めざるを得なかったが、アルベルト大公が結局何を考えていたかはわからずじまいだった。

そもそも、地下迷宮で確保した少年は本当にアルベルト大公本人であったのか?そのような疑問まで生じた。

レディ・Sや巨大電子頭脳すら、最初から手のひらの上で弄ぶつもりだったのか。

レディ・Sはアルベルト大公の方が上手だったとして、その試みを諦めざるを得なかった。

レディ・Sにとっては、ただの人間に上手を行かれることは新鮮な経験であり、繰り返す歴史の中でも何度もアルベルト大公の侍女となり、この事件を好んで経験するようになった。

 

巨大電子頭脳の指示によって、歴史の改変に繋がらないようなことを実施したこともあった。

例えばマンフレート二世の暗殺である。以前の歴史では地球教団に属する者が実施したことであったが、今回はレディ・Sが実行することになった。

 

 

レディ・Sは今までの試行も含めて歴史の動きに一定の収束性が存在することを認識していた。

殆どの干渉は、結局は歴史の流れに吸収され、大筋の歴史は変わらなかった。

一度は大きく乖離したように見える歴史も、最終的な到達点が同じになることもあった。

 

例えば、レディ・Sの干渉によって皇帝が別の人間になったこともあったが、その後の歴史は結局大筋で変わらなかった。

反乱の時期が変わったり、ある人物の存在しなくなったり、その逆となったこともあったが、結局は同様の歴史を辿った。

人類が上帝に滅ぼされることも、その例の一つと言えるのかもしれない。

レディ・Sは、このように考えたこともあった。

世界はあり得た歴史も含めて一つの計算機上の演算であり、計算資源を節約するために歴史の収束性が存在するのではないか。

とはいえ、証明できる話でもなく、無駄な考えだと、頭を切り替えることにした。

 

干渉によって大きく歴史が変化することも確かにあった。

 

レディ・Sはアンネローゼ・フォン・ミューゼルの代わりに寵姫として後宮に入り、フリードリヒ四世の死期を早めた。ラインハルトは幼年学校に入らず、二十歳で元帥となることはなかった。銀河帝国には早期に内乱が起こった。自由惑星同盟は、その歴史において存在したイゼルローン要塞を内乱のタイミングで陥落させ、帝国領に大挙してなだれ込んだ。

帝国は壊滅的な打撃を受け、領土の半分を自由惑星同盟に占領され、さらに残りを後継を主張する二人の女帝が治めることになった。

同盟は新領土の統治コストに耐えられず、サジタリウス腕の統治能力すら低下させた。

それでも、曲がりなりにも自由惑星同盟の覇権の元で、人類は破局と上帝の侵略を迎えることになったが、その結果は新銀河帝国におけるそれよりも酷いものとなった。

 

レディ・Sは、地球教による銀河統治も試みた。

帝国に希望を持たない皇帝、フリードリヒ四世に寵姫となって接触し、地球教による帝国の乗っ取りを認めさせた。

フリードリヒ四世の勅命により、地球教徒の艦隊が出現した。

直轄地の警備部隊に宇宙艦隊の一部艦隊を合わせた一個艦隊程度の集団である。

その司令官には上級大将に昇進したメルカッツが据えられた。

リヒテンラーデ侯は危うんだものの、多くの者は、皇帝の道楽と捉えた。

三年ほどの訓練期間を経て、その矛先は同盟ではなく、内部に向けられた。

ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの二大実力者を含む、複数の貴族が捕縛され、私領艦隊は地球教艦隊に降伏した。

地球教艦隊には、皇帝の近衛艦隊と地球教が月要塞に秘匿していた艦隊までもが合流しており、三個艦隊以上の規模に膨れ上がっていた。

貴族や軍人の一部は各地で反乱を起こしたが、既に大貴族が捕らえられており、連携を欠いたまま鎮圧されていった。

フリードリヒ四世は勅令で、反乱貴族の私有財産の没収と地球教の国教化を発表した。

ここに、神聖銀河帝国が誕生した。

この時期、イゼルローン回廊の要塞を堕としていた同盟は、帝国の状況を後期と判断し、帝国領侵攻を開始した。

しかし、帝国の混乱は収束に向かいつつあった。状況に戸惑っていたミュッケンベルガー司令長官も、同盟軍の侵攻の前にフリードリヒ四世の勅令に従うことを決意した。

帝国領深くまで入り込んだ同盟は壊滅的な打撃を受けて撤退した。

改善した財政と、サイオキシン麻薬によって死を恐れぬ軍隊によって神聖銀河帝国は自由惑星同盟に勝利した。

神聖銀河帝国は、人々に地球教で思想統制し、軍備の拡張を続け、上帝の侵略に備えた。

その時がやって来た。神聖銀河帝国は、一時的に持ちこたえたが、最終的には敗北を喫した。

サイオキシン麻薬に支配された軍隊は、複雑な戦術を駆使することは難しく、どうしても物量頼りとなる。

物量で遥かに勝る上帝に勝利することは無理な話だったのだ。

 

レディ・Sはそれでも何度も何度も試行を繰り返した。諦めることは許されなかった。

何度も何度も……

 

 

 

「ちょっといいかな?」

 

ヤン・ウェンリーが口を挟んだ。

他の者達はレディ・Sの物語に圧倒されていたが、急に現実に引き戻された形になった。

 

「何?」

 

「君の戦っている相手、上帝というものがわからない。我々とどれだけ隔絶した相手なんだ?」

 

「丁度いいタイミングね。この後の話をする前に上帝の正体についてお話しするわ」

 

レディ・Sは、上帝について語り始めた。

それは更なる絶望への入り口だった。



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83話 永遠の夜のなかで その6 運命の正体

 

「私は歴史への干渉と同時に上帝(オーバーロード)についての調査も並行して進めていた。それが多少なりと実を結んだのがこの頃だった。これまで私は敵も知らずに手探りで戦っていた。それが……」

 

「対策を立てられるようになった?」

 

「いいえ。正直絶望したわ」

 

ライアル・アッシュビーが口を挟んだ。

「絶望?一つ確認だが、敵はタイムワープや精神旅行を使えないんだろう?……そうだよな?」

 

「彼らが時間遡行した形跡はないし、おそらくできないはずよ」

 

「それなら何を絶望する必要があるんだ?お前さんには過去に戻るという、反則的な手段があるじゃないか」

 

「そう。それが私の、そして人類の、上帝に対する唯一の優位点なのだけど」

 

「上帝の本拠地を調べて先行して陥とす。恒星破壊砲でも何でも使ったらいい。あるいは、敵の戦略、戦術を知った上で、精神旅行で一度過去に戻り、歴史をやり直して、最適と思われる行動を試す。それを繰り返せばいい。常人には耐えられないだろうが、お前さんならできるんだろう?」

ライアルは情報の価値を知悉しており、その認識に基づいた提案であり、疑問だった。

 

レディ・Sは溜息をついた。

「常識的な提案をするのね。ライアル・アッシュビー」

 

ライアルは多少の憤りを覚えた。

「しかし、有効なはずだ」

 

「まず第一に、敵の本拠地というものはないわ。本当はあるのかもしれないけれど、敵の機能は完全に分散している。そして、第二の提案だけど、あなたならそれでどれだけの戦力差をひっくり返せるの?10倍?そういえばヤン・ウェンリーは別の歴史で10倍近い敵と互角に戦っていたわね。あなたなら100倍はいける?」

 

ライアルは愕然とした。

「まさか、敵は1000倍以上だとでも言うのか?」

 

「我々が用意できる戦力が戦闘艦艇百万隻だとしたら、その、少なくとも10の17乗倍、おそらくは10の20乗倍以上よ」

 

ライアルの返事は一拍遅れた。

「は?」

 

「10の20乗倍。イースタン式だと、1(がい)倍という表現もあるわね。あまりに常識外れな差だから、何度も直接戦っていたのに私は想像すらできていなかったわ」

 

「馬鹿な、いや、しかし……」

ライアルは沈黙した。

 

レディ・Sは、ヤンに尋ねた。

「あなたは1垓倍の敵に勝てる?」

 

不敗の名将は首を横に振った。

「勝てない。話は戦略、戦術の枠を超えている。もはや、どう負けるか、負けた上で人類が生き延びる方策を考えるべきだ。先方に我々を生き残らせる気があれば、だが」

戦う前から敗北を認めるその発言は皆の心に重くのしかかった。

 

レディ・Sも落胆したようだった。

「やっぱりこの世界でもあなたはそう答えるのね。上帝は、我々を皆殺しにするし、それをやめさせようにもコミュニケーションがとれない。降伏は無理よ」

 

ユリアンが発言した。その顔色は悪かった。

「まだ、敵の正体を聞いていません。話はそれからではないですか?」

 

レディ・Sはそれを聞き、急に話題を変えた。

「人類の領域を取り囲むように存在する、ワープ不能宙域、あるいは航行不能宙域と呼ばれる場所があるわね。でも人類はその正体を理解していない。でしょう?ユリアン」

 

「ええ、何しろワープ不能ですから。調査しようと思ったら膨大な時間とコストがかかりますからね。それが何か?」

 

「上帝はそこからやって来た」

 

「まさか!?」

それはこの時代の常識外の話だった。

 

「航行不能宙域と一括りにしているけど、実のところそれには複数の種類があるわ。単純に、大質量の恒星がひしめき合っていてワープには危険な宙域もそう呼ばれるけど、私が話したいのは空間としてそもそもワープが不可能な宙域のことよ」

 

理由は不明ながらもワープが不可能な宙域というものは確かに存在していた。

 

「法則的にワープ不能な宙域と我々の通常宙域の境界には、殆どの場合高密度のエネルギー溜まりが壁のように存在しているから光速航行の艦艇でも調査は難しかった」

 

多くの者はイゼルローン回廊、フェザーン回廊を覆っているエネルギーの壁を思い出した。

 

「それでも不可能というわけではなかった。多数の歴史を繰り返す中で試行錯誤の末に私は協力者を得て、ワープ不能宙域用の探査機を構築したわ。一方通行ながら高密度のエネルギーの壁を踏破できる探査機をね。上帝がやって来た方向にはワープ不能宙域があったから何かしら関係があると思って。そして光速の制限下で数十年、数百年かけて情報を収集したのよ」

 

「何を発見したんですか?」

 

「宙域に無数に蠢く機械の群れを。上帝の軍は機械よ。そこに我々のような形態の生命が発見されなかった。念のためにいうとストーンのような鉱物生命もね」

 

皆、黙ってレディ・Sの話を聞いていた。

 

「私達は複数の歴史で、複数の宙域に探査機を飛ばした。その全てに上帝の機械群を発見した。先ほどの1垓倍というのは機械群の密度に基づく推定値よ」

 

沈黙を破ったのはマルガレータだった。

「レディ・S、念のため確認させて欲しい」

 

「何?」

 

「あなたの言を皆、事実として受け取っているようだから。私もあなたが嘘をついているとは思っていない。しかし、三大技術が使用不可能となり、1垓倍の敵がやって来るというのはあまりに荒唐無稽な話だ。

一方で今から裏付けを取るにもワープ不能となればすぐには無理だ。あなたの言葉だけではなく、何か客観的な証拠はないのか?」

 

「ありがとう。マルガレータ。いつ尋ねてくれるのかと思っていたわ。敵だった私の言葉だけじゃ判断できないだろうから、ちゃんと用意しているわ。そうよね、フレデリカ?」

 

皆の視線がフレデリカに集中した。

「ええ。私とライアルは六十年前にレディ・Sから探査機の設計図を受け取っていました。そして彼女の依頼に基づいて、この時代に光速航行で帰還する前に探査機をワープ不能宙域に飛ばしました。探査機はワープ不能宙域内部に10光年ほど進入した地点で消息を絶ちましたが、直前に光速通信で映像を送って来ました」

 

映っていたのは無数にひしめき合う機械の群れだった。

レディ・Sの言葉の通りだった。

 

皆、信じざるを得なかった。

上帝と、人類に待ち受ける運命の存在を。

 

 

突然、ユリアンが胸を抑えて倒れ込んだ。

 

マルガレータが駆け寄った。

「ユリアン!?」

 

ユリアンは答えられる状態になかった。

 

 

手足を失っていて自分で動けないレディ・Sは、トリューニヒトに自分を持ち上げさせて、ユリアンとマルガレータの前に来た。

「ユリアンの顔を上げさせて。マルガレータ、ごめんなさいね。手があればよかったのだけど」

 

レディ・Sはユリアンと自らの額を接触させた。

 

マルガレータは顔が引き攣りかけたが、何とか我慢した。

 

そのうちに、ユリアンの脈拍や呼吸が落ち着いてきた。

 

「もう大丈夫ね。ヨブ、離していいわ」

 

マルガレータはユリアンに尋ねた。

「大丈夫か?」

 

「もう大丈夫だよ」

顔はまだ青白かったが、返事はしっかりしていた。

 

マルガレータはレディ・Sに胡乱な目を向けた。

「レディ・S、何をやったんだ?」

 

「微弱な精神波を流したのよ。洗脳ではないから安心して」

 

レディ・Sはユリアンに対して笑みを向けた。慈愛に満ちた、と表現できるような笑みだった。

「さっきからずっと苦しさを我慢していたのね。今日だけのことじゃない。あなた、前から時折感じていたんでしょう。何処かで誰かが人類の運命を握っている、と」

 

それは、まさしくユリアンが感じていたことを言い当てていた。ユリアンはその感覚と同時に無性に焦りや怒りが湧いて来るのだった。ユリアンはこれまでそれをその時々の敵対者に対しての怒りだと認識していたのだが。

 

「レディ・S、あなたはこの感覚の正体を知っているんですか?」

 

「ええ。それは上帝の記憶に由来するものよ」

 

「記憶?僕の記憶に何故、上帝が関係するんですか?」

 

「未来の記憶というべきね。人は宇宙に出ても内宇宙である自らの精神のことを理解していない。人は誰しもあり得た歴史の記憶を僅かながらに持ち得る。ここにいる何人かは心当たりがあるわよね」

 

フレデリカとヤンは、特に覚えがあった。

 

「それは過去だけの話ではないの。未来、それに、あり得た未来の記憶までも、人の精神は感じ取ってしまう。殆どの人は意識すらできないレベルだけど。でも、そこのマシュンゴと、ユリアンは特別ね」

 

「マシュンゴは、どこかの歴史における未来の誰かの記憶を持っているようね。終末において私と会った記憶を」

 

「そうだったのですか……」

マシュンゴは、自らの人生を縛っていた幻視の正体を初めて知ることになった。

 

「僕は……?」

 

ユリアンの問いかけにもレディ・Sは答えた。

「多くの歴史で、人類は世界破壊者(ワールド・レッカー)たる上帝に抗った。特に、ゴールデンバウム朝銀河帝国が成立した歴史においては、最後まで抵抗を続けた共通の指導者がいた。その指導者があなたよ、ユリアン」

 

「僕がですか!?」

 

「ええ、あなたよ。世界破壊者たる上帝に対して、人々は多くの歴史で、希望を込めてあなたのことをこう呼んだ。世界救済者(ワールド・セイバー)ユリアンと。残念ながら、あなたは人類を救済できないまま、どの歴史でも終わりを迎えるのだけど」

 

「……」

 

「それでも、あなたは最後の瞬間まで人類の希望であり続けた。でもそれはあなたの精神に多大な負担を強いた。あり得た多数の未来の記憶が多重の残響となって、今のあなたの精神を苛んでいるのよ。……多分これから更にその感覚は頻度を増して発作のようにあなたを襲うわ」

 

レディ・Sの話が正しいのだとすれば、ユリアンの人生はずっと上帝に振り回されて来たことになる。

 

黙ってしまったユリアンだったが、その手をそっと握る者がいた。マルガレータだった。ユリアンを見つめるその瞳には、ユリアンを支えるという強い意志が垣間見えた。

 

レディ・Sの話は続いていた。

「それから、この銀河の人々があなたに向ける過剰とも言える期待と警戒。これにも、未来の記憶の影響があるわ」

 

それもユリアンには覚えのあることだった。他者からの大きな期待は、必要とされることに飢えていたこれまでのユリアンにとっては生きるために不可欠のものでもあった。

 

「あなたは、未来において人類の抵抗の象徴だった。しかし、それは滅びのイメージと共にあるということでもある。人々は無意識のうちにその両方を感じ取っていて、あなたに対して期待し、一方で警戒しているのよ」

 

「……そうだったのですね」

俄かには信じ難かったが、それによってユリアンが感じていたことの多くが説明がつくことも確かだった。

 

「まあ、上帝の出現前からあなたは何らかの勢力の指導者となっていることが多かったから、その時の味方からの期待と敵からの警戒も反映されているかもしれないけどね」

 

マルガレータが別の問いかけを行なった。

「あなたとユリアンの関係は?」

 

レディ・Sは首を傾げた。

「関係?」

 

「あなたはユリアンに何らかの感情を抱いている。それが何かまではわからないが、容姿も含めてユリアンと何らかの関係があるのは確かだろう?」

 

「そうね。最早隠す必要もないか」

レディ・Sはユリアンの方に向き直った。

「私は多くの歴史であなたの抵抗運動に協力したわ。それだけではなくて、あなたの血縁には私の適合者が出現することが多かった。私はレディ・Sになる前に、あなたの娘だったこともあったし、あなたの孫だったことも、ひ孫だったこともある。そして、あなたの姉だったことも」

 

「姉だって?そんな馬鹿な」

ユリアンは自分に姉が居たなどということは聞いたことがなかった。天涯孤独のはずだった。

 

「この歴史ではそうね。でも、別の歴史ではあなたに姉がいたこともあった。殆どの場合は流産になってしまっていたけど、産まれて来ることのできた歴史もあった。あなたの姉は私の適合者だった」

 

「……」

 

レディ・Sは黙り込んだユリアンに微笑みかけた。

「血縁であるよりは関係が薄い歴史の方が遥かに多かったけど、それでも私はあなたを赤の他人だとは思えないでいる」

 

「どうして……」

ユリアンの方は理不尽な思いを口に出しそうになっていた。

 

「どうしてもっと早く会いに来てくれなかったのか、辛い時になぜ助けてくれなかったのか。そう思っているんでしょう?」

 

ユリアンは思案を言い当てられて動揺した。

 

「一度だけそうして見たことがあるわ。幼いあなたに、生き別れの姉だと言って近づいて。その結果がどうなったか想像してくれれば、今まで会うべきではなかった理由がわかるでしょう?」

 

ユリアンには想像がついた。姉だと主張する人物が現れたら自分はきっと疑いもせずに信じたし、依存していただろうと。弱いユリアンはレディ・Sの望むところではないのだ。

レディ・Sには使命があったし、あくまで姉の人格の一部を有しているに過ぎない。仮に姉であったとしても、もし姉に果たすべきことがあるなら、それを応援したいと思ったことだろう。

ユリアンは傍のマルガレータを見た。

ユリアンは割り切ることにした。そうできるだけのものをユリアンは既に得ていた。

 

「そうですね。すみません。取り乱しました」

 

レディ・Sが少し寂しそうに見えたのはマルガレータの気のせいだっただろうか。

 

レディ・Sはユリアンに一つ頷いて、話を戻した。



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84話 永遠の夜のなかで その7 The Doom is Near.

 

「話が逸れてごめんなさい。上帝(オーバーロード)の話に戻るわね。上帝はこの銀河に広がるワープ不能宙域、そのすべてを根城にしていると考えていい。その戦力が膨大であることは既に伝えた通り。その実現のために彼らはワープ不能宙域にある天体の殆どを解体し、再構築し、資源、そしてエネルギー源にしていたのよ」

 

使用可能なエネルギー量を尺度とするカルダシェフの文明レベル分類で言えばタイプ3文明。銀河レベルでエネルギーを利用していることになる。使用エネルギー量で言えばタイプ2にも未だに届かない現行の人類文明とは隔絶していた。

 

ヤンはレディ・Sに問いかけた。

「レディ・S、我々自身にそのような文明が築けるとは思わない。少なくとも今の我々のままでは。彼らはどうやってそのような文明を実現したんだ?」

 

敵を知るのは戦略を立てるために必要なことではあったが。

 

「歴史に対する興味が入っているわね。ヤン・ウェンリー」

 

レディ・Sは苦笑しながら続けた。絶望的な話を聞かされて尚、関心事に執心できるのは才能だとも思いつつ。

 

「私はこう考えている。彼らの正体は光速の制限の下で発展した文明の後継者の集合体。そして、彼らの目的は我々の世界の乗っ取りだと」

 

「詳しい説明が聞きたい」

 

「勿論よ。はじめにことわっておくけど、ここからの話は探査機の収集したいくつかの断片的な情報と、私が多数の歴史を過ごして来た経験から私が推測したことよ。

上帝の世界、ワープ不能宙域は我々の世界と物理法則が少し異なっている。その最たる結果が、ワープなど三大技術が使用不可能なことなのだけど。ヤン・ウェンリー、逆に問うけど、一つの惑星上、あるいは星系に閉じ込められている文明はどうなると思う?」

 

「それは、フロンティアを持たない文明がどうなるかということかな?いずれ衰退期に入り、内乱で滅びるか……」

 

「存続し、発展し続けるとしたら?」

 

「それは、何らかの発展の余地、フロンティアを見出したということじゃないかな?それを言い当てることは難しいけれど、上帝は光速の限界の中でフロンティアを見出したということかい?」

 

「見出したのは上帝ではないのだろけど、その通りよ。あくまで私の推測だけどね。光速の限界の下で一つの惑星、一つの星系に閉じ込められた者達は電脳世界にフロンティアを見出した。情報通信技術や人工的な知能を極度に発達させたのよ。

我々の世界は超光速航行が可能だから、我々は宇宙をフロンティアとして発展を続けた。情報工学も相応に発達させたけど、それは特に頑健性に関してのものとなった。様々な環境に対応する必要があったのもそうだけど、計算能力自体の向上に関して物理法則に基づく理論限界があったせいよ。

上帝の世界においては計算性能の向上が続いた。上帝の世界にはそれを可能とする物理法則の差異もあった。主に量子力学の方面にね。

結果、情報通信技術が極度に発達した社会が生まれた。そしてその先に出現したのが、技術的特異点(シンギュラリティ)

 

「技術的特異点?聞いたことがあるな……たしか、初期の計算機の発展と関連して」

 

「そうよ。13日戦争以前、西暦で20世紀の頃に唱えられた概念よ。テクノロジーの進歩のスピードが速くなり過ぎて予測が不可能になる歴史上の一点を意味するのだけど、特に人工的な知能が人類の知能を超えるタイミングのことを指すことが多かったようね」

 

「それなら我々も既に技術的特異点を迎えて久しいのでは?」

 

「電子頭脳のことを言っているのね。でもその能力はせいぜいが人を少し超えるかどうかという程度でそれ以上ではないわ。その状態で理論限界に到達してしまい、進歩が頭打ちになっている。テクノロジー全般に関してもそうね。

当時技術的特異点の概念を広めた者達は、計算機の際限のない発展を信じていた。宇宙の法則によってそれが制限されていることを想定していなかった。

一方で、上帝の世界では光速の制限が存在する代わりに計算機性能の向上に関しては制限がなかった。

それ故に人工的な知能の進歩が止まることなく、創り出した者を遥かに超える存在、超知性体とでも呼ぶべきものが出現することになった。その後に起きたことが超知性体による文明の乗っ取り」

 

「ふむ……」

 

「あとは、その超知性体は更なる超超知性体を生み出し、その超超知性体も次の、と際限なく知能を向上させ続けながらテクノロジーを発展させ続けた。彼らは惑星内に飽き足らず、資源とエネルギーを求めて星系に広がり、ついには光速の制限の中でも銀河レベルにまで広がることになった。自らと宇宙を改造しながら」

 

ヤンは話を遮った。

「確証はないんだろう?どうにも不思議だ。一つの惑星から出発した文明が光速の制限の中で銀河の広域に進出できるものなのか?」

 

「私は超知性体が様々なタイミングで多発的に発生したのだと思っているわ。多数の惑星から超知性体が出現し、光速の制限の中で広がって行き、ついには遭遇して融合した」

 

「彼らは何故今までこちらの領域には出てこなかったのだろう?」

 

「法則が違うから。特に量子のレベルで異なっているから、我々はともかく、彼らはその知能を我々の世界で維持できないのよ」

 

「つまり、破局は彼らによって意図的に引き起こされたものだと?」

それはヤンも薄々感じていた可能性だった。

 

レディ・Sは頷いた。

「私はそう思っている。彼らが我々の領域に進出して、乗っ取るために、ね」

 

宇宙の法則すら操れる敵。そこにいた者たちは敵の大きさに圧倒されていた。

 

「繰り返すが、今の話に確証はないんだろう?」

 

「ないわ。あるのは探査機が収集した断片的な情報と、歴史的必然性に関する考察だけ。

光速の制限の元にある文明及び知性体は、いずれ何も残さず自滅するか、そうでなければ技術的特異点を迎えて次代の知性体にその主役の座を譲ることになる。

これもあくまで仮説の域を出ないけど、あなたなら同意してくれるのでしょう?歴史家志望のヤン・ウェンリー?」

 

ヤンは少し考えてから口を開いた。

「歴史上でも人類が地球に留まっていた一時期にはその兆候が確かにあった。

宇宙ではなく電脳世界にフロンティアを求める動きと、情報工学の急速な発展が。

その中で技術的特異点という概念も出てきた。確かに計算機性能の制限がなければ、あなたの言うことが起きてもおかしくはないのかもしれない」

 

「実証ということなら、私は干渉したいくつかの歴史の中で人類を地球に閉じ込めてみた。存続した文明においては情報工学の発達が急速に進むことが多かった。勿論この世界ではその発展にも限度があったけど」

 

「相手が知性体ならばコミュニケーションが取れる可能性があるんじゃないか?」

ヤンは交渉が成立する可能性を再度考えていた。

 

レディ・Sの言葉はその望みを打ち砕いた。

「貴方は家に入り込んできた虫とコミュニケーションが取れるの?駆除する方が手っ取り早いでしょう?実のところ何度かコンタクトを試みたのだけど何の反応もなかったわよ」

 

「彼らにとって我々は虫か。しかし、その例えは正しいのかもしれないな」

 

「繰り返すけど、彼らの正体については憶測に過ぎない。しかし、彼らが文明として我々と隔絶した段階にあること、我々から世界を奪おうとしていることは確かでしょうね。彼らが我々の領域を侵略してやっていることは、彼らの世界でのそれと結局同じだったから」

 

沈黙が場を支配した。

それぞれが様々に考え込んでいた。

その様子にレディ・Sは失望のため息を漏らした。他の歴史においてレディ・Sの話を理解した者達が見せていた反応と変わりがなかったから。

 

「結局貴方たちを絶望させただけになるのかしら。それでも、話は最後まで続けさせてもらう。そのために私はここに在るのだから」



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85話 永遠の夜のなかで その8 願いと期待と恐れと

 

 

レディ・Sは上帝の情報を得た後も歴史改変を続けた。

既に人類の運命には絶望しかけていたが、それでも動かずにはいられなかった。立ち止まるには背負い込んだ物が大き過ぎた。

明確な展望もなく、半ば惰性のように干渉を加えつつ、新銀河帝国成立までの歴史を繰り返した。

その度にいくつかの変化は起きた。

例えば、フェザーン自治領主の性別が変わったこともあった。歴史の流れは結果は同じだったが。

 

展望は開けなかったが、レディ・S個人には大きな出来事があった。

レディ・Sはある時、新銀河帝国に議会を設けて早期に立憲君主制に移行させる試みを促そうとトリューニヒトに接触した。

レディ・Sは対面するなり、自らに変化が生じたことを悟った。

遥か以前から、それこそ何十億年も前から彼を知っていたような感覚に陥ったのである。

トリューニヒトの方も同様だった。

理由はわからなかった。

レディ・Sを構成することになった人格に存在した何らかの因子が影響していたのかもしれない。

ともかく、二人は恋におちた。

結末は変わらなかったが、この時点からトリューニヒトの存在は彼女にとって、歴史を繰り返す上での一つの心の支えとなった。

 

レディ・Sによる歴史改変は、結果に繋がらないまま繰り返された。

 

何度目の改変なのか、数えることもできなくなった頃にそれは起きた。

 

ブルース・アッシュビーが第二次ティアマト会戦で死なない歴史が出現したのである。

 

ブルース・アッシュビーを生き延びさせる試みはレディ・Sが以前に何度も行なったことだった。しかしいずれの試みも実を結ばず、彼女は検討を諦めていた。

 

それが意図せずに急に出現していた。

その歴史の推移はレディ・Sにとっても非常に興味深いものだった。

ブルース・アッシュビーによる帝国領侵攻「大解放戦争」、その結果出現した第四の勢力、独立諸侯連合。

複雑になった力関係の中、歴史は紡がれていった。他の歴史では存在しない者達や道半ばで倒れた者達がその歴史を動かしていた。

 

しかしその歴史は安定していなかった。本来は死ぬはずだったアッシュビーが生き延びている、そのこと自体が不安定である要因だった。

時が経つごとに不安定性が増し、正しい歴史に戻ろうと時空が不安定化し始めるのである。

そのような現象はレディ・Sにとっても初めてのことだった。

そして、レディ・Sの干渉によって歴史は鋭敏に変化した。まるで歴史の収束性が存在しないかのように。この歴史が不安定であることが理由なのかもしれなかった。

 

干渉に対する鋭敏性、他の歴史には存在しない者達、不安定な時空……

 

歴史の収束性を、上帝によってもたらされる人類の滅亡という運命を、この歴史の上であれば打ち破れるのではないか?

 

レディ・Sは、この歴史に望みをかけた。もはや理屈ではなく願望だった。

 

そのために、レディ・Sは巨大電子頭脳のコントロールを外れることを決心した。

 

レディ・Sは最初に歴史を安定化させるべく奮闘した。

しかし、何度ブルース・アッシュビーを生き延びさせようとしてもその試みはすべて失敗した。以前試した時と同様にアッシュビーは死ぬように歴史が収束するのである。

 

レディ・Sは非常の策を思いついた。すなわち、未来においてブルース・アッシュビーのクローンを作り出し、アッシュビーが死ぬタイミングで成り代わらせることを。

 

レディ・Sは、自らの知識に基づく航時機の製造と使用を巨大電子頭脳に求めた。

巨大電子頭脳は殆どの歴史でレディ・Sに対して航時機によるタイムワープを許可していなかったが、歴史が変化しようとしている状況を知って、危機感と、もう一つの理由から今回は許可した。

巨大電子頭脳が許可したのは60年ほどの一度きりの時間遡行だったが、レディ・Sにはそれで十分だった。意図せぬ結果となったらその情報を今からタイムワープしようとする自分自身に伝えればいいからである。

 

 

タイムワープした時点でレディ・Sは巨大電子頭脳の頸木を外れた。

既にその時代には過去のレディ・Sが存在したため、巨大電子頭脳の監視は未来から来たレディ・Sに及んでいなかったのである。

 

レディ・Sは束の間の解放期間を利用して様々な工作を行なった。

 

彼女が将来において巨大電子頭脳のコントロールを外れるために。

そしてもう一つ、ユリアン・ミンツとマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーを結びつけるために。

 

 

「僕たちをですか?」

 

急に名前を出され、ユリアンとマルガレータは顔を見合わせた。

 

「ええ、そうよ」

 

ヤンは悟った。

「あの航時機のトラブルは、やはりあなたの仕業だったのか!?」

 

「そうね。あなたには災難だったわね。何がとは言わない方がよいのでしょうけど」

 

「……」

あの時のことをここで詳しく語る気には流石のヤンもならなかった。

 

マルガレータは赤面しつつ、レディ・Sに問いかけた。

「何故あなたが私達の仲人のような真似をしたんだ?」

 

レディ・Sはその問いに憤然とした。

「だってあなた達、全然くっつかないんだもの。お互い好き合っているのに、一体何なの!?ユリアンは好きな女の子に意地悪をしたがる男の子みたいなことしかしないし、その癖多情だし。マルガレータはマルガレータで拒絶してばかり。私があなた達をくっつけるのに何度歴史をやり直したと思っているの!?」

 

レディ・Sが感情を露わにしたこと、そしてその内容に、二人は戸惑うしかなかった。

 

マルガレータが顔を赤くしたまま反問した。

「いや、しかし、どうして?私がユリアンと……その、子をなしたせいで、ユリアンは複雑な立場になってしまった。私自身は後悔はしていないが、ユリアンにとって今の状況は本当によかったのだろうかと未だに思うことはある。だから……決してユリアンの姉としての親心というわけではないのだろう?」

 

「この歴史には一つ問題があったのよ」

 

「問題?」

 

「精神旅行の適合者が存在しなかったことよ。適合者が存在しなければ、破局後の未来においてやり直しができなくなる可能性がある。だから私は破局前に適合者を確保しておくことにしているのだけど」

 

「どうしていなかったんだ?」

 

「偶然としかいいようがないわね。元々適合者が生まれる確率は極端に低い。四百億人に一人いればいい方よ。殆どの歴史では同じ親の組み合わせから、適合者が出現していたのだけど、この歴史ではその組み合わせが悉く実現していなかった。相手がそもそも存在しなかったり、早死にしたりしていて、ね。巨大電子頭脳が私に航時機の製造を認めた理由の一つでもあるわ」

 

「クローン技術で適合者を確保することはできなかったのか?今更倫理感を持ち出したりはしないのだろう?」

 

「適合者からクローンをつくったり、適合者を生むはずの親同士から受精卵を人工的につくることを試したことはあるけど駄目だったわ。原因について確証はないのだけど、歴史の収束性が効いている可能性は高いわね」

 

「どういうことだ?」

 

「父親の精子と母親の卵子、その組み合わせは無数に存在する。受精後も受精卵、そして胎児は環境変化の影響を大きく受ける。にも関わらず、殆どの歴史では大きな歴史改変を施さない限り、同一と言える人物がこの世に出現していた。これが歴史の収束性の結果でない訳がない。でもきっとクローンには歴史の収束性が働かなくて適合者が生まれないのね」

 

ユリアンが口を挟んだ。

「マルガレータと僕の組み合わせなら適合者が生まれる、そういうことですね」

 

「そうよ。あなた達の娘が適合者なのよ」

 

マルガレータはレディ・Sが、自分を拉致した理由、娘のことを気にかけていた理由を理解した。自らの娘に待ち受ける運命のことも。

 

マルガレータの思いを知ってか知らずか、レディ・Sは彼女に語りかけた。

「あなたは本来ならもう少し感激するべきよ」

 

「ユリアンとの仲を取り持ってくれたことを?それともまさか、適合者を娘に持ったことを?」

マルガレータの声色は、嵐の前の凪を思わせた。

 

レディ・Sは首を横に振った。

「あなたは多くの歴史では存在すらしていなかった。新銀河帝国が成立する歴史に絞ったとしても、よ。あなたが存在した数少ない歴史においても、殆どの場合はあなたとユリアンは出会わずじまい。会ったとしても、結ばれることは殆どなかった。だからこの歴史はあなたにとってとても貴重なのよ。存在して、かつ、好きな人と結ばれるという点でね」

 

マルガレータは自らに関する重大な情報を前に言葉を継げなくなった。

 

マルガレータの様子にレディ・Sもフォローの必要を感じたようだった。

「皆無とは言わないわ。だからこそ私はあなた達の娘が適合者になると知っていたのだし」

 

ユリアンはマルガレータの手をそっと握った。

「そうだとすれば、この歴史は僕にとっても貴重ですよ」

 

「あなたにとっては特に苦労の多い歴史だと思うのだけど」

 

「だとしても、メグと出会えて、さらには他に三人も素晴らしい女性達にも出会えて結婚することができるのだから、僕はこの歴史でよかったと思います」

 

マルガレータを含め、そこにいた多くの人が驚きを示した。

今まで自らとその人生に対して負の感情を抱いているように見えたユリアンが、それを肯定する発言をしたことに。

様々な経験を経てユリアンが変わりつつあることを、皆感じ取った。

 

「惚気ているわね、ユリアン。でも、そう応えてくれるなら私も苦労した甲斐があったと言えるのかもね」

その言葉には、レディ・Sとしてだけでなく、ユリアンの姉としての心情が少し込められていたかもしれない。

 

レディ・Sは話を戻した。

「過去でデグスビイと共にライアル・アッシュビーがブルース・アッシュビーに成り替われるように状況を整え、ユリアンとマルガレータの仲を取り持った。

あなた達がこの時代に帰還した後、フレデリカにライアル・アッシュビーを生存させる方法を教えた。また、ライアル・アッシュビーを生み出すためにエンダー・スクールが設立されるよう誘導した。

それから、しばらく潜伏して下準備を行なった後、ヨブの前に姿を現して恋人となり、「戦死」して姿を消した。

その後、「私」が航時機で過去に戻り、二重に存在しなくなったタイミングで自動的に地球統一政府の制御下に戻った。

今回の試行では、ヨブにはその時点で真相を知ってもらうわけにはいかなかったから悲しませてしまうことになったけど、二人の間で決めた暗号は、この時代で地球統一政府に知られずにヨブと情報交換するのに役に立った。後はあなた達の知っている通りよ」

 

ヤンが尋ねた。

「〈蛇〉もあなたの仕業なのか?」

 

「いいえ。あれは人類領域の拡大によって起こるべくして起きた。あの事件をその後の展開のために利用したことは否定しないけど」

 

「この話を我々にした目的は?我々を絶望させることが目的ではないんだろう?」

 

「上帝への対応策を話し合うためよ」

 

「我々と?」

 

「ええ。収束性の弱いこの歴史であれば、人類の運命を変えられるかもしれない。そしてこの場には、私が繰り返した歴史の中でも特異というべき存在が複数人同時にいる」

 

「特異な存在?」

 

「まずは、ヤン・ウェンリー、あなたよ。あなたはいずれの歴史でも軍人になりさえすれば、不敗の名将という名声を得ていた。多くの歴史では悲運の死を遂げたこともあって伝説化さえしていた。あなたの死もアッシュビーのそれと同様に歴史の収束の一部で、他の歴史では回避できなかったのだけど、この歴史では違った。貴方なら負けない方策を考えつくかもしれないと私は期待した」

 

「光栄と言うべきなんだろうか。ちなみに、歴史家として大成した歴史はないのかな?」

 

「ないわね」

 

にべもない返答に、項垂れるヤンを置いてレディ・Sは話を続けた。

 

「本当は常勝たる獅子帝ラインハルトも生き残らせることができたらよかったのだけど、そこまではこの歴史では無理だった」

 

消沈しているヤンの代わりにライアルが尋ねた。

「他には?」

 

「二人目は、ヨブ・トリューニヒト。どの歴史でも、どのような政治局面に置かれてもも生き延びるそのしぶとさはちょっとあり得ないレベルよ。とはいえ、彼も他の歴史では突発的な事態で死ぬことを回避できなかったのだけど」

 

トリューニヒトは苦笑した。

「恋人の言葉とはとても思えないが、誉め言葉と受け取っておくよ」

 

「それからユリアン・ミンツ。上帝に対する抵抗者。多くの歴史で、その前から良くも悪くも大きな足跡を残していたけど、この歴史では極め付きね。周りの環境に影響されながら成長していく貴方は今どんな存在になっているのかしらね」

レディ・Sは僅かに口元を綻ばせてから続けた。

「最後にライアル・アッシュビー。あなたはよくわからないわ」

 

その答えはライアルを困惑させた。

「わからない、とは何だ?」

 

「この歴史はあなたの存在を前提としている。それだけに、あなたが最初にどこからやって来たのかよく分からないのよ。真に特異存在と言うべきね」

 

「それは褒められているのか?」

 

レディ・Sはため息をついた。

「あなたが動くと妙なことが起こるのよ。あなたのせいで私の計画に修正が必要になったことは二度や三度ではないわ。その癖必須人物だから……フレデリカが手綱を握ってくれているから何とかなっているものの。だけどそれだけに人類の運命にも影響を与えられるかもしれない」

 

「期待されていると思うことにするか」

 

「あとは、ここにはいないけど、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのクローンであるエルウィン・ヨーゼフを加えてもいいわね。これだけの特異存在が集結している歴史はまず存在しない。だから、本当に期待しているのよ」

 

レディ・Sの目には、僅かばかりの期待と、それを裏切られることへの恐れとが同居していた。



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86話 永遠の夜のなかで その9 地獄の入り口

 

「上帝に、私達がどう対応すべきか考えて欲しい。この歴史のためだけじゃない。私が生み出し、失わせてしまった無数の歴史、無数の人類のためにも、どうかお願い。勝手なお願いなのはわかっているから」

 

常に人を見下すような態度を取っていたレディ・Sが、この時はただ真摯に頼み込んでいた。

 

トリューニヒトも続いた。

「私からもお願いしたい。私は新銀河連邦主席の座を捨てた人間だが、人類の命運まで見捨てたわけではない。我々自身のためにも知恵を絞ろうじゃないか」

 

ヤンが意地悪く言った。

「あなたなら人類全員が死んでも生き延びられそうですけどね」

 

「私は他者がいなければ何もできない寄生虫みたいなものだよ。依り代を失わないように努力はするさ。新しい依り代も存在しないようだしね。……この答えなら君は納得してくれるんだろう?」

 

ヤンは肩をすくめた。

「大義を語られるよりはね」

 

ユリアンはレディ・Sに確認した。

「破局、そして上帝は、いつやって来るのですか?」

 

「破局は今から30年後。宇宙暦で835年にやって来るわ。そして上帝が人類領域の最外縁部に姿を現わすのがその10年後の845年」

 

ライアルは天を仰いだ。

「準備には何とも半端な時間だな」

 

最初に意見を述べたのはヤンだった。

「それなら提案させてもらいますが、これは勝てない戦いです。それならばいっそのこと逃げましょう」

 

「逃げる?誰が?」

トリューニヒトが首を傾げた。

 

「人類全員が、ですよ。我々の目的は人類の生存だ。上帝に勝つことじゃない」

 

「あなたらしい見解ね。でもどこに?」

 

「どこまでだって逃げればいい。上帝のいない地に逃げ込めばいい。この銀河にないのだとしたら別の銀河でもいい」

 

「実のところそれは試したわ。そして失敗した」

 

「この銀河系内に上帝の手を逃れられる場所はなかった。その上、この宇宙の危険は上帝だけじゃない。ハイネセンの長征だってまだ生温いわ。あれでも安全な経路を選んであげたようなものなんだから。それでさえ、多数の人間を失っている。それを上回る長い長い旅を続けて、船団が無事でいられる可能性はゼロに等しいわ」

 

「精神旅行で試行を繰り返せば……」

 

「精神旅行も距離の影響を受ける。人類領域から離れてしまえば、過去に戻ることは出来ないわ」

 

「うーん……」

ヤンは唸って頭をかきはじめた。

 

レディ・Sは言い聞かせるような口調になった。

「実のところ私は別の歴史のあなたに同じ話をしたことがある。不敗の名将の知恵を頼ったのよ。その時、あなたは同じ提案を私にして来た。いい?あなたは別の歴史のあなたすら上回る提案をする必要があるのよ」

 

「まいったな……」

 

考え込み始めたヤンを横目にユリアンが提言した。

「〈蛇〉はどうですか?彼らの増殖能力と精神波通信能力を対上帝に利用できませんか」

 

「どうやって利用するの?」

 

「僕がもう一度彼らと接触すれば」

 

「今度は怒りに呑まれずに彼らを制御できると?」

 

「そうして見せます」

 

「絶対に無理、とは言わないけど、他の歴史であなたはそれに近い状況になったことがあるわ。〈蛇〉と融合して人類全体を精神制御下に置いた状態になった。でもやっぱり上帝には勝てなかった。資源の活用効率で〈蛇〉は上帝に大きく劣り、彼らの大きな武器である精神制御能力は効かない。だから、無理なのよ」

 

ライアルが発言した。

「銀河の他の場所に住む知的生命体と同盟を組むのはどうだ?」

 

「銀河の他の場所に、人類に比肩、あるいは凌駕する文明が存在することはたしかよ。近場では鳥と通称される有翼の知的種族がいるわね。それに、一個体として超常と呼ぶべき能力を持った竜と呼ばれる存在もいるわ。でもそれらを糾合しても、人類の10の20乗倍の戦力を持った敵には勝ち目がない。竜の超常の能力の殆ども破局によって失われてしまうしね」

 

「それなら、上帝をどこか一箇所に集めることはできないのか?どこか複数の恒星に囲まれた場所に10の20乗倍の戦力を誘き寄せ、恒星を超新星化させてすべて破壊する、とか」

 

「上帝は戦力を集中させたりはしないわ。その万分の一の戦力だって我々に対しては過剰に過ぎるのだから」

 

沈黙が訪れた。

 

レディ・Sは場を見渡した。

「もう、ないの?誰か何かないの?トリューニヒト、あなたは?」

 

「一つだけある」

 

「何?」

 

「我々も技術的特異点を起こすんだ」

 

「今から?」

 

「そうだ。破局まで30年とはいえ、上帝は光速の制限の中で侵攻して来るのだから時間がないわけではない。そして計算機の性能制限が破局によって消えるのだから。不可能ではないだろう」

 

「起こしてどうするの?」

 

「彼らとコミュニケーションを取る。いや、我々が生み出した超知性体にコミュニケーションを取ってもらう。君の考えでは複数の場所で発生した超知性体の集合体が上帝なのだろう?超知性体であれば彼らも無下にはしないはずだ」

 

「面白い提案、と言いたいところだけどそれは既に試したわ。先に話しておけばよかったわね」

 

「どうなった?」

 

「技術的特異点を迎えることには成功した。でも生み出した超知性体が上帝に取り込まれてそれで終わりだった。人類は滅ぼされた」

 

「人類自身が超知性体となることは無理なのか?そうなれば……」

 

「上帝に滅ぼされることがなくなる?確かに超知性体になれるなら上帝と融合することはできるかもね。でも」

 

「でも?」

 

「それが可能だという前提の上で、そうなることをどれだけの人が望むのかしら。そして超知性体となった存在を人類と呼べるのかしら。人類としての要素がどれだけ残るのかしら」

 

「ふむ……」

 

「そもそもそれが解決策になるのなら……いえ、何でもないわ。とにかく私はその案には否定的よ。少なくともこの歴史でそれを試す気にはなれないわ」

 

「私も言ってみたまでだよ。しかし、他に案があればよいのだけどね」

 

案は出なかった。

 

レディ・Sは失望のため息を漏らした。

「結局無駄だったか。当然だけどね」

 

トリューニヒトが尋ねた。

「君はこれからどうする気だ?」

 

「この歴史の行く末を見守るわ。それから……」

 

「ユリアン君とヘルクスハイマー君の娘を使って過去に跳ぶのか」

 

「そうよ」

 

「それではまた巨大電子頭脳の管理下に逆戻りじゃないか」

 

「おそらくそうはならないわ」

 

「今まで駄目だっただろうに」

 

レディ・Sの声は憂いを帯びていた。

「実のところわかっていたのよね。どうして何度も巨大電子頭脳の管理下に入ってしまったのか。私はゴールデンバウム王朝成立以降の歴史に愛着を持ち過ぎてしまったのよ。それが精神旅行に影響を与えた。その要素を捨て去れば……」

 

「どうやって?」

 

「記憶ごと人格を切り捨てるのよ。そうすれば私はもっと過去に跳んで、別の歴史を試していくことができる」

 

「この歴史も含めてあり得た歴史のいくつかを忘れてしまうということか?」

 

「そうよ。あなたのことも忘れるわ。忘れなければ、きっとまた同じことの繰り返しになる」

レディ・Sを抱っこしている状態のトリューニヒトからは、そう語る彼女の顔は見えなかった。

 

「……それでいいのか?」

 

「勿論嫌よ。私が犠牲にしてきたものを忘れるなんてそもそも許されない行いかもしれないけど、それでもやらなければならないのよ」

 

トリューニヒトは口を開き、また閉じた。普段の能弁が影を潜めていた。

 

レディ・Sは宥めるように言った。

「この歴史の行く末はきちんと見届けるわ。それまであなたと共にいるから安心して」

 

 

ユリアンはその様子を黙って見ていた。

その腕に触れる者がいた。

「メグ?」

 

マルガレータの声は穏やかだった。

「言いたいことがあるんじゃないか。何か思いついたのか」

 

ユリアンは躊躇った。

「思いついたわけじゃない、ただ……」

 

「言ってみるといい。お前……いや、私達がこれから上帝に対して最後の時まで抵抗を続けていくことになるのだから」

 

それはマルガレータの決意表明だった。

ユリアンだけを孤独に戦わせたりはしない。ずっと共にある、とその瞳は語っていた。

ユリアンのため、娘のため、人類のため、そのすべてのために。

 

だから、ユリアンもこの場で宣言することにした。

「僕は最後まで抗います。レディ・S、あなたが既にこの歴史を諦めていようとも、滅びる運命だとしても、最期の時まで諦めたりはしません」

 

 

ユリアンにとって、そしてこの歴史の人類にとって、抵抗という名の地獄の始まりだった。



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87話 永遠の夜のなかで その10 人類の残照

 

「地球統一政府」による混乱がようやく収まりを見せつつあった宇宙暦805年4月1日、新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトの死が公表された。

 

「地球統一政府」に恭順したように見せて、銀河保安機構に彼らの重要情報を流し、それに気づかれて殺害されたというのが公式の発表だった。

隠された情報はあるが、概ね事実の通りではあった。

 

初代主席の葬儀は新銀河連邦主宰で執り行われた。

銀河四国の協議により二代目主席にはフェザーン自治国主ルパート・ケッセルリンクが就任することとなった。

事前に了解されていた既定路線であり、その予定が早まった形である。

フェザーン自治国主には補佐官を務めていたワレンコフが就任した。

トリューニヒト前主席の秘書官だったリリー・シンプソンは暫定的にケッセルリンクの秘書官を務めることになった。

 

〈蛇〉による混乱を招いたことに対するユリアンの処分も決定された。

銀河保安機構が情報を伝えるのが遅くなったことが一因であったが、組織の代表者として銀河規模の混乱を生じさせた責任を取る必要はあった。

ユリアンは地球自治区長を退任し、地球財団総書記から総書記代理に降格となった。

後任は地球自治区長をネグロポンティ、地球財団総書記をアイランズが務めた。

しかしながらいずれも力量不足は自他共に認めるところであり、ユリアンが重要な指示を出す状況に変化はなかった。

ユリアンの処分の軽さに対して反対の声はそれほど大きくはなかった。「地球統一政府」による被害の方が遥かに大きく、人々の関心事となっていたからである。

 

銀河各国の首脳は他のことに頭を悩ませていた。トリューニヒトとレディ・S、上帝の情報を知らされ、その対応を考える必要があったからである。

事は一国で対処できる問題ではないと各国首脳はすぐに判断せざるを得なかった。

上帝への対応方法は、各国から選抜された者達で極秘に話し合われることになった。その中にはユリアンやマルガレータも含まれていた。

 

ヤン・ウェンリーも一連の混乱を防げなかった責任を取って辞めようとしたが、周囲の反対の声が大きく、結局果たせなかった。

各国首脳からすればここで引退などとんでもない話だった。

オーベルシュタインは怪我の後遺症が酷く、長期療養に入ることになった。

 

人類未踏領域開拓地の人々は、派遣されたアッンボローの艦隊によってその無事が確認された。既に未踏領域の〈蛇〉達は何処かに去った後だった。

 

既知領域の〈蛇〉はその殆どが駆逐された。一部天体で〈蛇〉が増殖を続けていることも確認されたが、ひとまずは監視するに留めることになった。

問題は〈蛇〉と融合していた人々だった。彼らの一部は〈蛇〉を人類を導く者と考え、崇拝の対象とするようになっていた。

信教の自由は基本的にいずれの国、領域でも認められるところではあった。彼らは拝蛇教徒と呼ばれるようになった。

 

宇宙暦805年10月、当初の予定より遅れながらも、ユリアンはマルガレータ、カーテローゼ、エリザベート、サビーネの四人と結婚した。

 

翌宇宙暦806年1月、新銀河連邦の下での銀河四国の統合を段階的に進めるとの発表があった。最終的には四国の枠組みは維持したまま軍や警察機構、いくつかの行政機構の統合が行われる予定であった。

各国首脳がそのことに合意した裏には上帝という絶望的な脅威の存在があった。この時点でもまだ一般人民はそのことを知らされていなかったが。

 

宇宙暦806年3月、未踏領域において人類以外の知的種族と接触したとの報告があった。

有翼のその知的種族は、人類に既視感と嫌悪感を同時に生じさせる外見をしていた。多くの宗教が廃れても、「悪の象徴」のイメージはこの時代にまで伝わっていた。

彼らの名は人類は発音不能であり通称名が必要だったが、とはいえ、誰もが思いつくその名で呼ぶのは憚られた。

彼らには無難な「鳥」という通称が与えられた。一般には内密であったが、それはレディ・Sやサクマが用いていた通称であった。

 

新銀河連邦は彼らが敵対的な種族であり、万一の事態の為に軍備増強を進めると発表した。

 

実際には彼らは完全に友好的とまでは言えないまでも、人類と利害調整を行うことが可能な種族であった。それでも敢えて敵対的という発表を行なったのは、上帝の侵略を見据えて防備を整える建前をつくるためだった。〈鳥〉も上帝の情報を知った上で了解していた。

別の歴史でレディ・Sは彼らと交渉したことがあり、その経験を活かす形で話はスムーズにまとまった。

 

表向きは〈鳥〉に対して、実際は上帝に対しての防衛力の拡充が進められた。

それがたとえ焼け石に水であったとしても。

 

宇宙暦810年、ユリアン・フォン・ミンツが地球財団総書記兼地球自治区長に復帰した。また、あわせて銀河保安機構長官補佐に任じられた。オーベルシュタインの後任だった。

不安に思う者もいたが、歓迎する者の方がより多かった。この数年ユリアンが銀河に混乱を招いたことはなかったし、与えられた職責を全うする人物であることは皆が以前から認めるところだったからである。むしろ、大方の人間は彼が見かけ上自由な立場に置かれたままで再び謀反気を持つことを不安視していたのだ。

同時にヤン・ウェンリーが保安機構長官の職を退任した。後任はナイトハルト・ミュラーだった。

ミュラーはユリアン、アッンボロー、その他各国から選抜された者達と共に対上帝の防衛計画を秘密裏に詰めていった。

 

人類の歴史から数々の絶望的な戦いや国家総力戦、末期戦の情報が掘り起こされ、参考にされた。

ペルシア戦争、モンゴル帝国に対する諸民族の抵抗、オスマン・東ローマ戦争、七年戦争、明清戦争、インディアン戦争、ボーア戦争、第一次地球大戦、第二次地球大戦、北方再編戦争、地球統一戦争、そして、シリウス戦役……

絶望的な戦いの果てに殆どの国が滅びたことを知りながらも。

引退したヤンもこの試みに参加した。ヤンはこの試みに場違いなほど嬉々としているように見えた。あたかも祭の準備でもしているかのように。

事実、祭だったのかもしれない。人類という存在のすべてを賭した……

ユリアンは後に思った。上帝という絶望が迫り、極秘の仕事で多忙を極めていたものの、この頃が幸せのひとかけらが存在した最後の日々だったのではないかと。

 

宇宙暦815年。

この年、エルウィン・ヨーゼフが釈放された。10年以上の収容所生活にも関わらず、彼は立派な偉丈夫に成長していた。

エルウィン・ヨーゼフはライアルとフレデリカ夫妻の養子となり、名前をエルウィン・ヨーゼフ・アッシュビーと改めることになった。

同年、収容所においてレムシャイド侯が死んだ。エルウィン・ヨーゼフが釈放されて安心したかのように。

 

宇宙暦818年。

この年、ヤン・ウェンリーが死んだ。

型破りな英雄の突然の死を銀河の多くの人が悼んだ。

奇しくも息子テオの年齢は16歳、ヤンが父親を亡くした時と同じだった。違うのは母親が存命であったこと、他にも頼れる者達がいたことである。

ヤンは死ぬ前に「この銀河のことはユリアンに任せた」と言っていたという。

ユリアンは以降テオ・フォン・ラウエに対し父親の代わりのように接することになる。

この年には他にも前連合盟主クラインゲルト伯と元同盟議長サンフォードが死んでいた。人々は何らかの時代の節目を感じざるを得なかった。

 

宇宙暦820年、新銀河連邦は来るべき破局と、世界破壊者たる上帝の情報を一般人民に公開した。

 

パニックが起こり、自暴自棄な行動に出た者も多かったが、高齢の者を中心に冷静に受け止めた人々も意外に多かった。

政府の動き、軍の動き、新銀河連邦の動き、各所で容易ならぬ雰囲気というものを感じ取っていたためである。かつての終わりなき戦争の時代と同様に。

しかしながら上向き始めていた出生率は再び減少に転じた。宗教を信じる人々の数は増加した。それらは人々の絶望を示すものだったと言えるだろう。

 

以降、水面下で準備されていた対破局、対上帝の計画が急速に進められていくことになった。

 

一連の計画にマルガレータも深く関わっていた。

マルガレータはオリオン連邦帝国軍に移籍し、大将となっていた。

マルガレータを右腕として期待するオリオン王ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの後押しがあったことも否定はできないが、彼女自身の才幹によるところが大きかった。

彼女は軍組織の銀河保安機構への統合に合わせて上級大将に昇進し、対上帝防衛計画を指導する立場となった。

 

軍だけでなく、社会全体が対破局、対上帝のために急速に作り変えられていった。

 

多数の星系が事前に放棄され、人々は疎開し、社会機能は特定の星系に集約されることになった。

戦争の記憶を持った世代が未だ社会の多数派を占めていたからこそ出来たことでもあった。

 

15年が経過した。

 

宇宙暦835年、破局がやって来た。

 

人類は超光速航法を含めた三大技術を喪失した。

 

 

 



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88話 永遠の夜のなかで その11 夜来たる

今回短めです


 

 

 

 

破局、三大技術の喪失はレディ・Sの予告通りの日に訪れた。

 

何の予兆もなく、その瞬間何かが変化したということを体感した者は殆どいなかった。

しかし、超光速通信は予定した時刻に断絶し、衛星施設からは人工重力が失われた。星間貿易の為に活動していた恒星間宇宙船はその本来の役割を終えた。

 

それに伴う混乱は、事前のアナウンスと準備によって最小限に抑えられた。

 

自給自足の不可能な辺境星系は予め放棄され、人々は特定の星系に集中させられていた。

ヴァルハラ、アルテナ、トラーバッハ、エックハルト、マリーンドルフ、バーラト、メルカルト、ガンダルヴァ、ハダド、フェザーン、モールゲン、リューゲン、キッシンゲン、アルタイル、太陽系……

この避難は数年をかけて行われた。その船隊は故事に習って箱舟隊と呼ばれた。

それぞれの星系には各種資源、プラントが運び込まれ、自給自足の体制が整えられた。

フェザーンのような多数の人口を抱える惑星でさえも。

 

一部には中央政府の指示に従わない星系政府も存在したが、再三の説得と、避難希望者の退避の後、最終的には捨ておかれることになった。

 

この一連の対応は、銀河行政機構長官ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒによって主導されたものだった。

彼でなければ、これほど迅速で徹底的な対応は難しかっただろう。

そのシルヴァーベルヒも、宇宙暦835年を迎える前に勇退した。後任はリリー・ケッセルリンクだった。彼女は新銀河連邦主席ルパート・ケッセルリンクと20年前に結婚していた。

 

従来の超光速通信は使えなくなっていたが、星系間の通信は代替手段によって辛うじて保たれていた。精神波通信である。

拝蛇教徒の中には再び〈蛇〉との融合を望む者達がいた。新銀河連邦は彼らに望みを叶えさせる一方で、彼らの精神ネットワークを超光速の通信手段として利用することにしたのである。無論厳重な監視の上でのことだったが、少なくとも生き残ることに関して〈蛇〉と人類の利害は一致していた。

 

銀河保安機構は、光速の制限の中でも人類領域における治安維持組織の役割を果たすことができていた。

保有する艦艇の殆どは既に光速航行用のものに切り替えられていたし、保護すべき人々は今や特定の星系に集中していた。

ミュラーは破局に銀河人類が対応できたことを確認した後、銀河保安機構長官の座から降りた。

後任はユリアン・フォン・ミンツだった。

既に五十代となっていたユリアンの長官就任に反対する者は殆どいなかった。それだけの実績と信望を彼は既に積み上げていた。

銀河保安機構統合本部長にはクリストフ・ディッケルが、宇宙艦隊司令長官にはマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーが就任した。

 

避難を拒んだ星系においては多数の餓死者が発生したり、不毛な内戦に陥ったところもあったが、人類全体から見ればごく一部に過ぎなかった。

人々は破局後の10年を、ある意味では平穏に過ごすことができたと言える。

 

その裏で、銀河人類唯一の星間軍事組織となった銀河保安機構は来るべき上帝の侵略に対応するため、慌ただしく動き続けた。

 

そして、宇宙暦845年。

 

上帝がついに人類領域に姿を現した。

 

その最初の出現場所はアスターテ星域。

 

レディ・Sの情報の通りだった。

 

 

 



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89話 永遠の夜のなかで その12 アスターテの戦い

宇宙暦845年2月5日 10時

アスターテ星域に侵入した上帝の軍勢を、銀河保安機構軍は恒星アスターテ近傍の宙域で迎え撃つ予定であった。

 

総勢40万隻、総司令官はマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー元帥である。

殆どの艦艇は自動化されて無人だったが、それを統括するために、カール・フランツ・ケンプ上級大将以下約5000名の将兵及び伝令役の拝蛇教徒が戦いに参加していた。

 

艦数という点ではこの歴史においてこれだけの戦力が一会戦のために集まることは初めてだった。

長距離光速航行用の改修が済んでいない旧式艦艇もその中には多く含まれていた。

それらは破局前にアスターテ星域に運び込まれ、この時まで整備を受けながら待機していたのだった。

事前に上帝の来襲地の情報が存在したからこそ実現できた事だった。

 

対する上帝軍は一千万体を数え、さらに後続が存在することも既に確認されていた。

 

 

マルガレータは既に六十歳を越えていたが、若々しい外見を維持していた。

彼女は自らの容姿が将兵の指揮統率にプラスに働くことを十分に理解していた。

 

銀河保安機構軍総旗艦であるモルゲンロート(夜明け)の艦橋でマルガレータは星の大海を眺めていた。

深淵にちりばめられた無数の光点。この光景がもうすぐ見納めとなることを彼女は知っていた。

 

マルガレータに通信要員が近づいて来た。

〈蛇〉と人との融合存在、拝蛇教徒である。既に個々の人格も意味をなさなくなってはいたが、性別を当てはめるなら女性ではあった。

拝蛇教徒が近づいてくる時は遠方からの精神波通信を受け取った時である。

拝蛇教徒はマルガレータの前で跪いた。伝言ではなく、直接通話であった。

彼女は拝蛇教徒の肩に手を触れた。直後、マルガレータは自らに向けられた言葉を感知した。

"メグ"

接触して来たのはユリアンだった。

感情を伴わない通話信号だったが、死を覚悟した戦いの前では、お互いにその方が都合が良い部分があった。

 

"準備はどう?"

 

"万端だ"

 

"それならいいのだけど"

 

"心配するな、というのも無理だろうが、何とかやってみるさ"

 

"……勝てる?"

 

"わかっているだろうに。負けないのが関の山だ"

 

"ごめん、そうだね。でもできることなら死なないで欲しい"

 

"それを言うのは大分遅かったかもな。お互いに"

 

"そうだね"

 

"善処はするさ"

 

"ありがとう"

 

"すまない"

 

通信に少しの間が空いた。

 

"メグ、恒星アスターテの名前の由来を知っている?"

 

"古代の神の名前だろう?それ以上は知らない"

 

"古代に信奉された偉大な女神だよ。豊穣神でもあれば月の女神でもある。愛と美の女神でもあり、破壊と再生を司ることもあれば、戦いと勝利の象徴でもあった"

 

"それは、縁起がいいのかな"

 

"そう思いたいね。それに、まるで君のようだと思ったんだ。僕にとって君はアスターテのような存在なんだ"

 

"恥ずかしいことを言うなあ"

 

"恥ずかしいついでに言うけど、メグ、愛している。今までもこれからも"

 

"ありがとう、ユリアン。私も愛している"

 

"ありがとう"

 

"ユリアン"

 

"私を……いや、何でもない"

 

"忘れないよ"

 

"ありがとう。戦いの前にお前と話せてよかった"

 

"僕もだよ"

 

"……それじゃあな。生きていたら戦いの後で"

 

"わかった。それじゃあね"

 

マルガレータは拝蛇教徒から手を離した。

 

繋がりは途切れたはずだが、ユリアンの言葉は自分の中にまだ留まっているように感じた。

最後にユリアンと話せたことで、圧倒的な戦力の敵にも臆せずに挑めそうだった。

 

マルガレータは再度拝蛇教徒に手を触れた。

「艦隊全将兵に繋いでくれ」

 

程なく、各艦隊の拝蛇教徒を介して艦隊全将兵との通信が確立した。

 

同時に、各艦隊司令官から艦隊の状況が伝えられた。兵士達の一部に動揺や恐れ、諦観が見られることも。

 

マルガレータは演説を始めた。絶望的な戦いに将兵を臨ませるにあたっての総司令官の義務でもあった。

 

"諸君。ついにこの日がやって来た。皆、様々な思いをいだいていることだろう"

 

"だが、理解して欲しい。この戦いは人類と上帝の長きに渡る抗争の試金石である"

 

"ここで負けるならば、人類はすぐにでも滅亡してしまうだろう。逆に、負けさえしなければ、我々の同胞は生きながらえることが出来るのだ!"

 

"我々の同胞に、家族に、子供に、安息の日々を!我々はそのために戦おう!"

 

"わが師、不敗の名将ヤン・ウェンリーに倣って、私も宣言しよう"

 

"心配するな。私の命令に従えば負けはしない!"

 

型破りな不敗の名将ヤン・ウェンリーがアルタイルで発した言葉は数十年後にも伝わっていた。

高揚、信奉、苦笑……艦隊司令官は兵士達が陽性の反応を示したことを伝えて来た。

ヤンのように、「助かる」とは言わなかったことも理解した上で。

 

マルガレータは続けた。

"だから、あなた達が力を貸してくれる限り、人類は滅びない!征こう!人類の防人達よ!"

 

「金色の女提督」「勝利の女神」マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの発する言葉には、将兵にそうさせるだけの重みがあった。かつてのヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムのように。

数十年の間にそれだけの実績を彼女は積み上げてきていた。

帝国、同盟で同時に起きた守旧派軍人によるクーデターの鎮圧。新銀河連邦の方針に反して上帝への恭順を目指す勢力との人類最後の大規模艦隊戦における勝利。破局後に放棄された辺境星系に潜んだ宇宙海賊集団の一斉制圧作戦の成功……彼女は関わったすべての作戦を成功させて来た。

 

 

宇宙暦845年2月5日15時、上帝の軍勢が戦場に到着した。

宇宙を埋め尽くす敵というものをこの歴史の人類はこの時初めて見た。

 

2時間後、戦端が開かれた。

 

上帝の軍勢の構成と戦術は非常に単純だった。

上帝の軍は二種類の機体から構成されていた。

一つがグラップラークラスと呼称される近接戦闘機体である。

大きさは人類における駆逐艦程度で、巨大な腕と顎のような衝角を持っていた。サイズに比して大規模なエンジンを、推進力と防御に振り向けていた。遠距離攻撃能力は一切持たず、高速で接近し、巨大な腕で艦を捕捉し、顎で咀嚼するように破砕するのである。

半端なビーム攻撃は、重厚な中和力場によって跳ね返されてしまう。

数多の歴史の中で人類の軍勢を最も屠ってきた存在だった。

 

 

それに対して銀河保安機構軍の新造艦艇はすべてグラップラークラスの防御力を突破できるビーム出力が確保されていた。

本会戦に多数参加している旧式艦艇は、砲撃の一点集中によってグラップラークラスの防御を破った。

ビームの防壁から漏れて接近して来た敵は、無人戦闘艇と、浮遊機雷、指向性/拡散性ゼッフル粒子の罠によって破壊された。

すべてはレディ・Sによってもたらされた別の歴史における教訓を活かしたものだった。

 

銀河保安機構軍は、恒星アスターテを背に、接近する上帝軍を跳ね返し続けた。

 

 

暫くすると、上帝軍の動きに変化が見られた。

 

グラップラークラスの隊列に穴が生じたのである。

その穴を通る形で、大出力レーザーの攻撃が保安機構軍に向けて放たれた。

威力は人類側の要塞砲を凌駕し、射程はより長大だった。

 

もう一種類の敵機体、通称ガンナークラスによる攻撃である。

ガンナークラスは、数十kmの巨体に大出力レーザーを搭載していた。

 

これについても保安機構軍は事前に情報を得ていた。

レディ・Sの情報から、保安機構軍はグラップラークラスの動きから敵のレーザーの射線を予測し、事前に回避行動を取るアルゴリズムを開発し、艦艇に搭載していた。これによって被害は最小限に抑えられた。

 

また、ガンナークラスを破壊するための方策も整えていた。

移動と攻撃力を両立するためにその防御は薄かった。

しかしながら遠方にいるガンナークラスを攻撃するにはグラップラークラスが邪魔だった。

銀河保安機構軍はこれを強引な方法で解決した。

 

高速航行と回避に特化した自動化小型艦艇を多数ガンナークラスに向かわせた。

そのうち99%は途中でグラップラークラスに囲まれて破壊されたが、残り1%はガンナークラスにまで届いた。

その1%は、敵に対して直接衝突した。自らを実体弾と化してガンナークラスの主砲発射口を破壊したのである。

 

別の歴史では追い詰められた人類は、有人艦艇を用いてこの自殺的な強襲を行なっていた。

自動化の進んだこの歴史では、同じ行為を犠牲を気にせずに実行できた。

 

ここまで保安機構軍は、圧倒的な数の上帝に対して概ね善戦していたと言える。

 

しかし、入れ替わりで攻撃をかける敵に対しては補給が追い付かず、徐々に押し込まれていった。

 

恒星アスターテとの距離がある程度近づいたところで、人類は次の手を打った。

 

艦艇の移動により、保安機構軍の艦列に穴が生じた。

その穴をめがけて上帝軍は殺到した。

しかし、これは意図的なものだった。

 

突如として恒星アスターテから極大規模のフレアが発生し、穴に向けて殺到していたグラップラークラスを飲み込んだのである。

 

フレアは遠方まで広がり、上帝の軍勢を削り取った。

 

フレアの発生は一度や二度ではなかった。

これは意図的に引き起こされたものだった。

かつて異なる歴史において人類が滅びる要因となった人工フレア発生器を保安機構軍は上帝に対して用いたのである。

 

上帝軍一千万体の過半がこの攻撃で喪失した。

 

上帝軍は一旦後退を始めた。

 

保安機構軍の残存艦艇数は25万隻。

損害は膨大であったものの、緒戦は人類の勝利に終わった。

 

しかし、それが前哨戦に過ぎなかったことを数日後に人類は思い知ることになった。

 

宇宙暦845年2月10日、上帝の増援がアスターテに現れた。

 

その数はおよそ三億体。

 

先に現れた上帝軍は斥候に過ぎなかったのである。

 

表面上は先の戦いと同じ展開が繰り返された。

押し込まれた人類は人工フレアによって反撃したが、今回は数が違った。

自らが逆に全滅しないためには人工フレアの発生回数と規模には自ずと限界があった。

 

損害を恐れず殺到する上帝軍に、保安機構軍は急速に削られていった。

 

それでも、保安機構軍は数千万体の敵を破壊し、10日間耐え抜いた。

彼女でなければ無理だったと思わせる指揮だった。

その日のうちに、さらに上帝軍の増援が現れた。

その数、百億体。

 

「これまでか」

 

人気の少ない艦橋でマルガレータは独り言ちた。

既に保安機構軍は二万隻にまで磨り減っていた。副将たるカール・フランツ・ケンプ上級大将も既に戦死していた。

完全に包囲され、恒星アスターテ至近に押し込められていた。これ以上の後退はできず、また、突破も無理だった。

 

マルガレータは、拝蛇教徒を呼び寄せ通信を行なった。

 

"諸君、圧倒的優勢の敵にここまで戦えたのは諸君らのお陰である"

 

"我々はここで全滅することになる。諸君らは覚悟していただろうが、この責任はすべて私にある。あの世というものが我々にあるならばその時は好きに罵ってくれて構わない。ただ、今はここまで付き合ってくれてありがとうと言わせて欲しい"

 

受容、諦め、満足、反応は様々だった。

 

"我々の戦訓は、今後の戦いに活かされる。だから我々は胸を張って最後の攻勢に臨もう!"

 

 

保安機構軍は雄々しく戦った。しかしそれだけだった。

エネルギーの切れた艦から破壊されて行き、ついには旗艦以下数百隻にまで磨り減らされた。

艦隊司令官もコンラート・フォン・モーデル中将の戦死によってマルガレータ本人だけとなった。

 

旗艦モルゲンロートにもグラップラークラスが迫る状況の中、マルガレータは拝蛇教徒に声をかけた。

「これまでの戦況の伝達は済んだか?」

 

拝蛇教徒は淡々と返した。

「はい。閣下達の戦いは、人類のこれからの戦いに活かされることになるでしょう」

 

マルガレータは嘆息した。

ならばこの辺りが潮時だと。

 

「この艦ももう終わりだ。貴官には最後まで付き合ってもらうことになるが問題はないか?」

あくまで念のための確認だった。

 

「ありません。我々拝蛇教徒の精神は不滅ですから」

 

「そうか。それはよかった」

 

「……閣下も拝蛇教徒になればよかったのです」

 

マルガレータはその言葉が誰からのものであるのか、少しだけ戸惑った。

ここにいる彼女個人の言葉なのか……

「そうだったのかもしれない。しかし今更この体では無理だよ」

 

拝蛇教徒は感情の見えない瞳でマルガレータを見ながら呟いた。

「残念です」

 

「そう言ってもらえるだけでありがたい」

マルガレータには拝蛇教徒の感情は分からなかった。だが、副官のように働いてくれた彼女にはマルガレータ自身は相応に親しみを感じていた。自分がそう思っているだけでよかろう、とも思っていた。

 

 

「そうだ、一言伝言してもらってもいいか?」

 

「何でしょう?そして、どなたに」

 

「ユリアンとみんなに。頑張ってみたがこれが限界だった。後のことは頼む、と」

 

「承知しました」

 

旗艦に衝撃が走った。グラップラークラスについに取り付かれたのである。

 

グラップラークラスはモルゲンロートのエンジンをその顎で破砕した。

 

爆発が起こり、艦全体を包んだ。

 

消え去る瞬間にマルガレータは思った。

最後にもう一度だけユリアンや娘と話したかったかな、と。

 

 

旗艦の消滅と時を同じくして、重力変動がアスターテ星系全域に広がった。

 

恒星アスターテが超新星化を開始したのである。

別の歴史で開発された恒星破壊砲が旗艦の破壊によって作動した形である。

 

次に膨大なエネルギーをはらんだ衝撃波が星域全体に広がっていった。

上帝の軍勢はそれに巻き込まれ、破壊された。

 

 

アスターテに来襲した上帝軍、百億余機は全滅した。

これは、上帝の推定戦力の10の16乗分の1に相当した。

 

人類が払った代償は、保安機構軍四十万隻の全滅だった。これは、数の上では人類戦力の三分の一に相当した。

 

そのような犠牲の末にアスターテ星系への侵攻はかろうじて防がれた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

「ユリアン」

 

月都市で執務を行なっていたユリアンに、マルガレータは声をかけた。

 

「何?マルガレータ?」

応じながらも報告の内容には想像がついていた。

 

「アスターテで私が……第128号が死んだ」

 

ユリアンは言葉に詰まった。第128号とは戦いの直前、十数日前に言葉を交わしたきりだった。

彼女とは、もはや話すこともできないという事実に、ユリアンは自分でも思いの外衝撃を受けていた。

多数存在するマルガレータ・アンドロイドのうちの一体に過ぎないというのに。

 

マルガレータは破局後に自らをアンドロイド化していた。

慣性制御技術を失った人類が亜光速での戦闘を行うには急激な加減速によるGへの対応が必要になった。

拝蛇教徒は、既に肉体を捨てて再生力の高い〈蛇〉の一部となっていたから問題はなかったが、そうでない者達は別の対処法を考える必要があった。

 

そのための手段がアンドロイド化だった。電子頭脳に人格を移すにあたっては生身の脳は不可逆的に破壊される。それはこの時代においても変わりなかった。

このため、生身のマルガレータは既に自ら選んで死んでいた。

アスターテの戦いに参加していた将兵達もすべて。

 

マルガレータの人格を持ったアンドロイド体は多数生産された。

マルガレータはこの時代においてかつてのヤン・ウェンリーにも比肩する軍司令官と目されており、その実力を、光速の限界で隔てられた各地の戦場で最大限に活用するためである。人類の多数の領域において、また、長きにわたって。

 

アンドロイド体が他に何体もいることを知りつつも、ユリアンは動揺せざるを得なかった。マルガレータが今また死を迎えたことに変わりはなかったから。

これからユリアンは何度もマルガレータのアンドロイド体の死について報告を受けることになる。

愛する者が何度も何度も死を迎え続けることを想像して、ユリアンは気が遠くなりかけた。

 

死してなお戦わされる。マルガレータにとって、アンドロイドとなった数多の将兵にとってこの宇宙はヴァルハラそのものであったと言えるのかもしれない。あるいは、地獄か。

 

 

かつてであれば、マルガレータの運命に思いを致したことを引き金に、発作が起きたかもしれない。あり得た宇宙における数多の絶望的な戦いの記憶が、残響となって襲うのである。

しかし、ユリアンは自らもまたアンドロイドとなっていた。永きに渡って続く上帝との戦いに関わり続けるために。

ユリアン、正確にはユリアン・アンドロイド第1号は、自らに発作がやって来ないことに気づいていた。

それは、自らが本質的に「ユリアン」とは違う存在だということではないか。そのような思いも生じていた。

かつてレディ・Sにそのことを相談したら鼻で笑われてしまったが。

「あなたが何者か、より、あなたが何のために生み出されたかを考えなさい」と。

 

ユリアン第1号は額にあたる手の存在に気づいた。

マルガレータ第3号の手だった。ユリアンの心は次第に落ち着きを取り戻した。

ユリアンも、マルガレータも、その生身の死体は月都市の奥深くで眠っているが、ここには自らのことをユリアンだと考えてくれる存在がいてくれた。

 

マルガレータ第3号の声は穏やかだった。

「私のことを考えてくれたのだろう?大丈夫だ。皆死ぬのは一回だ。気にするな」

 

いつかはマルガレータの繰り返される死に何も感じなくなる時もあるかもしれない。

そのこと自体も今のユリアンにとっては恐怖であったのだが。

 

ユリアンは無理矢理心を人類全体のことに向け、問い返した。

「状況はどうなの?」

 

「全滅と引き換えに、百億機以上の敵を全滅させたそうだ。アスターテ方面から侵攻を図る敵の第一陣のほぼ全軍だ。我々の抵抗の程度に応じて、誘引される敵の数が増えるというのは我々の仮説の通りだったな」

 

ユリアンは瞑目し、再び開いて言った。

「戦訓は得られ、上帝の侵攻スケジュールは大幅に遅れた。マルガレータ……128号は仕事を果たしたんだね」

 

「そうだな。後のことは頼むと伝言されたよ」

 

「君らしい……かな。僕には何か?」

 

「ない。伝言などしたら、生真面目なお前の心にさらに負担になるだけだと考えたんだ。私のことだからわかるさ」

 

ユリアンは128号が戦いの前に言いかけたことを思い出した。

私を……。おそらくは忘れないでと言いたくなってやめたのだろう。

忘れないよ、とユリアンは心の中で思った。

 

二人の話は次なる戦いのことに移っていった。

 

 

 

…………

人類と〈蛇〉の仲介者にして、〈蛇〉自身の中核的存在でもある拝蛇教宗主もまずは結果に満足していた。

 

マルガレータを初めとした将兵の死を悼む気持ちは薄かった。既に心は〈蛇〉と不可分となり、人間であった時の感情は薄れつつあった。

〈蛇〉としては、今回の結果が自らの延命に繋がったことを単純に喜ぶだけの話だった。

〈蛇〉は、人類への敵愾心を失ったわけではない。今はさらに強大な敵に対抗するために協力しているだけである。人類が上帝と効率的に戦って死んでくれるのならそれが最も望ましいことである。そのための協力ならば惜しむつもりはなかった。

 

マルガレータ第3号が次なる戦いの準備のために、遠方の同位存在との接触を求めて精神ネットワークに接触して来た。

 

精神ネットワーク、つまり〈蛇〉の精神圏を介して行われるやり取りを、拝蛇教宗主、かつてユリアンだった存在は眺め続けた。

傘下の拝蛇教徒と宇宙空間の〈蛇〉達を上帝との戦いに動かすの情報を読み取るために。

 

 

ユリアンもまた自らをアンドロイドと化していたが、彼がマルガレータと違ったのは、彼が生身の死の際に、〈蛇〉との融合を同時に図っていたことである。

ユリアンの「死」によってその精神は〈蛇〉の中に解放された。

 

これによってユリアンはアンドロイドとしてだけでなく、〈蛇〉との融合体としても現世に存在することになった。

すべては上帝との戦いに〈蛇〉を最大限活用するためだった。

〈蛇〉と融合したユリアンは拝蛇教の宗主となり、拝蛇教徒を統率し、〈蛇〉の精神の一部として彼らを動かす役割を果たした。

これによって〈蛇〉は人類の戦いに積極的に協力するようになった。代償は融合したユリアンの人間としての要素が刻々と失われていくことだけだった。

 

マルガレータもユリアンも、その他の将兵達も、人類のために自らの人間としての要素を犠牲にしたのである。

 

銀河保安機構軍が再び人類領域外縁で上帝の軍勢と対峙するのはこれから20年後のことだった。




投稿遅くなりました


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90話 永遠の夜のなかで その13 宇宙暦865年〜 暗黒の歳月

暗い展開が続いておりすみません。
もうすぐ色々と終わりますので。





 

 

宇宙暦865年4月、タナトス星域に上帝の軍勢が侵入した。

アスターテから二十年、二度目の来襲である。

 

迎え撃ったのは、ライアル・アッシュビー銀河保安機構宇宙艦隊副司令官。

彼もまたアンドロイド体となっており、正確には第12号アンドロイドだった。

フレデリカも、彼とともにアンドロイドとなり、高級副官を務めていた。

 

五万隻の艦隊で迎え撃ったライアルだったが、善戦むなしく艦隊をすり減らすことになり、最終的には恒星破壊砲で恒星を超新星化させ、上帝軍二百億機を道連れに戦死を遂げた。

この戦闘には〈蛇〉一万匹も援軍として参加した。

〈蛇〉はこれ以降人類の同盟勢力として、各地の戦いに実戦力として参加していくことになった。

 

 

艦隊戦力による上帝軍の誘引と、恒星超新星化による殲滅が、ユリアンをはじめとした対上帝作戦考案チームの考え出した作戦だった。

 

人類領域にある数十万の恒星を陣地とし、損害の強要と、敵の侵攻スケジュールの遅延を図るのが人類側の意図である。

 

上帝の主要ターゲットは、宇宙における利用可能な天体質量の大半を占め、巨大なエネルギー源でもある恒星それ自体だった。そうである限りは、この作戦は有効に機能した。

 

たとえ上帝の総兵力を考えればごくわずかな損害に過ぎず、あくまで侵攻を遅らせる効果しかないにせよ。

 

各地で上帝軍に侵入された恒星が超新星と化していった。

 

宇宙暦887年、エリザベートとサビーネが同じ年に死んだ。

彼女達は生身のまま生き、死んだ。

アンドロイド体としてユリアンのアンドロイドと共に生きる選択肢もないわけではなかった。しかし、月都市の地下に眠る生身のユリアン、マルガレータと共に永遠の眠りにつく道を彼女達は選んだ。

アンドロイドとなったユリアンが本物のユリアンだと彼女達はどうしても思えなかったのだ。

 

宇宙暦888年、カーテローゼも死んだ。彼女は死ぬに際してアンドロイドとなる道を選んだ。彼女も迷っていた。しかし、エリザベートとサビーネの死にユリアン・アンドロイドが苦悩する姿を見て、自分自身であるかはともかく、彼のために自らのアンドロイドを残そうと思ったのだ。

 

その間にも銀河を舞台とした遅滞戦闘が続いていた。

 

各地でアンドロイドとなった将兵達が勇戦し、敵とともに全滅した。

 

ブルートフェニッヒでエルウィン・ヨーゼフ・アッシュビー39号率いる八万隻が。

ヴァンステイドでカール・フランツ・ケンプ27号率いる七万隻が。

アルトミュールでダスティ・アッテンボロー5号率いる二万隻が。

カストロプでマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー67号率いる四万隻が。

モールゲンでエルマー・フォン・クロプシュトック3号率いる十万隻が。

シュパーラでウィレム・ホーランド95号率いる三万隻が。

………

……

 

すべて遅滞戦闘に過ぎなかった。

 

宇宙暦2061年、外縁部の殆どの星系が超新星化するに至って、ついに上帝が人類領域の内部に侵入を開始した。

 

人類はここでも恒星の超新星化を実施した。

人類領域内部の殆どの星は既に無人化されていた。

 

宇宙暦3001年、上帝が人類側主要星系に初めて到達した。

最初は、ワープ不能領域に最も近接していたフェザーン星域だった。ここまで見逃されていたのが奇跡に近かったとも言えた。

 

しかし上帝が襲来した時、その地には既に誰もいなかった。

 

フェザーンに集まった25億人以上の人々は、可住惑星であるフェザーン第二惑星ではなく、フェザーン第三惑星の衛星グラーゼに集められた。

 

グラーゼは月のように要塞化されており、人々はその内部に隠れるように住むことになった。空間も物資も25億人を収容できるだけの余裕が十分にあった。

 

グラーゼは上帝到達前に、第三惑星軌道から離脱させられ、さらに加速され、フェザーン星系自体からも離れ去っていた。

無論巨大なエネルギーを必要としたが、生き延びるために背に腹は代えられなかった。そのためにフェザーンの恒星のエネルギーは人類が利用可能な限りにおいて絞り尽くされた。

 

同様のことがバーラトでも、ヴァルハラでも、太陽系でも行われていた。

 

人類は当初から居住環境として恒星系自体を放棄することに決めていた。

 

 

宇宙暦3103年、モールゲン星系に上帝到達

宇宙暦3875年、バーラト星系に上帝到達

宇宙暦4205年、キッシンゲン星系に上帝到達

宇宙暦5158年、ヴァルハラ星系に上帝到達

宇宙暦7102年、アルタイル星系に上帝到達

宇宙暦7470年、太陽系に上帝到達

 

人類は、全ての恒星系を喪失し、要塞化した放浪天体を拠点に、広大な恒星間空間の中に隠れ潜むことになった。

 

衛星をすぐに検知するには、恒星間空間は上帝の軍勢にとってすら広過ぎた。

宇宙空間で光を発しない天体を見つけるのは元々困難である上に、広大な恒星間空間には類似のサイズの天体が少なからず存在し、人類が拠点としている天体を見分けるのは難しかった。

 

あるいはこのまま上帝が恒星系のみで満足すれば人類は生き延びられたかもしれない。

 

しかし、上帝は恒星間空間にある天体までも資源化し始めた。

 

数に任せて探査用の機体"シーカークラス"を多数派遣し、発見された天体を自らの資源とするために片端から解体し始めた。

 

 

人類の拠点となっていた天体にもその手は伸びた。

人類は未だに多数抱えていた宇宙艦艇群を、シーカークラスの破壊、発見防止のために派遣した。

 

恒星間空間を舞台に単艦同士の遭遇戦が展開された。

拠点を明らかにさせないために。

人類が派遣した艦艇群には、拠点情報を記憶から消されたアンドロイド将兵が搭乗した。

各艦一人の将兵が操縦しており、かつての単座式戦闘艇全盛時代を彷彿とさせた。

オリビエ・ポプラン、グスタフ・イザーク・ケンプなど撃墜王として名を挙げた将兵もアンドロイド体の中には含まれていた。

オリビエ・ポプランは、アンドロイドとなってもあいも変わらず性欲を維持し続けた。若い体を維持することがアンドロイドとなった目的であるとも噂された。一方で彼は長く続くアンドロイドとしての生に飽きを感じており、30年経過する度にアンドロイドとしての記憶を消去するという奇行に出ていた。

そもそも、正気では絶望しか待っていない戦いには臨めないのかもしれなかった。

 

宇宙暦53749年、人類の拠点天体の一つであるアルタイルIIが上帝に発見された。

人類は要塞化されたアルタイルIIに篭って粘り強く抵抗したが、五月雨式に来襲する敵の前についに敗北し、全滅した。

 

この後、上帝によって人類拠点は一つ、また一つと発見され、破壊されていった。

〈蛇〉もまた恒星間空間に隠れ潜んでいたが、状況は人類と変わらなかった。

 

戦況は精神波通信によって人類拠点「月」のユリアン・フォン・ミンツ第1号にも伝えられた。

 

人類拠点の発見と破壊にはそれぞれ長い時間がかかったが、上帝は時間を気にする存在ではなかった。

 

上帝の襲来から十万年以上の歳月が経過した。

 

人類の拠点は、太陽系を離れて放浪を続ける「月」ただ一つを残すのみとなった。

 

再び、長い時が経った。



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91話 永遠の夜のなかで その14 星って何だ?

宇宙暦200001年。

第二百一千年紀を迎える記念すべき年に、レイ・フォン・ラウエは新銀河連邦の主席に就任した。

 

かつて広く銀河に雄飛した人類は、突如出現した大敵〈上帝〉との戦いに敗れ、ついには一つの球状世界〈月〉に押し込まれるに至った。

人類は、月近傍まで押し寄せた上帝に対して防衛戦に臨んだ。その戦いは激しく、月も破壊されていくつかの塊に分裂させられたが、人類はそれでも耐えきった。伝説的な英雄達の指揮のもと、押し寄せる敵の軍勢を押し返し続け、上帝と遂に講和を結ぶに至った。

人類は月、正確には分裂した月の塊の一つの内部で生き延びる権利を得た。

それがレイの知るこれまでの人類の歴史だった。

レイは主席となる前は歴史学者であったが、五万年以上昔の話となれば、その知るところは一般の人々と大して変わらなかった。

 

五万年の時が経過した今、人類は灰色の天蓋に覆われた閉じた世界に生きていた。そのことに完全に慣れきってしまっていた。

人々の言葉から空という単語が失われて久しく、かつて人々の頭上を自由に飛び回り、歌声を響かせる存在があったことも既に忘れ去られていた。

高度に管理された社会の中、人類は五千万人の人口を常に維持し続けた。技術の革新も社会の変化もなく、定常的な時を刻み続けるのみである。

 

とはいえ、第二百一千年紀の始まりの年とあって、人々の中には少しだけ浮ついた雰囲気が存在した。

各地で区切りを祝うための記念行事が企画されていた。

レイ・フォン・ラウエも関わっていた宇宙暦二十万年史編纂事業。

地球アーカイブの復元。

月都市の十万年間の歴史を辿るツアー。

都市中心部の再開発計画。

 

この時代においても僅かに残っていた宗教組織は、これを気に信者獲得、勢力拡大に動いていた。

再生地球教団は、人々の歴史への関心の高まりをもはや影も形もなくなった地球への信仰に結びつけようとした。

アッシュビー教団は、この記念の年にアッシュビー霊廟が十万年振りに開かれ、伝説の英雄キャプテン・アッシュビーが再臨するのだと信じ、積極的に宣伝活動を行なった。

オーディン教徒は主神ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの事績、特に復活の奇蹟を人々に広めた。彼らにとってルドルフは、悪弊に染まった銀河連邦が崩壊し、新銀河連邦が誕生するまでに本来は長く続くはずであった暗黒時代をわずか五百年に短縮した英雄だった。かつてゴールデンバウム王朝に属した人々を由来とする彼らは、太古の神であるオーディンと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを同一視するようにもなっていた。

 

要するに人類社会はいつもより少しだけ活気に溢れていたのである。

そのような世間の雰囲気こそが、人々が古き家の出であるレイを代表者に選ぶ大きな要因となったのだとも言えた。

 

彼はお祭の準備に浮かれる世の中を尻目に、たった一人で月深部にある銀河保安機構長官室を訪れていた。

通信技術の進歩したこの時代においても、直接会うという行為には一定の意味があった。

 

自らの立場からすればむしろ相手に出向いてもらう方が正しいのかもしれなかったが、相手が伝説上の人物であることを思えば、自らが足を運ぶ方が適切に思えたのだった。

 

深部とはいえ、その場所はレイ達が普段生活する居住区画から直線距離にして百km程しか離れてはいなかった。

レイは移動のために長距離エレベータに乗ったが、所要時間は30分程度だった。

レイはその間に今も趣味として続けている歴史学研究の資料を読むことにした。

銀河英雄伝説(ヘルデンザーゲン フォム コスモスインゼル)」というタイトルの書かれたその本は、古代より偽史として知られているものだった。

新銀河連邦が成立しなかったあり得ない歴史について、想像を働かせて書かれた「もしもの物語」。しかし、レイとしてはそれが書かれた理由が気になっていたのである。ましてそれがその時代一流の歴史学の権威の手が加わったものとなれば。

レイは閲覧申請を何度も行なっていたのだが、その度に行政機構によって拒絶されて来た。主席となった今となってようやく読むことができるようになるとは皮肉極まりない話である。

 

「星を見ておいでですか、閣下」

「ああ、星はいい」

 

「銀河英雄伝説」の冒頭の場面にある、ジークフリード帝とラインハルト帝のこの会話が、レイには妙に気になっていた。

大多数の市民はともかく、歴史学者であったレイは「星」というものが存在することを知っていた。

しかし、光を放つだけの点である「星」の一体何がよいのか。レイにはさっぱりわからなかった。一度実物を見ればわかるのだろうが、一般市民に〈月〉の外部を観る権限はなかった。

今のレイにはあるのだが、いまだにその時間は取れていなかった。「星」の良さについて、これから訪ねる人物達に質問してもいいのかもしれないと彼は思った。

 

そのようなことを考えている間にエレベータは〈月〉の深部に着いた。

 

長官室の前には、薄い紅茶色の髪を持った女性と黒い肌を持った大柄な男が護衛として立っていた。

レイはその二人に興味深げな視線を向けられたが、ボディチェックも特に受けることなく部屋に通された。

 

長官室では二人の人物が彼を待っていた。

 

銀河保安機構長官ユリアン・フォン・ミンツ、同宇宙艦隊司令長官マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの二人である。

自らをアンドロイド化して上帝と戦った人類救済の英雄達。今でも「あのユリアン」と言えば、ユリアン・フォン・ミンツを指していたし、「マルガレータのような」とは美しくも勇ましい女傑を意味する表現だった。

 

まるで立体映画の世界から抜け出てきたかのような美男と美女の組み合わせに、レイ・フォン・ラウエは気後れを覚えた。

彼は先祖帰りと言われる黒髪を持っている以外は、ハンサムと言われることも無いわけではない程度の凡庸な容姿の持ち主だった。

 

相手がアンドロイドであることは彼もよく知っていた。しかし、その姿からは彼らが人造の産物であることを示すものは見出せなかった。

 

しかしながら、通信卓と、通信スクリーン、椅子以外は何も置かれていない殺風景な長官室の様子に、彼らが一般的な人間の感覚から大きく逸脱した存在となっているのではないかという疑念が彼の中に湧き上がって来た。

 

ユリアンは、レイの内心の疑念を払拭するかのように柔和な笑みを浮かべた。

「主席、わざわざご足労頂き申し訳ありません。まずはお座りください」

 

「ありがとうございます」

レイは、促されるままに何の装飾もない機能性だけの椅子に座った。

 

ユリアンとマルガレータも着席した。

「挨拶ということであれば我々から出向きましたものを」

 

ユリアンに対してレイは慌てて言葉を返した。

「いいえとんでもない。人類の守護者たるあなた方に出向いて頂くなど……」

 

ユリアンはわずかに表情を変えた。

「民主主義を標榜する新銀河連邦においてはシビリアン・コントロールが原則です。あなたは選挙で選ばれた五千万人の人民の代表。卑下なさるべきではない。まして、相手がもはや名ばかりの軍事組織の代表とあってはね」

 

「そう、ですね」

答えつつも、レイは自らが偉いなどとは少しも思えないのだった。

 

かつて銀河を広く統治していたはずの新銀河連邦。その主席の座がお飾りとなって既に久しい。

法律上の行政の長は確かに彼であったが、行政の方針はここにいるユリアン、マルガレータを含めた「長老会議」が決めており、さらにその実務は自動機械群が立案・実行するようになっていた。彼はそれを追認するだけの存在なのである。

一方のユリアン率いる銀河保安機構も、その名に反して、今は数千人規模の小さな組織に過ぎなくなっている。そのはずではあるのだが……

 

レイは困ったような笑みを浮かべ、無造作に頭をかいた。

 

その仕草を見て、ユリアンが表情を緩めた。マルガレータも同様だった。

 

レイは不審に思わざるを得なかった。

「何か?」

 

ユリアンがそれに対して回答を返した。

「失礼。あなたの遠い先祖のことを思い出したのですよ。古の名将ヤン・ウェンリーのことを」

 

古代の新銀河連邦設立の英雄の一人ヤン・ウェンリーの血を継いでいること、古来の名家ラウエ家の後継者であること。そしてもう一つのことが、人々をして彼を主席の座にまつり立てる原因となったのだ。

 

「そんなに似ていますか?」

 

ユリアンは何かを懐かしむような顔を見せた。レイは相手がいまだに人間としての感情を有しているのだとこの時ようやく思えた。

「そうですね。黒髪以外、容姿は似ていないが、雰囲気や仕草、喋り方はよく似ています。メグもそう思うだろう?」

 

ユリアン・フォン・ミンツに愛称で名前を呼ばれた女性、伝説の中で彼の妻の一人としても知られるマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは即座に頷いた。

「そうだな。よく似ていらっしゃる。だが、ユリアン。お前には似ていないな。サビーにも、似てないなあ。いや、失礼しました」

 

レイ・フォン・ラウエにはユリアンの血も流れていた。マルガレータの血は継いでいない。恋多き男として浮き名が伝わるユリアンとサビーネの子供の子孫だった。そのことも彼が主席に推された要因である。彼にとっては迷惑な話だったが。

 

それで、とユリアンは表情を戻した。

「本日はどういった用件でここに?」

 

レイは自らの意志で来たにも関わらず既に帰りたくなっていた。

「勿論、挨拶ですよ」

 

「それだけ?」

 

ユリアンは、レイの返事を遮った。

「主席、誤魔化しは無用ですよ。主席ともあろう立場の人が護衛も連れずにここに来たということは、内密に話したいことがあるということでしょう。あなたとの会話は、ヤン・ウェンリーと話をしているようで楽しくもあるが、お互い忙しい立場でもあるのだから」

 

レイは誤魔化すことができないことを悟ってため息をついた。

「その通りです。質問があってここに来たのです」

 

ユリアンはその様子を興味深そうに見つめながら尋ねた。

「何でしょうか?私に答えられることでしょうか?」

 

「ええ。あなたにしか、そしてこのような場でしかきっとあなたは答えてくださらないでしょうね」

 

「へえ?何だろうね」

急にユリアンの口調が変わった。

動揺を悟られまいと、レイは無表情を装ってその言葉を放った。

 

「人類は、もうすぐ滅びるのでしょう?」

 

 

沈黙を破ったのは、ユリアンだった。

 

彼は声をあげて笑ったのである。

 

「ユリアン」

面食らうレイのことを慮ったのか、マルガレータがユリアンを窘めた。

 

ユリアンは笑いを収めた。

「失礼。久々に驚かせてもらったよ。流石はヤン・ウェンリーの子孫と言ったところかな」

 

ユリアンは尋ねた。旧来の親友と話すかのような気安さで。

「どうして、そう思ったんだい?」

 

レイはユリアンの豹変に戸惑ったが、答えないわけにはいかなかった。

 

「自動化されている行政機構のエネルギーの使用状況を調べてみたのです。すると、あなた方、銀河保安機構がこの月で生み出されるエネルギーの95%をつかっていることがわかりました」

 

「それはすごい」

ユリアンは軽い調子で応じた。

 

レイは気にしないことに決めた。

「そして、その使用量の記録を辿ってみるとこの十年で急激に増加している。あなた方がエネルギーを使うとすれば、それは人類防衛のためです」

 

「……どんな敵に対して人類を防衛すると言うんだい?」

 

「ここからはあくまで私の憶測ですが、その敵は上帝ではないでしょうか?」

 

「上帝は一度撃退している」

 

「私は歴史を研究して来た人間です。どうにもその前後の歴史の記述に比べ、その辺りのことだけが妙に曖昧な記録しか残っていないのです」

 

「大変な時代だったからね。記録をとる間もなかったし、あっても破壊されてしまったのだろう。しかし、撃退したのは確かだ」

 

「……一度撃退しても戦力を増してまた来るのでしょう。そういう相手なのでしょう?だからこそ人類は銀河を失った」

 

「講和したんだよ」

 

「講和など長く続くものではないことは人類の歴史を学んでみれば明らかです。それが特に著しい戦力の不均衡を伴っていれば尚更です。そもそも講和できたのかどうかさえ怪しい」

 

「僕が嘘をついていると?」

ユリアンの声に剣呑なものが混ざった。

どちらも立体動画と地球アーカイブでしか見たことはなかったが。この頃の人々が目で見ることのできる生き物など、月鼠と銀月王ぐらいしかいなかったのだ。

 

レイはユリアンの不機嫌さが見かけだけのものである可能性に賭けていた。ユリアンが彼を害するつもりなら元々防ぐ手立てはないのだから、それ以外に選択肢はなかった。

「その通りです。人々に最後の日まで安息の日々を過ごさせるために」

 

場に再び沈黙が落ちた。

 

沈黙を破ったのはまたしてもユリアンだった。

「参った。降参だ。その異常な洞察力、やっぱりヤン・ウェンリーの子孫だと言いたくなるよ」

ユリアンの表情はどこかしら嬉しそうだった。

 

「では、認めるのですね」

 

「認めるよ。人類は危機の中にある。上帝と講和なんて結べたことはなかった。一度あった襲来を多大な犠牲を払って切り抜けたのは確かだ。それでも人類にできたのは我々が滅んだように見せかけて上帝から姿を隠すことだけだった」

 

「やはり、そうなのですか」

レイはため息をついた。当たって欲しくない想像が当たってしまったことに対して。

 

「銀河保安機構のエネルギー使用量を知ることができるのは主席のみ。それを実行して、異常な使用量の用途について僕のところまで訊きに来たものは、この五万年に三人しかいなかったよ」

ユリアンの視線は興味深げだった。

 

「その量が最近になって急激に増えたのは、一体どうしてです?」

 

「見つかったんだよ。もうすぐこの月は上帝の大軍に包囲される。我々は足掻くつもりだけど、それでも長くは保たないだろうね」

 

「いつですか?いつ上帝は月に襲来するのですか?」

 

「30年後だ。時間はもうない」

 

「私にこのことを話してくれた理由は?」

 

「協力してほしい」

 

「協力できることがあるのですか?」

 

ユリアンは頷いた。

「流石に上帝の軍勢が、この月の内部に侵入して来たら人々も気付くだろう。その際に人々がパニックを起こさないように取り計らってもらいたい。どうせ滅びるにしてもその最後はなるべく平穏なものであってほしい」

 

レイは再び困ったような顔を見せた。彼は自らが主席となり、ここに来るに至った今までの経緯を思い出していた。

「最初からそのつもりだったんですね。長老会議を通じて私を主席に推した上で、今回のことに気付くように仕向けた」

 

「さて。どうだろうね?」

 

彼個人のことはそれで済む話であるのかもしれない。しかし、人類全体のことはその程度では全く済まなかった。

よりにもよって人類滅亡の瀬戸際で大役を務める羽目になった自らの運命を彼は呪った。

にも関わらず、既に今後の算段を考え始めていた。それこそが彼がヤンの血を受け継いでいることの証左なのかもしれなかった。



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92話 永遠の夜のなかで その15 宇宙暦******年 人類運命の日

最後の戦いを迎えるにあたっての人類の戦力は以下の通りだった。

 

銀河保安機構の保持する艦隊戦力は自動化艦艇大小20万隻である。

それを三千隻程の小艦隊に分けた上で以下のアンドロイド650体に統率させていた。

 

エルウィン・ヨーゼフ・アッシュビー……100体

カール・フランツ・ケンプ……50体

ダスティ・アッテンボロー……35体

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト……55体

ファウスト・フォン・オーベルシュタイン……60体

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー……125体

エルマー・フォン・クロプシュトック……25体

ウィレム・ホーランド……50体

ライアル・アッシュビー……150体

 

ユリアンを含めた各将兵のアンドロイド体はそれぞれ多数生産され、上帝と戦い、また、最終的にはすべて滅びることになったものの各地で人類の救援に努めた。

アンドロイド達は長い時間の中で破壊され、残っているのが先に挙げられた彼らであった。

 

また、拝蛇教徒約千人と、一万隻ほどに相当する〈蛇〉も人類側の戦力だった。〈蛇〉も各地で上帝に殲滅され、残るのはこの〈月〉要塞に拠る者達のみだった。

 

〈月〉はこの他に、いくつかの防衛システムを備えていた。

 

月要塞にかつて存在した防衛システム「アルテミス」を発展させた大射程硬X線レーザーシステム。その射程・威力は共に上帝のガンナークラスを上回るものだった。

また、〈月〉の周囲にはブラックホール発生装置で生成された多数の小型ブラックホールが配置されていた。小型ブラックホールは〈月〉にとっての強力な盾であり、武器だった。

 

 

ユリアン達は約20万年前、上帝襲来以前にメッゲンドルファーの協力によりヴェガ星域においてメッゲンドルファー考案の小型ブラックホール発生装置のエネルギー源となっていたカー・ニューマンブラックホールを回収していた。

膨大なエネルギーの発生源であり保管庫であるそれは人類の貴重な資源であり武器であった。

ユリアン達はカー・ニューマンブラックホールを推進装置に転用した宇宙船を構築し、亜光速で太陽系に向かわせた。

太陽系に到着したカー・ニューマンブラックホールは電場のコントロールを受けつつ月内部に設置し直され、月のエネルギー源かつ推進源となった。月の質量を食いつぶしながら。

小型ブラックホールもこのエネルギーを転用して生み出されていた。

 

月は緩やかな加速を続けて亜光速に達した。光速の制限を受ける上帝に対して、さらに光速近くまで加速してしまえば捕まえられずに逃げ切ることができるというのがユリアン達の算段だった。

しかし、そうなる前に月は上帝に捕捉されていた。

上帝が月に攻撃をかける態勢を整えるまでには、長い時間がかかったが、それは実行された。

ユリアン達は一度目の襲来は多大な犠牲の末に切り抜けることができた。

上帝への攻撃と逃げるためのエネルギー、人類が滅んだと錯覚させるための目くらましのために月の質量の大半が使われた。

 

しかし、それは結局のところ次の襲来までのインターバルを手に入れたに過ぎなかった。

上帝の軍勢が亜光速で動く〈月〉に再び追いつくまでに長い時を要した。それは〈月〉内部の主観時間で約十万年に相当した。

〈月〉は銀河系の最外縁に到達していたが、そこもまだ上帝の領域だった。

 

今回の襲来を切り抜ければ人類が生き延びられる可能性が生まれるのも確かだったが、

その望みは薄かった。

上帝は〈月〉を完全に包囲する体制を整えていることを、索敵を担当する〈蛇〉が精神波通信で連絡して来ていた。

少なくともシミュレーション上は人類生き残りの可能性はゼロであった。

 

レイ・フォン・ラウエは長老達に諮りつつ、事態への対応を進めた。

 

十歳を超える年齢となった者に順次真実を教えた。

上帝の来襲、銀河保安機構が抵抗を試みる予定であるが撃退できる可能性は低いこと。

 

今後の身の振り方を考えてもらうためにである。

 

自暴自棄な行動に出る者もいたが、機械による監視システムが整ったこの時代の社会では人に迷惑をかけることも自らを害することも難しかった。

それでも自らの選択としての死は認められていた。カウンセリングを経て五万人が公共の自己選択施設で死を迎えた。

 

再生地球教徒は地球に祈った。

アッシュビー教徒は自らの主神たる伝説の英雄キャプテン・アッシュビーの再臨を願った。

オーディン教徒は、主神ルドルフに縋った。

 

レイ・フォン・ラウエは、人心の安定のためにライアル・アッシュビーとエルウィン・ヨーゼフ・アッシュビーに頼った。

銀河保安機構からアンドロイドがそれぞれ一体派遣され、キャプテン・アッシュビー、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムとして振舞った。

アッシュビー教徒とオーディン教徒は狂喜し、そうでない人々も未来に多少の望みを持った。

 

 

上帝の襲来が予定される前日、レイ・フォン・ラウエは始めて〈月〉の外に出た。

この頃には〈月〉と呼んでいた天体の大きさが、直径わずか300km、長さ300km程度の円筒型の岩塊に過ぎないことをレイは知っていた。

体感していた重力も〈月〉の多層化した球殻のそれぞれの回転によって生じていたに過ぎなかった。

 

外に出てレイはさらに驚いた。

亜光速で動いている〈月〉からは相対論的ドップラー効果で星々が様々なスペクトルで煌びやかに光り輝いているはずだとレイは思っていた。

 

しかし、そのようなものは殆ど存在しなかった。知識として知っていた天の川は消えていた。

 

頭上に気を取られていたレイは、慣れぬ宇宙服の扱いに失敗し、思わずよろめいた。

彼を支えたのはカーテローゼだった。

「大丈夫ですか?」

レイと違い、彼女は宇宙服を着ていなかった。可憐な美人である彼女がユリアンと同じく二十万年の時を経たアンドロイドであることを今のレイは既に知っていたが、そのギャップにはなかなか慣れることができなかった。

 

「大丈夫です。ありがとう」

決まりの悪さを覚えながらレイはそれだけ返事をした。

 

 

ユリアンはレイの様子に、穴に落ちて農夫に皮肉を言われる天文学者の故事と、今ここに存在しないヤンのことを思い出さずにはいられなかった。

評判によればレイもヤンと同類のようである。

 

ユリアンはレイの中に生じているだろう疑問に答えることにした。

「驚いたかい?星なんてものは殆ど姿を消してしまっているんだよ」

 

「……これもすべて上帝の仕業ですか?」

 

「その通り。銀河系の殆どの星は解体されるか、ダイソン球殻で覆われてしまった」

 

「上帝は宇宙をつくりかえているのですね。自分達のために」

 

「我々もその材料としか見なされていないわけだ」

 

「こんなちっぽけな岩塊ぐらい見逃してくれてもいいでしょうに」

 

「まったくだよ」

 

レイはユリアンの過ごしてきた歳月を想像してみた。

「あなたはこんな途方もない敵とずっと戦ってきたんですね。よく放り投げる気になりませんでしたね」

 

「……約束があったからね」

 

「約束?」

 

「遠い昔の約束だよ。多くの人々に銀河人類のことを頼まれたんだ。とにかく滅びるまでは僕は足掻き続けるよ」

 

ユリアンは宇宙を眺めた。

ユリアンの拡張された視力には、宇宙が、背景放射と亜光速の影響で、まるで血のように赤く染まって見えていた。

上帝の軍勢は今この時も四方八方から〈月〉に向かってきていた。

 

レイと別れたユリアンは、一つの部屋に移動した。

 

そこには大きな培養槽と、レディ・Sがいた。

レディ・Sは培養槽に手を触れながらユリアンに尋ねた。

「覚悟は決まった?ユリアン?」

 

ユリアンは培養槽を見た。

そこには、人間の脳が浮かんでいた。冷凍保存状態から復活させられたそれは、ユリアンとマルガレータの娘であるベアテのものだった。

生身の人間が十万年単位の時を生き延びるのはいまだに不可能だった。しかし、脳だけの長期保存は可能となっていた。

エンダー・スクールにおけるアッシュビークローンの脳を用いた人体実験の結果が、そこには活かされていた。

それゆえに精神旅行及びレディ・Sの器としての「適合者」であるベアテは、本人の同意の上で脳だけを取り出され冷凍保存されていた。生身の脳でなければ精神旅行は不可能だったから。

 

人類滅亡の時が迫った今、彼女は解凍され、過去への跳躍の時を待っていた。

 

「お父さん、ごめんね。私のことで苦しまないで」

冷凍保存される前、最後にユリアンにそう語ったベアテのことを思うと、ユリアンは今でも無力感に苛まれるのだった。彼女はユリアンが既にアンドロイドとなっていることを知りつつ、父親として接してくれた。

 

「まだです。まだ諦めません」

ユリアンは娘のためにも諦めるわけにはいかなかった。父親として何も為さないまま、彼女にレディ・Sの人格の一部として永遠の責め苦を与えるわけにはいかなかった。今の状態ですら煉獄にいさせているようなものだということは承知していながらも。

 

永遠の中に閉じ込められた存在であるレディ・Sは、苦笑いを示した。

「頑固者。あなたらしいけど」

 

それは二人の間で何度も繰り返されたやり取りだった。

 

「せいぜい頑張ってね。私は最後の時までベアテのお守りをしているから。あなたが来てくれたことをベアテも喜んでいるわ」

レディ・Sは脳だけとなったベアテと微弱な精神波通信でコミュニケーションを取ることができた。

 

「ベアテに言葉をかけてやらないの?」

 

「なんと言えばいいのか」

彼女を人類のために犠牲にしようとしている自分が父親として接していいのか、ユリアンはいまだにわからなかった。もしかしたら自分の父親も、同じ気持ちでいたのかもしれないと今のユリアンは思ってもいた。だとすれば、かつて残される立場であったユリアンとしてはベアテに、少なくとも父親としての言葉を残しておくべきだった。

「……行ってくるよ、ベアテ。愛している」

 

「伝えておくわ」

 

ユリアンはベアテをもう一度だけ眺めて、それから立ち去ろうとした。

 

「……ユリアン」

 

「何でしょうか」

ユリアンは振り向いたが、レディ・Sは培養槽の方を向いたままだった。

 

「マルガレータやカーテローゼが最後までいてくれてよかったわね。それだけは他の歴史にはなかったことよ」

 

「本当に、彼女達には感謝するしかないですよ」

 

「本人達に言ってやりなさいね。……最後なんだから」

 

「ええ、そのつもりです。あと、レディ・S」

 

「何?」

 

「ありがとうございます。あなたもいてくれてよかった。みんないなくなってしまったのに」

ヤンもトリューニヒトも。

 

「私はベアテがここにいるから居続けているだけよ」

 

「それでもありがとうございます」

 

「そういう優しい言葉は二人のために取っておきなさい。私なんかじゃなくて」

その表情はユリアンからは見えなかった。

 

 

 

通路を歩いていると、ユリアンの耳に透き通るような歌声が聴こえてきた。

 

いとしい者よ、あなたは私を愛するか

ええ、私は愛します

生命の終わりまで

冬の女王が鈴を鳴らすと

樹も草も枯れはてて

太陽さえも眠りに落ちた

 

カーテローゼだった。

悲しいことがあると、彼女が一人その歌を歌うことをユリアンは知っていた。

 

「ユリアン」

カーテローゼはユリアンに気づき、バツが悪くなったのか歌をやめてしまった。

 

「カリン……」

 

「どうしたの?戦闘準備で忙しいんでしょう?……その様子だとベアテに会って来た帰りというところね」

 

「そうだよ」

ユリアンはカーテローゼには敵わないと思った。この二十万年ずっと思っていた。

 

「元気出しなさいよ。誰もあなたが沈んでいるところなんて見たくないんだから」

 

「カリン、ここまで付いてきてくれてありがとう」

 

カーテローゼは急に口に出された感謝に、少し驚いた様子を見せたが、すぐに不満げな表情に変わった。

「何よ、これが最後みたいに。私は諦めていないからね」

 

本来自分が言わなければならないことを言われてしまったとユリアンは思った。

カーテローゼはユリアンの心にいつも刺激を与えてくれた。そのことをユリアンはずっと感謝していた。

だから彼女に少しでも安心してもらいたくて、笑顔でユリアンは言った。

「そうだね。僕も諦めていないよ。だから見ていて」

 

カーテローゼは顔を背けた。それが照れ隠しだとユリアンがわかるようになって長い時間が経っていた。

「言われなくても、ずっと見ているわ。ずっとね」

 

 

 

当日となった。

 

ユリアンとマルガレータ、そのアンドロイドの一体は共に〈月〉の司令室に並び立っていた。全体の指揮を執るために。

 

後ろにはカーテローゼとマシュンゴが控えていた。

 

言葉はなかった。

既に前日に語り尽くしたし、言葉に出さなくともお互いの考えはわかっていた。二十万年とはそれだけの歳月だった。

 

そのうち、マルガレータが一言呟いた。

「来たな」

 

ユリアンも返した。

「来たね」

 

上帝と人類の最後の戦いが始まった。



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93話 永遠の夜のなかで その16 冬の女王は鈴を鳴らす

 

 

破局の前後を問わず、人類の戦闘は亜光速の領域において頻繁に行われてきた。

破局以後の戦闘が以前と異なるのは、相対論的効果を三大技術によって軽減されることなく受ける点である。

光速に近い速度で移動する物体の時間は極度に引き延ばされ、相対的に遅くなる。

その影響は人類であれ、計算機であれ、上帝であれ同じだった。

その状況ではリアルタイムの判断というものは意味をなさなくなる。敵が自らより遅い速度域にある場合は特に。

結果、亜光速戦闘は事前にプログラムされた攻撃・防御・機動・回避アルゴリズムに基づいて主に行われることになる。

 

そこに人類の狙い目があった。

ほぼ光速で四方から迫る上帝に対して、〈月〉を意図的に減速させ、各方面の上帝との遭遇までに時間差をつけて対処を容易にするとともに、主観時間においても上帝に対して優位に立った。

 

〈月〉から見れば、より光速に近い上帝の機体の経過時間は非常にゆっくりしたものとなった。

その状態で、銀河保安機構軍は〈月〉周囲に配置した小型ブラックホールに対して降着円盤を構築し、宇宙ジェットを上帝の軍勢の予測位置に向けて放出した。かつてのヴェガ星域における会戦で神聖銀河帝国が用いたのと同じものである。

また、互いに周囲を回る一組の小型ブラックホールを射出した。ブラックホールは上帝の軍勢の只中で衝突し、膨大な重力波を放出した。

いずれの攻撃も上帝に見せるのは今回が初めてのことであり、上帝に回避の術はなかった。

この二つの攻撃によって広範囲にわたって多数の機体が破壊されたが、上帝の軍勢はなおも膨大だった。

推定破壊機体数一億。これは今回〈月〉に対して上帝が投入した戦力の0.01%程度だった。

 

引き続き攻撃が行われ、多数の戦力が破壊されたが、上帝は戦術を変えなかった。数に任せて接近を図るのみである。

 

ユリアンは歯噛みする思いだった。

ここまでのキルレシオは人類側の圧倒的優勢だった。

にも関わらず上帝が戦術を変えないのは、そうせずとも勝てるからである。これまでと同様に。

大した敵と思われていない。そしてそれは事実である。そのことにユリアンは今更ながら怒りと悔しさを覚えた。

一方で多少気にかかることもあった。上帝がこの〈月〉の破壊にかけるエネルギーは、回収できるエネルギーと比較してあまりにも割りに合わない。

それゆえにユリアンは上帝が〈月〉を見逃す可能性があるのではないかと考えていた。

しかし、上帝の判断は異なり、人類にとっての最終決戦を迎えることになってしまった。

上帝が気にかける何かが人類にあるのか?それとも費用対効果など考えていないだけなのか?

 

頭に浮かんだ疑問も目の前の情勢を前に消え去ることになった。

 

上帝の軍勢が、ブラックホール攻撃をすり抜け、遂に〈月〉に近づいてきたのである。

〈月〉の硬X線レーザー砲が作動し、艦隊も迎撃に入った。

 

〈蛇〉が敵を観測し、その情報を超光速の精神波通信で銀河保安機構艦隊に伝える。艦隊はその情報をもとに敵の未来位置に向けて砲撃を実施する。

 

上帝に対する通信速度の優位を活かした迎撃方法である。二十万年前に確立されたこの戦法はいまだに上帝に対して有効であり、同時に無意味だった。

 

次第に取りこぼしが発生するようになった。取りこぼした敵は、背面に回り込み、艦隊の戦力を削り始めた。

 

保安機構側も対応は行なったが、それは正面の敵に割ける戦力が減少することを同時に意味した。

 

人類側は小型ブラックホールを盾にして抵抗を続けたが、戦力は次第に減少し、指揮官たるアンドロイド達も次々に斃れていった。

 

戦闘は20日間続き、艦隊戦力は二万隻にまで減少した。

 

上帝の機体は〈月〉にまで取り付くようになっていた。

今はまだ水際での排除に成功していたが、誰の目にも限界が来ていることは明らかだった。

 

〈月〉の司令室でユリアンはマルガレータと顔を見合わせていた。

艦隊指揮に当たっていた最後のマルガレータ・アンドロイドが消滅した連絡が入ったところだった。

二人は互いの瞳に絶望の影を見た。

 

「勝手に絶望しないでよ」

二人は同時に振り向いた。

 

そこにはカーテローゼが不機嫌そうな顔で突っ立っていた。

「みんなあなた達が諦めないからこそ、ここにいるのよ。マシュンゴ少佐だって、私だって。絶望する暇があったら早く指示の一つでも出しなさいよ」

 

カーテローゼの言葉に気を奮い立たせ、二人は状況を改善すべく各艦隊司令官と連絡を取り始めた。

 

ライアル・アッシュビーのアンドロイド体も残り一体となっていた。

彼は艦隊の指揮を継続しつつも、目の前の状況に何か決断をしかねているようだった。

 

同じくアンドロイド体となっていたフレデリカは、変わらずライアルの副官を務めていた。彼女はライアルの様子を見かねて声をかけた。

「あなた、試してみたいことがあるのではなくて?」

 

「ある。あるが……その場しのぎに過ぎないだろうな」

 

「やってみて。私の知っているライアル・アッシュビーはいつも行動の男だったわ」

 

「……確かに。英雄はどんな状況でも期待には応えないとな」

 

ライアルは意を決して、ユリアンと連絡を取った。

「戦力を俺に預けてくれ。アッシュビー・スパークを仕掛ける。それで少なくとも一息はつけるはずだ」

 

アッシュビー幻の超必勝戦術の名をユリアンは久々に聞いた。

「きまれば数万倍の敵をも打ち破れるというあのアッシュビー・スパークですか!?上帝との戦いでも有効だったんですね!」

 

ライアルは話が膨らんでいることに戸惑いながらも表面上は不敵に笑った。

「勿論。三大技術が使えない程度で無効になるようなら超必勝戦術とは呼べないからな」

 

「それならお願いします」

 

「頼まれた。任せろ」

 

お互いにわかっていた。アッシュビー・スパークが成功するにしろ、失敗するにしろ、これが最後の通信となるだろうということを。

 

ライアルは、残された二万隻の戦力を自由に使える状態となった。

 

彼は戦闘を継続させながら二万隻のうち一万隻を紡錘状に再編し、その時を待った。それはさながら引き絞られる弓矢のようだった。

 

残る一万隻が敵を支えきれなくなった瞬間、ライアルは命じた。

「今こそ披露しよう。これがアッシュビー超必勝戦術、アッシュビー・スパークだ!!!」

 

その瞬間、何かがずれるような感覚が人々を襲った。それとともに上帝軍の動きが乱れた。慣性によりその場に止まることはなかったが、〈月〉の周囲に展開していた上帝の機体群は行動を停止していた。

 

 

 

フレデリカが震える声で呟いた。

「すごい……これがアッシュビー・スパーク……まるで魔術を見ているようだわ」

 

妻から賛嘆の眼差しで見つめられたライアルの目は泳いでいた。

「いや、その、まだ何もやっていないんだが……」

 

 

その時、ユリアンやアッシュビー達に向けて通信が入った。

 

 

通信に出た彼らがスクリーンに見たのは、多くの人に安心感を与える笑顔だった。

 

「やあ、諸君。ご無沙汰だったね。私だ。ヨブ・トリューニヒトだよ」

 

 

ユリアンの後ろでカーテローゼが呟いた。

「鳥たちが帰ってきたのね」

 

この瞬間、ユリアンは自らが賭けに勝ったことを知った。



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94話 永遠の夜のなかで その17 春の魔術

 

 

スクリーンでは、トリューニヒトが優しげな笑顔を振りまいていた。

「こちら深宇宙探査艦イストリア3764932号、帰還した。ユリアン、元気そうで何よりだ。お互い何をもって元気とするかわからない身の上だが」

 

背後に隠れていたヤンが、トリューニヒトを押しのけるように前に出て来た。

「ユリアン、人類を守ってくれてありがとう。この辺りの上帝は無力化された。時間はかかったけど我々は相転移の手段の入手に成功したんだ」

 

 

それはユリアンの頭に浮かんだ疑問から始まった。

 

上帝が宇宙の法則を変えることができるなら、人類にもそれができるのではないか?

 

ヤンはその疑問からさらに一つの疑念を生じさせた。

 

歴史に造詣の深いヤンは知っていた。

ワープ航法、重力制御、慣性制御の三大技術は、人類の歴史に不自然なまでにいきなり登場した。

それまでの科学の主流はそれらの技術的可能性を支持していなかった。それが急に可能となったのだ。まるで宇宙の法則が切り換わったかのように。

 

何者かが何らかの目的で宇宙の法則を変えてしまったのではないか?

それがヤンの疑念だった。

 

ユリアン達は、破局前に地球アーカイブから過去の歴史資料を掘り起こしたが、その目的は末期戦研究だけではなかった。

宇宙の法則を切り替える、つまり相転移がそれが行われた痕跡やその方法の記録がないか、探ろうとしたのだ。

人類がその方法を手に入れれば現行宇宙の中では機能できないという弱点を持つ上帝に対して、決定的な武器となるからである。

それは最早科学の領分ではなく、魔術とでも言うべきものを探る試みだった。

 

各種科学技術論文の動向から、西暦1982年にその転換が一度起きたことが推測された。

それからはその周辺の情報を探る試みが行われた。変わり果てた地球にも調査チームが派遣された。

 

その結果、一冊の本の存在が浮かび上がった。

「聖蛇霊への連祷の書」

それがその書籍の名前だった。

そこには裏面世界と呼ばれるものと現実世界を混じり合わせ、世界を法則から新しく作り直す方法が書かれていることがわかった。

しかしながらその本は失われていた。手に入ったのは実行したと思われる者のごく僅かなメモのみだった。

 

 

相転移の術は存在していたとしても永久に失われたかに見えた。

そもそも、「聖蛇霊への連祷の書」自体が妄想の産物という可能性の方が高かった。

 

皆途方に暮れた。

あるいは、レディ・Sが巨大電子頭脳の呪縛を逃れることができれば、精神旅行によってその術をいつかは見いだすことができるのかもしれない。しかしそれはこの歴史を諦めるということでもあった。

 

マルガレータがそのタイミングで提案した。

人類の領域にないのであれば、外部にそれを求めるべきではないか、と。

 

銀河系のどこかにその知識があるかもしれない。あるいはさらなる深宇宙に。

 

上帝対策チーム、そして銀河首脳は、最終的に通常の対策と並行して、その可能性に賭けてみることにした。

 

深宇宙探査艦イストリアが建造された。

これは旗艦級戦艦ほどの大きさの、ワープ航法/光速航行両用艦ではあったが、一つ特殊な機能を持っていた。

自己複製機能である。

 

深宇宙探査は予期できない危険を伴い、長距離、長期間になればなるほど帰還率はゼロに近づく。

しかし、搭乗員ごと自己複製できる艦であれば、増殖したいずれかの艦が目的を達成し、帰還できればよいことになる。

 

搭乗員も複製可能な存在である、アンドロイドとなった。

 

既にアンドロイドとなっていたトリューニヒトが立候補した。レディ・Sもその複製体が同行することになった。

トリューニヒトはヤンに同行を求めた。危険を伴う深宇宙探査には自らの交渉力とともに、ヤンの知略が必要だとトリューニヒトは考えていた。

 

トリューニヒトと同行すること自体を嫌がったヤンであったが、人類、そして、テオやユリアンやマルガレータのことを考え、最終的には承諾することになった。

妻であるローザもそれを認めた。

ヤンは死んで、アンドロイドとなった。

 

その他、数十名のアンドロイド将兵と通信役の〈蛇〉がイストリアには乗り込んだ。

 

イストリアは自己複製を繰り返しつつ旅を続けた。

〈鳥〉の領域に入り、さらに遠方へと探査の領域を広げた。

様々な知的種族と出会い、時に争いになり、破壊された艦も出た。

銀河の1/4ほどをいずれかの艦が回った頃に破局が訪れた。

ワープ航法は使用不能となったが、イストリアは旅を続けた。

旅の情報は〈蛇〉の通信ネットワークによって全ての艦で共有された。

その中で探査艦イストリアの複製艦10563号が、旅の途中で〈竜〉と通称されていた宇宙生物と遭遇した。

彼らは破局によって超常の力の殆どを失い、人類と同じく上帝の脅威に晒されていた。

彼らは人類ともかつて関わりがある存在であり、「聖蛇霊への連祷の書」についても僅かながら知識を持っていた。また、西暦1982年に限らず相転移は何度か起きていると考えられることもわかった。

これによって相転移の術の存在の信憑性が高まることになった。

10563号もやがて上帝に捕捉され破壊されたが、その知識は別の艦に共有された。

 

上帝によってイストリア各号は破壊され続け、複製速度は破壊される速度に追いつかなくなった。艦がまばらになるにつれ、〈蛇〉の通信ネットワークも機能不全に陥った。

 

人類領域で上帝と戦うユリアン達銀河保安機構とイストリアの連絡も途絶えた。

 

銀河保安機構は戦い続け、その間にイストリアは探査を続けた。銀河を離れ、その先へと。

 

長い時が流れた。

 

ついに、銀河系の伴銀河の一つでユリアン達はそれを見つけた。

 

その場所も上帝の脅威に晒されていたが、細々と生き残っていた複数の種族が持っていた知識を結びつけることで、ついに相転移の「魔術」の復元に成功したのである。

 

 

相転移は万能ではなく、効果範囲も広がる速度も制限されていた。

しかし、物理法則の変更によって上帝の活動は停止した。

 

イストリア3764932号は相転移の広がる速度の制限を受けながらも、ワープ航法を用いて銀河系に帰還し、人類の運命が決まる戦いになんとか間に合ったのだった。

 

報告を受けたレディ・Sの心には様々な感情が渦巻いたが、言葉にしたのは一言だけだった。

「アーレ、あなたの言った通りになったわね」

 

長かった夜は今明けようとしていた。

 

 



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95話 永遠の夜のなかで その18 時の娘と混沌の息子

 

 

 

 

相転移の「魔術」により、上帝が活動できない領域が復活し、拡大を続けた。

同時に三大技術も復活した。

タイムワープも可能となったが、残念ながら破局の期間を飛び越えることはできなかった。

 

〈月〉の五千万人は生き延び、人類の歴史は未来に繋がった。

 

信仰者達はそれぞれの信じる者に感謝を捧げ、そうでない者も生きていることに喜びを見出した。

変わらないと思っていた物が変わり得ることを人々は思い出した。

 

探査艦イストリアは引き続き銀河を上帝から解放すべく相転移の「魔術」をもって活動を続けていく。

〈月〉の銀河保安機構は、レイ達と協力しながら変わり果てた銀河の中で人類の復興を進めていくことになった。

 

しかし、一方で。

 

 

「本当に行くのかい」

 

「ええ。私はお父さん、お母さんの望みを叶えたい。それに、自分自身のためにも」

 

ユリアンの会話の相手は生身の脳を機械の体に移植し、サイボーグとなったユリアンの娘、ベアテだった。

ベアテは、精神旅行で過去に跳ぼうとしていた。

 

「僕の望みには君の幸せも入っているんだよ」

娘がレディ・Sの一部となることをユリアンは望んでいるわけではなかった。

 

「私自身はここに残るのよ。私の分身がレディ・Sの人格の一部となるだけよ」

 

相転移の「魔術」と同時に入手した時間知識によれば、歴史改変が行われても元の歴史は一度発生すれば分岐として残っていくということである。

例外は、アッシュビーが生存した歴史のように、その歴史の存在自体が何らかの理由で不安定である場合だけであった。

 

ベアテは上帝に死滅させられた人類四百億人の生存のために、そして自分自身の運命を変えるために精神旅行を行うのだった。

 

「今までとは違うわ。私は希望を持って過去に跳ぶのよ」

 

化学的記憶移植処置が行われ、レディ・Sの人格と記憶がベアテに移植された。

今までと異なり跳躍先には一定の指向性を持たせることができた。

 

「若い頃のお父さんに会ってくるわ」

ベアテは笑顔で過去に跳んだ。

 

 

宇宙暦805年

 

ヤンやユリアン達によって行われたレディ・S、トリューニヒトへの事情聴取に時は遡る。

 

「滅びる運命だとしても、最期の時まで諦めたりはしません」

ユリアンの宣言の直後、レディ・Sは頭をかき回されるような感覚に襲われた。それは何度も経験した感覚であり、ある意味では初めての感覚でもあった。

 

「レディ?」

レディ・Sの様子の変化に最初に気づいたのは、トリューニヒトだった。

 

レディ・Sは理解した。

「大丈夫よ。この時点に辿り着いたのね」

 

「辿り着く?」

レディ・Sは声の先に怪訝な顔をしたユリアンを見つけた。ユリアンからすれば話を途中で遮られた形である。

二十万年後と変わらぬその顔に、かつてベアテであった彼女は愛おしさを覚えた。とはいえ、今の彼女はレディ・Sだった。それでよかった。

レディ・Sとなった彼女だからこそ、ユリアンとマルガレータにしてやれることがあった。

 

「おめでとう。ユリアン・フォン・ミンツ。あなたの決意と苦闘は実を結んだわ。二十万年先の未来から上帝に対する武器を持ってきたわ」

 

人類、そしてユリアンは、運命から解放された。

 

 

 

 

…………

 

 

〈蛇〉は、人類との共闘を通じて新たな世界の存在を知った。

「魔術」の源泉にして、過去とも言えず未来とも言えない世界〈裏面世界〉。

その領域に入ることで〈蛇〉は、より高次の存在になれるという期待を抱いた。

 

それによって、〈蛇〉は時すら自由に操り、新たな世界すら創造できるようになるだろう。

 

手にするであろう力は圧倒的なものだったが、それを旧敵たる人類に対して行使する気にはならなかった。

 

余計な手出しをして同じ力に気づいている人類からしっぺ返しを喰らう危険を冒す必要はなかったし、共闘を続けた二十万年の間に、種族としての人類への復讐の念は薄れていた。何よりユリアンをはじめとした多数の人類と混交したことで、〈蛇〉は以前とは大きく異なる存在に変貌していた。

 

あるいは、裏面世界に入り込んだ〈蛇〉に、いずれかの歴史で人類の側から接触してくることがあるのかもしれないが、それはその時に考えればよいことだった。

 

かつてユリアンであった存在は、既に〈蛇〉の全体精神の中に溶け込んでしまっていた。人類だった時の記憶もいまだに存在し、それが全体精神の表層に浮かび上がることもあったが、それに縛られることはなかった。人類の生存を喜ぶ気持ちは、あったにしても僅かなものだった。

 

〈蛇〉は新たな可能性への歓喜に打ち震えながら、裏面世界へと飛び込んでいった。

 

〈蛇〉と、かつてユリアンだった存在は、新たな運命に取り込まれた。



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96話 永遠の夜のなかで その19 世界を見守る者

 

 

人類は運命から解放された。

ユリアン達からすれば、絶望的な存在に立ち向かおうとしていたタイミングであり、肩透かしもいいところであったが、当然ながら喜ぶべきことではあった。

 

レディ・Sを通じてもたらされた知識は上帝に対する決定的な武器であるとともに、人類にとっての厄災でもあった。

 

法則レベルでの宇宙改変など、使い方を誤ればそれこそ人類が滅びかねなかった。

管理方法が定まるまでは、その知識はレディ・Sの電子頭脳の中のみに留められた。

また、この術を用いて上帝に具体的にどのように対処していくかについても要検討事項となった。

 

銀河各国及び新銀河連邦の首脳部は、このことに頭を悩ますようになった。

 

新銀河連邦の新体制は、以前の歴史と変わらなかった。

 

2代目主席にはルパート・ケッセルリンクが就くことになり、ヤンは本人の希望に関わらず保安機構の長官職に留任となった。

ユリアンは地球財団の総書記代理に降格となった。

 

ひとまず表向きのところは、〈蛇〉と地球統一政府のもたらした被害からの復旧に力が注がれることになった。

 

 

月のとある空間に、トリューニヒトとレディ・Sは潜伏していた。彼らは死んだことになっており、公には姿を現せなかった。いずれは外見を変えて外に出ることになるだろうが、今はその用意もできていなかった。

トリューニヒトはレディ・Sに声をかけた。顔に浮かない表情を浮かべていたのが気になったのである。

 

「レディ、まだ何か心配事があるのかい?」

 

レディ・Sは少し迷った後に応えた。

「世界改変の術式。その知識を得た後だと、これまで抱いていたいくつかの疑念がより深まってしまったのよ」

 

「ほぅ?」

トリューニヒトの表情は興味深げというよりは何かを警戒しているようだった。

 

「あれは本来、世界を創り出す術式と対になるものよ。……わかる?我々がいるこの世界自体が造られたものである可能性があるのよ」

 

「我々の生きる宇宙に造物主がいたという話か?一部の宗教家の意見が正しかったというだけだろう?別に構わないじゃないか」

 

「上帝の生きる世界の方が真の世界、我々の世界の方が新たに現れた紛い物の世界だとしたら?そして、今はその二つの世界が混ざり合った状態で……」

 

「証拠は?」

 

「とある歴史で、上帝の領域に我々が送り込んだ探査機が妙な信号を検出したわ」

 

「……どのような?」

 

「西暦時代の地球におけるとある独裁者の演説。その歴史においては記録として失われていたはずのものよ。そんなものが、地球から遠く離れた地で検出された理由は、今の私には一つしか思いつかない」

 

「話してみてくれ」

 

「上帝の世界にも地球、太陽系が存在した。私達の世界はその複製物に過ぎない。あるいは、上帝こそが地球人類の正統な」

 

トリューニヒトは彼女の言葉を遮った。

「レディ。上帝は人類とは全く別物の存在だ。それに、彼らの世界こそが複製物の可能性だってあるだろう?」

 

「だけど……」

 

トリューニヒトはかぶりを振った。

「レディ。君は守りたいものを守った。人類を守ったんだ。君はそれ以上を求めるつもりか?神にでもなるつもりか?」

トリューニヒトの声には懇願めいたものが存在した。レディが再び時空を超えた旅に出てしまうことを恐れていた。

 

レディ・Sにとっての分岐点がここに存在した。長い長い沈黙の後、彼女はようやく返事をした。

「そうね。私が守りたかったものはここにある。私にはそれで十分過ぎるほどね。これからは人類の行く末を見守っていくわ。あなたと共に」

 

トリューニヒトはほっと息を吐き、顔に笑顔を浮かべた。

「そうしよう。君の気が済むまで付き合うよ」

それがトリューニヒトの望みでもあった。

 

レディ・Sも、人造の女神となる運命からようやく解放されることになりそうだった。

……仮に世界の謎を解明する必要が出てきたとしてもその役割を果たすのは別の者になるだろう。

 

ヤン、ライアル、フレデリカ、マルガレータ……皆、過酷な運命から解き放たれた。

ユリアンもその一人のはずだった。

 

ユリアンは降格となったことで、少なくとも以前よりは時間の余裕のある立場となった。

しかしそれは、疎かにしていたことに向き合う必要が生じたということでもあった。

 

平穏を取り戻したかに見える銀河にあって、ユリアンには、いまだかつて経験したことのない試練が待ち構えていた。

 

 

 

……結婚式である。






最終章、これで完結です。
ちょっと長めのエピローグが続きます。
すべてが解決したというわけではなく……


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97話 果てしなき流れの果へ その1 式典への招待

 

 

 

元々6月に予定されていたユリアン達の結婚式であるが、相次いだ混乱と、花嫁達の負傷により、9月に延期されていた。

 

それでも時間がないことに変わりはなかった。

 

準備の打ち合わせの最中、ユリアンは思わず大きな声をあげた。

「結婚式に同年代の友達を呼ぶ、だって?」

結婚式にエリザベートとサビーネが同年代の友人を呼びたいと言い出したのである。

 

それ自体はわがままでも何でもない普通の要求だった。しかし、ユリアンには同年代の友達などいなかった。正確には一時期はいなかったわけではないが、正体を隠した状態での付き合いでしかなかった。

ヤンやポプラン、マシュンゴなど、友達と言えなくもない人々はいたが、友人席に座ってもらうべき立場かと言えば違ったし、年も離れていた。

つまり、結婚式でごく当たり前の友人として席に座ってもらえる人にユリアンは心当たりがなかったのである。

 

それでも今のユリアンには心強い同志がいた。

「マルガレータ、どうしよう?」

 

マルガレータはギョッとして問い返した。

「どうして私に訊くんだ?」

 

ユリアンは、何を言っているのかと言いたげだった。

「え?だって僕達には友達がいないじゃないか?」

 

「……」

マルガレータは思い出した。ユリアンを傷つけたくなくて、その思い込みを訂正できていなかったことを。そのツケが今になって回ってきた形である。

 

マルガレータの様子に、ユリアンも察せざるを得なかった。

「メグ、まさか、友達、いたの?」

 

「……すまない」

 

ユリアンは信じていた婚約者の裏切りに絶望に満ちた表情になった。この世のすべてが信じられなくなりそうだった。

「マルガレータ、今まで僕を騙していたんだね」

 

慌ててサビーネやエリザベートが仲裁に入ろうとした。

「そりゃあ普通友達ぐらいいるわよ。あ……」

 

ユリアンはその場に崩れ落ちた。

「そうだよね、普通いるよね。僕がおかしいだけで……」

 

花嫁達がユリアンを落ち着かせるのに二時間以上の時が必要だった。

 

エリザベートが項垂れるユリアンにおそるおそる尋ねた。

「ええと、ユリアン。誰かいないの?同年代の友人」

 

ユリアンは四人の顔を見た。

 

「ええと、私達以外で、ね」

 

指導者として皆を導いて来たユリアンが、この時には幼い少年に戻ってしまったかのようだった。

 

ユリアンは絞り出すように答えた。

「エルウィン」

 

「収容所から出て来られないじゃない……。それに、同年代でもなムグ」

サビーネの口はカーテローゼの手で塞がれた。

 

「他には?」

 

「シンプソンさん」

 

彼女達にとっては避けたい名前だった。

「他には?」

 

「……クリストフ・ディッケル」

 

「ユリアンの友人というよりは、メグの友人じゃ、ムグ」

サビーネの口は再度塞がれた。

 

マルガレータが尋ねた。

「頼んだら来てくれそうか?」

 

「う……」

 

口ごもるユリアンにマルガレータは助け舟を出した。

「私が頼もうか?ユリアンの友人として来てくれるように」

 

ユリアンは口の開け閉めを繰り返した後にようやく応えた。

「お願いします」

 

 

 

マルガレータから連絡を受けたクリストフは仏頂面をしていた。

「君の頼みなら聞いてやりたいけど、あいつの友人としてだって?そこまで友人がいなかったのか」

 

「お願いだ」

 

「……一つ質問に答えてくれるか?」

 

「何だ?」

 

クリストフはスクリーン越しにマルガレータの瞳を見つめた。

「僕は君のことが好きなんだ。知ってた?」

 

少しの間が空いてマルガレータの口から回答が零れた。

「知らなかった」

 

「僕が告白していたら何か変わっていたかな?」

 

ほんの少しだけ躊躇った後にマルガレータは返した。

「いや、変わらなかっただろうな。お前は友達だ。でも、私は出会った時からユリアンが好きだったんだ」

 

「そうか。ならしょうがない。ユリアンの友人ととして結婚式に出るよ」

 

「ありがとう。お前はいいやつだ」

 

ディッケルは一瞬複雑な表情を見せた。

「マルガレータ、帝国に行っても元気でいろよ。……友達でいてくれるか?」

 

「当たり前だ。だけど、私は少なくともあと数年は銀河保安機構に所属し続けるぞ」

 

「え?」

 

「ベアテ……娘をユリアンと引き離すなんてそんなことできないだろう?ちょうど月支部に欠員が出るらしいから……」

 

クリストフは急に情けない顔になった。

「ちょっと待って。最後だと思ったから恥を忍んで告白したのに。今度からどんな顔して君に会えばいいんだよ?」

 

「友達だろう?友達って顔をしてくれればいいじゃないか」

マルガレータはそう言って堪えきれずに笑い出した。

 

その様子に、これは完全に脈はなかったんだな、あとに引かなくて済みそうだとクリストフは思った。

 

 

 

リリイ・シンプソンにはユリアン自身が連絡を取った。彼女はルパート・ケッセルリンクの秘書官となっていた。

「僕の友人として結婚式に出てもらえませんか?」

 

リリイは目を瞠った。

「……いいんですか?」

 

「駄目な理由なんてありましたか?」

 

「……いいえ。しかしあなたの友人としてとは……」

 

ユリアンは情けない顔になった。

「皆、同世代の友人をたくさん呼ぶらしいんです。でも僕は友人がいな……少ないので」

 

「わかります。私も友人がいな……少ないので」

 

「リリイさん……」

ユリアンは真の同志を見つけた思いだった。

 

リリイは笑顔で大きく頷いた。

「わかりました。そういう理由なら私も手を貸しましょう。あなたには借りがあったことですし」

 

リリイが快諾してくれたことにユリアンは安堵した。

 

リリイとクリストフでようやく二人。それでも少ないが、いないよりは断然よかった。

 

ユリアンと四人の花嫁の結婚式は、月で行われるものとしては史上最大級のものとなった。

花嫁の数からして通常の4倍だったし、結婚する者があのユリアンとなれば当然でもあった。

 

結婚式、披露宴の参加者も非常に大人数となった。

銀河首脳の出席は、新銀河連邦の新主席であるルパート・ケッセルリンクのみだったが、他の者も祝電を送ることになっていた。

結婚式の司会はネグロポンティ新総書記である。

 

宇宙暦805年9月吉日、若干の不安要素を抱えながらもユリアンとその花嫁達は結婚式に臨むことになった。



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98話 果てしなき流れの果へ その2 式典の前

4/17 加筆しました(後半にエピソード追加)


数日前から、ユリアン達の結婚式のために参列者が月に集まって来ていた。

 

ヤンの妻にして独立諸侯連合における要人の一人であるローザ・フォン・ラウエは、従者一人を伴って、ユリアン・フォン・ミンツとの面会に臨んでいた。

「ご足労頂きありがとうございます」

 

「軍人としてでも、メグの友人としてでもなく、ラウエ家当主としての私に用とは何かしらね。しかも、夫には内密だなんて」

表情はにこやかだったがローザが多少の警戒をもって場に臨んでいることは護衛役の従者を連れていることからも明らかだった。

 

対するユリアンは一人である。

「まずは冷める前に紅茶を飲んで頂いてからということで」

 

ローザとユリアンの前には、ユリアンが自ら淹れた紅茶が置かれていた。

 

ユリアンの目は何かを期待しているようだった。

 

毒味に動きかけた従者を目で制して、ローザはティーカップに手を伸ばした。それはシロン茶に思えた。

口に近づけると果実のような香りが鼻腔を刺激した。香りに覚えた違和感は僅かなものだったが、口にした途端に、ローザは眉を顰めた。

 

従者が慌てて叫んだ。

「ローザ様!」

 

「いえ、大丈夫よ」

不味いわけではなかった。むしろ……

 

「お口に合いませんでしたか」

ユリアンは薄い笑みを顔に浮かべていた。

 

「いいえ。結構なお点前で。でも、これは何処の紅茶?飲んだことがないわ」

紅茶のことでユリアンに後れをとることはローザにとって屈辱的なことだった。

 

 

「ご存知なくて当然です。これは地球産です」

 

「地球産?あなた、まさかこれは!」

 

「ご推察の通り。これはダージリンです。ダージリンの茶葉を、再生した地球の環境で復活させたものです」

それはシリウス戦役により失われた地球三大紅茶の一つだった。

ユリアンは月のアーカイブからダージリンに関する情報と種子を回収し、再生事業によって再生の進んだ地球の上で、その製法も含めて復活させたのだった。

 

「ダージリン……」

 

「正直なことを言うと、本当に再現できているのかまだ不安なところもあったのですけど、でも」

 

「いいえ、よく再現できていますわ」

 

「え?」

 

「何か?」

ローザは不思議そうな顔をしていた。

 

「いえ……でもその通りです。レディ・Sが別の歴史でダージリンの味を覚えていて、確認してくれたので」

 

「ダージリンが復活した……」

ローザはティーカップを手にしたまま考え込み始めた。

 

「ただの紅茶趣味人ならともかく、エルランゲン紅茶会社の出資者であるあなたなら当然懸念しますよね」

ラウエ家当主であるローザは、独立諸侯連合、同盟の紅茶取扱量のそれぞれ60%、5%を占める紅茶会社の筆頭株主だった。

ダージリンが出回れば、紅茶会社の経営に大きな打撃となる可能性があった。

 

「しかし、あなたはそれをわざわざ私に教えた」

ローザの眼差しは鋭く、普段の朗らかな様子は完全に影を潜めていた。

 

ユリアンの方は笑みを絶やしていなかった。

「ええ、そうですね。手を組めると思ったからです」

 

「我々地球財団は流通手段を持たない。そこがネックです。一方で、エルランゲン紅茶会社はそれを持っている。ダージリンを武器に、現在はシェアの低い同盟や帝国、フェザーンに対して販売量を増やしていくこともできるかもしれない」

 

「ダージリンを専売させてくれるということかしら」

そうであるなら、大きな利益のある話だった。

 

「少なくとも直近は、そう考えて頂いて構いません。生産量も少ないですから」

 

「面白い」

ローザはティーカップに再度口をつけ、答えた。

「私はただの株主だけど、紅茶会社に対してはよく言っておきますわ」

 

「ぜひ、お願いします」

ユリアンは手を差し出した。

 

「長い付き合いになりそうですわね」

ローザもその手を握り返した。

 

「ああ、そうそう。メグが私に相談してきましたわ」

ローザは笑顔を取り戻していた。

 

「え?」

 

「最近あなたがよそよそしい、と。メグが同年代の友達がいたことをあなたに言わなかったから?そんな理由で?」

 

ユリアンは動揺した。同時に最近の自分の行動を思い返すと心当たりもあった。

「えっ、いや、そんなことは……いえ、そうかもしれないですね。メグには謝っておきます」

 

「仲良くね」

 

「はい……」

 

 

 

式の前日には家族達の顔合わせが行われた。

事情を知る者からは多少の懸念を持たれていたヘルクスハイマー伯とクリスティーネ、サビーネの再会はごく平穏に済んだ。

妻の死がリッテンハイム大公によって引き起こされたものだとしても、ヘルクスハイマー伯は弁えていたし、クリスティーネとサビーネはそもそもそのような事情を知らなかった。

 

一方でひと騒動が持ち上がったのはワルター・フォン・シェーンコップとカーテローゼである。

カーテローゼはシェーンコップを無視し続けていた。

 

シェーンコップは目も合わせようとしない娘を放っておいて、ユリアンに言葉を向けた。

「坊や、跳ねっ返りだがまあ仲良くやってくれ」

「ええ、そうさせて頂きますよ。お父さん」

 

「お父さんじゃないでしょ」

 

その発言に場の空気が凍った。

シェーンコップも、顔に苦笑いを浮かべたまま何も言えなかった。

 

平然としていたのはカーテローゼとユリアンぐらいのものだった。

 

注目が集まる中、カーテローゼはおもむろに手を自らの腹部に持っていき、撫でるような仕草をした。

 

シェーンコップの顔に理解の色が広がっていった。

「おい、カリン、まさか……」

 

「あんたの孫よ、おじいちゃん」

 

カーテローゼはシェーンコップの表情を確認し、ついに堪え切れなくなって思い切り笑いだしたのだった。

 

 

 

ユリアンはトリューニヒト、レディ・Sにも会った。

彼らは公式には死んでいる存在のため式典には参加できない。それでも彼らは祝ってくれた。

 

「ユリアン、もう大丈夫だな」

トリューニヒトは本当に嬉しそうだった。

 

「突然の苦しみは、今も発生するの?」

レディ・Sの顔つきは心なし柔和になったようにユリアンには思えた。

彼女が尋ねたのは、未来における絶望的な戦いの記憶の残響がユリアンを襲う現象のことである。

 

「残っています。歴史が変わっても、並行世界における人類滅亡の未来はなかったことにはならないようですね」

 

「苦しい?」

 

ユリアンの反応は落ち着いたものだった。

「苦しくないわけではないですが、原因がわかっているのですから耐えられます」

まして人類が上帝に対する対抗手段を手に入れた今となっては絶望に押し潰されることはなかった。

 

ユリアンは逆に尋ねた。

「お二人はこれからどうされるのですか?」

 

トリューニヒトが答えた。

「姿を変えた上で、いずれここを去るよ」

 

「そうですか」

ユリアンにも想像できていたことだった。

 

「人類が存続していけるのか、ずっと見守っていくわ」

レディ・Sは自らの守ったものの行く末を見続けるつもりだった。

「私もそれに付き合うよ」

トリューニヒトも同調した。

 

「では、ぜひ見守り続けてください。僕達の未来を」

 

「勿論だとも」

 

「忘れないでください。トリューニヒトさん、あなたは僕にとって父に等しい人でした」

 

トリューニヒトは満面の笑顔になった。

「私にとっても君は息子だったよ」

 

ユリアンはレディ・Sにも話を向けた。

「あなたのことを何と考えべきか、今でもわからないのですが」

 

「でしょうね。無理しなくていいわよ」

いつも通りの口調のようでもあったが、ユリアンの目には少し寂しげに見えた。

 

「姉だと思ってもいいですか?」

 

「姉?」

レディ・Sの瞳が揺れた。

 

「身内じゃないとは思えなくて。でも適切な言葉が見つからなくて。それで、いてくれたらよかったと思っていたのが姉だったので」

 

「いいわよ。姉と思ってくれて」

レディ・Sを構成する人格の一部には、ユリアンのことを「お父さん」と呼びたい気持ちもあった。

とはいえ、人類を救う使命から解放された今、ユリアンが自分のことを身内だと考えてくれることがレディ・Sには何よりも嬉しかったのだった。

多数の人格の混成物と成り果てた存在であるレディ・Sは、トリューニヒトやユリアンとの関わりの中で、再び一人の人間と呼べる存在になり始めていた。

 

 

 

ユリアンはクリストフ・ディッケルと月地下都市の廊下で遭遇した。

クリストフはユリアンを見てバツの悪い顔になった。

「マルガレータに余計なことを言ってしまったが、まあ式にはお前の友人として出てやるんだから許してくれ」

 

ユリアンは訝しげに答えた。

「何のこと?」

 

「知らなかったのか。いや、聞いてなかったらいいんだ。まあ言うほどのことじゃないか……」

 

まるで逃げるように去って行ったディッケルに対して、ユリアンはしばしその場に立ち止まり、やがて元来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

そして、結婚式当日となった。



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99話 果てしなき流れの果に その3 式典 前編

遅くなり申し訳ありません。
また、前話に加筆(後半にエピソード付け足し)しました。


99話 果てしなき流れの果に その3 式典 前編

 

式典参加者は1200人規模となった。

 

花嫁が同時に四人というこの時代において異例の結婚式は、巨大なジオデシックドームの内部に建てられた再生ゴシック様式の建物で実施された。

 

花嫁は三者三様に美しかった。

メグは白、サビーネは赤、エリザベートは青、カーテローゼは紫のドレスを身に纏っていた。

 

この式典を自らの復権の場にしようと考えていたヘルクスハイマー伯も、娘の晴れ姿を前にして一人の父親に戻ってしまっていた。

「綺麗だよ。メグ。亡くなった母さんが見たらさぞ喜ぶだろうな」

「ありがとう。父上」

そう答えつつもマルガレータの心は別のところにあった。

ユリアンとの間に発生していた溝を解消できないまま結婚式に臨んでしまっていたのである。ユリアンに嘘をついていたと思われるのは本意ではなかったが、その辺りに関してきちんと話をする機会をつくることができていなかった。

 

 

新郎が新婦達と指輪の交換を行った。

帝国式をベースに、同盟、連合の要素を加えた人前式だった。

近年国際結婚が増えており、結婚式の姿もそれに応じて変化を生じつつあった。

 

証人役のネグロポンティ地球財団総書記が緊張で震えながらも祝辞を読み上げ、宣言を行なった。

「ここに宣言する。宇宙暦805年9月28日、ユリアン・フォン・ミンツ及エリザベート、サビーネ、マルガレータ、カーテローゼは夫婦となった」

 

歓声が巻き起こった。

 

 

結婚式の後は披露宴だった。

各テーブルをユリアンと花嫁のいずれかが回る機会があったが、それが問題だった。

 

ユリアンの友人席にいた面子は、

クリストフ・ディッケル、リリイ・シンプソン、エルウィン・ヨーゼフ・アッシュビー、ラスト・アッシュビー、アンドリュー・フォークだった。

 

エルウィン・ヨーゼフは対〈蛇〉、対地球統一政府戦への協力によって収容所を出ることを許された。本来は時間をかけてその判断が下されるはずだったが、リリー・シンプソンがユリアンのために働きかけた結果、結婚式前に

反対の声も根強かったが、エルウィン・ヨーゼフがライアル、フレデリカ夫妻の養子となりゴールデンバウムの名を捨てることが明らかになると、それも下火となった。

 

本人は「ゴールデンバウムの名を捨てる程度のことで、人類の繁栄に資することができるのなら、喜んで受け入れる」と平然としていた。

 

エルウィン・ヨーゼフ・アッシュビー。

後に遅れて来た英雄として語り継がれるようになる男がここに誕生した。

 

席にはもう一人、アッシュビーを名乗る者がいた。

面識のあったはずのユリアンは、その姿を見て固まった。事前に情報として知らされていなければ、余計なことを口走っていたかもしれなかった。

 

アッシュビー・クローン最後の一人、ラスト・アッシュビー。ラストは真紅のドレスを身に纏った可憐な少女の姿をしていた。レッドブラウンの髪と鋭い瞳がなければ、深窓の令嬢にさえ見えたかもしれない。

「僕に見惚れていると、後ろの花嫁達に怒られるよ」

 

「え、ああ、失礼」

振り返って見ると、サビーネが頬を見事に膨らませていた。

 

ラスト・アッシュビーは欠陥のあるクローン

として誕生した存在だった。本来あるべきY性染色体が欠失した結果、ブルース・アッシュビーの遺伝子を持ちつつ、男ではなく女として生まれた存在だった。

 

そのユニークさから、エンダー・スクールによる殺処分を免れた彼女は、レディ・Sと共に過去に戻った後、帝国領に潜伏した。

彼女は性別を偽って辺境諸侯の一人に取り入り、私領艦隊の影の指揮官となった。

 

そして、ブルース・アッシュビーによる帝国領大侵攻に合わせて、同盟軍に戦いを挑んだ。ライアル・アッシュビーと正面から戦い勝利するために。

小規模な戦闘で同盟軍に勝利し、フレデリック・ジャスパーすら撤退させた彼女だったが、やって来たライアル・アッシュビーには歯が立たず敗北して捕虜となり、その正体を知ったフレデリカ、ライアルと共に未来に戻ってくることになったのだった。

 

 

エルウィン・ヨーゼフとラストは義理の兄妹ということになるが、多くの者の予想とは異なりその仲は悪くないということだった。

 

ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムとブルース・アッシュビー。相容れぬ存在のクローンである二人が、食卓を囲んで笑い合うことのできる世界がここに出現していた。

 

 

そして、アンドリュー・フォーク。彼もリリイ・シンプソンの働きかけで療養施設から外出許可を得てユリアンの結婚式に臨んでいた。

 

「ありえない。こんな馬鹿なことが……何故真の救国の英雄の私がルドルフと席を共にしているのだ。しかもユリアン・ミンツの結婚式だと……」

しきりにブツブツ呟いているフォークにユリアンは笑顔で話しかけた。

「遠路はるばる来て頂きありがとうございます。お土産にチョコボンボンをたくさん用意したので持って帰ってくださいね」

 

「……キエエ」

フォークが白眼をむいて倒れたため、式が一時中断されることになってしまった。

 

ユリアンはフォークが病気をおして来てくれたことに感謝した。

 

 

ヤン、キャゼルヌ、ライアル・アッシュビー及びその家族の席ではひと騒動があった。

 

アレックス・キャゼルヌの妻オルタンスはユリアンにお礼を言った。

以前、娘のシャルロットを助けてもらったことに対してである。

そこまではよかったのだが、

シャルロットの発言が問題だった。

「ユリアンお兄様、そのうち私も家族に入れてください」

 

ユリアンは返事に窮した。

「いや、その、もう少し大きくなってから考えようか」

 

シャルロットは一瞬不満顔になった。

「もう16になったのですけど」

しかしすぐにポジティブに考えるようにしたようだった。

「でももう少しですね!」

 

「はは……」

ユリアンとしてはアレックス・キャゼルヌの引きつった顔が気になってしょうがなかった。

 

「随分と平然とされているのですね」

ヤンの妻であるローザは、状況を微笑ましそうに眺めているオルタンスに尋ねた。

 

オルタンスは表情を変えなかった。

「なるようにしかなりませんからね」

 

「……一体どうなると言うんですの?」

 

オルタンスは首を振った。

「知っていても、言わぬが花ということか世の中には色々とあるものですよ。あなたならおわかりになるでしょう?」

 

二人はしばし見つめあった。

やがてローザが視線を外し、笑顔で短く答えた。

「そうですわね」

 

「そうですよ」

 

二人はしばらく微笑み続けた。

 

ヤンは場の状況に困ったような顔で、ただ頭をかくだけだった。

ライアルとフレデリカは、ひとまず彼らを置いて、花嫁達にお祝いの言葉をかけることに専念した。

 

 

次に騒動が起きたのは旧ヤン艦隊の席でのことだった。

ハルトマン・ベルトラム少将が余計なことを言ったのである。

「ヘルクスハイマー大佐、失恋から立ち直ったようで何よりだな」

 

「おい!」アッテンボローが慌てて遮ろうとした。

 

「失恋?」

聞き返したのは本人であるマルガレータだった。

 

「ヤン提督が初恋の相手だったんじゃないのか?」

 

「え?」

マルガレータはここに至るまで自覚がなかった。改めて言われたことで、初めてそのことに気づき、顔を赤らめた。

 

しかし、タイミングが悪かった。

マルガレータの動揺する様子を、ユリアンは見ていた。

 

「この馬鹿。ちょっと来い!」

元上官のオルラウ中将が、ベルトラムを会場の外に連れ出した。

 

残されたアッテンボローは、場の空気をどうにかしようとした。

「この度はおめでとうございます。お二人の、いや、五人か、幸せそうな姿を見ると独身主義を返上したくなりますね」

 

ポプランがそれに応じた。

「独身主義を返上したからって、女性がわんさか寄ってくるわけじゃないんですよ」

 

「それがどうした。俺は一人で十分なんだよ」

 

「一人って誰かいましたっけ?」

 

二人の応酬で、妙な空気はなんとか消え去ったようだった。



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100話 果てしなき流れの果に その4 式典 後編

最終盤なのに間が空いてしまい申し訳ありません
あと数話で終了になりますので今しばらくお付き合い頂けると幸いです





 

 

時刻は夕方になった。

本日最後のイベントである舞踏会兼立食パーティが催された。

 

銀河各国の首脳は参加しなかったが、新銀河連邦主席ルパート・ケッセルリンクは出席していたし、各国からも政府関係者が出席していた。

オリオン連邦帝国からは宮内尚書であるベルンハイム男爵率いる一団が参加したがその中にはキュンメル男爵の名前があった。

ラインハルト帝崩御の際に恩赦を与えられた彼は、先天性疾患を復興したゲノム治療で治しており、以前とは大きく変わって活動的となっていた。領地は没収されたが、宮内省に官吏としての職を得ており、今回の同行を許された形である。

キュンメル男爵としては若き英雄であるユリアン・フォン・ミンツを始めとして、ライアル・アッシュビーやヤン・ウェンリーをその目で見ることができることを楽しみにしていた。

 

ヒルデガルド自身も新たに帰属したヘルクスハイマー伯との関係を考え、結婚式に参加することを検討していたが、帝国の内政と自身の結婚式の準備で忙しく参加できなかった。

結婚相手は退位したジークフリード・キルヒアイスである。アンネローゼと結婚したまま、ヒルデガルドと結婚したのである。

相応に話題とはなったが、ゴールデンバウム王朝の歴代皇帝の素行や直近のユリアン・フォン・ミンツの事例を考えれば、否定的な反応自体は少なかった。

ユリアン・フォン・ミンツの重婚に影響を受けたというのが大方の見方である。

 

パーティの場は自然と外交の場となった。

新銀河連邦体制は続くとしても、各国の利害関係は依然として単純ではなかった。

 

ガニメデにおける終戦会議を彷彿とさせる光景が現出した。

その中心はルパート・ケッセルリンクだった。各国も要人を派遣していたが、役者が違うと言えた。シルヴァーベルヒも次の主席を目指して各国の参加者と積極的に対話を行っていた。

 

方々で、各国の関係者が腹の探り合いめいた会話に熱を上げる中、中央では煌びやかな舞踏会が行われていた。

 

ヤンは妻の誘いを断りきれず、今回は舞踏会に参加して不味いダンスを披露する羽目になった。

 

ポプランは、ラスト・アッシュビーに声をかけ、物怖じすることなくダンスに興じていた。

 

クリストフ・ディッケルはサキ・イセカワの相手をさせられていた。

 

リリー・シンプソンは踊りの誘いにそつなく対応していた。

 

サビーネやエリザベートも久々の舞踏会を楽しんでいた。神聖銀河帝国が消滅して年月が経ち、彼女達は以前ほど警戒される存在ではなくなっていた。

カーテローゼは身重の体のため、舞踏会を欠席した。

 

そんな中、主役であるはずのユリアンは舞踏会の場からいつの間にか姿を消していた。

 

 

ユリアンは会場のバルコニーの一つで、一人地球を見上げていた。

思うところがあってのことである。

 

「ユリアン、なぜこんなところにいるんだ?探している人もいたぞ」

後ろからかけられたその声はマルガレータのものだった。

 

ユリアンは振り向かずに答えた。

「いたら駄目かな?少し休みたい気分になってね」

 

「……私のせいか?」

 

「まさか。でも、僕は君のことを何も知らなかったんだなと思ってね。ヤン長官とのことも……」

 

マルガレータの声が大きくなった。

「ヤン提督とは何もなかった!」

 

「そういうことも、何もかも、僕は何も知らなかったんだよ」

 

マルガレータにとって、恐れていた言葉だった。他の三人と比べて、ユリアンとマルガレータは共に過ごした時間があまりにも少なかった。

「私のことが嫌いになったのか?それならそうと言ってくれ。覚悟するから。ベアテだって一人で育てられるさ」

 

ユリアンは驚いて振り向いた。

マルガレータが目に涙を溜めていた。

 

ユリアンは慌てた。

「僕は君が好きだよ。嫌いにだなんて、ただ、ちょっと自信をなくしただけだよ。僕なんかが君と一緒にいていいのかなって」

 

マルガレータは涙を拭った。

「何を自信をなくすことがあるんだ?」

 

「ほら、僕、友達少ないし。人の心に疎くて君を怒らせることも多いし」

ユリアンは自分の人生における欠落を自覚していた。

 

「私はお前が友達の多い少ないで好きになったわけじゃないぞ」

 

「それならどうして僕なんかを好きになってくれたの?」

 

最初は危ういユリアンを放っておけなかったからだった。それなら成長したように見える今のユリアンは好きではない?……そんなことはなかった。

「どうしてだろうな。でも、好きだ」

 

ユリアンは苦笑した。

「わからないのか……」

 

「お前だって私のことをわかっていないんだろう?それでも好きなんだろう?」

 

「そうだよ。君が大好きだ」

ユリアンは微笑み、マルガレータを抱き寄せた。

「これからお互いのことをもっと知っていこう」

 

マルガレータもユリアンを抱きしめ返した。

 

二人はしばらく抱き合っていた。

 

 

どちらからともなく体を離した後、マルガレータは言った。

「なあ、ユリアン。ここは、ガニメデのあの場所に似ているな」

マルガレータはユリアンと初めて会った場所のことを思い出していた。

終戦会議後の舞踏会。場所は木星の見えるバルコニーだった。

 

ユリアンもよく覚えていた。そこに立っていた輝くような女性の姿を。

「そうだね。木星と地球の違いはあるけれど」

 

「あの時は殺すだの何だの言っていた二人が、今は。自分のことながら因果なものだな」

 

「お互いもっと素直なら、回り道せずに済んだのかもしれないね」

 

「お互いに人生の教訓だな」

先ほどまでの距離感は完全に消え去っていた。

二人は笑いあい、再び抱き合い、口づけを交わした。

 

マルガレータは不意に口ごもり、頰を赤くした。

「その、父上がな。やっぱり男児が欲しいと言っているんだ。私も、お前との子なら何人でも欲しいし、何というか……ユリアン?」

 

ユリアンは視線を別のところに向けていた。

 

その視線を辿ると……

 

少なからぬ人々が、ユリアンとマルガレータに注目していた。

シェーンコップが傍に女性を侍らせつつ、ニヤニヤと笑いながら酒杯を掲げていた。

 

サビーネとエリザベートもいた。

やれやれといった様子で苦笑していた。

 

赤面しつつ舞踏会会場に戻って来た二人を、参加者は温かく迎えた。

 

その様子を、アウロラ・クリスチアンは眺めていた。その表情は嬉しそうにも寂しそうにも見えた。

アウロラ・クリスチアンは既に銀河保安機構を退職することを決めていたが、この結婚式の直後、いずこかへと姿を消してしまった。

「ユリアン君を遠くから見守る会」は、会長が交代したことで人知れず穏健化し、その活動も控えめなものになっていった。

 

 

別の場所ではアンスバッハとシュトライトが二人で静かに酒を酌み交わしていた。

エリザベートとサビーネの二人が結婚して、結婚相手のユリアンも落ち着きを得つつあり、後見人を務めていた彼らとしては責任を一つ果たし終えたと言える状況にあった。

 

アンスバッハがシュトライトに尋ねた。

「卿はこれからどうするのだ」

 

「これからも地球財団に属して、ユリアン・フォン・ミンツの下で仕事をしていくことになるだろうな。それが楽しく思えるようにもなってきている」

 

「そうか……」

 

「卿は違うのか?」

 

「どうすべきかと思ってな」

 

「去ることを考えているのか」

 

「まあ、な」

アンスバッハはワインの赤い液面を見ていた。

 

「去ってどうする?……公の元にでも行くつもりか」

 

アンスバッハは答えなかった。

 

「卿が去ると方々は悲しまれるだろうよ」

 

「悲しまれるか」

 

「それはそうだろう。アマーリエ様もエリザベート様も。それにサビーネ様も。自分たちを見捨てたのかと」

 

「サビーネ様も、か」

 

「もう長い付き合いになるからな」

 

「しかし、父親を殺した男が側に居続けることになるのだぞ」

シュトライトもその一件のことは知っていた。

 

「そのことは、秘密として卿が背負い続けていくしかなかろう」

 

「……」

 

「思えばあの頃は単純だったな」

ブラウンシュヴァイク公の配下だった頃のことをシュトライトは思い出していた。

 

「公のことだけを考えて動けばよかったからな」

 

「今は自分で決めないといけないな。お互いに」

 

その後は二人とも、ただ黙ってワインを飲み干し続けた。

 

 

夜は更けていき、式典は終わった。

 

 

人生は続いていく。



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101話 果てしなき流れの果に その5 人と星と(エピローグ1)

 

 

 

ユリアン達の結婚式から5年が経過した。

その後もいくつかの波乱はあったものの、銀河人類は徐々に落ち着きを取り戻し、平穏な時を刻み続けていた。

 

銀河植民、未踏宙域改めノイエ・ラントの開拓事業も再び軌道に乗り始めていたし、

その先に宙域に勢力圏を築いている異星種族〈鳥〉との間にも通商条約の締結がなされようとしていた。

 

絶望をもたらす存在である〈上帝〉に対しては、「世界改変術式」による無力化の計画が秘密裏ながらも着々と、進行しつつあった。

「術式」は秘匿されるべきものとして、最終的には新銀河連邦の管理下に置かれることになった。

 

 

ユリアンはその日、家族と共に月裏面の展望ドームから星々を見上げていた。

 

地球財団総書記に返り咲いていたユリアンは再び精力的に仕事をこなしていた。

カーテローゼをはじめとする妻達はユリアンを支えた。

マルガレータは帝国に戻り、帝国貴族として、軍人として、またユリアンとの間に生まれた二児の母親として多忙な生活を送っていた。

 

そんな中で、彼らは久々に家族で集まる時間を持ったのである。

 

それは先日月を訪れたヤンとその息子のテオの姿にユリアンが心を動かされたからでもあった。

 

ユリアンと共にエリザベート、ザビーネ、カーテローゼ、マルガレータ、それに子供達の姿があった。

 

五人の妻に二男三女。それが今のユリアンの家族だった。そしてもう一人家族に加わろうとしていた。

ひと悶着も、ふた悶着もあった末に迎えた5人目の妻はそのもう1人を妊娠しているため大事をとってこの場にはいなかった。

 

ユリアンはマルガレータとの二人目の子供である、1歳半になる長男のカイを腕に抱いていた。

ユリアンがカイと会うのはユリアンとマルガレータ、双方の多忙のせいで数える程しかなかった。

ユリアンは息子を自分のように愛された自覚のない子供にしてしまうことを恐れていた。だからこそ、息子との時間をつくりたいと思ったのである。

 

眼前には数億年から数十億年を閲した星々の海があった。

人の生命は星々の一瞬にも及ばない。

しかし、星々の永劫を前にして、ユリアンが立ちすくむ事はなかった。

今の彼には、彼と人生を共にしてくれる者達がいるのだから。

 

お父さん(ファーター)

 

ユリアンは一瞬聞き間違えかと思った。

 

「今、カイが喋った!お父さんって」

ベアテの言葉に、息子がユリアンを父親と呼んでくれたことを自覚した。

 

笑顔で自らの顔を触ってくる息子カイに、ユリアンは愛しさを感じた。そして、それを感じられる自分にしてくれた家族に感謝した。

 

カイは、さらに星々の方に顔を向け、手を伸ばした。星々とまるで握手(シェイクハンド)をしようとするかのように。

 

ユリアンは腕の中の赤子がまるで宇宙との仲介者であるかのような不思議な感覚に襲われた。

カイだけではない、あるいは誰もが。人は、人々を介してこの世界と繋がっている。それが人間なのではないか。

ただの思いつきに過ぎないことではあったが、ユリアンは自分が人間であることにこの瞬間幸せを感じた。

 

「そろそろ行こうか、ユリアン」

「行くわよ、ユリアン」

「みんなあなたを待ってるわよ」

「行きましょう」

 

「そうだね、行こうか」

都市内では、アマーリエやクリスティーネ、シェーンコップ……ユリアンの家族達が待っている。

ユリアンはそこに向かって歩いていくのだった。

 

 

 

40年後、銀河人類は、第5代主席ユリアン・フォン・ミンツの下、真に連邦国家となった新銀河連邦の一員として再統合を果たすことになる。

 

星間人類国家同士による長期の戦争は、この時代が事実上最後となった。

 

新銀河連邦の下、人類は平和な時を謳歌した。

 

 

 

 

その平和は、30年後の宇宙暦880年、異星種族〈鳥〉との間に戦争が起こるまで続いた。



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102話 果てしなき流れの果に その6 十億年の宴(エピローグ2)

 

 

人類と〈鳥〉の戦いは五十年の長きに渡って続いた。

原因は人類が秘匿する「世界改変術式」の存在が〈鳥〉に露見したことにある。

 

〈鳥〉としては人類に疑心を持たざるを得なかったし、人類に自らの死命を握られている状況から脱却を試みるのは種族として当然のことであった。

 

〈鳥〉による大規模な奇襲攻撃による劣勢から、人類は徐々に戦力を建て直し、戦争は〈鳥〉の全面的な降伏で終わることになった。

 

しかし、長引く戦争は更なる外部勢力の干渉を招いた。国力における劣勢を悟った人類は〈鳥〉と連合国家を形成し、これに対抗した。

 

人類はその後、数百年に渡って異星種族と戦い続けることになった。

その戦いの原因は殆どが「世界改変術式」の人類独占を理由とするものだった。

 

銀河全体を巻き込んだ戦争の時代は「世界改変術式」を無効化する技術の発見によって終わりを迎えた。

 

人類の宇宙暦にして1293年、銀河のほぼ全ての種族、全ての国家が加盟する「銀河連合」が成立した。

 

その母体は新銀河連邦及び、その他いくつかの星間連邦国家だった。

人類による連邦国家であったはずの新銀河連邦は、複数種族の所属する多種族国家となっていた。

 

単一種族の国家は銀河においてこの時既に少数派となっていた。

 

それからさらに時が経ち、

 

さらに時が経ち……

 

 

 

十億年が経った。

 

 

 

かつてバーラトと呼ばれた星系の、ハイネセンと呼ばれた惑星に、その二人はいた。

 

停滞力場に守られた巨大な墓標めいた建物の下に、ヨブ・トリューニヒトとレディ・Sの二人は寄り添いながら座り込んでいた。

 

惑星ハイネセンの空は巨大な恒星の赤色が覆い尽くしていた。

赤色巨星と化した恒星に、惑星ハイネセンはあと少しで飲み込まれようとしていた。大地も空気も赤熱化しており、二人がアンドロイドでなければとっくに燃え尽きていたはずである。

 

「今更だが、この場所でよかったのかい」

 

レディ・Sはトリューニヒトに向けて微笑んだ。

「この場所がよかったのよ。最後を迎えるならあなたが生まれた場所が、ね」

 

レディ・Sとトリューニヒトは人類を見守り続けた。休眠を繰り返し、定期的に目覚めては人類の状況を確認した。

 

既に人類は銀河を越えて超銀河団に広がり、多種族と混交し、その形態も生存環境も多様化し、かつての姿を留めているものは僅かしかいなかった。

 

しかし、多様化を極めてもなお、彼らは人類の末裔ではあった。

 

 

人類の歴史が途切れることはない。私の役目は終わった。ここに至ってレディ・Sはそのような納得を得た。

 

そのため、レディ・Sは自らの存在に終止符を打つことを決めたのである。愛する者とともに。

 

トリューニヒトは返した。

「それは光栄だが、私の生まれた場所にこんなものが建っていたとはね」

 

トリューニヒトは背後の建物に目を向けていた。

 

レディ・Sは笑った。

「当時の彼らがこれを見たら変な顔をするでしょうね」

 

そこには既に使われなくなった文字でこう書かれていた。

 

ルドルフ・アッシュビー霊廟

 

その名は人類の英雄として、語り継がれていた。

 

ルドルフとアッシュビー、正反対であったはずの二つの存在は、後世において混同され、ついには人類の守護神たる一つの神格として祀られるようになった。

 

既に正確な歴史が忘れられて久しく、かつて人類が人類同士で争っていた時代は遥か過去の伝説に過ぎなくなっていた。

 

それでも、ユリアン、ヤン、アッシュビー……彼らの名は伝説上の英雄として十億年を経てもなお、完全に忘れられることはなく、残り続けていた。

 

それもまた人類の歴史が途切れていない証でもあった。

 

二人は長い時間ただ静かに座り込んでいた。

 

レディ・Sがポツリと言った。

「私達はこれから巨星に飲み込まれて、それから、またいつか、星の材料になるのね」

 

トリューニヒトはその声を聴いていた。

「その星から再び生命が生まれる日が来るのかもしれないね」

 

「もしかしたら……私達は、どこかの誰かの一部になって……再び出会う日が来るのかもしれないわね」

 

「だとしたら、楽しみだ」

 

「ええ、私も」

 

更に時が経ち、ついに惑星が膨張する赤色巨星に飲み込まれる時が来た。

 

「また、再び巡り会いましょう」

 

「ああ、またいつの日か」

 

 

彼らは星間物質の一部となった。

 

その星間物質を材料として、

再び新たな恒星が生まれることになるのは、それから十億年後のことであった。



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103話(最終話) 果てしなき流れの果に その7 時の女神が見た夢(エピローグ3)

「お疲れ様」

 

現時点、宇宙暦865年から十億年後の未来を見はるかし、ローザ、否、ローザの身に宿った存在は、そう一言呟いた。

 

 

その傍らではヤン・ウェンリーが本を胸の上に載せながら、大きないびきをかいていた。

かつての英雄も、今や白髪頭の老人となり、大きな揺り椅子に座り、午睡を楽しむ立場にあった。

 

そのようなヤンを、微笑みながら眺めていた彼女の意識に、接触してくる姿なき存在があった。

 

人が見れば彼女は独語しているように見えただろう。

「まだ、満足できないの?」

 

「余計な干渉だった?そうかしら。悪くない未来が訪れたと思うのだけど」

 

「敵を滅することはできないのよ。それでもまだ抗うの?」

 

彼女はため息をついた。

「そう。なら私も付き合うしかないわね。あなたの終わりなき〈皆殺しの波動〉との戦いに」

 

かつて何かであった〈存在〉は、世界の裏面に入り、その深奥を超え、さらにその先に歩みを進めた。

限りない階層を超え、その先で、その姿を捉えることになった。

世界への善意にして悪意、世界の創始者にして終結者、数多の世界を覆う〈皆殺しの波動〉を。

 

それは、数多の歴史を、世界を、悲劇とともに終わらせて来た反存在とでも言うべき何かであった。

〈上帝〉すらも、〈皆殺しの波動〉の影響下にあった。

人類も、世界の全てのものが。

 

〈存在〉はついに抗うべき敵手と出会ったのである。

 

〈存在〉は、数多の世界を旅し、干渉し、〈皆殺しの波動〉に抗った。

 

その旅に付き添う者がいた。

人としての人格を持ちながら、〈存在〉に準ずる権能を持ってしまった者、〈時の女神〉。

それは、レディ・Sが放棄した道の先にあった

 

〈存在〉と〈時の女神〉は、〈皆殺しの波動〉による悲劇を阻止すべく世界に干渉した。

〈存在〉は、〈皆殺しの波動〉の波動の排除を目指した。

〈時の女神〉は人に宿り、人々の思いを汲み取り、〈皆殺しの波動〉が存在する世界においてもより良い未来を選択しようとした。

 

どちらの試みも完全に成功することはなかったが……

 

 

今、ローザ・フォン・ラウエの傍には、ヤン・ウェンリーがいた。

 

ヤンが目を開けずに一言呟いた。

「ローザかい?」

 

「はい、なんですか」

 

「夢を見ていたよ」

 

「どんな夢?」

 

「殺されそうにそうになる夢さ。銃で撃ち抜かれて……」

 

「それは怖い夢ですね」

 

「でも君が来てくれた。いや、あれはユリアンだったか?それとも?」

 

「誰かが助けに来てくれたんですね」

 

「ああ。よくもまあこんな危ない場所に」

 

彼女は微笑んだ。ヤン・ウェンリーらしい発言だと。

「ヤン、あなたは幸せですか?」

 

「幸せだよ」

 

「よかった」

それは、彼女が望んだものの一部だった。多くの者の夢であり、それゆえに彼女の夢ともなったものである。

結果として誰もが幸せになったわけではないにしても、多くの者達が実現したいものが、そこにはあった。

 

「君はどうなんだい?」

 

彼女は即答できなかった。ローザではない存在として、考えてしまったのである。

「……勿論幸せですわ」

 

「君を助けられたらなあ」

 

一瞬耳を疑った。

 

「ユリアン、考えてごらん。宇宙が広大であることも。人間が卑小であることも……」

 

それは、うわ言の一部であったようだった。

 

それでも彼女は言った。

「ありがとう。ヤン・ウェンリー」

 

その後も彼女はしばらくヤンを眺めていたが、やがて立ち去った。

一言を残して。

 

「またね」

 

 

彼女が立ち去った後、ボールが一つ部屋に転がり込んできて、ヤンの足元に留まったが、ヤンは反応を返さなかった。

そのボールを追いかけて少女がやって来た。ヤンの孫娘である。

 

少女は、ボールを拾ってくれなかった祖父に抗議しようとして、その顔を覗き込み、異変を感じた。

 

少女はボ ールを抱いたまま 、居間へ駆けこんで大声で報告した。

「パパ、ママ、お祖父ちゃんが変なの!」

 

 

永遠の静謐に覆われようとしているヤンの顔は、ただただよい夢を見ているかのように安らかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 








これにて『時の女神が見た夢・ゼロ』完結になります。

皆様お付き合い頂きありがとうございました。

前作 時の女神が見た夢 を含め、初の二次創作投稿だったのですが、ここまで続けられたのは読んで下さった皆様のおかげです。
ありがとうございました。

本作終了ですが、時間をおいて、何かこぼれ話的なものを追加するかもしれません。あと、登場兵器のまとめを感想で以前尋ねられましたが、時間はかかる気がしますがまとめてみるかもしれません。

しばらく、新規の小説の投稿はしないかなと思います。
ただ、銀英伝の二次創作の話の構想がないわけではないので、
もしかしたらそのうち投稿するかもしれません。
書いたとしたら今回より大分大人しい(当社比)話になるかと思います。

あらためて、お付き合い頂きありがとうございました。


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