Fate/stay night 【select the fate】 (柊悠弥)
しおりを挟む

第一章 第1話 『分岐点』

モーさんを士郎が呼び出す話をなんか書けなくなってしまったのでこっちで一旦お茶を濁します。
美綴ルートです。本編はセイバーを呼び出し、バーサーカー戦を終えた次の夜。士郎とセイバーが新都を探索しているところから始まります。


 人々は本来無理解を拒み、爪弾きにする傾向にある。

 怖いからだ。理解できないモノが身近にあり、自分に牙を向いてしまうかもしれないから、と。

 出る杭は打たれるという。自衛のために、今にも牙を剥くかもしれないソレらを殺し、地の底に埋めて、見なかったことにするのだ。

 唾と暴言を吐き捨て、暴力を繰り返すその姿こそが怪物だということに気づかずに。自分たちがその『無理解』に足を踏み入れているのだと気づくコトなく、歩みを進めていく。

 

 ────嗚呼、世の中はこんなにも壊れ果てている。

 

 こちら側(、、、、)に来てようやくわかった。わかってしまった。

 

 こんな世界はおかしい。間違っている。

 

 けれど、そんな壊れ果てた世界は案外丈夫で、あたしなんかの手には負えないモノだった。

 壊れているのに、世界は正常に回っている。

 

 しかしそんな世界を変えようと、切り捨てられたものに手を伸ばそうとするモノが居た。

 正義そのものに想いを馳せ、そして執行しようと血を吐き叫ぶ者がいた。

 

 人々はソレを異常だと笑うだろう。人々はソレをありえないと吐き捨てるだろう。

 

 ……違う。違うんだよ。アイツは、

 

「俺は、正義の味方になりたかったんだ」

 

 アイツは、人並みに何かを求めて、必死に食らいついて、人並みに何かを目指しただけの普通の人間だったのに。

 

 こんなにも弱く、あんなにも強く、あんなにも醜く、美しいモノだったのに。

 

 

 

 ────これは、正義の味方が、切り捨てることを覚える物語。

 

 そして、少女が傀儡をホンモノだと認める、物語だ。

 

◇◆◇

 

 辺りには闇が満ちていた。

 静まり返った街は不気味さを孕み、そして目の前の光景はソレを駆り立てている。

 組み合う2人の女。紫色の長髪と、茶色の短髪。後者はもうこの二年で見慣れたものだが、見る見るうちにその高飛車な雰囲気は失せて行く。

 

「ッハハ……! 無様だな美綴(みつづり)、いつもの調子はどこに行ったんだよ!」

 

 その事実が僕を高揚させた。興奮で顔が熱くなって行くのがわかる。

 ソレに反比例するように美綴の顔色は悪くなっていき、血の気というものが消えて行く。

 いつもは生意気を吐き捨てるその口も、今は無様に呼吸を繰り返すだけだった。

 

「やめ、なよ……こんなことしたって、」

「あぁ? なに、聞こえないな。ライダー、もっと吸ってやれよ。コイツ死にたいんだってさ」

 

 これでもまだ無駄口を叩く余裕があるんだからムカつくんだ。なんでこんなにタフなんだよ、コイツは。

 僕に立てつくその視線が、その言葉が、全てが気に入らなかった。本当に。心の底から。

 

 思わず漏らした舌打ち。ソレと同時に、

 

「おい、おまえ。そんなところで何してる」

 

 聞き慣れた声が、響いた。

 振り返る。ゆっくりと、冷たい視線を向けた、その先。

 建物の陰に、見慣れないやつを連れた友人が────衛宮士郎が、立っていた。

 

「やあ、衛宮。奇遇じゃないか」

「……質問に応えろ慎二。こんなところで何をしてるって訊いてるんだ」

 

 衛宮は変わらぬ声音で、眉間に目一杯シワを寄せている。きっと僕の行動が気に入らないんだろう。正義の味方、とか素で言っちゃうようなやつだからな、コイツは。

 

「見てわからないのかよ。食事さ。僕のライダーはお腹が空いてたみたいだからね……オマエのサーヴァントも一緒にどうだい?」

 

 衛宮の隣で見慣れないソイツが、おそらくサーヴァントと思われるソイツが、不可視の何かを構えるのが見えた。

 にしてもまだ食事は終わらないのか。何かを呑み下す音と、吸い上げる音。それだけがひたすら続き、ライダーは美綴の首筋から口を離す気配はない。

 

「はーぁ、オマエがノロマなせいで衛宮なんかに見つかっちまったじゃないかよ。なあ!!」

 

 それが不快で不快で仕方がなくて。そのノロマなところが(アイツ)を幻視させて。思わずその背中を、蹴り飛ばした。

 

 瞬間、その雰囲気が一変する。

 

 静かに食事を繰り返していたライダーと、その餌に過ぎなかった美綴。その二人は同時に目を見開いて、美綴が悲痛な叫びを上げ始める。

 

 思わず離れるライダーと、地面に蹲って頭を地面に擦り付ける美綴。コイツのこんな悲鳴は、初めて聞いた。

 

「い、いだ、いたい────」

「おい慎二、美綴に何をした!!」

 

 衛宮の問いかけなんかには応えてる暇はない。だって、僕だってわからないんだ。

 これはヤバい。まずい。そんなのは僕にだってわかる。だから一目散にライダーを連れて駆け出した。

 

「く、くそ。僕はなにも……」

 

 美綴の悲痛な叫びを背中に、必死に言い訳を繰り返しながら。

 

 ◇◆◇

 

「美綴!!」

 

 逃げ出した慎二を追いかける暇はない。とりあえず蹲る美綴に駆け寄って、その体を抱き上げる。

 呼吸が荒い。体からは俺でもわかるほどの濃密な魔力が溢れ出し、ひと目であまり────いや、かなり良くない状態だとわかる。

 

「……マスター、そのままではその者の命が危ない。とりあえず教会に連れて行ってはどうでしょう」

 

 駆け寄ってきた少女、セイバーが不可視の剣を構えたまま、冷静な声で提案をしてきた。

 こう言う時に彼女はすごく助かる。俺は非常事態に慣れてないし、すぐ気が動転しちまっていけない。

 

「そうだな、とりあえずは教会に。あの神父がなんとかしてくれるかもしれない」

 

 自分にできることはない。その不甲斐なさを噛み締めながら、教会を目指して駆けていく────。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 『欲』

追加情報です。バサカ戦の後の学校は士郎大人しく休んでます。休んでその夜探索→慎二発見、って感じで保管お願いします


 言峰協会に着いてからは、時間の経過が酷く遅く感じたものだ。

 無力感を噛み締めながら、礼拝堂に座り込んでいるしかない。

 両手を強く握り締める。下ろした腰が落ち着かない。

 セイバーは教会の外で待って貰っている。セイバー本人の希望で教会の外で待って貰っているものの、無理を言って一緒に来て貰った方がよかったかもしれない。

 この行き場のない感情を吐露する相手が欲しい。それほどまでに礼拝堂の無音と、この座っているだけの時間が苦痛だった。

 やがて、時間が経ち。

 

「……まだそこに居たのか、衛宮士郎」

 

 その声で目を覚ます。いつの間にか俺は眠ってしまっていたらしく、座ったまま寝ていたせいでほんの少し腰と尻が痛んだ。

 でもそんなのは関係ない。即座に立ち上がり、言峰に駆け寄って。

 

「美綴は。美綴はどうなったんだ!?」

 

 思わず声を荒げながら問いかける。同時に言峰は眉間に目一杯に皺を寄せ、大きくため息を吐き出した。

 

「あまり大声を出すな。治療は成功したが、彼女の容態はあまり良くない」

 

 言われて、思わず右手で自分の口元を覆う。興奮しすぎるのも良くない。かえって、美綴の体調を悪化させるだけだ。

 

「……治療は成功したのに、容態は良くないってどういうコトだよ?」

「そのままの意味だ。私はあくまでも最善を尽くし、彼女を救った────しかし、彼女を完全に生かす(、、、)には些か私では技術不足だった、というところだろうか」

 

 ……相変わらずコイツは遠回りな物言いをする。こういうところが少し苦手だ。

 まるで俺の反応を楽しんでいるようだった。舌打ちを交えたくなる気持ちを押し殺し、今度はこっちが大きくため息を吐いて。

 

「……つまり?」

「彼女はあまり長くない。このままでは死んでしまうだろうな」

 

 思わず目を見開く。

 予想はしていたことだ。なんとなくそんなことを言われる気はしていた。けれど、面と向かってソレを言われるのとはまた違う問題で。

 足がわずかに震える。思わずたじろぎ、言峰から一歩距離をとった。

 

「しかし、ソレは『魔力を補給しないのなら』の話だ」

「魔力、を? なんでだよ。美綴は魔術もなんも関係ない、一般人のはずだ」

「ああ、一般人だったろうな。しかしライダーとそのマスターに、こちら側に引き摺り下ろされてしまったのだよ」

 

 思い返すのはあの時の風景。ライダーは美綴の首筋に吸い付き、何かを吸い上げていたように見えた。

 

「もしかして、ライダーはあの時に何か……」

「ああ。キミの言っていたことが事実なら、ライダーはその時に美綴綾子の生気を限界値まで吸い上げたのだろう」

「……でも待てよ。それだと魔力はなんの関係もないだろ? 安静にしてればソレは回復するはずだ。魔力を摂取しないと死ぬ、なんて話にはならないんじゃないのか?」

 

 人間の生気とは文字通り生きる気力のコトだ。簡単に言えば『元気』のようなもの。それは魔力とは違う。

 

「……そうだな。だが言ったろう? ライダーはその生気を限界値まで(、、、、、)吸い上げた。身体が死に向かっていくのは誰にでもわかることだ。現実、そのマスターは美綴綾子を殺すつもりだったのかもしれない」

 

 言峰はゆったりと話しながらも間を開けて、礼拝堂には俺の息をのむ音だけが聞こえた。

 

「しかし、そこでライダーは何かの拍子に、美綴綾子に魔力を流し込んだ。それは彼女を生かす行為であり、殺す行為なのだよ」

「生かして、殺す……?」

「そうだ。身体の中の生気が限界値まで吸い上げられたことで、美綴綾子の身体は『死』を予感した。身体のあやゆる場所から生気をかき集め、生き長らえさせようとしただろう。しかしそこに、サーヴァントの濃密な魔力が流し込まれた。となれば、」

 

 美綴の悲痛な悲鳴と、蹲る姿。目尻に涙を溜めながら、俺に向けた視線が。その全てがフラッシュバックする。

 

「サーヴァントの魔力は生気など簡単に凌駕する生命力の塊だ。美綴綾子はその魔力に酔わされ、依存し、彼女の身体自体が動力源の殆どを魔力で補うように作り変えられてしまったのだろうな」

 

『オマエがノロマなせいで衛宮なんかに見つかっちまったじゃないかよ。なあ!!』

 

 多分あの時だ。あの時、あの瞬間、蹴り飛ばされた拍子に美綴の身体は────。

 

 頭が痛くなる。俺はあの時救うことができたんじゃないか。俺が躊躇わずに、慎二を止めることができていれば。

 

「……美綴を助ける手はないのか」

 

 これは俺の責任だ。なら俺が美綴を助けなくちゃいけない。何か、手があるのなら。

 

「さっき言った通り定期的に魔力を供給してやる必要があるだろうな。それか……いっそ、楽にしてやるコトだ」

「────それは、できない」

 

 彼女の命を奪う。そんなのは救済とは言えない。

 美綴の命を助け、生き長らえさせるコト────それが最低条件だ。

 

「そうか。なら答えはひとつだ。体内に取り込まれたライダーの魔力は殆ど摘出したからな。あとは、衛宮士郎、キミと……」

 

 態とらしく首を横に振りながら振り返る。視線を向けたその先には扉があり、

 

「……美綴」

 

 その前には、美綴綾子の姿があった。

 美綴は扉に腰を預けながら、弱々しい視線で俺のことを見つめている。きっと、俺たちの話を聞いていたんだ。

 

 かける言葉が見つからず、美綴に歩み寄る。

 

「……全部聞いてたよ。あたし、長くないんだろ? そうなっちゃった理由は、よくわからないけど」

「……ああ。でも、諦めるのは、まだ早くて」

 

 続く言葉が出てくれない。

 酷く気まずい沈黙が流れる。もごもごと口の中で言葉を転がして、結果出てきた言葉は、

 

「そのままの状態で家に返すわけにはいかない。一旦、ウチに来て話をしよう」

 

 問題の解決を先延ばしにするような。どうしようもない言葉だった。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 起きた瞬間から感づいてしまうような異常。自分の身体が、自分のものではないような気がしてしまうほどのソレ。

 性欲でも食欲でも睡眠欲でもない。自分の中でよくわからない欲望が根付いてるんだ。

 例えるならば食欲に近い。あたしの身体が、誰かの血液を欲している。

 いや、欲してるのは血液じゃない。血液から発生する何か。それをあたしの身体は欲してるんだ。

 

 ────ホシイ、モット。

 

 身体の中で囁く声はまだ抑えきれるものだけれど。

 

 ────モット、モットチョウダイ。

 

 これが抑えきれなくなった時、あたしはどうなってしまうのか。

 想像しただけで寒気がする。理解できない欲に心臓が早鐘を打ち、胸が痛んだ。

 この欲に身を任せてはいけない。大きく呼吸を繰り返し、首を横に振って、それでようやく自我を保つ。

 

「……あたしは、」

 

 あたしは、いったいどうなってしまったんだろう。

 

 

 ◇Interlude out◇



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 『警告』

 ゆるりと玄関の引き戸を開けたところで、見慣れた顔が出迎えてくれた。

 

「む、士郎! こんな時間にどこに出かけてたの?」

 

 ぷんすか、なんて擬音がつきそうなほどに頰を膨らますのは俺の姉貴分。冬木の虎こと藤ねえだ。

 藤ねえは腰に手を当てながら俺を見つめ、同時に背後の二人にも気づいたようで。大きく目を見開くと、

 

「さ、ささささ桜ちゃん!! 士郎が朝帰りしたと思ったら女の子を連れて帰ってきたよ!?」

「待て待て藤ねえ。誤解だよ、誤解」

 

 いや、誤解も何もないんだけど。朝帰りしたのも、女の子を連れ帰ってきたのも事実。しかも後者に限っては二人だ、二人。

 その叫びにつられたのか桜もひょっこりと居間から顔を出して。セイバーと美綴を見ると、藤ねえと同じように目を見開いた。

 

「美綴、先輩」

「……や、桜。おはよう」

 

 美綴もどんな顔をしていいものかわからないんだろう。肩越しに視線を投げてやると、力のない笑顔でゆるく手を振っているのが見える。

 

「……誤解って何が誤解なのよ。お姉ちゃんには士郎が朝帰りで、しかも美綴さんと知らない女の子を連れて帰ってきたようにしか見えないんだけど?」

「ぅ……いや、それはそう、なんだけどさ」

 

 やはりそこを突いてくるか、さすが藤ねえ。なんて賞賛してる暇はなく。

 

「……二人とも、理由があって連れてきた。ちゃんと理由があるんだ。だからしばらく、この二人をウチに泊めたいと思ってる」

 

 息をのむ音がする。その音の源はおそらく桜だろう。

 その意味はわからない。けれど、何故か桜のその表情が歪んだ気がした。

 少しばかり続く沈黙。居心地が悪いというか、沈黙が刺さる感じがする。

 思わず身じろぎをひとつしたところで、藤ねえは大きく溜息を吐いて。

 

「……そ。特に理由もなく士郎が連れてくるとは思えないし……その様子だと、私には話せないことなんでしょう」

 

 仕方ない、とばかりに首を振る藤ねえ。同時に数歩歩み寄り、酷く寂しそうな目で、美綴の首筋に触れた。

 

「……でも無理はしないでね、美綴さん。つらかったりしたら、ちゃんと言うように」

 

 その首筋には大げさすぎるほどに大きなガーゼが、ライダーに付けられた傷跡を隠すように貼り付けられている。顔色もあまり良くはないし、藤ねえは本気で心配をしてくれているようだった。

 

「さ。じゃあ朝ごはんにしよっか。ね、桜ちゃん?」

「……あ、はい。もう朝ごはんはできてますから……お二人の分はすぐに追加でお作りしますね」

 

 本当に、こういうところが助かる。藤ねえはワガママそうに見えて、実は頼もしいというか。俺の夢のことも密かに応援してくれているし。

 

「……じゃあ、上がってくれ。二人とも」

 

 ◇◆◇

 

 朝食はとても静かなものだった。

 普段喋りっぱなしの藤ねえもその鳴りを潜め、黙々と食事を口に運ぶ時間だけが続いていた。たぶん調子が悪い美綴に気を使ってのことだろう。おかげさまで美綴は居心地が悪そうだったけれど。

 (くだん)の藤ねえはというと、「美綴さん今日は休むの?」なんて問いかけの後、数回会話を繰り返すと学校に向かってしまった。桜も部活があるし、すぐさま洗い物を済ませると学校に向かって行って。

 結果、俺と美綴、セイバーだけが居間に残されていた。

 

「……しかし、ちょうどよかった」

 

 沈黙を割いたのはセイバーだった。

 セイバーは静かに居住まいを正すと俺と美綴に視線を投げて、

 

「シロウは、そこの────ミツヅリ、でしたか。彼女をどうするつもりなのですか?」

 

 躊躇うことなく、俺の先延ばしにしていた問題に触れた。

 

「……俺は美綴を助けたいと思ってる。思ってるんだけど、その手段が……その、わからなくて」

 

 そう。俺がどうしたいのかは簡単だ。でもその方法がわからないから、迷いに迷って色々なものを先延ばしにしてしまっている自分がいる。

 魔力をひたすら供給させることが美綴の救いじゃない。その原因を払拭し、完全に元に戻してやらないと救いとは言わないだろう。

 するとセイバーは静かに、小さく溜息を吐きつつ。

 

「……そう言うとは思っていました。シロウが誰かを見捨てることなどできない。たとえ、助ける方法に覚えがなくとも」

 

 呆れ気味な、しかし微笑まし気とも取れるような視線を俺に向けた後。セイバーは真っ直ぐに、美綴へと視線を向ける。

 

「私はミツヅリの症状に心当たりがあります。聖杯から与えられた知識の中に、似たような症状が」

「ホントか、セイバー!?」

 

 思わず身を乗り出し、食い気味にセイバーに詰め寄る。

 僅かな光が射したようだった。どうしようもないほどに、長く、深く続いていた闇に、一筋の光が。

 しかしセイバーはそんな様子の俺を見て、小さく首を横に振った。

 

「……期待しているところ悪いのですが、解決方法がわかるワケではありません。私が出来るのはその知識を与えることと、忠告をすることだけです。シロウは死徒(しと)と呼ばれるモノを知っていますか?」

「……死徒?」

 

 聞き覚えのない響きに、思わずそのまま反芻する。

 どうやら美綴も聞き覚えがないようで、小首を傾げたのが視界の隅に見えた。

 

「死徒というのは吸血鬼に血を吸われ、吸血鬼に『血を送り込まれた』人間が変わり果ててしまった姿です。ミツヅリの症状は、それに近しいものだと思います」

 

 確かに、美綴はライダーに吸血され、その魔力を流し込まれたことで体の作りから違うものへと変わり果ててしまった。

 その過程は美綴の現状と酷似している。

 

「その死徒ってのはどうなっちまうんだ?」

「……死徒とは言ってしまえば吸血鬼の同族。結果として、ひたすらに血を求めて彷徨い、無差別に人を襲うようになるでしょう。今のミツヅリは意識こそハッキリしていますが、死徒の大部分はまるで生きる屍のようになってしまう、と」

 

 この世界に吸血鬼がいる、なんてことも驚きだったが。正直ゾッとしない。

 一瞬想像してしまったのだ。美綴が無差別に誰かを襲い、血を吸い上げるその姿を。

 

「血液とは優秀な魔力ソース。ミツヅリの身体が必要以上に魔力を欲している以上、そうならないとは断定できません────なので、これは警告です」

 

 セイバーの視線が鋭いものへと変わる。その視線の向かう先は、ほんの少し怯えた様子の、目を見開いた美綴だ。

 

「もしミツヅリが無差別に人を襲うようになってしまった場合。私は、貴女を殺すしかない。たとえシロウがなんといっても、だ」

「セイバー……!!」

 

 セイバーの視線は、本気だと訴えかけている。その言葉に嘘も偽りもないと。

 セイバーの言いたいことはわかる。それが正しいことだということも。

 

 だとしても、だ。

 

「別に、なにも面と向かって言うことはないだろう……!」

 

 今一番不安で、現状に恐怖を覚えているのは他ならぬ美綴だ。別に面と向かって、さらに恐怖を植え付けるような真似はしなくたっていいはずだ。

 

「……良いんだよ、衛宮。セイバーさんが言いたいことだって、わかる」

 

 だってのに美綴は、いつもと変わらない笑顔で。弱々しい声で、頷きを返した。

 

「んなこと言ったって……」

「良いんだよ。むしろあたしを救う方法を探してくれてるだけ幸せだよ。だから、そんな怒らないで」

 

 やるせない。むしゃくしゃする。思わず大きなため息を吐いて、立ち上がる。

 

「……とりあえず、学校に行ってくる。セイバーは美綴についててやってくれ」

「わかりました。シロウ、リンにはミツヅリの話をしないことをオススメします」

 

 襖に手をかけた背中に、セイバーから意外な言葉がかかる。肩越しに視線を投げて話の続きを促すと、

 

「リンはこの地帯の管理者だ。ミツヅリが死徒になったと知れば、始末しにきてしまうかも知れません」

 

 ◇◆◇

 

 けたたましい機械音が響いていた。

 アーチャーお手製の朝食を済ませ、久々に優雅に紅茶の時間なんかを楽しんでたところ。何となく嫌な予感がして、思わず眉間にシワが寄る。

 

「凛、電話だぞ」

「わかってるわよ」

 

 溜息を吐きながらティーカップをおいて。半ばうんざりしながら廊下へ歩いて行く。

 固定電話の画面には『フユキキョウカイ』と文字が並んでいた。なんだろう、嫌な予感的中する気がする。

 

「はい、もしもし?」

『フ。そんなにあからさまに嫌な声を出さないでもいいだろう』

 

 ああもう、電話越しですら嫌味ったらしい表情が浮かぶんだから嫌だ。

 

「……何の用?」

『今朝、凛の友人が教会に来てな。あまり状態は良くないし、見舞いにでも行ってやったらどうだ?』

「……友人?」

 

 思わず顎に指を添えて考え込む。私が胸を張って友人だと言い張れるのは数人。絞り込むのは簡単なワケだが。

 

「もしかして綾子のこと?」

『そう、美綴綾子だ。少しは気にかけてやったらどうだ? とな』

 

 自分の用件だけ伝えて、早々に電話を切っていく綺礼。まったく、こうやって自分勝手だから困るんだ。

 

 いや、それにしても。

 

「……綾子、何かあったのかしら」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 『マスター権』

 胸に篭ったモヤモヤをそのままに通学路を歩いていく。

 いつもと何も変わらない道。俺を取り巻く日常ってものは一瞬で変わり果てたのに、道もそこを歩く生徒も、いつもとなんら変わらない様子で。なんだか世界に取り残されてしまったような気までしてくる。

 

「……いや、」

 

 違う。世界に取り残されて、寂しい思いをしてるのは美綴だ。それに比べたら、俺なんて。

 こんな思考がひたすらに頭の中を駆け巡っている。気がつけば、美綴のことを考えているような。

 それはきっと罪悪感からだ。美綴を救うことができたったいうのに、俺は。

 

「衛宮くん」

 

 ふと、名前を呼ぶ声がした。

 思考を停止させて振り返る。肩越しに向けた視線の先には、何やら呆れ顔の遠坂の姿があった。

 

「……なんだよ、その顔は」

「いえ、不用心だなって思っただけよ。サーヴァントも連れずに学校に来て……昨日はちゃんと休んでたのに。ホンットに危機感が足らないわね」

 

 言われて、思わず唇を尖らせる。あんな目立ってるやつ、学校に連れていくワケにいくかってんだ。

 まあ、ともあれ。

 

「……そういう遠坂はアーチャーのこと、連れて来てるのかよ」

 

 俺にそんなことを言うんだから、遠坂はどうなんだ、と。半目で見つめてやる。

 

「いいえ、家で休んでもらってるわ。誰かさんのセイバーに付けられた傷がまだ癒えきってなくて、本調子じゃないみたいなの」

「ぅ……それは」

 

 そこを突かれると痛い。

 というか、アレは事故みたいなものじゃないか。俺はしっかり、やめろと声を大にして言ったワケだし。

 

「別に申し訳なさそうにするコトないわよ。これが聖杯戦争の普通なの」

 

 これまた遠坂はため息混じりに言いながら、俺の隣まで歩み寄り。再び、学校に向かって歩みを進める。

 そんな中、何でもないように。まるで、今日の夕飯の献立でも聞くような調子で。

 

「そういえば衛宮くん。綾子が綺礼の世話になったみたいなんだけど……貴方、何か知ってる?」

 

 今一番聞きたくなかった名前。遠坂の口から一番聞きたくなかった言葉を、紡いだ。

 

「────、────」

 

 思わず押し黙る。もう遠坂の耳にまで美綴のことは届いていたのか。

 

 美綴のことがバレれば、遠坂は美綴を始末するかもしれない。

 今朝セイバーに言われたその言葉が俺の脳内で警報を鳴らし、緊張を押し流すように、唾液を呑み下す。

 

「……いや、知らないな。何かあったのか?」

 

 遠坂に嘘をつくのは若干躊躇うものがあったが仕方ない。

 正直遠坂にだって縋り付きたい。俺たちだけじゃきっと、美綴はどうしようもないんだ。

 あの神父は処置はしてくれても救う方法だけは教えてくれなかった。遠坂だったら何か知ってるんじゃないかって、そう思って。

 

「そ。ならいいわ」

 

 いつの間にか辿りついていたらしい学校。それだけ言い残して校門をくぐり、駆けて行く遠坂。

 

「……はぁ」

 

 その背中を見守りながら、ため息を吐いて。ボリボリと頭を掻き毟る。

 頭の中がごちゃごちゃしてる。今日は朝から色々とありすぎた。なんだかんだで睡眠も摂ってないし、少しマズいかもしれない。

 欠伸を漏らしながら数歩。人混みに紛れて歩いて行く。

 授業までは少し時間もある。早めに教室に入って、少し睡眠を摂ろう。今夜も何があるかはわからないし。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

「士郎、僕はね。正義の味方に、なりたかったんだ」

 

 決まって夢に見る。親父の、切嗣の弱々しい横顔。

 なりたかったといい捨てるその声が。どこか遠くを眺めるその視線が、小さい俺には何か引っかかったんだろう。

 俺にとっては切嗣は正義の味方そのものだった。だってのに、『なりたかった』なんて過去形で済まされるのは気に入らなかった。

 

 記憶を絡め取って行くような炎と、その熱。何もかもを焼き尽くし、焦がし尽くしたあの火災。

 事実、俺はあの火災で全てを失った。家も、両親も、過去の記憶も────何もかも。

 衛宮士郎の最初の記憶は地獄(ソレ)だ。ソレ以前の記憶はもう、燃えクズになってしまって手に取ることすらできない。

 

 そんな俺に、生きがいを、夢を、それから先の人生をくれたのは、他ならぬ切嗣だったから。

 

「……なら俺が、代わりになってやるよ」

 

 その横顔に、言葉に誓って。俺は、正義の味方を目指して歩き出したんだ。

 

 

 

 

「いいかい士郎。誰かを助けるってことは、誰かを助けないってことなんだ」

 

 

 

 

 なんで今になって、そんな言葉を思い出すのかはわからない。

 けれど俺の胸に酷く食い込み、離れてくれなかった。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

「衛宮」

 

 意識が浮上する。身体を揺さぶられ、無理矢理に意識が引っ張られているようだった。

 霞んだ視界を擦り付けてやると、声の主は見知った顔。生徒会長の柳洞(りゅうどう) 一成(いっせい)が眉間に目一杯しわを寄せながら立っていた。

 

「……一成」

「随分とよく眠っていたようだな。もう昼休みだぞ」

 

 いやでも目が覚めた。

 昼休み? そんな馬鹿な。確かに熟睡こそしていた自覚はあるけれど、そんなはずは。

 

「……ホントだ」

 

 黒板の上の時計。ソイツは無慈悲に十二時五分程を指している。

 ここまで眠り惚けて授業をサボってしまったのは初めてだ。なんというか、とてつもない罪悪感がある。

 頭まで抱え始めた俺に、一成はため息を吐きながら。

 

「何かあったのか、体調は悪いのか……聞きたいことは沢山あるが、それはとりあえずいい。衛宮、客人だ」

「客人? 俺にか?」

 

 指をさした先は教室の入り口。そこには食堂に向かう生徒に混じって、

 

「桜……」

 

 気まずそうに立っている、桜の姿があった。

 

 ◇◆◇

 

 ここではなんだから、と移動した先は非常階段。階段に腰をかけながら、俺と桜は風に当たっている。

 日差しはそこそこに暖かいし、ここなら悪くはないだろう。

 

「で、桜。どうかしたのか?」

 

 わざわざ俺の教室まで来るのだから、何かしらの理由があるんだろう、と問いを投げる。

 若干桜の居心地が悪そうに感じる。あまり良い話ではないんだろーか。

 

「兄さん、学校に来てないんですね」

「ん? ああ、そういえば見かけなかったな」

 

 慎二には色々と聞きたいことがあったんだが、まあ学校に来ないことは予想していたコトだし。

 あんなことがあった次の日だ。俺と顔を合わせるのも気まずいだろう。

 暖かい日差しにやられたんだろうか。思考はふわふわと漂い、なんくるないさの精神で回ってしまう。

 

「話、というのは美綴先輩のことと────聖杯戦争のこと、なんです」

 

 でもそんな思考が、桜の言葉で急激に冷やされた。

 聖杯戦争。桜の口から、その言葉が飛び出すなんて思っても見なかったから。

 いや、予想してなかったわけではない。無意識に目を逸らしていただけだ。

 慎二が聖杯戦争に参加していた時点で、アイツが魔術師だってのは嫌でもわかる。

 それなら、兄妹の桜は────と。

 

「美綴先輩の症状、わたしなら治せるかもしれないんです」

「ホントか、桜!?」

「ぁ……はい。でも、そのためにはライダーのマスター権をわたしに戻さないと、いけなくて」

 

 思わず食いついた様子の俺に、桜がたじろぐ。

 いや、でも待った。急に色々なことが頭に詰め込まれすぎて、一旦整理しなくちゃならない。

 

「……えっと、桜は今『ライダーのマスター権を桜に戻す』って言ったけど……ライダーのマスターは、桜ってコトでいいのか?」

「はい。ライダーを呼び出したのはわたしです。今は令呪を譲渡して、兄さんがマスターになってますけど……」

 

 マスター権を譲り渡した理由だとか、色々と聞きたいことは尽きない。けど、今一番大事なのは美綴を治せるということだ。

 なら放課後、慎二のことを探さなくちゃいけない。

 

「兄さんが持っている本……それがマスター権です。ソレをどうにかすれば、ライダーのマスター権はわたしに戻ると思います」

「……話してくれてありがとう、桜。とても助かった」

 

 ああ、これでまた希望が見えた。美綴のことを助けられるかもしれない。

 

 最終的に殺すようなことになんて、なってたまるか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 『期待』

文章量が少ないくせに展開が早すぎる気がする。2章からはゆっくり書いていきます……。


 授業も終わり、放課後。慎二を探して歩き回る。

 

 慎二の姿は間桐邸にもなかった。

 別に予想できなかったわけではない。桜の口ぶりからして、家にも帰ってないんだろうな、なんてぼんやりと考えている自分がいたくらいだ。

 間桐邸から新都へ向かう坂を下りながら、慎二がどこにいるのか、と。脳内に思い浮かべた地図に印をつけていく。

 おそらく慎二がいるなら人の多い場所。自分の存在を隠すために人混みに紛れているのではないか。

 苦しむ美綴から逃げたあの表情。慎二には多少なりと罪悪感や恐怖が芽生えているはずだ。

 その恐怖を紛らわすために、人の中に隠れている。喧騒というのは恐怖を打ち消すのにちょうど良いのだ。それならおそらく、新都にいる可能性が高い。

 新都に向かう足が速い。陽は既に沈み始め、空には茜色が満ちていた。

 謎の焦燥感に駆られながら、早く、早く。慎二をとっ捕まえないと。

 

 何よりこんなところには居たくない。いつも通りの道なのに、何も変わらないはずの道なのに、何でこんなに居心地が悪いのか。

 

「────ぁ」

 

 立ち止まり、気がついた。抱えて居た謎の焦燥と、違和感の正体に。

 長い長い、間桐邸から新都へ向かう道に続く下り坂。そこには人影なんてものはなく。俺だけが、何処か別世界に取り残されてしまったのではないかと勘違いしてしまうほどの静寂が広がっていた。

 それから、だいぶ歩いたというのに、坂の終わりは、程遠くて。

 

「……おかしい」

 

 そうだ。この坂はおかしい。何度も何度も同じところを走らされるような感覚と、静かすぎる道────そこは俺に、分かり易すぎる程の違和感を植え付けていた。

 

「っくく、はは! 無様だなあ、衛宮!」

 

 声が響く。探していた者の声が。

 同時に目の前に、まるで最初からそこにいたかのように慎二は現れて。いつもの、趣味の悪い笑顔を浮かべた。

 

「探したぞ、慎二」

「ああ、知ってるよ。おまえが僕の家の前でうろちょろしてたのは見てたからな」

 

 何処から見てたのか、学校に行かず何をしてたのか……聞きたいことはたくさんある。けど、今はそんなのは後回しだ。

 

「慎二。ライダーのマスター権を桜に戻せ」

 

 慎二の笑顔が怒りに歪む。握り締められた拳は小さく震え、舌打ち混じりに唾まで吐き捨てた。

 

「は、嫌に決まってるだろ? ……というか衛宮、おまえ自分の状況わかってないだろ。僕に命令なんてできる立場じゃないぜ?」

 

 指を鳴らす慎二。同時に慎二の隣の空間が歪み、そいつは現れた。

 紫色の長髪を魔力の風に揺らし、バイザーの下から艶かしい殺意を向けて。あの時、美綴の血液を吸っていたサーヴァント────ライダーは、杭を両手に今にも俺に襲いかかろうとしていた。

 

「ここはライダーの結界の中。逃げ場なんてない……おまえは僕に、大人しく殺されるしかないんだよ」

 

 主導権を握られてしまった。何も最初から話し合いで解決するとは思っていない。けど、今の俺には自分を守る武器すらなく────。

 

「僕は聖杯戦争に勝って、認めさせなくちゃいけないんだよ……!!」

 

 慎二の叫びが辺りに響き、それが開戦の合図となった。

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 僕は間桐家の長男で、僕はそれなりに将来に期待されているものだと思っていた。

 だって僕は知っていた。間桐家は普通の家じゃない。間桐家は由緒正しい魔術師の家系だ。

 僕は見てしまった。両親が隠し抜いていた資料────魔術に関するソレを、見てしまって。

 

『僕がこれを継ぐんだ。僕は、期待されてるんだ……!』

 

 嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。

 誰かに期待されているというのは小さい僕には大きなことで。必死に魔術を学びながら前に進んで来た。そのはずなのに。

 

 なんで、なんで(アイツ)なんだよ。なんでアイツが、僕のいるはずだった場所にいる────?

 

 だから、僕はこの戦いをアイツの代わりに戦い抜いて、認めさせなくちゃいけない。僕じゃないとダメだって。

 

 間桐家の正当な後継者は、僕なんだ!!

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

 二十メートルはあったはずの距離。ソレがライダーのひと跳びで一瞬にして消化され、轟音を立てながら紫が迫る。

 

「っ、!」

 

 右半身を倒すことでなんとか地面に転がると、頭上を杭が貫き、産まれた衝撃が髪の毛を揺らした。

 咄嗟に転がりこまなかったらと思うとゾッとする。おそらく、その時は俺の首と身体は永遠の別れを告げていただろう。

 しかし休んでいる暇などない。目の前に見える、すらりと伸びた長い足────ソレが目にも留まらぬ速度で振り上げられ、鼻っ面に直撃した。

 暗転する視界と、遅れてやってくる浮遊感。

 地面を手繰り寄せるように手をばたつかせるが、指先にすら地面は触やしない。

 ようやく痛みで無理やり閉じられた視界が開ける。しかし、その時俺が見たのは再び迫るライダーの回し蹴りだった。

 咄嗟に両手で顔を庇い、腕から全身に衝撃が伝わる。今度は地面に叩きつけられるように転がっていき、受け身を取る暇もなく吹き飛ばされた。

 

「づ、は────ごほ、」

 

 咳と一緒に喉元に熱いものがこみ上げる。無様に吐き捨てると、びしゃ、という音を立てて血液がコンクリートに飛び散るのが見えた。

 このままだとまずい。いよいよ、本格的に殺されてしまう。

 

 せめて、セイバーを呼び出さないと。

 

「……ああ、そうだ。令呪」

 

 そこまで思い立ったところで、左手に疼きを感じた。

 左手の甲に残る三画の痣。これはサーヴァントに対する絶対命令権であり、膨大な魔力の塊だ。

 

 これを解放すれば、この結界の中でもセイバーを呼ぶことができるかもしれない。

 

「まずは使わないと始まらないだろ。鬼が出るか邪が出るか────来てくれ、セイバー!!!」

 

 その痣の一画を解いていくように、叫ぶ。

 同時に辺りに魔力の波が広がり、

 

「な────」

 

 それは、現れた。

 困惑の声をあげたのは慎二かライダーかはわからない。二人が見つめる先────俺の目の前には、空間が斬り裂かれたような跡が在る。

 全てを浄化するような光。それは空間にヒビを広げ、やがて、空間は崩れ落ちた。

 

「シロウ!!」

 

 空間の穴から騎士が飛び出す。不可視の剣を携えた、青色の騎士が。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 『右腕、焼け跡』

 突如突風を身にまとい、セイバーと名乗った女性は姿を消した。

 彼女から聖杯戦争なんてものの概要を聞いたけれど、イマイチ信じきれなかった────が、こんなものを見せられ、あたしの身体の状況を鑑みれば、信じるしかないって話で。

 現にあの夜送り込まれた何か……魔力と呼ばれるらしい力の残滓は、あたしの身体を確実に蝕んでいる。

 

「ぁ、っ、は────────」

 

 セイバーさんがいなくなったことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。息を荒げ、そのままの勢いで思わず畳に倒れこむ。

 身体が熱い。内側から『欲』が顔を出し、根を張り、あたしの身体を締め付けているような。

 

「あ、つ……」

 

 額から脂汗が流れ出す。首筋の傷が疼く。魔力を、血を求めて、あたしの声によく似た声が、頭の中で、叫びを上げている。

 

 ────ホシイ。ホシイノ。

 

「る、さい……!」

 

 気合いだとかそんなもので押しとどめられる限度は超えていた。疼きはその声に共鳴し、身体の自由を奪って行く。

 畳に爪を立て、奥歯を噛み締め、なんとか押し止まるので精一杯だった。

 けれど、幸い周りに今は人は居ない。誰かを襲い、その血をすすることはないだろうと────

 

「ただいまー……あれ、美綴さんだけ?」

 

 そんな安心は、慢心は、すぐさま突き崩された。

 戸惑いを浮かべる藤村先生と、不安と心配で揺れるその瞳。何かを告げる唇。

 そんなものには目は行かない。あたしの視線は、藤村先生の露出した首筋に吸い寄せられ、喉の渇きを潤すように、生唾を飲み下していた。

 

 ────オイシソウ。カブリツイテススレタノナラ、ドンナニシアワセダロウカ。

 

 ダメだ。それだけはいけない。

 いけない思考をかき消すように首を横に振り、必死に視線を、藤村先生から外す。だってのに。

 

「大丈夫、美綴さん……?」

 

 あろうことか、藤村先生は、あたしの目の前に跪き、あたしの顔を覗き込んで、

 

「────────ぁ、」

 

 あたしは、その身体を、勢い良く、押し倒した。

 

 ◇◆◇

 

「セイバー!」

 

 現れてすぐに現状を理解したセイバーは、青い残像を走せて不可視の剣を構え、未だ戸惑うライダーへと襲いかかる。

 

「ッ────!!」

 

 声もなく、地を揺るがすほどの踏み込みを加えた一刀。あたりに轟音を撒き散らしながら、刃はライダーへと襲いかかる。

 しかしライダーもサーヴァントだ。その斬撃を確かに感知し、両手に持った杭を交差させることでどうにか受け止め、バイザーの下からセイバーを睨みつけた。

 

「セイバー、ライダーは殺すなよ!」

「ええ、わかっています」

 

 返事を返しながらセイバーはすぐさま杭の隙間から剣を抜き、勢い良く膝を振り上げ、ライダーの腹部へとねじり込む。

 

「か、は────」

 

 ライダーの短い悲鳴が聞こえた。そのままの勢いでセイバーはその身を捻り、無防備になったライダーの横っ腹へと回転蹴りを叩き込む。

 

 ライダーはなすすべもなくその身体を吹き飛ばし、壁に背中を叩きつけた。

 セイバーはその様子を見送ることもない。

 自身の蹴りがライダーの芯を捉えたとわかるや否や、地を蹴り、慎二との距離を詰めて行く────。

 

「ひっ……や、やめろ!!」

 

 逃げられるはずもない。慎二は無様に尻餅をつき、桜から話に聞いていた『本』を必死に右手に握りしめながら、怯えた視線でセイバーを見上げることしかできない。

 不可視の剣先が慎二の目前へと構えられる。ライダーが再び立ち上がる様子はない。

 

 誰が見てもわかるだろう。勝負ありだと。しかし、

 

「ふ、ふざけるな衛宮……なに勝ったような表情してるんだよ。僕はまだ、終わってないぞ!!」

 

 慎二の瞳から戦意は消えない。

 

「最後にもう一度聞くぞ、慎二。マスター権を放棄する気は無いか?」

「無いね。手放してたまるか!!」

 

 慎二の唾を飛ばしながらの返事に思わず溜息。仕方ない、とばかりにセイバーに目配せをして。

 

「ならいい。セイバー、その本を斬り捨てろ。そのためなら腕ごと斬っても構わない」

「良いのですか、シロウ────彼はシロウの友人では」

「今は美綴の身が最優先だ。それに、慎二は美綴の人生を踏みにじったんだ。それくらいしても当然だろう」

 

 怯える慎二を他所に、小さく首を横に振る。

 するとセイバーは一瞬戸惑った様子だったが、すぐにその剣を振り上げ、

 

「やめ、やめろ……やめて────!!」

 

 その右腕を、叩き斬った。

 慎二の右腕は血を撒き散らしながら宙を舞い、ぼとり、と音を立てて本を地面にとり落す。

 あとはもう簡単だった。そのままセイバーはその本に剣を突き刺し引き裂いて。同時に本はひとりでに燃え出し、この世から存在を消す。

 

 そこに残されたのは地面にくっきりとついた焦げ跡と、腕を切り落とされ────それでもなおマスター権に固執しているのか、傷口を抑えながらその焦げ跡にすがりつく慎二の姿だった。

 

 ◇◆◇

 

 ぽたり、ぽたり、ぽたり。

 音を立てながら血液が滴り落ち、畳を赤く染めて行く。

 部屋には血液特有の生臭さが広がり始め、あたしの『欲』を駆り立てる。

 呼吸が浅い。フー、フー、と聞こえてくるそれは、まるで獣のようで。自分のモノとは思えない。

 

「美綴、さん……どうしたの?」

 

 痛みで自我が舞い戻る。戸惑いの視線で昂ぶった感情が静まり返る。

 なんとか自分の腕に噛み付くことで難を逃れたのだ。自分の血だと満足こそはできないけれど、藤村先生の血を啜るよりは、こっちの方がよっぽどマシだった。

 唇を離した右腕にはくっきりとあたしの歯型がついていて、今も血が滴り落ちている。

 

 もうこの場にはいられない。これ以上藤村先生と居たら、自分が自分で居られなくなるような気がして。

 

『私は、貴女を殺すしかない』

 

 あの言葉が離れてくれない。脳裏にこびりついて、何度も何度も何度も何度も反響して。まるで、あたしに言い聞かせるように。

 セイバーさんとしばらく話して、良い人だってのはわかった。でもあの目は、冗談でも何でもない。あの人はたぶん、あたしが本当にそう(、、)なってしまった場合、躊躇いもなく殺すだろう。

 

 あたしはまだ人間だ。まだ、戻ることができる。

 

 首を振り、立ち上がる。とりあえず、居間には居られない。

 

「美綴さん、本当に大丈夫……?」

「はい、大丈夫です。しばらく、ひとりにしてください」

 

 自分は人間だ。自分は人間だ────既に治り始めた右腕の傷から必死に目を逸らしながら、藤村先生の視線を背中に受けて歩いて行く。

 好意を無下にする申し訳なさに、胸を焼かれながら、足早に。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 『血、赤色』

「おまえ、衛宮……!! なんてことしてくれてるんだよ!!」

 

 Tシャツの袖を引きちぎり、慎二の腕を止血してやりながら罵倒を受け。小さく溜息を吐き出す。

 

「こうでもしないと慎二、あの本を手放さなかっただろ」

 

 腕の断面図は綺麗なものだった。セイバーはスッパリと綺麗に斬ってくれたらしい。二の腕を半分ほど残して、そこから先が切り落とされる形だ。

 ちなみにライダーは本が燃えた時点で姿を消していて、おそらく桜の元へと帰ったのだろう。止血が済んだ頃には空に闇が落ち始め、そろそろ夜が訪れると告げている。

 

「これに懲りたら大人しくしてろ。俺は慎二を殺したいワケじゃない」

 

 そうだ。別に俺は何も、慎二が憎くて殺したくて仕方ないとかそういうことではない。

 聖杯戦争の参加者として、美綴をあんなにした犯人として────襲いかかるのなら斬り捨てるしかないと。ただそれだけだ。

 

 慎二の返事も待たずにその場を去る。一刻も早く家に帰って、美綴を元に戻してやらなくちゃいけない。

 

 間桐邸からウチまでは徒歩で15分ほど。日が沈む頃には家につけるだろう。

 

 気持ち急ぎながら、駆け足で。セイバーとも大した会話を繰り広げることもなく、衛宮邸までの道を進んでいく。

 

「ただいま」

 

 息を切らし、汗を流しながら。玄関の扉を開いて目に入った光景は、何やら戸惑いを浮かべる桜と藤ねえの姿。

 

 胸に焦燥が走る。何か、良くない予感がする。

 

 ────どうしたんだ? そんなひと言も、発することができない。

 

 しかし現実は不条理に。問いを投げなくても、ゆっくりと、最悪の方向へと進んでいく。

 

「し、士郎……美綴さんが、ウチの何処を探しても居ないのよ」

 

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 

 ふわふわ、ふわふわ。

 足取りが軽い。自分の体じゃないみたいだった。

 辺りには闇が広がっているのに視界は良好。目の前を逃げ惑う誰かの小さな呼吸音ですら聞き取ることができた。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。

 

 高揚感を胸に、湧き上がる欲に従い、まっすぐに、その背中を追いかけて。

 

 躊躇いもなくその首筋に食らいつき、ゴチソウを啜っていく。

 

 口の中に満ちるのは確かな満足感と、わずかな魔力。

 ああ、足らない。まだ足らない。もっと、もっと欲しいんだ。この程度じゃ、身体の疼きを止めることはできない。

 

 ずじゅ、じゅる、ずり、ずるる。

 

 下品な音は辺りに響き、いっそ艶めかしい空気まで放っている。まるでこの光景は一枚の絵画だ。きっと正しいことなのだと、錯覚させるほどに。

 

 ────違う。これは、これは。

 

 湧き上がる罪悪感と否定を欲と快感が押し殺す。

 淡い否定は食欲と快感の前では意味をなさない。無様に押しつぶされるしかないのだ。

 満たされていく。充たされていく。ずっと欠けていた心が、ずっと欠けていた何かが喜びをあげて、喉が潤い、そして、

 

「ぁ────、あたしは、」

 

 思考は、現実に回帰する。

 

「ちがう」

 

 必死に首を振り、否定する。違う。あたしは、本当に心の底から、コレを願ったわけじゃない。違う。吸ったのは、あたしじゃない。

 否定しても、いくら首を振っても、喉の潤いと口の中の血の味、心が充たされたような満足感が、現実を叩きつけてくる。

 あたりを見回せば、見慣れた景色が見える。

 深山町の住宅街の何処かだ。目の前に転がる死体はきっと、ここに住む住人のものだろう。

 

「やだ、やだ、違う、違うんだ」

 

 いやだ。こんなのは違う。あたしは普通の人間だった。普通の人間だったはずなのに。

 誰かに見られるわけにはいかない。だめだ。早く、この場から離れないと。

 早く逃げ出さないと。その一心で、身を翻したところで。

 

「……美綴」

 

 最悪のタイミングで、一番見られたくなかった人が、あたしの前に現れたのだった。

 

 

 ◇Interlude out◇

 

 

 ひたすら駆け回り、挙句に深い闇が広がる路地でソレは見つかった。

 一見(いっけん)艶めかしいとまで感じさせる光景。見慣れた女が、見知らぬ女の首筋に顔を埋め、その生命を啜る光景。

 定期的に聞こえてくる水音は俺の劣情を煽り、まるで誘惑されているようだった。

 

「やだ、やだ、違う、違うんだ」

 

 立ち上がり、焦ったように声を上げる美綴。首を大きく横に振りながら、振り返るその姿に。

 

「……美綴」

 

 俺は、思わず声をかけてしまった。何もかける言葉は見つからない────けれど、ここで何か声をかけなければ、美綴の大切な何かが壊れてしまうような気がして。

 

「違う、違うんだよ衛宮。これは……だめ、やだ、見ないで」

 

 美綴は必死に、口元に付着した血液を両手で隠しながら狼狽えて。一歩、一歩と俺から遠ざかっていく。

 途端に、びちゃり、と。何か足元で水っぽい音がして、恐る恐る視線を下に向ける。

 美綴の視線の先には死体(自分の犯した罪)がある。

 ソレはまるで美綴へと罪を突きつけているような。

 

「……シロウ、ミツヅリは」

 

 同時に、背後から声がした。俺と一緒に美綴を探し回っていたセイバーのものだった。

 セイバーは怯える美綴を見るなり、鎧へと換装。同時に不可視の剣を構えて、俺の横顔へと視線を送る。

 

「シロウ、指示を。おそらく、ああなった美綴は助けることができません」

「ま、待って衛宮、あたしは、」

 

 剣気を向けるセイバーと、狼狽えた様子で俺を見る美綴。

 胃がキリキリと絞められるような感覚だった。今までにない程に、重要な選択を迫られている。

 

『僕はね。正義の味方に────』

 

 俺が正義の味方なのだとしたら。この街の住人の命を優先すべきだろう。

 俺は見てしまったんだ。美綴の捕食を。そして、命が潰える瞬間を。

 

 だとしたら、下すべき決断はひとつじゃないか。

 

「……ダメだ、セイバー。美綴は殺すな」

 

 だっていうのに、俺は。美綴は助けることができる────そんな奇跡に、縋り付く。

 

「何故ですかシロウ! 言ったはずです。もうアレ(、、)は助けるコトができない────だというのなら、ここで楽に……」

「うるさい。美綴のことは助けるし、殺させない。それでも俺の指示に従わないってんなら令呪を使うぞ!!」

 

 俺には美綴を殺すなんてことはできない。殺させるだなんてことはできない。

 だって、美綴にはなんの罪もないんだから。コイツは、いつも通りの日常を送っていた……それだけなのに。

 たったひとつのことで、たった一瞬で、その日常を壊されてしまった。美綴は被害者であって加害者(倒すべき悪)ではない。だから。

 

 一画欠けて、やや不恰好になった令呪をセイバーに見せつける。同時にセイバーの表情は歪み、小さく唸りを上げた。

 

「この意味がわかるなセイバー。確かに街のひとたちの命は大事だし、だというならここで美綴を殺すことは必要かもしれない。……けど、セイバーにとっては聖杯戦争も大事なはずだ」

 

 令呪はとても大事なものだと聞いている。でも万が一、セイバーが言うコトを聞かないのならここで一画切ることに躊躇いなんてものはない。

 その覚悟が伝わったのかセイバーは大きくため息を吐いて、

 

「…………ッ、わかりました。シロウがそういうのなら、従いましょう」

 

 大人しく、構えた剣を下ろす。

 

 しかし、その武装が解かれることはなかった。

 

「ふふ、甘いなあ。すごく甘い」

 

 新たにそこに響く声。

 俺たちの視線は同時に一点に集まり、声の主へと釘付けにされる。

 美綴の更に後ろから現れた影。月明かりに反射する白い髪と、夜闇でも嫌という程に目立つ赤い瞳。

 その瞳は、美綴とセイバーのことは捉えていない。一直線に、俺のことだけを見つめている。

 

「こんばんは。随分と面白いことになってるね、お兄ちゃん?」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン────イリヤはいつかの夜と同じように。場違いなほどに楽しそうな笑みを浮かべて、小首を傾げるのだった。




そんなこんなで一章完結です。今回は美綴の捕食シーンを士郎が目撃したあたりから、『Armour Zone』や『あんなに一緒だったのに』、『STYX HELIX』なんかを流しながら読んでいただくと良い感じに仕上がってます。……仕上がってるよね?
書けば書くほど士郎の歪さ、セイバーに対するバッドコミュニケーションが目立つようになってきました。なんだかんだでこのルートのセイバーの扱いは結構ひどいかもしれません……それから慎二も。
慎二に関してはコレからも意味をキチンと持たせて動かしていきたいとは思ってます。ここで捨てるにはかなり勿体無いですからね、彼。
美綴にはこれからもっと負の方向へとハマって行っていただく次第です。生暖かい目で見守っていただけると幸いです。

さて、次回からは2章が始まります。いつだったか言った通り、2章からはゆっくり展開していきますんで……こんなに鬼早な展開にはならない、んじゃないかな?とは、思ってます。
ここで言い切らずに保険をかけていくのは悪い癖ということでひとつ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 第8話 『導入。捕食』

 これは、衛宮士郎が美綴綾子の捕食現場を目撃したのと同時刻。別の舞台で起きた出来事である。

 柳洞寺には静寂が満ち、境内に見えるのはただひとりの女の姿。

 女は夜闇に溶け込むようなローブを身にまとい、思わず震え上がるような寒さの中白い息を吐き出した。

 ソレは溜息。ため息から呆れが色濃く見える。

 

「……あの坊や、わざわざ結界まで貼ってあげたというのに。あんなに簡単に負けてしまうだなんて」

 

 視界は間桐邸の方角へと向いており、『坊や』というのは間桐慎二を指すものだろう。

 この女の存在を嗅ぎつけ、力を貸せと慎二が詰め寄って来たのはつい数時間前の出来事。

 なんでも、衛宮士郎という男を叩き潰したいらしかった。聖杯戦争の参加者を減らすことができるとなれば女としても得るものは多いし、手を貸してみたものなのだが。

 結果は酷いものだった。士郎ひとりを結界の内部に閉じ込めたところまでは良い。何を血迷ったのか慎二はすぐに殺すことをせず、弄ぶような指示を出してしまったのだ。

 おそらく慎二の性格故に。楽には殺さないという意思が、皮肉にも士郎を救った。

 

「……骨折り損、だったかしらね」

 

 力を貸すのなら次からは相手を選ぼう、と心に決めたところで。自身が呼び出したサーヴァント────アサシンの様子を伺おうと長階段へと歩み寄り、

 

「────────は?」

 

 その光景に、目を見開く。

 女は理解ができなかった。そこにはアサシンの姿はなく、階段に残されているのはアサシンが使っていたはずの長い刀のみ。

 その刀すらも今粒子と化して空気に霧散し始め、アサシンの死滅を示している。

 

 ────理解できない。一体何が。何が、あったのか。

 

 予想外の出来事に頭を抱える女を他所に、偵察のため辺りを見下ろしていたアインツベルンの使い魔である半透明の鳥は、その一部始終を確かに見た。

 

 アサシンと思われる着物の男の肋骨(あばら)を開き、黒い何かの影が飛び出したその現場を。

 

 

 ────そして、女に迫る赤い影を。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「くそ、くそ、くそ……!!」

 

 斬り落とされた腕の痛みはもはや無い。血液を流しすぎたのか、足取りがフラフラと覚束ない。

 そもそも右手を失ったというのが大きかった。普段のように歩こうとするとバランスを崩し、その場に転げそうになってしまう。

 

 こんなはずじゃなかったのに。

 

 さっきから頭を埋め尽くすのはソレばかりだ。僕はもっと戦えた。こんなところで、こんなことになるはずじゃなかったのに。

 ライダーのマスター権は今桜に戻った。偽臣の書を作らせるにも衛宮の所にいるのなら、無理やりもう一度、というのは難しい。

 

「なんだってんだよ……!」

 

 逃げ帰るしか無い自分に嫌気がさす。いつもは十分たらずで上がれる坂もやけに長く感じる。

 四十分ほどでなんとか坂を上がり、家の門を開く。

 やっと家に着いた安堵からか、何度か転げながら。やっとの思いで家の扉をくぐった。

 

「ほぅ……帰って来たか」

 

 ため息混じりに、なにやら不満げに迎え入れてくれたのは爺さんだった。

 爺さんはまたよくわからない研究でもしていたのか、足元に黒い人型の何かが転がっているのが見える。

 

「右腕を失ってもなお、まだ戦いたい……と言いたげな視線じゃな」

「当然だろ。僕はこんなところで終わって良いわけない……もっと、もっと、僕は!」

 

 考えることもない。即答だった。

 僕はこんなところで負けちゃいけない。もっと上に行けるはずだ。だから、こんなところでくすぶっているのは違う────!!

 

 僕の視線からその全てを悟ったのか、爺さんはいつもの嫌な笑みを浮かべ、何度か頷きを返す。

 後に足元の黒い人型を指さすと、

 

「そうか。なら、これを食え(、、)

 

 なんでもないことのように、サラリと言い捨てた。

 

「これはサーヴァント……その出来損ないでな。こやつは数度捕食を行わない限りサーヴァントとして正確に動くところか、言語を話すことすらも難しい」

 

 視線が人型(ソレ)から離れない。ソイツは不気味な髑髏の仮面を顔にはめ込み、その下から、感情の読めない視線を僕へと向けている。

 

「故に、食ってしまえ。古来から人間は自分より強い者の肉を喰らい、自身の力へと変えて来た。其奴を食い、自身の力へと変えれば良い」

「何を言って────」

「これを喰らい、これに勝てばもう一度戦うことができるぞ?」

 

 もう一度、戦える。

 

 ソレは確かに僕の望みであり、過程である。願っても無いことだ。

 でも僕はあの美綴が苦しむ姿を見てしまっている。サーヴァントの魔力を微量でも取り込んだだけでアレだ。その肉を喰らい、取り込むとなれば、どうなるのか。

 

 これを平らげた後、間桐慎二(ぼく)は残っているのだろうか。

 

「やるのか、やらないのか。お前さんが『やらない』と選択した場合、コレの一番最初の養分となるのはおまえじゃ。残された選択肢は、戦って死ぬか、戦わずして死ぬか────」

 

 声が怪しく頭に響く。思考能力を削いでいく。

 

「さあ、どっちじゃ?」

 

 トドメのように吐き出された問いに、僕は、一心不乱に、その人型へと食らいついていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 『協定、胸に突き刺さった言葉』

 柳洞寺には何かがある。そう睨まない方が可笑しい。

 だって、あそこは魔力的な観点で最高の立地だ。聖杯戦争の参加者が誰も陣取らない、なんて楽観的に考えられるような場所じゃない。

 一般人を巻き込んではいけない、という暗黙の了解はあるけれど……暗示なりなんなり、やりようはあるはずだし。

「どう、アーチャー。何か感じる?」

 柳洞寺に向かって駆けながら、アーチャーの気配へ問いかける。今は姿を消しているけれど、なんだか顎に指を添えて、いつもの考え込むポーズを取ったような気がした。

『……妙だ』

「妙って、何が?」

『ついさっきまでサーヴァントの気配が二つあった。しかし交戦の気配もなく、その気配のひとつが消え去ってな』

 なるほど、確かに妙だと頷きを返す。

 サーヴァント同士の交戦となれば、わたしでも魔力の余波を感じ取れるはずだ。だっていうのにその気配すら無しに、片方の反応が消えるなんて────。

「だったらなおのコト、今日見に行くって決めてよかったかもね。急ぎましょう、アーチャー」

『了解した』

 言って、地を蹴り跳びあがる。同時にアーチャーが姿を現し、私を抱え込んでくれた。

 正直自分の足で走るよりはよっぽど早いし。この調子だと、大して時間もかからないだろう。

 

 予想通り、十分もしないうちに柳洞寺にはたどり着くことができた。

 何やら寺の周辺には強力な結界が張ってあり、なんというか……『イカニモ』って感じでため息が出る。

「これじゃあここに居ますよーって言ってるようなものじゃない」

「そうだな。コレは絶対的な自信の表れか……はたまた」

 皮肉気に笑うアーチャーと、ゆっくりと階段を上がっていく。

 何やら魔力の残滓を感じるだけで、結界以外は特に異常を感じない。むしろ静かすぎるくらいだった。

「……私たちに気付いて隠れてる?」

 可能性がないワケではないだろう。サーヴァントの気配の消失────つまりは、ついさっき何かがあったことは確かなわけだし。手負いだとか、そういう。

 そんな疑問を抱えながら、境内への階段を上りきった。それと、同時。

 

「凛!!」

 

 突然、背後で魔力の気配が膨れ上がったのを感じた。

 すぐさまアーチャーがわたしの身体を突き飛ばし、いつの間にか呼びだしていた自身の宝具、夫妻剣を振るう。

 私が寸前まで居たそこにはローブの女が居た。纏っている魔力量から、ソイツがサーヴァントだと嫌でもわかる。恐らく、クラスはキャスター。

 キャスターは、対の剣による連撃を躱して掌をアーチャーに向けて、

「────Gewicht,(重力、) um zu(束縛、) Verdoppelung(両極硝)!!」

 嫌な予感がして、思わず反射で黒曜石を投げつけた。

 紡いだ呪文は重力束縛のソレ。しかしキャスターは一瞬だけ動きを止めただけで、生み出された過重力空間をすぐさま破って見せる。

「クソ……!」

 けた違いだとわかりきってはいたけど腹が立つ。こんなにも簡単に破られてしまうものなのか。

「────!!」

 歯噛みする私を他所に、再び剣を振るうアーチャー。しかし相手は浮遊し、一瞬で剣の間合いから離れて見せる。

 そして、空に浮かぶ無数の魔法陣。視認できるだけで五十────いや、六十。

「なによ、アレ」

 その全てが『魔法』レベルのソレだった。ソレを、一瞬でこんな。

 私の驚愕の声と同時に、魔法陣から魔力の暴力が放たれる。地を抉り、大地を震わす魔力の塊が、凄まじい速度で。

「アーチャー!!」

 アーチャーは私の叫びには答えない。一発、二発、三発まではその攻撃全てを躱して見せた。

 しかし、次弾からはそうはいかない。魔弾が生み出す揺れに足を取られ、その一瞬の隙を突かれた。一発がアーチャーの肩を掠め、間を置かずに次は腹部────直撃は免れない。

 一瞬にしてその巨躯が吹き飛び、地面に叩きつけられた。小さな舌打ちが聞こえてくる。

 正直、宝石を投げつけて魔弾を相殺────しきれてないけど────するので精一杯だった。ここまで魔法レベルの攻撃を乱発されるなんて予想できるわけがない。

 撤退の二文字が脳裏に浮かぶ。令呪の一画を切ってでも、今回は退くべきか────?

「奇遇だなァ! どうやら、おまえさんとは縁があるらしい!」

 そんな思考をかき消すように、豪快な笑い声が境内に響いた。

 轟音を立てて飛来する赤い槍。ソレはキャスターの身体を確かに貫き、フードの下の表情を初めて苦痛にゆがめて見せる。

「ランサー!?」

 そう、現れたのはランサー。あの夜、学校で相対した相手だった。

 ランサーはその長い髪を風に揺らしながら、変わらず楽しそうな笑みを浮かべている。

「よう、嬢ちゃん。奇遇っつったけどまあ、マスターからおまえさんを守れって命令があってな。困ってんなら手を貸すぜ」

 地面に刺さった槍を抜きながら、笑顔を向けてのひと言。

 ランサーのマスターは誰か知らないけれど、正直この申し出はありがたい。私ひとりでどうにかできる相手かと聞かれたら、悔しいけど答えはノーだ。

「……余計なお世話だ、ランサー」

 けれど、アーチャーは別だったようで。再び舌打ちを交えると、ゆっくりとそのまま立ち上がる。

「なーに言ってんだよ。そんな泥だらけのジャガイモみてーな面して……傷、まだ痛むんだろ」

 そんなアーチャーに向かって、ランサーは豪快に笑い飛ばす。

 ……いや、待った。今傷が痛むって。

「アーチャー、傷治ったんじゃなかったの?!」

 数時間前、学校から帰ってきた私はアーチャーから「傷は完治した」と聞いたから柳洞寺の調査に踏み切ったワケだ。

 なんでランサーがアーチャーの傷のことを知っているのかは別として、そう聞いてしまえば話はまた違ってくる。

 正直、私としてはここでキャスターを倒しきるつもりだった。けれど、

「……ランサー、一旦協力しましょう。私たちだけじゃ、この場から逃げることも叶わないわ」

 アーチャーには悪いけれど、ここはランサーと手を組むしかない。アーチャーの反対を押し切ってでも。

「今回はなるべくキャスターにダメージを与えつつ撤退!」

「了解。足引っ張んじゃねえぞ、アーチャー!」

 

 ◇◆◇

 

「キミは、バーサーカーの────」

 夜闇に紛れて現れた白い少女。俺に笑顔を向けるその子は、バーサーカーのマスター、イリヤだった。

 その笑顔を見て、微笑ましいはずのソレを見て、腹部に痛みを幻覚する。

 思っていたより、あの夜のことはトラウマになっていたらしい。当然だ。俺はこの子のサーヴァントに、腹をかっぴらかれたんだから。

「イリヤって呼んでって言ったのに……意地悪なお兄ちゃん」

 しかしイリヤはそんな俺を他所に、場違いなほど明るい声音で。唇を尖らせてむくれて見せる。

 正直俺の頭の中には『撤退』の二文字しかない。今まともにバーサーカーとやりあっても、勝てる気はしないし────、

「心配いらないよ。バーサーカーなら置いてきてるから」

 そんな俺の思考を読むように、イリヤはにこりと笑いかける。

「バーサーカーは、置いてきた……?」

「うん。今回はお兄ちゃんと……そこの吸血鬼の様子を、見に来ただけ」

 顔を見に来ただけ。そんなの信用できるわけないけど……セイバーに視線を向けてやると、視線の意図を汲み取ってくれたのか、小さく頷きを返してくれた。

 どうやら本当にバーサーカーは居ないらしい。なんというか、本当にこの子の行動は読めないんだ。

「にしてもビックリ。あんなにお腹を斬られたのに、綺麗さっぱり治ってるんだ?」

「……ああ、俺にも仕掛けはわからないけどな」

 警戒を解いたわけではない。けど向こうに敵意がないなら、と。会話を繰り返す。

「……へえ、わからないんだ。そっか、ふーん」

 俺の応えが何やら意外だったようで、イリヤは数度頷くと美綴に視線を向けて。

 

「じゃあ、お兄ちゃんの復活記念に三つ良いことを教えてあげる」

 

 ……意図が読めない。表情を見る感じ、本当にイリヤは善意で言っているらしい。

 けど、これは敵に塩を送る行為というか……いや、内容によりけりだとは思うが。

 戸惑う俺を他所に、イリヤの話は進んでいく。

「まず、その子は助からない。もうサーヴァントの魔力が体になじんで、戻れない所まで来てるよ。きっと、こんなにした犯人(ライダー)でも治せない。お兄ちゃんもセイバーも気付いてるとは思うけど、その子にずっと魔力を与え続けるしかないんじゃないかな」

「……そんなことは今更言わなくたってわかってるよ」

「わかってないから言ってるんだよ、お兄ちゃん。令呪を使ってまでその子の命を助ける、なんて甘い事言ってるんだもん。わかってたとしても、その子の脅威を理解してない」

 返す言葉がない。甘い事を、ふざけたことを言っている────それは否定のしようがない事実だ。

 街を救うなら、美綴を楽にしてやりたいなら、ここで殺すべきだとイリヤは言っているのだろう。

「その子はそのまま放っておけば街中の人間の血を吸うわ。そうなれば、聖杯戦争どころじゃなくなる」

 わかってる。わかってるさ、そんなことは。それでも俺は、美綴を。

「でも助けたい、そうでしょ?」

「……イリヤは俺が考えてること、丸わかりなんだな」

「うん。だって、シロウが考えてることは単純なんだもん」

 心を覗かれているようで気味が悪い。だから、この子と話しているときは気が抜けないんだ。

「だから、良い事の二つ目。お兄ちゃんの回復力の正体を教えてあげる」

「────知ってるのか、イリヤ」

 次いで投げつけられた言葉に、思わず目を見開く。

 俺も、セイバーも検討のつかなかった回復力の正体。ソレを、この子は知っている、と。

「うん。お兄ちゃんは、アーサー王伝説を知ってるでしょう?」

「……ああ、円卓の騎士の」

 アーサー王。その単語にセイバーは肩を小さく跳ねさせ、イリヤは何やらしたり顔を浮かべた。

「そのアーサー王伝説に出てくる、聖剣エクスカリバーの鞘。ソレが、お兄ちゃんの身体の中にあって……お兄ちゃんの身体を治癒してるの」

「エクスカリバーの、鞘────?! なんで、そんなものが」

「ふふ、ソレは今回のサービス圏外だから教えてあげなーい」

 重要なところははぐらかされるんだな……でも、イリヤの言いたいことはわかった。

 エクスカリバーの鞘と言えば、持ち主に不老不死と異様なまでもの回復能力を与えると言われている。

 それなら魔力も、傷も無限に回復するだろう────なら、美綴に、俺が血液(魔力)を提供しろ、と。

「それから、一番最後。三つ目。アーチャーのマスターと、ランサーのマスターが手を組んだみたい。頑張って、そのコを守ってね」

「遠坂と、ランサーが」

 確かに良い事を聞いた。でもそれはすごく困る。

 遠坂に美綴のことがバレれば、アイツは真っ先に殺しに来るだろう。アイツとアーチャーだけなら何とかすることができたかもしれない。でもランサーまで一緒となると、話は解らなくなってしまう。

「面白くなってきたね、お兄ちゃん?」

「……面白いもんか。敵が増えたんだぞ」

「なんで? だって────」

 俺の言葉に、イリヤは心底疑問気に。首を傾げながら、深く、赤い瞳で俺の目を見つめてきた。

 彼女の周りの現実が歪んでいくような、呑まれていくような幻覚を覚える。そして、

 

「シロウは、正義の味方になりたいんでしょう?」

 

 その言葉は、深く、深く、俺の胸に突き刺さる。

 

『正義の味方に、なりたかったんだ』『喜べ少年。キミの願いは、ようやく叶う』『切嗣さんは士郎の憧れだもんね────』

 

 思考を記憶が塗りつぶす。声が反響する。うるさい。少し、静かにしててくれ。

「なにを、」

「だって、正義の味方は守るべきものと『悪』が存在しないと成立しない。今の状況は願ったりかなったりじゃないの? そのために、シロウはそのコを守ってるんでしょう?」

 イリヤの瞳は俺の戸惑いを見逃さない。逃がさない。

「シロウは今の自分に酔ってるだけ。正義の味方になれそうな自分が大事だから、そのコを生かす選択を取った。違う?」

「そんな……」

 俺は美綴を助けられなかった罪悪感から、美綴を元に戻そうと足掻き始めた。

 

 ────果たしてそうか?

 

 俺は、心のどこかで喜んでたんじゃないのか? これなら切嗣の夢を叶えられる────正義の味方になれるって。

 

「……否定、仕切れないでしょう? でもわたしは、シロウのやりたいようにやらせてあげたいから。ただ、それだけ」

 思考の沼に呑まれる俺を他所に、イリヤは背を向けて。

「じゃあね、お兄ちゃん。死なないように頑張って」

 この場に似合わぬスキップで、闇夜に再び消えていく。

 その背中を追いかける気すら起きなくて。イリヤの言葉は、俺の胸に深々と突き刺さったまま、離れてくれなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 『涙』

 押さえ込んだ腹部から、とめどなく血液が溢れ出ている。

 呼吸が浅い。なんとか大きく繰り返そうとするも、腹部に空いた大穴が邪魔しているようだった。

 

「ふ、ぅ、っ、っ────」

 

 ゆっくり、ゆっくりと治癒の魔術をかけていく。

 魔力源に配慮する必要はない。この柳洞寺から無限に魔力を組み上げる術式を組み上げてあるからだ。

 ……しかし。

 

「……まさか、術式まで破壊されるなんて」

 

 それも、もうじきに終わる。

 辺りを見回せば、視界に映るのは変わり果てた柳洞寺だ。あちこちに転がる地面だったものと、術式だったもの。ついでに住民はとっくに避難済みと来た。周到すぎて頭にくる。

 寸分の狂いもない、完璧な私への攻撃と逃亡。これは、少し厳しい戦いになるかもしれない。

「キャスター、無事か?」

 ふと、声が聞こえた。

 境内へと続く、長い長い階段。そこを駆け足で上がって来たのは私のマスター────宗一郎様。

 いつもの無表情が顔にはりついているものの、その奥からは心配しているのか、不安の色が若干見て取れた。

「ええ、平気です……しかし、アサシンを倒されたばかりか、結界まで壊されてしまいました……」

 どんな方法を使ったかはわからない。けれど、おそらくアサシンを倒したのはアーチャーかランサー(あのどちらか)だろう。これから用心しなくてはいけない。

「……そうか。戦力に問題は?」

「正直、問題しかありません。ランサーとアーチャーが手を組んだようでした」

 ここで見栄を張っても仕方がない。正直、これから勝ち上がるのは難しいだろう。

 新しい工房を確保し、そして……おそらく、新しい仲間も必要だ。

「……でも私がどうにかします。マスターは、いつも通りに生活していてください」

 ……そう、私がどうにかしなくてはいけない。どうにか、しなくては。

 この人を巻き込んだのは私なのだから。

 

「そうか。わかった」

 

 振り返り、寺院に向かって歩みを進めて。背中に我が主の声を聞く。

 その声は何処か、ほんの少しだけ、不安に揺れている気がした。

 

 ◇◆◇

 

 マスターに会わせたい。

 柳洞寺を出たランサーはいつものニヤケ顔でそう言うと、私たちを先行するように歩き出した。

 足を進めるペースが遅いのはきっと、疲れている私に配慮してのことだろう。

 しかしまあ、停戦協定────別陣営との協力。最初は衛宮くんの所としよう、なんて考えていたものだけど。戦力的な不満はないか。

「けど意外だったわ。貴方のほうから、協定を申し出てくるなんて」

 あくまでもイメージだけれど、ランサーは何処か一匹狼を好むような印象があった。

 私の言葉を受けてランサーは振り返り、いつものニヤケ顔で、

「いやな、マスターも気が変わったらしくてよ。この聖杯戦争は色々と可笑しいだとかなんとかで」

「色々と、ねえ」

 確かにこの聖杯戦争はおかしい。

 前回の聖杯戦争────第四次聖杯戦争から、まだ十年しか経っていないのだから。聖杯が願いを叶えるのにあたって、必要な魔力は足りないはずなのに。

 色々と、なんて言い方をしたからにはランサーとそのマスターは他の『異常』と呼ばれるような要素を見つけているのかもしれない。対面した時に情報を共有しなければ。

 なんて物思いに耽りながら進んでいくのは、私のよく見慣れた道。

 心臓破りの急激な坂を登り、まさか、なんて気持ちを私の胸に抱かせながら、ランサーの足取りはまっすぐに。

 見えてきたのは冬木教会だ。私の、あまり会いたくない相手がいる場所。

 ランサーはゆるりと教会の扉を開いて、

 

「よく来たな、凛。……いや、アーチャーのマスター、とでも呼ぶべきかな?」

 

 ……こういう時の嫌な予感というのは的中するものだ。

 教会の、祭壇へと続く長い道。そのど真ん中に、見慣れた……なるべく見たくはなかった姿が、両腕を広げて立っていた。

 名を言峰(ことみね) 綺礼(きれい)。この冬木教会の神父で、冬木で起きている聖杯戦争の管理者。

 

「……なるほど。アンタがランサーのマスターだったワケね」

 

 ────それから、ランサーのマスター。

 正直、予想していなかったというワケではない。この男は前回の聖杯戦争に、ひとりのマスターとして参加しているのだから。

 ……私の、父親と一緒に。

「だったらなおのこと意外だわ。アンタが、私と協定だなんて」

 そう、最初にぶつかり合った時から姿を見せなかったのは、おそらく『管理者でありマスター』という利点を通すためだろう。綺礼の好みそうな戦略だ。

 でもその利点を潰してまで、私に協定を申し出てきた。つまりは、それだけの理由があるということだろうし。

「……おや、凛。まだ知らないのかね」

「知らないって、何がよ?」

 一瞬、小さく目を見開いてから、綺礼はいつものムカつく笑みを浮かべる。

 くつくつと数秒笑いを漏らした後、「いや、」なんて前置きをして、

「知らないのならいい。さて、凛。次なる目標は?」

 ……これがコイツのムカつくところだ。本当に、本当にムカつく。

 で、次の目標ときたか。アーチャーの傷を治さなくちゃいけないのが、一番ではあるけれど。

「……あれで、もうキャスターは身動きがしばらく取れないはず。そこを叩くのもいいけど、まずはバーサーカーが優先かしら。アーチャーとランサーなら、倒せるかもしれないし」

 セイバーは、後回しでもいい。なんなら、他のメンツと戦って弱っているところを叩いてもいいくらいだ。そこまでしないと倒せない────そう思わせられるほどの迫力が、彼女からは感じられた。

 戦力は蓄えた。なら、バーサーカーを叩くべきだろう。

 アイツは、一筋縄ではいかない。早めに倒しておかなければ。

 

 ◇◆◇

 

 かち、かち、かち、と。秒針の音だけが部屋に響いている。

 居間にいるのは美綴と、セイバー、桜、俺。

 そして、それに囲われるように座り込んだライダーの姿だった。

 バイザーで隠れているものの、ライダーの表情は浮かないとわかる。その表情が、ことの深刻さを表しているようだった。

「……申し訳ありません、アヤコ」

「いいって、気にしないでください。……これは事故なんだし」

 首筋を抑えながら苦笑いを浮かべる美綴と、頭を深く下げるライダー。

 結論から言うと、美綴はライダーでは治すことができなかった。体を侵しているライダーの魔力は、既に深く美綴に染み付いてしまっている。

 ……わかってはいた。わかってはいたさ。それでも、だとしても。胸が痛む。

「体調は大丈夫か、美綴? つらくなったらいつでも言うんだぞ」

「ん。衛宮もありがとね……今はだいぶ、落ち着いてる」

 美綴の言葉に、おそらく嘘はない。それでも言葉の節々が震えていて、ほんの少し無理をしていることはわかる。

「……今日はもう、休むから。迷惑かけてごめんね、桜、衛宮……」

 一瞬、美綴の視線がセイバーに向く。

 セイバーはと言うと、視線すら合わせず、正座をしたまま静かに瞼を閉じているだけ。

 

『もうアレは助けることができない────だというのなら、』

 

 ……あの時の美綴に向けられた殺気と、言葉。ソレは、強く俺の脳裏にまでへばりついている。

 だとしたら、美綴は。ソレを向けられた本人は、どれほどショックだったんだろう。決して、忘れることはできないものだったんだろう。

 数度、何かセイバーに言おうとしたのか口を開いて。息だけを漏らし、諦めたように居間を出て行く美綴。

 その背中になんと言葉をかければいいのか。そんなことはわからぬまま、美綴を追いかけるように居間を出た。

 廊下に、俺と美綴の足音だけが響いている。

 美綴、なんて名前を呼んでやることすらできずに。ただひたすら、無言で。

 何時間にも感じるような、突き刺さるような無言が続いて、気がつけば美綴に貸している部屋の前に辿り着いていた。

 いつも生活している『本館』から少し離れた、『別館』の一室。和風で統一してある本館に対して、何処と無く洋風な雰囲気を受ける部屋だ。

「……美綴」

 ようやく、振り絞るように名前を呼ぶ。

 部屋の扉に手をかけていた美綴はゆっくりと振り返り、一瞬見えた沈んだ表情を、すぐにいつもの柔らかい笑みへと変えて。

「なーに、衛宮」

 胸が痛い。肺のあたりが焼けるような感覚がする。

 もやもやと、蟠っていく何か。このままではいけない、という気持ちだけが俺の中ではっきりしている。

 このまま何も言えなければ────このまま何も言わなければ、美綴は何処か遠くへ行ってしまう。そんな気がして。

 

「……無理、するなよ」

 

 やっと絞り出せたのは、そんな月並みの言葉。でもそんな言葉ですら、美綴の感情を揺さぶったらしい。

 

「……無理、なんて」

 

 唇を噛み締めて、肩を震わせて、美綴は静かに否定する。

 無理なんてしてない。自分にそう、言い聞かせるように。

 

「……そんな不恰好な笑顔浮かべておいて、無理してないなんて嘘をつくのはやめろ。つらいのなんて、当たり前なんだから」

 

 そう、当たり前。当たり前のはずなんだ。

 つい最近まですぐそこにあったはずの日常が、今は手を伸ばしても届かない。気がつけば自分だけが、何処か遠いところに取り残されているんだから。

 

「でも、また衛宮たちに迷惑をかけるし……」

「いいんだよ、迷惑なんていくらでもかけて。俺も────きっと、桜も気になんてしない」

 

 そう、だからいくらでも頼ればいい。我慢なんてすることはない。

 手を伸ばしても『日常』に手が届かないのなら、普通ではない者(魔術師)に、近しい者にしがみつけばいい。

 

「我慢なんて、しなくていい」

「────、────」

 

 それが、決定打だったのかもしれない。

 溜め込んだ涙が美綴の瞳から流れ出し、強く握りしめた拳で、自分の腿を叩いて。

 

「……嫌だ。死にたく、ない」

 

 振り絞るように、言った。

 

 死にたくない。嫌だ。繰り返し吐き出される弱音は止めどなく、俺に向けられた視線は涙に濡れ、揺れている。

 そんな俺に、できることがあるとすれば。

 

「……ああ、当然だ。だから、美綴」

 

 そっと、握りしめられた美綴の手を取り、そして、

 

「俺の血を吸え」




お久しぶりです。あけましておめでとうございます。
私ごとではありますが、とうとう前回のコミケ────C95にてコミケデビューをしました。いぇーい。
それにあたって前まで書いていた作品、Gluhen Clarentの更新を「本当に気が向いたら」なんて位置付けにさせてもらいます。ごめんなさい。
加筆、修正したいところが多すぎて。それに、冬コミでこの作品を本にさせていただいたところが理由としては大きいと思います。何卒ご理解お願いします……。
ただ、こちらの作品は最後まで駆け抜けさせていただく所存です。これからも付いてきてくれたらな、なんて思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 『溶け混じる赤い命』

 広がっているのはただひたすらの暗闇。頼りにする明かりは一切なく、本館から離れているせいで桜たちの話し声すら聞こえてこない。

「……衛宮」

 そんな静寂と暗闇の中、控えめな声で名前を呼ばれた。

 思わず肩を跳ねさせながら、『ここにいる』と主張してやるように、震える美綴の手のひらを握って。

「どうかしたか?」

「本当に、いいの?」

 投げかけられた問いに、頷きだけで応えを返す。

 すると布が擦れる音が数秒続いて、俺の身体に暖かさと、ほんの少しの重みがのしかかってきた。

 女の子独特の柔らかさと、甘い匂い。そして首筋にかかる、戸惑ったような息遣い。

 暗闇の中でも、美綴の視線が俺の首筋に突き刺さっているのがわかる。

 

「良いよ。でも、ちょっと待ってな」

 

 言って、ゆっくりとシャツを脱ぎ捨てる。このままじゃ首筋を邪魔するだろうし、シャツを血で汚しちゃいけない。

 その間も美綴の喉からは息をのむ音が聞こえて、思わず小さく笑みを漏らす。

 とうとう露出した首筋。そして、

 

「────、っ、」

 

 どうぞ、なんて声をかける前に。首筋に、小さな痛みが走った。

 吸血種になった影響か、普通の人間より鋭い犬歯が、俺の肌を貫く。

 同時に身体から何かが抜けていくような感覚がして、ふわり、と、何故か宙に浮いているような錯覚を覚えた。

 

「は、っ────」

 

 小さく息が漏れた。別に痛みを覚えているわけではない。自然と、口から抜け落ちるような小さな吐息。

 そんな吐息をかき消すように、部屋には生き血を啜る音が響く。

 

 じゅる、ずず、ず。

 

 首筋へと這う舌。唇は執拗に傷跡に吸い付いて、ぞわりぞわりと背中に震えが走った。

 

「ぁ……っ、は」

 

 身体から大事なものが抜け落ちていく。それこそ『生命』そのものが奪われ、そしてすぐさま補填されていく。

 身体に害のある行動。その筈なのに、何故か身体は快感を覚えていた。

 血液と一緒に力が抜けていく。自分というものが溶けてしまいそうで、美綴の身体に抱きついた。

 肉体の柔らかさを貪るように。荒げた呼吸を押し殺すように、こちらも美綴の首筋へと顔を埋める。

 それでも美綴の行為は止まらない。身体が、内側から蹂躙されているような不思議な感覚。

 

 溶けていく。肉体も、中身も、美綴とひとつになるように。

 その快感に、まるで────、

 

「……衛宮」

 

 ふと名前を呼ばれて、首筋から顔を上げる。

 すっかり夜闇に慣れた瞳は、すぐそこにある美綴の顔を捉えた。

 口元に付着した血液を舌で舐めとり、俺の目をまっすぐに見つめるその瞳は、潤んで小さく揺れている。

 赤く上気した頰と、呼吸に合わせて上下する肩。その全てに、俺の中の何かが疼いて────。

 

「も、もう終わり! あたしは、もう平気だから」

 

 美綴に突き飛ばされる形で、身体を離して。ふわふわと浮いたままの意識を正常に戻すために、首を大きく横に振る。

 ……正直、どうかしてた。ただの吸血行動に、ここまで何もかもを持っていかれるなんて。

 気まずい沈黙が流れる。その沈黙をどうにか誤魔化すようにTシャツを着なおし、小さく息を漏らして。

「もう体調は平気か、美綴?」

 なるべくいつも通りを心がけながら、美綴に問いを投げた。

「あ、うん。おかげさまで……なんというか、いつも通りに戻った感じ。ありがとね、衛宮」

 そう応える美綴は早口で、頰にもまだ赤みが残っているのが見える。

 

 ……まだ見つめていたい。そう思う自分をどうにか押し殺し、数度会話を交わして部屋を出た。

 

 正直、その会話の内容は覚えていない。廊下に出た途端襲った寒さですら俺の頭は冷えることなく、悶々とした気持ちを抱えたまま、自分の部屋へと駆けていく。

 

「……ちくしょう、なんだったんだよ」

 

 あのまま、あの場に居座ったら俺はどうなってしまったんだろう。

 恐怖ともなんとも取れない感情を、胸に抱えながら。

 

 ───√ ̄ ̄Interlude

 

 意識が蝕まれている。記憶もあやふやで、自分が今どこにいるのかすらわからない。

 かろうじてわかるのが、今(じぶん)(じぶん)であること。

 あの日、あの瞬間からかなりの時間が経った気がする。それでも机の上に乗ったデジタル時計は、だった一日しか経過していない、と、無慈悲に告げていた。

 僕の中に僕じゃない誰かがいる。だってのに、不思議と身体は重くなるわけじゃなくて、前よりも軽くて歩きやすい。

 足取りはふわふわと、何かに浮かれたように落ち着かない。

 

「……いや、違う」

 

 そうだ。『何か』なんてそんな曖昧な理由じゃない。

 

 僕の身体に根付いた、かつてはなかったもの。

 血液と同じく流れている、魔力の息吹。

 その全てに僕は、興奮を覚えているんだ。

 

「僕は、とうとう魔力(ちから)を手に入れた────!!」

 

 その事実に、興奮している。歓喜している。

 これでようやく、僕だって、みんなに────・・・・。

 

 ◇Interlude out◇

 

 夢を見る。

 頰を撫でる熱を孕んだ風と、散っていく命の匂い。

 煤の混じった空気は呼吸を奪い、肺は助けを求めるように浅く呼吸を繰り返す。

 苦しい。そんな感覚すら、もう覚えなくなってしまっていた。

 この夢は俺の日常だ。諦めきった、過去の記憶。何度も何度も見た光景。

 でも今日は、ひとつだけ違うところがあった。

 崩れていく町並みを歩いていく俺の足。

 その視線の先には、白い髪の少女が佇んでいる。

 

「────、────」

 

 発した言葉は聞き取れない。その言葉を聞こうと、前へ、前へ。

 

「シロウは────」

 

 前へ、前へ、前へ。重たい足を運びながら、必死に耳を傾ける。

 

「シロウは、本当に正義の味方になりたいの?」

 

 目を覚ます。見開いた目はいつもの天井を捉えて、起き抜けからフル稼働していた肺を落ち着けるように、長く、長く呼吸を繰り返し。枕元の時計で、時間を確認した。

「……朝、か」

 なんでもなしにそんなことを呟いて、布団からのそのそと立ち上がる。習慣というのは恐ろしいもので、悶々としたまま眠れなかったくせに、身体はいつもと同じ時間に活動を開始しやがった。

 未だに胸の奥底に動揺と、昨日の夜の快感が残っている。

 それでもいつも通りに。朝食を作って、学校に行って、それで────。

 

「……こんな戦いは、終わらせる」

 

 たくさんの人が傷つく非日常を、終わらせなければ。

 手早く着替えを終えて、居間に向かう。少し寝坊をしてしまったし、日課の鍛錬は今日は休み。夜の分の鍛錬を少し長引かせればいいか、なんて自分の中で納得しておく。

 何より朝食の方が大事だ。朝食を取る仲間が増えたワケだし。

 

「おはよう」

 

 居間へと足を踏み入れて、先に朝食の準備を始めていた桜に声をかける。

 桜は包丁を片手に緩く振り向き、いつもの柔らかい笑顔を向けてくれた。

「おはようございます、先輩。もう少し寝てても良かったんですよ? 昨日は忙しかったんですし」

「そういうワケにいくか。衛宮邸の台所を任されてるんだ。仕事はしっかりこなすよ」

 そんな会話を交わしながらエプロンを手に取り、視線は机の周りへ。すでに美綴が席についていて、セイバーの姿は見えない。たぶん道場にいるんだろう。あとで呼びにいってやらないと。藤ねえが来るのはもう少し後か。

 

「ぁ……」

 

 視線が絡み、一瞬美綴の頰が赤く染まる。きっと、昨日のことを意識してしまっているんだろう。

 ……そんな顔をされると、俺までつられて気まずくなっちまうんだが。

「おはよう、美綴」

「ああ、おはよう……衛宮」

 なるべく意識をしないように。いつも通りを心がけて、挨拶を交わす。ほんの少し声が上ずっていたのはこの際気にしない方向で。

 

 そのまま、いつも通りの風景が過ぎ去っていく。

 

 桜と俺が朝食を作って、今朝は天気がいい、とかどうでもいい話をして。桜がまた腕をあげた、なんてほんの少し誇らしく思ったり。

 そんな日常を遮るように、インターホンが鳴った。

 ピンポーン、と響く機械音。藤ねえならそんなもの鳴らさず自分の家のように入って来るだろうし、きっと別の誰か……新聞勧誘にしては時間が少し早すぎる。

「出て来るよ」

 とりあえず担当していた味噌汁のコンロの火を止めて、エプロンを外しながら小走りで玄関へ。

 ガラリ、と扉をあけてやると、見知らぬ男がそこにはいた。

 ……いや、男と言うより『男の子』だろうか。知り合いの誰かに似ているような、そんな既視感を覚える。

 

「キミは」

 

 記憶を手繰り寄せながら、思わずその子に問いを投げる。脳裏をよぎった既視感は、案外身近なソレで。

 

「……俺は美綴 実典(みのり)────美綴 綾子の弟です。ねーちゃんを、返してもらいに来ました」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。