銀河英雄伝説IF~亡命者~ (周小荒)
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プロローグ

 人生で初めての小説投稿しますのでお目苦しい部分が多々ありますが生暖かい目で見てやって下さい。
 基本はハッピーエンドで原作キャラは誰も死にません。



宇宙歴862年12月某日深夜 惑星ハイネセン

 

 ハイネセンポリス郊外にある小高い丘は宇宙港を見下ろすことが出来る。

 この丘には公園があり「ハイネセンの大火」と「ルビンスキーの火祭り」の帝国軍犠牲者の慰霊碑が建立されている。

 遠い異郷の星で落命した死者が魂だけでも故郷に帰れるように生者の願いが込められてる場所である。

 

 数年ぶりの大雪で白い衣装を纏った公園で慰霊碑から離れた片隅のベンチで一人の老人が細やかな酒宴を開いている。

 ベンチの上には安物のウイスキーとパッケージに半額シールが貼られたチーズとチョコレート。

 ベンチの背凭れに掛けているラジオからはヤンファミリー最後の生き残りであるユリアン・ミンツの訃報を伝える声が流れている。

 

「儂より2歳も若いのに死ぬとは、ユリアン・ミンツも存外に情けない!」

 

 老人の言葉とは逆にラジオからは故人の業績を賞賛する声が流れだす。

 

「そりゃ、ユリアン・ミンツは立派だがね。致命的な失敗を2つしてるだろうに」

 

 老人のユリアン・ミンツ糾弾の声には怒りの成分が混入している。

 

「ヤン・ウェンリーを守れなかったのは仕方がない。だが、何故ヤン・ウェンリー暗殺の責任を皇帝ラインハルトに問わなかった!」

 

 糾弾の声は怒りと共に熱を帯びていく。

 

「犯人が地球教徒であれ、帝国軍の人間なのは間違いない。犯人が帝国軍の人間ならば皇帝ラインハルトの責任を問うのは当然だろうに!」

 

 老人の主張は正鵠を射ていた。地球教に洗脳された部下の不始末である。会見を要求した側の皇帝ラインハルトに責任がある。

 

「皇帝に抗議する名目で皇帝に交渉する場を作れて、交渉も有利に進められたのに!」

 

 確かに有り得た可能性ではあった。

 

「それに自治領を要求するにも、寄りにも寄って何故、バーラト星系を選ぶ?」

 

 老人の口調には既に怒りの成分は無くなり呆れの成分に変わっていた。

 

「バーラト星系なんか金にならん星系な上にハイネセンが2つの災害で金が掛かるのに。後々の事を考えたら他にも星系があったものを……」

 

 老人はグラスに残ったウイスキーを一気に飲み干した。

 何か別の物を飲み込むにはウイスキーの助けが必要だった。

 

「まあ、これで楽になれるか……」

 

 老人は空となったグラスにボトルに残ったウイスキーを全てを注ぎながら、このウイスキーを手に入れた時の事を思い出した。

 四半世紀前になるが、この公園の管理人となった年に帝国本土から弔問に訪れた遺族から進呈されたウイスキーだった。

 そして、ウイスキーを手にした時に思いついたのが、ユリアン・ミンツより1日でも長生きする事だった。

 ユリアン・ミンツとの面識も無く何の意味も無い事であったが老人が自分の不遇な人生への僅かな抵抗であった。

 

 「しかし、我ながら悪い偶然が重なったもんだ」

 

 老人はグラスのウイスキーを舐める様に味わいながら自分の過去を振り返った。 

 6歳の時に徴兵された父を演習中の事故で亡くした。通常なら遺族は遺族年金や一時金を受け取られるのだが、父の過失により事故が発生したとされ、逆に軍から損害賠償請求をされたので母は父と死後離婚して損害賠償請求を回避した。

 その後はハイネセンポリスのレストランで母は自分を連れて住み込みで働き始めた。

 14歳の時に来年以降の進路を教師に聞かれて母に相談する直前に母が病気で倒れた。医者からは一刻でも早く施設の整った病院への入院を薦められたが残念ながら入院させる程の貯金もなく途方にくれていた時に教師から軍隊に入る事を薦められた。

 単位を早目に取得して半年ほど早く卒業する制度があり、この制度を利用して軍隊に入れば家族の入院費用が安くなる軍人特権がある事を教えられ軍隊に志願兵として入隊した。

 軍人になるのと引き換えに母を入院させたのだが、結局は母は助からずに訃報を受け取ったのは初陣である第6次イゼルローン攻略戦後の病院のベッドであった。

 そして、初陣で左脚を永遠に失ったのを皮切りに出征する度に負傷をしては入院して退院して出征して負傷して入院のローテーションを繰り返し入院中のベッドの中でバーラト自治領共和政府の樹立を迎えた。

 退院後のハイネセンは不況と人手不足と就職難との嵐であった。

  長い戦乱による、空の国庫に各業界各分野における熟練者不足と軍隊の解体により元軍人が溢れての就職難である。

 そこにハイネセンの大火とルビンスキーの火祭りにより破壊されたインフラ設備の復旧が加わりバーラト自治領政府は経済破綻寸前の不況からの始まりであった。

 手に職も無く学歴も無い兵卒の多くはインフラ設備復旧の建設現場で働き復旧が進むにつれて職を失っていた。

 それと平行して社会福祉の予算は徐々に減っていき、義手義足を新しく新調する時は最初は国の全額負担だったのが3割の自己負担から半額の自己負担になり、さらに7割の自己負担になり最終的には国の一部補助となっていた。

 義手義足の自己負担額が増えるのと反比例して義手義足の品質は落ちていき耐久性も落ちて、義手義足の人間は義手義足を手に入れる為に働き、働いた為に義手義足を酷使して寿命を縮める結果となり職を失っていった。

 その中で慰霊碑公園の管理人の職に就けた自分は幸運だと思えた。

 給料は安いが雨露をしのげる事務所があり苦しい生活だったが何とか犯罪に手を染める事が無いまま生きてこれた。

 

「まあ、あのまま帝国領のままだったら、こんな苦労もしてないが」

 

 長い過去からの旅から覚めるとウイスキーのボトルも空になり日付も変わる時間になっていた。

 空になったボトルに哀惜の目を向け何年も前に動かなくなった義足には手を添えて感謝した。

 そして、ベンチの背凭れに背を預けて静かに目を閉じた。

 アルコールで火照った体には冷たい冬の夜風が心地よい。

 意識が薄明かりから漆黒の闇に落ちて懐かしい人の声が老人の名を呼ぶ。

 寸前に後頭部に重く強い痛みが走り、目から火花が出て反射的に両手が後頭部を押さえる事になった。

 そして、閉じた目を開けると懐かしいが会いたくない人物が自分の名を呼んでいた。

 



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亡命への苦難

 

 会いたくもない人物とは初陣の時の上司でフランク・ダグラス兵長であった。不愉快な顔が視界全体を占領している。

 

「おい、馬鹿!何時まで座り込んでるだ!」

 

 言われて自分の状態を確認してみると後頭部を両手で抑えて壁を背に足を投げ出している。

 着ている服は同盟軍の軍服に義足ではなく自分の足がある。

 

「うわ!軍服を着てるし足がある!」

 

「おいおい、マジで大丈夫か?」

 

 さすがに嫌われ者の兵長も斜め上の反応に心配顔である。

 

「自分の名前は?」

 

「ハンス・オノ」

 

「今いる場所は?」

 

「えっと、何処?」

 

 兵長の顔が一気に青くなる。

 

「ここは戦艦イカロス、ついでに言えば今は戦闘中!」

 

「ええっ!?」

 

 自分はハイネセンのベンチにいた筈が初陣の時の搭乗艦にいて当時の上司と話している。第6次イゼルローン攻略戦の撤退中に帝国軍の砲撃を受けて足を亡くした筈が足がまだある。そして、その砲撃で兵長も戦死した筈。

 そこまで思考を進めた途端にハンスの全身に恐怖が駆け抜けた。

 やっと不遇な人生が終了したのにゴール直後に振り出しに戻るとは、もう一度、あの苦しみを味わうのか。

 

「おい、オノ。大丈夫か顔色が悪っ!?」

 

 ハンスは奇声を挙げて兵長を突き飛ばし脇目も振らずに走り出した。

 まるで走る事で不遇な人生から逃げ出せるかのように。

 

「誰か止めろ!オノが錯乱した!」

 

 兵長の叫び声の直後に爆音がして鼓膜が悲鳴をあげ体が爆風で床に叩きつけられる。

 ハンスは起き上がり後ろを振り返ると床に穴が開き、炎が噴水の様に湧き出ている。兵長や取り巻きの兵が人の形をした火柱となっている。

 ハンスの脳裏に過去に何度も戦場で全身火傷した恐怖の記憶が甦り再び走り出す。

 通路の継ぎ目まで走り隔壁のスイッチを入れるが隔壁が閉まらない。火災が発生すれば自動的に作動するスプリンクラーも作動してない事に気がつく。

 恐慌状態なまま、三度目の全力疾走を始める。心臓と肺が限界点を突破する寸前に目の前に扉が見えた。転がる様に扉の中に逃げ込む。

 

 扉の中では作業服姿の整備兵が脱出シャトルの整備をしていた。必死の形相で走り込んで来た少年兵に驚きながらも整備兵達が駆け寄る。

 

「何があった?」

 

「床に穴が、火が出て、隔壁、スプリンクラー、動かない。火が来る!」

 

 乱れた呼吸のままハンスが単語だけで伝えると整備兵達は状況を正確に理解して手に消火器を持ちハンスだけを残して消火に向かう。

 無人となった格納庫でハンスは自分の置かれた状況を考え始める。

 

 何故、過去に戻って来たか不思議だが今は生き残る事を考えよう。

 これからどうする?

 無事にハイネセンに着いても次の出征でまた怪我をするだけでは?

 ハイネセンに着いて軍を辞めるのか?辞めても親もいない自分に働き口があるのか?

 考えれば考える程に暗い未来しか見えない。軍以外の選択肢が見えない。

 まあ、軍以外の選択肢が有れば過去の世界で選んでいた筈。

 自分自身に冷笑を浴びせた時に視界に脱出用シャトルが入ってきた。

 この時、脳裏に亡命の文字が浮かんだ。

 

「そうだ!亡命すれば帝国で厚遇されると聞いた。現にローゼンリッターの前の指揮官も亡命して出世したと聞いた」

 

 幸い家族も無い天涯孤独の身で親戚もいるかも知れんが会った事もない。自分が亡命して迷惑を掛ける者もいない。このままでは同じ人生の繰り返しになる。

 

 亡命を即断するとハンスは立ち上がり整備兵達の休憩室に向かった。長年の貧困生活の癖で食べ物を物色する為である。

 休憩室の中央にある皿にはキャンディーと一口サイズのチョコがありベレー帽に全て移してスカーフでベレー帽ごと腹に巻き付けた。

 次に冷蔵庫の中のペットボトルを上着やズボンのポケットにねじ込む。

 作業に淀みない。整備兵達が消火作業を終えて戻って来る前に脱出しなくてはならない。

 

 作業を終えてシャトルに乗り込む。操縦手順は半世紀前の事だが研修で習っている。おぼろ気な記憶を頼りに発進準備を進める。隔壁が閉まりハッチが開くと滑走路の先に暗い宇宙空間が見える。新天地に向かう高揚感で胸が高鳴る。電磁カタパルトが作動してシャトルが射出される。

 

 シャトルで宇宙空間に出た瞬間に高揚感は消え地獄が現れた。

 帝国軍の追撃の砲撃と同盟軍の抵抗の砲撃の打ち合いの渦中にあった。

 

 帝国軍の主砲に対して同盟軍は後方の敵に副砲と誘導ミサイルで対抗している。誘導ミサイルは識別信号でシャトルを避けてくれるが敵の主砲と味方の副砲は避けてくれない。回避システムに助けられながら不慣れな操縦で必死に回廊内の天低方向を目指す。帝国軍の艦艇は惑星からの離着陸を想定して建造されているために艦底部分の武装が極端に少ないからである。

 

 何とか回廊の天低部分に張り付く事に成功したが救難信号を出せる状況ではなかった。帝国軍は逃げる同盟軍を追い討ちを掛けるのに忙しく味方ならまだしも敵の救難信号など無視される可能性があったからである。

 

「高見の見物ならぬ下見の見物を決めるか」

 

 砲撃戦の渦中から逃れた安心から軽口を叩きポケットのペットボトルの封を切り数時間ぶりに水を口にした。

 一気に飲み干さず半分ほど残したのは長年の貧乏性からである。

 

「さてと、まずは腹ごしらえと」

 

 同盟軍の脱出用シャトルは色々とサイズや規格があるがハンスのシャトルは10人乗りの中型サイズである。1人につき3日間分の水と食糧が装備され更に緊急用の宇宙服も人数分を装備されてある。宇宙服内にも3日間分の水と流動食が装備されカルシウム注射も装備されている少なくとも1ヶ月は食糧の心配は無い筈であった。

 

「えっ、無い!」

 

 通常は座席の下に装備されてる水と食糧が無く。足元には宇宙服が格納されてるが宇宙服も無い。

 ハンスは亡命を果す前に餓死の危機に直面した。

 

「何で無い!これだと帝国軍が何処まで追撃するかで生死が決まるのか!」

 

 過去の世界では退却戦の最中で負傷して意識を回復した時はハイネセンの病院のベッドの上だった。帝国軍が何処まで追撃したのかはハンスは知らなかった。

 回廊内までか回廊外までかで日数が大幅に変わる。

 

「あるのはベレー帽一杯分のキャンディーとチョコ、水が3本と半分か。水が少ないのが心許ないな」

 

 ハンスは口にした言葉ほど、現状を悲観してはいなかった。

 回廊付近まで帝国軍が追撃したとしても全部隊が回廊付近まで追撃する筈もなく必ず途中で引き返す部隊もあり長くても3日間の忍耐だと思っていた。3日間なら水も辛うじて足りるだろうと。

 後にハンスは自分の読みの甘さを後悔する事になるのだが、この時のハンスの心身は疲労の極であり力尽きる前にシートを倒して全身を投げ出すのが限界であった。

 

 

 

 

 ハンスが眠りの園の住人となった頃、ラインハルトは不眠不休で仕事に追われていた。ラインハルトは味方の部隊が追撃に向かうのを尻目にイゼルローン要塞に帰還していた。

 既に帝国軍の勝利を決定づけた武勲があるラインハルトには殺戮と破壊の量を競う武勲に興味も必要性も感じずに部下達に安心した休息を与える事の方が大事であった。

 そして、部下は休息を貪る事が出来るが指揮官であるラインハルトには休息を貪る贅沢は許されなかった。

 部下からの被害報告書に損傷した艦艇の修理の報告書、消耗した戦力と物資の補給と指揮官は忙しい。

 全ての仕事が終わりラインハルトがベッドに入ったのが要塞に帰還して24時間後であった。

 ラインハルトが目覚めてシャワーと食事を済ませるとミュッケンベルガーから呼び出された。

 執務室に入るとラインハルト以上に贅沢を許されぬミュッケンベルガーが憔悴した顔で書類と格闘中であった。

 

「閣下、失礼ですがお疲れの御様子。少し休まれては?」

 

 敬老精神の少ないラインハルトが心配する程にミュッケンベルガーは憔悴していた。

 

「そんな暇が無いのだ。お調子者が回廊の外まで叛徒共を追撃をしようとしていると報告が入った」

 

「それは危険です。敵に余力が有れば回廊の外で半包囲体制で待ち受けて回廊から出て来た我が軍を十字砲火で狙い打ちにする好機です」

 

「若い卿でも予想がつく事が分からん馬鹿者がいるのだ!」

 

「前線にはゼークト、メルカッツの両提督が居ますので両提督が連れ戻すでしょうから、閣下には安心して御休息されて下さい!」

 

「そのゼークトが追撃しているのだ!」

 

 ラインハルトも呆れて絶句してしまったし、さすがにミュッケンベルガーに同情の念を禁じ得なかった。

 

「…………」

 

「今朝、メルカッツから報告があったのだがメルカッツの諫言にも奴は聞く耳を持たんのだ!」

 

 ミュッケンベルガーが苦虫を噛み潰した顔をする!

 

「そこで卿にも仕事をして貰う。本来なら駐留艦隊の仕事なのだが回廊内の残骸を撤去せよ。このままでは要塞の破損箇所を修復するのに資材運搬の艦艇の航行にも支障が出る」

 

「了解しました」

 

「それから、私と入れ替りにメルカッツが帰投する。メルカッツの補給と再編が終了次第、メルカッツと共に帝都に凱旋するように」

 

「閣下、それでは残骸撤去作業が中途半端になりますが宜しいのでしょうか?」

 

「構わん!残りはゼークトにやらせておけ!本来はゼークトの仕事だ」

 

 ミュッケンベルガーは口や態度に出さないが今回の戦いでの最高殊勲者であるラインハルトが功績を鼻に掛けない事と残敵の掃討の功を他者に譲った事に評価していた。

 対照的にゼークトの評価は下がる一方である。通常は敗軍の追撃などは駆け出しの若手の指揮官の仕事である。年齢や地位から言えばラインハルトの仕事であり、深追いするなど危険なだけでメリットが無い行為を大将の階級を持つゼークトが行う事ではない。

 

「承知しました。」

 

 返答するラインハルトも心境は複雑であった。生真面目なラインハルトに取っては仕事を中途半端に終わらせる事に対する罪悪感があるがミュッケンベルガーのゼークトに対する怒りも理解が出来るからである。

 

 

 ミュッケンベルガーがゼークトへの怒りと苛立ちを漲らせている頃にハンスも怒りと苛立ちに加えて焦りで全身を震わせていた。

 帰投するメルカッツ艦隊に気付いて救難信号のスイッチを押したが機械が一向に反応しない。救難信号を諦めてシャトルを動かそうと操縦桿を握るがシャトルも動かない。

 

「動け!動け!動け!動け!」

 

 悲鳴の様な叫びを上げて操縦桿とスロットルを動かすがシャトルは動かないままメルカッツ艦隊が頭上を通り過ぎるのを手を束ねて見送るしかなかった。

 

「迂闊だった。非常食や宇宙服が無かった時点で気付くべきだった」

 

 ハンスは込み上げてくる苦い思いを噛み締めながら呟く。

 スクリーンの中で帝国艦隊は光の点となって消えていく。

 

「まだだ!まだ、終わらんよ!」

 

 ハンスは自分自身を鼓舞して救難信号が発信されなかった原因とシャトルが動かなかった原因を考える。

 半世紀以上前の古い記憶を頼りに点検口の扉を開き不具合の原因を探り始めた。

 2時間後に驚くべき原因が判明した。救難信号が発信されなかったのは本来なら廃棄処分されてる筈の古いバッテリーが使用をされていて電力不足で救難信号が発信されなかった。シャトルが動かなかった原因は単純な燃料切れだった。通常なら10日間は航行可能な燃料がタンクに入っている筈なのだがタンク内は空だった。

 

 「80年近く生きて来て、こんな脱出用シャトルは聞いた事が無い」

 

 社会の底辺で生きてきて色々な不正を見てきたハンスにしても初めての経験であった。

 後に同盟軍の黒い霧事件と呼ばれる同盟政府末期の三大疑獄事件に発展する事になるのだが、この時のハンスには知る術もなく知っても無意味な事であった。

 

「取り敢えずはバッテリーは索敵システムと通信システムだけを残して全ての電源をきり、エンジンは動かす程の燃料はないからジェネレーターを動かすのに使う。結局は緊急用マニュアルに従うしかないか」

 

 救難信号を出す電力を蓄える為にエアコンのスイッチもオフにした。本来は定員10名のシャトルである。狭い船内に10名の人が居れば互いの体温で室温が下がらない設計だが、ハンスの場合は船内の室温が下がり続けハンスの体力を奪う事になる事は容易に想像がついた。

 

「さて、寒くなる前に寝るか。また、凍死したくないからな」

 

 室温が下がる前に睡眠を取る為の準備を始める。靴下の中にスラックスの裾を入れワイシャツと上着の襟を立て、その上からスカーフを巻き着けた。

 ハンスが長年の貧困生活で身に付けた防寒の知恵である。

 準備が終わりシートに身を預け、赤い非常灯の光を避ける為にベレー帽を顔に乗せるとハンスは直ぐに眠りについた。

 歴史が大きく変わる亡命劇まで、まだ幾何かの時間を必要とした。 

 



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逆行者の苦悩

 

 何処かで機械的で耳障りな音が鳴っている。

 人に不快感を与える事を目的に作られた嫌な音である。

 そして、聞き覚えのある懐かしい音でもある。

 

(うるさいなあ。今年は大雪で朝も早くから寒さで目が覚めるのに何の音だよ?)

 

 不平を鳴らしながら、ハンスの手はソファーの下に落ちたであろう毛布を探している。

 

(しかし、今年は本当に寒い。寒いのに、この音は何だよ。まるで軍艦の警戒警報みたいな音じゃないか)

 

 ソファーの下に落ちた毛布を探すが手に毛布の感触は無く空を掴むだけである。

 

(しかし、何で軍艦の警戒警報みたいな音がするんだ。この公園の周囲には何も無いんだが)

 

 そこでハンスは奇妙な事に気づいた。

 

(あら、さっきから毛布が見つからないのに床の感触も無い。周囲に何も無い公園に軍艦の警戒警報の音がする)

 

 警報が鳴り始めて数分後に自分の居る場所に気づいた。

 

(しまった。ここは住み慣れた公園の管理人事務所じゃなく、脱出用シャトルの中だ!)

 

 慌てて飛び起きようとしたが体が思うように動かない。

 ハンス自身が低血圧だった事もあるが室温が下がり既に低体温症の症状が出ていた。ハンスは自身の若い肉体を過信していた。ハンスが思っている以上に肉体は疲れていて寒さにも弱っていた。

 

 ハンスはリクライニングにしていたシートを戻して体を起こし鉛の甲冑でも着込んだように重い腕を伸ばして警報を止めて救難信号のスイッチを入れる。

 一度は失敗しているので心の何処かで再度の失敗になるのではと不安が鎌首を持ち上げる。

 そして永遠と思える数十秒間後に。

 

 

『こちらは帝国軍ミューゼル艦隊、ミケール・ハインツ大佐である。救難信号を受信した。貴官らの人数と代表者の氏名と階級を述べよ』

 

 帝国訛りのある同盟語がスピーカーから流れてきた。

 歓喜と寒さで震える手でマイクを握る。

 

「人数は1人、小官はハンス・オノ、階級は二等兵待遇軍属、帝国への亡命を希望する!」

 

『了解した。人道を以って対処する』

 

「た、助かった」

 

 ハンスは呟くと安堵感と体力の限界が一緒に訪れ視界が一気に暗くなり心地良く静かにゆっくりと意識を手放した。

 

 

 

 遠くで帝国語での会話が聞こえてくる。体は温かいが空腹で目が覚める。

 目を開けるとアイボリーホワイトの天井が見えた。

 

「知らない天井だな」

 

 周囲をカーテンで仕切られたベッドの上に寝かされている。

 服も病人用の半袖のパジャマに着替えさせられ右腕には点滴もされていた。

 

「目が覚めたようだな」

 

 見事な金髪の若い士官がカーテンの仕切り内に入ってきた。

 

 ハンスが慌てて体を起こそうとするのを手で制しながらベッドの傍らにあるスツールに座る。

 

「卿の体は卿が思っているより弱っている。救出があと一時間も遅ければ危ないとこだった。軍医の説明では3日間は安静にする必要があるらしい」

 

「分かりました。宜しくお願いします」

 

 安全な場所で冷静に考えると、戦争に負けて敗走中の体なのだから、シャトルに乗る以前から体に負担が掛かっていたのだろう。

 

「遅くなったが、ここは私の旗艦の中だ。そして、私は帝国軍少将ラインハルト・フォン・ミューゼル」

 

「ええ!ラインハルト・フォン・ミューゼル少将!」

 

 ハンスは未来の銀河帝国皇帝との対面に驚愕して病室に響き渡る声を出してしまった。

 

「そこまで、驚く事はなかろう」

 

 自身の若さと釣り合わない階級に驚かれる事に慣れているラインハルトもハンスの驚きぶりに面食らった。

 

「えっと、失礼しました。余りにも若い少将閣下でしたので」

 

「まあ良い。これから尋問を始める。役儀上を立ち入る話も聞くが了承せよ」

 

「はい、当然の事です」

 

 ラインハルトからの尋問は1時間程度でハンスは母の訃報のタイミングだけ以外は全て正直に答えた。

 

「これで尋問は終了する。亡命を受け入れの可否は後日になるが、今は自分の体を大切にすることだ」

 

 最後の一言にラインハルトの本来の優しさが出る。

 

「はい、有難う御座います」

 

 ハンスも年の功で敏感にラインハルトの優しさに気付きながら、歴史上の人物に会えた事に喜びを感じている。

 

「良いタイミングでしたな。食事を持って来ました」

 

 軍医がラインハルトと入れ替わりに食事を持って仕切り内に入って来た。

 数日ぶりの食事にハンスの関心は皿の中身に移った。

 

「ああ、いい匂い」

 

 目の前には一皿のスープのみだが、今のハンスには温かいスープは御馳走である。

 

「胃が弱っているから、これだけで我慢するように、明日からはパンも食べられる」

 

 皿の中には浅緑色のスープが入っており温かな湯気が出ている。スプーンで掬うとトロリとスプーンに纏い付く。猫舌のハンスは何度も息をかけて冷ましてから口に入れると空豆の甘さが口に広がり出汁の旨味が後に続き胃から全身に温かさが伝わる。

 

「美味しい!出汁はコンソメじゃなくブイヨンですね」

 

「そのスープは基地の士官食堂のシェフに特別に作って貰ったのだが、よく判るなあ」

 

「はあ、レストランに住み込んで店の手伝いとかしてましたから」

 

 ハンスにしては懐かしい味である。レストランでの住み込み時代にコック達と一緒に食べていた賄いの定番メニューである。

 

 一皿のスープをゆっくりと味わいながら時間を掛けて完食するとスープだけで満腹になった。

 ハンスは自分の胃が小さくなっている事を自覚した。ラインハルトの言うとおり自分が思っている以上に自分の体は弱っているのだろう。

 ハンスは久々の満腹感と亡命を果たした達成感に酔いしれていた。自分の未来の明るさを確信して幸福感に浸りながら体力回復の大義名分のもと眠りについた。

 この時、神ならぬ身のハンスには近い未来に待っている地獄で苦しむ事など予想も出来なかった。

 

 

 

 次の日の昼には亡命の正式な受け入れが通達され、二日目の朝にはラインハルトの旗艦に同乗したままオーディンへ出発した。三日目にはハンスの体調は立って歩く程度には回復して4日目に地獄に遭遇する事になる。

 

「これは何でしょうか?」

 

 ラインハルトの執務室に呼び出されたハンスの前には段ボール箱がある。

 

「宿題だな」

 

「宿題ですか」

 

「卿は流暢な帝国語を話すが帝国語の読み書きの経験が少ないだろう。そこで帝国の小学生レベルの国語を勉強して貰う」

 

「それにしても多すぎませんか?」

 

「安心しろ。三割が国語のテキストで残りが帝国の歴史のテキストだ」

 

 同盟では『マクシミリアン晴眼帝』や『エーリッヒ止血帝』などは学校教育で習う事は無いが帝国なら小学生でも知っているレベルの知識である。帝国に亡命するなら当然の話である。

 

「確か、帝国の歴史は同盟の倍近く有りましたね」

 

「期限はオーディンに到着するまで、年内にはオーディンに到着するから、頑張る事だな」

 

「……はい……」

 

 傍らに控えていたキルヒアイスが気の毒に思ったのか助け船を出した。

 

「大丈夫ですよ。今上帝で36代目ですが覚える必要のある皇帝は10人程度です。それに専用の部屋も用意しましたから」

 

「時間は十分にある。何も慌てる必要はない」

 

「…………」

 

「…………」

 

 思わずハンスとキルヒアイスは顔を見合わした。

 テキストの量と時間を比べたら圧倒的に時間が少ないのが一目瞭然である。天才ラインハルトならではの発言である。

 

「少佐殿、昔からなんですか?」

 

「まあ、その、昔からかな」

 

「少佐殿も色々と苦労されてますね」

 

 キルヒアイスが苦笑いを浮かべる。これまで何度も凡人を自分を基準に計る事を戒めたのだが改善されないでいる。

 

「二人共、どういう意味だ?」

 

 ハンスとキルヒアイスの会話に自分は無実と言わんばかりの口調と表情にハンスは頭を抱える。

 

「本当に自覚が無いんだ。この人」

 

 キルヒアイスもハンス同様に頭を抱えたい衝動を耐えて、外に待機していた兵にハンスを案内するように命令すると最後に一言を付け加える。

 

「これから閣下と内密の話をするから誰も近付けないでくれ」

 

 一時間後、艦橋にはキルヒアイスに説教されて油を徹底的に絞られて項垂れるラインハルトの姿があった。

 

 

 

 キルヒアイスが搾油作業に勤しんでる頃、ハンスは宿題を片付けを始めていた。

 実際は同盟語も帝国語も大した違いは無く、ハンスは晩年に慰霊碑公園の管理人として遺族から帝国語の礼状や返信を何度も遣り取りしていたので帝国語の読み書きには慣れていた。

 

「懐かしいのう。管理人に成り立ての頃は返信を書く事が日課になっていたもんだが……」

 

 ハンスは届いた礼状に涙する事も多く返信は必ず書いていた。

 

「成長した子供が孫を連れて弔問に訪れた事もあったのなぁ」

 

 宇宙統一の大義名分の元に大量の血が流れ、その数倍の涙が流された。

 幸いにも肉親と呼べる身内もおらず、結婚もせずにいたハンスには無縁の悲しみであったが流れる血と涙は少なくしたいと思う。

 

「しかし、所詮は一般市民の夢だろうなあ」

 

 ハンスは自分に軍事的な才能が無い事を理解しているし取り柄と言えば料理くらいである。

 それに、これからラインハルトの台頭とともに帝国は動乱の時代に突入する。

 門閥貴族との抗争に地球教のテロに同盟にヤン・ウェンリーとの戦いに。

 出来れば巻き込まれたくないのが本音である。

 

「まあ、幸いにも何が起きるかの知識はあるから避ける事は困難ではないか」

 

 その知識を活かして流れる血の量を減らすには自分の手足が短い事も自覚していた。あのヤン・ウェンリーさえ、クーデターや帝国軍のフェザーン回廊通過を予測していたが対応が出来なかったではないか。

 

「さて、亡命したが亡命後の事はなあ」

 

 一応は軍務省の士官食堂の下働きとして働き、将来は自分の店を持ちたいという夢がもあるのだが、現にラインハルトを筆頭にキルヒアイスとも面識を持つと死なせたくないと思ってしまう。

 

 逆行者として想定外の苦悩を持つ事になった。これから帝国の人々と関わる事になれば、この苦悩も大きくなる事だろう。

 

「考えれば考える程にネガティブになるなあ。精神衛生上、考え過ぎるのは良くないか。取り敢えず宿題を片付けるか」

 

 容易に結論の出る話でもなく、今は亡命者としての立場を作る事に専念する事にした。

 世間では問題の先送りと呼ばれる行為である事を自覚しながら。

 



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苦難の前

 

 ガラ空きの士官食堂でラインハルトに宿題も提出して暇を持て余したハンスが一人で遅めの朝食を摂る姿があった。

 これはハンスが帝国軍の士官から嫌われてる訳でもなくハンスが寝坊した訳でもない。

 本日の正午前にオーディンに到着する為に前日の夜から忙しい士官達の食事の邪魔にならない様に配慮して混雑する時間を避けただけである。

 

 しかし、食欲は遠慮せずに三人前の食事を平らげた後に律儀に三杯目の食事後のコーヒーを飲んでいる。これは長年の貧困生活の習慣と食べ盛りの若い肉体の結果である。

 もしかしたらタイミングが合えばヤン・ウェンリーの被保護者にはハンスがなっていたかもしれない。

 

 ハンスが三杯目のコーヒーを飲み終わるのと同時にキルヒアイスが食堂に入って来た。

 

「部屋に居ないと思ったら、こんな所に居たんですか。ミューゼル閣下が艦橋でお呼びです」

 

「えっ!一兵卒の自分が艦橋に入っても宜しいので?」

 

「問題はありません。ハンス君は亡命者で大事な賓客ですよ。同盟時代の階級は関係ありませんよ」

 

 キルヒアイスはハンスを常に賓客として接してくれる。その態度が見本となり他の士官達もハンスを賓客として遇してくれている。

 それ以前の話でハンスは帝国軍将兵から同情を集めていた。前線で戦う者にとって脱出用シャトルは最後の生命線である。その生命線が問題だらけだったとは悪夢でしかなく、とても他人事ではないからである。

 

「分かりました。その厚かましい話なんですけど艦橋まで案内して貰えますか。医務室と自室と食堂しか知らないもので」

 

 キルヒアイスはハンスの言葉に苦笑しながらハンスの配慮に感心をした。

 ハンスは自分がスパイと疑われてると思い必要以外には自室から出る事はなく口には出さないが自室を監視されている事も承知しているのだろう。

 

「大丈夫ですよ。最初から案内するつもりですから」

 

「有り難う御座います」

 

 艦橋までの道中でキルヒアイスの背中を見ながらハンスは先日からの悩みを思い出す。

 

(キルヒアイス少佐は誠実で優しく優秀な人だ。この人には死んで欲しくない。出来れば生き延びて皇帝ラインハルトを支えて欲しい)

 

 ハンスはキルヒアイスの死後にキルヒアイスを知る人々と同じ思いを抱いていた。

 

(しかし、自分に出来るのか?キルヒアイス少佐を助ける事が)

 

 これから先の流血の量を知るハンスとしてはキルヒアイスに対する期待も大きいが困難さも理解している。そして、最大の問題はハンス自身の身の安全である。

 

(キルヒアイス少佐を、守って自分が死んだら意味がない。今度こそ人並みの幸せを掴みたい)

 

 小市民根性を丸出しの思いがハンスの本音である。キルヒアイスを救うには軍の中枢部に関わる必要があるが、それは同時に自身の命を危険に晒す事になる。

 

(戦場での流れ弾にテロとか危険だらけだからなあ)

 

 自身の活躍で富や名声を得る発想は皆無である。

 

(キルヒアイス少佐が生き延びれば、これから流れる血の量も減るはず)

 

 キルヒアイスに対する著しい過大評価かも知れないが目の前の青年には人々を期待させる何かがあった。

 

「この中が艦橋ですよ」

 

 ハンスはキルヒアイスの声で現実世界に引き戻された。

 

「道中、何か考え事をしていた様ですが大丈夫ですか?」

 

 キルヒアイスの鋭さに舌を巻く、流石に考え事の内容までは把握される筈もないがキルヒアイスの有能さには改めて驚かされるハンスであった。

 

「すいません。これからの事を考えていました」

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 キルヒアイスも気休めと自覚しているのだろう。会話を打ち切って艦橋に入って行く。

 

「うわぁ!」

 

 キルヒアイスに続いて艦橋に入ったハンスは思わず驚嘆の声を出してしまった。

 

 艦橋内は正面から側面、そして天井とスクリーンが設置され星の海が展開されていた。

 

「凄い。プラネタリウムみたい!」

 

 ハンスの少年らしい感想とキョロキョロと艦橋内の光景を見る態度にキルヒアイスも含め艦橋内に詰めている乗組員達の顔にも笑みが浮かぶ。

 80年近く生きたハンスにしても帝国軍の戦艦に搭乗したのも艦橋から星々の大海を眺める事も初体験であるから珍しくて仕方がない。

 

「ハンス君、こちらへ」

 

 キルヒアイスが顔に笑みの成分を残したままハンスをラインハルトの傍らまで促す。

 

「キルヒアイス、随分と遅かった様だが……」

 

 ラインハルトの視線がハンスの腹部で止まる。

 

「最後の艦内食を堪能してた様だな」

 

「はい、美味しかったです」

 

 女性なら妊娠中と誤解されそうな腹をさすりハンスの屈託無い笑顔と返事にラインハルトも毒気を抜かれる。

 

「まぁ良い。卿を呼んだのは入港の予定時間が早まったのでな」

 

 キルヒアイスが怪訝な表情になった。

 

「珍しいですね。入港予定が遅れる事があっても早まるとは」

 

 ラインハルトの表情も渋くなる。

 

「それが、軍はハンスをプロバガンダに使うつもりらしい。既に軍港にテレビ局も来ていて放送時間の関係らしい」

 

 当事者のハンスは最初から覚悟はしていたのか平然としている。

 

「僕が軍上層部でも同じ事をしますよ」

 

 キルヒアイスも呆れ半分に感心する。

 

「当人が納得しているなら問題はないですけど」

 

「おかげで管制局が航路計算をしてくれたから、我々は楽が出来たがな。既に先頭の部隊は誘導波をキャッチしている」

 

 ラインハルトが話をしているとオペレーターから先頭の部隊から着陸許可を求める報告が入る。

 

「許可する。管制局の指示に従い順次に着陸せよ」

 

 そのまま艦隊指揮に専念を始めたラインハルトを横で見ているハンスはキルヒアイス同様にラインハルトにも死んで欲しくないと思う。

 

(キルヒアイス提督の死後には幾つかの失敗や無用な血を流したが、それでも歴史上の偉大な人であるが実際は弱者には優しい人だよなあ)

 

 ラインハルトとキルヒアイスは暇を見てはハンスの部屋に行きハンスと色々な話をしていた。

 幼年学校を卒業と同時に士官となった二人には兵士達の本音に触れる機会が少なくハンスとの会話は貴重であった。

 

(まあ、同盟の情報を欲しい部分もあるが本音は年下の亡命者を気遣った部分も大きいよなぁ)

 

 特にラインハルトは非凡である為に凡人の苦労には鈍感な部分がありキルヒアイスに窘められる事も度々あったがキルヒアイスも非凡な人間である。

 そんな二人にはハンスとの会話は凡人の苦労や思いを知る貴重な機会であった。

 

(将来の皇帝と上級大将のコンビと公園の管理人では差があり過ぎるだろうけど、普通に良い人達だよなあ)

 

 ハンスの晩年にはラインハルトの死因となった膠原病の研究が進みエル・ファシルで治療法も確立されていたので早期発見でラインハルトの命も救う事が出来るのだが。

 

(まさか、敵国の人間ドックに入れとは言えないよなぁ。同盟が併呑されてからでは遅過ぎるだろうし、それ以前にワーカーホリックだから長期間の入院とか無理だろうなあ)

 

 父親か兄の過労死を心配する息子か弟の様な思いを抱きながら一人で困惑するハンスであった。

 

「全艦、大気圏に突入しました。当艦も突入開始します」 

 

 艦長の声が響く中、ハンスの同盟人としての人生が終わり亡命者としての人生が始まろうとしていた。

 亡命者としても逆行者としても何も定まらないままである。

 ハンスの亡命が本来の銀河の歴史を変える事になるのか知り得る者は宇宙に存在しなかった。

 



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亡命者の苦難 前編

 

 宇宙船による大気圏突入の光景は壮観の一言に尽きた。

 僅か10分間の光景だったが漆黒の宇宙空間から熱圏、中間圏、成層圏、対流圏と降下するに従いスクリーンに写し出される光景は美しく変わり正に絶景であった。

 

 着陸した後も大気圏突入の余韻に浸るハンスにラインハルトが苦笑混じりに肩を叩く。

 

「気持ちは分かるが人を待たせているから早く降りるとしよう」

 

「それは失礼しました」

 

 ハンスはラインハルトとキルヒアイスに連れられて慌てて下船タラップに向かったが兵士達がタラップの前で立ち止まって渋滞している。

 

「何をしている。後が閊えてる。早く降りないか!」

 

 ラインハルトの叱責に兵士の中から最年長と思われる兵士が代表して答える。

 

「その提督、ちょっと見てやって下さい」

 

「何かあったのか?」

 

 ラインハルトが船内から頭だけを出し外を伺う姿は、とても帝国軍の将官の姿に見えない。下町の悪戯っ子といった風情である。

 悪戯っ子の視界に入ったのは、タラップの下にはターミナルビルまで続いている赤い絨毯。その絨毯の上で黒髪の美女が花束を持って待機していて、その後ろを絨毯を挟んで帝国軍楽曲隊が控えている。

 更に視界を上に向けるとターミナルビルの屋上に兵士を出迎えに来た筈の家族達の集団とテレビカメラ数台が見えた。

 

「何事!?」

 

「それは、ハンス君の出迎えでしょうね」

 

 ラインハルトの頭の上からキルヒアイスの声が降ってくる。

 ラインハルトとの身長差を利用して後ろからラインハルト越しに外の様子を見ている。

 

「帝国人って、真面目で堅苦しい印象があったけど、意外とミーハーなんだなぁ」

 

 足元から四つん這いになってキルヒアイス同様に外の様子を見てたハンスが感想を口にする。

 

「ハンスは何処から見てる。それにキルヒアイスまで……」

 

 ラインハルトが二人の行動に呆れた声を出すが端から見てる兵士達にすればラインハルトも同類なのだが。

 

「それで、提督どうされますか?」

 

 先程の兵士がラインハルトに指示を求めた。

 

「それはハンスの出迎えなのだからハンスが一人で行くべきだろう」

 

 慌ててハンスが反論する。

 

「待って下さい。普通は偉い人から先に行くもんでしょう。階級は閣下が一番上じゃないですか。閣下が先に行くべきでしょう」

 

「それは通常ならばの話。今回は特殊な事情で卿が主役だから卿が行くべきだ。それに卿は協力は惜しまないと言ったではないか」

 

「協力は惜しまないと言ってませんよ。僕をプロパガンダにする事には同意しましたけど」

 

「では行くがよい」

 

「これはプロパガンダというより見世物でしょう!」

 

 ハンスが悪あがきをしているとキルヒアイスがハンスの肩を叩いた。

 

「人は時には諦めが肝心です」

 

「少佐の言う通りだ。ハンス、諦めろ!」

 

「そうだ!ハンス、諦めろ!」

 

 キルヒアイスだけではなく、その場にいた兵士達もラインハルトに同調していた。

 孤立無援になったハンスは自分の敗北を悟った。

 

「無念、ここまでか!」

 

 ラインハルトはハンスの態度に苦笑まじりに呆れる。

 

「大袈裟な奴だな。キルヒアイス」

 

 ラインハルトから名を呼ばれたキルヒアイスがハンスの後ろから両脇から手を入れて持ち上げて、ハンスを運び始めた。

 

「裏切ったな!裏切ったな!父さんと同じで僕を裏切ったな!」

 

 ハンスの世迷い言を無視してキルヒアイスがハンスをタラップまで運ぶ。

 ハンスがタラップの上に姿を出した途端に拍手と喝采に軍港が満ち溢れた。

 

「えらい!よく頑張った!」

 

「帝国には美味しいものが沢山あるわよ!」

 

「もう心配する事ないぞ!帝国で幸せに暮らせ!」

 

 ターミナルビルの上からはハンスを労り励ます声が聞こえる。

 完全な善意の声だがハンスには恥ずかしさが勝る。礼儀としてベレー帽を片手に手を振って応える。

 

(これでは道化だよ)

 

 ハンスがタラップを降り始めると楽曲隊が帝国軍軍楽曲『ワルキューレは汝の勇気を愛せり』の演奏を始める。

 拍手と喝采が止まり、楽曲隊の奏でる荘厳な音色が場を支配する。

 音楽には素人のハンスにも楽曲隊の演奏の技術力の高さと楽器の素晴らしさは理解ができた。

 

(曲は別にして楽曲隊のレベルは同盟より帝国軍の方が桁違いに上だな)

 

 楽曲隊の素晴らしい演奏に群集も耳を傾けている。群集が演奏に気を取られている間にハンスは静かにタラップを降りる事に成功した。

 タラップの下には二十歳前後の黒髪の美女が花束を持って待機していた。

 

「ようこそ帝国へ」

 

 美女はハンスに花束を渡す。

 

「あ、有り難う御座います」

 

 ハンスが反射的に礼を言い花束を受け取る時に美女がハンスの頬に口づけをする。

 ハンスは両頬が熱くなるのを実感した。80年近い人生で美女とは無縁のハンスには免疫がなかった。

 美女はハンスの熱くなった反対側の頬にも口づけしてきた。

 そして、ゆっくりと顔を離す時に小声で美女が囁いた。

 

「この後は私に任せて行動して下さい」

 

 ハンスは無言で頷くしか出来なかった。ハンスは頬だけではなく耳まで赤くして花束を片手に美女に手を引かれ歩き出す。

 

(これは粋な配慮と言うより羞恥プレーでは)

 

 ハンスの真っ赤になった耳には楽曲隊の素晴らしい演奏も耳に入らずに飼い主にリードを持たれて随従する老犬状態である。

 もし同盟末期に名を馳せた色事師2名がいたら、今のハンスの状態を評して異口同音に「情けない!」と言った事だろう。

 

(美女にエスコートされるとは立場が逆だろうに)

 

 ターミナルビルまでの道程が遠く感じられた。ビルに入れば群集の視線と楽曲隊から解放されるとハンスは自分に言い聞かせていたが、ターミナルビルの入り口が見えた時に自分の考えが甘かった事を悟った。

 

(嘘だろ。ビルの中にも絨毯と人が居る!)

 

 ビルの中にも赤い絨毯が敷かれて絨毯の両端にロープが張られている。ロープの内側に警備兵が外側には報道陣が見えた。

 ビル内に入るとハンス達はカメラのフラッシュの雨を浴びる事になった。

 

(眩しい!テレビで逮捕された犯罪者が顔を隠すのはフラッシュが眩しいからか!)

 

 ハンス一人なら立ち止まり、その場で蹲っていただろう。傍らで手を繋いでいる美女が手を挙げ報道陣に応えるふりをしてフラッシュを遮る。ハンスも美女に習い花束を持つ手を挙げ報道陣に応えるふりをしてフラッシュを遮る。

 

(凄い。場慣れしているな。この人)

 

 美女に助けらながらも無事にビル内を通り抜け用意された地上車に乗り込む事が出来た時はシートの上で手と足を投げ出してしまった。

 

「はい、どうぞ」

 

 グラスに満たされ水を差し出された。自分が喉が渇いていることに気付き受け取った途端に一気に飲み干した。

 水を飲み干した後にグラスを差し出した相手を確認すると自分をエスコートしてくれた美女だった。

 

「有り難う御座います」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

 空になったグラスを返しながら礼を言うと笑顔で美女が受け取る。

 

「自己紹介が遅れたけど、私はヘッダ・フォン・ヘームストラ」

 

「有り難う御座います。フロイライン・ヘームストラにエスコートされて本当に助かりました。情けない事に自分一人では大変な事になっていました」

 

「情けない事はないわ。普通の人なら当然の事よ。私も一応は女優の端くれだから、大勢の人の前で行動する事には慣れてるの」

 

「女優さんでしたか。道理で美人だし場慣れしているし動きの一つ一つが美しいのも腑に落ちました」

 

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

 

「お世辞ではないですよ。だから、軍も貴女を僕のエスコート役に抜擢したんですよ」

 

 ハンスは自分で言葉にしてみて改めて帝国軍の意図に気付いた。

 

(そこまで予想して彼女を用意したとなれば帝国軍首脳部も侮れんな。後世の本では皇帝ラインハルトが優秀過ぎて過少評価されてるけど)

 

 そこまで思考を進めた時に一つの可能性が閃いた。

 

(待てよ。迂闊な言動で逆行者と判明しなくても未来を知る者もしくは予知能力者として疑われる可能性もあるかも)

 

 急に深刻な顔になったハンスの様子にヘッダは不安を感じた。

 

「ハンス君、気分でも悪い?」

 

 ヘッダが心配顔で顔を見ている。

 

「いえ、大丈夫です。これからの事を考えて、ちょっと不安になっただけです」

 

 咄嗟に以前にキルヒアイスにも使った返答をした。

 ヘッダもハンスの返答を聞いて安心したらしく流暢な同盟語で意外な告白してきた。

 

「安心しても大丈夫よ。ここだけの話だけど、実は私も同盟からの亡命者なのよ」

 

「ええーーっ!?」

 

「嬉しいわ。そんなに驚いてくれて秘密を話したかいがあるわ」

 

「い、何時の話です?」

 

「まだ貴方が産まれる前の話よ」

 

「15年以上前に亡命って、若く見えるけど何歳なんですか?」

 

「失礼ね。私は貴方みたいに一人で亡命したわけじゃないわ。親に連れられて亡命したのよ」

 

「あ、普通はそうか」

 

「父が麻薬捜査官だったの。そこまで言えば分かるでしょ」

 

「了解しました」

 

 ハンスは短い言葉で返答した。同盟と帝国で秘密裏に手を結びサイオキシン麻薬の摘発をした事もある程に麻薬組織は巨大化していた時期が存在していた。

 その関連で麻薬捜査官が逆に命を狙われて帝国に亡命しても不思議な話ではない。

 

「帝国は表沙汰に出来ない私達が亡命した時も大事にしてくれたわ。貴方は派手に宣伝したから私達よりも大事にしてくれるわ。安心して大丈夫よ」

 

「はい、有り難う御座います。安心しました」

 

 ハンスの言葉には嘘は無い。政治宣伝に利用され飼殺しの人生でも冬の寒さ夏の暑さに苦しみよりはマシである。

 

 ハンスの返答を聞いてヘッダが急にハンスを抱きしめた。

 

「不安になるのは無理ないか。でも、困った時や不安になった時は連絡してちょうだい。必ず力になるわ」

 

 ハンスはヘッダに抱きしめられるままになっていた。ハンスにしてみれば女性に抱きしめられるのは半世紀以上前の事である。

 ハンスの母は息子に愛情が無かったわけではない。ただ、女の細腕で子供を抱えての生活に愛情を示す余裕が無かっただけである。

 ハンスも理解はしていたが理解する事と満足する事は別である。

 

(この歳になっても女性に抱きしめられて安らぎを感じるとは)

 

 ハンスもヘッダの背中に手を回して抱きつく。

 

「もう少しだけ、このままでいいですか?」

 

「いいわよ。まだ少し時間があるから」

 

 ハンスはヘッダに抱きしめられて、人生で初めて幸福を感じていた。

  



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亡命者の苦難 後編

 

 ハンスはヘッダに抱きしめられながら口を開いた。

 

「今更ながらですけど、僕達は何処に向かっているんです?」

 

「……確かに今更の話よね」

 

「はあ……」

 

「内務省に向かっているのよ。内務省で貴方の臣民籍を作る必要があるわ」

 

「臣民籍ですか?」

 

「臣民籍が無いと健康保険や年金とか受け取れないわよ。結婚も出来ないわよ」

 

「健康保険や年金が受け取れないのは困ります!」

 

「他にも簡単な帝国の法律の勉強もあるわよ」

 

 ハンスにしたら一難去ってまた一難の気分である。

 

「大丈夫。本当に簡単だから」

 

 ハンスの気持ちを察したヘッダが軽く励ます。

 

「勉強を始める前は皆さん同じ事を言いますけど……」

 

 ヘッダはハンスの体から離れるとハンスの前髪を手でかきあげた。

 

「大神オーディンの御加護を」

 

 ハンスの額に口づけをする。

 

「あっ!」

 

 途端に顔を赤くするハンスを見てヘッダは満足そうな笑みを浮かべる。

 

「本当に可愛いわね」

 

 ハンスとしては孫の様な年齢の娘に翻弄されて忸怩たる思いだが不思議に嫌な気がしない。

 

「子供の僕をからかって楽しんですか?」

 

「うん、楽しいわ。生き甲斐!」

 

「……他の有意義な生き甲斐を見つけて下さい」

 

 他に人が居れば呆れる会話をしている間に地上車は目的地の内務省に到着した。

 

「私は舞台に戻るけど、忘れ物とか無いか確認した?」

 

(この人は本質的には世話焼きタイプの人なんだなあ)

 

 ハンスは内心の気持ちを隠してヘッダに言われるまま地上車の外でポケットの中を確認して見せる。

 

「大事な事を忘れてた!」

 

「もう、何を忘れたの?」

 

 ヘッダは言いながら既にシートの上を見回して忘れ物を探し始めている。

 

「フロイラインに花束を」

 

 軍港でヘッダから受けとった花束をヘッダに差し出す。

 

「ダ、ダンケ」

 

 ヘッダもハンスの意外な行動に驚きながら花束を受け取る。

 

「花もフロイラインの様な美しい女性に貰われる方が幸せです」

 

「も、もう」

 

 照れるヘッダにお構い無しにハンスは膝を折りヘッダの手の甲に口づけをする。

 

「もう、子供の癖に!」

 

 言葉と逆にヘッダの顔が赤くなっていく。ハンスの意趣返しは成功したようだ。

 

「いずれ、お食事でも御一緒させて頂きます」

 

 第三者が聞けば言う方と言われる方が逆じゃないかと思われる言葉を残してヘッダは去っていた。

 

「お待ちしてました。御案内します」

 

 地上車を見送り振り返ると出迎えの内務省職員が此方を見ていた。職員はハンスの顔を見て笑いの発作を抑えているのが丸分かりだった。

 

(確かに顔に似合わない気障な真似はしたけど)

 

 職員の後を歩きながらハンスは自分の行動の迂闊さを反省した。

 

(そりゃ、皇帝ラインハルトやユリアン・ミンツなら絵になったけどね。どうせ自分だと漫画だよ)

 

 僻み根性丸出しである。

 

「此方になります。中へどうぞ」

 

 案内された部屋の中には頭頂部が見事に光輝く肥満体の中年の男性が待っていた。

 

「ハンス君、疲れただ……ろ」

 

 一瞬だが男が硬直した。

 

「私は内務省社会秩序維持局、局長のハインドリッヒ・ラングです。ハンス君には帝国臣民になる為の研修を受けて貰います」

 

「はあ……」

 

(ハインドリッヒ・ラングと言えば確かロイエンタール元帥に私怨を抱きルビンスキーに利用されて死刑にされた秘密警察の親玉じゃないか)

 

「まずは手始めに顔を洗いましょう」

 

「えっ!」

 

 ラングの意外な言葉に驚きを隠せずにいるハンスを放置してラングはインターホンで女性職員を呼んだ。呼ばれた女性職員もハンスの顔を見て一瞬だけ驚いたがラングを見て首肯く。

 一連の流れでハンスだけが事態を理解してなかった。

 

(一体、何?)

 

「此方に来て下さい」

 

 ハンスは事情が飲み込めないまま女性職員に促されて後をついて行く。女性職員が女子トイレに入るのでハンスは隣の男子トイレに入ろうとしたら女性職員から女子トイレに引っ張られてしまった。

 

「ちょっと、僕、男の子ですよ!」

 

 思わず叫ぶハンスを無視して女性職員が洗面台の鏡の前にハンスを立たせる。

 

「なんじゃこりゃ~!」

 

 鏡を見てハンスの絶叫がトイレ内にこだまする。

 鏡の中のハンスの両頬と額には鮮やかなキスマークが鎮座していた。

 

「その、気の毒だけど中継で帝国中の人が観てましたよ」

 

「あ、あ、あの腐れ外道女め~!」

 

 怒りのあまりに同盟語で叫ぶハンスを女性職員が冷静に宥める。

 

「起きた事は仕方ないです。取り敢えずはキスマークを落としましょう」

 

「は、はい、お願いします」

 

 ヘッダへの怒りは別にして、ハンスがキスマークの落とし方など知る筈もなく、今は女性職員の指示には素直に従うしかない。

 

「ちょっと、冷たいけど目を閉じて我慢してね」

 

 大人しく白いクリーム状の物を顔全体に塗られる。

 

「そのままで、ちょっと待ってね。クリームが汚れを吸い取るのに時間がいるから」 

 

 ハンスは手でOKサインを出して答える。

 

「彼女の事を怒らないであげてね。彼女は三年程前に貴方と同じ歳の弟さんを亡くされてるの」

 

 ハンスは黙って聞いてるしかなかった。

 

「弟さんと貴方が重なったと思うわ。貴方のエスコート役のオファーしたらノーギャラなのに二つ返事で引き受けてくれたもの」

 

「……」

 

「私も弟がいるから彼女の気持ちが分かるの」

 

 弟と重なったのに、こんな仕打ちとは歪んだ愛情だと思ったが一人っ子の自分が知らないだけかもと思った。

 機会があれば姉のいるラインハルトに聞いてみたいと思った。参考になるか怪しいのだが。

 

「そろそろ、クリームを落としても大丈夫ですよ。普通に顔を洗って下さい」

 

 顔に塗られたクリームを水で洗い流して鏡を見ると光沢のある艶々した肌が現れた。

 

「うお、凄い!口紅の跡形も無い!」

 

「羨ましいわ。若いから口紅と一緒に毛穴の汚れも取れただけなのに、こんなに肌が美しくなるなんて」

 

「お姉さんも綺麗ですよ」

 

「ありがとうね。でも、肌のお手入れが大変なのよ」

 

「ところで弟にキスマークを付けるのも姉の愛情なんですか?」

 

 ハンスはどさくさ紛れに弟がいる女性職員に先程の疑問を聞いてみた。

 

「あら、当然じゃない。弟を可愛がるのが姉の特権なら、弟を玩具にするのも姉の特権よ」

 

「……」

 

 早速、質問する相手を間違えた様である。

 

「さて、無駄話はやめて局長の所に戻りましょう」

 

 

 ラングの所に戻るとラングが書類の束を用意して待っていた。

 帝国も同盟も一緒で役所の書類とは分かりにくい上に面倒な物である。

 ラングが意外な事に一つ一つ丁寧に説明してくれて記入する箇所も教えてくれる。

 

「それからハンス君には帝国の養子縁組制度を予備知識として覚えて欲しい」

 

「はあ、養子縁組ですか?」

 

「帝国では養子縁組が多いのだよ。貴族間の政略目的の養子縁組も多いが150年も戦争していると孤児も多くなる」

 

(同盟も似た様なもんだけどね。トラバース法とか悪法が出来る程だから)

 

「帝国の場合は地方反乱等もある。必然的に孤児も多いから養子縁組も多いのだが養子縁組は両親が揃わないと許可が出来ない。そこで兄弟姉妹の養子縁組も存在する」

 

「親子関係だけじゃなく、兄弟姉妹の養子縁組とは変わっていますね」

 

「こちらの方が一般的には多いのだよ。親子になると遺産相続でトラブルになるケースも多い。兄弟姉妹なら実子との遺産相続でのトラブルが少ない」

 

(同盟でもトラバース法でも遺産相続でトラブルに発展する事も多いからな)

 

「もしハンス君にも養子縁組の話が有れば親子関係でなく兄弟姉妹関係の養子縁組もある事を思い出して欲しい」

 

 ラングは秘密警察の責任者として世間からは嫌われてるが、実際は誠実で優秀な官僚であった。

 書類にサインする作業が終わるとラングと共に昼食となった。昼食の席の間にラングは何度も、これから先に困った事が有れば自分が相談相手になる事を約束してくれた。

 ハンスはラングが自分を政略に利用する気なのか疑ったが直ぐに考えを改めた。

 

(そう言えば、この人は下級官吏の頃から匿名で福祉事業に寄付をしてる篤志家なんだよなあ。孤児の自分に善意で言ってくれてるんだろうなあ)

 

 ラングはロイエンタールとの確執で身を滅ぼして後世に悪名を残す事になるのだが、それ以外は公人としての枠を越える事はなく、逆に私人としては善良なる人物である。

 

 食事が終わるとラングは食後のコーヒーを飲みながら、これからのハンスの処遇に対する予定を教えてくれた。

 まず明日は戦勝式典で皇帝との謁見があるので謁見の為の作法の練習。

 そして、謁見の後はハンスは三日間程は内務省で研修を受けた後に軍務省の預かりとなり年内は軍務省で研修を受ける事になる。

 予定を聞かされたハンスとしては研修とか講習とか懐かしい単語であった。

 

(講習とか食品安全責任者の取得した時が最後かな)

 

 口に出したのは平凡な一言であった。

 

「研修ばかりですね」

 

 逆行前の人生では上等兵どまりのハンスにとって縁の薄い話である。

 帝国でも同盟でも昇進する度に研修や講習を受けるのは当たり前であり、ハンスも例外ではなく、帝国軍人として苦労する事になる。

 その前に謁見の作法の練習が深夜遅くまで続く事をハンスはまだ知らなかった。



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戦勝式典……その後

 

 紫水晶の間でキルヒアイスは溜め息をつきたい発作に襲われていた。

 先程、黒真珠の間から戦勝式典を終えたラインハルトとハンスが出てきたのだが、ラインハルトがハンスの襟首を掴んで引き摺りながら出てきたからである。

 それからハンスの帝国軍准尉の軍服姿は全く似合わない。

 ハンスが疲労感を漂わせているのも大きな要因であるが服のサイズが致命的に合ってなく体が服の中で泳いでいる。

 そんなハンスを見てラインハルトが毒づく。

 

「服のサイズ違いを差し引いても卿は同盟軍の軍服の方が、まだ似合っていたなあ」

 

 キルヒアイスも口にしないがラインハルトと同感であった。

 

「まあ、オノ准尉は疲れてますから、元気になり服のサイズも合わせれば似合うと思いますよ」

 

「有り難う御座います。キルヒアイス少佐」

 

 ハンスはラインハルトにも何か言い返したいが全身の疲労感で気力が出ない。

 

「しかし、卿は随分と疲れているが朝食は食べてきたのか?」

 

 当のラインハルトから逆に追い討ちを掛けられてしまった。

 

「そりゃ、疲れますよ。昨日も夜遅くまで今日の式典の稽古で朝食はホットドッグ二本とコーヒーのみですよ。それに閣下は帝国生まれの帝国育ちで陛下とは何度も会っているでしょうけど、自分なんか写真でしか見た事のない雲の上の人と会って話まですれば疲れるのが当たり前です!」

 

 それまでの疲労感も吹き飛ばすハンスの勢いにラインハルトも面食らってしまう。

 

「その、卿も色々とストレスが溜まっているみたいで大変だな」

 

 ハンスが慌て気味に謝罪する。

 

「失礼しました。閣下」

 

 ハンスよりキルヒアイスの不用意に刺激をするなと視線だけの抗議にラインハルトも慌てる。

 

「いや、今のは私が悪かった。朝食の件は私の方からも内務省には伝えておこう」

 

 ラインハルトが取り繕って巧みに内務省に責任を押し付ける。

 

「何を人聞きの悪い事を言っている!」

 

 軍服姿の三人の前に一人の文官が急に現れハンスを怒鳴りつける。

 

「これは中将閣下の前で失礼しました」

 

「それは構わぬが卿は?」 

 

「重ねて失礼しました。私は内務省亡命者保護課のテオドール・ホイスです。この度はハンス・オノの担当を拝命しました」

 

「それで、人聞きが悪いとか言っていたが?」

 

「それですよ。昨晩も式典の作法の練習で夜も遅くなったので夜食として出したサンドウィッチ五人前を一人で食べるし、今朝も夜が遅いかったからギリギリまで寝かせて朝食も簡単に食べれる様に一人分の朝食をホットドッグ一本にして二本出したら三分で食べてしまうわ」

 

「道理で豪華なホットドッグだと思いました」

 

 ハンスが呑気な口調の感想にホイス、ラインハルト、キルヒアイスの三人が同時に頭を文字通りに抱える。

 最初に立ち直ったキルヒアイスが口を開く。

 

「准尉の食欲は通常の三倍ですので三人前を用意してやって下さい。イゼルローンからの帰りの道中も朝昼晩と各食事で三人前を食べてましたから」

 

 キルヒアイスの言葉に驚いたホイスがラインハルトに視線だけで確認する。

 ラインハルトも視線だけでキルヒアイスの言葉を肯定する。

 

「私には娘だけで息子が居ないので分かりませんが、これ位の量が14歳の男子には普通なんでしょうか?」

 

 ホイスの問いにラインハルトとキルヒアイスが見事なコンビネーションで首を横に振る。

 

「私達も若いので軍の中では食べる部類ですが、流石に准尉ほどは……」

 

「ちょっと待て、幼年学校で陸戦部隊志望のキルヒアイスが練習相手をしてやっていた奴がいたじゃないか」

 

「フランツ・マテウスの事ですか?」

 

「そうだ。奴も三人前を食べていなかったか?」

 

「彼の場合は体を作りたいから無理して食べていましたからね。准尉とはレベルが違いますね」

 

 流石にハンスも自分の食事量を話題にされて気分を害した。

 

「三人で人の食事の量で話に花を咲かせて楽しいですか?」

 

 ハンスの皮肉でホイスが本来の目的を思い出した。

 

「そうだ。卿の食事の量は問題じゃない。卿は式典で陛下に何を申し上げたんだ?」

 

「別に何も」

 

「何も無い事がなかろう。陛下から今日の3時にお茶の相手をする様にと通達があったわ。今、内務省は大騒ぎになっている。卿は茶会のテーブルマナーを知っているか?」

 

「お茶会にテーブルマナーがあるとは初耳です」

 

「……だろうと思って、講師を呼んでいる。時間がない。大急ぎでレクチャーを受けさせる為に迎えに来たんだ!」

 

「あのう、昼食は抜きですか?」

 

「安心しろ。此方に来る時に内務省の売店でサンドウィッチを六人前を買ってきたから移動中の車で食べろ」

 

 そして、挨拶もそこそこに走り去る二人を見送ったキルヒアイスがラインハルトに問い掛けた。

 

「准尉は式典で何を言ったんです?」

 

 キルヒアイスの問い掛けは完全にハンスの言葉を信用していない問い掛けであった。

 

「陛下から文武百官の前で何か不自由があれば遠慮なく申し出る様に言われてケーキを腹一杯に食べたいと言った上にタイミングよく腹の虫を鳴かせやがった」

 

「それは……」

 

 キルヒアイスも庇い様がなく絶句した。

 

「絶妙のタイミングだったから、その場にいた文武百官全員が笑いを噛み殺すのに苦労させられた」

 

「それで茶会に招待する事に」

 

「挙げ句に式典が終了して退場の時は出席者用の退場口ではなく、係員用の出入り口から退場しようとする」

 

「それで……」

 

 ラインハルトがハンスの襟首を掴んで出て来た理由が分かった。

 

「あいつ、陛下の前で粗相をしなければいいのだがな」

 

「それは難しいでしょうね」

 

「内務省の職員達も色々と苦労する」

 

「しかし、何日か後には准尉は軍務省に身柄を移されて軍務省預りになりますね」

 

 ラインハルトが本気で嫌な顔をする。

 

「ハンスとは関わらない様にするのが賢明だろうな」

 

「その方が宜しいでしょうね」

 

 キルヒアイスがラインハルトの利己主義に珍しく同調した。

 明後日にはアンネローゼとの貴重な面会が控えている。余計な事に巻き込まれたくないのが二人の本音であった。

 

 

 一方、ハンスは昨晩以上の猛稽古に辟易していた。内務省から送り出される時はディナーのテーブルマナーの講習もすると宣言されてしまった。

 

(レストランに住んでいたからディナーのテーブルマナーとかは知っているのに)

 

 そう思っていても内務省職員には世話になっている為に口にする事が出来なかった。

 暗澹たる気持ちもフリードリヒと馬車に乗ると雲散霧消してしまった。

 宇宙船で数千光年も移動する時代に馬車などは珍しいのは当たり前である。

 

「うわ!速いなあ。それに揺れると思っていたけど意外と揺れないものですね」

 

 フリードリヒも苦笑するしかない。ハンスの裏表の無い態度に好感を持ってしまう。

 フリードリヒが市井に生まれていれば善良な臣民として生涯を終えていただろう。物心が付いた時から後継者争いに巻き込まれ望まぬ帝位を継いで来年で三十年になる。色々と気苦労の絶えぬ日々であったが、ハンスを相手にしていると心が和む。

 

「まだ、喜ぶのは早いぞ。卿が望んだケーキを馳走してやろう」

 

「有り難う御座います。陛下!」

 

 ハンスの喜ぶ笑顔にフリードリヒも相好を崩す。この様な気持ちを持ったのは久しぶりである。

 

(不思議なものよ。孫を相手にしても和まぬ余を和ませるとは)

 

 フリードリヒにはハンスは野心の無い無垢な存在に見えたが、これは一面の事実であった。

 ハンスの野心の大半は帝国に亡命を受け入れられた時点で成就していて、野心らしい野心は皆無に等しかった。

 但し、ハンスの唯一の悩みは逆行者として未来を知っている事、このまま帝国でプロパガンダとして安穏無事な生活を享受するか、多少のリスクを覚悟でこれから流される血を減らす為に尽力するかの選択だけであった。

 現時点では馬車に乗りケーキを食べれる事を単純に喜んでいた。要するに能天気なのである。

 

 やがて馬車は一軒の屋敷の前で止まった。馬車を降りると出迎えの列の中から一人の若い金髪の女性が進み出てきた。

 

「陛下にはご機嫌麗しゅう御座います」

 

 ハンスには女性の見事な金髪を見てラインハルトの姉のアンネローゼである事が分かった。

 アンネローゼは逆行前の同盟やバーラト自治領の両時代で有名であった。

 前者では皇帝の寵姫として、後者では人道支援として私費で義手義足や最新の医療機器を寄贈した篤志家として、ハンスも恩恵を受けた一人である。

 

(綺麗な人だな。女優のヘッダさんとは違う美しさを持つ人だな)

 

「固い挨拶はよい。それより、この者に其方のケーキを馳走してやるがよい」

 

「あのう、陛下。こちらのフロイラインは何方様でしょうか?」

 

 知っていても一応は聞くのは逆行者としての保険である。

 フリードリヒが紹介の労をとったがアンネローゼは昨日の放送を観ていたらしくハンスの事を知っていた。

 

(後宮の姫様まで知っているって、本当に帝国中の人に顔を知られているのか。ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツの苦労が分かった気がする)

 

「准尉、そんなに心配しなくても顔までは覚えている人は少ないですよ。私も陛下から連絡が無ければ気付きませんでしてよ」

 

 ハンスの表情を読み取ったアンネローゼの言葉に胸を撫で下ろすハンスであった。ただ、この場合は分母が帝国臣民の殆どなので分子の数字も大きくなる事にハンスは気付いていない。

 

 案内された部屋には三種のホールケーキが一個ずつ用意されていた。全てアンネローゼの手製のケーキである。

 ケーキには不慣れなハンスにもアンネローゼのケーキの味は一流パティシエのケーキと比べても遜色が無い事がわかる。

 

「本当に美味しいです!」

 

 ハンスの言葉が社交辞令ではない事が食べる勢いが証明している。

 マナー通りに食べ方だがスピードが桁違いに早い。

 

「これが若さか」

 

 ハンスの食べる姿を見てフリードリヒも自分の若い頃を思い出していた。

 アンネローゼは単純に自分の作ったケーキを頬張るハンスを見て喜んでいた。

 

「こんなに喜んで食べて貰えたら作り甲斐があるわ」

 

 ラインハルトとキルヒアイスの前でしか見せない上機嫌のアンネローゼを見てフリードリヒは神妙な面持ちになる。

 

(余の前では見せた事の無い表情だな)

 

 僅か15歳で家族と引き離し後宮に閉じ込めた事に改めて罪悪感を感じてしまう。

 しかし、アンネローゼの存在に自分が救われている事も事実である。

 

「美味しかった!」

 

 ハンスが全てのケーキを平らげたて満足そうに紅茶を口にする。

 アンネローゼは相変わらず満面の笑みを浮かべている。

 

「しかし、卿の胃は大丈夫なのか?」

 

 フリードリヒの疑問も当然と言える。大きくないとは言え、ホールケーキを三個をほぼ一人で完食しているのである。

 

「はい、大丈夫です。成長期ですから」

 

 そういう問題ではないと思うがハンスの満足そうな笑顔にフリードリヒも追及する気が失せる。

 更にハンスが予想外の事を言い出した。

 

「陛下、臣がグリューネワルト伯爵婦人の弟子になる事を許可して下さい」

 

「弟子とは何の弟子になるつもりか?」

 

「はい、ケーキ作りの弟子になりとう御座います」

 

「卿は軍人になるつもりでは無いのか?」

 

「すぐに軍を離れる気はありません。しかし、将来的には軍を離れ自分の店を持つつもりです」

 

「ふむ、余は構わぬがアンネローゼは?」

 

 突然の事にアンネローゼも最初は驚いたがハンスの言葉を聞いて妙に納得していた。

 

「私より専門の職人に弟子入りしては良くなくて?」

 

「大量に作る事の技術は菓子職人の方が上でしょう。しかし、レストラン客みたいに少数の人に提供するならグリューネワルト伯爵夫人の質の高いケーキが最適です」

 

「陛下さえ良ければ私は構いませんよ」

 

「アンネローゼが構わぬと言うなら余にも異存は無い。これからは時間が空いた時に習いに来るがよい」

 

「陛下、畏れながら、それでは道理に反してしまいます」

 

「何、道理に反すると?」

 

「はい、グリューネワルト伯爵夫人の実の弟であるミューゼル中将でさえ好きな時に会えぬのに弟子とは言え臣が好きに会えるのは道理に反します。それに臣も軍籍を置く身です。上官たるミューゼル中将に睨まれたく御座いません」

 

「つまり、アンネローゼの弟にも同じ権限を与えろと卿は言いたいのか?」

 

「御意に御座います。さすれば感謝されても睨まれる事は無いと愚考します」

 

「卿の言い分も尤もじゃな。宜しいアンネローゼの弟にも卿と同じ権限を与える」

 

「有り難き幸せ」

 

 この事が後にハンス個人だけではなく銀河の歴史を大きく塗り替える事になるとはハンス自身も予想していなかった。

 



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デビュタントとの夜

 

 帝国歴485年12月31日 新無憂宮 翡翠の間

 

 議会が存在しない帝国ではパーティー等の人が集まる場所が秘密裏の議会となりパーティー等に参加する事は重大な仕事でもあった。

 しかし、この日のパーティーは別の意味でも貴族達には重大な意味を持つものであった。

 軍部では将官以上の者、文官では局長の地位以上の者、貴族では爵位を持つ者とその子女のみである。例外として特別に許可を貰えた者も参加を許される。

 そして、爵位を持つ者の子女に取っては一生に一度の晴れ舞台でもある。

 普段は深窓の姫君として屋敷から出る事のない姫君が、このパーティーに参加する事により社交界にデビューする日でもある。

 このパーティーで素敵な異性と踊る事は帝国の娘達の憧れであり、この日に社交界にデビューする少女達をデビュタントと呼ぶ。

 しかし、普段は深窓の姫君として過ごしている少女達である。積極的になれずに壁の華として声を掛けられる事を待っている者も少なくない。

 

 そんなパーティーの中で談笑する相手も無く壁の華に目も向けずに若い食欲を満たす事に専念する若者が二人いた。ハンスとラインハルトである。

 

「閣下、お久しぶりで御座います」

 

「ハンスか。息災だったようだな」

 

「年内は大変でしたが、やっと開放されました」

 

「研修は大変だった様だな」

 

「内務省の研修も大変でしたけど、軍務省の研修は桁違いでした。幼年学校で数年掛けて習う事を半月で覚えるさせるとは無茶ですよ」

 

「まあ、そういう言うな。実際に幼年学校で習う事は実技科目を除けば軍科目は意外と少ないからな」

 

「そうだったんですか!」

 

「絵画やダンスとかも習ったぞ」

 

「幼年学校って、軍人養成所ですよね?」

 

「軍人だけではなく医者の卵や技術者の卵も養成している」

 

「そうなんですか」

 

「それより、姉上の事、卿に会ったなら礼を言わねばならんと思っていた。改めて礼を言う」

 

「礼を言われる様な事では有りません。弟子の自分が自由に会えるのに実の弟である閣下が会えないのは道理に反するからです」

 

 この二人、パーティー開始から参加していたが料理の攻略に夢中で互いの存在に気付きながら会話を始めるまで二時間の時が必要だった。

 

「それと平行して卿には苦情も言わねばならん。あれ以来、姉上はケーキ作りの毎日らしい」

 

「それが何か?」

 

「卿と会った次の日に大量のケーキの材料を仕入れたらしく。リヒテンラーデ侯が後宮でケーキ屋でも開業するかと半ば本気で疑う程の量だったらしい」

 

「……」

 

「……」

 

「僕がケーキ作りを習いに行けるのは月に一度か二度程度と思います。流石にそれは……」

 

「まあ、姉上が大量に物を買うのは昔からの事だからなあ」

 

「はあ」

 

 ラインハルトの述懐に共感もするが自分が苦情を言われる事でもないと思った。勿論、口に出せなかったが。

 

「私も子供の頃に姉上によく買い物に付き合わされたものだ」

 

「もしかして特売の時ですか?」

 

「卿は、よく分かったな」

 

「もしかして出入りの業者から大量に買うと安くなるとか言われたかもしれませんね」

 

 ハンスの言葉に思い当たる節があるラインハルトだった。

 

「姉上も伯爵夫人なのだから、貧乏性を治して頂かないと……」

 

 自覚の無い貧乏性が偉そうに論評する。この場にキルヒアイスが居れば呆れ半分に「貴方も十分に貧乏性です!」と、言った事であろう。

 

「閣下、反対方向よりは遥かに良いと思いますよ」

 

「それはそうだがな」

 

「それより、閣下はダンスは踊れますか?」

 

「一応は幼年学校で習ったからな。しかし、男同士で踊る気はないぞ」

 

「僕も閣下と踊る気はありません。先程、仲良くなったフロイライン二人組がダンスの相手を探していましたから閣下が協力して頂くとフロイラインと僕も踊れるのですが」

 

「仕方ない。卿には借りがある」

 

「では、少しお待ち下さい。すぐに連れて来ます」

 

 五分後、ハンスが金褐色とクリーム色の髪をした二人の少女を連れて来た。

 二人とも美しい少女で濃い化粧もせずドレスも淡い色に控えめのデザインで二人の清楚さにラインハルトは関心した。

 かつてラインハルトはキルヒアイスに門閥貴族の姫君を「ケーキ」に例えて、外側は美しく中身は甘いと酷評した事がある。

 そのラインハルトさえ二人を見て好印象を抱いた。

 

「閣下、此方のフロイラインはドルニエ侯の姫君です」

 

 ハンスの言葉を引き継いで金褐色の髪をした娘が口を開いた。

 

「初めましてミューゼル閣下。マリー・フォン・ドルニエと申します」

 

「そして、此方のフロイラインはフォカ伯爵の姫君です」

 

 クリーム色の髪をした娘がマリーと同じくハンスの言葉を引き継いで口を開く。

 

「初めまして、ミューゼル閣下。ゾフィー・フォン・フォカと申します」

 

「初めまして、帝国軍中将ラインハルト・フォン・ミューゼルです」

 

「閣下、ダンスまで時間が有りますので立ち話も何ですから、彼方のテーブルにでも」

 

 ハンスが半円形のソファーの席を指して提案した。全員で席につくとハンスとマリーが飲み物を取りに席を離れる。

 

「全く、落ち着きの無い奴だ。フロイライン達に何か迷惑でも掛けませんでしたか?」

 

「そんな事は有りません。逆に面白い話や色々とためになる事を教えてくれましたわ」

 

 ラインハルトも若い女性の扱いに長けてる若者でなく通常なら話題に困るのだが、今日はハンスという共通の知人をネタに話題は困る事はなかった。

 ハンスとマリーが帰ってきたのはダンスが始まる10分前である。

 飲み物を受け取りながらラインハルトがハンスに皮肉を投げつけた。

 

「随分と遠くまで飲み物を取りに行ってたらしいな」

 

「ええ、飲み物を取りに行くついでにフロイライン・ドルニエを口説いてましたから」

 

 皮肉を投げつけてもハンスの顔面の皮はイゼルローンの装甲並みに厚いらしく効果が無い様だ。

 

「……フロイラインには迷惑を掛けてないだろうな?」

 

「閣下、そんな事は有りませんわ。准尉はとても紳士ですわ」

 

 マリーが笑顔で助け船を出すのでラインハルトも仕方なしに引き下がる。

 気を取り直して、新年の乾杯をした。その後にハンスはマリーとラインハルトはゾフィーとペアを組みダンスを踊った。

 ラインハルトはハンスが踊れるか心配したが杞憂だったようでマリーのエスコートが巧みなのかもしれないが大過なくダンスを踊りきった。

 

 パーティーも終わり珍しく帰りの遅いラインハルトを心配したキルヒアイスが公用車を借りて迎えに来てくれていた。

 キルヒアイスはラインハルトが貴族の令嬢と一緒にいる事に軽く驚いたがハンスの姿を見て妙に納得した。

 公用車にフロイラインとハンスも同乗させフロイライン達を屋敷に送り届けた後にラインハルトが口を開いた。

 

「こんなにパーティーが楽しかったのは初めてであった。ハンスには礼を言う」

 

「此方こそ、楽しかったです」

 

「ハンス、単刀直入に聞くが誰に依頼されてフロイライン達と私を引き合わせたのか?」

 

 ラインハルトの目は嘘は許さぬという光が放たれていた。

 

「まあ、閣下が勘違いされるとは思っていましたけど……」

 

「ほう、勘違いとな。ドルニエ侯とフォカ伯と言えば帝国でも指折りの軍需産業の名家だがな」

 

「閣下、今夜のパーティーは名家ばかりが集まったパーティーてすよ。軍需産業と言っても帝国の軍需産業は貴族が独占しているでしょうに」

 

「では、今夜の事は偶然と卿は主張するのか?」

 

 ラインハルトの眼光が一段と強くなる。

 

「偶然では有りませんが、閣下の想定外の理由です」

 

 ラインハルトはハンスの言葉に疑惑より好奇心が刺激された。

 

「ならば、拝聴するか」

 

「その理由は、閣下が朴念仁ですから」

 

 確かに想定外の言葉に呆気に取られるラインハルトを無視してハンスが言葉を続ける。

 

「閣下にしたら、姉君以外の貴族の令嬢は頭の中は空っぽと思っていて女性の事に関しては無知無関心で女心など無理解ですから」

 

 ハンスが遠慮なく事実を指摘する言葉に運転席でハンドルを握っていたキルヒアイスも笑いの発作を耐える苦労を強いられた。

 

「それでは私が女性蔑視者に聞こえるではないないか!」

 

「女性蔑視者に聞こえるのではなく、実際に女性蔑視者なんです。自覚が無いとは重症ですね」

 

「……」

 

 既にトゥールハンマー並の致命傷を与えてるがハンスは容赦なく攻撃を続ける。

 

「どうせ、閣下の事ですからフロイライン達の化粧やドレスの色やデザインを見て貴族らしからぬ清楚な娘とか思ったんでしょう」

 

「……確かに」

 

「閣下の女性に対する審美眼は所詮はその程度なんです!」

 

「卿は私の評価が間違えてると言いたいのか?」

 

「間違いも何も基本的な知識が皆無です」

 

「では、卿は私より年少でありながら知識があると言いたいのか?」

 

「少なくとも閣下より有りますよ。まずは化粧から、あの二人の化粧は薄いようですが、あれはナチュラルメイクと言って、普通の化粧より手間も時間も掛かってます」

 

「そうだったのか」

 

「姉君も同じメイクをしてましたよ。まあ、元が良くないと自滅する化粧ですけど」

 

「……」

 

「次にドレスも色が淡く薄い色とデザインは胸が無いのを誤魔化す為です」

 

「……その、私が女性に無理解であった事は認める。だから、彼女らを引き合わせた理由を教えてくれ」

 

 流石のラインハルトも自分の無知を的確に指摘されて素直に降参した。

 

「それは、フロイライン・フォカは今年の六月に政略結婚をするんです」

 

「そうか。それは気の毒だと思うが、それと今夜の事の関係は?」

 

「本当に朴念仁ですね。結婚する前に、せめて憧れの人と話をしたい。ダンスを踊りたいと思うのが乙女心ですよ!」

 

 運転席で話を聞いていたキルヒアイスがラインハルト本人より先に理解していた。

 ラインハルトは類い稀な美貌の持ち主で、その事に本人が無関心な為、昔から女性から好意を寄せられても気付かない。ハンスが朴念仁と呼ぶのは仕方がないとキルヒアイスも思った。

 しかし、実際はキルヒアイスも宮廷の貴族の令嬢から小間使いの少女達からも「ノッポのハンサムさん」と人気がある事に気付いてない。その意味では似た者同士の二人である。

 

「閣下は中身は朴念仁ですが見映えはいいですし十代で将官ですからね。若い娘が憧れるのは当たり前です!」

 

「そうか」

 

「だから、途中で閣下とフロイラインを二人にしたんです!」

 

「そ、それは手間を掛けさせたな」

 

「閣下、別に僕は閣下を責めてません。ただ、閣下には理解して欲しいのは門閥貴族も自分家の家人や雇っている人達の為に必死になって犠牲を払っている人もいる事を知って欲しいのです」

 

「分かった。肝に命じておこう」

 

 返事こそ短いがラインハルトの内心では新鮮な驚きと大きな葛藤があった。

 門閥貴族が政略結婚する事は知っていたが、単に権勢を求めての事だと思っていた。しかし、ゾフィーの様に家人や雇っている人々の為に従容と犠牲になっている事の驚き。

 今まで増悪の対象でしかなかった門閥貴族も九年前のミューゼル家と同じ苦しみを持ち、更に覚悟も持っている事。

 

「まあ、帝国だけじゃなく同盟も同じ様なもんですけどね」

 

 ハンスの言葉には重い何かがあった。ラインハルトもキルヒアイスもハンスが同盟で何を見て何を経験したのか色々と気になったが、それは他人が迂闊に触れていけない事に思えて二人とも口にしなかった。

 

「そうだ。大事な事を忘れていた。少佐にはお土産が有ります」

 

 ハンスがいきなりキルヒアイスに声を掛けてきた。

 

「お土産とは?」

 

 ハンスが足元に置いてあったバッグの中から白いビニール袋を取り出しラインハルトに渡した。

 

「帰ってから温めずに食べられる物ばかりですから」

 

 横のシートに座っていたラインハルトが受け取った中身を確認して呆れてしまった。

 

「何時の間に卿は!」

 

 ハンスはパーティーで出された料理を使い捨てのフードパックに入れて持ち帰ってきていた。

 

「ダンスが始まる直前ですよ」

 

「まさか、ドルニエ家のフロイラインまで巻き込んではないだろうなあ?」

 

「大丈夫ですよ。巻き込んだりしてませんよ。それに大事な食べ物を廃棄するよりは良いでしょう?」

 

 悪びれずに堂々と宣言するハンスに呆れながらも感心してしまうラインハルトであった。

 

「卿には色々と驚かせられる」

 

 ハンスを送り届けた後の車中でラインハルトはキルヒアイスに問い掛けた。

 

「キルヒアイス、お前は俺より視野が広い部分がある。ハンスの事をどう思う?」

 

「そうですね。表面上の事から言えば色んな意味で恩義が有ります。しかし、准尉がラインハルト様に恩義を売る理由が不明なのが不安です」

 

「キルヒアイスも俺と同じ考えか。俺も最初は皇帝の寵姫の弟の歓心を買うつもりかと思ったが今夜の事を考えると違うらしい」

 

「ラインハルト様、はっきりと自分でも確信も無い推論なら有るのですが……」

 

「俺とお前の仲だ。言ってみろ」

 

「もしかしたら、准尉はラインハルト様に期待を寄せているかもしれません」

 

「……」

 

「准尉も同盟では悲惨な生活を強いられていました。帝国では厚遇されてますが、それでも社会の上層部に対しての恨みや怒りは国が変わっても持っているのかもしれません」

 

「それで、若い俺に期待をして広い視野を持たせる為に門閥貴族の娘達と話をさせたのか?」

 

「あくまでも、推論ですが……」

 

「キルヒアイスは奴をどう評価する?」

 

「年齢に似合わぬ見識と視野を持っていますが、それが実際に役に立つかは疑問です。しかし、対同盟に関して准尉が知る情報は有益です」

 

「俺達に有益かは判別するには情報不足だが、帝国軍としては有益か」

 

「軍部が、その事に気付いているか疑問ですが」

 

「ふん、情報の貴重さを理解してない奴が多すぎるからな」

 

「どちらにしても、今暫くは様子を見た方が賢明でしょう」

 

「そうだな。奴はまだ若い。暫くは様子を見てもいいだろう」

 

(もし、准尉がラインハルト様の障害になるなら自分が排除する。だが、果たして自分に出来るのか?)

 

 グリンメルスハウゼンの時は力量的に不安を感じたがハンスに対しては別の意味で不安を禁じ得ないキルヒアイスであった。

 

 キルヒアイスが葛藤している時に張本人は自室でパーティーから持ち帰ってきた料理を堪能していた。

 テーブルの上にはローストビーフにフォアグラにキャビア。それに薄切りのライ麦パンにチーズ各種。ちゃっかりとサラダとワインまで並んでいる。

 

「ダンスで体を動かした後の食事は格別だね」

 

 ローストビーフと一緒にサラダとチーズを薄切りパンで挟んだ即席のサンドウィッチを食べた後にフォアグラとキャビアを薄切りパンに乗せてワインを楽しむ。

 

「ワインにはキャビアよりフォアグラが合うなあ」

 

 心地よい達成感を感じながらの食事は格別である。今夜のパーティーは思わぬ収穫があった。

 ラインハルトに門閥貴族の労苦の一端を見せる事が出来た。

 ラインハルトは自分やキルヒアイスに同盟のヤンと違い非常の際は非情になれる男である。

 キルヒアイスを亡くした直後にはリヒテンラーデ侯の一族で十歳以上の男子を皆殺しにしている。

 ラインハルトの根幹には姉を奪った門閥貴族に対する復讐心が強く無用な血を流し過ぎる。

 今夜の事でラインハルトの復讐心が無に還る事なくても僅かでも心理的ブレーキになればと思う。

 急ぐ必要はない。ラインハルトが元帥になるまでに少しずつでよい。苛烈な性格に寛容の芽を育てればよい。

 ラインハルトやキルヒアイスの思惑など気にせずにハンスは逆行前の人生では縁がなかった料理を味わいながら能天気に充実感と料理を満喫していた。

 



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第三次ティアマト会戦 前日談

 

 帝国歴486年1月末

 

 宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥を総司令官として艦艇三万五千四百隻が出征した。

 この中には中将として従軍するラインハルトと副官としてラインハルトに付き従うキルヒアイスの姿もあった。

 そして総司令官ミュッケンベルガーを取り巻く幕僚の集団の中には司令部付き情報武官としてハンスの姿もあった。

 

 一方、フェザーン経由で帝国軍の出征を知った同盟では、アレクサンドル・ビュコック中将、ウランフ中将、ウィレム・ホーランド中将の三個艦隊を先発隊として派遣を決定した。国防委員会の承認を得られ次第、パストーレ中将とムーア中将の二個艦隊も投入される手筈である。

 この時に既に帝国軍はイゼルローン要塞に到達していて最終的な補給を行っていた。

 

「ラインハルト様、元帥閣下の旗艦での会議の時間になりました。ご用意ください」

 

「分かった」

 

 いつもは我儘を言ってキルヒアイスを手古摺らせるラインハルトが珍しく素直に会議の用意を始める。

 

(手が掛からないが覇気が無いなあ。かなりの重症だが無理もないか)

 

 覇気の無いラインハルトというのも稀有なのだが部下の目には不気味に写るらしくキルヒアイスにラインハルトの体調の安否を聞いてくる者もいた。

 ラインハルトを送り出した後に、何度目であろうか。今度は艦長がラインハルトの体調の安否を聞いてきた。

 

「副官殿、提督の体調は大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫ですよ。初めて一個艦隊を指揮する事に緊張しているだけですよ」

 

 同じ事を部下達に言うのは、これで何回目であろうか。

 

「そうですか?」

 

 流石に准将に昇進して以来の付き合いの長い艦長である。ラインハルトの事をキルヒアイスの次に理解しているらしい。

 

「艦長には何か異存でも?」

 

「うちの提督が緊張する様な可愛気のある人ですかね。姉君と喧嘩したとか姉君に怒られたとかなら納得が出来ますけど」

 

(そんな事になったら、この程度では済まないけどなあ)

 

「まあ、提督も若いから失恋したとかなら可愛気もありますけど……」

 

 失恋して落ち込むラインハルトを想像してみたがキルヒアイスの脳裏には映像化不可の文字が写しだされた。

 

「副官殿でも分からないなら自分達には分からないでしょうね」

 

「まあ、閣下の事ですから戦闘が始まれば、いつもの閣下に戻りますよ。安心して大丈夫だと私が保証しますよ」

 

「まあ、あの人も単純な人ですからね。戦闘が始まれば、いつも通りにカリカリするんでしょうけど……」

 

 本来なら艦長の発言は上官侮辱罪に相当する内容だったが事実なだけにキルヒアイスも苦笑するしかなかった。

 

 部下から単純と評された若者は珍しく会議も上の空であった。

 元からラインハルトに意見を求められる事もなく会議に出席しているだけだが、いつもは口に出さないだけで突っ込みを入れたり挙げ足を取ったりと熱心なのだが、それまでは漫然としていた。

 

「次に既に三個艦隊をティアマト星域に布陣している敵将については司令部独自の情報があるので、これから説明させる」

 

 情報武官としてハンスが会議室に入室した途端、ハンスに反応したか敵将の情報に反応したかは不明だがラインハルトの目に覇気が甦る。 

 

「皆さんが御存知の通りに小官は敵軍内部には、些か精通していますので敵将について説明させて頂きます」

 

 スクリーンにホーランドの顔が写しだされる。この後の議事録は五分間分はホーランドに対するハンスの罵詈雑言で埋め尽くされる事になる。

 

「以上の様にホーランドは机上の空論を玩び虚栄心が強いだけの男ですので、戦闘が始まれば必ずスタンドプレーに走りますので相手にせず、此方が後退すれば必ず追撃して来ますので友軍は後退を繰り返してホーランドを味方から引き離し孤立させた上で行動の限界点に達した時に攻撃すれば簡単に壊滅します」

 

 スクリーンに写しだされる顔がホーランドからビュコックに代わる。

 

「次の敵将ビュコックですが、現時点で敵軍内部では随一の能力の持ち主です。あの第二次ティアマト会戦の時から兵卒として戦場を往来していて経験では敵味方を合わせても一番の人物です。敵軍内では老練という言葉はビュコック以外に使うなとも言われる程の指揮官です」

 

 スクリーンに写しだされる。顔が今度はビュコックからウランフに代わる。

 

「次の敵将ですが敵軍内部では次の宇宙艦隊司令長官と評されている人物です。人望、実績、能力ではビュコックに次ぐ司令官です。特に攻撃の精悍さではビュコックを凌ぐと評されています。説明させて頂きました通り今回は敵軍の2トップとアホ一名ですので狙い目はアホになるでしょう。アホの艦隊を潰せば数で不利になる敵軍は敗走する事は自明の理です」

 

(最後は名も言わずにアホ扱いか。どんな恨みがあるんだ?)

 

 ラインハルトの内心の声は会議室に居る全員の声でもあった。

 

「オノ准尉の情報によると帝国軍の勝利は疑いないものである!」

 

 ハンスのアホ発言で場の雰囲気が変になり掛けたがミュッケンベルガーが強引に場の雰囲気を元に戻す。

 

「戦勝の前祝いとして酒を空け、皇帝陛下の栄光と帝国の隆盛を卿ら共に祈るとしょう!」

 

 ミュッケンベルガーが元帥らしく場を引き締める。

 全員が乾杯して散会となった時にラインハルトはミュッケンベルガーに呼び止められた。

 

「ミューゼル中将は私の執務室に出頭せよ。部下は先に帰す様に」

 

「了解しました」

 

 ラインハルトは参謀長のノルデン少将に入れ替りにキルヒアイスを迎えに来させる様に命じてからミュッケンベルガーの執務室に行く。

 執務室に入るとミュッケンベルガーがデスクではなくソファーで待っていてラインハルトにもソファーに座る事を指示する。

 

「卿は何歳になる?」

 

「今年で十九歳になります」

 

「そうか。食事は摂れているのか?」

 

「はい」

 

「そうか。体調は大丈夫か?」

 

「はい」

 

(ミュッケンベルガーの奴は何がしたいのだ)

 

「何か悩み事はないのか?」

 

「いえ何もありませんが?」

 

「そうか」

 

「……」

 

「まあ、若い時は色々あるからなあ。卿とて失敗はある」

 

「はい」

 

「失敗も、その時は辛いが歳を取ると懐かしい思い出になるもんだ。私も例外ではない」

 

「失礼ですが私は何か失敗したのでしょうか?」

 

「確かに失敗ではない。人を好きになる事は。失恋も人を成長させる糧になる」

 

「あの閣下、まるで私が失恋したみたいに聞こえますが?」

 

 ミュッケンベルガーがラインハルトの言葉を聞いた瞬間に顔色を変える。

 

「何、いかんぞ。卿だけの問題では無くなる。姉君の立場も悪くするし各方面の関係も悪化するぞ!」

 

「閣下、私は現時点で特定の女性と交際もしていませんが、閣下は私が駆け落ちでも考えてると勘違いをしていませんか?」 

 

「違うのか?」

 

「そんな相手はいません!」

 

「なんだ、紛らわしい!」

 

(それは、こっちの台詞だ!)

 

「卿が珍しくパーティーでフロイラインとダンスをしているから勘違いしてしまったわ!」

 

 ミュッケンベルガーの言葉にラインハルトも我慢しきれずに溜め息をつく。

 

「では、単刀直入に言うが卿が新年の休暇明けから元気が無いと卿の知り合い数人から報告があったのだ!」

 

「確かに休暇明けから頭の痛い問題を抱えていましたが、こんな事になるとは」

 

「その問題はなんなのだ?」

 

 ミュッケンベルガーに問われてラインハルトは数瞬の間に考えてミュッケンベルガーも問題に巻き込む事に決めた。

 

「上官たる閣下も知っていたほうが宜しい問題ですが他言無用でお願いします」

 

 ミュッケンベルガーもラインハルトの言葉に身構える。

 

「最初から、そのつもりだ」

 

「では、事の起こりは例のパーティーなのですが、あの夜に自分はファカ伯の令嬢とオノ准尉はドルニエ侯の令嬢とパートナーを組んでダンスをしました」

 

「うむ、私も覚えている。卿が珍しくパーティーを楽しんでいたからな」

 

「それでは話が早い。その時にドルニエ侯の令嬢がオノ准尉を見初めてしまったのです」

 

「……」

 

「……」

 

「私の聞き間違えか。見初める方と見初められる方が逆だと思うが……」

 

「閣下、お気持ちは分かりますが間違いありません。後日、私はドルニエ侯に呼ばれて令嬢の前でオノ准尉の気持ちと好みの女性のタイプを探る様に依頼されました」

 

(ドルニエ侯も人選ミスも甚だしいわ。よりにも寄って朴念仁のミューゼルを指名するとは)

 

 内心では事実とは言え失礼な事を考えているミュッケンベルガーだったが口に出したのは違う話である。

 

「卿が依頼されたのなら卿が責任を持つ様に」

 

ミュッケンベルガーの言葉にラインハルトも慌て気味に反論する。

 

「ちょっと待て下さい。オノ准尉は閣下の直属の部下で上官で年長者であり経験豊富な閣下が私より確実ではありませんか!」

 

 ラインハルトに言われミュッケンベルガーも慌て気味に反論する。

 

「卿も分かっている筈だ。二人の仲を取り持っても早晩に破局する事は!」

 

「そうとは限らんでしょう!」

 

「ええい、惚けるな。どうせ令嬢も直ぐに目が覚める。オノが棄てられのは時間の問題だろう!」

 

「閣下は先程、失恋は人間として成長する糧となる言っていたではありませんか!」

 

「卿とオノでは話が違う。奴の場合は下手したら自殺か無理心中でも起こしかねん!」

 

「……」

 

 ハンスの行動力は亡命という実績が既にあり、ミュッケンベルガーの危惧も現実味がある。

 ラインハルトもミュッケンベルガーと同じ危惧があり仲を取り持った負い目を持ちたくないのが本音である。

 

「オノが私の直属の部下と言うならば本日付けで卿の麾下に配属させよう」

 

「……了解しました」

 

 この二人、失礼な事にハンスがマリーから棄てられる事を前提条件として話を進めている。意外と似た者同士かもしれない。

 そして、失礼極まりない理由と責任の押し付け合いの結果、ハンスはラインハルトの麾下に配属された。

 この事により銀河の歴史は大きく変わってゆくのだが、この顛末をラインハルトはキルヒアイス以外の人間には生涯の秘密とした。



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第三次ティアマト会戦

 

 ハンスがラインハルトの麾下に配属された翌日に帝国軍は同盟軍とティアマト星系で対峙した。

 戦闘の開始は平凡な幕開けとなった。双方が相手側の詭計を警戒した為である。

 第三次ティアマト会戦に参加した戦力は帝国軍は艦艇三万五千四百隻、同盟軍は艦艇三万三千九百隻であり戦力的には互角と言えた。

 しかし、同盟軍では既に追加の二個艦隊の出撃が国防委員会から承認されハイネセンを進発している。

 帝国軍もイゼルローンにはゼークト大将が率いる要塞駐留艦隊が何時でも出撃が出来る準備をしているがミュッケンベルガーとしては要塞駐留艦隊を使わずに勝敗を決したいのが本音である。

 帝国軍の基本戦略は同盟軍の追加された艦隊がティアマト星系に到着する前の短期決戦であり、同盟軍はロボスが率いる追加の二個艦隊が到着するまで損害を最小限に抑える引き延ばしが基本戦略であった筈である。

 

「本当に准尉の言う通りに突出して来た部隊がいますね」

 

 ミューゼル艦隊旗艦タンホイザーの艦橋でキルヒアイスが軽い驚きを込めて呟く。

 

「理論を無視する事が奇策と勘違いしている様だな。ハンスがアホ呼ばわりするのも当然だな」

 

 ラインハルトもキルヒアイスと同様に軽い驚きもあるが、ハンスの批評通りに突出するホーランド艦隊に呆れてる。

 

「しかし、あの艦隊運動は芸術的ですね」

 

「芸術とは非生産的だな。エネルギーを無駄に浪費しているに過ぎん」

 

 ラインハルトが殊更にホーランドを貶すのは八つ当たりも兼ねている。

 ミュッケンベルガーからハンスを押し付けられた事と後方待機を命じられた事がラインハルトには不満なのである。

 

「まあ、オノ准尉を配属された事は幸運だと思いますよ。事実、オノ准尉の予測通りに敵が動いてます。それに後方待機となれば決戦時の貴重な戦力となり得ます」

 

 キルヒアイスの慰めにラインハルトは更に渋い顔になる。

 

「ふん、そのハンスの助言を活かせない連中が目の前で右往左往している。人材とは居ないものだ。俺とキルヒアイスだけでは限界があるし」

 

 このラインハルトの言葉には流石にキルヒアイスも慰め様がなかった。

 

「そう言えばハンスはどうした?」

 

「その、味方が無駄に血を流すのを見るのが辛いと食堂に居ます」

 

「あいつはキルヒアイスより優しい性格をしてるかもしれん」

 

 ラインハルトはハンスに対する評価を改めていた。最初はハンスの境遇に同情していただけでハンスの能力を考えもしなかった。

 しかし、ホーランドの突出を予測して、更に対応策も提示していた。年齢に似合わない才能と見識だと思う。ミュッケンベルガーから押し付けられた形だが、お互いにアヒルと思っていたのは実は美しい白鳥の雛だったかもしれない。

 

 ラインハルトがハンスを人材としてスカウトするか思案中に能天気にラインハルトのストレスの一因が艦橋に入って来た。

 

「敵軍にも優秀な人材がいるものですね」

 

(こいつは会議中のハンスの説明を聞いていなかったのか!)

 

 ラインハルトはホーランドを敵ながら天晴れと称賛するノルデンを無視して麾下の艦隊に後退を命じる。

 何か言い募るノルデンには口を開く労も惜しみ手だけで追い払う。

 

「ラインハルト様!」

 

 キルヒアイスが言外にノルデンに対する態度を窘める。

 

「分かっている。それよりはハンスを呼んでくれ。あいつの意見を聞きたい」

 

 キルヒアイスもラインハルトの忍耐力の限界を感じ素直に命令に従う。

 

 五分後、ハンスがノルデンを連れて艦橋に現れた。

 

「話は参謀長から聞きました。閣下も短気を起こさないで下さい。閣下と同じ物が見えたら参謀長も艦隊司令官をしてますよ。それに年長であろうが部下を育てるのは上司の役目です!」

 

 開口一番、ハンスはラインハルトに説教を始めた。流石のラインハルトもハンスの正論には及び腰になる。

 

「卿の言うとおり私が悪かった。以後は短気を起こさない様に努力する」

 

 短気を起こさないと言わないのはラインハルトが素直なのか狡猾なのか微妙である。

 

「それで、小官をお呼びになった理由はなんでしょう」

 

「そうだ。卿に、この後の展開の意見を聞きたいと思ってな」

 

「敵の行動限界点は一時間前後だと思います。そろそろ攻撃しやすい場所に移動するべきだと思います」

 

「ほう、卿は敵の行動限界が近いと思うか。その根拠は?」

 

「我が軍はティアマト星系に入る時間は調整して兵士に休養を与えてますが敵軍は休養を与える余裕が無いまま戦端を開きました。最初に二時間は平凡な撃ち合いでしたがアホが踊り始めて三時間半になります。あれだけの方向転換を繰り返したら燃料の消費も限界ですし、機関士の体力も限界でしょう」

 

「それから?」

 

「アホを撃ち取るのは簡単ですが、ビュコック提督とウランフ提督はアホを見放してもアホの下で苦労した将兵を見放さないでしょう。恐らくはアホが壊滅した後の後始末も考えてますから深追いはせずに形だけの追撃にするべきです」

 

「卿の考えは私と同じだ。卿には艦橋にて勝利の瞬間を堪能してもらおう」

 

 ハンスの意見を聞いて喜ぶラインハルトと対照的にノルデンの表情は暗い。

 ノルデンは士官学校を優秀な成績で卒業して子爵家の嫡男という部分を割り引いても出世の早い方であり、ノルデン自身も自分の才幹に自信を持ち出世の早さが自慢であったが、目の前の二人に才能の違いを見せ付けられてしまった。

 

(気の毒だが、この方はラインハルト様の役に立たぬ)

 

 キルヒアイスはノルデンの心情を正解に把握しており、ノルデンに同情もしているが冷徹に評価もしていて人材としては不可を与えている。

 

(問題は准尉の方だな。才幹の部分では問題が無い。人格的にも問題が無い。性格的には私以上に軍人に向いていないのでは)

 

 キルヒアイスも本来は才能に反比例して軍人には向いてない性格である事は自他共に認める事であったがハンスに関しては自分以上に向いていない。ラインハルトを補佐する人材としては得難いのだがハンスには軍人以外の道を歩ませるべきではとキルヒアイスは思う。

 

(私が口を出す問題ではない。准尉が自分で選択する事だな)

 

「閣下、敵の動きが鈍くなりました」

 

「そろそろだな。全艦、砲撃準備!」

 

 ホーランド艦隊の動きが鈍くなり動きが止まる瞬間をラインハルトは見逃さなかった。

 

「ファイエル!」

 

 ラインハルトの手刀が空を切る。光の線が標的に当たるまでに線から棒になり直撃を食らった艦は蒸発する。光の点の群れの中央に大きな黒い穴が現れる。

 

「第二射用意!」

 

「ファイエル!」

 

 とどめであった。最初の一撃で旗艦を失い恐慌状態になったところでの一撃である。

 この機を逃さずに帝国軍の他の艦隊が襲いかかる。

 ラインハルトが前進を命令しようとしたらキルヒアイスとハンスが無言で制止する。

 

「そうだな。熱くなり過ぎた様だ。私もハンスの言葉を忘れていた」

 

 ホーランド艦隊は壊滅したがビュコックとウランフの艦隊は健在であり、逃げるホーランド艦隊の敗残艦を襲う帝国軍に対して手痛い反撃を見舞う。

 反撃する度に怯む帝国軍ではあるが執拗に追撃を繰り返しビュコックとウランフの防御陣に阻まれ、遂には逃げきられてしまった。

 

「ハンスの言う通り、同盟にも人材は居るではないか!」

 

 ラインハルトは機嫌が良い。同じ戦うなら巨大な敵と戦いたいものである。

 それにハンスという人材も得る事も出来た。性格的に難点もあるが適材適所で性格に向いた部署と権限を与えれば宜しい。

 因みにドルニエ侯からの依頼をすっかりと失念しているラインハルトであった。

 

 ラインハルトから人材と評されたハンスの心境は複雑である。

 ラインハルトの麾下になり戦局を予測してしまった。本当は逆行前の知識でしかない。

 

(これで未来の皇帝に目を付けられたな)

 

 ラインハルトの人材収集欲は有名である。自分もラインハルトの麾下に配属されたからには帝国の動乱に巻き込まれる可能性が高い。

 

(そろそろ決断するべきか)

 

 時期を見て軍を辞めてオーディンの何処かのレストランに就職するつもりだったのだが果たして無事に辞められるか不安になってきた。

 

(こんな事なら情報提供するんではなかった)

 

 ハンスはミュッケンベルガーが引退する時に一緒に軍を辞めるつもりであった。

 その為に情報を提供してミュッケンベルガーが自分を離さない様にするつもりがラインハルトの麾下に配属されてしまった。

 

  第三次ティアマト会戦は終了したが敵味方の勝敗だけでなく多くの人の明暗を分ける戦いになった。



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功績と昇進、ケーキと和解、義姉と安寧

 

 オーディンに凱旋したハンス達には昇進が待っていた。

 ラインハルトが軍功第一とされハンスが軍功第二とされた。

 ラインハルトの軍功には異論もあったが不利な状況から逆転させた事実は変わりなく大将に昇進となりキルヒアイスも少佐から中佐に昇進となった。

 ハンスも准尉から少尉になった。一つの功績が一つの昇進になるなら、敵の行動を正確に予測した事と対応策を提示した事も合わせて中尉にという話もあったが、これはミュッケンベルガーが制止した。

 

「軍隊の階級は功績の為の賞品ではない。少尉は士官の基礎を学ぶ軍人には大事な地位である。功に対して報いる事が少ないなら一時金にすれば良い。此方の生活を始めるにも色々と物入りだろう」

 

 これには誰も反論せずに情と理の両方を納得させた。何よりハンス当人が喜んでいた。

 

「これで大型の冷蔵庫が買える!」

 

 自炊生活に慣れたハンスにとっては独身者用官舎の小型冷蔵庫では食材が入りきらずに困っていたのだ。

 キルヒアイスもハンスも昇進したが役職は副官と情報武官のままである。

 ラインハルトは役職は権限の無い名誉職のみで軍首脳部の思惑は露骨であった。ラインハルトを本当に喜ばせた礼遇もあった。

 皇帝から個人に旗艦が与えられるのである。

 ラインハルトが溺愛し生涯の旗艦とした「ブリュンヒルト」との出会いである。

 ラインハルトとキルヒアイスが旗艦の受け渡しに赴いた日にハンスはアンネローゼの元にケーキ作りを習いに来ていた。

 

「本当にハンスは筋がいいわね」

 

「お師匠様の教え方が上手なだけですよ」

 

 アンネローゼは弟子の成長を喜ぶと同時に自己鍛練も怠る事はなくケーキを作る毎日であった。

 酒飲みのフリードリヒには顔を見せる度にアンネローゼが笑顔で差し出すケーキが苦行だったらしく最近はアンネローゼを避けてベーネミュンデ侯爵夫人の元に通っているらしい。

 

(何か良い方向に向かっているのでは)

 

 ハンスとしたらベーネミュンデ侯爵夫人は気の毒に思えていた。市井の庶民の娘でさえ恋人や夫が浮気をしたら怒り狂うものである。

 ましては浮気じゃなく本気になられたら刃傷沙汰も珍しくない。

 ハンスに理解が出来ないのは裏切った男ではなく相手の女性に怒りが向かう事なのだが。

 

(この場合、怒りの矛先がラインハルトなら別に良いか。こんな優しい美人の姉がいて女に苦労はしてないみたいだし)

 

 完全に僻み根性である。

 

(このままフリードリヒとベーネミュンデ侯爵夫人との仲が持続すればベーネミュンデ侯爵夫人本人だけではなく周囲の人間も幸せなんだが)

 

「ねえ、お師匠様。作ったケーキをベーネミュンデ侯爵夫人にプレゼントしたら如何でしょうか?」

 

「あの方は私をお嫌いの筈ですよ」

 

「だからです。ケーキと一緒にアンケート用紙も送ればお世辞とか言わずに本音で駄目な部分を指摘してくれると思いますよ」

 

「そういうものかしら?」

 

「何もせずに嫌われたままよりは少しでも関係改善の努力はするべきだと思いますよ」

 

「それもそうね。何もしないよりは良いわね」

 

 翌日からベーネミュンデ侯爵夫人の屋敷にアンネローゼのケーキとアンケート用紙が届けられる事になる。

 その事をアンネローゼから聞いたラインハルトとキルヒアイスは複雑な心境であった。

 ベーネミュンデ侯爵夫人には何度も命を狙われた二人としてはケーキ如きで懐柔できる相手とは思えなかったからである。

 しかし、懐柔が出来たかは謎であるが細かく駄目出しが書かれたアンケート用紙は返ってきている。

 アンケート用紙を見たキルヒアイスは呆れ半分に感心していた。

 

「これ程、細かく駄目出しをする事も実際に文章にして自筆で書く事も大変な労力と思うんですけど」

 

 キルヒアイスの感想にラインハルトも応じる。

 

「確かに女性特有の細かい視点だが、自筆で書くとは根はかなり生真面目な性格みたいだなあ」

 

 二人はベーネミュンデ侯爵夫人の意外な一面に苦笑するしかなかった。

 因みにハンスもベーネミュンデ侯爵夫人にケーキとアンケート用紙を送っているが赤マジックで大きく点数を書かれてるだけである。

 

「ハンスは論評に値せずという事か。あいつの店を持ちたいという夢は、かなり遠いみたいだな」

 

 ラインハルトも口にはしなかったがハンスはコックより軍人を続けた方が幸せではと思った。

 

 その頃、ベーネミュンデ侯爵夫人から赤点を付けられたハンスはヘッダの千秋楽の舞台を観劇をしていた。

 ヘッダの舞台は評判以上に素晴らしく演劇などと縁がない人生を送ったハンスさえ感嘆した程である。

 演目はマクシミリアン晴眼帝の若き頃から即位して失明した後まで支え続けたジークリンデの物語である。

 最大の見せ場は失明したマクシミリアンがジークリンデの身を案じて荘園生活を勧めるが断固として拒否して終生ともに生きる事を誓うシーンである。

 ヘッダがジークリンデ役であったが素のヘッダを知るハンスさえ涙を流した。

 舞台が終わり他の観客が帰って後も係員から促されるまで立ち上がれない程であった。

 

「もう、遅い!」

 

 待ち合わせの場所で頬を膨らませるヘッダを見て、年齢相応の表情をしていて先程まで中年の女性を演じていた人物とは思えなかった。

 

「ごめんなさい。貴女の芝居を観て感動して椅子から立ち上がれなかった」

 

「女性に対しては陳腐な言い訳だけど役者には殺し文句だわね」

 

 照れ隠しにハンスの頬っぺたを指先でツンツンと突っつく。

 

「それより、千秋楽に自分なんかと食事するより、演劇の関係者の人との付き合いとか大丈夫?」

 

「大丈夫よ。子供が気にしなくてもいいの!」

 

 ヘッダは笑い飛ばしてハンスを連れてレストランに行く。

 ヘッダの行き付けの店らしく予約も取っていたようで個室に案内された。

 

「ここはオーディンでも老舗で昔からの味を守っている店なのよ」

 

「一度でいいから帝国の伝統料理を食べてみたいと思っていました」

 

 出された料理はクヌーデル(ジャガイモ団子)とソーセージがメインで健啖家のハンスも満足する味と量であった。

 

「本当に美味しかった!特にクヌーデルは美味しかった!」

 

「まあ、帝国ではジャガイモでフルコースを作れないとお嫁に行けないと言われてる程だからね」

 

「へえー」

 

 ハンスは曖昧な返事をしながら

 

(ヘッダさんは出来るのかな?)

 

 と思っても、ヘッダに直接に聞く程の勇気はない。

 

「まあ、それも昔の事みたいだけど」

 

「帝国のシチューと言えばフリカッセかと思ったけど、今日のグラーシュも美味しかった」

 

「今の帝国ではフリカッセの方が一般的みたいね」

 

「まあ、グラーシュはサワークリームが必要だからなあ。フリカッセの方が楽と言えば楽か」

 

「男の子なのに作る人の視点なのね」

 

「まあ、元はレストランの住み込み従業員の子供ですからね。しかし、今日の料理は美味しかった」

 

「満足してくれたみたいで私も嬉しいわ」

 

「今日はご馳走様でした」

 

「それから大事な話があるの」

 

 ヘッダが急に真剣な顔する。

 

「何でしょうか?」

 

 ハンスも真剣な顔を作り応じる。

 

「あのね。私の弟にならない?」

 

「えっ!?」

 

「養子縁組して私の弟にならない?」

 

「何を言い出すかと思ったら……」

 

「軍隊を辞めて私の弟になったら料理学校でも大学でも好きな道を歩けるわよ」

 

 ヘッダは帝国で一番の女優である。恐らくはフェザーンと同盟を合わせてもヘッダ以上の女優は居ないだろう。そして、ヘッダの収入もヘッダの実力に見合ったものでハンス一人を楽に養えるものであるだろう。

 悪魔の誘惑だった。幼い頃から貧困生活をして来たハンスには魅力的な誘惑である。

 

「駄目ですよ。僕は僕です。亡くなった弟さんじゃありませんよ」

 

「誤解しないで!弟と重ねた訳じゃないの」

 

「……」

 

「最初は貴方と弟が重なったけど、今は違うわ」

 

「……どちらにしても、直ぐに返事が出来る話ではありません」

 

「当然よ。私も感情的になってご免なさい」

 

「いえ、お気持ちは分かりました」

 

「ゆっくりと考えてね」

 

「はい」

 

 このままヘッダの弟となり動乱の帝国の中で自分の安寧だけを考えるのか。それとも軍に身を置き流れる血を減らす努力をするのか。

 自分が軍に身を置いても流される血の量は激流の大河の水をコップで掬う様なものだろう。そして自分も激流に呑み込まれるかもしれない。

 亡命直後から先伸ばしにしてた悩みを急に突き付けられてしまった。

 何故だか急にキルヒアイスとアンネローゼの顔が浮かんだ。あの二人はお似合いのカップルだと思う。

 

(アンネローゼ様に相談してみよう)

 

 それが問題の先伸ばしである事をハンスは自覚していた。アンネローゼに相談しても最後は自分が決める事なのだから。

  




 清眼帝がジークリンデにフェザーンに亡命を勧める描写がありましたが清眼帝が即位した頃はフェザーンは、まだ誕生していませんでした。
 フェザーンではなく荘園生活に訂正しました。


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逡巡、そして決断

 

 太陽の光が窓辺のカーテン越しに室内を照らし始め小鳥の鳴き声が朝の到来を知らせる。

 ハンスは見慣れた天井に視線を向けたまま溜息をつく。

 

(結局は結論が出ないままか。まあ、二つに一つだが本人が決断を下せないから当たり前か)

 

 ハンスは自分の優柔不断さを自嘲しながら体を起こして洗面所に向かう。

 洗面所の鏡を見た時に自分の目の下に大きな隈がある事に気付いた。

 

(昨日は一睡もせずに考え事をしてたからなあ。若い体でも限度があるか)

 

 ハンスは冷蔵庫からソーセージとパンとバターを出すとシャワーを浴びた。シャワーを浴びて目の下の隈を消すと常温に戻した食材で朝食を作り始める。

 鍋にソーセージを入れてポットのお湯を鍋に注いで火を点ける。パンにバターを塗り軽く焼いた後に鍋の中のソーセージを取り出しパンに乗せて焼きなおす。残った鍋の中の湯にスープの素を入れてスープを作る。

 かなりの手抜きの朝食だが朝食を摂り終わると身支度を済ませ新無憂宮に出掛けた。

 運が良いのか悪いのか。通された部屋ではアンネローゼだけではなく、ラインハルトとキルヒアイスの二人が先にアンネローゼに会いに来ていた。

 

「これは、昨晩は絶世の美女とデートだったハンス少尉殿ではありませんか。羨ましい事だ」

 

 開口一番にラインハルトが皮肉を言ってきた。どうやら以前に朴念仁と呼ばれた事を根に持っているらしい。

 事情を知るキルヒアイスは苦笑するしかない。

 逆に事情を知らないアンネローゼは弟の大人気ない態度に頭を抱えるが知っていても抱える事だろう。

 

「実は、その事でアンネローゼ様に相談に来たのです」

 

 ハンスの表情と口調で三人は深刻な話だと察した。

 

「姉上、私達は席を外した方が宜しい様ですね」

 

 ラインハルトが椅子から腰を浮かせ掛かったがハンスが制止する。

 

「いえ、お二人の耳に入れておくべき話なので」

 

 ラインハルトとキルヒアイスはお互いの顔を見合せたがお互いに心当たりが無い。

 

「まずは紅茶とケーキでも食べて落ち着いてから話をしましょう」

 

 アンネローゼは屋敷のメイド達の相談に乗る事も有るので場慣れしていた。

 美味しい物を食べれば少しは気分も晴れる。気分が晴れば話し易くなるものである。

 四人の無言の茶会が行われた後でアンネローゼが四人に新しい紅茶を注いでから話を始めた。

 

「ヘッダさんと喧嘩でもしたの?」

 

 どうやら自分が来る前にラインハルトから茶会の話題にされていた様である。

 

「いえ、逆なので迷っているのです」

 

「逆と言うと告白でもされたの?」

 

 笑顔で聞き返すアンネローゼの言葉にラインハルトとキルヒアイスの動きが一瞬だけ止まる。幸いにもアンネローゼもハンスも気付いていない。

 ラインハルトとキルヒアイスはドルニエ侯の娘がハンスを見初めている事を知っている。

 更に夕食に招待されてハンスの女性の好みを探る様に依頼されている。

 まさか「こんな娘がタイプで既に交際してます」とは言えるものでない。

 

 「いえ、そんな色気がある話ではなく、養子縁組して弟君にならないかと言われまして」

 

「あら、良い話ではなくて?」

 

「失礼な例えですが、アンネローゼ様なら弟君の閣下が亡くなり閣下に似た人を弟にしたいと思いますか?」

 

「私の場合は無いわね。でもヘッダさんなら同じ姉として理解が出来るわ」

 

 アンネローゼとヘッダの違いが男であるハンスには理解が出来ない。

 

「姉上、それではハンスだけでなく私も違いが理解が出来ません。説明して下さい」

 

 ハンスの様子を見てラインハルトが助け船を出した。

 

「それはね。ラインハルト。年齢の問題よ」

 

「年齢ですか」

 

「そう。私達はお互いに姉離れ弟離れしてよい歳よ。でもヘッダさんはまだ若いわ」

 

 姉離れを暗に示唆されたシスコンのラインハルトは渋い顔をする。

 ラインハルトの顔を見て内心は頭を抱えるアンネローゼであったが口に出したのは別の事であった。

 

「私もだけど弟がいると女性は強くなれるのよ。弟の存在が支えになるの」

 

「支えですか」

 

「そうよ。ヘッダさんが自分で意識して気付いているか分からないけど、自分には弟が必要だと姉の本能で分かっているのよ」

 

「姉の本能ですか」

 

「そう、それに貴方も家族が必要だと思うけど」

 

「家族ですか」

 

(家族とかに縁が無いからなあ)

 

「特に貴方は家族との縁が薄いから将来的に家庭を持った時が不安だわ」

 

 ハンスは亡命して余裕のある生活を目指していたが自分が家庭を持つ事は意識的に考えないでいた。自分は良い夫になる事が出来ても良い親になる自信がなかったからてある。ましては兄弟姉妹などは考えた事もなかった。

 

「まあ、自分も欠損家庭で育った人間ですから」

 

「どうしても駄目なら養子縁組を解消すれば済む事よ。一度、試してみたら?」

 

「分かりました。それと閣下」

 

「姉上ではなく私とは?」

 

「実は養子縁組をして軍を辞めてはと言われてもいます」

 

 ハンスの言葉を聞いた途端にラインハルトが慌てだした。

 

「それは困る!卿の知識と見識は大変に有用である。卿に辞められるのは軍としても私個人としても重大な損失だ!」

 

 ラインハルトの剣幕にハンスとアンネローゼも驚く。特にアンネローゼにはラインハルトがキルヒアイス以外の事でムキになるのを初めて見たので驚きも新鮮である。

 

「僕は別に辞めるとは言ってませんよ。でも、僕は最初からの軍人志望でもないんですよ」

 

 ハンスの言葉にラインハルトも鼻白む。ラインハルトは他人から強制される事を極端に嫌う。

 故にハンスを強制して軍に縛りつける事が出来ない。

 

「卿はどうしたいのか?」

 

「迷っています。大学で歴史を勉強したい気持ちもありますし料理学校に行きたい気持ちもあります。軍に残って現場の暴走を止めて少しでも流れる血の量を減らせればと言う思いもあります」

 

「その卿が料理人志望なのは知っていたが歴史を学びたいとは初耳だな」

 

「同盟にいた時は大学進学とか夢のまた夢だったので最初から諦めてました」

 

「そうか」

 

 ラインハルトの返答は短い。ラインハルト自身は子供の頃に姉を取り戻す事が人生の目標になっていたので夢を諦める事の心情が理解が出来ない。そして、自分の意に反して状況に流されざるを得ないのは、かつてのラインハルトも同じ体験をしているので理解が出来る。

 

「閣下がアンネローゼ様の前で決して無駄な血を流さないと誓って頂けるなら、自分は微力ながら粉骨砕身して平和の為に閣下の元で働きます」

 

 それはラインハルトがキルヒアイスに立てた誓いと合致するものであった。かつてラインハルトはキルヒアイスに誓っている。

 

『自分達の目標の為には血を流す必要があるが、だが決して無駄な血は流さない』

 

 ラインハルトがキルヒアイスに視線を向けるとキルヒアイスもラインハルトの視線を受けて頷く。キルヒアイスの返答を得てラインハルトはハンスに顔を向け口を開く。

 

「卿の気持ちは分かった。私も卿と姉上に約束しよう。これから先も血を流す事になるが決して不必要な血を流さないと」

 

「平和の時代が来るまで微力ながら閣下と共に戦います」

 

 この時に銀河の歴史の流れは変わった。ハンスだけが知っている事だが確かに歴史の流れは変わったのである。

 

「まあ、平和の時代が来たら小さい店でも開きますから閣下達も来て下さい。サービスしますから」

 

 ハンスが抜け目なく将来の顧客獲得の営業を始る。その場にいたアンネローゼとキルヒアイスが思わず笑い出す。

 

「はあ……。招待しますと言わんのが卿らしい」

 

 ラインハルトが文字通りに頭を抱えて呟いた。

 

 後にハンスが、この時の茶会の事を地球時代の歴史の逸話に習い「茶会の誓い」と名付けたが後世の歴史家からは全く無視される。だが何故か巷では有名になり歴史作家が必ず取り入れる場面となる。

 こうして、ハンスは亡命以来の悩みに決別したのだが、ハンスが歴史に介入した事で、本来の歴史から、どれ程の歴史の変革を成せるのかを知る者は宇宙には存在しなかった。



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同居騒動顛末記

 

 さて、役所の手続きとは面倒なものである。ハンスが亡命した時も手続きは大変だったが養子縁組の手続きも大変だった。

 ヘッダの所属している芸能会社が協力的で会社経費で行政書士に依頼してくれたのだがハンス本人が書く必要のある書類もあり、ヘッダと共に面談もありで忙しい。

 また、ヘッダに内緒ながらリヒテンラーデ侯爵や典礼省に挨拶に行かなければならなかった。

 本来は典礼省の役人に謝礼金を払うのが慣例なのだが、相手がハンスでは典礼省の役人も謝礼金を要求する事はなかった。

 

 役所の手続きの前にもヘッダとハンスで喧嘩する事になる。

 原因は同居希望のヘッダと別居希望のハンスとの意見の相違である。

 

「姉と弟で別居する理由が無い。家族なら特別な理由が無い限り同居するのは当然」

 

「姉と弟でも年齢が年齢だから別居は当然だろ。僕も子供じゃない。不測の事態が起きるかもしれん!」

 

「そんな度胸も無い癖に」

 

「何だと、自分が美人なのを自覚して無いのか!」

 

 もはや喧嘩は喧嘩でも痴話喧嘩である。

 結局はヘッダの泣き落としにハンスが折れたのである。

 

「ひ、卑怯な。女優だけあって嘘泣きが上手い!」

 

 嘘泣きと看破していても女性の涙には弱かったハンスである。周囲もヘッダに負けてボヤくハンスに苦笑するしかない。

 

 手続きも終わり同居の為の引っ越し準備の段階で、また喧嘩になった。今回は部屋割りである。

 ハンスは自分の部屋を要求したのだが、確かにヘッダは書斎は用意したが寝室はヘッダと共用でベッドも一つしかない。

 

「あんた何を考えているんだ!」

 

 ハンスも遠慮が無い。

 

「別に何か問題でも?」

 

「若い男女が一つのベッドとか問題だらけだろ!」

 

「それが、どうした!」

 

 ヘッダが、宇宙最強の言葉を使いハンスに対抗する。

 

「好きにしろ!」

 

 ハンスは折れたと見せ掛けて冷蔵庫を買うつもりでいた金で書斎でも使える折り畳み式のベッドと軍事用のシュラフを購入した。

 

(何処かの金髪のシスコンでも一緒に寝たりしないぞ)

 

 ハンスからシスコン呼ばわりされた若者は夕食に招待という名目でドルニエ侯から呼び出しを食らっていた。

 

「閣下、どんな理由でしょうかな?」

 

 弁解と言わずに理由と言っているだけ穏便である。ドルニエ侯にしてみれば娘の婿候補をヘッダに横取りされた心境である。

 

「侯も落ち着いて下さい。これでも最大限の努力をして被害を最小限に抑えたのです」

 

 言い訳をするラインハルトというのも稀有である。

 

「ほう、弁明を聞きましょう」

 

 侯の横にいる娘のマリーの視線も怖い。この時、ラインハルトは女性を本気で怒らせるもんではないと学習した。

 

「本来ならハンスは軍を辞めて料理学校か大学に進学する予定でした。そうなれば私の管理から離れて進学した先で不測の事態が起こる可能性もありました」

 

 内心はハンスを好きになる物好きな女性は稀有な存在だと思っていたがコンマの後に0が幾つ付いても可能性として0では無いと自らに言い聞かせた。

 

「ふむ、閣下が最大限の努力をしてくれた事は分かりました」

 

「理解して頂き幸いです」

 

「それで、当初の依頼の件は、どうなりましたか?」

 

「それは、ハンスに直接に聞く事に成功しています」

 

「拝聴しましょう」

 

「まず、ハンス自体は女性との恋愛には、まだ興味は無いようです。それでも好みの女性は料理上手な女性だということです。それもプロ級の腕ではなくジャガイモでフルコースを作れる程度の腕だそうです」

 

「それは、朗報ですな」

 

「それとハンスは自称、粗忽者でして年上のしっかり者が自分に相応しいと思っているみたいです」

 

 正直、この事をドルニエ侯に伝えるか躊躇したラインハルトであった。ハンスが同居を始めた相手は義理の姉と言っても年上の女性である。ドルニエ侯の娘のマリーも美しいがヘッダも女優だけあって美人である。ドルニエ父娘が邪推するのではと懸念したのだが杞憂の様であった。

 

「それは重畳ですな。年上のしっかり者で料理の腕はジャガイモでフルコースを作る程度ならマリーだと美人の分、お釣りがくるではないですか!」

 

 侯爵とて一人の父親、どうやら親馬鹿だった様である。あまり思い出したくないが、既に故人となったがラインハルトの父親もアンネローゼ相手に親馬鹿ぶりを発揮していた様に思う。

 帰宅したラインハルトがキルヒアイスに、この事を話すとキルヒアイスは表面上は苦笑するしかなかった。

 

(貴方も十分に弟馬鹿ですよ)

 

 キルヒアイスもラインハルト同様にアンネローゼの信奉者であったがキルヒアイスの方が僅差で冷静であった。

 

(弟と言えば、オノ少尉は大丈夫だろうか?)

 

 キルヒアイスに心配されたハンスとヘッダの同居生活は完全な擦れ違いの生活であった。平常時は判で押したように規則正しいハンスの生活に比べてヘッダの生活は不規則であった。

 

 ハンスが就寝した頃にヘッダが帰宅してシャワーを浴びハンスが作り置きした食事を食べてハンスを自分のベッドに運び一緒に寝る。

 

 朝はハンスもヘッダのベッドで起床することに慣れたようで自分とヘッダの朝食を作りヘッダを起こしてから軍務省に出勤する。

 ヘッダの帰りが遅いので、どうしても擦れ違いの生活になってしまう。

 

 ヘッダは口にしないが養子縁組の為に仕事時間を割いた煽りなのはハンスにはわかる。

 その事がわかるが故にハンスはヘッダの食事に栄養面と味に細心の注意を払いヘームストラ家のコックを務める。

 同盟のヤン・ウェンリーの被保護者のユリアン・ミンツと変わらない生活と言える。

 ユリアン・ミンツと違うのはヘッダの過剰なスキンシップである。

 朝、ベッドのヘッダを起こしに行って下から抱き付かれるのは当たり前。夜も書斎のベッドから寝室のベッドに移す時も行きがけの駄賃と言わんばかりにキスされるのも当たり前。

 ハンスが閉口したのはシャワー中にヘッダが裸で乱入してくることである。

 

「普通に犯罪だろ!」

 

「ホホホ、本気で姉と弟が一緒にシャワーを浴びて罪になると思っているなら通報すれば」

 

「法律上の罪ではなく倫理上の罪だろ!」

 

「可愛い弟の裸を堪能する為なら倫理など生ゴミと一緒にポイよ」

 

「まさか、子役の子供にセクハラしてないだろうなあ?」

 

「まさか、貴方以外の子供に興味も無いし、犯罪者になる気も無いわ」

 

「こっちが理性を無くしたらどうする?」

 

「養子縁組を解消して婚姻届を出すだけよ。そっちの手続きは簡単よ」

 

 中身は80歳近い老人が孫娘と言っても差し支えない娘に翻弄されている。

 これからは帰宅したら最初にシャワーを浴びてヘッダの在宅時はシャワーを浴びないことに決めたハンスであった。

 

 それでもハンスはヘッダとの生活を楽しんでいた。自分が作った料理を喜んで食べてくれることに。朝、起きれば自分以外の温もりがあることに常人なら何でも無い様なことがハンスには幸せに感じることができた。そして、この幸せを無くすことに恐怖を感じた。軍も辞めてヘッダに甘えて料理学校に進学する事も考えたが、この幸せを無くす人も大勢いることを考えると軍を辞める訳にはいかなかった。

 無駄に流れる血を減らし、この幸せを失わない様にするのは一種の賭けである。

 その賭けの勝率の低さを考えるとヘッダに申し訳なく思う。

 

 逡巡して決断すれば決断した事を後悔するハンスであった。

 

(所詮は凡人なんだろうな)

 

 自嘲するハンスは凡人らしい考えもあった。ヘッダが心配する様な事があれば道半ばでも軍を辞めようと思っていた。

 僅かな時間でヘッダは逆行前の世界でハンスが手にすることがなかった大切な家族になっていた。



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クロプシュトック事件

 

 珍しくハンスとヘッダが夕食を共にしている。

 

「レタスも茹でて食べると意外と美味しいわね」

 

「レタスだけじゃなく人参も有るからね」

 

 二人の前には鍋が湯気を出している。

 鍋の中身はスライスした人参にキノコ。ベーコンとレタスと小さなエビが鎮座している。

 ハンスがヘッダの野菜不足を配慮して野菜が大量に取れる様に考えた料理である。

 

「エビも食べなさい。女性は鉄分が必要なんだから」

 

(あんたは、私の親か!)

 

 ヘッダは心の声を出さずに黙々と食べる事にする。地球時代の言葉で「台所を制する者は家庭を制する」があるが至言だと思う。

 目の前の少年は料理が上手である。それも普段なら捨てる野菜の皮や魚の骨も利用する。

 栄養価的にも問題が無い様で色々とヘッダの体調問題も解決した。

 

「そう言えば、あっちではレストランに住んでたわね」

 

「そうだよ。客には出せない部分も料理したからね」

 

 ハンスの言葉に納得したがヘッダも年頃の娘である。ハンスの手料理を食べる度に女性としてのプライドに優しくヤスリを掛けられる。

 

(マネージャーに言って、料理人役の仕事を貰って来させよう)

 

 ヘッダが家庭内クーデターを企んでいるとハンスが思い出した様に口を開いた。

 

「明日は夜から出掛けるからね」

 

「仕事?」

 

「半分は仕事だね。ブラウンシュヴァイク公に呼ばれてる」

 

「へえー、あの平民嫌いなスフィンクス頭がねえ」

 

「……ぶはあ」

 

 ハンスは吹き出してしまった。ブラウンシュヴァイク公の髪型を思い出したらしい。

 

「もう、お行儀が悪いわよ」

 

「あのね。あんな事を言われたら吹き出すわ!」

 

「あら、舞台役者の中では有名よ」

 

 明日の夜、ブラウンシュヴァイク公に対面した時に笑い出さないか不安になったハンスである。

 

「それより、あのスフィンクス頭が貴方を呼ぶのよ。平民の少尉とかね」

 

「そりゃ、皇帝陛下に謁見した有名人ですからね」

 

「そりゃそうでしょうけど。私が言うのも変だけど貴方の亡命受け入れって、派手過ぎない?」

 

「そりゃ、派手にするさ。だって表向きは何年ぶりの亡命者だし、姓でも分かるけど先祖が帝国人じゃないからね」

 

「それが不思議なのよ」

 

「つまり、先祖が帝国人でも無い子供が亡命したら厚遇された。じゃあ、同盟で派閥関係で冷遇されてる幹部はどう思うかな?」

 

「それが狙いね」

 

「更に派手に亡命受け入れしたら同盟にも脱出用シャトルの話は伝わる。今頃は同盟軍内部は国防委員会も巻き込んで揉めてるよ」

 

「なるほどね」

 

「もう一つおまけがある」

 

「まだ、あるの?」

 

「うん、帝国の平民の亡命防止だよ。だって、脱出用シャトルは軍人の最後の生命線だよ。その脱出用シャトルがあんな状態の国に亡命する価値があると思う?」

 

「確かにね」

 

「だから派手にしたのさ。待遇だって下っ端からみたら高官だが上から見たら幼年学校卒業生と同じだぜ」

 

「それで帝国一の美少女に声を掛けたのね」

 

「……そうだね」

 

 ハンスの返答は短い。

 

(確かに美人だけど、自分で言うかね。まあ、それぐらいじゃないと駄目なのかな。女優さんって)

 

 色々と説明して鍋の中を見ると見事に空っぽである。

 先程からヘッダが短い返事だったのは策略だったようだ。

 

「まだ、食べれる?」

 

「もう、野菜は飽きたわ」

 

「クヌーデル(じゃがいも団子)とパスタがあるけど、どっちがいい?」

 

「両方!」

 

「じゃ、半分ずつ入れるよ」

 

 クヌーデルとパスタを半分ずつ鍋に投入して蓋をする。

 

「明日は残りのクヌーデルとパスタがあるから自分の好きに料理すればいいよ」

 

「まあ、スフィンクス頭は嫌な奴だけど、ケチじゃないから遠慮なく食べて来なさい」

 

「明日は昼食抜きで行くよ」

 

 いつもの貧乏人根性を出してヘッダに内緒で料理を持ち帰る事を考えてたハンスは似たような事件に埋もれ忘れていたが、翌日には大事件に巻き込まれる事になる。

 

 

 その日は3月にしては寒い日であった。寒がりのハンスは礼服の下に防寒着を着る事も考えたが防寒着を着ると満腹するまで料理が食べれないし動きづらいのではと小市民的な事に頭を悩まされていた。

 悩んだ甲斐がありブラウンシュヴァイク公のパーティーの料理は素晴らしくダンスを前提にしていない為か料理は重い物も多く健啖家のハンスとしては嬉しい限りである。

 

「美味しい!流石にブラウンシュヴァイク公のパーティーだな。料理は一級品だな」

 

「そうだな。ブラウンシュヴァイク公の料理人は一流の腕だな」

 

 ハンスの言葉を受けるのはラインハルトである。若い二人が若さに相応しい食欲で料理を制覇していけば当然の如く遭遇する。

 

「しかし、豚の丸焼きとは豪勢ですね」

 

「私も何度かパーティーには招待されたが他のパーティーでは見た事がない」

 

 給仕に切ってもらいマスタードを付けて食べると見た目だけではなく素晴らしい味であった。

 

「閣下、あちらには、鳥の丸焼きが有りますよ」

 

 新無憂宮のパーティー以来の人生で二回目のパーティーで珍しい物ばかりである。

 ハンスの落ち着きの無い様子にラインハルトも苦笑するしかない。

 鳥の丸焼きを切り分けて貰っていた時に不意に背後から声を掛けられた。

 

「楽しんでくれている様だな」

 

 二人が振り向くと今宵のホストであるブラウンシュヴァイク公が立っていた。

 

「これは、ブラウンシュヴァイク公。今宵はお招き頂き感謝の念に堪えません」 

 

 ラインハルトが形式通りの挨拶をした後でハンスを横目で見ると鳥の足を丸ごと切り分けて貰いかぶり付いていた。

 

「これ、ブラウンシュヴァイク公の御前だぞ」

 

 ラインハルトにしたら門閥貴族の象徴である。ブラウンシュヴァイク公は嫌いだが礼儀を欠く気はなかった。

 ハンスも慌てて口の中の肉を飲み込むとラインハルトと同様に形式通りの挨拶をする。

 

「ふむ、楽しんでくれて結構な事だ。何なら余った料理は持って帰ると良い」

 

 ブラウンシュヴァイク公は機嫌が良い。今日は皇帝臨御のパーティーである。

 皇帝臨御となれば門閥貴族には大変な名誉であり自分の権勢を誇示する事になる。

 ついでにラインハルトも実は機嫌が良い。皇帝の側に居る姉など見たくもないが今日はベーネミュンデが皇帝の側に居る。

 

「有り難う御座います。公のパーティーの料理は大変に素晴らしい。流石、ブラウンシュヴァイク公です。一流の料理人を抱えておられる」

 

「料理人に伝えておこう。料理人達も喜ぶ。しかし、卿らにケーキを出すのは怖いのう」

 

「公も謙遜なさいます。これだけの料理人でケーキが美味しくない筈がありません」

 

「しかし、卿は別にしてもミューゼル大将の実家はケーキ屋ではなかったか?」

 

 流石にラインハルトも、この言葉に驚きブラウンシュヴァイク公の勘違いを訂正する。

 

「公は何か勘違いをされてる御様子。私の実家はケーキ屋ではありません」

 

「そうなのか。いや失礼した。最近、グリューネワルト伯爵夫人が宮廷内で自家製のケーキを配っているのでな。そのケーキの出来が見事なので我が家の料理人も舌を巻いている程なのだ」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「その、ケーキ作りは姉の昔からの趣味です。最近、とある人物からの影響で趣味に拍車が掛かったのです」

 

 ラインハルトの視線がハンスに向かう連れてブラウンシュヴァイク公の視線もハンスに向かう。

 ハンスも罪悪感があるのか二人の視線を受けて顔を背ける。

 ブラウンシュヴァイク公もハンスの戦勝式典の発言の話を聞いていたので何となく想像がついた様である。

 

「その、卿も色々と大変だな」

 

「はあ」

 

 何となく気不味い雰囲気が流れた時にハンスが叫んだ。

 

「皆、伏せろ!爆弾だ!」

 

 ハンスが叫ぶと同時に走り出す。ラインハルトはテーブルに飛び乗り大声て会場にいる人々に注意を促す。

 ブラウンシュヴァイク公は家臣のアンスバッハが引き摺り倒す様にして伏せさせられる。

 ラインハルトの声を聞いて会場にいる軍人の出席者は近くにいる人を床に伏せさる。

 唯一の例外が事態を把握できずに立っているのは、フリードリヒとベーネミュンデ侯爵夫人の二人だけである。

 ラインハルトはテーブルを飛び降りる。降りる時にハンスが棒状の物を持って二階に走るのを確認した。テーブルを降りたラインハルトは二人の元に走り二人を押し倒し二人を自分の体で庇う。

 

「失礼、陛下!」

 

 ラインハルトが二人を押し倒した数秒後に轟音と震動が会場を襲った。

 何処かでガラスが割れる音と会場のシャンデリアが揺れて鎖が軋む音がする。

 その音に耐えられなくなったのか女性の悲鳴が聞こえる。

 時間にして何分後だろうか。キルヒアイスの呼び声が聞こえた。

 

「ラインハルト様!返事をして下さい!ラインハルト様!」

 

 ラインハルトはキルヒアイスの声で危険が去った事を悟った。

 

「ここだ!キルヒアイス!」

 

 ラインハルトはフリードリヒとベーネミュンデの二人を取り敢えず椅子に座らせキルヒアイスに手を振って答える。

 

「ご無事でしたか。ラインハルト様」

 

「私は大丈夫だ。それよりも陛下とベーネミュンデ侯爵夫人を何処か安全な場所に」

 

「ミューゼルよ。卿には感謝するぞ」

 

「陛下、勿体のう御座います。それより、お二方には咄嗟の事とは言え御無礼致しました」

 

「そんな事は有りませんよ。妾も助かりました」

 

「シュザンナの言う通りじゃて、しかし、この様な凶行を何者が?」

 

 フリードリヒの疑問にキルヒアイスが答えた。

 

「それについては私めに心当たりが御座います」

 

 その場にいた者が皆がキルヒアイスに注目した時にブラウンシュヴァイク公が現れた。

 

「陛下は御無事で御座るか?」

 

「ブラウンシュヴァイク公か、朕はミューゼルの機転で無事じゃて」

 

「臣の不明に如何なる罰も受けましょうぞ。しかし、今は安全な場所へ」

 

 ブラウンシュヴァイク公が部下共にフリードリヒとベーネミュンデを連れて行く。

 その場に残された二人に警護担当者が事情聴取を始めるがラインハルトは事情聴取をキルヒアイスに任せてハンスを探しに二階に行く。

 

 二階に上がると部屋の一つのドアが吹き飛んでいるのが目に入る。

 ラインハルトの脳裡にヘッダの顔が浮かぶ。実弟を亡くして義弟も一ヶ月程で亡くした事を伝える事を思い気が重くなる。

 ラインハルトが部屋に入ると月明かりが部屋を照らしている。

 部屋の中は窓硝子は割れて部屋の家具は全てがドア側の壁に吹き飛んでいた。

 そして、吹き飛んだソファーの下に黒い人の形が見えた。

 ラインハルトは駆け寄り首筋に手を当てると確かな鼓動がする。

 

「悪運の強い奴め」

 

 ラインハルトの呟きは安堵の成分に溢れていた。ヘッダに訃報を伝えずに済んだ事もあるがハンスが生きていた事にも安堵していた。

 ラインハルト自身も気づいていないがラインハルトはハンスを気に入っている。

 

 ラインハルトはハンスを残し急いで一階に走った。救助隊を呼びハンスの姉に連絡を入れて場合によっては病院までヘッダを送らなければならない。

 今晩は多くの人には忙しい夜になるだろう。

 



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入院生活 前編

 

 目を覚ますとアイボリーホワイトの天井と小さなシャンデリアが見えた。

 

「知らない天井だ」

 

 ハンスが呟くとヘッダが抱き付いてきた。その瞬間、全身に痛みが走る。

 

「痛い、痛い、痛い!」

 

 ヘッダと反対方向から慌てて制止するラインハルトの声が聞こえる。

 

「お姉さん、弟さんは怪我人ですから傷に響きます」

 

 ヘッダが離れても痛みが引かずに陸に上がった魚の様に口を動かすしか出来ない。

 

「きゃーごめんなさい!」

 

 文句の一つも言いたいがヘッダの赤い目を見て文句も言えなくなる。

 

「問題ない!」

 

 ヘッダを安心させる為に虚勢を張って見せる。プロの女優の前で通じる筈もないが、姉を心配させたのだから当然の事だと思う。

 ラインハルトの方はインターホンで何やら連絡している。

 

「もう心配させないでね。と言うだけ無駄よね」

 

 ハンスとしたら返す言葉もない。全くの事実である。これから何度も心配させる事になるだろう。

 連絡が終わったラインハルトが姉弟の会話の間隙を見て口を開く。

 

「まずは卿の体の具合だが骨折も無い。肋骨に6箇所ほどヒビが入っている。それと打撲は体中にあるから、明日辺りから痛むぞ。覚悟しとけ」

 

 ラインハルトが負傷箇所を記した紙を見せてくれた。人体図に黒い線が6本と言葉通りに体中に赤く塗られた部分とオレンジ色に塗られた部分がある。

 

「閣下、この色の付いた部分は?」

 

「卿の想像している通り打撲の部分だ」

 

「まあ、素敵。白い部分の方が少ないこと」

 

「しかし、あの爆発で、その程度なのが僥倖だぞ。それから、卿は何故、礼服の下に防護服を着ていたんだ?」

 

「昨日は寒かったので防寒着だと動きにくそうなので防護服なら動き易いかなぁ。と思いまして」

 

「あの防護服は艦艇の備品で持ち出し禁止の筈だったと記憶しているが?」

 

「だって、防寒着を買っても来年には着れなくなるし防護服は来年も支給されますから」

 

 ハンスの返答は完全に本音だが本音だけにラインハルトも呆れながら頭を抱える。

 

「今回は不問にするが私用に使うなら防寒着も防護服も自費で購入する様に!」

 

「はい、了解しました」

 

 ラインハルトもハンスも互いに本気にしていない。俗に言う大人の会話である。

 

「それから、卿は今日から大尉だ」

 

「生きていますが二階級特進ですか?」

 

「当然だ。卿は多くの命を救ったのだ。それから入院中に特別に昇進講習も受けられるぞ。明日から講師陣が特別に出張してくれる」

 

「ははは、退院した途端に扱き使う思惑が見えるんですけど」

 

 これにはラインハルトも苦笑で返すしかない。

 

「それから、事情聴取になるが卿は何故爆弾と気付いた?」

 

「それはですね。会場に入った時に無駄に豪華な杖をしてる人がいたので、お洒落だなと思っていたんです。普通の杖は下の部分が広く上の部分は握り易くなっているのに上の部分が大きく握りにくい形をしていたから覚えていたんです」

 

「それにしても爆弾と見ただけでよく分かったな?」

 

「それはですね。老人にしたら杖がないと歩くのは大変です。それも無駄に豪華にする程に拘った、そんな大事な杖を忘れません。もし本当に忘れていたなら、僕が怒られたらいいだけの話だし本当に爆弾なら一秒でも早く伏せてもらわないと大惨事になりますから」

 

 ハンスの言葉にラインハルトも驚嘆した。

 本当は会場に入った時にフリードリヒが即位して以来、社交界から消えていたクロプシュトック侯爵が現れたので年配の出席者が噂をしていたのを耳にして思い出したのである。

 それから、クロプシュトック侯爵が姿を消したら余裕を持って対処するつもりが食欲に負けて食べる事に夢中になり気がついたら杖だけが残っていたのが真相なのだ。

 

「卿も豪胆だな!」

 

 真相を知らないラインハルトはハンスの言葉に驚くしかなかった。

 

「それに、杖を持った瞬間に確信しましたよ。老人が使う杖があんなに重い筈がないですから」

 

 これは本当である。普通の杖は軽く扱い易く出来ている。

 

「それで卿が覚えている杖の持ち主は、この老人か?」

 

 ラインハルトが一枚の写真を差し出す。

 

「はい、この老人に間違いありません。立派な髭をしていて頭はハゲていたので上下の毛が入れ替われば良かったのにと思って見てましたから」

 

 これには黙って聞いていたヘッダも思わず吹き出してしまった。

 

「し、失礼しました」

 

 ラインハルトも不謹慎と思いながら、よく似た義姉弟とも思ったが話を続ける。

 

「キルヒアイスの証言と一致する。昨晩の内にオーディンから消えた事も合わせてクロプシュトック侯爵が犯人で決定だな」

 

 ラインハルトが立ち上がり辞去する事にした。これから軍務省に出向きクロプシュトック侯爵が犯人である確証を得た事を報告する為である。

 ラインハルトが病室のドアを開ける寸前にドアが開く。

 そして、開いたドアからドルニエ侯の娘である。マリーが飛び込んで来てハンスに抱きつく。

 

「ハンス君、心配したんだから!」

 

 再びハンスの悲鳴が病室に響く。

 

「痛い、痛い、痛い!」

 

 慌てながらヘッダがマリーを引き離す。

 

「ちょっと、貴女は誰よ!人の弟に馴れ馴れしいわよ!」

 

 ヘッダも女性特有の勘でマリーが弟に付く悪い虫だと瞬時に確信する。

 マリーもラインハルトの報告で知っていたがヘッダがハンスを拘束して独占していると瞬時に確信する。

 ここにハンスを巡って熾烈な戦いの火蓋が切って落とされた。

 

「姉さん?フロイライン?」

 

 ハンスもヘッダが嫉妬する理由が分かるがマリーが何故、この場に現れたかが分からない。兎に角、最年長者のラインハルトに、この場を収めてもらおうと思いラインハルトの方を見ると既にラインハルトは撤退していた。

 

(なんだ、あの人は!上司のくせに部下を見捨てるとは!)

 

 ハンスにしてみれば敵前逃亡した者に頼る訳にも行かずに何とか場を収め様とするが所詮はハンスである。

 

「あのですね。ここは病院ですからね。静かにするべきだと思うのですが」

 

「大丈夫よ!ここは特別室だから完全防音よ!」

 

「可哀想なハンス君。怖い姉様に八つ当たりされて」

 

「何が八つ当たりよ!それにハンスと私は仲がいいのよ!」

 

「仲が良いならハンス君に優しくしてやって下さい!」

 

「あら、家ではお風呂も一緒!寝るのも一緒よ!」

 

「こら、風呂も勝手に入って来てるんじゃないか!寝るのも勝手にベッドに運んでいるんじゃないか!」

 

 完全に自爆である。ヘッダの言葉が本当である事を自ら証明してしまっている。 

 

「な、なんて羨ましい!」

 

(羨ましいって、貴女は貴族の姫様でしょうが!)

 

 この時、病室のドアが開いたが開いた途端に閉じた。

 ブラウンシュヴァイク公だったが、瞬時に修羅場と判断してラインハルト同様に逃げた。流石に帝国一の権勢家である。保身技術には長けている。だが、ハンスには別の意見がある。

 

(何が帝国一の権勢家かよ。あのスフィンクス頭め!たかが小娘の喧嘩の仲裁も出来んのか!)

 

 完全な八つ当たりである。たかが小娘の喧嘩なら自分で仲裁するべきである。

 結局は昼食を運びに来た看護婦が一喝で双方引かせたのである。

 それから、翌日からはマリーがハンスの昼食を差し入れしてヘッダが夕食の差し入れをする事まで取り決めてくれた。看護婦には逆行前も世話になったが帝国でも世話になるとは思わなかった。

 

(将来、出世する事があったら看護婦の社会的な地位の向上と労働環境の改善を援助しょう)

 

 

 夕食前にブラウンシュヴァイク公が見舞いに来た。ブラウンシュヴァイク公も昼間の事で罪悪感があるのか豪華なサンドウィッチの詰め合わせを差し入れしてくれた。

 

「その卿も本当に色々と気苦労が耐えんな」

 

 (帝国で傲慢さでは一、二を争う男から同情されてしまった)

 

 ハンスとしては入院するのも地獄なら退院して家に戻る事も地獄だった。

 小市民のハンスは生まれて一度も戦争を望んだ事が無いが、この時は心の底から出征を望んだ。

 色々とあったが、これが、まだ入院一日目の話である。

  



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入院生活 中編

 朝は遅く起きて夜は早く寝た為か夜中の十二時半に目が覚めたハンスであった。

 

(本当に危なかった。公園の管理人になった頃に獅子帝編伝記が刊行されて読んだのは何年後だったかな?)

 

 ナイトテーブルの上にあるペットボトルの封を切り、水を一口飲む。

 

(あの本の中には爆発物は荷物としか書いてなかったから荷物が何か分からんかったわ。まさか杖とは思わんかった。しかも杖に仕込んだ爆薬があれ程に強力とも思わんかった。無理も無いか。所詮は本人が死んだ後で周囲の人の記憶や記録から作った本だからなあ)

 

 ハンスは昨晩の事を思い出す度に背筋に冷たいものが走る。

 

(本当に運が良かった。防寒着じゃなく防護服を着込んで良かった。本当に良かった。貧乏性に乾杯だわ)

 

 ペットボトルを掲げて、また一口だけ飲む。

 

(しかし、この後は確か未来の双璧が麾下に入るんだよなあ。さて、原因となる事件が問題だよなあ)

 

 後に言う。ミッターマイヤー暗殺未遂事件である。

 

(スフィンクス頭の子分が民間人を虐殺してミッターマイヤーが射殺するんだよなあ。軍規には違反していない事だが、スフィンクス頭の頭の中は空っぽだからなあ)

 

 現実問題として入院中の身に何か出来る訳でもなく退院していても出来る事は少ない。

 

(もし、虐殺を防いだら双璧が他の陣営に行く可能性も考えないと)

 

 虐殺事件が引き金になり双璧がラインハルト陣営に加わるのである。

 

(でも、二人の性格を考えたら結局は他の陣営に行く事はないか。しかし、他の陣営に行かなくとも暫くは双璧無しで戦う事になるのは苦しいか)

 

 ハンスは自分の軍事的な才能を信じていない。故に双璧がラインハルト陣営に加わる時期が問題になる。

 

(アムリッツァには居て欲しい人材だよなあ。能力もだが頭数がいる)

 

 このまま本来の歴史の流れに任せるか。それとも何か手を打つか。手を打っても効果があるのか。

 

(駄目だ。八方塞がりだわ!)

 

 ハンスの優柔不断さが出てしまっていた。

 気が付けば午前二時半である。

 

(まだ時間はある。明日から講習だから寝るとするか)

 

 ハンス自身も自覚している事だが問題を先送りする癖が出てしまった。

 

 

 小川のせせらぎと小鳥の鳴き声が聞こえてきた。優しい女性の声とともに体を穏やかに揺すられる。

 

「目が覚めましたか?」

 

 どうやら特別室だけあって朝も起こし方は特別らしい。

 優しい声の主は看護婦であり、小川のせせらぎと小鳥の鳴き声はスピーカーから流れている。

 

(看護婦が起こしに来るのは別にして小川と小鳥は一般病棟でも使えるな)

 

 目が覚めているが体を起こせずにいると看護婦が指先に何かを巻き付けている。

 

(何をしてるんだ?)

 

 作業が終わったらしい看護婦が呆れた様な声で宣言した。

 

「明日からは一時間前に起こしますからね。こんなに若い男性の低血圧も珍しいわ」

 

 どうやらハンスは重度の低血圧だったらしい。

 

(低血圧だと自覚していたが看護婦が驚くレベルとは思わんかった)

 

 結局は看護婦に手を借りて朝からシャワーを浴びる事になった。

 朝食を予定時間の半分で済ませて時間調整をしてからスケジュールの帳尻を合わせる。

 

「朝も早くからお疲れ様です」

 

 昇進講習の講師陣に挨拶をしてから講習を受ける。ハンスは逆行前の世界では最終階級は上等兵だったが少尉講習までは受けていた。同盟末期になると事務処理も遅れがちであり講習を済ませても単純に事務処理の遅れで昇進が出来ない者も多かった。ハンスもその一人である。

 

(少尉までは昔に習った事だが中尉とか大尉とかの講習は受けてないぞ)

 

 結果としては何とか初日の講習はこなす事が出来た。逆行前後で士官達の仕事を見たり聞いたり手伝いをしたりで士官の仕事の内容を把握していた事が幸いしていた。

 

(今日は何とかなったけど。しかし、何日も続くのか。堪らんなあ)

 

 唯一の楽しみは食事の時間である。昼食はマリーだったがマリーが自分で作って来たのは驚いた。師が優秀なのか料理自体も初心者にしては上手である。

 夕食のヘッダは完全に自分好みの味である。流石に義理とはいえ姉である。

 

 夕食の後も面会時間ギリギリまで講習は続き面会時間が終わった後にラインハルトが面会に来た。

 

「大変そうだな」

 

「はい、後何日も続くと思うと地獄ですよ。それより面会時間が過ぎているのによく看護婦さんが入れてくれましたね?」

 

「ああ、頼んだら入れてくれたぞ。意外と融通が利くものだな」

 

(けっ!美形は得だな。コイツは自分が女性から優遇されてる事に気付かないままかよ!)

 

 完全な僻み根性だが事実でもあった。美男美女は異性から優遇されるものである。

 

「で、何の用で」

 

「ふむ、まずは少し心苦しい話だが、私は成人すると同時にローエングラム家の名跡を継ぐ。そこでミューゼル家の名跡は卿が継ぐ事になった」

 

「閣下、同盟で生まれ育った人間には分かりにくいのですが?」

 

「まあ、分かり易く言えば私は成人後にラインハルト・フォン・ローエングラムになり、卿はハンス・フォン・ミューゼルになる」

 

「え、宜しいので」

 

「陛下の勅命である!」

 

「それは本当にありがたい話ですね。私は今の姓が嫌いですからね。ハンス・フォン・ミューゼルとは良い響きです」

 

「卿が喜んでくれたら私も助かる。私もミューゼルの姓は嫌いだからな。自分が嫌いな物を他人に押し付けるみたいで心苦しかったのだが」

 

「いえ、私は嬉しいですよ」

 

「卿のお陰で私も二重に助かった。私がローエングラムの名跡を継ぐのを批判的な人間も今回の事で文句を言えなくなった」

 

「まあ、何処にも僻み根性を持つ者は存在しますから」

 

 他人事の様にぬけぬけとハンスは言う。

 

「それと、預り物があったのだ。まずは姉上からケーキとベーネミュンデ侯爵夫人からブランデーの逸品の差し入れだ」

 

「閣下、ケーキは閣下が帰りに看護婦達に渡して下さい。看護婦は社会的地位も高く無く仕事もハードで収入も仕事の割には低いですが良くしてくれます」

 

「分かった。卿の名前で看護婦達に渡しておこう。ブランデーはどうする?」

 

「ブランデーは冷蔵庫に入れて貰えますか。明日、姉に渡します」

 

「なんだ。卿が飲むのかと思っていたが意外と真面目なんだな」

 

「閣下、自分は未成年ですよ」

 

「隠す必要はないぞ。卿が酒を嗜む事は知っている」

 

 ラインハルトの顔には悪戯っ子の笑みが浮かんでる。

 

「閣下も人が悪い」

 

「まあ、個人の趣味嗜好には口を出さん。飲み過ぎるなよ」

 

「分かりました」

 

 ラインハルトがブランデーを冷蔵庫に入れるとハンスが口を開いた。

 

「それと、閣下。真面目な話なんですが宜しいでしょうか」

 

 ラインハルトも表情を改めてハンスに向き直る。

 

「何の話だ?」

 

「はい、帝国では地方叛乱が起きて鎮圧の度に無辜の領民が略奪暴行されると聞きました。今回も起きるかもしれないので閣下から陛下に略奪暴行厳禁の勅命をお願いして欲しいのです」

 

 ラインハルトは最初はハンスの顔を凝視してから柔らかい表情になった。

 

「卿の危惧も当然であり私も同感である。明日にも陛下にお願いしてこよう」

 

「有り難う御座います!」

 

「卿は同盟で苦労したから優しいのか。生まれた時から優しいのか。分からんが卿の優しさは貴重だな」

 

「……有り難う御座います」

 

「では、お大事に」

 

 ハンスはラインハルトが帰った後に後悔をした。

 

(これで双璧の陣営加入が遅くなってしまった。双璧が加入するまでは大変だな)

 

 結果としてハンスの不安は杞憂になった。後で事情を聞いた時にハンスは憮然とするしかなかった。 

 

 



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入院生活 後編

 

 ハンスと講師陣は嵐が過ぎ去るのを耐え忍びながら待っている。

 嵐の名前はヘッダである。

 ラインハルトが届けてくれたブランデーの逸品を講習の最終日にヘッダが帰った後に全員で飲もうと講師陣とハンスで画策していたが当日に不自然な態度に演技のプロであるヘッダに看破されてしまった。

 更に不味い事に講師陣が小娘と侮って下手な嘘の言い訳をするが、ヘッダにことごとく看破されてしまい怒りに油を注ぐ結果になってしまった。

 

「貴方達は何を考えているんです!帝国軍の士官たる者が入院中の未成年と病院内で勤務時間中に酒盛りを計画するとは!」

 

 講師陣もハンスも反論すら出来ない。出来ても火に油ではなくロケット燃料を注ぐ事になるだけである。

 ヘッダの倍以上の年齢の士官達が自分の娘と変わらぬ年齢の娘に説教されている光景は見物である。

 結局は騒ぎを聞きつけた看護婦が間に入りヘッダを説得して解放されたのであった。そして、当然の如くブランデーはヘッダに没収されてしまった。

 

(夢も希望も無くなってしまった)

 

 義理の姉とは言え、本来は娘ではなく孫と言える年齢のヘッダに頭が上がらないハンスは凡人以下なのかもしれない。

 

「しかし、あんたも誰に似て酒好きなのかしらね?」

 

 ハンスは無言でヘッダを指差す。

 

「そうか!軍隊だと周囲が酒好きばかりだからね!」

 

 逆行前の世界でハンスは酒を飲む時は冬にワインのお湯割りを寒さ対策で朝と就寝前に一杯しか飲まなかった。それで満足もしていたのでヘッダの影響も嘘ではない。

 

「まあ、別にいいけど、それよりも入院も長くない?」

 

「そ、そうかしら?」

 

(舞台を降りたら大根だな)

 

 ヘッダの不自然な態度にハンスも気が付いた。

 

「何か知っているだろ!」

 

「し、知らないわよ!」

 

 ヘッダの余りにも下手な演技に呆れながらハンスは伝家宝刀を抜いた。

 

「後でバレたら官舎で暮らすよ」

 

「ごめんなさい!」

 

 ヘッダはあっさりと全面降伏をした。

 

「何をした?」

 

「その、初日に私とマリーで抱きついたのが影響してヒビから骨折にレベルアップしました」

 

「……仕方ない」

 

「あら、怒らないの?」

 

「だから、仕方ないと言っているだろう。二人とも僕の事を心配しての事だから」

 

 ヘッダは感心した様子である。

 

「あなた、本当に優しい子よね」

 

「でも、二度目は無いからね」

 

「はい」

 

(まあ、入院が長くなったお陰でフロイライン・ドルニエと仲良くなれたし考え事も落ち着いて出来たわ)

 

「しかし、早く帰って姉さんと一緒にのんびりしたいね」

 

 半分はリップサービスで半分は本音である。ハンス自身も驚いているが、ヘッダとの暮らしが懐かしい。逆行前では気軽な独り暮らしが気に入っていた自分がヘッダとの暮らしを懐かしむとは、ヘッダが結婚する時が怖いくらいである。

 

「そうね。私も寂しいわ」

 

「お互い一生独身で二人で死ぬまで暮らす?」

 

 ハンスが本気半分と冗談半分で言ってみる。

 

「それもいいかもね」

 

 ヘッダの返答にハンスは驚いた。

 

「結婚する気は無いの?」

 

「そうね。貴方が一生側に居てくれるなら結婚しなくていいわ」

 

「赤ちゃんは欲しくないの?」

 

「既に大きい赤ちゃんが、ここにいるから」

 

「……あっ、そう」

 

(今は恋愛や結婚より仕事に関心があるのか。ラインハルトと同じだな)

 

 ハンスからヘッダと同類扱いされたラインハルトの腹心が見舞いに来訪して来た。

 

「大尉、元気そうで何よりです。遅くなりましたが」

 

 キルヒアイスが入院してから初めて見舞いにやって来た。

 

「中佐も忙しいでしょうに有り難う御座います」

 

「いえ、こちらこそ、来るのが遅くなりました」

 

「そうだ、姉さん。キルヒアイス中佐はホットチョコレートが好きなんだが、ちょっと買ってきて」

 

 ハンスはヘッダに言外に席を外す事を要求する。ヘッダもハンスの意図を読み取る。

 

「ホットチョコレートね。ついでに菓子も買ってきましょう」

 

 ヘッダが病室を出たのを確認するとハンスが口を開く。

 

「何があったのです?」

 

 キルヒアイスが沈痛な表情で返答する。

 

「閣下が大尉に顔向けが出来ないと言って私を寄越しました。大尉が危惧していた事が起こりました」

 

 ハンスは大きく深呼吸を二度してキルヒアイスに詳細を尋ねる。

 

「規模は?」

 

「犠牲者は二人です。15歳と10歳の姉弟です」

 

 ハンスの表情も固まる。

 

「それは閣下も心痛でしょうに」

 

「事前に大尉から指摘されていたのに申し訳が無いと言っています」

 

「犯人達は?」

 

「騒ぎを知って駆け付けた将官に、即時、射殺されました」

 

「将官の名前は?」

 

「ミッターマイヤー少将です」

 

「……そうですか。閣下は成すべき事をしました。閣下が責任を感じる必要は無いとお伝え下さい」

 

「分かりました。そう伝えましょう」

 

「それから、ミッターマイヤー少将に圧力が掛からない様に閣下に配慮をお願いします」

 

「それは安心して下さい。既に事は済みました」

 

「そうですか」

 

 キルヒアイスはヘッダの帰りを待つ事なく辞去した。ラインハルトにハンスが怒っていない事を一刻も早く伝えたいらしい。

 ハンスも引き止めなかった。一人で考える時間が欲しかった為である。

 

(まあ、歴史通りに事が運んだようだ。双璧の二人が陣営に入った事は心強い)

 

 ここまで思考を進めてもハンスの心は晴れない。

 

(犠牲者が出てしまった。犠牲者を無くす事は無理なんだろうけど)

 

 本来の歴史より犠牲者を少なくして双璧を得られたと言えるのだが、それでは帝国のドライアイスの剣と呼ばれたオーベルシュタインと同じ道を歩む事になる。

 ハンスはオーベルシュタインを尊敬もして評価もしているがハンスには民間人を犠牲にする事が出来ない。

 オーベルシュタインは目的の為なら兵も民間人も自分自身も平等に犠牲に出来る。

 

(真似は出来んな。真似もしたくないが)

 

 ヘッダが病室に入った時にハンスの憮然とした表情に驚く事になる。

 ハンスから直接に事情を聞いて納得したヘッダであったがハンスの優しさに安心すると同時にラインハルトに責任が無い事を理解していてもラインハルトを恨めしく思えるのだった。

 

 ヘッダから恨まれてしまったラインハルトも気分は晴れてなかった。

 ロイエンタールとミッターマイヤーの二人の有能な提督を手に入れたが代償が大き過ぎた。

 犠牲になった二人がアンネローゼと自分に重なってしまったからである。

 

「ラインハルト様、お気にするなとは言いません。むしろ忘れないで下さい。しかし、同じ悲劇を繰り返さない為に前をお向き下さい!」

 

 ラインハルトもキルヒアイスに言われて気を取り直す。

 

「そうだな。俺もハンスも皇帝も成すべき事は成したのだからな。同じ悲劇が繰り返さない様にしよう」

 

「ご立派です。ラインハルト様」

 

「しかし、ハンスは不思議な奴だな。変にセコいと思えば自分の損得にならない事で落ち込み、危険な事でも平気な顔で行う」

 

 キルヒアイスもラインハルトと同意見であった。

 ハンスは自他共に認める凡人である。おそらくは本当に善良な凡人であるのだろうが、善良さが桁違いなのではないのかと思える。善良さ故に権力者が見落とす人々を見落とさないのではと思える。

 

「ハンスも色々な意味で得難い人材だな」

 

「しかし、本人は平和になれば軍を辞めるつもりです」

 

「あいつの才幹は平和な時にも役に立つ。辞めさせない様にするしかないな」

 

「その為には姉君という難敵が存在しますが」

 

 ラインハルトが本気で嫌な顔をする。

 

「キルヒアイスに任せても大丈夫か?」

 

「それはお断りします。私が太刀打ち出来る相手ではありません。姉という存在ならラインハルト様の方が慣れていらっしゃいます」

 

 途端にラインハルトが帝国軍大将とは言えない情けない声を出す。

 

「キルヒアイス」

 

 ラインハルトもキルヒアイスもヘッダが本心ではハンスに軍を辞めて欲しいと思っている事を看破している。

 ヤン・ウェンリーが数ある事象を予測していながら権限が伴わずに対処が出来なかった事と別次元でラインハルトとキルヒアイスもヘッダという存在に対処が出来ないでいた。

 同盟末期の鉄灰色の髪をした三人の姉がいる提督に言わせれば「姉に逆らう事など考えるだけ無駄!」と言った事であろう。

 

 将来的に軍を辞めてレストランの店主を夢みるハンスは知らぬ所で姉ヘッダに守られていた。

 

 



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挨拶回り

 

 長い入院生活も終わりハンスが退院したのは五月の半ばであった。

 退院した翌日からフリードリヒをスタートに挨拶行脚に回る。

 

 フリードリヒには形式通りに挨拶をするとベーネミュンデ侯爵夫人が礼を言いたいと言われてベーネミュンデ侯爵夫人の屋敷に行く。

 ハンスはベーネミュンデ侯爵夫人には苦手意識がある。ケーキを贈っては赤点をつけられているからである。

 

「本当に無事で良かった。妾も心配しましたよ」

 

「いえ、侯爵夫人には過剰な褒美を頂き恐悦至極で御座います」

 

「いえ、其方に報いるには足りませぬ。妾とアンネローゼの仲も取り持ってくれました」

 

 ハンスが知らぬ間に和解したらしい。和解と言ってもベーネミュンデ侯爵夫人が一方的にアンネローゼに敵意を持っていたのだが。

 

(瓢箪から駒だな)

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人の説明によるとクロプシュトック事件の後にフリードリヒから、これからは二人で出掛ける事を止めて代わりにアンネローゼを連れて行く事にすると言われた。

 当然、ベーネミュンデ侯爵夫人は納得が出来ない。そこで、初めてフリードリヒが本音を語ってくれた。

 フリードリヒはベーネミュンデ侯爵夫人の流産を宮廷陰謀であると思っていて、ベーネミュンデ侯爵夫人を近くに置くと侯爵夫人自身が陰謀の的になる事を心配をして距離を置いた事を告白した。

 また、アンネローゼは実家の後楯もなく後見人も居ない為に陰謀の的になり難い上に弟がエリート軍人であり誰も陰謀の的にしないからアンネローゼを側に置いたと言われた。

 ましてやクロプシュトック事件の時はラインハルトが身を挺して守ってくれたのである。

 アンネローゼとラインハルトには、いくら感謝しても足りないと言う。

 

 それにアンネローゼを連れ出す事はベーネミュンデ侯爵夫人も賛成だと言う。

 

「失礼ですが、侯爵夫人は宜しいので?」

 

「妾も賛成です。陛下にアンネローゼを屋敷の外に連れ出して頂かないと色々と困る人々もいます」

 

「困るとは?」

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人の説明にハンスも驚き呆れた。

 今年に入りアンネローゼのケーキ作りは拍車が掛りアンネローゼのケーキは宮廷の上は貴族の茶会から下は警備兵や小間使いの少女のオヤツになっていた。

 

(知らんかった。新年休暇の後はティアマト会戦の準備で忙しかったからなあ)

 

 2月に入り評判を聞いた宮廷の内でケーキ作りの好きなメイド達がアンネローゼの屋敷で働く事になっていた。

 するとケーキの質が上がり出入りの業者がアンネローゼのケーキの一部をケーキ屋に卸さないかと話を持ち掛けた。

 

「伯爵夫人。宮廷内は所詮は身内です。身内の評価など信用が出来ますまい。それよりは外で一般人に評価してもらえばケーキの質も上がると思いますよ」

 

 この言葉にアンネローゼも納得した。質を落とさずに出来る分だけを卸す事を条件に業者と契約した。

 そして、卸したケーキは評判となりアンネローゼの屋敷にはオーディンのケーキ屋の娘がケーキ作りの修行を兼ねて働きにきた。

 これが3月の始めの話である。

 ケーキ屋の娘が働き始めるとケーキの質と量も上がり評判を聞きアンネローゼの屋敷のメイドの全員がケーキ屋の娘となり巷では「グリューネワルトケーキ道場」と呼ばれる様になった。

 そうなるとアンネローゼの屋敷はケーキ工場と化していく。

 ここまでが4月の話である。

 

(道理で病院の看護婦達がアンネローゼ様のケーキを喜ぶわけだ。まさかと思うがケーキが食べたくて入院を長引かせたとかは無いよなあ)

 

 そして5月になると業者からアンネローゼのケーキの専門店を出さないかと話を持ち掛けられたらしいのだが、流石に宮廷内の管理人であるリヒテンラーデ侯が黙っていなかった。

 アンネローゼと業者に、それとラインハルトまでがリヒテンラーデ侯からお説教をされたのである。

 

(そりゃ、リヒテンラーデ侯も怒るわ。ラインハルトは気の毒だけど)

 

 ハンスは頭の中でグリューネワルトの文字が光る看板と店の奥でアンネローゼがケーキを持って微笑むポスター貼られたケーキ屋を浮かんでしまった。

 

(簡単に想像が出来たわ)

 

 説明したベーネミュンデ侯爵夫人も神妙な顔になっている。恐らく表情の選択に困っているのだろう。

 

「その様な理由で陛下にアンネローゼを外へ連れ出して頂かないと困るのじゃ」

 

「……」

 

 ハンスの思い過ごしだと思いたいがベーネミュンデ侯爵夫人の視線が冷たい気がする。確かにアンネローゼの暴走の元はハンスなのだ。

 ハンスは逃げる様にベーネミュンデ侯爵夫人の屋敷から辞去した。

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人の次にアンネローゼの屋敷ではなくブラウンシュヴァイク公の屋敷に挨拶に行く。

 ベーネミュンデ侯爵夫人の話を聞いた後でアンネローゼの元に行く事は憚れたからである。

 

 ブラウンシュヴァイク公の顔を見たハンスは驚きの声が出そうになった。

 げっそりと痩せた顔が髪型を引き立て、スフィンクス頭に磨きが掛かっている。

 

「失礼ですがお体の具合が悪い様ですが?」

 

「その、討伐から帰ってから色々とあったのだ」

 

 話を聞けばブラウンシュヴァイク公が気の毒になってきた。

 討伐から帰ってきたらラインハルトが凄い剣幕で怒鳴り込んで来たらしい。部下のアンスバッハやシュトライトが間に入り何事かと聞くと一門の馬鹿が出征前にだされた勅命のクロプシュトック領民に対する略奪暴行の禁止令を破り未成年の姉弟を虐殺した上、軍規によってその場で射殺した士官を逆恨みして一門の者が監禁して謀殺を企んでいるという。

 慌てて調査するとラインハルトの言は事実であり監禁されていた士官を解放して監禁した一門を叱りつけ射殺された者の家とは絶縁した。

 怒り狂うラインハルトを宮廷の要人に間に入ってもらい宥めてもらった。宥めてくれた要人には謝礼を払い監禁された士官に謝罪に行き殺害された遺族には賠償金を払いとオーディンに帰ってきてから後処理で忙殺されていたのだ。

 

 ブラウンシュヴァイク公にしてみれば皇帝臨御の時に自宅で爆弾を仕掛けられ面子を潰された上に一門の馬鹿が勅命を破り、面子を潰されてしまった。更に被害者が未成年となれば宮廷内外での評判が悪くなり娘の帝位継承にも影響するかもしれない。

 ブラウンシュヴァイク公の心労は大変なものである。

 流石にハンスも気の毒に思い気休め程度だが励ましの言葉を掛けて早々に辞去した。

 

 最後に上司である。ラインハルトに挨拶に行く。幸いラインハルトは軍務省の自分の執務室にいた。

 

「丁度良い所に来た。卿を紹介したい」

 

 ハンスが執務室に入るとキルヒアイスは当然としてロイエンタールとミッターマイヤーが居た。

 

「既に知っていると思うが紹介しよう。情報参謀補佐のハンス・オノ大尉だ」

 

「情報参謀補佐を拝命しております。ハンス・オノ大尉であります」

 

「オスカー・フォン・ロイエンタールだ。卿の噂は色々と聞いている」

 

(どんな噂を聞いているんだ?)

 

「俺はウォルフガング・ミッターマイヤーだ。俺も卿の噂は色々と聞いている。卿には一度、会ってみたいと思っていた」

 

(だから、どんな噂だよ?)

 

「あのう、お二人とも噂を聞いていると言われますが、どんな噂なんでしょうか?」

 

 ラインハルトが意外な表情をして口を挟んできた。

 

「意外だな。卿が噂を気にするタイプとは思わなんだ」

 

「そりゃ、ご高名な両提督に言われたら気にもなります。それに噂を気にしない人間を情報参謀補佐にしたら駄目でしょう」

 

 ラインハルトがからかったつもりがハンスが素で返したのでラインハルトが苦虫を噛んだ顔になる。

 黙って聞いていたキルヒアイスが顔を下に向けて声を殺して笑っている。

 場を取り繕う為にロイエンタールがハンスの疑問に答える。

 

「卿は年齢に似合わぬ見識と知識に行動力のある優秀な士官と聞いている」

 

「誤解も甚だしいですね」

 

「しかし、第三次ティアマト会戦では敵の行動を正解に予測して対抗策も提案したと聞いたぞ」

 

「あれは、敵に大馬鹿者がいたからです。敵軍内部では有名人でしたからね」

 

「俺は別の噂を聞いたぞ。軍人の枠に入りきらぬ。才能の持ち主と聞いたぞ」

 

「完全な間違いです。私は完全な凡人です」

 

 それまで黙っていたキルヒアイスが初めて口を開いた。

 

「まあ、悪い噂ならともかく、良い噂ならいいじゃないですか」

 

「単なる過大評価だと思いますけどね」

 

「それより、早く帰って姉君の側にいてやりなさい。明後日からは卿にも頑張って貰う事になる」

 

「出征が決まったのですか?」

 

「うむ、七月に出征が決まった」

 

「敵も懲りませんなあ」

 

 ロイエンタールがハンスの言葉を聞いて質問する。

 

「ほう、何故、卿は敵が仕掛けると思った」

 

「もうすぐ選挙ですからね。取り敢えず出兵して実際の勝敗と関係なく勝ったと自慢して票集めをしたいだけですよ。向こうの人間なら子供でも知っていますよ」

 

 これは嘘ではなく帝国では選挙と出兵の関係が研究の対象にもなっている。

 

(また、無駄な血が流れるな)

 

 ラインハルトとヤンが初めて互いを意識した歴史的な戦いであり戦略上は全く意味の無い第四次ティアマト会戦である。

 



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雌伏

 

 ハンスは職場復帰後にラインハルトに特別に火薬式拳銃の所持の許可を得た。

 火薬式拳銃だと銃声で非常事態を周囲に知らせる事が出来るというのが表向きの理由である。

 ラインハルトも何かハンスに考えがあると気付きながら詮索せずに許可を出してくれた。

 小口径の銃をリボルバー式とオートマチック式を一丁ずつと大口径のリボルバー式を一丁の三丁の銃の練習を日課にしている。

 

「ラインハルト様、大尉の事ですが退院してからは以前と変わった気がしませんか?」

 

 毎日のハンスの練習の様子を観察していたキルヒアイスがラインハルトに意見を求める。

 

「ああ、確かに退院後は変わったな。しかし、奴の事だ何か考えがあるのだろう」

 

 それまで講習嫌いの研修嫌いだったハンスが積極的に若手の講習会や研修会に参加を始めた。本来の仕事には支障は出ていない。職場内で適材適所の仕事の割振りをしているらしい。

 上司の面子を立てながら同僚や部下を引き立て仕事の割振りをしている。

 それでも、何やら職場の人間にも公開せずに情報を収集しながら分析をしている。

 

「大尉が佐官になったら何か独立した立場の職場を用意した方がいいのでは?」

 

「キルヒアイスも同じ意見だったか!」

 

 上司であるラインハルトとキルヒアイスが気付く程であるから、姉であるヘッダが気付かない筈がないと言うよりは家でも変わった。

 まずはヘッダと一緒に入浴も寝る事も断る様になった。

 当たり前とは言えば当たり前の事である。

 しかし、ヘッダも負けてはいない。

 派手な姉弟喧嘩のすえにハンスが休日の前夜だけ一緒に寝る権利を勝ち取った。

 休日は家庭の主夫として働きヘッダの面倒をみる。

 ハンス本人はデートと理解してなかったがマリーとデートも時折していた。

 私生活では然程の変化はなかったが何かハンスの内面に変化を感じ取ったヘッダから軍を辞める事を勧められた。

 

「却下」

 

「却下って何よ。少しは考えなさいよ!」

 

「だって、考慮の余地は無いもん」

 

「あのね。今年で15歳になるのよ。普通なら進路を考える時期なのよ!」

 

「姉さんは役者の世界に何歳で入ったんだよ?」

 

「……13歳よ」

 

「姉さんは13歳で進路を決めて弟の僕が14歳で進路を決めても問題が無いでしょ」

 

「軍隊以外なら何も言わないわよ。軍隊とか危険な仕事を喜ぶ姉がいると思う?」

 

「普通は居ないね。姉さんが反対する理由も当然だと思うよ」

 

「そこまで理解しても辞める気は無いの?」

 

「無い!」

 

「……」

 

 ハンスが意外に頑固だと理解していたヘッダだが、これ程とは思っていなかった。

 入院前までは軍隊に属していても最後の部分では軍隊も辞める覚悟を感じられたが退院以降は逆に軍隊を辞めない覚悟を感じるのである。

 

「姉さん、多少は心配を掛けるけど必ず帰って来るから安心していいよ」

 

「何よ。それ矛盾しているじゃない!」

 

「まあ、危険な事はするけど自分が生き残る道は確保してから危険な事をするからね」

 

 ヘッダは呆れながらも納得するが、そこはハンスの姉である。返す言葉も普通ではない。

 

「私は私で貴方が軍隊から足を洗える様に努力するからね」

 

 お互いの主張を尊重しながら自分の主張を通そうとする。その意味では似た者同士の姉弟である。

 

さらには、もう一組の似た者姉弟の姉は生まれて初めての説教に落ち込んではいなかった。流石、ラインハルトの姉である。

 出店が出来ないなら偽名を使い帝国のケーキコンクールに出場の是非をリヒテンラーデ侯に打診してきた。

 帝室の名前を出さない約束で出場を許可したリヒテンラーデ侯であった。ついでにアンネローゼケーキ道場の娘達も出場を許可した。

 そして、これが五月の半ばの話である。リヒテンラーデ侯が五月の末に後宮の決済をして事態は変わる。

 

「おや、余剰金の桁を間違えておる」

 

 リヒテンラーデ侯はすぐさま担当者を呼び出し余剰金の間違いを指摘した。

 

「宰相閣下、間違いでは有りません。実際の余剰金であります」

 

「何故じゃ。この金額だと月の予算の三倍はあるぞ」

 

「それは、グリューネワルト伯爵夫人のケーキの売り上げの配当金です」

 

「なんと!」

 

 流石のリヒテンラーデ侯も驚き、担当者に詳しい資料を持って来させた。

 

「うむ。資料を見る限りだと利益が大きいのう」

 

「基本的な人件費が少ないですから、それにケーキ等の原価も安いもんですから」

 

「馬鹿にはならん金額じゃのう」

 

 150年に渡る長い戦争で帝国の国家予算も厳しいものである。

 リヒテンラーデ侯の立場では倹約が出来る部分は倹約したいのが本音である。

 

「この間の業者を呼べ」

 

 リヒテンラーデ侯にして見れば帝室の権威と月々の後宮の予算を天秤に掛ける様な事はしたくなかったが悲しい事に天秤は予算に傾いた。

 

 一度は却下された出店が利益に目が眩んだリヒテンラーデ侯が再考をしている事を知らないアンネローゼはコンクールに向けケーキ作りに余念が無い。

 六月に入りアンネローゼのケーキ作りも大詰めを迎えた頃、不肖の弟子も仕事に余念がなかった。

 ロイエンタールやミッターマイヤーの元に二人の過去の戦いのデータを持ち込み質問責めにしていた。

 

 ハンスが帰った後にロイエンタールとミッターマイヤーは互いの顔を見て苦笑した。

 

「しかし、何を聞きにくるかと思えば艦隊行動の基礎知識とは」

 

 流石のロイエンタールもハンス相手に冷笑ではなく苦笑するしかない。

 

「そして、俺には艦隊の速度の上げ方を聞きにくるとはな」

 

 この頃から既に艦隊の速さには定評のあるミッターマイヤーであった。

 

「ミューゼル閣下やキルヒアイスの話の印象とは違うな」

 

 ロイエンタールが率直な感想を述べる。

 

「卿も思ったか。キルヒアイスの話だと例の事件の後で何か思う事があったらしい」

 

「まあ、ハンスも同盟では苦労したらしいからな。正直、俺としたら頭が下がる思いだ」

 

 ロイエンタールの述懐にミッターマイヤーが反応する。

 

「卿とは長い付き合いだが卿にも謙虚になる時があると知らなかった」

 

 ミッターマイヤーの揶揄にロイエンタールも揶揄で返す。

 

「卿の目は節穴か。俺は謙虚が服を着て歩いている様な男だぞ!」 

 

 ロイエンタールの図々しい言葉をミッターマイヤーは相手にしなかった。

 

「それより、ハンスが授業料として置いていったワインと肴があるが卿は大丈夫か?」

 

「ワインは別にしてもミューゼル閣下の話では料理は期待が出来るらしいからな」

 

 その後、ロイエンタールが自身がスポンサーとなりハンスに店を持たせようかと本気で考え込む姿にミッターマイヤーは笑いの発作を抑えるのに苦労した。

 

  ロイエンタールに料理の腕を評価されたハンスは自宅の書斎で当面の目標について考えていた。

 

(少なくとも帝国の内乱までは軍に居る必要があるな)

 

 そこまでの間の戦役を数えていく。

 第四次ティアマト会戦、アスターテ会戦、カストロプ動乱、第七次イゼルローン攻略戦、アムリッツァ会戦、リップシュタット戦役

 

(リップシュタット戦役までに分艦隊の指揮官にならないとヴェスターラントの虐殺の回避が難しくなるな。その為の情報収集も無駄になってしまう)

 

 ハンスはキルヒアイスの死の一因にヴェスターラントの虐殺が関係しているとする説を思い出していた。

 

(帝国側は認めてないが歴史学の定説らしい。そして、二人に接して見て確信出来た。多分、当たりだな)

 

 ラインハルトが逆行前の歴史をなぞるか確証はないがオーベルシュタインが一枚噛んでるのではと疑っている。

 

(まあ、疑われても仕方がない人みたいだからなあ。しかし、オーベルシュタインがラインハルトに何を吹き込んだか分からないが、こっちが勝手に阻止してしまえば問題は無いだろう)

 

 それとは別にアンスバッハの事も対策が必要だとハンスは考える。

 

(当日に会場に入る直前に問答無用で射殺するしかないか)

 

 ハンスは無意識に腰の銃を撫でる。ブラスターより火薬式拳銃の方が殺傷能力が高い。貫通力が無いのも最悪の場合はキルヒアイスと揉み合いになり密着しても撃てる。

 

(その為に練習を毎日しているが間に合うかな?)

 

 その後はキルヒアイスに全てを任せても大丈夫だと思う。軍を辞めて念願の小さな店を持ってもいい。

 そしたらヘッダを安心させる事が出来る。自分を弟にして無償の愛を注いでくれたヘッダに自分が報いるには、この程度しかない。

 ハンスが、そこまで思考を進めた時にドアの外からヘッダの声がした。

 

「ただいま!」

 

 書斎を出てヘッダを出迎える。

 

「姉さん、お帰りなさい」

 

「もう、お腹ペコペコよ!」

 

「はいはい。シャワーを浴びている間に出来るよ」

 

 バスルームに行くヘッダの後ろ姿を見てハンスはラインハルトの気持ちが少しだけ理解が出来た気がした。

 

 



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情報と分析と予測と

 

 六月の半ば帝国にフェザーンを経由して同盟軍の大規模攻勢の報が入る。

 ハンスは帝国三長官に出頭命令を受けて三長官会議に出頭する。

 

 最初に軍務尚書であるエーレンベルクが口を開く。

 

「そう身構えんでよい。卿も既に承知しているだろう。叛徒共の大規模攻勢の報を」

 

「はい、聞いております」

 

「その事で情報の信憑性について意見を卿に聞きたい」

 

「確かな情報だと思います」

 

「しかし、叛徒共は昨年も大規模攻勢を掛けて敗退している。今年も初頭に敗退しているのに、とても兵力に余裕があると思えん」

 

「単純な兵力なら余裕が有ります。12艦隊が有りましたが、昨年のイゼルローンの戦いで1個艦隊分の兵力を失っています。今年の初頭の戦いで1個艦隊を失っています。残りは10個艦隊ですが、その内の1個艦隊は首都星の警護役なので使えません。ですから9個艦隊分の兵力は有ります」

 

(今更、こんな初歩の説明させるなよ)

 

「兵力に余裕があるのは分かった。問題は出兵が多過ぎではないか?」

 

「それは仕方が有りません。選挙が近いですから選挙前には出兵するのが同盟の常識です」

 

「叛徒共は政治的儀式の為に出兵するのか!」

 

(何年も戦っていて今更、何を驚く)

 

「非常に馬鹿らしい事ですが、それに敵の総司令官のロボスも立場的に微妙ですから」

 

「どう言う事か?」

 

「ロボスは昨年は自ら指揮を取りながら敗退してます。今年も自分が抜擢した馬鹿が原因で敗退してますから責任を取らされて引退させられても不思議では有りません」

 

 ミュッケンベルガーは、またハンスのホーランドへの罵詈雑言が始まるのではと心配したが杞憂に終わった。

 

「つまり、敵将は自分の保身の為に出兵すると言うのか?」

 

「はい、ロボスは地位に執着する男で権威主義で大雑把な男ですから」

 

「ご苦労であった。退って宜しい」

 

「失礼します」

 

 ハンスが退室した後でエーレンベルクがミュッケンベルガーとシュタインホフに意見を求める。

 

「卿らはどう思う?」

 

 ミュッケンベルガーが返答する。

 

「あの者の知識と洞察力はティアマトの戦いで実証されている」

 

 シュタインホフがミュッケンベルガーの意見に補足する。

 

「確か敵の行動の正解な予測と対策も提示していたな」

 

 エーレンベルクが二人の意見を聞いて結論を出す。

 

「では、この度のフェザーンからの情報は信用に足ると言う事か」 

 

「では、これからは対応策の協議に移るとするか」

 

 ミュッケンベルガーは同僚の二人の前では言えなかったが本音は対応策もハンスの意見を聞きたかった。

 

 その頃、ハンスは喫茶室でアプフェルショーレ(アップルサイダー)を前に自分が今回の戦いに何処まで介入が出来るのか介入したとして何をどれだけ改変させる事が出来るかを考えていた。

 

(まあ、イゼルローン要塞での戦闘は無理か。前回の大穴も完全に修理が出来てないからな)

 

 ストローでアプフェルショーレを一気に飲み干す。

 

(前回と同じティアマトでの迎撃となるか。まあ、問題は同盟の陣容だな。ロボスが出てくるのは間違いないが、その下の司令官だな)

 

 グラスの中の氷をストローで掬い上げようとして失敗してしまった。

 

(ボロディンと腰巾着のパエッタは間違いない。問題はウランフが歴史通りに出て来るかだな)

 

 ストローでの氷の掬い取りを断念して氷が溶けるのを待つ事にする。

 

(まあ、最初に作ったAプランで行くか。運が良ければロボスを戦死させたらアムリッツァ会戦が無くなるかもしれん)

 

 ハンス自身はアスターテ会戦で負傷して入院治療中の為に帝国領進攻作戦には不参加だったが参加した仲間の殆どが戦死している。

 ロボスはアムリッツァ会戦の後に戦死した将兵達の遺族からの報復を恐れて行方を晦まして逃亡した。

 ハンスは無駄な血を流したく無いと思うがロボスに関しては自業自得だと思っている。

(まあ、チャンスは今回だけでは無いし、帝国領に進攻するか分からん。それにトリューニヒトが国防委員長を失脚するかもしれん。まあ、それは望み薄かな。第六次イゼルローン攻略の失敗から続けて負けてばかりなのに国防委員長やっていたからなあ)

 

 この時にハンスは重大な事を忘れていた事に気付いた。

 

「地球教の事を忘れていた!」

 

 思わず口から内心の声が出てしまった。

 

(トリューニヒトが政治家を続けられたのは地球教の支持があったからだ。地球教は早めに対処して置かないと引っ掻き回される!)

 

 ハンスは一瞬、自分が雪の降る冬の海に全裸で飛び込んだ様な錯覚を自覚した。

 

(この戦いの後に急いで何か手を打たないと色んな意味で命取りになる)

 

 逆行前の世界でも地球教の事は詳しくは解明されていなかった。

 ルビンスキーとトリューニヒトと地球教の捻れた三協定と地球教の歴史は解明されたが組織の全容は解明されていない。

 

(関係者が全滅した事も問題なんだよなあ。ユリアン・ミンツが地球から持ち帰ったデータが唯一のデータだからなあ)

 

 そして、ハンスに取って最重要な事を思い出した。

 

(ちょっと待て、ユリアン・ミンツの回顧録には地球に居た信者は善良な人も多かったらしい。けど、ワーレン元帥評伝には信者を救出した話は無かったが……)

 

 それから先の考える事をハンスは止めた。精神衛生上に支障をきたすし、今は目前の戦いに集中するべきである。

 

 不意にハンスの肩を誰かが叩いた。ハンスが反射的に振り返ろうとしたら肩を叩いた手の指が突き出され頬を止める。

 

「……」

 

「卿は迂闊過ぎるぞ」

 

「ラインハルト様……」

 

 ラインハルトと頭を抱えて呆れるキルヒアイスが居た。

 後年、当時を知る者からはラインハルトが子供じみた行動を取る相手はハンスだけであると証言が一致している。 

 二人はハンスの前に座りコーヒーを三つ注文する。

 

「朝から三長官に呼び出されそうだな?」

 

 ラインハルトが好奇心が溢れている瞳でハンスに問い掛けてきた。

 

「その事が気になって二人して仕事を投げ出して小官を探していたんですか?」

 

 ハンスの声に呆れの成分が混じっている。仕事をサボる口実に自分を探しに来たのだろう。

 

「そ、そんな事は無いぞ。部下が上官に呼び出されたら心配するもんだ」

 

 ラインハルトの声と表情が言葉を裏切っている。横に座っているキルヒアイスの呆れた表情が証明している。

 

「まあ、それは別にして閣下の想像通りですよ」

 

 二人の顔が真剣になる。

 

「まあ、詳しい事は分からんみたいですよ」

 

 真剣な顔も束の間にラインハルトはハンスをからかう表情で聞いてきた。

 

「ほう、三長官には分からんでも卿なら分かるのでは?」

 

 ハンスがラインハルトの問い掛けに答えようとした時にコーヒーが運ばれて来た。

 ラインハルトとハンスがクリームを大量投入してから話を再開する。

 

「私が分かる事などは高が知れていますよ」

 

 今度は真剣な顔でラインハルトは聞いてきた。

 

「卿は無駄に謙遜するな。兵力の規模程度は予測しているのでは?」

 

「総司令官の直属部隊を入れて四個艦隊だと思いますよ。それ以上になると予算処理が大変になる。選挙には間に合いません」

 

 帝国人のラインハルトとキルヒアイスには選挙と言われても実感が持ってない。

 

「まあ、一番の問題はロボスが誰を連れて来るかが問題なんですけどね」

 

「流石に卿でも予測は無理か?」

 

 ラインハルトの問いにハンスも苦笑しながら返す。

 

「そりゃそうでしょう。三人全員とかは無理でしょう」

 

 ハンスの返答にラインハルトとキルヒアイスは驚く。

 

「卿は三人は無理だが一人か二人なら分かるのか?」

 

「はい」

 

 ラインハルトとキルヒアイスが顔を見合わせる。

 

「別に驚く程でもないですけどね。パエッタとボロディンは確実ですね。問題はウランフかホーウッドのどちらなのか難しいんですよね」

 

「その根拠も知りたい」

 

「本当に単純な話ですよ。パエッタは能力的には可もなく不可もない指揮官ですが頑固で上に媚びる性格なんですよ。国防委員長の犬をしてますからね。国防委員長も犬には餌をやらないと」

 

「要は派閥人事なのだな」

 

 ラインハルトが一言に要約する。

 

「身もふたもない話ですが、次にボロディンは能力、人格、人望ともに完璧です。順番から言えばボロディンの出番ですよ」

 

「そうか」

 

「問題の二人ですけどね。ホーウッドは体調が悪いみたいでしたからね。去年のイゼルローンの戦いも不参加でしたからね。体調が回復しているならボロディン同様に使いたい人材ですけどね。体調が回復してないならウランフが代打でしょうよ」

 

「ウランフとは第三次ティアマト会戦の前に卿が褒めていた指揮官だな」

 

「はい、閣下もウランフの勇戦ぶりを褒めてましたよね」

 

「ああ、敵ながら見事な戦いぶりをしていた」

 

「ラインハルト様、今回の戦いは油断が出来ませんね」

 

「ああ、しかし、今回は私の麾下にはロイエンタールとミッターマイヤーがいる」

 

「こうなると心強い二人ですね」

 

 仕事をサボる口実でハンスを探しに来た二人であったが意外な事に真剣な話になってしまった。

 その二日後にハンスの予測通りの情報がフェザーン経由で軍務省に報告された。

 そして、翌日にはラインハルト達にも出動命令が下された。

 それに伴い、一つの意外な辞令書がラインハルトの元に届く事になる。

 

 



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第四次ティアマト会戦 前編

 

 自分の執務室で一枚の辞令書を見て怒り心頭のラインハルトをキルヒアイスが必死に宥めている。

 

「ラインハルト様、落ち着いて下さい。お気持ちは分かりますが、理不尽な辞令では有りません」

 

 ハンスを少佐に昇進させて司令部付きの情報武官に命じる人事異動の辞令書がラインハルトの手元にある。

 キルヒアイスの言う通りで客観的に見れば昇進して司令部に栄転の辞令である。

 

「ラインハルト様、確かに最初は少佐を押し付けられた格好でしたが、前回の戦いで少佐の知識と見識は帝国軍全体としても貴重であると分かりました」

 

「分かっているが、それでも頭に来る話ではないか!」

 

「それはそうですが、私とラインハルト様が幼年学校卒業以来、常に一緒にいる事も既に特別な事なのですよ」

 

 これにはラインハルトも黙るしかなかった。

 それでもラインハルトにして見れば、最初にハンスの知識と見識に気が付いたのはラインハルトでありドルニエ侯の兼ね合いでハンスを押し付けたのはミュッケンベルガーである。後から使えるからと言って自分の麾下に異動させるのは人材の横取りに思える。

 

「キルヒアイス。取り敢えずハンスを呼んできてくれ」

 

「分かりました。閣下」

 

 数分後にキルヒアイスに連れられてハンスが入室して来た。

 

「何のご用でしょうか?」

 

 ラインハルトは無言で辞令書を指先で詰まんでハンスに渡す。

 それを見たハンスは落ち着いて口を開いた。

 

「これは危ないですね」

 

「ミュッケンベルガー元帥は優秀な方です。だから戦死の危険は少ないですよ」

 

「いえ、自分ではなく閣下の事がですよ」

 

 ラインハルト本人よりキルヒアイスが先に反応した。

 

「どういう事でしょうか?」

 

「何で今更、僕を司令部に移す必要があるんですか?」

 

「それは、少佐の才幹が認められたからでしょう」

 

「それなら、前回の戦いの後に自分を異動させれば良いだけの話でしょう」

 

 確かにハンスの才幹は既に第三次ティアマト会戦で証明されている。このタイミングでハンスを司令部に異動させるのは不自然な話でしかない。

 

「閣下は門閥貴族に嫌われてますからね。ミュッケンベルガー元帥も年齢的に数年後には引退しますから天下りするには門閥貴族の歓心を買う必要があるかもしれません」

 

 ここでラインハルトがハンスの入室以来、初めて口を開いた。

 

「戦場で無茶な命令でも出して私を謀殺するつもりか」

 

「だと、僕は思います。それには僕が邪魔ですし僕の利用価値を発見したんでしょう」

 

 ハンスの意見には説得力がある。何せ逆行前の世界ではラインハルトの大胆な転進は有名であり、命令を出したミュッケンベルガーの動機も研究対象になっていて、数ある説の中で定説となっている説をハンスは自分の意見として言っているのだから。

 

「門閥貴族には閣下を謀殺して歓心を買いドルニエ侯には少佐を昇進させて栄転として麾下に置いて命を救い恩を売る訳ですか。老獪な手段ですね」

 

 キルヒアイスの言葉のドルニエ侯に反応してハンスは情けない声を出してしまった。

 

「その、キルヒアイス中佐、ドルニエ侯の話は何とかなりません?」

 

「何だ。卿はフロイラインの想いに、まだ応えてなかったのか?」

 

 ハンスが弱気になった途端にラインハルトはハンスをからかう。

 

「思い出した!閣下!入院中に可愛い部下の僕を見捨てて逃げたでしょう!」

 

 ラインハルトの言葉で入院初日の事をハンスは思い出してラインハルトに抗議を始めた。

 

「ち、違うぞ。私は軍務省に一刻も早く事の事実を告げる必要があったからで」

 

「まあ、呆れた!大将閣下とあろう人が見苦しい言い訳を!」

 

 キルヒアイスは二人の子供の面倒を見る事を放棄して、二人を残してハンスが抜けた後の穴埋め人事の為に退室した。

 キルヒアイスは色々と忙しい。

 

 八月の下旬にイゼルローン要塞に到着した翌日にハンスは自室のベッドで軍服を着たまま二日酔いで苦しんでいた。

 オーディンからイゼルローン要塞に向かう道中で少佐講習を受けた後に、ついでに中佐講習も受けさせられ講習漬けの道中であった。

 昨日、イゼルローン要塞に到着して講習から解放されたと思ったら新しい職場の同僚や上司に歓迎会として酒場を連れ回されたのである。

 

「帝国軍の人って、もっと真面目な人ばかりと思っていたけどね」

 

 取り敢えずシャワーを浴びるつもりで服を脱ぐと下着の中から紙幣が大量に出てきた。

 

「なんじゃ、こりゃ!」

 

 昨晩の事は途中から全く記憶に無いのだが、この時にハンスはイゼルローン要塞が軍事基地で一般人が居ない事に心から感謝した。

 

(姉さんに見られたら怒られるなあ。しかし、どんな芸を披露して、こんなにチップを貰ったんだ?)

 

 困惑しながらも下着に入れられた紙幣を集めて封筒に入れて大事に取っておく。

 

(これで帰りに土産でも買って帰ろう)

 

 取り敢えずシャワーを浴び体内から汗と共にアルコールを出して体調を整えてから新しい軍服を着て外に出る。

 ハンスにとっては初めてイゼルローン要塞の中の散歩は目に入る全てが珍しい。

 結局は要塞内を散歩して回り一日が過ぎた。

 翌日からは司令部付きの情報武官として書類の作成に集められた情報の分析にと多忙を極めた。

 9月に入り同盟軍の艦艇がティアマト星系に集結中との報告が偵察部隊から報告された後に惑星レグニッツァにて同盟軍の艦艇が発見の報告もされた。

 

「叛徒共は決戦前に兵力分散をするとは何を考えている」

 

 ミュッケンベルガーの疑問は当然である。実は同盟軍にはトラブルが生じていた。

 前回の時と同様に一部の物資が不足して軍では迅速な対応が出来ずに民間船に委託を打診したが「グランド・カナル事件」の記憶も新しく全ての民間船から断られた。

 仕方なく各星系の警備部隊を使い物資を運ぶ事になったが時間が掛かるので帝国軍の目を補給部隊から逸らす為に惑星レグニッツァに囮部隊を派遣したのであった。

 

「少佐、卿の意見を聞こう」

 

「まあ、何かのトラブルを隠蔽する為の囮なんでしょうけど、決戦前に少しでも敵の兵力を削ぐ事は大事です。それに、元気が有り余っている人もいるみたいです」

 

 ミュッケンベルガーにはハンスが言外にラインハルトに出撃させろと言っている事が分かった。

 つい先程、ラインハルトがフレーゲルと口論をしていたからである。二人の仲の悪さはフリードリヒも知っている程に有名なのである。

 決戦前に軍内の喧嘩騒ぎで大将を営倉入りさせる訳にもいかない。

 

「元帥閣下も色々と大変ですね」

 

 ハンスもミュッケンベルガーに同情してしまった。ラインハルトとフレーゲル。ゼークトとシュトックハウゼンと帝国軍には犬猿の仲が多い。

 ハンスにはミュッケンベルガーがラインハルトを謀殺したくなるのも理解が出来る様に思える。

 

「そう思うなら卿も酒は控える事だ」

 

「……自分は記憶が無いのですが何をしたのでしょうか?」

 

「聞きたいか?」

 

「……いえ、これからは酒は控えます」

 

「宜しい」

 

 この様な事情でラインハルトの出撃が決まった。

 

 旗艦ブリュンヒルトの艦内ではキルヒアイスがラインハルトの愚痴を聞いていた。

 

「それで、ラインハルト様が要塞を追い出された訳ですか」

 

「追い出されたとは人聞きの悪い」

 

「言葉を飾っても意味はありません。フレーゲルなどの小物相手に本気になられますな」

 

 キルヒアイスが珍しく本気で怒っているのがラインハルトに分かった。

 

「すまん。キルヒアイス。もうフレーゲルなどを相手にしない」

 

「分かって下されば宜しいのです。ラインハルト様」

 

 キルヒアイスも本気でラインハルトがフレーゲルと喧嘩しないとは思っていないのだが。

 

(オノ少佐とフレーゲルとは正反対の意味でラインハルト様を子供にしてしまう。ある意味で貴重な存在かもしれない)

 

 キルヒアイスに貴重な存在と評されたフレーゲルはミュッケンベルガーから説教をされていた。

 

「男爵にも考えて頂かないと困りますなあ!」

 

 流石のフレーゲルもミュッケンベルガーが完全に正しいので反論も出来ないでいる。

 ミュッケンベルガーもストレスが溜まっていたのだろうか。ラインハルトのレグニッツァでの勝報が届くまで延々と説教を続けたのである。

 これが第四次ティアマト会戦、一週間前の帝国軍の内情であった。

 この状況を見てハンスを含む若手士官達は口に出さないが同じ事を思った。

 

「大丈夫なのか。我が帝国軍は?」

 

   

 



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第四次ティアマト会戦 後編

 

 イゼルローン要塞での最終会議の席でラインハルトはミュッケンベルガーから左翼の配置を命じられる。

 

(左翼、つまり一番切り捨て易い場所に行けと言うわけか)

 

 口では形式通りの応対をする。

 

「元帥閣下のご配慮に感謝します」

 

 ラインハルトはブリュンヒルトに乗り込むと早速、キルヒアイスに会議での事を相談した。

 

「それは、元帥の考えが丸分かりの配置ですね」

 

「キルヒアイスも同じ考えか。なら、一度だけだが使わざるを得ないか」

 

「確かに危険ですが上手くいけば一番良い場所に布陣が出来ますね」

 

 ハンスはカンニングしているからミュッケンベルガーの考えを知っているがラインハルトとキルヒアイスは何も無い所から正解というゴールに簡単にたどり着いていた。

 ハンスが居れば二人の優秀さに恐怖を感じていただろう。

 

 そして、ティアマト星域に両軍が集結した。

 

「左翼部隊前進」

 

 ミュッケンベルガーの命令でラインハルトは整然と前進を進める。

 ハンスは総旗艦ヴィルヘルミナの艦橋で緊張しながら事態を観察していた。

 両軍が注目するなか左翼部隊は前進して行く、

 

(まだか。何時に転進するんだ)

 

 そして、その時が遂にきた。

 ラインハルトの部隊が右に大きく転進を始めた。先頭部隊が中央まで来た時にハンスが叫ぶ。

 

「元帥閣下、主砲を長距離から短距離に切り替えて、後方部隊はワルキューレの発進準備を!」

 

 敵味方の全員がラインハルトの意表を突いた転進に驚いていた時に行動を起こしたのはハンスだけだった。

 ハンスの叫びで我を取り戻したミュッケンベルガーも瞬時にハンスの叫びの意味を理解して命令を下す。

 

「全艦主砲を短距離に切り替えて発射準備!後方部隊はワルキューレの発進準備をしろ!」

 

 ラインハルトの部隊が戦場を通過すると両軍の距離は至近であった。

 

「ファイエル」

 

 帝国軍の砲撃がワンテンポ早く短距離砲に対して同盟軍の砲撃はワンテンポ遅く更に長距離砲だった為に効果は少なかった。

 慌てる同盟軍に対してミュッケンベルガーは余裕を持って次の命令を下す。

 

「ワルキューレ発進!」

 

 同盟軍の最前列が壊滅して第二陣が短距離砲に切り替えた時にはワルキューレが駆逐艦やミサイル艦に襲い掛かって行く。

 戦艦や巡航艦は帝国軍の艦砲射撃に狙い撃ちにされて次々に火球に変わっていく。

 しかし、同盟軍の提督達も先手こそ帝国軍に取られたが直ぐに反撃を開始する。

 同盟軍の左翼側面に布陣したラインハルトは艦橋で味方の戦いぶりを眺めながら感心する。

 

「ほう、ミュッケンベルガーも意外とやるではないか。それともハンスの指示か?」

 

 傍らに居たキルヒアイスが艦隊の再編成が完了した事を告げる。

 

「ふん、奴等は俺の助けなど欲しくはないだろう」

 

「ラインハルト様には理解している筈です。十人の提督の反感よりも数十万人の兵士の感謝が上だと」

 

「そうだな。キルヒアイス」

 

 ラインハルトは全艦隊に攻撃命令を出した。

 ラインハルトの攻撃を側面に受けた同盟軍の左翼部隊のボロディンはハンスの評価通りの優秀な提督であった。

 通常なら既に戦線崩壊しているが正面の敵と戦いながら側面からの攻撃に対処している。

 

「ハンスの言う通りに優秀な指揮官だな。しかし、残念な事に相手が悪かったな」

 

 ボロディンが優秀な手腕で戦線を維持しても疲労していくのは当然で疲労しきった瞬間にラインハルトは同盟軍左翼部隊の側面を削り取る様に突撃して同盟軍の後背に移動する。

 戦闘中にラインハルトの動きを常に監視してたハンスはラインハルトが同盟軍の後背に出た事を知るとミュッケンベルガーに進言して同盟軍の前に縦深陣を作る。縦深陣が完成した直後にラインハルトが同盟軍の後背から猛烈な攻撃を掛ける。

 ラインハルトの後背攻撃を受けたのはウランフの部隊であったがウランフは「水は低きに流れる」と言って、そのまま前に躍り出る。ラインハルトは自らの攻撃で敵の攻撃に勢いをつけて味方に嗾けたのであった。

 前に猛然と躍り出たウランフだったがカンニングで事態を予め知っていたハンスが進言してミュッケンベルガーが作った縦深陣の中に飛び込む形になった。

 ラインハルトはウランフが前進して出来た穴に入り同盟軍の右翼方向に転進して中央突破を行う。

 同盟軍は背後から槍で胸の中央を貫かれ、更に槍を捻られた状態になった。

 ボロディンは前面の敵と戦っている事が驚愕するに値する程でありウランフは縦深陣に居て戦線崩壊をせずに一点突破を逆に仕掛けて脱出している最中であり同盟軍右翼はパエッタとロボスの指揮で中央突破されながら戦線崩壊から辛うじて免れていた。

 この時に流れ弾ならぬ流れミサイルがブリュンヒルトに当たりそうになり、ブリュンヒルトを溺愛するラインハルトが咄嗟に操艦を指示してしまうのだが、初代艦長であるシュタインメッツから操艦に口出す事は艦長である自分の権限を犯す行為であると諫言される。

 一部始終を横で見ていたメックリンガーが肝を冷やしたが素直に諫言を受け入れるラインハルトに将器を認める事になる。

 

 ラインハルトは同盟軍右翼の側面に布陣して艦隊の再編をしながら攻撃を仕掛ける。

 ウランフは縦深陣から脱出する事に成功して縦深陣の外側から攻撃しながら中央に戻り空いた穴を埋めて尚も戦線を維持している。

 ラインハルトも同盟軍の手腕を見て感心していた。

 

「敵将もハンスが褒めるだけあって確かに良い人材である」

 

 全体として同盟軍はラインハルト一人に翻弄されて、カンニングで事態の推移を知るハンスの便乗で被害を拡大させていた。

 同盟軍参謀長グリーンヒル大将が帝国軍の後背に囮部隊を派遣して帝国軍を陽動して帝国軍が後退した隙に撤退する作戦をロボスに進言する。

 囮役にはヤン・ウェンリー准将が立候補した。既に予備兵力もない同盟軍は囮部隊を編成するのに前線から艦艇を抜くのだがロボスが名人芸と言える手腕で艦艇を抜くのはヤンに「お見事」と言わしめた。

 ラインハルトも前線でのロボスの動きを察知して同盟軍の作戦を看破する。

 第四次ティアマト会戦の特色として各々の指揮官の手腕が発揮された会戦であった。

 ヤン・ウェンリー准将が指揮する囮部隊が帝国軍の後方で陽動を開始するとラインハルト以外の帝国軍本隊は後退を始める。

 この時、ハンスは敵の陽動である事を進言して攻撃の続行を主張したが受け入れて貰えずにいた。

 

(陽動作戦を行うと言う事はロボスは健在で歴史通りに流れたか。被害は圧倒的に同盟軍が大きい点だけが違うが後はラインハルトがロボスを仕留める事を期待するしかないか)

 

 帝国軍本隊が後退した隙に同盟軍も後退して行くがラインハルトが執拗に攻撃を仕掛けて行く。ロボスの旗艦アイアースの周囲でも火球となる艦が続出していたがヤンがラインハルトの旗艦ブリュンヒルトの真下に戦艦ユリシーズを密着させて人質に取るという離れ技を行う。

 旗艦を人質に取られた帝国軍は同盟軍が撤退するのを黙って見ているしかなかった。

 ラインハルトも自分を人質にしたユリシーズが離れて行くのを黙って許した。

 ラインハルトにしては大胆不敵な行動で味方を援護した勇気を賞賛したい程である。

 大胆不敵な行動をしたヤンも名前も知らない白い戦艦の指揮官が帝国軍首脳部から忌避され前線の将兵から人望を得ている事に興味を惹かれた。

 後世、好敵手として注目される二人が名前すら知らずに初めて互いに意識した戦いであった。

 この事がハンスが嫌う本来の歴史通りに無駄な血を流す事になるのか。ハンスも含めて宇宙には誰も知り得る者はいなかった。

 そして、戦略上意義も無い第四次ティアマト会戦が終了した。

 




指摘を受け一部の文章を修正しました。


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初めての旅行

 

 ラインハルトは第四次ティアマト会戦の功績により上級大将に昇進が確定した。そして、キルヒアイスも大佐に昇進が確定している。ハンスも中佐に昇進が確定したが本人が「既にイゼルローンに行く前に功績もなく少佐に昇進していますから」という事で固辞したのだが意外な事にラインハルトとミュッケンベルガーの二人に説得されたのである。

 ミュッケンベルガーはハンスの短距離砲への切り替えとウランフを縦深陣に誘い込んだ功績を評価していた。

 ラインハルト本人はハンスに対して、本音はキルヒアイスに匹敵する才幹の持ち主であり市井の暮らしにも詳しく、不思議な事に軍隊の外からの視線の持ち主である貴重な人材と評価している。出来るだけ権限を与え才幹を発揮させるべきだと思っている。見事な過大評価の見本である。

 しかし、ハンス個人の関係となると途端に、お互いに子供となってしまう。原因はハンスの僻みである。

 ハンスにしてみれば美人で優しい姉がおり、本人も絶世の美形で頭脳は学年首席であり運動神経も良い。本人は貧乏貴族と言っているが庭付きの一軒家に住んでいて、レストランに住み込んでいたハンスからしたら十分に裕福なのである。

 ラインハルトにしても全てラインハルトの責任で無い事に嫉妬されても迷惑な話なのであり、羨ましいと言うならハンスは義理とは言え優しい姉と一緒に暮らしているのである。

 お互いに相手に嫉妬しているのだから自然と角を突き合わせる事になる。

 キルヒアイスは二人が角を突き合わせる度にラインハルトに対して大人気ないと思うのだがラインハルトが自分以外に素の自分を見せるのは良い兆候だとも思っている。

 

 来年にはラインハルトはローエングラム家を継ぎ伯爵となる。それに追従して出征も決定していた。「伯爵家を継ぐなら手柄を立ててみろ」というわけである。

 キルヒアイスが悪意を感じるのはラインハルトからロイエンタールとミッターマイヤーを引き離しラインハルトに反感を持つ人材ばかりを配属させた人事である。唯一の救いは対同盟に対しては専門家扱いになったハンスが麾下に加わる。これまでと違い初めての総指揮官としては不安が多いとキルヒアイスは思う。

 ラインハルトは危惧するキルヒアイスに向かって鷹揚に言う。

 

「お前が居れば負ける事はない。心配性も度が過ぎると折角の赤毛が白くなるぞ」

 

 自覚の無い心配性の原因が言っているのだからキルヒアイスにしてみれば始末に悪い。

 

「それに、次も勝てば元帥になる。そうすればハンスも取り返す事が出来る。その後は……」

 

 ラインハルトが言わんとしている事がキルヒアイスには分かる。

 キルヒアイスも無言で頷き返す。しかし、口にした事は別の事である。

 

「そう言えば、今度の旅行に折角なら、少佐も誘っては如何ですか?」

 

「ハンスなら既に声を掛けたが珍しい事に礼儀正しく断られた。姉君と一緒に旅行に行くそうだ」

 

「そうですか。お互いに忙しい二人ですからね。休暇が合うのは珍しいのでしょう」

 

 キルヒアイスから忙しい二人と言われた二人は既に機上の人となっていたが、ハンスの自宅前で怒り心頭の人物がいた。

 

「何が今月は忙しいよ。ちゃっかりと二人で旅行に行っているじゃない!」

 

 貴族の姫君と思えぬ口調でヘッダに出し抜かれたマリー・フォン・ドルニエが吠えていた。

 

(姉君が忙しいからチャンスだと思って貴族の姫様が朝から殿方の家に押し掛けるとは……)

 

 朝からマリーに車を出させられた運転手は、この後で何と言ってマリーを宥めるか思案にくれる事になる。

 

 マリーを出し抜いたヘッダは隣の席で居眠りする弟の寝顔を見て小さな幸せに浸っていた。

 

 (弟は昇進する度に考え事をする事が多くなって来ている。夜も寝る事なく考え事をしているのか朝も顔色が悪い。自分と同じベッドだと寝ている様なので休日の前夜だけでも一緒に寝ているけど心配になる)

 

 今回の戦いは激戦だったとヘッダも聞いている。身長に比して体重が軽い事も心配の種である。旅行に連れて行き軍務との繋がりを断つ事で少しは心身共に健康になるのではと思い強引に旅行に連れて来たが気持ち良さそうに寝ている。

 

(やっぱり、旅行に連れて来て正解だったわね)

 

 弟と二人でゆっくりと過ごすのは久しぶりである。弟に付く悪い虫の貴族の姫様はオーディンで悔しがる事だろう。

 

(嘘は言ってないから、本当に旅行の準備と旅行を楽しむ事に忙しいですからね)

 

 何処かの役人の言い訳みたいな事を思いながらマリーの事を考える。

 

(所詮は貴族の姫様ね。この子の表面しか見てないわ。相手にも寄るけど必要なら残酷な事も出来る子なのに)

 

 ヘッダはハンスが根本が優しい人間である事を知っている。故に必要に迫られて残酷な事をした時に支える事が出来る女性がハンスには相応しいと思っている。そして、マリーに支える事が出来るのかと問われると否である。

 

(悪い娘じゃないけどね)

 

 相手の女性の心変わりで弟が傷つく事はヘッダは許容が出来ない。

 

(過保護かもしれないけど)

 

 自分が望んで弟にしたのだから、ハンスには幸せになって欲しいと思うヘッダであった。

 

「御乗船の皆様にお知らせします。本船は間もなく、惑星ヴィーンゴールヴに到着します。ヴィーンゴールヴではレジャーとリゾートを目的とした数々の施設が皆様に有意義な休暇を過ごせる様、お待ちしてます。お降りの方は下船の準備をお願いします」

 

 船内放送が目的地への到着を知らせる。ヘッダはハンスを起こして下船の準備を促す。

 

(ハンスとの初めての旅行なんだから楽しまないとね) 

 

 ヘッダの期待と別に到着して早々にトラブルに巻き込まれる事になる。

 

 惑星ヴィーンゴールヴはオーディンから時間的距離で6時間程の惑星で惑星の大きさもオーディンの半分程である。

 海の多い風光明媚な星で引退した門閥貴族や富豪などが多く住む事で帝国でも有名な惑星である。

 

 宇宙港を出ると冬のオーディンと違い。ヴィーンゴールヴは夏であった。

 日射しは優しく肌を刺す様な真夏日ではなく空気も暖かい。

 ヘッダとハンスは顔の半分が隠れる程のサングラスをしてタクシーを使わずにホテルまでの道程を散歩を兼ねて歩く事にする。

 車道と反対側に白い砂浜で海水浴を楽しむ人々が見えた。南国の鳥の様なカラフルな水着の若い女性も多くいる。

 

「うわ!帝国って、お堅いイメージが有るから、水着とかもシンプルなのかと思えば、意外と過激だな」

 

「興味が有るの?」

 

 問い掛けるヘッダの顔は笑っているが目が笑っていない、幸か不幸かサングラスで目が隠れている。

 

「そりゃ、無いと言えば嘘になるけど海には行かないよ」

 

「あら、どうして?」

 

「僕が行くなら姉さんも行くだろ。そしたら他の男に姉さんの水着姿を見せる事になる」

 

 弟が見せる嫉妬にヘッダは頬が緩みそうになるのを女優のスキルで制止して姉馬鹿な思いとは別の事を口にする。

 

「意外と独占欲が強いわね」

 

「いや、普通でしょ」

 

 更に歩いて行くと長さが10メートルも無いトンネルがありトンネルの中にヘッダとハンスの間くらいの年齢の少年三人が待ち構えていた。

 地元の不良なのだろう。三人共に片手にナイフを持っている。

 ヘッダが目当てか金銭が目当てかは分からないがハンスの血が沸騰していく。

 ヘッダは不幸な少年達に頭を抱えた。ハンスは、この種の人間を嫌悪しており容赦しない事を知っていたからだ。

 

「ガキの癖にいい女を連れているじゃないか」

 

「そうそう、俺達が女の可愛がり方を教えてやるぜ」

 

「訴えたけりゃ訴えてもいいぜ。どうせ無駄になるからな」

 

 ヘッダは少年達の台詞の陳腐さに呆れながら少年達が自分達の死刑執行書にサインをしたので耳を両手で塞いだ。

 ヘッダが耳を塞いだのを見て少年達はヘッダが自分達の台詞で怯えたと思い有頂天になった。他人が自分に怯える事に快感を覚える病んだ精神の持ち主達である。

 しかし、少年達の快感も数秒間だけであった。

 金属板同士を叩きつける音がトンネル内に響いた。

 ハンスが火薬式拳銃で少年達の両方の足の甲を撃ち抜いたのである。

 倒れた少年達の鎖骨をハンスが無慈悲なまでの正確さで踏み折る。

 トンネル内に少年達の言葉にならない悲鳴が充満する。

 その後、ハンスはヘッダを連れてトンネルの外に出ると何処かに連絡した後で警察に通報する。

 

「夕食前までにはホテルに行くから昼食は一人で食べてね」

 

 発砲した直後に日常会話を始める弟にヘッダは呆れてた。

 

(軍人って、ここまで切り替えが出来るのかしら?)

 

 ヘッダも少年達が絡んで来た時点で事の結末の予想はついたが、実際に予想通りになる事に自称常識人の姉としては色々と思う所がある。

 

「分かったわ。夕食は何がいい?」

 

「海の近くに来たから魚料理がいいなあ」

 

「魚料理ね。メニューは任せてね」

 

(折角の貴重なランチのチャンスが無くなったわ)

 

 日常会話を返しながら弟とのランチを惜しむヘッダも十分にハンスに毒されているがヘッダ本人は常識人だと信じている。

 こうして、ヘッダとハンスの休暇は一日目からトラブルが発生した。

 

 



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楽しい旅行?

 

 パトカーで駆けつけた主任警官は色々な意味で青くなっていた。

 まずは撃たれた三人は地元の有力者の馬鹿息子達である。

 負傷の具合も神経が集中している足の甲を撃ち抜かれて丁寧に鎖骨まで折られている。

 加害者が見せた身分証明書は帝国本土の情報武官である。それも、宇宙艦隊司令長官直属のエリートである。

 更にエリート情報武官の主張は三人は共和主義者のスパイでありナイフで襲って来たと言う。

  

(それは誤解です。こいつらは誰でも襲い警察には親から圧力を加えて貰い何度も揉み消しをしている屑です)

 

 とは言えないが、話が宇宙艦隊司令長官の所に行くのは確実であり、いつもの様に自分達で事件を揉み消すのは不可能である。

 更に身分証明書の確認をしていた部下からの耳打ちでの報告が事態を深刻化させる。

 

「主任、この人、ティアマトの英雄と呼ばれてるオノ少佐ですよ。例の亡命して来た」

 

 主任警官は運命を呪った。

 

(俺が当番の日に何で面倒な事が起きるんだ!)

 

 そして、主任警官が保身の為に瞬時に計算とも言えない計算をした結論は、何も気付かないふりをしてハンスに従う事である。要は事勿れ主義である。

 

「確認が取れました。身分証明書をお返しします」

 

 ハンスは身分証明書を受け取ると警官達に指示を出す。

 

「コイツらを本国へ送還するまで警察の留置場を借りますから手伝ってくれ!」

 

「はい、了解しましたが、此方のフロイラインは?」

 

 ハンスが主任警官の肘を掴み少し離れた所に連れて行き仔細が有りげに囁く。

 

「元帥閣下の直の部下である私から言える事はフロイラインなどはいない。分かるか?」

 

 主任警官は女性の方を見るとサングラスで顔が隠しているが美人で有る事が分かる。

 主任警官の頭の中で宇宙艦隊司令長官の顔が浮かびあがる。

 

(ええ、あの真面目そうな人が愛人を!)

 

 主任警官は勝手に全てを納得して更に顔色を青くした。

 

(だから、この人も発砲したのか!確かに上司の愛人に万が一の事が有ればクビが飛ぶからなあ)

 

「理解したかね。ではフロイラインをホテルまで卿が丁重に送り、フロイラインの事は卿も部下も忘れる事が、この場にいる全員が幸せになる事だよ」

 

「了解しました」

 

 ミュッケンベルガーが聞けば怒り狂いそうな話である。幼い頃に父を亡くし女手一つで育てられたミュッケンベルガーは帝国軍では有名なフェミニストで結婚してから、愛人どころか浮気も無い。

 

 ハンスは主任警官の役人根性を正確に理解して保身に走る方向に走らせた。

 主任警官がヘッダを送っている間に三人を拘束して自殺防止としてパトカーにあった雑巾を三人の口に入れて猿轡をする。

 主任警官が帰ってきたら三人をパトカーのトランクに放り込み署まで連行する。

 

 署では署長が事態の解決策を模索していた。

 現場からは加害者が本国のエリート士官で情報畑の人間であるという。

 被害者は土地の有力者の馬鹿息子三人組だそうだ。土地の有力を優先するか本国のエリート士官を優先するか二者択一である。

 結論が出ないままパトカーは署に到着する。結局は署長室から出ないまま部下に全てを押し付ける事にした。 これが致命的なミスだった。

 

 ハンスは署の警官達に命じて署長を拘束して署長も留置場に放り込む。

 連絡を受けて駆け付けた少年達の親と弁護士達も一緒に留置場に放り込む。

 取り調べと称して署長以外の全員を留置場内で拷問に掛ける。

 他人の痛みには鈍感な人種だが自分の痛みには敏感な連中である。

 弁護士が何か文句を言っていたが無視をする。

 

「お前さん、生きて帰るつもりなの?お前さんに残された選択は苦しんで死ぬか。楽に死ぬかしか残ってないよ」

 

 この後、弁護士が発狂した様に騒ぎ始めたがハンスは相手にせず無慈悲な宣告をする。

 

「その年齢なら子供の一人や二人はいるだろうね。男か女で違いがあるが大人しくした方が子供のためだよ。特別に時間をあげよう」

 

 そう言い残してハンスは留置場を出て署の食堂で三人前の食事を食べて昼寝までした。副署長の来客を告げる声で目を覚ます。

 

「よく連絡をくださいました。オノ少佐」

 

「ご無沙汰をした上に手数を掛けてしまいます。ラング局長」

 

 来客は社会秩序維持局のハイドリッヒ・ラングであった。

 

「しかし、お早い到着でしたね」

 

「それは、オノ少佐の頼みなら急ぎます」

 

「で、部下の方は何名程?」

 

「12名程になります。既に隣の警察署から人を借りて弁護士事務所と自宅は押さえました」

 

「流石です。弁護士連中の事務所まで到着と同時に押さえるとは仕事が早い!」

 

「まあ、慣れですよ。それに宰相閣下からも徹底的に調べろと厳命されてます」

 

「それは、心強い!」

 

「では、後は私達に任せてホテルに戻りなさい。姉君が待ってますよ」

 

「これは御配慮、痛み入ります」

 

 ハンスは少年達を見て、そのバックボーンを看破すると同時にバックボーンも潰す事を瞬時に決めてラングを嗾けたのである。

 ラングの事だから、悪党共は全財産を帝国に没収されて良くて獄死、最悪は死刑になる。

 ましてリヒテンラーデ侯までが支持しているとなれば悪党達は帝国から見捨てられたのと同様である。

 ハンスにはリヒテンラーデ侯の本音が手に取る様に分かる。

 三人の貴族から利権と財産を奪う事は帝国の財政が厳しい時に助けになる。

 それに場所は引退したとは言え門閥貴族が多い土地柄であり厳しく対処する事で貴族の横暴を牽制する意味があり、平民達の帝国への信頼を得る為でもある。

 リヒテンラーデ侯もラインハルトとの権力闘争に敗れたとは言え統治者としての仕事は真面目に行っていた。

 或いはゴールデンバウム王朝の真の忠臣であるかもしれない。

 

 ハンスがヘッダの元に戻ったのは予定より早く午後のティータイムであった。

 

「おかえりなさい」

 

「ただいまかな?」

 

 ヘッダにはラングが既に取り調べを始めて後顧の憂いが無い事を伝える。

 

「まあ、あの三人も襲った相手が悪かったわねえ。ましてはラング局長さんが出てくるとは」

 

 ヘッダもラングとは旧知の仲である。ヘッダが両親と亡命した時は色々と気遣かってくれたものである。

 

 その後は、ホテルの周辺を散歩して明日からの行動の下調べをする。

 散歩から帰ると夕食はホテルのレストランの個室で海を眺めながらの食事をする。

 

「沖の方で白い光が見えるけど何かしら?」

 

「ああ、あれはイカ漁をしているんだよ。イカは光に集まる習性があるからね」

 

 ハンスは料理だけでなく釣りや園芸なども詳しい。釣りをして魚を干物にしたり僅かな土地にキュウリを栽培したりミントを植えたりと色々と自給自足の生活して来た名残りである。

 

「オーディンは海が少ない星だからね」

 

「ハイネセンは海が多かったかしら?」

 

「海が多い星だったよ。河川も多かったかからね。」

 

 会話をしながらも二人は料理も楽しむ。

 帝国では魚料理は少なく肉料理がメインである。魚の養殖はコストと時間が掛かる為に流通が少ないのが原因らしい。

 

「魚のステーキも美味しいけど、魚のカルパッチョも美味しいわね」

 

「オーディンでは屋台の川魚のホイル焼きとフィッシュアンドチップスとか売っているけど、あれもレベルが高い」

 

「売っているわね。オーディンの冬の風物詩よ」

 

 健啖家の二人はコースだけでは足りずに他にも料理を注文して旅行初日のディナーを堪能した。

 

 ディナーを楽しんだ後は部屋のベランダで海を観賞しながらルームサービスで注文したワインを楽しむ。

 レストランでは角度的に見えてなかったがベランダからだと漁り火を反射した海面が白く輝いて見える。

 

「本当に綺麗ね」

 

 ハンスには珍しくない光景なので漁り火の揺れを見てる(沖の方は波が高いみたいだなあ)程度の認識なのだがヘッダには珍しい光景らしく感動している。

 

「夜風は体に悪いから中に入ろう。海は逃げないから」

 

「うん。そうする」

 

 ハンスの言葉に素直に従うヘッダに安心したハンスだったがヘッダの次の言葉に愕然とする。

 

「じゃ、一緒にお風呂に入ろう」

 

「ちょっと待て、なにゆえに一緒に入る必要がある?」

 

「だって、お酒を飲んで酔っているもん。一人で入ったら危ないもん」

 

「しまった。これが狙いでレストランじゃなくルームサービスでワインを注文したのか!」

 

 ヘッダはしてやったりと満面の笑顔である。

 

「降参だよ。旅行中は一緒に入るから酒は控えなさい」

 

「はーい」

 

「これ立場が逆なら犯罪なんだが、男って損だよなあ」

 

 文句を言いながらも姉の希望を叶える事にする。風呂の後は抱き枕にされる事も覚悟している。

 

(まあ、どうせ、明日はラング局長が事後処理の報告に来るから、それが終われば姉孝行に集中が出来るかな)

 

 この時のハンスはラングの報告内容が帝国の司法当局を震撼させる騒ぎになるとは予想も出来ずにいた。

 



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播種

 

 ハンスは喉の痛みと息苦しさで目が覚めた。

 

「く、苦しい!」

 

 背中から抱き付いているヘッダの腕がハンスの喉に巻き付いて喉を圧迫している。

 

「チョーク!チョーク!」

 

 朝は低血圧で動かない体に鞭打って、ヘッダの足に渾身の蹴りを入れてヘッダを起こす。

 

(痴情の縺れで女に刺されて死ぬなら本望だが、寝相の悪さで殺されるのは嫌だぞ!)

 

 世の中、戦場だけでなく日常にも危険はあるものである。

 

 

「もう、何時までも膨れっ面をしないの」

 

「二度目は無いからね。次に同じ事したら、もう一緒に寝ないから!」

 

「はい、反省してます」

 

 二人ともお互いの言葉を全く信用していない。これも一種の社交辞令である。

 二人は思わぬ早起きをしたので港まで散歩を兼ねて朝食を摂りに行く事にした。

 

「港で観光客相手に新鮮な魚の屋台が出ているらしいけど、楽しみだなぁ」

 

「そうね。オーディンの屋台とは違うでしょうから面白そうね」

 

 逆行前の世界では海で釣りをして糊口を凌いだ事もあるが、新鮮な魚は簡単な調理でも極上の味なのである。ハンスとしたら嬉しくて仕方がない。

 

「早く行こう!直ぐに行こう!」

 

「もう、慌てなくても屋台は逃げません!」

 

 ヘッダも内心は朝から港まで行くのは面倒だと思っていたが弟が珍しく喜んでるので呆れながらも行く事にした。

 結果として、屋台の食事は素晴らしく美味であった。

 

「この小魚のアイントプフ(ドイツ風スープ)はオーディンのレストランでも食べれない味だわ」

 

「ホイル焼きの魚はオーディンにはあるけど魚の串焼きはオーディンでは無いよね」

 

「この魚のハンバーガーも美味しいわ」

 

 欠食児童と化した二人は屋台の人達も驚く程に手当たり次第に食べ歩く。

 

「明日から朝食はホテルではなく港で食べましょう」

 

「そうだね」

 

 ヘッダも気に入った様である。ホテルでの朝食より料金も安く、魚が主体の食事は女性として色々とありがたい。

 二人して満腹になった腹を擦りながらホテルに帰るとロビーでラングと出会った。

 

「お久しぶりです。局長さん!」

 

「これは、フロイラインも美しくなって、お元気そうで何よりです」

 

 ヘッダもラングとは旧知の仲である。

 

「局長、今回は手間を掛けさせて申し訳ありません」

 

「そんな事はありません。それに二人が姉弟の養子縁組をして幸せそうな姿を見る事も出来ました」

 

 ラングの言葉に嘘は無く目に涙を浮かべて二人を祝福していた。

 

 現在も後世でもラングは秘密警察の長官として嫌われているが、ラング自身は帝国の官僚としては珍しく清廉潔白であり、無辜の一般人には寛容な人物でもある。下級官吏時代から匿名で育英事業や福祉施設に送金していた篤志家の顔を持つ善良な人間でもある。

 

「こんな場所で立ち話ではなく部屋でコーヒーでも飲みながらゆっくりと話をしましょう」

 

 ヘッダの提案にハンスも賛同した。ラングの報告内容は衆人環視の中で聞けるものでないからである。

 部屋までの道中でのヘッダとラングの二人の会話は日常的な平和のものである。二人の会話を聞いて、ハンスはラングにも死んで欲しくなかった。秘密警察の長官としては嫌われているが役職で汚れ役を行っているだけでロイエンタールやラインハルトよりも善良な人間なのだから。 

 

「フロイラインには過分なご配慮を頂き部下一同を代表し御礼申し上げます」

 

 部屋に入り席に着くなりラングが礼を言い始めた。

 ヘッダが昨日のうちに警察署に朝食のケータリングサービスを頼んでいた。裏方の人間に対する配慮を欠かさないのは流石に一流女優である。

 

「遠い所まで来て、頑張って頂いて貰っているんですもの。当然ですわ」

 

「その言葉だけでも部下は喜びます」

 

「それで、連中を叩いたら何が出ましたか?」

 

 ハンスが本来の話に軌道修正する。

 

「今までに数十件の犯罪の揉み消しがありました。宰相閣下からは連中の資産から適正な賠償金を被害者に払う様にとの指示もうけています」

 

「残りの資産は?」

 

「当然、全て没収して国庫に入ります。そして、連中が経営していた会社も国営になります」

 

「連中は?」

 

「オーディンで詳しく調べた後は死罪でしょう。望み薄ですが良くて自裁ですな」

 

「妥当な処置でしょうね」

 

「宰相閣下も最近の門閥貴族の横暴さには頭を痛めてる御様子ですから、今回の件が一罰百戒になるのではと期待をしてます」

 

「宰相閣下も苦労されてますね」

 

 いつの間に部屋から姿を消していたヘッダが部屋に戻ってきた。

 

「局長さん、お風呂の準備が出来ましたわ。昨日からシャワーを浴びる時間もなかったのでしょう。ハンスは局長さんの背中を流して差し上げて」

 

「これは有難い。では遠慮なく」

 

 ラングが了承したのでハンスも黙って従い風呂に入る準備をする。

 

 

「しかし、フロイラインは聡明ですなあ」

 

「はい。自分には勿体ない姉です」

 

 二人はキングサイズのベッド並みの広さのバスタブに浸かりながら会話をしている。

 

「それに、このバスルームは立派ですなあ。一面がガラス張りで海を眺められる」

 

「それに、新婚夫婦用の部屋ですから防音設備も完璧です。姉の前で出来ない話も出来ますよ」

 

 ヘッダが風呂を用意したのは自分抜きでハンスとラングに話をさせる為である。

 一般人である自分には聞かせられない話がある事をヘッダは理解していた。

 

「それでは詳しい話をしましょう。この星で連中はサイオキシン麻薬を製造していました」

 

「な、サイオキシン麻薬!」

 

 ラングがヘッダの前で話さない筈である。ヘッダの父はサイオキシン麻薬の捜査をしていて、逆に麻薬組織に国を追われて帝国に亡命したのである。

 

「そうです。連中の会社は魚の養殖をしていますが稚魚に与える餌の開発と製造もしていました」

 

「では、その施設でサイオキシン麻薬の製造もしていたのですか?」

 

「はい。連中はそれぞれの施設でサイオキシン麻薬の原料を製造して出荷直前にそれぞれの施設で製造した原料を合成して出荷してましたから従業員も一部の者だけしか知らないそうです」

 

「局長、実は前から気になっていたのですが、同盟もサイオキシン麻薬は流通していましたが帝国の方が流通量は多い様に思えます。帝国には他にも貴族絡みの工場があるのでは?」

 

「その事は、以前から司法関係者の間で言われている事です。しかし、貴族相手では踏み込めないのが現状なのです」

 

「それと、軍部も縄張り意識があり手が出せないと」

 

 ハンスの言葉にラングの表情が一瞬だけ固まる。

 

「局長、そんな表情をしなくても大丈夫です。私は亡命者で軍とのしがらみも少ないですし、姉はサイオキシン麻薬を憎んでいますから人選としては正解だと思います」

 

 ラングの狙いは軍部に自分の味方を増やす事であった。そして、白羽の矢が立ったのがハンスである。

 ハンスは全てを承知して言外にラングに協力すると言っているのである。

 

「恐ろしい程の見識ですな。しかし、少佐が味方になってくれるのは心強い!」

 

「まあ、自分程度では微力ですけどね」

 

「謙遜する必要はありません。現に少佐の活躍で麻薬組織の工場を一つ潰せました」

 

「まあ、今回のは偶然ですがサイオキシン麻薬は軍内部でも深刻なので捜査をしてますけど、成果は出てないみたいです」

 

「ええ、我々の見解では、一つの組織ではなく複数の組織が軍内部に入り込んでいると見ています」

 

「麻薬組織同士の繋がりは無いのでしょうか?」

 

「恐らくは無いと思われますな」

 

「軍内部の流通もですがオーディンに持ち込まれる麻薬の流通経路は軍だけとは思えないのですが?」

 

「流通経路ですか?」

 

「はい。自分が同盟に居た時に地球教という宗教が在りましたが帝国にも在りましたので驚いたのですが考えてみれば宗教なら銀河系中に流通経路を持っていても不思議ではありません」

 

「なるほど、宗教ですか」

 

「歴史的に見て宗教と麻薬は密接な関係がありますからね。流石に上から下まで全員が麻薬を扱っているとは思いませんが知らないうちに運び屋にされてる場合もあるでしょう」

 

 ハンスの言葉は嘘ではなく、古代より宗教儀式に薬物が使われる事は多く特にアヘンは医薬品としても使われていた。

 

「地球教でしたな。調べてみる価値はありそうですな」

 

「まあ、かなり内部に入り込まないと難しいでしょうけど」

 

「その辺は我々はプロですから任せて下さい」

 

「では、自分は軍内部の麻薬組織に注意を払いましょう」

 

「あまり無理をする必要はありませんから、まずは自分の身の安全に念頭に置いて下さい。決してフロイラインを悲しませないで下さい」

 

「はい。自分も戦場で後ろから撃たれたくありませんから」

 

 ハンスは以前から対処に困っていた地球教に帝国司法の目を向けさせる事に、まんまと成功させた。

 

(まあ、結果が出る迄に数年は掛かるだろうけど、疑惑の種は蒔いた。今は治安維持局の目を向けさせる事に成功した事に満足するべきだろうな)

 

 ハンスとラングは密談も終わり大急ぎで風呂を出る事にした。話が長引き流石に湯に浸かるのは限界を迎えていたからである。

 

「駄目だ。こりゃ!」

 

 ラングが帰った後にソファーで全裸で酒に酔った猫の様に寝そべる弟をレターセットの便箋で扇ぎながらの姉の一言である。

 

「湯に浸かりながら長話をするからよ。バスタブから出ても話は出来るでしょうに!」

 

「面目ありません。もう厄介事は有りませんから明日からは姉上様の命令に服従しますから」

 

「明日からじゃなく今日からよ!」

 

「はい」

 

 こうしてハンスは残りの休暇を姉孝行に使う事になる。

 

 



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料理人ハンス

 

 一般に家庭の数だけ家族の形があると言われている。

 しかし、来年には16歳になる弟と一緒に入浴してベッドも共にするのは倫理的に問題があるのではないか。

 そう思いながらもヘッダには言えないハンスであった。

 

「あのね。弟とは言え羞恥心は無いの?」

 

「無い!」

 

「……」

 

 朝から一緒に入浴しながら、きっぱりと断言されてしまい絶句するしかないハンスである。

 

「貴方が成人するまでは全て一緒のつもりよ」

 

「はあ……」

 

「途中で結婚して夫婦になっても良いと思っているわよ」

 

「……結婚ね」

 

 逆行前の人生では結婚もせずに人生を終わらせたハンスであったが結婚して不幸になった人を多く見てきたので結婚には憧れより恐怖が先立つ。

 

(まあ、連中は先の事を考えない無責任な連中だったからなあ)

 

 結婚して不幸になった人達の顔を思い出した。

 本人は無能なのに妻の実家の縁故で出世して法令違反を犯して逮捕され会社を倒産させた上司。

 

(あの人も周囲が違法行為だからと止めたけどね。結婚せずにいたら出世もせずに法令違反を犯さずに逮捕されなかったのに確か逮捕後に離婚されて出所後はどうなったんだろ?)

 

 離婚した後に財産の半分以上を慰謝料と養育費に取られて実家から勘当された嘗ての同僚も思い出した。

 

(あの人も実家の威光で出世したが勘当されてからは悲惨だったよなあ。他社に転職したが実家から勘当された事を密告されてクビになって結局は詐欺で逮捕されたんだよなあ)

 

 唯一、幸せになった人もいたが妻の実家が資産家で妻の実家の会社で働き従業員からは腫れ物扱いされ家では妻に頭が上がらずに家庭内では一切の決定権が無い人もいた。

 

(まあ、一応は役員扱いで妻の実家に家も建ててもらい子宝に恵まれたけどなあ。妻の姑からは金持ちと結婚して往生際が悪いとか言われてたからなあ。何か不満を言っていたんだろうなあ)

 

「私と結婚するのは嫌?」

 

 ヘッダの言葉に現実の世界に引き戻されたハンスであった。

 

「嫌と言うよりは自信が無いなあ。姉さんを支える事が出来るとは思えんよ。弟として甘えてばかりだもん」

 

 これはハンスの本音である。相手は「帝国一の若手女優」で年数が過ぎれば「若手」が取れて「帝国一の女優」になるのは間違いない。もしかしたら「帝国」から「宇宙」に変わる可能性のある女性である。

 

「本当に男って、下らない事に拘るのね。貴方は自分の価値を判ってないわ!」

 

「まあ、男性と女性では価値観とか美的感覚が違いますからね。同盟にいた時に可愛い女の子を紹介してあげると同僚の女の子に言われたけど可愛いかった試しがなかったけどね」

 

 これにはヘッダも苦笑するしかなかった。

 

「まあ、貴方は色んな意味で有望株なんだけどね」

 

「いつ戦死するか分からん軍人とか有望株とは思えんけどね」

 

「もう、直ぐに職業とかを考えるんだから!」

 

「取り敢えずは有望株の価値としては朝食は期待して貰ってもいいけどね」

 

「貴方、本当に軍人に向いてないわね。コックが天職よ」

 

「最初は軍務省の士官食堂の下働きを狙っていたんだけどなあ。何処をどうを間違えたのか」

 

「まあ、十代で少佐さんだからね。軍人さんの才能があったんでしょうけど……」

 

(それはカンニングの結果なんだけどね)

 

 実際に口に出したのは別の事だった。

 

「まあ、平和になれば最初にリストラされるけどね」

 

「そうなれば、私専属のボディーガード兼付き人として雇ってあげるわ」

 

「その時は頼みます」

 

 結局、二人は前日と同じく朝風呂を堪能した後に港に朝食を摂りに出掛ける。

 

「今日は準備してきたから期待してね」

 

「何を準備してきたかは知らないけど楽しみね。私も今日は準備してきたからね」

 

 ハンスは港に着くなり生きた魚を買うと持参してきたナイフで魚を捌き始めた。

 器用に魚を捌き、一口サイズに切り塩とレモン汁を掛けてヘッダに勧める。

 

「新鮮な白身魚なら生でも塩とレモン汁だけで十分に美味しいけど、帝国人は生魚を食べる習慣が無いからなあ」

 

「まあ、帝国では生魚はあまり食べないけど……」

 

 ヘッダも幼少の頃に帝国に亡命しているので生魚には抵抗があるのだが、取り敢えずハンスに勧められて一切れだけ食べてみる。

 

「あら、美味しい!ビールが欲しくなるわね」

 

 ハンスは残った魚の皮や鱗に内臓も調理してきた。

 皮はお湯を掛けて前日の魚の串焼きの串に刺して炙る。内臓は水道で丁寧に洗い屋台のサラダの具にする。鱗は屋台のフライヤーを借りて揚げて塩を降る。頭の部分は真ん中から半分に切りお湯を掛けて洗った後に串焼きにする。

 

「貴方、本当に軍人を辞めてコックになった方が社会に貢献が出来るわよ」

 

「平和になったら、コックになる予定だけどね」

 

 ヘッダが呆れたのは今日の調理で使った器具は前日の魚の串焼きの串にホテルの使い捨ての歯ブラシに来る時に利用した宇宙船の機内食の使い捨てのフォークである。

 

「貴方の同盟での生活が簡単に想像が出来たわ」

 

「そんな事より、まずは食べてみてよ」

 

 ハンスにフライヤーやコンロを貸した屋台の店主達も味見をしている。

 

「この商売を長年しているが、こんな魚の食べ方もあったんだな!」

 

「坊や。今日の分の代金はサービスするからレシピを教えてくれないか?」

 

「いいですよ。簡単ですから」

 

 ハンスは屋台の店主達を相手に即席の料理教室を始めだした。

 

(美味しいわね。軍人を辞めてコックになるなら店くらいは持たしてあげるのに)

 

 別にヘッダだけの話ではないが家族が戦乱の時代の軍人など歓迎する人はいないだろう。

 

(ドルニエ侯の娘も頭痛の種だけど、軍隊にいる事も頭痛の種よね)

 

 気が付けば料理は完食してビールは飲み干していた。新しいビールを買いに行こうとしたらハンスが声を掛けてきた。

 

「朝からビールのお代わりしたら駄目だよ。代わりに新しい料理だよ」

 

 ハンスが目の前にスープパスタを差し出してきた。

 

「あれ、さっきとは違う料理じゃない」

 

「同じ作るなら違う料理じゃないと芸が無いだろ」

 

 弟の器用さに感心しながらもフォークを手にする。

 

「パスタだけどパスタじゃない!」

 

「魚をミンチにして練り上げて作ったパスタだよ。スープは魚の中骨と骨の間の肉で作っているよ」

 

「これも、美味しいわ!」

 

「先に言っておくけど、オーディンじゃ作れないからね。新鮮な魚が前提の料理だから」

 

「それは残念ね」

 

 パスタを食べた後は二人は授業料の代わりに昨日と同様に屋台の食べ物を食べ歩いた。

 

「明日が楽しみね。屋台のおじさん達の新しい料理が食べれるかも」

 

 ヘッダの言葉にハンスが笑いながら返答する。

 

「流石に今日、明日では無理だよ」

 

「それなら、帰る日の朝の楽しみにしましょう」

 

 二人は朝食を食べた後は食後の運動を兼ねて海岸を散歩する。

 

「ヴィーンゴールヴの海岸、散歩するハンス、ヘッダの二人連れ」

 

 いきなりハンスが歌を唄い出す。完全な呆れ顔のヘッダにハンスも弁明する。

 

「分かる人には分かるギャグだよ」

 

「……何それ?」

 

 多分、読者にも分かる人が少ないギャグにヘッダも困惑する。

 

「それより、磯がある。何かいるかも」

 

 二人は磯に上がり小さな蟹を見つけては捕まえて遊ぶ。

 

「われ、泣きぬれて蟹とたわむる」

 

「今度は何?」

 

「昔の高名な詩人の詩の一節だよ」

 

(変な知識や学があったりするわ。この子、本当に15歳かしら?)

 

 内心とは別にヘッダも両手の鋏を上げて威嚇する蟹を指先で突っついて遊んでいる。

 

「逃げずに向かってくるとは勇ましいわね」

 

 ヘッダが蟹に夢中になっているとハンスが磯の岩を見てナイフで何か始めている。

 

「何をしてるの?」

 

「ペレセベス(亀の手)がいたから取っている。帝国人はペレセベスを食べないのかな?」

 

「それ、食べれるの?」

 

「珍味だよ。美味しいよ!」

 

 ハンスがナイフで取っている間にヘッダが探し回り、小一時間程でレジ袋二枚分を集めた。

 

「仕方ないけど、ホテルのレストランに持ち込むか」

 

「レストランで料理してくれるかしら?」

 

「駄目なら、鍋だけを借りても自分で調理するさ。それが駄目なら方法は他にもあるよ」

 

 ヘッダは他の方法が気になったが精神衛生のために聞かない事にした。

 

「善は急げと言うからホテルに帰ろ」

 

 ハンスの心配は杞憂であった。シェフはペレセベスの事を知っていた。

 

「帝国でも海の多い星では食べますがオーディンや貴族の方は食べませんね。見た目が見た目ですから」

 

「勿体ない。美味しいのに」

 

「で、全部、塩茹にしますか?」

 

「一袋分は塩茹にして残りの半分はシェフにお任せします。残りの半分はお弟子さん達の教材にして下さい」

 

「ご配慮有り難うございます。この星では滅多にない機会ですので良い経験を積ませる事が出来ます」

 

 ハンスの傍らでシェフとハンスの会話を聞いていたヘッダが初めて口を開いた。

 

「本当に食べれるんだ!」

 

「オーディン育ちのフロイラインが知らないのは無理もありません」

 

 ヘッダは口には出さないが内心は本当に美味しいのか疑っていた。

 

(本当に美味しいなら貴族も食べると思うけど、大丈夫かしら)

 

 ヘッダの懸念は見事に外れた。結果としてペレセベスは美味であった。

 

「あら、本当に美味しいわね。蟹や海老などの甲殻類とも違う味で貝とも違うわ」

 

「食べた殻の中の汁が美味しいスープなんだよ」

 

 ハンスに言われてヘッダも殻の中の汁を飲むと凝縮した旨味が口内に拡がる。

 

「ほんの少しの量なのに凄く美味しいわ!」

 

 塩茹でしたペレセベスを食べた後は塩茹でした汁で作ったシチューが出された。

 

「塩茹でした汁に野菜を入れただけなのに、こんなに素晴らしい味のシチューが出来るなんて!」

 

 最後は焼いたペレセベスが出された。

 

「塩茹でより、味が凝縮されて美味しいわ!」

 

「まあ、焼くとシチューが楽しめなくなるけどね」

 

「ねえ、ハンス」

 

「何、姉さん?」

 

「結婚して!」

 

「えっ!」

 

「私と結婚して毎日料理だけして頂戴!」

 

「あんたは、弟を専用のコックにして飼い殺すつもりか!」

 

「なら、私と結婚しなくてもいいから私の専属シェフになって!」

 

 ハンスも怒るより呆れている。

 

「同じ事でしょ」

 

 しかし、その夜には蟹を取りに港まで出掛けるハンスであった。ヴィーンゴールヴの豊かな食材に料理人志望の血が騒ぎ料理を楽しんでいた。

 翌日からハンスはホテルから一歩も出ずに食事もルームサービスですませる事にした。四六時中、ヘッダから抱きつかれたり隙を見てはキスされたりと姉馬鹿ぶりを発揮される事になるが、これも姉孝行だと思い姉の好きにさせる事にした。

 

(まあ、この程度なら良いか。確か、今日あたりキルヒアイス中佐は麻薬組織の襲撃を受けてるもんな)

 

 後世、クロイツナハⅢでキルヒアイスが麻薬捜査に協力した事実は有名であったが詳細は不詳のままであった。

 

(今回の件と合わせてキルヒアイス中佐に詳しい話が聞けるな)

 

 塩茹でされた蟹と格闘中の姉を眺めながらハンスは初めての旅行を楽しんでいた。

 



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覆土

 

 旅行から帰ってきたハンスは多忙であった。年明けの出征の準備とヴィーンゴールヴでの後処理とキルヒアイスにクロイツナⅢでの事件の聞き取りにラングとの打ち合わせである。

 

「卿は私の情報武官なのだから、麻薬捜査まで協力する必要はないのだぞ」

 

 見かねたラインハルトが言ってくれたが、地球教摘発の為にはハンスの協力は必要であるのだ。ハンスは本当の理由を言うわけにはいかず口では別の事を言う。

 

「しかし、帝国の麻薬汚染は同盟より深刻です。特に死の恐怖から麻薬に走る兵士も少なくありません。軍の秩序維持の為にも、今が千載一遇のチャンスですから」

 

「そうか、だが無理はするなよ」

 

 ラインハルトは心配しながらもハンスの行動を許可してくれた。

 ハンスにしたら少しでも早い段階で地球教を叩きたいのが本音である。

 

(連中を放置したら犠牲者の数が半端ないからな)

 

 軍務省も軍の麻薬組織摘発には力を入れているが軍高官も関わっていて捜査は難航している。先日もバーゼル退役中将が逮捕されている。現役時代から麻薬密売を行いアルレスハイムの惨敗を引き起こしているのだ。軍務省としても看過が出来ない事態なのだ。

 

(困ったもんだ。サイオキシン麻薬と言えば地球教の代名詞だったが調べれば地球教以外の組織も暗躍しているな)

 

 調査の結果、バーゼル退役中将の麻薬組織とヴィーンゴールヴの麻薬組織とは違う麻薬組織である事は判明している。

 

(これだけ麻薬組織が乱立していれば嘗て帝国と同盟が摘発の為に秘密裏に手を結んだのも理解が出来る。残念なのは当時の資料が無い事だな)

 

 この時のハンスの思考は完全に麻薬組織撲滅に傾いていて、来年の出征の事は念頭になかった。

 軍高官と門閥貴族が逮捕されて、軍務省、内務省、司法省と各省が帝国の麻薬汚染に深刻さを意識している現時点で省庁の垣根を越えた対策が取れるチャンスだと思っているからである。

 

(やっぱり、役人らしく上申書でも出すべきかね)

 

 ハンスは机に向かい手書きで書類を書き始めた。

 

 翌日、ハンスは書き上げた書類を持ってキルヒアイスの元に訪れた。

 

「それで、これを私に添削しろと……」

 

 キルヒアイスは書類を一読して書類を手にハンスに問い掛けた。

 

「はい。誠に申し訳ありませんが宰相閣下に提出する上申書としては自分の文章力には限界がありまして」

 

「分かりました。引き受けましょう。但し条件があります」

 

「条件とは?」

 

「私も連名させてもらう事が条件です」

 

 キルヒアイスもハンスに賛同してくれると言外に言っているのである。

 

「これは、絶対条件です。それとミューゼル閣下にも連名してもらいます」

 

 この言葉にはハンスも驚いた。キルヒアイスが厄介事にラインハルトを巻き込むとは思わなかったからである。

 

「宜しいので?」

 

「逆に二人の連名だけで提出したら後でミューゼル閣下に怒られます」

 

「はあ」

 

「それと提案があります。軍部だけではなく内務省のラング局長にも連名して頂くと宜しいでしょう」

 

「はい。ラング局長も麻薬組織撲滅には意欲的ですから添削して貰った書類を一読して貰うつもりでした」

 

「そうですか。では、明日の朝一番に書類をお渡しします」

 

「有難う御座います!」

 

 この時、ハンスもキルヒアイスも、この上申書が帝国三長官や司法尚書や内務尚書まで巻き込んだ大事になるとは思っていなかった。

 

 翌日、書類を持って内務省を訪れたハンスはラングに会う事が出来なかった。ラングは朝から司法省の会議に出席中であり内務省に戻るのは夕方になると顔見知りの職員から告げられた。

 

「宜しければ此方で書類をお預かりしますが、どうされますか?」

 

「では、お願いします」

 

 ハンスも顔見知りの職員という事で安心して預けたのだが、翌日にはラインハルト、キルヒアイス、ハンスと三長官に呼びつけられる事になる。

 

(ハンスは今度は何をやらかした?)

 

 ラインハルトとキルヒアイスの二人の脳裡には同じ疑問が浮かんだ。

 しかし、今回の被告はラインハルトであった。

 

「ミューゼル大将に聞くが、この上申書の連名の署名は卿で間違いないな?」

 

 軍務尚書のエーレンベルグが前日にハンスが内務省職員に渡した上申書の連名の署名を指して詰問する。

 

「はい。小官の署名に間違いありませんが何か間違いが有りましたか?」

 

 ラインハルトにしては上申書の件で呼び出された事は理解したが言葉通りに何が問題かは分からなかった。

 ラインハルトの様子を見て、ミュッケンベルガーが呆れた口調で理由を説明する。

 

「この上申書の発起人はオノ少佐となっていて卿とキルヒアイス中佐が連名しているが、内容が内容だけに卿らと内務省の局長だけで上申して良い内容ではないのだ」

 

 ミュッケンベルガーの言葉にハンスの顔が一瞬だが硬直する。

 

「これ、ミュッケンベルガー元帥。そんな言い方だと若い者が怯えるではないか!」

 

 統帥本部総長のシュタインホフがミュッケンベルガーを窘めて詳細に説明を始める。

 

「今回のオノ少佐の上申は素晴らしいのだが素晴らし過ぎるのが問題になったのだ」

 

 シュタインホフの言葉で三人の顔に理解の色が加わる。

 

(要は、たかが少佐の手柄を元帥や尚書が横取りするつもりか)

 

 ラインハルトとキルヒアイスは怒りより呆れながら三長官を眺めていた。

 ハンスは三長官に問い掛けた。

 

「では、三長官方も賛同して頂けるのでしょうか?」

 

 ハンスの問い掛けに三長官を代表してエーレンベルグが返事する。 

 

「勿論だとも、我らだけでなく内務尚書に司法尚書も賛同している」

 

「では、発起人の名を小官ではなく軍務尚書閣下に変えて頂けるでしょうか」

 

 ハンスの申し出に流石のエーレンベルグも慌てる。

 

「待て、それでは卿の功績を私が横取りするのと同様ではないか!」

 

「いいえ。これには理由が有ります。一つには、たかが、少佐の上申で騒ぎになると銀河帝国の鼎の軽重を問われるでしょう」

 

 ハンスに冷静に言われると皮肉なのか判別が難しいらしく三長官も激昂する事なく

渋い表情をするだけである。

 

「それと二つ目は私的な深刻な理由です。私には姉がいますが姉は帝国では有名人ですので麻薬組織からの報復の標的にされる可能性が有ります」

 

 ハンスに言われて全員が思い出したがハンスの姉は義理とは言え帝国一の女優である。

 

「あっ!」

 

 その場にいたハンス以外の口から異口同音の声が出る。

 

「そうか。卿の姉は女優だったなあ」

 

「それも、あのヘッダ・フォン・ヘームストラだぞ」

 

「確かに卿の姉なら報復の心配があるな」

 

「これは困りましたね」

 

「ああ、確かに私も迂闊だった」

 

 ミュッケンベルガー、シュタインホフ、エーレンベルグ、キルヒアイス、ラインハルトの順にヘッダを心配する声をだす。

 

(流石に全員が心配するとは全員が姉の隠れファンか?)

 

 ハンス以外の全員が一気に深刻な表情になるので発言したハンスの方が戸惑う。

 

「なんだ?その顔だと卿は自分の姉の事を知らんのか?」

 

 ハンスの正面の位置にいたエーレンベルグがハンスの表情を見て問い掛けてきた。

 

(えっ!確かに父親が同盟で麻薬捜査官だったが一般的には秘密の筈なんだが)

 

 返事をしないハンスを見てエーレンベルグだけではなく、その場の全員が納得した顔になる。

 

「え!全員で何ですか?」

 

 ハンスの表情と態度にハンス以外の人間達の間で目だけの会話が行われた結果、エーレンベルグが事情を説明する。

 

「その卿の姉には実弟がいた事は卿も知っているな」

 

「はい。小官と同い年の弟を亡くしている事は承知してます」

 

「その弟御の死因は卿は知っているか?」

 

「いいえ、知りません。姉は実弟の話は私の前では一切しません。姉の知人友人も実弟の話は私の前では一切しません」

 

「然もあらん。実弟の死因はなサイオキシン麻薬なのだ」

 

 ハンスの顔が一瞬で険しくなるが、エーレンベルグは更に話を続ける。

 

「サイオキシン麻薬の禁断症状が出た中毒患者の暴走車が歩道に乗り上げて通学中の生徒数人が……」

 

 流石にエーレンベルグもハンスの顔色が青くなるのを見て話を止める。

 

「当時、帝国全土を震撼させた事件なので記憶している人も多い筈」

 

 シュタインホフが取り成す様に付け加える。事実、未成年者が犠牲になり、その中に有名人の家族もいたので帝国全土に報道されてラインハルトやキルヒアイスも知っていた。

 

「事情は了解しました」

 

 ハンスの声も生気が無い。

 

「取り敢えず卿の主張は理解した。発起人の名義は私に差し替えておこう」

 

 エーレンベルグが了承して、そのまま散会となった。

 

 ハンス達が退出した後で残った三長官が上申書を前に困惑してた。

 エーレンベルグが上申書の内容に感心しながらも沈痛な声で口を開く。

 

「しかし、実現すれば麻薬組織撲滅に成果を出す事は間違いなく、複数の意味で被害者の救済になる案だが、発起人が不幸になるとは皮肉な事だな」

 

 シュタインホフが受けて答える。

 

「しかし、この様な発想は我らには無かった」

 

 シュタインホフの言葉を今度はミュッケンベルガーが受ける。

 

「省庁や官民等のあらゆる垣根を取り外して超法規的組織とは常人なら考えつくが構成員がサイオキシン麻薬の被害者遺族のみとは帝国人には思いつく筈がない」

 

 シュタインホフがミュッケンベルガーの言葉尻を捉えて疑問を口にする。

 

「我ら帝国人には思いつかないとは?」

 

「うむ。恐らくは叛徒どもの陸戦部隊の薔薇の騎士の真似であろう」

 

 エーレンベルグとシュタインホフの耳にも薔薇の騎士の噂は届いている。

 

「なるほど、確かに我ら帝国人には思いつかぬ事だな」

 

 シュタインホフが納得する。

 

「しかし、オノ少佐の才幹は恐ろしいものがあるな」

 

 エーレンベルグの言葉にシュタインホフとミュッケンベルガーも同意せざるを得なかった。

 ハンスは知らぬ間に帝国の上層部に評価をされる事になる。

 皮肉な事にハンス自身には迷惑な話であった。

 

 

 



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永遠の夜の中で

 

 年明けと同時にラインハルトはローエングラム家を継ぎ階級も上級大将に昇進した。ハンスもラインハルトのお零れでミューゼル家を継ぎ中佐に昇進をした。

 

 ハンスは新年の休暇中、姉のヘッダが新年興行の為に劇場へ泊まり込んでいる隙にマリーと連日の様にデートしている。

 今までなら出征前は夜も眠らずに考え事をしていた弟が昇進とミューゼル家の家名を継いだ事に浮かれている様にヘッダには見えた。

 ハンスとマリーがヘッダの舞台を観劇に来た時に二人を楽屋に呼びつけて叱ったのだがハンスは一向に堪えた様子も無い。

 流石にマリーもハンスを嗜めたが「大丈夫。今度の出征は楽勝だから!」と笑うばかりである。

 ハンスにして見れば同盟軍が兵力分散の愚を犯してラインハルトの好餌となる未来を知っているのだから新年休暇を余裕を持って楽しむのは当然の話である。

 

 帝国歴796年一月初頭、新年休暇が終わるのと同時にハンスはラインハルトの情報武官として出征の途に就く事になる。

 

「あんな調子で無事に帰って来れるのかしら」

 

 ヘッダとマリーの心配を他所に笑顔でブリュンヒルトに乗り込むハンスであった。

 

「卿の姉君達が随分と心配していた様だが、卿は余裕の様子だな」

 

 ラインハルトが呆れ気味にハンスに問い掛けた。

 

「そりゃ、新年早々の勝ち戦ですから」

 

「ほう、卿は私の事を買い被っている様だな」

 

「買い被るもなにも事実ですから、閣下が勝てぬ相手など叛徒の提督ではビュコック提督くらいですから」

 

「卿は私ではビュコックとやらに勝てないと思うのか?」

 

「はい。ビュコック提督は閣下と戦って勝てないと思えば負ける前に逃げますから」

 

「確かに勝負がつく前に逃げられては私でも勝てぬな」

 

「それに、今度の相手は順番で言えばパエッタ、ムーア、パストーレあたりの派閥人事で艦隊司令官になった連中が出て来るでしょう」

 

 ラインハルトの表情と声は変わらぬまま目の光だけが変わる。

 

「ほう。卿は既に敵の司令官も予測しているのか?」

 

「まあ、国防委員長としたら前回のレグニッツァでの名誉挽回の為に子分のパエッタの起用は確実だと思います。パエッタを総司令にするにはお友達の司令官のパストーレと後輩のムーアくらいが妥当でしょう」

 

 ハンスの説明を聞いて同盟の人事に呆れながらも納得するラインハルトであった。

 

「所詮、同盟も帝国も神経が麻痺しているんですよ。戦争を個人の出世や保身の道具にしてやがる。実際に死地に立つ兵士の命の重さも考えてない」

 

 吐き捨てるハンスの言葉にはラインハルトも応える。

 

「私も卿の言葉を忘れずに肝に銘じておこう」

 

「閣下なら、この馬鹿らしい戦いを終わらしてくれますね」

 

「ああ、終わらせるさ」

 

 この瞬間、ラインハルトはハンスの真の目的を知ったと確信した。

 だから、ハンスの言葉に応えたが、これはラインハルトの完全な過大評価である。

 ハンスの真の目的は人並みの暮らしと余裕のある年金生活である。

 天体望遠鏡が顕微鏡のミクロの世界を見れない様に天才のラインハルトにはハンスの小市民的な感覚は理解出来ない。

 

「取り敢えず、今回はイゼルローン要塞まで行かぬと話にならん」 

 

「はい。しかし、まだ敵の情報は入って来ていません」

 

 ハンスが無為の日々を送っていたのも戦略目標も無いまま敵と戦う事が目的の出征では敵の情報が無いと作戦も立て様が無いからである。

 

「前回もイゼルローン要塞に到着してから敵は動き出したな」

 

「まあ、オーディンよりハイネセンの方がイゼルローンに近いですから」

 

「情報武官殿は敵が動くまで仕事も無く優雅で羨ましい御身分ですな」

 

「はい。有難い事に給料泥棒が出来ます!」

 

 ハンスの返事にラインハルトも失笑してしまった。

 

「卿の面の皮がイゼルローン要塞の防壁並みに厚い事を失念していた。叛徒共の苦労が分かった気がする」

 

 ラインハルトから同情された同盟軍では既に帝国軍の侵攻と戦力の情報をフェザーン経由で知るところとなっていた。

 急遽、国防委員長トリューニヒトの指示で第二艦隊、第四艦隊、第六艦隊の三個艦隊投入が決定した。

 帝国軍に対して二倍の戦力であるが、本来は三倍の戦力を出す様にヤンから助言をされていたのだが第三次、第四次のティアマト会戦にて戦力を消耗した為に二倍の戦力を出すのが限界であった。

 投入する艦隊については、第三次ティアマト会戦にて戦場に到着する前に勝敗が決してしまったパストーレとムーアの両提督にも戦場に出る機会を与えなければならない事情もあった。

 こうして同盟側には同盟側の事情があり投入する戦力はトリューニヒトの裁量で決定したのだが、呆れる事に戦力分散になる作戦案を誰が提出して誰が採用したのか経緯が全くの不明のままで三方向からの分進合撃が決定したのだ。

 こうして同盟軍が投入戦力と作戦が決定した時に帝国軍はイゼルローン要塞に到着して最終的な補給を受けていた。

 

「閣下、フェザーン経由からの情報ですが敵は総司令にパエッタ、副将にパストーレ、ムーアの三個艦隊となり総数四万隻で既にハイネセンを出発したそうです。ミューゼル中佐の予測通りです」

 

「キルヒアイス。そのハンスを呼ぶ時にミューゼル姓で呼ぶのは、少なくとも俺の前では止めてくれ」

 

 艦橋でキルヒアイスと二人だけという事もありラインハルトはキルヒアイスの報告に的外れな苦情をつける。

 

「了解しました」

 

 返事するキルヒアイスの声には笑いの成分が混入している。ラインハルトは忌々しく思いながらも本題を口にする。

 

「今回もハンスの予測通りだな。決戦場所は?」

 

「それも、ハンス中佐の予測通りにアスターテとなると思われます」

 

「ハンスの情報だと三人に共通するのは部下の進言を受け入れない狭量な人物らしい」

 

「それは、当方では願ったり叶ったりですね」

 

「だからと言って、ハンスの緊張感の無さも問題だと思うのだが……」

 

 ラインハルトが珍しい事に頭を抱えている。ハンスは帰国後に麻薬摘発の上申書の件で軍務尚書から直々に休暇と特別賞与を貰う約束をしていた。

 どうやら、帰国後に姉と旅行に行く計画しているらしくハンスのデスクには旅行のガイドブックが数冊に兵士や士官に色々とアンケートを取っている。

 

「まあ、お陰様で兵士達も敵が倍の戦力でも怯えずに士気も下がる心配はありません」

 

 キルヒアイスも苦笑混じりにラインハルトを慰める。

 

「だから、ハンスの緊張感の無さを叱れずにいるんだ!」

 

「そこまで、計算しての行動かもしれませんね」

 

 キルヒアイス自身も疑わしいと思いながらハンスを擁護する。

 

「ハンスの真意は別にして兵士の士気が下がらないのは助かるが敵の司令官連中も俺と同じ苦労をしているのか?」

 

 ラインハルトが部下の教育に頭を痛めている頃、同盟軍の司令官達も部下に手を焼いていた。

 

「閣下、敵が積極的な姿勢なら自軍が包囲されたと考えずに各個撃破の好機と捉えるでしょう。その時に最初に狙われるのは正面の我が艦隊です。進軍の速度を落とし様子をみるべきです。」

 

 第四艦隊の司令官パストーレは参謀のアナン准将の諫言に「自分には権限が無い。貴官は統合作戦本部に掛け合うべきだ!」と相手にしなかった。

 第六艦隊ではラップが諫言していたが階級が低い事とムーア自身もパエッタに対して含む所があった。レグニッツァで大敗したパエッタが総司令なのが不満なのだ。ここでラップの進言を容れればパエッタに含む所がある為と思われるので相手にしなかった。

 第二艦隊ではヤンがパエッタに諫言していたがパエッタは日頃のヤンの怠惰ぶりを知っていた為にヤンの諫言を退けていた。

 後世、生き残った人々の証言を分析した歴史家達の見解では、当時の同盟軍には有能な人材が多数いたのだが派閥人事の結果、彼らが必要な地位に居なかった事が悲劇の引き金になったと結論している。

 そして、司令官と部下の見解の違いは帝国軍内部にも起きていた。

 

 集まった提督を代表してシュターデンが説明する。

 

「先程、フェザーンからの情報では敵は三方向から我が軍の倍の戦力で我が軍を包囲殲滅を企図してます。我が軍は圧倒的に不利な体制に置かれています。ここは名誉ある撤退を為さるべきだと愚考する次第です」

 

 集まった提督達もシュータデンの意見に無言で賛意を示している。

 

「撤退など思いもよらぬ。敵の総数が我が軍の倍であれ一方向の敵は我が軍より少数である。更に我が軍は敵の中央の位置にあり敵が合流する前に敵を捉える事が出来る。即ち、我が軍は敵より戦力の集中と起動性に圧倒的に優位であり各個撃破の好機である」

 

「そんな、閣下。机上の空論ですぞ!」

 

「もう良い。議論は無用だ。卿らは指揮官である私に服従する義務がある。それを拒否するなら軍規に照らして処分するだけの話だ!」

 

 完全な正論である。シュータデンらがラインハルトの作戦案に不満でも服従するしかない。

 ラインハルトに対して不満だらけのシュターデン一行を見送った後にラインハルトはハンスを呼んだ。

 

「お呼びだそうですが、敵の動向は変わらず三方向から我が軍を包囲殲滅せんとしてます」

 

 艦橋に呼ばれたハンスは情報武官として報告をする。

 

「うむ。そこで、卿の見解を聞きたい?」

 

「まあ、同盟軍の連携が取れていたら各個撃破も出来ずに袋叩きにされますが、パエッタとパストーレは仲が良いですがパエッタとムーアは仲が良くありません」

 

「ほう。それは初耳だな」

 

「お互いに大人ですから公務に支障が出ない様にしてますが、総司令のパエッタが中央ではなくムーアと反対方向にいるのも不仲の証拠です」

 

「布陣に影響しているなら公務に支障が出ているぞ」

 

 ラインハルトの尤もな指摘もハンスは無視して話を進める。

 

「各個撃破をするなら接着剤役のパストーレを撃破してムーア、パエッタの順が良いでしょう」

 

「中央の敵を撃破するのは理解が出来るが残りの敵を撃破する順序の意味は?」

 

「パエッタを先に撃破すればムーアは幸いと思いパエッタを見捨てて逃げるでしょう。逆の場合はパエッタは総司令としての立場から逃げる事が出来ずにムーアを助けに来ます。基本的にパエッタは真面目ですから」

 

 ラインハルトはハンスには撤退の有無を聞くつもりでいたが、ハンスは自分と同じ考えを持ち、更に新しい情報も提供してくれた。

 

「では、卿の進言を容れるとするか」

 

「閣下も人が悪い。最初から小官の意見と関係なく各個撃破するつもりだったでしょう。先程、シュターデン提督が顔を真っ赤にしていましたよ」

 

「卿も敵の司令官の不仲を黙っていたではないか」

 

「まあ、お互いに無用な血が流れなければ良いと思っただけです」

 

「卿は優しいな」

 

 ハンスの言葉にラインハルトの表情と声も緩くなる。パストーレとパエッタを叩けばムーアは戦わずに逃げる。そうなれば第六艦隊の兵士は無傷で生きてハイネセンに帰れる。帝国軍も三回の戦いが二回になり一回分の犠牲者が減るのである。

 

「しかし、卿の思いとは別に叩ける時に敵は叩く」

 

 こうして、アスターテ会戦の基本戦略は定まった。戦史上に残るラインハルトの各個撃破が始まるまで、残す時間は二十四時間を切っていた。

 




ハンスの役職については「情報参謀」ではと、ご指摘が有りましたがは「参謀」ではありません。
ハンスの仕事は情報を収拾と分析だけの「情報武官」です。
ラインハルトがハンスに作戦案に質問する場面がありますが、ラインハルトが個人的に意見を聞いているだけです。


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アスターテ会戦

 

 パストーレは艦橋でパニックになっていた。

 

 (何故、敵は此方に向かって来る?)

 

 パストーレは本音では戦う気がなかったのだ。二倍の戦力で三方向から包囲すれば敵は戦わずに撤退していく。

 友人のパエッタの名誉も回復して味方の血が流れない安全な出征の筈だった。

 

(何故、敵は撤退しない?)

 

 パストーレは無能な人間では無いが油断が混乱を招き、混乱が指示の遅れに繋がり致命傷となった。

 

「正面、エネルギー波、多数!」

 

「迎撃しろ。総力戦だ!スパルタニアンを出撃させろ!」

 

「駄目です。敵、戦闘艇が味方の空母を急襲!」

 

 パストーレの指示の遅さが第四艦隊の傷口を拡大させていくのを見て、怒りに体を震わせていたのは同盟軍だけではなかった。

 

「遅い!後背から攻撃された訳でもないのに、対処が遅すぎる。油断するにも程がある!」

 

 ハンスはブリュンヒルトの艦橋で第四艦隊の醜態を観戦していた。

 

「敵の兵士達には気の毒だが、これも戦いだ」

 

 ラインハルトがハンスの肩に手を置き諭す。

 

「悲しい事ですが、これも戦争です」

 

 キルヒアイスもハンスを諭す。

 

「理解はしてますが、司令官の戦死は自業自得です。でも、巻き添えになる兵士が哀れです」

 

 逆行前の人生では無能な上官の指揮で片手片足を失ったハンスには第四艦隊の兵士達に同情してしまう。

 それと同時に無能な上官には怒りを覚えてしまう。

 

「敵、旗艦の撃沈を確認!」

 

 オペレーターからの報告が艦橋だけではなく敵と味方の全部隊に駆け抜ける。

 司令部が壊滅した第四艦隊は正に醜態であった。その場に踏み止まり反撃する部隊もあれば敵前回頭して逃亡する部隊もある。

 開戦から二時間後には第四艦隊は組織的抵抗は無くなり壊滅した。

 

「掃討戦をする暇は無い。次の戦場に移動する」

 

 メルカッツの報告を受け掃討戦の有無を聞かれたラインハルトは手短に告げる。

 横でキルヒアイスが移動時間を使い兵士達の休憩を無言で提案する。

 

「そうだな。兵士達には休憩が必要だな」

 

「敵の第六艦隊まで四時間の時間がありますので一時間半ずつ二交代で」

 

 二人の間では打ち合わせもせずに既に目標が決まっていた。

 

 上司と部下の連携が取れている軍隊が存在すれば、逆に連携が取れてない軍隊も存在する。

 

「何度も申し上げましたが、既に第四艦隊は壊滅したと推測されます。今は至急に第六艦隊と合流して戦力の統合をするべきです」

 

 第四艦隊と通信が途絶してから三度目の諫言する。

 

「第四艦隊も簡単に、やられるとは思えん。パストーレは百戦錬磨の提督だ。それにパストーレは私の友人でもある」

 

「私も第六艦隊に友人がいます。ですが……」

 

 ヤンは最後まで言い切れなかった。パエッタにはパエッタなりの葛藤がある事が分かったからだ。

 ヤンもパエッタの立場でラップを見捨てる自信がない。それに上司に諫言するのは三度までとヤンは父に教えられていた。

 

(ラップなら上司の説得に成功するかもしれない)

 

 ヤンの淡い期待は最悪の形で裏切られる事になる。

 

「四時半の方向から敵襲!」

 

 第六艦隊艦橋でオペレーターの報告と表現するより叫びが艦橋内に充満する。

 

「応戦せよ!」

 

 ムーアの指示にラップが異議を唱える。

 

「駄目です。今は前進して少しでも戦力を残して第二艦隊と合流するべきです」

 

「俺は卑怯者になれん!」

 

 ラップが更に何か言い募ろうとした時に艦橋内が爆発した。主砲が直撃したのだ。

 燃え盛る艦橋内で血達磨になりながらラップは最後の力を振り絞りポケットからポートレイトを取り出す。

 ポートレイトを開くと婚約者のジェシカの笑顔が映し出される。

 

「ジェシカ、ここで消える俺を許してくれ」

 

 ラップが息を引き取った三十秒後に旗艦は爆発四散した。

 

「敵、旗艦の撃沈を確認!」

 

 ブリュンヒルトの艦橋内にオペレーターの声が響きわたる。

 

「脆いな」

 

 ラインハルトは特に感情を込める事もなく呟く。

 既に第六艦隊は背後から心臓を槍で貫かれて、その槍を捻り回されてる状態であった。

 

(あの艦隊の旗艦にはジェシカ・エドワーズ議員の婚約者が乗り込んでいたが、歴史は変えられないか)

 

 ハンスは遺されたジェシカの事を思う。この後、ジェシカは反戦運動に身を投じてクーデター騒動の時に同じ同盟人から撲殺されるのである。

 

(救いがないな。せめて不必要な流血は避けないと)

 

 ハンスはジェシカの身の上を考えながら戦術コンピューターに何かを打ち込み始めた。

 

 抵抗らしい抵抗も無く第六艦隊は第四艦隊の半分の時間で壊滅した。

 二個艦隊を壊滅した帝国軍の士気は最高潮に達していた。

 

「まだ敵は残っている。最後まで油断をするな。油断した軍隊の末路は卿達は見知ったばかりであろう」

 

 ラインハルトの訓戒に全将兵が納得した。倍の戦力を持ちながら油断により壊滅させられた軍隊を見たばかりである。

 

 しかし、既に油断を捨てた第二艦隊には悲壮感が漂っていた。

 友軍とは通信途絶したまま孤立しているのである。まして自軍の戦力は敵より少ないのである。

 第二艦隊旗艦の艦橋内では上司がいない場所で兵士が会話する。

 

「司令官はどうするつもりだ?」

 

「そんな事は司令官に面と向かって聞けよ!」

 

「聞けたら聞いてる。エル・ファシルの英雄の助言を散々に無視した後だからなあ。本人も罰が悪いだろう」

 

「まあな。面子を捨てて敵が来る前に撤退を決断してくれんもんかね」

 

 艦橋にいた乗組員はヤンとパエッタの会話を聞いていたのでヤンが撤退を具申するのを期待していたが既に遅かった。

 

「二時方向に敵襲!数、およそ二万隻!」

 

 オペレーターの声と警報が鳴り響く艦橋内で全乗組員が負けを確信した。

 ほぼ無傷の艦隊に数の不利と先手を取られた。勝利の要素がない。後は生き残りをかけての戦いになった。

 

「右舷回頭、スパルタニアンを出せ!」

 

 パエッタも無能ではない。最低限の指示は出した。

 

「少しはやるが反応が遅い。所詮は……」

 

 ラインハルトもパエッタの対処を認めるが戦う前に既に決着はついていた。

 最初の一撃で第二艦隊の先頭部隊は壊滅していた。

 これから態勢を立て直しても数の差を覆せない。

 第二艦隊が回頭して帝国軍に向き直った瞬間に第二の主砲三連斉射が待ち構えていた。

 

「流石に味方の二個艦隊が壊滅した後ですから油断はしていませんね」

 

 キルヒアイスが第二艦隊の抵抗に関心した。

 

「三度目の正直と言う言葉もあるが、それも時間の問題だな」

 

 ラインハルトも油断した訳ではないが自分達の勝利を確信した。

 

「私は次席幕僚のヤン・ウェンリー准将だ。司令官が負傷の為、私が指揮を引き継ぐ。大丈夫だ。負けない算段はしてある。新たな指示があるまで、其々、各個撃破に専念してくれ」

 

 ヤンが敵味方全軍に聞こえる様に見栄を切る。

 

「大言壮語する奴だな。この期に及んで負けないとは」

 

 ラインハルトは第四次ティアマト会戦以来、ヤンを警戒していたが、流石にヤンの言葉は虚勢に思えた。

 

「味方の士気を上げる為か、それとも何か策があるのか?」

 

 キルヒアイスがヤンの大言壮語の裏を考える。

 

「策が有っても実行する暇を与えなければ良いだけだな」

 

「ラインハルト様、あの手を使いますか?」

 

「どう思う。キルヒアイスは?」

 

「おやりなさい。私もラインハルト様と同意見です」

 

 それまで艦橋で通信オペレーターと話をしていたハンスが二人の様子を見て指揮座まで走って来た。

 

「駄目です。中央突破をする気でしょうが敵の罠です」

 

 ハンスの勢いに驚きながらもラインハルトは諭す様にハンスを説得する。

 

「大丈夫だ。敵に罠を仕掛ける暇を与えない為の中央突破するのだ」

 

「しかし、閣下!」

 

 ハンスがラインハルトと話をしている間にキルヒアイスが紡錘陣形を全軍に指示する。見事なコンビネーションである。

 

「分かりました。でも、敵の罠と分かった時は戦術コンピューターのRXー78回路を開いて下さい」

 

 二人のコンビネーションにやられた事を理解したハンスは予め用意していた策を使う。

 

「分かった。分かった」

 

 ラインハルトはハンスを片手で制して紡錘陣形を形成した全艦に突撃を命令を下す。

 

「敵、微速ながら後退」

 

 オペレーターの報告にラインハルトは満足の笑みを浮かべる。

 

「ハンスの懸念も杞憂だったな」

 

 ラインハルトがハンスを見るとハンスの顔は緊張したままスクリーンを凝視している。

 ハンスに釣られてラインハルトもスクリーンを凝視するうちに疑惑が起こり疑惑が確信となった時には同盟軍が分断されようとしていた。

 

「キルヒアイス。してやられた!」

 

「閣下!」

 

 ハンスの声に応えて全艦に戦術コンピューターのRXー78回路を開く様に命令する。

 

「敵、我が軍の側面を高速で移動しています!」

 

 ラインハルトが命令した直後にオペレーターが驚きを含んだ報告する。

 

「中央突破戦法を逆手に取られた!」

 

 ヤンは中央突破されたと見せ掛けて帝国軍の後背を取る事に成功した。

 しかし、毎回の様にカンニングで先の展開を知るハンスは対応策を用意していた。

 

(上手く行けよ。この日この時の艦隊運動だけの為にロイエンタールとミッターマイヤーから酒の肴を授業料に艦隊運用を勉強したんだ)

 

 ハンスの渾身の艦隊運動は同盟のフィッシャーが見ても及第点を貰えるレベルであった。

 中央突破した帝国軍の前半分の艦隊が左右の二時と十時の方向に別れて前進して後半分の艦隊も前半分の艦隊が居なくなった空間を高速で前進しながら左右の一時と十一時の方向に移動する。

 ヤンが帝国軍の後背で艦隊を再集結した時には帝国軍は不完全ながら縦深陣を完成させていた。

 

「なんてこったい。折角、帝国軍の尻尾に火を着けてやろうと思ったのに」

 

 ヤンは艦隊を集結したまま高速で後退を始めた。縦深陣のまま帝国軍が追撃が出来ない事を見越して逃げたと思わせる為である。

 

「追撃なさいますか?」

 

 キルヒアイスの質問にラインハルトは首を横にふる。

 

「止めておこう。既に勝利を手にしたのだ無用の流血は避けよう」

 

「ご立派です。ラインハルト様」

 

「それより、キルヒアイス。ヤン・ウェンリーに俺の名で電文を送ってくれ」

 

「どの様な文章ですか?」

 

「そうだな。貴官の勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ」

 

「分かりました」

 

「それと、キルヒアイス」

 

 電文を送る為に、その場を離れ掛けたキルヒアイスにラインハルトが声を掛ける。

 

「他にも何か?」

 

「悪いがアレを自室まで運んでやってくれ」

 

 ラインハルトの横に居た時は見えなかったが、ラインハルトの視線の先には艦橋の柱を背に両足を投げ出して眠るハンスがいた。

 

「了解しました」

 

 キルヒアイスは苦笑を隠しきれないでいた。

 

 勝利した帝国軍の幕僚は居眠りする事が許されたが、敗軍の幕僚であるヤンには居眠りする贅沢はなかった。

 帝国軍が戦場から去るのと同時に戦場に戻り負傷した味方を回収して後方に送らなければならない。

 第四艦隊と第六艦隊の生き残りも回収しなければならない。

 

(しかし、私が考えた千日手より帝国軍の策の方が互いの犠牲者が遥に少なかった。もしかしたら、私は歴史的名将の誕生に立ち会ったのかもしれない)

 

 ヤンの予測は外れていた。ラインハルトはヤンの罠に嵌まり、互いの犠牲者を減らす事に成功したのはハンスである。

 ヤンがハンスの存在を知るには、まだ幾何かの時間が必要であった。

 



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酒宴にて

 

 ハンスの旅行計画は簡単に水泡に帰した。凱旋と同時に大佐に昇進となり、大佐研修の為に研修所に合宿する事になったからである。

 

「大佐研修は将官になる事を前提としているので、今までになくハードな研修になるのだが、ハンスには是非とも頑張って欲しいものだ!」

 

 ラインハルトがハンスの研修嫌いを知っていて楽しげに言う。

 

「ラインハルト様も、お人が悪い」

 

 キルヒアイスも大人気ない親友に呆れながらラインハルトの心情を理解していた。

 ラインハルトは自分が元帥府開設に忙しいので自分だけが忙しいのは不公平だと思っているらしい。

 

(完全な八つ当たりだな)

 

 しかし、ラインハルトが八つ当たりしたくなる気持ちもキルヒアイスには理解は出来た。

 ラインハルトは元帥昇進と同時に元帥府を開設しただけではなく、私生活も忙しかったのである。

 幼年学校を卒業してからリンベルク・シュトラーゼの未亡人姉妹の家で下宿生活をしていたが、流石にミュッケンベルガーから説教されたのである。

 

「卿は元帥になっても下宿生活をするつもりとは、何を考えている!」

 

「その、私が下宿生活をしていて、何か不都合があるのでしょうか?」

 

 ラインハルトは自分が説教される理由が理解不能な様子にミュッケンベルガーも呆れた。

 

「元帥になるとテロの危険があり、周囲を巻き込む事もある。部下も卿に遠慮して余裕のある生活がおくれまい。それに体裁もある」

 

「成る程、そういうものですか」

 

 素直に納得するラインハルトの反応に本気で頭を抱えたくなるミュッケンベルガーであった。

 ミュッケンベルガーはラインハルトの才幹を高く評価していたがラインハルトの浮世離れした感覚には唖然とするしかなかった。

 

 この会話の事を後でラインハルトに聞いたキルヒアイスは、ミュッケンベルガーに対して感謝と同情の念を禁じ得なかった。

 

「しかし、良い屋敷ではありませんか」

 

 ラインハルトが購入した屋敷は、以前は引退貴族が住んでいたシュワルツェンの館と呼ばれる屋敷であり帝国元帥が住むには体裁も悪くなく防犯上の立地も良く購入したのだがロイエンタールなどは値段を聞いて掘り出し物だと驚いていた。 

 

「当然だ。姉上をお迎えする事とテロ等の事も考えて苦労して探したんだ。誰かさんが将官研修で忙しかったからな」

 

 アスターテ会戦の功績で准将に昇進した自分の所まで火の粉が飛びそうになり、キルヒアイスも露骨に話題を変えた。

 

「研修と言えば、ハンス大佐は、前にも話をした通りに独自のチームを持たせますか?」

 

 ラインハルトもキルヒアイスの意図を察したが真面目な話なのでキルヒアイスの質問に応える。

 

「うむ。ハンスは部下も上司も持ちたがらないが部下だけでも持たせる必要があると思うんだが、キルヒアイスはどう思う?」

 

「そうですね。私もハンス大佐の才幹には上司は邪魔になると思います。お目付け役で一人は年輩の部下が必要でしょう」

 

「キルヒアイスも俺と同意見か。後はハンスの要望に応える形にしてやろうと思っている」

 

「その形が宜しいかと思います」

 

 ラインハルトとキルヒアイスの過大評価でハンスの役職が決まった頃、ハンスは研修から解放されて研修仲間と街の居酒屋で研修終了の慰労会に参加していた。

 

「しかし、卿も若いのに大変な出世だな」

 

 一番の年長者が最年少のハンスを見て声を掛けてきた。

 

「まあ、自分の場合は運が良いだけです」

 

「運も実力の内さ。現に俺の士官学校時代の首席だった友人は初陣で戦死したからな」 

 

「そりゃ、運が無い。そうなる前に私も軍を辞めたいですね」

 

「卿に辞められると軍も困るだろ?」

 

「そんな事は無いですよ」

 

 ハンスの言葉に対してハンスの頭の上から聞き覚えのある声が降ってきた。

 

「そんな事はあるぞ!」

 

 ハンス達が反射的に声の主に視線を向けるとロイエンタールが立っていた。

 

「ロイエンタール提督!?」

 

「俺も居るぞ」

 

 ロイエンタールの背後からミッターマイヤーも顔を出す。

 

 その場に居た大佐全員で慌てて起立して敬礼する。

 

「すまぬがミューゼル大佐を借りて行くぞ」

 

 ロイエンタールとミッターマイヤーはハンスを連れて店を出る。ついでに慰労会の払いもロイエンタールが済ませる。

 

「有り難う御座います!」

 

 取り敢えずロイエンタールに礼を言うハンスにミッターマイヤーが声を掛ける。

 

「ロイエンタールに礼を言う必要は無いぞ。ハンス。卿達の酒宴の邪魔をしたのだから当然だ」

 

 そのまま、三人はタクシーでロイエンタールの屋敷まで行き。改めて酒宴を始める。

 

「その固い事を言うわけではないが一応は卿は未成年なのだから軍服を来ての飲酒は外では控えるように」

 

 ミッターマイヤーがハンスのグラスにワインを注ぎながら注意する。

 

「はい。分かりました」

 

「おい、ミッターマイヤー。人の目が無いからと言って、あまり飲ませ過ぎるなよ」

 

 ロイエンタールが意外に真面目な事を言う。

 

「卿の本音は分かっているぞ。俺が止めるのも聞かずにハンスを連れ出した癖に」

 

 ミッターマイヤーにしたら親友がハンスを自宅に呼び込めば料理の一つでも作るのではと期待していて自宅に招いた事もハンスが料理を作れば後で家人に作らせようと目論んでいる事も丸分かりなのだ。

 ハンスにしたらロイエンタールがハンスを連れ出した事も不思議だがロイエンタールがミッターマイヤー以上に固い事を言うのも不思議なのである。

 

「真面目な話だが、卿は本当に軍を辞めたいのか?」

 

 ロイエンタールは形勢が不利と思ったらしく真面目な話をハンスにする。

 

「はい。軍人になったのも元は親を格安で入院させる為でしたので、本当は歴史学を学んで学者とは言いませんが教師にでもと思っていましたから」

 

 ハンスの話を聞いてロイエンタールが慌て気味に問う。

 

「卿は料理人志望で夢は自分の店を持つ事ではなかったか?」

 

「私は貧乏人の子なので大学進学などは学費の問題で夢のまた夢でしたから。料理人なら只でなれますし、自分の店を持つのは簡単ですから」

 

 ミッターマイヤーが初歩的な質問をする。

 

「俺は料理の世界は素人だが、店を持つ事が簡単とは思えんのだが?」

 

「そりゃ簡単ですよ。屋台でも自分の店には違い有りませんから。大きな店とか他人を雇うのは面倒で嫌です」

 

 ハンスの話を聞いていてミッターマイヤーは納得していたが、目の端に親友が落ち込んでいくのが見えた。

 ミッターマイヤーはロイエンタールがハンスの料理に惚れ込んでいて将来的には自分が出資してハンスに店を持たせる事を計画していた事を知っていた。

 

「おや、ロイエンタールどうした?」

 

 確かにハンスの料理は珍しく旨いのだが自分と違い裕福な家庭のロイエンタールがハンスの料理に惚れ込んでいるのが面白くて仕方ない。ましては親友が珍しく打算とも言えない打算で動いて失敗したのだからから面白さは倍増する。

 

「卿が、そこまで意地が悪いとは知らなかったぞ。ミッターマイヤー!」

 

 ハンスには二人の会話の意味が分からずに頭に「?」マークが浮かんでいる。

 

「ミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督は如何なさったんですか?」

 

「卿が気にする必要はない。勝手に転けて拗ねてるだけだ」

 

「それなら良いのですが」

 

 ハンスにしたらロイエンタールもラインハルトと同じ部類の人間で容姿端麗の金持ちが不幸になるのは「一向に構わん」のである。

 

「まあ。どちらにしても今日、明日の話では無いです。同盟の幹部が入れ替われば私もお役御免になるでしょう」

 

 ミッターマイヤーがハンスの意見に同意しながら軍隊の人事の入れ替りのサイクルを話しだす。

 

「それなら、早くて五年、遅くとも十年で人が入れ替われるからな。十年後なら卿も、まだ若いから料理人として生きて行ける」

 

 それまでに戦死する可能性については三人とも触れないでいた。

 

「それまではハンスには頑張ってもらわんとな。卿の知識は用兵家には貴重だ。敵将の為人が分かれば敵の策を読みやすい」

 

「しかし、今の同盟でビュコック、ウランフ、ボロディン、ホーウッド、クブルスリー程度しか警戒するべき提督は居ませんよ」

 

 ロイエンタールとミッターマイヤーの目の色が変わる。

 

「ましてや、クブルスリー提督の第一艦隊は帝国で言えば親衛艦隊ですから戦場に出る事は無いですからね」

 

「その下の提督候補もヤン、ルグランジュ、アッテンボロー、モートン、カールセン程度でしょう」

 

「ヤンという名前には聞き覚えがある。確か第四次ティアマト会戦の時に当時のミューゼル大将を人質にした男だな」

 

 ロイエンタールがハンスに確認する。

 

「そうです。付け加えるなら八年前か九年前のエル・ファシルの英雄です」

 

「あの時の奴か!士官学校を卒業したばかりの頃で良く覚えている」

 

 ミッターマイヤーが感嘆の声を出した。

 

「多分、帝国の最大の敵となるでしょうね。ローエングラム閣下も警戒している怪物です。出来るだけ戦いたくない相手です」

 

 ハンスの言葉にロイエンタールとミッターマイヤーは同時に同じ事を思った。

 

(先の会戦で、その男を手玉に取ったお前が言う台詞か!)

 

 ハンスはロイエンタールとミッターマイヤーにヤンを警戒させる目的で話をしたのだが、結果として二人から過大評価される事になった。

 ハンス自身の平穏無事な生活を望む気持ちと反比例して軍を辞められぬ障害を増やしている。それも自身の迂闊さが原因の自業自得である。

 

(まあ、カストロプ動乱やイゼルローン要塞陥落など起きるが自分には関係ない。同盟の帝国領侵攻作戦までは安穏とした生活が送れるな。久しぶりにアンネローゼ様を訪ねるか)

 

 ハンスは給料泥棒と謗られる事を考えていたが運命はハンスに天罰とも言える事件を用意していた。

 

 



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誘拐 前編

 

 ハンスはラインハルトと久しぶりに大喧嘩をした。

 今回の原因はハンスに部下を持たせる事の是非である。

 ハンスにして見れば自分の様な若僧に親より祖父と言える年代の部下を持たせる事に不快感があった。

 まして、部下を持ち一部署を任せられては軍を辞められなくなる。この件に関しては断固として拒絶した。

 一方、ラインハルトにしてみればハンスの才幹を最大限発揮させられる環境を用意した自負があり、それを拒絶された不快感がある。

 結局はキルヒアイスにロイエンタールにミッターマイヤー、更にメックリンガーまでが間に入り、二人を宥める事になった。

 

「正直な話。あれほど、ミューゼル大佐が嫌がると思いませんでした」

 

 疲れきった声でキルヒアイスが述懐する。

 

「別に卿だけの責任ではない」

 

「そうだ。卿が気に病む必要はない」

 

 ロイエンタールとミッターマイヤーも疲れきった声でキルヒアイスを慰める。

 結局は最年長のメックリンガーの提案で形式上はハンスが責任者となり実際はラインハルトが推挙した人物が取り仕切る形になった。

 

「しかし、年の功とは言えメックリンガーには感謝するべきだな」

 

 ロイエンタールの意見にキルヒアイスとミッターマイヤーも同意する。

 メックリンガーはラインハルトが推挙した人物をハンスが高く評価しており一つの部署を任せるなら自分より相応しいと言った事を形にしてみせ、ラインハルトに対してはハンスが行動をする時に件の部署が全面的にバックアップする事でハンスの才幹を発揮させられると説得した。

 

「しかし、ハンスがそんなに高く評価する程の優秀な人材なのか?」

 

 ロイエンタールが尤もな疑問をキルヒアイスにする。

 

「はい。数年後には退役する人物で大尉になったばかりの人です。今回はミューゼル大佐の部下という事で中佐に昇進させての抜擢でしたが、まさかの事態でした」

 

「俗に言う老大尉と言うが、確かに本来は将官になっていても不思議ではない人材もいるからな」

 

 ミッターマイヤーの言葉にロイエンタールが無言で頷いた時にメックリンガーが戻って来た。

 

「流石に疲れた。あの二人は頑固な所が良く似てる」

 

 常々、キルヒアイスも思っているが口にしない事を遠慮なくメックリンガーが口にする。

 

「メックリンガー提督にも迷惑を掛けてしまいました」

 

 キルヒアイスの謝罪にメックリンガーは手を振り無言で謝罪は無用と伝え口では別の事を伝える。

 

「伯と大佐が卿を呼んでる。大佐は明日から休暇なので今日中に全てを決めたいと言っている」

 

「分かりました」

 

 キルヒアイスがメックリンガーと入れ替りに出て行く。

 

「しかし、あの二人と付き合うキルヒアイス准将も苦労が絶えぬ」

 

 メックリンガーの言葉にロイエンタールとミッターマイヤーも同意して他人事と思い苦笑するが、さほど遠くない未来に他人事ではなくなるのである。

 

 翌朝、ミッターマイヤーが出勤すると憔悴した顔のラインハルトとキルヒアイスがいた。

 二人の顔色を見てミッターマイヤーが片手を掲げて包みを見せる。

 

「どうやら、無駄にならなかったみたいですな」

 

「卿の配慮に感謝する」

 

「有難う御座います。ミッターマイヤー提督」

 

 ミッターマイヤーはラインハルトとキルヒアイスが徹夜していると思い通勤中に独身者相手の屋台で朝食を買ってきていた。

 三人で朝食を済ませて食後のコーヒーを飲んでいたら、ラインハルトのデスクの抽斗の非常用回線電話が鳴る。

 ラインハルトが素早く電話に出るのと同時にキルヒアイスがデスクの上の内線電話で逆探知を依頼する。

 

「元帥執務室非常回線!」

 

「ハンスか!何事か?」

 

 ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に緊張が走る。

 

「一度、使ってみたかった。卿は何を考えてる?」

 

 ミッターマイヤーとキルヒアイスが精神的によろめいてしまった。

 

「金額は?」

 

 ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に困惑が浮かぶ。

 

「警察には?」

 

 ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に再び緊張が走る。

 

「分かった。場所は?」

 

 ラインハルトがデスクのメモ用紙にメモを始める。

 

「うむ。宜しい。丸腰なら仕方ない」

 

 ラインハルトが電話を切るとキルヒアイスが逆探知の結果を書いたメモ用紙をラインハルトに見せる。

 

「ご苦労だったが場所は分かっている。ハンスが朝食を摂りに街を歩いていたら、ひったくりの現場に遭遇したらしく犯人は逃がしたが荷物は取り返して被害者に返そうと現場に戻ったら、被害者の姿はなく、何時の間にか怪しい男がハンスを尾行しているそうだ。荷物はスポーツバッグで正確には分からんが五十万帝国マルク程度の現金が入っているそうだ」

 

 金額を聞いてミッターマイヤーとキルヒアイスも驚いた。士官学校を卒業した少尉の年俸の約二倍の金額である。

 

「そして、ハンスは現在は丸腰でファーストフード店に居て待機しているそうだ」

 

「それなら、小官がハンスの所に行きましょう。ハンスの居る店は、元帥府から小官の自宅の延長線になります。軍服ではなく私服で行った方が良いでしょう」

 

 ミッターマイヤーがキルヒアイスが書いたメモ用紙を片手に買って出る。

 

「ここは、ミッターマイヤーに任せた方が良いな。どうやらハンスは犯罪に巻き込まれた様だ。現場でミッターマイヤーの判断で警察に任せても構わん」

 

「了解しました。しかし、ハンスも運が良いのか悪いのか?」

 

 ミッターマイヤーの言葉にラインハルトも皮肉な笑みを浮かべて応える。

 

「日頃の行いが悪いのだろう」

 

 二人の会話を聞いていたキルヒアイスは溜め息ををつきたい衝動を抑えるのに苦労していた。

 

 ラインハルトから日頃の行いが悪いと評されたハンスはファーストフードの二階の全面ガラス張りの席で尾行者を逆に監視しながら朝食を摂っていた。

 

(しかし、失敗したなあ。銃も着替える時に家に置いて来てしまった)

 

 ハンスは朝食を済ませると家に帰りシャワーを浴びて夕方まで寝るつもりでいたのでスウェットスーツに財布と緊急の呼び出しの為に携帯端末しか持って居なかった。

 

(銃は別にしてもスウェットスーツは駄目だな。せめてベルトは必要だよな)

 

 ハンスの軍服のベルトはバックルに小型ナイフ、ベルト自体も武器に出来る様に特殊繊維を使っている。

 ハンスは地球教のテロだけでなく同盟人から裏切り者として復讐の対象になるのではと警戒していた。

 

(考え過ぎと言えば考え過ぎなんだが、ヤン・ウェンリーさえテロに倒れてるからな。私服の武装も考えないとな)

 

 ハンスは考え事をしながらも朝食を食べながら尾行者の監視も続けている。

 そして、ハンスが五杯目のコーヒーを飲み始めた時に私服姿のミッターマイヤーが現れた。

 

「卿も楽しそうな人生を送っているな」

 

 ミッターマイヤーはハンスの後ろ席に座り背中合わせで皮肉を言ってきた。

 

「楽しいかは別にして退屈だけしませんね」

 

 ハンスの返事はハンスの心情を過不足なく表現していた。

 

「それで、尾行している男とは、あの灰色の作業服の男か?」

 

「はい。自分が電話を掛ける前から彼処で見張っていますね」

 

「どうやら素人の様だな。もしくはハンスを民間人と思って油断しているのか?」

 

「訓練を受けた人間とも思えませんけどね。それで、これが例の物です」

 

 ハンスがミッターマイヤーの足元にスポーツバッグを足で押しやる。

 

「バッグは普通の市販のバッグだな」

 

ミッターマイヤーも片手でバッグの中を確認する。

 

「確かに五十万帝国マルク以上は有りそうだな」

 

「あまり、ここも長居が出来ませんからね。どうします?」

 

「近くにスーパーマーケットがあったから、そこに逃げ込め。スーパーマーケットは万引き防止に防犯カメラもあるし人の目もある。そこで同じ様なスポーツバッグを用意するから、取り敢えずスーパーマーケットでバッグをすり替えよう」

 

「では、自分が先に出ましょうか?」

 

「そうだな。それが良い。上から作業服以外の人間が卿を尾行してないか確認してから俺も出る」

 

「了解しました」

 

 ハンスが店を出た後でミッターマイヤーは他に怪しい人間が居ないか確認してから店を出た。

 

 ハンスはスーパーマーケットに入ったが作業服の男は入って来なかった。

 

(ヤバいなあ。顔を監視カメラに記録されたくない様な事をするつもりかよ)

 

 店内の品を物色するふりをしながらハンスは店の出入り口を確認していた。

 作業服の男は店の外からハンスを監視しているようだ。

 

(店内に居る間は安心かな)

 

 十分後にミッターマイヤーが大きな紙袋を提げて店内に入ってきた。

 ハンスは店の外からは死角になる場所まで移動するとミッターマイヤーが紙袋からハンスのスポーツバッグと同じバッグを取り出してハンスのスポーツバッグと取り替える。ハンスも気付かないふりをしながら周囲に注意を払う。

 作業が終わった後でミッターマイヤーがスポーツバッグ入りの紙袋を提げて店を出た時に騒ぎが起こった。

 ミッターマイヤーが女性二人から取り押さえられた。

 

「警察よ!窃盗の現行犯で逮捕します!」

 

「ちょっと待て、違うんだ」

 

「言い訳とか見苦しい!」

 

 店内に居たハンスも店の前で騒ぎが起こり何事かと店の出入り口に行く。

 店の外では人垣の出来ていて人垣の中央ではミッターマイヤーが手錠をされてパトカーに乗せられるところだった。

 未来の元帥閣下で現職の中将が逮捕される光景にハンスも呆然となった。

 この瞬間、周囲の人間の意識がミッターマイヤーに向いていてハンスも例外ではなかった。

 ハンスの背後から女性が近付いてハンスの口をハンカチで塞ぎスタンガンでハンスが気絶させられた事に誰も気付かないままであった。

 



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誘拐 中編

 

 キルヒアイスがミッターマイヤーの身元引受人として警察署に赴き、事情を説明してミッターマイヤーは無事に釈放された。問題はハンスである。

 ミッターマイヤーをパトカーに乗せた後で私服警官が被害者であるハンスを探したが見つからないのである。

 取り敢えずミッターマイヤーを署に連行してからバックの中身を確認したら大量の現金が発見された。同時にミッターマイヤーの供述から事情を知りラインハルトの元帥府に確認の連絡を入れてキルヒアイスに身元引受人として警察署に来てもらい互いの情報交換となったのである。

 

「元帥閣下からは誘拐事件となれば警察の領分であり元帥府としては警察主導で全面協力を惜しまないとの事です」

 

「ご協力を感謝します」

 

 この様な経緯でラインハルトの執務室は清掃員姿の刑事と軍人の合同捜査本部となった。

 

「私が捜査責任者のクラウス警部です。今回、元帥閣下には署の者がご迷惑を掛けました」

 

「いや、本来なら最初に卿らに通報するべきだった案件を素人が手を出して複雑にしてしまった。此方こそ謝罪するべき事だ」

 

 ラインハルトが頭を下げた事に警官達は驚いた。まさか、帝国の若き英雄である元帥が警部等の小役人に頭を下げるとは思っていなかったからだ。

 そのまま謝罪合戦に突入する前にキルヒアイスが本筋に話を戻す。

 

「それで、警部。私達は誘拐事件等は専門外の素人です。捜査について説明を願います」

 

「大佐が御自分の携帯端末で此方の非常回線電話に連絡したなら、犯人側も連絡には此方の非常回線電話を使うと思われます。それと、大佐が誘拐された事は出来るだけ限られた人間のみに知らせて下さい」

 

 クラウスの説明と要望にラインハルト達も首肯するしかなかった。

 

「それと、大佐の御家族もお呼び下さい」

 

「了解した」

 

 急遽、姉であるヘッダが呼ばれた。ヘッダが到着すると同時にミッターマイヤーがヘッダに謝罪する場面もあったがヘッダは誘拐される弟がドジと一刀両断にした。

 

(流石はミューゼル大佐の姉だ)

 

 ハンスを知る軍人達は口にしなかったが妙に納得したものである。

 この時点で既にハンスが誘拐されてから4時間が経過していた。

 

「しかし、あの大金は何の金だったのだろうか?」

 

 ミッターマイヤーが事件の元になった現金に対する疑問を呈する。

 

「ミューゼル大佐は麻薬捜査の関係の仕事もしてました。その関係の線は?」

 

 キルヒアイスがミッターマイヤーの疑問に答える形でクラウスに情報を提供する。

 

「いいえ。その線は無いと思われます。現金には銀行の帯封がされてました。麻薬組織が扱う現金なら帯封は無い筈です。既に部下が帯封をしていた銀行に聞き込みに行っています」

 

 クラウスがキルヒアイスの疑問に答え終えた時に非常回線電話が鳴った。

 

「まず、最初は大佐の知り合いの方が出て下さい」

 

 クラウスの指示でロイエンタールが最初に電話を取る。

 

「はい。もしもし」

 

「あっ、マスター。悪いけど姉貴は戻っているかな?」

 

「ハンスか?ちょっと待ってくれ。今、確認してくる」

 

 ロイエンタールが目だけで捜査課長の指示を乞う。捜査課長も目だけでヘッダに指示を出す。

 

「いたぞ。今、代わる」

 

「あっ、姉貴。赤ちゃんは三階に預けたから安心して。それから、今朝、姉貴に渡したバックの中身の半分だけを持って来て欲し」

 

 ハンスが喋りきる前に電話の向こうから打撃音が聴こえた。

 

「てめえ、何、勝手な事を言っているんだ」

 

「何だと、誘拐した泡銭じゃないか!こっちはお前らの顔を見てんだ。口止め料だよ!」

 

 受話器から聴こえるハンスと犯人の会話に一同の顔に緊張が走る。

 ハンスが手にした大金は誘拐事件の身代金であり、ハンスは誘拐犯達に拉致されているのだ。

 

「いいか。よく聞けよ。弟の命が大事ならバックの中身には手をつけずに持って来い!」

 

「わ、分かったわ。何処に持って行けばいいの?」

 

「場所は後で連絡する」

 

「ちょっと、待って!」

 

 ヘッダの呼び掛けを無視して電話が切られる。

 

「逆探知に成功しました。ノイケルン区のMSZ-006です!」

 

 逆探知をしていた若い刑事が興奮気味に報告する。

 

「軍部の方とハインツは、この場で待機して下さい。残りは現場に急行する」

 

 清掃員姿のままの刑事達が執務室を出て行く。最後にクラウスがヘッダに声を掛ける。

 

「大丈夫です。フロイライン・ヘームストラ。弟さんは利口な方です。自分が殺されない様に保険も掛けてました」

 

 捜査課長の言葉にヘッダは安心した様にソファーに座り込んだのを見て部屋を出ようとした時にクラウスの携帯端末が点滅した。

 

「私だ。何、大金の持ち主が判明した」

 

 クラウスに全員が注目する。

 

「昨日、歯科医師が自分の預金から全額を引き出した。名前はホルスト・シューマン、住所はルードウ区SCVー70」

 

 ハインツが素早くメモを取る。

 

「そのままにして様子を見ろ。子供が誘拐されている。そして、犯人の一味が監視している可能性もある。取り敢えず、さりげなく近所の聞き込みをしろ。それと私は逆探知場所に急行する。以後の連絡はハインツにしろ」 

 

 クラウスの矢継ぎ早の適切な指示にラインハルトも目を見張る。

 

(ほう。軍部以外にも人材とは居るものだ。優秀な人間が警部程度に留まるとは勿体ない事だ)

 

 ラインハルトは自分が至尊の座についた時は軍部だけでなく全ての省庁の人事について刷新する事を決めた。

 

 クラウスが電話の応答をしてる間にキルヒアイスが逆探知場所と地図を照合している。

 

「発信場所は工場地帯ですね。それも廃工場の様です」

 

「あの辺りは以前は大手企業の下請けの小さな工場が沢山あった場所だからな。今は廃工場も少なくない」

 

 ロイエンタールが場所について説明をする。

 

「卿は詳しいな」

 

 ミッターマイヤーが親友の意外な知識に驚く。

 

「そうでもない。父親が以前にあの辺りに工場を持っていたんだ。父親が死んだ時に管理が面倒だから売ったのだが、その後で大手企業の粉飾決算が明るみになって倒産した時に下請け企業も連鎖倒産したらしい。未だに役所も管理が行き届かないらしい」

 

「犯罪者がアジトにするには絶好の場所という事か」

 

 ミッターマイヤーとロイエンタールの会話を聞いていたハインツがロイエンタールの話をクラウスに慌てて伝える。

 

「提督、知っている事は、どんな些細な事でも提供して下さい」

 

「いや、すまん。この様な知識も必要とは思わなかった。以後は気を付ける」

 

 ロイエンタールが謝罪した直後に今度はハインツの携帯端末が光る。

 

「はい。ハインツです。えっ、三日前から奥方が子供を公園に連れて来ていない。赤ん坊に日光浴させる事が日課になっていたので赤ん坊が風邪でも引いたかと近所の人も心配している。分かりました。警部に伝えておきます」

 

 ハインツの応答を聞いていた。ハンスを知る軍人に一つの事が確信に変わった。

 一同を代表してキルヒアイスがハインツに話す。

 

「ハインツ刑事、先程のミューゼル大佐の赤ん坊は預けた安心しろと言うのは、あの時点で人質の赤ん坊は無事との意味だと思われます。それと、三階と言う言葉も犯人は三人組との意味だと思われます」

 

 キルヒアイスの意見にハインツも驚嘆するしかなかった。

 

「ミューゼル大佐は私よりも遥かに年下なのに、何処まで機転が利く人なんです。流石は十代で大佐になる人だ」

 

 ハインツがクラウスに報告する前にクラウスからの連絡がラインハルトにきた。

 

「私だが、そうか、既に移動した後だったか。ミューゼル大佐のDNAデータと指紋のデータは直ぐに用意が出来る。分かった。其方にデータを送ろう」

 

 ラインハルトがキルヒアイスに命じてハンスのDNAデータと指紋のデータをクラウスに送らせる。

 その間に先程、ハインツに話した事をクラウスに直接に話をする。

 

 ラインハルトがクラウスとの通信を切った後に全員に報告内容を説明する。

 

「犯人達は既に現場を移動した模様である。現場にあった足跡から犯人は女性を入れての三人組。現場には血痕と牛乳瓶の蓋が落ちていたそうだ」

 

「牛乳瓶の蓋と言うとあの紙で出来ている蓋ですか?」

 

 ロイエンタールがラインハルトに確認を取る。

 

「そうだ。蓋には指紋が一つだけ残っていたらしい。既にクラウス警部が牛乳瓶の蓋について製造元に問い合わせをしている」

 

 ミッターマイヤーが何かを思いついた様でハインツに近寄る。

 

「その、誘拐された歯科医師の近所に牛乳屋は無いか現場の刑事に聞いてみてくれないか?」

 

 ミッターマイヤーの話にラインハルト以外が反応した。

 

「どう言う事だ?ミッターマイヤー」

 

「はい。閣下。私の実家では母がカルシウムを取る為に牛乳屋から牛乳を配達して貰っていたのですが、最近の牛乳は乳児用から老人用まで数種類があるのです。もしかしたら歯科医師も赤ん坊用の牛乳を牛乳屋に配達して貰っていたのかもしれません」

 

 ミッターマイヤーの説明でラインハルトもミッターマイヤーの言わんとする事が分かった。

 

「卿は牛乳の蓋にミューゼル大佐の指紋が出る様なら牛乳屋が犯人とミューゼル大佐が示唆していると言いたいのだな」

 

「はい。閣下。ミューゼル大佐は此方が逆探知している事も承知で血痕を残しているのに指紋付きの蓋も残すのは牛乳屋を疑えとのメッセージだと思われます」

 

 ミッターマイヤーの説明を聞いたラインハルトがクラウスに連絡するがクラウスからの返答は芳しくなかった。

 

「確かに牛乳屋が怪しいですが、それだけでは令状を取る事は出来ません。帝国の何処かで誘拐事件が発生しているのは事実ですが、それがシューマン夫妻の子供との確証も、まだ、ありません。閣下、我々と犯人達の戦いは始まったばかりなのです」

 

 クラウスが言う通り犯人達との戦いは始まったばかりなのである。

 




 今回は長くなりましたので次回はエピローグになります。


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誘拐 後編

 

 ハンスが目覚めた時、目隠しをされて手を後ろ手に結束バンドで拘束された状態で狭い場所に居た。

 水素エンジンの特有の音と体全体に感じる振動で自分が居る場所の見当はついた。

 

(車の荷台の中か!)

 

 体の冷え具合からハンスが廃工場でスタンガンで再び気絶させられてから、さほどの時間は流れてないようだ。

 

(しかし、困ったもんだ。自分一人なら策はあるけど。赤ん坊が人質になっているのは不味いな)

 

 元は民間人を守る事が建前の民主国家の軍人なので自分だけ逃げるという発想が無いハンスであった。

 

(オムツの交換はしていたがミルクは与えているのか?)

 

 逆行前に水商売をしていた時に店の女性従業員の赤ん坊の面倒をみた事があるハンスだったが、その時に得た知識を必死に思い出す。

 

(三ヶ月後からは確か一日に五回のミルクだったけ?)

 

 廃工場では犯人一味の女が飲んでいた牛乳を赤ん坊に与える様に頼んだが断られた。結局は何回も殴られても要求するハンスに犯人側が根負けした。

 

(アジトに着いたら飲ませる約束をしたが本当に与えてくれるのか不安が残る。それに今はラインハルト達を信じるしか手は無い)

 

 ハンスはラインハルト達が全力を尽くす事は信じていた。

 廃工場では犯人一味の車が牛乳配達車なので牛乳瓶の蓋に自分の指紋を残して置いてきた。故意に殴られ血痕も残してきた。逆探知の時間も稼いだ。やれる事は全てやったのだ。

 

(それに、ラインハルト達は気付いてくれるだろう。電話の中で犯人一味の人数と誘拐されたのが赤ん坊の事を暗に示した事を)

 

 ハンスが考え事をしていると車が停車した。

 荷台を開けられて外に出されたが目隠しをされても分かる筈の頬に当たる太陽光の温もりや風を感じない。

 

(屋内か!)

 

「目隠しを取ってくれ!車に酔って気持ちが悪い」

 

「駄目だ」

 

 三人組のリーダー格の男が言う。

 

「本当に赤ん坊にミルクを与えるか信用が出来ない!」

 

「ちゃんと赤ん坊にはミルクは飲ませているよ」

 

 女が応えるが目隠しされている身では分かる筈もない。仕方ないので声が聞こえた方に行くと手の拘束を解いて、女が赤ん坊と哺乳瓶を持たせてくれた。

 

「哺乳瓶にしては感触が柔らかいな」

 

「紙パックの液体ミルクだよ。あんたの姉さんも赤ん坊がいるのに知らないのかい」

 

「そんな高級品は買えんよ。うちは粉ミルクと母乳だよ」

 

(まあ、ひとまず安心した)

 

 ミルクを飲ませた後にゲップもさせて新しいオムツに替えたら再び後ろ手に拘束されて歩かさせられた。

 途中で厚手のビニールのカーテンを潜った。

 

(まさか、この先は……)

 

 ハンスは最悪の予測をしてしまった。

 

「そこで止まれ、そして座れ」

 

 座ったハンスの横に赤ん坊を置く気配がする。

 そして、ハンスの背後で扉が閉まる音がする。それも普通の扉ではなく冷蔵室の扉が閉まる音である。

 

「おい、何だ今の音は!」

 

 分かっていたが返事はなくハンスは顔を床に擦りつけて目隠しを外したが目隠しを外しても真っ暗な闇のままだった。

 その時に冷蔵室のスイッチが入り冷気が流れ始める。

 

(連中め口封じに赤ん坊と一緒に凍死させる気か!)

 

 ハンスは後ろ手に拘束している結束バンドを簡単に引き千切る。研修で得た知識である。そして、手探りで扉まで行く。

 

(押込み棒が無い!)

 

 通常、冷蔵室の扉は中からも開けられる様に扉のロックを外す為の押込み棒があるが、この扉は押込み棒が外されている。

 ハンスは逆行前の世界で食品会社で働いた事があったので冷気漏れ防止のビニールカーテンが顔に当たった時点で予測はしたが逃亡防止の監禁場所だと信じたかった。

 

(俺は別にして赤ん坊まで殺すとは)

 

 ハンスは扉を自力で開けることを断念した。その後、ビニールカーテンを毟り取る。そして、着ていた服をパンツだけ残して脱いで赤ん坊を包むのに使う。

 履いていたスニーカーも脱ぎスニーカーの上に胡座をかいて赤ん坊を抱えた後にビニールカーテンを赤ん坊ごと自分の体に巻き付けて冷気が出来るだけ当たらない様にする。

 

(こりゃ、救出か先か体力が尽きるのが先か。競争になったな。間に合ってくれよ)

 

 ハンスが孤独な持久戦を始めた頃、ラインハルト達も手詰まり状態であった。

 状況証拠は牛乳屋を指しているが令状を取れるだけの証拠が無い。

 牛乳屋には監視を付ける一方で牛乳屋についても調べている。

 

「誘拐事件では殆どの場合が身代金の受け取りの時が逮捕するチャンスです。しかし、犯人達も、その事は承知してますが、今回の犯人達は幸いな事に我々が動いている事に気付いてません。気付いていても身代金を受け取る前に身代金を要求した時に逮捕するチャンスが今回はあるのです」

 

 クラウスがラインハルト達に説明し終わった後にハインツが牛乳屋の身辺調査の結果を発表する。

 

「牛乳屋を営んでいるのはカール・テスマンと妻、ビビアナ・テスマンの夫婦です。去年の暮れに母親が事故死、その二年前に父親が病死しています。三人目の犯人は恐らくビビアナの弟のテオドールだと思われます」

 

「それで店の経営状況は?」

 

 クラウスが部下に質問する。

 

「はい。経営状況は五年前程から悪化していますね。五年前に妻のビビアナが流産してから夫婦仲にヒビが入り夫婦仲は冷え切っていますね。カールが家に帰らなくなり、父親とビビアナが二人で店を回していましたが二年前に父親が病気で急逝するとビビアナが一人で店を回していたそうです」

 

「一人で店を回す状態なら経営状況も悪化するわけか」

 

 女性不信のロイエンタールも流石に声に同情の成分が混入している。

 

「動機は十分ですね。それでテスマン夫婦の監視はどうなっていますか?」

 

 キルヒアイスがテスマン家の家庭事情に話が終始しそうなので話を本題に戻す。

 

「はい。私以外の全員がテスマン夫婦を監視してます」

 

 ハインツがキルヒアイスに応えるとクラウスがラインハルトに要望を出す。

 

「私達はテスマン夫婦と弟に張り付きますから閣下達はテスマン夫婦が身代金の要求をしたのと同時に牛乳屋に踏み込んで頂たい。恐らく牛乳屋に大佐と赤ん坊が監禁されてると思われます」

 

 クラウスの要望は犯人逮捕は自分達が担当して、ラインハルト達の仲間を救いたい気持ちに配慮したものであった。

 

「配慮して貰い痛み入る」

 

 ラインハルトらしく簡潔にクラウスに感謝を表す。

 

「それでフロイライン・ヘームストラは次に電話があった時には出来るだけ引き延ばして下さい」

 

「分かりました」

 

 ヘッダの返事は短い。逆に短い返事がヘッダの胸中を表している。

 

 「それでは全員移動して下さい。既に指揮車をご用意しています」

 

 ラインハルト達が犯人一味の目星を付けて行動を始めた頃、ハンスは赤ん坊を腕に抱えてスクワットをしていた。

 

(いつもは四百回もすれば汗だくになるが寒いと汗も出ないのか!)

 

 それでも体は温まり体温を引き上げる事に成功した。

 

(この手は何度も使えんな。体は温まるが疲労感が大きく眠気が凄い。早く救出に来てくれ。せめて赤ん坊だけでも助けてくれ)

 

 ハンスが声にださずに悲痛な叫びを上げている頃にラインハルト達も時間の経過に苛立ちを覚えていた。

 

「此方が監視を始めて何時間が経つと思っているんだ。連中、その間に赤ん坊の面倒をみるそぶりも見せてない」

 

 クラウスが苛立ちを隠せないでいた。クラウスも子供を育てた経験がある親である。人質の赤ん坊の事が心配なのであろう。

 流石に独身の集団であるラインハルト達には掛ける言葉も無い。

 

「警部さん。素人考えなんですけど。此方から連絡しては駄目でしょうか?」

 

 思わぬ発言をするヘッダに全員の視線が集中する。

 

「しかし、相手が乗ってくれば良いですが惚けられたら人質の命が危険です」

 

「しかし、このままなら弟は別にしても赤ちゃんの命が危険ですよね」

 

 ヘッダの言葉にクラウスも考え込む。

 

「賭けになりますが赤ん坊の健康が心配です。やりましょう」

 

 クラウスは決断すると部下に突入の準備をさせる。

 

「では、フロイライン」

 

 ヘッダが非常回線からリダイヤルする。

リダイヤルして4コールで相手が出た。

 

「あのう。明日は午後から子供の検診があるので荷物を渡すのは午前中で良いですか?」

 

 ヘッダは友達との待ち合わせ時間を変更する様な口調で伝える。

 

「ちょっと待て、一時頃は駄目か?」

 

「一時頃でも場所次第です。病院の近くなら大丈夫です」

 

 ヘッダが犯人の気を引いている間にクラウスが部下に突入の指示を出す。

 

「私達も行きますよ!」

 

 指揮車にヘッダとハインツだけを残してラインハルト達も突入する。ラインハルト達がワンテンポ遅れて突入した時には既に

刑事達が犯人達を取り押さえている。

 

「人質は何処だ!」

 

「何の事だ?」

 

 惚けるカールに向かいラインハルトがブラスターを突き付ける。

 

「貴様が人質にしたハンスは私の大事な弟分だ。素直に喋れば痛い思いをしなくてすむぞ!」

 

 カールはラインハルトの顔を見て、あっさりと降伏した。帝国の若き英雄である元帥に凄まれて逆らえる者は少ない。

 

「冷蔵室だ。赤ん坊と一緒に冷蔵室に入れている」

 

 ミッターマイヤーがカールの言葉を聞くと同時に冷蔵室の扉に飛び付く。

 ロイエンタールとキルヒアイスが赤ん坊を抱えて髪も霜で白く染めたハンスを冷蔵室から引っ張り出す。

 ラインハルトが赤ん坊を抱えてパトカーに走り出す。

 

「キルヒアイス運転を頼む」

 

 ラインハルトが運転の上手いキルヒアイスを指名して呼ぶ。

 

「ハンス!」

 

 キルヒアイスと入れ替りにヘッダが店の中に飛び込んでくる。

 ロイエンタールとミッターマイヤーが凍ったハンスの体を擦っている。

 ヘッダが何処からか持ってきたブランデーを口移しでハンスに飲ませる。

 

「バスタブにお湯が張ってあります」

 

 遅れて来たハインツがバスルームを発見して報告する。

 報告を受けてロイエンタールとミッターマイヤーがバスタブにハンスを放り込む。

 ハインツがシャワーをハンスに浴びせてる間もハンスに口移しでブランデーを飲ませ続ける。

 五分後、ハンスの頬が赤くなり目には光が宿る。

 

「ブランデー無しで、もう一回!」

 

 唇をヘッダに突き出すハンスは二度目の凍死だけは免れたようである。

 後日、命の代償を払う事になるとはハンスは知らない。

 

 



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誘拐  エピローグ


多少、鬱になる内容ですので苦手な方は注意して下さい。


 

 誘拐事件の翌日、ハンスは病院のベッドで唸っていた。

 

(頭がガンガンする。吐き気も酷い)

 

 ベッドの横ではヘッダとマリーが角を突き合わせている。

 

(俺、何か悪い事をしたかな?)

 

 周囲の人間が聞けば「自覚が無いのか?」と言いたくなる事を思っているとラインハルトとキルヒアイスが見舞いに訪れた。

 

「美人に囲まれて羨ましいぞ。ハンス」

 

 病室に入るなり嫌味を言うラインハルトであった。

 

(前は逃げた癖に!)

 

「喜べハンス。警察と軍務省から感謝状と金一封を預かって来ているぞ」

 

 言い終えたラインハルトの肩が震えている。

 

「まあ、名誉の負傷には違いがないが……」

 

 ラインハルトは我慢が出来ずに俯いて笑い出す。

 

「ラインハルト様、笑っては失礼ですよ」

 

 窘めるキルヒアイスの肩も震えている。

 

「そう言うキルヒアイスも笑っているじゃないか」

 

 ハンスはベッドに俯せになり上半身はパジャマだが下半身は下着も着けずに臀部を丸出しである。その丸出しの臀部の上に段ボール箱を被せてから布団を被せているから布団が臀部の部分だけ盛り上がっている。

 原因は冷蔵室で赤ん坊を抱えて床に長時間スニーカーの上とはいえ座っていたので臀部だけが凍傷になってしまったのである。

 ハンスにしたら薬を塗る為とはいえ臀部を若い看護婦に見られた上に触られるのは羞恥心を刺激されるのである。

 更に二日酔いである。体を温める為にヘッダからブランデーを飲まされ風呂に入れられたのだから当然の結果である。

 頭痛と吐き気の波状攻撃でラインハルトに何か言い返す余裕もない。

 そこにマリーとの戦いを一時中断してヘッダが弟の為の援軍となる。

 

「お忙しいのに見舞いに来てもらい感謝に堪えませんわ。お兄様!」

 

 ヘッダのお兄様発言でラインハルトの笑顔も凍りつく。

 

「フロイラインは何を言われるのかな?」

 

「あら、ハンスが弟なら私より年長の閣下にしたら、私は妹になるじゃありませんか!」

 

「そう言えばミューゼル大佐の事を大事な弟分と言ってましたね」

 

 キルヒアイスもヘッダの味方として参戦する。

 

「キ、キルヒアイス!」

 

 ヘッダとキルヒアイス連合にラインハルト。それに好奇心を刺激されたマリーと病室は大騒ぎになる。

 

(こいつら、病室だぞ!)

 

 声に出して文句を言う気力も体力も無いハンスであった。

 この日の騒ぎは婦長から怒られるまで続きハンスが退院する日まで繰り返される事になる。

 そして、退院後、一日だけ自宅療養した後に出仕したハンスを悲報が待っていた。

 出仕したハンスはラインハルトに呼び出されて執務室に入るとラインハルトとクラウスが待っていた。

 お互いに挨拶をした後でラインハルトと共にソファーに座りクラウスから事件の報告を受けた。

 

「昨日、誘拐に関しての取り調べが終わりました。そして、誘拐事件が新しい事件を引き起こしました」

 

「他に余罪があったのか?」

 

 ラインハルトの質問にクラウスは苦い顔をして応える。

 

「余罪と言えば余罪になるかもしれません。カールは自分の子供を誘拐して殺そうとしたのです」

 

「えっ!」

 

 ハンスが思わず声を出してしまった。

 

「つまり、誘拐した赤ん坊は歯科医師の子供ではなく歯科医師の妻と牛乳屋の夫との間の子供だったのか?」

 

「はい。しかし、カールは妻のビビアナの事を愛していたのでしょう。母親が死んだ事を契機にフェザーンで二人でやり直すつもりで狂言誘拐を考えついたのです」

 

「では、歯科医師の妻もグルなのか?」

 

「はい。歯科医師の妻も夫から手切れ金を引き出す為に狂言誘拐に協力しました。歯科医師のシューマンも牛乳屋のビビアナも互いの伴侶の不貞の事を知りませんでした」

 

 

「では、あの日の引っ手繰りは?」

 

「事情を知らないビビアナと弟のテオドールの犯行です」

 

「カールは妻を裏切り愛人も裏切ったのか」

 

「そういう事になります。閣下。これにはビビアナも怒り心頭で拘留中ですが既に離婚手続きを始めています」

 

「妻の立場からすれば当然の事だ」

 

 流石のラインハルトもビビアナには同情していた。

 ハンスはテオドールからバッグを取り返した事を後悔する気持ちが生まれていた。

 ハンスの行動で二組の夫婦が破滅したのだ。

 クラウスの胸ポケットから携帯端末の音が鳴った。

 

「緊急回線の音ですので失礼します」

 

 ラインハルト達の前で携帯端末で話を始めるクラウスの顔は段々と深刻になっていくのを見て、ラインハルトとハンスも心配顔になりだす。

 

「シューマンが妻を殺害して自分も自殺しました。赤ん坊は無事だそうです」

 

 ラインハルトが咄嗟に心配したのはハンスの事である。敵兵にも同情するハンスが二組の夫婦の破滅と二人の死と一人の赤ん坊を不幸にする引き金を結果として引いたのだ。

 

「卿は軍人として人として賞賛される事をしたのだ。卿に罪は無い!」

 

「大丈夫です。閣下。私は閣下が思っている程の善人ではありません。それでは仕事がありますので私は失礼します」

 

 ハンスの言葉はハンス自身の顔が裏切っていた。血の気が引いた顔で言われて誰が信用するであろう。

 

「しかし、卿は……」

 

 心配するラインハルトをクラウスが目で止める。

 ハンスが出て行った扉を見ながらクラウスが止めた理由をラインハルトに説明する。

 

「警官なら多かれ少なかれ経験がありますが一人になるのが一番の薬です」

 

「分かった」

 

 ラインハルトは自分が若僧である事を自覚していた。

 

(帝国元帥と言われても傷心の少年も癒す事が出来ないとは笑止な事だな)

 

「しかし、閣下は良い部下を持たれましたな」

 

「うむ。私の自慢の部下だ!」

 

 ラインハルトがハンスの前では絶対に言わない事であった。

 しかし、ラインハルトは知っていた。ハンスの心は年齢に似合わない程に満身創痍である事に。

 そして、それがハンスの優しさの源泉である事に。

 



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イゼルローン失陥

  

 ハンスは誘拐事件後、ラインハルト達の心配が杞憂の如く、定時出勤の定時帰宅をして、休日が姉と一緒ならば休日を姉と過ごし、姉が仕事ならマリーとデートをする日々を過ごしていた。

 ほぼ惰眠を貪っている様に見えたハンスだが最低限の仕事はしていた様である。

 名目上の責任者であるハンスの元に実質の責任者であるフーバー中佐から重大な報告があると連絡がきた。

 

「中佐、どの様な内容でしょうか?」

 

 ハンスはフーバー中佐に対しては自分の部下ながら常に敬語である。

 フーバー中佐はハンスを補佐する為に抜擢した老齢の士官である。ハンスがラインハルトと大喧嘩してハンスが名目上の責任者になり全権をフーバー中佐に任せる事に落着した経緯がある。

 

「はい。大佐には此方の資料を先に見て頂きます」

 

 差し出された資料には「第十三艦隊訓練計画書」と題されてある。

 

「まさか、本当に入手するとは」

 

「そうです。通常なら入手困難な資料です。意外と簡単に入手が出来ました」

 

「やはり」

 

「大佐の予測通りですな。確かに稀に簡単に入手する事はありますが今回は……」

 

「中佐も同意見ですか?」

 

「私も同意見ですが、しかし、敵も血迷ったとしか思えません」

 

「歴史上、実は珍しい事ではないです。それに、大昔と違い今はコンピューター制御の時代だから中央制御室を取られたら終わりです」

 

 フーバー中佐は勘違いしているがハンスは逆行前の知識でカンニングしているだけである。

 

(しかし、この人は優秀だと思っていたが、ここまで優秀とは思わんかったわ。計画書の補給計画と現地の補給物資の備蓄量から同盟の意図に気付くとは)

 

 逆行前、同盟に居たハンスも第十三艦隊が結成されたのは知っていたが、まさか半個艦隊でイゼルローンを攻略に向かうとは思っていなかった。更に本当に攻略が出来るとも思っていなかった。

 それを目の前の人物は攻略が出来るとは思っていないが攻略に行く事は見抜いたのである。

 

「すぐに元帥閣下に報告します。それと重大時には中佐ご自身で元帥閣下に報告しても構いませんから」

 

「そういう訳にいきません。組織として上司である大佐に判断して貰う必要があります」

 

 この堅苦しい部分がフーバー中佐がラインハルトに見出だされるまで出世しなかった理由であるらしい。

 

「分かりました」

 

「それから、この部屋も本来は大佐の執務室ですので大佐がお使い下さい」

 

 言外に大佐の階級の人間がフラフラ出歩くなと言いたいのだなと解釈したハンスである。

 

「分かりました」

 

 素直に了承する言葉をお互いに信用していない二人であった。この二人、似た者同士である。

 

 ラインハルトはフーバー中佐の報告書を一読してハンスに質問する。

 

「これは卿が指示をして調査した事か?」

 

「はい。今回は腕試しを兼ねて私が指示していますが、実務はフーバー中佐が独自で調査した成果です」

 

 ハンスは自分の手柄で無いのに堂々と自分の手柄の様に自慢気に断言する。

 言外に「ほら、フーバー中佐を責任者にした方が良かっただろ!」と言っている。

 

「ふむ。フーバー中佐の様な優秀な人物を大尉のままとは人材を無駄にしてたな」

 

 言外に「何を言うか。フーバー中佐を発掘したのは自分だぞ!」と返すラインハルトであった。

 

 二人の陰険漫才を傍らで聞いていたキルヒアイスは頭を抱えたくなるのを必死に我慢した。ハンスと知り合ってから何百回目の事であろう。

 

(ミューゼル大佐は別にして、ラインハルト様も大人気ない!)

 

 ハンスは今回は部下からの依頼なので陰険漫才を切り上げて真面目に仕事の話を始めた。

 

「フーバー中佐の意見では計画書と現地の補給物資の備蓄量に矛盾があり、イゼルローン方面の補給物資の備蓄量が多く艦隊運用の専門知識が必要なので、閣下の判断と指示を必要との事です」

 

「このレベルになると私では無理だな。私から長官に報告する。調査員は調査の足跡を消して引き上げさせろ」

 

「了承しました」

 

 フーバー中佐にラインハルトの指示を伝える為に扉に向かうハンスに言葉を掛けた。

 

「その、卿が落ち込んでいると心配していたが大丈夫の様だな」

 

 ハンスはラインハルトに向き直り真剣な表情で口を開いた。

 

「私も故国を裏切り戦場で殺人を生業とする軍人です。元から罪を背負っています。今更の事です。その分、これから先、無駄な血が流れない様にすれば少しは贖罪になると思っています」

 

 ハンスの言葉を聞いてラインハルトとキルヒアイスは自分達と心を同じくする人物であると再確認した。

 

「卿は強いな。自分の罪を自覚して驕る事が無い」

 

「いえ、私も所詮は人間です。結婚して子供でも出来れば変わる事もあるでしょう」

 

 キルヒアイスはハンスを仲間にして良かったと改めて思う。友達の居ないラインハルトの友人であり年齢に似合わない広い見識を持つハンスは貴重な存在だと再確認した。

 

(大佐には悪いが軍を辞めずにラインハルト様の側に居てくれたら私も安心なのだが、軍人ではなく他の形でも良い。大佐にはラインハルト様を支えて欲しいものだ)

 

 キルヒアイスの思いはラインハルトを知る周囲の思いでもある。ハンス退役阻止の包囲網が完成されようとしていた。

 

 三日後に執務室で不機嫌の色に全身を染められたラインハルトがいた。

 

「もう少し機嫌が悪いのを隠す努力をして下さい。若い連中が怯えてます」

 

「卿がキルヒアイスと同じ事を言うとは思わなかったぞ」

 

(キルヒアイス准将も苦労が尽きぬ)

 

「それで何があったのですか?」

 

「相手が半個艦隊と聞いて本気にしていないし放置する気でいるのだ」

 

「まあ、三長官にしたら六回も大技で来たから七回目に小技で来るとは思わんのでしょう」

 

「簡単に計画書の入手が出来た事と計画書と現地の補給物資の備蓄量の矛盾も指摘しているのだ!」

 

「まあ、事が起これば高見の見物を決めてやれば良いじゃないですか。どうせ泣き付いて来ますから、遠慮なく高値を付けておやりなさい」

 

 ラインハルトとキルヒアイスが珍しい物を見る様にハンスの顔を凝視している。

 

「な、何ですか?」

 

「卿も存外に人が悪いな」

 

 キルヒアイスもラインハルトの横で大きく首肯く。

 

「人の悪い部下を持った閣下の意見を聞きたいものです」

 

「決まっているだろ。卿の言う通りにするさ。私も卿と同意見だからな」

 

 後ろでキルヒアイスが習慣化した頭を抱えたくなる衝動を我慢している。

 

(それでは自分も人が悪いと言っているのと同じではないですか。ラインハルト様)

 

 これ以降は自分には関係無いと定時出勤の定時帰宅を続けていたハンスである。

 

(まあ、同盟軍相手なら自分の出番だが、イゼルローン要塞の失陥までは知らんよ。一応は警告はしているから義理は果たしているしな。その後のカストロプ動乱は自分の領分では無いから知らんわ)

 

 ハンスも役人根性が身に付いたものである。

 ハンスは帝国内部の監視に重点を置いて調査をする様にフーバー中佐には指示を出している。次に起きる争いはカストロプ動乱である事を見越しての処置である。

 フーバー中佐達が帝国内部を調査を始めた頃にイゼルローン失陥の報が帝国を震撼させる。

 特に慌てたのはヘッダの様な亡命者達であった。

 

「ハンス、フェザーンに逃げましょう」

 

 ハンスが帰宅すると姉から抱き締められて開口一番に掛けられた言葉である。

 その日は怯える姉に丁寧にハンスの予測を教えて安心させた。

 翌日、内務省では数少ない同盟からの亡命者から問い合わせや亡命者と分かる資料等の破棄を要求する人で溢れていた。

 軍務省でも帝国三長官が責任を取って辞職を申し出る騒ぎがあり、イゼルローン要塞に勤めている将兵の家族やイゼルローン要塞の商業地区で働いていた民間人の家族が軍務省に押し寄せパニック状態であった。

 更に翌日、イゼルローン要塞から帝国軍に一本の通信が入る。ヤン・ウェンリーの名でイゼルローン要塞の民間人を解放するので引き取りに来る様に要求と言うより指示があった。

 

「まあ、半個艦隊の人数でイゼルローンの捕虜や民間人の管理は大変だろうよ」

 

 ハンスの感想というより事実の指摘に聞いた者は納得した。

 回廊出入り口周辺の警備艦隊等が掻き集められて民間人の受け取りに向けられた。私有財産の持ち出しも許可したのはヤン・ウェンリーの為人であろう。 

 

 軍港では捕虜になった家族と生き別れになった事を嘆く人や無事に再会した事に喜ぶ人で溢れている。

 玉砕したゼークトは別にして要塞司令官のシュトックハウゼンの屋敷は昼夜を問わず投石等の嫌がらせがあり使用人達は辞め息子夫婦は妻の実家に避難するがシュトックハウゼン夫人は一人だけ屋敷に残り嫌がらせに耐えて夫の帰りを待っている。

 

「まあ、家族を捕虜にされたら司令官の屋敷に石くらいは投げたくなるわな。しかし、旦那より奥さんの方が立派だな」

 

 ハンスは口ではシュトックハウゼン夫人を賞賛しながら部下を持つ責任の重さに恐怖を覚えていた。

 帝国中がイゼルローン失陥で官民ともに右往左往している時にフーバー中佐からの報告にハンスは驚く事になる。

 

「カストロプ公に叛意の兆し有り」

 

(そう言えばイゼルローン失陥の騒動で忘れてたわ)

 



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カストロプ動乱

  

 帝国がイゼルローン要塞失陥で揺れ動く中でカストロプ公に叛意の兆しの報を受けたハンスは改めてフーバー中佐の優秀さを再確認した。

 フーバー中佐がハンスに出した報告書と資料には「アルテミスの首飾り」の見積書と仕様書がある。

 

「見積書の入手も凄いが仕様書の入手も凄いじゃないか!」

 

「まあ、フェザーンとしては商品に絶対の自信があるのでしょう」

 

 資料を読んでいたハンスがフーバー中佐の言葉に納得した。

 

「みたいですね。保証書もある。家電製品かよ!」

 

 ハンスの突っ込みに苦笑するフーバー中佐であった。

 

「物が物だけに当代のカストロプ公の為人と一緒に考えると自然と結果は見えますな」

 

「確かに政治判断も必要な事柄ですから元帥閣下に報告して判断を仰ぐ必要がありますね」

 

 ハンスは報告書と資料を持ってラインハルトに報告する。

 報告書と資料を一読したラインハルトの口からはハンスと同じであった。

 

「軍事衛星に保証書付きとはな」

 

(そりゃ、誰でも呆れるよな)

 

 ハンスもラインハルトに同意した。

 

「裏を返せばフェザーンも自信があるのでしょう」

 

 少将に昇進したキルヒアイスも苦笑しながら言う。

 

「玩具の事は置いても確かにカストロプ公の為人を考えれば卿達の危惧は当然だな。これから三長官達との会議になる。丁度良い。その場で三長官にも話してみよう」

 

 ラインハルトが報告書と資料を持って会議に出掛けた後でハンスがキルヒアイスに話し掛ける。

 

「キルヒアイス少将、この間と同じ結果になるか賭けませんか?」

 

 ハンスが不謹慎な事を言うがキルヒアイスは更に不謹慎な返答をする。

 

「まず、賭けが成立しないでしょう」

 

「キルヒアイス少将も同意見ですか」

 

 二人の予測は見事に的中した。会議が終わりラインハルトの執務室に呼ばれたハンスはラインハルトの無表情な顔を見て全てを悟った。

 

(まあ、不機嫌なのを隠してはいるが無表情なのも不気味だな)

 

「はあ。会議は不調だったようですね」

 

「卿が慧眼とは言えんか。私の表情を見れば誰でも分かる」

 

 ハンスもキルヒアイス同様に頭を抱えたい衝動に襲われたが耐えた。

 

「今回は何と?」

 

「今回もカストロプの叛意を認めながら軍部としては動かないらしい。既に遠縁のマリーンドルフ家が帝国とカストロプの仲裁に入っているそうだ」

 

「マリーンドルフ家の仲裁の結果次第ですか?」

 

「仲裁するだけ無駄であろう。先代が不正に蓄えた分だけを帝国に返還を要求しているだけだが、それを拒否して役人を追い返している」

 

「すぐに討伐軍が出されますな。討伐軍も例の玩具がある事を事前に知るだけでも私達の仕事に価値がありましたな」

 

「卿が、そう言ってくれたら私も救われる」

 

 ラインハルトの予測通りカストロプは仲裁に入ったマリーンドルフ伯を人質に帝国に宣戦布告をしてきた。

 ラインハルト達の元に討伐の話が来たがラインハルトは元帥府を開いたばかりで元帥府の内の整備が忙しく余裕が無いと断った。

 

「本当に宜しいのですか?」

 

 心配気なキルヒアイスの言葉をラインハルトは一刀両断にした。

 

「構わん。俺達の価値を認めさせる為にも、少しは痛い思いをすれば良い。それに暫くは忙しく余裕の無いのは本当だ」

 

 現実はラインハルトの予測を上回った。帝国軍が二度の討伐で二度とも敗退したのである。

 

「あらあら、討伐軍の兵士も気の毒だがマリーンドルフ伯も気の毒だな」

 

 ハンスの言葉を聞いてキルヒアイスも同意した。

 

 二人の会話を聞いたラインハルトが麾下の提督を集めて発表する。

 

「皆、カストロプの話は知っていると思うが三千隻の兵力で二度とも敗退している。そこでキルヒアイス!」

 

 呼ばれたキルヒアイスが諸提督より一歩前に進み出る。

 

「艦艇二千隻を率いて討伐せよ。これは勅命である」

 

「勅命、慎んでお受けします」

 

 キルヒアイスに勅命が下った事を知ったハンスは他人事と決めていたがフーバー中佐の報告でカストロプが私兵の艦隊を動かしマリーンドルフ領に攻撃を掛けている事を報告した。

 

「討伐軍が来る度に本拠地の応援に帰る為、マリーンドルフ艦隊は善戦が出来てますが本来は領域内の治安維持や事故対処の為の艦隊ですので人員の質も数も違います」

 

 ハンスからの報告を聞いたキルヒアイスはマリーンドルフ艦隊の救援に向かう事にした。と、周囲の人間にも思わせた。

 

「それより、ミューゼル大佐」

 

「はい。何でしょう?」

 

 ハンスも他に何か聞きたい事があるのかと思っていたがキルヒアイスの口から出た言葉はハンスの想定外であった。

 

「卿には私の旗艦に同乗してカストロプ討伐に協力してもらいます。尚、これは正式な命令ですから拒否権はありません」

 

「ち、ちょっと待て下さい。帝国の内乱に自分は同乗しても意味が無いでしょう」

 

「そんな事はありません。私や元帥閣下が忙しい時に定時出勤の定時帰宅していましたからね」

 

「それは、単なる僻みでは?」

 

「僻みではありません。単なる妬みです」

 

 断言するキルヒアイスの笑顔にハンスは反発する気もなくした。これがラインハルト相手なら反発もしたがキルヒアイス相手では無理と言うものである。日頃の言動の差である。

 

「カストロプは温暖な気候で果物が美味しいらしいですよ」

 

「少将、果物で懐柔が出来ると本気で思ってます?」

 

 ハンスの言葉にキルヒアイスは笑いの発作を抑えながら首肯する。

 結果、ハンスは果物で懐柔が出来た。

 

「へえ、カストロプは本当に果物が名産なんだ。ドライフルーツもある!」

 

 オーディンを出発してからガイドブック片手に珍しい果物や土産物の物色しているハンスを見て将兵は前回より少ない戦力であるが不安を持たずにいた。

 特にベルゲングリューンはファーストネームが同じ事からハンスと意気投合した様で二人でガイドブックを読み漁る光景が目撃されている。

 キルヒアイス艦隊は士気が高いままマリーンドルフ領に急行して救援に向かうと敵と味方に思われていた。

 カストロプ艦隊はマリーンドルフ艦隊との戦闘を一時中断して急行するキルヒアイス艦隊に備えたがキルヒアイスは戦闘が一時中断するのを知るとカストロプ領に急行したのである。

 慌てたカストロプ艦隊が本拠地のカストロプの救援に行こうとするとマリーンドルフ艦隊が後背から襲いかかる。反転するとマリーンドルフ艦隊も後退する。

 カストロプ艦隊がマリーンドルフ艦隊と戦っている間にキルヒアイスは惑星カストロプに無傷で到着する事に成功した。

 カストロプに到着したキルヒアイスが一応の降伏勧告をするが無視された為にキルヒアイスは計画通りに「アルテミスの首飾り」を破壊する。

 指向性ゼッフル粒子を放出して衛星に纏わせると一発の主砲を発射した次の瞬間、全ての衛星は爆発四散した。

 

「綺麗なもんですね。地上からも見えるでしょうね」

 

 ハンスが、場違いな感想を漏らすが正に地上では衛星が爆発四散するのと同時にカストロプ達の士気も四散した。

 結果、カストロプは側近達に殺されて側近達は全面降伏をした。本拠地を失った事でカストロプ艦隊も全面降伏をした。

 

「ベルゲングリューン大佐、上陸作戦の指揮を任せます。略奪、暴行は一切禁止します。違反した者は軍規に照らし処罰する事を全軍に私の名前で徹底して下さい」

 

 キルヒアイスは前回より少ない戦力で自軍の血を一滴も流さずに討伐に成功したのである。

 また、キルヒアイスの通達は徹底されていて略奪、暴行は無く帝国軍の威光を高めたのであった。

 凱旋したハンスは土産物のドライフルーツを入れた鞄を両手にマリーンドルフ父娘の再会に貰い泣きをしていた。

 そして、キルヒアイスは中将に昇進して勲章を授与された。帝国の新たな若き英雄の誕生に帝国中が沸き立つ中で、これによりキルヒアイスがローエングラム陣営のナンバー2だと周囲に認知される事になる。

 その頃、同盟では帝国領逆進攻案がアンドリュー・フォークにより私的に最高評議会議長のロイヤル・サンフォードに提出されていた。

 その為にフーバー中佐の監視網に掛からずに帝国中を再び震撼させる事になる。 

 



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帝国領進攻計画

 

 ラインハルトの元帥府が本格的に整備されるとハンスがラインハルトの執務室に資料を持って日参する事になり自然とハンスの残業も多くなる。ローエングラム陣営の提督達も波乱の予感を感じ始めていた。

 

「卿の説明では今年中に同盟軍の大規模な進攻があると言うのだな」

 

「はい、閣下。昨日も申し上げましたが同盟には選挙という政治的儀式があり、儀式の為に出兵して来ます。近年はイゼルローン要塞失陥以前は負け続けていますので派手な作戦で派手に勝ちたいと思っている筈です」

 

「しかし、戦略目的も無いままでは無いか?」

 

「その点は同盟も帝国も同じではないですか。今年の初頭のアスターテ会戦も戦略的な意義の無い戦いではありませんか」

 

「分かった。卿の進言が間違えていた事は無いからな。実際に軍を動かす事は出来ないが提督達にシミュレーションをさせて不測の事態に備えさせよう。それと事務方にも必要物資の試算と対策も検討させる。卿は引き続き同盟内部の監視を頼む」

 

「了解しました。それに伴い予算もお願いします。まさか、情報提供者に領収書を切れとは言えませんので」

 

「分かった。その事は参謀長と話をしてくれ。私より参謀長の方が明るい」

 

「ご配慮、有り難う御座います」

 

 ハンスが退出すると傍らにいたキルヒアイスが口を開く。

 

「妙な感じですね。ハンス大佐が勤勉なのは」

 

「確かにハンスが勤勉なのは違和感があるが、ハンスの進言通りに同盟が大規模な進攻を考えても不思議ではない」

 

 ラインハルトの言葉通りに、同盟ではイゼルローン要塞の無血攻略に酔いしれた国民の間には主戦論が沸き起こっていた。

 非公式にアンドリュー・フォークによる帝国領進攻案が最高評議会議長ロイヤル・サンフォードに提出されると主戦論が蔓延する風潮に乗り最高評議会は出兵案を可決したのであった。

 途中経過は別にして結果はラインハルトの予測通りであった。

 ラインハルトが予測しきれなかったのは投入される兵力である。八個艦隊からなる兵員三千万人、二十万隻体制の同盟史上最大の戦力が投入される事になる。

 この当時の国力では先のアスターテ会戦の戦後処理の経費の捻出も苦しい所にヤンが50万人の捕虜を捕らえ、捕虜を収容の為の予算も苦しいのである。

 ヤンが独断で民間人を解放したのは賞賛される行為であったが独断で解放をした事が問題視されなかったのは経済的な理由もあった。

 イゼルローン要塞を攻略すれば同盟は防衛拠点を得て内政に専念して国力の回復が出来るというヤンの思惑を裏切り帝国領進攻が決定してしまった。

 同盟と帝国との戦いは専制政治からの防衛戦であった筈の戦争が何時の間にか専制政治打倒の戦いに変化した事に気づく国民は少なかった。

 

 フェザーン経由で帝国に大規模出兵の報が伝わるとラインハルトに迎撃の勅命が下る事になる。

 若いラインハルトより経験豊富なミュッケンベルガーを推す声もあったが、意外な事に日頃からラインハルトを嫌う勢力がラインハルトを推したのである。

 

「今までにない大規模な戦いに金髪の孺子とて無傷ですむまい。叛徒共を追い払い金髪の孺子の勢力を削る事が出来れば一石二鳥ではないか」

 

 本音が透けて見えたがラインハルトは気にする事もなく迎撃の任を受けたのである。

 

 ハンスの進言により、速やかに迎撃の準備が進むなかでラインハルトとキルヒアイスに参謀長のオーベルシュタインと特別にハンスも参加しての対策会議が開かれる。

 

「既に卿らも知っている事であるが敵の大規模攻勢に対する迎撃作戦についてであるが既に私に腹案がある」

 

「焦土戦術を使うのは仕方がありません。しかし、出来るだけ自国民に犠牲が出ない様にして頂きたい!」

 

 ラインハルトの腹案を聞く前からハンスが釘を刺した。

 

「卿の意見は尤もな意見である。その事もあるから卿も会議に参加させたのだ」

 

 ラインハルトの口調には優しさがあったが厳しいのはオーベルシュタインであった。

 

「確かに卿の危惧する事が分かる。しかし、卿も軍人である以上は無血で目的が達する事が出来ぬ事も心得よ」

 

 オーベルシュタインの言はハンスには裏付けがあるだけにハンスには重かった。

 ハンスはある意味でオーベルシュタインは平等な人間であると思っている。敵味方の区別もなく官民の区別もなく流される血に区別をしない人であると。

 

「心得てます。しかし、私の場合は軍人は兎も角、民間人の血は軍人より重いと思っています」

 

 ハンスは民主国家で育った人間である。民主国家の軍人の建前は民間人を守る事である。更にハンスの個人的な考えでは軍人が血を流すのは給料を貰うのと引き換えだと思っているので自然と官民では民に重きを置くのである。

 

「卿ら、いい加減にせぬか!」

 

 ラインハルトがハンスとオーベルシュタインの仲裁に入る。

 二人は異口同音に謝罪して話を本題に戻した。

 

「分かれば良い」

 

 その後は同盟軍の具体的な進撃ルートと撤退後の事について話し合いがなされた。

 ほぼ逆行前と変わらないが大きく変わったのは撤退後の民間人救援の救援部隊が出来た事である。

 ハンスは救援部隊に参加したかったが同盟軍を知る者としてラインハルトの傍らに居る事を命じられた。

 

「しかし、各個撃破する際に自分をヤン・ウェンリーに対抗する提督の側に配置する事が望ましいと思います」

 

「ほう。卿ならヤン・ウェンリーと戦えると言うか」

 

 ラインハルトの口調には僅かながらに苛立ちが混じっていた。

 

「自分などでは無理ですよ。五分の条件で勝てるとしたらキルヒアイス提督ぐらいしか居ないでしょう」

 

「ほう。私でも勝てぬか?」

 

 ラインハルトが意地の悪い笑みを浮かべてハンスに質問する。

 

「閣下でも無理ですね。ヤン・ウェンリーに勝つには勝つ事よりも負けない事を考える人間じゃないと無理です」

 

 ラインハルトも怒る以前に元帥である自分に勝てないと言い切ったハンスに驚いた。

 

「卿の率直さは認めるが、少しは言葉を選ぶ事を学ぶべきだ」

 

「言葉を選ぶも何も閣下とヤン・ウェンリーの相性は最悪ですからね。絶対に五分の条件で戦ったら駄目です。互いに数百隻になる死闘になるでしょう」

 

 ハンスの執拗さと強い口調に流石のラインハルトも折れる。

 

「卿は、よほど私とヤン・ウェンリーを戦わせたくないらしいな」

 

「それでも戦わないと言わない閣下の頑固さも……」

 

 キルヒアイスは二人の頑固さに呆れて言葉も出ないでいたがオーベルシュタインは違った。

 

「閣下。ミューゼル大佐は元は同盟人でヤン・ウェンリーの為人も承知して根拠のある発言でしょう。ヤン・ウェンリーは単なる軍人ですが閣下は違います。万が一の事を考えてミューゼル大佐の諫言に従って下さい」

 

 オーベルシュタインがハンスに同調した事にラインハルトも驚きながらも自分の不利を悟った。

 

「分かった。今回はヤン・ウェンリーとは五分の条件では戦わぬ」

 

「今回だけですか。宜しいでしょう。次もその次も何度でもお諌めしますから」

 

「卿も本当に頑固だな」

 

「お互い様だと思います」

 

 この後は本題に戻り話を詰めていく。

 

「以前にも申しましたが、敵の総司令官のロボスは出世欲の強い男です。各艦隊が各個撃破されても戦力を糾合して決戦を挑んで来るでしょう」

 

「なるほど。卿には策がありそうだな」

 

「策とは言いません。数の差で袋叩きにするだけです」

 

「敵も数の差に配慮して挑んでくるのでは?」

 

「はい。恐らく敵は数の差を活かせないアムリッツァで機雷を後背に撒いて挑んで来るでしょう。彼処なら最悪の場合はイゼルローン回廊に逃げ込む事も出来ますから」

 

 ハンスの予測は例の如くカンニングであるが知らない者には脅威の洞察力と構想力に見えるだろう。

 しかし、事実を知る人間にも実は脅威的な事がある。

 ハンスが逆行前に面識のある提督は数える程であるが軍隊時代の知人からの噂や晩末に読んだ歴史書等から面識のない提督の性格や判断基準などを正解に割り出していたのである。

 故にハンスはローエングラム陣営に参加して日の浅いオーベルシュタインの事も正確に理解していたから、オーベルシュタインに過度の警戒もしていなかった。

 だから、オーベルシュタインにも大胆な発言も出来た。

 

「問題は今回の焦土戦術で元帥閣下が民衆から恨まれないか心配なのですが、人心操作に関して参謀長に何か案があるのではないでしょうか?」

 

「それに関しては焦土戦術を使わなかった場合の経費の試算と焦土戦術を使った場合の差額を民衆の補償金として使う。戦死者が減れば一時金や後の遺族年金の事を考えたら安いものだ」

 

 オーベルシュタインの考えは政治の基本であり王道でもあった。戦死者が減れば出費も減り、生きて税金を納めてくれるし平和になれば軍から各分野に人材を供給が出来るのだから。

 

(このオーベルシュタインという人物もラインハルトの影に隠れているが数世紀に一人の傑物だな)

 

「参謀長のご配慮に感謝します!」

 

 この後、予てからのシミュレーション通りに補給物資の生産に備蓄が急ピッチで進められた。

 帝国では万全の体制で同盟軍を迎え討つ準備が整い始めていた。

 



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撒き餌

 

 宇宙歴796年 帝国歴487年 8月

 

 同盟軍がイゼルローン回廊に入るのと同時に帝国ではイゼルローン回廊周辺の有人惑星から食糧の強制徴発が始まった。

 牛や豚に鶏等の家畜から麦や米の穀物類に畑にある収穫前の野菜等を全てを徴発した。

 僅かに残された食糧も尽きかけた時に同盟軍のシャトルが地上に降りて来たのである。

 最初は帝国の民衆に同情した同盟軍であったが食糧の配給を始めると民衆の多さに各艦隊の補給士官の顔は真っ青になった。

 各艦隊の司令官がイゼルローン要塞に食糧の補給を要求したのだが、イゼルローン要塞にある食糧倉庫を全て空にしても追いつく量ではなかった。

 後方主任参謀だったキャゼルヌはイゼルローンの食糧を前線に運ぶ手筈を整えるのと同時にハイネセンに食糧補給の要請を行う。更に総司令官のロボスに事態の深刻さを説明するが全く相手にされないでいた。

 

「敵の狙いが我が軍の補給線に過大な負担を掛ける事が狙いなのは明白です。すぐに前線の部隊を引き上げさせるべきです」

 

 キャゼルヌに詰め寄られたロボスとしては、キャゼルヌの言う事の正しさを理解してはいるが、このまま引き上げれば大軍を率いた責任を取る事になりかねない。それなりの戦果を出す必要がある。

 この時点でロボスもラインハルトの作戦が焦土戦術である事を看破していたが逆に看破している為に帝国軍が攻勢を掛けて来る事も理解していた。

 ロボスにしたら一戦して戦果を出した後に撤兵すれば良いと考えた。

 

「取り敢えず様子を見る」

 

 古来より行動を起こさない言い訳として使われた言葉である。

 ロボスはラインハルトの意図を読んでいたが読めていなかったのは前線の兵士達の事であった。ロボスはエリート軍人の家庭に育ち士官学校を卒業して元帥に地位に就くまで前線の兵士の様に補給が途切れて餓えた事もなく陸戦隊の様に寒さに耐えた事もなく兵士達の士気を考えた事がなかった。

 

「では、ロボス閣下の許可済みという事で追加の補給要請をハイネセンに出させて頂きます」

 

 キャゼルヌからの補給要請を受けたハイネセンでは要請された数字に目を疑い書類の上の0を数え直した。

 この時点でハイネセンの政治家達もラインハルトの作戦を理解した。

 

「帝国軍の狙いは焦土戦術による我が国の財政破綻である。我が国が帝国の民衆の解放を謳う以上は有効な手段と言わざるを得ない。論議の必要も無い。早急に撤退するべきである」

 

 

反戦派議員のレベロが強い口調で撤退を主張するが、出兵案に可決した議員達は自分達の政治生命の危機という事で何かしらの戦果を出すまではと撤退案を否決した。

 

 前線の指揮官達は自分の部下が餓える前に撤退を考えたがイゼルローンから要請した一割程度の補給の後に本国からの本格的な補給があると言われてその場に留まった。

 しかし、敵の領土内での補給に不安を覚えた指揮官もいる。

 

「ウランフ提督。占領地を放棄して撤退を考えているのですが」

 

「ヤン提督もそうか。自分も同じ事を考えていたが、だが敵は我々を監視している筈だ。撤退するにしても後背を襲われる心配をしている」

 

「確かに私も同じ事を考えましたが、兵が餓えてからでは遅いです」

 

「確かにな。しかし、問題は司令部が許可するかだ」

 

「私も同意見です。しかし、勝手に撤退する前にビュコック提督に上申して頂くのは如何でしょうか?」

 

「確かに勝手に撤退する前に掛け合ってみるのが良いだろうな」

 

 こうして、ヤンやウランフの様に最深部にいる部隊の指揮官達は撤退を考え総司令部に上申を最年長のビュコックに依頼した。

 その頃には既にハイネセンからの補給部隊はキルヒアイスの部隊に全滅させられていた。

 前線の指揮官から補給物資の届かない事の問い合わせにロボスは対応せずにフォークに対応させた。

 結果は最悪の形となった。何人目かの相手がビュコックであったが、二人は激しい口論となりフォークは入院する事となった。

 結局、ヤンとウランフとビュコックは独断で撤退する事にした。

 他の提督達も三人に習って撤退準備を始めたタイミングでラインハルト麾下の提督達の攻撃を受ける事になった。

 ラインハルト麾下の提督達は、若いがラインハルトが初陣した時から探していた人材達である。

 第三艦隊のルフェーブルはワーレン艦隊の奇襲攻撃を受け戦死。艦隊は全滅する。

 第五艦隊のビュコックは撤退準備終了間際だった為にロイエンタールの追撃に対して逃げの一手であった。

 第七艦隊のホーウッドは不幸にも四倍の兵力のキルヒアイスに奇襲を受けて抵抗らしい抵抗も出来ずに艦隊は全滅してホーウッドは戦死した。

 第八艦隊のアップルトンはメックリンガーの奇襲を受け四割の被害を出しながらも撤退に成功する。

 第九艦隊のアル・サレムは撤退中に不幸にも神速を誇るミッターマイヤーの追撃を受け重体。指揮を引き継いだモートンの活躍で半数が撤退に成功する。

 第十艦隊のウランフはビッテンフェルトに奇襲されるが三割の味方を脱出させる事に成功した後に戦死。

 第十二艦隊のボロディンは旗艦以下数隻なるまで戦い自決。

 第十三艦隊のヤンはケンプに奇襲を受けるが戦闘らしい戦闘はなく、撤退する第十三艦隊の後背から追撃される程度であったが隣の星系に移動した時にキルヒアイス艦隊に遭遇して被害を出しながらも撤退する。

 

 無防備な有人惑星に目が眩みラインハルトが用意した撒き餌に飛びついた結果が戦力分散と兵糧攻めであった。

 一部の惑星では食糧の現地調達という名の略奪行為を行なって恨みを買う事になる。

 見え透いた偽善行為であるが同盟軍が撤退するのと入れ代わりに帝国軍がラインハルトの名で徴発した食糧の弁済と慰謝料に一時金を支給。地元産業への助成金とインフラ整備を約束した。

 元々は帝国の辺境地区である。公的資金もなく第一次産業しか職の無かった民衆はラインハルトの熱烈な支持者になった。

 この大盤振る舞いはハンスの進言をオーベルシュタインが現実化したものである。

 この事でラインハルトは平民の味方という肩書きを手に入れる事になる。

 この事についてラインハルトとオーベルシュタインの見解は一致している。

 十歳で幼年学校に入学して軍隊しか知らないラインハルトに先天性の障害を抱えてたが裕福な家庭で育ったオーベルシュタインでは縁が無かった社会の底辺で生きたハンスの視線は貴重なものだと認識されていた。

 後にハンスは「貧乏自慢ならファーレンハイト提督にも勝てる」と自慢にならない自慢をしている。

 

 そして、自慢にならない自慢をしていたハンスはラインハルトの下で提督達からの勝利の報告を整理しながら同盟軍の残存兵力と自軍の残存兵力を計算していた。

 

(思ったより自軍の残存兵力は多いなあ。同盟軍の残存兵力は本来の歴史と変わらんか)

 

 ハンスは提督達が出撃する前に担当の敵艦隊の司令官の為人や用兵の特徴を記した書類を渡していた。

 

(勝つ為なら子供の意見も真剣に耳を貸すのか。流石はラインハルトが見い出だした人材だな)

 

 ハンスは逆行前の世界で何度も上司に諫言や忠告した事があったが兵卒上がりのハンスの言に耳を貸す上司は居なかった。

 

(危ない危ない。自分が他人より優秀と思った時に真摯に他人の言葉が聞けなくなる。自分も提督達に対して一瞬だが自分の進言で被害を抑えた提督達より優秀だと錯覚しそうになった)

 

 ハンスは自分が優秀と示そうとした人間や自分が優秀と思い込んだ人間が失敗して破滅した場面を数多く見て来た。

 自分も同じ轍を踏まない様に自制をしないとバーミリオンでのラインハルトの様になってしまう。

 

 ハンスが自制を己に喚起した時にラインハルトから呼び出された。

 

「閣下。何の御用でしょうか?」

 

「敵は卿の予想通りにアムリッツァに集結している。今の所は予定通りだが卿に意見を聞きたくてな」

 

「これだけの兵力差が有れば問題があるとすると油断でしょう。特に勝っている時は劇的な演出をしたくなりますけど相手は手負いの獣と同じですから」

 

「確かに卿の言う通りだな。私の名で全将兵に喚起して行う」

 

「ならば閣下。ヤン・ウェンリーには気をつける様に特に喚起して下さい」

 

 自分以上にハンスがヤン・ウェンリーを意識する事にラインハルトは疑問を持った。

 

(まあ、確かにハンスが警戒するだけの男だからな)

 

 ラインハルトはアムリッツァでハンスがヤンを警戒する意味を再確認させられる事になる。

 



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アムリッツァ会戦

 

 ロボスの指令で恒星アムリッツァ周辺宙域に集結した同盟軍は惨憺たる姿であった。

 第三艦隊、第七艦隊、第十二艦隊は全滅。

 第九艦隊、第十艦隊は司令部が壊滅して生き残りは半数以下。

 第五艦隊、第八艦隊、第十三艦隊も少なからずの被害を出している。

 集結直後、ヤンが総司令部にタンクベッド睡眠による休息を将兵に与える事を上申したが却下された。

 同盟軍は満身創痍の状態で決戦に臨む事になる。

 ハンスは逆行前の知識を思い出していた。ハンス自身はアムリッツァ星域会戦に参加してなかったが参加して生き残った人々からアムリッツァ星域会戦の事は聞いていたので現在の同盟軍の状態も正確に把握していた。

 そのハンスにしてもヤンの詭計までは把握する事が出来ないでいた。

 戦場で臨機応変に出るヤンのマジックの数々は未来を知るハンスのアドバンテージを無効にしてしまう。

 

(ヤン提督には死んで欲しくはないが、自分が生き残る為には死んで欲しい存在だな。一番の良策はヤン提督を味方にする事なんだが)

 

 ハンスの思いとは別に帝国軍はアムリッツァ宙域に到着する前に交代で休息を取り将兵共に士気も高い状態であった。

 

(怖いもの知らずとは、本当に怖いものだな。宇宙で最強の用兵家と戦うのに)

 

 そして、アムリッツァ星域会戦が始まるのであった。

 

「ファイヤー」

 

「ファイエル」

 

 ほぼ同時に両軍の主砲発射の号令が掛かる。

 ミッターマイヤーが自慢の神速を活かして第十三艦隊に急接近を試みるもヤンは核融合ミサイルを恒星表面に撃ち込みミサイルの爆風に乗りミッターマイヤー艦隊の機先を制する。

 

「後退しろ。艦隊を再編成しながら後退!」

 

 ヤンはミッターマイヤーの反撃を読み、深追いを避けた。

 これを見ていたビッテンフェルトが第十三艦隊の側面を突くがヤンは装甲の厚い艦を盾にして小型艦で盾にした艦の隙間からビッテンフェルト艦隊を狙撃する。

 

「怯むな!突撃しろ!」

 

 ビッテンフェルトは通常なら退く場面でありながら逆に突撃を敢行する。

 この攻撃は第十三艦隊が前進する事で躱されたがアップルトンが指揮する第八艦隊の側面を突く事に成功したかに思えた。

 側面を突く寸前にビッテンフェルト艦隊は艦列を乱す事になる。

 ヤンが核融合ミサイルをビッテンフェルト艦隊の真下に撃ち込み爆風で艦隊にダメージを与えないが攻撃する余裕を奪う事に成功する。

 アップルトンはビッテンフェルトの隙を見てビッテンフェルト艦隊に砲身を向け攻撃する。

 しかし、流石はビッテンフェルトである第八艦隊の攻撃を受けながらも反撃をする。

 双方で熾烈な砲火の応酬が行われる。

 第十三艦隊はミッターマイヤー艦隊とメックリンガー艦隊を相手にして第八艦隊の救援に行く暇が無い。

 苛烈な砲火の応酬の末、第八艦隊を壊滅させたビッテンフェルトはその余勢を駆って背後にいる第十三艦隊に突撃する為にワルキューレを発進させながら反転を行おうとした時、ヤンはメックリンガーとミッターマイヤー艦隊の直下に核融合ミサイルを撃ち込み爆風で牽制しながら反転するビッテンフェルト艦隊より早く反転してビッテンフェルト艦隊にビームの雨を降らせる。

 ワルキューレ発進中で満足に身動きが取れないビッテンフェルト艦隊は第十三艦隊の的となり漆黒の艦が次々と火球と化す。

 ビッテンフェルトの旗艦の周辺にまで砲火が迫り、それでも反撃を叫ぶ司令官をオイゲンか体を張って止める。

 ヤンはビッテンフェルト艦隊が組織的な攻撃が出来ないと見ると再び反転してメックリンガー艦隊とミッターマイヤー艦隊を相手にする。

 ヤンが狡猾なのは退却するビッテンフェルト艦隊を背後にする事でメックリンガー艦隊とミッターマイヤー艦隊の攻撃の手を鈍らせ、その隙にメックリンガー艦隊とミッターマイヤー艦隊に攻撃をする。

 

 総旗艦ブリュンヒルトの艦橋で一部始終を見ていたハンスは頭から氷水を掛けられた様な錯覚を覚えた。

 

(二個艦隊を相手にしながら背後の艦隊より早く反転して瞬時に壊滅させて背後の敵を人質に正面の敵を叩くだと!)

 

 ヤンが味方の時は頼もしかったが敵となった瞬間に恐怖しか感じない。

 ビッテンフェルトからの救援要請があったがラインハルトから通信も切られている。

 

(キルヒアイス艦隊はまだか!それにしてもビッテンフェルトの猪め!)

 

 キルヒアイス艦隊が同盟軍の背後に出る為に戦場を大きく迂回しているが待ち遠しい。

 そして、恒星表面が荒れた為に遅れたがキルヒアイス艦隊が機雷原を突破して戦場に現れた。

 こうしてアムリッツァ星域会戦の決着はついた。

 

 キルヒアイスはワーレンとルッツを従え同盟軍本隊を背後から襲う。

 キルヒアイス艦隊に背後を取られた同盟軍は壊滅の危機に瀕した。

 

「敵は総崩れだ!撃ちまくれ!」

 

 退却する同盟軍に追撃を掛ける帝国軍に殿の第十三艦隊が反撃する。

 

「流石だな。実に良いタイミングで良いポイントを突く」

 

 総旗艦ブリュンヒルトの艦橋にてラインハルトが感嘆する傍らでハンスは胸を撫で下ろしている。

 

「両翼を伸ばし包囲しろ!」

 

「閣下。ビッテンフェルト艦隊の抜けた穴が有ります。誰か別の提督を!」

 

 ハンスの指摘をラインハルトも認めてキルヒアイスに命令を出した時は遅かった。

 第十三艦隊は包囲網の最も薄い部分に砲火を集中させて一点突破で脱出した。

 

「またしても、してやられたか!」

 

 ヤンに逃げられて悔しがるラインハルトの横でハンスは複雑な心境であった。

 

(今からでもミッターマイヤー提督に追撃させるべきでは?)

 

 ヤン自身は駄目でもフィッシャーだけでも戦死させれたらヤンの戦力は半減するのである。

 

(待て待て、別にラインハルトに宇宙を統一させる訳じゃない。キルヒアイス提督が生きていればラインハルトも宇宙統一とか欲を出さずに帝国で平和な生活を楽しむかもしれない)

 

 ラインハルトに宇宙統一をさせるなら、ヤンの戦力を半減させる事は意義があるがそれより問題は自軍のビッテンフェルトであった。

 

(確かに有能で裏表の無い良い人だが血を流し過ぎる)

 

 戦闘終了後、提督達が次々とブリュンヒルトの艦橋に入って来る度にラインハルトは提督達の手を取り握手をして一人一人に感謝の言葉を掛ける。

 キルヒアイスに対しては握手をして肩を叩くだけである。この二人には既に言葉も要らない。

 最後にビッテンフェルトが入ってくるとラインハルトはビッテンフェルトと目も合わせずに司令席に座る。

 提督達が左右に二列に並ぶ中でビッテンフェルトは片膝を付き謝罪する。

 ラインハルトは無表情でビッテンフェルトを見ながら口を開く。

 

「ビッテンフェルト提督、卿も善戦したが卿は功を焦り猪突し、味方に無用の犠牲を出した。本国に凱旋してから、卿の罪を問わねばならぬ。何か弁明はあるか?」

 

「御座いません」

 

「宜しい。解散」

 

 ラインハルトが艦橋を出て行くと提督達はビッテンフェルトを慰める為に集まる中でキルヒアイスはラインハルトの後を追う。

 ハンスはキルヒアイスの後ろ姿を一瞥してビッテンフェルトの前に立つ。

 

「おい、ハンス」

 

 言葉通りに怒りに震えるハンスが激発するのではと心配したミッターマイヤーがハンスに声を掛ける。

 ミッターマイヤーもハンスが兵士の無用な流血を嫌っている事を知っている為に内心は冷や汗を掻いていた。

 しかし、ミッターマイヤーの心配は杞憂に終わった。

 ハンスはビッテンフェルトを一瞥するとキルヒアイスの後を追った。

 ハンスの後ろ姿を見る提督達の心境は複雑である。キルヒアイスがラインハルトに執り成しに行った事もハンスが、それに抗議に行った事も分かっていたからだ。

 しかし、この場合はハンスが正しいと思う。何度もハンスはヤンの危険性について喚起していた上にビッテンフェルトの被害はあまりにも大きい。

 ビッテンフェルトを見るケンプは他人事ではなかった。ケンプは第十三艦隊に奇襲を掛けたが一撃してすぐに後退した。

 ハンスから何度も追い払うだけに止める様に進言されていた。アムリッツァでのヤンの戦いぶりを見てハンスの進言に納得したものである。

 オーベルシュタインは提督達の輪の外でキルヒアイスとハンスの後ろ姿を見ていた。

 

(あの二人、ローエングラム伯との仲を特権と考えられても困る)

 

 オーベルシュタインが危惧した二人はラインハルトの前で対立していた。

 

「一度の失敗で切り捨てるようでしたら人が居なくなります」

 

「犠牲を考えずに指揮をされたら兵士が集まりません」

 

 二人の対立を前にラインハルトは逆に冷静になっていた。

 二人の言い分には、それぞれ一理があるからである。

「取り敢えずオーディンに帰ってから処分を決める」

 ラインハルトの言葉に二人は、その場を収めるしかなかった。

 ラインハルトは二人が仲違いする事を危惧したが杞憂に終わった。

 帰国の途上で皇帝崩御の報が入ったからである。

 



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衣替え

 

 フリードリヒ四世には三人の孫がおり、新しい皇帝には既に亡くなった皇太子の子のエルウィン・ヨーゼフ二世が帝位についた。

 ハンスの進言でエルウィン・ヨーゼフ二世の後見人にはベーネミュンデ侯爵夫人がなった。

 ハンスは侯爵に階位を進めたラインハルトに釘を刺した。

 

「孫には罪は有りませんよ。ましてや五歳児には母親が必要でしょう。権力闘争の戦場である宮廷ではなく普通の平穏な人生を送らせたいのがベーネミュンデ侯爵夫人と私の願いです」

 

 リヒテンラーデ侯と違い。ベーネミュンデ侯爵夫人は野心もなくエルウィン・ヨーゼフ二世を我が子の様に愛情を持って面倒を見ている。

 

(逆行前の関係者の回顧録では躾の出来てないクソ餓鬼だったらしいからな。恐らくは幼児期の大人の愛情不足だろう。親戚がブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯だからなあ。無理もないが)

 

 相手がベーネミュンデ侯爵夫人となればラインハルトにしたら言いたい事もあるらしいがハンスに釘を刺されたので我慢しているらしい。

 ハンスにしたらラインハルトに対して「いい気味だ!」と思っている。

 

 ラインハルトの場合、普段から女性から親切にされ過ぎている。逆行前の世界でアンネローゼの死後に出された獅子帝ラインハルトの同級生という人物の回顧録にラインハルトは子供時代にクラスのガキ大将との喧嘩で石を使い出血させた事があったらしい。息子が出血する程の怪我をさせられて黙っている親がいる筈もなく、ミューゼル家に怒鳴り込む準備をしていたら同級生の女子の団体から抗議を受けたらしい。「ミューゼル君は悪く無い!」「ミューゼル君をこれ以上いじめるなら私達が黙ってないわよ!」と言われた上に日頃の行いに尾ヒレに胸ビレに背ビレまで付けて親に告げ口された上にラインハルトの写真を見せられた途端に母親もラインハルトの味方になった。同級生は齢十歳で世の不条理を学んだそうだ。

 

 それに今の段階ではエルウィン・ヨーゼフより当面の敵は野心だらけのブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の二人である。

 二人とも皇帝の娘と結婚して娘がいる。その娘を女帝に据えて権力を握るつもりでいる。

 その後にリヒテンラーデ侯が控えているのである。

 この老人、前者の二人に比べて比較的に道徳的なのだが先の無い年齢で権力を手にして何を為す気なのかラインハルトには理解不能である。

 正直な話、エルウィン・ヨーゼフに関わっている余裕は無いのだ。

 

 軍内ではミュッケンベルガーがラインハルトに地位を譲る形で勇退となり、ラインハルトが宇宙艦隊司令長官となる。

 キルヒアイスは昇進して中将から上級大将となり宇宙艦隊副司令長官になった。

 ハンスも昇進して准将となった。

 ロイエンタールとミッターマイヤーも昇進して大将となった。

 ビッテンフェルトは新帝即位の恩赦で中将に留まる事が出来たがオーベルシュタインとハンスの進言で戒告と一年間の減俸となった。

 

 そして、最大に変わった事はアンネローゼが後宮から解放された事である。

 ラインハルトはミュッケンベルガーに初めて感謝をした。

 ミュッケンベルガーから下宿生活について説教をされなければアンネローゼを屋敷に迎える事が出来なかったからである。

 毎日、仕事が終わり家に帰るとアンネローゼが夕食を作って待っている。

 

 この当時のラインハルトはアンネローゼを屋敷に迎えて感慨に浸りたいのだが色々と忙しい。

 表向きの仕事では宇宙艦隊司令長官として人事を刷新しなければならない。

 エルウィン・ヨーゼフの即位の恩赦として大規模の捕虜交換の準備。

 そして、非公式な仕事では同盟に内乱を起こさせる為の下準備。

 ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の動向の監視である。

 

 そして、ハンスも色々と忙しい。

 フーバー中佐に命じて六人家族が身を隠せる潜伏場所を探させる。

 それと、ファーレンハイトの監視と家族調査である。

 更に、辺境各地に連絡網を作りハンスに即時に報告が来る体制を作る。

 それと、ベーネミュンデ侯爵夫人の元を訪れエルウィン・ヨーゼフの様子も見なければならない。逆行前の世界では子供の身で大人達に利用され行方不明になったのだ。 

 他にはリヒテンラーデ侯の一族の身辺調査も行う。

 

 本来なら逆行前の知識で早い時期から準備や調査を始めてれば忙しい思いをせずにすむのだが、それはそれで周囲に疑念を抱かせる事になる。

 

(未来を知っていても、株で儲けるにしても元手がない。宝くじは当選番号を記憶している筈がない。未来の記憶も存外に役に立たん)

 

 忙しいのはハンスやラインハルトだけでなくキルヒアイスもオーベルシュタインもロイエンタールもミッターマイヤーも誰もが忙しいのである。

 当然と言えば当然の話なのだが、ラインハルトが宇宙艦隊司令長官になるのに合わせて宇宙艦隊はラインハルト派一色にしなければならない。

 同時にアムリッツァ星域会戦の事後処理も大変である。そこに内戦に向けての準備がある。内乱中の同盟対策もある。

 忙しいのは当たり前である。

 

 その忙しい中で元帥府で新人士官のリュッケが元帥府の玄関先で揉めている。

 

「何か有りましたか?」

 

 ハンスが好奇心でリュッケに聞いてみた。

 

「それが、こちらのフロイラインが元帥にアポ無しで面会したいと言われてまして」

 

「フロイライン、役所とか会社とかはアポイントを先に取ってからですね。訪問され……」

 

 ハンスはラインハルトのファンが押し掛けて来たと思って規則を盾に追い返そうと思ったが女性の顔を見て止まってしまった。相手は未来のラインハルトの伴侶である。

 

「貴女は確か、マリーンドルフ家のフロイラインですね」

 

「閣下は確か…………」

 

「無理しなくても良いですよ」

 

(そりゃ、父親が無事解放されて感動の再会中に横で貰い泣きした人間なんか記憶に残らんよな)

 

「し、失礼しました」

 

「貴女なら別に問題は無い。時間が掛かりますが宜しいですか?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 ハンスはヒルダを適当な部屋に待たせてラインハルトには味方が来たと言って面会の時間を作らさせた。

 

(彼女みたいな物好きじゃないと、あんなシスコンは結婚とか無理だからな)

 

 逆行前は独身のままの生涯だった自分の事は百万光年の先の棚に上げて失礼な事を考えるハンスであった。

 

 上司に対して失礼な事を考えた罰なのか。ハンスはラインハルトからイゼルローン要塞に捕虜交換の申し込みの使者として赴く様に命令された。

 

「卿が将官の中で最も暇そうだからな」

 

 ハンスとしては抗議をしたいがラインハルトに内緒で動いている仕事も多く文句も言えない。

 尤も、ラインハルトもハンスが自分に内緒で動いている事は承知しているし、ハンスもラインハルトが承知している事を知っている。

 お互いに表向きは知らないふりをしている。

 

(狸と狐の化かし合いだな。どちらが狸か狐なのか?)

 

「閣下。この間、マリーンドルフ家のフロイラインが来訪しましたが如何でした?」

 

「そう言えば、卿が取り次いだのだな。あのフロイラインは傑物だぞ。貴族の中で稀な存在だ」

 

(ほう。話の内容ではなく本人に興味を持ったか)

 

 ラインハルトはハンスの表情を見てヒルダ本人の事でなく話の内容を説明しだす。

 

(何で俺の表情を敏感に読み取れるのに女性には鈍感なんだ?)

 

「その、確かにフロイライン・マリーンドルフは美しい女性だったが卿にはドルニエ家のフロイラインがいるだろ!」

 

 また、ハンスの表情を読み取ったラインハルトは盛大な勘違いをした。

 

「まあ、個人の私生活に立ち入るつもりは無いがロイエンタールの様に女性を泣かすのは如何なものかと思うぞ」

 

「閣下、勘違いをしないで下さい!」

 

 ハンスが慌てながらラインハルトの勘違いを訂正する。

 

「私は別にフロイライン・マリーンドルフに恋愛感情を持っていません。更にフロイライン・ドルニエにも恋愛感情を持っていません。フロイライン・ドルニエとは友人です!」

 

 ラインハルトが手に持っていたペンを離して、ハンスにソファーを勧める。

 ハンスがソファーに座ると従卒に自分とハンスの分のコーヒーを持って来させると従卒に人払いを言いつける。

 

 ハンスは何事かと思うとラインハルトから恋愛について説教される。

 

「まあ、卿は若いから女性の気持ちが分からんのは仕方がない」

 

(あれ。立場が逆じゃない?)

 

「良いか。卿は姉君と仲が良いから歳上の女性には姉君と同じ様に接してしまうかもしれんが、女性というものはだな」

 

 結局、ハンスが解放されたのは一時間後の事であった。

 その間、元帥府に居た者はラインハルトとハンスが仕事の話をしていると思い疑問に思う事はなかった。

 

(何で俺がラインハルトから説教されるのだ?)

 

 この勘違いはラインハルトがヒルダと正式に婚約発表する直前にラインハルトからハンスが謝罪されるまで続く事になる。 

 更に呆れた事にヒルダもラインハルトからの説明で勘違いをしていたらしく。ヒルダはヘッダに謝罪をしたので大騒ぎになるのである。

 全ての事情を後で聞いたアンネローゼは自分のラインハルトの教育に問題があったのではと悩む事になる。

 

 こうして色々な意味で帝国は古い衣装を脱ぎ去り、新しい衣装に衣替えする季節であった。

 

 



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イゼルローン要塞訪問始末記 前編

 

 ハンスがイゼルローン要塞に使者として赴くとヘッダに告げるとヘッダは急に心配顔になる。

 ヘッダはイゼルローン要塞陥落以来、軍事については過敏になっている。

 その都度、ハンスは丁寧にヘッダを安心させるのだがアムリッツァ星域会戦では帝国の一個艦隊だけが大打撃を受けたと報道された為にヘッダは大打撃を受けた艦隊にハンスが居たのではと心配してハンスが帰国した時は泣きながらハンスを抱きしめたのである。

 今回も不安がるヘッダを安心させる為にヤンの為人を説明して軽口を叩く。

 

「イゼルローン要塞に行けば帝国に無い物もあるし、亡命者には懐かしい物もあるから土産は何がいい?」

 

 不安がりながら紙に書いたリストを渡すヘッダは義理とはいえハンスの姉である。

 

 出発直前にラインハルトからはヤンの為人を観察する様に言われた。

 艦に乗り込みオーディンを出た後に艦橋で艦長から言われた事にハンスは驚く。

 

「閣下もローエングラム侯から信頼されてますな」

 

「信頼されてたら、あんな遠い所までお使いに行かせんと思う」

 

 艦長は頭を抱えて呆れる。

 

「閣下は亡命者でしょうに、言わば古巣に使者として出すのは閣下が裏切らないで帰って来ると信頼されてるからでしょう」

 

「あっ!」

 

「今回の任務はローエングラム侯が閣下の事を信頼してる証ですぞ」

 

 艦長に指摘されて初めてハンスも気が付いた。周囲では自分達と違う受け取り方をしているのかと。

 

(そうか。今回は逆だったがオーベルシュタインが心配しているのは周囲が勘違いをして不満なり不安なりを抱える事なのか)

 

 だが、別の意味でハンスはラインハルトを裏切る。

 

「艦長、例の用意は大丈夫?」

 

「大丈夫です。閣下」

 

「艦長、お主も悪よのう」

 

「これは、閣下程では御座いません」

 

 二人して笑い合う姿を見て艦橋に居た乗組員は呆れていた。

 

 イゼルローン要塞では哨戒に出ていたユリシーズが帝国の巡航艦一隻を発見する。

 

「停船せよ。停船せよ。しからざれば攻撃する」

 

「我に交戦の意志なし。我に交戦の意志なし」

 

 ユリシーズの艦橋ではニルソン艦長が帝国軍巡航艦を眺めながら部下のエダ中尉に漏らす。

 

「久々に亡命者か?」

 

「流石に巡航艦の手土産付きは無いでしょう」

 

 この二人、アムリッツァ星域会戦でユリシーズが「トイレを壊された艦」と笑い話にされてから、すっかり捻くれてしまったのである。しかし、二人は知らなかったが近い未来に哨戒に出すと敵を連れて来る艦とレッテルを貼られる事になる。 

 

 捻くれた二人はイゼルローン要塞に連絡を入れて巡航艦を伴いイゼルローン要塞に帰投する。

 巡航艦は主砲の射程外ギリギリに留まり通信でヤンに来訪の目的を告げる。

 

「帝国軍准将ハンス・フォン・ミューゼルです。今回はエルウィン・ヨーゼフ二世陛下即位記念の恩赦の為に捕虜交換交渉の使者として推参しました。ヤン・ウェンリー大将閣下にはラインハルト・フォン・ローエングラムより書簡も預かって来ております。要塞の入港許可をお願いします」

 

「了解しました」

 

 ハンスに比べてヤンの返答は短い。ムライが顔をしかめる。

 

「閣下、いくら何でも軽率では無いですか?」

 

「大丈夫だよ。ムライ少将。今の時期に帝国軍にイゼルローン要塞を手に入れる意味は無いからね」

 

 実はヤン自身が以前からラインハルト程ではないがハンスには興味があったのである。簡潔に言えば公私混同である。

 

 ヤンは中央指令室のスクリーンで乗艦から降りるハンスを見ている。港にはキャゼルヌとシェーンコップが出迎えに行っている。

 

「しかし、帝国に亡命すると厚遇されるとはいえ、十代で将官とは異例でしょうな」

 

 パトリチェフがスクリーンの中のハンスを眺めながら評する。

 

「そうだね。皇族でも無いのに異例の出世だね」

 

 ヤンがパトリチェフの評に同意する横でフレデリカがスクリーンの映したハンスの顔を凝視する。

 

「しかし、異例の出世した理由とは考えにくいですが、我が軍の軍事機密でも持ち出したとしか思えませんな」

 

 ムライがハンスの出世の理由を推理する。

 

「確かに考えにくい話ですな。軍属の身で機密を持ち出せる程、我が軍の防諜システムがザルでは無いでしょうから」

 

 ムライの意見にグエンも半分だけ賛成する。

 

「どちらにしても奴さんが亡命した理由と状況を考えたら裏切り者とは呼べないな」

 

 アッテンボローの意見には全員が首肯する。

 

「それに彼の亡命状況が政治宣伝の為とは言え同盟に伝えられて、感謝している兵士も多いでしょうな」

 

 フィッシャーがハンスが亡命して一番の影響を話す。

 

 ハンスの亡命の理由と状況を帝国が政治宣伝に使った結果、同盟軍内部での物資横流し組織の存在が発覚して捜査の結果、大量の処分者が出たのである。

 この事件は「黒い霧事件」と呼ばれている。

 

「確かに脱出用シャトルの非常食やバッテリーを横流しとか史上空前の不祥事だからね」

 

 ヤンもフィッシャーの意見に賛成するしかなかった。歴史家志望のヤンの記憶にも無い不祥事である。

 

 会見はイゼルローン要塞の会議室で行われた。

 ヤン達が会議室に入室すると帝国軍一同は席から腰を上げてヤンに敬礼する。

 双方の挨拶を済ますとハンスが単刀直入に本題の話をする。

 

「通信でも話しましたがエルウィン・ヨーゼフ二世陛下の御即位記念の恩赦として捕虜交換を行いたく推参しました。此方は計画書です」

 

 ハンスがラインハルトから渡された書類をヤンに手渡すとヤンは一読してキャゼルヌに回す。

 

「内容は問題無いと思います。しかし、私には権限が無いので上申してからの返答になりますが宜しいでしょうか?」

 

「私も元は同盟の人間ですから事情は分かります。国防委員会からの返答があるまでイゼルローンに滞在する許可を頂きたい」

 

「それは構いません」

 

「それと、図々しい願いが有りまして、帝国では同盟の製品は人気が有るのですがフェザーン経由ですと私達の様な一般庶民の手の届く価格では無いので商業施設内で土産を買う許可を頂きたいのです」

 

「それは、構いませんがトラブルだけは起こさないで下さい」

 

「有難う御座います!」

 

 帝国軍一同からは歓声が上がる。

 

「しかし、帝国マルクは今のイゼルローンでは使えませんよ」

 

「大丈夫です。本国を出る時に両替して来てます!」

 

 既に用意してた事に同盟側の出席者は唖然とするばかりであった。

 

 会見も終わり同盟側から晩餐会の招待されたハンスは喜んで出席を承諾して会議室を出ようとするとフレデリカが近付いて話し掛けて来た。

 

「失礼ですが閣下が同盟に居た時は統合作戦本部の横にあった三角公園のレストランで働いていませんでしたか?」

 

「はい、そうです。そこで母親と住み込みで店を手伝ってました」

 

 ハンスが答えた途端にフレデリカから抱きしめられた。

 

「ち、ちょっと!」

 

「良かった。生きていてくれたのね」

 

 ハンスを抱きしめてフレデリカが泣き出す。

 ハンスは突然の事態に驚きながら顔を真っ赤にしている。

 予想外の展開に慌てる帝国軍一同に比べて面白そうに見守る同盟軍一同。

 

「ほら、大尉。准将が困っているじゃないか」

 

 妙齢の女性に抱きつかれ顔を真っ赤にしてるハンスを見てシェーンコップ等は内心(まだまだ未熟だな)と思っていた。

 

 一頻り泣いたフレデリカは恥ずかしそうに恐縮しながら理由を説明した。

 

「准将閣下が働いていたレストランには母が健在の頃に両親に連れられて行ってまして、よく店の手伝いをしていた准将を見掛けてましたので、私が士官学校を卒業して第十三艦隊に配属が決まった頃にレストランが火事で全焼したと聞いたので気にしていたんです」

 

 フレデリカの説明を聞いてシェーンコップも思い出していた。

 

「あのレストランなら俺も良く使っていた。帝国風の料理を出す店だった」

 

 シェーンコップの言葉にハンスも驚くしかなかった。

 

「しかし、宇宙は広い様で狭いものだ。常連さん二人にイゼルローンで出会うとは」

 

 元々、同盟にさほどの未練はなかったハンスだったが自分の最古の思い出の場所が無くなった事で完全に未練は無くなった。

 これ以降は帝国人として生きていくと決意するハンスであった。

 

 その日の晩餐会は和やかな雰囲気で始まった。

 帝国軍は勤続十年で退職金と恩給が出るのでハンスも勤続十年で退役する考えを言うと帝国人と同盟人の両方が驚いていた。

 

「それ程に驚く事かな。十代で閣下と呼ばれる身分になったし、正直な話、自分は上司を持つのも部下を持つのもストレスになる人間ですから屋台の店主等が性にあっています。それに、今回の捕虜交換が和平の切っ掛けになってくれればとも思っています」

 

 ハンスの発言にムライが驚きながら反論する。

 

「同盟軍の私が言うのも何ですが、十代で将官になる貴官の才能を考えたら退役なさるのは帝国軍にしたら損失なのでは」

 

 ムライの発言は、その場にいた帝国人の心情を代弁するものであった。

 

「ネタばらしすると、私の価値はアムリッツァ星域会戦で無くなりました。私は同盟の提督達の為人を把握してましたから」

 

 ムライが少しでも情報を得ようとハンスに更に問い掛ける。

 

「差し支えなけなれば説明してい頂きたい」

 

「私達の様な少年兵の間で最大の重要な情報は従卒として付く提督の為人なんです」

 

「それは、どういう理由で?」

 

「その意味では同盟も帝国も変わらないと思いますが、質の悪い提督には従卒等に八つ当たりする人や八つ当たりしなくても不機嫌を表に出すだけの提督もいますからね。従卒には提督が不機嫌なだけでも、かなりのプレッシャーになりますから、自然と少年兵の間では提督の為人の情報交換が活発になります」

 

 ハンス以外に兵卒上がりが居なかった為に全員が驚きと共に納得もした。

 

「まあ、酷い提督は執務室で女性士官と不倫していた人もいましたけどね。そこに奥さんが乗り込んで来て戦場でないのに修羅場を経験した同期もいましたから」

 

 この話に応えたのは意外な事にキャゼルヌであった。

 

「その提督は多分、自分の同期だな。仲間内では有名な話だ」

 

 キャゼルヌが面白くなさそうに言う。

 

「本当に宇宙は広い様で狭いなあ。しかし、独身なら別にして、結婚していて何で浮気するかなあ?」

 

 逆行前の人生で独身だったハンスには浮気する夫の心理が理解が出来ずに不思議でならない。

 しかし、端から見れば、ぼやく様子は年相応の誠実な若者に見えた。そして、この若者が軍隊を辞めたがるのは全員が納得した。

 こうして、晩餐会は和やかな雰囲気で終わったのである。

 



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イゼルローン要塞訪問始末記 中編






 

 晩餐会の翌日、早朝からシャワーを浴びるハンスであった。

 今日はヘッダに頼まれた土産を買う為にフレデリカに買い物に付き合ってもらう事になっていた。

 晩餐会の終わった後に断られる事を覚悟でフレデリカに頼んだら、意外な事に承諾してくれた。

 フレデリカにしたら抱きついた事の罪滅ぼしと思っているかもしれない。

 待ち合わせ場所に現れたフレデリカはダークレッドのワンピース姿であった。

 帝国では華やかなドレス姿の女性を見慣れたハンスであったがフレデリカの私服姿に赤面してしまった。

 

「おはよう御座います。閣下」

 

「おはよう御座います。フロイライン・グリーンヒル」

 

「おはよう御座います。准将閣下」

 

 フレデリカに気を取られて気付かなかったが、ハンスと勝るとも劣らない程に赤面している少年がいた。

 

「君は?」

 

「はい、ユリアン・ミンツと言います。今日は閣下の買い物のお手伝いをさせて頂きます」

 

 成る程、二人だけだと下衆な噂が流れるかも知れないから、ユリアン・ミンツも巻き込んだとハンスは判断した。

 正直、ユリアンが居てくれたらハンスも気が楽である。

 

「ほう。大尉に、こんな大きな息子さんがいたとは」

 

 気が楽になった途端にフレデリカとユリアンをからかうハンスであった。

 

「「違います!」」

 

 二人の口から異口同音で否定の言葉が飛び出る。

 

 先に立ち直ったのは年長者のフレデリカであった。

 

「もう、閣下もお人が悪い」

 

「これは、失礼。まあ、母子というよりは姉弟かな」

 

 取り敢えず、三人で買い物に出掛ける事にした。先にハンスが自分の買い物のリストをフレデリカに見せるとフレデリカがユリアンに丸投げする。

 

「このワインならスーパーよりリカーショップが安いです。それに此方のパスタと米はスーパーより専門店が安いです」

 

 ユリアンが的確なアドバイスを始める横でフレデリカが赤面している。

 

「その、私は一人暮らしですので、三食とも士官食堂を利用してますから」

 

 ユリアンを連れて来たのは純粋に買い物の戦力の様であった。

 

「恥じる事では有りませよ。私の姉も一人暮らしの間は自炊はしてませんでしたから」

 

「あ、有難う御座います」

 

 三人で買い物に出掛けるとユリアンとハンスの間には簡単に友情が成立してしまった。二人とも軍服を脱ぐと生活戦争の戦士になるのである。

 店の中で自分には理解が出来ない専門用語が飛び交う二人の会話にフレデリカは自分の家事能力向上を真剣に考えるのであった。

 

「イゼルローンの店はサービスがいいんだな。買い物した商品を港まで届けてくれるのか」

 

 フレデリカの説明では嗜好品などは民間船がハイネセンから運んで来るのだが帰りには乗組員用の生鮮食品を積んで帰る為に港まで届けるサービスがあるらしい。

 

 午前中にハンスの買い物を終えた後にユリアンは「ヤン提督に昼食を作って差し上げねば」と言って敵前逃亡をした。

 何故、敵前逃亡なのかはフレデリカが持っていた買い物リストに女性用下着販売店の名前を見つけたからだ。

 ハンスとユリアンの友情は脆かった。

 

(まあ、思春期の少年に女性用の下着屋の前で待つ勇気は無いよなあ)

 

 ハンス自身にあるのかと言えば無いのである。中身は八十歳過ぎの老人でも男である限り苦手はあるのである。

 下着屋の前にはベンチとカップコーヒーの自販機が用意されベンチにはユリアンと同じ位の少年、二十代半ばの青年、四十代の中年と全員が死んだ魚の様な目でコーヒーを片手に座っている。

 

「お待たせ。じゃあ次の店に行こうか!」

 

 十代後半の少年の姉らしき女性が店から出て来た。

 

「お父さん、次の店に行こう」

 

 その数分後に母子と思われる二人組が出て来てた。中年男性が二人を連れて足早に去って行く。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 青年に勧められてベンチに腰を下ろすと青年と目が合った。

 お互いの境遇に同情するが、ハンスにしたら青年は恐らく恋人を待っているのだろう。姉の土産の為に無駄な苦行を積んでいる自分よりマシだと思う。

 

「お兄ちゃん、お待たせ!」

 

 ハンスは反省した青年は自分と同じ身の上だったのだ。

 気が付けばハンスが一人、下着屋の前で佇んでいた。

 

(はあ。帰ったら覚えていろよ)

 

 ハンスは姉に対して復讐を誓うが誓うだけである。実行する程の度胸は無い。

 

(大尉、早くしてくれ!)

 

 ハンスが願いが通じたのは一時間程してからであった。

 店から出たフレデリカは疲れた様に見えたのでカフェで休憩を取る事にする。

 

 カフェで紅茶を飲みながらフレデリカは女性として打ちのめされていた。

 

(准将の義理のお姉さんは帝国でも有名な女優らしいけど、あのプロポーションは反則でしょう!)

 

「閣下。参考までに閣下のお姉さんの写真でも拝見させて貰えますか」

 

「うちの姉は演技派女優だから美人じゃないですよ」

 

 ハンスが見せててくれた立体映像はハンスと並んで立っている。フレデリカよりも年下と分かる女性の立体映像だった。

 

 ヘッダの立体映像を見た事をフレデリカは後悔した。

 

「役作りで少々、痩せているけどね」

 

 ハンスの一言がフレデリカに止めをさす。

 

(これで痩せているとか、何を食べたら育つのよ!)

 

「自分と暮らし始めて自炊する様になったから痩せるのは簡単になったと言っていたけどね」

 

 フレデリカは自炊生活をする事を誓うのであった。

 

(ユリアンから何か簡単なレシピを教えてもらうしかないわね)

 

 二人は休憩の後に化粧品屋を数件梯子した。ハンスには乳液と化粧水の違いが分からない。洗顔料と普通の石鹸の区別も出来ない。クリームなど存在自体が不思議である。

 買い物が終わった頃には夕方であった。ハンスが本日の労いの為にフレデリカを食事に誘う。

 

「有難う御座います。閣下。図々しい様ですが私の友人も誘っても宜しいでしょうか?友人達も閣下が生きていたと知れば喜びます」

 

 フレデリカの申し出にハンスも納得した。それこそ二人だけで食事でもしたら結婚前の娘に悪い噂でも流れたら申し訳ないとハンスは考えた。

 

「構いませんよ。大尉のお友達ならよろこんで」

 

 フレデリカの友人と会った瞬間にハンスは後悔した。

 フレデリカが呼んだ友人は三人だが三人共にハンスを見た瞬間に抱き締めてきた。

 更にハンスを困らせたのは帝国の女性なら絶対に着ない様な過激な服であった。

 流石にレストランでは無理なので同盟軍御用達の店に行く事になった。

 店内にはチラホラと軍服姿が見えるが、フレデリカの話だと客の九割が軍人という事らしい。

 帝国軍の軍服姿の自分が入っても大丈夫なのか疑問に思ったが流れて来る料理の匂いに負けて入ってしまう。

 店内は帝国時代の内装のまま営業していて、古臭い感じがするが出された料理はハンスも驚くほどのボリュームと味であった。

 

「ここの料理は軍人向けの味とボリュームだから一般人には多いボリュームだけど軍人の私達には丁度良いわ」

 

 男女平等の同盟らしくウェイトレスとウェイターの比率が半分で男性客にはウェイトレス、女性客にはウェイターである。

 ハンスも男である。美しいウェイトレスが料理を運んで来る度に鼻の下を伸ばすのだが、フレデリカを始め女性陣から耳を引っ張られるのである。

 

「閣下。私達がいるのに失礼ですよ!」

 

「あんなに可愛いかったのに!」

 

「少しはユリアンを見習って下さい!」

 

「あんな美人のお姉さんがいるくせに!」

 

 完全に酔っ払いである。ウェイトレスも怯えて来なくなりウェイターが来る様になってしまった。

 

「もう少し若い子を入れてくれたらいいのに!」

 

「フレデリカは良いわよ。ユリアン・ミンツとか可愛い男の子が側にいて!」

 

「本当よ。私なんか中年のキャゼレヌよ!」

 

「ユリアン・ミンツとは言わないけど、薔薇の騎士のブルームハルトみたいにウブな子もいいわね!」

 

 逆行前の世界で場末のキャバレーに勤めてた事もあったハンスだが、流石に閉口してしまった。

 

(あのお姉さん達も閉店後に酒や飯を奢ってくれたが、あのお姉さん達の方が遥かに淑女だったぞ)

 

 それからのハンスの記憶は無い。

 朝、起きると下着姿で宛がわれた部屋のベッドで寝ていた。

 体を起こすと下半身に違和感があり、視線を向けると既視感に襲われた。

 

(また、下着の中にお札が?)

 

 今度は前回より金額も紙幣の数も多い。

 

(どんなショーを披露したんだろ?)

 

 二度とイゼルローン要塞では飲酒をしない事を誓ったハンスであった。

 ハンスがイゼルローン要塞での禁酒を誓った頃、フレデリカも青い顔をしていた。

 

(帝国軍の将官に化粧をした上に服を無理矢理に脱がせてウェイトレスの衣装を着させてストリップをさせてしまった)

 

 フレデリカは慌てて友人達に連絡を取るが友人達は昨夜の乱行の事を全く覚えていなかった。

 

(自分も友人達みたいに記憶が無ければ幸せなのに!)

 

 フレデリカは自慢の記憶力を生まれて始めて恨んだ。

 

(幸いな事に店にいた客達は本物の踊り子さんと勘違いをしていたみたいだったけど)

 

 もし、ハンスが覚えてなかったら永遠に記憶を封印して墓場に持って行こうと固く誓ったのであった。



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イゼルローン要塞訪問始末記 後編

 

 昨夜の記憶が無いハンスは悩んでも仕方がないとシャワーを浴びて心の整理をする。

 良くも悪くも二回目なので立ち直りは早い。

 

 シャワーを浴び終わり身支度を終わらせた時に訪問者が来た。

 

「ミンツ君じゃないか。昨日は裏切りおって!」

 

「昨日は失礼しました。ところでヤン提督がお呼びです。執務室までご足労を願います」

 

「了解した。じゃあ、行こうか」

 

 ヤンの執務室には当然ながらフレデリカもいる。

 執務室の扉が開いて、お互いを認識した途端にハンスは顔を緊張させるし、フレデリカは顔を明後日の方向に向けるが耳まで赤くなっている。

 

(大尉も准将も純情だな。一昨日の事を気にしているとは)

 

 戦争以外は鈍感なヤンは見当違いも甚だしい事を内心で思ったが口に出したのは真面目な話である。

 

「先程、非公式ながら国防委員会から通達がありまして、帝国の提案を受諾するそうです。細かい部分はフェザーンの互いの弁務官事務所で行うそうです」

 

「了解しました。小官もヤン大将閣下も軍人なので交渉事が本職の弁務官事務所に任せた方が賢明でしょう」

 

「それで、正式な受諾の文書は夕方になるそうです。准将が来られたのが土曜日の午後でしたので関係各部署が今朝まで閉まっていた為に遅くなってしまいました」

 

「気にしないで下さい。此方がアポも取らずに押し掛けて来たのですから」

 

「そう言って貰えれば助かります。此方が文書の草稿です。不都合な部分があれば指摘して下さい。すぐに修正します」

 

「ちょっと待って下さい。私は書類仕事に明るくないので、部下に明るい人間がいますので部下に確認してきます。書式の問題が有りますので大尉をお借りしたいのですがよろしいでしょうか?」

 

「分かりました。では、頼んだよ。大尉」

 

「了解しました」

 

 こうしてハンスはヤンの前からフレデリカを連れ去る事に成功した。

 一応は本当に部下に確認してもらい問題無しと太鼓判を押されたハンスは部下を下がらせた後にフレデリカに昨夜の事を質問する。

 

「大尉、小官は昨夜は大尉達に失礼な事をしませんでしたか?」

 

 ハンスは顔を赤くしているがフレデリカも顔を赤くして答える。

 

「いえ、閣下は泥酔しても紳士でしたわ。しかし、昨夜の事は忘れた方が宜しいです。宇宙には知らない事が幸せな事も有ります」

 

 フレデリカの言葉にハンスは素直に従った。一方、フレデリカも昨夜の事を誤魔化す事が出来たので内心は安堵していた。

 これ以降、この件は二人が触れる事は生涯なかった。

 

 自室に帰って来たハンスは昨夜のチップを銀行に持って行き新品の紙幣と硬貨に両替してもらい帰りに文房具店で額縁を買うと薔薇の騎士の詰所に寄った。

 

「閣下。この様な所に如何なさいました」

 

 リンツが慌てて応対する。

 

「すいませんが工具を貸して欲しいのですが」

 

「別に構いませんが、何か修繕するなら私達がしますよ」

 

「そんな事ではなく、ちょっと土産物を作るつもりなんです」

 

「はあ……」

 

 ハンスは銀行から両替した新品の紙幣と硬貨を二枚ずつ表と裏を額縁に入れていく。

 

「何をしているんですか?」

 

「帝国の金持ち連中の土産でね。連中は金があるからイゼルローンで売っている物はフェザーン経由で持っているけど、同盟の通貨は珍しいだろうと思ってね。フェザーンはマルクが使えるからディナールは見る事が無いからね」

 

 リンツもハンスのセコさに呆れながらも感心していた。

 

「そして、イゼルローンのデパートの包装紙に包んだら立派な土産の出来上がり!」

 

「ほぼ詐欺ですかな」

 

「詐欺は酷いなあ。せめてペテンと言ってよ」

 

「それじゃ、うちの司令官ですよ」

 

 ペテンの片棒を担いだリンツが自覚もなく上司を扱き下ろす。

 

「ヤン提督も大変だな。上司を平気で扱き下ろす部下を持って」

 

 ラインハルトが知れば呆れる様な事を自覚の無い部下が言う。

 

「それでは工具と場所を借りた代金の代わりに食べて下さい」

 

 ハンスが包装紙を土産物に取ったクッキーを置いた。

 

「こりゃ、有難い。私達は甘い物に目が無いんですよ。おい、ブルームハルトとお前も此方に来て頂け!」

 

 リンツに呼ばれた青年は力なく頷いた。

 

「彼、具合でも悪いんじゃないの?」

 

 リンツがハンスの耳元で囁いた。

 

「体の不調なら、まだマシです。医者にも治せない病気でしてね」

 

「もしかして、アレかい?」

 

「そうなんですよ。昨夜、酒場で流しの踊り子に一目惚れしましてね」

 

「そりゃ、大変だ。あの種の仕事の女性は偽名を使って、目標の額を稼いだら、すぐに足を洗うからね。それも大抵は出稼ぎだから、イゼルローンならハイネセンとかに帰ってしまうだろ」

 

「ええ、 だから、本人も自分が見つける前に彼女が帰るかもと思って、あの通りなんですよ」

 

「見つかるといいね。私も祈っておくよ」

 

 ハンスの祈りも虚しくブルームハルトの相手は見つかる事がなかった。

 

 自室にお手製の土産を置いた後に話は再びヤンから呼び出された。

 

「早いですね。もう送られて来たのですか?」

 

「准将には大変申し訳ありませんが、事務方の手違いで明日になるそうです」

 

「それは仕方が有りません。ヤン提督の責任では無いので頭を上げて下さい」

 

 もう一日、イゼルローンに滞在が出来る事を喜びながらもハンスは頭を下げるヤンに寛容に接する。

 

(さてと、お土産は確保したし小遣いも手に入ったし、今日は女性連れでもないから大人の店に冒険でもするか)

 

 実は最初から、これが目当てで使者の役目を引き受けたハンスであった。

 

「それから、無許可の軍事施設の立ち入りは禁止ですが、未成年が立ち入り禁止の場所も閣下は立ち入り禁止です」

 

「えっ!何で?」

 

「私の伝達ミスですが一昨日、准将達がイゼルローンに入港と同時にローエングラム元帥の名で准将を未成年立ち入り禁止の場所に入れない様に通告がありました」

 

 ハンスの考える事などラインハルトはお見通しであった。フレデリカが同じ場に居なかったらヤンの前でもラインハルトを罵倒していたハンスである。

 

「元帥閣下も冗談がきつい。私が如何わしい場所に行く筈がないのに!」

 

 しかし、ラインハルトとハンスでは俗世間の知識はハンスが上であった。

 自分が行けないなら自分の所に呼べばいい。ハンスには昨夜のチップの残りもある。

 だが、ハンスは自分の知名度とヤン艦隊の誠実さと物分りの良さを知らなかった。

 フレデリカがハンスと同年代の婦人兵との合コンを企画したのである。

 

(そりゃ、若い娘かもしれんが自分の孫と変わらんぞ。未成年相手に酒抜きの合コンとかロリコンじゃあるまいし)

 

 ハンスは中身は八十歳近い老人である。

十代の少女などは孫の世代である。

 まして、フレデリカもいるがフレデリカは未来のヤン婦人と知っているから口説く気にもなれない。

 それでも、少女達に愛想を振り撒き場を盛り上げる為にサービスするハンスであった。

 

 翌朝、ハイネセンから正式な文書が届き昼前には出発する帝国軍であった。

 艦橋では艦長以下の乗組員が鬼の居ぬ間の心の洗濯をした様で朗らかな雰囲気である。

 ましてやラインハルトがヤンに通達した内容も皆が知っているのである。

 他人の不幸は密の味と笑う乗組員なのが憎らしい。

 

「まあ、数年後には閣下も堂々と遊べるじゃないですか!」

 

 艦長が本気で慰めてるのか皮肉なのか判断が難しい発言をする。

 

「皆さん。楽しまれたみたいで宜しかったですね!」

 

「閣下のお蔭で私達は楽しめましたよ!」

 

「家族にも珍しい土産も買えました!」

 

 艦橋の乗組員からも本気とも皮肉とも判断し難い言葉が掛けられる。

 

「ふん!」

 

 ハンスは不貞腐れたふりをして艦橋を出て行く。

 

「お前ら酷い奴らだな。閣下は全然、楽しめてなかったのに」

 

「まあ、いいんじゃないですか。閣下はあの、ヘッダ・フォン・ヘームストラと同居しているんだぜ」

 

「本当だよな。あんな美人の姉がいるとか羨ましいぜ」

 

 因果応報の見本市になっていた。日頃からラインハルトに対する僻みが反射してハンスに返って来ている。

 

 ハンスは物陰で隠れて乗組員の本音を聞いていた。

 

(ラインハルトも連中も甘いね。イゼルローンに行って手ぶらで帰る筈がないのに!)

 

 ハンスは合コンの日の昼間に帝国軍の若い兵士に小遣いを与え、自分の代わりにポルノショップで買い物をして中身を自分の端末にコピーしていたのであった。

 

(帝国はポルノも厳しい国だが、同盟はポルノが緩い国だからなあ)

 

 ハンスは家で一人の時に楽しむつもりでいたが、すぐにヘッダにバレて三日間程、家に帰れなくなり元帥府で寝泊まりする未来を知らない。

 

 緩い国と言われた同盟の人々は去り行く帝国軍巡航艦を見送っていた。

 

「しかし、ミューゼル准将一人を麾下に置いた事だけでもローエングラム侯の器量が分かるね」

 

「そうですね。もし弟を持つならミューゼル准将の様な弟を持ちたいですわ」

 

「僕と二歳しか違わないのに立派な人でしたね」

 

「戦争は尊敬できる立派な人と殺し合う事だ。如何に罪悪な事か分かる」

 

 帝国側の事情を知らないヤン艦隊の面々はハンスの事を誠実で品行方正な若き将官と思っていた。願わくば戦場以外の場所で再会する事を期待して巡航艦の姿が消えるまで見送り続けた。

 



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リップシュタットの密約

 

 ハンスが帰還するとラインハルトにヤンの事を聞かれた。

 

「私とは年齢も階級も離れていて、元同盟人という事を差し引いても自然体の人ですね。恐らくは此方の計略をも読んでいますし、自分に出来るだけの手は打っていると思われます。そして、成功も失敗も受け入れる度量があると思います」

 

 ハンスがヤンの為人の印象を話すとラインハルトは思うところがあるのか静かに目を閉じた。

 

「卿の印象では私とヤンの相性は、まだ最悪と思うか?」

 

「思うも何も事実です。それは別にしても同盟を征服は出来るでしょう」

 

「なんだ。卿は結局はヤンは私には勝てないと思っているのか」

 

「ヤンは怠け者ですが閣下は働き者ですからね。その差です。それにヤンを麾下に加えるなら武官ではなく文官として迎えるべきでしょう」

 

「一度、私自身がヤンに会ってみたいものだ」

 

 ハンスはラインハルトの元を辞するとフーバー中佐の報告を執務室で受ける。

 潜伏場所は既に確保が出来たので計画は何時でも実行が出来る。

 ファーレンハイトは実家が老朽化しているので新しい家を提供が出来る用意をしている。

 辺境地区の情報網とハンスへの連絡手段も完成した。

 リヒテンラーデ侯の一族の素行調査は帝国貴族にしては善良であった。一門の当主であるリヒテンラーデ侯が自分の立場上、一族に理不尽な行いや横暴な行いを厳に戒めていた。

 

(リヒテンラーデ侯も私欲で権力を欲してない。ラインハルトと同じく帝国の将来を考えての事である。しかし、進むコースとゴールが違うのだろう)

 

 ハンスはリヒテンラーデが宮廷内のトラブル処理や門閥貴族の横暴な行いを牽制していたのを知っている。

 

(しかし、所詮は殺るか殺られるかである。せめて、リヒテンラーデ侯の血が流れるだけになるように努力しょう)

 

 逆行前の歴史では十歳以上の男子は死刑にされてしまった。あまりにも冷酷過ぎる。

 

(それと、艦隊戦のシミュレーションだな。実際に自分で指揮をした経験がないからなあ)

 

 今までは逆行前の歴史をカンニングする事で流血の量を減らしてきた。

 それも、他者に助言という形が多かった。実際に自分が行動したのは一度か二度である。

 しかし、今回は艦隊を自ら動かす必要がある。動かしたら後はカンニングする事も出来ないのである。演習も出来ない。完全にハンスの実力勝負となった。

 

(はあ、姉さんと養子縁組をした時に軍を辞めるべきだったかな)

 

 そうすればハンスの人生は単純で安全でいて、幼少の時に諦めた歴史家の道を歩けただろう。

 

(いや、駄目だ。イゼルローンではフレデリカさんだけではなく他に三人の女性が自分の心配をしてくれてたじゃないか)

 

 ハンスの脳裏にフレデリカの泣き顔が浮かんで来る。

 

(裏切れんよなあ)

 

 自分の為に泣いてくれた人がいる。そんな人の為にもラインハルトが宇宙を統一するまでは流血の量を減らせる努力はするべきだと思う。

 

(そうだ。ここが一番の難所だ。この戦いが終わったら自分が望んだ人生を歩める)

 

「閣下!」

 

 フーバー中佐の声に現実に返ってきたハンスである。

 

「すまない。考え事をしてました。それと、腕時計型の発信器を都合して下さい」

 

「発信器と言っても色々と有りますが、どの様なタイプが必要ですか?」

 

「カタログあります?」

 

 ハンスが小細工を始めた頃、キルヒアイスが捕虜交換に出掛けて行く。

 ハンスはキルヒアイスが出掛けている最中を狙ってラインハルトに上申をした。

 

「では、卿は連中と本格的に戦う前にメルカッツとファーレンハイトを拉致すると言うのか」

 

「表現は別にして貴族連中は巨大な蟹です。蟹も両手の鋏を取ってしまえば横にしか歩けません。蟹が怖いのは両手の鋏ですから」

 

「メルカッツとファーレンハイトが鋏と言うが他にも提督がいるぞ」

 

「鋏になれる提督は居ませんけどね。それにメルカッツ提督を内戦に巻き込むのは酷い話です。数年後には退役を迎えるのに苦楽を共にした部下と戦えというのは」

 

「分かった。あの二人が敵にならなければ損害は少なくなるだろう」

 

「では、連中がオーディンを脱出する寸前に鋏を取ります」

 

 捕虜交換からキルヒアイスが帰還すると捕虜達は一時帰宅をして再び軍に戻って来るのを両陣営は待っていた。

 

(さて、お互いがリングインしてゴングが鳴るのを待つだけになったな)

 

「准将、准将」

 

 キルヒアイスが物陰からハンスを手招きする。

 ハンスは周囲を見てキルヒアイスに忍び寄る。

 

「これは、イゼルローンの人達から准将に渡してくれと頼まれた物です。内密にとの事ですから誰にも見られない様にして下さい」

 

「これは、有難う御座います」

 

 ハンスは礼を言うとキルヒアイスから受け取った小包を持って自分の執務室に入る。鍵を掛けて中身を確認すると光ディスクが入っていた。再生機に掛けてみると同盟でも御法度のポルノだった。

 

(薔薇の騎士の連中だな!国の代表で来た人間に渡すなよ)

 

 流石のハンスも呆れていたが、それでも光ディスクを自分の部屋の金庫に入れなおす。

 更に光ディスクの下から一枚の写真が出て来た。

 それを見た時にハンスの目から涙が零れていた。

 

「何を考えてんだよ。馬鹿!」

 

 写真にはフレデリカと友人達がハンスを囲んで笑顔で写っていた。

 

「戦争している相手だぞ」

 

 戦争している相手の無事を祈る。全く矛盾した事が起きている。そして戦争を終わらせる為に戦争をする。馬鹿馬鹿しい事である。それでも、少しでも流れる血が減らせるなら減らす努力をしよう。ハンスは静かに決意した。

 

 数日後、フーバー中佐から門閥貴族達に動き有りと報告があった。

 

「スフィンクス頭が主催して園遊会を開催しました。フライパン頭等、不平貴族がリップシュタットの森に集結しました。参加貴族の数三千七百六十名になります。当時者達はリップシュタット連合と称しています」

 

「……その報告の途中に聞き慣れない単語が二つあったのですが……」

 

「スフィンクス頭は閣下もご存知の筈ですが、もしかしてフライパン頭の方ですか?」

 

「確かにスフィンクス頭は知っているが、そんな呼び名を卿が何処で知ったかを問題にしているのだが……」

 

「件の人物の実名を出すのは問題だから、この呼び名を使う様に元帥閣下から内々で通達が有りましたが閣下は知りませんでしたか?」

 

 フーバーから事情を聞いたハンスは5秒後には執務室を出ていた。

 

「閣下!貴方は何を考えているんですか?というより、何故、あの呼び名を知っているんですか?」

 

 ハンスの勢いにラインハルトも驚いたが次第に冷静になり説明する。

 

「卿の姉君が我が家に来た時に、劇団関係者の間では昔から使われてると教えてくれたのだ」

 

 ハンスは頭を抱えてしまった。

 

「私の姉が閣下の家に行くのですか?」

 

「卿の姉君と私の姉が友達なのだ」

 

「えっ!」

 

「正直に言うと私の姉が卿の姉君のファンなのだ。一度、劇場に花とケーキを送った礼を言いに訪問して来た時に聞いたのだ」

 

「了解しました」

 

 ハンスは脱力しながらラインハルトの執務室を出て行く。

 

(姉さん、アンネローゼ様の前で変な事を喋らんでくれよ)

 

 これ以降、ブラウンシュヴァイクはスフィンクス頭、リッテンハイムはフライパン頭とラインハルト陣営から呼称される事になる。これは、完全な挑発である。

 そして、ラインハルト陣営の挑発に乗った一部の若い貴族がリップシュタット盟約に参加しなかったドルニエ侯の娘を標的にした。

 その日、マリーは友人の見舞いに行き、病院を出た所を拉致された。

 ハンスがマリーに腕時計型の発信器を渡していた事が幸いしてマリーのSOS信号と居場所を特定されて犯人一味がアジトに着くのと同時に逮捕された。

 

 この事により家族の身を案じた貴族がリップシュタット連合に参加する者が続出した。

 

(マリーには可哀想な事をした。思春期の少女が誘拐されたのだ。ましてや運転手が犠牲になっている。責任を感じているだろうな)

 

 ハンスは静かに怒りを燃やしていた。マリーは事件以降、怯えて屋敷から出られないらしい。

 

(まあ、リップシュタットに参加する貴族が増えれば後で没収する資産が増えるのだが拉致事件以降に参加した連中には温情措置が必要だな)

 

 ラインハルトにしても門閥貴族がリップシュタット連合に加わるのは戦力増大になるので好ましくない。更に身内の身を案じて参加した貴族から財産を没収するのは気が引ける。

 

「閣下は甘いですな」

 

 オーベルシュタインは一刀両断にしてしまうがハンスはいう「連中を宇宙に追い出せば安心して此方の陣営に来ると思いますよ」

 

 既にメルカッツとファーレンハイトの両名はマリー拉致の報復として、ハンスの手で匿われている。

 

「相手に少し知恵が有れば閣下を暗殺かアンネローゼ様を誘拐に来ますね」

 

「卿の言は正しい。問題はスフィンクス頭に実行する意志があるかだが」

 

「スフィンクス頭に意志がなくとも部下がやるかもですね」

 

「あり得る話だな」

 

 この時にラインハルトは既に自分の屋敷に伏兵を待機させていた。

 余談だが、ラインハルト達がガイエスブルクから帰還すると屋敷を警備していた三千人の兵士は皆、太っていたそうである。

 ラインハルトは原因究明せずに黙って警備していた兵士全員に有給休暇を与えダイエットさせる事にしたが他の将兵やオーベルシュタインからの苦情は一切なかった。

 

 

 



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開戦

 

 ラインハルト達の予測した通りに暗殺という手段に出た者がいた。

 フェルナーが二百人程度の部隊でラインハルト暗殺かアンネローゼ誘拐を目論んでラインハルトの屋敷に突入を企てた。

 しかし、ラインハルトは既に屋敷の周囲に三千人の兵を待機させていた。

 屋敷の警護の指揮はキルヒアイスが取りラインハルトは屋敷の二階の窓から外を見ている。

 

「始まったな」

 

「閣下。アンネローゼ様は今晩は起きないと思います」

 

 ハンスがラインハルトに報告する。

 

「そうか。卿の姉君にも迷惑を掛けたな」

 

「此方こそ、姉も日頃は私の姉をしていますから、たまには誰かに甘えたくなる時も有ります」

 

 アンネローゼが不安にならない様にラインハルトがヘッダとハンスを使ってアンネローゼに酒を飲ませ寝かせたのである。

 珍しい酒が手に入ったと言ってヘッダとハンスが訪問してアンネローゼに酒を勧めたのである。

 そして、ハンスが酒のつまみを作りヘッダがアンネローゼに酒を勧めていたが途中から女同士での愚痴の言い合いになり二人で騒いでいたのだ。

 ハンスが二人の世話をしていたのだが、先にアンネローゼが酔い潰れヘッダがアンネローゼをベッドに寝かせて自分もアンネローゼと一緒に寝てしまった。

 

「しかし、卿の料理の腕も侮れぬな。あの姉上に酔い潰れさせる程の酒を飲ませるとは」

 

 ハンスがラインハルトの問い掛けに応えないので横を見るとハンスも酔い潰れていた。

 

「仕方がない奴だ」

 

 ラインハルトはハンスを抱き上げて客間のベッドに寝かせると、元帥府に向かった。

 

 予てからの予定通りにブラウンシュヴァイク邸とリッテンハイム邸に踏み込んだが屋敷には使用人も居らず、ブラウンシュヴァイク邸の地下で資料整理をしていたシュトライトを拘禁したのみである。

 同時に軍務省と統帥本部では軍務尚書のエーレンベルグと統帥本部総長シュタインホフを拘禁して組織の掌握に成功する。

 宇宙港ではリップシュタット盟約に参加した三千七百六十名の内、六百二十五名を拘禁する事に成功する。

 マリー誘拐事件以後に身の安全の為に参加した貴族の中でマリーンドルフ家に庇護を求めた者も多い。

 

 翌日、早朝からハンスはメルカッツの家族を訪問する。

 

「そうですか。事は始まりましたか」

 

「それで、事が終わった後に閣下には士官学校の校長に就任して欲しいのです」

 

 メルカッツは事が終われば退役する気でいたので意外な申し出に驚いた。

 

「実は、この事を元帥閣下に上申しましたら、何故か周囲の士官学校卒業生から熱烈な支持が有りまして」

 

 ハンスがメルカッツに名誉職として士官学校校長就任の話をラインハルトにした時に側にいたオーベルシュタインも珍しくハンスを支持したのである。

 不思議な事にロイエンタールやミッターマイヤー等の諸提督達も支持したのである。

 

(なんか、士官学校に問題があるのかな?)

 

 士官学校も幼年学校も縁の無いハンスには想像も出来ない。

 

「分かりました。お引き受け致します。一つお願いが御座います。私の部下の事ですが先の無い私に付き合わせるには忍びないのです」

 

「シュナイダー少佐なら、逆に此方からスカウトしたいぐらいです」

 

「では、宜しくお願いします」

 

 話が終わった後に次はファーレンハイトの新しい実家に向かう。

 以前のファーレンハイトの実家の家は老朽化が進み、ファーレンハイトの弟が手を加えて修繕していたのだが、ハンスが今の家と引き換えに新しい家を提供する事でファーレンハイトを引き抜いたのである。

 新しい実家ではファーレンハイトが弟や妹達と一緒に庭で畑作業をしていた。

 

「何を植えられるのですか?」

 

「うむ。今の時期だと人参かカブだろうな」

 

 ファーレンハイトが「食う為に軍人になった」と公言する理由は父親の長年の入院の為に腹違いの弟や妹をファーレンハイトが養っている為である。

 

「しかし、歳の離れた弟さんに妹さんですな」

 

「親父の奴め、婿養子で死んだお袋に頭が上がらなかったものだから後妻に若い娘を貰いやがった!」

 

 ファーレンハイト家の家庭事情の話になりそうなのでハンスは本題の話を始める。

 

「事が始まりました。閣下の部下の方々も事が終わり次第に復帰される手筈です」

 

「部下には悪い事をした」

 

「そんな事は有りません。皆さん、同じ帝国人と戦う事がなかったと安心しているみたいでした」

 

「そうか。それで安心した」

 

「まあ、事が終わるまで家族サービスをしてやって下さい」

 

 ハンスはファーレンハイトの次にマリーを訪ねた。

 誘拐事件以後、屋敷から出られないマリーの事を心配していたのである。

 

「この通りだ。准将には謝罪しきれないが父親として謝罪する!」

 

 ハンスが訪問するとドルニエ侯はハンスに謝罪して来たのである。

 マリーは誘拐された時の恐怖もだが自分の軽はずみな行動で運転手が犠牲になった事が堪えた様である。

 

「あの者は娘が幼い頃より我が家に仕えていて娘も懐いていました。今回の事で娘はあの者の家族に申し訳がないと言っているのです」

 

「いえ、私がフロイラインの誘拐を予測しながら未然に防げなかったのです。全ては私の責任です」

 

 事実、ハンスはマリーに護衛を考えたが公私混同になるのではと思い発信器を渡すだけにした自分の判断の甘さに責任があると思っていた。

 

「准将には少ないですが、これを納めて頂きたい」

 

 ドルニエ侯が差し出したのは小切手である。つまり、手切れ金である。

 ハンスは額面の0を目で反射的に数えたが六つまで数えたあたりで止めた。

 

「これは、亡くなられた運転手の家族に渡して下さい。軍人でありながら私のミスで民間人の方に犠牲を出してしまったので」

 

「分かりました」

 

「では、私は仕事が有りますので失礼します」

 

 ハンスは元帥府に赴くとメルカッツが士官学校校長就任を承諾した事とファーレンハイトが内戦が終わった後にラインハルトの麾下に加わる事を承諾した事を報告する。

 

「ご苦労だった。卿は今日は帰って良いぞ。帰りに私の屋敷に寄り姉君を連れて帰るが良い。また、しばらくは出征する事になる。家族サービスをするが良い」

 

 ラインハルトが珍しくヘッダの事を口にするのでハンスも怪しく思った。

 

「姉が何か失礼な事をしましたか?」

 

 ハンスが単刀直入に質問するとラインハルトも観念した様子で白状した。

 

「先程、キルヒアイスから定時連絡があったのだが、姉上と卿の姉君は意気投合しているそうだが、意気投合した勢いで姉上が私の幼少の頃のアルバムを見せているそうだ!」

 

 どうやら、幼少時の恥ずかしい話などをヘッダに話された様である。

 

「それは大変ですね。すぐに姉を連れ帰って事情聴取する必要があるみたいですね」

 

「明日は特別に有給をくれてやる!」

 

「ご配慮、有難う御座います」

 

 ハンスはラインハルトの執務室を出ると自分の執務室に戻りフーバー中佐に装備について打ち合わせをした後でヘッダを迎えに帰宅した。

 

 ラインハルトの屋敷では姉とアンネローゼがアルバムを見ては笑い合っていた。

 

(情報通りだな。こりゃ、ラインハルトじゃなくとも嫌がるわ)

 

 ハンスもアルバムの観賞を勧められたが誘惑に耐えて姉を引き摺る様にして屋敷を出た。

 屋敷を出る時に後ろからキルヒアイスの声が聞こえた気がしたが気にせずに帰宅する。

 

 玄関のドアを閉めた途端にヘッダから抱き締められた。

 

「また、出征するの?」

 

「うん」

 

「それから何があったの?」

 

 流石に義理とは言えハンスの姉である。ハンスの様子を見て弟に何かあった事を察していた。

 ハンスは正直にマリーと破局した事を姉に告白する。

 ヘッダにすれば二人が破局する事は既定の事実だった。ただ破局の際に弟が傷付く事を心配したが予想より小さい様であった。

 それから、二人は食事をしてシャワーを浴びて早めにベッドに入った。

 

「ねえ、正直な話。彼女の事は、どう思っていたの?」

 

「貴族の娘には珍しい良い娘だと思っていたよ。ドルニエ家は門閥貴族だが造船がメインの家柄だからね。ドルニエ侯も貴族というより企業の社長みたいな人だから貴族特有の嫌な部分が無い」

 

「そう。それで原因は?」

 

「見当がついていると思うけど、例の誘拐事件だよ。誘拐された事もショックだが子供の頃から仕えてくれた運転手が殺された。責任を感じているそうだよ」

 

 ヘッダはマリーを責める気持ちがあったが運転手が殺害された事に責任を感じているマリーに同情もしていた。

 

「本当は自分の責任だよ。予測しながら防げなかった。彼女の責任では無いよ。自分のヘマで彼女を傷付けて彼女を失った。悲しいけど自業自得だよ」

 

 ヘッダはハンスを抱き締めて口付けをする。

 

「もう!脈絡も無い事を」

 

「脈絡はあるわよ。油断してたら貴方を取られるから唾を付けておくの」

 

「あのね。人を食べ物か何か……」

 

 ハンスの抗議を遮って、ヘッダが再び唇を奪う。唇を離すとヘッダが宣言する。

 

「明日は休みなら遠慮しないから覚悟しなさい!」

 

「えっ!それは、どういう意味な」

 

 ヘッダは再びハンスの言葉を遮って、今度はハンスの全てを奪った。

 



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墓場への招待状

 

 朝日と小鳥の鳴き声が目覚ましとなりハンスが目を覚ました。

 ヘッダの笑みを浮かべた顔が視界を占領していた。

 

「おはよう。起きれる?」

 

 ハンスが低血圧なのを知っているヘッダが体調を尋ねて来る。

 

「おはよう。今朝は無理」

 

 ハンスの返事を聞くとヘッダはハンスを抱き上げてバスルームまで連れて行く。

 普段ならヘッダに抱き上げられるのは嫌がるハンスも今朝は大人しい。

 しかし、バスルームに入ると大人しかったハンスが大声を出す事になる。

 

「なんじゃこりゃ ~!」

 

 バスルームの鏡を見てハンスが絶叫する!

 ヘッダが付けた赤い斑点がハンスの身体中にある。

 

「あっ、思い出した。オーディンに初めて来た時も同じ様な事があったな!」

 

「ほ、ほら、熱いお風呂に入れば消えるからね」

 

 ヘッダが過去の悪戯も思い出されて慌てて取り繕う。

 ハンスも過去の事は別にして、今は身体中の斑点を消す事を優先した。

 二人で互いの背中を流しヘッダの髪を洗うのを手伝い二人して湯に浸かる。

 

「風呂はいいねぇ。人類が生み出した究極の文化だよ」

 

 ヘッダから背中から抱き抱えられる形で風呂に浸かるハンスが斑点をマッサージしながら温かい湯を堪能する。

 

「昨日の事、怒ってないの?」

 

 ヘッダが不安気な声でハンスに問い掛けた。

 

「普通に怒るに決まっているだろ!」

 

 ヘッダの顔が入浴中なのに一気に青ざめる。

 

「ごめんなさい。でも、貴方の事を愛してるの。もう、誰にも渡したくないの!」

 

 咄嗟に出たヘッダの嘘偽りのない本心であるが口にした途端に後悔してしまった。

 振り返ったハンスの顔は決定的な証拠を発見して裁判での勝利を確信した刑事の様な表情であった。

 

「ふ~ん。子供が出来た時に「パパとママ、どっちが先に好きになったの?」と聞かれたら「ママだよ」と答える事が出来るね」

 

 ハンスの言葉からハンスが自分を受け入れてくれた事が分かるが恋愛のイニシアチブを取られた。

 地球時代の特権を忘れられなかった地球教の如く、姉として特権の座に居たヘッダに取ってハンスにイニシアチブを取られるのは耐え難い事であった。

 

「弟の分際で生意気よ!」

 

「えっ!」

 

「ちょっと、昨夜の教育が足りなかったみたいね」

 

 ヘッダの目の光が昨夜と同じ事に気付いたハンスは情けない一言しか言えなかった。

 

「こ、今度は優しくして下さい!」

 

「じゃ、朝御飯はパスするわよ」

 

「は、はい」

 

 結果、朝食だけじゃなく昼食もパスする事になった。

 沈みかけの太陽が部屋をオレンジ色に染める。

 ヘッダとハンスは二人でベッドの中で愛を語り合ってなかった。

 

「今から外に食べに行くの!」

 

「仕方ないだろ。本当は今日の昼間に買い物に行く予定だったのに何が朝御飯はパスだよ。昼御飯もパスしたじゃないか!」

 

「何それ!私だけの責任じゃないでしょ!」

 

「責任対比で言えば九対一だろ!」

 

「そんな事を言うとは、まだ教育が足りなかったみたいね!」

 

 今回はハンスも負けてなかった。

 

「ほう、夕御飯も抜く気かね」

 

 ハンスの一言でヘッダの勢いも止まる。

 ヘッダも健康な若者である。三食抜きは流石に辛いものがある。

 そこにハンスが追い打ちを掛ける。

 

「それに、今日は二人の記念の日になるんだよ。事前に用意した料理じゃなく有り合わせの料理とかは嫌だよ」

 

 これにはヘッダもハンスの意見に納得するしかなかった。

 二人の人生の大きな分岐点となった日である。この日を大事にしたい思いはヘッダも同じである。

 

「そうね。二人の大事な日だもんね。まずはお風呂の中で行く店を決めましょうか」

 

 ちゃっかりとハンスとの混浴を決定しているヘッダであった。

 その後、二人で入浴を済ませ、ヘッダが出掛ける準備をしている間にハンスがベッドのシーツを洗濯する。シーツが洗い上がる前に冷蔵庫の中を整理する。

 シーツが洗い終わる頃にヘッダも出掛ける準備が終わる。

 何時の時代も女性の出掛ける準備には時間が掛かるものである。

 

「急な予約だったから個室は取れなかったよ」

 

「それは仕方がないわよ」

 

 二人が選んだ店は海鮮料理が売りの店である。ハンスが出征すると新鮮な魚料理等は口に出来ないからである。

 

「それに、今は牡蠣が旬だからね」

 

 帝国人は一般的に生の魚貝類を避ける傾向がある。例外と言えば牡蠣くらいであるが、それでも好んで食する人は少ない。どちらかと言えば健康の為に食べる人が多いのである。

 ハンスもヘッダも同盟で生まれ育った為か牡蠣を好んで食べる少数派の人間である。

 店に着いた二人は牡蠣のフルコースを注文する。

 牡蠣のピクルスから始まり締めに牡蠣のスープパスタ。更に追加で生牡蠣を注文する。

 

「蒸牡蠣の油かけって何?」

 

 メニューを見ていたヘッダが見慣れない料理を発見してハンスに質問する。

 ヘッダも売れっ子の女優でレストラン等で食事をする機会が多く色々と珍しい料理を知っているが帝国の伝統料理が殆どなので異文化の料理の知識ではハンスに及ばない。

 

「珍しいな。普通は魚に使う技法なんだけどね。蒸した素材に仕上げで熱した油を掛けるんだよ」

 

「珍しいわね。これも注文しましょう」

 

「蒸し方も違うから時間が掛かると思うよ」

 

「せっかくの記念だから多少の時間は関係ないわ」

 

 それならと二人分を更に追加注文する。店員がハンスの言う通り時間が掛かる事を教えてくれたが待ち時間に更に生牡蠣を注文する。

 

「なんだ、卿も来ていたのか」

 

 店員に注文が終わるとミッターマイヤーが妻のエヴァンゼリンを連れて声を駆けてきた。

 

「これは、ミッターマイヤー提督!」

 

 ハンスが立って敬礼をする前にミッターマイヤーが手で制止する。

 

「お互いに考える事は同じだな。宇宙に上がると新鮮な魚貝類は食えんからな」

 

「そうですね。しかし、愛妻家の提督が出征前にレストランに来るとは思いませんでしたね」

 

「実は俺もエヴァの手料理が良かったのだが、誰かさんがエヴァに入れ知恵したらしくてな」

 

「ま、まあ、入れ知恵した人も提督の健康を考えたから何でしょう」

 

 入れ知恵をした本人が言っているのだから間違いは無い。

 二人の会話を聞いていた女性陣は笑いを我慢するのに苦労している。

 

「提督。弟の事を許してやって下さい。家でも食事については五月蠅い子なんですよ」

 

 普段から食事に関してはハンスに無条件降伏しているヘッダが取りなす。

 

「貴方。そうですよ。ロイエンタール提督といい貴方といい。お酒を召し上がり過ぎですよ」

 

 ミッターマイヤーも妻から言われては何も言えなくなってしまう。

 以前にハンスを家に招いた時にハンスがエヴァンゼリンに色々と食事についてアドバイスをしたらしくミッターマイヤー家の食卓は健康志向になってしまった。

 

「しかし、エヴァといい、姉君といい。卿は年上の女性からは不思議と好かれるなあ」

 

「そうですか?」

 

「事務局の女性事務員連中が弟にしたいと言っていたぞ」

 

「弟ですか。恋人や旦那じゃないのが悲しいですね。ロイエンタール提督みたいになるのが理想なんですけど。痛っ!」

 

 どうやらヘッダに足を踏まれた様である。

 

「では、また明日」

 

 ミッターマイヤーは気づかないふりをしてくれた様である。

 

「ヘッダさん、ハンス君。おめでとう御座います!」

 

 エヴァンゼリンも一言を残して去って行く。

 後には、エヴァンゼリンの一言で顔を真っ赤にした二人が残された。

 

 

「フラウ・ミッターマイヤーには驚かされたなあ」

 

「でも、おめでとうって、言ってくれたわ」

 

 レストランからの帰り道でエヴァンゼリンの事が話題になっていた。

 ヘッダとしたら同性が自分達の事を認めてくれた事が嬉しくて仕方ない。

 ヘッダに僅かに残っていた罪悪感をエヴァンゼリンは消してくれたのだ。

 ハンスの方は気恥ずかしさが先に来てしまう。

 

「まあ、結婚するのも数年先になるけど、その時までは秘密にしとかないとね」

 

 これには幾つもの理由がある。第一にハンスは未成年であり結婚が出来る年齢では無い事。

 ヘッダの職業的に世間に二人の関係が露見すれば好奇心に晒される事。

 お互いに著名人なので司法当局も二人の関係が世間に露見すれば動かざるを得なくなる。この場合は成人であるヘッダが法的責任を負う事になる。

 そして、ハンス個人としては自分が戦死する可能性が有る事。

 二人の関係が露見した後にハンスが戦死した場合はヘッダは未婚のまま未亡人となってしまう。そうなればヘッダが新しい人生を歩む事が困難になる。

 そして、もう一つの理由はラインハルトとロイエンタールをからかえなくなってしまう事である。

 特にラインハルトの場合は今までの仕返しとばかりにからかって来るだろう。

 それでも、ハンスは大切な事をヘッダに伝える事を忘れてなかった。

 二人が家に帰り着くとヘッダが早速、ハンスを抱きしめて唇を塞いできた。

 ハンスも流されそうになるのを必死に耐えてヘッダを引き離すと大切な事を伝える。

 

「愛してます。すぐには駄目ですけど結婚して下さい!」

 

 ヘッダの顔は赤くすると再びハンスを抱きしめた。

 

「はい、喜んで!」

 

 ハンスがヘッダを抱き締める。

 

「でも、私の目が届かないと思って浮気とかしたら許さないからね!」

 

「はい!」

 

「宜しい!先程は不穏当な発言があったけど?」

 

 ヘッダがハンスを抱き締め返す力が尋常ではない。

 

「ちょっと、姉さん?」

 

「プロポーズしたからには貴方の体は私のものよ。私の体は私のものだけど!」

 

「それは、理不尽では」

 

「今から再教育して欲しい?」

 

「いえ、結構です!」

 

 こうしてハンスは人生の墓場への招待状を押し付けられたのである。

 後悔先に立たずの生きた見本となった。

 

 結婚は成功すれば幸せになれる。失敗しても哲学者になれる。

ソクラテス

 



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辺境航路

 

 最初にハンスがブリュンヒルトに同乗を拒否した時にラインハルトは不機嫌さを隠そうとしなかったがハンスの意見を聞いて納得したものである。

 

「私の価値は同盟軍に対してのみです。門閥貴族に組する敵将については私より諸提督が詳しいと思います。それに私は帝国の惑星ではオーディンしか知らないので、後学の為にキルヒアイス提督に随伴して帝国の辺境という場所を見ておきたいと思います」

 

 確かに聞く者を納得させる意見であった。意外な事にオーベルシュタインがハンスの意見を支持してくれた。

 

「閣下、ミューゼル准将は将来的には閣下を支える身です。門閥貴族等は戦いが終われば知る価値が無いですが辺境の様子を見る事はミューゼル准将だけではなく閣下の為にもなります。ここはミューゼル准将の希望を叶えるべきだと言えます」

 

 提督達もオーベルシュタインの意見に同意した。

 メルカッツとファーレンハイトが抜けた後には「理屈倒れのシュターデン」が唯一の艦隊戦の専門家なのである。

 提督達の殆どが士官学校卒業生であり、シュターデンの評判は知っているのである。

 

「分かった。悪いが面倒を掛けるキルヒアイス」

 

「了解しました」

 

(何とかラインハルトから離れる事が出来た。オーベルシュタインが居たらヴェスターラント救助の邪魔をされかねんからな)

 

 帝国歴488年 宇宙歴797年  4月6日

 

 帝国最高司令官のラインハルトにリップシュタット軍討伐の勅命が下る。

 即日、討伐に向かうラインハルト軍の誰もがメルカッツ、ファーレンハイトの両将を欠くリップシュタット軍の敗北を疑わないでいた。

 そして、勝利とは別に孤独な戦いをしていたハンスの予測より事態は早く動くのである。

 メルカッツが居ないリップシュタット軍はガイエスブルクに至る航路上の九つの要塞の全てに艦隊を派遣したのである。

 

「シュターデンが居て、兵力分散の愚を犯すとは!」

 

 ラインハルトを始め教え子のミッターマイヤーでさえシュターデンの正気を疑った暴挙であった。

 

「それぞれの航路を断ち、連携と補給を撹乱して孤立させてやれ」

 

 ラインハルトの命令は即時に実行された。

 その事を定時連絡で話を聞いたハンスは呆れていた。

 

「准将も呆れているみたいですね」

 

 問い掛けるキルヒアイスも何処か呆れてる様子である。

 

「はあ、シュターデン提督も気の毒だと思いまして」

 

「准将はシュターデン提督が気の毒だと?」

 

「あのスフィンクス頭がシュターデン提督が止めるのを聞かずに行動した結果だと思いますけどね」

 

「既にガイエスブルク要塞からは孤立化した要塞を救うべく、シュターデンが率いる艦隊が出撃したそうですよ」

 

「それを黙って見ている元帥閣下じゃないですよね」

 

「既にミッターマイヤー提督が迎撃に出撃したそうです」

 

(歴史も中途半端な変わりかたをしたなあ)

 

 確かに歴史は表面上は中途半端な変わりかたをしていたが中身はハンスが知る歴史とは違っていた。

 シュターデンの戦略ではラインハルト軍との直接戦闘は避け、ラインハルト軍を大きく迂回してオーディンから近い要塞から解放して自軍に加え、ラインハルト軍をガイエスブルクの本隊と前後から挟撃するというものであった。

 メルカッツへの対抗意識から出撃した本来の歴史とは違って戦理に叶った行動であったが周囲が本来の歴史と同じくラインハルト軍との交戦を望んでいた。

 

「ミッターマイヤー、卿は士官学校時代のシュターデンの教え子だそうだな」

 

「はい。シュターデン教官は理論と現実が解離した時に理論を優先させていました。我ら学生は理屈倒れのシュターデンと言っていました」

 

「では、卿に命ずる。実戦にて恩師に報いよ!」

 

「全力を尽くします!」

 

 教え子が恩師に報いる為に出撃した頃、恩師の命は既に風前の灯であった。

 

(メルカッツならブラウンシュヴァイク公を諫めれたかもしれない!)

 

 シュターデンの諫言も聞かずに兵力分散の愚を犯したブラウンシュヴァイク公の尻拭いをさせられ、命令も聞かずに先走る若い貴族に悩まされ、食事も摂れずに血を吐く有り様である。

 味方を救出した所で兵糧攻めされた兵が役に立つかシュターデンには疑問であったが、味方を見捨てる訳にもいかず出撃したシュターデンであった。

 この時、既にシュターデンはリップシュタット軍に参加した事を後悔していた。

 そして、シュターデンの部下達は上司が戦う前に倒れるのではと心配していた。

 アルテナ星域まで艦隊を進めた時にミッターマイヤー艦隊が既に待ち構えていた。

 

「前方に約六百万個の機雷が有ります。その向こう側にミッターマイヤー艦隊が布陣しています」

 

 三日後にハンスはシュターデン敗退の報を聞く事になる。

 

「こんな死に方する程、悪い人じゃないと思ったけどなあ」

 

「シュターデンは生きてはいますよ。戦闘が始まった途端に血を大量に吐き倒れたそうです。その場で部下が降伏したそうです」

 

「……それは、大変でしたね」

 

「心因性の胃潰瘍だそうです。流石のミッターマイヤー提督も同情していたそうです」

 

「……それは、大変でしたね」

 

 ハンスとしては同じ事しか言えない。そのメルカッツとファーレンハイトと共にシュターデンを拉致しなかった事を少し後悔をしていた。

 

「元帥閣下が頑張っている分、私達も頑張りましょう」

 

 キルヒアイスの言葉にハンスも首肯するしかなかった。

 キルヒアイスは四万隻の艦隊で辺境星域の戦いに既に六十回の戦いを繰り返し勝利していた。占領した地は民衆の自治に任せてラインハルトとの本隊と合流する為に辺境星域の航路を移動しながら戦っている。

 

「しかし、帝国の辺境星域って、広いんですね」

 

「銀河帝国は同盟の倍の歴史ですからね。その間も開発事業をしてましたから」

 

「しかし、素人が数千隻の艦隊でプロが指揮する四万隻の艦隊に喧嘩を売るとは、辺境星域の門閥貴族って馬鹿か何ですか?」

 

 キルヒアイスもハンスの言葉に苦笑するしかなかった。

 勿論、戦いだけではなく歓迎された惑星や星系もあった。乞われて宇宙海賊退治をした事もあった。実戦慣れしてる分、門閥貴族より手強かったのも印象的である。

 門閥貴族同士が惑星の所有権の争いをしていて仲裁に入ったりとか色々と大変であった。

 ハンスも辺境の問題点や辺境星域の民衆の生の声が聞けたので満足していた。

 また、キルヒアイスもハンスが民衆の本音を聞き出した事によりハンスを随員としてくれた事をラインハルトに感謝した。

 

(私達では民衆も遠慮があり信用もされにくいが、准将なら民衆も遠慮なく本音を言ってくる)

 

 ちなみにワーレンとルッツには別の意見もあった。

 

「あんな聞き方はあいつ以外の人間がやったら問題になる」

 

「どうせ、素人の貴族がプロの軍人に勝てる筈がないから、今のうちに勝ち馬に乗った方が得だよ」

 

 この辺りは、まだ良い。

 

「勝った直後は人気取りに走るから、今の内に困っている事を言っといた方が得だよ。気前の良い時に要求が出来るもん要求しとかないと」

 

 かなり雲行が怪しい。

 

「後から役人が来ても、どうせ給料泥棒しか考えてない連中だから上には問題ありませんとしか言わんから、任期が来たら後は野となれ山となれの連中なんだから」

 

 自分も役人という自覚が無い事を平気で言う。

 これは、ハンスが逆行前の同盟の役人に対する印象で本音だから説得力は確かにあるが、後の役人は苦労しそうである。

 

 翌日の定時連絡で九つの要塞の内で八つの要塞が降伏したと連絡があった。

 残りはレンテンベルク要塞のみであり、レンテンベルク要塞はガイエスブルク要塞にも近く逆に、こちらの補給線を絶たれる危険を考慮して攻略を決定した。

 レンテンベルク要塞を守るのはラインハルト嫌いの筆頭である装甲擲弾兵総監のオフレッサー上級大将である。

 レンテンベルク要塞はオフレッサーが陣頭指揮を取って士気も高く、ラインハルト陣営としたら犠牲者の数を考えると頭が痛いのである。

 

 そこで駄目で元々だと言って、ハンスがオフレッサーの説得を買って出た。

 

「あの男が説得に応じると卿は本気で思っているのか?」

 

 ラインハルトもハンスの申し出に呆れる気味である。

 

「だから、駄目で元々ですし成功すれば儲けものです。それに連中の事ですから薬物を使っているでしょうけど薬物にはタイムリミットが有りますから時間稼ぎになります」

 

 ハンスの意見にオーベルシュタインだけではなくロイエンタールとミッターマイヤーが賛成した。ロイエンタールとミッターマイヤーにしたら少しでも部下の犠牲が減るなら賛成である。

 

「分かった。卿ならオフレッサーを挑発するには丁度よいだろう」

 

 言外に失礼な事を言われた気がしたハンスだが、ここは大人しくするしかない。

 ラインハルトが不許可にしても不思議ではないのである。

 それに、ハンスはオフレッサーの事を気に入っているのである。

 下級貴族から本当に己の腕だけで上級大将に登り詰めたオフレッサーにハンスは一種の憧れを感じていた。

 

(まあ、どちらかと言えば死なせたくない人だからなあ)

 

 シュターデンの時とは真反対のハンスであった。

 しかし、ラインハルトはハンスにオフレッサーの説得をさせた事を後悔する事になる。

 後に帝国の正史から無視され民間では長らく笑い話として伝説になるハンスの説得が始まったのである。

 そして、この事がリップシュタット戦役全体に影響する事になるとは、この時点では誰も予測していなかったのである。

 



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説得? 舌戦? 僻みと妬み?

 

 オフレッサーは珍しい光景に呆気に取られていた。

 長年、戦場を往来したが武器を手にした兵士ではなく工兵がモニターとカメラにマイクを敵である自分達の前で設置しているのは初めての経験である。

 

「お前ら、一体、何をしている!」

 

「いえ、ミューゼル准将が閣下と話がしたいそうなんです」

 

「金髪の孺子の腰巾着か!」

 

「えっ、もう使えるの?」

 

 モニターのスピーカーから場の雰囲気を無視したハンスの声が流れてくる。

 

「おい、孺子!」

 

 その場にいた全員が震え上がる程の声でオフレッサーが威嚇する。

 

「すいません。ちょっとマイクのスイッチが入ってないみたいですけど、此方の声は聞こえてますか?」

 

 オフレッサーも折角の威嚇が空振りに終わり気まずいが一応は手で丸を作り聞こえてる事を示す。

 

「准将、准将、ボリュームを絞っていますよ。それボリュームのツマミですよ」

 

「これが、そうなの?」

 

 オフレッサーも呆れて物が言えない状態である。

 この会話はラインハルトもブリュンヒルトの艦橋で頭を抱えながら眺めている。

 

(ハンスは何をやっているんだ!)

 

「失礼しました。私がハンス・フォン・ミューゼルです」

 

「金髪の孺子の腰巾着が何の用か?」

 

「まずは、オフレッサー閣下の説得と少し質問がありまして、閣下が何故、其方の陣営にいるかが不思議に思いまして」

 

「不思議な事であるか!姉の色香で出世した金髪の孺子が気に入らんだけだ!」

 

「では、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下が即位された事に不満が無いのですか?」

 

「不満など無いわ!」

 

「それなら何故、スフィンクス頭とフライパン頭みたいな輩と徒党を組むのですか?」

 

 流石のオフレッサーもハンスが堂々と自然な口調で言うので咎める事を忘れていた。

 

「自分の娘を即位させる気で反乱を起こした馬鹿と組むとは何を考えてるんですか!」

 

「それは……」

 

「両名共に何を旗標に兵を挙げたのですか?」

 

「それは、君側の奸を取り除く為で、」

 

 ハンスがオフレッサーの言葉を遮り、怒鳴りつける。

 

「嘘をつくな!エルウィン・ヨーゼフ二世陛下の即位を認める事は一言も言って無いじゃないですか!」

 

 ハンスの怒りは続く。

 

「だいたい、他家に嫁に出した娘の子供が後を継ぐなど、あり得ない話でしょうが!」

 

「確かに、そうだが……」

 

 ハンスの言は正論である。息子が亡くなり孫が後継者になるのは皇室でなくとも当たり前の話であり、血縁でも姓が違う人間が後継者になるのは特殊な場合のみである。

 

「それに、先帝陛下には皇太子がおられて、皇太子が亡くなられた後に皇太子の息子である陛下が後を継ぐのは当然の話でしょう!」

 

「しかし、だな」

 

「何が、しかしなんですか?だから、閣下が元帥を嫌うのは個人の感情でしょうが!」

 

 ハンスにあっさりと切られてしまった。

 

「そもそも、閣下は何故に元帥を嫌うのです?」

 

「陛下の姉に対するご寵愛を笠にきてだな。僅かな功績で元帥などと」

 

 オフレッサーの詭弁をハンスが再び遮り怒鳴りつける。

 

「アスターテでもアムリッツァでも見事に完勝してます!」

 

 オフレッサーもラインハルトの功績を認めざるを得ない。

 

「もしかして、元帥が美男子だから僻んでるんですか?」

 

「そんな事で僻むか!」

 

(それは、お前だろ!)

 

 ハンスの横で聞いていたキルヒアイスと周囲の人間は口にはしないが同じ事を思った。

 

「なら、反乱を起こさずに直接、元帥を殴れば良いでしょう!」

 

「はっ?」

 

 ハンスの言にオフレッサーだけでなく聞いていた人間が完全に虚をつかれた。

 

「だから、元帥を殴れば閣下の気が治まり、帰順してくれるなら一発ぐらい元帥も黙って殴られますよ」

 

 ブリュンヒルトの艦橋で会話を聞いていたラインハルトがハンス達に聞こえるわけでもないが思わず叫んだ。

 

「勝手な事を言うな!」

 

 ラインハルトの声が聞こえないハンスは更に斜め上の発言をする。

 

「閣下が妬む気持ちは分かりますが、元帥は美男子ですがモテませんよ」

 

「だから、勝手に決めつけるな!」

 

 オフレッサーの抗議を無視してハンスは話を進める。

 

「見栄えはしますが恋人にするには欠陥人間ですよ」

 

「……」

 

 オフレッサーもハンスが何を言い出すのか分からずに黙って聞くしかなかった。

 

「そりゃ、あんな美人で優しい姉なら、男なら誰だってシスコンになるのは分かるけど、あれは度を超しているでしょう。恋人になっても、何事も姉優先で何か有れば姉とは違うとか姉に習えとしか言えない男ですよ」

 

「その、卿は本当に孺子の部下で間違いないよな?」

 

 オフレッサーもハンスが遠慮なくラインハルトを扱き下ろすので、ラインハルトを裏切って自分の麾下に参加した部下と面接している錯覚にとらわれた。

 

「はい、そうです」

 

「……」

 

 何度目になるだろう。ハンスを相手にしていて絶句するのは、そう言えば、退役したミュッケンベルガーがハンスの事を常人では理解が出来ない人間と評していたが納得するオフレッサーであった。

 

「それに、同性愛者では無いですが女性に興味が全然無いですから、一応は女性には礼儀正しく接していますが当人には道端の石と同様ですから」

 

 ブリュンヒルトの艦橋ではラインハルトが怒り心頭と言った表情をしていた。

 

「まるで、私が女性差別者に聞こえるではないか!」

 

 ラインハルトの部下である。ロイエンタールとミッターマイヤーもトリスタンの艦橋で青くなっていた。

 

「ハンスの怖い物知らずも凄いなあ」

 

 ミッターマイヤーの感想にロイエンタールも青い顔で同意するしかなかった。

 

「ですから、閣下が元帥を僻む必要もありません」

 

「たがら、違うと言っているだろが!」

 

 ハンスはオフレッサーの抗議を無視してオフレッサーがラインハルトに対して容姿で嫉妬しているという前提で話を進める。

 

「同じ美男子で女泣かせな人間は別にいるので殴るなら、其方を殴る事を絶賛推奨しますよ」

 

「……」

 

 オフレッサーも抗議をする事に疲れたのか諦めたのか何度目かの絶句をする。

 その様子を見ていたロイエンタールが嫌な予感を感じていた。

 隣に居るミッターマイヤーも同じ予想をしていた。

 

「美男子で実家が金持ちで貴族で女泣かせなら、ロイエンタール提督が居ますから殴るならロイエンタール提督が宜しいと思います」

 

 トリスタンの艦橋ではミッターマイヤーがロイエンタールに遠慮なく吹き出していた。

 

「卿は他人事だと思って!」

 

 ミッターマイヤーに抗議をするロイエンタールだったが、部下達の視線に気がつくと途端に居心地が悪くなった。

 

(閣下が一発、殴られたら兵士を死なせずに済むんですよ)

 

 ロイエンタールには無言ながら部下の言いたい事が理解できた。

 笑いを抑えながらミッターマイヤーがロイエンタールを説得に掛かる。

 

「いくら奴でも、一発で人は殺せまいよ。卿さえ我慢すれば丸く治まる」

 

 ミッターマイヤーが他人事だと思い何処かの時代の何処かの国の腐れ教師みたいな事を言う。

 

「おい、卿は他人事だと思って気軽に言うが相手はオフレッサーだぞ。一発でヴァルハラに行く事になりかねんぞ」

 

「大丈夫だ。卿はヴァルハラには行かんよ。俺が保証する」

 

「ヴァルハラじゃなく地獄とでも言うつもりだろ!」

 

「なんだ。卿は自分の事を知っているじゃないか!」

 

 ロイエンタールがミッターマイヤー何か言い返そうと思っていた時に部下達が、まだ痛い視線をロイエンタールに向けている事に気づいた。

 

「卿ら、それは上官に向ける視線ではないだろう」

 

 部下に八つ当たりしたロイエンタールだったが、部下達の視線に陥落したのは五分後の事であった。

 ロイエンタールが生贄になる事を覚悟した頃、ハンスの標的がラインハルトからロイエンタールに変わったみたいでロイエンタールを扱き下ろし始めた。

 

「一度に何人もの女に手を出さないですが女を次々と変えて捨てるから、余計に質が悪い!」

 

「そういうものか?」

 

 オフレッサーの素朴な質問にハンスは一刀両断に答える。

 

「そんなもんです。一度に何人も手を出していたら女性も、そんな男だと思い納得して諦められますが、ロイエンタール提督みたいに一人だけだと女性も真剣になります。それを簡単に捨てるから質が悪い!」

 

 ブリュンヒルトとトリスタンの艦橋で何人かの士官がハンスの意見に同意する。

 

「まあ、ロイエンタール提督なら世の人も良くやったと閣下を褒めますよ。それにロイエンタール提督に捨てられた女性も喜びます。私達も無駄な血を流さなくても良い」

 

 オフレッサーにして見ればラインハルトは確かに気に入らないが、自分が逆賊と言われるのは不本意である。

 それに軍事オンチのブラウンシュヴァイク公が九つの要塞に兵力分散した事で勝ち目がなくなった事を理解していたオフレッサーは、ロイエンタールに興味はないがハンスの提案を受け入れた。

 

「ご苦労様です。准将」

 

 複雑な表情で労うキルヒアイスに応じながら内心はハンスも驚いていた。

 

(まさか、本当に帰順するとは?)

 

 こうして、レンテンベルク要塞攻略戦は意外な形で無血開城した。

 オフレッサーがロイエンタールを殴るのは戦いが終わりオーディンに凱旋してからとなった。

 

 オフレッサーが裏切りレンテンベルク要塞が無血開城した報はガイエスブルク要塞にも届いた。

 オフレッサーはラインハルト嫌いの急先鋒で有名だった為に門閥貴族達の動揺も大きかった。

 次は誰が裏切るか、お互いに疑心暗鬼になりリッテンハイム侯は暗殺を恐れガイエスブルク要塞を出てガルミッシュ要塞に独自に本拠地を置くことになったのはレンテンベルク要塞開城から三日後の事であった。

 

 



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キフォイザー星域会戦

 

 ハンスは旗艦バルバロッサの与えられた一室で思考の海にいた。

 メルカッツが抜けた影響でリップシュタット軍の戦力を削る事は出来た。

 ブラウンシュヴァイク公が九つの要塞に三割近い艦隊を派遣してくれたお陰である。

 残りは十万隻を切っている筈である。

 逆行前の歴史ではレンテンベルク要塞攻略戦の後でも十五万隻の戦力を保有していたからである。

 

(問題はフライパン頭がガイエスブルク要塞から何万隻を引き抜いて来るかだが、本来の歴史なら十五万隻から五万隻を引き抜いて来たが、今は全体の半数近くの艦艇を引き抜いて来れるか?) 

 

 ハンスの本音はリッテンハイム侯が引き抜く戦力が多ければ被害が小さくなると思っている。

 

(ガルミッシュ要塞はガイエスブルク要塞と違い陥落させるのも簡単だし、それ以前にフライパン頭は烏合の衆なのに数の力を頼りに艦隊戦を挑んで来る筈、その時に捕まえればガルミッシュ要塞は労せずに陥落させる事が出来る。それに味方殺しの蛮行を阻止する事が出来る)

 

 帝国の補給部隊は同盟軍の部隊に比べて軍人意識が薄い。

 何故なら帝国軍が同盟軍と戦う時はイゼルローン要塞で最終的な補給をしてから同盟領に入る為に敵から攻撃される事が無いからである。

 

(役人という意識だけは有るんだが、フライパン頭に攻撃されたら被害甚大だろうなあ)

 

 同盟軍の補給部隊なら本隊が何時でも退却が出来る陣形と距離を考えているのだが、実戦慣れして無い悲しさで本隊が退却する事を考えて無かった為に味方であるリッテンハイム侯に攻撃される事になる。

 

(次はフライパン頭が、此方より少ない艦艇数なら艦隊戦を挑まないでガルミッシュ要塞に籠城するだろうから艦隊戦よりは犠牲者が減るだろうなあ)

 

 ハンスは艦隊戦のみしか対処策の用意が出来なかった。

 

(カンニングが出来ないと所詮、この程度が自分の限界かな)

 

 ハンスが自嘲していたらベルゲングリューンがドアの外から声を掛けて来た。

 

「ミューゼル。提督がお呼びだぞ!」

 

「はい。了解しました」

 

 ハンスは返事をしてベルゲングリューンとともにキルヒアイスの居る艦橋に向かった。

 

 艦橋にはキルヒアイスが書類を手にビューローと話をしていた。

 

「元帥閣下の事ですから何か考えがあるのでは?」

 

「多分、准将の思い過ごしだと思いますけど」

 

 そこにワーレンとルッツも艦橋に入って来た。

 

「揃った様ですね。元帥閣下からの新たな命令を伝えます。敵の副盟主のフライパン頭がスフィンクス頭と確執の挙げ句、五万隻の戦力でガルミッシュ要塞を占拠して此方に向かっているそうです。これと戦い撃破せよ。との事です」

 

 キルヒアイスがラインハルトからの命令を伝えると全員の視線がハンスに集中する。

 ラインハルトは生真面目な人間で間違えても公文書にフライパン頭とかスフィンクス頭とか書く人間ではなかった筈であり、ラインハルトに悪影響を及ぼした人間としてハンスが疑われたのである。

 

「フライパン頭もスフィンクス頭も自分じゃあ有りませんよ。うちの姉が元帥閣下に吹き込んだ犯人ですからね」

 

「その姉上にスフィンクス頭とかフライパン頭とか吹き込んだ人間がいる筈だが」

 

 ワーレンが容赦なくハンスを追及して来る。

 

「両方共に古くから演劇関係者の間で言われている事で、この件に関しては自分は潔白ですよ!」

 

 ハンスの弁明を全員が信用したが、その場にいた全員が口には出さないまま、同じ結論に至った。

 

(流石、ハンスを弟にするだけの女性であるな。帝国軍元帥相手に何を教えるやら)

 

「それより、作戦の方は如何なさいますか?」

 

 ハンスが露骨に話を反らしにきたが、真面目な話なので全員が気持ちを切り替えた。

 

「それについては、既に決まっています。敵は五万隻の大軍でも所詮は烏合の衆です。斜形陣を用いて対決します。その時、本隊として私が八百隻で突入します」

 

「たったの八百隻!」

 

 キルヒアイスの発言に、その場に居た全員が驚く。

 唯一、驚かなかったのはハンスのみである。

 

(えーと、八百を五万で割って、0.16で、それに百を掛けて……)

 

 暗算するのに忙しい様である。

 

「ええっー1.6パーセント!」

 

 ワンテンポ遅れてハンスも驚く。

 キルヒアイスもハンスの様子に苦笑しながらも細かい部分を話し出した。

 

 一方、公式文書でフライパン頭と書かれたリッテンハイム侯はキルヒアイスを相手に勝利した後の事を考えていた。

 

「ブラウンシュヴァイクめ、シュターデンが制止するのを聞かずに兵力分散をして金髪の孺子と戦う前に兵を損なうとは、愚か者め。此処で勝利した後でブラウンシュヴァイクの奴が敵と通じていて故意にしたと言って死刑にしてくれるわ!」

 

 その為にガイエスブルク要塞から半数の戦力を引き抜いて来たのだが、ブラウンシュヴァイクを蹴落とす計算は綿密にしていたがキルヒアイスに勝利する為の計算はしていなかった。

 

「前方に敵、四万!斜形陣で待ち構えています」

 

 部下からの報告にリッテンハイム侯は素早く砲撃を命令した。

 

「数は此方が多い!小細工は不要。正面から撃て!」

 

 だが、五万隻の艦艇から撃たれた主砲は全てルッツ艦隊のエネルギー中和システムに弾かれた。

 当然の結果である。両軍共に主砲の有効射程距離に入っていないのである。

 ルッツは艦橋で半ば呆れていた。

 

「素人め。間合いも分からんとは!」

 

「敵、有効射程に入りました!」

 

「よし、撃て!」

 

 ルッツ艦隊からの砲撃はリッテンハイム軍の艦艇を次々に火球に変えていく。

 リッテンハイム軍も怯まずに撃ち返すがルッツ艦隊には届かない。

 戦艦と駆逐艦では主砲の射程距離も違うので当然である。

 キルヒアイスが烏合の衆と評したのは現実であった。駆逐艦の横にミサイル艦が配置され、隣には母艦機能に特化した戦艦がいる。

 艦隊編成自体が無秩序なのである。

 

「我々も行きますか」

 

 キルヒアイスが戦端が開かれて無いワーレン艦隊の背後を横切り移動して行く。

 リッテンハイム軍の下級指揮官達はルッツ艦隊の激しい砲火の中で艦隊の再編成を試みるが至難の業としか言えなかった。

 そこにキルヒアイスの本隊が横から突入して来た。

 慌ててキルヒアイスに対処するべく部隊を回頭させると正面からはワーレン艦隊の主砲の雨が降り注ぐ。

 

 リッテンハイム軍は外からはルッツとワーレンから攻撃され、内部からはキルヒアイスから蹂躙され瀕死の状態であった。

 

 バルバロッサの艦橋でハンスがキルヒアイスに上申する。

 

「卑怯者のフライパン頭の事です。部下を見捨ててガルミッシュ要塞に逃亡するかもしれません。百隻程度で構わんと思いますがルッツ提督かワーレン提督に連絡して配置した方がいいでしょう」

 

 キルヒアイスはハンスの上申の正しさを認め、ワーレンとルッツの両提督に連絡してリッテンハイム軍の後方に五百隻の部隊の配置を命じた。

 

 連絡を受けたワーレンはキルヒアイスの能力に感嘆していた。

 

「キルヒアイス提督の慧眼には驚かせられるわ。敵の艦隊編成の不備を見抜き大胆な策を取り成功させるとは尉官時代から知っていて優秀だと思っていたが、これ程とは」

 

 ワーレンとルッツが各五百隻の部隊をリッテンハイム軍の後背に配置をすませた直後にリッテンハイム侯の金色に塗装された旗艦オストマルクが発見されたのである。

 

「戦乱の元凶を捕らえよ!」

 

 キルヒアイスの命令にリッテンハイム侯の旗艦周辺に砲火が集中する。

 護衛部隊を置き去りにして、更に二隻の盾艦を犠牲にして、目立つ金色の船体が敵と味方の双方が注目する衆人環視の状況で逃げ出した。

 それを見たリッテンハイム軍の艦艇が次々に動力を停止して降伏信号を発信する。

 部下を見捨てて自分だけ逃げ出した指揮官の為に命を捨てる理由が彼らには無かったからである。

 キルヒアイスの旗艦バルバロッサから追い回されたリッテンハイム侯にはバルバロッサが赤い悪魔に見えた。

 恥も外聞も捨て必死に逃げるオストマルクを意外な事にリッテンハイム侯を見限ったリッテンハイム軍の降伏した艦艇が助ける結果になった。

 バルバロッサは降伏した艦艇に阻まれ逃げるオストマルクを追跡が出来ないでいた。

 だが、リッテンハイム侯の安心も束の間であった。ハンスが予測してキルヒアイスが用意させた千隻の部隊に包囲されて拿捕された。

 こうしてキフォイザー星域会戦は一日で終了した。

 ガルミッシュ要塞も縄で縛られたリッテンハイム侯の姿を見せたら、呆気なく無血開城したのである。

 

(まあ、案ずるより産むが易しと言うが本当だな。補給部隊も攻撃されずにリッテンハイムも生きたまま捕らえる事が出来た)

 

 ハンスは久しぶりに計算通りに事が運び満足をしていた。この様子だと予定より早く内乱も終わりヘッダにも早く会える。

 しかし、予定が早く終われば次の予定が繰り上げになる様である。

 ガルミッシュ要塞からオーディンのフーバー中佐にリヒテンラーデ陣営の様子を聞くつもりで連絡を取ったハンスに驚くべき報告がされた。

 

「ヴェスターラントで民衆が蜂起しました。領主であるシャイド男爵は民衆により殺害されました!」

 

 報告を受けたハンスの顔から血の気が引いていた。ハンスは壁に設置された星域図に目を向けるガルミッシュ要塞とガイエスブルク要塞とではヴェスターラントまでの距離が違う。

 遥かにガルミッシュ要塞がヴェスターラントに遠いのである。

 ハンスの計画ではガルミッシュ要塞からガイエスブルク要塞で戦うラインハルト達に合流する寸前にヴェスターラントの蜂起が起こり、民衆蜂起の連絡を受けると同時にヴェスターラントに駆けつける算段であった。

 本来の歴史より優位に戦いを展開した為にヴェスターラントの民衆も早く蜂起してしまった。

 

(まさか、こんなに早くヴェスターラントで民衆蜂起が起きるとは)

 



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笑い

 

 本来の歴史より早くヴェスターラントの民衆蜂起が始まり絶望的な状況でハンスが取った行動は安直にも上司のキルヒアイスに相談する事であった。

 

「状況は分かりました。元帥閣下には私から報告しましょう」

 

「それだけでは不安です。元帥の側にはオーベルシュタインがいるんですよ。政治宣伝の為にヴェスターラントを平気で見殺しにする男です」

 

 ハンスの言葉にキルヒアイスも考えざるを得ない。ラインハルトは信用しているがオーベルシュタインが何か策を弄する可能性を否定は出来ない。

 

「閣下は元帥に働きかけて下さい。自分は足の早い艦を十隻程、お借りしてヴェスターラントに急行します」

 

「しかし、ここからでは間に合わないでしょう」

 

「かなり希望的な話ですが敵に何かトラブルが起きて遅れるかもしれません」

 

 キルヒアイスもハンスの気持ちが分かったのでハンスに軽巡航艦十隻を任せる事にした。

 

「それと、もう一つお借りしたい物があります」

 

「何でしょう?」

 

「フライパン頭の乗艦のオストマルクです。貴族が金に物を言わせた特注品ですからエンジンも桁違いの出力の筈です」

 

 確かにキルヒアイスのバルバロッサも最新鋭艦であるがオストマルクの様な特注品は別格である。戦場でキルヒアイスが見ても分かる大出力のエンジンであった。

 

「しかし、間に合っても一隻では撃破されてしまいます」

 

「まあ、多少の時間稼ぎは出来るでしょう。それで二百万人の犠牲が百万人になれば本望です」

 

 キルヒアイスは思い出した。ハンスはクロプシュトック事件の時には門閥貴族であれ民間人であれ救う為に爆弾を抱えて大怪我をした男でもあった。民間人の流血を極端に嫌う男なのである。

 

「卿が民主国家の軍人でいた事を忘れてました」

 

「大丈夫ですよ。閣下が考えている程、自分は聖人君子じゃありません。他にも保険を掛けますから」

 

 ハンスの保険とは上司のキルヒアイスに相談する以上に安直であった。

 銀河帝国でも疾風と謳われるミッターマイヤーに依頼する事であった。

 

「卿の言いたい事は分かる。何隻かヴェスターラントに行かせよう」

 

「有り難う御座います」

 

「礼には及ばん。卿も俺も当然の事をしてるだけだ」

 

 ミッターマイヤーはハンスから事情を聞くと快諾してくれた。

 ミッターマイヤーもオーベルシュタインに対して危機感を抱いていた。

 

(ハンスがオーベルシュタインを警戒する気持ちも分かる。確かに民間人も兵士も同じ命。後は数の論理なのだが……)

 

 ハンスはミッターマイヤーに事情を説明する時に顔も知らない民間人より自分の部下が可愛いと思うのは当然だと言って、オーベルシュタインの策に乗せられるラインハルトを擁護していた。

 

(ハンスは軍人としての才能はあるが性格はキルヒアイス以上に反比例して向いて無いな)

 

 キルヒアイス以上に向いて無いと評されたハンスはオストマルクのトイレで戻していた。

 盾艦こそ失ったオストマルクだが盾艦が無い為か確かに速かったが振動が激しい。

 他の乗組員は平気なのは慣れなのか、それともハンスが振動に弱いのか。

 

「生きて帰ったら検証してみるか」

 

 既に胃の中のものを全て戻したハンスは既に黄色胃液しか戻せない。

 

「閣下、艦橋にお戻り下さい。もうすぐ着きますよ」

 

「了解した。それとバケツを用意してね」

 

「すぐに用意しますが、閣下、大丈夫ですか?」

 

 喋る元気も無いのか手で大丈夫と伝えるハンスであった。

 

 艦橋に入ったハンスの顔色は青を通り越して白くなっていた。

 

「で、状況は?」

 

「惑星の地表に熱反応は有りません。間に合いました」

 

「そうか。便器と友達になった甲斐がある」

 

 ハンスの言葉に艦橋が笑いに包まれる。

 

「それから、ワルキューレを出して惑星の周辺を捜索させて下さい。味方の偵察艦が居る筈です。見つけたら敵の偵察をさせます」

 

 逆行前に同盟にもヴェスターラントの映像が流れていたのをハンスは覚えていた。

 

(あの映像自体がラインハルトの罪の証拠なんだが)

 

 そこまで、思考を進めた時に発進したワルキューレがハンスの視界に入った。

 それは見事に金色に塗装された八機のワルキューレがオストマルク周辺を一度、旋回してから散開して行く。

 

「ワルキューレって、白くないと戦場で不利じゃないのか?」

 

 同盟のスパルタニアンもワンポイントだけ塗装が許されていたが全体を塗装する者はいなかった。これにはハンスも呆れるばかりである。

 しかし、機体の塗装は別にしてパイロットの腕は確かな様で、すぐに偵察艦を発見してきた。

 

(強行偵察艦かよ。簡単に発見できる艦艇じゃないぞ)

 

「偵察艦と話がしたい。回線を開いて下さい」

 

 強行偵察艦の艦長は驚いていた。自分達は極秘で派遣されていたのをハンスは既に看破していたのだから。

 

「任務ご苦労。新しい任務だがガイエスブルク要塞から来る敵の戦力を知りたい。卿らの仕事は重大だぞ」

 

 ハンスは当然の様な顔で強行偵察艦の艦長に命令を下す。

 同じ情報畑とは言え所属の違うハンスが強行偵察艦の艦長に命令する権利は無いのだが艦長も本音は核の炎で焼かれた民間人を撮影する事に嫌気がさしていたので、何も言わずにハンスの指示に従ってくれた。

 

「今の内に二交代でタンクベッド睡眠を取って下さい。ワルキューレは帰還して下さい。パイロットと打ち合わせが有ります」

 

 ハンスは矢継ぎ早に指示を出して行く。周囲の士官達もハンスが十代で将官になった事を納得していた。

 とんでもない勘違いであった。ハンスが逆行して来てからヴェスターラントの惨劇を回避する為に色々なシチュエーションを想定して何千回も脳内でシミュレーションをした結果である。

 ハンスにしたらキルヒアイスさえ生き残れば、以後は無駄な流血は無くなり、ハンスも生活苦とは無縁の平穏無事な暮らしが手に入れられるのである。

 その為にはヴェスターラントの惨劇とキルヒアイスの死は回避しなければならなかった。

 

 パイロット達が艦橋に入って来ると、すぐに打ち合わせを始める。

 

「敵は一隻ではないでしょう。そこで空戦隊には敵艦の動力部を奇襲攻撃で狙撃してもらいます。完全破壊する必要は有りません。いざとなれば人質に出来ます」

 

 これは第一次ランテマリオ会戦で数に劣る同盟軍が使った策である。

 第一次ランテマリオ会戦はヤン艦隊が到着するまでの時間稼ぎの戦いという側面があったが、今回の戦いもキルヒアイスの部隊からとミッターマイヤーからの援軍が来るまでの時間稼ぎの戦いと言えた。

 

「問題は奇襲が成功しても残りの艦や動力を狙撃した艦からワルキューレが出ますから袋叩きにされる可能性が有ります」

 

 意外な事にパイロット達は平然としていた。

 

「安心して下さい。私達も三倍の敵なら互角に戦えます!」

 

 空戦隊長が代表して豪語してきた。

 

「それは頼もしいですね。それでも保険は掛けましょう。敵のワルキューレをオストマルクの副砲の射程に押し込んで下さい。敵はオストマルクの副砲の場所は把握してないと思います。幸いにも金色のワルキューレですから砲手も敵味方の判別が簡単です」

 

「了解しました。我々も艦砲射撃を味方に出来るなら楽です」

 

「それと大事な仕事が残っています。もし、核ミサイルが発射された場合はワルキューレで撃ち落として下さい」

 

 発射されたミサイルを撃ち落とすとは常識では考えられない事をハンスはパイロット達に要求した。

 

「分かりました。そこまで、私達の腕を信用して頂けるなら期待に応えましょう」

 

 ハンスは空戦隊全員と握手すると休憩を取る様に命じた。

 その後に砲術士官を呼び打ち合わせをすると砲術士達には休憩を取らせる。次は機関士達を呼び打ち合わせする。打ち合わせが終わると機関士達に休憩を取らせる。

 この様に各部署の人達を呼び打ち合わせをしていく。

 

(この日の為に凡人が練りに練った策だが、何処まで実戦で通用するのやら)

 

 今回はカンニング無しの実力勝負であり、ハンスにしたら五里霧中の戦いである。そして、ハンスの敗北はヴェスターラントの民衆二百万人の死に繋がるのである。

 

「偵察艦から連絡が有りました。戦艦三隻がガイエスブルク要塞方面から接近して来ます。会敵予想時間、およそ三時間!」

 

「宜しい。偵察艦は、そのまま待機。オストマルク全乗組員は宇宙服か装甲服を着用せよ。準備が出来たら出撃するぞ。敵が目的地に着く前の気が緩んでる時間帯を狙う!」

 

(最悪の場合は戦艦の一ダースは覚悟していたんだがな。それとも途中でミッターマイヤーの部隊に捕捉された数が減ったか?)

 

 逆行前の人生では最悪の予測がハズレた事が無いハンスとしては、戦艦三隻という幸運は信じ難い事であった。しかし、口に出しては楽天的な事を言う。

 

「全乗組員に告ぐ。生き残ったら、パーティーをするぞ。この艦にはフライパン頭が沢山の高いワインやブランデーやら積んでいるからなあ。おつまみも豪華だぞ!」

 

「美女が居ないのが残念ですね」

 

 艦橋の誰かが軽口を叩くが、ハンスも軽口で応じる。

 

「美女は居ないけど、美少年なら、ここに居るぞ!」

 

 艦橋が笑いに包まれる。その会話を聞いていた各部署にも笑いが起こる。

 ハンスも表面だけは笑う。三対一の不利な戦いである。同盟人ならグランド・カナル事件を覚えている人も多いだろう。二対一でさえ勝つ事は困難である。

 大佐時代のビッテンフェルトが一隻で二隻の戦艦を撃破した事でラインハルトに見出だされた。

 逆に言えば一隻で二隻を撃破する事が如何に困難な事なのか。

 そして、これから三隻の戦艦と戦うのである。

 

(まあ、この期に及んで笑うしかないか)

 

 表面も笑うが内心も苦笑していた。結局は裏表なく笑うハンスであった。



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死闘?

 

 金色の宇宙船が無数のネオンを点滅させている光景は異様であった。

 

「なんだ、ありゃ?」

 

「あれは、リッテンハイム侯のオストマルクじゃないのか?」

 

 通信回線からは、やたら景気の良い曲が流れて同盟語で歌を歌っている。

 

「猫のエリザベスが言いました。私の彼は黒猫です。夜のデートでキスをするにも一苦労。どちらが頭で尻尾やら、闇夜に鳴かぬ烏の声きけば有り難や、有り難や」

 

「何なんだ?」

 

 艦橋に居る全員が歌詞も意味不明な上に音痴である歌声に首を捻る。

 衝撃は突然きた。艦が揺れたと思った途端に艦橋の照明が非常灯に切り替わる。

 

「やられました!奇襲です。機関部に被弾!」

 

 敵襲なのは理解したが目の前のオストマルクは動いていない。何処に敵艦が居るのかと思ったら金色のワルキューレが飛び回っている。

 

「しまった!」

 

 オストマルクは囮であったのだ。そして、囮のオストマルクから牙を剥いてきた。隣の僚艦がオストマルクの主砲で火球に変わる。

 

「ガイエスブルクに緊急連絡しろ!」

 

「駄目です。通信アンテナも被弾してます!」

 

 まだ、健在だった僚艦も金色のワルキューレの攻撃を受けた様で救援の発光信号を出していた。 

 

「何と言う事か!たった、一隻の戦艦に三隻の戦艦が負けるとは」

 

 勝った艦を指揮していたハンスは指揮官席で脱力しながらも指示を出し続けていた。

 

「発光信号にて降伏を勧告して下さい。三分して降伏受諾しないなら撃沈すると、三分後に降伏を受諾しないなら望み通りに撃沈して下さい」

 

(はあ、終わった。何千回もシミュレーションした成果が出た)

 

 ハンス自身も驚く程の短期決戦で戦いは終了した。

 ハンスも気づいてなかったが逆行前はラインハルトの軍と戦い、逆行後はヤンやウランフにボロディン等の一流の用兵家と戦っていたのである。

 自然と用兵家としての経験を積んでいたのである。更に言えばハンスはラインハルトやヤンの様なエリートではなく末端の兵士としての経験もあり、自ずと戦場での視野は広くなっていた。

 それ以前に、リップシュタット軍が弱かったのが最大の勝因であった。

 軍人としては地位のみで素人ばかりが指揮官なのであるから当たり前の話である。

 

「敵艦から降伏を受諾の信号です」

 

「了解した」

 

(とは言え、ベルゲングリューンが来るまで、何も出来ないけどね)

 

 ハンスが思案に暮れた時にオペレーターの悲鳴に近い声が艦橋に響く。

 

「偵察艦入電。三隻の敵戦艦が三時の方向から接近中。会敵予測時間は二時間!」

 

 真相はハンスの予測通りにブラウンシュヴァイク公は十二隻の戦艦を出撃させた。

 しかし、前面にはラインハルトの軍が布陣している為に六隻づつのグループに分けて出撃させたのである。

 その内の六隻をバイエルラインの部隊が捕捉して撃破したのだが撃破した後にガイエスブルク要塞に動きがありバイエルラインはミッターマイヤーの本隊に帰還したのである。

 集結宙域に現れない味方の六隻を三隻が捜しに行き、残りの三隻が任務遂行の為にヴェスターラントに赴く途中であった。

 

(ヤバいなあ。最悪の予測が的中したな!)

 

 ハンスが逆行して来てからの二年近い時間で予測した事態の上から何番目からの不利な状況である。

 

「空戦隊は帰還しているかな?」

 

「はい、既にワルキューレは回収しています」

 

「それじゃ、逃げるぞ!」

 

「えっ!」

 

「先は不意討ちだから勝てたけど、今度は無理!」

 

「逃げたら、ヴェスターラントはどうなるんですか?」

 

「逃げながら相手を挑発して味方の所まで行くぞ。味方と合流したら袋叩きにしてやれ!」

 

「了解しました!」

 

(ベルゲングリューン部隊が何処まで来ているかが勝負の鍵だな)

 

 ハンスは逃げる時も敵に発見されるコースを取りながら逃げた。

 

(二隻と一隻に分かれてくれんかな。それなら、片方を相手にする間にワルキューレで片方の機関部を狙撃させるのに)

 

 ハンスの願いも虚しく敵は三隻が仲良く追って来た。

 

「取り敢えず、時限式機雷を一発だけ投下」

 

 機雷で敵を撃破できるとは思っていないが挑発にはなるかなと思ったが薬が効きすぎた様である。三隻が追跡のスピードを上げて来た。

 

「まあ、この船に追い付けんだろ。エンジンも特注品だからなあ」

 

 ハンス達の鬼ごっこは十二時間にも及んだ。途中で機雷で挑発して有効射程ギリギリのラインで休憩したりと挑発を繰り返した。

 ハンスの挑発に怒り心頭の三隻だが、有効射程までは追い付かない。

 

「ふん、普通の艦とは違うのだよ。普通の艦とは」

 

 ご丁寧に通信回線を使ってまで、挑発を繰り返した。

 

「閣下。挑発するのが好きですね」

 

「別に好きで挑発している訳じゃない。時間稼ぎに気付かせない為だよ」

 

 しかし、ハンスの鬼ごっこも限界が来ていた。エネルギーに余裕が無くなったのである。

 ガルミッシュ要塞から補給無しでヴェスターラントに出力全開で赴いた為に大量のエネルギーを消費した。

 

「元が貴族の遊覧船だからなあ。娯楽設備や内装は立派だけど」

 

 ハンスもエネルギーの事は念頭にあったが足の遅い補給艦がオストマルクの快速について来れる筈もなく分かっているけど、対策が無い状態であった。

 

「仕方がない。あの手を使うしかないか」

 

 ハンスは自室から数枚の光ディスクを持って来て、艦橋の通信士官に渡す。

 

「これから、最後の機雷を爆発させて敵の足を止めるから、この光ディスクの音と映像を敵に流してくれ。此方には内容が分からない様には出来るかな?」

 

「敵に音と映像を流す事は出来ますが当艦にも流れるのは仕方がないですよ」

 

「そうか。なら味方にも流してやっておくれ」

 

「了解しました」

 

「これより、この作戦は星三個作戦と呼称します!」

 

(ベルゲングリューンが近くに来ている筈だ。間に合ってくれたら良いけど)

 

 実際にベルゲングリューンは近くまで来ていた。

 艦橋内で、ベルゲングリューンは焦れていた。

 

(もしヴェスターラントの核攻撃に間に合わなかったら、オストマルクは引き上げている筈。引き上げるオストマルクと会わないのは核攻撃に間に合った証拠だ。撃破したかされたか。もしくは撃破したが艦も被害を受けて救助を待っているかもしれん)

 

 内心の焦燥を隠してベルゲングリューンは部下に質問する。

 

「まだ、着かんのか?」

 

「あと、一時間ほどでオストマルクと連絡が取れる宙域に入ります」

 

「そうか」

 

 先程から何度も繰り返された会話である。ベルゲングリューンの内心は部下達に丸分かりだったが部下達もベルゲングリューンと同じ気持ちであった。

 ベルゲングリューンの部隊の将兵の全員がオストマルクの乗組員を心配していた。

 艦橋が重苦しい空気に支配されている時に一人の通信士が素っ頓狂な声を出した。

 

「うわ!」

 

「どうした?」

 

 救難信号でも受信したのかと思いベルゲングリューンの誰何する声にも緊急の成分が含まれる。

 

「それが、妙な映像と音を拾いました」

 

「スクリーンに出してみろ!」

 

「えっ!」

 

「聞こえなかったのか!スクリーンに出してみろ!」

 

「えっ、は、はい。了解しました」

 

 通信士も一瞬の躊躇いの後で上司の命令に従う。

 そして、艦橋のスクリーンに出た映像では全裸の男女がベッドで絡み合っていた。

 照明やカメラアングルやピントから物好きな人間がプライベート情事を撮った品ではなく、プロの仕事の作品である事が分かる。

 

「映像を消せ!」

 

 ベルゲングリューンには、この様な事をする人間に心当たりがあった。

 ポルノ規制に厳しい帝国でなら抜群の威力を持つだろう。

 しかし、無修正のポルノを戦場で流すなど帝国軍の長い歴史でも前例の無い珍事である。

 

「発信元は分かるな?」

 

「は、はい」

 

「では、発信元に向かうぞ」

 

 どうやらハンス達は無事の様である。自分達の来援までの時間稼ぎの為の苦肉の策なのだろうが他に策は無かったのかと思うベルゲングリューンであった。

 

 艦橋の誰かが堪えきれずに失笑をすると次々と失笑が感染していき、艦橋内が笑いの渦に包まれる。

 ベルゲングリューンも耐えきれずに笑い出したのである。

 

「未成年のミューゼルが何処で入手したか追及と説教をする必要があるな」

 

 ベルゲングリューンの傍らにいた副官が複雑そうな顔で同情の成分が含まれる声で呟く。

 

「しかし、こんな策で時間稼ぎされて我らに撃破される敵も哀れですなあ」

 

 副官の呟きが耳に入ったのはベルゲングリューンだけであったが副官の意見に苦笑しながらも同意するベルゲングリューンであった。

 

 ベルゲングリューンの副官に同情されたリップシュタット軍の将兵達も自分達の置かれた状況や任務を忘れていなかったがオストマルクが流す映像に気を取られていたのは事実だった。

 ハンスが流したポルノ映像は同盟でも警察が発見すれば押収する様な部類の作品であり、その中でも入手が困難な逸品であった。

 規制が同盟よりも厳しい帝国なら通常の作品でも免疫の無い帝国人には効果があるのに、同盟でも入手困難な逸品となれば効果は抜群であった。

 リップシュタット軍はベルゲングリューンの部隊の接近にも気づかずに主砲の餌食になったのである。

 

「無事息災の様で喜ばしい事だな」

 

 敵戦艦を部隊の一斉射撃で撃破した後でベルゲングリューンは通信で皮肉のスパイス混じりにハンスの無事を祝う。

 

「本当に危ないところでした。ベルゲングリューン准将には感謝の念が絶えません」

 

 ベルゲングリューンの皮肉を額面通りに受け取りハンスが本心からベルゲングリューンに感謝する。

 

「そ、そうか。卿らが無事なのは良かった」

 

「有り難う御座います。実は主砲に回すエネルギーも移動に使ったので、一歩も動けない状態でして、補給艦の到着は何時になりますか?」

 

 ベルゲングリューンが驚いたのはオストマルクは全てのエネルギーを使い果たしていたのである。

 

(本当に苦肉の策だったのか)

 

「十時間後には補給艦も到着する」

 

「そうですか。助けて貰いながら厚かましいですが後の処置をお願いします。敵との鬼ごっこに全員が不眠不休でしたので」

 

「了解した。卿らはゆっくり休憩してくれ」

 

 ベルゲングリューンは一度通信を切った後で、件のポルノの事を追及する為に再度通信を開くが、スクリーンには指揮席で泥の様に眠るハンスがいた。

 

「すいません。先程の通信が終わった途端に寝てしまいまして」

 

 部下の一人が代理で謝罪する。指揮席で眠るハンスを見てベルゲングリューンも追及する気が失せてしまっていた。

 結局、ベルゲングリューンはポルノの事は追及しないままで終わる事になる。

 こうして、ハンスは味方に一人の犠牲者も出さずにヴェスターラントを救う事に成功したのである。

 

 尚、件のポルノの事がヘッダに露見してお仕置きをされるのは別の話である。



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不幸の階段

 

 ハンスは約束通りにガルミッシュ要塞に帰還する道中でリッテンハイム侯の秘蔵の酒蔵を解放してパーティーを開いた。

 

「ガルミッシュ要塞に着くまでには酒が抜ける程度にする様に」

 

 ベルゲングリューンも苦笑しながらも黙認してくれていた。

 

「しかし、最初の戦いでは一隻で三隻もの相手に勝つ事が出来たな」

 

 ベルゲングリューンも405年物の赤ワインを飲みながらハンスに聞いてくる。

 

「まあ、考える暇は有りましたからね。それに、時間稼ぎをすれば、提督が必ず来てくれると分かっていましたから」

 

「俺が参謀長に媚びを売ると思わなかったのか?」

 

「まさか、そんな人物なら例のアレを黙認する筈がないでしょう」

 

 ハンスに言われてベルゲングリューンは例のアレについては追及が出来なくなった。

 

「それに、参謀長は媚びを売っても買う人ではありませんよ」

 

 このハンスの評にはベルゲングリューンも同意するしかなかった。

 

「まあ、悪い人じゃあないですし、真面目で平等な人なんですけど」

 

 オーベルシュタインが上官のキルヒアイスの処遇の事でラインハルトに色々と言っている事はベルゲングリューンの耳にも入っている。

 

「確かに、参謀長の言う事は正論なんだが……」

 

 ベルゲングリューンにしたら年下ながら敬愛する上官の事を言われると面白くはないが正論なので文句も言えないのが現状である。

 

(まあ、オーベルシュタインはラインハルトの軍事ロマンに毒されてない数少ない人だからなあ。生粋の軍人には煙たがられるだろう)

 

「まあ、この戦いが終わり同盟と和平条約でも締結すれば平和になる。そうなれば軍で参謀長が危惧する事もなくなるでしょう」

 

「おい、卿は同盟と和平条約が成ると本気で思っているのか?」

 

「別に不思議じゃないでしょう。同盟も内部抗争で攻める力は無いでしょう。帝国も内政に力を入れる時期に入ります。戦争をしてる暇は無いでしょう」

 

「しかし、どちらかが先に力を回復したら、また戦争になるぞ」

 

「その時までに数十年は掛かるでしょう。数十年の間だけの平和でも戦争するよりはマシでしょう」

 

「そうなれば、卿も安心して軍を辞められるか」

 

「はい、元帥府の前で屋台でも引きましょうかね。その時は贔屓にして下さいよ」

 

「卿も男なら高級レストランの一軒でも持つとは言えぬのか?」

 

「そんなの人を雇って気を使うじゃないですか!」

 

(人に気を使う性格か?)

 

 思った事を口に出さないのは大人の嗜みである。口に出したのは別の事であった。

 

「しかし、旨いワインだな」

 

「そうですか?それ渋くないですか?」

 

(こいつ、ワインの味も分からんとは、こいつは別の意味で高級レストランを経営するのは無理だな)

 

「それでは、俺も部下を待たせているからな。卿らも、パーティーは早めにお開きにしないと仕事に差し支えるぞ」

 

 口では真面目な事を言いながら、ちゃっかりとワイン数本を部下達の土産に持って帰ったベルゲングリューンであった。

 

「はい、皆さん!お開きですよ!」

 

 パーティーの終了を宣言するとハンスは自分も残りのビールを飲み干して艦橋に戻る為に食堂を出る。

 

(しかし、長かったなあ。後はアンスバッハを始末するだけだな)

 

 無駄な流血を嫌うハンスもアンスバッハの様な忠臣は殺すには惜しいとも思うが、仕方がないと割り切っているハンスであった。

 割り切る事が出来るのは、本人に自覚が無いがハンスも戦乱の時代の人間であったから。

 

 

 

「今回は不問にしますが、この様な品は個人で楽しんで下さい」

 

 ガルミッシュ要塞に到着したハンスはキルヒアイスの執務室に呼ばれ少将に昇進の辞令と一緒に説教もされた。

 お調子者がハンスが流したアレをコピーしていてキルヒアイスに渡したらしく、ベルゲングリューン部隊の全艦とオストマルクのコンピューターから記録を消去した上に、どさくさ紛れに兵士達がコピーした光ディスクの回収も行われた。

 

(堅物だと思っていたが、ここまでだと思わんかった)

 

 これが、温厚なキルヒアイスだったから良かったがラインハルトなら更に悲惨な結果になっていた事だろう。

 

「それから、ミューゼル少将が出撃した後からですが、ガイエスブルク要塞からは投降者が続出しているそうです」

 

「ヴェスターラントへの熱核兵器攻撃が原因ですか?」

 

「ヴェスターラントが原因と言えば原因なんですが、ミューゼル少将は学校では歴史は、どの辺りから習いましたか?」

 

 キルヒアイスが場違いな質問をして来たが、取り敢えず答える。

 

「銀河連邦の設立前後からですね。地球時代は簡略化した授業でした」

 

「十三日戦争は?」

 

「それは、必修でした」

 

「それを聞いて安心しました。これは、帝国の士官学校で使用されている教材ですが、まずは観て下さい」

 

 壁のモニターに熱核兵器を使用された地上の地獄が映し出される。

 

「これは?」

 

 映像の悪さからヴェスターラントの風景では無い事は理解出来る。

 

「十三日戦争の時の映像です。余りにも悲惨な映像の為に一般では閲覧禁止指定にされている資料です」

 

「まさか、これを流したのですか?」

 

「はい、参謀長が帝国中に流しました」

 

「そりゃ、これを見れば将兵だけじゃなく貴族も見限るでしょう」

 

 ハンスも八十年近く生きて来たが初めて観る映像である。

 考えてみれば、ラインハルトもキルヒアイスも幼年学校までしか進学をしていない。士官学校出身のオーベルシュタインならではの策である。

 

「自分達の盟主が人類史上の禁忌を犯したのです。投降者が続出して投降者の話では貴族の中には絶望して自殺する者も出ています」

 

「ガイエスブルク要塞も中から崩壊ですか?」

 

「いえ、まだ頑迷に抵抗する者達も少なくありません」

 

「無益な事を……」

 

 既に戦いの帰趨は決していた。頑迷な貴族達が現実逃避して足掻いているだけである。

 

「少将には帰還して落ち着く暇もありませんが、分艦隊を率いて、すぐにガイエスブルク要塞に向ってもらいます」

 

「数で圧倒して抵抗の意思を挫くのは分かりますが、自分に分艦隊を率いるのは無理です。自分は参謀教育も艦隊運用教育も受けてませんよ」

 

「安心して下さい。分艦隊の司令部はベテランの人材を配属します。リッテンハイム侯の率いた軍を吸収して提督が足りないのです。だからと言ってガルミッシュ要塞に残す訳にはいかないのです」

 

「閣下の麾下にはビューロー提督やベルゲングリューン提督が居るでしょうに、自分に無理をさせなくても大丈夫でしょう」

 

「既に二人には規定限界の兵を率いてもらってます。諦めて下さい」

 

「仕方ないですね。諦めます」

 

 ハンスはすぐに諦めた事を後悔する事になった。ガイエスブルク要塞に向かう道中で司令部のベテラン達から参謀教育と艦隊運用についてスパルタ教育をされる事になった。

 

「閣下は仮にも提督なんですから、分艦隊程度はご自身で運用が出来てもらわねば困ります!」

 

(しまった。昇進すると研修があるのを忘れていた)

 

 研修の教室と化した艦橋でベテラン達からスパルタで艦隊運用と参謀教育をされてるハンスを見て艦橋の乗組員達はハンスに同情したが助け舟を出す気は無いらしい。

 

(早く、ガイエスブルク要塞に到着して!)

 

「ガイエスブルク要塞に到着する迄に、全てを終わらせますよ!」

 

 ハンスの胸中を見透かしたベテラン勢はハンスの怠け心に釘を刺す。

 

(鬼!)

 

 この様にハンスは鬼教官と化したベテラン達の研修でガイエスブルク要塞に到着した時はフラフラであった。

 

(ガイエスブルク要塞が既に陥落したと思って遠慮なく扱きやがって!)

 

 ハンス達が到着する前にガイエスブルク要塞は陥落しており到着するとラインハルトが出迎えてくれた。

 

「ハンス、元気が無いな。どうした?」

 

 全ての事情を知っていてラインハルトが笑顔で聞いてくる。

 

「そりゃ、少将研修で扱かれましたからね」

 

「ふむ。まだ、元気があるみたいだな」

 

「はい、研修は終わりましたから!」

 

「そうか。なら卿は今から中将に昇進だ。引き続き中将研修を受ける様に!」

 

「えっ!」

 

 ラインハルトが満面の笑みで言う。その後ろではロイエンタールが冷笑を浮かべている。

 

「もしかしたら、レンテンベルク要塞の事を根に持ってますね!」

 

 ラインハルトは涼しい顔で否定する。

 

「卿は何を言っているのだ。レンテンベルク要塞を無血開城した功績で中将に昇進させるのだ。信賞必罰は当然の事ではないか」

 

「オーディンに凱旋してからで良いじゃないですか!」

 

「今回の戦いの戦後処理が忙しくなるからな。卿にも早めに昇進してもらい戦後処理を手伝ってもらわないと困る」

 

 ラインハルトの後ろで笑いを噛み殺しているロイエンタールの更に後ろでミッターマイヤーやビッテンフェルトが器用な事に声を出さずに笑っているのがハンスには見える。

 どうやら、ハンスには味方は居ない様である。

 

「つ、慎んでお受けします」

 

「では、頑張ってくれたまえ。ミューゼル中将」

 

 ラインハルトが立ち去った後にロイエンタールが目の前で立ち厳かな口調で宣言する。

 

「私が卿の研修の教官を務める事になった」

 

 ロイエンタールの色違いの左右の瞳には報復という色の光が宿っていた。

 

「もう、好きにして!」

 

 その後、言葉通りにロイエンタールに好きにされてしまったハンスであった。

 ガルミッシュ要塞からガイエスブルク要塞までの間に不幸の階段を上っている心境のハンスであった。

 階段を上る度に不幸がパワーアップしているのは気のせいだろうか。

 

「不幸の階段のぼる。僕は、まだ未成年さ」

 

 中身は八十過ぎているのに図々しい事を歌にして唄うハンスであった。



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ガイエスブルク要塞にて

 

 ロイエンタールも驚いたがハンスは意外な事に中将研修を一日で終わらせた。

 少将も中将も研修内容は殆ど同じなのだから当然と言えば当然でもある。

 ハンスは仕返しが出来なかったロイエンタールの機嫌取りと自分の昇進祝いとヴェスターラント攻撃阻止を手伝ってくれたミッターマイヤーに礼を兼ねて酒宴を開いた。

 ロイエンタールはハンスの作った手料理を肴に赤ワインの逸品を楽しんでいる。

 

「うむ、実に旨い。この肉の歯応えとソースが絶妙だな」

 

「同感!」

 

 ミッターマイヤーもハンスが持ち込んだ赤ワインを飲みながら同意を示す。

 

「しかし、平民の出のミッターマイヤー提督なら分かりますがロイエンタール提督は金持ちの出でしょう。自分みたいな素人じゃなく、プロの料理を食べ慣れているでしょうに」

 

 ハンスも自分の料理を誉められて悪い気はしないがロイエンタールの反応が不思議でもある。

 

「卿の料理は変に気取ってなく実に酒に合う」

 

 ロイエンタールの発言は意外にも正鵠を射ていた。ハンスがロイエンタールに出す料理は逆行前の世界で安酒場で働いていたハンスが、客に酒を注文させる為に考案した料理なのだから、気取る必要も余裕もなく酒を飲む為の料理なのである。

 

「俺は卿が軍を辞めて店を開く事を心から応援するぞ!」

 

「おい、ロイエンタール。迂闊な発言は止めておけ」

 

 ミッターマイヤーもハンスが軍を辞めて店を開く事を個人的には応援したいが公人としてハンスが野に下る事は反対である。

 ラインハルトに遠慮なく諫言できるのはハンスの他にオーベルシュタインとキルヒアイスだけである。

 ハンスは諫臣として貴重な存在と言えた。ハンスはラインハルトに対して情理を尽くして説得が出来る貴重な存在ある。オーベルシュタインは理論による説得に傾倒している。そして、キルヒアイスはと思考を進めた時に嫌な噂を思い出してしまった。

 

「そう言えば、ロイエンタール。元帥とキルヒアイスがやり合った噂を知っているか?」

 

「それは本当の話か?」

 

「あくまで噂だが……」

 

「危険な噂だな。どうせ、参謀長のNo.2不要論が火種だろう」

 

「確かに頭が切れる男だが理屈に合わぬからと言って、現状で上手くいっているものを無理に変える事もあるまい」

 

「確かに論として一理あるが平地に乱を起こす様なものだな」

 

「それは、問題が無いと思いますけどね。No.2不要論も実際は机上の空論ですよ」

 

 一刀両断でオーベルシュタインの論を切り捨てたハンスに二人が驚いて注目する。

 

「卿は参謀長殿と反対意見の様だが、後学の為に是非とも拝聴したいもんだな」

 

 ロイエンタールが意地の悪い笑みを浮かべてハンスに話を促す。

 ミッターマイヤーは親友の悪い癖が出たと思ったが純粋にハンスの意見を聞きたいと思い黙っている。

 

「そりゃ、普通に考えて上司と部下の間を取り持つ人間が必要でしょうよ。所謂、中間管理職ですけどね」

 

 あまりにも一般的な意見に二人の提督は肩透かしを食らった気分だが、確かにラインハルトと諸提督の間を取り持つ人物がいる。

 まずはオーベルシュタインは論外である。オーベルシュタインと話をする度胸が有ればラインハルトに直接に話が出来るだろう。

 そうなれば当然の事にハンスとキルヒアイスしか居ない。

 

「先に言っておきますが、自分は艦隊に関しては素人ですからね。それ以前に未成年を頼りにしないで下さい」

 

 二人の提督は釘を刺されて互いの顔を見た。

 確かに提督とか閣下と呼ばれる大人の男が未成年に頼るのは情けないと言える。

 

「そうなれば、キルヒアイス提督しか人は居ないでしょう」

 

 ハンスは現状維持が望ましいと言っている。

 

「それに、件のやり合った話もキルヒアイス提督が毎度の事で、元帥閣下に説教しただけでしょう」

 

 事も無げに言い切るハンスに噂を聞いたミッターマイヤーが疑問をぶつける。

 

「卿は何故、そう言い切れるのだ?」

 

「ガルミッシュ要塞を出る時にキルヒアイス提督に釘を刺しておきましたから」

 

「何だと!」

 

 二人の提督が異口同音に声を出す。

 

「ヴェスターラントの件でミッターマイヤー提督に言いましたが元帥閣下は参謀長に見事に乗せられましたからね。キルヒアイス提督の性格からしたら腹を立てると思いまして釘を刺しておきました」

 

 ミッターマイヤーの顔が青くなる。この少年は自分にヴェスターラントの件を依頼をしてきた時に確かに、それらしい事は言っていたが正確に事態を読み既に対策を取っていたのだ。

 ラインハルトやキルヒアイスがハンスを軍に留めたがる理由をミッターマイヤーは理解した。

 

 ヤン・ウェンリーが戦場の心理学者と呼ばれ正確に事態を予測したのは、ヤンの桁違いの洞察力に寄るものであるが、ハンスのそれは単にカンニングの結果である。

 しかし、ラインハルトに遠慮なく諫言が出来るのはハンスとラインハルトの相性でハンス個人の資質である。

 

「元帥閣下にしたら顔を見た事もない民間人より自分の命令で死地に行く部下が可愛いのは当然ですからね」

 

 ハンスの述懐にミッターマイヤーとロイエンタールも互いの顔を見る。二人とも士官学校に入学した時から覚悟を決めていた事で部下を死地に行かせる事は軍人としては当然の事だが目の前の少年は自分達と違うのである。

 少年は病身の母親を設備の整った病院に入院させる為に軍に身を投じたのである。

 

「卿が元帥閣下に対して遠慮が無い理由が分かった気がする」

 

 ロイエンタールの言葉には珍しく皮肉や冷笑の成分が混入していなかった。

 ハンスと自分達とでは出発点が違うのだ。だから、ハンスが流血を嫌う理由も理解が出来た。

 

「この戦いを最後の戦いにして欲しいもんですけどね」

 

 ロイエンタールもミッターマイヤーもハンスの言葉を一般論として捉えていたが、ハンスの言葉には帝国を掌握してフェザーンの小細工を逆手に取って同盟に侵攻するラインハルトに対しての危惧があった。

 

(キルヒアイス提督さえ生きていてくれたら、ラインハルトは無駄な流血を避けて帝国の内政に専念するだろう。同盟は無駄な出兵をせずに国力の回復に傾注するだろう。そして、同盟が国力を回復した頃には自分は寿命だろう)

 

「取り敢えずは、卿も姉の元に帰れるか」

 

 ロイエンタールが冷やかし半分で掛けた言葉にハンスも答える。

 

「はい、上手くいけば、年末興行の準備で忙しくなる前に帰れると思います!」

 

 ロイエンタールの冷やかしに気付かずに嬉しいそうに答えるハンス。

 それに肩透かしを食らったロイエンタールの表情を見てミッターマイヤーが笑いを噛み殺す。

 

「ふん、からかい甲斐の無い奴だ!」

 

「えっ、自分は今、からかわれたんですか?」

 

 ハンスの反応にロイエンタールは天を仰ぎ、

ミッターマイヤーは我慢が出来なくなった様で声を出して笑い始める。

 笑われたロイエンタールは小さく舌打ちして自室に引き上げる事にした。

 

「流石に名将は引き際を心得ているとみえる」

 

 ミッターマイヤーもロイエンタールに追い打ちを掛けた後に自室に引き上げる事にした。

 二人が帰った後にハンスは後片付けをしたテーブルの上に鞄を置いた。

 

「まあ、危険だが仕方がないか」

 

 ハンスが鞄から小型の火薬式の拳銃を二丁取り出す。

 装弾数は二発で口径も小さいが弾丸を炸裂弾にしてある。

 

「二発しか撃てないがブラスターは貫通するからなあ」

 

 弾丸が装填されている事を確認するとハンスはシャワーを浴びてベッドに潜り込む。

 

(全ては明日で決まるから早めに寝よ!)

 

 翌日、いつもの様に銃を身に付けると昨夜、確認した銃を両方の足首に装着する。

 

「ふむ、見た目も問題は無いな」

 

 そのまま自室を出て戦勝式典の会場に向かう。会場の入り口の前で警備兵から武器の提出を求められる。

 

「これは失礼、戦勝式典とか初めて何で知りませんでした」

 

 警備兵に言われるままに、いつも身に付けてる銃を渡す。

 

「ご協力、有り難う御座います」

 

「いえ、キルヒアイス提督も銃を提出したのですか?」

 

「はい、キルヒアイス上級大将閣下にも提出して頂きました」

 

「有り難う」

 

 キルヒアイスが丸腰なのを確認するとハンスは会場に入場する。

 会場には諸提督達が既に中央の道を挟み二列縦隊で並んでいる。

 ハンスは最年少提督のミュラーの横に並ぶ。

 緊張で額に流れる汗をハンカチで拭う。

 

「そんなに緊張する必要ないから」

 

 ミュラーが声を掛けてくれたが、何処か遠くからの声に聞こえる。

 一向に緊張が解けないハンスを見てミュラーが苦笑するのが分かったがハンスの関心はアンスバッハに集中していた。

 アンスバッハが死せる主君とともに会場に入って来るとハンスはハンカチを握り締めた。

 汗で手が滑らない様にする為である。

 

「主君の遺体を手土産にとは結構な事だ」

 

 誰かがアンスバッハに対して嘲笑するがアンスバッハは無視する。ラインハルトも窘める気は無い。

 アンスバッハは無言でラインハルトの前まで来ると一礼してから主君の亡骸に手を延ばす。

 会場に居る人間でハンス以外はアンスバッハの行動が理解が出来ていない。

 アンスバッハは亡骸から小型ランチャーを取り出した。スパルタニアン程度なら破壊する威力を有する兵器である。

 あまりにも意外な物の登場に誰も動く事が出来ない。

 狙われているラインハルトさえ動けないでいる。

 アンスバッハはラインハルトに狙いを定めると引き金を引いた。

 



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流血と止血と

 

 アンスバッハが引き金を引くと室内には轟音と閃光と爆風が誕生した。

 提督達は反射的に腕を上げて閃光と爆風から身を守る。

 そして、閃光と爆風が消えた室内で提督達の視野に飛び込んで来たのは上半身を血で染めて立っているキルヒアイスであった。

 キルヒアイスの足元にはアンスバッハが倒れている。

 そこにハンスの怒鳴り声とも言える声が響く。

 

「キルヒアイス提督、離れて!」

 

 キルヒアイスはハンスの声に反射的に横に飛び退いて従う。

 倒れているアンスバッハがキルヒアイスを追い掛ける様に左腕を上げかけた瞬間に左腕の肘が銃声と共に弾けて千切れ飛ぶ。

 提督達が銃声の発生した方向を見るとハンスが銃を構えたまま提督達の列を走り抜け、アンスバッハの千切れた落ちた腕を踏みつながら銃口をアンスバッハに向けたまま話掛ける。

 

「最期に言い残す事はないか?」

 

 アンスバッハの口から出たのは呪詛に近い言葉であった。

 

「そうか、貴様か。貴様がメルカッツやファーレンハイト、レンテンベルクにヴェスターラントを!」

 

 アンスバッハはラインハルトを討ち損じても半身であるキルヒアイスを道連れにと考えていたがハンスという存在を見落としていた事に最期に気付いた。

 

「ヴェスターラントは参謀長の仕業だ」

 

 それ以外は自分の仕業であると言外に認める。

 

「貴様さえ居なければ!」

 

 短い言葉にアンスバッハの怨念が込められていた。ハンスが居なくともアンスバッハの主君もアンスバッハ自身の運命も変わらないのだが、それをアンスバッハに説明する事も出来ないし説明する気もハンスには無かった。

 そして、口にしたのは別の事であった。

 

「それ以前に貴方は致命的な間違いをしている」

 

 ハンスとキルヒアイス以外にもラインハルトに取って重要な人物と言えばアンネローゼだが、流石にアンネローゼを暗殺する事はアンスバッハの武人としての誇りが許さなかった。

 

「なんか勘違いをしている様だが、貴方の間違いは主君の命令に従うだけで主君を諫めなかった事だ。娘とローエングラム侯を結婚させて数年すればリヒテンラーデ侯は寿命で死にリッテンハイム侯も簡単に倒して帝国の実権を握れたのに」

 

 ハンスの説明を聞いてアンスバッハの表情が一変する。

 

「そうか。そんな手もあったのか!」

 

 アンスバッハにもラインハルトと手を結ぶ発想はあったが結婚まではなかった。ブラウンシュヴァイクの気性からして諾と言わない事が分かっていた、ゆえにアンスバッハはブラウンシュヴァイクを説得する事を最初から放棄していたが、根気よく説得するべきだったと気が付いた。

 

「己の不明をヴァルハラで公に詫びねば……」

 

 アンスバッハが歯に仕込んだ自決用のカプセルを嚥下するのを誰も止めなかった。アンスバッハが助からないのは分かっていたからである。

 アンスバッハの目が光を失うのを確認するとハンスは銃を下げて自身も、その場で座り込む。

 

「キルヒアイス提督、怪我は無いですか?」

 

 ハンスに気を取られていた提督達もキルヒアイスの事を思い出して視線を向ける。

 

「私は大丈夫です。この血も返り血です」

 

 キルヒアイスが顔に浴びた血をハンカチで拭い取ると上着を脱いで見せた。

 上着の下には白いワイシャツが姿を見せた。

 

「閣下。やはり親衛隊を組織して下さい」

 

 オーベルシュタインがラインハルトに親衛隊を付ける事を要求している。

 どうやら以前に進言して却下された様子である。

 

「参謀長、親衛隊より先に大事な事を忘れてますよ」

 

「何の事だ?」

 

「実行犯は死にましたけど、アンスバッハに命令した主犯が残ってます」

 

「ふむ。確かに卿の言う通りだな。命令した主犯を逮捕せねばならぬな」

 

 二人の会話にキルヒアイスを筆頭に提督達は理解不能である。

 

「聞いての通り、アンスバッハに命令した主犯を卿らに逮捕して欲しい」

 

「主犯なら、そこに居るではないか!」

 

 ミッターマイヤーが吠える様に応えた。

 

「ブラウンシュヴァイクではない。主犯はオーディンに居る」

 

「誰の事だ!」

 

 今度はロイエンタールが応える。

 

「帝国宰相、リヒテンラーデ侯」

 

 その場に居た全員が絶句した。ハンスとオーベルシュタインは暗殺者の凶弾を躱した直後に潜在的な敵を倒す手段に利用してきた。

 

「あの老人が誠実で潔白な人間なら問題ないが、あちらも色々と陰謀を巡らせているだろう」

 

 ハンスも腕組みして頷く事でオーベルシュタインの意見に賛意を表している。

 

「要は互角の権力闘争という事か」

 

 ロイエンタールが事態を簡略化して言外に正当防衛だと全員に納得させる。

 

「どうやら、卿達も納得した様だな。ここの事後処理にメックリンガーとルッツが残留して、他の者は私に続け!」

 

 ここで初めて口を開いたラインハルトからの命令に提督達が部屋を出て行く。

 その場にはラインハルトとオーベルシュタインが残る。

 

「始まりましたな」

 

「ああ、新しい時代の始まりがな」

 

 そして、ラインハルトは謝罪と礼を言う為にキルヒアイスに会いに行くのであった。

 

 

 ハンスはキルヒアイスの旗艦ではなくミッターマイヤーの旗艦に乗り込んでいる。

 

「卿は何故、ここに居るんだ?」

 

 ミッターマイヤーの当然過ぎる疑問にハンスが答える。

 

「ミッターマイヤー提督はノイエサンスーシの内部をご存知で?」

 

 ハンスに言われてミッターマイヤーも気付いたがノイエサンスーシの何処に玉璽が保管されているのかミッターマイヤーは知らなかった。

 

「そうか、俺とした事が迂闊だったな」

 

「それから、玉璽を奪取した後に自分は少し消えますから」

 

「分かった」

 

 ミッターマイヤーは何をする気かと聞かなかった。

 基本的にハンスは人畜無害な存在であり、ハンス自身についてミッターマイヤーは信用していた。

 

「しかし、卿がオーベルシュタインと同じ発想の持ち主とは思わなんだよ」

 

「それ、褒めているんですか?」

 

「褒めるも何も事実だからなあ」

 

 ミッターマイヤーはハンスは人畜無害だと判断をしていたが、それとは別にオーベルシュタインと同じ発想をする事に戦慄していた。

 味方にすれば頼もしいが敵にすればオーベルシュタイン以上に厄介だと判断を下すしかない。

 ハンスには政治的な野心が無い。オーベルシュタインと同じ発想力を持ち、用兵家としても油断が出来ぬ相手である。

 まともに戦えばハンスに負ける事は無いと思っているミッターマイヤーだが、まともに戦わずにあの手この手と絡め手で来るだろう。

 

(俺も味方に居ながらアンスバッハに指摘されるまで気付かないとは迂闊な話だ)

 

 ミッターマイヤーは思考の海に浸かりながらも艦隊運用には手を抜かなかった。

 ガイエスブルク要塞からオーディンまで二十日間の行程を半分の十日間で移動したのである。

 

「ミュラーは衛星軌道上に展開、制宙権を確保しろ。その他は湖でも森でも降りられる所なら降りろ!」

 

 強行着陸の態勢から空挺部隊も市街地に降下させる。

 

「無茶させるなあ。命令する方もだが命令を受ける方も方だよ」

 

 モニターの中で器用に建物の屋根を避けて道や公園等に着地する空挺団に感心するハンスであった。

 

 ミッターマイヤーはノイエサンスーシに近い森に旗艦を強行着陸させると軍用車でノイエサンスーシに乗り込む。

 ハンスが案内役をして玉璽が保管されている地下金庫室まで一気に突入する。

 

「金を出せ!」

 

 ミッターマイヤーの拳骨がハンスの頭に炸裂する。

 

「誤解を招く様な発言をするな!」

 

「申し訳ない。つい、言ってしまいました」

 

 実際には現金か玉璽かの違いでやっている事は変わらないのだ。

 

「貴方達は帝国の権威を何と心得ますか!」

 

 定年間近の老職員がミッターマイヤーに抗議する。銃を構えた兵士も恐れない行動にミッターマイヤーも感心しながらも反論する。

 

「権威とは実力があっての物だ」

 

 ハンスはミッターマイヤーと老職員の会話を耳にしながら、その場から抜け出して後宮に向かう。

 後宮では市街の騒ぎに何事かと騒ぎになっていた。

 

「これは、ミューゼル准将ではなく中将閣下!」

 

「お久しぶりです。ベーネミュンデ侯爵夫人」

 

「この騒ぎは何事か?」

 

「はい、古狐と金色の狼が権力闘争の末に古狐が金色の狼に敗れました」

 

 ハンスが名を出さずに簡略化して事態を伝える。

 

「何と!」

 

「この事で、夫人には被害が及びませんが将来的には陛下や夫人にも被害が有り得ます」

 

「そちは、その事を伝える為だけに妾を訪ねて来た訳ではないであろう」

 

「はい。夫人は別にしても先帝陛下には恩が有りますから」

 

「それで、妾は何をすれば良いのじゃ」

 

「はい。金色の狼の姉に頭を下げて懇願するしかありません。それも、早い方が宜しい!」

 

「そうか、アンネローゼに頭を下げれば良いのじゃな」

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人の物分りの良さにハンスも拍子抜けしたが、一刻を争う現状ではありがたい。

 

「夜が開ければ行動の自由も無くなります。夜が開ける前に陛下をお連れして行くべきです」

 

 ハンスが部屋を出て数分後には着替えを終わらせたベーネミュンデ侯爵夫人がいた。

 

「女性の着替えは時間が掛かるものだと思っていました」

 

「それは、時と場合によるものじゃ」

 

「それは結構な事で。陛下をお連れして抜け出しますぞ」

 

 本来の歴史ではエルウィン・ヨーゼフ二世は大人達の都合で翻弄された挙げ句に無責任極まり無い事に行方不明となる。

 今は母親として愛情を注いでくれるベーネミュンデ侯爵夫人がいる。

 願わくば平凡な貴族として平凡な人生を送って欲しいものだと思うハンスであった。

 それが、先帝フリードリヒ四世に報いる事だと思っていた。



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騒乱の夜明け

  

 帝都の市街は意外な事に静かだった。民衆も帝国の上層部で権力闘争が行われている事を知っているので流れ弾でも飛んで来るのではと警戒して家から出て来ない。窓から外を伺うだけである。

 騒ぎはノイエサンスーシとリヒテンラーデ侯の屋敷周辺だけであった。

 アンネローゼが居るラインハルトの屋敷には既にケンプ麾下の部隊が警護していた。

 

「お務めご苦労様。ケンプ提督は?」

 

「提督はリヒテンラーデ侯の一族の屋敷の方に行かれてます」

 

「そうか。それは残念」

 

 ハンスはケンプにも事情を話して協力してもらう気でいた。ケンプも二人の子供を持つ親なのだ。

 

「仕方ない。アンネローゼ様にハンスが来たと取り次いで下さい」

 

「了解しました」

 

 すぐにアンネローゼに面会が出来たのである。アンネローゼは既に着替えていて屋敷の奥の方が騒がしい。

 

「ごめんなさい。騒々しくて」

 

「いえ、私達も夜分に押し掛けまして」

 

「それで、私は何をすれば宜しいのでしょう?」

 

 流石にラインハルトの姉である。既にハンスの訪問の意図を悟っている様である。

 

「アンネローゼ様には、此方のベーネミュンデ侯爵夫人と皇帝陛下の庇護をお願いしたいのです」

 

 ここで初めてベーネミュンデ侯爵夫人が口を開いた。

 

「グリューネワルト伯爵夫人には頼める義理では無い事も、妾は重々承知しておるから妾はどうなっても構わぬ。しかし、陛下だけは!」

 

 そこには、侯爵夫人でも無く先帝の寵姫でも無く子を思う母親の姿があった。

 

(この人も歳の離れた夫の子を宮廷闘争の為に何度も殺された哀れな女なんだよなあ)

 

 ハンスは同じ男としてフリードリヒの気持ちを理解していた。恐らくベーネミュンデ侯爵夫人と距離を作る事で宮廷闘争から彼女を守ったのだろう。

 それを伝えなかったのがフリードリヒの罪なのだろう。

 

「私にも陛下は大事な方です。私は弟を育てるのに失敗しました。侯爵夫人は陛下を立派に育てて下さい。私も微力ながら、お手伝いさせて頂きます」

 

「有り難う御座います。アンネローゼ様!」

 

「有り難う御座います。グリューネワルト伯爵夫人!」

 

 二人から頭を下げられて困惑するアンネローゼである。

 

(しかし、この子の半分でよいからラインハルトも他人の事を思いやる事が出来ればいいのだけど)

 

 アンネローゼもハンスには出来れば弟の傍に居て弟が道を踏み外さない様に見ていて欲しいと思うのだが本人も友人でもあるヘッダもハンスが軍を辞める事を望んでいるので何も言えないのである。

 そして、アンネローゼが口にした事は別の事である。

 

「陛下もベーネミュンデ侯爵夫人も今夜は此方に御逗留された方が宜しいと思います」

 

 アンネローゼの提案にハンスも賛成をしたのでベーネミュンデ侯爵夫人もアンネローゼを信用する意思表示で後宮に帰らずに屋敷に宿泊した。

 ハンスも誘われたがハンスは忙しく他にも仕事があるのだ。

 キルヒアイスが無事だったから安心はしているが万が一の事を考えてリヒテンラーデ侯の一族の安全も確保しなければならない。

 

(オーベルシュタインがラインハルトの傍にいるからなあ)

 

 本来の歴史の様に十歳以上は死刑などという蛮行を許す訳にはいかない。

 キルヒアイスは途中でレンテンベルク要塞に行かされている。

 玉璽を手にしたキルヒアイスが帝位の誘惑に負けて自立する事を危惧したオーベルシュタインの仕業である。

 元同盟人のハンスからしたら判子の一つで権力が握れるとは馬鹿らしい事であるが専制政治においては玉璽は重大な意味を持つ。

 キルヒアイスが不在の現状でゴールデンバウム王朝を憎むラインハルトとオーベルシュタインの二人組の暴走が恐ろしい。

 取り敢えずケンプの元に行きリヒテンラーデ侯の一族の無事を確認するとケンプに幼帝の事を報告してリヒテンラーデ侯の一族の安全について協力を依頼した。

 

「確かに安全は保証するが元帥閣下の命令には逆らえんぞ」

 

「分かっています」

 

「元帥閣下に子供を殺す様な命令は私が出させません。出たとしても撤回させます!」

 

「すまんな。本来は俺達の仕事なんだが」

 

 やはり、ケンプも子を持つ親である。自分の息子達と変わらぬ子供達を殺すのは気が進まない様子である。

 本来の歴史では独身のロイエンタールが指揮を取るのはケンプの事を思っての事だったのだろう。

 ケンプの次にハンスが向かったのはロイエンタールの元である。

 まずはロイエンタールに幼帝の事を報告してリヒテンラーデ侯の一族について話をした。

 

「卿の気持ちは理解が出来るが俺にも元帥閣下の命令を覆す事は出来んぞ」

 

「まあ、その時はロイエンタール提督が元帥閣下の命令を一番に受ける立場ですからね」

 

 ハンスの嫌味にロイエンタールも流石に慌てる事になる。

 

「ちょっと待て、何故に俺が貧乏くじを引かねばならん!」

 

「そりゃ、当たり前でしょう。キルヒアイス提督が不在の現状で大将は二人のみでロイエンタール提督の方がミッターマイヤー提督より年長なんですから」

 

「おい、こんな時に階級を持ち出すのはズルくないか?」

 

「別に軍隊じゃなくとも普通はそうでしょう」

 

 ハンスの主張は正論なのでロイエンタールも何も言えない。

 

「それが嫌なら自分に協力して下さい」

 

 ロイエンタールとて子供を殺すのは嫌な事である。しかし、ハンスの言う通り命令を一番に受けて実行の指揮を取るとなれば自分しかいないのである。

 

「分かった。卿に協力する」

 

 ロイエンタールとの打ち合わせが終わる頃には夜も明けていた。

 ロイエンタールの元にミッターマイヤーを筆頭に提督達が集まって来る。

 

「リヒテンラーデ侯を逮捕拘禁した。玉璽も確保した。リヒテンラーデ侯の一族の身柄も確保した。閣下の姉君と幼帝の安全も確保した。後は誰が閣下に連絡をするかだが……」

 

 全員の視線がロイエンタールに集中する。

 

「その他の連中は理解が出来るがミッターマイヤーまで俺を見るな。卿も大将だろ!」

 

「卿は俺より年長ではないか!」

 

「こんな時に年齢を持ち出すのは卑怯だぞ」

 

「まあ、元帥閣下の報告は自分がしますよ。最初に話を出した人間ですから」

 

 ハンスが報告役を買って出るとケンプも賛成した。

 

「ロイエンタール提督も気が進まぬ様子だし、やりたい人間が他にいるなら、やりたい人間にやらすのが良いと思うぞ」

 

 ケンプの意見に他の提督達も賛成する。ロイエンタールが言えば真面目なミッターマイヤーが「卿は未成年に嫌な事を押し付けて恥ずかしくないのか!」などと言って反対した事だろう。

 根回しとは大切である。

 

「では、早速元帥閣下に報告をしてきます」

 

 ハンスが報告の為に席を立つと提督達も自然解散した。

 部屋に残ったのはロイエンタールとミッターマイヤーだけである。

 

「何か言いたい事があるのか?」

 

 ロイエンタールがミッターマイヤーの表情を見て水を向ける。

 

「卿には呆れたぞ。未成年に仕事を肩代わりして貰うとは!」

 

 ミッターマイヤーは小賢しい芝居を看破していた。

 

「そう責めんでくれ。奴から言い出した事だ」

 

「ケンプまで巻き込んでか」

 

「ああ、全部、奴のシナリオだ」

 

「そうか、奴の事だから流血を避ける為なんだろうが、情けない事だ」

 

「確かに、戦場で血を流させる事は出来ても戦場の外では流血を回避させる事が出来んとは大将とか提督とか呼ばれるのが恥ずかしい事だ」

 

 自分達の地位を自嘲するローエングラム陣営の出世頭の二人である。

 

「ああ、それで今回は誰を助けるつもりなんだ?」

 

 ミッターマイヤーの発言にはロイエンタールも驚いた。

 

「卿は知らないで俺達の猿芝居に付き合ったのか!」

 

「奴の事だからな」

 

「今回はリヒテンラーデ侯の一族らしい。あの二人はゴールデンバウム王朝には恨みがあるからな」

 

「まさか、一族を皆殺しとかは無いと思いたいが……」

 

 ミッターマイヤーの危惧を思い過ごしとは言い切れないロイエンタールであった。

 

 ミッターマイヤーとロイエンタールから「奴」呼ばわりされたハンスは通信室でラインハルトに報告をしていた。

 

「よくやってくれた。卿達の働きには厚く報いるであろう」

 

「有り難う御座います」

 

「帝国宰相であった方を銃殺とはいくまい。リヒテンラーデ侯には服毒をお勧めしろ」

 

「御意」

 

「それから、リヒテンラーデ侯の一族は女子と十歳未満の男子は辺境送りにしろ」

 

(ちょっと待て、十歳以上の男子は……)

 

「十歳以上の男子は死刑」

 

「ほう、十歳以上の男子は死刑ですか。後学の為に理由を教えて頂けますか?」

 

「私がゴールデンバウム王朝の打倒を誓ったのは十歳の時だ。それまでは子供と言えるだろう」

 

「失礼ながら理屈には合いませんな。閣下がゴールデンバウム王朝の打倒を誓っても幼年学校の学生だった訳ですから、一人前とは言えませんな」

 

 ハンスの目に強い意思の光が宿り始めた。

 

「ほう、では幾つから一人前と言えるのか?」

 

「閣下が初陣した年齢でしょうか。私の様な兵卒からは幼年学校や士官学校の学生など半人前ですな」

 

 ラインハルトは数瞬の間、考え込みハンスの意見を受け入れた。

 

「意見を聞き入れて貰い有り難う御座います。それから、リヒテンラーデ侯とリヒテンラーデ侯の一族については取り調べをさせて頂きたい」

 

「何の取り調べだ?」

 

「あの手の連中は、権力を使って冤罪やら濡れ衣を着せる事が常套手段ですからね。そんな人達の名誉を回復してやりたいし、同じ死刑にするなら遺族の前で行いたいと思います」

 

 ラインハルトもハンスの意見に賛成をして一族の取り調べを許可した。

 

「有り難う御座います。恨みを呑んで死んだ被害者や遺族に代わりお礼を言わさせて頂きます」

 

 通信を切った後でハンスは、その場に座り込んだ。

 

(これで、自分に出来る事は全て終わった)

 

 リヒテンラーデ侯の一族が貴族としては品行方正なのを既に調査済みである。

 取り調べに時間を掛けて一年後のエルウィン・ヨーゼフ二世の即位一周年の恩赦で全員を辺境送りにする計画である。

 

(まあ、一年間は軍を辞めれんな)

 

 この事が後に帝国を震撼させる事件の発覚に繋がるとはハンスも予想していなかった。



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膿と闇と改革と

 

 ラインハルトは凱旋すると約束を守り、提督達を全員昇進させた。

 ハンスもアンスバッハの暗殺行為の阻止とリヒテンラーデ侯打倒の功績で大将に昇進の話もあったが中将として経験も無いままに昇進するのは問題があると言って辞退した。代わりの勲章授与も断り有給とボーナスを貰った。

 逆に戦勝式典に銃を持ち込んだ事を咎められるのではと心配したがオーベルシュタインも銃の事は不問にした。

 キルヒアイスは元帥に昇進して帝国三長官を兼ねて帝国最高司令官となり、ラインハルトは公爵に階位を進め帝国宰相となり首席秘書官としてヒルダが就任した。

 キルヒアイスの下でオーベルシュタインは軍務副尚書、ミッターマイヤーは宇宙艦隊副司令長官、ロイエンタールは統帥本部副総長となった。

 ラインハルトが至尊の座につけば三人の肩書きから副が取れ、キルヒアイスが帝国宰相になる事は明白であった。

 オフレッサーは上級大将から大将に降格して自ら退役した。

 本人曰く「ヴェスターラントの様な蛮行を行う人間と組んだケジメだ」と言う事である。

 退役後には私財を投じて孤児院を作り院長として多くの子供達がら親しみを込めて「親父さん」と呼ばれ平穏な余生を送る事になる。

 オフレッサーの死後、オフレッサーの墓に花束が絶える事がなく、後世、潔く退役した事や孤児院を作り多くの子供達の保護者となった事でゴールデンバウム王朝末期の武人の鑑と評される事になる。

 尚、ロイエンタールは孤児院建設に協力する事でぶん殴られる難を逃れた。

 退役したオフレッサーを羨ましく思っていたハンスの元に凶報が届く。

 

 事件の発覚は軍務省に届いた問い合わせであった。

 オーディンの田舎町からリヒテンラーデ侯の一族の屋敷に出稼ぎに出た娘の母親が娘と連絡が取れないが未成年の使用人も逮捕されたのかと問い合わせが軍務省にあった。

 担当職員が件の屋敷に残っている使用人に聞いてみると、そもそも、ここ数年は人を雇っていないとの事であった。

 不審に思った職員が娘の母親に折り返し詳しく事情を聞くと確かに帝都までの交通費と仕度金を受け取っていた。

 道中で何か事件に巻き込まれたのかと思い警察に通報するのと同時に件の屋敷の当主に事情を聞くと自分は知らないと言っていたが交通費と仕度金を渡している事を指摘すると明らかに狼狽したので不審に思い、一族の管理をしているロイエンタールに許可を得て自白剤を使用してみると驚愕すべき情報を得る事となる。

 

 屋敷には数代前の当主が作った地下の秘密部屋があり、そこに被害者を監禁しているという。

 驚いた担当職員は上司であるロイエンタールに報告する。

 報告の内容に驚いたロイエンタールが屋敷に部下を急行させると当主の自白の通りに秘密部屋があり行方不明の被害者を発見したのである。

 被害者は衰弱しており病院に搬送した結果、一命は取り留めたが事情聴取が出来ない状態であった。

 ロイエンタールは軍部の仕事では無いと判断して警察に当主の身柄を渡して捜査を任せ報告だけは受ける事にした。

 

 そして、警察からの報告書は帝国を震撼させるものであった。

 当主の名はカール・フォン・ハールマンで二十数年前に伯爵家を継いで以来の犯行であった。

 ハールマンは伯爵家を継いだ直後から犯行を繰り返していた。

 最初の被害者は数人は使用人であったが何度も使用人が行方不明になると怪しまれるので、以降は使用人募集をして面接に来た中から好みの女性を誘拐していた。それも続くと怪しまれるので繁華街で家出娘や好みの少年を言葉巧みに誘い犯行に及んでいた。

 今回は内乱の為に繁華街も人が少なく閑散としていた為に使用人を募集して犯行に及んだのである。

 ハールマンの犠牲になった人数は百四十五人であり、全ての犠牲者の氏名と年齢を記録に残していた。

 押収された証拠物件の中にはハールマンが犠牲者を殺害する前に楽しんだ記録映像も残っており犠牲者ごとに感想を記してあった。

 帝国史上、類を見ない大量猟奇殺人事件であった。

 

 ロイエンタールから連絡を受けたハンスは本来の歴史では闇に消えていた事件に自失していたが事の深刻さに気づきラインハルトに上申してリヒテンラーデ侯の一族のDNA検査をして過去の未解決の刑事事件の証拠と照合した結果、一族の二割にあたる人間が何らかの事件に関わっている事が判明した。

 

 更に悲劇は続いた。一族の女性達の中で自殺を図るものが続出したのである。

 自分の父や夫に息子等が如何なる時代でも恥ずべき犯罪を犯していたとなれば、誇り高い貴族の女性が絶望しても無理からぬ事であった。

 

 そして、ハンス以上に衝撃を受けた人物はリヒテンラーデ侯であった。

 リヒテンラーデ侯の自裁は決定していたが一族の者達が死刑にならずに辺境で平穏な生活を送れる事を見せて安心させてからとハンスの親切心が裏目に出てしまった。

 事態を知ったリヒテンラーデ侯は水も食事も一切を拒否しての衰弱死を選んだ。

 本人に自覚があったのか不明だがリヒテンラーデ侯の死は紛れもなく憤死であった。

 

 そして、逆行前のハンスも知り得ぬ事実があった、闇に葬られた歴史上の発見があった。

 一族の内でも、特にリヒテンラーデ侯に近い人達に形見として渡すつもりで、リヒテンラーデ侯の私物を調べて判明した事だがリヒテンラーデ侯はラインハルトを陰謀の末に始末した後に同盟と和平交渉をする気でいた事が分かった。

 リヒテンラーデ侯は同盟と和平条約を結び幼い皇帝を名君に育てる気でいたのだ。

 ハンスはゴールデンバウム王朝の闇に続きローエングラム王朝の闇を見てしまった。

 ローエングラム王朝の開祖ラインハルトは銀河帝国のみならず、フェザーンと同盟を滅ぼした後にヤン・ウェンリー一党と自身の感情に任せて戦い大量の血を流す事になる。

 同時代人であるオーベルシュタインが批判しているが確かに交渉をすれば良いだけの話である。

 その為にリヒテンラーデ侯が同盟との和平を考えた事はローエングラム王朝によって闇に葬られたのである。

 

 クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵、フリードリヒが政治に対して一切の興味を示さなかった為に帝国の政治を取り仕切り、外戚であるブラウンシュヴァイクやリッテンハイムを牽制して時には諌め、後宮内ではベーネミュンデがアンネローゼを中傷するのを窘め、フリードリヒに対しても諫言して皇帝としての自覚を促し大過なく帝国を運営した人物であった。ゴールデンバウム王朝末期の忠臣であると言えた。

 

(この様な死に方をする程に罪深い人ではなかったのに)

 

 こうしてハンスはゴールデンバウム王朝の膿とローエングラム王朝の闇を知る事になる。

 

 ハンスとしてはリヒテンラーデ侯の一族と言えども血を流す事なく辺境で平穏に暮らしてもらいたいと願った事が裏目にでて大量の自殺者を出す結果になってしまった。

 唯一の救いはハールマン伯爵に監禁されていた少女が順調に回復している事である。

 遺されたリヒテンラーデ侯の一族に同情したキルヒアイスの働きで全員が辺境送りとなった。

 リヒテンラーデ侯の一族の問題でハンスが暗澹たる気分で日々を過ごしている間にラインハルトとキルヒアイスは帝国の改革を行っていく。

 

 その一環として新しくレンネンカンプ提督とアイゼナッハ提督が取り立てられた。

 更にハンスによってリップシュタット軍から引き抜かれたメルカッツとファーレンハイトが現場復帰をした。

 メルカッツは士官学校の校長として一線を退く形であったが提督達からは絶賛されていた。

 

「俺達の時代に校長に就任して欲しかったぜ」

 

 オレンジ色の髪の提督と食うために軍人になったと公言する提督が異口同音に言ったものである。

 これには、ラインハルトとキルヒアイスも苦笑するしかなかった。 

 新しく地位を得る者もいれば失う者もいる。

 憲兵総監のオッペンハイマー上級大将が贈賄罪で現行犯逮捕され、後任にはケスラー大将が就任した。

 

 更に年が明けるとブラウンシュヴァイク公の腹心であった。シュトライトがラインハルトの副官となった。

 

「何で宰相閣下に副官が必要なんだ?」

 

 ハンスの疑問は文武の両方の幹部の疑問でもあったが言外にオーベルシュタインが支持した事から一種の政治宣伝であると思われた。

 

(まさか、同盟進攻の為の布石じゃないよな)

 

 ハンスとしてはラインハルトには帝国だけで満足して欲しいと思っている。同盟は衆愚政治のまま腐り果てて財政赤字である。征服しても新たに予算を回す事になる。

 

(問題はフェザーンのハゲ親父だよなあ。本来の歴史では移動要塞で帝国を嗾けるけど)

 

 ハンスの心配は杞憂に終わった。移動要塞の話はキルヒアイスの一存で許可をされたが予算を大幅に削られた為に完成まで数年は掛かる事になる。

 

「今は軍部の組織改革で人手が欲しい時期です。それでも、軍部から民間に人を返さないといけません。不要不急の案件に予算も人手も出せません」

 

 この時期、ラインハルトもキルヒアイスも改革に忙殺されていた。

 リップシュタット戦役で滅んだ貴族の領地に新しく帝都から人を派遣する必要があり地方行政のプロが必要であった。

 そして、軍部でも帰順した者や投降した者が本来の歴史より多く再編するのに忙しかった。

 更に貴族の私兵が居なくなった為に宇宙海賊が跋扈する様になり討伐の必要もあった。

 オレンジ色の髪の提督が宇宙海賊討伐に立候補したが却下された。

 代わりに現職復帰したファーレンハイトが討伐の任を受ける事になる。

 この様に帝国では改革が急ピッチで進められたのである。



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有給休暇と未来

 

 連日の様に各省庁から報告や上申に申請と会議とラインハルトを筆頭に文武の幹部達が改革の為に忙しく働いている時にハンスは有給休暇の申請をしている。

 

「中将殿は姉君とバカンスとは優雅な事だな!」

 

 上司であるロイエンタールに嫌味を言われてしまった。

 

(そう思うなら軍を辞めたらいいでしょうに。軍を辞めても食うに困る家でもないでしょう)

 

 流石にハンスも口に出して言える事と言えない事がある。

 

「今は情報部も暇ですから、今のうちだけですよ」

 

 口では当たり障りの無い事を言う。この程度の社交辞令はハンスでも言えるのである。

 

「まあ、良い。自分も卿の年頃は如何に授業をさぼるかを考えていたからな」

 

 ロイエンタールは一応の理解を示しながらも釘を刺してきた。

 

「いつ不測の事態が起こるか分からん。卿の力が必要になる場合もあるから心してくれ」

 

「まあ、今の時期は大丈夫だと思いますよ」

 

「先の見える卿が言うなら、俺も安心が出来る」

 

 この時期、帝国も改革で忙しいが同盟も去年のクーデター騒ぎのダメージから立ち直れないでいた。

 フェザーンは同盟政府に対してヤンをイゼルローンから引き離す工作をしたがガイエスブルクの工事が終了しておらず、折角の工作も空振りである。

 

(まあ、金が無いのではなく単純に人手不足だからなあ)

 

 フェザーンにしたら予算の問題なら融資すればすむ話だが人手となるとフェザーンも右から左とはならない。

 

(フェザーンのハゲ頭が苦虫を噛み潰しているだろなあ)

 

 ハンスからハゲ頭と呼ばれたルビンスキーは苦虫を噛み潰している暇もなかった。

 リップシュタット戦役でフェザーンに亡命して来た貴族の相手で忙しいのである。

 彼らは帝都に少なからぬ不動産を所有しており、それをルビンスキーに売り付けにくるのだ。

 ルビンスキーにして見れば既に不動産も帝国政府に接収されているので買い取るつもりは無かったのだが自暴自棄の挙げ句に犯罪に走られると困るので最低限の資金を与え同盟に亡命させるのである。

 更に地球教の資金源であるサイオキシン麻薬の売買が不調であり、地球教から資金の提供を催促されているのである。これもハンスが打った布石の一つである。

 

「老人達にも困ったものだ。大金を動かすのに、それなりの手間が必要なのを理解しておらん!」

 

 ルビンスキーが愚痴を言うのは、極めて稀な事で酒の相手をしていたドミニクが面白そうにルビンスキーの顔を見ている。

 

「私の顔に何かついているのか?」

 

「貴方が愚痴を言うのが珍しくてね」

 

「まあ、資金提供は急がせる。帝国が動かぬなら動かざるを得ない状況を作れば良い」

 

「また、何か悪さをするつもりね」

 

 まるで子供の悪戯を見つけた様な言い種のドミニクにルビンスキーは笑うだけであった。

 

 そして、子供の悪戯並みの事をする女がいた。風呂上がりの着替えの下着を男性用から女性用にすり替えている。

 しかし、ハンスが予想より早く風呂から上がって来てしまった。

 

「あ、あら、もう上がるの?」

 

 ハンスの目には哀しみの光が宿っていた。

 

「……ごめんね。健康な女性だからね。でも、本人がいるから遠慮しなくてもいいんだよ」

 

 何か女性として以前に人間として盛大な誤解を受けている事は理解したヘッダであった。

 

「ち、ちょっと違うのよ!」

 

「大丈夫だよ。下着に悪戯するのは若い頃はする人も少なくないから女性は珍しいけど」

 

 完全に誤解されてしまっている。誤解を解こうと慌てるヘッダである。

 

「違うのよ。誤解よ。誤解!」

 

「でもね。他人のは駄目だよ」

 

「違う!話を聞いて、下着に悪戯するつもりは無いわよ!」

 

「嘘つけ!下着をすり替える悪戯するつもりだった癖に!」

 

 ヘッダの音速の拳骨がハンスの脳天に炸裂する。

 

「分かっていて、からかったんかい!」

 

「アホかい。タオルを腰に巻いて新しい下着を出すだけだよ。埒もない悪戯をしたくせに!」

 

 理不尽だと思いながら痛む頭をさするハンスである。

 

「湯冷めするわよ。早く体を拭いて着替えなさい」

 

「下着は?」

 

「目の前に有るでしょう」

 

「これ、女性用だけど」

 

「私の言う事が聞けないの!」

 

「了解しました!」

 

 無言の圧力に簡単に屈したハンスが女性用の下着を着るとドレスまで用意されていた。

 

「ご丁寧に、そんな物まで用意してたのかよ」

 

「可愛いでしょう」

 

 ヘッダも久しぶりの旅行で羽目を外すつもりらしい。結局、ハンスはドレスを着せられメイクにウィッグまでされてしまった。

 

「可愛いわよ!」

 

 鏡の中には美少女がいた。

 

「流石、役者だけあってメイクの技術は凄いね」

 

 ハンスも関心する程のメイク技術である。

 

「駄目よ。ハンナちゃん。女の子なんだから、お淑やかに」

 

 どうやら、生きた人形遊びをするつもりらしい。ハンスも呆れながらヘッダに付き合う。

 

「では、お姉様、何時まで続けたら宜しいのでしょう?」

 

「取り敢えず、レストランから帰るまではね」

 

 時計を見るとレストランの予約時間である。メイクを落とす時間は無い。

 

「謀りましたね。お姉様。謀りましたね」

 

「恨むなら自分の生まれの不幸を呪うがいいわ」

 

 ハンスには別の意見があった。生まれの不幸よりヘッダのメイク技術を呪いたい。

 

「もう、お姉様たら!」

 

 文句を言いながらも演じ続けるハンスである。

 

「もう、帝都ではないけど、ここもオーディンなんですからね。知人に会ったら大変ですわ」

 

「大丈夫よ。知人に会っても分からないわよ。女優の私が保証してあげる」

 

(アホか!手を見れば女の手じゃない事は、すぐにバレるわ)

 

 顔や体型は誤魔化せても手だけは誤魔化せないが、今のハンスを見て手に注目する人は稀であろう。それほどにハンスは美少女に化けていた。

 

 レストランでは男性だけではなく女性達の視線も集めてしまった。

 ヘッダは帝国では知らない人がいない有名女優である。ヘッダに視線が集まれば自然とハンスも視線を浴びるのである。

 

「お姉様が選んだレストランだけあって、とても美味しいですわ」

 

「そうなのよ。ここは隠れた名店なのよ」

 

 二人は別の意味でも注目を集めていた。何せ女性二人で五人分の料理を注文して全ての料理を食べ尽くしたのだ。

 

「女優は体力を使うから食べる量も凄いなあ」

 

「もう一人のフロイラインも新人か後輩の女優なのか?」

 

「羨ましいわ。あれだけの料理を食べて、あのプロポーションなんて」

 

 誤解を拡大生産している事に二人は気付きながらも頓着する事なく食事を進める。

 

「お姉様。ホテルに戻ったらバーに行ってみたいですわ」

 

「駄目よ。まだ、未成年でしょう。それに夜は短いわ」

 

 ヘッダの言葉に顔を赤くするハンスだったが幸いにもファンデーションを塗っていた為に周囲に気付かれる事もなくレストランを出る事ができた。

 

「もう、お姉様たら」

 

 頬を膨らますハンスの表情は女性のヘッダが見ても愛らしくホテルの部屋に戻っても演技を続ける。

 

「お姉様、もうメイクを落として下さい」

 

「駄目よ。ハンナちゃん。今から可愛がって上げますからね」

 

「えっ!」

 

 

 翌朝、ヘッダに抱き枕にされたハンスは窓硝子に映った自分の顔を見て驚く事になる。

 

「ちょっと、化粧が少しも落ちてないじゃん」

 

「もう、何を騒いでいるのよ?」

 

 ハンスの声で目覚めたヘッダが寝惚け声で聞いてくる。

 

「ねえ、化粧を落としてよ。朝食も食べに行けないよ」

 

「それ、舞台用のメイクだから落とすのに時間が掛かるから朝食はルームサービスでいいでしょ」

 

「舞台用のメイクって、職業技術を悪用するんじゃない!」

 

「あら、ハンナちゃんは乱暴な口を聞くわね。お仕置きね」

 

「ちょっと、嫌だ!」

 

「駄目!」

 

 結局、ハンスが食事を摂れたのは昼食であった。

 

「もう、強引なんだから!」

 

 昼食が終わり部屋に帰ってきたハンスがヘッダに苦情を言う。

 

「貴方が可愛いのがいけないのよ」

 

 ヘッダは苦情を言われも艦砲射撃を受けたイゼルローン要塞の様に平然としている。

 

「はあ、二度と女装なんぞせん!」

 

 知らぬが仏で二度目の女装である。

 

「もう、退役して結婚した時が怖いよ」

 

「子供は最低でも二人は欲しいわね」

 

「二人で十分だよ」

 

(迂闊に同意したら体力が持たん事態になるな)

 

「まあ、いいわ。二人作る事は同意してくれた訳だし」

 

 満足そうに笑うヘッダを見て、将来の結婚生活を夢みてしまったハンスである。

 逆行前には家庭を持つ以前に自分が生きる事だけで精一杯だった。

 ヘッダの仕事が仕事だけに一般的な家庭は無理だが、温かい家庭を作りたいと思うハンスだったが、ある事に思い至った。

 

(そう言えば、キルヒアイス提督に期待ばかりしていたが、ラインハルトは子供が生まれるのと前後して病死するんだった!)

 

「どうしたの?」

 

 ヘッダがハンスの顔色が変わった事に気付いて声を掛けて来た。

 

「ねえ、もしだよ。僕が一人の人間を見捨てても結婚してくれる?」

 

 ハンスの目に真剣な光が宿った事を認めてヘッダも真剣な顔になり応える。

 

「貴方が誰を見捨てて誰を救うかは私は関知しないわ。でも、貴方が後悔する事はして欲しくないし、そんな貴方と結婚はしたくないわ」

 

 ハンスは言外にハンスの気持ちを尊重してくれたヘッダに感謝した。

 

「また、失敗しても安心しなさい。私が癒してあげるわ」

 

「あ、ありがとう」

 

「でも、今は全てを忘れなさい。今の貴方は心が疲れてるから」

 

 ヘッダはリヒテンラーデ侯の一族の事で傷付いたハンスの事を気にしていたのだ。

 ヘッダはハンスを抱きしめるとハンスの唇を自分の唇で塞いだ。

 自分にはハンスの手助けは出来ないし完全に癒す事も出来ない。

 しかし、自分が大海を渡る鳥が数刻の間、羽を休める為の止り木にはなれる事は知っていた。

 



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ヘッドハンティング

 

 ハンスはバカンスから帰るとフーバーと打ち合わせをしてフェザーンへの出張をラインハルトに申請した。

 

「閣下、休み明けにしては忙しいですね」

 

 フーバーとしては事前に出張と言って欲しいものである。

 

「事情が変わりましたから、留守の間を頼みます。准将」

 

「私は大佐ですよ」

 

「既にキルヒアイス元帥には言ってますから、正式な辞令は明日になりますが准将です」

 

「えっ!?」

 

「当然でしょう。メルカッツ、ファーレンハイトの両提督を引き抜き、ヴェスターラントの異変の報を敵より先に掴んでるんですから」

 

 驚くフーバー准将に構わずにハンスが説明する。

 

「それに准将になれば自分のサインじゃなく准将のサインで大丈夫な案件もありますから」

 

「閣下……」

 

 フーバー准将にしてみれば佐官になれた事も僥倖なのに将官にまで昇進するとは思ってなかったのだ。

 

「では、留守の間に例の事を頼みます!」

 

「はい、了解しました」

 

 バカンスから帰って来てからのハンスは忙しい。ラインハルトにフェザーンの行政官の引き抜きを進言したのである。

 フェザーンは辺境惑星の開発事業にも出資しており、開発事業の行政官も多いので引き抜く相手には困らないのである。

 引き抜きが表向きの理由だが本当の目的はフェザーンを通じて遺伝子治療の視察である。

 帝国の遺伝子治療は同盟に比べて二、三十年程度の遅れがある。

 これは、劣悪遺伝子排除法による影響なのだがラインハルトが死去した後に遺伝子治療による治療法が旧同盟領で発見されている。

 

(今の段階で完治は無理でも対処療法で生き延びる事は可能かもしれん)

 

 逆行前の世界で治療法は発見されたが、流石に何時ものカンニングでもハンスには治療する事が出来ない。

 

(まあ、本人の医者嫌いが原因で末期になって病気に気付いたからなあ)

 

 素人のハンスとしては早期発見、早期治療しか手段は無い。

 フェザーンの医療技術も把握していないので膠原病と遺伝子治療の権威を探す事から始める事になる。

 

 表向きには行政業務の専門家を引き抜きながら医師を探す事になる。

 昼間はフェザーンの高等弁務官事務所で職員から情報を集めて、夜は酒場等で情報集めをする。

 目ぼしい人物を見つけると交渉を開始する。

 

「ルビンスキー閣下も所詮は人の親で、今の秘書官はルビンスキー閣下の隠し子らしいじゃないですか。しかも、フェザーンでは貴方の様な行政業務のプロが活躍する場も少ない。逆に帝国は行政業務のプロが足りない状況でローエングラム公は縁故等が嫌いな方です。実力さえ有れば出世は思いのままです。帝国に来ませんか?」

 

 隠し子とはルパート・ケッセルリンクの事で、本当は親と子で殺し合いをする荒んだ関係なのだが、知らない人間から見れば、若いルパートの出世は縁故によるものに見えただろう。

 

(まさか、危険人物を監視する為に側に置いているとは、普通は思わんよなあ)

 

「分かりました。詳しい条件を聞かせて下さい!」

 

 ハンス自身が驚く程に簡単に引き抜けた。自身の才能に自信を持ち不遇な状況にいる者が新天地を求めるのは当然の話である。

 ハンスはコツコツと引き抜きをしながら膠原病の勉強と医師を探しをするのであった。

 そして、八人目のジャン・ジャックを引き抜きに成功した時にハンスが求めていた情報を得られた。

 

「遺伝子療法の専門家なら私の兄が同盟では専門家です。閣下の家族に病人がいるなら私が口を聞きましょう」

 

「有り難う御座います。自分の身内ではありませんけど、重病人がいるのです!」

 

「分かりました。一度、フェザーンの病院に入院してから転院の形になります」

 

「分かりました。すぐに本国に連絡します」

 

(取り敢えずは、ヒルダさんの親戚のキュンメル男爵で試してみるか。座して死を迎えるよりはマシだろ)

 

 何気に酷い事を考えているハンスであったが、ハンスにはハンスの言い分がある。貧困の為に従軍して片腕と片足を無くしたハンスには生活の心配も無くヒルダに愛情を受けていたハインリッヒは羨ましい身分なのである。

 ハインリッヒが聞けば怒って反論したであろう。

 

「一応はカルテのコピーもお願いします。先に兄にみせてからの方が糠喜びをさせる事が無いでしょう」

 

「分かりました!」

 

 ハンスはヒルダに直ぐに連絡を取り、カルテのコピーとマリーンドルフ伯の許可を得た。

 ハインリッヒの入院の手筈を整えると引き抜いたジャン・ジャック達をフェザーンから送り出して自分はフェザーンに残留する。

 周囲には引き抜き工作を続行する為と説明したが、それは事実でもあったが他にも目的があった。

 ハンスはジャン・ジャック達を送り出した翌日にシューマッハ達が経営しているアッシニボイヤ渓谷の農場に行き亡命したシューマッハの部下と面会した。

 

「そうか。シューマッハ大佐は居ないのか。ところで卿達はどうする?」

 

「どうするとは?」

 

「このまま農場で暮らすのも良いがオーディンに家族が居る者も居るだろう。一緒に帰るか?」

 

「自分達は帰れる事が出来るのですか?」

 

「そりゃ。帰れるさ。卿達は帝国人だろ」

 

「しかし、自分達はローエングラム公を敵に回していたんですよ」

 

「そんな事を言っていたら帝国軍の半分は処分する事になるよ。それに、私なんか帝国を敵に回していた人間だぞ!」

 

「それでは、帰れるのですか?」

 

「問題無い。帰って軍隊を続けるも辞めるのも卿らの自由だ。約束してもいいよ」

 

 ハンスが約束した途端に歓喜の叫びが沸き起こった。

 

「家族と会える!」

 

「生きてオーディンの土が踏める!」

 

 皆がオーディンに帰れる事を喜び叫び泣いている者までいた。

 ハンスには頭で理解が出来ても心情としては理解が出来ない反応であった。

 ハンスにはハイネセンに未練は全くなかった。ハイネセンには嫌な思い出ばかりしかない。彼らにはオーディンに帰りたくなる程の良い思い出があるのだろう。

 

(羨ましい話だ)  

 

「喜んでるけど、すぐには無理だからな。オーディン行きの便は出たばかりだからな。民間船で卿らを帰す予算は無いからな」

 

「大丈夫です。私達も帝国軍人の端くれです。軍の都合も理解してます」

 

 ハンスは次の便で全員が帰れる様に帝国本土と交渉する事を約束した。

 

(シューマッハが居ないとなると計画は既に始まっているな。シューマッハが居なくなった日から逆算するとオーディンに向かう道中だな)

 

 ハンスは弁務官事務所に帰るとキルヒアイスに連絡を取り、シューマッハと部下達の事を報告した。

 

「連中がオーディンに職業軍人を送り込む目的はアンネローゼ様の誘拐か陛下の誘拐でしょうね」

 

 モニター越しとはいえキルヒアイスが怒気を発している事が分かる。

 

「ま、まあ、現実的にはアンネローゼ様の誘拐は不可能ですから安心して下さい」

 

「では、中将の予測では皇帝陛下が狙われると」

 

 ハンスの言葉で安心したのかキルヒアイスが怒気を消してハンスに確認をした。

 

「はい。フェザーンは対立する勢力が無いと商売になりませんからね。それなら帝国に宇宙を征服させて新帝国の下で経済面の権益を任せて貰う方が利口と判断したと思います。その呼び水が皇帝誘拐でしょう」

 

「分かりました。此方で対処しますから安心して下さい。それと、中将も身辺に注意して下さい」

 

「了解しました」

 

 ハンスは通信を切るとソファーに座り込む。

 

(アンネローゼ様の事になると目の色を変えるんだから、シューマッハ達も間違えてもアンネローゼ様に手を出さんでくれよ)

 

 幼帝誘拐計画が何処まで進んでいるか分からないが対策は既にオーディンを出発する前にしている。それでも念には念を入れる必要がある。

 

(子供を大人の玩具にさせられんし、モルト中将を死なせる事も許さんよ)

 

 モルトもメルカッツ同様に生真面目な人柄である。自身の孫と変わらぬ幼帝にハンスの意見もあり厳しい躾をしている人物でもある。

 幼帝は本来の歴史より遥かに改善された環境である。将来はラインハルトに禅譲して平穏な人生を送る事が出来そうである。

 それに、もし誘拐された時のベーネミュンデ侯爵夫人の反応を想像すると哀れである。

 

(普通に幼児誘拐は許せんよな)

 

 幼児の誘拐を目論むランズベルクとシューマッハ組にモルトを犠牲にして黙認するラインハルトとオーベルシュタイン組とハンスとキルヒアイス組の三つ巴の戦いの様相を呈してきた。

 

(まあ、ラインハルトにはラインハルトストッパーの1号と2号のダブルキックを味わってもらうか)

 

 ハンスからラインハルトストッパー2号と呼ばれたキルヒアイスは赤い髪が逆立つのではと思われる勢いで執務室でラインハルトに説教をしていた。

 ハンスの報告を受けてキルヒアイスが調査してみると既にシューマッハとランズベルク伯がオーディンに侵入した後であった。

 

 

「分かった。勘弁してくれ。キルヒアイス」

 

「何が分かったですか!ヴェスターラントの時はミューゼル中将が釘を刺すから黙ってましたが今回は言わせてもらいます!」

 

(あの時も、思い切り説教した癖に)

 

 流石のラインハルトも口には出せずにいる。

 

「以前に私の前で誓った事は嘘なんですか!」

 

「いや、嘘じゃないぞ。キルヒアイスは誤解しているが、今は様子を見ているだけだ。黙認するつもりは無いぞ!」

 

 キルヒアイスとは長い付き合いである。誤魔化し方は心得ているつもりであったがキルヒアイスも長い付き合いでラインハルトの誤魔化しは熟知していた。

 

「ほう、ならば何故に私には一言も無いんですか?」

 

「えっ!」

 

「事は後宮の警備に関わる事なのに私に一言も無いとは不思議な話ですね」

 

 キルヒアイスの瞳には危険な光が宿っている。

 結局は二時間ほどキルヒアイスから説教をされたラインハルトであった。

 避難していたヒルダが執務室に戻った時には灰の様に真っ白になったラインハルトが椅子に佇んでいた。

 

(キルヒアイス元帥にも困ったわね。これじゃ、今日は仕事にならないわ)

 

「閣下、お疲れの様なので今日はお帰りになられた方が宜しいのではないでしょうか」

 

「そうだな。フロイラインの言葉に甘えさせて貰うか」

 

 ゆっくりと立ち上がるラインハルトを見送ったヒルダであったが自宅にはラインハルトストッパー1号が待ち構えている事をヒルダもラインハルトも知らなかった。



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招待状

 

 ハンスはフェザーンでコツコツと引き抜き工作をしていたが流石に一度に八人も引き抜きをすればルビンスキーの耳に入るのは当然である。

 形式的には立派な招待状がルビンスキーからハンス宛に届いたのである。

 弁務官事務所の古株職員に聞いてみたが前代未聞の事であるらしい。

 

「亡命したレムシャイド伯の時は直接に連絡があった様ですが、こんな形式的な招待状とかは初めてですね」

 

「そうですか。こりゃ、引き抜きの件で苦情でも言われるのかな?」

 

 口では心配するふりをしているが、ハンスにしてみれば部下を引き抜かれる方が間抜けだと思っている。

 

(そんな事で文句を言う程、小さい男じゃないだろう。何か目的があるんだろうなあ)

 

「断る理由も無ければ断る事も出来んからなあ。それに、ルビンスキーと言えば有名人だから、会ってみたいもんだ」

 

 これはハンスの本音である。ルビンスキーが自分に危害を加える理由も無い。

 ハンスの楽天さに古株職員も呆れていた。

 

「閣下が若いのに出世した理由が理解できましたよ。私達と神経の太さが根本的に違います」

 

 古株職員の事実だが失礼な感想にハンスも気を悪くする事もなく応える。

 

「うん。普通の人より繊細な神経だからね」

 

「……」

 

 古株職員を絶句させたハンスは招待に応じる事にする。

 

(招待状という事は御馳走が出るんだろうなあ)

 

 ハンスの期待は裏切られなかった。死刑囚の最後の夜には御馳走を出すという話が、一瞬、脳裏に浮かんだがハンスは遠慮なく頂く事にした。

 

「流石に自治領主閣下ですね。良いシェフを抱えておられる!」

 

 既に5枚のステーキと3杯のシチューにサラダを5皿にバターロール8個を食べている。

 食後のデザートにケーキを6個食べてコーヒーを飲んでいる。

 

 この二人の様子を見ていたドミニクが必死で笑いの発作を耐えている。

 ハンスの食欲に驚嘆したのかルビンスキーが呆気に取られた表情は長い付き合いのドミニクでも初めて見る。

 

「ち、中将閣下は健啖家でいらっしゃる」

 

「本当に美味しかったので少々、食が進み過ぎました。特にステーキの焼き加減は絶妙ですね。ミディアムでも中まで火が通り温かく柔らかい!」

 

 「少々」では無いだろうとルビンスキーは思ったが口に出したのは当たり障りの無い言葉である。

 

「作った者も喜ぶでしょう」

 

「それで、小官を招いて下さったのは何用で?」

 

 腹を満たした事で満足したハンスは余裕を持ってルビンスキーに質問をする。

 

「閣下の行っているヘッドハンティングに関してのお礼です」

 

「嫌味ですか?」

 

「いえ、これは嫌味でも皮肉でもなく、閣下が簡単にヘッドハンティングされるので不審に思い調べた結果、幹部の中に地位を悪用している者を発見する事が出来ました」

 

「要は素人が簡単に引き抜くから、調べたらパワハラをしていた人間がいたからで、そいつらを処分したから、もう引き抜きは出来んぞ。という事ですか」

 

「語弊のある表現ですが、その通りです」

 

 ハンスの悪意ある翻訳をルビンスキーは意外にも認めるとハンスが予想もしない手を打ってきた。

 

「それで、閣下も手ぶらでオーディンに帰る訳には行かないでしょう。其処で閣下に進呈する物がございます」

 

 ルビンスキーが渡してきたのは一冊の名簿であった。

 ルビンスキーに許可を貰って中身を確認すると地方行政の専門家の名簿であった。

 

「これは?」

 

「その名簿は帝国への移住を希望する者達です」

 

 驚くハンスにルビンスキーは更に言葉を重ねる。

 

「今回の件で私に見切りをつけた者達です。全員が帝国で働きたいと言っています」

 

「……どういう事でしょか?」

 

「恥ずかしながら、被害にあった者と、その周囲の人間達との人間関係が壊れたのです。それに中将閣下がヘッドハンティングされるまで調査をしなかった私に対して不信もあるのです」

 

 これは、全くの事実であった。それなら帝国に行かせて帝国の地方行政に将来の人脈を作った方が良いと判断したのである。

 ルビンスキーと言えども組織内を管理する事は難しいのである。

 

「分かりました。一応は一人ずつ事実関係を調査してから帝国で働いて貰いましょう」

 

「有り難う御座います」

 

「いえ、此方こそ仕事が減って助かります」

 

「しかし、自治領主閣下は良い別荘をお持ちですなあ」

 

「いえ、これは私の別荘ではなくアレの別荘で今日の料理もです」

 

 ルビンスキーの示す視線の先にはドミニクがいた。

 

「あんなに美しい女性を羨ましいですなあ。それに今日の料理も素晴らしいかった。特にステーキの焼き加減はプロでも難しいのに完璧でした!」

 

 手放しでドミニクを褒めるハンスであった。その口調からは社交辞令でない事が分かる。

 

「しかし、中将閣下は食通で有られますな」

 

「食通という程では無いですが、そんな私でも分かる程に今日の料理が素晴らしかった!」

 

「もし、宜しければ私に遠慮なく気軽に来てやって下さい」

 

「本気にしますよ」

 

「アレも自分の腕を振るえて歓びます」

 

「それは望外の喜びです!」

 

 ルビンスキーはハンスをドミニクを使い懐柔するつもりであった。

 ハンスもルビンスキーの思惑は分かっていたがハンスにはハンスの計画もあったので、これも策略の一環であると自分に言い聞かせたのである。

 実際にはドミニクの美貌と料理に魅せられていたのだが、所詮は凡人のハンスである。

 

「ついでに大変に厚かましい話ですが、自治領主閣下に医者を紹介して欲しいのです」

 

「何処か体調でも崩されましたか?」

 

「いえ、私では有りません。知り合いの弟さんが生まれつきの病気でして」

 

 ハンスは一応は家名を伏せてハインリッヒの病気の事を伝えて遺伝子疾患病の専門医を探している事を伝えた。

 

「なるほど、確か一人だけ心当たりがあります」

 

「流石、自治領主閣下!」

 

「私自身が知っている訳ではないのですが、おい、ドミニク。確か三年前に友人の娘さんを診てくれた医者が専門医だったな」

 

 裏で話を聞いていたドミニクが顔を出したが表情は沈痛な色であった。

 

「あの先生は去年の冬に亡くなったわ。随分と高齢の先生だったから」

 

 ハンスはそれを聞いてドミニクの前まで行きドミニクの手を取る。

 

「構いません。逆に、そんな高齢の先生なら弟子も沢山いるでしょう。教えて頂けますか?」

 

「それで良ければ、今夜は遅いですから明日にも友人に聞いてみて、直ぐに連絡しますわ」

 

 ドミニクは本来の歴史ではエルフリーデが子供を取り上げられそうになるのを助けてロイエンタールとの最期の別れをさせる等の事をした優しい女性である。ハインリッヒの事も顔には出さないが同情していた。

 

「本当に有り難う御座います!」

 

 頭を下げるハンスの率直さに流石のドミニクも頬を染めていた。

 その事を遠目で眺めてるルビンスキーのニヤニヤするのが癪に触るドミニクでもあった。

 

 

 翌日には名簿に載っている人物達の素行調査とスパイが居ないか調査を始めると同時にラインハルトに報告をする。

 

「卿はどう思う?」

 

「正直、ルビンスキーの本当の思惑は分かりませんが人が足りない帝国としたら有り難い話です。一応は監視をつけた方が宜しいでしょう」

 

「卿にも読めぬか」

 

「実は裏もなく陰謀家の評判に怯えている可能性も有りますが相手が相手だけに用心した方が宜しいでしょう」

 

 ラインハルトにしてもルビンスキーの思惑を読む事は難しい。傍らに控えていたオーベルシュタインにも視線だけで意見を求めるがオーベルシュタインも首を横に振る。

 

「閣下、私にもルビンスキーの思惑は読めません。私もミューゼル中将と同意見です」

 

「卿もハンスと同意見なら仕方がない。ハンスはオーディンに戻れ」

 

「閣下。その事なんですが、小官はこのままフェザーンに残留しては駄目でしょうか?」

 

 ハンスの意外な申し出にラインハルトは興味を持った。

 

「理由を聞こう」

 

「はい、万が一の時の為にフェザーンに行動出来る人間が必要でしょう」

 

 ラインハルトは数瞬だけ考えてハンスをフェザーンに残留させた。

 フェザーンの高等弁務官事務所には武官も居るが限りなく文官に近い人間かボディーガード専門の人間ばかりである。

 不測の事態で行動が出来る人間が一人は必要である。

 

「残留を認めるが油断しない様に、それから口煩い人間が居ないからと怠惰な生活をしない様に」

 

「夏休み中の小学生じゃあるまいし」

 

「ふん、卿の場合は似たようなもんだ」

 

「了解しました。毎日、絵日記でも書きますよ」

 

「それは、楽しみだな」

 

 ハンスの皮肉を軽く返してラインハルトが通信を切る。黒くなった画面を見てハンスは溜め息をついた。

 実はフェザーン進攻までに仕事が色々と残っているのである。

 

(キュンメル男爵の事と膠原病の権威も一人では心細いからなあ。それと地球教対策にルビンスキーの逃亡阻止の作戦も考えないと、それにルビンスキーからの人材のチェックをシューマッハの部下達に話をしたら手伝ってくれるかな?)

 

 課題の多さに意気消沈する。ヴェスターラントとキルヒアイス殺害の二大課題を乗り越えたハンスにしたらゴール直前にゴールが遠くに移動した様な気分である。

 

(ルビンスキーも大人しくラインハルトの下で働いてくれんかな?)

 

 ハンスはルビンスキーの統治能力を高く評価している。ラインハルトが宇宙を統一した後の事を考えたら経済面では欲しい人材である。

 問題は能力よりルビンスキーの為人である。

 

(帝国宰相くらいで満足してくれんかな)

 

 数人の非凡な野心家を満足させるのに宇宙は狭い様である。

 野心の無い凡人のハンスは仕方なく面接のマニュアル作りを始めるのであった。



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絵に描いたハニートラップ

 

 ハンスが面接マニュアル作成に悪戦苦闘しているとドミニクから連絡があり件の医師の情報が入って来た。

 

「宇宙は広い様で狭い。結局は同じ人物かよ!」

 

 ドミニクが教えてくれた医師はアンリ・ジャックという人物で帝国に移籍したジャン・ジャックの兄であった。

 

(これで、アンリ・ジャック医師の腕が分かった。キュンメル男爵を安心して任せる事が出来る)

 

 ハンスがドミニクに丁寧に礼を言うと意外な事にドミニクから食事の誘いがあった。

 ハンスとしては儀礼上から断る事も出来なかったが、ドミニクの様な美女から誘われて断る事が出来ても断る気もなかった。

 

(浮気じゃないからね。仕事だもんね!)

 

 実際はハニートラップか探りを入れるつもりだろうと予測しながらも美女に誘われるのは嬉しいのである。

 

 ハンスが来るというので料理の仕込みに専念しているドミニクを見てルビンスキーも呆れ気味であった。

 

「気合いが入っているじゃないか。ドミニク」

 

「あら、嫉妬?」

 

「嫉妬もするさ。長い付き合いだが手料理など振る舞われた事は無いからな」

 

「あら、覚えて無いのね。昔、人が作った料理に味見もしないでソースを掛けたのは誰でしたかね」

 

 ルビンスキーはドミニクの嫌味に表面上は平然としながらも脳裏では慌てて過去の記憶を検索するが該当する記憶は出てこない。

 

「ふん、どうせ記憶にも残して無いんでしょう」

 

「……」

 

 図星なのでルビンスキーも何も言えないし言わないのが正解であった。

 

「で、あの坊やから何を聞き出せばいいの?」

 

「ローエングラム公の同盟侵攻の時期」

 

 渋い顔をしていたドミニクの顔が更に渋くなる。

 

「あの坊やが知っているとは思えないけど……」

 

「奴が知らなくても良い。奴がローエングラム公のお気に入りで接する機会も多い。奴自身が気付かないだけで何か漏らしてる可能性がある。それに直前に奴に連絡があるかもしれん」

 

「要は坊やを色仕掛けで垂らし込めと言いたい訳ね」

 

「手段はお前に任す」

 

「坊やも気の毒な事」

 

「お前は見掛けに騙されているが、奴は切れ者だぞ。私の目を盗み不満を抱く人間を探し出して引き抜いた手腕は見事なものだ」

 

「そんな切れ者に私が勝てると思っているの?」

 

「奴は切れるが根本的に俗物だからな。鮫とメダカでは釣る餌が違う」

 

「あの坊やも気の毒な事ね」

 

 ドミニクから気の毒と言われたハンスは弁務官事務所でシャワーを浴びて新品のワイシャツにクリーニングから帰ってきたばかりの軍服を着て完全武装状態であった。

 

「ハンカチもティッシュも持った。髪も洗ってリンスもした」

 

 初デート前の中学生状態である。

 ドミニクがルビンスキーからハンスを抱き込む事を指示されている事を承知しながらもデート気分が抜けないのである。

 

「閣下……」

 

 高等弁務官事務所の職員一同は呆れるより憐れみの視線を向けている。

 ドミニクはフェザーンでも一部の人々では有名人である。類稀な美貌の持ち主でありルビンスキーの愛人でもある。

 フェザーンの経済界では一目を置かれる女傑でもある。

 一般男性なら遠くで観賞するべき女性であって決して近づくべき女性ではないのである。

 

「人間、生まれてから女にモテた事が無いと何も見えなくなるんだなあ」

 

 若手の職員の一人が感想を洩らすと全員が相づちを打つ。

 

(俺みたいな小者を本気で相手にする程、暇じゃないだろうよ。ラインハルトの様子を探るか抱き込んで非常ベルにするつもりだろ)

 

 正確にルビンスキーの思惑を洞察しているハンスとしては身の安全は確保されているので弁務官事務所の職員達の心配は余計なお世話であった。

 

「ミューゼル閣下。若い女性から連絡が来てます」

 

「フロイラインからかな?まさか、デートが中止とかじゃないだろうな!」

 

 三分後、通信室から出たハンスは宇宙の終わりの様な表情になっていた。

 

「閣下、どうされました?」

 

 先程、何か失礼な事を言っていた若手職員が心配して聞いて来た。

 注目する周囲の職員達の予測は「デートの中止」だと思ったが事態は更に深刻だった。

 

「デートが中止になっても後日が有るじゃないですか。楽しみは先に取っておいた方が仕事にも張りが出ますよ」

 

 若手職員の懸命な慰めは空振りに終わった。若手職員はハンスの心配より自身の心配が必要になった。

 

「卿は何を言っているのかね。デートとは何の事だ?」

 

「え、だって先程……」

 

「人材移籍に対する懇親会に行くだけだ!」

 

 若手職員はハンスの目を見て絶句してしまった。危険な光が宿っている。

 

「それより、卿は先程、上官侮辱罪になりそうな事を言っていたな!」

 

「え、閣下。すみませんでした」

 

「私は、そんな小さな男じゃないから安心しろ!」

 

「はい、有り難う御座います!」

 

 完全な八つ当たりであった。若手職員は自業自得とも言えるがサービス残業をする事になる。

 

「弁務官閣下、公用車と運転手をお借りしますよ」

 

「ああ、構わんよ」

 

 不注意な部下は弁務官に生贄とされてハンスを乗せて宇宙港に公用車を走らす事になった。

 

「あれ、デーじゃない。山荘に行かれないのですか?」

 

「行くよ。その前に美人に会わせてやる!」

 

 不審に思う若手職員が宇宙港に到着して、十分後には納得した。ハンスの姉であるヘッダが現れたからである。

 

「では、山荘に行こうか。帰りはホテルに寄ってくれ」

 

「了解しました。しかし、閣下の姉君が何故、フェザーンに?」

 

「CMの撮影らしい。我が儘な女優さんは自分だけ自腹で先にフェザーンに来たそうだ!」

 

「刺のある言葉ね。姉が弟に会いに来て悪いの?」

 

「悪くは無いけど、職場に不必要な連絡をするな!」

 

「まあ、良いじゃないの。フェザーンと帝国の友好に貢献してあげてるのよ」

 

「相手は女性だぞ。有名とはいえ女優に会って嬉しいか?」

 

 ハンスの心配は外れドミニクは大歓喜であった。

 

「閣下には感謝しないと、私はヘッダさんのファンですけど、フェザーンから離れる事が出来ないので舞台を観れませんから映画で我慢していましたの」

 

「有り難う御座います、来年末にはフェザーンでの公演が決まってますから、その時は招待状を贈らせて下さい」

 

「まあ、それは有り難う御座います。必ず観させて貰いますわ」

 

 ドミニクがヘッダのファンなのは本当の様である。

 二人の会話はヘッダのデビュー当時の話から始まりドミニクが若い頃に女優を目指していた話にまで及んだ。

 

「私はダンスの才能が無くて稽古の時に苦労してますわ」

 

 ヘッダの話では女優にはダンスは必修科目である様である。

 二人はお互いの分野の話からヘッダがドミニクにダンスの稽古を受けるまでに盛り上がっている。

 ハンスはゲストなのに食事の後片付けから稽古後のお茶の用意までしている。

 

(おいおい、女同士仲良くなるのは良いが話が逸れてないか)

 

 ハンスは茶の用意をしながら自分の不運について考えざるを得ない。

 

(昔からだよなあ。何か楽しい事が有れば俺だけ不参加になるのは、若い頃に女の子達とのパーティーも俺だけ不参加だったよなあ。あれは確か機械の故障で休日出勤したんだっけ)

 

 他にも過去の不幸な出来事を思い出してしまった。政治や経済とは別の次元で己の不運を呪ってしまった。

 ハンスが茶の用意をしている間にもドミニクのダンスレッスンは続いていた。

 ドミニクもダンスで社会の上層を目指していただけあり、コーチとしては優秀の様である。

 

「はい。二人ともお茶が用意できましたから一度、休憩にしましょう」

 

「あら、失礼しました。お客様に茶の用意をさせるなんて」

 

 ルビンスキーが居れば頭を抱える事になっただろう。本気でハンスの存在を忘れていたドミニクであった。

 

「大丈夫です。家でも同じですから」

 

 (後で覚えてなさいよ!)

 

 姉弟の家庭内抗争を無視してドミニクはハンスが淹れた紅茶を頂く事にする。

 

「あら、美味しいわ!」

 

 亡命したばかりの頃にフリードリヒ四世の茶会に呼ばれた時に茶会のマナーと紅茶の淹れ方を徹底的に叩き込まれた賜物である。

 全員が紅茶を飲んでリラックスした時にハンスが本来の目的の話をする。

 

「肝心な話をしますが帝国の同盟進攻は今年中にあると思いますよ」

 

 ドミニクが手練手管で聞き出すつもりでいた情報をハンスが自ら提示してきた。

 

「出来れば自治領主閣下も帝国に帰順して頂きたい。閣下の才能は宇宙統一後には貴重な才能です」

 

 ドミニクも駆け引き無しで正面から話す事に最初は面食らったが冷静さを取り戻すのは早かった。

 

「そんな、情報を簡単に漏らして宜しいの?」

 

「地下に潜られてテロに走り出されるよりはマシですよ。それに閣下の健康面も心配です」

 

「健康面?」

 

「本人に自覚があるか分かりませんが恐らく脳腫瘍だと思います。脳腫瘍なら今の時代なら早期発見すれば治ります」

 

「何故、脳腫瘍だと?」

 

「同盟に居た頃に脳腫瘍だった人とナイフやフォークの使い方が同じなんですよ。何人も見て来たから間違いありません」

 

「そう、それはルビンスキーに伝えておきましょう」

 

「伝えるだけじゃなく、首に縄をして医者の所まで連行して欲しいですね」

 

 ハンスの過激さにドミニクも失笑してしまった。

 

「女の私に可能だと?」

 

「その事なら大丈夫です。私も手伝いますよ」

 

 ドミニクはメルカッツとファーレンハイトの件を思いだした。この男なら簡単に事を運ぶだろう。

 

「生きていればローエングラム公と喧嘩も出来ますが死んだら喧嘩も出来ませんよ。それに、ローエングラム公みたいに真面目な生活が出来る人じゃないでしょう。面倒な事はローエングラム公に任せてローエングラム公の下で才能を発揮して欲しいですな」

 

 喋り終わると冷めた紅茶で喉を潤すハンスを横目にドミニクも真剣に考え込む。

 

「まだ時間が有りますから、ゆっくりと考えて下さい」

 

 そう言い残すとハンスはヘッダを連れて辞去した。

 二人を見送りに玄関まで出たドミニクは既に決断をしていた。

 

「明日、病院に連れて行きますので閣下にも同行をお願いします」

 

 ドミニクの決断が本来の歴史を修正する事になるのかはハンスも分からなかった。

 しかし、本来の歴史よりは血が流れる量を減らせればと願うだけであった。



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白い監獄と残された人々

 

 ハンスはドミニクの決断を聞いたが夜も遅くなるので、その日は解散として、翌日に打ち合わせをする事になった。

 ヘッダをホテルに送り届けると明日の準備があると言ってヘッダから逃げた。

 

「姉君が寂しそうでしたよ。閣下」

 

「そりゃ、気持ちは分かるけどね。実際に明日の準備があるからなあ。それに予定がズレたのも誰かさんの責任だから自業自得だよ」

 

「本当に仕事だったんですか!」

 

「そりゃ、ハニートラップを仕掛けて来てくれたら駆け引きが楽だからね」

 

「すいません。小官達が誤解してました」

 

「そりゃ、敵を騙すには味方からと言うからね」

 

 他人の過大評価を最大限に活用するハンスであった。

 

 翌朝、朝からドミニクとルビンスキーの強制入院の打ち合わせをする。

 自治領主府にドミニクが説得に行き拒絶ないし引き延ばしに出たらハンスが実力行使で入院させる事にする。

 そして、二人で早めの昼食を摂るとハンスはドミニクと一緒に自治領主府に行く。

 

「では、手筈通りに」

 

「任せて頂戴!」

 

 ドミニクが自治領主府のルビンスキーの執務室に入るのを見届けるとハンスは通信端末を手に取る。

 

「各班は配置に着いたか?」

 

「既に各班は配置に着いております」

 

「宜しい。では合図を待て!」

 

 今朝、ドミニクから連絡を受けた後にハンスは不測の事態に備えてシューマッハの部下達に連絡して呼び寄せていたのである。

 

(しかし、ルビンスキーも本当に親父だな。病院に行くのを嫌がるとは、自分の健康管理も出来んのに宇宙の支配者になるつもりかね)

 

 ハンスも本来の歴史で病に倒れて後世から竜頭蛇尾の見本と失笑される事を知っているのでルビンスキーには同情的である。

 

(野心を捨てラインハルトの下で宰相として才能を発揮させれば歴史に残る名宰相になれるのに)

 

 ハンスが思惑の海を泳ぎ回っていると携帯端末にドミニクからの合図があった。

 

「全班、作戦決行せよ!」

 

 ハンスの指示で白衣を着た男達が担架を持って自治領主府に入って来た。

 自治領主府の職員達が何事かと驚いていると一人の若者が手招きしている。

 

「待ってました。こっちです!こっちです!」

 

 白衣の男達が若者に誘導されてエレベーターに乗り込む。

 

「誰か急病人でも出たのか?」

 

 職員達が白衣の男達を見送ると新たに白衣の男達が自治領主府に入って来た。

 

「先に来た人達は何処に?」

 

「あ、エレベーターで上に行きましたよ」

 

「そうですか。なら、担架が通りますので道を空けて下さい!」

 

 一階に居た人達が緊急事態と思い担架の通り道を作る。

 

「何かあったのですか?」

 

「詳しくは分かりませんが人が急に倒れたらしいですよ」

 

「そりゃ、大変ですね」

 

 急に倒れた人にされたルビンスキーは実際に急に倒れる事になる。

 白衣の男達と一緒にルビンスキーの執務室に押し入ったハンスは問題無用でルビンスキーに暴徒鎮圧用のスタンガンを発射する。

 ハンスが引き金を引くと先端から電極が飛び出してルビンスキーに命中すると高圧の電流が流れてルビンスキーが気絶する。

 気絶したルビンスキーを担架に乗せると来た道を戻る。途中で騒ぎを聞きつけたルパートが来たがドミニクに相手をさせてルビンスキーを病院まで運んだのである。

 こうしてハンスはルビンスキー誘拐に成功したのである。

 

 ルビンスキーが目覚めると視界には白い天井が入ってきた。

 

「知らない天井だな」

 

 横で男女の声が聞こえる。ルビンスキーが声の方向を見るとドミニクと作業服姿のハンスが立っていた。

 

「これは、どういう事か説明を願いましょうか?」

 

「説明の必要があるとは思えませんが、強制入院ですな」

 

「強制入院と言うよりは誘拐だと思いますが!」

 

「誘拐より軟禁だと思う」

 

 ハンスの応えにルビンスキーが改めて室内を観察すると窓には鉄格子が嵌まって、ドアも金属製で監視カメラまで取り付けられている。

 

「この様な部屋が病院に有るとは知りませんでしたな」

 

「有る筈が無いでしょう。無いから急造したんですよ」

 

 ハンスが作業服姿なので予想はしていたが堂々と言ってのけられるとはルビンスキーも予想していなかった。

 

「閣下は本当に軍人ですか?」

 

 ルビンスキーの質問に笑って応えないハンスであった。逆行前の世界では義手が壊れる度に仕事を辞める事になったが溶接の仕事も飲食店の仕事も経験したハンスである。

 

「しかし、私も自治領主としての仕事があります」

 

「そこは大丈夫です。モニターも準備してますから部屋に居ても報告も指示も問題が有りません。サインの必要な書類は此方まで持って来させます」

 

「分かりました。完全に私の負けの様です。それで私は何時まで軟禁されていたら宜しいので?」

 

「その事については、私より医師に尋ねるべきでしょう」

 

 ハンスが枕元のナースコールを押すと医師が説明の為に入室して来た。

 医師が入室する時にドアの外が見えたが銃を持った兵士が見えたのでハンスが軟禁と言った意味が理解できた。

 

「それで、病状の説明をしてもらいましょうか?」

 

「まず、此方の写真を見て下さい。この脳の中心部分の影が腫瘍です。場所が場所だけに外科手術は難しいので放射線治療と音波治療を併用します。最終的には外科手術で腫瘍を取り除きますが、まずは安心して貰っても大丈夫です」

 

「病状は分かりました。何時頃に退院が出来ますか?」

 

「どんなに遅くとも年末には退院が出来ますから安心して下さい。但し退院後も定期的に検査に来て下さい」

 

(年末までなら金髪の孺子が事を起こすまでには間に合うだろう)

 

「結構な事です。では、宜しく頼みます」

 

 ルビンスキーにすれば自分が退院してラインハルトが事を起こすまでには十分な時間があると読んだが、後日、ルビンスキーはラインハルトを過小評価していた事に舌打ちする事になる。

 そして、ルビンスキーがラインハルト以上に舌打ちをさせたのは毎日の食事である。

 

「しかし、酒は分かるがパンが駄目で毎日が脂肪の多い内臓系の肉料理と野菜ばかりなのは、どうにかならんのか?」

 

 傍らに居るドミニクに言ってみるがドミニクは冷たく突き放す。

 

「私に言っても意味が無いでしょう。コーヒーを認めて貰っただけ良しとしなさい!」

 

 毎日が牛の内臓やら脳ミソばかりなのはルビンスキーに取っては苦行であった。

 ルビンスキーはラインハルトの同盟進攻と無関係に退院の日を待ちわびるのであった。

 

 そして、もう一人の男がルビンスキーの退院を待ちわびていた。

 ルビンスキーの首席補佐官のルパート・ケッセルリンクであった。

 

「何で俺の所に仕事が来るのか!」

 

 ルビンスキーの不在の間に自治領主代行の命を受けたルパートであったが毎日の様に押し寄せる仕事の山に辟易していた。

 ルビンスキーが決裁していた仕事と自分の本来の仕事の両方をこなす事になったのである。

 更にルパートの悩ませたのが地球教であった。毎日の様に資金提供の催促が来るのだが、必要な予算ならルパートの権限で決裁が出来るのだが不要不急な予算となるとルパートの権限では決裁が出来ないのである。

 

「老人共め、少しは自分達で稼げ!」

 

 宗教団体である地球教もメインの資金源であるサイオキシン麻薬の密売が暗礁に乗り上げているのだ。

 これは、ハンス作曲、故リヒテンラーデ侯編曲の帝国麻薬撲滅局の仕事である。局長を筆頭に末端の局員までもがサイオキシン麻薬の被害者遺族であり取り締まりには容赦がなかった。

 販売網の中枢は無事であったが末端の販売網を摘発されては製造した麻薬を捌けずに在庫を抱える状況である。

 帝国で駄目ならフェザーンでの販売となればルビンスキーが許す筈が無く、頼みの綱であるルビンスキーは入院中で連絡が取れずにいる。

 自然とフェザーンに残されたルパートへの催促も高圧的になっていく。

 

「ですから、何度も御説明した通り、私の権限では予算を動かす事は出来ないのです。ルビンスキーが退院するまでの辛抱です」

 

「しかし、ルビンスキーが今年中に退院するという保証があるのか?」

 

「医師が保証しています」

 

 何十回目の会話であろうか。ルパートの忍耐力も限界に来ていた。

 

(老人共め、何回も同じ事を言わすな!)

 

 正直、ルパートは地球教に割く時間も惜しいのである。彼には仕事が山の様に残っているのである。早晩、倒産するであろう同盟の企業から資金を引き上げないといけないのである。

 その為にも担当者と打ち合わせをする必要があるのだ。

 その後にもリップシュタット戦役で没落した貴族の売りに出されている鉱山の入札の打ち合わせもあるのだ。実利の無い事に付き合う暇は無いのである。

 

 ルパートから突き放された格好の地球教も資金難に苦慮していた。帝国側の販売網は活動停止状態でありフェザーンでは当然の如くルビンスキーが許さない。同盟は市場としては未開発であるが販売網が無いのである。アムリッツァ会戦で地球教の息の掛かった者は殆どが戦死した為である。更に言えば不況の同盟でサイオキシン麻薬に手を出す者がいるかも怪しい。

 人間は貧しくなると麻薬よりパンに手が伸びるものである。

 こうして、一人の男の入院が少なからず影響を周囲に与えているのである。

 そして、ルパートも地球教も忘れているが帝国に侵入させたランズベルク伯とシューマッハがひっそりと逮捕されたのである。

 帝国駐在の高等弁務官のボルテックが交渉する前であった。

 



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幼帝誘拐計画

 

 キルヒアイスはランズベルク伯とシューマッハを二十四時間体制で監視させていた。

 フェザーンの高等弁務官であるボルテックとシューマッハが接触していたのは既に確認されていた。

 所詮はシューマッハも戦艦乗りである。フーバー指揮の下で盗聴されているとも知らずに全ての情報は筒抜けであった。

 

「しかし、屋外の盗聴は集音マイクを使うとして、よく屋内の盗聴が出来たものですね。一応は一流ホテルに宿泊している筈ですが?」

 

 キルヒアイスもフーバーの手腕に感心するしかなかった。

 

「簡単です。室内にボイスレコーダーを置いておけば良いだけの話です。掃除の時に回収すれば良いだけです」

 

「成る程」

 

 意外と単純な方法にキルヒアイスも苦笑するしかなかった。

 

「しかし、事が事だけに閣下の指示を受けないといけません。一応は実行犯と高等弁務官の身柄を拘束する準備は出来ています」

 

「では、直ぐに実行犯と高等弁務官の身柄を拘束して下さい。未遂とは言え後宮に賊の侵入を許す訳には行きません」

 

「了解しました」

 

 一時間後、ランズベルク伯とシューマッハは宿泊していたホテルで身柄を拘束された。

 その事を知らずにラインハルトとの交渉に来たボルテックは宰相府でラインハルトに会う前に 身柄を拘束されたのである。

 ボルテックがラインハルトに会う事が出来た時には手錠を嵌められて罪人として交渉ではなく尋問という形であった。

 

「卿も迂闊だな。帝国に侵入させる!前に交渉するべきであったな」

 

「生憎と私が計画した訳では有りませんので」

 

「卿は単なる使い走りか?」

 

「私には何も権限は有りません」

 

「そう、拗ねるな。卿の立場も分かっているつもりだ。安心しろ」

 

「ご配慮、有り難う御座います」

 

「ルビンスキーの関与は当然だが同盟側は知っているのか?」

 

「誘拐が成功したら同盟まで亡命させる手筈でした。後はランズベルク伯の手腕次第です」

 

「随分と杜撰な計画だな」

 

「私達の方針としては閣下に宇宙を統一して頂き、その統治下で経済を任せて貰う算段でした。ですから、ランズベルク伯が同盟に亡命した後は関知しません」

 

「最初から、その話を持ってくれば良いものを」

 

「で、私はどうなるのですか?」

 

「普通なら死刑は流石だな」

 

 ボルテックの顔が一気に白くなる。

 

「とは言え、卿の立場も分かっていると言っているだろう」

 

「それでは?」

 

「一応は釈放するが妙な動きをすれば分かっているな?」

 

「命が助かるだけでも有りがたいです」

 

「ふむ、宜しい」

 

 不幸なボルテックがラインハルトに玩具にされている時にランズベルク伯とシューマッハはキルヒアイスに尋問されていた。

 

「大佐には先に伝える事が有ります。フェザーンに居た大佐の部下達は既に帝国に帰順しておりオーディンに向かっています」

 

「それでは部下達は?」

 

「安心して下さい。全員無事です。リップシュタット軍に与した事も問題になりません」

 

「そうですか。有り難う御座います」

 

「それでは、全て話してくれますね」

 

「はい。しかし、私が知り得ている事は僅かです」

 

「構いません。他の証言の裏付けになります」

 

 シューマッハの自供はボルテックの証言を裏付けるものであった。

 

「大佐も部下を人質に取られての事ですから被害者の一人です。直ぐに身柄は解放されますから安心して下さい」

 

「有り難う御座います。しかし、私より部下達の事をお願いします。彼らは私の命の恩人です」

 

「安心して下さい。大佐の部下の方々はフェザーンで手柄を立てての凱旋ですから」

 

 シューマッハに告げたキルヒアイスは苦笑していた。ハンスがシューマッハの部下をルビンスキー誘拐に巻き込んだのは彼らがオーディンに帰る時に肩身が狭い思いをしない為の配慮であった。

 

(しかし、手柄を立てさせるにも誘拐以外にも有りそうなものだが)

 

 シューマッハがキルヒアイスの苦笑の意味を知るのは、シュトライトの推薦で帝国軍に准将として復帰してからであった。

 次にキルヒアイスはランズベルク伯を尋問したのだがランズベルク伯にはキルヒアイスも手を焼いた。

 全く話にならずに途中から自分の世界に入り込んで帰って来ないのである。

 

(悪い人では無いが自分達の行動の意味が分かっていないのだろう。この人と組んだシューマッハ大佐も大変だっただろう)

 

 キルヒアイスは尋問を諦めて身柄を拘束するだけにした。本人の希望で紙とペンを渡している。どうやら牢獄内で自伝を執筆する気でいるらしい。

 

「完成したら、是非とも一読させて下さい」

 

「キルヒアイス元帥に文学の趣味があったとは!平和な時代に私のサロンにお呼びするべきでしたな」

 

 ランズベルク伯が本気なのでキルヒアイスも僅かながらに良心が痛んだが話を合わせた。

 

(完成した作品を読めば自白調書の代わりになるだろう)

 

 キルヒアイスの本音を知らずにランズベルク伯は自伝の執筆に情熱を燃やすのであった。

 

 ランズベルク伯と反対に無聊を託つ者がフェザーンにいた。

 

(ドミニクもルビンスキーの看病で忙しいし、シューマッハの部下達もオーディンに帰したし、引き抜きもルビンスキーがくれた名簿で足りたし、キュンメル男爵も無事に同盟で入院しているし、暇だな)

 

 帝国の門閥貴族を同盟に入院させるのも大変な作業であった。

 先ずは本人を帝国からフェザーンに入院させてからフェザーンの国籍を取るのも大変だった。

 帝国国籍を失うと帝国貴族の特権も喪失するので帝国籍は維持したままフェザーン国籍を取得するには書類の山であった。

 それを弁務官事務所の職員に手伝ってもらいながら完成させる。

 フェザーン国籍が取れると同盟側と交渉して入院の手続きを取るのに2時間毎に連絡を入れて同盟の役人に催促をする。

 その一方で使えるならとイゼルローン要塞のヤンを通じてキャゼルヌに連絡をして事情を説明して同盟の事務職員の攻略の仕方を教わる。

 

「貴官も奇特な人間だな」

 

 事情を聞いたキャゼルヌは苦笑をすると同時に快諾してくれた。

 キャゼルヌがドーソンに連絡を取りドーソンからトリューニヒトに話が行きトリューニヒトが自己の政治宣伝の為に役人に圧力を掛けて実現したのである。

 ハイネセンに旅立つ病院船の見送りが終わると流石に疲れたのかハンスは宇宙港のロビーのソファーで燃え尽きた灰の様に座り込んでいた。

 

 その後は仕事も無いので弁務官事務所の掃除と花壇の手入れをするハンスであったが完全に給料泥棒である。

 オーディンに帰ればルビンスキーが何をするか不安なのでオーディンに帰る事も出来ないでいる。

 暇を持て余した挙げ句に暇潰しに同盟の高等弁務官事務所を見物に行くのが日課である。

 

(ユリアンでも居るかなと思ったが居ないのか。ガイエスブルク要塞を移動させなかったので軍属のままなのかな?)

 

 ユリアンが居なければフェザーン侵攻の際に高等弁務官の身柄とコンピューターの機密データが帝国側の手に落ちるかもしれないので気にしない事にした。

 

(早くフェザーン侵攻作戦を始めてくれないかなあ)

 

 ハンスが日頃の平和主義を遠くに放り投げた頃、ハンスの期待に応える訳ではないがラインハルトが諸提督を集めて会議を開いた。

 

「フェザーンからの提案であるが同盟の進攻に対して自由に意見を出してくれ」

 

 最初にオーベルシュタインが発言をした。

 

「同盟が帝国と和平の意思が無いのは自明の理です。同盟の国力が回復していない段階で攻撃するべきだと考えます」

 

 日頃は嫌われているオーベルシュタインだが、この時は提督達の支持を得た。

 

「しかし、瀕死の状態の同盟を征服して門閥貴族から没収した財で安定した国庫の負担にならないか?」

 

 メックリンガーが慎重論を提示して見せた。

 

「その事だが、既に試算を出している。同盟も帝国ほどではないが一部の富裕層が富を独占している状態である。征服した後に富裕層からの富を市民に還元する事で解消する。それに伴なって、軍を解体して人を社会に還元する事で社会システムの運用の問題も激減する」

 

 渡された資料には大手企業が書類上の赤字を作り税金を逃れている証拠が記されている。

 

「帝国も同盟も同じか!」

 

 ビッテンフェルトが吐き捨てたが、同盟も門閥貴族という看板を出していないだけで市民から一部の人間達が富を搾取している社会構造は同じであった。

 

「昨年、クーデターを起こした連中の気持ちも分かる気がする」

 

 ファーレンハイトが応じる。

 

「では、同盟に対する攻勢には問題が無いとする。次に具体的な作戦案については私に腹案が既にある」

 

 フェザーンの独断で始まった誘拐計画が呼び水となり帝国では着々と同盟進攻の準備が進められ始めていた。

 この時に帝国軍のフェザーン武力侵略を知っている人間は宇宙に僅かな人数であった。

 宇宙の多くの人は束の間の仮りそめの平和を享受していた。

 



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第八次イゼルローン攻防戦

 

 宇宙歴798年 帝国歴489年 10月20日

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将を総司令官に三万六千隻の大軍がイゼルローン要塞に来襲した。

 その報は遠くフェザーンで無聊を託っていたハンスも耳にする事になる。

 

(本来の歴史より一ヶ月も早いな。誘拐事件が未遂になった事とガイエスブルク要塞を使った作戦が発動してないからか!)

 

 ハンスは自分が歴史を変えた事を実感していたが長い休暇が終わった事も自覚した。

 

(ルビンスキーは入院中で動く事は出来ない。問題は息子の方か)

 

 物心が付いた時には父親が他界していたハンスにはルパートの考えが理解が出来ない。

 ハンスは学費や生活費を面倒みてくれたら父親が不在でも構わないと思っている。

 ルビンスキー親子の争い等は理解が出来ないが実際に争われると計画が狂うので対策は取っていたが更に保険の必要性を感じた。

 ハンスはオーディンに居るフーバー准将に連絡をした。

 

「お久しぶりです。准将!」

 

「本当にお久しぶりですね。大将閣下!」

 

「えっ?」

 

 ハンスの間の抜けた反応にフーバー准将は苦笑を隠そうともしない。

 

「あの方から「合流するまでは暇だろうから勉強してろ」との伝言を預かっています」

 

 あの方が誰かも確認する必要も無い。ハンスの顔が不機嫌になる。

 

「仕返しに戦艦一隻を要求してやる!」

 

 地位が上がれば責任も増えて辞められなくなる。あの方と周囲のハンス包囲網は完成されつつある。

 

「それで、急な連絡で何か急務でしょうか?」

 

 ハンスの不機嫌を無視してフーバー准将が話を進める。

 

「そうでした。何人か陸上戦の専門家を回して貰えませんか?」

 

「分かりました。手配します」

 

「それと、ロイエンタール提督の戦いに関連してフェザーンの仕事攻めを続けて下さい」

 

「了解しました。しかし、フェザーンに儲けさせて宜しいのですか?」

 

「構いません。最終的には帝国に帰ってくる利益ですし、奴さんは本職の仕事が忙しくて悪さをする暇が無い様です」

 

「しかし、斬新な手段でしたな」

 

 ハンスはNo.1が不在のNo.2の心理を正解に理解していた。

 No.1が不在の間に成果を落とせばNo.2の力量を疑われる事になり、逆に成果を上げれば力量を過大に評価されると思い込む心理を利用してルパートが多忙になるように仕事を用意させたのである。

 

「今頃は過労でフラフラだろうね」

 

 民間企業勤めが長いハンスならではの発想であった。

 

 ハンスの罠に嵌まっているルパートはロイエンタール襲来の報を聞くと指示を次々と出したが、そこで限界だった様である。

 一応の指示を出した後に過労で倒れてしまった。

 

「て、帝国軍の動きが早すぎる」

 

 フェザーンの計画では幼帝誘拐の後にランズベルク伯達を同盟に亡命させてからの帝国の攻勢の手筈が誘拐をする前に帝国が攻勢に出たのである。

 それでも、一応の対策と指示を出せたのはルパートの優秀さを示していた。

 ルパートを過労で倒れさせたロイエンタールはイゼルローン要塞の攻略に手を焼いていた。

 

「しかし、予測はしていたが、此方が仕掛ける策の全ての先手を取られてしまう」

 

 ロイエンタールの感想には畏怖が混入している。

 回廊内に入りイゼルローン要塞まで目前の距離の所でヤン艦隊が忽然と後方に現れて後方から集中砲火を浴びせて来たのである。

 イゼルローン要塞との挟撃の形になり、あと一歩でトゥールハンマーの餌食になる寸前に艦隊を小集団に散開させて離脱に成功した。

 この段階で少なからずの犠牲を出したが態勢を整え直す事に成功したのはロイエンタールの指揮能力の優秀さを示すものであった。

 

「あれを凌いだか!」

 

 ヤンとしては必勝とは言えないが大打撃を与える自信がある策であった。

 

「流石に帝国の双璧と言われるだけの人材だ。彼を麾下に持っただけでもローエングラム公の名は歴史に残るよ」

 

 ヤンの言葉を証明する様にロイエンタールは即座に態勢を整えると五百隻前後の小集団を作り、一撃離脱戦法を試みる。

 ヤンは空中砲台で第一陣を撃退すると第二陣の集結予定宙域をトゥールハンマーで牽制させる。

 ロイエンタールは慌てて第二陣を散開させるがヤンは駐留艦隊で直接攻めて来る。

 ヤンの直接攻撃にロイエンタールも予備兵力を投入して乱戦状態を作り出す。

 三万隻を有するロイエンタールと二万隻に届かないヤン艦隊では乱戦に持ち込めば数の有利を生かせる。ヤン艦隊が退却するなら平行追撃すればトゥールハンマーを使用させずに要塞に肉薄する事が出来る。

 しかし、ロイエンタールは知らなかった。「敵を罠に嵌めるには金貨を置く事が必要だよ」ヤンがユリアンに言ったヤン流の用兵術である。

 相手の願望が叶うと見せ掛けて敵を罠に嵌めるのである。

 衝撃は突然であった。総旗艦トリスタンだけではなく中級指揮官の旗艦に強襲揚陸艦が強行接舷して白兵戦を仕掛けたのである。

 

「チッ、俺とした事が見え透いた手に引っ掛かるとは」

 

「ロイエンタールの様な一流の用兵家の足元を掬うには、意外と稚拙の罠が有効なものさ」

 

 策は稚拙かもしれなかったが規模は大きかった。旗艦を人質に取られた形になった帝国の分艦隊はヤン艦隊の餌食であった。

 

 二割の旗艦が占拠される被害を出しながらも侵入して来た薔薇の騎士を何とか迎撃してロイエンタールは一時的に退却する事に成功する。

 

「敵の被害より此方の被害が大きいです」

 

 副官の報告を聞きながらロイエンタールは苦虫を噛み潰した表情になる。

 

「ハンスがヤンと正面から戦うなと言う意味が分かった」

 

「閣下でも恐れる敵がいるとは宇宙は広いものですな」

 

「ああ、自分の慢心が消し飛ぶよ。これ以上の無駄な犠牲を出す必要も有るまい。作戦を第二段階に移すぞ」

 

「大芝居の始まりですね。流石のヤン・ウェンリーも見抜けないでしょう」

 

「奴の事だ。既に見抜いているだろうよ。しかし、奴には手も足も出せん。尤も出させる気も無いがな!」

 

 ロイエンタールは一時的に撤退をして、イゼルローン要塞から距離を取りオーディンに援軍要請をする。

 ロイエンタールからの援軍要請を受けてキルヒアイスはミッターマイヤーを援軍の総司令官としてシュタインメッツ、ワーレン、ミュラーに出動命令を出した。

 

 11月9日、四個艦隊からなる援軍がオーディンから旅立つ。ラグナロック作戦の第二段階の始まりである。

 フェザーン経由で知った同盟政府はヤンに警戒態勢の強化を命じたのみである。

 援軍を派遣したくとも派遣する兵力が無かった事もあるがイゼルローン要塞とヤンを過信していた側面もあった。

 これに対してヤンは帝国軍がフェザーン回廊を通過して同盟領に侵攻する事を指摘したが指摘されても対策が取れる余裕も無かったのである。

 ヤンは同盟政府に指摘する一方で自身はイゼルローン要塞の放棄の準備に取り掛かり始めた。

 そして、それを黙って見過ごすロイエンタールではなかった。

 ルッツに言わせると「嫌がらせの為の攻撃」を始めるのであった。

 

 ロイエンタールは百隻単位の小集団を広く薄く配置をしてトゥールハンマーで直撃されても被害が最小限に抑えられる形で二十四時間体制でイゼルローン要塞に攻撃を仕掛ける。

 

 要塞自体には損傷を与えられないが要塞内の人々には心理的なダメージを与えた。

 特に脱出計画と各部署に補給と補充を行う事務方には過労と心労で倒れる者が続出していた。

 

「おいヤン。この攻撃を何とかしろ!」

 

 キャゼルヌに言われなくともヤンも対応を考えていたが最初にロイエンタールが回廊に侵入した時は無人の監視衛星からの情報で事前に察知が出来たが今回は既に監視衛星は破壊されていてロイエンタールに先手を取られてしまった。

 

「トゥールハンマーを連続で発射する、エネルギーの充填率は最低限でよい。敵を牽制して艦隊が出る隙を作る」

 

 驚いたのはロイエンタールだけではなく帝国軍の全員が完全に虚をつかれたのである。

 彼らは末端の兵士までトゥールハンマーの威力とエネルギー充填時間を熟知していた為に半分の時間で連続して発射されるとは思ってもいなかった。

 

「全艦、トゥールハンマーの有効射程外まで緊急離脱せよ!」

 

 ロイエンタールの命令に全艦が真摯に従い後退を始めるとアッテンボローを筆頭にヤン艦隊が追い討ちを掛けるように帝国軍をトゥールハンマーの射程外まで追い払う。

 

「流石に嫌がらせも度が過ぎたな」

 

 ロイエンタールはトゥールハンマーの有効射程外で艦隊の再編を行うとヤンがイゼルローンを放棄するまで待つ事にした。

 そこに、ロイエンタールのもとにハンスからの通信が入った。

 

「ロイエンタール提督、忙しい時に失礼します」

 

「構わんよ。卿の事だ。何か忠告があるのだろう?」

 

「忠告とか大袈裟な物では無いですが、ヤン・ウェンリーに民間人に攻撃を加える気が無いと宣言してやり、攻撃を中止してやればイゼルローン要塞の放棄も早まるし同盟を征服した後の統治もやり易くなります」

 

「卿も大胆だな。しかし、確かに互いに無駄な犠牲が出ないな」

 

「ヤン・ウェンリーはイゼルローン要塞を攻略した時にゼークト提督に逃げろと宣言してますよ。追撃もしないとオマケ付きです」

 

「分かった。卿とヤン・ウェンリーは同じ発想の持ち主だな。卿の進言に従う事にする」

 

 すぐにハンスの進言に従いロイエンタールがイゼルローン要塞に宣言をすると、民間人が置いて行く私有財産も後で返還して欲しいとヤンの名前で返信があった。

 ロイエンタールは苦笑しつつも私有財産のリストを残す様に返信をした。

 

「リストに記載されている物には最大限の努力を約束する」

 

 ロイエンタールは宣言した二日後には堂々とイゼルローン要塞に入る事が出来たのである。

 

(ヤン・ウェンリーが素直に要塞を放棄したとも思えん。置き土産があるかもしれんが、今は譲られた勝利を悪怯れずに受け取れば良い)

 

 中央指令室に足を踏み入れたロイエンタールが最初の命令を出した。

 

「オーディンに連絡を入れろ。我、要塞の奪還に成功せりと」

 

 イゼルローン要塞は、ほぼ二年半ぶりに帝国軍の手に返ってきたのである。

 



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フェザーン占領

 

 イゼルローン要塞攻略中のロイエンタール上級大将からの援軍要請を請けてイゼルローン方面に出撃した筈のミッターマイヤー艦隊二万隻がフェザーン回廊にワープアウトしたのは11月27日の未明であった。

 ワープアウトしたミッターマイヤー艦隊に気付いたフェザーン宙港管制局は混乱の極みであった。

必死に何度も停船命令を出すオペレーターの声を無視して進軍するミッターマイヤー艦隊に対して有効な対策も取れずに自治領主府に連絡を入れる。

 

「オーディンの弁務官事務所の連中は何をしていたのか!」

 

 管制局の至る所で同様の罵倒をする者が続出していたが事態の解決に何ら貢献しない。

 昼過ぎにフェザーン上空に帝国軍の艦艇が視認が出来る様になるとフェザーン全土がパニックになった。

 

「じゃあ、仕事を始めますか」

 

 ハンスはフーバー准将が派遣した陸上戦の専門家達を召集して同盟弁務官事務所に突入を開始した。

 完全に虚を突かれた弁務官事務所は無血でハンス達の手に落ちた。

 

「拘禁するのはヘンスロー弁務官とヴィオラ大佐の二人で十分です。残りの人達は帰宅して貰っても構いません。但し明日には此方に出頭して下さい。私物と残りの給与の精算をします」

 

 ハンスの宣言に弁務官事務所の職員も面食らう。

 職員の一人が恐る恐るハンスに質問する。

 

「あのう、帝国軍が給料を払ってくれるのですか?」

 

「まさか、弁務官事務所の金庫の中の現金と備品を売り飛ばした金で払いますよ。何でうちが敵国の役人の給与を払う必要があるんですか」

 

「それは、ごもっとも」

 

「それから、突然に仕事が無くなって困るでしょうから、転職先の無い人は履歴書も持参して下さい」

 

 逆行前の世界で雇い主が給与未払いのまま夜逃げをされたりしたハンスの経験が弁務官事務所の職員達に親切な対応をさせてしまう。

 一緒に突入した兵士達もハンスの対応に苦笑している。

 ハンスはミッターマイヤーが差し向けた部隊に事情を話してルビンスキーが入院している病院とルパートが入院している病院に兵士を差し向けて貰う。

 別に二人の身を案じての警護の為ではなく監視の為である。ルビンスキーとルパートの親子に関しては1グラムも信用して無いハンスであった。

 

「皆さん、ご苦労様でした。本日の仕事は終了しました。解散!」

 

 突入部隊を解散させた後でハンスはミッターマイヤーにルビンスキーとルパートの事を報告に行く。

 

「お久しぶりです。ミッターマイヤー提督。提督に無断で部下の人達をお借りしました」

 

「謝罪の必要は無い。卿の働きで同盟の弁務官とルビンスキーの身柄を押さえる事が出来た。逆に此方が礼を言いたいくらいだ」

 

 ミッターマイヤーの占領作戦は完璧だった。フェザーンの主要施設は全て無血で手に入れている。翌日には、フェザーン占領に伴い各業界に便乗値上げを禁止の布告を出して市民生活に支障が無い様に対処している。

 唯一の失敗と言えば女性に暴行した兵士が出た事である。

 掠奪や暴行を嫌悪するミッターマイヤーは怒り心頭であり、暴行事件を犯した兵士の部隊の上司から助命嘆願されたが、ミッターマイヤーが聞き届ける筈もなく「俺に二言は無い!」と一刀両断にされ、穏健派と言われるハンスも取り成しを依頼されたが、ハンスも「却下!」と一言で断った。

 

 ハンスは銃殺ではなく自らの手で軍刀による斬首を提案した程の怒りを覚えていた。

 

「ミュラーが来る前に少しでも清潔にする必要があるな」

 

 暴行犯は公衆の面前にて銃殺刑にされたのである。処刑の模様はテレビ中継をされてフェザーン全土に放送された。残虐な様だがフェザーンを統治する上で市民からの信用を得る為には必要な処置であった。

 

「ミッターマイヤー提督に警察から連絡が来ています。首席補佐官の自宅からサイオキシン麻薬が発見されたそうで、フェザーンの警察から補佐官の身柄の引き渡しを要求してます」

 

 ハンスからの報告にミッターマイヤーも数瞬だけ考えた後にハンスに意見を求めた。

 

「卿の意見は?」

 

「それなら餅は餅屋に任せるべきでしょう。ただ、サイオキシン麻薬は国単位で解決する訳では無いので本国の麻薬撲滅局にも協力する事を条件にするべきでしょう」

 

「卿の意見は正論だろうな。その様に取り計らってくれ」

 

「了解しました。それとミュラー提督の司令部に麻薬関連に詳しい士官が居るそうなのでミッターマイヤー提督から部下を貸して貰える様にお願い出来ませんか?」

 

 ハンスにしたらルパートの自宅からサイオキシン麻薬が押収されるとは思っていなかった。

 

(思わぬ事で地球教の尻尾を捕まえられるかもしれない。ルパート自身が使っている筈も無いが、ユリアンの回顧録では地球教の司教が被害者らしい。ルパートにペテンを掛けて喋らせるか)

 

 翌日からルパートの取り調べにハンスも同席させて貰う事にした。

 そして、その翌日には遠征軍の総司令官のキルヒアイスが到着した。

 

「既に報告は受けてます。明日にもミッターマイヤー提督には同盟領に進攻して貰います。イゼルローン要塞のヤン・ウェンリーはロイエンタール提督と対峙中との事です。ヤン・ウェンリーが要塞を放棄して同盟軍本隊と合流する前に本隊を叩きます」

 

「了解しました。既に艦隊の方は準備が出来ています」

 

 キルヒアイスはフェザーンの留守番部隊としてベルゲングリューンとビューローの両中将にボルテックの補佐という名目で監視を付けさせる。

 

「閣下。しかし、大丈夫ですか?」

 

 ベルゲングリューンが自分達二人がキルヒアイスの傍らで補佐をしない事に危惧の念を表す。

 

「卿は過保護な親か!」

 

 ビューローの感想は過不足なくベルゲングリューンの心情を表現していた。

 年長の部下の心配にキルヒアイスも苦笑しながらも応える。

 

「大丈夫です。ミッターマイヤー提督を始め他の提督達も居ますから」

 

 赤面する僚友を横目にビューローがキルヒアイスに来客を告げる。

 

「ベルゲングリューンの戯言は別にしてミッターマイヤー上級大将とオーベルシュタイン総参謀長とミューゼル大将が面会を求めています」

 

「お三人を会議室に通して下さい」

 

(ミューゼル大将だけなら昇進の事で苦情と見当はつくがミッターマイヤー提督とオーベルシュタイン総参謀長と一緒とは)

 

 日頃から単独行動を好むハンスが誰かと行動を共にする事は稀有な事なのでキルヒアイスも不思議に思いながらも会議室に向かった。

 

「ラインハルト様、ローエングラム公が病気!」

 

 ハンスの告げた内容に驚いたキルヒアイスの声が会議室に響いた。

 

「だから、病気の疑いがあると言っているだけです」

 

 キルヒアイスの狼狽ぶりにハンスも驚きながらも宥める。

 

「宰相閣下の母上も若くして病気で無くなっているでしょう。帝国の人は遺伝に対して関心が無いですが病気で早死する家系の場合は殆どが遺伝なんです。だから、宰相閣下をハイネセンの病院で精密検査を受けさせたいのです」

 

 ハンスの意見を聞いて考え込むキルヒアイスにミッターマイヤーが質問の形で追い討ちをかける。

 

「宰相閣下が素直にハイネセンまで行く性格か?」

 

 キルヒアイスの次にラインハルトと付き合いの長いミッターマイヤーである。ラインハルトの性格を正確に把握している。

 

「それに、医者では無いので不確かだがグリューネワルト伯爵夫人が先に発症しますな」

 

 ハンスも言えない爆弾をオーベルシュタインが平気で投げ込んで来た。

 アンネローゼの事に話が及ぶとキルヒアイスの顔色が一気に変わる。

 

「分かりました。私からローエングラム公に話をしましょう」

 

「それで、あの頑固者が素直に動くか?」

 

 ハンスの遠慮の無い発言にキルヒアイスも何とも言えないのである。

 

「動かないなら、動かすだけの口実が必要になるでしょう」

 

 キルヒアイスの冷静な分析に全員の視線がオーベルシュタインに集中する。

 

「何故、私を見る。まるで私が陰謀家みたいではないか!」

 

(自覚が無かったのか!)

 

 全員が口に出さなかったが驚愕する発言であった。

 

「手段を選ぶ余裕が無いので方法が限られて来るが仕方ないだろう」

 

 自分の発言を裏切りオーベルシュタインが策を発表した。

 

「流石は総参謀長ですな」

 

 ハンスがオーベルシュタインの策を賞賛した程にオーベルシュタインの策は全員が感心する内容であった。

 

「確かにローエングラム公も動くでしょう」

 

 ラインハルトを知り尽くしたキルヒアイスも太鼓判を押す策であった。

 

「実行は問題提起をしたミューゼル大将に一任するべきでしょう」

 

 オーベルシュタインの意見に全員が納得した。

 

「宰相閣下を騙す様で心苦しいが仕方が無いですな」

 

 ハンスの表情は言葉を完全に裏切っていた。どうやら大将昇進の仕返しが出来る口実を得て喜んでいるのが丸分かりである。

 

 ハンスにしたら、この為に膠原病の権威を苦労して探したのだ。

 それに、安心して軍を辞める為にもラインハルトの存在は重要なのである。

 

 帝国歴489年、宇宙歴798年、11月30日、キルヒアイスがフェザーンに到着して2日目の事であった。

 この時点ではイゼルローン要塞ではヤンとロイエンタールの戦いは続いていた。

 そして、帝都オーディンではラインハルトが帝国宰相として内政改革に勤しんでいる。

 ハンスの暗躍の為に本来の歴史より遥かに帝国が有利の状況であるが、それを望まない人間が宇宙には存在していた。 

 



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ハゲ頭の復活!

 

 12月に入りミッターマイヤー艦隊は同盟領に侵入を果たしていた。

 フェザーン航路局と同盟の弁務官事務所のデータに依るとランテマリオ星域までの星域には有人惑星は無く航路の安全保守の為の小規模の軍事基地が有るのみである。

 

「何とかエントランスまでは辿り着いたな」

 

 航路局と弁務官事務所からデータを手に入れているが未経験の星域にしてミッターマイヤーも緊張が解けないでいた。

 同盟に第二のヤンやラインハルトが現れるかもしれないのである。

 更にフェザーンでの会議の内容を思い出すミッターマイヤーであった。

 

「宰相閣下の事は総参謀長の策に従うとして、同盟攻略ですがヤン・ウェンリーは既に要塞の放棄の算段をしているでしょう」

 

 その場に居た人間でハンスの発言の理解が出来ない人間は居なかった。

 

「問題はヤンの行動速度です。イゼルローン要塞に一番近いエル・ファシルに民間人を避難させたとして同盟本隊との決戦に参戦されると危険でしょう。もしくは我々が同盟本隊と戦っている最中に補給路を絶たれる危険もある」

 

 フェザーン回廊を封鎖されてもイゼルローン回廊からの補給路が有るのだが時間が掛り過ぎる。

 

「所詮、我々の優勢などは、その程度なのだ」

 

 12月20日にフェザーン経由でロイエンタールがイゼルローン要塞攻略に成功した報がフェザーンに進駐するキルヒアイスに届いた。

 

「予想より被害は大きいですがヤン・ウェンリーの要塞の放棄も早かったですね」

 

 この報告に前後してハンスがルパートの自供によりサイオキシン麻薬患者にされた地球教の司祭であるデグスビイとの接触に成功していた。

 デグスビイは既に教えに対する背信行為から自暴自棄になり酒に逃げる様になっていた。

 ハンスはデグスビイに酒を与える対価として情報を得ていた。

 ルパートの裏切り行為からルビンスキーと地球教との繋がりまでの証言を得た。

 ハンスは全ての事情をキルヒアイス経由でラインハルトに報告をした。

 

「まあ、宗教団体が麻薬を扱うのは珍しくないですが大半は真面目な信徒ですので御配慮をお願いします」

 

 ハンスの言葉にキルヒアイスも賛同してラインハルトに報告した。報告を受けたラインハルトは社会秩序維持局局長のラングに地球教の内偵を命じた。

 

「分かっていると思うがラング。一般教徒には犠牲を出さぬ様にするのだぞ」

 

「承知しております。ご安心して下さい」

 

「分かっているなら宜しい」

 

 ラインハルトも深く念を押さなかった。ラングは一般的に秘密警察の長官として嫌われているが、職務で知った情報を悪用する事が無かった事とハンスの推薦もあった為に社会秩序維持局を解体せずに人員と予算を削り、ラング自身も処分せずに残していたのである。

 実際にラングは麻薬撲滅や貴族階級の犯罪には功績を出しているのであった。

 

「しかし、最終的には軍の力も必要となります」

 

「分かった。だが、軍部も同盟との戦いで暫くは余裕がないぞ」

 

 ラインハルトの言葉に嘘は無く事実であった。リップシュタット戦役の犠牲も少なくガイエスブルク要塞を使用した戦いも無く本来の歴史よりは犠牲は少なかったが本来の歴史と違い幼帝誘拐が起きずに「百万隻一億人体制」は確立していなかった。

 

「はい。此方も内偵には暫しの時間が必要となります。それと、人員と予算についても、お願いします」

 

「分かっている」

 

 こうして、ラングと社会秩序維持局は復活を果たした。

 そして、地球教に帝国当局の目が向けられるのは本来の歴史より半年近く早くなったのである。

 

 ラインハルトがラングに地球教の内偵を命じた頃、ハンスとキルヒアイスはルビンスキーと面談をしていた。

 

「自治領主閣下、過去は問いませんから帝国の為ではなく新しい宇宙の為に手腕を振るう気になりませんか?」

 

 ハンスの言葉にルビンスキーも珍しく逡巡している。

 傍らに居るドミニカも緊張の為に顔が強張る。

 

「大将閣下に元帥閣下まで、来て頂いて大変に恐縮ですが私も男です。直ぐに諦められる事では有りません。少し考えさせて頂けませんか?」

 

 ルビンスキーにしては珍しく誠実な返答だとドミニクも驚いた。

 

「分かりました。黙って引退して頂けるなら過去の事は問いません。静かに余生を過ごされて下さい。しかし、地球教の摘発に関してだけは協力をして貰います。治安上、見逃す事は出来ません」

 

「分かりました。私も地球教とは手を切るつもりでしたから、地球教に関しては協力させて頂きます」

 

 ルビンスキーにしても地球教に命を狙われる危険があるのだから、帝国に協力せざるを得ない事情もある。更に言えばルビンスキーは権力志向であるが統治者の義務を心得ている。狂信者に統治権を渡す気は無いのである。

 それに、ルビンスキーは酒に女に賭博にと人生を楽しみたいタイプの人間である。酒も飲めない政治体制は悪い冗談だと思っている。

 

「元帥閣下がフェザーンを出発する前に返答させて頂きます」

 

 ハンスとキルヒアイスが帰りドミニクと二人だけになるとルビンスキーはドミニク自身の去就について問うてきた。

 

「私はフェザーンが気に入っているから離れる気は無いわよ」

 

「そうか。これからも長い付き合いになるな」

 

 予想外の返答にドミニクもルビンスキーの顔を見直す。

 ルビンスキーが引退して静かな余生を送るとは思っていなかったのだ。

 

「なんだ。意外そうな顔をしているが私は引退する気は無いぞ」

 

 ルビンスキーは楽しそうな笑みを浮かべてドミニクを見ている。

 

「あら、貴方も意外と往生際が悪いのね」

 

「お前は何か勘違いをしているみたいだが、私は帝国に帰順するつもりだぞ」

 

 帝国に帰順するつもりならオーディンに居を移す必要があるのに何を言っているのかとドミニクはルビンスキーの正気を疑った。

 

「ローエングラム公は遠からずフェザーンに遷都する。銀河系を統治するには位置的にオーディンよりフェザーンのほうが都合が良いからな」

 

 ドミニクも聡明な女性である。瞬時にルビンスキーの言葉に納得した。

 入院してから日を重ねる毎に覇気が無くなっていくルビンスキーを心配したドミニクだったがルビンスキーの鋭敏さは健在の様であった。

 フェザーン遷都の事はラインハルトに相談されたキルヒアイスとカンニングで知っているハンスだけであったがルビンスキーは自身の能力のみでラインハルトのフェザーン遷都の構想を察知したのである。

 本来の歴史では病の為に竜頭蛇尾の見本とされたルビンスキーであったが病を克服したルビンスキーは脳腫瘍と一緒に蛇尾も切り捨てた様である。

 

「最初からローエングラム公に帰順するつもりじゃないの」

 

「折角、ボルテックが面倒な事を引き受けてくれてるのだ。元上司として部下の成長を見守りたいのだ」

 

 長い付き合いのドミニクにはルビンスキーの本音が見え透いていた。

 

「あら、私は帝国が地球教を始末するまで、此処でサボりながら避難するつもりに見えるけど」

 

 どうやら図星だったらしくルビンスキーは声を出さずに笑うだけである。

 ドミニクは口に出さなかったがルビンスキーの体調も回復していない事も理由の一つだと知っていた。

 

(しかし、私ぐらいには素直に言えば良いものを男という生き物は……)

 

 内心はルビンスキーというよりは、男の見栄に呆れながらも、ドミニクは久々に食事の準備を始めるのである。

 手術も終わり食事制限も緩和されたので数年ぶりのリベンジをする好機である。

 

(今回は、あの時みたいに味見もせずにソースを掛けるなんて出来ないからね)

 

 そして、ルビンスキーに仕事を押し付けられたボルテックは意外な事に自治領政府職員から歓迎されていたのである。

 

「過労で倒れた人の悪口は言いたく有りませんが、忙しいのは理解しますが、八つ当たりが酷く大変でしたよ」

 

 職員の声にボルテックもルパートと部下達の両方に同情した。

 ルパートは自治領主代行の仕事に本来の補佐官としての仕事に地球教の相手もしていたのだ。若いルパートが癇癪を起こすのも当然であり八つ当たりされた職員も災難であったと思う。

 裏でハンスがオーバーワークになる様に燃料を投下していた事を知ったとしてもボルテックの感想は変わらないであろう。

 そして、ボルテックは当面の間は自治領主代行として代行の二文字が取れる様に頑張るのである。

 ラインハルトのフェザーン遷都により代行の二文字が取れる日は永遠に来ないのである。

 尤も、この時の働きに感心したラインハルトからマリーンドルフ伯の引退後に第二代国務尚書に任命されるのである。

 

 こうしてフェザーン占領の後処理が終わりキルヒアイスは年明けを待たずに同盟と雌雄を決する為にフェザーンを出発する事になる。

 



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双頭の蛇 ランテマリオ会戦 前編

 

 宇宙歴799年 帝国歴490年 1月4日

 

 キルヒアイスはポレヴィト星域にて先行したミッターマイヤーの部隊と合流をしたのである。

 公式発表では艦艇数は十五万隻とあるが大抵の場合は多少の誇張があるので正確な艦艇数は不詳である。

 一方、同盟軍側は解体寸前の老朽艦からテスト航行も済んでいない新造艦まで掻き集めて数だけは三万五千隻である。

 同盟軍将兵の唯一の望みはイゼルローン方面に居るヤン艦隊の到着であった。

 帝国軍もヤン艦隊を警戒しており既にロイエンタールにはヤン艦隊が非戦闘員を避難させた後に追撃を掛ける様にラインハルトからの命令も出ていた。

 

「ロイエンタール達だけに高見の見物をさせる法は無いからな」

 

 総旗艦バルバロッサでのミッターマイヤーの意見はフェザーン方面軍の将兵の本音でもあった。

 キルヒアイスも苦笑してミッターマイヤーの意見を咎めない。

 

「ポレヴィト星系からランテマリオ星系までは有人惑星も無く同盟軍が決戦を挑むとしたらランテマリオ星系になるでしょう」

 

 キルヒアイスの言葉に異論を挟む余地も無く諸提督達の共通の認識の確認であった。

 

「敵の総司令官の元帥は老練な宿将中の宿将です。私達が産まれる前から戦場を往来していた人物です。油断は出来ません」

 

 帝国では宿将としてメルカッツが有名だがメルカッツ以上の戦歴を持つビュコックとなると全員が緊張する。

 

「敵は勝つ必要はなく負けない戦いをして、ヤン・ウェンリーの到着を待つだけです。我々はヤン・ウェンリーが到着する前に敵を撃破しなければなりません。そこで双頭の蛇で戦います」

 

 提督達もキルヒアイスの大胆さに驚きの声を上げる。兵力差と緻密な連携が取れれば必勝の陣形であるが、一度、敵に中央突破させると各個撃破される陣形である。

 キルヒアイスはビュコックの手腕を高く評価しながら「中央突破をさせない」と言外で宣言しているのである。

 

「蛇の頭である第一陣は私が率います。第二陣にシュタインメッツ提督、第三陣、事実上の先陣部分はミッターマイヤー提督、第四陣にはミュラー提督、第五陣、もう一つの頭はワーレン提督、ビッテンフェルト提督とファーレンハイト提督は予備兵力として戦況により参戦して貰います」

 

 キルヒアイスが配置を発表する度に提督達は高揚していく。

 

「ヤン艦隊が駆けつける前に敵本隊を撃破して駆けつけたヤン艦隊を迎撃します。上手くいけば後背から追撃して来たロイエンタール提督と挟撃が出来ます」

 

 ハンスもキルヒアイスも実際にロイエンタールが本気で追撃しない事は分かっていた。

 ロイエンタールにしてみれば、ヤンの様な油断をしてなくてもペテンに掛けられる危険な存在に近づきたくないのが本音である。

 更に言及すればヤン艦隊を追撃するより、無防備状態のハイネセンを攻略した方が軍事上の正解である。

 

(まあ、ハイネセンを攻略したら帝国のナンバー2になってしまう。ロイエンタール提督も自ら危険なナンバー2には成りたくないよな)

 

 専制政体でのナンバー2とは危険な立場である。古来には少年時代の恩人である主君に絶対の忠誠を誓っていたが主君から猜疑されて暗殺されたナンバー2も数多くいる。そして、猜疑心の塊の様な人物がラインハルトの近くにいるのである。

 

(ロイエンタール提督じゃなくとも、普通の人間なら政争に巻き込まれたくないよなあ。数年前の同盟軍と同じだわ)

 

 ハンスから酷評された同盟軍では総旗艦リオ・グランデでの最終会議が開かれていた。

 会議の結論は帝国軍に看破されているがランテマリオ星域に帝国軍を釘付けにしてヤン艦隊との挟撃である。

 ヤン艦隊と本隊を挟撃している間にロイエンタール艦隊がハイネセンを占領する事も考えられたが、そこまで責任を持てないのが本音である。三年前の帝国領進攻の愚行さえ無ければと思わざるを得ない。

 軍の一部の人間が功を焦って正式な手続きを踏まずに決定した作戦であった。ハンスが酷評するのも当然である。

 

 こうして両軍の暗黙の了解の下で戦場はランテマリオと決定した。

 1月10日午後1時に両軍は恒星ランテマリオの衛星軌道上で対峙した。同盟軍は恒星ランテマリオを背後に背水の陣で待ち構えていた。数で劣る同盟軍としては後背に回り込まれる事は避けたいのである。

 帝国軍にして見れば同盟軍が背水の陣を敷く事で後背に回り込めないが同盟軍の機動力を殺す事が出来るのである。

 

 ハンスは逆行前の世界でランテマリオ会戦に参加した事を思い出していた。

 

(あの時は、ガイエスブルク要塞戦の援軍でアラルコンの下で左脚を失って義足が出来て退院直後だったよな)

 

 そのアラルコンが加わった事で同盟軍は本来の歴史では暴発する筈だったが命令通りに動いている。

 

(それでも左右に回り込まずに中央突破を試みるか!)

 

 本来の歴史ではビッテンフェルトとファーレンハイト艦隊はミッターマイヤーの後方で予備兵力として待機していたが今回はハンスの進言でビッテンフェルトはキルヒアイスの後方にファーレンハイトはワーレンの後方で予備兵力として待機していた。

 同盟軍にして見れば中央部分のミッターマイヤーが一番薄く見えた事であろう。

 事実、同盟軍の攻撃でミッターマイヤーの艦隊は緩やかに後退を始めていた。

 

「お見事!」

 

 キルヒアイスの傍らにいたハンスが思わず感嘆の声を出した。

 ミッターマイヤーは同盟軍に押されている様に見せかけて同盟軍の前衛部隊を自軍の奥深くに誘い込もうとしていた。

 

「敵が怯んだぞ!突撃!」

 

 前衛部隊の司令官のアラルコンが部下を嗾ける。

 アラルコン麾下の部隊がミッターマイヤーが用意した罠に掛かる寸前にビュコックが全通信回路を開き呼び戻す。

 

「敵の罠だ!帝国の双璧が簡単に崩れる筈が無いだろう。直ぐに後退をしろ!」

 

 ビュコックの声が届いた時には既に遅かった。アラルコンは前衛部隊の最前列の先頭に居て士気を鼓舞していたが反撃を開始したミッターマイヤー艦隊の集中砲火を受けて戦死してしまった。

 

「何処の軍にも猪は居る見たいですね」

 

 ハンスの言葉にキルヒアイスも苦笑しながらも麾下の部隊を前進させて半包囲体制を完成させている。

 同盟軍も司令官が猪でも優秀な部下は育つものでパエッタの援護射撃を受けながらも前衛部隊は手痛い損害を出しながらも罠から脱出する事が出来た。

 

「流石はビュコック提督。普通なら前衛部隊は全滅していたのに」

 

 ハンスの感想にキルヒアイスも感嘆しながらも応じた。

 

「本当に歴戦の宿将ですね。此方が開いた傷口を塞ぐのが異常に早い」

 

 ミッターマイヤーの部隊が前進すると同盟軍はスパルタニアンを出撃させてスパルタニアンによるゲリラ戦を仕掛けて来た。

 

「艦を完全破壊するのではなく動力部を狙え!」

 

 破壊された艦艇に隠れたスパルタニアンが一撃離脱戦法で帝国軍艦艇の機関部を狙い撃ちにして艦艇を浮遊させる。

 帝国軍も浮遊する味方艦との同士打ちを避ける為に攻撃を緩める。駆逐艦やミサイル艦等の小型の艦艇はスパルタニアンを発見する度に追い掛け回すが巧妙に同盟軍の十字砲火の宙域に誘い込まれて行く。

 

「老人め、誘い込みの手口といい、狙い撃ちする箇所といい、狡猾な!」

 

 ミッターマイヤーもビュコックの手腕に感心しながらも工作艦で浮遊する味方艦を後方に送りながら、破壊された同盟軍の艦艇の残骸を完全破壊してスパルタニアンの隠れ場所を無くしてゆく。

 

「隠れ場所が無くなればゲリラ戦は出来ないよなあ」

 

 ハンスが地味だが確実に同盟軍を追い詰めるミッターマイヤーに関心する傍らでキルヒアイスは部隊を二つに分けて交代で同盟軍に攻撃を加え続ける。これも地味だが交代要員の無い同盟軍には効果がある戦法である。

 少しずつだが同盟軍艦艇の動きが鈍くなり始めている。いずれは艦内で過労で倒れる兵士達が続出して操艦も出来なくなるだろう。

 

「それにしても同盟軍もしぶといですな。敵将のビュコックは一兵卒から元帥まで昇り詰めた人物です。兵士達の現場も知り尽くしているだけに粘り方も熟知していますな」

 

 キルヒアイスもオーベルシュタインの評に賛成であったが同時に焦りも感じていた。

 ビュコックの策に乗り時間稼ぎをされるとヤン艦隊が到着してしまうからである。

 

「包囲網を縮めて攻撃を強化する。全部隊は六時間の二交代制で間断なく敵を攻撃する」

 

 キルヒアイスの策は地味であり独創性が無いが同盟軍にしたら付け入る隙も無い策であった。

 この時、既に同盟軍では司令部直属の戦艦も空母も前線に投入した後であり援軍も交代の為の予備兵力も無い状態であった。

 

「密集しろ。防御システムを最大にしろ!」

 

 同盟軍は既に万策が尽きて不毛な消耗戦に陥っていたが、それでも士気も高く統制も乱れていなかった。

 

「ビュコック提督め、艦内の兵士を小マメに交代で休憩を与えながら戦っているな」

 

 ハンスの言葉に反応したのはキルヒアイスだけではなくオーベルシュタインも驚いていた。

 

「その様な事が可能なのか?」

 

「可能ですよ。出来る所と出来ない所がありますけどね」

 

 兵士として働いていたハンスも何度か経験している。後部砲塔の人員を主砲の交代要員にしたり、整備兵を機関部の交代要員にしたりと色々と方法はある。

 

「しかし、それも限界がある筈です」

 

「その限界を待つ程、我々には余裕はありません」

 

 キルヒアイスがハンスの言葉に応えると通信士官にビッテンフェルトとの通信回路を開かせる。

 モニターに出たビッテンフェルトはキルヒアイスからの命令に期待をした表情を隠そうともしていない。

 

「ビッテンフェルト提督。黒色槍騎兵艦隊の出番です」

 

 キルヒアイスはビッテンフェルトの期待を裏切らなかった。



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双頭の蛇 ランテマリオ会戦 後編

 

 ビッテンフェルトがキルヒアイスの命令を復唱していた時に制止の声が掛かった。

 

「待った!」

 

 モニターの中のキルヒアイスも驚いている。カメラの外からの声をマイクが拾ったらしい。

 

「誰だ?」

 

 ビッテンフェルトの誰何の声にハンスがモニターに現れる。

 

「ハンス。何故だ?」

 

  ビッテンフェルトの声には苛立ちの成分が多く含まれていた。

 

「何事です?」

 

 キルヒアイスも驚いてハンスに説明を求める。

 

「詳しい話は後でしますから、全軍を一時後退させて下さい」

 

「分かりました」

 

 キルヒアイスとビッテンフェルトもハンスの表情を見て即座にハンスの言葉に従う。

 

「全軍に一時後退!」

 

 キルヒアイスが命令を下すとハンスが説明を始める。

 

「両軍の砲火で解放されたエネルギーが恒星ランテマリオの表面で恒星風となり俗に言う宇宙潮流の発生が始まります!」

 

「何と!」

 

 通信モニター越しで自分の出番を潰されたビッテンフェルトもハンスの説明を聞いていたがハンスの言葉に驚きの声を出す。

 

「開戦時から恒星ランテマリオの表面を観察してましたが表面温度が急上昇してます」

 

 帝国軍が後退をして同盟軍との距離を取り終わったのと同時にランテマリオから強烈な恒星風が吹き同盟軍と帝国軍の間に恒星風の流れが出来た。

 

「危なかった。もう少し後退が遅れたら恒星風の直撃を受けていた!」

 

 もし、密集した帝国軍が恒星風の直撃を受ければ艦艇同士が衝突して大損害を出していた。

 

「あの爺め。これを最初から狙っていたな!」

 

 ハンスの言葉にキルヒアイスも納得していた。ミッターマイヤーの罠に落ちた前衛部隊を救出する時に簡単に半包囲体制が取れた筈であった。

 

「あの時から、狙っていたのでしょう。本当に老獪な老人です」

 

(本来の歴史でも帝国軍の足を止めたらしいけど、宇宙空間で地の利を最大限に使うとは、ヤン・ウェンリー並だな)

 

 もし、ビュコックがアムリッツア会戦前に能力に相応しい地位に就任していればラインハルトの覇道も帝国内で終始していたかもしれない。

 ハンスの背中を冷たい汗が流れた。

 

(危ない危ない。カンニングしていても油断すると手痛い一撃が来る。これがヤン・ウェンリー相手となると更に恐ろしいわ)

 

 ハンスの進言で寸前に致命傷を回避した帝国軍は後退して陣形の再編の間に将兵に食事と休息を与える。

 

「折角、同盟の兵士の疲労を蓄積したのに」

 

 ハンスの嘆きにキルヒアイスも苦笑する。

 

「まあ、今回は自軍の被害を回避した事だけで満足するべきです。それ以上は欲が深いですよ」

 

 キルヒアイスはハンスを慰めるが実際は同盟軍の敗北は決定しているのだ。

 

「全軍、前進!」

 

 キルヒアイスが命令を下すと帝国軍は再び同盟軍に宇宙潮流の外側から同盟軍に集中砲火を浴びせる。

 

「思ったより、潮流の影響で攻撃の効果が有りませんね」

 

 この事はビュコックも計算していたのだろう。潮流で弱まる砲火が届いても同盟軍は味方の艦艇の残骸に隠れてしまう。

 休息を取り動きも敏捷になった同盟軍にキルヒアイスは再びビッテンフェルトに突撃命令を出す。

 

 

「敵の策に乗り時間を稼がれました。これ以上の時間を与えるのは危険です。一気に勝負をつけて貰います」

 

「安心して下さい。その為の黒色槍騎兵艦隊です」

 

 通信が切れるとビッテンフェルトは麾下の全部隊に命令を下す。

 

「総員、第一種戦闘配置!」

 

 ビッテンフェルトの命令で黒色騎槍兵艦隊は同盟軍に突撃するべく宇宙潮流の上流から流れに乗り勢い付けて同盟軍を目掛けて突進して行く。

 

「休息している間に突撃方法を改善したのか!」

 

 ハンスはラインハルト麾下の提督の優秀さに舌を巻いた。

 ビッテンフェルトは一般に猪武者と言われているが同盟のアラルコンやグエン達と一線を画すべき存在である。

 先程もハンスの言葉に理由も聞かずに従い無駄な時間を浪費もせずに虎口を避けている。

 今も僅かな時間に部隊の再編と同時に潮流の力を利用して自軍の被害を抑えて同盟に打撃を与える渡河方法を考案している。

 

「何処が猪武者なんだよ。まあ、日頃の言動が言動だからか」

 

 ハンスやキルヒアイスも唸る程に整然と宇宙潮流に突入して行く黒色槍騎兵隊を見るとビッテンフェルトを発掘したラインハルトと何度もペテンに掛けたヤンの偉大さが際立つ。

 

 ハンスが突入する黒色槍騎兵隊艦隊の姿に畏怖を感じた頃、同盟軍は畏怖よりも恐怖に襲われていた。

 相手は正面攻撃の破壊力なら宇宙一と呼ばれた艦隊である。同盟軍は窮鼠と化して黒色槍騎兵隊艦隊の渡河ポイントを計算して迎撃の準備をする。

 そして、迎撃する側と迎撃される側では迎撃される側が圧倒的に強かった。

 

「怯むな!撃ち返せ!」

 

 ビッテンフェルトの命令は命令ではなく部下を嗾けてるだけである。同盟軍の一斉射撃に怯む事なく黒色槍騎兵隊艦隊の反撃は同盟軍より質と量を桁違いに凌駕していた。

 黒色槍騎兵隊の一撃目で同盟軍の前衛部隊は壊滅した。二撃目で中央部が壊滅して後方部隊に罅が入り三撃目で後方部隊をビームの槍が貫通した。

 同盟軍総旗艦リオ・グランデの艦橋では報告でなく悲鳴で溢れていた。

 

「戦線崩壊、退却の許可をされたし!退却を許可されたし!」

 

「艦が航行不能、救援を乞う!救援を乞う!」

 

「被害甚大。来援を乞う!来援を乞う!」

 

 リオ・グランデの通信回路の全てが悲鳴に溢れていた。来援を出したくとも司令部には既に一隻の戦艦も無いのである。

 モニターの中では、それでも果敢だが無力な反撃をする艦が点在していた。

 黒色槍騎兵隊艦隊が零距離射撃で次々と同盟軍の艦艇を火球に変えて行く。

 既に戦闘ではなく一方的な殺戮の様相をであった。それでも同盟軍の艦艇は統制が乱れる事がなく。総旗艦リオ・グランデの周囲に集結して行く。

 

「ええい、しぶとい!」

 

「閣下!」

 

 副参謀長のオイゲンが言外にビッテンフェルトの短気を窘める。

 

「分かっている。こいつら、最後の一隻になっても崩れぬ。これ以上は無駄な犠牲を出すだけだ」

 

 ビッテンフェルトは麾下の部隊に後退を命じて艦隊を再編する。

 黒色槍騎兵隊艦隊の後退に伴いワーレンは同盟軍の為に退路を開き同盟軍の瓦解を誘った。

 ファーレンハイトはワーレン艦隊の後方で退却する同盟軍の後背を討つ準備をしている。

 

「降伏を呼び掛けても無駄でしょうね」

 

 キルヒアイスだけではなく帝国軍の提督達全員の心情であった。

 それでも、降伏勧告を自身ではなくハンスに出させたのはキルヒアイスの立場からすれば当然である。

 

「テス、テス!」

 

 敵味方に解放した通信回線でハンスがマイクテストの声が両軍に届く。

 

「もしもし、ビュコック提督。一応は聞きますが降伏しますか?」

 

 帝国軍の提督達も頭を抱える者から苦笑する者までいたがハンスの軽い口調を咎める者は居なかった。

 

「逃げるなら逃げて下さい。追撃はしませんから」

 

 ハンスの降伏勧告とも言えない降伏勧告に返事があると誰もが思わなかった。

 

「敵が当艦との交信を求めています」

 

 通信士官からの報告は意外であったがキルヒアイスは即座に回線を開かせた。

 スクリーンの中のビュコックの顔色は疲労の為に悪いが両眼は力強い光を放っている。

 

「キルヒアイス提督には人道的な配慮に感謝します。それと、ハンス・フォン・ミューゼル大将は同乗されてるかな」

 

 名を出されたハンスがカメラの視界に顔をだす。

 

「居ますよ。何か用事でも?」

 

「貴官の父上の事と帝国に亡命した経緯について同盟軍の将官の一人として貴官には謝罪せねばならんのだ」

 

「えっ?」

 

「儂が宇宙艦隊司令長官になった後で貴官の父上の事を調べさせたら、貴官の父上の冤罪が判明した。儂は兵士の苦労を知っているつもりで何も見えていなかった。脱出シャトルの事も貴官が亡命して帝国から言われるまで全く気付く事がなかった」

 

 ビュコックは言い終わると深々と白髪頭を下げた。

 これにはハンスだけで無く敵味方の将兵全員が驚いた。宇宙艦隊司令長官が将官とは言え、十代の孺子に頭を下げたのである。

 

「どうか頭を上げて下さい。閣下の全く預かり知らぬ事です」

 

 ハンスが慌てビュコックに頭を上げさせる。

 

「確かに儂が預かり知らぬ事であったが、将官たる者が知らぬでは話にならん。死者に濡れ衣を着せるなど、決して許してはならんのだ」

 

 ビュコックの言葉にハンスが折れる。

 

「分かりました。閣下の謝罪を受けましょう」

 

「そう言って貰えると救われる」

 

 ビュコックが最後に笑って見せると通信を終わらせた。

 そして、同盟軍は帝国軍から監視されながらも整然と退却して行く。

 それと平行して帝国軍は救助活動も行う。

 

 ヤンが戦場に駆けつけた時は既に帝国軍も救助活動を終了して移動した後であった。

 

「イゼルローン要塞を放棄するのが少し遅かったか」

 

 ヤンの胸中に苦い後悔が広がる。

 

(待てよ。あの時に自分が動いていたら事態は変える事が出来たと考えるのは自己過信というものだ)

 

「危ない、危ない」

 

(今回は民間人に犠牲を出す事も無く無事に逃げ出せた事だけでも良しとしなければ)

 

 ヤンは物語のヒーローでは無いのだ。全ての事にヤンが対処する事は出来る筈も無く、そして、するべきでもないのである。

 

(とかく、自己過信とは自己の神格化に繋がりやすいものだ。別にルドルフに限った事じゃない)

 

「閣下。急ぎハイネセンに帰還しませんとイゼルローン方面からの敵に追撃される可能性があります」

 

 ヤンの思考はムライの声で中断される事になった。

 

「そうだね。全艦、急いでハイネセンに向かう」

 

 ヤンの追撃を断念したロイエンタールがハイネセンに向かう可能性もあるのだ。

 一方、目論見み通りにヤンの到着前に同盟軍本隊を叩いて戦場を離脱した帝国軍はガンダルヴァ星系の第二惑星ウルヴァシーを占領して活動拠点となる基地を建設を開始した。

 



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 ハイネセンでビュコックと合流したヤンはビュコックに続き元帥へと昇進した。

 それに伴いヤン艦隊の幕僚達も昇進したのだが当人達は周囲の人間が祝う程に喜んではいなかった。

 

「二階級特進の前渡しかな?」

 

「戦死したら一階級しか昇進させないつもりなのかよ」

 

 統合作戦本部の幹部達が聞けば皮肉か嫌味にしか聞こえない会話をヤン艦隊の撃墜王コンビがしている。珍しい事にコーネフの言葉にまで毒が込もっている。

 

 (そのまま辞表を出して軍と縁を切る発想は無いのかな)

 

 そう思うユリアンも軍を辞めようとは思っていないのである。

 フレデリカなどはユリアンに軍を辞める様に勧めるつもりだったのだがマスコミからはヤンの被保護者として知られてるユリアンが報道陣に囲まれて啖呵を切っているのを見て諦めた。

 

「ヤン提督は勝算の無い戦いはしません!」

 

 フレデリカは頭を抱えたい衝動を抑えるのに苦労する事になる。本音は説得してもユリアンが納得しない場合は恨まれても実力行使でハイネセンに残らせる算段をしていたが徒労に終わってしまった。

 ユリアンが取材陣を引き付けている間にヤンとフレデリカと護衛役のシェーンコップは地上車に乗り込み宇宙港を出たのである。

 

「しかし、提督。ユリアンにスポークスマンとしての才能があるとは思いませんでしたな」

 

 シェーンコップが楽しそうにヤンに話をふる。

 

「まあ、確かに今回は僅かながらに勝算が無い事も無いんだがね」

 

「ほう。この状況になっても勝算があるのですか?」

 

 シェーンコップの口調は軽いが目は真剣な光が宿っている。

 

「まぁね」

 

「それは、是非とも拝聴したいもんですな」

 

 シェーンコップの希望は数十分後には叶う事になった。

 突然に勤労精神に目覚めた国防委員長のアイランズの勢いに閉口しながらも真摯な態度のアイランズを見るとヤンでも喜ばせたくなるのである。

 ヤンは目の前のアイスティーを飲み干すと説明を始めた。

 

「まずは戦場でキルヒアイス元帥を倒す事です。キルヒアイス元帥はローエングラム公の腹心の部下というより分身です。その分身を倒されたらローエングラム公自身が敵討ちに戦場に出てくるでしょう。そして、敵討ちに来たローエングラム公を返り討ちにするのです。ローエングラム公は独身でローエングラム公亡き後の後継者が決まっていません。ローエングラム公が戦死すれば部下達は後継者争いで対立する事になるでしょう。そうなれば数年の間は同盟は安全です。その間に国力の回復させるか帝国と和平条約を結ぶかは政治家の領分になります」

 

 ヤンの話を聞いてアイランズの顔には希望の色が現れている。長い説明をした甲斐があったものである。

 

「まあ、これは戦略とか以前の心理学の問題ですが、効果は保証しますよ」

 

 フレデリカから差し出されたアイスティーで喉を潤しながらヤンは自分でも大言壮語だと思っていた。

 ヤンにしたら言うだけなら簡単な事だが帝国軍の提督達の事を考えると気が重くなるのである。

 実際にエレベーター内でシェーンコップから勝てる見込みを聞かれた時は両手を挙げて答えたものである。

 

「ローエングラム公自身とも部下の提督とも戦ったが勝てる自信なんか無いよ」

 

「それは困りますね。私は貴方がローエングラム公より上だと思っているですがね」

 

「そりゃ、過大評価だよ。現にイゼルローンでも部下のロイエンタール相手に逃げるのが精一杯だったからね」

 

 エレベーターから降りると同時に待ち構えていた取材陣がヤンに殺到したがシェーンコップとフレデリカに阻まれる。

 既に取材でもなくヤンに大言壮語して勝利を保証しろとヤンに要求してくる。

 彼らも追い詰められているのはヤンも理解が出来るのだがヤンも誰かに保証して欲しい心境なのだ。

 シェーンコップとフレデリカが追い払うのが、あと数秒遅ければ温厚な紳士というヤンの評判も変わっていただろう。

 結局、ヤンはマスコミ等の煩わしさから逃げる様にハイネセンを出発したのである。

 

 

 ヤンがハイネセンから出撃ならぬ逃げたした頃、惑星ウルヴァシーでは帝国首脳部による会議が連日の様に行われていた。

 

「このまま、ハイネセンを攻略すれば良いではないか!」

 

「しかし、ヤン・ウェンリーという最大戦力が残っている。仮にハイネセンを攻略して我々の大半が本国に引き上げた後にヤン・ウェンリーにハイネセンを奪回されてしまう」

 

「逆に言えばヤン・ウェンリーさえ倒してしまえば同盟の首脳部の連中を心理的に追い込む事が出来る」

 

「しかし、肝心のヤン・ウェンリーは既にハイネセンを出たという」

 

「フェザーンで得た情報だと同盟軍は国内に八十四箇所の補給基地を持っている。何処の基地に奴が居る事も分からんままだぞ」

 

「居場所が分からんと戦う事も出来んぞ」

 

「我々は大軍で敵の領土深くまで来たが補給の問題もある。早めに奴を捕捉しないと補給線に過大の負荷が掛かってしまう」

 

 圧倒的に優勢に思われる帝国軍にも色々と悩みが存在していたのである。

 結局、結論が出ないままイゼルローン要塞をルッツに任せたロイエンタールとレンネンカンプが合流した。

 

「やはり、ヤン・ウェンリーが最大の難関となっていたか」

 

「うむ、ヤンさえ叩く事が出来れば同盟を有名無実化する事が出来るがヤンが健在な限り征服は完成しない」

 

「そして、肝心のヤンの居所も分からんままか」

 

「ヤンにして見ればウルヴァシーを監視していれば我等の動きは把握が出来る」

 

「故に迂闊に動けば各個撃破の対象になるか」

 

「何かヤン・ウェンリーを誘い出す餌が必要だな」

 

「ああ、問題は何を餌にするかだな」

 

 双璧と呼ばれる二人でさえ結論を出せないままである。

 それとは別にウルヴァシーを恒久基地化する為と二千万人の将兵を養う為に本国からフェザーン経由で大量の物資を輸送する必要があった。

 

「軍では補給を軽視する傾向がありますが敵にしたら補給を絶つことは当然な事です。ミッターマイヤー提督に補給の警備をお願いします」

 

 キルヒアイスもミッターマイヤーを動かす事を大袈裟かと思ったがハンスの熱心な勧めでミッターマイヤーを指名した。

 

「御意。しかし、帰りは大量の物資を抱えて不測の事態が起きた時が不安です。帰りは近くまで誰かに迎えに来て頂きたい」

 

「当然の話ですね。では、ミュラー提督に迎えに行ってもらいましょう」

 

(さて、これで補給は安心だがヤン提督が、どう出るか?)

 

 ハンスは補給線の防御を強化してヤンの行動を封じたがヤンの次の行動は見当もつかないのであった。

 ハンスから先手を打たれたヤンは感嘆していた。

 

「流石だな。此方の目論見を看破してミッターマイヤーに補給の警護させるとは!」

 

「感心ばかりしてられませんぞ。補給線を絶つ事が出来なければウルヴァシーに基地を作られてしまいます」

 

 ヒューベリオンの艦橋で紅茶を片手に敵を称賛するヤンを相手にムライの反応は常識的であった。

 

「別に無人の惑星に基地を作られても構わないよ。負けたら基地を作られる事になるし勝てば無料で基地を貰える」

 

 帝国が人手と費用を掛けて作ったイゼルローン要塞を奪った前科のあるヤンらしい言葉であった。

 

「確かに困るね。基地に籠城されると此方は各個撃破しか策が無いのにね」

 

「何か帝国軍が出てくる餌が必要ですな」

 

 餌と言えば最大の餌が目の前で紅茶を呑気に飲んでいるのだが、目の前の餌を出した場合は帝国軍が全力で出撃してくるので各個撃破が出来なくなるのである。

 

「仕方ない。あの手を使うか」

 

 ヤンが新たに作戦を決めた頃、ウルヴァシーの帝国軍は驚愕していた。

 ラインハルトがミッターマイヤーとは別の航路でウルヴァシーに到着したのである。

 

「何故、ローエングラム公が此方に?」

 

 一同を代表してロイエンタールが質問する。

 

「ウルヴァシーに進駐した時にキルヒアイスがヤンの餌として私を呼んだのだ」

 

「しかし、ヤンを誘き寄せる餌としては有効なのは認めますが危険が過ぎます!」

 

 今度はミッターマイヤーが一同を代表してラインハルトに諫言する。

 

「ヤン・ウェンリーを誘き寄せる餌の役をするが戦う気は無い!」

 

 ラインハルトらしくない発言に一同は驚いていたがハンスだけは頷いていた。

 

「二人が戦ったら被害甚大だからなあ。上の無駄なプライドで死にたくないからな。閣下、ご立派です!」

 

 ハンスだけではなく全員がラインハルトがヤンとの戦いを渇望している事を知っていたが、どちらが勝利してもハンスの言葉通りに犠牲者の数が大きくなるのは事実である。

 それが分かるだけにラインハルトもハンスの反応に腹が立つのだが文句も言えないのである。

 ラインハルトはハンスの頭に拳骨を食らわせたい衝動を抑えて作戦の説明を始めた。

 

「全艦隊が分散して八十四箇所の補給基地を制圧に向かう。当然の事だが、これは擬態だ」

 

 提督達の顔に緊張が走る。

 

「私とヤンが遭遇した時点で全艦隊が反転してヤンを包囲殲滅する。キルヒアイスとロイエンタールとミッターマイヤーの三人は反転せずにハイネセン攻略に向かう。同盟を攻略して同盟政府からヤンに降伏をさせる」

 

「二段構えの作戦ですか」

 

 オーベルシュタインの声には珍しく感嘆の成分が混入している。

 

「うむ。相手がヤン・ウェンリーなら反転しての包囲網などは計算済みで何か奇策を用いるかもしれんからな」

 

 ラインハルトも自身のヤンとの戦いに対する情熱と別にヤンの才能を評価しているのである。

 ハンスもヤンを過小評価してはいなかった。むしろ過大評価をしていてヤンに対しては最大限の警戒をしていたが、ハンスは所詮は凡人で歴史に名を残すヤンから出し抜かれる事になる。

 



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イゼルローン陥落

 

 本来の歴史ならバーミリオン会戦が行われる作戦の発動であったが出撃直前に天才のラインハルトもカンニングの常習犯のハンスも想定外の報告が飛び込んできた。

 帝国軍二千万人の足を止めた報告とは「イゼルローン陥落」の報である。

 

「ルッツは何をしていたのだ!」

 

 報告を受けたラインハルトは一瞬だけ激昂したが次の瞬間には冷静さを取り戻していた。

 

「どうせ、あのペテン師が策を弄してルッツをペテンに掛けたのであろう」

 

 詳しい経緯をルッツから聞いたラインハルトはヤンの作戦の発想に呆れるしかなかった。

 

「あのペテン師め、その様な小細工を要塞のコンピューターにしていたのか。殆ど犯罪者の手口ではないか!」

 

「まあ、その前の情報戦も十分に詐欺師の手口ですけどね」

 

 ハンスも呆れながらラインハルトの感想を補足する。

 

「それを見抜けなかった小官にも責任が有ります」

 

 ラインハルトの傍らでルッツの報告を聞いていたロイエンタールの言葉にも悔しさが滲み出ている。

 

「しかし、イゼルローン要塞が敵の手に渡るとなれば戦略上の条件が変わって来ますな」

 

 皆がイゼルローン陥落のショックで呆然としている中でオーベルシュタインが冷静に状況を分析していた。

 

「確かに、イゼルローン要塞がヤンの手に渡ったとなるとヤンの戦略の幅も広がります」

 

 キルヒアイスも冷静さを取り戻した様である。

 

「キルヒアイス、オーベルシュタイン、ロイエンタール、ミッターマイヤー、それにハンスは会議室に集合せよ。他の者は出撃準備とルッツの受け入れの準備をせよ」

 

 会議室までの短い道中でハンスは現状の分析を始める。

 

(本来より早い段階でイゼルローン要塞を使うのは、ヤン提督も追い詰められているんだな)

 

 本来の歴史を知るハンスとしてはヤンの考えが読めない。

 本来の歴史より同盟側というよりヤンは劣勢である事も関係しているとも思える。

 

(グエン提督は生きているがメルカッツ提督は居ない。同盟本隊の戦力は本来の歴史より少ない。ランテマリオでの黒色槍騎兵隊艦隊の突撃は本来の歴史より苛烈だったからなあ)

 

 ハンスは頭を振り深呼吸をする。

 

(ラインハルトを同盟領内にまで呼んだ事でヤン提督を誘い出す餌を用意した筈だったのに)

 

 会議室で一番の懸念はヤンがフェザーン回廊への航路を封鎖する事であった。

 

「実際にヤンが航路封鎖を試みても不可能だと思うが将兵の動揺は抑えられんな」

 

 オーベルシュタインの予想は予想とも言えない現実である。

 

「ヤンが航路封鎖を試みるとは限らん。イゼルローン要塞に籠城されても負けないが犠牲は甚大になる。それを見越して和平交渉を有利にする目論見かもしれない」

 

 ハンスは参加しなかったが有名な「回廊の戦い」は帝国軍に大きな損害を出させている。

 

「ヤンを無視してハイネセンを占領した後で、同盟の統治者に降伏命令を出させては如何でしょう」

 

 キルヒアイスらしい穏便な提案だったがミッターマイヤーが疑問を出す。

 

「確かに良策だと思うが、ヤンが無視したら終わりだぞ」

 

 ミッターマイヤーの見解も間違いではない。帝国軍に勝てないと思えばヤン自身とヤンの部下達の安寧を図る為と共和制度の残す事に繋がるのである。

 

「私が知る限りヤン・ウェンリーが無視する事は無いと思いますが、例えばイゼルローン要塞に一番近いエル・ファシル辺りが同盟からの独立宣言をしたらヤン・ウェンリーは新しい共和政府に降るでしょう。そして、エル・ファシルが無防備宣言でもしたら、我々は狭い回廊内の戦いを強いられます」

 

 ハンスの意見に全員が大軍の利を活かせない回廊内の戦いを想像すると暗澹たる気分になる。

 

「そうなれば回廊の両端を封鎖してイゼルローン回廊内に連中を閉じ込めておけば良い。俺達が退役する頃には未開の地になっている」

 

 ミッターマイヤーの意見は真っ当な一般論である。あらゆる情報を遮断されて回廊内に封じ込められたら数十年後には、全ての文化や技術から取り残されるだろう。

 

「しかし、実際にはヤンの次の行動は当然、フェザーン回廊の封鎖でしょうな。機雷でもバラ撒けば完全な封鎖は無理でも暫くは補給線が絶たれる」

 

 オーベルシュタインの意見も真っ当な一般論である。指向性ゼッフル粒子で機雷を除去するのは容易だが、それなりの時間が掛かる。

 

「そうなれば、兵士達の士気が下がるぞ。今度はアムリッツァの時の同盟軍の惨劇を我らが演じる事になるぞ」

 

 ロイエンタールの指摘に一同は暗澹たる気持ちになった。

 

「それこそ、そこのドアからリュッケ副官が今にでも報告に来そうですね」

 

 ハンスの予言は外れた。報告に来たのはシュトライトであった。

 

「ヤン・ウェンリーがフェザーン回廊に機雷原を敷設して回廊を封鎖しました」

 

 ヤンの行動の早さに一同は驚いたがラインハルトの決断も早かった。

 

「ロイエンタールは麾下の艦隊を率いて回廊内の機雷を除去せよ!」

 

「了解しました」

 

「ミッターマイヤーはハイネセン攻略の先陣を務めよ。キルヒアイスは中陣を務めよ。その他の提督達は同盟国内の補給基地の攻略せよ。私はハイネセン攻略の後陣を務めてヤン・ウェンリーとの雌雄を決する」

 

「そうか!ヤンの本当の狙いは閣下の周りからキルヒアイス提督とロイエンタール提督にミッターマイヤー提督を離す事が狙いだったのか!」

 

 ハンスの言葉にラインハルトが一瞬だけ笑みを浮かべる。

 その表情を見てハンスは一つの正解に辿り着く。

 

「さては、閣下はイゼルローン要塞の失陥から次のフェザーン回廊の封鎖もヤンの狙いも看破していましたね」

 

「ら、埒も無い事を言うな」

 

 どうやら図星だったらしくラインハルトの声と表情がハンスの指摘を肯定している。

 

「何度も言いますが閣下とヤンの用兵家としての相性は最悪です。ヤンと戦うのは諦めて下さい」

 

 ハンスの諫言を認めながらもラインハルトは意思を変える気はない。

 

「まあ、閣下もヤンと対峙しても本気で戦うつもりは無いと明言されてる。安心しろ」

 

 ミッターマイヤーがハンスを宥める様に肩を叩く。

 

「しかし、閣下が大人しくお茶を濁す戦いが出来る人だと思いますか?」

 

「大丈夫だ。閣下とヤンがぶつかる前に俺がハイネセン攻略してしまえば良いだけの話だ」

 

 ミッターマイヤーに言われてハンスも引き下がるしかない。

 

「分かりました。では、私はブリュンヒルトに同乗して閣下のブレーキ役を務めます」

 

 ラインハルトはハンスの申し出を受け入れざるを得なかった。拒否でもしたらキルヒアイスを筆頭に他の三人から反対意見に名を借りた説教が待ち構えている事を知っていたからである。

 

 翌日には傷付いたルッツ艦隊だけを残して全艦隊が、それぞれの目標に向かって出撃した。

 ブリュンヒルトの自室でコーヒーを片手にハンスはヤンの作り出した状況を分析していた。

 

「さて、ヤン・ウェンリーがブリュンヒルトを仕止めるのが先かハイネセンが陥落するのが先か勝負だな」

 

 ハンスは自身がラインハルトのブレーキ役を務められるとは思っていなかった。更にブレーキ役を務める事が出来てもヤンが自分達の思惑を超えた策を弄してくる事も有り得ると思っていた。

 

(しかし、流石はヤン・ウェンリーだな。ラインハルトの分身であるキルヒアイス提督が居てはラインハルトを討ち取れないと踏んでイゼルローン要塞を攻略するとは)

 

 本来の歴史にキルヒアイスが加わればミュラーより早く戦場に駆けつける事は容易に想像がつく。

 イゼルローン要塞を攻略する事でハイネセンを餌としての価値を作り、キルヒアイスをラインハルトから引き離す事に成功している。

 ハイネセン攻略は人事のバランスを考えればキルヒアイスを指名しなければならない。

 

(そして、時間制限は本来の歴史よりタイトだが互角の艦隊戦に持ち込んだか)

 

 本来の歴史よりヤンが苛烈な戦術で攻めて来る事が容易に想像が出来る。

 

(しかし、ヤン提督の知謀というよりペテンだけは常人には想像も出来んからなあ)

 

 ラインハルトが負けない戦いで戦場を逃げ回ってもヤンなら罠を用意してラインハルトを嵌めるかもしれない不安がある。

 

(食事の時にもラインハルトに言ったほうが良いな。ペテン師と同じリングで戦うなと)

 

「しかし、あの人、嫌々ながら軍人になったけど、軍人にならなかったら詐欺師として同盟の犯罪史に名を残していたんじゃないのか?」

 

 ハンスの失礼な感想は帝国軍の提督達は当たり前の如く肯定して、ヤン艦隊の幹部達も肯定はしないが否定もしない事であった。

 その事を食事の時にラインハルトに話すとラインハルトも妙に納得していた。

 

「確かにイゼルローン要塞を陥落させた手口