兎を怒らせるな (キルネンコ)
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兎を怒らせるな

 アンタッチャブル。触れてはならぬ禁忌の存在。

 

「………………」

 

 キュッキュッキュッキュッ、と暗い部屋のなかに断続的に響く何かを拭く音。

 ランプの明かりを反射して輝くのは、一本の銀ナイフ。

 

 ナイフを磨いているのは一人の少年であった。

 

 赤みがかったピンク色の髪をしており、その髪が不自然にも兎の耳のように跳ねているのだ。因みに左側が半ばで前に折れている。

 そんなうさみみの彼の顔は、鉄面皮とも言えるほどに無表情。更に、左目周辺を区切るような縫合痕がより一層の強面さを強調していた。

 

 身に纏うのは、灰色のタンクトップ、赤い繋服といった出で立ちであり、上は脱いで腰に袖を巻いて固定している。

 

 彼がいるのは薄暗い地下牢だ。黴臭く、隅にネズミが走るほどに不潔な場所。

 

「………………フッ」

 

 磨きあげられた銀ナイフ。彼はそれを、慎重に傍らのカトラリーケースへと収めた。

 次に取り出したのは、銀の匙。

 

 再び拭きだす少年。この場にある彼の私物は、このカトラリーセットとそれらを手入れするための布のみ。

 

「………………」

 

 静かだ。カトラリーが拭かれる音と、時折ネズミが走る音ぐらいしかこの場には聞こえることはない。

 曜日感覚どころか、年代、日付け、あらゆる時間的概念から取り残されたような、そんな錯覚を覚える牢獄。

 

 これから彼の寿命がつきるその時までこのまま、何て事にはならない。

 ガチャガチャと上の階層が荒れたかと思えば、今度は牢へと通じる一本道を複数の人物が歩くような音がし始めたのだ。

 

 少年は気付いているのか、いないのか。ただ、ひたすらにカトラリーを磨き続けている。

 

「囚人番号004番。出ろ、枢機卿の方々がお呼びだ」

 

 現れたのは、数人の聖職衣を纏った兵士だ。

 その先頭に立った神経質そうな眼鏡は、ブリッジを押し上げ苛立たしげに腕を組んでいる。

 

 典型的なエリートである彼は、このようなジメジメとした黴臭い場所へと使いっパシりに使われていることが我慢ならない。

 何より、自分を一瞥することすらない目の前の少年が、本気で気に入らなかった。

 

「聞いているのか004番!!貴様!この私を無視すると良い度胸だな!!」

 

 男の堪忍袋は小さかった。アッサリと尾が切れて、牢の中へと踏み込むと少年の手より銀の匙を弾き飛ばしたのだ。

 カツーン、と軽い音をたてて床に転がる銀の匙。呆然とそれを見る、少年。

 

 後ろの兵達が狼狽えているが、彼には知ったことではない。

 カソックの内ポケットより拳銃を取り出すと、容赦なく少年へと突きつけていた。

 

「さっさと立て!貴様ごときに私の時間を―――――――あ?」

 

 責め立てるように叫んでいた男は、しかし不意に視界が真っ暗になり妙な声をあげた。

 同時に、耳に風をゴウゴウと切る音が響き、次の瞬間衝撃が襲う。

 

「…………………」

 

 先程まで男が立っていた場所には、少年が立っていた。

 左拳を無造作に振り抜いた体勢だ。

 

 そう、男は殴り飛ばされていた。弾丸のように、通路をまっすぐに飛んでいき、入り口へとぶつかり突き破ったのだ。

 

 焦ったのは、護衛を任されたもの達。だが、動けない。

 

 何故なら、とっくの間に終っているから。

 

「フッ……………」

 

 銀の匙を拾い直し、再び拭き始める少年。

 その周りでは、人の形に穴が開いた石造りの床や壁、天井がそこかしこに出来上がっていた。

 

 

 ※

 

 

 囚人番号004番。他に囚人が存在している訳ではないが、彼はいつもそう呼ばれる。元々名前が有った気がしないでもないが、彼自身興味がないらしく、訂正することも指摘することも無い。

 ただ、ひたすらに暗い空間でランプの明かりをお供にカトラリーを磨くだけだ。

 

「ずいぶんと、風通しが良くなったな」

「……………」

 

 今日も来客。やって来たのは、老年の男性。老けてはいるが、未だに礼服に包まれた肉体からは強靭さを感じさせる教会の戦士だ。

 

「囚人番号004番。いや、ヴォールよ。出てはくれないか?お前に仕事を持ってきたんだ」

「………………」

「相も変わらず、興味は無し、か。ならば、話だけでも聞け。聖剣が盗み出された」

「………………」

「お前には、その聖剣を取り戻してほしい」

「………………」

「成功すれば、恩赦が出る。お前も自由の身だ」

「………………」

「報酬も、お前が望むものを用意しよう」

 

 老人がそう言うと、漸く少年は顔を上げた。

 だが、その顔には興味の色はなく、無表情のままだ。

 

「……………」

「これが、今回の相手だ。一応、お前には監視をつけるが、基本方針はお前の好きに動いてくれて構わない」

「……………………」

「これは前金代わりに置いていく」

 

 置かれたのは、大きめのケース。見た目はボロボロなアタッシュケースだ。

 

「お前の荷物だろう?中身は弄っていない」

「……………」

 

 ケースを受け取った彼は、無言で机に置くと躊躇い無しに押し開ける。

 中身は、明らかに容量以上の荷物と、収納スペースが広がっていた。

 

 その一角に、カトラリーケースがはめ込まれる。

 そして、ケースが閉じられ、少年は立ち上がった。

 

「行ってくれるか」

「……………」

 

 彼は答えない。

 いつでも出られたであろう檻をねじ曲げて、彼の背中は闇へと紛れるのであった。

 

 

 ※

 

 

「ゼノヴィアー、待ち合わせってここで良かったんだよね?」

「ああ、その筈だ。目立つ相手らしいから、直ぐにでも分かると思ったんだが………………」

 

 ヴァチカンにある、とある教会。規模もそこそこであるが、ステンドグラスの作りが良く、観光客が多く訪れる名所だ。

 といっても、今は夜。観光客が訪れるはずもない。何より開放されていない。

 

「でもさー、囚人を解放するって、何となく気に入らないなぁ、なんて」

「仕方がないのではないか?私も、イリナも堕天使幹部を相手取るには力が足りん。相手は、聖書にも記される存在だからな」

「だからって囚人だなんて………………」

 

 ふたり、紫藤イリナとゼノヴィア・クァルタの二人は教会にて今後についての会話を行っている。

 彼女等の関心は、二人が監視役、もとい世話役を務めることになった囚人に関して。

 

「というか、何したんだっけ?その囚人って。確か、唯一の地下牢封印を受けた罪人よね?」

「ふむ………………この資料によると、窃盗だな」

「窃盗?強盗じゃなくて?」

「ああ。盗まれたのは、各教会が保有する、シルバー?だそうだ」

「シルバー……………あ、カトラリーの事じゃない?」

「カトラリー……………成る程、銀食器か」

「でも、盗んだだけなのよね?まさか売ったりしたの?」

「いいや、全て自分で持っていたらしい。問題は、窃盗の方法と、牢の問題だな」

「どういうこと?」

 

 複数枚を重ね合わせた資料を捲り、ゼノヴィアは眉値を寄せた。

 

「………………壁や術式、その他攻撃。あらゆる防備を身一つで突き破ったらしい」

「………………ふぇ?」

「牢に入れても、カトラリーが欲しくなると壁を突き破って脱走してしまったようだな」

「………………………………人間?」

「種族は、そうらしい」

 

 並んで資料に目を落とし始める二人。その内容は、あまりにも現実離れしたものであった。

 そんな異常な内容を読んでいれば、不意に妙な音が彼女等の耳に届く。

 キュッキュッキュッキュッ、と何かを拭くような音だ。

 

 気付けば、教会の長椅子の一つに一人の少年が座っていた。

 

「………………イリナ、気付いたか?」

「ぜ、全然気付かなかった………………私達、入り口の前に居たんだけど?」

「私も気付かなかったな。すり抜けた、のか?」

 

 ゼノヴィアは自分でそう言いながらも、内心では否定していた。

 年若くとも二人は、教会の戦士だ。

 そんな二人が、あそこまで派手な男を見逃すとは考えづらい。

 髪は、ピンクであり、灰色のタンクトップに赤い繋服など、見逃すはずもない。

 

「………………とりあえず、接触といこうか」

「………………そうね」

 

 

 ※

 

 

 日本、駒王町。表では比較的普通な地方都市。

 しかしこの場所は、悪魔の拠点の一つでもあった。

 

「……………………」

 

 高層マンションのワンフロアを丸々借りきった少年は、その一室でカトラリーのセットを傍らに備え付けのL字ソファに陣取って銀食器を磨いていた。

 

「004番、少し良いだろうか」

 

 そこにやって来たのは、ゼノヴィアだ。

 ワンフロアを貸しきったこのマンションの一室の一つに彼女は拠点を据えていた。イリナもそれは同じくだ。

 因みに家賃や敷金などは、全て彼のポケットマネーより支払われていたりする。

 軽く数億は飛んでいたりもするが、彼の財産は二桁以上輪廻転生を繰り返してもお釣りが来るため大した痛手では無い。

 

「悪魔とのすり合わせだ。何も話していなければ今回の一件には支障が出てしまうからな」

「………………」

「報酬にも、恐らく影響が出る。手早く済ませるならば必要なことだ」

「………………」

 

 少年は、磨いていたカトラリーをケースへと収める。

 そして、ゼノヴィアを一瞥することもなく立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。

 

 彼女にも戦士としての矜持はある。しかしそれも、少年の前には無駄であった。

 一度だけ、イリナと共に彼に対して斬りかかってしまったことがあったのだ。その際に、現実をまざまざと直視させられた。

 彼女達もまさか、聖剣の刃が素肌に弾かれるなど考えもしない。

 それどころか、打ち付けた聖剣が逆に折れそうになる始末だ。

 何より、剣を向けられても彼のカトラリーを拭く手を止めるには至らなかったという事実。

 

 少年にとっては、耳元を飛び回る蚊の方がよっぽど脅威と言えるほどに強かった。そして、強すぎた。

 

 故に二人は理解した。自分達は監視役ではあるが、それはお茶汲みなどの雑用を行うメイドにすぎないということを。

 

 

 ※

 

 

 駒王学園旧校舎。ここに、悪魔の拠点の一つとも言える、オカルト研究部の部室はあった。

 室内には、沈黙が、いや、不機嫌な空気が満ちている。

 その理由の一つが、件の少年にある。

 

「…………………」

 

 どこから取り出したのか、彼はずっと懐中時計を磨いているのだ。

 

「話は、分かったわ。けど、彼は本当に仕事ができるのかしら?」

 

 ある程度の情報交換が終わったところで、リアス・グレモリーは問うた。

 彼女だけではない。彼女の眷属達も少なからず懐疑的な目を、少年へと向けている。

 見た目は奇抜であるが、どうにも強さを感じないからである。

 

「問題ないだろう。少なくとも、お前達が束になって挑んでも道端の石と変わらないだろうからな」

 

 だが、彼の強さを知る者達、即ちゼノヴィアからすれば彼らの強さは自分と同じか、相性によっては劣る程度。つまりはお話になら無い。

 しかしそれが相手側からすれば我慢なら無い発言であった。

 

「なら、僕が彼に勝てば聖剣の破壊は任せてもらえるのかな?」

 

 切り出したのは、木場祐斗。

 剣呑な目をした彼が見つめるのは、ゼノヴィアが携えた聖剣の内の一振り。

 

「…………無理だな。お前では、004番には傷ひとつ付けられないだろう」

「それは、どうかな!!」

 

 祐斗は自身の神器『魔剣創造』によって一振りの魔剣を造り出すと、未だにカトラリーを磨く少年の首へと振るった。

 最速の一撃。それを止められるものは、この場にはいなかった。吸い込まれるように、刃は彼の首へと向かい―――――――ガラス細工のように砕け散ってしまっていた。

 

 まさかの光景に悪魔陣営は声もでない。そして、教会陣営としては確定事項であった為に反応しない。

 天界と冥界の火種にもなりそうな事であったが、そもそも少年を傷付ける術がこの場にはない。であるならば、こうして力の差を示すのは間違っていないだろう。

 

「気は、済んだか?言っておくがどれだけ紛い物の魔剣を造り出そうとも、彼を害すことは出来ないぞ」

「っ!まだだ!」

 

 ゼノヴィアの言葉によって、呆けていた祐斗は更なる魔剣を造り出し、少年へと斬りかかった。

 だが、やはり通じない。属性の魔剣も、切れ味重視の魔剣も、その他様々な攻撃が、髪の一房も斬ることが出来ない。

 

「……………………」

「はぁ……………!はぁ…………………!」

 

 一分と掛からずに十数振りが砕かれた所で、少年は漸くカトラリーから顔を上げた。

 その瞳は、ぼんやりとしており何も見てはいない。

 ただジッと、その空虚な目を祐斗に向けるのみだ。

 ダメージどころの話ではない。存在すらも、彼には認識の外。興味の有無以前の問題である。

 

「その程度では、話にならないな。大人しくしておけよ」

 

 ゼノヴィアはそれだけ言うと、隣で紅茶を楽しんでいたイリナを促し、席をたった。

 それに合わせて、少年も席を立つと率先して部室を出ていく。

 途中で、その退席を拒むように分厚い強固な結界が張られていたのだが、彼は、まるで何もないかのようにアッサリと突っ切ってしまう一幕があったりする。

 

 これに驚いたのがリアスだ。彼女は、自身の女王である姫島朱乃に最も強い結界を張るように命じていたからだ。

 でありながら、その結界は欠片も意味をなさない。

 

「本当に、何者なの………彼は………」

 

 リアスの呟きは、誰にも答えられること無く、虚空へと溶けて消えた。

 

 

 ※

 

 

 それから時間は、大きく飛んだ。情報収集は基本的に、戦士二人の役目であり、少年はのんびりとカトラリーを磨くのみであった。

 

 そして、その時は、来た。

 

「………………」

 

 カトラリーを拭く手が止まり、少年は顔を上げた。

 見るのは、駒王学園の方角。時刻は夜だ。

 

 カチャリとカトラリーを置くと、彼は定位置となっていたソファより立ち上がった。

 そして、消える。

 

 その行き先、駒王学園には巨大な結界が張られていた。

 中では、死闘が行われている。

 いや、いた、と言うべきか

 

「この程度か、小僧共。所詮は、子供か」

 

 立つのは、十枚の黒翼を持つ堕天使コカビエル。

 彼の前には、リアス達グレモリー眷属とゼノヴィア、そして匙元士郎であった

 

 この場には、赤龍帝の籠手を筆頭に世界でも有数の破壊力を秘めたモノが存在する。

 しかし、使い手が未熟ならば格上の実力者には意味がない。

 

「冥土の土産だ。貴様らに面白い話を聞かせてやろう」

 

 コカビエルはそう言うと、一振りの光の槍をその手に呼び出した。

 

「過去の大戦によって、三大勢力が疲弊したことは知っているだろう?俺の同僚も何人も消えたからな」

 

 芝居がかった口調で彼は続ける。

 

「悪魔陣営は、魔王が死んだ。ならば天界陣営は何を失ったと思う?」

「「…………………」」

「察しただろう?そう、貴様らの言う聖書の神というものは、既に死んでいる。貴様らの信仰心も全ては、神が残し天使共が辛うじて維持しているシステムの結果にすぎん」

 

 それは、神を信奉する者達にとっては晴天の霹靂。

 ゼノヴィア、並びにアーシア・アルジェントはショックを受けたように、精神の均衡を失ってしまっている。

 それは、周りもだ。多かれ少なかれ、ダメージを負っていた。

 

 コカビエルは、望んだ結果にほくそ笑む。

 光の槍を掲げ――――――

 

「なんだ?」

 

 彼が見るのは、少し離れた結界。

 ガラスの砕けるような音と共に一人の少年が、そこに現れていた。

 

 少年は、キョロキョロと辺りを見渡すと、あるものに気付いたらしくそこへと向かう。

 その先にあったのは、折れた聖剣エクスカリバー。

 七振りに別れた後、三振りが統合されたものだ。

 彼は、折れた聖剣を拾い上げ、破片も回収すると、明らかに容量のおかしい繋ぎのポケットへとそれらを捩じ込んだ。

 普通ならば、服の繊維が触れた瞬間にズタズタに切り裂かれるところなのだが、特殊素材なのか聖剣はスッポリとポケットへと収まった。表にも中に聖剣など入っているようには見えない。

 更に彼は、辺りを見渡して、今度はゼノヴィアの元へと歩み寄った。

 

「―――――ふんっ」

 

 が、そこでコカビエルが光の槍を彼へと投擲していた。

 爆発が起きて、その先に彼は消えた。

 

「何者かは知らんが、貴様のような下等生物が来る場ではない」

 

 コカビエルは鼻を鳴らすと、再び倒れた者達へと槍を向け――――――

 

「…………gurrrrr」

 

 獣の唸り声が聞こえた。

 その出所は、煙の中からだ。

 

「な……………無傷、だと……………!」

 

 煙が晴れると、現れる少年。首が左に傾いており、どうやら側頭部に槍を受けたらしいのだが、傷一つ無い。

 そして、彼の眉間にはシワがよっている。

 

「くっ、死ねぇ!」

 

 再び放たれた光の槍。

 今度は彼の顔面へとぶち当たった。

 

 大きく仰け反る少年。しかし、倒れない。

 起き上がった彼の額は、少し赤くなっているがそれだけだ。

 

「く、くそ!死ねぇ!」

 

 流石に焦ったのか、コカビエルは何発もの光の槍を出現させ少年へと連射していく。が、その度に鋼と鋼がぶつかるような音が響いた。

 

 ブチリ

 

 そんな音がした。

 

「……………!」

「な、速――――――――!?」

 

 瞬間、コカビエルは視界が闇に包まれ、その直後に全身に凄まじい衝撃を受けて意識が飛んだ。

 

 何が起きたのか。簡単だ。

 少年が、この場の誰にも視認されない速度で駆け抜け、コカビエルの顔面を鷲掴みにして地面へと叩きつけたのだ。

 その一発で、コカビエルは沈黙した。体の八割が地面へと埋まり飛び出た両腕と足の先、羽が無惨さを際立たせている。

 

「004番……………」

「………………」

 

 コカビエルを物理的に黙らせた少年は、先程全身から立ち上らせた覇気を霧散させると、倒れるゼノヴィアへと歩み寄った。

 そして、彼女を俵担ぎするとリアス達には一瞬も目を向けること無く、入ってきた場所から結界を抜けてしまった。

 

 

 ※

 

 

 鼻をくすぐる黴の臭い。耳を障るネズミの走る音。

 

「……………」

 

 そして、キュッキュッキュッキュッ、と響く何かを拭く音。

 ランプに輝くのは、シルバーの光り。

 

「…………………終わり」

 

 カチャリ、とカトラリーは収められランプの火は落とされた。



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兎に喧嘩を売るな

 キュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッ―――――――

 

「ヴォール、少し良いだろうか」

 

 黴臭い地下牢に老人の声が響く。

 

「お前に面会だ。私と共に上に来てもらおう」

「………………」

 

 ヴォールと呼ばれた少年は、答えない。手も止めない。彼の関心は、彼の手の中にある見事な細工の施された銀色のフォークに注がれていた。

 茨の細工であり、細かな部分にまで葉や蔦が絡むように施され、バラが咲く。

 磨きに磨かれた至高の一本は、それだけでも美術価値は計り知れない。

 

 そんなものがこんな牢屋にあることはおかしいのだが、それはそれ。前回の仕事の件からの報酬だ。

 

「天使長が、お前に用事らしいんだ」

 

 興味が引けるとは思えないが、老人は少なくとも信者ならば一二もなく飛び付くワードを口に出す。

 だが、生憎と彼は清教徒ではない。どちらかと言うと無神論者であり、尚且つ神など興味がない。

 

「生憎、こんな場所にはあの方をお通しするわけにはいかない」

「………………」

「仕事なら、今回も報酬は出るだろう」

「………………」

「来ては、くれないか?」

「…………………………………………………………ハァ」

 

 ヴォールは、そこで漸くカトラリーをケースへと収め、蓋を閉めた。

 そして、立ち上がるとジッと老人の顔を見る。

 

「では、ついてきてくれ」

 

 

 ※

 

 

 教会本部。荘厳な造りであり、歴史を感じさせる重厚な見た目である。

 

「はじめまして、囚人番号004番。私は天使長を務めています、ミカエルです」

「………………」

 

 本部の一室にて光輝く美丈夫が、笑顔で挨拶を行う。が、件のヴォールは何の反応も示さない。

 それどころか、彼は部屋に置かれた金作りの燭台を手拭いで包んだ手で持つとキュッキュッと磨き始めたではないか。

 

 この場には、この二人しか居ない。仮に信者ならばグーパンも辞さない暴挙を彼は行っていた。

 

 だが、ミカエルは笑みを崩さない。彼は予め目の前の少年が無礼者であることを知っていたのだ。

 

「今回、聖剣回収に関しては、ご苦労様でした」

「……………」

「貴方には恩赦が出ていますよ?なぜ、牢に戻ったのですか?」

「……………」

「日本では、拠点を得たのでしょう?地下牢よりも快適だったでしょう?」

「……………」

 

 やはり、答えは返ってこない。

 さすがのミカエルもここまで何の反応も無いとため息をつくしかない。

 

「今回、貴方を呼んだのは仕事のためです。我々が保有する手札の中でも最強格にして、今回の一件を終息させた貴方に、ね」

「……………」

「今は、ヴォールと呼ばれていたのでしたね。確か、ロシア語で“泥棒”若しくは“盗人”でしたか」

「……………」

「まさか我々も、カトラリーセット一つを手に入れるために教会を五棟倒壊させ、更には討伐隊を10度も撃退されるとは思いもしませんでしたが」

「……………」

 

 ミカエルが語るのは、彼の罪。

 というよりも、収監されるにあたっての経緯か。

 因みにこの後、十数回に及ぶ処刑執行と続く。

 首吊り、電気椅子、ギロチン、毒ガス、銃殺、槍、その他諸々etc.

 その全てが、悉く意味もなく破壊されて効力を発揮できなかった。

 

 結果、彼は地下牢に封印収監される事となる。最も、その封印も彼からすれば薄紙の壁でしかなかったのだが。

 

「報酬に関しては、手付け金としてこちらを贈ろうと思っています」

 

 ミカエルが取り出したのは、大きめの木の箱。

 開けば、そこにあったのは輝くカトラリー達。

 

「バロックの時代から受け継がれているモノですよ。如何でしょうか?」

「………………」

 

 ミカエルの言葉も聞かず、ヴォールはカトラリーを凝視している。

 

「では、お願いしますね?」

 

 ピンクの髪が揺れた。

 

 

 ※

 

 

 最強。それは戦う者達にとって至高の命題。

 無限の龍神、赤龍神帝が次元最強の有力候補か。更にここには、封印された獣も入る。

 後は、各神話の戦闘系の神。

 他にも元デュランダルの使い手や、聖王剣の担い手、黄昏の神槍の保有者等は人類最強候補に挙げられる。

 

 そして、今回その候補に新たな一人が挙がった。

 堕天使幹部の光の槍を何発受けても無傷であり、更に一撃で沈めた、人間。

 当然ながら、三大勢力のトップ陣営は彼へと注目するようになる。

 何故こんな怪物のような存在が今の今まで表に出てこなかったのか、と。

 

 理由と言うほどのモノではないが、そもそも彼自身が名乗りをあげることに興味がなかった。

 そして、そんな状況に至らなかったから、だろうか。

 

 資金の集め方はカジノ。飲食は外食、若しくは山。

 居住は定めず、気の向くままに動き回り、カトラリーを集める。

 

 ただ、少し前にどうしても欲しかったカトラリーが教会の持ち物となっており、全く気にせず強奪したのが最初の名乗りであったのかもしれない。

 

「……………」

 

 ヴォールは、何処に居ようとも変わらない。

 例え黴臭い地下牢であろうとも、最高級高層マンションであろうとも。

 

 再び仕事で訪れた駒王町。借りたままにしておいたマンションの一室に籠る彼は、手付け金として渡されたカトラリーを磨いていた。

 何故ここまで、彼がカトラリーを好むのかは誰も知らない。

 “誰も”知らないのだ。

 つまり、磨いている当人ですら何故自分がここまで使う気の無い食器へと心奪われるのか分かっていない。

 

「……………」

 

 静かな室内に、インターホンが響いた。

 しかし当然ながら、彼が接客をするはずもない。それどころか、ソファから立ち上がることもなく、カトラリーを磨くのみ。

 

 再び、インターホンが鳴る。だが、動きはない。

 

 三度目は、なかった。その代わり、扉が開くような音が廊下の向こうから聞こえる。

 

「来客は出迎えるもんじゃねぇのか?」

 

 廊下を抜けて、ぼやきながら入ってきたのは、金髪のダンディーな男。

 明らかに不審者なのだが、そんなことは彼の前では関係がない。

 少なくとも、カトラリーの魅力を越えるだけのナニかは無かった。

 

「無愛想な奴だな。勝手に入ってきた相手に目も向けねぇとは」

 

 男、アザゼルは顎を撫でた。堕天使総督という肩書きを持ち、聖書にも記述がある彼は人生経験豊富と言える。

 そんな中で、ここまでの無関心っぷりはずいぶんと久しぶりの体験であった。

 

 この手のタイプは、厄介だが刺激しなければ問題ない。

 そして、本当に強い。何故なら、力を誇示する必要がなく、更に周りを気にする必要がない強さを内包しているから。

 

 実際に相対したアザゼルの感想としては、素の状態で勝負しようとすれば間違いなく殺される、ということ。そして、仮に奥の手を切っても恐らく負ける、ということ。

 以上二点か。因みに切り札は、切れば神クラスの実力を発揮できるというもの。

 つまりは、神クラスでも彼には勝てないということだ。

 無論、各国の主神や武神などがいるために一概にそうとも言えないのだが。

 

「ま、今回は顔を見るために来ただけだからな。ミカエルの野郎がお前の事をゴチャゴチャ言ってやがったし」

「………………」

「愛想ねぇなぁ…………………んじゃ、これなんてどうよ」

 

 そう言うと、アザゼルは小さな魔方陣を出現させ掌より若干大きい程度の木箱を取り出した。

 

「お前の好みは知らないがな。男なら好きじゃないかと思ったんだが」

 

 蓋が開けられ晒される中身。

 それは、一振りのナイフであった。

 柄と刃が一体化したワンピースナイフと呼ばれるモノであり、柄には羽のような紋様が刻まれている。

 鈍い鉛の色の中に銀色を内包して飲み込んだ様な色合いは、実用よりも観賞用に見える。

 

「……………」

 

 ヴォールも少しは興味引かれたのか、カトラリーを拭く手は止まらないものの、目だけでナイフの確認を行っていた。

 観察眼にも優れたアザゼルだ。その事には、当然気づいている。

 

 気づいた上で突っ込まない。相手の人となりが分からない時点で突っ込んで、虎の尾を踏むようなことになれば目も当てられないからだ。

 

「ま、今後とも御贔屓って奴だ。お前との敵対は宜しくないみたいなんでな」

 

 アザゼルはそれだけ言うと、後ろ手に振りながら部屋を出ていってしまった。

 残されたナイフ。ヴォールは、磨いていたカトラリーをケースへと収めるとそれを手に取った。

 

 見た目の美しさを抜けば、単なるナイフだ。曰くもなく、魔術的な要素もない。

 だが、美しさ、という点は、時にあらゆる魔術を越えた力を発揮することもある。

 

 何度か刃を翻して観察した彼は、徐にナイフを拭き始めた。

 どうやら、気に入ったらしい。

 

 

 ※

 

 

 世界には、様々な神話体系が存在する。

 三大勢力もその1つだ。

 彼らは、過去に大戦を経ており、今は休戦状態。

 

 その原因は、各勢力の疲弊にある。

 天界は神を。悪魔は魔王を。堕天使は戦力を。

 このままでは滅亡するのみだ。故に、停戦協定を結びこれ以上互いの勢力が目減りする事を防ぐに走った。

 

 だが、それが勢力すべての意思かと言われれば、否だ。

 コカビエルの一件が正にそれ。戦争を望むもの達は一定数存在する。

 

 それだけではない。特に悪魔陣営は、新しくついた四大魔王と旧魔王派がぶつかっており、更に貴族達の統率がとれてはいない。

 

 こんな状況で行われる、三大勢力によるトップ会談。

 会場は、駒王学園にて行われることになった。

 

「……………」

 

 色物揃いと言っても良いこの場で、殊更彼は浮いていた。

 この場の大半の面子が彼へと関心を寄せているのもその原因のひとつ。

 特にコカビエルに苦戦していた面々が彼へと様々な感情を乗せた視線を送っていた。少なくとも良い感情ではないことは事実。

 彼ら以外となると、銀髪の美丈夫が熱い視線を彼へと向けていた。

 

 名をヴァーリ。生粋の戦闘狂であり、現白龍皇。アザゼルをして、過去現在未来を通して最強の代と称される天才だ。

 そう、戦闘狂。強い相手との戦いを求める生粋の変態だ。

 

 さて、そんな変態含めた視線を受けるヴォールであるが、全くもっていつも通りだ。

 どこから持ってきたのかパイプ椅子に腰掛けると、ミカエルの後方壁際へと控えてカタログを読み始めていた。

 中身は、カトラリーセット。それも最低価格が云十万円からというアホみたいなモノ。

 これは報酬に関して必要なこと。つまり、仕事を完遂すれば気に入った物を送ってもらえるように取り計らっていた。

 

「………………」

 

 ペラリ、ペラリ、とページをジックリと眺めながら捲っていく。

 

 値段が高ければ良いものが多いようにも思えるが、好みと良いもの、は別だ。

 無表情の鉄面皮の下では、様々なカトラリー達がダンスを踊っていた。

 

 その間にも、会議は回る。アザゼルの黒歴史やら、魔王のサーゼクス・ルシファーやセラフォルー・レヴィアタンの妹萌えやら、ミカエルの純粋腹黒など色々あったが、とりあえず会議は回った。

 

「それで?ミカエル。ソイツの説明は、無しか?」

 

 黒歴史を抉られて疲弊したアザゼルは、カタログを熟読するヴォールへと目を向けながら問うた。

 それは、周りも思っていたことなのか、再び視線が集中する。

 

「ヴォール、ですか?そうですね………………」

 

 ミカエルは顎に手をやり考える。

 意味深な態度だが、そこに意味はない。

 

 何故なら、彼もそこまで詳しくヴォールの事を知っているわけではないからだ。

 

 カトラリーが好きであり、化物染みた強さを持ち、基本的にどんなことにも無関心。

 

 大雑把に挙げるとこんなものだ。

 後はキレたら怖い程度か。

 

「……………ただの泥棒、ですかね。世界屈指の怪物ですけど」

「いや、お前なぁ……………」

「彼とのコミュニケーションがとれるとでも?」

「………………………分からなくもねぇがなぁ」

 

 アザゼルは、前に接触した時の事を思い出して唸る。

 どうシミュレーションしたとしても、接触に成功し談笑している姿が想像できなかった。

 そもそも、あの鉄面皮が緩む姿が思い付かない。

 

 接触の無い、サーゼクスやセラフォルーは首をかしげるが、そもそもこの二人は経験が浅いのだ。

 外交担当のセラフォルーはそうでもないが、少なくともサーゼクスに関しては少々問題があった。

 彼は情愛のグレモリー家出身。そのせいか、政治に情と甘さを持ち込んでしまう傾向にあった。何より、現四大魔王は力で選ばれた者達であり、後の二人は研究バカと常時怠惰という問題を持つ。

 結果として、旧魔王派の離反と貴族達の横行を許しているのだから手に負えない。

 

 何やら微妙な空気になってしまったが、そこでアザゼルが軌道修正の意味も込めて和平案を切り出した。

 このまま決まる―――――事はない。

 その直後に、トップ陣営並びにヴァーリ以外の動きが止まったのだ。

 

「…………………」

 

 いや、訂正。こんな状況でも変わることなくカタログを捲る怪物が居た。

 彼からすれば外野が荒れようとも関係無い。それこそ、世界が崩壊しようとも自分が望み、求めた物があったならばそれで十分なのだ。

 

 この間にも事態は進む。時間が経つにつれて、停止していた者達も動き始め、外では魔術師達の襲撃が始まっていた。

 中でも大物なのが、旧魔王派を纏める一人カテレア・レヴィアタンの襲撃だ。

 彼女の目的は、セラフォルーよりレヴィアタンの称号を奪うこと。

 だが、相手をしたのはアザゼルであった。

 その他にも、様々な事が流れるように起きていた。≪≪その瞬間までは≫≫。

 

「……………………」

 

 空気が凍った。そう錯覚させるほどに、結界に覆われた駒王学園の内部は凍てついていた。

 物理的にではない。雰囲気的な問題だ。

 

 それは、事故だった。

 偶々、会談の会場であった会議室を守っていた魔王の結界の内、少し薄い部分があり、そこを裏切ったヴァーリの魔力弾が貫き、偶々そこにいた彼へと直撃したのだ。

 

 当然ながら、結界を抜けて威力が減衰した魔力弾などで傷付く彼ではない。だが、その他はどうだろうか。

 そう、例えば彼の読んでいたカタログ、とか。

 

「…………………」

 

 結果だけ言おう。消し飛んだ。

 辛うじて残るのは、彼が握っていたページの端の一部ほど。後は灰となって消えた。

 手を開けば残っていた、最早元が何の紙だったのか分からないほどのカタログの燃えカスも風へと流れる。

 ヴォールは無表情のままに魔力弾が飛んできた方向へと、まるで油の差されていないブリキ人形のように首を動かして顔を向けた。

 

 ヴァーリとしては、これは正直嬉しい誤算。コカビエルを一撃で沈めた彼には興味があり、アザゼルには止められていたが戦いたいと思っていたからだ。

 

 だが、それは自殺志願でしかない。

 

「………………………………………………コロス」

 

 掠れたような、そして地の底から響くような重々しい小さな呟き。

 だが、会議室に居た者達全員の血の気が一気に引くほどの凄みが、其処にはあった。

 

 瞬間、その場に暴風が吹き荒れた。同時にガラスの砕けるような音が響く。

 

「これは………………」

「うそ………………」

 

 魔王二人は、その光景に開いた口が塞がらない。

 というのも、その先には最も硬い中央付近を砕かれた結界があったのだ。

 

 やったのは、ヴォール。魔王クラスにすら視認させない速度で外へと飛び出していた。

 狙いは、カタログを失う原因であるヴァーリ。

 

 彼は、神器白龍皇の光翼を禁手化させた鎧を纏っていた。

 効果は半減と吸収であり、これによっていかなる相手の力も削ぐことが可能。

 

 その筈であった。

 

「なっ……!ゴッ!?」

「………………」

 

 鎧は、まるでガラス細工のようにアッサリと砕かれ、隕石にでもぶつかったかのような圧倒的質量を誇る拳によってグラウンドへと叩き落とされていた。

 

 成したのは、ヴォールだ。会議室を飛び出した勢いのまま、中空のヴァーリへと接敵し半減の効果をレジストした上で殴っていた。

 ヴァーリが叩き落とされた瞬間に、グラウンドは砕け、辺りに居た魔術師達は木っ端のように吹き飛ばされる。

 

「……………」

 

 グラウンドに出来上がったクレーターの中へと降り立った彼は、そのままの足で中心部へと向かう。

 舞い上がる粉塵を抜ければ、そこに居るのは鎧が砕け、体の大半が地面に埋まったヴァーリの姿。気絶しているのか、若しくは死んでいるのか、ピクリとも動かない。

 彼は、何の警戒もすることなく無造作に近寄ると片手で白蜥蜴を掴んで地面より引きずり出した。

 

「…………………」

 

 無表情、ではない。眉間にシワが寄っており不機嫌な表情だ。

 

 ヴァーリの誤算は、神器の力を過信しすぎた事、相手との力量差を測れなかった事。

 

 ヴォールに慈悲はない。彼の気に入った物へと危害を加えたのだから、当然であった。

 吊り上げる左手に代わって、右拳が握られ持ち上げられる。

 神器の鎧のお陰で辛うじて肉体が残ったのだ。それすら無いならば、ミンチ確定。

 拳が後ろへと引かれ、

 

「待ってくれ!!」

 

 突如飛来した光の槍。直撃したヴォールの首が左へと傾く。

 

 槍の主は、アザゼルだ。

 カテレア戦で左腕を失ってしまったが、息子同然のヴァーリの窮地に思わず飛び出してしまっていた。

 

「頼む!殺さないでやってくれ…………!」

 

 血も涙も無いような相手への必死の懇願こそ、虚しいものはない。普段のアザゼルならばこんなことはしなかっただろう。

 実際のところ、ヴァーリをどうこう出来る者など早々居らず、アザゼル自身が敵わない相手など居ないのだから、蹴散らすのが普通であった。

 

 そして、ヴォールにとってそんなことは関係がない。引いた拳には力が入る。

 そのまま振り抜かれ―――――

 

「ドラゴン・ショットォッ!!!」

 

 極太のレーザーに呑み込まれていた。

 それもヴァーリにはギリギリ当たらない、彼だけを飲み込むレーザーだ。

 この間に、どうにか息を吹き返したヴァーリが掴まれていた服を破って距離を取る。

 

 レーザーを放ったのは、兵藤一誠。今代の赤龍帝である彼だ。

 放った理由は、神器に宿る相棒に懇願された為。向こう見ずさの無鉄砲。力の差すらも理解できない蛮行であった。

 

 何せ山すら消し飛ばす極太レーザーが収まった其処には、無傷の彼の姿があったのだから。肉体は愚か、服にすらも焦げ目ひとつありはしない。

 

「……………」

「っ!」

 

 蛇に睨まれた蛙とは、正にこの事。

 再び無表情となった彼に睨まれる形となった一誠は思わず生唾を飲み込んで、半歩下がってしまう。

 勝てないと、本能が理解した。今から自分が死ぬということがハッキリと想像できた。

 

 彼は前へと一歩踏み出し、

 

「そこまでですよ、ヴォール」

 

 突然目の前へと現れたミカエルによって押し留められた。

 何も力で止めたわけではない。彼は、あるものを取り出していたのだ。

 

 それは、先程まで彼の見ていたカトラリーのカタログ。それも寸分違わぬモノであった。

 受け取ったヴォールの全身から覇気が消え去ると、その場に座り込んでページを捲り始めた。

 

 “助かった”それがこの場全員の感想。

 そして同時に思い知った。

 最狂の兎を怒らせてはならない、と。




続いちゃいましたね


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兎の箸休め

 あるところに、一人の少年が居た。

 彼は幼い頃より、熱意というものを何処かに投げ捨てたかのように空虚であった。

 

 気味の悪い子供。それは、彼が超常的な力を振るいだした事によって、化物へと変わっていった。

 

 大人どころか、生き物としての限界を越えたような身体能力。

 ナイフで突こうと、斧を振り下ろそうと、縄で吊ろうと、薬を用いようと、水に沈めようと、傷一つ負うことの無い肉体。

 

 化物だ。人間として、彼は異端。

 では、人間以外として見ればどうだろうか。

 

 やはり、異端だった。

 最初は、彼の住む村へと現れたはぐれ悪魔。

 家に押し入った瞬間に、殴り飛ばし、消し飛ばした。

 次に来たのは、下級堕天使。神器の可能性を考慮しての独断専行。

 槍を使ったが無傷でやり返し、消し飛ばした。

 三度目は、旅の途中で訪れた教会で見つけたカトラリーセットを強奪したとき。その時には、様々な教会の戦士と下級、及び中級天使を退けた。

 最後には上級天使、並びに教会のジョーカーすらも出てきたのだが、彼が抵抗を止めなければ被害は更に広がっていた事だろう。

 

 それが、名を奪われた少年、現在はヴォールと呼ばれる彼の過去。

 

 

 ※

 

 

 冥界、悪魔陣営には悪魔の駒と呼ばれるシステムがあり、これによってその数を増やすことを可能にしていた。

 その弊害として、多数のはぐれ悪魔の出現や、反逆によって殺される上級悪魔等が出ていたが、彼等は目をそらしている問題もある。

 

 まあ、それは置いておく。

 この仕組みを他勢力、取り分け純粋な天使が生まれ難くなった天界勢力が取り入れるようになっていた。

 悪魔の駒がチェスならば、天界はカード。トランプを元にした御使いカードを使って転生天使を生み出すのだ。

 上級天使をKとして、残りの十二枚を1枚一人として転生させることが可能であり、カード毎の差はない。

 代わりに、足並みを揃えることに長けており、更にトランプらしく手札を揃えることによって力を増す。

 そして、これに選ばれるのは信仰心の強い信徒やエクソシストだ。

 というのも、少量でも邪な気持ちがあると堕天使へと堕天してしまう可能性があるせいだ。

 

「―――――まあ、貴方には関係の無い話でしたね」

 

 笑みを浮かべたミカエルは、紅茶を啜る。

 彼の前では、いったい幾つの砂糖を入れるのかと思えるほどに、ポチャポチャと角砂糖をカップへと投入するヴォールの姿があった。

 ここは、いつぞや二人が面会を果たした本部の一室。人払いは既に終えており、部屋の外には、ミカエルが直々に張った結界が音と人を遮断している。実に静かだ。

 

 事の経緯は、ミカエルが彼を誘った時より始まる。

 というのも、ヴォールはまたしても地下牢へと戻ってきていた。

 それを回されてきた資料によって知ったミカエルが気にして、調べてあることを知ったのだ。

 

 結構良いもの食っている、と。

 

 最初こそ、カッチカチの黒パンと塩水を温めたような薄いスープであったのだが、その日の内に配膳担当が重傷を負って以来、バランスが考えられ、質の良い食事が出されていた。

 その一つが、今彼の目の前に出されているもの。

 テラテラと光を反射する光沢を見せるニンジングラッセがたっぷり使われたキャロットケーキ。

 無機質な鉄面皮であり、強面な彼だが基本は肉も食べれるベジタリアン。魚は嫌いだ。

 

(見た目も相俟って、今は小動物ですね)

 

 兎の耳のような髪型、無表情であるが今はカトラリーも磨かずに一心不乱にモッキュモッキュとケーキにフォークを突き立てている。

 小柄、というほどでもないが平均身長であり筋肉質な細身。

 むしろ、この細腕の何処から神滅具の禁手化を殴り潰す力が出るのか。

 

(アザゼルは、神器ではないと言っていましたね。ですが、ならばヴォールの力の源は何なのでしょうか……………)

 

 ミカエルはカップを傾けながら、チラリと彼を見た。

 既に目の前に用意されたホールから更に一切れ切り取って食べ進めるヴォールには、あの時の覇気はない。

 そして、思いの外、しっかりとしたマナーを持ち合わせていることにも気付かされる。

 首にナプキンを巻き、フォークは必要以上に皿とぶつかってカチャカチャと耳に障る音をたてない。

 一口、一口味わうように、しかし一定の速さでケーキを切り取り口に運ぶ。

 健啖家な彼ならば、ケーキの1ホール程度丸々かじりついてもペロリと平らげることが出来るだろうに、それをしない。

 

「ヴォール、貴方はこれからどうしたいのですか?」

「……………モッキュモッキュ」

「既に、力を示した貴方を放っておくほど世界は甘くありません」

「……………ズズー」

「身柄こそ、私たち天界の預かりですが、今の貴方は預かりと言うだけ。出来れば、立ち位置をハッキリしてほしいのです」

「……………パクパク」

 

 やはり、話は聞かない。

 だが、これは由々しき問題でもある。

 

 最強の呼声高い白龍皇を赤子の手を捻るように沈め、堕天使総督の光の槍を弾き、山一つ消し飛ばすレーザーを受けて無傷。

 三大勢力だけではない。あらゆる勢力が、彼へと注意を払っていた。

 良くも悪くも、表も裏も。

 

 一番不味いのは、三大勢力会談でも話題として挙げられた、禍の団に加入されること。カトラリーで釣られそうな所が不安を掻き立てる。

 

 ただ、仮に加入されてもそこまで暴れる姿を想像できないのは唯一の救いか。

 

「……………はぁ………」

 

 ため息をついたミカエル。ほんの少しだけ、胃がキリリと痛んだ気がした。

 

 

 ※

 

 

 禍の団。それは、世界的にテロ行為を行う組織の名前だ。

 といっても、幾つかの派閥に分かれており、その目的も様々。

 

 力の誇示、知識の探求、限界への挑戦、自己の存在証明。

 

 目的は、王道。しかし手段は、邪道。そもそもテロ行為は基本的に不意打ちが殆どだ。

 ある意味これは、正面からでは敵いません、と声高々に宣言していると思えなくもない。

 

 そんな、ポンコツ組織の名目上首魁とされているのが、無限の龍神オーフィス。

 次元最強の片割れとしても名高く、無限という名に相応しい尽きることの無い力を誇っている。

 

 何故こんなことに触れるのか。それは、最強と最狂がかち合ってしまったからだ。

 

「……………」

「……………」

 

 キュッキュッキュッキュッ、といつもの様に椅子に座ってカトラリーを拭いているヴォールと、そんな彼の目の前に立ってジーッと顔を覗き込むゴスロリ幼女。

 場所はいつもの通り、地下牢だ。

 そして、この地下牢。壁こそ防壁のようになっているが、その内部にはセンサーの類いは存在していない。監視カメラ等もゼロだ。

 その為、防壁を越えて入り込める存在は上には知覚できない。

 勿論、理由はある。単純に、彼を害する存在が極少数であること。彼自身への面会など皆無であったこと、など。

 何より、ヴォールを正面から倒せる相手をどう倒せと言うのだろうか。

 

「……………」

「……………」

 

 そんな数少ない、ヴォールを倒す可能性がある存在が、この幼女オーフィスである。

 彼女が見るのは、彼の手元で輝きを増していくカトラリー。

 一概に、スプーン、フォーク、ナイフと呼べども、カトラリーはその用途によって形や大きさを変える。

 今、彼が磨いているのはフィシュナイフ。魚料理の際に用いられる物。テーブルナイフと比べて若干鋭利な見た目をしている。

 

「………………フッ」

 

 最後に表面の埃を吹き飛ばし、ナイフをケースへと収める。次に取り出したのは、デザートスプーン。

 テーブルスプーンよりも丸みがあり、スープスプーン程の深さはない。

 

「……………」

 

 オーフィスの興味もそっちに移ったのか、彼女はちょこちょこ動くと、机の上に置かれたカトラリーケースへと近寄った。

 そして、徐に手を伸ばして――――――

 

「ん、触らない」

 

 思いっきり、睨まれた。それこそ、その視線だけで石壁に亀裂を刻むほどの鋭さ。

 オーフィスも素直に手を引いた。

 実力差は、そこまで無い。むしろ、彼女の方が手札も多く、強いかもしれない。

 だが、彼女は無垢だ。目的も相俟って、好き好んで闘争の火種を撒くようなタイプでもない。

 

 もとより、彼女は禍の団の首魁として祭り上げられただけなのだ。実際は権力なども無く、構成派閥から求められた際に力の一端として蛇を渡すだけ。

 その理由は、ただ一つ。永遠の静寂を得ること。その為には、次元の狭間より己を追い出したら、真なる赤龍神帝グレートレッドを倒さねばならない。

 オーフィスと同じく、ムゲンの名を背負う夢幻のドラゴン。

 同格であるため、どうしても衝突すれば世界が滅ぶか、千日手になりかねない。

 ある意味では、世界を滅ぼせば静寂を得られるのだが、それはそれ。

 

「うさぎ」

「…………………」

「…………………ぴょーん」

 

 オーフィスは、彼の背後に回ると背をよじ登り、頭に乗った。

 そのまま髪を弄っているが、ヴォールは振り落とす様子もなく、いつもの無表情でカトラリーを磨いている。

 

 最初に、ここに現れた彼女の目的は彼にグレートレッドを倒すことに関して助力を請うためであった。

 神器に封じられたとはいえ、その力は相当なものである白龍皇を一撃で下し、堕天使総督の槍すら弾く人間だ。それだけでも彼女の興味を引いた。

 

 そして、訪れた彼女を待っていたのは、圧倒的なまでの無視であった。

 この反応は初めてである。

 そも、近寄ってきた派閥の者達はその大半が彼女の強さ、及び力を目的とした者達だった。

 

 何より、ここは静かだ。

 決して居心地が良いわけではない。むしろ、劣悪な環境であり、病弱な者ならば速攻で体調を崩すことだろう。

 

 それでもヴォールがこの場へと戻ってくるのは、一重にあらゆる面倒が基本的に免除されているためか。

 炊事洗濯諸々をする必要がなく、食事に関しては、勝手に出てくる。

 雨に濡れる事もなく、金を心配することもない。

 ぶっちゃけ、彼からすれば牢獄もホテルのようなもの。

 湿気が多いことも少し苦になるが、それだけカトラリーを整備する理由にもなるということ。

 

「…………」

「うさぎ、戦わない?」

「…………」

「………………ふみゅ」

 

 頭の上から上体を投げ出して、彼の顔を覗きこんだオーフィス。

 さすがに、目の前に長い黒髪が垂れてくれば前が見えない。

 ヴォールは、磨きあげたスプーンを箱に収めると、片手で彼女の顔を掴んだ。

 そのまま握りつぶす――――――何て事はない。

 頭から引き摺り下ろすと、質の悪いベッドへと投げ捨てる。

 それ以上は何もせずに、新たな、今度はエスカルゴフォークへと手を伸ばした。

 

「んー…………………」

 

 ボロベッドへと投げられたオーフィスは背中から、所々スプリングの飛び出たマットレスに落ちると、暫く固まり、ゴロゴロと転がり始める。

 どうにか、世界滅亡の切っ掛けを作らずにすんだ一幕であった。

 

 

 ※

 

 

 世界には、様々な神話勢力が存在している。

 今回、三大勢力が和平を結んだことを皮切りに、その一つが大きく動き始めていた。

 

 北欧神話、アースガルズ。オーディンを主神としており、その影響力と内包戦力はかなりのものだ。

 彼等、と言うよりもオーディンが特に他勢力との交流を得ようとしていた。

 目的は排他的になり、視野狭窄となりやすい陣営の、特に若い世代に世界を見せるため。そのついでに、自身の知的探求心を潤す対象を見つけるため。

 

「―――――――実に、面白い」

 

 そんな老人の興味を引いてならない対象がここ最近現れた。

 叡知の左目をもってしても推し測れない、正にバグとも呼ぶべき存在。

 

「どうにかして、鳩共の手から放てぬものかな。あやつは、暴れさせる方が面白い」

 

 アゴヒゲをしごきながら、オーディンは思索を巡らす。

 何でも見通せる目であるからこそ、彼は混沌を求める。知識のために片目を捨てた神だ。更に逸話として、ルーンの秘密を知るために、9日間ユグドラシルで首を吊り、自分自身をオーディンに捧げたとされている。

 

 要するに変態だ。そして、そんな変態に目をつけられた哀れな獲物。

 最狂の兎。龍すら潰す化物兎。

 

「人の身で、我々神、龍、悪魔、天使、堕天使と正面から腕力で抗う。いや、討っている、か」

 

 勿論、相性はある。物理的な攻撃手段しか無いならば、物理攻撃を無効化すれば良い。

 だが同時に、そんな短絡的手段ではどうにもならない、とも思える。

 

「さてさて、面白い」



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