陰陽師の魔女 (もんごめりあん☆紗波)
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賢者の石
少女の選択


◇使い古されし陰陽師設定。ゆっくり更新ですが、お暇な方はどうぞお付き合いください◇


彩芽(あやめ)や、ここへ来てお座り」

 

祖母の葛葉(くずは)に呼ばれて、彩芽は和紙をヒトガタに切る手を止めて言われた通り座る。

まだ8歳になったばかりの幼い女の子。

髪も目も黒く、着物を着てきちんと正座をしている彼女を見て、一体何人が生粋の日本人ではないと気付くだろうか。

幼い孫娘に複雑な想いを抱きながら、葛葉はこれから伝える事の残酷さに眩暈がしそうだった。

対する彩芽は、祖母の雰囲気がいつもと違う事に不安を感じていた。

母も父も物心つく前に亡くしている彩芽にとって、葛葉は唯一の肉親であり、尊敬する師でもある。

いつも自信に満ち溢れ、毅然としている葛葉が、何故だか頼りなさ気に見える。

嫌な予感がした。

 

「彩芽、心してお聞き。私はもう長くない」

 

そして、嫌な予感というものは当たるものだ。

彩芽は葛葉の言葉に、声は出さないものの目を見開く。

 

「占いだから、外れる事もある。だが、お前も知っての通り、私の占いは超一流だからね」

 

葛葉は言って、皮肉気に笑った。

陰陽道の中でも基礎となる占術……葛葉はそれを1番の得意としている。

特に人の死期に関する事では外した事がなかった。

それを知っているだけに、彩芽は何も言えなかった。

祖母は死ぬのだ、確実に。

 

「だから、お前には全て話しておく。……安心おし、今すぐ死ぬわけじゃないよ」

 

ワナワナと震えだした彩芽の唇を見て、葛葉は眉をしかめた。

今すぐじゃなければ良いという問題ではないと彩芽は思ったが、必死に呼吸を整えて堪える。

 

「そうそう、心を簡単にさらけ出してはいけないよ。付け入る隙を与えてしまうからね」

 

顔色は悪いものの、不安や悲しみの表情を消した彩芽の顔を見て、葛葉は頷いて話を戻す。

 

「彩芽、お前には才能がある。流石、安倍晴明の血を引くだけの事はある、ということかね。少なくともここ何代かの中ではぶっちぎりトップの天才だよ」

 

にっこり笑う葛葉に、彩芽は完全な無表情で頷いて見せる。

その様子を満足げに見た後で、葛葉は表情を曇らせた。

身を守る為とはいえ、素直に感情を表現させてやれない事を不憫に思ったのだ。

安倍晴明の血を引く陰陽師の家系。

自分の代で、その大きな流れからははみ出しているけれど。

それでも、そう易々と周りの抗争と無関係にはなれやしない。

もしも彩芽の陰陽師としての才能が明るみに出れば、周りの本家筋の奴らに彩芽の将来は縛られてしまうだろう。

それも、飛び切り嫌な形で。

 

「だけど彩芽、何度も言うようだけれど、術を人前で使ってはならないよ。出来ないふりをしなさい」

 

コクリと頷く彩芽をしばらくじっと見つめた後、葛葉はゆっくりと口を開いた。

 

「それじゃ、今からお前に全ての秘密を明かそう……」

 

葛葉は彩芽に全てを打ち明ける。

もしも死期が見えなければ、真実を伝えるのはもっと先になっただろう。

けれど現実はとても非情だった。

 

「お前の母親は病気で死んだんじゃない。殺されたんだ……」

 

彩芽は息を呑んだ。

父と母は病気で死んだと思っていた彩芽にとって、それは寝耳に水で。

続く言葉は、悪夢だった。

 

「お前の父親に……そう、イギリスの魔法使いどもがヴォルデモート卿と呼んでいる、闇の魔法使いにね」

 

母親は殺された、他でもない自分の父親に。

では、私は人殺しの娘なのか……。

彩芽はそれに気付き、ぎゅっと拳を握った。

顔が熱くなり、涙が出てしまうかと思ったが、不思議と胸の中は冷えていた。

 

「お前の母親……私にとっては娘になる撫子(なでしこ)は、彩芽、お前と違って陰陽師としての才は全くなかった。性格も破天荒過ぎて、せっかく小学校に行ったのに友達も作れない駄目な子だったよ。周りに合わせるとか、自分を押し殺すとか、そういうことの出来ない子だった」

 

酷い言い様だったが、葛葉は笑みを浮かべていた。

懐かしむような微笑み。

葛葉が撫子の事を話す時は、いつも柔らかい笑みを浮かべる。

彩芽はそれが酷く辛かった。

それが何故なのか、彩芽はいつも不思議に思っていたが、その謎が今解けた。

葛葉は撫子の話をした後、決まって彩芽を見るのだ。

本人は気付いてないのかもしれない。

でもその瞳に、彩芽は苦しくなる。

 

私に、母の面影と、その母を殺した憎い男の影を見ているんだ……。

 

そう気付いてしまった。

気付かなければ良かったと思った。

酷く悲しいはずなのに、やはり心は冷たく冷え切っている。

仕方がない、と思う自分の声が聞こえた。

 

仕方がない、だって私は、おばあ様にとって……大切な娘を殺した、憎い男の子供なんだから。

彩芽はそう割り切る事にした。

祖母のせいじゃない、全てはその男、自分の父親が悪いのだ。

 

「撫子は陰陽師としては失格だったけど、魔女としては優秀だった。だからイギリスの魔法魔術学校、ホグワーツに入学させたんだ。そこで学び、友も出来た。リリー・エバンズという女の子が、あの子の親友だった。何度か会ったけど、可愛らしい子だったよ。鮮やかな赤毛に、澄んだ緑の目をしていた。……死んでしまったけれどね。殺されたんだ、ヴォルデモートに」

 

「ヴォルデモート」

 

彩芽はその名を口にしてみた。

自分の父親であり、母親を殺した男の名前。

けれど、全く何の感慨も湧かなかった。

 

「リリーにもお前と同じ歳の子供がいたんだよ。男の子で、名前はハリー・ポッター。ジェームズ・ポッターがその父親で、撫子の片想いの相手だったね。リリーと違って、こっちは生意気で馬鹿なくそ餓鬼だったけれど……」

 

何か酷い思い出でもあるのか、葛葉は眉間に皺を寄せた。

 

「ともかく、そのジェームズも殺された。ヴォルデモートにね。だけど、父親も母親も殺されたのに、ハリーは生き残った。同時に、ヴォルデモートはいなくなった」

 

「……?」

 

意味が分からず、彩芽は葛葉を見返す。

 

「これは私の仮説だから、真実ではないかもしれないけど……」

 

葛葉はその視線を受けて、自分の推測を述べる。

 

「恐らく、ハリーには古い魔法がかかったんだろう。呪いに対する強力な反対魔法。奴がハリーを殺そうとしたなら、当然母親であるリリーは命を賭して守っただろう。リリーの我が子に対する愛が、ハリーを守り、魔法をかけた。そして呪いを放った張本人……ヴォルデモートはその反対魔法によって逆にやられてしまった」

 

では、父親は……ヴォルデモートはやはり死んでいるのか。

そう思った彩芽に、葛葉は「でもね」と言葉を続けた。

 

「ヴォルデモートは生きている。そして再び復活を果たす。そう遠くない未来にね」

 

「……それは」

 

予言だろうか。

葛葉はその未来を占いによって見たのだろうか?

 

「復活したヴォルデモートを倒すのは、ハリーだそうだよ。そう、これは予言だ。でも私のではない。……撫子の見た予言さ」

 

葛葉は悲しげに微笑んだ。

 

「本当に、あんなにも陰陽師の才能がなかったのにね。あの子は何故か予知をした。そして、リリーとジェームズの子が、そんな運命を背負うのは理不尽だと、撫子は……」

 

彩芽が見ている前で、葛葉が泣くのは初めてだった。

 

「ヴォルデモートの元へ行き、……命を落としたんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな広い日本屋敷。

高く頑丈な塀に囲まれたその敷地はかなりの大きさで、屋敷もさることながら、庭園も立派なものだった。

町の外れにあるため、騒音とも縁がなく、庭の裏の大きな林からは涼しげな風が吹き込む。

霊場としても優秀で、気の流れも安定している。

 

その広い屋敷に、彩芽は葛葉と2人で住んでいた。

彩芽の祖母である葛葉は、安倍晴明の血を引く陰陽師の家系に生まれた。

様々な理由で葛葉はすでに勘当されており、現在は彩芽と暮らすこの家だけが財産と呼べるものだった。

 

葛葉が全てを打ち明けたその前日に、彩芽は8歳の誕生日を迎えていた。

その日、葛葉に陰陽師としての修行は終わりだ、もう教える事はなにも無いと言われた彩芽。

事実上の免許皆伝だったが、葛葉のこの告白以降、その修行に当てていた以上の時間を、西洋の言葉や学問、魔法を学ぶ事に費やす事になった。

 

詳しい理由は聞いても教えてくれず、いつかお前に必要になるだろうというばかり。

そのくせ、指導はスパルタで、間違えれば叱責。

酷ければ細い棒状のもので打たれる事もあった。

もっともそれは、陰陽師の修行中と同じなので慣れてはいたが、やはり痛いことに変わりはない。

 

1日のうち、午後から就寝までは全て英国語。

食事は日曜日は洋食に変わった。

元々、死んだ祖父が英国人という事もあり、英国語を使う事はあったが、日常会話全てがとなると難易度は急に上がる。

さらに彩芽はどうしても洋食に馴染めなかった。

しかし、食べなければ次の日も洋食になるので必死で食べるしかない。

勉強より、言葉より、彩芽にとっては食事が一番辛かった。

 

そんな毎日が繰り返され、彩芽は充分に知識を得ていった。

そして彩芽が11歳になった夏。

蝉の声が煩わしいその日、葛葉は静かに息を引き取った。

 

眠っている様な遺体を焼いて、骨にして墓に入れて。

色々な手順をすっ飛ばし、祖母はあっという間に埋葬されてしまった。

あらかじめ葛葉が専門の業者にそう指示していたらしく、故人の遺志であるというならば止めるわけにもいかない。

手際よく進められるそれらを、彩芽はほとんど見ているだけだったが、あまりにも急過ぎる事に驚いていた。

葛葉は親戚に自らの死の予定を告げていなかったため、彩芽が葛葉の兄である大叔父に連絡をして一族が駆け付けた時には、葛葉はすでに土に埋まった後であった。

 

ゆっくりと別れを惜しむことも出来ないまま、全てを終えてぼんやりと座っていた彩芽は、人の気配に顔を上げてその人物の名を呟いた。

 

「アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア……」

 

ちょっと異常なほど、白く長い髭の老人。

1度しか会ったことはなかったが、彩芽は相手を覚えていた。

 

「さよう、君と会ったのは何年も前の事じゃが、覚えていて貰えたとは嬉しいのう」

 

しかもフルネームとは!と、ダンブルドアは口元を綻ばせる。

彩芽はそれを見て微かに眉を寄せた。

 

「何をしにいらしたんですか?」

 

自然と言葉にもトゲが含まれる。

ダンブルドアはそれに気を悪くするどころか、にっこり笑って答えた。

 

「君に道を示す為に来たのじゃ」

 

「祖母に別れの挨拶をしに来たのではなくて?」

 

葛葉の友人であるのに少しも悲しそうでないダンブルドアに対して、彩芽は腹立たしさを感じる。

しかし顔にはほとんど出ない。

いや、出せない。

内心ではふつふつと怒りが湧いているものの、無表情な彩芽に、ダンブルドアはポケットから手紙を取り出して見せた。

 

品の良い、薄い藤紫色の和紙を使ったその手紙には、しっかりとした黒墨で『親愛なるアルバスへ』と書かれている。

…………英国語で。

 

和紙にアルファベットを小筆で書く辺りが葛葉らしく、彩芽は瞬間、怒りを忘れてしまう。

どんな型にもはまらない自由な人。

それが彩芽の中にある祖母のイメージだった。

 

「彼女からの手紙じゃ。わしに、君の今後の身の振り方を手伝ってもらいたいと考えておられた様での」

 

その言葉に、彩芽はダンブルドアを見上げる。

3年前のあの日から、葛葉は彩芽に西洋の言葉や魔法を叩き込んできた。

そのお陰で、今こうしてダンブルドアとも自然な会話が成り立っている。

発音や単語を間違えた時の事を思い出して、彩芽は眉を寄せた。

まだ、懐かしむには生々しすぎる痛みを思い出したせいだ。

しかし葛葉は一度も……死ぬ間際でさえ、それが何の為なのかを彩芽に伝えなかったのだ。

 

「君には2つの道がある……と、その前に……」

 

ダンブルドアは杖を取り出し、ひょいひょいと振ってどこからか椅子を取り出して座った。

彩芽にも、いつの間にか現れている椅子に座るように促す。

さらに、ティーカップの乗ったテーブルを出すと、ダンブルドアは彩芽に砂糖の数を聞いた。

 

「……1つ」

 

人の家で勝手にお茶の準備をしだしたダンブルドアに少々呆れながらも、お茶の1つも出さなかった自分に思い当たり、渋々ながら椅子に座り答える彩芽。

頭の片隅で、畳に痕が付かなければいいけど、と思った。

 

「本当に1つでよいのかね?」

 

ダンブルドアは言いながら、角砂糖を1つカップに落とす。

差し出されたそれを、彩芽は礼を言って受け取った。

 

「……さて」

 

彩芽からしてみれば胸焼けするくらい甘そうな紅茶をすすって、ダンブルドアはそう話を切り出した。

 

「わしが思うに、君には優秀な魔女の血が流れておる」

 

キラリと光る眼差しを向けられて、彩芽はコクリと頷く。

物心つく前に亡くなった母は、陰陽師としての才能は皆無だったが、魔女としてはとても優秀だったと葛葉から聞いていた。

祖母の葛葉は生粋の日本人だが、祖父は西洋の魔法使いだったとも。

その力を受け継いでいることも、葛葉との勉強の中ですでに確認していることだった。

 

「そこでじゃ、これは提案なんじゃが、ホグワーツに入学してはどうじゃろう?」

 

思っても見なかった提案に、彩芽はしばし固まった。

もっとも、表情に乏しいので傍目には分からないが。

 

「おお、もちろんここに残るのも選択肢の1つじゃ」

 

ダンブルドアは大きく手を広げて微笑む。

 

「陰陽師としても、君は天才的だと葛葉から聞いているしのう」

 

その言葉に、彩芽は今度こそ軽く目を見開いた。

 

「……祖母が、貴方にそう言ったんですか?」

 

ダンブルドアはゆっくりと頷く。

 

彩芽が免許皆伝した事はもちろん、術を使えることすら人に知られてはならないと……そう言ったのは、他ならぬ葛葉本人だ。

 

彩芽は、ダンブルドアに対する認識を改める必要があると感じた。

ダンブルドアは祖母にとってただの友達ではなく、信頼に値する『親友』だったのではないだろうか。

 

「……ミスター、アルバス・ダンブルドア」

 

「アルバスでよい、アヤメ」

 

「では、アルバス。選択肢ではなく、貴方の意見を聞かせて」

 

彩芽はダンブルドアをじっと見据えた。

ダンブルドアは半月型のメガネ越しに、キラキラした明るい5月の空の様な瞳を彩芽に向ける。

 

「ふむ、わしの意見を聞くのかね?君はもうすでに、答えを見付けていると思ったが」

 

「それでも。聞かせて」

 

彩芽の言葉に、ダンブルドアはにっこりした。

 

「わしはもちろん、ホグワーツ入学を勧めよう」

 

そしてそれは、祖母の望みだったのだろう。

彩芽はふうと息を吐く。

ダンブルドアと話をするうちに、彩芽は祖母が本当にして欲しかった事が何だったのかを理解した。

自分からその望みを口にしなかったのは、罪悪感からだろうか。

きっと、彩芽が嫌だと言えば、葛葉はそれでも良いと思ったのだろう。

だから、これが葛葉が彩芽に残した最後の選択。

 

彩芽は迷うことはないと思った。

そう、葛葉が望んでいなくとも、いずれはイギリスへ渡るつもりでいた。

父を……ヴォルデモートを殺しに。

その時が早まっただけの事。

母が命を賭けて変えたかった未来を、私が変える。

ヴォルデモートを殺すのはハリー・ポッターではない。

 

 

 

 

 

 

――私だ。

 

 

 

 

 

 

 




◇初っ端からネタバレ満載。そして不穏◇


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保護者

◇保護者様とペットの登場回◇


 

「ええ、アルバス。私、入学します」

 

彩芽は言った。

 

「おぉ、そうかそうか。そう言ってもらえると信じておったよ」

 

嬉しそうにダンブルドアが微笑む。

どこまでこちらの思惑を見抜いているのか分からないダンブルドアに、彩芽は「ところで」と口を開いた。

 

「入学するにあたって、いくつかお願いがあります」

 

彩芽はそう言ってダンブルドアを見た。

陰陽術に使う道具の持ち込みと、式神の同行。

これは譲れないポイントだ。

可能であれば、他にも融通してもらいたい。

聞き入れてもらえるかどうかが、今後の自分の行動に大きく影響する。

 

「もちろん、そうじゃろうとも」

 

ダンブルドアはにっこり頷いた。

こちらからまだ詳細を伝えていないのに、まさか了承の意味だろうかと思った瞬間、ダンブルドアは予想していなかった事を口にした。

 

「じゃがまずは、新しい保護者が必要じゃの」

 

保護者、と彩芽は内心呟いた。

彩芽には保護者と呼べる者はいない。

父は生死不明、母と祖母、祖父は亡くなっている。

どうしてもというなら、祖母の兄がそれに当たるのだろうが……。

 

あの大叔父に会うと言い出すのではないかと警戒した彩芽は、ダンブルドアが庭に目を移すのを見て不思議に思った。

瞬間、バシッという音と共に気配が現れる。

何が、と自身も目を向け、そこに立った人物に目を瞬かせた。

 

全身を覆う黒いローブ、黒い髪、黒い瞳。

午前中とはいえ、夏の日差しの中に立つその人物は、常識と照らし合わせてかなりの不審者だった。

髪は肩につくくらい長かったが、間違いようもなく男。

汗のせいか、髪が頬に張り付いている。

彩芽は立ち上がると、縁側まで寄った。

顔色は悪く、目つきも悪い。

 

「……暑くないですか」

 

何と声をかけようか迷った末にそう尋ねたら、「見て分からんかね?」とイライラとした低い声が返ってくる。

 

「よければ、中にそうぞ」

 

とりあえず、ダンブルドアの知り合いなのは間違いなさそうだと思った彩芽は、手を家の中へと向けてそう招いた。

男はその言葉にちらりとダンブルドアを見た後、黙って縁側に足をかけた。

 

「靴は脱いでいただけますか」

 

彩芽が注意すると、男はこれでいいかとばかりに荒々しく靴を脱いで上がった。

同じ場所に立つと、男の背は高かった。

ダンブルドアに勧められ、椅子に座るのを見届ける。

バサリとマントを正してスッと椅子に座った男は、軽く首を振って顔に張り付いていた髪を横に流した。

そして、男は睨むように彩芽に目を向ける。

その様子を横目に、ダンブルドアは彩芽に微笑んだ。

 

「彼じゃ」

 

さも知っているだろうとばかりに言われて、彩芽は男を見る。

しかし、見覚えはない。

椅子に座ってローブの中の服が見えるが、やはり真っ黒だ。

首元まであるピタリとした長袖長ズボンの黒い服は、徹底して肌を見せないと言わんばかり。

あまりに暑そうなので、彩芽は手を叩いて式神を呼ぶ。

 

「なんだよ」

 

ぶっきらぼうに現れた式神の氷炎(ひょうえん)に、彩芽は部屋の戸を閉めながら「お客様に冷気を」と告げる。

白いイタチの様な外見の彼は、その言葉にふさふさの尻尾を下げた。

「俺は冷房かっつーの」と文句を言いながら、それでも氷炎は白い胸を膨らませて息を吸うと、今度は思い切り息を吐き出す。

その凍てつくように冷たい息は部屋を巡り、一瞬にして温度が下がった。

 

「……アルバス、彼はどなたですか?」

 

先ほどの椅子に座り直し、膝に氷炎を乗せると、彩芽は改めてダンブルドアに尋ねた。

 

「君の保護者じゃよ、アヤメ」

 

答えて、ダンブルドアは困った顔で男を見た。

 

「まさか顔を知らぬとは。セブルス……」

 

「校長」

 

ダンブルドアの言葉を遮って、男は眉間に皺を寄せた。

 

「我輩はまだ、この件に関して納得していません」

 

ぎゅっと口元を引き結ぶ姿を、彩芽はじっと見る。

この男が彩芽の保護者だと、ダンブルドアは言った。

黒髪ではあるが日本人ではないので、祖母の方面の親戚ではない。

かといって、祖父や……父親の親戚でも無いだろう。

では誰か、と考えて、彩芽には1つだけ心当たりがあった。

毎年、クリスマスに送られてくるプレゼント。

そこに添えられた「メリークリスマス」だけのそっけないカードに書かれた署名。

 

「貴方は……S.S?」

 

彩芽の言葉に、2人は目を向けた。

 

「さよう、セブルス・スネイプが我輩の名だ」

 

男は眉間だけではなく、鼻にも皺を寄せて答えた。

 

「真に不本意ではあるが……貴様の保護者、後見人という事になっている」

 

「セブルス・スネイプ……セブルス……」

 

彩芽は名前を反芻した。

……その名前を聞いたことがある。

 

「呼び捨てとは随分ですな。我輩と君は概ね初対面だ。ミスター・スネイプと……」

 

「セブルスと呼ぶが良い。君の保護者なのだから……のう?」

 

ダンブルドアに強くそう言われ、スネイプはむっつり黙った。

彩芽は少し考え、ああ、と思い出した。

 

「ミスター・スネイプ、貴方は私を助けてくださった方ですね?ヴォルデモートに囚われていた身重の母を、逃がしてくださったと……祖母が感謝を述べておりました」

 

スネイプは彩芽を見る。

 

「それと、毎年プレゼントをありがとうございます。今までお礼を言えず、申し訳ございません」

 

膝の氷炎を下ろして立ち上がり、深く礼をする彩芽。

スネイプはそれを訝しげに見ていたが、ふと隣のダンブルドアが非難の目で自分を見ている事に気付き、ゴホンとひとつ咳をした。

 

「プレゼントの件は構わん、いちいち礼を言われるのも面倒だったので、わざと返事を出せないよう我輩自身がやった事。……それと、セブルスと呼べ。先ほど校長がそう仰っただろう」

 

「……はい、ありがとうございます、セブルス」

 

顔を上げた彩芽の顔には、何の表情も浮かんでいないようにスネイプは思えた。

何か、違う。

思っていた……想像していた少女と、目の前のこの少女は、あまりにも違った。

 

「ではアヤメ、わしはホグワーツに戻らねばならん。君は荷物をまとめ、明日セブルスと一緒に来るといいじゃろう」

 

想像と現実のギャップに戸惑っていたスネイプは、ダンブルドアのその言葉にぎょっとして振り向いた。

 

「君に話しておかねばならん事もある」

 

スネイプの視線には気付かないのか、ダンブルドアは続ける。

 

「そうそう、君の入学にあたってのいくつかのお願いじゃが……」

 

ダンブルドアは立ち上がり、両手を広げてにっこりと笑った。

 

「全て、許可しよう」

 

スネイプの抗議の声が聞こえたかどうか、ダンブルドアは言い終わると大きな音と共にあっという間にその場から消えた。

どうやらスネイプにとっても、ダンブルドアのこの行動は予想外であったらしい。

彩芽も、明日イギリスへ行かなければならないという事に、当然戸惑っていた。

急過ぎる話だ。

 

「西洋人って、全員あんな自己中なのか?」

 

うんざりという声で氷炎が呟く。

失礼極まりない発言だが、その言葉は彩芽にしか通じない。

能力のある者ならば、氷炎の鳴き声が意味のある言葉に聞こえるが、そうでなければ「きゅーきゅー」としか聞こえない。

それでも、失礼だと感じた彩芽は氷炎の頭をぺしっと叩く。

 

「全く、全く持って不本意だが……!!」

 

憤死しそうなスネイプが、彩芽に今日は一泊して、明日イギリスへ向かうと告げる。

なんだか不憫になって、彩芽は頷き、スネイプを早々に客室へと案内してあげた。

 

その足で彩芽は屋敷を回り、必要と思われる荷物を纏めていく。

全く詳しい説明がないため、どこまで用意すればいいのか分からない。

以前、葛葉からホグワーツの事は聞いた事がある。

話の通りならば、入学までまだ2ヶ月弱ほどの時間があるはずだ。

その間、ずっと向こうにいるのか、それともこっちに戻って来るのか。

向こうにいるとして、どこに泊まるのか。

日用品はあるのか、洗濯できる環境なのか……などなどなど。

聞いておきたい事は山ほどあるが、先ほどのスネイプを思い出し、ようやく落ち着いた彼の手を煩わせるのは止めようと思う。

彩芽は寝る場所はある状況、という設定で荷造りを進めた。

 

 

 

 

「姿現しという魔法を使う」

 

夕食の席。

鯛やヒラメとまではいかないが、そこそこ見栄えのする夕食を用意してスネイプを呼んだ彩芽。

焼き魚やお浸し、吸い物や煮物といった純和食を前に戸惑うスネイプだったが、ゆっくりと口をつけていく。

煮物の芋をフォークに刺して、そこでようやく喋ったのが先の言葉だった。

 

「私の方で、何か準備をすることはありますか?」

 

「ない。お前はただ、我輩にくっついていればいい」

 

「はい、分りました」

 

彩芽の返事にスネイプは眉を寄せ、しかし何も言わず芋を口に運ぶ。

その後も淡々と無言のまま食事は進み、なんの会話もないまま終わった。

その様子を見ていた氷炎は深々と息を吐く。

前途多難。

それしか思い浮かばなかった。

 

 

 

日本からイギリスまでは遠いため、姿現しを何度か続けてその距離を移動する。

荷物をまとめた彩芽を連れ、スネイプはホグワーツへと向かう。

姿現しは失敗すると大変な事になるため、少しでも暴れるようであれば用意してきた『眠り薬』を使うことも考えていたスネイプ。

しかし、大人しく言う事を聞く彩芽にそれを与える必要はなさそうだ。

 

こやつの母親であれば……。

 

スネイプは考えかけた事を、軽く頭を振って追いやった。

1日接してみて、スネイプは自分の想像は誤りであったと認めた。

この少女は、がさつで、暴力的で、上から目線のトラブルメーカーとは全く似なかったらしい。

言われた通り、大人しくスネイプの腕に掴まっている彩芽をマントで包み、姿現しをする。

 

スネイプが何回目かの姿現しの後、ずっとマントに包んで抱いていた彩芽を離すと、少女はパチパチと目を瞬かせた。

もう終わったのかと問いた気にスネイプを見上げる少女は小さく、本当に11歳なのかと疑う程だった。

だが、その顔は整っていて美しい。

まだ幼さが残るものの、無表情で固定されているため、あどけなさは感じられない。

騒ぐこともなく大人しく次の指示を待っている彩芽。

 

夜に出発したのだが、時差のためこちらはまだ日が高い。

ホグワーツに直接姿現し出来ないため、一旦ホグズミードへ寄ってから徒歩での移動になるが、歩くのに不都合はなかった。

 

「着いてきたまえ」

 

歩き出したスネイプを追って、彩芽も歩き出す。

荷物はかつて、母の撫子が使っていたらしいトランクに詰めてきた。

空間を広げる魔法がかかっているらしく、見た目に反してかなりのものが詰め込めた。

トランクの表面にはホグワーツの校章と思しきシールが貼ってあり、擦れや、ぶつけた跡が目立つ。

赤と黄色の派手なツートンカラーの見た目は全く趣味ではないが、何事も利便性が大切だ。

 

引きずらないようトランクを持ち上げた彩芽だったが、服と必要な道具一式の詰まったそれは、普通に重い。

見た目より詰まっているので、なおさらだ。

彩芽はスタスタと遠ざかっていくスネイプを見た後、トランクに向かってヒトガタに切った紙を放つ。

それは音もなくするりと飛んでトランクの下に入り込むと、ごくわずかにトランクを浮かした。

あとは軽く手を添えて歩けば、彩芽が自力で押している様に見える。

 

「いいのか?こんな往来で」

 

今の今まで黙りこくっていた氷炎が、彩芽の首にマフラーのように巻きついた状態で喋った。

彩芽はそれに微かに頷く。

 

「ここに、大叔父様や愉快な親戚がいると思う?」

 

氷炎は返事をしなかった。

かわりに、ニヤリと口の端を上げる。

西洋の魔法使いに彩芽の行動の意味は分からないだろうし、隠さなければいけない理由の最たるものである陰陽寮の奴らや親族の陰陽師たちは、イギリスになどいない。

鎖国が長かった日本の陰陽師たちは、現代においても他の国の魔法使いたちとは一線を引いている。

特に西洋の魔法使いとは相性が良くないのか、よっぽどのことがない限り連絡を取り合う事もない。

『バテレン手品』と西洋の魔法を批判する声も少なくはないし、その筆頭が他でもない彩芽の親族だ。

 

「目立つ術は使わないけれど、これくらいの楽はしたい」

 

言って、彩芽は一切こちらを振り返らずにぐんぐん遠ざかるスネイプの背を追いかけた。

 

 




◇陰険セブルス×コミュ障彩芽=楽しく会話が弾むわけがなかった。
真っ白でふわふわな白イタチ風の氷炎は、イタチが数百年生きてテンとなった妖怪。実際のイタチより耳が大きく尻尾が長くてふさふさしている。
黒いローブに白い抜け毛はさぞ目立ちそう……と思ったのは内緒だ。
氷と火の術を操るので、彩芽は氷炎と名付けた。ザ・安直ネーミング。作者はノロイとどっちがいいかちょっと迷ったが◇


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ダンブルドアとの会話

◇セブルス・スネイプの受難、でも良かった(サブタイトル)◇


城、としか言いようのないその場所……ホグワーツ魔法魔術学校に辿り着くころには、彩芽は汗ばんでいた。

途中で知り合いらしい人物に声をかけられたスネイプが、その後さらに歩く速度を上げたせいだ。

向こうは競歩かもしれないが、コンパスが全く違う彩芽にはその速度は速過ぎる。

おかげで彩芽は、ここまでずっと走り続けるはめになった。

 

「あら、セブルス……」

 

大きな入り口に着くなり、青竹色のローブを着た背の高い女性がスネイプを見つけた。

そして何かを言う前に彩芽の姿に気付き、ハッとしてスネイプを見つめた。

 

「セブルスあなた……まさかとは思いますが、この子は……」

 

「彼女はミス・ミナヅキだ。我輩は校長を探している」

 

女性が言い終わる前に、スネイプはピシャリとそう言った。

 

「ミナヅキ?」

 

女性は再び彩芽を見た。

そして次の瞬間、あっと声を上げて口を押さえると、スネイプと彩芽を交互に見た。

彩芽はその様子を不思議に思うが、隣に立つスネイプの機嫌が悪くなっていくのを感じ、彩芽はその女性に頭を下げた。

 

「初めまして。彩芽、と呼んでください」

 

苗字は先ほど紹介されたので省略して自己紹介すると、女性はスッと背筋を伸ばして自分も自己紹介した。

 

「私はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツで変身術を教えています」

 

マクゴナガルは祖母と同じ、厳格そうな雰囲気を持っていた。

しかし四角い眼鏡の向こうの目は、優しげに彩芽を見つめたが。

 

「ところでアヤメ、あなたのお父様とお母様は……」

 

「早かったの、アヤメ」

 

マクゴナガルが言いかけたが、ダンブルドアが現れたので言葉は中断された。

 

「セブルス、ご苦労じゃった。しばらく部屋で休むがよい」

 

スネイプは眉を寄せて何か言いたそうにしたが、そのまま軽く頭を下げて去っていった。

 

「ミネルバ、話は夕食の席でするのが良いじゃろう。わしは少し、この子に用があるのじゃ」

 

マクゴナガルは彩芽を見た後、ダンブルドアに頷いた。

 

「ええ、そういたしますわ」

 

 

 

ダンブルドアが彩芽を連れてやってきたのは、石像の前だった。

石像……ガーゴイルの前で、ダンブルドアは立ち止まって口を開いた。

 

「こんぺいとう!」

 

いきなり出たお菓子の名前に、彩芽はダンブルドアを見上げた。

と、石の像だったガーゴイルが、突然命を吹き込まれたかのように動き、ピョンとその場を離れる。

そして今までガーゴイルが立っていた場所の壁が左右に開き、中へどうぞと言わんばかりに階段が現れた。

さっきの「こんぺいとう」は合言葉の様だ。

 

「わしは甘いものが好きでの、クズハが時々わしに日本のお菓子を送ってくれたんじゃ」

 

にこにこ話しながら、ダンブルドアは階段に足を踏み入れた。

彩芽もそれに倣う。

階段はらせん状になっており、しかも自動で上に動く仕掛けだった。

 

「中でもこんぺいとうは、わしのお気に入りの1つでな」

 

喋るダンブルドアの声に混ざって、背後で入って来た壁が閉まる音がした。

上へ上へとくるくる回り続け、グリフィンのノッカーがついた扉の前で、彩芽はようやく自動階段から下りる事ができた。

ダンブルドアが扉を開けると、中は酷くごちゃついていた。

壁には不規則な並びで肖像画がかけられ、部屋は丸く、機能的でないデザイン重視の家具が置かれ、魔法の道具と思われるものがあちらこちらに並べられ、置かれていた。

首に巻き付いた氷炎から、嫌そうな鼻息が聞こえる。

 

彩芽は氷炎の気持ちに共感しつつも、そんな素振りはおくびにも出さず部屋の中へと踏み込んだ。

 

「さて、どこに座るかね?わしはこの椅子がおすすめじゃ」

 

ダンブルドアは言いながら、彩芽にクッションが沢山のった低めのソファを指した。

彩芽はそれに従い、ダンブルドアが背もたれの高い椅子に座るのを眺めた。

 

「君はずいぶんと落ち着いておるのう。わしが何故君をここに連れてきたのか……気にはならないのかね?」

 

ダンブルドアは杖をひと振りし、彩芽と自分の前に紅茶のカップを出現させた。

ティーポットが勝手に宙を舞い、2人のカップに湯気の立つ紅茶を注ぐのを見ながら、彩芽は質問に答えた。

 

「父の……ヴォルデモートの事でしょうか」

 

眉1つ動かさず、その名を口にする少女に、ダンブルドアは微笑みを向けた。

 

「アヤメは、クズハからヴォルデモートの事をどこまで聞いておるかね?」

 

ポチャン、と彩芽のカップに角砂糖が1つ飛び込んだ。

 

「かつて魔法界を恐怖と混乱に陥れた、極悪非道な闇の魔法使いだと」

 

言いながら、彩芽はダンブルドアのカップに飛び込んでいく砂糖の数に微かに眉を寄せた。

 

「大勢の人を殺したとも伺いました。少なくとも、私の母と、母の友人であったリリーとその夫を殺害した。そしてリリーの愛で息子のハリー・ポッターは生き残り、ヴォルデモートは姿を消した、と」

 

「まさしく、その通りじゃ」

 

ダンブルドアは頷いた。

 

「ハリー・ポッターの殺害に失敗し、奴は姿を消した。今、魔法界は平和そのものに見える」

 

くるくるとティースプーンがカップを混ぜる。

彩芽はスプーンがひょいと出たのを見て、カップを手に取った。

 

「それでも、まだヴォルデモートの影は濃い。この名を耳にするだけで、いまだに人々は震えるのじゃ。世間では、この名はタブーとされており、『例のあの人』と呼ばれておる。わしはその呼び方は止めるようにと各所に呼びかけておるがの」

 

甘い紅茶を口にしながら、彩芽はつまり、と考えた。

 

「私は、私の父親が誰かという事を、隠す必要はないと思っています。もちろん、言いふらす気もありませんが」

 

先手を打って自分の考えを伝えると、ダンブルドアは首を振った。

 

「もし、君がヴォルデモートの娘だと知れれば、いわれのない中傷を受けるばかりか、命まで狙われかねん」

 

彩芽はその言葉にごく薄くだが口元で笑う。

 

「いまさらですね」

 

生まれながらの霊力の高さゆえに、命なら常に狙われてきた。

日本の魑魅魍魎や妖怪の類には、霊力の高い人間の肉を好むものが多い。

恐らく、イギリスではその危険は減るだろうと思っていたが、ここでも危険が続くというだけの話だ。

首の氷炎が微かに緊張する。

そっと胴を撫でて落ち着かせると、彩芽はダンブルドアを見た。

 

「確かに、真っ向からぶつかって君に勝てる者は多くはない。じゃが、魔法をこれから学ぶ君にとって、未知の方法で攻撃されたらどうじゃ?」

 

それに、と言って、ダンブルドアは豊かに生えた眉尻を下げる。

 

「攻撃してくる者が皆、悪人とは限らないのが1番やっかいなんじゃよ。君自身がどうであれ、あのヴォルデモートの子供は危険な存在だと誰かが言えば、たちまち恐怖は伝染するじゃろう。そうなれば、普段は虫も殺さないような者が、君を殺そうとするかもしれん」

 

ダンブルドアの言葉を聞きながら、彩芽は甘い紅茶を傾けた。

自ら混乱を招くのは良策でないということは良く分かる。

自分の身が危険に晒される事に抵抗はないが、他人をむやみに恐怖させるのは良くないというダンブルドアの意見に彩芽は頷いた。

 

「…………分かりました」

 

その姿に、ダンブルドアも頷き返した。

 

 

 

 

夏休み期間は生徒はもちろん、教師も校内に留まっていない。

たまたま新学期の準備で寄っていたマクゴナガルと、ダンブルドアの言いつけで留まっているスネイプ以外の教師は、あと数人いるとの事だった。

しかし夕食は各自部屋で食べるようで、食堂にいるのはダンブルドアとスネイプ、マクゴナガルの3人だけだった。

彩芽はマクゴナガルに、唯一の肉親であった祖母が亡くなり、他に身よりもなく、祖母の友人であるダンブルドアを頼り、現在は後見人であるスネイプの世話になっていると伝えた。

ダンブルドアの助言により、父親が誰かは分からない、という事で通す事にした。

マクゴナガルは一応それを信じたようだったが、時折何か言いたげにスネイプを見るので、スネイプの眉間にはくっきりと皺が刻まれたままだった。

 

「ところで校長、新学期が始まるまでずっと、こやつをここに置いておくつもりですか?」

 

彩芽とマクゴナガルとの会話が一段落すると、スネイプはそうダンブルドアに尋ねた。

 

「おかしな事を聞くのう、セブルス。アヤメの保護者は君じゃ、君がどうするかを決めてあげるべきではないかね?」

 

その答えに、スネイプはぎゅっと眉間の皺をさらに深くする。

 

「……お言葉ですが、彼女をここへ連れてくるよう命じたのは校長、貴方ですが」

 

「そうとも、わしはアヤメに話があったのじゃ」

 

ダンブルドアは頷いた。

 

「そしてそれはもう終わった。後は、保護者である君が決めてあげるのがよかろう」

 

にこにことそう言われ、スネイプは彩芽を見た。

首に巻きついたふわふわの毛並みを撫でながら、じっとテーブルの上を眺める少女。

スネイプの視線に気付き、彩芽は見上げた。

嫌だとも、嬉しいとも言わない、ただ黒いだけのその瞳に、スネイプは鼻の皺も寄せる。

 

「どちらにせよ、今日はもう遅いからの。アヤメはセブルスの部屋に泊まるとよい」

 

「校長!」

 

まさか、とダンブルドアに抗議の目を向けるスネイプ。

その様子に、心配そうに事の成り行きを見ていたマクゴナガルも加勢する。

 

「よければ、私の部屋に泊まっても構いませんよ?」

 

「セブルスの部屋でじゃ、ミネルバ。2人はお互いをもっと知るべきじゃろう……家族なのだから」

 

ダンブルドアの目が彩芽とスネイプに向けられる。

細められたその薄いブルーの瞳は、優しげに見えて、反論は許さないという強い意思が込められていた。

マクゴナガルが心配そうに見つめる中、スネイプは渋々頷くしかなかった。

 

 

 

 

「校長は一体、何を考えているのだ!」

 

食事の後部屋に帰るなり、スネイプは声を荒げた。

よっぽど腹に溜まっていたらしく、ドアを閉める仕草、椅子に腰掛ける様子、全てが荒々しい。

 

「我輩とこいつが家族などと……ッ!!」

 

手で顔を覆って、スネイプは息を吐き出した。

ダンブルドアの考えが全く読めない。

自分が彩芽の保護者……後見人である事は事実だ。

だが、彩芽は日本に暮らし、自分はイギリスにいる。

会う事もなく、ただ名前だけのものだと思っていたのだ。

 

(貴方に、家族をあげる)

 

フフン、と鼻で笑って、勝気にそう告げた女。

馬鹿げていると返した自分に、無理やり子供を抱かせてきた。

あの時手にした小さくて温かな赤ん坊が、今ここにいる。

……家族として。

 

「どこへ行く気だ」

 

スネイプが顔を上げると、彩芽はトランクを手にドアを開けたところだった。

 

「どこか、セブルスの邪魔にならない場所に」

 

返した言葉に熱はなく、見返す瞳にも何の感情も見えない。

ただただ深く黒い瞳に、一瞬昔の自分を思い出す。

 

――彼女に会うまで、どこにも自分の居場所などなかった。

 

「…………ここにいろ」

 

気付くと、スネイプはそう口にしていた。

彩芽が自分をじっと見ている事に気付き、さらに付け加える。

 

「校長に言われた通りにするんだ」

 

別に、情に流されたわけではない。

あくまで校長がそうするよう命じたから泊めるだけの事。

そもそも、彩芽は自分に感情を見せていないのだから、それに流されるはずもない。

 

内心でそう言い繕ってから、スネイプは杖を振って部屋の隅に小さめのベッドを用意した。

そしてそれ以上は自分には関係ないと言わんばかりに、さっさといつも座っているソファへ腰掛けると手近にあった本を引き寄せて開く。

まるでそうすれば、彩芽の存在を意識の外に放り出せるとでも言う様に。

 

彩芽はそんなスネイプの行動を眺めながら、内心首を傾げた。

彼の思考は読みづらい。

自分に対して好意的でないのは明らかなのに、かといって辛くも当たらない。

単に大人の対応なのかと思えば、子供のように不満を口にする。

察して相手の望むように行動しようとすれば、何故かそれを阻む。

 

彩芽は自分用らしきベッドにトランクを上げると、靴を脱いで自分も上がった。

ベッドの上に座り、深緑のカーテンを引いてしまえば、空間は遮断される。

ひとまずはそれで、スネイプもホッとするだろうと彩芽は考えた。

 

「ほーんと、陰気臭いやつだな、あいつ」

 

気を緩めて良いと判断したのか、ずっと首に巻きついたまま微動だにしなかった氷炎が口を開く。

ベッドに下りて肩を鳴らすような仕草で首を振り、堰を切ったように不満を口に出し始める。

 

「大体何なんだよここ、気味悪りぃったらないぜ。バテレンの奴らって何もかも魔法に頼ってんのな。妙な気配ばっかで気が狂いそうだっての」

 

「黙りなさい」

 

小さく囁いて咎めると、氷炎は鼻を鳴らした。

 

「へいへい、ご主人様」

 

ふて腐れて身を丸める氷炎。

静かになった中でその背を撫でていると、聞こえてくるのは物音だけ。

本を捲る紙の音、微かな衣擦れ、呼吸。

この布を隔てた向こうに人がいる。

夜に1人でトイレに行けるようになってから祖母と寝室を別にしていた彩芽にとって、誰かと同じ部屋で寝るというのは久しぶりを通り越してほとんど初めての事に近かった。

 

S.S。

 

毎年届くクリスマスプレゼント。

当然、彩芽は祖母に尋ねた。

誰から、何のプレゼントなのか。

 

「気にする必要はないよ彩芽……」

 

呆れた様な祖母の声。

 

「こういう中途半端が一番困る。会って名のるならともかく、イニシャルのみの、何の説明もないカード。お礼も疑問も、送るなという事かい。撫子はなんだってあんなひねくれた男に……」

 

後半は愚痴。

祖母はともかく、と愚痴を切り上げ首を振った。

 

「使い方も分からない魔法のおもちゃなんか、危なくて使えやしない。暴発はしないだろうけど、処分した方が良いだろうね」

 

言われて彩芽はそれを捨てた。

葛葉がそう言うのであれば、そうするしかない。

勝手に色の変わるペンだとか、触ると綺麗な音のするリボンとか、害のなさそうなものだけは、今も机に仕舞ってあるけれど。

ただ、彩芽はそれを使ったことはなかった。

 

昨日、スネイプが言った事は正しい。

彩芽とスネイプは概ね初対面だ。

その2人がこうして同じ部屋にいるのは、ダンブルドアがそうしろと言ったから。

 

そもそも、入学までまだ日はあり、彩芽はイギリスに来る必要はなかった。

話がある、とダンブルドアは言ったが、そんなものは日本でも出来た事。

 

――ダンブルドアは、一体何を考えているのだろうか。

穏やかそうな見た目に反し、その内はかなりの策士なのだろう。

実を言えば、彩芽には一瞬で日本に帰る方法があった。

それを言い出さなかったのは、ダンブルドアが彩芽をイギリスに留まらせようとしているからだ。

 

どんな思惑があるのか。

彩芽はそれを考えながら、静かに横になって目を閉じた。

 

 

 

 




◇スネイプ教授と彩芽のママンはお友達であって、本当のお父さんとかではない。でも髪の色などもあって並ぶと親子みたいに見え……ません。圧倒的顔面偏差値の違い。ただ、ママンとスネイプが実は出来てるんじゃないか説は当時のホグワーツでは有名でした設定◇


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共同生活

◇彩芽が子供らしくないせいで、スネイプ初めての子育て奮闘記……とはならない◇


翌朝、目が覚めた彩芽は、そっと天蓋のカーテンの隙間から部屋を覗いてみた。

昨日はあのままベッドから出ずに寝たが、いつまでも籠っているわけにはいかない。

とりあえず、早急にトイレにも行きたかった。

 

朝、といってもまだ早朝。

スネイプも眠っているようで、微かに寝息が聞こえる他は静かだ。

起こしてはいけないだろうと、彩芽は静かにベッドから降りた。

氷炎を肩にのせ、足音を立てずにするりと部屋を出る。

 

トイレに寄った後、彩芽は地下の部屋には帰らず、そのまま地上に出た。

丁度日が昇るところで、ホグワーツの敷地が夜から朝に変わるのを眺める。

 

「……綺麗」

 

呟いた彩芽の耳元で、氷炎がフンと息を吐く。

 

「昔見た富士山の朝焼けの方が、よっぽど神秘的だったね」

 

皮肉屋の言葉に、彩芽が尋ねる。

 

「昔って、いつの事?貴方、富士山に行った事あったの?」

 

「……何年か前、テレビで観たんだよ。いつか本物も見るつもりだったけど」

 

悪いか、と言いたげな氷炎に、彩芽は黙ってその毛並みを撫でた。

しばらく撫でられた後、氷炎はポツリと呟く。

 

「覚悟は出来てる。気にすんな」

 

「ごめん」

 

「謝るな。嫌ならこんなとこまでついてきてねぇよ」

 

氷炎はそう言って、彩芽の肩から地面に着地した。

彩芽はそのまま、朝の稽古を始める。

 

父親を、ヴォルデモートを殺す。

それがここに来た目的。

これからその方法を探すわけだが、一つだけ、決定している事がある。

何にせよ、氷炎は死ぬ。

イギリスで彩芽が力を揮うには、ここは気の流れが違い過ぎた。

闇の帝王と恐れられているような相手と戦うには、今のままでは力が足りない。

ではどうするかと考えた時、一番確実な方法は一つだ。

 

氷炎を器に、力を貯めておく。

 

中途半端な術が通じる相手であれば、そのまま氷炎に攻撃させれば済む。

けれど万全を期すのであれば、氷炎を通じて彩芽が全力で術を使う方が良い。

ただそうなれば、十中八九器は壊れ、氷炎は死ぬだろう。

 

息を吐きながら、型の通りに体を動かす彩芽。

幼い頃から続けてきた習慣なので、体は勝手に動く。

葛葉には怒られるだろうが、この朝の稽古で体を動かしながらの考え事は、彩芽の癖だった。

 

「お前さぁ、地球最強にでもなるつもりか?」

 

「……っ!」

 

氷炎の声に、彩芽は突こうとした拳を止めた。

ハッ、ハッ、と短い息を繰り返し、呼吸を整える。

考え事をしていたのに、いつの間にか無心になって時間の感覚が分からなくなっていたらしい。

簡単にやって終わらせるつもりだったのに、気付けば本気でやってしまっていた。

流れてきた汗を袖で拭って氷炎を見ると、彩芽は何事もなかったように歩き出した。

それが照れ隠しだと分かっている氷炎は、くつくつと喉で笑い、後を追う。

 

 

 

地下の部屋に戻ると、スネイプはすでに起きていた。

彩芽が何かを言うより早く、不機嫌そのものな声が地の底から響く。

 

「どこに行っていた」

 

その怒気に、肩の氷炎が体を緊張させた。

彩芽はそれを宥めながら、目の前で怒っている人物を見る。

彩芽には、何故スネイプが怒っているのか分からない。

どう答えるべきか考えるが、どうも彼の望む答えは思いつきそうになかった。

 

「トイレに」

 

「我輩に嘘は通じんぞ」

 

嘘ではない。

それだけが真実という訳でもないが。

だが、スネイプは嘘だという確信があるようだった。

それは何故か。

 

考えて、彩芽は軽く首を振る。

まさかそんな事を、この人がするとは思えない。

だがその考えを否定するように、スネイプは続けた。

 

「もっとも、貴様が一番近いトイレを無視し、二番目に近いトイレも無視して、わざわざ遠くまで足を運んだというならば別だが……もちろん、その場合はきっちりと理由を説明してもらえるのでしょうな?」

 

「…………」

 

つまり、と彩芽は思う。

起きた時、彩芽がいない事に気付いたスネイプは、わざわざトイレまで探しに行ったという事だ。

不思議なものを見るように、彩芽はスネイプを見つめる。

 

母が決めた、彩芽の後見人。

毎年クリスマスにカードとプレゼントをくれたS.S。

でも、一貫して家族であることを拒み、彩芽を迷惑な存在だと思っている。

 

「よもや、我輩に説明出来ない事をやらかしたのではないだろうな?」

 

無言でただ見つめ返すだけの彩芽に、スネイプがイライラとした声をあげる。

彩芽はそれにようやく首を振った。

 

「トイレの後、外で運動を」

 

「運動だと?」

 

スネイプは疑わしげに片眉を上げたが、ふと撫子……彩芽の母親の事を思い出す。

毎朝の日課だと言って、何やら怪しげな武術を練習していた。

グリフィンドールの黒髪の男が、小気味よく投げ飛ばされるのを見て胸が空いたのを覚えている。

よく見れば、目の前の少女は平然としているものの、汗をかいた形跡がある。

 

「ならば最初からそう言え、馬鹿者!」

 

不機嫌に怒鳴り、スネイプは杖を一振りしてタオルを一枚呼び寄せた。

それを彩芽に押し付けると、そのままドアを開ける。

 

「朝食に行く」

 

言うなり、出て行くスネイプ。

彩芽は一瞬考えて、スネイプがドアを閉めなかった意味に気付く。

ついて来いという意味だ。

 

急ぎ追う彩芽の肩で、氷炎は呆れた様に呟く。

 

「すっげぇ偏屈」

 

彩芽はそれにどう答えていいか分からなかった。

 

 

 

 

セブルス・スネイプという人物が、彩芽には分からない。

突き放したかと思えば、放っておくわけでもなく。

大人かと思えば子供の様で、それでいてやはり大人。

 

彩芽はすっかり、どう接していいのかを見失っていた。

 

「なぁ、彩芽、この城すっげぇ気持ち悪い……」

 

嫌そうに言って、氷炎がバシバシと前足で階段を叩く。

その階段はといえば、今まさに彩芽たちを乗せたまま動いていた。

 

「文句言わない」

 

「くっそ、なんなんだよ!あっちもこっちも!」

 

階段が動き終わったのを見計らって歩き出した彩芽を追って、氷炎も続く。

 

「この動くやつ何の意味があるんだよ。あの像の裏の隠し通路も気に食わねぇ!あそこの布のとこにも、なんか隠してる。もーっ、気味わりぃ!」

 

文句を言いながら指摘して歩く氷炎の言葉通り、ホグワーツ内のいたるところに仕掛けがある。

彩芽はここのところ、城のあちこちを探索して回っていた。

いざという時のため、内部の構造について詳しく調べておきたいというのが半分。

後の半分は、スネイプと同じ部屋にいるのがいたたまれないせいだった。

 

最初の日、「我輩は新学期のための準備がある」とスネイプが言ったので、彩芽は大人しくベッドの上に座っていた。

特にすることもないので、大人しく座って、スネイプが魔法薬関係の本を捲るのを見ていたのに、だ。

何時間か後、スネイプはいきなり突っかかって来た。

それは我輩への当てつけか、とかなんとか。

どうもジッと見ていたのが悪かったようだと、彩芽はスネイプの部屋にあった薬学の本を借りて大人しく読むことにした。

そうしたら今度は、そんなゴマすりで我輩の点が甘くなると思っているのか、とかなんとか。

じゃあ、と陰陽術に使う札やヒトガタの予備を作れば、一体それでどんな悪戯をしでかすつもりだと怒る。

 

……どうしろというのか。

 

喉が乾かないのかと聞かれ、乾いていると答えれば怒る。

水筒に水を入れて持ち運べば、不満そう。

喉が渇いたと言えば、面倒だと大げさに言ったうえで紅茶を振舞う。

 

……どうしてほしいのか。

 

分からない。

全然分からない。

理解しようと頑張った彩芽だったが、もう限界だった。

 

そもそもの話、彩芽は他人とコミュニケーションを図るという事が著しく少ない環境で育っている。

親類との顔合わせも、最低限の礼儀を守って一言二言、言葉を交わす程度で、後は葛葉が会話するのを隣で聞いていればよかった。

家族は祖母のみで、普段のお喋りの相手はこの氷炎か、葛葉が使役していた屋敷の式神。

時折、屋敷の近くに住む狸の一家との交流くらい。

屋敷の外にはほぼ出ない彩芽は、人間とほとんど接触がなかった。

――そういうわけで、ここのところは地下を出て、城の探索に興じている。

 

「気にすんなよ、あんな偏屈の事なんてよ」

 

今朝も今朝とて、何故毎日同じ服を着ているのかといちゃもんをつけてきたスネイプを思い出して、氷炎が階段を一段ぴょんと飛び越しながら言った。

ここでの洗濯の仕方も、そもそも着替えが必要な事も教えず連れてきたのは誰だと言いたい。

自分も毎日変わり映えしない服を着ているくせに、と氷炎が返した言葉はもちろんスネイプには理解出来なかったが。

 

「偏屈とか言わない」

 

彩芽もその段を飛び越した。

落とし穴の様な階段など、一体なんの目的で作ったのだろうか。

呆れながら階段を上がりきった先には、ダンブルドアが待っていた。

 

「偏屈というのは、セブルスの事かの?」

 

にっこりと笑みをたたえて尋ねられるが、彩芽はそれには答えない。

注意深く探っていたというわけでもないが、先程まで、誰の気配も感じていなかった。

食えない人というのはダンブルドアの様な人を指すのだろう。

郷に入れば郷に従えの精神で、彩芽はこちらにいる間は氷炎ともこっちの言語で喋っている。

しかし、これからは日本語で喋った方がいいかもしれないと、彩芽は考え直した。

もっとも、この老人ならば日本語さえ習得済みかもしれないが。

 

「それはそうと、丁度良いところへ来た。アヤメに手伝ってほしい事があるのじゃ」

 

「……なんでしょうか」

 

たまたま出くわしたような口ぶりだが、実際は待ち受けていたのではないかと思う彩芽。

ダンブルドアはついて来てほしいと言って、先に立って歩き出す。

 

「こっちじゃ、アヤメ」

 

言われるまま進んだ彩芽が連れられて来たのは、4階の扉の向こうにある廊下。

その廊下にダンブルドアは跪き、仕掛け扉を開いた。

そしてそのまま、ツルンと落ちていった。

 

「じーさん、歳なのに頑張るなぁ」

 

感心したように氷炎が呟く。

彩芽はそれには取り合わず、氷炎を肩にのせると自分も穴に飛び込んだ。

 

「ふむ、せっかく構えておったのに、残念じゃ」

 

しばらく落ちた後、減速してふわりと着地する彩芽に、底で両腕を開いて待っていたダンブルドアが残念そうに呟く。

 

「私が飛べることは、ご存じなのでは?」

 

「もちろんだとも。だがの、頼ってくれても良いんじゃよ?」

 

「……いずれ、機会があれば」

 

素っ気ない彩芽に、ダンブルドアは残念そうに頷く。

 

「こっちじゃ」

 

まだ目的地ではなかったらしく、そのままどんどん奥へと進むダンブルドア。

一番最奥の少し広い部屋まで辿り着くと、ダンブルドアはくるりと回り、彩芽を振り返った。

 

「わしの見立てでは、今年、ヴォルデモートに何らかの動きがあるだろうと思うておる」

 

「……、……」

 

彩芽は口を開いて、閉じた。

表情に乏しい彩芽の顔は、ほんの少し緊張しただけだったが、内心では驚いて声が出ないというのはこういう事かと思っていた。

 

「……いきなりですね。根拠があるのですか?」

 

心の中で深呼吸をし、彩芽はゆっくりと尋ねた。

ヴォルデモートが失脚して姿を消してから、かなりの時間が経つ。

力を蓄え、動き出すのには、確かに十分な時間だろう。

だが、どうして『今年』と言い切れるのか。

 

「根拠はある。何事にも『理由』はあるのじゃ、アヤメ」

 

ダンブルドアは両手を広げてそう告げた。

その理由が何かは、言う気がないらしい。

 

「それで」

 

彩芽は目の前の老人を見る。

 

「私は何をすればいいのでしょうか?」

 

好々爺の様ななりをしているが、本当はどんな人物なのだろうか。

ダンブルドアはいつも、表情や仕草は柔らかくても、瞳は強すぎる光を放っている。

 

「わしは今学期、ここに大切なものを隠す予定じゃ。そして、ヴォルデモートは必ずそれを狙ってくるじゃろう」

 

それは予想ではなく、確信。

彩芽は目を瞑る。

 

今、ダンブルドアは狙ってくると言ったが、正確にはそうではない。

ヴォルデモートはおびき出されるのだ。

ここへ。

ハリー・ポッターのいる、この場所へ。

入り口から階段を少し下る、このすり鉢の様な形状の部屋は、そのために作られたのかもしれない。

 

「ホグワーツの教師達にも、様々な守りを施してもらう予定じゃが……アヤメ、君にもそれを頼みたいのじゃ」

 

ゆっくりと、彩芽は目を開けた。

そう言う事かと、内心で納得しながら。

 

「もちろん、お引き受けします」

 

ダンブルドアはそれに頷き、微笑んだ。

穏やかな、満足そうな顔で。

 

「そう言うと思うておったよ」

 

 

 

 

ダンブルドアといくつか打ち合わせをした後、彩芽は地下のスネイプの部屋へ戻った。

いつも帰る時間より、かなり遅くなってしまった。

ドアをノックするが、返事はない。

しばらく待った後、ドアを開けてみたが、中は無人だった。

 

「先に夕飯食べに行ったんじゃないか?」

 

「そう、ね」

 

ずっと一緒に夕飯を食べていたので、彩芽はてっきり待ちくたびれて怒っているかと思ったのだが。

でも確かに、いつまで経っても帰ってこない人間を待つ義理はないだろう。

少しガッカリしている自分に気付いて、彩芽は驚いた。

それは裏を返せば、待っていて欲しかったと思っているという事だ。

 

部屋に入って、スネイプがいつも座っている椅子に触れてみるが、温かさは欠片もない。

ついさっきまでここに居た、という事もないようだ。

 

「飯に行こうぜ。どーせ口に合わない洋食ばっかだろうけどな。あの偏屈な奴もそこにいるだろうし」

 

氷炎の言葉に頷いて、彩芽は部屋を出る。

ふ、と。

気配を察して廊下の先を見ると、スネイプの姿が見えた。

 

姿を見た瞬間、食べ終わって帰って来たのだと思った。

しかし次の瞬間、違うと分かる。

怒っている。

それもかなり。

 

「セブ……」

 

「この馬鹿者!お前は時計の見かたも知らんのか!」

 

大股でやって来たスネイプに頭ごなしに怒鳴られて、彩芽は混乱した。

 

「どれほど我輩の時間を無駄にさせる気だ!」

 

「あの……」

 

近くで見たスネイプは、服や髪に蜘蛛の巣や埃をくっつけていて、なんとも言い難い格好をしていた。

 

「遅くなるなら遅くなると……いや、そもそも遅くなること自体が間違いだ!今までどういう教育を受けてきた!やはりお前はあいつによく似ている、その規則を規則とも思わない傍若無人っぷりがだ!!当然、覚悟は出来ているのだろうな!」

 

怒鳴り過ぎて、だろう。

肩で息をするスネイプに、彩芽は何と返していいか分からない。

今まで彩芽の保護者だった葛葉は、激昂して怒鳴り散らす事はなかったし、そういう大人に出会った時は、表面上うまく付き合って、後は無視をすればよかったのだ。

だが、彼は自分の保護者。

その相手に無視をするという選択肢はなく、さりとて意味不明の質問の回答も彩芽には思いつかなかった。

 

そんな彩芽の代わりにスネイプに答えたのは、ダンブルドアだった。

 

「セブルス、初めての子育てに張り切るのは良いが……ちと、張り切り過ぎではないかの?わしの部屋まで声が聞こえてきたわい」

 

「……校長」

 

いきなりのダンブルドアの登場で、怒りに染まっていたスネイプの顔にほんの少し冷静さが戻る。

忌々しげに顔を歪め、口を結ぶ。

 

「それにのう、アヤメが遅くなった原因はわしにあるのじゃ。少し話があったので、引き留めておったんじゃよ」

 

「……ですが、それと時間を守らぬというのは」

 

「もちろんじゃセブルス!約束は守らねばならん」

 

言いかけたスネイプを遮って、ダンブルドアは大げさに言った後、「はて?」と、とぼけた様に髭に手を置いた。

 

「しかしのぅ、彩芽は何時までに帰る、というような約束を、してはいないと言っておったが……」

 

ちら、とスネイプを見る。

 

「そんなにも怒っておるのじゃ、もちろん約束しておったのじゃろう、今日は何時から夕食に行くので、何時までに帰るようにと」

 

もちろん、そんな約束はしていない。

彩芽の見ている前で、スネイプは完全にやり込められていた。

しかしダンブルドアはスネイプに対して意地悪過ぎるんじゃないだろうか。

ギリギリと歯ぎしりでもしそうなスネイプがあまりにも可哀想になって、彩芽は口を開いた。

 

「アルバス、部屋を出るとき急いでいたから、私が約束を聞きそびれただけかもしれません」

 

2人の視線が彩芽に向く。

ダンブルドアは面白そうに頷いた。

 

「そうかもしれんの」

 

「約束など、しておらん……」

 

それを、絞り出すような声でスネイプが否定する。

彩芽はスネイプを見上げた。

黙っていればいいものを、何故正直に言ってしまったのか理解できない。

 

「で、あればじゃ、セブルス。おぬしの言い分は理不尽じゃな」

 

ダンブルドアはあっさりとスネイプに注意すると、これで万事解決だと言いたげに手を打った。

 

「では、皆でディナーに行くとしよう」

 

気まずい雰囲気も物ともせず、ダンブルドアはスネイプに杖を一振りすると、そう言って歩き出す。

蜘蛛の巣も埃も消えて綺麗になったスネイプが、もの凄い形相で後に続く。

ダンブルドアは食えない人だし、スネイプは矛盾に溢れていると、彩芽は改めて思った。

 

 

夕食を終えて部屋に戻ると、スネイプは無言で机に向かう。

彩芽はベッドに上がり、隅の方で膝を抱えて大人しくしていた。

しばらくして何かを書き終えたスネイプは、それを彩芽に突き出す。

 

「我輩はお前の母親とは違い、規律を重んじる。我輩を保護者とするのであれば、しっかりと守ってもらおう」

 

羊皮紙を受け取り、彩芽は順番に読む。

起床時間、朝食の時間、昼食の時間、夕食の時間、就寝時間。

まだ乾ききっていないそれを、スネイプはひったくるように彩芽の手から奪い、壁に貼り付ける。

 

「セブルス、起床……」

 

「異論は認めん!!」

 

彩芽の声を遮り、スネイプが怒鳴る。

よほどさっきのが腹に据えかねたらしい。

彩芽は黙って寝ることにした。

規律を守るのは彩芽も好きだ。

ただ、あの起床時間だと朝の運動時間はほとんどとれないな、という事だけが不満点だった。

 

「偏屈で、頑固で、気の短い嫌な奴~」

 

氷炎が鳴いた。

確かに氷炎の言う事は間違っていない。

しかしスネイプは何故あんなにも、彩芽に対して怒り、怯えているのだろう。

内心首を傾げつつ、彩芽は黙って目を閉じた。

 

 

 

 




◇イライラしっぱなしなスネイプ。ダンブルドアは腹黒い。
彩芽がやってる朝の運動は太極拳の套路を祖母の葛葉が柔術などをブレンドしてアレンジしたもの。葛葉が生きて元気だった時は、組手も良くしていた。つまり、痴漢などしたらどうなるか……分かるな?◇


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スネイプと友人の忘れ形見

◇なぜそんなにもイライラしているのか?◇


セブルス・スネイプにとって彩芽は、1年に1度思い出すだけの存在だった。

 

(セブルス、貴方に1番必要なものをあげるわ)

 

クリスマスの季節になると、必ず撫子の声が耳に蘇る。

 

(貴方に、家族をあげる)

 

認めたわけではなかった。

脅されて無理やり後見人にさせられたのだ。

だから会いにも行かなかったし、連絡もさせなかった。

 

ただ、クリスマスだけは。

やたらと撫子の声が幻聴のように響くので、仕方なしにプレゼントを贈った。

でもそれだけだ、自分に家族などいない。

 

ぐっと手に力が入り、書いていた文字が滲む。

気を落ち着かせるためにペンを置くと、スネイプはチラリと部屋の隅に目をやった。

 

膝を抱えて座り、部屋の一点を見つめる少女。

時折ペットだろう、白い生き物を撫でる以外は全く動かない。

この年頃の子供は、本来もっと騒がしいものだ。

毎年、入学して来た1年生の落ち着きのなさにスネイプは辟易している。

彩芽の母親である撫子は、1年の時どころか7年になっても騒がしかった。

じっとしているという事が出来ないのではないかと疑った事すらある。

だが、彩芽は大人しい。

時折、そこにいる事を忘れてしまうくらい存在感がない。

まるで自分を殺しているようなその姿に、幾度となく昔の自分が重なる。

 

違う、とその度に、スネイプは否定した。

 

自分には優しい祖母などいなかった。

その祖母さえ死ななければ、スネイプが彩芽の保護者になる必要もなかったと思うと、その祖母が死んだ事にさえ腹が立つ。

ダンブルドアが後見人の件を知っていたというのも、誤算だった。

恐らく、撫子が自分の死後の事を見越して、ダンブルドアに知らせていたのだろう。

自分が死ぬ事も、ポッター達が息子を残して死ぬ事も……。

 

色々なことが胸を過ぎり、スネイプは拳を机に叩きつけた。

思った以上に大きな音が出て、スネイプは反射的に彩芽に目を向ける。

驚くか、怯えるかしても良さそうな状況で、彩芽はこちらを見てはいたが、しかしその目には何の感情も映ってはいない。

 

「何を見ている」

 

スネイプの言葉に、彩芽は瞬きをする。

長い睫に隠れては現れる、黒い瞳。

スネイプは立ち上がり、ベッドの前に立つ。

ベッドの上に座った彩芽は小さかった。

見下ろすスネイプを、黙ったまま見上げている。

撫子も整った顔をしていたが、彩芽のそれは無表情も相まって酷く際立っていた。

黒く艶やかな長い髪。

高くはないが筋の通った鼻と、血色良く色づく赤い唇。

日本人にしては白い肌が、それらの色をさらに引き立てていて。

見れば見るほど、スネイプの中で何かが膨れ上がる。

 

「何を、見ていると、聞いているのだ」

 

小さな唇が少し動いたが、答えることはなかった。

ただ大きな黒い目が、何の熱も持たないまま、スネイプを映していた。

覗き込めば吸い込まれる様な深い闇の色をした……。

 

「……ッ、答えろ!」

 

自分でも理解しがたい衝動に動かされ、気付けば手が動いていた。

乾いた音が鳴り、彩芽がベッドに倒れる。

側にいた白い動物が低く唸るのを聞いて、ようやくスネイプの掌にジンと痛みが広がった。

どうやら自分は、この少女の頬を叩いたらしいと気付き、スネイプは慌てた。

 

「……っ」

 

「大丈夫です」

 

薬棚に目を向けたスネイプに、彩芽の落ち着いた声がかかる。

彩芽はそっと身を起こし、頭を下げた。

 

「すみません、何と答えればいいか、分からなくて……」

 

再び見上げてきた彩芽の目には、やはりなんの熱もない。

だがその片頬は、じわりと赤みを帯びている。

 

――痛い、はずだ。

 

スネイプはじっと彩芽を見下ろしながら考える。

 

顔に出ていないだけで、頬は痛いはずだ。

ただ、それを表に出していないだけで。

 

スネイプは自分の頬も打たれた気がした。

惨めな自分を思い出した。

心を閉ざした黒い目は、昔の自分によく似ている。

だが、それが理由ではない。

 

……撫子。

 

会ったことはなかったが、あいつの子供であれば、似ているのだろうと思っていたのだ。

想像の中の少女は悪戯の道具でポケットを満たし、気に入らない人間にはクソ爆弾を投げつけ、大笑いしながら口いっぱいに行儀悪くパイを頬張る子供だった。

なのに実際に目の前にいる少女は似ていない。

性格、行動、口調……。

他にも、挙げればキリがないほどの相違点。

それがどういうことか、考えないわけではなかった。

 

彩芽を撫子の子供だと紹介すれば、撫子を知っている人間は納得するだろう。

性格も行動も言動も、内面が似ていなくても、黒い髪で黒い瞳の日本人。

似ていると、言う人間もいるかもしれない。

 

――だが。

スネイプはヴォルデモートがまだ美しい美青年であった頃の顔を知っていた。

その顔を知る者にとって、彩芽が父親と母親、どちらに似ているかなど、一目瞭然。

 

黒い瞳と黒い髪。

その色は同じだが、つねにくせっ毛で悩んでいた撫子と違い、彩芽の髪は綺麗なストレート。

いつでも強い光を湛えていた、感情をそのまま映し出すような、撫子の黒い瞳。

それに反して、感情を感じさせない静かな彩芽の瞳。

それは母親である撫子ではなく、父親の瞳を思い出させる。

ヴォルデモート卿は感情激しい人物だが、興味がないものに対してはどこまでも冷酷だった。

それはかつて、任務中に死喰い人の記憶の中で見た……弄る事すら面倒だと、興味も必要もなくなった部下に死の呪文を向ける、若かりし頃のヴォルデモートの暗い瞳に似ていたのだ。

 

「……セブルス?」

 

呼びかけられて、スネイプはハッとする。

小首を傾げてこちらを窺う彩芽の目。

スネイプは、無意識にヴォルデモートを重ねていた事にようやく気付いた。

彩芽を見る度に膨れ上がる感情……その正体は、恐怖だ。

 

「…………すまなかった」

 

「いえ、こちらこそ」

 

淡々と言って、彩芽はペコリと頭を下げる。

 

「おやすみなさい」

 

そして何事もなかったように、カーテンを引く。

カーテンの向こうでキューキューとペットの鳴き声が聞こえたが、それもすぐに止む。

スネイプが時計を見れば、丁度自分の決めた就寝時間。

 

自分は彩芽に、規則を破り、騒ぎ立て、悪戯をする事を望んでいたのだと気付き、スネイプは深くため息を吐いた。

そうすれば撫子に似ていると納得できたから。

 

(大丈夫よ、私に似て良い子に育つから)

 

どこがお前に似ているのだ、と。

思い出の中の迷惑な女に問う。

 

(この子は愛されて育つの。うんと甘やかされて育つのよ。あたしと、ママと、それからセブルス、貴方にもね)

 

嘘を言うなと、スネイプは拳を握った。

 

 

――愛されて育った子供は、あんな目をしないだろう、馬鹿者が……。

 

 

 

 

 

翌朝、彩芽は何とも言い難い臭いで目が覚めた。

 

「薬の臭い?」

 

ポツリと呟いた彩芽に、氷炎が答える。

 

「鼻が曲がりそう……」

 

スネイプは魔法薬学の教授だ。

初めて部屋に入った時から、常に薬品の様な臭いはしていたが……。

 

体を起こした彩芽の目の前で、シャッとカーテンが開かれる。

 

「起きていたのか」

 

片手に木の器を持ったスネイプが、むっつりと立っていた。

昨夜も十分に意味不明だったが、朝起きぬけの予想外の事に、彩芽はついていけない。

何事かと尋ねようとした瞬間、スネイプは木の器に手を突っ込み、指先にどろっとしたものをすくう。

そして無言で彩芽の片頬に、それを塗りたくった。

 

「……っん」

 

部屋に充満した臭いの元はこれだったのかと、彩芽は生ぬるいどろどろしたものが塗られていくのを目を瞑って耐える。

そもそも、目にも刺激が強いので、開けていられない。

頬の隣が鼻なので、もろに臭い。

 

「5分したら、顔を洗え」

 

言い終えて、スネイプは部屋を出る。

手を洗いに行くのだろうと彩芽は思った。

 

常識的に考えれば、これは薬だろう。

昨日叩かれた時、体ごと倒して力を受け流したので、そんなに大した衝撃ではなかったし、正直もう痛くはないのだが。

 

「自分で叩いて自分で治療するって、あいつ何がしたいんだ?」

 

鼻を布団にうずめた氷炎が、くぐもった声で呻いた。

 

 

 

それ以降、スネイプの行動は以前に増して理解しがたくなったと、彩芽は思った。

睨まれたり、怒鳴られたりという事が少なくなったかと思えば、妙に色々な事を尋ねられる。

 

「入学の準備は出来ているのか?」

 

「いえ、まだ何も」

 

今は7月の後半。

新学期の9月1日までは、まだまだ時間がある。

 

「では必要なものを買って来い。大鍋と薬瓶は、我輩のをやろう」

 

言われて、彩芽は目を瞬かせた。

 

「ありがとうございます」

 

頬を叩かれて以降、スネイプは色々なものをくれるようにもなった。

もっとも、手に溢れるビーンズやキャンディを彩芽が喜んでいるかは微妙だったが。

彩芽は一度、どうしてくれるのかを尋ねたことがあるが、その時スネイプは「我輩は、他に方法を知らん」と一言答えただけだった。

 

「ダイアゴン横丁まではフルパウダーを使え。お前はこちらの金貨を持っていないだろう、仕方がないので……」

 

「大丈夫です、グリンゴッツに金庫があるので」

 

多分残高もあるはずです、と彩芽は心で付け加える。

いくら入っているのかは知らないが、新学期に必要なものが買える程度はあると思いたい。

すでにかなりの負担を強いている様だし、その上、金銭的なものまで負担をかけたくはなかった。

 

「それと、ダイアゴン横丁にはアルバスに連れていってもらう約束をしました」

 

まだしばらく行く気はなかったが、先日ダンブルドアから持ちかけられたのだ。

ロンドンに行く用事があるので、その日になら途中まで連れて行ってくれると。

それなら、わざわざスネイプの手を煩わせなくとも良いと、彩芽は二つ返事で頷いていた。

 

「…………勝手にしろ」

 

スネイプはぶっきらぼうにそう言うと、彩芽に背を向けてしまった。

喜ぶだろうと思っていた彩芽は、その態度に首を傾げる。

 

「お前と一緒にショッピングしたかったんじゃね?」

 

氷炎の言葉に、まさか、と彩芽は一蹴した。

一緒にいるところを見られるのをスネイプは嫌がるのだ、その可能性はない。

 

翌朝、ダンブルドアに連れられてロンドンに出かける瞬間も、スネイプはむっつりと黙ったままだった。

彩芽は自分が何かしただろうかと不安に思いながら、行ってきますと部屋を後にした。

 

 




◇彩芽たんはパパ似。スネイプは自身が愛されて育てられた経験がないため、どうやれば甘やかすことが出来るのか分からない不器用さん◇


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ダイアゴン横丁

◇ようやく本編……ハリーとの絡みです

誤字報告ありがとうございます。修正しました◇


「『漏れ鍋』……ここに間違いなさそうね」

 

イギリス、ロンドンの街中。

ダンブルドアと別れて5分ほどだった。

手に持ったメモと照らし合わせて、彩芽はそう呟く。

 

「ここじゃなかったら、むしろ詐欺だね。空間が捻じ曲がってる場所なんて、そうそう作るもんじゃないよ全く」

 

氷炎がぶつぶつと文句を垂れる。

彩芽は相手にせず、黙って問題の『漏れ鍋』の戸を開けた。

薄暗い店内は、それなりに賑わっていた。

 

扉を開けて入って来た彩芽に顔を向ける人間もいたが、基本的には皆、それぞれの話に夢中の様だ。

彩芽の顔を見た客は、その容姿に視線を外せなくなるが、彩芽は気にすることなく店の中を進んだ。

ダンブルドアからもらったメモを頼りに、店の外の赤いレンガ塀の前までたどり着く。

しかし、そこからが問題だった。

 

「意味が分からない」

 

彩芽の言葉に、肩の上の氷炎もメモを覗き込む。

メモには目の前のレンガと同じ絵が描かれていて、魔法で動いているらしい棒の絵が、ふらふらと左右に揺れながらその上を動いている。

 

「棒切れを壁の前で揺らせってことじゃないか?」

 

氷炎の言葉に、彩芽は辺りを見回す。

棒切れなんてどこにも落ちていない。

 

「それか、このメモが間違ってるんじゃねぇの?」

 

「まさか」

 

ダンブルドアにもらったものだ、それはないだろう。

じっと見つめていると、棒の動きに規則性がある事に気付いた。

 

「……この棒は杖の事ね」

 

杖を買いに行きたいのに、買いに行くには杖を振れとは。

なんとも理不尽な事だ。

 

「もう、いっそこの壁をブチ破ればいいんじゃねぇ?」

 

「馬鹿言わないで」

 

無茶苦茶な提案をする氷炎を彩芽がたしなめた瞬間。

 

「あの人、いつもあんなに神経質なの?」

 

人の話し声に目を向けると、大男と細っこい男の子が漏れ鍋から出てきたところだった。

向こうも、こっちに気付いて話を止める。

 

「こんにちは」

 

くしゃくしゃの黒髪にメガネをかけた男の子は、彩芽をしげしげと見た後、はっとして赤くなってそう言った。

見た事のないほど彩芽が綺麗だったからだが、さすがに無神経だったと反省する。

 

「……こんにちは」

 

彩芽はそれに挨拶を返して、そして2人を見比べた。

 

「お前さん、こんな所で何しちょる?」

 

もじゃもじゃの髪と髭の大男が、不審そうに彩芽に尋ねる。

その態度に、氷炎はフンと鼻息を吐いた。

お前の方こそ不審なんだよ、と言いたげに。

 

「ダイアゴン横丁に行こうとしたのだけど、入れなくて」

 

彩芽が素直に言ってメモを見せると、大男は目を瞬かせた。

 

「これの何が分からん?そのまんまの意味だろうが」

 

ちょっとどいてろ、と言って、大男が壁の前に進み出る。

「俺の傘はどこだ?」と呟きながら、大男は取り出した傘の先でレンガを数えた。

 

「3つ上がって、横に2つ」

 

大男は傘の先で3度、壁を叩いた。

という事は、あれはこの人の杖らしいと、彩芽は推測する。

もしそれが『有り』ならば、敵の魔法使いが杖を持っていないからと言って油断は禁物という事だ。

ペンや箸、キャンディの棒。

身近な何かに偽装可能という事だからだ。

 

「ハリー、ちょっとどいてろよ。お前さんもだ」

 

彩芽は大男の言葉に従いながら、ハリーと呼ばれた男の子の方をチラリと見る。

最初に見た時から、彩芽はその男の子が誰なのかに気付いていた。

 

ゴゴゴゴと壁が震え、真ん中に穴が開く。

見ている間にそれは広がり、あっという間にアーチ型の入り口が現れた。

ハリーはあんぐりと口を開けて驚き、彩芽は無表情のまま、内心派手な演出に驚いていた。

 

「ダイアゴン横丁へようこそ」

 

大男はニコーッと笑ってそう言って。

 

「本当、バテレンの奴らって派手好きだよな」

 

呆れた声が、彩芽の耳元でため息を吐いた。

 

 

石畳の通りに、所狭しと並ぶ様々な店。

賑やかなそれに目を奪われながら、彩芽とハリーは大男の後を追ってダイアゴン横丁に足を踏み入れる。

アーチは潜り抜けると、ひとりでに閉じていった。

 

「ありがとうございます、助かりました」

 

彩芽は大男の方へ軽く頭を下げる。

 

「いや、気にするこっちゃねぇ。ついでだ」

 

大男は手を軽く左右に振ってそう言った。

 

「ところでお前さん、東洋人だな?」

 

「ええ、日本人です」

 

頷いて、彩芽は付け加える。

 

「今年からホグワーツに入学するので、その買い物に」

 

「ええ!君もホグワーツに入るの?!」

 

ハリーがそう叫んで、慌てて口を押さえる。

 

「あの、僕もそうなんだ……」

 

「……そう、よろしく」

 

彩芽が手を出すと、ハリーはちょっと戸惑ってから、嬉しそうにその手を握り返した。

 

「僕はハリー。ハリー・ポッター」

 

「私は水無月彩芽。……彩芽がファーストネーム」

 

「じゃあアヤメって呼んでも良い?」

 

彩芽はハリーに頷いて、大男の方を見る。

 

「俺はルビウス・ハグリッドだ」

 

「ハグリッドは、ホグワーツで働いてるんだ」

 

「そう、よろしく」

 

彩芽はハグリッドとも握手をして、ハグリッドの視線が肩に注がれているのに気付いた。

 

「これは氷炎」

 

ぐいと無造作に掴んで、ブラリとハグリッドの目の前に突き出す。

ハグリッドはうーむと喉の辺りで唸りながら、氷炎を観察した。

 

「イタチに似とるが、違うな……ジャービーでもなさそうだ。なんちゅう動物だ?」

 

彩芽はそれには答えずに、肩に氷炎を戻す。

氷炎はブルっと体を1つ震わせて、彩芽を一睨みした。

 

「ねえハグリッド、僕達これからどうするの?」

 

ぶつぶつ言いながらまだ氷炎を見ているハグリッドに、ハリーはそう声をかける。

 

「ん、あぁ、そうだったな!」

 

ハグリッドはようやく自分達が何をしに来たのか思い出して氷炎から目を離した。

 

「まずは金を取ってこんとなんにも出来ん」

 

言ってから、ハグリッドは彩芽を見る。

 

「アヤメ、お前さんは?」

 

「……私も、まずは銀行に行かないと」

 

「なら俺達と一緒に行けばいい。ダイアゴン横丁は初めてだろ?案内してやろう」

 

ハグリッドの言葉に、彩芽は頷いた。

 

「お願いします」

 

右も左もわからない場所で、必要なものを正確に揃えるのは困難だと感じていた彩芽にとって、正直それは願ってもない申し出だった。

ハリーは一緒に回れると分かって、嬉しそうに笑う。

 

グリンゴッツ銀行は、ダイアゴン横丁の中でも一際高い建物だった。

真っ白なその建物は、横丁のどこにいても見つけられそうだ。

白い階段を上りながら、ハリーとハグリッドはひそひそと話す。

 

「ねぇ、ハグリッド、あれって……」

 

「そうだハリー。あれが小鬼だ」

 

ブロンズの扉の両脇に控えた、赤と金の制服を着た小鬼。

日本の小鬼とフォルムは似ているが、こちらの小鬼の方が狡賢そうな顔をしていると彩芽は思った。

 

入り口の中には2つ目の扉。

こちらは銀の扉で、盗人に向けての警告のメッセージが刻まれていた。

それを過ぎると、ようやく広いホールに入る。

大理石の床に、細長いカウンター。

カウンターの向こうには小鬼が大勢働いていて、コインや宝石を調べたり、帳簿をつけたりしている。

小鬼の数はざっと見ただけでも100以上。

真正面から強盗に入るのは、まず無謀と言えるだろう。

 

ハグリッドはハリーと彩芽を連れて、カウンターに近づく。

そしてそこにいた小鬼に「おはよう」と声をかけた。

 

「ハリー・ポッターさんの金庫から金を取りに来たんだが」

 

「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」

 

小鬼がすぐさまそう返す。

ハグリッドはそれに、ポケットの中身をぶちまけて探し、小さな金の鍵を小鬼に渡した。

ポケットから出てきたビスケットのカスを、帳簿の上から払い除けていた小鬼は、それを受け取って慎重に調べた。

 

「いいでしょう」

 

ようやく小鬼が本物と認めたところで、ハグリッドは「それと」と付け足した。

 

「ダンブルドア教授からの手紙だ。713番金庫の、例の物についてだ」

 

胸を張って、重々しい口調で言うハグリッド。

手紙を小鬼に渡すその姿を見て、彩芽は嵌められたと思った。

ハリーと会った時点で薄々感じてはいたが、これで決定だ。

今日、ダイアゴン横丁でハリーと会ったのは偶然ではなく、ダンブルドアの計らいだったのだ。

 

そもそも、彩芽はハグリッドを知っていた。

ホグワーツ敷地内の禁じられた森付近にある小屋に住んでいる大男。

実際に会って会話をしたのは初めてだが、その存在は他でもない、ダンブルドアから聞いていた。

だがハグリッドの態度を見るに、ダンブルドアはハグリッドに彩芽の存在は告げていないようだ。

 

「ああ、それと、こいつの金庫にも寄りてぇんだが……ほれ、アヤメ、お前さんも鍵を出せ」

 

ハグリッドに促され、彩芽は鍵を渡す。

小鬼は鍵を見て、彩芽を見て、そして頷いた。

 

「いいでしょう、では……グリップフック!」

 

グリップフックと呼ばれた小鬼が、金庫まで案内をしてくれるようだ。

ハリーはさっきの713番金庫の件が気になるようだったが、ハグリッドは「極秘だ」との一点張り。

ロビーから扉を出ると、そこは石造りの細い通路になっていた。

松明に照らされた床には、レールがついている。

グリップフックが口笛を吹くと、トロッコがやって来た。

 

「……全員乗れる?」

 

彩芽は思わず尋ねた。

ハリーとハグリッド、そして案内のグリップフックが乗り込むと、もうぎゅうぎゅう詰めだ。

 

「ご安心ください」

 

グリップフックが言うと同時に、もう1人の小鬼がやってくる。

 

「あなたの金庫は彼が案内いたします」

 

「え、じゃあ……」

 

ハリーが何かを言いかけたが、トロッコは発車した。

グリップフックが運転するトロッコは、ハリーとハグリッドを乗せて、あっという間に見えなくなってしまう。

 

「では、行きましょう」

 

新たにやって来た小鬼が、口笛を吹いて別のトロッコを呼び寄せた。

彩芽は頷いてそれに乗り、首に巻き付いた氷炎を胸に抱き直す。

特に合図もなく、それはもの凄い勢いで動き出した。

 

ジェットコースターも裸足で逃げ出すレベルで、トロッコは猛スピード運転だった。

奥へ奥へと続くレール。

地下洞窟のようなそこは、夏だというのに冷えている。

下には湖らしきものがあり、視界の端にちらりと大きな影が見えた。

 

「うーわー、ドラゴンだぜ」

 

肩から顔を出した氷炎が耳元で呟いた。

一瞬なので詳しくは分からないが、ドラゴンに対しての待遇はあまり良い状態とはいえない。

しばらくしてトロッコは急に止まった。

 

「ここがあなたの金庫です」

 

小鬼がトロッコから降り、彩芽もそれに倣う。

なるほど、これだけ猛スピードで曲がりくねっていれば、普通、自分や他人の金庫の位置を把握できないだろう。

頭上を見上げても暗く、目を凝らしたところでレールや土の天井が見えるばかりで、地上ならどの辺りなのかといった目印になるようなものは一切ない。

 

小鬼が鍵を開け、中を見た彩芽は一瞬目を疑った。

ホグワーツに通えるだけのお金があればいいと思っていたが、予想以上の金額だ。

いや、というか……一生かかっても使い切れない。

高く積まれた金貨が雪崩を起こせば、巻き込まれて死ぬ恐れもあると彩芽は思った。

金貨の山もさることながら、無造作に置かれた美術品も、価値がありそうなものばかり。

 

「すっげーじゃん」

 

「……こんなに必要ない」

 

彩芽はとりあえず必要と思う額をがま口に詰める。

冷静に考えれば、これは恐らく祖父の遺産なのだろう。

魔法界では名の知れた名門の一族だと聞いている。

とっくに亡くなっていたため会ったこともないが、彩芽は心の中で礼を述べておいた。

 

用が済んだ後は、再び超特急トロッコに乗って戻る。

案内してくれた小鬼は、地上に戻ると彩芽に鍵を返して去って行った。

グリンゴッツの出口で待っていると、しばらくしてぐったりとしたハグリッドと、目をぱちぱちさせているハリーが出てきた。

彩芽が2人を見つけると同時に2人も彩芽を見つけ、無事に合流することが出来た。

 

 

 

 

「制服を買いに行かんとな……」

 

再会すると、ハグリッドはそう言った後、申し訳なさそうにハリーと彩芽を見た。

 

「なぁ、2人共。制服は2人で買いに行ってくれねえか?『漏れ鍋』でちょっとだけ元気薬をひっかけてくる。あのトロッコには毎回慣れねえ……」

 

青い顔のハグリッドに、彩芽とハリーは頷く。

ハグリッドは礼を言って、ふらふらと『漏れ鍋』の方へ帰っていった。

 

「君は平気なの?」

 

ハリーはずっと黙ったままの彩芽にそう聞いてみた。

猛スピードで曲がりくねるトロッコは、ハグリッドでなくとも疲れるだろう。

 

「別になんとも」

 

「僕、ハグリッドには悪いけど、ちょっと楽しかった。ジェットコースターみたいだったよね」

 

無邪気にそう言った後、ハリーは今度は声を少し落として彩芽に尋ねる。

 

「ところで、アヤメは何だと思う?ほら、713番金庫」

 

極秘だと言っていたが、ハリーはやはり気になるらしい。

 

「僕の金庫に行った後、713番金庫にも寄ったんだ。すっごく厳重な金庫で、でも中には茶色の紙で包んだ小さな包みしか入ってなかったんだよ。ハグリッドはそれを大事そうにコートにしまってた」

 

それを聞きながら、ハリーでなくとも疑問に思い、興味を持つのは当然のことだと彩芽は思った。

これもダンブルドアの作戦の内なのだろうか。

 

「貴方は何だと思うの?ハリー」

 

ハリーは首を振る。

 

「僕には全く分からないよ……」

 

「……そう、私にも分からないわ」

 

彩芽はそう言って、その話は終わりとばかりにハリーから視線を外した。

 

「ほら、行きましょう」

 

代わりに洋装店に向かって歩き出す。

ハリーはそれに、慌ててついて行った。

 

『マダムマルキンの洋装店』という看板を見付け、2人は扉を開ける。

すぐに藤紫色の服を着た、愛想の良いずんぐりした魔女が飛んできた。

 

「まあまあ、坊ちゃんにお嬢ちゃん。ホグワーツでしょ?」

 

ハリーが口を開きかけたとたん、魔女はそう言った。

 

「さあ、坊ちゃんはこっちへ。お嬢ちゃんは少し待っていてね」

 

言いながら魔女はハリーを台の上に立たせて丈を合わせ始める。

彩芽はそれを、少し離れた場所で見ていた。

 

「やあ、僕は今年ホグワーツに入学なんだ。君たちもだろう?」

 

ハリーの隣で丈を合わせていた男の子が、そう声をかけてきた。

ハリーはどうして彩芽は返事をしないんだろうと思いながら「うん」と頷く。

青白い顔の金髪の男の子は、彩芽の方をちらりと見てからハリーに視線を戻した。

 

「僕の父上は隣で教科書を買ってるし、母上もどこかその先で杖を見てるよ」

 

鼻につく気取ったものの言い方で男の子は続ける。

 

「これから、家族で競技用の箒を見に行くんだ。1年生が箒を持っちゃいけないなんて、誰が決めたんだろうね……」

 

その後も、男の子は同じような調子で話を進めた。

彩芽はじっと突っ立ったままそれを聞くともなしに聞いている。

「クィディッチ」という単語が出たが、彩芽は興味がなかったし、ハリーは何の事か分からない様だった。

 

「見なよ!」

 

男の子が尖ったあごを窓の方にしゃくったので、ハリーは顔を向け、彩芽は目を向ける。

 

「ハグリッドだ!」

 

アイスクリームを両手に持ち、「ここで待ってる」とジェスチャーして笑っているハグリッドに彩芽は小さく会釈する。

 

「ホグワーツで働いてるんだよ」

 

知らないのかとハリーが言うと、男の子は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 

「ああ、要は一種の召使だろ?」

 

「……森の番人だよ」

 

ハリーは明らかに男の子に対して嫌悪感を募らせていた。

 

「へぇ、番人ね。その番人がどうして君達と一緒なんだ?君の両親は?」

 

「死んだよ」

 

男の子の問いかけに、ハリーは短く答える。

 

「おや、悪いね」

 

悪いとは絶対思っていない口ぶりで男の子は謝った。

 

「じゃあ、あの子の両親も?」

 

彩芽の方を指して、男の子は再度尋ねる。

ハリーが口を開く前に、彩芽は自分で答えた。

 

「ええ、……死んだわ」

 

2人はその答えに驚いた顔をして、彩芽を見る。

 

「へぇ、喋れるんだ?」

 

男の子はそう言って彩芽から視線を外してそっぽを向いた。

ずっと言葉が分からないのだと思っていたらしい。

ハリーはまだ、彩芽を見ていた。

まさか彩芽の両親も亡くなってるなんて。

 

「でも、君達の両親も僕らと同族なんだろ?」

 

男の子が、今度はハリーだけじゃなく彩芽にも尋ねる。

彩芽に対しては不審げな目を向けていたが、彩芽は短く「ええ」とだけ頷き、ハリーも「魔法使いと魔女だよ」と答えた。

 

「他の連中は入学させるべきじゃないと思うよ。そう思わないか?」

 

男の子は再び調子を取り戻して話し出す。

ハリーは嫌な顔をして、彩芽は再び聞いているのかいないのか、じっと黙って立っていた。

正直、彩芽はこの男の子に良い感情を抱いていなかった。

喋る内容や口調が、大嫌いだった従兄弟たちを思い浮かばせる。

血筋、血統、一族の誇り……それらを正義だと信じている愚かな考え。

 

「さあ、終わりましたよ、坊ちゃん」

 

マダム・マルキンにそう言われ、ハリーはホッとしたように踏み台から飛び降りる。

男の子との会話にほとほとうんざりしていたらしい。

 

「さあ、次はお嬢ちゃんね」

 

マダムの言葉に、彩芽はポケットから紙を取り出して「そのサイズのものを」と言った。

 

「だけど、これじゃあ大分大きいと思うわよ?」

 

マダムは首を振る。

きちんと測ったわけではないが、目算で考えても不格好な事は目に見えていた。

中の制服は、多少ダブつくくらいで済むだろうが、ローブの大きさは見逃せるものではない。

 

「構わないの、そのサイズで」

 

分かっていると頷かれ、マダムは気にしながらもそのサイズのものを用意する。

プロとして、きちんとしたサイズのものをと思うものの、妙に自信ありげな少女の態度に言い返せない。

 

「じゃ、ホグワーツでまた会おう。たぶんね」

 

会計を終えた彩芽とハリーが店を出る時に、男の子が気取ってそう言いった。

ハリーは曖昧に頷き、彩芽はチラリと視線を送っただけだった。

 

 

 

 

洋装店での男の子との会話は、彩芽を嫌な気分にしたが、ハリーを落ち込ませるのにも充分なものだった。

 

「どうした?」

 

心配したハグリッドに「なんでもない」と答えて、ハリーはアイスを舐める。

そしてチラリと彩芽を見た。

肩に乗せた氷炎にもアイスをわけてやりながら、相変わらず無表情に歩いている。

彼女はどう思っているのだろうかと、ハリーは気になった。

 

「気にしない方が良い」

 

ハリーの視線に気付いて、彩芽がそう言った。

 

「ああいう考えの人もいる。それだけ覚えていれば充分」

 

「何の話だ?」

 

ハグリッドが彩芽にそう尋ねたので、ハリーは慌てて話題を変える。

 

「ねぇ、ハグリッド。クィディッチって何?」

 

「なんと、クィディッチを知らんとは!」

 

「これ以上落ち込ませないでよ」

 

肩を落とすハリーの方をチラリと見て、彩芽はハグリッドに言った。

 

「さっき、洋装店で青白い顔の男の子が色々話していたの」

 

「ほう、どんな事をだ?」

 

ハグリッドが聞きたそうに2人を交互に見る。

彩芽がそれ以上何も言わないので、仕方なくハリーはさっきの事を話した。

 

「……その子が言うには、マグルの家の子はいっさい入学させるべきじゃないんだって」

 

「ハリーはマグルの家の子じゃない!お前が何者なのかそいつが知っていたら……そんな口はきかなかったろうに!」

 

ハグリッドは悔しそうにそう言って、はたと彩芽を見た。

 

「アヤメはハリーの事は……」

 

「知ってるわ」

 

彩芽はハグリッドを見上げて、ほんの少し口元を緩めた。

ハリーはそれを見て、いつも笑っていればいいのにと思う。

もっとも、彩芽は笑っていなくても綺麗だけど。

 

「そう、そうだろうとも。つまりみんながお前さんを知っちょる!それにだ……」

 

彩芽の答えに自信を取り戻したハグリッドは、高らかにそう言ってフンッと豪快に鼻を鳴らした。

 

「大体、そいつに何が分かる。俺の知ってる最高の魔法使いの中には、長いことマグルの家系が続いて、急にその子だけが魔法の力を持ったと言う者もおる……お前の母さんの事だ!」

 

「それで、クィディッチっていうのは?」

 

ハリーが恥ずかしそうにしながら、話題をもとに戻す。

 

「魔法族のスポーツだ」

 

ハグリッドが大雑把に説明するのを、ハリーは面白そうに聞いていた。

その後ホグワーツの寮の話になり、ハリーは自分は落ちこぼれの多いハッフルパフかもしれない、とこぼした。

彩芽は興味なく聞き流していたが、さっきあの嫌味な男の子が『ハッフルパフなんかに決まったら退学する』と言ったのをハリーは気にしているようだ。

 

「スリザリンよりはよっぽどマシだ」

 

急にハグリッドが暗い表情になる。

 

「悪の道に進んだ魔法使いは、みんなスリザリン出身だ。例のあの人も、だ」

 

彩芽はハリーたちの会話を黙って聞いていたが、ハグリッドの言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えた。

スネイプが魔法で出した彩芽のベッドは、グリーンと銀のカラー。

それがスリザリン寮のシンボルカラーであることを、彩芽は知っている。

 

「でも、悪の道に進まないスリザリンの人もいたんでしょう?」

 

「……うむ、まあ、中にはな」

 

ハグリッドは歯切れの悪い返事をした。

 

 

 

 

次に彩芽達はフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で教科書を買った。

リストにある教科書は、大体店に入ってすぐの棚に1年生用、2年生用ときちんと並べられている。

まだ新学期まで少し遠く、そこまで込み合っていなくて助かったと彩芽は思った。

でなければ、このコーナーは新学期の準備に訪れたホグワーツ生でぎゅうぎゅう詰めだっただろう。

 

「アヤメ、俺が持つ。お前さんにゃ重いだろう」

 

「ありがとうハグリッド」

 

荷物を持ってくれたハグリッドに礼を言い、彩芽はハリーがいない事に首を傾げた。

 

「ハリーは?」

 

「まだ中だ。アヤメ、ちょいと見てきてくれ」

 

頷いて、彩芽は店内に戻る。

ハリーは呪いのかけ方と解き方が載った本を夢中で読んでいた。

彩芽はさっさと必要なものを買うと、ハリーを引っ張って外に出る。

 

「僕、どうやってダドリーに呪いをかけたらいいか調べてたんだよ」

 

「ダドリー?」

 

彩芽が聞くと、ハリーは重いため息を吐く。

 

「僕のいとこさ。すっごく嫌な奴なんだ」

 

「……そう」

 

彩芽は心底同情した。

自分の従兄弟たちを思い出したせいだ。

 

「でも、人を呪わば穴二つ、という言葉があるの。相手と刺し違える覚悟でなければ、不用意に呪いに手を出すのはお勧めしない」

 

彩芽の言葉に、ハグリッドは少し引きつつハリーに頷く。

 

「それにな、マグルの世界ではよっぽどのことがない限り魔法は使えん事になっちょる。そもそもハリーにゃ呪いなんてまだ早い。もっと勉強してからだな」

 

2人の言葉に、ハリーは肩を落とした。

 

 

 

 

ハグリッドのおかげで、彩芽はスムーズに買い物を進めることが出来た。

ハリーは純金の大鍋を買いたがったが、ハグリッドはそれを却下した。

代わりに、秤や望遠鏡は良いものを買う。

意外としっかりしていると、彩芽はハグリッドを見直した。

 

「あとは杖だけか……」

 

買い物も一通り終わり、ハグリッドはハリーのリストを調べてそう言った。

 

「おお、そうだ、誕生祝がまだだったな」

 

ハリーはそれに赤くなって「そんなことしなくていいのに……」と呟く。

 

「今日なの、誕生日」

 

ハグリッドに連れられてイーロップふくろう百貨店の前まで来て、彩芽がハリーに尋ねる。

 

「うん。そうなんだ」

 

何故か恥ずかしそうに言うハリーに、彩芽は「そう」と頷いた。

そしてハグリッドの方を向き、「すぐ戻る」とだけ伝えると、くるりと背を向ける。

 

「アヤメっ?!」

 

ハリーはどこへ行くのか聞こうとするが、彩芽はすでに人混みに消えた後だった。

 

「……まぁ、俺達がここにいる事は分かっちょるんだ」

 

ハグリッドは素早い彩芽の行動にあっけにとられながらも、そう言ってハリーを店内に促した。

 

20分後、白いふくろうの入った籠を持って店内から出てきた2人は、包みを持った彩芽を見つけて笑顔で駆け寄った。

 

「店の中に入ってくれば良かったのに」

 

ハリーがそう言うと、彩芽は困ったように頭をちょっと傾けて答える。

 

「あんまり近付くと、ふくろう達が怖がるかもしれないから」

 

何に?とハリーが聞く前に、彩芽は包みをハリーに差し出した。

 

「おめでとう、ハリー」

 

驚いて、ハリーは彩芽をポカンと見た。

 

「ぼ、僕に?」

 

「……誕生日だから」

 

頷きながらそう言われて、ハリーはおずおずとそれを受け取る。

 

「なんだ、ハリーのプレゼントを買いに行っちょったんか」

 

ハグリッドがなるほどと頷いた。

 

「で、何を貰ったんだ、ハリー?」

 

「えっと……」

 

ハリーはその言葉に、包みを開いて中を見る。

出てきたのは、真っ赤な色の手袋のような物だった。

 

「ほお、クィディッチの防具の1つだな。しかもこの色は……」

 

「ハグリッド」

 

彩芽は唇に人差し指を当ててハグリッドを見る。

そこから先は言うなという事らしいと察して、ハグリッドは不思議に思いながらも口を閉じた。

 

「ありがとう、アヤメ!」

 

嬉しそうに礼を言うハリーに、彩芽はちょっとだけ優しげな笑顔を見せる。

ハリーはその笑顔にドキドキして、誤魔化すように聞いてみた。

 

「あの、でも、なんでこれなの?」

 

言ってから、プレゼントに不満があるように聞こえたかもしれないと思ってハリーは慌てて付け加える。

 

「ほら、僕クィディッチの事なんにも知らないし……もちろん、嬉しいんだけど」

 

「大丈夫、必要になるから」

 

「え?」

 

何故そんなにはっきり断言できるのかとハリーが首を傾げる横で、ハグリッドが声を上げた。

 

「さあ、お前さんら。杖を買いに行くぞ!」

 

結局良く分からないまま、ハリーはそれに頷いた。

 

 




◇次回は杖選び。もっと横丁をショッピングさせたかった……けど技量が足らんかった◇


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杖選び

◇もし自分がホグワーツに入学するなら、杖はどの木にして何を入れるか。ハリポタ好きなら誰しもが通る道に違いない◇


「杖はここにかぎる」とハグリッドが2人を連れてきたのは、狭くてみすぼらしい店だった。

 

『オリバンダーの店---紀元前382年創業 高級杖メーカー』

 

扉に剥げかかった金の文字でそう書いてある。

嘘か本当かは別にして、店内は確かに歴史を感じさせた。

細長い箱が天井近くまで積み上げられていて、下手につつけば崩れ落ちてくるのは必至だ。

 

「まもなくお目にかかれると思っていましたよ、ハリー・ポッターさん」

 

店主のオリバンダー老人がゆっくりとそう言うのを、彩芽は一歩退がった所で眺めていた。

ハリーにぴったりとくっついて、ハリーの両親の杖の事を話していたオリバンダーは、ハグリッドに気付くと今度はハグリッドの杖の話をしだす。

それからようやく、彩芽に気付いた。

 

「これはこれは……あなたのお母さんの杖もよく覚えておる。30センチ、桜の木にドラゴンの心臓の琴線。じゃじゃ馬の様な杖じゃったが、あなたのお母さんはそれが気に入られてな」

 

懐かしそうに目を細めるオリバンダーに、ハグリッドは不思議そうな顔をした。

 

「じいさま、アヤメの母親を知ってなさるんかい?」

 

オリバンダーは、ハグリッドに向かってぐるりと目を回してみせた。

 

「お前も知っとるはずじゃ、ルビウス」

 

ハグリッドはそれに眉根を寄せる。

 

「いんや、俺にそんな日本人の知り合いは……いや、そんなまさか……」

 

ハグリッドの彩芽を見る目が、みるみるうちに驚きで真ん丸くなった。

 

「おお、おお!どうして気付かんかった。お前さんの名前を聞いた時に気付くべきだったわい!」

 

ハグリッドは満面の笑顔で彩芽に言った。

 

「ナデシコ!お前さんはナデシコの娘だな!」

 

「ええ」

 

彩芽はそれにいつもの無表情で答える。

 

「母は、水無月撫子。ホグワーツの卒業生だと聞いているわ」

 

その、どこか人事のような言い方にハリーは首を傾げて、そしてハッとなった。

ハグリッドも、バツの悪そうな顔をしている。

 

「あー、悪かった。覚えとらんわな……」

 

「ええ」

 

彩芽は気にした風も無く頷いた。

 

「それよりも、早く杖を買わないと。オリバンダーさんが待ってる」

 

ハリーとハグリッドがオリバンダーを見ると、確かにじっと待っている。

彩芽はその話は終わりとばかりに、杖を物色し始めた。

 

その様子に、オリバンダーはカウンターに戻り、ハリーを手招きして近くに来るよう呼び寄せる。

そして、ポケットから巻尺を取り出して言った。

 

「どちらが杖腕ですかな?」

 

右利きと答えたハリーの右腕だけかと思ったが、あらゆる場所の長さを巻尺で測り始めるオリバンダー。

 

その間も、彼は独特の雰囲気で喋り続ける。

オリバンダーの杖は全て、強力な魔力を持った物を芯に使っているらしい。

ユニコーン、不死鳥、ドラゴン……その、体の一部を。

聞きながら、彩芽は考える。

芯もそれぞれ違うが、杖に使う木も、色々と違うようだ。

ここにあるオリバンダーの杖は、当然ながら西洋の材料で作られているものが大半だろう。

 

――とはいえ、神木で杖を作ったら、罰が当たりそうね。

 

ふと思いついた組み合わせを、彩芽は頭の中で否定する。

だが、面白い。

素材と芯の組み合わせを考えるのは、薬の調合に似ていた。

いつか自分で作ってみようか、などと考えながら、彩芽は魔力を放つ不思議な棒を眺める。

 

ハリーの杖選びにはかなりの時間がかかった。

次から次へと試しては、合わなかった杖が山のように積まれていく。

彩芽はその側で、時々ハリーの試し終わった杖を見ながら新しい箱に触れていた。

 

「必ずピッタリ合うのをお探ししますでな」

 

この難しい客に、オリバンダー老人は嬉しそうな顔をしながら、またもや合わなかった杖をハリーの手からひったくって山の上に積んだ。

 

「さて、次は……」

 

オリバンダー老人はそう呟いて、思いついたように1本の杖を持ってくる。

結果的にその杖は、まるで最初からハリーの物になるのが決まっていたかのように素晴らしい反応を見せた。

ひとしきり素晴らしいと褒めた後で、オリバンダー老人はブツブツと呟く。

 

「不思議じゃ……不思議じゃ……」

 

「あのう、何がそんなに不思議なんですか」

 

たまりかねたハリーがそう聞くと、オリバンダー老人は淡い色の目でハリーを瞬きもなしにじっと見た。

 

「ポッターさん。わしは自分の売った杖はすべて覚えておる」

 

オリバンダー老人は、芝居がかった様子で話し続ける。

彩芽はそれをぼんやりと見ながら、まだ自分の杖を物色していた。

ハリーの杖が『ヴォルデモート』の杖と同じ不死鳥の尾羽を使っている、いわば兄弟杖だと説明して、オリバンダー老人はしきりに関心している。

 

「彩芽」

 

氷炎の声に、次々に箱をなぞる彩芽の指がピタリと止まる。

彩芽も頷き、確信に満ちた声で言った。

 

「あった」

 

ハリーはオリバンダー老人を好きになれない気がしてきたところだったので、会話を終わらせる良い口実が出来たと彩芽のその声に激しく振り返った。

 

「これが私の杖」

 

彩芽は無造作に積まれている箱の1つを指して言った。

 

「ふむ、なるほどなるほど」

 

オリバンダー老人はひょいと箱を抜き取る。

崩れるのではないかと思ったが、不思議と箱は傾いただけだった。

 

「イチイの木……これはこれは。なんとも不思議な」

 

ハリーはハグリッドと顔を見合わせる。

 

「32センチ、不死鳥の涙の結晶……ふむ」

 

彩芽は渡された杖を手に取り、振る。

ふわっと小さな光がいくつか生まれ、爽やかな風と共に部屋を駆け抜けた。

 

「おお、見事じゃ」

 

「それで、この杖は?」

 

褒めるオリバンダー老人に彩芽が尋ねる。

 

「その杖に使われておるイチイの木は……」

 

「『ヴォルデモート』の杖と同じ木?」

 

『ヴォルデモート』の言葉に、オリバンダー老人もハグリッドもぎょっとした様に身じろぎをした。

 

「そう、そうじゃ。同じ木から作られたものじゃ。そして……」

 

「不死鳥は、ハリーとヴォ……」

 

「『名前を言ってはいけないあの人』!そうじゃ、同じ不死鳥の涙を結晶化したものじゃ」

 

『ヴォルデモート』と彩芽が言う前に、オリバンダー老人はそう一息に言い切った。

 

「不思議ね」

 

彩芽はそれだけを言って「いくら?」と尋ねる。

ハリーと彩芽はそれぞれ7ガリオン支払って店を出たが、その間中ずっと、オリバンダー老人は唸りっぱなしだった。

 

 

 

 

 

「私はここに迎えの人が来るから」

 

『漏れ鍋』に戻るなり、彩芽はハリーとハグリッドにそう言った。

 

「うむ……」

 

ハグリッドは唸っている。

店を出てからここまでの間中、ハグリッドが何と言おうと彩芽が『ヴォルデモート』と呼ぶのを止めなかったせいだ。

 

「あの、僕はマグルのところに帰るんだ」

 

ハリーは気まずい雰囲気を何とかしようとそう言った。

 

「そう、残念ね」

 

残念とは思ってなさそうな口ぶりで彩芽はそう言う。

 

「もう少し話してみたかった」

 

にこりともしない。

だが、言ってることは恐らく本心なのだろうとハリーは感じた。

半日だけだったが一緒にいて、ハリーは彩芽はただ思ってることが顔に出ないだけだと気付いていた。

 

「僕もだよ」

 

ハリーがそう言うと、彩芽の口元が少し緩む。

 

「ホグワーツで会いましょう……多分ね?」

 

彩芽が手を差し出す。

最後の気取った言い方は、例の洋装店の男の子の真似をしたのだと分かり、ハリーは噴き出して笑った。

しっかりと彩芽の手を握り返す。

 

 

「うん、9月1日に……またね!」

 

 

 

 

 

ハリーとハグリッドが漏れ鍋を出て行ってしばらくすると、彩芽は荷物を持って来た道を引き返す。

 

「やったなー、お前のお父上様とお揃いの杖じゃん」

 

周囲に誰もいなくなった途端、茶化す様に氷炎が話しかける。

彩芽はそれに、買ったばかりの杖を取り出した。

 

オリバンダーの言っていた、杖が持ち主を選ぶと言う話は、付喪神の様なものかと思ったが違うようだ。

ただ、確かにしっくりと馴染む感覚はある。

イチイの木だと言っていたが、年輪の丁度色の境で削り出したようで、杖は縦半分ではっきりと色が分かれている。

赤い方が年輪の真ん中側、白い方が外側か。

まるで陰陽の太極図のようでもある。

 

「イチイは東北では神木としても使われることがある木。そして不死鳥は東洋では鳳凰、五行で言うところの朱雀に当たる。厳密に同一ではないとしても、……私は気に入ったわ、この杖」

 

「……ま、そう言うと思ったよ」

 

どうでもよさそうに氷炎が相槌を打った。

氷炎にしてみれば、杖などどうでも良い道具だ。

なにせ、こんなものなくとも、彩芽は術を使える。

 

彩芽は杖をしまって、人気のないレンガの塀の前に立った。

待っていたかのように、タイミングよく背後に気配が現れる。

彩芽が振り向くと、予想通りダンブルドアが笑顔で立っていた。

 

「買い物は全て終わったかね?」

 

「いけしゃあしゃあだな、この爺さん」

 

氷炎の悪態に、彩芽も頷く。

ダンブルドアは氷炎の言葉が分からないので、小首を傾げて彩芽の返事を待った。

 

「ええ、終わりました。……偶然居合わせたハリー・ポッターと、ハグリッドと一緒に」

 

「それは何よりじゃ」

 

満足気に、にっこり笑うダンブルドア。

彩芽は皮肉を込めたつもりだったのだが、全く伝わらなかったらしい。

……いや、単に面の皮が厚いだけかも。

 

「さあ、帰ろうか。あまり遅くなるとセブルスが心配するじゃろう」

 

ダンブルドアが両腕を広げる。

スネイプが自分を心配するとは思えなかったが、彩芽は何も言わず素直にダンブルドアに掴まった。

 

 

ホグワーツに着くと、大荷物は先にヒトガタに地下へと運ばせ、彩芽はダンブルドアとゆっくり歩き出す。

 

「その術は実に便利じゃ。どれくらいの重さまで運べるのか、聞いても良いかね?」

 

「ここでなら、アルバス3人分くらいです」

 

ダンブルドアが興味深げに聞いてくるのに、彩芽は適当に答える。

もっとも、彩芽にも本当に分からないのだ。

日本でならダンブルドア100人分だって持ち上げられるだろうが、ここでは制限が多過ぎる。

事前準備なしに咄嗟に持ち上げられる重さ、と考えると、やはりそれくらいか。

 

城の入り口に足を入れたタイミングで、彩芽は隣を歩くダンブルドアに声をかける。

 

「ところで、アルバス」

 

「何かね?」

 

「今日、ハグリッドが貴方から頼まれた713番金庫の物……例の、ヴォルデモートが狙ってくるという大切な物でしょう?」

 

「いかにも」

 

ダンブルドアが頷く。

 

「あれは賢者の石じゃ」

 

「……それは、また」

 

彩芽は瞬きをした。

賢者の石とは、また凄い物を用意したものだ。

だが、合点はいく。

賢者の石は金を作り出すだけではなく、命の水の源にもなる。

ハリーが生き残った男の子と呼ばれてから今まで、存在すら確認されていないヴォルデモート卿。

力を取り戻そうとしているなら、喉から手が出るほど欲しい物だろう。

 

「ほっほっ、名前を聞いて理解するとは、アヤメは賢いのう」

 

ダンブルドアは目を細め、彩芽を褒めた。

 

「賢者の石を作り出したニコラスは、わしの友人なんじゃよ。以前から、これが狙われる可能性については話し合ってきた。それで、ニコラスはわしに預けることに決めたのじゃ」

 

ダンブルドアの言葉に、階段を降りる彩芽は内心眉を寄せた。

ポッター家が襲われてから今まで、かなりの年数が過ぎている。

その間何も対策をしていなかったのに、今回、この年に、ホグワーツで石を預かるというのはおかしな話だ。

どう考えてもこれは、ダンブルドアがヴォルデモートをおびき寄せようとしているとしか思えない。

 

階段を下りきると、ダンブルドアは歩きながら話を続けた。

 

「そういうわけで、わしは後ほどハグリッドから石を受け取る。以前頼んだ事は覚えておるかね?」

 

「ええ、もちろん」

 

「君に力を借りるのは、学校が始まってからになるじゃろう。夏休み中は石の事は忘れて、ゆっくりセブルスと過ごすのじゃ。たまには我が儘を言ってみるのも良いと思うがの」

 

ウインクを一つ、茶目っ気たっぷりに彩芽に向けて、ダンブルドアは地下のスネイプの部屋の前で足を止めた。

 

「我が儘、ですか」

 

「家族であれば、多少の我が儘は許してもらえるものじゃ。度が過ぎれば、それは良くない事じゃが……」

 

訝しげな彩芽に、ダンブルドアは微笑む。

 

「君は、もう少し甘えても良い」

 

「…………」

 

それはダンブルドアの見解であって、スネイプのものではない。

それに、人に甘えるという事が、彩芽にはよく分からない。

黙り込む彩芽を、ダンブルドアは微笑んだままじっと見ている。

 

「……善処してみます」

 

答えなければずっとそのままな気がして、彩芽はポツリと答えた。

それに頷くと、ダンブルドアはようやくその場を去って行った。

 

 

ノックの後、彩芽は返事を待ってドアを開けた。

いつものように机で作業しているか、ソファで本を読んでいると思ったが、ドアを開けるとスネイプが目の前に立っていて、彩芽は少し驚いた。

 

「……校長はどうした」

 

「恐らく、自室に」

 

ダンブルドアに用なのかと思う彩芽の前で、スネイプの目が左右に視線を送る。

ドアの脇に積まれた荷物を見て、スネイプは無言で杖を振った。

無言で荷物をベッドの横に積むと、スネイプは彩芽を見下ろす。

 

「ありがとうございます……」

 

よく分からないが、運んでくれたのだと分かり、彩芽は礼を述べた。

 

「単に邪魔だったんじゃねぇの?」

 

氷炎がぽそっと茶々を入れる。

もしも本当にそうなら、ありがとうじゃなくごめんなさいと言うべきだったと彩芽は考えた。

 

「全部買えたのかね?」

 

「はい」

 

結局どちらが正解なのか分からないままだったが、スネイプの問いに彩芽は頷いた。

そうか、と言って部屋に引き返すところを見て、ようやく彩芽はやはり親切だったのだと思う。

外に出ないのであれば、荷物が邪魔になるはずがない。

 

部屋に入ってドアを閉めた彩芽の鼻を、ふわりとダージリンの香りが掠めた。

机にティーカップが置かれているので、さっきまで飲んでいたようだ。

ベッドによじ登りながら、彩芽はスネイプが意外に紅茶好きであることを考える。

仕事で一息つく時は、必ず紅茶を淹れているし、茶葉も何種類かあるらしく、気分によって変えているようだ。

先程、荷物を無言呪文で運んだように、魔法使いは基本的に何をするにも魔法を使う。

スネイプも大体そうだったが、紅茶は時折マグルの様に手で淹れる事がある。

それはきっと、彼なりのこだわりなのだろう。

 

紅茶の事を考えていたら、無性に緑茶が飲みたくなった。

彩芽はホームシック気味になった気分を紛らわそうと、首に巻き付いたままの氷炎を片手でもふもふする。

ちらりとスネイプを見ると、黙々と机に向かっていた。

時折手を止めて、眉をしかめたり、はたと気付いたように別の書物を捲る。

ぼうっと見ていた彩芽は、このまま眺めていてはまた叱られるかもしれないと気付き、ベッドを下りた。

買ってきたばかりの教科書を探し当てると、再びベッドに上がる。

あえて魔法薬学を避け、考えた末に『魔法史』を開いた。

 

 

 

 

 




◇昔某方がスネイプ先生を無類の紅茶党として書かれているのを読んで以来、スネイプ=紅茶大好きのイメージが……。まあ、イギリス人はみんな紅茶党のイメージですが。そしてイギリスに旅行に行った友人が「紅茶は美味かった。……紅茶は、な」という感想をくれて以来、イギリスはとんでもなく飯マズのイメージです◇


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不器用な2人

◇スネイプのデレターン……の、はず◇


――いいかい、彩芽。

 

葛葉の言葉に、彩芽は本から顔を上げた。

 

「物事には全て理由があるんだよ。例えそれが、自分には理解できない理由だとしても。お前が今読んでいる日本史は、概ね戦の記録ばかりだ。けれどそれだって、誰かが何かの理由で戦っているんだ」

 

祖母の言葉に、彩芽は再び本に目を落とす。

戦国時代の年表は、どこを見ても戦や乱の文字で埋められている。

 

「ただ丸々覚えるんじゃない。流れを読むんだ。何がどうしてそうなったのか、それで誰がどう思うのか。国同士でもそうだよ、戦になったきっかけは何なのか、必ず理由はあるのさ」

 

理由、と彩芽は本に目を走らせる。

だが今読んでいる教科書に、葛葉が言ったような事は書かれていない。

 

「横着な子だね」

 

彩芽の動きで察したのか、葛葉が笑う。

 

「そんな薄っぺらな本一冊で、何でもかんでも分かると思ったのかい?」

 

机の脇に積んであった本を引き寄せ、葛葉は彩芽の前に差し出した。

 

「全部お読み。本は一生かかっても読み切れないくらい書かれているからね。分からないなら分かるまで調べればいいんだよ」

 

ドン、と目の前に出された本の山を、彩芽は手に取ってみる。

てっきり全て教科書類かと思ったが、「坂の上の雲」や「国盗り物語」といった小説も含まれていた。

 

「それはあたしのお勧めだよ。図書館に行けば他にも本はある。好きなだけお読み」

 

目を細めて、葛葉は笑う。

 

「お前は私に似て、本を読む子だからね。あたしの持っている本は、全部お前にあげよう」

 

 

 

……そういえば、祖母の遺品の整理も全くしないまま、ここに来てしまった。

いつの間にか止まった、ページを捲る手。

気が削がれて、彩芽は魔法史の本を閉じた。

スネイプはまだ書類と向き合っている。

と、不意に顔を上げたスネイプと目が合った。

怒るかと思ったが、スネイプはただペンを置き、尋ねる。

 

「どうした」

 

「……別に、なにも」

 

微かに首を振り、彩芽はまた氷炎を撫で始める。

怒らないのなら、このままスネイプを眺めていてもいいのだろうか。

いや、長時間眺めるとやっぱり怒られるのだろう。

 

「歴史が好きなのか?」

 

終わったと思った会話は、しばらくの間を挟んで再開された。

彩芽は質問に首を傾げる。

 

「我輩の見間違いでなければ、さっきまで読んでいたのは魔法史の教科書だったと思ったが」

 

「…………」

 

氷炎を撫でる手を止めて、彩芽はスネイプをじっと見つめた。

 

「違ったのか?」

 

「いいえ」

 

彩芽は答える。

 

「歴史は好きです。でも……」

 

「でも、何かね」

 

言葉を切った彩芽を、スネイプが促した。

 

「本当は、理科の方が好き、です」

 

地学に生物、化学に物理……。

どの教科より理科が一番得意だし、好きだ。

葛葉は文学が好きで、国内外を問わず色々な本を読んでいた。

彩芽もそれを真似、今までたくさんの本を読んできた。

葛葉は彩芽を読書好きの文学少女だと思っていたが、本当は読書より実験や観察の方が好きだったことを、結局は知らないままだった。

 

スネイプは席を立ち、本棚に向かった。

彩芽が見ている中、数冊の本を選んで腕に抱える。

そしてそれを、彩芽のベッドの上に置いた。

 

「興味があれば読んでみろ。もっとも、1年用の教科書を読んだ後でなければ、理解は難しいだろうがな」

 

ぱちぱち、と目を瞬く彩芽。

渡された本は、タイトルから推察するに、魔法薬学関連の本の様だ。

 

「ありがとうございます」

 

彩芽が礼を言うと、スネイプは再び机に戻る。

何が何やら分からないまま、彩芽は助言通り、1年用の教科書から読み始めることにした。

 

 

 

 

スネイプから勧められた本は気になったが、彩芽は買った教科書全てを読破するところから始めた。

葛葉から魔法の基本的な事は教わっていたので、1年生の教科書は簡単なおさらいの様なものだ。

他にする事がないという事もあって、数日で8冊分を読み終わり、彩芽はようやくスネイプの本に手を付ける。

 

――やはり、本は魔法薬学に関することだった。

だが、単に調合の事が書いてあるだけではない。

特定の材料を調合することによって、どのような効果が生まれるのか、またそれはどういう理由でなのか、というところから始まり、それを踏まえて仮説を立て、実験と検証を繰り返す。

その新しい調合薬を生み出すまでの過程を描いた、それは随筆の様な本だった。

この本の面白いところは、単に正解の調合の説明があるだけではなく、失敗した過程と、そこから正解を導き出すところまで書かれている点だろう。

 

『私がある夜、調合に失敗した薬の前で落ち込んでいると、妻がやって来て「失敗したのにどうして捨てないのか」と問うた。

落ち込んで口も開かない私に、妻はビンを指さし、呆れて言うのだ。

「役に立たないものをずっと入れていても仕方ないでしょう」と。

私はハッとして、今まで使っていた材料を見直した。

手順ばかりに気を取られ、最初に必要と決めた材料を見直す事なんて考えもしなかったのだ。』

 

もちろんそこから、また紆余曲折あるのだが、最終的には作者である『私』は新薬を完成させる。

 

彩芽は没頭して読んだ。

単純に読み物としても面白いし、魔法薬の理論としても興味深い。

あっという間に渡された数冊を読み切ってしまい、最後の本を閉じ終えた時には、ほんの少し寂しいとまで感じた。

 

「良い本をありがとうございました、セブルス」

 

「……全て読んだのかね?」

 

彩芽が本を返すと、スネイプは驚いた顔をした。

 

「ええ、とてもおもしろかった」

 

「…………では、3巻で彼が角ナメクジを材料から一度外した理由は何だったかを答えてみたまえ」

 

いきなりのクイズに、彩芽はぱちぱち、と瞬きした。

だが、すぐに答える。

 

「角ナメクジから出る粘着物質が、他の材料の成分に影響を及ぼしたためです。代わりに、ヒル、カエルの卵、芋虫などを使ってみたものの上手くいかず、最終的には角ナメクジから粘着物質が出ない方法を模索することにしました」

 

彩芽の回答にスネイプは黙り込む。

間違ってはいないはずだけれど、と彩芽も黙って待った。

 

「……明日の午後、予定はあるのか?」

 

「いいえ」

 

即答した彩芽に、スネイプは頷いた。

 

「では、明日の昼食後ここにいろ。お前がどの程度理解したのか、我輩がテストしてやろう」

 

「…………はい」

 

いきなりの事に、内心驚きながらそう返事をする。

続きがあるかと待ってみたが、スネイプがそれ以上何も言わないので、彩芽はその場を離れて自分のベッドによじ登った。

テストする、とスネイプは言ったが、一体何をするのだろう。

 

戸惑い不思議そうな彩芽の側で丸くなりながら、氷炎はスネイプの方を見た。

どこか楽し気なその横顔に、深々とため息を吐いて白い髭を思い浮かべる。

あのじじい、本当に使えねぇな、と。

 

 

 

 

翌日、昼食後に部屋で待っていた彩芽は、スネイプに呼ばれて部屋を移動した。

連れてこられたのは、同じく地下の部屋。

授業で使う部屋なのだろう、広いその部屋の端の机には、今から必要なものが並べられていた。

 

「今からお前には、この薬の調合をしてもらう」

 

スネイプが杖を振ると、黒板に文字が現れた。

 

「質問は受け付けん。始めろ」

 

何の薬なのかの説明はなく、黒板には材料とその量、手順のみが書かれている。

彩芽はそれを何度か読み、首に巻いた氷炎を近くの椅子に下ろすと、腕まくりをした。

 

案外手際よく作業を進める彩芽を、スネイプは少し離れた作業台から見ていた。

材料をナイフで切り揃える生徒の手つきは見ていて危なっかしい事も多いが、彩芽はその点安心して見ていられる。

自分も授業で使う材料の準備を進めながら、スネイプは時折目を向け、彩芽の調合が順調に進む様を眺めていた。

 

(1年生でこの腕か……)

 

スネイプは内心で舌を巻く。

彩芽に調合を命じたのは、1年時の後半に習うものだった。

あの本を読み、内容を理解出来るのであれば、曲がりなりにも形になったものが出来るだろうと思っていたのだが。

このままいけば、実用レベルのものが出来上がるだろう。

 

無駄口は一切叩かず、黙々と作業を進めていく彩芽。

時折チラリと黒板に目を向けるが、読むというよりは確認程度で、すでに全て暗記している。

材料と工程を見て、彩芽にはこれが何の薬かすぐに分かった。

魔法薬調合法に載っていた『忘れ薬』だ。

この薬の調合はさほど難しくはない。

書いてある通りの手順で調合すれば良いだけの事。

 

「……できました」

 

出来上がったものを瓶に詰め、彩芽は振り返る。

スネイプは頷き、それを受け取った。

確認するまでもなく、澄んだその液体は『忘れ薬』の完成品。

 

じっと瓶を見ていたスネイプは、彩芽が自分を見上げていることに気付く。

そこでようやく、自分が『テスト』だと言ってこれを作らせたことを思い出した。

 

「合格だ」

 

「ありがとうございます」

 

彩芽の口元が少し緩む。

 

「これが何か分かるな?」

 

「忘れ薬です」

 

スネイプの問いに、彩芽は間髪入れず答えた。

 

「そうだ、1年生の授業で習う。だが、お前にはこの程度の調合は造作もない事の様だ。一体、どこで習った?」

 

これが初めての調合ではないと確信したスネイプは疑問を口にする。

彩芽はそれにほんの少し首を傾げた。

 

「魔法薬の調合はこれが初めてです。理論、座学は祖母が教えてくれました。……陰陽道にも、薬の調合はあるので、その関係での調合は慣れていますが」

 

彩芽の使う陰陽道にも、薬の調合はある。

幼い頃からそれをこなしていたのだから、勝手が違うとはいえ、初歩の魔法薬学の調合に苦戦するはずがなかった。

 

ただ、その回答にスネイプは、完全には納得いかない。

そもそも、スネイプは彩芽が陰陽師であることや、その修業を終えたことなどについて、きちんと理解していなかった。

氷炎がダンブルドアに対して不満なのもその点である。

彩芽がそういった自分の説明が不得手なのには気付いているだろうに、今後保護者となるスネイプになんの説明もしていないとは。

 

とはいえ、もしもスネイプが彩芽が陰陽師で、その修業はすでに終えていると聞いたところでピンとは来なかっただろう。

その原因の一つが、彩芽の母親である撫子に陰陽師の才能がなかった事だ。

撫子は事あるごとに『私は陰陽師、安倍晴明の子孫よ』と吹聴して回っていたが、陰陽師としての術は何も使えず、結果として『陰陽師』という肩書きを貶めていた。

撫子には撫子なりの考えがあっての行動だったのだが、そういう訳でスネイプの中の陰陽師の認識は、日本における魔法族の総称というくらいのものだったのだ。

 

「そうか」

 

なので、スネイプは彩芽の言った事に頷いたものの、やはり分かっていなかった。

祖母が薬の調合をする手伝いでもしていたのだろうと、そう解釈したのだ。

 

「時間があれば、また見てやろう」

 

「ありがとうございます」

 

ぺこり、と頭を下げる彩芽。

恐らく教科書通りの調合であれば、多少のミスはあれど学生レベルのものはほぼ完璧に出来るだろう。

だがそれとこれとは別で、慣れない魔法薬の調合を専門の教師に付き添ってもらえるならばありがたい話だ。

 

――それに。

一体どうしてこうなったのかはよく分からないままだが。

わざわざ時間を割いて自分に付き合ってくれたことが、彩芽は素直に、少し嬉しかったのだ。

 

 

 

 

 




◇氷炎は周りに人がいる時はあんまり喋りません。ただのもふもふマフラーと化します。だって喋っても言葉通じないしね。キューキューと鳴くイタチっぽい動物と彩芽が喋ってると変人に思われるだろうという気遣いですが、真夏に白もふマフラーしてるのは十分に変人です◇


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列車での出会い

◇映画で、ハーマイオニーが「あなた鼻に泥がついてるわよ、知ってた?ここよ」ってやるシーンが大好きです。可愛いけどめっちゃ憎たらしい感じが最高です。まさかこの2人が将来(以下略◇


入学式を目前に控えたある日、夕食の席に現れたダンブルドアが彩芽に尋ねた。

 

「ところでアヤメ、入学式はどうするのかね?」

 

「どう、とは?」

 

ニンジンを切る手を止めて、彩芽は尋ね返す。

ダンブルドアはそれに答えず、スネイプを見た。

 

「セブルス、説明してあげなさい」

 

当然、スネイプは眉を寄せたが、ダンブルドアが動じるはずもない。

小さなため息を吐き、口元を拭って、スネイプは彩芽にやや体を向けた。

 

「ホグワーツ生は皆、新学期はキングズ・クロス駅の9と3/4番線に行き、11時発のホグワーツ特急に乗る。お前はすでに学校にいる訳だが……校長は当日、お前がロンドンまで行くのかどうかを聞いているのだ」

 

フォークとナイフを置き、彩芽もスネイプに体を向ける。

そして疑問を口にした。

 

「私はどちらでも構いませんが。……それは、私が決める事なのでしょうか」

 

彩芽にとって、ホグワーツ入学は父親を殺す手段の1つでしかない。

入学のワクワクやドキドキも特になく、今のところ楽しみと言えば、授業で魔法の実技が出来る事と、ハリーと会うことくらい。

なので彩芽にとっては、特急に乗って来いと言われれば従う、くらいの感覚でしかないのだ。

興味無さ気な彩芽の言葉に、スネイプは片眉を上げた。

 

「それは暗に、我輩に決めろと言っているのかね?」

 

彩芽は困って小首を傾げる。

本当にどうでもよさそうな彩芽に、スネイプは1つ小さく息を吐き、言った。

 

「当日、ロンドンまで送っていく」

 

「……はい」

 

素直に頷く彩芽。

1か月以上一緒にいた割には距離感がある2人のやり取りに、ダンブルドアは内心でため息を吐いていた。

 

 

 

 

 

9月1日、ロンドンの脇道。

人目につかないその場所に姿現しをしたスネイプは、掴んでいた手を放すと彩芽を見下ろした。

黒いパーカーに膝丈の黒いスカート。

黒いハイソックスに黒のスニーカー。

腰まである長い髪も黒く、瞳も黒い。

唯一、首に巻き付けているペットの毛だけが真っ白で、それ以外は完璧に黒で統一されている。

それとは対照的に、地面に置いたトランクは派手な色と柄で、見覚えのあるそれに、スネイプは眉をしかめた。

 

「ここから出たら右に曲がれ。しばらくすれば駅が見える」

 

スネイプの説明に、彩芽は頷く。

 

「それから、学校が始まれば、我輩は保護者である前に教師だ。それを忘れるな」

 

それにも、彩芽はただ頷いた。

 

「……我輩が貴様の母親に会ったのは、ホグワーツ特急でだった。あの時、コンパートメントにナデシコが入ってこなければ、お前と会う事もなかったのだがな」

 

ぽつり、と言われた言葉に、彩芽は驚いた。

悪口以外で、スネイプから母親の話題が出たのは初めての事だ。

 

「場合によっては、今後の一生を左右することもある。せいぜい気を付けるがいい」

 

言うだけ言って、スネイプは姿くらましをした。

バシッと音がして、目の前から消える。

いなくなったのを見計らって、氷炎が口を開いた。

 

「あー……、あいつって本当、面倒臭い性格してるな」

 

呆れた様に、氷炎は呟く。

 

「つまり、特急に乗ったら友達探せって事だろ?」

 

「そんな事、言ってなかったけど」

 

彩芽は氷炎の言葉に首を振った。

保護者が保護者なら……という言葉が頭に過ぎり、氷炎は呆れた視線を向ける。

 

「それより、駅に行かないと」

 

「大丈夫だろ。ばったり誰かに会うのが嫌だからって、あいつこんな早くに俺たちを放り出したからな」

 

 

氷炎の言う通り、時間はあり余っていた。

それでも彩芽は、駅に向かって歩き出す。

例によって、ヒトガタに切ってあった依代を使い、トランクをわずかに浮かせて持つ彩芽。

 

「セブルスの言った事を踏まえたら、早めに行ってコンパートメントにいた方が良いと思う」

 

「なんで?」

 

「だって、誰かのいるコンパートメントに乗り込むのは面倒だと思うし……」

 

初対面の相手に挨拶をして、入ってもいいか尋ねる。

その行為が面倒だと言う彩芽に、氷炎はため息を吐いた。

 

「そうだな、先に入ってりゃ、後から来た奴に頷くだけで済むからな」

 

主人の物ぐさに呆れつつ、それでも頷くのは式神だからか。

キングズ・クロス駅は大きな駅だった。

迷わずたどり着けた彩芽は、貰った列車の切符を見る。

そして、9と3/4番線と書かれた切符に、眉を寄せた。

プラットホームには、9番線と10番線はあっても、そんなホームはない。

スネイプは、もう少し説明してくれても良かったのではないかと彩芽は思った。

 

「どうした?」

 

「なんでもない」

 

立ち止まった彩芽に氷炎が聞くが、彩芽は首を振って歩き出す。

目指すのはもちろん、9番線と10番線の間だ。

はっきりと分かる気の歪みが、柵の辺りにある。

彩芽は迷わず突っ込んだ。

 

柵による障害はなく、難なく通り過ぎる。

目の前に急に広がるプラットホームには、紅の機関車が停車していた。

まだ早い時間なので、人は少ない。

彩芽はさっさと乗車すると、真ん中辺りの車両のコンパートメントに入り、座った。

 

「11時発……か。まだまだ動きそうもないな」

 

氷炎が呟くが、彩芽は気にせずトランクを開けた。

まだ出発もしないうちから制服に着替えだす彩芽に、氷炎は呆れる。

もっとも、着替えながら裾や懐に色々と仕込まなければならないので、誰もいないうちにしてしまうのが正解かもしれないが。

彩芽が大きめのサイズの制服にしたのは、実はこのためだった。

服のあちらこちらに入れた、羅針盤や札、薬や他の道具を目立たなくするには、多少だぶついていた方が都合がいい。

着物の袖ほどではないが、マントもなかなか便利だ。

 

日本人の標準からみて、彩芽は普通よりはやや小さめの体をしている。

イギリスの同年代の子供とでは、さらに体格差があった。

そこへ持って来て、大きめサイズの制服。

完全に小さな子供の雰囲気になってしまっているのだが、彩芽も氷炎もその辺りは無頓着だった。

 

着替えが終わると、彩芽はトランクの中から魔法薬調合法を引っ張り出してそのまま読み始める。

読書に熱中して時間を潰すつもりだと分かり、氷炎は黙って彩芽の首に巻き付き目を瞑った。

 

彩芽は時折本から目を上げて、窓の外を見た。

チラホラと増える人の数。

ホームには生徒らしき子供よりも、見送りの大人の方が多い。

一瞬、もしも葛葉が生きていたら見送りに来てくれたのだろうかと考えたが、彩芽にはホームで手を振る葛葉を想像できなかった。

 

 

 

 

「俺はフレッド・ウィーズリー。で、こっちはジョージ」

 

赤毛の双子の片方がそう自己紹介し、もう片方はひらひらと手を振る。

一卵性双生児らしく、2人の外見はそっくりだった。

 

「俺はリー・ジョーダン。他に空いてるコンパートメントが見つからなくってさ、助かったよ」

 

細かい三つあみを縮らせた少年が彩芽に笑顔を向ける。

出発してすぐに、ドアから顔を覗かせた少年に『いいかな?』と聞かれたので頷いたら、どやどやと3人やって来てあっという間にコンパートメントを占領されてしまった。

もっと静かそうな人を選べばよかったかもしれないと思いながら、彩芽も名乗る。

 

「そう、なら良かった。私は水無月彩芽」

 

淡々とした、無表情での自己紹介。

しかも言った後はすぐに手元の本に目を落としてしまう。

フレッドとジョージは愛想の無い返事に思わず顔を見合わせた。

リーも顔を引きつらせながら、辛うじて世間話を続けようと試みる。

 

「その首に巻いているのは何?暑くないの?」

 

「……ペット。暑くない」

 

本から目も上げず、素っ気ない返事。

因みに、氷炎は名前の字の通り、氷の気と炎の気を扱うことが出来るので、夏ならひんやりと、冬ならぬくぬくと首に巻くことが出来る。

だが見た目はふわふわの毛玉なので、この夏の暑さが残る9月初めに首元をふさふさにしている彩芽は、間違いなく変人だった。

 

「えーっと、その本、そんなに面白いか?」

 

ジョージも頑張って会話を振ってみる。

表紙と中身が違わないなら、彩芽が読んでいるのは間違いなく魔法薬学の教科書だ。

 

「……面白い」

 

本から目を離さずにそう言われて、3人は思いっきり眉をしかめた。

そしてそれっきり、彩芽のことは無視することにする。

この状況で黙々と教科書を読みふけって、それが面白いと言う様な奴とは仲良くなれない。

そう思ったからだった。

彩芽の方もその事に不都合はなく、しばらくの間お互い別々に平和な時間を過ごす。

リーはタランチュラを双子に見せびらかしていたが、彩芽はそれを怖がって叫ぶようなタイプでもない。

双子たちはその事には感心したような顔をしたが、彩芽が本から顔を上げないので、もしかしたら蜘蛛に気付いていないだけかもしれないと思い直したりもした。

 

そんな平和を乱したのは、荒々しく開かれたコンパートメントの扉から入って来た少年だった。

今年はどんな悪戯をするかと話し合っていた双子とリーは、扉の方を向いて嫌そうな顔をする。

扉口に立っていたのは青白い顔をした金髪の少年と、そのお供と思しきがっちりした体つきの少年2人の計3人だった。

 

「くそ、間違えた!」

 

相当気が立っているらしく、謝りもせずにそう吐き捨てた金髪の少年は、奥の窓側の席で本を読んでいる彩芽に目をとめた。

 

「おや、今日はハリー・ポッターと一緒じゃないのか?」

 

ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、少年は彩芽に声をかける。

『ハリー・ポッター』の言葉に、双子達は顔を見合わせた。

彩芽はそれには答えずに、黙々と本を読んでいる。

無視をされた少年は、ぐっと彩芽を睨みつけた。

 

「おい、何とか言えよ!この……」

 

パタン!!と大きな音を出して彩芽が本を閉じたので、少年が「この」の後何を言おうとしていたのかは分からなかったが、双子とリーは絶対最低の言葉だったに違いないと思った。

 

「……誰?」

 

彩芽が少年に向かってそう聞くと、少年の青白い顔にサッと赤みが差す。

 

「っ洋装店で……!!」

 

「それは知ってる」

 

彩芽は遮る様にそう言って、少年に向かって言葉を足した。

 

「名前」

 

少年は怒鳴りだしそうな顔をしたが、気を取り直したように気取って答える。

 

「僕はマルフォイ。ドラコ・マルフォイだ」

 

「マルフォイだって!!」

 

間髪入れずに、フレッドが嫌悪感も露わに吐き捨てた。

 

「君達は兄弟揃って無礼だな!教養と言うものを身につけたらどうだ!」

 

フレッドを睨み付けてドラコが嘲笑う。

 

「まあもっとも、豚小屋に住んでるようじゃ教養なんて一生身に付かないだろうけどね!」

 

「コイツ……っ!!」

 

殴りかかりそうな勢いの双子とリーの間を、すっと黒い髪が流れた。

驚く3人を他所に、彩芽はドラコに近付いてじっと見つめる。

気に入らないハリー・ポッターと一緒にいた、わけの分からない東洋人だと自分に言い聞かせるが、大きな黒い瞳に上目遣いに見つめられてドラコはドキドキしてしまう。

不思議に惹き込まれるその瞳から目が離せず、瞬きすら難しい。

 

「私は水無月彩芽。……誕生日は?」

 

「そんなこと聞いてどう……」

 

「誕生日」

 

「……」

 

ドラコが根負けして仕方なしに教えると、彩芽はそのままドラコの手を取った。

 

「な、は、離せっ!」

 

かあっと耳まで真っ赤にしてドラコは振り払おうとするが、彩芽は気にせずドラコの手を見る。

 

「今週、水難の相が出てる。気をつけたほうがいい」

 

「はあ?」

 

いきなり何を言い出すのかと、ドラコは呆れた声を出した。

 

「でも、人生を決めるかもしれない大きな選択は、思い通りの選択になるとも出てる」

 

つうっと指先でドラコの掌をなぞり、彩芽は続ける。

ドラコは妙にドギマギして、ついそれに聞き入ってしまった。

 

「勉強運はそこそこ。友人も少し増える。後……」

 

「あ、後何だ」

 

いつの間にか真剣に聞いてしまっていることにも気付かず、ドラコは先を急かした。

 

「将来、禿げる」

 

 

一瞬の間。

 

 

次の瞬間、ドラコと彩芽以外の全員が吹き出した。

ドラコは屈辱に体を震わせて彩芽を睨むが、彩芽は表情1つ変えずに「気をつけて」とドラコに言う。

 

「帰るぞ!!」

 

一緒になって笑っている子分2人を蹴飛ばすと、ドラコははす向かいのコンパートメントに帰っていった。

 

「ははっ、君、今の占い本当?」

 

散々笑い転げた後、ジョージが涙を拭いながら尋ねる。

彩芽は自分の席で再び魔法薬調合法を読んでいたが、本を膝に置き、ジョージを見て答えた。

 

「水難の相は嘘。それに、占いじゃない」

 

「へぇ?」

 

フレッドが楽しそうに肩をすくめる。

 

「俺には占いに見えたぜ?」

 

彩芽はちょっと体をずらして、3人の方へ向き直った。

双子とリーはキラキラとした目で彩芽を見つめて説明を待つ。

 

「普通、新しく学校に行くと友達は増えるし、飛びぬけて馬鹿か天才でなければ成績はそこそこ。以前、スリザリンがいいと言っていたのを聞いたけど、あの様子じゃ望みは叶うだろうし、あの歳からオールバックにしていれば、将来禿げる可能性は高くなる」

 

ぶっと再び吹き出しそうになるのをこらえて、リーは尋ねた。

 

「で、水難の相は?」

 

「嘘」

 

彩芽は言い切ってから、でもと続ける。

 

「絶対当たる」

 

「でもあいつ、そうなったら君の事言いつけるぜ、きっと」

 

にやにやしながらジョージが言うのに、彩芽は事も無げにさらりと言った。

 

「あの子が勝手に転んでバケツに頭を突っ込んだとして、どうして私が関係あるの?」

 

「ほーう。なるほど、そうきたか」

 

「しかし上手いな。誕生日なんて聞いてどうするのかと思ったけど」

 

「ああ、あれで一気に信憑性が増した!」

 

口々にはやし立てる3人に、「誕生日は……」と彩芽が口を開く。

 

「知りたかったから聞いた」

 

「ええ?」

 

「なんでまた」

 

「プレゼントでも贈るつもりかい?」

 

彩芽はそれに、ほんの少し口の端を吊り上げた。

 

「……呪い殺さなきゃならなくなった時、必要だから」

 

綺麗な顔で言われて、3人はちょっと怖かった。

 

 

プラットホームに付くと、3人は是非ともグリフィンドールになって欲しいと言いながら、彩芽をわざわざ外までエスコートしてくれた。

どうやらドラコの一件以来、教科書を面白いという奴でも友達になれると見解を改めたらしい。

 

「1年生は小船で行くんだ。ほら、あそこにハグリッドがいる」

 

ジョージが指差した方には、大きな体を揺すって「イッチ年生はこっち!」と呼びかけているハグリッドの姿があった。

 

「じゃ、俺達は行くぜ」

 

「グリフィンドールで待ってるからな!」

 

彩芽はそれに小さく手を振って見送り、ハグリッド目指して歩く。

先導し始めたハグリッドの後に付いて小道を歩き、開けた場所に出ると、そこには素晴らしく綺麗な光景が広がっていた。

暗くなった湖面に映りこんだ夜空。

その湖の向こう岸には、古風な城がそびえ立っている。

そして、騒然と並ぶ小船に燈された灯りの幻想的な光景。

適当に乗り込んで、彩芽は一言も喋らずにしばらくその光景を楽しんだ。

 

 

 

 




◇はい、乗ったのは双子のコンパートメントでした。スネイプがはっきり言わなかったので結局友達探しもせずにコンパートメントに引きこもってました。
プンスカして自分のコンパートメントと間違えて開けちゃったフォイは予言通り将来禿げるのか?こうご期待!(嘘)◇


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入学式

◇みんな大好き組み分け帽子◇


「ホグワーツ入学おめでとう」

 

城に着きハグリッドが扉を叩くと、中から厳格な雰囲気の背の高い魔女が現れた。

エメラルド色のローブを着ているその魔女は、ミネルバ・マクゴナガル。

彩芽も知っている人物だ。

ハグリッドから1年生を預かると、石畳の広々とした玄関ホールからホール脇の小さな小部屋へと移動して、マクゴナガルはまずそう挨拶した。

 

「新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません」

 

マクゴナガルは組み分けの儀式で新入生を4つの寮に分けるのだと説明する。

グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。

ホグワーツの歴史について本を読んだ彩芽や、元々魔法の一家に生まれた者はすでに知っている事だが、中には今初めて聞いたという顔の者もいた。

 

「良い行いは寮の得点となり、反対に規則に違反すれば減点となります。学年末には、最高得点の寮には寮杯が与えられます。どの寮に選ばれたとしても、その寮の誇りとなるよう行動するように」

 

マクゴナガルは準備が出来るまで静かに待っているよう言い残して部屋から出て行ってしまった。

そわそわと落ち着かない他の生徒達を横目に、彩芽はぼんやりと部屋の中を見回していた。

組み分けの儀式が何なのか、というのが大方の関心事の様だ。

 

「彩芽、何か来る……」

 

ポソッと耳元で氷炎が呟く。

彩芽も感じていたことだったので、小さく頷いて気配のする方向へ意識を向けた。

瞬間、すうっと壁から白い半透明の人間が現れる。

その数、20人ほど。

日本の幽霊と違い、こちらのゴーストには足がある。

しかし、足は動かさずに浮かんだ状態でするすると滑るように動いていた。

 

「アヤメ!」

 

声をかけられて振り向くと、ハリーがにっこりしながら癖のある黒髪をぴょこぴょこさせて駆け寄ってきた。

 

「こんなに近くにいたんだ、気付かなかったよ」

 

頷いて、彩芽はハリーの隣にいる赤毛の少年に気付く。

赤毛でそばかすのその少年は、コンパートメントで一緒だった双子にどことなく似ていた。

 

「ハリー、知り合い?」

 

少年がそうハリーに囁くので、彩芽は少年に名乗る。

 

「私は水無月彩芽。……貴方は?」

 

少年はびっくりした顔をして、そしてもごもごと「ロナルド・ウィーズリー。ロンでいいよ」と答えた。

ロンは彩芽がジッと自分を見るので、恥ずかしくてたまらなかった。

表情に乏しくても、この時期にマフラーを巻いている変な子でも、彩芽は美人なのだ。

 

「僕、ダイアゴン横丁でアヤメと会ったんだ」

 

ハリーが説明すると、彩芽はコクリと頷く。

 

「へぇ……」

 

ロンが返事をしたと同時に、マクゴナガルが部屋に戻ってきた。

 

「組分け儀式がまもなく始まります」

 

そこかしこで1年生に話しかけていたゴーストたちが、その言葉に1人ずつ壁を抜けて出て行く。

 

「さあ、一列になって」

 

彩芽はハリーとロンに挟まれるようにして並び、マクゴナガルの後に続いた。

 

 

玄関ホールまで一旦戻り、そこから二重扉を通って大広間に入る。

遠くでずっと聞こえていたがやがやという話し声が、広間に入ったとたん洪水のように押し寄せてきた。

 

大きな長方形の広間は、息を呑む素晴らしさだった。

宙に浮かぶ何千というろうそくが幻想的な光を演出し、金の皿とゴブレットをキラキラと輝かせる。

左右に2つずつ、寮の数と同じ4つの長いテーブルには、すでに上級生が座っていて、何事かを喋りながらじっとこっちを見ていた。

入り口から真っ直ぐ突き当りまで行くとそこは先生方の席のようで、やはり長いテーブルに大人の魔法使いや魔女達が並んで座っている。

マクゴナガルは1年生を一列のまま横に並ばせ、先生方に背を向け、上級生に顔を向けた状態で待機させた。

 

「本当の空に見えるように魔法がかけられているのよ。『ホグワーツの歴史』という本に書いてあったわ」

 

誰かのそう言う声が聞こえて、彩芽は目を天井に向ける。

沢山のろうそく越しに、夜空が広がっていた。

 

「本当、派手だよなぁ……」

 

呆れた声が耳元でしたので、彩芽は黙って抓った。

つん、と肩をつつかれて横を見ると、ロンが目の前を指差している。

いつの間にか四本足のスツールがあり、その上にボロボロの汚いとんがり帽子が置いてあった。

帽子は、皆の視線を集めるとピクピクッと動き、つばのへりの破れ目を口のように開いていきなり歌いだした。

 

「私はきれいじゃないけれど、人は見かけによらぬもの……」

 

帽子の歌は回りくどかったが、寮の特徴を教えてくれた。

 

『グリフィンドールは勇猛果敢』

 

『ハッフルパフは忠実で忍耐強く』

 

『レイブンクローは機知に富み』

 

『スリザリンは手段を選ばない狡猾さ』

 

手段を選ばない狡猾な寮とは、また凄い発言だと彩芽は思った。

組み分けの帽子はスリザリンに対して何か思うところでもあるのだろうか。

だが、誰一人異議を挟まないところを見るに、本人たちも周りも、そう受け入れているのだろうか。

 

彩芽は歌い終わった組分け帽子に皆と同様拍手をしながら、スリザリンのテーブルを眺めていた。

マクゴナガルが長い羊皮紙を持って帽子の横へ進み出る。

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、椅子に座って組分けを受けてください……アボット・ハンナ」

 

金髪でお下げの少女がこけそうになりながら椅子に駆け寄った。

マクゴナガルがハンナの頭に帽子を乗せると、帽子が大きくて目が隠れてしまう。

 

「ハッフルパフ!」

 

帽子が高らかに叫んだ。

右側のテーブルから歓声が上がる。

あれがハッフルパフのテーブルらしい。

彩芽が組分けも気にしながらハリーを見ると、平常心ではいられない様だった。

気分が悪そうな顔で組分けを見ている。

 

「ブラウン・ラベンダー」

 

「グリフィンドール!」

 

わっと左端のテーブルから歓声が上がった。

 

「グリフィンドールで待ってる」という言葉を思い出してテーブルを探すと、双子は口笛を吹いていた。

その横でリーが大げさなほど手を叩いている。

その後も着々と組分けは続いた。

彩芽は、組分けにかかる時間に大きく差があるのに気付いた。

長い方がいいのか、短い方がいいのか……。

 

「グリフィンドール!」

 

帽子の言葉に、隣でロンが低くうめいた。

彩芽はふわふわした栗色の髪の少女が走っていくところから視線を外して、ロンに向ける。

 

「な、なんでもないよ……」

 

彩芽の視線に気付き、首を振るロン。

それに首を傾げつつ、彩芽は組分けに視線を戻した。

 

「ポッター・ハリー」

 

ビクリと肩を震わせて、ハリーがすっと前に出た。

彩芽は、しんとしてしまった広間を見渡してからハリーに目を戻す。

ハリーは帽子をかぶったままじっと動かなくなる。

ハリーはどうやら長いほうの組分けらしかった。

ピク、ピクと帽子が時折動く以外は、しんとして物音ひとつない広間。

やがて組分け帽子はつばの割れ目を開けて叫んだ。

 

「むしろ……グリフィンドール!!」

 

わあっと今までで1番大きな歓声が響いた。

グリフィンドールの生徒達は皆、興奮したように叫んでいる。

彩芽は何が「むしろ」なのか気になったが、嬉しそうなハリーや、ハリーがグリフィンドールになったことで喜んでいる双子達を見てそんなことはどうでもいいと忘れた。

分かっていた事だったが、ハリーがグリフィンドールで良かったと思う。

ふと隣を見ると、ロンは真っ青な顔で組分けの儀式を睨んでいた。

 

「……ロン?」

 

「なっ、なに……?」

 

ハリーの次の「ターピン・リサ」はレイブンクローに決まった。

「ウィーズリー・ロナルド」

びくぅっと体を震わせて、ロンは青い顔でマクゴナガル先生を見る。

マクゴナガル先生は早く椅子に座って帽子をかぶる様にと目線で促した。

 

「大丈夫」

 

帽子を見てごくりとつばを飲み込むロンに、彩芽はそう囁く。

 

「大丈夫、ロンの思った通りの結果になる」

 

情けない顔で彩芽を振り返るロンに、彩芽はゆっくりと、でもしっかり頷く。

 

「私の占いは当たるよ」

 

ロンは一瞬不思議そうな顔をして、それから弱々しくではあったが笑顔を見せた。

 

「ありがとう、アヤメ」

 

そして、緊張はしているもののさっきよりは断然ましな顔色でロンは椅子に座って帽子をかぶる。

 

「グリフィンドール!」

 

待つことなく、すぐに組分け帽子はそう叫んだ。

ホッとしてへなへなと力を抜くロン。

そしてすぐに帽子を脱いでグリフィンドールのテーブルへ駆けていく。

ロンはハリーの隣に座り、兄弟と思われる年上の、双子とは別の赤毛の少年に何やら話しかけられていた。

 

「ザビニ・ブレーズ」がスリザリンに決まり、とうとう組分けを終えていない1年生は彩芽だけになる。

 

「……彩芽って、ABC順だと最後なのか?」

 

周りに誰もいなくなったので、首に巻きついたままの氷炎がポツリと尋ねた。

彩芽はそれに小さく答える。

 

「いいえ」

 

彩芽もそれは不思議に思っていた。

だが、入学許可証はもらっている。

しかも校長先生から直々に。

何か理由があるのだろうと、彩芽はのんびりと構えていた。

もしかすると、日本人である彩芽の名はアルファベットではないので後回しなのかもしれないし。

 

「……ミナヅキ・アヤメ」

 

マクゴナガル先生が、ゆっくりと名前を読み上げる。

広間はハリーの時同様、しんと静まり返っていた。

 

「ミナヅキ?」

 

「あの、ミナヅキか?」

 

教師側から囁きが聞こえる。

彩芽は顔を上げ、何事も無いように進み出た。

そして椅子に座り帽子をかぶる。

小柄な彩芽の頭に、組み分け帽子はズポッと首まではまった。

 

じっとしている彩芽の耳元で、誰かが喋った。

 

『ほう、これは……見事な閉心術だ』

 

組分け帽子の声だということはすぐに分かった。

 

『貴方は人の心を読んでいるのかしら?』

 

『もちろん、それだけではないがね。見たところ君は才能に溢れておる。どの寮でも、立派にやっていけるだろう』

 

帽子の言葉に、彩芽はそうだろうかと内心思う。

忍耐・勇気・知識・狡猾。

そのどれもを持っていると、この帽子は言うが……。

 

『私には、きっと何もない』

 

『そうかね?私は、そうは思わんが』

 

組分け帽子は言って、それではと話題を変えた。

 

『単純に、君はどの寮に入りたいと思っているんだい?』

 

『……どこに入れられても、私は構わない。決めるのは貴方』

 

決められない彩芽がそう言うと、組分け帽子は笑った。

 

『なるほど、君は確かにあの子の娘だ!』

 

『……何?』

 

『かつて君の母親も組分けを受けた。そう、私は覚えているよ。……君とよく似ていた』

 

『…………』

 

彩芽は押し黙った。

 

『彼女も私に君と同じ事を言った』

 

もしも組分け帽子に目があれば、懐かしさに目を細めただろう。

そう思わせるような声音で、組分け帽子は言った。

 

『「どこだっていいわ!決めるのは貴方、でしょう?」と。だが、彼女は君のように閉心術には長けていなかった。だから、私は彼女を彼女が望む寮に入れた』

 

『望んで、それでその寮に入れるなら。最初から組分けの儀式なんて必要ないのでは?』

 

彩芽が思ったままを口にすると、組分け帽子は頷いた様だった。

 

『ああもちろん、全ての生徒が自分が何を望み、自分にどんな才能があるのかを知っているならね』

 

組分け帽子は楽しげに言う。

 

『それに、どんなに本人が望んでいても、勇気が無ければグリフィンドールには入れないし、学ぶ意欲が無ければレイブンクローには入れない。逆に、両方とも兼ね備えているならば、本人しだいでどちらの寮にも入れてあげられる』

 

組分け帽子は『さて』と呟いた。

 

『今日はこのくらいにしておこう。君とはまた、話す機会がある気がするしね。広間の方も、あまり待たせるのは可哀想だ』

 

彩芽はその言葉で、今自分が広間の大勢の前で組分けを受けていることを思い出した。

 

『さあ、どの寮か決まったかね?』

 

組分け帽子の質問に、彩芽は何故かグリフィンドールのテーブルの様子を思い浮かべた。

何故だかは分からなかったが、ハリーやロンがグリフィンドールに決まった時の、双子達や本人達の嬉しそうな顔が頭から離れない。

 

『思い浮かべた寮の名を言ってごらん?』

 

『……望んでいる……のかどうかは、分からないけれど』

 

彩芽は戸惑いながら、寮の名を口にした。

 

『そう言うと思っていたよ』

 

満足げな声の後、彩芽は「グリフィンドール!」と高らかに叫ぶ組分け帽子の声を聞いて帽子を脱いだ。

 

 

 

 

しんと静まり返った広間で、その場にいる全員が彩芽を見つめていた。

大きな組分け帽子を首までかぶったその姿はまるで帽子お化けみたいだったが、広間の全員が帽子の中の少女が整った顔立ちであることを知っている。

首に巻かれた白いふさふさしたものが、生き物であると知っているものは少なく、ほとんどの生徒たちは何故マフラーを巻いているのか疑問に思った。

 

組分けは長かった。

しかし、誰1人目を逸らさない。

じりじりとした時間が過ぎ、ようやく帽子は叫ぶ。

 

「グリフィンドール!」

 

グリフィンドールからわぁっと歓声が上がった。

ハッフルパフとレイブンクローも、拍手で華を添える。

双子はリーと目を合わせニヤリとしたし、ハリーはロンとにっこりした。

帽子を脱いでグリフィンドールのテーブルまできた彩芽は、どこに座るか考える間もなくグイと腕を引っ張られて椅子に座らされる。

 

「ようこそ、グリフィンドールへ!」

 

「歓迎するぜ!」

 

左右から嬉しそうに双子に言われ、彩芽はしばらく固まった後、ポツリと「ありがとう」とだけ言った。

 

「おまえらズルイ……」

 

リーが小さく文句を言うが、もちろん誰にも聞こえない。

 

「おめでとう!ホグワーツの新入生、おめでとう!」

 

ダンブルドアが立ち上がってにっこりとして言った。

 

「歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ。そーれ!わっしょい!こらしょい!どっこらしょい!以上!」

 

ダンブルドアは席に着き、広間に拍手と歓声が上がる。

 

「イカすぜ、ダンブルドア!」

 

「超イケてる挨拶だ!」

 

双子とリーが口々に褒め称えているのを、彩芽は不思議な思いで見ていた。

今の挨拶の、どこが良かったんだろうか。

 

「どうかしたか、アヤメ?」

 

ジョージがダンブルドアを眺める彩芽を見て尋ねる。

 

「食べないのか?」

 

フレッドがそう言ってテーブルを指す。

いつの間にか、テーブルの上の空っぽだった食器には、山盛りのご馳走が盛られていた。

がつがつとかっ込む周りの人達とご馳走を見比べてから、彩芽はゆでたポテト、豆、にんじんをちょっとずつ皿に入れる。

妙に甘い味付けのされたそれに、彩芽はため息を吐く。

何度食べても洋食は苦手だ。

いっそ、調理せずに出ればいいのにと思う時もある。

茹でただけの野菜、とか。

いや、切っただけの野菜の方がいいかもしれない。

マヨネーズか味噌があれば最高。

たっぷりソースがかかった肉汁がジューシーなメインディッシュは、手をつける気にならなかった。

何か食べておかないとという気持ちだけでもそもそと食べていた彩芽は、視線を感じて横を見る。

 

「君、ベジタリアン?」

 

「いいえ」

 

リーの言葉に、彩芽は首を振った。

 

「手が届かないなら言えよ?」

 

ジョージが言うのにありがとうと返して、彩芽はテーブルの上のご馳走を眺める。

 

「…………」

 

しかし、それ以上は動かない。

彩芽の行動に首を傾げつつも、リーと双子はそれぞれ自分の食事に戻る。

しばらくして、周りが満足げにお腹をさすりだした頃、皿の上が綺麗になった。

見るのも嫌になってきていた彩芽は内心ほっとする。

……が、次の瞬間、今度はデザートが現れた。

 

「…………」

 

ものすごく甘そうなそれらに圧倒される彩芽。

別に甘いものが嫌いなわけではない。

あんみつ、クリームぜんざい、みたらし団子……和菓子はどれも好物だ。

ただ、こちらの菓子はびっくりするぐらい甘いものが多い。

それでも、アイスクリームくらいならと、バニラ味と思われる白い塊を彩芽は少し取った。

 

「今年こそは優勝したいよな!」

 

「ああ、でも俺たちには今シーカーがいない。それをどうするかだな」

 

頭の上で交わされる会話を聞いていた彩芽は、『シーカー』という言葉に顔を上げた。

 

「シーカーなら、見つかる」

 

突如口を挟まれて、ジョージとフレッドは彩芽を見る。

 

「なんで分かるんだ?」

 

フレッドが尋ねると、彩芽は「第六感」と答えた。

そして、少し首を傾げて聞く。

 

「2人はクィディッチを?」

 

「ああ、まあな。選手なんだ、俺たち」

 

「2人ともビーターさ」

 

そして、と言ってフレッドが体をずらす。

ずらしたフレッドの向こうには、リーの姿。

 

「リーは試合の実況係」

 

他の友人と話していたリーが、名前を呼ばれて振り向く前にフレッドは体を元に戻した。

 

「アヤメはクィディッチしたことあるのか?」

 

「……いえ、本で読んだだけ」

 

その答えに、2人は顔を合わせる。

そして勢い込んで彩芽に詰め寄った。

 

「本なんかじゃあの面白さは分かんないって!」

 

「そうだぜ、実際見て、プレイしなきゃな!」

 

キラキラした4つの目に見つめられて、彩芽は少し後ずさる。

 

「まあ、そのうち寮対抗の試合があるから、そのときに実際見てみろよ」

 

「応援も頼むぜ!なんなら、リーと一緒に実況すりゃいい」

 

「……応援は、するけど」

 

こくりと頷いて、彩芽は手に持ったアイスを思い出した。

皿の上のアイスは、ほとんど溶けてしまっていた。

 

 

 

デザートが終わると、ダンブルドアから注意事項があった。

彩芽はそれを聞き流す。

禁止されているもの。

あれを持ってきてはいけないとか、森に入るなとか、痛い死に方をしたくなかったら4階の右側の廊下に行ってはいけないとか。

 

「4階の廊下って……あからさま過ぎじゃね?」

 

氷炎が呟く。

彩芽も同意の意味を込めて、微かに頷いた。

その後校歌を歌い、やっと寮に移動する事になる。

 

「じゃあ、お願いね氷炎」

 

「俺がいなくても平気だな?」

 

小さな耳打ちに、そう返してきた氷炎に小さく頷き、彩芽は周りの生徒たちに合わせて立ち上がった。

氷炎は心配そうな視線を送りながらも、ざわめく人混みの足元をすり抜けて走っていく。

 

「あれ?さっきまで首に巻いてたやつは?」

 

氷炎がいなくなったことに気付いたジョージがそう聞くと、彩芽は首を振った。

 

「さあ」

 

そっけない返事だが、意味深に向けられた彩芽の視線を追うと、そこには眠たそうな顔で歩いているドラコがいて、ジョージは思わずニヤリとする。

そのやり取りに、見ていたフレッドも気付いて彩芽にニヤリと笑いかけた。

 

「ん?どうしたんだ、2人とも」

 

双子のニヤニヤに気付いたリーがそう聞くが、双子は「別に」「なんでも」と誤魔化しながら彩芽の両側に立って歩き出す。

不思議そうな顔をしながらも、リーは肩をすくめてその後ろを歩き出した。

 

 

忍者屋敷みたいだ。

グリフィンドールの寮に向かう間、彩芽は改めてそう思った。

隠し扉や、タペストリーの裏の抜け道など……わざと分かりにくく造ったとしか思えない。

彩芽がその事を伝えると、双子とリーは笑顔で、動く階段や一段だけダミーになっている階段、扉のフリをしている壁などの事を話した。

曰く、普通の通路を歩くより、よっぽど楽しい!と。

彩芽にとっては意味の分からない仕掛けだが、人によってはそうとれるのかと、感心して相槌を打った瞬間、彩芽は前を歩いていた生徒が止まった事に気付く。

と、同時に、前方から風船から空気が漏れるときの様なけたたましい音が聞こえた。

 

「ピーブズだな」

 

ジョージが呟いて、フレッドがあぁと相槌を打った。

 

「パーシーの奴、からかわれておかんむりだぜ、きっと」

 

言い終えないうちに、甲高い声が意地悪そうなからかいの声を上げるのが聞こえ、次いでピーブズを怒鳴る声が響く。

 

「ほらな、おかんむりだ」

 

ひょいと肩をすくめてニヤリとするフレッドに、ジョージもニヤリとやり返す。

 

「監督生殿は気難しいからな。後で慰めて差し上げなければ」

 

彩芽は何もしない方が喜ばれるだろうと思いつつも何も言わず、代わりにパーシーとは誰かと尋ねた。

ガラガラと音がして、再び動き出した人混みについて行きながら、双子達はこれはしまったと大げさに嘆いた。

 

「我々とした事が、大切な兄弟を紹介しそびれていたとは!」

 

それから双子は交互にパーシーの物まねを交えて、グリフィンドールの監督生で、規則にうるさく、頭が固い自分達の兄の1人だと説明した。

彩芽はそれを聞きながら、なんだかんだ言いつつも2人が笑顔なのを微笑ましく思う。

 

やがて一行は、穴をくぐってグリフィンドールの談話室に着いた。

彩芽には見慣れない、丸い造りのその部屋は、寮のシンボルカラーの赤がふんだんに使われた派手な部屋だった。

先程双子が実演して見せた通りの口調で、パーシーが男女それぞれの寮に入るよう促す。

彩芽は男子寮に向かう双子とリーに「おやすみ」と「今日はありがとう」を言うと、「また明日」と笑顔で手を振る3人にほんの少し口元を緩め、小さく頷いて自分の部屋に向かった。

 

 

 

 

 




◇特に捻りもなくグリフィンドォオオオル!多分双子と列車で同じ部屋に居なければ、彩芽はスリザリンだっただろう。勝負はコンパートメントの場所取りから始まっているのだよ◇


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女の子たち

◇ハリポタ世界に憧れ、ホグワーツ入学を夢見た事はあります。ただ、毎日同じ部屋に友達(もしかすると友達になれないかもしれない)がいるという状況に馴染めそうにない。以前2週間ほど仕事で寮生活したけどマジ無理ってなった◇


「あら、あなた今までどこにいたの?」

 

彩芽が自分のトランクが置かれたベッドに辿り着くと、隣のベッドで荷を解いていた少女がそう声をかけてきた。

彩芽はそれに、いつも通りの無表情で返す。

 

「後ろの方に」

 

栗色のふわふわした長い髪の少女は、彩芽のその言葉にほんの少し眉をひそめる。

 

「そう、ならいいけど。1年生はみんな前の方にいたから、少し気になってたの。あなた、合言葉ちゃんと聞いた?」

 

少女の言葉に、彩芽は首を振る。

 

「やっぱり」

 

合言葉は『カプート ドラコニス』よと言って、少女は少しばかり大きめの前歯をみせて笑った。

 

「私の名前は……」

 

「ハーマイオニー・グレンジャー」

 

少女が名乗る前に彩芽が遮って言う。

驚いた顔をしたハーマイオニーに、彩芽は組分けで聞いた……とタネを明かした。

 

「待って、あなた今年の新入生全員の名前を覚えてるの?」

 

彩芽はそれにまさか、と肩をすくめる。

もっとも、傍目にはほんの少し肩が揺れた程度にしか見えなかっただろうが。

 

「ハーマイオニーだけ。……私も読んだの、ホグワーツの歴史」

 

あの時は誰が言ったか分からなかった彩芽だが、組分け帽の時にハーマイオニーが返事をした声で気付いていた。

ハーマイオニーは頬を赤くして、自分と同じ様に『予習』をしてきた人物がいた事に嬉しくて笑みをこぼした。

 

「私もあなたの名前を知ってるわ、アヤメ。だって、あなたってばとっても目立ってたもの!」

 

クスクスと笑うハーマイオニーに釣られそうになり、彩芽は慌てて口元を引き締める。

 

「ただいま彩芽、上手くバケツに突っ込ませたぜ。ところで……今はもう笑ってもいいんじゃなかったのか?」

 

するり、と音もなく現れ、彩芽の首に巻きつく氷炎。

彩芽がそれに答える前に、ハーマイオニーがわぁと声を上げた。

 

「それ、あなたのペット?とっても可愛いわね!」

 

ふさふさと白く滑らかな毛並みの氷炎に、ハーマイオニーはそう言って手を伸ばす。

 

「撫でられんのあんま好きじゃないんだけど」

 

氷炎が大人しく撫でられながらも愚痴をこぼすのを聞きながら、彩芽はハーマイオニーに「厳密にはペットじゃないけど、私の」と答える。

 

「ペットじゃないの?……うーん、よく分からないけど、確かふくろうと猫とヒキガエル以外は、認められてなかったんじゃないかしら?」

 

入学許可証の2枚目を思い出しながら言うハーマイオニーに、彩芽はコクリと頷いた。

 

「大丈夫、校長の許可はあるから」

 

ハーマイオニーはダンブルドアの許可があるなら安心ねと言って、小さな欠伸を1つ漏らす。

 

「あらやだ、ごめんなさい」

 

恥ずかしそうにするハーマイオニーに、彩芽は首を振って辺りを見る。

部屋の中に深紅のカーテンがかかった天蓋付きベッドは4つ。

そのうち2つはすでにカーテンを閉めている。

 

「今日はみんな疲れてるから。……また明日、ゆっくり話しましょう?」

 

「ええ、そうね」

 

頷いたハーマイオニーに、彩芽はかなり神経を集中して笑顔をみせた。

 

「おやすみ、ハーマイオニー」

 

「……おやすみ、アヤメ」

 

頬を染めて、ハーマイオニーは「あなたもっと笑った方がいいわ」と一言告げてベッドに入る。

彩芽はそれを見届けて、自分もベッドに入りカーテンを閉めた。

 

「良かったじゃん、友達できて」

 

パジャマに着替える彩芽を見ながら、氷炎が呟く。

彩芽はそれに、しーっと人差し指を唇に当てた。

 

「言葉が私にしか通じなくても、泣き声は聞こえてるのよ。黙って寝なさい」

 

言いながら、彩芽はベットから降りる。

 

「……どこ行くんだよ」

 

「歯磨き」

 

囁くように聞いた氷炎に、彩芽は短く答えてカーテンの向こうへ消えた。

足音すら立てずに気配を消して移動する彩芽に、氷炎は他の人間には「きゅー」としか聞こえない呟きを漏らす。

 

「食事らしい食事もしてないのに、歯磨きねぇ」

 

自分の食事の心配もしながら、氷炎は目を瞑る。

主人の彩芽同様、異国の土地は、未だに慣れなかった。

 

 

 

 

翌朝、昨日早く寝たおかげか、同室の女の子たちは全員早起きだった。

いつも通り早朝に起床した彩芽は、身支度を整えた後、静かにベッドの上で待っていた。

 

ホグワーツは石造りの城。

壁も床も石なので冬は随分と冷えそうだが、グリフィンドールのカラーである赤と金が使われている絨毯やカーテンは、見た目には暖かそうだ。

恐らく4つの寮内は、それぞれのカラーで統一されているのだろう。

グリフィンドールは赤と金。

スリザリンは緑と銀。

ハッフルパフは山吹色と黒。

レイブンクローは青と銅。

 

スネイプはスリザリンの出身だからか、深い緑と銀の組み合わせを好んでいた。

暖色系のグリフィンドールに対し、レイブンクローの寒色系の寮は、夏場は涼しげでいいかもしれない。

考えながら、彩芽は目だけで部屋の中を見回す。

 

女子と男子の寮は完全に分かれており、その中でさらに、数人単位で部屋が振り分けられていた。

今、彩芽が座っているベッドを含め、この部屋には4つのベッドがある。

ベッドはカーテンで仕切れるようになっており、今彩芽のベッド以外は閉まっていた。

スネイプと過ごして少しは慣れたかと思ったが、共同生活はまだ少し気が張る。

今は氷炎がいるが、その内1人になる。

その時、他人が数人もいる部屋で、果たして無防備に眠れるだろうか?

 

彩芽が考えている間に、ドアから一番遠いベッドの気配が強くなった。

目が覚めたらしい。

しばらくごそごそと動いた後、シャッとカーテンが開かれる。

 

「あっ……」

 

目が合った瞬間、相手は驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。

 

「ごめんなさい、まさか起きてるとは思わなくて。昨日は挨拶出来なかったわね、私、パーバティ・パチル」

 

額にかかった黒髪を後ろに流してそう名乗った彼女は、かなり可愛い容姿をしていた。

黒髪、黒目というのは同じだが、パーバティはどちらかと言えば中東系の顔立ちをしている。

自分も名乗りながらそう考えていた彩芽の耳に、またカーテンの開かれる音が聞こえた。

 

「あら、もう起きてたのね」

 

ハーマイオニーが彩芽とパーバティに向かって笑いかける。

 

「ラベンダーは?まだ寝てるの?」

 

ハーマイオニーの問いに、パーバティが頷いた。

 

「多分ね。彼女、朝は少し弱いって昨日言ってたわ」

 

自分以外のルームメイトが打ち解けている事に少し驚く彩芽。

昨日双子に連れられている間に、随分と出遅れてしまったようだ。

最も、だからといって焦る彩芽でもないが。

 

パーバティが起こした方がいいかしら、と呟いたと同時に、残るベッドからもぞもぞと動く音がした。

 

「みんな、もう起きたのぉ?」

 

寝ぼけ眼でカーテンを開いた女の子は、彩芽を見て「わぉ!」と声を上げた。

 

「あなた、昨日の組み分けで見たわ!同室だったのね!」

 

いきなりパッチリした目でそう言われ、彩芽は瞬きをする。

背後の氷炎が背中をツンツンと押して、ようやく口を開けた。

 

「彩芽・水無月。よろしく」

 

ようやくそう言えば、ラベンダーと呼ばれた女の子は屈託ない笑顔を見せた。

 

「私はラベンダー・ブラウン。こちらこそよろしくね!」

 

 

 

 

その後、4人で話をしながら身支度を整える。

会話の内容は他愛もない事だったが、何が面白いのかみんなクスクス笑いっぱなしだった。

 

彩芽はすでに支度が終わっていたため、ベッドに座って眺めているだけだったが、彼女たちが随分と時間をかけることにまず驚いた。

4人の中で1番時間がかかるのが、1番朝の弱いラベンダーだった。

パーバティが、すでに綺麗な黒髪を丹念に丹念に梳くのも不思議だったが、ラベンダーが髪をアップにしては崩し、横に結んでは崩すのを繰り返す姿は、もはや理解不能だった。

しかも結う度に誰かに意見を求め、褒められてもしばらくすると唸りながらまた結い直すのだ。

 

ある意味、彩芽も支度に時間はかかるほうだが、初めて見る女子の身支度というものに、彩芽は完全に呆気にとられていた。

……もちろん、顔には出さずにだが。

 

その点、ハーマイオニーは少し時間がかかった程度で身支度は終えたが、彼女の場合は鞄に教科書を詰め込む作業の方が長かった。

明らかに今日必要ではないものまで入れようとしている。

 

「ハーマイオニー?今日は魔法薬学の教科書はいらないはずでしょ?」

 

パーバティが見つけてそう言うと、ハーマイオニーは頷いた。

 

「ええ、でも、持ち歩いてないと不安なの。もしかしたら、別の教科で必要になるかもしれないし……」

 

そう言いながら次に手にしたのは、薬草学の教科書。

やはり今日は使わないものだ。

パーバティは呆れた顔でそれを見て、肩をすくめた。

 

「あなた、入る寮を間違えたんじゃないの?」

 

「いいえ、間違っていないわ。まあ……確かに少し、レイブンクローになる可能性はあったみたいだけど」

 

「私の姉妹は、レイブンクローに入ったわ。一卵性の双子だから、てっきり一緒の寮になると思ってたんだけど」

 

「パドマだっけ?昨日聞いたわ。でも、レイブンクロー生って、ちょっと頭が良いのを鼻にかけたところがありそうよね」

 

パーバティの言葉に、今度はお下げにして鏡と睨めっこしていたラベンダーが顔を上げて言った。

ハーマイオニーが少しムッとして、パーバティが眉をひそめた。

それでようやく失言に気付いたのか、お下げを解きながら「あくまで一般論としてよ?」と付け加えるラベンダー。

彼女に悪気はなく、本当についうっかり口を滑らせたようだ。

 

「……朝食の時間、始まるから行くわ」

 

気まずくなりそうな雰囲気をものともせず、彩芽はそう言って立ち上がった。

 

「待ってアヤメ、私も一緒に行くから」

 

何冊かの入りきらなかった本を戻し、鞄を掴むハーマイオニー。

 

「私はまだちょっと時間がかかりそう。先に言ってて」

 

「じゃあ、私はラベンダーと後から行くわね」

 

2人の言葉に頷いて、ハーマイオニーが行きましょうと彩芽の背を押す。

これで今後誰と行動するかが決まったな、と呟く氷炎に、彩芽は無言のまま首を傾げた。

 

 

 

氷炎の言う通り、気付くと広間やクラスで座る際にはハーマイオニーと一緒に座ることが当たり前の様な流れになっていた。

パーバティとラベンダーも一緒に座ることが多く、彩芽はそれが不思議で仕方がない。

別に嫌ではないが、何故常に一緒に行動するのか分からない。

氷炎はそんな彩芽に、思春期のガキってのはそういうもんなんだよと言った。

 

 

不思議ではあったが、ハーマイオニーと授業を受けるのは楽しい事だった。

レイブンクローになる可能性もあったというだけあって、彼女はとても博識だ。

祖母に習ってすでに実践したものが多い中、ハーマイオニーとは授業内容より1つ上の話が出来る。

 

スプラウトが教える薬草学は、城の裏にある温室で行われ、そこで魔法界で使う植物やきのこの育て方や効能などを勉強する。

すでに教科書を熟知しているハーマイオニーと彩芽は、先生がさり気なく説明に混ぜた教科書に載っていないちょっとした小ネタを完全に拾うことが出来た。

例えば、発光きのこは土の質によって光の色を変えるが、上手くすれば7色に発光させることが出来るとか、蜜サボテンの針にある毒は育て方によっては猛毒になる恐れもある、など。

 

闇の魔術に対する防衛術の授業では、クィレルがひどくどもりながら説明するため、お互いに確認し合いながら授業を受けることが出来た。

この授業は本当に曲者で、教室はにんにくの臭いで満たされ、教師はどもりつっかえ説明する。

集中して理解しろという方が無茶なようだが、授業内容は意外にしっかりしていた。

どもったりつっかえたりさえしなければ、クィレルの説明は教科書を要領良く要約し、初心者に分かりやすく噛み砕いたものに思えた。

 

水曜の真夜中に行われる天文学の授業は、彩芽にとって興味深いものだった。

というのも、陰陽道を習得する上で、星を読むというのは基礎中の基礎。

当然、彩芽も得意とする分野だが、西洋と東洋の違いが随所に表れていて面白い。

もしも魔法薬学がなければ、彩芽の好きな授業1位は天文学だったかもしれない。

 

反対に、最下位の授業は魔法史だ。

教科自体は好きなのだが、ビンズがひたすら教科書を読み上げるだけの授業はなんの意味も見いだせなかった。

せめて、ほんの少しでも間に雑学を入れてくれればいいのにと、彩芽は思わずにはいられなかった。

 

授業は大体2寮の合同となるため、数日もすれば各寮の同級生も大体把握できた。

寮ごとの特色はまだ入学したばかりだというのにすでに現れ始めている。

授業態度だけで言えば、グリフィンドール生は全体的に騒がしく、レイブンクローは真面目、ハッフルパフは目立たないといった具合だ。

自寮の天敵、スリザリン生との合同授業は、メインイベントとでも言いたいのか、週の最後に残されている。

水曜の天文学の授業の後、彩芽は明日はついに魔法薬学の授業だと気付いた。

 

「私、先輩に聞いたんだけど、魔法薬学の先生ってスリザリンの寮監らしいのよね」

 

いつもより少し遅めの就寝にも係わらず、ラベンダーは寝る前のお肌のケアを忘れない。

彼女が液体やクリームを顔に塗りたくる間、明かりを消すわけにもいかないため、彩芽たちも起きて待っている。

いつもならどこの寮の誰がかっこいいかという話題を振ってくるパーバティだが、今日は少し違った。

 

「ああ、セブルス・スネイプね。食事の時に見かけたけれど、あの人ってば酷い顔よね」

 

ラベンダーが容赦ない感想を述べると、パーバティも頷く。

 

「まあ、あまり見られた容姿ではないわね。けど、問題は中身よ。あの先生、すっごく意地悪で有名みたい。出身もスリザリンらしくて、すごく贔屓するみたいよ」

 

「でも、先生でしょう?あんまりそういう事言うのは良くないと思うわ」

 

ハーマイオニーがそう言えば、ラベンダーは「おぉお!」と声を上げた。

 

「ハーマイオニーってば優等生ぶって!あなただって、スネイプがイケメンだとは思ってないでしょう?」

 

「私は顔の話をしているわけじゃないわ」

 

かなりムッとした様子で、ハーマイオニーが反論する。

どうもこの2人は合わないようだと、彩芽はぼんやりと考えた。

 

「アヤメは?どう思う?」

 

パーバティが話を振って来て、彩芽は少し考えて口を開いた。

 

「私は、かっこいいと、思う」

 

「はぁ?どこが!」

 

ラベンダーが素っ頓狂な声を上げる。

入学前に見た、生徒のレポートを採点していた姿や、慣れた手つきで調合をする仕草。

それらを彩芽はかっこいい姿だと思ったのだが、当然パーバティたちには通じなかった。

 

「あなたって、悪趣味だわアヤメ。……もしかして眠いの?」

 

尋ねられて、彩芽は頷く。

正確には睡魔とは別の怠さに襲われているのだが、寝るのが一番な事に変わりはない。

 

「ほら、さっさと塗り終わりなさいよ」

 

パーバティがラベンダーを急かして、明かりを消す準備を始める。

おやすみを言い合って、ベッドに潜り込んだ彩芽の耳に、ラベンダーの声が聞こえた。

 

「まあでも、彩芽とスネイプって案外お似合いかもね。彩芽が陰気って事じゃなくって、ええとほら、美女と野獣的なあれでよ?」

 

ハーマイオニーの憤慨したような鼻息と、パーバティのため息を最後に、彩芽の意識は落ちて行った。

 

 




◇ハーマイオニー「美女と野獣の主役は私よ!」
女子のワイワイ、書いてて楽しかった。ラベンダーがとんだKYですまんかった◇


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体調不良

◇しかしスリザリンの寮が地下牢ってイジメかな?地下室じゃなくて地下牢ってどういうことだってばよ◇


翌朝、ハーマイオニーはまだ少し腹を立てているらしく、ラベンダーたちとの会話もそこそこに、かなり早めに寮を出た。

一緒に引っ張ってこられた彩芽は、大広間でハーマイオニーと黙々と朝食をとる。

 

「ねえアヤメ、どうしてあなた道に迷わないの?」

 

ついに1度も迷わず大広間の朝食を食べに来れたと喜ぶハリー達の声を聞きながら、ハーマイオニーがずっと気になっていた事を聞いた。

他の1年生に比べれば、ハーマイオニーはかなりスムーズに移動できる方だった。

だが、彩芽はそれ以上に道を迷うことがなかったのだ。

 

彩芽は、ぼーっと教師陣の食事を眺めていた顔をハーマイオニーに向ける。

 

「……何?」

 

「だから、どうして道に迷わないのかって……ちょっとアヤメ!」

 

「迷うよ、たまに」

 

答えた彩芽の肩を掴んで、ハーマイオニーは心配そうに顔を覗きこむ。

 

「そんなことより、あなた大丈夫?なんて顔してるの、まるで今にも死にそうよ!」

 

「……そう?」

 

小首を傾げて自分の頬に手を伸ばす彩芽。

その手を握って、ハーマイオニーは驚きの声を上げた。

 

「冷たすぎるわ!今すぐ医務室に行くべきよ!」

 

「…………大丈夫だから」

 

彩芽はそう言って、ハーマイオニーの手から抜け出す。

ハーマイオニーはそれに厳しい顔をしながらも、無理に医務室に連れて行こうとはしなかった。

代わりに、彩芽の目の前にマーマレードをたっぷり塗りたくったトーストを置く。

 

「いいわ、けれどアヤメ、何か食べないと私、マクゴナガル先生に言って貴女を医務室に連れて行ってもらうわよ!」

 

「……頑張る」

 

仕方なく、といった風にもそもそと食べだした彩芽を、ハーマイオニーはそれでも心配そうに眺める。

そのやり取りに気付いたのか、少し離れた場所で食事をしていたフレッドとジョージがわざわざ荷物を動かしてまで彩芽の目の前の席を陣取ってきた。

 

「どうしたんだ?」

 

「顔色が悪いな。体調不良か?」

 

心底心配そうな様子で尋ねかけるフレッドとジョージに、彩芽はフルフルと首を振る。

ホグワーツで最も有名な問題児、双子のウィーズリー。

ハーマイオニーは2人が彩芽に話しかけるのを快く思ってはいなかったが、彩芽自身が双子に好意を抱いているのは知っていたので黙って眉だけひそめた。

 

「ちゃんと飯食ってるか?」

 

「本当に顔色が悪いな。医務室に行かないのか?」

 

「……大丈夫」

 

彩芽の言葉に、双子は顔を見合わす。

大丈夫には全く見えない。

 

「今日の授業は何なんだ?」

 

「スリザリン生と合同で、魔法薬学よ」

 

ジョージの問いかけには、彩芽ではなくハーマイオニーが答えた。

それを聞いた途端、双子は信じられない!とばかりに目をぐるりと回す。

 

「あんな授業サボっちまえ!ぜひ医務室に行くべきだ!」

 

「そうだぜアヤメ、最高の口実じゃないか!」

 

勢い込んで説得にかかる2人を見て、ハーマイオニーは冗談じゃないと憤った。

 

「口実ですって?アヤメは本当に体調が悪いのよ!それに、授業をサボるなんて冗談でも言わないで頂戴!」

 

双子はハーマイオニーにも信じられないと言わんばかりの目を向けて首を振る。

 

「君って本当、パーシーそっくりだ!絶対にいい監督生になるだろうさ!」

 

「それと言っとくけど、魔法薬学は本気で……」

 

「魔法薬学、好きだから」

 

ハーマイオニーにイライラと当たりだした双子を見て、彩芽はそう言ってジョージの言葉を遮る。

喧嘩するのを見たくないというのもあったが、純粋に、彩芽はこの学科が好きだった。

 

ほら御覧なさい!と言うようにフンと鼻を鳴らすハーマイオニー。

フレッドとジョージはそれに顔をしかめつつも、初めて彩芽と会った時、彩芽が魔法薬学の教科書を熱心に読んでいたのを思い出す。

 

「分かったよ、アヤメ」

 

「でも本当に辛くなったら絶対誰かに言えよ?」

 

それに静かに頷いた彩芽。

その目の前の皿には、トーストが半分以上残ったままになっていた。

 

 

 

 

魔法薬学の授業は、地下牢で行われる。

冷やりと肌寒く、壁に並ぶホルマリン漬けの標本が不気味な、なんとも辛気臭い場所。

担当のセブルス・スネイプは、まさにその教室に相応しい雰囲気で、全身黒尽くめの格好をしている。

グリフィンドール生は、他の上級生からスネイプは自分が寮監のスリザリンをえこ贔屓して、他寮を減点ばかりしてくると聞いていたが、それはすぐに真実であると証明された。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

ハリーを指名し、スネイプは意地悪い顔で答えられないハリーをなじる。

ベゾアール石の見つけ方、モンクスフードとウルフスベーンの違いを更に尋ね、どちらも答えられないハリーをせせら笑うスネイプ。

 

彩芽は最初の質問からずっと手を上げっぱなしのハーマイオニーとそれを無視し続けるスネイプとを交互に見やる。

ハリーはそれに気付いたわけではないだろうが、分からないと答えた後「ハーマイオニーに質問してみたらどうでしょう?」と言った。

 

「座れ!」

 

立って手を上げていたハーマイオニーにピシャリと言ったスネイプは、その横でじっと自分を見上げている彩芽に目を止める。

感情のこもらない目で見上げてくるその少女に、スネイプはほんの少し顔を引きつらせて名前を呼んだ。

 

「ミス、ミナヅキ!」

 

「はい」

 

「先程の質問は聞いていたな?ポッターの代わりに答えてみろ」

 

立ち上がった彩芽は2度、3度瞬きをし、そして口を開いた。

 

「最初の質問の答えは、別名を生ける屍の水薬ともいう眠り薬。ベゾアール石は、山羊の胃から取り出す石で、大抵の薬に対する解毒剤になるもの。魔法薬の材料を取り扱っているお店なら、大抵取り扱っています。最後の質問は、違いはない、というのが答えです。どちらも同じとりかぶとの事を指し、他にも、アコナイトと呼ばれることもあります」

 

スラスラと答える彩芽に、クラスの全員が目を見開いた。

特にグリフィンドール生は、答えられた事もそうだが、何よりこんなに長く喋る彩芽を見るのが初めてだったからだ。

唯一、ハーマイオニーだけは悔しそうにしながらも、笑って彩芽を見ていた。

 

「……正解だミナヅキ」

 

唸るようにそう告げて、スネイプはクラスを見回した。

 

「諸君、何故今のをノートに取らんのだね?」

 

その声に、ガサゴソと鞄を漁る物音が響く。

スネイプは未だ自分を見つめたままの彩芽にフンと鼻を鳴らすと、ハリーの態度が悪かったとグリフィンドールを減点した。

そのくせ、彩芽には加点がなかった事に、グリフィンドール生は眉をひそめる。

 

その後も、スネイプは前評判通りの活躍をみせた。

2人1組でおできを治す薬を調合させる時も、長く黒いマントを翻しながら見回り、何かにつけて注意していく。

ただし自寮のドラコ・マルフォイだけは、角ナメクジの茹で方について「完璧」だと褒めた。

 

「……アヤメ、大丈夫?」

 

鍋を緩慢な動作で混ぜる彩芽に、ハーマイオニーは心配そうに小声で尋ねる。

彩芽はそれに頷きかけて……。

 

スネイプが、ドラコの茹でた角ナメクジをみんなに見るようにと言った瞬間、地下牢いっぱいに緑の煙が広がった。

シューシューという音に目を向ければ、丸顔のネビル・ロングボトムが大鍋を溶かして薬をかぶり、体中におできを作って痛みに呻いている。

 

「バカ者!」

 

杖を一振りして床に広がった薬を取り除くと、スネイプはネビルの近くまで行って見下ろした。

 

「おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに、山嵐の針を入れたんだな?」

 

おできが鼻にまで広がりシクシク泣き出したネビルを、スネイプは他の生徒に医務室に連れて行くよう指示する。

そして隣だったハリーとロンを見て、何故注意しなかったのかと睨んだ。

 

「奴が間違えれば自分の方がよく見えると考えたな?グリフィンドールはもう1点減……」

 

「アヤメ!!」

 

スネイプが言い終えないうちに、ハーマイオニーの叫び声が教室に響く。

誰もが驚いて振り向く中、スネイプだけは、驚くほど素早い動きを見せていた。

 

「くぅっ……!!」

 

ジュワッと音がして、スネイプのマントの一部が煙を上げる。

大鍋に向かって倒れかけた彩芽を間一髪で引き寄せたスネイプ。

引き寄せた時に当たって揺らした大鍋から零れた薬が、彩芽に当たらないよう庇った結果だった。

 

「っ何をしているミナヅキ!!全身おできだらけになりたいのか!」

 

怒鳴るスネイプに、近くにいた生徒の1人がヒッと小さく声を上げる。

しかし、怒鳴られた本人はぐったりしたまま動かない。

 

「あの、先生……彼女、朝から顔色が悪くて……」

 

尻すぼみになるハーマイオニーの言葉に、スネイプは彩芽を抱えて立ち上がると上から怒鳴りつけた。

 

「何故それを知っていて放っておいた!グリフィンドールはもう1点減点!」

 

真っ青になるハーマイオニーには目もくれず、スネイプはそのまま大股で扉に向かう。

 

「今日はここまでだ、各自キチンと後片付けをして帰りたまえ。出来ていなかった組は呼び出すのでそのつもりでだ!」

 

言い終えて、スネイプは彩芽を抱えたまま教室を後にした。

驚きで固まった生徒達が、困惑の表情でお互い顔を合わせる中、ハーマイオニーは顔を覆って泣いてしまった。

 

 

 

 

 

スネイプは教室を出た後、医務室ではなくすぐ側の自室に向かった。

部屋に入り、自分のベッドに彩芽を寝かす。

生気のない白い顔は、人形のようだと感じる。

彩芽が整った顔立ちである事も、それを際立たせていた。

 

体調不良だと、グリフィンドールの女生徒が言っていたのを思い出す。

確かに、言われてみれば顔色は良くなかったが、スネイプはそれに気付かなかった。

熱を測ろうとスネイプが額に手を伸ばしかけた時、するりと白い毛の動物が現れた。

彩芽がいつも首に巻いていたペットだと気付き、スネイプは特に警戒せず眺める。

きゅー、と鳴いたと思ったら、それはおもむろに彩芽に覆いかぶさった。

 

「何を……」

 

いくらペットとはいえ、体調の悪い主人の顔に乗っかるなと言いたい。

スネイプは引きはがそうとして、手を止める。

 

「……ん」

 

彩芽の目が開いて、スネイプを捉えた。

 

「私……」

 

呟いた彩芽にスネイプが答える前に、氷炎が前足で額を叩く。

 

「気ぃ失うとか、失態過ぎだろこの阿呆!だから加減に気をつけろっつったのに。お前、鍋に突っ込みかけて、そいつに助けられたんだぞ」

 

「……理解した」

 

記憶が途切れる寸前の事を思い出し、彩芽は体を起こした。

不可解そうに見下ろすスネイプを見て、頭を下げる。

 

「ごめんなさい、セブルス」

 

怒られるだろうか、と顔を上げた彩芽に、スネイプは尋ねる。

 

「お前は、その動物と会話が出来るのか?」

 

予想外の質問に、彩芽は瞬きの後、頷いた。

 

「はい。……氷炎は、私の『式神』ですから。こちらで言う、使い魔の様なものです」

 

使い魔、とスネイプは呟く。

ペットとは違い、使い魔ともなればそれなりの能力が伴う。

そう言われれば、と、日本で彩芽がこの動物に冷気を吐き出させていたのを思い出す。

夏場、幾度となく首に巻かれた毛を見て暑くないのかと疑問に思ったが、ようやく合点がいった。

 

「それより、セブルス。傷の手当てをさせてください」

 

彩芽がそう言って手を伸ばすが、その手が届く前にスネイプは身を引いた。

 

「結構だ。我輩、自分の事は自分でできるのでね。それよりも、今後このような事が起こらぬ様にしていただきたいものですな」

 

「……はい」

 

頷いた彩芽に、スネイプはそれで、と尋ねる。

 

「一体、何が原因で我輩の授業中に倒れたのだ」

 

彩芽は無言で見返した。

 

「俺にエサをやり過ぎたんだよ」

 

彩芽の代わりに、氷炎が答えるが、当然スネイプには分からない。

大体言葉が通じたところで、「エサ」で分かるはずがない。

そこも分かるように説明するとなると、少し面倒だ。

 

「ミス、ミナヅキ?答えたまえ」

 

「……体調管理がなっていませんでした」

 

要約すれば、こうだろう。

彩芽の答えに、スネイプは眉を寄せた。

納得のいく答えではなかったのだろう。

 

「今後、気を付けます」

 

彩芽が重ねて言うと、スネイプはフイと背を向けた。

庇ったときにおできの薬を被ったのだろう、肩の辺りが膨れている。

 

「特に怪我もないようだ、寮に戻りたまえ」

 

突き放すように言われ、彩芽はそれがどうしてか分からず困惑する。

だが、言う通りにベッドから下りて、ドアに向かった。

 

「ありがとうございました、セブルス」

 

「我輩は、言ったはずだ」

 

最後に一礼した彩芽に、スネイプはやはり背を向けたまま言った。

 

「保護者である前に、教師であると。軽々しくセブルスと呼ぶな馬鹿者っ」

 

「…………はい、スネイプ先生」

 

小さな返事の後、ドアが閉まる音がして、スネイプは薬棚に近づいた。

おできを治す薬を手に取って、小さく息を吐く。

 

彩芽が大鍋に倒れるのを見た瞬間、息が止まった。

怪我がないと分かればホッとし、気を失っているのを見て取り乱しかけた。

……確実に、振り回されている。

それが酷く腹立たしい。

さらに、彩芽がスネイプに対してとる態度が、腹立たしさを助長させた。

憎らしいほど、常に平常心。

振り回されているのが自分だけの様な気がして、スネイプは苛々としながらおできを治し始めた。

 

 

 

 

「まさかとは思うけど、あの陰険野郎の言う事真に受けたわけじゃねぇよな?」

 

グリフィンドール寮に向かう道すがら、黙々として喋らない彩芽に、氷炎が問う。

 

「まぁ、確かに人前で呼び捨てはまずいだろう、立場的に。でも、そんだけの事だろ?」

 

氷炎はスネイプの心情を察っしていた。

ああいう面倒臭いタイプは日本にもいる。

元々、彩芽の式神になる前は人間の心の隙間を見つけては広げ、悪事を起こさせるのが趣味だった氷炎。

人の心の機微には敏感だ。

 

「……ベッドが、なくなってた」

 

「は?」

 

何の事かと思い、氷炎はさっきの部屋を思い出す。

そういえば、スネイプが彩芽の場所だと言って出したベッドが無くなっていた。

 

「いや、そりゃあ隠すだろ。他の生徒に見つかっても面倒だろうし」

 

「怪我の手当ても拒んだ」

 

氷炎の反論に、すぐさま次の言葉を吐き出す彩芽。

 

「おでき見られたくなかったんじゃないの」

 

「背を向けた」

 

「あー、あのな?」

 

「馬鹿と言われた」

 

「…………」

 

氷炎は口を閉じた。

これは言っても無駄だ。

彩芽は悪意には敏感だが、その分好意には驚くほど鈍感なところがある。

真っ直ぐな好意ですら、なんとなく程度にしか感じないというのに、捻くれた好意なんて無いも同然、最悪捻くれた部分しか分かってもらえない。

式神である氷炎は、集中すれば彩芽と意識を共有できる。

その薄れゆく意識の中で見た、倒れる彩芽に駆け寄るスネイプは、明らかに彩芽を案じていた。

そう彩芽も思ったからこそ、先程の突き放す態度により傷ついたようだ。

ああ、自分を心配してくれたのだと思ったけれど、勘違いだったみたいだ、と。

 

氷炎が話しかけなければ、彩芽は滅多に喋らない。

そのまま無言でグリフィンドールに辿り着き、彩芽は太ったレディの前に立った。

 

「じゃあ、俺は持ち場に戻るから」

 

氷炎が言って、走り去るのを目で追う彩芽。

姿が見えなくなって、彩芽はレディに合言葉を伝える。

 

「カプート・ドラコニス」

 

太ったレディはその言葉に頷いて、道を開けてくれた。




◇映画版のスネイプの登場シーンカッコよすぎんだろ。しかしスネイプ先生は本当に大人げない残念な大人だなぁ……。
あと、もう気付かれていると思いますが双子が好きです◇


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友人たちの心配

◇ハリポタ読んで、わあ、美味しそう~!って思ってからイギリスの家庭料理の本を図書館で借りた時のあの衝撃。なんか思ってたのと違う……◇


談話室のソファーの1つで、ハーマイオニーは涙ぐみながら彩芽が帰るのを待っていた。

授業から帰って来てすぐはラベンダーとパーバティが一緒にいたが、ラベンダーの「でもアヤメはスネイプの事かっこいいって言ってたし、むしろラッキーだったんじゃない?」という不用意な一言のせいでハーマイオニーの怒りを買って退場となった。

その後、同じく彩芽が気になっていたハリーとロンもハーマイオニーの側にいたが、ロンの「どうせなら本当に鍋をひっくり返してスネイプにぶっかけてやればよかったのに!」という彩芽への危険性を考えない発言のせいで、こちらもやはり退場となった。

 

事情を知らない上級生の何人かは何事かと声をかけるが、ハーマイオニーはただ首を振るだけで泣いてしまう。

これはそっとしておいた方がいいと周りが判断した頃、他の1年生から事情を聞いたらしいフレッドとジョージが、血相を変えて談話室に流れ込んできた。

 

『アヤメがスネイプに連れさらわれたって本当か?!』

 

見事なハモリで尋ねる双子に、ハーマイオニーは授業での事を話す。

 

「私、すぐに医務室に行ったの。けど、マダム・ポンフリーは医務室には来てないって……」

 

「何だって?」

 

「じゃあアヤメは……どこに行ったんだ?!」

 

双子の言葉に、ハーマイオニーは首を振る。

 

「これは一大事だぞ、兄弟」

 

「あぁ、問題はどこにいるかだ」

 

何としても救出しなくては、と双子が額を寄せた瞬間、談話室の扉が開き黒い塊が這い登ってきた。

 

「ごめんなさいハーマイオニー、……驚かせてしまって……」

 

言いながら、小走りにハーマイオニーの元へ駆け寄る彩芽。

ハーマイオニーはそれに、無言で抱きしめた。

 

「無事だったのかアヤメ!」

 

「何か嫌な事はされなかったか?!」

 

余りにきつく抱きしめてくるハーマイオニーに目を見開いて固まる彩芽。

更に同時に、両サイドから双子に詰め寄られ、彩芽は何事かと思いながら首を振る。

 

「大丈夫、何も……」

 

「あなたの大丈夫は信用できないわ!」

 

答えようとした彩芽の言葉を遮り、ハーマイオニーは体を離す。

 

「私、本当に心配したんだから!あなたが大鍋に向かって倒れた時、心臓が止まるかと思ったわ!」

 

目にいっぱい涙を溜めて訴えるハーマイオニーに、彩芽は驚きを隠せない。

珍しく……本当に珍しい事だが、明らかに狼狽して彩芽は眉を下げた。

 

「大丈夫よハーマイオニー、大鍋の中身被ったっておできが出来るだけで死にはしないし……」

 

「そういう問題じゃないわ!」

 

言い訳は、火に油だったようだ。

ハーマイオニーの剣幕に黙って聞いていた双子も、彩芽にそうだぞと怒り出す。

 

「アヤメは女の子なんだから、体中おできまみれなんてとんでもない!」

 

「そうさ、おできもだけど、火傷したらどうするんだ!」

 

「しかもスネイプに連れさらわれて……」

 

「俺らがどんなに心配したのか分かってるのか?」

 

彩芽は怒っている3人を見回して、目を伏せて「ごめんなさい」と謝った。

その声は、少し震えている。

しおらしいその姿に、3人はようやく許す気になったようだった。

 

「とにかく、無事でよかったわ。今度具合が悪い時は、お願いだから医務室に行って頂戴ね」

 

ハーマイオニーの言葉に、双子がへぇ?とはやし立てる。

 

「やったな!」

 

「具合が悪いって言えば、サボり放題だぜアヤメ!」

 

ハーマイオニーは双子をジロリと睨んで、「あなたたちと違って、彩芽はそんな事はしません!」と言ったが、彩芽がそっとハーマイオニーから視線を外すのを双子は見落とさなかった。

 

「さて、ここで1つ、我々から女王様にお願いがあるのですが」

 

コホン、という咳払いの後、フレッドが唐突に話を切り出す。

女王様、というのが自分を指しているのだと気付き、彩芽は少しばかり眉をひそめた。

 

「この後予定はおありですか?もしなければ、我々は女王様をある場所へ案内差し上げたいのです」

 

ジョージの言葉に、彩芽はハーマイオニーを振り返る。

予定など特にはないが、なんとなくハーマイオニーと過ごすのだと思っていたのだ。

 

「いってらっしゃい、アヤメ。私はここで待ってるから」

 

いつもなら、双子が絡むと嫌な顔をするはずのハーマイオニーがそう言って微笑んだので、彩芽は不思議そうに小首を傾げる。

彩芽を心配していた双子を見て、今、ハーマイオニーは2人に対して少し寛大な気持ちになっていた。

もちろん双子の悪戯騒ぎに辟易して、数日後には元に戻るのだが。

しかし、双子は当然!とばかりに「お許しが出たぞ!」「さぁ、いざ行かん、我らが女王の為に!」等と叫びながら、半ば強引に彩芽を引きずって行った。

 

 

 

玄関ホールに続く大理石の階段を下りた後、左に曲がりドアを通って石段を下りる。

 

「女王様、女王様、お足元にお気をつけ下さい」

 

「ご安心を!もし足を踏み外された時は、我らが下敷きになりましょう!」

 

双子はこの『女王様と下僕』ごっこが気に入ったらしく、案内する間始終この調子だった。

最初こそ「女王じゃない」と訂正していた彩芽だったが、途中から面倒になって放っておく事にした。

飽きればやめるだろう、と。

 

「さぁさぁ、この緑の梨をくすぐり下さい!」

 

「このあたりです、女王様」

 

松明に照らされた広い石の廊下。

そこにずらりと飾られた絵の中の1つで立ち止まると、双子はそう言って彩芽に促した。

言われるまま梨を指でくすぐれば、梨は身を捩って笑い、緑の取っ手に変化した。

 

「隠し扉……?」

 

呟く彩芽の頭上で、ジョージとフレッドがニヤリと顔を見合わせる。

 

『さぁ、開けてみて!』

 

声を合図に、彩芽は取っ手を掴み、開く。

 

中は、入り口からは想像できないほどの広さだった。

 

彩芽はしばし考えた後、ここが直接大広間の真下に位置している事に気付く。

並べられた4つの長テーブルは、それぞれの寮のテーブルと同じ位置にあるはずだ。

 

毎食、突然現れては消えるあの食事は、ここで用意されているのだろう。

 

「アヤメ、こっちこっち!」

 

フレッドに呼ばれて奥へと進むと、ジョージが日本の小鬼によく似たシルエットの、目がやたらと大きな生き物に話をしていた。

彩芽はそれが本で読んだ『屋敷しもべ妖精』だと気付き、ジョージとフレッドは一体何がしたいのだろうとぼんやり眺めていた。

 

「お嬢様、お嬢様、こちらにお座り下さい!」

 

彩芽がキィキィと甲高い声に振り向くと、何人かの屋敷しもべ妖精が机と椅子を運んできていた。

彩芽が意図を測りかねて突っ立っていると、隣にいたフレッドが背中を押して座るよう促す。

よく分からないまま座った彩芽の目の前を、テーブルクロスやら水差しやらと、しもべ妖精達が綺麗に整えていく。

 

「ジョージ、フレッド?」

 

ディナーでも始まろうかという勢いに、彩芽は不思議そうに双子を見上げた。

 

「見た通りさ、アヤメ」

 

フレッドはそれにニコニコと答える。

 

「今から食事をしてもらおうと思って」

 

その言葉に合わせるように、彩芽の目の前にコトリとスープ皿が置かれる。

彩芽は給仕してくれたしもべ妖精に軽くお礼を言いながら、何故?と尋ねた。

 

「何故、じゃないよ。アヤメ、君、気付かれてないと思ってたのか?」

 

軽く驚いた様子でフレッドが肩をすくめ、ジョージがとにかくスープを飲むよう勧める。

奇妙な黄土色のスープを眺め、彩芽は気が進まないながら、せっかく用意してくれたのだからと、「いただきます」と小さく呟き口をつけた。

 

「……味噌汁?」

 

口をつける瞬間の香りと、その味。

具もないし、だしをとっていないのだろう、その微妙な味噌の味のスープは、それでも味噌汁と呼ぶ以外にはないだろう。

思わず漏れた呟きに、双子は揃って破顔した。

2口、3口とスプーンを口に運ぶ彩芽を見ながら、ジョージは説明する。

 

「アヤメがちゃんと飯食ってないのには気付いてたんだ、俺たち。小食にも程があるってね」

 

「そうそう、ベジタリアンでもないって言うし」

 

ジョージの言葉に頷きながら、フレッドもリーから聞いた事を話す。

 

「そこで俺たちは考えた」

 

「何か、アヤメの食が進まない原因があるんじゃないかって」

 

彩芽は聞きながら、双子を交互に見やった。

何故そこまで自分に気を使ってくれるのか分からなかったのだ。

 

「それで、他の寮にいるアジア系出身の奴に聞いてみたんだ。まあ、そいつは日本人じゃないけど。でもまさか、味付けが不満だって言われるとは思わなかったけどな」

 

「……不満というか」

 

困ったように口を開く彩芽に、ジョージが手の平を向けて微笑む。

 

「ま、いわゆるホームシックってやつさ。誰にでもある」

 

「そうさ、ママの味が恋しくて倒れて、スネイプに助けられたなんて聞くよりかはよっぽどいい!」

 

その言葉に、彩芽は複雑な気持ちになる。

 

「早く元気になって、一緒に悪戯しようぜ!」

 

フレッドが満面の笑みを浮かべるのに、彩芽は目を伏せながら頷く。

 

味噌汁の次は煮物だった。

くったくたに煮込まれた、だしもない、ちょっと醤油っぽ過ぎる味付けだったが……。

それでも久々の醤油の香りに食欲が出る。

そしてさらには、おにぎりまで出た。

何故か驚く双子に、しもべ妖精たちはダンブルドアが取り寄せたのだと説明してくれた。

 

「さすがダンブルドアだぜ!」

 

フレッドがそう讃え、彩芽も微笑する。

久々のご飯にかぶりつくと、やはり自分は日本人なのだと実感した。

 

『ご満足いただけましたか?女王様』

 

胃が小さくなっていてあまり入らなかったとはいえ、デザートの団子まで平らげた彩芽に双子がニヤリとしながら尋ねる。

修行の一環で絶食をした事もあるとはいえ、今回それなりに参っていた彩芽は、久々に満ち足りたお腹を撫でて答えた。

 

「そなたたち2人のこの偉大な奉仕は、いつか国を救う事であろう」

 

彩芽の冗談に、2人はにっこり笑ってやったな!とばかりにハイタッチする。

彩芽はそれを眺めながら、手を合わせて呟いた。

 

「ご馳走様でした」

 

その食事を食べるまでに関わった全ての人へ。

食材を育ててくれた人、加工してくれた人、揃えてくれた人、料理してくれた人……。

それらに礼を込めるこの言葉が、彩芽は「いただきます」と共に好きだった。

 

特に今回は、目の前の双子に感謝を込めて。

 

 

その日以降、彩芽の座る席には必ずおにぎりが出るようになった。

相変わらず小食気味とはいえ、ちゃんと食事をする姿に、ハーマイオニーはあからさまにホッとしていたし、双子もご飯に合いそうな料理を勧めてくれていた。

本当は、体調不良の直接の原因は食欲の問題ではなかったのだが、彩芽はそういうことにしておいた。

洋食が苦手で、常に空腹感を感じていたのは嘘ではなかったのだし。

 

 

食事の心配がなくなった彩芽はある意味無敵状態だった。

ホグワーツの構造に惑わされる事もなく、授業もそれなりにこなしていたからだ。

変身術の授業でマッチを針ではなく一本の麺に変えた以外は、ハーマイオニーに負けず劣らずの優等生っぷりを発揮していた。

(最も、これは失敗ではなくちょっとした彩芽のお茶目だったのだが誰にも伝わらなかった)

まさに、順風満帆。

 

……だがそれも、飛行訓練が始まるまでの事だった。

 

「いい?箒はこうやって握るのよ」

 

ハーマイオニーが図書館で借りた『クィデイッチ今昔』の内容を、分かりやすく説明しているのを聞くともなしに聞いていたその午後。

生徒達の待ちに待った飛行訓練が行われた。

 

「何をボヤボヤしてるんですか」

 

芝生の上に突っ立ち、まだ尚続いているハーマイオニーの話を右から左に流していた彩芽は、鋭く響いた声に顔を向けた。

 

「みんな箒の側に立って!」

 

白髪を短く切った、ボーイッシュな女性。

この授業の担当教師、マダム・フーチだ。

 

言われるまま手近な箒の側に立ち、彩芽は箒を眺める。

地面を掃くのにはあまり向かない様な箒だ。

神社の境内を掃く熊手の代わりにならなるかもしれないが。

 

「右手を箒の上に突き出して」

 

フーチの声に、皆が手を突き出す。

 

「そして、『上がれ!』と言う!」

 

次の瞬間、上がれ、上がれと声が上がった。

彩芽も「上がれ」と声をかけてみるが、箒は微動だにしない。

周りを見渡せば、ハリーを含め何人かは箒を手にしており、彩芽は再度「上がれ」と声をかける。

 

結局、箒は止めの合図があるまでに、コロリと転がっただけだった。

 

間に説明が入り、ついに飛び上がる事になった。

フーチは笛を吹く体勢に入り、カウントを始める。

 

「1、2の……」

 

3、で笛が鳴る前に、ピュウッと誰かが勢い良く浮かび上がった。

 

「こら、戻ってきなさい!」

 

フーチが怒鳴るが、制御が出来ていない事は明らかだ。

でたらめにきりもみしながら上へと上がり続けている人物に、彩芽は見覚えがある。

同じグリフィンドールのネビル・ロングボトムだ。

授業でも失敗の多い彼だが、今回もやらかしてしまったらしい。

 

「……あ」

 

滅茶苦茶に飛び回る箒の動きに耐え切れず、ついに真っ逆さまに降ってくるネビル。

彩芽は懐から和紙を取り出すと、素早く印を結び投げる。

本来紙であるはずのそれは、まるで意思があるかのようにネビルの落下地点まで滑り、ネビルを受け止めた。

ふわっと一瞬で減速させた後、彩芽はそっとネビルを支える紙に下ろすよう念じる。

 

「あわわわわわ!」

 

しかしパニックになったネビルは、あろうことか身を捩って空中で転がった。

支えていた彩芽の和紙から転がり落ちて、ネビルはべしゃりと地面に落っこちる。

 

「手首を捻った様ね……」

 

ネビルの側へ走り、屈みこんでいたマダム・フーチがそう呟いた。

ある程度下りてから落ちたため、酷い怪我はしなかったようだが、落ちた時にとっさについた手をねん挫したようだ。

涙でぐちゃぐちゃの顔をしたネビルに立つよう促すと、マダム・フーチは生徒達を見渡す。

 

「念のためこの子を医務室に連れて行きますが、その間誰も動いてはいけません」

 

グリフィンドールの生徒は神妙に。

スリザリン生はどこか人事の様な表情でそれを聞いている。

 

「箒もそのままに。さもないと、クィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいます!」

 

その言葉に、何人かがゴクリと唾を飲み込むのを確認して、マダム・フーチはネビルを抱えるようにして去っていった。

彩芽はそっとネビルが倒れていた場所まで行くと、地面に落ちた和紙を拾い上げる。

ネビルが体を捩った際、すぐさま和紙も操作したのだが……予想よりも和紙の動きは鈍く、間に合わなかった。

日本とは違う。

その差を甘く見ていたと、彩芽は和紙をくしゃりと握ってポケットに突っ込んだ。

 

「あいつの顔を見たか?あの大間抜けの」

 

静かなざわめきを破って、笑い声が上がる。

聞き覚えのある声に目を向ければ、ドラコがネビルをネタにして、心配するグリフィンドール生に突っかかっていた。

 

ネビルが落としたらしいガラスの玉をサッと拾い、なおもネビルを貶める発言をするドラコ。

今日の朝食時に、祖母から送られてきたと言っていたその『思いだし玉』を高々と上げて大笑いする。

 

「マルフォイ、こっちへ渡せ」

 

それに、静かに声をかけた人物がいた。

……ハリーだ。

 

ドラコはニヤリと笑うと、木の上に置いておくなんていうのはどうだ?とからかいながら、ヒラリと箒に跨って飛び上がった。

 

「ここまで取りに来いよ、ポッター」

 

あからさまな挑発に乗ろうとするハリーを、ハーマイオニーが止めさせようとする。

だが、ハリーは無視して箒に乗って飛び上がった。

 

ふわりと危なげなくドラコと対峙するハリー。

ワーワーキャアキャアと騒がしい周りの声を聞きながら、彩芽はそれを下から見上げていた。

「かっこいい!」という声がすぐ側で上がり、それがパーバティだと気付いた彩芽は、恐らく今日の夜の話題はこれだと確信する。

1度、ハリーはドラコに向かって突進するが、ドラコはそれをかわす。

だが、箒の動きを見る限り、ハリーの方が上手なのは分かった。

ドラコもそう思ったのだろう。

それに自分から誘っておいてなんだが、空の上では誰も加勢には来ない。

最後の悪あがきに、ドラコは何かを叫びながら思いだし玉を力の限り投げた。

 

キラキラ、日を反射しながら落ちていくガラスの玉めがけて、ハリーは身を屈めて弾丸のように急降下する。

彩芽は一瞬、ハリーが地面と激突するのではないかと息を呑むが、ハリーはすんでのところでキャッチすると、箒をぐいと引き上げて立て直し、草の上を転がって軟着陸した。

 

投げるだけ投げて地面に戻ってきていたドラコも、その様子にポカンと口を開けている。

 

「ハリー・ポッター……!」

 

見事なダイビングキャッチに場が沸きかけた瞬間、大声でハリーの名を呼びながらマクゴナガルが走ってきた。

 

「まさか……こんな事は1度も……」

 

震えながら、マクゴナガルはハリーの前で立ち止まる。

 

「……よくもまあ、そんな大それたことを……首の骨を折ったかもしれないのに……」

 

マクゴナガルは眼鏡を光らせながら、ハリーを連れて城へと帰って行く。

すっかり萎れてしまったハリーの後姿を見送りながら、彩芽は隣にいるハーマイオニーの呟きに顔を向けた。

 

「だから言ったのに……自業自得だわ……」

 

「でも、あのスリザリンのドラコ・マルフォイも同罪だと思う」

 

「そうね、私、後で先生に抗議してみるわ」

 

ハーマイオニーが鼻息荒く言った。

彩芽は入れ違いに帰ってきたフーチに目を向ける。

そして、自分の箒にも。

 

結局、ハーマイオニーの抗議は全く無駄に終わった。

ドラコはずっと地面にいたという証言がスリザリンの生徒の中から上がったからだ。

フーチ先生は怪我人がいるわけでもない状況で、延々と真偽を確かめる必要はないと判断したらしい。

もちろん、ハーマイオニーはご立腹だったが。

 

その後再開された授業で、彩芽は結局1センチすら浮かぶ事が出来なかった。

 

「魔法族の中で箒に乗れないなんて奴いるのかい?だとしたらそいつは落ちこぼれってことだろうさ」

 

授業の終わり、ドラコが他のスリザリン生に得意げにそう言っている声が聞こえて、彩芽はドラコを見た。

純血の旧家が多いスリザリンに比べて、グリフィンドール生には初めて箒に乗るという生徒も多い。

当然、上手く飛べない生徒もそれなりにいる。

それをあんな風にいう神経が分からない。

 

「気にしちゃダメよ、アヤメ」

 

ハーマイオニーがそっと彩芽の肩に手を置く。

彩芽は頷いて、大丈夫だと言った。




◇ほぼチートの彩芽ですが、イギリスでは両手両足に枷をつけて重力制御装置内にいるベジータさん()状態です。魔法の方も才能はあれど、まだ生徒の範囲を出ない上に箒に乗れないという弱点が判明◇


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決闘の夜

◇双子を贔屓し過ぎている気がするがまあいいか◇


夕食の席で、まるで来てすぐの時に戻ったかのように食欲のない彩芽を見て、ハーマイオニーは心配そうに声をかける。

 

「元気出して、アヤメ。練習したら飛べるようになるわ」

 

授業が終わった後も、ずっと沈み込んだままの彩芽。

辛うじておにぎりだけはもさもさと口に運んでいるが、目は伏し目がち、心はここに在らずといった状態だ。

もっとも、普段も元気いっぱいというわけではないので、この変化に気付いている者はほとんどいないが。

 

「大丈夫、気にしてない」

 

「もう、本当にあなたの大丈夫って当てにならないのね!大丈夫な人間は、そんなに虚ろな目をしないわ!」

 

「……大丈夫、虚ろなのは元々」

 

そんな訳ないじゃないの、と睨みつけるハーマイオニーだったが、反論しようとした瞬間、あまり聞きたくない声が聞こえてきて眉をしかめた。

 

「ああ、ポッター、最後の晩餐かい?マグルのところに帰る汽車にはいつ乗るんだ?」

 

からかいながらも、教師の目が光る大広間では滅多な事は出来ない。

代わりに、魔法使いの決闘をしようじゃないかと口にするドラコに、何の事かと眉をしかめるハリーを置いてロンが頷く。

 

「僕が介添え人をする。お前のは誰だ?」

 

ドラコは体の大きさでクラッブを選ぶと、今夜、真夜中のトロフィー室でと言い残し去っていった。

その時、彩芽はドラコの口元に嫌な笑みが浮かんでいるのを見逃さない。

その後も決闘について話し合う2人に、聞いていられないとばかりにハーマイオニーが声を上げた。

 

「ちょっと、失礼」

 

わざわざ2人の後ろへ移動して、忠告するハーマイオニー。

あからさまに嫌な顔をするロンにもめげず、寮の減点になるかもしれない、自分勝手な行動は止める様にと説得しようとする。

 

「まったく大きなお世話だよ」

 

ハリーが言って、ロンが「しっしっ」と手を振って追い払う。

ハーマイオニーはギュッと口元を結んで帰ってきた。

 

「どうかしてるわ!」

 

乱暴に腰かけると、目の前にあったパイにフォークを突き立てるハーマイオニー。

触らぬ神に祟り無しとばかりに、彩芽は黙っておにぎりで口を塞いだ。

 

 

その夜の11時半。

暗い談話室で、ハーマイオニーと彩芽は息を潜めていた。

パーバティからハリーの話を聞きそこなったなと、彩芽はちらりと考えた。

 

微かに燃え残った暖炉の火が唯一の灯りで、ハーマイオニーは意思の強い光を瞳に浮かべ、彩芽はただ、闇と同化して椅子に座っている。

 

……ギシ、ギシと音がして、ハーマイオニーと彩芽は顔を見合わせた。

見れば、男子寮から人影が2つ下りてくる。

部屋は暗かったが、目の慣れている彩芽達にはそれが誰かはすぐに分かった。

 

「ハリー、まさかあなたがこんなことをするとは思わなかったわ」

 

ぽっとランプに火を灯し、ハーマイオニーが立ち上がる。

 

「また君か!僕達に構わず寝ろよ!」

 

ロンが怒って怒鳴るのに、ハーマイオニーは監督生であるロンの兄、パーシーに言いつける事も考えたとピシャリと言い放つ。

ハリーもロンも、ハーマイオニーを世界一のお節介だと言わんばかりにしかめっ面をした。

 

「……もしかして、君も?」

 

ハリーは上下黒いパジャマを着て、音もなくハーマイオニーの隣に立っている彩芽に気付き、ややうんざりと尋ねる。

彩芽はそれに、小さく頷いて告げた。

 

「罠」

 

「なんだって?」

 

イライラとロンが尋ね返すのに、彩芽は繰り返す。

 

「これは罠。行っても、相手は来ない。あなた達は行ってはいけない」

 

何かの託宣の様なその声音に、ハリー達は一瞬言葉に詰まった。

しかし、次の瞬間ハリーはロンに行こうと声をかける。

 

「寮の事が気にならないの?」

 

だが、ハーマイオニーは諦めない。

太った婦人の肖像画の向こうまでついて行って、忠告を繰り返す。

ロンがややきつく「あっち行けって!」と言って、ようやくハーマイオニーはフンと鼻から荒い息を吐いて「忠告しましたからね!」と怒鳴った。

 

「明日家に帰る汽車の中で私の忠告を思い出しても遅いわよ。あなた達って本当に……」

 

「ハーマイオニー」

 

それでもなおブチブチいい続けていたハーマイオニーは、控えめな彩芽の呼びかけに振り向いて、固まった。

彩芽の指す肖像画の中はからっぽで、太った婦人は夜のお出かけ中のようだ。

 

「どうしてくれるの?」

 

戻れなくなったハーマイオニーは、感情的にハリー達に詰め寄った。

肖像画に婦人が帰って来るまで、中には入れない。

 

「知るもんか!」

 

ロンが言って歩き出すが、ハーマイオニーは彩芽の手を引き2人の後を追いかけた。

 

「私達も一緒に行くわ」

 

「来るなよ」

 

「ここに突っ立って退学になるのを待てっていうの?」

 

ハーマイオニーは彩芽に顔を向けると、捕まったらこの2人に証言させましょう!と提案する。

 

「あなた達は、私達があなた達を止めようとして帰れなくなったって、そう証言するのよ!」

 

彩芽がロンに目を向けると、ロンは「君の神経どうかしてるぜ!」と怒鳴っていた。

 

「シッ。なんか聞こえる……」

 

先頭のハリーがそう言い、ロンがミセス・ノリスかと暗がりを窺う。

その横を、スッとハーマイオニーの手を逃れた彩芽が通り、それに近付いた。

 

「起きて、ネビル・ロングボトム」

 

ネビルはそれにビクッとして起き上がる。

 

「ごめんなさい」

 

「えっ、あの、こっちこそ驚いちゃってごめん」

 

いきなり彩芽に謝られたネビルは不思議そうにそう返す。

 

「君、なんでこんなとこで寝てたの?」

 

ハリーの問いかけに、ネビルはそれが……と医務室から帰ってきたものの、合言葉が分からずにずっと床に丸まって寝ていたことを話した。

彩芽が婦人は出かけていて入れないと告げると、ネビルは泣きそうな顔で「そんな!」と絶句した。

 

「君、よくネビルだって分かったな」

 

ロンの言葉に、彩芽は少し首を傾ける。

彩芽は気で人を見分けるすべを持つ。

暗闇の中でさえ、それが知っている人物なら見分けがつくのだが……それを説明するのは難しい。

 

「夜目が利くの」

 

結局当たり障りない返事を選んだ彩芽。

それにふーんと頷くロンの横で、ハリーがネビルに怪我の様子を尋ねた。

 

「怪我はどう?」

 

「大丈夫。ただの捻挫だったし、マダム・ポンフリーがあっという間に治してくれたよ」

 

にっこり笑うネビル。

ロンはハリーを促す仕草をしながらネビルに言った。

 

「よかったね――悪いけど、ネビル、僕たちこれから行くとこがあるんだ。また後でね」

 

「置いていかないで!ここに1人は嫌だよ!」

 

ロンはそれに自分の腕時計を確認した後、物凄く憤った顔でネビルと彩芽、それとハーマイオニーを睨んだ。

 

「もし、君たちのせいで僕が捕まるような事になったら……」

 

「その時は、私が相手を再起不能に追い込むわ」

 

呪いをかけてやる、と言いかけたロンは、自分の言葉を遮った人物を驚いて見つめた。

隣に居たハーマイオニーたちも、驚いている。

 

「だから、静かにしましょう」

 

彩芽の言葉に、ハリーはハッとしてしーっと口に人さし指を立て、皆に目配せをした。

行こう、ということらしい。

 

夜のホグワーツは静かだった。

窓の格子から注ぎ込む月の光が、廊下の上に縞模様を作り出し、なんとも言い難い雰囲気を醸し出している。

全員が無言で、早足だった。

そのせいか、ミセス・ノリスに出くわす事もなく、まもなく全員は約束のトロフィー室に辿り着いた。

 

トロフィー室は、その名の通りトロフィーを保管している部屋だ。

薄暗い中、僅かな月明かりを反射して、棚のガラスや中のトロフィーが時折キラリと輝きを放つ。

その一つに妙な引っ掛かりを覚え、彩芽は首を捻った。

知らない名前のはずだが、そこに書かれた名前を見た瞬間、目が止まった。

それが何故か、今の彩芽には分からない。

だが、それは意味がある事の様に思えた。

 

マルフォイたちを警戒して、両側のドアを見つめて杖を構えるハリーたち。

ハーマイオニーとネビルすら警戒する中で、彩芽だけは手ぶらでそのトロフィーを見続けていた。

 

「アヤメ、君も構えろよ」

 

ロンがそれに気付いて囁くが、彩芽はチラリとロンを見るだけで何もしない。

それにハリーたちが眉をしかめた瞬間、隣の部屋で物音がして、彩芽以外の4人は飛び上がった。

 

「良い子だ。しっかり嗅ぐんだぞ……」

 

聞こえてきたその声に、4人は凍りつく。

それは他でもない、フィルチの声だった。

ハリーは急いで皆に手を振り回し合図すると、フィルチとは反対側のドアへと音を立てないよう走る。

彩芽は最後尾のネビルを目で追いながら、懐から出した札を一枚、小さな呟きと共に口にくわえた。

 

「どこかこの辺にいるぞ。隠れているに違いない」

 

ネビルがドアの向こうへ消えたと同時に、フィルチがミセス・ノリスと部屋に入って来る。

不思議な事に、1人と1匹は目の前の彩芽には全く気付いていなかった。

彩芽はフィルチたちが部屋を念入りに調べているのを見ながら、そっとドアの向こうへと出る。

 

しんとした夜の廊下。

このままいけば、無事にグリフィンドールに帰れるだろうと彩芽が口から札を外しかけた瞬間……。

うわー!という叫び声と、何か重い金属物が盛大に倒れる音。

 

「逃げろ!」

 

というハリーの声が聞こえ、フィルチが物凄い形相でドアから顔を出して走り出す。

 

「…………」

 

彩芽はそれを見送って、少し考えた後、口から札を外して静かに歩き出した。

 

迷いのない足取りで、着いた場所は4階の禁じられた廊下だった。

鍵の掛かったドアの前まで来ると、彩芽はドアに背を向けて待つ。

ここに来るという確証はなかったが、勘がここだと告げていた。

そしてそれは、ヘタな推理よりもよく当たる。

 

だが、彩芽の姿を見つけて駆け寄ってきたのはハリーたちではなかった。

 

「……ここで何をしている?」

 

彩芽はしまった、と眉を寄せ、小さなため息を吐いて1歩前へ出た。

遠くにいるハリー達の気配を探っていたため、近くの気配に気付くのが遅れた。

 

「こんな夜遅く、校内をうろつく事がどういうことか……もちろん君には分かっているはずだがね?ミス・ミナヅキ」

 

一瞬、目の前の人物の記憶を消してしまうことも考える。

だが彩芽はすぐにその考えを打ち消した。

彼にそんな事はできない。

彩芽は目の前で自分の答えを待っているスネイプを見上げる。

 

「減点ですか?先生」

 

「いや、いや……」

 

チッチッチッ、と舌を鳴らし、スネイプはニヤリと笑った。

たとえ自分が後見人を務めている相手でも、グリフィンドール生相手に減点できるのは嬉しいらしい。

彩芽はそう判断するが、スネイプの本心は少し違った。

確かにそれもあったが、規則破りをした事実を内心嬉しいと感じていたのだ。

そう、馬鹿な話だが、人の心というのは簡単に変えられるものでもない。

自覚しただけ少しはマシになったものの、スネイプは未だに彩芽をヴォルデモートに重ねてしまう事があった。

なので、撫子のごとく入学早々に罰則ものの行動をとっている場面を見て、スネイプは嬉しかったのだ。

 

「罰則だ、ミナヅキ。我輩はこれを、君の寮監と校長に伝える義務がある。話は明日、我輩から直接お聞かせする事になると思うが……マクゴナガル先生は、一体君から何点減点されるか、非常に楽しみですな」

 

意地悪く笑みを浮かべるスネイプに、しかし彩芽は動じずに告げた。

 

「……ならば、問題ないです」

 

問題ない、と言う彩芽に怪訝な表情を浮かべるスネイプ。

そして意地の悪い笑みを消すと、真面目な顔で再度問う。

 

「ミナヅキ、もう一度問う。ここで何をしていた?」

 

「……寮まで送ってください。話は後日」

 

スネイプはそれに眉間の皺を3つほど増やすと、バサリとマントを翻して歩き出す。

付いて来いという事だと判断して、彩芽は小走りにその後を追う。

2人の姿が見えなくなってすぐ後、バタバタと4人のグリフィンドール生が駆け込み、鍵の掛かった部屋の中に入った。

間一髪、スネイプに見つからずにすんだ事には、もちろん気付く事もなく……。

 

談話室までスネイプに送ってもらい、帰ってきたハーマイオニーに置き去りにしてごめんなさいと泣きつかれた次の日。

彩芽はハーマイオニーがハリーたちとかなり険悪な雰囲気になっている事に気付いた。

 

と、いうよりかは、ハーマイオニーが一方的にハリーたちに腹を立てていると言った方が正しいかもしれない。

ハリーたちも、むしろハーマイオニーが無視をしていてくれる方がありがたいとばかりに振る舞うので、彩芽はこの事については何も言わない事に決めた。

仲直りする気のない人たちに、何を言っても無駄だろう。

 

 

 

 

 

「ミナヅキ、来なさい」

 

夕食の後、寮に帰ろうとした彩芽をスネイプが呼び止めた。

一緒にいたハーマイオニーは不安そうに彩芽を見るが、本人はそれを分かっていた様に頷く。

 

「ハーマイオニーは先に帰っていて」

 

「ええ……」

 

言われて、ハーマイオニーはスネイプと彩芽を交互に見やりながら頷いた。

だが、その横からにょきっと腕が4本現れ、彩芽を拘束する。

 

「ちょっと待ってアヤメ!」

 

「君、正気かい?」

 

双子の出現にスネイプは鼻に皺を寄せるが、双子達は構うもんかと彩芽を自分達の方へ引き寄せた。

 

「フレッド、ちょっと痛い」

 

「あ、ごめん」

 

ぎゅうと抱きしめているフレッドに抗議の声を上げ、彩芽はその手から抜け出す。

そして、自分とスネイプの間に立っているジョージの背を軽く叩くと、振り返った顔に頷いた。

 

「ありがとう、2人とも。でも、大丈夫だから」

 

「大丈夫だって?!」

 

フレッドが叫ぶ。

 

「君の大丈夫が当てにならない事は、もう充分に知ってるよ!」

 

ジョージの言葉に、彩芽は少しだけ困ったように首を傾ける。

 

「ウィーズリー、我輩はミナヅキに用がある、どきたまえ!」

 

でなければ、罰則だぞというスネイプの顔に、双子もやればいいさとばかりに対抗する。

ハラハラとそのやりとりを見守っていたハーマイオニーは、向こうからマクゴナガルがやってくるのを見て、ホッとため息を吐いた。

 

「何事です、ウィーズリー!……スネイプ先生、これは?」

 

睨み合う3人を見て、マクゴナガルはスネイプに尋ねる。

それにスネイプが答える前に、双子が勢い込んで喋った。

 

「マクゴナガル先生、アヤメを連れて行こうとするんです!」

 

「彼女は何もしていないのに!」

 

マクゴナガルはそれだけで全てを察したようだった。

彩芽の背を押してスネイプの方にやると、行きなさいと促す。

そして、文句を言う双子の攻撃に対抗した。

 

「いいから、貴方達は早く寮にお戻りなさい!」

 

彩芽はその様子を心配そうに振り返ったが、スネイプに促されて、仕方なくその場を後にした。

 

無言で前を歩くスネイプの背をひたすら追う。

やや早足でついていけば、着いた先はスネイプの部屋だった。

薬品の独特の匂いが鼻につく。

地下にあるためか、どこかひんやりしたその部屋に入るなり、スネイプはドアを閉めて彩芽を睨んだ。

 

「アレの守りに、お前も関わっていると聞いた」

 

「はい」

 

躊躇無く答える彩芽に、スネイプの眉間の皺が更に深まる。

 

「我輩は、君からその事を聞いておらん」

 

「……言った方がよろしかったですか?スネイプ先生」

 

「…………我輩は」

 

スネイプは口元を歪めた。

 

「確か、君の保護者だったと思ったが」

 

「はい、後見人だと聞いております」

 

小首を傾げる彩芽に、スネイプはドン!と近くの机を叩く。

 

「何故黙っておったのだ!」

 

彩芽は、その言葉に少しばかり口を尖らせた。

氷炎がこの場に居れば、驚きに目を丸くしただろう。

彩芽がこんな風に感情を表現するのは久しぶりの事だった。

 

「先生は、保護者である前に教師だと仰いました」

 

言って、彩芽は目を伏せる。

 

「先日も、倒れたところを助けてくださったのに、セブルスと呼んだら怒りました」

 

その子供じみた言葉に、スネイプは眉間の皺をもう1本増やす。

彩芽としては、かなり頑張って思った事を伝えていた。

だが、スネイプにはそれが分からず、ただ息を吐くのみだった。

 

「……とにかく、本当なのだな?」

 

呟いて、スネイプは何かを考え込むそぶりを見せる。

彩芽はそれを見ながら不安な気持ちになった。

アルバスは甘えろと言ったが、やはりそれは間違いだったのだ。

 

「お前が守りに加わっている事は、校長の他には、誰が?」

 

「アルバスと、あとマクゴナガル先生も」

 

それを聞いて、スネイプはフンと鼻を鳴らす。

 

「なるほど、そして……我輩は蚊帳の外だったというわけですな?」

 

「マクゴナガル先生は、寮監ですし……」

 

「さよう、そして我輩は保護者だ。どうやら、保護者というのはかなり立場の低いものらしいですな」

 

「…………」

 

しゅんとしてしまった彩芽を見て、スネイプは少し眉間の皺を緩めた。

 

「……それで、もちろん君は、我輩にそれを教えてくれるのでしょうな?一体どんな魔法を施したのかね」

 

彩芽はそれにしばし無言でスネイプを見つめていたが、ややあって、息を吐いて答えた。

 

「……感知する術を。誰かがアレを手にした途端、私とアルバスにはそれが分かる様に」

 

実際はまだその術を施してはいないが、ダンブルドアと話し合ってそうする事はすでに決めてある。

スネイプは目を細めて彩芽を見るが、嘘を吐いているのかどうか分からない。

内容的には怪しいところもなく、スネイプは結構、と頷いた。

 

「それならば貴様に害が及ぶ事もあるまい」

 

彩芽はその言葉に目を瞬かせた。

 

「……心配、ですか?」

 

「……っ誰が!!我輩はただ、校長から任されたのだ!保護者として、お前の身の安全を守る事を」

 

それだけだ、と吐き捨てるスネイプに、彩芽はやや残念そうに目を伏せた。

けれど、すぐに気を取り直したように表情を戻すと、スネイプに尋ねる。

 

「では先生、もう帰ってもよろしいですか?」

 

スネイプはしばらく彩芽を見つめた後、「構わん」と一言、手を振った。

 

「だが、いくらアレに関わっているとはいえ、次に寮を抜け出してうろついているのを見つけたら、誰が何と言おうと罰則を受けてもらうぞ」

 

「はい」

 

頷いて、彩芽は部屋を出る。

スネイプはしばらくその後ろ姿を見送った後、疲れた様にため息を吐いた。

 

 

 

しばらくして寮に戻った彩芽を、ハーマイオニーはホッとして、双子は凄い剣幕で出迎えた。

 

「大丈夫だったかアヤメ!」

 

「一体何の話だったんだ?」

 

「大丈夫、大したことじゃないから」

 

「大したことじゃない、だって?」

 

「そりゃ、俺らだってお前を連れてったのがスプラウトだとかフリットウィックだったら何にも言わないさ!でも相手はあのスネイプだぜ?!」

 

「そうだとも、えこ贔屓!グリフィンドールの敵!陰湿陰険根暗のスネイプ!」

 

「……本当に、大したことじゃないよ」

 

スネイプに連れて行かれた理由をしつこく聞いてくる双子を、のらりくらりとかわす彩芽。

ハーマイオニーにだけは、昨晩姿をチラリと見られたみたいだと、ほんの少しの真実で納得させた。

 

「それ、大変じゃない!減点されたりとか……」

 

「ううん、されなかった。でも、疑われてるみたいだから、しばらくは大人しくする事にした」

 

「当り前よ!貴女また抜け出す気だったの?」

 

ハーマイオニーは、金輪際ベッドから抜け出すのを許してくれそうにない表情で、彩芽を睨んだ。

納得のいかない双子は、隙を見ては彩芽の口を割らせようと企んでいたが、一週間ほどで他に興味を移した。

 

と、いうのも、ハリーが競技用の箒を手に入れ、さらにそれがニンバス2000だと分かったからだった。

その箒は大勢の生徒が食事をしている最中に、大きなフクロウ6羽で運び込みテーブルのど真ん中に落とすという、とても目立つ方法でハリーの手に渡った。

 

「信じられないわ!本当に!」

 

グリフィンドール寮の誰もがハリーの箒を羨ましがる中、ハーマイオニーだけは怒っていた。

相変わらずハリー達とは仲の悪いまま。

彩芽はそんなハーマイオニーをなだめつつ、クィディッチの熱気に高まっていくホグワーツの雰囲気を、不思議な思いで感じていた。

 




◇スネイプ「べ、別にアンタの事なんか全然心配してないんだからね!」
彩芽「アッハイ……(´・ω・`)」

ツンデレって相手に相当の理解力というか読解力がないと全力のATフィールドですよねぇ◇


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ハロウィン

◇トイレのハーマイオニーさんの回◇


気が付くと、ホグワーツに来てから2ヶ月ほどが過ぎていた。

その日の朝、彩芽は廊下を漂う甘い匂いに半ば胸焼けしながら目を覚ました。

廊下にいても、教室にいても、どこもかしこも甘ったるい。

今日はハロウィーンだと少しウキウキした声でハーマイオニーが教えてくれて、彩芽はようやく納得する。

実際に体験したことはないが、知識としては知っていた。

 

「かぼちゃのメニューがたくさん出るんですって!」

 

ラベンダーの弾んだ声に、くすくすとパーバティが笑う。

 

「いいの?あなたダイエットがどうとか言っていたじゃない」

 

「いいのよ、お祭りは楽しまなくっちゃ!」

 

ラベンダーは呪文のように「かぼちゃジュース、パンプキンパイ、かぼちゃアイス、パンプキンステーキ」と口ずさみ始める。

パーバティはそれを聞きながら、今日のために用意したらしいジャックオーランタンの髪留めで髪を飾った。

 

ハーマイオニーもハロウィンの事は楽しみなようで、本で読んだハロウィンの起源と魔法界のハロウィンにまつわる知識を披露してくれた。

もっとも、ラベンダーには「授業を受けてる気分になるから止めて!」と不評だったが。

 

Trick or Treat?

悪戯かお菓子か。

他者にその二択を迫り、お菓子がなければ強制悪戯。

その二択を迫られた時のために、今日はお菓子を持ち歩いた方がいいと、彩芽はハーマイオニーにお菓子のおすそ分けをもらった。

なんだかんだで楽しそうなハーマイオニーを見ていると、彩芽も嬉しくなってしまう。

寮を出た瞬間、待ち構えていた双子達の襲撃もお菓子を渡してなんなく通り過ぎる。

来年は日本の和菓子を用意しようかと、彩芽にしては珍しく先の事を楽しみに考えた。

 

ところが、幸せなムードは一気にぶち壊しになってしまった。

それは呪文学の授業の後。

運悪くペアにされたハーマイオニーとロンの間で何か問題があったらしく、授業が終わるなりロンは、ハリー向かって不満をぶちまけていた。

 

「まったく悪夢みたいだよ。自分の頭の良さをひけらかして、本当に鼻持ちならない奴だ!知ってるか?あいつ、寮の部屋の中でも浮いてるらしいぜ。アヤメがいるから辛うじて独りじゃないってだけでさ」

 

たまたま後ろにいた彩芽は、ロンを蹴り飛ばしてやろうとしたが、隣にいたハーマイオニーの方が一瞬早く嗚咽を漏らす。

ハッとして彩芽がハーマイオニーを振り向くのと同時に、彼女は涙を落として走っていってしまった。

 

「今の、聞こえたみたい」

 

「それがどうした?」

 

ハリーが呟き、ロンは少しバツが悪そうに、それでも虚勢気味に言う。

彩芽は今度こそ、ロンを後ろから思い切り蹴った。

背の低い彩芽の蹴りに丁度膝カックンの要領で倒れたロン。

 

「痛い!何だよいきなり……」

 

彩芽はそのロンを静かに見下ろすと、いつも以上に平坦な声音で一言呟く。

 

「呪われろ」

 

青くなるロンとハリーを置き去りにして、彩芽はハーマイオニーを追って走っていった。

 

 

 

 

彩芽が追いついた時には、ハーマイオニーはすでに女子トイレの個室の1つに閉じこもってしまっていた。

外から呼びかけたが、泣くばかりで会話にならない。

授業をすっぽかしたハーマイオニーと彩芽を心配して探しに来たパーバティとラベンダーにも、ハーマイオニーは1人にして欲しいと泣くばかりだった。

 

「…………落ち着いた?」

 

長い時間が経った。

少し離れたところで壁に寄りかかっていた彩芽は、すすり泣きが小さくなったのを見計らって、ポツリと呟くように話しかける。

ハーマイオニーは一瞬息を呑み、次に鼻をすすった。

 

「気配が無いから、私てっきり、アヤメもパーバティ達と行ったんだと思ってたわ」

 

「いかない。ハーマイオニーと一緒に、ハロウィンのご馳走食べるの楽しみにしてたから」

 

「ごめんなさい、私……」

 

「だからハーマイオニーと一緒にいる。ご馳走より、こっちの方がいいもの」

 

言い切った彩芽の言葉に、ハーマイオニーは笑った。

カチャ、と錠の外れる音に、彩芽は個室に歩み寄る。

出て来たハーマイオニーは泣き腫らした目で、でも少しだけ笑ってくれた事に、彩芽も微笑みを向けた。

 

「あなたって、本当に……」

 

言いかけたハーマイオニーの顔が強張る。

ツン、と鼻にくる悪臭と気配に、彩芽も背後を振り返った。

ヒッと息を呑む声が側で聞こえる。

彩芽は冷静に、相手と自分の力の差を推し量っていた。

 

背の丈4メートルほどの、ずんぐりとした体型の生き物。

巨体とちぐはぐな小さな頭と、バランスとしては長すぎる両腕。

そして、手には巨大な棍棒。

トロールという生き物だと知識から分かったが、トロールは普通、いきなり女子トイレに現れたりしない。

頭を屈めて扉から入って来たトロールは、彩芽とハーマイオニーを見てブグォオーと鳴いた。

 

「アヤメこっち!!」

 

とりあえず動きを封じるのが先かと、懐に手を伸ばした彩芽は、その腕をぐいと強く引かれた。

奥へと逃げるハーマイオニーと彩芽を、トロールは棍棒を振り回して近付いていく。

 

「ハーマイオニー、手を……」

 

放してと言う前に、トロールが洗面台をなぎ払った。

それに恐怖したハーマイオニーは、悲鳴を上げて正面から強く彩芽を抱きしめる。

状況が見えなくなったのと同時に、ハリーとロンの気配……次いで声が聞こえて、彩芽はハーマイオニーの腕から出ようともがく。

恐怖で加減を知らないハーマイオニーの抱擁はきつく、彩芽は苦戦した。

 

物を投げたり叫んだりして、トロールの注意をハーマイオニーと彩芽から逸らさせようとするハリー達。

恐怖のあまりすくんで動けなくなったハーマイオニーの腕をこじ開けて、彩芽はようやく自由に動けるようになった。

 

ヒトガタを取り出した彩芽の前では、ハリーがトロールの頭にしがみついていた。

トロールの鼻からは長い棒が。

そして、ロンが杖を取り出して構えた。

 

「ウィン」

 

ロンの口から出た呪文の音に、彩芽もヒトガタを放って短く印を結ぶ。

 

「ガーディアム レヴィオーサ!」

 

棍棒が持ち主の手から飛び出し、宙で一回転してから頭めがけて落ちた。

鈍い嫌な音がして、トロールはドサッとうつ伏せに倒れる。

その頭を、メリッと嫌な音が鳴るほど強くヒトガタが押さえつけた。

万が一意識を取り戻しても、起き上がるのは困難だろう。

 

「これ……死んだの?」

 

ハーマイオニーが恐る恐る尋ねる。

彩芽はそれに、小首を傾げた。

 

「いいえ、まだ息はある。……殺したほうがいいの?」

 

ブンブン首を振るハーマイオニーに、改めてハリーが気絶しているだけだと言って、トロールの鼻から杖を引き抜いた。

ねっとりしたものが杖に付着しているのを嫌そうに見て、ハリーはトロールのズボンでそれを丁寧に拭う。

 

と、バタンとドアが音を立てて開き、次いでマクゴナガル、スネイプ、クィレルの3人がなだれ込んできた。

唇を蒼白にしたマクゴナガルに、ハリー達はうな垂れてしまう。

 

「マクゴナガル先生、聞いてください――2人は私を探しに来たんです」

 

「ミス・グレンジャー!」

 

彩芽はチラ、とハーマイオニーを見た。

トロールをやっつけようと探しに来たと、嘘をつくハーマイオニー。

 

「アヤメは私を止めようとしてくれたんです。私はそれを無視して……ハリーとロンも……」

 

こんな回りくどい嘘を言わなくとも、他にもっといい言い方があるんじゃないかと思いつつ。

二人を庇う言葉に、彩芽もその通りだというように頷く。

ハーマイオニーは真実を知られたくないらしい。

ならば、私はハーマイオニーの嘘に付き合うまでだと彩芽は思った。

 

マクゴナガルはハーマイオニーの無謀さを怒り5点を減点した。

ハーマイオニーはそのまま帰るように言われ、彩芽の方を心配そうに見た後トイレから出て行った。

その後、ハリーとロンに向き直り、マクゴナガルは幸運だったと念を押して2人に5点ずつ与えた。

 

「ミス・ミナヅキ、あなたは差し引き0です。止めようとしたのは分かりますが、だからといって一緒になってついて行ってどうするんですか。とにかく、このことはダンブルドア先生にご報告しておきます。帰ってよろしい」

 

言われて、ハリー達はトイレから出る。

スネイプと視線を合わせた彩芽は、眉間の皺の本数にサッと顔を背け、無言でハリー達を追った。

スネイプはいつだって、彩芽に対して怒っている。

何に対して、どうして怒っているのか。

それが分からないから、彩芽は困ってしまう。

 

階段を上がっても、ハリーもロンも黙っていた。

彩芽は、まだロン達に少しだけ腹を立てていたが、階段を上がりきったところで待っていたハーマイオニーの顔を見て、それは忘れる事にする。

 

気まずそうな空気の後、ハーマイオニーとロン達は、互いに「ありがとう」と呟いた。

 

「君、まだ怒ってる?」

 

ロンが黙ったままの彩芽を恐る恐るといった風に振り返った。

彩芽はそれに、ちょっとだけ口の端を吊り上げる。

 

「まだ使った事のない呪いがあったのだけど、……試せなくて残念」

 

ロンは顔を引きつらせ、ハリーは少し考えてクスクス笑った。

 

「ロン、君、呪われずにすんだみたい」

 

「いやいや、アヤメのそれ、洒落になってないよ……」

 

ロンは泣きそうな顔で、それでもホッとしたように笑った。

それを見てさらに笑ったハリーの声を合図に、4人はグリフィンドール寮へと急いだ。

 

「ねえ、アヤメ」

 

走りながら、ハーマイオニーはニコリと笑った。

 

「ありがとう」

 

彩芽も、それに笑い返す。

その笑顔に3人は驚いて、そしてまた笑うのだった。

 

 




◇もしもハーマイオニーが彩芽の視界を塞がなかったら……女子トイレでスプラッタ事件が起こっていた可能性もあるわけです。今回から週一更新に速度を落とします。◇


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クィディッチの熱気

◇サッカーより野球派の私には、クィディッチの良さは正直ちょっと分からない。サッカーじゃなくてバスケットボールに似ているらしいですが。でもスニッチは綺麗だと思う。部屋にペット感覚で放したい◇


ハロウィンが終わると気温は一気に急降下した。

畳とは違うシンと冷えた石の床は、それだけで目が覚める。

未だに女子寮の中では素足で歩いていた彩芽も、諦めて靴を履いたまま過ごす事を決心した。

 

そんな小さな決心をしている彩芽をよそに、周囲では「クィディッチ」の話が頻繁に飛び交うようになっていた。

グリフィンドールの秘密兵器、ハリー・ポッター。

期待、妬み、羨望、不安、様々な感情が言葉と共に交錯する。

特に第一試合のグリフィンドールの相手、スリザリンからの暗い思念の数々は、魑魅魍魎の格好の餌だと彩芽は思った。

 

その感情の渦中にいるハリーは、毎日毎日猛特訓を続けていた。

ハーマイオニーとロンと共に、彩芽はこっそり練習の応援に行った事もあったが、ホグワーツ……いや、魔法界を魅了しているこのスポーツの良さがいまひとつ理解できない。

ハリーがハーマイオニーから借りて夢中で読んでいる「クィディッチ今昔」も読んでみたが、こちらもピンとこない。

ハリーや双子が出るということで興味がないわけではなかったが、そこまで熱くなれない彩芽を、ロンはまるで『愛くるしい子猫を可愛くないと言い切る人でなし』を見るような目で見た。

彩芽はそんなロンの視線はスルっと無視したが、内心でクィディッチに熱くなれない理由はなんとなく分かっていた。

 

箒で空を飛び、空中でボールを投げたり掴んだり、小さくて高速で動くスニッチを捕まえる。

その困難さがよく分からない。

何故なら彩芽は、箒がなくても自由に空を飛ぶことが出来たし、逆に箒では1ミリだって浮く事が出来なかったからだ。

 

 

ハリーがデビューを決める試合の前日、彩芽はハーマイオニーたちが中庭に行こうと誘ってきたのを断わって箒置き場にいた。

いよいよ、ホグワーツ中を熱くさせる寮対抗のクィディッチが始まる。

その前にどうしても箒で飛んでみたかったのだが、今日も今日とて箒は掲げた手と「上がれ」の合図も虚しくコロリとしかしない。

またがって飛ぼうとしてみたものの、浮き上がる気配もない。

やはり無理かと、彩芽はボサボサ枝の箒を無言で返した。

 

「おや、誰かと思えば……ハリー・ポッターのガールフレンドの1人じゃないか」

 

その瞬間、背後から聞こえたのは鼻についた声。

誰かは考える事もなく分かり、彩芽は慌てずゆっくりと振り返った。

 

「ポッターは一緒じゃないのか?それとも、明日の試合にビビッてトイレから出てこれないのか?」

 

ゲラゲラ、嘲る様な笑いがドラコの両脇から上がる。

彩芽は相手が黙るのを待って、そして言葉を返した。

 

「あなたは……いつもボーイフレンドたちと一緒ね」

 

「なんだと……?」

 

バカにされたと一瞬で顔を赤くするドラコに、彩芽は落ち着いて言葉を重ねる。

 

「言葉、おかしかった?……男の子の友達が2人だから、ボーイフレンドたち」

 

淡々とした彩芽の言葉に、ドラコは怒鳴ろうと開きかけた口をパクパクさせる。

 

「……違うの?」

 

重ねて聞かれて、ドラコは疑いの眼差しを彩芽に向ける。

本気なのか、からかわれているのか、表情では判別できない。

彩芽はそんな戸惑うドラコに、そのまま背を向けた。

これ以上話す必要はないし、話す気もない。

 

「ま、待て!僕の話はまだ……!」

 

無言で去ろうとする彩芽に気付いたドラコが、腕を掴もうと手を伸ばす。

だが、ドラコの手が届く前に、彩芽は別の誰かに腕をつかまれ引き寄せられていた。

 

「おやおや。こんなところで何をしているのかね?」

 

「先生っ!」

 

ドラコの顔が明るくなる。

彩芽は自分の腕を掴んだ人物を見上げて、諦めたようにため息を吐いた。

腕を解放されると同時に、渋々手に持っていた札を握りつぶした。

 

「先生、コイツが僕に暴言を吐いたんです!」

 

ドラコは勢い込んでそう告げると、彩芽を見てニヤリとした。

本人は分かっていないかもしれないが、バカにする事を言ったのは本当だったので、彩芽はそれを黙って聞いていた。

 

「ほう、我輩の寮の生徒に暴言とは……」

 

ドラコは期待に満ちた目で、その言葉の先を待つ。

だが、予想していた「減点」の言葉はなく、その続きはあっさりとしたものだった。

 

「来たまえ、ミス・ミナヅキ」

 

「……はい、スネイプ先生」

 

ポカンと口を開けているドラコと取り巻き2人に背を向け、スネイプの後を追う彩芽。

曲がり角を3つ曲がってようやく足を止めたスネイプは、くるりと半回転して彩芽に向き直った。

 

「何を企んでいる?」

 

「……仰る事の意味が分かりません」

 

鼻に皺を寄せ、スネイプは重ねて尋ねた。

 

「先ほど、中庭でポッターたちが何か悪巧みの相談をしているようだったが……よもや例のアレに関係しているわけではないだろうな?」

 

彩芽はチラ、とスネイプの手にある「クィディッチ今昔」を見て、ふうと息を吐いた。

 

「悪巧みなんて人聞きの悪い事を。明日はクィディッチの試合、ハリーにとっては初陣……その緊張を紛らわせていただけだと思いますが」

 

事実、その通りだった。

例のアレに関して、ハリー達……特にハリーが、強い興味を寄せているのは確かだ。

けれども、今日の中庭に関しては、やましい事は一切ない。

 

「それよりも、私はどうして先生が中庭やここを歩いているのかを聞きたいのですが」

 

彩芽はスネイプの足元へと視線を落とす。

 

「それの手当ての方が先では?」

 

「……貴様には関係の無い事だ」

 

怪我の理由を聞かない彩芽の問いに、スネイプは唸るように答えると彩芽に背を向けた。

そのまま振り返らず去っていくスネイプは、彩芽がおできの時同様に治療を拒まれたと思い、落ち込んだのには気付きもしない。

背中が見えなくなるまで見送って、彩芽は握ったままだった手をそっと開いた。

ぐしゃりと潰された札は、あの時スネイプが止めなければドラコに使われるはずだった物だ。

彩芽が攻撃を仕掛けると分かっていたわけじゃないだろうが、スネイプは危機一髪、ドラコを守ったと言えた。

 

「腹が立ったからって、暴力はいけないわね」

 

箒に乗れなかった八つ当たりで術を使ったなんて知れれば、酷いお仕置きを受けるに決まっている。

……もっとも、その相手はもうこの世にはいないが。

 

ふと、急に寂しくなって、彩芽は人気の少ないその場から急いで移動する事にした。

同時に、胸の内にもやがかかった。

 

少し感情的になりすぎている。

それを罰する者はもういない。

それでも私は冷静でいなくては。

心の隙間は、そのまま戦いにおいての隙になる。

 

「企んでいるのはハリー・ポッターではないんですよ」

 

呟いて、彩芽は胸の前でキュッとローブを握り締めた。

 

 

 

彩芽の姿を確認して、氷炎が毛布の上で身を起こす。

4階の禁じられた廊下の下にある、以前、ダンブルドアに連れられて来た広い部屋。

ホグワーツの教師陣が様々な守りを施しているため、現在は出入りするのも困難を極めるはずの場所だが、彩芽も氷炎も出入りに不自由はない。

彩芽は以前来た際に、少し仕掛けを施しておいた。

それによって、術での行き来……簡単に言えば、どこからでも、術を発動させることでこの場所に瞬間移動できるようにしてあるのだ。

ホグワーツ内部もそうだが、対魔法に関する守りは強固でも、陰陽術に関しては抜け穴が多い。

仕方のないことかもしれないが、楽々と術をかけられるこの環境に不用心だと思わざるを得なかった。

 

「遅かったな」

 

「そう?」

 

氷炎の言葉に小首を傾げながら、彩芽はそっと隣に座る。

座った彩芽の膝に前足を乗せると、氷炎はぐいと顔を近づけた。

 

「なんにせよ腹減った。無理はしなくていいけど、ちょっと多めにくれ」

 

「謙虚なのか遠慮がないのか、よく分からない催促ね」

 

彩芽は氷炎に口づける。

そして細かく息を吹いた。

 

氷炎は元々、(あやかし)だった。

彩芽が幼い時に出会い、現在は式神として使役されている。

式神にも色々な種類があるが、氷炎は元、妖であるため、本来は放っておいても自力でエネルギー補給することが出来る。

だが、ここは英国。

気の流れが故郷とは違うため気を取り込むことが出来ず、さらには食事も洋食では食べることが出来ない。

適応すればそうでもないのだろうが、彩芽同様氷炎もなかなか土地に馴染めずにいる。

そんな氷炎の現在唯一のエネルギー補給は、彩芽から気を受け取ることだ。

一番効率よく摂取する方法が、口移し。

彩芽が気を吐き出し、氷炎がそれを吸うというもの。

 

「……これくらい?」

 

口を離して彩芽が尋ねると、氷炎は頷いた。

 

「正直もの足んねぇけどな。でもまあ、無理させたらまた気が足りなくなって倒れるかもだし」

 

スネイプの授業で倒れた事を指す氷炎に、彩芽は少しだけ不機嫌そうに声が低くなる。

 

「……加減くらい、もう分かってる」

 

「だといいけど」

 

実際問題、あの一件で無理は禁物だと彩芽は理解した。

少しくらい多めに、と思った結果、体が重くなり、元々ない食欲をさらに失くし、結果的にぶっ倒れるという失態に繋がったのだ。

 

「ホグワーツに良い霊場があれば、もっと効率が上がるのだけれど」

 

「あったとしても、日本とは気の質が違うし、それにここは意図的に閉じてるからなぁ」

 

彩芽の呟きに、氷炎が答えた。

普通、これだけの広さがあれば、どこか力の偏りというのは生まれるものだ。

その力が湧き出る場所、もしくは溜まる場所は、霊場となりやすい。

だが、魔法が暴走しない様にだろう、ホグワーツ内部は妙に気が安定している。

もう少し詳しく言えば、魔法の力は安定して多いが、自然の力が薄いのだ。

 

「ま、地道にこうやって溜めてくしかねぇだろ。無茶して失敗しても、取り戻すほどの時間は残ってなさそうだしよ」

 

氷炎の言葉に、彩芽は頷く。

敵の気配はすぐ近くにあるが、事態がすぐに動かないところを見るに、ダンブルドアは事をゆっくりと進める気なのだろう。

なら、その時間を有効に使うまでだ。

 

「……氷炎、もう少しだけ」

 

「焦んなっつってんのに」

 

苦笑しながらも氷炎は彩芽から気を受け取り、貯めておく。

いつか来るその時のために。

 

 

 

 

 

その夜、彩芽が女子寮に帰ってきたのはかなり遅かった。

 

「アヤメ、一体どこへ行ってたの?」

 

ハーマイオニーが尋ねると、彩芽は「餌やり」と短く答える。

一瞬キョトンとしたハーマイオニーだったが、すぐにその言葉の意味を理解すると、不思議そうに首を傾げた。

 

「そういえばあなたのペット……ずっと姿を見ないけど、どこにいるの?」

 

最後に見たのはいつだったかと考えていたハーマイオニーは、彩芽がベッドに潜り込んだのを見て慌てて布団を引っぺがした。

 

「ちょっと待って、あなたに話したいことがあるのよ」

 

「…………明日、聞く」

 

すでにうとうとし始めている彩芽を見て、ハーマイオニーは諦めのため息を吐く。

 

「分かったわ、じゃあ明日……ハリー、が…見た………」

 

ハーマイオニーの言葉があっという間に遠ざかる。

今なら簡単に寝首を掻かれると思いながら、彩芽は意識を手放した。

 

……手放した意識が戻って来た瞬間、彩芽がまずした事は首が繋がっている事を確認する事だった。

しっかりと繋がっているのを確認すると、次に窓の外を確認する。

今日は一段と寒く、そして快晴のようだった。

カーテンを閉め切ったベッドの上で、音を鳴らさないよう細心の注意を払いつつ、彩芽は準備を始める。

簡単な精神統一から始まり、術に使う札や道具の確認と手入れ、今日の気の流れ、自分の体調の確認。

毎朝繰り返している習慣の様なもの。

絶対しなければならないという訳でもないが、しないと一日調子が上がらない気がするのだ。

本当は朝の日課であった運動も出来ればいいのだが、さすがにベッドでは無理だった。

 

全てやり終わって、さらにしばらくして、ようやく周りからごそごそと音がし始める。

誰かが目を覚ましたらしい。

つられるようにごそごそと音が大きくなり、さらに待つと、シャッとカーテンの開く音がした。

彩芽はその音を聞き、自分のカーテンも開く。

 

「おはよう、アヤメ」

 

「おはよう、ハーマイオニー」

 

ふあ、と小さな可愛い欠伸を漏らして、ハーマイオニーは照れたように笑う。

 

「昨日はなかなか寝付けなかったわ。別に私が試合に出るわけじゃないんだけど」

 

彩芽はそれに頷いて、微かに笑った。

ついこの間まであんなに仲が悪かったのに、と思うとおかしかった。

ハーマイオニーが泣いた時は呪ってやろうと思ったが、今では呪わなくて良かったと心から思う。

 

「あなたはいつも通りね。……というより、昨日は何があったの?とっても疲れていたみたいだけど」

 

彩芽はそれに「あの子の餌やりは疲れるの」とだけ答えて、先に談話室に下りていると伝えて女子寮を後にした。

 

談話室に下りると、彩芽は辺りを見回した。

なんだかみんな興奮気味で、今日の試合の事について予想しあっている。

さすがにグリフィンドール寮内だけあって、ハリーが悪く言われる事は無く、逆に期待し過ぎなくらいの意見が多い。

 

……彩芽は知っていた。

ハリーがグリフィンドールのクィディッチチームに入り、シーカーとして活躍する事は。

葛葉から例の話を聞いた後。

ハリー・ポッターという人物について調べようと、ある本を開いた瞬間だった。

 

大勢の観客、広いフィールドを飛び回る箒に乗った幾人か。

その真ん中で高々と、金色に光る羽の生えた小さなボールを掲げた少年。

黒い縁の眼鏡、くしゃくしゃの黒髪。

額の稲妻型の傷。

興奮したように頬を上気させた少年は、赤いユニフォームを着ている。

 

唐突なイメージ。

一瞬で脳裏に浮かんで消えたそれは、すぐには何か分からなかった。

それがなんだったのか理解したのは、ダイアゴン横丁で初めてハリーと会った時。

その時には彩芽は、そのイメージがクィディッチという競技の試合だということ、金色の羽の生えたボールがスニッチだということを本で読んで知っていた。

そしてハリーを見た瞬間、閃くようにイメージを理解した。

 

『ハリー・ポッターはクィディッチチームのシーカーとして活躍する。それも、赤いユニフォーム……グリフィンドールの選手として』

 

これは先見、予知夢の一種だと、彩芽は思っていた。

時々不思議と脳裏を掠めるイメージ。

それは大抵、その瞬間には意味の分からないことが多い。

内容を理解した時は、パッとイメージが息を吹く。

この感覚は説明しづらいが、恐らくはこれも自分の中の陰陽師の血が関係しているのだろう。

母、撫子はハリーとヴォルデモートの関係を『視た』と言っていたし、言わずもがな、祖母の葛葉は予知に関しての力が強い。

であれば、彩芽もその流れを汲んでいると考えるべきだろう。

 

そういえば、と……まだ理解出来ていないイメージについて思い返そうとした彩芽は、背後から来た気配に振り向いた。

 

「やあ、おはようアヤメ!」

 

「最高のクィディッチ日和だ!」

 

双子がポンポンと1つずつ彩芽の両肩を叩いた。

朝から元気な2人の様子にも、彩芽はいつも通り挨拶を返す。

 

「おはよう。……緊張していないの?」

 

「緊張?」

 

フレッドが肩を大げさにすくめる。

 

「してるさ、気持ちいいくらいね!」

 

「そうとも、緊張し過ぎて腹が減ったな」

 

「よし、朝ごはんを食べに行こう」

 

無意味にグルグルと彩芽の周りを回りながらそう言うと、「一緒に行く?」とジョージが尋ねる。

彩芽はそれに首を振って、ハーマイオニーを待っていることを伝えた。

 

「そっか、じゃあ俺達は先に行くよ」

 

「応援よろしく!」

 

嵐のように双子が去った瞬間、女子寮からハーマイオニーが下りてきた。

 

「お待たせ、アヤメ」

 

ハーマイオニーは言うなり、彩芽の手を取って他の寮生から少し離れた椅子へと座らせた。

 

「朝食の前に、昨日言いそびれたことを伝えておくわ」

 

そうして、彩芽はハーマイオニーから昨日ハリーが見たことの一部始終を聞き、小さなため息を吐いた。

以前、ハリー達がドラコに騙されて夜中に寮を抜け出した時、彼らは4階の禁じられた廊下で三頭犬を見たらしい。

それは足元の扉を守るようにしていたといい、ハリーはその扉の中にはグリンゴッツからハグリッドが持って帰った包みが隠されていると思っている。

そして昨日、ハリーはスネイプが足の傷を手当している現場を見た。

会話からして、その三頭犬にやられたのは間違いない。

ハリー曰く、セブルスは三頭犬の守っている何かを狙っていると言う。

 

「ねえ、あなたはどう思う?」

 

ハーマイオニーの問いに、彩芽は「私も賭けてもいい」と答えた。

 

「ハリーはスネイプ先生がトロールを招き入れた方に箒を賭けると言ったんでしょう?じゃあ、私はトロールを校内に入れた犯人はスネイプ先生じゃないほうに賭ける」

 

ハーマイオニーはその言葉にホッとした表情をみせた。

 

「そうよね、いくらスネイプでも、ダンブルドアを裏切るような人じゃないわよね」

 

「君、まだそんな事言ってるのか?」

 

ハーマイオニーの言葉に、呆れた声が被さる。

振り向けば、いつの間に下りてきたのか、ロンとハリーがそこに居た。

 

「いいか?スネイプが犯人だ、間違いないよ」

 

自信満々に言い切ったロンに、ハーマイオニーは顔をしかめる。

何か言い返そうと口を開きかけて、その隣のハリーの顔色に今度は眉をひそめた。

 

「ハリー、あなた大丈夫なの?」

 

「ああ、うん……大丈夫」

 

ハリーの回答にハーマイオニーは首を振って彩芽を見た。

彩芽の「大丈夫」くらいあてにならないと思ったようだ。

 

「とにかく、大広間に行きましょう」

 

ハーマイオニーの提案で4人は大広間に向かう。

香ばしいソーセージの匂いと、今日のクィディッチの試合に興奮気味の生徒達。

その中で、ハリーはますます気分が悪そうに見えた。

 

シェーマス・フィネガンに気が沈む忠告をされているハリーを見ながら、彩芽はおにぎりをかじりつつ考える。

緊張して気分が悪くなるというのは、どんな感じなんだろうかと……。

 

 

 

 




◇いつの間にか氷炎の出番がなかったのは書き忘れたからじゃなくて側にいなかったからでした。式神なので主人の異変は離れていても分かりますし、意識を共有すれば彩芽の行動を知ることが出来ます。おでき事件に駆け付けたのはそう言う事です◇


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試合開始

◇クィディッチ回です◇


体を鍛えれば筋肉はつく。

知識を詰めれば頭は良くなる。

けれどね、彩芽。

 

葛葉の口癖だった言葉。

 

精神(こころ)はどうやったら鍛えられるんだろうね?」

 

彩芽はいつも、それに答えられなかった。

恐怖、怒り、悲しみ、妬みといった負の感情。

時には、歓喜や幸福の気持ちですら、心に隙を作る。

葛葉は彩芽に『平静』でいることを教えた。

心が、コップの縁いっぱいに入った水であるとすれば。

溢れさせてはいけない、揺らしてもいけない。

ほんの少しの波紋も立てずに、いつも静かに湛えていなければならない、と。

 

彩芽は幼いながら、自分が特殊な環境にいる事を理解していた。

霊力の強い人間を喰らえば自分の力が増すと、妖怪や悪霊の類が常に自分の命を狙っている事。

陰陽道の本家筋の人間達から厭われながらも、何かあればその本家の争いごとに巻き込まれかねない事。

 

だから、心を開いてはいけない。

 

深く深く沈めて蓋をする。

 

感情など無いように振舞う。

 

悲しくなどない、嬉しくなどない、ただただ平静に冷静に凪いだ海よりまだ静かに……。

 

そして彩芽は感情を封じ込めた。

時折、微かに感情が表に出ても、葛葉の叱責が矢よりも早く飛んだ。

それが最善だと思っていたし、事実そのお陰で今も生きている。

……だが、今は。

 

アルバス・ダンブルドアは彩芽にこう言った。

 

「君は自由に感情を表現する術を覚えるべきじゃ」

 

曰く、ホグワーツに日本の妖怪の様な危機はないし、本家筋の目もない。

であれば、感情を見せない彩芽のそれは、ただ他人を拒絶するものでしかない、という。

 

彩芽はこれでも、随分と無防備になったと自覚していた。

式神がいない状態で熟睡するし、八卦で良くないと出た場所へも行く。

表情も……まあ、極力笑顔になるよう心がけている。

 

彩芽は、静かにその事を考えていた。

 

「クィディッチの試合を見るの初めてだろ?まだ始まってないけど、競技場を見た感想は?」

 

隣に座ったリーが、マイクの位置を調整しながら彩芽に問いかけた。

彩芽はそれに答えるべく、ぐるりと周囲を見回す。

興奮した人、人、人。

今彩芽がいるのは、実況席……つまり特等席だった。

ハリーと別れてハーマイオニー達と移動する際に、「実況しながら応援する約束だったろ」とリーに拉致されて現在に至る。

ハーマイオニー達はグリフィンドール側の応援席の最上段にいるはずだったが、あまりの人数の多さになかなか見つけられない。

と思ったら、派手な旗を飾っている一団を見つけた。

 

「人が多いわね」

 

とりあえず彩芽が素直に感想を述べると、リーは吹き出した。

 

「そりゃね、ホグワーツ中の生徒と先生が集まってるんだから」

 

確かにそうなんだろうと彩芽は思った。

逆を言えば、今校内はかなり手薄になっているだろう。

 

「ミス・ミナヅキ、しっかり見ておいでなさい。クィディッチは本当に素晴らしい競技ですよ」

 

リーの向こう側に座ったマクゴナガルが、真剣な表情でそう言うと、リーもそうだと賛同してマイクをしっかりと握った。

 

「さあ、選手の入場です!」

 

リーが声を上げると、魔法で何倍にも拡張されて競技場全体に響いた。

それがかき消される勢いで、一斉に歓声が上がる。

彩芽は微かに眉をしかめた。

 

「実況は私、リー・ジョーダンと、アヤメ・ミナヅキがお送りします!」

 

勝手に名前が出るが、彩芽は実況などする気はない。

というか、出来る気がしない。

本で読んだ、という程度でしかない彩芽の知識で、何を語れというのか。

 

「選手達は箒を片手にグラウンドに並びます。審判はマダム・フーチ。正々堂々とした勝負が見られることを期待したいものです」

 

赤いグリフィンドールのユニフォームを着た選手と、緑のスリザリンのユニフォームを着た選手。

それぞれがフーチのホイッスルを合図に空高く飛び上がる。

瞬間、入場してきた時と同じくワッと会場が沸く。

 

ずっと祖母と2人、日々静かに暮らしていた彩芽にとって、この強烈過ぎる感情の渦は未知のものであった。

高揚した周りの雰囲気に、あてられそうになる。

この感情の塊を一斉に受けている選手達……もしも自分がその立場だったらと思うと眩暈がする。

彩芽はこっそり息を吐いた。

 

「ジョーダン!!」

 

マクゴナガルの叱責が聞こえる。

リーは彩芽に実況をやらせる気があるのかないのか、1人で延々と喋っていた。

とはいえ、どのみちこれはヘタに口を挟めない。

クィディッチは思う以上にスピーディなゲームだ。

クアッフルを投げて得点を入れる横で、ブラッジャー2つがブンブン飛び回る。

おまけにいつ現れるとも分からないスニッチも気にかけなければならないし、選手達は目で追うのも大変なほど自由気ままに高速で飛び回っていた。

時折私情を挟んでは、マクゴナガルに怒られるものの、的確で分かりやすいジョーダンの解説を聞きながら、彩芽はハリーを見た。

 

選手達の側から離れた場所で、スニッチを探しているらしい。

ブラッジャーの妨害をかわし、フレッドと何やら言葉を交わしている。

 

 

「ちょっと待ってください――あれはスニッチか?」

 

リーがガタリと腰を浮かす。

その時にはすでに、ハリーが弾丸の様に急降下していた。

 

グワーン!と空気が震えるような声が上がった。

衝撃に一瞬、彩芽の息が詰まる。

声は主にグリフィンドール側の猛抗議だ。

急降下中のハリーに、スリザリンのキャプテンが明らかな妨害を仕掛けたせいだ。

ハリーはコースを外れたが、ギリギリ箒からは落ちなかった。

 

リーの実況も今のには腹が立ったようで、何度もマクゴナガルに注意された。

気を取り直して実況を再開するのを横目に、彩芽はクィディッチのルールに疑問を抱く。

あれほどあからさまな妨害に対して、相手に対するペナルティが少な過ぎる。

 

そうこうするうちにも試合は進む。

目まぐるしい試合展開から、ハリーに目を向けて、彩芽は一瞬考えた。

ハリーがわざとやっているのでなければ、あれは……。

 

「なんだ?一体どうしたというのでしょうか!ハリーが変です、箒が暴走している様に見えますが……」

 

リーも気付いたらしく、心配そうに中継した。

マクゴナガルも立ち上がり、どうしたものかとハリーを眺めている。

ついにハリーは箒からズレ落ち、片手でしがみつく格好になった。

フレッドとジョージがなんとか助けようとするが上手くいかない。

ハリーの真下をぐるぐる回る事で、落ちてきた時にキャッチする作戦に切り替えた。

スリザリンのキャプテンは、そんな中でもクアッフルをこっそりゴールに投げ入れて点数を稼いでいたが、今や会場はそれどころではなかった。

 

「ああ、ハリー・ポッター絶対絶命の大ピンチです……!」

 

ハリーの表情が険しくなるのを見て、リーが顔を引きつらせる。

彩芽は教員席にこうなった犯人を見つけ、ヒトガタを飛ばそうとした。

 

「…………あ」

 

印を結んでいる途中で、ターゲットが視界から消える。

 

「良かった!ハリーポッターが箒に跨りました!」

 

リーの言葉に、ハリーを見る彩芽。

ハリーは箒に跨ったまま急降下し、地面に這いつくばると何かを吐き出した。

 

「なんでしょう、ハリーは大丈夫なので……いや、お待ち下さい、スニッチです!あれはスニッチです!」

 

リーの言う通りだった。

ハリーは吐き出したものを頭上に掲げる。

それは羽の生えた金色の小さなボールで、スニッチに間違いなかった。

 

「やりました!ハリー・ポッターがスニッチを取りました!グリフィンドール、170対60で勝ちました!」

 

リーの声が大興奮で試合の結果を伝える。

ハリーの箒に気を取られている間も、ちゃんと点数は把握していたのかと彩芽はリーに驚いた。

マクゴナガルが感激して、立ち上がって惜しみない拍手を続けている。

彩芽は結局何がどうなったのか分からないまま、パチパチと、小さく手を叩いていた。

 

 

 

 

「アヤメ、ニコラス・フラメルだ!」

 

グリフィンドールの談話室に入って来たハリーが、暖炉の前のソファで本を読んでいた彩芽に開口一番そう叫んだ。

 

「ちょっとハリー、それじゃ分からないわよ!ちゃんと説明しなくちゃ」

 

ハーマイオニーがそれに呆れた顔をし、ロンは彩芽が読んでいる本を見て嫌な顔をした。

 

「君、なんで魔法薬学の本なんか読んでるんだ?」

 

彩芽が今読んでいるのは魔法薬学で使う教科書で、その側にも関連する魔法薬調合のテキストが散らばっている。

グリフィンドールの談話室は現在クィディッチの勝利を祝してのお祭り状態で、誰も彼もが嬉しそうに騒いでいるのに、だ。

彩芽だけは黙々と、本を読んでいたのだ。

 

「大体、そんなの覚えて何が楽しいんだ?」

 

「覚えるより、推理が楽しいの」

 

答えた彩芽に、ロンはさらに嫌そうな顔になる。

ハーマイオニーが不満げな顔をしたので、彩芽はもう少し具体的に伝えた。

 

「例えば、この薬とこの薬、仕上げにどちらも同じ材料を数滴加えてる。『魔法の薬草ときのこ千種』を読めば分かるけれど、この薬は両方とも味も臭いも強い材料を使っている。もしかすると、味と臭いをマシにするための仕上げなんじゃないか……そう思って読めば、他の味と臭いが強い薬にも必ず使われている。ただし、アンモニア系には使われない。恐らくは効用に何かの作用をもたらすから。そう思って読めば、また答えが見つかる」

 

「あなた、天才よ!」

 

ハーマイオニーが興奮気味に言うのに対し、ロンは「そうか?」と興味なさ気に肩をすくめる。

 

「分かってないな、我が弟は」

 

「ああ、全く分かってない」

 

彩芽がロンに何かを言い返す前に、ソファの両脇から双子が生えた。

ロンは兄の介入に良い顔をしなかったが、双子は気にせず続ける。

 

「良いかロン、お前は肝心な事を聞いていない」

 

「そうさ、1番肝心なのは次だ」

 

ジョージとフレッドは顔を見合わせて、声をそろえる。

 

『で、それが分かって君はどうするんだい?』

 

彩芽はそれに、口の端を微かに吊り上げた微笑で答える。

 

「味も臭いも強い劇薬を誰かに仕込む時、使える」

 

「アヤメ!!」

 

ハーマイオニーが何を言い出すの!と叫び、ロンはサッと青くなった。

一歩間違えば、自分がその実験台だったのかもしれないと思ったからだった。

「呪われろ」と言われたのは、そんなに昔の事ではない。

 

『さっすが、俺達のクイーン!』

 

双子はケタケタと笑いながら寮の騒ぎの中に帰って行く。

それを見計らって、ハリーは抑えた声でイライラしながら言った。

 

「今はそんな話をしてる場合じゃない」

 

ハーマイオニーは彩芽に何かを言いたそうにしたが、ハリーがかなり焦れているのに気付いて頷いた。

 

「そうね、説明するわ、アヤメ」

 

 

 

彩芽はクィディッチの試合後も、リーと共に実況席にいた。

今日のハイライト的な話を、まだざわめく観客達に伝えていたのだ。

実況しなかった彩芽も意見を求められ、一言二言、良かった点と悪かった点を述べた。

 

その時ハリー達は、ハーマイオニーとロンを連れてハグリッドの小屋に行っていた。

ハーマイオニーが言うには、ハリーの箒が暴走した時、教員席でスネイプがハリーを見つめて呪文をかけていたらしい。

ハーマイオニーが火の呪文でスネイプのマントを燃やして騒ぎを起こした途端、ハリーの箒が正常に戻ったのが証拠だ、と。

それをハグリッドは否定したが、その時うっかり漏らしたというのだ。

 

「ニコラス・フラメル」

 

4階の禁じられた廊下の奥に隠してある何か。

それに関係する人物の名前。

彩芽にしてみれば、その名前をバラすのはもう答えを言ってしまっている様なものだと思ったが、幸いにもあのハーマイオニーですらど忘れしてピンと来なかったらしい。

もっとも、時間の問題だろうという気はするが。

 

「僕、その名前をどこかで見た気がするんだ。でも、全然思い出せなくて……」

 

ハリーがトントン、と頭を叩く。

まるでそうすれば、奥に仕舞いこんだ記憶が見つかるかも、と思っているようだった。

 

「君は?」

 

ロンが期待を込めた目で彩芽を見つめる。

彩芽は静かに首を振った。

 

「会った事ない」

 

その答えに、ロンはポカンと口を開ける。

ハーマイオニーはため息混じりに首を振った。

 

「とにかく……僕達はニコラス・フラメルについて調べる必要がある」

 

ハリーが言って、ロンがそうとも、と頷く。

ハーマイオニーも意欲的らしく、ニコラス・フラメルについて調べられそうな本のタイトルをいくつか挙げた。

結局、図書室で調べるのがいいだろうという意見に収まり、その日はそこで解散した。

 

彩芽も本を片付けて、早々とベッドに向かう。

今日はクィディッチの試合を観戦しただけでかなりの疲労感に襲われていたし、なにより、これからの事を思うと、酷く憂鬱だった。

 




◇彩芽「知らない、とは言っていない。(ドヤッ!)」◇


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クリスマス

◇セブルス・スネイプのターン◇


12月に入ってしばらく経ったある日。

マクゴナガルが休暇中に寮に残る生徒のリストを作ると告げると、ハリーは真っ先にそこに名前を書きに行った。

以前から、彼が身を寄せている親戚の家でのエピソードを聞いていたので、彩芽は今年こそハリーに幸せなクリスマスが訪れるようにと願わずにはいられなかった。

 

「アヤメはどうするの?」

 

ハーマイオニーが尋ねる。

ロンは両親がルーマニアにいる兄のチャーリーに会いに行くからと、残る事を前から宣言していたし、ハーマイオニーは家で両親と過ごすとハリー達に告げていた。

彩芽だけはそれに何も言わず、何やら悩んでいる様子だった。

 

「残る。けど、クリスマスはハリー達と一緒にはいられない」

 

「どういうことだ?」

 

ロンは眉をしかめ、ハリーとハーマイオニーも首を傾げた。

 

「クリスマスには、家族と過ごすのが一般的だと聞いたから」

 

それが一体なぜ、ホグワーツに残る事とハリー達と過ごせない事に繋がるのかと思う3人に、彩芽は思いつめた真剣な顔で息を吐く。

 

「……少し、我が儘を言ってみることにした」

 

どういうことか全く分からなかったが、ハリーとロンはそれ以上突っ込まなかった。

ハーマイオニーだけは口を開きかけたが、結局何も言えなかった。

代わりに、寮に戻って2人になった時、別の話題を振ってみる。

 

「ところで、アヤメはもうプレゼントは用意したの?」

 

彩芽はそれに首を振り、傾げた。

 

「家族や友人に、プレゼントを贈る風習というのは知っているのだけど……でも、ホグワーツにいるから買いに行けないし。ハーマイオニーはどうしたの?」

 

「やだ、アヤメ知らないの?ホグワーツにいても買い物は出来るのよ!」

 

ハーマイオニーは驚いたようにそう言って、鞄から本を取り出す。

 

「私はこれで選んだわ。魔法界のカタログなの」

 

差し出されたそれはなかなかに分厚く、表紙には『クリスマスプレゼント特集!』の文字がでかでかと印刷されていた。

さらにクリスマスカラーの素っ頓狂な格好をした魔法使いが、キラキラ光る魔法を自分にかけてこちらに向かってにっこりしている。

 

「見るだけでも面白いし、アヤメの分も取り寄せてあげるわね。買う時は、フクロウを使うの。ハリーみたいにフクロウを持っていない生徒は、学校のフクロウを使ってもいいのよ。私もそうしたわ」

 

さっそくカタログの取り寄せ用紙に書き込みを始めたハーマイオニーは、カタログを見つめる彩芽に聞きたかったことを切り出す。

 

「……アヤメのご両親は、その、亡くなったんでしょう?」

 

「ええ」

 

あっさり答える彩芽。

実を言えば、父親の方は生きているのだが、彩芽にとっては死んでいるようなものだ。

もう一つ言えば、今年自らの手でとどめを刺す予定である。

 

「それで、さっきハリー達との会話で私、思ったんだけど……アヤメの保護者の方って、もしかしてホグワーツにいるの?」

 

「…………ええ」

 

躊躇いがちに尋ねるハーマイオニーに、彩芽は今度は間をおいて答えた。

 

「誰かは言えないの。約束だから。……ごめんなさい」

 

頭を下げる彩芽に、ハーマイオニーは首を振る。

 

「私こそ、変な事を聞いてごめんなさい」

 

もちろんその保護者が誰か、というのは気になったが、ハーマイオニーはそう言って話を終えた。

いつか教えてくれるだろうか。

そう思うハーマイオニーの横顔を見ながら、彩芽は胸が痛んだ。

 

 

 

 

 

 

クリスマス休暇はあっという間にやって来た。

休暇前にドラコが「かわいそうに」と嫌味を言ったのを思い出し、彩芽はなるほどと思う。

「家に帰って来るなと言われて、クリスマスなのにホグワーツに居残る子がいるんだね」と言っていたが、それほどクリスマスは家族で過ごすという概念の行事らしい。

あれだけいたホグワーツ生はほとんど帰ってしまい、寮の談話室も閑散としていた。

ただ、だからといって学校に残った生徒が不幸かといえば、そんな事はないと彩芽は思う。

ハリーは酷い扱いを受けることなく親友とのびのび過ごせているし、生徒が少ない事とクリスマスのお祝いが楽しくない事はイコールではなかった。

大広間には12ものクリスマスツリーが置かれ、それぞれが独創的な飾りで輝いていたし、クリスマスの日の事を話す生徒達はみな、ワクワクしていて笑顔だった。

 

ハリーとロンは、談話室の暖炉のそばにある肘掛け椅子に座り込み、色々な遊びをしていた。

ニコラス・フラメルの事はすっかり忘れ、2人はこの休暇を十分に楽しんでいるようだった。

 

「アヤメもやってみる?」

 

意外なことに、チェスの名手であったロンがそう誘ったが、彩芽は首を振った。

 

「残念だけど。私、もう出かけるから。クリスマスが終わったら、相手になる」

 

「この間も言ってたけど、一体どこに行くの?」

 

ハリーが尋ねたが、彩芽は微笑むだけで答えなかった。

 

暖炉が燃え盛る談話室とは違い、廊下は隙間風でとても寒い。

彩芽はローブをキッチリと閉め、さっさと目的の場所を目指した。

全く人気のない廊下を渡り、地下に向かって下りると、また一段と寒さが増す。

目的地に着いた彩芽はドアをノックすると、返事も待たずに部屋に滑り込んだ。

 

「……返事くらい待てないのかね、ミス・ミナヅキ」

 

部屋の主、セブルス・スネイプは、彩芽の姿を見ると嫌味を込めてそう言った。

彩芽はそれには答えず、遠慮なく近付いた。

 

「手が……」

 

「手が?一体なんだと言うのだ」

 

何事かと眉をしかめ、差し出された彩芽の手を取るスネイプ。

彩芽はそのままスネイプと繋いだ手に素早く呪符を貼り、しかるべき言霊を発する。

一瞬眩く光った後、呪符は消えた。

 

「貴様、一体何を……?!」

 

「クリスマスは家族で過ごすものと聞いたので」

 

スネイプは異変に気付き、顔色を変える。

だが、もう遅い。

 

「今日と明日、一緒に居られたらと思いました」

 

「……ッ!!」

 

一瞬怒鳴りつけようと口を開いたものの、結局スネイプは口を閉じた。

代わりに重くため息を吐く。

 

「まさか今になって、あの時と全く同じ手に引っかかるとは!」

 

苛立たしげにスネイプは吐き捨てるが、そのイライラはどちらかといえば自己嫌悪らしい。

彩芽は見えない術で拘束された手を見る。

先ほどの言葉から推測するに、スネイプはこの術をかけられるのは初めてではないようだ。

だとすれば、前回その術を使ったのは母だろう。

かつて母がどんな理由でそうしたのかは知らないが、同じ手口を使ったと思うと、妙な気分だった。

 

「怒っていますか?」

 

彩芽は尋ねた。

スネイプはチラリと繋がれた手を見て、忌々しげに尋ね返した。

 

「どうせ貴様も、この術は1度発動すれば期日まで解けないと言うのだろう!」

 

「……よくご存知で」

 

本当はそんなこともないけど、と内心では思いつつ。

彩芽はあえてそういう事にしておいた。

かつて母がそうした時に、散々頑張って解けなかった思い出でもあるのか、スネイプは簡単に信じたようだった。

 

「で、アヤメ、お前は一体我輩に何を望んでいるのかね」

 

疲れた様子でスネイプが言う。

彩芽は小首を傾げて望みを口にした。

 

「ただ、一緒に居たいだけです」

 

言ってから、言葉を足す。

 

「家族でクリスマスを過ごしてみたい」

 

その言葉に、スネイプは彩芽をじっと見つめた。

かつて彩芽の母親、撫子が自分に言った言葉を思い出す。

 

(セブルス、貴方に1番必要なものをあげるわ)

 

まるで全てを見透かしたような目で笑い、彼女は自分に向かって赤子を差し出した。

その赤子が今、成長してここにいる。

心を閉ざすどころか、感情を撒き散らしていた母親とは違い、この歳で完璧に心を隠したままの少女。

あの闇の帝王ですら、心を覗き見る事は出来ないだろう。

だが今、その閉ざした少女の感情に、触れた気がした。

 

きゅ、と繋いだ手が握られた。

スネイプはため息を吐くと、必要最低限しか部屋は出ない、外へ出る時は存在を隠すという二点を約束させて了承する。

 

彩芽が繋がった手は見えない鎖で繋がれているものの、ある程度の猶予がある事を告げると、スネイプは目に見えてホッとした。

1メートルほどではあるが、お互いに隙間を作れるので、トイレやシャワーの時は扉を隔てる事が出来る。

彩芽はスネイプがしばらくの間、この事についてぶつくさと呟いている内容から、母親がかつて彼にそうした時は手を繋ぎっぱなしだった事を知った。

その日はスネイプの部屋の書物を読み、部屋で一緒に食事を取った後、ベッドに潜り込んだ。

スネイプは一緒のベッドに寝ることを嫌がったが、彩芽は頑として譲らなかったし、他に方法もなかった。

渋々隣に寝るスネイプを確認して、彩芽は目を閉じる。

明日の朝、いよいよクリスマス当日なのだと思うと、ソワソワと落ち着かなかった。

彩芽はそんな風に感じている自分に少し驚いたものの、なかなか悪くない感情だと思った。

 

 

クリスマスの朝、スネイプが目を覚ますと、彩芽はすでに制服にローブといういつもの姿に着替えて待っていた。

寝顔をじっくり観察されていたのかと思うとあまり気分は良くなかったが、スネイプは不機嫌に「メリークリスマス」と言うにとどめ、挨拶を返してきた彩芽に着替えるので後ろを向くよう指示した。

 

「……プレゼントは開けないのかね」

 

着替え終わったスネイプは、ベッドの足元に詰まれた箱の山を見て尋ねた。

 

「一緒に開けようと思って」

 

彩芽がそう返すと、スネイプは箱の山を一瞥して鼻を鳴らした。

 

「では早く開けたまえ」

 

山は2つに分けられていた。

彩芽が寝ていた方には可愛らしいラッピングのものが小さな山として詰まれ、スネイプが寝ていた方には数個のみ転がっていた。

彩芽が興味深そうに自分の山に手をつけるのを見ながら、スネイプは杖を一振りする。

数個あったうちの、怪しげな臭いやネバネバした液が漏れ出していた箱が消え去り、残ったのは2つだけだった。

 

「消してしまったの?」

 

彩芽が手を止めて尋ねる。

スネイプは何を当たり前の事を、と思うが、続く彩芽の言葉にため息を吐いた。

 

「差出人はきっとガッカリするわね。渾身の力作だったでしょうに」

 

『ちょっとしたひと手間で、いつもの魔法薬が10倍美味しくなる本』を片手に、彩芽は本気か冗談か判断のつかない顔でメッセージカードを読む。

 

「気をつけたまえ、その本の通りにすると、少なくとも20種類以上は効能が消えうせてしまう」

 

スネイプは恐らく本気だったと思いながら、話題を変えるためにそう忠告をした。

彩芽はお礼を言って、次のプレゼントに手をつける。

スネイプは残った2つの内、小さい方を手に取った。

包装紙を開けると、ピンクの表紙の薄い本が出て来た。

タイトルは、『今からでも間に合う、子供を育てるための10の約束事』。

ダンブルドア校長からだと確認し、スネイプは眉間に皺を寄せながらそれを机の端に押しやった。

 

残った包みは大きかった。

2歳くらいの子供なら入ってしまう大きさに、スネイプは警戒する。

毎年、2つか3つは嫌がらせの様なプレゼントが届くのだが、これはそういうわけでもなさそうだ。

彩芽を見ると、キラキラと色を変えて光る2本の棒を眺めていた。

スネイプはよもや爆発はしないだろうと思い、しかし慎重に包みを破る。

 

「…………」

 

出て来たものに、スネイプの眉間の皺が深くなる。

それは大きな……ウサギのぬいぐるみだった。

 

「気に入った?」

 

彩芽の声に、目の前のぬいぐるみの首がコテン、と右に傾く。

声の主を見ると、その首も傾げられていた。

スネイプは無言で杖を振り、ぬいぐるみを部屋の端に追いやった。

 

「私はとても気に入ったわ。ありがとう、セブルス」

 

彩芽はそれに傷ついた様子はなく、手に持った『いざという時の実用的な呪文集』を見て目を細めた。

自分の書いた「メリークリスマス」のメッセージカードを見て少しだけだが笑みを浮かべる彩芽に毒気を抜かれ、スネイプはぬいぐるみに対する文句を言いかけてやめた。

 

プレゼントを全て開け終えると、彩芽はそれらを風呂敷で1つにまとめて包み、邪魔にならないようにしておいた。

そして、スネイプを振り返る。

 

「食事に行きましょう」

 

 

 

 

クリスマスのご馳走を前に、スネイプは苦虫を噛み潰した顔で黙々と食事を口に運ぶ。

あちらこちらで爆発音が聞こえ、いつも以上に談笑で騒がしい。

それは生徒だけではなく、教師側にも言える事で、だからこそここには来たくなどなかった。

 

「おや、1人かの?セブルス」

 

花飾りのついた婦人用の帽子を被ったダンブルドアが楽しそうに声をかけると、スネイプは鼻に皺を寄せて睨んだ。

本気で聞いているのか、分かって聞いているのか……。

 

「ここにいるわ、アルバス」

 

スネイプの隣、誰も居ない空間から声がした。

ダンブルドアはにっこり笑い、スッと取り分けた七面鳥の皿を滑らせた。

 

「仲が良いのう」

 

ダンブルドアが目を凝らすと、七面鳥を口に運ぶ彩芽がうっすら見えた。

それでも、少しでも気がそれると不思議と見えなくなる。

 

「あちらで、ウィーズリーの双子が騒いでおったぞ?君の姿がどこにもないと言って、弟を問いただしておったが……」

 

チラリ、とダンブルドアの目がスネイプに向けられる。

 

「今の君の姿を見てしまったら、さらに騒ぎが大きくなりそうじゃ」

 

体を揺らして笑うダンブルドアに、スネイプはギリッと奥歯を噛んだ。

これ以上構わないで欲しいと、その顔が語っているが、ダンブルドアは気にしない。

 

「ところでアヤメ、休日もその格好なのかね?」

 

「ええ、便利だから」

 

それが何か、という目を向けて、彩芽はフォークを置いた。

 

「確かに、その格好は便利じゃろう。君には特にの。しかし休日くらいは、おしゃれを楽しんではどうかね?ナデシコはそれはもう……楽しんでおったよ」

 

ダンブルドアの言葉に、スネイプが首を振る。

何かを思い出したらしい。

 

「おや、ダンブルドア先生、ナデシコの話ですかい?」

 

赤い顔のハグリッドが、ヌッと顔を突っ込む。

 

「あいつは凄かった、スゲェ魔女だった。まあ、ちっとばかし問題も起こしちょったが……それでもいい奴だった」

 

しみじみと言って、ハグリッドはぐいとワインを空けた。

アルコールの混ざった息に眉をしかめつつ、スネイプはハグリッドの言葉を訂正する。

 

「ハグリッド、少し思い出を美化しすぎでは?奴は問題を起こしまくっていた。学校で何かが起こった時、あいつが関わっていなかった事の方が少なかったと、我輩は記憶しているがな」

 

「確かに、色々な意味で目立つ生徒じゃった」

 

ダンブルドアは目を細めて笑った。

 

「ああ、目立ってた。スネイプ先生も知っちょるだろう、ナデシコは美人で、スタイルも良かった」

 

「ええ、そして魔法の才能もありました」

 

ハグリッドの横から、マクゴナガルが付け加えた。

 

「ただし、筆記の様な、頭を使うことは少しばかり怠ける傾向がありましたけれど」

 

「あいつはマドンナだった。あいつを好いちょる奴はいーっぱいいた」

 

ハグリッドがついに耐え切れなくなったらしく、テーブルクロスを目に当てて泣き出す。

 

「さよう、敵も多かったがその分信頼できる仲間も多かった。彼女の人柄は、多くの者に好かれた」

 

「我輩は、そうは思いません」

 

スネイプがダンブルドアに異を唱えたが、誰も返事はしなかった。

それぞれが元の場所で、勝手に思い出話に花を咲かせ始める。

 

「自分の思ったことを、周りの迷惑も考えず実行するただの考え無しだ」

 

スネイプが吐き出した。

ダンブルドアは笑顔でそれを肯定する。

 

「自分が思ったことを、素直に実行に移せるというのは、なかなか凄い事だとわしは思うよ」

 

スネイプは黙り込んだ。

ダンブルドアも席に戻る。

彩芽は黙々と七面鳥を食べるのを再開した。

 

自分の感情のまま、何にも縛られず自由に行動し、周りをも巻き込んでしまう人。

実際側に居たらどんな人だったのだろうと考える反面、その特徴は祖母の葛葉にも当てはまると気付き、その事に少し気が重くなった。

 

 

夜。

スネイプは暗がりの中、ため息を吐いた。

すぐ隣に人が寝ていると思うと、なかなか寝付けない。

食事の席で撫子の話題が出たことで、色々と思い出してしまったのも原因の一つだが。

 

「セブルス、私の母はどんな人だった?」

 

寝ていると思っていた彩芽から声が聞こえて、スネイプは一瞬驚いた。

寝返りを打つ気配と、暗がりで見えないはずだが視線を感じる。

 

「……迷惑な女だった」

 

素っ気なく返し、話を続ける意思がない事を伝えるが、彩芽は珍しく会話を続けた。

 

「私は母の事を覚えていない。唯一祖母から聞く話が、私の中での母だった。元気すぎるほど元気な、明るい女の子」

 

ぽつり、ぽつりと語られる抑揚のない声。

静かな部屋の中に、大きくも小さくもなく、その声は不思議と聞きやすい。

 

「今日、みんなが母の話をしていたけれど、知らない事がたくさんあった。……私は、自分から祖母に母の話を強請ったことはなかったし、知ろうと努力したこともなかった。それが何故か、今日分かった気がした」

 

スネイプは話の続きを待ったが、沈黙が続く。

話の先を促すべきかと考えた瞬間、ぎしりとベッドが動いた。

同時に、手首に纏わりついていた重さが無くなっていることに気付く。

 

「……術が切れた」

 

呟き、そのまま遠ざかろうとする彩芽の気配に、スネイプも身を起こす。

 

「どこへ行く気かね」

 

「寮に戻ります。術が切れるまでという約束だったので」

 

別に朝までいてもいいと口を開きかけて、閉じる。

代わりに口から出たものは、全く自分らしい言葉だとスネイプは思った。

 

「次に寮を抜け出してうろついているのを見つけたら、罰則だと言ったはずだが?」

 

だから朝までいろ、という意味だったが、スネイプの言葉の意味に、彩芽は気付かない。

 

「では、送ってくださいますか?スネイプ先生」

 

呼び方が変わってしまったことで、スネイプは意図が伝わらなかった事を悟った。

 

「……よかろう」

 

明かりをつけ、ローブを羽織る頃には、彩芽の姿は見えなくなっていた。

食事の時もそうだったが、彩芽が自力で姿を隠せることにスネイプは驚いていた。

部屋を出る時は姿を隠すという約束をした時、スネイプは姿くらましの術を彩芽にかけるつもりだったのだ。

食事の時は目を凝らせば見えたのだが、今は全くなんの気配も感じられない。

スネイプは少し迷ったがローブの裾を掴むよう告げた。

ほんの少しローブの端が持ち上がったのを確認し、部屋を出る。

 

這い上がる様な冷気に、スネイプは一気に目が冴えた。

冷たく薄暗いホグワーツの廊下を、カツンカツンと自分の靴音だけが響く。

手に持ったランプの光が影を作るが、それすらも自分1人。

ただ、時折ローブの端が引っ張られるので、ついてきているのは間違いなさそうだった。

 

クリスマスを一緒に過ごしたいと部屋にやって来て、もはやトラウマの1つともいえる過去の再現をやってみせた時はどうしたものかと思ったが……。

結局、クリスマスのプレゼントを開け、食事をしに行った以外は、夏の間と同じく大人しくしていた彩芽。

もう少し何かした方が良かったのかと、今さらながら後悔し始めていたスネイプは、前方からやってくるランプの光に気付いて目を凝らした。

 

「おお、先生、今呼びに行こうと思っていたところです」

 

管理人のアーガス・フィルチ。

嬉しそうな顔をしているところを見ると、誰か生徒が問題を起こしたらしい。

スネイプが推測するまでもなく、フィルチはすぐさま何があったのかを話し出した。

その誰かは夜中に歩き回るだけでは飽き足らず、閲覧禁止の棚を漁っていたという。

 

「それならまだ遠くまでは行っていまい。捕まえられる」

 

言って、スネイプはチラリと背後を見た。

見えないはずだが視線を向けられた彩芽は、どうしたものか困っていた。

今まさに、その問題の生徒がそこにいる。

スネイプにもフィルチにも見えていないが、ハリーがこちらを見ているのが気配で分かる。

もちろん、ハリーには彩芽が見えていないはずだ。

 

「二手に別れて探す。我輩はこちらを見てこよう」

 

「では、私はこっちを……」

 

スネイプが指した道と別の方に、フィルチが走る。

ハリーは手近なドアにするりと入り、寸でのところで衝突を回避した。

 

「少々付き合ってもらおう」

 

スネイプは小さく呟いて、宣言通りの方へ足を向ける。

彩芽もそれに倣いながら、チラリとハリーが入って行った部屋を振り返った。

閲覧禁止の棚という事は、ハリーはニコラス・フラメルを探していたのだろう。

だが、一体どうやって姿を隠す方法を手に入れたのだろうか。

瞬間、白い髭の食えないお爺さんを思い出し、彩芽は眉を寄せた。

だとしたら、この件は仕組まれた事。

 

――ダンブルドアは一体、ハリーに何をさせようというのだろうか。

 




◇彩芽が食事の時に使った姿を消す術は、札を使うものではなく、道端の石ころの様に誰もが注意を払わなくなって存在しなくなる術です。そこにいると知って意識を向ければ、存在が感知できるもの。スネイプは彩芽と術で繋がっていたのでずっと認識できていましたが、そうではないダンブルドアは気を抜くとそこに彩芽がいる事を忘れてしまいます◇


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冬休み中

◇スネイプのターンが終わったので友人たちのターン……!◇


クリスマスの翌朝。

目が覚めた彩芽は真っ先に氷炎の元へ向かった。

彩芽を見るや毛布から体を起こし、氷炎は尋ねる。

 

「どうだったよ、陰険保護者との楽しいクリスマスは」

 

彩芽はその言葉に微かに眉を寄せたが、隣に座ってまず気を与える。

その後、スネイプと過ごしたクリスマスを語って聞かせた。

 

「……という訳で、私の手口は二番煎じだったみたい」

 

「ああ、まあ、突っ込みどころ満載なんだが、1つ言わせろ。お前本当時々、意味不明に行動力あるよな!」

 

呆れ顔で言う氷炎に、彩芽は首を傾げる。

氷炎は自分が彩芽と会った時の事を思い出し、大きなため息を吐いた。

保護者との初めてのクリスマス……不安はあるが、覗き見る様な事はせず、彩芽と意識を絶っていた氷炎はちょっとだけ後悔した。

 

「まあいいけど。それよりお前の母親、術とか使えたんだな」

 

「才能がないと言われていただけで、全く力がない訳じゃなかったんでしょう。基本を理解さえしていれば、力を込めた札の効力を発動するぐらいなら、少し霊感がある程度の人にも出来るから」

 

「ふうん、そんなもんかね。でも、なんだってあの根暗にそんな術使ったんだか」

 

「さあ……」

 

それには彩芽も首を傾げた。

確か、母の思い人はハリーの父親だったはずだが。

 

「で、クリスマスプレゼントは貰えたのか?」

 

「ええ、とても面白そうな本を」

 

「陰険のやつ……10代前半の女に、本って」

 

もっとリボンやアクセサリーみたいな物は無かったのかとぼやく氷炎。

 

「いけないの?私もハーマイオニーには本を贈ったわ」

 

「ああ、ハー子なら喜ぶだろうな。他の奴らには?」

 

「ハリーは日持ちしそうなお菓子のセットを。ロンには腰につける杖ケースを贈った。双子には魔法の乾燥剤、リーにはもこもこの靴下で……」

 

つらつらと挙げるそれらに、氷炎はこっそりと微笑んだ。

日本で同じ事をしようとしても、せいぜい自分と葛葉、あとは狸ぐらいしか贈る相手がいなかった彩芽が、この数か月でこんなにも人と関わったのだ。

 

その後もしばらく話をしてから、彩芽は談話室に戻ると立ち上がった。

氷炎が「じゃあな」と前足を動かすと、微かな笑みを落としてスッと消える。

 

最近、彩芽はよく笑うようになった。

それは気を付けて見ないと分からないような微かなものだが、付き合いの長い氷炎には大きな変化だ。

 

「来年はもっと……」

 

友人に囲まれ、屈託なく笑う彩芽を想像して。

氷炎は目を閉じた。

自分に、来年はない。

 

それは少し寂しくもあり。

彼女のためにはそれが良いと、嬉しくも思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、アヤメ。探しておったよ」

 

氷炎と別れて談話室に戻る道すがら。

ダンブルドアに声をかけられ、彩芽は足を止めた。

 

「今、少しだけ良いかの?」

 

例のあの件でじゃ、と言うダンブルドアに頷いて、談話室に向けていた足をダンブルドアに向ける。

 

「そうじゃ、クリスマスには素敵なゴブレットをありがとう、アヤメ」

 

並んで歩きながら、ダンブルドアが礼を言う。

彩芽もそれに頭を下げた。

 

「私も。綺麗な栞をありがとう、アルバス。それにしても、魔法界の道具は派手ね」

 

「ふむ、そうかの?」

 

「ええ、栞が前回までのあらすじを喋るなんて、日本では考えられないもの」

 

それも感情豊かに抑揚をつけて。

初めて栞を使った時、『おおお!ニガヨモギを煎じた鍋に、ついにドクシーの卵を入れる時が来たのです!』と言われた時は、彩芽は何が起こったのか分からなかった。

ダンブルドアは笑って、彩芽が贈ったゴブレットの美しさを褒めた。

 

「じゃが、あのゴブレットに変えてから、食事が少し怖くなったよ」

 

「それはアルバスが砂糖を取り過ぎだからだと思うわ」

 

ダンブルドアに贈ったゴブレットは、何かを乗せたり注いだりした瞬間、色がほんのり変わる。

白なら普通、黄色は塩分高し、青はバランス良し、赤は糖分高し、……そして黒は危険、毒が含まれる、という具合に。

 

ダンブルドアが貰った、他のユニークなクリスマスプレゼントの話を聞きながら、2人は目的の場所に辿り着く。

ここじゃ、とダンブルドアが指した部屋に、彩芽は見覚えがあった。

昨日、スネイプとフィルチから逃げたハリーが入り込んだ部屋。

 

示されるまま中に入った彩芽の目に映ったのは、大きな鏡。

今は使われていない空き教室に置かれたそれは、あまりにも不自然だった。

 

「……これは?」

 

力を感じるので、何か魔法がかかっていることはすぐに分かった。

しかしさすがにどんな魔法かまでは分からない。

 

「直接危害を加える様なものではないと、わしが保障しよう。前に立ってみてごらん」

 

『直接』という単語に警戒するも、彩芽は言われた通りに鏡の前に立つ。

普通の鏡であれば、左右逆転した自分の姿が映るだけだが……そこに見たものに、彩芽は息を止めた。

 

「この鏡は、みぞの鏡と言っての、鏡に映った者の深層心理の中から、一番強い望みを映し出す。ハリーは家族を知らぬ。ゆえに、彼には家族に囲まれる自分の姿が見えた様じゃ」

 

その言葉に、彩芽はやはりと思う。

あのマントをハリーへと渡したのはダンブルドアだ。

そしてこの鏡をハリーが見つけたのは偶然ではないのだろう。

 

「それで、君には何が見えたかね?」

 

ダンブルドアの問いには答えず、彩芽は鏡を見たまま尋ねた。

 

「それで、この鏡はどうしてここにあるのですか?」

 

「わしはこの鏡に、例の物を隠す予定じゃ。この冬休み中に終えてしまおうと思うておる」

 

「……今日ではなくて?」

 

彩芽が鏡からダンブルドアへ視線を移すと、ダンブルドアは微笑んだ。

 

「まだ少し、この鏡はここへ置いておこうと思ったのでの」

 

「そう」

 

何故か、とは聞かず、彩芽は扉の方へと歩く。

 

「では、必要になったら呼んでください。……いつでも」

 

「そう待たせぬつもりじゃよ。数日の内じゃ」

 

ダンブルドアの返事に頷いて、彩芽は部屋を出た。

全く動じた様子を見せない彩芽に、ダンブルドアは息を吐く。

 

あれが、11歳の子供だという事に恐ろしささえ感じる。

邪悪さは感じられないものの、同年代の子供より、頭2つ3つ抜き出た早熟な精神……その実、本当に必要な部分は驚くほど脆いそれに、かつての自分の教え子が思い浮かぶ。

 

もっとも彼は、悪い意味で人の心の機微には敏感で、目立たぬよう周囲に溶け込むのも上手かったが。

必要であれば、驚いたふり、悲しんだふりと、演技をする事も厭わなかった。

 

――そういう意味では、彩芽の人付き合いの下手さはセブルスよりじゃな。

 

良い方向に育ってくれれば良いのだがと、ダンブルドアは友人を思い出し、目を閉じた。

 

 

 

 

ハリー達と再会できたのは昼食の時だった。

何食わぬ顔で食事をしている彩芽を見て、ロンは呆れ顔で怒った。

 

「一体どこに行ってたんだよ!アヤメのせいで、僕、フレッド達にすっごい絡まれたんだからな」

 

「ごめん。ロン、お菓子ありがとう」

 

「僕も、かっこいい杖ケースをありがとう!」

 

早速着けていることを見せるようにローブを捲ってから、「ってそうじゃなくて!」とロンは顔をしかめた。

 

「ハリーが変なんだよ、ほら」

 

振り返るロンの視線の先には、ぼんやりとした顔のハリーの姿がある。

椅子に座ってパンを千切った彼は、そのパンを口に入れずにテーブルに置いた。

そしてまた千切っては、今度は鼻に押し付けている。

完全に心ここにあらずと言った様子だ。

 

「実はハリーの奴、昨日の夜寮を抜け出したみたいなんだ」

 

声を潜め、ロンが説明した。

昨日クリスマスのプレゼントに、ハリーは透明マントを受け取った。

差出人名のないカードには、それが元はハリーの父親のものである事と、上手く使う様にというメッセージが添えられていたらしい。

彩芽はすでにマントを贈った人物が誰か気付いていたので、それには黙って頷く。

ロンは朝食でハリーに聞いた、夜の事も話した。

彩芽の予想通り、ニコラス・フラメルの事を調べようと抜け出したようだ。

そしてやはり、あの部屋で鏡を見たらしい。

 

「今晩、僕もその鏡を見に行くんだ。ハリーが心配だし……ねえ、アヤメはどう思う?」

 

尋ねて、ロンはさらに声を潜めて彩芽の方に口を寄せた。

 

「ハリーってば、ずっと鏡の事考えてるみたいなんだ。もしかして、良くないものなんじゃないかって……アヤメも一緒に行ってくれると嬉しいんだけど……」

 

ロンの言葉に、彩芽は迷ってしまった。

今朝、鏡を見た時の事を思い出してしまう。

 

「そうね……」

 

彩芽が答えようとした瞬間、それはロンの両脇に立った双子の声に遮られてしまった。

 

「どこに連れていく気だ?ロニー坊や」

 

「デートのお誘いにしちゃ、ちょっとお粗末だな」

 

からかう双子を、ロンは憤慨したように見上げる。

だが2人の兄は全く意に介さない様子で、残念だったなとロンの肩を叩く。

 

「アヤメはこれから俺達とデートだから」

 

「悪いな!」

 

言うや、鮮やかに彩芽の両側に移動し、両脇から持ち上げて連れ去っていく。

ロンはポカンと見上げ、そして一拍置いて罵りを口にした。

 

 

 

 

双子が連れてきたのは、グリフィンドールの男子寮、自分達の部屋だった。

現在ルームメイトたちはクリスマス休暇で帰っているため、双子は思う存分部屋を占領していた。

散らかっているのはもちろんだが、部屋の中で大鍋を炊いた跡があるし、なにやら爆発跡もある。

もっとも、爆発跡に関しては、今回の物ではないかもしれないが。

 

「君、魔法薬学得意だろ?」

 

「ちょっと俺達を手伝ってくれよ。もちろん、礼はするからさ」

 

言いながら、フレッドが羊皮紙を広げ、ジョージがクッションを差し出す。

彩芽はそこに座り、羊皮紙の中に目を走らせる。

 

内容は、新しい悪戯グッズの設計図みたいなものだった。

だが、その案、その構成に彩芽は感心する。

 

「どうだい?結構イケてるだろ?」

 

「大筋は合ってると思うけど、ここが上手くいかなくってさ。アヤメは俺らより年下だし、聞こうかちょっと迷ったんだけど」

 

「アヤメが談話室で読んでる魔法薬の本、結構上級者向けだろ?これは一度ご教授いただかねばと思った次第さ」

 

彩芽は頭上に言葉を聞きながら、羊皮紙に没頭する。

悪戯に使う事を前提としているが、発想は面白い。

思い付いた方法や、実際に実験してみた過程、失敗した内容まで細かに書き込まれていて、見ているだけで楽しかった。

なるほど、彼らはある意味、天才らしい。

普通は発光きのこを使って、顔を光らせようなんて思いつかない。

真剣に読み進める彩芽を、双子がじっと見つめる。

その視線に、探る様な色が見えたが、羊皮紙に集中していた彩芽は気付かなかった。

 

「顔面が7色になるなんて、笑えるだろ?」

 

「でも、今のままじゃどす黒くなっちまう」

 

上手くいかないとジョージが指した場所は、丁度繋ぎ目の様な部分だ。

これまで試した方法だと、ほとんど色がつかなくなるか、逆に全色混ざってどす黒くなるようだ。

 

「ま、それはそれで面白いけどさ。どうせなら鮮やかな色がいい」

 

「そうとも、明るい方が気分も晴れるってもんだ」

 

しばらく考えて、彩芽は顔を上げた。

 

「発光きのこを7つ使うから、繋ぐのが大変になる」

 

「どういうことだ?」

 

フレッドが首を傾げた。

今書かれている内容では、それぞれ別々の色に育った発光きのこを使って魔法薬を作り、それを1つにまとめる方法をとっていた。

その繋ぎも、考えればきっと答えは出る気がするが、もっと手っ取り早い方法がある。

そもそも7種類も魔法薬を作らなくとも、7色の発光きのこを手に入れれば調合は1種類で良い。

 

彩芽は発光きのこが土の性質によって色が決まる事。

上手く育てれば7色に育つ事。

そしてそれをスプラウトの授業で聞いた事を話した。

 

「へぇえ、俺らの時はそんな説明なかったよな?」

 

「さあ、あんまり真剣には聞いてなかったかもな」

 

双子は突破口を見つけたと喜び、明日さっそく質問に行くと意気込んだ。

 

「じゃあ、私……」

 

帰ろうと立ち上がりかけた彩芽に、フレッドが新しい羊皮紙を渡した。

 

「よし、次はこれな!」

 

「え……」

 

「こいつは手強いぞ。なんたって、まだ思い付きの段階だ」

 

戸惑う彩芽を挟むように双子が座り、ジョージが羊皮紙の上を指す。

『驚く』『杖』『騙す』といった単語が、殴り書きされていた。

それ以外は、白紙だ。

 

「本物の杖みたいにしようと思ってる。例えば、誰かの杖をこっそりこいつとすり替えておくだろ?」

 

「そいつが杖を振った途端、笑える何かが起こるってわけさ!」

 

両手を広げながら楽しそうに笑うフレッドに、彩芽はその様子を想像してみる。

 

「狐狸に化かされるのに似ているわね」

 

「……何だって?」

 

キョトンとする2人に、彩芽は説明する。

 

「日本には、妖力を持つ動物が幾つかいるの。個体差や種族差があるけれど、化けるのに特化したのは狐や狸。狐よりも、狸の方が少し笑ってしまう話が多いかしら。……そうね、コップに化けた狸が、注がれた水を飲み干すものだから、注いでも注いでもいっぱいにならなくて、人間が首を傾げるとか」

 

「そういうのなら、普通に売ってるぜ。ごみ箱に消失呪文をかけてあるんだ」

 

「魔法が切れかかった古いやつだと、たまに逆流しちまうこともある。確かに、応用すりゃ悪戯グッズになるかもな」

 

彩芽の話にフレッドが口をはさみ、ジョージも続く。

小首を傾げて、彩芽は少し口元を緩めた。

 

「でも、ごみ箱はいきなりふわふわの毛皮を纏った狸に戻って、死にかけていたりしないでしょう?水が飲みたいのにコップはいっぱいにならないし、注ぎ続けていたら溺れかけた狸が正体を現して死にかけているんだもの、とても驚くわよ?」

 

想像したのか、フレッドとジョージが吹き出す。

他にも色々な狸話を披露すれば、2人はお腹を抱えて笑い転げた。

 

「すげぇ!なんだよその愛すべき生き物!」

 

「全く、俺達も見習うべきだ」

 

その後、2人は日本の妖怪たちについて色々聞きたがったので、彩芽は特に面白そうな辺りを話した。

ろくろ首、顔なし、三つ目小僧、枕返し、小豆婆、子泣き爺など。

実際にはなかなか凄惨な話も多いが、あえて面白おかしい物のみを選ぶ。

遭遇する危険があるならば別だが、ここでは単に笑い話にしておいた方がいいだろう。

 

結局、夕食も一緒に食べ、就寝までの時間も双子と一緒にいた彩芽は、その晩ハリーとロンに同行することはなかった。

 

翌日、ハリーは昨日よりも更におかしかった。

魂をどこかに置き忘れてきたんじゃないかと彩芽は思ったが、ロンから昨晩の事を聞き、なるほどと納得する。

ロンはハリーに忘れた方がいいと繰り返したが、ハリーの顔を見る限り、絶対に今夜も鏡の元に向かうつもりだった。

悪い予感がする、という言葉を聞きながら、ロンの予感はどの程度当たるのだろうかと考える。

もっとも、この件に関してはロンの勘は当たりだろう。

 

「ハリーは、鏡に映ったものを見て怖くならないの?」

 

「どうして?家族を怖いだなんて、思うはずないよ!」

 

彩芽が尋ねると、ハリーは少し怒った口調で答える。

それに、彩芽は何も言えなかった。

 

 

昼を過ぎても暖炉の前でぼんやりと過ごすハリーの隣で、彩芽はロンとチェスに興じた。

クリスマス前に、チェスをする約束をしていたことを忘れたわけではない。

チェスは初めてだが、将棋はそれなりに嗜む彩芽にとって、チェスのルールはそれほど難しいものでもなかった。

魔法使いのチェスは、駒が指示通りに勝手に動き、攻撃する。

 

「ポーンでルークを攻撃!」

 

ロンの言葉に黒のポーンが動き、白のルークを言葉通り攻撃して盤上から叩き落とす。

 

「ナイトはクイーンの前に前進」

 

「止めてくれ!それじゃあ取られてしまう!あそこの駒の方を進めるべきだ!」

 

「取られるのは分かってる。前進して」

 

「あっちの駒なら取られても構わないよ」

 

「…………」

 

彩芽は何戦目かでコツをつかんだが、その頃には駒が全くいう事を聞かなくなっていた。

 

「……ルール以前に、駒との信頼関係を問われるゲームなのね」

 

「まあ、アヤメの戦略が激しすぎるってのもあると思うけど」

 

ロンが呟いて乾いた笑いを立てる。

何度かやるうちに彩芽は驚くほど上達したが、その戦い方は苛烈だった。

味方にいくら被害が出ても構わない、最終的にキングをとれば勝ち。

彩芽の戦い方はまさにそれを地で行く。

 

「将棋は取られたら相手に使われてしまうけれど、チェスはそうじゃないでしょう?だったら、いくら取られても構わないと思うの」

 

「それだけ駒を捨てて勝てるってのが凄いよ」

 

ロンは素直に称賛した。

実際、駒がなかなかいう事を聞かなかっただけで、腕前は自分とタメを張る。

 

「私はロンの、仲間でフォローし合う戦い方、好きだけど」

 

彩芽の言葉に、ロンは照れた様に頭を掻いた。

 

「良かったじゃないかロン、お前の唯一の特技がアヤメのハートを射止めた様だぞ」

 

「家族以外の異性に好きなんて言われたのは初めてじゃないか?だが浮かれるなよ、アヤメが言ったのはLikeであってLoveじゃない」

 

そんな微笑ましい光景も、ロンの兄2人にとってはからかいのネタらしい。

どこからか降って湧いた2人は、両側からゴッツンゴッツンと容赦なくロンの頭をつつく。

 

「痛い!何なんだよ兄貴たちは!」

 

赤くなって抗議するロンに、フレッドとジョージは肩をすくめた。

 

「そろそろアヤメを譲ってもらおうと思ってな」

 

「次は俺達と遊んでもらうぜ!」

 

「何でだよ、アヤメは今僕とチェスしてるんだ!」

 

ロンはそう言って盤上を指すが、それで退くような双子ではない。

しばらく言い合ったが、結局ロンは言い負かされてしまった。

 

逃げられそうにないと悟り、彩芽は大人しく双子に引きずられていく。

今日も悪戯発明品の相談かと思ったが、今日の行き先は校庭。

……外は雪がまだ大量に積もっていた。

 

双子にとって想定外だった事は、彩芽はただの魔法を覚えたてのピヨピヨ1年生ではないという事だった。

いつも冷静な彩芽の別の表情が見たい、という気持ちから、2人はタッグを組んで2対1の雪合戦を仕掛けた。

数の上でも、力の差でも有利なはずのこの勝負は、双子にとっては予想外、彩芽にとっては想定内の結果に終わる。

 

「どうしたんだよ兄貴たち、ずぶ濡れじゃないか!」

 

談話室に帰って来た双子にロンが驚いて声を上げる。

ハリーを押しのけて暖炉の前を陣取った2人は、寒さに震えながら「反則だ」だの「ズルい」だの文句を言っていた。

 

「アヤメと雪合戦して来たんだよ」

 

「俺らの惨敗だったけどな」

 

「お前ら、アヤメには逆らわない方がいいぞ、マジで」

 

フレッドの真剣な顔に、ロンはよく分からないながらこくこくと頷く。

言われずとも、彩芽を敵に回すのが得策でないことくらい知っている。

 

「それで、アヤメは?」

 

双子相手にどうやって勝てたのか気になったロンだが、話を聞こうにも肝心の本人の姿がない。

 

「さあな、俺らは寒くて一直線にここまで帰って来たし……」

 

「気付いたら、いなかったな」

 

ロンはそれに眉をしかめた。

 

「毎度毎度、あいつ一体どこに行ってるんだろう」

 

「さあ……多分、何か大切な用事でもあるんだろうさ」

 

ジョージが服を絞りながらどこかぼんやりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、雪合戦してて来るのが遅れたってわけか」

 

「悪かったわ」

 

「別に怒ってねぇよ」

 

氷炎は彩芽に呆れた目を向ける。

 

「ただ、外国だと思って気ぃ緩んでんなぁって思ってさ」

 

雪合戦で一戦終えてきたにしては、雪で濡れた後が一切ない彩芽。

それはつまり、術を使ったという事だろう。

 

「確かに、いくら本家の目がないからといって、彼らに力を見せてしまったのは迂闊だったかも。直前の、2人のロンへの言葉が少し腹立たしくて、つい……。気を付ける」

 

「別に、いいんじゃねぇの?」

 

考え込む素振りを見せる彩芽に、氷炎が軽く言った。

 

「ま、あんま力の差を見せつけると疎外されるかもしれねぇけど。ほどほどになら良いと思うぜ」

 

そもそも、氷炎には彩芽が日本で術を使えないというのが不満でたまらない。

本家だの血筋だの、ぶっちゃけ氷炎にとってはどうだっていい話で、うだうだ言う奴がいるなら全員黙らせてやるだけの事。

それだけの力が彩芽にはあるし、自分だって弱くない。

ただ、彩芽がそれを望んでいないなら、氷炎はそれに従うしかないし、好戦的な妖の性とはどこか違う部分で、そうなった時の面倒臭さも理解している。

 

「とりあえず、俺の餌に影響がないならそれでいい」

 

そして、これは紛う事なき本音だ。

彩芽はそれに苦笑して、氷炎に顔を寄せる。

器として気を貯めているので、氷炎の体は今、大型犬くらいに変化していた。

いつもの様に口移しで気を与えながら、術を使うのは必要な時のみにしようと彩芽は決めた。

隠し玉は多い方が良いし、氷炎の言う通り『餌』に影響が出ては困る。

今は無駄な力を使っている場合じゃない。

 

 

 

 

その日の夜、ロンがすっかり寝たのを確認して、ハリーはまたベッドを抜け出した。

あらかじめ予想していた彩芽は、気配が遠ざかるのを感じながら自らもそっと寮を抜け出す。

ハリーのいる場所は分かっているので焦る必要はないとのんびり歩いていた彩芽は、部屋にダンブルドアがいる事に眉を寄せた。

 

「ごらん、君を心配した友達が夜中に規則を破って来てしまったようじゃ」

 

「アヤメ……」

 

ダンブルドアは悪戯っぽく。

ハリーは少し申し訳なさそうな視線を彩芽に向ける。

 

「さあ、もう寝た方がいいじゃろう。スネイプ先生は最近、夜に見回りをするのがマイブームのようじゃ。わしが寮まで送ろう」

 

背中を押されて、ハリーは頷いた。

最後に一度だけ鏡を振り返ろうとして、ぐいと手を引っ張られる。

その手の冷たさにハリーはビックリした。

 

「帰りましょう」

 

彩芽がハリーの手を引いて、部屋を出る。

寮の前でダンブルドアと別れ、階段の前でハリーは彩芽に聞いた。

 

「アヤメは、鏡を見たいと思わなかったの?」

 

あれが自分が望むものを映す鏡だったという事は、帰る途中に話した。

何が映るのか、彩芽は興味がないのだろうか。

ハリーの問いに、彩芽は無表情に首を振る。

 

「真実が全て、正しい訳じゃない。それと同様に、人の望みが全て、幸せな夢という訳でもない」

 

「え?」

 

彩芽の言った事が理解出来なくて、ハリーは尋ね返した。

しかし、彩芽は無表情のままハリーの手を離す。

 

「おやすみなさい」

 

「うん……おやすみ」

 

階段を上がっていく彩芽を見送ってから、ハリーも部屋に戻った。

ベッドに入って、ハリーはダンブルドアとの会話を思い出す。

そして、彩芽の事を考えた。

 

アヤメが鏡を見たら、一体何が映ったんだろうか……。

 

 




◇友達のターンといいつつ双子のターンでした。人付き合いの不器用さはスネイプ似!……というか多分お祖父ちゃん似ですかね◇


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ハリーの推測

◇ハリーって結構思い込み激しい子ですよね。根はいい子なんだけど◇


クリスマスが終わると、大晦日があり、そしてお正月がある。

彩芽としてはクリスマスよりもこちらの方がメインなのだが、こちらではクリスマスほど重要視されていない。

 

彩芽は年末、寮内の大掃除の後、厨房にお邪魔して栗きんとんを作った。

氷炎はお節が好きで、中でも栗きんとんに目がない。

ひっそりと氷炎と2人で栗きんとんを食べて年を越し、ダンブルドアと鏡に細工を仕掛けた後。

寮に戻った彩芽を待っていたのはハーマイオニーだった。

 

「ただいま、アヤメ!クリスマスプレゼントをありがとう!あの本とっても面白くて、この休暇中にもう3回は読んだわ」

 

熱烈な抱擁とお礼に彩芽はたじたじになりながらも、自分もプレゼントが気にいった事を伝えた。

 

「聞いてくれよアヤメ、ハーマイオニーの奴、僕達の顔を見るなり挨拶より先に『フラメルが誰か分かった?』だぜ。こっちはハリーが大変だったってのにさ」

 

ロンの言葉に、ハーマイオニーが首を傾げる。

 

「ハリー?ハリーに何かあったの?あら大変、あなた顔色が悪いわよ」

 

ハーマイオニーの言う通り、ハリーの顔色は良くなかった。

あの鏡を見に行く事はなくなったが、それでも家族と一緒の姿が心から離れず、夜にはそれでうなされているからだ。

 

ハリーは弱めの笑顔を見せた後、何があったかを語った。

ハーマイオニーはハリーの話を聞いて複雑そうだったが、彩芽がクリスマスに寮に居なかったという話には眉をしかめた。

 

「じゃあ、あなた寮以外の一体どこに泊まったの?」

 

彩芽はこれには黙秘を通した。

ハーマイオニーはそれで、彩芽が例の保護者と一緒だったのだと気付き、それ以上は追及しなかった。

 

新学期が始まり、ニコラス・フラメル探しはさらに熱を帯びた。

クィディッチの練習で忙しくなるハリーの分も探さなくっちゃと、ハーマイオニーは図書室の本を読破する勢いで片っ端から読み進めていた。

彩芽はというと、そこに載っていないと分かっている本を読むのに疲れてしまい、本を捲るふりをしつつもこっそりサボっていた。

いっそ、ハーマイオニーが借りっぱなしにしているあの本を、早く読めばいいのにとさえ思う。

 

ハッフルパフとの試合を控えたある日、彩芽は1人で図書館に来ていた。

ハーマイオニーとロンは今、珍しい事にニコラス・フラメルから離れ、談話室でチェスをしている。

ハリーは例によってクィディッチの練習中。

最近、意味もなく本を捲る事ばかりを繰り返していたので、久々に面白い本をじっくり読みたくてこっそり借りにきたのだ。

 

薬学に関する数冊を借りて図書室を出た彩芽は、ゲラゲラと笑い転げるドラコとその取り巻き、そして今まさに角を曲がったネビルを見た。

ピョンピョンと不自然なうさぎ跳びだったネビルの姿。

それがどういう事なのか、理解した瞬間に彩芽の中で何かが溢れた。

 

「はははっ!今の見たか?あのロングボトムの間抜け……」

 

言いかけたドラコの顔が引きつる。

 

「ミナヅキ……」

 

水難の相が出ている、なんて嫌がらせでは温かった。

もっと、過激な何かがこいつには必要らしい。

もっと、もっと。

痛くて苦しい。

死なない程度の何かが……。

 

―――いや、死んでも仕方がないのではないか?

 

無言でこちらを見ている彩芽に、ドラコは身動きすら出来なかった。

蛇に睨まれた蛙、とは言ったものだ。

ただしスリザリン寮のシンボルが蛇なので、この場合は獅子に睨まれた蛙かもしれないが。

グラッブとゴイルでさえ、その場から動かず、息も止めたまま固まっていた。

彩芽は怒っていた。

不用意に神経を逆撫でれば、今度こそ直接彩芽の術は彼らに害を加えただろう。

だが、それより早く彩芽に声をかけた者がいた。

 

「あれ、アヤメ?こんなとこで何やって……」

 

聞きなれた声に、彩芽の張り詰めた気が霧散する。

溢れた何かは、スッと引いていった。

2、3度瞬きをして、彩芽は息を整える。

そうして振り向いた先には、怪訝そうなウィーズリーの双子。

格好からクィディッチの練習の後だと分かり、彩芽はドラコに背を向けて双子に歩み寄る。

 

「お疲れ様」

 

「え、ああ……」

 

彩芽の言葉に、ジョージが曖昧に頷く。

立ち尽くしたドラコと彩芽を交互に見やるが、彩芽が不機嫌なのを悟ると、無言でその背を押した。

 

「さ、帰ろうぜ」

 

「ああ、俺らももうくたくただし」

 

ドラコを睨みながらも無視する事にしたのか、フレッドがうんと伸びをする。

グリフィンドールの談話室に向かいながら、フレッドが不思議そうに「なんだってマルフォイの奴と一緒にいたんだ?」と尋ねたが、彩芽はただ首を振った。

ぎゅっと数冊の本を胸の前で抱きしめて、彩芽はただただ無言だった。

 

「良く分かんないけど、何かあるなら言えよ?」

 

談話室に繋がる肖像画の穴を登るとき、ジョージがそう声をかけたが、彩芽はそれに、ただ小さく「ありがとう」とだけ残して一直線に女子寮へと入っていってしまった。

 

 

 

翌日、彩芽はハリー達からニコラス・フラメルが誰か分かったというニュースを聞いた。

灯台下暗し、ハリーが初めて見たカエルチョコのオマケだったダンブルドアのシールに、それは書かれていたのだ。

さらに、ハーマイオニーが借りっぱなしになっていた本に詳細が載っていた。

 

ニコラス・フラメルは、賢者の石を創造した錬金術師でダンブルドアの友人。

以上から、あの三頭犬が守っているのは、賢者の石だろうというのが3人の見解だった。

彩芽はそれが正解だと知っていたので、そうだったのかと言わんばかりに黙って頷いて見せた。

あっさりした彩芽の反応にハリー達は肩をすくめたが、もう1つの報告……スネイプが今度のクィディッチの試合で審判を買って出た話をした途端、彩芽は物凄い勢いでハリーを見た。

 

「……何故?」

 

思いっきり不審な目で尋ねられ、ハリーは逆に眉をしかめた。

 

「僕の方が聞きたいよ」

 

スネイプがグリフィンドールを目の敵にしている事は周知の事実だ。

 

「今度のハッフルパフ戦に勝てば、七年ぶりにスリザリンから寮対抗杯を奪い取る事ができるのに……よりによってあのスネイプが審判なんて」

 

弱々しく肩を落とすハリー。

誰もがこの試合は不公平なものになるだろうと予感していた。

 

彩芽は試合に出ないロンやハーマイオニーですら落ち込んでいるのを見て、ため息をこぼす。

これは、スネイプがグリフィンドールがトップを奪うのを阻止するために引き受けたと思われても仕方ない。

でも、本当の理由は……恐らく……。

彩芽は気付いていた。

先日のあの箒が暴走した事件で、ハリーを守るべく真剣に戦っていた事を。

誤解されるのは本人の日頃の態度が悪いせいだとも分かっていたので、彩芽はそれ以上は考えない事にした。

 

スネイプが審判をするという事に落ち込んだ気分を盛り上げるためにか、今度はロンと『賢者の石を手に入れたら』という話で盛り上がり始めたハリー達を横目に、彩芽はノートに文字を書き込んでいく。

そう、今は闇の魔術に対する防衛術の授業中。

もっとも、この授業の先生はいつもターバンを頭に巻いた臆病と評判のクィレル。

生徒が多少お喋りをしていたところで強く咎めることはない。

狼人間に噛まれた傷の処置法をつらつらと書き綴りながら、彩芽は羽ペンの羽で自分の鼻を撫でた。

そしてその羽に隠れるようにしてそっとクィレルを窺う。

 

西洋の魔法使いと東洋の術師。

どちらが優れているという訳ではないが、彩芽から見れば魔法使いは自分の気配、気に対して無頓着過ぎる。

クィレルが黒板に向かうたびに強く感じるこの気に、誰一人気付かないのが不思議でたまらない。

 

いつの間にか隣でハリーが試合に出る決意をしているのを聞きながら、彩芽は思った。

前回ハリーの箒の異変に気付いた人間が複数人いる中で、同じ方法はとらないだろう。

もっと確実でスマートな方法はいっぱいある。

ハリー達はスネイプが再び箒に妨害の呪文をかけてくるのではと考えているようだったので、彩芽は今回は大丈夫だろうと言ってあげたが、それには首を振られてしまった。

 

「アヤメにそう言われたら、なんだか心配になってきたわ」

 

ハーマイオニーの言葉に、彩芽は黙って授業に戻った。

 

 

 

 

ハリー達の中で、スネイプがハリーに何かを仕掛けることはもはや決定事項のようだった。

ハリーに内緒でハーマイオニーとロンは足縛りの呪文を練習し、何かあったらスネイプにかけてやると意気込んでいた。

試合の日、例によって実況席に拉致された彩芽はハリーに「頑張って」と言う暇もなかった。

相変わらずの熱気……くらくらしながら見下ろしたグラウンドには、いつもの黒いローブに身を包んだスネイプの姿。

 

「ハリーには是非とも頑張ってもらわないと」

 

隣でやはりマイクを調整しているリーが、彩芽の視線に気付いて言った。

 

「長引けばそれだけグリフィンドールに不利だもんな」

 

スネイプがいわれもなくペナルティを与えてくるに違いない、と、言外にほのめかすリー。

残念な話だが、普段グリフィンドール生に減点している姿を考えれば、確かにそうだと彩芽も思った。

ただ、彩芽は今日の試合のことではなく、スネイプが競技場のグラウンドで箒に跨る姿は似合わないと考えていたのだが。

 

「さぁ、みなさん、選手が入場します!」

 

リーの声が響き渡る。

彩芽は赤いユニフォームの中からハリーを見つけ出してホッとする。

朝から比べて、ずいぶん顔色がマシになっていた。

理由はその視線の先、観客席でにっこり笑って試合を見ているダンブルドアの存在だろう。

逆にスネイプは不機嫌そうだった。

それもそうだろう、わざわざ審判を買って出たというのに……ダンブルドアが来る事を知っていたら、そんな事はしなくて良かった。

つまり無駄骨だったわけだ。

きっとダンブルドアは全て知った上で、観戦に来る事を言わなかったのだろう。

 

「おっと?開始早々ペナルティーです!見る限り反則行為は全くなかったといってもいいでしょう。一体何のペナルティーなのか分かりかねますが、ハッフルパフのペナルティー・シュートです!」

 

彩芽は笑ってしまいそうになったのを堪えた。

なんというあからさまな嫌がらせだろう。

みんなはスネイプの嫌がらせや態度の事を「ネチネチした」と表現するが、本当のネチネチはこんなものじゃない。

スネイプの嫌がらせは常に正々堂々の嫌がらせだと思う。

 

「クアッフルはグリフィンドール側に!アンジェリーナが華麗に追っ手をかわす!」

 

赤と黄色のユニフォームが入り乱れる中、その更に上を、ハリーがぐるぐる旋回している。

ハッフルパフのシーカーも、少し離れたところで様子を窺っていた。

ハリーと違って、ハッフルパフのシーカーはスニッチ探しに専念するのは難しいようだ。

まだ開始数分だというのに、すでに3回もブラッジャーに襲われていた。

もっとも、それは概ねグリフィンドールのビーター2人のせいだったのだが。

双子はハッフルパフのシーカーに、何か含むところでもあるのだろうか?

彩芽がそう勘繰った時だった。

 

「スニッチか?!」

 

リーの緊張と興奮を含んだ声。

パッとハリーのいたところへ視線を向けると、旋回していたハリーが一直線に急降下していた。

地面に向かってどんどん上げていくスピード。

そしてハリーの進行方向には、スネイプの姿。

 

「危ない!」

 

リーの実況が叫ぶ。

スネイプがほんの少し箒を動かし、その横を猛烈な勢いでハリーが通った。

何が起こったのかスネイプには分からなかったに違いない。

いきなり赤いものが耳元を掠めていったと思ったら、それがハリー・ポッターで、しかもスニッチを握っている。

スネイプが見たものを想像して、彩芽は微苦笑を浮かべた。

審判が無駄骨だった上、目の前でスーパープレイを見せられ、グリフィンドールを貶める間もなく試合を終了させられてしまったスネイプの心境はいかほどだろうか。

 

「見事です!やりました!ハリー・ポッターが!またもやグリフィンドールに勝利をもたらしました!!試合はまだ5分と経っていません!」

 

興奮しっぱなしのリーの実況の隣で、マクゴナガルもはしゃいでいた。

まさしく、望んだ通り最短の試合だった。

彩芽も手を叩きながら、地面に下りたハリーがダンブルドアに何やら話しかけられているのを見た。

そういえば、と先ほどまで見ていた黄色いユニフォームの方のシーカーを見れば、しっかりとハリーに向かって拍手をしていた。

なんというか、出来た人だ。

ハリーの隣で憎々しげに唾を吐いたスネイプより、よほど大人かもしれない。

 

「では、今日の試合をもう一度振り返ってみましょう!」

 

リーが興奮冷めやらない中、そう言って試合を最初から解説し始めた。

もっとも、今日の試合は1から全部説明したっていいくらい短かったが。

スネイプがハッフルパフに与えたペナルティー・シュートのくだりで、リーがマクゴナガルに叱られた以外は、何の問題もなく解説は終わった。

 

とにかくハリーが凄かった。

こんなに最短の試合は初めてだ。

 

今日の試合はこの2点に尽きるらしい。

解説も終わり、生徒も寮に戻りだす。

彩芽もリーとグリフィンドール寮に向かうが、途中で用があると抜け出した。

興奮冷めやらぬ大勢と帰るのが少し疲れたので、迂回して人通りの少ないルートを帰ろうと思ったのだ。

その途中、彩芽はフードを被ったスネイプが城から出て行くのを見つけた。

不思議に思っていると、禁じられた森へ向かうスネイプの後ろを、ハリーが箒で後をつけているのも見つけてしまった。

少し考え、彩芽もそれに倣う事にした。

札を咥えて印を結び、姿を隠して2人を追う。

 

森の入り口から少し入ったところで、彩芽はスネイプと……クィレルを見つけた。

辺りを見回し、木の上にハリーがいる事も確認する。

スネイプは酷くどもるクィレルを脅しにかかっていた。

 

話題は賢者の石について。

ハグリッドの野獣を出し抜く方法はもう見つけたのかどうか、さらにクィレルの怪しげなまやかしについて、そして……。

 

「もう一度よく考えて、どちらに忠誠を尽くすのか決めておいていただきましょう」

 

ひとつも明確な返事を返さないクィレルに言うだけ言って、スネイプは立ち去る。

今の言葉を聞いて、ハリーは今まで以上にスネイプの事を疑うだろう。

でも仕方がないのかもしれない、この会話、この状況、そして生徒からの好感度。

スネイプとクィレル、どちらが悪かと問われれば、大半はスネイプと答えるだろう。

 

しばらくして、ハリーが城に戻るのにあわせて彩芽も動いた。

丁度、階段を上りかけたところで声をかける。

 

「ハリー、寮に帰るの?」

 

ハリーはびっくりして跳び上がった。

 

「アヤメ?!ハーマイオニー達と一緒じゃないの?」

 

そこにいるのが彩芽ひとりだと知って、ハリーは驚く。

 

「私、リーと実況席にいたから」

 

言われてハリーも思い出す。

ただ、じゃあどうしてリーと一緒じゃないのかという疑問は浮かばなかったようだ。

 

「それよりアヤメ、聞いて!僕……」

 

言いかけたハリーの口に彩芽が人差し指を当てる。

 

「ハーマイオニー達と聞くから」

 

ハリーはそれに頷いて、急ぎ足で階段を上った。

談話室に辿り着く前に、ハーマイオニー達がハリー達を見つけた。

 

「ハリーったら、いったいどこにいたのよ?それに、アヤメも!」

 

興奮した顔のハーマイオニーの横で、浮かれたロンが「僕達が勝った!」を連呼している。

ハリーは談話室のパーティーについて話すロンを遮り、話したいことがあると切り出した。

不思議そうな2人と、黙って立っている彩芽を空き教室に突っ込み、ピーブズに注意しながらドアをピッタリと閉めた。

 

「僕らは正しかった。賢者の石だったんだ」

 

ハリーはそう切り出し、今しがた聞いた事、見た事を伝える。

ハリーが言った事にはハリーの主観が混ざっていたので、正しい情報とは言えなかった。

ただし、雰囲気としては間違っていないと彩芽は思った。

ハリーが誤解しても仕方ないくらい、スネイプに悪役は良く似合う。

 

「それじゃ賢者の石が安全なのは、クィレルがスネイプに抵抗している間だけって事になるわ」

 

ハーマイオニーとロンは眉をしかめた。

 

「抵抗できると思うか?3日ともたない。石はすぐなくなっちまうな」

 

ルーマニアで会った吸血鬼が怖くて教室ににんにくを吊るしまくり、どもって挙動不審のクィレルが、あの恐ろしく怖いスネイプに抵抗できるとは思えないというのがハリー達の意見だった。

とはいえ、解決策も思い浮かばず、3人は黙り込む。

結局、何も出来ずに談話室に戻るしかなかった。

 

「まだしばらくは大丈夫よ」

 

あんまりにも意気消沈してしまったみんなを励まそうと、彩芽がそういうと、ハーマイオニーが深々とため息を吐いた。

 

「だから、アヤメがそう言うと逆に不安になるのよ。あなたの『大丈夫』ほどあてにならないものはないもの」

 

彩芽はそれに黙って口を閉じた。

 




◇なんというか、スネイプが審判を買って出たところはいつも可哀想になります。ダンブルドアが急にクィディッチ見に来たのって絶対スネイプへの嫌がらせだと思うんですよ。言っといてやれよっていう◇


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ドラゴンとクィレル

◇日本には結構龍の伝説(神話)が多くて、しかも日本列島は龍の形をしているとかそういう話大好きです(本編とは関係のない前フリ)。
今回ちょっと長くなりました◇


スネイプがクィレルを脅しているのを見て以来、ハリー達はクィレルがいつスネイプの脅しに屈するかと神経を尖らせていた。

例の4階の廊下で、中にいる3頭犬の鳴き声に耳を澄ましてみたり、クィレルと会う度にハリーは励ましの笑顔を向けたり、ロンはどもりをからかう連中をたしなめたりした。

彩芽はそんな2人に内心複雑な気持ちだったが、ハーマイオニーはハリー達ほど石の事に気を取られているわけではなかった。

6月の学年末試験に向けて、勉強しなければならないと思い出したようだ。

予定表を作り、本にマーカーを引き、彩芽やハリー達にも勉強するよう勧めて来た。

 

「ハーマイオニー、試験はまだずーっと先だよ」

 

「十週間先でしょ」

 

ハーマイオニーはロンの抗議にそう返し、ニコラス・フラメルの時間にすればほんの1秒だと言い切った。

 

「忘れちゃいませんかね、僕たちは六百歳じゃないんだぜ」

 

眉をしかめるロンの気持ちも分かるが、比喩はともかく、ハーマイオニーの言う事は概ね正しい。

試験をパスできなければ進級できない事は動かしようのない事実であったし、教師陣も試験はずっと先だなどとは思っていなかった。

その証拠に復活祭の休みにはどっさりと宿題が出され、のんびりするどころではなかった。

ハーマイオニーがドラゴンの血の十二種類の利用法を暗唱したり、杖の振り方を練習する横で、ハリー達も図書館でしぶしぶ勉強に励む。

彩芽は真面目に勉強していたが、大抵お昼を過ぎて少しすると用があると言って席を外し、そのまま帰ってこなかった。

当然ハリー達は用を尋ねたが、彩芽は「秘密」の一点張り。

 

「あいつ、僕たちに秘密が多すぎないか?」

 

ロンが口を尖らせて唸った。

これまでも談話室から急にいなくなる事がよくあったし、クリスマスに一体どこにいたのかも結局教えてはもらえないままだ。

 

「これで犯人がスネイプでなきゃ、アヤメが怪しいと思うところだよ」

 

「アヤメはそんなことしません!」

 

ロンの言葉にハーマイオニーがピシャリと言った。

ちょっとした冗談だよ、ともごもごしたロンは、ふと本棚の方を見て驚きに声を上げた。

 

「ハグリッド!こんなところで何してるんだ?」

 

 

 

 

 

いつもの様に氷炎の元に向かった彩芽は、気を移した後、別の作業に取り掛かった。

氷炎に出来る限り力を貯めておきたいところだが、こちらもそろそろ取り掛からなければ間に合わない。

以前の様に倒れてしまわないよう、今まで以上に力の配分に気を使う。

 

「俺、その箱お気に入りなんだよな」

 

「そう……」

 

彩芽の前に置かれているのは、装飾美しい箱。

黒漆に金の箔、幼少の頃、彩芽はこれを玉手箱ではないかと思ったことがある。

その考えはあながち間違いでもなく、これはかつて都で悪さをした強い悪霊を封じたという由緒正しい封魔の箱だった。

もっとも、中の悪霊は葛葉が若い頃に箱を開けてしまい、弱っていたところを完全に消滅させられたわけだが。

 

彩芽は集中し、箱の裏に札を貼る。

2、3日かけて気を流し込んだ1枚の札を作り、それで箱の強化を行う。

同時に、中の気を吸い取り、外に発散させる仕掛けも施していく。

 

「その箱に、お前の父親閉じ込めるんだろ?」

 

「ええ、色々考えてみたけれど、お父様は今、肉体を持っていないはず。なら、無理にその場で消滅させるより、どこかへ封印したのち無力化して消滅させる方が、逃げられる可能性も低い」

 

「いざとなりゃ、そのまま箱に入れて日本に持って行けば、後はどうとでもなるしな」

 

こんなに策を講じなければならない理由は、ここが英国で、彩芽の力が制限されてしまうからに他ならない。

日本に帰れば、史上最強の極悪魔法使いだろうが何だろうが、彩芽の敵ではないと氷炎は信じていた。

 

彩芽は氷炎ほど楽観的ではなかったが、相手の土俵で戦うよりは日本で戦う方が勝率が高い事は確かだと考えていた。

最悪自分が負けて解放されたとしても、後始末は陰陽頭がつけるだろう。

あの、大嫌いな親類たちに迷惑がかかるなら、負けるのもいいかもしれないと思ってしまったのが面白くて、彩芽は薄く笑った。

 

しばらく作業した後、彩芽は氷炎に別れを告げ、グリフィンドール寮に向かう。

直接そこへ行く事も出来るが、人目を考えて、彩芽はいつも少し離れたトイレに現れるようにしていた。

幽霊がいるせいか、このトイレに人がいるのを見たことがない。

その女生徒の幽霊は、初めて顔を合わせた時、彩芽にちょっかいをかけてしまったために酷く怯える羽目になった。

それ以来、彩芽が姿を現すと、派手な水しぶきを上げて便器の中に逃げ込んでしまう。

 

今日も背後に水音を聞きながらトイレを出た彩芽は、しばらく歩いた後、珍しい人物に出くわした。

相手も何故か少し驚いた顔をしていて、彩芽は首を傾げる。

 

「こここ、こんなところで、会うとは、き、奇遇、ですね」

 

酷くどもりながら話しかけてきたクィレルに、彩芽はここで決着をつけてしまうべきか考える。

だがどう考えても、やはり今はまだその時機ではない。

 

「寮に戻るところです」

 

答えた彩芽に、クィレルが視線を向ける。

どもり、つっかえながら話す人間にしては、鋭い探る様な目。

 

確かにこの先には、人の寄り付かないトイレくらいしかない。

他の場所に用があるなら、別の道を通った方が早い。

不思議に思うのは当然だと思うが、どうもクィレルの目にはそれ以上の感情が見える。

 

「ミ、ミス・ミナヅキ、よければ午後のお茶を、い、いかがかな?私の、す、好きなお菓子が、丁度届いたところで……」

 

「お茶、ですか」

 

数度瞬きをして、彩芽は頷いた。

 

「では、お邪魔します」

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず。

この辺りで情報収集をしておくのも、悪くはないだろう。

 

 

 

 

招待された先は闇の魔術に対する防衛術の、準備室だった。

意外と小ざっぱりした部屋で、吊るしたにんにくや十字架さえなければ、知的とさえ言える。

棚に並んだ『吸血鬼に襲われた時の対処法』や『簡単!鬼婆退治』、『あなたの知らない恐怖の魔法生物』といった目を引くタイトルに隠れて、価値のある古書や高度な魔法書が置かれている事に彩芽は気付いた。

 

若草色のソファは座り心地良く、温かみのある木のテーブルには同色のランチョンマットが敷かれ、品のいいソーサーとカップが並べられた。

彩芽が見ている中、手際よくお茶の用意をするクィレル。

時折、目が何かを探るように動く以外は、おかしな点はない。

こだわり派のスネイプとは違い、クィレルは魔法で紅茶を用意すると、それを注いだ。

華やかに香る柑橘の香りは、彼が届いたと言っていたオレンジピューレがふんだんに使われたパウンドケーキによく合いそうだ。

部屋に異臭さえ漂っていなければ、まさに完璧なお茶会だったと彩芽は思う。

 

「ど、どうぞ……気に入ってもらえると、う、嬉しいのですが」

 

ぎこちない笑みを向け、クィレルが勧める。

彩芽は慎重にカップを傾け、口に含んだ。

 

――こちらに来て、彩芽は西洋の魔法使いが気の流れに酷く疎い事に驚いた。

だが、授業で実際に魔法を使う姿を見て、当然かもしれないと納得した。

こちらでは、力を使うのに杖を使う。

そして、その力の源は自身の魔法力だ。

 

対して、彩芽は、日本の術師は自然にある力を利用する。

自身の力も使うには使うが、基本的には周囲の気を読み、それを操るのだ。

生まれ持っての才能と、日常的な術の訓練によって、彩芽の気を読む力は驚異的なほど研ぎ澄まされている。

 

魔法がかかっているか否か、その強さはどれほどか。

そう、例えば、今飲んだ紅茶に何らかの魔法薬が使われていないかどうか、なども。

 

「美味しいです」

 

「そ、それはよかった!ケーキも、好きなだけど、どうぞ!」

 

ホッとして勧めるクィレルに、彩芽は首を振る。

 

「甘いものは苦手なので。先生は遠慮なくどうぞ」

 

「そ、そうですか……では、私も紅茶だけにして、ケーキは、今度にします」

 

そう言って魔法の気配がするケーキを下げたクィレルは、落ち着きなく紅茶に手を伸ばした。

何かに怯えるその姿に、彩芽はカップを置いて尋ねた。

 

「それで、クィレル先生、どうして私をお茶に誘ったのか聞いても?」

 

ビクリと肩を揺らし、クィレルは彩芽を見た。

 

「あ、あなたは……私の授業をいつも熱心に受けているので……きょ、興味があるのではないかと」

 

「闇の魔術に、ですか?」

 

目を細めて尋ね返すと、さらに恐怖の色を濃くする。

彩芽はこのお茶会がクィレルの意思ではないと確信した。

 

「そうですね、とても興味がありますよ、先生。……覚えていて損はない」

 

これは本心だった。

敵を知らねば対策の立てようはないし、敵が使うのに自分は使わないと言うのもおかしな話だ。

必要だと思えば使えばいいと、彩芽は思っていた。

 

「ち、知的好奇心が、お、お、旺盛なのですね、ミス・ミナヅキは」

 

クィレルは立ち上がり、本棚に向かう。

後ろを向いたはずのクィレルから、先ほどより強い視線を感じて、彩芽は内心で嗤う。

顔には一切出さずに待てば、視線は薄れ、クィレルが本を差し出して来た。

 

「この本は、ほ、本来1年生の生徒に見せるには早過ぎるも、ものです。ですが、君なら、か、構わないでしょう」

 

一瞬逡巡した後、彩芽は微かな魔力を帯びたその本を受け取る。

 

「返却は、いつでも構いません。き、君にとって、何かの役に立つといいのですが……」

 

「ありがとうございます」

 

見上げた彩芽の視線から逃れるように、クィレルは目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

「聞いてよアヤメ、スネイプもだったんだ!」

 

「それにドラゴンの卵だ!信じられるか?」

 

「落ち着きなさいよ2人とも」

 

紅茶を飲み干し寮へと戻って来た彩芽は、談話室に入るなり3人に捕まった。

口々に喋るハリーとロン。

ハーマイオニーがそれに呆れ、彩芽にきちんと順を追って説明する。

 

彩芽が図書室を出た後、ハグリッドに会った3人が知った事実に、彩芽は何と言っていいか分からなかった。

賢者の石の守りにスネイプが係わっていた、というのは別に驚きでも何でもなかったが、もう一つの方が問題だった。

 

「ハグリッド……」

 

事もあろうに、ハグリッドはドラゴンの卵を手に入れて、それを孵そうとしているらしい。

ノルウェー・リッジバックという種だと聞き、彩芽は以前見た本の内容を思い出してため息を吐く。

 

凄く驚くだろうと思ったが、それほど動じた様に見えない彩芽。

ロンはその反応が不満だったらしく、ドラゴンの飼育は1709年のワーロック法で違法だと決まっている事を熱弁するが、彩芽はちゃんと知っていた。

 

「ハグリッドってば、私達がいくら止めても聞く耳持たないのよ。ねぇ、どうしたら良いと思う?」

 

ハーマイオニーは困ったように彩芽に意見を求めた。

彩芽はそれに首を振り、「牙に毒がある」とだけ言い、女子寮に上がっていってしまう。

 

「なんだってんだ、アヤメのやつ。ドラゴンだぞ?!」

 

「しーっ!声が大きい」

 

ロンをたしなめながら、ハリーは彩芽が入っていった寮の扉を見つめた。

でも確かに、どうしてあんなに平静でいられるんだろうかとハリーは首を傾げる。

 

「大方、あいつは何も分かっちゃいないんだ。日本にはドラゴンなんかいないんだろ」

 

ロンが眉をしかめて鼻息を荒くした。

ハーマイオニーは心配そうにしながら、彩芽を庇う。

 

「きっと、ペットに餌をあげてたんだわ。なんだか凄く疲れるらしいの」

 

その言葉に、ハリー達は初めて会った時、彩芽の首元に白くてふさふさした生き物が巻きついていたことを思い出す。

そういえば、最近……いや、ずっと姿を見ていない。

 

「どうして餌をやるのが疲れるの?」

 

ハリーが尋ねた。

あの動物に餌をやるのは、きっと赤ちゃんドラゴンに餌をやるよりうんと簡単だろう。

ハーマイオニーは分からないと首を振る。

ロンはそれ見たことかと口を尖らせた。

 

「全く、アヤメは僕達に何を隠してるんだ?」

 

 

 

 

翌日、ロンは彩芽に何度も口を割らせようと試みたが、それは結局失敗に終わった。

前から薄々感じてはいたが、ハリー達は彩芽がかなり頑固だと決定付ける事になった。

ドラゴンに彩芽の秘密主義、そして毎日毎日山の様な宿題……。

おまけに、ハーマイオニーがハリー達の勉強予定表まで作り始めたので、ロンもハリーもかなり参っていた。

 

そんなある日の朝、ハグリッドからの手紙をヘドウィグが届けに来た。

ハリーのペットのヘドウィグは、真っ白い羽の綺麗なふくろうだ。

彩芽はハリーの許可を得て、そっと撫でさせてもらった。

 

「大変だ、卵が孵るみたい……」

 

手紙を読んだハリーが、気分が悪そうに呻いた。

とうとう孵ってしまう。

生まれたドラゴンを、ハグリッドは一体どうするつもりなんだろうと考えると、胃からさっき食べた朝食が逆流しそうだった。

 

「すぐに行こう」

 

「ダメよ!」

 

ロンは鞄を引っつかんで腰を浮かしかけるが、ハーマイオニーの制止で椅子に座りなおした。

 

「ハーマイオニー、ドラゴンの卵が孵るところなんか、今を逃せばもう二度とないんだぞ?」

 

「授業をさぼったら面倒な事になるわよ。でも、ハグリッドがしていることがばれたら……」

 

「ハーマイオニー」

 

ハーマイオニーの言葉を遮り、彩芽が唇に人差し指を当てた。

 

「マルフォイだ……」

 

数メートル先で聞き耳を立てているマルフォイの表情に、ハリーの顔が曇る。

ハリー達が黙ると、マルフォイも気付かれた事を察したのか、なんでもないように立ち去った。

気にはかかったが、ロンはドラゴンが孵る瞬間をどうしても見たいらしく、薬草学の教室に行く間ずっとハーマイオニーを説得にかかっていたので、ハリーは忘れる事にした。

証拠はない。

そもそも、ハグリッドが考えを改めれば万事解決する話だ。

 

結局ロンの熱意に負けて、ハーマイオニーは薬草学の授業には出るけれども午前中の休憩時間に様子を見に行く事に賛成した。

授業終了の鐘が鳴ると同時に、ハリー達は移植ごてを放り出して走る。

 

「アヤメ?」

 

「片付けてから行く」

 

ハーマイオニーはドアのところで一緒に来ない彩芽に気付いて声をかけたが、その返事に頷いてハリー達を追いかけていった。

本当はハーマイオニーも興味があったに違いないと、3人が放り出した移植ごてを片付けながら彩芽は思った。

 

「ねぇ、あの3人、あんなに急いでどうしたの?」

 

「そうよ、アヤメに片付けを押し付けて。何かあったの?」

 

寮で同室のパーバティとラベンダーが不思議そうに声をかけてきたのを見て、彩芽は彼女達には分からない微笑を浮かべた。

 

「火トカゲの卵が孵る瞬間を見たいんだって」

 

彩芽の言葉に、2人は目を丸くする。

 

「ハーマイオニーったら……まるで男の子みたいね」

 

「私なら、爬虫類の孵化なんか興味ないけど」

 

思った通り、2人はそれで興味を無くしたようだった。

 

彩芽が片づけを終えてハグリッドの小屋に着いた時には、もう卵は孵った後だった。

机の上にいるのはドラゴンというより、羽のある出目金みたいなトカゲで、体が黒く、目がオレンジ色という……なんとも微妙な配色だった。

彩芽はうな垂れてバケツをかき混ぜているハグリッドを見てから、やはりうな垂れているハリー達を見る。

 

「……何かあったの?」

 

「マルフォイが……」

 

ロンが唸った。

彩芽はそれで理解した。

 

「見られたのね。……すれ違わなかったけど」

 

「君とは別の方に走って行った」

 

ハリーが答える。

授業が違えば教室の場所も違う。

彩芽は塔から来たが、マルフォイは城の方へ向かったのだろう。

 

「……そう」

 

「そう、だって?」

 

彩芽のあっさりした返事に、ロンが立ち上がった。

 

「君は分かってない!僕たち、すっごくまずい事になってる!いいかい、ドラゴンの飼育は法律違反なんだ!」

 

ロンは顔を真っ赤にして言ったが、彩芽は顔色を変えなかった。

黙ってドラゴンにバケツの中身を与えているハグリッドに目を移し、静かに尋ねる。

 

「ハグリッド、どうするの?」

 

「どう、どうって?」

 

目をキョドキョドと泳がせるハグリッドに、彩芽は言葉を重ねる。

 

「ドラゴンの飼育は法律違反。知ってて止めさせなかった私たちも同罪。それでも、ドラゴンを飼うの?」

 

「そりゃ、ずっと飼ってはおけんだろうが……」

 

ハグリッドは生まれたばかりのドラゴンに目を潤ませる。

 

「この子はまだこんなにちっちゃい。誰かが世話してやらんと死んじまう……ほっぽり出すなんて俺には出来ん!」

 

ハグリッドはドラゴンを撫でようとして噛まれたが、痛みよりも慈愛の気持ちの方が強いのか、構わず両手で包み込んだ。

もっとも、それも一瞬で、次の瞬間ドラゴンの鼻から出た火花に髭を燃やされかけていたが。

 

「正気じゃないよ……」

 

ロンは首を振った。

ハリーとハーマイオニーも疲れた顔をしている。

 

「授業が始まる。行きましょう」

 

彩芽の言葉に、ハリー達はハグリッドの小屋を出た。

茹だった様な小屋から出た瞬間、すぅっと汗が引いていくのを感じながら、ハリーはため息を吐く。

これからどうしよう。

 

「……ハリーたちはどうするの?」

 

「え?何が?」

 

彩芽に聞かれて、ハリーは聞き返した。

 

「行動の選択は……3つ。1つ、ハグリッドの説得を延々と続ける。2つ、見なかった事にする。3つ、ダンブルドアに相談する」

 

「ダメだよ!」

 

彩芽の言葉にハリーは首を振った。

 

「いくらダンブルドアでも、ハグリッドはきっとクビになるぞ」

 

ロンもハリーに加勢する。

表情から、ハーマイオニーも同意見のようだった。

彩芽はダンブルドアはそう簡単にハグリッドをクビにはしないだろうと思ったが、皆がそう思っているならと、あえて言い返すことはなかった。

 

「ダンブルドアに言わないなら……ハグリッドが説得に応じるとは思えない。私は手を引く」

 

「見捨てるってのか?!」

 

ロンが信じられないと目を見開いた。

 

「いいえ。助けが要るときは言って欲しい。でも、最終的に決めるのはハグリッドだから」

 

彩芽はそう言って、先に立って歩いていった。

 

「ああ言ってるけど、結局は見捨てるって事じゃないのか?」

 

ロンはイライラして言った。

ハリーはそれを肯定したくはなかったが、確かに冷たいと思ってしまった。

ハーマイオニーは黙って俯いた。

 

翌日から、ハリー達は暇さえあればハグリッドを説得にかかった。

必死にハグリッドの元へ通い詰めるハリー達をしり目に、彩芽はしょっちゅう寮からいなくなっていた。

ハグリッドがドラゴンにノーバートと名前を付けた話をしても、ほんの少し眉をしかめただけだった。

本気で知らん振りを通すらしいと分かり、ハリーは落胆したし、ロンは怒っていた。

彩芽はそれに気付いていたが、正直なところ、ハグリッドが説得に応じると思えない以上、無駄な時間を割く余裕はない。

氷炎へ気を貯めるのと、箱の細工の両立は気力と体力を激しく消耗する。

それに加えて、クィレルからの接触にも気を張らねばならなかった。

 

「ミミ、ミス・ミナヅキ、こ、この間の本は……い、いかがでしたか?」

 

クィレルは決まって彩芽が1人の時に現れる。

避け続ける事も可能だが、今は出来る限り力を使いたくないのと、情報収集になるかもしれないという打算もあって、彩芽はわざと声をかけやすい状況を作っていた。

 

「大変ためになりました」

 

彩芽は借りた本を鞄から取り出すと、クィレルに手渡す。

ほんの少し魔力を帯びたその本は、罠ではなくただの書物だった。

ただし、内容ゆえに持ち主を選んで来たようで、その痕跡がうっすらと残っているのだろう。

クィレルから貸される本は、そういう類の物ばかりだ。

 

「それは、良かった。た、立ち話もなんです、お、お茶でも……どうですか?」

 

「はい」

 

二つ返事で了解して、彩芽はクィレルの部屋でお茶を飲む。

授業でも思った事だが、クィレルは決して馬鹿ではない。

お茶の合間の雑談は、どもりとつっかえがなければとても有意義でためになるものだった。

ハリー達がハグリッド説得にかかりきりになっている間1人になる機会は当然多く、彩芽はクィレルとのお茶の機会を何度も持つことになった。

 

「タブー視されているだけあって、闇の魔法に関して詳しく説明された本は少ない。その中で、この本は大変興味深かったです」

 

「と、いうと?」

 

「闇の魔術と呼ばれるものは、一般的な魔法と差異はない。ただ、殺傷能力に長けた威力の強い物を、そう分類付けているに過ぎない」

 

「ええ、そ、そうです、ミス・ミナヅキ。やはり貴女は、あ、頭が良い」

 

頷きながら、クィレルは弱々しく笑った。

 

「闇の魔術はお、恐ろしいものです……人を殺めるものや、拷問に使うようなものが、た、たくさんある。ですが、古代魔法のような、べ、別の魔法という訳ではない。貴女が言ったように、私たちが普段使用している魔法と、お、同じ、なのです」

 

その言葉に、彩芽は何の不思議もなかった。

日本にも禁忌の術は存在するが、概ね似たようなものだ。

ようは術者がどう使うか、という事。

 

「た、例えばミナヅキ、貴女が新しい魔法を、開発したとして、それが誰かをき、傷つけるものであれば、それは即ち闇の魔術を生み出したと同意なのです」

 

「その理屈でいくと、世の中は闇の魔法で溢れ返っていることになりますね。どんな術でも、使い方次第で武器になるのに」

 

「ぶ、物騒な事を、言うものではありませんよ……」

 

怯えたふりをするクィレルに、新しい本を借りてお茶を切り上げる。

数日後にまたお茶に誘われ、そうして話をしてまた本を借りる。

 

少し近付き過ぎかと考えたが、直接の害がないため、切り上げる機会を失っているのも確かだ。

ドラゴンの件に動きがあれば、また状況は変わるのだろうが……。

 

彩芽は借りる度に過激になっていく本の内容を頭に入れながら考える。

――ところで、クィレルやお父様は、一体何がしたいのだろうか?

 

 

 

 

 

クィレルから借りる本が、そろそろ理論から実践的な内容になってきたある日の夜。

談話室に戻ってきたハリーは部屋の隅の椅子で本を読んでいた彩芽に、ハグリッドがルーマニアでドラゴンの研究をしているロンの兄に、例のドラゴンを預けるという説得に応じたと伝えた。

 

「ハグリッドは説得に応じないって言ったのは、どこの誰でしたっけね?」

 

ロンが意地悪を言うと、彩芽は素直に「ごめん」と謝った。

これはロンも予想外だったようで、毒気を抜かれたのかそれ以上は責めなかった。

ロンが彩芽を許したと分かり、ハーマイオニーは目に見えてホッとした。

 

「それで、アヤメ。チャーリーに引き渡す間、ノーバートの世話を手伝って欲しいんだ」

 

ハリーがそう言うと、彩芽は頷いた。

 

「分かった」

 

言いながら彩芽が閉じた本を見て、ハーマイオニーはクスリと笑った。

ハリーもそれに気付き、嬉しい気持ちになった。

彩芽が読んでいたのはクィレルから借りた本ではなく、『ドラゴンの種類とその特徴~危険なドラゴンに出会ったときの為に~』という本だった。

彩芽は本気でハグリッドを見捨てたわけじゃなかったんだと、2人は顔を見合わせて笑う。

 

寝る前に、ハリーがこっそりロンにその話をすると、ロンは眉をしかめて肩をすくめた。

 

「だからあいつは秘密主義だって言うんだ。ハグリッドを助けたいんなら、そう言えばいいじゃないか」

 




◇クィレルのどもり口調が書いていて面倒な上に読みづらいです。私なら、にんにく臭の中のお茶会とか御免被る!◇


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ノーバートとの別れ

◇今回短めです。原作を確認して書くと、文章が引きずられがちになる罠◇


翌日から、チャーリーの返事を待ちつつ、彩芽達は交代でハグリッドの小屋でノーバートの世話を手伝った。

 

ハグリッドはドラゴンの事を『ちっちゃい可愛いノーバート』という認識でいたが、日に日にノーバートは大きく凶暴になる。

マルフォイからの意味ありげな嘲笑、山ほどの宿題、凶暴なドラゴンの世話……。

ハリー達はくたくただった。

彩芽は別の理由で消耗していたが、クィレルとのお茶を断った分をドラゴンに充てているという感じだった。

クィレルはガッカリしたが、お茶抜きでも本は貸すと請け負った。

少し驚いたが、彩芽にすればありがたい話だった。

 

水曜の夜、零時になっても彩芽はハリーとハーマイオニーの3人で談話室に残っていた。

ハグリッドの小屋に行ったロンが帰って来ないのを心配してだ。

ノーバートは最近、死んだねずみを木箱に何杯も食べるようになったので、餌をやるだけでも重労働になっていた。

それにしても遅すぎると、そろそろ様子を見に行くべきかと彩芽が思った時、談話室の扉が開き、ハリーの透明マントを脱いだロンが姿を現した。

 

「噛まれちゃったよ」

 

開口一番、ロンはそう言って手を見せた。

ロンの利き手は血だらけのハンカチに包まれていて、その赤さにハーマイオニーは口に手を当ててブルッと震えた。

 

「一週間は羽ペンを持てないぜ」

 

ロンは痛みに顔をしかめる。

 

「ロン、手当てをしに行った方がいい」

 

彩芽はロンにそう言ったが、ロンはまさかと首を振った。

 

「医務室に行けってのか?この傷をどうやって説明するって言うんだ」

 

「でもロン……」

 

彩芽が言いかけたが、窓を叩く音がそれを遮った。

 

「ヘドウィグだ!」

 

ハリーは急いで中に入れると、手紙を確認する。

待ちに待ったロンの兄、チャーリーからの返事が、そこにあった。

4人で頭をつき合わせてそれを読む。

 

要約すれば、土曜の真夜中に1番高い塔のてっぺんまでドラゴンを連れて行けば、彼の友人がチャーリーのところまで運んでくれるらしい。

 

手紙を読んだ限りでは、チャーリーはいい人そうだった。

手紙の内容は簡潔かつ温かみがある。

こんな無理難題をあっさりと引き受け、法律違反に手を貸してくれる信頼できる友人がいて、さらにどうするか具体的な提案までしてくれている。

そしてこんな違法な事に巻き込まれ、無茶なお願いをしてきた弟を気遣うことも忘れていない。

 

彩芽が黙ってチャーリーについて考えている横で、ハリーは「透明マントがある」と提案した。

 

「僕ともう1人とノーバートくらいなら隠せるんじゃないかな?」

 

出来なくはないが、大変な作業だと彩芽は思った。

チャーリーの友人が、塔のてっぺんではなく、ハグリッドの小屋の裏まで来れば楽なのに……と思うものの、さすがにそこまでは求めすぎだろう。

ハリーの提案に3人とも頷いた。

それ以外の方法は思いつかないし、この1週間の事を思えば、それで全てが終わるならなんだってするという思いだった。

 

「ロン、医務室に行かないと」

 

安心して部屋に戻ろうとするロンに、彩芽が眉をしかめた。

 

「ノーバートの牙には毒があるの」

 

ロンはぎょっとして自分の手を見下ろす。

 

「でも……」

 

それでも、医務室に行くのをためらうロン。

迷った挙句、ロンは明日の朝まで様子を見ると言った。

 

「犬に噛まれたって良い訳するにしても、こんな時間じゃまずいよ」

 

 

そして翌朝、ロンの手は2倍ほどに膨れ上がっていた。

それでもロンは渋ったが、彩芽に「手が腐り落ちるかもしれない」と脅されて、ようやく医務室に向かった。

ハリー達も授業が終わると同時に医務室へ向かうと、ロンは酷くぐったりとしてベッドに横たわっていた。

 

「手、痛むの?」

 

「手だけじゃないんだ」

 

彩芽が小首を傾げると、ロンは弱々しく口を開いた。

 

「もちろん、手の方もちぎれるように痛いけど」

 

ロンは声を潜めた。

 

「マルフォイが来たんだ」

 

瞬間、彩芽から小さな舌打ちが聞こえた。

ハリーは驚いて彩芽を見たが、彩芽はなんでもなかったかのようにロンに続きを促した。

 

「……それで?」

 

「ああ……えっと、あいつ僕の本を借りたいってマダム・ポンフリーに言って入ってきやがった。僕の事を笑いに来たんだよ。なんに噛まれたか本当の事を言いつけるって僕を脅すんだ――僕は犬に噛まれたって言ったんだけど、多分マダム・ポンフリーは信じてないと思う」

 

それはそうだろう。

この辺の犬の牙に、毒があるなんて聞いた事がない。

彩芽はそう思ったが黙っていた。

ロンはクィディッチの試合の時、マルフォイを殴ったりするんじゃなかったと悔やみ始めた。

どうも手が痛いので弱気になっているらしい。

 

「土曜の真夜中で全て終わるよ」

 

ハリーがなんとか宥めようとしたが、その言葉にロンは飛び起きた。

変な汗をかいて、挙動不審に目を泳がせる。

 

「土曜零時!」

 

かすれた声でロンが叫ぶ。

 

「あぁ、どうしよう……大変だ……今思い出した……チャーリーの手紙をあの本に挟んだままだ」

 

ハリーもハーマイオニーも目を丸くした。

それじゃあ、マルフォイに計画を知られてしまった事になる。

 

「さあ、もう出て行きなさい。この子は眠らなきゃいけないのよ」

 

ハリー達がロンに何か言うより早く、マダム・ポンフリーがやって来て、ハリー達を医務室から追い出した。

 

「今さら計画は変えられないよ」

 

医務室から出た後、ハグリッドの小屋に向かいながらハリーが言った。

ハーマイオニーは頷いた。

 

「ええ、チャーリーに手紙を送るには、もう日がなさ過ぎるわ」

 

「これが最後のチャンスだ。それにマルフォイは、こっちに透明マントがあることを知らない」

 

その言葉に、彩芽はふと気付いた。

 

「…………ロンは運べない」

 

「え?」

 

あの怪我だ、土曜までに治るとは思えない。

だとすると、ハリーともう1人……それを誰にするか決め直す必要がある。

 

「私がやるわ」

 

ハーマイオニーが手を挙げた。

 

「ハリーとアヤメじゃ、身長が釣り合わないもの」

 

彩芽はしばらく考えて、頷いた。

木箱は術を使えばハリーと同等に持ち上げられるが、身長差で透明マントがずれるのはどうにもならない。

比較的負担の少ない、姿を隠す術を使えばマントはハリー1人で使うことも出来るが、そうすると彩芽は喋る事が出来ない上に、ハリーはこちらを認識できなくなる。

クリスマスに使用した存在を消すほうの術では、ハリーが彩芽の存在を忘れてしまう可能性があった。

 

本当は、自分1人で木箱を浮かし、気配を消す術で木箱もろとも認識できなくすれば簡単なのだが、残念ながら今、彩芽に長時間それが出来るかは怪しい。

父親との対決が近い今、そこまでの余力はなかった。

 

「ごめんね、ハーマイオニー」

 

ハーマイオニーは笑って首を振った。

 

土曜日。

ついにこの日がやって来た。

ここ数日、ハグリッド曰くノーバートが反抗期の為、ハグリッドの小屋には誰も入っていない。

いつもは小屋の中にいる大型ボアハウンド犬のファングも、尻尾に包帯を巻かれ、小屋から追い出されたままだった。

 

ハリーとハーマイオニーが訪れるより一足先に、彩芽はハグリッドの小屋まで来ていた。

ハグリッドの制止も聞かず中に入ると、1も2もなくノーバートの額に札を貼り付ける。

侵入者に気付いたノーバートが口を開くよりも素早い行動だったため、何事もなくその作業は終わった。

 

「お前さん、ノーバートに何をした?!」

 

ハグリッドがあんぐりと口を開く。

怒っていいのかどうか、分からないという顔だった。

 

「眠らせただけ。それに入れるの?」

 

彩芽は事も無げに言って、ハグリッドが用意していた木箱を指した。

ハグリッドはしばらくの間ノーバートと彩芽を見比べていたが、ノーバートが本当に眠っているだけのようだったので、ホッと息を吐いた。

 

「そうだ。こいつに入れる。せっかくだ、ちょいと手伝え」

 

言ってハグリッドはノーバートを抱えて木箱に入れた。

そしていっぱいの死んだネズミと、ブランデーをひと瓶、さらに愛くるしいテディベアのぬいぐるみも入れる。

 

「淋しがるかもしれん」

 

テディベアをじっと見つめる彩芽に、ハグリッドがそう説明した。

しっかりと蓋を閉じる間、ハグリッドは大粒の涙をボロボロとこぼしていたので、彩芽は目測を誤ったトンカチが自分の手を叩き潰すのを避けなければならなかった。

やがて、約束の時間より少し遅れてハリーとハーマイオニーが到着した。

2人はピーブズが入り口のホールで1人テニスをしていたせいで遅れてしまったらしい。

 

彩芽が先に来ていた事に2人は驚いたが、彩芽が『お札』というものでノーバートを眠らせたと知ると、とても喜んだ。

いくら頑丈な木箱に入っているとはいえ、運んでる最中に暴れられるのは困る。

 

「でも、そんなに簡単に大人しくさせられるんなら、いままでもそうして欲しかったよ」

 

ハリーが言うと、彩芽は少し眉を下げた。

 

「あまり、ノーバートの体に良いとは言えないから」

 

彩芽の言葉に、ノーバートと涙の別れを交わしていたハグリッドが顔を上げた。

ハリーとハーマイオニーは、ハグリッドが木箱を開けてノーバートを起こすと言い出さないうちにと、急いでマントを被って木箱を運び出す。

実際、時間にそれほど余裕があるともいえなかった。

2人と1匹の気配が遠くに消えて、彩芽は泣いているハグリッドを慰めながらマルフォイの事を思い出した。

 

そういえば、邪魔をしに来なかったけど……。

一足先に来たのは、もしもマルフォイがいたら始末しておこうと思ったから、というのもあった。

ここにいないとなると、もしかして塔の方で待ち伏せているのだろうか。

 

嫌な予感がして、彩芽はハグリッドの背をさすりながら首を振った。




◇キョンシーのお札みたいに、剥がすとドラゴンが襲ってくる仕様。
マダム・ポンフリーはきっとどんな怪我をしてきても、自分の手に負える範囲の怪我なら秘密を守って手当てしてくれそうだと思っています◇


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罰と予感

◇マクゴナガル先生の減点が容赦なさすぎィ!◇


彩芽は知っていた。

嫌な予感というのは、大抵当たってしまうものだ。

 

夜、2時半を過ぎてようやく寮のベッドに戻ってきたハーマイオニーの顔を見て、彩芽は後悔に押しつぶされそうになった。

やっぱり、自分も行くべきだった。

いや、そもそも、自分ひとりで運べばよかった。

ノーバートの入った木箱1つくらい、姿を隠しながらでもあの塔のてっぺんまで運べたはずだ。

余力がないなんて、そんなものは言い訳だ。

それともあの時……マルフォイの息の根を止めに行くべきだったか。

 

今さら言っても仕方の無い事が、ぐるぐると頭を回る。

声を押し殺して泣いているハーマイオニーを抱きしめて、彩芽はどうすることも出来なかった。

自分のベッドに招き入れ、カーテンをひく。

パーバティとラベンダーの寝息が聞こえる中、ハーマイオニーはただ息をひそめて彩芽に抱きしめられていた。

 

翌朝、彩芽は談話室の方からざわめきが大きくなるのを聞いて憂鬱になった。

抱きしめたままのハーマイオニーが、小さく震えている。

誰かが「寮の得点が!」と騒ぐ声が聞こえた。

ハーマイオニー達は減点されたようだ。

今は理由が分からず騒いでいるだけだろうが、そのうちきっと『誰が』原因か分かるだろう……。

 

「ねえ、談話室の方が騒がしいけど、何かあったのかしら?」

 

ラベンダーがパーバティに尋ねる声が聞こえて、彩芽の腕の中でハーマイオニーの肩が跳ねた。

 

「さあ?私、ちょっと聞いて来るわ」

 

パーバティが部屋から出ていく気配がして、そしてすぐに戻って来た。

彩芽はハーマイオニーを抱きしめる手に力を込める。

 

「大変よ!寮の得点が……よく分からないけど今、最下位なの!」

 

「えっ、なんで?だって、昨日までは首位だったじゃない!」

 

「知らないわよ!でも、今それでみんな大騒ぎなんだからっ」

 

パーバティとラベンダーは、とにかく談話室に行ってみようと下りて行った。

2人がいなくなってから、ハーマイオニーが声を震わせて喋った。

 

「わ、私達、見つかったの……マントを忘れて、フィルチに……それで、マクゴナガル先生が、減点……」

 

「ハーマイオニー……」

 

彩芽はハーマイオニーの頭を撫でるが、かける言葉が見つからない。

こういう時、友達になんと言ってあげればいいのだろうか。

 

「直接減点されなかったけど、私もハーマイオニーと同罪よ。2人を止めなかったもの。ハーマイオニーが代わってくれなかったら、私がハリーと捕まっていた」

 

「アヤメなら……あなたなら、マントを置き忘れなかったかもしれない」

 

ハーマイオニーのその言葉で、彩芽は気付いた。

減点された事を悔やんでいるのはもちろんだが、彼女が一番悔やんでいるのは、自分の不注意さに対してなのだと。

 

「……自分が、もっと気を付けていたらって、そう思って泣いているのね」

 

「ええ……ハリーは浮かれていたわ、当然よね、ノーバートを送り届けることが出来たんですもの。直前に、マルフォイが捕まったのも見たし、有頂天だった。でも、だからこそ、私がちゃんと注意すべきだったんだわ!」

 

吐き出す様に言ったハーマイオニーに、彩芽はポツリと呟いた。

 

「やっぱり、同罪ね。私も……もっと注意すべきだったもの」

 

マルフォイがあのまま黙っているはずがないと、分かっていたのに策を練らなかった。

彩芽がもっとちゃんと、事前に手を打てていれば、ハリー達は捕まらなかったのだ。

 

 

噂はあっという間に広まった。

あのハリー・ポッターが、何人かの馬鹿な1年生と共に点を減らしたらしい、と。

寮の優勝争いから転落した事は、グリフィンドールはもちろん、レイブンクローやハッフルパフにもショックな事だった。

あのスリザリンから優勝杯が奪える、と期待されていたせいだ。

有名だった分、ハリーに対する風当たりは特にきつかった。

ハリーはどこにいても冷たい視線で見られたし、聞こえるように陰口も叩かれた。

暖かい言葉をかけてくるのはスリザリン寮生だったが、それは嘲りを込めた言葉だったし、嬉しくもなかった。

 

彩芽はロンと一緒に、改めてハリーとハーマイオニーから事の始終を聞いた。

マルフォイがやはり塔で待ち伏せしていたけれど、マクゴナガルに見つかって罰を与えられているのを見た事。

無事にチャーリーの友人達にノーバートを引き渡せて、すっかり舞い上がっていた事。

うっかりマントを被らずに帰ろうとして、フィルチに見つかってしまい、マクゴナガルに引き渡された事。

 

彩芽は聞きながら、拳を握り締めた。

フィルチがそんな時間に塔を監視していたのは、マルフォイのせいに違いない。

 

「マクゴナガルと一緒に、ネビルがいたんだ」

 

ハリーは痛みに耐えるように言った。

 

「マルフォイが僕たちを捕まえようとしてるって、教えようと……」

 

そしてネビルはハリー達を探してさ迷い歩き、見つかってしまったのだ。

マクゴナガルがハリー、ハーマイオニー、ネビルの3人に、1人50点の減点を言い渡したと知り、ロンは憤った。

 

「自分の寮だぜ?せめて3人で50点にしてくれりゃ良かったんだ」

 

「でも、僕たちが校則を破ったのは事実だ」

 

ハリーは力なく言った。

 

「僕、もう関係ない事に首を突っ込むのは止めるよ。遅すぎるかもしれないけど……」

 

 

 

ハリーにはロンが、ハーマイオニーには彩芽が、出来る限り側に居るようにした。

試験が近い事がかえってありがたいと思えるくらい、4人で試験勉強に没頭した。

彩芽はたった1人だけでいるネビルの事を思い、一度だけ一緒に勉強しないかと声をかけたが、ネビルは首を振って拒否した。

 

「マクゴナガル先生のところで、誤解したままなの……」

 

その様子を見てハーマイオニーが説明した。

 

「私達はドラゴンの嘘でマルフォイを罠にかけた。そして、ネビルが真に受けたことを滑稽だと思ってる、って……」

 

「違うって教えてあげたいけど、そうなるとドラゴンの事も言わなきゃならない」

 

だから、ネビルの誤解は解けないと言外に言うハリー。

彩芽はネビルにはきちんと打ち明けた方が良いのではないかと思ったが、どちらにせよもう遅い。

さっきのネビルの様子では、今さら言っても誤解が解けるとは思えなかった。

 

 

 

彩芽たちは試験1週間前のその日、図書館で天文学の勉強をしていた。

ハーマイオニーはロンに問題を出して、答えられないと呆れたという風に首を振った。

 

「僕はもういいよ。アヤメに問題を出したらどうだ?」

 

少しイライラしだしたロンが彩芽を指すと、ハーマイオニーは目を瞬かせた。

 

「あら、知らないの?彩芽は天文学が得意なのよ」

 

ロンが知らなかった、という顔で彩芽を見た。

 

「だったら君、僕の宿題手伝ってくれればよかったのに!」

 

「何を言ってるの、ロン!」

 

ハーマイオニーがピシャリと叱る。

そこへ、なにやら興奮した様子のハリーが帰ってきた。

 

「ハリー?寮に戻ったんじゃ……」

 

「聞いて!僕、見たんだ。クィレルが脅されて泣いてた。許して欲しいって……」

 

ロンの言葉を遮って、ハリーがひそひそと今見て来た事を伝えた。

 

「分かったって言ってた。クィレルはスネイプに屈したんだ」

 

「それじゃ、スネイプは『闇の魔術に対する防衛術』を破る方法を知ったんだ」

 

「でも、まだフラッフィーがいるわ」

 

ロンとハーマイオニーもひそひそと返す。

 

「ハグリッドに聞かなくったって、フラッフィーを突破する方法を見つけたのかもしれないぞ?」

 

ロンは周りにある何千冊という本を見上げた。

 

「これだけの本があれば、中には3頭犬を何とかする方法くらいありそうだろ?どうする、ハリー?」

 

ロンの目は、冒険心に燃えていたが、ハーマイオニーがハリーよりも早く釘を刺した。

 

「ダンブルドアのところへ行くの。本当はずっと前からそうすべきだったんだわ。自分達で何とかしようとすれば、今度こそ退学になるわよ」

 

彩芽はハーマイオニーの言葉に賛成だと頷いたが、ハリーは首を振った。

 

「でも、証拠はなんにもない!」

 

証拠がなくても話くらいは聞いてもらえるんじゃないかと彩芽は思ったが、ハリーにとってそれは重要なことらしかった。

 

「クィレルは当てにならないし、スネイプがハロウィーンの時トロールを城に入れた証拠も無い。足の怪我だってしらを切られればおしまいさ」

 

ハリーは他にも、いかに自分達に説得力がないかを挙げ、最後に1番重要なことを皆に思い出させた。

 

「そもそも、僕たちは賢者の石も、フラッフィーの事も知らないはずだろう?」

 

ハーマイオニーはそれで納得したが、ロンは諦めきれないようだった。

 

「でも、ちょっとだけ探りを入れてみたらどうかな?」

 

「だめだ。僕たち、もう十分に探りを入れすぎてる」

 

ハリーは言って木星の星図を引き寄せた。

彩芽はしばらくロンがブツブツ言うのを聞いてから、そっと席を立った。

 

「どこに行くの?」

 

ハーマイオニーが気付いて問うと、いつもの「秘密」の一言。

 

「この秘密主義者め!」

 

ロンは口を尖らせて彩芽を睨んだ。

 

 

 

氷炎に気を与えた後、彩芽は例のトイレに現れた。

箱の細工もほぼ仕上げに入ったし、事は順調に運んでいる。

 

「あ、あんた……どうしていつもこのトイレに出てくんのよぉ」

 

おさげで眼鏡の幽霊が震え声で尋ねた。

いつもはトイレに飛び込んだきり、彩芽が去るのを待つだけの彼女が、今日は何故か配管から顔の上半分を出してこちらを見ている。

少し気になって、彩芽が女生徒の幽霊がいる辺りに近づくと、ひぃいと情けない声が配管から漏れた。

 

「何か、不都合?」

 

彩芽の言葉に、幽霊は少し間を取って答えた。

 

「ここは、あたしのトイレよ。なのにあんたが来るせいで、あたし……ちっとも落ち着きやしないわ」

 

「どうして?」

 

彩芽は純粋に不思議だった。

 

「初めて会った時、あなたが私に水をかけてきたりしたから応戦したけれど……何もなければ、私は何もしない」

 

その言葉に、幽霊はぐっと声を詰まらせる。

初めて彩芽がここに現れた時、彼女は半ば八つ当たりで水をまき散らした。

丁度自分の容姿について考えていたところへ、辛気臭いが美しい顔立ちの女の子が入って来て、少しばかりヒステリーになったのだ。

 

「それでも……落ち着かないものは落ち着かないわ」

 

女の子の幽霊はそう言って、配管からすぅっと浮き出た。

普通、幽霊は何でも通過できる。

生きている人間が手を伸ばしたって、体を通り抜けるだけ。

だが、彩芽は。

水をまき散らし、何事か喚きながら迫って来た彼女を、掴んで投げて床に叩きつけた。

彩芽にとっては別に驚く事ではない。

自分の気を操作し、幽体の彼女を薄く包む形で固定しただけ。

まだ入学前で、気に余裕があったのも大きい。

 

「私、あなたが怖いのよ……」

 

ただ、幽霊の彼女にとっては恐怖体験だったようだ。

 

「名前は?」

 

「えっ?」

 

彩芽の唐突な質問に、幽霊は目を瞬かせる。

そしてポカンとした顔のまま答えた。

 

「マートル」

 

「そう、約束するわマートル。来年はもうこのトイレには来ない。だから、少し……今年だけ我慢して」

 

そう告げて立ち去ろうとした彩芽に、マートルが慌てて声をかけた。

 

「ちょっと待ってよ!あんたの名前は?」

 

「私は彩芽。水無月彩芽」

 

ドアを開けた彩芽はマートルに名乗り、外へ出た。

残されたマートルはふわふわと配管に腰かけて呟いた。

 

「幽霊になってから名前を聞かれたのも、約束されたのも、初めてだわ。……変な子」

 

 

 

 

 

 

マートルと別れて寮に向かう最中、彩芽は呼び止められて足を止めた。

 

「ちょ、丁度いいところに……良い本が手に入ってね。き、君にぜひ読んでもらいたいと……か、考えていたところだよ」

 

「先生が良い本というのなら、私も読んでみたいです」

 

彩芽は頷いて、クィレルと準備室へ向かう。

 

「今日は、お茶は……いかがかな?ひ、久しぶりに……」

 

「いえ、あまり時間はないので」

 

クィレルはガッカリしたように首を垂れた。

彩芽はそれを横目で見て、言葉を続ける。

 

「先生は、お茶が好きですね。お茶うけにもこだわっている」

 

「そ、そうですか?ミナヅキには、い、一度も食べてもらえていませんが……」

 

クィレルが言う通り、彩芽は用意された菓子を口にしたことがなかった。

最初の日は、何か魔法の気配がしたからだが、それ以降は単に甘いものが欲しくなかったからだ。

 

「でも、言われてみれば、そ、そうかも……。ダイアゴン横丁に、リトルキャットというカフェが、あ、あるのですが、とても良いお店ですよ」

 

「カフェ……」

 

クィレルは嬉しそうに頷いた。

 

「と、時々お菓子を、取り寄せるのですが……これがまた、美味しい。スコーンの種類が、と、とても豊富で、ジャムとの組み合わせも、考えるだけで楽しい、ですよ」

 

大人の男がお菓子の話を嬉しそうにするのは、彩芽にとってはなかなか違和感があった。

ダンブルドアもそうだったが、彼は『甘いもの好きなお爺さん』でしっくりくる。

 

「いつか、時間があったらい、行ってみては?」

 

彩芽はクィレルを見上げた。

ほんの少し、口元を緩めて。

 

「……考えておきます」

 

 

 

 

 

 

翌朝、クィレルから借りた本を夜遅くまで読んでしまって、彩芽は朝からぼんやりとしていた。

もっとも、氷炎や箱の件で疲れてぼんやりしているのは最近よくあることだったので、ハーマイオニーは大して不審がらずに彩芽を引っ張って朝食に行った。

席についてもただテーブルを見つめるだけの彩芽の皿にせっせと食事を盛っていたハーマイオニーの元に、フクロウが手紙を運んでくる。

それはハリー、ネビルの2人にも届いていたので、彩芽にはあの夜に関係するものだとすぐに分かった。

 

「何が書いてあるの?」

 

ハーマイオニーの手元を覗き込んで、彩芽は内容を見た。

 

『処罰は今夜11時に行います。玄関ホールでミスター・フィルチが待っています』

 

最後にマクゴナガル教授の署名もある。

 

「今から罰則を受ければ、今夜一緒に行けると思う?」

 

彩芽が聞くと、ハーマイオニーは怒った。

 

「そんなことしちゃだめ!……大丈夫よ、ハリーも一緒だから、ね?」

 

 

夜、玄関ホールへ向かう2人を見送って、彩芽はロンと一緒に談話室のソファで待つ事にした。

 

「大丈夫だよ、フレッドとジョージなんか今まで何度罰則を受けたか分からないけど、ピンピンしてる」

 

ハーマイオニー達を心配して落ち込む彩芽を元気付けようと、ロンが明るく励ます。

彩芽はそれに少しだけ微笑んでから、やはり表情を暗くした。

 

「処罰にはきっと、ドラコ・マルフォイも来るでしょう?いらない事しなきゃいいけど」

 

ロンはそこで初めてそれに気付いた。

マルフォイの事なんて考えもしなかった。

 

「でも、マルフォイだってどうしようもないだろ?同じ罰則を受けるわけだし……」

 

ロンは言いながら、嫌みったらしい顔を思い浮かべる。

そして、彩芽が前にドラコの名前に舌打ちしたことを思い出した。

 

「そういえば、アヤメもあいつの事相当嫌ってるよな」

 

普段感情をあまり表に出さない彩芽が、ドラコ相手には嫌悪を隠さない。

 

「半分くらいは八つ当たりなのかも。マルフォイを見ていると、親戚の子供達を思い出すから……」

 

彩芽は眉根を寄せた。

 

「選民思考の塊。自分達だけが特別だと思って、それ以外を見下すあの態度や言動。父親の権力を振りかざす馬鹿さ加減。なのに自分じゃ何も出来ない腰抜け具合」

 

彩芽がつらつらと挙げていく特長は、確かにロンの中のドラコとピッタリ合致した。

ロンはそれを聞きながら、ひとつ気になった事を尋ねた。

 

「もしかして、アヤメの家って純血の家系?」

 

「私自身は混血だけれど……」

 

ロンは、もしかしたら彩芽が「秘密」と言うかもしれないと思ったが、彩芽はあっさりと答えた。

 

「祖母は日本でいう純血だったし、祖父はイギリスのとある純血の家系だったらしいの。だから、私の母は西洋と東洋の純血の混血」

 

「えーっと、ちょっと待って。何だって?」

 

ロンは眉をしかめた。

 

「つまり、国はイギリス人と日本人のハーフ。魔法族としては純血って事」

 

「ふーん……」

 

曖昧に返事をするロンに、彩芽はさらに続けた。

 

「そして、私の父はマグルと魔法族のハーフだと聞いたから、いわゆる混血ね。だから私自身は4分の1はマグル。混血って事になるわ。因みに、日本人とイギリス人の血は1:3だから、本当はどちらかというとイギリス人寄り」

 

「うん……よーく分かったよ」

 

ロンは手を挙げた。

他にもロンは、いつも1人でどこに行っているのかを聞きたがったが、彩芽はそれは「秘密」で通した。

 

その後、ハリー達の処罰がどんなものか予想しあったり、彩芽がドラゴンに噛まれたロンの手の傷がすっかり治っている事を確かめたり、嫌がるロンに試験に出そうな問題を出したりしているうちに、談話室にはすっかり人気がなくなってしまった。

暗くなった中、暖炉の火だけ見つめていると眠くなってくる。

彩芽は薄明かりの中、魔法史の教科書を読んでいたが、頭の上にロンの頭が落ちてきて苦笑した。

 

ハリー達が帰ってきた時、彩芽はロンを膝枕したまま本を読んでいた。

談話室に駆け込んできたハリーとハーマイオニーはその光景に眉をしかめたが、すぐにロンを起こした。

 

「どうしたの、ハリー?」

 

彩芽はただごとじゃないハリーの様子に本を置く。

 

「ヴォルデモートだ、あいつだったんだ」

 

ハリーは震えながらも、興奮した様子でそう言った。

ロンはまだ寝ぼけていたが、ハリーとハーマイオニーが何があったか話すと、ぼんやりしていた顔はみるみる引きつっていった。

彩芽は奥歯を噛みしめた。

 

ハーマイオニーが、処罰は森の中で傷ついたユニコーンを見つけることだったと告げると、ロンは目を見開いた。

 

「ユニコーンの血を飲めば命を永らえさせる事ができる。だけど、その瞬間から永遠に呪われるんだ」

 

ハリーは言って、身震いした。

 

「僕はそいつがユニコーンの血に口をつけるところを見たんだ。フードをすっぽり被った奴が、銀色の血を滴らせて僕を殺そうとしたけど、フィレンツェが……森に住んでるケンタウルスの1人だけど、彼が助けてくれたんだ。額の傷が痛くて、正確には何があったか分からないけど」

 

ロンの喉がゴクリと鳴った。

 

「スネイプはヴォルデモートの為にあの石が欲しかったんだ……ヴォルデモートは森の中で待ってるんだ」

 

ハリーは落ち着きなく暖炉の前を行ったり来たりしながら断言した。

 

「その名前を言うのはやめてくれ!」

 

ロンが恐々囁いたが、ハリーは聞いていなかった。

 

「フィレンツェは僕を助けてくれたけど、それはいけない事だったんだ。ベインがものすごく怒ってた……惑星が起こるべき事を予言しているのに、それに干渉するなって言ってた」

 

その言葉に、彩芽はちらりと窓の外を見た。

今夜は火星が明るい。

そのベインというのもケンタウロスだろう。

彼らは星を読む。

 

「惑星はヴォルデモートが戻ってくると予言してるんだ。ヴォルデモートが僕を殺すなら、それをフィレンツェが止めるのはいけないって、ベインはそう思ったんだ……僕が殺されることも星が予言していたんだ」

 

最後の方はハリーの憶測でしかなかった。

彩芽は首を振る。

 

「ハリー、星の予言はヴォ……」

 

「頼むからその名前を言わないで!」

 

ロンが懇願した声と重なって、彩芽の声はかき消された。

ハリーはまだブツブツとヴォルデモートが自分を殺しに来ると言い続けた。

 

「今夜の星は、ハリーの死について予言していない」

 

彩芽はハリーがしつこいのできっぱりそう言ったが、ハリーはピシャリと言い返した。

 

「君はケンタウロスじゃない!」

 

陰陽道は占星術にも通じている。

ハリーの言い返しに彩芽はかなり不満だったが、むっつりと押し黙った。

 

「ハリー、ダンブルドアがいるじゃない」

 

ハーマイオニーがそっと優しくハリーに声をかけた。

 

「『あの人』が唯一恐れている人物。ダンブルドアがいれば、貴方に指1本触れられやしないわ。それにケンタウロスの言う事が正しいって誰が言ったの?つまり、占いの様なものでしょう?マクゴナガル先生が仰っていたじゃない、占いは魔法の中でも、とっても不正確な分野だって」

 

ハーマイオニーの言葉に、ハリーも少しだけ落ち着いた。

話し込んでいるうちに、外は白み始めていた。

ハーマイオニーとベッドに戻って、彩芽は目を閉じた。

 

もう少し、あともう少しで……その時が来る。

 

 




◇ユニコーンの血を飲んだら呪われる……の、呪われる部分が不確定過ぎる。見た感じ関わってるクィレルが呪われた感じないし。とりあえずここでは、呪われて命としては不完全な存在となるけど賢者の石で完全復活するしまあいっか!ってヴォルさんが飲んでた設定。むしろヴォルさんすでに呪われてるようなもんだしね。全然平気ですよね◇


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いくつもの秘密

◇ラストに向けて動き出す物語◇


試験まであと数日という中、生徒たちは試験の勉強に追われていたが、彩芽はヴォルデモートとの対決の仕上げに追われていた。

勉強中、しょっちゅう席を離れてどこかへ消える彩芽にロンは目に見えてイライラしていたし、ハーマイオニーは例の保護者にテストのヒントを貰いに行っているのではないかと疑っていた。

(もっとも、これは誤解だと伝えたが)

 

いつにも増してフラフラと、そしてぼんやりとすることの多い彩芽を、ハリー達は心配したし、何かおかしいと感じていたが、本人は「秘密」と言って喋らない。

その度にロンが「秘密主義者め!」と叫ぶのは、もはやお約束となっていた。

 

 

 

 

 

「だいたい、君は僕達に秘密が多すぎる。そうだろ?一体、何を隠しているんだ?」

 

どこからか戻って来た彩芽を見て、ロンがしかめっ面で尋ねた。

ハリーはまた始まったと、テストに出そうな魔法史の一文を写す手を止める。

 

「ロン、もういいよ。それより今は勉強に集中しよう」

 

言って、ハリーは少し声を落とす。

 

「ハーマイオニーが怒る前に、勉強に集中するんだ」

 

ここのところ、ロンがこのやりとりですぐに勉強を中断するので、ハーマイオニーは不機嫌だった。

ロンはハリーの言葉に構うものかと鼻息を荒くした。

 

「友達に隠し事するなんて、おかしいだろ?」

 

彩芽はじっとロンを見ていたが、その言葉に、ゆっくりと口を開く。

 

「――秘密は、いけない事かしら?」

 

「いけない事に決まってるだろ」

 

ロンが苛立たしげに返す。

 

「いいか、友達ってお互いを信頼し合うもんだろ。なのにこう秘密が多くっちゃ、信頼なんて出来るもんか」

 

彩芽は考える。

ロンの言葉が全て正しいという訳ではないだろうが、ハリーの顔を見ると、彼も同意見の様だ。

ハーマイオニーは少しだけ、悲しげな表情をしている。

その気持ちは複雑で、彩芽には理解できなかった。

 

「話す気になったか?」

 

ロンが睨むように尋ねた。

彩芽はそれに一旦目を伏せ、そして淡々と話しだす。

 

「――まず、ネビルが初めの飛行訓練で箒から落ちた時……」

 

だが、その内容にロン達はキョトンとする。

 

「ネビルが地面に激突しないよう、私は術で助けたけれど、失敗した。ネビルが手首を怪我したのは、私のせい」

 

しばらく沈黙が続いた。

ロンやハーマイオニーは内容が理解できずポカンとしていたが、ハリーはハッと思い出す。

ネビルが落ちた場所から、何か紙を拾っていた彩芽を僕は見ている……。

 

「もしそれが本当なら、ネビルは君のおかげで怪我だけですんだんだ、君のせいじゃない」

 

ハリーが言うと、彩芽は少し笑って首を傾げた。

 

「それから、私はハリーがシーカーになるのを知っていた。あらかじめ予知していたから」

 

「……何言ってるんだ?」

 

ロンは彩芽がイカれたのでないかと疑ったが、ハリーは目を見開いた。

 

「そうだ、僕……不思議だった。入学前に君から貰ったプレゼントは、クィディッチの防具……赤の、グリフィンドールの色で、シーカーの手袋だった」

 

ロンとハーマイオニーは驚いてハリーを見た。

 

「本当なの?ハリー」

 

「君の勘違いじゃないのか?」

 

ハリーは首を振った。

 

「ハグリッドも知ってる」

 

「氷炎はペットじゃない」

 

彩芽はさらに続ける。

 

「私の式神……こちらで言う使い魔」

 

「それで、エサやりが大変って……」

 

ハーマイオニーが頷いたが、ロンはしかめっ面のまま。

 

「……飛行訓練のテスト、魔法の輪をくぐり抜けるやつ、ズルをしたわ」

 

これにはハーマイオニーがギョッとし、ハリーとロンは顔を見合わせた。

 

「私、箒で空は飛べないけど、普通に飛べるの。だから、箒を握って、乗っているふりをした」

 

「ちょっと待てよ、自力で飛べるのか?」

 

ロンはあんぐりと口を開けた。

 

「日本の術。こちらでは上手く力が使えないけど」

 

テストの日の、よろよろと飛ぶ様を思い出し、ハリーは首を振った。

箒で飛んでいたようにしか見えなかった。

 

「他にも秘密はあるけれど、今はまだ言えない」

 

そう締めくくった彩芽に、ハリーはロンが食ってかかるかと思ったが、食ってかかったのはハーマイオニーだった。

 

「アヤメ、貴女なんでズルなんてしたの?そんなのダメに決まってるじゃない!」

 

「でも」

 

「今からフーチ先生の所に行きましょう。今すぐ!」

 

ハーマイオニーはもの凄い形相で立ち上がると、彩芽の腕をぐいぐいと引っ張って行った。

2人が談話室からいなくなって、ようやくロンが口を開く。

 

「アヤメは僕達を信用してないんだ」

 

小さくだがキッパリと言って、ロンは星図を引っ張り寄せた。

 

「じゃなきゃどうしてアヤメは僕達に隠し事を作るんだ?……一体、いくつ秘密を作れば気が済むんだよ」

 

最後は少し、泣きそうに揺れた声に、ハリーは何も言えない。

きっと、何か事情があるんだと思う反面、ハリーもロンと同じ気持ちを否定しきれない。

 

友達だと思っているのは自分だけで、彩芽はそうは思っていないのかもしれない。

もし、本当に友達だと思ってくれているのなら……。

 

その友達にも話せない秘密とは、どんな秘密なのだろう。

 

 

 

ハーマイオニーは彩芽の手を引いて談話室を出たものの、フーチの元へは行かなかった。

何故か人気のない方へと足を進めるハーマイオニーに、彩芽は首を傾げる。

 

「私はロンと違って、秘密が多少あっても構わないって思う」

 

空き教室に引っ張り込んで、ハーマイオニーはそう切り出した。

 

「でもアヤメ、私時々だけど不安になるの。私が貴女の事、何も見ていないって思ってるの?」

 

酷く真剣に尋ねられ、彩芽は答えに詰まる。

ハーマイオニーは悲しげに続けた。

 

「ここのところ、貴女変よ。体調不良かと思ったけど、それにしたっておかしいもの。『餌やり』と何か関係があるんでしょう?その事もずっと疑問だったけど、今日の貴女の言葉で分かったわ。アヤメは使い魔に力を吸い取らせていたのね?最近、それが頻繁なんでしょう?一体、何をする気なの?」

 

疑問だらけの言葉を一気に吐き出したハーマイオニー。

 

「ハーマイオニーは、本当に賢いのね」

 

その察しの良さに、彩芽は思わず微笑んだ。

 

「私は目的があってホグワーツに入学したの。それがもうすぐ叶う。目的を果たしたら、日本に帰るわ。……そのために、今やらなければいけない事をしているだけ」

 

「その目的って?」

 

「言えない。今はまだ」

 

ハーマイオニーが尋ねるが、彩芽は首を振る。

 

「でも、必ず言うわ。全て終わったら……」

 

そして、ゆっくりと手を伸ばした。

ハーマイオニーの頬に、彩芽の手が触れる。

 

「だから」

 

そっと撫でるように動いて、両目を隠す。

 

「まだ気付かないで。忘れていてね」

 

囁いた彩芽の声に、ハーマイオニーの頭が下がる。

今、彩芽はハーマイオニーに暗示の様なものをかけた。

これで、ハーマイオニーは事が終わるまで今の疑問を思い出さないだろう。

これは友達を裏切る行為だろうか。

ロンを思い出し、彩芽は小さく息を吐く。

全て本当の事を言ってしまいたい気持ちはある。

だが、今それを打ち明けてしまえば、父親との対峙に支障が出るかもしれない。

 

失敗するわけにはいかない。

こんな好機、もうないだろう。

不安要素は摘み取るに限る。

 

「……ごめんね、ハーマイオニー」

 

謝って、彩芽はハーマイオニーの手を引いて談話室に戻る。

太ったレディの前で、我に返ったハーマイオニーがきょろきょろと辺りを見回した。

 

「どうしたの」

 

「え、あの……私一体……」

 

「フーチ先生がそれはズルじゃないって言ったからって、ショック受け過ぎだと思うわ、ハーマイオニー」

 

「フーチ先生?ああ、そうだったわね……」

 

ハーマイオニーはパチパチと瞬きをした後、慌てて談話室に駆け込む。

 

「大変、こんなことしてる場合じゃないわ!早く勉強しなきゃ!」

 

その後ろをついて行きながら、彩芽は思う。

全て本当の事を話した後、ハーマイオニーは変わらず自分を友達だと言ってくれるだろうかと……。

 

 

 

 

 

その翌日。

試験前日に、彩芽は廊下で『偶然』ダンブルドアと出くわした。

 

「試験勉強は順調かね?」

 

「ええ、おかげさまで」

 

もちろん、偶然を装っているが偶然でないことくらい気付いている。

いくつか当たり障りのない会話をした後、ダンブルドアは何食わぬ顔で伝えてきた。

 

「最近、わしをどうしてもこの城から出かけさせたい者がおるようでの、もしかしたらこの試験の最終日辺り、出かけることになるやもしれん」

 

彩芽は頷いた。

この老人の手の上で、ヴォルデモートも、ハリーも、そして自分も踊らされている。

彩芽は分かった上で踊っているわけだが、ハリーは違う。

彼は知らなくていい事だと思う反面、別の感情もこみ上げる。

 

「道中お気をつけて」

 

それらを全て押し殺し、彩芽はダンブルドアにそう告げた。

ヴォルデモートさえいなくなれば、もう何も考える事はなくなるのだから。

 

 

 

 

試験の日、教室に籠って試験を受ける生徒を嘲笑うかのように、空は晴れ渡っていた。

筆記試験の大教室は、その太陽に蒸されたお蔭でとんでもなく暑い。

カンニング防止用の特別な魔法がかかった羽ペンが配られ、彩芽は愛用の羽ペンを使えない事に不満だったが、テストの出来は上々だった。

 

実技の試験では、フリットウィックが教室に1人ずつ呼び入れ、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせられるかどうかを試験した。

彩芽は『タップダンス』がどういうダンスか正確に分からなかったが、フリットウィックが授業で見せたお手本を思い出し、まるっきりコピーして再現して見せる。

 

マクゴナガルの試験は、ネズミを嗅ぎたばこ入れに変える事だった。

彩芽は『嗅ぎたばこ入れ』も実物は見たことがなかったが、こちらも授業で見たマクゴナガルの見本を頼りに、記憶の通り変えてみた。

 

スネイプの試験は忘れ薬の調合だった。

彩芽はようやく安堵して、これ以上ないほど完璧に作り上げた。

 

ハリーはその試験中も、額を押さえていることが多かった。

彩芽はハリーが「どうしてみんな石の事を心配しないんだ」と不満に思っているのに気付いていたが、特に何もしなかった。

 

最後の試験、魔法史のビンズが出したのは、1時間で「鍋が勝手に中身を掻き混ぜる大鍋」を発明した風変わりな老魔法使い達について書け、というざっくりしたものだった。

教科書に載っていたことを丸々書くと、彩芽はペンを置いた。

周りの生徒達はまだ必死に頭を捻っていた。

まだ終了まで時間がある。

彩芽は幽霊のビンズを通して壁を見つめていた。

ふと、視線を手前にやると、ハリーが視界に入った。

なんとか記憶を搾り出そうとしているみたいで、癖のある髪を、羽ペンを持っていない方の手で、さらにくしゃくしゃにしていた。

 

今日、ハリーはヴォルデモートと対峙することになる。

彩芽はそれを、阻止するつもりはなかった。

ただ、ハリーが彼と会うのは、それが最初で最後になるだろう。

――そうさせるのだ、私が。

 

「羽ペンを置いて答案羊皮紙を巻きなさい」

 

試験終了の合図と同時に、教室中にワッと歓声が上がる。

試験が終わったのだ。

 

晴れ晴れした顔のハーマイオニーと一緒に、教室を出る彩芽。

そのまま日差しの下に駆け出そうとするのを見て、彩芽は止まった。

 

「ホッとしたら気が抜けちゃって……私、寮に戻るから」

 

ロンは少しだけ疑うような視線を向けたが、彩芽は本当に具合が優れないように見えた。

いつも静かで無表情だが、今日はそれに拍車がかかっている。

心配するハーマイオニー達に手を振って、彩芽はグリフィンドール寮に戻った。

そのまま、彩芽は机から本を一冊手に取る。

そして、闇の魔術に対する防衛術の準備室へと向かった。

 

 

 

「ミス・ミナヅキ……っ」

 

ノックの音に扉を開けたクィレルは、一瞬ギョッとした表情を浮かべた。

だがすぐにいつものおどおどした雰囲気を取り繕う。

 

「ど、どうしたのですか?試験で何か、き、気になる事でも?」

 

「いいえ、本を返しに」

 

クィレルは彩芽が差し出した本を受け取って、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

「試験勉強も、あったでしょうに、ず、随分と早く読んだのですね……では、続きを……」

 

「結構です」

 

別の本を持って来ようとするのを止めて、彩芽はクィレルをじっと見上げる。

 

「もう、借りてもお返しできないでしょうから」

 

クィレルが目を見開く。

 

「新学期に、またお借りします」

 

「あ、ああ、そうですね……ですが、一週間もあれば、ミナヅキなら読めそうな気もしますよ」

 

ホッとしたようにそう言って、クィレルは探るように彩芽を見た。

表情の読めない彩芽の顔や態度から、本心は窺えない。

 

「以前……先生と、闇の魔術は結局のところ普通の魔法と違いはないというお話をしましたね」

 

「ええ、確かに」

 

訝しげに眉をしかめるクィレルに、彩芽はゆっくりと考えを告げる。

 

「で、あれば、闇の魔法使いというのも、結局のところ普通の魔法使い。そう、何も恐ろしいものではない、偉大でもない、ただ人を傷つけるだけの、ただの魔法使い」

 

彩芽の声に、言葉に、クィレルはじわりと何かが自分を侵食していくのを感じた。

聞いてはいけないと、思わず耳を塞ぎたくなる。

空気が重い、息が上手く出来ない。

ダメだ、こんな小娘の言葉に耳を傾けてはいけない、あの方は偉大な方、バカな私を諭してくださった、力の意味を教えてくださった、私はあの方の忠実な下僕……。

 

「――私は」

 

ハッとして、クィレルは彩芽を見た。

重くのしかかる空気はすでになく、変わらない表情で彩芽はクィレルを見上げている。

 

「先生とのお茶会、気に入っていました。死なせるのは惜しいと思ったので」

 

「……言っていることの意味が、良く分かりませんね、ミナヅキ。死なせるとはまた物騒な」

 

どもるのも忘れ、クィレルは彩芽から目を逸らす。

彩芽は口の端を歪めるように上げると、踵を返して背を向けた。

そのまま去っていく後ろ姿さえ見ることが出来ず、クィレルは部屋にさがる。

 

たかが小娘と、一笑できなかった。

あの真っ暗な瞳を見ていると、まるで全て見透かされたようで恐ろしくなる。

ふと、手に持ったままだった本に目を落とす。

本の端から覗いた白い紙の端に、クィレルは息を飲んだ。

 

 

 




◇タップダンスはなんか、タッタカタカタカ!ってやるダンス。かぎ煙草入れ?なんそれ。……というのが、初めて読んだ時の正直な感想でした。イギリスの子供はかぎ煙草入れが何かすぐわかるものなの?シガレットケース、だとなんか違うものっぽいよな◇


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待ちわびた瞬間

◇全巻通して、ロンの一番の見せ場の様な気がする……とか言ったらロンのファンに怒られるか……◇


彩芽と別れた後、ハリーはハグリッドがドラゴンの卵を手に入れた経緯に疑問を抱いた。

そこからハグリッドがフラッフィーの手懐け方をバラしたことを知り、ダンブルドアが魔法省から緊急の呼び出しで留守にしている事を知った。

一度は「もう首を突っ込まない」と誓ったハリーだったが、4階の廊下の見張りをマクゴナガルに見つかり、スネイプも見失ってしまった以上、じっとしている事は出来なかった。

ハリーはロン、ハーマイオニーと共にスネイプを止めようと決意していた。

もしもスネイプが石を狙っているなら、今夜しかない、と。

ハリーは寮に戻り、彩芽にもこの事を伝えた。

 

「ハリー、私はスネイプ先生を疑っていない」

 

彩芽の言葉に、ハリーは驚き、ロンは眉を吊り上げた。

 

「君、どうかしてるよ!じゃあ、ハリーが嘘つきだって、そう言いたいのか?」

 

「ロン、落ち着いて!」

 

彩芽の肩を揺さぶるロンを、ハーマイオニーが止める。

ハリーは彩芽を見たが、彩芽は首を振った。

 

「嘘というよりは、勘違いだと思っているわ」

 

「ああ、そうかよ!じゃあ、アヤメも今夜何も起こらないってそう言いたいんだろ。僕達がただ喚いて、ありもしない事件をでっち上げてるって!」

 

全く取り合ってくれなかったマクゴナガルの事を思い出し、憤るロン。

 

「アヤメ、無理強いはしない。でも、僕達は行かなきゃいけないんだ。だからこの事は他のみんなや先生たちには内緒にしておいて欲しい」

 

少し悲し気に、しかし真っ直ぐな目で、ハリーは彩芽を見た。

彩芽はそれにも首を振る。

 

「お前っ……!」

 

「私も行くわ」

 

ロンが爆発しかけたが、それより先に彩芽が口を開いた。

は?とロンが間抜けな顔をする。

 

「犯人はスネイプ先生、というのは勘違いだと思っているけど、石を狙っている『誰か』がいるというのには同意している。……例のあの人の手下が、ダンブルドアのいない今日、動くだろうと私も思っているって言っているの」

 

3人の怪訝な顔に、はっきりとそう言う彩芽。

 

「~~~っだったら、初めから一緒に来るって言えよ!」

 

ロンが怒鳴ったが、心なしか嬉しそうで、ハーマイオニーとハリーはホッとした。

 

「もしも、ヴォルデモートが石を手に入れてしまったら。それは魔法界が……たくさんの人の命が危険にさらされる事になる。そして今度こそ、ヴォルデモートは僕を殺すだろう」

 

静かにそう言ったハリーに、彩芽は頷いた。

 

「復活などさせない。そしてハリー、貴方を殺させたりしないわ」

 

 

 

 

ハリー達が夜、ネビルの制止を振り切って寮を抜け出した時、氷炎はみぞの鏡の前にいた。

 

「悪趣味な鏡だよな」

 

何度見ても胸が悪くなる。

だが、この鏡自体は悪くはないのだ。

いつだって、問題は人の方にある。

 

理想を映せば、人はその理想と現実の埋まらない差に悩む。

過去やもしもを映せば、人はその時間に縛られて未来を失う。

……そして、決して現実にしてはいけない気持ちを映すのは、その人物の理性を試し、闇に向かって背を押す行為に似ていた。

 

氷炎は人ではないが、鏡の中に自分の望みが映っていた。

心の中にある一番強い望み……彩芽が笑顔で日本の陰陽師たちの首を刎ねている。

その肉を、氷炎は美味そうに喰らって暴れていた。

 

これが俺の望みかと、氷炎は冷めた目で見やる。

妖として正しい望みだと思うし、実際そうなればどんなにいいかと思う。

……が、無理な話だ。

彩芽は決してこうはならない。

 

成人した狼ほどに大きくなった氷炎は、鏡に背を向けて部屋を移動する。

この部屋の1つ前は、スネイプが守る部屋だ。

黒い炎が行く手を遮る仕掛けだが、逆走する氷炎の側には炎に隙間がある。

その間に身を潜め、氷炎は待った。

クィレルが通り過ぎた時、氷炎は目を閉じた。

にんにくに混ざって強烈な臭いを放っていた死臭は、後頭部に憑依したヴォルデモートのものだ。

彩芽を通して時折見たクィレルという男。

彩芽はクィレルと過ごすお茶の時間を、本当に気に入っていた。

最初は相手の手の内を知るためだけに会話をしていたようだが、最近では会話自体を楽しんでいた。

 

――死なせるのは、惜しい。

 

そうポツリと零した彩芽。

肉体に他者を憑依させるというのは、体にも精神にも負担をかける。

助かるかどうかは5分といったところ。

 

(ま、俺はどっちでもいいけどな。彩芽さえ無事なら)

 

姿の見えなくなったクィレルから、自分の主人に意識を向ける。

4階の禁じられた廊下から滑り落ち、悪魔の罠という植物をハーマイオニーの知恵で抜け、今さっきハリーの箒によるスーパープレイで無数に飛び回る羽の生えた鍵から正解の鍵を探し出し手に入れたようだ。

この分なら、もうすぐここまで辿り着くだろう。

 

 

 

 

 

間一髪、ハリーが手に入れた鍵を使って無数の鍵鳥から逃げおおせたハリー達。

逃げ入った部屋は、大きなチェス盤のある部屋だった。

入り口側が黒の駒、向こうの出口は白の駒。

つまり、これはチェスで相手を負かさないと向こうに行けない仕掛けという事だ。

自分より大きな黒光りするナイトの駒をコンコンと叩くロン。

瞬間、意思を持ったようにナイトの乗った馬がぶるるる!と首を振り、ロンは慌てて一歩退いた。

 

「石でできているみたい」

 

「無闇に触るなよ、ロン」

 

警戒するハリーに、ロンは首を振った。

 

「多分、僕達……向こうに行くにはチェスをしなくちゃ。きっと、駒になって戦わなくちゃいけないんだよ」

 

少し震える声で、しかし確信気味にロンが告げる。

その言葉を、馬の上から見下ろしたナイトが頷いて肯定した。

 

「アヤメ、どう思う……?」

 

ロンが彩芽に意見を求める。

この4人の中で、自分とチェスについて語れるのは彼女くらいだ。

 

「いいえ、ロン。私の意見は参考にならないわ」

 

彩芽はそう言い、ハリーとハーマイオニーも頷いた。

ここは任せると言外に言われたロンは、そのまま思考の海に沈む。

3人は真剣に盤上を見つめるロンを黙って見守った。

 

「うん、じゃ、始めよう」

 

ロンが毅然と顔を上げた。

 

「ハリーはビショップと、ハーマイオニーはその横のルーク、アヤメはキングと交代してくれ」

 

指された通りに、駒と代わるハリー達。

チェスの駒は言葉を理解していたのかすんなりとその場を明け渡し、盤上から降りる。

 

「そして、僕はナイトだ」

 

ゆっくりとナイトの場所に立ち、ロンは彩芽を振り返った。

 

「もしも、僕が悪手を打ちそうになったり、万が一やられた時は……」

 

「私が打ったらキング以外全滅するわよ」

 

口上を遮って、彩芽が苦笑する。

確かに、とその場の全員が思った。

 

「それにね、ロン。……信じてる」

 

彩芽の真っ直ぐな目に、ロンは震えた。

恐怖ではなく、武者震いだ。

見れば、ハーマイオニーとハリーも、当たり前だと頷いている。

 

「……白の先手だ」

 

ロンは真っ直ぐ前を向く。

もう、頭の中はチェスの事しかなかった。

 

 

等身大の魔法使いのチェスは激しかった。

駒を取られるときに相手の駒が攻撃するのは、今まで寮の談話室でいつも見てきた光景だった。

だが、すぐ側であの硬そうな駒が割れるほどの衝撃で攻撃され横たわる姿を見て。

そしてその攻撃がいつ自分に襲い掛かるか分からない状況で、冷静でいるのは難しかった。

 

ロンはさすがの腕前でチェスを進めるが、相手の方も腕は確かだった。

ハリー達が取られそうになっていることに気付かず、ギリギリ回避した事もあった。

彩芽は一切口を挟まなかった。

挟んではいけないと知っていた。

 

もし危なくても気付いてくれる、万が一自分がやられても大丈夫、という緩みは命とりだ。

それに、下手に口を出せば思考を中断することになる。

大丈夫だ、ロンは勝てる。

 

彩芽はじっと戦況を見ていたが、その手にじわりと汗が滲んだ。

詰めが近いとロンの呟きが聞こえる。

 

「これしか手はない……」

 

長考の後、ロンが静かに言った。

彩芽も思考したが、確かに、それしかない。

 

「いいか、みんな。僕が今から動く。そうしたらそこのクイーンは僕を取る」

 

「ダメだよ!」

 

「何を言うのロン!」

 

「全くの犠牲なしにチェスはできない、これがチェスだ!」

 

ハリーとハーマイオニーの叫びに、ロンは言い返す。

 

「アヤメは分かるだろ、僕が取られた後、ハリーがキングにチェックをかけて僕達の勝ちだ!」

 

「でもロン……君を犠牲になんて……」

 

ハリーが首を振る。

 

「スネイプを止めるんだろ」

 

ロンがハリーに言った。

 

「早くしないと、スネイプが石を手に入れてしまうんだぞ。いや、もう手に入れているかもしれない!」

 

ハリーはぐっとこぶしを握る。

そしてゆっくりと頷いた。

ハーマイオニーは口を覆い、それでもこの決断を邪魔しないと決めた様だ。

彩芽も目をそらさず、ロンを見つめた。

 

「行くよ……」

 

震える声で、しかし足取りはしっかりと、ロンは前に出た。

すぐさま白のクイーンが気付き、ロンめがけて襲いかかった。

クイーンの振り上げた拳はロンを殴りつけて床に叩きつける。

ハーマイオニーの悲鳴が響いたが、誰も持ち場を離れる事はしなかった。

ずるずると、物の様に引きずり運ばれていくロン。

ハリーは震えながら、キングに向かって歩を進めた。

 

「チェックメイト」

 

その言葉に、白のキングは王冠を脱ぎ敗北を認め、道を開けた。

他の駒もそれに倣う。

動かないロンを振り返りながら、それでもハリー達は出口の扉に向かって急いだ。

 

「ハリー、ハーマイオニー、先に行ってて」

 

彩芽の言葉に、2人は驚いて振り向く。

 

「私はロンを手当てしてから、すぐに追いかける」

 

後ろをついてきていると思った彩芽は、部屋の真ん中で立ち止まっていた。

ハリーもハーマイオニーも、早く石を、スネイプを止めなくてはという気持ちと、ロンを助けなければという気持ちに揺れていた。

なので、彩芽のその申し出を拒むことは出来なかった。

 

「ロンを頼んだよ、アヤメ」

 

ハリーに頷いて、彩芽はロンに駆け寄る。

それを見て今度こそ振り返らず、ハリーはハーマイオニーと次の部屋へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリーとハーマイオニーが部屋に入って来て、氷炎は首を傾げた。

ロンと彩芽はどこに行ったんだと、すぐさま意識を共有する。

彩芽を通して見えたのは、ぐったりと動かないロンだった。

 

(チェス、完勝とはいかなかったのか……)

 

詳細は分からないが、まあ大きな怪我もなければ命もあるらしい。

手早く手当てを施す彩芽から、目の前の2人に意識を戻す氷炎。

炎に包まれた部屋の中で、ハーマイオニーが羊皮紙を手にスネイプの難題に挑んでいる様だ。

 

「分かったわ」

 

行く手を阻む炎を無効化する薬を見つけ出したハーマイオニー。

しかしその薬はたった1人分だけ。

 

「君は戻ってロンやアヤメと合流してくれ」

 

ハリーはハーマイオニーにそう言って、ダンブルドアを呼ぶように指示する。

ハーマイオニーが引き返し、たった1人で黒い炎をくぐるハリー。

 

(さあ、ここからは真相解明編だな……)

 

ハリーに……そしてすでに鏡を探すクィレルと黒幕に悟られぬよう、隠れながら。

氷炎は成り行きを見守る。

みぞの鏡が置かれている部屋は入り口から少し下がるようになっているため、入り口の陰から覗いた氷炎は様子が一望できた。

 

「僕、スネイプだとばかり……」

 

ハリーが驚愕して鏡の前に立つクィレルを見つめている。

ずっとスネイプ犯人説を唱えていたハリーには、この事実が信じられないようだ。

ハリーはスネイプが犯人だと思ったいきさつを喋るが、クィレルが丁寧に反論し、真実を伝える。

ハリーがついにクィレルが犯人だった事、スネイプはハリーを守ろうとしていた事などを認めると、クィレルは満足したのかハリーを縄で縛り、みぞの鏡を調べ始めた。

 

だが、いくら鏡を調べても石は見つからない。

焦るクィレルに氷炎は嘲笑う。

 

(あのジジイは、この石を守るためにここの教師たちに協力を仰いだ。……だが、それは全部余興なんだよ)

 

ハリーに冒険させ、仲間と力を合わせて困難を乗り越えたという感動の物語を演出したのだ。

でなければ、ホグワーツ1年生がここまで来られるわけがない。

いくら必死でとはいえ、死人も無しに1年生が突破できる罠でヴォルデモートやその部下の足を止められるわけがない。

 

知識さえあれば簡単に抜けられる『悪魔の罠』、クィディッチシーカーには持って来いのハリー用の『飛び回る鍵』、チェスが得意なロンにおあつらえ向きの『リアル魔法使いのチェス』、論理的な思考を持つハーマイオニーなら解ける『炎の部屋』。

 

全部、あの男、ダンブルドアの手の上での出来事なのだ。

ハリーが鏡の前に立たされ、今まさに、クィレルがターバンを脱ぎ捨ててヴォルデモートがその存在を明かした。

この瞬間のために……この1年は作られたのだ。

 

「氷炎」

 

薬を飲み、部屋の炎を突っ切って来た彩芽が、氷炎の側に立つ。

たった1人分しかないと思われた黒い炎をくぐるための魔法の薬。

だがそれは正確ではない。

誰かが炎をくぐる度、しばらくするとたった1人分補充される仕掛け。

これはハリー1人を、この場に立たせるための仕掛けだ。

 

「母親はお前を守ろうとしたが故に死んだ……その犠牲を無駄にしたくなければ、さっさと石をよこせ!」

 

「断る!」

 

ヴォルデモートとの言い合いの後、ハリーは彩芽のいる方へ向かって走った。

クィレルがそれを追うが、彩芽のいる入り口どころか、階段に差し掛かる前に追いつかれ、ハリーは手首を掴まれた。

 

「手が……手がッ!!」

 

ハリーが悲鳴を上げたが、それ以上にクィレルが苦痛の呻き声を上げる。

クィレルは体を丸め、苦痛に顔を歪めて自分の手を見つめていた。

見る見るうちに火ぶくれが出来ていく。

 

「捕まえろ!捕まえるんだ!」

 

ヴォルデモートの言葉に、クィレルが再びハリーに飛びかかる。

引き倒されたハリーの上にクィレルがのしかかり、首に両手をかける。

ハリーはまた悲鳴を上げた。

そしてクィレルも痛みに叫ぶ。

 

「もういいでしょう、ダンブルドアには悪いけれど」

 

「そうだな、ハリーの奴、もう気を失いかけてる」

 

彩芽は陰から出る。

そして眼下で揉み合う2人の方へ、軽く指を向けた。

と、次の瞬間、クィレルが真横に吹っ飛んだ。

 

「誰だ……俺様の邪魔をする奴は!」

 

吹き飛ばされたクィレルの方から、ヴォルデモートの声がして、彩芽は自然と、口元に笑みが浮かぶ。

待っていた。

ずっとこの時を待っていた。

 

あの日、葛葉から、撫子の死の真相を聞いた時から……。

 

「ずっとお会いしたかった」

 

目を細め、口は弧を描いて。

なのに、その笑みは驚くほど冷たい

ハリーは薄れる意識の中、ゆっくりと階段を下りる彩芽を見た。

 

「はじめまして……お父様」

 

酷薄な笑みを浮かべる彩芽の姿を最後に、ハリーの意識は途絶えた。

 

 




◇次回、ついにお父様との感動の再会!◇


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父との再会、そして…

◇しかし、学年末の寮対抗の結果発表は酷過ぎやしないか……といつも思う。ダンブルドアってスリザリンが嫌いなの?ねえ、嫌いなの?◇


「ミナヅキ……」

 

肩で息をしながら、クィレルが呟く。

彩芽はハリーが生きている事を確認して、氷炎に目配せを送った。

氷炎はハリーの服をくわえると、安全な部屋の端まで動かす。

 

「ずっと、ずっと、お会いしたかった。貴方という存在を知った日から」

 

真っ直ぐクィレルの方を見て、彩芽は言葉を紡ぐ。

 

「お父様……貴方をずっと、殺したくてたまらなかった」

 

クィレルはゾッとして一歩退いた。

彩芽の細められた瞳の色に気付き、その場にへたり込む。

 

「……名前を聞いた時から、俺様はその可能性に気付いていた」

 

後頭部からの声に、クィレルは何故ヴォルデモートが彩芽に接触しろと言ったのかを知った。

クィレルがうな垂れた事で、後頭部のヴォルデモートと向き合う彩芽。

 

「ミナヅキ……お前の母親は生意気な女だったが、俺様の興味を引くものがあった」

 

楽しそうに笑うヴォルデモート。

 

「血筋だ。東洋の血は俺様の好むものではなかったが、あいつの父親はスリザリンの血を引いていた」

 

「だから、より濃いスリザリンの血を残すべく、子を成したのね」

 

「そうだ。嫌がるお前の母親を、俺様が無理矢理に襲ってやったのだ。何度も、何度も、孕むまで」

 

楽しい思い出でも語るようなヴォルデモートを、彩芽は笑みを浮かべたまま見つめる。

 

「正直なところ、そんな事はどうでもいいの。私はお母様のために敵討ちをする訳じゃない」

 

両手を伸ばし、その手をパチン、と前で合わせる彩芽。

その妙な動きにヴォルデモートが警戒した瞬間、苦しみだしたのはクィレルだった。

 

「そんな命の残りカスで存在している、ちっぽけな貴方を完全に消滅させる。それが私の生きている理由だから、殺すの」

 

言って、手を顔の前に動かし、指は合わせたまま手のひらの間に隙間を作る。

そしてそこに、彩芽はふうと息を吹き込んだ。

 

瞬間、クィレルは身を引き裂かれる様な痛みに目を見開く。

体の一部を毟り取られる様な感覚。

クィレルは瞬時に、彩芽がヴォルデモートを自分から引き剥がそうとしている事に気付いた。

 

――あの方を、ご主人様を守らなければ。

そう思う反面、別の自分がこう返す。

――本当に守らないといけないのだろうか?

 

ここに来て、クィレルの忠誠は揺らいでいた。

本当は、もっと前から揺らぎ始めていたのかもしれない。

クィレルはヴォルデモートを、偉大で、素晴らしい方だと思った。

だからこそ復活に助力を惜しまなかったし、それが出来る事に喜びさえ感じていたのだ。

偉大な闇の魔法使い、ヴォルデモート卿が、ちっぽけで誰からも評価されない自分を頼ってくださった。

それは何物にも代えがたい誇りだと。

 

だが、果たしてそうなのだろうか。

彼は、ヴォルデモートは、本当に偉大で素晴らしい方なのだろうか。

ちっぽけな存在だと、娘に言われる様な人が、果たして偉大な人物だろうか。

 

ヴォルデモートの方は痛みは感じなかったし、ただ少し、引っ張られる様な感覚があっただけだった。

何が起こっているのか、全く理解できない。

気付けば、眼下にクィレルが倒れているのが見え、ヴォルデモートは自分が引き剥がされたのだと気付いた。

 

「さようなら、お父様」

 

ハッとした時には遅かった。

先程とは比べ物にならない力で引っ張られる。

 

顔の前に指を立て、聞いた事のない言葉を紡ぐ初めて会う娘。

その足元に置かれた、照りのある黒い箱に、徐々に吸い込まれていく。

 

「お前……ごとき、小娘がぁ……ッ!!」

 

ヴォルデモートは焦っていた。

自分の身に起こっていることが、何一つ理解出来なかった。

 

彩芽は呪文を唱えながら勝利を確信した。

思っていた以上に、ヴォルデモートは弱っていたらしい。

抵抗する力も弱く、逃げられる心配もなさそうだ。

 

――この術は完成する。

 

側の氷炎から流れてくる気の残りを考えて、やはり氷炎は助からない。

封じる最後に、氷炎もろとも封をする。

それで終わりだ。

 

ヴォルデモートは箱の中で分解されて消えるか、日本で消滅させるか。

どちらにせよ死ぬ。

氷炎もろとも。

死ぬのだ。

彩芽の、この手で。

 

この指で、印を切り、呪文の終わりを口にして。

それで、……もう、氷炎には会えなくなる。

 

「      」

 

急急如律令、と出るはずの声が、喉の奥でつかえた。

彩芽の異変に気付き、氷炎が箱に駆け寄る。

 

「俺様を……なめるなッ!」

 

ヴォルデモートが最後の足掻きを見せ、虚をつかれた彩芽は反撃を受けた。

一歩、間に合わなかった。

氷炎がヴォルデモートに牙を立てるが、それより早くヴォルデモートは浮かび上がる。

 

「彩芽っ!!」

 

そのまま逃げていくヴォルデモートを、氷炎は追わなかった。

倒れたままの彩芽に声をかけるが動かない。

状況は把握していた。

彩芽は大きな術の、最後の最後でしくじった。

その反動は、命に係わる。

 

「死ぬのは俺のはずだろ、馬鹿!」

 

氷炎は息を吸った。

そのまま、彩芽に口づけて吐く。

本当はもっと満たすべきだが、生憎もう気は残っていない。

全て霧散してしまった。

 

「……死ぬな、彩芽」

 

残ったわずかな気を彩芽に与え、氷炎も倒れる。

薄れる意識の中、ようやく気配が現れた。

 

食えない上に、使えないジジイだ。

 

氷炎の意識は、白い髭を見たのを最後に途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一番最初に意識を取り戻したのは、氷炎だった。

とはいえ、動くことも出来ず、鳴く事も出来ず、ただ意識のみが浮上したに過ぎなかったが。

 

側にいる彩芽の体から体温を感じて、氷炎は心の底から安堵する。

辺りを探って、どうやら医務室のベッドの上の様だと当たりを付けたところで、カーテンの向こう側の人気に気付いた。

 

氷炎から見えるのは、カーテン越しの影。

それでも、そこにいるのがダンブルドアであることは容易に分かった。

身動きもしないで、一体何をしているのだろうかと思う氷炎に、ダンブルドアの声が聞こえた。

 

「ハリー、こんにちは」

 

優しく労わる様な声音。

恐らくカーテンの向こうにもベッドがあり、そこにハリーがいるのだろう。

石が、としきりに訴えるハリーの声を聞きながら、氷炎は笑いたくなる。

 

少年、言わずともそいつは全部知ってるし、お前を危険な目に遭わせた張本人だぜ、と。

 

ハリーは今までの事を洗いざらい話す。

 

「先生、僕見たんです……その、アヤメを。それで……」

 

ハリーの声を聞きながら、氷炎は見られたのかと息を吐いた。

それで、を繰り返した後、ハリーはどう言っていいのか分からなかったようで、石の事に話を戻す。

 

「……クィレル先生は君から石を取り上げる事が出来なかった」

 

ダンブルドアは石が守られたことを伝えた。

 

「先生が助けてくれたんですか?ハーマイオニーのふくろう便を受け取ったんですね?」

 

「実はの、ハリー。わしを呼び戻したのはアヤメなんじゃよ。わしがロンドンに着くと同時に教えてくれたんじゃ」

 

「アヤメが……?」

 

「ハリー、アヤメは君の味方じゃよ」

 

その言葉に、氷炎はますますダンブルドアに対しての不信を募らせる。

 

「じゃが、彼女には複雑な事情があるのじゃ。今回の事はわしにも責任があると思うておる。その事を口止めしたのは他でもない、わしじゃ。アヤメは何も隠す必要はないと考えておった……しかし、あの子の持つ真実は重すぎる。それは本人だけでなく、ハリー、君にものう」

 

確かに、と氷炎は思う。

両親を殺した男の娘、というのがハリーから見た彩芽の肩書き。

しかし彩芽の持つ真実……とは言ってくれる。

まるで自分はその真実を全て知っているような口ぶりに腹が立つ。

 

「先生、僕聞いたんです……アヤメはヴォ……例のあの人に向かって……」

 

「ハリー、ヴォルデモートと呼びなさい。必ず適切な名前を使いなさい。名前を恐れると、そのものに対しての恐れも大きくなるものじゃ」

 

そう忠告してから、ダンブルドアは続ける。

 

「アヤメの事は、本人から聞くのが良かろう。ただ、ハリー、覚えておきなさい。例えどんな真実を知ったとしても……彼女は君の敵ではなく、味方だということを」

 

「……はい、先生」

 

ハリーの声からは、混乱が見て取れた。

それもそうだろう。

そんなハリーに、彩芽は直接説明しなければならないらしい。

ダンブルドアはその後、急に話を変えた。

 

「ところで、石の事じゃが、あれはもう壊してしまったんじゃよ」

 

ダンブルドアの友人、ニコラス・フラメルとその妻は、話し合いの上、納得してそうした。

ダンブルドアが言うには、『整理した心を持つものにとっては、死は次の大いなる冒険にすぎない』らしい。

氷炎は内心鼻で笑った。

どんな綺麗事や思想を並べても、氷炎にとって死は終わりを意味する。

魂は輪廻しても、記憶や感情は伴わない。

死んで誰かの心に残ったとして、それを自分が感じられないのでは意味はない。

 

「先生、石がなくなってしまっても、ヴォルデモートはまた他の方法で戻ってくるんじゃありませんか。その、いなくなったわけじゃないんですよね?」

 

「その通りじゃハリー。生きているわけではないから、殺すことも出来ん。ヴォルデモートはただ逃げただけじゃ。再び誰か乗り移れる体を探しておることじゃろう。今回の事はただ、復活を遅れさせただけに過ぎないかもしれん。しかし、それが何度もあれば……?そう、彼は2度と権力を取り戻すことが出来なくなるやもしれん」

 

だったらいいな、と氷炎は内心相槌を打ってやった。

そんな甘い考えでは、その内死人が必ず出る。

 

ハリーとダンブルドアの会話はしばらく続いた。

クィレルがどうしてハリーに触れられなかったのかという話になったとき、ハリーは少し泣いたようだ。

 

スネイプはハリーの父と嫌い合っていたけれど、一度ハリーの父親に命を救われたことがあり、その借りを返したかったのだ、とダンブルドアがスネイプが聞いたら憤死しそうな事を言って、そして最後に、ハリーがどうして鏡から石を取り出せたのかを話す。

その後、百味ビーンズを1つ食べ、耳くそ味を当ててしまったとむせ返った。

 

「先生、アヤメは、無事なんですよね?」

 

帰ろうとするダンブルドアに、ハリーが尋ねる。

ダンブルドアは振り返り頷いた。

 

「まだ眠っておるが、命に別状はない」

 

そのまま、医務室から出て行ったダンブルドア。

氷炎は目を閉じた。

 

ハリーは痛む頭を庇いながら、そっとベッドから立ち上がり、音を立てないよう注意してカーテンを開けた。

 

真っ白なベッドで眠る彩芽が、そこにいた。

 

胸の上で手を組み、上を向いて微動だにしない様子に少しドキリとするが、良く見れば胸が微かに上下していてホッとした。

枕元には綺麗な装飾のついた箱が置いてあった。

大きなひびが入っている。

肩のあたりの隙間には、白い塊。

彩芽のペット……いや、使い魔だと言っていた。

こちらも微動だにしない。

そういえば、あの時……地下で彩芽と一緒にいた。

でも、もっと大きかった気がしたけど……。

 

ズキッと頭が痛んで、ハリーはカーテンを閉めてベッドに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彩芽が意識を取り戻したのは、学年末のパーティーも終わり、生徒が家に帰る日の前日だった。

 

パチリ、と目を開けて、彩芽は自分が敗北したことを知った。

父……ヴォルデモートは生きている。

 

「日本に帰ろうぜ」

 

意識を取り戻した事に気付いた氷炎が、そう言って彩芽の頬に擦り寄った。

温かく柔らかいその毛並みが、彼の命を感じさせて、彩芽は深く息を吐いた。

 

しくじった。

ヴォルデモートを殺せなかった。

虚を突いた今回は、これ以上ない好機だった。

次は向こうも警戒するだろうし、下手をすれば接触できない可能性もある。

それはとてつもなくやっかいで、重い現実。

 

だが、それよりも、今は氷炎が側にいてくれる事が何より嬉しい。

 

「日本に帰ろうぜ、彩芽。お前の父親なんかどうでもいいじゃん。ここはお前には合わない。回復にこんなにかかったのも、ここの気が悪すぎるからだろ」

 

日本なら、と。

氷炎の言葉を聞いて彩芽は考える。

日本ならば氷炎を犠牲にすることなく父を瞬殺できたろう。

気を使い果たすなんてこともまずあり得ない。

だが駄目なのだ。

父は日本ではなくここにいる。

自分には果たすべき事があり、逃げるのは主義に反する。

 

『一度決めたことは、間違っていると思った時以外は、最後まで貫きなさい』

 

祖母の教え。

彩芽はヴォルデモートを殺そうと思ったが、それが間違っていると思った事はない。

 

「日本には帰るわ」

 

氷炎をひと撫でして、彩芽はゆっくりと体を起こす。

軽く眩暈に襲われるが、気だるさが残るだけで外傷はなさそうだ。

 

「けど、私はまたここに戻って来る」

 

「なんでだよっ」

 

氷炎の問いに、彩芽はうっすらと微笑んだ。

 

「――父を、ヴォルデモートを殺すのは、ハリーではなく、私……そう決めたの」

 

納得したわけではなかったが、氷炎は黙り込む。

主人がそう決めたならば、自分はついていくしかない。

俯いた氷炎の代わり……という訳ではないだろうが、ふいに現れた気配が、言葉を発する。

 

「君がヴォルデモートの殺害を目論んでいる事を、わしは知っておった」

 

カーテンを開けて入って来たのは、異様に長い髭の老人。

ダンブルドアの登場に、氷炎は身構える。

彩芽は静かに相手を見上げ、そして頷いた。

 

「貴方がそれに気付いている事に、私は気付いていた。……利用されていても構わなかった。むしろ、舞台を整えてくれた事に感謝すらしていたわ、アルバス」

 

「いいや、わしは君を止めるべきだったんじゃよ、アヤメ」

 

弱々しく微笑むと、ダンブルドアは自分を見つめる幼い少女に頭を下げた。

 

「わしは弱い。本当にヴォルデモートを封じる事が出来るかもしれないと、そう思ってしまった。失敗して良かったんじゃよ。でなければ、わしはもう少しで君に、大切な友人を犠牲にさせるところじゃった」

 

「アルバス、今回の件で、私は貴方の手の上で踊ったけれど、氷炎を殺しても父を殺すと決めたのは私であって貴方じゃない」

 

それは一見庇うような言い方だったが、その場の誰も意味を取り違う事はなかった。

彩芽はこう言いたいのだ。

全て自分の思い通りに動いていたみたいなセリフは不愉快だし、己惚れるな、と。

 

「それより、クィレルはどうなりましたか」

 

言葉の出ないダンブルドアに、彩芽は気になっていることを尋ねた。

ハッとしたように息を吸い、ダンブルドアは首を振る。

 

「一命は取り留めたが、まるで心が抜けてしまったように動かぬ。酷い事じゃよ……」

 

「そう、生きているの……」

 

彩芽はそう呟いて虚空を見上げた。

あの時、彼に返した本に挟んだ手紙。

 

『貴方の主人に感付かれぬよう、声を出さずただ読みなさい。貴方が敬うそれは本当に貴方よりも優れているのか、もう一度考え直してみなさい。私はいずれ、それを貴方から引き剥がす。その時、貴方がそれの存在を拒絶しなければ、貴方は心身共に引き裂かれ、死ぬでしょう。よく考える事。もしも無事でいられたら、教えていただいたお店に、一緒に行きましょう』

 

読まなかったはずはない。

無駄だったと思いたくはなかった。

 

「ハリーの事は、聞かぬのかね?」

 

ダンブルドアの問いに、彩芽は彼を見た。

 

「元気なのでしょう?ここに彼の気配がなく、アルバスが取り乱した様子がないのだもの」

 

「……君の冷静さと、観察力、洞察力は驚異的じゃの」

 

ダンブルドアは微笑み、カーテンをさらに開く。

気付いてはいたが、そこにいた人物と目が合って、彩芽は小さく息を吐いた。

 

「後は君たちで話すが良い」

 

去っていくダンブルドアの背に、氷炎が「い・や・が・ら・せ・か!」と叫んだが、もちろん通じない。

氷炎がいるとはいえ、2人きりにされてしまった彩芽は、その居心地の悪さに再び眩暈がしそうだった。

 

「何か、我輩に言いたいことはあるかね」

 

スネイプの声は妙に平坦で、それ故に複雑な胸の内が取って見れた。

怒っているのはもちろん、心配からの安堵や、自分には知らされていなかったという落胆、裏切られたような失望……でもやはり、無事でよかったと言う喜び。

氷炎にはそれが分かったが、彩芽にそんな複雑な胸の内が分かるはずもなく。

ただ黙っていたことを怒っているのだと感じていた。

 

「言い訳はしない」

 

1つ息をして、彩芽はスネイプを見上げた。

その真っ直ぐな双眸が自分の姿を映すのを見て、スネイプは片手で目元を覆う。

そのまま側にあった椅子に座ると、深いため息を吐いた。

 

「二度と我輩に隠し事をするな。保護者とは、守るためにいる。勝手な行動をされるのは迷惑だ」

 

言い切ったスネイプの言葉に、彩芽は頷くことが出来なかった。

今後、自分の行動全てを伝えるというのはまず不可能だし、父とのあれこれに巻き込むつもりは毛頭ない。

だが、自分に何かあった時、保護者である彼が責められる可能性については考えていなかった。

 

「保護者というのは、どうしてもやめることは出来ないの?」

 

「我輩が保護者では不満なのかね?」

 

顔を上げずに尋ねるスネイプ。

 

「不都合です」

 

対する彩芽の答えに、氷炎は頭を抱えたくなった。

 

「……そうか。だが、残念だったな。我輩、この役を誰かに譲る気はないのでね」

 

顔を上げたスネイプは、彩芽を睨みつけた。

 

「我輩が保護者である以上、行動は制限させてもらう」

 

……すれ違っている。

氷炎は2人を見て、不器用過ぎるやり取りにうな垂れた。

自分の今後の行動を考え、スネイプに不利にならないよう保護者という責任を解いてあげたいと思う彩芽と。

彩芽が再び無茶をやらかさないよう、本人に憎まれようとも守ろうと思っているスネイプと。

お互いに思い合いながら、拒絶し合っている。

 

この状況を彩芽に説明したところで伝わらないのは分かっている。

氷炎はモヤモヤした気持ちを抱えながら、小さくため息を吐く彩芽を見ていた。

 

 

 

 

 

 




◇次回は列車でGO!です。寝込んでて学年末のパーティーに出れなかった彩芽さんは、スリザリンの可哀想な姿を見られませんでした。◇


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真実を告げる時

◇短いですが、賢者の石ラストです◇


翌日。

ホグワーツ特急が停車しているプラットホームに、彩芽は1人立っていた。

荷物は昨日の内にマクゴナガルが纏めてくれていたので、あの派手な赤と黄色のツートンカラーのトランクはすでに座席に置いてある。

しばらく待つと、わいわいと騒がしい声が聞こえ、ホグワーツの生徒でホームは溢れかえった。

その中にハリー、ハーマイオニー、ロンの3人を見つけて、彩芽は近付いて行った。

 

「……アヤメ、よかった!」

 

気付いた瞬間、ハーマイオニーは目を潤ませて彩芽に抱きつく。

彩芽はそれをそっと離して、少しだけハーマイオニーに微笑んだ。

そして、彩芽はハリーに向き直る。

 

「話は、コンパートメントの中で」

 

ハリーは頷いて、ロン達を促した。

彩芽はハリーが一緒のコンパートメントに入る事を拒むかもしれないと考えていたが、あっさりと頷いた事に驚いていた。

ロンは不思議そうに、ハーマイオニーは訝しげにしている事から、どうやらハリーはまだ2人に話していないようだ。

ハーマイオニーはチラチラとこちらを見たが、彩芽はあえて気付かないふりをする。

 

コンパートメントの扉を開くと、氷炎が椅子から彩芽のトランクの上へと移動した。

 

「このコンパートメントには、結界を張ったから……ここでの会話は誰にも聞かれないわ」

 

全員が座り、しっかりとドアを閉めてから、彩芽はそう口を開く。

丁度、列車も動き出した。

 

「今から、全て話すわ」

 

「その前に、聞きたいことがあるんだ、アヤメ」

 

彩芽が喋り出すのを遮って、ハリーが声を上げる。

ハリーは迷って、そして真っ直ぐに彩芽を見た。

 

「僕……僕、君があの場所に現れた時、まだ意識があったんだ。それで、聞いたんだ」

 

ゴクリと、ハリーは唾を飲み込んだ。

 

「君がヴォルデモートの事を……」

 

ハリーが言い終わる前に、彩芽は答えた。

 

「そう、聞いた通り。ヴォルデモートは私の血の繋がった父親」

 

ハリーを含め、ロンとハーマイオニーも息を呑んだ。

 

「私にとっては、血が繋がっている、というだけの存在だけれど。それで、まだ他に尋ねたい事はある?」

 

尋ねられるが、あまりの事実に誰も喋れなかった。

しばらくは列車の規則的な音だけが響く。

最初にその沈黙を破ったのは、掠れたロンの声だ。

 

「尋ねたい事はあるか、だって?!君、なんでその事を僕達に言わなかったんだ!」

 

「言わない方が賢明だと、諭されたから。私は隠す必要はないと思っていたのだけれど」

 

怒気を含んだ言葉にも、彩芽は顔色一つ変えない。

それが余計に、ロンを刺激した。

 

「怪しいと思ってたんだ、妙に隠し事も多いし。アヤメは僕達を裏切ってたんだ!」

 

ロンは顔を真っ赤にして怒ったが、ハリーはロンに比べればまだ冷静だった。

 

「ダンブルドアは、君も賢者の石の守りに係わっていたって……」

 

「ええ、そう。誰かがあの鏡から石を取り出した瞬間、私とダンブルドア先生には感知できて、もしもホグワーツから離れている場合でもすぐに駆け付けられるような術を施してあったわ。これも口止めされていたの」

 

あっさりと答える彩芽に、ロンが食ってかかる。

 

「じゃあ君は、僕達がニコラス・フラメルについて探していた時も本当は知っていたんだ!」

 

「もちろん。それが何で、どんな危険があるのか分からなければ、守りようがないもの」

 

ロンは完全に頭にきていた。

ハリーはロンが彩芽に掴みかからないよう少し体を割り込ませて、意を決して質問する。

 

「アヤメは……僕を……どう思ってるの?」

 

魔法界で初めて会った女の子。

ハリーにとって彩芽は、初めて出来た女友達だった。

彩芽はハリーの質問に瞬きをした。

何を聞かれたのか分からなかったのだ。

けれど、ようやく質問の意図を理解すると、深く息を吐いた。

 

「ハリーは、私がヴォルデモートの娘だから、貴方を恨んでいるかもしれないと思っているのね」

 

ハリーは返事をしなかったが、表情が彩芽の言葉を肯定していた。

 

「いいえ、ハリー。私は貴方を恨んだりしていない。ただ、ヴォルデモートを……父を殺したいだけ」

 

「信じられるもんか!だって君は僕達に、何一つ話さなかったじゃないか!」

 

ロンが叫んだ。

 

「ハリー、騙されるな、こいつも君の命を狙ってるんだ!」

 

「バカ言わないで!どうしてアヤメが……だって、ダンブルドアと賢者の石を守ったのよ?」

 

ずっと黙っていたハーマイオニーが、目に涙をためて訴えたが、ロンはそれを一蹴した。

 

「それがこいつの手なんだ!油断させて、ハリーを殺す気だ!」

 

「そんな……」

 

ハーマイオニーが言葉を詰まらせる。

 

「アヤメは、確かに隠し事をしていたわ。でも、それでも、私達……友達じゃないっ」

 

「ハーマイオニーはマグルの出身だから知らないんだろっ!こいつの父親がどれだけの人間を殺したと思う?こいつは人殺しの子供だ!」

 

「でも、アヤメは誰も殺してない……」

 

辛うじて、ハリーがそう反論する。

だがロンは……ハリーの前に立ち、ハリーを殺させるものかと言わんばかりに彩芽を睨みつけていた。

 

「今はまだ、だろ」

 

彩芽は怒りに震えるロンを見て、青ざめて涙ぐむハーマイオニーを見て、そしてハリーを見た。

ハリーの顔色は悪かった。

彩芽を真っ直ぐ見る目には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 

「信じられないのなら、それは仕方のない事。根拠もなしに、信じてと言うつもりもない」

 

彩芽は立ち上がって、トランクを持ち上げた。

氷炎が軽い身のこなしで彩芽の肩に乗り、頬に擦り寄る。

 

「さようなら、良い夏休みを」

 

睨むロンと、泣いて顔を覆うハーマイオニー。

そして固まったように動かないハリーを背に、彩芽は結界を破ってコンパートメントを出た。

 

「……信じて欲しいって、言えばいいのに」

 

ポツリと氷炎が呟く。

彩芽は首を振った。

 

「信じるかどうか、決めるのはいつだって本人だもの」

 

彩芽の言う事は正論だが、人は何もない状態でただ信じる事はできない。

それが根拠のない言葉でも、たった一言で信じる理由にはなるのに。

 

氷炎は主人の肩から飛び降りて、通路に置かれたトランクに乗った。

ガタン、と電車が跳ねて、次の瞬間彩芽も氷炎も、荷物も全てそこから消えてしまっていた。

 

 




◇……こんな雰囲気で秘密の部屋編に突入です。
秘密の部屋編からは不定期に遅い更新となります。
とりあえず、次話だけは来週の土曜日予定です。◇


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秘密の部屋
久しぶりの我が家


◇しばらくは日本編です。原作キャラの出てこない日常パート編となります。
ホグワーツ魔法分などないっ!◇


目を開くと、そこは見慣れた屋敷だった。

 

「さっきまで列車に乗ってたせいで、なんか地面が揺れてないのが変な感じだな」

 

トランクの上に乗った氷炎がそう言って、畳の上に飛び降りる。

彩芽も、靴を脱いで手に持った。

ホグワーツ特急の中から日本の屋敷へと戻って来た彩芽は、大きく息を吸う。

それを吐き出しながら、帰って来たのだと実感した。

移動の術はかなりの大技だが、この屋敷内には気が満ちている。

疲れを感じないこの空気に、気持ちが解れていくのを感じた。

 

ガラリ、と戸を開けて廊下に出ると、雨戸が開かれていた。

庭に靴を置きながら、閉めて行ったはずなのにと思うと同時に、近づいてくる気配を察し、彩芽はその名を呼んだ。

 

「茶々丸」

 

「はいっ!お帰りなさいませご主人様!」

 

満面の笑みで走り寄って来た少年は、廊下の途中で何かに躓いて前のめりに倒れた。

その瞬間、それは人ではなく毛玉に変わり、そのまま彩芽の足元までゴロゴロと転がってくる。

 

「相変わらずのドジ、間抜け、おっちょこちょい具合だな、茶々丸」

 

氷炎が皮肉を言えば、毛玉は丸めた体を起こしてえへへと笑った。

 

「嬉しくってはしゃいでしまいましたっ」

 

人のするように、頭に手を当てて笑っているが、それはれっきとした狸だった。

まだ生まれて3年ほどの年若い狸で、この屋敷の裏の林で生まれた。

霊場になっているためか、この林に住む狸達は、古来より化けるのが上手い。

祖母の葛葉と茶々丸の母狸がお茶友達で、彩芽が幼い頃から縁側で2人お茶を飲む姿をよく目にしていた。

茶々丸が産まれた時は彩芽も立ち合ったし、さらに言えば、茶々丸と名付けたのも彩芽だ。

そのせいか、茶々丸は彩芽を主人として見ている節があり、何かにつけて役に立ちたいと考えている。

 

庭を見渡しても、屋敷を見渡しても、1年間放置していたとは思えないほど手入れが行き届いていた。

これまで屋敷の雑用は葛葉の式神がやってくれていたが、葛葉が亡くなったため、その契約は無効となっているはずだ。

 

「お前が手入れしたの?」

 

「はい!」

 

褒めて褒めてと、尻尾が左右に振れる。

彩芽は頭を撫でてやり、ありがとうと礼を言った。

 

「はーん、それであの部屋にあった掛軸が無かったんだな?お前、掃除ん時に破ったんだろ?」

 

氷炎が言えば、茶々丸は尻尾を膨らませた。

動揺したり、驚いたりした証拠だ。

 

「そ、そんな事……あり……ます。ごめんなさい」

 

しゅうんと垂れ下がる全身の毛。

分かりやすい奴、と氷炎は苦笑する。

その感情表現をどうにかして彩芽に分けれたらいいのに。

彩芽は気にした様子もなく、いつも通り無表情に茶々丸の頭をポンポンと撫でた。

 

「構わない。気にしなくていいから」

 

「ご、ご主人様ぁ!」

 

嬉しさのあまり足に抱き付いてきた茶々丸を見ながら、彩芽は黙ってイギリスへ行った事を少し後悔した。

そう言えば、ダンブルドアのせいで彩芽は誰にも告げずにイギリスに渡ったが、大叔父はその事をどう思っているだろうか。

考えて、彩芽は首を振った。

 

いずれにせよ、学校が始まるまでに一度、会う必要がありそうだ。

それは酷く億劫で、彩芽は重いため息を吐いた。

 

 

 

 

炊きたての白い飯、焼き立ての鰆、鰹出汁の豆腐のお澄まし、里芋と牛蒡の煮物、胡瓜と茄子のお新香……。

彩芽が台所に立とうとした瞬間、茶々丸が「任せてください!」と張り切り、用意した夕食だ。

 

「食ったら胃の中で葉っぱに戻るんじゃないのか?」

 

氷炎が茶化すと、茶々丸が頬を膨らませる。

彩芽といる時は、茶々丸は大体狸ではなく、こげ茶の髪をした10才ほどの童の格好で過ごす。

その方が色々とお世話できるので、というのが茶々丸の言い分だ。

 

「この1年、みっちり練習したんですよ!」

 

ふんぞり返る茶々丸に、彩芽は頷いた。

そもそも葉っぱで化かされたものかどうか分からない彩芽ではないし、食べたものは全て美味しい。

正直、まだまだ拙い部分はあるが、久しぶりの食事としては文句なしに美味しかったし、この1年頑張ったと言うのは嘘ではないだろう。

 

「あ、テレビつけてもいいですか?」

 

言うが早いか、茶々丸はスイッチをつける。

食事時にテレビを流すなんて、葛葉がいたらなんと言うだろうかと彩芽は考える。

躾には厳しい人だった。

 

「あ、アニメですよ!僕好きなんです!」

 

嬉しそうに言って、茶々丸がチャンネルを回す手を止めて、食事に戻る。

外国のアニメらしく、画面では人魚の女の子が海を泳いでいた。

画面に釘付けになりながら、黙々とご飯を食べるその姿に、氷炎が呆れる。

 

「この1年、どんな風にここで過ごしたのか想像できるな」

 

彩芽は頷いた。

この広い屋敷に1人で、寂しかったのだろう。

テレビでも観なければ孤独に負けそうだったのかもしれない。

 

「主人公の女の子、可愛いですよね!歌も上手ですし!」

 

コマーシャルになると急に饒舌になる茶々丸に、氷炎が「餓鬼」とか「お子様」と言ってからかう。

なんだかんだ言いつつ、気付けば彩芽も画面に見入り、結局最後まで観てしまった。

 

「ああ、面白かった!でも僕、あの敵の魔女が怖かったです。あんな魔女がいたら変身できなくなってしまいます」

 

ぶるっと震えて、茶々丸が言った。

化けるというのは意外に難しく、狸達の中でも茶々丸は化けるのが上手い方だ。

それでも、何かに怯えたりして気持ちに隙が出来ると、尻尾が出たり、そもそも化けること自体が困難になる。

 

「茶々丸はアニメが好きなの?」

 

「はい、アニメだけじゃなくて、ドラマも観ます。テレビってとっても面白いですよ!」

 

にこにこ、笑顔で返す茶々丸は、ここ最近観ている番組を教えてくれる。

しかし彩芽はどれも分からない。

茶々丸もそれに気付いたのか、話を変えた。

 

「あの、向こうはどうでしたか?彩芽様は洋食が苦手でいらっしゃるから、苦労されたのではないかと気を揉んでいたんですよ」

 

「ええ、そうね。正直なところ、あまり食は進まないわ」

 

彩芽の返事に、茶々丸は眉を落とす。

 

「やはりそうですか……人間は丁度彩芽様くらいが成長期ですのに、あまり変わられたご様子がないのでそうではないかと思いました」

 

狸に成長を心配されて、彩芽は内心苦笑する。

 

「私よりも、氷炎に苦労をかけているわ。色々と無理ばかり強いていて」

 

「俺はお前について行くしかねぇからな。そう思うならもう日本から出るなよ」

 

「言ったでしょう、私はイギリスに戻る」

 

彩芽の言葉に、茶々丸が顔を上げた。

 

「え、ずっとこちらにはいらっしゃらないのですか?!」

 

「一時的に帰宅しただけで、また向こうに戻るわ」

 

「そんな……」

 

しょんぼりと肩を落とす茶々丸に、氷炎が尋ねる。

 

「なんならお前もイギリスに行くか?」

 

「氷炎」

 

それを彩芽が素早く嗜めた。

 

「茶々丸を連れていくわけにはいかない。軽々しく言わないで」

 

「へいへい」

 

氷炎は軽く返事をして流す。

元より本気で聞いたわけではない。

 

「……イギリス」

 

ポツリと呟く茶々丸に、彩芽は首を振った。

 

「茶々丸には、また1年、この家の事を頼みたい。いいかしら?」

 

茶々丸は彩芽を見た。

主人から直々に頼まれたことが嬉しくて、顔には笑顔が浮かぶ。

 

「はい!僕、頑張ります!」

 

その笑顔のほんの少しでも彩芽に分けれたら、と。

氷炎は無邪気に喜ぶ茶々丸を見て思うのだった。

 

 

 

純和食な食事を楽しみ、湯船で疲れを癒し、時差ボケもなく布団でぐっすりと眠った次の日の朝。

彩芽は久々に庭で体を動かし、体捌きが鈍っている事を痛感した。

寮では毎日体を動かすのは難しく、ずっとストレッチぐらいしか行わなかったので、それも当然だろう。

ハーマイオニーと行動を共にするので朝は寮内で待っていたが、これからはどうだろうか。

帰りの列車で見た、ハーマイオニー達の顔を思い出して、胸がちくりと痛んだ。

 

「おい、朝飯出来たってよ」

 

「……すぐ行く」

 

氷炎の声に頷いて、彩芽は何事もないように食卓へ向かう。

平静に冷静に、凪いだ海よりもまだ静かに。

心を波立たせてはいけない。

寂しい、なんて。

思うはずがないのだ。

 

 

 

 

茶々丸の作ったおにぎり、漬物、味噌汁という朝ご飯を終えて、彩芽は祖母の自室に入った。

 

「茶々丸の奴、ここには全く手を付けてなかったみたいだな」

 

ついて来た氷炎が言う通り、葛葉が使っていた文机にはうっすらと埃が積もっている。

 

「だ、だって、葛葉様のお部屋に勝手に入ったら、なんだか呪われてしまう気がして……」

 

気を利かしてバケツと雑巾を運んで来た茶々丸が、氷炎の言葉に言い訳を返した。

 

「そういやお前、あのばあさん苦手だったもんな」

 

ま、俺もだけど、と呟いて、氷炎はふうと息を吐いた。

瞬間、体が膨らみ、ふわりと髪が流れる。

氷炎が人の姿に化ける事は少ない。

そもそも化ける事に力を使うのが面倒だし、化けたところで茶々丸の様に人に溶け込めるわけではないからだ。

人の姿をとった氷炎を一言で表すと、『妖艶』だろう。

少し華奢めだが、大人の色香漂う体。

少し乱れ気味に流し着た着物からは鎖骨と胸板が見え隠れし、それらにかかる長い髪は白い。

顔は文句なしに美形。

切れ長の目に弧を描いた口元。

白い睫に見え隠れする薄茶の瞳。

全体的には儚げな雰囲気であるのに、その表情は強気で余裕たっぷりといった感じ。

 

当然の話だが、こんなのが道を歩いていたら目立って仕方がない。

 

「でもま、俺も呪われねぇように気ぃ付けるか」

 

男性のそれに変わった声で、氷炎がため息を吐く。

葛葉は氷炎のこの姿を気に入っており、自室に入るときは人の姿で入れといつも言っていたのだ。

 

「……はぁ、いつ見てもお綺麗ですねぇ。僕も早く氷炎さんくらい格好良くなりたいです」

 

茶々丸が感嘆して見上げる。

同じ姿に化ける事は可能だが、この滲み出る雰囲気までは真似できない。

氷炎はふふんと鼻で笑って、茶々丸から雑巾入りのバケツを受け取った。

 

「餓鬼のお前にゃまだ無理だろうよ。ほら、戻らなくていいのか?そろそろコマーシャルが終わるぞ?」

 

茶々丸の頬にサッと赤みが増す。

 

「あ、あの……あれはただ流しているだけというか……」

 

「別に責めてるわけじゃねぇよ。ほら、行って来い」

 

ぽん、と背を押され、茶々丸は顔を真っ赤にして走って行く。

それをケラケラと笑う氷炎に、彩芽は目を向けた。

 

「あまり苛めては駄目よ」

 

「分かってねぇな彩芽、あれは可愛がってるっつうんだよ」

 

髪をかき上げ、氷炎は首を傾げる。

彩芽はそうなの、と呟いて、葛葉の文机に近づいた。

あれが可愛がっているのか疑問ではあるが、2人の仲が良い事は間違いない。

 

死期を悟っていただけあって、始末すべきものなどはすでに葛葉自身の手で捨てられている。

なので今から彩芽がする事は、遺品整理と言うよりは、どちらかと言えば遺品の確認。

 

「どうせなら、おもっくそこっぱずかしいもんでも出てくりゃ良いのにな。昔書いた恋文とかさ」

 

絞った雑巾片手に、氷炎が引出しを開ける。

その姿は妖艶さと所帯臭さがちぐはぐで、なかなか面白い。

彩芽も本棚を確認しながら、氷炎に頷く。

 

「それは私も見てみたい。おじい様の事が分かるかもしれない」

 

「おじい様、ね」

 

氷炎は薄く香が染み込んだ和紙を選りながら、葛葉の言葉を思い出す。

 

「超絶イケメンのイギリスの純血魔法使いで、性格最悪の実力者……だっけ?」

 

「そう言っていたわね。なんでも、ホグワーツ創設者の1人、サラザール・スリザリンの末裔だとか」

 

氷炎はそれに眉を寄せた。

 

「本当かよ、それ。じゃあなんで彩芽はグリフィンドールに入ったんだよ」

 

「私がグリフィンドールを選んだからでしょうね」

 

去年、グリフィンドール寮に決まった瞬間、胸に感じた暖かな気持ちがふと蘇る。

それは一瞬のうちに消え、先程よりも胸の内が寒く感じた。

彩芽はそれに気付かないふりをして、続ける。

 

 

 

「お母様とおばあ様が調べたところによれば、お父様もスリザリンの末裔に当たるそうよ。おじい様の一族は、魔法界内で要領良く純血を守り家を栄えさせ、お父様の一族はより頑固にスリザリンの血を守ろうとし、衰退していった」

 

「血族結婚……か」

 

「そう」

 

かつて日本の上流でも、そういう習わしがあった。

しかし近代、その危険性は科学的に証明されている。

あまりに近い者同士が子供を産むと、遺伝子的な欠陥が出る事があるとし、日本の法律でも現在は三親等内の婚姻は禁止されている。

 

「とはいえ、おじい様の一族も虚弱で短命な者ばかりで、おじい様が唯一の生き残りだったそうよ」

 

「……なるほど、それで性格最悪か」

 

血族結婚を繰り返すと、遺伝的に劣勢な部分が多く出る。

それは体だけではなく、精神にも影響を及ぼし、短気で癇癪持ちだったり、知的障害が見られたりという事もある。

 

「恐らく、お父様が闇の帝王なんて恥ずかしい名前を堂々と名乗っているのも、そういう影響が出ていると思う」

 

「気ぃ付けろよ、そういう意味じゃ、お前だってその遺伝子継いでんだぜ?」

 

氷炎がニヤニヤしながらそう注意を促した。

 

「俺は歓迎だけどな。陰陽寮の奴らを恐怖と混乱に陥れる闇の姫君。そして俺はそれに仕える残忍で獰猛な悪の妖怪ってわけだ」

 

「それはとても面白そうね。私が陰陽頭より弱いという事実さえ抜けていなければ完璧だと思うわ」

 

「俺は、お前の方が強いと思うぜ?大体、なんで戦ってもないのに実力が分かるんだよ?」

 

「私が、おばあ様より弱いからよ」

 

彩芽の返事に、氷炎は開きかけた口を閉ざした。

それは違う。

葛葉に勝てなかったのは実力の問題ではない。

純粋な力の差で言えば、彩芽が上なのは確実で。

ただ、葛葉は力を受け流し、罠を張り、相手の隙をつく。

そういう事に長けていたのだ。

それに、実際に葛葉と模擬戦のような事をしたのは大分と昔の事で、そういう駆け引きにも長けた現在なら確実に彩芽に分がある。

 

――これも一種の呪いって奴かね。

 

氷炎は葛葉を完全には好きになれなかった。

人間の中ではかなり面白い部類に入るし、あのさばさばした性格も気に入っていた。

だが、たった1つだけ、氷炎が葛葉に対して好意を抱けなかったのが、彩芽に対する態度だ。

撫子とヴォルデモート卿の事を聞いた後であれば、幾分か理解できる部分はあるものの。

それでも、巧みに彩芽を縛り、誘導するその教育に、氷炎は不信感を抱かずにはいられない。

葛葉の彩芽に対する態度は、孫というよりは弟子という感じで。

見ていて酷くもやもやしたものだ。

 

「青は藍より出でて藍より青し、って言うだろ」

 

「もし、私に力があるとしたら、それはおばあ様の力。私は驥尾に付しただけの事」

 

彩芽はキッパリと言って、氷炎に向き直った。

 

「無駄口より、そろそろ手を動かして」

 

「……分かったよ」

 

言っても無駄だと、氷炎は引出しの中の確認に戻る。

彩芽は祖母であり師である葛葉を、氷炎から見れば少し異常なほど尊敬していた。

葛葉を否定する言葉を言うと、彩芽は決まって少し不機嫌になる。

 

しばらく無言で手を動かしていた氷炎は、彩芽の声に顔を上げた。

 

「おばあ様の手記だわ」

 

彩芽の手にあるのは、和綴じの本の様なものだった。

少し厚めの濃い紫の和紙の表紙。

手記自体は1センチほどと薄く、何冊かに分けてあるようだ。

 

「日記か?」

 

「ええ、その様ね。若い頃につけたものだわ。イギリスにいた頃の……」

 

最初の何ページかを捲って、彩芽はそれを閉じた。

 

「何だよ、読むんじゃないのか?」

 

「後でね。他にも無いか見てからにする」

 

「あっそ。こっちには術に使う道具と、手紙一式があったぜ。文箱も見つけた。相手から来た手紙も、大方これに入ってる」

 

「それも見てみるわ。部屋に運んでおいて」

 

「了解」

 

立ち上がった氷炎は、手記と文箱を抱えて部屋を出る。

それを横目で見送ってから、彩芽は小さく息を吐いた。

 

自分の力が葛葉より上だと、本当は気付いている。

彩芽の能力がまだ稚拙な内に、わざと力の差を見せつけ、葛葉の方が上だと刷り込みをされた事も知っている。

 

――おばあ様は、私の力が怖いのだろうかと考えた事もあった。

 

彩芽は父親の事を知り、葛葉がどうして自分にそうしたのかを知った。

さっき氷炎が言った言葉は正しい。

 

力を過信し、暴力的に振舞い、悪の道に堕ちる。

 

その遺伝子が受け継がれている事を考えて、葛葉はそうしたのだ。

己の力を過信する事のない様に。

 

おばあ様は正しい。

いつだって先を読み、正しい道を選び、導く。

 

 

 

 

 

だから、おばあ様の行動を、言葉を、疑ってはいけないのだ。

 

 

 

 

 




◇次回も日本でのお話です。
気長にお待ちください。◇


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大叔父様

 

家に帰って来て、2週間が過ぎた。

彩芽は葛葉の部屋を色々調べたが、最初に見つけた手記と手紙以外は特にこれといったものはなかった。

床下から壺が出てきたが、その中身は梅干しだったし、天井裏には何もなかった。

 

「身辺整理する時間はあり余ってたしな。ま、こんなもんだろ」

 

氷炎は早々に飽きてやる気がなかったし、彩芽もこれ以上は何も出ないだろうと結論付けた。

一息入れようと、彩芽は氷炎と茶々丸と一緒にお茶を飲む事にする。

 

何も言わずとも、熱い緑茶と、しょっぱいお茶請けを用意する茶々丸。

元々、冬場に草履を温めてくれたり、外出時には耳当てに化けたり、体調を崩せば傷だらけで薬草を摘んで来たりと、世話を焼いてくれようとする傾向にあった。

どちらかと言えば、それらは空回る事の方が多かったのだが、帰って来てからの茶々丸の行動は、不思議なくらい自然で心地が良い。

 

ポリポリとお茶請けを齧りながらテレビに釘付けになっている茶々丸を見ながら、彩芽もお茶を啜る。

正直なところ、彩芽もイギリスは苦手だった。

ずっと日本にいたいという気持ちも、確かにある。

だが、やるべき事がある以上、戻らないといけない。

 

「……そろそろ、向こうに行く準備をした方がいいわね」

 

「もう行くのか?学校は9月からだろ?」

 

氷炎が嫌そうに顔をしかめ、茶々丸が目を大きくして近寄ってくる。

 

「も、もう行くのですか?もう少しゆっくりされても……」

 

「学校が始まれば、外には出られなくなる。行動は制限すると言われている訳だし、その前に調べておきたいことがあるの」

 

彩芽の言葉に氷炎はため息を吐き、茶々丸は肩を落とした。

 

「次のお帰りは、また1年後でしょうか?」

 

「どうかしら……」

 

てっきり「そうだ」と言われると思っていた茶々丸は、言い淀む彩芽に顔を上げる。

 

「状況によるけれど、冬に一度、帰ってこようかと思っているの」

 

「そりゃいい。あっちの正月は味気なさすぎるんだよな。栗きんとんは食べれたけど、俺は重箱に入ったお節が食いたい」

 

氷炎がぺろりと舌なめずりをする。

 

「はい、僕、一生懸命作ります!」

 

「酒も用意しておけよ、茶々丸。東北の地酒がいいな」

 

「はい!うんと美味しいやつを探しておきますとも」

 

満面の笑みで茶々丸が頷く。

彩芽は少し呆れた様にそのやり取りを見ていた。

 

「帰ると決めたわけじゃない。あまり期待をしないで」

 

「……そ、そうですよね」

 

しょぼくれる茶々丸に、彩芽は懐から和紙を取り出した。

淡いうぐいす色のそれに、茶々丸はキョトンとした。

 

「今年は、茶々丸に頼みたい事もある。冬に帰るかどうかも事前に知らせたいし、こちらの様子も知りたい」

 

「え、えっと……」

 

手に乗せられた和紙は、仄かに力を帯びている。

それが分かり、茶々丸は狼狽えた。

 

「何かあれば、手紙を書いてちょうだい。字は書けるでしょう?」

 

「ええ、はい」

 

頷く茶々丸に、彩芽は頷き返す。

 

「それに書き終わったら、宙に投げるの。そうすれば、鳥に変わって私の元まで届くから」

 

「はあ……」

 

くりくりと目を丸くして、茶々丸は和紙に目を落とす。

大事に使わなくてはと、しっかりと胸に抱いた。

 

「私はこっちを使う」

 

薄桃色の和紙を見せ、彩芽は茶々丸の頭を撫でた。

少し癖のあるふわふわの茶色い髪が気持ち良い。

 

「私は、おばあ様のように式神を多く持っていないから……茶々丸には不便をかけるけれど」

 

「いえ!僕は全然平気です!」

 

茶々丸はぶるぶると頭を振った。

 

「式神を増やさないのは、彩芽様がお優しいからです。全てがそうという訳ではありませんが、使役するという関係になる以上、それは力による支配。彩芽様はそれが嫌だから、むやみに増やそうとしないだけの事です」

 

茶々丸の力説に、氷炎がくつくつと喉で笑う。

 

「じゃあ俺は、力で支配された可哀想な妖って事か」

 

「違います!氷炎さんはお強いですから、彩芽様が力で支配しない対等の関係です。僕は……僕は、お2人の関係が羨ましいです。僕では、ご主人様の力にはなれない」

 

力なく呟く茶々丸に、氷炎がため息を吐いた。

 

「俺はお前が羨ましいけどな」

 

皮肉しか言えない自分とは違い、いつも真っ直ぐで素直な言葉を紡ぐ茶々丸。

氷炎は確かにその辺りの妖怪では相手にならないほどの実力はあるが、肝心の彩芽の心に、本当の意味で寄り添ってやることは出来ない。

 

「誰だって、自分以外の事は良く見えるものよ。それに、茶々丸は十分私の力になっているわ」

 

彩芽がそう言うと、茶々丸は力なくだが笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

葛葉の部屋で見つけた手記や手紙、それから必要なものを全てトランクに詰めた後、彩芽は重い腰を上げた。

出来ればこのままイギリスへ行ってしまいたいが、そうもいかない。

渋々とだが、説明もなくイギリスへ渡った事へのお詫びや、向こうの学校へ入学した事の報告。

現在一時的に屋敷に戻っており、一度会って説明したい旨を手紙に書いた。

それを茶々丸に頼み、本家に持って行ってもらう。

 

屋敷の中には結界が張られているため、誰にも気づかれずに術を使うことが出来るが、外ではそうもいかない。

術でも使おうものならすぐさま検知されてしまうだろう。

彩芽は『母親に似て陰陽師の才能は受け継いでいない』という事になっているので、術で送るわけにもいかない。

 

あの雰囲気の悪い場所に茶々丸を1人で行かせてしまった事に、彩芽は少し後悔した。

日数はかかるが、やはり郵便にすれば良かったか……。

けれど普通に郵便で届けると、大叔父の手に渡らない可能性もある。

考えていた彩芽の耳に、門を開ける音が聞こえる。

帰って来たと腰を浮かした彩芽は、茶々丸の側にある気配に動きを止めた。

 

「彩芽様ッ!!あの、あの……!」

 

駆け込んできた茶々丸の尻にはふさふさの尻尾。

そのさらに後ろには、厳めしい顔の大叔父の姿。

 

「お手紙をお渡ししましたら、そこで待てと言われて……そうしましたら、ご一緒に屋敷に来ると……」

 

言いながら、茶々丸は部屋の隅へと姿を隠す。

大叔父はそれを見て、フンと鼻を鳴らした。

 

「珍しく連絡して来たと思えば、あんな毛玉を寄こしよって」

 

侮蔑も露わにそう言い捨て、そのままの目で彩芽を見下ろす。

 

「随分と勝手な行動をしているようだな?外国の学校に入学などと……我が一族の名誉に係わる事だぞ」

 

「申し訳ありません、大叔父様」

 

彩芽は内心の感情を一切見せず、淡々と頭を下げた。

 

「葛葉の事もだ。もっとも、連絡もなしに葬儀が進んだのは、葛葉の意向だとは聞いているが……その学校の事もそうなのか?」

 

葛葉が息を引き取った後、彩芽が最初にした事は、あらかじめ指定されていた業者に連絡する事だった。

普通であれば色々とある手筈がすっ飛ばされて、あっという間に遺骨として骨壺を手にしたあの早さ。

大叔父達が葛葉の死を知って駆け付けた時には、すでに体は焼かれた後だった。

どうして先に本家に連絡がなかったのかと、かなり問い詰められたが、葛葉が用意していた遺書にその事が書かれていたため、最終的には不問となった。

 

「はい。私を入学させるよう、あちらの学校に連絡がいっていたようです」

 

「なるほど」

 

彩芽の言葉に、大叔父は頷く。

 

「つまり、未だお前はあの愚妹の人形というわけか。それで、お前はその学校で一体何をしている?葛葉に何を指示された?」

 

威圧的に尋ねられるが、彩芽は平然とただ見返して答えた。

 

「特には何も。私も、入学の件は寝耳に水でした」

 

「だが、葛葉が手筈をした事は確かで、お前は何の疑問も持たずに入学をしたのだろう」

 

眉間に皺を寄せ、大叔父は彩芽を睨む。

 

「であれば、やはりお前が外国の学校などに入ったのには何か理由があるな。葛葉の言う事には唯々諾々なお前だ、自分で意図しなくとも、葛葉の思惑通りに動いているはずだ」

 

なかなか鋭いと、彩芽は内心感心した。

もっとも、大叔父が危惧するような陰陽寮や一族に関係する事は何もないのだが。

実の父親を殺すために入学したと言ったら、大叔父はどう思うだろうか。

頭の片隅を過ぎった考えに、彩芽は内心で笑った。

恐らくは信じないだろうし、信じたところでどうも思わないだろう。

 

「とにかく、不用意な行動は慎め。お前の母親の様に、死にたくなければな。本来なら今すぐ辞めろと言いたいところだが……イギリスの奴らに妙に勘ぐられるのも面倒だ。それに、お前はこちらの学校には通えない事だしな……」

 

大叔父は言って、屋敷を見回す。

 

「それにしても、向こうに行っていたにしては、手入れは悪くないようだ。式神はもういないはずだが?」

 

「茶々丸が留守を」

 

彩芽が目を向けると、大叔父も部屋の隅を見た。

物陰に頭を突っ込み、尻尾がはみ出た状態で隠れている。

 

「化け狸か……妙なものには好かれる体質の様だ。まあ、狸ならエサで釣れる。力のないお前には丁度いいのだろう」

 

彩芽は黙って大叔父を見つめる。

 

「フン、相変わらず気味の悪い。力は無くとも、葛葉の遺伝子は受け継いでいるのだ。どれだけ不純物が混ざっていようとも、お前には子供を産んでもらわねば困る。それも陰陽師との子供をな。……それだけは覚えておけ」

 

言いたい事は言い終えたのか、大叔父はそのまま踵を返す。

彩芽は黙って玄関まで行き、丁重に見送った。

 

 

 

「ちゃんと塩は撒いたか?」

 

大叔父が帰ってしばらくしてから、ようやく氷炎が顔を出す。

陰陽師としての力はない、という事になっている彩芽に、氷炎の様な式神がいるのはおかしい。

今までは葛葉が使役しているという事で繕っていたが、今はもうその言い訳は通じない。

それが分かっている氷炎は、いち早く庭から林へと逃げ込んでいたようだ。

 

「撒かなくていい。塩がもったいない」

 

彩芽はバッサリそう言って、未だ隅っこから出てこない茶々丸を抱き上げた。

人型ではなく毛玉と化した茶々丸を腕に抱き、彩芽は謝る。

 

「怖い思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」

 

「いえ……違うんです。彩芽様は悪くありません」

 

もぞもぞと動いた後、茶々丸は丸めた体を解き、ようやく顔を上げた。

 

「僕が……僕が不甲斐ないばかりに、彩芽様に嫌な思いをさせてしまって……」

 

落ち込んだ様子で、茶々丸はうな垂れる。

 

「僕がもっとしっかりしていれば、彩芽様があんな風に馬鹿にされたりは……」

 

「そりゃ無理な話だろ」

 

氷炎が呆れた様に声を上げた。

 

「成利の奴は元々あんな感じの性格だからな。茶々丸に関係なく彩芽をこき下ろすだろうさ」

 

成利、とは大叔父の事だ。

この辺りを縄張りにする妖怪なら、誰だってこの名前を知っている。

この屋敷は元々、葛葉の両親が所有していた。

かつてここは葛葉が家族で暮らした家であり、そこには成利も含まれる。

陰陽師としての誇りを過度に持ち、力を誇示する若い男。

成人して居を移すまでの間、この辺りの妖怪たちは無差別に蹴散らされていたのだ。

 

対して、その妹である葛葉は色々な意味で寛容だった。

和洋中問わず吸収できるものは無差別に吸収し、人を食らう妖怪であろうとも、気に入れば受け入れた。

代々続く陰陽師の家系に生まれた中では、それは異分子もいいところだったが。

 

価値観の違いから兄妹の仲は悪く、妖怪たちは兄の成利に傷つけられると、妹の葛葉に治療を頼むのがお決まりだった。

 

「あれも面倒臭い部類の人間だからな。もしこれが、もっと高位の、例えば神の化身みたいなやつが行っても、結局何かしら嫌味を言うんだぜ」

 

だから気にするなと言われ、茶々丸はようやく頷いた。

彩芽はホッとして、床に下ろしてやる。

 

「……行かれるのですね?」

 

床に足をついた途端、茶々丸は人の姿に化けて尋ねた。

 

「ええ」

 

彩芽は頷いた。

すでに準備は出来ている。

大叔父と話が終わればすぐに旅立つつもりだった。

 

茶々丸は悲しそうに眉を下げるが、無理に笑顔を作った。

旅立つ彩芽のためにも、気がかりを残してはいけない。

 

「道中、お気をつけて……またお会いできるのを、楽しみにしています」

 

健気な茶々丸の姿に、氷炎はその肩に飛び乗ると、小さく耳打ちをした。

 

「何か企み事?」

 

彩芽の問いに氷炎が「宿題を言いつけたんだよ」と笑い、茶々丸の肩から彩芽の肩へと飛び移る。

 

「きっとろくな事ではないのでしょうね」

 

彩芽はそう零しながら、柔らかい茶々丸の髪を撫でた。

 

「行ってくるわ。留守番をお願いね、茶々丸」

 

 

 



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再びイギリスへ

◇いつも誤字報告ありがとうございます。助かっています。◇


 

茶々丸に見送られ、彩芽は再びイギリスの地を踏む。

夏休み前、列車から日本に帰った方法と同じ転移の術。

日本へ帰れば周囲から気を補い放題だが、こちらでは地道な休息が必要だ。

もっとも、日本で力を蓄えたおかげで、この大技を使ったからといって倒れる事はないが。

 

やや重くなった体で、彩芽は店の戸を開ける。

『漏れ鍋』と書かれた看板。

中は早朝という事もあってか、客の姿は見えない。

 

「おや、こんな早くにどなたかな?」

 

店の奥から現れたのは、この店の主人の様だった。

彩芽は首に氷炎を巻き、荷物を押しながら近づいて、尋ねた。

 

「ここに泊まりたいのだけれど、空きはあるかしら」

 

ダイアゴン横丁はイギリス魔法界の情報を集めるにはもってこいの場所だと言える。

彩芽はホグワーツが始まるまでの期間を、漏れ鍋を拠点に情報収集に徹すると決めていた。

 

まだ新学期まで間があるためか、空きは結構あるようで、彩芽はすんなりと漏れ鍋に泊まる事が出来た。

 

「うへぇ、やっぱ慣れねぇ……」

 

部屋に入り、店主のトムが去った後、氷炎がベッドにぐったりと横たわる。

 

「何でこう、あっちにもこっちにも妙な気配ばっかなんだよ」

 

「そうね、日本にいるより疲れるのは、単に気の流れが悪いだけじゃなくて、この気配のせいもあるのかもしれないわね」

 

荷物を解きながら、彩芽が氷炎に話しかける。

 

「去年も思ったけれど、魔法使いは気配には鈍感の様だから、こんな妙な空間でも平気なんでしょうね」

 

「だよなー、本当あいつら鈍感もいいとこだよなー」

 

ため息を吐いて、氷炎は目を閉じる。

さっきこっちに着いたばかりだというのに、もう日本に帰りたくてたまらない。

彩芽はそんな氷炎の様子を察して苦笑する。

 

「もし、何もかも全部片付いたら、富士山に連れて行ってあげるわ。日の出が見たいのでしょう?」

 

「別に見たいわけじゃねえけど」

 

1年前に交わした会話を思い出し、氷炎は彩芽を見た。

 

死を覚悟していたが、彩芽が失敗した事でこうして生き延びた。

それを喜ぶべきかどうか、氷炎には分からない。

だが、恐らくこれで良かったのだろう。

もっとも、『ヴォルデモート卿を殺す』という主人の目標からは遠のいてしまったが。

 

「ま、連れてってくれるっつーなら断る事もないか。そん時は茶々丸も連れてってやろうぜ」

 

彩芽は頷いた。

全て片付いたら。

 

――そのためにも、やるべき事をやっておかないといけない。

 

 

 

 

翌朝から彩芽は、ダイアゴン横丁の散策を始めた。

9月1日までかなりの期間がある。

何をするにしても、時間はあり余っていた。

 

漏れ鍋のパブには毎日色々な人たちが集まっている。

パブの隅っこに座っているだけで、魔法界の噂や政界に詳しくなれるのだ。

毎日誰かが、今の魔法省についての愚痴を口にし、その日の新聞で一番気になった記事について話し、週刊誌の話題に触れ、そして雑談に花を咲かせる。

 

会話の中にはちょこちょことホグワーツの事も上がった。

今年うちの息子がホグワーツに入学するんですよ、と誰かが言えば、うちの息子はハッフルパフの4年生だと自慢が始まる。

 

話を聞くだけでも、ホグワーツの情報は色々と聞けた。

ダンブルドアは保護者からの信頼が厚いとか、ホグワーツの校医はかなりの腕利きで、生徒がやらかした複雑な呪文による怪我を適切に処置するとか。

そのうちに思い出話が始まり、自分が在籍していた時はこんな無茶をしたという一種の自慢話や、あの時OWL(ふくろう)試験にもっと力を入れて取り組めば、自分は今ごろ……という後悔話、そして、漆黒の魔女の名前が口に上がる。

 

漆黒の魔女、と呼ばれるその女子生徒はグリフィンドール生だった。

当時、悪戯仕掛人と呼ばれる悪ガキ集団も知名度が高かったようだが、この魔女の破天荒さには敵わない、と皆が言う。

話によれば、彼女はホグワーツ城をピンクに染め上げ、湖の大イカの足を一本ゲソ焼きにして食し、クィディッチでは素手でブラッジャーを投げ返し、大広間のクリスマスツリーをドミノ倒しで倒壊させ、ハロウィンの飾りの数百というかぼちゃを爆弾に魔改造し、禁じられた森の奥に別荘を建てたらしい。

補正のかかった思い出話、尾ひれも付いていることだろうと彩芽は思うが、それにしてもとんでもない人物の様だ。

 

彩芽は午前中、泊り客や朝食を食べに来た人達の会話を聞いた後、早めの昼食をとって横丁に繰り出す。

色々な店を見て回り、夕方早めに宿に帰って夕食をとる。

その後、しばらく周りの会話に耳を澄ませてお茶を飲み、そして部屋に戻って寝る。

それがここ数日の彩芽の一日だった。

 

 

 

 

その日も、グリンゴッツ銀行の側の道から、ノクターン横丁という後ろ暗い横丁に行ける、という情報を仕入れた後、彩芽はダイアゴン横丁を歩いていた。

日本と西洋の魔法使いは、呼び名も違えば使う道具も全く違う。

石畳の続く道に、ずらりと並ぶ見慣れない店。

それを一軒一軒見て回る。

初めて目にするそれらは、とても興味深かった。

 

東洋人というのは珍しいのか、彩芽に声をかけてくる人も多い。

 

「気に入ったのがあったかい?良かったら、説明しようか?」

 

とあるお店で、繊細なガラス細工の馬に目を止めた彩芽にそう声をかけてきた店主も、そういう一人の様だった。

見上げた彩芽に笑顔を向け、人の良さそうな店主はその馬を手に取る。

そして彩芽が見やすいように目の高さまで下ろしてくれた。

 

店主の掌で、ガラスの馬はぶるぶるっと首を振り、何度か足踏みしてみせた。

棚に並んでいる時は気付かなかったが、馬の額には透き通った角が生えている。

馬ではなく一角獣……ユニコーンだという事に彩芽は気付いた。

 

「……綺麗」

 

素直な感想が漏れる。

ガラス細工だと思ったが、材質もガラスではないようだ。

これは恐らく……。

 

「水晶を削って造ったユニコーンだよ。棚や机なんかに飾るんだ」

 

店主の言葉に彩芽は頷く。

 

「げぇー、置き物が勝手に動くとか、日本じゃ呪われてる認定されちまうのにこっちじゃそれが普通なのかよ」

 

彩芽の首元で氷炎が嫌そうな声を出す。

確かに、髪の伸びる日本人形や、笑いだすひょっとこのお面。

夜な夜なネジも巻いていないのに徘徊するからくり人形等あまり良いイメージはない。

もっとも本当に呪われている場合もあるが、付喪神がついた場合もあるので、一概には言い切れないが。

 

「水晶なら、高いわね」

 

「うーん、そうだね……誕生日のプレゼントにでも強請ってみたらどうかな?」

 

その言葉に彩芽は首を振る。

 

「自分で買うわ」

 

氷炎は驚いて彩芽を尻尾で叩いた。

 

「この気味悪いの買うつもりかよ!」

 

「予算次第」

 

「予算って、金貨なら腐りそうなほどあったじゃん」

 

氷炎が呆れたように言うが、彩芽はそういう問題ではないと嗜める。

店主が提示した金額は、残念な事に彩芽の思う予算をオーバーしていた。

少し肩を落とした彩芽に、店主がううんと唸る。

 

「もしも、本当に買う気があるならだけど……取り置きしておこうか?お小遣い貯めて、また買いに来たらどうかな?」

 

彩芽は店主を見上げた。

店主は苦笑して、彩芽に手を出すように言う。

差し出した掌にユニコーンの置き物を乗せ、店主は笑った。

 

「もしかして、君のお母さんはナデシコという名前じゃないかい?」

 

問われて、彩芽はゆっくりと瞬きをした後、頷いた。

 

「ああ、やっぱり!その鞄、どこかで見たと思っていたんだよ」

 

店主が指したのは、肩から斜め掛けにするポーチだ。

派手な見た目なので彩芽はあまり気に入っていないのだが、最低限の持ち物を入れるには丁度いい大きさだったのだ。

色は赤で、金糸の縁取り。

フクロウのピンバッチがついている。

 

「僕は昔、ナデシコさんにお世話になってね」

 

嬉しそうに店主は笑った。

 

「もっともナデシコさんの方は、僕の事なんて覚えていないだろうけどね」

 

「おい、こいつの思い出話を長々聞く気はないぞ」

 

氷炎が構えるが、店主はそんな気はなかったらしくあっさりと話を断ち切る。

 

「君さえよかったら、いつでも来てよ。このユニコーンはずっと置いておくから」

 

「なら、いっそタダでくれよケチ」

 

呟く氷炎を軽く叩き、彩芽は頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

ホグワーツにいた時よりも、時間の進みが早いように彩芽は感じていた。

ついこの間8月になったばかりだと思ったが、気付けばすでに1週間が過ぎている。

ダイアゴン横丁を散策するのも飽きてしまって、彩芽は何日か前から漏れ鍋で本ばかり読んでいた。

 

祖母、葛葉の手記。

かつてイギリスに単身渡った際の、日記のようなそれに、彩芽は驚きの連続だった。

 

葛葉がまだ19才の時の話。

葛葉は周りの考えなど気にせず、自由に動き回っていた。

陰陽師とは違う他の流派から教えを受けたり、独自に陰陽術と融合させたり、外国の文化や風習、西洋魔法に興味を持ったり。

今以上に風習に囚われた一族の中で、葛葉は完全に変人扱いだった事だろう。

けれども、葛葉にある陰陽師の才能は確かに大きく、手放すには惜しい。

そんな思惑の中、葛葉は誰にも何も告げず、ある日突然イギリスに渡るのだ。

 

正直、ぶっ飛びすぎている。

頭の固い親戚一同が頭を抱える姿が、ありありと想像できた。

ほんの少し同情の念さえ覚える。

もっとも、撫子の才能は認めながらもその人格を認めない親族達は、葛葉に結婚を迫っていたようなので、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

 

無事にイギリスに到着するまでの経緯もなかなかに面白かったが、その後、イギリス魔法界に足を踏み入れた葛葉の描写に、彩芽はハッとした。

 

『その男は、私を魔法使いたちの集まる場所に案内すると行って、小さなパブへと連れ込んだ。何かされたらその時は、その髭を剃り落してくれると思ったが、男は店の主人に軽く挨拶をすると、そのまま裏戸から庭へと出た。どういうことかと訝しむ私に、男は笑みを浮かべ、懐から木の枝を取り出した。それが杖だと、私はすぐさま分かって身構えていたのだが……男はその杖を何の事はないレンガに向けた。ぶつぶつと呟き、カツカツとレンガを叩く。それには法則性があるように思えたが、その後に起こった出来事に、その順番など頭から消し飛んだ。レンガが勝手に動き、瞬く間にレンガ塀に入り口が現れる。その向こうには賑やかな通りが広がっていた』

 

――ダイアゴン横丁。

間違いないだろう。

葛葉はその後、男の世話になるのだが、この男がどう考えても……。

 

「あの食えないジジイだよな、どう考えても」

 

「おばあ様がアル、と呼ぶ若々しい老人……髭が長い変人魔法使い。甘いものが好き」

 

「あの爺さん、今いくつだよ?」

 

氷炎に軽く「さあ」と答え、彩芽はその後を読み進める。

アルことアルバス・ダンブルドアに連れられ、葛葉は何度もこの横丁を訪れていたようだ。

道でぶつかった高慢ちきな貴族様と乱闘になった件を読み終えて、彩芽は一旦本を閉じた。

 

「そういえば知ってるか?この間、ボージン・アンド・バークスへ行ったんだが……」

 

斜め前の席に座った男が、連れに話すのが聞こえ、彩芽は自然と耳をそばだてた。

 

「ボージン・アンド・バークスっつったら、あのノクターン横丁のか?一体何だってそんなとこへ」

 

「そりゃあ、言えねぇや。でも表に出せねぇもんを売ったり買ったりするなら、あの店が一番よ」

 

「つーことは、やっぱ後ろ暗い理由なんだな?」

 

「へへへ、まあそこは突っ込むなって」

 

誤魔化す様に笑った後、男は店で見た『輝きの手』という道具について話す。

内容はどうという事のない話だったが、彩芽は興味を持った。

ノクターン横丁は、グリンゴッツ銀行の側の脇道から行くことのできる横丁だと、ここに来て数日目に聞いたことがあった。

ダイアゴン横丁が表通りだとしたら、ノクターン横丁は裏通り。

治安の不安はあるが、その分ダイアゴン横丁よりも面白いものが見られるかもしれない。

彩芽は席を立つ。

 

「行くのか?」

 

諦めの混じった声で、氷炎が聞いた。

 

「行くわ。おばあ様の手記にもノクターン横丁らしき描写があった」

 

頷いて、彩芽は手記を部屋に置きに行き、宿を出た。

 

 

 

 



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ノクターン横丁

◇ようやく主要な人たちとの絡みです。年度末年度初めは休日出勤と残業が多くなる時期なので、次回は少し開きます……。◇


 

一旦グリンゴッツ銀行まで行き、脇道を探すとすぐにそれは見つかった。

グリンゴッツから少しだけ離れた細い路地。

進めば進むほど、どんどん薄暗さが増していく。

同時に、暗がりからの視線が彩芽に絡みついていった。

狭い石の壁がまるで迷路のように入り組む道を、彩芽と氷炎は奥へ奥へと進んで行った。

それにつれて、視線の数も増えていく。

 

「なあ、彩芽、この先の横丁って絶対ろくな場所じゃないと思うぞ」

 

首に巻きついた氷炎が身を固くする。

緊張が伝わり、彩芽は軽くその体を撫でた。

 

「ろくな場所じゃないっていうのは、そうでしょうね。けど、だからこそ見ておく価値があると思う」

 

これから相手にする父親は、こちら側の人物だ。

害のない、綺麗で平和な道具ではなく、悪意や害をなす道具を使用する人間。

 

「今年で決着がつくならともかく……長引くならあの人の支持者も出てくるだろうし。そうなればこのあたりに売っているものが使われても不思議じゃない」

 

「長引かなきゃいいよな」

 

「もちろん、機会があれば逃さない」

 

彩芽ははっきりと頷く。

去年の失敗は重い。

長期戦になってしまう可能性が高くなってしまった。

けれど全く無駄ではなかったとも思う。

少なくとも、自分を見誤る事はもうないだろう。

 

ノクターン横丁と書かれた煤けた看板を掲げる店を横目に奥へ奥へと進んで行くと、噂のボージン・アンド・バークスを見つけた。

暗い通りに並んでいる店の中でも、この店が1番大きい。

どんな人相の悪い人物が待ち構えているかとドアを開けて入る彩芽だったが、ベルの音が響く以外、埃っぽく薄暗い店内には誰もいない。

……いや、気配はするが姿はない。

彩芽は少し迷ったが、気付かないふりをする。

並べられた商品はダイアゴン横丁のキラキラ明るい雰囲気のものとは違い、怪しげな雰囲気を纏っていた。

ぎょろ目の義眼、血の付いたトランプ、そして……クッションに乗った萎びた手。

宿で聞いた『輝きの手』とはこれの事らしい。

ろうそくを差し込んで持つと、自分にだけ暗闇の中でも明かりが灯っている様に周りが見えると言っていた。

 

「つーか、それって暗視スコープみたいなもんだろ?」

 

氷炎が身も蓋もない言い方をして、彩芽は肩をすくめた。

 

「科学で再現できない『不可能』を魔法の魅力だとするなら……この萎びた手は冴えないわね」

 

もっとも、魔法界では暗視スコープは使用できないので、代用品としては有用なのだろうが。

いかついお面や、呪われているとの説明書きが付いたネックレス。

物々しい拷問具、汚れた髑髏、それから……。

1度履いたら死ぬまで踊り狂う靴というのを見つけて、彩芽は目を止める。

残念な事に、色は茶色だった。

 

「珍しい客もあったもんだ」

 

店内を見て回る彩芽に、ようやく店の奥から猫背の男が現れて声をかけてきた。

子供がたった1人でいるせいか、訝し気に彩芽を見る。

 

「どこの子だね?」

 

じろじろと観察しながら、恐らく店主のボージンと思われる男は、彩芽のすぐ側までやって来た。

答えない彩芽にさらに疑わしげな目を向けて、ボージンは店の外へ目を向ける。

 

「ふん、大方ダイアゴン横丁から迷い込んできたんだろ、え?ここはお前の様なやつが来るところじゃない」

 

威圧するように、ボージンは身を屈めて小さな彩芽に覆いかぶさるように顔を近づける。

 

「この店を出たら、外で連中が待ち構えてる。爪を剥ぎ、皮膚を剥ぎ、目ン球をくり抜く……売れるもんは全部奪おうって連中さ。もっとも、お前なら丸ごとセットの方が売れるかもしれねぇなぁ」

 

ひひっと笑い、ボージンは彩芽の長い髪に触れようとする。

だが、その手は氷炎の尻尾に思い切り叩き落とされた。

 

「痛ッ、こいつ……!」

 

ボージンが怒って拳を振り上げる。

だが、振り下ろされるより早く、店の扉が開き2人の人間が入って来た。

 

「……ボージン君、これは一体?」

 

一瞬足を止め、背の高い、プラチナブロンドをオールバックにした男が眉をひそめて尋ねる。

その男の側に立ってこちらを見ているのは、彩芽も知っている人物だ。

 

「ミナヅキ……」

 

驚いた様子で呟くドラコ・マルフォイ。

オールバック、顔の形、瞳の色もそっくりなところからして、親子なのだろう。

 

「これは……マルフォイ様」

 

怒りの表情から、一転へらりとした愛想笑いに変え、ボージンはそろりと拳を下ろした。

 

「ダイアゴン横丁から迷い込んだ小娘を、ちょっとばかしからかっていただけでして……」

 

誤魔化す様に笑うボージンから彩芽に視線を移し、ドラコの父親は息子を振り返る。

 

「知り合いか?ドラコ」

 

尋ねられたドラコは、その声にハッとして父親を見上げた。

 

「……別に、同じ学年というだけで知り合いってほどじゃない」

 

「さっき、ミナヅキと聞こえたが?」

 

「そいつの名前さ」

 

素っ気なく答えた息子から、再び視線を彩芽に移す。

黒髪、黒目の『ミナヅキ』ときて。

ドラコの父親の脳裏に蘇るものがあった。

 

「ナデシコ・ミナヅキの娘か」

 

彩芽は静かに相手を見て頷く。

 

「水無月彩芽。母は撫子。それで、貴方は?」

 

「ルシウス・マルフォイ。ドラコの父だ」

 

尊大な態度は、どこか大叔父を思い出させる。

好きになれそうにないと、彩芽はルシウスを見て思った。

そう思うのは、彼から感じるこの忌まわしい気のせいだろうか?

いや……だが、この気は彼のものというよりは……。

 

「ボージン君、彼女は私の知り合いの子供だ。大目に見てやってくれないか」

 

「ええ、ええ。マルフォイ様の頼みでしたら」

 

ボージンが答える。

何をどう大目に見るのか。

不愉快な気分で、彩芽は息を吐いて声を上げた。

 

「わざわざ頼んでいただく必要はありません、ミスター・マルフォイ。私は自分の意思でこの店に来たので」

 

「……ほう?」

 

ルシウスは彩芽を見てくつくつと笑う。

 

「なるほど。まさしく、ミナヅキの娘だ」

 

その笑う姿に、彩芽は戸惑った。

おかしそうに笑うその姿は、大叔父とは全く重ならない。

そこでようやく、彩芽はルシウスが大叔父ではないという当たり前の事実に気付いた。

 

「用事を済ませるまでそこでドラコと待っていたまえ。大通りまで送って差し上げよう。ドラコ、決して触るのではないぞ」

 

言い終えて、ルシウスはボージンとカウンターへと歩いて行った。

従う義理はなかったが、思い込みで決めつけてしまった事にほんの少し自己嫌悪に陥った彩芽は、そのまま待つことにした。

 

「おい、どうしてお前がこんなところにいるんだ。今日はハリー・ポッターと一緒じゃないのか?」

 

店の端っこで、ドラコが声を抑えて尋ねた。

彩芽はチラリと奥のキャビネット棚を見て、ドラコを見た。

 

「さっきも言ったわ。私はここに来たくて来た。あと、ハリーはもう、私とは会いたくないでしょうね」

 

ドラコは首を捻ったが、彩芽はそれ以上口を開かなかった。

 

 

 

ルシウスはボージンとまだ話をしていた。

聞こえる内容から、何か危ない物を売りに来たようだ。

アーサー・ウィーズリーの名前が出て、彩芽は間違いなくロンの家族の名前だろうと考えた。

ドラコは彩芽が話をする気がないと察したのと、目の前に並ぶ商品の数々に気を取られたのか、陳列する商品を眺めるのに必死になっている。

 

「あれを買ってくれる?」

 

ドラコが足を止め、商談中の2人の会話を遮ってある商品を指さした。

『輝きの手』だ。

 

「趣味悪っ」

 

氷炎が呟き、彩芽は無表情のまま完璧に笑いをこらえた。

 

「泥棒、強盗には最高」と説明したボージンに、シリウスは冷ややかな視線を送り、ドラコにも厳しい目を向けた。

 

「もっとも、このまま成績が上がらないようであれば、行きつく先はそんなところだろうな」

 

「僕の責任じゃない」

 

ドラコがそれに言い返す。

 

「先生がみんな贔屓するんだ。あのハーマイオニー・グレンジャーが……」

 

「私はむしろ、魔法の家系でも何でもない小娘に全科目で負けているお前が恥じ入ってしかるべきだと思うが」

 

「……っ」

 

ドラコは顔を真っ赤にして押し黙る。

逆に彩芽は口を開いた。

 

「ハーマイオニーの成績は、努力の結果。貴方もくだらない愚痴を言う暇があれば、勉強すればどうかしら」

 

「黙れ」

 

ドラコはふいと顔を背け、商品を見ながら彩芽と距離をとる。

そしてどんどん、奥のキャビネット棚に近づいて行った。

オパールのネックレスから、キャビネットに向いた瞬間、彩芽がドラコに声をかけた。

 

「ところで、占いは当たった?」

 

キャビネットから背後の彩芽に向き直り、ドラコはぴくぴくと口元を動かした。

 

「あの占いはインチキだろう?一体、どうやって僕を罠にはめたんだ」

 

1年前、列車の中で交わした会話を思い出し、ドラコは詰め寄る。

 

「お前のせいで、僕は入学初日からずぶ濡れになったんだぞ」

 

「そう、じゃあ占いは当たったのね」

 

彩芽はそれにしらっと答え、そしてドラコの額に目を向けた。

瞬間「将来、禿げる」と言った彩芽の声が耳に蘇り、ドラコは腹立たしさに顔を赤くした。

 

「ドラコ、行くぞ!」

 

ルシウスの声に、ドラコがパッと顔を上げる。

慌てて父親の後を追うドラコから目を離し、彩芽はキャビネット棚を見た。

向こうもこちらを見ているのが感じられる。

その目は、どんな感情を宿しているのだろうか。

考えて、彩芽は目を伏せた。

 

「どうかしたのかね?」

 

入り口で呼ぶルシウスの声に、彩芽は首を振った。

 

「いえ、なんでも」

 

そのまま店の外へ足を向け、マルフォイ親子と共にボージンアンドバークスを後にする。

その足は、酷く重いように感じた。

 

店を出た瞬間、再び絡みつく視線。

だが、その視線は悪意から好奇に変わっている様に彩芽は思えた。

 

「……さて、私と息子は新学期の準備に来たんだが、君もそうなのかね?」

 

歩きはじめたルシウスが、彩芽に話しかける。

ドラコは何故父親が彩芽をそこまで気にするのかと不思議に思うが、口を挟むことは出来なかった。

 

「いいえ、ただの散歩です。新学期の準備はまだですが、新学期まで漏れ鍋に滞在する予定ですので」

 

「ふむ……では、今日一緒に準備をするのはどうかな?教科書も数が多ければ重いだろう。今年は、特にね……。荷物持ちくらいは出来ると思うが、いかがかな?」

 

「遠慮します」

 

即答。

体を震わせ笑いを堪える氷炎。

ドラコは彩芽を睨むように見たが、当のルシウスは楽し気に目を細めた。

 

「なるほど……」

 

何がなるほどなのかと見上げる彩芽に、ルシウスは顎に手を添えて何やら思案する。

 

「では、ただのショッピングならばどうかね?ノクターン横丁に良い店をいくつか知っている。会員でなければ入れない特別な店に連れて行ってあげよう」

 

「父上!」

 

ドラコはたまらず声を上げた。

父親が言っている店はドラコも知っている。

だが、今まで連れて行ってもらった事は一度だってない。

 

「もちろん、息子の新学期の準備がある。それに付き合ってもらった後で……という事になるが……」

 

ドラコの言葉を無視し、ルシウスが続ける。

彩芽は、しばしの間の後、頷いた。

 

「――その条件ならば」

 

ドラコは不満げに顔を歪め、ルシウスは満足げに頷いた。

 

 

 

 

 

 

「ああ、空気が美味い。魔法界は歪んだ空間ばっかで気持ち悪いけど、ああいう淀んだ上に歪んだ空間よりはマシだよ」

 

ノクターン横丁からダイアゴン横丁に戻ってきた瞬間、耳元で氷炎がため息混じりに吐き出した。

彩芽も、まとわりつく視線がようやく消えた事に内心喜んでいた。

いくら害はないとはいえ、やはりいい気分はしないものだ。

 

「さて……どこから手を付けるべきか……」

 

「父上っ、競技用の箒を買ってくれるんでしょう?」

 

ルシウスの呟きに、ドラコがここぞとばかりに声を上げる。

競技用の箒……というのは、クィディッチのものだろう。

選手でもないドラコに必要なのかはさておき、彩芽はそれを買いに行くのに付き合うのは気乗りしなかった。

ルシウスは彩芽のその無反応に、君はクィディッチは好きかね、と尋ねた。

 

「ホグワーツ生なら皆、クィディッチ用品を買いに行くとなれば心を躍らすものだが……」

 

「私には、いまだにあの競技の良さが分からないので」

 

冷めた彩芽の口調に「お前、正気か」と言わんばかりのドラコの顔。

 

「ルールは知っているな」

 

「……ええ」

 

急なルシウスの質問に、彩芽は頷く。

ドラコも、一体何かと見上げた。

 

「なら早い。アヤメ、クィディッチで1番素晴らしい……重要なポジションはどこだと考えるかね?」

 

「もちろん、シーカーだ!」

 

彩芽ではなく、ドラコが当たり前だという様に答える。

ルシウスは息子に目を向けた後、彩芽を見た。

答えを待っているのだと分かり、彩芽は考えて答える。

 

「……チェイサー」

 

彩芽の答えに、ドラコはバカか、と言いたげに鼻を鳴らした。

が、ルシウスは逆にその答えがお気に召したようだった。

 

「何故かね?」

 

「もし、試合開始と同時にシーカーがスニッチを取れれば、もちろん勝つ。そう言う意味では、シーカーは重要でしょう。けれど……」

 

スニッチで得られる得点は150点。

大量得点ではあるが、例えばその時、160点差で負けていたら、スニッチを捕まえたところで10点差で負ける。

 

「スニッチが見つからない試合の場合……それまでの得点差によってはシーカーは意味をなさなくなる」

 

「ならば、得点差が生まれない様、キーパーがゴールを守るというのはどうかね?」

 

相手チームが無得点なら、こちらの得点があろうがなかろうが、スニッチを掴んだら勝ちだ。

ルシウスの言葉に彩芽は頷く。

確かに、それでも勝てる。

 

「だが、結局はチームのシーカーがスニッチを掴まなきゃ試合は決まらない。やっぱり重要なのはシーカーさ」

 

ドラコがふんぞり返る。

ルシウスも頷き、息子を肯定した。

 

「どうあがいても、ルール的にシーカーが花形であるのは間違いない。が……アヤメ、君は何故チェイサーと?」

 

「確かにシーカーは重要でしょう。ですが、試合開始直後から、スニッチがどこにあるのか把握できている試合など聞いた事がない。つまり、試合開始時、シーカーは動きません。そしてキーパー……これもゴールを守るという立場上、敵がボールを投げてくるまで動きません。ビーターも、ブラッジャーが味方を襲うまで動きませんし、基本的に得点には絡みません。試合が始まってすぐに動くのはチェイサーだけです」

 

彩芽は巧妙に罠を張り、獲物がかかるのをじっくりと待つタイプだ。

……だが、これがゲームになると人が変わった様に一転して攻めの体勢になる。

そう、実戦においては安全性や有効性を考慮するからそうなるだけで、本来は待つだの守るだの、そういうまだるっこしい戦法は好みではなかった。

 

「ゆえに、試合開始直後から猛攻撃して得点を重ね、スニッチなど関係なく試合の形勢を確固としてしまえばいい。相手のシーカーが例え負けていてもスニッチを掴む判断をするほどに」

 

単純な勝ち負けだけならそれは自爆だが……クィディッチはリーグ戦である。

その試合の勝ち負け以上に、得点差というものも重要になって来るのだ。

リーグの状況いかんでは、試合に負けるよりも点差を開かせない方が重要な時もある。

 

「そして、チェイサーが優秀ならば、相手チームのシーカーはさぞ焦る事でしょう。150の点差が開く前に、なんとしてもスニッチを掴まなければならない。そういう焦りは、ミスに繋がる。捕まえられるものも、捕まえられなくなるかもしれない」

 

淡々と続ける彩芽に、ドラコは眉をひそめ、ルシウスは笑みを深くする。

 

「君の母、ナデシコはクィディッチの選手だった。……優秀なチェイサーだったよ」

 

「…………」

 

ルシウスの言葉に、彩芽はただ相手を見返した。

クィディッチの選手だったというのは聞いた事があった。

だが、チェイサーだったというのは初耳だ。

 

「ナデシコに昔聞いた事がある。何故チェイサーなのかと。彼女の実力なら、当時のグリフィンドールのシーカーを蹴落とし、自分がシーカーに納まる事も可能だった」

 

ルシウスの賛辞に、彩芽は内心首を傾げた。

初対面時にも思ったが、ルシウスはあのドラコの父親だ。

当然スリザリン出身であろうし、グリフィンドールとは仲が悪いはずだ。

ドラコも不思議そうに自分の父親を見上げているところからして、それは確かだろう。

 

「彼女は私にこう言ったよ。『150点しか得点できないシーカーなんかやっても意味がない』と。そしてその言葉通り、彼女は恐ろしいほど得点した。そう、まさにさっき君が言った戦法だよ、アヤメ。敵は戦意を削がれ、スニッチを見つける前に絶望を叩きつけられた訳だ」

 

クククっと笑うルシウス。

 

「やはり、君はナデシコの娘だな」

 

 




◇スニッチキャッチで150点は多過ぎないかといつも思うのですが、実際のところどうなのか。ハリポタ読むと、チェイサーの得点がそんなに多くない気がするのでそう思うものの、クィディッチ試合の平均的にはもっとチェイサーの得点は多いのかな?◇


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マルフォイ親子とウィーズリー親子

 

 

信じがたい事だが、母の撫子とルシウス・マルフォイは学生時代に交流があり、そしてそれはかなり友好的なものであったらしい。

彩芽は興奮して父親に様々なものを強請るドラコを横目に、そう結論付けた。

まあ、セブルス・スネイプが自分の名付け親なのだ。

今さらスリザリン生と交流があった事を驚くのもおかしな話だった。

それに、祖父はスリザリン出身だ。

 

クィディッチの専門店の中は箒だけではなく、クィディッチに関する様々なものが売られていた。

そして店内にいる客のほとんどは酷く興奮している。

彩芽はそっと、店内の端の方へ移動して出来るだけ人混みから距離を取る。

ガチャガチャと鎖を千切らんと暴れるブラッジャーや、美しく光を反射する金のスニッチと比べ、このただ赤いクアッフルの並んだコーナーは空いていた。

 

ふと知った気配を感じて目をやると、表通りに面したショーウィンドウのガラスにロンがへばりついているのが見えた。

だが次の瞬間、引きずられるようにして消えてしまう。

ガラス越しにチラリと見えた後ろ姿は、ハーマイオニーのものだった。

 

「……きちんと話してみたらどうだ、彩芽。お前が『お父様』をどう思っているのか、どうしたいと思っているのか。あいつらの事を、どう思っているのか……」

 

氷炎が珍しく真剣な声音でそう助言するが、彩芽は微かに首を振ってそれを拒んだ。

 

「ここにいたのか」

 

しばらくの間、赤く丸いボールを無言で眺めていると、ドラコが探したぞと近寄って来た。

 

「父上が待っている。行くぞミナヅキ」

 

前を歩くドラコについて歩きながら、彩芽はどうして自分はドラコ・マルフォイなどと歩いているのだろうかと気分が沈んだ。

胸に不愉快な感情がモヤモヤと渦巻く。

 

駄目だ、冷静にならなければ。

心を閉ざし、無いように振舞う。

冷静に平静に……凪いだ海より静かに、死んだ湖のごとく。

 

彩芽の黒い目が、暗さを増す。

首に巻き付きながら、氷炎は主人の気が一切の揺らぎを消していくのを感じ取っていた。

一年をかけて姿を現し始めていた彩芽の感情が、再び水底へと沈んでいく。

それを止めることが出来ない氷炎は、ただその頬に鼻をすり寄せるしかできなかった。

 

 

 

 

 

フローリシュ・アンド・ブロッツ書店。

昨年はここへハリーとハグリッドの2人と来た事を彩芽は思い出す。

だが、心を閉ざした今、それについて何かを思う事はない。

 

「何だ?妙に混んでる……」

 

隣のドラコが呟いて、彩芽は書店の賑わいを眺める。

入り口の外まであふれかえった客層のほとんどは中年女性だった。

 

「原因はこれだろうな」

 

ルシウスの言葉に、ドラコと彩芽が目を向ける。

そこには大きな垂れ幕に『サイン会』と告知が書かれていた。

ギルデロイ・ロックハートという名前には見覚えがある。

今から購入予定の今年の教科書の著者だ。

人だかりのすぐ隣のポスターの写真、波うつ明るい金の髪をした男が、澄んだ青い瞳を片方閉じてウインクする。

その仕草に、並んでいた女性の1人がうっとりとした表情でため息を吐いた。

 

「ああ、知っている。おばさんに人気があるんだろ、僕には理解不能だけれどね」

 

ロックハートの名前に、ドラコが馬鹿らしいと言いたげにそう言った。

ルシウスも不愉快そうに眉をしかめていて、彩芽はこの著者がマルフォイ親子に好かれていない事を知る。

 

「丁度サイン会と時間が被っている様だ、少しずらして……――」

 

言いかけたルシウスの言葉が途中で止まる。

何かを見つけたらしいが、彩芽には人混みと視線の高さが違うせいで何を見つけたのかまで分からない。

ただ、意識を凝らすと人混みの中にハリー達の気配を感じる。

あまりに人が多いため正確な事は分からないが……。

 

「父上?」

 

ドラコがルシウスを見上げた。

その瞬間、大きく張り上げた声とカメラのフラッシュ音が書店の中から響いた。

 

「ご紹介しましょう、ハリー・ポッターです!」

 

「あの目立ちたがり屋の傷ものめ……」

 

ドラコが人だかりで見えない書店へそう吐き捨てる。

ここから中は見えないが、何が起きているのかは容易に想像がつく。

ハリー・ポッターは有名人だ。

本人の意思とは関係なく目立つ存在。

それに妬みや嫉みを向ける人間も少なからずいる。

そう、ドラコのように。

 

「行くぞ」

 

ルシウスがそう言って場所を移動する。

この人混みの中を入って行くのは嫌だったが、仕方がない。

ついて行くドラコの後ろを歩きながら、彩芽は熱気こもった書店へと渋々足を入れた。

 

人を押しのけ、押されながら。

中心に近付くにつれ、書店内に響くギルデロイ・ロックハートのものだろう気取った声が鮮明になる。

高くもなく、低くもなく、ざらついたところのない質のいい声だが、残念なことに鼻につく喋り方だ。

もう少し落ち着いた喋り方と、自己顕示欲を抑える方法を身に着ければ、人心を掌握するのに最適な語り手となれる可能性があるのに、と彩芽は思った。

現に、この程度の話術でもこれだけの人間を集められるのだ。

ただ見てくれが良いだけでは、これだけの人の心を掴むことは出来ない。

 

今年のホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』の教師として選ばれた、という言葉にドラコは呻き声を上げた。

ルシウスはそんな息子に目もくれず、一直線に歩を進める。

何を目指しているのだろうと思う彩芽の視界に、大きな鍋を手に持った赤い髪の少女が映った。

どこかで見た事があるような既視感を覚えた瞬間、その少女の前に本を抱えたハリーが前のめりに人混みから飛び出してきた。

 

「これ、君にあげるよ」

 

ハリーは抱えていた本を少女の大鍋に突っ込むと、もみくちゃにされてズレた眼鏡をかけ直した。

 

「やあ、気分はどうだい。有名人は大変だな、ポッター?」

 

ドラコが嫌味を込めて声をかける。

ハリーは嫌な顔で、目の前に立つ金髪の気取った少年を睨んだ。

 

「ハリーは有名人であることを自慢したことはないわ!失礼よ、あなた!」

 

赤毛の少女がハリーを庇う様に声を上げる。

それを見たドラコは揶揄うネタが増えたと嫌味な笑みを口元に浮かべた。

 

「ポッター、新しい彼女が出来たって訳か?お似合いじゃないか!」

 

少女は顔を真っ赤にして口を閉ざす。

ハリーが何か言い返そうとしたが、その時人混みからハーマイオニーとロンが本を抱えてやって来た。

ハリーが誰と対峙しているのかに気付くと、ロンはギュッと眉をしかめた。

 

「マルフォイ……なんでこいつがここにいるんだ」

 

「ハッ、ウィーズリー、それはこっちのセリフだね。君こそどうしてここにいるんだい?今年の教科書を揃えるために、君の家は今ごろ総出で内職をしていると思ったよ」

 

ロンの顔が真っ赤に染まり、ハーマイオニーは侮蔑も露わに顔をしかめた。

 

「ああ、それとも今日から食事を絶つのかい?新学期、ホグワーツの食卓につくまで命があればいいけれどねぇ」

 

「なんだとマルフォイ!」

 

ロンも赤毛の少女の鍋に本を突っ込むと、薄ら笑いを浮かべるドラコに殴りかかろうとした。

その服をハーマイオニーが掴み、ハリーも腕を掴んで止める。

いくら腹が立っても、ここでドラコを殴るのは得策でないことくらい分かっていた。

 

「なんだ、一体……どうしたんだ?」

 

険悪な雰囲気に割って入って来たのは、頭部が大分と寂しい男性だった。

ただし、残った毛は鮮やかに赤い。

腹を立てているロンとそれを取り押さえているハリーとハーマイオニー。

そしてその向かいに彼の父親にそっくりの金髪の少年……ドラコ・マルフォイがいるのを見て、赤毛の男性は眉をしかめた。

 

「これはこれは、アーサー・ウィーズリー。奇遇だね、君も子供の新学期の準備かな?」

 

見計らったように、ルシウスが赤毛の男の肩を叩く。

 

「ルシウス……ああ、奇遇だね」

 

アーサー・ウィーズリーと呼ばれたその男は、ルシウスを硬い表情で見やった。

 

「ああ、アーサー。顔色が悪いんじゃないか?最近、役所は忙しいらしいじゃないか。あんなにも抜き打ち調査をして……ろくに休みも取れていないのでは?」

 

「ご心配どうも」

 

言葉少なに答えるアーサーと対照的に、ルシウスは余裕の表情で側にいた赤毛の少女に近付いた。

そして少女の持つ鍋から本を漁る。

 

「ちゃんと残業代は出ているのか?もっとも、この様子ではタダ働きの様だが……」

 

ルシウスが鍋からつかみ出したのは、遠目からでも擦り切れてボロボロなのが分かる本だった。

表紙は『変身術入門』……古本で売られていた教科書だ。

 

「労働に見合う対価を貰えていないのでは、魔法使いとしての恥を晒すかいがないというもの」

 

「ルシウス、何が魔法使いにとっての恥なのか、君とは意見が相違するようだ」

 

薄くなった頭まで真っ赤にして、それでもアーサー・ウィーズリーは平静を保とうと出来るだけ平坦な声でそう言った。

ルシウスはフンと鼻で笑い、心配そうな、不安げな顔で事の成り行きを見守っている夫婦に目を止めた。

魔法使いとそうでないもの……マグルとの違いは生物学上見た目に違いはない。

しかし、独自の文化を築いて来た魔法使いは、マグルとは違う価値観を持っている。

簡単に言えば、ファッションセンスが根本から違った。

 

「まあ、こんな連中と付き合っているようではな……。ウィーズリー家はこれ以上落ちぶれる余地はないと思っていたが甘かったようだ」

 

ひと目でマグルだと見抜いたルシウスが、嘲りの言葉を口にする。

その夫婦はグレンジャー夫妻で、ハーマイオニーの両親。

アーサーはカッと耳が熱くなるのを自覚した。

自分たち家族の侮辱にはなんとか耐えたが、それは見逃すことのできない侮辱だ。

今まで抑えた感情が一気に爆発したのと同じように、一気にルシウスに向かって殴りかかる。

ぶつかった赤毛の少女の手から大鍋が落ち、店内に鈍い鉄が落ちる音がした。

同時に、アーサーに胸ぐらを掴まれたルシウスが背中を本棚に叩きつけられ、棚から本が落ちた。

 

「そこだ、パンチだパパ!」

 

フレッドの応援する声。

 

「何をしてるのあなた!やめて!アーサー!」

 

女性の制止の声。

 

ルシウスもやられっぱなしではない。

本棚に叩きつけられた次の瞬間、アーサーの横っ面に拳を叩き込む。

大人2人の取っ組み合いに、巻き込まれたくないと店の客は距離を取ろうと後退り、他の客とぶつかり小競り合いが起きる。

その混乱がさらに場をカオスなものに変えていた。

 

「氷炎、冷気を」

 

「ああ、うんと冷たいやつを浴びせてやるよ」

 

黙って事の成り行きを静観していた彩芽は、騒動の中心に一歩近づいた。

彩芽が腕を伸ばして、氷炎はその腕に前足を乗せる。

そして、ルシウス・マルフォイとアーサー・ウィーズリーの2人に凍り付くような風を吹きつけた。

凍える風はそのまま店内を駆け抜け、その突然の冷たさに、騒いでいた書店内の人間は全員動きを止める。

 

「……頭は冷えましたか?」

 

一瞬にして吐く息が白くなるほどに凍えた空気の中、酷く冷静で冷たい声が響く。

直接冷気に当たったアーサーとルシウスは、パキパキと頬から薄い氷が落ちるのを感じながら彩芽を見た。

ハリー達も彩芽を見ていた。

いや、書店の全員が目を向けている。

 

「君は……?」

 

寒さで震える声で、アーサーが尋ねた。

それに彩芽が口を開くより早く、ロンがアーサーを背に庇う様に前に出た。

 

「どの面下げて僕達の前に現れたんだ!」

 

「ロン……」

 

ハーマイオニーがロンを止めようと手を上げかける。

その手をハリーは掴んで下げさせた。

 

「ハリーの次は僕のパパを殺すのか?え?この人殺し!」

 

「ロン、言い過ぎだ!」

 

彩芽に怒鳴るロンの言葉を聞いて、ハリーが嗜めた。

 

「一体いつ彩芽が人を殺したって言うんだこの餓鬼が……」

 

未だ、彩芽は誰1人として殺してはいないのだ。

氷炎が殺気を膨らませる。

彩芽が一言、肯定の言葉を発した瞬間にロンの首は飛ぶだろう。

しかし彩芽はそんな氷炎に構わずロンの父親、アーサーを一瞥すると、興味ないと言いたげにルシウスの前に立つ。

 

「用が済んだのであれば、そろそろ案内いただけますか?」

 

「……ああ、そうだったな」

 

ルシウスは立ち上がると、体を叩いて埃を払った。

そして手に持ったままだった『変身術入門』の古本を、苛立たし気に少女の大鍋に突っ込み返す。

 

「おい、こりゃあ一体なんの騒ぎだ……?」

 

騒ぎを聞きつけ、ハグリッドが人混みをかき分けてやって来た。

それを合図に、ルシウスはドラコを連れて書店を出る。

 

「アヤメ、なんであいつらなんかと……」

 

ジョージの呟く声が彩芽の耳に届いた。

しかしその声を振り切るように、足を止めることなく、彩芽はマルフォイ親子を追って出て行った。

 

 

 

 

 




◇ダンブルドアがロックハートを教師にした理由が未だに理解できない。本当にこれしかなかったのなら、魔法界の人材不足が深刻過ぎる。あの授業なら実践のない通信教育の方がまだマシじゃないか。さあ、皆でクイックスペルの『闇の魔術に対する防衛術』コースを受講しよう☆◇


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闇に染まった髪飾り

◇オリジナル要素が多くなってまいりました……◇


 

フローリシュ・アンド・ブロッツ書店を離れて、彩芽とマルフォイ親子は再びノクターン横丁の入り口へと戻って来ていた。

ここに来るまでの間、ドラコはウィーズリー家とハリー、そしてハーマイオニーのことをこき下ろし、父親の体を心配する言葉をずっと口にしていた。

それは心底不愉快な光景だったが、不思議ではない。

彩芽はドラコよりも、ルシウスが気になって仕方なかった。

 

――あの嫌な、悪意に満ちた気配が消えている。

そして……何故か彼は機嫌が良かった。

 

「暴力を振るわれて喜ぶドMか……俺らの気付かない何かがあったのか」

 

氷炎が小さくそう口にする。

さっきのロンの言葉にいまだ機嫌は悪いが、彩芽が気にしないという態度であるため、怒りは抑えたようだった。

 

「くそっ、ウィーズリーめ……貧乏だと頭まで悪くなるみたいだな。父上にあんな事をして、ただですむと思うなよ!」

 

ドラコが憤る声に、ルシウスはまあまあと息子を宥めた。

 

「ドラコ、そう声を荒げる事はない。あんな公衆の面前で私に暴力をふるった事を、彼はすぐに後悔することになるだろう」

 

自信ありげに告げる父親に、ドラコは嬉しそうな誇らしげな顔をする。

彩芽はそれを眺め、冷えた心の底で憐れみを感じた。

 

「さて、待たせたね……それでは行こうか」

 

ルシウスがそう言って、ようやく彩芽を目的の場所へ案内した。

ノクターン横丁の奥まった場所にある、一見何でもない店の入り口。

それは逆に異質であった。

何故なら、ノクターン横丁では怪しげな事が普通であるからだ。

怪しげな雰囲気、おぞまし気な商品、どこか暗く闇を感じる中でポツリとそこだけが浮いていた。

まるでダイアゴン横丁の店を空間ごと切り取って、ここにぽんと置いたかのような……。

その入り口をノックして、ルシウスは待つ。

 

「誰だ」

 

扉の向こうから声がした。

 

「私だ」

 

ルシウスが答えた。

彩芽は視線を感じていたが、その視線は扉の向こうからではなく、天井からだった。

 

「――ようこそ、ルシウス。お連れさんは?」

 

薔薇の飾り彫りが美しい木の扉が開き、中にいた男がそう尋ねながら中に招き入れる。

ルシウスはそれに微笑みながら、息子とその友人だと紹介した。

 

「僕は友人になった覚えはない……」

 

ドラコは小さくそう呟く。

父親がそう言った手前大きく反論は出来ないようだった。

 

「そりゃこっちのセリフだっての」

 

彩芽の代わりに、苛立たし気に氷炎が答える。

通された部屋は高級そうな調度品が並ぶ品の良い部屋だった。

敷かれた深い青の絨毯はふかふかとしていて、少し歩き辛い。

 

「それで、ルシウス……今日は一体なんの要件で?それに、その頬はどうされました」

 

赤みを帯びた左の頬をひと撫でして、ルシウスは少しだけ不機嫌に「魔法族の誇りを持たない人間に少しね」と濁し、勧められたソファへと座る。

ドラコと彩芽も同じ様に座ると、店の男は向かいに座って笑みを浮かべた。

その笑みに、彩芽はダイアゴン横丁のある店の店主を思い出し、ああと納得した。

 

「私の名前はフィリップ・バーク。この店のオーナーです」

 

中肉中背のたまご色の髪をした男は彩芽とドラコにそう挨拶をすると、それで?とルシウスを促す。

 

「今日は購入の予定はないのだが……彼女に、この店の商品を見せてあげて欲しい」

 

「なるほど、では……少しばかり面白い品がありますので、少々お待ちを」

 

フィリップはにこやかにそう言ってソファから立ち上がり、部屋の隅にある棚から1つの箱を持って来た。

ドラコは興味深そうにその箱を見ている。

 

「……これはつい先日、手に入ったものでして」

 

お互いの間にある大理石のテーブルへ箱を置き、フィリップは芝居がかった様子でゆっくりと箱を開いた。

 

「フェリックス・フェリシス……幸運の液体です」

 

手のひらに乗るほどの小さな箱の中には、ふかふかの綿が詰められていた。

その真ん中に収められていたのは、金色の輝きを放つ液体を湛えた薬瓶。

輝いているのは、テーブルの真上に設置された照明が計算された角度と強さで薬瓶を照らしているからだが、そうだとしても綺麗な薬だった。

 

「ほう、フェリックス・フェリシス?」

 

今日は購入しないと言ったルシウスも、その薬を見て目の色を変えた。

 

「父上、これは?」

 

ドラコが尋ねる。

なにか価値のある薬だという事は伝わるが、具体的にはどういうものなのだろうか。

 

「幸運を呼び寄せる魔法薬ですよ、坊ちゃん」

 

「坊ちゃんは止めろ、僕はドラコ・マルフォイだ」

 

ルシウスの代わりに説明したフィリップの言葉に、不機嫌にそう名乗るドラコ。

フィリップは気にした様子もなく微笑むと、薬瓶をそっと持ち上げた。

 

「この薬を飲めば、幸運がその人物の味方をするのです。何かを成し遂げたいとき、その直前にこれを飲めば、驚くようにスムーズに事が運びます。ただし、その効果ゆえに公式な競技などには禁止されていますが。調合には高度な腕前と時間がかかるため、これが市場に出回る事は稀です」

 

キラキラと光を反射する黄金色の薬。

ルシウスは価格を尋ねるが、たった1回分しかないその薬には、驚くような値段がつけられていた。

その金額に、ルシウスは乗り出し気味だった体を深くソファの背もたれに返す。

物欲しそうな顔をしていたドラコも、父親のその様子に倣った。

 

その他、エルンペントの生首や、生きたスニジェット、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りなどを取り出して見せるフィリップ。

彩芽は、髪飾りを見た瞬間それを凝視した。

黒ずんではいるが、鷲を模ったその髪飾りは細やかな細工がなされている。

磨けば今も美しい髪飾りとして使う事も可能だろう。

……しかし、彩芽の目に留まったのはその物が放つ気配だ。

 

禍々しくも嫌な気配。

先程、ルシウスから感じた気配をもう少し煮詰めたような。

そしてその気配をもっともっと、濃く煮詰めたらどうなるか……彩芽はそれに気付きフィリップを見た。

 

「この髪飾りはいくら?」

 

「なんだミナヅキ、こんな骨董品の髪飾りなんて買ってどうするんだ」

 

ドラコは薄汚れた様に見える黒ずんだ髪飾りを見て言った。

ホグワーツ創始者の1人、ロウェナ・レイブンクローが作ったと言っていたが、ドラコには全く価値のある物には見えない。

 

「ふふ、お嬢様はお目が高い。この髪飾りは、元々ホグワーツに隠されていたもの。それを誰かが学校から持ち出し、持ち主を転々としてここまでやって来たと聞いております」

 

フィリップはそう前置きして、彩芽に金額を提示した。

先程の幸運の液体より高い。

だが、彩芽は迷わなかった。

 

「では、その値段で買い取ります。ただ、今現在ここにお金はない……明日でも構わないかしら?」

 

「ええ、もちろんですとも。よろしければ銀行まで同行いたしましょう」

 

「正気か?」

 

彩芽とフィリップのやり取りを見て、ドラコが驚いて声を上げる。

 

「女が装飾品に興味を示すというのは知っているが、もう少し考えて物を買ったらどうだ?大体、お前はレイブンクローじゃないだろ」

 

自寮と関係深い品物であるならまだしも、ただ気に入ったと購入するには高価過ぎるとドラコは眉をしかめる。

 

「……貴方にとやかく言われる事かしら」

 

冷ややかな彩芽の声に、ドラコは口をつぐむ。

確かに、自分には全くもって関係のない事だ。

ルシウスも彩芽が髪飾りに興味を示したことや、その代金を簡単に支払うと告げた事に驚きはするものの、何も言わなかった。

 

「では、明日グリンゴッツでお会いしましょう」

 

フィリップと待ち合わせの約束をして、彩芽はマルフォイ親子と店を出る。

 

「どうかな、有意義な時間を過ごせてもらえたかな?」

 

ルシウスが問いかけて、彩芽はそれに頷いた。

 

「ええ、……本当に、有意義でした」

 

彩芽はそう言って口の端を上げた。

ドラコはその表情にぞくりと背筋に何かが走る。

そのまま彩芽と別れ、ルシウスとドラコは屋敷まで姿現しをした。

 

「父上……僕はミナヅキが嫌いです」

 

体を離すと、ドラコはルシウスにそう言った。

 

「なぜ父上はあいつを気にするのですか?あいつは、あのハリー・ポッターと仲の良い東洋人です。僕達とは違う……そうですよね?」

 

見上げてそう問いかける息子を見下ろして、ルシウスは笑みを浮かべた。

 

「そうか、ハリー・ポッターとは仲が良いのか……。ドラコ、私はお前にあの娘と仲良くなってもらいたいと考えている」

 

ドラコはどうして、と思う。

あいつは純血の一族ではない。

しかもあのポッターや魔法使いを裏切るウィーズリーと仲が良く、穢れた血であるグレンジャーとも友人だ。

そんな奴と、どうして仲良くなどと……。

 

「ドラコ、今はまだお前には伝えられないが……あの娘には利用価値がある。使いようによっては、今後の私たちの地位はさらに盤石なものになるだろう」

 

ククク、と楽し気に笑う父の姿を見ながら、ドラコはそれでも不安に思う。

父の言葉を疑う訳ではない……が、水無月は危険だとドラコの中で何かが警鐘を鳴らしている。

あの日、ロングボトムをちょっとからかってやったあの日……水無月の目が赤く光った気がした。

気のせいだったのかもしれないが、あの時、心臓を鷲掴みにされたような恐怖に支配されたのだ。

 

――正直に言うと、あの日以来、僕はアヤメ・ミナヅキが怖い。

 

ドラコは震える。

しかし、父親の言葉をはねつける事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、確かに」

 

翌日、約束通りにグリンゴッツ銀行で取引を終え、彩芽はロウェナ・レイブンクローの髪飾りを、フィリップは金貨の詰まった袋をお互いに確認する。

懐に金貨を仕舞うフィリップを見て、彩芽はその前にもう一袋、金貨をぶら下げた。

 

「……アヤメ様?髪飾りは1つしかございませんが」

 

「薬も売ってほしいの。あの金の薬を」

 

「ああ、それは構いませんが……」

 

フィリップは困った様に微笑む。

 

「今ここに持って来ておりません」

 

肩をすくめるフィリップに、彩芽は構わないと頷いた。

 

「そうでしょうね。私はあの完成した薬と、その作成のための材料が欲しい。……揃えられるかしら、その金貨で」

 

フィリップは袋を見た。

そしてそれを手に取り、中を確認する。

 

「1か月もあれば」

 

「送り先は、こちらから指示するわ」

 

「ええ、では揃い次第こちらからまずご連絡いたします」

 

恭しく礼をして、フィリップは人混みの中に去って行った。

 

「良かったのか、前払いで。場所が場所だし、あんま信用ある店って感じじゃなかったぜ」

 

氷炎の言葉に、彩芽は頷く。

 

「持ち逃げするなら、それはそれでいい。この髪飾りは手に入ったのだし。……それに、必要であれば表の店を訪ねればいいわ」

 

あっそ、と氷炎は答えた。

実際に尋ねる事になったら、それは楽しそうだなと少し思って口元がにやける。

彩芽のお金の使い方に、きっと内心首を傾げている事だろう。

 

「……で、どーすんの、その髪飾り」

 

昨晩、氷炎にはこの髪飾りからヴォルデモートの気配がすることを伝えていた。

クィレルにとりついていたヴォルデモートの気配……あれを薄めたような。

そして気付いた、ルシウスから感じた嫌な気配。

あれはもっと薄めたヴォルデモートの気配だ。

薄いといっても、少ししか感じられないとかそういう意味合いではなく。

悪意の濃淡、という意味だ。

それがどういう事なのか、今の彩芽には分からない。

が、この髪飾りが父親が未だ霞のごとく細々とではあっても生き延びている理由に繋がっていると、そう確信があった。

 

「以前あの人の持ち物だった、というような微かな気配ではないわ。むしろ、今ここにいると言った方が近い……」

 

「つまり?」

 

「手元に置き続ける事で最悪、私が乗っ取られる可能性もある。クィリナス・クィレルのように」

 

「そりゃ困るぜ」

 

氷炎が髭をそよがせた。

困ると言いながらその可能性はないと思っている様子だ。

 

「そうね。そうならない様に気を付けましょう」

 

彩芽は髪飾りの入った箱を懐へと仕舞い、ダイアゴン横丁の店へと足を向けた。

 

 

 

 



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新しい出会い

◇ゴールデンウィーク初日に来た親戚が、ハリーポッター読みたいって全巻強奪していきました。次に会うのはいつなんだよ……。◇


 

新学期の始まり。

キングズ・クロス駅に着いた彩芽は、去年同様早々に空いたコンパートメントを占領した。

まだ生徒もまばらなこの状況で、知った気配を探るのは容易だ。

ざっと『見渡した』限りでは、ハリー達の気配はない。

夏休み前、この列車でのやり取りを思い出した彩芽は目を瞑り、深く息を吐いた。

 

「どうした?」

 

「なんでもない」

 

揺らぎかけた気持ちを一瞬で消し去り、淡々と答える彩芽。

昨年同様氷炎を首に巻き、彩芽は本を手にした。

葛葉の手記ではなく、今年使う魔法薬学の教科書だ。

唯一、去年と違うものがあるとすれば、それは彩芽の後頭部。

車窓から入る光を返す銀の鷲の髪飾りがある事。

左右の髪を後ろに回し、頭の後ろで留めてある。

 

「わぁ、アヤメ!久しぶりね!」

 

明るい声に顔を上げると、ラベンダーがピンクのリボンを髪に無数につけた姿で立っていた。

服も可愛らしいフリルの付いたスカートで、そのふわふわした雰囲気に彩芽は懐かしさを感じる。

ついこの間の事なのに、だ。

 

「試験疲れで高熱出して倒れたんでしょう?大変だったわね。でも、アヤメにそんな可愛らしい一面があるだなんて思わなかったわ。ほら、あなたっていつも何にも動じないって雰囲気じゃない?」

 

学年末の例の事件のお蔭で、彩芽は試験が終わった翌日からずっと寮に帰っていなかった。

保健室で寝ていた言い訳も兼ね、彩芽は試験が終わった後気が抜けて、高熱を出して寝込んでいた事になっている。

ラベンダーがそれをからかって笑っていると、列車の連結部から見覚えのある顔が覗いた。

 

「ラベンダー、ここに居たのね?あら、アヤメも一緒なの?」

 

パーバティとその妹のパドマが、姉妹揃ってやって来る。

 

「残念だったわね、年度末のパーティーに参加できなかったなんて」

 

パーバティが彩芽に向かって笑顔を向ける。

 

「凄かったのよ、スリザリンからグリフィンドールが優勝を奪ったんだから!」

 

「それも劇的にね!」

 

ラベンダーがパーバティの言葉に頷く。

パドマはそのやり取りにくすくすと笑った。

 

「確かに、あの演出は良かったわね。あの時のスリザリン生の顔ったらなかったわ」

 

「本当、スネイプの顔ときたらスカッとした!」

 

「どういう事?」

 

その辺りの事情を知らない彩芽が首を傾げると、ハーマイオニーから聞かなかったの?とラベンダーたちが詳しく説明してくれた。

大広間に飾られた銀と深緑の飾り付けが、駆け込みの追加点をもらった金と赤のグリフィンドール色に塗り替えられた話を。

 

「ネビルの最後のダメだし10点に負けたスリザリンの顔ったら……おかしいったらなかったわ」

 

「ドラコ・マルフォイなんか、雷に打たれたみたいな顔してたもの」

 

きゃっきゃとはしゃいで一通り笑い終わると、パドマはレイブンクローの友人を探しに、パーバティとラベンダーはどこかカッコいい男の子がいるコンパートメントを探しに去って行く。

 

「あ、その髪飾り似合ってるわよアヤメ!……ちょっと古臭いけど」

 

去り際にラベンダーがそう言って、パーバティが全く!とその頭を軽く叩いた。

彩芽はそれにありがとうと微笑を返す。

目は笑っていなかったが、2人はそれに気付かなかった。

 

 

 

 

 

列車が動き出した直後、誰かがコンパートメントをノックした。

彩芽は本から顔を上げ、一言「どうぞ」と告げる。

乗っているのが同じ学校の学生だけという気軽さからか、空いているコンパートメントを見つければとりあえずドアを開く生徒が大半だ。

しかも彩芽は小柄でどう見ても下級生で気を使われる事はない。

それをわざわざノックするのは珍しく、彩芽もそういうものだと知っているので興味を持ってドアを眺めた。

 

「ごめん、ここのコンパートメントを使ってもいいかな?」

 

入り口でそう尋ねたのは黒髪の少年だった。

同学年ではない、上級生だ。

そして彩芽は彼が誰かという事を知っていた。

昨年、クィディッチの試合で見た事がある。

彩芽はもう一度「どうぞ」と答えて本に目を戻した。

少年はありがとうとお礼を言って、荷物と一緒に中に入る。

 

「君、1人?今日はハリー・ポッターと一緒じゃないのかい?」

 

椅子に座った少年が尋ねて、彩芽は『ふくれ薬』の材料の刻み方から目の前の人物に目を向けた。

下衆の勘繰りというより、単に不思議そうなその顔を見て、彩芽は頷いて尋ね返した。

 

「どうしてそんな事を聞くの?」

 

「ああ、えっと……気を悪くしたらごめん。ただ、彼は有名だから。君が彼と友人で、去年はよく一緒だったのを見ていたからつい……」

 

謝る少年の様子に嫌味はなく、それが本当にただの疑問だったことを知る。

なるほど、と彩芽はハリーたちとの昨年の行動を思い浮かべた。

 

「なら……今年は皆がそう疑問に思うのでしょうね」

 

「え?」

 

思わず出た彩芽の言葉に聞き返す少年。

彩芽はそれに答えず、名前を名乗る。

 

「知っているかもしれないけれど、私は水無月彩芽。グリフィンドール寮の2年生」

 

「僕はセドリック・ディゴリー。ハッフルパフの4年生だ。自己紹介が遅れてごめん、緊張してたのかも……アヤメって、2つ下とは思えないほど大人びてて、しかもほら、とても綺麗だしさ」

 

人の良さそうな笑みでそう頭を掻くセドリックに、彩芽の耳元で氷炎がこそっと呟く。

「演技ならすっげえ()()()だし、本気だったら天然の()()()だから気を付けろ」と。

彩芽はその言葉を聞きながら、何と返事を返そうかと迷う。

 

「あ、もしかして読書の邪魔だったかな」

 

セドリックは彩芽の手にある本に気付き、自分の鞄を開けた。

 

「僕も本を読んで過ごすことにするよ。何かあれば声をかけて」

 

言って、取り出した本を読み始めるセドリック。

彩芽は返事をしなくても良くなったことにホッとし、自分も読書に戻った。

氷炎はそれが相手の気遣いだと気付き、ますますセドリックに対する警戒を強める。

しかし、その後しばらくはお互い静かな読書が続いた。

 

お昼になると、カートを引いた魔女が車内販売にやって来る。

セドリックはかぼちゃジュースを購入すると、手作りのサンドイッチを鞄から取り出した。

彩芽は魔女に何もいらないと告げ、魔女が残念そうに去って行くのを見るとそのまま読書に戻る。

 

「お昼、何も食べないの?」

 

驚いた様子でセドリックが尋ねた。

彩芽は頷き、本からセドリックの膝に乗ったサンドイッチに目を向ける。

 

「母さんが作ってくれたんだ。ただの玉子サンドだけど、僕これが好きで……」

 

視線に気づいたセドリックがそう言って、サンドイッチを一切れ彩芽に差し出した。

 

「良かったら1つどう?母さんいつも多めに作るんだ。あー、無理にとは言わないけれど……」

 

じっと玉子サンドを見つめるだけの彩芽に、強引だったかと手をひっこめようとするセドリック。

しかし、彩芽は手を伸ばした。

 

「え、食うの?」

 

氷炎が驚いてそれを見る。

 

「ありがとう、いただくわ」

 

「って、俺が先に毒見するんだけどさ」

 

礼を言う彩芽の手から一口サンドイッチを齧る氷炎。

スライスしたライ麦のパンに、玉子焼きが挟んであるだけのシンプルなそれ。

味は塩胡椒のみで、玉子とパンの味しかしない。

 

「いける」

 

毒云々ではなく味に対するその評価を聞き、彩芽はサンドイッチを口にした。

素朴な味がホッとする。

 

「おいしい」

 

「本当?良かった」

 

セドリックが微笑んだ。

 

「君、こっちの食事が苦手だって聞いていたから……勧めたものの不安だったんだ」

 

「苦手って、どうして知っているの?」

 

いくらハリーの側で注目されていたからって、さすがに食事の内容まで噂されていたとは考えにくい。

 

「双子だよ。昨年度の初め、ウィーズリーの双子が東洋出身の生徒に食事の事を聞き回ってたからね。僕の寮にもいるんだ。日本人じゃないけど」

 

「そう……」

 

厨房に忍び込み、自分のために日本食を用意してくれた双子の事を思い出し、彩芽の心が少しだけ揺れた。

だが、それだけだ。

大丈夫だと、彩芽はサンドイッチを口に運ぶ。

ロンのあの様子を見るに、今年、ウィーズリー家は彩芽を避けるだろう。

双子も、その兄も、今年入学だと言っていた妹も……。

寂しくなどないし、悲しくもない。

 

黙り込んだ彩芽を見て、セドリックも自分のサンドイッチを食べ始めた。

食べ終わった後は、再び読書をする。

時折こちらの様子を窺っている気配はするが、過度に干渉してこない距離感が、彩芽には心地よかった。

 

しばらく落ち着いた空気が流れていた。

お腹も膨れ、気温も上がり、セドリックは本を開きながら舟を漕ぎかける。

少し寝ようかと思った矢先に、ガラリとコンパートメントが開いた。

 

「ここにいたのか」

 

ちら、とセドリックを一瞥した後、無遠慮に入って来たドラコが彩芽に近づく。

本から顔を上げない姿にイライラしながら、ドラコが気付いているんだろと声をかける。

 

「いい加減こっちを向け!全く、父上の言いつけでなきゃ、誰がお前なんか探すもんか」

 

ブツブツと文句を言いながら、彩芽の本を取り上げるドラコ。

ようやく顔を向けた彩芽に、ドラコがずいと箱を渡す。

 

「父上からだ」

 

「いらないわ。それより、本を返して欲しいのだけど」

 

断られると思っていなかったのか、ドラコがポカンとする。

セドリックはいきなり目の前で始まったやり取りに、どう反応すべきか困っていた。

ハリーとスリザリン生のドラコ・マルフォイは仲が悪かったはずだ。

それはホグワーツ生なら知っている事。

ハリーと仲の良い彩芽なら、当然ドラコとも仲は良くないと思うが、今の会話を聞く限りドラコの父親と何かしらの関係があるらしい。

突然入って来たドラコから彩芽を守るべきなのか、2人の会話を邪魔するべきではないのか、セドリックには分からなかった。

ただ、差し出されている箱の包み紙を見て、それが高級菓子店のチョコレートだという事は分かった。

 

「また魔法薬学か……」

 

取り上げた本の表紙を見て呟くドラコ。

去年の事を思い出し、フンと鼻を鳴らす。

 

「なるほど、赤毛の双子を侍らすのに飽きて、今度はこいつに乗り換えたって訳だ?で、こいつはあのウィーズリーよりはまともな家柄なんだろうな?」

 

去年、コンパートメントにはリー・ジョーダンもいたのだが、ドラコの記憶には残っていないらしい。

彩芽はそんなドラコを見つめた後、軽く首を振った。

 

「可哀想ね、貴方」

 

「なんだって?」

 

眉を寄せるドラコだが、次の瞬間本が引っ張られ、まるで吸い寄せたかのように彩芽の手に納まるのを見て驚きの表情に変わる。

氷炎は彩芽が術を使ったのに気付いたが、事情を知らないドラコとセドリックは無言呪文を使ったのだと思ったのだ。

もっとも、どちらにせよ難易度の高いものであることに変わりはないが。

 

「家柄だとか、血筋だとか、そういうものでしか人を判断できない貴方が可哀想だと言ったの」

 

再び本を開き、そこに目を落としながら淡々とそう話す彩芽。

 

「そんなものは、複雑な1人の『人間』というものを作り上げる、その沢山の材料の1つでしかないのに」

 

いくつもの材料、それをどう刻むのか、あるいはすり潰すのか。

鍋に入れる順番は?

どのような工程を経て、どれだけの時間をかけるのか。

そして出来上がったそれを、どんな形の瓶に入れるのか……。

 

人を魔法薬になぞらえて語る彩芽に、ドラコは鼻で笑った。

 

「いくら手間をかけたところで、材料が出来損ないじゃまともなものが出来上がるわけないだろう?」

 

その他がどれだけ優れようが、不純物が混ざっている時点で出来上がりは失敗作だ。

そう言ったドラコに、彩芽はなるほどと笑う。

 

「だから、『純血』というわけね。それが貴方たちの考え……」

 

「ああ、そうだ」

 

自信を持って、ドラコはそう頷いた。

まだ子供ではあるが、純血の一族としての誇りをドラコは持っている。

親から教えられ、そして身の回りを取り巻く環境が教えてきた、この『純血』の貴族の価値観……それが正当であるとドラコは信じ、疑っていない。

 

「今現在、完成しているものに不純物を混ぜるなんておかしいと、決められた材料と手順を昔からこうして作っているというその一点で遵守し続ける。なるほど……それなら間違いはない。必ず同じものが出来上がる」

 

彩芽は本からドラコへ視線を移す。

 

「だから衰退していくのよ、貴方たちは」

 

衰退、という言葉にドラコは何故かギクリとした。

 

「新しい材料を、手順を試すことで、失敗することもあるかもしれない。けれどその先に、今以上の価値のあるものが生まれる可能性を貴方たちは拒否し続ける。時代に合わない『薬』を延々と大事に作りあげるだけの……未来のない貴方たちを、私はやはり、可哀想だと思うわ」

 

静かにそう言って向けられる瞳に感情は見えない。

だが、自分が憐れまれているという事だけは分かった。

それは耐え難い屈辱で、ドラコは顔を赤くする。

 

「お前に何が分かるっ……!」

 

呻くように吐き出したドラコ。

彩芽はやはり静かに返す。

 

「分からないわ、()()

 

話は終わりだった。

ドラコは耳まで赤くしたままコンパートメントを出て、外で待っていたグラッブとゴイルを連れて去って行った。

彩芽はじっとこちらを見ているセドリックに少し首を傾げ、騒がしくしてごめんなさいと謝る。

セドリックはそれに気にしていないと首を振った。

 

「ひとつ、聞いていいかな?」

 

「答えられる事なら」

 

「アヤメはマルフォイみたいな『純血』が嫌いなの?」

 

「……純血が嫌い、という訳ではないわ。別に好きでもないけれど。私が嫌いなのは、『純血主義』の元、他の価値観を貶める行為」

 

「ああ、そうか。なるほど、ウィーズリー家が悪く言われたのが嫌だったんだね?」

 

言われて、彩芽はセドリックを見る。

今そんな話をしただろうか?

そのきょとんとした様子に、セドリックはくすくすと笑った。

 

「多分、分かっていないだろうから教えてあげるよ。アヤメが純血主義を良く思っていないとか、そういう事を可哀想だと思っているのは本当だと思うけど……さっき君は、友人の家を悪く言われて腹が立ったから彼にあんなことを言ったんだよ」

 

彩芽はセドリックが何を言っているのか分からず氷炎に目を向ける。

首元の氷炎は、それに気付いて小さく頷いた。

 

「ま、一理ある。確かに彩芽はさっき腹を立ててた。術使ってまで本を取り返してたのが良い証拠だろ」

 

言われてみれば確かに、何故あそこで術を使ったのだろうか。

無意識の行動だったが、気持ちが昂っていたのだとしたら……。

良くない事だと彩芽は眉をひそめる。

だが、そう……言われてみれば確かに、ウィーズリー家を下に見るドラコの言葉には少し苛立った。

それに……。

 

「腹が立ったのは、貴方の事にもよ。セドリック」

 

目の前の人の良さそうな少年が、家柄や血筋で判断されそうになっている事が嫌だと思った。

予想していなかった彩芽の言葉に、セドリックは驚く。

 

「ありがとう、アヤメ」

 

そして嬉しそうににっこりと笑った。

その真っ直ぐな笑顔を見て、彩芽は少し居心地悪そうに体を揺らす。

氷炎はじっとその様子を見ながら、彩芽が去年一年で変わった事を実感していた。

どんなに蓋をしても、どんなに平らにならしても。

彩芽の心は随分と感情豊かになっているようだ。

 

 

 

 

 

列車が到着する少し前にセドリックの友人がやって来たり、パーバティとラベンダーが顔を覗かせて騒いだりしたが、それ以外の問題は起きなかった。

列車はゆっくりと速度を落とし、駅に着く。

 

「大丈夫かい、手伝おうか?」

 

列車を降りる際もセドリックは紳士だった。

大きなトランクを持ち上げる彩芽に素早く声をかけて手伝う。

彩芽は大丈夫だと断りかけたが、セドリックがあまりに優しげに笑いかけるので断る機会を逃してしまった。

重くないようにヒトガタをこっそり飛ばして荷物を浮かせておくのが精一杯だ。

 

「思ったより軽いんだね」

 

「そういう魔法がかかっているから」

 

そういう事にしておく。

 

「これはアヤメが飾り付けたの?グリフィンドール色に染めてるね……随分と古い気もするけど」

 

「母のものなの」

 

言いながら、彩芽はこの派手な赤と黄のツートンカラーがグリフィンドール寮を意識したものだと初めて気付いた。

寮のカラーは赤と金だが、代用として黄色を使ったのだろう。

母は本当にホグワーツが好きで、楽しんでいたようだ。

ダイアゴン横丁で使った鞄もホグワーツ仕様だったのを思い出す彩芽。

 

「アヤメのお母さんもホグワーツだったの?」

 

「ええ、グリフィンドールだったそうよ」

 

そうだったんだ、と頷くセドリックの隣を歩き、彩芽は近付いて来る大量の馬車に目を向けた。

 

「なんだあれ」

 

氷炎の間の抜けた声。

彩芽もその光景に目を瞬かせた。

百はあろうかという馬車がずらりと並ぶ様は圧巻だが、その馬車を引く馬がまた奇妙な姿をしている。

馬の形をしているが羽があり、黒いなめし革の様な皮膚をしていてふさふさした可愛らしさは欠片もない。

体に肉はなく骨が浮き出て、こちらを見る目は白濁としていた。

 

「どうしたのアヤメ?」

 

じっとその馬の様な動物を見つめる姿に、セドリックが不思議そうに尋ねる。

彩芽は動物の名前を聞こうと口を開きかけて、止めた。

周りの視線がおかしい事に気付いたからだ。

いくらなんでも視線が素通りし過ぎている。

 

「こいつら見えてないのか」

 

そのようだと、彩芽は氷炎に頷く。

セドリックは少し首を傾げたが、彩芽が何でもないと言うとそれ以上突っ込んでこなかった。

奇妙な馬が引く馬車に荷物ごと乗り込み、彩芽とセドリックは周りを見渡す。

丁度、どの馬車に乗ろうかと迷っている子を見つけ、ドリックが声をかけた。

 

「君!この馬車に乗るかい?」

 

その生徒は声に振り向き、あっと声を上げる。

 

「アヤメ……」

 

何とも言えない表情のハーマイオニー。

一瞬、側にハリーとロンの姿がない事を疑問に思うが、彩芽はセドリックに首を振った。

 

「セドリック、ハーマイオニーは多分、1人じゃない」

 

「え、でも……」

 

どう見ても1人だ。

それに、振り向いた顔を見てセドリックはハーマイオニーが彩芽と一緒にハリーと仲の良かった1人だと気付いていた。

 

「乗っても、いいかしら?」

 

彩芽が説明するより早く、ハーマイオニーがそう尋ねた。

セドリックはもちろんと頷き、彩芽を見る。

 

「……私は、構わない」

 

頷いた彩芽を見て、ハーマイオニーは馬車に乗り込んで来た。

 

 

 

 

 



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