ジャック×赤ずきん (サイエンティスト)
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1章:片想いカップル
失せ物探し



 草食系貧血男子×脳筋お姉さん、と書きましたが赤姉はそんなに脳筋ではないと思う今日この頃。
 時期は親指姫の時と同じく余章あたりで、まずはくっつくところからです。でも赤姉はツンデレじゃないのでわりとすぐにイチャイチャさせられそう。濃度がどうなるかは別として。



 ジェイル脱獄のためにダンジョンの探索に赴き、日々メルヒェンと戦い核の破壊を目指す血式少女隊。メルヒェンを単騎で相手取れる身体能力に加え、魔法のような不思議な能力を持つ特殊な存在である血式少女たちはジェイル脱獄の切り札と言える存在だ。

 しかし血式少女たちは強いショックや過度なストレスによって穢れが溜まり、その状態でメルヒェンの血を浴びたが最後、理性を失い破壊と殺戮の欲求のみに死ぬまで支配されるブラッドスケルターモードへと変貌してしまう。今まではそれを防ぐ手立てがなかったため、黎明は血式少女という武器を持ちながらもジェイル脱獄のための積極的な行動を起せなかった。

 だが今は穢れを浄化し、ブラッドスケルター化から血式少女を引き戻すことができる存在が現れたため、黎明の活動は積極的になった。その存在こそがジャックの血液だ。そしてジャックの役目も正にそれ。メアリガンを用いて自らの血液を血式少女に浴びせ穢れを浄化し、ブラッドスケルター化を解除すること。

 それはジャックにしかできない大切な役目だが、文字通り自らの身体を削って行う負担のかかる行為。

 

(少しはマシになったけど、やっぱりまだちょっと身体がだるいな。血を使いすぎたのかも……)

 

 都合上、今のように体調を崩してベッドに横になることもしばしば。

 とはいえ今回は探索が終わって気が緩んだ瞬間にその場で昏倒したりはしなかったし、しっかり自分の足で部屋に戻ってベッドに倒れこむこともできたのだから上々だ。一時間ほど仮眠を取って休んだので部屋で安静にしていれば平気のはず。

 

「ジャック、今いるー……?」

(あれ、赤ずきんさんの声だ。でも、どうしたんだろう? 何か元気無さそう……)

 

 仕方なくもう少し仮眠を取ろうと考えたちょうどその時、部屋の扉が遠慮がちにノックされる。

 声の主は恐らく赤ずきん。しかしその割には明らかに声音に覇気が無く、いつもの快活さが微塵も感じられなかった。

 

「どうしたの、赤ずきんさん? って、あれ……?」

 

 仮眠は取り止めにして疑問に思いつつ扉を開けて迎えると、やはりそこには若干沈んだ表情の赤ずきんが立っている。

 ただジャックはそこで新たな疑問を抱くことになった。赤ずきんの装いが普段とは少々異なったから。今現在の赤ずきんの装いは長い赤のタイが目を引く黎明の白い制服に、動きやすそうな太股剥き出しの黒のホットパンツ。そして膝下まである黒字に赤いストラップの編み上げブーツ。

 ここまでは普段と同じだが一つ決定的なものが欠けていて、代わりに別のものが追加されていた。追加されているのはつばに対して山の部分が若干膨らんでいるピンク色の帽子。そして欠けているのは赤ずきんのトレードマークとも言える、赤いファーで彩られたフード付きの黒いコートだ。

 

「赤ずきんさん、いつも着てるフードはどうしたの?」

「それが……無くなっちゃったんだ。あたしがシャワー浴びてる間ベッドの上に置いておいたんだけど、気付いたら無くなってて……」

 

 やはりフードが無いせいで答える声にも表情にも快活さは無い。

 赤ずきんにとってフードはただのオシャレや趣味では無く、血式少女特有の拘りである血式リビドーに関係するものだ。シンデレラが一種異様とまで呼べるほどガラスの靴のイヤリングに執着していたのと同じく、赤ずきんの場合はフードが無いと気分が落ち着かず不安になってしまうらしい。

 

「ああ、だから代わりに帽子を被ってるんだね。部屋の中はちゃんと探してみたの?」

「うん……隅から隅まで探してみたけど見つからなかったんだ。タンスとかベッドとか机とか部屋中引っくり返してみたんだけどね……」

(引っくり返した、っていうのは比喩かな? それとも……)

 

 まさかベッドとかタンスとかを文字通り物理的に引っくり返したのではなかろうかと戦慄してしまうジャック。普通の女の子ならともかく赤ずきんならそれくらい余裕でできそうなので判断に困る。部屋の中にバーベルが飾ってあるのを見た時の衝撃は忘れない。

 何にせよ部屋の中にコートは見当たらなかったようだ。だから赤ずきんは途方に暮れた表情をしているに違いない。ジャックの下を訪ねて来たのは探すのを手伝って欲しいからだろう。あるいは――

 

「――も、もしかして僕を疑ってる? 僕じゃないよ! そりゃあこの区画に住んでる男は僕だけだから疑われるのも仕方ないかもしれないし、帰って来てからずっと一人で部屋にいたからアリバイも無いけどとにかく僕じゃないよ!」

 

 ――コートを持ち去った犯人と思っているか、だ。

 色々自分で怪しい点をまくし立てた気がするがとにかくジャックはやっていない。そもそも女の子の部屋に勝手に入って衣類を盗んでいくほど落ちぶれた覚えは無かった。というか外道に堕ちてまで盗むのがただのコートとはいかがなものか。どうせやるならジャックだってもっとマシなものを盗む。あくまでも仮定の話だが。

 

「い、いや、あたしは別にあんたを疑ってるわけじゃないよ。ただ、どこを探したら良いか分かんなくてさ……迷惑じゃなかったら一緒に探してくれないかなって……」

「あ、ああ、うん。そうだよね……」

 

 迫力に気圧されたのか若干びくびくしつつ協力を求めてくる赤ずきん。そんな珍しい様子にジャックはちょっとした胸の高鳴りを覚えてしまった。

 

(や、やっぱり赤ずきんさん、フードが無いといつもより可愛い気がする……)

 

 フードが無いせいでいつもより弱気になっているためか、その不安気な表情と様子が妙に庇護欲を煽ってくる。いつもは元気はつらつな皆の頼れるお姉さんな赤ずきんが、今は引っ込み思案でおどおどしている弱々しい女の子に見えるほどだ。

 赤ずきんにはいつも世話になりっぱなしなのだからこういう時くらいは力になってあげたいし、力になりたい。例え貧血気味でちょっと体調が思わしくなくてもだ。

 

「うん、良いよ。フードは赤ずきんさんにとって大切なものだもんね。僕も探すの手伝うよ」

「ありがとう、ジャック。助かるよ……」

 

 申し出に対し、赤ずきんは嬉しそうにお礼を口にする。僅かに頬を染めて微笑むという非常に女の子らしい表情だったのでまたしてもジャックはドキドキしてしまった。

 

「お、お礼なんていいよ。僕は戦いの役には立てないからこういう時くらいはしっかり役に立ちたいんだ」

「何言ってんのさ。確かにあんたが望む形じゃなかっただろうけど、あんたはしっかり戦いの役に立ってるよ。あんたのおかげで皆穢れを気にせず戦えるし、あたしだって被弾上等の覚悟で突撃できるしね?」

「うーん……突撃の仕方は、もうちょっと考えた方が良いんじゃないかな……?」

「それくらいあんたは役に立ってるってことだよ。だからそんなこと気にせず元気出しなって」

(もしかして今の、元気付けられたのかな? 元気が無いのは自分の方なのに……)

 

 胸の高鳴りを誤魔化すための台詞だったというのに、赤ずきんはジャックを慰めて笑いかけてくれた。フードを身に着けていない事実に在り処が分からない事実も相まり、胸の中は不安でいっぱいのはずなのに他人を気遣う。さすがは強くて優しい思いやりのある皆のお姉さん、そしてジャックの憧れの赤ずきんだ。

 

「……うん、そうだね。じゃあそろそろ赤ずきんさんのフードを探しに行こうか。赤ずきんさん、フードを失くした時の状況をもっと細かく教えてくれないかな?」

 

 まずはフードが無くなった状況をもう一度細部まで聞き出し始めたものの、不謹慎なことに心は途轍もない嬉しさに弾んでいた。

 しかしそれも仕方ない。何故なら頼りがいの無いひ弱な男であるジャックにだって、今ならその強さと優しさに憧れている赤ずきんの力になれるのだから。

 その事実がとても嬉しくて、ジャックは体調の悪ささえ吹き飛びそうなほどに気分が高揚するのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤ずきんから詳しい話を聞いた結果、ジャックは三つの可能性を思いついた。それらに共通する事象はどの場合も誰かが持ち去ったという点。

 小物ならともかく無くなったのはだいぶかさばる衣類、それも赤いファーで非常に目立つ黒のコートだ。部屋の中は赤ずきんが文字通り引っくり返して何度も探したらしいので、見つけられなかったならそれはもう部屋の中には無いということ。コートがひとりでに歩いて勝手にどこかへ行くなどという異常事態はさすがに色々と異常なジェイルの中でもありえないので、そう考えるのは極めて自然なことである。

 

「シンデレラ、ちょっと良いかな?」

 

 そのため、まずは最も高い可能性を当たることにした。それは持ち去った人物がシンデレラ、という可能性だ。

 

「あら、ジャックさんに……赤ずきんさん? そんなに縮こまってどうしましたの?」

 

 部屋の扉をノックして呼びかけると、しばらくしてシンデレラが顔を出す。そしてジャックの斜め後ろで不安気にしている赤ずきんを見て目を丸くする。

 一応代わりに帽子を被ってはいるものの、さほど不安は拭えていないらしい。やはり一番お気に入りのフードの行方が分からないというのが辛いのだろう。

 

「それが……あたしのフードが無くなっちゃったんだよ……」

「まあ、それは大変ですわ! 一体何がありましたの!?」

 

 それだけの説明でもシンデレラは目を見開いて驚愕を露にする。

 赤ずきんにとってフードがとても大切なものであることは周知の事実だ。そしてそれが無いとどんな影響が表れてしまうのかも同様なのだから、この反応も当然といえば当然だ。

 

「赤ずきんさん、シャワーを浴びている時にベッドの上にコートを置いておいたんだって。それで着替えて出てきたら無くなってたらしいんだ。僕は探すのを手伝ってるところだよ」

「そうなんですの……それで、何故私の所へ? ま、まさか私を疑っていますの!? 私は何もしていませんわよ!」

(あ、何か僕と同じ反応……)

 

 疑われたせいか酷く傷ついた表情で訴えてくる。この反応だけで白なのは疑われたと最初に思ったジャック自身が一番良く分かっているものの、赤ずきんの手前一応聞いておくことにした。

 

「疑ってるって言えば疑ってるけど悪い意味じゃないよ。シンデレラなら好意で洗濯したり繕ったりしそうだから、もしかしたらって思って来てみただけなんだ。それに今の君の反応で違うってことは分かったしね?」

「ああ、そういうことでしたのね……」

 

 疑った理由を説明すると途端に胸を撫で下ろし安堵するシンデレラ。

 最も高い可能性。それはシンデレラが厚意でコートを洗濯に出した、ということ。当然ながら嫌がらせの類を疑ったわけではない。元々かなりの綺麗好きだし掃除にも拘りがあるタイプなのでもしかしたらと思ったのだが、どうやら今回は外れだったらしい。

 そして安堵の様子を見せたのも束の間、今度はご機嫌斜めな細めた瞳でこちらを睨んできた。

 

「けれどちょっと心外ですわ。ジャックさん、まさか私を人の部屋に勝手に侵入してまで洗濯ものを集めたりする女と思っていまして?」

「ご、ごめん……でもシンデレラって凄く綺麗好きだから、もしも目の前に汚れた服とかがあったら我慢できなさそうだなって思って」

「あ、あたしのフードは汚くなんかないよっ!」

「別にそういう意味で言ったんじゃないってば、赤ずきんさん」

 

 単なる例えだったというのに後ろから必死な声音で否定されるので思わず苦笑してしまう。やはりフードが無いせいで覇気が無いと言うかいまいち怖くない。シンデレラも同じ気持ちなのかジャックと同じく苦笑していた。

 

「確かにそれはちょっと我慢なりませんけれど、さすがに無断で持ち去ったりはしませんわ。やるならせめて書置きの一つくらいは残しますもの」

「やっぱりそうだよね。疑ってごめん、シンデレラ」

 

 悪事を働いたと疑ったわけではないものの、疑ったことそのものは事実だ。なのでジャックは軽く頭を下げて謝罪しておいた。それに対してシンデレラはすでに気分を害した様子も無く、むしろ嬉しそうに笑っていた。

 

「分かって頂けたのなら嬉しいですわ。それでジャックさん、赤ずきんさん。探し物の手が足りていないのなら私もお手伝いしますわよ?」

「ええっと……大丈夫だよ。ジャックにはまだ心当たりがあるみたいだしね。ただ、いよいよダメだったらあんたの手も借りたいな」

(あれ? 赤ずきんさん、手伝ってもらわないんだ)

 

 探し手は多い方が良いと思うのだが、意外にも赤ずきんはやんわり断る。

 ジャックが口にしたコートの在り処はあくまでも可能性であり、百パーセント存在すると断定しているわけでもなければ単なる推測でしかない。にも関わらず手伝いはジャックだけで良いとはそんなにも信頼してくれているのだろうか。これはその信頼に応えるためにも絶対にコートを見つけなければ。

 

「分かりましたわ。でしたら見つからなかった時は声をかけてくださいな。その時はこの私がぱぱっと見つけてさし上げますわ!」

「ありがとう、シンデレラ。それじゃあ僕たちはもう行くね」

 

 寄せられる信頼に対して喜びを覚える反面、その信頼に応えられるか微かな不安を抱きつつ、ジャックはシンデレラの部屋を後にした。二番目にフードを持ち去った可能性の高い人物がいるであろう場所を目指し、当然ながら斜め後ろに不安げな赤ずきんを引き連れて。

 

「あれ? 赤ずきんさん……?」

 

 その最中、服の裾をぎゅっと引っ張られて足を止められる。振り向いたジャックが目にしたのは、やはり不安気に怯える赤ずきんの弱々しい姿であった。

 

「ジャック……あたしのフード、見つかるよね……?」

「もちろん見つかるよ。でも赤ずきんさん、そんなに不安だったらどうしてシンデレラにも手伝いを頼まなかったの?」

「だ、だってさ、あたしは皆のお姉さんだよ? フードを無くしたくらいでこんなに弱くなって情けなくなるあたし、なるべく見せたくないんだ……」

(ああ、だからシンデレラの手伝いは断ったんだ……)

 

 どうやらジャックを信頼しているから手伝いは足りている、というわけでは無かったらしい。

 信頼への重責が軽くなった反面、心なしかがっかりしてしまうジャックであった。それと勝手に勘違いして思い上がってしまったことも恥ずかしい。

 

「……あれ、ちょっと待って? それなら僕にはそういう姿を見せても良いってこと?」

 

 しかしそこで不意に覚えた疑問があった。皆のお姉さんなのに弱く情けなくなった自分を見せたくないというのなら、そもそも何故ジャックに手伝いを求めにきたのだろうか。

 その疑問をぶつけたところ、可愛らしいことに赤ずきんの頬は朱色に染まっていく。

 

「そ、それは……まあ、ジャックになら良いかなって……」

「え……ど、どうして僕になら良いの?」

 

 その可愛らしさと思わせぶりな発言にまたしてもドキリとする。本当にフードの無い赤ずきんは女の子らしくて困ってしまう。

 

「だって、あんたは前にもあたしのこんな姿を見たことがあるからね。その時がっかりなんてしない、むしろ逆だって言ってくれたし……」

 

 赤ずきんが口にしているのは以前あった出来事について。

 実はジャックは以前もフードが無くて気持ちが沈んでいる赤ずきんの姿を見かけ、何とか元気付けようと話をしたことがある。今回とは異なりフードを失くしたのではなく、破れてしまったフードをハルに繕ってもらっていただけだったのだが、その時でさえもかなり不安そうにしていた。だから元気付けるためにジャックはずっと傍にいて話をしたのだ。

 今回赤ずきんがジャックに手伝いを頼みに来たのはその時のことがあるからなのだろう。ジャックなら今の自分にもがっかりしないと分かっているから。

 

(別に誰もがっかりなんてしないと思うんだけど、やっぱりお姉さんとしての矜持があるのかな?)

 

 皆の頼りになるお姉さんである以上、弱い所は見せられないと考えているのかもしれない。いわゆるプライドが許さないというやつか。ジャックとしては完璧すぎて欠点が無くとっつき難いよりも、弱みがある方がむしろ好感が持てる話なのだが。

 

「あ。そういえばジャック、結局逆ってどういう意味なのさ。何かあたし、あの時ははぐらかされて答えを聞かせてもらってない気がするよ?」

「ええっ!? そ、そうだったかな……?」

 

 惚けてみるジャックだが実際答えていなかったし、誤魔化したのも事実だ。

 まさかフードが無くて不安で弱っているというのに、そんな姿を指して女の子らしくて可愛らしいと言えるわけも無い。今の弱った赤ずきんになら言っても大丈夫かもしれないが、フードを取り戻したら途端に張り倒されそうな気がしなくもない。

 

「そうだよ。せっかくだから今教えなよ、ジャック。何でむしろ逆なのさ?」

「それは、その……そ、そんなことより、早く赤ずきんさんのフードを探そう! こっちだよ、赤ずきんさん!」

 

 なので今回もジャックは誤魔化しに走り、なおかつ追求を逃れるために物理的に走り出した。

 

「ああっ!? ちょ、ちょっと待ってよジャック! あたしを置いていかないでよー!」

 

 すると背後から赤ずきんのものとは到底思えない、胸が痛くなるほど寂しさに満ちた声が追いすがってくる。

 言っては悪いがやはりフードの無い赤ずきんはとても可愛らしかった。普段が元気いっぱいでとても頼りがいのあるお姉さんなだけに、今の弱々しい様子はギャップの激しさに当てられて余計に可愛く思えてしまう。

 

「う、ぐっ!? あ、赤ずきんさん……首、絞まってる……!」

 

 とはいえ弱々しく見えても身体能力は健在らしい。

 あっさり追いつかれたジャックは襟首を後ろから掴まれ、悪意の無い首絞めに悶えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誤魔化しの逃走を試みたばかりか、直後に余裕で捕獲されてしまった情けないジャック。

 また同じ詰問をされるかと内心冷や冷やしていたのだが、意外にもそれ以降赤ずきんは同じ話題を口にしてこなかった。たぶん口にしたらまたジャックが逃げ出してしまうとでも思っているのだろう。どうせ逃げ出しても一秒かそこらで捕まえられるというのにもう話題にしないのは、恐らく一瞬とはいえ置き去りにされて心細い思いをしたからに違いない。

 

(赤ずきんさんの手、暖かくて気持ち良いな……)

 

 その証拠に、捕獲された直後からジャックの左手は赤ずきんの右手でぎゅっと握りしめられていた。

 ただ逃走を防ぐために繋げられただけならともかく、恥ずかしそうに赤くなりつつ寂しさ全開の表情でやられたのだから反則だ。そんな顔で手を繋がれたら文句など言えるわけも無い。

 

(でも、力入ってて凄く痛い……!)

 

 言えないので、ジャックは頑張って堪えつつ次なる目的地へと向かっていた。赤ずきんの柔らかい手の感触は天国と言っても差し支えないのに、込められている力の方はどう考えても地獄である。不安な気持ちのせいで力の加減が上手く出来ていないらしい。

 

「ここだよ、赤ずきんさん。シンデレラの次にあり得そうなのはやっぱりここの人しかいないよ」

「ここって……ハルさんのとこ?」

 

 辿りついたのは鍛冶場を髣髴とさせる様相の血式兵器製造所。赤ずきんが呟いた通り、ハルのところである。ここがジャックが思いついた中で二番目に可能性の高いコートの在り処だ。

 

「ハルさんいるかな? ハルさーん!」

「あっ、ジャックさんに姉御! 師匠に何か用……っすか?」

 

 場所の都合上むわっと熱気のこもる中を歩くと、ちょうど手伝いに来ていたらしいくららが駆け寄ってきた。

 しかし若干遠めの距離で唐突に立ち止まり、言葉を切って不思議そうに首を傾げる。その探るような視線はちょうどジャックと赤ずきんの間、やや下よりに向けられていて――

 

「わ、わあっ!? ち、違うよ、あたしたちは別にそういうのじゃ……!」

 

 ――繋いでいる手を見ていることに気付いた赤ずきんがすぐさま手を離し、何も聞かれていないのに慌てて否定する。恥ずかしがる様子がやはりとても女の子らしくて可愛らしい。もっとも言ったら後で張り倒されるかもしれないので口には出せないが。

 

(そういうのって、やっぱりそういう意味だよね……)

 

 一応ジャックにもうっすらとだが赤ずきんの考えていることは分かっていた。

 手を繋いでいる男女に対して思うことといえば、友情を除けば愛情くらい。自分とジャックが付き合っていると勘違いされそうになって慌てているのだろう。それならこの慌てぶりにも納得である。

 

「なーんだ、違うんすか……あれ? そういえば姉御のフードが無いっすね」

 

 とはいえ勘違いするほどのことでもないのかくららは極めて軽いノリで流すと、次はやはりそこを気にしていた。まあ赤ずきんといえばフードというイメージがあるのだから、それが無くなっていれば気になるのは当然のことだ。 

 

「うん。実はそのことでハルさんに話があるんだ。今いるかな?」

「いるっすよ。いつも通り奥でサボってる真っ最中っす! おーい、師匠ー!」

 

 声を大にして言って良いことなのかはともかく、眩しい笑顔でそんな事実をのたまい奥の部屋へ駆けて行くくらら。しばらくすると紫煙燻らすタバコを咥え、面倒くさそうに頭を掻きながらハルが姿を現した。とはいえあくまでも面倒くさそうに見えるだけで、実際にはとても優しい人だということをジャックは知っている。ここへ来たのもある意味その優しさに賭けたからだ。

 

「どうしたジャック、赤ずきん――って、お前フードどうした?」

「実はそれについて話があるんです。赤ずきんさん、部屋に置いておいたコートが気付いたら無くなったみたいで……ハルさん、もしかして赤ずきんさんのフードを持って行ったりしてませんか?」

 

 開口一番の台詞と心底驚いた様子ですでに白なのは分かったが、赤ずきんも同様に思ったとは限らない。なのでシンデレラの時と同じくとりあえず質問を投げかけてみた。

 

「ああ? 何で俺がそいつのフードを持ってくんだ?」

「そうっすよ、ジャックさん! そりゃ師匠はこんな遊び人みたいな風貌してるのは確かだから怪しく思うのも仕方ないっすけど、実際に何かやらかしたことは無い至って普通の無害なオヤジっすよ! 甲斐甲斐しくここに通っても何もされてない自分がその証拠っす!」

「……くらら、明日からもう来なくて良いぞ」

「ちょっ!? 何でなんすか、師匠!? 自分は師匠の擁護をしただけっすよ!?」

(擁護、かなぁ? 今の……)

 

 一応悪気は無いことはくららの真摯な表情で分かったものの、内容は遊び人やオヤジ呼ばわりで酷いものだ。しかし瞳は鋭く態度もちょっとぶっらきらぼうで見た目は怖いタイプなのは否定できない。

 

「ま、こいつの発言とこいつ自身は置いといてだ……ジャック、お前まさか俺がそいつのコートを盗んだとでも思ってんのか? ははっ、意外と良い度胸してんな?」

 

 因縁つけるような台詞だが声音に怒りは含まれておらず、むしろ口元は面白さにニヤついている。別にハルもジャックがその手の理由で疑っているとは本気で思っていないのだろう。実際その予想は正しい。

 

「まさか。僕はただ、ハルさんならこっそり持ち出して繕った後、気付かれない内に戻したりしそうだなぁって思っただけですよ」

 

 なので正直な考えを口にする。これが可能性その二、こっそり繕うためにハルが厚意でコートを持ち去った、ということ。

 ただし可能性その二ではあっても実はかなり望み薄だと最初から分かっていた。以前もそうだったが赤ずきんはフードが破れたりほつれたりしてしまった場合はハルに修繕を頼むのだ。つまり待っていれば持ってくるので、わざわざこっそり部屋に入って持ち出したりする必要は無い。

 とはいえ万に一つの可能性があるため一応ここへきたのだが、やはり今回も外れのようだ。

 

「っ……!」

(あれ? 何かハルさん、様子がおかしい……)

 

 ――と思っていたのだが、ジャックの考えを聞いたハルの様子が何やらおかしくなる。若干頬が染まっている上、照れ隠しの如く視線を逸らされてしまう。これはもしや当たりではないだろうか。

 

「あははっ。ジャック、あんたなかなか冴えてるね。実際ハルさんはそれやったことあるんだよ。ま、あたしが子供の頃の話だけどさ」

「……ほっとけ!」

(あ、そっちの当たりだったんだ。ていうかハルさん、本当にやってたんだ……)

 

 何やら期待とは違う当たりが出てしまった。まさか本当にそんな甲斐甲斐しいことをやっていた過去があるとは。

 本人は過去を穿り返されて赤くなってふてくされているものの、そのおかげか不安気だった赤ずきんの表情には懐かしむような笑みが広がっていた。

 

「師匠、そんなおかんみたいなことしてたんすか……やっぱり顔に似合わず優しいっすね!」

「う、うるせえ! とにかく俺は赤ずきんのコートは知らねぇし興味もねぇ。それが分かったんなら仕事の邪魔だから全員さっさと帰れ!」

「盛大にサボってた人が何ぬかしてんすか! 都合が悪くなると仕事を言い訳にするなんて最低の大人っすよ! 大体師匠は――」

 

 そうして赤くなったハルとくららの言い合いがジャックたちそっちのけで始まる。

 その様子は傍から見ると仲の良い親子の口喧嘩に見える光景だ。ただこの場合は素直でない父親とそれに手を焼く娘、という状況か。いずれにせよジャックたちはお邪魔のようだ。

 

「ハルさんも違うみたいだね、ジャック……」

「そうだね。とりあえず邪魔にならないようにもう行こうか。それじゃあハルさん、失礼します。あと疑ってすみません」

「ああ、まあとっととフード見つけてそいつをいつも通りのじゃじゃ馬に戻しちまえ。そんな大人しいとこっちの調子が狂っちまう」

「じゃ、じゃじゃ馬って何さ!?」

 

 赤くなって怒りを表わす赤ずきんだが、やはり普段より大人しめであることはジャックから見ても否めなかった。

 とはいえ別に調子が狂ったりはしないし、むしろ可愛らしくてドキドキする。ただジャックにとって赤ずきんは強くてカッコイイ女の子というイメージが強いため、いつも通りに戻すこと自体は賛成だ。何より可愛らしくてもずっと不安を感じさせているのは忍びない。

 なのでジャックはフード捜索を再開するため、再び赤ずきんと共に歩き出した。もちろんまたしても手を握られてしまったが、それについては少なくとも嫌ではないので問題なしである。

 

「うーん、ハルさんのところにも無かったか……」

「ジャック、次は誰の所ならありそう……?」

 

 一旦居住スペースの方に戻る傍ら、当てが二つも外れたせいか更に不安気になってしまった赤ずきんが尋ねてくる。

 実の所、具体的な場所や人の当ては先ほど全て無くなってしまったのだ。となるとすべきことは一旦現場に戻って調べてみるか、あるいは――

 

「――赤ずきんさん、もし良かったら僕にも赤ずきんさんの部屋を探させてもらえないかな?」

 

 そこまで考え、ジャックは現場に戻ることを提案した。赤ずきんがすでに何度も探していることは知っているが、フードに執着して探すあまりに何か見落としが無いとも限らないからだ。

 

「良いけど……あたしが何度も探したし、そのせいで今散らかってるよ……?」

「そんなの平気だよ。それに、もしかしたら自分で探したら見えてくるものがあるかもしれないんだ。だから一旦赤ずきんさんの部屋に行こう?」

「……うん、ジャックがそう言うなら行こっか」

 

 優しく笑いかけたところ、赤ずきんは小さく頷いて微笑み返してくれる。笑ってくれたのはジャックが自分のために精一杯頑張ってくれていると思ったからか、それともジャックを信じているからか、あるいはその両方か。

 しかしいずれにせよジャックの想いとすべきことは変わらない。

 

(僕だって赤ずきんさんの力になれるってところ、見せてあげなくちゃ! こういう時くらいは僕だって頼りになるんだってところを!)

 

 普段はともかく、フードを失くして不安がっている時くらいならジャックだって赤ずきんの力になれるということ。普段は頼りなくとも、こんな時くらいは頼りになるのだということ。自分の力でフードを見つけ、それを証明するのだ。

 そのためにジャックはいっそう頑張ることを心に決め、赤ずきんの手を引いて歩くのだった。尤も握られている手は変わらず痛いし、休息が足りなかったのか体調も徐々に悪化しつつあり、どちらかといえば満身創痍の状態で先行きは不安であったが。

 

 




 赤ずきんと仲良く手を繋ぎ、二人で仲良くコートを探すジャック(骨折間近+貧血)。
 ちなみにジャック×親指姫が妄想段階だった時は話の導入を他のキャラで妄想したりもしましたが、赤姉の場合はあまり捗りませんでした。あっちにも書きましたがいざとなればジャック抱えて走れそうですし……。
 でも裸でジャック(ケダモノ)と抱き合う展開ならたぶん一番捗るキャラだと思います。原作の原作的な意味で。




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隠蔽工作


 何かタイトルがアレですがまあ気にしない方向で。
 一応親指姫の時と同様に一章につき四話で終わるようにしたいと思っています。文字数の関係上、はみ出る事もあるかもしれませんが。



「うわぁ……」

 

 現場の捜索のために訪れた赤ずきんの部屋。その内部の惨状を見てさしものジャックもちょっと引いた声を出してしまった。

 しかし別に部屋の中が致命的に汚れているとかそういうわけではない。探し物をしていたのだから多少散らかっているくらいは想定の範囲内だし、むしろ散らかり具合は予想を下回っている。引いたのは別の理由からだ。

 

(ほ、本当に物理的に引っくり返ってる……)

 

 言葉の綾と思って振り払った予想が、実は現実のものだったから。

 一応壁に寄りかかる形で立てかけられているベッドは頑張ればジャックでも再現できるだろうが、文字通り上下逆さまになっている衣装タンスは一人で再現できる気がしなかった。というかそもそも一人で持ち上げられる気がしない。

 

「あぁっ!? ちょ、ちょっとジャック、そっち向いてて!」

「え、ど、どうして?」

 

 後に続いて入ってきた赤ずきんは何故か顔を真っ赤にすると、ジャックに無理やり背後を向かせる。

 確かに女の子とは俄かに信じがたい腕力を示す光景を無遠慮に眺めていたが、別に今初めて知ったことでもない。フードが無いせいで普段より女の子らしさが際立っているとはいえ、一体何故そこまで恥らう必要があるのか分からなかった。

 

「い、良いから! せめてタンスの中身を戻すまで待ってよ!」

(あ、そっか……中身も引っ張り出したなら下着とかも出てるってことだよね……)

 

 そこに気付いてつい先ほどの光景を思い出してしまう。

 さっきは上下逆さまで鎮座している衣装タンスに目を引かれてしまったので詳しくは見ていないのだが、確かにその周りに色とりどりの衣服が散らばっていた気がする。それなら無遠慮に眺めたりするのは失礼極まるというものだ。

 なのでジャックは後ろでドタバタしている赤ずきんに背中を向けたまま、見える範囲で部屋の様子を調べていった。コートを持ち去った犯人の痕跡が残っていないかを慎重に。

 

(あれ? 何だろう、部屋の隅に何か……)

 

 すると何気なく目を向けた先、部屋の隅に何か光るものを見つけた。

 さり気なく後ろを見てみるも、赤ずきんは衣服を拾ってタンスに戻すのを繰り返している最中。だいぶ混乱しているらしく、衣装タンスが上下逆さまの状態で戻そうとしているため何度も失敗している。

 この様子なら気付かれないかもしれない。そう考えたジャックは部屋の隅へと向かい、その光る物体を拾い上げて正体を確かめた。

 

(これって、もしかして……)

 

 糸のように細く、そして驚くほど長い物体。それそのものが光を放っていると見まごう程の美しい金色の輝き。

 見間違えることはまずありえない。これは恐らく――

 

(――ああ、そっか。フードはたぶんあそこにあるんだ。それに、もしかすると……)

 

 物体の正体を看破した所で、ジャックの頭の中には新たに四つ目の可能性が浮かび上がった。

 受け入れたくない三つ目の可能性に取って代われるものなのでそれ自体は喜ばしいのだが、あまり歓迎したくない可能性も付随していたため素直に喜ぶことはできなかった。果たしてこれを素直に赤ずきんに伝えて良いものか。

 

「よ、よし、これで大丈夫! ジャック、もうこっち向いても良いよ?」

(どうしよう……そんな可能性があるって気付いたからには、無視するわけにもいかないことだし……)

 

 背後から声をかけられるものの、未だどうすべきか答えが出ないため振り向けない。

 フードが見つかったかもしれないと事実を伝えれば、きっと赤ずきんは喜んでくれるに違いない。だがそのフードの状態が思わしくない可能性がある、と伝えればどうだろうか。普段ならともかく、今の赤ずきんはフードが無いせいで別人と見紛うほど精神的に弱々しくなっている。きっと可能性だけでも甚大なショックを受け、傷ついてしまうに違いない。ましてやその可能性が現実のものであったなら――

 

「……ジャックー? どうしたの?」

 

 反応を返さないせいか再び声をかけられる。ただし今度は少々不安げな声音で。

 その赤ずきんらしくない不安な声音に後押しされ、ジャックは心と覚悟を決めた。こんなに弱っている赤ずきんを傷つけるなど以ての外。守ってあげられるならどんな手段でも使うべきだ。例えジャック自身が泥を被り、罪悪感に胸が痛む結果になろうとも。

 

「あ、うん。何でもないよ、赤ずきんさん――あ……」

「わっ!? じゃ、ジャック、どうしたの……?」

 

 振り返った途端、ジャックは崩れ落ちてその場に膝を着く。いきなり目の前で何の脈絡も無く倒れかけたせいか、赤ずきんは目を丸くして驚いていた。

 

「……ごめん、赤ずきんさん。実は僕、探索の時に血を使いすぎたみたいでまだ体調が戻ってないんだ……」

「ええっ!? そ、そういうことは先に言いなよ! どうしてそんな体調なのにあたしの手伝いしてくれたのさ!」

「それはもちろん赤ずきんさんの力になりたかったからだよ。でも、さすがにそろそろ辛くなってきたかな……」

 

 罪悪感に胸が痛むのを堪えつつ、床に膝を付いたまま語りかける。申し訳無さと不甲斐なさを耐え忍ぶような、そんな口調で。

 

「だ、だったら無理しないで部屋に戻って休みなよ!」

「でも、赤ずきんさんのフードを探さないと……」

「そんなの休んだ後に手伝ってくれれば良いよ! 別にフードが無くたってあんたみたいに倒れたりするわけじゃないんだしさ、今はジャックの身体の方が心配だよ……」

 

 酷く切なげな瞳でそんな優しさを見せくれる赤ずきん。

 フードが無くて不安で堪らないというのに他人を気遣えるその心は、やはりジャックの憧れである強くて優しい赤ずきんのものだ。だからこそ余計に胸が痛い。

 

「そっか……ごめんね、赤ずきんさん。じゃあ少しだけ部屋で休ませてもらうよ」

「う、うん。一人じゃどうすれば良いか分かんないし、あたしはここで待ってるからさ。ちゃんと休んで体力戻してからまた来てくれたら、それで良いよ……」

「うん。それじゃあ……」

 

 よろよろと立ち上がり、言葉少なに別れを告げて部屋を出る。

 その最中に目にした赤ずきんの表情はとても辛そうなものだった。フードが無いことによる不安、具合の悪いジャックに無理をさせてしまった罪悪感、不安なまま一人にされる心細さ。それら全てが混ざり合い、最早泣きそうな様子に見えたほどだ。

 

「……ごめんね、赤ずきんさん」

 

 部屋を出た所でジャックはぽつりと呟く。その聞かせられない謝罪は、仮病を用いて心配をさせてしまったことに対する謝罪だ。

 そう、先ほどの一幕は全て演技。実際体調がすこぶる悪いのは事実なのだが、倒れかけたのも限界が近いのも演技である。全ては赤ずきんをこの場に縛り付けておき、これからジャックが向かう場所に一緒に来させないためのものだ。不安で堪らない赤ずきんはこうでもしなければ何を言ってもジャックについてきただろうから。

 

(でも心配しないで、フードはすぐに持って行ってあげるから!)

 

 こんな度し難い真似までしてしまったからこそ、赤ずきんには可能な限り早くフードを届けてあげなければ。

 意気込みも新たにジャックは目的の場所へと一人歩いた。向かうのは赤ずきんの部屋がある方とは反対側、当然ながら仮眠が目的では無いため自室の前は素通り。身体の具合からすると仮眠は必要だがそんなものは後回しだ。

 そうして辿りついた一室の前。場合によっては心を鬼にしてお説教しなければならないため、一つ二つ深呼吸して心を決めてから扉を叩いた。

 

「……ラプンツェル、ちょっと良いかな?」

 

 そう、ラプンツェルの部屋の扉を。

 

「あ、じゃ、じゃっく! どうしたの?」

 

 僅かな間を置き、扉を開けて現れたのは当然ながらラプンツェル。ジャックの来訪が嬉しいのかその幼い面差しには可愛らしい笑顔を浮かべている。その笑顔を形容するなら邪気の無い、という言葉が相応しい無垢な笑顔だ。

 

「……ラプンツェル、もしかして君何か隠してるんじゃないかな?」

 

 ただし今回に限ってはその言葉は相応しくない。何故なら笑顔の下には焦りが見え隠れしていたし、扉を僅かに開けて顔だけ覗かせているのだから何か後ろ暗いところがあるのは明白であった。絶対に部屋の中に何か見られたくないものを隠している。

 

「な、なにもかくしてないよ? ラプンツェル、うそ、ついてないよ?」

(嘘下手だなぁ、ラプンツェル……)

 

 否定するラプンツェルだが可哀想なくらいおろおろしているし、何より度々部屋の中に視線を向けている。白を切っているのは明白で実に分かりやすい反応であった。隠し事など向いていない素直な良い子だ。

 

「本当に? 例えば赤ずきんさんのコートを勝手に持ち出したりとかしてない?」

「えっ!?」

 

 ねちねちと攻めるのは苛めているみたいで気分が悪くなりそうなので、前置きは無くその疑問を投げかける。

 途端に瞳を見開き息を呑むラプンツェル。理由はまだ不明だがコートを持ち出した犯人なのは確実なようだ。

 

「それでどこか破いちゃったか汚しちゃったかして、自分じゃどうにもできなかったからそのまま隠したりしてない?」

「えぇっ!?」

(ああ、やっぱり……)

 

 なので更にもう一つの可能性を尋ねるが、不幸なことにこちらも同様の反応。つまりはコートを傷つけてしまったらしい。ジャックとしてはこちらの推測は外れていて欲しかったのだが。

 

「……じゃ、じゃっく、どうしてわかったの!? もしかしてラプンツェルのこと、ずっとみてた!?」

「別にそういうわけじゃないよ。たださっき赤ずきんさんの部屋に行った時、君の髪の毛が落ちてるのを見つけたんだ。こんなに綺麗で長い金髪をしてる子なんて、僕の知る限りラプンツェルくらいだからね。破れたりしたかどうかについては、まあ勘みたいなものかな?」

 

 開いた口が塞がらないという大袈裟な反応をするラプンツェルに、ポケットの中身を見せてあげる。それは先ほど赤ずきんの部屋で見つけた金色に輝く非常に細長いもの、つまりはラプンツェルの髪の毛だ。

 とはいえ別に髪の毛があったから犯人と疑ったわけではない。そもそもこの髪の毛がコートを持ち去ろうとした時に部屋に落ちてしまったものだという判断材料は存在しないのだ。仮にこれがアリスや親指姫のものだったならジャックも無関係と考えただろう。

 ただラプンツェルの場合は少々事情が違う。他の血式少女はともかく、ラプンツェルはまだ幼い子供。赤ずきんの大切なフードを傷つけてしまったら、怒られるのが怖くてそれを隠そうとするかもしれない。そう考えてジャックはここに来たのだ。

 

「すごーい!? じゃっく、かしこーい!」

「あ、あはは、それほどでもないよ……それでラプンツェル、入っても良い? コートがどんな風になってるか確認したいんだ」

「……うん、いいよ」

 

 何ということはないただの予想を手放しで褒められ顔の火照りを感じてしまうも、ジャックは自分のすべきこととやってしまったことを考えて気を取り直した。そうしてやっと扉を全て開いてくれたラプンツェルの横を通り、部屋の中に入る。

 子供らしく玩具やクレヨンなどで散らかっている中、ベッドの上には探し回っていた赤ずきんのフードがあった。自分の力だけで見つけられたことは誇らしいが、残念ながら成果は誇れるようなものではない。

 

(裾とフードが破れちゃってる……やっぱり赤ずきんさんを連れてこなくて正解だったな)

 

 持ち上げて状態を確認した後、思わず安堵と後悔が混じった吐息を零してしまう。安堵はフードに傷がついている可能性を考慮して赤ずきんを連れてこなかったこと、後悔はそのために自分の身を酷く心配させる嘘をついてしまったことに対してだ。

 具合が悪いのは本当のこととはいえ、それを利用して赤ずきんを騙したのだから気分は最悪である。そのせいでただでさえ悪かった具合がそろそろ危ない領域に来ているくらいだ。

 

「じゃっく、これなおる……?」

 

 コートを眺めて複雑な気分に浸る中、ラプンツェルが怯えた顔で尋ねてくる。

 具合が悪くても赤ずきんにコートを届けるまでは倒れるわけにはいかないし、それを悟らせて誰かに心配をかけるわけにはいかない。なので安心させるためににっこりと笑いかけた。

 

「大丈夫。これくらいならハルさんがすぐに直してくれるよ」

「そっか! よかったー……」

 

 途端にほっとした様子を見せるラプンツェル。その様子を見れば悪意を持ってコートを持ち出したり傷つけたわけではないことは分かる。

 しかしここからは軽くお説教タイムだ。二人でベッドに腰かけたところで、ジャックは話を切り出した。

 

「ラプンツェル、そもそも君はどうして勝手に赤ずきんさんのコートを持っていったの?」

「あかあか、とってもつよくてかっこよくてふーどがだいすき! だからラプンツェルも、これをきたらおんなじになれるかもっておもった!」

「ああ、なるほど。確かに赤ずきんさんは強くてカッコイイよね!」

 

 子供らしい答えに自然と微笑みつつ賛同するジャック。ちょっとその声に力が入ってしまったのはジャック自身、赤ずきんに憧れているからに違いない。とはいえさすがにフードを身につければ自分も強くなれるとは思わないが。

 

(でも、僕もちょっとだけ着てみたいかも……)

 

 しかし十分に気持ちが分かるし、機会があれば着てみたいと思ってしまう自分がいた。というそのおかげで犯人がラプンツェルという推測ができた節もある。

 

「だけど勝手に持っていくなんて泥棒と変わらない悪いことなんだよ? それはちゃんと分かってるよね?」

「ラプンツェル、さいしょはちゃんとかしてっていおうとしたよ! だけどあかあかいなくてふーどだけあったから、ちょっとだけそこできてたたかうまねしてみたんだ。そしたら――」

 

 心外だとでも言いた気な顔をしていたラプンツェルだが、そこで言葉を切って言いにくそうに俯いてしまう。悲しいことにその先の展開は容易に想像できた。

 

「す、裾を踏んで転んで、破いちゃったんだね? フードの方はそれで慌てた時に引っかけて破いちゃったとか……」

「す、すごーい!? なんでわかるのー!?」

「まあ君には明らかに大きすぎるしね、赤ずきんさんのコートは……」

 

 最早尊敬に近いくらいの驚愕の瞳に耐え切れず、恥ずかしくなって視線を逸らすジャック。実際誰でも考え付くはずなのでこんなに褒められると居心地が悪かった。

 しかし今は曲がりなりにもお説教の最中。一つ咳払いをして気持ちを改め、もう一度ラプンツェルを真っ直ぐに見据える。

 

「ラプンツェル、さっきも言ったけど勝手に赤ずきんさんのコートを持っていったのはいけないことだよ? それと、破いちゃったからって隠すのもいけないんだ。こういう時、本当はどうすれば良いか分かってるよね?」

「あかあかに、あやまる……」

「うん。ちゃんと分かってるみたいだね。それじゃあ――」

 

 ――僕も一緒に謝るから、赤ずきんさんの所に謝りに行こう。

 本来ならこう口にするのがベストな場面だ。例え悪気が無くとも悪いことをしたら謝るのは当たり前のこと。それを知っているからこそ、ジャックは一丁前にもラプンツェルに説教をしているのだ。

 

「――ラプンツェル、今回のことは僕と君だけの秘密にしよう?」

「……ふえ?」

 

 しかしジャックが口にしたのは全く正反対と言って良い提案。

 フードを傷つけてしまった事実、そしてフードを無断で持ち出してしまった事実も隠蔽してしまおうという、犯罪者の発想にも似た提案だ。それをジャックは口を滑らせたわけではなく、自らの意思で口にした。まさか説教をした癖に自分を後押しする言葉が出てくるとは思っていなかったのか、ラプンツェルは目を丸くしてしまっている。

 

「じゃっく、あかあかにあやまらないの?」

「本当は素直に謝るべきなんだけど、赤ずきんさんにとってフードはとっても大切なものだからね。それが勝手に持ち出された上に傷つけられたら、例え綺麗に直って返ってきてもきっと良い気はしないよ。だから褒められることじゃないけど、知らずに済ませられるなら僕はそうすべきだと思うんだ」

 

 正直に謝るのは確かに正しい行いだ。だがそんな正しさを貫こうとすれば赤ずきんは間違いなく傷ついてしまう。自分の大切なものが勝手に持ち出された挙句、傷つけられていたのなら例え悪気が無くともショックを受けるのは想像に難くない。それなら悪い嘘をついて傷つかないようにする方がよっぽど良い。

 どのみちジャックは赤ずきんを一人で部屋に置いておくために、仮病を使って心配させるという卑劣で許し難い真似をしてしまった。すでにそんな悪事を働いている以上、もう一度似たような悪事を働いてもさほど変わりは無いはずだ。何となく犯罪者的な危ない心理に陥っている気がしないでもないが。

 

「うー……?」

「えっと……ラプンツェルは自分の髪が汚されたら嫌だよね? その後綺麗に洗えたとしても、最初から汚れない方がラプンツェルも幸せじゃないかな?」

 

 ちょっと難しかったのか小首を傾げたラプンツェルに対し、分かり易く言い直す。

 例える物体は異なるが赤ずきんのフードもラプンツェルの髪もそれぞれの血式リビドーに対応しているもの。自分の身に置き換えて考えてもらえれば何よりも分かりやすいはずだ。

 

「う、うん。ラプンツェル、きれいなかみじゃないといけないから……」

「それと同じことだと思えば良いよ。でも赤ずきんさんのフードはもう破れちゃってるから、こっそり直して破れてなかったことにしよう? そうすれば赤ずきんさんも傷つかなくて済むからさ」

 

 非常に分かりやすかったらしく若干怯えた様子すら見せるので、安心させるためにその頭を優しく撫でてあげる。美しい金髪はさらさらと手触りが良く、自然と微笑みが浮かんでしまうほどだ。

 しばらく撫でているとラプンツェルは無垢な笑みを取り戻し、大きく頷いてくれた。

 

「……うん! でもじゃっく、ほんとにあかあかにあやまらなくていいの?」

「もちろん本当は謝るべきなんだけど……ラプンツェルはちゃんと反省してるんだよね?」

「うん。かってにひとのものをもっていくのも、かくすのもいけないこと……」

「そっか。ちゃんと反省してるならそれで良いんだよ。ただもしもフードが破れたのを赤ずきんさんに気付かれちゃったら、その時は素直に謝ろう? もちろん僕も一緒に謝るから」

 

 こっそりフードを直してもらってもどうしても修繕跡は残ってしまうはずだ。ハルの腕や赤ずきんの観察眼などにもよるが、場合によっては真意を見破られてしまう。さすがにジャックもその時は包み隠さず全てを打ち明け、素直に謝ることを決めていた。

 

「どうしてじゃっくもあやまるの? じゃっく、ぜんぜんわるくないよ?」

「理由はどうあれ僕も破れたことを隠そうとしてる時点で共犯だからね。君と同じことをしてるんだから、もしバレちゃったら僕も一緒に謝るのは当たり前だよ」

「そっかー、じゃっくもわるいこ……」

 

 小首を傾げていたものの、説明すると腑に落ちたように呟くラプンツェル。ジャックの方は赤ずきんを傷つけないために隠蔽しようとしているのだが、理由はどうあれ隠そうとしていることに変わりは無いと分かったのだろう。

 

(悪い子、かぁ。むしろ僕が主犯だと思うし、当然だよね……)

 

 傍から見ればジャックが無垢なラプンツェルを唆し、騙し言いくるめて証拠隠滅の片棒を担がせているように見えるはずだ。というか実際その表現は何ら間違っていない。

 そう考えるとラプンツェルは共犯というよりはむしろ被害者である。幼い子供を騙して思い通りに操っている罪の意識に胸が痛いジャックであった。

 

「じゃあ今回のことは僕と君だけの秘密にしようね。コートは僕がハルさんに繕いをお願いして、その後赤ずきんさんに渡しておくから」

「うん! ありがとー、じゃっく!」

 

 とはいえ赤ずきんが傷つかずに済むのならこれくらいの胸の痛みは安いもの。

 ラプンツェルと秘密の約束を結び、ジャックは無垢な子供を騙した罪による胸の痛みと、赤ずきんのコートを抱えて部屋を出て行った。

 

(それにしても……頭痛いし、ちょっと眩暈がするなぁ……もうちょっとだから頑張らないと……)

 

 なお今現在抱えているものの中で一番酷いのは、貧血による頭痛と眩暈であった。案外これのおかげで罪悪感による胸の痛みがさほど気にならず、子供を唆し騙すという最低な真似を平気で行うことができたのかもしれない。

 何にせよこの体調の悪さはある意味自分への罰というものだ。弱っている赤ずきんを騙し、無垢なラプンツェルを騙し、自分の真意すら騙していることへの。

 甘んじてその苦しみを受け入れつつ、ジャックは再び血式兵器製造所へと向かい歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤ずきんさん、赤ずきんさん!」

 

 今すぐ中に飛び込みたい逸る気持ちを堪えつつ、赤ずきんの部屋の扉をノックするジャック。

 腕の中には破れた裾とフードをハルにこっそり修繕してもらった赤ずきんのコート。綺麗に直せたようで一見すると破れた痕があるとは思えないほどの完璧な仕上がりである。これならきっと赤ずきんも気が付かないはずだ。

 

「じゃ、ジャック? どうし――」

「――はい、赤ずきんさん!」

 

 まるで待ち構えていたかのような反応の早さで扉を開ける赤ずきんに対し、ジャックは言い終わらない内に手に持っていたコートを差し出した。

 

「――わ、わあっ! あたしのフード! 見つけてくれたんだ、嬉しいな! ありがとうジャックー!」

 

 きょとんとしたのも束の間、大袈裟を通り越して最早わざとらしいくらいに大喜びしてくれる。見つからなかった大切なフードが戻ってきた喜びが強すぎてちょっと抑えが効かないのだろう。

 

(赤ずきんさん、凄い嬉しそうだ。やっぱりこんな笑顔を見た後じゃ破れてたなんて言えるわけないや……)

 

 いずれにせよこんな笑顔を見せられたら今更真実を述べることはできない。

 一応ハルに修繕してもらっている間にフードを見つけた嘘の経緯なども考えてあるので理論武装はばっちりだ。そしてジャック自身もばっちり悪の道に入ってしまった気がしないでもない。まあこの眩い笑顔の前では些細な問題に違いない。

 

「よーし! これでいつも通りの皆のお姉さん、復活だ!」

 

 言って笑う赤ずきんはすでにコートを羽織っており、完全にいつもの調子を取り戻していた。その笑顔からは溢れんばかりの快活さが感じられ、先ほどまでの弱々しさなど微塵も見当たらない。やはり赤ずきんといえばこうでなくては。

 

「本当にありがとう、ジャック! やっぱりあんた結構頼りになるよ!」

「どういたしまして。赤ずきんさんにはいつもお世話になりっぱなしだし、こういう時くらいは僕も頼りになるんだってところを見せないと示しがつかないからね」

「へー、だったらあたしがまたフードを失くしたりしたら探してくれる?」

「もちろんだよ。僕、赤ずきんさんの力になれるのがとっても嬉しいんだ。だからその時はまた遠慮なく僕を頼って欲しいな」

 

 はっきり言って自らの血を用いて穢れを浄化すること以外で、ジャックが赤ずきんの力になれることといえばこれ一つくらいだ。自分より遥かに強くしっかり者な人の役に立つのはとても難しい。

 

(ああ、本当に嬉しいな。僕が赤ずきんさんの力になれたなんて……!)

 

 ただし難しい分、嬉しさも桁違いだ。頼りにならない自分があの赤ずきんの力になれたことが非常に喜ばしく、ジャックは緩む頬を引き締めることができなかった。きっと赤ずきんから見れば今のジャックはこれでもかというほどの満面の笑みを浮かべていることだろう。

 

「分かった。そういう時はまたあんたを頼ることにするよ。寝ていようがシャワー中だろうがお構い無しにお願いに行くからね?」

「う、うん……でも、シャワー中はちょっと勘弁して欲しいかも……」

 

 お願いに行くということは当然フードを失くした状態だ。つまり赤ずきんはあの弱々しく可愛らしい状態でジャックの下へ来るということ。さすがにそんな赤ずきんがお風呂場に突入してきたらジャックもちょっと理性が危うくなりそうなのでできれば避けたいところだ。

 まあ力ずくでどうこうできる相手ではないのでそんな心配はいらない気もするが。

 

「……本当にありがとう、ジャック。感謝してるよ!」

 

 変な想像で若干居心地の悪さを覚えたジャックに対し、改めて感謝の笑みを向けてくる赤ずきん。それは先ほどと同じ、普段以上の快活さが溢れる眩い笑顔だ。こんなに素敵な笑顔を目にすることができたなら、具合の悪い身体に鞭打ってフードを探し回り、胸が痛むような幾つもの嘘を重ねた甲斐もあるというものだ。

 

「どういたしまして、赤ずきんさ――あ……」

「わっ!? じゃ、ジャック!?」

 

 そんなことを考えていたからか、あるいは嘘をついて心配させた罰か。同じように微笑んで言葉を返そうとしたところ、ジャックは今度こそ本当に眩暈を起して崩れ落ちてしまう。

 ただ今回は床に倒れることも無ければ膝を着くことも無かった。目を丸くしながらも咄嗟に赤ずきんが身体を支えてくれたから。

 

「ご、ごめん、赤ずきんさん……気が緩んだら何かフラっと来て……」

「ジャック……あんた、本当に具合悪そうだね……」

「うん。でも大丈夫だよ。部屋でゆっくり休んでればすぐに良くなるから……」

 

 元々ジャックは具合が悪いからしばらく部屋で仮眠を取る、と言ってフード捜索を打ち切ったのだ。しかし十五分やそこらでフードを抱えて戻ってきた以上、赤ずきんもジャックが仮眠を取ったとは思っていないはず。これについてはさすがに騙せるとは思っていない。

 フードを探すという目的も真相はどうあれ表面上は無事に果たしたので、ここからは寄り道も嘘も無く部屋で仮眠を取って休むつもりだ。なのでジャックは支えてくれている赤ずきんの腕から離れようとした。

 

「……よし! ジャック、ちょっとこっち来なよ。フードを探してくれたご褒美に、お姉さんが良いコトしてあげるよ?」

「え? わあっ!? ちょ、赤ずきんさん!?」

 

 しかし何故かそのままがっちり捕まえられ、有無を言わさず引きずられてしまう。戸惑うジャックが引き摺られていく先は何とベッド。これには具合の悪さもすっ飛んで軽く二倍以上の大混乱となり再び舞い戻ってきた。

 

「こら、暴れない! 具合悪いんだから無理すると身体に障るよ?」

(ええっ!? 赤ずきんさん本当に何するつもりなの!? ご褒美って一体何!?)

 

 混乱から逃れようともがくも相手が赤ずきんでは逃れられるわけもない。もちろん具合が良くともその膂力に勝てるわけはないので完全に無駄な抵抗である。

 故にジャックはあっさりベッドに連れて行かれ、無理やりそこへ座らされてしまった。戸惑いと緊張に喉の渇きを覚える中、目の前に立つ赤ずきんの姿を控えめに見上げる。

 

「あ、赤ずきんさん……一体、何を……?」

「ふっふっふ……こうするんだよ、ジャック?」

 

 そう怪しく笑い、赤ずきんが行ったのは――

 

「――どうかなジャック? あたしの膝の寝心地は?」

「えっと……す、凄く、気持ち良いです……」

 

 以前部屋の中で倒れたジャックに眠り姫がやってくれたような、単なる膝枕であった。ほっとしたようながっかりしたような複雑な気分になってしまったのは男としての性というものか。

 ただこのベッドが毎晩赤ずきんが眠っているベッドだということと、服装故に剥き出しの太股に頭を乗せていることを考えると、単なる膝枕と言って良いのかどうかは疑問の余地が残る。

 

「なら良かった。それじゃあゆっくり休みなよ?」

「で、でも赤ずきんさん、さすがにこれは……」

「気にしない気にしない。具合が悪いのにお姉さんのために頑張って働いてくれた可愛い弟へのご褒美だよ。これくらいはさせてもらわないと逆にこっちの方が示しつかなくなっちゃうしね」

 

 上から覗き込んでくる赤ずきんの笑みがその台詞と共に微かに曇る。お姉さんとしての立場に拘りがある赤ずきんとしては、つい先ほどまでの自分の弱々しさに思うところがあるのかもしれない。

 

(うぅ……柔らかいし、良い匂いがして何か落ち着かない……!)

 

 そして拘っている理由をジャックも知っているからこそ、何も言えずに膝枕を甘受するしかなかった。後頭部から首にかけて伝わる赤ずきんの太股の柔らかさと、ベッドに染み付いているであろう心地良い香りに晒されていようとも。

 

「あ、そうだ。何だったら子守唄でも歌ってあげよっか?」

「……赤ずきんさん、僕のこと弟っていうよりも子供扱いしてない?」

 

 しかしさすがに子供扱いは看過できず、からかうような笑みを上から向けてくる赤ずきんを軽く睨みつける。

 一応ジャックも一人の男なので弟扱いにも思うところはあるものの、情けなくも貧血による体調不良で倒れかけて膝枕してもらっている身ではそちらは否定し辛い。

 

「あははっ、そんなことないよ。今日あたしのためにフードを探してくれてたジャックの背中、結構大きく見えてたからね?」

「……本当に?」

 

 なので否定を飲み込もうとしたところ、逆に当の赤ずきんから否定の言葉がかけられた。しかも考え方によっては一人の男とも見えた、とも捉えられる非常に嬉しい口振りだ。

 さすがにこれにはジャックも驚き聞き返してしまうが、返ってきたのは嘘など欠片も見当たらない眩しい笑顔。

 

「嘘なんかついてないよ。あの時のジャックは頼りがいがあって、傍にいるととっても安心できたんだ。あんたはあたしの力になってくれただけじゃなくて、しっかりあたしの支えにもなってくれてたんだよ?」

「……そっか。それなら、僕も嬉しいな……」

 

 憧れの赤ずきんの力になれたことだけでも嬉しいというのに、まさか本人にそこまで言って貰えるとは。あまりの嬉しさに感動すら覚え、ジャックは胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。これなら具合の悪い身体を叱咤して頑張った甲斐は十二分にあるというものだ。

 

(あ……何か、急に眠くなってきた……)

 

 頑張りが報われ耐え忍ぶ必要がなくなったせいだろうか。力になれて本望だと感じた途端、急激な睡魔が襲い掛かってきた。すでに目蓋は耐え難いほどに重く、身体を動かす気力も無い。このままでは本当に赤ずきんの膝枕で眠りに落ちてしまいそうだ。

 

「具合悪かったのにあたしのためにフードを探してくれて、今日は本当にありがとね……おやすみ、ジャック」

 

 何とか睡魔に抗おうとするもその一言と慈愛に満ちた微笑みが最後の一押しとなり、ジャックの目蓋はあっさり閉じてしまう。

 この場で眠りに落ちてしまうのが避けられないのならせめておやすみの一言くらいは返したいところだが、悲しいことにもう身体は眠りについているようで口を開くことも出来ない。まだ動くのは徐々に薄れていく意識の欠片だけだった。

 

(そういえば赤ずきんさん……フードをどこで見つけたか聞いてこなかったな……)

 

 薄れていく意識に引っかかり、ぼんやりと考えていたのはつかなくて済んだ嘘のこと。

 大切なフードを持ち去った犯人は誰か。無事に戻ってきても間違いなくそれを尋ねられると思っていたので、ジャックは発見した場所や状況の嘘をしっかり用意していた。嘘の出来はあまり良くないため聞かれないならそれはそれで有難いが、一言もそこに触れてこないのは絶対におかしい。恐らく赤ずきんは故意に聞こうとしなかったのではないだろうか。

 

(やっぱり、赤ずきんさんも気付いていたのかな……三つ目の可能性……)

 

 当初考えていたフードが無くなった理由その三。それは誰かが嫌がらせで持ち去った、という可能性。赤ずきんはジャックが何も言わなかったために、自分で三つ目の可能性に思い至ってしまったのかもしれない。

 しかし自分にそんなことをする仲間がいるはずがないと信じたくて、答えを聞こうとしなかったのだろう。ジャックだって同じように信じていたからこそ、三つ目の可能性を否定するために赤ずきんの部屋の捜索に乗り出しのだ。

 真実は嫌がらせではなく悪意の無い子供の失敗とも言うべきものだが、ジャックはそれを隠しているために赤ずきんは真実を知らない。

 

(聞かれないのは都合良いけど……嫌がらせだと思ったままに、しておくのは……あ、ダメだ……もう眠くて……何も……)

 

 真実を話さずにその誤解を解くことはできないか。その方法を何とか考えようとしたものの、すでに眠気は限界であった。

 最早抗う気力すら無く、ジャックの意識は速やかに深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ? ジャック、もしかしてもう寝ちゃった?」

 

 赤ずきんが気付いた時、ジャックはすでに規則正しい寝息を立てていた。

 まだ膝枕して五分も経っていないのにあっさり寝落ちしてしまうとは、そんなに赤ずきんの膝枕が気持ちよかったのだろうか。あるいは――

 

「そっか。やっぱり具合悪かったのは嘘じゃなくて本当だったんだね」

 

 ――嘘ではなく、本当に具合が芳しくなかったのだ。赤ずきんをラプンツェルの部屋へ付いて来させないためについた、真っ赤な嘘ではなく。

 そう、実は赤ずきんは全てを知っていた。だからフードは一体どこにあったのかという疑問も口にしなかった。聞かれたらジャックが困ってしまうと分かっていたから。

 知っている理由はジャックが自室で休むと言って部屋から出て行った後、すぐにその背を追いかけたためだ。故に隠したがっていたことは全て耳にしてしまった。

 別にその時点ではジャックの言葉を疑っていたわけではないし、追いかけた理由も疑いからではない。具合が悪いのに自分のためにフードを探してくれたジャックがちゃんと部屋に戻れるかが心配になったのと、もし迷惑でなければ休んでいる間一緒に部屋にいさせて欲しいと思ったから。フードが無いため気持ちが落ち着かないせいか、一人にされた途端に心細くなりいてもたってもいられなくなってしまったのだ。

 そして見つけたのは自室を素通りし、ラプンツェルの部屋の前に立つジャックの姿。そこで聞いた会話は今思い出しても衝撃の内容である。

 

「まさかジャックが証拠隠滅に加担するなんてびっくりだよ。あんた意外と悪いこと考える奴だったんだね、ジャック?」

 

 膝の上の悪い男に対してニヤリと笑いかけてみるものの、疲弊しきった寝顔には全く反応が無い。どうやら本当に深く眠っているようだ。まあそれを確認したからわざわざ口に出して語りかけているのだが。

 

「全く……あんたの目にはあたしがそこまで弱く見えたのかな? 確かに普段のあたしに比べれば弱々しかったのは否定できないけどさ……」

 

 確かにフードが知らぬままに傷つけられた事実はショックだ。しかしラプンツェルに悪気が無かったことは分かっているし、ハルがほとんど目立たないくらい綺麗に直してくれたようなのでさほどショックも受けていない。

 むしろショックというならあの人畜無害そうなジャックが証拠隠滅という悪行に走ったことの方が甚大なショックであった。もっとも理由を聞いたらむしろジャックらしいと納得してしまったのだが。

 

「でもあたしを傷つけたくないから悪いことだと知りながらやったんだし、その優しさに免じて今回は大目に見てあげるよ。ていうかあんた、弱ってたのは自分の癖によくもそんな身体で他人を気遣えるもんだね……」

 

 血の使いすぎが原因なら、たぶんジャックは手伝いをお願いしに行った時からすでに具合が悪かったのだろう。そもそも部屋にいたのも休んでいたからに違いない。

 そんな肉体的に弱っている状態だというのに、不安なだけの赤ずきんのためにフードを探して歩いてくれたのだ。しかもただ見つけることを良しとせず、赤ずきんを傷つけないために優しい嘘までつく徹底振り。

 後半はジャックが隠した優しさで本当なら知る由も無かったとはいえ、見えない所でさえここまで優しくされたら普通は勘違いしてしまってもおかしくない。

 

「ま、あたしはジャックがそういう奴だって知ってるから変な勘違いなんてしないけどね!」

 

 元々ジャックはそういう優しい奴だし、頑張りすぎるきらいがあるのも知っている。方法からして身体に負担がかかるのは当然なのだが、血式少女たちの力となるために血を使いすぎて倒れるなんてこともざらにある。

 別にジャック自身は下心とかそういうものは無く、単純に皆の力になりたいと願って頑張っているに過ぎないのだ。そしてそれは今回も同じこと。

 

「それにしても……ジャックの奴、本当に嬉しそうだったな」

 

 だからこそフードを赤ずきんに渡した時、ジャックが見せた笑顔はとても幸せいっぱいのものであった。赤ずきんの力になれたこと、役に立てたこと。その嬉しさが溢れ出ていて、初めて見たのではないかと思うくらいの達成感に満ちた最高に眩しい笑顔。それを思い出した赤ずきんは――

 

「――っ!」

 

 ――ドキッ、と自分の心臓が高鳴ったのをはっきりと感じた。

 

「あ、ははは……やっぱあたし、本当に弱ってたんだなぁ……」

 

 居心地の悪さに顔の火照りを覚え、思わず手で触って確かめてしまう。気のせいではなく実際に熱を持ち、更には微妙に頬が緩んでいるような感触さえ感じる。

 きっと今の自分の表情を見られたらとても恥ずかしい思いをすることになるだろう。ジャックが深く眠りに落ちているのは不幸中の幸いというやつだ。

 

「全く……弱ってるあたしに優しくして落そうとするなんて、あんた見た目からは想像もつかないくらい最低な男だね、ジャック?」

 

 やり場の無い胸の高鳴りを覚えさせた仕返しとして、眠るジャックの頬を指で突っついてみる。やはり相当深い眠りに落ちているらしく、柔らかな感触で押し返されるだけで別段これといった反応は返ってこない。

 確かにフードが無くて不安で堪らず、大いに弱っていたのは赤ずきんも認めるが、まさか本当に勘違いしてしまうとは。

 

(弱ってた所を優しくされただけでそんな風に思うなんて、あたしも結構単純なのかなぁ……)

 

 しかし赤ずきんはすぐに冷静さを取り戻すことができた。今胸を高鳴らせているのは弱っていた自分が感じたものの名残に過ぎないだろうし、ジャック本人にそんな意図は一切無いはずなのだから。

 故にこの気持ちは時が経てばすっぱり綺麗に忘れるはず。だからこそ赤ずきんはそれ以上考えるのは止めておいた。

 

(でもそれはそれとして、またあんな風に笑うジャックが見たいな……)

 

 それでもジャックの笑顔を見たいという気持ちは本物に思えた。

 ただの笑顔だったならともかく、さっき目にしたのは早々見たことの無い特別な笑顔だ。皆の力になりたいと日頃から望んでいるジャックが、赤ずきんの力になれたことである意味本懐を遂げられた故の特別な笑顔。達成感と幸福感に満ち溢れ、見ているこっちも幸せになれそうなほどの。だからあんな笑顔なら何度も見たいと思って当然だ。

 

「でもそう簡単には見られないか。ジャックは基本頼りないからなぁ……」

 

 そう容易く見ることなどできないと分かっているからこそ、赤ずきんは落胆と共に溜息をついてしまう。無論ジャックも頼りになる時はなるが、その機会ははっきり言って少なめ。大概はむしろ赤ずきんがジャックの力になったり世話をしたりだ。

 ちょうど今膝枕をしている赤ずきんとそこで寝息を立てているジャックの姿こそが、自分たちの力関係的なものの縮図と言えるだろう。これではジャックが赤ずきんの力になってあの笑顔を見せてくれることなど、ただ待っていては機会があるかどうかも疑わしい。

 

「……そうだ! だったらこうすれば良いじゃん!」

 

 だがそこで赤ずきんは起死回生の一手を閃いた。ジャックのあの笑顔が再び見られて、なおかつジャックも再び赤ずきんの力になれて喜べる、そんな素敵な方法を。

 唯一問題があるとすれば、それは明らかに褒められた方法では無いということ。

 

「ジャックだって悪いことしたんだし、それくらいは許してくれるよね?」

 

 しかしジャックも同じように褒められないことをしたのだ。赤ずきんを傷つけないためとはいえ、体調不良で倒れそうな真似をした挙句に、フードが破れた事実を隠蔽するという最低なことを。それなら赤ずきんだって似たようなことをしても許されるはず。

 

「……楽しみにしときなよ、ジャック?」

 

 そう語りかけ、何も知らずに眠りこけるジャックの寝顔へ笑いかける。これでまたあの笑顔が見られるという大きな喜びを込めた、渾身の笑顔で。

 やはりフードが無くて弱っていた分、受けた優しさは深く深く染み入ってきたのだろう。勘違いによる胸の高鳴りは未だに消えていなかった。

 

 

 





 果たして赤姉は何を思いついたのか。
 とりあえず子供の頃に何か壊してしまって隠そうとした人は絶対にいるはず。勿論私も通った道です。
 ……ところで「お姉さんが良いことしてあげるよ?」でエッチなことを思い浮かべた穢れの溜まっている人はいませんよね?




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自作自演


 ジャック×赤姉の一章三話目。隠蔽工作から続いて自作自演という、ツッコミを入れたくなるタイトルなのはご愛嬌。
 危惧した通り、この章の終わりまでの文字数がかなり長くなってきました。ただ話を三つに分けるために切っても良さそうな場所が見当たらなかったため、今回と次回はだいぶ文字数が多いです。



 ジャックにとって赤ずきんの力になれるというのは非常に喜ばしいことだ。

 向こうは頼りになる皆のお姉さん、そして強くて優しい憧れの人。対してこちらは頼りないひ弱な男、そして貧血で体調を崩しがちな軟弱者。だからこそ力になれた時はいっそ小躍りしそうなくらい嬉しくて、達成感に頬が緩むのをどう頑張っても抑えられない。

 

「赤ずきんさん、コート見つけたよ!」

 

 だからこそジャックは抑えるのを諦め、むしろ自分から笑いながらそれを伝えた。

 きっと赤ずきんから見れば今のジャックは気持ち悪いくらいに満面の笑みに見えるはずだ。ベッドのシーツの下に隠れていたコートを見つけただけだというのに。

 

「本当に!? ありがとうジャック、助かったよー!」

 

 しかし赤ずきんは特に気にした様子も無く、喜び溢れる満面の笑みでコートを受け取る。

 不安気に曇っていた表情をいつも通りの眩しさに戻せたこと、それを誰かの協力を仰ぐでも嘘をつくでもなく自分の力だけで為せたこと。どちらも嬉しい限りでジャックは自分が浮かべている笑みが更に深まったのをはっきりと感じた。

 

「どういたしまして。それにしても赤ずきんさん、本当は意外とうっかり者だったんだね」

「なっ!? う、うっかり者ってどういうことさ!」

「だって赤ずきんさん、結構頻繁にフードを失くすんだもん。ここ一週間でもう三回目だよ?」

 

 酷い侮辱を受けたとでも言いた気な顔をしている赤ずきんだが、ジャックは事実を述べただけだ。つまりここ一週間で三度もコートを失くし、一緒に探してくれるよう頼みに来たという事実を。

 恐らくはまたフードを失くした時は力になる、と約束したのが原因なのだろう。ラプンツェルがコートを持ち去った事件を皮切りに、赤ずきんは探すのを手伝って欲しいと何度もジャックにお願いに来るようになった。きっと誰にも協力を求めなかっただけで、以前から頻繁に失くしていたに違いない。

 

「それに失くす場所がいちいち簡単だし。今回はシーツの下で、前はタンスの片隅だったっけ。よく探せば簡単に見つかるような場所ばっかりだよね」

 

 そして失くす場所も冷静に探せばすぐに見つかりそうな場所ばかり。それも赤いファーで彩られたフード付きの黒いコートという、目立つ上に嵩張る衣類を頻繁に失くすのだからうっかり者としか言いようが無い。おまけにそのコートは毎日身に着けているものなのだからなおさらだ。

 

「あ、あたしだってちゃんと探してるよ! 部屋中引っくり返して!」

「えっと……赤ずきんさんは探し物をする時はもうちょっとスケールを小さくした方が良いんじゃないかな? そうすればきっと僕に頼らなくてもすぐに見つけられると思うけど……」

 

 少なくともベッドやタンスそのものを物理的に引っくり返したりしなければすぐに見つかるはず。というか今回はそれが原因でコートが見つからなかった節もある。何せベッドを引っくり返したことで床に落ちたであろうシーツの下に隠れていたのだ。

 きっとジャックに頼らなかった頃も同じような失敗を犯してすぐに見つけられなかったに違いない。そんな事実を厚意から指摘してあげたのだが、何故か赤ずきんは逆に笑みを曇らせてしまう。

 

「あ、あたしは、その……できれば、ジャックに頼りたいんだよ……」

「えっ、どうして僕に?」

「ほ、ほら! あたしそういう細々としたことは苦手で全然見つけらんないし、ジャックならそういうのは得意そうだからだよ! それにジャックは何かあたしの力になりたがってるみたいだし、どうせならお願いした方が良いかなって思ってさ!」

 

 理由を尋ねた所、何故か赤くなって笑いながら答えてくれる赤ずきん。

 顔を赤くする理由は分からなかったものの、考えていることは大体分かった。恐らくは頼り無いジャックに自分の力になれる機会を与えてくれているのだ。これもやはり、赤ずきんの力になれるのはとても嬉しいと伝えたからなのだろう。

 

(赤ずきんさんは優しいなぁ。わざわざ僕にそんな機会をくれるなんて……)

 

 赤ずきんが自力で見つけるまでの時間は不明だが、ジャックより早いということはないはずだ。何故ならジャックにお願いする前にはジャック自身がどこにいるかを探す必要がある。そんな二度手間を冒した方が早いということはありえない。 

 自分にメリットはほとんど何も無いというのに、フードが無いことによる不安を感じる時間を延ばしてまでジャックに機会を与えてくれるとは。これを優しいと言わずに何と言うのか。

 

「そうだね。確かに赤ずきんさんは大雑把な所もあるし、難しいことはあんまり考えない性質だもんね?」

「……ジャックー? あんたそれ、遠回しにあたしのこと馬鹿だって言ってるー?」

「え? べ、別に僕はそんなつもりで言ったんじゃ……」

 

 からかい混じりに返したのがまずかったのか、赤ずきんはむっとした顔で視線を注いできた。当然ジャックにはそんなつもりはなかったのですぐに謝ろうとしたのだが――

 

(あ、凄く嫌な予感……)

 

 ――どうやらすでに手遅れだったらしい。赤ずきんの瞳にはどことなく嗜虐的な光が浮かんでいた。具体的にはジャックをトレーニングで扱く時の楽しそうな光が。

 

「それじゃあ僕、用事思い出したからもう行くよ! またね、赤ずきんさん!」

「あっ!? 待て、こら! 逃がさないよ、ジャ――」

 

 何にせよ赤ずきんのコートは見つけてあげたのでもうこの場に留まる理由は無い。故にジャックはすぐさま部屋から逃げ出した。

 ただし相手はあの赤ずきん。例えジャックが火事場の馬鹿力的な身体能力を発揮して全力で走ったとしても、三秒稼げるかどうかすら怪しいところだ。馬鹿正直に走って逃げては絶対に捕まる。

 なので部屋を出て扉を閉めた瞬間、ちょうど扉の死角になる壁に張り付いた。

 

「お姉さんを脳筋呼ばわりした罪は重いよ! ベンチプレス五十キロの刑だ!」

(えっ!? 僕そこまで言ったっけ!? ていうか罪が物理的に重い!)

 

 一泊遅れて勢い良く扉が開き、そんな身に覚えの無い罪を口にしながら赤ずきんが駆けて行く。扉の影には目もくれず、ジャックの姿も見えないのに馬鹿正直に直進していく姿は確かに脳筋と称するべきなのかもしれない。

 何にせよ赤ずきんが作戦に嵌っている内に逃げなければ。罰としてやたら筋トレを推しまくる声が離れていくのを気にしつつ、ジャックは廊下を足早にこそこそと歩いた。

 

「――わっ!?」

「おおっ!?」

 

 しかし声を気にしてあらぬ方向を向いているのが災いしたのか、角を曲がった所で誰かとぶつかってしまった。反動で床に尻餅をつくジャックが目にしたのは、自分と同じく尻餅をつくハーメルンの姿だった。

 

「いたた……ご、ごめん、ハーメルン……っ!?」

 

 謝罪の言葉を口にするジャックだが、続けて目にした光景に息を呑んでしまう。

 元々ハーメルンは幾本かのベルトのようなものを身体に巻いてボロボロのマントを羽織ったかなり際どい格好をしている。そんな格好にも関わらず目の前で尻餅をつかれ、微かにとはいえ両足を開かれているのだ。何が見えるかなど言う必要はないだろう。

 

「ええい、何をしておるか馬鹿者! ワレは問題無いがもう少しでお嬢にぶつかるところだったではないか!」

「気にしなくて良いのよ、ジャック。それよりどこか怪我はしてない?」

 

 自分で立ち上がるハーメルンを尻目に、隣にいたアリスが手を差し伸べてくる。とりあえずジャックはさっき見たものを記憶の片隅に追いやってからその手を取って立ち上がった。

 

「う、うん、大丈夫だよ。ただ赤ずきんさんに捕まったら結果的に両腕が折れることになるかもしれないけど……」

 

 そう呟きつつ、周囲の様子に気を配る。もう声も届かないほど遠くへ行ったのか、すでに赤ずきんの声は聞こえない。

 それでもついさっきまでは執拗なベンチプレス推しの声を響かせていたので、アリスも何となく事情を察しているのだろう。ジャックの呟きに対してくすりと笑った。

 

「ふふっ。さすがに赤ずきんさんはそこまで酷いことはしないと思うわ」

「そうかなぁ? 何だか腕が折れるまでバーベル上げやらされる気がして怖いよ……」

「その割には楽しそうに笑っておるな、ジャック。妙に機嫌が良さそうだじょ……ぞ!」

「ええ、そうね。今もそうだけれど、何だか最近ジャックはとても充実しているように見えるもの」

「あ、やっぱり分かっちゃうんだね?」

 

 ハーメルンの指摘に対して、同意見なのかアリスも頷く。

 機嫌が良いのはジャック自身も気付いていたし、その理由も分かっている。ここ七日間でも三回も赤ずきんの力になることができたからだ。憧れの人の力になれた達成感や、不安に曇った表情を笑顔に変えられた喜び、そういったものが最近ジャックの機嫌を良くしている要素である。

 

(でも理由をアリスたちに言えないのがちょっと辛いなぁ。勝手に話したら赤ずきんさんに怒られそうだし……)

 

 まさか皆のお姉さんとしての立場に拘る赤ずきんが、本当はフードを頻繁に失くすようなうっかり者だと教えられるわけがない。誰も幻滅などしないことは分かっているが、話したことを本人は快く思わないだろう。故にこれは胸に秘めておかなければならない話だ。

 

「もちろんよ。ジャックのことは良く見ているもの」

「ふむ。何か良いことでもあったのか?」

 

 しかし二人とも興味津々な様子であり、さすがに嘘を語るのは躊躇われた。

 というかジャックとしてもできれば語りたい話題だ。頼りにならない自分が赤ずきんの力になれたのだから、それを話して誇りたい気持ちが胸の中にある。だが話すと赤ずきんの秘密に関わりそうなので明かせないのが何とももどかしい。

 

(うーん、当たり障りのないことなら話しても大丈夫かな……?)

 

 多少悩んだものの、赤ずきんの姉としての沽券に関わる部分に触れなければ話したって怒られないはずだ。万が一触れた所を話してしまったとしても、その時は二人に秘密にしてもらえばそれで済む話。

 何やらまたしても悪の道に入りかけているジャックだが、それだけ最近は機嫌が良いということだ。決して赤ずきんのコートに対する隠蔽工作で悪事に対する感覚が麻痺したとか、そういうわけではない。はず。

 

「うん。実は――」

「――見つけたよ、ジャック? さあ、あたしと一緒にベンチプレスしよっか。最低でも五十キロは持ち上げてもらうよ?」

(……話そうとしてごめんなさい、赤ずきんさん)

 

 心の中で言い訳しながら秘密を話そうとした罰だろうか。口に出そうとしたその瞬間、後ろから肩を叩かれた。

 振り返ったジャックが見たのは、当然ながらニヤリと笑う赤ずきんの姿。ジャックが秘密を話そうとしたことに気付いたのかどうかはその表情から判断できないが、とりあえず何が何でもベンチプレスをさせるという意思だけは緑の瞳から伝わってきた。

 

「えっと……そういうわけだから、またねアリス。ハーメルンも」

 

 さすがにこの状況から逃げられるとは思わない。大人しく捕縛されることにしたジャックは、赤ずきんに連行されつつ二人に別れを告げた。

 まあ当たり障りの無いことを話そうとしたとはいえ、もしかしたら口が滑って秘密を暴露してしまう可能性もあったのだ。それなのに軽率にも口にしようとしたのだから、五十キロのベンチプレスくらいは罰として甘んじて受けるべきだろう。持ち上げられるかどうかは別として。

 

「え、ええ。またね、ジャック」

 

 引きずられていくジャックの姿に目を丸くしつつも、笑って送り出してくれるアリス。その笑みがちょっとだけ引きつっていたのはジャックの扱いが酷いせいか、それとも赤ずきんの有無を言わさぬ雰囲気のせいか。

 

「精々頑張るが良い、ジャック! なに、百キロなぞ軽い方だ!」

(え!? もしかして合わせて五十キロじゃなくって片方五十キロってこと!?)

 

 ハーメルンの方は満面の笑みであったが、代わりに非常に気になる台詞と共に送り出してくれた。

 まさか赤ずきんはジャックの細腕に百キロというとんでもない重さのバーベル上げをさせるつもりなのだろうか。だとしたら比喩でも何でもなく間違いなく骨が折れてしまう。聞くのが怖いジャックは何も言えず、不安を胸に抱えたまま赤ずきんに引きずられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……! あ、赤ずきんさん! もう無理っ……!」

 

 合計四十キロのベンチプレス、その持ち上げ七回目でジャックが弱音を吐く。

 この程度の重さと回数が限界など赤ずきんからすれば俄かには信じがたいことだが、ジャックの様子からすると信じないわけにはいかない。何せ真っ赤な顔でぷるぷると震え、搾り出すような苦しげな声で限界を口にしているのだ。どう見てもいっぱいいっぱいなのは演技ではない。

 

「だらしないなぁ、ジャックは。これくらい軽く持ち上げられるじゃんか」

 

 あくまでも補助として持ち上げていたバーベルを小刻みに震える腕からもぎ取る。重量から解放されたジャックは途端にぐったりと両腕を投げ出し、荒く息を乱していた。まるでキロ単位で全力疾走でもした後、そのまま燃え尽きてしまったかのような消耗の仕方だ。

 まあ実際の所は休憩を挟んで三十キロを十回、三十五キロを十回、四十キロを七回持ち上げただけなのだが。

 

「ぼ、僕にはそんな、軽々持ち上げられないんだってば……ていうかそんな力があるなら、僕だって皆の力になる方法に、頭を悩ませたりしなかったよ……」

 

 ぐったりしながらも非常に納得の行く答えを切れ切れに口にするジャック。

 確かに赤ずきんと同じくらいの力があればジャックだって悩んだりはしなかっただろう。黎明に連れてきた張本人である赤ずきんだからこそ、ジャックが自分の無力さに嘆いたり皆の力になる方法に頭を悩ませていたのは良く知っている。

 

「……それもそうだね。良し、じゃあお仕置き兼トレーニングはこれくらいで勘弁してあげるよ。ジャックにしては頑張った方だしね?」

「あ、一応トレーニングだったんだね、これ……」

 

 自分とは別のやり方で皆の力になり、頑張っているジャックを頭を撫でて褒めてあげる。

 ジャックの表情がちょっと不満気なのは男の子なのに子供のように頭を撫でられているせいか、それとも自分が十回も持ち上げられなかったバーベルを赤ずきんが肩に楽々担いでいるせいか。

 

「あはは。じゃなきゃ幾らお仕置きでも女の子みたいに細いジャックにこんな酷いことしないよ。あたしは優しいお姉さんだからね」

「お、女の子みたいに……細い……」

(あー……もしかして、気にしてるのかな?)

 

 バーベルを元の場所に戻し終えて振り向いてみれば、酷いショックを受けたように愕然とするジャックの表情。どうも赤ずきんがジャックのコンプレックスを容赦無く抉ってしまったらしい。

 だとすればこれは間違っても優しいお姉さんの所業ではない。何とかフォローしなければ。

 

「で、でも、あたしは細くても良いと思うよ! ほら、ジャックは女顔だから細くても似合ってて可愛いじゃん! あたしなんかよりもよっぽど女の子らしく見えるよ!」

「……赤ずきんさん、気持ちは嬉しいけどそこまで無理にフォローしてくれなくても良いよ。お互いにダメージを受けるだけだからもう止めよう?」

「うぅ……ごめん……」

 

 フォロー失敗どころから追い討ちをかけてしまい、なおかつ自爆までしてしまう。そんな赤ずきんに対して怒るでもなく、やんわりとした笑顔で押し留めてくれるジャック。

 何故かは分からないが、最近どうにもジャックに対して上手くお姉さんぶることができなくなってきたように思えてならなかった。確かにジャックも大いに頼りになる一人の男に見える時もあるのだが、それは赤ずきんがフードを外している時だけだ。それ以外の場合では頑張り屋さんの優しい弟、という風に思っていたはずだというのに。

 

「それに赤ずきんさんは凄く女の子らしいよ。前にも言った気がするけど、肌とか爪とかも綺麗に手入れしてるし、可愛い帽子や服もいっぱい持ってて実は結構おしゃれだもんね?」

「じ、実はは余計だよ。実はは……」

「あははっ。ごめんね、赤ずきんさん」

 

 挙句ジャックは自爆した赤ずきんに対してフォローしてくれる。

 何だか悔しくて言い返したかったものの、意外にジャックの言葉が巧みなせいで口に出せたのは負け惜しみ染みた呟きだけだった。そんな大人気ない言葉もジャックは朗らかに笑って許してくれた。

 

「それじゃあ、お仕置きとトレーニングが終わったならもう部屋に戻っても良いかな? 結構汗かいたからシャワーでも浴びてすっきりしたいし」

「そ、そうだね。そうすると良いよ。次は五十キロを持ち上げられるように頑張ろっか?」

「い、一、二回持ち上げるだけじゃダメなんだよね……あ、そうだ。赤ずきんさん、一応シーツは取り替えた方が良いよ。僕結構汗をかいたから匂いがついちゃったかもしれないし」

「え? あ、あー……そうだね。取り替えておくよ」

 

 言われて赤ずきんはベッドに視線を注いでしまう。

 まさかこの程度でジャックがそんなに汗をかくとは思っていなかったし、補助する都合上高さもちょうど良かったのでベッドをベンチプレスの台として使ったのだ。となると本人が指摘した通り、今赤ずきんのベッドにはジャックの匂いが染み付いているのかもしれない。ただ赤ずきんは不思議とそれを嫌だとは感じなかった。

 

「うん、そうした方が良いよ。それじゃあまたね、赤ずきんさん」

「あ、うん。またね、ジャック」

 

 笑顔で去るジャックに対して、こちらも同様に笑いかけて見送る。ジャックが部屋から去った後、一人残された赤ずきんはベッドに腰かけると大きく溜息を零した。何とか堪えていた感情を一度で吐き出す、途轍もなく深く長い溜息を。

 

「はぁ……参ったなぁ。もう一週間になるのに全然戻んないよ……」

 

 そして胸に手を当て一人呟く。手の平に伝わってくるのは一応は女の子である柔らかさと、その奥で高鳴っている心臓の鼓動。

 赤ずきんは最初の一回を含めて計三回、この一週間でジャックのあの笑顔を見ることに成功した。方法は極めて単純明快。フードを無くしたふりをして部屋のどこかへ隠し、それをジャックに見つけてもらうという自作自演の手法だ。これはこれでだいぶ許しがたい行為な気もするが、ジャックだってその類の行為を隠れて行ったのだ。バレたとしても責められる筋合いは無いし、バレなければジャックも赤ずきんも幸せでいられる。

 そんな完璧な計画で今の所は上手く行っているのだが、問題が一つだけあった。単なる勘違いのはずの気持ちが、一週間経過しても依然として胸の中にあることだ。おまけにむしろ前よりも強まっている気がするし、そのせいかジャックに対してあまりお姉さんぶることができないでいる。本当に一体どうしたのだろうか。

 

「もしかしてあたし、本当にジャックのこと……」

 

 考えられる理由は、勘違いではなく本当の気持ちだということ。

 つまり赤ずきんはジャックに――

 

「い、いや、そんなことあるわけないって! そりゃあジャックは優しいし、あたしのこと女の子扱いしてくれるけどさ……」

 

 ――そんな考えから逃げるようにベッドへダイブし、枕に顔を埋めて独り言を零す赤ずきん。

 頼りになる皆のお姉さんである赤ずきんが、落ち込んでいる時に優しくされただけで惚れてしまうチョロイ女であって良いわけが無い。ジャックがそういう目的で優しくしてくれたならともかく、あれは完全に素で下心は一切無いのだ。だからこそ絶対に落ちて良いわけが無い。

 

「……ん? これ……ジャックの匂い……?」

 

 不意に枕から香る匂いに気付き、思わず何度か嗅ぎ直す。どうやらジャックが言っていた通り、汗をかいたことで少しとはいえ匂いが染み込んでしまったらしい。いつも使っている枕なのに別の匂いがした。

 ただし決して不快ではない。汗なので多少酸いのは当然なものの、むしろ心地良さを覚える匂いだ。くんくん嗅いでいると高鳴る胸がぎゅっと締め付けられ、何ともいえぬ心地良い痛みが――

 

「――って、これじゃただのド変態じゃん! 何やってんのさ、あたしは!?」

 

 正気に戻った赤ずきんは顔を埋めていた枕を放り投げる。

 どう考えても先ほどの残り香をくんくん嗅いで頬を緩める赤ずきんの姿は、頼りになるお姉さんでもなければ恋する乙女でも無い。ただの危ない女のそれだ。

 

「もしかしてあたし、そんなにチョロイ女だったのかな……?」

 

 何だか居たたまれなくなり、安息を求めてフードを目深に被る。

 頭をすっぽり覆い隠してくれるフードにいつもなら安心感を覚えられるはずだが、残念ながら精神は欠片も落ちつかなかった。むしろ先ほどジャックと一緒にいた時の方が落ち着いているという有様だ。

 もしかすると本当に自分はジャックに惚れてしまったのではないだろうか。わざわざフードを自分で隠してジャックに探させるという自作自演を行っているのも、純粋に笑顔が見たいからではなく自分に構って欲しいという欲求の表れではなかろうか。確かにジャックのことは嫌いではなかったし、むしろ好ましい人物だと常々思っていたのだが。

 

「……い、いや、皆のお姉さんのあたしがそんなにチョロイ女なわけないよ! きっともう少し待てばこの気持ちもしっかり消えてくれるはずだ!」

 

 悶々としていた赤ずきんだが、やがて平静を取り戻してフードを上げる。

 きっと色恋に関しての体験が無いから抵抗が無く、心がすぐには勘違いだと気付いてくれないだけだ。もう少し日が経てばこんな気持ちも無くなるはず。そうでなければこの先ジャックに対してお姉さんとして振舞うことができなくなってしまう。

 

「よーし、気持ちを入れ替えるためにもあたしも汗を流そっかな!」

 

 故に赤ずきんは気持ちを改めるため、トレーニングに精を出すことにした。とりあえずは先ほどジャックが持ち上げられなかったバーベルを、その二倍の重さで持ち上げる所から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックにとってここ最近は非常に充実した日々が続いていた。

 理由はもちろん、ジャックが何度も赤ずきんの力になれているから。やっていることはただどこに置いたか分からなくなったコートを探してあげているだけだが、ジャックからするとそれだけでも十分に嬉しい。

 コートを探している間はいつもとは逆にこちらが赤ずきんに頼られて何だか誇らしい気持ちになるし、コートを見つけてあげれば赤ずきんはとても眩しい笑顔を浮かべて喜んでくれる。ジャックだって一応は男なので、女の子に頼られるのも女の子の飛びきりの笑顔を見られるのも非常に嬉しかった。

 

「……ハルさん、ちょっと良いですか?」

「あ? どうした?」

 

 ただほんのちょっとだけ引っかかることがあったので、世間話程度に聞いてみることにした。ちょうどハルがメアリガンのメンテナンスをしてくれているので、待っている間の話題提供という所だ。それにジャックが知りたがっていることに対してかなり詳しいと思われる人物だからでもある。

 

「ハルさんって確かそれなりに昔から黎明にいたんですよね。それって子供の頃の赤ずきんさんのことも良く知ってるってことですか?」

「あのオッサンほどじゃねぇけど俺も結構古株だからな。赤ずきんのガキの頃ならよーく知ってるぜ。何だ、あいつのガキの頃の恥ずかしい話でも聞きてぇのか?」

 

 思いの外興味を誘う話題だったのか、工具を持つ手を止めてこちらに視線を向けてくる。

 話してくれそうなのは喜ばしいのだが、何だか顔がちょっとニヤついているのが気になった。そして恥ずかしい話というのも微妙に気になる。

 

「それは……止めておいた方が良いと思います。話したことが知れたらハルさんはともかく、僕はただじゃすまないでしょうし……」

「……そうだな」

 

 気にはなったが、怖いので話を聞くのは止めておいた。ちょっと失礼なことを言ってしまっただけでキツイお仕置き兼トレーニングを科せられたのだ。そんな赤ずきんを怒らせるようなことをしたら後が怖い。

 ジャックの末路を想像したのか、それとも本気で怖がってるように見えたのか。ハルはちょっと気の毒そうな表情で頷くと、再び作業に戻った。

 

「僕が聞きたいのは恥ずかしい話じゃなくて、もっと普段の様子というか……赤ずきんさんって結構失くし物をするタイプでしたか?」

 

 ジャックが気になったのはそのこと。赤ずきんがやたら頻繁にフードを失くすことがどうしても引っかかるのだ。

 無論いくら赤ずきんでも完璧ではないことは分かっている。ただラプンツェルの仕業である最初の一回を除いても、あんなに目立つコートをここ数日で二度も失くしているのだ。それも失くした場所はすぐに見つかりそうな部屋の中。幾らなんでもそんなことがあり得るだろうか。それとも赤ずきんは底抜けにうっかり者だったのだろうか。

 

「失くし物ねぇ……根がアレだから物は長持ちしねぇタイプだったけど、失くし物ってのはあんま無かったな。あいつは失くすよりぶっ壊すタイプだ。ガキの頃は何度フードを繕ったか数え切れねえよ」

「あ、あはは、何となく想像つきます……」

 

 深い溜息を零すハルに思わず苦笑するジャック。

 返ってきたのは余計に今の状況に疑問を抱かせる答えであり、ますます疑問が深まってしまった。子供の頃よりしっかり者になっているであろう赤ずきんが、何故底抜けにうっかり者になっているのか。全くわけが分からない。

 

「で、お前は何で突然そんなこと聞きたくなったんだ? ただの暇つぶしの話題ってわけじゃねぇんだろ?」

「えっと、それは……」

 

 尋ねられてしばし悩む。赤ずきんが頻繁にフードを失くす事実も、その捜索をジャックにお願いに来ることも二人だけの秘密だ。誰かに気軽に話して良い事ではない。

 

(でも、ハルさんなら大丈夫かな。赤ずきんさんの恥ずかしい過去を知ってるなら、それが一つ増えるだけだし……)

 

 とはいえ相手はこんな秘密よりももっと凄い秘密を知っていそうな人だ。そもそもこの秘密を話したところで誰かに吹聴するような人ではない。

 それにジャックとしては秘密でも話して相談したい気持ちがある。もしかしたら赤ずきんは何か大きな悩みがあって、そのせいで頻繁にコートを失くしているのかもしれないから。何か困っていることがあるなら力になってあげたい。

 

「……実は最近、赤ずきんさんが頻繁にフードを置き忘れたりしてるんで探すのを良く手伝ってるんです。赤ずきんさんの力になれるのは嬉しいんですけど、そんなに失くし物するタイプだったのかちょっと気になって……」

 

 故にジャックはその秘密を口にした。もちろん軽い気持ちではなく固く決心した上でのことだが、約束を破り秘密を漏らすという悪事を働いた。

 何故かは分からないが最近妙にそういった悪事を働いてしまっている気がする。やはり証拠隠滅という悪行に走ったことで箍が外れ、外道に落ちてしまったのだろうか。

 

「なるほどな。それであいつの昔の話を聞いたってわけか」

「はい。赤ずきんさんが言うには、皆には秘密にしてるけど昔から結構頻繁に失くしてるみたいなんです。でもハルさんから話を聞いた限りだと違うみたいでちょっと不思議に思ってます」

 

 ハルから話を聞いた限りでは赤ずきんにそんな忘れ癖など無い。つまり赤ずきんは昔から失くし物が多いと嘘をついているのだ。一体何故そんな嘘をつくのかジャックには全く見当がつかなかった。

 

「ん? 秘密ってんなら何でお前は知ってんだ?」

「あ、それは僕が力になるよって言ったからだと思います。そのおかげで赤ずきんさん、フードを失くすとすぐに僕にお願いに来るんです。ここ一週間でもう三回も赤ずきんさんの力になれました」

「あー、何か機嫌良さ気だと思ったらそういうことか。お前あいつの力になるのがそんなに嬉しいのか?」

「はい! だって赤ずきんさんは強くて優しい僕の憧れの人ですし、そんな人の力になれれば嬉しいに決まってますよ!」

 

 投げかけられた何気ない疑問に対し、ジャックは力強く肯定した。

 頼りない自分でも皆の力になれるなら嬉しい限りだし、その相手が憧れの赤ずきんなのだからおさら嬉しい。それにフードを見つけてあげればいつも飛びきりの笑顔を見せてくれるし、不謹慎なのは分かっているがフードの無い赤ずきんの可愛い様子を見ることができる。ここまで嬉しいことなどそう簡単には思い浮かばない。

 

「お、おう……そうか……」

(あ、ハルさん何かちょっと引いてる……)

 

 ただハルはここまで力強く肯定されるとは思っていなかったらしい。ちょっと困惑気味というか、どこか哀れみを感じる視線を向けてきた。まあ自分でも少々浮かれすぎではないかという自覚はあるので、何か言い返すのはやめておいた。

 

「……その、なんだ。ジャックお前、もしかしてあいつに……」

 

 その代わりに向こうが何かを言おうとする。

 ただし口に出すのに躊躇いがあるのか、続く言葉はいつまで待っても届いてこなかった。一体何を言わんとしているのだろうか。

 

「どうしたんですか、ハルさん?」

「あー……いや、何でもねぇよ。お前のは素だろうし、よりにもよってアイツってのも無さそうだからな」

(何だろう……僕のは素だとか、よりにもよって赤ずきんさんとか……)

 

 結局続く言葉は聞かせてくれず、ハルは勝手に一人で納得していた。

 すごく気になったが今はそれよりも大事なことがある。うっかり者ではなかったはずなのに、頻繁にフードを失くしてしまう今の赤ずきんをどう考えるかだ。

 

「それで……ハルさんはどう思いますか? 赤ずきんさんがこんなに頻繁にコートを失くすこと」

「そうだな。ま、十中八九わざとやってんだろ」

(わざと……? それってもしかして、赤ずきんさんが自分でコートを隠してるって事?)

 

 ハルの予想にジャックは首を捻って考え込む。

 仮にその予想が正しいとしても、その目的がさっぱり分からない。一時的にフードを失くして不安を味わうことに一体何の意味があるのか。それで赤ずきんは一体何を得るのか。

 

「ど、どうしてそう思うんですか?」

「じゃなきゃあんな嵩張るもんそう簡単に失くすかよ。アレはあいつが特に気に入ってる服だしなおさらだ。お前だって怪しく思ったから俺に話してんじゃねぇのか?」

「それは……そうですけど……」

「まあ気になるってんなら本人に聞いてみろよ。普段のアイツ相手ならお前にはちっと厳しいかもしれねぇが、フードがねえってんならお前でもいけるだろ?」

 

 ニヤリと笑い、意味あり気な視線を向けてくる。

 昔の赤ずきんを良く知っているのだから、フードが無いとどれだけ精神的に弱くなるかも良く知っているのだろう。つまりその弱っている隙を狙い、強く攻めて口を割らせろということか。

 

(確かにフードの無い赤ずきんさんなら、僕でも強く押せば口を割れそうな気がするけど……苛めてみるみたいで気分悪くなりそうだなぁ……)

 

 必要性は感じるものの、はっきり言って気乗りはしなかった。

 フードが無くてただでさえ不安で弱っている所に、理由は分からないが隠したがっていることを聞き出そうと迫る。そんなもの精神的な虐めでしかない。そうでもしなければ真意を聞き出すことは叶わないと分かってはいるが、やはり抵抗を覚えてしまうのはいかんともし難い。

 

(あ、そうだ。わざとやってるんじゃないかっていうことを冗談っぽく口にして、反応を確かめてから本格的に話を聞き出す、っていうのが良いかも。うん、そうしよう。もしかしたら赤ずきんさん、本当にうっかり者になっちゃっただけかもしれないし)

 

 なのでジャックはいきなり強く聞き出すのではなく、まずは何気ない一言として投げかけて反応を探ることにした。これなら白か黒かが予め分かり、苛め気分も少しはマシになるはずだから。

 ちなみにこの時ジャックは気付いていなかったが、それは鎌をかけるという立派に外道な行為に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャックー、フード見つかりそう……?」

 

 今日も今日とて自作自演の真っ最中、赤ずきんは部屋の中を探し回るジャックの後をついて回って声をかける。その声音は不安に満ちていて、全く覇気が無いと自分でも感じられるくらい情けない。

 それもそのはず、不安を感じているのは事実なのだ。今赤ずきんは帽子も被っていないため、酷く落ち着かないのは演技ではなく本物の感情。このおかげで自作自演にまた一段と真実味を帯びさせることができるので、頻繁にフードの捜索を頼んでも怪しく思われない。この場に限っては被り物が無いと落ち着かない、という良く分からないこだわりが役に立っているということだ。

 

「大丈夫、きっとすぐ見つかるよ。赤ずきんさんはいっつも分かりやすい場所に置き忘れてるからね。まるで僕に見つけさせるためにわざと置いてるんじゃないかって思えるくらいだよ?」

「っ……!」

 

 にっこり笑って返すジャックの言葉に、赤ずきんは一瞬肝を冷やした。まさか自作自演を働いていることを示唆しているのだろうか。

 

「そ、そんなわけないじゃん! そんなことしてあたしに何の得があるのさ!」

「あははっ、それもそっか。赤ずきんさんが本当はうっかり者なだけだよね。疑ってごめんね?」

 

 咄嗟に否定すると、ジャックは一つ笑って何食わぬ顔で捜索に戻る。どうやら本気で疑ったわけではないらしい。またもうっかり者呼ばわりされてしまったが、赤ずきんはほっと胸を撫で下ろした。

 

(あー、怖かった……今のあたしじゃ真っ正面から問いただされたら誤魔化しきれないからなぁ……)

 

 何の被り物も身に付けていない赤ずきんははっきり言って弱い。今のは冗談の一種での疑いだったから何とかなったものの、確かな疑いを持たれて正面から問いただされたら間違いなく隠し通すことができない。

 無論被り物を身に付ければその限りではないが、それだと逆に不安で落ち着かない様子を上手く演じられなくなってしまう。かといって疑われたりした時だけ帽子を被ったりするのも、赤ずきんの血式リビドーを知り、なおかつそれなりに頭が回るジャックに対しては危険が大きい。安全策としてはそもそも疑いを持たれないよう、不安で落ち着かない姿を演出できる被り物無しの今の姿が無難なのだ。

 

(……ていうかあたし、何でここまでしてジャックの笑顔を見たがってるんだろ?)

 

 そこまで考えてから赤ずきんはふと疑問に思う。

 この自作自演はジャックの笑顔を見たいがために始めたものだ。皆の力になりたいと常日頃から思っているジャックが、赤ずきんの力になれた喜びから見せてくれる飛びきりの笑顔を。

 

(笑顔を見たいっていうのは普通の感情だよね。別におかしいことは何も無いはずだし……)

 

 何故ジャックの笑顔が見たいのかと言えば、それは別に特別な理由からではない。誰だって笑顔は見たいだろうし、自分の行いで人を笑顔にできれば幸せに感じるはず。それが滅多に見られない飛びきりの笑みならなおさらのこと。そこまでは赤ずきんも自分で理解している。

 

(でも、だからってどうしてあたしは被り物無しでいられるんだろ……?)

 

 分からないのはジャックの笑顔一つを見るためだけに、被り物をしないという選択ができていることだ。フードや帽子といった被り物が無いと不安で居たたまれなくなる赤ずきんなのに、ジャックの笑顔を見るためだけにそんな状況に自ら飛び込めている。

 単純に考えればそれはジャックの笑顔が見られた喜びは、今まで感じていた不安を帳消しにしてなおお釣りが来るほどのものということだろう。つまりは被り物で得る安心感よりも、ジャックの笑顔から得る安心感の方が大きいわけで――

 

「わああぁぁぁぁ!? わあああぁぁぁぁ!!」

「うわっ!? ど、どうしたの、赤ずきんさん?」

 

 何だか真理が見えかけた赤ずきんは恥ずかしさに耐えられず叫びを上げてしまった。いきなり上がった大声にジャックも大層驚いたらしく、目を丸くして振り返ってくる。ここはしっかり目を合わせ、何事も無かったことを冷静に伝えなくては。

 

「な、何でもない! 何でもないよ、ジャック!」

 

 しかしながら恥ずかしさでジャックの顔がまともに見られず、背中を向けて必死に取り繕うことしかできなかった。手近にあった帽子を被ってみるものの、残念ながら結果は変わらず。お気に入りのフードならまた違ったかもしれないが、アレは今現在ジャックに見つけてもらうために隠してあるので頼りにはできないのだ。

 

「……ねえ、赤ずきんさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」

(う……さすがに挙動不審すぎて変に思われたかぁ……)

 

 ジャックは何やら酷く真面目な声音でそう前置きすると、赤ずきんの背後へと歩み寄ってきた。

 優しいジャックのことだ。きっと突然叫びを上げた赤ずきんの様子が心配なのだろう。心配と追求から逃れるためにも、ここは冷静にいつも通りに返さなければ。赤ずきんは一つ深呼吸をして、必死に微笑みを形作ってから振り向いた。

 

「な、何? お姉さんに答えられることなら何でも聞きなよ?」

「赤ずきんさん……もしかして、本当はフードがどこにあるか知ってるんじゃないの?」

「……っ!」

 

 そして、予想外の言葉に笑みが崩れる。

 すぐさま何か言い訳できたならジャックも信じてくれたかもしれない。だが赤ずきんは決して短くない時間、言葉に詰まって何も答えることができなかった。唐突に真実を見抜かれ叩きつけられた衝撃と、ジャックにしては珍しい非難を浮かべた瞳に見つめられて。

 

「し、知らないよ。ていうか分かんないからジャックに探してもらってるんじゃんか? なのにどうしてそんなこと聞くのさ?」

「……実はちょっと不思議に思ってたんだ。こんな頻繁に部屋の中でフードを失くすことあるのかな、って。それでこの前ハルさんに聞いてみたんだよ。そしたら子供の頃の赤ずきんさんでも、別に失くしものが多いタイプじゃなかったって言ってたから……」

(……ハルさんのアホォォォォォ! 何勝手に人の子供時代のこと話してるのさぁぁぁぁ!?)

 

 何とか言い訳しようにも性質の悪いことにジャックは予め外堀を埋めていた。

 まあ元々コートという嵩張る衣服を十日で数回も失くす、それも外ではなく部屋の中でという状況には無理があったに違いない。やはりフードが無いせいでポンコツな自分を他の皆に見られたくないからといって、隠し場所を部屋の中だけに限定したのがまずかったのかもしれない。今更後悔しても後の祭りでしかないが。

 

「それなのに子供の頃よりしっかりしてるはずの赤ずきんさんが、こんなに頻繁にフードなんて大切なものを失くすなんて絶対おかしい。だから色々考えてみたんだけど……失くしてるんじゃなくて、赤ずきんさんが自分で隠してるんだってことしか思いつかなかったんだ。たぶん、僕に探させるために」

「そ、そんなことしてあたしに何の得があるのさ! 大体、ジャックがそう考えただけで証拠なんてどこにも無いじゃんか!」

 

 今の赤ずきんにできるのは、そこを逆ギレ気味に指摘することだけ。

 フードがあれば気持ちも落ち着き、勢いだけで納得させられそうなくらい強く言うことができるのだが生憎今は手元に無い。

 

「……うん。僕も赤ずきんさんの得になることなんて無いと思うし、証拠が無いのも確かだよ。でもさっき赤ずきんさんの反応を探ってみたから確かだと思う。じゃなきゃまるでわざと隠したみたいだっていう言葉に、あんなに慌てたりしないよね?」

(か、カマかけられた!? ジャックの奴、大人しい顔してなかなかやるなぁ……!)

 

 単なる冗談かと思いきや、どうもその時から疑っていたらしい。人畜無害そうな顔をしている癖に、証拠隠滅を図ったり鎌をかけて誘導尋問を行ったりとなかなかに鬼畜なことをしてくれるものだ。ちょっとジャックを見くびっていた。

 残念ながら向こうが確信しているなら証拠の有無は関係無い。今更嘘や言い訳を並べ立てた所でジャックは誤魔化されたりはしてくれないだろう。赤ずきんは諦めて真実を話すことにした。

 

「う、うぅ……ああ、そうだよ! あんたの言う通り、全部わざとだよ! もう、いつもは優しいのに何で今日はそんなに意地悪なのさ……」

「……やっぱり、わざとだったんだね。でも、どうしてそんなことしたの?」

「じゃ、ジャックのためだよ! ほら、あんたは何だかあたしの力になりたがってるみたいだけど基本は頼りないからさ、せっかくだしあたしの力になれる機会を作ってあげようかな、って思ってね」

 

 そうして赤ずきんが語ったのは、真実全てではなくそのごく一部。

 自分の気持ちに気付いてしまった今となっては、笑顔が見たかったからという真実全てを伝えることはできなかった。そんなことを口にすれば恥ずかしすぎてまた顔が見られなくなり、不審に思った鬼畜なジャックにねちねち問い質されてしまう。それだけは絶対に避けたかった。

 ただこの時、赤ずきんは自分の気持ちだけを考えてジャックの気持ちを全く考えていなかった。

 

「そう……なんだ……」

「じゃ、ジャック……?」

 

 だからなのだろうか。ジャックは赤ずきんの言葉に対して、落ち込むように深く俯いた。表情こそ見えないものの、その口から聞こえてきた呟きはどこか震えていて、何か強い感情を必死に抑え込んでいるのが感じられた。

 

「……僕、ここ最近はすごく幸せだったんだ……強くて優しくて、皆のお姉さんで僕の憧れの赤ずきんさんの力になれたから……役に、立てたから……」

 

 搾り出すように震えた声で、ジャックは言葉を続けていく。

 きっとジャックは赤ずきんが考えている以上に嬉しかったのだろう。赤ずきんが自分を頼ってくれることが、赤ずきんの力になれたことが。だからこそあんなに眩い笑みを見せてくれたのだ。

 

「でも、本当は別に力になれたわけじゃなかったんだね……あんなに嬉しかったのも、幸せだったのも……全部、ただからかわれただけだったんだ……」

「あ……」

 

 赤ずきんは否定しようと声を上げかけた。だができなかった。

 顔を上げたジャックの瞳が、涙ぐんでいるのを目にしたせいで。

 

「赤ずきんさんからすると、善意でやってくれたのかもしれないけど……こんなの、幾らなんでもあんまりだよ……」

 

 ジャックは今にも泣きそうなくらい悲し気な顔をしていた。喜びが大きかった分、それが偽りによるものである事実がショックだったのだろう。あるいは力になりたいというひたむきで純粋な気持ちを、赤ずきんに弄ばれたことが。

 もちろん赤ずきんはからかってなどいないし、気持ちを弄んでもいない。ただ赤ずきんの力になれて喜ぶジャックの笑顔が見たかっただけだ。それでも結果的には似たようなことをしでかしたのに変わりは無い。

 

「じゃ、ジャック……あたしは……!」

 

 この誤解を解く方法は一つ。真実を全て、余す所無く伝えること。当然先ほど自分が気付いてしまった気持ちも含めてだ。

 だが今の赤ずきんはフードの無い弱い赤ずきん。気持ちを伝える強さは持ち合わせていないし、伝えようと考えただけで怖くて堪らない。もし気持ちを伝えて断られたら、それを思うと歯の根が震えて何も言葉に出来なかった。自分のせいでジャックが酷く傷つき、悲しみに暮れているというのに。

 

「……ごめん、赤ずきんさん……僕、部屋に戻るよ……」

「あ……」

 

 誤魔化しも謝罪も無い赤ずきんに愛想を尽かしたのか、それとも今にも泣き出してしまいそうでこの場にいられないのか。ジャックはそれだけ言うと部屋から出て行ってしまった。

 赤ずきんがすべきなのは今すぐその背を追いかけ、真実を包み隠さず伝えること。それは分かっていたが、今の状態では追いかけるために足を踏み出すことは出来なかった。ジャックに嫌われてしまったのではないかという怯えに囚われ、足が竦んで動かない弱すぎる赤ずきんには。

 

 

 

 

 

 

 

 





 自作自演がバレて呆然の赤姉。次回、一章終わりです。
 ハーメルンのパンチラ的なラッキースケベイベントを話しに挟みましたが、実は一つ猛烈に気になることがあります。それはハーメルンが下着を穿いているのかいないのか。穿いていないわけがない、と思いたい所ですがラプンツェルがアレだったことを考えると穿いてなくてもおかしくないんですよね……。
 ちなみにVITA版をプレイしている時、ハーメルン戦で仰け反らせた瞬間スクリーンショットを撮影して覗いてみたりしました。結果は、まあ……気になる方はご自分の目でお確かめください。



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赤ずきんらしさ


 ジャック×赤姉の一章最終話。
 個人的に赤ずきんはカッコよさと可愛さを兼ね備えていると思います。カッコ良いだけではダメで、可愛いだけでもダメ。やっぱりこの両方の魅力が揃っていないと赤姉とは言えない気がします。




 

 

 

「な、何さ……ジャックだって、いっぱいあたしに嘘ついたじゃんか……」

 

 ジャックが部屋から去って決して短くない時間を置いた後、赤ずきんがようやく取れた行動はそんな悪態を吐くことだった。しかしその声音は自分でも悲しくなるほどに弱々しい。フードが無いせいとはいえ、情けなくて涙が出そうになるほどである。

 まあそれも仕方の無いことだ。どうも想いを寄せてしまっているらしい相手を傷つけた挙句、そのせいで愛想を尽かされたのかもしれないのだから。

 

(……あたし、やっぱりジャックのこと好きなんだなぁ……)

 

 だがそのおかげでやっと赤ずきんは自分の気持ちに気付くことができた。

 さすがにもう自分を誤魔化したり言い訳したりはできそうにない。フードを身に付けていないせいで弱っているとはいえ、嫌われてしまったかもと考えただけで立っていられなくなるほどの怯えを感じてしまうのだ。これで好きでなかったら一体何が好意なのか皆目見当がつかない。

 

(ってことは……あたしがこんな真似し始めたのも、そういうことなんだよね……)

 

 赤ずきんが自作自演を行い始めたのは、赤ずきんの力になれたことで喜ぶジャックの笑顔が見たかったから。それは間違いなく事実だ。しかし今、赤ずきんはもう一つ別の理由があったことに気付いた。笑顔を見せるどころか傷つき涙ぐんだ表情でジャックが去り、胸の中に寂しさと後悔が溢れてきたことで。

 たぶん、赤ずきんはジャックに甘える理由が欲しかったのだろう。

 個性的な子が多いせいか、皆のお姉さんという立場ははっきり言って結構疲れる。だからたまには赤ずきんもお姉さんという立場を忘れて、誰かに甘えたくなることだってある。とはいえ頼りになるお姉さんが妹達に甘えることは出来ないし、他に甘えられそうな人物など一人も思い当たらない。なのでそんな気持ちは押し殺して我慢するしかなかった。そう、今までは。

 だが今はフードの無い赤ずきんがどれだけ弱く情けなくなるかを知ってなお、そんな自分を受け入れて優しく接してくれるジャックがいる。おまけに何だかとても自分を尊敬し、憧れてもくれている。そんな相手だからこそ、赤ずきんは本当にフードを失くした時ジャックに頼ったのだ。あの最初の一件、ラプンツェルによってコートを持ち去された時に。

 

(それで癖になったんだろうなぁ……ジャックが凄く優しくしてくれるから……)

 

 その結果、赤ずきんはジャックに甘える味を占めてしまったのだろう。

 自作自演を始めたのはあの特別な笑顔を見たいという気持ちからであったが、たぶん本心では擬似的に甘えたかったに違いない。フードを身に付けていない弱い自分になら、ジャックは全力で力になって優しくしてくれたから。

そして自演を重ねて甘えに甘えた結果、今ではすっかりジャックの笑顔、優しさ、甘えることで感じる安らぎの虜になってしまったというわけだ。

色々と思うところはあったものの、とりあえず優しくされただけで落ちたわけではないことが分かりほっとする赤ずきんであった。

 

「……いや、ほっとしてる場合じゃないって! これからどうすれば良いのさ、あたしは……そうだ! フード!」

 

 ここにきてやっとフードを身に付けることを思い出し、すぐさま隠し場所へと向かう。まだ足が覚束ないので床を這うようにしか移動できないのが情けない。

 今回のフードの隠し場所は洗面所。洗濯物代わりに積み重ねた衣服の一番下だ。ジャックなら仮にも女の子の衣服に手を出すことは躊躇いそうなので、今回はこんな隠し場所を作ったのだ。ジャックが途中で真実に気付かなければきっと今までで一番探すのに苦労して、今までよりも長い間一緒にいられたに違いない。

 

「あったあった! これがあればいつも通りのあたしに戻れるね。ジャックが憧れてくれてる、いつも通りのあたしに……」

 

 衣服の底に隠していたコートを引っ張り出し、満足感と共に掲げる。

 これを身に付ければ赤ずきんはいつもの赤ずきんに戻れることは間違いない。ジャック曰く、強くて優しい頼りになるお姉さん、憧れの赤ずきんに。

 

(でも、憧れかぁ……今のジャックからしたら、あたしは憧れでも何でもないよね……)

 

 落胆の溜息を零し、コートをぎゅっと抱きしめる。まだ身に付けてはいないがそこにフードがあるという安心感からか、幾分気持ちは前向きになっていた。そして前向きになっていても、今の赤ずきんはジャックの憧れとはほど遠いことが分かっていた。

 ジャックから見れば、今の赤ずきんは力になりたいという純真な気持ちを弄んでいた最低な女だ。喜びが大きかった分、真実を知ったジャックが感じた絶望は相当なものに違いない。そんな絶望を味わわせてしまったというのに、赤ずきんは怖くて真実の全てを伝えられていない。それどころか謝罪すらしていないという有様だ。間違いなく今の赤ずきんはジャックに憧れを抱かれるような大層な存在ではない。

 異性としての好意を抱かれている自信の無い赤ずきんとしては、憧れすら失った時点で何もかもが終わったような気さえした。

 

「……だったら、このままじゃ終われないね」

 

 だからこそ、このままでは終われない。竦んだ足に鞭打って立ち上がり、コートに袖を通し始める。

 異性としての好意を抱いてもらえそうに無いなら、せめて憧れくらいは抱いたままでいて欲しい。憧れだって自分への好意なのだからせめてそれだけは失くしたくないし、裏切りたくなかった。

 そのためには今のままではいけない。抱いた恋心に向き合うことすらせず、勘違いと決め付けて消えるまで放っておく。勘違いではないと気付いた後も、恥ずかしいからと言って必死に誤魔化す。そのせいでジャックを傷つけた後も、断られる恐怖から真実を口にしない。そんな赤ずきんはジャックが憧れる強くて優しい頼れるお姉さんではないのだから。

 

「あたしがするべきなのは――」

 

 ならばジャックが憧れる赤ずきんなら何をすべきか。ここでずっと恥ずかしがってくよくよ悩んで、傷ついたままのジャックに本音を伝えず放っておくことか。

 無論そんなことはありえない。赤ずきんがすべきなのは自分らしく、難しいことは何も考えず、被弾上等の覚悟で突っ込むこと。つまり――

 

「――正面突破! こうなったらもう当たって砕けろ、だね!」

 

 ――包み隠さず真実を伝え、気持ちをぶつけ、告白することだ。それくらいのことができなければジャックの憧れの強いお姉さんとは言えないから。

 

「というわけで今行くよ、ジャック! お姉さんの一世一代の告白、振ったら酷い目に遭わせるからね!」

 

 ついに全てを吹っ切り覚悟を決めた赤ずきんは、勢い良くコートを翻しジャックの部屋へと向かった。

 身に付けるだけでなく被ったフードから勇気を貰い、緊張と怯えを根性で捻じ伏せるという実に赤ずきんらしい心持ちで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 ベッドの中でもぞもぞ寝返りを打ち、もう何度目かも分からない溜息を零す。

 自室に戻った直後、ジャックは全てがやるせなくなってそのままベッドに突っ伏していた。もうこんな無気力状態は自分でも初めてだと思うくらい、何一つとしてやる気が起きない。

 しかしそれも仕方の無いことだ。あれだけ喜びと達成感に燃えていたというのに、冷たい水をぶっかけられて強制的に鎮火させられたようなものなのだから。気分の落差は最早何もかもが嫌になるほど激しかった。

 

(まさか、赤ずきんさんがあんな酷いことするなんて思わなかったな……)

 

 そんな心も気分も湿った状態で考えるのは、やはり赤ずきんのこと。

 何気ない一言をかけて反応を探り、怪しさを覚えて踏み出してみれば待ち受けていたのは衝撃の事実。コートを失くすのは全てが赤ずきんの自作自演で、ジャックは気持ちを弄ばれてからかわれただけだという現実。

 何か大きな悩み事があり、そのせいでうっかり者になってしまったのではないかと心配していたジャックは完全にただのピエロであった。

 

(僕でも力になれる機会をくれたのは本当に嬉しかったのに、まさかそれが全部自作自演だったなんて……)

 

 失くしたコートを自分で探してもどのみち時間がかかることに変わりは無いから、どうせならジャックに頼んで力になる機会をあげよう。以前赤ずきんが話してくれた考えはそんな優しいものであり、力になれるのならジャックとしても非常に喜ばしいことであった。事実ここ最近はアリスたちの目にも明らかなほど気分は充実していた。 

 だが実際にはその優しい考えが嘘だったばかりか、コートを失くしたという前提すらも真っ赤な嘘。事実を知った時にはあまりの衝撃と悲しみに少し泣きそうになってしまったほど惨たらしい仕打ちだ。ジャック自身がその嘘に気付かず、大きな喜びを感じていたからこそ余計に。

 

(こんな風にからかう赤ずきんさんが悪いのは当然だけど、やっぱり気付かなかった僕もダメな奴だなぁ……)

 

 再び寝返りを打ち、胸の中で渦巻く感情を溜息として吐き出す。自分の気持ちを弄ばれた絶望、得られた喜びが紛い物だった悲しみ、気付けなかった自分の不甲斐なさ。それら全てが混ざった重苦しい溜息を。

 とてもショックだし大いにふてくされているが、別にジャックは赤ずきんに怒りや恨みを抱いているわけではない。冷静に考えればジャックが赤ずきんの力になれる、というのがそもそもおかしな話だったのだ。

 赤ずきんは血式少女の中でも最も強いと言っても過言ではなく、またリーダーシップもある誰から見ても非の打ち所の無い頼りになる優しいお姉さん。対してジャックは特に何か誇れるものがあるわけでもない。唯一特筆できるのは血式少女の穢れを浄化できる血液だが、それは血液が特別なだけでジャック自身の肉体や精神が強いなどというわけではない。そういった強さは凡人かそれ以下が妥当なところである。

 そんなジャックが何度も赤ずきんの力になれるわけがなかったのだ。きっと一度、ラプンツェルが原因だった時には力になれたことで調子に乗って思い上がっていたのだろう。こんな自分でも赤ずきんの役に立てる、力になれる、と。そんな風に甘い夢に浸っていたからこそ、少し考えれば分かる程度のことにも気付けなかったに違いない。

 

(……考えてても仕方ないや。一眠りして嫌なことは全部忘れよう)

 

 今更後悔しても遅いし、何万回溜息を吐こうが気持ち全てを拭い取ることは不可能。だからこそジャックはもう何も考えずぐっすり眠って忘れることにして、シーツを頭まですっぽり被った。

 俗に言うふて寝であることは否めないが、ジャックだってちゃんと心のある人間だ。ふて寝くらいしたって許されるはず。

 

(……ん? ノックの音……?)

 

 しかしそれを許さないとでも言うようなタイミングで部屋の扉がノックされた。さすがにこれにはジャックもちょっとムカっと来て、一瞬居留守を使おうかと考えたほどだ。

 とはいえ訪ねて来た人に罪は無いし、八つ当たりなんてしては余計に惨めになるだけだ。少し心がささくれ立っているものの頑張って普通に応対することにして、ジャックは被っていたシーツを脇に退けた。

 

「ジャック、中にいるー? いるなら出てきてよ、大切な話があるんだ」

「……っ」

 

 そして声をかけようとしたその瞬間、今一番会いたくない人物の声が扉の向こうから聞こえてきて口ごもる。どうやら訪ねて来たのは赤ずきんのようだ。

 まあ冷静に考えれば訪ねてくるのも当然だ。本人が善意半分からかい半分でやったことだとしても、今回のことはジャックにとっては酷くショックな仕打ちだった。そして赤ずきんは強くて優しい皆のお姉さん。ならばすぐさま謝罪に来たとしても何らおかしいことはない。

 

「あんたに、その……伝えたいことが、あるからさ。とりあえず開けてくれない?」

 

 赤ずきんにしてはしおらしい声だが、フードが無い時に比べれば遥かにマシな声だ。扉を隔てているせいでどんな格好や表情なのかは分からないが、自作自演で実際には失くしていなかったのだからフードは間違いなく身に着けているはず。にも関わらず声がしおらしいのは罪悪感からに違いない。

 自業自得と言っても差し支えないはずなのだが、そんな気持ちを抱かせたことにジャックの胸はちくりと痛んだ。

 

「……謝らなくて良いよ、赤ずきんさん。僕は別に怒ってないから。ただ、しばらく一人にしてくれないかな」

「そ、それじゃ困るんだってば! あたしは今すぐあんたに伝えたいことがあるんだよ!」

 

 しかしジャックはまだ気持ちの整理がつかないので、赤ずきんを迎え入れるのは拒否しておいた。

 きつく当たったりしない自信は無いし、何よりショックと悲しみで泣きそうになった所を見られてしまったのだ。正直どんな顔を見せれば良いか全く分からなかった。

 

「……赤ずきんさん、お願いだから今は一人にさせてよ。後でならどんな話も聞いてあげるから」

 

 慌てた口調で食い下がる赤ずきんに対し、ジャックは後にして欲しいと懇願する。

 そして再びベッドへと戻り、横になってシーツを頭まで被る。これ以上言葉を交わすと口調が乱暴になってしまいそうなので、ジャックとしては話はこれで終わりのつもりだった。

 赤ずきんもジャックの声音に含まれた拒絶の意思を感じ取ったのだろう。食い下がる声は聞こえてこなかった。

 

(嫌な気持ちはさっさと眠って綺麗さっぱり忘れよう。少なくとも赤ずきんさんとしっかり顔を合わせられるくらいにはしないと)

 

 故にジャックは目蓋を閉じ、眠りについて心を安らげることにした。だが――

 

「――そっか、なら仕方ないね。ジャック、五秒待つよ。五秒以内に開けないならこのドアをぶち破るよ!」

「……え?」

 

 まだ部屋の前にいたのか、そんな乱暴極まりない言葉が聞こえてきた。

 冗談で言っているにしては非常に力強く、決意漲るカッコイイ声音で。

 

(ま、まさか……さすがに、そんなことしないよね……? あの赤ずきんさんが、そんなこと……あはは……)

 

 心の中で笑い飛ばそうとするジャックだが、笑いは明らかに乾き切っていた。そして熱くも無いのに頬を一筋の汗が伝っていく。

 理由は赤ずきんならやりかねないからだ。被弾上等の覚悟で敵に突っ込むような猪突猛進型の赤ずきんが、開かない扉を前にして大人しく引き下がるなどということがあるだろうか。もちろん答えはノーだ。力ずくで開けようと試みても何ら不思議は無い。

 

「ごー、よーん、さーん――」

 

 そして続くのはカウントダウン。しかしまさか本当にやる気なのだろうか。

 確かに以前一度その現場を目撃したことはある。ジャックが黎明に来た頃、かぐや姫との顔合わせの時だ。あの時は部屋の中にいるはずなのに呼びかけても出てこない、返事も無いかぐや姫に焦れた赤ずきんが扉をガツンと蹴っ飛ばしていた。

 ただしその時はあくまでも蹴っ飛ばしただけで、ぶち破ってはいない。それに今赤ずきんがぶち破ろうとしているのは、かぐや姫のようにしょっちゅう引き篭もったりしているわけでもなく、特に何か機嫌を損ねることをした覚えの無いジャックの部屋の扉だ。おまけに自分が謝罪に来たはずの相手。そんな相手に対し、部屋から出てこないからといって扉をぶち破ったりするだろうか。

 

(さ、さすがに、赤ずきんさんでもそんな非常識なこと……)

「にー、いーち……オッケー。巻き込まれたくなかったらドアから離れな。ぜーろ、っと!」

「っ!?」

 

 瞬間、轟音が響き部屋全体が揺れた。次いで何か大きな物体が周囲を転げ回る音、そして小さな物体が幾つも降り注ぐ音が耳に届く。

 シーツを被っていた故に視界の効かないジャックにとっては、恐る恐る顔を出して周囲を確認せざるを得ない異常な破壊音であった。

 

「や、やった!? 赤ずきんさん、本当にやったよ!?」

「だからやるって言ったじゃん。あたしはちゃんと五秒待ったからね? まあ、何か……思った以上に力入っちゃったけどさ……」

 

 シーツから顔を覗かせ周囲の惨状を目にしたジャックは、予想以上の惨状を目にして跳ね起きる。

 音で何となく分かってはいたが部屋の扉は見事に枠からさよならして床に転がっていた。おまけに蝶番とドア枠の一部を引き千切ったように道連れにしていて、あまつさえ扉自体も上下にばっきりと割り折られている。周囲には木屑と小さな破片が広がり、凄まじい破壊の爪痕が残されていた。一体どんな力で蹴ればここまでの破壊を引き起こすことができるのか。

 なお、これだけの破壊をもたらした張本人はちょっと罰が悪そうにしているだけで特に悪びれた様子も無く立っていた。枠の一部が吹っ飛んだせいか若干広くなったように感じる部屋の入り口に。

 

「今の馬鹿でかい音なに!? うわっ、ジャックの部屋凄いことになってるし!」

「おー……扉、真っ二つ……!」

 

 たまたま近くにいたのか、破壊の音を聞きつけて親指姫三姉妹が現れる。いつも眠そうにしている眠り姫でもさすがにこの惨状には目を丸くしていた。

 

「あ、赤姉様、一体何があったんですか!?」

「あー……ジャックが立て付け悪くて扉が開かないって言うから、あたしが開けてやったんだよ。ただ、ちょっと力が入りすぎてさ……」

「赤姉、もうちょっと加減しなさいよ。下手したら中のジャックもぶっ飛んでたんじゃない?」

「ジャックさん、お怪我はありませんか?」

「え、あ、うん……怪我は無いけど……」

 

 心配を瞳に浮かべる白雪姫に、ジャックは半ば呆然として答える。

 やっても不思議ではないと思ったが、まさか本当に扉をぶち破るとは。しかも枠ごと持って行くくらい力いっぱい。

 

(もしかして僕……赤ずきんさんに嫌われてるのかな……)

 

 気持ちを弄ばれる惨い仕打ちを受けたことといい、ひょっとするとジャックは赤ずきんに嫌われているのではないだろうか。そういえば謝りに来たとは一言も言っていなかった気がする。

 ただでさえ大きなショックを受けていたというのに、この上実は憧れの人に嫌われていましたではちょっとジャックも立ち直れそうに無かった。

 

「それなら良かったです。あ、掃除のお手伝いが必要なら白雪も手伝いますよ?」

「ん……ん……」

「白雪もネムも大丈夫だよ。あたしがやったことだし、ちゃんとあたし一人で片付けないといけないしね」

「なら私たちもう行くわね。ほら、行くわよ二人とも。あー、それにしても本当にびっくりした……」

「あ、待ってください姉様! それじゃあジャックさん、赤姉様、失礼します!」

「ん……また、ね……」

 

 状況についていけず呆然とするジャックの前から、親指姫たちが歩き去って行く。後に残されたのは何やら覚悟を決めたような精悍な顔つきでフードを被っている赤ずきんと、そんな赤ずきんに実は嫌われているのかもしれないジャック。

 何やら話があるらしいが果たしてそれは楽しい話なのだろうか。終わった後に自分も部屋の扉のような無残な姿にされたりはしないだろうか。騙されて気持ちを弄ばれた事実も相まって、今のジャックはかなり疑い深くなっていた。

 

「……ジャック、話があるからあたしの部屋に来てよ。こんな風通しの良い場所じゃできない話だからさ」

「か、風通しが良いって、赤ずきんさんがやったんじゃないか……赤ずきんさん、もしかして僕のこと嫌いなの……?」

「……え?」

 

 何気なく疑問を投げかけてみると、赤ずきんは呆けた顔で目を丸くする。まるで質問の意味が分からないとでも言いたげな表情だ。

 やはりフードが無い時とは違い、今のジャックにはその真意を見抜くことはできそうになかった。

 

(……あれ? 赤ずきんさん、何か……怒ってる?)

 

 しかしその面差しに徐々に怒りが浮かんできたのは見抜けた。それも頬が赤く染まるほどの。

 ただその割には不思議と敵意や害意のようなものは感じなかった。この状況で怒りを抱くのなら対象はジャックであっておかしくないはずなのだが。

 

「……ああ、もうっ! 何でこうやること為すこと全部裏目に出るのさ! ジャック、良いからこっち来る!」

「えっ!? うわっ!」

 

 首を捻って考え込んでいたところ、突如赤ずきんは素早く目の前へと駆けて来た。そうして驚くジャックの手を握ると、有無を言わさぬ力で引っ張り走り始める。どう頑張っても振り解ける気がしないため、ジャックはそのまま連れて行かれるしかない。

 自分の行く末を不安に思う中、辿りついたのは赤ずきんの部屋の前。勢い良く扉を開けて部屋に入った所で、赤ずきんはやっと手を離してくれた。

 

「あ、赤ずきんさん、一体――っ!?」

 

 だが行動はそこで終わらなかった。怒りの名残かまだ赤みの残る、しかし並々ならぬ決意が漲る表情で振り向き、ジャックに詰め寄ってくる。

 思わず後退りしてしまうジャックだが背が扉にぶつかり、それに気を取られた瞬間残りの逃げ場も赤ずきんの腕で塞がれてしまった。まるでジャックを押し倒すかのような形で扉に突かれた、力強い両腕によって。

 

(僕……これから一体どうなるんだろう……)

 

 柄の悪い男に因縁をつけられているような状態のため、ジャックの胸の中には不安しかなかった。

 鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離に赤ずきんの整った顔立ちがあるので普段ならドキリとしそうなものの、怖いくらい真面目な顔つきをしているので浮ついた気持ちは微塵も沸いてこない。実は嫌われているのかもしれないという予想のせいで余計に。

 過度の緊張と不安に乾きを覚え生唾を飲み込んだその瞬間、引き結ばれていた赤ずきんの唇が開いた。

 

「……ジャック! あたし、あんたのことが好きだ!」

「……え?」

 

 そして、欠片も予想していなかった言葉が紡がれた。これには抱いていた不安も緊張も忘れ、ジャックは呆けた声を出してしまった。

 

(好き、って……僕のことが? え……これって、告白……? 赤ずきんさんが、僕に……?)

 

 好きという気持ちを女の子が真剣な表情で男に伝える。単純に考えればそれは告白というものか。

 しかしあの赤ずきんが、よりにもよってジャックに告白などするだろうか。いや、どう考えたってありえない。ただの聞き間違いに違いない。

 

「ご、ごめん、赤ずきんさん。今、何て言ったの?」

「だから! あたしは、あんたのことが好きなんだよ! 一人の女として、ジャックのことが好きなんだ!」

「あ、あれ……?」

 

 再び尋ねてみると先ほどよりもしっかりとした告白が返ってきたため、ジャックは更に混乱を覚える。幾ら何でもここまではっきり力強く言われては聞き間違うことも難しい。

 それに何より、赤ずきんの目は至って真剣だった。羞恥心からか耳の先まで真っ赤に染まっているが、緑の瞳は逸らさず揺らさず、ただジャックの瞳だけを見つめている。

 普段のジャックなら赤ずきんのこんな様子を目にすればいくら荒唐無稽な話でも信じたに違いない。しかし今のジャックはその赤ずきんについさっき手酷く騙され、気持ちを弄ばれたばかり。故に素直に信じることができず、疑いの目を向けてしまった。

 

「……赤ずきんさん、そんなに僕をからかって楽しいの? さすがに僕でもこんな嘘には引っかか――っ!?」

 

 そして非難の言葉を口にした結果、物理的に口が塞がれた。

 ただし赤ずきんお得意の力技ではなく、優しく柔らかでこれ以上ないほど愛情深い方法。この告白が嘘や冗談の類ではなく、真実だと証明できる方法。すなわち、キスで。

 

「……こ、これでも、嘘だって思う? 言っとくけど、あたしのはファーストキスだからね?」

 

 数秒後、唇に触れていた柔らかさが遠ざかり、真っ赤になってもじもじしている赤ずきんの面差しが目に入る。

 確かに冗談で女の子にとって大切なファーストキスをするなどありえないだろう。それにフードを身に着けているのに、身に付けていない時に勝るとも劣らない可愛らしい様子だ。そのおかげでここにきてようやくジャックは理解した。赤ずきんは嘘や冗談ではなく、本気で自分に告白してきたのだと。

 

「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! どうして赤ずきんさんが僕なんかのことを!?」

「そりゃあ……あんなに優しくされたら好きになっても仕方ないじゃんか。見えない所であんなに優しさ振りまくあんたが悪いんだよ……」

 

 恥ずかしそうに答える赤ずきんの視線が自らのフード、その一部分へと向く。一見何の変哲も無く見える部分だが、ジャックはその部分に隠された秘密を知っていた。というかジャック自身が秘密にしていたのだから当然だ。

 赤ずきんはそこを指して優しさを振りまくジャックが悪いと言った。それはつまり――バレていたということだ。ジャックのあくどい隠蔽工作が。

 

「あ、赤ずきんさん、もしかして知ってたの? 一体いつから……?」

「最初から全部だよ。あんたが貧血を理由に部屋に戻ろうとしたとこから。ちゃんと戻れるか心配で後を追っかけたらラプの部屋に行ったからさ、不思議に思って扉に耳を当てて話を盗み聞きしたんだ。まさかジャックがあんな悪いこと考える奴だなんて思わなかったよ……」

「ご、ごめん。悪いことなのは分かってるけど、フードが破れたって知ったら赤ずきんさん凄く傷つくと思ったんだ。ただでさえフードが無くて凄く沈んでたから、あれ以上傷つけたくなくて……」

 

 実際あの時の赤ずきんは本当にフードを失くして弱っていた。あれ以上弱った所を見たくなかったからこそ、ジャックは証拠隠滅の悪行を働いてまで守ろうとしたのだ。

 ただそれは赤ずきんからすると余計なお世話だったのかもしれない。前髪同士がくすぐり合うほどの距離にあるその面差しは、どことなく不満げなものだった。

 

「あんまり褒められたことじゃないけどその気持ちは嬉しかったよ、ジャック。おまけに実は本当に貧血で体調悪かったんだから一周回って怒り出したくなるとこだったね。あんたどんだけ無理してあたしのために駆けずり回ってくれたのさ……」

「だ、だってフードは赤ずきんさんにとって大切なものだし、赤ずきんさんが落ち込んでると僕も気分が晴れないから……僕にとっての赤ずきんさんは、いつも元気に笑ってるイメージもあるし……」

「そ、そっか……」

 

 ぽっと頬を染めた赤ずきんは小さく頷き、ここでやっとジャックの両脇を塞ぐように突き出していた腕を下ろす。そして一、二歩下がると何やら恥ずかしそうにもじもじと視線を向けてくる。こう言うのは失礼かもしれないがとても女の子らしくて可愛らしい姿であった。

 幾らなんでもここでどうしたのかと声をかけるほどジャックも無粋ではない。赤ずきんはジャックの返事を待っているのだろう。自身の告白に対する返事を。それくらいはジャックにも分かる。

 

「その……赤ずきんさんは、本当に僕のことが好きなの?」

 

 分かってはいるが、もう一度尋ねる。何だか凄くカッコイイ告白を受けた上にキスまでされてしまったが、未だにちょっと信じられなかった。あの赤ずきんがまさかジャックなどに告白してくるとは夢にも思わなかったのだから。

 都合三度目の確認になるせいか赤ずきんはしばし睨むような視線を向けてきたものの、一つ深い溜息をつくと口を開いてくれた。恥ずかしそうに視線を下に向けつつ、もじもじと非常に女の子らしく。

 

「あたしがフードを失くしたふりして何度もあんたに探してもらったのはさ、あんたの笑顔が見たかったからなんだよ。フードを見つけてあたしの力になれたって喜ぶあんたの笑顔を見ると、何か凄くドキドキして幸せな気持ちになれるんだ。最初は特に不思議には思わなかったんだけど……さっき、気付いたんだ。す、好きな人の笑顔だからいっぱい見たくて、見られると凄く嬉しいんだって……」

 

 そこで一旦言葉を切った赤ずきんの視線が、ちらりとジャックに向けられる。

 さすがにここで気のせいではないか、とか口にしたら殴り飛ばされそうなので口を挟むのは止めておいた。先ほど部屋の扉を破壊した力を見る限り加減が上手くできていないため、下手をすると冗談抜きで命の危険がある。

 

「それに、フードの無いあたしにジャックは凄く優しくしてくれたよね。あんたに優しくされるともっともっと優しくして欲しくなって、どんどん甘えたくなっちゃうんだよ。自分がお姉さんだってことも忘れて、一人の女の子としてさ……こんな気持ち初めてだから断言できないけど、これってやっぱり恋ってやつなんじゃないかな……?」

「そ、そう、だったんだ……」

 

 続く言葉を聞いたジャックが口に出来たのは、何の捻りも無い納得の言葉だけ。

 皆のお姉さんという立場に拘る赤ずきんが、それを忘れて頼りがいも何も無いジャックに甘えたくなるならそれはもうただ事ではない。ジャックも経験は無いので断言はできないが、それこそ色恋沙汰でも無ければありえない事態だ。

 

(赤ずきんさん……本当に僕なんかのことが好きなんだ……)

 

 赤ずきんにここまで言われては信じないわけにはいかない。

 どうしてそこまで好意を抱かれているのかは良く分からないが、ジャックは間違いなく赤ずきんに好意を抱かれているのだ。正直なところあまりにも意外すぎて嬉しさよりも驚きの方が大きかった。

 

「……ジャックは、どう? あたしのこと、どう思ってる?」

「え!? ぼ、僕!?」

 

 抱いた驚きのせいか、問われて思わず飛び上がりそうになってしまう。そんな自分に視線を向けてくる赤ずきんは、フードを被っているにも関わらず酷く不安げ。

 しかしそれも当然のこと。赤ずきんの想いが実るも実らないも、全てはジャックの返答一つで決まる。言ったら怒られそうだがこんなに大胆で男らしい告白をしてきた赤ずきんからすれば、自分の運命を握られていると言っても過言ではないはずだ。

 

(僕は……どう思ってるんだろう? 赤ずきんさんのこと……)

 

 はっきり言えば赤ずきんのことはとても好ましく思っている。ちょっと大雑把なところもあるが、いつもまっすぐで一生懸命、頼れる皆のお姉さんだ。そして強くて優しい、ジャックの憧れの人。好ましく思わないわけがない。好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだと断言できる。

 ただし、問題が一つ。

 

「僕は……分からないよ。僕にとって赤ずきんさんは凄く良い人で、頼りがいがあって強くて優しい憧れの人だけど……そのせいで赤ずきんさんに対しての気持ちが恋なのかどうか、良く分からないんだ……」

 

 自分が抱いている好意の種類が分からないこと。確かに赤ずきんのことは好きだがそれが自分より遥かに優れた人への尊敬としての好意だけなのか、それとも異性への恋心からくる好意も混ざっているのかが分からない。

 故にジャックは正直に気持ちを伝えた。ここで赤ずきんを傷つけない答えを返すのは優しさではないので、正直に。勘違いさせないように言葉を選んだ甲斐もあってか、むしろほっとした様子を見せてくれた。

 

「そ、そっか。まあすぐには分からなくても仕方ないよ。あたしだって気付くのに時間かかったしさ……でも、あたしのこと嫌いだったりはしないよね……?」

「そ、それはもちろんだよ! だって赤ずきんさんは強くて優しい皆のお姉さんで僕の憧れだけど、ちゃんと女の子らしい可愛いところがある魅力的な人だって思ってるし、好きか嫌いかで言えばもちろん好きだよ! ただ、これが恋かどうかっていうのがまだ分からないだけで……」

「……そっか。だったら今はそれで良いよ。それで良いから……あたしを、あんたの彼女にして欲しいな……」

「赤ずきんさん……」

 

 普段の赤ずきんからは想像も出来ない、不安の滲む乞い願う瞳が向けられる。

 本人が今はそれで構わないというなら、応えてあげるのがむしろ誠実さというものだ。だからジャックもその想いに応えることを決めた。

 

「……ごめん、赤ずきんさん。実は、答える前に伝えておかないといけないことがあるんだ」

 

 だがその前に、まだ気付かれていない秘密を打ち明けることにした。

 幻滅されそうでちょっと怖いが、本気で想いをぶつけてきた赤ずきんに対して隠し事をするべきではない。まだ自分の気持ちが分からない以上、せめて誠実さで以って応えなければ。

 

「あ……そ、そっか……そう、だよね。ジャックにはもう、恋人の一人や二人くらいいるよね……」

「えっと……僕は恋人なんていないよ? ていうか一人や二人くらいって……赤ずきんさん、僕を何だと思ってるの?」

「ほ、本当!? 良かったぁ……!」

 

 何やら勝手に勘違いして一人でがっくり落ち込む赤ずきんに事実を伝えると、途端に心底ほっとしたような安堵の笑みを浮かべてくれた。

 何股もかけるような不誠実な男と思われているのではないかという疑念が浮かび本当に好きなのかと再度問いかけたくなったが、ジャックに恋人がいないと分かって嬉しそうにしている姿を見てさすがにそれは躊躇われた。

 

「じゃあ伝えたいことって何なのさ? あ、もしかして恋人がいないだけで好きな子はいるとか……」

「いないから安心してよ、赤ずきんさん。僕が伝えたいのは、その……初めて赤ずきんさんのコートを探した時、僕が嘘をついてたってことなんだ」

「初めてって、ラプが持って行った時のことだよね? もしかしてまだ何か隠してることがあったってこと?」

 

 特に蔑みなど見えない、ただ疑問に思っているだけの瞳がじっとこちらに向けられる。

 ラプンツェルの部屋を訪れた時から話を聞いていたなら、きっとジャックの考えは全て把握していると思っていたのだろう。だが実際は違う。ジャック自身誰にも語らず、自分でもあまり考えないようにしていた嘘があった。

 

「うん。実は僕、赤ずきんさんに良い所を見せようとしてたんだ。誰の力も借りずに自分の力と考えだけでコートを見つけて、僕だって頼りになるんだってところを。最初は現場を調べるか、持ち去った人を誰か見てないか目撃者を探すべきだったのは分かってたんだけど……」

「……あたしに良い格好を見せたかったから、後に回したってこと?」

「うん……それとフードが破れたのを隠したのは赤ずきんさんを傷つけたくなかったからだけど、やっぱり僕が赤ずきんさんの力になれるってことを証明したいって気持ちもあったんだ。フードが破れてたらちゃんと力になれたとは言えないからね……」

 

 言い切り、ジャックは胸のつかえが取れた心地で一息つく。

 実際、あの時のジャックは良い格好を見せようとしていたのだ。赤ずきんに頼られることなどまたと無い機会だと思っていたために、できる限り自分が頼りになる所を見せたくて。要するにジャックは赤ずきんのコートを探す時間を、自分が良い格好を見せるための場に利用していたのだ。これは幻滅されても仕方ない。

 

「へー、そうだったんだ……」

(あ、あれ……?)

 

 しかし赤ずきんは驚きを見せるだけで、別段幻滅した様子も無ければ軽蔑も見せない。てっきり告白の撤回だって覚悟していたジャックとしては、拍子抜けの反応だった。

 

「……怒らないの?」

「そのためだけに隠したっていうなら、もちろん性根を叩き直してやるとこだよ。でもジャックはそういう気持ちもあったってだけで、しっかりあたしのことを考えてくれたんだよね?」

「そ、それはもちろんだよ。でも見栄を張ってたのも確かで……」

「なら怒んないよ。ていうかむしろ安心したよ。自分二の次で優しさ振りまくジャックも、ちゃんと見栄張ったり悪いことしたりできるんだってね」

「あ、安心しちゃうんだ……」

 

 あろうことかにっこりと笑う赤ずきん。冗談で言っているにしてはやたら嬉しそうな笑顔だった。どうも本当に安心感を覚えているらしい。

 

「うん。だってあたしに対して見栄を張りたかったんだよね。それってつまり、少なからずあたしを意識してくれてるって、考えても良いってことだろうし……」

(そう……なのかな? どうだろう、やっぱり今はまだ分からないや……)

 

 男として見栄を張りたかったのか、それとも憧れの人に見栄を張りたかったのか。見栄を張りたかったのは確かだが、その気持ちがどこから来たものなのかは今のジャックには分からなかった。

 しかし赤ずきんは自分に取って多少好意的に解釈したようなので、今更否定してぬか喜びさせるのも忍びない。ひとまずはそういうことにしておいた方が良さそうだ。

 

「……ジャック、もう一度聞くよ。あたしをあんたの、恋人にしてくれる?」

 

 そうして再度問いかけてくる赤ずきん。フードを被っているにも関わらず、やはりその表情は不安げだ。つまりはそれだけジャックの存在を大きく思っていて、同時に心のより所でもあるのだろう。

 断ればきっと赤ずきんは酷く傷つく。だがそれを抜きにしてもここまで深く想われ、求められているなら返す言葉はたった一つだ。

 

「……うん。僕みたいな男で、それもまだ自分の気持ちも分かってない奴で良いなら、喜んで」

 

 ジャックは頷き、赤ずきんの告白を受け入れた。

 正直自分が赤ずきんに釣り合うかどうかに自信は無いし、努力した所でどうにかなる気もしないが他ならぬ本人が望んでいること。ジャックが釣り合い云々を深く気にしていては、そんな奴だと知りながら告白してきた赤ずきんに失礼だ。

 だからといって努力しなくて良いというわけではないが、一番すべきなのは赤ずきんのひたむきな想いに応えることである。

 

「やっ――あ、う、うん。良かった良かった。断られなくてほっとしたよ……」

 

 赤ずきんの不安に曇っていた表情は、ジャックの答えを耳にした途端弾けんばかりの眩い笑顔となった。しかし次の瞬間には気を取り直すように頬が引き締められ、心の底から安堵を覚えた程度の微笑みへと変化していた。

 

(うーん……僕も赤ずきんさんの笑顔が見たかったんだけど、何で今表情を取り繕ったんだろう……)

 

 素朴な疑問であったが、赤ずきんが安堵を覚えているのは間違いなく本当のこと。両膝に手を当て、緊張が抜けて崩れそうになるのを支えるようにしているのを見れば分かる。なのでこの程度の疑問は気にせず放っておくことにした。

 

「じゃあ、これで一応あたしたちは恋人同士ってことで……良いんだよね?」

「う、うん……たぶん、そうだと思うよ」

「そっか……じゃあさ、その……今度はジャックからしてくれないかな? さっきは何か不意打ちみたいな感じだったから、あんまり実感無いんだよね……」

「えっと……もしかしなくても、キスのこと?」

 

 分かっていたが一応尋ねると、赤ずきんは恥ずかしそうに無言で頷く。

 先ほどのキスは告白を信じなかったジャックに対する証明のようなものであり、好きあう者同士のキスではなかった。また唇が触れ合っていた時間も僅かだったため、ジャック自身もその感触は曖昧にしか覚えていない。

 なので晴れて恋人同士になった今、改めてキスをしようと提案しているのだろう。こちらに注がれる視線には明確な期待が見え隠れしていた。

 

「……ごめん、赤ずきんさん。まだ赤ずきんさんへの気持ちも良く分かってないのにそんなことするなんて、やっぱり許されないと思うんだ。だからキスはできないよ」

 

 しかしジャックははっきりと拒否した。まだ自分の気持ちが分からないから。

 とはいえもちろん赤ずきんとキスするのは嫌ではない。本人はあまり自信を持っていないが、赤ずきんは立派な美少女。あるいは綺麗なお姉さんだ。だからこそジャックだってキスできるならしたいと思っているし、そう思っているからこそキスするわけにはいかない。ここでキスしたらまるで身体や外見目当てのように思えて不誠実だからだ。

 それにまだ自分の気持ちも分かっていない癖に、恋人という間柄でしかできないことをするのは虫が良すぎる。自分の気持ちがちゃんと分かるまでは一線を引くのが、誠実な対応というものに違いない。

 

「そ、そっか……やっぱり、ジャックは優しいなぁ……」

(う……赤ずきんさん、すごく悲しそう……)

 

 納得する赤ずきんだが、明らかにがっかりした様子でしょぼくれていた。

 まだ気持ちが分からないジャックと違い、赤ずきんは本気なのだ。きっと心の底からジャックとキスをしたがっているのだろう。その気持ちに応えてあげたい所だが、さすがに唇にキスするのは許されない。

 

「……でも、そうだね。気持ちの分からない僕と違って赤ずきんさんは本気なんだから、これくらいは――」

「っ!?」

 

 なので妥協して頬に軽く口付ける。唇が触れる前はほんのり赤い程度だったのに、触れて距離を取った時には耳まで真っ赤に染まっていた。

 あの赤ずきんがこんなにも可愛らしい反応をしてくれるとは。おかげで早くもジャックの中で赤ずきんへの愛情度が上がった気がした。この調子だと普通にその内落ちてしまいそうな気さえする。

 

「い、意外と大胆だね、ジャック。びっくりしたよ……」

「あははっ、あんな告白をしてきた赤ずきんさんには敵わないけどね。それにしても……何だか今日は色々あり過ぎて凄く疲れたなぁ……」

「ジャックは体力も無ければ精神力も無いなぁ……何で告白する側のあたしよりも疲れてるのさ? ちょっと貧弱過ぎだよ」

「そうだね。直前に誰かさんにすごく傷つくことを言われたから、かな?」

 

 呆れた顔をする赤ずきんに、にっこり笑って教えてあげる。気持ちを弄ばれたと思って酷く傷ついたのはついさっきのことだ。それも全てが嫌になってふて寝したくなるくらいに傷ついたのは。

別に怒ってはいないしもう気にしていないが、そんな傷を負わせた張本人がその事実を忘れて貧弱呼ばわりしてきたのだ。さすがのジャックも嫌味の一つくらいは返したい。尤も肉体的に貧弱なのは否定できないが。

 

「う……ご、ごめん……疲れたならもう部屋に戻ってゆっくり休みなよ……」

「もう怒ってないから大丈夫だよ、赤ずきんさん。でも本当に疲れたしそうさせてもらおうかな?」

「うん、それが良いよ。あたしたちのこれからについては明日話そっか。今日はお互い色々あったし、ゆっくり休んでちゃんと整理しておかないとね」

 

 表面上は疲労の色が毛ほども見えないものの、赤ずきんは頷いてくれる。

 まだ夕飯前程度の時間帯なので今日話し合うこともできるが、根を詰めすぎたって良いことは無いだろう。時間はあるのだから二人でゆっくり進めていけば良い。

 

「そうだね。でも赤ずきんさん、僕たちの関係は皆にはどう説明するの?」

 

 しかしそこだけは今決めておかなければならないため、尋ねておく。

 この関係を秘密にしたいのか、それとも皆にも話しておきたいのか。それを予め決めておかなければ誰かに疑われたりした時、肯定すれば良いのか誤魔化せば良いのか迷ってしまうからだ。

 

「あー……ひとまず秘密にしておこっか。それについても明日話すってことで良いよね?」

「うん、分かった。それじゃあまたね、赤ずきんさん」

 

 答えを得たジャックは一つ笑いかけると、部屋を出るために扉のノブへ手を伸ばす。

 

「うん。またね、ジャック……だ、大好きだよ……」

「……っ!」

 

 その背中に、恥ずかしそうな声音で好意の言葉が送られる。振り返ってみればそこには照れ臭そうに頬を染めつつも、真っ直ぐにこちらを見つめる赤ずきんの姿。フードを被っているのに、最早被っていない時より途方も無く可愛らしい。

 ここで『僕も大好きだよ』と返せばきっと赤ずきんも喜んでくれるはず。しかしまだ自分の気持ちの分からないジャックが返して良い言葉ではない。

 

「……うん!」

 

 だから胸の内に生じる喜び全てを伝えられるように、精一杯の笑顔を返した。

 好きな人の笑顔が見たかった赤ずきんは、目的のものが見られて嬉しかったのだろう。やはりちょっと照れ臭そうにしながらも満面の笑みを浮かべてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックを満面の笑みで見送った赤ずきんは、しばらく扉に張り付き耳を澄ませていた。そうしてジャックの足音が完全に聞こえなくなるまで待ち、ゆっくりと扉から離れると――

 

「や、やったああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ――ぐっと拳を握り、ジャックの手前抑えていた喜びを爆発させた。

 抑えていたのは、まるで子供のように喜びはしゃぐ姿を見せたくなかったからだ。ジャックが告白を受け入れてくれた時、内心ではその両手を取って身体ごと振り回し踊りたくなるくらいに嬉しかったがそれも何とか我慢した。

 赤ずきんとしてはむしろそういう姿を受け入れてもらいたいのだが、今現在の自分たちはあくまでも片想いの恋人。両想いになるまではジャックに甘えて良いはずがない。だから何とか自制したのだが、ジャックが部屋に戻った今はもう抑えられなかった。

 

「まさか普通に受け入れてもらえるなんて思わなかったよ! どうせ散るなら派手に散ってやるくらいの気概でぶつかったのにさ! あーっ、告白して正解だったね!」

 

 せめてジャックの憧れの人には戻りたいという思いで自分らしく突撃した結果、玉砕しなかったどころか最高の戦果を得られたのだ。これで嬉しくないわけがない。

 まあすでに恋人がいるかもしれないという考えは完全に失念していたため、伝えたいことがあるとジャックが口にした時は心底肝が冷えたのだが。

 

「おっと……でも、喜んでばかりじゃいられないね。ジャックはまだあたしへの気持ちが分からないんだ。もしかしたら好きじゃないってこともあるかもしれないし、これからは好きになってもらえるように頑張らないと」

 

 しかしはしゃいでばかりではいられない。

 もしもジャックが自分の気持ちをはっきりと理解したら、場合によっては赤ずきんは捨てられてしまうかもしれないのだ。もちろん赤ずきんのことが好きだと言って、本当の恋人になってくれる可能性もあるにはある。

 ただジャックの周りには赤ずきんよりも女の子らしい女の子がたくさんいる。楽観はせず、こちらから行動を起して好きになってもらえるよう努力しなければ。

 

「うーん……どうしたらジャックはあたしのこと好きになってくれるのかな……」

 

 そのため浮き立つ心を何とか抑え込み、真面目に考えようと試みる。

 しかしそうするとジャックの唇が触れた頬が、そしてジャックと重ねた唇がむずむずしてきて一向に落ち着かなかった。胸は際限なくドキドキしてきて、抑え込んだはずの喜びはあっというまに弾けてしまう。

 

「うあぁぁ……! ダメだ、今は嬉しすぎて何も考えらんないよ! よし、ちょっとその辺走って落ち着こう! 二、三時間くらい街中を走れば大丈夫だね!」

 

 こんな状態でまともにものを考えられるわけがない。

 そのため、赤ずきんは解放地区を走り回って少し頭を冷やすことにした。冷静になるための方法に運動を選んでしまうとは、やはり赤ずきんは脳筋なのかもしれない。しかしそんな赤ずきんでもジャックは受け入れてくれたのだ。恥じることはどこにも無かった。

 

(そういえば何か忘れてる気がするけど……ま、思い出せないってことは大したことじゃないか。そんなことよりランニングだ!)

 

 故に、赤ずきんは清々しい気分のまま走り始める。

 一瞬何事かが脳裏を掠めたものの、胸の内が喜びで溢れている上に脳筋の赤ずきんが思い出せるわけもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさか告白されるなんて思わなかったなぁ。それもあの赤ずきんさんにだなんて……)

 

 自室に戻ったジャックはベッドに腰かけると、改めて先ほどまでの出来事を思い返していた。

 今まで赤ずきんの力になるためにコートを探していたのに、実はただの自作自演だと判明したこと。それによって気持ちを弄ばれ、からかわれ、もしかしたら自分は嫌われているのではないかと思ったこと。そう思っていたのに実際は何故か非常に好かれていて、極めて真剣な告白を受けたこと。そしてめでたく恋人同士になったこと。

 はっきり言って展開が急すぎて現実感に乏しいくらいだ。現実だとすぐに分かる証拠が無ければ、ジャックは夢か何かだと疑っていたに違いない。

 

(お姉さんだってことも忘れて甘えたくなっちゃう、か……ってことはもしかして、これからは僕に甘えてきたりするのかな?)

 

 恋人同士になった今、きっと赤ずきんは恋人同士の触れ合いを求めてくるはず。そもそも本人が甘えたいと言っていたのだ。さすがに唇へのキスはできないが、それ以外の大抵のことならジャックは受け入れるつもりだ。まだ気持ちが分からないジャックと違い、赤ずきんは本気なのだから。

 

(可愛く甘えてくる赤ずきんさんかぁ……な、何か凄くドキドキする……)

 

 頼りになる皆のお姉さんである赤ずきんが、一人の女の子としてジャックに甘えてくる。その様子を想像すると可愛らしさに自然と胸が高鳴るジャックであった。

 そもそも赤ずきんは元から可愛らしい女の子だと分かっているが、普段とのギャップの違いから余計に可愛さが増しそうに思えた。明日からはそんな姿が見られるのかと思うと、ますます期待に胸が高鳴る。

 

(そういえば……キスも、したんだっけ……)

 

 胸の高鳴りに導かれるようにして、唇に指を当ててみる。

 突然のこと、それもほんの一瞬の出来事だったので感触も良く分からなかったが、確かにジャックは赤ずきんにキスをされたのだ。美少女にキスされて、それもファーストキスを捧げられて嬉しくない男などほとんどいないだろう。実際ジャックも優越感に似た強い喜びを感じている。美少女、それも憧れの女の人にキスされたのだから余計に嬉しい。

 しかし素直に喜びに浸ることはできなかった。その喜びの中に、想い人にキスされた喜びがあるかどうかが分からなかったから。

 

(……鼻の下伸ばしてばかりじゃいられないよね。ちゃんと自分の気持ちが分かるようにならないと……)

 

 でなければ本気で想ってくれている赤ずきんに失礼だ。

 とはいえそう簡単に自分の気持ちに向き合い理解することができるなら、赤ずきんだってあんなに苦労はしなかっただろう。強くて優しい憧れの人でさえああなら、ジャックが自分の気持ちを理解する道のりは先が見えないくらい果てしなく遠い気がした。

 この道のりが横ではなく上へ続くタイプの道なら、ジャックだって今すぐにでも登りたい気持ちになるのだが。

 

(……うん。とにかく今日はゆっくり休もう。色々あって疲れたし)

 

 残念ながら道は高い所へ続くものではないので、ひとまずは大人しく休むことにした。

 今日は本当に色々あって疲れたのだ。気持ちを弄ばれたり、告白されたり、キスされたり――

 

「……ハルさん、これ直してくれるかなぁ。ドアの枠まで持って行っちゃってるけど……」

 

 ――部屋の扉を破壊されたり。

 ちらりとジャックが視線を向けた先にあるのは、真っ二つになった扉の残骸や小さな木片。そして風穴が開いた部屋の入り口を塞ぐ部屋備え付けのタンス。要するに赤ずきんによる破壊の爪痕と、半ば適当な応急処置だ。

 まだハルに修理のお願いをしていないのは、今日の出来事の現実感が薄いジャックにとってはこの破壊の痕が現実の証明になるからだ。まあ、破壊をもたらした本人はどういう訳かすっかり忘れていたようだが。

 

(ひょっとしてこんなことも忘れちゃうくらい、僕の恋人になれたことが嬉しかったのかな。それなら今頃は嬉しさで子供みたいに走り回ってたりして……って、さすがにそんなわけないか)

 

 さすがにそんなに子供っぽい姿を思い浮かべるのは失礼だ。しかし本当ならそれはそれでとても可愛らしい。そんな想像に微笑ましさを思い浮かべつつ、ジャックはベッドに入るのだった。

 ちなみにその想像が現実であったことを知るのはそれから約二時間後、良い汗を流して帰ってきた赤ずきんの子供っぽい姿を目にした時のことである。

 

 

 

 

 





 カッコ良さと可愛さ、両方を意識した結果こうなりました。壁ドンからの告白という高レベルの告白をした癖に、嬉しくて街中を走り回る子供っぽさ。でもそのギャップが堪らないと思います。
 まあ後者はともかく前者については、恋獄塔ではジャックから告白していたので逆パターンにしてみたかった、という考えもあったりします。さすがに同じ展開よりは別の展開にした方が面白くなりそうですし、何より赤姉側からの告白を書いてみたかったですしね。
 2章はちょっとイチャイチャしつつ、赤姉がジャックを落とす(物理的な意味ではない)ために頑張るお話です。でも先に親指姉様のR18の方を投稿する予定。
 親指姉様の時はこの時点ですでに両想いにも関わらず片方がツンデレなためイチャイチャしませんでしたが、赤姉の場合は果たしてどうなることやら……。



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2章:男女の駆け引き
初めての逢瀬



 ジャック×赤姉の二章一話。
 親指姫の時とは違い今の所は赤姉の片想い状態。でも男なんて可愛い女の子にちょっと迫られれば簡単に落ちちゃうんだよなぁ……まあそんな器用な真似が赤姉にできるのかどうか、という部分がこの章のキモです。





 赤ずきんから告白されるという信じがたい体験を経て、その恋人となったジャック。

 新たな一日を迎えベッドの上で最初に思ったのは、昨日の出来事は全て夢ではないかという考えだ。しかしそれも当然。まさか憧れの赤ずきんからあんなにストレートな告白をされるなんて夢としか思えなかったからだ。

 とはいえ間違いなく現実の出来事であるという証拠があったので、ジャックはすぐに状況を受け入れることができた。やはり証拠として赤ずきんによる破壊の爪痕をそのまま残しておいたのは良い判断だったらしい。

 

「おはよう、ジャック。良く眠れた?」

「おはよう、赤ずきんさん。残念だけどそんなに眠れなかったよ……ふああぁ……」

 

 ただしそのせいで安眠ができず、朝食の席に顔を出した途端大きな欠伸を漏らしてしまった。

 黎明に来る前に捕らえられていた牢獄の環境に比べれば、部屋に風穴が開いている程度は気にもならないと思っていたのだが、どうもジャックは意外と繊細な方だったらしい。あるいはここでの暮らしに慣れ過ぎたため、逆にあの程度の変化でも良く寝付けなくなったのかもしれない。

 

「でっかい欠伸ねぇ。ま、そりゃ部屋に風穴なんて開いてたら熟睡できるわけないわよね。アレいつ直すのよ、あんた?」

「ジャ、ジャックさん、大丈夫ですか? 目の下にクマができてますよ?」

 

 大きな欠伸に親指姫には呆れられ、顔に出た不眠は白雪姫に心配される。

 赤ずきんがジャックの部屋の扉を破壊したことは、親指姫たち三姉妹によって広められたのかすぐに血式少女全員が知る話となっていた。立て付けが悪くて開かない扉を力づくで開けた、という当初の嘘をどうも皆が信じているらしい。

 根掘り葉掘り聞かれたらちょっと困るのでジャックとしては安心だったのだが、当の本人は多少不満げであった。やはり赤ずきんならやりかねない、と思われているのが不服だったのだろう。

 

「大丈夫だよ、白雪姫たちもおはよう。一応今日ハルさんに頼んでみるつもりなんだけど、すぐ直してもらえるかどうかは分からないなぁ」

「全く、ドアが開かないからといって壊してしまうだなんて乱暴すぎますわ。せめてもう少し力を抑えたらどうですの?」

「もし一歩間違えばジャックは大怪我していてもおかしくなかったわ。無事だったから良かったようなものの……」

「あー、ごめんごめん。次からはもっと気をつけるよ……」

 

 親指姫たちに答える傍らでは、シンデレラとアリスに責める様な目で見つめられ小さくなっている赤ずきんの姿。

 後からちょっと聞いた話だがあの行動はジャックが憧れた赤ずきんらしさを追求したが故の行動なだけで、本当はあそこまで破壊する気は無かったらしい。やはり告白を胸に秘めた緊張から力の加減が上手くできなかったに違いない。

 

「次からは気を付けるそうよ、ジャック。次の機会が来ないと良いわね、ふふっ……」

「そ、そうだね、グレーテル……」

 

 怪しく笑うグレーテルにジャックも何とか笑みを返す。

 ただし多少引きつっているであろうことは自分でも分かった。確かに次の機会があったらシャレにならないし、そうそう何度も部屋を壊されては堪らない。あんな破壊は是非とも今回限りにして欲しいものだ。

 

「よーし。ジャック、ドアを壊したお詫びに今日はあたしが本気でみっちりトレーニングをつけてあげるよ! というわけで、朝ごはん食べ終わったらあたしの部屋に集合だからね!」

「本気の赤姉のトレーニングとか超キツそう……ジャック、私はあんたのこと忘れないわ」

「何で僕が死ぬ前提みたいな言い方してるのかな、親指姫……」

 

 わざとらしくも悲し気な顔をする親指姫に視線を向けると、同情の滲む瞳で返される。からかい混じりかと思いきや案外本気で悲しみと同情を覚えているらしい。

 だとすれば赤ずきんによる本気のしごきは一体どれだけハードなのか。怖いもの見たさにも似た不思議な興味が沸いてしまいそうなジャックだった。

 

「そもそもトレーニングがお詫びなるかどうかが疑わしいのだけれど……」

「ま、まあそれはともかく、さすがに赤ずきんさんでもそこまでキツイトレーニングは……しません、わよね?」

「さあ、どうかな? まあジャックの体力に合わせて死なない程度にしごくつもりだけど、無事で済むかどうかは分かんないね」

 

 困惑顔のアリスとシンデレラに対して、赤ずきんは肩を竦めつつ投げやりなことを言う。そんな答えに二人の表情は不安そうに曇るが、ジャック自身は特に不安など感じていなかった。

 何故なら赤ずきんはトレーニングにかこつけて二人きりになるのが目的のはずだからだ。恋人としての自分たちのこれからについてまだ話し合いをしていないので、朝食の後にじっくり話し合うつもりに違いない。なのでジャックは地獄のトレーニングが方便だと知っているため、さほど心配していないというわけである。

 

「じゃ、ジャックさん、頑張って下さい! 白雪、ジャックさんが死んじゃったら嫌ですよ!」

「部屋を壊された挙句に、度を越した激しいトレーニングに付き合わされる……災難続きね、ジャック。同情するわ。身体を壊さない程度に頑張りなさい」

「う、うん。まあ死なない程度に頑張るよ……」

 

 しかし本気で心配されるとさすがにちょっと不安になってくる。

 必死に無事を願う健気な白雪姫の姿と、冗談なのか本気なのか分からないいつも通りの声音と笑みで激励してくれるグレーテルの姿に、さすがのジャックも心の底で祈るのだった。相手が赤ずきんなのでトレーニングすることになるのは仕方ないとしても、せめてごく普通のトレーニングであることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤ずきんさん、僕だよ。入っても良い?」

 

 朝食後、ジャックは先に戻った赤ずきんの後を追う形で部屋を訪ねた。

 仲間たちは激励や同情の言葉で以って送り出してくれたあたり、皆ジャックが本当にトレーニングを受けるのだと信じきっているらしい。実際は恋人との初めての逢瀬を楽しみにきた、という表現が相応しいのだが。

   

「ああ、ジャック。いらっしゃい……とりあえず、入りなよ?」

 

 扉を開けてちらちらと周囲の様子を窺った後、ジャックを部屋に招く赤ずきん。

 朝食の席ではわりといつも通りでおかしな様子はどこにもなかったが、今は何だか顔が赤いしあまり落ち着きが感じられない。やはり皆の手前頑張ってお姉さんらしく振舞っていただけで、これが素の様子なのかもしれない。

 そんな様子をジャックには隠さず見せてくれるあたり、自分が特別に思われていることが改めて分かり嬉しさに笑ってしまうジャックだった。

 

「うん。それじゃあお邪魔します」

 

 招かれるまま部屋へと入ると、すぐに後ろで扉が閉められる。部屋の中に二人きりな事実のせいでジャックもちょっとドキドキしてきたし、扉を閉めて振り返った赤ずきんの表情も一段と赤くなっている。

 しかし何故かその表情は真剣そのものだった。まるでジャックに告白してきた時と同じくらいに。

 

(もしかして赤ずきんさん――)

「あのさ、ジャック。一応確認なんだけど、昨日のこと……夢じゃ、ないんだよね?」

(――あ、やっぱり……)

 

 その理由を予想すると同時、本人が答えを教えてくれた。真剣な表情を不安気に歪ませ、フードを身に着けているのにどこか弱々しさを感じる声音で。

 どうやら赤ずきんは昨日の出来事が現実なのかどうかいまいち自信を持てないらしい。つい先ほどの朝食の席で、ジャックの部屋の扉が壊れている話を自分もしていたというのに。昨日喜びのあまり二時間のランニングへ繰り出し、帰ってきた時にも同じ事を聞かれたので現実だと教えてあげたのに。

 

(普通それを聞くのは僕の方じゃないかな。いや、告白してきたのは赤ずきんさんの方だからなのかもしれないけど……)

 

 ある意味高嶺の花とも言える憧れの人、それも非常に魅力的で可愛いお姉さんに告白されたジャックとは違い、赤ずきんの方は貧弱かつ頼りない男にオーケーをもらっただけ。本当にあった出来事なのか尋ねるべきなのはどう考えてもこちらの方だ。

 なのに向こうがそれを尋ねてくるとは、赤ずきんにとってジャックの恋人になれたことはそれだけ嬉しくて信じられない出来事なのだろう。どれだけ深く想われているかが分かり、ジャックはちょっと照れ臭くなってしまう。

 

「夢じゃないよ、赤ずきんさん。その証拠に僕の部屋は風通しが良くなったままだからね?」

「あー……それは本当にごめん。本当にあそこまで壊す気はなかったんだけどさ、告白前で緊張してたからちょっと加減ができなかったんだ……」

「もう怒ってないから気にしないで良いよ。それよりも僕たちのこれからについての話をしようよ。僕たち、恋人になったんだしね?」

「恋人……うん、そうだね!」

 

 罪悪感からか落ち込んだ様子を見せる赤ずきんだったが、ジャックがその言葉をかけた途端眩しいほどの笑顔を浮かべて頷いた。恋人になったという事実だけでそこまで喜んでもらえるとは、本当に赤ずきんはどれだけジャックのことが好きなのだろうか。

 

「よし。じゃあまずはあたしたちのことを秘密にするかどうかを決めようか。ジャックはどうしたい?」

 

 二人でベッドに腰かけた所でまず切り出されたのはその話。つまり自分たちの関係を皆に隠すか否か、ということ。

 一応ジャックの中ではどうしたいのかはすでに決まっているので、素直にそれを口に出すことにした。

 

「正直に言うと、ちゃんと皆に話したいな。隠してても絶対いつかはバレちゃうだろうし、赤ずきんさんみたいな素敵な人が恋人なんだってことを皆に自慢したい気持ちもあるしね」

「そ、そっか。ジャックも意外とそういうとこあるんだね……」

 

 意外そうに、そして嬉しそうにしながら納得した様子を見せる赤ずきん。

 ジャックとしてはやはりちゃんと皆に話すべきだと思っている。いつまでも隠せるわけは無いし、こんなに素敵な女の子が自分の恋人だということを皆に知って欲しいからだ。それに皆のお姉さんである赤ずきんと付き合うのだから、やはりその妹たちに関係を認めてもらいたいところだ。

 

(まあ、その前に自分の気持ちをしっかり見極めるのが先なんだけど……)

 

 皆に認めてもらうのも大切なことだが、今一番大切なのはこちらの方。ジャックが抱く赤ずきんへの気持ちについて。

 昨日からそれなりに考えてはみたが、結果は変わらず自分の気持ちは分からないまま。やはり尊敬や憧れが邪魔をして他の感情が汲み取りにくいのだ。仮に赤ずきんに対して小さな恋心を抱いていたとしても、恋愛未経験のジャックは尊敬や憧れと混ぜてしまい気が付けないに違いない。

 自分の気持ちを見極めること。ひとまずはそれが目標なのだがどうすれば見極められるのかさっぱり分からず、目標を立てた傍から途方に暮れているジャックであった。

 

「ふーん、ジャックはあたしたちの関係を皆に話したいんだね。でも、あたしは秘密にした方が良いと思うよ?」

「えっ、どうして?」

 

 心の中で途方に暮れていると、赤ずきんは自分とは真逆の考えを口にしてきた。

 一瞬ジャックのような輩が恋人では恥ずかしいのではないかと思ったが、そんな輩に告白してきたのは赤ずきん本人だ。ならば別の理由があるに違いない。

 

「ほら、ジャックはまだあたしへの気持ちが分かって無いよね? だから、その……あたしを振ることも、あるかもしれないじゃん。それなのに皆にあたしが恋人とか自慢してたら、あんた……絶対後で皆に非難されるよ?」

「あ……そ、そういうことなんだ……」

 

 赤ずきんが不安気に口にした理由は、むしろジャックの世間体を気遣うものだった。

 確かに恋人だと皆に知らしめておきながら赤ずきんと別れたりすれば、きっとジャックには非難の嵐が巻き起こるだろう。アリスやグレーテルあたりは理由をちゃんと説明すれば納得してくれそうだが、親指姫あたりは説明しても相当キツく当たってきそうだ。

 

「でも、さすがに赤ずきんさんのこと振ったりだなんて――」

「――しない、って断言できる……?」

「……っ」

 

 もちろん断言しようとしたジャックだが、赤ずきんの不安気な瞳を見て一瞬言葉に詰まってしまう。まだ自分の気持ちが分からない癖にそんな風に断言して良いのか、と思ってしまったからだ。

 理由はどうあれ即答できなかった以上、今更何を言っても赤ずきんは信じてくれないだろう。故に一瞬とはいえ言葉に詰まったジャックは、次にどんな言葉を口にすべきか高速で頭を働かせた。

 

「……あ、そっか! 今の内に皆にあたしたちの関係を広めておけば、ジャックだってあたしを簡単には捨てられなくなるってことだよね!?」

「ちょっ!? 赤ずきんさん!?」

 

 すると赤ずきんは名案を思いついたとでも言いた気な表情でそんな恐ろしいことをのたまう。さすがにこれにはジャックも面食らってしまった。具体的にはそんな脅迫紛いのことまで言う赤ずきんの本気具合に。

 

「あははっ。冗談だよ、冗談。でもそんなわけだから今は秘密にしといた方が良いと思うんだ。ジャックがどうしても自慢したいって言うなら止めないけどさ」

「あ、ああ、何だ、冗談なんだね……びっくりしたなぁ……」

 

 すぐに自分で冗談だと笑い飛ばした赤ずきんに、思わず胸を撫で下ろして安堵するジャック。

 一瞬目が本気だったのでちょっと焦ったが、さすがに赤ずきんはそんなことをする人物ではない。きちんとジャックへの気持ちを受け入れ大胆に告白してきたのだから、ジャックの心を手に入れようと行動するなら脅迫紛いの方法で心を縛り付けて手に入れる搦め手より、もっと真っ直ぐで素直な方法を取ってくれるはずだ。

 

「……うん、そうだね。じゃあ今は秘密にしておこうか」

 

 落ち着きを取り戻した所でちょっと考えてみたが、やはり答えはすぐに出た。

 自分から振ったりすることは無いと言い切れるが、もしもジャックが別の誰かに恋心を寄せていたなら赤ずきんの方から気を遣って別れるということもあり得る。ただしその場合も皆に責められるのはたぶんジャックだ。それなら今は秘密にしておいた方が賢い選択に違いない。

 

「決まりだね。それじゃあ次は、えっと……他には何を決めれば良いのかな?」

「……赤ずきんさん、もしかして考えてなかったの?」

「し、仕方ないじゃん! 昨日は嬉しくて頭が回らなかったし、あたしこういうの初めてなんだよ!」

 

 困りきった顔で尋ねてくる赤ずきんに尋ね返したところ、頬を染めて言い訳染みた答えを返してきた。

 自分たちの関係を秘密にするかどうか、それ以外の話題はどうも昨日から何も思いつかなかったらしい。ジャックでさえ恋人としての自分に求めることは何か、という話題が浮かんでいたというのに。

 

(そういえば昨日は頭を落ち着かせるために走り回ってたんだっけ。ていうか一応僕も初めてなんだけどな……)

 

 ただ昨日の赤ずきんが嬉しさで落ち着きが無くなっていたのは純然たる事実だ。もしかしたら今頃嬉しさで走り回っているかも、という失礼な想像が見事に現実のものとなっていたことを知ったときの衝撃は忘れない。そしてジャックの恋人になれた程度でそんなに喜びはしゃぎまわる赤ずきんの純朴な可愛らしさも。

 

「それじゃあ、赤ずきんさんが恋人としての僕に何を求めてるのか教えてよ。キスみたいにまだ応えられないこともあるだろうけど、大抵のことなら応られるよう努力するから」

「えっ? い、良いの? だってジャック、まだあたしのことどう思ってるのか分かんないんだよね?」

「確かに僕は赤ずきんさんのことをどう思ってるのかまだ分からないよ。でも赤ずきんさんの方は、その……本気で僕のことが好き、なんだよね?」

「う、うん。あたしは、本気でジャックのことが好きだよ」

 

 ちょっと居心地悪いが面と向かって尋ねてみると、赤ずきんは微笑みさえ浮かべて躊躇い無く答えてくれた。無論ちょっと頬は赤いが嘘偽りや誤魔化しなどどこにもない、赤ずきんらしい真っ直ぐな本気の気持ちを。

 こんなひたむきな気持ちを向けられることが嬉しくて、ジャックもついつい笑いを零してしまった。

 

「だったら僕もその気持ちにはちゃんと応えてあげたいんだ。だから、赤ずきんさんが恋人としての僕に求めてることがあるならちゃんと教えて欲しいな。さすがに僕なんかに男らしさを求められたらちょっと困るけど、それ以外のことなら赤ずきんさんの望みの彼氏になれるよう何とか頑張るよ」

 

 でなければ本気でジャックを想って告白してきた赤ずきんに失礼だ。仮にも恋人になった以上はしっかり恋人らしくならなければ。

 まあ赤ずきんが力強さとかカッコよさとか、ジャックが逆立ちしても手に入れらないものを求めているのならちょっとどうすれば良いか分からないが。

 

「わ、分かった。それじゃあ……恥ずかしいけど、言うよ……」

「うん。言ってみて?」

 

 申告通り恥ずかしそうに頬を赤らめる赤ずきんへ、ジャックは優しく笑いかけて促す。

 しかしすぐには口を開いてくれず、赤くなったまま視線を下の方に彷徨わせたり、ちらちらとこちらに向けてきたりして躊躇いを見せる。

 

(あんなに大胆な告白をしてきたのにこんなに恥ずかしがるなんて……女の子って分からないなぁ……)

 

 分からないが、そんな風に恥ずかしがる赤ずきんの姿がとても可愛らしい。故にジャックは赤ずきんが自分から口を開くまで、その光景の微笑ましさを楽しみながら待っていた。

 それからたっぷり十秒以上は経過しただろうか。恥じらいに引き結ばれていた唇はやがて意を決したように開かれた。

 

「その……皆基本的には良い子たちなんだけど、個性的な子が多いからさ……実は皆のお姉さんしてると結構疲れるんだよね……」

「そうだね。でもそう言う赤ずきんさんもだいぶ個性的じゃないかな?」

「い、言ったなぁジャック!? 今言っちゃいけないことを言ったね!」

「あははっ。ごめんね、赤ずきんさん。それで疲れるからどうしたの?」

 

 緊張を解してあげるために冗談を口にしてから続きを促すと、眉を寄せて睨んできていた赤ずきんは途端に大人しくなる。

 否定できないからなのか、それとも今は自分の望みを叶えてもらう事が優先なのか。赤ずきんの不服そうな反応からするとたぶん両方だろう。

 

「……うん。昨日も言ったけどさ、あたしもお姉さんだってことを忘れて子供みたいに甘えたくなるんだ。今まではそんなことできる相手なんていなかったから、我慢してたんだけど……」

 

 そこで言葉を切り、ジャックにちらりと視線を向けてくる。それは何かをねだるような、甘えるようなとても可愛らしい瞳。

 少なくとも頼りになる皆のお姉さんとしての赤ずきんが浮かべる瞳ではない。一人の女の子としての赤ずきんが、好きな人にだけ見せる隠さぬ弱さの滲む瞳がそこにあった。

 

「……ジャック、あんたに甘えても良いかな?」

 

 そんな弱々しく可愛らしい瞳で反応を窺いながら、控えめに尋ねてくる赤ずきん。

 かける言葉は当然決まっている。ジャックは頷き、迎え入れるように両腕を広げた。

 

「うん、良いよ。僕なんかで良ければ、好きなだけ甘えてきてよ」

「ほ、本当に良いの? 絶対あたし子供っぽくなるよ? あんたの憧れのお姉さんの姿なんて欠片も無くなるよ?」

 

 しかしそれを気にしてか腕の中に身を寄せようとはしてこなかった。不安気に縮こまりつつ、むしろ若干距離を取っているくらいだ。どうもジャックの憧れである赤ずきんのイメージを壊してはいけないとでも思っているらしい。

 

「確かに赤ずきんさんは僕の憧れの人だけど、赤ずきんさんだって一人の女の子じゃないか。弱い所があったって何もおかしくないし、幻滅なんてするわけないよ。僕はむしろその方が親しみを感じられるしね。それに……子供っぽい赤ずきんさんっていうのも、可愛くて僕は結構好きだよ?」

 

 なので躊躇う赤ずきんへと本音を告げる。

 ジャックはさほどイメージには拘っていないので、別に問題は無かった。もう二度と憧れのお姉さんに戻らないならちょっと問題ありだが、あくまでも一時的なもののはずなので心配はしていない。

 そもそも完璧な人なんていないのだから弱い所の一つや二つあって当然というものだ。それに子供っぽい赤ずきんの姿というのも、普段の様子とギャップがあって非常に好ましい。問題ないどころかむしろ大歓迎である。

 

「じゃ……ジャックぅーっ!」

「わあぁっ!?」

 

 そんな本音を微笑みつつ告げた結果、次の瞬間赤ずきんは腕の中に飛び込んできた。感極まったような表情で、危うく吹き飛ばされそうになるくらいの勢いで。

 飛び込んでくるのは別に構わないがもうちょっと加減して欲しいと思うジャックであった。

 

「はー……やっぱり、凄く落ち着くよ……ずっとずっと、こんな風にしたかったんだ……ジャックぅー……」

 

 朱色に染まった頬をご機嫌に歪めつつ、ジャックの胸に顔を埋めるように密着してくる赤ずきん。おまけに恍惚とも取れそうな吐息を零すと、背中に腕を回してぎゅっと抱きついてくる。

 頼りになる皆のお姉さん、強くて優しい赤ずきんがジャックの胸に顔を埋めてぎゅっと抱きついてくる姿はある意味とても衝撃的だった。その姿は最早完璧に甘えん坊な一人の女の子だ。あの赤ずきんがこんな風にジャックに甘えてくるなど、一体誰が信じるだろうか。

 

(現場を見せない限り誰も信じないよね、これ。僕もまだちょっと信じられないや……)

 

 ちょっと信じがたいがこれは事実。赤ずきんは間違いなくジャックに甘えているし、もっと優しくしてほしいと思っている。それなら曲がりなりにも恋人であるジャックがその願いを叶えなくてどうするというのか。

 

「……よしよし。赤ずきんさんは甘えん坊だね?」

 

 なので甘えさせる側に相応しそうな言葉を口にしつつ、優しく頭を撫でてあげる。相手が赤ずきんなせいかかなり生意気で上から目線の台詞であった。しかし当人がこういった触れ合いを望んでいるのだから仕方ない。

 

「むー……」

(あ、あれ? 何か機嫌悪くなっちゃった……)

 

 仕方ないと思ったのだが、どうやら間違っていたらしい。

 赤ずきんはジャックの偉そうな台詞を耳にするなり、腕の中で顔を上げて不機嫌を隠さず睨みつけてきた。それも頬を膨らませた酷く子供っぽい表情で。やはり少々生意気に過ぎたのだろう。

 

「や、やっぱりちょっと生意気だったよね? ごめん、赤ずきんさん。僕、包容力があるわけでもないから、こんな台詞でも言わないと赤ずきんさんを甘えさせるには役者不足かなって思って……」

「いや、あんた包容力は誇って良いくらいあるよ。あたしを受け入れてくれるくらいだしさ……あたしが気に食わないって思ってるのはもっと別のことだよ、別のこと」

「別のこと……?」

 

 腕の中から不満げに見上げてくる赤ずきんの姿を眺めながら、何が気に入らないのか考えてみる。

 抱き返したことか、それとも頭を撫でたことか。しかし甘やかして欲しい赤ずきんからすれば、これらはむしろ喜ぶべきことのはず。だからこそジャックには理由が分からなかった。

 

「……ごめん、僕には分からないや。赤ずきんさんは一体何が不満なの?」

「それだよ、それ! その呼び方!」

「呼び方……赤ずきんさん?」

「そう! あたしを甘えさせてくれてるジャックが、さん付けであたしを呼ぶからいまいちなんだよ! だからジャック、呼び捨てでさっきの台詞言ってみてよ!」

「え、えーっと……」

 

 胸に縋り付く形で見上げてくる赤ずきんが、瞳を期待に輝かせながらジャックの言葉を待っている。年上のはずなのにこのじゃれてくる子犬のような可愛らしさは一体何なのか。お尻に尻尾が生えていてそれがパタパタと振られていても全く違和感が無さそうだ。

 赤ずきんは皆のお姉さんだけあって、一応ジャックよりも年上。しかも尊敬している憧れの人。そんな人を呼び捨てにすることに若干躊躇いはあったが、他ならぬ本人が望んでいるのでは仕方ない。

 

「……よしよし。赤ずきんは甘えん坊だね?」

 

 なのでジャックは赤ずきんの頭を優しく撫でながら、先ほどと同じ言葉を敬称抜きで口にした。

 自分ではかなり偉そうな気がしたものの、赤ずきんにとってはどうも最高に琴線に響く態度と言葉だったらしい。期待がこもっていた面持ちは、感激とも取れそうな溢れんばかりの笑みに輝いていた。じっとしていられず今にも走り出さんばかりの喜びに。良く考えるとそんな反応もますます犬っぽい。

 

「うんうん! 良い感じだよ、ジャック! ていうかもう普段からその呼び方でも良いくらいだよ!」

「普段はさすがにダメだよ。皆には秘密にしないといけないのに、突然呼び方が変わったら絶対何か疑われちゃうよ?」

「あ、そっか。なら仕方ないよね……残念だなぁ……」

 

 落胆からか僅かに肩を落とし、その気持ちを拭うように更に強く抱きついてくる赤ずきん。やはりがっかりしたのか笑顔も若干沈んでいる。力なく地面に垂れ下がる尻尾を幻視しそうなくらいである。

 そんな顔をされるとまた笑顔にしてあげたくなるのだが、さすがに皆の前で敬称を無くすのは無理だ。いきなり呼び捨てにしてしまえば勘の良い人なら関係に気付くかもしれない。

 

「そんな顔しないで、赤ずきん。皆の前ではちょっとマズイけど、二人きりの時なら呼んであげるから」

「本当!? ありがとう、ジャックぅー!」

 

 なので二人きりの時なら望み通りの呼び方をしてあげる、と約束した。

 途端に僅かに沈んだ面持ちには眩しいほどの笑みが戻り、胸に頬擦りする形で更に深く抱きついてくる。実は抱きつき癖があるのではないかと思うぐらいの密着具合、そして犬のようなテンションの上がり具合だ。

 

「よしよし。赤ずきんは可愛いね?」

「はふぅ……」

 

 続いてあやす様に優しく頭を撫でてあげると、赤ずきんは腕の中で気持ち良さそうな吐息を零す。

 頼りになるお姉さんに対していっそ失礼なくらい完璧に子ども扱いしているにも関わらず、本人はとても幸せそうだ。甘えさせる側であった赤ずきんだからこそ、やはりこんな風に甘えるのが夢だったのだろう。

 

(参ったなぁ。こんなんじゃ僕、絶対その内落ちちゃうよ……)

 

 赤ずきんを甘やかしつつ、考えるのは今後のこと。

 今のところ赤ずきんへの気持ちは分からないジャックだが、落ちるのは時間の問題だとはっきり分かっていた。例え元から恋心を抱いていなかったとしても、その内芽吹いてしまうことも十分に考えられる。

 何故ならあの赤ずきんが普段の様子からは考えられないくらいに無防備で可愛らしい姿を晒してくれているのだ。いっそ眩暈を起しそうなくらいにギャップが凄まじいし、そんな姿を晒すのは他ならぬジャックにだけ。ここまで特別に想われ求められていることが分かると、もう想いに応えてしまっても良いんじゃないかという考えさえ浮かんでくる。

 もっともその考えには不純な動機が混ざっている可能性が高かった。理由はとても単純だ。

 

(それに、何ていうか……凄く柔らかいものがお腹に当たってドキドキする……)

 

 真正面から抱き合っているせいで、衣服越しとはいえ赤ずきんの胸の膨らみが容赦なくジャックの腹部の辺りに触れているからだ。

 しかもほぼ完璧に密着しているのでもう触れているというか押し付けられている感じだ。思った以上に大きくて柔らかい感触に胸を高鳴らせてしまっている辺り、不純な考えが無いと断言することはできなかった。

 

(赤ずきんさん、もしかして気付いてないのかな? それとも、分かっててやってるとか……?)

 

 未だにちょっと信じがたいが、赤ずきんからすればジャックは何としても落としたい相手だ。ジャックをその気にさせるため、あえてこんな真似をしている可能性だって考えられる。もしかしたらこんな風に甘えてくるのも作戦の一環ということも――

 

(――そんなわけないか。赤ずきんさん、本当に幸せそうだし……)

 

 腕の中で至福に頬を緩める赤ずきんの姿に、ジャックは即座にその考えを否定した。

 赤ずきんがこんなにも心から幸せそうにしている姿を見たのは正直なところ初めてだ。きっと今は余計なことなど何も考えず、ただ甘えられる相手に巡り合えた喜びに浸っているのだろう。そうでなければここまで混じり気のない至福の笑みを浮かべることなどできないのだから。

 

「ジャックぅ、もっと頭撫でてよー……」

(だけどあざとい! この可愛さはあざとすぎるよ、赤ずきんさん!)

 

 とはいえこの可愛さだけはわざとやっているのではないかというくらい凄まじい。あの赤ずきんが腕の中で頬を膨らませ、ねだるように見上げてくる姿など反則そのものである。

 その可愛さにジャックは多大なる衝撃を受けながらも、努めて平静を装い望み通り甘やかしてあげるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、もう良いよジャック。名残惜しいけど今はこれで十分だよ」

 

 抱きついてから一、二分ほど経過した頃だろうか。ある程度の幸せを得られた赤ずきんはジャックの背に回していた腕を解き、静かにその暖かい身体から離れた。もちろん長年積もりに積もった欲求が満たされたわけではないので、後ろ髪引かれる思いを抱えながら。

 欲を言えばまだまだ甘えていたいが、赤ずきんとジャックの関係はまだ本物の恋人同士ではないのだ。にも関わらずジャックの優しさに付け込み甘えすぎるのは良くない。

 

「えっ、もう良いの? 別にもっと甘えたって僕は構わないよ?」

「そりゃああたしももっと甘えてたいけどさ、それだとあたしばっかり良い思いしてることになるじゃんか。そんなの不公平だよ。というわけで、次はジャックの番だ!」

「えっ、ぼ、僕の番?」

 

 自分にしてくれたのと同じく迎え入れるように両腕を広げ笑いかける赤ずきんだが、さすがにジャックは飛び込んで来なかった。飛び込んできたなら同じように抱きしめて頭を撫でてあげようと思ったのに、心底意外そうな顔で驚きを露にしている。

 まあ基本は優しさと誠実さでできているジャックのことだ。キスを拒むのと同じく、自分の気持ちがまだ分からないのに恋人同士の触れ合いをすることはできないと考えているのだろう。つまりは赤ずきんに対して何かを求めるつもりは無かったに違いない。

 

「まだ気持ちが分からないからって、恋人っぽいことは何もしちゃいけないなんておかしいよ。ジャックもあたしにして欲しいことがあるなら遠慮なく言ってみなって。あたしにできることなら何でもしてあげるからさ」

 

 しかしそんな自分のみが得をする関係を許す気は無い。

 赤ずきんが目指しているのは相思相愛の関係だ。それに好きな人の願いを叶え、求めに応えたいという純粋な気持ちがある。ジャックだって自分の願いや求めを受け入れてもらえたなら、先ほどの赤ずきんと同じくとても大きな幸せを感じてくれることだろう。

 そうなればジャックが幸せを感じてくれたことで赤ずきんも幸せになれるし。お互い幸せで万々歳だ。

 

(それに、これであたしへの好感度が上がるかもしれないしね!)

 

 なお、実はそんな打算もあるのだがそれは口にはしなかった。具体的に作戦とかそういうのはまだ決まっていないし恋愛経験皆無の赤ずきんにまともな作戦が立てられるとも思えないが、隙あらばガンガン行くつもりである。それくらいやらなければ赤ずきんがジャックを落とすことはできそうもない。

 

「ええっ? で、でも……」

「だったらこれはあんたの恋人じゃなくて、皆のお姉さんからの命令だよ。何でも良いからあたしにして欲しいことを言ってみてよ。お姉さんの心を癒してくれたお礼に、何でもしてあげるからさ」

 

 なおも遠慮するジャックに対し、赤ずきんはお姉さんとしての立場を使う。

 恋人としての触れ合いを本人が躊躇うならそれはもう仕方ない。誠実なジャックならいっそ頑固なくらいに拘って決して意思は変えないだろう。その意志の固さもなかなか好みだが、何も求められないのは正直困る。だからこそ赤ずきんは立場を憧れのお姉さんへと変えることにした。

 

「……本当に何でも?」

 

 すると今まで躊躇いを見せていたジャックが、不意に何か思いついた表情を浮かべ尋ねてくる。

 何でも、という部分に反応したような感じだがジャックに下心は無いと分かっているので赤ずきんは特に何も思わなかった。そもそも下心があるならキスを拒否したりはしなかったはずだ。というか自分に惚れさせるのが目的の赤ずきんとしては、少しくらい下心があった方がむしろ助かるのだが。

 

「お姉さんに二言は無いよ。何だったらキスだってしてあげるよ?」

「き、キスはまだダメだよ! そうじゃなくて、僕がして欲しいのは、その……」

 

 赤ずきんの軽口に対し、顔を赤くして否定するジャック。

 やはり下心がこれっぽっちも感じられない。というかそもそも赤ずきんの気持ちに付け込めば色々できる立場だということにも気付いていないだろう。あるいは気付いていて何もしないだけかもしれないが。

 

「ひ、膝枕、なんだけど……」

「……へぇ」

 

 ただ、遠慮しているというわけでもないらしい。ジャックが頬を染めつつ視線を逸らしながら口にしたお願いは、まだ一度しかしてあげたことのない特別なものであった。

 これはもしかしたらジャックは赤ずきんの太股に魅了されてしまったのではないだろうか。ちょっとした恥じらいと嬉しさに自然と頬が緩んでしまう。

 

「前に赤ずきんさんに膝枕してもらった時は凄く良く眠れたから、できればもう一度して欲しいなって……今日は部屋があの状態だったから、ちょっと良く眠れなかったしね……」

(ふ、普通に切実な理由じゃん……ていうか完璧にあたしのせいだし……)

 

 ただしジャックが疲れの残る表情で続けたので、罪悪感から自然と頬は引き締まる。

 ジャックが寝不足なのは部屋の扉をぶっ壊した赤ずきんの責任だ。尤も壊した直後は告白の後にハルにでも修理を頼もうとちゃんと考えていた。ただ予想を裏切って告白が成功してしまい、そのあまりの嬉しさに頭の中からすっぽ抜けてしまったのだ。

 思い出したのは浮かれた心と頭を落ち着けるため、二時間ほど街中を走り回って帰ってきた時である。ジャックは気にしていないと言ってくれたが、やはり赤ずきんの胸の内には罪悪感が燻っている。

 

「分かった。あんたはあたしの彼氏だからね。理由なんてなくたって膝枕くらいいつでもしてあげるよ、ジャック?」

「わあっ!?」

 

 そこまで言い放ち、強引にジャックの身体を引き寄せて横にならせた。もちろんジャックが望んだ通り、膝枕となる形に。

 こんな簡単に膝枕してもらえるとは思っていなかったのか、膝の上から真っ直ぐ見上げてくる瞳はとても意外そうだった。ただし赤ずきんの言葉で自分が彼氏だということを思い出したらしく、すぐに照れ臭そうな微笑みへと変わった。

 

「……そっか。じゃあこれからもたまにお願いして良いかな、赤ずきんさん?」

「それくらいお安い御用だよ――って、こら。呼び方が違うよ、ジャック。今は二人きりだよね?」

 

 ついさっき二人きりの時は赤ずきんと呼ぶと約束してくれたのに、あろうことか早速破られた。これには赤ずきんもむっときて膝の上のジャックを睨みつけてしまう。

 

「うーん……ごめん、赤ずきんさん。さっきはああ言ったけど、僕に甘えてきてる時だけじゃダメかな? 赤ずきんさんは年上だし、憧れの人でもあるからやっぱりさん付けじゃないと落ち着かないんだ」

「その憧れが全部あたしへの恋心だったなら良かったんだけどなぁ……」

 

 今のところ、ジャックが赤ずきんに抱く好意は尊敬や憧れというものが大半を占めている。そのせいで他の種類の好意を抱いているかどうかも本人ですら分かっていない様子だ。そんな大きな尊敬と憧れからなる好意全てが赤ずきんへの恋心だったなら、一体どれだけ良かったか。

 しかし無いものねだりをしても仕方ない。一つ溜息を零すことで未練を振り切り、赤ずきんはジャックの頭に手を乗せた。

 

「良いよ、それじゃああたしが甘えてる時には絶対にさん付け無しだからね? もしも破ったら罰ゲームだ」

「ど、どんな罰ゲーム?」

「そうだね、やっぱり唇にキスしてもらおっかな。あたしは本気だし、せっかくのファーストキスだったのにどんな感じかあんまり覚えてないからさ、ちゃんとしたキスをしたいんだ」

 

 乗せた手で頭を優しく撫でながら罰ゲームの内容を教えると、ジャックは膝の上で居心地悪そうに視線を逸らす。

 嫌そうではなく恥ずかしそうな辺り、赤ずきんとキスをすること自体に抵抗や嫌悪感は無いらしい。やはり純粋に自分の気持ちが分からないのにキスすることに抵抗があるのだろう。

 

「う、うん。約束、破らないように気をつけるよ……」

「大丈夫大丈夫、そんな気をつけなくたって良いよ。ていうかむしろ破ったってあたしは構わないよ、ジャック?」

「赤ずきんさん、本当にびっくりするくらい本気だなぁ……」

 

 呆れを通り越していっそ感心しているように思える声音でジャックは呟く。

 実際赤ずきんは本気でジャックのことが好きだし、約束を破っても構わないと思っているのも本気だ。ジャックが約束を破らなければ先ほどと同じ甘えさせてもらっている気分になれてとても幸せだし、破ればその罰と称して合法的に唇にキスできる。どちらに転んでも赤ずきんにとっては非常においしい。

 

「もちろん、あたしは本気であんたのことが好きだからね。今更そんなことに驚いてないで、少し眠りなよ。お姉さんの膝枕でもう眠たくなってきたんじゃない?」

「うん、確かに眠いや……じゃあ、少しだけ休ませてもらうね。おやすみ、赤ずきんさん……」

 

 それだけ口にするとジャックは瞳を閉じた。

 部屋の大穴のせいで眠れなかった弊害か、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。ジャックが魅了されているかどうかは別として、案外赤ずきんの太股は枕としては優秀なのかもしれない。

 

(あーあ、早くジャックにあたしを好きになってもらいたいなぁ。そしたらもっと色々してもらえるのに……)

 

 膝の上のあどけない寝顔を眺めつつ、本当の恋人同士になれた場合の日々に思いを馳せる。

 ジャックが赤ずきんを好きになってくれて、本当の恋人同士になれたらもっと色々な触れ合いができる。ジャックに甘やかしてもらいながらキスもしてもらえるという贅沢な触れ合いだって可能だ。すなわち子ども扱いされつつ女の子扱いも、それもジャックの特別として扱ってもらえるのだ。甘えられる相手がおらず、あんまり女の子扱いもされてこなかった赤ずきんとしては本当の恋人同士になればできる触れ合いは堪らなく魅力的だ。

 そんな触れ合いを現実のものにするためなら労を惜しむ気などない。だいたい赤ずきんがジャックの恋人になれたことだって奇跡なのだ。こんなあり得ない幸運に恵まれた以上、このチャンスを無駄にする気は無かった。本気の本気、赤ずきんに為し得るあらゆる方法でジャックを落とすために努力する心積もりである。

 

(でも方法が浮かばないんだよね。やっぱりアイツに相談するしかないか……)

 

 ただしその手の知識には疎い赤ずきんには妙案が浮かばないため、知識を持つ者の協力が必要不可欠だ。あまり気は進まない相手だが知識を持つ者という条件で右に出そうな者はいない。

 まあ逆に言えば知識しか持っていなさそうな気もするので不安はあるのだが、今のところ他の皆には話せない話題だ。できれば知識もあって女の子らしい女の子に聞きたいのだが仕方ない。

 

「ま、いっか。もしかしたらとんでもない作戦を授けてくれるかもしれないしね!」

 

 そんなわけで赤ずきんは今日中に相談に向かうことを決め、ひとまずはジャックの寝顔を眺めて楽しむことにした。

 

「あははっ。気持ち良さそうに寝てるなぁ」

 

 ジャックの笑顔を見たくて色々不器用なことをやっていたものの、ただの寝顔もなかなかどうして魅力的だった。

 男にしてはかなり女の子っぽい顔立ちのせいか、あどけない寝顔は赤ずきんのお姉さんとしての庇護欲を大いにくすぐってくる。膝枕していなければ思わず抱きついてしまいたくなりそうなほどだ。

 

(……ん? ちょっと待った。寝てるってことは、もしかしてちょっとくらい変なことしてもバレないってこと?)

 

 不意にそこに思い至り、思わず周囲に視線を巡らせる。

 ここは自室で今はジャックと二人きり。誰の目も無いのは明らかだ。それにジャックはぐっすり眠っている。つまりここで何をしたって誰も気付かない。それを理解した時、むくむくとイタズラ心が沸いてくるのを抑えられなかった。

 

「……よし。隙を見せるあんたが悪いんだよ、ジャック。恨むならあんたを本気で狙うあたしの膝の上でぐっすり寝る自分を恨むんだね」

 

 心の赴くままニヤリと笑い、赤ずきんはジャックの唇へとゆっくり顔を寄せていく。ジャックの寝顔が間近に迫るにつれ徐々に胸の鼓動が高鳴り、頬は火がついたように熱くなってきて何だかとても喉が渇いてくる。

 前回はジャックに自分の気持ちを証明するために情緒もへったくれも無い唐突なキスをかましたせいか、こんな感覚を覚えはしなかった。たぶんこれから味わうのが本当のキスの感覚なのだろう。

 そんな感覚を味わえることに幸福を感じる反面、罪悪感に少しだけ胸が痛んだ。まだ自分の気持ちが分かっていないとはいえ、恋人であるジャックをさしおいて自分ひとりだけそれを味わう罪悪感に。だからきっとその罰が当たったに違いない。

 

「――こ、これは計算外だ……ジャックの奴、予想以上にガード固いよ……」

 

 ジャックの唇まであとちょっとだったのに、キスをすることができなかった。とはいえ別にジャックが目を覚ましたわけではないし、誰かが部屋を訪ねて来たわけでもない。純粋に唇までの距離を詰められなかったのだ。

 膝枕は膝枕でも今ジャックの頭は太股辺りを枕にしている。そんなジャックの唇にキスするには上半身を前に倒し、更に俯くように下を向くしかない。逆に言えばそれだけでキスできるのだが、赤ずきんは前のめりになる時点で躓いてしまった。何故ならこんな所ばっかり女の子らしい胸の膨らみが邪魔になり、ジャックの顔を覆い隠してしまうから。

 

「まさかあたし自身に邪魔されるなんてね……あははっ、何か親指あたりが聞いたら怒りそうな話だなぁ」

 

 自分の胸が邪魔でキスできなかったと話せば眠り姫やシンデレラあたりは気持ちを理解してくれそうだが、親指姫やアリス辺りはきっと嫌味か何かに取るに違いない。ご機嫌斜めになってしまう子達を宥めるのは骨が折れそうだが、やはり皆にも自分たちのことを話せればとても幸せなことだろう。

 

「……うん。甘えるのも良いけど、やっぱりジャックを落とすために頑張らないとね! 皆にそんな話ができるように頑張ろう! おーっ!」

 

 改めて気持ちを固めた赤ずきんは一人拳を突き上げ、幸せを手に入れるために気合を入れ直すのだった。

 尤も気持ち良く眠っているらしいジャックがうるさそうに眉を顰めて身を捩ったので、起してしまわないよう慌てて自らの口を塞ぐことになったのだが。

 





 何だかすでに結果が見えている気がしないでもない。無邪気な可愛らしさは恐ろしい。
 余談ですが親指姫の時と違って早い段階でイチャイチャさせられているのでかなり満足です。でもこれでは一方的にイチャついているだけだ……ああ、早くお互いにラブラブイチャイチャしている所を書きたい……。

 あと最近ツイッターを始めました。詳しいことはプロフィールに書いてあるので気になる方は覗いてみてください。



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思わぬチャンス



 今回はイチャラブが少ないため見所に欠けるかもしれない回。でも必須なので飛ばせない展開がある回でもあります。
 たぶんこの章では次が一番イチャイチャするお話のはず。正確にはまだ落ちていないのに何でイチャイチャしているのかは別として。






 

 

 

 

 赤ずきんの膝枕で数十分ほど仮眠を取り寝不足が解消されたジャックは、兼ねてからの問題の解決に取り掛かっていた。つまりは破壊された扉の修理だ。

 とはいえ道具を借りたとしてもジャックには手の施しようがなさそうなので、やはりハルに修理のお願いをするしかなかった。優しいハルは面倒くさいとぼやきながらもまず被害状況の確認を行いたいと言ってくれたので、部屋に連れてきたのがついさっきのこと。

 

「………………」

 

 そして今、ハルは破壊の痕や扉の残骸を目にして無言で固まっていた。表情を窺ってみるもそこには驚愕は浮かんでおらず、ただただ呆れの色だけが浮かんでいる。

 扉を壊した犯人が誰なのかはまだ説明していないのだが、これだけの惨状を目にしても驚愕に値しないということは誰が犯人なのか予想はついているのだろう。まあハルの元に一緒に修理のお願いに行った時から、その犯人はジャックの隣で罰の悪そうな顔をして縮こまっていたので見れば誰でも分かるに違いない。

 

「……てめぇの仕業だな。馬鹿力出すのも大概にしやがれ、馬鹿ずきん」

「なっ!? 何であたしの仕業だって決め付けてるのさ!? もしかしたらジャックが自分で壊したかもしれないじゃんか!」

 

 あっさり見抜かれて悔しかったのか、往生際の悪いことに否定する赤ずきん。しかしハルはそれを鼻で笑い飛ばした。

 

「はっ。そりゃお前、こんなもやしみてぇに細い奴がそんなことできるわけねぇだろ」

「……なるほど、納得の理由だね!」

「ハルさんも赤ずきんさんも酷いや……」

 

 結構心にグサっと来たジャックだが、反論の余地は微塵も無かった。細めなのは事実だし、何よりジャックがどう頑張っても同じ規模の破壊を引き起こすことは不可能だ。

 もしかしたら扉を蹴り開けることくらいはできるかもしれないが、それだって一発ではなく何発も全力の蹴りを浴びせなければ無理だろう。

 

「で、結局何があった? 何だってお前はジャックの部屋をぶっ壊してんだ?」

「あー、それがさ……」

 

 ハルに問われ、赤ずきんが助けを求めるような視線を向けてくる。

 一応口裏合わせは事前に行っているので困るようなことは無いはずだ。とはいえハルのいぶかしむ視線に晒されて多少動揺したのかもしれない。

 何にせよ赤ずきんに力を求められているなら細かな理由などどうでも良い。代わりに自分が説明するにことに決めたジャックはすぐさま口を開いた。

 

「立て付けが悪くて開かなかった扉を、通りかかった赤ずきんさんが開けてくれたんです。まあ、開け方はちょっと予想外でしたけど……」

「これだけの力があるならもっとスマートに開けられるだろうが……ったく、いつまで経ってもじゃじゃ馬なのは変わんねぇな」

「だ、だからじゃじゃ馬って何さ! これでもあたしは皆が頼りにしてくれるお姉さんなんだよ? そうだよね、ジャック?」

「う、うん。そうだね……」

 

 確かに赤ずきんの言っていることに嘘は無かった。

 ただジャックはついさっき、お姉さんとは思えないほど凄く子供っぽい可愛らしい姿を見せてもらったばかりだ。その時の様子とギャップの大きさを思い出してしまい、あまりの可愛らしさに頬が火照ってきてしまうのを止められなかった。今顔を見られたらどう誤魔化せば良いものか。

 

「へいへい、そりゃ良かったな。けどお前、もうちょっと大人しくならねぇと一生男なんてできねぇぞ。こんなじゃじゃ馬貰ってくれるような奴がいたら、是非そいつの顔を拝みたいもんだぜ」

「むっ……」

 

 しかしその心配は必要なかった。ハルは一部が毟り取られたようにごっそり欠けているドア枠に手をやりつつ状態を確かめているし、赤ずきんはそんなハルの言葉にかちんときた様子で睨みつけている。

 何だか別種の心配をしたくなる状況だが、少なくとも顔の火照りには気付かれないので一安心だ。

 

「ま、もしどうしても男ができなかったらジャックにでも貰ってもらえや。おっと、そん時までコイツが一人身だったらの話だけどな?」

「うぅっ……!」

 

 嘲笑うように口にしながら、ドア枠の状態を確かめているハル。その目は当然ドア枠に注がれているため、他のものを見ていない。ジャックのことも、心底むっと来た様子で睨みつけている赤ずきんの姿も。

 

(や、やっぱり悔しいのかな、赤ずきんさん……)

 

 一応とはいえ、今やジャックは赤ずきんの恋人。つまりは赤ずきんの男だ。すでに男ができているにも関わらず、一生男ができないだとかその時はジャックに貰ってもらえとか言われているのだ。これは相当悔しいに違いない。

 それに自分たちの関係は皆に秘密するとついさっき決めたばかり。言い返したくてもボロが出てしまうことを怖れて言い返せないはずだ。だから何も言えず、ただただ悔しそうに睨むしかないのだろう。

 そんな赤ずきんの様子を眺めてジャックはしばし考える。ジャックは仮にも赤ずきんの男。彼女が馬鹿にされて黙っているなどどう考えても男らしくない。何よりこんな無力感に歯噛みする赤ずきんの姿を見ていたくなかった。

 

「……あの、ハルさん」

「どうした、ジャック? ああ、さすがのお前でもコイツみたいなのは願い下げか? そりゃ当たり前だがこんなんでも一応気立ての良いとこの一つくらいはあってだな――あ?」

 

 ジャックが声をかけると、ハルは変わらず嘲笑うような表情で言いつつこちらを向き――そのまま固まった。無残に破壊された扉の惨状を目にしても驚愕を見せなかったハルが、はっきりと分かる驚愕を露にして。

 もちろんジャックにはその驚愕の理由が分かっていた。というかジャック自身が驚かせたのだから当然だ。ハルがこちらに視線を向けた瞬間、赤ずきんと手を繋ぎ肩が触れ合うほど近くに身を寄せたのだから。

 

「じゃ、ジャック? 良いの……?」

 

 当然この行動には赤ずきんも驚きを隠せていない。自分たちの関係は皆には秘密にすることに決めたのだから当然の反応だ。

 しかし皆に秘密にする理由は万が一の事態が起きて赤ずきんと別れてしまった場合、ジャックが他の女の子たちに責められるのを防ぐため。ハルは立派な大人の男性だし、万が一の事態が起きたとしてもちゃんと公平な目で見てくれるはず。そう思ったからこそジャックは打ち明けることにしたのだ。

 

「うん。ハルさんになら話しても問題無さそうだから。それに……自分の彼女が馬鹿にされてるのに黙ってるなんて、ちょっと男らしくないしね?」

「ジャック……!」

 

 照れ臭さを覚えてちょっと視線を逸らしつつ答えると、赤ずきんはとても嬉しそうにはにかみ固く手を握り返してきた。先ほどの悔しさに歯噛みする表情などすでにどこにも無く、改めてハルに向けられたのはいっそ挑発的とも取れるほど得意げな笑みであった。

 

「あ、あー……その、何だ……お前ら、まさか……」

「そうだよ、ハルさん。あたしとジャックは付き合い始めたんだ。男ならもうできてるんだよ! 参ったかこのオヤジ!」

 

 そして一歩踏み出し、何やら戸惑い気味のハルに容赦無く言い返す。

 悔しさを跳ね除け真実を告げることができたせいか、得意げな笑みは非常に満足気な笑みへと変わっている。負けず嫌いというか何と言うか、やはり赤ずきんは頼りになる面とは裏腹に子供っぽい部分も持っているらしい。

 

(でもそんなとこも可愛いなぁ……ていうか僕、もう半分くらい落ちてるんじゃないかなぁ……)

 

 少なくとも頼りになるお姉さんの姿を見て最初に可愛いという言葉が浮かんでくるなら、もう憧れよりもその他の感情の方が大きくなっている気がする。やはりこの分だとジャックが赤ずきんに落とされる日は遠く無さそうだ。

 

「……ジャック、お前まさかコイツに脅されてんのか? 脅されて泣く泣く付き合ってんじゃねぇだろうな?」

「そんなことしてないよ! あたしを何だと思ってるのさ、このオヤジは!?」

「そりゃお前、頭まで筋肉のじゃじゃ馬に決まってんだろ。そんなお前が恋愛だぁ? はっ。寝言は寝て言え、馬鹿ずきん」

「こ、恋する乙女を馬鹿にしたなぁ!? うあーっ、頭来た! このオヤジ本気で一発殴ってやる!」

「ちょっ!? 赤ずきんさん、ストップ! 赤ずきんさんが本気で殴ったらシャレにならないから!」

 

 さすがに静かに眺めて楽しむことができない展開になりかけたので、ジャックはハルに殴りかかろうとする赤ずきんを正面から抱きしめて止める。

 こうすると柔らかな膨らみが胸に当たってよろしくないのは分かっていたが、相手が相手なので後ろから羽交い絞めにしたって動きを止めることはできないのも分かっていた。だからこそジャックは決して下心など無く、苦肉の策として正面から抱き止めたのだ。

 

「ううぅっ! 離してジャック! このオヤジが、このオヤジがあぁぁぁ!」

「お、落ち着いて赤ずきん! ほら、良い子良い子!」

 

 それでも抱きつくジャックごと前進していく赤ずきんを止めるため、涙目で怒りを露にする顔を無理やり胸に埋めさせる。更に頭と背中に手を回し、優しく撫でて何とか宥めようと頑張ってみた。

 

「ハルさんもからかうのは止めてください! 赤ずきんさんは僕と違って本当に恋してるんですから!」

「お、おう、悪かった……ん? おい待て、お前と違うってのはどういう意味だ?」

 

 ジャックの言葉に対し、当然の疑問を投げかけてくるハル。

 それに対してジャックが何かを考えるよりも先に、腕の中で暴れていた赤ずきんの動きがぴたりと止まった。なので安心したジャックは腕を解いて解放したのだが、もっとくっついていたかったのかちょっとだけ不満げな顔をされてしまった。

 

「……あたしを受け入れてはくれたけど、ジャックはまだあたしへの気持ちが分からないんだよ。だから本当に恋してるのはあたしだけなんだ」

「そ、そうか……ってことは、まさかお前から……?」

「そうだよ! あたしから告白したんだ! 何か文句ある!?」

 

 正気を疑うような目付きで見られたせいか、再び怒り出す赤ずきん。

 また身を挺して止める必要があるかとジャックは軽く身構えたものの、本気と分かったおかげかハルはもう嘲笑を浮かべていないので問題は無さそうだ。ジャックの肩越しにハルを睨む赤ずきんの姿が、ちょっと問題あるくらいに可愛いという点以外は。

 

「い、いや、何も……しかし、あの赤ずきんが恋愛ねぇ……一体いつからだ?」

「昨日からだよ。詳しいことは省くけどさ、色々あってジャックに本気でぶつかりに行ったんだ。まさか受け入れてもらえるなんて思わなかったから、あたしも本当にびっくりしたよ……」

「まあ、その過程でちょっと被害が出てしまったんですけど……」

 

 ジャックが補足すると、ハルの切れ長の瞳は部屋の隅に向けられる。そこにあるのはとりあえず一箇所に集めておいた扉の残骸。

 さすがに愛の告白とこの破壊を結びつけられる展開が思い浮かばないのか、ハルはかなり長い間難しい顔で沈黙していた。まあやがて考えるのを諦めるように首を振り、赤ずきんに心底冷ややかな瞳を向けてきたが。

 

「……お前、告白すらまともにできねぇのか?」

「う、うるさいな! とりあえずは成功したんだから良いじゃん! そんなことよりいつになったらドアが直るのか教えてよ!」

「あー、そうだな。ま、ざっと見積もると――」

 

 そこでハルは言葉を切り、ジャックにちらりと視線を向けてくる。

 一瞬だったので見間違いかもしれないが、ジャックにはその瞳が何だかとても可哀想なものを見る目に見えた。

 

「――だいたい一週間ってとこだな」

「一週間、ですか……」

「馬鹿ずきんがぶっ壊した部品の一つが今手元に無くてな。都合がつきそうなのはそれくらい後なんだわ。仕事も結構溜まっちまってるし」

 

 部品というのは恐らく蝶番のことだろう。釘やネジは再利用出来ても、ねじ切れた蝶番を再利用というのはどう考えても難しすぎる。

 ハルはよくサボっているので仕事が溜まっているのは自業自得かもしれないが、だからといって無理を言って良い訳ではない。ジャックとしては修理してもらえるのなら何も文句は無かった。

 

「分かりました。それじゃあ一週間後によろしくお願いします、ハルさん」

「ちょ、ちょっと待った! 一週間って、その間ジャックはどうするのさ? ずっとこんな部屋で生活するってこと?」

「心配しなくても大丈夫だよ、赤ずきんさん。タンスで隠しちゃえばそんなには気にならないよ。前にいた所に比べれば遥かにマシな環境だしね」

 

 安心させるために笑って口にしたのだが、どうも逆効果だったらしい。赤ずきんは余計に心配そうに表情を曇らせてしまう。前にいた所が牢獄では気の利いた台詞にはなりえなかったようだ。

 心配を拭い去ってあげることができず、ジャックは軽い無力感に肩を落とした。

 

「……赤ずきん、お前ジャックを部屋に泊めてやれ」

「え……ええぇぇぇっ!?」

 

 そして次の瞬間、ハルが口にした台詞に無力感すら吹っ飛ぶほどの衝撃を覚えた。

 

「ちょっ、は、ハルさん!? いくらなんでもそれは早すぎだよ! 確かにジャックはあたしの恋人だからそういうこともあるかもだけどさ、物事には順序ってものがあるんだよ!?」

「お前がぶっ壊したんだからお前が責任取るべきだろうが。それとも何だ。他の女の部屋に泊めちまって良いのか? アリスの嬢ちゃんなら二つ返事でコイツを泊めてやるだろうな」

「なっ……!?」

 

 嘲笑とはまた違う嫌らしい笑みを向けられ、頬を染めていた赤ずきんが驚愕に息を呑む気配が伝わってきた。

 二つ返事かどうかはあまり自信はないが、確かにアリスなら部屋に泊めてくれそうだ。何故だかとてもジャックのことを好いてくれている赤ずきんなら、他の女の子の部屋にジャックを泊めるのには少し思う所があるのかもしれない。

 

「ジャックはまだ自分の気持ちが分からねぇって言ったな。ならお前以外の女に傾く可能性もあるってこった。一週間も同じ部屋で暮らせば、むしろ嬢ちゃんの方がお前よりも進展しそうだぜ?」

「そ、それは……やだ……」

 

 そんな根拠の無い予想を聞かせられただけで、赤ずきんはフードを身に着けているにも関わらず弱々しくなってしまう。怯えるようにジャックの服の裾を掴んでくる姿は途方も無く可愛らしかった。

 

「だったらコイツをお前の部屋に泊めてやれ。他の女の部屋に泊めちまうよりはマシだろ?」

 

 促され、不安気な緑の瞳がこちらに向けられる。

 普段は快活で頼りになるお姉さんだからこそ、そのギャップの強さが大いに胸を打ってくる。こんなに不安げな瞳でお願いされれば、何を頼まれても首を横に振ることはできそうに無かった。

 

「ジャック……あたしの部屋に、来る?」

「えっ? い、良いの?」

「ま、まあハルさんの言う通りだしね。あんたの部屋を壊したのはあたしだし、その責任はちゃんと取るよ。それに、ジャックは絶対誰にも渡したくないからさ……」

「赤ずきんさん……」

 

 恥じらいに頬は染まったままだが、瞳にはしっかりと決意が宿っていた。絶対にジャックは誰にも渡さないという確固たる決意が。

 つい数秒前まではあんなに不安げだったというのに、今はもう普段どおりのお姉さんらしさを取り戻している。このギャップの差を何度も見せられるのは赤ずきんと同じ恋愛初心者のジャックにはかなり刺激が強かった。きっと部屋に泊まればもっと間近で何度もこの様子を目にすることになるだろう。

 それはちょっと不安で、同時にとても楽しみだった。

 

「……うん。じゃあお言葉に甘えて、今日からしばらく泊まらせてもらうね。よろしく、赤ずきんさん」

 

 故にジャックは赤ずきんの部屋に泊まらせてもらうことにした。ジャックとしても自分の気持ちに早く気付けるなら大歓迎だし、ちゃんと扉のある部屋で眠れるならそれに越したことは無い。

 ジャックの返事を聞いて、赤ずきんは今度こそ嬉しそうに笑ってくれた。

 

「こちらこそよろしく、ジャック! それにしても、まさか告白の翌日からいきなり一緒の部屋で暮らすことになるなんて思わなかったよね?」

「それもそうだね。何だか僕たちちょっと順番がおかしいんじゃないかな?」

 

 恋人は恋人でも恋をしていると自覚しているのは片方だけ。にも関わらず交際を始めた翌日に一緒の部屋に住むことになるとは。あまりのおかしさにジャックは赤ずきんと共に苦笑いを交わした。

 

「おかしくたって別に良いじゃん。本当の恋人同士になれるなら、あたしは順番なんてあんまり気にしないよ」

「あははっ。赤ずきんさん、さっきと言ってることが全然違うよ?」

「おっと、バレたか。ジャックは相変わらず無駄に鋭いなぁ……」

 

 そこを指摘すると、赤ずきんは居心地悪そうに眉を顰める。何だか叱られた子供みたいで可愛らしい反応だ。

 そんな反応に微笑ましさを覚えて自然とジャックの頬は緩み、それを目にした赤ずきんも同様に頬を緩めて笑顔を浮かべてくれた。好きな人の笑顔を見られた嬉しさを隠そうともしない、飛びっきりに眩しい笑顔を。

 

「あー……ジャック、楽しんでるとこ悪いが俺の作業場にこの残骸を運んでくれねぇか? でかいのはこの馬鹿に纏めて運ばせるから、お前は細かい残骸を頼むわ」

「えっ!? あ、は、はい、分かりました!」

 

 そんな風に赤ずきんと笑い合っていた所、ハルに声をかけられてジャックは軽く飛び上がってしまう。見れば赤ずきんも同じような反応を示している。

 一瞬のこととはいえ、どうも赤ずきんの笑顔によってハルの存在が頭の中から抜け落ちていたらしい。しかしそれくらい魅力的な笑顔だったのだから仕方ない。少なくともジャックにはそう見えた。

 

(やっぱり僕、赤ずきんさんに段々魅了されていってる気がするなぁ……)

 

 すでに新しい一面や隠された一面を見せてもらい、以前よりも赤ずきんのことを可愛い女の子と認識しているジャックだ。

 そこへこれから一週間、同じ部屋で暮らすという衝撃の展開が待ち受けている。つまりは更に間近で赤ずきんの可愛らしい様子を拝ませてもらえるということだ。あの頼りになるお姉さんなのに、実はとっても子供っぽい所がある可愛らしい姿を。

 

(うん。絶対一週間以内に落ちちゃうな、僕……)

 

 あんな姿を何度も何度も間近で見せられ、あまつさえたっぷり甘えられれば女の子に免疫の無いジャックなど簡単に落ちてしまうだろう。

 そんな半ば確定した未来を思い浮かべつつ、ジャックは細かな木片を抱えてハルの作業場へと向かった。落ちてしまっても別に良いか、というすでに落ちたとしか思えない感想を胸に抱きながら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、待ってよジャック。あたしも――ん?」

 

 上下に真っ二つになった扉を軽く抱え上げ、赤ずきんはすぐさまジャックの後を追おうとした。

 しかし何故かそれをハルに遮られたため、思わず足を止めてしまう。一瞬抗議の視線を向けたものの、ハルは一人遠ざかっていくジャックの背中を酷く真剣な顔つきで眺めていたので何となく声をかけるのは躊躇われた。いつもサボっているオッサンにしては珍しい表情だからだ。

 

「……おい、赤ずきん」

「な、何さ、ハルさん?」

 

 ジャックの後姿を見送り廊下から部屋に戻った所で、そんな珍しい表情のまま声をかけられる。やはりこちらも酷く真剣な声音で。

 先ほどまではこんな様子を見せなかったのに、ジャックが去った途端にこれである。たぶんジャックには聞かせたくない真面目な話でもあるのだろう。緊張感に思わず唾を飲み、赤ずきんはハルが口を開くのを待った。

 

「何やらかしたって構わねぇから、今の内にジャックをモノにしとけ。不器用なお前でも部屋で一緒に一週間も過ごしてりゃ、チャンスの一つや二つくらいあるだろ」

「えっ……」

 

 そしてハルが口にした台詞に、予想外の衝撃を受けた。さっきまで散々赤ずきんの恋を嘲笑っていた癖に、まるで味方のような口振りだった。

 いや、事実ハルは味方なのだろう。すでに嘲笑など欠片も無く、あるのは不器用な心配の色だけだった。それとジャックが去った方向に時折向ける罪の意識にも似た瞳。

 

「ハ、ハルさん、まさか……そのためにあたしの部屋にジャックを? 修理に一週間かかるっていうのも、そのための嘘?」

「……まあ、アレだ。他の血式少女はともかく、お前はジャックを逃したら一生男が見つかりそうにねぇからな。ジャックの奴には気の毒だが犠牲になってもらうしかねぇだろ」

 

 そして良い年したオヤジの癖に、頬を染めてそんな優しい想いを口にしてくれる。

 ジャックを逃したら一生男は見つからないという点にちょっと思う所はあったものの、あながち間違いでは無さそうなのは自分でも分かっていた。他のちゃんと女の子らしい血式少女たちならともかく、女の子らしくない赤ずきんにはジャックを逃したら他にはたぶん見つからない。ハルはそれを心配してこんなジャックを犠牲にする真似をしてくれたのだろう。

 

「ハルさん……ありがとう! 何だかんだでハルさんは凄く優しいよね!」

「う、うるせえ……! 礼を言う暇あるならとっととそいつを運んで、あいつを落とす方法でも考えてろ!」

「分かった! あたし、頑張ってジャックを叩き落してみせるよ!」

 

 心からの感謝を伝えると、頬を更に赤くしたハルが顔を見られたくないとでも言うように部屋から出て行く。あるいは照れ臭くなって赤ずきんの顔を見られなかったのかもしれない。

 どちらにせよ赤ずきんは感謝しているので、その背に自らの決意を語りつつ扉の破片を抱え直すのだった。これを運び終わったらアイツの所へ相談に行こうと、ちょっと気が進まないながらも覚悟を決めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックに追いつくまで扉の残骸をダッシュで運び、そこからは二人一緒に並んでゆっくり運んだ赤ずきん。

 本当はその後ももうちょっとジャックと一緒にいたかったのだが、それは涙を呑んで我慢した。今赤ずきんがすべきなのはジャックを自らに惚れさせること。そのために知識だけは持っていそうな相手の下へ相談に行かなければならなかったから。

 

「……それで、一体私に何の用なのかしら?」

 

 そして現在、赤ずきんはグレーテルの部屋を訪れていた。

 何らかの実験の最中だったようでテーブルの上には様々な実験器具を扱った形跡があるものの、意外にも普通に歓迎してくれた。

 それは助かるのだが毒々しい色の液体で満ちたビーカーがアルコールランプで熱せられ、涙が出そうなほどの激しい刺激臭が部屋に漂っているのがかなりキツイ。尤も当のグレーテルは臭いに当てられすぎて嗅覚が麻痺したのか平然としていた。

 

「じ、実は今ちょっと悩み事があって相談に乗って欲しいんだ。たぶん知識だけならあんたが一番適任だって思ったし、他の子にはちょっと相談しづらい悩みだからさ……」

「ふぅん、筋肉でできたあなたの固い頭にも悩み事という概念が存在したのね。とても興味深いわ。あなたが一体どんな悩みを抱えているのか、是非とも聞かせて貰いたいわね」

「皆あたしを脳筋呼ばわりするよね。結構傷つくなぁ……」

 

 臭いを我慢しつつ話を切り出すと、グレーテルは興味深いものを見つけたとでも言うようにニヤリと笑う。どうも赤ずきんと悩み事、という二つの言葉が心底縁遠いものだと感じているらしい。

 尤も赤ずきん自身も難しいことはあんまり考えない性質だと理解しているので、否定や反論するのにはちょっと躊躇いがあった。というそんなことよりも今はもっと重要なことがある。恥ずかしさに顔の火照りを感じつつも、赤ずきんはそれを伝えるために口を開いた。

 

「実はさ……今、どうやったら男を落とせるかってことに悩んでるんだよ……」

「別に悩むほどのことではないと思うわ。どんな状況かは分からないけれど、あなたなら力技で突き落とすなり蹴り落とすなり容易なはずよ」

「そういう意味の落とすじゃないよ!? もっと別の意味!」

 

 そして返ってきた答えに顔の火照りが更に強くなる。ただし恥ずかしいからではなく、乱暴な方向の勘違いをされた怒りからだ。

 

「……ああ、別の意味ね。どちらにせよあなたなら簡単よ。首を絞めて頚動脈を圧迫し、脳への血流を阻害する。あなたの膂力ならものの数秒で落とすこともできると思うわ。勢い余って首の骨を折らなければの話だけど」

「だからそういう意味でもないよ! もしかしてあんたさっきからわざとやってる!?」

 

 またしても暴力的に取るグレーテルにわざとやっているのではないかと疑いを抱く赤ずきん。

 しかし返ってきたのは何ら悪意の無い涼しい表情であった。どうも本気で暴力的な意味の落とすだと思っていたらしい。

 

「あら、これも違うの? 他の意味と言えば精々恋愛に関係することくらいなのだけれど……」

「それだよ、それ! そういう意味の落とすだってば! 何で分かってて暴力方面に結びつけてくるかな、あんたは!?」

「まさかあなたが色恋に関する相談をしてくるとは思っていなかったもの。でもこれで納得したわ。確かにこれはあなたでも頭を悩ませそうな問題ね」

 

 興味深い、とでも言いた気にニヤリと笑うグレーテル。

 だが反応はそれだけだ。怪しい笑みには嘲りの類は見えず、純粋な好奇心しか感じ取れない。赤ずきんには似合わない色恋沙汰に頭を悩ませているというのに、ハルが見せたような嘲りの感情など欠片も見えなかった。

 

「馬鹿に、しないんだ? あたしが恋なんて、似合わないことしてるのに……」

「ええ、もちろんよ。馬鹿になんてしないわ」

「グレーテル……!」

 

 その答えに安堵を覚え、頬を緩めてしまう赤ずきん。

 恋愛という自分には飛びっきり似合わない女の子らしいことをしているのに受け入れてもらえて、喜びどころかいっそ感動すら覚えてしまう。どうやらグレーテルはちょっと変な所があるだけでれっきとした心優しい女の子だったらしい。

 

「あなたも生物である以上、種の保存の欲求を持っているのは当たり前のことよ。その欲求に従い、子孫を残すに相応しい相手を手に入れようと努力することは何もおかしなことではないわ」

「……どうせそんなことだろうと思ったよ! あたしの感動を返せ!」

 

 などと感動した自分を嘲笑うような補足がその口から紡がれたので、騙された赤ずきんは声を荒げて非難する。

 百歩譲って騙されたのは自分が悪いとしても、恋愛感情という飛びっきり女の子らしい気持ちを生々しい話で塗りつぶされたのだから非難の一つくらい口にしたかった。せっかく赤ずきんがそんな女の子らしい感情を抱いたのにそれを台無しにされてしまったのだから。

 

「そう言われても事実なのだから仕方ないわ。恋愛感情というのは子孫を残すために生まれた感情だもの」

 

 しかしグレーテルは悪びれた様子も無ければ恥らう様子も無く、完璧に普段どおりの仏頂面であった。

 これでハルのように嘲笑を浮かべていたならもっと非難してどついてやりたい所だが、この様子では特別な意図など無く完璧に素の発言だったのだろう。考えてみればグレーテルなら普通にそういう発言をしそうなので今更のことだ。そこに気が付いた時にはもはや怒る気にもなれず、抱いていた怒りはどこかへと消え去っていた。

 

「あーもうっ、そういう生々しい話はたくさんだよ。それよりも方法を教えてよ、方法を」

「教えてあげたいところなのだけれど、生々しい話が嫌だというなら大したことが話せなくなってしまうのが困りものね……」

「あたしには恋愛に関して生々しい助言しかできないあんたの方こそ困りものだよ……」

 

 そして怒りの代わりに同情を抱いてしまう。

 赤ずきんでさえ恋愛感情を抱いたのだから、グレーテルだってそういう感情を誰かに抱くことができると信じたいところだ。尤も普段の様子や言動を考える限り、赤ずきん以上に難しそうな気もするが。

 

「じゃあもう大したことじゃなくて良いし、一気に落としたいとは言わないからさ、少しずつ落としていく方法とか無いかな? 少しずつあたしへの好感度を上げる方法とか……」

「少しずつ……そうね。プレゼントなんてどうかしら?」

「プレゼントかぁ。あんたにしてはまともな提案だね」

 

 しばし考える様子を見せた後グレーテルが口にした方法は、意外にもずいぶんとまともなもの。そして向こうから好きになってもらうことばかり考えていた赤ずきんが思いつかなかった方法だった。

 

「褒めてもらえて嬉しいわ。ただ贈る物や相手の趣味嗜好によっては逆効果の可能性があるわね。プレゼントをするならあなたはジャックに何を贈る気なのかしら?」

「うーん、そうだね……ジャックの奴、何を贈ったら喜んでくれるのかな……」

 

 グレーテルに尋ねられ、しばし考えてみる。

 確かに相手の趣味嗜好を考えた上でプレゼントしなければ、好感度を稼ぐどころかむしろ下がってしまうことだってあり得るだろう。赤ずきんがもらって嬉しいものがそのままジャックがもらって嬉しいものではないのだ。鉄芯入り素振りバットをもらったってジャックは扱いに困るだろうし、おしゃれなリボンをもらったらそもそも反応にすら困りそうだ。

 

(あ、でも何かリボンは似合いそうだ。ジャックは気にしてるみたいだけど、見た目ちょっと女の子っぽいし本当に似合うかも――)

「――って、ちょっと待った!? あたしジャックを落としたいなんて一言も言ってないよね!? 何であんたは相手がジャックだってこと知ってるの!?」

 

 思考がちょっと変な方向に逸れると同時にそこに気が付き、驚愕のままグレーテルに詰め寄る。

 誰にも自分たちのことは話していないのに何故コイツは知っているのか。まさかジャックと二人きりでいる時の会話をどこかで盗み聞きでもしていたのだろうか。だとすると赤ずきんが本当はどうしようもなく甘えん坊なことも知られているに違いない。今更ながらに恥ずかしくなってきた赤ずきんは、顔全体が熱を持って行くのを感じた。

 そんな赤ずきんにグレーテルが返してきた反応は――ニヤリ、という悪い笑みだった。

 

「いいえ、知らなかったわ。一番可能性が高そうな男性の名前を挙げてみただけ。簡単に引っかかってくれたわね、赤ずきん」

「……う、うぅっ! また、嵌められたぁ!」

 

 悪い笑顔にゾッとしたのも束の間、告げられた真実に凄まじい悔しさを覚える赤ずきん。

 昨日ジャックに鎌をかけられ見事に引っかかったばかりだというのに、またしても引っかかって自分で秘密を暴露してしまった。本当にジャックといいグレーテルといい、何故こんな器用であくどい真似が容易くできるのか。

 

「……そうだよ! 相手はジャック! あたしはジャックのことが大好きだから、ジャックを落として本当の恋人になりたいんだ!」

 

 しかしバレてしまったのなら仕方ない。どうせなのではっきりと言い直してやった。

 自分の気持ちと向き合い受け入れた赤ずきんにとって、ジャックが好きだという気持ちを口にするのは大して恥ずかしいことではないからだ。まあ女の子らしくない自分が恋なんてしていることはちょっと恥ずかしいが。

 

「……本当の、というのはどういう意味かしら? つまりあなたとジャックは本当の関係ではないとはいえ、すでに恋人同士になっているということ?」

「えっ……あ……ああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 そしてまたしても自分が失敗を犯したことに気が付き、その恥ずかしさで再び顔が火照ってくる。失敗した罰の悪さと秘密を暴露してしまった居心地の悪さに耐えられず、赤ずきんはその場に蹲って頭を抱えた。

 

(あーもうっ! 何であたしはこう墓穴掘ることばっかり言うかな!? 確かに難しいこと考えるのは苦手だけどさ!?)

 

 恋愛経験皆無な上に難しいことを考えるのは苦手なせいか、フードを身につけていても恋愛が絡む話ではこのポンコツぶりである。皆のお姉さんなのにあまりにも情けない姿で涙が出そうだ。

 

(うぅ……全部ジャックのせいだ! ジャックがあんなに優しさ振りまくから悪いんだ! あの腹黒天然ジゴロめ!)

 

 そんなポンコツお姉さんにした全ての元凶であるジャックに対し、頭の中で罵声を浴びせる。

 しかし悲しいことに赤ずきんの胸の内にはジャックを恨む気持ちなど微塵も沸いてこなかった。むしろあの優しさを思い浮かべたせいか、また頭を撫でてもらいながら甘えたくなってきたほどだ。やはり赤ずきんは完璧にジャックに熱を上げているらしい。

 

「そうだよ! 今あたしとジャックは付き合ってるんだよ! まだ仮の恋人ってところだけどね!」

 

 もう隠すことは何も無いので、勢い良く立ち上がった赤ずきんはまた開き直って口にした。半ば自棄で半ば覚悟を決めた、という心持ちが相応しい感じで。

 

「言っとくけどこれはまだ皆には秘密だよ! 誰かに喋ったりしたら容赦しないからね!」

「ええ、誰にも話さないと誓うわ。その代わりあなたがジャックに恋心を抱くまでにどんな背景があったのか、そして今までどんな変化があったのか、そこをじっくり聞かせて貰いたいわね」

 

 せめてもの仕返しというか抵抗というかで鋭く睨みつけながら釘を刺すものの、グレーテルは全く意に介した様子を見せなかった。眼鏡の奥の瞳に浮かんでいるのは、さながら興味深い研究対象を見る危ない好奇心であった。

 

「恋バナ聞きたがってる女の子の顔してないよ、あんた……だけど、ここまで来たらもう毒を喰らわば皿までって感じだね。良いよ、話してあげる。その代わり、これからもちょくちょく相談に乗ってもらうからね」

 

 とはいえこんな相手でも今は唯一の相談できる女の子だ。生々しい方向にだいぶ偏っているとはいえ、知識だけは馬鹿にならない相手でもある。

 故に赤ずきんは右手を差し出し、握手を求めた。知りたいことがあるなら話してやるから、ジャックを落とすための知識を貸せ、という意味の握手を。

 

「交渉成立ね。いつでも相談に来ると良いわ、赤ずきん」

 

 すると躊躇い無く手を取り、握手を交わすグレーテル。

 考えてみると馬鹿にされたり笑い飛ばされたりしない分、最初にこれを知った相手がグレーテルで良かったのかもしれない。かぐや姫や親指姫あたりは絶対ハルと似たような反応を示すだろうし、シンデレラだって信じてくれるかどうか怪しいところだ。わりと素直に信じてくれそうなのは白雪姫と眠り姫くらいか。

 信じてくれなかったり馬鹿にしたりする子たちは後で見返してやることにして、とりあえず今は初めての協力者を得られた喜びに浸る赤ずきんであった。

 

 

 

 





 付き合った翌日に同棲開始。まるでエッチなゲームみたいですね、この展開……。
 実は扉をぶっ壊す展開はちょっとやりすぎかなぁと最初は思っていましたが、同棲展開に繋げられることに気付いたために採用しました。まだろくにキスもしていないのに同棲とは、やっぱりツンツンツンツンデレな親指姉様の時よりも進展が早いなぁ……。
 なお、相談相手が明らかに人選ミスという苦情は受け付けません。





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色仕掛け


 同棲を開始した二人のお話。ジャックを落そうと虎視眈々と狙っている赤ずきんが、どちらかといえば草食系のジャックと一つの部屋で過ごす。男女が二人で一つの部屋に。何も起きないわけが無く……。





「あたしの部屋へようこそ、ジャック! 自分の部屋だと思って遠慮無く過ごして良いからね!」

「う、うん。お邪魔します……」

 

 にっこり笑う赤ずきんに促され、ジャックはちょっとした気恥ずかしさを覚えながらも部屋へと足を踏み入れた。

 時刻は午後八時というところか。午前中にハルの前で宣言した通り、赤ずきんは本当にジャックを部屋に招いてくれた。無論ただ招いたわけではなく、一週間もお泊りすることを受け入れた上でだ。そうでなければジャックの部屋からベッドを担いで運んでくれたりはしない。

 

「ベッドはひとまずこの辺に置いておこうか。動かしたいなら後で言いなよ?」

「う、うん。持って来てくれてありがとう……」

 

 まるで重さを感じさせない軽い動作で、ジャックのベッドを壁際に置く赤ずきん。

 今更だがこんなにも力の違いを見せ付けられると、男としてはちょっと自信が無くなって来るジャックであった。尤も力はもとより、頼りがい云々に関しても赤ずきんに勝てるとは思わないが。

 

「……それにしても、まさか本当に泊めてくれるなんて思わなかったよ。まだ付き合い始めてから一日しか経ってないのに」

「ジャックがあたしの想いに付け込んで変なことしてこない奴だってことは知ってるからね。恥ずかしいは恥ずかしいけど、別に泊めることが嫌だとか怖いだとかじゃないよ。例え何かされても返り討ちにできる自信もあるし」

「た、確かにそうだろうけど……」

 

 だからといって女の子がこんな簡単に男を自分の部屋に泊めても良いのだろうか。

 ジャックはそう続けようとしたのだが――

 

「それに他の子の部屋には泊めたくないんだよ。だって、ジャックが盗られちゃうかもしれないじゃん……ジャックはあたしの恋人なんだからさ……」

「……っ」

 

 ――頬を赤く染め、どことなく不安げに呟く姿を目にして続く言葉は頭から吹っ飛んだ。そのあまりの可愛らしさに。

 

(うぅ……赤ずきんさん、凄く可愛い……!)

 

 赤ずきんに不安げな顔というのはあまり似合わないと思っていたのだが、恥じらいのこもったものなせいかジャックには非常に可愛らしく思えた。

 おまけに何だかヤキモチを焼いているような台詞を口にしているのだから堪らない。照れ臭さにジャックははっきりと自分の頬が熱くなるのを感じた。

 

「……ジャック、何か顔赤いよ?」

 

 そして顔に出た赤みを目ざとく見抜かれ、更にたじたじになってしまう。尤も昼の時とは異なり二人きりな以上視線はお互いに向けられているため、頑張っても隠すことなどできなかったに違いない。

 

「そ、そういう赤ずきんさんも顔が赤いよ?」

「いや、あたしのこれは恥ずかしいからだけど……ジャックはどうして?」

「それは、その……赤ずきんさんが凄く可愛いこと言うから、何だか照れ臭くなっちゃって……」

「そ、そっか……!」

 

 さすがに今更誤魔化すのもどうかと思うので、ありのままを伝える。すると赤ずきんの面差しはジャック同様照れ臭そうな笑みへと変わった。

 ただしそれは一瞬のこと。次の瞬間照れ臭そうな笑みははっとしたものへと変化し、一つの咳払いを挟んでから極めて真剣な面持ちとなった。

 

「照れ臭いっていうのは、嫌とかじゃないんだよね? あたしの可愛い所を見られて嬉しいから、って考えて良いんだよね?」

「う、うん……」

「そっか! よし、ちょっとは好感度稼げたってことだね!」

 

 そんな質問に答えたところで、今度こそ照れ臭そうな笑みを見せてくれる。隠す気の無い目的を素直に口にして、やり遂げたかのように拳をぐっと握る様子もあざとさ満点の可愛らしさだ。尤も本人はそこまで気を回していないのだろうが。

 

(赤ずきんさん、本当に僕を落としたいんだなぁ。こんな素敵な人にそこまで想われるなんて、僕ってちょっと幸せすぎかも……)

 

 僅かな好感度上昇に喜ぶ可愛らしい姿を眺めながら、思わずそんなことを考えてしまう。

 満更でもない気持ちを感じているあたり、やはりジャックの気持ちも染まりつつあるのかもしれない。あるいは徐々に気付き始めたか。どちらせにせよここまでストレートに好意をぶつけられまくれば数日中には答えが出せそうだ。

 その答えを聞いた時、果たして赤ずきんはどんな可愛らしい反応をしてくれるのだろうか。それを考えると未来の気持ちを前借りして今すぐにでも聞かせたい気持ちになるジャックであった。

 

「おっと、もうこんな時間だね。じゃ、あたしはお風呂に入ってこようかな。ジャック、その間あたしのフードを頼むよ。ラプが持ってたりしないようにね?」

 

 ひとしきり喜びを見せた後、コートを脱いで手渡してくる赤ずきん。タンスにしまうなりコートスタンドにかけるなりせず大切なコートを任せてくれるとは、どうやらジャックのことを非常に信用してくれているらしい。

 

「うん、任せて! 誰が来たって赤ずきんさんのコートは守ってみせるよ!」

「あははっ。大袈裟だなぁ、ジャックは」

 

 なので嬉しさについ力いっぱい頷いてしまい、赤ずきんには苦笑されてしまうのだった。

 尤も赤ずきんに頼られるのは本当に嬉しいのだから仕方ない。こんなちょっとしたことでも力になれるならジャックとしても嬉しい限りだ。

 ただ良く考えてみると、かぐや姫に色々こき使われるのは力になりたいという気持ちに付け込まれているからなのかもしれない。着替えらしきものをタンスから取り出し洗面所に向かう赤ずきんの姿を見送りつつ、ジャックはそんなちょっぴり悲しいことを思った。

 

「えっと……赤ずきんさんは毎日コートを着てるし、やっぱりタンスにしまうよりもスタンドにかけておいた方が良いかな?」

 

 しかしそんな悲しさは振り払い、任されたコートをどうするか考える。

 赤ずきんはこのコートがお気に入りで毎日羽織っているのだから、タンスにしまうよりは手に取りやすい所に置いた方が良いはずだ。なのでジャックは部屋の扉近くにあるコートスタンドへと歩み寄り、抱えていたコートを広げてかけようとした。

 

「……赤ずきんさんのコート、か」

 

 しかしそこでちょっとした邪心が沸いて来て、広げたコートをそのまましげしげと眺めてしまう。

 とはいえ別に不埒なことを考えたわけではない。赤ずきんが毎日身に付けていて匂いの染み付いているであろうコートの匂いを嗅ぎたいとか、そういう変態的なことを考えたわけではない。そもそも邪心なのは状況が状況だからであって、ジャックが抱いたのは比較的純粋な願いである。

 

(こんな機会滅多に無さそうだし、ちょっとだけ着てみようかな?)

 

 すなわち、憧れの人に近づきたいという純粋な願い。そのため赤ずきんのトレードマークとも言えるこのコートを着てみたいと思ってしまったのだ。

 

(だけど勝手にそんなことするのも……いや、でも僕は赤ずきんさんの恋人なんだし、それくらいの権利はあっても……)

 

 広げたコートを眺めながら、しばし黙考するジャック。

 仮にも恋人なのだからそれくらいの権利はありそうだし、赤ずきんは大切なコートを預けてくれるくらいにジャックのことを信用しているのだ。もちろん手荒に扱ったりはしないのだから、少しくらいなら着てみたって罰は当たらないのではないか。

 

「……よし! 着ちゃおう!」

 

 悩んだ末、ジャックはちょっとだけ着てみることにした。要するに強くてカッコイイ憧れの人に近づきたいという気持ちに勝てなかったわけである。

 ここが赤ずきんの部屋で周りに誰もいないことは分かっているものの、思わず周囲に視線を巡らせてからコートに袖を通す。何だか胸がドキドキするのは格好だけでも憧れの人に近づける喜びからか、それともコートとはいえ女の子の衣服を勝手に身に付けようとしている恥ずかしさのせいか。考えると余計に恥ずかしくなりそうなのでジャックは極力後者については考えないようにした。

 

「わりとサイズはぴったりだ。似合ってる――ようには見えないけど、こんな僕でもちょっとだけカッコよく見えるな。やっぱり赤ずきんさんがカッコイイからなんだろうなぁ……」

 

 コートを身に付けた後、姿見の前に立って自らの姿を確認してみるジャック。当然鏡に映っているのは赤ずきんのコートを身に着けた自分自身の姿だ。

 多少身長差はあるがサイズは特に問題無く、厚手のコートの重厚感もなかなかに心地良い。しかし見た目が問題で、どう見ても服に着られている印象の方が強かった。

 それでも赤ずきんの威光の効果は絶大で、多少はジャックでも自分の姿がカッコ良く見えたほどだ。なので形だけとはいえ憧れの人にほんの少しだけ近づけた気がして、妙な高揚感を覚えるジャックであった。やはりラプンツェルが着てみようとした気持ちは十分に理解できる。

 

(でも何か足りないや。コートだけじゃなくて、もっとこう……)

 

 しかし赤ずきんを真似るには少々物足りず、思わず部屋の隅の方に視線を注いでしまう。

 そこに飾られるように置かれているのは赤ずきん愛用の血式武器、とどのつまりジャックの身の丈を超えているのではないかと思うほど巨大なハサミだ。形だけでもカッコイイ赤ずきんの真似をしたいなら、あれが無くては完璧とは言えない。ジャックは数瞬ほど馬鹿でかいハサミに視線を向け――

 

(うん、やめよう。振り回すどころかまともに持ち上げられる気もしないし)

 

 ――どう考えても無謀なのでそれだけは止めておいた。

 無理に挑戦して怪我をするくらいならまだしも、それで今身に纏っている赤ずきんのコートを傷つけてしまったらジャックはどうすれば良いのか。さすがにラプンツェルと同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

(代わりに何か無いかな、僕でも安全に構えられそうなもの……)

 

 しかし手元が寂しいのは事実。何か武器っぽいものを構えたり担いだりしてほんのちょっとでも赤ずきんの真似をしたい。

 ジャックはしばらく部屋の中を見回し、ちょうど目に留まった長物があったのでそれを持って姿見の前へと戻った。そして剣を扱うように構えたり、肩に担いでみたりしたのだが――

 

「うん、何かむしろ頼りなくなった気がする。ていうかカッコ悪いな、これ……」

 

 ――悲しいことに酷く滑稽な姿であった。剣やハサミの類に拘って長物にしたのだが、さすがに長いだけでは代わりにはならないらしい。これなら武器の形をしている分メアリガンを構えていた方が幾分カッコよく見えそうだ。

 もうメアリガンで妥協することにして、ひとまず手の中の長物を元合った場所へ戻すためジャックは姿身に背を向けた。

 

「ごめん、ジャック。やっぱりあんたが先に入って――ん?」

「……あっ」

 

 しかしその瞬間、運悪く洗面所から赤ずきんが出てきた。どうやら気が変わって後風呂に入りたくなったらしい。

 まあ自分が入浴した後に男であるジャックが入浴するのだから、変なことをさせないように自分が後風呂に入ろうと思ったのかもしれない。なるほど納得の理由だ。

 

(でも僕はそんな変なことする気なんて――って、現実逃避してても仕方ないか……)

 

 一瞬恥ずかしさで変なことを考えたものの、すぐにジャックは意識を元に戻した。憧れの赤ずきんのコートを羽織り長物を手にしてカッコつけている自分の姿を、他ならぬ本人に真正面から見られた事実に。

 当の赤ずきんはちょっと驚いたように目を見開いていたものの、やがて状況を理解したのだろう。今のジャックの姿を頭の天辺から爪先まで眺めると――

 

「意外と似合ってるじゃん、ジャック! カッコイイよ!」

 

 ――自分のコートを勝手に着た事を怒るでもなく、満面の笑みで高評価を下してくれた。てっきり怒られると思っていたジャックはほっと胸を撫で下ろす。もっとも羞恥が引いたわけではないのだが。

 

「あ、ありがとう。それと、ごめんなさい。赤ずきんさんのコート、勝手に着てみちゃって……」

「良いよ良いよ。ジャックはあたしの恋人だしね。それにあんたが乱暴に扱ったりしないことも分かってるし……ジャックもカッコつけたいお年頃だしね?」

「うぅ……そ、そんな目で見ないでよぉ、赤ずきんさん……」

 

 ニヤニヤと生暖かい笑みを向けられ、恥じ入って俯くしかないジャック。

 憧れの人の真似をしている所を憧れの人本人に見られたなど、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。本人が口では理解を示しながらも嫌らしく笑っているので余計に。

 

「あははっ! ジャック、顔真っ赤だ! 心配しなくても大丈夫だよ、ジャック。そんな風に赤くなって恥ずかしがるあんたも、可愛くてあたしは大好きだからさ」

「うぅ……!」

 

 そして女の子のはずなのにまるで男が口説くような台詞をかけてくる。

 自分のことをどう思っているか未だ分からない相手に恥らう様子も無く自分の気持ちを口にするその姿に、余計に恥じらいと憧れを煽られるジャックであった。

 

「……でもさ、一つ聞いて良いかな? あたしに憧れてるあんたがあたしのコートを着てみたくなる気持ちは分からないでもないんだけど、何でそんなもの持ってるの?」

 

 不意に笑顔を困惑に曇らせ、赤ずきんが指し示すのはジャックが手に持つ長物。

 まあコートを着て赤ずきんの真似をしているというのに、そこだけおかしなものを手にしているのだからそんな反応をするのも仕方ない。何せジャックが手にしていたのはコートをかけようとしていたコートスタンドなのだ。部屋の中を見回して目に付いた長物がそれだったのだ。

 

「だ、だって僕には皆みたいな力が無いから、あんな大きな武器持ち上げられないよ。仮に持ち上げられたとしても怪我とかしそうで危ないし……」

 

 理由を答えると自分の非力さを実感してしまい、余計に恥ずかしくなってくる。

 常人離れした戦闘能力を持つ血式少女と力を比べること自体間違っているのかもしれないが、ジャックにとっては皆れっきとした女の子だ。だからこそそんな女の子たちが手にして振り回せるものを持ち上げられないというのが恥ずかしかった。

 

「あー、それもそうだね……よし、だったらあたしが手伝ってあげるよ」

「え? 手伝うってどういうこと?」

 

 首を傾げて尋ねるジャックの前で、赤ずきんは答えずに部屋の隅へと向かう。そこにあるのはもちろん物々しい巨大なハサミだ。ジャックがどう頑張っても持ち上げるだけで精一杯であろうという具合の得物。

 赤ずきんはそれを軽々手に取ると小走りに近寄ってきた。そうして何をするのかと疑問に思うジャックの背後に回ると――

 

「ほら、これならジャックだって持ってる気分になれるよね?」

 

 ――背後から抱きつく形で、巨大なハサミを持つ手を前に回して来た。つまり一人で持てないジャックのために補助してくれるつもりなのだろう。

 コートを任されておきながら勝手に羽織ったにも関わらず、そんな自分に怒ることなくむしろ協力までしてくれるとは。そのお姉さんらしい心の広さに余計憧れを深めてしまいそうなジャックであった。

 

(肌も綺麗で腕も細くて女の子らしいのに、どうしてこんなに力があるんだろう……)

 

 ただし今は赤ずきんのことをしっかり女の子として意識しているため、同時にそんなことも考えてしまう。

 脇の下を通って前に回され、物々しく巨大なハサミを構える両手はどうみても女の子のそれであった。肌はとてもきめ細かだし、腕の細さも大体ジャックと同じくらい。なのにジャックには扱えそうも無い武器を易々と持ち上げている事実は非常に不思議に思える。

 

「ん? どうかしたの、ジャック? あたしみたいに持ってみなよ」

「う、うん。それじゃあ……」

 

 耳元で促され、ジャックは赤ずきんの両腕に沿う形でハサミを持ってみる。普通のハサミで言えば指穴に当たる部位、その外側を握る女の子らしい両手を上下から挟み込むように。それと同時に背後の赤ずきんが一段と密着してきたのをコート越しに背中で感じる。

 しっかり握りこんだ後に手の中に重さが伝わってきたものの、それは化け物染みた大きさのハサミからすれば半分にも満たないであろう程度の重量だ。きっとジャックが武器を手にしている実感を感じられるよう、気を遣ってほんのちょっとだけ自分の力を緩めたに違いない。

 

「どうかな? これくらいならあんただって持ってる気になれるよね?」

「す、凄いよ赤ずきんさん! 本当に僕がこんな武器を構えてるみたいな気分だよ!」

「あははっ。そんなにはしゃいで大袈裟だなぁ、ジャックは」

 

 諸事情でかなり落ち着かないジャックはまるで舞い上がっているような調子の声で返してしまい、赤ずきんに笑われてしまう。

 確かに自分がこんなにも巨大な武器を構えている気分に浸れて少しは興奮を覚えているが、実際の所はしゃいで見えるのは別の理由だ。尤も赤ずきんが気付いているかどうかはかなり疑わしいが。

 

「よーし、じゃあ軽く素振りしてみよっか。ほらジャック、上から下にスパッといくよ! チョキンッ!」

「えっ、うわっ!?」

 

 何か微妙に楽しそうな声で言ったと思った途端、握っていたハサミがジャックには実現不可能な速度で振り下ろされる。ただしジャックが認識できたのは腕を引っ張られる感覚と一瞬の風切り音だけであり、気がついた時にはハサミの切っ先が床スレスレに達していた。

 こんな二人羽織りのような持ちにくい状態だというのに、ジャックの動体視力では捉えられないほどの速度でハサミを振るったらしい。分かってはいたことだがジャックと赤ずきんでは身体能力の差が途方も無い。

 

「おっと、今のはちょっとやり過ぎだったね。これくらいならどうかな?」

「わっ……!」

 

 失敗したとでも言いた気な声音で言うと、赤ずきんがもう一度ハサミを上から振り下ろす。ただし今度はだいぶ力をセーブしているらしく、ジャックにも何とか認識できる程度の速さだ。

 もちろん実際にそんな速度で振るえるわけはないが、自分で振るったような錯覚を覚えて気分が高揚してくるジャックであった。あと余計に強さを増した諸事情で。

 

「す、凄いよ、赤ずきんさん! まるで本当に僕が振ってるみたいだよ!」

「あははっ、子供みたいにはしゃぐジャックも可愛いね。でも何かあたしもちょっと楽しくなってきたよ。ほら、今度は右から左に行くよ! せーの――」

 

 ――チョキン!

 二人で掛け声を合わせてハサミを振るい、ジャックは赤ずきんと楽しく笑いながら夜を過ごしていった。後ろから抱きつかれる形で補助してもらっているため背中に広がる二つの柔らかな感触は、なるべく考えないように努力して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……ありがとう、赤ずきんさん。何だか自分が強くなったような気分が味わえたし、凄く楽しかったよ」

 

 一つの得物を二人で振るい、十数分。ハサミから手を離したジャックが赤ずきんの方を振り向き、非常に充実感溢れる笑みを向けてきた。何だか妙に顔が赤いのはそれだけ熱中してしまったということだろう。

 

「どういたしまして、これくらいお安いご用だよ。あたしもジャックの隠された子供っぽい一面を見られて満足だしね?」

「うぅ……だ、誰にも言わないでね、赤ずきんさん……」

 

 ニヤリと赤ずきんが笑いかけると、ジャックは頬の赤みを更に増して俯く。

 男の子であるジャックとしては自分の子供っぽい一面を知られるのは殊更恥ずかしいに違いない。なのでからかいの笑みを優しい笑みに変えつつ、赤ずきんは言った。

 

「大丈夫、ちゃんと秘密にしといてあげるよ。ただしあんたがあたしを振った時には、ジャックは時々あたしの服を着て鏡の前でニヤついてたって言い触らすけどね」

「また脅迫!? ていうかそれ、僕に女装趣味があるみたいな言い方になってるよ!?」

「別にあたしは脅迫なんてしてないよ。あんたがあたしを好きになれば良いだけの話だからね」

 

 そして目を丸くして慌てるジャックに再びニヤリと笑いかける。

 もちろん実際そうなったとしても本当に言い触らしたりはしない。あくまでもジャックをからかっているだけである。赤くなって慌てるジャックの姿が何だかとても可愛らしいので、その反応を引き出すために口にした上っ面だけの脅しに過ぎない。

 

「……そういうこと言うなら、僕だって皆に言いふらしちゃおうかな? 赤ずきんさんが実はとっても子供っぽくてすっごく甘えん坊だってこと」

「わあっ!? だ、ダメだよ、それは! 言い触らしたりなんてしないからそれだけは止めてよ!」

 

 だがここでちょっと不満げに頬を膨らませたジャックが思わぬ反撃をしてきたため、今度はこちらが慌てる番となった。あんな小さな子供みたいにジャックに甘えていた事実を皆にバラされたら、皆のお姉さんとしての威厳が音を立てて砕け散ってしまう。

 そんな惨い真似はしないと思いたいが、ジャックは人畜無害そうに見えるわりに色々悪いことを考える奴だ。仮病で赤ずきんを騙したり、反応を確かめるために鎌をかけてきたりした事実は忘れない。この脅しあいは赤ずきんが圧倒的に不利であった。

 

「あははっ、どうしようかな?」

「むー……!」

 

 おまけにジャックは朗らかに笑って赤ずきんの懇願を聞き流す。

 仮にも自分の憧れのお姉さんである赤ずきんに対してこの仕打ち。これはちょっとお灸を据えてやらなければ。

 

「……こうなったら力ずくで分からせてやる! 覚悟しな、ジャック!」

「うわあっ!?」

 

 なので力に訴えかけ、容赦なくジャックに飛び掛る。ついでにコートも引っぺがして返してもらい、正面から押し倒す感じでベッドに組み伏せた。

 もちろんジャックもちょっとは抵抗を試みていたが、所詮は非力なジャックだ。赤ずきんが腕を掴めば振り解く所か僅かも動かすことさえできない様子で、瞬く間に勝敗が決した。

 

「よし、あたしの勝ちだ! これに懲りたらお姉さんを脅迫するなんて馬鹿な真似はしないようにね、ジャック?」

「うぅ……さ、先に脅迫してきたのは赤ずきんさんの方なのに……」

 

 やはり相手が赤ずきんとはいえ女の子に力負けしてあっさり組み敷かれたことが恥ずかしいのだろう。ジャックは押し倒された状態で頬を染めて泣き言を零していた。

 

「女の子を脅迫するとどうなるか、良い勉強になったね? それにしても、ラプといいあんたといい何でそんなにあたしのコートを着てみたがるのかな。別にお気に入りなだけで特別なものなんかじゃないよ?」

「それは分かってるよ。でもやっぱり赤ずきんさんが着てるから特別なものに見えるっていうか、着ると自分もちょっとは強くなれそうな気がするんだ。憧れの人に形だけでも近づきたい、って気持ちもあるし……」

「ふーん、そうなんだ……」

 

 頬を染めたままどこか憧れの滲んだ瞳で答えてくれるジャック。

 憧れの人に近づきたいという気持ちは理解できるので納得の答えであった。何故なら赤ずきんだって女の子らしい妹たちにちょっぴり憧れを抱いているのだ。自分があんまり女の子らしくないと分かっているから。

 

(形だけでもあたしに近づきたいってことは、もしあたしと同じようなコートをあげたらジャックは喜んでくれるってことだよね。もしかしてこれって良い感じのプレゼントなんじゃないかな?)

 

 赤ずきんへの好感度を上げるため、ジャックに贈るプレゼント。それが自分と同じコートというのは極めて妥当な選択ではないだろうか。先ほどの様子や言葉から察するに、ジャックも同じコートが貰えるなら欲しいと思っているに違いない。

 さすがに今赤ずきんが着ているコートをあげることはできないが、同じものをハルに用意してもらえば良いだけの話。先ほどのジャックのはしゃぎようを見る限り、これはプレゼントの候補にする価値があるはずだ。

 

(ん、ちょっと待った? もしあたしがコートをプレゼントしてジャックもそれを着るようになったら、あたしもジャックもお揃いのコートを着てるってことになるよね? も、もしかしてそれって、ペアルックってやつ!?)

 

 しかし不意にそこに思い至ってしまい、顔が猛烈に火照ってくる。

 ペアルックとは実に女の子らしくて恋人らしい。それを意図して考えたわけではないとはいえ、自分には似合わないくらい女の子らしくて恥ずかしくなってくるほどだ。

 しかしすぐに顔の火照りは落胆に塗りつぶされて引いてしまう。ペアルックについて色々考えていた赤ずきんはまたしても思い至ってしまったからだ。付き合ってもいない男女がペアルックなど始めたら周りにどう思われるかということに。

 

(……さすがにいきなりコートのペアルックなんか始めたら、皆にあたしたち付き合ってますって派手に宣言するようなものだよね。やっぱダメか。良いアイデアだと思ったんだけどなぁ……)

 

 落胆から肩を落とし、小さな溜息を零す。

 グレーテルからはプレゼント以外にも少しは好感度が稼げそうな方法や接し方を教えてもらったものの、生々しい部分をカットしてもらったせいかあまり有益な情報は得られなかった。そのため今夜実行するジャックを落とすための行動もたった一つだけである。やはり参考までに生々しい話にも耳を傾けるべきだったかもしれない。

 

「あの、赤ずきんさん……そろそろ、離して欲しいなって思ったり……」

「え? あっ! ご、ごめん、ジャック! い、痛かったかな……?」

 

 そんな後悔なのか自棄なのか分からない思いでいると、ジャックが遠慮がちにお願いしてきた。

 まだ押し倒して両手を押さえつけたままだったことに気付いた赤ずきんはすぐさま飛び退き、ジャックの様子を窺う。恨めしい目で見つめてくるかと思いきや、こちらに向けられる瞳はどこか照れ臭そうなものだった。

 

「痛くは無かったけど、その……ちょっとドキドキしたな。赤ずきんさんみたいな可愛い女の子に、あんな風に押し倒されるのは……」

「……つまり、押し倒せば好感度が稼げるってこと?」

 

 そんなジャックの台詞を聞いて、思わず声を低くして問いかけてしまう。

 ジャックを落とすための策に乏しい以上、新たな策を見つけたならすぐに飛びつく心積もりであった。今のように押し倒す程度で好感度が稼げるなら迷うことなど何も無い。赤ずきんは再びジャックに飛び掛るために、ベッドに腰かけた状態から軽く身体を沈めた。

 

「じゃ、じゃあ今度は僕の番だね!? ほらおいで、赤ずきん! 頭を撫でて可愛がってあげるよ!」

「む……」

 

 しかし赤ずきんが戦闘態勢に入ったことを敏感に察したのか、行動を起す前にジャックが焦り気味に両腕を広げて招いてくる。存分に甘えてきて構わないという非常に魅力的な意思表示だ。

 今しなければいけないのはジャックに甘えることではなく、ジャックを落とすために行動すること。それはちゃんと分かっている。分かってはいるし抵抗はしたものの、結局赤ずきんはその誘惑に抗えなかった。

 

「はあぁぁ……ジャックぅ……」

 

 静かにジャックの腕の中へと身を寄せ、背中に手を回してぎゅっと抱きつく。同時にジャックはそんな赤ずきんの背中に手をやり、何度も頭を撫でてくれる。

 その繊細な撫で方から伝わってくる大きな優しさのせいか、胸の中で燃えていた戦闘意欲はあっさり鎮火してしまった。直前まで好感度のためにジャックを押し倒すことを考えていたとは思えないほど穏やかな気分であった。

 

(まあ一週間もあるんだし、そんなに急がなくたって大丈夫だよね! これくらいの幸せに浸ったって罰は当たらないよ!)

 

 なのでひとまずはこの時間を楽しむことにして、更に強くジャックに抱きつく。

 頬を押し付ける形になっているせいか、薄い胸板の奥からはジャックの心臓の鼓動が聞こえてくる。何だかやけに鼓動が早いのはきっと危うく赤ずきんに襲い掛かられる所だったからに違いない。

 

「そういえば赤ずきんはどうしてすぐに戻ってきたの? お風呂に入ってくるんじゃなかったっけ?」

「あー、やっぱりちょっと気が変わったっていうか、どうせお風呂に入るならその前に汗を流しておこうかなって思ってさ。あたしは軽くトレーニングでもするから、ジャックが先に入ってきなよ?」

「そっか。じゃあ僕が先に入らせてもらうけど……今すぐ入って来ても良いかな?」

 

 そう口にしたジャックが赤ずきんの背に回していた手を引き、頭を撫でる手も止めてしまう。

 まだほんのちょっとしか経っていないのにもう終わり。例え何と言われようとそんなのは嫌だった。

 

「……やだ。もうちょっとこのままでいて欲しいな、ジャック……」

「はいはい、赤ずきんはわがままだね。じゃあもうちょっとだけだよ?」

 

 ぎゅっとしがみついてお願いすると、ジャックは仕方無さそうにしながらも再び頭を撫でてくれた。

 赤ずきんは再びジャックの胸に顔を埋め、目を閉じて温もりや感触に浸っていく。それは今まで感じたことが無いくらいに心穏やかな時間であった。もうこれ無しの日々には戻れないんじゃないかと思えるくらいに。

 

「はぁ……ジャックぅ……」

 

 胸に顔を埋めながら、自分でもびっくりするほどの甘えた声を出してしまう。頼りになるお姉さんという言葉は微塵も相応しくない感じのあまりにも子供っぽい声、そして姿だ。

 しかしジャックは子供っぽい赤ずきんを受け入れて、優しく包んで甘やかしてくれる。本当はこんなに子供っぽいと知りながらも、変わらず自分の気持ちが分からないほどの憧れを抱いてくれている。

 そんなジャックに愛しさを抱くななど無茶な話だ。本当ならいっぱいキスをして想いを伝えたい所だし、こちらもお姉さんとしての自分に甘えさせてあげたりしたい所なのだが、今は仮の恋人関係なのでジャック自身が遠慮しているのが何とももどかしかった。

 

(ちゃんとあたしの想いを伝えられるように、早いところジャックを落さないとね。そのための準備は済ませたんだ。ちょっと恥ずかしいけど、あんたを落すためにあたしは頑張るよ!)

 

 故に赤ずきんは甘えながらも更に決心を固めていった。

 今夜取るべきジャックを落すための行動、その恥ずかしさにちょっとだけ頬の火照りを感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 湯船に浸かり、骨身に染み入る温かさに恍惚にも似た吐息を零してしまうジャック。

 しばらく赤ずきんを可愛がって甘やかした後、ジャックはお言葉に甘えて先にお風呂を頂いていた。首元まで浸かって全身をじっくり暖めながら考えるのは、当然ながら先ほどまでの出来事だ。

 

(赤ずきんさんちょっと無防備過ぎじゃないかなぁ。女の子なのにあんな風に密着してきたりして……)

 

 赤ずきんの補助を受けてハサミを振り回していた時、ジャックの背中にはコート越しに赤ずきんの胸の膨らみがばっちり押し付けられていた。変にはしゃいでしまったというか、冷静でいられなかったのはそれが原因だ。何せ赤ずきんがハサミを振るう度、また一段と柔らかさに背中を襲われるのだから。

 もしかしてわざとやっているのではないかと疑ったものの、背後から上がる無邪気で楽しげな声にそういった含みは微塵も感じ取れなかった。あれは完全に素の行動だったに違いない。

 

(それなのに僕を本気で押し倒そうとしたりするくらい大胆なんだから不思議だなぁ。あの時の目は絶対本気だった……)

 

 あの時は咄嗟に甘えさせてあげることで事なきを得たものの、もしそれが失敗していたら再び押し倒されていたことだろう。

 尤も無邪気なくらいに無防備な赤ずきんのやることなので、押し倒した後に何をするかなど考えていないはず。たぶん押し倒したら好感度が上がると知ったからやろうとしただけで、それより先のことは全く頭に無かったに違いない。

 

(これから一緒の部屋で生活するんだし、もしかしたら毎日あんな風に迫ってきたりするのかな?)

 

 ふとそんなことを考え、湯船に浸かっている以外の理由で顔が熱くなってくる。

 背中に胸の膨らみを押し付けられるという素であざとい真似をされるのはちょっと困るが、迫られる事自体は嫌なわけではない。素敵な女の子に好意を全面に押し出して迫られれば悪い気はしないし、それが憧れの人ならなおさらだ。

 何より赤ずきんの行動や態度の一つ一つからは、ジャックのことが好きで好きでどうしようもないという気持ちがひしひしと伝わってくる。甘えてくる時が特にその気持ちを強く感じられて、必要とされ求められている実感にジャックも大きな幸せを抱いてしまうのだ。

 

(赤ずきんさんも凄く幸せそうだし、いっそこのままずっと同じ部屋で暮らすのも良いかもしれないな……)

 

 だからついそんなことを考えてしまうくらい、ジャックは赤ずきんに迫られることに喜びを感じていた。

 

「あはっ、その前に自分の気持ちを考えないといけないよね。どうしてそこを飛ばして一緒に暮らすことなんて考えてるのかな、僕は?」

 

 気が早い上にまだ答えを出していないにも関わらず、そんなことを考える自分を自分で笑うジャック。満更でもない気分のせいか自分自身を嗜める声は幸せそうな呟きでしかなかった。

 

「でも仕方ないか。そんなことを考えるくらい赤ずきんさんが可愛いのが悪いんだ。あんなに強くて頼りになるカッコイイお姉さんなのに、あんな子犬みたいに可愛い所があるなんて反則だよ……」

 

 強さに可愛さ、カッコよさを兼ね備えた赤ずきん。そういう人物だということは以前から知っていたつもりだったのが、恋人となり新しい一面を目にしたことでそれが知ったかぶりだと思い知らされてしまった。

 本当の赤ずきんはメルヒェンをバッタバタと薙ぎ倒す強さを持ち、そして男のジャックが憧れてしまうほど頼りがいのあるカッコイイ女性なのに、子犬のように可愛らしく愛くるしい存在自体が反則な存在だったのだ。

 

(そんな人が僕の恋人、それも僕に好きになってもらおうと一生懸命頑張ってるんだ。やっぱり僕ってちょっと幸せ過ぎかも? 本当は全部夢だったりして……)

 

 照れ臭さに緩む頬を自覚しながら、ジャックは幸せを噛み締める。

 ジャックのような頼りがいの無いひ弱な男には分不相応かもしれないほどの幸せだ。まだ夢だと言われた方が納得してしまいそうだが、熱いお湯に浸かって骨身に染み入るリアルな暖かさはとても夢とは思えない。

 信じがたいがこの幸せ者過ぎる状況は現実なのだ。その事実にジャックが感じる幸福は余計に煽られていく。

 

(だけど赤ずきんさん、どうやって僕を落そうと考えてるのかな? 一応何か考えてるみたいだけど、それっぽいことはまだ何もしてこないし……)

 

 しかしそこで不意に考えてしまう。赤ずきんはジャックを落すために何をするつもりなのかと。

 頑張ろうと意気込んでいる様子は窺えるし、何かをするつもりなのも少しは察することができるものの、まだ実際に何か行動らしい行動を起したようには思えない。もちろんジャックだって恋愛に関してはずぶの素人なので行動に気が付いていないということも考えられるが、赤ずきんが何か特別なことをしているようには思えなかったのだ。

 

(も、もしかして……色仕掛けとか、してこないよね? 確かに赤ずきんさんにそんなことされたら確実に落ちそうな気がするけど……)

 

 ついつい赤ずきんが誘惑してくる姿を思い浮かべてしまい、顔どころか全身が火照ってくる。

 本人は自分が女の子っぽく無いと気にしているようだが、ジャックにとっては十二分に女の子らしい。むしろ出るべき所は出ているし引っ込むべき所は引っ込んでいる感じで、見た目だけに限っても立派な女の子のそれだ。

 もちろんそういう不埒なことを考えて眺めたことなどないが、抱き締めたり抱き付かれたり膝枕してもらったりした関係上、何となくだがそんな身体つきだと分かっていた。そしてそんな身体で色仕掛けなどされたら、女の子に免疫など無いジャックには効果が抜群であろう事も。

 

「ま、まあ、さすがにあの赤ずきんさんが色仕掛けなんて真似するはずないよね! うん!」

 

 抜群すぎて何をしでかしてしまうか分からないくらいだが、幾らなんでもあの真っ直ぐな赤ずきんが色仕掛けなどという似合わないことをするはずがない。だから何も心配はいらない。

 ジャックはそう確信して一人何度も頷いた。だがジャックは赤ずきんがどれだけ本気かを見誤っていたらしい。

 

「ジャックー! 背中流しに来てあげたよー!」

「え……ええぇぇぇぇっ!?」

 

 あろうことかまるで計ったような絶妙なタイミングで、件の赤ずきんがお風呂場の戸を開け放ったのだ。それも非常に眩しい笑顔を浮かべて。

 位置関係的に見えないとは思うが、ジャックは即座に下腹部を手で覆い首まで湯船に浸かり直した。

 

「その様子だと悪知恵が働くあんたでもあたしの行動は読めなかったみたいだね。そう、あたしが先にお風呂に入らなかったのはお風呂に入ってるあんたの背中を流してあげるためだ! 参ったか、ジャック!」

(うん! 実は読んでたっていうかありえない予想が当たっちゃってかなり混乱してるけど、とにかく参りました! まさか赤ずきんさんがここまで本気だったなんて!)

 

 何故かは分からないが勝ち誇ったような顔をして胸を張る赤ずきんに、ジャックは大いに戦慄を覚えた。

 確かに赤ずきんがジャックを落す気満々なのは薄々察していたものの、まさか本当に色仕掛けを行うまでに本気だったとは。これははっきり言って想定外だ。あまりにも想定外過ぎるために一周回って冷静になってしまうくらいである。

 

「えっと……一応聞くけど、必要無いって言っても出て行ってくれたりはしないんだよね?」

「当たり前じゃん! あたしの決意は固いよ、ジャック!」

「そっか……赤ずきんさんらしい覚悟だね……あはは……」

 

 ちょっと頬は赤いが腕を組み仁王立ちで力強く言い放つ赤ずきんに対し、力なく笑いながら言葉を返す。

 赤ずきんに引くつもりがないのならもう止めさせることは不可能に違いない。力づくで出て行かせるなどという真似が通用する相手ではないし、大体ジャックは裸だ。何をするにもだいぶ危険が大きい格好である。故にジャックはすでにこの状況を諦め受け入れていた。

 

「で、でも、もしかしてその格好のままなの? それはちょっとマズイんじゃ……」

 

 だがどうしても気になることがあるため、それを尋ねてみる。

 赤ずきんの格好はいつも通りの格好だ。ホットパンツにノースリーブのシャツ、そしてお気に入りのフード付きコート。背中を流してくれるというのなら赤ずきんだって濡れてしまう可能性がある。シャツやホットパンツはともかくとして、さすがにコートを濡らすのはマズイのではないだろうか。

 

「ん? ああ、忘れてた。濡らさないようにちゃんと脱いどかないとね」

「えっ!? ちょ、赤ずきんさん!?」

 

 そんなことを考えていると、赤ずきんは目の前でコートを脱ぎ去った。脱ぐのはコートだけかと思いきや、あろうことかその手は躊躇い無くシャツへと伸びていく。

 まさか全部脱いで裸になる気なのでは。戦慄しつつも目を逸らせないジャックの前で赤ずきんはシャツを捲り上げていき、やがてくびれた大人っぽいウエストが露になり、そしてなかなかに豊かな膨らみを包む下着が曝け出され――

 

「いやー、サイズの合う水着を手に入れられて良かったよ。見繕ってくれたくららには後で感謝しとかないとね!」

「……えっ」

 

 ――ると思いきや、シャツの下から表れたのはどうも水着のようだった。

 二度目の想定外に固まってしまうジャックの前で、赤ずきんはホットパンツも脱ぎ去り完璧な水着姿を晒す。上下共に明るい黄色のビキニは、女性らしいスタイルを持ちながらも快活で活発な赤ずきんに良く似合う水着だ。

 とても良く似合っているし見ていてドキドキするのだが、ジャックは何故か酷くがっかりした自分を感じていた。理由は多分ジャックが思い浮かべた不埒な妄想の通りにはならなかったからだろう。いや、なったらなったでむしろかなり困るのだが。

 

「よし。後はこれを着て――って、どうかしたのジャック?」

「な、何でもないです……」

 

 被り物が好きな赤ずきんらしいフードつきの赤いパーカーを羽織った後、ジャックに何かを尋ねてくる。もしかすると落胆が顔に出てしまっていたのかもしれない。

 しかしまさか下着や裸ではなくてがっかりしてしまった、などと言えるわけもなかった。口にしたら変態と罵られてしまいそうだし、万が一にも本当に下着や裸になられたら困る。今までなら赤ずきんがそんな露骨な真似をするはずがないと考えていたが、入浴中に突入してくるほど大胆かつ本気と分かった今、可能性は結構高めな気がしたからだ。

 

「本当にー? 何かがっかりしてる気がするよ?」

「そ、そんなことないよ……?」

 

 ジトッとした視線に耐えられず、つい目を逸らしてしまうジャック。

 その反応で嘘を吐いているとバレてしまったのだろう。赤ずきんは頬を染めながらもニヤリと笑い、お風呂場に一歩踏み出してきた。

 

「本当のこと言わないなら、無理やり湯船から引きずり出しちゃうよ? あんたはちゃんとタオル巻いてるのかな、ジャック?」

(赤ずきんさん、本当に容赦ない……!)

 

 赤く染まった頬を見れば恥ずかしがっているのは分かるのだが、それ以上の決意と覚悟が凛々しい顔つきから伝わってくる。

 恐らくジャックが答えなければ赤ずきんは本当にやるに違いない。そんな凄みが全身から放たれていた。

 

「じ、実は……少しだけがっかりしたんだ。もしかして赤ずきんさんも、その……裸になって入るのかなって、思ったから……」

 

 故にジャックは素直に答えた。変態とか罵られるかもしれないが、答えない方が酷い目に合うと分かっていたから。

 

「は、裸!? さすがに水着無しは無理だよ! あたしにだって羞恥心くらいはあるんだからね!?」

(それなら最初から来ないでよ! 赤ずきんさんが水着でも僕は裸なんですけど!?)

 

 お風呂場に突入してくる大胆な真似をしたにも関わらず、まるで乙女の如き恥じらいを見せる赤ずきん。そんな無邪気なのか計算高いのか良く分からない恋人へ、ジャックは心の中でツッコミを入れた。

 

「で、でも、もしそれでジャックがあたしを百パーセント好きになってくれるっていうなら……考えなくも無いけどさ……」

(な、何だって……!?)

 

 そしてもじもじしながら呟く姿に、先刻以上の衝撃と戦慄を覚える。

 実際にやられたらまず間違いなく落ちてしまいそうな事実と、そんな色仕掛けすら候補に入れている赤ずきんの本気具合に。本当に赤ずきんはどれだけジャックのことが好きなのだろうか。そんなに好かれるような真似をした覚えは特に無いのだが。 

 

「ま、まあ、さすがにそんなわけないしね! ほらジャック、タオル。後ろ向いててあげるから上がりなよ」

 

 ジャックの心を弄んだ呟きを自分であっさり流すと、腰に巻くためのタオルを投げてから後ろを向く赤ずきん。最低限の温情はかけてくれたことに対して安堵を覚えるジャックだったが、すぐに胸の中は不安でいっぱいになってしまった。

 何せ無邪気なのか計算高いのか良く分からないものの、大胆かつ真っ直ぐに好意を示してくる赤ずきんにこれから背中を流してもらうのだ。もしかしたらその最中にもの凄い色仕掛けを行ってくるかもしれない。例えばその豊かな胸の膨らみを押し付けてくるとか。

 

(どうしよう。背中を流してくれるだけならまだしも、それ以上の何かがあったら耐えられる自信が全然無い……)

 

 緊張に一つ生唾を飲むと、ジャックは腰にタオルを巻いて湯船から上がった。

 何があっても心を強く持てるように自分を叱咤して、不安を覚えている癖に同時に期待もしているケダモノな自分を戒めながら。

 

 





 お風呂場に突入してきた赤ずきん。ジャックは果たして理性を保てるのか。
 赤姉のコートなら怒られても良いから着てみたいです。こう、良い匂いが染み込んでいそうな気がしますし……。
 やっぱり赤姉は反則的なキャラだと思います。強さとカッコよさと可愛さを兼ね備えた存在、ちょっと脳筋気味なところもまた良い……。




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やはり赤ずきん



 ジャック×赤姉の二章、その終わりの話。ジャックは赤ずきんに落ちるのか落ちないのか……と言ってもすでにここまでで明らかに落ちているので、今更予想外のことなんてできませんね。まあ赤姉はカッコいいし可愛いので誰だって落ちて当然のはず。





 

 

 

 湯船に浸かってくつろぐジャックがいるお風呂場へと、突如として突入してきた赤ずきん。本人の口振りから察する限り、これこそがジャックを落すための行動だったらしい。すなわち効果てきめんの色仕掛けである。

 本人はあんまり自信を持っていないように見えるものの、赤ずきんは立派に女の子らしい身体付きをした女の子だ。どちらかと言えばやはり少女というよりもお姉さんという言葉が相応しいくらいに。

 そんな目を見張るスタイルを水着姿で惜しげもなく晒した赤ずきんに、お風呂で背中を流してもらう。ジャックを落すためなら色仕掛けすら行うほどに本気で好意を寄せてきている赤ずきんに。

 本当に背中を流してもらうだけならともかく、最中に何か色仕掛け染みた接触でもされたら間違いなく自分を見失ってしまう。だからこそジャックは大いに戦慄し、心を強く持とうと懸命に努力して背中を晒したのだが――

 

「ふぅ、助かった。やっぱり赤ずきんさんは赤ずきんさんだったなぁ……」

 

 ――端的に言えば、心構えは全く必要無かった。何せ赤ずきんの色仕掛けは本当に背中を流すだけ、それと頭を洗うだけで終わりを迎えたのだ。

 肩透かしを食らったような気分で若干不埒な落胆は拭えないものの、ジャックとしては大いに安心できる結果であった。何故なら色仕掛けが効果的なのは分かっている様子なのに、赤ずきんはいまいちその方法を理解していないことが分かったから。とどのつまり、計算高いのではなく無邪気なだけだと分かったからだ。

 

(胸を押し付けたり抱きついたりするとか方法は色々あったはずなのに、そんなことも考え付かないなんて……赤ずきんさんって純情で可愛いなぁ)

 

 そのため背中を流してもらった後にお風呂から上がり、入れ替わりに部屋へと戻ったジャックはそんな赤ずきんの純情加減を思い出して頬を緩ませていた。

 色仕掛けなどという似合わない真似までしてくるくらいにジャックを落したがっているのに、肝心の色仕掛けの詰めが甘すぎるのが実に可愛らしい。大胆かつ真っ直ぐだが難しいことはあまり考えない赤ずきんらしい迫り方であった。

 

(だけどその分気を付けないとね。赤ずきんさん、無邪気にあざとい真似してくる時があるし……)

 

 計算高いわけではないことが分かり安堵を覚えたものの、やはり気を抜くことは出来ない。武器を振るう補助をしてくれた時と同じように、何の企みも無く素でかなり効果的な色仕掛けを行ってくることだってあるのだ。

 無邪気で大胆なのに無防備な所のある赤ずきんの場合は、むしろそういう意図していない色仕掛けの方に気を付けなければならないのかもしれない。

 

「ふぅ、良いお湯だったぁ! お風呂に浸かると一日の疲れが吹っ飛ぶよね、ジャック!」

 

 ジャックがそんな風に新たな警戒を抱いていると、ちょうどお風呂から上がったらしい赤ずきんが洗面所から戻ってきた。

 なのでジャックは警戒も忘れて反射的に視線を向け――

 

「あ、赤ずきんさん、その格好……!」

 

 ――早速無邪気な色仕掛けに引っかかってしまった。

 とはいえ無邪気で計算も何も無い故に、特別な格好をしているわけではなかった。視線を向けた先に立っていたのは何のことは無い、ただの風呂上り姿の赤ずきんだ。ただしその姿は女の子に免疫の無いジャックにとってはなかなかに強烈な格好であった。

 上は鎖骨周りや丸い肩まで大胆に曝け出された、それも丈はウエストに届くか届かないかの短さの白いキャミソール。下は柔らかそうな素材の、そして柔らかそうな太股が惜しげもなく曝け出された空色のショートパンツ。そして頭には白いポンポンが先端に飾られた赤いナイトキャップ。

 実に寝心地が良さそうなラフな格好であるが、ジャックにとっては完璧に目の毒な格好であった。キャミソールの丈が短いせいで綺麗なくびれもおへそもばっちり見えるし、肉付きの良い健康的な太股も同様だ。

 太股に関しては普段の格好でも見られるものの、今の赤ずきんはお風呂上り。上気した肌は赤く色付き、瑞々しさも段違い。その上で曝け出された健康的な肉付きの太股の魅力は普段の比ではない。

 おまけにキャミソールを下から押し上げる胸の膨らみもかなり刺激的。襟ぐりが深いため、予想通りなかなかに豊かな膨らみが谷間を作っているのがはっきりと見られる。普段の格好よりも若干胸が大きく見えるのは、恐らくブラをしていないからだろう。

 もちろんその谷間を形作る二つの膨らみも、お風呂上りなために堪らなく目を引く様子だ。有体に言えば瑞々しくてとてもおいしそうな様相をしていた。ジャックも思わずごくりと息を呑んで凝視してしまうくらいに。

 

「ん? どうかしたの、ジャック?」

 

 そんなあざとさ抜群破壊力最高の危険極まりない格好をしている癖に、本人は何の企みも見えない不思議そうな表情で首を傾げる。最早そんな可愛らしい仕草も計算ではないかと疑いたくなるほどだ。

 しかし赤ずきんはそこまで深く考えてはおらず、無邪気なだけだというのだから驚きである。

 

「え、えっと……お風呂上りは、いつもそんな格好してるの……?」

「うん、そうだよ。もしかしてどこか変かな?」

「へ、変じゃないよ! 凄く可愛いよ!」

 

 赤ずきんの表情が不安に曇りかけたので、ジャックは咄嗟に誉めちぎる。

 実際凄く可愛いのは紛う事なき事実だ。まあやたら言葉に力が入ったのは赤ずきんの色気に当てられているせいなのだが。

 

「そ、そうかな? ありがと、ジャック。えへへ……」

(可愛いけど! 露出が多くて目のやり場に困るよ! あとその反応も可愛すぎだよ!)

 

 照れ臭そうに嬉しがる姿には何も言えず、本当に言ってやりたいことを心の中でぶちまける。

 これは最早ただ計算高いよりも厄介な相手に違いない。本人にその気が無いのにやること為すこと、その一挙一動が色仕掛け染みている。まあ女の子に免疫の無いジャックだからこそ、色仕掛け並みに効いてしまっているだけなのかもしれないが。

 

「んー? 何か顔赤いよ、ジャック? もしかして、お姉さんの寝巻き姿に魅了されちゃった?」

「う、うん。そんなところかな。これから一週間は赤ずきんさんのそんな姿を見られると思うと、何だか凄くドキドキしてくるよ」

「そっか。よし、着実にあたしへの好感度は増してるね!」

 

 下手に誤魔化すと強引に追求されそうなので素直に答えた所、赤ずきんはぐっと拳を握って喜びを露にしていた。その好感度を上げたい相手であるジャックが目の前にいるにも関わらず。

 

「赤ずきんさん、そういうこと僕の前で言うのはどうかと思うよ?」

「別に良いじゃん。知らないならともかく、ジャックはあたしがあんたを落とすために頑張ってること知ってるんだし」

「それはそうだけど……」

 

 だからといって僅かでも好感度が上がれば喜ぶ姿を見せなくても良いのではないだろうか。そんな小さなことでも喜ぶ赤ずきんの可愛らしい姿を見ていると、自分が強く想われている事が実感できてますます好感度が上がってしまいそうだった。

 

「そんなことよりこれからどうする、ジャック? もうちょっと夜更かしするつもりならあたしも付き合うよ?」

 

 とはいえ赤ずきんは計算高いわけではない無邪気なお姉さん。好感度上昇の無限ループが可能なことに気が付く様子も見せずあっさり流すと、ベッドに座っているジャックの隣へと腰を降ろしてきた。

 

「うーん、どうしようかな……赤ずきんさんはいつもこの時間は何してるの?」

「んー、いつもならもう寝てる頃かな。でも今日からはジャックと一緒に暮らすんだし、あんたがまだ起きてたいならあたしも起きてるよ?」

「そっか。じゃあ今夜はもう寝ようよ。ここは仮にも赤ずきんさんの部屋なんだし、何も僕に合わせて夜更かしする必要は無いからさ。それに僕もちょっと眠くなってきたしね」

 

 実際ジャックは少々眠気を感じていた。まあそれは肉体的な疲労ではなく、主に精神面での疲労から来る眠気なのは間違いない。赤ずきんの部屋に足を踏み入れてからというもの、感情を何度も何度も大きく揺さぶられたせいで疲労が溜まっているのだ。

 そろそろ精神を休ませなければその内感情の振り幅を超え、理性までどうにかなってしまうかもしれない。故に休息は必須であった。

 

「……あのさ、ジャック」

「どうしたの、赤ずきんさん?」

 

 なので今夜はもう休もうと提案した所、赤ずきんは唐突にしおらしい姿を見せてきた。頬を染めつつもじもじ視線を彷徨わせるという、凄まじくあざとい姿を。

 

「その、まだ本当の恋人じゃないのは分かってるんだけどさ……おやすみのキスとか、してくれたりしない……?」

 

 そしてジャックの機嫌を窺うような控えめな感じで、そんな可愛らしいお願いをしてくる。

 

(う、うぅ……! そんな姿でこんな可愛くお願いしてくるなんて、赤ずきんさん本当は全部計算ずくでやってるんじゃないのか!?)

 

 場所は赤ずきんの部屋の中とはいえ、一応はジャックのベッドの上。格好は先の水着には多少劣るものの、露出度が非常に高いラフな服装。しかも本人はついさっき、ジャックを落すためならわりと何でもやりそうなほどの気迫を滲ませていたのだ。

 そんな状態で頬を染めつつ、どきりとするほど女の子らしく可愛いおねだりをしてくる。これはもう先ほどとは逆にジャックから押し倒させようとしているのではないだろうか。そう疑いたくなるくらいに赤ずきんの様子は可愛らしかった。

 

「えっと……ほっぺたでも良い?」

「う、うん! キスしてくれるならそれで構わないよ!」

 

 しかしジャックがそう答えるだけで、疑ったことが恥ずかしくなるほど眩しさに溢れた笑みを向けられてしまう。計算や企みなど微塵も見えない、純粋な喜びの笑みを。

 計算だったならともかくとして、もし今さっき押し倒していたなら赤ずきんは一体どんな反応を示したのだろうか。何だかとても気になってしまうジャックだった。

 

「それじゃあ……おやすみ、赤ずきんさん」

「っ、くぅぅ……!」

 

 そんな好奇心を押し殺しつつ、赤ずきんの頬に軽く口付ける。ほんの一瞬唇を触れさせただけだったものの、キスされた赤ずきんの反応はだいぶ劇的なものであった。

 

(ああ、もうっ! どうして赤ずきんさんはこんなに可愛いんだ!? あんなに強くて頼りになるのに本当はこんなに可愛い女の子なんて絶対おかしいよ!)

 

 幸せいっぱいの表情で縮こまり、喜びに悶えるかのように身を捩る。挙句の果てにはキスされた頬に手を当て、更に頬を緩めるというおまけつき。

凄まじい強さと頼りがいを併せ持ちながらも、途轍もない可愛さまで持ち合わせているとは本当に反則的である。何だか憧れを超えていっそ嫉妬すら抱きたくなってきてしまうほどだ。

 

「おやすみ、ジャック! 今度はあたしからもだよ!」

「っ!?」

 

 まるでそんな風に考えている隙を狙われたかのように、ジャックはお返しのキスを頬に受けてしまった。

 頬に押し当てられた柔らかな感触に驚き飛び上がりそうになってしまうが、何とかそれだけは抑え込んだ。下手に効果的であることを教えてしまうと、大胆かつ積極的な赤ずきんはジャックを落すために何度でもやりかねないからだ。

 

(……どうしよう。油断したらその内襲いかかっちゃうかもしれない)

 

 ただし向こうがやらなくても、下手をするとこちらが襲いかかるような展開になる可能性もありそうだった。

 しかしそれも仕方ない。こんなに魅力的で素敵な女の子に、これでもかというほど好意をストレートに伝えられているのだ。その内辛抱堪らなくなったとしても別に不思議ではないだろう。

 

(赤ずきんさんなら簡単に返り討ちにしてくれそうだって思ってたけど、何だかそのまま受け入れてくれそうな気がしなくもないなぁ……)

 

 さすがにそんな勢いやなし崩し的に関係を結びたくはなかった。返り討ちにしてくれるなら問題は無さそうな気もするが、受け入れてくれそうな可能性もあるならやはりジャックが辛抱するしかない。

 落ちるのはもう確定事項としても、果たして一週間もの間理性を保つことができるのだろうか。はにかみながらもどこか嬉しそうに笑う赤ずきんの姿に暖かい気持ちを覚えると同時、そんな不安を覚えてしまうジャックであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ジャック、まだ起きてる?」

 

 明かりを消してそれぞれのベッドに入り、どれほどの時が経った頃だろうか。薄闇の中、部屋の反対側から赤ずきんの声が聞こえてきた。

 特に動かす必要性を感じなかったため、ジャックのベッドの位置は運んで来てくれた赤ずきんが最初にそれを降ろした位置のままだ。つまりちょうど赤ずきんのベッドがある壁際の向かい側。それなりに離れてはいるが周りが静かなので声を聞き取るのに支障は無かった。

 

「うん、まだ起きてるよ。どうかしたの?」

 

 ベッドに入ったまま向きを変えて赤ずきんの方を見る。すると向こうも同じようにこちらを見ていたため、自然と目が合ってしまった。

 ジャック自身は特に何か思ったりはしなかったものの、どうやら向こうはちょっと思う所があったらしい。目が合うなり薄闇の中でも分かるくらいには頬を染めて視線をそらされる。

 

「……もうちょっと、あんたの傍で寝たいんだ。同じベッドに入れろとは言わないからさ、あたしのベッドをあんたの隣に持ってっても良いかな?」

 

 そしてもじもじと可愛らしいお願いをしてくる。相変わらず卑怯なくらい可愛らしい姿に、今度はジャックが顔の火照りを覚える番であった。まあ向こうからは分からない程度というのがせめてもの救いか。

 

「寂しくて眠れないの? 一人で眠れないなんて、赤ずきんは子供だなぁ」

「さ、寂しいってわけじゃ――いや、そうだね。せっかく同じ部屋にいるのにお互い離れた場所で寝るなんて、何かあたしは凄く寂しく感じるよ。もっとジャックの近くに行きたいな……」

 

 苦笑を向けると、素直な答えとお願いを返してくる赤ずきん。それも恥ずかしがっている割には期待に満ちた表情をしながら。

 あの赤ずきんにそんな表情で可愛らしいお願いをされれば、返す言葉は当然決まっている。

 

「しょうがないなぁ、赤ずきんは……おいで?」

 

 なのでジャックは微笑ましさに頬を緩ませつつ手招きした。それを受けて赤ずきんは嬉しそうに笑い、すぐさまベッドから跳ね起きる。この程度のお願いを聞いてあげただけでこんなに喜ぶとは、やはり赤ずきんはとても可愛らしい。その可愛らしさにまたしてもジャックは頬の緩みが深まるのを感じた。

 尤もその可愛らしい赤ずきんが自らのベッドを頭の上に容易く持ち上げ、軽い足取りで寄って来る姿を見て緩みはある程度収まったが。

 

「あははっ、これで寂しくなくなったよ。ジャックがこんな近くだ」

 

 しかしほんの僅かな隙間を残して隣にベッドを置き、横になった赤ずきんの言葉でまたしても頬は緩んでしまう。本当に何で赤ずきんはあんなに強くてカッコよくて頼りになるのに、こんなに可愛らしい面まで持ち合わせているのだろうか。

 

「……でも、もうちょっとだけわがまま言いたいな?」

 

 その可愛さを自覚しているのか、それともやっぱりしていないのか。更に何事かをねだろうとしてくる。

 自覚してやっているならあざとすぎていっそ拒否してやりたい気持ちだが、幸か不幸か赤ずきんは自分の可愛さに微塵も気が付いていない。だからこそジャックには拒否するという選択肢はどこにもなかった。

 

「良いよ、言ってみて?」

「……手、握って欲しいな」

 

 控えめに言い、シーツの中から静かに手を覗かせてくる。やたらにベッドを近くに置いたあたり、最初からこれもお願いする気だったのだろう。計算高くは無いがやはり無邪気で子供っぽい所があるようだ。

 しかしそんな所もまた可愛らしい。なのでジャックは迷い無くその手を優しく握ってあげた。嬉しそうに笑いながら握り返してくるその姿に、もう何度目かも分からない微笑ましさを覚えながら。

 

「赤ずきんさんって本当はこんな子だったんだね。何だか今でもちょっと信じられないや」

「そうだよ。本当のあたしは甘えん坊だし寂しがりやなんだ……もしかして、幻滅したかな?」

「まさか。むしろ逆っていうか――あ」

 

 不安げな顔をした赤ずきんを元気付けるために言葉をかけたのだが、ジャックは自分の失言に気付いてしまった。今まで二度ほど話を変えたり誤魔化したりしていた話題を、自分で提供してしまったから。

 

「……そういえば二度もはぐらかされて聞かせてもらってなかったね。今度こそ答えてもらうよ、ジャック。むしろ逆ってどういう意味さ?」

(あ、これもう誤魔化せないな……)

 

 間近で鋭い視線を注がれつつがっちり手を握られ、その事実を悟る。

 さすがにこんな状況では逃げ出すこともできないし、いい加減誤魔化し続けるのにもちょっと疲れてきた所だ。

 

「……そういう赤ずきんさん、凄く可愛いなって思ってたんだ。フードがなくて落ち込んでる姿をそんな風に言うのは失礼だと思ってたから、今までは誤魔化して言わなかったんだけど……幻滅した?」

 

 なので諦めてそれを口にする。フードが無くて不安で堪らないであろう状態を可愛らしく思っていたという、なかなかに鬼畜染みた本音を。

 これにはさすがに赤ずきんも目を丸くしていたが、それは一瞬のこと。すぐにその驚きを微笑みへと変え、むしろ嬉しそうに笑いかけてきた。

 

「するわけないよ。あたしが元々女の子らしくないのは分かってるからね。そういう時だけでもジャックに可愛く見てもらえるなら、今はそれだけでも十分嬉しいよ」

「……別にその時だけってわけじゃないんだよ、赤ずきんさん」

 

 あんなに女の子らしくて可愛いのに妙に自信の無い様子を見かね、ジャックはそれを伝える。この言葉に赤ずきんは先ほどよりも強い驚きを覚えたように目を丸くしていた。

 

「えっ、ほ、本当? じゃあ、どんな時に可愛いって思った?」

「どんな時って、もう思う場面が多すぎて答えられないくらいだよ。でも一番最近の場面を答えるなら、ついさっき手を握って欲しいってお願いしてきたところかな? あんな可愛いお願いしてくるなんて、反則だよ……」

「そっか……ジャックは普段のあたしも可愛いって思ってくれてるんだね。嬉しいな……」

 

 そしてジャックの本音を聞くなり、堪らなく嬉しそうな笑みを向けてくる。それも緑の瞳で熱い視線を投げかけながら。文字通り手の届く距離から注がれる熱い視線は大いにジャックの胸を高鳴らせてきた。

 

「うん。だから安心して、赤ずきん。僕は君の事、凄く可愛い女の子だって思ってるから」

 

 変な気分を催させる熱い視線を早い所止めてもらうため、ジャックはそう口にして赤ずきんの頭を撫でてあげた。優しく愛情深く、繊細に。もちろんもう片方の手はぎゅっと繋ぎあったままで。

 

「うん……ありがとう、ジャック……」

 

 大好きなジャックからしっかり女の子と思われている安堵からか、それとも握り合う手や頭を撫でる手から伝わってくる優しさか。赤ずきんは幸せそうに微笑みながら目蓋を閉じると、あっという間に寝息を立て始めた。

 

「ふぅ、助かった。あの調子で迫られてたら、僕絶対何かやらかしてたよ……」

 

 無邪気に魅力を振りまく赤ずきんが眠りに付いたので、思わず安堵の吐息を零す。本人が真っ直ぐな性格のせいか、意識してやったらしいお風呂に突入して背中を流すという色仕掛けより、むしろ策も飾りも何も無い状態の方が危険である。

 とはいえそんな赤ずきんも眠ってしまえばそれまで。色仕掛けを企み実行することも、無邪気に可愛さを振りまくこともできないはず。ジャックはそう思っていたのだが――

 

(眠ってる赤ずきんさん、予想以上に可愛いや……)

 

 ――すぐ目の前で寝顔を晒す赤ずきんの姿は、予想を遥かに上回る可愛らしさだった。

 大好きな恋人のすぐ近くで、それも手を繋いだまま眠りについている安心感も手伝ってはいるのだろう。しかしそれを差引いても反則的なほどに可愛らしい安らかな寝顔で、ジャックの胸は高鳴りっ放しであった。

 何より一番マズイのはこの状況。自分のことを百パーセント好きになってくれるなら水着無しで背中を流すのも考えると言った赤ずきんが、文字通り手の届く距離で無防備に寝息を立てているのだ。さすがにジャックもほんの僅かでも邪なことを考えないでいられるほど誠実ではなかった。

 

(こんな風に眠ってる様子は普通に可愛い女の子だなぁ。普段はあんなに強くてカッコいいのに……)

 

 故に遠慮などせず、寝顔をしげしげと眺めて目に焼き付ける。

 メルヒェンを薙ぎ倒し馬鹿でかい得物を振るう力を持ち、男であるジャックが憧れを抱いてしまうほど頼りがいがあってカッコいい赤ずきんも、眠っている姿はどこからどう見ても完璧に一人の女の子だった。いっそ弱々しさすら感じてしまうほどに。

 

(でも、赤ずきんさんにだって本当は弱い所があるんだ。むしろそっちの方が本当の赤ずきんさんって言っても過言じゃないくらい……)

 

 強くてカッコいい、頼りがいのある皆のお姉さん。そう見えるのは赤ずきんがそうあろうと頑張っているから。

 本当は恋人に子供のように甘え、可愛がってもらうのが大好きな人一倍甘えん坊な女の子なのだ。今まではそれを誰にも見せず、心の内に押し込めて気丈に振舞っていたに過ぎない。それはどこか危うさを感じてしまう強さだ。

 

(……守ってあげたいな。本当の赤ずきんさんを)

 

 だから、支えになってあげたい。そう思ってしまうのは赤ずきんの力になりたいと願っているジャックには当然のことだった。

 

(あ……)

 

 そしてその想いを抱いた時、心の中で歯車が噛み合うように幾つもの気持ちが繋がっていくのもまた当然のことだった。

 すでに半分以上赤ずきんに落ちている状態で、今まで分からなかった相手に抱く気持ちが今定まったのだ。それは今まで形がぼんやりとしていた気持ちに、はっきりとした中核を与えられたに等しい。赤ずきんへの確固たる気持ちを抱いた今、全体を認識することは驚くほどに簡単であった。

 

「あははっ。その内落ちちゃうとは思ったけど、まさか告白された翌日に落ちるとは思わなかったなぁ……」

 

 自分の気持ち――赤ずきんのことが好きだという気持ちをはっきりと理解できたジャックは、ついつい苦い呟きを零してしまう。

 告白の翌日に完璧に落ちてしまうとは、はっきり言ってちょっとチョロすぎではないだろうか。確かに赤ずきんはジャックを落すために色々頑張っていたようだが、実際に起した行動は水着姿で背中を流すことだけだったというのに。

 

「……まあ、仕方ないか。まさかあの赤ずきんさんがここまで可愛くて女の子らしいとは思わなかったしね」

 

 しかし特に敗北感などは無く、自分の気持ちが分かったことでむしろ清々しい気分ですらあった。故にジャックは気分の赴くまま、眠る赤ずきんの頭に手を伸ばして優しく撫でる。

 

(でも、こんなすぐに好きになったなんて言って信じてもらえるかな? それに気持ちを伝えちゃったら、僕を落とそうと頑張る赤ずきんさんをもう二度と見られなくなっちゃうし……)

 

 あんなにジャックを落す気満々な赤ずきんに対し、一日で落ちましたと伝えても簡単には信じてくれないだろう。

 そして伝えてしまえば、もう落すための努力は必要なくなる。つまりジャックを落そうと一生懸命に頑張る赤ずきんの姿を見られなくなってしまう。赤ずきんへの気持ちは何の抵抗も無く受け入れることができたジャックだったが、さすがにそれだけは酷く勿体無い気持ちで抵抗があった。

 

(……この一週間が終わるまでは、僕の気持ちを伝えるのは待とう。それなら赤ずきんさんだって信じてくれるはずだし、僕だって頑張る赤ずきんさんの姿が見られるしね!)

 

 なのでジャックはそんな解決策を出した。自分も赤ずきんも幸せになれるであろう解決策を。

 普通に考えればすでに赤ずきんへの気持ちが定まったのに、一週間もの間黙っているというのはさすがに酷すぎる。一応ジャックは誠実であろうと心がけているので、本来ならこんな選択はありえない。しかし――

 

(一週間も黙ってるのはさすがにどうかと思うけど、こんな可愛くて女の子らしい赤ずきんさんと一週間も同じ部屋で過ごさないといけないんだ。だいぶ苦しい戦いになりそうだし、これくらいの役得は認めてもらいたい……)

 

 ――これからジャックは一週間、好きな女の子と同じ部屋で暮らす日々を送らねばならないのだ。不埒なことをしてしまわないように耐えなければならないので、どちらかと言えば拷問に近い日々を。

 だからジャックを落そうと健気に頑張る赤ずきんの姿を楽しむことくらい認めてもらいたい。幸せそうに眠る無防備極まりない恋人の寝顔を眺めつつ、ジャックはそんな風に考えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックと同じ部屋で暮らす、ちょっと恥ずかしくも堪らなく幸せな日々はあっという間に過ぎて行った。

 もちろんその間、赤ずきんはただその幸せを甘受していたわけではない。ジャックを落とそうと色々なことを頑張った。毎晩水着姿で背中を流してあげるという色仕掛け的なものも頑張ったし、ジャックが喜びそうなことだって思いつく限り行った。

 上手く行っているかどうかは分からなかったものの、そのおかげで顔を赤らめて戸惑うジャックの姿を数え切れないくらい拝むことが出来たのだ。その可愛らしい反応に胸が暖かくなってきてとても幸せな心地になってしまうので、ついつい何度もやってしまったのは言うまでもない。

 

「ジャックの部屋の扉、もう少しで直りそうだよ。良かったね、ジャック?」

 

 そして今、共に暮らし始めてから早一週間が経過していた。

 すでにハルは扉の修理を半ば終わらせかけていて、もうさほど時間をかけることなく修理は完了してしまうところだ。部屋の扉が直ったらジャックは自分の部屋に戻ってしまうので、赤ずきんとしてはなかなか複雑な気分であった。

 

「うん。扉が直れば部屋に戻れるから、これで赤ずきんさんも自分の部屋でゆっくりできるようになるね」

「あー、そ、そうだね。これでジャックも、自分の部屋に戻れるよね……」

「どうしたの、赤ずきんさん? 何だかちょっと残念そうだけど、もしかして戻って欲しくないの?」

 

 何とかその複雑な気分を隠そうとしたものの、目ざといジャックにはあっさり見抜かれてしまう。

 もちろんジャックが自分の部屋に戻ってしまうのは非常に残念だった。今まではベッドをほとんどくっつけて寝ていたので、目の前に大好きなジャックの寝顔か微笑みが広がっているという素晴らしい朝を迎えられていたのだ。おまけに部屋ではずっと二人きりなのでただ一緒に過ごしているだけでも心地良い時間だったし、人の目を気にすることなく甘えられる時間でもあった。

 しかしそんな幸せな日々ももう終わり。これで寂しく思わないわけが無い。

 

「……うん。だってジャックと同じ部屋で一緒に過ごす毎日はとっても幸せだったからさ、終わっちゃうなんて凄く寂しいよ。それにあたし、一週間結構頑張ったはずなのにジャックは全然落ちてくれないからちょっと悔しいんだ。もしかしてあたし、全然魅力ないのかな……」

 

 おまけに赤ずきんの頑張りは意味を成さなかったのか、ジャックは一向に落ちた様子を見せてくれなかった。毎晩水着姿で背中を流してあげたりしたのに、襲いかかってきたりすることは一度も無かったのだ。

 大いに顔を赤くしていたので恥じらいは感じていたのだろうが、何もしてこなかったあたりもしかすると自分の裸を見られて恥ずかしかっただけなのかもしれない。水着姿の赤ずきんに悩殺されかけていたとかそういうわけではなく。

 なので身体つきだけは女の子らしいと思っていた赤ずきんも、これにはちょっぴり自信を無くしてしまったわけである。落胆に溜息を零してしまうのも仕方なかった。

 

「……そっか。もう一週間も経ったんだね」

「うぅ……もう一週間経っちゃったのかぁ……!」

 

 そんな赤ずきんの心情を知ってか知らずか、感慨深そうな声を零すジャック。そのおかげで余計に寂しさが極まってきた赤ずきんは、堪えきれずジャックが腰かけるベッドにうつ伏せに身を投げ出した。そしてそのままもぞもぞと動き、ジャックの膝枕に辿りつく。

 最初の頃はこんな風に甘えるとジャックも驚きを隠せていない様子だったが、今ではもうだいぶ慣れてきたらしい。一つ微笑ましそうな笑みを零すと、すぐに赤ずきんの頭を優しく撫でてくれた。

 

「あーあ、せっかくのチャンスだったのに無駄にしちゃったなぁ。やっぱりグレーテルから生々しい助言を聞いてくれば良かったよ……」

「ぐ、グレーテルに相談したの? 僕を落すための方法……」

「あいつなら誰かに喋ったりすることもないだろうし、知識だけなら誰よりも持ってそうだからね。まあ凄く生々しい助言しそうだったからそれは聞かなかったんだけどさ、こんなことになるならやっぱり聞いておいた方が良かったなぁ……」

 

 ジャックの膝枕でゴロゴロしながら頭を撫でてもらい、愚痴を零していく赤ずきん。

 もしかすると水着姿で背中を流してあげる程度では色仕掛けとは呼べなかったのかもしれない。やはり皆に脳筋呼ばわりされる赤ずきんが思い浮かぶ程度のことでは、いくら自分と同じ恋愛初心者のジャックでも落せないのだろう。

 

(せっかくハルさんに一週間ももらったのにさ……あたし、やっぱり全然魅力無いのかも……)

 

 唯一女の子らしいと言える身体つきに対する自信も失い、重苦しい溜息をついてしまう。

 ジャックに甘えて頭を撫でてもらっていること自体は非常に幸せであったものの、軽く打ちのめされたような気分なのは否めなかった。もしかしたら生々しい助言を聞いて実行したとしても、ジャックは落ちないのではないだろうか。ついそう思ってしまうくらいには。

 なので赤ずきんは胸の奥から湧き上がってくる落胆や無力感を、再び溜息として吐き出そうとした。

 

「……もうそんな必要無いんだよ、赤ずきんさん」

「えっ? ど、どうして?」

 

 しかしその直前、ジャックがぽつりとそんな言葉を口にした。甘えている最中なのにさん付けで呼ばれたが、今はその言葉に対する疑問の方が優先だ。

 膝枕してもらっているまま視線を向けると、そこにはこの一週間何度も目にした恥じらいの表情が広がっていた。しかしどこか決意が滲む瞳を湛えた、いつもとは少し違う表情が。

 

「だって、僕……赤ずきんさんのこと、好きになっちゃったから……」

「えっ……」

 

 そんな表情で紡がれたのは、赤ずきんが最も聞きたかった言葉。生々しい方法を取ったとしても聞けないかもしれないと諦めかけていた言葉だった。

 一瞬幻聴か何かではないかと疑いを抱いてしまうものの、ジャックの表情は相変わらず真っ赤で居心地が悪そうなまま。恐らく先ほどの言葉は聞き間違いでも何でもなく、本当にジャックが口にした言葉なのだろう。

 

「ええっ!? う、嘘だよ、そんなの! だってジャック、あたしが何をやっても全然そんな素振り見せなかったじゃんか!」

「そ、それは頑張って我慢してただけだよ。だって我慢しないともう僕を落すために頑張る赤ずきんさんの姿が見られなくなっちゃうし、すぐに気持ちを伝えてもきっと信じてもらえなかっただろうから」

「それは、そうかもしれないけどさ……」

 

 驚きのあまり膝枕から飛び起きて詰め寄ると、ジャックは恥ずかしそうにしながらも納得の答えを口にしてくれる。頑張る姿に関しては正しい予想とは言えないが、すぐ気持ちを伝えても信じてもらえないというのは間違いなく当たっている。

 実際一週間という日々を積み重ねた今でも半信半疑なのだ。これが数日だったりしたら間違いなく疑いの方が強い。

 

「ほ、本当に、あたしのこと好きになってくれたの? 憧れてるだけじゃなくて?」

「うん、本当だよ。もちろん憧れてもいるけど、それは強くてカッコいい皆のお姉さんとしての赤ずきんさんにだよ。僕が好きなのは、本当は凄く子供っぽくて甘えん坊で寂しがり屋なのに、皆のお姉さんとして頑張るとっても健気な赤ずきんさんの方なんだ。あ、だけどもちろん皆のお姉さんとしての赤ずきんさんも好きだからね?」

 

 念のため確認してみた所、ジャックは赤ずきんへの想いを滔々と語ってくれた。それも皆のお姉さんとしての赤ずきんだけではなく、子供っぽくて甘えん坊な赤ずきんだけでもない、両方の赤ずきんが好きなのだというとても嬉しい想いを。

 

「本当はもの凄く甘えん坊で寂しがり屋な、普通の女の子みたいな赤ずきんさんを影で支えてあげたいって僕は思ったんだ。たくさん甘やかして、可愛がって、赤ずきんさんが皆のお姉さんでいられるように力をあげたい。そして僕は、誰も知らない赤ずきんさんの可愛さを独り占めしていたいなって……」

「じゃ、ジャック……」

 

 恋愛初心者で脳筋気味の赤ずきんだが、この時だけは完全に理解できた。ジャックは間違いなく赤ずきんのことが好きなのだと。ただ漠然と好きというわけではなく、しっかり理由や想いの存在する恋愛感情を抱いてくれているのだと。

 

「だから、その……好きです、赤ずきんさん。僕と、本当の恋人になってください」

 

 顔を赤くしながらも、ジャックは告白をそう締め括った。仮の恋人から本当に恋人になりたいという願いが乗った視線で、真っ直ぐに赤ずきんの瞳を見つめながら。

 当然赤ずきんがかける言葉は決まっている。この一週間、ずっとジャックを落すために頑張ってきたのだ。一も二も無く頷き、抱き合って喜びを分かち合う。頭の中ではそんな風に返事をすることを決めていた。

 

「……やったああぁぁぁぁぁ!! うん、もちろんだよ! あたしの方こそよろしくね、ジャック!」

「うわぁっ!? ちょっ、赤ずきんさん!?」

 

 しかし喜びが大きすぎて理性的に行動することができず、感情のままに行動してしまう。ジャックの両脇に手をやりその身体を持ち上げ、その場でくるくる回るという自分でも良く分からない行動を。一応何をやっているのかは理解していたものの、感極まり過ぎた赤ずきんには自分が抑えられなかった。

 

「あーっ、ジャックがあたしのこと好きになってくれて嬉しいなぁ!! これからはあたしたち本物の恋人同士だね!」

「あ、赤ずきんさん! 嬉しいのは分かったから降ろして! さすがにこれは恥ずかしいよ!」

「おっと、ごめんジャック。つい喜びを抑え切れなくてさ……」

 

 この一週間でもそうそう見たことが無いほど恥ずかしそうに嫌がられたため、若干落ち着きを取り戻した赤ずきんはすぐにジャックを床に降ろした。

 仮にも女である赤ずきんに容易く身体を持ち上げられたのは、男の子であるジャックとしては酷く恥ずかしい仕打ちだったのだろう。プライドを傷つけてしまったのではないかと思い、ますます気分が盛り下がってしまう赤ずきんであった。

 

「赤ずきんさん、やっぱりそういう子供っぽい所があるよね……でも、僕はそんな所も大好きだよ?」

「ジャック……! うーっ、ダメだ! 今すぐあんたの両腕を持って身体ごと振り回したい気分だよ!」

 

 しかしジャックが嬉しいことを言ってくれるので、気分はまたしても急激に盛り上がる。喜びのままに行動しそうな身体を押さえ込むのはとても大変だった。特にジャックの両腕を掴もうとうずうずしている両手を抑え込むのが。

 

「ご、ごめん。さすがにそれはちょっと止めて欲しいな。うっかりそのまま投げ飛ばされそうな気がするし……それにそんなことより、赤ずきんさんには本当にしたかったことがあるんじゃないの?」

「あ……」

 

 ジャックの言葉に、赤ずきんは本当に自分がやりたかったことを思い出す。

 赤ずきんとジャックはついに本物の恋人同士になれた。それも相思相愛のカップルだ。ならば今まで自分の気持ちが分からないからとジャックが遠慮し、赤ずきんが我慢していた行為をする資格は十分にある。もう我慢する必要はどこにもない。

 

「僕から、しようか? 初めての時は赤ずきんさんからだったもんね」

「う、うん。じゃあ、して欲しいな……」

 

 ジャックからしてもらえるなら願っても無いことだ。赤ずきんはすぐさま頷き、目蓋を閉じた。まるで告白した時と同等かそれ以上の胸の高鳴りを覚えながら。

 

「えっと……じゃ、じゃあ、するよ……?」

「……っ」

 

 黒く染まった視界の中、どこか緊張の滲む声でジャックが言う。そして言葉と共に両肩に優しく手を置いてきた。それだけでドキリとしてしまうのは、やはり赤ずきんも緊張を覚えているからなのだろう。これから赤ずきんとジャックは本物の恋人として、初めての口付けを交わすのだから。

 

(ゆ、夢見たいだなぁ。あたし、本当にジャックにキスしてもらえるんだ……)

 

 だが胸の中では緊張よりも幸福や喜びの方が勝っていた。あんまり女の子らしくない上に賢くも無い赤ずきんが、ついにジャックの心を射止めることができたのだ。おまけに赤ずきんの唯一女の子らしい所である身体で射止めたわけでもないようだし、これで嬉しくないわけがない。

 緊張と喜びが適度に混ざった心地でいると、やがてジャックが顔を近づけてきたような気配が伝わってきた。

 少しずつ縮まっていく唇との距離。反比例するように早まっていく鼓動。耳の奥で煩く聞こえるほど心臓の鼓動が昂ぶり、ジャックの微かな吐息が赤ずきんの唇を撫でたのを感じた次の瞬間――

 

「――っ!?」

 

 ――コンコン、と部屋の扉がノックされた。

 完全に不意を突かれたせいで赤ずきんはあまりの驚愕に飛び上がってしまう。早鐘のような鼓動は明らかに先ほどと同じ胸の高鳴りではなかった。

 ジャックの方も似たような反応、というか更に酷い有様で、驚愕のあまり体勢を崩して転びかけていた。もちろん赤ずきんがすんでのところで身体を支えてあげたため、実際に転びはしなかったが。

 

「は、はい、どうぞ?」

 

 お互いにちょっと深呼吸して顔の赤みや昂ぶる鼓動を鎮めた後、ジャックが扉の向こうに声をかける。

 

(うぅ、邪魔したのは誰だよぉ……せっかくジャックにキスしてもらえるところだったのに……)

 

 別に赤ずきんが声をかけても良かったのだが、内心かなり穏やかではないためジャックに任せたのだ。せっかくキスしてもらえる所だったのにそれを寸前でぶち壊しにされたのだから、そんな風に感じてしまっても仕方ないだろう。

 

「よお、ジャック。やっと扉の修理が終わったぜ。えらく待たせて悪かったな」

 

 扉を開けて現れたのはハル。どうやら極めて絶妙なタイミングで扉の修理を終えてしまったらしい。

 

(ハルさん……うぅっ、怒りをぶつけられないのが辛い! このオヤジめ!)

 

 怒りをぶつけたくともジャックを落せたのは一週間ものチャンスを用意してくれたハルのおかげと言っても過言ではない。そのためやり場の無い憤りにますます内心は複雑になっていった。

 

「い、いえ、直してもらえただけでもありがたいです。ありがとうございます、ハルさん」

「あー、まあ気にすんな。俺は別に――って、ど、どうした赤ずきん? そんな親の敵見るような目で見やがって……」

 

 内心の気持ちが顔に出ていたのか、ハルにおっかなびっくりといった感じで指摘される。

 せっかくジャックにキスしてもらえる所だったのによくも邪魔をしたな――と言えるわけも無いので、赤ずきんに出来たのは視線を別の方向に逸らして投げやりに答えることだけだった。

 

「別に、何でもないよ。用はそれだけ?」

「あ、ああ、それだけだ。邪魔したな、お前ら……」

 

 本当に用事はそれだけだったらしく、ハルはすぐに扉を閉めていなくなる。

 とはいえハルがいなくなっても赤ずきんの胸の内は穏やかではなかった。このやり場の無い気持ちをどうにかできるのはたった一人の男だけだ。

 

「えっと……」

 

 そんなたった一人の男であるジャックへ、赤ずきんは無言で視線を向ける。怒りではなく、期待を込めた視線を。

 若干の戸惑いを恥じらいと共に浮かべていたものの、ジャックも意図を理解してくれたのだろう。しばし視線を彷徨わせていたが、やがて優しげな瞳で赤ずきんを真っ直ぐに見つめてきた。

 そうして再び両肩に手を置き、ゆっくりと顔を寄せ――

 

「んっ……」

 

 ――念願のキスをしてくれた。

 唇同士が触れ合う感触に一瞬驚愕の吐息を零しかけるものの、吐息が零れる唇はジャックの唇で蓋をされているため実際には小さな呻きに似た声が上がるだけだった。

 キスされただけでそんな変な声を出してしまったことがちょっとだけ恥ずかしかったものの、胸の中にはそれが気にならなくなるくらいの幸福感が溢れている。故に赤ずきんはとても穏やかな心地のまま、重ねられた唇の感触に浸っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ……こ、これがキスかぁ。な、何か、変な気分だね?」

 

 数秒のようにも数分のようにも感じられた時間を経て、ジャックは赤ずきんと重ねていた唇から距離を取る。

 一応これは二度目であるが、ジャックにとってはほとんど初めてに等しいキスだ。一度目はほぼ不意打ちだったので感触も実感もあったものではなく、現実感すら乏しいものであったのだから。

 

「そ、そうだね……でも、幸せな気持ちだ。これは凄く癖になりそうだよ……」

 

 だが今回はしっかりと感触を楽しんだため、抱いた感想は赤ずきんと同じだった。とても幸せな気持ちで、病み付きになってしまいそうなほどキスというものは素晴らしかった。

 まあ何よりも素晴らしいのは幸せそうに瞳を細め、夢心地の微笑みを浮かべた赤ずきんの可愛らしさであったが。

 

「ジャック……あたし、もう一回キスしたいな……」

 

 そんな堪らなく可愛い表情でもう一回キスをねだってくる赤ずきん。

 どう考えてもあざとすぎる可愛らしさだが、本人にそんな気は一切無い。この一週間の間、無邪気な可愛らしさに幾度と無く晒され続けたためジャックはそれを完全に理解していた。

 

(ああ、もうっ! 赤ずきんさんは本当に可愛いなぁ! この一週間、キスしたい気持ちを抑えるのは凄く大変だったよ!)

 

 ただし理解していても自分の気持ちを抑えるのは本当に辛かった。

 何せジャックが赤ずきんへの想いを自覚したのは一日目の終わりである。その後も赤ずきんは毎晩水着姿で背中を流そうと迫ってきたし、部屋に二人きりなのを良いことに大いに甘えてきたのだ。良く一週間も耐えられたものだと、ジャックは今更ながらに自分を褒めてやりたい気分だった。

 

「もう僕と赤ずきんさんは本当の恋人なんだし、わざわざそんなこと聞かなくたって良いんだよ? キスしたいなら、好きな時に好きなだけさせてあげるからね」

「ジャック……うん! あんたもあたしとキスしたいなら、好きなだけさせてあげるよ!」

 

 だがもう我慢する必要などどこにもない。ジャックと赤ずきんは相思相愛の恋人同士になれたのだから。

 故にお互いに微笑みを交わし、今度はどちらからともなく顔を寄せ合っていく。記念すべき二度目のキスを交わすために。

 やがてお互いの唇は吐息が撫であうほどの距離まで詰まり、重なり合い――

 

「――すまん、忘れてた。おい赤ずきん、ちょっと話が……あ?」

「……っ!」

 

 ――次の瞬間、あろうことかハルが戻ってきた。先ほどしたからノックはいらないと思ったのか、何の前触れも無く扉を開けて。当然ながらその時、ジャックは赤ずきんと口付けを交わしている真っ最中であった。

 

(あ、これマズイ。何だか凄く嫌な予感がする……)

 

 ハルは扉を開けてこちらの姿を瞳に収めた状態で、ジャックと赤ずきんはお互いに唇を重ねあった状態で、居心地の悪さと驚愕にそのまましばし全員固まってしまう。

 それなりに恥ずかしい光景を見られたものの、ジャックは羞恥よりも不安を強く感じていた。何故なら触れ合う唇を通して赤ずきんがぷるぷると震えているのが伝わってきたからだ。先ほどキスの直前で水を差されて不機嫌そうにしていた赤ずきんが、またしても同じように水を差されて。

 

「あー……その、なんだ……邪魔して悪かったっつーか……末永くお幸せにっつーか……ま、まあ、聞きてぇことはもう分かったし、後はお前ら二人でゆっくり――」

「――さっさと出てけこのオヤジィィィィィ!!」

「ちょっ!? 赤ずきんさんストップ!!」

「う、うおおぉぉぉぉぉっ!?」

 

 そこからの流れは実に赤ずきんらしい行動というか、微妙な既視感を覚える流れであった。両手で自らのベッドを持ち上げる赤ずきん、勢い良くぶん投げられるベッド、焦って扉を閉めるハル。

 次の瞬間、赤ずきんの部屋の扉がジャックの部屋の扉と似たような末路を辿ることになったのは言うまでもない。その凄惨な光景を目にしてジャックは心に誓うのだった。絶対にこの可愛らしくも凄まじい強さを持つ恋人は怒らせないようにしよう、と。

 

 

 





 乙女の邪魔をした者には制裁を。ちなみにドアとベッドはお亡くなりになりましたがハルさんは無傷です。
 今回でめでたく両思いになれたジャックと赤ずきん。だが三章からは衝撃の展開が待ち受ける……かもしれません。とりあえずイチャイチャするようになるのは確かのはずです。
 それではちょっと早いですが、新年明けましておめでとうございます。




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3章:新たな問題
両想いの朝




 ジャック×赤ずきんの三章です。二章の時点で某赤髪ツンデレツインテロリ姉様より関係が進んでいる気がしないでもない。
 初っ端から衝撃の展開がありますがお気になさらず。






「ん、ぅ……」

 

 朝、ジャックは穏やかな眠りからぼんやりと目を覚ました。

 ハルが部屋の扉を直してくれたため、ジャックが眠っていたのは自分の部屋だ。今までは赤ずきんの部屋に泊まらせてもらいベッドを隣り合わせて寝ていたので、目を覚ますと恋人の可愛らしい寝顔か可愛らしい微笑みのどちらかが広がっている素晴らしい朝を迎えられていた。

 しかし自分の部屋に戻った今、目の前には赤ずきんの姿は無い。ジャックはそれをとても寂しく感じた。何故ならジャックも赤ずきんのことが好きで、本当の恋人同士になったのだから。大好きな恋人の姿が無ければ誰だって寂しく感じて胸が痛むはず。

 

(……あれ、何だろう? 何か背中が凄く温かいし、柔らかい何かが触れてるような……?)

 

 ただジャックは寂しさを感じても胸は痛まなかった。何故か背中がとても暖かくて、その熱に心を癒されているように感じたのだ。その包み込むような温もりの如き暖かさに。

 不思議に思って寝返りを打ち、背後を確認すると――

 

「……えっ?」

 

 ――そこには正に大好きな恋人、赤ずきんの姿があった。可愛らしい寝顔で規則正しい寝息を立て、ぐっすりと眠っている赤ずきんの姿が。

 実は意外と寂しがり屋で甘えん坊な所がある赤ずきんだ。ジャックが自分の部屋に戻ってしまうことが寂しいと言っていたし、ベッドに潜り込んできたとしても何ら不思議ではない。

 だからジャックもそのことにはさほど驚きを覚えなかった。呆けた声を出してしまったのはもっと別の理由からだ。その理由が真実なのかを確かめるため、半ば無意識に赤ずきんの身体を覆うシーツを捲り――

 

(赤ずきんさん何も着てない! 服どころか被り物――じゃなくて被り物どころか服すら着てないよ!?)

 

 ――即刻シーツを首元まで引き上げ、見えたものを全て頭の片隅に追いやった。

 そう、ジャックが驚いたのはこれが原因。隣に眠る赤ずきんが衣服を何も身に着けていないように見えたのだ。まあ見えたというか、つい確認してしまいそれは純然たる事実だと判明してしまったわけなのだが。

 

(ど、どうして裸の赤ずきんさんが僕のベッドに!? ていうかどうして被り物すら無いの!? それで大丈夫なの、赤ずきんさん!?)

 

 混乱と疑問に支配されながらベッドを抜け出た所、隣のベッドに赤ずきんが身につけていたと思しき衣類が積まれているのを発見した。それも丁寧に折りたたまれ、一番上にナイトキャップを置いた状態で。

 ここから導き出される推論は二つ。一つ目は赤ずきんは自分で衣服を脱ぎ去り、自らの意思でベッドに入ってきたということ。

 ただしこちらは可能性が極めて薄い。そもそもそんなことをする意味が何も無いのだ。寝る時やジャックの背中を流そうとお風呂場に突入してきた時も、形は違えど被り物をしっかり用意していた赤ずきんだ。被り物が無いと不安になってしまうのだし、すでにジャックと赤ずきんは本物の恋人、不安に耐えてまで被り物を脱ぎ去る理由などどこにもない。

 つまり可能性が極めて高いのは二つ目の推論。すなわち――

 

(ぼ、僕、もしかして……赤ずきんさんと、そういうことをしちゃったってこと……?)

 

 ――ジャックと赤ずきんの間で、赤ずきんが服を脱ぐ必要がありそうなとても大人なやりとりがあったかもしれないということ。

 確かにもうジャックと赤ずきんは両想いの恋人同士。ならばその手の行為をしても何ら不思議ではないだろう。だが実際に本物の恋人同士になったのはつい昨日の出来事。それにジャックにはそういうことをした記憶は全く無いし、赤ずきんと違ってしっかり衣服も着込んでいる。ならば一体何故こんなことになっているのか。

 

「よ、よし、一旦落ち着こう。落ち着いて昨日何があったかを順番に思い出すんだ、僕……」

 

 さっぱり訳が分からないジャックは軽く深呼吸を繰り返し、まずは順を追って昨日の出来事を思い出すことにした。

 幸せそうに眠る可愛らしい恋人に対し、できればまだ目を覚まさないで欲しいと切実に願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、皆集まったね。それじゃあこれから晩御飯なんだけど、その前にあたしとジャックから話しておきたいことがあるんだ。とっても大切な話だから皆真面目に聞きなよ?」

 

 夕食の席、集った血式少女達全員の前で赤ずきんがそう切り出す。

 赤ずきんと本当の恋人になりキスも済ませたジャックが次に行いたかったのは、他の皆に自分たちの関係を伝えること。元々皆に秘密にしていたのはジャック自身の気持ちが分からなかったことに原因があるため、両想いとなった今では隠す意味はどこにも無い。なので改めて皆に話したいと頼んだ所、赤ずきんは快くどころかむしろ嬉しそうに頷いてくれたのだ。

 

「何よ赤姉、突然改まって。あ、もしかして赤姉が部屋の扉をぶっ壊した話?」

「そんな話で改まる必要があるんですか~? 別段驚くに値しないことだと思いますけど~」

「いえ、私は驚くべきことだというか、もっと違う反応をすべきだと思うのだけれど……」

 

 騒ぐほどの話ではないという感じの親指姫とかぐや姫に対し、反応に困っているのはアリス。

 昼間にジャックとのキスを邪魔された怒りからハルに向かってベッドを投げつけた赤ずきんであるが、結果はもちろん悲惨なものであった。すんでの所で扉を閉めて逃げていたハルには怪我こそなかったものの、代わりにベッドも扉も大破して使い物にならなくなってしまったのだ。ジャックの部屋の扉が直った矢先にこれである。

 

「うーん……関係ないってわけじゃないんだけど、ちょっとその話とは違うかな?」

 

 しかしその話題に関しては今触れることではないし、すでにジャックと赤ずきんの間では解決策も決めてある。まあ嬉しいような苦しいようなかなり複雑な解決策ではあるのだが。

 

「では何の話だと言うのだ? 何でも良いからワレは早く食事をしたいじょ! ……ぞ!」

「ラプンツェルもおなかへったー! はやくたべたーい!」

 

 焦れたように続きを促すのはハーメルン。ただし真面目な話だと前置きしたからか、それとも誰もまだ食事には手をつけていないせいか、無視して食事を始める気は無いらしい。それはラプンツェルも同様だ。

 

「……どっちから言おうか、赤ずきんさん?」

「そうだね。本当はジャックから言って欲しい気持ちもあるんだけど、今回はあたしが言うよ。何だかんだで先に惚れたのはあたしだしね?」

「ああ、その話なのね。なるほど」

 

 赤ずきんの意味ありげな言葉に皆が首を傾げる中、グレーテルだけが全てを理解した表情で頷く。というかグレーテルは赤ずきんにジャックを落すための相談を受けていたらしいので、実際全てを理解しているのだろう。

 

「先に惚れた、とは一体どういう意味ですの? 赤ずきんさん……あなた、まさか……!?」

 

 その言葉から結論に至ったらしく、驚愕に息を呑むシンデレラが赤ずきんへと目を向ける。ほぼ同時に皆も同じ結論に至ったらしく、同様の瞳で赤ずきんを見ていた。まあ若干二名ほどは皆につられただけで分かっていない感じだったが。

 皆の視線を一身に受けた赤ずきんは一つ得意げに笑うと――

 

「うわっ!?」

「そうだよ、シンデレラ! 実はあたしとジャックは付き合い始めたんだ! そういうわけだから皆、あたしの男にちょっかい出さないようにね?」

 

 ――ジャックの肩をグッと引き寄せ、恥ずかしげも無くはっきりと言い放った。これには身体を引き寄せられたジャックも、そしてそれを眺めていた他の皆も驚愕に瞳を見開いていた。最初から交際の事実を知っているグレーテル以外は。

 

「そ、そうなんですか!? おめでとうございます、赤姉様! ジャックさん!」

「ん……おめでと……!」

「あははっ! おめでとー!」

 

 しかしそんな驚きを一瞬で済ませたのがおよそ三名。白雪姫に眠り姫、そしてラプンツェルだ。尤もラプンツェルに関しては発言の意味が分かっていなかったらしく、皆と違ってそもそも驚きを示していなかったのだが。

 

「ありがとね、白雪、ネム、ラプ。やっぱあんたたちは素直に祝福してくれると思ったよ。まあラプは良く分かってないんだろうけどね?」

「じゃ、ジャック、少し良いかしら? 付き合い始めたというのは、その……具体的にはどんな意味なのかしら?」

 

 三人に続くのはアリス。だが他の三人とは明らかに反応が異なっていた。何やらどことなく不安そうな顔をして、付き合うという言葉の意味をジャックへ尋ねてくる。

 どうしてそんな顔をしているのかちょっと気にかかるが、ジャックにできるのは正直に話すことだけだ。何故なら自分たちのことをアリスにも祝福してもらいたいから。

 

「それはもちろん交際を始めたって意味だよ。僕と赤ずきんさんが恋人同士としてね?」

「こ、交際、ですって……!?」

「ど、どうしたお嬢!? お嬢! しっかりするのだ、お嬢!」

 

 酷く衝撃を受けたような顔で固まってしまうアリス、そしてそんなアリスをがくがく揺さぶるハーメルン。この反応からするとどうやらアリスはあまりにも突然のことに理解が追いつかないらしい。

 

「えっ? ほ、本当にジャックさんは赤ずきんさんとお付き合いを始めましたの?」

「うん、本当だよ。まあ、正直僕なんかじゃ全然赤ずきんさんには釣り合わないけど……」

「釣り合いなんかどうでも良いよ。あたしたちがちゃんと想いあってればそれで十分だからね」

「赤ずきんさん……」

 

 事実とはいえ多少卑屈な答えをシンデレラに返したところ、他ならぬ恋人である赤ずきんが慰めてくれた。釣り合いなんてどうでも良い、自分たちがしっかり想いあっていれば関係ない。そう解釈できる優しい言葉を。

 確かにジャックと赤ずきんはしっかり両想いになったし、皆も反対こそしていない。全てを知っているグレーテルがただただ薄い笑みを浮かべて無言でいるのが気になるといえば気になるが、恐らくは興味深いものとしてじっくり観察しているだけのはず。

 だから何も問題は無い。ジャックはそう考えてほっと一息ついた。

 

「いやいや、ありえないでしょ。あの赤姉がジャックなんかと? あははっ! ちょっと二人とも、寝ぼけるにはまだ早いわよ?」

「なかなか面白い冗談でしたが荒唐無稽すぎて驚きは薄いです~。もう少し真実味のある冗談を考えてから出直してきてください~」

 

 しかし若干二名、反対するどころか全く信じていない者たちがいた。ジャックと赤ずきんが交際しているのは事実なのに、他愛の無い冗談として笑い飛ばすくらいに信じていない。まあ頼りになる皆のお姉さんである赤ずきんの相手が真逆とも言えるジャックでは当たり前かもしれないが。

 

(親指姫とかぐや姫は全然信じてくれないなぁ……まあ気持ちは分からないでもないけ――ど!?)

 

 どうやって信じてもらおうか考えようとしたその瞬間、ジャックは赤ずきんに身体を引き寄せられて思考を中断させられた。驚きに目を丸くしてしまうのも束の間、今度は顔の向きを無理やり変えさせられ――

 

「――っ!?」

 

 ――唇を同士を重ねるキスをされた。皆が見ている前だというにも関わらず、見間違いなどできないほどはっきりがっつり。赤ずきんの唇の柔らかさと微かな温もりが感じ取れるくらいに。

 これには周囲の血式少女達のほぼ全員が驚愕の声を零していた。まあ一番驚いたのはキスされたジャック当人なのだが。

 

「ふぁ……あ、赤ずきんさん、いくら何でも今のは……」

「し、仕方ないじゃん。これくらいしてみせないと信じてもらえないみたいだしさ……」

 

 こんなに大胆な真似をしてきたというのに、当の本人はキスを終えた途端に頬を染めて恥らいを露にしている。男らしさを覚えて憧れてしまうくらいカッコ良いのに、本当はこんなに可愛くて女の子らしいなんて相変わらず反則である。

 

(こんなに素敵な子が僕の恋人なんだ……やっぱり、僕って幸せ者だなぁ……)

 

 そんな素敵な恋人の可愛らしさに堪らなく愛しさが沸いてきて、恥じらいも忘れて笑みを浮かべてしまう。

 目の前にいるのはジャックの笑顔が見たくてあまり似合わない回りくどいことをしていた赤ずきん。故に当然のことながら向こうも恥じらいを忘れたように、にっこりと嬉しそうに笑ってくれた。

 

「どうかな、親指? かぐや? これでも信じられないっていうならもう一回やってみせたって構わないよ?」

 

 そして信じなかった二人へとしたり顔を向ける。

 目の前でキスなどされたせいか、二人はもちろんのこと祝福してくれた白雪姫たちさえも頬を染めて目を丸くしていた。ちなみに一番衝撃を受けていたらしいのはアリスで、今や完璧に凍り付いている。

 

「……赤姉、マジなの?」

「大マジだよ。だからあんたたちにも祝福してもらえると嬉しいんだけどな、あたしとジャックのこと」

 

 たっぷり数秒は間を置き、神妙な面持ちで尋ねてくる親指姫にそう答えを返す赤ずきん。しかもまたしてもジャックの肩に腕を回しながらだ。

 目の前にこれ以上無いほどはっきりと証拠を突きつけられたのだから、親指姫だってきっと信じてくれるはず。ジャックはそう思っていたのだが――

 

「いやいや、ありえないでしょ!? あの赤姉が!? ジャックなんかと!? ちょっと赤姉、正気なの!?」

 

 ――どうやら納得がいかなかったらしい。親指姫は信じられないといった表情で席を立ち、赤ずきんの正気を疑いつつジャックを貶める台詞を口にする。

 

「親指、確かにジャックは細くて体力も無くてしょっちゅう倒れる情けない奴だけど、それでもあたしの大切な恋人なんだ。あんまり酷いこと言うと怒るよ?」

(うん。酷いこと言ってるのは赤ずきんさんだと思う……)

 

 あまりフォローになっていないフォローに、ジャックは心の中でツッコミを入れる。実際に口に出来なかったのは何一つ間違っていない紛うことなき事実だからだ。また口にしたのが自分とは正反対に強くて体力もある赤ずきんだからこそ余計に。

 

「わらわとしては相手にジャックを選んだことより、赤ずきんが色恋沙汰に目覚めたことの方が衝撃です~。まさかたかだか七日間ジャックと共に部屋で過ごした程度でこんな事態に陥ってしまうとは、正直なところ夢にも思いませんでした~」

「え? あー、いや、それは……」

 

 かぐや姫の言葉に赤ずきんが少々困った顔をして視線を泳がせる。

 たぶんその理由は自分たちの恋愛があの七日の中で始まったことだと思われているからだろう。実際の所はその前から赤ずきんがジャックに片想いをしていたわけだが、それを言うと余計に場が混乱しそうだし、何より赤ずきんから告白したのだということが分かってしまう。

 ただし、ついさっき赤ずきんが先に惚れたのは自分だと口にした以上、大多数の少女達はどちらが告白したかもすでに分かっているはず。恐らく親指姫とかぐや姫が信じてくれないのはそれが原因に違いない。

 ジャックは皆の前で保ちたい面子や姿はさほど持たないが、赤ずきんの方は頼りになる皆のお姉さんとして振舞いたがっている。そのイメージをできる限り壊したくは無いはずだ。ならばジャックがやるべきことは一つしかない。

 

「それは違うよ、かぐや姫。赤ずきんさんは僕の気持ちに応えてくれただけなんだ。さっき赤ずきんさんが言った先に惚れたっていうのも僕を気遣っての言葉で、本当に先に好きになって告白したのは僕の方だからね?」

「え? じゃ、ジャック?」

 

 皆のお姉さんのイメージをあまり変えないよう、自分が先に告白して赤ずきんは応えてくれただけということにしておく。まあ先にではないが一応告白をしたのは事実だし、それほど大きな嘘はついていない。

 もちろん事実の改変に赤ずきんがきょとんとしていたので、話を合わせるように視線を向けてお願いしておくことも忘れない。

 

「まあ! 本当はジャックさんから告白いたしましたのね!?」

「おー……ジャック、大胆……!」

「なるほど。ジャックから、ね……ふふっ」

 

 赤ずきんからの告白よりは信じやすいのか、誰も疑いを見せず感嘆の声を零す。まあ全てを知っているらしいグレーテルだけは意味深な笑いを零していたのだが。

 

「あー、なるほどジャックからか。なら納得できなくもないわね。どうせ断るのも可哀想だから仕方なくオーケーしてあげたとかそういうわけでしょ? 赤姉は優しいし」

「なるほど、そういう事情でしたか~。まあ赤ずきんが恋愛に目覚めるなど、わらわが働き者になるくらいありえない事態ですからね~」

「えーと……ま、まあ、そんなとこだよ! 凄い真剣だったし断るのも可哀想だからさ、仕方なくオッケーしてあげたってとこかな?」

 

 親指姫もかぐや姫もこれには納得を示してくれたため、赤ずきんもしっかり話を合わせてくれた。これで頼りになる皆のお姉さんとしての面目は守れたわけである。まあちょっと不本意そうな顔をしているのが少し気にかかるが。

 

「あ、あの、ちょっと良いですか? 今仕方なくオーケーしたと言いましたけど、赤姉様はジャックさんのことをどう想っているんですか?」

「え? あー、それは……」

 

 しかしそんな白雪姫の質問に皆のお姉さんの視線は頼り無さげに泳ぎ、何故か今まで凍り付いていたアリスも復活して極めて真剣な面持ちへと表情を変える。

 頼り無さげな視線は助けを求めるようにこちらへ向けられたものの、こればかりはジャックにはどうしようもない。なのでジャックがしたのは子犬のような可愛らしい目に微笑ましさを覚え、思わず微笑みを零すことだけだった。なお、助けてもらえないと分かったらしく赤ずきんは一瞬不満げに眉を寄せていた。

 

「ま、まあ、何とも想ってないならオッケーしたりしないよ。ジャックのことは、その……嫌いじゃないしね?」

 

 それでも話を合わせることは忘れず、あくまでも嫌いじゃない程度に想いを口にする赤ずきん。実際の所はジャックのことが大好きで自分から告白してきたのだが、その事実を知るのは自分たちとグレーテルのみ。故に誰も赤ずきんの言葉を疑う様子は見せなかった。

 

「おやぁ……これは脈がありそうですね、ジャック~? 頑張ればそなたでも赤ずきんをものにできるかもしれませんよ~?」

 

 ただし疑う様子は見せなかったものの、代わりに妙なニヤニヤ笑いを向けてくるかぐや姫。

 からかわれていることは表情を見れば分かるし、何より実際にはすでにものにしていると言っても過言ではない。なのでジャックはからかわれても別段動揺を覚えたりはしなかった。

 

「そうだね。じゃあもしそうなったら君は働き者になってくれるのかな?」

「そうですね~。もし本当に告白したのが赤ずきんからだったなら、それもやぶさかではありませんでしたよ~?」

(どうしよう、今凄く真実を言いたい……!)

 

 余裕綽々のかぐや姫の姿に、猛烈に真実を話してやりたくなってくるジャック。

 赤ずきんのお姉さんとしてのイメージを守るために真実は伏せることにしたものの、かぐや姫が働き者になるのなら今すぐにでも話してやりたい気分であった。まあ本当に働き者になるとは思えないので何とか我慢はできたのだが。

 

「んー……まあ、赤姉がちゃんと考えた上で付き合ってるってんなら私はとやかく言わないわ。何だかんだでジャックなら信用はできそうだしね」

「ありがとね、親指。皆もあたしたちのこと認めてくれたってことで良いかな?」

「ん……ん……!」

「はい! 赤姉様とジャックさんならお似合いだと思います!」

「ええ、もちろんですわ。お二人が決めたことなら、私たちが口を挟めることではありませんもの」

「ふふっ。私にとっては今更言うまでも無いことね」

「うむ! 何だが良く分からんが貴様らのことを認めてやろうではにゃいか! ……ないか!」

「うん! ラプンツェルもよくわかんないけどいいよー! それよりもおなかへったー!」

 

 いまいち信じていなかった二人も加え、皆がジャックと赤ずきんの関係を認め祝福してくれる。まあ若干名状況を良く理解していない少女たちもいたが、その辺りは追々で構わないだろう。

 

「ありがと、皆。あとラプはもうちょっとだけ我慢してくれるかな? まだ一人だけ教えてもらってないからさ」

 

 今にもよだれを垂らさんばかりの表情で夕食を眺めるラプンツェルから視線を外し、赤ずきんが見やったのはアリス。皆が頷き笑う中、一人だけ真剣な面持ちで黙し答えを口にしていなかったのだ。

 

「……ジャック。その、一つだけ聞いても良いかしら?」

「うん、良いよ。何が聞きたいの、アリス?」

 

 答えが気になってジャックも視線を向けたところ、変わらぬ真剣な面持ちがこちらに向けられる。

 ニヤニヤ笑ってからかいそうなかぐや姫あたりならともかく、聞きたがっているのは真面目なアリスだ。表情を見ればふざけているわけではないのは手に取るように分かったので、ジャックも躊躇い無く頷いた。

 

「ジャックは、その……本気で赤ずきんさんのことが好きで、交際をしているのかしら?」

 

 すると投げかけられたのはそんな質問。

 アリス自身はかなり真面目に聞いているようなのだが、何故かこの質問に大多数の少女たちは瞳を輝かせてジャックに視線を向けてきた。瞳が輝いていないのはまだ良く状況を理解していないラプンツェルとハーメルン、そしてニヤニヤ笑っているかぐや姫と親指姫くらいだ。

 

(これ、たぶん僕が何て答えるか期待してるんだろうなぁ……皆の期待に沿えるかどうかは分からないけど、正直に言うしかないよね?)

 

 何となく視線を隣に向けると、そこには頬を赤くしてちらちらとこちらを見やる赤ずきんの姿。皆の手前一見興味無さそうに振舞っているものの、その瞳は誰よりも期待に輝いていた。

 皆の前で自分の気持ちを打ち明けるのはなかなか気恥ずかしさを感じるものの、恋人のこんなに可愛らしい様子を目にしてしまえば何ら難しいことではなかった。

 

「うん、本気だよ。僕は赤ずきんさんのことが大好きだから、誰よりも近くでその力になって支えてあげたいんだ。まあ、僕にできることなんてもの凄く限られてるんだけどね?」

 

 ジャックがそう答えたところ、期待通りの答えだったのか血式少女たちは花のような笑顔を浮かべてくれる。

 もちろんそれは隣に座る恋人も同じ。見ればさも嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、今にも抱きつきたそうにうずうずしていた。まあ皆の前なので何とかその気持ちは抑え込んでいるようだが。

 

「そう……ジャックがそう決めたのなら、私も特に反対はしないわ。おめでとうジャック、赤ずきんさん」

「うん。ありがとう、アリス」

 

 にっこりと微笑み、皆と同じように祝福してくれるアリス。

 しかし何故だろうか。笑ってはいるが他の皆とは異なり、ジャックにはどこか寂しそうな笑みを浮かべているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ。皆僕たちのこと認めてくれて良かったぁ……」

 

 皆に自分たちの関係を打ち明け、見事認めてもらえた後。そのまま皆で普通に夕食を摂ったジャックは赤ずきんと共に部屋へと戻っていた。

 ちなみにここでいう部屋とは扉が直ったジャックの部屋のこと。赤ずきんの部屋は昼間の不幸な事故により扉が破壊されてしまったため、風通しが良くなりすぎて落ち着けなくなってしまったのだ。

 もちろん大好きな恋人をそんな部屋で過ごさせる気は毛頭無いので、扉が直るまで部屋に泊めてあげることは話し合った上で決まっていた。第一つい少し前まで同じように泊めて貰っていたのだから当たり前といえば当たり前だ。また一緒に同じ部屋で暮らせるためか、赤ずきんが嬉しそうにしていたのは言うまでもない。

 

「そうだね。何かいまいち信じてなかった奴らもいたけど、一発見せ付けてやったらもの凄い驚いてたしね。いやぁ、あの時のかぐやと親指の顔は傑作だったなぁ!」

「僕だって凄く驚いたよ。まさか皆の前でいきなりキスしてくるなんて……」

 

 赤ずきんは満面の笑みを浮かべているものの、ジャックは思い出しただけで顔が火照ってきてしまう。別にあれ自体が初めてのキスではなかったものの、皆の前でキスしたのは間違いなく初めてのことなのだから。

 

「あれは信じてもらうためだから仕方ないって言ったじゃん。ま、まあ……ジャックがあたしの恋人だってことをしっかり見せ付けて、他の子に取られないようにしておきたかったってのもあるにはあるんだけどさ……」

 

 笑みを浮かべていた赤ずきんだが、僅かに独占欲の滲んだ本音を吐露するにあたりぽっと頬を染めていた。おまけに恥ずかしそうに視線を逸らすという可愛らしい素振りつき。凄まじいまでの破壊力である。

 

(何であんなに大胆で積極的なのにこんなに可愛いんだろう。本当に赤ずきんさんは卑怯なくらい魅力的だなぁ……)

 

 そんな恥らう卑怯な魅力を持つ恋人の姿を眺め、微笑ましさと幸福感についつい頬を緩めてしまう。

 同じ部屋で一週間共に過ごした結果、今では完璧にその可愛らしさに魅了されてしまったわけである。

 

「あ、そうだ。ジャック、そういえばどうして告白があんたからってことにしたの? 本当はあたしからなのに」

「ああ、それは赤ずきんさんのためだよ。頼りになる皆のお姉さんが僕なんかに告白したなんて話すのは、お姉さん的にはちょっと良くないことだろうからね?」

 

 恥らう最中に思い出したように尋ねてくる赤ずきんへ、ジャックは迷い無く答える。

 真実を話しても皆がお姉さんとしての赤ずきんに幻滅しないことは分かっているものの、多少は何か思うことがあるかもしれない。だからこそジャックはそのお姉さんとしてのイメージを変えてしまわないよう、偽りの馴れ初めを口にしたのだ。

 その方が赤ずきんも喜んでくれると思っていたのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。極めて複雑そうな面持ちを浮かべていた。

 

「いや、あたしは別にそこまでは気にしないけどさ……」

「でも僕が本当のことを言ったとしても、他の皆はともかくきっと親指姫とかぐや姫は信じてくれなかったと思うよ。だから今はそういうことにしておくのが良いんじゃないかな?」

「うーん……何かいまいち納得いかないよ。本当は先に好きになったのも告白したのもあたしなのにさ……」

「まあまあ。皆の素敵なお姉さんでいるためにそれくらいは我慢しようね、赤ずきん? ほら、おいで?」

 

 不満そうな赤ずきんの姿を目にして、ジャックが取った行動。それはベッドに腰かけ、両腕を広げて甘えん坊な恋人を招くこと。

 赤ずきんは頼りになる皆のお姉さんだが、その中身はとても甘えん坊な可愛らしい女の子。この一週間で身を以ってそれを理解したからこそ、ジャックはそれを利用して我慢させるという手を思いついたのである。

 そしてその作戦通り、甘えん坊な恋人は抵抗するように躊躇いを見せながらも数秒もかからずに腕の中へと身を寄せてきた。

 

「ううっ……お姉さんなのに何でか丸め込まれてるよ、あたし……そしてそれが分かってるのに甘えちゃうあたしがいる……」

 

 悔しそうに呟きながらもジャックの胸に顔を埋め、背中に手を回してぎゅっと抱きついてくる赤ずきん。その可愛らしさにジャックは思わず微笑みを浮かべてしまう。

 

(本当に可愛いなぁ、赤ずきんさんは。お姉さんなのに子供みたいに甘えん坊で)

 

 今までは仮の恋人だったので多少は遠慮していたものの、本物の恋人となった今は何も遠慮することなどない。それに本物の恋人同士になった時に赤ずきんは言っていたのだ。キスしたいなら好きなだけキスさせてあげる、と。それなら躊躇う理由はどこにもない。

 

「んっ――」

 

 胸にべったりと頬を寄せていた赤ずきんの顔を上げさせ、ジャックはその唇を奪う。溢れる愛しさから、そして皆の前でいきなりキスしてきた仕返しも兼ねて。

 唇に伝わる瑞々しい感触に徐々に鼓動が高鳴っていくのを感じつつ、数秒ほどしてから口付けを終える。すると目の前には赤ずきんの幸せそうにはにかむ表情が広がっていたため、ジャックも同様の心地で微笑みを浮かべた。

 

「……ジャックがすっごい嬉しそうに笑ってる……いつもはあたしも嬉しくなるけど、今は何かちょっとムカつくなぁ……」

(あ、またちょっと不機嫌そうになった)

 

 ただ口車に乗せられ弄ばれている形だったせいか、赤ずきんは思い出したように頬を膨らませて腕の中から見上げてくる。

 しかし甘えながらも子供っぽくご機嫌斜めな表情をする姿がとても可愛らしく、余計にジャックの頬の緩みは深くなってしまう。それがまた気に入らないのか更に頬を膨らませる姿は、最早頼りになる皆のお姉さんとは思えないほど幼かった。

 

(こんな姿を見せてくれるのも僕のことが大好きだからなんだよね。照れるけどやっぱり嬉しいなぁ……)

 

 自分にだけ見せてくれる本当の姿に微笑ましさを覚え、思わず笑ってしまうジャック。今笑うと赤ずきんの怒りを逆撫ですると分かってはいたものの、卑怯なくらい可愛らしい恋人が腕の中にいるのだ。我慢することなどできるわけがなかった。

 

「……そうだ! ジャック、せっかく皆にあたしたちのこと認めてもらえたんだ。だから今度はお父さんにも報告に行こうよ!」

「えっ!? お、お父さんって、もしかして博士のこと!?」

 

 一瞬むっとした表情を見せた赤ずきんだが、次の瞬間恐るべき提案を笑顔で口にしてきた。育ての親とはいえ恋人の父親への挨拶という一世一代の覚悟を必要とするイベントを、笑顔というにはちょっと含みがありすぎる表情で。

 

「他にどのお父さんがいるってのさ。ほら、善は急げだ! 早速報告に行くよ!」

「ま、待って!? 幾ら何でもお父さんに挨拶は気が早すぎるっていうか!? 僕の心の準備もできていないっていうか!?」

「大丈夫大丈夫! お父さんだってジャックのことは認めてくれるよ。何せあたしが惚れた男だからね。さ、行くよ!」

「うわっ!? そ、そんな引っ張らないでよ、赤ずきんさん!」

 

 先ほどまでの仕返しのためか、それとも父親に交際を祝福してもらいたいのか、いてもたってもいられないという様子の赤ずきんに手を引かれ無理やり部屋から連れ出されてしまう。

 どうやらもう覚悟を決めるしかないらしい。どのみち遊びで赤ずきんと付き合っているわけではないのだから、遅かれ早かれその父親である博士への挨拶は避けて通れない道だ。

 

(で、でも、まさか本当の恋人になったその日に挨拶に行くなんて思わなかったなぁ……)

 

 しかしどうしても考えてしまうのはそのこと。両想いになったその日に父親へ挨拶しに行かなければならないことや、本当の恋人になる前に一週間も同じ部屋で暮らしたこと。そして告白される前にキスされてしまったこと。順番がおかしかったり明らかに早すぎたり、色々と変な所がある自分たちの関係について。

 今はまだ大丈夫だが、これ以上その調子が続くといずれ取り返しのつかない事態になるかもしれない。ジャックはこの時、漠然とそんな不安を感じていた。

 

 

 





 目が覚めたら隣に裸の恋人が。果たしてジャックは赤ずきんと致したのか、致していないのか。真相は後々。
 皆に関係を打ち明けたりからかわれたりするシーンは好きですが、他に想いを寄せていた子がその中にいる時はちょっと微妙な気分になりますね……ハーレムの方ではちゃんとイチャイチャさせるから許してください、幼馴染さん……。




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七日目のお風呂


 ジャックの回想の続き。残念ながら事の真相はまだ分かりません。単純に可愛い赤姉を書きたかっただけの回かもしれない……あと二章ではカットしてしまった部分の……。





 

「ふうっ。それにしても、博士への挨拶は凄く緊張したなぁ……」

 

 恋人の父親とも言える人物である博士への挨拶を何とか無事に終えたジャックは、未だ緊張に凝り固まっている身体を湯船の中で暖めていた。

 幸運なことに交際しているという事実を伝えても博士はあまり動じず、それどころか微笑んで祝福してくれた。関係を認めてもらえてジャックとしても嬉しい限りなのだが、予想外にあっさり認めてもらえてむしろちょっと拍子抜けしたほどである。

 

(まあすんなり認めてもらえたのは嬉しいんだけど、何だか一瞬研究対象を見る目をしているように見えたんだよね……)

 

 代わりにそんな危ない目で見られていた気がするものの、まあ仕方ないといえば仕方ない。

 ジャックと赤ずきんはお互いただの人間ではなく、血式少女と血式少年のカップルである。元々数が少ない血式少女、そして現状ジャック一人しか確認されていない血式少年、恐らくはその間でできた初めてのカップルなのだ。博士のような知識欲が深いタイプにとっては魅力的な研究対象に映ってしまうのは仕方の無いことだろう。

 

「……まあ、変なことを考えるのはやめておこうかな。それよりは僕と赤ずきんさんの関係を認めてもらえたことを喜ばないと!」

 

 そういった目で見られるのはあまり良い気がしないものの、関係自体は認めてもらえたのだからこれ以上注文を付けるのは贅沢と言うものだ。それよりは赤ずきんと周知の恋仲になれた喜びを謳歌することの方が何倍も有意義である。

 なのでジャックはその喜びを口に出し、細かいことを全て頭の片隅に追いやった所――

 

「――そうそう! これで晴れてお父さんにも他の子にも公認なんだし、認めてもらえたことを喜ぼうよ!」

 

 ――お風呂場に突如として赤ずきんが姿を現した。明るい黄色のビキニに赤のパーカーを羽織り、魅力的なスタイルを曝け出した恋人が。

 

「……いらっしゃい、赤ずきんさん。今夜も背中を流しに来てくれたの?」

「もちろん。それにしても、突然あたしがお風呂場に入ってきてもジャックは意外と落ち着いてるね。もしかして結構慣れてきた?」

「まあ、一週間も同じ展開が続いていれば段々とね……」

 

 しかし恋人がお風呂に突入して来てもジャックは比較的冷静でいられた。

 今晩を抜きにしても六日間。毎晩お風呂場に同じ姿で突撃され、あまつさえ何かあるかと身構えても背中を流して頭を洗うだけしかしてこなかったのだ。さすがに六度もそれが繰り返されれば、幾ら女の子に免疫の無いジャックでも学習するし慣れて来る。

 まあ最初の頃よりは動じていないだけで、依然として赤ずきんの水着姿にはドキドキしているのだが。

 

「んー、何かちょっと悔しいなぁ。最初はあんなに赤くなって可愛い反応してくれたのにさ」

「僕は可愛いって言われても嬉しくないなぁ……それより赤ずきんさん、別にもう僕の背中を流しにきたりはしなくて良いんじゃないかな? 元々自分を好きになってもらおうと思ってやってたことなんだよね?」

「あ、あはは……バレバレ、だったかな?」

 

 何気なく尋ねてみた所、ぽっと頬を染めて乾いた笑いを零す赤ずきん。仮にも男が入浴中に水着姿とはいえ乱入してくる時点で、何らかの理由や目的があるのは明白だ。不器用ながらも色仕掛けを行っているということくらい誰だって気が付くだろう。

 

「まあ最初はそうだったけど、今は純粋に楽しいからやってるだけだよ。何だかんだでジャックも喜んでくれてるみたいだしね?」

(喜んでないわけじゃないけど、赤ずきんさんスタイル良いから変な気持ちになっちゃうんだよなぁ……何とかして止めさせられないかな?)

 

 水着姿の赤ずきんは見ているだけでもドキドキするし、できることなら今までと同じく背中を流してもらいたいと思っている。

 しかしそれは叶えてはいけない願いだ。今までは本物の恋人同士ではなかったのでジャックもそれなりに自制心が働いていたものの、今や本物の恋人同士。おまけに赤ずきんの妹的存在の他の血式少女達も認めてくれているし、父親代わりの博士も公認の関係である。これだけお膳立てが整った状態である以上、ジャックもその場に雰囲気や衝動に流されないという確信は持てなかったのだ。

 

「あ、そうだ。そういえば赤ずきんさん、初めてお風呂に入ってきた時言ってたよね? もし百パーセント自分のことを好きになってくれるなら、水着無しで入るのも考えるって」

「え? あ、あー、そういえばそんなこと言ったような……」

「僕はもう赤ずきんさんのことが大好きになっちゃったんだし、まだお風呂に入ってくるならその言葉が嘘じゃないって証明して欲しいな?」

 

 赤ずきんを傷つけたくはないので、ジャックは自分から止めさせる方向に話を持っていくことにした。幾ら何でも水着無しでは抵抗があるのは間違いないのだ。ならばそこを上手く利用して自分から諦めさせれば良い。

 尤も驚くほど大胆な赤ずきんのこと。ただの水着無し程度では本当に実行してしまう可能性もある。だからこそジャックは心を鬼にして、できる限り嫌らしく最低な感じで笑いかけた。水着なしで入ってきたらたっぷり眺めて辱めてやるぞ、という感じの思いが伝わるように。

 相変わらずどこか非道な真似に走るようになった気がしないでもないが、全ては赤ずきんのためである。

 

「そ、それって……水着を着てたら、一緒に入っちゃダメってこと?」

「そうだね。ダメとは言わないけど、その時は赤ずきんさんのこと嘘つきだって思っちゃうかなぁ?」

「うぅっ! ジャック、今夜は何か意地悪だ……!」

「あははっ。何のことかな?」

 

 恥じらいに染まった頬を悔しげに膨らませ、じっと睨みつけてくる赤ずきん。そんな様子で睨まれても可愛いだけで正直困るし、本当に意地悪な行為というのはこの場で理性を投げ捨て襲い掛かることを言う。

 なので抱きしめたくなる可愛さからあえて目を逸らし、ジャックは赤ずきんの反応を待った。

 

「わ、分かったよ、もう……ジャックの意地悪……」

 

 そのまま十秒ほど経過した頃だろうか。赤ずきんは踵を返し、そんな捨て台詞を残して脱衣所へと戻って行った。

 目を逸らしていたし目をやった時にはすでに後姿だったのでどんな表情をしていたのかは良く分からないが、きっと諦めたに違いない。なのでジャックはほっと一息つき、安心して湯船に首まで浸かるのだった。

 

(これでようやく安心してお風呂に入れるや。いくら赤ずきんさんでもあれだけ嫌らしく笑われた後に水着無しで入ってきたりはしないはずだしね)

 

 ここ六日間は入浴時に毎回赤ずきんが突入してきたため、一人でゆっくりと羽根を伸ばすことはできなかった。

 しかしこれで今夜からは一人でゆっくりと入浴できる。少なくとも恋人の水着姿にドキドキして、男として抑えがたい身体的反応を頼りないタオル一枚で必死に隠さなくて済む。一応気付かれてはいなかったようだが、実はあまりにも心臓に悪い状況がずっと続いていたのである。

 

(赤ずきんさんの水着姿が見れなくなるのは残念だけど、ケダモノ呼ばわりされて嫌われたくは無いしね。いつかまた見られるって信じて今は諦めよう。うん)

 

 赤ずきんに嫌われてしまうかもしれないことを考えれば、不埒な願いを我慢することくらいわけはない。

 それに今や自分たちは本物の恋人なのだから、赤ずきんもきっとまたその内水着姿を披露してくれる機会もあるだろう。あるいは水着姿よりももっと凄い姿まで。

 まあ何にせよそれはまだまだ先の話。順調に交際を続けて想いを深め合ってからのことに違いない。だから今は我慢するしかない、ジャックはそう思っていたのだが――

 

「――ジャック……こ、これなら、良いんだよね……?」

「……えっ?」

 

 ――捨て台詞を残して退散したはずの赤ずきんが、何故か再びお風呂場に姿を現した。しかも先ほどの水着姿とは異なり、身体にバスタオルを巻き頭の上にタオルを乗せた状態で。

 一瞬見間違いかと思ったものの何度見ても赤ずきんはそこに立っているし、真っ赤な顔でバスタオルの胸元や裾を気にして引っ張る姿はどう考えても下に何も身につけていない。

 どうやら赤ずきんがどれだけ本気で想いを寄せてきているのかを大幅に見誤っていたらしい。ジャックは自分の見積もりの甘さに後悔を覚えると共に、とても深く思われている事実に場違いにも喜びを覚えてしまうのだった。

 

「あ、あんまり見ないでよ、ジャック……恥ずかしいよ……」

「あっ……! ご、ごめん!」

 

 消え入りそうな声で恥らう赤ずきんに対し、先ほどからずっと眺めていたことに気付いて咄嗟に目を逸らす。

 しかし男とはかくも意志の弱い生き物。目を逸らしはしたがどうしても気になってしまい、今にも視線を向けてしまいそうなほどである。バスタオル越しとはいえそれほどまでに赤ずきんの艶姿は魅力的に映っていたのだ。

 

(ど、どうしよう……今更ダメなんて言ったら勇気を出して水着を脱いだ赤ずきんさんに失礼だし、かといって本当のことを言ったら怒られそうだし……)

 

 赤ずきんも恥じらいで参って混乱しているのか、風呂場に足を踏み入れたその場所に立ち尽くしているようだ。湯船に浸かっているジャックは問題ないものの、赤ずきんの方はこのまま放っておいたら風邪を引いてしまうだろう。

 追い返すも好きなようにさせるも、早い所決めた方が賢明に違いない。

 

「え、えっと、その……恥ずかしいなら、無理しない方が良いんじゃないかな?」

「……本当言うと、無理はそんなにしてないよ。ジャックがあたしのことを立派に女の子として見てくれてることが分かって凄く嬉しいし、もう色仕掛けとか余計なことは気にしないで一緒にお風呂に入れるしね?」

(……そんな嬉しそうな顔されたら追い出すことなんてできるわけないじゃないか! 赤ずきんさんって本当にあざといよ!)

 

 どうもジャックに魅力的な女の子として見られていることが嬉しいらしく、頬を染めながらも満更でも無さそうな表情をしている。本当は驚くほど甘えん坊な赤ずきんのことだ。きっと恋人と一緒にお風呂に入るのも楽しく思っているのではないだろうか。

 

「んー……このまま突っ立ってるのも寒いしさ、あたしも一緒に入って良いかな?」

「えっ、あ、うん……うん?」

 

 反射的に答えてしまい、一拍置いて自分が何に対して頷いたのか疑問を抱くジャック。

 しかしその答えを考える必要など無かった。何故なら赤ずきんは行動で示したから。つまりはジャックが浸かっている湯船の中に自分も入り込んできた。

 

「……っ!」

 

 バスタブの縁を乗り越えようと赤ずきんが僅かに足を上げれば、バスタオルの裾から覗く太股に視線が釘付けになる。そうして湯船に足先を入れてゆっくりと身体を沈めていくと、水を吸ったバスタオルが肌に張り付いていくのは当然のこと。徐々に赤ずきんの身体のラインが浮かび上がっていく様子に思わずごくりと息を呑む。

 おまけに完全に湯船に浸かってしまうと、バスタオルが豊かな胸の膨らみを強調するように張り付いている光景までも目に入ってしまう。見てはいけないと分かってはいたが、ジャックは抗えずにその一連の光景を食い入るように見つめていた。

 

「あ、あのさ、ジャック……そんなにじっくり見られると、さすがにあたしも恥ずかしいんだけど……」

「え……あっ!? ご、ごめん!」

 

 そんな光景を見つめるジャックの姿がよほど危なかったのだろうか。赤ずきんは浴槽の反対側で自らの身体を抱いて隠し、怯えたように縮こまっていた。咄嗟に浴槽の中で背を向けたものの、どう考えても今更である。

 

(分かってはいたけど、やっぱり赤ずきんさんは大人っぽい身体つきをしてるなぁ……)

 

 出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。トレーニングで鍛えているせいか余計にそれが際立っていて、これはもう少女というより女性の身体つきである。はっきり言って心臓と理性に悪いほど魅力的だった。ずっと眺めていたら確実に何か良からぬ行為を働いてしまいそうなくらいに。

 

「……でも、良かったよ。あんなにじっくり見入るってことは、やっぱりジャックはあたしのことを魅力的な女の子だって思ってくれてるんだよね?」

「あ、当たり前じゃないか。別にわざわざ聞かなくたってそんなことは分かるよね?」

「聞かないと分かんないよ。だってあたし、さっきのあんたの様子を見るまでずっと自信なくしてたんだからさ。ジャック、水着の時だと思ったより動揺してなかったし……」

「別に動揺してなかったわけじゃないよ。ただちょっと思ったのと違ったっていうか、期待と違ったっていうか……」

 

 背後から赤ずきんの視線を感じながら、ジャックは背を向けたまま言葉を交していく。

 あれは間違いなくジャックを落すための色仕掛けだった。だからこそジャックも変な方向に期待を抱いてしまい、結果的にはそれが裏切られる形になったわけである。もちろん水着姿も魅力的ではあったが、いかんせんジャックは邪な期待を抱いてしまったので肩透かしを食らった気分は否めなかった。それが六日も続けばなおさらだ。

 

「期待って……ジャックはどんなの期待してたの? 水着で背中を流すだけじゃ色仕掛けっぽく無かったかな?」

「そ、それは、えっと……」

 

 問われるも素直に答えて良いものか悩んでしまうジャック。

 素直に答えれば微妙に軽蔑されそうな気がしないでもないが、さすがに嫌われたりすることはないだろう。自分から色仕掛けを行っていることを考えればそれは間違いない。

 

「む、胸を背中や腕に押し付けてきたりするとか、かな……?」

「……ジャックのケダモノ」

「うぅっ……」

 

 なので仕方なく素直に答えたところ、返ってきたのは非難するような小さな罵倒。否定したい所だったが赤ずきんの艶姿を目にして胸が高鳴っている現状では否定することはできなかった。

 

「でもそっか、あたしの色仕掛けは微妙に間違ってたんだね。なのに気付いたらジャックは落ちてたし、結局あたしの頑張りは何だったのかなぁ……」

「ま、まあ、頑張る赤ずきんさんも可愛かったから、別に無駄になったわけじゃないよ。でもやっぱり赤ずきんさんはいつも通りが一番だけどね?」

「いつも通りって言われても、それじゃあ全然ジャックを落せそうに無いと思うんだけどなぁ……ま、ジャックがそう言うならそれでいっか。ほらジャック、背中流してあげるから上がりなよ」

「う、うん……」

 

 いまいち納得していない感じに呟く赤ずきんに促され、ジャックは赤ずきんと共に湯船から上がる。

 もちろん六日間の経験からすでにタオルは腰に巻いた状態だ。とはいえ恥ずかしくないというわけではないので、背後から感じる赤ずきんの視線にはいまいち慣れないが。

 

「よーし、それじゃあ今日もたっぷり背中を流してあげるよ。でもまずは頭の方だけどね。ほら、まずはすすぐから目を瞑りな?」

 

 定位置に腰を降ろした途端、妙に楽しそうに言い放ちながらお湯を頭にかけてくる。その後はシャンプーをジャックの頭で泡立て、優しい手付きで髪を綺麗にしていく。

 その間ジャックは泡が入らないように目を瞑っていたのだが、ついつい気になって開けてしまう。正面には鏡が設置されているため、別に目を向けずとも背後の赤ずきんの様子を見ることができるのだ。

 幸いと言って良いのかジャック自身の身体や頭が視線を塞ぎ、濡れたバスタオルに包まれた赤ずきんの身体を拝むことは出来なかった。代わりに目にしたのは今にも鼻歌が聞こえてきそうなほど上機嫌な笑みである。

 

「いつも思うんだけど、僕の頭や背中を流してる時の赤ずきんさんって妙にご機嫌だよね? そんなに楽しいことなの?」

「そうだね。最初は結構恥ずかしさがあったんだけど、今じゃ楽しさの方が勝ってる感じかな。こうやってあんたの世話を焼いていると可愛い弟ができたみたいだしね?」

「か、可愛い……弟……」

 

 鏡写しにニッと笑いかけてくる赤ずきんだが、ジャックとしては微妙にショックな答えであった。以前までならまだしも恋人になった今も弟として見られていては、さすがに彼氏として自信が無くなってきてしまう。

 

「あっ、いや、別にジャックのことを可愛い弟みたいに思ってるわけじゃないよ? そりゃあ前まではちょっと思ってたけど、今は弟よりも一人の男だって思ってるし……弟よりも、彼氏でいて欲しいし……」

 

 しかしジャックがショックを受けていることを見抜いたらしく、すぐに訂正してくれる。それもぽっと頬を染めて実に女の子らしい恥じらいを見せながら。ジャック自身の身体が妨げになってバスタオル姿は見えないものの、その恥じらいの表情だけでも十分すぎるほどの破壊力だ。

 あまり眺めているとそれこそ博士に孫が出来たと報告しに行かなければならなくなることをやりかねないので、ジャックはもう盗み見るのを止めて素直に目蓋を閉じた。

 

「そうだね。弟に甘えるお姉さんなんて皆に示しがつかないもんね?」

「ひ、秘密だからね? あたしがあんたにもの凄く甘えてるってこと、バラしたら幾らジャックでも容赦しないよ?」

「大丈夫、バラしたりなんてしないよ。どうせ言ったって誰も信じてくれないだろうからね」

「それはそれで何か傷つくなぁ。あたしだって普通の女の子なのにさ……」

 

 皆に自分たちの関係を打ち明けた時のことを思い出しているのか、ぶつぶつと不満を零す赤ずきん。頭を洗う手つきも力が入って微妙に乱暴なものとなる。やはり自分が告白した側だということを信じてもらえなかったのは随分とショックだったらしい。

 

「あははっ。赤ずきんさん、普通の女の子は扉を一撃で蹴り壊したり、ベッドを放り投げたりなんてしないと思うよ?」

 

 そんな風に子供っぽく拗ねているのが可愛くて、ついついからかいの言葉を零してしまうジャック。

 恋人同士の触れ合いの一環程度の軽い冗談だったのだが、どうやら赤ずきんはお気に召さなかったらしい。

 

「……ジャックー? 世の中には言って良いことと悪いことがあるんだよー?」

「いたっ!? ご、ごめん、赤ずきんさん! いたたたっ!!」

 

 今まで髪を撫で洗っていた細い指先が、頭蓋に穴を開けようかというほどの力でぐりぐりと頭を苛んできた。驚いて反射的に目蓋を開けたところ、鏡に映っていたのは赤ずきんの爽やかな笑顔。ただし笑っていたのは口元だけで、瞳は全く笑っていない。

 仮にも相手は皆のお姉さんなのだから、冗談やからかいの内容には気をつけよう。背後の恐ろしい笑みを目にして、ジャックはそう心に決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、これで終わり! さっぱりしたかな、ジャック?」

「うん。わざわざありがとう、赤ずきんさん」

 

 頭の次には背中を流してもらい、ここ六日間のお風呂と同じ終わりを迎えるジャック。背中を流してもらった後は特に何もなく、ジャックは浴室から出て赤ずきんがそのまま入浴する。それがここ六日間のお風呂での流れであった。

 なので今回もジャックはその流れ通り、浴室から出るつもりだったのだが――

 

「どういたしまして。それじゃあ今度はあたしの番だね?」

「……えっ?」

 

 ――どうやら本物の恋人となった以上、これまで通りでは終わらせてもらえないらしい。思わず後ろを振り返った所、あろうことか赤ずきんはこちらに背を向けて頭の上に乗せていたタオルを取っていた。

 

「えっと……もしかして今度は僕が赤ずきんさんの頭を洗って、背中を流さないといけないの?」

「そうだよ。もうあたしたちは本物の恋人同士なんだし、一週間ずっとあたしばっかりしてきたんだ。だから今日からはジャックにもやってもらうよ?」

(きょ、今日からは!? それじゃあ明日も明後日もやらないといけないってこと!?)

 

 百歩譲ってこちらからもするのは別に構わないが、赤ずきんの格好が問題である。何せ今は水着無しでバスタオル一枚という無防備極まる姿。明日からもこんな格好で一緒にお風呂、なんてことがずっと続いたらジャックは自分を抑えられるかどうかが果てしなく怪しかった。

 

「ほらほら、早く早く。早くしないとあたしもジャックも身体が冷えて風邪引いちゃうよ?」

 

 しかも当の本人はそんな危険など全く感じていないのか、むしろ楽しげに身体を揺らして待っている。おまけに声音もかなりご機嫌であり、まるでジャックに甘えている時のような子供っぽさが感じられた。

 恐らく赤ずきんはこれを恋人同士の触れ合い、そしてジャックへ甘える行為と考えているのだろう。だからこそさっきまで見せていた恥じらいの様子が見られず、肩越しに向けられる瞳が期待に輝いているに違いない。

 

「はあっ……しょうがないなぁ、赤ずきんは。それじゃあすすぐから目を閉じてね?」

「やったー! ありがとう、ジャック! 大好き!」

 

 そんな目で見られては今更拒否することもできず、諦めたジャックは一つ溜息を零してからお湯で頭をすすいであげた。そしてシャンプーを手の平に二度ほど吹きかけ、それを赤ずきんの髪を撫でるようにして泡立てていく。

 

「どうかな、赤ずきん? 痛かったりくすぐったかったりしない?」

「全然平気だよ、ジャック。むしろ気持ち良いからそのまま続けて欲しいな?」

 

 いまいち加減や勝手は分からないが、この一週間頭を洗ってもらった経験が功を奏したらしい。赤ずきんは心地良さを声音に滲ませながら、聞き様によってはちょっとドキっとする言葉を口にした。

 状況が状況なのでジャックも微妙にドキッとしたが、すぐに煩悩は振り払う。少なくとも赤ずきんは今の状況を子供のように楽しんでいるわけだし、そんな穢れた想いを抱いていいわけが無い。

 

「全く、赤ずきんは本当に甘えん坊だね? 何だか今までよりも更に子供っぽくなってる気がするよ?」

「そりゃあそうだよ。だってまだ本当の恋人同士じゃなかったし、あたしもそれなりに遠慮してたんだからね」

「えっ? 遠慮してあれなの?」

 

 赤ずきんのその言葉に戦慄と驚愕がない交ぜになった複雑な感情を抱くジャック。

 遠慮していたと本人は言っているが、キスなどは抜きにしても二人きりだとやたらにくっつきたがっていたし、寝る時はベッドを隣り合わせてほとんど一緒のベッドで寝ているような状態であった。あれで遠慮している状態だったなら果たしてこれからはどこまで大胆に迫って甘えてくるのだろうか。

 

「……もしかして、今夜は一緒のベッドで寝たいとか考えてないよね?」

「う……」

 

 一つ思いついた考えを口にした所、頭を洗っている手の平にぴくっと反応が伝わってきた。どうやら完全に図星のようだ。一体どこまで甘えん坊なのか。

 

「駄目、かな? ジャック……」

「さすがにそれは駄目だよ。僕たちはまだ付き合い始めたばかりだし、一緒のベッドで寝るのはまだ早すぎると思うんだ。というか今一緒にお風呂に入ってるのもたぶんアウトだと思うなぁ……」

「こ、これはジャックのせいだよ! ジャックが水着脱がないと一緒に入っちゃ駄目って言うからじゃんか!」

「そ、それは……ごめん……」

 

 実際今この状況を招いてしまったのは間違いなくジャックの落ち度である。下手なことを言わなければまだ赤ずきんは水着を着ていたはずなのだから、少なくとも今よりは幾分マシな状況だったに違いない。

 

「ほ、ほら、そんなことよりもう洗い終わりだよ? すすぐから目を閉じてね、赤ずきん?」

「んっ……」

 

 まさか出て行くことを期待して口にしただけとは言えないため、ジャックは早々に話を切り上げることにした。ついでにお湯で赤ずきんの髪から大量の泡を洗い流し、この時間も終わらせることにする。

 理性を働かせてしっかり我慢しているが、今赤ずきんはバスタオル一枚という非常に無防備な状況なのだ。あまり長い間この状況が続くとどうなってしまうか分からないし、ここらが潮時という所だろう。

 

「よし、これで終わりだね。それじゃあ僕はもうあがるから、赤ずきんさんはゆっくり暖まると良いよ」

 

 内心の不安はおくびにも出さず、赤ずきんにそう声をかける。できればもうちょっとだけ湯船で暖まりたいところだが、そうなるとまた赤ずきんと一緒に入浴することになりそうなので止めた方が懸命だった。

 

「……ジャック、背中はしてくれないの?」

「えっ!? 背中もなの!?」

「だ、だってあたしがやってあげたんだから、ジャックだってやってくれないと不公平だよ」

 

 しかし赤ずきんの方はまだ終わりとは認めてくれないらしく、どことなく寂しそうな瞳で肩越しに振り返ってきた。

 確かに言いたいことは分からないでもないし、赤ずきん本人はこの時間を心から楽しんでいるのだから続けて欲しいのも理解はできる。

 

「で、でも、その……赤ずきんさん、バスタオルがあるから……」

 

 とはいえ赤ずきんは身体にバスタオルを巻いた状態だ。そんな状態では背中を流すことは出来ないし、できる状態にしてもらうのもそれはそれで問題がある。

 なのでジャックは答えに迷い言葉に詰まってしまったのだが、どうやらそれが間違いだったらしい。

 

「あ、そ、そうだよね。じゃあ……これで、良いかな?」

「――っ!?」

 

 あろうことか自らバスタオルをはだけてしまう赤ずきん。

 はだけると言ってもこちらに背を向けて座っているので見えてはいけないものは見えなかったが、代わりに背中側は大胆に曝け出されていた。首元からお尻に至るまで白い肌が余す所無く、大人っぽいきゅっとくびれたウエストや柔らかそうなお尻の形もはっきり分かるほど。

 そんなもの凄い光景を目にして冷静でいられるわけがなく、ジャックは胸を高鳴らせながら食い入るように肌を見つめてしまった。恥ずかしそうに頬を染めて控えめな視線を向けてくる可愛らしさも、魅了されている原因の一つである。

 

「あ、あのさ……さっきも言ったけど、そんなじっくり見られるとさすがにあたしも恥ずかしいよ……」

「……はっ!? ご、ごめん赤ずきんさん! つい!」

「い、良いよ別に、そこまで気にしなくても。じっくり見られるのは恥ずかしいけど、ジャックになら、その――あっ、や、やっぱり何でもない……」

(ぼ、僕になら何!? 今何を言おうとしたの、赤ずきんさん!?)

 

 思わせぶりな所で言葉を切ってしまう赤ずきんに対し、微かな期待と大いなる戦慄に支配されるジャックの心。

 とはいえ赤ずきんの本心がどんなものであろうとも、勇気を出して肌を晒したことだけは確かだ。そんな勇気と覚悟と素晴らしいものを見せてもらっておいて、無視してお風呂から出て行くなど当然許されない行為である。

 そんなわけでジャックは高鳴る鼓動と興奮に支配されそうになりながらも、必死に理性を保って背中を流してあげるのだった。大人っぽいスタイルと反則的な可愛らしさを持っている癖に、正に子供のように甘えん坊な困った恋人の背中を。

 

 

 

 

 

 






 博士に挨拶のシーンはカット。あの人は絶対表向き祝福しながら裏では『血式少女と血式少年の間にできた子供はその特性を受け継いでいるのだろうか』とか色々考えているに違いない。
 2の特典のお風呂ポスターの赤姉を見る限り、かなりメリハリのあるボディで白雪姫とはまた違った方向で男受けが良さそうなんですよねぇ……ジャックは大丈夫かな……。





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事の真相


 ついにジャックが大人の階段を登ったのか否かが分かるお話。
 しかしあんなエッチな身体つきをした赤姉が恋人だったら、我慢できる人はいるのだろうか。私なら我慢できずに何かやらかす自信があります……。




 

 

 

「あははっ、ジャックぅー!」

「全くもうっ、あの赤ずきんさんがここまで甘えん坊だなんて思わなかったよ……」

 

 入浴を終え、後はまったりと過ごす一時。ベッドに腰かけているジャックは横から甘えてくる赤ずきんの姿にもう何度目かも分からない呟きを零した。

 必死に意思を振り絞って堪えたおかげだろう。理性をがりがりと削られる二人で一緒にお風呂の時間であったが、何とか問題なく無事に終えることができた。尤も今夜のお風呂を乗り切れただけで、次回からも乗り切れるかどうかははっきり言って自信が無かったが。

 

「……本当に困った子だね、赤ずきんは?」

「ん……えへへ」

 

 そんな状況を招く困った恋人に呆れを込めた視線を向けて頭を撫でるが、当の本人は甘えん坊な所を指摘されていると思ったらしい。ほんのちょっとだけ居心地悪そうな笑みを浮かべると、可愛らしい笑いを零してジャックの膝に頭を乗せてきた。流れるような膝枕は完璧に甘えん坊な子供のそれである。

 

(……まあ、可愛いから良いや。うん)

 

 その微笑ましさと愛らしさに悩みなどどうでも良くなり、ジャックは明日の問題を投げ捨てて今は赤ずきんを可愛がることにした。この可愛らしさの前では何事も些細な問題だ。

 なので膝枕で幸せそうに瞳を細める恋人の頭を、愛しさを込めて何度も何度も撫でてあげる。その度に嬉しそうに頬を緩め、身を捩る姿がまた可愛らしい。とはいえ風呂上りの赤ずきんの服装は水着ほどではないが露出が多いため、首から下はあまり見ない方が賢明であるが。

 

「そういえば赤ずきん、君の部屋の扉はいつ直してもらえることになったの?」

「あー……それなんだけど、さすがにハルさんも怒っちゃってさ。しばらくは頼みごとを聞いてくれそうに無いんだ。今は機嫌が直るのを待ってるところだよ」

「ま、まあ、危うくベッドを投げつけられそうになったんだし、さすがに仕方ないよね……」

 

 扉が盾になってくれたおかげで無事だったとはいえ、一歩間違えれば大怪我してもおかしくない場面だったのだ。多少はハルも機嫌が悪くなるのは仕方のないことだろう。

 

「僕も一緒に謝るから、今度また一緒に謝りに行こう?」

「う、うん。そうだね。ジャックが一緒なら許してくれるかも……」

 

 ジャックの言葉に頷くが、どことなく歯切れが悪い赤ずきん。見れば微妙に視線も泳いでいる。どうやら許してもらえるか不安に思っているらしい。

 

「心配しないで、赤ずきん。きっと許してもらえるよ。何だかんだでハルさんはとっても優しいからね」

「いや、あたしは別に心配してるわけじゃないんだけどね。ただ、その……」

 

 安心させるために優しく語りかけたのだが、どうも別のことを不安に思っていたらしい。赤ずきんは首を横に振ると躊躇いがちの視線を膝の上から向けてきた。

 

「扉直してもらったら自分の部屋に戻らないといけないじゃん。せっかくまたジャックと同じ部屋で暮らせるようになったんだし、あたしはもうちょっとだけこのままでいたいんだ……」

「……赤ずきんさん、まさかわざと自分の部屋の扉を壊したわけじゃないよね?」

 

 うっとりとした表情で目を伏せ、膝に頬を擦り付けてくる。その甘えん坊極まる姿と非常にわがままな言葉に、ジャックは思わずそんな疑問を抱いてしまう。やたらに真っ直ぐで大胆なのに時々変に回りくどい赤ずきんならやるかもしれないと思ったのだ。

 

「いや、さすがにそれはないよ。あれはせっかくのキスを二回も邪魔されて、頭に来てついやっちゃっただけだからね。まあそのおかげでこうしてまたジャックと同じ部屋で暮らせるし、結果オーライってとこかな?」

 

 ただ今回は杞憂だったようで、膝の上からは何の悪意も企みも無い眩しい笑みが返って来る。

 勢いで人にベッドをぶつけそうになりながらここまで清々しい笑みを浮かべられる点にはちょっと問題がある気もするが、その笑顔に魅了されているジャックとしてはそこを指摘することはできなかった。

 

「そうだね。何だかんだで僕もまた君と一緒に暮らせることが嬉しいよ。でもいつまでも扉を直さないでずっと僕の部屋で一緒に暮らしてたら、さすがに皆もちょっとおかしく思うんじゃないかな?」

「うーん、そこが問題なんだよね。全部知ってるグレーテルはともかく、他にも鋭そうな奴がいるしなぁ……」

 

 一体誰のことを思い浮かべているのか、赤ずきんはどこか苦い顔をする。

 部屋の扉をいつまでも直さず、ずっとジャックの部屋で一緒に暮らす。そんな日々がずっと続けば勘の良い子なら絶対に何か不審に思うだろう。すでにジャックと赤ずきんが恋人同士なのは皆も知っていることだが、もしかしたら赤ずきんがジャックに甘えるために離れたがらないのだということに気がついてしまうかもしれない。

 

「だからやっぱりできる限り早く扉を直してもらって、自分の部屋に戻った方が良いと思うよ。皆のお姉さんとしては部屋の中でいっつも恋人に甘えてる、なんて思われたくないよね?」

「それは、そうなんだけどさ……うー……!」

 

 やはり甘える機会を逃すことが嫌なのか、小さく唸り声を上げながらジャックのズボンをぎゅっと掴んでくる赤ずきん。

 ここまで甘えん坊になってしまったのは生来の気質が原因なのか、それともジャックのせいなのか。

 

「大丈夫。赤ずきんが部屋に戻っても、僕が時々君の部屋に泊まりに行ってあげるから。それなら僕が皆に色々邪推されるだけだし特に問題ないよね?」

「本当!? うん、それなら問題ないね! ありがと、ジャックぅー!」

「あ、あははっ。もうっ、赤ずきんは本当に甘えん坊だなぁ……」

 

 そんな提案をした所、膝枕から飛び起きてぎゅっと抱きついてくる。

 胸と二の腕に広がる途方も無い柔らかさに少々頬が引きつり顔が熱くなってしまうものの、抱きつかれているおかげで顔は見られないのが不幸中の幸いだ。まあ柔らかい感触自体は不幸どころか大変幸福なものなのだが。

 

「……でもさ、ジャックはそれでいいの? 皆にはジャックの方からあたしに告白したって思われてるのに、この上甘えん坊だって勘違いされても。本当は全部あたしのことなのに……」

 

 そんな邪な幸福を感じている最中、赤ずきんが耳元で罪の意識を感じさせる呟きを零す。

 きっとジャックが皆にからかわれそうな嘘ばかり吐かせてしまっていることに罪悪感を感じているのだろう。確かに恋人に甘えてばかりの男と思われることに多少抵抗があるのは事実だ。

 

「そうだね。ちょっと恥ずかしいし少し思うところもあるけど、別に問題ないよ。どんな形でも君の力になれてるのが凄く嬉しいし、それに……僕が赤ずきんに夢中なのは事実だしね?」

「ジャック……」

 

 しかしジャックはそれを揶揄されようと構わないほど赤ずきんのことが好きで夢中になっている。だから何も気にする必要は無い、同じようにそう耳元で囁いた。

 きっと何よりも嬉しい言葉だったのだろう。ぎゅっと抱きついてきていた赤ずきんはその腕を緩めて僅かに身体を離すと、夢心地の微笑みを浮かべて真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

 

「……大好きだよ、赤ずきんさん」

「うん。あたしも大好きだよ、ジャック――んっ……」

 

 そして互いに想いを伝え合い、どちらからともなく唇を重ねる。

 風呂場で色々とやり場の無い感情が溜まったので触れ合わせ押し付け合うだけのキスは正直物足りなさを感じるものの、ジャックと赤ずきんはまだ恋人になったばかり。さすがにこれより進んだキスはまだ早い。

 それでも赤ずきんはとても満足気であり、キスを終えて見つめあっていると照れ臭そうに笑っていた。もちろんその可愛らしい笑みを目にしてジャックも笑ったのは言うまでもない。

 

「よし、それじゃあそろそろ明日に備えて休もうか。あたしは夜更かしくらい平気だけど、ジャックは明日に響きそうだからね」

「うーん、何か遠回しに体力無いって言われてる気がするなぁ……」

「気にしない気にしない。これからしっかりトレーニングして体力つけていけば良いんだよ。あたしも手伝ってあげるからこれから頑張ろ、ジャック?」

 

 そう言って今度は爽やかにカッコよく笑いかけてくる赤ずきん。

 可愛い所がたくさんあるのにカッコイイ所まであるのは本当に反則だ。しかもこれで驚くほど強いのだから余計に解せない。

 

「……うん、そうだね。ありがとう、赤ずきんさん」

 

 とはいえそんな女の子が自分の恋人なのだから、喜びこそすれ文句などどこにも無い。だからこそジャックは同じように笑いかけながら頷いた。

 

「どういたしまして。それじゃ、一緒に寝よっか?」

「えっ」

 

 しかしその次の言葉には頷くことが出来ず、むしろ驚いて目を見張ってしまう。どうやらお風呂場で言っていたことは冗談の類ではなく、本当に同じベッドで一緒に寝たいらしい。

 

「……赤ずきんさん、お風呂でも言ったけどさすがに同じベッドで一緒に寝るのは駄目だよ?」

「ええっ、何で!? ジャックはあたしに水着を脱がせたんだし、今度はジャックがあたしのお願いを聞く番だよ! じゃなきゃ不公平じゃん!」

「た、確かに不公平だけどそれだけは駄目だよ。それに元はといえば僕が入ってる時に赤ずきんさんがお風呂に入ってくるのが悪いんだからね?」

「むー……!」

 

 酷くショックを受けた表情で不公平と口にしたかと思えば、今度は恨みがましい目で睨みつけてくる赤ずきん。残念ながら迫力は全く無く、子供がわがままを通そうとしているようにしか見えなかった。

 

(そんな可愛い顔して睨まないで欲しいなぁ。一緒に寝たくなっちゃうじゃないか……)

 

 ただし無言のお願いとしては十分に効果的であった。頼りになるお姉さんの赤ずきんが子供っぽく頬を膨らませた姿はもう抱きしめたくなるくらいに可愛い。

 しかしその身体は最早大人の女性と言っても過言ではないので、そんな身体を抱きしめて眠りに付くのはジャックには明らかに荷が重かった。何より風呂場での時間がまだ尾を引いているため、何かやましいことをしないとも限らない。なのでジャックとしては断固として頷く気は無かった。

 

「……分かったよ。その代わり、明日も一緒にお風呂入ってくれるよね?」

 

 それを悟ったのか、諦めたらしい赤ずきんは渋々と頷く。ただし今度は震える子犬染みた不安げな瞳で見てくるという卑怯な真似をしてくる。そんな目で見られては全てをばっさり拒否することなどできなかった。

 尤も赤ずきんのことだ。きっと本人はそんな真似をしている自覚など全く無いに違いない。

 

「本当はそっちもアウトだと思うんだけど……まあ、水着ありなら構わないよ。もう赤ずきんさんが嘘つきじゃないってことは分かったからね」

「それならあたしも問題ないよ。これでまたジャックと一緒に楽しくお風呂に入れるしね!」

(赤ずきんさんが楽しくても僕の方は地獄なんだけどなぁ……はあっ……)

 

 ほんの僅かに頬を染めながらも、さも嬉しそうに満面の笑みを浮かべる赤ずきん。

 恋人の喜ぶ姿を見られたのはジャックとしてはもちろん嬉しい。しかし腰にタオル一枚の無防備極まる状態で、非常に目に毒な水着姿の恋人と過ごさなければいけないのはやはり辛いものがある。

 かといって幸せいっぱいの笑みを浮かべる赤ずきんに今更断ることができるわけもない。なのでジャックはそんな笑顔を眺めながら心の中で静かに溜息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ジャック、聞いても良いかな?」

 

 隣り合わせたお互いのベッドへと入り、部屋の灯りを消した後。僅かに離れた所で横になっている赤ずきんがどこか緊張した面持ちで口を開く。

 ちなみに赤ずきんの部屋にあったベッドは大破したので、今使っているのは使用されていない部屋にあったベッドだ。もしも代わりのベッドが無かったら赤ずきんにベッドを譲ってジャックは床で寝る気だったのだが、一緒に寝たがっていることを考えるときっとそれは許してもらえず、力づくでも同じベッドに寝させられることになったに違いない。それを考えると代わりのベッドを用意できたことは本当に幸運だった。

 

「うん、どうしたの?」

「その、ジャックはさ……恋人としてのあたしにどんなことを求めてるの?」

「えっ? いきなりどうしたの?」

「いや、いきなりじゃないって。だってあたしたち、もう本当の恋人同士なんだよ? その前からあたしはジャックに色々求めてたんだし、今度はジャックがあたしに何か求める番じゃないかな?」

 

 どこか恥ずかしそうに、それでいて何かを期待しているような表情で答える赤ずきん。

 確かに仮の恋人であった期間にはジャックはほとんど何も求めておらず、それでいて赤ずきんにはある程度好きなように求めさせた。さすがにまだ気持ちが分からないのにキスすることはできなかったが、代わりにたっぷり甘やかしたりはしてあげたのだから。

 赤ずきんの言う通り、本物の恋人同士になった今はジャックも何かを求めるべきだろうし、求めたってきっと罰は当たらない。

 

(うーん……でも、特別何か赤ずきんさんに求めることはないんだよね……)

 

 しかしジャックには赤ずきんに対して求めることが全く思いつかなかった。

 そもそも赤ずきんは飛びぬけて素晴らしい女の子。優しくて頼りになる、そしてとても強い女の子だ。にも関わらず子犬のような可愛らしさを持っているし、スタイルも十二分に魅力的。はっきり言って不足がないので何かを求める必要は欠片も感じなかった。

 

「そうだね、じゃあ強いて言うなら……赤ずきんさんらしくいて欲しいってことかな?」

「あたし、らしく?」

 

 だからジャックは自分の望みをそのまま口にした。 

 まあ本当の所は毎夜お風呂に突撃してくるのを止めて欲しい所なのだが、それを求めても頷いてくれないのは分かっているので意味が無い。

 

「うん。皆のお姉さんな立派で頼りになる赤ずきんさんらしく、僕に甘えたいだけ甘える子供っぽい赤ずきんさんらしく。どっちか片方だけじゃなくて、その両方の赤ずきんさんでいて欲しいな? 僕が好きになったのはどっちか片方だけじゃないから、どっちの赤ずきんさんも見ていたいんだ」

「ジャック……」

 

 皆のお姉さんであろうとする所も、ジャックに子供のように甘えてくる所も、どちらも赤ずきんの一面であることに変わりは無い。そして赤ずきんの色んな一面を目に出来るのはある意味恋人であるジャックだけの特権。だからこそ今のままでいて欲しい。

 そんな微かな優越感の滲む答えでも、赤ずきんにとっては最高に嬉しい言葉だったのだろう。夢心地の微笑みを浮かべ、どこか愛しそうにこちらに視線を注いでいた。

 

「うん、分かった。でもさ、本当にそれだけで良いの? このままじゃあたしばっかりあんたに色々貰ってるよ。もっと何かあたしに求めることって無い?」

(うーん……無いことは無いけど、さすがにそういうのを求めるのはどう考えても早すぎだよね……)

 

 しかしまだ何か求めて欲しいのか更に食い下がられ、思わず不埒な求めを考えてしまう。

 ジャックだって紛う事なき男の子なので、女の子の身体に興味が無いと言えば嘘になる。それも相手は他ならぬ恋人である赤ずきんだし、スタイルが抜群なのはお風呂や就寝前の格好で良く分かっている。むしろ大いに興味を抱いているのは人として、そして男として当然の成り行きだろう。

 

「ごめん、今はあんまり思いつかないや。何か求めなくたって赤ずきんさんと一緒にいられるだけで僕は十分幸せだしね」

 

 ただしいきなりそんなことを求めるのはどう考えても最低なのは分かっていた。何よりジャックは赤ずきんと恋人になってまだ一日も経っていないし、仮の恋人期間を入れても十日にすらならない。

 それなのに男女のアレコレを求めるなんて明らかに早すぎだし恥知らずだ。だからこそジャックは半分本当で半分嘘の答えを返しておいた。そんな答えでもしっかり頬を染めてくれるあたり、やはり赤ずきんは可愛らしくて堪らない。

 

「そ、そっか……なら思いついたらいつでも言いなよ? ジャックのためなら何でも応えてあげるからさ」

(何でも、かぁ。赤ずきんさんったら人の気も知らないでそんなこと言うんだからなぁ……)

 

 ジャックのケダモノな胸の内を知らない赤ずきんがあまりにも無防備、かつ朗らかに言うので思わず心の中で軽く毒づいてしまう。本当に赤ずきんは自分の魅力を理解しきっていないので困る。まあそんな所も可愛くてジャックはとても好きなのだが。

 

「ん? どうかしたの、ジャック?」

「ううん、何でもないよ。それより実は今ひとつだけ君に求めたいことを思いついたんだ。赤ずきんさん、おやすみのキスをしても良いかな?」

 

 その可愛さに愛でたい衝動が湧き上がってきたため、ついついそんなお願いをしてしまう。

 尤もすでにジャックと赤ずきんは本物の恋人同士。今更ただのキスで許しが必要な仲ではないし、今日だけですでに七回以上キスをしている。そのため赤ずきんは何の躊躇いもなく、むしろ嬉しそうに頷いてくれた。

 

「うん、良いよ。むしろあたしとしては毎晩寝る前には必ずして欲しいかな?」

「あっ、それは良いね。じゃあ今夜からは寝る前に必ずキスをすることにしようか?」

「賛成! 良い夢見れそうだよ、それ!」

 

 正しく子供のようにはしゃぎながら、ベッドの上で身を起す赤ずきん。

 そんな可愛らしい恋人の姿に微笑ましさと愛しさを胸に抱きつつ、ジャックも身体を起して隣のベッドへと身を乗り出した。その理由はもちろん決まっている。

 

「んっ――」

 

 当然ながら、おやすみの口付けを交すため。

 ほんの一瞬軽く唇を触れ合わせるだけだが、寝る前なのだからそれで十分だ。あまり長い間唇を重ねていると変な気分になってしまうので、どちらかというと夢見が悪くなってしまう気がしたのも理由の一つである。

 

「……おやすみ、ジャック」

「うん。おやすみ、赤ずきんさん」

 

 そんな一瞬のキスでも赤ずきんは満足だったらしい。再びベッドへと潜り込み目蓋を閉じてからも、幸せそうな微笑みを浮かべたままであった。あの様子ならきっと良い夢を見られるに違いない。

 自分のベッドに戻ったジャックはその幸せな夢をちょっぴり分けてもらうために、恋人の幸せいっぱいの微笑みを目に焼き付けてから目蓋を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……うん、僕は何もしてない! 間違いなく何もしてない!)

 

 長い回想を終えて朝に戻り、ついにジャックは自分が不埒を働いたわけではないことを悟った。

 ただし安堵を覚えつつもそこはかとなく残念な気持ちを抱いてしまっているあたり、やはりジャックも心の奥底ではもしかしたらと期待していたのだろう。あまり男らしくない所ばかりの自分も性別は間違いなく男なのだということは、ここ一週間で身に染みて理解している。

 

(でも、それじゃあ何で赤ずきんさんが裸で僕のベッドにいるんだろう……やっぱり自分で脱いで入ってきたってことかな? でも一体何のために?)

 

 ジャックと同じベッドで一緒に寝たがっていたから、ベッドに忍び込んできたことだけなら理解はできる。服を脱いだことも暑かったからだと考えればそれ自体は納得できる。

 しかしこの二つを一緒に行っていること自体は納得もできなければ理解もできなかった。一体何故、赤ずきんは裸でジャックのベッドに忍び込んできたのだろうか。

 

「考えてても仕方ないや、本人に聞いてみよう。悲鳴を上げられなきゃ良いんだけどなぁ……」

 

 どれだけ考えても答えは出ないし、何よりシーツで身体を覆っているとはいえ裸の赤ずきんがすぐ隣で無防備に眠っていることが落ち着かない。

 なのでジャックはやむなく赤ずきんを起すことにした。もちろん身体を揺り動かす手がよからぬ所を触らないよう、細心の注意を払いながら。

 

「赤ずきんさん。赤ずきんさん、起きて? 赤ずきんさん」

「……ん、んー……ジャックー? おはよー……」

「――っ!」

 

 しばらく身体を揺すって呼びかけた所、眠そうに目蓋を擦りながらも赤ずきんは目を覚ました。そしてあろうことか身体を起そうとしていたので、咄嗟に目を逸らすことで事なきを得る。

 まあジャックが目を覚ました時にはついうっかりシーツの下を覗いてしまったのだが、アレは不可抗力というやつである。

 

「お、おはよう、赤ずきんさん……えっと、とりあえず早く服を着て欲しいな?」

「えっ? 服って何のこと――って、うわああぁぁぁぁ!?」

 

 目を逸らしたまま控えめにお願いすると、一拍置いて自分の現状に気が付いた赤ずきんが驚きの声を上げる。どうやら寝起きで自分が一糸纏わぬ姿であることを覚えていなかったらしい。

 念のため更に数秒ほど待ってから視線を戻すと、そこには身体をシーツで覆い隠し真っ赤な顔だけを晒している赤ずきんの姿。あれだけ無防備かつ大胆に迫ってきた癖に、普通に恥ずかしがっているのがまた可愛らしくて本当にずるい。

 

「なっ、ななな、何であたし裸なのさ!? じゃ、ジャック、あんたもしかして……!」

「ち、違うよ! 僕は何もしてないよ! 赤ずきんさんが服を脱いで僕のベッドに入ってきたんじゃないの!?」

「………………あっ」

 

 謂れの無い罪を擦り付けられそうになったため言い返すと、数瞬の間を挟み何かに気が付いたような小さな声が返って来る。やはり赤ずきんが自ら衣服を脱いでジャックのベッドに潜り込んできたことは確実らしい。

 

「やっぱりそうなんだね。まあ一緒に寝たがってたからベッドに入ってきたのは分かるんだけど、どうして服を脱ぐ必要があったの?」

「いや、それは……成り行きというか、仕方なくと言うか……」

「まさかと思うけど赤ずきんさん、まだ僕を誘惑してるんじゃないよね? 僕が我慢できなくなって手を出すように、とか考えて……」

 

 答えられない理由があるのか顔を伏せてしまう赤ずきんに対し、そんな問いを投げかける。

 実際似合わなかったしちょっとずれていたが、赤ずきんがジャックに対し色仕掛けを行っていたのは事実なのだ。だからたぶんこれもその色仕掛けの延長、ジャックにずっと恋人でいてもらうための間違った努力に違いない。

 

「ち、違うってば! そんなこと考えてないよ!」

 

 しかし本人は認めず、力強く否定してくる。瞳が泳いでいたり声が裏返っていたりという分かりやすい反応は無いため、いまいち真実かどうか判別できない。

 

「本当に? だってお風呂に水着無しで入ってきたり、寝る時は凄く露出度の高い格好だったり、挙句の果てには裸でベッドに入ってきたよね?」

「お風呂はジャックが水着脱げって言ったからだよ! 寝る時の格好も前からこうだし、エッチなことは考えてないよ!」

「じゃあ、裸でベッドに入ってきたのは?」

「そ、それは……」

 

 そこを尋ねるとやはり言い淀む赤ずきん。

 ここは多少意地悪な真似をしないと聞き出せないようだ。少し胸が痛むもののこれから毎晩裸でベッドに入られるよりはマシなので、やむなくジャックはあえて意地の悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「赤ずきんさん、正直に話さないなら今日は甘えさせてあげないよ? あとキスとかも今日は無しにしちゃうからね?」

「えっ!? や、やだ! そんなのやだよ、ジャック!」

 

 途端に今の自分の格好も忘れてしまったかのように、必死の形相で身を乗り出してくる赤ずきん。

 それが原因で真っ白な深い胸の谷間が見えてしまったため、ジャックは再び目を逸らした。本当に赤ずきんは無防備で困ってしまう。

 

「そ、それが嫌なら正直に話そうね? どうして裸で僕のベッドに入ってきたの?」

「それが……あたしにも、良く分からないんだよ……」

「えっ? 分からないってどういうこと?」

 

 まさかの答えにジャックも少々目を剥いてしまう。一瞬嘘か冗談の類ではないかと考えたものの、赤ずきんの顔には自分でも分からないという困惑がありありと浮かんでいた。

 これは一体どういうことなのだろうか。まさか寝ぼけて服を脱いで入ってきたのだろうか。

 

「実は――」

 

 同様に困惑を隠せないジャックの前で、赤ずきんはぽつぽつと語り始めた。謎に満ちた昨夜の出来事を、どこか恥ずかしそうに頬を赤らめながら。

 

 

 

 

 

 





 残念ながらジャックは大人の階段を登ったわけではありませんでした。でもまあどうせその内登るので問題ないですよね。ジャック自身も高い所に登るのが好きですし。
 次回でついに赤姉の行動の理由が。とりあえず理由に予想が付く人は原作がとても大好きな人のはず。



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血式リビドー?


 三章最後のお話、赤姉の謎の行動の理由が明らかになります。
 これで赤姉のお話は残り一章(四話分)……思いのほか早くたどり着いたような気がしますが、たぶんそれは親指姉様の時はイチャつくのにやたら時間がかかったせいですね……。




 

 ジャックとおやすみのキスをして、再びベッドに入った赤ずきん。

 ジャックを自分の部屋に泊めている時はそのまま眠りについて、朝までぐっすりの夜を過ごしていた。今夜からはジャックの部屋に自分が泊まっているのだが、状況はさほど変わらない。だから今夜も赤ずきんは同じように眠りについた――

 

「……さてさて、ジャックはもう寝てるかなー?」

 

 ――ふりをして、実はまだ起きていた。

 確かに状況はさほど変わっていないが、赤ずきんとジャックの関係は大幅に進展している。何せ仮の恋人同士から本物の恋人同士になれたのだ。今までは仮の恋人だったので甘えるのはそれなりに抑え気味であったが、もう抑える必要などどこにもない。ならばこんな状況で何もせずにぐっすり眠るなどありえない。

 

「ジャックー、起きてるー?」

 

 充分に時を見計らった後、小声で隣のベッドに呼びかける。起きていたら困るのでしっかり確認はしなければならない。

 

「ん、ぅ……」

 

 名を呼ばれたことでジャックは多少反応を示したものの、寝返りを打ってこちらに背を向けただけ。どうやら目を覚ましたわけではないらしい。

 これならこっそり静かにすればバレないだろう。そう考えた赤ずきんはニヤリと笑い、身体を起してベッドから抜け出した。

 

「それじゃあベッドに入らせてもらうよ、ジャック。朝になってベッドにあたしがいることに気が付いたらどんな顔するかなぁ?」

 

 そして眠るジャックのシーツを捲り、いそいそと隣にお邪魔する。本当は甘えん坊な赤ずきんとしては、こんな風にジャックと一緒のベッドで眠るのも楽しみだったのだ。今までは仮の恋人だったから遠慮していただけである。

 とはいえ今は本物の恋人同士。もう遠慮も気兼ねも必要ない関係だし、ジャックはお風呂で一緒に入りたいなら水着を脱げという恥ずかしい命令をしてきたのだ。それならこれくらいのことをしても罰は当たらないはず。

 そんなわけで赤ずきんは計画通り、見事ジャックのベッドに忍び込むことに成功したのだが――

 

「あ、あれ? 何、これ……?」

 

 ――胸に湧き上がってきたのは大好きな恋人と同じベッドにいる喜びではなかった。

 正確に言えば確かにその喜び自体はしっかり感じている。ちょっとした気恥ずかしさもあるし、全く感じていないわけではない。ただそれらの気持ちを圧倒するほどに強く、別の感情が湧き出ていた。

 

「う、うぅ! な、何これ……何で……!?」

 

 赤ずきんの胸に湧き出てきた感情は、表現するなら落ち着かないという言葉が一番相応しいものであった。

 大好きなジャックがそれこそ温もりを感じられるほど近くにいるのに、何故かそんな感情を胸に抱いている。信じられない話だが胸の中である種病的なまでに強く湧き上がるこの感情は決して勘違いなどではなかった。

 

「だ、駄目だ! 我慢できない!」

 

 最初は堪えようと思ったものの一分も経たずに耐えられなくなり、堪らずベッドから飛び出す赤ずきん。

 すると身を苛んでいた謎の感情はまるで勘違いだったかのようにあっさりと鎮まった。しかし――

 

「ど、どうしてさ!? これじゃあジャックと一緒に寝れないよ!」

 

 ――ジャックのベッドにお邪魔すると、再びその感情がぶり返してくる。

 堪らずベッドから出るがそれでも諦めきれず、お邪魔しては飛び出るということを何度か繰り返してしまう。ジャックと一緒に眠れないというふざけた事実はもちろんのこと、まるでジャック自身に拒絶されているように思えて決して諦めきれなかった。

 だから赤ずきんは何度も繰り返し、何とか堪えようと頑張ってみたのだが――

 

「はぁ……はぁ……だ、駄目だ。無理だよ、これ……」

 

 ――その感情に打ち勝つことが出来ず、さじを投げて自分のベッドに座り込んだ。

 とはいえジャックと一緒のベッドで寝ることを諦めたわけではない。それは絶対諦めきれない。さじを投げたのは正面突破の力比べ的な方法を取ることそのものである。要するにこの感情の源を見つけ、原因を排除する方向に切り替えたのだ。

 正直な所こんな感情を抱く原因には全く心当たりが無いのだが、この感情自体は初めて感じた類のものではなかった。ある種病的なまでに落ち着かないその感情、あまり気は進まないものの確認のためにはやむを得ないと腹をくくり、赤ずきんは被っていたナイトキャップを外した。

 

「……うん、やっぱり何か似てる。この落ち着かない感じは一緒だよ」

 

 途端に襲い来る謎の落ち着きの無さをはっきりと感じて、一人納得する赤ずきん。

 先ほどから何度も感じていたのはこれと極めて似通った不思議な感情であった。血式少女が持つ特有の拘りである、血式リビドーによって抱くものと非常に似通っている。赤ずきんの場合は被り物を身につけていないと落ち着かないというもので、原因は自分自身でも分からない。ただ無性に落ち着かないのだ。

 赤ずきんが感じていたのは正にこの落ち着きの無さ。理由らしい理由も無いのにジャックのベッドに入っただけで異様なまでに落ち着かないのは、恐らく自分でも知らず気づきもしなかった血式リビドーが原因なのだろう。とりあえずジャックに拒絶されているわけではないと分かってほっとする赤ずきんであった。

 

「だとしたら後はどうすれば落ち着くのかが分かると良いんだけど……よし、もう一回試してみよう」

 

 この血式リビドーを落ち着かせる方法を探るため、赤ずきんはナイトキャップを被り直してからもう一度ジャックのベッドへと忍び込んだ。

 先ほどから何度も繰り返していることだが、幸いなことにジャックは未だ目を覚ましていない。きっと今日は色々あったから疲れて深い眠りに落ちているのだろう。赤ずきんにとっては好都合である。

 

「う、うぅ……やっぱ落ち着かないよ、これ……!」

 

 ジャックの隣へとお邪魔すれば、やはり謎の落ち着きの無さが押し寄せてきた。すぐさまベッドから飛び出したくなる赤ずきんだが、その気持ちを堪え胸の奥から湧き上がってくる感情に集中する。

 この感情は被り物を身に着けていない時と非常に良く似ているものの、どこかが微妙に異なっているのだ。その違いを理解することができれば、きっと落ち着くことも可能になるだろう。だから赤ずきんは今すぐベッドから飛び起きたくなる気持ちを堪えながら、自らの感情に向き合っていた。

 

(何だろ、これ……被り物が無い時に落ち着かないのは不安で堪らないからだけど、これは何か違うんだ。もっとこう、しなきゃいけないことをしてないから落ち着かない。今すぐしなきゃいけないことがあるっていう、使命感みたいな……)

 

 感情に向き合い、徐々に根源に近づいて行く赤ずきん。

 被り物を身に着けていないと落ち着かないのは、被り物が無いとどうしようもなく不安だから。つまり不安から来る落ち着きの無さだ。

 しかし今感じている落ち着きの無さは違う。例えるなら果たすべき大切な使命があるのに、それを果たせていない不完全燃焼な気持ちに似ている。今すぐそれをしなければいけないという逸る気持ちが落ち着きの無さの根底にあるとも言える。ではそのしなければいけないこととは一体何なのか。

 

(うーん……それは考えても分かんないなぁ。よし、こうなったら勘に任せて出たとこ勝負だ!)

 

 自分のすべきことは幾ら考えても分からないので、段々と考えるのが面倒になってきていた赤ずきんは勘に任せて適当にやってみることにした。

 ただ一部の血式少女の血式リビドーがある種本能的なものや反応だったりする所を考えるに、勘というよりは本能に任せるといった方が近いのかもしれない。そしてその考えが正しかったことはすぐに証明された。

 

「……あれ?」

 

 気が付けば赤ずきんは半ば本能的に行動を起していて、そのおかげか僅かながら落ち着きの無さが和らいでいた。

 尤もそれ自体にあまり疑問は感じない。被り物を身に着けていないと落ち着かないという良く分からない血式リビドーを持つ赤ずきんだ。今更多少おかしな血式リビドーに目覚めたとしても驚くには値しない。しかし――

 

「帽子を取ったのに、むしろ落ち着いてる……?」

 

 ――もともとの血式リビドーと相反するものなら、驚きや疑問を覚えるのは仕方ない。

 何せ被り物が無いと落ち着かないはずの赤ずきんが、ナイトキャップを外したのに何の問題も無かったからだ。むしろ新たな血式リビドーを満たしているのか、僅かに落ち着きを取り戻した自分さえ感じていた。

 

「それも不思議だけど、帽子を取ってちょっとマシになったってことは……そういうこと、なのかな?」

 

 ジャックと共にベッドに入っている状態で、身に着けていたものを取ったら少し落ち着いた。ということは単純に考えれば身に着けているものを全て取り除けば、完全に落ち着きを取り戻すことができるかもしれない。

 かなり恥ずかしい思いをすることになるのは分かっていたが原因は解明した方が今後のためになるし、何よりそうしなければジャックと一緒に眠ることはできなさそうだ。

 

「う、ううっ、仕方ないか。目を覚まさないでよ、ジャック?」

 

 覚悟を決めた赤ずきんは一旦ベッドから出ると、ジャックがまだ熟睡していることをしっかり確認してから衣服を脱ぎ始めた。もちろん下着だけ残したりはせず、全ての衣服をだ。最初は下着姿で止めておこうかと考えたものの、それでは完全に落ち着きを取り戻すことはできそうに無いためやむなく脱ぎ捨てたわけである。何度も何度もジャックが目を覚ましてこちらを見ていないかを確認しながら。

 

「うー、寒いし恥ずかしいし落ち着かないよ。それもこれも全部ジャックのせいだ……」

 

 被り物どころか布切れ一枚身に着けていない生まれたままの姿で、脱いだ衣服を折りたたんでいく。

 寒いのはともかく、被り物が無い状態なために酷く落ち着かないし、寝ているとはいえ隣にジャックがいるのに裸になっているせいで恥ずかしくて堪らない。この状態でジャックのベッドにお邪魔しても相変わらず落ち着かないなら、完璧に無駄に恥をかいて苦しんだだけである。

 

(これで何も変わらなかったらさすがにあたしも怒るよ! その時はイタズラの一つや二つはするからね、ジャック!)

 

 完全に八つ当たりだとは分かっていたものの、赤ずきんはそんな決意を抱きながらジャックのベッドへと忍び込んだ。まあイタズラと言っても寝ているジャックにキスしたり、頬を突っついてみるくらいのことなのだが。

 

「こ、これは……!」

 

 とはいえそんな決意は微塵も必要が無かった。ジャックのベッドにお邪魔しても、先ほどまでの落ち着きの無さを全く感じなかったからだ。やはり衣服を全て脱ぎ去ったことが正解だったらしい。

 

「うわぁ……何だか凄く安心できるよ、ジャック……」

 

 おまけに被り物を身に着けていないことに対する不安を覚えるわけでもなく、ただただ純粋に居心地が良く幸せであった。

 まあ大好きなジャックと一緒のベッドに入り、あまつさえ背中からぴったりくっついているのだから当然かもしれない。ジャックの方はパジャマを着ているものの、赤ずきんの方は一糸纏わぬ姿なので温もりも深く感じられる。これで幸せな気持ちにならないわけがない。

 

(でも、結局あたしの新しい血式リビドーってどんなものなんだろ?)

 

 恋人と一緒のベッドで眠るという念願の状況を実現できたものの、そこについては良く分かっていなかった。ベッドに入ることが問題となっているわけではないだろうし、誰かがすでに入っているベッドに自分も入るという状況が問題になっている可能性も低そうだ。

 前者が問題なら赤ずきんは一人で眠る時もあんな感じでなければおかしいし、後者にしても二人でベッドに入るという状況はこれが初めてというわけでもない。子供の頃は可愛い妹たちと一緒に寝たりもしたのだから、その時に同じ感情を抱いていない以上これが問題とは考えにくいだろう。まあシンデレラには追い返されることの方が多かった点は問題かもしれないが。

 

「ま、いっか。今はそんなこと気にしてないで、この瞬間を楽しまないとね。あははっ、ジャックぅ!」

 

 考えてもその辺りは分からなさそうなので、疑問は脇に放ってこの瞬間を楽しむことにする。後ろからぎゅっとジャックに抱きつき、その温もりを深く味わう。ちょっと胸が邪魔で密着し辛いがそこは我慢するしかない。

 

「ふああぁぁ……それにしても何か凄く眠くなってきたなぁ。でもこんな格好のまま眠ったら、先にジャックが起きた時に何されるか分かったもんじゃないよ……」

 

 大好きなジャックとくっついている安心感のためか、尋常でない眠気に襲われ欠伸を零す。

 見た感じではジャックは奥手な方に思えるが、お風呂では赤ずきんに水着を脱げという命令をしてきたケダモノなのだ。つまりは羊の皮を被ったオオカミ。朝起きて隣に裸の赤ずきんがいれば何かしらの行動を起さないとも限らない。まだ恋人になったばかりなのだし、そういうことはまだまだ早すぎるだろう。

 

「でも、凄く良い気持ちで眠れそうなんだよね……」

 

 しかしその危険性を差引いても大好きなジャックにくっついて眠る、というのは堪らなく魅力的である。何より被り物を身に着けていないのに安心感を覚えている今の状況も新鮮でかなり捨てがたい。

 

「そうだ! ジャックが起きる前に目を覚ませば良いんだ! うんうん、それならこのまま寝ちゃっても問題ないよね!」

 

 悩んだ結果そんな名案という名の言い訳を思いついたため、赤ずきんはそのまま眠ることにした。尤もどちらかと言えば欲望に勝てなかった、という表現の方が相応しいかもしれない。

 

「はー、やっぱり良い気持ちだ。できたら毎晩こんな風に一緒に寝たいなぁ……」

 

 ジャックの背中に縋り付くように抱きつき、顔を埋めて穏やかな心地に浸る。毎晩一緒に寝られたらそれこそ幸せな日々であるが、十中八九ジャックは頷かないだろう。

 しかしそれが何だというのか。すでに赤ずきんとジャックは想い合う恋人同士であり、大概のことに遠慮はいらない関係だ。何だかんだでジャックは優しいし嫌がっているわけでもなさそうなので、夜中にこっそりベッドに入ったって怒られたりはしないはず。

 

「それじゃあおやすみ、ジャックー……」

 

 そんなわけで例え断られてもこっそりベッドに潜り込んでやることを心に決めつつ、赤ずきんは目蓋を閉じた。

 ジャックの隣で眠れる嬉しさと安心感のせいで、寝過ごす可能性を全く考慮せずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ってことなんだけど、うっかり寝過ごしちゃったんだ。あはは……」

 

 シーツで身体を隠したまま昨夜の出来事を語り終え、赤ずきんは乾いた笑いを零す。

 どうやらジャックの予想通り、赤ずきんが自ら衣服を脱ぎ去りベッドに潜り込んできたらしい。とりあえずは自分が不埒な真似を働いてなおかつそれを覚えていないという最低な事態ではなかったことに安堵するジャックであった。

 

「赤ずきんさん……」

「ちょ、そんな疑わしそうな目で見ないでよ、ジャック! 全部本当のことなんだってば!」

 

 そして安堵の気持ちの次に浮かんできたのは疑念。

 途端に傷ついたような顔をされるが疑念を覚えるのも当然だ。今まで自分自身も知らなかった血式リビドーのせい、それもジャックと一緒のベッドに入ると発生するなんてあまりにも都合が良すぎる。

 

「そんなこと言われても、僕とベッドに入ると服を脱ぎたくなる血式リビドーなんて限定的すぎてちょっと信じられないかな……」

「し、信じてよ、ジャック! あたしは別にエッチなこととか考えてたわけじゃないんだってば!」

「そうは言われても……」

 

 顔を赤くして必死に否定する赤ずきん。どちらかといえばその反応は図星を突かれて焦っているように取れなくも無い。

 ただ赤ずきんは自分の魅力に関して無自覚というか無防備なのが分かっているので、裸でベッドに潜り込んできたのはそういった目的であるというのは考えにくいのだ。要するにジャックにはこれが本人の言う通り血式リビドーによるものなのか、それとも色仕掛けが目的なのか判断が付かなかった。

 

(確かに血式リビドーって理由は分からなかったり、普通の人から見ると変なものに拘ってたりするけど……さすがにこれは……)

 

 高い所に登りたい気持ちになったり、被り物を身に着けていなければ落ち着かなかったり、着飾っていなければならないと思ったり。血式リビドーとは傍目から見れば執着する理由も分からない拘りである。

 なので少しおかしい程度の拘りなら疑いは無いのだが、今回は明らかにおかしすぎる。ジャックと一緒にベッドに入ると服を脱がなければいけないように感じるなど、限定的過ぎて怪しさ抜群だ。

 

(あ、もしかしたら原因は僕自身じゃなくて僕の性別が男だからなのかもしれないな。男と一緒にベッドに入ったら服を脱がないといけない気になる、っていう血式リビドーならまだ納得はできるかな……?)

 

 まあ赤ずきんがジャックと一緒にベッドに入ることが条件と思っているだけで、厳密にはもっと条件があるのかもしれない。

 とはいえジャックにはその条件を確かめるために色々試してみるべきという考えは微塵も沸いてこなかった。理由は勿論、試すなら間違いなくジャック以外の男とベッドに入ってみるのが名案だと分かっていたから。幾ら何でも赤ずきんが別の男と一緒にベッドに入るというのはさすがにジャックも許容できない。男らしくない癖に一丁前に独占欲を感じているのは若干汚れている証なのだろうか。

 

「でも、エッチなことを考えてたわけじゃないのは分かってるつもりだよ。赤ずきんさんは凄く甘えん坊だから、ただ僕と一緒に寝たかっただけだろうしね?」

「んー……まあ、そこが分かってるならそれだけで良いよ。あたし自身もこんな血式リビドーがあるなんて今でも信じられないくらいだしね……」

 

 まだ不満はありそうな顔をしているが、一応納得した様子を見せる赤ずきん。どうやら本人の中でも血式リビドーによるものと断言できるかは若干怪しいものらしい。 

 

「まあ僕だって高い所に登りたいっていう良く分からないものだし、絶対に無いとは言い切れないと思うよ。だから赤ずきんさん、事情は分かったからとりあえずそろそろ服を着てくれないかな……?」

 

 そこまで言って、ジャックは再び赤ずきんから目を逸らす。

 しっかりとシーツを身体に巻いて縮こまっているため露出度自体は普段の格好よりも低いのだが、先ほど不可抗力で裸を見てしまったという事実がある。そのせいかシーツの上からでも妙に想像を掻き立てられてしまうのだ。寝起きということも相まって実に目に毒な姿である。

 

「あ、う、うん。そうだね。じゃあせっかくだし着替えてくるよ」

 

 赤ずきんも裸でいるのは落ち着かないらしく、シーツを身体に巻いたまま着替えを持って洗面所へと向かっていく。

 その際微かに覗いた太股の白さにドキリとさせられたジャックであるが、赤ずきんはいつも太股剥き出しの格好である。なのでそのことを冷静に考えて落ち着こうとしたものの、効き目は薄く胸は高鳴りを覚えたままだった。やはり裸を見てしまった事実が尾を引いているらしい。

 

(そういえばさっきまでの赤ずきんさんは被り物をしてなかったんだよね? それなのに平気で眠れたみたいだし、やっぱりこれは新しい血式リビドーなのかな?)

 

 胸の高鳴りを抑えるために考えを巡らせているとそこに思い至り、ジャックは本当に血式リビドーなのではないかという結論に至る。

 何せ赤ずきんは起きている時はもちろん、寝ている時も被り物をしているという徹底振りだ。お気に入りのフードに始まり、就寝時はナイトキャップ。ジャックの入浴中にお風呂に入ってきた時もフードつきのパーカーを着用していたあたり、普段はタオルを頭に乗せていたに違いない。

 そんな赤ずきんが被り物無しでぐっすりと眠れていたのだから、同じ血式リビドーによるものかそれ以上の執着によるものと考えた方が妥当だろう。とはいえ赤ずきんは被り物が無いとまるで別人のようにしおらしくなってしまうので、そんな変化を抑え込めるほどの執着があるとは思えない。やはり本人が口にした通り、新たな血式リビドーの可能性が高い。

 

(男と一緒にベッドに入ると、服を脱がないといけない気になる血式リビドーか……グレーテルか博士あたりと話してみたい気もするけど、グレーテルも一応女の子だから話し辛い内容だし、博士に至っては赤ずきんさんのお父さんだからなぁ……)

 

 本人は気にしないかもしれないが女の子であるグレーテルに対してその手の話題を口にするのはジャック自身が恥ずかしいし、博士に関しては論外である。まさか育ての親とはいえ父親に向かって『裸の娘さんと一緒に寝ました』などと言えるわけもない。下手に言い方を間違えると大変なことになるし、間違えなくても大変な内容である。

 

「――着替え終わったよー、ジャック。やっぱりジャックとベッドに入ってる時はフードが無くても平気だったけど、ベッドから出ると落ち着かないね。もう被り物が無くても大丈夫とかそういうわけじゃなかったよ」

 

 やがて着替えを終えた赤ずきんが若干残念そうな呟きを零しながら戻ってくる。被り物が無くても平気だったのはジャックと一緒にベッドに入っている時だけのようで、今はいつも通りお気に入りのコートを羽織っていた。

 

「そうなんだ。やっぱり本当に血式リビドーなのかもしれないね。それじゃあ僕も着替えてこようかな――って、赤ずきんさん?」

 

 自分も着替えを行おうとベッドから腰を上げようとするジャック。しかしその動きは真っ直ぐにこちらへ歩いてきた赤ずきんによって押し留められる。

 立ち上がるのを妨げられてベッドに尻餅をついたジャックが見たのは、真っ赤に頬を染めて恥じらいを露にした恋人の姿であった。

 

「ジャック。一つ聞きたいんだけどさ、あたしが寝てるのをいいことに変なことは……して、ないよね?」

「えっ!? あ、いや……して、ないよ……?」

 

 不埒なことはしていないと断言したかったのだが、ジャックには誤って赤ずきんの裸を見てしまった事実がある。そのせいで断言することもできなかったばかりか、目を真っ直ぐに見ることもできなかった。

 

「ジャックー? 何で顔を赤くして目を逸らしてるのかなぁ?」

「え、えーっと、その……」

「ジャックー?」

 

 そんな反応では後ろ暗い所があると言っているようなもの。事実詰問する赤ずきんの声音には微かに怒気が含まれてきていた。

 口にも出せないことをしたと決め付けられるよりは、素直に白状した方が幾分怒りも和らぐだろう。ジャックはやむなく自らの過ちを打ち明けることにした。

 

「赤ずきんさんが眠ってる時に……ちょっとだけ、裸を見ちゃった……」

「――っ!」

 

 途端に頬の赤みを耳の先まで広げる赤ずきん。自分が寝ている間に裸を見られていたらその反応も至極当然のものだろう。

 

「で、でも別に下心があったわけじゃないんだ! つい流れでっていうか、不可抗力っていうか、とにかく邪な気持ちで見たわけじゃなくて!」

「……でも、見たんだよね?」

「……うん」

「うわー! やっぱり見たんだ、あたしの裸……!」

 

 それは事実なので否定できず頷くジャック。

 直後に怒りの鉄拳でも飛んでくるかと身構えたものの、別段怒りの感情は見られなかった。むしろ赤ずきんは真っ赤な顔でただただ恥ずかしそうにうろたえるだけであった。きっと恥ずかしさが先行して怒りを感じられないのだろう。

 

「まあ不可抗力とはいえ裸を見ちゃったのは確かだから、僕はどんな罰でも受けるつもりだよ。ただ暴力的なのはちょっと勘弁して欲しいかな。赤ずきんさんに殴られたら無事でいられる気がしないし……」

 

 なのでまだ怒りを覚えていない今の内に予防線を貼っておく。タンスを引っくり返したり、ベッドを持ち上げ投げつけたりできる膂力を持つ相手に殴られて平気でいられるなどとジャックは微塵も思っていない。

 もちろん全力で殴ったりはしないだろうが、羞恥心のせいで力の調整を間違うこともありそうなので避けた方が無難である。骨の一本二本で済めばまだ軽いと言えるくらいだ。だからジャックはそれ以外の罰なら何でも受け入れるつもりでいた。

 

「……じゃあ、今夜も一緒に寝て良い?」

「えっ? いや、それは……」

 

 しかし赤ずきんが口にしたのは今夜も一緒に同じベッドで寝たいという甘えん坊な気持ち。どんな罰でも受け入れるつもりではいたものの、当然ながらこれには素直に頷くことはできなかった。

 

「赤ずきんさん、服を脱がないと落ち着かなくて寝付けないんだよね? それなのに今夜も僕と一緒に寝る気なの……?」

 

 赤ずきんは新たな血式リビドーのせいで、服を着たままでは落ち着きが得られずジャックと一緒に寝ることが出来ない。

 それでも一緒に寝たいというからには服を脱いで寝るつもりなのだろう。無防備かつ大胆な赤ずきんならそれくらいはやりかねない。そして実際、赤ずきんは首を縦に振って頷いた。 

 

「そ、そうだけど、それはジャックがあたしの方を見なければ済む話じゃん。確かに服を脱がないと落ち着かないんだけどさ、脱げば凄く安心できて幸せな気持ちで眠れるんだよ」

「で、でも、それってまた僕の隣で裸で寝るってことだよね? 僕に何かされるかもしれないって不安じゃないの?」

「そりゃあ不安が無いわけじゃないよ。でもジャックは不可抗力であたしの裸を見ちゃっただけで、それ以外は別に疚しいことはしてないんだよね?」

「も、もちろんだよ! 誓って僕は何もしてないよ!」

 

 今度は後ろ暗いことは何も無いため、しっかり目を見て断言するジャック。

 尤も他に疚しいことはしていないだけで若干疚しい気持ちを抱いたりはしたのだが、そこは関係の無い話だろう。第一あんな姿を目にして不埒なことを一切考えないでいられるほどジャックは不健康では無いし、女の子に慣れているわけでもない。

 そんな心の内は見抜けなかったようで、赤ずきんは多少不安気だった表情を安堵に染めた。

 

「うん、ジャックはそういう奴だよね。だからあたしはきっと大丈夫だって踏んでるんだ。それに……ジャックになら、別に嫌じゃないし……」

(な、何が嫌じゃないの赤ずきんさん!?)

 

 そのままぽっと頬を染め、伏し目がちに呟く赤ずきん。

 ジャックの隣で裸で眠ることか、それともジャックに裸を見られることか、あるいはジャックに不埒な行為をされることか。一つ目だったならともかく、残りの二つのどちらかだったなら理性に影響が出る結果になりそうだ。なので激しく気になったが追求するのは止めておいた。知らない方が幸せでいられることもある。

 

「まあそんなわけだから今夜からは一緒に寝よっか。ジャックの背中に抱きついて寝たらそれはもう幸せな気持ちで眠れたんだ。今から今夜が楽しみだよ!」

(待って!? 赤ずきんさんあんなに胸が大きいのに、その上裸で抱きついてくるの!? しかも今夜からって事は毎晩ってことだよね!?)

 

 幸せいっぱい期待いっぱいの魅力的な笑みを浮かべる赤ずきんとは対照的に、絶望と戦慄を覚えるジャック。

 赤ずきんは幸せにぐっすり眠れるのかもしれないが、大きくて柔らかな膨らみを背中に押し当てられるジャックは堪ったものではない。しかも裸なのだから余計に性質が悪い。

 一瞬また色仕掛けを行うつもりなのかと考えたものの、無邪気な笑顔からはそういった打算は微塵も感じ取れなかった。どうやら完全にジャックと一緒に寝ることだけが目的らしい。

 いっそのこと拒否すれば心配も不安も消え去るのだろうが、赤ずきんの至福に満ちた笑顔を前にしてはそんな残酷なことはできなかった。最近ちょっと悪い道に傾いてきていたジャックでも、あんな乙女のような笑顔を曇らせるなどという大罪は犯せない。

 

(うん。早くハルさんに赤ずきんさんの部屋の扉を直してもらおう。できる限り早く!)

 

 そのため同じ部屋で過ごさなくて済むように、可能な限り早く赤ずきんの部屋の扉を修理してもらおうと心に決めるジャックであった。

 さもなければ絶対その内、隣で眠る裸の赤ずきんに辛抱堪らず不埒な真似を働きそうだから。

 

 

 

 

 

 

 






 これから毎晩裸の赤姉と一緒に眠るジャックくん。最早拷問ですね、これは……。
 赤姉が裸になったのはジャックとベッドに入ると服を脱がなければいけないという謎の使命感が浮かんできたから、というのが理由でした。この理由は次章で説明するかもしれませんが、一部の童話に詳しい方々なら何となく察しはつくはず……。




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4章:オオカミと赤ずきん
限界間近



 ジャック×赤姉の最終章、第1話。だいぶ前から普通にカップルしているあたり、やっぱりツンデレっ娘とのカップリングって難しいんだなぁ、と改めて思いました。やっぱり素直が一番ってことかな? まあそれでもツンデレは好きなんですがね……。




 赤ずきんと両想いになり、晴れて本物の恋人同士となったジャック。実際の所は先に好意を向けてきたのは赤ずきんの方なので、晴れて本物の恋人になれた喜びは向こうの方が強いのかもしれない。

 何はともあれ、これでジャックと赤ずきんは正真正銘紛う事なき本物のカップル。他の血式少女達も祝福してくれているし、赤ずきんの父親とも言える存在である博士も公認の関係だ。喜びこそすれ、嘆くような理由はどこにもない幸せいっぱいの現状である。少なくとも傍から見れば。

 

「う、うーん……」

 

 だが当の本人であるジャックは現在精神的な苦痛を噛み締め、唸り声を上げていた。

 もちろん赤ずきんと恋人になったことが嬉しくないわけではない。他の血式少女達にも博士にも認められた事実も十分に喜ばしい。問題はもっと別の所にある。

 

「はぁっ……今日も良く眠れなかった……」

 

 寝不足に重い目蓋を擦りながら、ジャックは慎重に身体を起こしてベッドから抜け出る。

 時折枕もとの時計を眺めては目を瞑るという行為を繰り返し繰り返し行った結果、またしてもろくに眠れぬまま朝を迎えてしまった。血を使うという自分の役目上、ただでさえ貧血で倒れがちだというのにこの上睡眠不足まで抱えては本格的にマズイ。

 尤も眠れない原因が何なのかは最初から分かっている。ジャックは一つ溜息を吐くと、自分が今まで横になっていたベッドへと目を向けた。

 

「うーん……ジャックぅ……」

 

 そこにいたのは満面の笑みの寝顔を晒し、幸せいっぱいの寝言を零す肌も露な赤ずきん。

 そう、結局ジャックは一緒のベッドで寝たいという赤ずきんの願いを断りきれなかったのだ。そのままずるずると日々を過ごし、気が付けば早一ヶ月。寝不足なのは同じベッドに一糸纏わぬ赤ずきんが横になっている事実と、背中に赤ずきんの豊かな胸の膨らみがダイレクトに密着するのが原因である。

 もちろんジャックもこんな精神的な拷問は耐え難く、一緒には寝てあげられないと何度も言おうとしたのだが――

 

(こんな幸せそうな寝顔を見せられると、もう一緒に寝るのは駄目なんて言えないよね……)

 

 赤ずきんの寝顔があまりにも幸せいっぱいであり、その可愛らしい表情が陰る様を見たくないせいで一度も口に出来なかった。それが優しさなのか単なる腰抜けなのかはジャック自身も良く分からない。

 

(でも、いい加減何とかしないと僕も正直限界だ……寝不足とか、もっと別の意味でも……)

 

 しかしこのままではいけない、ということだけはジャックも理解していた。

 寝不足が探索に響いたら他の皆に迷惑をかけてしまうし、何よりいつまでもこの状況に耐えられるとも思えない。大好きな恋人が一糸纏わぬ姿を、それもかなりメリハリのあるスタイルを無防備に晒して隣で眠るのだ。今は何とか耐えられているが、その内襲いかかってしまわないとも限らない。ジャックだって一応は男なのだから。

 

「僕がこんなに苦しんでるのに、自分はこんなに幸せそうに眠ってるなんて……本当にずるいよ、赤ずきんさん……」

 

 恋人の苦悩も露知らずぐっすり眠っている赤ずきんへ恨めしさを向けながら、ジャックは静かに手を伸ばす。その手は赤ずきんの深い谷間が露になっている胸元へと伸び、そして――シーツを引き上げて胸元をしっかり覆い隠す。極めて目に毒な光景なのであまり長く見ているべきではない。

 

「ん、んー……」

 

 ただその動作でひょっとしたら胸を触られたように感じたのかもしれない。赤ずきんは小さな声を上げると、静かに目蓋を開いた。

 

「おはよー、ジャック……」

「……うん。おはよう、赤ずきんさん」

 

 そして眠そうに目を擦りながらあろうことか身体を起こそうとしたので、ジャックは咄嗟に背中を向けて事なきを得る。

 普段からかなり無防備な赤ずきんだが、寝起きの直後は頭がぼうっとしているのかそれに拍車がかかっている感じだ。恐らく背中を向けなかったら赤ずきんの裸体がばっちり目に入ってしまったことだろう。その証拠に背後からは多少慌てた声が上がった。

 

「んー、やっぱりジャックと一緒だとぐっすり眠れるね。何だか凄く良い夢も見られた気がするし」

「そっか。それは良かったね」

「裸にならないと一緒のベッドに入れないのは恥ずかしいけど、まあジャックなら何もしないって分かってるからね。最近は結構慣れてきたかな?」

「……赤ずきんさん、僕だって男なんだよ? もしかしたら赤ずきんさんが知らない内に、色々変なことをしてるかもしれないよ?」

 

 ちらりと背後に視線を向け、遠回しに自分を信用しないで欲しいという言葉を伝える。 

 視線の先ではしっかりとシーツで身体を覆っているものの、鎖骨のあたりや太股などは曝け出したままの目に毒な姿がそこにあった。ついでに恥ずかしそうに頬を染めている実に女の子っぽい姿が。

 

「へ、変なこと、してるの?」

「い、いや……してない、よ……?」

 

 若干後ろ暗い所が無いことも無いため、どこか疑問系で答えてしまうジャック。もう一月もこんな状況が続いているので、不可抗力でどうしようもない場面に遭遇したことはゼロではないのだ。尤もここで言うつもりは無かったが。

 

「な、なーんだ。じゃあ大丈夫じゃんか。正直ジャックにそこまでの勇気があるとも思えないしね?」

(ううっ! 赤ずきんさん、人の気も知らないで……!)

 

 ジャックだって本音を言えば襲い掛かりたいくらいだ。

 ただ相手が相手なので合意でないと確実に返り討ちにされるし、万が一にも赤ずきんを傷つけたり悲しませたりするようなことはしたくない。だから頑張って耐えているというのに。

 

「それじゃああたしはそろそろ着替えてこようかな。覗いちゃダメだよ、ジャック?」

「の、覗かないってば!」

 

 何故か定番となりつつあるやりとりをしてから、赤ずきんはシーツを身体に纏ったまま着替えを持って洗面所へと入って行く。しかもこの状況を楽しんでいるような悪戯な笑みを浮かべて。

 尤もその笑顔がまた魅力的で何も言えず、結局ジャックは堪えることしか出来なかった。

 

「はぁっ……こんなんじゃ絶対その内寝不足で倒れそうだなぁ……」

 

 この一ヶ月、一人になれる時間を見つけては眠り姫のように仮眠を取っているものの、今現在ジャックの部屋は赤ずきんと共同で使っている。そのため一人になれる時間もさほど多くは無いため睡眠時間も取れず、騙し騙し過ごしてきた日々もやはり限界が近かった。

 

「うっ……何か凄く良い匂いがして余計に眠れない……」

 

 赤ずきんが着替えている僅かな時間にでも休もうとベッドに身体を投げ出すが、すでにジャックのベッドにはやたら芳しい赤ずきんの香りが染み付いてしまっていた。残念ながらこんな嗅覚やら何やらを刺激する香りの中、ぐっすり眠れるほどの図太い神経は持ち合わせていない。

 諦めたジャックはすぐに身体を起こすと、座り込んで心底深い溜息を零した。

 

「はあっ……そもそもどうして赤ずきんさんは裸じゃないと僕と一緒のベッドに入れないんだろう? それが無ければ多少はマシなんだけどなぁ……」

 

 血式リビドーに理由を求めるのは若干間違っている気もするが、やはり内容が内容なので気になってしまう。それに理由が分かればもしかしたら対策が立てられるかもしれないのだ。

 そろそろ色んな我慢も限界なあたり、やれることはやっておくのが賢い対応かもしれない。

 

「うん、やっぱりグレーテルに聞いてみようかな。あ、でもその前にハルさんの所にも行ってみるべきかも……」

 

 ジャックの部屋の扉は部品が無くとも一週間程度で調達して直してくれたのだが、赤ずきんの部屋の扉は未だに壊れたままである。ベッドを投げつけられたことを根に持っているのだとしても、さすがにそろそろ怒りを解いてもらわなければ困ってしまう。主にジャックが。

 なので今日はハルとグレーテルの元を訪れ、話をしてみよう。そう予定を決定するジャックであった。もちろん隙があればどこかで仮眠を取ることも忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャック、何だかとても眠そうよ? 今朝は良く眠れなかったの?」

 

 何人か寝坊していたり、ぐっすり眠っていて起きてこない朝食時。

 睡眠不足はできるだけ表に出さないよう隠しているのだが、長らく共に過ごしていたせいか対面に座るアリスには目ざとく見抜かれてしまった。

 

「えっ、そんなことないよ? ただ今朝はちょっと夢見が悪かったからそのせいかもしれないね」

 

 しかし一応言い訳は用意してあったので、さほど焦ることなくそれを口にしておいた。

 とはいえ実際の所、夢見に関してはむしろ良い方だと言っても差し支えない。何と言っても寝るときは背中に非常に魅力的な柔らかさが広がっているのだ。眠れた時、それが夢の内容に影響するのは至極当然の成り行きと言える。まあ夢の内容に関しては口が裂けても言えないものなのだが。

 

「そう……もしかしたら疲労が溜まっているのかもしれないわね。なるべく早めに休んで、ゆっくり眠った方がいいかもしれないわ。寝る前に暖かい飲み物を飲むのも効果的と聞いたことがあるわよ?」

「そうだね。アリスの言う通り、なるべく早く休むことにするよ。まあそこは赤ずきんさん次第だけどね……」

 

 そこまで口にして、ジャックは自らの恋人に目を向ける。

 ただしその位置は隣ではなく、多少離れた席。赤ずきん自身はジャックの隣に座りたがるものの、皆のお姉さんでいたい赤ずきんのためにジャックが自主的に離れた席に座っているのだ。ジャック自身にとっては全然問題ないが、頼りになる皆のお姉さんが皆の前でも甘えん坊なのはあまり良くない。

 そしてその本当は甘えん坊なお姉さんは、今現在他の血式少女達に囲まれて恋のお話を繰り広げている所だった。もちろんそれは紛う事無く、ジャックとの恋のお話である。

 

「そういえば、もう一ヶ月になるんですよね。ジャックさんと赤姉様が恋人同士になって同じ部屋で暮らし始めてから。やっぱり一ヶ月もすれば色々とあったんでしょうか? そ、その、大人なこと、とか……!」

「自分で言っといて真っ赤になんのね、白雪……」

 

 その内容が段々とジャック自身無視できない内容になってきたため、こっそりと耳を傾ける。話の内容の五割は自分が関わっているはずなのに、盗み聞きしている気分なのは何故なのか。

 

「で、結局のとこどうなの赤姉? やっぱ何かあったんでしょ?」

 

 自分で口にしておいて頬を染めた白雪姫とは対照的に、さも愉快だと言いたげに笑って尋ねている親指姫。何だかんだ言って親指姫も女の子なせいか、その手の話題には心底興味があるらしい。

 

「そ、そんな二人のプライベートを聞き出すなんて非常識ですわよ! 不謹慎ですわ!」

「そんなこと言ってるけどどうせあんたも気になってんでしょ、シンデレラ? だってあの赤姉とあのジャックが恋人同士になったのよ?」

「そ、それは……まあ、気にならないと言えば嘘になりますけれど……」

 

 プライベートに容赦なく踏み込む質問にシンデレラが咎めるも、あっさりと丸め込まれていた。やはり恋のお話は気になるらしい。

 

「でしょ? それでそこんところどうなのよ、赤姉?」

「んー、そうだね。悪いけどあんたたちが期待してるようなことは特に無いかな。ジャックは基本奥手な奴だからね。あっちから何かしてくることなんて滅多に無いよ」

(そうだね! 主に赤ずきんさんから色々してくるもんね!)

 

 お姉さんらしく振舞うためか、どこかさばさばとした口調で言い放つ赤ずきんに心の中で叫ぶジャック。

 毎晩のようにお風呂に突撃してきて、毎晩のように裸でベッドに入ってくる。拒否すると果てしなく悲しげな顔をされるので、悶々とした気持ちを感じながら堪えるしかない。そんな毎日が続いていてすでに限界も近いというのに、こちらから何か行動を取ることなどできるわけがなかった。

 

「まあジャックさんですからね。自分のしたいことを恋人に強制したりなどという、相手の気持ちを考えないことはしないと私も思いますわ」

「そうですね。白雪もジャックさんなら誠実なお付き合いをすると思います」

「んー……私も否定はしないけど、それなら何でジャックが赤姉を射止めることができたのか不思議でなんないわ。ガンガン積極的に行く以外にどうやったら脳き――れ、恋愛に興味無さそうな赤姉を落せるのかしらね!」

(本当にそこは不思議だなぁ。僕は特別なことをした覚えは何もないんだけど……)

 

 ちょっと失礼な言葉を口にしかけて言い直す親指姫に、ジャックは改めて赤ずきんに好意を寄せられた理由を考える。

 ジャック自身は口説くとかそういうことなど何も考えず、ただ赤ずきんの力になるために頑張っていただけである。何せ向こうは強くてカッコよく、それでいて頼りになる皆のお姉さんだ。そんな憧れの人が今や恋人なのだから、人生というものは本当に不思議なものだ。

 

「あははっ。親指、今のは聞かなかったことにしてあげるよ。あたしはちゃんと男がいるから、少なくともあんたよりは恋愛経験も豊富な大人だしね?」

「うわぁ……赤姉に恋愛でマウント取られる日が来るなんて思わなかったわ……」

「事実なので言い返せないのがまた腹立たしいですわね……」

 

 さも経験豊富で大人なお姉さん的発言に対し、どこか敗北感染みた雰囲気を漂わせる親指姫とシンデレラ。何だか二人がちょっと可哀想な気もするが、これで赤ずきんの皆にとってのお姉さんらしさは不動のものになるに違いない。

 

「悔しかったらあんたたちも良い男見つけなよ。ま、ジャックくらいの良い男はそうそう見つからないだろうけどね?」

「わっ!? も、もうっ、赤ずきんさん!」

 

 素早く席を立ったかと思うと、突然背後から抱きついてくる赤ずきん。隣に座るわけにはいかなかったせいで触れ合いたい気持ちに辛抱堪らなかったのだろうか。ジャックには目で追えないほどの速度の動きであった。

 

「あははっ。抱きついただけで赤くなるなんて、ジャックは本当に純情だなぁ?」

(本当はそれが理由じゃないんだけどね!? ベッドでの感触を思い出すからなんだけどね!?)

 

 両肩のあたりに広がる女の子特有の柔らかさと弾力に、どうしようもなく顔が熱を持ってしまう。ベッドでの時と比べれば下着と衣服越しな分遥かにマシな感触だが、ここ最近はいっぱいいっぱいなジャックにはかなり辛い仕打ちであった。

 

「あーあ、赤姉があんな風に惚気るようになるなんて……人って変わるもんなのね……」

「な、何ですの? この圧倒的なまでの敗北感は……」

「わぁ……! 素敵です、赤姉様!」

 

 ただし赤ずきんのお姉さんらしさを見せ付けるのには十分な効果があったらしい。向けられる瞳はどれも尊敬に輝いていた。まあ何人かはその内の八割くらいが敗北感濃厚な感じであったが。

 

「どうするジャック? 皆の前でキスもしちゃおっか?」

 

 そんな妹達の姿を前にしながら、ジャックの顔を覗きこんでくる赤ずきん。その表情はお姉さん的な余裕が漂うものではなく、甘えたい気持ちを抑えてうずうずしている感じの残念な表情であった。まあジャック的には大変可愛らしくて素晴らしいのだが、今現在色んな感情を抑え込んでいるジャックとしてはあまりよろしくない。

 

「……いくら恋人同士でも、せめて食事中は控えるべきではないかしら。ご飯が冷めてしまうわ」

(うわっ、アリスが凄く怖い顔してる……)

 

 ちょうど目の前で触れ合っているせいか、アリスが酷く機嫌の悪そうな表情を浮かべて赤ずきんを睨みつける。ちょっと怖いがそのおかげで胸の中で荒れ狂っている感情は若干鎮まりを見せていた。

 

(それにしても、何か僕と赤ずきんさんが仲良くしてるとアリスの機嫌が悪くなる気がするなぁ……)

 

 この一ヶ月で分かったことなのだが、どうもアリスはジャックと赤ずきんが仲良く触れ合う姿を目にすると機嫌が悪くなってしまうのだ。色恋沙汰が嫌いなのかと考えた時期もあるものの、面と向かって文句を言われたことが無いどころかジャックが悩んでいるのを見ると相談に乗ってくれたことだってある。

 それなのに一体何故ここまで機嫌が悪くなるのか、その辺りは未だよく分かっていないジャックであった。

 

「おっと、それもそうだね。ジャック、悪いけどキスは二人きりの時にしよっか?」

「あ、う、うん。そうだね?」

 

 背後から顔を覗き込むようにニッと笑いかけると、そのまま席に戻って行く赤ずきん。

 何はともあれ首元に感じていた暴力的な質量と柔らかさが離れ、ほっと一息つくジャックであった。

 

(今は皆の前だからお姉さんとして振舞ってるけど、二人きりだとその反動みたいにべったりだからなぁ。いや、それはそれで可愛くて良いんだけど……うーん……)

 

 皆の前では頼りになるカッコイイお姉さん。ジャックと二人きりだと甘えたがりの女の子。そのどちらの赤ずきんにも好意を抱いているせいで、魅力は倍増という感じである。どちらかだけだったならジャックもここまで悶々としなくて済んだのだが。

 

「何だか浮かない顔をしているわね、ジャック。赤ずきんとの恋人生活に何か不満でもあるのかしら?」

「うわっ!? ぐ、グレーテル……」

 

 一つ溜息を吐いた直後、突如として横合いから声をかけられて飛び上がりそうになるジャック。

 見れば隣にはいつのまにかグレーテルの姿があった。グレーテルが神出鬼没なのはいつものこととはいえ突如この場に現れたのではなく、つい先ほどまで別の席についていただけなのでこれは隣に来られて気が付かなかったジャックが悪いと言える。

 

「別に不満なんてないよ。ただ、ちょっとだけ悩みがあるんだよね……」

「へぇ、それはとても興味深いわね。赤ずきんがあれだけ幸福に満ちた様子をしている反面、あなたはどんな悩みを抱えているのかしら。是非ともその内容が知りたいわ」

「好奇心を隠す気が全然無いよね、グレーテル。まあそれが君らしさなのかもしれないけどさ……」

 

 一見親身になってくれているように見えるが、眼鏡の奥の瞳は好奇心に輝いている。まあグレーテルが好奇心や興味も無いのに親身になってくれたら、それはそれで何か裏がありそうな気もするのだが。

 

「ふふっ、ありがとう。今のは褒め言葉として受け取っておくわ。それで、あなたは一体どんな悩み事を抱えているの?」

 

 ジャックの言葉に口角を吊り上げ、ちょっと怖い笑みを浮かべるグレーテル。あまり褒めたつもりは無かったものの好奇心旺盛なのは悪いことでは無いし、そのおかげで多くの知識を身に着けているからこそ相談相手には最適なのだ。

 

「本当は今ここで相談したい気持ちもあるけど、内容が内容だからね。できれば後で、二人っきりで話したいんだ」

 

 とはいえ話の内容は極めてプライベートで、また血式リビドーという血式少女の秘密にも関わりそうな話。できることなら誰の目も耳も無い所で話すのがベストだ。そんな意図を乗せた言葉を、ジャックはグレーテルの耳元で囁いた。

 

「……それは私と、秘密の内緒話をしたい、という解釈で良いのかしら?」

 

 察しの良いグレーテルはジャックの意図に勘付いたらしい。わざわざ『秘密』の『内緒話』という重複した言い方で、同様に囁きを返してきた。

 

「うん、その方が良いかもしれない話だからね。ただ僕はこの後ハルさんのところに行く予定があるから、相談はできればその後が良いかな?」

「ええ、そういうことなら私は部屋で待っているわ。なかなか面白い話が聞けそうで楽しみね」

 

 一瞬の内緒話を終え、囁くためにお互いに縮まっていた距離を取る。ほんの一瞬のことなので赤ずきんの話を聞いていたアリスたちは、ジャックとグレーテルのひそひそ話には気が付かなかったようだ。

 

「――ところでジャック、あなたの恋人がこっちを不満げに見ているわよ?」

「むー……」

 

 ただし、話の最中に幾度もジャックに視線を向けていた赤ずきんだけは気が付いてしまったらしい。ジャックとグレーテルが肩を寄せ合って仲良くしているように見えたのか、どこかご機嫌斜めな表情でじっとこちらを睨みつけてくる。

 一ヶ月も恋人として、しかも同じ部屋で過ごしていればジャックだってその感情が何のなのか理解できるようになる。端的に言えば赤ずきんはちょっぴりヤキモチを焼いているのだ。皆の手前、この場ではジャックにべたべた甘えたり触れ合ったりすることができないから。

 

(ああ、もうっ! 赤ずきんさんは本当に可愛いなぁ!)

 

 その魅力のせいで心底参っているというのに、どうしても恋人の可愛らしさに喜びを覚えてしまう。

 とりあえずハルのところへ行く前に、部屋で赤ずきんをたっぷり甘やかしてあげよう。そう心に決めてしまう、自分でも呆れるほど甘々のジャックであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん、今お仕事中ですか?」

「ん? いや、今は休憩中だ。何か用か?」

 

 朝食を終え、部屋に戻ってしばらく赤ずきんを甘やかした後。ジャックは兼ねてからの予定通り血式兵器製造所のハルの元へと訪れていた。

 もっと一緒にいたかったらしい甘えん坊な赤ずきんに肉体的にも精神的にも散々引き止められたものの、部屋を出てしまえばこちらのものであった。赤ずきんは皆から立派なお姉さんに見られたいので、さすがに部屋の外では甘えてこないからだ。まあ再び二人きりになった時はその分も甘えられるのだが、それは必要経費と割り切るしかないだろう。

 

「用と言えば用なんですけど……ハルさん、まだ赤ずきんさんの部屋の扉は直せないんですか?」

「あー、まだ部品が手に入らなくてな。悪いな、ジャック。もうしばらく我慢してくれや」

 

 しかし返ってきたのは未だ不可能というとても残念な答え。物資が不足気味なジェイルの中なので、物資が足らず修理ができないというのは別におかしな話ではない。

 ただ一ヶ月もの間、扉一つ直すことができないというのはさすがにおかしくはないだろうか。やはりハルは赤ずきんへの恨みから直そうとしないだけ、という可能性もある。まあ扉に突き刺さるほどの膂力でベッドを投げられては恨むのも仕方ないかもしれないが。

 

「その……本当に部品が手に入らないだけなんですか?」

「あ? どういう意味だ?」

 

 当然の返答、それも若干機嫌が悪そうな感じの声音。

 さすがにちょっとたじろいでしまうジャックだが、ここで引き下がってもいられない。すでにジャックの理性と我慢は限界ギリギリの所まで来ているのだ。可及的速やかに部屋の扉を直してもらい、また一人でぐっすりベッドで眠れるようにしなければ。さもなければそろそろ過ちの一つや二つ犯してしまいそうである。

 

「いえ、さすがに一ヶ月も扉一つ直せないのはおかしい気がするんです。ひょっとしてハルさん、実はもう直せるのに直そうとしないだけなんじゃないですか?」

「だから部品が足りねぇって言ってんじゃねぇか。大体そんな嫌がらせして俺に一体何の得があるってんだ?」

「それは、その……やっぱり、赤ずきんさんのことじゃないでしょうか?」

 

 どこか面白がる様子を見せたハルに対し、ジャックは多少躊躇った後に答える。正直なところ大人なハルが未だに怒りを引きずって嫌がらせを働いている、というのはいまいち信じられないのだ。

 ただし、信じられないだけでどうやら推測は正しかったらしい。数秒の沈黙の後、ハルは意味深に笑っていた。

 

「……はっ、バレちゃ仕方ねぇ。やっぱ予想外に鋭いとこがあるな、お前。いや、一ヶ月も経ってから真実に気付いたあたり、どっちかってぇと思ってたよりも鈍かったな」

「それはハルさんを信頼していたからですよ。だってハルさんがこんな陰湿な嫌がらせ染みたことをするなんて思ってませんでしたから……」

 

 その答えと表情についに確信を得たジャックは、若干幻滅したような気持ちになってしまう。さすがに一ヶ月も根に持ち女の子の部屋をちゃんと使えるように直してあげない、というのはちょっと酷い。

 

「陰湿、ねぇ。まあ下世話な真似をしてるのは否定できねぇな……それで? 真実を知って俺の信頼は地に落ちたってとこか?」

「別にそこまではいきませんけど、ちょっと子供っぽいなとは思いました。一ヶ月も前のことですし、赤ずきんさんだって悪気は無かったんですから、もうそろそろ許してあげても良いと思います」

 

 ベッドを投げつけた赤ずきんももちろん悪いだろうが、わざとではないといえ恋人とのキスを邪魔されたという理由あっての行動だ。実質的に部屋の扉とベッドそのものが大破したこと以外に被害は無かったし、その後赤ずきんは何度も謝ったらしいのだから許してあげるべきだろう。

 ジャックはそう考えていたのだが――

 

「……ん? ちょっと待て、ジャック。お前何の話をしてるんだ?」

「えっ? ハルさんがあの時のことを根に持ってて、赤ずきんさんの部屋の扉を修理しないって話じゃ……あれ?」

 

 ――何故かハルと話が微妙に噛み合っていない気がした。見ればハルも何かおかしいといった顔をしていた。

 

「おいおい、あの程度で根に持つほど俺はガキじゃねぇぞ。大体俺はアイツがもっとガキの頃からここにいるんだからな。あの頃に比べればしっかりとした理由があった分マシってもんだ」

(赤ずきんさん、小さい頃は結構イタズラっ子なところもあったのかな? って、そうじゃなくて――)

 

 思わず首を傾げてしまうジャックに対し、寛大な答えを返してくるハル。その答えは先ほどまでのものとは違い、疑いを微塵も抱く事無くすんなり信じられるものであった。要するに根に持っていた、というのはジャックの勘違いであったらしい。

 

「――じゃあ、赤ずきんさんの部屋の扉を直さないのには別の理由があるってことですよね?」

 

 そして今までの発言から考えるに、恨みや怒り以外に扉の修理をしない理由があるということ。勘違いしてしまったことは何だか気まずいし恥ずかしいが、そこに気付いてしまった以上後戻りする気は無かった。

 

「……ジャック、気付かなかったことにはできねぇか?」

「いえ、それはちょっと……」

 

 どうやら自分も勘違いして本来は話す気がない事実を口にしてしまったようで、ハルはどこか気まずげにそんな提案をしてくる。当然ながら提案を受け入れて忘れることなどできない。どんな理由があれ部屋の扉を直してもらわなければ、まだまだ赤ずきんと同じベッドで寝起きする生活は続いてしまうのだから。

 

「あー、ちくしょう。お前が紛らわしい言い方するから勘違いしちまったじゃねぇか……」

「ご、ごめんなさい?」

 

 自分は悪くない気もするが、とりあえず謝罪しておくジャック。話が噛みあっていなかったことに対してはともかく、ハルが根に持っていたと勘違いしてしまったことに対しての謝罪はしておくべきだと思ったのだ。実際は何ら疑うことなく、いつもの大人な男性のハルだったのだから。

 

「まあ、さすがにそろそろ誤魔化すのも難しくなってきてたからな。ここらで直接話しとくのも悪くねぇか。一ヶ月あって何も無かったなら発破もかけときたいしな」

「発破……?」

 

 奇妙な言葉に再び首を傾げるジャック。

 ハルは人目を気にするように周囲に何度か視線を向けると、まるで内緒話でもするかのようにゆっくりと顔を近づけてきた。

 

「ジャック、お前赤ずきんとどこまで行った?」

「えっ? どこまで行ったって、どういう意味ですか?」

「そりゃあ関係の深さの話に決まってんだろ。もうアイツを抱いたのか?」

「えっ、抱いたって……え、ええぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 直前の会話の流れ、そしてハルの面白がるような笑みから『抱く』の意味を理解したジャックは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。なるほど確かに関係の深さを知るにはそれを知るのが一番かもしれない。

 

「な、何てこと聞くんですか、ハルさん!」

「別に男同士だし構いやしねぇだろ。けどその反応からするとまだみたいだな。一ヶ月も同じ部屋で過ごしてるってのに、お前なぁ……」

 

 羞恥と僅かな怒りによる顔の熱さを感じながら怒鳴るも、返ってきたのはどこか呆れを孕んだ声。

 確かにジャックはもう赤ずきんと一ヶ月も同じ部屋で寝起きし、共に過ごしている。そして何故か裸の赤ずきんと一緒に寝るという良く分からない日々を過ごしている。普通に考えれば何か過ちの一つや二つあって然るべきかもしれないが、ジャックは何とかそれを意志の力で我慢しているのだ。ハルがすぐにでも赤ずきんの部屋の扉を直してくれたら、ここまで理性をすり減らすことはなかったはずなのに――

 

「ちょ、ちょっと待ってください! ハルさん、もしかして赤ずきんさんの部屋の扉を直さないのって……!?」

 

 そこまで考えた時、ジャックは恐ろしい想像に辿りついた。

 ハルが扉を直さないのは、嫌がらせ以外の何らかの理由があってのこと。そしてハルは実はとても優しく、何だかんだで面倒見も良い。ジャックと赤ずきんの関係も認めるどころかむしろ推している感じだ。そんな人物が企むことと言えば――

 

「そりゃあお前と一緒の部屋で暮らさせて、さっさと抱かせるために決まってんじゃねぇか。一ヶ月もありゃその場の雰囲気に流されていける場面もあっただろうに……」

(うわぁっ! やっぱり!)

 

 悲しいことに想像通りの理由であった。要するにハルはジャックと赤ずきんの関係を更に深いものにするため、あえて部屋の扉を修理せず同じ部屋で過ごさせていたのだ。

 

「い、いや、でもそんなことしてハルさんに何の得があるんですか!?」

「あー、俺自身に得はあんまねぇな。けどジャック、お前は一度抱いた女を捨てたりはしねぇだろ? ならさっさと抱かせればあのじゃじゃ馬は晴れて将来安泰になれるってわけだ。他の血式少女たちはともかく、あいつはお前を逃したら他に男が捕まりそうにねぇからな」

(ハルさんやっぱりとっても良い人だった! いや、でもこれは余計なお世話な気もする……!)

 

 正直に言ってしまえば明らかに余計なお世話である。とはいえ自分でも下世話なことをしていると口にしていたあたり、それを自分でも分かっていてやっているのだから性質が悪い。更にはハルの予想が間違っていないことも。

 

「まあそういうわけで、部屋の扉を修理して欲しかったらさっさとアイツを抱いてやれや。ていうか抱かなきゃ扉は直さねぇ」

「えっと……ほ、本気、なんですか?」

「本気に決まってんだろ。お前だって本当はあいつとそういう関係になりたいんじゃねぇのか?」

「そ、それは――」

 

 問われて反射的に否定しようとするものの、その直前に脳裏に浮かんできた光景に言葉が出てこなくなる。

 不可抗力で一瞬だけとはいえ、ばっちりと見てしまった赤ずきんの一糸纏わぬ姿。普段は服で隠れて見えない真っ白な肌に、適度に柔らかさと弾力を兼ね備えていそうな豊かな膨らみ、そして鍛えているせいなのかかなり目を引くウエストのくびれ。あんな抜群に魅力的な光景を思い出しては反射的に否定などできるわけもなかった。実際、ジャックはむしろ肯定さえしたい気持ちなのだから。

 

「ははっ。否定しないってことはやっぱお前も男なんだな、ジャック?」

「う、ううっ……!」

 

 そして答えられずに無言でいる様を肯定と取られてしまい、ニヤニヤと嫌らしい笑みを向けられる。

 事実なので反論も出来ず、ただただ恥ずかしい思いをするしかないジャックであった。

 

「つーわけで精々頑張れ。なーに、お前が迫ればあいつは嫌とは言わねぇよ」

「そんな簡単に済む話なら僕も苦労しないんですけどね……はあっ……」

 

 かなり楽観的な予想をするハルに対し、思わずそんな呟きを零してしまう。

 一番の問題は赤ずきんが裸でベッドに入ってくることでもなければ、それに対して抑えがたい感情を抱いてしまうジャック自身でもない。まるでジャックが襲ってくることは絶対に無いとでも確信しているように、心も身体も完全に無防備な赤ずきんが問題なのだ。

 あれが恋人への信頼故のものなのか、それとも心の準備はできているというアピールなのか。それが分からないこそ何もできずに堪えるしかないジャックであった。

 

 





 ハルさんの嫌がらせ(後押し)に苦しむジャック。しかしジャックに対して血式少女を抱いてしまえ、と思っている人は普通に大勢いそう……対象や人数に差異はあるかもしれないけど……。
 ちなみにスイッチ版メアリスケルター2はお金が無いので泣く泣く購入を諦めました。まあVITA版とPS4版がありますし、今年はFFCCリマスターやデート・ア・ライブ蓮ディストピアを購入しなければなりませんからね……。



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オオカミの決意


 ジャックと赤姉のカップリング、4-2。段々と終わりが近づいてきました。そしてまだ終わりを書いてないのに初夜のお話を書いている私がいる……まあ赤姉はエッチな身体をしているから多少は仕方ないね、うん……。



 

 

 

 

 あまり実りがなかったどころか、味方がむしろ敵に回ったことを思い知ったハルとの会話。

 まあハルなりの赤ずきんへの優しさから来ている行動なのはジャックも理解しているので、恨む気持ちは特に無かった。ある意味赤ずきんと恋人になれたのはハルの助力もあってのことなのだから、感謝こそすれ恨むのはお門違いである。

 そういうわけでジャックは当初の予定通り、今度はグレーテルの元へと相談に来ていた。そう、ついさっきまでは。

 

「あ、ここで話をするんだね……」

「ええ。ある意味では私たち血式少女の秘密に触れる話でもあるから、当然の措置ね」

 

 しかし気が付けば部屋の中ではなく、解放地区からも遠く離れた外の地に立っていた。グレーテルが誰にも知られたくない内緒話を始める時の、文字通り誰の目も無い場所である。

 

「血式少女の秘密……あれ? てことはグレーテル、もしかして理由が分かってるの? 赤ずきんさんが、その……裸で、僕のベッドに入ってくる理由……」

 

 予想外の対応に若干戸惑っていたジャックだが、不意にそこに気が付き冷静になる。

 グレーテルの部屋を訪れ相談があることを口にした時点で、当然ながらその内容も伝えている。とはいえ、それはあくまでも赤ずきんの行動を話しただけだ。赤ずきん自身の言い分や期間についてはまだ詳しく口にしていないにも関わらず、グレーテルは見当がついているらしい。

 

「ええ。だいぶ前に赤ずきんからも同じ相談を受けているもの。考える時間は十分にあったわ。尤も本人には適当に誤魔化しておいたのだけれど」

「それは、うーん……仕方ない、のかな……?」

 

 どうもグレーテルは黎明や血式少女の秘密に関しての話はジャックにしかしていない節がある。なので赤ずきんの行動の理由が血式少女の秘密に関わると言うのなら、本人に話せないのはある意味仕方ないことなのかもしれない。

 

(それにしても、赤ずきんさんはどこまで僕と自分のことをグレーテルに話してるのかな……?)

 

 どうも赤ずきんはジャックを落すためにグレーテルの知識を借りていたという話であり、その時の縁で未だに困ったことがあったり知識が必要な時は相談をしているらしい。

 一体どこまで自分たちのことを話しているのか、そしてグレーテルはどこまで自分たちのことを把握しているのか。怪しげな微笑みを浮かべているグレーテルの姿を眺めながら、ジャックは微かな不安を覚えていた。

 

「赤ずきんには話せなかったけれど、あなたには話しても良いことだから誤魔化しを考える必要がなくて助かるわ。適当な嘘を考えるのはとても大変だったから」

「赤ずきんさん、せっかく君を頼って相談したのに適当な嘘を言われたんだね……ま、まあ、可哀想だけど仕方ないからそれは置いておくよ。それでグレーテル、君は本当に赤ずきんさんの行動の理由が分かるの?」

「そうね、ある意味では分かると答えられるわ。ただ、あなたの望む答えは返せないと思うけれど」

 

 不思議な答えを返すグレーテルだが、何となくジャックはその真意を理解していた。

 ジャックが望んでいるのは正確には行動の理由ではなく、その行動を止めさせる方法だ。グレーテルは行動の理由が分かっているものの、止めさせる方法は分かっていないのだろう。あるいはそもそも存在しない、という可能性も考えられるがさすがにジャックもそれは信じたくなかった。

 

「そっか。じゃあ理由だけでも教えてくれると助かるな。やっぱり、赤ずきんさんの言う通り新しい血式リビドーが理由なのかな?」

「そうね、概ねそんな所よ。別に血式リビドーが血式少女一人につき一つ、などという決まりは無いもの」

「うーん……でも、君がそんな何の理由も無く断定をするとは思えないな。やっぱり何か確信があるんだよね?」

 

 グレーテルが勘や推測だけで断定するとは思えない。きっと何か自分自身が納得できるだけの根拠があるに違いない。そう思ったジャックが尋ねると、グレーテルは肯定するかのようにニヤリと笑った。

 

「ええ、もちろん。ジャック、あなたは覚えているかしら。以前私が話した、私たちと同じ名前の人物が登場する童話の話を」

「……うん。もちろん覚えてるよ」

 

 自分たちと同じ名前の人物が登場する、童話。そんな重大な話を忘れるわけがなかった。この場でその話題を出してくるということは、恐らく根拠は童話の内容に基づくものなのかもしれない。

 ついに赤ずきんの行動の理由が分かる嬉しさと、自分たちという存在の秘密を知ることができる緊張に、ジャックは自然と胸の鼓動を早まらせながら続きを待つ。

 

「詳しい話の内要は省かせてもらうけれど、赤ずきんと同じ名前の人物が登場する童話が存在するの。その童話の中で、赤ずきんは祖母に扮した狼に騙されてしまうシーンが存在するわ」

「そ、祖母に扮した狼? それは何ていうか、随分驚きの展開だね……?」

 

 狼が人に変装するとは随分突飛な展開である。グレーテルは詳しい内容は省くとは言ったものの、それを聞くとさすがに気になってしまうジャックであった。

 

「童話だから仕方ないわ。ちなみにこの狼、喋るわよ」

「しゃ、喋るの!? 狼が!?」

 

 更に続けられる衝撃の事実。人に変装する上に人語を解するとは、本当にそれは狼なのだろうか。実はやたらに毛深いだけの人間ということもあるのではないか。ますます内容が気になってくるジャックであった。

 

「ええ。そうして祖母に変装した狼のいる家へ、赤ずきんが訪ねてくるの。狼は赤ずきんを言葉巧みに誘導して、自分が隠れているベッドへと入らせるわ。でも赤ずきんを食べるためには、赤ずきんの着ている服は邪魔だったの」

「あっ、もしかして……」

 

 服が邪魔ならどうするべきか。答えは極めて簡単。ジャックは何となく展開を察した。

 

「ええ、あなたの想像通りよ。狼は赤ずきんに服を脱ぐように言って、裸で入ってこさせるの」

「うわぁ……ど、童話って結構過激なんだね……」

 

 童話とは子供向けの話であると聞いたことがあるジャックは、予想外の過激な内容に若干頬が熱くなるのを感じていた。これはむしろ狼が人間だった方がまずい展開である。

 

「まあこの話は童話というよりもその原典に近いものだから、性的に過激なのも頷けるわね。それより、ここまでであなたも何となく察しがついたんじゃないかしら?」

「う、うーん……赤ずきんさん、童話の話をなぞった行動をしてるよね? もしかして、血式リビドーって童話の話の内容をなぞる形の欲求や拘りなの?」

 

 どういった理由からかは分からないが、赤ずきんの行動や反応を考えるにそうとしか思えない。意識してやっているかどうか、そして赤ずきん本人がその童話を知っているかどうかはともかく、確かにこれはグレーテルが断定するのも頷ける状況だ。

 

「ふふっ。さあ、どうかしら?」

 

 しかし本人は意味あり気に怪しく微笑むだけで、頷きを返しはしなかった。当人もその理由は分からないのか、それとも知っていてジャックが自ら結論を出すのを待っているのか。

 

「いずれにせよ、童話の赤ずきんとあなたの恋人の赤ずきんでは行動に相違点があるわ」

「えっと……言われてもいないのに、自分から服を脱いで入ってきたこと?」

「それもあるけれど、一番の違いは逃げ出さないことね。童話の赤ずきんは何かおかしいことに気が付いて生理現象を催したふりをしてベッドから逃げ出し、そのまま家からも逃げ出すの」

「あれ? でも赤ずきんさんは……」

 

 比べるために思い出してみるも、そこだけは全く状況が異なる。ジャックの恋人である赤ずきんは自分から進んで服を脱ぎ、自らジャックのベッドに潜り込んでくる。それもほぼ毎晩だ。

 おまけにその状況をおかしく思うでもなく、むしろ裸でジャックと一緒のベッドに入っていると心底安心できるらしい。実際赤ずきんはそんな行動を取り始めてからというもの、羨ましく思ってしまうほどやたらにぐっすり眠っている。

 

「ええ、あなたの恋人は逃げて無いわね。むしろ毎晩、自分からベッドに入ってきているのでしょう?」

「う、うん……これってどういうことなのかな?」

「……そうね。根拠の無い推測で良ければ、話すことはできるわ」

 

 ジャックの問いに対して、一拍置いてニヤリと笑いながら答えるグレーテル。何だかあまり気が進まないものの、現状を打破するためには聞いておくべきことかもしれない。

 

「……一応、聞かせてくれるかな?」

「もしかすると、赤ずきんの行動はある種のメタファーなのかもしれないわ」

「メタ、ファー……?」

 

 あまり聞きなれない言葉を耳にして、ジャックは思わず首を傾げてしまう。

 メタファーという言葉は意味的には比喩に近いものだということくらいは分かっていたが、その言葉がどう赤ずきんの行動を説明できるのかは全く予想がつかない。そのためジャックはグレーテルの言葉の続きに耳を傾けた。

 

「狼はイヌ科の哺乳動物なのだけれど、狼という言葉をある種の比喩として用いることがあるわ。中でもとりわけ多いのは女性に対して不埒を働く男性、という意味合いの隠喩かしらね」

(狼……ケダモノとか、そういうのと同じ意味合いだよね?)

 

 とりあえず間違っても褒め言葉の類ではないし、言われたい言葉でも無い。こんな言葉で自分を表されるようにはなりたくないところだ。

 しかし、ジャックはまるで自分がその言葉をかけられているような心苦しさを覚えていた。そう、何故だか良く分からないが。

 

「実はこの童話も狼をメタファーとして捉えた話という説もあるのだけれど、さすがに私もそれが事実かどうかは知らないわ。けれどもしメタファーとして捉えた場合、あなたの恋人の方の赤ずきんの行動にも自然と意味が出てくるのよ」

「……ちょっと待って、グレーテル。も、もしかして……?」

「今までの状況から、赤ずきんにとってのあなたは狼に該当する存在なのは間違いないわ。だけど赤ずきんは逃げないばかりか、むしろ進んであなたのベッドに入って行く。あなたならここまで言えば分かるわよね、ジャック?」

「えーっと……その……」

 

 先ほどから薄々感じていた嫌な予感が半ば確信に変わり、それでも必死に否定しようと言い訳を探すジャック。

 しかし悲しいことに言い訳は全く見つからず、やがてグレーテルによって答えが紡がれてしまった。

 

「赤ずきんは、あなたに自分を食べて貰いたがっているんじゃないかしら? 狼さん?」

(ああ、やっぱりそういう話になるんだね……)

 

 グレーテルのからかい混じりの言葉と内容に、ジャックは自然と顔が熱くなっていくのを感じた。

 とはいえちょっと前に似たような話をされたせいか、内心ではさほど動揺はなかった。少なくともグレーテルは推論を述べただけであり、ハルのように赤ずきんを襲えと強く言いつけてきているわけではないことも理由の一つだ。

 

「意識的な行動か無意識的な行動かは定かではないけれど、可能性は高いと思うわよ。そもそもあなたたち、一緒に入浴さえする仲なのでしょう?」

「それは誤解だよ!? ていうか赤ずきんさん、そんなことまで話してるの!?」

「ええ、もちろん。それが私が赤ずきんに協力する条件だもの」

(グレーテルには悪いけど……赤ずきんさん、もしかして体よく利用されてるだけなんじゃないかな……?)

 

 自分の知識欲と好奇心を満たすために、赤ずきんの恋心を利用している。そんな考えが思い浮かんだものの、さすがにグレーテルもそこまで酷い子ではないはずだ。実際赤ずきんに何らかの知識を吹き込んでいるのは事実なのだから、あくまでもこれは取引だろう。尤もあまり公平ではないのかもしれないが。

 

「こう考えると色々辻褄は合うでしょう? 尤も相手があの赤ずきんだから、何も考えていないという可能性も無くは無いのだけれど」

「つ、つまり、僕はどうすれば良いの?」

「あら、そんなことは分かりきっているじゃない。赤ずきんを襲って食べてしまえば良いのよ」

「それって、もしかしなくても食事とは違う意味だよね……?」

 

 恥ずかしげも無くさらりと口にしたグレーテルに、ジャックは恥ずかしさが微妙に和らぐのを感じた。まああくまでも微妙にな上、実際の所は恥ずかしいことこの上ない話題なのは確かだ。

 

「ええ。そういう意味で口にしていたのだけれど、分かりにくかったかしら? それならもっと分かりやすく言い直しましょうか?」

「い、いや、いいよ! 十分分かったから!」

「そう。それじゃあ赤ずきんを食べるのかしら?」

「えぇっ!? い、いや、それは……」

 

 首を傾げるグレーテルに対し、二の句を迷ってしまうジャック。

 本音を言えば赤ずきんを食べてしまいたい。それは紛うことなき事実だ。ジャックとしてもその気持ちを否定するつもりはない。何故なら愛する少女と深く触れ合いたいと思うのは、きっと男として当然のことだからだ。

 

「あら、食べないの? 食べてしまわないと、赤ずきんは毎晩あなたのベッドに裸で忍び込んでくると思うのだけれど」

「それが嫌だからって食べちゃうのは何か間違ってるよ!? そ、それに、もしかしたら赤ずきんさんはそういうことを考えてるんじゃないかもしれないし!」

 

 そう、相手は無邪気に無防備な赤ずきんだ。もしかすると血式リビドーが関係あるのは裸でベッドに入ることだけで、難しい話は何も関係なくただジャックの隣で寝たいから寝ているという線もあり得る。

 というか赤ずきんと恋仲になって過ごした日々の経験から考えると、こちらの方が可能性は高そうだ。

 

「ふぅん……不思議ね。相思相愛のはずなのに、肉体関係を持つことに躊躇いがあるなんて。ジャック、もしかしてあなた――不能なの?」

「あのさ、グレーテル……君も女の子なんだから、そういうことを口にするのはどうかと思うんだ……」

 

 いきなりもの凄いことを恥ずかしげも無く聞いてくるグレーテル。何だかジャックも段々と慣れて来て、さほど動揺や羞恥を表に出すことは無かった。

 そもそも本当に不能だったならジャックもこんなに悩んでいないというか、すこぶる健康だからこそ裸の赤ずきんが毎朝隣にいる状況がマズイわけである。

 

「あら、ジャックは私を女として見てくれているのね。それは好都合だわ。ジャック、もし良ければ私があなたの不能を治す手伝いをしてあげるわ。私も経験は無いけれど、その手の知識も本を読んで身につけているから――」

「うん! 相談に乗ってくれてありがとう、グレーテル! さあ、そろそろ皆のところに帰ろう!」

 

 話の雲行きがだいぶ怪しくなってきたため、即座にグレーテルの言葉を遮り強制的に相談を切り上げた。

 まあ話を切り上げても解放地区から遠く離れたこの場所から無事に帰るにはグレーテルの力が必要なため、結局ジャックは怪しい雲息に自ら突っ込み、グレーテルが満足するまで話を続けるしかなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……結局、二人に相談した意味はあんまり無かったなぁ……」

 

 無事に解放地区へ戻ってきたジャックは、グレーテルと別れるなりついつい深い溜息を零した。わざわざ相談に乗ってもらったというのに失礼だが、相談相手がどちらも表立って口に出せないような行為を薦めてきたのだから仕方ない。

 

(というか、二人とも言ってることがあんまり変わらないんだよね。脅してるかただ勧めてるかが違うだけで……)

 

 ハルは赤ずきんを襲わなければ絶対に扉は治してやらない、というちょっと意味の分からない脅しをかけてきている。そこを考えるとただその行為を勧めてきただけのグレーテルの方がマシだろう。

 とはいえ結局相談しても収穫はほぼゼロに等しかったので、状況は何一つ好転していない。むしろ裸でベッドに入ってくるのが赤ずきんなりの誘惑である可能性を考えさせられたため、余計に耐え忍ぶのが難しくなった感じだ。

 唯一の収穫は血式リビドーが童話の話の内容や行動に基づくらしいということが分かったくらいだが、それが分かっても赤ずきんの行動が変わるわけではない。果たしてこれからジャックはどうすればいいのか。

 

「ふあぁ……ダメだ、眠くて頭が働かないや。少し、昼寝しようかな……」

 

 今後の事を考えようにも、赤ずきんのせいで寝不足な頭では考え事も捗らない。なので少しの間お昼寝して英気を養おうと決めたジャックは、自室に足を向けたのだが――

 

(いや、待った。赤ずきんさんのことだし、もしかすると昼寝中でもベッドに入ってくるかも……)

 

 ――積極的な赤ずきんの行動を思い描き、そのまま足を止めてしまう。

 たぶん赤ずきんならきっとやる。間違いなくやる。そもそも最初の頃はジャックが眠ってからこっそりとベッドに忍び込んできていたのに、今では電気を消せばもう普通に潜り込んでくるのだ。そんな赤ずきんが、ジャックが無防備にお昼寝している瞬間を見逃すはずが無い。

 

「……よし。きっと静かだろうし、あそこでお昼寝しよう」

 

 ふかふかのベッドの感触を思い出して数秒ほど悩んだものの、ベッドを選べば果てしない苦痛を堪えなければならない。そのためジャックの足は自然と自室とは異なる方向へ向かった。ふかふかのベッドは無いが、きっと一人でゆっくりと眠ることができるであろう静かな場所へ。

 

「うーん……ちょっと肌寒いけど、まあ別にいいかな?」

 

 そうしてやってきたのは黎明の居住スペース、その屋上だ。

 多少肌寒いしそびえ立つジェイルが稀に耳障りな声を轟かせるものの、捕えられていた牢獄に比べれば気にもならない寒さだし、ジェイルの声はヘッドホンをしてしまえば問題無い。

 なのでジャックはしばらく屋上に誰の姿も無いか確認しつつ、横になるのに良さそうな場所を探した。幸い誰の姿も見つからず、人目につかなさそうな場所も見つけたので安心してそこへ横になる。さすがにジャックは眠り姫と違って立ったまま眠るという特技は持っていない。

 

(あ、今ならほんの数秒で眠れそう……もう目蓋が重くなってきた……)

 

 精神の安定を妨げる柔らかさと温もりを背中に感じないためか、横になるだけであっというまに睡魔に襲われる。多少肌寒くて床が固いものの、最近はずっと寝不足だったのでまともに眠れるだけ天国のような心地であった。

 あとは安眠できるようジェイルの鳴き声を遮断するため、ヘッドホンを装着するだけだったのだが――

 

「――ジャック? こんな所で横になって何をしているの?」

「わっ!? あ、アリス!?」

 

 ――突如として上から顔を覗き込んできた幼馴染の姿に、ジャックは腰を抜かしかけた。別にやましいことがあったわけではないのだが、眠りに落ちる直前の無防備な状態で唐突に話しかけられてはさすがに驚きを隠せなかった。

 

「あっ、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら……」

「あ、いや、驚いたは驚いたけど気にしないでよ。それよりアリスはどうしてここに?」

 

 そんなジャックの過剰反応に対し、罰が悪そうな表情をして身を引くアリス。別にアリスに非があるわけではないので、ジャックはすぐに身体を起こして笑いかけた。

 

「何だか凄く疲れた表情をしているあなたを見かけて、つい追いかけてしまったの。ジャック、こんな所で横になって何をしているの? お昼寝するなら部屋のベッドで寝た方が暖かいし、寝心地も良いと思うのだけれど……」

「えーっと……それは、ちょっと……」

 

 アリスの心配は嬉しいし、言うことも正論である。しかしこれは返答に困る質問であった。まさか幼馴染とはいえ女の子に、疲れている理由が不埒な欲求に基づくものであることや、不埒な理由からベッドで寝ることが出来ないなどとは言えない。

 

「……部屋に、戻りたくないの?」

 

 返答に困る様子で何かを察したのか、酷く心配そうな顔つきで尋ねてくるアリス。内容の詳細を答えるのが難しい分、これくらいは答えてあげるべきだろう。ジャックはその場に腰かけると、言葉を選びつつ答えた。

 

「戻りたくない、っていうわけじゃないんだけど……部屋だとちょっと眠れなくて……」

「……確か、まだ赤ずきんさんもジャックの部屋で暮らしているのよね。ジャック、もしかして……赤ずきんさんとの関係が上手く行っていないの?」

 

 妙にぼかした返答のせいで若干勘違いをさせてしまったらしい。聞きにくい内容に感じられたのか、若干の間を置いてからそんな質問が投げかけられた。

 

「ううん、そういうわけでもないよ。ただちょっと困ってることが、ね……」

 

 あまり深くは話せないので、やはりここもぼかして答える。

 実際の所、ジャックと赤ずきんの関係は極めて良好だ。付き合い始めてから喧嘩などをしたことは一度も無いし、今は同じ部屋で暮らしているが特にストレスを感じたりはしない。まあストレスではない別の想いなら積もりに積もってはいるものの、基本的にはそれもプラスの感情と言えるだろう。

 

「そう……」

 

 明らかにぼかした答えにも関わらず頷き、アリスはそのまま無言で隣に腰を降ろす。追求を受けるかと思ったものの、やはりアリスはそれ以上何も聞いてこなかった。ジャックが自分から話してくれるのを待っているか、あるいは何も言わずに隣にいることで力になってくれているのだろう。

 

(ううっ、そんなに優しくされると話したくなってくるなぁ……)

 

 アリスの優しさと気遣いに胸を打たれ、思わず内心を吐露したくなってくるジャック。

 しかし相手が男だったならともかく、女の子であるアリスに対して話すような内容ではない。それに今の悶々とした気持ちを話して、万が一アリスに引かれでもしたらジャックはたぶん立ち直れないだろう。

 

(そもそも赤ずきんさんのプライバシーに関わることだし……何より、僕が困っている理由を話すのは……恥ずかしい、し……)

 

 酷く難しい問題を考えるジャックだったが、寝不足が祟ったのかお昼寝の直前だったことが災いしたのか、再び猛烈な眠気に襲われてしまう。せっかくアリスが何も言わず隣ににいてくれているというのに眠ってしまうとは、失礼にもほどがあるだろう。

 

(あ……ダメだ、眠い……)

 

 しかしもう眠気は限界だった。

 耐えられなくなったジャックはアリスに心の中で謝りつつ、意識を手放して夢の世界へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ん……」

 

 心地良い眠りを味わい、夢の世界から戻ってきたジャック。

 一番最初に感じたのは肌寒さであるが、同時に後頭部のあたりに謎の温もりと柔らかさを感じていた。この感覚は枕というよりも、最近ジャックを悩ませている感触に近いものだ。

 何故こんな感触を覚えているのか。不思議に思って目蓋を開けると――

 

「あっ、ジャック? 目が覚めたのね」

「えっ……あれ? アリス?」

 

 そこには優しい微笑みを浮かべて自分を見下ろす、アリスの面差しが広がっていた。

 寝起きでまだちょっとぼんやりしているものの、後頭部に感じる温もりと感触、そして異様に近いアリスとの距離からジャックは自然と今の状況を理解した。ジャックは今、アリスに膝枕されているということに。

 

「うわっ!? ご、ごめん、アリス! 最近ちょっと寝不足気味だからかつい眠くなっちゃって!」

 

 即座に跳ね起き、頭を下げるジャック。

 一瞬ではっきりとした頭で思い出してみれば、ジャックはアリスとの会話の最中に唐突に眠りに落ちてしまったのだ。状況から考えるに隣にいたアリスの膝を枕にしてしまったに違いない。

 自分を心配してくれたアリスに対してこの失礼な仕打ち。それに赤ずきんという恋人がいるにも関わらずこの体たらく。最早ジャックは起き抜けの眠気が吹き飛ぶほどの羞恥を感じていた。

 

「良いのよ、気にしないで。膝枕は私が好きでやったことだもの」

 

 しかしそんなジャックの慌てようにアリスは苦笑するばかり。一体どれほどの時間ジャックによってこの場に縛り付けられていたのかは分からないが、本当に気にしていないらしい。まあそれでもジャックの罪悪感は消えないのだが。

 

「ううっ、本当にごめん……ていうか、起こしてくれても良かったのに……」

「あなたがとても気持ち良さそうに眠っているものだから、邪魔をしたくなかったのよ。それにしても、あの光景を赤ずきんさんに見られたらどう思われたのかしらね?」

「う、うーん……浮気、とまでは思われないまでも、後ですっごく怒られそうだなぁ……」

 

 赤ずきんならきっと事情を話せば分かってくれることだろう。しかしごく稀に激しく感情的になることもあるので、事情を話す暇があるかどうかは怪しいところかもしれない。具体的には話す前にベッドを投げつけられるとか。

 

「それじゃあ、この事は私たち二人の秘密にしておく?」

「うーん……いいや、後で僕から話すよ。何だか黙っているのは凄く悪いことをしてるみたいだからね……」

「ふふっ、ジャックは正直者ね」

 

 予想していた答えなのか、アリスはにっこりと微笑みを見せる。

 別に浮気とかそういうわけではなく、結果的にアリスの膝枕で眠ってしまった形に過ぎないが、それでもジャックは何となく罪悪感が拭えなかった。きっと黙っていても罪悪感が余計に膨れ上がっていくだけだろうし、ここは素直に話してしまうのが賢明だ。

 

(まあ、もしずっと黙っていてそれがバレたら、赤ずきんさんが凄く取り乱すっていう可能性もあるからね……)

 

 実際の所そういった考えもあるのだが、そっちはあえて口に出さなかった。

 どうも赤ずきんはジャックに深く依存しているようなので、もしもジャックが浮気染みたことをしたと知ったら怒る前に取り乱す可能性もあるのだ。尤もその反応は赤ずきんが演じるお姉さんらしさからは逸脱しているはずなので、皆のお姉さんでありたい赤ずきんのために口には出せないわけである。

 

「……ジャック、あなたのそういう正直なところは美徳だと思うわ。だから赤ずきんさんとの関係で何か悩みがあるなら、正直にぶつかった方が良いと思うの」

「えっ? しょ、正直に……?」

 

 ジャックの正直とは程遠い心情を知らずに、アリスは褒め称えながらもそんなアドバイスを口にする。きっとジャックが眠ってしまう前の話、悩み事の話の続きをしているのだろう

 

「ええ。ずっと一人で抱え込んでいるのは良く無いわ。赤ずきんさんに問題があるというのなら、正直に話すのが良いと思うの。傷つけたくないから黙っているのでは、何も解決しないばかりかあなただけが傷ついてしまうわ」

「……じゃあ、もしそれで嫌われちゃったら?」

 

 アリスの言い分も一理ある。しかしジャックが赤ずきんに伝えなければいけないことは、どう言葉を選んでも赤ずきんにとって衝撃的なものになる。場合によっては軽蔑されて嫌われてしまうこともあるかもしれない。

 そんな怯えこそが、ジャックが赤ずきんの行動に何も言えないでいる理由であった。大好きな赤ずきんにケダモノと罵られ、冷たい目で見られてしまえばきっとジャックは二度と立ち直れないだろう。

 

「ジャック、あなたが好きになった赤ずきんさんは、たった1回程度の過ちや失敗であなたを嫌うような、心の狭い人物なの?」

「あ……」

 

 しかし、アリスのそんな一言でジャックの怯えはあっさりと吹き飛んだ。

 そう、赤ずきんはそんな心の狭い人物ではない。本当は子供のように甘えん坊な女の子なのに、皆のために頼りになるお姉さんであろうとしている、とても優しく強い女性なのだ。それこそジャックが恋心なのか憧れなのか分からないほどの好意を寄せてしまうほどに。

 

「……ううん。赤ずきんさんはとっても心が広くて優しい、強くてカッコイイ僕の憧れの人だよ。ありがとう、アリス。僕、決心がついたよ」

 

 きっと赤ずきんなら、ジャックが理性を失って過ちを犯しそうになっても、自分が今正にその瀬戸際にいることを伝えても、優しく受け入れてくれることだろう。

 まあちょっとは引かれる可能性もあるが、元々間違っていたとはいえ色仕掛けを行ってきた赤ずきんだ。少なくとも嫌われたりはしないはず。決意を固めたジャックは、今夜こそ赤ずきんに物申すことを心に決めた。

 

「それは良かったわ。ジャックの悩みが解決することを願っているわね」

「うん。相談に乗ってくれてありがとう、アリス」

 

 アリスはにっこりと笑い、ジャックが希望を見出したことを喜んでくれた。それも自分のことのように。

 話の最中に突然眠ってしまったジャックに起きるまで膝枕をしてくれた上に、相談にまで乗ってくれるアリスは本当に素晴らしい女の子だ。もしも赤ずきんと付き合うことにならなかったら、ジャックはアリスと付き合っていたかもしれないと思うほどに。まあ、さすがにそれはアリスに失礼な妄想かもしれないが。

 

「どういたしまして。それじゃあジャック、私はもう行くわね?」

「うん。僕はもうちょっと景色を眺めてから行くよ」

 

 去っていくアリスの後姿を見送るジャック。

 先ほどまで幾度も笑顔を見せてくれたアリスだが、何故かその後姿からはどことなく哀愁が漂っているように感じられた。もしかしたら先ほどアリスとのもしもの関係を想像したせいで、ちょっと感傷的になっているのかもしれない。

 

(それにしても、アリスの言い方……何だか僕の悩みを知ってるような口振りだったなぁ……)

 

 内容が内容なので話していないにも関わらず、先ほどのアリスはまるで全てを知っているかのような口振りで相談に乗ってくれた。ジャックが眠りに落ちる前は何も言わずに隣にいてくれただけだったあたり、もしかする寝言で何か悩みの一部を口にしてしまいそれを聞かれたのかもしれない。

 

(うわぁ、恥ずかしいなぁ……へ、変なこと言ってないよね、僕……?)

 

 果たして寝言で何を口走ってしまったのか。最近の悩みだけならともかく、もしも最近良く見る夢の内容さえをも口にしていたら。それはちょっとアリスと一生顔を合わせられなくなるかもしれない。

 あまりの恥ずかしさに自然と顔が熱を帯びていくのを感じ、ジャックはその熱を冷ますためにしばらく肌寒い屋上で過ごすのであった。

 

 

 





 意外とバリエーションが多い童話の「赤ずきん」。確か例のシーンがある「赤ずきん」は童話でなく民話だったような気がします。
 というかアリス(ファイター)の格好だと間違いなく太股に直の膝枕になってしまう……これはジャックくんも寝ているふりをしてアリスの太股を弄るしかありませんね。仮にジャックがそれをやったとしても、アリスは照れながらちょっと困った顔をするだけで特に何もしないんだろうなぁ……というか何で赤姉のお話のあとがきでジャックとアリスの絡みを書いているんだ……?


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寝ている間に……

 ジャックと赤姉のカップリング、4-3。
 ジャックがおやすみ中に何があったかのお話と、+アルファのお話。実はジャックがヘッドホンを携帯していなかったら書けなかったお話だったりします。



 

「ジャックー! ジャック、いるなら返事しなよー!」

 

 もうすぐお昼、というにはまだ早い微妙な時間。赤ずきんは黎明の居住区を恋人の姿を探して歩いていた。

 

「ジャックの奴、恋人のあたしを放ってどこ行ったのかな。もう朝からずっと見てないよ……」

 

 朝食の席では何だかグレーテルと仲が良さそうにしていてちょっとムッときたので、その後にたっぷり甘えさせてもらった。しかし、そこからジャックの姿は一度も見ていないのだ。

 いつもはどこかに行くならちゃんと行き先を教えてくれたものの、今回は何故か教えてくれなかった。そんなわけでちょっぴり不安になって探している赤ずきんである。

 

「販売所にもいなかったし、部屋にもいないし……あ、もしかして屋上にいるかも?」

 

 何故か高い所を好む血式リビドーを持つジャックのことだ。これだけ探し回って見つからないなら、そういった場所にいる可能性が高い。そんなわけで赤ずきんはジャックの姿を探して、屋上へと足を向けた。

 屋上には基本的に人はいないはずなので、もしもジャックがいたならきっと二人きりになれることだろう。それならまたべたべたと甘えるのも良いかもしれない。大好きなジャックに好きなだけ甘えられる幸せと、笑顔で受け入れて可愛がってくれるジャックの愛情を思い浮かべて、赤ずきんは思わず顔を綻ばせてしまう。

 

(本当にあたしはジャックに夢中だなぁ。もうジャックがいなかったらいつも通り皆のお姉さんができる気がしないよ……)

 

 今までは誰かに甘えなくとも、皆のお姉さんとして振舞うことができていた。しかしここまで深くジャックに依存してしまっている今では、もうジャック無しでは皆のお姉さんにはなれないだろう。そこを考えると赤ずきんは昔よりも弱くなってしまったのかもしれない。

 

(これはもうジャックを逃がしちゃいけないね! 責任取って、ずーっと一緒にいてもらうんだ!)

 

 とはいえ不満や後悔は一切無い。あるのは絶対にジャックを逃がさないという、強い意志と愛情だけだ。尤もその方法については自分では思い浮かばないので、そのうちまたグレーテルの力を借りるべきだろう。

 そんなことを考えつつ、赤ずきんは屋上に上がった。少し周りを見回してみるも、残念ながらそれだけではジャックの姿は確認できなかった。元から屋上にはいなかったのか、あるいは物陰にいて見えないだけか。とりあえず物陰も確認してみることにして、一つ一つ覗いて確認していく。

 

「あ、いたいた。ジャック、こんな所で横になって何を――」

 

 そして物陰の一つを覗き込んだ所、探していた恋人が見つかった。だがその状況が少々特殊で、赤ずきんはそのまま言葉に詰まってしまった。

 横になっていることは別に問題ない。もしかしたら屋上で昼寝でもしていたのかもしれないし、そこは別におかしくないのだ。問題は横になっているジャックの頭を、自らの膝に乗せ優しげな笑みを浮かべて見下ろしている少女がいたことで――

 

「……何やってんの、アリス?」

「えっ!? あ、赤ずきんさん!?」

 

 自分に声をかけられるまで赤ずきんの存在に気が付かなかったのか、アリスは飛び上がりそうなくらいに驚きを露にしていた。次いで今の反応でジャックが目を覚ましていないかを確かめると、非常に申し訳無さそうな顔をしてこちらへ視線を向けてくる。

 

「えっと、これはその……ジャックとお話をしていたのだけれど、その途中で突然ジャックが眠って私によりかかってきたものだから……」

「あー、まあ何となく流れは分かったよ……」

 

 ジャックが隣で眠ってしまえば、間違いなくアリスならそのまま放っておきはしないだろう。毛布を持ってきてかけてあげるなり、今回のように枕になってあげるなりするはずだ。まあこれが眠り姫あたりならそのまま一緒に眠ってしまうに違いない。

 

「でも話の途中で突然寝ちゃうなんて、ジャックの奴そんなに疲れてたのかな?」

「そ、そうね。確かに何だか疲れている様子だったわ……えっと、その……場所を、譲った方が良いかしら?」

「ん? んー……いや、良いよ。もしかしたら起こしちゃうかもしれないしね。せっかく気持ち良さそうに眠ってるんだから、邪魔しちゃジャックが可哀想だよ」

「そ、そう……」

 

 少し迷ったがそう答え、赤ずきんはアリスの隣に腰を降ろす。

 確かに大好きなジャックが自分以外の女の子の太股を枕に眠っている状況はあまり面白く無いが、その安眠を妨げてまで怒ることではない。第一意識してやったことではないようなので、赤ずきんとしては別に目くじらを立てるほどのことではなかった。

 

「あははっ、本当に気持ち良さそうに眠ってるなぁ。ジャックの奴、アリスの膝枕がお気に入りみたいだね?」

「……赤ずきんさんは、随分余裕があるのね。私なら、自分の恋人が自分以外の女性に膝枕をされている現場を目撃したら、きっとそんな風には笑っていられないわ」

「アリスは結構ヤキモチ焼くタイプだから仕方ないよ。ま、あたしは皆のお姉さんだからね。余裕があるのは当然だよ」

 

 尊敬にも似た感情を向けてくるアリスに、大人の余裕を見せつける赤ずきん。

 実際の所、こんな風に余裕があるのは恋人であるジャックと触れ合っているのがその幼馴染であるアリスだからだ。ジャックとアリスは仲の良い幼馴染であり、それはジャックが赤ずきんと恋仲になった今も変わっていない。だからこそこの程度の触れ合いなら許容できるというわけだ。尤もこれがアリス以外の女の子だった場合、赤ずきんも余裕を保てたかどうかは分からないが。

 

「そう。さすがは赤ずきんさんね……ところで、前から一つ気になっていたことがあるのだけれど、聞いても良いかしら?」

「ん? いいけど、どうしたの?」

 

 答える前に、眠るジャックの耳に優しくヘッドホンを装着させるアリス。果たしてこれはジャックを起こさないためのものか、それともジャックには聞かれたくない類の話をするためのものか。

 慈愛に満ちた瞳で数瞬ジャックを見つめた後、アリスは極めて真剣な面持ちで赤ずきんを見つめてきた。

 

「失礼な質問なのは承知の上だけれど……赤ずきんさんは、本当にジャックのことが好きなの? ジャックとの普段の様子を見ている限りだと、どうも真剣な気持ちが感じられないのよ。まるで恋人というより、仲の良い姉弟のような関係に見えてしまうくらいに」

「いや、あたしはもちろんジャックのことが好きだよ。でもそっか、あんたにはそんな風に見えるんだね……」

 

 どうやらジャックには聞かれたくない類の話だったらしい。仲の良い幼馴染としては、あまり本気に見えない赤ずきんと交際しているジャックのことが心配なのだろう。

 

(別にそういう風に見られたって構わないけど、アリスが言ってるのはあたしが真剣にジャックのことを想ってるように見えないってことかな? そりゃあ皆の前だから抑えてるし、そう見えないかもしれないけどさ……)

 

 実際はもちろん真剣にジャックのことを想っている。そもそも告白したのだって赤ずきんの方からなのだ。

 ただ赤ずきんが変わらず皆のお姉さんでいられるよう、他ならぬジャック自身が協力してくれているために本気で想っているようには見えないのだろう。何と言ってもジャックは告白したのは自分の方、ということにしてしまったのだから。

 

(あたしが本気だってことを知ってもらうには、全部話さないとダメなんだよね……あたしが、ジャックと二人きりだとどんな風になるかも含めて……)

 

 赤ずきんの気持ちを知ってもらうには、当然全て話すしかない。告白がどちらからだったかに加えて、普段二人きりだとどんな風に過ごしているのかも。

 無論そんなことを話せば、赤ずきんのお姉さんとしてのイメージは微塵に砕け散ることだろう。さすがに可愛い妹たちに対してそんなことを話すのは恥ずかしいし、正直ちょっと怖い。

 

(皆には話せないことだけど……アリスなら、良いかな?)

 

 しかし目の前にいるのは、下手をすると自分よりもしっかり者なジャックの幼馴染だ。それにジャック以外で唯一自分の弱い所を見せた人物でもある。

 良い意味であまり妹とは思えない相手、それもジャックのことを心配してこんな話をしてきている相手。ならば赤ずきんも正直に答えるのが誠意というものだろう。

  

「……よし、分かった! あんたには全部話すよ、アリス。ただし、他の皆には話しちゃダメだからね?」

「えっ? 話すって、一体何を話すというの?」

「そりゃあもちろんジャックとあたしのことだよ。実は――」

 

 きょとんとするアリスに対して、赤ずきんは全てを語った。全てというのはもちろん、赤ずきんがジャックに想いを抱くようになった理由から始まり、二人きりだとどんな風に過ごしているかというところまでだ。

 当然告白したのがどちらかということも訂正しておいたが、最近ジャックのベッドに裸でお邪魔していることだけは口にしなかった。あれはちょっと自分でもどうかと思う行動であり、そしてそう思っていながらもやってしまう恥ずかしい行動だからだ。血式リビドーを抱える血式少女のアリスなら分かってくれるかもしれないが、さすがにちょっと恥ずかしい。

 

「――そういうわけで、あたしは真剣にジャックのことが好きだから安心しなよ。ていうかもう、ジャックがいないとダメになりそうなんだよね……」

 

 真実を洗いざらい語り、どこか晴れ晴れとした気持ちで呟く赤ずきん。元々あまり賢くも無ければ器用でもない赤ずきんにとって、隠し事とは酷く難しい行為なのだ。打ち明けられたおかげで非常にすっきりとした心地である。

 

「………………」

 

 ただし、打ち明けられた方は未だ真実を飲み込めていないらしい。開いた口が塞がらないという表情で、無言のまま固まっていた。

 

「……やっぱり、あんたも信じてない? あたしなんかがそんな風になるなんて」

「い、いえ、そういうわけではないのだけれど……ちょっと意外だったせいで、いまいち現実味が沸かなくて……」

「まあそうだよね。ジャックも未だに信じられないとか言うし……」

 

 アリスの反応もそれなりに失礼な反応だと思うが、甘えられる本人であるジャック自身でさえこんな反応なのだから仕方ない。むしろその現場を見ていないアリスの方が信じられないのは当たり前だろう。

 

「どうしても信じられないなら、後でジャックに聞いてみなよ。あたしが話して良いって言ったって伝えれば、本当のことを話してくれるからさ」

「……そこまで言うということは本当のことなのね。まさか赤ずきんさんが子供のようにジャックに甘えていたなんて考えもしなかったわ」

「あははっ。あたしもそんな風になるとは思ってなかったよ。ジャックには女をダメにする素質があるね?」

「ふふっ。その通りかもしれないわね?」

 

 二人で軽く笑いあい、眠りこけているジャックを見つめる。すでに完璧にダメにされた赤ずきんはともかく、長らく共に過ごしていたアリスも思い当たる節はあるのかもしれない。

 

「とにかく、赤ずきんさんの気持ちは良く分かったわ。あなたならきっと、ジャックを幸せにしてくれるということも」

「今のところ、幸せにしてもらってるのはあたしの方なんだけどね。まあ、ジャックのためなら何でもする覚悟はあるよ。あたしにできることなら、何でもね?」

「ふふっ。さすがは赤ずきんさんね、頼もしいわ……ジャックのこと、よろしくお願い」

「任せなって! あんたの幼馴染は、あたしが全力で幸せにしてあげるよ!」

 

 真面目な顔で、そしてどことなく寂しげな顔で願ってきたアリスに対し、赤ずきんは力強く頷いた。

 もしも赤ずきんがジャックと恋人にならなかったら、ジャックとくっついていた可能性が一番高いのはきっとアリスなのだ。横から奪うような形になってしまった以上、赤ずきんにできることはたった一つ。全力でジャックを幸せにしてやること。それだけがアリスの気持ちにも報いる方法なのだから。

 

「ええ、任せたわ――あっ、でもそれはそれとして一つ良いかしら?」

「ん? どうしたの?」

 

 安堵に溢れる微笑みを浮かべ頷くアリスだったが、唐突にその頬に朱色が差す。どう見てもそれは恥ずかしがっているような反応である。一体何を言いたいのだろうか。

 

「その……二人はお互いに愛し合っているから、私が口を挟むべきではないと思うのだけれど……ジャックがここまで疲れて部屋に戻るのを躊躇うようになるほど大人な触れ合いをするのは、さすがに控えた方が良いと思うの……」

「え? 大人な触れ合いって?」

 

 全く身に覚えが無いために聞き返すと、アリスの頬の赤みはますます深くなる。

 少なくとも赤ずきんはジャックが疲れるような触れ合いをした覚えは無いし、甘えたりキスしたりがそこまで大人な触れ合いとは思えなかった。

 

「その、それは……男女の触れ合いというか、性的な行為というか……」

「え……えぇっ!? い、いや、あたしたちはまだそういうことはしてないよ!?」

 

 そこまで言われて、さすがに赤ずきんもアリスの言っていることを理解した。理解したので、全力で否定した。

 赤ずきんとジャックはまだその手のことは一切していない。ジャックからそういう行為を求められたことはまだ一度も無いし、赤ずきんとしては好きなだけ甘えさせてくれるだけでも十分すぎるほどなのだ。精々がちょっと深めのキス程度止まりの関係である。

 

「そ、そうだったの? ごめんなさい、赤ずきんさんの話とジャックの様子から、てっきり頻繁にそういうことをしているものだと思ってしまって……」

 

 勘違いをしてしまったせいか、一段とアリスの頬は赤くなる。自分の頬の色はさすがに分からないが顔の火照りを感じているあたり、きっと赤ずきんも頬を染めているに違いない。

 

「あたしの話はともかく、ジャックの様子って……そういえば、ジャックはどんな様子だったのさ?」

「そうね。何だか酷く疲れているように見えたわ。理由は話してくれなかったけど、何かとても困ったことがあるようなことも言っていたわ」

「困ったことかぁ……あ、ひょっとしてあれが原因かな?」

 

 ジャックが最近困っていることと言えば、赤ずきんが思い当たるのはたった一つだけだ。それは先ほどの話の中で意図的に伏せて語らなかったこと。要するにジャックのベッドに裸でお邪魔させてもらっていることだ。

 できれば話したくないことだが、ここまで来たらアリスも知らないままでは納得しないだろう。やむを得ず、赤ずきんは全てを打ち明けることにした。もちろん変な目で見られないよう、新しい血式リビドーであることは念押しをして。

 

「何か知っているの、赤ずきんさん?」

「いや、知っているっていうか……もしかしたら、あたしが原因かもしれないんだよね。実は――」

 

 そうして再び、赤ずきんは語った。

 ジャックのベッドに忍び込んだら何故か妙に落ち着かなかった所から始まり、どうすればその問題が解決したのかというところまで。もちろん、その後に毎晩のようにベッドに忍び込んでいることも含めてだ。

 これで最早アリスに隠し事は何もない。肩の荷が下りたような気分になり、幾分すっきりする赤ずきんであった。まあ話の内容が内容なので若干の羞恥は覚えていたが。

 

「――そういうわけで、ここ最近は毎晩ジャックのベッドにお邪魔させてもらってるんだ。最初は恥ずかしくてちょっと抵抗があったけど、凄く安心して眠れるから今じゃ癖になっちゃってるよ」

「そ、そう……」

「ん? どうかしたの、アリス?」

 

 話し終わってみれば、アリスはどこか淡白な反応を返してきた。よく見れば表情もどこか感情が抜け落ちているというか、微妙に呆れているようにも見える。話の最初の方は顔を赤くしていたというのに、一体どういう心境の変化だろうか。

 

「あ、いえ、その……ジャックは、寝ている赤ずきんさんに何もしていないのよね?」

「うん、そうみたいだよ。たまにあたしが寝てる間に何かしたか聞いたりしてるけど、怪しい反応を見せたことは一度も無いしね」

「そう…………」

「さっきからどうしたのさ、アリス? 何か呆れて物も言えないみたいな顔してるけど?」

「……ごめんなさい。正直なところ、呆れて物も言えないというのが正に本音なの」

「うわっ。結構酷いこと言うね、あんた……」

 

 まさかの答えを返してくるアリスに、さしもの赤ずきんも若干傷ついてしまう。危惧していた通り、どうやらジャックを誘惑しているエッチな子だと思われたらしい。別に赤ずきんはそんなことを考えてベッドにお邪魔しているわけではないというのに。

 

「酷いのはあなたの方よ。赤ずきんさん、ジャックだって男性なのよ? ジャックにとって一番魅力的な女性である恋人の赤ずきんさんが、毎晩裸でベッドに入ってくるなんて……きっと拷問に近い所業だと思うわ」

「えっ? でもジャックの奴、あたしが色仕掛けしても全然堪えてなかったよ?」

 

 しかしアリスの口振りから察するに、どうも呆れているのは別の理由らしい。言わんとしていることは分かるが、赤ずきんとしてはあまり納得できない指摘であった。何故ならジャックは以前赤ずきんが頑張って似合わない色仕掛けをしていた時、全く堪えた様子を見せていなかったのだから。

 

「それはたぶん方法が間違っていたか、ジャックが我慢していただけだと思うわ。欲望のままに行動して、赤ずきんさんを傷つけないように」

「うーん……どっちかっていうとあたしが間違ってただけだと思うけどなぁ……」

 

 実際間違っていたのはジャックの口からも聞いたことだし、何より本当に我慢しているだけだとしたら寝ている間に赤ずきんが何もされていないのは絶対におかしい。一応ジャックは赤ずきんの身体に魅力を感じているという事実を口にしたことはあるが、本当に魅力を感じているなら寝ている間に触ったり眺めたりするくらいのことはしているはずだ。

 しかしたまに寝ている間に何かしていないか尋ねてみても、一切おかしな反応を見せたことはない。ジャックの性格からするとそんなことをしてしまえば間違いなく態度や反応に出そうなので、赤ずきんが気が付いていないだけということはなさそうなのだが。

 

「どちらにせよ、ジャックが我慢しているのは確かだと思うわ。お昼寝の場所にこんな所を選んで、恋人以外の女性に寄りかかって眠ってしまうほど寝不足に悩まされているんだもの」

「じゃあ……あたしはどうすれば良いのかな? もう、ジャックのベッドに入らない方が良いのかな……?」

「赤ずきんさん、そこまで悲しい顔をしなくても……」

 

 なるべく抑えてみたものの、隠せない悲しみが顔に出ていたらしい。

 実際もしもジャックと同じベッドで眠ることができなくなったら、赤ずきんは安眠できる自信が無かった。というか最早一人で眠れるかどうかも怪しいところである。ジャックに抱きついて一緒に眠るのは、それだけ幸せで安らげる時間なのだから。

 

「別にそれを止めろとは言わないけれど、ジャックの気持ちも考えてあげて欲しいの。万が一ジャックが、その……欲望に突き動かされることがあっても、拒まず受け入れてあげるのが良いと思うわ」

「うーん、正直ジャックがあたしの身体で理性を失う場面が想像できないんだよね……」

 

 ちょっと顔を赤くしてそんなアドバイスをしてくるアリス。しかし赤ずきんとしてはジャックが理性を捨てて欲望のままに襲い掛かってくる所など全く想像できなかったため、さほど羞恥は沸いてこなかった。

 もちろんジャックだって男の子だということは理解しているのだが、相手は毎晩のように一緒にお風呂に入っても、裸でベッドに入っても、襲うどころか身体を触ることすらしてこなかったジャックである。むしろちゃんと性欲があるのか疑いたくなるレベルだ。

 

「……でもまあ、別に拒否はしないよ。ジャックの気持ちに応えられるなら、そんなに嬉しいことは無いからね」

 

 とはいえもしもジャックがその手の行為を求めてきたなら、赤ずきんは応えてあげるつもりだ。ジャックの気持ちに応えられる嬉しさは元より、きっとジャックに幸せにしてもらっている分のお返しもできるだろうから。

 二人きりの時はジャックに甘えてばかりだし、誰かがいる時はお姉さんらしく振る舞い恋人らしいことをあまりしてあげられていないのだ。一応はお互いに想いあっているのだし、こんなお返しの方法もありのはず。

 

「ふふっ。赤ずきんさん、本当にジャックのことが好きなのね」

「もちろん! ジャックを笑顔にするためなら、あたしは何だってやれるよ!」

 

 自信満々に言い放ってから、ふと目の前の少女もジャックのためなら何でもやりそうだと気が付く。

 しかしその想いなら赤ずきんだって負けはしない。尤もジャックの幸せのためにジャックを譲ることが出来るかどうかということは、骨抜きにされてしまった今はさすがに自信がなかったが。

 

「……あっ。でもさ、一つだけ聞いても良いかな?」

「ええ、何かしら?」

「もちろんジャックを拒否したりはしないけどさ……やっぱりそういうのって、痛いのかな……?」

「その……私に聞かれても、答えに困るのだけれど……」

 

 そこだけちょっと心配だったのでそれを尋ねてみるも、さすがにアリスにも分からないようだ。まあ痛くてもそこは我慢するしかないだろう。ジャックともっと深い関係になれるのなら必要な代償とも言えるのだから。

 なので赤ずきんは唯一の心配事を抱えながらも、ジャックが目を覚ます前にこの場を後にした。当のジャックはヘッドホンのおかげか全く話の内容が聞こえなかったらしく、ぐっすりと気持ち良さそうに熟睡したままであった。

 

(それにしてもジャックの奴、気持ち良さそうに眠ってたなぁ……ううっ、あたしお姉さんなのに何かむかむかしてくるよ……)

 

 それ自体は別に問題ないのだが、アリスの膝枕で気持ち良さそうに眠っていることにちょっぴりむっと来てしまう赤ずきんだった。どうやら赤ずきんは自分で思っているよりもヤキモチ焼きだったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャックぅー!」

 

 その日の夜、二人きりの部屋の中で赤ずきんはいつも通りジャックに飛びついた。

 赤ずきん自身が甘えん坊なところもあるとはいえ、皆の前ではお姉さんとして振舞うのでその分心のままにジャックと触れ合いたい衝動が溜まっていってしまうのだ。なのでこうして定期的に発散しているわけである。

 

「わっ!? もうっ、どうしたの赤ずきん? さっきも甘えてきたのにまだ足りないの?」

 

 しかしほんの十分くらい前にもこうして甘えたばかりなので、ジャックもちょっとだけ呆れ気味だ。まあそれでもしっかり赤ずきんの身体を受け止めて優しく頭を撫でてくれているあたり、やはりジャックはジャックというべきか。

 

「いやー、足りないってわけじゃないんだけどさ、お風呂上りに甘えるとジャックがちょっと嫌がるからね。だからその分、今甘えておこうかなって」

「ま、まあ、お風呂上りはさすがにね……」

 

 赤ずきんの指摘に対して、頬を染めて言葉を濁すジャック。どこからどう見ても恥ずかしがっている感じの反応だ。

 

(もしかしてジャックの奴、本当にあたしの身体で興奮してるのかな? だとしたらその反応も納得なんだけど……)

 

 しかし水着ありとはいえこれまで一緒にお風呂に入っても何もしてこなかったし、今は裸でジャックのベッドにお邪魔しているというのにやはり何もされていない。ここまで来ると本人が何を言おうと、どうにもジャックが赤ずきんの身体に興奮を催しているとは思えなかったのだ。一応赤ずきんとしては自分の身体にだけは女の子としての自信があるのだが。

 

「……赤ずきんさん、実はちょっと大事な話があるんだ」

「おっと、大事な話って?」

 

 赤ずきんが甘えているにも関わらずジャックが呼び捨てを止めた為、真面目な話だと察して一旦抱きつくのをやめる。密着状態から離れて顔を合わせてみれば、予想していた通りジャックは真剣な面持ちをしていた。

 

「実は二つあるんだけど……ショックかもしれない方と、かなりショックかもしれない方、どっちから先に聞きたい?」

「怖い言い方するね、あんた……じゃあ、ショックかもしれない方で」

「うん、分かった。実は今日の昼頃のことなんだけど……僕、実は屋上で昼寝しようとしてたんだ」

(あ、これひょっとしてアリスに膝枕されてたことかな? 黙ってれば良いのにわざわざ話すなんて、ジャックは本当に正直だなぁ……)

 

 真面目な顔で、そしてどこか申し訳無さそうに語るジャックには悪いが、赤ずきんはどうしても微笑みを抑えられなかった。あんな浮気でも何でもないことを気に病んだ様子でわざわざ語るとは、本当にジャックは誠実で素直な奴である。

 確かに本人に体力や力は無いが、そこを除けば赤ずきんの恋人は非の打ち所の無い良い男なのだ。嬉しさと幸せに笑みを浮かべてしまうのも仕方が無かった。

 

「だけどそこにアリスが――って、何でニヤニヤしてるの?」

「いや、別に。ジャックのこと見てると何か笑顔になっちゃうんだよね」

「そ、そうなんだ……えっと、続けるね? そこにアリスが来て、しばらくお喋りしてたんだけど……僕、眠気に耐えられずに途中でそのまま寝ちゃったんだ。それで、気が付いたらアリスに膝枕されてて……」

 

 やはりその話だったらしく、申し訳無さそうに語っていくジャック。

 というかジャックはこの程度のことで赤ずきんがショックを受けるとでも思っているのだろうか。仮にこれがアリス以外の血式少女だったとしても、多少思うことはあってもショックというほどではない。まあ血式少女以外の女の子だったならさすがにショックを覚えたかもしれないが。

 

「へー、そうなんだ。アリスの膝枕は気持ちよかった?」

「えっ? そ、それは、まあ……って、赤ずきんさん、感想はそれだけ?」

「んー、これが親指とかネムとかなら思うところはあるけど、仮にもあんたの幼馴染のアリスだからね。それくらいじゃ浮気とか思ったりしないから安心しなよ、ジャック」

「そ、そっか。良かった――って、うわっ!?」

 

 まあショックではないにしてもちょっとだけ思うところはある。なので赤ずきんはほっとした様子のジャックの身体を引き倒すと、強制的に自らの膝を枕にさせた。

 

「でも、アリスの膝枕が気持ちよかったっていうのにはちょっと思うところがあるかな? ジャック、あたしの膝枕とどっちが気持ち良い?」

「えっと、その……あ、赤ずきんさん、です……」

「よし! 良い子だね、ジャック!」

 

 顔を赤くして目を逸らしつつ答えるジャックに、にっこりと笑いかける赤ずきん。何だか無理やり言わせたような気もするが、実際赤ずきんの太股の方がアリスの太股よりも気持ち良いはずだ。たぶん。

 

「あははっ、ありがとう……それで、次の話なんだけど――」

「おっと。ダメだよ、ジャック。まだあたしの膝枕で横になってないと」

 

 話の続きをするために身体を起こそうとしたジャックを制し、再び横にならせる。これだけやるとさすがにヤキモチを焼いていることがバレるかもしれないと思ったのも束の間、ジャックは仰向けの状態で珍しそうな表情をしていた。これはきっとバレたに違いない。

 

「……赤ずきんさん、本当はヤキモチ焼いてる?」

「まあ、ちょっとはね。ジャックがあたし以外の女の子の膝で気持ち良さそうに眠ってたって考えると、ちょっと胸がムカムカするよ」

「そうなんだ。ヤキモチを焼く赤ずきんさんも可愛いなぁ……」

 

 やはりバレたようなので隠さず語ると、ジャックは微笑ましいものを見るような笑みを浮かべていた。その笑みの可愛らしさはかなり男っぽくないものの、赤ずきんとしてはこれが大好きな笑顔なのだ。

 

「今回は仕方ないことだけど、あんまりお姉さんにヤキモチ焼かせると酷いからね。ジャック?」

「うん、肝に銘じておくよ。それで赤ずきんさん、本当にこのまま話を続けて良いの? 次はかなりショックかもしれない方だよ?」

「大丈夫大丈夫! ジャックが大袈裟に言ってるだけってことはさっきので分かったからね。気にしないで話しなよ?」

 

 少しショックかもしれない話が、赤ずきんがほんのちょっぴりヤキモチを焼く程度の話だったのだ。それなら大した話でないのは容易に予想がつく。だから赤ずきんはこのまま話をされても問題はないと思っていた。

 

「大丈夫かなぁ……じゃあ言うけど――赤ずきんさん、もう今夜からは僕のベッドに入ってくるのは禁止だからね?」

「……えっ」

 

 しかし今度は見事に予想を裏切られる。突きつけられた言葉はかなりショックなどという生易しいものではなかった。それこそしばらく思考が停止してしまうくらいには衝撃的であった。

 

「えっと……そんな世界の終わりみたいな顔されると、僕も困るんだけど……」

「あ、いや、その……よ、よし! ジャック、一旦座って話しあおっか!」

「もうっ、だから言ったのに……」

 

 これは膝枕しながらまったり話せるような内容ではないため、意識が戻った赤ずきんはジャックを膝から起こして向かい合う形に座り直す。本当はもっとくっついていたいが、今はそれよりも重要な話をしなければならない。

 

「えっと……さっき、ジャックは何て言ったんだっけ?」

 

 もしかしたら聞き間違いかもしれないので、まずは内容を聞き返す所から。

 赤ずきんにとってジャックと一緒に眠る時間はこれ以上無いほどの安らぎを得られる幸せな時間だ。それが無くなってしまうことなど絶対に信じたくない。

 

「もう今夜からは僕のベッドに入ってくるのは禁止、だよ」

「それってつまり……逆にジャックがあたしのベッドに入ってきてくれるってこと!?」

「凄く前向きに捉えたね、赤ずきんさん……」

 

 その言葉が表す意味を口にしたところ、どこか呆れたような顔をするジャック。どうやらジャックの方からベッドに入ってきてくれるわけではないらしい。となると必然的に赤ずきんが最も怖れている事態になるわけで――

 

「それも違うよ。今夜からはお互いに自分のベッドで寝ようってことだよ」

 

 最悪の予想が的中し、ジャックは非常に残酷な言葉をかけてきた。無論眩暈がするほどショックな現実をそのまま受け入れることなどできるわけがなかった。

 

「な、何でさ!? あっ、もしかしてあたし寝相が悪かったかな!? じゃあそれを直したら一緒に寝ても良いよね!?」

「寝相も関係ないよ。理由は、その……えっと……」

 

 必死に抗議して何とかまた一緒に寝てくれるようお願いしてみるが、ジャックは頷かないし駄目な理由も口にしてくれない。一応口にしようとはしているものの、言いにくそうに視線を彷徨わせるばかり。

 その様子から赤ずきんは理由を察すると共に、確かな怯えを抱いた。

 

「……あ、あたしのこと……嫌いに、なったとか……?」

「そ、そんなわけないよ! それだけは絶対に無いよ!」

 

 ぽつりと呟くように尋ねた所、力強い否定が返って来る。表情も先ほどまでの戸惑いや困惑に満ちたものではなく、真剣極まりないもので。どうやら赤ずきんのことを嫌いになったわけではないようだ。それが分かってひとまずは安堵する赤ずきんであった。

 

「じゃ、じゃあ、どうして?」

「それは、その……」

 

 再度尋ねると、やはり言い辛そうな顔をするジャック。良く見れば頬が朱色に染まっているし、どことなく恥ずかしそうにしている様子だ。

 しかしこれでは埒があかないと感じたのか、やがて決意を瞳に滲ませると真っ直ぐに赤ずきんを見つめてきた。頬は変わらず赤いままで。

 

「あのね、赤ずきんさん。僕だって男なんだ。だから好きな女の子が裸で隣に寝てるなんて状況、ずっとは我慢できないんだよ。赤ずきんさんはその、凄くスタイルも良いし……」

「えっ? が、我慢って?」

 

 予想外の言葉をかけられ、目を丸くしながらも尋ねる赤ずきん。確かにスタイルには、というかスタイルくらいにしか女の子としての自信はさほど無い。とはいえ魅力的だと口にしながらも一切行動を起こさなかったジャックのせいで、最近はその自信もなくなってきていたのだが。

 

「もうはっきり言っちゃうけど、正直興奮を抑えるのも限界なんだ。だから、もしまたベッドに入ってきたら、その時は……」

「そ、その時は……?」

 

 思わずジャックの言葉を反芻する赤ずきん。不思議なことにこの時胸の中には一緒にベッドで眠れない寂しさよりも、ジャックが今から口にする事実への期待が満ちていた。

 

「……もう、我慢しない。遠慮なく、赤ずきんさんを襲っちゃうからね」

「お、襲うって……そういう、意味だよね……?」

 

 真面目な顔で言い切り問いに頷くジャックに対して、赤ずきんは自らの顔が熱をもって行くのを感じた。

 もちろん内容に対して感じた羞恥心のせいであるが、実際は結構喜びが大きかった。何せジャックが間違いなく赤ずきんの身体に魅力を覚えていることが、これではっきりと証明されたのだから。しかも襲い掛かりたいほどに魅力的である、と。

 

「言っておくけど、もう服を着てても関係ないからね? それと、同じ理由で僕が入ってる時にお風呂に入ってくるのも禁止だよ。もしそんなことをしたら……分かるよね?」

「う、うん……」

 

 真面目な顔で、しかし頬を赤く染めながら注意してくるジャック。何だかんだでやっぱり恥ずかしい話題らしい。まあ赤ずきんも多少は恥ずかしいので気持ちは分かるが。

 

「ごめんね、赤ずきんさん。僕だって我慢していたんだけど、もう限界なんだ。これ以上されたらきっと、寝込みを襲っちゃいそうだから……」

 

 酷く切実な顔をするジャックに、改めて赤ずきんはその苦痛を思い浮かべる。きっと赤ずきんにとっては穏やかで幸せな時間であっても、ジャックにとっては真逆であっただろう。触れられる距離にいるのに触れられないなど、甘えるのを禁止されるくらいに辛そうだ。

 

「じゃ、ジャックは悪くないよ。むしろあたしが魅力的っていうジャックの言葉を軽く見てたあたしのせいだね。本当にごめん、ジャック……」

「分かってくれたなら良いんだよ。それじゃあ、これからは気をつけてね?」

「うん。たっぷり気を付けるからもう安心しなよ、ジャック?」

 

 赤ずきんの答えに対して、心からほっとした様子を見せるジャック。恐らく本当に我慢の限界だったのだろう。むしろ良く今まで耐えてきたものだ。

 もしも立場が逆だったなら赤ずきんは耐えられる自信が無かった。それほどまでの我慢を強いてきたのだ。だから、その苦労は報われてしかるべきだろう。

 

(大丈夫だよ、ジャック。もう我慢なんてしなくて良くなるからね!)

 

 なので赤ずきんは決心した。今夜も変わらずジャックのベッドにお邪魔しよう、と。

 その結果ジャックに食べられてしまうことになろうとも問題など全く無いし、むしろ望む所なのだから。

 

「じゃあ僕は久しぶりに一人でお風呂に入ってくるね? 間違っても入ってきちゃ駄目だよ?」

「あははっ。入らないから安心しなって、ジャック?」

 

 今夜だけはとはあえて言わず、どこか軽い足取りでお風呂に向かうジャックを見送る赤ずきん。たぶん久しぶりに一人で入浴できるから気持ちが楽なのだろう。

 

「……よし、行動開始だね!」

 

 ジャックの姿を見送ってから、赤ずきんは行動を開始する。大人な行為の経験はほぼゼロだし、残念ながら圧倒的に知識も足りていない。それではきっとジャックに満足してもらうことはできないだろう。

 なので様々な知識を授けてもらうため、すぐさま協力者であるグレーテルの元へ駆けていく赤ずきんであった。以前聞かずに後悔したことがあったため、今回はどんなに生々しい話でも耳を傾けることを固く心に決めて。

 

 

 

 




 次回、最終話。
 余談ですが親指姫の話の方でアリスが若干冷たく当たっているのは、親指姫がアリスとタイマンで腹を割った話をしていないからだったりします。本人がそれを意識しているかどうかは別として。
 次回で終わりだけど、一応初夜くらいは投稿したいなぁ……できたらもう少し他にも……



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いただきます


 ジャックと赤姉のカップリング、最終話。どんでん返しも波乱もない、何の変哲も無いお話です。まあどこかのツンデレ姉様とは違ってほぼ最初からお互いに好意を素直に表わしていましたからね。
 あとは初夜のお話だぁ……。




 

「それじゃあおやすみ、赤ずきんさん」

「うん……おやすみ、ジャック……」

 

 どこか覇気が無い答えを返しながら、ベッドに入る赤ずきん。ジャックはその様子を確認してから、部屋の灯りを全て消して自分もベッドに入った。もちろん赤ずきんと同じベッドではなく、自分のベッドに。 

 

(赤ずきんさん、あの話をした後からずっと様子が変だな。やっぱり、一緒に寝られないのがそんなにショックだったのかな?)

 

 ついに赤ずきんに対する悩みを打ち明け、もう一緒には寝られないと言ってしまったジャック。思いのほか軽蔑やその類の感情は見せてこなかったので安心したのだが、代わりに酷く悲しそうな顔をさせてしまった。やはり赤ずきんはジャックを誘惑しているとかそういうことではなく、純粋に一緒のベッドで寝るのが心地良かったからいつも潜り込んできていたらしい。

 しかしジャックの方は心地良くは無かったため、心苦しいが前言を翻すつもりはなかった。まあさすがにちょっと可哀想なので、一応お互いのベッドは手を伸ばせば触れ合える程度の距離を保ってはいる。

 

(赤ずきんさんには悪いけど、これで久しぶりに安心して眠れるよ……)

 

 背後から包み込むような温もりも、背中に広がる柔らかな感触も、今は全く感じない。ベッドのシーツなども洗濯して新しくしてあるため、赤ずきんの残り香に興奮を催すこともない。久しぶりに心地良く眠りにつけそうなジャックであった。

 これこそ望んでいた状況。望んでいた眠りだ。

 

(でも何だろう、この気持ち……これでもう赤ずきんさんの身体の柔らかさに悩まされなくて済むはずなのに、全然嬉しくないよ。というか変に気になって落ちつかない……)

 

 そのはずだったが、どうにも落ち着けない。何だか背中が寂しく、どこか肌寒いように思えてならなかった。しっかりとシーツで身体を覆っているにも拘わらず。

 

(やっぱり、何だかんだ言って僕も満更でもなかったんだろうなぁ。確かにちょっと柔らかさが気になっちゃうけど、抱きついてくる赤ずきんさんの身体が暖かくてとっても気持ち良かったし)

 

 その理由も何となく分かってはいた。ジャックも決して赤ずきんと一緒に眠るのが嫌ではなかった。むしろ大好きな女の子と触れ合った状態で眠れるのだから、安心と幸せに包まれた素晴らしい心地であった。

 ただその前に男として抑えがたい感情を催していたため、止めざるを得なかったのである。もしもそういった感情を抑えられるのなら、ジャックだって毎晩一緒に赤ずきんと寝たかった。

 

(だけどあんなことを言っちゃった手前、今更ベッドに入って来ても良いなんて言えないよね。もう僕が赤ずきんさんに襲い掛かりたいくらい興奮するんだってこと、これ以上無いほどはっきり言っちゃったし……)

 

 とはいえすでにジャックの本心は伝えてしまったし、実際もう我慢できそうにない。次に赤ずきんがベッドに入ってきたら、その時はジャックも自分を抑えられないだろう。

 

(……今更後悔しても手遅れだよね。うん。変なこと考えてないで、もう寝よう)

 

 なので後悔するのは止めて、さっさと眠ることにした。どこか寂しくとも胸の高鳴りや下半身の疼きを感じずに済む以上、少なくとも安らかな眠りだけは保証されているのだから。

 

「……ジャック、聞いても良いかな?」

「えっ? ど、どうしたの、赤ずきんさん?」

 

 そうしてジャックが眠りに付こうと深く目蓋を閉じた時、背後から赤ずきんに声をかけられた。

 振り返ってみれば、こちらに背を向けて横になったままの赤ずきんの姿。寝る前に少しお話でもしたいのだろうか。

 

「あたしはこれまであんたのベッドに裸で潜り込んでたけどさ、ジャックはもしかしてあたしのこと……エッチな女の子だ、って思ったことあった?」

「えっと……それは、初めの頃はちょっとだけ」

「うっ……やっぱり、思ってたんだね……」

 

 顔が見えずとも恥ずかしそうな、それでいてどこかショックを受けた声なのは分かる。たぶんそんな話題だから赤ずきんもこちらに顔を向けないのだろう。そう思ったジャックは例え後姿でも見るのは失礼かと考え、こちらも同様に背を向けた。

 

「別に今はそんなこと思ってないから安心してよ。それは全部血式リビドーのせいだって分かってるから、赤ずきんさんのことエッチだなんて思ってないよ?」

「そ、そっか……じゃあさ、もしもあたしが、本当にエッチな子だったらどう思う?」

「えっ、どう思うって……?」

 

 安心したような吐息が聞こえたのも束の間、今度はそんな質問が投げかけられる。

 赤ずきんが本当はエッチな子だったら。一応反射的に考えてはみるものの、甘えん坊のイメージと強くて格好良いイメージが強すぎていまいちそんな姿は浮かんでこなかった。確かに身体つきはだいぶエッチだが、赤ずきんが言っているのはそういうことではないはずだ。

 

「もしもあたしが、ジャックと、その……エッチなことをしたくて、裸でベッドに潜り込んでたとしたら……ジャックはどう思う? 幻滅して、あたしのこと嫌いになったりする……?」

「ううん。別に幻滅なんてしないし、嫌いにもならないよ。大体それを言ったら、僕の方こそついさっき幻滅されそうな本音を言っちゃったし……むしろ嬉しい、って思ってるところもあるからね……」

 

 具体的な例を聞かされてようやく想像出来たものの、幻滅などするわけもない。それを言うなら心ではむしろ大いに歓迎したいと思っているジャックの方が、自分に幻滅したいくらいだった。

 

「あ、あたしも幻滅なんてしないよ。ジャックだって男の子なんだから、そういうことを考えちゃうのは仕方ないしね?」

 

 しかし赤ずきんは皆のお姉さんで、理解ある女の子。だからこそジャックの嫌らしい思考も受け止め、認めてくれた。今度はジャックが安堵の吐息を零す番であった。

 

「……でも、そっか。それなら、大丈夫だよね」

「えっ、大丈夫って何が――!?」

 

 首を傾げ、思わず寝返りを打って赤ずきんの方を向こうとしたジャック。しかし結局それは叶わなかった。何故ならその直前、背中にとても親しみと思い入れのある温もりが引っ付いてきたから。もちろん、夢のような柔らかさと共に。

 

「えっ、と……赤ずきんさん? 僕が言ってたこと、忘れちゃったの? 今度ベッドに入ってきたら、その時は問答無用で襲っちゃうって言ったよね?」

 

 今更この感触が何なのかなど考えるまでもない。その正体が分かっていたジャックは、抱きついてきている赤ずきんに警告を発した。問答無用で襲い掛かると言ったものの、ジャックだって赤ずきんが傷つくようなことはしたくない。だからこそ発した警告であった。

 

「……いいよ」

「……えっ?」

 

 しかし、赤ずきんは離れなかった。それどころか肯定の呟きを零すと、ジャックの身体の正面に腕を回して更に強く抱きついてくる。

 

「襲っても、いいよ。あたしはもう、心の準備もできてるからさ……」

 

 挙句の果てに、襲い掛かっても構わないという意味の言葉まで。背後から抱きつかれているために表情は見えないものの、声音には嘘や冗談が含まれているとは思えない。そこにあったのは僅かばかりの恥じらいと、覚悟だけだった。

 

「ほ、本気、なの?」

「……うん。あたしは誘ってるんだよ、ジャック。今まではそういうこと考えてなかったけど、今回は別だよ」

 

 そう言って、赤ずきんは更に身体を押し付けてくる。それも自らの豊かな胸の膨らみを以って、ジャックの背中を撫で回すように。背中に広がる想像を絶する柔らかさに、ジャックは痺れにも似た感覚を覚えていた。触れられている背中と、身体のもっと下の方に。

 

「ほ、本当に、いいの……?」

「むしろ、ジャックじゃなきゃ嫌だよ……それに、あたしもジャックに抱きしめてもらいたいんだ。いつもはこうやってあたしがジャックに後ろから抱き付いてるからさ、たまにはあんたに正面から抱きしめて欲しいな……」

「赤ずきんさん……」

 

 考えてみれば、ジャックは寝る時に赤ずきんを正面から抱きしめてあげたことがなかった。もちろんそれはベッドに入ってくる赤ずきんが裸になることが原因なのだが、相手は実はとても甘えん坊な赤ずきん。きっと内心では納得行かなかったに違いない。

 そして無論ジャック自身も後ろから抱きつかれるだけではなく、正面から抱きしめたいと思っていた。この甘えん坊なお姉さんを堪能したいという欲望は元より、愛する女性を正面から抱きしめられなければ男ではない。

 

「大好きだよ、ジャック……」

 

 赤ずきんは後ろから耳元で愛を囁くと、軽く首筋にキスを一つ落としてきた。

 元々ジャックはこの一ヶ月、欲望が溜まりに溜まっていた。そこにこんな愛の囁きと、覚悟が出来ているという事実。その二つを示されてしまえば、最早耐えることなど不可能だった。

 

「――わっ!?」

 

 ジャックは即座に赤ずきんの腕を振り解くと振り向いてそのまま身体を押し倒す。赤ずきんの身体に跨り、両腕を掴んで逃がさないように。

 

「じゃ、ジャック……?」

「……もう、後悔しても遅いからね? 僕はもう、赤ずきんさんを食べちゃいたくて仕方ないんだから」

 

 微かな戸惑いに揺れる赤ずきんの瞳を見下ろし、そして更に下へと視線を向けていく。誘惑のための勇気を出すためだったのだろうか。今の赤ずきんは寝る時のラフな格好ではなく、血式少女隊の制服の上にいつものお気に入りのコートを羽織った姿であった。

 しかし豊かな胸の膨らみは制服を下から押し上げ主張しているし、捲れた制服の裾からは美しい曲線を描くウエストが覗いている。ショートパンツからむき出しの太股は思わず舌なめずりしそうなほどに肉付きが良い。

 童話のオオカミは赤ずきんに服を脱がせて食べようとしていたらしいが、確かにこの赤ずきんなら服を脱がせて食べたくなるのも十分に理解できた。というかジャックも実際にそうしたかった。

 

「あははっ。あたし、ジャックに食べられちゃうんだ……ちょっと怖いけど、でも……あんたに食べられるなら、本望だよ……」

 

 しかし童話とは異なり、赤ずきんはオオカミであるジャックに対して抵抗は見せなかった。むしろどこか幸せそうな笑みを浮かべ、ジャックを愛しそうに見つめてくる。案外グレーテルが言っていた通り、本当は最初からジャックに食べてもらいたかったのかもしれない。

 ベッドに横たわりどこか潤んだ瞳で見上げてくる赤ずきんは、お気に入りのフードを羽織っているにも拘わらず今やこんなにも弱々しく可愛らしい姿を晒している。それも頬を赤く染め、緊張に身を縮こまらせながら。

 今まで色々と我慢を重ねてきたジャックにとって、その様子だけでも理性を失いそうになってしまうほど魅力的であった。

 

「本当に、良いの? きっと、いくら僕でも途中でやめたりなんかできないよ?」

 

 それでも残った理性を振り絞り、赤ずきんの決意を確かめる。今まで必死に欲望を押さえ込んでいたからこそ、一度正直になってしまえば歯止めは利かない。そうなれば優しく扱うことはきっと難しいだろう。だからジャックは改めて尋ねた。

 

「……さっきも言ったけど、構わないよ。今まで色々我慢させてきたみたいだし、あたしは身体が丈夫で体力もあるから、それでジャックを喜ばせられるなら願ったり叶ったりだよ」

「赤ずきんさん……」

 

 返ってきたのは変わらぬ決意が滲む答え。その瞳にも表情にも嘘は見えず、ジャックへの想いだけがそこにあった。

 

「あ……でも、一つだけ聞いて欲しいことがあるんだけど、良いかな?」

「……うん。何かな?」

「やっぱり、服を着たままジャックとベッドに入ったせいか落ち着かないんだよね……だから、その……ジャックは好きなことして良いけど……なるべく早く、脱がしてくれると嬉しいな……?」

 

 頬を染め、正に年頃の女の子のように恥らいながらそんな台詞を口にする赤ずきん。それでいてジャックの好きにして良いという自分の言葉は否定せず、ただ服を早く脱がせて欲しいと懇願してくる。

 元々ジャックは欲望を押さえ込んでいてすでにいっぱいいっぱいの状態。そんな状態で眩暈がしそうなほどに可愛らしい赤ずきんの姿を見てしまえば、もう堪えることなどできなかった。

 

「うん、分かったよ。それじゃあ……いただきます」

「――んっ」

 

 可愛らしい赤ずきんを食べるために、きっちりと食前の言葉を呟いてから一口目を口にした。今のジャックは飢えたオオカミなのだから、欲望に身を任せることに躊躇いは無いしそれが自然。

 ただし幾ら今はしおらしく見えても、相手は血式少女の中でも抜群の膂力や身体能力を誇る赤ずきん。ましてジャックは男の中でも非力な部類。抵抗は赤子の手を捻るくらいに簡単なことだろう。

 しかし赤ずきんは一切抵抗を見せず、されるがままにジャックに貪られるのであった。だからこそジャックは欲望のまま、本能のままに赤ずきんを貪った。それこそまるで、発情したオオカミのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、みんな! 今日も良い朝だね!」

 

 赤ずきんをたっぷりと味わい、翌朝。

 お互いの関係が更に深くなったことを皆に悟られないか心配になっていたジャックだが、その心配は見事に的中した。何故なら共に朝食の席に顔を出した赤ずきんの様子が、傍から見てもおかしいと分かるほどにご機嫌だったから。それはもう恋人としての贔屓目を抜きにしても魅力的な、眩く輝く最高の笑みである。

 

「おはよ、赤姉。何か今日は妙にテンション高いけど、何かあったの?」

「あははっ、やっぱり分かっちゃうか。まあちょっとあったんだ。ね、ジャック?」

「そ、そうだね……」

 

 話を振られて昨夜の一幕を思い出し、顔が熱くなってくるジャック。

 昨夜ジャックは正にオオカミの如く赤ずきんに襲いかかり、欲望のままに満足するまで喰らってしまった。最中には無我夢中だったので自分の行動を疑問に思ったりはしなかったものの、すっかり頭が冷えた今となっては羞恥や後悔でいっぱいだ。あれほど夢中になってしまうとは、やはりジャックも所詮は羊の皮を被ったオオカミなのだろう。

 

「ジャック、何だか顔が赤いのだけれど……もしかして熱でもあるの? ひょっとして風邪かしら?」

「そ、そうじゃないよ、アリス。ただちょっと、ね……」

「そうだよ。ちょっと、ね?」

 

 心配してくれたアリスには悪いが本当のことは言えない。なので先ほど振られたように思わせぶりな答えを返して赤ずきんに視線を向けるも、返ってきたのは恥ずかしそうな表情ではなく意味あり気な微笑みだけであった。それもかなり意地悪な感じの。 

 

「……何だかお二人の様子がおかしいですわ。私達に何かを隠しているように見えますもの」

「そ、そうですね。何だかいつもとお二人の雰囲気が違う気がします……」

「ふふっ……」

 

 朝食の席に集っていたシンデレラや白雪姫といった残りの少女達も首を傾げているものの、グレーテルだけは全てを知っていると言わんばかりの不気味な笑みを浮かべていた。

 赤ずきんは度々グレーテルに恋愛相談をしているらしいのでジャック達の関係はかなりの所まで知っているはずだが、さすがに昨夜の出来事まで知っていることはないはずだ。怪しい笑みを見る限りでは知っていそうな気がしなくも無いが。

 

「ま、その辺は気になる子にだけ後で教えてあげるよ。そんなことより朝ごはんだ! さ、ジャック。一緒に席に着こ?」

「う、うん――って、え、ちょ、赤ずきんさん?」

「うん? どうかした?」

 

 一緒に席に着こうとした赤ずきんが不思議そうに首を傾げてくる。

 別に一緒に席に着くことはおかしくない。ジャックと赤ずきんが恋人同士なのは周知の事実だし、今までだって隣同士の席に座ることは何度もあった。ジャックが問題視したのはもっと別のこと。

 

「ど、どうかしたって……これはちょっと、くっつきすぎじゃないかな? その、お姉さん的にこれはまずいんじゃ……」

 

 それは自分たちの距離と触れ合い。今まで赤ずきんは皆からのお姉さんとしてのイメージを壊したくないがために、皆の前では積極的な触れ合いを行ってこなかった。だからジャックもその意を汲んで協力していた。

 しかし今、あろうことか赤ずきんはジャックにべったりくっついていた。お互いの肩を触れ合わせ、腕を絡ませてべったりと。しかもその絡めたジャックの片腕に抱きつくような形で。これは誰がどう見ても赤ずきんがジャックに甘えているようにしか見えない格好であった。だからこそジャックは問題視したのだ。

 

「ああ、そういうことか。もういいんだよジャック、そういうのは気にしないで」

「え、ど、どういうこと?」

 

 だが赤ずきんはあっさりとそんなことを口にする。皆からのイメージに一番拘っていたのは他ならぬ赤ずきんだというのに、これではもうどうでも良くなったかのような言い草だ。さすがにこれにはジャックも困惑を隠せなかった。

 

「皆から頼りになるお姉さんって思われていたいから、皆の前ではいつもみたいな触れ合いはしてこなかったけどさ、もうそういうのは全部止めるよ。これからは皆の前でも存分にイチャイチャするんだ!」

「え、えぇっ!? あ、赤ずきんさんは、それでいいの……?」

「うん。だってあたしは気付いたんだ。要は皆の前でどれだけジャックに甘えたって問題ないくらい、あたしが更にお姉さんとしての力を増せば良いんだからね!」

(な、なるほど……相変わらず脳筋な発想だなぁ。さすが赤ずきんさん……)

 

 理に適っているように見えてその実とんでもない発想に、納得しつつも微かに呆れてしまう。とはいえ真っ直ぐな赤ずきんらしく、至極簡単な考えなのも確かだった。

 

「もちろん今までだって頑張ってきたんだし、言うほど簡単じゃないと思うよ? だけどあたしにはできるっていう確信があるんだ。だってあたしを支えてくれる、頼りになる男がここにいるんだからさ……」

「赤ずきんさん……」

 

 ぽっと頬を染め、深い信頼と愛情に満ちた瞳を向けてくる赤ずきん。そんな目を向けられてしまえば、ジャックにできるのは頷くことだけだった。元々赤ずきんの力になることが、ジャックの望みであったのだから。

 

「今は甘えてるんだから、その呼び方は無しだよ?」

「……うん。そうだね、赤ずきん。君が今よりもお姉さんらしく振舞えるように、僕は精一杯支えていくよ」

「うんうん! 頼りにしてるよ、ジャック!」

 

 ジャックが答えると、赤ずきんは嬉しそうに笑って更に深く腕を抱きしめてきた。最早ジャックの二の腕は赤ずきんの胸の膨らみの間に挟まっている感じであり、魅惑の柔らかさと弾力がひしひしと伝わってきている。

 しかしジャックは昨夜今まで溜まっていたケダモノな欲望を全て発散したところなので、さすがにこの程度のことで我を忘れることはなかった。まあ昨夜のことが無ければこの場で押し倒していたかもしれないくらいには、破壊力のある感触だったが。

 

「……何、あれ? ていうか誰?」

「ジャックさんはともかくとして……あれは、本当に赤ずきんさんですの?」

 

 そんな風にジャックが鼻の下を伸ばしていると、親指姫とシンデレラが困惑に満ちた呟きを零すのが聞こえてきた。まあ二人からすれば突然赤ずきんが子供のようにジャックに甘え始めたのだから、頼りになるお姉さんに長く接してきた二人には無理の無い反応だ。

 

「わあぁ……ジャックさんに赤姉様、とっても仲良しです……!」

「ふふっ。二人とも、おめでとう」

 

 しかしすぐに受け入れている少女達もいた。白雪姫は困惑など見せずむしろ瞳を輝かせているし、アリスもどこか満足気な笑みを浮かべている。

 少なくとも赤ずきんが長年努力して築いてきた頼りになるお姉さんとしてのイメージは、困惑を覚えこそすれ壊れてしまうほど柔なものではないのだろう。それならジャックも一安心だった。

 

「……そう。やったのね」

(や、やった、って……ど、どういう意味で言っているんだろう……?)

 

 ただ一つ、意味深な笑みを浮かべて思わせぶりな呟きを零すグレーテルにだけは、どうしても安心感を覚えらなかった。その呟きは赤ずきんが皆の前でもジャックに甘えられるようになったことに対してか、それとももっと別の出来事に関してかが分からなかったからだ。まあいずれにしても、グレーテルなら下手に言い触らしたりすることはないだろう。

 とにもかくにも、ジャックは子供のようにべったりくっついてくる赤ずきんと共に席に着くのであった。これからはきっと皆の前でも気兼ねなく赤ずきんと触れ合えるであろうことに対して、確かな喜びを感じながら。

 

 





 これにてジャック×赤ずきんのお話は終了。親指姫の時のような番外編を書くのもいいですが、それはハーレムの方でも書けなくもないので悩んでいます。とりあえず初夜だけは事後、朝チュン含めて書く予定です。もう半分くらいまで書いてますし。問題は投稿の形ですね。親指姫のエッチな話と纏めちゃおうかなぁ……。



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