ロクでなし魔術講師と復讐の精霊使い (ユキシア)
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復讐者とロクでなし講師

―――熱い。

鬱蒼に茂る深い森で彼は全身を焼かれる思いをしながら歩いていた。

別段、本当に彼の身体が炎に包まれているわけではない。内側から本当に燃えているような熱を感じているだけであって外傷は数える程度しかない。

だが、彼は例えその身が本当に燃えていたとしてもそんなことはどうでもよかった。

彼の心に宿る恨みと憎しみ、憎悪で荒れ狂い、それが黒い炎となって燃え上がる。

「殺してやる………………………」

紅色の眼は鋭い眼光となって輝きながら怨嗟の声を口にする。

―――死んでたまるか。

―――殺してやる。

どこまでも生にしがみついて必ずこの復讐を果たしてやる、と。彼はその歩みを止めることなくただ進む。

身体が悲鳴を上げようが無視する。

――そんなことよりも力を手に入れる。

この痛みを天に向かって叫びたい。

――そんな暇があれば前に進め。

誰か助けて。

――そんなものはいない。

甘さを、弱さを、安らぎを、快眠を、幸福を、祝福を、全てを復讐の糧にしろ。

力を求めろ。

力を手に入れろ。

復讐をその身で燃やせ。

復讐を果たせ。

彼の心にある黒い炎が衝動となって彼を突き動かす。

――――そして

そんな彼の前に現れたのは一体の精霊だった。

赤く輝く長い髪、華奢で清楚な身体の線を強調する極薄の衣をゆるりとまとった褐色色の肌と尖った耳が特徴的な絶世の美少女。

彼はそれが一目で精霊だと理解した。

そして、その精霊は力を持っていることさえもわかった彼は彼女に手を伸ばした。

「力を寄越せ」

復讐を果たす、その為に。

そんな彼の手を彼女は掴んだ。

 

 

 

 

 

 

「起きなさい! ロクス=フィアンマ!!」

「あぁ?」

夢の中で懐かしき過去を見ていた彼は少女の怒声で目を覚まして顔の上にのっけている教本を取って彼女に視線を向けて嘆息する。

「うっせぇぞ、説教女」

「なっ―――! 誰が説教女よ!? だいたい貴方はいつもいつも―――」

ぐちぐちと説教を始める少女の名前はシスティーナ=フィーベル。アルザーノ魔術学院の生徒であり、ロクスと同じ教室で魔術を学ぶ学士である。

アルザーノ帝国魔術学院はアルザーノ帝国が魔導大国として名を轟かせる基盤を作った学校であり、常に最先端の魔術を学べる最高峰の学び舎で魔術師育成専門学校である。

彼等はここで魔術を学び、日々魔術の研鑽に励んでいるのだ。

その一人がシスティーナである。

純銀を溶かし流したような銀髪のロングヘアと、やや吊り気味な翠玉色の瞳が特徴的な少女は今日も不真面目な彼、ロクス=フィアンマを説教している。

「貴方にはこの学院の生徒としての誇りと矜持はないの!? 机に脚を置かない! 授業中も寝ない! 制服を着崩れしない!」

がみがみと説教をするシスティーナは模範的で優秀な生徒だ。ただ彼女の生真面目な性格と説教で容姿は美少女でも中身は残念という残念美少女ではあるが。

「喧しい。俺に文句があんなら一科目でも俺に勝ってから言え」

「むぅ、どうして貴方みたいな人が首席なのよ」

そんなシスティーナ相手に動じない男子生徒、ロクス=フィアンマ。

灼熱の炎を連想させるような赤髪と紅の瞳を持つ彼を一言で表すのなら『不良生徒』だ。

言動は乱暴、態度も横暴、唯我独尊を突き進むようなそんな彼だが成績は非常に優秀。

あらゆる科目で彼は首席から外れたことはないほどに優秀で、魔術師の階位は二年次で既に第三階梯(トレデ)までに至っている。

優秀であるシスティーナでさえまだ第二階梯(デュオデ)に昇格したばかりなのに魔術師として彼は自分よりも先にいることがシスティーナは納得いかなかった。

「まぁまぁ、システィ。まだ先生は来てないんだから、ねぇ?」

横からシスティーナを宥めに入るのはシスティーナの親友であるルミア=ティンジェル。

綿毛のような柔らかなミディアムな金髪と、大きな青玉色の瞳が特徴的な少女。清楚で柔和な気質がその容姿や立ち振る舞いから匂い立ち、その清楚と整った顔立ちはまるで聖画に描かれた天使のように可憐だった。

そのルミアの言う通り、授業中にも関わらずまだ講師は来ていない。

以前に魔術を教えていた講師は突然に辞めて、代わりに非常勤の講師が訪れるはずなのだが、いまだに姿を現さず。

大陸屈指の魔術師であり、最高位である第七階梯(セプテンデ)まで至ったセリカ=アルフォネア曰く『まぁ、なかなか優秀な奴だよ』という前評判は早くも瓦解しそうな勢いだった。

いまだ現れないその非常勤講師に苛立ったのか普段から不真面目な態度を取るロクスに矛先が向けられたのかもしれない。

「ロクス君ももう少し真面目に授業を受けよう?」

ルミアは優しい物腰でロクスに声をかけるが―――

「俺は以前に話しかけるなって言ったぞ、ティンジェル」

ロクスはシスティーナ以上に冷たい態度でルミアにそう言った。

その言葉にシスティーナは頭にきた。

「貴方ねぇ! どうしてルミアにそんなに冷たくするの!? ルミアは貴方の為を思って言っているのよ!?」

親友であり、家族であるルミアにシスティーナは声を荒げるもロクスははっきりと告げる。

「嫌いな奴を嫌いって言って何が悪い? 俺はそいつが嫌いだ。だから話したくもない。お前だって嫌っている奴と話したくはねえだろうが。俺はそれをはっきりと口にしているだけだ」

「貴方ね……………………ッ!」

「システィ! 私のことはいいから!」

その言動にシスティーナは手を上げようとするもルミアが止めに入った。

「止めないでルミア! 今日という今日は許せない!!」

このような光景は別段初めてではない。もうこのクラスの生徒達には慣れた光景だ。

『俺はお前が嫌いだ。だから話しかけんな』

二年次生となって同じクラスとなったルミアに最初に告げた言葉が拒絶だった。

それに戸惑いもしたルミアだったが、親友であるシスティーナがロクスに怒り、その理由を聞こうとするもそれさえも答えない。

ルミアが学院の嫌われ者というわけではない。むしろ、学院では特に男子生徒では非常に高い人気を誇っている。容姿も性格もいいルミアを嫌う者は少なく、好意を持つ者が多い。

逆にロクスは学院に入学してから孤立している。

普段からの彼の言動や態度は講師でさえも目に余るばかり。そこに学院の人気者であるルミアを嫌っているということもあって彼に声をかけるのは講師とこの二人ぐらいなものだ。

「ルミアが貴方に何をしたって言うのよ!? それぐらい答えなさいよ!!」

「別に言う必要ねぇだろう。嫌いなものは嫌いなんだよ」

そうはぐらかすロクスにシスティーナの忍耐は限界だった。

今日という今日は決着をつけてやる。そんな勢いで左手に嵌めている手袋を投げようとした瞬間。

「あー、悪ぃ悪ぃ、遅れたわー」

がちゃ、と教室前方の扉がどこか聞いたような声と共に開かれた。

噂の非常勤講師がようやく訪れたのだが、今の喧騒な教室に非常勤講師は目を丸くした。

「なんだ? 喧嘩か? 就任早々面倒事は勘弁しろよ………………………」

明らかに面倒くさそうに嘆く非常勤講師にシスティーナは振り返って硬直した。

「あ、あ、あああ――――貴方は―――――ッ!?」

「………………………………違います。人違いです」

「人違いなわけないでしょ!? 貴方みたいな男がそういてたまるものですかっ!」

システィーナの知っている人なのか、先ほどのロクスへの怒りがどこかに霧散してその非常勤講師の方に向けられるも男は教卓に立ち、黒板に名前を書く。

「えー、グレン=レーダスです。本日から約一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせていただくつもりです。短い間ですが、これから一生懸命頑張っていきま………………………」

「挨拶はいいから、早く授業を始めてくれませんか?」

一度ロクスの方を睨みながらも苛立ちを隠すことなく、システィーナは冷ややかに言い放った。

「あー、まぁ、そりゃそうだな………………かったるいけど始めるか………………仕事だしな………」

先程の取り繕った口調はどこへやら。たちまち素が出てきたグレンはチョークを手に取り、黒板の前に立つ。

生徒の誰もが気を引き締めてその一挙一投足に注視し始める。

クラス中の注目が集まる中で、グレンは黒板に文字を書いた。

 

 

自習。

 

 

黒板に大きく書かれたその文字に、クラス中が沈黙した。

「えー、本日の一限目の授業は自習にしまーす」

さも当然、とばかりにグレンは宣言した。

「………………………………眠いから」

さりげなく最悪な理由をぼそりとつぶやいてグレンは教卓に突っ伏して数十秒もしないうちに眠りについた。

圧倒的な沈黙が支配している。

そして。

「ちょおっと待てぇええええええー――――――ッ!?」

システィーナは分厚い教科書を振りかぶって、猛然とグレンへ突進していった。

 



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魔術とは?

非常勤講師として就任してきたグレン=レーダスの授業は最悪だ。

聞いても授業の内容が理解できない。そもそも説明にもなっていない。判断不能の汚い文字を黒板に書く。

とにかくやる気がないことだけはよく理解できた生徒達は教科書を開いて独学で勉強している。

そんな授業が一週間続いた最後の授業となる五限目でシスティーナは立ち上がった。

「いい加減にしてくださいッ!」

「む? だから、お望み通りいい加減にやってるだろ?」

グレンは抜け抜けとそんなことを言い放ち、教科書を黒板に打ちつける作業を堂々と続けている。金槌を肩に担ぎ、釘を口にくわえているその姿はまるで日曜大工だ。

そんなグレンにシスティーナは肩を怒らせ、説教するもグレンはそれを聞き流すとシスティーナは強硬手段を取った。

システィーナは魔術の名門であるフィーベル家の娘。学院にそれなりの影響力を持っている。システィーナが父親に進言すればグレンの進退を決すこともできる。

そうされたくなければ授業に対する態度を改めろと言おうとするが――

「お父様に期待していますと、よろしくお伝え下さい!」

グレンは紳士の微笑を満面に浮かべた。

「―――な」

その反応にシスティーナは言葉を失うしかなかった。

「いやー、よかったよかった! これで一ヶ月待たずに辞めれられる! 白髪のお嬢さん、俺の為に本当にありがとう!」

「貴方っていう人は――――ッ!」

もうシスティーナは忍耐の限界だった。

グレンという男の素行を看破することはできず、魔術の名門として誇り高きフィーベルの名において、魔道と家の誇りを汚す者を許しておくわけにはいかなかった。

故に決断は早かった。

システィーナは左手に嵌めた手袋を外し、それをグレンに向かって投げた。

左手の手袋を相手に向けて投げるのは魔術師の決闘の申し込みだ。それを相手が拾うことで決闘が成立する。

だが、生徒と講師での決闘なんて前代未聞。それも決闘のルールは受け手側が優先的に決めることが出来る。

講師と生徒でさえ実力差はあるにも関わらず、システィーナはグレンに決闘を申し込んだ。そしてグレンはその決闘を―――

「その決闘、受けてやるよ」

受けてしまった。

 

 

 

 

等間隔に植えられた針葉樹が囲み、敷き詰められた芝生が広がる学院中庭にて。グレンとシスティーナの二人は互いに十歩ほどの距離を空けて向かい合っている。

講師と生徒の決闘にクラスメイトだけではなく、噂を聞きつけて集まった野次馬達のなかにはロクスも二人の決闘を見ていた。

勝負形式は汎用魔術である黒魔【ショック・ボルト】のみで決着をつける。

システィーナがグレンに勝ったら態度を改めて真面目に授業を行う。

グレンがシスティーナに勝ったら説教禁止。

負けた方は勝った方の要求に従わないといけないその決闘に二人の決闘を見守っているクラスメイト達は心情はシスティーナを応援しているも、相手は仮にもこの学院に招かれた講師。それ相応の実力があるはず。

「《雷清の紫電よ》――――ッ!」

システィーナは一節詠唱で【ショック・ボルト】を放った。

「ぎゃああああああ―――――っ!?」

それにグレンは直撃してあっさりと倒れ伏した。

「………………………あ、あれ?」

指を突き出した格好のまま硬直し、脂汗を垂らした。

決闘を遠巻きに眺めていた生徒達もこの結末にざわついている。

予想を斜め上にいく結末に誰もが唖然とする中、回復したグレンは立ち上がる。

その後、何度やってもグレンの呪文よりもシスティーナの呪文が早く完成し、システィーナに一発も【ショック・ボルト】は当たることは無かった。

作業のように行われたその決闘で地面に大の字で痙攣しているグレンは一節詠唱ができないことがわかった。

あれこれと言い訳染みたことを言うグレンだが、決闘はシスティーナの勝ち。システィーナの要求をグレンは呑まなければならないのだが。

「は? なんのことでしたっけ?」

この男は決闘での約束を反故にし、高笑いしながら走り去っていった。

「チッ」

誰もがグレンを酷評するなかでロクスは小さく舌打ちした。

(時間を無駄にさせやがって…………………)

わざと負けたグレンに苛立った。

そもそも学院を一刻でも早く辞めたいグレンが勝つ意味なんてない。そんなことをすれば最低一ヶ月は非常勤として働くことになる。逆に負けて態度を改めた授業をしたくないであろうグレンが自分にとって一番都合のいい手段は嫌われ者になることだ。

嫌われ者を引き止める奴はいない。逆に留めておく必要性もない。

一秒でも早く講師を辞められる手段をグレンは取っただけだ。

だが、それでもあの講師がどんな戦い方をするのか多少なり興味があったが成果はゼロどころかマイナス。完全に無駄足だった。

ロクスは苛立ちと共にその場から離れていく。

 

 

 

その決闘が終えてからもグレンのやる気のない授業は変わらない。

もう誰もが自習をするが当たり前になっているなか、それでも何かを学ぼうと健気で真面目な生徒がいた。

そんな生徒相手でもグレンはただ辞書を渡して辞書の引き方を解説するだけであって、無関心を決め込むつもりだったシスティーナも流石に黙っていられなくなった。

「無駄よ、リン。その男に何を聞いたって無駄だわ」

「あ、システィ」

「その男は魔術の崇高さを何一つ理解していないわ。むしろ馬鹿にしている。そんな男に教えてもらうことなんてないわ」

「で、でも………………」

「大丈夫よ、私が教えてあげるから。一緒に頑張りましょう? あんな男は放っておいていつか一緒に偉大なる魔術の深奥に至りましょう?」

システィーナがうろたえているリンを安心させるように、笑いかけたその時だ。

一体、何がその男の気に障ったのか。

「魔術って…………………そんなに偉大で崇高なもんかね?」

ぼそり、とグレンが誰ともなくこぼした。

「ふん。何を言うかと思えば。偉大で崇高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方のような人には理解できないでしょうけど」

鼻で笑い、刺々しい物言いでばっさりとシスティーナは切り捨てた。

「何が偉大でどこが崇高なんだ?」

「…………………え?」

「魔術ってのは何が偉大でどこが崇高なんだ? それを聞いている」

食い下がるグレンの言葉にシスティーナは一呼吸置いて答えた。

魔術はこの世界の真理を追究する学問。

世界の起源、構造、支配する法則。魔術はそれを解き明かし、自分と世界が何の為に存在するのかという永遠の疑問に答えを導き出し、人よりも高次元の存在へ至る道を探す手段、と。システィーナは会心の返答をするも。

「…………………何の役に立つんだ? それ」

グレンはそう言い返した。

世界の秘密を解き明かして、より高次元の存在になることでそれが何の役に立つのかとそう言い返すと、システィーナはそれに即答できなかった。

そんなシスティーナにグレンはつまらなそうに追い討ちをかける。

この世界で術と名付けられた物は大体人の役に立っているが、魔術だけは何の役にも立っていない。何故なら魔術の恩恵を受けられるのは魔術師だけで、普通の生きていく一般人には触れることもない代物だ。

魔術は娯楽の一種。グレンはそう言ったのだが―――

「悪かった、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立っているさ」

突然の掌返しにシスティーナを含むクラスの生徒一同が目を丸くする。

だが。

「あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ…………………人殺しにな」

酷薄に細められたその暗い瞳、薄ら寒く歪められた口から紡がれたその言葉は、クラス中の生徒達を心胆から凍てつかせた。

「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役に立つだろ?」

「ふざけないでッ!」

魔術を外道に貶められることは看破できなかったシスティーナだが、グレンの魔術の裏の世界に何一つ反論することはできなかった。

「まったく俺はお前らの気が知れねーよ。こんな人殺し以外、何の役にも立たん術にせこせこと勉強するなんてな。こんな下らないことに人生費やすなら他にもっとマシな――」

ぱぁん、と乾いた音が響いた。

歩み寄ったシスティーナが、グレンの頬を掌で叩いた音だ。

「いっ………………………てめっ!?」

グレンは非難めいた目でシスティーナを見て、言葉を失った。

「違う…………………もの…………………魔術は………………そんなんじゃ………………ない………………もの………………………」

気付けば、システィーナはいつの間にか目元に涙を浮かべ、泣いていた。

「なんで…………………そんなに…………………ひどいことばっかり言うの……………? 大嫌い、貴方なんか」

そう言い捨てて、システィーナは袖で涙を拭いながら荒々しく教室から出ていく。

後に残されたのは圧倒的な気まずさと沈黙だった。

「――――ち」

グレンはガリガリと頭を掻きながら舌打ちする。

「あー、なんかやる気でねーから、本日の授業は自習にするわ」

そう言って教室から出ていくグレン。今も気まずさと沈黙が続く教室のなかでその沈黙をロクスは破った。

「下らねえ………………………」

「…………………………何が、下らないの?」

吐き捨てるように呟いた言葉に反応したのはルミアだった。

いつもは見せない怒りが灯った目でロクスを見据えるもロクスはそれに怯むことなく言い切る。

「フィーベルとあの講師の考えに下らねえって言ったんだ。魔術は世界の真理を追求する学問? 人殺しの道具? ハッ、どっちも下らなすぎる。下らな過ぎて吐き気がする」

二人の考え方にロクスは鼻で笑って苛烈なまでに言い切った。

「おい、それはいくら何でも言い過ぎだろう!?」

「そうですわ! 一体何が下らないのですの!?」

ロクスの言葉にクラスメイトであるカッシュとウェンディが立ち上がって声を荒げるもロクスはそんな二人にその鋭い眼光を向ける。

「魔術は”力”だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。あの二人が言っていることは俺から言わせればただの戯言、雑音(ノイズ)だ」

そこまで言うのか、彼の言葉に教室にいる誰もがそう思った。

「俺は力を手にする為にこの学院に来た。お前等のように仲良しこよしする為でも、遊びで魔術を習いにきたわけじゃない。力を得る為にこの学院は使えると判断したから入学しただけだ。魔術を真理を追究する学問に使う気も人殺しの道具に使う気もさらさらねぇ。目的を果たす為に魔術を身に着ける。それだけだ」

グレンの時とは違う。心胆が凍てつくとは真逆の苛烈で猛烈な熱を有する彼の言葉に誰もが冷汗を流した。

「お前等みたいに表しか見ていない奴等と裏しか見て来ていないあの講師と俺を一緒にするな。俺は俺だけの為に魔術を使う」

ロクスは立ち上がって教室の扉を開ける。

「もっとも俺の言葉に耳を貸す必要はないがな。そんなことをしても邪魔なだけだ」

そう言い残して彼は教室を出ていった。

 



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それはどうでもいいこと

次の日、授業の予鈴前。

「…………………昨日はすまんかった」

グレンはシスティーナに頭を下げて謝った。

その光景に誰もが、システィーナさえも硬直し困惑を隠せずにいた。

授業開始前だというのに教室に姿を現したグレンが、システィーナに頭を下げて謝って予鈴が鳴る。この時まで生徒達は遅刻はしなかったけど、立ったまま寝ているんだろうと予想していたが、グレンはそれを見事に裏切った。

「じゃ、授業を始める」

どよめきがうねりとなって教室中を支配した。誰もが顔を見合わせる。

「さて……………と。これが呪文学の教科書…………………だったっけ?」

グレンが教科書をめくって、苦い顔を浮かべる。そして教科書を持って窓際へと歩み寄り、窓を開いて………………。

「そぉい!」

窓の外へその教科書を投げ捨てていた。

その光景はもう見慣れたグレンの奇行。生徒達は失望と溜息と共に各々自分の好きな教科書を開いたのだが。

「さて、授業を始める前にお前らに一言言っておくことがある」

再び教壇に立ったグレンは一呼吸置いて――――

「お前らって本当に馬鹿だよな」

なんかとんでもない暴言を吐いた。

「昨日までの十一日間、お前らの授業を見ててわかったよ。お前らって魔術のこと、なぁ~んにもわかっちゃねーんだな。わかっていたら呪文の共通語を教えろなんて間抜けな質問出てくるわけないし、魔術の勉強と称して魔術式の書き取りやるなんてアホな真似するわけないもんな」

「【ショック・ボルト】程度の一節詠唱もできない三流魔術師に言われたくないね」

誰が言ったか。しん、と教室が静まり返る。

そして、あちらこちらからクスクスと押し殺すような侮蔑の笑いが上がった。

「ま、正直、それを言われると耳が痛い」

ふて腐れたようにグレンはそっぽを向きながら小指で耳をほじる。

「残念ながら、俺は男に生まれたわりには魔力操作の感覚と、あと、略式詠唱のセンスが致命的なまでになくてね。学生時代は大分苦労したぜ。だがな………………誰かが知らんが今、【ショック・ボルト】『程度』とか言った奴。残念ながらお前やっぱ馬鹿だわ。ははっ、自分で証明してやんの」

教室中に、あっという間に苛立ちが蔓延していく。

「まぁ、いい。じゃ、今日はその件の【ショック・ボルト】の呪文について話そうか。お前らのレベルならこれでちょうどいいだろう」

あまりにもひどい侮辱にクラスが騒然となった。

「今さら、【ショック・ボルト】なんて初等呪文を説明されても………………………」

「やれやれ、僕達は【ショック・ボルト】なんてとっくの昔に究めているんですが?」

「はいはーい、これが、黒魔【ショック・ボルト】の呪文書でーす。ご覧ください、なんか思春期の恥ずかしい詩みたいな文章や、数式や幾何学図形がルーン語でみっしりと書いてありますねー、これが魔術式って言います」

生徒達の不平不満を完全無視してグレンは本を掲げて話し始める。

このクラスの生徒達が一節詠唱ができること、魔術の基本技能は一通りできることを前提に話を進めていく。

そしてグレンは【ショック・ボルト】の呪文を黒板に書いて三節ある呪文を四節に増やした。

《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》

「さて、これを唱えると何が起こる? 当ててみな」

クラス中が沈黙する。

何が起こるかよりもなぜそんなことを聞くのかという困惑の沈黙だ。

更にグレンはそこに基本的な唱え方という条件を突き出すも沈黙は続いた。

グレンも予想通り全滅かと思った矢先―――

「右に曲がる」

たった一人、ロクスだけがつまらなそうに答えた。

「へぇ、わかる奴もいるじゃねえか。なら、えっと………………………」

「ロクス=フィアンマだ。覚える必要はない」

「お、おう、じゃ、ロクス。これはどうだ?」

《雷・精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》

「射程が三分の一」

「これは?」

《雷精よ・紫電  以て・撃ち倒せ》

「出力が大幅に落ちる」

「なら―――」

「そんな下らない事よりさっさと即興の呪文改変を見せた方が早いんじゃねえか? 時間の無駄だ」

うんざりするようにそう言うロクスは溜息を吐きながら左手を誰もいない場所に向ける。

「《こんな風に》」

呪文改変による一節詠唱で【ショック・ボルト】を起動させるロクスに生徒達だけではなくグレンも目を丸くした。

「マジか………………一節の呪文改変で精度を落とすことがねぇなんて天才っているもんだな」

「そんなことはどうでもいいからさっさと進めろ。この程度もできない奴等にわざわざかける時間なんてねぇ」

「ちょっと、そこまで言うことないでしょう!?」

その言葉に噛み付いてきたのはシスティーナだった。

「事実だろうが。実際に俺以外の誰もが答えなかった。お前も含めてな」

「だからといって言っていいことと悪いことが――――」

「はいはーい、そこまで。喧嘩なら外でやりなさーい」

二人の間を入って仲裁するグレンはロクスに言う。

「ロクス。お前がこいつらよりも先に行っているのはよくわかったが、白猫と言い争っている方こそ時間の無駄だと思わねえか? 別に俺はこいつらと足踏みを揃えろなんて言わねえよ。俺の授業中はお前の好きなことでもしていればいい」

「………………………………ああ」

グレンの言葉にロクスは口を閉ざす。

それを見てグレンは教壇に戻って生徒達に告げる。

「じゃ、これからいよいよ基礎的な文法と公式を解説すんぞ。ま、興味ない奴は寝てな。正直マジで退屈な話だから」

しかし、今この教室において欠片でも眠気を抱いている生徒は一人もいなかった。

 

 

 

 

その日の昼休み。

誰もが昼食を取るその時間帯で多くの者は学院にある食堂を利用する。

当然ロクスだって昼食を取る為に食堂を利用するも、ロクスはサンドイッチを片手に羽ペンを持って羊皮紙に何かを書いている。

だが、誰もそれを気にする者はいない。何故ならロクスが座るテーブルには誰も座っていないどころか近づこうとする者さえいない。

自分が嫌われ者という自覚はあるし、ロクスにはそんなことはどうでもいいとさえ思っている。

周囲の視線と言葉に気にもかけず魔術の研鑽に励んでいると対面の席に誰かが腰を落ち着かせた。

「失礼」

それは非常勤講師であるグレンだ。一応、一言断って座るグレンを一瞥して特に何も言わず、放置する。

そんなロクスにグレンは呆れながら言う。

「お前、わざわざこんな時間まで勉強かよ。飯の時ぐらい休んだらどうだ?」

「あんたには関係ないことだ」

ばっさりと言い切るロクスにグレンは溜息を吐いた。

「まぁそうなんだけどよ。お前、そこまでして魔術を学んでどうするんだ?」

「別に」

答える気はない。言外にそう告げている。

一向に手を止めない彼を見てグレンは再び溜息を吐きながら自分の食事を口にする。

「にしても、お前も随分と嫌われ者じゃねえか。お前の噂、少し耳にしたけどロクなやつじゃないもんばっかだ。少しは学生としての本分を――――」

「非常勤講師。先に言っておく」

その手を止めて紅い瞳はグレンを見据えながら告げる。

「俺は誰かに好かれる為にここに来たわけでも、学生を満喫する為に来たわけじゃない。目的を果たす為に来た。それだけだ。他の奴等の事なんて知ったことか」

そのあまりにも物言いにグレンは思わず引いた。グレンだけじゃなく、それを聞いた生徒達も彼から更に距離を取った。

「わかったら要件以外話しかけるな」

それだけ言って彼は再び羽ペンを動かす。

 



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どこが酷い?

ダメ講師グレン、覚醒。

その報せは学院を震撼させた。噂が噂を呼び、他所のクラスの生徒も空いている時間にグレンの授業を潜り込むようになり、そして、皆、その授業の質の高さに驚嘆した。

その授業を聞きに立ち見する者や若くて熱心な講師達もグレンの授業に参加して、教え方や魔術理論を学ぼうとする者もいる。

「おい、そこどけよ」

その中でも唯我独尊を突き進むロクスに一人の男子生徒が席を退くように言った。

人気が増えたグレンの授業は毎回満席なのだが、ロクスが座っている席だけは誰も座ろうとしない。誰もが距離を取って近づこうとしない為にこういう時は嫌われ者で助かるとどうでもいいことを考えながらグレンの授業をそっちのけで自分で魔術の研鑽に励んでいたのだが、ロクスの横にグレンの授業を習いに来たであろう男子生徒がロクスの前に現れた。

「お前、先生の授業聞いてないんだからその席ぐらい僕に譲れ。やる気のない奴が堂々と座るなよ」

その男子生徒の言葉は一理ある。

ロクスはこの程度の授業は受けるにも値しない。それを学ぶぐらいなら自習の方が効率的だからだ。

それをよく思わず、ロクスにやる気がないと言い切る男子生徒に対してロクスは一言。

「邪魔だ」

それだけ告げて再び意識を羊皮紙の方に向けて羽ペンを動かす。

だが、その言葉に苛立ったのか男子生徒は机を叩く。

「こっちは真面目に授業を受けに来てんだ! やる気のないお前がいても迷惑なんだよ!」

大声を張り上げて教室内の視線が二人に集中すると、ロクスは面倒そうに溜息を吐いて立ち上がる。

その行動に男子生徒はやっとどいたか、と息を吐くが――

その顔にロクスの拳が突き刺さる。

「がっ―――」

「うぜぇんだよ」

殴り倒した男子生徒を一瞥して再び席に座って何事もなかったかのように羽ペンを動かそうとするも―――

「ちょっとロクス!! なにやってるのよ!?」

システィーナが声を荒げながら近づいてきた。

「あぁ? うぜぇから黙らせただけだ」

そんなシスティーナに対してもロクスは当然のように答え、殴られて気絶した男子生徒はルミアが白魔術で傷を癒して他の男子生徒達が医務室まで運んで行った。

「だからって殴ることはないでしょう!? それに彼も別に間違ったことは言ってないでしょう!?」

「俺は手っ取り早い手段を取っただけだ。さっきの奴のせいで数秒時間を無駄にした。たくっ、本当にうぜぇ」

面倒くさそうに息を吐いたロクスに教室内にいる誰もがどよめきだす。

手っ取り早く終わらせる為に殴るなんてどうかしているとしか思えない。

「それに、俺はあの非常勤講師から好きにしろって言われてんだ。どうしようが俺の勝手で、何をするのかも俺の勝手だ。それを邪魔したあいつが悪い」

「貴方ねぇ…………………ッ!」

自分勝手な物言いに憤りを覚えるシスティーナは左手の手袋をロクスに投げつける。

「決闘よ! 貴方に決闘を申し込むわ!」

自分勝手なその態度にシスティーナはついにロクスに決闘を申し込んだ。

ざわめきがまず教室で、それを聞いたロクスはあからさまに面倒な顔で溜息を吐く。

「お前、どんだけ決闘好きなんだよ………………………」

一ヶ月も経たずに決闘を申し込むシスティーナに若干呆れる。

「私が勝ったら貴方の自分勝手なその態度を改めなさい!」

「俺が受けるメリットがねぇよ。そもそも、お前如きが相手になると思ってんのか?」

鋭くなる眼光。それに一瞬怯むシスティーナだが、気丈に振る舞う。

「そ、そんなのやってみないとわからないじゃない!」

「いやわかる。まぁ、どうせ口で説明してもわからねえだろうから」

ロクスはシスティーナが投げた手袋を拾った。

「受けてやるよ。ただし、容赦しねえからな」

「お~い、席に着け。面倒だが授業……………………を?」

そのタイミングでグレンは教室に入ってきて剣呑な雰囲気に思わず首を傾げた。

 

 

 

 

 

グレンとシスティーナが一度決闘で使った中庭で今度はグレンではなくロクスがシスティーナと向かい合っている。

これから行われる二人の決闘を少し離れたところで二組と野次馬が集まっている。

「ねぇ、カッシュはどっちが勝つと思う?」

「そりゃ、心情的にはシスティーナだけど、成績じゃロクスはいつも首席だろ? 流石にそこまで実力差は離れてねえと思うが……………ギイブル、お前はどうだ?」

「フン、確かに僕も心情的にはシスティーナだが、彼の成績は紛れもない事実であるのも確かだ。まぁ、それもわからず応援している人もいるけどね」

「システィーナ! 頑張って!」

「貴方ならきっと勝てるわ!」

「そんな奴ボコボコにしちまえ!」

ギイブルが横目で一瞥した先には過剰にもシスティーナを応援する生徒達。それに対してロクスには誹謗中傷に近い言葉が投げられるも当の本人は無視して決闘の内容を告げる。

「ルール方式は非殺傷系呪文によるサブスト。模擬剣や徒手空拳による近接格闘戦もあり、降参、気絶、場外退場、致死性を持って術者の敗北を決める。文句はあるか?」

「ないわ」

学生レベルでよくある模擬魔術戦のルールの説明にシスティーナは文句はなく神妙な顔で頷いて肯定する。

サブスト・ルール下では非殺傷系の攻性呪文(アサルト・スペル)を殺傷系の呪文と見なされて行われる特に珍しくないルールだ。

その判定は非常勤講師であるグレンが行われる。

「俺が勝ったらもう話しかけてくんな」

「わかったわ」

互いの要件を告げてグレンは決闘の開始の合図を出した。

「《雷精の―――」

「《霧散》」

黒魔【ショック・ボルト】の呪文を唱えるよりも速くロクスが黒魔【トライ・バニッシュ】で打ち消した。

「《大いなる―――」

「《力よ無に帰せ》」

続けて唱える黒魔【ゲイル・ブロウ】を【ディスペル・フォース】で無効化。

「《紅蓮の炎陣―――」

「《霧散》」

「――――――――――っ!」

「どうした? その程度か?」

三回連続で無力化されたシスティーナはまるで自分の手の内が読まれているかのように薄気味悪い感じがした。

「《なら・俺の・番だ》」

呪文改変によって起動された黒魔【フラッシュ・ライト】。強烈な閃光を放つ護身用の初等呪文。殺傷能力は皆無だが―――相手を視界を一瞬だけ奪うには有効だ。

「っ!?」

突然の閃光に思わず目を閉じていたシスティーナは次に見た光景は眼前に迫るロクスの姿だった。

「ら、《雷精―――」

「遅ぇ」

システィーナが呪文を唱えるよりも速くロクスの拳がシスティーナの腹部に直撃した。

「うっ!」

腹部から襲う痛みと嘔吐感。システィーナは思わず膝をついて口を押えるも―――

「おい、何寝てんだ?」

そんなシスティーナに情け容赦ない蹴りが炸裂する。

「あぅ…………………うぐ………………………」

「立てよ。まだ勝負はついてねえだろう。さっきまでの威勢はどうした?」

地面に倒れ伏せるシスティーナに歩み寄るロクスにシスティーナの瞳は恐怖に怯える。

「ひぃ…………………ッ! ま、まって―――」

「《雷精》」

システィーナの制止を無視して黒魔【ショック・ボルト】を起動させて紫電がシスティーナの肩に直撃する。

「それで敵が待つわけねえだろう? 馬鹿か。それに俺は言ったぞ? 容赦しねえって。《虚空の咆哮よ》」

黒魔【スタン・ボール】を一節で詠唱させて空気圧縮弾が弧を描いてシスティーナに炸裂。炸裂する音と振動の衝撃にシスティーナの身体はボールのように地面を跳ねる。

「【スタン・ボール】は【ブレイズ・バースト】。炎熱系なら今のでも致死判定にはギリギリならねえ」

「待てロクス! それ以上は―――」

これ以上は続けられないと判断したグレンは決闘を中止させようと声をかけるも―――

「何言ってんだ、非常勤講師。決闘はまだ続いている。こいつはまだ降参も気絶も場外退場を致死判定も受けていない。つまり、まだ戦える。そういうことだろう?」

ルール上では確かにシスティーナはまだ負けてはいない。だが、もう戦う意思がないことぐらい誰が見てもわかる。

「酷い………………………」

野次馬の誰かがそう呟いた。その言葉をロクスが鼻で笑う。

「酷い? ハッ、これのどこが酷いんだ? 世界にはお前等が知らないだけで死んだ方がマシだと思えるぐらい残酷な最後を迎える奴もいるんだぞ? それに比べればこの程度で酷い? 流石は透明な空気を吸ってきた坊ちゃんお嬢様達だな。なら、よく見ておけ。今から行う惨劇よりも酷い世界があるということを」

「………………………………ぅ、ぁ」

恐怖で掠れた声しかでない。瞳からボロボロ流れる涙を気にも止めずにロクスはその手を伸ばす。

のだが――――

「もうやめて」

ルミアがシスティーナを守るように前に立った。

「決闘の邪魔だ、ティンジェル。どけ」

「システィの負けでいいからこれ以上システィに酷いことをしないで」

身を挺してでも守るように両腕を広げるルミアにロクスは溜息を吐いて伸ばした手を下ろす。

「優しい親友に助けられてよかったな、フィーベル」

興が削がれたように学院中庭から離れてくロクスに二組の殆どがシスティーナを心配して駆け寄る。

この日を境にロクスの酷評は更に広まった。

 



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嫌う理由

システィーナとの決闘から数日。ロクスは学院長室にいる。

「何か用か? 学院長」

アルザーノ帝国魔術学院の学院長を務めているリックは困ったように笑みを見せる。

「少し君の事が心配になってのぅ。酷い噂がわしの耳にまで届いておる」

「そんなどうでもいいことにわざわざ呼んだのか? いくらあんたでも時間を無駄に浪費させないで欲しいが」

心配してくれて気を遣っている学院長に対してもロクスはそんなことどうでもいい。

リックはそんなロクスの態度に気にも止めずに声をかける。

「同じ精霊使い同士、心配をさせておくれ。それに弟子の悪い噂は師であるわしにも快く思わんわい」

学院長であるリックは精霊使いであり、公にはされていないがロクスの魔術の師匠でもある。そしてロクスも学院長と同じ精霊使いである。

「数年前、精霊の導きによって君と出会って弟子にしたわしの自慢の弟子じゃ。じゃからこの学院に入学を勧めた。魔術師として君が平穏に過ごせれるように」

一呼吸置いてリックは尋ねる。

「やはり、考えは変わらないのかね?」

「ああ」

即答だった。

「あんたには感謝している。俺に力を与え、その使い方も教えてくれた。あんたの力になれることがあるのなら無条件で力になってもいい。だが―――これだけは譲れない」

炎を現すような強い意思を宿すその紅の瞳が学院長を見据える。

「俺は復讐を果たす為に全てを捨てた。その為だけに俺は生き、この命が消えても、この身が煉獄の炎に焼かれても俺は必ず奴等を殺す。そう誓った」

「………………………………」

その言葉にリックは瞑目する。

出会った当時から変わらないその瞳。何を言っても彼はその道から引き戻ることはないだろう。

「人の道に戻そうとしてくれているあんたには悪いが、俺が進むのは茨の道。それだけだ」

ロクスはリックが自分をまともな道に導いてくれていることぐらい理解している。

本当に思いやりがあり、優しい人だとわかっている。

復讐に生きると知っていながらも魔術や剣術など様々なことを教え、復讐に生きる辛さも悲しさも教えられ、まともに生きる方法を一緒に考えてくれた。

学院に入学を勧められたのも表向きは力を得る為と説得されたが、その本心は同じ年頃の学士と共に魔術に励み、友達を作り、恋人を作り、普通の学院生活を満喫して欲しかったのだろう。それが老婆心からくるものでもその気持ちは素直に嬉しかった。

そんなリックの優しさを無下にすることに悪いと思っている。

それでも止まらない。

復讐の為に生きるとそう決めたから。

リックはそれ以上は何も言わなかった。何も言わないリックにロクスは学院長室を出ていく。

放課後の時間帯。ロクスは学院の図書館で魔術の研鑽に励もうと足を動かす。

「ロクス君」

はずだったが、その前に彼を呼び止める声が廊下に響いた。

「…………………お前は本当に人の話を聞かねえ奴だな、ティンジェル」

振り返るとそこには同じクラスメイトであるルミアがいた。

「いい加減話しかけるなって何回言ったらわかる? 俺はお前が嫌いなんだよ」

はっきりと己の心情を口にするロクスにルミアの気丈な瞳は真っ直ぐにロクスを射抜いている。

「どうしてシスティにあんな酷いことをしたの? ロクス君ならそんなことしなくても勝てたよね?」

その言葉にロクスはどうしてルミアが声をかけてきた疑問に納得する。

痛めつける必要性は無かった。なのにロクスはシスティーナを痛めつけるように攻撃した。その真意を問いただす為にわざわざロクスが学院長室から出てくるのを待っていた。

ご苦労なことで、と他人事のようにぼやくロクスはルミアの問いに答えた。

「見せしめに丁度良かったからだ。それにフィーベルの説教にうんざりしていたからだ。それ以上の理由はねえよ」

また男子生徒のように邪魔をしてくる奴が現れない様に決闘を申し込んできたシスティーナが見せしめにちょうどよかった。

それに普段からの説教に対する鬱憤も晴らすのにもよかった。

親友をそんな理由で痛めつけたロクスにルミアは怒るだろう。だが、それはそれでこちらにも都合がいい。

「…………………………どうしてそこまでして一人になろうとするの? それは辛いだけだよ?」

しかし、そんなロクスの予想を裏切るように返ってきたのは怒りではなく悲しみだった。

それも親友であるシスティーナではなくその親友を痛めつけたロクスに向けて。

「そんな下らないことを聞く為に待っていたのか? ご苦労なことで」

嘆息交じりにそう返す。

「俺とお前等を一緒にするな、ティンジェル。仲良しこよしがしたいなら他を当たれ。俺にはどうでもいいことだ」

「仲良くなることがそんなにいけないのことなの? ロクス君だって同じ教室で一緒に勉強する友達でしょ?」

「都合のいい妄想をするな。お前等はただの同じクラスになっただけの赤の他人だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。大体、お前等とつるんで俺に何のメリットがある? 非常勤講師の授業をついていけているのが現状のお前等になにができる?」

「私が言いたいのは損得の問題じゃなくて、少しでもロクス君が皆と仲良くして貰いたいの。一人でいるのは辛いし、寂しいから」

その物言いはまるで孤独の辛さを知っているかのようだ。

いや、知っているのだろう。

どういう経緯を持っているかは知らないし、欠片も興味はないが。

「聖女面してんじゃねえよ、ティンジェル」

愛も変わらずその顔がロクスの腸を煮えくり返す。

「ああ本当によくもまぁそんな心にも思っていないことをべらべらと言えるもんだ。逆に感心するぞ」

「ロ、ロクス君………………?」

苛立ちを隠すことなく近づいてくるロクスに思わず数歩引いてしまうルミアに関係なくロクスは言葉を続ける。

「お前が何を思って、何を考えてそんなことをしているのかは知らねえがな、いい加減にしろよ。その薄っぺらい笑みと言葉で聖女様を気取ってんじゃねえ」

「わ、私はそんなこと―――」

「ないってか? 俺はな、お前みたいな眼をしている奴をよく知ってる。お前は自分の命よりも他人の命を優先にする自己犠牲女だ」

「!」

「自分の命を簡単に捨てる奴が『さぁ、皆仲よくしよう』なんてよく言えるな、おい。それでそいつらの代わりに死んでお前は満足か? 他の奴等に自分の為に泣いて貰って悲しんでもらって嬉しいか? 自分の本音一つ吐かねえだろうが仲良くしようなんてほざいてんじゃねえよ」

眼前までやってくる彼の瞳の色は怒りを灯しているように紅く輝いている。

「自分が死ぬまで皆と仲良く幸せな生活を送れましたっていい思い出でも残して死にたいのかは知らねえがな、自分を諦めている奴が俺に話しかけんじゃねえよ。だから俺はお前が嫌いなんだ、ティンジェル」

それだけ言って踵を返すロクスは振り返ることなくその場から離れ、ルミアは暫しの間、茫然と彼の後ろ姿を見ていた。

 

 

 

 



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復讐の時はきた

燃え上がる炎―――

血に塗れた両手―――

虚ろの瞳で見つめてくる彼女―――

壊れていく淡い幻想―――

そこから生まれる黒い炎。

恨め、憎め、殺せ――――

熱く爛れる漆黒の炎は我が身を燃やす以上に心を燃やす。

――――忘れるな。

お前(おれ)は復讐者だ。

 

 

 

 

 

「………………………………」

静かに目を覚ましたロクスは忘れもしない悪夢(かこ)を今日も見る。

汗まみれの服を脱いで汗を流した彼は簡易な朝食を口に入れて学院に向かう支度をする。

本来なら今日からは五日間は教授陣と講師達は揃って件の魔術学会に参加するに合わせて学院は休校になるが、二組の前任講師であるヒューイの突然の退職で授業の進行が遅れている為にその穴埋めとして休みの日に授業が入っている。

面倒ではあるが、魔術を身に着けるには環境が整っているから行かない理由はない。

「行くか………………………」

時間を見て、部屋を出るロクスは学院に向かう。

二組以外休みとなっている為にいつもより人が少ないのは耳障りな声を聞かなくて済む。

いつものように学院に到着し、自分の席に腰を下ろして羽ペンと羊皮紙を取り出す。

後に少しずつ生徒達が教室に集まってくるも、システィーナの決闘以来より人を寄せ付けなくなったロクスに声をかける者はいない。

「………………遅い!」

魔術の研鑽に励んでいる途中で不意にシスティーナの叫びが聞こえた。

顔を上げて時間を確認すると既に授業中、それでもグレンの姿は見えない。

遅刻だろう。ロクスは早々にそう割り切って再び視線を羊皮紙に向ける。

その時―――

「!」

身体に熱が帯びる。

胸にある黒い炎が教えてくれる。

怨敵はそこにいる、と。

そんなロクスの心情に関係なく教室の扉が無造作に開かれてそこから現れる人物に視線を向ける。

誰もが教室に入ってきたのはグレンだと思っていただろう。だから、突如現れた二人組の男を見て騒めき出した。

システィーナも知らない人物が突然に教室に入ってきて一瞬言葉を失うもすぐに気丈に振る舞う。

「ちょっと…………………貴方達、一体、何者なんですか?」

正義感の強いシスティーナが席に立ち、二人の前まで歩み寄ると臆せず言い放つ。

「ここはアルザーノ帝国魔術学院です。部外者は立ち入り禁止ですよ? そもそもどうやって学院に入ったんですか?」

「おいおい質問は一つずつにしてくれよ? オレ、君達みたいに学がねーんだからさ!」

チンピラ風の男がそう答えるとシスティーナは苦い顔で沈黙した。

「まず、オレ達の正体ね。テロリストってやつかな? 要は女王陛下サマにケンカ売る怖ーいお兄サン達ってワケ」

「は?」

「で、ココに入った方法。あの弱っちくて可哀想な守衛サンをブッ殺して、あの厄介な結界をブッ壊して、そんざお邪魔させていただいたのさ? どう? オーケイ?」

クラス中のどよめきが強くなる。

「ふ、ふざけないで下さい! 真面目に答えて!」

(本当に馬鹿だな、フィーベル)

チンピラ風の男の言葉を聞いてまだ噛みついているシスティーナの無知さに呆れながらその場から立ち上がる。

(仮にもテロリストを名乗る奴等が何の対策もなしにここまで来れる訳がないことぐらい少し考えたらわかるだろうが)

闊歩しながら現状を把握するロクスは二人組に近づく。

「え、ロクス?」

「一つ聞く。お前等は天の智慧研究会か?」

天の智慧研究会。

アルザーノ帝国に蔓延る魔術結社の一つ。魔術を極める為なら何をやっても良い。どんな犠牲を払っても許される、外道魔術師達の組織である。

歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部。

チンピラ風の男とダークコートの男の所属を確認すると、チンピラ風の男が答えた。

「そうそうだーい正解。いやーお兄サン達も有名になったものだね。君みたいな子供に知られるなんてな」

調子よく答えるチンピラ風の男。その答えを聞けたロクスに迷いはなかった。

「《死ね》」

「は―――」

チンピラ風の男の言葉は爆炎と共に消え失せた。

ロクスがチンピラ風の男に向けたのは軍用の性呪文(アサルト・スペル)、黒魔【ブレイズ・バースト】。収束熱エネルギーを至近距離で放ち、チンピラ風の男を一瞬で消した。

突如教室に轟く爆音、爆裂、爆炎。教室内が一瞬で炎世界へと変貌するなかでロクスは圧縮凍結保存しておいた柄から刀身まで灼熱の炎を帯びているような赤い剣をその手に持ち、残りのダークコートの男を見据える。

「会いたかったぞ、天の智慧研究会」

「………………………貴様、何者だ? ただの学生ではないな」

ダークコートの男は相方がやられたと同時に呪文を唱えていたのかその背後には五本の剣が浮いている。そして、その相方を殺したロクスに鋭い眼差しを向けながら問いかけるとロクスはそれに答えた。

「復讐者」

「………………………そうか。では復讐者よ。取引をしよう」

「取引だと?」

「ルミア=ティンジェルをこちらに差し出せ。そうすれば残りは見逃してやる」

簡潔に取引の内容を告げるダークコートの男、レイクは話を続ける。

「貴様の存在は計画には入っていなかったとはいえ、私の実力は貴様より上だ。軍用魔術を扱えたところで貴様では私を殺すことはできない」

レイクはただ冷徹にそして冷酷に告げる。

それはロクスを見下しているからの発言ではなく、純粋な場数の差による経験則による判断だ。

確かに強い。だが、少なくともまだ自分よりは弱い。

それがレイクの判断だ。

「我々の目的は後ろにいるルミア=ティンジェルの身柄ただ一つ。貴様が我々に恨みを持つ者だとしても実力差を無視してまで戦うような愚者ではあるまい?」

「………………………………」

「この場は生かしてやる。ルミア=ティンジェルを差し出せ」

計画の目的であるルミアの身柄を要求するレイクに他の生徒達と一緒にいるルミアは一歩踏み出そうとする。

これ以上誰も傷付けない様に。

――――だが

「知るかよ」

この男にはそんなことどうでもよかった。

「お前等天の智慧研究会の都合なんか知ったことか。俺はお前等天の智慧研究会を殺す為だけに生きてきたんだ。折角めぐり合わせた屑をはいそうですかって見逃されるか」

剣先をレイクに向ける。

「ティンジェルを連れて行きたいなら俺を殺してからにしろ」

「…………………そうか」

戦闘態勢に入る二人。一触即発のなかでルミアが動いた。

「待ってください!」

二人の間を割って入るようにルミアが前に出た。

「大人しく貴方に従います。ですから、他の皆は見逃してください」

ルミアは我が身を犠牲にするように自ら名乗り出た。

「駄目よ、ルミア! 殺されちゃう!」

制止の声を上げるシスティーナにルミアは優しい笑みを浮かばせる。

「大丈夫だよ、システィ。私は、大丈夫だから」

親友に心配させないように笑うルミアにロクスがルミアの胸ぐらを掴んだ。

「だから俺はお前が嫌いなんだよ、ティンジェル!」

「何が大丈夫だ!? どう考えても大丈夫じゃねえのに何を根拠でそんなこと言っていやがる!? そこまでして聖女様を演じたいのか!?」

激昂する。

「本当にお前は俺を苛つかせる! 本当に腹が立つ! 自分を犠牲にして皆を救うってか!? 違うだろう!? お前はただ自分から目を背けているだけだろうが!」

ロクスはルミアを後ろに放り投げて敵であるレイクを見据えながら口を開く。

「他の奴等を連れて出ていけ。だが、勘違いはするな。俺はお前等を守る為に戦うつもりは微塵もねぇ。戦いの邪魔になるだけだ」

「ロ、ロクス君………………………」

「行け」

有無言わせず最後通告のように告げるその言葉にシスティーナはルミアの腕を掴んでこの教室にいる皆に向けて叫ぶ。

「皆急いで逃げて! 学院の外に出るの!!」

システィーナの一声で生徒達は一斉に後ろの扉から教室を出ていく。そして、最後にシスティーナとルミアが残ったロクスを一瞥して教室から去る。

「………………………見事な演説だな」

「そんなんじゃねえよ」

「だが、これで貴様の生存率はゼロだ。貴様の言う通り、貴様を殺してからルミア=ティンジェルを連れて行く」

冷徹に告げるその言葉にロクスは唯一無二の相棒を召喚する。

「サラ」

その名を口にすると、ロクスの隣に姿を現すのは褐色肌の美少女。

ロクスが契約した炎の精霊、サラ。

「呼んだ? ロクス」

「力を貸せ」

「ええ勿論よ」

現れた炎の精霊に流石のレイクも驚きを隠せれない。

「なるほど、驚かされた。まさか精霊使いだったとはな。だが、それでも貴様の敗北は変わらん。ただ貴様の生存率が増えただけの話だ」

「うるせぇよ。そんなもん俺を殺してから言え」

「ではそうしよう」

―――さぁ、殺せ。

内にある黒い炎が燃え上がり、抑えきれない衝動となってロクスは戦う。

 



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黒い炎

「ち―――何が起きた? 一体、何がどうなってやがる!? クソッタレが!」

魔術学院の正門前。

倒れていた守衛が息をしていないことを確かめて、グレンは地面を叩いた。

自身を襲った小男、天の智慧研究会の一人を返り討ちにしたグレンは学院関係者であるにも関わらず学院の結界に弾かれてしまう。

何者かが結界の設定を変更した。だが、天の智慧研究会が何が目的で学院に侵入したのかがわからない。

一応は返り討ちにした小男が持っていた一枚の符。それを使えれば結界内に入れることは出来ても、それは使い捨ての符で一度使えば黒幕を倒すまで学院から出ることはできない。

敵の戦力が未知数。その中に一人で飛び込むのは自殺行為以外何物でもない。

なら、帝国宮廷魔導師団の到着を待つのが最善だが、到着までにどれほどの時間がかかるのだろうか。

勝手に動くことは危険と思ったグレンは今からでも警備官に連絡しようと思った瞬間。

学院の校舎から爆音が轟いた。

「――――――ッ!?」

煙が上がっているその場所は間違いなく自分が受け持っている二組の教室。そして、今の爆音は間違いなく。

「【ブレイズ・バースト】……………だと!?」

炎熱系攻性呪文(アサルト・スペル)である軍用魔術【ブレイズ・バースト】。生徒達が放った呪文のはずがない。間違いなく敵の呪文。

もし、あれが生徒達に向けられたものだとしたら?

今ので何人が消炭も残さず殺されたのか?

妙な動悸に襲われ、脂汗が止まらないグレンは焦燥に身を焦がす。

その時、聞き覚えのある声がグレンの耳朶を震わせた。

「先生!?」

「お前等!? 無事だったのか!?」

校舎から出てきた生徒達の登場にグレンは驚きと同時に困惑する。

天の智慧研究会に所属している魔術師は、戦闘に特化した者ならば誇張表現抜きに一騎当千の化け物揃い。そんな相手から生徒達が自力で逃げ出せるとは考えもしなかった。

「先生! 大変なんです! ロクスが、ロクスが…………………ッ!」

「…………………ロクス? あいつがどうした?」

「ロクスが一人で敵と戦っているんです…………………。私達はあの場所から逃げることしかできなくて……………………ッ!」

「!? クソッ!」

グレンは符を使って結界内に入って詳しい話をシスティーナから聞く。

「どういうことだ? ちゃんと説明しろ、白猫」

「………………………私達もよくはわからないんですけど、相手は天の智慧研究会で、狙いはルミアだったんです。ロクスは復讐者とか言って敵と戦おうとして私達は教室から急いで逃げ出して…………………」

「システィ…………」

次第に肩を小刻みに震わせるシスティーナの肩を優しく抱きしめるルミア。

システィーナは眼前で見てしまった。

自分が好きな魔術で人が殺される場面を。

消炭になっていく人を。

魔術で人を殺す瞬間を。

目の前でそれを見てしまったシスティーナはその光景が頭から離れない。

そんなシスティーナの頭にグレンは手を乗せた。

「落ち着け。あいつにとってはどうでもいいことかもしれねえが、あいつが出張ったおかげでお前等はこうして危険な場所から逃げることができたんだ。後は俺に任してお前は―――」

言葉を遮るように再び爆音が学院に轟かせる。

「チッ、白猫! こっちは任せたぞ!」

グレンは自分が受け持つ教室に向けて駆け出す。

 

 

 

 

 

炎に包まれている二組の教室には赤い剣を振るうロクスとその契約精霊であるサラが炎を生み出してその炎を槍へと形状を変化させてレイクに放つ。

「無駄だ」

しかし、レイクはその炎の槍をボーン・ゴーレムを盾にして防ぐ。

ロクスとサラはレイクが召喚魔術【コール・ファミリア】によって召喚された剣と盾を持つ無数の骸骨を相手にしている。

「チッ!」

ロクスは苛立ちを隠すことなく舌打ちし、剣でボーン・ゴーレムを破壊する。

レイクが召喚したボーン・ゴーレムは竜の牙を素材に錬金術で錬成された代物。それゆえに驚異的な膂力、運動能力、頑強さ、三属耐性を持っている。

竜の牙製のゴーレムに物理的な干渉は殆ど損害にならない。打撃攻撃はもちろん、攻性呪文(アサルト・スペル)の基本三属と呼ばれる、炎熱、冷気、電撃も通用しない。

ゴーレムを打ち倒すにはもっと直接的な魔力干渉をしなければならない。

「業物だな。貴様の剣は」

自己作製したボーン・ゴーレムを容易く斬り伏せてもその切味は一向に落ちることはない。レイクから見てもその剣が業物だとわかる。

「しかしそれだけだ」

「ロクス! 後ろ!」

サラの声に反応するロクスは咄嗟に背後から襲いかかる剣を弾くも別方向から攻める二本の剣がロクスの身体を刻む。

レイクが操る五本の剣。術者の自由意思で自在に動かせる二本の剣と、手練れの剣士の技が記録され自動で敵を仕留める三本の剣で成り立っている。

それに加えて攻撃が碌に通じないボーン・ゴーレムが四方八方から襲いかかってくる。

ボーン・ゴーレムを相手にしながら五本の剣にも警戒しなければならないロクスとサラは劣勢状態が続いてもその瞳から諦める意思はなかった。

(クソ、相性が悪すぎる…………………)

内心で相性の悪さに愚痴を溢す。

【ディスペル・フォース】でボーン・ゴーレムを無力化しても数が多すぎる為に魔力の無駄遣いな上に再利用される。剣を無力化しようにもそんな隙は与えてくれない。

「魔術、剣術、精霊行使。どれも並みの魔術師を上回る実力だ。その領域に至るのに貴様がどれほどの鍛錬を積んできたのか想像できなくはない。だが―――」

レイクは五本の剣とボーン・ゴーレムをロクスとサラに向けながら油断なく構える。

「やはり私を相手にするにはまだ実戦不足だ。そして、これ以上貴様を相手にするほど時間的にも余裕はない」

終わらせる。言外にそう言い放つレイクにロクスは歯を噛み締めて睨み付ける。

(俺はここでくたばるわけにはいかない!)

まだ復讐は始まってもいない。これからが、この男を殺してから復讐は始まるんだ。

復讐を果たすまで死ぬわけにはいかない。

「サラ! 炎陣!」

「ええ!」

「させるか!」

何かしようとする二人にレイクはそうなる前に二人の命を刈り取ろうと五本の剣とボーン・ゴーレムを操作して一斉に襲いかかる。

しかし、剣がロクスに直撃する直前。ロクスを中心に五本の剣とボーン・ゴーレムまで巻き込んだ炎の領域が展開された。

「自滅か…………………?」

いくら炎の精霊と契約しているからといっても炎に高い耐性を持つわけでも無力化できるわけでもない。魔術的防御も感じ取れなかったレイクは自滅したと脳裏を過る。

「―――――ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」

「!?」

そう怪訝した瞬間に炎の領域から赤い剣を振りかざすロクスが突貫してきた。

全身に火傷を覆いながらも瞳をぎらつかせて強く剣を持ってレイクの眼前に姿を現した。

炎で自分の姿を晦ましてその隙に自身に負う火傷を無視してレイクに斬りかかる。

今から五本の剣を操作しても間に合わず、ボーン・ゴーレムを盾にすることもできない。

―――()った。

そう確信した。

―――だが。

レイクは身を捻らせてその一太刀を見事に避けて蹴撃をロクスの腹部に直撃させる。

「ごふ」

「ロクス!」

口から大量の血を吐き、蹴り飛ばされるロクスに駆け寄るサラ。

「………………………貴様の執念には敬意を表する。その状態になっても攻撃の手を緩めることなく私を殺そうとしたことに対してだが、やはり貴様は実戦不足だな。私が使うのが魔術のみなら今の攻撃で私を殺せただろうが、私はこれでも剣も使う。なら、剣の避け方も熟知して当然のこと」

魔術師は肉体修練で練り上げる技術をとにかく軽んじる。精神修練で培う魔術の下に置きたがる。そういう意味ではレイクは魔術師から外れた男だ。

そしてレイク自身、並みの剣士なら瞬殺することはできる剣の使い手だと知らずに突貫したのが、ロクスの判断ミスだ。

もし、万が一にロクスに実戦経験が積まれた状態で戦えばまだ勝機はあったかもしれない。だが、それはもはや言い訳に過ぎない。

レイクは倒した相手だろうが油断はしない。確実に相手の命を刈り取る。

五本の剣の切っ先をサラとロクスに向け、ボーン・ゴーレムも囲むように操作する。

「貴様の契約精霊共々終わらせてやる」

「させない!」

サラはロクスを守ろうと炎を放出するもレイクには届かず、ボーン・ゴーレムには効かない。

絶体絶命のなかでロクスの精神(こころ)は黒い炎で燃えていた。

――――殺せ。

燃える。どこまでも黒い炎に。

――――憎め。

熱い。体中が燃え尽きるように熱い。

――――奴等を、許すな。

刹那、ロクスの眼がこれ以上にないぐらいに開かれる。

「ロクス……………………?」

倒れていたロクスはゆらりと立ち上がり、脱力しているかのように両腕を垂らす。

「なにもかもきえちまえ………………………」

ロクスの全身から黒い炎が噴出して、五本の剣とボーン・ゴーレムがその黒い炎に呑み込まれて消え尽きる。

「な―――」

突如ロクスの全身から噴出する黒い炎。基本三属を通さないボーン・ゴーレムや【トライ・レジスト】を付呪(エンチャント)している剣までも消え尽きた。

見たことも聞いたこともない黒い炎。

まるで憎悪が炎として形を成しているように見えるレイクはその答えに辿り着いた。

「貴様、もしや異―――」

それ以上の言葉は出なかった。そうなる前にレイクは黒い炎に呑み込まれて存在そのものごと消え尽きたからだ。

「ゆるすな………………奴等を、許すな………………………」

怨嗟の声をぼやきながら倒れかけるロクスをサラが支える。

「大丈夫、もう大丈夫だから………………………」

子供を宥めるような優しい声音で背中を撫でるサラにロクスの全身から溢れ出る黒い炎が消え、落ち着きを取り戻す。

「悪い………………………」

「いいよ。私はロクスの恋人だからね」

冗談交じりにそう言うサラにロクスは剣を杖代わりにして自力で立ち上がる。

「ロクス!?」

その時、駆けつけてきたグレンが二人に近づく。

「お前、いや、今はいい! 先にその火傷の治療だ! すぐに白猫のところに行って応急処置をして貰うぞ!」

グレンは戦いの過程よりも今はロクスの容態を心配する。全身に大火傷を負い、今にも倒れそうなロクスを支え様とするも―――

「熱っ!」

ロクスの身体はまるで高熱を帯びているかのように熱かった。

そんなグレンを無視してロクスは剣を杖に歩き出す。

「まだ、敵はいる………………………そいつを殺してか………………ら…………………」

不意に意識が反転する。

暗くなる視界、遠くなるグレンとサラの声。

ロクスはただ悔やむ。

「ころ、す……………………やつら、を一人……………残らず、殺す」

まだいるだろう怨敵を殺せないことに悔やみながらロクスの意識は途絶えた。

「お前……………………」

最後まで敵を殺すことをやめなかったロクスにグレンは何とも言えない表情になる。

「彼の味方なら手伝って。私一人じゃ運べないから」

「お前は?」

「私は炎の精霊サラ。ロクスの恋人よ。事情は後でリックから聞いて。今は彼をどこかに運ばないと目を覚ましたらまた無茶をするから」

「………………………………色々説明してもらうからな、ロクス」

グレンは熱さに耐えながらロクスを背負う。

だけど、彼はその手に持つ剣を手放すことはなかった。



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その果てに

レイクを倒して意識を失ったロクスはグレンに背負われ、システィーナ達と合流後、ロクスの治療の為に医務室に連れて行き、システィーナとルミアを除いた他の生徒達は別の教室で帝国宮廷魔導師団を来るのを待っている。

「《天使の施しあれ》」

医務室のベッドの上で寝かされているロクスに白魔【ライフ・アップ】治癒魔術を施すルミアの両の掌から暖かい光が灯る。

治癒系の白魔術が得意とするルミアの治癒魔術のおかげで全身に負っていた火傷が消えていく。本職の医者か白魔術の専門家に診せるまで持ちこたえはするはずだ。

それでもルミアは絶えず【ライフ・アップ】をかけ続ける。

「ルミア、これ以上は」

「ううん、もう少しやらせて」

色濃く疲労が浮かび、脂汗と共に青ざめている顔色はマナ欠乏症の前兆だ。

そんなルミアを止めようとするもルミアは無理に笑みを作ってでも【ライフ・アップ】をかけ続ける。

「ロクス君………………………」

グレンに運ばれてきた時、彼を見て言葉を失った。

全身に酷い火傷を負いながらもその剣は今も離さず握りしめている。

意識がなくとも彼は戦う意思、折れぬ意思があった。

ルミアは彼に嫌われているのは彼と出会ったその時から知っている。

彼から直接嫌いと言われたから。

それでもルミアは仲良くなろうと思ったけど、それはできなかった。

何故ならそうしようと思っているから嫌われていたのだから。

――――聖女様を演じるな。

思い出す彼の言葉。その言葉がルミアの心に酷く突き刺さる。

何故ならその通りだからだ。

自分は聖女にならなければならなかった。他者を優先し、自分の順位を下げて、色んな幸せを諦めなければいけなかった。

それでも彼はそんな聖女(ルミア)を真っ向から否定し、嫌った。

「貴方はどうしてそこまで………………………」

彼は自分を復讐者と言った。

いったい彼に何があったのか、ルミアはそんなことを考える。

「てい」

「いたっ」

そんなルミアにサラはデコピンをした。

「私のロクスはあげないから」

「え? えぇ?」

ロクスに膝枕してロクスに手を出させない様にするサラに戸惑う。

「…………………………………………………ラウレル」

小さく彼は誰かの名前を呟いた。

何かの夢を見ているのか、サラはそんなロクスの頭を優しく撫でる。

「それにしてもロクスが精霊使いだったのね………………………」

包帯や薬を集めてきたシスティーナがサラの存在に改めて驚かされる。

自分と同じ学士、それもクラスメイトに精霊使いがいるとは想像することさえなかった。

他の二組の生徒達もサラの存在に驚きの声を上げた。

特にロクスと契約していることを知った男子生徒達の反応が酷かった。

「白猫、ルミア。ロクスの様子はどうだ?」

医務室の扉を開けて入ってくるグレン。他の校舎に敵の魔術師がいるか探りに行っていた。

「先生、もう大丈夫とは思うのですが………………やっぱり」

「ああ、さっきセリカと連絡を取り合った。もうすぐ帝国宮廷魔導師団がくる。その時、専門家に見て貰う手筈だ」

その言葉を聞いてルミアはほっと胸を撫でおろす。

「先生、敵は……………………?」

「ああ。校舎を一通り見てみたが影も形もなかったが、最低でも後一人、今回の事件の黒幕がいるはずだ。白猫、俺はもう一度探してくるからお前はここで―――」

「その必要はありませんよ」

不意に響いた声にグレン達は振り返ってその声の主に視線を向ける。

「ヒューイ先生!? どうして貴方が…………………ッ!」

「それは僕がテロリストの一員だからですよ、システィーナさん」

そこにいたのは二十代半ばくらいの優男。その男の姿にシスティーナは驚愕に包まれるもグレンはその名に聞き覚えがあった。

「ヒューイ? 確か俺の前任の…………行方不明になったっていう………………あぁ、そういうことかよ!」

「お察しの通り。僕は王族、もしくは政府要人の身内。もし、そのような方が学院に入学された時、その人物を自爆テロで殺害するために、十年以上も前からこの学院に関係者として在籍させられていた人間爆弾。それが僕です」

己の存在を語るヒューイだが、困ったように微笑んだ。

「それをまさか教え子に潰されることになるとは」

ベッドの上で寝かされているロクスを一瞥してヒューイは小さく息を吐いた。

「自首します。僕の負けです」

「……………………そうかよ」

「ヒューイ先生…………………」

「先生……………………」

グレンは魔術でヒューイを拘束し、そんなヒューイをなんとも言えない視線を送る二人にヒューイは微笑んだ。

「システィーナさん、ルミアさん。貴女達が無事でよかった。彼にはお礼を伝えておいてはくれませんか?」

「その必要はねぇよ」

計画を潰してくれたロクスに礼を伝えて貰おうと頼んだ矢先に彼は起き上がった。

憎悪に満ちた瞳でヒューイを睨みながら。

「やっぱり、そうだったのかよ。あんたを見ていると胸くそ悪い気分がしたわけだ」

薄々ではあるが気付いていた。だが、証拠も確証もなかったために何もできなかった。

だが、それも終わりだ。

「殺す」

殺意と憎悪を向けながら剣を握りしめるロクスはヒューイを殺そうと動き出す。

「待てロクス! こいつはもう戦う気はねぇ! これ以上殺す意味なんて―――」

「お前にはなくても俺にはあるんだよ。天の智慧研究会は一人残さず殺す。世間の事情など知ったことか」

制止の声を投げるもロクスは止まらない。

その赤い剣でヒューイを斬り殺そうと近づいて行くもヒューイは動かない。

まるで己の死を受け入れているかのように。

「待って」

ルミアがヒューイの前に立った。

「どけ」

「ううん、どかないよ」

鋭い眼光と殺意を間近で迫られながらもルミアは怯むことなく言い切るも、ロクスはその剣の切っ先をルミアに向ける。

「どかないのならお前ごと殺す」

「それでもいいよ。ロクス君がそうしたいのなら」

「……………………………………」

ロクスはルミアを斬った。

正確にはルミアの制服を切り裂いた。

「最終警告してやる。次はお前ごと斬る。一応言っておくがこれは脅しじゃねえ」

制服を斬られて露となった下着と形の良い胸と雪も欺く白い肌。

いくら覚悟を固めた女性でも羞恥心を一度剥き出しにしてしまえばその覚悟もあっさりと崩れ落ちる。覚悟がなければ恐怖に支配され、そこをどくと思った。

それでもルミアの瞳は一切の変化はなかった。

覚悟を固めた瞳でただロクスを見据えてくるルミアに――――

「なら、屑と共に死ね」

剣を振り下した。

迷いもない一閃はルミアとヒューイを斬り裂き、血飛沫を舞う。

はずだが―――

『ロクス君』

その声にロクスは動きを止めた。

その声の先はグレンがセリカと連絡を取り合う為に使っている遠隔通信の魔導器。半割れの宝石からだった。

「学院長か………………………」

『ああ、わしじゃ。事情はセリカ君から聞いとる』

「何の用だ? 俺は今からこの屑を殺す。邪魔するな」

再び剣を構え直すロクスは復讐相手でもあるヒューイを睨み付ける。

『ロクス君。この場はわしに免じてやめておくれ。ヒューイ君も元は君の講師で学院の講師じゃった。わしは顔を知っとる者が死ぬのは嫌じゃ』

「………………………………ふざけるなよ」

ぽつり、とロクスの口から言葉が漏れる。

「ふざけるなよ! あんたは俺が復讐をする理由を知っているはずだ!? 俺がどれだけ天の智慧研究会を憎んでいるのかも一番よく知っているはずだぞ!!」

怒声を上げるロクスの身体から黒い炎が漏れ始める。

「なんだ、この炎…………………ッ」

「黒い、炎………………………」

ロクスの身体から漏れる黒い炎に目を奪われるも、ロクスはそんなこと関係なく学院長に怒声を飛ばす。

「俺は復讐の為に全てを捨てた!! 復讐の為に生きると決めた!! それを知っていてあんたはやめろというのか!? 目の前に俺が復讐するテロリストの一員がいるとわかってそんなことを言うのかよ!?」

憎悪、悲愴を師であり、恩義を感じている人に向けて己の心情を露にして叫び散らす。

『……………そうじゃ』

リックは肯定した。

『わしは君を本当の我が子のように思っておる。復讐に走る我が子を止めるのは親の役目じゃ』

「……………………否定するのか、俺の復讐を否定するのか!?」

黒い炎はロクスの感情に左右されるように暴れ出す。

消え尽きていく扉、窓、ベッド、医療道具などが消え尽きる中でリックはただ静かにそして真剣に言葉を綴る。

『否定はせんよ。しかし、賛同もせん。わしは君を拾ったその日から君に真っ当の道を歩んでもらいたいと思っておる。それは今でも変わらん。じゃから今だけでよい。わしに恩義を感じておるというのならわしの言うことを聞いておくれ』

切実に懇願するリックにロクスは歯を強く噛み締める。

復讐は果たす。だけど、リックには本当に感謝している。

リックと出会わなければきっと復讐を果たす以前に野垂れ死んでいたか、復讐心に煽られて無力のまま天の智慧研究会に殺されていただろう。

そんな無力なロクスに力を与えてくれたのは紛れもないリックだ。

本当に感謝しているし、何かしらの形でもいいから力になろうとも思っていたのだが、まさか、こんな形で返すはめになるとは思いもしなかった。

「クソがッ!!」

ロクスは剣を床に叩きつける。

ほんの少しでも憂さ晴らしをする為に。

「………………………………………………………………………………………………………わかった」

迷いに迷ってロクスは頷いた。

本当は今すぐにでも殺したい。だけど、リックには本当に感謝している。

恩義を感じている相手がリックでなければすぐにでもヒューイを殺していた。

ロクスは復讐心よりも先にリックに対する恩義を果たした。

『すまない、ありがとう』

謝罪と共に礼を告げるリックとはここで通信が途絶えた。

その後、帝国宮廷魔導師団が結界を解呪してヒューイは逮捕されたが、ロクスはどうしようもない憎しみと怒りで身体を震わせていた。

 



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ロクスの過去

アルザーノ帝国魔術学院で起きたテロ事件は無事に解決した。

関わった組織の事もあり、社会的不安に対する影響も考慮して内密に処理され、破壊された教室も魔術実験の爆発ということで公式に発表された。

そして今回の事件の後、政府上層部は事件の要因となったルミアの素性をグレン、システィーナ、ロクスに打ち明かした。

ルミアは三年前に病死したエルミアナ王女。

異能者であるルミアは政治的事情によって帝国王室から放逐され、三人は事情を知る側としてルミアの秘密を守る為に協力することを要請された。

そしてもう一つ。ロクスの存在についても学院側、学院長自ら二組に打ち明けた。

ロクスは精霊使いという事情で今回の事件のようにテロリストに襲われる可能性を考慮して学院長であるリックはロクスを弟子にして魔術を教えた。

学院長の説明に二組は納得した。

普段のロクスの態度や言動は自分が精霊使いだからテロリストに狙われている。だから力を身に着けようとして周囲を巻き込まない様に距離を置いていた。と都合のいい勘違いをしてくれたことにリックは内心安堵した。

ロクスにそんな人を気遣うような感傷はない。

あるのはテロリストに対する憎悪と復讐心のみ。仮に生徒の誰かが死んだとしてもロクスは気に留めることもないだろう。

「急に呼び出してすまんのぉ」

事件が解決して落ち着きを取り戻し始めた頃、学院長であるリックはグレン、システィーナ、ルミア、そして弟子であるロクスを呼び出した。

「………………………………」

ロクスは固い表情を浮かべながら何も話すことはないかのように学院長室の壁に背を預けて黙り込む。

「あの、学院長。俺達がここに呼ばれた理由って…………………?」

「ふむ、君達の想像通りかもしれんが先に聞いておきたい。彼の黒い炎を見たかね?」

―――黒い炎。

その言葉だけで反応するグレン達でもう答えを聞いたようなものだ。

「………………………あれってなんなっすか? あれはただの炎じゃないのはわかります。あの黒い炎に呑み込まれたものは燃えるどころじゃなかった。まるで存在ごと消されているような―――」

「その通りだ、グレン」

学院長室内に突然響き渡った声に振り返るとそこにはこの学院の教授を務めてグレンの親代わりをしているセリカがいた。

「そこにいるロクス=フィアンマは『発火能力者』だ。つまり、異能者なんだよ」

セリカの言葉にグレン達の視線はロクスに集中する。

異能者。

ごく稀に、魔術に依らない奇跡の力を生まれながらに体現できる特殊能力者。

ルミアは『感応増幅者』。自分が触れている相手の魔力、魔術を自分の意思次第で何十倍にも増幅させる能力。それとは違う異能者の存在に驚愕するもグレンはセリカに問いかける。

「いやちょっと待て、セリカ。あれは発火能力なんてもんじゃねえ。もっと違う何かだ…………………ッ! あの黒い炎はいったいなんなんだ!? それがどうしてロクスに!」

「落ち着けよ、グレン。それを今から学院長が教えてくれるさ」

声を荒げるグレンに宥めるセリカ。グレン達はリックを見据えてリックも何も言ってこないロクスを一瞥してから口を開いた。

「ロクス君は天の智慧研究会で行われていたある計画の生き残りなのじゃ」

「ある計画…………………?」

「『異能強化兵計画』。世界中にいる異能者を集めてその異能を強化させて洗脳し、戦場に放り込んで捨て駒同然に扱う生物兵器の一種を作り出す計画じゃ」

「なっ―――」

「知っての通り異能者はこの国では『嫌悪』の対象じゃ。だが想像してみておくれ、死の恐怖を感じず、強化された異能者が何十人も戦場に放り込まれるとどうなるかを」

「………………………………」

絶句するグレン達。

異能者は魔術とは違って呪文を唱える必要はない。その力を即座に振るうことができる。その異能を強化………………つまりロクスが使っていたあの黒い炎を戦場で何十人も使われたら何も残らないのが容易に想像できる。

「ロクス君はその計画の生き残りであり、唯一無二の成功例なんじゃよ」

「それじゃあの黒い炎は……………………」

「ああ、胸くそ悪いことにその計画によって生み出されたのがあの黒い炎だ。それにあれはただの炎ではない。あれには概念破壊属性が込められている。グレン、お前の言っていた通り、あの炎は全てを消し尽くすことができる」

物も人も魔術も何もかもあの黒い炎は消し尽くすことができる。それほどまでに凶悪で凶暴な炎だとセリカは告げている。

その計画とその計画によって生み出された黒い炎。その話を聞かされたグレン達は言葉を失った。

特に同じ異能者であるルミアはその壮絶な過去を聞いて手で口を覆う。

「ロクス君にそんな過去が………………………」

「あの黒い炎はロクス君以外全てを消し尽くす。彼にとってあの炎はまさに憎悪の象徴。復讐の炎そのものじゃ。じゃからわしは―――」

「そんなことどうでもいい」

リックの言葉を遮り、今まで無言を貫いていたロクスは口を開いた。

「俺は天の智慧研究会に復讐する。それだけだ」

「なんでだ………………? なんでだ、ロクス。お前、生き残れたんだろうが。なら今すぐに復讐なんてやめろ! 死んでいった奴等の為にもお前は幸せになる義務が―――」

 

「何も知らない癖に知ったように言ってんじゃねえ!!」

 

怒声が学院長室を響かせる。

「あの計画が、あの場所がどれだけおぞましいことをしていたのかも知らねえ癖に勝手なことをほざいてんじゃねえよ!!」

その怒りが黒い炎となって彼から漏れる。

「異能は、能力者の精神状態に左右される。毎日のように薬物を投与されるのはまだいい方だ。拷問を受けたり、異能者同士で殺し合わせるのも日常茶飯事。中には異能者同士で授かる子供にも異能が宿るのかという理由で強引に交わせることだってあった」

「そんなことって……………」

「そんなの、そんなのあんまりじゃない………………………」

そのおぞましい内容にルミアもシスティーナも顔を青ざめる。

「あの施設にいた異能者(おれたち)は完全な実験動物(モルモット)。生死なんてどうでもいい。結果さえ出ればいいだけの存在。それが奴等が俺達に対する見解だ。牢屋の中で俺達は何度も仲間が死んでいく瞬間を見た。二度と牢屋に戻ってこなくなった奴だっていた。毎日を苦痛と恐怖と絶望で満たされていく。それを知っておきながら幸せになれるわけねえだろうが……………………ッ!」

強く握りしめるその手から血が床に落ちていく。

「だから俺は全てを捨てた。幸せも何もかもを捨てて復讐の為だけに生きると決めた。それを邪魔するというのなら、否定するというのなら誰だろうが関係ない。殺す。それだけだ」

ロクスは紅い瞳をグレンを、そしてシスティーナとルミアに向けながら告げる。

「それがあんたらでも例外じゃない。わかったら俺の邪魔をするな」

苛烈なまでの復讐心を隠すことなく言い切るロクスにルミアは近づいた。

「それはラウレルさんのため………………?」

「………………どこでその名前を知った?」

「前にロクス君が倒れた時に聞いちゃったの」

「………………………………ラウレルは俺達と同じ異能者で、光だった。あいつがいたからこそ俺達は完全に生きることを諦めることはしなかった。そして俺が殺した身勝手な女だ」

鋭い眼光がルミアを射抜く。

「あいつは自分が死にたいが為に俺を利用した女だ。お前と同じだよ、ティンジェル。自分が死ぬことに意味を持とうとする自己犠牲が大好きな俺にとって一番嫌いな女だ」

「………………………………本当にそうなのかな?」

「どういう意味だ?」

「ラウレルさんは自分じゃなくてロクス君を救いたかったんじゃないかな?」

「はぁ?」

ルミアの言葉に呆気を取られる。

「何を言って………………………」

「大切だから、生きていて欲しかったから死ぬことを受け入れたと私は思うの。きっと私もそうするから」

ルミアは黒い炎を纏っているロクスの手にそっと手を伸ばした。

「お、おい………」

触れれば黒い炎は問答無用でルミアを消し尽くす………………はずなのにルミアはその手をしっかりと握っているにも関わらず黒い炎はルミアを消し尽くすさなかった。

「《天使の施しあれ》」

怪我をしているロクスの手が温かい光に包まれる。

「生きていれば希望があるからラウレルさんは自分の命をそれに賭けたと思う。それがロクス君にとって辛い選択だったとしてもロクス君にはその辛さを乗り越えられる折れない強い意思があるから」

どこまでも優しく慈愛に満ちた表情でルミアは微笑む。

「この黒い炎は復讐の炎なんかじゃない。もう二度と誰も失わないように護りたいというロクス君の優しさから生まれた炎だよ。ほら、その証拠に私は消えていない」

「違う………………………」

ぽつりと言葉が漏れる。

「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うッッ!! これは復讐の炎だ! 俺の憎悪の塊だ!! 恨みと憎しみの象徴だ!! そうでなければ…………………俺は、俺は………………………ッ!!」

ルミアの言葉を否定し、己の復讐を肯定する。

だが、その言葉とは裏腹に激しく狼狽するロクスはルミアの手を強引に振り払って学院長室から出ていく。

「俺は何の為に………………………」

出ていく瞬間にルミアの耳には彼の言葉が届いた。

「ロクス君……………」

そんな彼をルミアは心から心配した。

 



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勧誘

テロ事件後の二年次二組の教室では正式講師となったグレンの指導の下で生徒達はいつものように授業を行っているが―――一席だけ空席がある。

そこはこの学院で問題児であり、絶対的なまでに力を求め続ける一人の生徒、ロクス=フィアンマがよく座る席だ。

戻ってきた日常のなかで彼だけはまだ戻らない。

二組の生徒達もそんな彼の存在に全く気にも止めていないわけではない。

リック学院長から事情を聞かされる前の彼等なら清々したかもしれないが、事情を知らされた今は別だ。

姿を現さない彼に少なからずの心配はする。

「………………………………」

ルミアもその一人だ。

あの日、学院長室から飛び出していった日からロクスは姿をみせない。

自分が余計なことを言ってしまったせいで、もしかしたらもう二度と学院に戻ってこないのかもしれないと不安を募らせる。

「ロクス君……………」

彼は初めて私のことを嫌いと言った人だ。

男子生徒達に告白をされたことはあっても堂々と嫌いと言われたのは初めてだ。

それは聖女様を演じている私に嫌気を差して言った言葉だろう。

そして、聖女様(ルミア)ではなく私自身(ルミア)として見てくれた。

(まだ、熱いよ……………………)

彼に触れた手にはまだ熱が籠っているように思える。

触れた時の彼の手は異常なまでに熱かった。高熱で燃える鉄にでも触れたように熱かった。それでも彼の手は大きくて優しかった。

(貴方は今、何をしているの………………?)

ルミアの不安は更に募らせる。

 

 

 

 

 

 

 

アルザーノ帝国魔術学院敷地内北側にある『迷いの森』。そこには面倒な魔獣が住みついている。

「ギャン!」

「はぁ…………はぁ…………死んどけ…………………………」

狼型の魔獣、シャドウ・ウルフに剣を突き刺して絶命させる彼は次の獲物を求めて迷いの森を彷徨う。

「くそ、くそ………………………………まだ、まだ足りねぇ、このままじゃ」

もうどれぐらいの時間が経ったのかわからない。

全身に生傷を増やしながら森を彷徨う彼の瞳は炎のように熱くぎらついている。

――――力がいる。

――――もっと力がいる。

――――復讐を果たすその為にはもっと力がいる。

レイクとの戦闘。相性は悪かったなんて言い訳にならない。黒い炎、自身の異能がなければ間違いなく殺されていた。

あの程度の男に負けるようならこの先もきっとどこかで殺される。

生きて復讐を果たす為には、天の智慧研究会を独りも残らず殺し尽くす為には力がいる。

飽くなく力を追い求めるロクスの脳裏に一瞬、ルミアの顔が過る。

「違う………………違う、あいつは間違ってる。俺の黒い炎は復讐の炎、あいつはなにもわかっていないだけだ…………………」

そう、そのはずだ。

ラウレルに似ているだけでこうも迷わせるなんてどうかしている。

「ああ、殺せばいいのか………………………」

ぽつりとそんなことを口にした。

そうすれば頭からあいつは消える。こんな迷いも消える。

黒い炎が効かなったのも恐らくは異能者だからだ。そうでなければあの時黒い炎で消えていたに違いない。黒い炎が効かないのなら剣でも魔術でも使って殺せばいい。

ルミアの魔術の技量はシスティーナ以下だ。楽に殺せる。

「グルル………………」

そう決断したロクスの前にまたシャドウ・ウルフが姿を見せる。

剣を構えるロクスにシャドウ・ウルフはその鋭い爪牙を持ってロクスの喉元に噛み付こうとした瞬間――――

「!?」

一条の雷閃がシャドウ・ウルフを貫いた。

ロクスはそれがすぐに軍用魔術【ライトニング・ピアス】だと気づき、放たれた先に意識を向けるとそこには一人の男がいた。

藍色がかかった長い黒髪の奥から、鷹のように鋭い双眸を覗かせる。すらりとした長身で痩せ肉だが骨太。その物腰は、落ち着いていると称するよりはむしろ冷淡さを色濃く感じさせ、ナイフのように触れてはならない致命的な鋭さをどこか隠している―――そんな雰囲気の男が歩み寄ってくる。

「誰だ…………………?」

剣を向けて警戒しながらも問いかけるロクスの頬に冷汗が垂れる。

この男は間違いなく強い。それも自分が戦ったレイクよりも遥かに。

なによりも気になるのがあの鷹のように鋭い双眸。あれは自分と同じ復讐を誓った者の眼だ。

「《雷槍よ》」

だが、男はロクスに返答に【ライトニング・ピアス】を持って答えた。

「《霧散》!」

それを【トライ・バニシュ】で打ち消してマナ・バイオリズムを整えて今度はこちらが呪文を唱える。

「《降りろ・炎獅子》!」

黒魔【ブレイズ・バースト】を唱えて男に向けて火球を放つもその火球は不意に急降下して地面に着弾、炸裂。爆音と爆炎が轟く中で砂煙が宙を舞う。

二節でルーンを唱えて直線から急降下させたロクスは宙に舞う砂煙を利用して白魔【フィジカル・ブースと】を唱えて身体能力を強化させて接近。

「《荒ぶる風よ》」

しかし男は黒魔【ゲイル・ブロウ】で砂煙を吹き飛ばす。

「《炎獅子》!―――――《吠えよ(ツヴァイ)》、《吠えよ(ドライ)》!」

吹き飛ばされることを前提に今度は【ブレイズ・バースト】を連唱(ラピット・ファイア)。超高熱の火球が三連続で飛んでいく。

一つは【トライ・バニシュ】で打ち消すことは出来ても残り二人は打ち消すことは出来ない。黒魔【フォース・シールド】で防御に回るしかない。

―――そう思った。

「《吠えよ炎獅子》」

だが、男は一節で三つの火球を放ち、相殺させる。

「なッ――」

それに絶句するロクスが驚いたのは自分の魔術が相殺されたことではなく、男の魔術の技量についてだ。

時間差起動(ディレイ・ブード)二反響唱(ダブル・キャスト)…………………ッ!」

時間差起動(ディレイ・ブード)

予め呪文を唱えておき、後に任意のタイミングで起動する高等起動。

二反響唱(ダブル・キャスト)

一度の呪文詠唱で、二度同じ魔術を起動する高等技法。

この男はそれを顔色一つ変えることなく平然と使用した。どちらか一つだけでも使えるだけでも凄いはずなのにこの男はそれを平然と使いこなしている。

(だけど、この距離なら!)

もう剣の間合いに入った。

この男が時間差起動(ディレイ・ブード)で魔術を起動するよりもこちらが一手早い。

「はぁ!」

振るわれる一閃。

「《フン》」

刹那、紅蓮の爆発が巻き起こり、衝撃でロクスは吹き飛ばされた。

「がっ……………………」

爆発の衝撃で吹き飛ばされて地面を何度も跳ねてようやく止まるロクスは致命傷ではなくても無視できないダメージは受けてしまった。

それに対して男は一節で黒魔【フォース・シールド】を起動させて光の六角形模様(ハニカム)が並ぶ魔力障壁で爆発から己の身を守った。

「ぐっ…………………………魔術罠(マジック・トラップ)? いつのまに………」

「貴様が砂煙を撒き散らした時だ」

男が仕掛けたのは魔術罠(マジック・トラップ)。黒魔【バーン・フロア】をロクスが撒き散らした砂煙を逆に利用して罠を張っていた。

時間差起動(ディレイ・ブード)二反響唱(ダブル・キャスト)もこちらの攻撃を相殺させる為だけじゃない。わざと接近を許してロクスの油断を誘った。

「終わりか?」

冷酷に見下す男にロクスは痛みを無視して立ち上がる。

「まだ、まだだ…………………ッ!」

ロクスは召喚魔術を詠唱してサラを召喚する。

自分の相棒を呼び出して第二ランドを始める。

「サラ!」

「ええ!」

サラは炎を放射させる。それを躱す男にサラは炎を放出し続ける間にロクスは己の切札を切る。

己の異能である黒い炎を噴出させて更にはロクスが使える最大火力の呪文を詠唱する。

「《漆黒の炎帝よ・劫火の軍旗掲げ・闇に蹂躙せよ》!」

「!?」

その呪文に初めて男の顔は僅かに歪んだ。

ロクスは『発火能力者』の異能を宿しているせいか炎熱系の魔術が非常に優れている。

それ故に軍用魔術である黒魔【ブレイズ・バースト】も割と早く取得することもでき、そしてその上の段階も取得することができ、更にそれにロクス自身の独自の改変を加え、最早、固有魔術(オリジナル)レベルまで昇華させた。

 

「【インフェルノ・ダークネス】!!」

 

B級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)黒魔【インフェルノ・フレア】。並みの炎とは比較にならない超高熱の灼熱劫火に黒い炎を加えた漆黒劫火。

あらゆるものを呑み込み焼き尽くすなんて生温いものじゃない。触れたら存在ごと消し尽くす漆黒の灼熱劫火の前に防御は不可能。

黒魔改【インフェルノ・ダークネス】。漆黒の業火が男を襲う。

はずだった―――――

しかし、漆黒の業火は男をすり抜けてしまう。

詰み(チェックメイト)だ」

ロクスの背後から男は指先をロクスの頭に向けたままそう言った。

「―――――――――――っ」

完全な敗北を叩きつけられたロクスは幻のように消えていく男の姿にようやく理解した。

「………………黒魔【イリュージョン・イメージ】」

光操作によって生まれた虚像。ロクスが攻撃を放ったのは幻だった。

「貴様は復讐心で己の視野を狭めている。だからこんな手に引っかかる」

男の評価は正しかった。

目の前の敵しか見ていなかったロクスの負けだ。

「………………俺を、殺すのか?」

「そのつもりなら既に貴様を四回は殺してる」

「じゃ、どうして生かす?」

「それはあいつに聞くんだな」

男は指先を下ろして近づいてくる女性に視線を向ける。

「お疲れ様、アルベルト」

近づいてきたのは男と似た服装をした一人の女性。

年齢はグレンと変わらないだろう。激しく燃え上がる深紅の髪を、三つ編みに束ねてサイドテールにしている。その相貌は非常に精緻で見目麗しいが、……………どこか、氷のような酷薄さを湛えている。昏く燃えるような紫炎色を湛えた切れ長の半眼も、口元に浮かべる薄い笑みも、どこか他者に対する嘲弄のような印象を拭えない。

「初めまして、ロクス=フィアンマ。私は帝国宮廷魔導師団特務分室室長、執行官ナンバー1《魔術師》のイヴ=イグナイトよ。貴方を勧誘(スカウト)に来たわ」

「………………………どういう意味だ?」

「言葉通りよ。貴方、先日の学院で起きたテロ事件で二人のテロリストを倒した。まぁ、まだまだ拙い部分も多いけど子供にしては十分な功績よ。例えそれが天の智慧研究会で生み出された異能を使ったとしてもね」

「…………………脅す気か?」

「そんなことはしないわ。それに言ったでしょ? 貴方を勧誘(スカウト)に来たと。特務分室に入れば貴方の復讐の手伝いをしてあげる。憎いんでしょ? 天の智慧研究会が」

「ああ」

「今の特務分室は人手が不足していてね。優秀な人材を探しているのよ。そこで私は貴方に目を付けた。そして、貴方の実力を見る為にそこにいるアルベルトと戦わせたの。結果は上々よ。B級の軍用攻性呪文(アサルト・スペル)黒魔【インフェルノ・フレア】を改変したあの黒い劫火を防げる者はまずいないでしょう。だけど、今の貴方はまだまだ弱い。実戦不足が出ているわ。任務がてらそこにいるアルベルトに鍛えさせてあげる」

指摘するイヴにロクスはその言葉の正しさに何も言わずに受け入れる。

「使える駒なら私は異能者だからって偏見は持たないわ。私の下につきなさい。そうすれば貴方の復讐の手助けぐらいはしてあげる」

左手を指し伸ばすイヴの顔は断るわけがないと言いたげに自信に満ちている。

だけどその通りだ。

「ああ、天の智慧研究会を殺せるのなら、復讐を果たせれるのなら入ってやる」

ロクスは迷うことなくイヴの手を掴んだ。

「ようこそ、特務分室へ。今から貴方は帝国宮廷魔導師団特務分室、執行官ナンバー16《塔》、ロクス=フィアンマよ。空いている席の一つを貴方に譲るわ」

「そんなことはどうでもいい。俺は何をすればいい?」

「そうね。貴方が通っているアルザーノ帝国魔術学院にルミア=ティンジェルの護衛をしなさい。同じ学士だからちょうどいいわ」

「…………………なんであいつを」

殺そうと思っていた少女を護衛しなくてはならない。それに憤りを覚えるロクスにイヴは続ける。

「ルミア=ティンジェルは帝国政府にとって監視対象であり、天の智慧研究会の尻尾を掴むための『餌』でもあるのよ。ルミア=ティンジェルの傍にいれば向こうから貴方の前に現れるわ」

「あいつが餌なら俺は(ルミア)に食いついた獲物(テロリスト)を釣る釣り人か?」

「ええ、因みに拒否権はないわよ。もう貴方は私の部下、私の指示に大人しく従いなさい」

「………………………………………………………………………………わかった。だけど、テロリストは殺す」

「それで構わないわ。それじゃアルベルト。その子を鍛えてあげてちょうだい」

「ああ」

要件は済んだイヴは踵を返して去って行く。

そしてロクスは自分を圧倒したアルベルトの下で強くなる為に地獄の特訓が開始される。

 

 

 



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庇った?

魔術競技祭。

アルザーノ帝国魔術学院で開催される生徒達による様々な魔術での技の競い合い。

二年次二組も当然その魔術競技祭に出場するのだが―――

「はーい、『飛行競争』の種目に出たい人、いませんかー?」

まだ誰も種目を決めずに停滞気味だった。

教室が葬式のように静まり返っているには理由がある。魔術競技祭は例年通り、クラスの成績上位陣が出場してくるために成績下位の人達はどうしても気後れしてしまう。

更に今回は女王陛下が賓客として尊来され、全員陛下の前で無様な姿を見せたくないが本音だ。

そんな静まり返っている教室で突然教室前方の扉が開かれ、全員が視線を向ける。

「ロクス…………」

事件後から全く姿を見せなかったロクスが教室にやってきた。

「貴方、今までどこで何していたのよ?」

「俺がどこで何をしようが俺の勝手だ」

冷然と言い返すロクスは自分の席に座って羊皮紙と羽ペンを取り出して何かを書き始める。

まるで今決めようとしている魔術競技祭なんてどうでもいいかのように。

その変わらない姿にクラスの生徒達はああ、いつも通りだ、と安堵する。

だが、そんなロクスに声をかける人物がいる。

「ねぇ、ロクス君。何か出てみない?」

ルミアだ。

まだ何も決められていない種目の内のどれかにロクスを入れようと声をかけたのだが―――

「時間の無駄だ」

そう言って一蹴した。

「お前等で勝手に決めろ。俺はそんなことで時間を無駄にする気はねぇ」

彼は何も変わらない態度でそう言い切った。

「そこをなんとか、ね? ロクス君ならどれに出場しても勝てるはずだよ」

それでもルミアは諦めることなく声をかけるもロクスの答えは変わらない。

「俺は出る気は――――」

「話は聞いたッ! ここは俺に任せろ、このグレン=レーダス大先生様にな―――ッ!」

ロクスの声を遮るように勢いよく扉を開けながら謎のポーズを取って教室にやってきたグレンの登場にロクスは大きなため息を吐く。

そしてグレンは本気で勝ちに行くと生徒達に宣言して競技種目を決めていく。

「心して聞けよ、お前ら。まず一番配点が高い『決闘戦』――――これは白猫、ギイブル、そして…………………ロクス、お前ら三人が出ろ」

競技祭の『決闘戦』は、三対三の団体戦で実際に魔術戦を行う。最も注目を集める目玉競技であり、各クラス最強の三人が選出されるのが常だ。

だから成績順で選ぶのならそれが妥当ではあるが―――

「おい、俺は出ねえぞ」

ロクスは出場する気は一切なかった。

「俺はそんなくだらない祭りに出る気は一切ねぇ。他の奴にしろ」

「おいおいそんな我儘が通用すると思ってんのか? 強制出場に決まってんだろう? それにお前なら楽勝だろう?」

「時間の無駄なんだよ。そんなことに時間を割くぐらいなら俺は魔術の研鑽をする」

「たくっ、久々に顔を見たと思ったら……………………だが、悪ぃが今回ばかりは本気で勝ちに行くつもりだ。その為にもお前は外せれねぇ。嫌でも出て貰うぜ?」

「知るかよ。俺にはどうでもいいことだ」

頑なに出場しないロクスにグレンは溜息を吐きながら頭を掻く。

「しょうがねぇな。おい、ロクス。いいか? よく聞けよ? 学院長様からお前に言伝を預かってんだ」

「学院長から?」

何故このタイミングで学院長が出てくるのか怪訝するも、グレンはにやりと悪そうに笑った。

「もし、お前が競技祭に出場しないと言ったら前のテロ事件でお前が壊した校舎の修繕費は全部お前に持たせる」

「………………………………」

「ただし、出場するのならおおめに見てくれるそうだぞ? どうするのかな~? ロクス君よ~」

当然これはグレンのハッタリである。

学院長はそんなことは一言も口にしてはいない。グレンが確実に勝つ為にロクスを強制的にも出場するように学院長の名前を少々拝借しているだけだ。

しかし、それは仕方がないことだ。

グレンが明日を生きる為にも今回の魔術競技祭は絶対に優勝しなくてはならない。

「チッ、わかった」

(よっしゃ!!)

ロクスの承認に心の中でガッツポーズを取るグレンはそれから他の種目に出る選手を決めていく。

 

 

 

 

 

 

アルザーノ帝国魔術学院では、魔術競技祭開催前の一週間は、競技祭に向けての練習期間となっている。

具体的にはその期間は全ての授業が三コマ―――午前の一、二限目と午後の三限目―――で切り上げられ、放課後は担当講師の監督の下、魔術の練習をしてもよいことになっている。

当然二組も学院中庭で競技祭に向けて練習をしているが、ロクスは木の下の日陰で本を読んでいた。

練習しろなど、他の生徒の練習に付き合えなど、説教女神と称されるシスティーナなのだが、それよりもロクスがこの場所にいることに驚きを隠せないでいた。

他の生徒達も同様にこの場にいるロクスに時折そちらに視線を向けている。

練習には参加してはいなくても、普段の彼ならこんな場所にはいない。放課後は学院の図書館で魔術の研鑽に励んでいてもおかしくはないのに一冊の本を持ってこの場所にいること自体が驚きだ。

正直、悪い物でも食べた? と尋ねたいぐらいに。

しかし、当然ロクスも好きでここにいるわけではない。仕事でいるに過ぎない。

帝国宮廷魔導師団特務分室に入隊したロクスに下された命令はルミアの護衛。護衛対象の傍にできるだけいなくてはならないからだ。

学院内は安全だとしてももしものことも考慮しなくてはならない。

「ロクス君は練習しないの?」

その護衛対象でるルミアはいつもと変わらない笑みを見せながら声をかけてくる。

「する必要がねぇ。ほっとけ」

「でも、せっかく皆で頑張っているんだからロクス君も少しは皆の練習に付き合おうよ?」

「そんなことして俺に何のメリットがある?」

本当にこの女はどうしてこうも話しかけてくるのか理解できない。

(今ここでお前を殺せれたらどれだけいいか………………………)

剣でも魔術でもこの女を殺せれたらこんなに苛つかなくても済む。だけど、今はそういうわけにはいかない。

仕事もそうだし、政治的にもルミアはテロリストを誘き寄せる餌である。だからロクスの個人的な感情で殺す訳にはいかなくなった。

「さっきから勝手なことばかり…………………いい加減にしろよ、お前ら!」

突然、激しい怒声が耳に飛び込んでくる。

そちらに視線を向けると同じクラスのカッシュと一組の生徒が場所のことで言い争っている。

そこでグレンが仲裁に入って場所を空けようとするも、そこに一組の担任講師であるハーレイが中庭に現れ、横暴にも二組は中庭から出ていけと一方的に言い切った。

成績下位者達……………足手纏いを使うグレンにやる気がないと断言した。

その言葉に顔を俯かせる二組に―――

「下らないことに時間を使う暇があったら別の場所で練習した方がいいんじゃねえか?」

不意に中庭にロクスの声が響いた。

「なに……………………? それはどういう意味だ? ロクス=フィアンマ」

それに噛み付くハーレイにロクスは淡々と告げる。

「言葉通りだ。今、こうしている間にも時間は過ぎている。わざわざ二組をどかして練習するよりも別の場所で練習した方が有意義だと言ったんだよ、ハゲ」

「ブフッ!?」

直球(ストレート)に罵倒したロクスの言葉にグレンは思わず噴き出してしまった。

「ハ!? ……………………き、貴様、それが講師に対する言葉か!?」

「うるせぇよ。知ったことか。それとわざわざ大声をあげなくても十分に聞こえてんだよ。そんなこともわからねえのか?」

呆れるように嘆息するロクスにぴきぴきと拳を震わせるハーレイはロクスを睨む。

「ただでさえこっちは面倒事を押し付けられて苛ついてんのに鬱陶しいから消えろ。それとも消してやろうか?」

殺気と共に睨み付けるロクスに殺気に耐性のない一組は恐怖で震えながらハーレイに言う。

「ハ、ハーレイ先生! 俺達別の場所でもいいですから!」

「そ、そうですよ、ここでなくても練習する場所は他にもあります!」

以前のシスティーナとの決闘の影響もあったのだろう。

これ以上彼を怒らせて惨い仕打ちを受けたくない一組は必死にハーレイに懇願した。

「くっ! ………………仕方がない。ロクス=フィアンマ! この私に楯突いたこと、必ず後悔させてやるぞ!」

恨み骨髄とばかりに、ハーレイはロクスを烈火のごとく睨み付けて中庭から去って行く。

再び彼は本に視線を向ける中で残った二組は彼の行動にざわめく。

「な、なぁ、今のって………………」

「僕達の為に言ったのかな…………………………?」

言動はいつもと変わらなかったけど、今の彼の行動はまるで二組を庇ったようにも見えた二組の生徒達はほんの少しだけ彼を見る目が変わったかもしれない。

「ふふ」

「………………………………なんだよ?」

「ううん、なんでもないよ」

「チッ」

そんな彼の隣で少女(ルミア)は微笑ましそうに笑みを見せる。

 



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相棒

「ひぐ…………………ぐす……………」

薄暗い牢屋の中で少年は声を殺しながら涙を流していた。

「また泣いているの?」

「な、ないてない………………………」

少年を心配して優しく声をかけてくる少女に少年はそっぽを向くも、少女は苦笑い。

「私の前ぐらい強がらなくてもいいよ」

「強がってない…………」

素直じゃないのか、照れ隠しなのか、そんな物言いしかできなかった少年の隣に少女は腰を下ろす。

「また、人が減ったね………………」

「………………………………うん」

ここ数日でこの牢屋の中にいる人数が減ってきている。

ここ最近は奴等は成果がどうとかで過激な実験を繰り返しているからだ。

少年も少女もこの牢屋にいる人達は今日も運よく生き残れたに過ぎない。

明日死ぬかもしれない。その次の日に死ぬかもしれない。

自分が死ぬ順番が来るのをただ待つことしかできない。

「死にたくないね…………」

「うん…………」

どうしてこんなことになったのだろうか?

ここに連れてこられた時はそんなことを考えていた。だけど、今はそんなことはどうでもよかった。ただ今日も生き残れたことに安堵しただけ。

「ねぇ、もし、もしもの話だけど、ここから出られたら何がしたい?」

「出られるわけないよ…………………」

「そんなのわからないよ。何事にも絶対はないってお父さんが言ってたもん。私はね――――」

そこから先の少女の言葉が耳に届かなかった。

ただ、幸せそうに話していたのは確かなのは覚えている。

「―――――なんだ。だから、一緒にここから出よう。ロクス」

「…………………そうだね。ラウレル」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、起きた」

目を覚ますとサラが顔を覗き込んでいた。後頭部に感じる感触からまた膝枕していることがわかる。

「………………………………どれぐらい落ちてた?」

「二分くらいかな?」

「二分と三十二秒だ。あの程度で意識を手放すとはまだまだ鍛えが足りん」

二人の近くに鷹のように鋭い眼差しを向けるアルベルトが立っていた。

学院が終えてルミアがシスティーナの家まで帰宅するまで監視と護衛を終わらせてすぐアルベルトの下で鍛錬をしていたロクスだが、今日もアルベルトに意識を刈り取られた。

「もう一度だ………………」

強くなる為に鍛錬を続けようと立ち上がろうとするも全身に力が入らず、膝をついてしまう。

「その身体でこれ以上は続けられん。貴様は少し休んだら帰るんだな。俺はこれから任務に向かう」

踵を返して去って行くアルベルトにロクスは地面に寝転びながら今日の鍛錬を思い返す。

(強ぇ…………………)

それ以上に例えようがなかった。

魔術の技量もそうだが、正確無比の狙撃やこちらの動きを先読みしての魔術罠(マジック・トラップ)。どれも未来でも見えるかのような物狂いレベルの精度と先読み。

連続起動(ラピット・ファイア)も高等技法も使えて当然のように起動させるアルベルトにロクスはただ舌を巻くしかなかった。

これでもロクスはそれなりの訓練はしてきた。血反吐を吐いてでも復讐の為に己を苛め抜いてきたつもりだった。

だが、アルベルトはその上を行く。地獄も生温い訓練であの強さを手にしたに違いない。

初見からアルベルトは自分と同じ復讐者だとわかった。

だからこそ今も今以上に強くなろうとしているのがわかる。

心にある絶望と憎悪がそうさせているから。

「大丈夫?」

「……………………ああ」

心配そうに声をかけてくる相棒(サラ)に平淡に返すもサラは笑みを見せる。

「よかった」

あの日、ロクス達を閉じ込めていた施設を破壊した日にサラと出会った。

心を燃やす黒い炎を宿したあの日はただ力を求めた。

純粋なまでに復讐を果たす為の、天の智慧研究会を殺す為の力を求めた。

そんな時、サラと出会った。

運命の悪戯か? 復讐の神の計らいか? そんなことはどうでもよかった。

復讐する為に力を手にする為にサラに手を伸ばした。

―――力を寄越せ。

そう言ったロクスの手をサラは掴んで言った。

『うんいいよ。私の力を貴方にあげる』

そうしてロクスはサラと契約を交わした。

それから共に旅をし、リック学院長と出会った。

「……………………なぁ、お前はどうしてあの時俺と契約した?」

今ならながらもロクスはそんなことを口にする。

これまでたいして気にすることもなく、尋ねることもしなかったが、先の夢を見てふとそんなことが知りたくなった。

「一目惚れ」

その疑問にサラはそう答えて続けた。

「燃えるような意思を宿す貴方の瞳に惚れた。決して消えない荒ぶる炎を宿す貴方の心に惚れた。それが復讐の炎だとしても私はそれも踏まえた貴方の全てに惚れたの」

「ロクな炎じゃねえだろう………………」

自虐するロクスにサラはくすりと笑う。

「そんなことはないわ。それが憎悪の炎でも、復讐の炎でも、貴方の心に宿すのは純粋な炎。それを否定する人間は私が燃やしてあげる」

「そうかよ………………」

「だから私はロクスの復讐を手伝う。貴方の炎を傍で見続ける為に私は力を貸すから安心して」

「それを聞いて安心した。俺はいい相棒に恵まれたようだな」

「最高の相棒に、でしょ?」

「ああ、否定はしねえよ」

笑う。純粋なまでに乙女の笑みを見せるサラに僅かばかりの無垢で狂気を感じさせる。

だけど、そんなことはどうでもいい。

力さえ貸してくれるのならどんな目的があろうと関係ない。

復讐を果たす。ただそれだけ為のロクスは強くなる。

「明日は面倒くせぇな…………………………」

明日は魔術競技祭。下らない祭りに出なくてはいけないことにロクスは溜息を吐いた。

 



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魔術競技祭

魔術競技祭当日。

魔術学院の敷地北東部にある魔術競技場で主に行われ、開催前から競技場の観客席は人であふれかえっている。

観客席に座っているのは生徒達の両親だけではなく、学院の卒業生から学院の関係者まで集まり、賑わっている。

観客の中には競技祭よりも女王陛下を一目見ようと集まった者達もいるかもしれないなかで、女王陛下の激励の言葉と共に魔術競技祭は開催された。

 

 

 

 

広大な学院敷地内に設定されたコースを、一周毎にバトンタッチしながら何十周も回る『飛行競技』。その競技のラストスパートで予想外な勝負展開に歓声を上げていた。

『そして、さしかかった最終コーナーッ! 二組のロッド君がぁ、ロッド君がぁああ――――ぬ、抜いた――――ッ!? どういうことだッ!? まさかの二組が、まさかの二組が―――これは一体、どういうことだぁあああ――――――ッ!?』

魔術競技祭実行委員会のアースが実況席で興奮気味の奇声を張り上げている。

トップ争いの一角だった四組を最後の最後で二組が抜いたという予想外な結果に観客席から拍手と大歓声が上がった。

今では一位を取った一組よりも大奮闘をしている二組の方が注目の的だ。

だが、そんなことどうでもよさそうにロクスは本を読んでいた。

元より参加する気は微塵もなかった上に他者の奮闘も応援もする気はない。

「やったぁ、凄い! ロクス君、三位! ロッド君とカイ君、三位だよ!?」

―――のだが、ルミアがロクスの隣で手を打ち鳴らして大喜びしている。

(鬱陶しい……………………)

そんなロクスの心情に気にもしていないように興奮気味に話しかけてくるルミアに苛立ちが募る。

わざわざクラスとは少し離れた席に座って距離を取っていたのにルミアはごく自然にロクスの隣でクラスの応援をしている。

「ほら、ロクス君も一緒に応援しようよ?」

「一人で勝手にしとけ」

もはや半分諦めの投げやりで返すロクスの口からは溜息が漏れる。

(こいつがいると本当に調子が狂う………………任務がなけりゃ殺してたのに)

ルミアがこうして世話を焼きにくるのは恐らくは同じ異能者だからだろう。

異能を持つ者同士だから仲間意識を感じているのかもしれない。

ロクスからしてみれば鬱陶しいだけだが。

「楽しくないの?」

「当り前だろう。こんな祭り、俺にしてはただの時間の無駄だ」

できることなら今すぐにでもアルベルトの下で特訓がしたいロクスだが、今はアルベルトは任務に出ている為にいない。

ロクスにとって今、この時間は怠惰でしかない。こんなことをする暇などロクスにはない。

しかし、任務の事も考えて極力はルミアがいる二組の近くにいなければならない。

「つーか、何でお前は俺の隣にいやがる? フィーベルのところにでも行け」

「そんな邪険にしなくても…………………………」

追い払おうとするロクスにルミアは苦笑い。

「皆と一緒に、何か一つの事を目指すって凄く楽しくないかな? 私は凄く楽しいよ」

「そうかよ。俺にはどうでもいいことだ」

そっぽを向くロクスは楽しそうにするルミアを無視して本に意識を向ける。

それからも続く快進撃にも一瞥することなく、競技祭は続いた。

 

 

 

 

 

魔術競技祭の午前の部が終わって小一時間の昼休みがあり、それから午後の部が始まる。

全員がそれぞれの昼休みを終わらせて午後の部が始まったのだが、ロクスは午前と変わらずに本を読んでいたのだが、不意にルミアがいなくなったことに気付いた。

「たくっ」

すぐに遠見の魔術でルミアの居場所を探すロクスは応援に集中しているシスティーナ達を放置してルミアの所に向かう。

(勝手に動くなよ)

愚痴をこぼしながらルミアがいる学院敷地の南西端、学院を取り囲む鉄柵のかたわら、等間隔に植えられた木々の木陰に足を運んだ。

「こんなところで何してやがる?」

「ロクス君……………………?」

不意に現れたロクスの登場にルミアは手の中にあるロケットの蓋を閉じ、それを握りしめる。

「手間かけさせんな。さっさと戻れ」

「………………探しにきてくれたんだ」

「お前がいないとフィーベルがうるせぇんだよ」

苛立ちを隠すことなく告げるロクスにルミアは一笑してロケットの鎖を首の後ろで繋ぎ、ロケット本体を胸元から衣服の中に落とし込んだ。

「………………………………ロクス君は私と、女王陛下の関係を知っているんだよね?」

「ああ、それがどうした?」

テロ事件後に政府の上層部から聞かされたルミアの素性。どうでもいいことだから適当に聞き流したが、頭の片隅には入っている。

「少しだけでいいの? 私の話に付き合ってくれないかな?」

「はぁ? 誰がそんな面倒なことを―――」

「お願い…………」

聞く耳持たずに断ろうとしたが、切実に懇願してくるルミアにロクスは大きい溜息を溢してルミアの反対側の木に背を預けて腕を組む。

聞いてくれると思ったルミアは語り始めた。

自分がまだ王女だった頃の話。日々の政務で忙しい中、それでも時間を作って遊んでくれた優しい母親。いつも自分の面倒をみてくれた優しい姉。王室直系の娘として何一つ不自由なく、王室直系の娘としてやはりどこか不自由だった日々。それでも、確かな幸せと呼べた在りし日の記憶―――

「…………………私はどうすればよかったんだろう?」

一通りの思い出話が終わると、ルミアはグレンに静かに問う。

「陛下が私を捨てた理由………………それはわかるの。王室のために、国の未来のためにどうしてもやらなければならない必要なことだったって。それでも……私は心のどこかで陛下を許せなかった……………怒っているんだと、思う………………」

「………………………………」

「だけど、あの人を再び母と呼びたい、抱きしめてもらいたい………………そんな思いも、どこかにあるの…………………ずるいよね………………私…………」

「………………………………」

「でも、あの人を母って呼んだら、私を引き取って、本当の両親のように私を愛してくれたシスティのお母様やお父様を裏切ってしまうようで………………それが申し訳なくて…………」

「………………………………」

「だから、私、わからないの。どうしたらいいのか、どうすればよかったのか………………」

目を伏せるルミア。

ロクスは呆れるように息を吐きながら答えた。

「くっだらねえ。そんなもん会えばいいだけの話だろうが」

驚くほどの率直に言ってのけたロクスにルミアは目を瞬かせる。

「そんな下らないことに時間を無駄に使わすんじゃねえよ。全部女王陛下に会えば解決する問題じゃねえか」

苛立ちながら乱暴に言い切るロクスにルミアは少し憤りを覚えた。

そんな簡単に言わないで欲しいと言い返そうと口を開こうとした―――

「もう二度と会えない奴だっているんだぞ」

が、その言葉を聞いて言えなかった。

そして思い出した。ロクスのことについて。

「……………………ロクス君のご両親は、今どこに?」

「死んだ。俺が天の智慧研究会に攫われる日に魔術で殺された。二人共焼き殺された。俺が異能者だとテロリスト共に知られたせいでな」

思わず手で口を覆ってしまったルミアは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

(そうだよ、ロクス君は………………………)

自分はまだ追放だけで済んだ。だけど、ロクスは両親を殺されて人権も人の尊厳もない実験動物(モルモット)として扱われてきた。

そんなロクスに自分の話を聞いたらそう返ってくるなんて簡単に想像できるはずなのに。

母親も生きている。人として生活もできている。

それだけでも十分のはずなのに如何にも自分は不幸のように語れば苛立つのも無理はない。

「俺の両親は俺が異能者だとわかっても受け入れてくれた。愛してくれた。だけど、俺が異能者だったせいで殺された。くだらねえ使い捨ての駒を作る計画の為に、な」

「………………………………」

「別にお前の為に言うつもりはねえが、うじうじする暇があんならさっさと―――あぁ?」

不意に怪訝そうな声を出すロクスにルミアは顔を上げる。すると、王室親衛隊が足早でこちらに向かって来ているのが視界に入った。

女王陛下を護衛している筈の王室親衛隊がどうしてこんなところにいるのか疑問に首を傾げていると王室親衛隊は二人の前で足を止め、囲むように素早く散開した。

「ルミア=ティンジェル……………だな?」

二人の正面に立った、その一隊の隊長格らしい衛士が低い声で問いかけてくる。

「………………ルミア=ティンジェルに間違いないな?」

「え? は、はい……………………そ、そうですけど………………………」

念を押すように再び重ねられた問いかけに、ルミアは戸惑いながらも答える。

次の瞬間。

衛士達は一斉に抜剣し、ルミアにその剣先を突きつけていた。

「――――ッ!?」

「傾聴せよ。我らは女王陛下の意思の代行者である」

一隊の隊長格らしい衛士が朗々と宣言した。

「ルミア=ティンジェル。恐れ多くもアリシア七世女王陛下を密かに亡き者にせんと画策し、国家転覆を企てたその罪、もはや弁明の余地なし! よって貴殿を不敬罪および国家反逆罪によって発見次第、その場で即、手討ちとせよ。これは女王陛下の勅命である!」

あまりにも現実離れした、その現実にロクスは面倒くさそうに溜息を吐いた。

「その話、ちょっと待て。証拠はあんのか?」

呆れながらも割って入るロクスに隊長格の衛士は淡々と告げる。

「部外者に開示義務はない。これはお前のような子供が触れてはならぬ、高度に政治的な問題だ。もし、その娘を庇い立てするようならば、お前も国家反逆罪で処分せねばならぬ」

「ようはねえってことだろ? たくっ、お前等報告書はちゃんと目を通しているのか? ルミア=ティンジェルはそんなことを企むような行動は一切してねえよ」

「報告書だと? どういう意味だ?」

ロクスの言葉に怪訝する一隊の隊長格らしい衛士にロクスはある紋章を王室親衛隊に見せる。

「俺は帝国宮廷魔導師団特務分室、執行官ナンバー16《塔》、ロクス=フィアンマだ。女王陛下の命によってルミア=ティンジェルの監視及び護衛を担ってる。さて、その件に関する詳しい情報を聞かせて貰おうか?」

その言葉にルミアも王室親衛隊も驚愕に包まれた。



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味方で

「帝国宮廷魔導師団特務分室だと!? お前のような学生が!?」

「これが証拠だ。疑うんなら特務分室室長に確認しろ」

特務分室の紋章を見せるロクスに王室親衛隊は驚きを隠せれない。

普通なら学生の戯言で一蹴するも、ロクスは特務分室に所属している証である紋章は紛れもない本物である。

「しかし、これは女王陛下の勅命であり」

「ならどうして護衛任務を任されている俺に一言もねぇんだ? こいつを殺すことには構わねえが、部外者じゃねえんだから証拠を見せろ。部外者じゃなかったら開示義務はあるんだろ?」

一隊の隊長格らしい衛士は言葉を詰まらせる。

まさか学生と思っていた者が帝国宮廷魔導師団に所属している者とは露にも思ってなかった。

「……女王陛下は最高国家元首。その言葉はあらゆる法規を超え、全てに優先するのだ。そちらに一言かけなかったことには謝罪するが、これも女王陛下の為だ」

「俺はそんなこと聞いちゃいねえよ。こいつを殺す証拠を出せって言ってんだ。俺は報告書に女王陛下を暗殺する企てあり、とは書いてねえぞ」

「これは女王陛下の勅命であり――」

「同じセリフしか言えねえ木偶人形か、お前等。つまりなんだ、証拠はねえってことか? それともルミア=ティンジェルを殺さなきゃいけねえ理由でもあるのか? 冤罪を押し付けてまで」

瞬間、五閃の銀光に風切り音が唸った。

気付けば、目にも留まらぬ早業で五振りの剣が、四方からロクスの首筋や喉元に突き付けられる。

「……どういうつもりだ?」

「安心しろ、貴殿を殺しはしない。ただ少しの間眠って頂く」

「………《そういうことかよ》」

しゅぱっ、と。

頭上で何かが爆ぜるような音が鳴り響いた。

「うぎゃあああああああああああ――――ッ!?」

悲鳴を上げ、剣を取り落として目を押さえ、悶え苦しむ衛士達にロクスは圧縮凍結保存しておいた剣を解凍し、衛士達を斬り伏せた。

「な、なにを……」

「黒魔【フラッシュ・ライト】で隙を作っただけだ。たくっ、面倒事を起こしやがって」

吐き捨てるように愚痴をこぼしながらロクスはサラを召喚して半割れの宝石を渡す。

「サラ。これをあの講師に渡せ。事情は後で話すって伝言もつけてな」

「ええ、任せて」

ルミアの事情を知っているグレンと連絡手段を確保する為にサラを使ってロクスはルミアを抱える。

「きゃっ!?」

「ここにいたら面倒だ。離れるぞ」

ロクスはそう言って学院の外へ向かって走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

人気のない路地裏で王室親衛隊が追いかけてこないことを確認するとルミアを手放す。

「ロクス君……どうして……?」

「あぁ、んなもん任務だからに決まってんだろうが。そうじゃなかったら誰がお前なんかを守るか。こっちはお前が死なれたら困るんだよ」

テロリストを誘き寄せる『餌』であるルミアが死ねば復讐を果たすことはできない。

その為に仕方がなくロクスはルミアを助けた。

それでもルミアの顔は苦渋に満ちていた。

「任務だから……助けたの? でも、いくら任務の為だからっていってもこのままじゃロクス君まで……」

「……自分が死ねばそれで終わりってか?」

その言葉にルミアは静かに頷いた。

「………本当にお前は俺を苛つかせる。任務がなかったら俺がお前を殺してぇよ」

ロクスはルミアの胸ぐらを掴み上げる。

「自分が死ねば終わりだと思ってんじゃねえ! 自己犠牲も大概にしやがれ!!」

「でも、このままじゃ私だけじゃなくロクス君まで……ッ!」

「馬鹿か! 状況を冷静に考えやがれ! 本当に女王陛下がお前を殺すんなら他にやりようがあるだろうが!」

乱暴にルミアを掴んでいる手を離してロクスは続ける。

「仮にも俺はお前の護衛を任されてんだ。仮にお前を殺すんなら、さっきみてえに下手な衝突を避ける意味も込めてお前を殺す前に俺に一言あるか、護衛の命を解くかするぐらいはするだろうが」

「あ……」

「まず話が急すぎると思わねえのかよ? どうして魔術競技祭の日にお前を殺す必要がある? 世間の体裁を保つ為にも罪状とその証拠ぐらいはでっちあげるだろうが」

冷静に語るロクスの言葉にルミアもようやく冷静さを取り戻し始めてきた。

言われてみれば確かに話が急すぎる。

本当に殺す必要性があるのなら三年前に殺しているはずだ。

「それでも強引にでもお前を殺す必要ができた。それこそ特務分室に所属している俺を眠らせてまで。なら話は簡単だ。王室親衛隊が躍起になってまでお前を殺さなければいけないその理由は」

「お母さんの命が危ない……」

「それしかねえだろうが」

その結論に至ったルミアに呆れながら同意する。

「恐らくは女王陛下の命は既に敵の掌の上。だから王室親衛隊はお前を殺そうと躍起になっている。そう考えれば一応は辻褄は会う」

はぁ~と深く溜息を吐くロクスにルミアは問う。

「どうして私のためにそこまでしてくれるの? ロクス君だっていつ殺されてもおかしくないんだよ……?」

王室親衛隊はルミアを殺そうと躍起になっている。それを邪魔しようとする輩がいたら排除しようとするだろう。

「俺は別にお前が死のうがどうでもいい。むしろ清々する。だが、お前は政治的利用価値がある。それは俺の復讐を果たす為にも役に立つんだよ。テロリストを誘き寄せる『餌』としてのな」

帝国政府にとって異能者であるルミアは天の智慧研究会の尻尾を掴む為に利用価値があると判断。ロクスはそれを利用してテロリストを殺す。

復讐を果たす為にもルミアがいてくれた方がテロリストを殺す効率がよくなる。

「俺は復讐の為にお前を利用する。テロリストを殺すついでにお前を守ってやるよ」

ロクスは一呼吸置いてルミアに告げる。

「だから安心しな。俺が復讐を果たすまで俺はお前の味方でいてやる」

「ロクス君……」

「だから死のうとするんじゃねえよ」

トクン、とルミアは動悸が激しくなる胸に手を当てた。

 



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合流

「おい、講師。聞こえるか?」

『おい! ルミアが命狙われているってどういう事だ!?』

半割れの宝石、遠隔通信用の魔導器でグレンと連絡を取るロクスは淡々と問いかける。

「んなことよりあんたに聞きてぇ。学院長とセリカ=アルフォネアを出し抜いて女王陛下を殺すことはできるか?」

『…………………たくっ、無理だ。少なくとも俺が知る範囲でそんな奴はいねえ』

概ね予想通りの返答にロクスは再度問いかける。

「じゃ、条件起動式の呪い(カース)がかけられていたらどうだ?」

魔術師史上、散々使い古された古典的な手を告げるロクスで通信中のグレンは目を瞬かせる。

「ティンジェルを殺すことに躍起になっている王室親衛隊は帝国宮廷魔導師団特務分室に所属している俺に何一つ情報を話すことなく殺そうとしていた。恐らくは既に女王陛下は呪い(カース)を受け、その解呪条件がティンジェルの殺害だ。呪い(カース)を話さないところや王室親衛隊の様子を見て、『第三者に情報を掲示』、『一定時間の経過』、『勝手に外す』も組み込まれてんだろう」

『ちょっと待て、お前今、特務分室に所属しているってどういうことだ!?』

「んなことはどうでもいい。講師、あんたはその呪い(カース)をどうにかできる手段はあるか? 俺は解呪(ディスペル)とか苦手だから無理だ」

ロクスが今回の件をグレンに話したのはそれが主な理由だ。

多くの魔術を会得しようと躍起になっているロクスだが、解呪(ディスペル)の類はどうしても苦手だ。逆に呪い(カース)の類は得意ではあるが。

『……………………できる。多分、女王陛下の首のネックレス。あれが呪殺具だ。以前王宮で見たのとは違うものをしていたからな』

「ああ、そういうことかよ」

ルミアを一瞥して先ほどのロケットを思い出して鼻で笑う。

『だが、その為には女王陛下に近づく必要がある。その為には』

「優勝するしかねぇってことか」

グレンの話を聞いて面倒そうに溜息を吐く。

現段階では二組でもまだ優勝は狙える。だが、最後の種目である『決闘戦』はロクスも参加することになっている。

しかし、今はルミアと一緒に王室親衛隊に追われている身。そんな公の場に姿を現すことはできない。

「俺の代わりは誰か代役でも出させろ。こっちもできる限りは――――」

そこで言葉が止まるロクス。すると二人の前に二人組の男女がいた。

「………………………………あんた、任務があるんじゃなかったのか? フレイザー」

「その任務だ。安心しろ、敵ではない」

「……………………誰?」

二人組の男女の内一人の男性はロクスを鍛えているアルベルトともう一人は同僚と思われる少女。

「同僚だ。殺すな」

「ん」

「場所を変える。ついてこい」

ロクスとルミアはアルベルト達と共に路地裏の奥へと歩いていく。

 

 

 

 

 

 

アルベルトそしてリィエルと名乗る少女は王室親衛隊を監視していた。その動きからルミアを殺そうとしているのを遠見の魔術で確認し、ロクス達と合流。

互いに情報を交換し、ロクスの推測は概ね正しいとアルベルトもそう判断した。

「しかしわからん。貴様はどうして条件起動式の呪い(カース)だと思った?」

「………………………………馴染み深いもんだからな」

小さく息を吐くロクスは条件起動式の呪い(カース)は本当に馴染みあるものだった。

異能者として天の智慧研究会の研究施設に閉じ込められ、異能者同士の殺し合いには必ずと言っていいほどに『一定時間内に対戦相手を殺さないと死ぬ』という呪い(カース)が組み込まれた首輪をつけら、殺しを強制された。

死にたくはないが為に異能で、武器で相手を殺したロクスにとって呪い(カース)は忌々しくも馴染み深いものである。

だから、一番にその可能性を疑ったのもその経験があったのが大きい。

「こんなことをする奴は限られてる。ほぼ間違いなく天の智慧研究会だ」

手段を選ばず、ありとあらゆる方法で目的を達成する天の智慧研究会。今回もテロリストの仕業だと断定するも一つ腑に落ちない点がある。

以前のテロ事件ではあくまでルミアの捕獲が目的だった。だが、今回はルミアの殺害。行動に一貫性がない。

そもそもどうしてルミアが狙われているのかも不明だ。

確かにルミアは異能者だ。だが、感応増幅者は探せば他にいくらでもいる。天の智慧研究会がそこまでしてルミアを狙う理由がわからない。

だが、そんなことはどうでもいい。

怨敵が近くにいる。

それだけわかれば十分だ。

「どこに行くつもりだ?」

「決まってんだろ。テロリストを殺しに行く」

迷うことない言動。

「ティンジェルの傍にあんたらがいれば問題はねえだろう。なら、俺は敵を殺しに行く」

「やめておけ。今の貴様では返り討ちに会うだけだ」

諫めるように淡々と告げる。

「貴様はテロリストを前にすると思考も視野も狭まると前に言っておいたはずだ。復讐を果たしたければまずは復讐心を己の内側に留めておけ。そうでなければ復讐を果たすなど夢のまた夢だ」

「………………………………」

「それに忘れるな。今の貴様はここにいるルミア=ティンジェルの護衛だ。それを放棄することは許さん」

「………………………………なら、どうすんだよ?」

「【セルフ・イリュージョン】で俺達は互いに姿を晦ませる。俺達がお前達として時間を稼いでいる間にお前達はグレンのところへ行け。奴ならこの状況を打破することができる」

「フレイザー。あの講師の固有魔術(オリジナル)なら確かにどうにかできるのは理解した。だが、どうやって講師をその固有魔術(オリジナル)の範囲内に連れて行く? 女王陛下のすぐ傍にはあの総隊長がいるだろうが」

そう、女王陛下の傍には王室親衛隊の総隊長であるゼーロスが控えている。

四十年前の奉神戦争を生き抜いた古強者。

グレンの実力はどの程度かは知らないが、少なくとも勝てないまではわかる。

「そこに俺とティンジェルがいても纏めて殺されるだけだ」

「そこは貴様でどうにかしろ。今の貴様なら数秒の足止めぐらいはできるはずだ」

「ハッ、テロリストを殺しに行くよりもよっぽど無茶を言ってるぞ」

「なら、女王陛下もしくはルミア=ティンジェルが死ぬだけだ」

冷酷に告げるアルベルトの言葉に忌々しく舌打ちする。

「チッ、わーたよ」

渋々黒魔【セルフ・イリュージョン】の呪文を唱えてアルベルトとリィエルに姿を変身する。アルベルト達も同様にロクス達に姿を変える。

「くれぐれもヘマはするな」

「こっちの台詞だ」

互いに憎まれ口をたたき合い、離れていくなかでリィエルの姿に変身したルミアはくすりと笑った。

「なんか、アルベルトさんってロクス君と似ているよね」

「笑えねえ冗談だ」

同じ復讐者なのは否定はしねぇが、と内心でそうぼやいた。

 



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路地裏にて

王室親衛隊にルミアの命が狙われることになった魔術競技祭。

グレンと指示と二組の活躍によって見事に二組が優勝することができた。

ちなみにロクスの代わりに『決闘戦』に出場したのはカッシュという男子生徒だった。

そんなこんなで魔術競技祭も残りは閉会式だけとなり、その行程も滞りもなく終わって行く。

そして、いよいよ女王陛下であるアリシアが表彰台に立った。

その背後には王室親衛隊総隊長であるゼーロスと学院が誇る第七階梯(セプンデ)のセリカが控えている。

申し分もない護衛。アリシアに害せる者などこの世界で誰一人いやしないだろう。

『それでは、今大会で顕著な成績を収めたクラスに、これから女王陛下が勲章を下賜されます。二組の代表者は前へお願いします。生徒一同、盛大な拍手を』

拍手が上がる。

各クラスの担当講師達から溜息が漏れながら、代表者であるグレンは前へ出る。

それと同時に別の二人もグレンと一緒に表彰台に上がる。

「アルベルト…………………? それに、リィエル…………?」

戸惑うアリシアをよそにロクスは幻影を解いて姿を露にする。

「祭りも終わりだ」

炎を宿すような赤い剣と共にロクスは炎熱のような熱い視線をゼーロスに向ける。

 

 

 

 

 

「馬鹿な!? ルミア殿、貴女は今、学生と共に町中にいるはず――――」

「そんなもんに義理はねえよ、おっさん」

居合わせた観客席の来賓客や、整列している大勢の生徒達も、一体何が起きているのか、さっぱり読めず、遠巻きにその様子を眺めながら困惑にざわめいている。

「ロクス、マジで死ぬなよ」

「死ぬつもりはねえよ」

作戦は既に伝わっているグレンは真剣な顔でそう告げる。

「くっ! 親衛隊ッ! 何をしている!? 賊共を捕えろッ!」

ゼーロスがアリシアを背に庇いながら指示を飛ばすと、会場を警邏していた衛士達が我に返って一斉に抜剣、ロクスとルミアを取り押さえようと殺到する。

「セリカ、頼む―――――ッ!」

だが、グレンが叫んだ瞬間、無数の光の線が猛速度で地面を走った。

表彰台を中心に六人を取り囲む結界が瞬時に構築されて内界と外界を切り離す。

「おい、おっさん。こっちは女王陛下を助ける手段がある。だから大人しくしてろ」

「はったりも大概にしろ! 子供といえど容赦はせんぞ!」

「頭の固い爺め………………。おい、講師。そっちは任せた」

「ああ」

二人は同時に駆ける。

グレンはアリシアに向かって。

ロクスはゼーロスに向かって。

互いが担う役割を果たす為に動き出す。

「させん!」

だが、ゼーロスはロクスの想像を上回う程に速度で飛び込んできた。

残像すら置き去りにする、人の身ではありえない神速の踏み込みと共に左右一振りずつ、二刀細剣(レイピア)でロクスの命を奪わんと喉と心臓に銀光が迸る。

回避不可能。

迎撃不可能。

直撃は避けれない神速の剣がロクスの命を刈り取る。

その瞬間――――

ロクスの黒い炎が全身から放出し、ゼーロスの細剣(レイピア)を消し尽くした。

「な――――」

殺した。そう確信した瞬間に突如現れる黒い炎が自身の細剣(レイピア)を消し尽くされ、驚愕に包まれる。

その僅かな隙をロクスはついた。

「ハッ!」

赤い斜線がゼーロスに刻まれる。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

その前にゼーロスの拳がロクスの顔を捉えて殴り飛ばした。

「がっ―――」

「ロクス君!?」

「陛下!?」

女王陛下であるアリシアを守る為に剣を捨てて素手に切り替えたゼーロスはロクスを退けてすぐにアリシアの方に視線を向けるも―――

そこにはネックレスを放り投げたアリシアの姿がいた。

「陛下、なんてことを―――――ッ!?」

絶望に歪んだ表情で叫ぶゼーロスにアリシアは優しく微笑みかける。

「私は大丈夫ですよ、ゼーロス」

鬼気迫るゼーロスだったが、アリシアが朗やかにただずむ様子を見て取ると、呆然と言葉を失った。

呆気を取られるゼーロスをよそにグレンは地面に落ちた翠緑のネックレスを忌々しげに見る。

「ロクスの言う通り、条件起動式の呪い(カース)で助かったぜ。お~い、ロクス、生きてるか?」

「うるせぇよ………………………」

「ロクス君! 待って、今治すから!」

鉄の塊でも喰らったかのようなゼーロスの拳を受けて鼻の骨が折れた程度で終わったロクスはルミアの治療を受ける。

「貴様…………一体、何を…………何をした………………………? なぜ、呪い(カース)が発現しなかった………………………?」

状況が呑み込めないゼーロスはグレンに問いかけるとグレンは一枚のカード。愚者のアルカナを見せる。

「こいつは俺の魔導器。愚者の絵柄に変換した術式を読み取ることで、俺は一定効果領域内における魔術の起動を完全封殺できる。呪い(カース)も魔術には変わりない。俺の固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】の影響下じゃ条件満たしても起動できねーってことさ。ま、めでたしめでたしってことで」

グレンの固有魔術(オリジナル)を始めに聞いた時は半信半疑であったロクスだが、その効果は魔術師なら恐ろしい代物だ。

いくら凄腕の魔術師でもあの固有魔術(オリジナル)の影響下では無意味に変わってしまう。

「さぁて、どう説明すっかな………………………てか、収拾つくの? これ」

困惑にどよめく周囲を見渡して事後処理に頭を悩ますグレンだった。

 

 

 

 

 

結論から言えば、騒ぎは大事なく収まった。

世界を相手取る女王陛下の巧みの話術が場にいた全ての者達を見事に欺いたおかげで無事に魔術競技祭は終了した。

「はぁ…………はぁ………………………」

騒ぎが終え、学院運営陣との緊急会議やらで、事件の功労者としての勲章授与式の日程調整やら、王室親衛隊との事情聴取やらで、時間を費やした為に時は既に夜。月が空に漂うなかでロクスは誰もいない路地裏で一人、苦痛で顔を歪ませていた。

顔中脂汗をびっしりと掻いて、立つことも困難のように地べたに座り込んでいる。

「ああ、クソが………………………」

愚痴を溢すロクスは慣れるまでここで大人しくしていようと思った。

「ロクス君!?」

その矢先に面倒な人物に見つかった。

「チッ……」

忌々しく舌打ちするロクスはその場から去ろうと思って立ち上がった瞬間、無様にも倒れてしまう。

「大丈夫!?」

駆け寄ってくるルミアはロクスを起き上がらせようと触れた瞬間。

「――――ッ!?」

高熱を帯びているロクスの身体に触れてすぐに異常だと気付いた。

「酷い熱……これって」

「なんでもねぇ…どっかいけ……」

「なんでもないじゃないよ! この身体は……」

異常なまでの熱量を身体から発するロクスに戸惑いながらも問いかけるルミアにロクスは皮肉に笑みを浮かばせる。

「あの、黒い炎が……何の代償もなしに使えるわけねえだろう……」

「え?」

「黒い炎を宿したあの日から俺の身体は常に全身を焼き尽くされるような高熱で犯されてる。黒い炎を使えば使う程に熱量が上がる……慣れれば耐えられるが、慣れるまでは結構きついんだよ……まぁ、実験動物(モルモット)の頃に比べればマシだがな」

人権も尊厳もない実験動物(モルモット)だった頃に比べればこの程度なんてこともない。

それよりも復讐を果たす方が先だ。その為の力ならどれだけこの身体が高熱に犯されようとも関係ない。

(俺にはもっと力がいる……)

それがどんな力だろうがなんでもいい。

復讐を果たす為ならばどんな力だって使う。どんな手段だって取る。

その為ならルミアだって利用する。

テロリストを誘き寄せる存在であるルミアがいれば奴等は必ず姿を現す。

その為にもルミアには生きて貰わなければならない。

「んしょっと」

「………………………………おい、なにしてやがる?」

ルミアはロクスの手を取って腕を肩に回してロクスを起こす。

「離せ………………………」

「こんなところにロクス君を置いておけないよ。嫌だろうけど私とシスティの家まで我慢して」

ロクスに肩を貸しながら歩き始めるルミアだが、力も体格も男性よりも劣る為に足元がふらつく。それでもルミアはロクスを離さない。

ロクスの身体から発する高熱を感じていないわけがないのに、それでもルミアはロクスを家まで連れて行こうとする。

「………………………………俺は復讐の為にお前を利用している男だぞ?」

「それでも守ってくれるって言ってくれた。それだけで十分だよ」

違う。

あんなのただの方便だ。

自分の復讐の為に都合よく出たただの言葉だ。

この女は何を勘違いしている。

それでもルミアは真剣だった。真剣にロクスを連れて行こうと必死に一歩を踏み出している。

そんな真剣なルミアを見てロクスは笑った。

(馬鹿みてぇ……)

他人の為にそこまで真剣になるルミアを一笑しながら、そんな彼女(ルミア)が本当にあの女(ラウレル)に似ていると思わされてしまう。

髪の色も顔立ちも違うのに性格や雰囲気、根っこの部分が非常に似ている。

(本当に、苛つく……)

かつて今日を生きる為に自分が殺した少女(ラウレル)と似ているルミアに苛立ちを募らせるロクスはぽつりと口から言葉が漏れる。

「俺は、お前が嫌いだ……」

「うん」

それでも彼女(ルミア)は笑ってみせた。



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フィーベル邸

―――――ごめん。

右手から激しい勢いで炎がうねりを上げるなかで彼はナイフを持って必死の形相で襲いかかってくる相手に謝罪と共に炎を放った。

暴力的なまでの熱量の咆哮と共に相手は最後に絶望の表情を浮かべながら灼熱炎に呑み込まれた。

骨も残らず燃え尽きた相手。彼の首に嵌められていた条件起動式の呪い(カース)が解除されて地面に落ちてただ広い空間に乾いた音が響く。

「うぷ、おぇぇええええええええええええええええええええ!!」

そして彼は生き残った安堵と共に激しい後悔と罪悪感に苛まれて吐瀉物を地面に吐き出す。

そんな彼を安全地帯から観察していた彼等はただ淡々と今回の実験について記録するのみ。

すると、一人の魔術師が彼に近づいてきた。

「おい! 何をしている!?」

「うぐ!?」

「お前のような実験動物(モルモット)が実験場を汚すな! さっさと綺麗にしろ! 屑が!!」

「あぐ…………………ぐ……………………」

蹴られ、また蹴られて。ストレスを発散されるかのように何度も蹴られて最後には自分が吐き散らした吐瀉物の上で踏みつけられて、唾を吐かれた。

「いいか!? 舐めてでも綺麗しろ! そうじゃなかったら殺すぞ!」

全身を蹴られ、体中痣だらけにされながら生にしがみつく彼はその通りにするしかなかった。

ここに人権などない。

ここに人の尊厳もない。

あるのは実験と殺し合い。

実験動物(モルモット)の彼等に何かを選択する自由さえも与えてくれなかった。

殺されたくはない。生きたいが為にロクスはただ従う。

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………」

今日もまた悪夢(かこ)を見た。すっかり慣れたその光景にロクスはいつものように起き上がるも、そこは知らない部屋だった。

「ああ」

周囲を見渡してロクスは思い出した。

あの後、ルミアにシスティーナの家に連れてこられて客室に泊めさせて貰ったことを思い出す。身体の熱にも慣れてきた今ならあの無様な姿にはならない。

さっさとこの家を出よう。そう思った彼なのだが、いつものように全身が寝汗で酷い。

シーツも自分の寝汗で酷いことになっている彼は流石にこのままで帰るのはまずいと思ったのかシーツをもって洗面場か浴室を探す。

「広ぇ……」

来た時は思う暇もなかったが、落ち着いて改めてみたらこの屋敷の広さにぼやいた。

こんなにも部屋がいるのかよ、と思いながらもロクスは浴室を見つけた。

「ついでにシャワーも借りるか」

寝汗が酷い自分を見てシーツを洗うついでに汗を洗い流しておこうと思った彼は自分の衣服も脱いで浴室で簡単にシャワーを浴びて寝汗を流し、シーツと自分の衣服も洗うと、炎熱系の魔術でシーツと衣服を乾かす。

こんなところか、と思った彼は服を着ようと浴室を出ようとする。

その瞬間、洗面所と浴室を遮る扉が開いた。

「うぅ~、なんで拳闘なの、よ…………」

洗面場から姿を現したのは一糸まとわぬ生まれたまんまの姿をしたシスティーナは何かしらの愚痴と共に浴室に入ると、彼を目撃して固まった。

「フィーベルか。悪ぃが少し借りて―――」

「いやぁぁああああああああああああああああああああああああああお、《大いなる風―――――」

「《力よ無に帰せ》」

黒魔【ゲイル・ブロウ】を【ディスペル・フォース】で相殺させると呆れながら口を開く。

「自分の家で魔術を使うなよ、常識だろうが」

「出てけぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!」

朝から災難な目にあったシスティーナはもう涙目で手当たり次第にロクスに物を投げつける。

 

 

 

 

 

「それでどういうことかな? かな?」

朝の一騒動から少ししてルミアは二人の事情を聞いて迫力ある笑みでロクスに問いかける。

「言葉通りだ。浴室を借りていたらそいつが入ってきた」

そんなルミアに少しも怯むことなく淡々と事実を告げるロクスは今はきちんと服は着ていて、シーツも畳んで一室の端に置いてある。

堂々とそう言ってのける彼にルミアは頬を膨らませる。

「もう、その前にシスティに謝るのが先でしょ!?」

「あぁ? なんでだ? 確かに浴室を勝手に借りたのは悪ぃとは思ってるが」

「そうじゃなくて、女の子の裸を見たんだから謝らないといけないの!」

「その理屈なら俺もそうだが? 裸見られたぞ」

「女の子と男の子じゃ違うの!?」

ルミアから説教を受けるロクス。システィーナは父親以外に初めて見た男性の裸に耳まで真っ赤にして毛布に包まって猫のように身を丸くしている。

説教を受けているロクスはうんざりとした表情で息を吐く。

「たかが裸見られた程度で騒ぐな。見たからってどうもしねえだろう?」

「そういう問題じゃないの!?」

「じゃ、どういう問題なんだよ?」

「そ、それは……」

そう返されたら即答できないルミアは思わず尻込みしてしまい、そんなルミアを見てロクスは溜息を吐く。

「だいたいこっちは女の身体なんか実験動物(モルモット)時代に散々見たし、強引に交わされたんだ。そんなことでいちいちどうこうする気はねぇっての」

「「え?」」

その言葉にルミアだけではなくシスティーナまでも思わず顔を上げてしまう。

「ロ、ロクス、それって……」

「前に言っただろうが。施設で異能者同士で交わえば異能者が生まれる実験のことを。ガキでも例外はねえよ。意識を残したまま洗脳されて強引にヤらされた。案外どっかで俺のガキでもいるかもしれねえな。ま、知ったことじゃねえが」

皮肉に笑い、淡々と話すロクスのおぞましい内容に背筋を、怖気が駆け上がった。

彼の言葉に怒りも羞恥心も消えた二人は顔を見合わせて頷く。

「ねぇ、ロクス君。教えてくれないかな? ロクス君のことを」

「あぁ? そんなもん聞いて何の意味がある?」

「一泊の恩とさっきのことはそれで無しにしてあげるから」

「……たくっ、聞いてもつまらねえぞ?」

恩をあだで返す真似はしないロクスはその程度で恩を返せれるならと仕方がなく話した。

「俺は五歳で異能を発現し、八歳で天の智慧研究会に攫われてその時に両親が殺された」

淡々と話す彼の話に二人は耳を澄まして話に耳を傾ける。

「俺が連れてこられた施設には俺以外にも異能者が集められていた。それこそ老若男女問わずだ。そこから四年間は地獄の日々だ」

その日から実験動物(モルモット)として扱われ、薬物投与から拷問、殺し合いまで行われて些細な食べ物で生を繋ぎ留め、牢屋で生活する毎日。

いつ死ぬかもしくは殺されるか。そんな毎日を彼は生き延びてきた。

時に仲がよかった仲間を異能で燃やし殺して。

時によく喧嘩する仲間が薬で死ぬ光景を目撃して。

時に特に関わり合いがない仲間が拷問で虐殺された場面を見せられ。

そんな毎日の中でロクスは四年間も生活していた。

「う……」

その内容に思わず手で口を塞いでしまったシスティーナは自分の中で魔術の価値観が崩れそうになった。

どうしてそこまでおぞましいことができるのか、システィーナには本気で理解できないことだった。

「そして、ある日に黒い炎を覚醒させて施設もそこにいる奴等も全て消し尽くした。それからはサラと契約し、学院長に拾われた。後はお前等の知っての通りだ」

もういいだろう、とロクスは出ていこうと扉に向かって歩いていく。

「ラウレルさんのことは……」

「俺が殺した女。あいつはただそれだけの存在だ」

それだけを言い残して彼はフィーベル邸を出ていくと半割れの宝石を取り出してアルベルトに連絡する。

復讐を果たす為に今以上に強くなる。その為ならどんな苦痛にも耐えられる。

 



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もう一人の護衛

「フン、ようやく使いものになってきたか」

「うるせぇ………………………」

アルベルトは地面に横たわるロクスを見下ろしながら淡々と告げるも、ロクスは不満そうに愚痴りながらも剣を杖代わりにして立ち上がろうとする。

その瞳に宿る瞋恚の炎は衰えるどころか増すばかり。

天の智慧研究会を殺す為だけに全てを捧げた復讐者は一秒前よりも強くなろうと足掻く。

「もう、一度だ………………」

満身創痍になりながらも立ち上がって剣を構えるのだが。

「ここまでだ。今の貴様をこれ以上鍛えたとしても己の身を壊すだけだ」

指導する立場としてこれ以上の訓練は身体を壊すと判断したアルベルトは法医呪文(ヒーラー・スペル)でロクスの身体を癒す。

「貴様の任務は王女の護衛だ。万が一にも任務に支障をきたすわけにはいかん」

「チッ」

復讐の為に特務分室に所属したロクスが現在受け持っている任務はルミア=ティンジェルの護衛だ。アルベルトの言う通り、万が一に護れませんでしたでは話にもならない。

「それと貴様に伝えて置くことがある」

「あぁ? なんだよ?」

「明日、リィエル………………競技祭の際に会った蒼色の髪をした少女が魔術学院に編入する。王女の身辺警護としてな」

「俺はお役目御免…………………ってわけじゃなさそうだな」

「ああ、詳しくは言えないが、貴様はリィエルの補佐に当たれ」

「チッ、めんどくせぇ………………………」

「任務に私情を挟むな」

「わかってるよ。たくっ」

その時、ロクスはまだ知らなかった。

特務分室に所属したばかりでルミアの護衛と訓練ばかりで他の特務分室のメンバーのこともよく知らず、顔を合わせたこともない。

知っているのは眼前にいるアルベルトと室長であるイヴぐらい。

リィエルは一度顔を見ただけでそれ以上の事は知らなかった。

それがどれだけ苦労することだと知らずに厄介事を押し付けてきたアルベルトにどれだけの憤りを覚えたことか。

 

 

 

二年次生二組の教室でロクスはいつものように席に座って魔術の研鑽に励んでいると、アルベルトの言う通り、リィエル=レイフォードがやってきた。

「………………………リィエル=レイフォード」

名前だけの自己紹介と共に。

おまけにグレンの催促で自分の任務まで口走ろうとしていた。

馬鹿か? それがロクスがリィエルに対して抱いた最初の素直な気持ちだ。

その後もグレンはわたしの全て、とクラス全員の前で言い切ったリィエルの一言にクラスは大混乱に陥った。

問題は魔術の実践授業でロクスはようやく悟った。

二百メトラの距離にあるゴーレムを魔術で狙撃する授業。ロクスは当然のように全発命中させたが、リィエルはというと………………………。

「《万象に希い・我が腕手に・十字の剣を》」

錬金術によって錬成した大剣を乾坤一擲で投擲。ゴーレムを粉砕した。

「………………ん。六分の六」

(あの野郎………………面倒な奴の補佐をさせやがって………………ッ!!)

そもそもこんな馬鹿に護衛が務めるのか、そう思うと頭が痛くなる。

派手なデビューを果たしたリィエルは孤立した。そのタイミングを使ってロクスはリィエルの前に立つ。

「レイフォード。話がある、来い」

「………………………………ん」

小さく頷いてロクスの後に続くリィエル。

背後から『ロクスが自分から話しかけた!?』、『嘘!? あのロクスが!?』、『わかった! きっとロクスは幼女趣味(ロリコン)なんだ!?』

一匹狼のロクスが誰かに話しかける光景自体驚きしかない二組は騒ぎ始める。

そして、最後に変なことを口走った奴は後でしばくと決めた。

「んで? なんでお前等までいやがる?」

後ろを振り返るとリィエルだけではなく、システィーナとルミアまでもついてきていた。

「別にいいじゃない。どうせ学食に行くんでしょ?」

「私達も学食に行こうと思ってたし、折角だから一緒にどうかな?」

「どっか行け。もしくはついてくるな」

容赦なく一蹴する。

「ムカつくが、俺はこいつの補佐をすることになってんだ。ムカつくがな」

「二回も言わなくても………………………」

「どうして帝国はこいつを護衛にしたのかは知らねえが、打ち合わせぐらいはしときてぇ。その邪魔をするな」

既にロクスはリィエルを見限っている。

だけど、こんな奴でも特務分室の一人だ。最低でも戦力にはなるから最低限のことだけでもして貰おうと思考を切り換えた。

四六時中ルミアを護衛するには限度もある。だけど、同性であるリィエルがルミアの傍にいればいないよりはマシだ。

だから邪魔するな、とロクスは告げるが―――

「……………お仕事の話だよね? それなら私も一緒にいた方が都合がいいんじゃないかな? 私、こう見てもやんちゃだから二人の目を盗んでどこかに行っちゃうかもよ?」

「この(アマ)…………ッ!」

ぺろっと小さく舌を出して、余計なことを言うルミアに苛立つ。

護衛対象が自分から護衛から逃れようとする発言に一度本気で殴ってやろうかと思った。

「だからほら、一緒に打ち合わせをしよ? 学食で」

「………………………………本当に、お前はいい度胸してるぜッ」

「ふふ、ありがとう♪」

「褒めちゃいねえよ」

はぁ~と溜息を吐くロクスは前を向いて歩きだす。

それをルミアは了承したと思ってシスティーナと共にロクスの後ろをついていく。

そして学食に到着すると、ロクス達の存在は目立った。

学院屈指の嫌われ者のロクスと今日編入してきた転校生のリィエルに学院の人気者である天使、ルミアに『真銀(ミスリル)の妖精』のシスティーナという異例な組み合わせだ。

周囲の視線も騒ぎも無視して適当に料理を注文するロクスにルミアもシスティーナも注文するなかでリィエルは自分の知らない情景に圧倒され、忘我していた。

「おい、飯を食べねえのか?」

「あれ………………………わたしも食べられるの?」

リィエルが指した先にあるのは苺のタルト。それを見てロクスは息を吐く。

「ああ、さっさと注文しろ」

「………………………………うん」

苺のタルトを注文したリィエル。

食堂のテーブルの一角でリィエルはロクスの話をそっちのけで苺のタルトに夢中になる。

一個食べれば何かに取り憑かれたかのようにおかわりを要求する。

「どいつもこいつも………………………」

「あはは、まぁまぁ」

打ち合わせを忘れて苺のタルトに夢中になるリィエルに怒りを覚えたロクスをルミアは苦笑しながらなんとか宥めようとする。

「それより、ロクス君は男の子なのにそれだけでいいの?」

ルミアの視線はロクスの食事――二切れのサンドイッチに映る。スコーン二つのシスティーナよりは食べてはいるが、女子であるルミアよりも少ない。

「別に俺が何を食おうが俺の勝手だろうが」

「それはそうだけど、それで足りるの? 私の分でよければ少しあげようか?」

「お前にだけは貸しは作らねえと今決めた」

「もう、貸しだなんて作らないよ………………」

「どうだかな」

色々と油断ができないルミアに酷く警戒するロクスにルミアは苦笑いしながらロクスの皿に自分の分を少し分ける。

「おい」

「貸しじゃなくてお礼ならいいよね? 競技祭の時に私の話を聞いてくれたその時の」

競技祭の最中でロクスはルミアの悩みを聞いた。

その時の細やかなお礼をするルミアにロクスは鼻を鳴らす。

「ハッ、もの好きが」

ルミアの分けた分を手で抓んでさっさと口に入れて食べるロクスにルミアは微笑む。

「………………………なんだよ?」

「ううん、なんでもないよ」

 

 



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船の上で

「いやだ! 死にたくない! 死にたくない!!」

死にたくない。誰もがそうだ。死にたくない為に足掻き、時には他者の命を奪ってでも生にしがみつくのは当然のことだ。

だけどここではそれが許されない。

何もしなければ条件起動式の呪い(カース)の首輪が発動して命を落とす結果に繋がる。だから殺すしか、殺し合うしかない。

この理不尽と不条理だらけの実験場ではそうすることでしか生き残れない。

「……許して」

死にたくない。そう泣き叫びながら異能を乱発する同じ牢屋で寝食を共にしたロクスと歳も変わらない少年に対してロクスは涙を溢しながら異能を発動する。

『発火能力者』であるロクス。その異能の炎を解き放ち、死にたくないと叫ぶ少年に向けて放つ。

結果、ロクスは生き残った。

死にたくないと必死に足掻く少年を殺して今日も生き残ることができた。

 

 

 

 

ロクスは目を覚ます。

いつものように過去の夢を見ながら目を覚ましてシャワーを浴びて寝汗を流す。

「ああ、面倒だ……」

今日もまたお守りをしなければいけない。それがロクスによって面倒以外に何物でもなかった。

帝国宮廷魔導士団特務分室に所属する。それまではよかった。より効率的に復讐を果たせるというのならそんなことはどうでもいい。

だが、いくらテロリストを誘き寄せる『餌』だとわかっていても、お守りなんて面倒でしかない。

(俺は一人でも、一秒でも早く天の智慧研究会の奴等を殺したいのに……)

胸に燃える黒い炎がロクスを動かす。

溢れ出る憎悪。その憎悪は天の智慧研究会を皆殺しにしない限りは消えることはない。

(おまけに今日から余計に面倒だ……)

今日から数日間はいつもの学院での勉強ではなく、『遠征学修』というアルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に赴き、研究所見学と最新の魔術研究に関する講義を受講する必修講座がある。

ロクスがいる二組は白金魔導研究所があるサイネリア島に行かなければいけない。

「面倒だ……」

ぼやきながら最近、妙にからんでくる護衛対象のことが脳裏を過った。

 

 

 

まだ日も昇りきらない、朝靄漂う薄暗い時間帯。

制服に身を包み、旅行鞄を背負った生徒達は魔術学院の中庭に集合して担任のグレンの引率の下、駅馬車――都市間移動用の大型コーチ馬車数台に、いくつかの班に分かれて乗り、フェジテを出発した。

フェジテの西市壁門から出発した駅馬車は、その南西に延びる街道を下っていく。のんびりとした穏やかな時間。誰もが馬車内で好きなように過ごし、休憩を取りながら次の日の正午には港町シーホークに到達した。

そこから白金魔導研究所があるサイネリア島の定期船に乗ってシーホークを出発した。

その船の上でロクスは日陰のある場所で腰を落ち着かせている。

遥か遠く燦然と水平線が輝く、見渡す限りの広大な大海原など興味がないかといわんばかりに瞳を閉ざし、瞑想する。

アルベルトとの特訓を思い出し、頭の中でどうすればいいのか、イメージする。頭の中でアルベルトに勝つにはどうすればいいのかとイメージトレーニングを何度も繰り返すもイメージ内でもアルベルトに勝てることができない。

(クソが……)

アルベルトは強い。それこそ以前に魔術学院を襲撃してきたテロリストを二人がかりでも倒せることができると思えるぐらいに。

「ロクス君。こんなところにいたんだね」

そこにルミアがやってきた。

「……」

なんでここにいやがる? あっちに行っていろなど言いたいことはあるもロクスはきっと何を言ってもルミアには無意味だろうと判断して無視することにした。

そうすればどこかに行くだろうとそう思ったが、どういうわけかルミアはロクスの隣に座り込んだ。

「さっき先生が船酔いしていたけどロクス君は大丈夫? リンゴあるけど食べる?」

(うぜぇ……)

真剣にそう思ったロクスだった。

神経が図太いというか、へこたれることを知らないというか、よくもまぁ嫌っている相手にそこまでできるものだ。普通ならロクスと同じように嫌うか、存在を無視するというのに。

「それでリィエルとシスティがねぇ――」

こうもわかりやすく無視しているというのに話しかけてくるルミアはいったいどういう神経をしているのか、ロクスは割と本気で理解できなかった。

意地でも無視できないようにしてやるという根競べか何か? 知りたくもないことをべらべらと話すルミアにロクスは溜息を吐いた。

「さっきから鬱陶しいぞ、ティンジェル。フィーベルのところにでも行ってろ」

このまま無視しても無駄だとわかり、口を開いたロクスにルミアはロクスが話しかけてきたことに笑みを見せる。

「システィはリィエルと一緒に先生のところにいるから私は邪魔かなって思って。それにロクス君のことが心配で……」

「あぁ?」

いったい何が心配なのか? ルミアは言った。

「白金魔導研究所ってほら……」

なるほど。ルミアが何が心配なのか察した。

白金術は白魔術と錬金術を利用して生命神秘に関する研究を行う複合術。つまりルミアが言いたいのはロクスが実験動物(モルモット)だった頃を思い出させるのではないかということだ。

言い方は悪いが白金術は生命を弄ぶ。そんな白金魔導研究所はロクスの過去を思い出させるのではないかとルミアはそのことを危惧している。

それに対してロクスは鼻で笑った。

「ハッ、どうでもいいんだよ。そんなこと」

「え?」

「あの講師にも似たようなことを言われたが、心底どうでもいい」

実はロクスはグレンから白金魔導研究所を選ぶことに関して声をかけられていた。お前の過去を思い出させることになるかもしれないと、そう告げられた。それに対してロクスはこう答えた。

「俺は天の智慧研究会に復讐する。それ以外のことなんてどうでもいい」

それだけだ。ロクスに残っているのは天の智慧研究会に対する憎悪と復讐心のみ。それ以外のことなどロクスにはどうでもいいことだった。

(過去を思い出させるか……忘れたことなんて一度もねぇよ)

その過去があるからこそロクスという復讐者が誕生したのだ。だから今更その程度のことなどロクスにはどうでもよかった。

「……ねぇ、一つ訊いてもいいかな?」

「なんだ?」

「もし、もしもだよ? 復讐が終えたらロクス君はどうするの?」

天の智慧研究会に復讐する。しかし、仮にそれが終えることができたとしたらロクスはどうするのか? それに対してロクスは答えた。

「死ぬ。俺は復讐の為に全てを捨てた。この命も復讐の為に使うと決めた。それが終わったというのなら俺には生きる意味なんてない。だから死ぬ」

ハッキリとそう答えた。

復讐を果たす為なら命すらも捧げる。その言葉には復讐者しか抱けない言葉の重みがあった。復讐が終えたらこの命にもう用はないと言わんばかりに。

「先に言っておくが、お前がなんと言おうとも俺の生き方は変わらない。お前は護衛対象だが、俺の復讐の邪魔をするというのならお前でも殺す」

冗談でも何かしらの比喩的表現でもない。本当にそのつもりなのだろう。

復讐の邪魔をするのであればロクスはルミアだろうが殺す。グレンがシスティーナも同様だ。それがロクスを想っての行動であったとしても。

「……ロクス君。私はロクス君の力になってあげたいの」

「はぁ?」

いきなり何を言っているんだ? と怪訝する。

「私にはロクス君の気持ちはわからない。ロクス君が抱えている憎悪も復讐心も私には理解できないよ。だけど、私はロクス君に死んでほしくない」

「……」

「ロクス君にとって私はテロリストを誘き寄せる餌でその為の護衛対象なだけかもしれないけど、私で何か役に立つことがあるのならなんでも言って欲しい。それでロクス君が少しでも助かるのなら私は喜んで力になるから」

ロクスの為にその力の行使も惜しまない。

自分の力でロクスが助かるのなら助力は惜しまないルミアにロクスは言う。

「……死んでも借りねえよ、お前の力なんて」

そう告げて再び瞑想するロクスにルミアは船がサイネリア島に到着するまで傍に居続けた。まるでロクスを一人にしないようにと。



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サイネリア島の砂浜で

グレンが引率する二組は『遠征学修』としてサイネリア島に到着していた。

山なりになった島の中心部は複雑な渓谷を形成し、緑の自然に溢れている。帝国本土の主な植生態系は針葉樹柱が主だが、この島では独特の葉の形をした広葉樹が主体のようだ。緩く湾曲した白い砂浜のビーチラインが延々と続き、その果てに恐らく観光客用に発展したのであろう、小洒落た建物が乱立する町の姿がある。

サイネリア島波止場周辺にある観光客向けの観光街の一角に、今回の遠征学修中に魔術学院の生徒達が寝泊まりする旅籠はある。

帝国暦の中でも『ワルトリア朝』と呼ばれる古き良き時代に流行した古式建築様式で建造されたその旅籠は、本館と別館の二つの邸宅からなっており、領地待ちの地方貴族が所領に建てるカントリー・ハウスのような壮麗さと、旧時代の懐かしさとを同時に兼ね備えていた。

その旅籠に割り当てられた宿泊部屋、ロクスは講師であるグレンと同室となっている。既にロクスの正体、異能者であること、特務分室に所属してルミアの護衛を任されていることをグレンは承知している為にもしもの時に動けるようにそう割り当てられている。

その夜、グレンが巡回している間にロクスは一人で夜の砂浜に訪れていた。

その道中で、グレンや他の男子生徒の雄叫びやら喧騒やらが聞こえたが、全て無視してロクスは一人砂浜から夜の海を眺めていた。

「……」

ただ無言で海を眺めるロクスは海を眺めるのは今回が初めてであったりする。

まだ両親が生きていた頃は海に遊びに行くことなどなく、天の智慧研究会に捕まり、自由の身になってからは復讐の為にひたすら研鑽を積み重ねてきた。

だから海を眺めるのは今回が初めて。ついでに言えば船に乗ったのも遠征学修で初めてだったりもする。

だが、別にロクスは初めての海を感慨深く眺めているわけではなかった。それどころかその顔はどこか苛立っているようにすら見える。

「……ばかやろう」

誰にも聞こえないような小さな声でそう罵声する。それは誰に言っているのか、そう質問する人はここにはいない。

ロクスは数分、夜の海を眺めた後で踵を返して旅籠に戻るのであった。

 

 

 

 

どこまでも青い空。燦々と輝く太陽。焼けた白い砂浜。

清らかな潮騒と共に、寄せては引き、引いては寄せ―――千変万化する波の色。

そんなサイネリア島のビーチに複数の少年少女達の姿があった。

グレンのクラスの生徒達である。

「……え、『楽園(エデン)』はここにあったのか……ッ!?」

水着姿で遊ぶ女子生徒達を前にカッシュを始めとしたクラスの男子生徒達はその光景を前に、感涙の涙を禁じえなかった。

「焦らずとも『楽園(エデン)』はいずれ俺達の前におのずと現れるから今日のところは退け……全て、先生の言うとおりでした……」

「ごめんなさい、先生……俺達が……俺達が間違っていました……ッ!」

「なのに俺達ときたら、先生に散々呪文をぶつけて痛めつけて……ッ! 目先のことばかりしか考えられなくて……ッ!」

「ありがとうございます、先生……どうか、あの世で安らかに眠っていてください……俺達のこと、ずっと見守っていてください……」

「いや、生きているから、俺」

不貞腐れたようなグレンの声が、自分達の世界に浸っている男子生徒陣の背中に浴びせかけられた。

「ったく、お前ら、全力でやりやがって……少しは手加減してくれ……非殺傷系の呪文のはずなのに死ぬかと思ったぞ?」

「あ、あははは……色々すんません……」

「まぁ、いい。今日は予備日、丸一日自由時間だ。好きなだけ遊んできな。ふぁ……俺はここで寝てるわ……なんかあったら……呼んでくれ……」

「わかりました! 先生!」

だだだだっと、男子生徒陣が勢い良く海の方へと駆けていく。

そんな中―――

「お前らは行かねーのか?」

グレンが寝転がりながら、近くに立っているヤシの木の木陰に目を向ける。

「当然でしょう。本来、僕らは遊びに来たのではないのですから」

「興味ねぇ」

遊ぶ生徒達に目もくれず、なんらかの魔術の教科書を開いて呼んでいるギイブルは木の幹に背中を預けるように座っていた。

ロクスもシートを敷いた上に座って何かしらの魔術書のようなものを開いている。二人共、何時もの学院の制服姿だ。

遊びにきたわけではないギイブルとは違ってロクスは単純に興味がない。一応、ルミアの護衛としてここにいるに過ぎない。

そんな二人にグレンはとやかく言わない。そのまま本格的な居眠りに入ろうと目を瞑る。

「先生~」

ぱたぱたと、誰かが駆け寄ってくる気配。

「……ん?」

誰がやってきたのかは声でわかってはいたが、一応、片目を開いて確認する。

案の定こちらにやってきたのは、手を振りながら不器用に駆け寄ってくるルミアと……リィエルの手を引いて歩いてくるシスティーナ。いつもの三人だ。

「どうした、お前ら? おうおう、なんともまぁ、眼福な恰好してくれちゃって……」

魅惑の姿の三人を前に、グレンはニヤリと悪そうに笑った。

「じっ、じろじろ見ないでよ……」

身体を腕で抱くように隠し、不機嫌そうに身じろぎするシスティーナ。その頬には仄かに赤みが差している。

「ロクス君、どうかな? この水着、似合ってる?」

「知るか」

チラリと見ることもなく容赦なく一蹴する。

「ちゃんと見てから言って欲しいなぁ。システィと一緒に選んだんだよ?」

「知るかって言ってんだろうが。さっさとどっか行け」

苛立ちを隠そうともせずに辛辣な言葉をルミアに浴びせさせるもルミアはそんなことでへこたれることをしなかった。

それどころか少しでも自分を見せようとするルミアにロクスは盛大に舌打ちする。

誰がどう見てもルミアのことを嫌っているようにしか見えない。勿論ロクスは言うまでもなくルミアのことを嫌っている。それでもルミアは構わずに声をかけているのだ。

「ロクス君も先生や他の皆と一緒にビーチバレーしよう? 勉強も大事だけど息抜きも大切だよ?」

「なら息抜きさせろ。お前がいると息が詰まる」

そんな二人のやり取りにグレン達はなんとも言えない表情で様子を窺っている。何も事情を知らないクラスメイト達からして見ればどうしてルミアをそんな親の仇のように嫌えるのか不思議で仕方がないが、それでも懲りずに話しかけているルミアの胆力に素直に称賛する。

普通、ああも毛嫌いしている相手に話しかけるのは勇気がいるものだ。

「ちょっとロクス。いい加減に――」

親友のあまりの扱いに流石のシスティーナも我慢の限界だった。だから一言文句を言ってやろうと口を開こうとしたが、グレンが止めた。

「なぁ、ロクス。お前、実はビーチバレーが下手だったりするのかぁ?」

「あぁ?」

あまりにも突然の言葉に怪訝するロクスだが、グレンは構わず続ける。

「いやいや、別に恥ずかしいことはないぜぇ? いくら魔術や戦闘ができても人間なんだから苦手なものが一つや二つぐらいあっても全然おかしくはないからな。苦手なものを隠したくなる気持ちはよくわかる」

「はぁ? おい、講師。お前何言って――」

「ただまぁ、正直普段からあれだけ上から目線で色々と言ってくるくせに苦手なものには逃げるなんて、うわぁ、こいつビーチバレーすらやる前に逃げるなんてだせぇとしか思えなくてな……」

「……」

「せ、先生……」

ふと黙るロクス。だが、その顔は怒りに満ちている。

「ま、無理して苦手なもんをやる必要はねぇことだし、俺は眠いし、疲れているけどせっかく可愛い教え子が誘ってくれたんだ。ならビーチバレーぐらい付き合ってやらねえとな。ロクスはそのままゆっくりしていると――」

「……いいぜ」

視線だけで人を殺せそうな鋭い眼差しをグレンに向けながらロクスはゆっくりと立ち上がる。

「安い挑発だが乗ってやる。気に食わねえその顔を原型がないぐらいに変えてやるよ」

(あ、やば。言い過ぎちまったかも……)

今になってちょっとばかり後悔したグレンは額から冷汗が流れる。ルミアやシスティーナの為にロクスを挑発してビーチバレーに参加させるまではよかったが、冗談抜きで今のロクスの怒り具合がやばかった。

バッと制服の上の部分だけ脱いで上半身裸となるロクス。その身体は見事に鍛え抜かれており、筋肉の鎧に包まれている。

並の訓練ではここではならない。過酷な訓練によって鍛え抜かれた見事な筋肉だ。

()るんだろ? さっさと行くぞ。クソ講師」

先にビーチバレーを行う場所に向かうロクスに冷汗が止まらないグレンの肩をシスティーナは憐れむような同情の眼差しと共に肩に手を置いた。

「骨は拾ってあげますから……」

本当の意味でそうならないことを祈るしかなかった。



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動き出す悪意

「《死ね》」

砂浜に作られた、即席のビーチバレー場にてロクスは標的(ターゲット)であるグレンを抹殺せんと言わんばかりの辛辣な言葉と共に白魔【フィジカル・ブースト】で身体能力を強化してグレンの顔面目掛けて弾丸のようなスパイクを打ち込む。

「ほいっと」

だが、それだけでは足りないのか、自身と契約している精霊であるサラをチームに加えてそのサラの力でボールに炎を包み込ませる。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

グレンの顔面に向かってくる炎のボール。グレンは弾丸の如く向かってくるそのボールを間一髪で回避した。

「チッ」

得点は入るもロクスはそんなことはどうでもいい。挑発してきたグレンの顔にボールを叩き込まなければ気が済まない為に外したことに舌打ちする。

「てめぇ! ロクス! 俺を殺す気か!? 精霊まで使いやがって!!」

「あぁ? 別にルール違反じゃねえだろ?」

確かに精霊とはいえ、チームを組んでいる以上はルール違反ではない。

「でも、あんなの拾えないわよ……」

グレンと同じチームを組んでいるシスティーナがそうぼやく。どうやって炎を纏ったボールを拾えと?

「あはは……」

ロクスとチームを組んでいるルミアもただ苦笑するしかなかった。

「ロクス。ビーチバレーって楽しいね」

「お前が楽しんでいるならクソ講師の挑発に乗ってよかったかもな」

楽しそうに笑いながらロクスの腕に抱き着いてくる契約精霊のサラの頭を撫でるその光景にクラスメイトはぎょっと目を見開く。

あのロクスがこうもわかりやすく誰かに優しくするなんて想像もできなかったのだろう。それだけにサラがロクスにとって特別なのだと誰の眼から見てもわかる。

「ロクスってあんなに優しい顔もできるのかよ……」

「あのサラって精霊がちょっと羨ましい……」

「つーか、ロクスの筋肉が凄ぇ。どうやったらあんな風になるんだ?」

「美少女精霊なんて羨まし過ぎる!!」

「やっぱりロクスは幼女趣味(ロリコン)。我が同士」

「美少女、美幼女精霊…ハァハァ……」

外野からあることないこと言われているが無視する。が、最後の二人だけはあとで殺すとロクスは密かにそう決めた。

「……」

ロクスとサラがくっついているその光景を面白くないかのように唇を尖らせるルミア。わかってはいたことだが、それでも思うことがある。

「ふふ」

そんなルミアの視線に気づいたのか、サラは勝ち誇った笑みをルミアに見せる。

「クソが! やられぱなっしでいられるか!! 来いよ、ロクス! 講師に勝てる生徒などいないことを証明してやる!!」

「上等だ。クソ講師」

白熱するビーチバレーは確かな盛り上がりも発揮した。

 

 

 

 

 

そして次の日、研究所見学の日がやってくる。

午前中に軽めの食事を取ってから、グレンと二組の生徒達は観光街の旅籠を出発。サイネリア島の中心部にある白金魔導研究所を目指し、ぞろぞろと歩き始めた。

サイネリア島は実は島の敷地のほとんどは今もなお、手付かずの樹海であり、未知の領域でもある。そして今回の『遠征学修』の目的地である白金魔導研究所の道のりはフェジテのような精緻な石畳のように舗装されておらず、場所によってはまったく舗装されていない道なき道になっている領域すらある。

つまり、基本的に都会っ子な生徒達は早くも根を上げていた。

「はぁー、はぁー、うぅ……」

「ぜぇ……ぜぇ……」

「おいおい、大丈夫か? リン。俺、まだ余裕あるから荷物持とうか?」

「……あ、ありがとう、カッシュ君……流石、将来、冒険者志望だね……」

「ははっ、田舎者なだけさ」

「きぃいいい……どうして……高貴なわたくしが……このような……ッ! 馬車を回しなさいな……ッ! 馬車を……ッ!」

「ふん……随分……だらしが……ないね? ……ウェンディ、君のような……お嬢様には……荷が重かった……かな?」

「そういう……貴方こそ……いつものキレが……なくってよ……ギイブル!」

息を切らしながら進むクラスメイト達。だが、二人だけ平然としている。

ロクスとリィエルだ。

生徒達の誰もが大なり小なり疲労を顔に見せる中、この二人だけは息一つ乱さず、汗一つかいていない。

(だらしねぇ……)

そう思い、先にさっさと行こうかとも思ったロクスだが、それはそれでグレンに何か言われるのも面倒だと思って仕方がなくクラスメイトと合わせて動いていた。

「うるさいうるさいうるさいっ!」

「あ?」

突如、リィエルの張り上げた声が轟いた。

「関わらないで! もう、わたしに関わらないで! いらいらするから!」

「……っ!?」

「わたしは――あなた達なんか、大嫌い!」

子供のようにわめき立て、システィーナの手を振り払うと、ぷいっと二人に背中を向け、肩を怒らせて歩き去って行く際にロクスの横を通り過ぎる。

その瞬間、ロクスは見てしまった。

外見とは裏腹に本当に小さな子供のようなリィエルの横顔を。

(……まぁ、俺にはどうでもいいことか)

リィエル自身にも興味の欠片もない。特務分室としてルミアの護衛にも期待していない。どこでなにをしようが迷惑さえかけなければロクスは特に何かをするつもりはない。

(邪魔だとわかれば殺せばいいだけだ……)

そう、ただそれだけの話だ。

 

 

 

それから、二時間ほどが経過した。

切り立った崖に面した道を蛇行し、谷間にかかったつり橋を渡り、冷たく透き通った水の流れる渓谷沿いに進み……一行はとうとう、白金魔導研究所へと辿り着いた。

ここまで辿り着くまでの道のりですっかりくたびれた生徒達は座り込んだり、靴を脱いで流れる水に足をつけたりしている。

グレンが生徒達の人数を繰り返し確信していた、その時だった。

「ようこそ、アルザーノ帝国魔術学院の皆様。遠路はるばるご苦労様です」

グレン達の前に、ローブに身を包んだ一人の男が現れた。

歳の頃、四十、五十の初老の男だ。頭の天辺はすっかり禿げ上がり、残った髪や口元に生やす髭にも白いものが見え隠れしている。だが、いかにも好々爺然としており、不思議と親しみやすい雰囲気を持っていた。

「私はバークス=ブラウモン。この白金魔導研究所の所長を務めさせていただいている者です」

「や、あんたがバークスさんか」

グレンが額の汗を拭いながら背筋を正し、バークスに向き直って微妙に丁寧じゃない物言いの挨拶にも機嫌を損ねず、バークスは朗らかに応じながら所長自ら研究所の案内を行うのであった。

「……」

だが、ロクスは気付いている。

バークスはロクスそしてルミアが異能者だと気付いている。何故なら二人を見るバークスの視線が人間に向けるものではない。忌々しいあの施設で嫌というほどに向けられた実験動物(モルモット)を見るそれだと。

ロクスは常に持ち歩いている圧縮凍結保存した自身の愛剣に触れる。背後から一突きで殺してやろうと思うも留まる。

『貴様は憎しみの深さ故に短絡的な行動を取る。それが貴様の欠点でもある。常に冷酷な精神を持ち合わせておけ』

師的存在であるアルベルトからよく言われた。だからロクスはこの場では思い留まるも。

(証拠を掴んだら必ず殺してやる……)

バークスが天の智慧研究会の一員かどうかは定かではないが、異能者を人間として見ていない典型的な異能差別主義者だということに。

後に特務分室の権限を使って証拠を掴み、殺してやろうと頭の片隅にそれを置いておく。

それから何事もなく『遠征学修』による研究所の見学は終わった。

 

 

 

 

「ああ、レイフォードは使いものにならねぇ。護衛なんてあいつに務まらねえよ。チッ。わかったよ。補佐として俺が動けばいいんだろ? フレイザー。たく」

研究所見学が終えて、時は夕方。

ロクスは人目を避ける為に誰もいない場所で現状を伝える為に通信魔導器でアルベルトに現状報告をしていた。

「それとあのバークスっていう奴。アレは黒だ。天の智慧研究会かどうかはわからねえが、俺を、ついでに王女を見る目が人間に向けるものじゃなかった。内定調査でもしたほうがいい」

そのことも進言して通信を切るロクスは深い、それはもう深い溜息を吐いた。

「本当に護衛任務は面倒だ。仕事だから文句は言わねえが、せめて使える奴をよこしやがれ」

愚痴を溢しながら護衛対象であるルミアの居場所を遠見の魔術で確認して使いものにならないリィエルの代わりに護衛対象の近くに行こうと足を動かそうとした時。

「……結界か」

すぐさま圧縮凍結保存をしていた愛剣を解凍して愛剣を手にして周囲を警戒する。人払いの結界が張られている。

「こんばんは」

ロクスの前に姿を現したのは一見すればただの優男。だが、身に包んでいる礼服は天の智慧研究会に所属する第一団(ポータルス・)門》(オーダー)の礼服だ。

「天の智慧研究会……ッ!」

復讐の対象。その末端が今、ロクスの前に現れた。

「ご明察。私は天の智慧研究会、第一団(ポータルス・)門》(オーダー)――《雷読》トゥルス。貴方を捕えさせて貰います」

丁寧な物言い。しかし、その瞳はロクスを人間と見ていない。物もしくは動物に向けるソレと同じだ。

「実は私も天の智慧研究会には入会したばかりの新参者でしてね。上に上がる為にも実績を積み上げないといけないのですよ」

一人で勝手に語り出す。

「上司のご命令でバークスさんの為に貴方を捕えるように命じられたわけなんですよ。別に構わないでしょう? だって貴方は元は我々の所有物なのだから」

「……」

「聞きましたよ? 異能者の異能を強化させて洗脳して兵士として使う施設があると。まったく理解できませんね。そんなもの使って何になるのやら。まぁ、確かに駒としては有用かもしれませんが」

ロクスの神経を逆撫でするように喋る。

「ここ最近までその研究、というより施設は消滅してそこにいる者は全滅したと聞きましたが、生き残りがいたとは組織にとっても予想外だったでしょうね。あ、違いますね。消滅したのではなく、貴方が滅ぼしたが正しいのでしょう? 同じ境遇だった異能者達も含めて貴方が滅ぼした」

「……何が言いたい?」

「いえ、別に。ただ罪悪感とかないのかなと思いましてね? 殺したのでしょう? 組織の研究員ごと同じ異能者達を一人残らず滅ぼしてしまった事に」

「ないな」

トゥルスの言葉にロクスは即答する。

「罪悪感? そんなものは捨てた。俺にあるのはお前等、天の智慧研究会に対する憎悪と復讐心だけだ。くだらないことをわざわざ訊くな」

そう、ロクスにそんなものはない。復讐の為に全てを捨てて復讐者となった。

復讐を誓ったその日から。

「殺してやるよ、天の智慧研究会」

憎悪に満ちた瞳と共に剣を構えるロクスにトゥルスは小さく息を吐く。

「愚かな復讐者。貴方如きがどうこうできるほど我々は甘くないことを骨身に沁み込ませてあげましょう」

 



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復讐者VS雷読

「《雷槍よ》――《もう一度(ツヴァイ)》、《更にもう一度(ドライ)》」

「《霧散せよ》――《消えろ(ツヴァイ)》、《消えろ(ドライ)》」

天の智慧研究会、第一団(ポータルス・)(オーダー)》――《雷読》トゥルスとの戦闘が始まった。

初手と言わんばかりにC級の軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)黒魔【ライトニング・ピアス】を連続起動(ラビッド・ファイア)するも、ロクスは対抗呪文(カウンター・スペル)である黒魔【トライ・バニッシュ】を連唱(ラビッド・ファイア)して打ち消す。

「《炎獅子》」

黒魔【トライ・バニッシュ】は比較的マナ・バイオリズムの乱れが少ない『軽い』呪文。【ライトニング・ピアス】などの『重い』呪文の詠唱後よりも、圧倒的に素早く、バイオリズムをロウ状態に戻せる。

その一瞬の隙にロクスはお得意の炎熱系の魔術であるC級の軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)黒魔【ブレイズ・バースト】を起動させる。

収束熱エネルギーの球体をトゥルスに向けて放つが……。

「《光の障壁よ》」

トゥルスは黒魔【フォース・シールド】を唱えて魔力障壁を展開して【ブレイズ・バースト】の爆炎と爆風から己の身を守った。

「やりますね。学生でありながら特務分室に所属されるわけです」

黒魔【フォース・シールド】を解除(キャンセル)したトゥルスはロクスが既に学士離れした実力だということに納得した。

まだお互いに初手。しかし、一流の魔術師であればそれだけで大体の力量は把握することはできる。

(確かに強いですね。現段階でも宮廷魔導士団にも劣らないほどに。このまま成長すれば我々の脅威にもなるでしょう)

才能、強靭の意志の強さ、不屈の努力。ロクスにはその全てが備わっている。これなら確かに天の智慧研究会に復讐できるだけの実力者にはなり得るとトゥルスはそう判断した。

(だけど、私にはわかっていますよ)

トゥルスは内心ほくそ笑む。

(貴方の憎悪、復讐心。今も内心で押さえているのに必死なのでしょう? 早く私を殺したくて仕方がないのでしょう? できるものなら()ってみなさい。それが貴方の命取りになるのですから)

トゥルスは事前にロクスのことについて調べていた。だからロクスに宿す憎悪も復讐心も知っている。だからこそ、そこを利用する価値はある。

(その憎悪が貴方を先走らせ、復讐心が隙を生じさせる。その隙を遠慮なく取らせて貰いますよ)

内心を悟らせないようしながらトゥルスはあることに気づく。

「ところで精霊は召喚されないのですか? 精霊使いでしょう? 貴方は」

「お前には関係ない」

憎悪を押さえつけるのに必死なのか淡々と答える。

「別に精霊の召喚を邪魔しようとはしませんよ。私も精霊には興味がありますし。ああ、せっかくなら貴方を捕えるついでに契約の権利を奪うのもいいのかもしれませんね」

「《させるかよ》」

呪文の改変で【ブレイズ・バースト】を起動。

「《霧散せり》」

だが、今度はトゥルスが【トライ・バニッシュ】で打ち消した。

「くくっ、炎ばかりとは芸がない。まぁ、私も人のことは《言えませんが》」

ロクスと同じように呪文改変による【ライトニング・ピアス】を起動させる。一条の雷閃が夜闇を切り裂いて、ロクスに真っ直ぐ飛ぶ。

「《疾》」

だが、ロクスは黒魔【ラピッド・ストリーム】を起動。激風を身に纏い、機動力を爆発的に向上させてその雷閃を回避するだけでは終わらない。【ラピッド・ストリーム】を再起動し、再び激風を身に纏う。

それを連続で行使することでトゥルスは激風の檻に閉じ込められる。

「『疾風脚(シュトラム)』。なかなか上手ですね」

トゥルスの視界にはロクスは捉えられていない。それでもトゥルスから余裕は消えない。

「そして貴方の動きが見えない私を貴方はそのまま私の背後から剣を振り下ろす」

ロクスは自身の動きが捉えられていないトゥルスに対して背後から剣を振り下ろした。

「‶わかっていますよ〟」

「っ!?」

背後からの剣の一撃。トゥルスはそれがわかっていたかのように容易く躱した。

「《雷槍よ》」

「ぐっ!?」

至近距離から放たれる【ライトニング・ピアス】がロクスの肩を射抜いた。慌てて再び【ラピッド・ストリーム】を起動させてトゥルスと距離を取る。

「ああ、言っておきますが、わざと殺しませんでしたよ? 生捕りが仕事なもので」

「チッ」

ロクスもわかっている。わざと外したことぐらい。

殺そうと思えばトゥルスはロクスを殺せた。それをしなかったのはトゥルスにロクスを捕縛するように命じられているから。それがなければロクスは今ので死んでいた。

(動きが読まれた……)

ロクスは警戒を強める。

どういう手段を使ったのかはわからない。だが、間違いなくこちらの動きを読んでいるのは確かだ。

(予測もしくは予知それとも未来視か……先の未来を見る方法はいくつかあるが……)

魔術にもその手の魔術は存在する。だけど、それを実戦で使うともなれば手段は限られる。

(フレイザーのような先読みの類ではねえな……)

あの物狂いレベルの先読みの使い手が二人もいてたまるかと、内心そう悪態を吐く。

しかし、それは正しかった。

トゥルスの別に未来が見えているわけでも、アルベルトのような先読みができるわけではない。

(くくっ、困惑していますね。しかしそれも無理はありません。私の固有魔術(オリジナル)を見破ることなんて誰にもできないのだから)

トゥルスの固有魔術(オリジナル)電視(レベック)】。

それは生物に限定した未来視のようなもの。

生物から発する電磁波や電気信号を受信してそれを読み解くことでその生物の動きを読むことできる固有魔術(オリジナル)

いくら素早く動いても身体から発する電磁波や電気信号は嘘偽ることはできない。ならばそれを受信して読み解くことは容易い。とはいえ、欠点もある。

(数秒先しか受信できないのがこの固有魔術(オリジナル)の弱点ではありますが、魔術戦で手の内が読まれるのは痛手でしょう?)

相手の一手先を読む。魔術戦においてそれは致命的だ。現にロクスもそれで一撃を許してしまったのだから。

とはいえ、トゥルスも決して油断していいわけではない。

(警戒すべきは彼の異能、件の黒い炎。アレを広範囲に放たれたらいかなる防御も成すすべなく燃やされてしまう)

全てを焼き尽くす黒い炎。その炎は例外なく全てを消滅させる。

(今はまだ使う気配はありませんが、いざという時は……)

最悪の場合は殺して連れて行く。その許可は上司であるエレノアから頂いている。生捕りはあくまでできればの範囲だ。

「ああ、クソ……やっぱりフレイザーのようにはいかねえか」

諦観するかのように、溜息を溢す。

そんなロクスの態度に諦めたのか? と思ったトゥルスだったがそれは違った。

「天の智慧研究会を前にこの憎悪が抑えられるわけがねぇ……」

逆だった。

ロクスの心に宿す黒い炎は、憎悪は復讐の標的を前に押さえ込むことはできなかった。

殺されてでもお前を殺す。その瞳はそう語っていた。

「《殺してやる》」

憎悪に満ちた声音。それと同時に起動した軍用攻性呪文(アサルト・スペル)。すると、空から無数の炎弾が、激しいスコールのごとく降り注いでくる。

黒魔【メテオ・フレイム】。強力な広範囲制圧の軍用攻性呪文(アサルト・スペル)

「ひ、《光の障壁よ》!」

いくら相手の動きが先読みできたとしてもこれは躱せない。そう判断したトゥルスは咄嗟に【フォース・シールド】、魔力障壁を展開する。

だが、この程度ではロクスは止まらない。

「《真紅の炎帝よ・劫火の軍旗掲げ・朱に蹂躙せよ》!」

「なっ!?」

B級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)、【インフェルノ・フレア】。

並の炎とは比較にならない超高熱の灼熱劫火が津波となってトゥルスを襲う。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

平静も冷静もどこかに飛んでしまったかのように叫びながら必死に魔力障壁を維持し続ける。だが、それと同時に魔術師として疑念が生じる。

(どうしてたかが学生にB級の軍用魔術がッ!? いや、そもそもどうして炎が収まらない!?)

B級の軍用魔術の一般的な詠唱節数は七節以上。これは通常、味方との連携の中で運用されるべき節数だ。C級と比べて威力規格が格段に高いものの、一対一の魔術戦では、隙が大きく役に立たないのが常識である。

何節かけてでも、とにかく詠唱することができれば超一流の魔導士とされる。

それをロクスはたった三節で詠唱している。

それだけでも驚愕に値することなのに先にロクスが起動した【メテオ・フレイム】の炎が健在。更には【インフェルノ・フレア】の炎もまるでトゥルスを逃がさないかのように取り囲んでいる。

魔力障壁の外はまさに灼熱地獄。一瞬でも魔力の注入を怠ったらトゥルスは灼熱地獄に呑み込まれるだろう。

(だが、これだけの炎なら彼も無事では)

これはもはや黒魔【トライ・レジスト】で耐えられる領域を超えている。いくらロクスが【トライ・レジスト】を付呪(エンチャント)していても耐えられるわけがない。

そう思ったその時、トゥルスは見てしまった。

その灼熱地獄のなかを悠然と歩くロクスの姿を。

「嘘だ……」

ありえない、どういうことだ? と疑問が生じるなかでそれを察したロクスが口を開いた。

「生憎と俺に炎は効かない」

魔術学院でレイクとの戦いからロクスは考えた。

炎は自分にとって最大の武器だ。それをどう有効活用すればいいのか。自分も損傷(ダメージ)覚悟で戦えばいずれ限界はくる。

ロクスは考えた。あらゆる試行錯誤を繰り返し、自分だけの必殺を考え続けてきた。

その結果、ロクスは魔術師としてとある域に到達した。

それがロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】。

ロクスの魔術特性(パーソナリティ)は炎熱の掌握・隷属。

炎熱系の魔術にこれ以上にないぐらいに特化した魔術特性(パーソナリティ)。この魔術特性(パーソナリティ)があるからこそ、ロクスは炎熱系限定ではあるもB級の軍用魔術の詠唱も三節で唱えることができる。

さらにその魔術特性(パーソナリティ)よりロクスは自身を中心とした一定範囲内の炎熱を掌握して隷属する。それによってロクスは範囲内の炎熱を自在に操作することができて、範囲内の炎熱系魔術なら敵対者の炎熱も掌握して隷属させることができる。

まさに炎熱の支配者。

「終わりだ」

剣に黒い炎が纏う。まさにその黒い炎こそトゥルスが最も警戒していた異能。だが、今はそれどころではない。

「ま、待て、いや、待ってください!」

ロクスが何を考えているのか自身の固有魔術(オリジナル)で読み取ることができた。できたからこそ、必死に命乞いをしている。

「お、お願いします! どうか、どうか障壁を、斬らないでください……ッ!」

黒い炎はあらゆるものを焼き尽くす。それが例え、魔力障壁であっても例外ではない。そして今の状況で唯一の命綱である魔力障壁が斬られたらトゥルスはすぐさま灼熱地獄の餌食になる。

「私は、私はこんなところで死ぬ、わけには……ッ!」

「知るか」

ロクスは躊躇うことなく魔力障壁を斬った。

そこには微かな慈悲や慈愛はもちろん、憐れみも情けもない。己の復讐を果たす為だけに邪魔な魔力障壁を斬った。

「あ――」

灼熱地獄に包まれるその刹那、トゥルスはロクスを見た。

業火のように荒々しい憎悪をその瞳に宿す炎の化身。漆黒に包まれたその剣を手にただ怨敵を殺す修羅。

「炎鬼……」

その言葉を最後にトゥルスは灼熱地獄にその身を堕とした。

塵一つ残らずに燃え尽きたトゥルスにもうここに用がないかのように踵を返すロクスは歯を噛み締めた。

「クソが……」

苛立つとうに吐き捨てる。

(全然足りねぇ。この程度の力じゃ、俺の復讐は果たせない。もっと、もっと力がいる……)

剣を強く握りしめながらロクスは思考を切り換えて次の行動に移る。



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愚者と星と塔

「んで? これはどういう状況だ?」

天の智慧研究会の一員であるトゥルスを倒したロクスは遠見の魔術で最後に護衛対象であるルミアがいた場所にやってきたのだが、そこにはベッドに横たわるグレンにその傍で眠りについているシスティーナ。そして師的存在であり、上司でもあるアルベルトがいた。

ただ足元にある儀式法陣、それが施術者の生命力を被術者へ増幅移植する為の白魔儀【リヴァイヴァー】だということぐらいは理解できた。

「遅い。何をしていた?」

「こっちも襲撃を受けていたんだよ。で? 護衛対象は?」

「リィエルが連れ去った」

「……なるほど」

それを聞いて、ある程度は理解できた。

(つまりレイフォードは裏切って天の智慧研究会に寝返ったと……)

それはつまり殺しても問題はないということ。

「それにしてもよく魔力が足りたな。ああ、それでフィーベルか」

本来なら数人掛かりで行う儀式。たった二人では圧倒的に魔力が足りない。だが、システィーナは違う。

精神的弱さはあるものの、魔術師としての才能はそこらの魔術師とは比較にもならない。

純粋な才能で言えばロクスでさえもシスティーナの才能には足元にも及ばない。

(本当に羨ましいほどに恵まれているな、この女は……)

家柄、才能、金、環境などシスティーナ=フィーベルはあらゆるものに恵まれている。ロクスでさえも既に捨てた筈の妬みや嫉妬の感情を抱かせるほどに。

「それで、どうするんだ?」

「……」

これからどうするのか? 上司であるアルベルトから指示を求めるもアルベルトはただ腕を組んで壁に背を預けたまま。まるでグレンが起き上がってくるのを待っているかのように。

「……」

ロクスはその場に座り込む。

別にロクスはグレンの生死などどうでもいい。可能であれば今すぐにでも敵のアジトに向かいたいが本心ではあるも肝心の敵のアジトが分からない為に動きようがない。

唯一、それがわかっているであろうアルベルトが何も言わない以上はロクスにできることは先の戦闘で失った魔力を少しでも回復させることぐらいだ。

(たくっ、面倒だ……)

内心でそう愚痴りながらロクスは回復に努める。

 

 

 

 

 

それから暫くしてグレンは目を覚ました。

アルベルトからシスティーナと共に【リヴァイヴァー】を使って息を吹き返したことやリィエルの『兄貴』のことなどグレンとアルベルトしかわからない会話を行ったり、内定調査した方がいいとロクスが告げていたバークス=ブラウモンは天の智慧研究会と繋がりがあることが判明したり、ロクスの予測通りアルベルトは敵の潜伏場所に目を付けていた。

敵の潜伏場所以外、ロクスにはどうでもいいことなので話の大半は聞き流してやっと行動開始するようになった。

「講師。先に言っておく。レイフォードが俺の邪魔をしたら俺は躊躇いなくレイフォードを殺す」

「ロクス……」

グレンとてわかっている。ロクスはそういう奴だと。

相手が誰であろうとも復讐の邪魔をするのであれば殺す。そういう復讐者(にんげん)だ。

「俺にフレイザーのような慈悲など求めるな」

一方的にそう告げて部屋を出るロクスのその背を見届けながらグレンも準備に入る。

 

 

 

 

サイネリア島中央部に向けて、鬱蒼と茂る樹海の中を疾走し、アルベルトはエレノア=シャーレットに魔力信号を発する術を付呪(エンチャント)していた。それも強力な魔力隠蔽性を持つ術も付呪(エンチャント)したものを。それを頼りにグレン達はバークスの秘密研究所に繋がる地下水路の入口を発見した。

そこは貯水庫のような場所。グレン達が今やってきた、一際大きなプールを中心に、水路と水路を挟む通路が、大小様々なプールとプールを繋ぎ、延々と迷路のように複雑に絡み合っている。所々に水生系の樹木が林立し、あちこちにヒカリゴケが群生しているその様は、白金魔導研究所の風景と酷似していた。

間違いなくバークスの秘密の研究所だ。

アルベルトは召喚【コール・ファミリア】で鷹を召喚してそれを『目』として先行させようとした時、それは現れた。

大量の水が天井へ巻き上げられ、盛大な水柱がそびえ立った。

「どぉわぁああああ―――ッ!? な、なんだぁああああ―――ッ!?」

グレンが慌てて身構え、アルベルトとロクスは素早い身のこなしでその場所から跳び下がる。

水柱の中から巨大で硬質な影が現れ、グレン達の前に立ちはだかっていた。

そのシルエットは一言で表せば、蟹だった。

人の倍以上の身の丈を持つ、冗談のような巨大な蟹。

川辺や磯部で見かける普通の蟹と決定的に違う点は、通常、蟹のハサミは左右の一対だけだが、その巨大な蟹は三対もの、いかにも凶悪そうなハサミを持っているところだ。

「何、この生物の進化過程構造をガン無視しちゃった、クリーチャーッ!?」

その巨体に見合わぬ俊敏な動作で、蟹が一斉にそのハサミの群れを振り下ろした。

「ぉわぁあああっとぉおおぅッ!?――危ッ!?」

グレンは狭い通路上を側転、跳躍、周囲の少ない足場を俊敏かつ正確に飛び回り、連続で振り下ろされる蟹のハサミを次々かわしていく。

「どけ、講師」

そこにロクスが一声。

「《炎獅子》」

黒魔【ブレイズ・バースト】を一節で詠唱。左手から投げ放たれた火球が蟹に着弾。渦巻く爆炎が蟹を飲み込み、業火の火柱が天井を焼き焦がす。

「ぉおおおおおおおおおッ!? 危ねぇ!? てめぇ、ロクス!? 俺まで焼き殺す気か!?」

間一髪。爆炎から逃れることができたグレンだが、一歩間違えればグレンも蟹のように丸焼きにされていた。だが、そんなグレンに対してロクスは。

「チッ」

舌打ちした。

「え? ちょっとロクスくん? どうして舌打ち? まさか俺まで殺そうとしたの? 俺、何かしたか?」

ロクスは答えない。ただ丸焼きになった蟹を見る。

合成魔獣(キメラ)か……」

「ああ。その昔、軍事用に研究されていた合成魔獣(キメラ)だろう。合成魔獣(キメラ)の兵器利用に関する研究は現在では凍結・禁止されているのだが……昔の研究成果が残っていたのか、或いはバークス=ブラウモンが禁じられた合成魔獣(キメラ)の研究を続けていたのか……」

「どっちにしろ、ここは合成魔獣(キメラ)の廃棄場所みたいだな」

「ねぇ、二人揃って話を進めないで俺の質問に答えてくれない? ねぇ」

その瞬間。

グレン達がいるこの区画の、あちこちで水柱が上がった。

蟹だけではない。巨大な烏賊、半魚人のような化け物、ゼリーの塊のような不定形生物……多種多様な怪物が次から次へと姿を現し始める。そのどいつもこいつもが、どこか歪な姿の出来損ないだった。

「団体様のお出ましか」

「突破するぞ」

「二人揃って無視するのはやめて!? クソが! 絶対後で問い詰めてやるからな!!」

三人は通路を駆け出した。

 

 

 

一方そ頃。

リィエルによって連れ去られたルミアは研究所で鎖付きの手枷で吊られて身体に描かれたルーンの術式に沿って膨大な魔力が疾走している。それが激しい激痛となって、ルミアを責め立てる。

ルミアは今、『Project:Revive Life』の儀式の一部に組み込まれ、その意思とは関係なく強制的に能力を行使させられているのである。

それに歓喜の声を上げるバークスとは裏腹にルミアはあることを思っていた。

(ロクス君も、こんな感じに……)

かつて天の智慧研究会の実験動物(モルモット)として扱われていたロクスの気持ちが今になってルミアは少しだけ分かった気がする。

痛い、苦しい、辛い。こちらの都合などお構いなしにただの道具として扱われる。それが何年もロクスが体験した地獄の日々。

(これは、辛い、ね……)

この場にはいない自分を嫌う異性のことを思い出している時、遠くで地鳴りのような音が突然、響き渡った。

「何事だ!?」

作業を止め、バークスが怒声を上げる。

すると、この儀式部屋の入り口にエレノアが姿を現した。

「今、遠見の魔術で確認しました……侵入者ですわ」

「何だと!? 馬鹿な! どうしてここが割れた!? そんなはずは――」

「……はて?」

すると何を思ったか、エレノアはなぜか自分の体のあちこちに指を這わせ始める。

そして、頬に触れた時、その指を止めて。

「あらあらまぁ……近接格闘戦で殴られたあの時ですか……油断しましたわ」

くすり、と。エレノアは嫣然と微笑んだ。

「流石は帝国宮廷魔導士団特務分室《星》のアルベルト様……一杯食わせたと思っていましたが、一杯食わされたのはどうやら私の方だったみたいですわね。御見事」

苦々しく、それでもどこか愉悦の表情で、エレノアが呟いていた。

「そ、それは一体、どういうことだ!? エレノア殿ッ!」

「さぁ、どういうことでしょうか? とにかく敵戦力は三名。帝国宮廷魔導士団、特務分室のエース、アルベルト様。同じく特務分室のロクス様と、帝国魔術学院魔術講師、グレン様ですわ」

「……ッ!?」

グレンが生きている。そのことに驚くもルミアの表情は明るくなっていく。

「まだ、儀式の完遂まで時間がかかりますわ。それまでにこの部屋に至られると、儀式を台無しにされる恐れがあります。いかがいたしましょうか?」

「くぅ……おのれぇ、政府の犬共め……ッ!」

バークスがわなわなと震えながら、傍らのモノリス型魔導演算器に取り縋り、呪文を唱えながら指を動かし、操作を始める。

自ら作り上げた作品、合成魔獣(キメラ)の封印を解いてグレン達を蹴散らそうとする。

 

 

 

 

「邪魔だ」

赤い剣閃が走る。

次々と迫りくる合成魔獣(キメラ)をロクスは精霊の力も借りずに圧倒している。胴体を切断し、首を斬り捨て、時に魔術で焼き尽くす。

「凄ぇ…」

迫りくる合成魔獣(キメラ)をアルベルトと共に始末しながらグレンはただ驚きを隠せないでいた。

(ロクスのやつ、こんなに強かったのかよ……)

しかもそれでもまだ精霊を使っていない。本気を出してはいないのは見て分かる。

ただ驚くグレンの傍でアルベルトが淡々と合成魔獣(キメラ)を始末しながら口を開いた。

「元々奴にはそれだけの素質はあった。それを戦力として使えるように俺が矯正した」

「はぁ!? お前があいつを鍛えたのかよ!? 道理で凄ぇわけだ……」

納得と言わんばかりに頷く。

いったいどれだけ過酷な訓練を施したのか、グレンは想像もしたくなかった。

「分かったら口ではなく手を動かせ。いつまでボサッとしているつもりだ?」

「へいへい。わかりましたよ」

次々とバークスの作品である合成魔獣(キメラ)を倒していく三人はその足を止めることなく次の通路へ進むと……。

「こ、こいつは……ちょっとヘヴィかなー?」

思わずグレンが頬を引きつかせながら、呟いていた。

通路を突破し、大部屋に侵入したグレン達を待ち受けていたのは―――

「ゥオオオオオオオオオオオオオオオン……」

見上げるほど巨大な、大亀の怪物だった。

その大部分が透き通る宝石のようなもので構成されている。

「宝石獣か。過去、帝国が密かに行っていた合成魔獣(キメラ)研究の最高傑作として、理論上の設計だけは為されていたとは聞いていたが……」

「こいつの性質は?」

「殆どの攻性呪文(アサルト・スペル)が効かん。それに恐ろしく硬い」

「……厄介の極みじゃねーか」

が、ロクスはその歩みを止めることなく宝石獣の前に立ちはだかった。

「お、おい! ロクス――」

呼び戻らせようとグレンが声を投げるも。

「死ね」

ロクスの身体から発する黒い炎の放出によって宝石獣は跡形もなく消滅した。

「うそーん」

つい今しがた厄介の極みだと言ったばかりの宝石獣をロクスは通路に転がる石を蹴ってどかす程度の感覚で消し飛ばした。

「待て。ロクス」

スタスタと歩くロクスにアルベルトが呼び止める。

「前にも言ったはずだ。あまり異能を使うなと。その意味は貴様が一番わかって――」

「うるせぇよ」

歩みを止めてロクスは振り返り、アルベルトに言う。

「天の智慧研究会は殺す。邪魔する奴も殺す。その為の力をどう使おうが俺の勝手だ」

それだけ告げて再び前を向いて進みだすロクスにアルベルトは小さく息を漏らすに対してグレンは思う。

(ロクス。本当にお前を止めることはできねえのか……?)

その顔は生徒を思う講師の顔だった。



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異能者の成れの果て

先の宝石獣で合成魔獣(キメラ)は品切れしたのか、あれからグレン達を襲う合成魔獣(キメラ)はおらず、グレン達は暗く狭い通路を進んで行く。しばらく歩くと、不意に開けた空間に出た。

「ここは……?」

何かの保管庫のようだった。

大広間のような室内は薄暗い。床や壁、高い天井の所々に設置された結晶型の光源――魔術の照明装置の光はかなり絞られており、足元がよく見えない。そして、辺りには謎の液体で満たされたガラス円筒が、無数に、延々と規則正しく立ち並んでいた。

それらガラス円筒の一つ一つが、部屋のあちこちに設置されたガラクタの塊のような魔導装置にコードで繋がれ、その装置は現在進行形で低い音を立てて稼働している。

「……なんだこりゃ?」

ふと、グレンはガラス円筒の中に、球状の何かが浮いていることに気付く。

周囲が薄暗いため、そのガラス円筒の中身がよく見えない。

グレンは何気なくガラス円筒に近づいて、中を覗き込んで――

――瞬時に、止めておけばよかったと後悔した。

「これは……ッ!?」

思わずこみ上げた吐き気を堪えるように口元を押さえる。

背筋が凄まじい亜寒で総毛立ち、ぶわっと気持ち悪い脂汗が全身から噴き出した。

「……ッ!」

アルベルトも、その表情をいつも以上に硬く険しくする。

ガラス円筒の謎の液体の中に浮いていたのは……人間の脳髄だったのだ。

「な、な、なんなんだ、これは!?」

よく見れば、隣の円筒もそうだ。その隣もそう。その隣の隣もそうだ。

取り出された人間の脳髄が、延々と標本のように並んでいる―――

――否、実際にこれは標本なのだろう。

人間の標本。見るも聞くもおぞましい、背徳と冒涜の所業。

それらを前に、呆然と絶するグレンの他所に。

「……『感応増幅者』……『生体発電能力者』……『発火能力者』……」

アルベルトは足音を低く響かせながら、立ち並ぶガラス円筒の傍らを次々と過っていき、ガラス円筒につけられているラベルの文字を淡々と読み上げていく。

「……全ての円筒に異能力名がラベルされているな。後は被検体ナンバーと各種基礎能力値データが少々……つまり、これは――」

「異能者の成れの果てだ」

アルベルトの言葉に続くようにロクスが口を開いた。

「あの爺にとって異能者は人間じゃねぇ。こんなのあの爺からしてみればただの動物実験、こいつらはただの標本だ」

近くにあるガラス円筒に触れながらロクスはそう言う。

「あの施設でもそうだった。俺達、異能者はただの実験動物(モルモット)でそこに人間としての尊厳はない。薬毒実験、拷問、殺し合いなんでもあり。ただデータを取る為のサンプルだ」

「お、おい、ロクス……」

それ以上何も言わせまいとグレンは手を伸ばすが、その手は途中で止まった。

「どういうわけか、異能者の力、異能力は脳にあるらしい。駒としてではなくただのデータを集めるなら脳髄を引きずり出してこうして管理した方が実に効率もいいし、管理も楽だ。あの爺は本当によく使っているよ、異能者を……俺達をただの道具として」

ロクスの身体から黒い炎が漏れている。それだけにロクスの怒りが、憎悪が見て分かる。

グレンは周囲を見渡す。何かに縋るような、神に祈るような、そんな表情だ。

すると。

グレンは、ふと『それ』に気付いた。

立ち並ぶガラス円筒群の一番奥にあった『それ』。

液体に満たされた円筒の中に吊るされている『それ』はまだ、人の形をしていて――

グレンは衝動的に、『それ』に向かって駆け出していた。

「アルベルト、見ろ! あいつ、まだ生きてるぞ! 早く助け――」

だが、不意にグレンは駆け寄る足を止め、言いかけた言葉を飲み込んだ。

ガラス円筒の中に浮かぶ『それ』の正体はまだ、年端もいかない少女だ。歳はロクスとそう変わらない。だが、その少女は手足が切断され、全身を無数のチューブに繋がれ、魔術的に『生かされている』状態だった。すでに一個の生命として、独立して生存する機能を完全に奪われている。

この装置から解き放たれたら、この少女は数分と生きられないだろう。

この少女はもう、あらゆる意味で『終わって』いる。生物としての体を成していない。

肉体が微かに生命反応を示すというだけで……もうとっくに『死んで』いたのだ。

(……酷ぇ。こんな……こんなことって……ッ!)

やりきれない悲しみと怒りにグレンが手の骨が砕けんとばかりに拳を握り固める。

「…………」

こんな状態でも、微かに意識はあったらしく、少女が身じろぎする。

少女の虚ろな目と、呆然自失するグレンの目が合う。

少女は弱々しく動く。

コ、ロ、シ、テ。読唇術にあまり自信のないグレンだったが……この見知らぬ少女の言いたいことだけははっきりとわかった。

その時だ。

ロクスが剣を構え、少女がいるガラス円筒の前に立った。

そして――

ロクスは少女を閉じ込めていたガラス円筒を破壊し、少女に繋がれているチューブを切断し、倒れ落ちようとしている少女を抱き止めた。

「……」

ロクスは何も告げなかった。

少女が入っていたガラス円筒に満たされていた液体を頭から浴びようとも、そんなこと気にも止めずにただ少女を抱き締める。

「……ぁ…」

それが自由になった少女の最後の言葉だった。

少女は最後に何を言いたかったのか、何を言い残したかったのかはわからない。それでも少女の顔は僅かに微笑んでいたように見えた。

それが少女にとって救いになっていたのか? いや、こんなところで死ぬ少女に決して救いなどなかった。少女に救いがあるのならこんなところにいるわけがないのだから。

ロクスはそっと少女を地面に寝かせ、制服の上に着ていた特務分室の礼服を少女に被せる。亡骸をこれ以上辱めないように。

「ロクス……」

今、ロクスがどんな表情をして、何を思っているのかグレンにはわからない。その時だった。

「貴様らぁ!? 私の貴重な実験材料になんてことをしてくれた!?」

場違いで筋違いな罵声が、その部屋に響き渡った。

「バークス=ブラウモンッ!」

見れば、バークスが円筒の群れの向こう側にある出入り口に姿を現していた。

「おのれぇッ! 今、貴様らが壊したサンプルがいかに魔術的に貴重なものか、それすらも理解できんのか!? この愚鈍な駄犬共ッ! 絶対に許さんぞッ!」

「なぁ、お前……」

グレンは幽鬼のような表情で、バークスを一瞥する。

「聞くだけ無駄だろうが……お前が切り刻んで標本にした人達のこと……どう思ってるんだ? 少しは罪の意識とかねーのかよ?」

「はぁ、罪だと? 何を戯けたことを」

完全に馬鹿を見るような眼で、バークスはグレンを見る。

「偉大なる魔術師たる私のために身を捧げることができるのだぞ? 寧ろありがたく思って欲しいくらいだ。大体、どいつもこいつもまったく役に立たん……だが!」

バークスはぬけぬけとそんな事を言ってのけ、そして今度は怒り心頭とばかりにわなわなと震え始める。

「たまたま、少しは役に立ちそうな実験材料が見つかったと思えば、たった今、貴様らが台無しにしてくれた……いい加減にしろッ! ……と言いたいが特別に許してやろう! 貴様らが台無しにしてくれた実験材料以上のモノを持ってきてくれたのだからな!」

バークスの視線はロクスに向けられる。

「先の黒い炎を見せて貰ったぞ! 実に素晴らしい炎だ! 宝石獣でさえもああも圧倒するあの黒い炎こそ私に相応しい! 貴様を切り刻み、我が魔術の糧になれることを光栄に思うがいい!」

あまりにも自分勝手な物言い。グレンは冷静に怒り狂っていた。

「あー、うん、もうね、なんつーか、あれだ。お前、本物だよ」

衝動的に、背中に隠してある銃へと手を伸ばし――

「《炎獅子》」

その前に、グレンの背後から放たれた火炎球がバークスを襲う。

バークスがいた場所に爆炎が嵐のように渦巻き、バークスは炎に包まれる。

「講師、フレイザー。あいつは俺が殺す。だから先に行け」

「ロクス……」

「邪魔するならお前等から殺す」

邪魔をするな、と憎悪に満ちたその瞳がそう強く告げている。それでもグレンは何かを言おうとしたが、アルベルトがグレンの肩を叩く。

「行くぞ。王女を奪還するのが俺達の仕事だ」

「……くそ、ロクス。絶対に無事でいろよ!」

ここで足を止めている暇はない。せっかくロクスが開いてくれた活路を無駄にしない為にもグレン達は先に進む通路に向かって駆け出す。

「ほう……たった一人残るとは。さっきの駄犬共と一緒に戦えばまだ勝機はあったものの」

先程の【ブレイズ・バースト】を【フォース・シールド】で防いだバークスは解除(キャンセル)して不敵に頬を吊り上げる。

「まぁよい。先に貴様を倒し、動きを封じてからでも十分に間に合うわ。それが終われば貴様を徹底的に『教育』してその気に食わない目ができぬようにしてくれる」

どす、と。バークスはいつの間にか手に持っていた金属製の注射器を、自分の首筋へと打ち込んでいた。

「気になるか? ふっ、これはな……貴様のような道具には想像もつかぬ神秘の産物よ」

その時、バークスの身体に異変が起きた。

バークスの全身の筋肉が突然、隆起し始めたのだ。初老にしては体格の良いバークスの身体が、めきめきと、さらに不自然に膨れ上がっていく――その全身に視覚的にわかるほどの圧倒的な力が漲っていく――

そして、バークスの右腕が激しい勢いで燃え上がり、炎の帯がうねりを上げてロクスに襲いかかるが、ロクスはそれを回避して気付いた。

「てめぇ……ッ! その炎はッ!?」

「ほほう? 流石に一目で気付いたか」

得意げにバークスが言う。

「そう、私はな……生命の神秘を解き明かすため、無数の異能者を調査・研究する過程でな……その異能力を異能者から抽出し、己の能力として意図的に引き起こせる魔薬(ドラッグ)の合成に成功したのだよ……ふははははははっ!」

ギリ、とロクスは歯を噛み締める。

「しょせん、異能といってもこんなものよ! 異能は先天的にしか持ちえぬもので、魔術師には扱えないもの? 異能は魔術をも超えた神秘? 馬鹿を言ってはいかん! 異能ごとき、真の魔術師にとってはやはり使われる道具の一つに過ぎぬ!」

「……」

「今はまだ使える異能もまだまだ少ないが、いずれ研究が進めば、全ての異能を我がものにしてくれよう! 貴様の異能も含めてな! うわはははははははははっ! 私って凄い!」

そんな興奮の絶頂にあるバークスとは裏腹にロクスは怒気を孕んだ息を漏らす。

「新しい玩具を買って貰って自慢するガキかよ。クソ爺」

「……は?」

「俺達、異能者を散々切り刻んで手に入れたのがそんなものか……」

「そんな、ものだと…ッ!?」

みるみる顔を真っ赤に染めていくバークスだが、ロクスにはそんなことどうでもよかった。

(たかが異能力を手に入れる為に、何人の異能者を殺しやがった……)

ロクスは欲しくてこんな力を持っているわけではない。もし、この異能がなければ両親は殺されなかった。拷問を受けることも殺し合いを強制されることも、生きたい筈の少女まで殺すことなどなかった。

異能がこの世に存在していなければ、復讐者などに堕ちることなく学院で皆と一緒に魔術の勉強をしていたかもしれない。

「……てめえは天の智慧研究会じゃねえが」

だがそんなしても意味がない妄想などよりもやらなければいけないことがある。

「殺してやるよ。クソ爺」

剣に黒炎を纏わせて冷ややかにそう告げた。



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地獄から這い上がってきたモノ

「私を殺すだと? ふははははははっ! 殺せるものなら殺してみるがよい!!」

殺してやる。そう告げたロクスの言葉に嘲笑する。

「特別に一つ教えてやろう! 私には先ほど見せた『発火能力』だけではなく『再生能力』もある! つまり貴様がいくら攻撃しようとも不死身である私を殺すことなど不可能なのだよ!」

自慢気に語るバークスは手をかざす。

「《疾》」

それを察知したロクスは『疾風脚(シュトラム)』でその場から離れる。するとぱきり、とロクスがほんの半瞬前まで居た空間が、ガラスが砕けるような音を立てて、一瞬で氷点下を極限まで振りきっていた。

「『冷凍能力』……」

「そうれ! まだまだいくぞ!」

バークスの全身から無数の稲妻が一斉に放たれる。

蛇のようにうねる極太の稲妻は四方八方へと手当たり次第に喰らいつき、バークスを中心に円を描くように疾駆する。それを回避していくロクスだが、逸れた稲妻は、その軌道上にあったガラス円筒の悉くを打ち砕き、粉砕していく。

「ちっ! 邪魔な障害物が多過ぎて狙いが定まらんのぉ――ッ!」

自身が発する荒ぶった稲妻の渦中、バークスの哄笑が響き渡る。

「まったく、こうなってもとことん役に立たんゴミ共めッ! まぁいい! ついでに大掃除だッ!」

「……『人体発電能力』」

バークスは炎熱系のB級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)に匹敵する『発火能力』を発動させて辺り一面を暴力的な灼熱炎で焼き尽くそうとしたが、その灼熱炎はロクスの掌に集結して球体となって消滅する。

ロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】。

自身を中心としたあらゆる炎熱を掌握して隷属する。それは異能力の炎でも例外ではない。

「『発火能力』……」

「なるほどのぉ。炎は効かぬというわけか。だがそれがどうした!? 私の力はこんなものではないぞ!!」

一瞬だけ自身の異能力が通用しなかったことに驚きはしたもののすぐに別に異能力に切り替えてその力を発動させる。

「『発火能力』は貴様には効かぬようじゃが、私には『耐熱能力』がある! それだけではない! 『耐冷能力』に『耐電能力』も備わっておるのじゃよ! つまり、私には三属攻性呪文(アサルト・スペル)は通用せぬ!!」

炎が通用しないのはお前だけではない。それどころか私はもっと凄いと、言わんばかりに自慢気に語ると、『冷凍能力』と『生体発電能力』を使ってロクスを捕えようとするも、その攻撃はかすりもしていない。

「ええい! ちょこまかとすばしっこい! あまり動くでないわ! 余計な損傷を与えて私の研究に支障が出たらどうしてくれる!?」

あまりにも自分勝手な物言い。本当にロクスのことを、異能者を人間として見ていない。バークスにとってロクスはただの実験動物(モルモット)で自分の魔術を発展させる研究材料でしかない。

そんなバークスに対してロクスは……。

「《ド素人が》」

「――――ッ!?」

刹那、黒魔【ラピッド・ストリーム】を起動。激風を身に纏い、機動力を爆発的に向上させたその速度でバークスに接近した瞬間、剣を走らせる。

直後、バークスの左腕は宙を舞っていた。

ロクスの神速の剣技が切断したバークスの左腕を地に墜とすのであったが……。

「馬鹿め! 忘れたか!? 私には『再生能力』があるということを!!」

そう、バークスが開発した魔薬(ドラッグ)には『再生能力』がある。いくら左腕を斬り落としたとしても『再生能力』ですぐにその左腕は元に戻る……筈だった。

「……は?」

しかし、戻らなかった。

たかが腕一本。数秒もあれば完全に元通りになる筈の腕が一向に再生されない。

何が起きた? 『再生能力』は? と困惑する頭で斬られた腕の先を見てみるとバークスは目をこれ以上ないぐらいに見開いた。

「黒い炎じゃと……ッ!?」

腕の先を確認すると黒い炎がまるで再生を阻害するかのように燃え続けている。

「戦い方が全然なっちゃいねぇ。どれだけ魔術に自信があるのかは知らねえが、魔術戦は三流以下だ」

異能者から異能力を抽出し、それを己の能力として引き起こす魔薬(ドラッグ)の合成に成功させたバークスは外道ではあるも魔術師としては一流なのかもしれない。

だが、それはあくまで研究者として一流なだけで魔術戦までも一流とは限らない。

「くっ! この程度でこの私がッ!?」

反撃しようと右手で『冷凍能力』を遣おうとするが、その右腕も宙を舞う結果となった。

「異能もそうだ。てめえはただ異能を使っているだけだ」

威力はある。だがそれだけ。その使い方も単純で何の捻りもない。おまけに複数の異能が使えるというのに一つずつしか使ってこない。

「魔術戦も三流以下、異能も半端。どれだけ自分を過大評価していたのかは知らねえが……」

「ガッ!?」

「断言してやる。てめえは俺が今まで会った敵の中で最弱だ」

両脚までも切断されてバークスは仰向けの態勢で倒れる。

右手も両脚も左腕と同じように黒炎が再生を阻害してバークスの『再生能力』を封じている。それにより今のバークスは四肢のない。

それはまるで手足が切除され、魔術的に『生かされている』状態だった少女と同じように。

「何より、てめえの相手は俺だ」

「ぐふっ!?」

バークスの腹部を踏みつけながらロクスはそう口にする。

「あの実験場で俺が今日を生き残る為に何人の異能者を殺してきたと思っていやがる?」

死にたくない。その一心で同じ異能者を何人も、何十人も殺し続けてきた。

同じ『発火能力者』も『冷凍能力者』や『生体発電能力者』もそれ以外の多くの異能者をロクスは殺し続けてきた。涙を流しながら、傷だらけになりながら、罪悪感に押し潰されそうになりながらも、ただ死にたくないその一心でロクスは今日を生き残ってきた。

きっとこの世界でロクス以外にいないだろう。

誰よりも異能を理解し、その異能者を殺すことに長けている存在はこの世界でロクスただ一人だけだろう。

バークスの一番の敗因は相手がロクスだったからかもしれない。

「ぐぅぅうううッ!?」

顔を真っ赤に染めながら自身を見下すロクスを睨みつけるバークスは異能力を発動しようとするも、『発火能力』も『冷凍能力』も『生体発電能力』も発動しなかった。

「それがてめえの限界なんだよ」

何故? と疑問を抱くバークスの心情を察したかのようにロクスが答えた。

「俺達、異能者は異能を自分の体の一部として異能を操る。だが、てめえは道具としてしか使ってねぇから手足がなくなった程度で異能が使えなくなるんだよ」

手がなければ道具は持てない。持てないからこそ道具(いのう)は使えない。

それが真の異能者(ロクス)と偽物の異能者(バークス)の違いである。

だが――

「じゃ、じゃが私には『再生能力』がある! 貴様のように扱えなくとも不死身である私は殺せまい!」

四肢を切断されながらもバークスの顔から笑みが消えない。

『再生能力』がある限り自分を殺すことはできないと、絶対の自信を有している。

「貴様の異能もそう長い間は使えまい! この炎が消えた時こそ貴様の最後だ!!」

そう吠える。

そんなバークスにロクスは小さく息を漏らした。

「『再生能力』があるから不死身か? てめえ、馬鹿だろ?」

「なっ!?」

呆れるように嘆息するロクスはバークスの頭を掴んで持ち上げ、液体が残っている割れたガラス円筒に近づいてバークスを水没させた。

「がぼっ!?」

「いくら『再生能力』があっても『窒息死』はするぞ?」

液体に顔を押し付けて呼吸を封じた。

いくら身体を再生させようとも呼吸は別だ。呼吸を封じれば『再生能力者』でも殺すことはできる。

実験場でもロクスは何人も『再生能力者』をこうして殺してきた。ナイフを首に突き刺したり、首を絞めたりと息をさせないようにして殺してきた経験がある。だからこそ『再生能力』があるからといって不死身ではないことは誰よりも知っている。

液体の中で空気の泡を作る作業に忙しいバークスを引き上げ……。

「ぷはっ!? がぷっ!?」

また水没させる。

「苦しいか? それでもてめえが異能者に与えた苦痛に比べればまだ優しい方だが」

それは本当だろう。だが、バークスにとってはどうして自分がこんな苦しい思いをしなくてはならないかと、理解ができなかった。

天に選ばれたる自分が、世界の祝福を受けている筈なのに、どうしてこんな理不尽で不条理な酷い目に遭わなければいけないのか、わからなかった。

「てめえは幸せ者だろうが」

バークスにとって理不尽の権化とも呼べる存在であるロクスがバークスを引き上げてそう言う。

「両親を殺されたことはあるか? その光景を間近で見たことは? 人が焼ける臭いを嗅いだことは? 恐怖で失禁したことは? 悪夢で目を覚ましたことは? 痛みで強制的に起こされたことは? 拷問を受けたことは? 拷問を目の前で無理矢理見せられたことは? 痛い食事を食べたことは? 何日も食事が食べられなかったことは? 牢屋にいた鼠や虫を食べる為に殴り合ったことは? それがご馳走だと思ったことは? 殺し合いを強制させられたことは? ナイフで人を突き刺した感触は? 自分が吐いたゲロを舐めたことは? 家畜の汚物を浴びたことは? 食べさせられたことは? 意志など関係なく女と交わったことは? 結果を出さないだけで嬲られたことは? 何日も手足を拘束されたことは? 何の薬か毒かもわからないものを飲み込まされたことは? 仲間を殺して今日を生き残ったことに安堵しながら罪悪感に苛まれたことは? 死ぬことで地獄から逃れられる仲間の安心しきった顔を見たことは? それが羨ましいと思いながらも生にしがみつく惨めさがてめえにわかるか? わからねえだろう?」

バークスはロクスが何を言っているのかさえ理解できなかった。思考がまるで追いついて来なかった。

「ただ異能者という理由だけでどうして俺達がこんな目に遭わないといけない? 日常を、平和を壊されなければいけない? 何もかも奪われなければいけない?」

ただわかることがあるとすれば……。

「それこそが理不尽で不条理と呼べるものだろう?」

目の前にいるソレはそんな地獄から這い上がって来た憎悪にその身を燃やす復讐者という鬼そのものであるということだ。

「…ぁ……ぁぁ……」

バークスは自身の心が壊れていくことがわかった。

己を食い殺そうとする鬼にただ絶望するしかなかった。

そこでバークスは理解した。

自分は死ぬという現実を、目の前の復讐者には交渉も取引も通用せず、降伏も服従も意味もなく、ただ自分を殺す為だけに『地獄(ゲヘナ)』――冥界第九園から派遣された憎悪に染まった鬼、悪魔であることを。

「死ね」

黒い炎がバークスを焼き尽くす。この世に塵一つ残すことさえ許さないかのように激しく燃え上がるバークスはその身、魂までもがこの世から完全に消滅する。

消滅したバークスを確認したロクスは黒い炎を消すと、グラリと倒れ込む身体を無理矢理堪えさせて自身の契約精霊であるサラを召喚する。

「ロクス」

「……サラ。頼みがある」

倒れようとしているロクスを支えるサラにロクスはあることを頼む。

「ここにあるモノを全部、お前の炎で燃やしてくれ。何一つ、残すことなく全てを」

そんな頼みをサラは頷いて応じ、炎を生み出してこの部屋一帯を炎に包ませる。

何一つ例外はない。魔導装置も、ガラス円筒も、その中に閉じ込められている異能者の成れの果ても、少女の亡骸の全てを赤い炎によって燃えていく。

「……」

ロクスはただ黙って燃えていくその光景を見届けていると、その炎から先ほど死んだ筈の少女が炎となって姿を現した。

それは炎熱による揺らめきによるものか? それとも幻か? もしくは少女の霊魂か?

わからない現象を目の当たりにするロクスを前に少女は口を開いた。

―――ありがとう。

燃え上がる炎と共にロクスの耳には確かにそう聞こえた。

「……俺は、お前等の仇を取ったわけでも、救ったわけでもない。ただ殺しただけだ」

それは幻聴であったとしても、炎となった少女が幻覚であったとしても関係ない。

ロクスがバークスを殺したのは少女達の仇を取ったわけではない。そして少女達を救えたわけでもない。ただバークスを殺しただけ。だから礼を言われる覚えがロクスにはなかった。

「だからいつまでもこの世界に留まっていないでさっさとあの世へ逝け。来世があるなら今度こそ幸せになりやがれ」

それを聞いた少女は姿を消した。あの世へ旅立ったのか、それを確かめる術はロクスにはない。

だが――

「俺はまだ、死ねない……」

ロクスはまだ死ぬわけにはいかない。

天の智慧研究会がある限り、ロクスはどこまでも生にしがみついて天の智慧研究会に復讐し続ける。天の智慧研究会が生み出した黒い炎とその身に宿す憎悪と共に。

「行くぞ、サラ」

「うん」

ロクスはサラと共にグレン達が進んで行った道に向かって歩き始める。



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生きたいと願う女の子

バークスを倒したロクスはグレン達がいる最奥の部屋に辿り着く。だが、ロクスが到着した頃には全てが終わっていた。

「おっ、ロクス。無事だったんだな」

「当り前だ」

あんな奴に負けるか、といつも通りの態度で言ってくるロクスにグレンは安堵する。少し離れた位置にいるアルベルトも何も言ってはこないが、問題がないことに小さく息を漏らしていた。

「……」

ロクスは周囲を見渡して状況を確認する。

護衛対象であるルミアはひとまず無事だ。制服が破られてはいるもしっかりと五体満足ある。リィエルはそのルミアに抱き着かれながら泣いているがロクスはそこは無視した。

それよりもやるべきことがロクスにはあった。

「おい、ロクス……?」

不穏な空気を察知したのか、グレンはロクスに声をかける。だが当の本人はそんなことお構いなしに捕虜として捕らわれているであろう青髪の青年に近づいてその心臓に剣を突き刺した。

「ガッ!?」

「おい!?」

あまりにも迷いのない動きにグレンは数瞬反応が遅れてしまった。

心臓に剣を突き刺されて引き抜かれると、青髪の青年の胸元から心臓の鼓動に合わせて物凄い勢いで血が溢れ出る。止まらない血液、明らかな致命傷。治癒の魔術も間に合わない。

「い、いや、だ……死に、たくない……死にたく……」

「死ねよ」

無情の刃が青髪の青年の喉に突き刺さり、青髪の青年は絶命した。

死を確認したロクスは剣を引き抜き、血を払う。

そこへグレンがロクスに問う。

「……なんで殺した?」

「殺さない理由があるのか?」

端的にそう返す。

「そいつにはもう戦う気力はなかっただろ! それに拘束もしていた! 捕虜として捕えた方が組織の情報も聞き出せたかもしれねえだろうが!?」

グレンの言うことも一理ある。

だが。

「それはお前が決めることじゃねぇだろ? 魔術講師」

「――ッ!?」

「戦う気力がないからなんだ? 拘束しているからどうした? それが殺さない理由になるのか? たかが魔術講師がそれを指示する権限があるのか?」

今のグレンはあくまで魔術講師。軍に所属していないグレンにそれを指示する権限はない。

「それにどうせ組織の外陣(アウター)。役に立つ情報を持っているとは思わねえ。なら殺しても問題はないだろ? 少なくとも俺は室長が殺すなと指示されない限りは躊躇うことなく殺す」

情報を聞き出す為なら殺すのは後回しにする。その後で殺す。その価値すらない者はその場で殺す。例え戦う気力がなくても、捕虜として拘束されていたとしてもロクスには関係ない。

グレンはアルベルトを見るもアルベルトは何も言ってこない。こうなることがわかっていたかのように。いや、分かったうえで黙認しているのだろう。それに気付いたグレンは思わずギリと歯を噛み締める。

(いや違ぇ。俺が甘かったんだ! ロクスの復讐心をまだ甘くみていた……ッ!)

己の失態に恥じる。

ロクスが天の智慧研究会に憎悪し、復讐心を抱いているのは知っていた。だけど捕虜として先に拘束していれば殺しはしないだろうと思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれない。もしくは自分の知っている誰かが殺しをすることから目を背けたかったのか……。

どちらにしてもグレンはまだロクスに宿す憎悪を甘く見ていた事実は変わらない。

「天の智慧研究会は殺す。それは組織に加担した奴も例外じゃねぇ」

ロクスは剣先をリィエルに向ける。

「待て!? どうしてリィエルまで!? リィエルはお前の復讐とは関係ねぇだろ!?」

「それをお前が言うか? 講師」

リィエルを庇おうとするグレンに対してロクスは呆れるように息を漏らす。

「お前を殺しかけたのは誰だ? レイフォードだろ? それに護衛対象であるティンジェルを天の智慧研究会に引き渡したのもレイフォードだ。今回の一件、一番の原因はこいつだ。違うか?」

「――ッ」

否定できなかった。

理由がどうであれ、リィエルは天の智慧研究会に加担したのは事実。裏切り行為であることは明白だ。

「待って! ロクス君!」

「待ってくれ! ロクス! 理由があるんだ!」

グレンは話した。リィエルのことについて。

リィエルは世界初の『Project:Revive Life』の成功例。シオンの妹、イルシアの『ジーン・コード』から、錬金術的に錬成された身体を持ち、イルシアの記憶情報『アストラル・コード』を引き継いだ魔造人間であること。そして先ほどロクスが殺した青年の名はライネル。シオンと共に『Project:Revive Life』を研究していた者でリィエルの記憶を封印・捏造されていた。その為にリィエルはライネルの言うことを逆らうことができなかったとグレンはロクスに語る。

「リィエルには何の罪もねえ。もし、罪があるとすればリィエルに何も告げなかった俺にある」

「グレン……」

「だから頼む、リィエルを殺さないでくれ……」

リィエルの裏切り行為はグレンがリィエルに対してその事実をうやむやにし続けてきたからこそ起きたことだ。だから今回の一件の罪はリィエルにではなく自分にあると告げる。

「……」

ロクスは剣先をリィエルに向けたまま何かを考えるかのように黙り込むと視線をグレンからリィエルに戻す。

「レイフォード。お前からは何か言うことはねえのか?」

「……わ、私は」

「俺はお前を殺すことに躊躇はない。何か言い分があるなら講師じゃなくてお前が言え」

安易な返答をすれば殺す。その瞳を向けられながらもリィエルは意を決したかのように口を開く。

「……私はグレンやルミア、システィーナに、酷いことをした」

理由はどうであれその事実は変わらない。だからその責任から逃れるのではなく受け入れる。

「だから謝りたい。謝って、またルミア達と一緒にいたい」

とつとつと不器用に思いの丈を述べる。そして――

「生きたい」

「―ッ」

その想いをロクスに伝える。

「まだ、なんのために生きたらいいのかわからなくなるけど、それでもグレンやルミア達と一緒に生きていたい」

生きたいと、ただ純粋にその想いを口にするリィエルにロクスは何も答えない。

説得に失敗したのか? とグレンは冷汗を流しながらいざという時は我が身をリィエルに盾になろうと身構える。手に愚者のアルカナを握りしめ、いつでも【愚者の世界】を起動できるように。

「ロクス君。ロクス君にとってリィエルは復讐の対象なの?」

リィエルを抱き締めながらルミアはロクスにそう問いかける。

「確かに私をここに連れてきたのはリィエルだよ。でも、リィエルはずっと苦しそうにしていた。自分の意志で、したくて私を連れてきてはいない。そうしないと何の為に生きているのかわからなくなるから……だからそうするしかなかったの」

この場に連れてきたのは間違いなくリィエル。しかし、ルミアは知っている。

リィエルがずっと辛そうにしていたことを。

「リィエルは敵じゃないよ。そしてロクス君の復讐の対象でもない。だからリィエルを殺さないで」

「ルミア……」

守るように、庇う様に復讐者(ロクス)を止めようと必死に言葉を選択して口にするルミア。それでロクスが止まるかどうかはわからない。けど、何もしないままでいるよりかは全然マシだ。

だが、剣を引く気配はない。とはいえ、リィエルを殺す様子もない。

ロクス自身に何か思うところがあるのか、悩んでいるのかはわからない。だけど説得させるには後一手足りない。そう思った時、グレン達にとって予想外な人物がロクスに問いかけた。

「ねぇ、ロクス。この子を殺しちゃうの?」

サラだ。ロクスの腕を掴みながらロクスを見上げるようにそう問う。

「話を聞く限りだとどちらかと言えばロクスと同じ被害者側の子だよ? この子を殺してロクスの復讐は果たせるの? 後悔しない?」

「……サラ。お前はどっちの味方だ?」

「もちろん私はずっとロクスの味方だよ。この先、何があってもロクスの味方でロクスの力。でも私はロクスの恋人で相棒。愛しい人が迷っているのなら声の一つぐらいかけるよ」

サラはただロクスの味方で力だけの存在ではない。

困っている時は手を貸し、辛い時は慰め、戦う時は共に戦う相棒だ。だから相棒として恋人として迷っている相棒(ロクス)に声をかける。

「間違いは誰にだってあるよ。それに生きたいと願う女の子をロクスは殺せるの?」

「……」

自身の相棒の言葉に何も答えず、無言を貫くロクスはただ黙って剣を下ろした。それに安堵するグレンやルミアはほっと一息。

「レイフォード。お前の命はそいつらに預ける。だが勘違いするな。次に裏切ったら俺は容赦なくお前を殺す。そいつらに感謝するんだな」

「……ん」

頷くリィエルに背を向けて入ってきた扉から出ていくロクス。そのロクスに続くように出ていくサラは顔だけ振り返ってウインクする。

(た、助けてくれたのかな……?)

きっとそうだろう。

どういう意図があって助けたのかはわからない。だけどきっとサラがロクスに声をかけなければどうなっていたのかはわからない。ロクスの相棒であるサラだからこそロクスは剣を収めたのだろう。

何はともあれ、これでようやく今回の事件の幕は閉じた。



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亡霊の言葉

東の空も白む明け方頃。

グレン達はルミアを連れて旅籠に帰ってきた。

リィエルはルミアに手を引かれてシスティーナの下へ向かい、謝罪して許しを得た頃。ロクスはグレン達がいない場所で一人、地面に座り込んでいた。

「ああ、クソが……」

顔中に脂汗を流しながら悪態を吐く。いつもの黒い炎の代償がロクスの身体を蝕む。

ロクスの黒い炎。

元はただの『発火能力』であったその異能は天の智慧研究会によって変質して黒い炎へとその姿を変えた。例外であるルミア以外、あらゆるものを焼き尽くすロクスの憎悪の象徴でもある黒い炎には代償がある。常に全身を焼き尽くされるような高熱で犯され、使えば使う程にその熱量が上がる。

特に使用直後は酷い。

極度の脱力感と倦怠感。まともに歩くことさえままならない。あらゆるものを焼き尽くす黒い炎。その強大で凶悪な異能を持つロクスの弱点ともいえる。以前の魔術競技祭の後、路地裏で身を潜めていたのはその弱点を秘匿する為でもある。

その弱点を知っているのは恩人であるリック。その経緯で知られることになったセリカとセシリア。後はアルベルト……そしてルミアぐらいだ。

時間が経つにつれて落ち着くとはいえ、こんな弱り切った状態で襲われでもしたら一大事。ロクスは暫く人目が届かない場所で身を隠そうと移動する。

その際、海が見えた。

『海が見てみたい』

それは少女(ラウレル)の願い。

あの施設から出ることが出来ればまだ一度も見たことのない海を見てみたいという願いを口にしていたその時の思い出が蘇る。

「クソッタレが……」

もういない少女。自分が殺したその女の子はここにはいない。海を眺めることもできずにこの世を去った。

ロクスは海から視線を逸らして人気のない場所に移動する。急いで行かないとまたあの女に弱みを握られてしまう。そう懸念しながら足を動かすが……。

「ロクス君!」

「……チッ」

案の定と言うべきか? ロクスはルミアに見つかった。

異能を使った後でどうなるか知っているルミアは心配になってロクスを捜しに来たのだろう。駆けつけてロクスに手を貸そうとするもその手を払われる。

「触るな……」

「でも、そんなことを言っている場合じゃ――」

「触るなって言ってんのがわからねえのか!!」

怒鳴り散らす様に大声を上げる。

その怒声に一瞬だけ怯むもルミアはその手を引っ込める。

「触ったりしないから傍にいさせて」

それでもルミアはロクスの傍から離れようとしなかった。地面に座り込むロクスの隣に同様に座り込むルミアにロクスは内心舌打ちする。

(本当にどうしてお前は……)

どこまでも彼女(ラウレル)に似ている。ずっと傍にいて励ましてくれた彼女(ラウレル)と同じ瞳と共にルミアはロクスの傍にいようとする。

だからこそ苛つき、思い出してしまう。彼女(ラウレル)のことを。

(本当に、なんなんだよ、お前は……)

ロクスだって理解している。ラウレルとルミアは別人だということぐらい。

だけどどうしても重ねてしまう。

彼女(ラウレル)と同じ優しい顔と慈愛に満ちたその瞳がどうしても彼女(ラウレル)を思い浮かばせてしまう。

今すぐにでもルミアをどうにかしたいロクスだが、今はどうすることもできない為にもう無視する方向で行こうと思っていると。

「ロ、ロクス君……」

不意にルミアが震えるような声で指を指した。

ロクスにではない。ルミアの指はロクスの隣を指している。なんなんだ? と思いながら顔を横に向けるとロクスの目は大きく見開いた。

「ラウ、レル……」

何故ならそこにはいない筈の少女がいるからだ。

『久しぶり。ロクス』

間違えるわけがなかった。

その顔、その声をロクスが見間違えるわけが、聞き間違えるわけがない。正真正銘、本物のラウレルだ。しかし、その身体は薄っすらと透けている。

(幽霊……いや、違う、これは……)

もう会うこともない筈の少女との再会に驚愕しながらも頭は冷静に回ってすぐにその結論に到達したのはひとえにロクスが誰よりも異能のことを、ラウレルのことを知っていて、魔術師としての才能があるからだ。

だからこそ断言できる。

この少女(ラウレル)は魔術的に説明がつくような存在ではない。正真正銘のラウレル本人だと。

そう、ラウレルはあの忌々しいあの施設でロクスを始めとした他の異能者と比べて珍しい異能を宿した存在。その異能の名は――

「……『霊体能力』。生物の構成要素であるマテリアル体とアストラル体を置いてエーテル体のみを離脱させて行動することができるお前の異能……」

掻い摘んで説明すれば幽体離脱と同じだ。

ロクスの『発火能力』のように直接的な攻撃はないが、幽体離脱している時のラウレルは自分からその姿を見せない限りは視認することはできない。

だけど――

「お前は死んだ……。いくら『霊体能力者』といえど、戻るべき器である肉体を失えば自動的にアストラル体は集合無意識の第八世界に、エーテル体は輪廻転生の円環へ回帰する……」

それは後にロクスが知った事実だ。

天の智慧研究会に復讐する為に、同時に魔術という力を手にする為に天の智慧研究会がロクスを始めとする異能者に行った実験の詳細について調べたことがあった。

いくらエーテル体がマテリアル体とアストラル体から離れていても問題ないとはいえ、戻るべき器が壊れていればそれは死と同義だ。

なのにラウレルはここにいる。生物の構成要素を二つも失った状態で。

「……いや、そうか。そういうことか」

ロクスは気付いた。気付いてしまった。

例外はロクス一人だけではないことに。

「俺の異能が変質したように、あの時、死んだことによってお前の異能も変質したということか……」

『うん』

彼女(ラウレル)は肯定した。

肉体はなくても変質した異能によって自我や思考を保ちながら生き永らえることができた少女(ラウレル)にロクスは憎悪に満ちた眼差しで少女(ラウレル)を睨みつける。

「……今更、俺に何の用だ? 亡霊」

その睨みだけで人を殺せるかのような鋭い眼光。それを一身に受けながらもラウレルは口を開く。

『ロクス。復讐はもう止めて。私達はそんなこと望んでいない』

言えなかったことがやっと言えたかのようにラウレルは言葉を続ける。

『本当はすぐにでも会いたかった、伝えたかった。けど、今の身体を維持するのが精一杯で姿を見せることも言葉を伝えることもできなかったの。でも、やっと、やっと言える……』

ラウレルは伝えたかった想い(ことば)をロクスに伝える。

『私達の事は忘れて、生きて幸せになって。もう過去に、憎しみに囚われないで。それ以上、茨の道を進まないで』

死して尚、伝えたかった想い(ことば)

復讐に、憎しみに囚われることなく、一人の人間として幸福の道を進んで欲しいと願う少女(ラウレル)想い(ことば)を耳にしたロクスは……。

「……ふざけてんのか?」

かつてない怒りを露にしていた。

「いまさら出てきて復讐を止めろ? 生きて幸せになれ? 茨の道を進むな? ふざけるのも大概にしろ!! それならどうしてあの時、俺にお前を殺させた!?」

腹に渦巻く厭悪のままロクスはラウレルに向かって叫ぶ。

「誰よりも生きたかったのは誰だ!? 俺達の前では気丈に振る舞いながらも、死にたくないって陰で泣いていたのは誰だ!? 誰よりも外の世界を、夢を、未来を語っていたのは誰だ!? お前だろうが!?」

黒い炎の代償で弱っている筈の身体など無視してロクスは憤りのままに叫び散らす。

「それなのにお前は死ぬことを選んだ!! 希望を与えるだけ与えて自分勝手に死んだ女が復讐を止めろだと!? ふざけんな!! 悲劇のヒロインでもなりたかったのか、自己犠牲を良しとする聖女にでもなりたかったのかは知らねえがな、お前は俺を裏切った!!」

腹の底から怒りをぶつける。

「生きて欲しかった! 何を犠牲にしてでもお前だけは生きていて欲しかった!! お前が生きていてくれるのなら俺は死んでも良かった!! 両親も帰るべき居場所も無くなった俺なんかよりもお前に生きて、幸せになって欲しかった……! 欲しかったんだ……」

「ロクス君……」

ルミアから見てロクスが今、どんな顔をしているのかわからない。だけどその背はまるで小さな子供が泣き叫んでいるように見えた。

「……消えろ」

告げる。

「もう二度と、俺の前に現れるな。亡霊と話すことなどもうない」

『ロクス、私は――』

「消えろ!!」

再度、告げる。

もうこれ以上の会話は無理だと判断したラウレルはその姿を消していく。

『……最後に、これだけは言わせて』

ラウレルはルミアを見てロクスに言う。

『ロクスの異能がルミアに効かなかったのはロクスにはまだ復讐に染まらない誰かを思いやれる人の心があるから。それを忘れないで』

それだけを告げてラウレルは姿を消した。

少女(ラウレル)が消えて静寂が二人を包み込む。ルミアはどうにかしようと声を出そうとするも。

「何も、言うな……」

「ロクス君……」

「何も、言うな……」

これ以上誰かと言葉を交わす余裕などないかのようにそう告げるロクスの背にルミアはそっと手を当てる。少しでも力を込めれば壊れてしまうものでも触れているかのように優しく触れるルミアは何も言わなかった。そしてロクスもその手を払うことはなかった。

(生きたいのに死ぬことを選ぶ……だからロクス君は私のことが嫌いなんだ……)

彼女(ラウレル)と同じ選択を選ぼうとするから。



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何もない墓

――‶汝望まば、他者の望みを炉にくべよ〟

魔術師を目指すならば、誰もが最初に教わる言葉。他者の望みを蹴落とし、踏み躙り、目的の為に優しさや甘さを捨て切れるか? 良くも悪くもそれが魔術師の本質。

そしてロクスの父親、ウィルマ=フィアンマはお世辞にもそんな魔術師と呼べるような人間ではなかった。一応程度の貴族の爵位を持ち、アルザーノ帝国魔術学院を卒業した身ではありながらも位階は第三階梯(トレデ)のまま経歴も平凡の一言。

唯一、特徴を上げるとすれば優しいの一言だ。お人好しとも言える。

他者の望みを蹴落とし、踏み躙り、目的の為に優しさや甘さを捨て切ることができない人間。それがロクスの父親だ。アルザーノ帝国魔術学院を卒業後は魔導官僚で働き、同じ職場で出会った異性と恋仲となって夫婦となって妻、マインは子供を身籠った。

そうして二人の間に生まれた子供がロクスだ。

「お父さん、みてみて~」

それはロクスが生まれて五年の月日が経った頃、ロクスが初めて異能を行使した時、ロクスはまだ異能のことがわからず、優しい父親と同じ魔術が使えたのだと勘違いしてその異能を父親に見せた。

ウィルマは自分の息子が異能者だと知り、驚きを隠せれなかった。

アルザーノ帝国では異能は『嫌悪』の対象。差別と迫害の対象に成り得る。それを理解しているからこそウィルマは息子に強く異能を人前で使わないように言い聞かせた。

自分の息子が異能者でもウィルマとマインは変わらずの優しさと愛情を与え、ロクスを育てた。幸いにもロクスには魔術師としての才能があった。魔術の研鑽を積ませれば異能を誤魔化すことができると思い、二人はロクスに魔術を教えることにした。

だが、それから三年後、二人は天の智慧研究会の手によって殺されることをこの時はまだ知る術がなかった。

 

 

 

 

「……久しぶりに見たな」

『遠征学修』からフェジテに帰ってきたロクスは久しぶりに夢の中で両親と会った。今でも覚えている。両親の優しい顔に頭を撫でてくれた時の感触、愛情のその全てを鮮明に思い出すことができる。

だけどもう二度と、二人の優しい顔を見ることはできない。

「学院も休みだし、墓参りぐらい行くか……」

久々に両親の墓参りに行こうとロクスはシャワーを浴びて着替えて部屋を出る。

ロクスは北地区にあるアパートに住んでいる。前までは東地区にあるリックの屋敷で生活していたが、魔術学院に入学すると自分の面倒は自分で見ると、リックの屋敷を出て行った。

リックもそんなロクスを思って毎月お金は送ってはいるもロクスはその金には一度も使っていない。

金を稼ぐ手段なんていくらでもある。魔術師であれば余計に。だからロクスは金銭には困っていない。

両親の墓場に行く道中でロクスはある場所に足を止める。

そこには何もない。いや、正確にはあった場所だ。

かつてロクスが家族と一緒に過ごしていた家がそこにあった。だけど今では何一つ残っていない。

「……」

何も言わず、無言で再び足を動かすロクスは両親の墓がある墓地までやってきた。

「……久しぶり」

返って来るはずもない返事。ロクスは両親の名が彫られた墓石をじっと見つめる。

(この中には何もないが……)

墓の下には両親の遺体どころか、遺骨も遺品すらも入っていない。あの日、ロクス以外の全ては燃え散った。両親の遺体さえも骨も残らずに。あるのはロクスの記憶にある思い出だけだ。

「花はまだ供えない。全てが終わって生きていたら供える」

天の智慧研究会に復讐する。それが終わるまでロクスは両親の墓に花を供えない。けど、誰かが既に二人の墓に花を供えてくれている。それもまだ新しい。

「もう父さん達が死んで何年も経つのにまだ花を供えてくれる人もいるんだな」

誰よりも優しい両親であるのならそれも納得だ。

きっと多くの人に慕われている。亡くなった今もこうして花を供えてくれるほどに。

誰かはわからない。けど、まだ両親のことを覚えてくれているのならそれは嬉しいことだ。

「父さん。優しい父さんならきっとあいつと同じことを言うだろうな。復讐を止めて自分の幸せを手にしろって。わかっているよ、父さんも母さんもそういう人だから」

両親が生きていたらきっと止めるだろう。復讐という茨の道を進もうとする馬鹿な息子を体を張ってでも止めようとする。

「復讐なんて無意味だ。仮に復讐を果たせたとしても何も戻って来ない。そんなことわかってる。そんなことをしても誰かが生き返るわけじゃない」

そんなことは他の誰よりもロクス自身が理解している。

「だけど許せるわけがない。天の智慧研究会が今も生きているだけで殺意が憎悪が湧き出て仕方がない。奴等を地獄の業火で焼き尽くその時までこの憎しみは消えない」

グッと手に力を入れる。

「俺はきっと二人と同じ所には行けない。それでもいい。奴等に報いを受けさせるのなら、復讐を果たし、この憎悪を晴らせるというのなら俺は地獄(ゲヘナ)にだって落ちる覚悟はできている」

己の誓いを再度確認するかのように両親の墓でその決意を口にする。

「父さん。父さんは優しい人だったよ。魔術師とは思えないぐらいに優しい人。でも、俺は知ったんだ。優しいだけじゃなにも守れないし誰も救えない。だから父さんは……」

そこから先は言えなかった。いや、言いたくなかったのかもしれない。

そこで言葉を途切らせてロクスは踵を返す。

「優しさはここに置いていく。復讐を果たすのにそれはいらない」

最後に。

「親不孝な息子で、ごめん」

それだけを言い残してロクスはこの場を後にした。

(これでいい……俺は復讐の為に生きると決めた。その為に力を求める)

それが何の意味のない行為だったとしても内に宿る憎悪の炎を消すには天の智慧研究会を殺すしかない。

(殺す。殺し尽くす。奴等を、天の智慧研究会を一人残らず焼き尽くす。奴等が生み出したこの黒い炎で……ッ!)

誰がなんと言おうとも復讐を果たす。それがロクスの誓い、ロクスの生きる道。



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一人の法医師

『遠征学修』を終えて再びアルザーノ帝国魔術学院に戻ってきたロクス達はまたいつもの学生生活に励んでいた。ロクスもまたいつものように自分の席で力を得る為に魔術の研鑽を積み上げている。

アルベルトに鍛え上げられ、固有魔術(オリジナル)まで完成されたロクスであっても現状で満足などしていない。復讐を果たす為には更なる力が必要だ。だからロクスの休む暇などありはしない。

そんなロクスでも定期的に足を運ばなければいけない場所がある。

そこは――医務室だ。

「また、無茶を……」

柔らかな髪を緩く三つ編みにした、線の細い、いかにも儚げな印象の年若い女性――セシリア=へステイア。学院の医務室に勤務する法医師はたった今、検査が終えたばかりの生徒に対してなんとも言えない声を出す。

「別に無茶っていうほどじゃねえ」

そのセシリアの言葉に対して問題ないかのように答える生徒、ロクスはそう答えた。

「ロクス君。何度も言いますがロクス君の身体はまだ完全に癒えたわけではありません。今はまだ魔術薬で無理矢理誤魔化しているだけで本来であればきちんと治療を受ける為にも入院してしっかり検査を受けた方が……」

「そんな暇はねえ。それにちゃんとあんたの言いつけは守ってる」

制服の袖に腕を通しながらロクスは言う。

「俺は強くならなきゃいけねえ。天の智慧研究会に復讐する為には力が必要だ。その為なら無茶の一つや二つなどするし、復讐を果たせるのならこの身体が壊れようが構わねぇ」

「ロクス君……」

出会った当初から変わらないその瞳。

法医師として、一人の大人として無理矢理にでもロクスを拘束して病院に連れて行くべきなのだろう。だけど、その程度でロクスが止まるわけがないことをセシリアは理解している。理解しているからこそできない。

セシリアができることと言えばこうして定期的にやってくるロクスの身体を治療し、魔術薬を手渡してあげるぐらいだ。

「あんたには世話になっているし、学院長同様に感謝もしている。だけどこれだけは絶対に譲れない」

治療が終えていつもの魔術薬を手にしたロクスは医務室の扉に手をかける。

「世話になった。また来る」

最後にそれだけ告げて医務室を後にするロクスにセシリアは息を漏らす。

「法医師、失格ですね……」

ロクスの身体も心も治すことができない自分の未熟さを嘆くセシリアは今でもあの時のことを鮮明に思い出せる。

それは数年前、学院長であるリックがロクスを連れてきた時のことだ。

『セシリア先生。この子を!!』

リックが抱えて来たその子供は余分な肉はなくまるで皮と骨だけの傷だらけの身体。いったいどんな生活をしていればこうなるのか、セシリアは目を瞬かせた。

無論、セシリアはすぐに子供を治療した。だけどそれと同時にわかってしまう。身体の傷もそうだが、内臓もボロボロ。辛うじて機能している程度だ。

死が目前。いや、殆ど死んでいるような子供はいつ死んでもおかしくなかった。治療そして療養に全力を尽くしているセシリアでさえも死んでもおかしくないと思えるほどに。

それでもその瞳は死んでいなかった。

何が何でも生にしがみつく。生き残る意志の強さだけがロクスを生かした。

「皮肉ですね……。彼が復讐に囚われているからこそ生を繋げることができたなんて……」

復讐を果たすまで死ねない。

その強烈なまでの復讐心がロクスを生かす糧となった。その後の辛いリハビリも乗り越えられて今に至る。もし、その復讐心がなければロクスはあのまま死んでいたかもしれない。

(だけど、それでも……)

まだロクスの身体は完全に癒えたわけではない。

今は魔術薬を飲ませ、定期的に健診を受けさせることで生活できてはいるが、それがなければまた身体を壊してしまうが、そこはセシリア自身がどうにかできるからあまり問題ではない。

問題があるとすれば……。

(私ではロクス君の心まで治すことはできません……)

一番重症であるロクスの心。

復讐を果たす。その為に何度も何度も無茶な訓練を繰り返し、寝る間も惜しんで魔術を研鑽し続けてきた。その過程で何度倒れようとも、何度注意を受けても、それを止めることはなかった。

(もし、ロクス君の心を救える人がいるとすればきっと、寄り添ってくれる誰かなのでしょう)

ロクスを想い、無償で傍にいてくれる誰か。

ロクスにはきっとそういう人が必要なのだとセシリアはそう考えている。

そうでなければきっとロクスは止まらないし、止められない。

「せめて、私にできることを……」

自分がロクスにしてあげられる最大限のことをしてあげよう。セシリアはそう決めた。



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貫く覚悟

いつも通りの日常、学院生活に戻ってきたグレン達だが、ある変化が訪れた。

レオス=クライトス。

有力領地貴族の家の一つであるクライトス伯爵家の次期当主候補の一人であり、アルザーノ帝国魔術学院に次ぐ第二の魔術の学舎であるクライトス魔術学院の講師を務め、魔術師としても一流。

魔術研究にも実に精力的で、最近では軍用魔術に関する画家的な研究成果や論文をいくつも発表し、そのどれもが高い評価を得ている。

帝国総合魔術学会に学会員として所属している魔術師ならその名を知らない者はいない英傑。

そのレオス=クライトスが急遽、一時的にアルザーノ帝国魔術学院の講師を務めることになった。

アルザーノ帝国魔術学院の講師の一人が急病で倒れ、その療養の為に一時休職。その穴埋めに学院長であるリックがダメ元でクライトス魔術学院に打診したら予想外な人物が派遣されてきた結果となった。

そしてレオスはシスティーナの婚約者(フィアンセ)でもある。

更にレオスの開設した専門講座―――その名は『軍用魔術概論』。

教壇に立ったレオスは軍の一般魔導兵の半分以上が、イマイチ理解していない物理作用力理論(マテリアス・フォース)を生徒達に完璧に理解させるほどにレオスの講座は完璧であった。

(へぇ……)

他者に興味がないロクスでさえもレオスの授業には感心を抱くほどに。

しかし、それをよく思わない人達もいる。

(レオスのやつ……確かにスゲェ授業をする。だが……いくらなんでも、この内容はまだ早過ぎるだろ……ガキどもに教えるのは……)

魔術を志す者のほとんどが、大なり小なり自己顕示欲の塊だ。普通の人間とは一線を画した自分、他者が持ち得ない強大な力をもった自分というものに憧れ、そんな自分にひとり悦に入る。

だから、今日のレオスの授業は――まだ新米の魔術師に過ぎない生徒達には、さぞ麻薬のように心へ深く染み入ったことだろう。

出来の良い生徒ならば、たとえ【ショック・ボルト】のような初等呪文でも、やり方次第で人を殺せることに気付いてしまったはずだ。

(……こいつらはまだ大きな力を持つ意味も、その行使がもたらす結果も、知識として知っているだけで、何一つ実感が伴っていないんだぞ……? あいつほどの魔術師にそれがわからないはずないだろうに……)

不機嫌そうに頬杖をつきながら、グレンが一人、悶々としていると。

「やっぱり、先生はこういう授業、あまり認めたくありませんか?」

そんなグレンを気遣うように、ルミアが曖昧な笑みを浮かべながら、囁いた。

「……私も思ったんです。まだ、私達には……過ぎた力だなって」

「……」

「気を付けないといけませんよね……大きな力には。先生が常日頃、力の意味と使い方をよく考えろ、力に使われるな、と口を酸っぱくして仰っていますけど……今はなんとなく意味がわかる気がします」

グレンはちらりとルミアを横目で流し見た。

「大丈夫ですよ、先生。少なくとも先生の教えを受けた生徒で間違える人は、きっといません。ご不安になるのはわかりますが、もっと私達を信じてください」

そう言うルミアは、花のような笑顔で……

「なに温いことを言っていやがる」

二人の会話に割り込むようにロクスが口を開いた。

「過ぎた力? なら何時になったらその力を扱える? そんな悠長なことを言っている余裕がお前にあるのかよ? ティンジェル」

「ロクス君……」

「どんな力だろうが使うのは自分の意志だ。そんな温いことを言っている暇があるのならもっと力を磨くべきじゃねえのか? まぁ死にたがりのお前に言っても無駄だろうが」

「おい、ロクス……」

流石に言い過ぎだとグレンが言おうとする前にロクスは今度はグレンに言う。

「講師。お前も過保護過ぎなんだよ。どんな力を身に付けようが、使おうがそいつの責任。何が起ころうが、そいつがどうなろうとも自己責任だろ」

「それは……」

ロクスが言うことも間違いではない。万が一に身に付けた力で何かしでかした人がいたとしてもそれは力に酔ってしまったその人の責任だ。

「力は所詮力でしかねえ。どう使うかは自分で決めることだ」

それだけ告げて席を立つ。

 

 

 

 

 

「俺が見事、白猫とくっついて逆玉の輿、夢の無職引きこもり生活をゲットするために――今からお前らに魔導兵団戦の特別授業を行う!」

「「「「ふっざけんなぁああああああああああああああああああああああ――――ッ!?」」」」

教壇に立つや否や、突然の授業変更を宣言したグレンに、突然クラス中が非難囂々となった。

何故、突然グレンがそんなことを言い出したのか? それには理由があった。

レオスがシスティーナに結婚を申し出たが、システィーナは祖父との約束、メルガリウスの天空城の謎を解いてその城に辿り着くという約束がある。その為にもまだ結婚はできないとその申し出を断る。

しかしレオスはシスティーナに女としての幸せを掴んで欲しい為に魔導考古学から手を引くように説得するも、システィーナも己の夢を諦めることはできなかった。

そこでグレンが割って入った。

だけどこれはフィーベル家とクライトス家の問題であってグレンが割って入り込む余地はなかった。なかったのだが……そこでシスティーナがグレンは将来を誓い合った恋人同士だと宣言してしまった。

それによりレオスとグレンはシスティーナを賭けた決闘を行うようになり、その決闘の内容が『魔導兵団戦』である。

グレンは逆玉の輿の為に魔導兵団戦の授業を行おうとするが。

「勝手にやってろ」

下らないと言わんばかりにロクスは席から立ち上がった。

「お、おい、ロクス。気持ちはわかるけど、これにはシスティーナの結婚がかかってんだぞ?」

そのロクスを止めようとカッシュが勇気を出して声を出すも、ロクスは息を漏らしながら言う。

「ならそのクライトスって奴と結婚でもなんでもしちまえがいいじゃねえか」

あっさりとそう言ってのけた。

「おい、フィーベル。お前は何がしたいんだ?」

突如、システィーナに声を飛ばすロクスだが、その意味が分からずにシスティーナはただ怪訝する。

「お前の夢とやらはうざいほどに耳に入るからよく知っている。ならどうしてその夢を他人に委ねる真似をしやがる?」

「ゆ、委ねてなんかいないわ! 私はただ――」

「委ねているじゃねえか、そこの講師に。そして俺達を巻き込んでいやがる。本当にお前が自分の夢を諦めていなかったらお前を賭けた決闘なんてなかったはずだろうが」

「――ッ」

確かにそうかもしれない。

システィーナが自分の夢を絶対に諦めない強い意志をレオスに示していれば結婚を諦めてくれていたかもしれないし、グレンが割って入ることもなかったかもしれない。

少なくともクラスメイトを巻き込むような決闘を行うことはなかっただろう。

「お前の夢も他人に委ねてもいい程度の覚悟ならいっそのこと諦めて女の幸せでも手に入れてろ」

「お前、そんな言い方はねえだろ!!」

カッシュがロクスの胸ぐらを掴み上げて憤る。

同じクラスメイトとしてシスティーナの夢はよく知っている。それはカッシュだけでなくこの二組全員がそうだ。だからそんなことを言うロクスの言葉は許容できなかった。

しかし、ロクスにはそんなことどうでもよかった。

「離せ」

ドス、とロクスの膝がカッシュの腹部に叩き込まれる。

「がは…」

「カッシュ!?」

膝をついて腹を抱えながら身を丸くするカッシュにセシルが駆け寄るもカッシュはロクスを見上げるように睨みつける。

「てめぇ……ッ!」

怒気を込めて睨みつけるカッシュの眼差しをロクスは悠然と受け止めて睨み返す。

「‶汝望まば、他者の望みを炉にくべよ〟。自分の意志も望みも貫く覚悟もない怠惰的な奴に使ってやる力も時間も俺にはない。友情ごっこはお前等だけでやっていろ」

そう言ってロクスは教室から出て行った。

静まり返る教室のなか、徐々にロクスに対する怒りがふつふつと湧き上がる。

「なんだよ、フィアンマのやつ……」

「……少しはいい奴と思っていたのに」

「あそこまで言う必要あるのかよ……」

眉間を怒りで歪ませ、怒りや不満を口にする二組の生徒達。それを口にしない生徒達も口を真一文字に引き結んでいる。

「システィ……」

「大丈夫。私は大丈夫よ、ルミア……」

心配してくれる親友にシスティーナは気丈に振る舞いながらもロクスの言葉に何も言い返せなかった自分に憤りを募らせていた。

(悔しい……私は、ロクスの言葉に何も言い返せなかった……ッ!)

――‶汝望まば、他者の望みを炉にくべよ〟。

魔術師を目指すならば、誰もが最初に教わる言葉。その意味もシスティーナは知っている。けど、それだけだ。システィーナにはまだ己の望みの為に他者の望みを蹴落とし、踏み躙り、目的の為に優しさや甘さを捨て切れる覚悟がなかった。だからこそ、ロクスの言葉に何も言い返せなかった。



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不器用な想い

アルザーノ帝国魔術学院の二組はグレンの指導の下で魔導兵団戦の訓練に励んでいる。

「ふぅ……」

ルミアもまたクラスメイトと一緒に魔導兵団戦の訓練に励むもその顔から疲労の色が見え始める。

「ごめんね、ルミア。無理させちゃって」

「ううん。私こそごめんね。システィについて行けなくて」

親友を賭けた決闘だというのにこの程度で親友の足を引っ張ってしまうルミアは申し訳なさそうに謝るもシスティーナは首を横に振る。

「謝らないといけないのは私の方よ。ルミアは休んでいて。飲み物でも持ってくるから」

「うん」

訓練に無理をさせてしまった親友を休ませようとするシスティーナは飲み物を持ってこようとその場から離れ、ルミアは親友の気遣いを無駄にしないように休むことにする。

呼吸を整えながら他に訓練に励んでいるクラスメイト達に目を配らせるルミアはやはり思ってしまう。

(いないよね、ロクス君は……)

ロクスはこの場にはいない。

システィーナがレオスと結婚しても本当にどうでもいいのか、ここにはいない。それどころかここ最近では学院にすら顔を出していない。

それでも、もしかしたらとつい探してしまう。

(ロクス君はどうしてあんなことを……)

システィーナに向けて暴言にも等しい乱暴な物言い。暴言自体は今更の話だけど、その言葉もあってか、システィーナは誰よりも訓練に熱を入れている。そのせいもあってルミアはシスティーナに動きについて行けないでずにこうして休んでいる。

だが熱が入っているのは何もシスティーナだけに限った話ではない。

二組の全員は大なり小なり、ロクスの影響を受けているのが見て分かるほど。その影響は決していい影響とは言い難いけど強くなろうとする気持ちは確かなものだ。

「ほっほっほっ、皆、頑張っているようじゃな」

「学院長……」

突然の学院長の登場に思わず姿勢を正すルミアだが、リックはそれを止める。

「そのままで構わんよ。ちょっと生徒達の様子を見に来ただけじゃからな」

そう言って二組を見渡すリックは当然のようにあることに気付く。

「やはりロクス君はおらぬか」

わかっていたとはいえ、実際にいないとなるとリックは困ったように笑う。

「あの、学院長。ロクス君は……?」

「うむ。実は暫く学院を休むと連絡があってな。理由を聞いても返事すら返してくれんのじゃ」

それでも休むことを連絡している辺りはまだマシなのだろう。

(もしかして……)

ルミアはロクスが学院を休んでいる理由は何となく察した。恐らくは特務分室としての仕事なのだろうと。

「まぁ、ロクス君のことだからひょっこりと顔を出すじゃろう」

ああ、ありそう。とルミアは思った。

たぶん、魔導兵団戦が終わった頃には何食わぬ顔でいつも通りに学院に来る姿が容易に想像できてしまった。そこでルミアは学院長であるリックにあることを尋ねる。

「あの、学院長。ロクス君はその、どうして……」

誰かを傷つけるような、乱暴な物言いをするのか。そう尋ねるルミアにリックはふむ、と頷いて口を開く。

「そう思うのも当然じゃ。だが、どうか勘違いしないでおくれ。ロクス君は別に好きで言っているわけではないのだよ」

優しく諭すかのような口調でリックは語る。

「ロクス君はあまりにも傷つき、失い過ぎてきた。だからこそ、自分と同じ想いをさせないように相手を傷つけてでも強くさせようとする。自分が恨まれ、憎まれようとも構わずにその者を奮い立たせようとする」

それは一種の発破の類だろう。

相手を傷つけ、反感を買い、恨みや憎しみを向けられながらもその相手を強くさせようと奮い立たせる。今の二組と同じように。

「無論、ロクス君が意図的にそんなことをしているわけではない。そんなことができるほどあの子は器用ではないからのぉ」

むしろ不器用じゃ。とリックは言う。

「単純に苛立って仕方がないのじゃろう。黙って見ることもできず、かといって言葉で分からせてあげることもできないからこそそういうやり方を取ってしまう」

それは確かに不器用ではある。

だけどそれは悪い言い方をすれば傷つけてまで自分の価値観を押し付けているだけだ。それが許される道理はどこにもない。

それでもロクスは無視することも黙っている事もできない。

「ロクス君自身も理解しておるはずじゃ。それが不器用なやり方であることも、ただ悪戯に相手を傷つけているだけだということを。それでも失うよりかは傷ついた方がマシなの思っておるのじゃろうな」

「……それは、誰も失わせないように、死なせないように強くさせようとしている、ということですか?」

「確証はないがのぉ」

リックの言葉にルミアは思い出した。これまでのロクスの暴言を。

あまりにも傲慢で乱暴な暴言。ルミアも散々言われている。

だがそれは全て強くさせようとする発破の類だとすればどうだろうか?

失うぐらいなら傷ついた方がいい。

傷つかなければ人は強くなろうとしない。

弱ければ全てを奪われるだけ。

失わせないように、死なせないようにする自分の価値観を押し付ける身勝手な我儘。

「とはいえ、わしも本当のところはわからん。ロクス君は自分の本心を決して語ろうとはせん。けどな、ルミア君。そんなわしでも言えることが一つだけあるのじゃよ」

リックは微笑みながらルミアに告げる。

「ロクス君は君のことを嫌ってはおらん。むしろ誰よりも心配しておる」

「え……?」

嫌いだとロクスから散々言われてきたルミアはただ驚いた。

「見ていられないのじゃろう。ルミア君のような優しい子が自分よりも他人を優先してしまうのが。だからこそ、必要以上につっかかってしまう」

「あ……」

『それなのにお前は死ぬことを選んだ!! 希望を与えるだけ与えて自分勝手に死んだ女が復讐を止めろだと!? ふざけんな!! 悲劇のヒロインでもなりたかったのか、自己犠牲を良しとする聖女にでもなりたかったのかは知らねえがな、お前は俺を裏切った!!』

ロクスがラウレルに向けて叫ぶように言ったその言葉。

その少女に似ているから、重ねてしまうから、想起させてしまうからつっかかってしまう。それが、自分勝手な嫌悪感と自分のことも大切にして欲しい想い。それが交ざり合って愛憎に近い感情をルミアにぶつけてしまう。

それがルミアにとっても普通の人にとってもはた迷惑なものには違いない。それでもロクスはもうそうすることしかできないかのようにロクスは他者を傷つけようとする。

ロクス=フィアンマは弱さを決して許さない。

自分に対しても他の人に対しても。

だからこそ傷つけても強くさせようとする。

それがロクス本人ですら気付こうとしないほどの叱咤激励(いかり)

「本当に君のことを嫌っているのなら無関心になれば楽なはずじゃ。それに気付かず、嫌悪感を剥き出しにするのはそれだけ君のことが放っておけぬということじゃろう。まぁ、その真意はわしにもわからぬが」

「……」

その真意はルミアはなんとなくだけど理解できた。

自分を犠牲に死を選択した少女(ラウレル)と似ているから。ただそれだけだ。自分勝手な感情をルミアに押し付けているに過ぎない。だけどそれだけロクスにとって大切な存在だったということだ。

「ルミア君。君はもう少し自分の気持ちに正直になったほうがよいな」

「え?」

「ロクス君は誰よりもそういうのに敏感じゃ。誰かの為に自分の気持ちを偽ることなどせんよい。子供の笑顔を守るのは大人の義務なのだから」

「学院長……」

穏やかに微笑みながらリックはルミアにそう告げる。

「最も子供、息子一人も笑顔にしてやることもできんわしには過ぎた言葉じゃが」

リックは一度もロクスの笑顔を見たことはない。もう笑うことなどできないかのようにいつも険しい顔をしている。そんな自分に不甲斐無さを覚える。

「ルミアー!」

「システィ……」

両手に飲み物を持ってルミアの下に駆け寄ってくるシスティーナを見てリックはその場を去ることにした。

「ふむ。これ以上は邪魔になってしまうのぉ。ではルミア君。頑張りなさい」

「はい。あの、学院長」

「ん?」

「ロクス君は学院長にとても感謝していると思います。学院長がロクス君を大切にしている気持ちは本当なのですから」

そうでなければロクスがリックの言葉を聞いたりはしない。少なからずの感謝や恩義を感じているからリックの言葉には従っているのだから。

「ありがとう、ルミア君」

励ましの言葉を送ってくれたルミアに礼を告げてリックは今度こそその場を去った。

「お待たせ! ルミア! さっき学院長がいたみたいだけど」

「うん。訓練頑張ってって励まされたんだ」

そうなんだ、と納得する親友から飲み物を受け取るルミアはリックが去った場所をもう一度見て思う。

(親子だな……)

ロクスもリックも心の内側を見透かしているかのような物言いにルミアはふとそう思った。



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天使の塵

システィーナ達が魔導兵団戦の訓練に励んでいた頃、ロクスはアルベルトと共にとある調査に駆り出されていた。

「えげつないな……」

眼前に転がる変死体を見てぽつりとそう口から漏れる。

血まみれで、生前どのような容姿をしていたのか判別困難なほど全身が崩壊している。全身から噴水のごとく派手に出血したらしい……壁にはドス黒い血が付着している。

「これが件の『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の影響なのか? フレイザー」

「ああ」

アルベルトは短く肯定する。

天使の塵(エンジェル・ダスト)。それは錬金術の悪夢とも言われている最悪の魔薬(ドラッグ)だ。

被投与者の思考と感情を完全に掌握し、筋力の自己制限機能を外し、ただ投与者の命令を忠実なまでにこなす無敵の兵士を作ることを目的として開発された魔薬(ドラッグ)

一度この薬を投与された人間は廃人と化し、もう二度と元には戻らない上、定期的に『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を投与されなければ、たちどころに凄まじい禁断症状と共に肉体が崩壊し、死に至る。投与を続けてもいずれ末期中毒症状で死に至る。

たった一度の使用で、肉体的に生きてはいても、人としては死んだも同然となる。

この魔薬(ドラッグ)の中毒者は、死霊術師(ネクロマンサー)が使役する屍人(ゾンビ)と似たような存在でありながら、生み出すのに、死霊術のような手間暇かけた儀式がまったく必要ない。

他者に投与するだけで、屍人(ゾンビ)同然の強力な下僕を、お手軽に量産できる凶悪極まりない魔薬(ドラッグ)であるがゆえに―――皮肉をこめてこう呼ばれるのだ。

死者を迎えに来た天使の羽粉――すなわち、『天使の塵(エンジェル・ダスト)』、と。

(これが実験動物(モルモット)時代に使われなかったのは不幸中の幸い、か……)

それを聞いてロクスは真っ先にそう思った。

たまたま目を付けなかっただけか、それとも使おうとは思わなかったのか、その意図を知る術はもうないが、もしも使われていたらロクスはここにはいない。

「だけど資料では『天使の塵(エンジェル・ダスト)』は一年前の事件で失伝魔術(ロスト・ミスティック)になって研究資料と製法は全て抹消されたはずだろ?」

「そのはずだ。だが現実は違う。再びこうして『天使の塵(エンジェル・ダスト)』が使われている以上、調べる必要がある」

「面倒くせぇ……」

思わずぼやく。

ロクスは一時的に王女の護衛任務を解任し、今回の調査に参加させられている。

政府上層部はこの事態をかなり重く見ている。軍は勿論、魔導省の高級官僚達も総出で、この事件の調査に当たっているほどに。軍に所属しているロクスがこの場にいるのはある意味、当然のことかもしれない。

「その『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を作れる奴はいねえのか?」

「『天使の塵(エンジェル・ダスト)』は高度な錬金術知識を要する。その製法も複雑怪奇で正確な製法抜きでは再現はできん」

「あんたでもか?」

「ああ。だが、一年余前、その製法を自身の頭の中だけで完全把握していたあの男はグレンと……セラが始末した」

「そうか」

セラ、という名に心当たりはないロクスだが、特に気にすることはなかった。

アルベルトの表情からその事件で死んだのだろうとなんとなく予想ができたから。

「そいつが生きている可能性は?」

魔術師にとって生死を誤魔化す術は掃いて捨てるほどある。だから何らかの方法で生き延びていてまた今回のような事件を起こしているのではないかと一考した。

「ない……とは断言はできん」

変死体を見てアルベルトはそう答えた。

天使の塵(エンジェル・ダスト)』などという高度な錬金術的知識が必要になる魔薬(ドラッグ)を製法できる人間など限られている。

(だけど、それなら目的はなんだ?)

仮にアルベルトが言うあの男が生きていたとするのならその目的がわからない。ただの無差別な殺戮が目的ならもっと死者が出ていてもおかしくはないし、発見された変死体からも共通点が見当たらない。

天使の塵(エンジェル・ダスト)』などという魔薬(ドラッグ)をただの一般人に使用してまで何がしたいのか、ロクスにはその目的がわからなかった。

(帝国の戦力を削ぐのなら一般人を殺す理由がない。攪乱が目的ならその本命はなんだ? 女王の命? いや、それなら帝都で使うはずだし、『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の問題は帝国各地方で起きてるから恐らくは違う。それなら……)

ふと、ロクスの脳裏に一人の少女の顔が思い浮かぶ。

自分の嫌いな優しい笑みが消えないその少女のことを思い浮かべてはすぐにそれを振り払う。

(なんであいつのことを……クソが)

何であの女のことを思い浮かべるのか、そんな自分に腹を立てるロクス。その後ろでアルベルトの宝石型の通信魔導器の通信魔術の着信音が鳴り、アルベルトは通信魔導器を耳を当てる。

「なに? ……そうか、わかった」

通信相手からの言葉に一瞬眉を顰めるがすぐに理解したかのように通信を切ってロクスに伝える。

「ロクス。イヴからの命令だ。お前は学院に戻れ」

「はぁ? 人手が足りないから駆り出されたんだが?」

「事情が変わった。お前は再び王女の護衛任務に戻れ。万が一にも今回の事件の首魁の狙いが王女であるのならその護りを万全にしなくてはならん。お前とリィエルがいれば問題はない。後のことは俺達でやっておく」

「チッ。へいへい」

軽く舌打ちしてロクスはフェジテに向かう。

(フェジテに戻った頃には終わってんだろ……)

そう思いながらロクスは再びルミアの護衛任務の為にフェジテに帰るのであった。



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救いを求めるな

システィーナとレオスの正式な婚約が発表され、二人の結婚式が僅か一週間後という前代未聞の電撃結婚に学院中に激震が走った。

魔導兵団戦でのレオスとグレンの決闘は引き分けに終わるも、レオスはシスティーナを諦めることなく今度はグレンに直接決闘を申し込んだ。

グレンはその決闘を受け、学院の中庭で決着をつけようとしたのだが、その決闘の場にグレンは姿を現さなかった。

逃げた。誰もが当然のように、そう結論して学院内におけるグレンの評判は地に落ちるのであった。

レオスとシスティーナ。学院内で見せる二人の仲睦まじい二人の様子に観察眼の鋭いごく一部の生徒達は気付いていただろう。

幸せそうなシスティーナの笑顔は固く、影が差していると。

「……システィーナ、話がありますわ」

とある休み時間。

教室で、ウェンディ達、何人かのクラスメイトがシスティーナの詰め寄っていた。

「貴女……本気ですの? 本気でレオス先生と結婚するんですの?」

ウェンディが、レオスから受け取った結婚式への参列招待状をシスティーナに突きつけながら、訝しむような表情で問い詰めていく。

「う、うん……そうよ……元々、私達、許嫁同士だったし……わ、私もレオスのお嫁さんになるのが、子供の頃の夢だったから……すごく幸せ」

一見、非の打ち所のない笑顔だが、システィーナの表情はやはりどこか固い。

「夢っつったら、お前……魔術の勉強して、魔導考古学を極めて、天空城の謎を解くっていう夢は、どーすんだよ? いっつも俺達に熱く語ってたじゃねーか……」

カッシュも、どこか苦虫を噛み潰したような表情で苦言を呈する。

「さすがに結婚しちまったら……そういうの難しいんじゃねーのか? いーのかよ?」

びくり、と。

一瞬システィーナの背中が微かに震えるが……

「あ、あはは……確かに夢は夢だったけどね……でも、やっぱり夢なのよ。子供じみた夢に拘って、現実の幸福を捨てたらダメだと思うし……」

やはり、どう考えてもおかしい。

あの典型的なメルガリアンなシスティーナが、天空城への夢をそう論ずるなんて。

ウェンディとカッシュの表情は、ますます疑いに強張っていく。

「そ、それに、私はずっと私のことを想ってくれていた人と結婚するのよ? きっと幸せになれると思うの……」

「それにしたって、今週末に挙式なんて、あまりにも話が急過ぎだよ、システィーナ」

カッシュの隣のセシルが、おろおろしながら言った。

「そうですわね。婚約から挙式までの、ありえない短さもさることながら……お互いのご両親すら参列できない結婚式なんて、聞いたことがありませんわ。自分達だけで勝手に結婚式など挙げて、籍を入れて、ご両親に申し訳ないと思わなくって? 貴女」

「う……それは……そう! も、元々、そういう予定だったのよ! 私の両親も、レオスの両親もちゃんとこの話は知ってるし……納得してくださっているわ……ッ!」

「……ッ! ルミア、この話は本当ですの!?」

ウェンディが、少し離れた場所でこちらを見守っているルミアを振り返る。

「貴女の親友が突然、こんなことになって……貴女は納得しているのですか!?」

「そ、それは……」

だが、ルミアは何も答えず、暗い顔で黙って俯くだけだ。

やっぱり、何かおかしい。一体、何があったんだ?

この不自然極まりない話の展開に、システィーナを心配するクラスメート達の顔には拭いきれない、不安と疑いの色が見え隠れしている。

そんな時、教室の扉が開いた。

「あ……」

ここ最近、学院を休んでいたロクスがいつものように自分の教室にやってきた。すると、その足はいつものように自分の席に向かうことなくルミアに歩み寄る。

「ティンジェル。ちょっと時間を貸せ」

「え……?」

返答など聞く間でもなく腕を掴んで教室の外に連れて行こうとするロクスは教室を出る前にリィエルにも声をかける。

「レイフォード。ついでにお前も来い」

「……ん」

「ちょ、ちょっと待って。ロクス君」

ルミアの事情など知ったことか、と言わんばかりに強引にどこかに連れて行こうとするロクスにリィエルは二人についていく。

システィーナ達のことなどどうでもいいかのように。

 

 

 

 

「なるほど……そっちはそうなったか……」

人気のない廊下で人払いの結界を施し、ロクスはルミアからシスティーナを賭けた決闘の結末とその後どうなったのかを聞いてひとまず納得する。

(クライトスの野郎はそこまで強そうには見えなかったが……そもそもあの講師が逃亡……?)

ロクスから見てもレオスはそこまで強い魔術師ではない。実戦経験が乏しいことぐらいロクスでも見抜いていた。それに対してグレンは仮にも帝国宮廷魔導士団の一員として戦場を生き抜いてきた経験と実績がある。なによりグレンには対魔術師殺しの固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】がある。魔導兵団戦ならいざ知らず、一対一の決闘でグレンがレオスに負けることなどない。

だけどルミアから聞いた話ではグレンは決闘の場所に姿を現さなかった。そして、あれだけ自分の夢を追い続けていたシスティーナがレオスと結婚することを望んでいる。

(時期的に考えてクライトスと『天使の塵(エンジェル・ダスト)』に何かしらの関係性があるとは思ったが……当てが外れたか? ただ偶然にタイミングが重なっただけ?)

ロクスはチラリとルミアを見る。

(クライトスと天の智慧研究会が裏で繋がっているとも考えたが、奴等の狙いはフィーベルじゃなくてこの女だ。フィーベルを狙う理由がどこにある? フィーベル家の財産目当て? 奴等が?)

レオスと天の智慧研究会が繋がっていて遠回しにルミアを狙っているにしても遠回し過ぎる。そもそもそれなら『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の一件はどう説明すればいい?

(それにクライトスの野郎は何を考えているんだ? いくら許嫁同士とはいえ、婚約から挙式まで早過ぎる。それに両家の両親も参列させないなんて……暴挙が過ぎる……)

フィーベル家は勿論クライトス家も名門。上流階級同士の勝手な婚姻に、帝国政府が介入しないわけがない。仮にレオスがシスティーナと結婚できたとしても問題が起きない訳がない。

(それがわからない奴じゃないはずだ……)

様々な問題が噴出してでもシスティーナを手中に収めなければいけない理由でもあるのか? もしくはそれ以外にも目的があるのか……。

(『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の一件、クライトスとフィーベルの結婚……どちらも目的がわからない。いったい何を考えていやがる……)

天使の塵(エンジェル・ダスト)』の首魁もレオスの目的もわからず、苛立つロクスにルミアは思わず口を開く。

「ロクス君……私、どうしたらいいのかな……?」

「あぁ?」

「システィはレオスさんと結婚するって、その一点張りで……私はどうすればいいのか、わからなくて……」

「だろうな」

ルミアは法医呪紋(ヒーラー・スペル)が多少得意なことを除けば、魔術師としてはごくごく平凡。親友の窮地に何もできない自分に不甲斐無さを抱くのは当然のことだ。

「十中八九、脅されてんだろう。ティンジェル、お前を脅しの材料にしてな。じゃなかったらフィーベルがああも大人しくしているわけがねぇ」

親友を守る為にレオスに従っている。それならばシスティーナの現状にも説明はできるが。

(それならそれでクライトスはどうやってティンジェルの正体を知ったか……)

ルミアは帝国でも秘匿される存在。それをレオスはどうやって知ることができたのか? 謎が深まる一方だ。

「私のせいで……ッ」

自分のせいで親友が窮地に陥っている。それを知ったルミアは親友の下へ駆け出そうとするがロクスがそれを止めた。

「離して! 私のせいで、システィがッ!!」

「自分の正体を明かせば解決できるってか? そんなわけねえだろう? これ以上面倒事を増やすんじゃねえ」

仮にルミアが自分の正体を明かしたとしてもそれが解決に繋がるとは限らない。それどころかルミアを狙う輩が増えるのは明確。そうなれば余計な面倒事が増えるのはロクスからしても避けたい。

「とにかく表向きは証拠がない以上はフィーベル達には手が出せねえのが現状だ。それと今回の一件が関係しているかはわからねえが、お前の護衛として俺は戻ってきたから余計なことはするな。それを言いに来た」

レオスと『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の関係性についても調べようとしたが、そちらは大した収穫にはならなかった。

「レイフォードもこいつから離れるな。きっちり護衛しろ」

「うん、任せて」

本当に任せてもいいのかわからないが、戦闘に関してはある種信用している為にリィエルをルミアの傍から離れないようにさせる。

「……助けて、くれないの?」

縋るかのように、請うようにロクスに助力を求めるルミアにロクスは怒りも苛立ちも見せない真顔で告げる。

「俺は正義の魔法使いでも正義の味方でもない」

正義の魔法使いのように誰かを救うことなどできない。

誰かに救いの手を差し伸ばせるほど、正義の味方を名乗れるほどロクスの手は綺麗ではない。

既にその手は赤く染まり、その身は昏い憎悪に包まれ、その心は復讐に染まっている。

「俺は――復讐者だ。誰かを助けることも、救うことなどできない」

ロクス=フィアンマは誰も救えないし、自分自身さえも救えない。

ただ身を焦がす憎悪の炎のまま、怨敵を殺すことしかできない。

それこそが復讐を誓い、艱難辛苦の茨の道を歩み続けるロクスの果たすべき悲願。

たとえ、歩みその先に何もなかったとしても、歩んできた軌跡に何も残せなかったとしても、己の為すべきをことを為す。

「だから、俺に救いを求めるな」

ただそれだけ。ただそれだけの話なのだ。



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偽善紛いな選択

そこは血の臭いが充満した拷問部屋。

異能者の持つ異能について調べる為に天の智慧研究会の一員は異能者を拷問にかけていた。

「あ~あ、死んじまったか……。たくっ」

両手両足を拘束された状態で椅子に座らされ、拷問を受けていたロクスの目の前で一人の少年の異能者はその瞳から光が消えて、息を引き取った。

「おい、気を付けろ。俺達の仕事は異能について調べることだろ。サンプルを無駄に壊すな」

「別に問題はねえだろ? 近い内に新しいのが追加されんだし」

そう言いながら少年の死体をゴミ箱へと放り捨てる。

「俺のことよりそっちの方は何か進展があったのかよ?」

「いや、わかったことといえばこのサンプルは炎に特化した魔術特性(パーソナリティ)を持っていることぐらいだ。発火能力者だからか、もしくはその逆か、このサンプルは異能者でありながら魔術師の卵でもあるってことだ」

「ふーん、そういや、資料にはこのサンプルの親は二人共、魔術師だったな。魔術師がそうであるように異能者の異能も遺伝によるものなのか?」

「さあな。とはいえ、異能者でありながら魔術師の素質もあるんだ。他のサンプルよりも貴重な駒にはなるだろう」

「だな。ああ、それなら、いっそのこと他の異能者と交配させるってのはどうだ? 異能者同士で交じり合ったらそのガキも異能者になるか、試す価値はあると思うぞ」

「ふむ。確かに。今度、上に掛け合ってみるか」

異能者を人間と見ずに実験動物(モルモット)であることが当然のように会話をする二人の男性。実験動物(モルモット)であるロクスはそのことに異を唱えることは許さない。

(だれか……たすけ、て……)

この地獄から誰か助けに来てくれることをただ祈ることしかできない。

 

 

 

 

「あ、起きた?」

ロクスは目を覚ますと眼前にはサラがいた。

いつものように悪夢(かこ)を見て目を覚ましたロクスはどうしてサラがここにいるのか思い出す。

(ああ、そうだ……召喚したままだったな……)

新しい力を身に付ける為にどうしても契約精霊であるサラの力が必要だった。だからその為に召喚してそのまま寝てしまっていたことを思い出す。

「ロクス。大丈夫、私が傍にいるからね」

優しい声音と共にそっとロクスを抱き寄せる。

母親のように、愛しい恋人のように、優しく抱き寄せてくるサラにロクスは好きなようにさせる。

サラなりのスキンシップにはもう慣れた。別に害はない為にロクスは好きなようにさせることにしている。

(そういえば今日だったな……)

サラに抱き締められながら頭を働かせる。今日はレオスとシスティーナの結婚式。ロクスには招待状が届いていないから聖堂内に入ることができない為にルミアの護衛は外からしなくてはならない。

(何事もなく終わる……ってことはならねえかもな)

一応、アルベルトから異変があれば連絡できるように指示は受けている。同時にアルベルトからも何かあればロクスに連絡するようにしている。

(さて、どうなるか……)

不可解な事件が重なり、『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の首魁やレオスの目的もわからないままロクスはシスティーナ達の結婚式が行われる聖カタリナ聖堂に向かうのであった。

 

 

 

 

清澄な空気に満ちた、厳かな聖堂内陣祭壇の場にて、システィーナとレオスの結婚式が始まった。

司祭マルコが取り仕切る式で何の滞りもなく粛々と進んで行くのをロクスは聖堂から少し離れた物陰で遠見の魔術を使いながら様子を窺っていた。

(今のところ怪しい動きをする奴はいねぇな……)

仮に、万が一に、ルミアを狙う輩がレオスを操ってこの聖堂に招き寄せたというのであれば何かしらの動きを取ってくる筈だ。そう睨みながらも頭の片隅にはたぶん、違うだろうと自分の推測を否定する。

(クライトスを操り、フィーベルと結婚するとしたらティンジェルは親友の結婚式に参加する。確かに招き寄せることはできるが、その手が通じるにならティンジェルはとっくに殺されている筈だ)

それを許すほど宮廷魔導士団だって無能ではない。

それにルミアの隣にはリィエルはいる。獣染みた鋭い直観力と桁外れの錬金術にバカげた剣術を使うリィエルがいる場でルミアを暗殺するのは至難の業だ。

仮にリィエルを突破することができてもロクスもいる。この場でのルミアの暗殺は不可能に近い。

(なら、狙いは……ん?)

思考に耽っているロクスはあるものを見た。

グレンが花嫁であるシスティーナを攫う光景を。

(あの講師、やりやがったな……)

半分呆れながらも半分感心するロクス。暴れるシスティーナごと聖堂から花嫁を攫って行った。

「――っ」

だが、ロクスは目を見開いた。

それはグレンがレオスの花嫁であるシスティーナを攫った光景でも、それに驚きながらも喜んでいるクラスメイト達にでもない。

(嗤った……)

レオスが嗤っていたことだ。

三日月のように口を歪ませて嗤うレオスのその顔はかつてロクスがいたあの施設で天の智慧研究会が見せたその笑みと酷似していた。

自分の都合通りに進んでいることに喜びを隠せないその笑みに驚くのも束の間、アルベルトから通信が入った。

『ロクス。聞こえているか?』

「ああ、ちょうどいい。こっちも今――」

ロクスはレオスのことをアルベルトに話そうと思ったが、先にアルベルトからとんでもないことを知らされることになる。

『レオス=クライトスの死体を発見した』

「は?」

ロクスは自分の耳を疑った。

『死体の損傷が酷く断定はできんが、以前、お前が話していたグレンとレオス=クライトスの決闘の場として行われていた魔導兵団戦の場に近い上に身に付けている恰好からの判断になるが、ほぼ間違いではないだろう』

(ちょっとまて……)

なら、ロクスが今、見ているレオスはいったい何者なのか?

混乱する思考、いったい何がどうなっているのか、思考も定まらないなかで追い打ちをかけるかのように……。

「な、なんなんだよ!? あんたら!?」

離れた位置から聞ける悲鳴染みた声。ロクスは再び遠見の魔術で聖堂内陣を見てみると光灯らぬ虚ろな目、土気色の顔色をし、包丁や鉈などで武装した一般市民風の人間が大勢聖堂内に入っていく。

「まさか……『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の末期中毒者……」

資料で読んだ通り、その一般市民風の人間には全員、網目のごとく血管が浮いている。

(なんでここに……? いや、そんなことは後だ)

「フレイザー。後でこっちから連絡する」

『待て、そっちにいったい何が――』

通信を切ってロクスは『疾風脚(シュトラム)』を起動。圧縮凍結保存した愛剣を解凍して聖堂の窓を割ってルミア達の前に立つ。

「ロクス君!」

「ロクス!!」

突然のロクスの登場に驚くクラスメイト達。だが、そんなことにいちいち反応してやる余裕はロクスにはなかった。

(クライトスの偽物がいない……。逃げた? いや、今は目の前のこいつらに集中しねえと)

薬物により制限の外れた中毒者達の動きはあまりにも俊敏で奇天烈。更にはしぶといと聞いている。元は一般市民といえど油断して勝てる相手ではない。

(なによりこの数だ……)

ざっと見ただけでも数十人、五十人はいるだろう。それを護衛対象を守りながらではとても戦えない。

「レイフォード。お前はティンジェル達を連れてこの場から離れろ」

「でも、それだとロクスが……」

「俺の心配よりもそいつらの心配でも……チッ! 《炎獅子》!!」

悠長に話している暇も与えてくれることなく中毒者達は人間離れした俊敏な動きで手に持つ包丁や鉈で攻撃してくるもロクスが瞬時に発動した黒魔【ブレイズ・バースト】で消し炭にする。

爆音と共に爆裂が聖堂内陣で響き、クラスメイト達は小さな悲鳴を上げる。

「行け! お前等を守りながら戦えるほどこいつらは甘くねえんだよ!!」

怒声を上げるロクスにルミアは皆に声をかける。

「皆! 行こう! リィエル! 皆を守って!」

「んっ!」

聖堂内陣の裏口から脱出に向かうクラスメイト達。クラスメイト達が裏口に向かうのを確認したルミアは一度振り返ってロクスに言う。

「ロクス君。無事でいて……」

「うるせぇよ。さっさと行け」

冷たくあしらうように告げるロクスにルミアとリィエルも裏口に向かう。そして、その場に一人残ったロクスは中毒者達と対峙しながら小さく息を漏らした。

「何やってんだよ、俺は……」

どうしてクラスメイト達まで助けるような真似をしたのか? ロクスの護衛対象はルミア=ティンジェルただ一人。それならばルミアだけを抱えてこの場から離れるのが一番の最善な方法だ。

クラスメイト達を切り捨てていれば、自分自身の安全も確保できたはずだ。

「俺にはもう、誰かを守る資格も、助ける資格もねぇってのに……」

偽善紛いな選択を取った自分に腹を立てながら眼前にいる『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の末期中毒者達に視線を戻す。

「お前等も、今回の首魁に利用されているだけの一般人だったんだろう」

天使の塵(エンジェル・ダスト)』を投与されていなければ今日も何も変わらないいつもの日常を満喫していたはずだ。だが、理不尽にもそれを奪われ、ただの傀儡となった中毒者達にロクスは告げる。

「もうお前等を助けることはできない。だからせめて苦痛なく終わらせてやる」

ロクスは契約精霊であるサラを召喚してサラに手を伸ばす。

「サラ。アレをやるぞ」

「いいの? まだ負担が大きいんじゃ…うん、わかった」

一瞬、ロクスの身を案じるも相棒の顔を見て了承するサラはロクスの手を取る。

「「接続(アクセス)」」

一人の青年と一体の精霊の声が重なる。

それから十秒の時も経たない僅かな時間で『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の末期中毒者達は一人も残らず、燃え散った。

「火葬で悪いな」

最後に末期中毒者達がいた場所にロクスはそう言い残して聖堂を後にする。



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進む道は一つだけ

聖堂内で『天使の塵(エンジェル・ダスト)』の末期中毒者達を倒したロクスは聖堂を後にしてルミア達と合流。そこからグレンとシスティーナの二人と合流した頃には全てが終わっていた。

とある一人の人間が、天使の塵を使って引き起こした悪夢の事件は終わり、天使の塵による犠牲者、行方不明者の数は相当で、これが一人の人間が出した犠牲者であることを考慮すれば、信じられないほど鬼畜かつ許されがたい悪魔の所業といえる。

その人間の名前はジャティス=ロウファン。

元・帝国宮廷魔導士団特務分室所属――《正義》のジャティス=ロウファン。

一年余前、帝都で大惨劇を引き起こした者のその名は、まだ人々の記憶に新しい。

かの者の再来に、全てのフェジテ市民が恐怖に震撼し……残された遺族達は、やり場のない怒りと悲しみに咽ぶことになる。

レオス=クライトスも、その犠牲者の一人だ。

クライトス伯爵家の名誉を守る為に、レオスの行動は全てジャティスの『天使の塵(エンジェル・ダスト)』で操られていたものであることが大々的に発表された。

ジャティスの目的は、レオスにフィーベル家を掌握させ、クライトス家の財産を手中に収めるため、というそれなりにわかりやすく、納得できる理由が捏造された。

それはクライトス伯爵家の名誉失墜を防ぎ、フィーベル家との軋轢を避けるための、やむ得ない処置であった。

それから、幾ばくかの日々が過ぎてロクスも特務分室の一員としての仕事が一段落して再び学院へ通い始めている。

そしていつものように教室に訪れて自分の席に座っている。

(ジャティス=ロウファン……)

今回の事件の首魁。一年余前の事件でグレンとセラが始末したとされていた人間が健在。またも事件を引き起こした。

禁忌教典(アカシックレコード)とはなんだ……?)

ちょくちょくその名を耳にするもロクスにはそれがなんなのかわからない。それはグレンやアルベルトも同様。ただわかっているのはジャティスも天の智慧研究会もそれを欲しているということぐらいだ。

(そもそも何故、天の智慧研究会はティンジェルを欲している? たかが『感応増幅者』など他にもいるだろうに……)

最初の学院のテロ事件の際はルミアを誘拐。その次の魔術競技祭の時は殺害。テロリストの狙いがルミアなのは間違いないが、行動に一貫性がない。

(あのクソ共の狙いがティンジェルであることには間違いない。だが、分からないことが多過ぎる)

禁忌教典(アカシックレコード)についても、テロリストについてもわからないことが多過ぎる。もう少しテロリストの行動方針がハッキリしていればまだ動きようがあるものなのに。

ひとまず自分にできること、ルミアの護衛に集中しようと、とりあえずそう考えを纏め始めたその時。

「な、なぁ、ロクス……」

「あぁ?」

不意に声をかけられた。

ロクスに声をかけてきたのは同じクラスメイトのカッシュ。その後ろには同じクラスメイトが何人かロクスの前まで歩み寄ってきていた。

「なんだよ? 魔導兵団戦に参加しなかったことに文句でもあんのか?」

同じクラスメイトであるシスティーナを賭けた決闘に唯一参加しなかったロクス。それに対してまだ言い足りない文句でもあるのかと思ってそう口を開くも。

「その、ありがとな」

「は?」

礼を言われた。

「前のテロ事件の時も今回も俺達を逃がす為に一人で戦ってくれただろ? お前はそのつもりはなかったかもしれねえけど、まだちゃんと礼を言っていなかったからさ……」

「本来ならもっと早くお礼を言うべきことですのに遅くなって申し訳ありませんわ。二度も助けて貰った恩は必ずお返ししますわね」

「私からもお礼を言わせてください。助けて下さり、ありがとうございます」

「えっと、その、助けてくれてありがとう……」

カッシュに続いて一人また一人と次々にロクスに感謝の言葉を口にするも、ロクスには何を言っているのか理解するのに時間を有した。

(なに、言ってんだ? こいつらは……)

そんなつもりなど微塵もなかった。結果的にそうなったに過ぎない。しかし、それでもカッシュ達にとっては助けられたことは疑いようもない事実。だからこそ、自分達を助けてくれたロクスに感謝の言葉を述べたのだ。

なのに、どうしてなのか?

本当に一瞬だけちくり、とまるで置いてきた何かが蘇りそうになったのは。

「――ッ」

ロクスは思わず立ち上がった

反射的に椅子から立ち上がり、教室から飛び出してどこかへ駆け出したのであった。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……情けねぇ……」

ロクスが駆け込んだ先はトイレ。たった今、血交じりの吐瀉物を出し終えたところだ。

(ありがとう……。そんな言葉だけでこうも調子が崩されるなんて……)

痛みや苦しみは忌々しいあの施設で慣れ、侮蔑や嘲笑にも慣れた。嫌悪感や怒りを向けられようが、なんとも思わないし、力でどうにかしてこようとする輩にはそれ以上の力でやり返す。無視されようともむしろ好都合とさえ思えるほど。

学院から嫌われ者扱いされようが痛くも痒くもない筈なのに……感謝の言葉を述べられただけで拒絶反応でも出たかのように吐き気が込み上げてきた。

(ぬるま湯に浸かり過ぎていたから気付かなかったのか、もしくは俺自身が気付こうとしなかったのか……どちらにしろ、あいつらの言葉でハッキリした)

学院に入学してから一年と少し。復讐の為に魔術の研鑽を積み重ねてきて、他者との関係を築かなかったから今になってようやくロクスは自覚した。

(俺に、平穏は許されない……)

憎悪と復讐心に燃え上がる心だけでなく身体さえも平穏を望んでいない。ある意味、当然の事実にようやく自覚したロクスは自虐気味に口角を歪ませる。

(当然だ。俺は復讐の為に全てを捨てた。この命は復讐の為に捧げると誓った。なにより、死にたくないが為に俺はラウレルを、多くの仲間を殺してきた……そんな俺が平穏なんて許されるわけがない)

どうしてそんな事実に今更になって気付いたのだろうか?

(ラウレル……お前の言う通りだったのかもな。俺にはまだ復讐者として染まり切れていない人の心があるのかもしれねぇ。だからこそ、ティンジェルだけでなく、クラスメイトの奴等まで助けるなんて愚行に走ったのかもしれねぇ。認めたくはないが、お前は俺以上に俺を理解していたんだろう)

今は亡霊と化している少女が告げた言葉。その言葉をロクスは素直に認めた。

今も姿を消してすぐ傍にいるかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。

(それでも俺が復讐者であることには変わりはない。もう引き返す道など俺にはない)

もう普通の人のような平穏な生活はできない。平和で生きる道も、誰かと共に幸せになることもできないし、それを受け入れることもできない。

進む以外に道はない。復讐という茨の道を、天の智慧研究会に復讐を果たすその時まで進み続ける。

その時だった。

室長であるイヴから渡された通信魔導器からある任務が下された。

『ロクス。任務よ。天の智慧研究会が王女様を狙っている情報が入ったわ。アルベルトと共に始末しなさい』

「了解」

復讐を果たす。その為にロクスは天の智慧研究会を殺しに向かう。



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復讐者と灰燼の魔女

数年前――

(セリカ)は学院長であるリックの頼まれてリックの住む屋敷まで足を運んでいた。

「すまんのぉ、セリカ君。わざわざ来て貰って」

「なに、別に構わんさ。それに学院長の頼みともなれば断るわけにもいかんしな」

個人的としても断る理由もなかったセリカは学院長の屋敷に呼ばれて、リックはセリカをある部屋に案内している。

「それで? 私を呼んだということはそれなりの理由があるんだろう?」

「ふむ。セリカ君は異能者を知っておるじゃろ?」

「まぁ、それなりにだが」

「実は少し前にワシは一人の少年を保護したのじゃが、その子がちょっとのぉ……」

なんとも歯切れの悪い言葉にセリカは怪訝する。

「話を察するに学院長が保護したその子供が異能者なんだろ? それがどうかしたのか?」

セリカは別に異能者だろうが差別しないし、侮蔑することなどしない。

それが学院長であるリックが保護した子供ともなれば少しは優しくしてやろうとは考える情ぐらいはセリカは持っていた。

「まぁ、見て貰った方が早いかもしれん」

そう言ってリックはとある部屋の扉をノックする。しかし、返答はない。

寝ているのか? そう思ったセリカであったが、リックの反応からして見てそれは違うのはわかる。

リックは扉を開けるとそこには一人の少年がいた。

「……67……68……」

やせ細った少年が部屋の真ん中で筋トレをしていた。

「ロクス君! まだ安静にしておかねばならん! 無理をすればまた身体を壊してしまうぞ!」

リックが強引に筋トレをしている少年、ロクスを止めさせる。

「……問題、ない。けふ」

ロクスは口から血を吐いた。

それを見てリックは薬を取り出してそれをロクスに飲ませる。慣れた手つきからこのような光景は日常的に起きているのだろう。

「まだ君の内臓も傷だらけなんじゃ。しっかり休みなさい」

見ればロクスの体中にはルーンが文字が書かれていた包帯を巻かれている。それは治癒や回復といった効果を発揮するルーンだということはセリカでも一目でわかるし、それだけに目の前の少年の身体は傷だらけだというのもわかる。

「……学院長、こいつがそうか?」

そのセリカの声にロクスはようやくセリカの存在に気づいたのか、顔を上げてセリカを見た。

「――っ」

セリカは思わず目を強張らせた。

一瞬だったとはいえ、傷だらけの少年と目が合っただけで身を強張らせてしまった。

その紅の瞳に映るのは激しいまでの憎悪。

身を焦がすような憤怒。

世界を焼き尽くさんとばかりのドス黒い感情の業火がその瞳に宿っている。

その瞳を見た瞬間、セリカの『内なる声』が強くなった気がした。

 

 

 

 

「というわけでちょっとばかしあの馬鹿を手伝ってくれないか?」

「何がというわけだ。アルフォネア教授」

学院の附属図書館で魔術の研鑽を積んでいるロクスにセリカは唐突にそんなことを言ってきた。

「というよりも今は授業中だろ? 生徒であるお前がこんなところにいていいのか?」

「別に。必要な単位は取っているし、退学になろうがどうでもいい」

ここ最近、ロクスは学院には通っているものの教室にはほぼ顔を出していない。それでも必要なものは最低限は確保しているし、何か問題があって退学になろうともロクスは痛くもかゆくもない。

ロクスにとって学院など学院長であるリックに勧められて入ったに過ぎない。

「それよりもその馬鹿の手伝いって……ああ、そういえば講師職の雇用契約の更新条件は定期的に研究成果を魔術論文にして提出することだったな。時期的に考えて提出期限までに魔術論文を提出することを忘れてクビになりかけているってところか。自業自得だ」

「そう言われたら何も言い返せんのが辛いところなんだが……お前、どうして講師職の職務規定についてそんなに詳しいんだ?」

「学院長が見せてきたことがあったからな」

「子供に何を見せているんだ、学院長……」

恐らくはロクスに生きる為の未来の道筋の一つとして講師としての道を示そうともしたのだろう。復讐という茨の道以外の道に進んで欲しい一心で。

「まぁ、ともかくとして、あの馬鹿が珍しくもやる気を出していてな。自腹を切ってまで『タウムの天文神殿』の遺跡調査をすることになったんだ」

(あの講師が自腹を……?)

多少なりの付き合いがある為にロクスは怪訝する。

遺跡調査隊は第三階梯(トレデ)以上の魔術師で編成するのが慣例だ。そして、一応、一人前の魔術師と見なされる第三階梯(トレデ)を遺跡調査に動員すると、規定で雇用費が発生する。

グレンがその雇用費を払えるだけの金があるとは思えなかった。

(いや、『タウムの天文神殿』の探索危険度はF級だったな……。なら、自分のクラスの生徒を使うつもりだろうな。あの講師なら)

今頃はグレンの固有魔術(オリジナル)【ムーンサルト・ジャンピング土下座】を披露しているに違いない。

「とはいえ、あんな馬鹿でも可愛い弟子であることには違いないからな。信頼できる実力者であるお前にも手を貸して欲しいんだが……あからさまに嫌な顔をするな」

本当に嫌そうな顔をしている。

「断る。あんたには悪いがどう考えてもその馬鹿の自業自得だ。どうして俺がその馬鹿の手伝いをしなきゃいけねぇ。俺にそんな暇はねえんだよ」

ロクスは強くならなければいけない。

天の智慧研究会に復讐する為にも力が必要だ。その力を磨き続ける為にも余計なことに時間を取らせたくはなかった。

「まぁ、お前ならそう言うだろうとは思っていたさ。だからお前に依頼をしに来た」

「依頼?」

「依頼内容はグレンの手伝い。お前の分の雇用費は私が出す。規定額の三倍だ。それと依頼中の空いた時間にお前の魔術を見てやろう」

「あんたがか?」

「ああ。この名高き第七階梯(セプテンデ)である私が直々に見てやる。どうだ?」

「……」

ロクスは思考する。

金は別にどうでもいい。それぐらい自分でどうにかできる。だが、あのセリカが依頼中とはいえ、魔術を見て貰えるとすれば今以上に魔術の発展に繋がるかもしれない。

セリカの実力はロクスも良く知っている。単純な実力もそうだが、その知識量も豊富だ。

(未完成のアレが完成できるかもしれねえな……)

未完成ながらも一応は使えるロクスの新しい固有魔術(オリジナル)。しかし、負担も激しく短時間しかその力は発揮できないという欠点がある。

ここ最近ではアレを完成させようとしてはいるも、完成にはまだ届かない。

「……わかった。その条件であんたに雇われる」

「よし。なら詳しい話は後でグレンから聞いてくれ」

ロクスを雇うことに成功したセリカはもう用がないかのように踵を返して附属図書館から出ようとする際にロクスはん? と疑問が過った。

「さっきの口ぶりからしてあんたも行くのか?」

たいして気に留めなかったが、先ほどからセリカはグレンの遺跡調査に同行するつもりでいる口ぶりだ。何故わざわざ名高き第七階梯(セプテンデ)がF級の『タウムの天文神殿』に赴くのか、率直な疑問をセリカに訊いてみた。それに対してセリカは……。

「ああ。まぁ、たいした理由ではないさ」

そう答えて附属図書館から出て行った。

「……たいした理由ではない? たかがF級の遺跡調査に自分だけじゃなくて俺まで雇う理由がたいしたことないわけねえだろ。何を考えていやがる、あの教授は」

思うことはあるもロクスは既に雇われた側。依頼主の意向に文句を言うのは止めておいた。

「……一応、室長に連絡しておくか」

王女を狙って仕掛けてきたテロリストは先日、アルベルトと共に始末したばかりだが、今回の遺跡調査について上司であるイヴに一応程度に連絡しておいた。



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遺跡調査

遺跡調査出発前日。

通常授業をいつも通り進める傍ら、遺跡調査計画の立案、スケジュールの調整、必要物資の手配、参加生徒達を集めてのミーティング、生徒達への野外活動時における生存(サバイバル)術の指導……出発前にやるべきことは山のようにあった。

そんな慌ただしい日は過ぎ、グレンはフェジテ南地区の繁華街、入り組んだ路地裏の奥にひっそりと隠れるように据えられた場末のバーでアルベルトと会っていた。

件の組織、天の智慧研究会の動きについて。

王女を狙って仕掛けてきた組織の末端はアルベルトとロクスで既に始末済み。そしてその仕掛け以来、組織は機会を窺うような気配は完全に失せ、王女であるルミアの身の安全は暫くは問題なしとアルベルトはグレンに告げる。

しかしながら件の組織は今迄とは異なる動きがあるという情報があり、既にその調査に《隠者》と《法皇》が当たっている。

そしてジャティス。

生死を偽り、約一年の雌伏の時を経て活動を再開したジャティスは単独で天の智慧研究会の末端組織や組織に通じている者を片端から潰している。時に無関係の市民を巻き込みながら。

ジャティスの目的は不明。

組織の動きも、ジャティスの目的もわからないが、暫くは平穏が続くことだけは確かだ。

そんな時、ふとアルベルトが言う。

「ロクスにあまり異能を使わせるな」

不意に話題が変わった。

「そりゃまぁ、下手に異能者だと知られれば大変だからな……」

「それもある。だが、俺が言っているのはそういう意味だけではない。俺は以前、ロクスがいたとされる施設がある場所まで行ったことがある」

「それで? 何かあったのか?」

話には聞いていた異能者の異能を強化させて駒として使う件の組織の施設。そこに何があったのかとグレンは尋ねるが。

「何もなかった」

アルベルトは淡々とそう答えた。

「はぁ?」

「言葉通りの意味だ。施設があったと思われる面影すら残ってはいなかった。それだけではない。その周辺には草木一つ生えていなかった。まるで何かに焼き尽くされたかのようにな」

「おい、それって……」

「ああ、ロクスの異能だ。奴の異能、件の黒い炎は全てを焼き尽くし破壊する地獄の炎。そう称するに相応しい恐ろしい力だ」

「……」

グレンは思わず口を閉ざした。

「一瞬で全てを焼き尽くした黒い炎。下手をすれば戦術・戦略級のA級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)と同等、もしくはそれ以上に凶悪な異能であることには間違いないだろう」

その言葉にグレンは否定の言葉が出なかった。

何度もその炎を見てきたグレンにとってあれほどまでに無慈悲なモノはない。存在すら残すことも許さない。まさにロクスの憎悪が具現化したような炎は文字通り、全てを焼き尽くす。

「その黒い炎を恐れてか、一部の上層部ではロクスを始末した方がいいという声も上がっている」

「はぁ!? ふざけんな! なんで、あいつが――」

思わず叫ぶグレンだが、アルベルトが諫める。

「落ち着け。この国にとって異能が『嫌悪』の対象だということはお前も知っているだろ? そういう一部の連中が上層部にはいる。そういう連中にロクスの異能のことが知られればそういう声が上がるのもおかしくはない」

「ぐっ、だけどよぉ……ッ!」

「安心しろ。幸いにもロクスは特務分室、軍に所属している人間だ。軍にいる限りはいくら上層部でも下手に手出しはできん」

「……それも、そうか。そうだよな」

「ロクス自身も命令には忠実だ。危険視されている異能も制御できている。よほどのことがない限りは問題ないだろう」

嫌々ながらも軍の命令には従っている。

それにロクス自身、既に魔術師として一流以上の実力を有しているからそれだけの実力者を下手に手放したくないという本音もあるのだろう。

「だが、奴は復讐者だ。状況によっては俺達と敵対することもありえる」

「いや、お前、流石にそれは……」

ないだろう、と思ったグレンだが、アルベルトは鷹のような鋭い双眸でグレンを見据える。

「お前がそう言うのであれば俺は何も言わん。しかし、万が一にロクスが俺達と敵対するようなことがあれば俺は何の迷いもなく奴を討つ」

考える限りの最悪の事態。裏切りを想定した上でアルベルトは己の考えを口にする。

「ロクスにとって俺達そしてお前達は味方でも敵でもない。故に殺す理由はないが、復讐の邪魔だと判断すれば奴は躊躇いなく俺達を殺そうとするはずだ」

「いや、だけど……あいつは何度もルミアや他の奴等だって……」

「助けた、か。確かにそうだ。だがそれでも奴は止まらない。いや、もはや自分の力では止めることができないが的確か」

アルベルトは席から立ち上がる。

「先に言っておく。俺にロクスは止められない。止める資格など俺にはない」

同じ復讐者として、同じ茨の道を歩いている者としてアルベルトがロクスに言えることなど何もない。故に止めることなどできない。

「どうするかはお前の判断に任せる。必要ならば手も貸そう。だが、生半可な覚悟で奴の道を阻むというのであればお前もまたロクスの炎によってこの世から消え去るだろう」

それだけを告げてアルベルトは店を去って行った。

一人残されたグレンは無言のままただグラスを強く握りしめた。

 

 

 

遺跡調査へ出発する日がやってくる。

仄かな宵闇と朝霧のヴェールが包む早朝、グレン達は屋根上に二階席もある大型の貸し馬車に搭乗し、フェジテを発った。

「風が気持ちいいわね……」

「うん」

吹きさらしの二階席の一角に陣取ったシスティーナが、緩やかにそよぐ風に流れる髪をなで押さえながら、しみじみと呟き、その隣のルミアがにこにこと応じていた。

フェジテ城壁北門から外に出たシスティーナ達を迎えたのは、まず辺り一面に広がる広大な農地、そして自然の息吹を感じさせる冷たく澄んだ空気であった。

馬車が北上するは、フェジテと帝都オルランドを結ぶアールグ街道。

その街道は、緩やかな起伏とカーブを繰り返しながら、はるか北北西先、地平線の彼方へ吸い込まれるように消えていく。街道の西には小高い丘が姿を連ね、東には鬱蒼と茂る森、更にその先に延々と連なる荘厳な雪化粧連峰が見える。

日が上がると、空は抜けるように蒼く染まり、雲が穏やかに流れていった。

若草の青い匂いが鼻をくすぐり、空を舞う鳶が笛のように通る声で鳴く。

ちょうど差し掛かったすぐそばの牧草地では、羊達がもしゃもしゃ草を食んでいる。

その長閑で牧歌的な風景は、見ているだけで心が洗われるようであった。

「やっぱり、たまには外出もいいものですわね……」

「うん……そう、だね……空気が美味しいね……」

同じく二階席に搭乗したウェンディとリンも、いつになくご機嫌だ。

「……羊。もこもこ。たくさんいる」

リィエルは眼下の羊達がとても気になるらしい。ルミアの隣にちょこんと腰かけ、眠たげに細めた目で、じ~っと穴が開くように羊を見つめていた。

「それにしてもロクス君も一緒に来てくれるんだね」

ルミアは同じく二階席に搭乗しているロクスに視線を向ける。そこには愛剣を腰に携え、相棒であるサラを隣に置いて瞑目しているロクスの姿が。

「別に。俺は雇われた身だから放っておけ」

セリカに雇われたロクスはグレン達と共に行動はするも、ロクスの雇い主は別。必要以上にグレン達と接するつもりはなかった。

「馬車に乗る前にも言っていたわよね。雇われたって誰によ?」

「馬鹿の手伝いをしてくれって俺に依頼を出しに来たどこぞの教授だ」

「馬鹿……ああ、そういうこと」

それだけでシスティーナ達は全てが伝わった。

馬鹿の一言で誰か察することができたシスティーナ達にルミアは苦笑する。

ちなみにその馬鹿は生徒達と一緒にポーカーの真っ最中だ。

それからウェンディの迂闊な言葉でシスティーナが古代文明について熱く語り始める。

この国の歴史や古代遺跡から出土される古代の遺産、魔法遺物(アーティファクト)、古代人が使っていたのはシスティーナ達が使っている『近代魔術(モダン)』ではなく『古代魔術(エンシャント)』など熱弁を振るう。

だが、ここである異変にウェンディが気付いた。

「……ちょ、ちょっとお待ちくださいませ! わ、わたくし達……今、どこに向かっているんですの?」

「……え?」

指摘されて我に返り、システィーナはようやく気付いた。

週を見渡すと……馬車は左方に鬱蒼と深く茂る森沿いに進んでいる。いつの間にか馬車は街道を大きく外れ、あらぬ方向へと進んでいたのだ。

「ちょ、ちょっと御者さんっ!? こんなルート、私達、予定してませんよ!?」

システィーナが慌てて前方の御者台へ駆け寄り、覗き込む。

そこでは、例の御者が相変わらず黙々と馬を操縦している。

「道が間違ってます! こんなに街道を離れて、森に近づいたら――」

そう、危険なのだ。

国策で整備されている主要街道周辺は、軍が定期的に街道整備と魔獣掃討を行い、魔獣除けの魔術を施しているため、比較的安全といえる。だが、街道から大きく離れれば、安全ではないということになる。

特に、鬱蒼と茂る深い森や洞窟、辺境の山岳地帯……人が安易な立ち入りを許さぬこれらの領域は、未だ危険な魔獣が我が物顔で跋扈する魔の領域だ。

「すぐ引き返してください! 早く!」

皆の安全を慮るあまり、つい声を荒げてしまうシスティーナ。

だが。

「……」

御者はシスティーナの言葉を無視し、黙々と馬を操り続ける。

「ちょっ……ど、どうして……ッ!? 早く止まって……ッ!」

こうまで言っているのに、まったく無視する御者……明らかに異常だった。

「な、何なんですか!? 貴方は一体、何者――」

と、システィーナの感情が昂りかけた……その時だ。

馬車の左方に鬱蒼と茂る森――その薄暗い森奥から。

ざざざざざ―――と複数の何かが駆け寄って、近づいてくる気配。

「え!? 何!? まさか――」

システィーナが狼狽えたような声を上げた、その瞬間。

馬車の前方と後方、森の茂みの中から、無数の黒影が飛び出してきた。

その影達は馬車の周囲を疾風のように駆け抜け、馬車をあっという間に取り囲み……

ヒヒィイイイイイイイイインッ!

影に驚いた馬が、前足を高らかに跳ね上げて足を止め、天高く嘶いた。

その影の正体は――

「シャ、シャドウ・ウルフ!?」

馬車は数十匹のシャドウ・ウルフにすっかり囲まれてしまっていた。

シャドウ・ウルフとは、鋭い爪と牙、らんらんと光る眼、読んで字のごとく影のように真黒な毛並みを持つ、狼型の魔獣だ。

森に生息する魔獣としては、決して珍しくない存在であるが――極めて危険な存在だ。

その鋭い爪牙の威力は言わずもがな、もっとも厄介なのは、人に真似できぬその圧倒的な敏捷性だ。攻性呪文(アサルト・スペル)にしろ、銃にしろ、並の腕では連中は捉えきれない。

「こんな場所に、こんな危険な魔獣が住み着いていたなんて聞いてない……御者さん、貴方、一体、どういうつもりなんですか……ッ!?」

「……」

だが、対する御者は、こんな状況でも無言。馬が暴走しないようにきつく手綱を引くだけで……微動だにしなかった。

「くっ……ッ!」

歯嚙みするシスティーナ。今はこんな御者の真意を質している場合じゃない。

この窮地を切り抜けなくては。

「ロクス! お願い! 手を貸して!」

システィーナはロクスに頼む。

少なくともシスティーナ達よりも実力者であるロクスがシャドウ・ウルフに怯むなんてことはしない。だから、ロクスと協力してシャドウ・ウルフを迎撃しようと試みるも。

「あぁ? たくっ。犬っコロ相手に面倒くせぇ……」

仮にも魔獣を犬っコロと呼ぶロクスは馬車の外に飛び出す。

「ロクス。私は?」

「犬っコロ相手にお前の力は必要ねえよ」

サラの助力を断ってロクスは愛剣を鞘から解き放つ。

「ま、憂さ晴らしにはなるか」

刹那、ロクスの姿が霞のように消える。

「ギャウウウウウウンッ!」

「ギャンッ!?」

二匹の魔獣から鮮血が地面に飛び散る。

「……えっ?」

驚愕に目を見開くシスティーナ。

赤い斬閃が見えた頃にはシャドウ・ウルフはその身から鮮血を飛び散らして地に転がっていく。また次の瞬間、別の場所からも断末魔が聞こえ、魔獣は地に伏せる。

馬車を取り囲んでいたシャドウ・ウルフ達が、次々と斬り裂かれ、倒れ伏していく。

残像を残すほどの高速移動に、一撃で魔獣を斬り捨てる剣技。

システィーナの目には、ロクスの残像しか捉えることができず、気がついたらシャドウ・ウルフから鮮血が飛び散っていた。

「す、すごい……ッ! ロクス、剣技だけでもこんなに強いなんて……ッ!」

ロクスが強いことぐらいシスティーナも重々承知済みだ。だけど、それは魔術も含まれた意味での強さで剣技だけでもここまで強いとは思いもよらなかった。

援護しようにも、これではむしろ邪魔になってしまう。

「ありゃ実戦で磨かれた剣技だな」

「せ、先生……ッ!」

ふとグレンがシスティーナの隣でロクスの戦闘を観戦しながら解説する。

「速さと手数で攻め立てる近代剣術も身に付けているみてぇだが、ロクスの動きは極限まで合理的に敵を倒すことを目的としている剣技だ。常に相手の攻撃が当たりにくい位置へ移動しながら、倒す相手の優先順位をつけて、一つの行動を必ず次の行動へ繋げる。何十、何百の実戦を繰り返すことで身につくことができる。言ってしまえば合理性の極致だ」

お世辞にも洗練された剣技ではない。だが、ロクスにはそんなものは不要。

敵を如何に効率的に殺せるか。ロクスにとって重要なのはそれだけだ。

(ロクス。お前は復讐の為にどれだけの無茶を重ねてきたんだ……ッ)

グレンから見てロクスの剣技はその年で身に付けていい剣技ではない。それだけ無茶を繰り返してきているのが剣技を通して伝わってくる。

「グルァアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」

頭数が三分の一以下になった時点で、ようやくロクスを難敵と認識したらしい。

獣らしからぬ卓越した連携でロクスを取り囲み、四方から一斉にロクスへと飛びかかる。

「ロクス君!」

ルミアが思わず叫ぶ。

しかし、ロクスはそんなことどうでもいいかのように呪文(スペル)を唱える。

「《うるせぇよ》」

轟、と。

圧倒的熱量を持つ炎の壁が、ロクスを守るように展開される。

黒魔【フレア・クリフ】。

自在に操作可能な炎の壁を展開する、軍用の攻性防御呪文。

瞬時に展開された灼熱の炎壁に突っ込んだシャドウ・ウルフは一瞬で焼き尽くされ、灰と化す。

「ついでだ」

更に展開した黒魔【フレア・クリフ】の炎壁をロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】で掌握し、隷属させて数十もの火球を作り出す。

「灰にでもなってろ」

ロクスの手から放たれる火球はまだ残っているシャドウ・ウルフ達に向けて放たれる。

火球を避けるシャドウ・ウルフ。しかし、火球はまるで意志でも持っているかのようにシャドウ・ウルフを追尾してその身を焼き尽くしていく。

シャドウ・ウルフを全滅させたロクスは深い溜息を溢しながら炎を消して御者に言う。

「いい加減に姿を見せたらどうなんだ? アルフォネア教授」

「え……?」

「たくっ、バラすなよ。もうちょっと満を持してから登場するつもりだったのに」

おどけたように肩を竦め、フードを取り払う御者の正体は――

「あ……あ、アルフォネア教授っ!? どうしてこんな所に!?」

「や、皆、元気かなー?」

一同を振り返り、御者―――セリカ=アルフォネアはにやりと不敵に笑うのであった。



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タウムの天文神殿に

御者の正体はロクスの雇い主であり、名高き第七階梯(セプテンデ)、セリカ=アルフォネアだった。そんなセリカを追い返すわけにもいかず、むしろ今回の旅程における生徒達の安全面を考慮するならば、世界最強の魔術師たるセリカの同行は願ってもない話だ。

正午にさしかかることで日差しが強くなり、吹きさらしの二階席にいると余計な体力を消耗してしまう……ということで、生徒一同は馬車内に集まっていた。

当然、セリカも馬車内の隅に腰かけたのだが……

(ど、どうしてアルフォネア教授ほどの御方が……?)

(あの生きた伝説が……俺達と一緒に……? ま、マジか……?)

(な、なんか緊張するよぅ……)

生徒達はセリカの席からなるべく離れた位置の席で固まって、縮こまっていた。

無理もない。確かに生徒達は、アルザーノ帝国魔術学院、セリカ=アルフォネアという大陸最高峰の魔術師が籍を置いているのは知っていたし、学院内でその姿を見かけたこともある。グレンとも師弟関係であるという話も知っているのだが、セリカには良くも悪くも様々な噂や逸話、伝説があるのだ。

近代魔術史の教科書に、度々名前が出てくるのが序の口。

曰く、二百年前の魔導大戦で邪神の眷属を殺した英雄、曰く、とある町一つ虐殺した殺戮者、曰く、帝国軍で戦略兵器扱いされていた《灰燼の魔女》、曰く、実は古代の魔王の生まれ変わり―――等々、枚挙に暇がない。

おまけにセリカは学院で授業やクラスを受け持たない為に生徒達とまともに言葉を交わす機会がほとんどない。その魔性の領域に達した美貌も、精緻すぎるがゆえに冷たさと硬質さを醸しだし、一種、近寄りがたい雰囲気を演出している。

生徒達が緊張に身構えるのは当然であった。

「なんであんたが御者のふりをしていたのかはどうでもいいが、俺を雇った条件は守って貰うぞ? コレ、あんたから見てどう思う?」

そんなセリカにロクスは平然と話しかけ、ある紙の束をセリカに手渡した。

「まったく、お前は本当に変わらないなぁ。少しは本ぐらい読ませろ」

そう言いながらも本を閉じてロクスから紙の束に目を通す。

「ほぅ、なるほど。これは面白い。完成自体はできてはいるが、まだ完全ではないというわけか……」

「ああ、これが完全になれば俺はもっと強くなれる」

「確かに。これはお前、お前達でなければできない魔術だな」

ロクスはそんなセリカ相手に平然と話しかけ、何らかの紙の束を見せ合いながら会話をしている。

誰が相手でも臆すことないロクスはいつも通りといえばいつも通り。しかし、二人の会話からまるで以前からお互いのことを知っていたかのような口ぶりにシスティーナは思わず訊いてみた。

「ねぇ、ロクス。貴方、アルフォネア教授と知り合いだったの?」

その問いにはセリカが答えた。

「そうだぞ、フィーベル。まだこいつが包帯だらけの半死人状態だった時に学院長に頼まれてな。少しだけ魔術の手ほどきもしてやった」

「半死人……」

どうしてそうなっていたのか、知りたくても聞きたくはない。だが、ロクスがどうでもよさそうに言った。

「その時はまだ拷問などで受けた傷が治っていなかったからな。まぁ、今も完全には治ってはいねえが」

「拷問……」

システィーナ達の誰かがポツリとそう言葉を溢した。

見ればその言葉にシスティーナ達の顔は少しだけ青ざめているのを見てロクスは嗤いながら言う。

「ああ、拷問だ。裸にひん剥かれて手足を拘束され、生爪を剥がされるなんて初歩の初歩。様々な道具を使って如何に生かさず殺さずの具合で苦痛だけを与えられるか。下手な奴はすぐに殺してしまうからな。まぁ、素人の方が余計な苦痛を感じることなく死ねて幸せだろうが。上手い奴は本当に上手い。肉体だけでなく精神的な苦痛も与えてくる。特に魔術師であれば虫を使役させて殺さない程度に内側から食い荒らしたり、頭を弄って殺しを強要させて罪悪感を植え付けて逃げられないようにしたり、頭の骨に圧力をかけて頭蓋骨を軋ませるのもあったな、頭の骨が軋む音は一度聞いたら忘れられない。俺も未だ忘れられないからな」

「ヒッ……」

「女なら強引に交らわせて女としての尊厳も滅茶苦茶にするなんてものもあるぞ? 性奴隷として人間の相手をするならまだ幸せだ。実験動物(モルモット)として魔獣や合成魔獣(キメラ)相手に無理矢理孕まされて苗床にされるなんてこともある。女って生物はそういうのを産み落とす母体として優秀だからな」

女性陣は顔面蒼白で両腕を抱きかかえるように自分の身を抱き締める。

身の毛もよだつ冒涜に、想像を絶する悍ましさに生理的嫌悪感が拭えない。

「テロリストのクソ共はそういうことを顔色一つ変えずにやるぞ? 魔術を究める為ならなんだってやる。誘拐、強姦、殺人から口では言えない悍ましいことまでなんでも、な」

あくどい笑みを浮かばせながら脅すかのようにロクスはそんなことを口にする。

「言い過ぎだ、馬鹿」

そんなロクスにセリカは呆れながら頭をチョップする。

「お前達もこの馬鹿が言ったことは気にするな。確かに奴等はそういうことを平然とするクソ共ではあるが、それを許すほどこの国も無能ではない。今のお前達の何十倍も優秀な魔術師の集まりだ。そうなる前にお前達の事を助けてくれる。それに」

セリカはチラリと前方の御者台にいるグレンに視線を向ける。

「必ずお前達を助けてくれる奴はいるさ」

その言葉にシスティーナ達は安堵の表情を浮かべる。そして、セリカが自分達と思っていた人とは違うと思ったのか、馬車内の緊張感が薄くなり始める。

「ふん」

セリカに歩み寄ろうとするクラスメイト達を見てロクスはセリカ達から距離を取る。

(これでよし……)

これで興味が先の戦闘からセリカに移った。余計で面倒な問答をしなくて済むと思ったロクスの膝にサラが頭を置いて枕にする。ロクスはそれをどうこうすることなくサラの好きなようにさせている。

それを見た誰かが「やっぱり幼女趣味(ロリコン)……」とボソリと口にしたがロクスは無視して目を閉ざした。

(助けてくれる、か……)

先のセリカの言葉にロクスは内心で嗤った。

(俺達の時は、誰も助けてはくれなかったがな……)

 

 

 

 

やがて、一行を乗せた馬車は、緩やかに起伏する草原を西へと進む。

そのまま、のんびりと、馬車に揺られていき……

傾いた日が遠い山の稜線にさしかかる頃――その遺跡は、ついに一行の前に姿を現した。

仰げば、透き通る柘榴石(ガーネット)のように暮れなずむ大空。

見渡せば、遥か遠くに美しく紅の指す連峰、その麓に広がる美しき湖の乱反射(かがやき)

見下ろせば、黄昏色に燃え上がる広大な草原。

そんな絶景を仰望できる切り立った崖の縁……この一帯でもっとも空に近き高台に。

その神殿は……静かに鎮座していた。

「あれが……『タウムの天文神殿』か……」

石で造られた、巨大な半球状の本殿。周囲に並び立つ無数の柱。渦を巻くような不思議な幾何学文様が、石で構成されたその壁面にびっしりと刻まれている。

独特な建築様式で造られたその神殿は、背後に背負う圧倒的な勝景に負けることなく、その確かな存在感を誇示しながら、そこにあった。

「……『タウムの天文神殿』……ここならば、あるいは……」

いつになく、思い詰めたような表情でそんな呟きを零したセリカ。偶然にもその呟きを聞いたロクスであったが、聞かなかったことにして自分用の天幕(テント)を張り始める。



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復讐の肯定者

遺跡に到着した次の日にグレン達は遺跡内へと足を踏み入れると、そのグレン達を狂霊――霊脈(レイライン)の影響で存在が変質し、狂化した妖精や精霊の手洗い歓迎を受けることになった。

精霊や妖精のような、概念的存在がマナによって受肉・実体化した存在。そんな精霊や妖精が狂化すると、目につくものを片端から襲う危険な存在になる。

だが、システィーナ達はそんな狂霊達を見事に迎撃して遺跡調査を進めていく。

『タウムの天文神殿』内はとにかく広い。

古代の宗教施設であるらしい神殿内には、祭儀場、礼拝場、天文台、霊廟、そして、大天象儀(プラネタリウム)場――それらがあの半球状の神殿内に三次元的に配置され、麻のように複雑に入り組んだ通路や階段によって、まるで迷路のように繋がれている。

外から見た以上の広さに疑念を抱くも、それには秘密があった。

それは壁や床、天井に刻まれた紋様によって空間が歪められているからだ。この時代で使う近代魔術(モダン)では古代人の古代魔術(エインシャント)の術式は詳しき解析できない為にはっきりとはされてはいないが、古代人の空間操作魔術によって遺跡内の空間が歪み、目測以上に広い空間ができあがっている。

更に古代人の作った遺跡や物品には、霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)と呼ばれている古代魔術によって物理的・魔術的な変化や破壊を完全にシャットアウトしてしまう。

それだけの魔術を使っていた古代人について謎が深まるばかりだが、グレン達は遺跡調査を続けていく。

「……さて、あそこが第一祭儀場か」

そして第一祭儀場に到着したグレン達は先にグレンが安全確認の為に先に入っていく。他の生徒達同様に待っていると。

『そう、貴方もあの子と同じなのね』

「――ッ」

不意に聞こえた声にロクスは瞬時に剣を握りしめ、背後に振り返るもそこには誰もいなかった。

(なんだ……?)

視線を動かして周囲を確認するもシスティーナ達どころかセリカさえグレンが入った第一祭儀場の方を向いている。ロクスは背後からの警戒を担う為に一行とは少し離れた後方にいたが、それでも何も反応していないのはおかしい。

(幻聴? いや、それにしてはあまりにも……)

気のせいだったと片付けるのは簡単だ。だが、気のせいで片づけるにはあまりにも不可思議が過ぎる。しかし、ロクスの後ろには誰もいない。

サラに視線を向けるもサラは首を傾げた。どうしてロクスが剣を握っているのか分からないような顔だ。

(なんだっていうんだよ、たくっ……)

一呼吸置いて剣を鞘に納める。

何もない以上、これ以上警戒しても意味がない。ロクスはシスティーナ達と一緒に安全が取れたであろう第一祭儀場に入っていく。

そのすぐ近くで一人の少女がいたことに気付くことなく。

 

 

 

 

その日の遺跡調査は何事もなく終えて日が沈む頃に遺跡前の敷設した野営場へと帰還する。

食事を済ませ、誰もが明日の遺跡調査に向けて休みを取っている間、ロクスは焚き火の灯りを頼りにセリカから修正された箇所を直しては改善している。

(なんだったんだ、あの声は……)

ふと思い出す。

第一祭儀場の前で聞こえた謎の声。間違いなく女の声だということはわかるも、それがいったい誰の声までかはわからない。

気にしてもしかたがないが、気にならないといえば嘘になってしまう。

(どこかの誰かに少し似てはいたが……)

脳裏に浮かび上がる一人の女。金髪でロクスのよく知る嫌いな女。

「ロクス君。まだ起きていたの?」

が、ちょうどよくロクスのところにやってきた。

「……お前こそさっさと寝てろ」

「そうしていたんだけど、目が覚めちゃって……」

あはは、と苦笑いしながら告げるルミア。慣れない天幕(テント)で満足に寝ることができなかったのだろう。そしてロクスがまだ起きていたから声をかけにきたというところか。

「サラ、さんは?」

「そこらへんほっつき歩いている」

久しぶりの外の為か、ロクスは自由気ままに出歩いている相棒の好きにさせている。

「そうなんだくちゅん」

くしゃみをするルミア。見れば寒そうに身を震わせていた。この辺りの夜は冷える為に身体が冷えるのも無理はない。そんなルミアを見てロクスは毛布を投げ渡す。

「羽織ってろ。それと焚火の近くにいろ。こんなところで風邪でもひかれたら面倒だ」

「あ、ありがとう……」

礼を告げてロクスの隣に座り込むルミアにどうして隣に座るのか? という疑問は口に出さずに放置する。眠たくなったら天幕(テント)に戻るだろうと思いながら改善の続きを行う。

「ロクス君とアルフォネア教授ってどういう関係なの?」

なのにルミアが話題を振ってきた。

「別に。ちょっとだけ魔術を教わっただけだ。後は学院長に頼まれてか、俺の異能について調べるためでもあったな」

「異能を調べる?」

「ああ、とはいってもそこまでわかったことはねえが」

隠していることではない為にロクスは淡々と答えた。

学院長であるリックはロクスの黒い炎、異能のことについてセリカの知識を借りようと思っての行動だったのだろうが、異能はまだ解明されていないことが多過ぎる為に調べる時間に比べて分かったことは少ない。

「恐らくはお前のことも調べているだろうな。下手をすればお前の異能は俺以上に謎が多いから」

そう、数多くの異能とその異能者を見てきたロクスでさえもルミアの異能については分からないことが多い。その分からない理由を天の智慧研究会は知っていて、その理由が目的でルミアを手に入れようとしているのかもしれない。

「俺とアルフォネア教授の関係なんてそんなもんだ。異能のことについて調べ終わってからはろくに会っていなかったしな」

「そうなんだ……」

納得というよりも安堵の表情を見せるルミアに怪訝しながらも話は終わったと思い手を動かす。

「ロクス。ただいま。あ、ルミアも来てたんだ」

「ああ」

するとサラが散歩から戻ってきた。

「……それじゃあ、私はそろそろ戻るね」

「ああ」

二人の邪魔をしてはいけないと思ったのか、ルミアは毛布をロクスに返してシスティーナ達のいる天幕(テント)に戻ろうとする。

「ルミア」

だけど、どういうわけかサラもついてきた。

「サラ、さん……」

「サラでいいよ。ちょっとだけ私とお話しよ」

「え? でも……」

「すぐに終わるから。ね?」

「は、はぁ……」

サラの意図がわからず戸惑うルミアであったが、同時にずっと前から聞きたかったことが聞けるチャンスだと思い、思い切って尋ねてみる。

「サラはどうしてロクス君の復讐を手伝うの?」

「大好きだからだよ?」

さも当然のようにサラは答えた。

「私はロクスが好き、大好き。だから力になってあげたいし、傍にいたい。好きな人の力になりたいのは人間も一緒でしょ?」

ロクスに向ける好意を隠すこともなく堂々と言ってのけるサラの気持ちはルミアだってわからなくもない。だけど……。

「それが復讐でも? もしかしたらロクス君が死ぬかもしれないんだよ?」

好きな人が死ぬかもしれない。それでも力を貸すのか? そんな問いにサラは……。

「それがどうかしたの?」

キョトンと首を傾げた。

「……え?」

予想外の反応。啞然とするルミアにサラは言葉を続ける。

「燃えるような強い意思を宿した瞳、業火のように決して消えない荒ぶる炎を宿した心。その炎は衰えることを知らないかのように燃え続ける。そんなロクスに私は一目惚れをした」

懐かしそうに、嬉しそうに、愛しそうに語る。

「私はロクスほど純粋な炎を宿した人を知らない。私の全てを捧げてもいいと、そう思わせるほどに美しくも荒々しい炎を私はずっと見ていたい。彼の傍で、彼の力として、最後の瞬間まで瞬くことなく」

精霊である彼女の瞳には何が映っているのか、何が見えているのかルミアにはわからない。けれど、これだけははっきりとわかる。

「私はロクスの復讐を肯定する。その為になら私は私の全てを捧げてもいい」

サラはロクスの復讐を肯定する存在だ。

好きだから、愛しているから、己の全てを捧げてもいいから彼の傍で彼の炎を見続けたい。それがサラがロクスに力を貸す最大の理由。

「例え死ぬことになっても、その時は私も一緒。地獄に堕ちても私はロクスの傍にいるつもりだよ。まぁ、私は精霊だから死後もロクスと一緒にいられるかわからないけど」

だけどロクスと一緒なら地獄に堕ちても構わないという気持ちは本物だ。

「ルミアはどうなの?」

「わ、私は……」

上手く言葉が出せない。言いたいことはあるのに、言葉が出てこない。

「まぁ、私はどっちでもいいけど、一つ助言(アドバイス)するのならルミアはもっと我儘になった方がいいよ。ロクスは他人の為に自分を犠牲にする人は大っ嫌いだから。それじゃ、おやすみ」

それだけ告げてサラは踵を返してロクスの元に戻った。

見れば既にシスティーナ達のいる天幕(テント)に辿り着いていた。たいした距離ではなかったとはいえ、ルミアにはまるで何時間にも感じるほどの距離を感じた。感じてしまった。

「私は……」

自分の抱えている歪みを実感しながらルミアは天幕(テント)に入っていく。



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星の回廊

セリカは学院長の屋敷に足を運んでいた。

別に学院長であるリックに呼ばれたわけではない。ただ以前に頼まれごとの際に見知った異能者の少年がどうしても気になって仕方がなかった。

それに明確な理由などはない。ただ『内なる声』、思い出せもしない謎の使命について何かわかるかもしれないとそう思った故の行動だった。

それだけじゃない。永遠者(イモータリスト)というセリカの特異体質。それによってセリカの身体は歳を取らない。一つの生命体として生命活動を行いつつも、時間が止まっている。

その原因は謎。原理も不明。無論、セリカ自身も心当たりがない。

異能者である少年、ロクスのことを調べればその謎も解けるのではないかという考えもあった。

もう一度、調べさせて貰おう。そう思ってセリカはリックの屋敷に訪れた。

カン、カン、カン……呼び鈴を打ち鳴らすも誰も出ない。

「誰もいないのか?」

屋敷から人の気配は感じられなかった為にどこかに出かけているのかもしれない。

「まぁ、アポなしだからな」

リックに予め家に訪れることを伝えていなかった為に家を留守にしていてもおかしくはない。だから仕方がないと、今度はアポを取って改めてロクスのことについて調べさせて貰おうと踵を返したその時、庭の方から音が聞こえた。

セリカは屋敷の庭がある方に足を向ける。万が一、異能者であるロクスを狙う類の輩なら始末しておこうと庭に行くとそこには前に見知ったロクスが木剣を振るっていた。

前に見たまま、全身に包帯が巻かれた状態で型とも呼べない素振りをしているロクスに何をやっているのだと半分呆れながら学院長は何をやっているんだとセリカは息を漏らす。

怪我人なんだから大人しく寝ていろ、とセリカはそれを告げようとロクスに歩み寄ろうとした時、木剣がロクスの手から飛んで行った。

その時、木剣の持ち手の部分に赤い液体が付着しているのが見えた。

「おい!」

セリカは思わず、足早でロクスに近づいて腕を掴み、その手を見る。

「お前……」

その手は血塗れだった。傷口が開いて出血したのではない。手から血が出るほどに木剣を振り続けていたのだ。

いったい、何百回、何千回も木剣を振り続ければこんな風になるのか。

「……あの人は朝からいない」

ロクスはセリカにそう言って掴まれた腕を振り払い、木剣を拾って再び振り始めようとするもセリカがそれを止める。

「馬鹿か、お前は。こんな状態になって続けても意味なんて――」

「うるさい!!」

セリカの言葉を遮るようにロクスは叫ぶ。

「俺は強くならなきゃいけねえんだ!! あのクズ共を皆殺しにする為にも強くならないといけねえんだ!! その邪魔をするな!!」

怒声が轟く。

紅い瞳に宿る憤怒、憎悪、明確なまでの殺意。

それは復讐を誓った者にしかわからない焦れるような黒い感情の業火。

その瞳がセリカのなかの何かを思い出させようとしていた。

(私は、こいつと似ている、のか……?)

わからない。だけど、それに近い何かなのは間違いではないだろう。

そんなロクスにセリカはある提案を促す。

「ロクス。お前、魔術を学ぶ気はあるか?」

それは共感か、それとも同情か哀れみかはセリカ自身もわからない。ただ放っておけない。それだけは確かだ。だからロクスが望むのであれば魔術を教えてやろうとセリカはその提案を促した。

その提案にロクスは頷いた。

 

 

 

 

 

 

遺跡調査の日々も何事もなく緩やかに続いていき、最深部を目指す。

「フッ」

魔力が付呪(エンチャント)された愛剣で次々と狂霊を斬り捨てていくロクス。一振りで何匹もの狂霊を倒していくロクスの戦闘にシスティーナ達はただ眺めていることしかできなかった。

「やっぱり凄いわね……」

「ええ、本来であれば【マジック・バレット】の方が効率がいい筈ですのに」

剣に魔力を付呪(エンチャント)して戦うよりも無属性系の攻性呪文(アサルト・スペル)の代表である【マジック・バレット】などを一節で起動し、遠間から連射させた方が効率的に狂霊を倒せる。

現にシスティーナ達は【マジック・バレット】で狂霊を倒していたが、ロクスは魔力を付呪(エンチャント)した剣一本で圧倒している。

「俺も剣術を習うべきか……?」

「やめた方が賢明じゃないかな?」

システィーナ達のそんな会話をしている内にロクスは狂霊を殲滅して戻ってきた。

「終わったぞ」

「ご苦労さん。やっぱりお前がいると助かる」

「雇い主の要望に応えただけだ」

雇い主であるセリカに言われ、仕方がなく狂霊を相手にしたロクスは剣を鞘に納める。そしてグレン達と一緒に最深部へと向かう。

「なぁ、ロクス。どうして魔術を使わなかったんだ?」

「こっちの方が手っ取り早いだけだ」

「魔術師なら普通は逆だと思うんだけど……」

あれこれと質問を投げてくるカッシュ達に適当にあしらうように答える。そんなロクスの姿をルミアはじっと見据える。

「ルミア、ロクスがどうかしたの?」

「システィ、ううん、なんでもないよ。怪我とかしてないかなって思って」

「そうね。まぁ、ロクスなら問題ないでしょう」

ここにいる中で実力的に言えばセリカの次に強いロクスが狂霊相手に傷を負うことなどまずない。それでも心配する親友(ルミア)を安心させようとするシスティーナにルミアもそうだね、と答えた。

だけどそうではない。

ルミアが気にしているのはそこではなかった。

(私の本当の気持ち……)

サラの言葉が今でも鮮明に蘇る。

我儘になった方がいい。そう助言(アドバイス)を受けてもルミアはまだ自分の歪み、気持ちに整理がつかないでいた。

だがそれも無理はない。はいわかりましたと変えられるほどルミアが抱えているものは簡単な問題ではないのだから。

「ほう……? このだだっ広い部屋が『タウムの天文神殿』が誇る大天象儀(プラネタリウム)場か……」

そして一同は最深部――大天象儀(プラネタリウム)場へと辿り着いた。

綺麗に磨き抜かれた半球状の大部屋の中心に、謎の巨大な魔導装置が鎮座し、その傍らには黒い石板のようなモノリスが立っている。

その魔導装置の正体は天象儀(プラネタリウム)装置。これも古代魔術(エンシャント)が生み出した一種の魔法遺産(アーティファクト)であり、光の魔術によってこの半球状の大部屋に星空を投射する……という機能を持つ。

そしてシスティーナの頼みに魔導装置を起動させて天象儀(プラネタリウム)を起動させるも、ロクスは興味がないかのように自分の仕事に取り掛かる。

一度天象儀(プラネタリウム)を見たグレン達も調査を開始し始める。

(古代人は何を考えてこんなもんを作ったのやら……)

魔術で隠してある部屋や魔力痕跡を探しながらロクスはふと思った。

天象儀(プラネタリウム)も古代人の考えもロクスにはどうでもいいことだ。唯一興味があるとすれば古代人が使っていたとされる古代魔術(エンシャント)ぐらいだ。

(何かの儀式的な装置か文化か……。まぁ、俺はフィーベルと違って魔導考古学なんてものに興味はねえけど)

内心でそう結論を出しながら仕事に集中するロクス。しかし、どれだけ時間をかけて念入りに調べても新しい発見はなかった。

周囲を見渡して他のクラスメイト達の方を確認してみるも結果はロクスと変わらず。やはり、もうこの遺跡には調べ尽くされたのだろうと結論を出したその瞬間、それは本当に、唐突だった。

きん、きん、きん―――

辺りに突如、魔力反響音が響き……一瞬、床の紋様をなぞるように蒼い光が走った。

「何――ッ!?」

慌ててグレンが振り返る。

すると、天象儀(プラネタリウム)装置が駆動しているではないか――

天象儀(プラネタリウム)装置のアームが先ほどと同じように室内に星空を投射し――星々が徐々に加速しながら回転していき――やがて、全ての星々が狂ったように頭上を暴走回転し、銀線となって無数の同心円を描き――

やがて、天象儀(プラネタリウム)装置がゆっくりと動作を止め――星空が消えていき――

「な――ッ!?」

天象儀(プラネタリウム)場の北側の空間に、蒼い光で三次元的に投射された『扉』が出現していた。それは明らかに、離れた空間同士を繋ぐワープゲートの類いだ。

「う……嘘……本当に……?」

突然の『扉』の出現に流石のロクスも驚きを隠せない。そして、天象儀(プラネタリウム)装置の制御モノリスの傍らにいるシスティーナとルミアを見てこの二人が天象儀(プラネタリウム)装置に対して行った何らかの操作が、この謎の『扉』を出現させたのは明かだ。

その『扉』にカッシュ達は大騒ぎをしてはいるが、ロクスはありえない、とそう断言していた。

(フィーベル達が偶然、たまたまこの『扉』を発見した? いや、ありえねぇ……。確かにフィーベルには魔術師としての才覚も魔導考古学に対する造詣も深い。だが、今のフィーベル達程度で偶然に発見できる代物ならとっくに誰かが発見している)

魔術師達も馬鹿ではない。

ありとあらゆる方法を試してそれでも天象儀(プラネタリウム)装置としての機能以外何もないと結論を出している。もし、僅かでも何かあればそれに気付かないわけがない。

誰もが、ロクスさえも突如出現した『扉』に呆気を取られているなかで誰もが気付かなかった。

セリカがその『扉』を、目が血走らんばかりの勢いで睨みつけていたことに。

「……ほ……星の……回、廊……? そうだ……《星の回廊》だ……ッ!?」

セリカの様子は尋常じゃなかった。何か意味不明な事をぶつぶつ呟いている。

そんな意味不明なことを、まるで譫言のように呟いたセリカは突然、何かに背を蹴られたように、猛然と駆け出した。

虚空に開かれた、その謎の『扉』を目指して――

「アルフォネア教授!?」

「セリカ!?」

「《アホが》」

猛然と謎の『扉』に向かって駆け出すセリカにロクスは呪文改変で黒魔【ラピッド・ストリーム】を起動させる。

セリカが何があるかわからないその『扉』に跳び込もうとするなんてド素人以下のことをやらかすのはロクスも予想外。だが、このままどんな危険なあるのかもわからない所にセリカを行かせるわけにはいかないと思い、激風を身に纏って爆発的な機動力でそれを阻止しようと動き出す。

だが、問題があった。

それは距離。

ロクスは他のクラスメイトやグレンやセリカ達と距離を取って調査を行っていた。システィーナとルミアが謎の『扉』を発見してもその場から動くことはなく、遠目で見ていた。

だからこそセリカが駆け出してから【ラピッド・ストリーム】を起動させてもそれはもう遅く、ロクスがセリカを捕まえるよりも早くセリカは向こう側へ―――姿を消した。

グレンは慌てて、後を追おうとするが、『扉』はグレンの目の前で――セリカを吞み込んだまま――

その『扉』は消えてしまった。

「……くそっ! セリカッ!? セリカァアアアアアアアアアアア――ッ!?」

グレンが『扉』があった場所の床に飛びつき、拳で叩き、叫ぶ。

「チッ」

そのグレンにロクスは小さく舌打ちした。



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失った者からの警告

謎の『扉』の向こうへ、セリカは消えた。

この緊急事態に、グレンは一旦、生徒達をまとめ、野営場にまで戻ってグレンはシスティーナとルミアを自分の天幕内に招き入れた。

親鳥の後を追う雛鳥のようにリィエルもついてきたし、ロクスも有無を言わせず天幕内に入るが、二人も聞いておくべき話になるだろうから問題はない。

グレンは天幕内の四方に魔晶石を配置し、音声遮断の結界を張ってシスティーナとルミアの二人に天象儀(プラネタリウム)装置に何をしたのかと訊いた。

まとめると、システィーナはセリカに天象儀(プラネタリウム)装置を調べて貰ったが結果は何もなく、それに納得いかなかったシスティーナは、ルミアの能力アシストをこっそり受け、黒魔【ファンクション・アナライズ】で天象儀(プラネタリウム)装置を魔術解析したらしい。

ルミアの能力は『感応増幅者』――触れている任意の相手の魔力を一時的に超増幅させ、結果として魔術を強化する異能。システィーナはその能力でセリカが見落としたことが発見できればと思ったらしい。

だが、それがとんでもない誤算だった。

ルミアの能力を受けたシスティーナは、あの装置の裏に走る得体の知れない術式が、今までまったく見えなかったものが、急に見えるようになったのだという。

動揺したシスティーナは、つい操作モノリスに触れてしまった。

すると――今までなかった機能が、偶然、発現し――あの『扉』が出現した。

「なるほどな……」

今回の一件でロクスは確信した。

ルミアの異能は何かが違うということに。

「ようやく理解できた。ティンジェル、お前の異能は『感応増幅能力』じゃねえ。いや、正確に言えばその能力は何かしらの副産物で本来の力の一端でしかねえ筈だ。少なくとも俺はお前のような異能者は知らねぇ」

件の施設で多くの異能者やその異能を見てきたロクスだからこそ断言できる。

ルミア以外にルミアのような異能者は他にはいないと。

「あのクズ共がお前を狙う理由が少しは分かった。下手をすれば俺なんかよりもよっぽどやばい能力なのかもな」

だけどそれはそれで謎が増えた。

(天の智慧研究会はいったいどこでティンジェルの能力を知った? ただでさえ、ティンジェルの存在は秘密扱いされているというのに……)

ルミア=ティンジェルは廃棄王女。政治的事情によって、帝国王室から放逐された存在だ。

それでも腐っても元は王族。普通なら近づくことすらできない人間だった筈なのにどうやってルミアの能力のことを知ったのか? 仮にどこかで偶然に見てしまったとしても『感応増幅者』だと思うはずだ。

現にグレンだけじゃない。ロクスだってそう思っていたし、今でもルミアの本当の能力はわからないままだ。

(まるで初めからティンジェルの能力を知っていたかのように……)

いや、まさか……。とその考えを捨てる。

いくら奴等でも誰がどんな異能を持って生まれてくるのかわかるわけがない。と、今はルミアの能力については置いておく。それは後でも考えるべきことだ。

今はセリカについて。

「講師。教授のことはどうする?」

「無論、連れ戻しに行く」

即、グレンは断言した。

「ヤな予感がしやがるんだ……セリカのやつ、何か様子がおかしかった……なんでかはわかんねえが、普通じゃなかった……放っておけるわけねえじゃねえか……ッ!」

グレンはロクスに頭を下げる。

「ロクス。悪いが手を貸してくれ。お前にとっては面倒事かもしれねえが頼む」

「……ああ、今回は手を貸してやる。教授には借りがあるからな」

グレンの想像していた以上にあっさりと快諾した。

ロクスにとっても思うところがあるのかもしれないが、今は素直にありがたかった。

ただし。

「それとティンジェルも連れて行く。というか、帰る際はそいつの力がいる」

セリカを助けに行く同行者として指名されたルミアは驚くも、そんなことなどお構いなしにロクスは言葉を続ける。

「ティンジェルの力なしじゃ『扉』を開くことはできねぇ。向こう側にも『扉』を開く装置があるとすればティンジェルの力は必要になる。教授を助けに行くのならティンジェルをこっちに残しておく選択はねぇ」

ルミアの力がなければ『扉』を開くことができない。

こちら側から『扉』を開いても向こう側の『扉』が開かなければ戻ることはできない。それならば初めからルミアも同行させていた方が確実に戻って来られる。

「だが、しかし――」

「勘違いするなよ、講師。俺は教授に借りがあるから今回は手を貸すが、本来ならそんな危険なところに付き合ってやる義理はねぇ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかねぇんだよ」

もし、『扉』を通ったのがセリカでなければロクスはグレンに手を貸すことなどしない。わざわざ、何が起こるかわからない危険地帯に足を踏み入れるほどロクスは愚かではないつもりだ。

なにより、ロクスには果たさなければならない使命がある。

「先生。私も行きます」

ルミアがそう言った。

「ロクス君の言う通り、その方が確実に教授を連れて帰ってこれます。危険なのも分かっています! でも……私、覚悟は出来ています! だから、どうか、私にもアルフォネア教授を助ける手伝いをさせてください! お願いします!」

続いて。

「せ、先生。私も行くわ……。そもそも私のせい、だし……お祖父様には敵わないけど……私だって、これまで魔導考古学を必死に勉強してきた……扉の向こうで私の知識が何か役に立つかもしれないし……だから……ッ!」

すると。

「わたしも行く。セリカを助けたい」

当然、と言わんばかりに、リィエルもそんなことを言い出した。

「お、お前ら……」

ルミア達をちらりと一瞥し、グレンは苦悩する。

どんな低級の遺跡でも、未探索領域では何が起きるか分からない。ロクスやリィエルならともかく、そんな危険性のある場所に……ルミア達を連れて行ってもいいのか? そして残された生徒達はどうする? と、リスクとリターンを天秤にかけるグレンにロクスは呆れるように言う。

「だからお前は過保護なんだよ、講師」

ロクスが呆れながら言葉を続ける。

「お前が鍛えた生徒はなにもできねぇガキか何かか? お前がいちいちアレやコレをしねぇといけねえほどに弱いのか? それとも自分の教え子がそんなにも信じられねえのか?」

「ロクス……」

フン、と苛立ちを吐き捨てるようにロクスはグレンに告げる。

「誰かを守りたいのなら、助けたいのならなりふり構わずに使えるものは全部使いやがれ。失ってからじゃ何もかも遅ぇんだぞ」

それはまさしく何もかも失った者にしかわからない重みがあった。

守りたかったもの、助けたかった人。自分の命以外の全てを失った者からの警告。その警告を受けたグレンは一瞬、言葉を失った。

(ロクス、お前は……)

失ったものは戻ってこない。ロクスはそれをよく知っている。

けど、グレンはまだ間に合う。

本当に守りたいのなら、助けたいのなら変な意地を張らず、一人で無茶をしようとせずに、みっともなくても誰かに助けを求めるのは恥ではない。

そして――グレンは覚悟を決めて言った。

「頼む……力を貸してくれ、ロクス、ルミア、システィーナ、リィエル。セリカは、ガキの頃から一緒にいてくれた、俺の唯一の家族なんだ……だから……」

そんなグレンの懇願にも似た言葉に。

一人は呆れるように溜息を溢しながら頷き、三人の少女達は力強く頷きを返すのであった。



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亡者と炎

セリカを助ける為にグレン達は再び大天象儀(プラネタリウム)場に訪れて、ルミアの力を借りて『扉』を開いた。そしてセリカが口走っていた《星の回廊》を踏破し、光の扉をくぐり抜けた先にて。

「な……」

そこかしこに干からびた死体――無数のミイラが転がっていた。しかも、皆一様に恐怖と無念の形相に、その顔を歪ませて――

「ひ――ッ!?」

ミイラの存在に気づいたシスティーナが小さく悲鳴を上げ、グレンの腕に取り縋る。だが、グレンにも怯えるシスティーナを気遣うだけの精神的余裕がない。

「……な……なんなんだ……ここは……?」

「……少なくともタウムの天文神殿内じゃねえな。それに……」

グレンに続くようにロクスが周辺を見渡しながらそう告げて足元のミイラを見る。その朽ちかけた独特な衣装と、手にした杖から察するに……

「魔術師か? ここにいる奴等、全員が……? だけど、この傷は……」

謎のミイラ達は例外なく、焼け焦げていたり、体の一部を欠損していたりと外的損傷が激しかった。恐らくは、それらの外傷が生前の彼らの命を刈り取ったのだ。

(見た感じではどいつもこいつも魔術で殺されていやがる。ということは仲間割れ、か?)

ミイラ達の損傷はどれも魔術によってつけられたもの。少なくともロクスが見える範囲では剣で殺された者はいない。

詳しく検分すれば何か手掛かりは掴めるかもしれないが……。

「おい、講師。さっさとここからずらかるぞ。ここの空気はやべぇ」

「……ああ」

ここから離れる。それはグレンも賛成だった。

ここにいるだけで背筋から熱が奪われていくような……正気が、命が削られていくような、濃厚な『死』の匂いに充てられてグレンは目眩と吐き気を感じている。

ここは地獄。きっと、生きている人間が足を踏み入れていい場所ではない。怨嗟と死の穢れに満ちた、呪われた空間だ。

それなのにロクスはグレン達に比べてまだ平然としている。

「ロクス、お前は……」

平気なのか? という言葉がグレンの口から出る前にロクスが先に告げた。

「この空気には耐性がある。それだけだ」

ロクスは既に地獄を体験した身だ。

件の施設で地獄を体験してきたロクスにとってこの空間に漂る『死』の匂いには慣れている。だから、グレン達と比べて眉根を寄せる程度で耐えられている。

「よし! 行くぞ、お前ら! さっさとセリカを探して、こんな辛気臭ぇとこ、オサラバしようぜ?」

生徒達の前でこれ以上動揺を見せまいと、グレンは小さく震える拳を強引に握り固め、下腹に気合を入れて空元気で、明るく言った……その時だ。

ずる、……り……、と。後方から何かが這うような音が響いた。

「――ッ!?」

音に反応し、一同が咄嗟に振り返る。

グレンが指先に灯した魔術の光を、その音がした方向へと向ける。

すると、後方にある曲がり角から、長い金髪の女が這い出してくるのが見えた。

「セリカか!? おい、どうし――」

グレンがその女に向かって駆け出そうとするがロクスがそれを止めた。

「よく見ろ。あれが教授か?」

鋭い眼差しで女を警戒しながら告げるロクスの言葉にグレンは改めてその女を見ると、それはセリカではなかった。

ずるり。

その女には……左腕がなかった。

ずるり、ずるり……

もっと言えば、その女には下半身もなく、干からびた臓腑を引きずっていた。

ずるり、ずるり、ずる……り……

女はそのまま、石像のように固まったグレン達に這いずりながら近づいてきて……幽鬼のように振り乱した髪の隙間からグレン達を恨めしそうに見上げ……

その眼窩に眼球はなく、無限の闇色が湛えられていて……

「きゃああああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」

システィーナの悲鳴が上がったのを皮切りに。

ガサササササササササ――ッ!

女が右腕一本を物凄い勢いで動かし、蜚蠊の如き挙動と素早さで這い寄ってくる。

『憎イ―――憎イ―――憎ィイイイイイ―――ッ! ァアアアアアアアア―――ッ!』

古木の洞を抜けるような金切り声を上げ、右腕一本で跳躍し、ロクスに掴みかかろうとするが……

「《知るか》」

そんなこと知ったことか、と言わんばかりの黒魔【ブレイズ・バースト】を起動。女を一瞬で焼き捨てる。

炎が女を焼き捨て、グレン達は安堵するのも束の間。

「おい、いつまでもボケっとしているつもりだ」

ロクスのその言葉にえ? となるグレン達の足元にいるミイラ達が次々と動き出して身を起こし始める。それだけではない。壁からは無数の手が生え、グレン達を捕えようとその手を伸ばす。

「サラ」

「うん」

相棒の言葉に頷き、サラは炎を生み出す。

その炎はまるで意志を持っているかのようにロクスの手のひらに収束される。

「《火葬の・時間だ・亡者共》」

すかさず呪文改変による黒魔【メテオ・フレイム】を詠唱。頭上から無数の炎弾が雨霰と降り注がれるだけではない。先に収束していた精霊の炎を加えて火力を高める。

精霊と魔術。二つの力が加わった炎弾が降り注がれ、ミイラ達は一人も残さずに灰も残らずに燃え尽きる。

「チッ」

だが、ミイラ達は消滅させることはできても亡霊達には効果が薄い。それならば魔力を付呪(エンチャント)した剣で直接倒そうとするが。

「《送り火よ・彼等を黄泉に導け・その旅路を照らし賜え》」

詠唱が聞こえた。

見ればルミアが香油の小瓶を取り出し、少しずつ垂らす様に振りまかれる香油に、不意に炎が引火し、明るい橙色の聖なる炎が、轟と渦巻いて燃え上がった。

それは白魔【セイント・ファイア】。

高位司祭が使うような高等浄化呪文。死者・悪霊のみを祓い清める浄化の火。その浄化の火はグレン達に火傷一つ負わせることなく亡霊達を浄化消滅させる。

「皆……大丈夫?」

「……あ、ありがとう……ロクス、ルミア……」

「ん。助かった」

システィーナとリィエルが、ルミアにお礼を言う。

「講師が情けねぇ姿を見せてんじゃねえよ」

「う、す、すまん……」

責められるように生徒に文句を言われたグレンはバツ悪そうに謝る。

金縛りにあったように身体を硬直していた為にもし、ロクスとルミアがいなければ先のミイラ達に殺されていたかもしれない。

「それよりロクス。お前、さっきのはいったい……?」

「魔術に精霊の力を加えて火力を上げただけだ。サラと俺の固有魔術(オリジナル)が前提の複合技だけど」

サラの頭に手を置きながら告げる。

(簡単に言っているが、それがどれだけ繊細な技量が必要だと思っていやがる……ッ)

グレンはロクスの技量にただ戦慄する。

黒魔【メテオ・フレイム】は強力な広範囲制圧の軍用攻性呪文(アサルト・スペル)だ。だが、先のロクスが放った【メテオ・フレイム】は広範囲制圧ではなく、広範囲殲滅に匹敵する火力を有している。

精霊の力を加えたというのであれば、なるほど、確かに火力も上がるだろう。だが、魔術に別の力を加えれば暴発するのが当たり前だ。それだけ魔術には繊細な精神集中と魔力操作が要する。

いくら精霊と契約しているとはいえ、それをさも当然のように使えるようになるには血を滲むような努力と研鑽では足りない。

(ロクス、お前はいったいどこまで……ッ)

今のロクスに敵う帝国軍がいったい何人いるか。どれだけ自分を追い詰めればそれだけの強さを手にすることができるのか、グレンには想像もできない。

全ては天の智慧研究会に復讐する。その為だけにロクスは強さを求め続ける。

「それよりもちょうどいい。おい、ティンジェル」

ロクスはルミアに声をかける。

「手を貸せ。俺とお前でさっさと終わらせるぞ」

ロクスはルミアに協力を求め、ルミアはそれに頷いた。



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魔人

その場に据えられていた小型のモノリスを調査し、グレンはルミアの力さえあれば光の扉を、いつでも開いて帰れることを確認して通路の奥へと歩を進めていった。

幸い、行く先は迷わなかった。セリカのものと思わしき、新しい足跡が残されていたからだ。通路を進み、部屋らしき空間を通り抜け、迷路のように複雑に入り組んだ通路をいくつも抜けていき、やがて現れた階段を降りる……その繰り返し。

そして、ミイラ化した魔術師の死体はどれも同じように外的原因で激しく損壊している。そのミイラが動き出して、それに連動して亡霊も湧きだし、グレン達を襲うのだが。

「《送り火よ・彼等を黄泉に導け・その旅路を照らし賜え》」

ルミアの浄化呪文。

橙色の聖なる炎はその形を変え、意志を持つ蛇のように動き出す。

縦横無尽に動きまある聖なる焔の蛇。その焔の蛇に呑み込まれた亡者や亡霊達は片端から浄化されていく。

「ちょうどいい。これで余計な手間が省ける」

面倒事が減ったかのように言うロクスは浄化したミイラ達がいないことを確認して焔の蛇を霧散させる。

ロクスはルミアの浄化の火を自身の固有魔術(オリジナル)である【灼熱令界(レへヴェー)】で掌握して隷属させることで自分の意のままに操っていた。

あらゆる炎熱を隷属させることができるロクスの固有魔術(オリジナル)とルミアの高等浄化呪文があってできる共同作業。

(今回ばかりは使えるな……)

まさかルミアが高等浄化呪文を使えるとは思わなかったが、今回ばかりはロクスもルミアがいてよかったと思っている。

ロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】はあらゆる炎熱を掌握して隷属させることができる。たとえそれが敵対者から放たれる炎熱系の魔術でも例外なく隷属させることができる炎熱特化の固有魔術(オリジナル)なのだが、一つの欠点はある。

それは炎がなければ何の効果も発揮しない。ということだ。

あくまでロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】は炎を自分に隷属させるものであって無から炎を生み出せるわけではない。

だから固有魔術(オリジナル)を使うには炎を生み出さなければいけないし、隷属しているだけだから形は自在に変えられても火力を上げることはできない。火力を上げるにはまた新たに炎を生み出さなければいけないし、ルミアが使う白魔【セイント・ファイア】のような特殊な炎もロクス自身もしくはルミアのように誰か使える人が傍にいないと効果を発揮しない。

「……私、役に立ってる?」

「ああ、今回ばかりはな」

不安そうに尋ねてくるルミアにロクスは今回ばかりは肯定した。

ルミアがいなければまだ手こずっていた。こんなにも容易にミイラ達を浄化させることができるのもルミアのおかげだ。だからロクスも今回ばかりは素直に肯定を取った。

「そっか……」

嬉しそうに、だけどそれでもどこか不安を覚えるかのように顔を若干曇らせる。

「それにしても、どこだよ、ここ……?」

今、グレン達がいるこの構造物は、どうやら無数の円形階層が上下に積み重なった『塔』のような建造物らしいのだが、グレンはテラスから外の様子を拝みながら怪訝する。

びゅごお、びゅごお、とテラスを吹き抜ける冷たい風。

いつの間にか、日は落ちたらしい――眼前に広がる果てしなき夜空。

見上げれば、髑髏のように大きく真っ白な月。

迷宮のように複雑に入り組んだ構造になっていると思えば、人が暮らしていたであろう様々な痕跡までまる。迷路であり、町でもある。

そんな『塔』を進んで行くと、不意に、前方へ真っ直ぐ延びる通路の奥から、低い地鳴りのような轟音が響いた。

「!」

その奥にはアーチ型の出入り口が、無限の闇色を湛えている。

「先生!? 今のは……ッ!?」

「……ああ、多分、セリカの魔術だ……戦っているのか?」

「急ぎましょう、先生!」

一斉に駆け出すグレン達。

そして、奥のアーチ型をくぐり抜け――

「な―――ッ!?」

グレンの眼下に広がったのは、まるで闘技場のような大広間であった。

グレン達から向かってフィールドの遥か向こう側には、黒光する石で封じられた巨大な門が、高くそびえ立っている。

そして、その門の前で――

「はぁあああああああああああああああ――ッ!」

セリカが、無数の亡霊・亡者達を相手に戦っていた。

ミイラと化した亡者達が、悪霊と化した亡霊共が、後から後から無限に湧いては、セリカに襲いかかっている。そこはまるで死霊のるつぼだった。

だが――その押し寄せる津波のような死霊達を、セリカはまったく寄せ付けない。

右手に剣を、左手で魔術を振るセリカ。

「ふ――ッ!」

ほんの刹那に放たれた数十閃の剣撃が、セリカに掴み掛ってくるミイラの群れをバラバラに吹き散らし――

「――《失せろ》ッ!」

ただ一言の呪文で起動された、黒魔【プラズマ・カノン】、【インフェルノ・フレア】、【フリージング・ヘル】――上位のB級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)が、その猛威を振るう。

三重唱(トリプル・スペル)

セリカ=アルフォネアを、セリカ=アルフォネアたらしめる絶技の一つ。

もう一つ。

(白魔改【ロード・エクスペリエンス】だったか……)

魔術師であるセリカがあれほどまでの剣技が使えるのは魔術によるもの。

白魔改【ロード・エクスペリエンス】……物品に蓄積された思念・記憶情報を読み取り、自身へ一時的に憑依させる術。他者の経験記憶を自身に憑依させる白魔術は存在するもそれらは基本的に『白魔儀』――儀式魔術。複雑な手順と膨大な手間暇をかけて行う高度な大魔術なのだが、セリカはそれを白魔改として使えている。

そしてセリカの持つ片手半剣(バスタードソード)。魔法金属――真銀(ミスリル)で鍛え上げられたその剣の本来の持ち主はかつて帝国史上最強の剣士と謳われた女の、生前の愛剣。

セリカはその剣の持ち主の技を一時的に借りている。

ロクスは一度だけその魔術と剣技を見せて貰ったことがある為にすぐに理解できた。

(見るのはこれで二度目になるが……)

学院に入学が決まった祝いとしてセリカが一度だけ使ってくれた魔術。ロクスは全力で挑んだが、簡単にあしらわれてしまった嫌な思い出がある。

(なにやってんだ、教授は……)

だが、今のセリカはどこか焦っているような印象が見受けられる。少なくとも以前に相手をした時とは違う。

 

 

 

 

死霊達を根こそぎ滅殺し、その場に立ち尽くすセリカの下へ。

「セリカ!」

グレン達が駆け寄っていく。

「…………グレン、か……?」

のろのろと緩慢な動作で、セリカが振り返る。

その暗鬱な顔には、どうもいつもの覇気が感じられない。

「……どうしてここに……?」

「そりゃこっちの台詞だ! お前、何でこんな所に一人でのこのこ来てんだよ!?」

ぐい、とセリカの胸ぐらを掴み上げ、怒りと共にグレンが捲し立てる。

「なぁ、グレン! 聞いてくれ! やっと……やっと、見つけだんだ!」

だが、突然、セリカが明るい顔で嬉しそうに言った。

……いかにも取り繕ったかのような、無機質な表情だった。

「はぁ……? 見つけたって……何をだよ?」

「私の、失われた過去のてがかりだ!」

「……何?」

予想外のセリカの言葉に、グレンは硬直さぜるを得ない。

「思い出したんだよ……あの『タウムの天文神殿』最深部……大天象儀(プラネタリウム)場で、あの光の扉が出現した時……ほんの少しだけ思い出した……」

セリカは、グレンに詰め寄り、頬を上気させて言った。

「私は……その昔、あの扉を……あの《星の回廊》を行き来したことがあるんだ! 間違いない! なんとなく覚えているんだ!」

「な……」

「今の今まで、何一つ思い出せなかったのに、こんなこと……この四百年の間で初めてのことだ!」

そして、いかにもご機嫌といった様子で両手を広げ、くるりと回ってみせる。

「それにな、グレン! ここがどこだかわかるか!?」

「どこって……どっかの『塔』みたいだったが……?」

「ふふん、ここはな……実はアルザーノ帝国魔術学院の地下迷宮なんだよ!」

「…………は?」

「しかも、ここは地下89階層……黒魔【コーディネイト・ディテクション】で位置と座標を確認したから間違いない!」

地下迷宮。アルザーノ帝国魔術学院の地下に存在する謎の迷宮。その探索危険度S++。帝国に数多く存在する遺跡の中で最高ランクの危険度。その地下89階層。

「地下49階層……あの忌々しい《愚者への試練》さえ突破すればこっちのもんだ! 喜べ、グレン! 私は……ついに、この地下迷宮の謎を解けるぞ!」

今のグレンには考えるべきことが多過ぎる。

この迷宮のことも、天象儀(プラネタリウム)装置のことも、《星の回廊》のことも、そしてそこにセリカが通ったことがあることも、考えるべきことがあまりにも多すぎる。

だが、今はそんなことはどうでもいい。

グレンにはそんなことよりも、最優先でやらねばならないことがある。

それは――

「……やっぱり……私の過去は……失われた使命は……そして不老の謎は……この地下迷宮にあったんだ……『声』のとおりだ……」

そんな意味不明なことを譫言のように呟きながら……

「そうだ……なんとなく……覚えてる……あれだ……あの『門』だ……」

吸い寄せられるように、闘技場奥にある巨大な門へと歩み寄るセリカの手を……

「あの扉の先に、きっと……………………私の全てがある……やっと……やっと……」

「駄目だ」

手を伸ばして掴み、引き留めることだった。

「……帰るぞ、セリカ」

「な、なんでだよ……? やっと……私が何者なのか、わかるかもしれないんだぞ?」

狼狽えるセリカに。

「なんで、あの『門』の向こう側に、お前の過去があるって思うのか、俺にはさっぱりわからんが……」

一瞬、いおうか言うまいか、グレンは迷いを見せ……

「はっきり言ってやる。セリカ……お前の失われた過去って……多分、本当にロクでもないもんだと思う」

グレンは真っ直ぐとセリカを見つめ、真摯な顔でそう告げた。

「ここに来たとき、ここの連中は、誰かを酷く恨んでいた。誰を恨んでいるんだと思ってたんだが……さっきのお前の戦いを見て確信した。連中はお前を恨んでいたんだ」

「…………ッ!?」

お前も連中の声は聞いただろう? 一体、何をうっちゃらかしたら、こんなに恨まれるんだよ……? 俺には想像もつかないぞ……」

「ぐ、グレン……」

「だが、んなこたぁどうでもいい。ここのクソ亡霊どもが、いっくらお前を憎もうが、恨もうが、俺の知ったこっちゃない。お前は俺の……師匠だ。それ以外の何者でもねえ」

「で、でも……でも、グレン! わ、私は……ッ! 私……は……」

「なぁ、セリカ。帰ろうぜ? もう、いいじゃねえか。お前の過去なんて。もう、忘れちまえよ。たとえ、お前が何者でも、俺は……」

「……違、う。違うんだよ、グレン……」

グレンの言葉を上から塞ぐようにセリカが言った。

「お前の言う通り、私の過去はロクでもないものだと思う……。さっきの亡者共を情け容赦なく私が殺したんだろう……。恨まれる理由も憎まれる理由もそれで理解できる……」

「なら――」

「だけど、まだ終わっていない。私の使命は、復讐はまだ終わっていなかったんだ……」

セリカはロクスに視線を向ける。

「ロクスと出会い、ロクスを見ていて薄々だけど気付いてはいたんだ。私はロクスと同じ復讐者で、ただの醜い、救いようのない悪鬼だ」

「セリカ……」

「私はいったい誰を憎んでいる? この原因不明の不老……『永遠者(イモータリスト)』はなんなのか……? その答えがこの『門』の先にあるかもしれなんだぞ? そうじゃなきゃ、私は……私は!」

突如、セリカはグレンの手を振りほどき、門へと向かって駆けだしていた。

「あっ! おいッ!? セリカッ!?」

グレンの叫びを背中で受けながら、セリカは真っ直ぐと門を目指す。

(あの門だ……ッ! あの門の先に、きっと、私が求める全てが……ッ!)

駆けながらセリカは黒魔改【イクスティンクション・レイ】を起動させる。

全てを崩壊消去する巨大な光の衝撃波が放たれ、荒れ狂う光の奔流は、セリカの前方に立ちはだかる門を直撃し――

世界が、白熱して――

視界が白く、白く、染め上がり――

…………。

やがて、全ての光が消え――

――静寂。

「……な、なんで……なんで……だ、よ……?」

セリカは、愕然とそれを見つめていた。

そんな滑稽なセリカを拒むように……あざ笑うように……その門は傷一つ負うことなく、セリカの前に厳然と立ちはだかっていた。

「なんでだよッ!? なんで壊れないんだッ!? くそッ! これじゃあ、この門の向こうに行けないじゃないかッ!」

セリカが門に近づき、その門を拳で悔しげに叩いた。

「……無駄だ。らしくねぇ、お前ともあろうやつが霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)を忘れたか? ……古代人の建造物は、物理的にも魔術的にも破壊は不可能だ」

追いついたグレンが、拳を門へ打ちつけ続けるセリカの手を、背後から掴み取る。

「離せ! 離せよ、グレンッ! 私は――」

血の滲む拳を振り回し、子供のように駄々をこねて暴れるセリカを、グレンは門に押しつけ、押さえつける。すると不意にセリカが叫ぶ。

「ロクス! お前なら、お前の異能ならこの『門』を壊せるはずだ!」

名案とばかりにセリカがそう口走る。

確かに、可能性としてはできるかもしれない。ロクスの異能は他の異能とは違う。ロクスの黒い炎なら霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)ごと焼き尽くすことも可能かもしれない。

「お前ならわかるだろうッ! 私の気持ちが!! なら、私の代わりに――」

「セリカ! お前いい加減に――」

その時だった。

『その尊き門に触れるな、下郎共』

地獄の底から響くような声が、朗々と辺りに響き渡り……

『愚者や門番がこの門、潜るこ事、能わず。地の民と天人のみ能う――汝等に資格無し』

「な……?」

一同、思わず、目を剥いた。

突如、暗闇からしみ出るように、そいつは闘技場の中央に現れたのだ。

緋色のローブで全身を包んでいる謎の存在だ。そのローブは丈長で、フードの奥は無限の深淵を湛え、その表情は窺えない。眼光一つ差さない。

その全身から立ち上がる、闇色の霊気(オーラ)

まるで闇そのものがローブを纏い、人の形作った――そう思わせる魔人だった。

その魔人を目の当たりにした瞬間、その魔人の異質性を感じ取った。

(やべぇ……)

直感が、本能が全身から警戒を発している。

根本的な存在として規格が違い過ぎることを肌で感じ取ったロクスは剣先を魔人に向けて神経を極限まで研ぎ澄ませる。一瞬の油断もせず、サラにも警戒を促す。

「……はっ! 誰だ、お前……?」

だが、セリカは違った。

執着している門を前に……普段の冷静さを失っている。

「まぁいい。話がわかりそうなやつで、ちょうどいい。おい、お前。この門の開け方を知ってるか? 知ってるなら教えろ。じゃないと消し飛ばすぞ」

『……貴女は……』

セリカを認識したらしい魔人が、不意にその威圧的な雰囲気を緩める。

『……ついに戻られたか、(セリカ)よ。我が主に相応しい者よ』

「……は?」

突然、名前を呼ばれ、呆気に取られるセリカ。

『だが……かつての貴女からは想像もつかないほどのその凋落ぶり……今の貴女に、その門を潜る資格無し……故に、お引き取り願う……』

「何を……何を言ってる……ッ!? お前は私のことを知っているのか!?」

『去れ。今の汝に、用無し』

そして、そんなセリカを完全無視し、魔人は戸惑うグレン達に向き直る。

いつの間にか、手にしていたのか――魔人はその両手に二振りの刀を構えていた。

左手に紅の魔刀。右手に漆黒の魔刀。

その二振りとも、見るからに禍々しい呪詛と魔力が漲っている。

『愚者の民よ。この聖域に足を踏み入れて、生きて帰れると思わぬ事だ……汝等は只、我が双刀の錆と成れ。亡者と化し、この《嘆きの塔》を永久に彷徨うがいい――』

明確な敵意と殺気がグレン達へと叩き付けられてくる。

洪水のように迫るその圧倒的な存在感は、瞬く間にグレン達を呑み込む。

(クソッタレが……ッ!)

歯を噛み締めて内心で悪態を吐く。すると、不意に感じていた圧倒的な存在感が緩んだ。

なんだ? と思ったその時、魔人はロクスに向けて言った。

『……(セリカ)によって討滅されたと聞いたが、まさか(セリカ)の軍門に降ったか……』

「あぁ?」

何言ってんだ、こいつ。と思ったロクスを前に魔人は告げる。

『しかし、汝もまた(セリカ)と同じく想像もつかないほどの凋落ぶりはまるで愚者の民。かつての無限熱量とまで称された炎はどうした? 《炎魔帝将》ヴィーア=ドォルよ』

「……は?」

魔人は童話『メルガリウスの魔法使い』に登場する魔王の配下、魔将星の一人の名をロクスに向けてそう口にした。



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異形の少女

童話『メルガリウスの魔法使い』に登場する《炎魔帝将》ヴィーア=ドォル。

魔王の配下の魔将星の一翼にて『百の炎』を振るった火焔の魔人。

グレン達の前にいる魔人はそうロクスに告げたのだ。

(なんでここで《炎魔帝将》が出てきやがる……ッ)

グレンは疑念を抱く。

全く関係のない魔将星の話。その一人がロクスだと告げる魔人にグレン達は理解が追いつかなかった。

だが、それはロクスも同じだ。

(俺が《炎魔帝将》……?)

童話『メルガリウスの魔法使い』なら小さい頃にロクスも何度も読んだことはあるから内容は覚えている。その話に出てくる魔王の配下、魔将星である《炎魔帝将》ヴィーア=ドォルがどのように『正義の魔法使い』に倒されたのかも覚えはいるが、自分がそうだと告げられてもロクスには何の実感も湧かなかった。

(ありえねぇ……たかが童話に出てくる登場人物(キャラクター)だぞ)

ただの魔人の勘違い、たまたま顔が似ているだけ、魔人の言葉を否定する言葉はいくらでも出てはくるのに……。

(なのに、どうして俺は、それを否定しねぇ……)

言葉が出なかった。

まるで心が、魂が納得しなざるを得ないかのように否定する言葉を発することができなかった。

『汝の振るう『百の炎』は出さぬのか? 剣はどうした? (セリカ)に敗れ、『夜天の乙女』から授かった力も失ってしまったのか?』

ロクスが《炎魔帝将》ヴィーア=ドォルと認識して声を投げる魔人に流石のロクスも困惑するしかない。

しかし――

「聞けよ……人の話をなッ!」

セリカが痺れを切らしたのか、据わった目で魔人へと突進していた。

「話す気がないなら、強引に聞き出すまでだっ!」

「ばっ――ッ!? よせッ!? セリカ――ッ!」

グレンの制止も聞かず、セリカが声高に呪文を叫ぶ。

「《くたばれ》ッ!」

起動される黒魔【プロミネンス・ピラー】。

真紅に輝く超高熱の紅炎が、天を灼く火柱となって瞬時に魔人を呑みこみ――

『……まるで児戯』

魔人がゆるりと振るった左手の魔刀が、セリカの魔術を斬り裂き――かき消した。

『そのような愚者の牙に頼むとは――なんという惰弱。汝が誇る王者の剣はどうした? かつての汝はすでに死んだか?』

(何――ッ!? 今、あいつ、何をやった!?)

その様子に、グレン達は目を剥いた。

現象だけ見れば、セリカの攻性呪文(アサルト・スペル)打ち消(バニシュ)した……それだけだ。

だが、それはありえない。

近代の軍用魔術においては、B級は打ち消し(バニシュ)出来ない――防ぐしかない――

黒魔【プロミネンス・ピラー】はB級軍用魔術。

魔人はその手に持つ武器を振るっただけでかき消したのだ。

「――はっ! 対抗呪文(カウンター)の腕は中々だなッ!?」

「違うぞ、セリカッ! わからないのか!?」

神速の挙動で魔人へと迫るセリカにグレンは制止の声を飛ばす。

「あれは対抗呪文(カウンター・スペル)とかそんなんじゃない! もっと異質で別の――」

だが、頭に血が昇り、冷静な判断ができないセリカには届かず――

「はぁああああああああああああああああああああ――ッ!」

セリカは真銀(ミスリル)の剣を振りかざし、魔人の懐へと、一気に跳び込んでいた。

すでにセリカは【ロード・エクスペリエンス】によって、かつての《剣の姫》と謳われた英雄の剣技を自身に降ろし、無双の剣士と化している。

今の彼女に近接戦闘で敵う者など、この世にいるわけが――ない。

「そのクソ生意気な首を刎ね飛ばす! 知りたいことはその首に直接聞いてやるッ!」

セリカは疾風の如く、魔人へと肉薄し――

『借り物の技と剣で粋がるか――恥を知れ』

魔人も左手の魔刀を振り抜きつつ、セリカへと鋭く踏み込み――

キィイイイイイイイイッ!

甲高い音と共に、セリカの剣と魔人の刀が喰らい合い、両者がすれ違う――

「な――」

途端、セリカが狼狽えた。

「な、なんだ……これ……どうなって……?」

狼狽えながらも、セリカが振り返り、魔人に剣を構える。

その構えには、先ほどまでの最強剣士の風格がまったく感じられなかった。

「な……なんで、私の術が解呪(ディスペル)されて……? い、今、何を……?」

『我が左の赤き魔刀・魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)……そのような小賢しい児戯は我には通じぬ……』

魔人はセリカを振り返ると、朗々と告げる。

『我は、その剣の真なる主に敬意を表する。今の一合いで理解した。その剣の主……今は亡き、見知らぬ愚者の子よ……人の身で、よくぞその領域まで練り上げた……』

ここに居ない誰かへ祈りを捧げるように、魔人が刀で円を描く。

『天位の御座にある我といえど、その剣に宿る技には畏敬を抱かずには居られぬ……』

そして……魔人が、狼狽えるセリカへゆっくりと、双刀を構え――

『……其れが故に、その冒涜が許せぬ、(セリカ)よ……ッ! 汝は何処まで堕ちた? 我は汝に対する失望と憤怒を押さえきれぬ……ッ!』

「くそ……ッ! 《雷光神の戦鎚よ》――ッ!」

咄嗟に跳び下がるセリカが魔人へ左手を向け、黒魔【プラズマ・カノン】を唱え――

『やはり、児戯』

魔人が左手の魔刀を振るうと、魔人に迫る収束雷撃が虚しく霧散し――

その刹那、ぷん、と残像する魔人の姿。

瞬時にセリカの背後へ回り込んだ魔人が、右手の魔刀を稲妻の如く打ち下ろす。

「ちぃ――ッ!?」

間一髪。辛うじて反応したセリカが、跳び転がって、その斬撃を避けるが――

魔人の刀は、セリカの背中に微かな掠り傷を刻んでいた。

「……あ……ッ!?」

次の瞬間、セリカの全身を魂が抜け落ちるような感覚が襲った。

転がる勢いのまま、体勢を立て直そうとするも――身体に力が入らない。

セリカはそのまま四肢を投げ出すように、無様に倒れ伏してしまった。

「な……? なんだ……? ち、力が……?」

『……我が右の黒き魔刀・魂喰らい(ソ・ルート)……我が刃に触れた貴様はもう終わりだ……』

無防備に倒れるセリカへ歩み寄り、魔人は右手の魔刀をその首筋に当てた。

力を失ってしまったセリカとは裏腹に、魔人が纏う闇色の霊気(オーラ)は先ほどと比べて明らかに勢いを増しており、見るからに力が漲っていた。

「……ぅ……ぁ……」

自分の首筋に感じる冷たい感覚に、セリカがおののく。

指一本動かすことすら一苦労する今のセリカには、最早為す術がない。

『見込み違いだったか……今の汝に我が主たる資格無し……神妙に逝ね』

その冷たい刃が彼女の首筋に触れかけた――

まさに、その瞬間。

「っざっけんな、クソがぁああああああああああああああああああああ――ッ!」

咆哮する六連の銃声と共に、空間を過ぎる六閃の火線。

グレンの拳銃早撃ち(クイックドロウ)からの連続掃射(ファニング)だ。

『ぬ――ッ!?』

不意討ちが功を奏し、最初の一発の弾丸が魔人の心臓部を射貫き――

その刹那、神速旋回する双刀、踊る五条の剣線。

それはまさに超反応、電光石火の絶技。魔人は飛来する残り五発の弾丸を、瞬時に全て弾き返し――天井高く跳躍して、グレンから大きく跳び下がった。

「大丈夫か、セリカッ!」

その隙に、グレンが倒れ伏せるセリカを背後に庇うように、魔人と相対する。

セリカからは返事がない。どうやら気絶してしまったようだ。

「そのまま教授を守ってろ、講師」

グレンから距離を取った魔人に迫るロクスは剣に炎を纏わせて魔人に炎の剣を振るう。

魔人は左手の魔刀でその炎の剣を受け止めて炎をかき消そうとするも――

『……なに?』

剣に纏う炎をかき消すことはできなかった。

「魔術はかき消せても、精霊の力は消せねぇようだなッ!」

ロクスの剣に纏う炎は魔術にあらず、契約精霊のであるサラの炎。いくら魔人の魔刀、魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)でも精霊の力までもかき消すことはできなかった。

『……精霊、か』

炎をかき消すことができなくても魔人は冷静に言葉を発する。

『失った力の代用か? (セリカ)同様に汝もまた剣を失ったか。汝が所有する剣があればまだ我と対峙できたろうに』

その言葉は裏を返せば今のロクスでは相手にもならない、と告げているのと同じ。

「ハッ。誰と勘違いしてんのか知らねえが、俺の名前はロクス=フィアンマだ! 《覚えとけ》!」

ロクスは至近距離から黒魔【ブレイズ・バースト】を起動。

ゼロ距離で魔人に収束熱エネルギーの球体を叩き込む。

『むっ!?』

着弾、爆炎、爆圧。魔人は爆炎に包まれる。

自身すら巻き込みかねない自爆技ではあるが、ロクスには固有魔術(オリジナル)がある。それによっていくら至近距離で炎熱系の魔術を放っても自分だけは無傷で済むはずなのだが……。

「……なんで生きていやがる……?」

魔人は生きていた。

何事もなかったかのようにそこに立っている。

普通なら消し炭すら残っていなくてもおかしくないほどの爆炎。それを受けても平然としている魔人に頬から冷汗が垂れる。

『……力を失っても本質は変わらず、か。よかろう、汝の炎がどこまで我に通じるか試すがいい!』

「意味の分からねえことをゴチャゴチャと言ってんじゃねぇ!!」

鋭い踏み込みと同時に右の魔刀を振るう魔人に対してロクスも炎を纏った剣で応戦する。

二振りの魔刀から繰り出される鋭い、鋭過ぎるといっても過言ではない剣閃はもはや神速。無数の斬撃がロクスを襲うも、ロクスはそれに応戦するが……。

(クソがッ! 呪文を唱える暇もねぇッ!!)

その剣撃に応戦することはできてはいるも、呼吸する暇もないほどの怒涛の剣撃を前にロクスは魔術を唱える余裕どころか、一瞬足りとも油断ができない。そんな隙を晒せば待っているのは死あるのみ。

今もロクスは本能と経験のみでどうにか魔人の剣撃を防いでいるに過ぎない。

だが、それも時間の問題。

ロクスは常に魔人の持つ右の黒き魔刀・魂喰らい(ソ・ルート)を警戒しなければならない。もし、その魔刀にかすりでもすればその時点でも敗北は避けられない。

そんな精神的重圧(プレッシャー)を受け続ければいくらロクスでも持たない。

(こいつを倒すにはアレを使うしかねぇ。だけど、そんな隙をこいつが与えてくれるわけがねぇッ!!)

魔人を倒せるかもしれない可能性は、ある。

しかし、それには自身の契約精霊であるサラが必須で最低でも数秒の時間が有する。

呼吸する暇もないほどの怒涛の剣撃に応戦するのがやっとの今の状況で切り札を使う余裕がなかった。

そんな時。

「《紅蓮の獅子よ・憤怒のままに・吼え狂え》ッ!」

「《紅蓮の獅子よ・憤怒のままに・吼え狂え》――ッ!」

ロクスの後方から二つの火球が放たれた。

システィーナとグレン。ルミアの力で増幅された黒魔【ブレイズ・バースト】。放たれた火球はもはや猛火の如き炎となってロクスごと魔人を爆炎の嵐に呑み込ませようと迫りくる。

『味方諸共ッ!?』

味方であるロクスと一緒に倒さんと放たれた炎は普通なら味方を見捨てた最低な行動だが――

「上出来だ」

ロクスにとってはそれは援護になる。

システィーナとグレンが放った黒魔【ブレイズ・バースト】はまるでロクスの剣に吸い込まれるかのように収束されて超熱量・超火力を宿った炎熱の剣となる。

その圧倒的な炎熱と熱量を有する剣を一振りすれば流石の魔人でさえ無事では済まない。

振るわれる超火力の剣。

その剣を前に魔人は……。

『……愚か』

魔人は左手の魔刀でその炎をかき消した。

『我が左の赤き魔刀を忘れたか? そのような小賢しい児戯など我には通じぬ……』

「てめぇこそ忘れたか?」

落胆したかのように言う魔人にロクスは告げる。

「てめぇの相手は俺だけじゃねぇ」

「いいいいいやぁあああああああああああああああああああ――ッ!」

ロクスが魔人から離れると同時にリィエルが烈風のごとく魔人に肉薄する。

リィエルの手に持つのはいつもの錬金術によって錬成した剣ではなく、セリカが使っていた真銀(ミスリル)の剣。リィエルは小さな体躯を弓なりにしならせて、全霊の発条を乗せて剛閃する。

リィエルの渾身の一撃が魔人の身体に入り、魔人の身体が大きく吹き飛ぶ。

半瞬遅れて巻き起こった剣圧が、ビュゴオと周囲を駆け抜ける。

……普通なら終わりだ。

あんな猛烈な斬撃をモロに食らって、生きていられるわけがない。即死だ。

だが――案の定――

『――見事なり』

ふわり、と。

グレン達から遠く離れた場所に、余裕の動作で降り立つその魔人。

『《炎魔帝将》の助力があったとはいえ、愚者の民草らに、三つ持って行かれるとは……未だ我も未熟、か……』

魔人は再び双刀を油断無く構えながら、一歩一歩、グレン達の下へ……

その挙措には、やはり何の影響もない。負傷(ダメージ)がまったく見えない。

「お前、ちょっと働き過ぎじゃね……? もう休んどけよ……」

再装填(リロード)を終えた拳銃を構えながら、グレンが虚勢の軽口を叩く。

ロクスもまったくだ、と内心グレンの軽口に同意する。

グレンの銃、ロクスの炎、リィエルの剣によって最低でも三回は殺したはずの魔人が何の問題もないかのようにそこにいる。まるで不死身でもあるかのように。

(どうする? 今ならアレが使える。だけど、もし、仮にあいつが不死身なら意味がない……。仮に不死身じゃなくて何かしらの法則があるのならまずはそれをどうにかしねえと……)

ロクスは思考を加速させる。

今のこの状況を打破できる方法を。自身とグレン達の戦力を踏まえた上でどうするか考える。

その時だった。

「……え?」

いつの間にか、世界が音と色を失い、モノクロ調に染まっていた。

魔人も停止している。

全てが灰色となった無音の世界で、音と色を失わずにいるのは、グレン達だけだ。

「な、なんだこれ……?」

「先生……? こ、これは……? 一体、何が起きて……?」

あまりにも不可解な現象に、グレン達が戸惑っていると。

『……貴方達。こっちよ。早く来なさい』

不意に背後から響いてきた声に、グレン達が一斉に振り返る。

そして、一同は息を呑んだ。

「な――」

『この状態はそう長く保たないわ。急いでこの場を離れるわよ』

そこにいたのは――少女だった。

燃え尽きた灰のような真っ白な髪、暗く淀んだ赤珊瑚色の瞳。身に纏う極薄の衣。

そして、その背中に生えている――この世に属するモノとは思えない、異形の翼。

『何をぼうってしているの、早く。あいつはこの聖域に足を踏み入れた愚者の民を許さない。地獄の果てまで追ってくるわ。だから――』

「お、お前は――ッ!?」

「その声……あの時の……」

グレンはその少女に見覚えがあった。ロクスもその声に聞き覚えがあった。

『……ふん。人間って本当に蒙昧ね。辻褄の合わないことは、すぐ自分で自分を騙して流す、現実を現実のまま捉えようとしない……愚かなことだわ』

蔑むような昏い目でグレンを睥睨し、鼻を鳴らす少女。

「ね……ねぇ……貴女……なんなの……?」

システィーナが震えながら、少女に問う。

「どういう……ことなの……? 貴女、どうして……そんな姿を……ッ!?」

その問いは、システィーナに限った話ではない。

その場の誰もが等しく抱いた問いだった。

「貴女……どうして……? どうして、ルミアと同じ顔なのよ……ッ!?」

震えるシスティーナの指摘するとおり。

その異形の少女の顔は――ルミアとうり二つであった。



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ナムルス

『……私? そうね、今はナムルスとでも名乗るわ』

ルミアそっくりの異形の少女の手引きによって、闘技場を脱したグレン達。

焦燥に追い立てられるままに足を動かし、魔人からかなり距離を稼ぎ、一安堵して。

すると、当然、誰もが抱いていた疑問に、その少女はそんな風に答えた。

「……名無し(ナムルス)、ね」

そのあからさまな偽名に、グレンは呆れたように嘆息する。

あの全てが停止した灰色の世界はいつの間にか元に戻り、辺りは魔術の光だけが頼りとなる相変わらずの暗黒世界だ。

グレンは気絶したセリカを背負い、一行を先導するナムルスに続く。

貴方達を助ける、ついてきなさい――そう語った異形の少女、ナムルス。

信用できるかできないかで言えば、信用できるとは思う。

グレン達を害するつもりならば、わざわざ助けに入らない。その得体のしれない力を使ってまで助けに入るあたり、この少女の言葉通り、グレン達を助けようとしていることは……間違いないはずだ。

だが――

「なぁ……お前、何者なんだ? その変な翼はなんだ? なんで俺達を助ける? さっきのヤバげな魔人と、俺達を救った灰色の世界はなんだ? 魔人がロクスのことを《炎魔帝将》って言っていたことについて何か知っているか? お前、なんで俺達のことを知っているんだ? なぁ、お前、なんでルミアとそっくりなんだよ? 何か関係あんのか?」

『……………………』

ナムルスと名乗る少女は、グレンの問いに対し、頑なに完全沈黙を決め込んでいた。

ただ、その鬱屈とした目で、ちらりとグレンを一瞥するだけ。

まさに、沼に杭を打っているような気分。

「そいつが何者かなんてどうでもいいことだろ? 講師」

一行の殿を務め、背後を警戒しているロクスがそうグレンに言う。

「今、俺達が優先することはなんだ? この迷宮から脱出することだろうが。そいつの正体を探ることじゃねえ」

「そりゃ、まぁ、そうだけどさ……」

正論である。

今、グレン達が最も優先しなければいけない事はこの迷宮から脱出すること。ナムルスと名乗る異形の少女のことについて調べるためではない。

「まぁ、俺としちゃ気に食わねえ顔が増えて苛立って仕方がねえけど」

『あら、奇遇ね。私も貴方だけは助けるべきではなかったと、ちょっと後悔しているところよ』

互いに苛立ちを隠そうともせずに睨み合う。

『あの子に敗れてなお、生にしがみつくなんて……いい加減にさっさとくたばってしまえばいいのに』

「そりゃ俺の台詞だ。てめぇこそとっくに肉体を失った残留思念みたいな存在だろうが。いつまでもこの世にしがみついてないでさっさとくたばれ」

『はぁ?』

「あぁ?」

「おい、止めろ! 今は喧嘩している場合じゃねえだろ!?」

「お前は黙ってろ! 今はこいつに言ってんだ!」

『貴方は黙ってて! 今はこの男に言ってんのよ!』

「お前等、本当は仲良しだろ!?」

二人の間に火花でも飛び散っているかのように嫌悪感を隠すことなく睨みつけ合う二人にグレンは制止の声を投げるも二人は息を揃えてグレンに言い放った。

獣のように唸り声でも上げそうなほどに睨み合う二人をグレン達はまぁまぁと宥める。

「ケッ」

『フン』

互いにそっぽを向き合い。似た者同士というべきか、同族嫌悪というべきか、悩ましいものだ。

「そ、そういえばお礼がまだでしたね……どうもありがとうございます、ナムルスさん。私達のことを助けてくれて」

二人が落ち着いた頃合を見計らってルミアはナムルスに礼を告げる。

すると……ナムルスがふと、足を止め、ルミアへと振り向いた。

一行もまた、それに釣られて足を止めた。

「ナムルスさんがどうして私と同じ姿をしているのかはわからないけど……同じ姿をしているからかもしれないけど……私、なんだか貴女が他人のような気がしないんです」

『…………』

「ひょっとしたら、私達、前世で姉妹か何かだったのかもしれませんね?」

それは、別に媚び売りでもお世辞でもなんでもなかった。

ルミアが心から感じたことを、そのまま伝えただけだった。

……だが、ナムルスはそんなルミアに、すっと身を寄せて……

『私はね……貴女のことが大嫌いよ、ルミア』

敵意と憎悪に満ちた表情で、ルミアを睨みつけた。

『姉妹だなんて反吐が出る。貴女だけ、さっき死ねば良かったのに……』

それは先ほどロクスに向けた怒りや苛立ちよりも深い、隠すことのない悪意をルミアに向けた。

流石のルミアも言葉を失って、硬直し……。

場に緊張が走った。システィーナが息を呑み、グレンが背中に隠した銃のグリップを握る。リィエルは真銀(ミスリル)の剣を構え、今にも斬りかからんばかりの体勢だ。

「お前等、落ち着け。そいつには何もできやしねえよ」

だが、そんなグレン達にロクスが制止の声をかけた。

「さっきも言ったが、そいつは残留思念のような存在だ。いわば思念体。驚かせることはできても、危害を加えることなんてできやしねえよ」

『……癪だけど、そこの男の言う通りよ。彼女に危害を加えるつもりもないわ。……ただの愚痴よ』

身構えるグレン達を投げやりに一瞥し、ナムルスは再び冷たい視線でルミアを射抜く。

『今の貴女にこんなことを言うのは筋違いだって、私もわかってるわ。……でも、言わずにはいられない……貴女さえいなければ……ッ!』

一方的にそう言い捨てて。

ナムルスはルミアから視線を外し、再び、一行を先導するように進み始める。

「貴女は……とても優しい人なんですね」

だが、どこか寂しげなナムルスの背中に……ルミアは、そんな言葉をかけていた。

『……なんで、そうなるのよ……?』

「だって、貴女はそれほど私を憎んでいながら……私のことも助けてくれました」

『……そんなの……ついで、よ』

「私は……貴女が、どうして私を憎んでいるのかわかりません。だから、安易に謝ることはできません……嘘になるから」

そして、ルミアはナムルスの背中を真っ直ぐに見つめて、はっきりと告げる。

「だから、せめてお礼を言わせてください……」

『………』

「私を、私達を助けてくれて、ありがとう」

……すると。

不意に、ナムルスの姿は闇に溶けるように消えていった。

「お、おい!?」

『……しばらく消えるわ。頭冷やしてくる』

慌てるグレンに、ナムルスが冷ややかに告げた。

『大丈夫よ。私は、貴方達が古代遺跡と呼ぶ物の、大体、何処にでもいるわ。このまま、私が教えた通りに進みなさい。じゃあね……』

そんな声を周囲に反響させるように残し……ナムルスは完全に消えていった。

「ったく……なんなんだ、あいつは……」

呆れたようにため息をつき、頭をかくグレン。

今回の一件は本当に、意味不明でわからないことばかりである。

「……う……ん……?」

グレンの背中で身じろぎする気配。

グレンが背負っていたセリカが……うっすらと意識を取り戻していた。

「……グ、グレン……? ……こ、ここは……?」

グレンがほっとしたように息を吐く。

「おい、気分はどうだ……?」

「……最悪だ」

セリカはぐったりとグレンに頭を預けながら、力なく呟いた。

背中の傷はとっくにルミアの法医呪文(ヒーラー・スペル)によって治療されてはいるも、セリカの状態は芳しくない。

その理由は魔人の黒き魔刀・魂喰らい(ソ・ルート)によってセリカのエーテル体を著しく喰われ、霊魂を損傷してしまったからだ。それにより、セリカは二度と魔術が震えなくなるかもしれない。

それからセリカは今、置かれているグレン達の状況を尋ね、足手纏いだから置いて行けとグレンに告げた。

「こんな私がいたんじゃ……逃げる速度も……戦いも……不利になる……」

「ああ、そうだな。まったくその通りだ、ちくしょうめ」

「……だろ? だから……」

「だが、断る」

グレンはセリカを背負い、歩き続ける。その足取りにまったく迷いはない。

「……頼むから……こんな時くらい、私の言うこと聞けよ……ッ! このままじゃ……」

「うっさいッ! 黙れ、やかましいッ!」

だが、グレンはセリカを叱咤して、強引に背負い直し、淡々と歩き続ける。

「お前を連れてこのクソ迷宮から脱出する!! この方針に変更はねえ!! 文句あっか!? この野郎ッ!!」

「なんで……だよ……? なんで、そこまで、私を……?」

弱々しく呟くセリカに……

「家族だからだッ!」

即、グレンが断然と叫んでいた。

「お前と俺の立場がもし逆だったとしても、お前なら、俺を引きずってでも連れて行くはずだッ! どんなに生還率が低くなろうとも!」

そして、グレンは声のトーンを落とし、憮然と呟く。

「……家族ってそういうもんだろ?」

「グレン……」

セリカはしばらく、呆けたような顔でグレンの背中に身を預け続け……

「私達は……家族か……?」

「それ以外のなんだと思った?」

「本当に……? 本当の、本当に……?」

「しっつこいな……そうだっつってんだろ……」

「……そう、か……私達は……家族か……ははっ……ぐすっ……ひっく……」

すると、セリカは何かに安堵したように息を深くつき……

そして、グレンの背中で静かに嗚咽し始めた。

セリカは怖かった。

『内なる声』、復讐はもはやセリカにとってはどうでもいいものとなってはいた。しかし、原因不明の不老不死『永遠者(イモータリスト)』のせいで自分とグレンの生きている時間の違いにグレン達と自分は違う存在なんだと、家族として認めてくれないんじゃないかと、それが怖かった。

グレンと同じ時間を生きる『人間』になりたかった、と己の心の声を吐露する。

だからセリカは自身の不老の謎の答えを求め、『永遠者(イモータリスト)』から『人間』へとなるため、地下迷宮へ。

「俺とお前は、家族だ」

セリカの不安を取り除く手段も、セリカの求めを証明する手段も持ち合わせていないグレンは何度でも言葉にするのだ。

「俺とお前は家族だ、セリカ。そもそも家族以外の何だって言うんだ? マジで」

何度でも。

「お前……俺と一緒に暮らす十年以上の月日の中で一体何を見てたんだ? アホか? マジで。不安に思うなら素直に言え、そういうことは。そういうクソくだらねえ悩みを打ち明けて、ぶつかりあってこその家族だろ? ンなこともわかんねーのか?」

何度でも。何度でも。

「お前って本当にガキだよな……いくつだよ? ったく、この耄碌ババアめ……あー、こりゃ、家族の俺が当分介護してやらにゃ駄目だわ、マジで……」

彼女がそれを不安に思う度に、何度でも――

「……お前は今のままでいい、セリカ。何も気負う必要なんてねーよ。お前が『永遠者(イモータリスト)』だろうが、人間じゃなかろうが、神だろうが、悪魔だろうが、魔王だろうが、復讐者だろうが……お前は、俺のたった一人の……大切な家族だ……」

グレンは淡々と、それでも想いを込めて、言葉を連ねていく。

セリカがわかってくれるまで、安心してくれるまで、何度でも。

「お前は……今のままでいいんだよ……」

「そう……か……」

グレンの言葉をじっと聞いていたセリカは、まるで夢見心地のように息を吐いて。

そして……

「……私……なんで、こんな簡単なことが……わから……、な………、…………」

「……セリカ?」

そのまま、セリカは再び深い眠りについた。

「ったく……余計な手間かけさせやがるぜ……」

ふて腐れたように言い捨て、大切そうに背中のセリカを背負いなおす。

(家族、か……)

グレンと、その背中で子供のように寝息を立てるセリカにロクスは家族のことを思い出していた。

自分も今のセリカのように小さい頃、父親に背負って貰ったことがある。そんな懐かしい過去の記憶。

もう、父の背に背負って貰うことはもちろん、その背を見ることも叶わない。

(仇は必ず、必ず取ってみせる……ッ! その為にもまずは……)

この地下迷宮から脱出しなければいけない。

 

 

 

戻ってきたナムルスを先導に再び地下迷宮を進むグレン達。このまま何事もなく終わってくれ……そんな思いをあざ笑うように……ついに。

「……来たな」

『そうね』

ふと、回廊を行くグレン達が歩を止め、背後を振り返る。強大で禍々しい力を持つ何者かが、すぐそこまで近づいている気配が……ひしひしと肌に感じられたのだ。

目的地までまだ距離がある。それならば取るべき方策は一つ……迎え撃つしかない。

だが、不死身の魔人相手に一人が残ったところでたいした時間稼ぎにはならない。結局は全滅。

そんな時。

「どうせ逃げられないなら……戦いましょう、皆で。……あの魔人と」

今の今まで、ずっと何かを考え込むかのように押し黙っていたシスティーナが、不意に意を決したようにそう口を開いた。

「あの魔人を私達で打倒しましょう。全員が生き残るには……それしかありません」

きっと、それは彼女の精一杯の勇気を振り絞っての言葉なのだろう。

システィーナの肩は、唇は、小刻みに震えていた。

「戦うって言うが、何か勝算はあるのか? フィーベル。あの魔人は不死身。その不死性をどうにかしない限りは俺達に勝算なんてねえぞ?」

ロクスの言葉にグレン達も頷いた。

しかし――

「崩せるわ」

システィーナはそう言った。

「私の推測が正しければ、だけど……あの魔人には恐らく弱点があるの」

そう言って。

システィーナは、自身が背負う背嚢を下ろし、その中身をごそごそ物色し始める。

「……ひょっとしたら、何かの役に立つかも……そう思って持ってきたんだけど……まさか、こういう形で役に立つなんて……」

システィーナが背嚢の中から取り出したのは……

「……は? 『メルガリウスの魔法使い』……? セリカが持ってきていた本か?」

「はい」

訝しむようなグレンの視線が刺さる中、システィーナが本をぱらぱらとめくり始める。

そして――

 

 

決戦の場に選んだ場所は――迷宮内に造られた空中庭園らしき場所であった。

広い空間に、比較的手狭な広間が高さを変えて複数存在し、それらを無数の入り組む階段が繋いでいる。今は水が枯れているが、噴水池やそれらを繋ぐ水路が所々あり、かつては流れる水が滝や噴水を形成し、とても美しい場所であったろうと想像ついた。

「来るぞ」

ロクス。隣には相棒であるサラ。そしてグレンに真銀(ミスリル)の剣を提げたリィエル。

少し離れた後方の、グレン達がいる広間より二、三メトラほど高い位置にある広場のテラスに、やや緊張した雰囲気のシスティーナとルミアが待機している。

そんなグレン達の元に、圧倒的な気配が近づいてくる。

ゆっくりと、ゆっくりと……

その肌を痺れさせるように薄ら寒くする、ドス黒い気配は徐々に強まっていき……

……そして。

『退かず、我に立ち向かうか。《炎魔帝将》そして愚者の民よ……』

魔人がグレン達の前に姿を現した。相変わらず目眩がするほど禍々しい圧力(プレッシャー)。こうして対峙しているだけで、膝が震え、背筋と額に大量の冷や汗が伝い落ちていく。

『我に牙剥くその蛮勇は愚か。だが、天晴れ。せめてもの褒美に、苦の無き死を与えようぞ……』

かつん、かつん、かつん……

広場を繋ぐ階段を登り、魔人がグレン達の陣取った場所へ、ゆっくりと近づいてくる。

圧力(プレッシャー)がさらに絶望的に強まり、恐怖に締め上げられた心臓が悲鳴を上げていく。

が――

「そうかねえ? まったく届かねーわけじゃないと思うがなぁ?」

グレンは精一杯、余裕の演技をし、眼下の魔人を小馬鹿にするように言い放つ。

「なにせ――てめぇの命の残数(ストック)は、後、三つ……だろ?」

「てめぇの正体はもう割れてんだよ。《魔煌刃将》アール=カーン」

『………』

階段を登る魔人の動きが――止まった。



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決戦

魔人と戦う少し前――

「……と、あの魔人の不死性とその弱点を説明する前に……」

ふと、本をめくる手を止め、不意にシスティーナが話を変える。

それはロラン=エルトリアについて。

ロラン=エルトリアは近世では有名な魔導考古学者でメルガリウスの天空城を中心に古代史研究を重ね、その代表著作の名は『メルガリウスの天空城』と『メルガリウスの魔法使い』。

世界各地に伝わる古代の神話や伝説、民間伝承を、ロラン独自の分析・解釈を下に編纂したもの……その最高傑作が『メルガリウスの魔法使い』

だが、そのロラン=エルトリアはレザリア王国、聖エリサレス教会に『異端者』として捕まって……火刑台に送られた。

罪状は『邪悪な思想の書籍を世に出し、無辜なる民を惑わした罪』。

帝国人なら子供の頃には一度は読んだことがあるただの童話を世に出しただけで火刑に処された。

いくらなんでも異常、何か裏があると思うかもしれないが、そんなのはただの陰謀論。よくある話だ。

本題はロラン=エルトリアではなく、その童話の内容。

「左手に魔法を打ち消す赤い魔刀……右手に魂を喰らう黒い魔刀……何度殺しても死なない不死身の魔人……これ、どこかで聞いたことありません? 子供の頃、『メルガリウスの魔法使い』が大好きだった先生なら、きっとご存知だと思うんですけど」

システィーナが本を開いて、グレンへと向ける。

双刀の剣士が万の軍勢に立ち向かっている構図のその挿絵には、見覚えがあった。

その挿絵に、そして、システィーナの指摘に……グレンの懐かしい記憶が、不意に脳裏にフラッシュバックする。

「……魔煌刃将アール=カーンか!」

絵本『メルガリウスの魔法使い』では、主人公の敵役として『魔王』、そしてそれを守護する『魔将星』達が登場する。魔将星とは、魔王直属の、強大な力を持つ配下達のことだ。元・人間が、何らかの形で人間を辞めたような連中ばかり。

中でも、魔煌刃将アール=カーンは独特な立ち位置に存在するキャラクターで、己が真に忠誠を捧げるべき相手を求め、無数の強者と戦い続け、時に魔王にすら牙を剥くという変わり者。

そして、その最大の特徴は、先述の双魔刀と、かつて邪神がアール=カーンに課した十三の試練を乗り越えることで手に入れた、十三の命。

「――って、バカか!? それはただのお伽噺だろ!? 白猫、お前はあの魔人が魔煌刃将アール=カーンだー、とでも言いたいのか? お前、それは流石に……」

「私だって、バカなことを言っているってのはわかってるわ! でも、それにしては、類似点が多過ぎない!? これ、本当に偶然なの!? 偶然にしては出来過ぎてない!?」

確かに、ただの偶然で片づけていいのかわからない。

一つや二つの一致ならば偶然かもしれないが、三つ以上の一致はほぼ必然だ。

「それにどういうわけかはわからないけど、あの魔人はロクスのことを《炎魔帝将》って呼んでいたわ。勘違いかもしれないけど、ロクスのことを自分と同じ魔将星だと思ったのなら……」

あの魔人は魔煌刃将アール=カーンだという可能性は高い。

「先生……この可能性に賭けてみませんか? 相手があのアール=カーンなら……」

打倒する手段は、攻略法は、ある。

それを聞いたロクスは……。

「俺はフィーベルの賭けに乗った」

馬鹿げていると自覚しながらもロクスはシスティーナの推測に自身の命を賭ける。

「俺はこんなところで死ぬ訳にはいかねえ。僅かでも可能性があるのなら、何が何でもその可能性を掴む」

こんなところで死ぬわけにはいかない。復讐を果たすその時まで死ぬことなどできない。だからロクスはシスティーナの推測が正しい、とは言わない。しかし、賭ける価値はあると踏んだ。

そして――

 

 

 

 

(……俺としたことが……こんな綱渡りな道に賭けるとは、な……)

魔人と対峙しながら、グレンが胸中で小さく舌打ちする。

あの魔人の正体が、本当に魔煌刃将アール=カーンである保証など、どこにもない。

もし、前提が違えば魔人に勝てる可能性など、ほぼない。

だが――それをただの偶然と切り捨てるには、あまりにも状況が出来過ぎている。

もし、本当に魔人の正体が魔煌刃将アール=カーンなら、残りの命の残数(ストック)は三つだ。

正体も命の残数(ストック)も何の保証も確信もない。それでもそれを確かめるかのようにグレンとロクスはそれを眼前の魔人の前で告げた。

魔人本人にそれを肯定させる為の反応を知る為に。

『良いだろう。《炎魔帝将》だけでなく、我が真なる主すら知らぬ秘中を、汝等がいかに知ったかは与り知らぬが……精々足掻け、《炎魔帝将》そして愚者の民草よ。その炎と群の力を以て、見事、我を三度殺してみせよ』

暫くの間、沈黙が続くなかで魔人が双魔刀を構え――決定的な言葉を吐いた。

確定した。

魔人の正体も命の残数(ストック)も明らかとなった。

ロラン=エルトリアはいったい何を見たのか?

魔将星――かれらは物語上の存在ではなかったのか?

色々と考えるべきことはあるも、それは後回し。

今は――

「てめぇをぶっ殺す! サラ!」

「うん!」

ロクスはサラに手を伸ばし、サラもまたロクスに手を伸ばす。

お互いの手が重なり合い、同時に告げる。

「「接続(アクセス)!!」」

すると、精霊であるサラはまるでロクスの肉体、内側へと吸収されるかのように入っていき……浸食同化していく。

やがて―ぼっ! と火柱が出現する。

この一帯の気温が一気に上昇し、庭園は深紅の光輝で照らされていく。

そして――

その火柱より姿を現すのは赤い髪がまるで炎のように燃え上がり、炎によって編まれたような赤色の衣を纏うロクスがその姿を現す。

「【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】。これが俺のもう一つの固有魔術(オリジナル)

憑依召喚(ポセッション)というそんな召喚魔術がある。

概念存在をその身に降ろしてその力を行使する。そんな魔術にロクスは目を付けた。

サラは精霊、概念的存在がマナによって受肉・実体化している存在だ。ならばサラを自身に降ろすことができれば精霊の力を自分自身で行使できるのではないか? とロクスはそう一つの推測を立てた。

それからは行動は早かった。

魔術構築から詠唱、様々な実験と検証を繰り返しながらロクスは憑依召喚(ポセッション)を自分なりに改良・改善を行いながら研究を続けてきた。

だが、完成には色々と難航した。

発想自体は悪くはなかった。魔術理論的にも実現は可能だ。しかし、ロクスは憑依召喚(ポセッション)との相性がよろしくなかった。

それでもこうして実戦にまで使えるようになったのは相性がよろしくなかったからと諦めずに実現に向けて懸命に取り組んだからだ。炎熱の特化した魔術特性(パーソナリティ)を応用できるか試し、契約している精霊であるサラと協力して貰い、セリカからも助言(アドバイス)を求めて、やっとの思いで完成させたロクスのもう一つの固有魔術(オリジナル)

精霊と同化し、その力を意のままに行使する。

それが――【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】。

(ハハ、事前に聞いてはいたが、マジで頼もしいな、おい……)

魔人との決戦前にその力を聞いてルミアの能力で白魔【フィジカル・ブースト】と黒魔【トライ・レジスト】で炎熱防御力を極限まで高めているとはいえ、ロクスから燃え盛るほどの熱量にはただ驚く以外のリアクションが取れなかった。

もし、黒魔【トライ・レジスト】で予め防御対策を取っていなければロクスの傍に立つことすらかなわずに火達磨になっていただろう。

(下手をすりゃイヴ……イグナイト家を上回る炎熱最強の魔術師になっちまうかもしれねぇな……)

無論、ロクスとイグナイト家では魔術師として積み重ねてきた技術・技量の差もあるだろう。だけど、今のロクスなら本当の意味でイグナイト家を超えるかもしれない、そう思えてしまう。

(だが、この状況では心強ぇ! マジで勝てる可能性はある!!)

勝てる可能性が高まり、多少なりの余裕が生まれるグレン。

しかし、そんなロクスを見た魔人――魔煌刃将アール=カーンは……。

『……懐かしきその姿。無限熱量とはあまりにも遠いが、やはり汝は《炎魔帝将》ヴィーア=ドォル。乙女より授かりし力を失ってもなお、その炎は健在か』

まるで懐かしむかのように告げる魔人は今一度構え直す。

『来い。《炎魔帝将》そして愚者の民草共よ』

生き残る為の決戦が始まった。



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決着

魔煌刃将アール=カーンとの決戦前にルミアは自身の力でグレン達の魔術を強化させてロクスにも『感応増幅力』で魔術を強化しようとしたのだが……。

「俺にはお前の力なんて必要ねぇ」

そう告げてロクスはルミアの力を拒絶した。

「でも……」

それでもルミアは言い寄ろうと声をかける。

今はそんなことを言っている場合ではない。ロクスがルミアのことを嫌っているのは重々承知しているも、生き残る為にも少しでも使えるものは使うべきだとルミアはそう言おうとしたが。

「勘違いすんじゃねぇ。確かに俺はお前のことは嫌ってはいるが、状況が状況だ。生き残る為にもそんなこと言っている場合じゃねえことぐらい理解している」

でも。

「それでも、俺はお前の力は借りねぇ。異能ならなおさら」

ギリ、と歯を強く噛み締める。

その瞳に怒りを宿すも、その瞳はルミアに向けてではない。どちらかと言えば自分自身に向けているようにすら見える。少なくともルミアにはそう見えた。

「……取っておけ。異能だって無限に使える代物じゃねぇ。いざという時に使えませんでしたじゃ何の意味もねぇからな」

「だけど……」

「死ぬつもりなんてねえよ。俺は、こんなところで死ぬわけにはいかねぇ」

ロクスはルミアの異能による強化を受けず、自らの力のみで魔煌刃将アール=カーンに立ち向かう。

 

 

 

そして――

魔煌刃将アール=カーンとの決戦が始まった。

生き残る為の戦い。その先陣を切ったのは……

「シッ」

ロクスだ。

新たな固有魔術(オリジナル)精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】。精霊と同化したことによって霊的に強化されている今のロクスの動きは既に人外。

爆炎のような爆発力と共に魔人に攻め込む。

『フン―』

だが、優雅に疾く、鋭く踊る魔人の双刀。

視界を無数に分断する、紅と黒の曲なる剣線の乱舞。

魔人は魔刀でロクスの炎の剣を、人外の攻撃を、何の危なげもなく、受け、捌き、叩き落とし、受け流していく。

踊るように、舞うように。

手数で攻め立てる近代剣術や、力と速度で圧殺する騎士剣術と違い、全ての動作が円を描くような魔人の剣舞は、敵ながら見とれるほどに美しい。

それでも、その超絶技巧を誇る魔人と戦えている。

精霊と同化したことによって先ほどの戦闘に比べれば戦いになっている。

『それだけか?』

だが、魔人からしてみれば先ほどよりもマシ程度しかない。精霊と同化したとしてもロクスと魔人とでは圧倒的な実力差がある。

しかし。

「舐めんなよ」

ロクスはまだ【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】の本領を発揮していなかった。

これからが本当のロクスの新たな固有魔術(オリジナル)の力だ。

火葬槍乱(アインエッシェルング・ランツェ)!」

刹那、数十本もの炎の槍が魔人を取り囲むように展開される。

『む』

そして、その炎の槍を魔人に向けて斉射。炎の槍が魔人を襲う。

魔人は左の魔刀・魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)でかき消そうとするも……。

『む!?』

それができなかった。

「ハッ! 自分の武器の良さがアダになったな!」

今のロクスは精霊と同化した半精霊。それ故に精霊の力を自らの意志で行使することができる。魔人がロクスの炎をかき消すことができなかったのは、その炎は魔術によるものではないからだ。

魔術の起動工程である『五工程(クイント・アクション)』なども必要としない。ただイメージするだけで自分にとって都合のいい炎を生み出せる。

それ故に一瞬で炎を生み出し、攻撃することも可能とする。

「くたばれ」

四方八方から迫りくる炎の槍を魔人は全て紙一重で回避した。

「なっ!?」

これはロクスも驚きを隠せれない。

ほぼ至近距離からの一斉攻撃を魔人は自分の武器が通用しないとわかったその時点で炎の槍の攻撃を回避してみせた。

(どんな反応速度をしていやがる……ッ!? こっちは正真正銘、とっておきまで使ってんだぞ!!)

マジで化け物。そう愚痴を溢したい。

『なかなかやる』

お返し、といわんばかりに魔人は右の魔刀・魂喰らい(ソ・ルート)でロクスに斬りかかる。

だが。

『幻……』

魔人が斬ったのはロクスの姿をした幻だった。

幻炎(イリュージョン・フラム)。俺にばかりに気を取られてもいいのか?」

その言葉に魔人は気付いた。

先ほどまでいた筈のグレンとリィエルがどこにもいない。

「これでも、喰らえ――」

不意に何もない空間からグレンが姿を現し、グレンはその銃口を魔人に向けた。

『させぬ』

カァンッ! 左の魔刀が翻り、グレンの構える拳銃を打つ。

弾かれ、逸れてしまう銃口。

「ちぃ――ッ!」

グレンが跳び下がって距離を取り、再び照準を合わせ、引き金を弾く――

が。

がちんっ! 落ちる撃鉄が虚しい金属音を響かせる。弾が発射されない。

『《炎魔帝将》による炎熱の力で姿を眩ませていたか。だがこれで――』

「いいいいやぁあああああああああああ――ッ!」

その魔人の背後から今度はリィエルが姿を現した。

ルミアの能力が乗った白魔【フィジカル・ブースト】によってロクス同様に人外の動きとなったリィエルがセリカから借り受けた真銀(ミスリル)の剣で魔人に迫る。

『ふん――』

魔人は背後から剣を振りかざして迫るリィエルへ向き直り――

その瞬間、グレンの左手が鋭く霞み動き、右手で構えた拳銃の撃鉄を弾いた。

刹那、一つに重なる雷音の咆哮、三発。

グレンのトリプルショット――右手の親指、左手の親指、左手の小指によって瞬時に三回弾かれた撃鉄が、ほぼ同時タイミングで銃口から弾を吐き出させる。

放たれた三連弾は精確無比に、魔人の持つ右手の刀の一点を集中して穿った。

その三倍の物理衝撃による不意討ちで、刀が魔人の右手から離れ、飛んで行く。

『な、に――?』

「……まずは、一つ」

グレンが不敵に笑うと同時に。

「いいいいいやぁああああああああああ――ッ!」

烈風の如く斬り込んだリィエルの剣が、猛烈に魔人を捉え――吹っ飛ばす。

『ち――』

リィエルの剣によってあっさりと一つの命を失った魔人が、弾き飛ばされた刀を拾い上げようと、床に転がる刀へ向かって、神速で駆けていく。

「させるかよッ!」

爆炎を起動させる。それに生じる爆風にて床の刀をさらに遠くへ吹き飛ばす。

『むぅ……ッ!? 小癪な……ッ!』

そこへ――

「ぁあああああああああ――っ!」

リィエルが剣を振り掲げ、猛犬のように魔人へと追い縋っていく。

「くらえッ!」

翻るグレンの身体、旋回する銃口――銃声、ファニング、銃声。

グレンが拳銃のシリンダーに残った最後の弾丸を放ち――

それを跳躍で躱した魔人の体勢が、崩れ――

「《――――・その旅路を照らし賜え》!」

「《大いなる風よ》!」

ルミアの白魔【セイント・ファイア】とシスティーナの黒魔【ゲイル・ブロウ】が同時に起動させる。

振りまかれる香油に引火して燃え上がる聖火が、システィーナの【ゲイル・ブロウ】に乗って、嵐となって渦を巻く。

燃え広がる圧倒的な火勢が魔人を呑み込み、ほんの一瞬ひるませる――

この浄化呪文が、魔人に有効かどうかは不明だ。

だから、これはオトリ――ほんの一瞬の目くらましだ。

本命は――

「いいいいいやぁああああああああああああああ――ッ!」

一瞬、渦巻く炎嵐によって、完全に視界を遮断された魔人の眼前に。

剣を振りかざしたリィエルが、その炎を左右に割って、猛然と跳び込んでくる。

『――――ッ!?』

魔人は真っ向から、リィエルの剣を辛うじて刀で受ける。そこに――

「俺も忘れてんじゃねえ」

リィエルの剣を受け止めている刀にロクスが更なる一撃をお見舞いする。

リィエルとロクスの二人分の力技。その圧倒的な力技で魔人の防御を押し切り、ブチ抜いた。

二人分の攻撃をもろに喰らい、魔人が再び吹き飛んで行く。

「これで二つ。さぁ、後、一つだぜ? 気分はどうよ? 大将」

ここまでの上々の戦果に、グレンは不敵に笑う。

とはいえ、ここまでの戦果を出すことができた大きな理由が二つある。

一つは、『メルガリウスの魔法使い』。その童話のおかげで魔人についての情報を得ることができたこと。

もう一つは、ロクスの存在だ。

神話曰く――魔人は無双の武人であると同時に、絶大な力を持つ魔術師だという。伝承によれば、アール=カーンは太陽の魔術で万の軍勢を瞬時に焼き払ったというが、今の魔人には魔術は使えない。

先の戦闘で魔人は炎熱系の魔術はロクスがいる限りは逆にロクスの力を高めてしまうことを知っている。知っているからこそ、魔術が使えないのだ。

だが、魔術を封じるだけならグレンの固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】でもなんとかなる。

気になるのは……。

(なにより、あの魔人はロクスを警戒している……)

もし、この場にロクスがいなければここまですんなりとは行かなかっただろう。魔人がロクスを誰よりも警戒している。その理由はわからないが。

(確かにロクスだけでも、まだ戦いにはなっていただろうが……いや、今はそんなことを考えている場合じゃねえな)

思考を切り替える。

今は全員で生き残ることを考えなければいけない。

『……良かろう。汝等を我が障害と認めよう』

刀を構える魔人の雰囲気が変わった。

先ほどまでの、どこか戦いを楽しんでいた気質が、なりを潜めていた。

今までとて油断していたわけではないのだろうが……自分が対峙した者達が、自分を狩りかねない、予想以上の強敵だと、改めて認識したのだろう。

戦闘が始まって、まだほんの数分だが……グレン達は戦いが佳境に入ったことを感じた。

「こっからが正念場だ。頼むぜ?」

グレンの言葉に少女達は頷いて少年は無言で剣を構える。

ぶつかり合う、衝撃と衝突、再び死闘が繰り広げられていく。

 

 

 

 

 

魔人は恐るべき強敵だった。

とはいえ……この時、グレンはどこか楽観視していた。

魔人に右手の魔刀を手放させ、その魔術を封じて、残された武器は左手の魔刀・魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)だけ……この状況において、その能力はグレン達の脅威たり得ない。

一方、自分達は未だ大きな損傷もなく、健在。おまけに有利な地形を陣取っている。

勝てる、と。いける、と。

そう思ってしまうのは仕方がないことだ。

……だが。

伝承に、伝説に、神話に、反英雄として名を連ねるということがいかなることか。

グレン達は、文字通り、痛いほどに思い知った。

『……よくぞ、我に此処まで食らいついた……誇るがいい』

魔人――未だ、健在。

しっかりと二の足で立ち、グレン達の前に威風堂々と立ちはだかり続けている。

「……ちぃ……ッ!?」

対し、片膝をつくグレンは全身がぼろぼろだ。致命傷はないが、見るも無残な有様。

「………ぅ……」

魔人の攻撃を矢面に立ち続けていたリィエルも同じく満身創痍で、剣を手放し、倒れ伏している。

意識も辛うじてある程度だ。

「こほっ、ごほっ……なんて……やつなの……ッ!」

「……はぁー……はぁー……はぁー……」

グレン達の後方のシスティーナやルミアも、すでにマナ欠乏症だ。

これから先の魔術行使は、命に関わってくる。

なにより一番重症なのは……。

「……はぁ……はぁ……くそが……」

「ロクス、ごめん……」

ロクスだ。

既に【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】の活動限界を超えてサラと分離している。精霊の力を酷使し過ぎたせいでサラは倒れ伏しているもロクスはまだ立って魔人に剣を向けていた。

だけど、その身体から血が零れ落ち、既にロクスの足元には赤い水溜りができている。

その量はもはや出血で意識を手放してもおかしくないほどに流れているのに、それでもロクスは意地で強引に意識を繋ぎ止め、気合で立っている。

「まだ、だ……」

その戦意は衰えず、燃え上がる炎のようにその戦意は健在。

血塗れの身体で、それでも戦意で眼をギラギラと光らせながら戦闘続行を宣言する。

そのロクスを見た魔人は。

『……憎悪、否、どこまでも生にしがみつく執念か。先ほどから汝の剣からは憤怒、憎悪以外にも生き残ろうとする執念が感じられる』

「……たりめぇだ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかねえんだよ」

そう、ロクスには果たさなければいけないことがある。

天の智慧研究会に復讐するまでロクスは死ぬわけにはいかない。

「おい、講師。サラとレイフォードを連れて下がってろ。こっからは俺一人でやる」

「なに、バカを言って――」

「お前等がいると邪魔なんだよ」

一人で戦おうとするロクスにグレンは止めようとする。しかし、ロクスの身体から漏れる黒い炎を見て全て察した。

「お前等を巻き込まない自信はねぇ」

「……すまん」

謝罪し、グレンはリィエルとサラを抱えてロクスから距離を取る。ここから先は自分達はただ足手纏いにしかならないとわかってしまったからだ。

ロクスが異能を使わなかったのは魔人を倒した後のまともに動けなくなるリスクを避ける為、そして、グレン達を巻き込まない為である。

ロクスの異能は強力で凶悪。制御(コントロール)する術を身に付けたとはいえ、万が一に巻き込むようなことがあればより戦況は悪くなる。

一人の例外を除いてロクスの黒い炎は全てを焼き尽くすから。

だが、もうそんなことを言っていられるほどの余裕はない。もう、この異能を使わなければ勝てないと判断した。

「殺す」

端的に、淡々と魔人を殺すことを宣言し、動き出す。

しかし。

『……遅い』

先ほどまでと比べて動きは遅い。

当然だ。【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】は解け、失神してもおかしくないほどの血を流している。それでも動けるだけ驚嘆に値するほどだ。

『その漆黒の炎。外宇宙の邪神の一柱、《炎王クトガ》より授かれた力の一端か? クトガの神官長である汝なら《炎王クトガ》の力を限定的に行使できても不思議ではない。が、何故その力を(セリカ)との死闘で行使しなかった?』

「うるせぇよ……。これは、そんなもんじゃねぇ……ッ!」

一緒にするな、とロクスは言う。

「これは、俺の憎悪の象徴……ッ! あのクソッタレな地獄で手に入れた地獄の業火だッ!!」

何もできなかった、しなかった自分に怒りを覚えた。

全てを奪った天の智慧研究会を憎んだ。

理不尽で不条理な世界を呪った。

その全てが許せなかった。

「だから、そんな意味も分からねぇものと一緒にするんじゃねぇ!!」

叫ぶ。

満身創痍の身体でありながらも、感情、魂の咆哮を上げる。

しかし――

ロクスは膝をついた。

「――ッ!」

無理もない。

精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】は精霊であるサラの力を行使できるが、肉体的にも精神的にも負担が大きい。

心はまだ問題はなくても、身体の方が遂に限界を迎えてしまったのだ。

そのロクスに魔人は告げる。

『……《炎魔帝将》、否、ロクス=フィアンマだったか。汝は我を相手によく戦った。その砕けぬ意志と強さに敬意を表して苦痛なき死を与えよう』

それは本心からの言葉なのだろう。

ここまで戦い、なお、戦意を砕くことができなかった強者に向けての。

最大の敬意を払うかのように魔人は苦痛を与えることがないようにロクスの首を斬ろうとその魔刀を振り下ろす。

「ロクスッ!?」

グレンは駆け出す。

「ごほっ、ロクス……ッ」

システィーナは左手を前に突き出す。

「……ロクス」

リィエルは剣を掴む。

「いやっ! ロクス!」

サラは叫ぶ。

「ロクス君!!」

ルミアは涙を溢す。

ここにいる誰もがロクスの死を悟った。

だが。

(俺は、まだ死ねない……ッ)

ロクスはまだ死を受け入れていなかった。

(動け、俺の身体ッ! 今、動かないでいつ動くんだよ!?)

必死に動かそうとするも指一本も動かない。ただ魔人が振り下ろす魔刀を待つことしかできない。

その時だった。

「――――っ」

死を直前にロクスの頭にこれまでのことを思い出した。

走馬灯。

かつてロクスがいた施設で何度も見てきた走馬灯がかつてない死を前にして、これまでにないぐらいにはっきりと思い出した。思い出してしまった。

両親の愛情も、殺された瞬間も。

施設で受けた拷問も、仲間の死や殺し合いも。

そして――

『生きて……』

少女(ラウレル)の最後の言葉も鮮明に思い出した。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

刹那、動けなかった筈のロクスは雄叫びと共に跳び、左手に黒い炎を纏って魔人の魔刀よりも先に魔人の心臓を手刀で貫いた。

『…………見事なり』



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決着の後

魔人である魔煌刃将アール=カーンは己の勝利を疑わなかった。

眼前で膝をつく強者(ロクス)は肉体の限界を迎えて、戦うどころか立ち上がる力さえないと確信していた。だから最後は苦痛を与えないように魔刀を振り下ろした。

しかし。

ロクスは魔人の想像を超えて立ち向かい、その手で魔人の心臓を貫いたのだ。

肉体の限界を超えてでも生き残ろうとする執念がロクスを生かした。

後一瞬、魔人が魔刀を早く振り下ろしていればロクスの首はころりと綺麗に落ちていただろう。

だけど結果的にはロクスは魔人を倒し、己の生を獲得した。

『三つ目……ふふ……まさか、我が下されるとは……』

魔人がゆっくりと後ずさる。

ゆっくりと、ゆっくりと……全身から黒い霧を上げながら、ゆっくりと……

『この身は、本体の影に過ぎぬとはいえ……愚者の牙に掛かることになろうとは……』

今、何か不吉な言葉が聞こえたが、それを追求する余裕は、今のロクスにはない。

『ロクス=フィアンマよ、誇れ。汝はその強靭なる意志の強さで……愚者の民草と共に、我を下した……見事だ……』

「うるせぇよ……さっさと、くたばれ……」

そんな風にあしらわれても、魔人は、どこか歓喜の様相で肩を震わせていた。

そして、グレン達を順に一瞥し、魔人は高らかに言った。

『愚者の民草の子らよ! よくぞ我を殺しきった……ッ! 我は汝等に最大限の賛美を送ろうッ!』

そして、大きく両手を広げながら。

魔人の全身から吹き出る黒い霧の勢いが一気に上がり――魔人が消滅していく。

『いずれ、また剣を交えようぞ! 強き愚者の子らよ! 貴き《門》の向こう側にて、我は汝等を待つ……さらばッ!』

そして、どこからともなく風が渦巻き――

魔人は塵の欠片一つ残らず……まるで夢幻のように、完全消滅していく。

二本の魔刀も、魔人の存在を示すあらゆるものが、跡形もなく消えていった。

沈黙と、静寂が、その場を支配する。

「……お……終わった……のか……?」

この突然の幕切れに、グレンが呆然と、呟いた。

その時、ロクスが力尽きたかのように崩れ落ちる。

「ロクスッ!?」

崩れ落ちるロクスを抱き起こすも、呼吸も浅く、顔も青白い。意識も曖昧になっている。魔人に斬り刻まれた傷口から血が流れて失血死寸前の状態になっていた。

古典法医術的に言えば『死神の鎌に捕まった』状態だ。

(こんな状態で動いたってのかよッ!? ロクス、お前は……ッ!)

最後の一撃は本当の本当に火事場の馬鹿力。死に抗い、生き残ろうとする執念で動いたのがわかる。

(だけどマズイッ! このままじゃ……ッ!)

これ以上の出血を防ごうにも血が止まらない。法医呪文(ヒーラー・スペル)で治癒しようにも魔力が消耗しきっている今の状態では不可能だ。

(ルミアは、無理だ! マナ欠乏症に陥っている今のあいつにこれ以上の治癒は命に関わる! 白猫も同じだッ! かといって俺の治癒魔術じゃ、こいつの傷を治すことは……ッ)

グレンの残りの魔力の全てを使って治癒魔術を行使したとしてもほぼ効果はない。ロクスの命はもはや風前の灯火だ。

そこに――

『どきなさい、グレン』

ナムルスが姿を現した。

「ナムルス……」

突然のナムルスの登場に戸惑うグレンを放ってナムルスは不思議な形の印を、その細い指で虚空に描き……

『癪だけど、助けてあげる』

とん、とロクスの胸の中心を突いた。

すると、ロクスの身体から流れる血が止まった。

『一時的に出血を止めたわ。少なくとも貴方達の魔力が回復できるまでは持つはずよ』

「お、おう……助かる……」

本当に血は止まっている。

まだ危機的状況ではあるものの、これ以上悪化することはないと踏んでグレンはほっと一息つくも……

『だけど勘違いしないで。私はこの男はここで殺すことが最善だと思っているから』

ナムルスはそう淡々と告げた。

『貴方達と、セリカと敵対するかもしれない。そんな者に施しなど本来であればするべきではないのはわかっているわ。……けど、私にはそれができない。あの子と同じ存在である彼を地獄に叩き落とすことなんて、私にはできない』

ロクスを他の誰かと重なって見えているのか、ナムルスはそんなことを口走っていた。

『グレン。彼を彼のままでいさせたいのなら、彼にあの剣を握らせないで。彼の炎が完全に覚醒する前に破壊してちょうだい。……私が言えるのはそれだけよ』

そうしてナムルスはまた姿を消した。

 

 

 

 

遠くの山々の稜線が、広漠とした草原が燃え上がる澄んだ紅に染まる、夕日の中。

フェジテへゆっくりと向かう馬車の中で。

「あ、目が覚めたんだね」

ロクスは目を覚ました。

「ここは……?」

「馬車の中だよ」

視線を動かして周囲を確認する。どうやらあれから無事に遺跡から脱出できたことを確認し、起き上がろうとするも、身体が鉛のようになっていて動かせなかった。

「まだ動かないで。身体の傷は治せたけど、失った血まではまだ戻ってないから」

危機的状況から脱することはできても、完全には治癒はできなかった。

それでも、命があるだけ儲けものというものだ。

「……教授は?」

「アルフォネア教授なら先生と一緒に御者台の方にいるよ」

見れば、グレンとセリカの後頭部が少しだけ見える。セリカも助かったようだ。

(サラは、いない……還ったか……)

無理もない。今回の戦闘で精霊の力を酷使し過ぎた。力を回復させる為にも暫くはサラを召喚することはできないだろう。周りを見ればシスティーナ達も疲労が溜まっているせいか、眠りについている。

そこまではいい。

あれだけの戦闘の後だ。気が緩んで眠りについてしまうのも無理はない。ロクスだって今しがた目を覚ましたばかりだから。

問題は……

「それで、膝枕(これ)はどういうことだ?」

視界いっぱいに入るルミアの顔。後頭部から感じる柔らかな感触。サラによくされる膝枕をルミアはロクスにしていた。

「えっと、床だと頭が痛くなるからと思って……」

苦笑しながらそう言うルミアは優しくロクスの頭を撫でる。ロクスはその手を払い、深い溜息を溢す。

「……もう、好きにしろ」

もう動くのも億劫だ、と言わんばかりに無気力気味にそう告げて瞳を閉ざす。

(《炎魔帝将》ヴィーア=ドォル……)

魔人が言っていたその言葉がロクスの頭から離れない。それどころか、どこか懐かしく感じた。

(どうしてあの魔人は俺を事をそう呼んだ? どうして俺はそれが懐かしいと思った? 《炎王クトガ》の神官長とはなんだ? あの魔人は俺の何を知っていた?)

此度の遺跡調査でロクスはわからないことが増えた。

(俺は、何者なんだ……?)

わからない。わからないことすらもわからない。完全なるお手上げ状態。

けど。

(それでも、俺のやることは変わらねぇ……)

天の智慧研究会に復讐する。自分が何者であろうともそれだけは何があっても決して変わることがない。

だけど、その前に……。

(フェジテに戻ったらまた、へステイア法医師の説教だろうな……)

また無茶を、と文句と説教を言われながら治療を受けることになる。自業自得とはいえ、少しだけ億劫な気持ちになる。

(そろそろ、マジで拘束されそう……)

完全に治すまで逃がさない。法医師としての意地と覚悟によって強制措置を受けることになりそうだ。ロクスは自身がベットの上で拘束される未来を想像してうんざりとする。



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法医師と生徒会長

「ロクス君。私はそろそろ本気で君に怒ってもいいと思います」

怒り心頭に達するかのようにその声には怒気が含まれ、その表情は笑顔だけどその瞳は笑っていない。

優しい人は怒る時は怖い。と言うがその通りなのかもしれない。

「……今回は、不可抗力だ」

「不可抗力なら死にかけてもいいと?」

遺跡調査の一件から無事にフェジテに帰ってきたロクスは自分の専門医とも言えるセシリアの元に尋ねて魔人との戦闘の際に受けた損傷(ダメージ)の治療を頼んだ。

法医呪文(ヒーラー・スペル)で傷そのものは治ってはいる。しかし、ロクスは怪我をしたらセシリアの元で身体の調整を行わなければいけない。

一見すればなんともない身体だけど、実際はまだ天の智慧研究会の施設で受けた拷問や実験の後遺症のようなものがしっかりと残っている。

それを魔術薬で無理矢理誤魔化しているに過ぎないから、それを調整する為にもロクスは定期的に法医師であるセシリアの所に定期的に訪れなければいけない。

「私はいい加減にロクス君を拘束することも視野に入れています」

「勘弁してくれ……」

セシリアもロクスの意志を最大限尊重している。

しかし、こうも無茶を繰り返し、死にかけるというのであればロクスの意志など関係なく治るまで拘束することぐらいは考えている。

流石のロクスもそれだけは勘弁して欲しいようだ。

「今回は本当にそうするしかなかったんだよ」

弁明するのであれば、本当にそうだろう。

魔人はロクス達を逃がすつもりなど皆無。戦って生を勝ち取る以外に道はなかった。

(ただの遺跡調査を手伝うだけのつもりだったのによ……)

本当にそのつもりだった。

そうする以外に他なかった。だから不可抗力だと告げるも死にかけたという事実は覆すこともできない事実である為に何も言えない。

「本当に、あまり無茶をしないでくださいね……」

石板型の魔導演算器を弄りながら、セシリアは思いやりのある声をロクスに投げる。

「……」

その言葉に対してロクスは無言で返す。

わかってはいる。セシリアが本当にロクスのことを思って言ってくれていることぐらい。

死にかけていた身体を回復させて、過去、施設の出来事を思い出しては碌に眠ることもできなかったロクスの傍にいてくれた。安心させるかのように、安らぎを与えるかのように、傍に居続けた。

そんなことをしても何の得もないというのに。

「調整はこれで、よし。さてロクス君、服を脱いでください」

「ああ」

言われた通りに服を脱ぐ。

異性に裸を見られることに抵抗があるような思春期特有の初々しさなどロクスにはない。ましてや、相手は法医師であるセシリアだ。ロクスの身体など既に細々と把握している。

そんな相手に羞恥心など皆無。

セシリアはいくつものチューブをロクスの全身に繋げて魔導装置を起動させる。

「……本当に、どうなっているのでしょうね。ロクス君の身体は」

魔導装置に出る反応。それは一言で表すなら体温。しかし、その数値が異常なのだ。

「本当に身体に異常はないのですか?」

「ああ、今は固有魔術(オリジナル)もあるからそれで調整できる」

「それでもこの数値。普通の人間ならありえません」

そう、あり得ないのだ。何故なら……。

「こんなの、常に身体が炎で燃やされているのと違わないのに……」

ロクスの身体は、体温は超高温。

通常ではありえないほどの異常、異常過ぎる体温。

セシリアはロクスの身体に触れる。熱い、と反射的に手を離すもその手には火傷一つしていない。

「炎熱の加護……いえ、炎熱の呪い、とでもいいましょうか。ロクス君が問題ないのはロクス君自身が高温を発しているのから? 異能者については私も調べてはいますが、異能者に対する文献自体が少ないもので……」

「別にどうでもいい」

そう返すも。

「どうでもよくありません。今はまだいいかもしれませんが、これがいつ身体に影響されるかわかったものではないんですよ? 最悪の場合、自らの異能によって命を失うことだって考えられます」

セシリアは法医師としてロクスをよく知る一人として告げる。

「安易に異能を行使しないでください。その異能は敵にも、ロクス君自身にも脅威となり得るのですから」

「それでも俺はこの力を使う時は躊躇わない」

手に力を入れてロクスは力強く言う。

「この黒い炎にどれだけの代償を支払うことになっても、俺はこの力で奴等を、天の智慧研究会を殺す」

「ロクス君……」

止まらない。

怒りが、殺意が、憎悪が薪となってロクスの復讐心を燃やし続けている。

燃えながらも、復讐という茨の道を歩き続けている。そんなロクスにセシリアは……。

「……私は君がいつか燃え尽きてしまいそうで怖い、です」

スッと腕を伸ばしてセシリアはロクスを包み込むかのように優しく抱きしめる。

熱した鉄に触れるかのような熱さ。

火傷など無い。ただ熱いだけ。だけどその熱はまるで俺に触れるな、と拒絶を意味しているかのようにさえセシリアはそう感じている。しかし。

(それでも、今、こうして私に火傷一つ負わないのは……)

無意識ながらも誰も傷つけたくないというロクスの優しさが表れているのかもしれない。

「お願いですから死に急ぐ真似だけはしないでください」

きっとこの子はこれからも無茶をする。セシリアはそう確信がある。

身体も心も、灰も残らず燃え尽きてでも復讐を果たそうと戦い続ける。そんなものは子供がしていい覚悟ではない。

それでもセシリアにできることはロクスの身体を調整して癒してあげることぐらいだ。

ロクスの心は、もうそれだけに……。

「……死ぬつもりなんて微塵もねえよ」

ロクスはセシリアをどかし、繋がれているチューブを引き剥がす。

「復讐を果たすその時まで俺は死ぬつもりはねえ。どこまでも生にしがみつく」

服に手を伸ばし、袖を通す。

「世話になった。また来る」

魔術薬を手にしてロクスは医務室を後にする。

「ロクス君……」

セシリアはその背をただ見送ることしかできなかった。

 

 

 

「こんなところにいましたか、ロクス君」

「生徒会長か……」

廊下を歩いているロクスに声をかけたのはリゼ=フィルマー。アルザーノ帝国魔術学院の生徒会長を務める才媛である。

「何か用か?」

「いえ、特にコレというほどの用はありませんよ。ただ、ロクス君は参加されないのかと?」

チラリ、とリゼは周囲を見渡す。

そこには学院のあちこちで何かしらの準備をしている生徒達の姿が。

「今年も出る気なんてねえよ。社交舞踏会なんて」

社交舞踏会。毎年、アルザーノ帝国魔術学院で行われている伝統行事の一つだ。

何かと狭いコミュニティに納まりがちな生徒達のため、生徒同士で交流を深めることを目的として開催される行事であり、その来賓として、魔術学院の卒業生やクライトス魔術学院などの他校生徒、時に帝国政府の高官や地方貴族、女王陛下すら顔を出すこともある、意外と大規模なパーティーなのである。

「よくもまぁ、そんなくだらないもんにやる気がでるもんだな」

「伝統行事をくだらないと言うのはロクス君ぐらいでしょうね」

クスリ、と微笑むリゼにロクスは内心なんとも言えない感情が渦巻く。

ここにいるのがリゼではなく、システィーナなら今のロクスの発言に文句の一つぐらいは言っているだろう。しかし、リゼは文句一つ言うどころか薄く微笑むのみ。

(苦手なんだよな、こいつ……)

嫌いではない、ただ苦手なだけ。

ロクスはリゼと面識がある。

不良生徒であるロクスを生徒会長であるリゼが放置することなどせず、時折であるもこうして声をかけてくることがある。特に不良生徒であるロクスが問題を起こした際などの事情聴取(ロクスと関りを持ちたくない講師や生徒が多い為に)は必然的に生徒会長であるリゼが担当している。

「ということはロクス君はやはりダンス・コンペにも参加されないのですか? 貴方ならお相手にも困らないでしょうに」

「ハッ、笑える冗談だな。俺とダンス・コンペに参加したい女がいるかよ」

リゼの冗談を鼻で笑う。

ロクスは学院で嫌われ者だということは重々承知している。同じクラスメイトの二組ならまだしも、学院全体でいえばロクスを嫌っている生徒は多数だろう。

「あれ? 知らないのですか? ロクス君、貴方は女子から人気があるんですよ?」

「はぁ?」

「ロクス君は問題児ではありますが、ストイックなまでに我が道を突き進む。そんな貴方に好意を寄せている女子生徒もそれなりにいるのですが、気づかなかったのですか?」

「……その女子共、頭は大丈夫か?」

思わずそう言った。

嫌われ者の自覚はあるだけに好意を寄せてくる女子生徒達の正気を疑ってしまう。

「まぁ、どっちにしろ社交舞踏会なんてもんに出る気はねえよ」

どちらにしろ社交舞踏会に出るつもりはない。

ロクスは話はこれで終わりだと、足を動かす。

「気が向いたらでいいので社交舞踏会にも顔を出してくださいね」

「気が向いたらな」

ないだろうが、と内心でそう言いながらロクスはリゼから離れていく。

(まだ、時間はあるな……)

時計を見て予定の時間までまだ余裕がある。

(せっかくだ。文句の一つでも言うついでに見舞いぐらいに行ってやるか)

ロクスは現在自宅療養中のセリカのお見舞いに行くことにした。



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同タイプの魔術師

グレンとセリカが住んでいるアルフォネア邸にロクスは足を運んでいた。

「まさか、お前が見舞いに来てくれるとは思ってもなかったぞ」

「あんたのせいで死にかけたからな。その文句を言うついでだ」

意外と言わんばかりに告げるセリカにロクスは手近な椅子に乱暴に座りながらそう返す。

セリカの身勝手な行動のせいで魔人というふざけた存在と戦わなければいけなくなった。そのせいで死にかけたのだから、その元凶に文句の一つや二つを言っても罰は当たらない。

「すまんすまん。調子が戻ったら詫びの一つでもしてやるから許してくれ」

「別にいい。あんたにはそれなりに世話になった身だ。それでチャラにしてやる」

ロクスはセリカに魔術を教わった身。

セリカの弟子とまではいかないが、ロクスの魔術師としての基礎はセリカによって鍛えられたと言っても過言ではない。だからロクスは今回の一件で世話になった分を帳消しにすることで手を打った。

「それで? どうなんだ?」

何が? と訊かなくてもわかる。

魔人の持つ黒き魔刀・魂喰らい(ソ・ルート)によって霊魂――エーテル体を著しく喰われ、損傷してしまった。霊魂の損傷。それは魔術師にとっては致命傷だ。霊的な感覚を使用する魔術において、霊魂――エーテル体の状態は絶対な影響を及ぼす。

だからロクスはセリカにこう尋ねたのだ。

――もう魔術は使えないのか? と。

その疑問に対してセリカは答えた。

「安心しろ。もう暫くは霊的治療が必要だが、まったく魔術が使えなくなるということはない。とはいえ、以前のように無尽蔵に魔術を振るうのは無理だろうな。なんらかの制限と限界がつく」

「……そうか」

魔術が使えなくなる。というわけではないようだ。

けれど、《灰燼の魔女》と呼ばれたその絶大の力が発揮できないということは痛手だろう、とロクスはそう思ったが、セリカの表情を見る限りではそうではなかった。

「なんだ? 心配してくれていたのか? まったく、グレンといい、お前といい、素直じゃないな」

「ハッ。誰があんたの心配なんかするか」

揶揄ってくるセリカを見てロクスは言う。

「……随分と清々しい顔をしているな。魔術が使えなくなったわけじゃねえが、弱体化したことには違わねえだろ?」

「まあな。けど、もういいんだ。私は一人じゃないってわかったからな」

「……」

その瞳は遺跡に入る前とは違う。

何かを愛しむような、大事なモノがあるかのような、その瞳からは光のような輝きがある。

前のように昏い輝きはそこになかった。

(止まる理由ができたのか……)

ただ一人、孤独に走り続ける理由がなくなったわけではない。しかし、それ以上にその足を止める理由ができただけの話だ。

(止まることができたのなら、それを俺がどうこう言う理由もねえか)

セリカがそれでいいのならロクスには関係のないこと。だからロクスはセリカにあれこれと言うことはしない。

それならもういいか、とロクスは帰ろうと立ち上がろうとした時。

「……なぁ、ロクス。私達は何者なんだろうな?」

「……」

窓の外、遥か上空に浮かぶ、半透明の巨大な古城『メルガリウスの天空城』を眺めながらセリカはロクスにそう告げた。

そのセリカの言葉にロクスも思うところがないとは言えない。

あの魔人、《魔煌刃将》アール=カーンはセリカの存在を知っていて、ロクスのことを《炎魔帝将》ヴィーア=ドォルと告げた。嘘やハッタリの類にしても荒唐無稽過ぎる。

少なくともあの魔人は何かしらの確証があったのだろう。それが何かまではわからないが。

けれど、気にならないと言えば嘘になる。しかし、真実を確かめる術を二人は持ち合わせていない。

あるとすれば……。

(あいつなら、何か知っているかもしれねえが……)

ロクスが思うあいつとは、遺跡で出会ったナムルスのことだ。ナムルスなら何か知っている可能性はあるが、それを素直に教えてくれるとは限らない。いや、ナムルスの言動から考えるに、知っていたとしても話せないかもしれないが、そんなことロクスにはどうでもいい。

「さぁな。だが俺が何者だろうがどうでもいい」

そう、どうでもいいのだ。

何故なら……。

「俺は復讐を果たすことができるのなら自分が何者だろうがどうでもいい」

「……ロクス」

そう、ロクスはそういう人間だ。自分が何者だろうとそんなことは二の次。復讐を果たすことを第一に考えるロクスにとって自分の正体など無関心。どうでもいいことだ。

仮に魔人の言っている通り、ロクスは自分の正体が《炎魔帝将》ヴィーア=ドォルだとしてもどうでもいいことだ。

「じゃあな。療養しておけよ」

もう話すことはない。ロクスは今度こそ立ち上がって部屋から出て行こうと扉に手をかける。

「お前は、止まらないのか?」

「それを許さないのは自分だってことはあんたもわかってんだろ?」

セリカの言葉にロクスはそれだけ答えて部屋を後にする。

「……そうだな、その通りだよな」

一人、残された部屋でセリカはポツリと呟く。

「けど、誰かに助けを求めるぐらいはしても罰は当たらないと思うぞ……」

 

 

 

 

 

とある一室。

ロクスは自分の上司であるイヴに呼び出されていた。そこには既にイヴやアルベルト、そして同じ特務分室に所属している者達もいるなかでイヴから任務を言い渡された。

内容は社交舞踏会に乗じた天の智慧研究会による『ルミア暗殺計画』を阻止し、首謀者を生捕りにすること。

天の智慧研究会では今、組織の方針が二派に分かれている。一つは『現状肯定派』そしてもう一つは『急進派』。今回の暗殺計画は『急進派』による暴走によるもの。

そこで特務分室は密かに天の智慧研究会を迎え討つことが決定した。

(ようやく尻尾を出してきやがったか……)

今回の任務の資料を持つ手に力が入る。

(ようやく奴等を殺せる機会がきやがった……ッ!)

その為に軍に入った。特務分室の一員としてつまらない任務をこなしてきた。

復讐を果たせるそのチャンスを逃すつもりはない。

「ロクス。分かっているとは思うけど」

「命令には従う。それでいいだろ?」

「ええ」

復讐心に駆られ、余計なことをしないように釘を刺そうとしたイヴだったが、それは杞憂に終わった。

「詳しい作戦はグレンも交えて話すわ。解散」

パンパン、と手を叩いてイヴは解散を促す。

上司であるイヴの言葉に誰もがその場を後にするなかでロクスは一人残る。それに怪訝したイヴはロクスに問う。

「なにかしら? まさか任務に不満でも?」

それならどうしてくれようかしら? と思っていたイヴにロクスは頭を下げた。

「俺を、鍛えてくれ」

予想外な懇願に流石のイヴも目を丸くした。

傲慢とまでは言わないが、プライドの高いロクスがこうもわかりやすく頼んでくるとは思わなかった。

「社交舞踏会までの間だけでいい。頼む」

「……どうして私に? アルベルトじゃなくて」

率直な疑問だ。

今のロクスを鍛えたのはアルベルトだ。今はアルベルトから合格点を貰って師事を受けてはいないが、頼まれればまた一から鍛えてくれるはずだ。少なくともアルベルトはそういう人間だとイヴは思っている。

しかし、ロクスが頼んでいるのはイヴだ。

「俺とフレイザーとじゃあ戦闘スタイルは違う。俺がどれだけ鍛えてもあいつのような魔術狙撃はできねえ」

「そうね」

それにはイヴも納得。

剣と魔術で敵を圧倒するロクスと違って圧倒的な技量とセンスによって遠距離から敵を射抜くアルベルトとでは戦闘スタイルはまるで違う。

だからこそイヴなのだ。

ロクスが次のステージに上がる為にはどうしてもイヴに師事を受けなければいけない。

「俺と同じ炎熱の魔術の使い手であり、近距離魔術戦最強と名高いイグナイト家であるあんたと俺は多少の差異はあるも同タイプの魔術師だ。だから魔術師として俺より上にいるあんたにしか頼めない」

なるほど。イヴは今度こそ納得した。

(確かにイグナイト家である私と同タイプではあるわね……)

イヴから見てもそれは思っていた。

ロクスは剣も使うが、純粋な魔術師としても優秀だ。魔力容量(キャパシティ)と魔力制御に優れるイヴと同じ天才型の魔術師。

更には炎熱に特化した魔術特性(パーソナリティ)を持つロクスはどこまでもイヴに、イグナイト家の魔術師に似ている。

更なる強さを求める為にロクスがイヴに教えを乞うのもわからなくもない。

「……まぁいいわ。社交舞踏会までの開いている時間でよければ鍛えてあげる。だけど覚悟なさい、一回でも弱音を吐いたらそれで終わりにするから」

イヴは渋々といった感じに了承した。

立場上、多忙ではあるもそれぐらいの時間は作れる。

(まぁ、使える手駒を鍛えても損はないでしょう)

そう自分を納得させるイヴにロクスは礼を口にする。

「……感謝する」

「ええ、存分に感謝なさい。そして私の手足となってしっかりと働きなさい」

「ああ」

こうしてロクスは社交舞踏会が始まるまでの間、イヴに鍛えて貰うことになった。



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隠者と法皇

それはもう何年も前の話。

幼いロクスは父親であるウィルマに連れられ、アルザーノ帝国魔術学院へ立ち寄った時のことだ。

「すごい……」

天井や壁に飾る、眩く輝くシャンデリア達。

白いテーブルに並び、色とりどりの美味しそうな料理に燦然と煌めく燭台達。

燕尾服に身を包んだ楽奏が、優雅で楽しげな曲を奏でている。

思い思いに着飾った学院の生徒達が男女カップルを組み、曲に合わせて踊っていて華やかな雰囲気にまだ幼いロクスはただ圧倒されていた。

「どうだい? これが『社交舞踏会』だよ」

「うん、美味しそうなご飯がいっぱいある」

「そっちか……」

花より団子、ダンスよりも料理。生徒達が躍るダンスよりも食い気が勝ったロクスに父親であるウィルマは苦笑い。

まぁ、まだ子供だし、仕方がないか……。と魔術を学ぶ一環として今回の『社交舞踏会』に自分の子供を連れてきたウィルマだったが、我が子ながら見事な食い意地に苦笑するしかなかった。

「ロクス。できればダンスの方も見てくれるかな? 『社交舞踏会』は魔術学院では毎年のように行われる伝統行事なんだ。父さんも学生の頃は参加したんだよ」

「お父さんも?」

「ああ。まぁ、ダンス・コンペには縁がなかったから参加できなかったけど……」

当時のことを思い出してか、ハハハと力なく笑う。

学生時代、色々とあったようだ。

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!

突然、一際盛大な拍手と歓声が上がり、舞台に一組のカップルが現れた。

降り注ぐ魔術の照明光が、まるで二人を祝福するかのように、ライトアップする。

「きれい……」

その時、ロクスは思わず目が釘付けになった。

そのカップルの女性が身に付けているドレスに。

スカートの裾は天使の羽衣のように広がり、翻る腕のフロートはまるで妖精の羽。ドレスを飾る宝石の装飾は夜空に輝く満天の星のように輝き、その幻想的な美しさにダンスよりも食い気が勝っていたロクスでさえも目を奪われるほどに美しかった。

「あのドレスはね、『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』って言うんだ」

「ろーべ……? お菓子の名前みたい」

「ハハ、そうだね。けどね、あのドレスは『社交舞踏会』に代々伝わる由緒正しき伝統ドレスで、同時に開催されるダンス・コンペで優勝したカップルの女性が、一夜だけ着用を許された魔法のドレスなんだ」

「魔法のドレス……?」

「ああ、父さんは縁がなかったけど学生時代に母さんに会っていたら着せてあげたかったと今でも思うよ」

愛する妻に是非とも着せたかったと悔やむウィルマはロクスの頭を優しく撫でる。

「将来、ロクスが大きくなってこの学院に通うことになって、あの魔法のドレスを着せてあげたいと思えるような女の子と出会ったら父さんの代わりに着せてあげなさい」

「うん」

素直に頷くロクスにウィルマは少しばかり複雑そうな表情となる。

ロクスは異能者。それを隠す為にも魔術を教えている。だからロクスが将来、このアルザーノ帝国魔術学院に通うことは必須で魔術師になることは決まっている。

親として、父親として我が子には自由に未来を選んで欲しいという気持ちはある。けど、ロクスの身を案じれば魔術師になるのが一番ロクスにとって安全の道だということはわかっている。

それでも、と思うのは親として当たり前のことだ。

ロクスはその時の複雑な父親の顔を今でも覚えている。

 

 

 

「……………………夢、か」

目を覚まして上体を起こすロクスは先ほど見て夢について息を漏らす。

過去(ゆめ)を見るまですっかりと忘れていた。『社交舞踏会』も近いということもあってきっと見た夢なのだろう。

「父さん、悪いが父さんの願いは叶えられそうにねぇ」

今は亡き父に謝罪。

今のロクスは天の智慧研究会に復讐することだけが全て。その願いを叶えてやれる余裕なんてどこにもない。

そう、ロクスは強くならないといけない。天の智慧研究会に復讐する為にも力が必要だ。その為になら軍にも入るし、教えを乞う為に頭だって下げる。なりふり構ってはいられる余裕なんてロクスにはないのだ。

身支度を整えてロクスは『社交舞踏会』に乗じてルミアを暗殺しようとする天の智慧研究会を殺す為に学院には向かわずにイヴに教えを乞う前に自己鍛錬を行おうと思い、外に出る扉を開けると。

「よう! ロク坊! 朝は早いのう! 今から学院か?」

「おはようございます、ロクスさん」

そこには見覚えのある老人と少年がいた。

(こいつらは確か……)

先日、会ったばかり。

ロクスが特務分室の一員として基本的に行動を共にしているのはアルベルトでよく会っているのは同じ学院に通うリィエル。そして仕事を言い渡してくる上司のイヴぐらいだ。

それ以外の特務分室のメンバーは話どころかろくに会話した覚えがない。

しかし、この二人は今回の『ルミア暗殺計画』を阻止する任務の際に会ったことがあった。

一人は老人でありながら非常に大柄で肩幅が広く筋骨隆々、若々しい精気に溢れた男。

(特務分室、執行官ナンバー9《隠者》のバーナード=ジェスター。そして……)

もう一人の少年、落ち着いた物腰と涼やかな美貌が特徴的な美少年。達観したような瞳と表情が大人びた印象を与える。

(執行官ナンバー5《法皇》のクリストフ=フラウル)

ロクスやアルベルト、そしてリィエルと同じ特務分室のメンバーだ。

「何か用か?」

ロクスは端的に用件を尋ねる。

もしかして任務に何かしらの変更でもあったのか? と考えるロクスに対してバーナードは笑いながら言う。

「いやなに、イヴちゃんが勧誘したお前さんとちょっと話でもしようと思ってのぉ。少しでいいから時間をくれぬか?」

「朝から突然すみません。同じ特務分室の一員として働く者として友好を深めたいと思いまして」

話がしたい。要件は本当にそれだけのようだ。

「俺はお前等と話す暇なんてない」

それだけ告げてロクスは二人の間を通り抜ける。

通り過ぎるロクスの背を見送りながらバーナードはやれやれと息を吐き、クリストフは苦笑いを見せる。

「まったく、アル坊の言っていた通りじゃな。復讐以外に無関心、いや、どうでもいいのじゃろう」

「そうみたいですね。軍に入隊してのも復讐の為のようですし」

アルベルトからある程度はロクスのことは事前に聞いてはいた。だが、今回の任務で一緒に行動する為に少しでも友好を深めようと思ったのは嘘ではない。

しかし、ロクス自身にとっては友好などどうでもいいことであった。

「危ない目をしておったしのぉ。ああいう目をした者をわしは見てきたことがあるが、どいつもこいつも最後はまともな死に方もしておらん。まだ若い子供がああいう目はしないで欲しいものじゃのう」

顎髭を撫でながら、なんとも言えない苦い表情で語るバーナード。

「しかし、わかりません」

「ん? 何がじゃ? クリ坊」

「何故、天の智慧研究会が異能者を集め、駒にしようとしていたのか。まるで戦争の準備でもしているみたいではありませんか」

「うむ、確かにそうじゃな」

帝国軍とテロリストの小競り合いは珍しくはない。だが、大掛かりなこと、それこそ戦争になるようなことは四十年前の奉神戦争から起きていない。

「それに何故異能者なのでしょうか? ただの戦力強化なら他にやりようもあった筈です」

それは確かに不可解な点ではある。

何故、天の智慧研究会は異能者を集めていたのか。

何故、異能者を駒にしようとしていたのか。

わからないことは多い。

「僕も失礼とは思ったのですが、彼のことを調べてみました。どうやら彼はフィアンマ家の御子息。貴族ではあったようです。貴族といって小貴族、名ばかりのもののようでしたけど」

「え? マジで?」

予想外な事実にバーナードは少し驚く。

「彼のご両親は両家が勧めた政略結婚を反対し、恋愛結婚したせいもあって仲がよろしくなく、両家共に彼を引き取るどころか、彼のご両親と共に死んだ者としているようです。ですので今の彼はただの平民ではありますが、問題はそこではありません」

「……異能者とはいえ、仮にも貴族に手を出してでも駒にする意味があるのか、ということじゃな?」

「はい。リスクとリターンが合いません。手あたり次第と言えばそれまでですが」

「なるほどのぉ」

確かにどうして天の智慧研究会はそのようなことをしたのか。分からないと言えばその通りだ。

テロリストだからと片付けられるのなら簡単だ。

だがもしも、何かしらの理由があってそうしたというのであれば……。

「まぁ、その時はその時じゃわい」



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踊る条件

アルザーノ帝国魔術学院はついに三日後に差し迫った伝統行事『社交舞踏会』の準備のため、魔術学院生徒会や社交舞踏会実行委員会、有志の協力者達など、大勢の生徒達で集まっており、広間の掃除や大道具やテーブルの運び入れ、調度品の設置、はたまた当日の料理当番や給仕の打ち合わせなど、皆一様に忙しそうに働いていた。

システィーナもまた魔術学院の生徒会長であるリゼと懇意の仲であり、有志で行事準備に参加した一般生徒側のリーダーを務め、生徒会側や実行委員会側との橋渡し役として、様々な仕事や調整に従事している。

「本当にごめんね……。なんか私のせいで、ルミアまで手伝う羽目になったみたいで……。ルミアもリィエルも、生徒会や実行委員会とは何も関係ないのに……」

「ううん、いいよ。気にしないで、システィ。だって、こういうのも楽しいもの」

システィーナがあまりにも忙しそうだったので、ルミアはもう一人の親友であるリィエルと一緒に、行事準備を手伝っている。

「失礼。ルミアさん……ちょっとお話いいかな?」

一人の男子生徒がやってきて、ルミアに声をかけた。

いかにも女の子慣れしていそうな、お洒落で軽薄そうなボンボンだ。

「……はい?」

「はぁ……まただわ……」

ルミアが手を止めて小鳥のように小首を傾げ、システィーナが掌で顔を露骨に覆った。

それに構わず、その男子生徒はルミアに甘い笑顔を向けて言った。

「ルミアさん……貴女は今度の『社交舞踏会』で行われるダンス・コンペに、誰かと参加される予定はありませんか?」

「ええと……今のところ、その予定はないんですけど……」

「そうなのですか? いやぁ、貴女ほどの女性が参加されないなんて実にもったいない」

にこり、とルミアに愛想よく笑いかける男子生徒。

「もし、よろしかったら……パートナーとして、僕と一緒にダンス・コンペに出場――」

「あ、ごめんなさい。せっかくだけどお断りしますね?」

手を合わせ、気まずそうに、申し訳なさそうに頭を下げるルミア。

「………」

まさか、この自分がこうも箸にも棒にも掛けられず、あっさりバッサリ断られるとは思わなかった……そう言わんばかりに、男子生徒は引きつった笑顔のまま硬直し……

「うわぁあああああんっ! ちくしょーっ! ルミアちゃん、ガード堅過ぎっ!!」

やがて、泣きながら退散していくのであった。

「まったく、どいつもこういつも下心が見え見えなんだから……」

その一部始終を見ていたシスティーナが、深いため息を吐く。

『社交舞踏会』には伝統的な催し物としてダンス・コンペがあり、コンペの優勝カップルの女性だけが着用することができる『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』にはある噂がある。

妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』を勝ち取った男女は、将来、幸せに結ばれる。という噂があり、そのジンクスのせいで下心見え見えの男子生徒は学院の人気者であるルミアにひっきりなしにアプローチしている。

システィーナが苛立ち混じりに周囲を見渡すと、明らかに運営側の人間ではなく、会場設営の手伝いでもない男子生徒達が、不自然にぽつぽつと散見され、ルミアの様子を遠くから窺っている。

彼らは皆、ルミアをコンペのパートナーに誘うタイミングを計っているのだ。

「こういう時にあいつがいればねぇ……」

システィーナが言うあいつとはロクスのことである。

学院一の嫌われ者で畏怖の対象でもあるロクスがいればいい虫よけになるというのに。

「あはは……」

ルミアもそれがわかっているから苦笑いするしかない。

しかし、遺跡に向かう少し前からロクスは教室に顔を出すことが少なくなり、ここ最近では学院にすら来ていない。

何をしているのか、それを訊くことさえできない。

「いったいどこで何をしているのやら」

「だね……」

一人の人物について考える二人。すると、システィーナはルミアに尋ねる。

「ねぇ、ルミア。思い切ってダンス・コンペにロクスでも誘ってみるのはどうかしら?」

「え?」

不意に言ってきたシスティーナの言葉に、ルミアは思わず作業の手を止める。

「そりゃ、あいつのことだから嫌がるかもしれないけど、言ってみるだけならタダだし、もしかしたらってこともあるかもしれないでしょう?」

「それは、そうかもだけど……」

恐らくダメだろう。ルミアはそう思った。

誘っても『一人で踊ってろ』と冷たくあしらわれる光景が容易に脳裏を過った。

「でも、ロクス君が学院にいるかどうかもわからないし……」

そもそも誘う誘わない以前にロクスがどこにいるのかさえわからない。見つけなければ誘うことさえできない。しかし。

「それならアテがあるわ」

システィーナにはロクスの居場所についてアテがあった。

「リゼ先輩から聞いたのだけど、ロクスはよく医務室にいるそうよ。身体のことでセシリア先生に診て貰っているみたいなの」

「そうなんだ……」

「ええ、だからもしかしたら医務室にいるかもしれないわ。もし、いなくてもセシリア先生にお願いして伝えて貰えばいいし、ちょっと行ってみましょう」

「え、でも、今は……」

「少しぐらいなら平気よ」

システィーナは親友の手を引っ張り、医務室に向かう。

親友の為に行動するシスティーナ。その好意を無下にすることもできず、ルミアは引っ張られるがままにシスティーナについていく。

そして医務室の前にやってきてその扉を開く。

「すみません。セシリア先生、ここにロクスはいます――」

「あぁ?」

か? と言い終わる前に医務室には目的の人物であるロクスがいた。そこまではいい。むしろ、ちょうどよかったとさえ思う。

しかし、システィーナはまるで石像にでもなったかのようにその身を強張らせる。

そんな親友の姿に怪訝したルミアはひょい、と医務室を覗き込む。

そこには全裸のロクスがいた。

いや、正確に表すのであれば下着は履いている。しかし、制服は乱雑に近くに投げ捨てられ、下着以外何も身に付けていないロクスの裸体は年頃の女の子には刺激が強過ぎた。

「ふにゃああああああああああああああああっ!?」

「~~~~ッ!? (うわぁ……あれが男の子の身体なんだ……)」

システィーナは奇怪な叫び声をあげ、ルミアは両の掌で顔を覆い、その指の隙間から穴が開くほどにしっかり凝視していた。

「な、なななな、ななななななっ!?」

「うるせぇぞ、フィーベル」

顔を真っ赤にして叫ぶシスティーナに呆れながらロクスは溜息を溢す。

「たかが裸を見たぐらいでいちいち喚くな」

「いえ、システィーナさん達の反応が普通ですからね? ロクス君」

一切の羞恥心もなく平然としているロクスに今度はセシリアが溜息を溢した。

「な、な、何で裸になっているのよ!?」

「治療以外に服を脱ぐ理由なんてそれこそセ―」

「それ以上はいけません」

セシリアがロクスの口を塞いでそれ以上は言わせないように手で制した。

「あの、治療ということはロクス君はどこか怪我を?」

ルミアは親友を宥めながらロクスが怪我をしているのかをセシリアに問う。するとセシリアはまるで鬱憤を晴らすかのように口を開く。

「ええそうです。まったく最近、学院に来ていないと思っていたら怪我をしてくるなんて……。いったい何をしているのですか?」

「訓練」

セシリアの問いにロクスは簡潔に答えた。

その答えにセシリアは憤慨で返す。

「どんな訓練をすればあんな怪我をするのですか!? 訓練なら安全面にも十分に気をつかいなさいと私言いましたよね!? どうして死ぬ四歩手前まで訓練を続けるのですか!?」

セシリアのその言葉にシスティーナはうわぁ、と思わず引いた。

訓練はキツイのは当然だ。

だが、ロクスはキツイでは済まさない苛烈さと過酷さがある。

「特に今回は酷いなんてものじゃありません!! どうしたらあんな火傷を負えるのですか!? 何かの爆発にでも巻き込まれたとしか思えません!!」

(火傷……?)

その言葉にルミアは違和感を抱いた。

ロクスは炎を得意とする魔術師だ。それにロクスには炎熱を隷属する固有魔術(オリジナル)があることをルミア達は知っている。そのロクスがセシリアに治療を願うほどの火傷を負うようなヘマをするとは思えなかった。

「別に爆発に巻き込まれてねえよ。爆発をモロに受けただけだ」

「もっと悪いですよ!! ……まったくもう、貴方という人は」

深い、それはもう深い溜息を溢すセシリアはひとまずシスティーナ達の為にもロクスに服を着させる。もう何を言ってもロクスが止まらないということはわかりきったことだ。

ロクスは制服に袖を通して医務室から出ようとするも、システィーナに止められる。

「あ、ロクス。ちょっと待って」

「なんだ?」

「ロクスは社交舞踏会には出ないの? もし、出るのなら」

「出るわけねえだろ」

即答だった。システィーナが言い終わるより前にロクスはハッキリと言い切った。

「け、けど、少しぐらいの興味はあるでしょう? それでルミアと一緒にダンス・コンペに参加して欲しいのよ」

それは普通の男子生徒なら即快諾するほどのお願いだ。学院で人気者のルミアと一緒にダンス・コンペに参加できるのなら泣いて喜ぶ男子もいるだろう。

だが、この男は普通ではない。

「ハッ、誰がそいつと躍るか。講師とでも踊ってろ」

一秒も躊躇いもみせずに断った。もはや拒絶に近い断り方だ。

「で、でも」

「システィ。いいよ、わかっていたことだから」

ルミアもわかっていた。ロクスを誘っても断ることぐらい。それでもやはり心のどこかでほんの少しだけ期待していたことには違いない。その証拠にルミアの表情が少しだけ曇る。

「いいえ、ロクス君。システィーナさんの言う通りです。参加しなさい」

しかし、そこへ思わぬ助け船が出た。

「なんでだよ? 参加は個人の自由だろうが」

「あんな大怪我をするまで訓練をしたのですから息抜きが必要です。根を詰め過ぎるのはよくありません」

「それなら部屋で寝る。社交舞踏会なんてもんに出る理由にはならねえよ」

頑なに社交舞踏会に出ようとしないロクスにセシリアはまったくと呆れ、視線をロクスからルミアに変える。

「ルミアさん。貴女はどうしたいのですか?」

「え、わ、私は……」

「自分の気持ちは自分で伝えないときっと届きませんよ」

優しい微笑みを浮かばせながらルミアの背を押すように告げるセシリアにルミアは一歩前に出る。

「あ、あの、ロクス君。私と一緒にダンス・コンペに参加してくれない、かな……?」

自分の気持ちを素直に口にした。

断られるとわかっていても、それでも自分の口から正直な気持ちを目の前の人に伝えたルミアにロクスは少し間を開けて答える。

「断る」

端的に簡潔に断りの言葉を口にした。

わかってはいたことだ。自分が彼に嫌われているということぐらい。だから断られるのも当然のことだ。

ロクスと一緒にダンス・コンペに参加し、優勝し、そしてずっと憧れだったドレスを身に纏い、一緒に踊る。そんな想像をしたことがある。

けれどこれで踏ん切りがついた。諦められる。ルミアは心の整理がつけれるそう思ったその時だった。

「けど、一曲ぐらいなら付き合ってやる」

「え?」

ルミアは思わずロクスの顔を見た。

その表情はいつもと変わらないように見えるが、その目はいつもより少しだけ優しく見えた。

「ダンス・コンペには参加はしない。けど、社交舞踏会に顔ぐらいは出してやる。そしてお前があの講師と一緒にダンス・コンペに参加し、優勝した後でいいなら一曲分ぐらいは付き合ってやる」

妙な条件を出された。

パートナーをグレンに指定した上での優勝が一曲分だけロクスと踊れる権利を得られる。何故パートナーがグレン? と気になることはあるけど、それでも言質は取れた。

「わかった。必ず優勝してみせるから」

ルミアはその条件を呑んだ。

厳しい条件ではあるも、達成できないような無理難題な条件ではない。

「できたらな」

ロクスは医務室を今度こそ去る。

「まったく、ロクスったらいったい何様のつもりなのよ……」

変な条件を出してきたロクスとその条件を呑んだ親友に呆れながらもシスティーナは頬を緩ませる。

親友に訪れたチャンス。是非とも頑張ってそのチャンスをものにして欲しい。

(けど、どうしてパートナーがグレン先生なのかしら……?)

そこだけがわからず、システィーナは首を傾げるのであった。



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開催前のダンス

社交舞踏会、当日。

学院内には馬車がひっきりなしに到着し、今回の社交舞踏会に招かれた他校の生徒達や学院に縁ある政府の高官、貴族達などが続々と姿を現している。

そんな彼らは生徒会役員たちのエスコートで、学生会館の大客間(サルーン)に案内されていく。

ロクスはパーティー礼装用の燕尾服を着こなし、その様子を観察していた。

(《魔の右手》のザイード……)

怪しい奴が学院に侵入してくる可能性を警戒しながらロクスは先日、倉庫街でイヴが話していた作戦会議を思い出していた。

イヴが収集した情報によれば今回のルミア暗殺計画の首謀者は天の智慧研究会の内陣(インナー)たる第二団(アデプタス)地位(・オーダー)》の魔術師、《魔の右手》のザイード。

主にパレードや演説場、パーティー会場など、大勢の人間の前で、誰も気付かれないうちに標的を仕留めるという暗殺特化の外道魔術師。その暗殺方法は未だ謎に包まれている。

それ以外に第一団(ポータルス)(・オーダー)》が三名。それが敵の情報だ。

だが、敵も馬鹿ではない。

軍が敵の情報を掴んでいるように敵も軍の情報を掴んでいる。

(この会場でどうやってティンジェルを暗殺するのか……)

会場全体はイヴの眷属秘呪(シークレット)【第七園】が仕掛けられている。

眷属秘呪(シークレット)とは固有魔術(オリジナル)の一種あり、魂の魔術特性(パーソナリティ)を術式に組み込む固有魔術(オリジナル)とは異なり、血中マナ特性――即ち、魔力特性(スペシャリティ)を組み込む魔術である。その特性上、大抵一代限りの固有魔術(オリジナル)とは異なり、その血族が先祖代々伝え、発展させていくことが可能な秘術だ。

そして、イヴのイグナイト家が代々伝える眷属秘呪(シークレット)【第七園】とは、予め指定した領域内における炎熱系魔術の起動『五工程(クイント・アクション)』を全て省略出来るようにする、という図抜けた代物。要は領域内の敵を、精神集中も魔力操作も呪文詠唱もなく、炎を手足の一部のように自在に操って焼いてしまうことが可能なのだ。

無論、予めその【第七園】の支配領域を手間暇かけて魔術的に構築しなければならないし、領域内で自在に行使できる魔術は炎熱系のみに限られる。魔力消費も激しい。

だが、一度【第七園】の領域を構築し、その領域内に敵を誘い込んでしまえば、その威力は言うまでもなく、強力無比。領域内にいるイヴは、アルベルトの魔術起動速度すら遥かに凌駕する、この世界最速の魔導士だ。

そして眷属秘呪(シークレット)【イーラの炎】は一定領域内の人間の負の感情――特に殺意・悪意を炎の揺らめきとして視覚化し、察知・特定する索敵魔術。

【第七園】と多重起動(マルチ・タスク)することでルミアに対して殺意を抱いた瞬間、その仕掛け人は瞬時にイヴの炎によって確保される。確実に。

(室長の【第七園】がある限り、会場内での暗殺はほぼ不可能。外部からの干渉も俺やフレイザー達で対処すれば問題はない。それに講師とレイフォードが常にティンジェルの傍にいる)

完璧だ。少なくとも今回の作戦の指揮官がロクスだったらこれほどまでの作戦を思いつくことはできないし、ロクス自身、この作戦以上に完璧なものが思いつかない。

ただの暗殺者ならばこの情報を耳にしただけで暗殺は断念する以外に道はない。

(だけど、あのクズ共は必ずやってくる)

それは確信だ。

天の智慧研究会がたかがその程度で諦めるとは思えない。必ず何らかの方法で出し抜いてくるに違いない。問題はその方法がわからない。

一応、今回の社交舞踏会に招かれた来賓に紛れて侵入してくることを考えて警戒しているのが、流石にそんなわかりやすい手は使ってこないようだ。

「来てくれていたのですね。ロクス君」

「生徒会長が生徒会の仕事をしなくてもいいのか?」

来賓を警戒しているなか、生徒会長であるリゼがロクスに声をかけてきた。

「別に構いません。他の役員の方々も優秀ですから」

「そうかよ」

実際そうなのだろう。生徒会長がいないだけで仕事を回せないほどの無能が生徒会役員にはなれないのだから。

「それにしても正直驚きました。まさか本当に来てくださるとは」

「顔を出しに来ただけだ。すぐに消えるから安心しろ」

「いえ、どうせなら最後まで楽しんでいってください。貴方もこの学院の生徒なのですから」

薄く微笑んだまま告げる。

そこに……。

「ロクス君。ここにいましたか」

白いドレスに身を包んだセシリアがやってきた。

「へステイア法医師。あんたも来ていたのか」

「ええ、ロクス君がちゃんと社交舞踏会に参加しているのか確認を含めて。ちゃんと参加しているようで安心しました」

(わざわざそんなことの為に参加してのかよ……)

相変わらずだな、とロクスは口から小さく息を漏らした。

「それではセシリア先生。後は彼をお願いします」

「はい。生徒会のお仕事、頑張ってください」

お辞儀をして生徒会の仕事に戻るリゼ。仕事に戻るリゼの背中を見送った後、セシリアはロクスに尋ねる。

「さて、ロクス君。どうですか?」

見せびらかすようにその身に纏う白いドレスを見せつける。凝りに凝った装飾はなく、むしろドレスのデザインとすればとてもシンプルで飾り付けられたアクセサリーも控えめで化粧も薄く施されている程度で髪も普段の三つ編みを解いて丁寧に結いあげられている。

お世辞抜きでも美しいと絶賛できる。ここが社交界ならば引手数多の立派な淑女(レディ)であることには間違いない。

そんなセシリアにロクスは言う。

「あんたは白よりも赤や黒のドレスの方がいいだろう? 血が目立たないし、それで社交舞踏会の空気をぶち壊さなくてもすむ」

「どうして素直に褒めることができないのですか……。それと私がいつも吐血している人みたいに言わないでください」

「結構な頻度で血を吐いてんだろ、あんたは」

ロクスは何度もその場面を見ているのでセシリアの超虚弱体質についてはよく知っている。

「ここはお世辞でも似合っているというべきですよ。お世辞でも女の子は嬉しいものなのですから」

「そういうものか?」

「そういうものです。さぁ、行きましょうか」

ロクスの腕を絡めてセシリアは開催前から既に盛り上がっている場へロクスを連れて行こうとする。

「せっかくなので一緒に踊りませんか?」

楽奏団の演奏に合わせて早くもダンスに興じている男女は多い。セシリアもそのダンスに参加しようとロクスを誘っている。それに対してロクスは……。

「一曲だけだ」

その誘いに応じた。

普段から治療などで世話になっている身としてはルミアのように強く拒むことはできない。それに社交舞踏会に参加した以上は誘われたら踊る程度はしておかないと不自然に思われる。

だから仕方がないと割り切ってロクスはセシリアの誘いに応じたのだ。

ダンスに興じている他の男女に乗じてロクスもセシリアと一緒に演奏に合わせてダンスをする。その光景にロクスを知っている人達から見れば目を見開くほどの驚くべき光景だ。

「お、おい、嘘だろ……。なんであいつがセシリア先生と」

「つーか、フィアンマのやつがどうして……え、まさか、あの二人ってそういう関係?」

「うそ、フィアンマくんとセシリア先生が……生徒と教師の禁断の関係」

「え、でも、ロクスって幼女趣味(ロリコン)って話じゃなかったっけ?」

「グレン先生といい、ロクスといい、クソが……」

「荒れるなよ。まだそうと決まったわけじゃないだろ?」

二人の関係を邪推するかのような声が会場内に飛びまうも、ロクスは差し当たって気にする素振りも見せないのは慣れているから。セシリアもまた気にするような素振りも見せずにただ今のダンスを楽しんでいる。

「ロクス君、踊れたのですね。てっきり不慣れなものかとばかり」

「これでも元は貴族の端くれだ。ガキの頃にダンスの基礎は習った。身体がまだ覚えていたのは少し驚いたが」

まさかそれが役に立つ日が来るとはロクス自身も思わなかっただろう。しかし、そのおかげで余計な恥をかかずに済んでいる。

「これなら私達もダンス・コンペに参加してもよかったかもしれませんね」

「それは御免被る」

「ふふ、そうでしょうね」

それは面倒だと言わんばかりの顔をするロクスにセシリアは微笑む。そしてロクスは約束通り、一曲分だけセシリアと踊るのであった。

その踊りを見ていた一人の講師と女子生徒は。

「先生。絶対に優勝しましょう」

「お、おう……」

鬼気迫るような微笑むを浮かべる女子生徒(ルミア)講師(グレン)は頷くしかなかった。



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守る為ではない

『それでは、お集まりになられた紳士淑女の皆さま。どうか今宵は楽しい一時を……』

生徒会長リゼの音頭で、とうとう社交舞踏会が開催された。

早速、楽奏団が指揮者の繊細なる指揮の下、雄大な楽曲を奏で始め、その曲に合わせて男女が思い思いに踊り始める。

立食式で、豊富に用意された豪華な食べ物や飲み物が尽きることはない。

それらを片手に、普段、話す機会のない学年違いの生徒や、男女、他校の生徒達など、様々な立場や垣根を超えて、楽しく談笑しており、話が弾めば、やがて気の合った者同士で手を取り合い、ダンスの中に加わっていく。

誰も彼も、この華やかな表舞台の裏に血生臭い思惑と陰謀が潜んでいるとは知らずに。

「皆さん、楽しそうですね」

「そうだな」

壁際で社交舞踏会の様子を眺めているセシリアの言葉にロクスは頷く。

時折、ルミアからなんとも言えないような視線が向けられてはいるもロクスはそれをさらりと無視する。

(今のところは怪しい動きをしている奴はいない)

無論、そんなヘマをするような者が天の智慧研究会にはいない。それでもロクスは周囲に疑いの目を向ける。もし、万が一にも天の智慧研究会がこの会場に紛れ込んでいる可能性を警戒して。

「あ、あの、フィアンマくん……」

「あぁ?」

ふと、ロクスは視線を前に向ければ見知らぬ女子が立っていた。ロクスの名を知っていることから恐らくはロクスと同じアルザーノ帝国魔術学院の女子生徒だろう。

その女子生徒は恐る恐ると言った感じに声をかけ、意を決したようにロクスに言う。

「わ、私と踊ってはくれませんか……? 一曲だけでいいですから」

まさかのダンスの誘い。

自他共に学園でも屈指の嫌われ者だという自覚を持っているロクスは先日のリゼの言葉を思い出す。

ロクスに好意を持つ女子生徒もいるという話を。

(本当にいやがった……)

冗談の類だと思っていたが、まさか生徒会長の言葉が真実だったことに流石のロクスも驚く。そして隣で微笑ましい笑みを浮かべながら成り行きを見守っているセシリアの「ほら、お誘いですよ」という小言に少しだけイラッとしたロクスだった。

「……悪いが、会場の空気に慣れていないせいか気分が悪いから遠慮する」

「そ、そうですか……」

肩をガックリ落としながら離れていく女子生徒。断られたことにショックを受けているのが一目でわかる。

「もう、どうして踊ってあげないんですか? 別に気分なんて悪くないでしょうに」

「面倒だ。そう何度も踊ってたまるか」

別に踊る為にロクスはここにいるわけではない。ルミアを暗殺しようとする天の智慧研究会を殺す為に仕方がなくロクスはここにいるんだ。

(とはいえ、まさか俺に声をかけてくるとは……)

ロクスは基本的に周囲の人から避けられている。触らぬ神に祟りなしのように触らぬロクスに祟りなし。だからロクスに声をかけてくる者は限られている。

(会場の空気や演奏にでも当てられたのか……まぁ、場所も場所だから無理もねえか)

気が高揚するのも無理はない。高揚していたから普段できない言動も取れるというもの。

だからその影響で声をかけてきたのだろうと、そう納得する。

「そういうあんたは踊らなくていいのか? あそこにあんたと踊りたそうにしている奴等がいるぞ」

ロクスが指す方向にはセシリアにダンスを誘いを申し込もうとタイミングを計っている男子達が遠くから様子を窺っている。しかし、ロクスが隣にいるせいか誘えないようだ。

「私はいいんですよ。だってドレスを血で汚すわけにはいかないのでしょう?」

(根に持っているな……)

そんなに褒めなかったのがよろしくなかったのか。それとも言葉選びが悪かったのか。セシリアはそう言い返した。

「それに私はそこまで踊れませんし、後は壁の花にでもなっています」

元々の超虚弱体質だからか、それともロクスを気遣ってかはわからない。しかし、もう踊る気はなさそうだ。

始まるダンス・コンペ。その予選を眺めながら時間だけが刻々と過ぎていく。

そして――

『ロクス。そろそろ準備なさい』

耳に仕込んだ通信魔術用の宝石からイヴの声が届いた。

(了解)

合図にロクスは行動を開始する。

その直後。

「天の智慧研究会がこの会場、いえ、ルミアさんに何かしようと企てているのですか?」

「――っ」

突然のセシリアの言葉にロクスは驚愕の表情でセシリアを見た。

ルミア暗殺計画の情報は学院には伏せられている。それなのにまるで知っているかのような口ぶりをするセシリアに驚きを隠せれないロクス。そんなロクスにセシリアは小さく笑む。

「私がいったいどれだけロクス君のことを診てきたと思っているんですか? それぐらいの想像はできますよ」

セシリアは己の推測を語る。

「普段のロクス君なら絶対に参加しない社交舞踏会。それに参加しているのには天の智慧研究会が絡んでいるからとしか思えませんし、ルミアさんに変な条件を出してグレン先生をダンス・コンペのパートナーに指名したのも天の智慧研究会からルミアさんを守る為。そうではありませんか?」

「……」

何も言えなかった。

ロクスの言動からそこまで察したセシリアに少しばかりの戦慄すら覚えた。

だが、そんなことはどうでもいい。

「……俺を、止めるつもりか?」

もし、セシリアは自分の邪魔をしようというのであれば。そう考えるロクスにセシリアは少し悔しそうに口を開く。

「それができればどれだけいいのでしょうね……。ですが、ロクス君は止まる気はないのでしょう?」

「ああ」

「私はそんな君を止めることはできません。悔しいですが、私にはロクス君を守れるだけの力も強さもありませんから。ですが、これだけは言わせてください」

セシリアはロクスの手を取って告げる。

「必ず生きて戻ってください。そうすれば私が必ず治してみせますから」

そう告げた。

覚悟を決めた戦士のように、セシリアはロクスがどんな状態になったとしても治してみせるという法医師の覚悟を口にする。それが本気だということぐらいロクスでもわかる。

例え、自分が危険な状態に陥っても治そうとする。セシリアはそういう人だということも理解している。

(本当に、この人は……)

優し過ぎるだろう。そう思った。

ロクスはセシリアにいつ見限られてもいいとさえ思っている。当然だ、何度も無茶を繰り返し、死にかけ、その度に治療して貰っている。不可抗力や無自覚でならまだしも、ロクスは自分からそういう無茶を繰り返している。呆れられ、見限られてもおかしくはない。

それでも治すと告げるセシリアには頭が上がらない。

「……何度も言うが、俺はまだ死ぬつもりはない」

セシリアの手を振り払ってロクスはセシリアに背を向けるように踵を返す。

「それと一つ勘違いしている。俺はあいつを守る為じゃない。天の智慧研究会を殺す為に行く。それだけだ」

守る為でも、助ける為でもない。復讐を果たす為だけにロクスは行動する。

 

 

 

 

「遅いぞ、ロクス」

「うるせぇよ」

夜気に包まれた学院会館、その屋根の上にて外から来る敵を待ち構えているアルベルト、バーナード、クリストフそして会場内を警戒している筈のイヴが佇んでいた。

「かぁー! ロク坊だけ羨ましいぞぉ! あんな美人な先生と踊れてのぉ!! ……のぅ、ロク坊。ちょっくらわしにあの先生を紹介してはくれんか?」

「殺すぞ」

「何を言っているのですか、バーナードさん」

割と本気の殺気を放つロクスに広域索敵結界を張り巡らせているクリストフが呆れ顔でバーナードを見る。

「さて、そろそろではなくて? クリストフ」

「ええ、今……来ました! 結界に反応があります!」

「……おおっとぉう、ついにわしらの出番かいな!」

「…………」

一同の間の空気が一気に重く、鋭くなる。

「敵影、三。座標などの敵に関する諸情報は――ここに」

クリストフが握りしめていた魔晶石を親指で弾き、他の四人へ渡す。

その魔晶石には、クリストフが結界から得た情報が記録されているのだ。

「……把握した」

魔晶石内に記録された敵情報を表装意識野に高速展開した四人は、瞬時に状況を把握する。

「さて、どう対処しようかの……?」

「敵は三手に分かれています。こちらの損耗を最も少なく抑える確実策は、四人一組で行動し、敵に一人ずつ対処することが……」

「駄目よ、そんなの。一人に対処している間に、他の二人がここに来るわ。なら、私が相手せざるを得ない。私の予定が狂うじゃない。嫌よ、そんなの」

イヴがそんな風に割って入る。

「私が差配してあげるわ。《星》は北の敵を、《隠者》は西の敵を、《塔》は東の敵をそれぞれ対処しなさい。《法皇》はここに残り、引き続き結界の維持を……なに、できるでしょう? 貴方達なら」

自身の指揮手腕に微塵も疑いなしと言わんばかりの横柄な態度であった。

「了解」

だが、イヴの態度などロクスにはどうだっていい。

イヴの指揮が言い終えると同時にロクスは東の敵がいる場所に駆ける。

「おおい!? ロク坊よ! 行くならせめてわしらに一言……あ、もうおらんわい……」

アルベルト達に一言も告げずにさっさと敵の元へ向かったロクスにバーナードは額に手を当てる。

「イヴちゃんよ、大丈夫かいのぉ? いくらなんでもロク坊一人で行かせるのは……せめてクリ坊と一緒に」

「無駄よ、バーナード。むしろ私の命令を聞いてくれるだけまだマシよ」

特務分室の新入りであるロクスを一人にするのはどうかと思ったバーナードだったが、それをイヴはばっさりと言い切る。

「殺したい敵がすぐそこまでいるのに、それを待てできるほどあの子は理性的な人間ではないわ。それに戦闘スタイルも考えれば一人の方がまだ戦いやすいでしょうし」

復讐に全てを捧げた人間。その復讐の対象がすぐそこまでいるのにそれを止めるようなことをすれば復讐の刃はこちらにまで向けられる。それはイヴも勘弁だ。

「ま、あの子は一人で問題ないわよ。ほら、貴方達もさっさと行きなさい」

イヴの言葉が背を押し、アルベルトとバーナードもそれぞれの敵の対処に向かう。

 

 

 

アルザーノ帝国魔術学院敷地内、東の薬草菜園付近。

そこで相対する二人の魔術師。

「《冬の女王》グレイシアだな」

「ふふふ、出会ってあらあら☆ こんばんは♪ 《塔》」

愛剣をその手に握るロクスと相対するのは肉感的なドレスに身を包んだ妖艶な少女《冬の女王》グレイシアはにっこりと壊れた笑みを浮かべ、ドレスの裾を手につまんで優雅に一礼する。妖艶に、そして底知れぬ闇を秘めた昏い光をその虚ろな瞳に灯して。

「貴方が今宵のダンスのお相手を務めてくださるの♪ らーらー♪ 貴方のお友達はとても残酷ね☆ 真冬の最中にただ一人、貴方を置き去りにするなんて♪ 嗚呼、可哀想♪ 嗚呼☆ 悲劇です♪ 喜劇です♪」

その途端、怪しく微笑する少女の周囲の気温が、さらに数度下がった。

「せめて、私は貴方を忘れません♪ 思い出を氷の中に閉じ込めて~♪ 永久に美しい貴方を私は愛でますわ♪ それはもう、永遠に♪ 永遠に~♪」

不意に、少女の周囲にひゅおと吹雪が渦巻く。凍てつき、結晶化した大気が月明りを反射し、きらきらと輝く。ぱきぱきと音を立てて地面が凍り付いていく。周囲の薬草が次々と育つ氷塊の中に、閉じ込められていく。

その虚ろなる眼光も言動も最早、正気ではない。

美しくも恐ろしい、真冬の死神を体現したかのようなその少女を前に――

「覚えておく必要はねぇよ、クソ女。てめえはここで俺が殺す」

物怖じすることなく言い切った。

真冬の死神そして炎熱の復讐鬼は互いの得意な魔術を衝突させる。



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復讐者VS冬の女王

戦闘音が鳴り響く。

天の智慧研究会がルミアを亡き者にしようと企てた今回の暗殺計画。それを阻止しようと動く帝国宮廷魔導士団特務分室。彼等の戦闘が始まった。

「イヴさん。やはり僕に行かせてください」

会場の屋根の上で結界を維持しているクリストフがイヴに再度頼み込む。

それは特務分室の新人であるロクスの助力に向かうこと。それを上官であるイヴに許可を求めている。

「必要ないわよ。貴方は貴方の仕事をしなさい」

しかし返ってくるのは先ほどと変わらない返答ばかり。

「しかし……」

微かに聞こえる戦闘音。相手が相手だけに苦戦を強いられるのは当然だ。だからこそ助力に向かうべきだと告げるクリストフにイヴは嘆息交じりに口を開く。

「殺されるわよ? 彼に」

「え……?」

それは予想外な言葉だった。

敵にではない。味方であるロクスに殺されるなんてクリストフは思ってもいなかった。

「少しだけ彼を鍛えてあげたけど、アレは味方なんて必要としない。むしろ復讐の邪魔だと判断したら躊躇なく殺すでしょうね。まぁ、例外もいるでしょうけど、少なくとも私や貴方達なら躊躇わないでしょう」

「そんなこと……」

「ありえるわよ。彼にとって私達は仲間でもなんでもない。ただ自分の目的と利害が一致しているだけよ」

そう、それだけの関係性だ。

「まぁ、安心しなさい。ちゃんと彼の手綱は私が握っておくから。それに彼の実力は折り紙つきよ。貴方が心配する必要がないほどに」

それが嘘か誠か、それを知っているのはイヴだけだ。

 

 

 

 

アルザーノ帝国魔術学院敷地内、東の薬草菜園付近。

「きゃはっははははは♪ あっはははははははは♪」

グレイシアの耳障りな哄笑が、吹雪の嘶きと共に、響き渡る。

荒れ狂う吹雪、凍てつく大地、氷柱が幾本も天に向かって突き立ち――ついに空気まで凍り付いて、結晶化し、禍々しく輝いて空に舞う始末。

生身の人間ならば瞬時に全身の血液が凍り付き、酸素まで氷結するがゆえに呼吸する事すら困難――いや、息を吸っただけで肺が凍りつく死地。

そこはまさに極低温の第六園――氷結地獄。その地獄を生み出しているのが第一団(ポータルス)(・オーダー)》のグレイシアだ。

その全身に刻まれた魔導刻印――『死の冬の刻印』に魔力を疾走させることで、彼女の周囲の気温は際限なく下がり、無慈悲なる死の冬が形成される。

生ある者を容赦なく絶命させる氷結地獄。その地獄の中に生きている者がいる。

「いいですわ♪ いいですわね♪ こんな激しいダンス私初めて♪ きゃ☆ 熱いのは嫌いではありませんわ♪」

「うるせぇよ。ちった黙れ、クソ女」

紅蓮色に激しく燃え上がる炎は獄炎の火柱は周辺の物だけでなく空気さえを焼きつかせ燃やし尽くす。荒れ狂い、うねる超高熱の灼熱劫火はまさに焦熱地獄。天まで焼き尽くさんとその熱量は上がり続ける。その中心にいるロクスは燃え上がる炎を自分の手足のように動かしている。

上がる炎が大量の火の粉を吹き上げては、空を焦がし、世界を赤く染め上げていく。

そこに魔術的防御なしで立ち入れば灰も残らず燃え尽きるだろう。

氷と炎。

氷結地獄と焦熱地獄。

相反する魔術を行使する二人の実力は拮抗している。

それはただの魔術のぶつかり合いではない。お互いの領域の奪い合い。先にどちらかの領域を支配した方が勝つだろう。だが、それも容易ではない。

(変な恰好と言動をしてはいるが、流石はあのクソ組織にいるだけの魔術師か……)

炎熱系の魔術を行使しながらロクスは眼前の敵、グレイシアを見定める。

恰好や言動はともかくとして魔術師の腕前は超一流。一流の魔術師なら彼女に近づくこともできずにその身が凍り付くだろう。

ロクスが無事なのはロクスがグレイシアの反対、炎熱系に特化した魔術師だからグレイシアの冷気、雪や氷を相殺することができる。

(普段からサラにどれだけ助けられているか、実感させられる……)

遺跡での魔人との戦闘で力を酷使し過ぎた為に今回の戦闘ではサラを召喚することはできない。いないからこそ、サラがどれだけ自分に献身してくれているのか実感させられる。

(だが、この程度の敵、俺一人の力でどうにかしねえと、奴等に復讐することなどできないッ!)

戦闘に関して天の智慧研究会の実力は超一流が多い。つまりグレイシアと同等かそれ以上の実力者がまだゴロゴロいるのだ。天の智慧研究会には。その全てを皆殺しにする為にもこんなところで負けるわけにはいかない。

「あら♪ あららら♪ 私と違って随分と寡黙ですこと☆ 私とお喋りしませんこと♪」

グレイシアの全身の肌に刻まれ、光り輝く魔導刻印である『死の冬の刻印』に魔力を疾走させ、彼女の周囲の気温をさらに下げ、さらなる凍気を生み出す。

「《冬の悪魔が振るう剣よ》♪」

一節呪文を歌うように唱える。

刹那、グレイシアの周囲に出現した氷の剣が、ロクスに向けて飛ぶ。ただの氷ではない。圧倒的な冷気を圧縮凝集して結晶化した、凍気そのものの剣だ。

触れれば、物理的なダメージ以上に、全身が瞬時に凍てつき、砕け散る。

「《一人で・喋ってろ・クソ女》」

グレイシアに対してロクスも呪文改変によって黒魔【フレア・クリフ】を起動させる。しかし、いくら灼熱の炎壁を張る攻性防御呪文でも圧縮凝集された氷の剣を完全に防ぐことはできない。

そのままでは――

「《圧縮》」

分厚い炎壁を局所的に展開するように圧縮させて炎の盾を生み出す。面ではなく点による防御によってグレイシアの氷の剣を完璧に防ぐ。

「《真紅の炎帝よ・劫火の軍旗掲げ・朱に蹂躙せよ》ッ!」

「させませんわ♪ 《蒼銀の氷精よ・冬の円舞曲(ワルツ)を奏で・静寂を捧げよ》♪」

B級攻性軍用魔術、黒魔【インフェルノ・フレア】

B級攻性軍用魔術、黒魔【アイシクル・コフィン】

炎と氷のB級軍用魔術は衝突し、相殺する。

火の粉と氷の欠片が宙を舞い、二人の男女は激しく踊り合う(たたかう)。魔術による殺し合いというダンスに殺意と狂気を織り交ぜて互いの得意とする魔術を起動させる。

「あはははははははっ♪ 素敵、素敵ですわ♪ こんなにも踊ったのは久々ですわ♪」

グレイシアはさらに魔力を自身の『死の冬の刻印』に走らせ、周囲の凍気の嵐をさらに強く、さらに限界突破で暴走狂乱し――

「チッ、《炎獅子》――《吠えよ》、《吠えよ》」

黒魔【ブレイズ・バースト】を連続起動(ラビッド・ファイア)させ、超高熱の火球を三連続で飛ばして爆炎を生み出して凍結を防ぐ。

「ステキ! 貴方とのダンスはとっても素敵です☆ ああ~♪ ずっと、ずっとこの時間が永遠に続けばいいのに~♪ ああ♪ そうだ☆ 貴方、私のモノになりませんか♪ そうすれば貴方は永遠に私のモノ♪ たくさん愛でてあげますから♪ 降参してくださいな♪」

名案を思い付いた、かのように壊れた満面の笑みで告げるグレイシア。だが、それは間違いだ。

「……」

この男はそういうことを最も嫌う。それが天の智慧研究会なら尚更。

実験動物(モルモット)時代のことを嫌でも強く思い浮かばせてしまうから。だから、より強く殺意と憎悪が湧き上がる。

「《殺す》」

怨嗟に満ちた言葉と共にロクスの周囲に次々と瞬速召喚(フラッシュ)するのは鬼火(ウィル・オ・ウィプス)。数十、数百の鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)瞬速召喚(フラッシュ)で展開していく。

ロクスは魔人、魔煌刃将アール=カーンとの戦いの経験から更なる強さを求めた結果に辿り着いたのが召喚魔術だ。元々サラとの契約を結んでいる為に召喚術については身に付けているし、サラもいるおかげか精霊との契約も容易なものだった。

そこに自身よりも格上の存在であるイヴから魔術師としての戦い方を学んだ。

自分よりも格上の相手を倒す方法をロクスは考え続けた。

その答えの一つがコレだ。

指先を噛み切り、己の血を簡易的な魔術触媒として生成して腕に血文字でルーンを描く。

「《炎よ・精霊よ・我が命に従え》」

それはロクス独自の呪文。既に持っている固有魔術(オリジナル)の改変型とも言える。

「炎が……」

その光景にグレイシアは思わず目を見開く。しかし、それも無理もない。

魔術による生み出された炎が、鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)が、ロクスの手のひらに収束していく。

「なに、それ……」

それを見てグレイシアは顔を青ざめる。

何故ならロクスのその手には太陽の如く燃え輝く球体が形成されている。

「てめぇを殺す技だ」

炎の収束圧縮。魔術的理論で言えばそれに当たる。

但し、その手に収束圧縮された熱エネルギーの熱量が太陽と称するに相応しい熱量を有している。

炎熱を掌握して隷属させるロクスの固有魔術(オリジナル)灼熱令界(レへヴェー)】だけでは火力を生み出せず、威力も発揮しない。

そこでロクスはもう一つの固有魔術(オリジナル)である【精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】を改変させ、サラ以外の精霊の力を自在に行使できるようにルーンにより、術式を組み替えた。

それにより召喚魔術で召喚した鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)。そしてこれまでの戦闘で起動させた炎熱系魔術の炎を一点に収束圧縮させた。

魔術と精霊の力で足りない火力を生み出し、それを掌握して隷属。超高熱の炎と膨大な熱量を一点集中させる。

範囲攻撃を得意とする炎熱系の魔術。それを一点に集中させたその火力そして威力はどれほどのものか?

魔術師と名乗る者なら嫌でもそれを理解できてしまう。

今のグレイシアのように。

「――っ」

グレイシアの判断は早かった。

全身に刻まれた魔導刻印――『死の冬の刻印』に魔力を疾走させ、周囲の気温を際限なく下げ、無慈悲の死の冬を形成させ、ロクスを極低温の第六園――氷結地獄に誘おうとするも。

「炎戒」

ただそれを放つ。

迫るくる氷結地獄を前に収束圧縮した球体を解き放つ。

刹那、深紅の爆炎が夜の世界を照らす。

爆炎、爆熱、爆風、煉獄の如く灼熱の猛炎が解き放たれたその火力は局所的な戦術A級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)。グレイシアの強烈な凍気――氷結地獄でさえも消し去るほどの超火力。

触れたもの全てを灰燼へ化す煉獄の焔はグレイシアを消し去った。

「……」

ロクスはグレイシアがいた場所を見据える。

(この程度では駄目だ……もっと、俺にはもっと力がいる……あいつらを殺す為の力が……)

ギリ、と歯を噛み締めながらロクスは踵を返す。

他の天の智慧研究会を殺す為に。



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違和感

「で?」

天の智慧研究会の第一団(ポータルス)(・オーダー)》――《冬の女王》グレイシアを見事撃破したロクスは他の天の智慧研究会のメンバーを殺そうと移動したが、戦闘は既に終わっていた。

流石は特務分室の一員だけはある。テロリストで外道魔術師ではあるも、魔術師としての技量は超一流であることには変わりない。それを相手にして五体満足で生き残れるだけでも一流だ。

ロクス同様に敵を撃退したアルベルト。だが、一人取り逃がしたバーナードにロクスは鋭い眼差しを向ける。

なに、敵を逃がしてんだ? あぁ? という無言の圧力にバーナードは額に冷汗を垂らす。

「い、いやいや、ロク坊よ。わし、頑張ったんじゃよ? 殺されずに撃退しただけでも充分じゃろ?」

「それが敵を逃がしていい理由になるのか?」

敵を逃がしたことに言及するロクスにバーナードは視線をクリストフとアルベルトに向けて助けを求める。その視線に察したクリストフは苦笑し、アルベルトは小さき息を吐いた。

「まぁまぁ、皆さん無事に生き残っただけでもよしとしましょう」

「翁のことをいちいち気にしてはキリがない。慣れろ」

「チッ」

二人の言葉に舌打ちするも、それ以上は何も言わなかった。

今回の任務はあくまでルミアの暗殺を阻止することであって天の智慧研究会を必ず殺さないといけないわけではない。敵を逃がしたとはいえ、撃退したことは確かだ。バーナードも最低限の仕事はしている。

(外からの敵は撃退した。あとは……)

《魔の右手》ザイードの計画も狂いが生じるはず。現段階では室長であるイヴの計画通り。

後の問題はザイードの確保のみ、だが……。

(さっきからなんなんだ? この感覚は……)

順調だ。恐ろしいほどにイヴの作戦通りに事が進んでいるにも関わらず、ロクスの表情は険しいまま。

まるで重大な何かを見落としているかのように。

(《魔の右手》ザイードの暗殺方法……パレードや演説場、パーティー会場などの大勢の人間の前で誰にも気づかれないうちに標的を仕留める暗殺者)

そう、この会場もまたザイードにとって暗殺が得意とする場所。しかし、イヴの魔術の前ではその暗殺も不可能に近い。

(そもそも可能なのか? 大勢の人間の前で誰にも気づかれずに暗殺することが……)

飲食物に毒を混ぜて毒殺するわけでもない。そもそも現段階で判明している殺害方法は直接的な殺害、刺殺、絞殺、撲殺と様々なパターンがあって一定していない。

(外の連中が俺達、特務分室を分散させる為の囮だったとしても杜撰過ぎる。いや、そもそも必要なかったのか? それとも諦めた……いや、それだけは絶対にありえねぇ)

それは確信。

天の智慧研究会がどれだけ悪辣非道か、己の魔術の為にどんな犠牲も強いることも厭わない外道だと知っているからこそここでルミアの暗殺を中止にするとは思えなかった。

遠目の魔術で会場内を観察するも、これといっておかしなところはない。順調過ぎる程に『社交舞踏会』は賑わっている。

誰もが気分を高揚させて楽しんでいるのが見て分かる。

(作戦通りに、なのか……?)

そう思うしかなかった。

別に作戦通りに事が進んでいることに文句を言う理由もない。ただどうにも違和感を覚えるロクスは暫くの間、アルベルト達と共に周囲を警戒しているとイヴから通信が入った。

それはイヴが《魔の右手》ザイードとその黒幕を捕えたという報告だった。

それはもう驚くほどに呆気なく敵の陰謀が潰れた。

黒幕についてはロクスどころかアルベルト達でさえ、知らされていなかったことに関しては思うことはあるが、これで無事に終わったことには変わりない。

後は確保した敵を口封じに来るかもしれない新たな敵に備えろ、ということだけだ。

「ロクス。どこに行くつもりだ?」

「会場に戻る。一応、参加者だからな。外での備えはあんたらだけで十分だろ?」

外を守れ、という上官の命令を無視して会場内に戻るロクスにアルベルト達は困ったように息を吐く。しかし、参加者であることには変わりないし、外の備えも三人もいれば十分の為にアルベルト達は何も言わなかった。

 

 

 

 

ロクスが会場内に戻った頃には既に決勝戦。

グレンとルミア、システィーナとリィエル。踊り続ける四人のダンスにこの会場にいる者達は目を奪われ、感嘆の息を漏らす。

(シルワ・ワルツ……今回の『社交舞踏会』に使用されているダンス。元はとある遊牧民族の伝統的な戦舞踊だったな。確か名前は『大いなる風霊の舞(バイレ・デル・ヴィエント)』……風の精霊と交信する為の特別で神聖なもの、だったか)

ロクスは精霊使い。それ故に精霊に関することは頭に入れている。

大いなる風霊の舞(バイレ・デル・ヴィエント)』には八つの型があり、第一演舞(エル・プリマル)から第七演舞(エル・セプティーモ)までは、戦に臨む戦士に精霊が勇気を与えたり、死の恐怖をなくしたり、痛覚を麻痺させたり、戦いへの喜びを増幅させたりする魔なる舞。そして第八演舞(エル・オクターヴァ)はそれまでその身に下ろした魔の加護を清める聖なる舞……戦いの高揚・狂奔から心を守る舞。

(今回の『社交舞踏会』、シルワ・ワルツは一番から七番までだったな。……そういや、やけに他の奴等が高揚しているのは魔の加護にでも当てられたからか? んなわけねえか)

異様な会場の高揚感。朝まで騒ぎ続けることもできそうなほどに盛り上がっているのを見てロクスはそんなことを思った。

そこへ。

「ロクス君」

「へステイア法医師」

セシリアがロクスに歩み寄り、その身体を触り始める。

「どこか怪我はしていませんか? 調子の悪いところはありますか? 気分は大丈夫ですか?」

会場に戻って早々に触診される。

今はダンスの決勝戦で多くの人の視線がグレン達に向けられている為に誰も見ていないが、大勢の人がいるなかで異性の身体をあちこち触る光景を誰かに見られれもすればそれはそれで問題がありそうだ。

「何処も問題はねぇよ。無傷で倒した」

「本当ですか?」

「こんな嘘をつくか」

そこまで聞いてセシリアは安堵したように息を漏らす。どうやら心底ロクスのことを心配していたようだ。

その様子を見て相変わらずだな、と思いながらロクスは決勝戦を観戦する。

どちらも完成度の高いシルワ・ワルツ。どちらが優勝してもおかしくないそのダンスは決勝戦に相応しい踊りだ。

誰もが固唾を呑んで見守る中、曲に合わせて踊り続ける。

そして、嵐のような盛り上がりから一転、森に眠る静けさの余韻を残して、楽曲が終了し、グレンとルミア、システィーナとリィエルは優雅なフィニッシュを決めるのであった。

グレン達の演舞が終わった当初、会場は水を打ったような静寂に包まれていた。

だが……誰かが、ぱちん、また一つ、ぱちんと、思い出したかのように手を打ち鳴らし始め……それはやがて嵐のように本流となってうねり始め――

わぁあああああああああああああああああああああああああああ――っ!

今夜の社交舞踏会で一番の、猛烈な熱狂な大歓声が会場中を支配するのであった。

どちらが勝ってもおかしくない。それだけ見事な演技。

審査員達は皆一様に難しい顔で、激しい議論を繰り返し……そして。

やがて、鳴り止まぬ大歓声の中、ようやく審査員達がボードに点数を掲げ始める。

その結果は――

「……あ」

僅差で。

本当に、ごくごく僅差で。

もし、一人審査員を変えたら、また結果が変わったに違いない……そんな僅差で。

ルミアとグレンのカップルが――勝利を収めたのであった。

うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――っ!

その結末に、さらに歓声が一オクターブ上がる。

ロクスの隣にいるセシリアも嬉しそうに拍手しながらロクスに視線を向ける。

「約束。守らないといけませんよ?」

「……後で時間は作る」

約束は約束。それぐらいは守る。

だが。

(本当に終わったのか……?)

ロクスの違和感は消えない。

残るは社交舞踏会の大トリであるフィナーレ・ダンスのみ。にもかかわらず天の智慧研究会が何か仕掛けてくる気配もない。フィナーレ・ダンスが終われば今回の社交舞踏会も終わりのようなもの。その僅かな間に天の智慧研究会が仕掛けてくるとは思えないし、それを見逃すほど特務分室も甘くない。

イヴの言う通り、ザイードもその黒幕も本当に捕まったのか?

なら、この違和感はなんなのか?

どこか釈然としない気分を抱えながらロクスは警戒を緩めることなく会場を見渡し続ける。



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魔曲

社交舞踏会の宴も、ついにたけなわ。

目玉のダンス・コンペも終わって。

優勝したルミアが『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』へとお色直しすることになって、リィエルを一応護衛につけ、グレンはルミアを送り出す。

「やったぜ! 俺はずっと、ルミアの『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』姿が見たかった!」

「ちくしょう! 俺はシスティーナのが見たかったのにぃ!」

「リィエルちゃん派の僕が通りますよ~」

「むぅ……ら、来年こそは……この高貴な青い血たるわたくしが……ッ!」

「ったく……お前ら、うるせえぞ。ドレス一つでギャーギャー騒ぎ過ぎだっての」

グレンの周りでは、担当クラスの生徒達がハイテンションのバカ騒ぎだ。

見回せば、コンペが終わっても、会場の活況はまるで衰えを見せない。

楽奏団の指揮者はここがクライマックスと言わんばかりに指揮棒を振るい、楽奏団は限界突破でそれに応じ続ける。会場を支配する演奏は絶好調のようだ。

「ほら、こっちですよ」

「引っ張んな」

バカ騒ぎする二組の所にセシリアに手を引かれながらロクスがやってきた。最近、教室に碌に顔を見せないロクスに二組の生徒達はこぞってロクスに駆け寄る。

「ロクス! お前、セシリア先生とどういう関係なんだ!?」

「そうだぞ! 皆のセシリア先生を独占するなんて!」

「同志よ! これは裏切りか!? 裏切りなのか!?」

「ちょっと表に出ろや! ……いえ、嘘です。なんでもありません」

良くも悪くも学院内で話題が尽きないロクスに二組はここぞとばかりにセシリアとの関係性について質問してくる。

会場の活況もあるせいか、いつも以上の無遠慮に質問してくる二組の連中にロクスはうるせぇと思いながら物理的に黙らせようと思った矢先、セシリアがロクスの腕を絡める。

「どういう関係、なのでしょうね?」

微笑しながらロクス本人に直接問いかけるセシリア。それを見て一部の男子生徒は四つん這いとなった。ちくしょう、と涙と共にそんな言葉を漏らしながら……。

それに対して女子生徒達からは黄色い声が上がった。

生徒と教師の禁断の恋愛に盛り上がっている。

うぜぇ、と思っていると不意に会場の人間が、おおおおぉ……と感嘆な声を上げて、どよめきはじめて……

「先生! 先生! 来たぜ!? うわぁ、マジかよ、予想以上だなぁ……ッ!!」

「……ん? 何が来たって……?」

グレンが振り返れば――

「……お待たせしました。先生……」

すっかり『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』姿となったルミアが……リィエルのエスコートで、その可憐なる姿を現していた。

「……ッ!?」

広がるそのスカートの裾はまるで天使の羽衣のようで。

翻る腕のフロートはまるで妖精の羽のようで。

ドレスを飾る宝石の装飾は夜空に輝く満天の星。

ドレスを彩るその刺繍は煌びやかな銀細工。

その一身にシャンデリアの眩い光を煌々と浴び、神秘的に輝いていて。

ルミアという原石が持つ美を、極限まで研磨しきり、昇華させるその衣装。

そのあまりの幻想的な美しさに誰もが感嘆の声を上げずにはいられない。

「ロクス君」

トン、とセシリアに背を叩かれる。

ルミアが何が言って欲しさそうにロクスを見ている。それに気付いたロクスは息を吐きながらルミアに告げる。

「まさか本当に優勝するとはな」

「……うん、頑張ったよ」

「だろうな」

背後からもっと気の利いた言葉が言えないのか、と言いたげな眼差しを向けるセシリアに内心嘆息しながらロクスは言う。

「ドレス、似合ってる。それと約束は守る」

「……ッ! うん!」

それだけ聞いただけでもここまで頑張った甲斐があったような笑みを浮かべるルミアはグレンと共に社交舞踏会伝統の演目――『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』を勝ち取ったカップルによる、フィナーレ・ダンスの披露が始まるのだ。

 

 

 

(おかしい……)

フィナーレ・ダンスの披露が始まり、それを見守っているうちに会場中の人々が、誰からともなく、自然に隣人と手を取り合って……一組、また一組と踊りだしたのだ。

今は、会場中全ての人間が、手を取り合って踊っている。

来賓も、運営側の人間も、誰も彼も例外なく、音楽に身を任せ踊っている。

皆一様に、ゆらゆらと揺れるように、音楽に身を任せている。

なんという心地良さ、なんという一体感。

まるで会場中の人々の心が一つに溶けあったかのよう。

しかし、ロクスは違和感を抱いていた。

セシリアに手を取られて他の人達と一緒に踊ってはいるが、ロクスはただただ違和感だけが強くなっていく。

(何かがおかしい……だけど、いったいなにが……)

ロクスと踊っているセシリアの表情は夢見るように蕩けた表情。他の人達もこの会場中の人々が皆同じ表情だ。心地良い世界に、一体化した世界に酔っているかのように、身を委ねているように。

そこに違和感を抱いているロクスはその世界の異物かもしれない。しかし、ロクスにはどうしてもその違和感を拭い去ることも無視することもできなかった。

そこに――

『ロクス。聞こえるか?』

通信魔導器からアルベルトの声がロクスに耳に届いた。そしてアルベルトの口から驚くべき事実を聞かせれ、既に敵の術中に嵌っていることを知らされ、違和感の正体にも気づいた。

「チッ。そういうことか」

敵の術中に嵌っていることに舌打ちする。

だが、文句を言っている暇などない。ロクスはすぐにシルワ・ワルツ八番を踊ろうとするが、普段の超虚弱体質とは思えないセシリアの異常な力でステップを乱されてしまう。

「しっかり、しやがれ!」

強引に抱き寄せて、セシリアを振り回す形で、強引にステップを踏んでいく。

その瞬間――

「あれ、私……」

「へステイア法医師。シルワ・ワルツ八番だ」

「え、あ、はい」

不意に我に返ったセシリアに端的に告げる。セシリアもロクスの表情から異常事態だと察して咄嗟にシルワ・ワルツ八番を踊り始める。

見ればグレンとルミアの近くにシスティーナとアルベルトがシルワ・ワルツ八番を踊っている。それを見てグレンも強引にルミアと共にシルワ・ワルツ八番を踊り始める。

それは、この会場に堅牢に構築された異界から守る結界となって――

そして――

 

 

 

「間に合った、か……」

「いったい、何が……」

先ほどまでの、賑やかな喧騒は、どこへやら。

しん、と水を打ったように静まり返った会場、周囲を見渡せば楽曲の終焉と共に決められたフィニッシュポーズのまま、全ての人間が彫像のように膠着し、微動だにしていなかった。

楽奏団も。給仕をしていた運営側の人間も。談笑していた人々も。

その場に存在するありとあらゆる人間が、時が止まったようにぴたりと静止している。

皆一様に、焦点を結ばない、虚ろな目で――

「おい、講師ついでにティンジェル。お前らも無事だろうな?」

「はぁ……ッ! はぁ……ッ! ああ、そっちも、だよな?」

「当り前だ」

呼吸を整えながら確認を取るグレンに当然のように返す。

「……え? な、なんですか……? これ……」

ルミアがその異常で異様過ぎる光景と雰囲気に、顔を青ざめさせる。

「ルミア! 貴女、無事!? ちゃんと正気!?」

そんなルミアの元に、システィーナが息急き切って駆け寄る。

「はぁー……はぁー……危なかった……いつからだ……? 俺は、いつから、この術にかかっていた……?」

「……最初からだ」

同じく歩み寄ってきたアルベルトが、忌々しそうにそう言った。

「俺達は最初から、今回の仕掛け人の術中だった。イヴが黒幕の手口を看破したように見えたが……逆に利用されていたのだ」

「今回ばかりはフィーベルの古代マニアに救われたな」

違和感はあった。しかし、その正体が掴めずに敵の術中に嵌っていたことに苛立ちながらシスティーナの魔導考古学の知識に救われた。そうでなければロクスですら危うい状況だった。

「ロクス君。これはもしかして……」

察しのいいセシリアも状況を把握して理解したのだろう。今回の黒幕の正体に……。

ロクスだけでない、グレン達の視線もある人物に向けられる。

「さて、こうなった以上、一番怪しいのはお前だよな、お前……」

グレンの刺すような視線の先には、楽奏団の指揮者がその背中をさらしていた。

その指揮者も頭上で指揮棒を構え、ぴたりと静止しているが――彼だけは他の人々と同じような、彫像のような無機質な静止ではない。

演奏を終え、今はその余韻に浸っている――そんな静止の仕方だ。

「いい加減、馬鹿騒ぎも終いにしようぜ? 今回の暗殺計画の真の黒幕――恐らく、本物の《魔の右手》のザイードさんよ……ッ!」

すると。

その指揮者は、右手で構えていた指揮棒を静かに……下ろして……

「……よくぞ、我が《右手》から逃れた」

グレン達に、ゆっくり……振り返る。

カールヘアが特徴的な、いかにも音楽家然とした初老の男が、氷のように冷たい目で、グレン達を睥睨する。

「我が《右手》の秘奥を打ち破った、貴様のその舞踏は『大いなる風霊の舞(バイレ・デル・ヴィエント)』の第八演舞(エル・オクターヴァ)……まさか、踊り手がいたとはな……」

「とある遊牧民族の、魔を祓い己が心を守る精霊舞踏だぜ。会場に仕掛けられた罠が、精神支配系の魔術なら……特に有効だと思ってな……」

「ふん。これを懸念して、わざわざ編曲(アレンジ)した『交響曲シルフィード』から第八番だけは抜いておいたというのに――まさか、原典を持ち出されるとは」

全ての人間が魂を失ったかのように硬直する中で。

真の黒幕――《魔の右手》のザイードとグレン達が、睨み合った。

「ははは……ようやく繋がったぜ。リゼが言ってたな……今回の社交舞踏会で使われた楽譜……編曲(アレンジ)されていたらしいな……? てめぇはその編曲(アレンジ)に魔術的な何かを仕込んだ……てめえが編曲者だったんだな!? 一体、何を――」

「先生! その正体はきっと『魔曲』です!」

緊張のせいか、額にびっしりと脂汗を浮かべたシスティーナが、口を挟む。

「……『魔曲』?」

「はい! 先日、読んだフォーゼル先生の魔導考古学論文に書いてありました! 音の高低……つまり、音楽に変換した魔術式で他人の心を掌握し、他人を操るという古代魔術(エンシャント)――形はないけど、これも立派な魔法遺産(アーティファクト)の一種なんです!」

「……魔法遺産(アーティファクト)ッ!?」

魔法遺産(アーティファクト)『魔曲』。即ち、音楽による特殊魔術を起動する、楽譜の魔法遺産(アーティファクト)

一見、突拍子もない話に聞こえるが、実はそうでもない。

そもそも魔術は『原初の音(オリジン・メロディー)』に近い響きを持つ言語で深層意識を改変、つまり音で自身の心に働きかけることで現実の法則へ介入する技術だ。音楽で人の心に働きかける魔術は、普通の魔術よりもよほど魔術の原理に近い、魔術らしい魔術といえる。

「南原の遊牧民族の『呪歌』もその系譜なんです! 論文では、その『魔曲』にはとある特殊な調と音律が必ず入ってるそうですが……編曲(アレンジ)された楽譜に、その『魔旋律』が確かに入っていたんです!」

「……マジかよ……?」

「で、でも……『魔曲』を起動するには、通常の魔術が特殊な呪文発声術を必要とするように……やっぱり特殊な演奏法が必要で、ただ単に譜面通りに演奏しただけでは、『魔曲』は起動しないはずなんですが……」

「……だからこその《魔の右手》なのだろう」

アルベルトがそれを裏付けるように言った。

「《魔の右手》のザイード……奴はその右手の指揮棒で楽奏団を指揮することにより、その特殊な演奏法を、無意識の内に楽奏団に弾かせることが出来るのだろう。暗示か、催眠術か、それとも指揮棒自体が何らかの機能を持った魔導器なのかは与り知らぬが」

すると、ザイードがくっくっと肩を震わせて、得意げに語り始める。

「私の家には代々、密かに『魔曲』の秘儀が、石に刻まれた楽譜の魔法遺産(アーティファクト)という形で受け継がれていてね……その魔術理論的な理屈は分からずとも、その使い方・運用方法だけは、相当研究され尽くされているのだ」

手の内を完全に看破されたというのに、当のザイードは余裕の笑みを浮かべていた。

「我が一族は古代文明にまで遡れば……案外、私の家は当時の王朝の宮廷音楽家みたいなことをやっていたのかもしれんね。まぁ、後は大体、君達の想像の通りだ」

ばっと両腕を広げて、ザイードが宣言する。

「私は七つの『魔曲』を奏で聞かせることで、その場に居合わせる全ての人間の意識と記憶を掌握できる! 余すことなく、全てだッ! そうすれば、いかなる凄腕の護衛がつこうが関係ない! 『暗殺』など、容易く行える! そうだろう!?」

グレンは最早、啞然とするしかなかった。

そりゃ、確かにそうだ。

暗殺の瞬間、その被害者含めてその場に居合わせた全ての人間の意識と記憶を『魔曲』で掌握していれば、やりたい放題だ。白昼堂々『暗殺』を決行しても誰も気付かない。

大勢の前で誰にも悟られず、いつの間にか遂行されてきた《魔の右手》の謎の暗殺術。

その正体とは――

「ははは……そりゃ、誰もわかんねーよ……まさか、こんな大胆な『暗殺』があったなんてな……ッ!? その瞬間が誰にも認識・記憶されなかったら、そりゃ確かに立派な『暗殺』だッ! 相手が古代魔術(エンシャント)の産物なら、近代魔術(モダン)の探知には引っかからんしな!」

そして一度、術が決まれば、後はどう料理したってかまわない。

こそこそと密かに隠れ偲んで、隙を突いて行う暗殺という常識と先入観を根底から覆す、大胆極まりない一手であった。

「だが、手品の種は割れたぞ、《魔の右手》」

動揺するグレン達を差し置き、既に臨戦態勢のアルベルトとロクスがザイードに向き直る。

「大人しく投降するならば、それで良し。抵抗するなら容赦無く、貴様を討つ」

「ふん……馬鹿め」

応じず、ザイードが指揮棒を振り上げる。それに即座に反応し、ザイードの背後で固まっていた楽奏団が突然、からくり人形のように演奏を再開し――

まったく同時に。

アルベルトは躊躇いなく予昌呪文(ストック・スペル)の【ライトニング・ピアス】を時間差起動(ディレイ・ブード)する。

アルベルトの腕が鞭のように旋回し、その指先が閃き、雷閃が放たれ――

「……ッ!?」

否、アルベルトは撃たなかった。ザイードに指を向けたまま、ぎりぎりで踏み止まり、起動しかけていた呪文を解除(キャンセル)していた。

「ほう……勘の良い奴だ……」

薄ら寒く笑うザイード。再び魔の演奏が会場中を支配していき……

「お、おい……アルベルト、何やってんだよ!? さっさと撃てよ……ッ!」

「不可能だ。今、俺は魔術制御に関わる深層意識野を瞬時に『魔曲』に支配された」

グレンの上げた怒声に、アルベルトが淡々と冷徹に返した。

「なんだと!? あの一瞬の演奏でか!?」

「こんな状態で魔術を振るえば、どんな暴発をするか予想がつかん。術者は反動で自滅するならまだマシだが、周囲の無関係な一般人にまで被害が及べば目も当てられん」

「……その通りだ」

ザイードが指揮棒を振るい、悠然と演奏を再開しながら、言う。

「貴様らは、この社交舞踏会の当初から、程度に差こそあれど、ずっと我が『魔曲』を聞き続けていた。徐々に『魔曲』に浸食されていたのだ。『大いなる風霊の舞(バイレ・デル・ヴィエント)第八演舞(エル・オクターヴァ)である程度『魔曲』の支配を脱したグレン=レーダスらや、急造の精神防御を構えた特務分室の連中として同じこと。意識と記憶――表層意識こそ操れぬものの、貴様らの深層意識野はすでに掌握しているッ!」

青ざめるグレン、視線で射殺さんばかりに睨んでくるアルベルトらを睥睨し、ザイードが堂々とここに宣言する。

「つまり――この『魔曲』が奏でられる限り、貴様らはもう魔術を振るうことは叶わぬのだ! そして、我が演奏を前に、全ての人間がひれ伏すッ! これが我が秘奥、人間の心と身体を音楽で支配する秘儀――固有魔術(オリジナル)呪われし夜の楽奏団(ペリオーデン・オーケストラ)】ッ! ようこそ諸君、私の演奏会へッ! ふっはははははははははは――ッ!」

「くっそ、このパクリ野郎……人と似たようなことやりやがってぇ……ッ!?」

脂汗を滝のように流すグレンの減らず口もその程度だった。

そして……魔曲に支配された、会場中の人間が、動き出す。

皆一様に虚ろな目で……わらわらと、グレン達六人を取り囲んでいく……

「言っておくが『魔曲』から逃れようと耳を潰しても無駄だぞ? 我が『魔曲』は精神に響くのだからな。そして、すでに貴様ら以外の会場中の人間は、我が支配下にある」

楽奏団がふらりと立ち上がり、演奏を続けながらザイードの周囲を固めていく。

「さぁ、覚悟するがいい。数分後には、ふと我に返った会場中の人間が、驚愕することだろう……いつの間にか、会場の中に出来上がった六つも死体の存在にな……ッ! 自分達がそれを作り上げたという事実も知らずに……ッ!」

「野郎……ッ!?」

グレンが拳を構えながら、周囲を警戒する。『魔曲』に支配され、グレン達を取り囲んでいる者の中には……見知った顔……グレンのクラスの生徒達もいた。

(くっそ……こんなん、魔術なんかあったってなくなって関係ねぇッ! これじゃ手出し出来ねえじゃねえかッ!?)

「あ……あ、……そ、そんな……ッ!? 皆……わ、私のせいで……ッ!?」

グレンの背後で、真っ青になったルミアが茫然としている。

常に気丈なルミアが、この時ばかりは動揺も露に狼狽えている。

無理もない、楽しかった社交舞踏会が一変、地獄の宴だ。しかも、やっと勝ち取った念願の『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』をまとった矢先の出来事だ。そのショックは計り知れない。

わらわらと、にじり寄ってくる学院の生徒達を前に……ロクスは剣を握りしめてザイードに言う。

「魔術を封じたぐらいでいい気になるなよ」

復讐の邪魔をする障害は排除する。それが同じ学院に通う学士であろうとも、操られていようとも関係ない。ただ復讐を果たす為にその障害を斬り伏せようと剣を振り上げる。

「やめろッ!」

即座に、グレンがロクスの腕を掴む。

「離せ、講師」

端的に鋭い眼差しを向けながら告げる。その眼差しは邪魔をするならお前も殺す、と告げている。だけど、グレンはロクスの腕を離すことなどできない。

「やめてくれッ! あいつらだけは……ッ!」

「そんなことを言っていられる状況か?」

グレンとてわかってるのだ。自分が綺麗ごとを言っていると。

もうすでに状況は積んでいる。どうしようもない。完全にしてやられた。

自分の甘さが、この最悪な事態を招いてしまった。

状況は既に、誰を救って誰を切り捨てるか――その取捨選択の時になっている。

だが、グレンにはできない。この状況で誰かを選ぶなんてことはとても――

その時。

ピュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――ッ!

耳をつんざくような甲高い音が鳴り響いた。

音のする方を見ると生徒達の頭上を高速で飛んで行くナイフ。その柄に仕込まれていた投笛。そしてそのナイフを投げ放った体勢のままアルベルトの姿がそこにあった。

(合図用の投笛ッ!?)

グレンがナイフの正体に気付いた――その時だ。

「ふむ? よし、大体、あの辺りじゃな? おっけ、把握」

じゃきん、と会場のどこからか、撃鉄を引き上げる音が鳴り響き――

「さーて、このクソったれな演奏が、深層意識を浸食して、魔術起動を妨げるっていうなら――『この演奏を聴く前に成立させた魔術』には問題ないはずじゃのう!?」

銃声、銃声、銃声、銃声。

会場の入り口から、爆ぜる火薬の炸裂音が四つ響き渡り――

ずん! グレン達を取り囲んでいた四方の生徒達が、まるで突然、その両肩に重荷でも載せられたかのように、くず折れて、その場に両手両膝をつく。

そして、ポイ捨てされたマスケット銃が、がしゃがしゃ床を叩く音が響いた。

「な――ッ!?」

会場の人間の過半数が動きを封じられて膝をついたことで視界が開け、入り口付近にいる三人組の姿が、グレンの目に入る。

その姿は――

「じじい!? クリストフ!? リィエル!?」

「今じゃ、グレ坊ッ! こっちへ来い! 今は逃げるぞッ! こんなこともあろうかと以前、わしが作った特製『重力結界弾』が効いているうちになッ!」

「……いえ、その『重力結界弾』を実際に作成したのは僕なんですけど……」

どや顔でバーナードがマスケット銃を構えている隣で、クリストフは小さく嘆息する。

恐らく暴徒鎮圧用の重力結界なのだろう。着弾位置を中心に、円形結界を展開し、その内部を超重力で押さえつける。殺傷力はなく……生徒達の動きを封じるには十分だ。

「だが、周囲の重力結界に囲まれてんだぞ!? 重力下での訓練を受けた俺達ならともかく、白猫やルミア、セシリア先生がこれを突破なんて不可能――」

「私は大丈夫よ、先生っ! これを見越して、ここに来る前に重力操作の魔術で、体重を十分の一にしてあったから! ルミアは――」

と、システィーナが叫ぶと。

リィエルが重力場などものともせず、強引にこちらへ単身突っ切ってくる。

「ルミア、助けに来た!」

「あ……」

リィエルは、ルミアをかっさらうように抱き上げ、反転――

「いいいいいやぁああああああああああああ――ッ!」

裂帛の叫声と共に、そのまま重力場をものともせず、入り口まで走っていく。そこに小細工など一切ない。ごり押しで力づくの突破であった。

そんなリィエルに、予め体重を落としていたシスティーナが身軽についていく。

「きゃ」

「行くぞ。この程度の重力場なら身軽のあんた一人支えて動くぐらい問題ない」

セシリアを抱きかかえ、リィエル同様にロクスは重力場を強引に突破する。

「……ははは、すげえな、あいつら……」

苦笑いで呆れるグレン。

「退くぞ、グレン。《魔の右手》のザイード……奴とは仕切り直しだ」

「あ、ああ……」

重力場の中を、這いながら迫ってくる会場中の人間達を背に、グレンとアルベルトは特殊な体術を駆使し、結界と結界の境目を抜け、会場から脱出する――

「ふん……逃げたか」

まんまと獲物に脱出されたというのに、ザイードは余裕を崩さない。

「だが、逃げ場はすでにない……今や人が存在する場所は、全て私の支配領域なのだ」

ザイードが指揮棒を振り上げ、グレン達の後を追う。

背後の楽奏団が奴隷のようにザイードに付き従って歩き始め……よりいっそう、呪われた演奏を展開し始めた――



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生きている人間

学院敷地の東端。敷地をぐるりと囲む鉄柵付近に植林された雑木林の中にて。

会場から辛うじて逃れた一同は、その暗がりの中で息を潜めていた。

「ふぅ……とりあえずはなんとか撒いたようじゃが……」

「まずいですね。学院内の人間は皆、『魔曲』の支配下におかれているみたいです」

茂みの陰に身を潜めながら、クリストフが雑木林の外の様子を窺う。

外は、人形のように虚ろな表情の学院関係者達がひっきりなしにうろうろしている。

「学院内は、最早、完全にザイードの領域ですね」

こんなに遠く離れているというのに、微かだがしっかりと聞こえてくる『魔曲』の演奏に、クリストフが顔をしかめた。どうやらただの『音』ではないらしい。

「どうしますか? やはり……学院敷地内から町の方へと逃げますか?」

「……いや、どうも完全に『魔曲』の支配下におかれた楽奏団の奏でる『魔曲』の威力は、それまでと比べて段違いに強いようだ」

先程、瞬時に己が魔術を『魔曲』に封じられた記憶を振り返り、アルベルトが言う。

「今、奴の【呪われし夜の楽奏団(ペリオーデン・オーケストラ)】を町の外へ出せば、たちまち町中の人間が奴の支配下となり、完全に詰み(チェックメイト)だ。人が多くいる場所に、俺達の活路は無い」

「奴と決着をつけるなら、ここ学院敷地内しかないってことかのう……」

難しい表情で、バーナードが眉間にしわを寄せる。

「じゃが、あの『魔曲』の演奏が届く限り、わしらは殆どの魔術を封じられる。そして、今はまだ会場突入前に施術した精神防御が効いているが……最早、時間の問題じゃ。早く手を打たんと、そのうち、わしらも『魔曲』に意識を乗っ取られてしまうぞい」

「……ん。つまり、考えても仕方ない」

リィエルが、がしゃりと大剣を肩に担いで、ずがずがと雑木林から出ようとする。

「……突貫する!」

「するな」

暗がりから月明かりの下へ、リィエルが飛び出した瞬間、アルベルトが手を伸ばして、リィエルの尻尾のような後ろ髪を引っ掴み……

ぐいっ! と引っ張ると、軽いリィエルの身体が、まるでヨーヨーのように茂みの中へ、ひゅんっ! と引っ張り込まれた。

「え、ちょ……み、見つかってない!? 今のセーフかの!? なあ!?」

「い、いえ……幸運にも大丈夫だったみたいですが……あ、危なかった……」

引きつった表情で、ほっと冷や汗を拭うバーナード&クリストフであった。

そんな、結構ぎりぎりだった状況とは裏腹に……

「ぐすっ……ひっく……うぅ……」

少し離れた場所では、ルミアが声を押し殺して、静かに涙を流していた。

「な、泣くなよ……」

「ルミア……」

「ルミアさん……」

そんなルミアの姿に、グレンもシスティーナもおろおろするしかなく、セシリアはそんなルミアを慰めようとそっと身を寄せている。

「そりゃ、せっかくの社交舞踏会を台無しにされて悔しいのはわかるが……」

「……違うんです。私の……私のせいなんです……全部……」

「はぁ?」

「本当は……私、薄々わかっていたんです。先生が何か隠しごとしているって……きっと社交舞踏会の裏で……私達のために……何かを為そうとしているんだって……」

ルミアが泣き声でそう呟いた瞬間、グレンが呆気に取られて硬直する。

「でも……私、先生に甘えてしまいました……気付かないふりをしてしまいました……先生達なら、きっといつものようになんとかしてくれるだろうって……先生が私に何も打ち明けないなら、きっと、大丈夫、私が口を挟む問題じゃない、それでいいんだって……」

「ルミア……お前……」

「だって!」

ルミアは涙に濡れた目で、必死にグレンを見上げてくる。

「ずっと……ずっと、楽しみだったんです……ッ! 今日という日が楽しみだったんです……ッ! 子供の時から憧れてた夢が……どうしても諦めきれなかった……ッ! 何かあるのかもしれないけど、先生達ならきっとなんとかしてくれるって……そう思いたかった……ッ!」

グレンは嗚咽しながら告解する少女をただ、黙って見下ろすしかない。

「私は……廃嫡された王女です……いつ、この国から切り捨てられてもおかしくありません……いつ、敵の組織に殺されてもおかしくありません……だから……いつかやってくるその時、後悔しないように……ああ、短かったけど素敵な人生だったなって、笑えるように……ただ、思い出が欲しかった……先生と、システィと、リィエルと、ロクス君と……クラスの皆と……心の中で輝く宝物のような思い出が欲しかった……」

ルミアの悲痛な独白に、その場の誰もが言葉を失うしかない。

「でも……私はそれすら望んではいけなかったんです……ごめんなさい……皆、ごめんなさい……ッ! 私が我が儘を望んだから……先生の様子のおかしさに何となく気付いたとき、先生をちゃんと問い詰めていれば……きっと社交舞踏会は台無しになっただろうけど……こんなことには、ならなかったのに……ッ! 私のせいで……私の我が儘のせいで……皆が……クラスの皆が……ぐすっ……ひっく……」

ぼろぼろと涙を零して嗚咽するその姿は――

なんということはない。いつもの超然として聖女じみたルミアではない。

ただ、歳相応の……幼い少女であった。

その時、パン! と乾いた音が響いた。

「……………………え?」

数瞬遅れて、ルミアは頬から伝わる鈍い痛みにようやく気付いた。自分が叩かれたということに。

「……本当に、何もかも自分のせいにしないと気が済まねえのか? お前は」

ルミアの頬を叩いた人物。ロクスは怒りの形相でルミアを睨みつける。

「そんなに死にたいのなら今すぐ殺してやる」

剣の剣先をルミアに向ける。

本気の殺意。本当にルミアを殺すつもりでいるロクスにグレン達が咄嗟に止めに入り、セシリアはルミアを自分の背に回してその身を隠させ、リィエルがロクスの前に立つ。

「おいっ! ロクス! 止せ!!」

「止めて! ロクス!」

「ロクス君! 落ち着いてください!」

グレン、システィーナ、セシリアがルミアを殺そうとするロクスを必死に止めようとする。だが、視線でその射殺さんばかりにルミアを睨みつける。

「ふざけんなよ、ふざけるんじゃねえよ……ッ! ティンジェル! 何でお前はそうやって何もかも自分のせいにして死ぬことを選ぼうとしやがる……ッ! ふざけんな!」

乱暴に言葉を投げつける。

「望みがあって何が悪い? 我が儘を言って何が悪い? それを叶えようと努力して何が悪い? 俺も、お前も、他の奴等も皆、人間なんだ。生きてる人間なんだ。なのに、どうして抗おうとしない……ッ! 何もかも全部受け入れようとしやがる……ッ!」

「わ、私は……」

「お前が廃嫡された王女だろうが関係ねぇッ! この国がお前を切り捨てようとも、あのクソ組織に狙われていようとも関係ねぇ! 俺はな、それがわかっていながら何もしないお前が大っ嫌いなんだよ!!」

「――っ」

「泣いているだけじゃ何も終わらねぇ! 自分から何か行動しない限りは、変わろうとしない限りはただ失っていくだけだなんだよ……ッ! 失ってからじゃ何もかも遅いんだ……遅いんだよ……ッ!」

まるで自分がそうであったかのように言うロクスにルミアはただロクスを見続ける。

「だから、戦うしか、抗うしかねぇんだ! 木の根に齧りつこうが、泥水を啜ろうが、生きて抗い続けるしかねぇ!」

自分にそう言い聞かせるかのように八つ当たり気味にその感情を吐露する。

「だから、諦めようよするんじゃねえ。素敵な人生も、宝物のような思い出も、全部、最後まで生き続けて叶えろよ! ……そうじゃなきゃ、それすらできずに死んだあいつらが何一つ報われねぇ……」

「ロクス……」

グレンは知っている。

バークス=ブラウモンの保管庫で見た異能者の成れの果て。ロクスが言うあいつらは残酷な最後を迎えた異能者達のことを言っているのだろう。

無論、ルミアはそのことを知らないし、ロクスの言葉は八つ当たりに近い。子供の癇癪とも言える。だけどロクスだってまだルミアやシスティーナと変わらない年頃の子供。

過酷では済まされない経験を積んでしまった故に他の人達に比べて精神年齢は高くても、まだ誰かに守られるべき子供であることには変わりないのだ。

ロクス自身、それを理解している。それでも言わずにはいられなかった。

ルミアの言う、短くも素敵な人生も、宝物のような思い出も得ることもできずに無残な最期を迎えて死んだ者達をロクスは知っているから。

「……ルミアさん」

「セシリア、先生……」

ロクスに代わってか、セシリアがルミアに優しく語りかける。

「私には貴女がどのような事情を抱えているのはわかりません。ですが、貴女一人に責任を感じる必要も悩む必要もありません。貴女もロクス君もまだ守られるべき子供なのですから、我が儘を言ったっていいのです。その我が儘を叶えてあげるのが大人である私達の役目なのですから」

セシリアはルミアの素性を知らされていない。しかし、話の内容から大体は察することはできる。その上でセシリアはルミアにそう告げたのだ。何も背負う必要はないのだ、と。

その言葉にルミアは涙ながら静かにコクリ、と首を縦に振った。



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雑魚が

学院敷地の東端でルミアを叱責……癇癪を起した子供の八つ当たりをするロクスの叫び声に社交舞踏会での『ルミア暗殺計画』の黒幕であり、首謀者である天の智慧研究会、第二団(アデプタス)地位(・オーダー)》の魔術師《魔の右手》のザイードの固有魔術(オリジナル)呪われし夜の楽奏団(ペリオーデン・オーケストラ)】――人間の心と身体を音楽で支配する秘儀によって操られている社交舞踏会の参加者達の五感を通して全てを把握しているザイードにも届いた。

居場所が特定され、ザイードは支配した人間達を操ってルミアを亡き者にしようと動かせる。

「チッ! 流石にバレたか!?」

無理もない。感情的になっていたとはいえ、あれだけ叫べば居場所が特定されても不思議ではない。この状況を打破する為の作戦も練れていないグレン達はひとまずこの場を離れて時間を稼ごうと逃亡を図ろうとしたその時。

目に見えない壁がグレン達を守った。

「これは――」

ザイードによって支配された彼等の行く手を阻むようにグレン達を覆い尽くすように張られている結界は魔力の波動も世界法則の変動も感じられない。それはつまり、魔術によるものではない。

「……俺が時間を稼ぐ」

目を見開くグレン達を他所にロクスはそう告げると同時に、植林された雑木林や草木から数多くの精霊達がその姿を現す。

「魔術は使えなくても精霊は使役できる。事前に召喚した精霊の力でこいつらを足止めする」

天の智慧研究会が来るというのに何の準備もせず、のうのうと待っていることなどしない。ロクスはもしもの時の為に精霊を召喚して学院内に潜伏させていた。

「居場所が特定されたのは俺が原因だ。時間を稼いでやるからその間に策でも考えろ」

状況が状況だというのについ感情的になって叫んだのはロクス自身の未熟さ。猛省しなければいけない汚点。それでもルミアに対して言ったことは後悔はない。

「ロクス、お前……」

「早くしろ。俺の気は長くない」

生徒達を助けたいのならさっさとこの状況をどうにかしろ。暗にそう告げるロクスの言葉にグレンは頷いてアルベルトと向かい合う。

「おい、やるぞ? アルベルト」

「是非もない」

「で、どこからやる?」

「フェジテ南東のグレンデル時計塔の上からならば、学院の敷地内をほぼ一望出来るだろう。あくまで『音』という特性上から予想される『魔曲』の効果範囲、そして現在地点から移動にかかる時計も計上すれば、其処が一番現実的だ」

「なら、俺は北の迷いの森だ。多分、アウストラス山の南側の斜面のどっかになる。きっとお前側からも見えるはず。問題は距離だが――いけるか?」

「……誰に物を言ってる?」

「はは、違ぇねえ」

「この状況で適任の相方は……フィーベルか。借して貰うぞ。使い物になるのか?」

「それこそ誰に物を言ってんだよ? 俺の自慢の教え子だぞ?」

そして、グレンは不敵に笑い、アルベルトは素っ気なく鼻を鳴らした。

「どうやら……話はまとまったようじゃの」

「そうですね。僕らはグレンさん達のフォローに全力で回りましょう」

「ん。わたしにはよくわからないけど」

訳知り顔でバーナードとクリストフが頷き……リィエルがきょとんと頷く。

「え? わ、私も……? いや、そもそも貴方達は一体、何をするつもり……?」

まったくわけのわからないシスティーナが一人、目を点にする。

そんなシスティーナの両肩に、グレンが手を置いて、真摯に見つめる。

「いいか、白猫。俺達は――」

「おい」

だが、何かグレンが説明しようとした、その時、ロクスが告げる。

「結界が壊れるぞ」

その言葉が言い終えると同時に、爆炎が結界を破壊した。

結界が破壊されたことによって爆炎の余波がロクス達を襲い、身構え耐える。そしてその爆炎を放った人物へロクスは呆れを交ぜた声音で口を開く。

「だらしねえな、室長よ」

ロクス達の視線の先には敵の『魔曲』に支配され、傀儡と化したイヴが、その強大な炎の魔術を振るう。

鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)!」

鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)を使役させ、炎の壁を創り上げて炎の魔術を防ぐ。だが、事前に召喚した精霊の力は有限。新たに精霊を召喚しない限りはいずれ尽きる。

「さっさとしろ!」

ロクスの怒声にグレンはイヴに舌打ちする。

「チッ、イヴの奴、まんまと敵の術中に嵌りやがって! 白猫! お前はアルベルトと行け! そして――」

 

 

 

 

学院内の道を、北へ北へと駆けていく。

時折、ザイードに操られた人間達が現れては、獣ごとき俊敏な動作で、散発的にグレン達に襲い掛かってくるが、転がし、意識を刈り取り、吹き飛ばしながら予め学院敷地内に張っていたクリストフの索敵結界を頼りに北の迷いの森を目指して駆け抜けていく。

「ザイードがこちらに気付きました! 追ってきます!」

「そうか! アルベルトと白猫は!?」

「敵の狙いはあくまで王女だけのようです。アルベルトさん達はノーマーク。二人は今、何の問題もなく、学院敷地内を脱出しました!」

「そっか! そりゃありがてえなッ! そのまま監視頼むぜ、クリストフ!」

ただひたすらに駆け抜ける。

「あの、ロクス君。私も自分の足で……」

「超虚弱体質は黙ってろ」

セシリアを荷物のように担ぎながらザイードに操られている人間達を転がすロクスはそんなセシリアの言葉を一蹴する。体力のない超虚弱体質に走らせるぐらいなら担いだままの方がマシだった。

雪の精(スノー・ホワイト)。動きを封じろ」

魔術が使えない状況化でも精霊の力を行使しながらグレン達と共に駆け抜ける。ロクス自身、グレン達が何をしようとしているのかはわからないが、ある程度の予測はできる。

(フレイザーとフィーベルをグレンデル時計塔に行かせたってことは……)

予測が正しければ確かにこの状況でもザイードを討つことは可能かもしれない。本来なら不可能だと思う策でもアルベルトの実力を知っているロクスはその不可能も可能にしてしまう実力をアルベルトは有していることぐらい知っている。

「はぁ……はぁ……み、皆さん、一体、何を……?」

「喋る余裕があるなら足を動かせ」

苦しげに息を切らして、なんとか一同についていくルミアに、ロクスはそう返す。

「詳しく説明する暇はねぇ。手助けぐらいしてやるから黙って走れ」

不意にルミアの背を押すように風が吹く。

風の精霊の力で追い風を発生させ、ルミアの手助けをする。

「ティンジェル。俺はお前が大っ嫌いだ」

セシリアを抱え、生徒を転ばせながらロクスはルミアに言う。

「聖女のように振る舞うお前も、大罪人にように何もかも自分のせいにするお前も、自分のことを何もかも諦めようとするお前も、俺は大っ嫌いだ」

「……」

「それ以上にそんなお前に八つ当たりしている自分に反吐が出る」

「…………え?」

「俺はお前が嫌いだ。だけどな、嫌いな奴にガキの癇癪のように八つ当たりしていい理由にはねらねぇ」

「西、距離四百メトラ! 敵影二、こちらに向かって真っ直ぐ進行中! このままだと約二分後に、第一種戦術距離まで接近しますっ!」

クリストフの言葉にロクスは足を止める。

「さっきは叩いて悪かったな」

ロクスは迫る脅威。敵がいる西へ駆け出す。

「おいっ! ロクス!!」

「こっちは俺がなんとかする。お前等はそいつを守ってろ」

西から迫る脅威に立ち向かう為にグレン達から離れるロクスはセシリアに言う。

「悪いな、へステイア法医師。こんな危険なことに巻き込んで」

「いいえ、ロクス君の無茶にはもう慣れましたから」

気にもしていないかのように微笑むセシリアにロクスはそうか、とだけ答えて駆け出すこと数分、敵はそこにいた。

一人は『魔曲』によって操られている特務分室室長であり、ロクス達の上司でもあるイヴ。そしてもう一人は大柄で筋骨隆々な中年の男性。ロクスは帝国軍の資料でその顔を知っている。

「《咆哮》のゼトか……」

天の智慧研究会、第一団(ポータルス)(・オーダー)》……《咆哮》のゼト。《冬の女王》グレイシアと同じ外陣(アウター)

バーナードによって斬り落とされたであろう右腕は巨大な鋼の小手に換装されている。

「如何にも。我が《咆哮》のゼト。貴様は執行官ナンバー16《塔》だな」

「俺のことを覚えておく必要はねえよ」

セシリアを下ろし、ロクスは前へ出て剣を構える。

「すぐに殺す」

燃え上がる瞋恚の殺意の如く眼差しを向けるロクスは背後にいるセシリアに声をかける。

「へステイア法医師。ここから先はあんたが見ていい光景じゃねぇ。目を閉じてろ」

心優しい法医師にこれから行われる惨劇を見せたくなかった。だが、セシリアは静かに首を横に振る。

「見届けます。君が為そうとすることを」

「……」

真意ある言葉と共に瞬きの間も見逃さないかのように真剣な眼差しを向けるセシリアにロクスは無言で返した。

「面白い! 貴様の実力を我に見せてみよ! そして我が求道の糧となるのだッ! ――《破》ァッ!」

短く呪文を唱えつつ、ゼトは拳を構える。その手の甲に刻んだルーンが輝き、その拳にその身体を消し飛ばさんばかりの電撃を張るのだった。

魔闘術(ブラック・アーツ)。拳や脚に魔術を乗せ、インパクトの瞬間、相手の体内で直接その魔力を爆発させるという、魔術と格闘術の組み合わせた異色の近接戦闘術。

魔力操作のセンスに恵まれなければ、ただの基本技の一手すら取得困難な技だが――一度極めれば、その威力は強力無比。

「逝ねいッ!!」

拳を振りかざし、突進してくる。

その拳に凄まじい電撃が爆音を立てて張っており、重機関車の如く突進するゼトの猛撃。触れるあらゆる物を、砕き散らして吹き飛ばす、物理力の暴威。

受ければその身は一瞬でただの肉片へと変わり果てる。そんな暴威を前にロクスは一言。

 

「雑魚が」

 

ゼトの首が宙を舞った。

「…………………………………………は?」

反転する視界。世界が逆さまになったように見えるゼトの視界には首から上が無くなった自身の身体と剣を振り終えたロクスの姿が。

「魔煌刃将に比べたらてめぇの攻撃なんて止まって見えるんだよ。求道なら地獄でやってろ」

向けられるその瞳からは一切の慈悲もない冷酷無慈悲の眼差し。その瞳を向けられ、その顔を恐怖に歪ませながらゼトの命は終わりを迎えた。

そこにロクスに爆炎が迫る。

鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)

『魔曲』によって操られているイヴの炎をロクスは鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)で防ぐ。

「操られていなきゃあんたの炎もこの程度じゃねえだろうに」

少しの間だけとはいえ、イヴから訓練を受けた身。その炎がどれだけ脅威なのかは身を持って知っているロクスはそう嘆息しながら。

「悪いが室長。少し寝てろ」

拳をイヴに叩き込んで強制的に意識を途絶えさせる。

「……」

セシリアは最後まで見届けた。

なんとも言えない哀しい想いと共に。



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月明りの静寂

《咆哮》のゼトを瞬殺し、イヴを無力化したロクスはセシリアを抱え、イヴを背負いながらザイードの『魔曲』によって操られている人達を振り払いながらグレン達の元へ向かう。

「……」

その道中、ロクスは先ほどの戦闘、ゼトとの戦いについて考えていた。

《咆哮》のゼト。軍が集めた報告書では天の智慧研究会でも有数の実力者。ロクスが先に倒した《冬の女王》グレイシアとはまた違う……ゼトも超一流の魔術師。いや、魔闘術(ブラック・アーツ)による近接戦闘も踏まえればグレイシアよりも強い魔術師の可能性も否めない。

そのゼトを魔術も使用できない状態で瞬殺できた理由が二つある。

一つは、今回の魔術競技祭より前にそのゼトを上回る強者、魔煌刃将アール=カーンとの死闘を繰り広げたから。魔煌刃将との戦闘を糧にロクスの剣術は更なる高めへと昇華された。

それにより純粋な近接戦闘、中でも剣術に関しては帝国でもトップクラスに匹敵する技量を獲得した。

それだけに魔煌刃将アール=カーンの技量は凄まじく、その技量、技術を正面から受け、目に焼き付けたロクスにとってゼトの動きは止まっているも当然。

そしてもう一つはロクスの固有魔術(オリジナル)精霊同化(スピリット・ダイブ)火精霊の霊衣(サラ・フェリグリア)】の副産物的影響をその身に受けているから。

精霊と同化したことによって霊的に強化され、身体能力を引き上げるだけでなく精霊の力を我が身に宿すロクスと精霊(サラ)の合作。精霊使いならではの固有魔術(オリジナル)とも言える。

だが、その副産物として霊的に強化された影響は契約精霊であり相棒でもあるサラがいなくてもその身に受けている。

固有魔術(オリジナル)を発動している時ほどではないが、その残滓とも言える影響は少なからずロクスの身体にも影響を与え、ロクスは例え魔術が使用できなくても高い身体能力と回復力を持つ。

だからこそゼトは読み違いをしていたのかもしれない。

魔術が使えないただの人間など自分の敵ではない、という油断と慢心が己の死期を早める結果となった。

だがしかし、ロクスが考えているのはそこではない。

魔煌刃将アール=カーンとの戦闘経験や固有魔術(オリジナル)による影響、ゼトの油断や慢心も確かにあった。けれどそれだけではない。

(あの動き……)

ゼトを始末した際に剣を振るった自身の動き。それは自身が身に付けたどの剣術にも当て嵌まらない動きであった。独学とはいえ、近代剣術を始めとした多くの剣術を見て、盗み、身に付けたそのどれにも当て嵌まらない剣術でロクスはゼトを倒した。

身に覚えがない動き、剣技。しかしこれまでの剣術とは違ってまるで魂がそれを覚えているかのように身体に馴染んでいた。

(思い返せば魔煌刃将と出会ってから俺の中で何かがおかしくなった……)

魔煌刃将アール=カーンとの遭遇。それは本当に偶然によるもの。だがしかし、アール=カーンの言葉に耳を傾け、超絶技巧の剣技をその身で受けて、まるで記憶ではなく魂が何かを思い出したかのようにロクスは身に覚えがない動きを披露した。

本来であれば苦戦も必須。それなのに勝利を手中に収めることができたのはその謎のおかげ。

(今回の一件が片付いたらへステイア法医師に霊魂の検査をして貰うか)

何か問題があるかわからない。けれど法医師として確かな腕前と信頼を寄せているセシリアに調べて貰おうと決めるロクスはグレン達のいるところへ足を動かす。

その時だった。

流星のように闇夜を鋭く切り裂く一条の雷光が翔けたのは。

(本当にどういう腕をしてんだ……)

教えを受けた身としてそれが何なのか、誰が放ったものなのか、聞かなくてもわかる。

ただ一つ言えることがあるとすれば、これほどまでの長距離狙撃による攻性呪文(アサルト・スペル)が使えるのはアルベルトただ一人だけであるということだけだ。

そしてそのアルベルトが放ったということは戦いは、今回の任務『ルミア暗殺計画』は無事に防ぐことができたということだ。

 

 

 

 

全てが終わった後でも中断された社交舞踏会は続いた。

操られていた時の記憶はなく、その直前まで盛り上がった楽しい記憶しか残っていなかった為にコンペ優勝カップルによるフィナーレ・ダンスは再開した。

予定通りに最後の大トリとなるフィナーレ・ダンスも無事に終わり、長い長い、社交舞踏会の夜は無事に終わりを迎えた。

誰もが今宵の社交舞踏会の余韻に浸かりながら帰路につくなかで一人だけ、会場近くの学院敷地内で立っている男がいる。

その場所は特に何かあるわけではない。多少広く場所が開いて月夜の光がよく照らされるだけの場所。そこに何もせず立っている男の所に一人の少女がやってきた。

その少女を見て男は小さく溜息を溢す。

「本当に来たのかよ……」

「うん」

男――ロクスの言葉にルミアは笑顔で頷く。

そして気付く。彼女の恰好に。

「お前、まだ着ているのか? 『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』」

「ちょっと無理してお願いしたんだ。だって約束したから」

「約束じゃねえ。条件をつけただけだ。たくっ」

ルミアがグレンと一緒にダンス・コンペに参加して優勝した後で一曲付き合う。それが条件であり、ルミアは見事にその条件を達成した。

「やっぱり無し、とか言わないよね?」

「俺から出した条件だ。嫌でも守る。……もの好きめ」

悪態を吐きながらルミアに手を伸ばす。どうやらちゃんと踊ってくれるようだ。

「どうせなら紳士的に誘って欲しいなぁ……」

ルミアはちょっぴり欲を出した。

「それは条件に入ってねえよ」

「いたた……ロクス君にぶたれたほっぺが痛い」

「完治済みだろうが……ッ! この(アマ)……ッ!!」

わざとらしく頬に手を当てて痛がるフリをするルミアにロクスは苛立ちを見せるも、八つ当たり気味に叩いたことに関して少しだけ、本当に少しだけ悪いとは思っているのでグッと堪えて息を吐いた。

仕方がない、と本当に仕方がなく割り切って紳士的にルミアを誘う。

「私と一曲踊ってくれませんか?」

「喜んで」

手を取り、足踏みを揃えて二人は月光の照らされながらシルフ・ワルツを踊り始める。

会場のような楽奏団による演奏もなく、二人の踊りを見る人もいない。ただ月だけが二人を見守っている。

月明りの静寂の中、型通りに踊り続ける最中でロクスは口を開いた。

「本当にお前はどうかしてる。自分のことを嫌っている奴と踊りたいと思うか?」

「人それぞれだと思うよ。それにロクス君は私のことをちゃんと見てくれるから」

「演じてることを認めやがったな、クソ聖女様が」

滅私奉公の聖女。それになるべきだった。

生まれてきてはいけない、色々な幸せを諦めなければいけない、他人を優先し、自分の順位を下げなければいけないそんな聖女にならなければいけない。

だけど、彼はそんな聖女を真っ向から否定した。嫌いだとハッキリと口にした。

「うん。今もそうしなければいけないと思う歪みはあるけど、向き合おうと思えるようになったから」

復讐という茨の道。その道を突き進むロクスは決して報われない。

止まることも、引き返すことも可能の筈だ。それでもロクスはその道を歩き続ける。

ただ復讐を果たす。その為だけにロクスは抗い、戦い続ける。

それがどれだけ苦痛に満ちた艱難辛苦の道であろうとも彼の道を阻むことは誰にもできない。

だからこそルミアも世界にも運命にも抗おうとそう思えることができた。

「戦うよ、私も。自分の弱さと醜さから。そしてこの世界で幸せになる道を探したい」

それは許されない事だ。

(ルミア)が願っていいことじゃない。

ルミアの中にある『歪み』が言葉とは裏腹にそれを否定しようとするも、ぐっとそれを吞み込む。

「……そうかよ」

そんなルミアの言葉にロクスはそれだけ返した。

自分を思いを誰かに聞いて貰う為の決意表明か、それとも誰に聞いて欲しかっただけかはルミア自身にしかわからない。

「だからね、ロクス君も一緒に探そう。復讐が終えた後でもいいから私と一緒に」

共に幸せになる道を探求しようと誘うルミア。

ロクスは復讐を完遂したら『空っぽ』になってしまう。復讐に全てを捧げた者から復讐を取り除けば当然のことを。死ぬことすら受け入れてしまう。

それでは何の為に生まれてきたのかわからなくなる。ただ復讐の為に生きて死ぬなんてあまりにも報われない。だから復讐が終えればそれからは自分の人生を、幸せを取り戻す道を共に探そうとルミアはロクスを誘うも、ロクスは小さく首を横に振った。

「俺にその権利はない」

ルミアの手を握る自身の手に視線を向け。

「俺の手は血で濡れている。敵の血以上に、あいつらの、仲間の血で濡れている。そんな手で幸せなんか掴んでも滑り落ちるだけだ。俺はお前、お前達のような綺麗な手はもうしていない」

自虐でもするかのように語る。

「……」

ルミアはそんなことはないとは言えない。

それを否定することも、嘘をつくこともできない。ただその紅の瞳に宿る憎悪と悲愴そしてほんの僅かな優しさが入り交じった瞳を見据える。

「だからルミア=ティンジェル。俺がお前に言う最初で最後のお願いだ」

ダンスは終わり、最後の型が躍り終えると同時にロクスはルミアに懇願する。

「どうか生きることを諦めないでくれ。普通の女の子としての幸せと人生を歩んでくれ」

願うように、懇願するように、祈るように、託すように――

もう自分では決して手に入れることができないから。

同じ道を歩むことができないから。

だからせめて自分以外の誰かに自分の分もそうなって欲しいかのように想いを、気持ちを告げる。

「天の智慧研究会は俺が必ず皆殺しにする。そうすればもう誰もお前を狙わない。普通の女の子として生きていける」

そこに自分はいない。けれどそれでいい。

血塗られ、穢れ切った自分がそんなところにいてはいけない。

彼女達を穢してはいけない。

「あいつと、ラウレルと同じ目をしている奴が死ぬのはもう二度とゴメンだ」

抱き寄せる。

背に腕を回して抱きしめるロクスにルミアは急に抱き寄せられたことに目を丸くする。

「俺とお前達では進む道が違う。もう俺に関わるな」

耳元でそう呟くように囁く。

その囁きに驚くルミアを置いてロクスはルミアから手を離す。

「復讐者の傍にいても不幸になるだけだ。じゃあな、ティンジェル」

「ロクス君……ッ!」

月夜の光から離れ、夜の闇の世界へとその身を紛らわせていなくなるロクスにルミアの手は届かない。

「それでも、それでも私はロクス君の傍にいたよ……」

それすらも願ってはいけないかのように、その言葉はただただ虚しく響いただけだった。



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潜入任務

――リィエル=レイフォードの落第退学。

青天の霹靂または自業自得か、リィエルの落第退学が決定した。

成績不振者に対して下される処分の一つで富国強兵政策を推進する帝国政府にとって公的に運営される魔術学院は、基本、完全実力主義だ。能力と意欲ある者は優遇するが、無能者、意欲なき者には厳しい。

よって学業成績が著しく悪い生徒に対しては、学院教育委員会が『落第退学』という強制的に学院在籍資格をはく奪し、退学させる処分を下すことがあるのだが、本来であれば落第退学の前に指導や補習、追試や留年、なにより一番成績に響く前期末試験を前に落第退学はあり得ない。

それだけ落第退学は余程のことだ。

だがそれは一般の生徒に当てはまるもの。

リィエルでは少し事情が異なる。

リィエルは本来、ルミアの護衛として学院に派遣された存在。国軍省総合参謀が強引にリィエルを学院へ生徒としてねじ込んだ。それをよく思わない者達がリィエルを排除しようと動いた。

リィエルの普段の素行。問題行動も多く、平時の成績不振もあって攻撃の口実を与えてしまった。

このままではリィエルは退学。学院から追い出されるのだが、聖リリィ魔術女学院がリィエルを名指しで短期留学のオファーが届いた。

そこに行き、短期留学を成功させればそれは立派な『実績』であり、リィエルの成績不振による学院在籍資格の疑問を解消される……のだが、リィエルはそれを拒むグレン達から逃走するもアルベルトに捕縛される。そこでルミア、システィーナもリィエルと一緒に聖リリィ魔術女学院に短期留学することとなり、アルベルトはそのことを通達する為でもあった。

そしてグレンは臨時教師として派遣されることとなった。変身魔術、白魔【セルフ・ポリモルフ】の応用によって女に変身した状態で。

反対するグレンであったが、今回のリィエルの突然の落第退学、短期留学に何か別の思惑があるのではないかという理由でグレンも聖リリィ魔術女学院の臨時教師として派遣されることを決めるのであった。

「それとグレン。王女とフィーベル以外にももう一人人材をこちらで用意しておいた」

「はぁ? それはいったい誰だよ?」

アルベルトの言葉に怪訝するグレン。するとチャペルから一人の女性が姿を現す。

炎のように燃えるように赤い長い髪に鋭い眼光から見える紅の瞳。女性にしては背が高く、スタイルもいい。第一印象だけで見ればかっこういいと思う人もいればその鋭い眼光に怖いと思う人もいるかもしれない。

しかし、グレン達にはその女性に見覚えは無かった。グレンもシスティーナも揃って誰? と言わんばかりに首を傾げる横でルミアだけが彼女の正体に気付いた。

「ロ、ロクス君……?」

「「え?」」

不機嫌そうな顔でルミアから視線を逸らす彼女、いや彼の正体はロクス=フィアンマ。社交舞踏会の日から学院にすら顔を出さなかったロクスが女の姿で現れたのだった。

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

社交舞踏会の一件から天の智慧研究会の足跡を追うのに忙殺されたいたロクスは室長であるイヴに呼び出されていた。

「ロクス。貴方には潜入任務に行って貰うわ」

「潜入? 天の智慧研究会の件はいいのかよ?」

「ええ、そっちはいいわ。それよりもロクス、貴方は蒼天十字団(ヘヴンズ・クロイツ)という研究機関については知っているかしら?」

「噂程度になら」

蒼天十字団(ヘヴンズ・クロイツ)。それは一昔前、帝国で流行った都市伝説の一つだ。

帝国政府魔導省の極秘魔術研究機関、魔導省の特別裏予算枠、禁呪法などを女王陛下にすら極秘で今も研究開発し続けているという帝国魔術界の最暗部。

天の智慧研究会とは昔からの協力関係という観点からロクスもその研究機関の名前は耳にしたことはあるも実際に存在するかどうかも分からない、都市伝説に気にかける暇はなかった為放置していた。

何故その研究機関の名前が出てくるのか? するとイヴはこう告げる。

「その蒼天十字団(ヘヴンズ・クロイツ)が実在するとしたら?」

「はぁ?」

都市伝説ではなく本当にあるとしたら話は変わってくる。

「あくまで未確定な情報よ。とある研究員がそこにいたという情報を入手したの。だからロクス、貴方にはその真偽を確かめる為にある場所に行って貰うわ。言っておくけどこれは命令よ」

拒否権はない。そう告げる。

「で? 俺の任務はその研究員がいる場所に潜入して真偽を確かめ、本当ならその研究員を捕縛すればいいのか?」

「そうよ。それに貴方なら天の智慧研究会と通じているかもしれないその研究員を逃がしたりはしないでしょう?」

「殺さない保証はできねえがな」

天の智慧研究会に通じているかもしれない。それなら下手な人材を潜入させるよりも既に高い戦闘能力を有し、天の智慧研究会に対する深い憎悪を抱いているロクスに一任した方が効率的だ。

ロクスなら万が一でも殺してでも逃がさない。その確信がイヴにあった。

「それでその研究員の場所は?」

「聖リリィ魔術女学院」

「……おい」

天の智慧研究会に関わることならなんだってやってやる。その勢いと気迫を一瞬で失せさせる場所の名がイヴの口から出てきた。

「俺の記憶が確かなら、そこは男子禁制の女子校だった筈だぞ?」

「ええ、だから貴方には女になって貰うわ」

「女装でもしろってか?」

「違うわ。本当の意味で女になって貰うのよ。今、アルベルトが元《世界》のセリカ=アルフォネアに変化の薬を作って貰えるように依頼しているわ。それで貴方とグレンは女になって聖リリィ魔術女学院に潜入するのよ」

「なんでそこに講師が出てくる……?」

「リィエルの落第退学が決定したのよ。それと同じタイミングで聖リリィ魔術女学院の短期留学もね。リィエルが一人で行くとは思えないし、きっと王女様とグレンの教え子も行くでしょうから、それならグレンも臨時教師の派遣という形で聖リリィ魔術女学院に行かせることにしたの」

貴方の任務はそれとは別件だけどね、と告げる。

「室長が行けよ、女だろ」

「私は忙しいのよ。それにイグナイト家の私が行けば警戒されてしまうわ」

魔術師であればイグナイトの家名を知らない者はいない。そしてイヴはイグナイト家の一人として実績を積み上げて来ている為に顔も知れ渡っている。行けば怪しまれるのは必然だ。

「だからロクス、貴方は私の遠縁という形で聖リリィ魔術女学院に推薦を出しておくわ。それで聖リリィ魔術女学院に潜入し、件の研究員である聖リリィ魔術女学院の学院長マリアンヌの真偽を確かめ、確かなら捕縛そうでなければ即座に帰還しなさい。ついでに王女様の護衛も兼ねてね」

そうしてロクスの潜入任務が決定したのだった。

短期留学するリィエル達と一緒に。

(また、あいつらと一緒か……)

ロクスは内心、どこか憂鬱そうに溜息を溢すのだった。



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鉄道駅

「お前等に話がある」

特務分室室長であるイヴの命令によって聖リリィ魔術女学院に潜入任務を言い渡されたロクスはセリカの変化の薬によって女になって聖リリィ魔術女学院の学園長であるマリアンヌが元・蒼天十字団(ヘヴンズ・クロイツ)の研究員であるか、その真偽を確かめる為に聖リリィ魔術女学院に潜入するのだが、それとは別でリィエル達の短期留学、そしてロクス同様に女になったグレン達と一緒に聖リリィ魔術女学院に向かうのであった。

その道中、帝都の北側にあるライツェル・クルス鉄道駅に向かう前に馬車内で聖リリィ魔術女学院の制服に身を包んだ女性の姿をしたロクスがシスティーナ達に話しかける。

「お前等のことだから大体は察しているとは思うが、余計な面倒事は増やしたくねえから一応言っておく。俺がこんな恰好をしているのは仕事だ。内容は伏せるがとある調査が目的で聖リリィ魔術女学院に潜入することになった」

断じてその馬鹿(リィエル)の為じゃねぇ、とリィエルに視線を向けて言う。

「俺は俺で動く必要がある。だから俺の邪魔だけはするな。それだけだ。ああ、それと聖リリィ魔術女学院では俺の事はフラムと呼べ。間違ってもロクスって呼ぶなよ……聞いてんのかよ? フィーベル」

馬車に乗る前から暗雲を背負うシスティーナ。見るからにショックを受けて抜け出せていないかのようにその瞳は絶望に染まっていた。

俯かせていた顔を上げ、システィーナはグレンそしてロクスを見て視線を下に向けるとまた俯く。

「世の中、不公平よ……」

「システィ、元気出して」

「システィーナ、苺タルト食べる?」

ルミアとリィエルはそんなシスティーナを励ます。

ショックを受けている理由に何となく察したロクスが溜息を溢しながら言う。

「胸が大きかろうが小さかろうが、使うアテがなければどうでもいいだろが」

「使うわよ!! ……きっと、たぶん」

「システィ……」

吠えるシスティーナだが、本当に使う日が来るのかはわからない。

「コレのどこがいいのやら……」

「ロクス君、止めてあげて。悪気がないのはわかっているから」

制服の胸から自身の胸を揉みながら疑問を口にするロクスにルミアはこれ以上システィーナの(こころ)に傷が広がらないようにするも。

「変な目で見られたくないくせに胸を大きくしたい女のソレには理解できねえな。魔術師に胸の大きさなんて関係ねえだろ」

悪気も悪意もなく、ロクスはただ純粋な気持ちを言葉にした。

「持つ者には持たざる者の気持ちなんてわからないのよ!!」

シャー! と俯かせた顔を上げて威嚇する猫のように吠えるシスティーナをどうどうと宥めるルミア。しかしルミアもシスティーナの言う持つ者であってシスティーナはルミアの胸部を見てまたも首を前に折る。

そんなシスティーナにルミアは何とも言えない笑みを浮かべ、リィエルは首を傾げる。

近くにいたグレンも何も言えず、ただ黙ってやり過ごして見ていた。

ロクスはロクスで伝えることは伝えた、と言わんばかりの態度でルミア達から離れて腰を落ち着かせて外の風景を眺めていた。

そんなロクスの顔にルミアは視線を向けていた。

社交舞踏会が終えてから久々に顔を見せたロクス。潜入任務の為に既に女性になっていたとはいえ、何時ものルミアならロクスに歩み寄り、嫌な顔をものともせずに話しかけることぐらいはするだろう。

だがそれができずにいる。

『俺とお前達では進む道が違う。もう俺に関わるな』

社交舞踏会後に言われた彼の言葉が今もルミアの頭から離れずにいる。

あれはまさしくロクスがルミアに見せた優しさと懇願。

復讐という茨の道を進むロクス。

その道を歩ませまいとロクスはルミアを拒絶した。

自分の傍から引き剥がし、別の道を進ませようとロクスが見せた優しさは悲痛にそのもの。

愛する者を失った痛みを知っているからこそロクスは自分に関わらせないように告げたのだ。

今も社交舞踏会前なら悪態や苛立ちをルミアに見せていただろう。

だが、今はそれすら見せない。

無に近い感情を見せるロクスにルミアの胸にチクリと小さな痛みが走る。

 

 

 

フェジテを発って四日目の朝。

一行は、アルザーノ帝国首都、帝都オルランドへと辿り着く。

その帝都の北側にあるライツェル・クルス鉄道駅。その五番線ホームから、帝都より北西、湖水地方リリタニアにある聖リリィ魔術女学院直通の鉄道列車が発着している。

五番線ホームにはこれからシスティーナ達の留学先の聖リリィ魔術女学院の生徒達がホームのそこかしこで、きゃぴきゃぴ姦しく会話に華を咲かせている。

(うるせぇ……)

姦しく会話に華を咲かせている聖リリィ魔術女学院の生徒達に内心苛立ちを見せる。だが、ただの雑談程度ではロクスもそこまでは気にも留めない。しかし、その生徒達の視線が複数向けられているともなれば話は変わる。

ボソボソと聞こえる内緒話。僅かに聞こえる内容から自分のことを言われているともなればロクスが苛立ちのも無理はない。

「そんな目立つ髪をしていたら嫌でも話題になるわよ」

システィーナ達も内心苛立ちロクスと聖リリィ魔術女学院の生徒達の内緒話に察してそう言った。

「ロクス君、別嬪さんだものね」

炎のように燃えるような赤い髪は嫌でも目立ち、高い身長は目につきやすい。なにより顔もスタイルもいいともなれば視線も向けられるし、内緒話の一つや二つは出て来ても不思議ではない。

なによりお嬢様とはかけ離れた男らしい仕草や態度が所作に出ているにも関わらずどこか品もある。

「私達の学院にあのような方はいらっしゃいましたか?」

「いえ、わたくしも初めてお見えになりましたわ。そういえばかの有名なイグナイト家の遠縁の方が我が校に推薦で入られるとか……」

「まぁ、あのイグナイト家の方ですの」

「あの赤い髪、まさにイグナイト家の……」

聖リリィ魔術女学院の生徒達のそんな会話がロクスの耳に届く。

帝国古参の大貴族、イグナイト公爵家。遠縁とはいえその力と権力は魔術社会では知らぬ者はいない。

(それを含めて俺にこの潜入任務を一任したのか……)

赤い髪、イグナイト家が得意とする炎熱魔術の使い手。

偽装とはいえ、この共通点があれば遠縁という形でイグナイト家の力を使って聖リリィ魔術女学院に推薦で内部に潜入できる。イグナイト家の頼みともあれば断ることなどまずできない。だからこそイヴはロクスにこの任務を一任させたのかもしれない。

(まぁいい……どちらにしても俺は仕事をするだけだ)

ロクスの任務は蒼天十字団(ヘヴンズ・クロイツ)の研究員と思われる聖リリィ魔術女学院の学院長マリアンヌの真偽を確かめること。

それ以外の雑事に気にすることはない。

だからロクスはリィエルがこの場にいないことは口にしなかった。

数分後、グレン達はようやくリィエルがいないことに気付いて大慌てで探し始めた。



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