個性社会で道を極める (夜長小噺)
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001:あるひとつの【オリジン】

 転生した。

 

 なんの捻りもなく現状を言い表せば、ただそれだけのことだ。

 

 今生の身体が死にかけたことで、以前に己だった存在の一生の記憶がよみがえった。

 いや正確にいうならばもしかすると今生の(・・・)“私”は既に死んでいて、その残った身体に今現在の“俺”が入り込んだというのが正しいのかもしれない。

 なにせ今の“俺”には、死にかける前までの記憶が朧気にしか残っていないのだ。

 

 

「えっと……自分の名前は言えるかい?」

 

 

 名前……。名前、か。

 

 前世(まえ)の名前は……、はて、なんだったか。

 思い出したと言った手前だが、ところどころピンぼけ虫食いなうえに整理がついていない。

 

 覚えが良くて直ぐに口に出るのは、今生(いま)のやつのほうだ。

 

 

「●●●君、だね? 今の状況は、理解できるかい?」

 

 

 状況……。

 

 今の“俺”は、ベッドに横になっている。

 白のシーツと毛布。

 鼻に入る温い空気は、ツンと奥に痺れる感覚がする。

 

 病院、だろうか。そんな感じの空気だ。

 

 

「何が起きたか、覚えているかい……?」

 

 

 何が……?

 

 問われて、半分寝惚けたような思考を回す。

 

 “俺”は……三十手前のサラリーマンで……いつものように出勤中で……。

 

 いや違う、“私”は……弟と一緒にいて……家に帰って……。

 

 

 いや……否。違う、そうじゃなくて……。

 

 

 “俺”は、信号渡ってて……そしたらトラックが……。

 

 

 いや、否、イヤ、嫌。

 

 

 “私”は、家に着いたら……父さんと、母さんが……。

 

 

 ちがう、違うんだ、チガウ。

 

 

 

 肋骨が折れる。臓物が破ぜる。

 “俺”の脳髄が崩れる音を聞いた。

 

 

 父さんの叫び。母さんの悲鳴。

 “私”が消えていく痛みを知った。

 

 

 

 否、チガウ、そうじゃなくて。

 

 

 嫌、ソウダ、違ったはずで。

 

 

 

 痛くて……、悲しくて……。

 

 

 寒くて……、熱くて……。

 

 

 苦しくて……、ただ、苦しくて……!

 

 

 

 

 

「落ち着いて、もう大丈夫だから!!」

 

「おいっ! 先生呼んでこい!」

 

 

 両手が、肩が、震えているのがわかる。

 締め付けるように毛布を抱き締めても止まらない。

 

 

 

 

 俺は“私”なのか。

 

 私は“俺”なのか。

 

 

 “俺”は生きているのか。

 

 “私”は死んだのか。

 

 

 “俺”は終わった筈だ。

 

 “私”は此処に居た筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、此処にいるのは────何者なのだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分からなくて、不安と恐怖が駆け巡る。

 

 俺は“私”で、けど“俺”な筈で。

 “俺”は消えた筈で、“私”が此処に居た筈で。

 

 “私”は……“俺”は……、なんで……? どうして……?!

 

 

 

 ────混沌とした中身が乱れに乱れて、狂いに狂って、崩壊するのは時間の問題。

 

 いっそそうなったほうが楽なのは間違いない筈で、思考の奥底では恐怖しながらも其処に向かって突き進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そう、ちょうどその時だ。

 

 

 

 

 ────声がしたんだ。

 

 ────震える私の身体を、強く強く、抱き締める子が居てくれたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『────ねぇちゃんっ!』

 

 

 

 

 

 

 その手は、小さくて。

 

 その手は、か弱くて。

 

 

 けれど、確かな意志と熱を持って。

 

 精一杯に、“私”を繋ぎ止めようとしていた。

 

 

 

 ……独りにしないでと、泣いていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

      ※

 

 

 

 これが多分、私の原点(オリジン)

 

 

 何の因果か“俺”を引き継いで、けれどそのほとんどを捨て去って……私が“私”になった瞬間。

 

 正義も悪意も持ち合わせていない私に出来た、一つの芯。

 

 

 

 私を“私”にしてくれたこの子を、護れる英雄(ヒーロー)になりたいと思った。

 

 “私”を望むこの子を護る為なら、敵役(ヴィラン)にだってなれると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何にもなかった“俺”と“私”に、成りたいものができたんだ。

 

 

 

 

 



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002:その名も轟かず

 『僕のヒーローアカデミア』という漫画作品があった。

 私の前世での話だ。まぁ与太話と思って聞いてほしい。

 

 超常の異能力が現行人類に発現し、それが個性と称されるほど社会に浸透した世界。

 「普通の人類」という規格が失われ社会の規範が形骸化するなかで、超常のチカラをもって平和を守るヒーローを描いていた。

 

 死してなおタイトルを覚えているぐらいだ。私もそれぐらいにはその作品を好いていた。

 しかしこうしてその作品の世界に転生し、改めて周囲を見渡してみるとしみじみ思う。

 

 私があの作品を好いていたのは、ヒーローに憧れていたからではないのだな、と。

 

「私が来た!」

 

 教室の反対側でごっこ遊びに興じる連中がいる。

 

 架空が現実となった現代において、ヒーローという存在は決して幼子の夢泡沫ではなく、手に届きうる地位となった。

 人は皆ヒーローに憧憬を抱き、子供はいつかそうなりたいと誰もが思う。

 

 カッコいいから? 人を助けたいから?

 

 そんな綺麗な願いをもとに志す者もいる一方で、現実に近づいたからこそ其処には俗とも評せる理由が顔を出す。

 

 富、名声、力。それら全てを手に入れて、己の能力を誰に制限されることもなく、赴くままに生きることができる。

 

 突出したものが押さえ込まれるこの個性社会で、唯一、【自由】という価値無き財産を得ることができる。

 

 

 それは正しく、希望に満ちた職業だろう。

 

 

 だがそれ故に、自由(それ)に手が届かないと最初から決まっている人間にとって、其処は地獄でしかなかった。

 

「痛いなぁ……」

 

 はぁ、と子供らしからぬ溜息が出る。前世の記憶は欠損が多いといえども、幼児の人格を歪ませるのには充分すぎた。歳不相応な振舞いは異常となり、それは弾圧の対象となる。

 

「あー……血ィ出てるし」

 

 トイレの鏡の前で晒した額。端に付いた傷口から赤い血が落ちる。保健室に行くか? いや、面倒だ。これぐらいなら自力で治せる。

 

 そっと手のひらで傷口を覆い、個性を発動させる。

 

 ーーーーピチリ、とむず痒い感覚。

 

 手を離したその後には、傷は塞がり跡すら残っていなかった。流水で顔を洗い、こびり付いた血を落とす。タオルで顔を拭き、鏡を見て、ふと改めて思う。

 

 我ながら、荒んだ目付きをするようになったもんだと。

 

「悪党の子だから悪くなるのか、悪い子だから悪党になるのか。どっちが先なんだかな」

 

 別に今更仲良しこよしな学園生活なんて望んじゃいないが、せめてもう少し静かに過ごさせて貰いたいものだ。

 こちらは何もしていないのだから、放っておいてくれればいいのに。

 

「何が気に入らないんだかね」

 

 いやきっと、気に入るとか気に入らないとか、そういう問題ではないのだろう。

 

 ただ、彼らにとって、それが都合がよかっただけだ。

 

 はぁ、と。幾度目かもわからない溜息が出る。もう午後からの授業はフケようか。そんな風に考えていたが、現実というのは非情なものである。

 ドタドタと慌ただしい足音が近付いてくるのが聴こえて、私は身を正す。

 

 計ったようなタイミングで顔を出すのは担任の女教師だ。

 

「ああっ! こんな所にいた! 探したよ!?」

 

「……どうかしたんですか?」

 

 冷めた目で私は尋ねるが、だいたい予想はつく。案の定、女教師は言いづらそうに口にする。

 

 

「その……弟さんが……」

 

 

 またか、と思う。しかしそれ自体は別にいい。

 身内が騒ぎを起こしたなら、お呼びがかかるのは仕方ない。

 だが、騒ぎが起こるたびに火消しを子供に任せるのは大人として、教育者どうなんだと思わざるおえない。

 一度前担任に面と向かって懇切丁寧にネチネチと言ってやったら半泣きになって辞職したので自重するが。

 

「場所は?」

 

「第二校舎の裏手に……!」

 

 それだけ聞いて私は早足で動き出す。別段慌てる必要も感じないが、まぁ気分というやつだ。早いほうがいいだろう。

 着いた先で繰り広げられている光景も、いつも通りといえばその通りだ。

 

 半分べそかいている少年ーーーーのその顔面に、マウントポジションから拳骨を落とし続けている少年。

 殴り倒されているほうの友人らしいのが何名か引き留めようとしているが、まったく意に介する様子はない。

 

(かい)

 

 しかし私が声をかけると、ピタリと動きを止めて振り返った。

 

 ……切れ長の眼は私以上の鋭さ。顔立ちは身内の贔屓目を抜きにしても整っていると思うし、黙っていれば普通の少年。だが内側から滲み出る殺気というか怒気というか、それらが隠しきれていない。

 

 とはいえ、私に向けられる眼差しは柔らかかった。

 

 

「姉ちゃん」

 

「はい、お姉ちゃんですよ」

 

 据わった目付きが良く似ていると常々言われる我が弟は、私を確認すると他の全ては眼中にないとばかりに喧嘩相手を放り出して駆け寄ってきた。

 

 

      ※

 

 

 今から、およそ二十年以上はのちの世で、とある事件を起こす男。

 広域指定敵団体・死穢八齋會の若頭となる、治崎廻。

 

 その男の、本来ならばいない筈の姉として、私はここに居る。

 

 治崎(みさお)。それが今生の私の名前だ。     

 

 



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003:個性の使い方

 “私”としての人生が始まったのは、“俺”が終わったことを理解したあの日だった。

 

 弟の廻が、初めて個性を発現させると同時に暴走させた。

 それに巻き込まれて実の父は死亡。私も巻き込まれたが、なんとか修復は間に合い、命を繋いだ。しかしそのショックから前世の記憶を一部取り戻し、混乱し、おそらくは私自身の個性も無意識に使用しつつ記憶と感情の整理を発熱する脳と格闘しながらこなすこと数日。気がつけば病院のベッドに寝かされていた。

 取り戻した筈の記憶は整理をつける上で大半が破損して、穴だらけ。今世が創作の世界だと語られたところで今ひとつ実感もなく、私自身の感覚でいうなら奇妙な記憶が少しだけ残っただけの子供でしかない。

 病院で寝ている間に母親は失踪。残された弟と一緒に途方に暮れていたところを、組長(オヤジ)に拾われて今に至る。

 

 どうやら実の父は組傘下の構成員、それも幹部格の一人であったらしく、身寄りのなくなった私達をオヤジは捨て置けなかったらしい。

 

 世にヴィラン予備軍とすら呼ばれている人物に拾われるのは世間的にみれば不幸なことなのかもしれないが、少なくとも私にとっては有り難いことだった。

 寄る辺もなく子供二人で過ごすのは、どうしようもなく辛かったから。

 

 廻もオヤジのことは尊敬しているようだし、そこいらの孤児院に入れられるよりかは良い環境だと思う。

 

 

 しかし、周囲がそう思うかは別問題だ。

 

 

「またか」

 

 今日も今日とてJSらしく学校へと来てみれば、広がる惨状にゲンナリとする。

 

 教室の私の席。その周囲にはゴミが散乱し、机と椅子の表面は落書きだらけになっている。

 

 断っておくが、私の仕業ではない。こんなだらしない状態で放置するような教えは受けていない。

 

(女子のイジメのが陰湿だっていうけど本当だな)

 

 遠巻きな場所から此方を見てクスクスと嗤っている連中がいるのも聞き慣れた。激昂するのも馬鹿馬鹿しい。

 というか、前世の記憶を中途半端に思い出した影響から無駄に精神的に老成してしまい、鼻で笑うぐらいしかしてやれない。前世はいい年した男だったせいか、生意気なロリっ子共の悪戯など可愛いものと受け流せる。

 

 それはそれとして、とりあえず片付けよう。鞄をロッカーに押し込んで、掃除用具を手に取る。

 ササッとゴミを拾い、埃は掃き取って、濡れ布巾で拭く。

 しかし油性のマジックで描かれた落書きは落ちにくい。

 

 なので個性を使うことにする。

 

 落書きの上に手を乗せて、力を込めて。

 

「よっ」

 

 パチッ、と小さな音。立ったことも注意しなければ気づかないだろうそれが鳴った隙に布巾で擦る。するとアラ不思議、油性のインクが見る見る落ちる。

 

(なんか無駄な使い方してる気がするな。便利だからいいけどさ)

 

 本来ならもっとスケールの大きいことができるだろう異能の使い方に、我が事ながら嘆息するしかない。

 

 

      ▲

 

 

 弟・廻の個性は【オーバーホール】。

 手で触れたものを極小単位に『分解』し、破損や故障部分を修復した状態で『再構成』する。対象は有機物無機物を問わず、生物であっても骨折や傷病すら修復したうえで『再構成』できる。

 

 この『分解・再構成』は別個の異能ではなく、発動させると全自動で連続しておこなわれる。意図的に途中で停止させることも可能だが、成長前の現在ではかなり難しいようだ。例えるなら、全開の水道の蛇口を手で押さえて止めようとするようなものだろう。正しい扱い方を理解するまで先は長いだろうが、強力な個性だ。

 

 その姉である私も、似たような個性を持っていた。

 いや、正しくは下位互換、といったほうがいいのか。

 

 ちょうど廻の個性から、全自動の機能を抜いたような個性。

 対象の構造を『理解』し、生み出す力場の内側で『組み換え』て、別の形状で『固定化』させる個性。

 一応、名称としては【リビルド】と役所には提出している。

 

 廻の『再構成』のように自動的にカタチが形成されるのではなく、完成形を見据えたうえでブロックを積み上げるように形成していかなければならない。自由度は高いが、そのぶんだけ扱いづらい個性だ。

 おまけに出力も低いから、あまり広範囲には影響をおよぼせない。せいぜい手の先から三十センチぐらいが限界だ。

 

 先ほど落書きを消したのは、机に塗られたインクを『組み換え』て浮かし、拭き取っただけだ。頑固な油汚れを洗剤で浮かせて落とすのとプロセスは同じである。

 

(っつーか、アイツら彫刻刀で削りやがったな。学校の備品は大切にしろよ)

 

 しかし汚れはそれで落とせても、直接天板を削って刻まれた文字は消せない。“死ネ”とか“ブス”とか貧困な語彙が並んでいるのを放置するのは非常に不快だ。

 

 だから、サッサと消すにかぎる。

 

 同じように天板に触れて、意識を集中させる。すると、その木の板の構造が『理解』できる。

 表面を覆うのは一枚の薄皮のような板。内側は合板であるため複数の木材が重ねられており、ひとつひとつ木目が違う。

 探ればそれらの組織がどのように組み合わさり、どのような構造をしているか『理解』できる。

 

(表面だけじゃなくて、全体を薄めればいいか。構成物質は同じなんだから大丈夫だろ)

 

 ひとつの物体の各所から少しずつ、それを構成している物質を取り外して、一箇所へと寄せ集める。削られて足りなくなった建材を別の箇所から融通して、そこを埋めるように『組み換え』る。

 

 パチッ、と弾ける音がして、瞬間的に天板が変形。傷もなくまっさらな、新品同然の状態にまで戻ったところで『固定化』する。

 

「ハイ終わり、と」

 

 『理解』、『組み換え』、『固定化』の三工程で所要時間十秒弱。木の板一枚でこうだとすると、更に複雑な物体を【リビルド】するのには相当な時間がかかるのは察せるだろう。

 結論をいうと、便利ではあるがそこまでの強個性とはいえない。

 加えて、

 

「よし、寝るか」

 

 発動の反動は強烈な眠気。条件にも左右されるが、短時間の使用でも休息を求める精神的な疲労に見舞われる。

 

 故に綺麗になった机に突っ伏して、私は悠々と朝寝と洒落込む。

 

 歯軋りして此方を睨む女児どもは、まるっと無視することにした。

 

 




キャラ紹介

治崎 (みさお)

個性【リビルド】

・物体に触れることで対象の構造を『理解』できる。
・発生させる力場の中でならそれを自由に『組み換え』ることができる。
・『組み換え』た物体をそのまま『固定化』させて保存できる。


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004:悪党の扱い方

 何が不快って、心地良い眠りを台無しにされることほど不快なことはない。

 

 二十分ほどの睡眠で程々に回復し、あくびを噛み殺しながら授業を受けた後の休み時間。

 もうひと眠りしようと突っ伏したところに、またも緊急の呼び出しという名のピンチヒッターを任されて、やってこさせられた校舎裏。

 

 いつものように半泣きにさせられている男子が複数名と、不満げな顔の弟。

 

「いい加減にしなさいよ、廻」

 

「……だって、アイツらが」

 

「“だって”は使うんじゃありません」

 

 組長(オヤジ)の台詞を真似て言うと、廻は押し黙る。しかし普通の親ならキツく叱るところなのだろうが、私にはどうにもその気になれない。

 もはや何度目になるかも分からない同じような顛末に、溜息のひとつも吐きたい気分だ。

 

 ギロリ、と半泣きになっている男子たちを見る。負っているのは軽い打撲や擦過傷。教員が泣いているのを宥めているが、そこまでの重傷である様子はない。

 

(男がビービー泣いてんじゃねぇよ。みっともねぇな)

 

 泣いて叫べば、誰かが助けてくれる。

 実際それが通る世の中だから始末が悪い。ヒーロー社会ってのも考えものだ。

 

「放っときゃいいんだよ、あんな奴ら。言いたいように言わせておけば」

 

「……姉ちゃんは、オヤジが馬鹿にされて悔しくないのかよ」

 

「そういう問題じゃなくて、それで半端な喧嘩してたらキリがないじゃない。それじゃチンピラと変わらないでしょう」

 

 そう、我が家は“チンピラ”ではない。ましてや“(ヴィラン)”でもない。

 組長(オヤジ)も常々言っている。死穢八齋會は“侠客”であり、古式ゆかしき“極道”である。

 

喧嘩(ゴロマキ)するなら邪魔の入らないところでキッチリ決着つけないと小競り合いが終わらないでしょ?」

 

「……なるほど」

 

 それもそうだ、と納得する弟。

 

「いやあの操ちゃん? 喧嘩推奨する方向で説得するのは止めといてもらえないかな。先生的に聞き逃せないんだけど」

 

「無理です。ていうか嫌です」

 

 そっと呈される教員の苦言はすっぱりと切り捨てた。

 

「身内を馬鹿にされて怒らないような根性なしにはなって欲しくないので」

 

「……ああ、うん。そうね」

 

 荒みきった眼で睨みをきかせると、するすると引っ込んでいく。そういうところが駄目なんじゃねーかな、と思うが。

 

 ふりかえって見れば、泣かされたほうの連中は宥められるばかりで特に注意される様子もない。しかし、こちらを咎めるような雰囲気を見せつつも口に出すこともない。

 

 喧嘩両成敗? 否、そんな大層なものではない。

 

 要は事を荒立てたくないのだ。保護者に話を通そうにも、片側は指定ヴィラン団体の一家。話が大きくなって世間の目に止まれば、どちらに肩入れするかなど分かりきっている。

 学校としてもそちらに同調したいが、下手に対立した場合にヴィランから目をつけられるのは嫌だ、というところか。

 

(失礼な話だよな。堅気(カタギ)に手ェ出すようなオヤジじゃねぇってのにさ)

 

 自分等が、世の中で、悪党と呼ばれる存在だと知っている。真っ当に生きていけるのなら、そのほうがいいとも思っている。

 

 だが、それで全員が報われるなら、世話は無いという話だ。

 

 

     ▲

 

 

「廻はさ、もっと喧嘩の仕方ってのを覚えるべきだと思うんだ」

 

 帰り道、弟と隣り合って歩きながら私は言い聞かせた。

 

「拳骨の握り方なら知ってるよ」

 

「そうじゃなくて、なんていうか……。人を殴る前の下準備ってやつかな。廻は別に喧嘩するのが好きな訳じゃないんでしょう?」

 

 廻はコクリと頷く。昔起こした個性の暴走がトラウマとなってか、弟は他人に触れるのも触れられるのも嫌がる。身内と認識している私やオヤジ相手ならまだマシなようだが、本来なら人を殴るのも嫌なはずだ。

 その嫌悪感を越えて、家のことを嘲笑われると怒りに火が付く。

 

「力任せにただ殴っても、何にも伝わりゃしないんだよ。オヤジだって誰彼構わず殴ったりしないでしょう? もっと相手をよく見て、相手の立場になって考えなきゃ」

 

「……相手を思いやれる優しいキモチを持てって?」

 

 教員が口にするテンプレートな説教の文句に嫌悪感を丸出しにする。

 

「優しくする必要なんてないんだよ。気に入らない奴に優しくしても意味ないんだから」

 

 しかし、私はそれを肯定しつつも否定した。

 

 優しい気持ちをもつことは、他者を識るうえで重要だ。

 しかし相手が己を嫌悪しているのなら、優しくしてやる意味はない。

 

 キョトンとした顔の弟へ、私はぬけぬけと言ってやった。

 

 

「アイツらにとって私達は“悪党”だからね。なら私達がアイツらに優しくしなくたっていいでしょ」

 

 

 ヒーロー社会の現代は、架空(ユメ)が現実となった時代と語られる。

 

 すなわち勧善懲悪。正義は勝ち、悪は滅びる。

 だれもが正義の味方(ヒーロー)を目指すことができ、理想(ユメ)をみることができる。

 

 しかし、だ。その全てが報われるとは限らない。

 

 努力をしても理想へ至れなかった者。

 理想へ至る手段を得られなかった者。

 産まれた環境に恵まれなかった者。

 価値観の相違を埋められなかった者。

 

 正義の体現者が管理する社会にあぶれた者たちは、どうにか報われたいと彼等なりに努力する。

 

 泣いて叫んで、這い蹲って。

 泥水啜って、のたうち回って。

 

 それでもなお、報われない。掬い上げられることのないままに社会の“敵”として槍玉に上げられる。

 

 そうした悪党を踏みにじった上に成り立つ社会なのだ。ヒーロー社会というのは。

 

 

「廻。アンタは知ってる筈だよ。誰も彼もがひん曲がってネジ曲がってくなかで、それでも真っ直ぐに立ってる(おとこ)ってのが、どれだけ格好いいか。泥水の中を掻き分けて、汚れた掌で掬い上げて、全部背負って立とうとしてる優しい(おとこ)がいるってことをさ」

 

 侠客は、現代社会の悪党だ。しかしそれでも、徹すべきものを知っている“人間”だ。

 社会に疎まれて、嫌悪されて、傷つけられても。それでも生き様ひとつ掲げてみせている。

 はぐれた連中を掬い上げて、纏め上げて、生きていけるようにしてやろうと、理想(ユメ)を掲げてやってきているのだ。

 

 それを最初から救われたまま生きているような人間に、嘲笑われる謂れはない。護られるだけで満足しているような人間に、罵声を浴びせられる謂れはない。

 それをおもえば、廻が拳を振り上げたのを咎める気にはなれない。

 

 だが同時に、それに掬い上げられた側として、その在り方を傷付けるような真似はしてはいけない筈だ。

 

 

「……じゃあ、どうしたらいいんだ? どうしたらオヤジみたいになれる?」

 

「んー、そうだねー……。私も正確には分からないけど、とりあえず大事なのは……っと?」

 

 

 話し込む途中で、足を止められる。すっと道の先を遮る人影が現れた。

 

 ……武骨な面相の表現に「岩のような」と表することがあるが、実際に岩らしき物質で構成されている人間がいるからこの世界は嫌になる。

 荒削りに作ったマウンテンゴリラの彫像がそのまま服を着て歩き出したような少年が、私達の前に立ちふさがった。私より頭一つ抜けた高さから見下ろすように。

 

 

「よぉ、治崎ィ。俺んトコのツレが世話になったなァ?」

 

「………………えー、あー……猿岩石だっけ?」

 

岩彫(イワボリ)だ! 岩彫猿真(エンマ)! クラスメートの名前ぐらい覚えろや!」

 

 キィッ!、と歯をむき出しにして怒る猿岩石、もとい岩彫氏は背後に幾人かの人間を付き従えている。

 その面子が昼間に廻と揉めていた下級生であることを確認して、私はだいたいの展開を察した。

 

「一応聞くけど、何の用?」

 

「いんやぁ、お前の弟に俺のツレが随分ヒデエ目に泣かされたって聞いてよぉ。ちぃーっと兄貴分としてケジメってやつをとってやろうかと、なぁ?」

 

 岩彫の一瞥に、後ろに居る全員が壊れた人形じみた様子で首を縦にふった。

 

 ……ヒーローが社会的地位をともなう職業、それこそ医者や弁護士などよりも名誉のあるものとなるにつれ、個性に対する社会的な評価基準も変わった。ヒーローとして活動するに相応しい、派手で強力な個性ほど良しとされるようになった。

 それはもはや誰にでも目に見える才能による尺度であり、ヒトは生まれからして平等ではないという現実の肯定である。

 

 そんな強個性が幅をきかせるなかで、こと小学生レベルの争いでは異形型が最も強い。

 理由は個性が身体機能の一部であり、異形型はその発達に影響をあたえる度合いが非常に大きいからだ。

 

 確かに発動型の発火能力やその他の状態異常を引き起こす個性など、使えば強力な個性はいくらでもある。しかし多少賢しい者ならば、子供の喧嘩にそんなものを使いだせば大人も介入してくるし、より面倒なことになるのは知っている。バレないように上手く隠して使うにしても、身体機能である以上は技術を高めるのも小学生には限界がある。

 

 結果として、喧嘩となれば基本的に身体ひとつの殴り合いにおさまるのが普通だ。

 

 そして異形型はその身体構造に影響をおよぼす個性であり、同い年の小学生であってもその肉体に宿る力は個性無しの成人を遥か上回る場合が少なくない。

 岩彫の個性である、岩の如き体表面と成長途中とはいえ類人猿に近い素質を秘めた膂力に、拳ひとつで立ち向かえる子供などそうはいまい。

 

 そうしてまさしく、猿山の王となっているのが目の前の少年である。

 

「……ハァ。わかったよ」

 

 ニタニタと笑う猿岩石に、私は背負っていた鞄を下ろして廻に投げ渡した。

 

「姉ちゃん?」

 

「言ったでしょう? 半端な真似すると、こういう面倒なコトになるって。ちょっとそれ持って下がってなさい。…………喧嘩の仕方ってのを教えてあげるから」

 

 後半は周囲に聞こえないよう小声で伝えると、私は改めて一歩進んで相対する。

 

 

「ハッ! どうした詫びでも入れてくれんのカァっ?!!!」

 

 そして間髪入れずにブン殴った(・・・・・)

 狙いは顎。しかし威力はあえて抑えめに(・・・・)、気絶はさせずに足元だけ崩させる。

 片膝を着いた岩彫の眼光を、私はゆるりと受け流す。

 

「テッメェ……! どういうつもり、ムグッ!?」

 

 唾を飛ばして叫ぶ口を、片手で喉元をカチ上げて塞ぎ、鷲掴みにする。

 

 

 

 

「『ギャーギャー騒ぐなィ。ケジメつけるって話だろィ?』」

 

 

 

 

 

「……!?」

 

 至近距離で交わした視線に、動揺が走ったのがわかった。

 

 そりゃあそうだろう。十を過ぎたばかりの女子の口から、野太い中年過ぎの男声(・・・・・・・・・・)がでてきたら、誰でも驚く。

 

 しかし素の声だと圧が足りないので仕方あるまい。

 

 

「『半端な真似ェしたんはこっちの落ち度や。ヤる言うんやったら応じたらァ……』」

 

 言葉とともに、スイッチを入れる。

 普段抑えているモノを、出せるように。

 

「カッ……! へっあっ……!?」

 

 籠もった力が手のひらを動かし、岩の喉元を締め上げる。

 ビキッ!、と有り得ない音が立つ。

 

 その圧に、幾人か逃げ腰となるも、しかしそれは許されなかった。

 鋭すぎるその眼光が、不釣り合いなまでの意のこもった声音が、彼らをその場に縫い付けて離さない。

 

 もはや強制力すら伴って、それは下される。

 

 

「『全員まとめて、かかってこいや。全部キレイに擂り潰したらぁ』」

 

 

 宣告とともに、岩肌の砕け散る音が響いた。

 

 



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005:強さの求め方

 強くなりたい、と思った。

 否、強くならなければならない、と思った。

 

 数年前、前世の記憶が蘇ってすぐのことだ。

 

 

 不完全な前世の知識。

 不完全な今生の知識。

 

 その十数年後に始まるであろう、不完全な原作の知識は未来において待つ、破滅を知らせる凶報でもあった。

 

 否定しようにも魂に刻まれた記憶は打ち消しがたく、また逃げ出そうにも全てを捨て去るには時間が経ちすぎた。

 

 唯一残った肉親、たった一人の弟。

 唯一手を伸ばしてくれた恩人、私の居場所をくれた人たち。

 

 害悪だ敵だと罵られても、私にとっては何物にも替えがたい大切な“家族”だった。

 

 その家族を、今の社会は守ってくれない。

 ヒーローは人を守っても、私達の生活は守ってくれない。

 

 それを理解した瞬間から、私の人生の選択肢にヒーローという道は無くなった。

 

 “家族”の味方でありたい私に、“正義”を騙る意味はない。

 たとえ社会の悪であろうと、私の守りたいものを守る為に。誰より何より、強くなる。

 “悪党”側に立って生きようとするならば、強く在らねば喰われて終いだ。全部思い通りにするために、力をつけねばならない。

 子供の我儘ではなく一個の人間として欲しいものを手に入れる為にそう決意した私は、その手に在るカードを確かめた。

 

 私の個性【リビルド】は一定範囲の力場を発生させ、その内部にある対象物の構造を『理解』し、その形を『組み換え』、別の形状で『固定化』させる個性。

 石くれだろうが木片だろうが鉄塊だろうが、粘土細工のように自由な形に『組み換え』て成形することができる。

 

 凄いといえば凄いが、発生させる力場はせいぜい手の先の三十センチほど。大きく『組み換え』るほど体力を消耗するため、せいぜい小物作りぐらいしかできそうにない。力場を広げようと努力してみたが、数カ月かけて数ミリ単位で広がるのみで発展は望み薄だ。

 現代において良個性とされる強力で大規模な能力とは程遠く、成り上がるには地味で派手さに欠ける。

 

 そんな風に受け止められていた個性だが、前世の知識を得てから改めて検証していくなかで、この能力の可能性の高さに気づいた。

 

 発動させた【リビルド】が作用する三工程の初期段階、対象の構造の『理解』。

 物体がどのような構成となっているのか知る為のこの能力は、前世の知識を得たことで変化が起きた。

 

 以前までは単純に物体の形状などを『理解』するのみだったのが、その組成や強度はもとより、構成する分子単位の動きを『理解』することすら可能になったのだ。

 

 おそらく前世で学んだ物理化学などの知識によって、個性を使う上での認識が変化したからだろう。物体をただの物として見るのではなく、“原子分子によって構成された集合体”とすることで効率的な『組み換え』の為に認識が広がったのだ。

 

 精密機械の電子基盤や極小の微生物でも、力場の中にあるものなら顕微鏡も不要で観察できる。

 そうして認識した分子のひとつひとつを思い通りに『組み換え』ることで、ミクロ単位の操作も可能になった。

 

 

 そこまで至り、私はひとつ強くなる為の方策として肉体改造に着手することに決めた。

 

 単なる筋力トレーニングではない。個性を使用した自身の肉体の『組み換え』、文字通り肉体の“改造”である。

 

 個性の発動に体力を消耗するのだからその増強は必須だが、それ以上に個性抜きでも闘える肉体が必要だと考えたのだ。

 オールマイトを筆頭として、如何なる小細工も圧倒するパワーをもつ者に対抗するには事前の仕込みだけでなく根本的に常人を超えた身体能力がなければ話にならない。

 【リビルド】は増強型の個性ではないが、『理解』と『組み換え』を応用すればそれが得られる筈だと考えられた。

 

 そもそも人間の身体の内部では、毎日のように破壊と再生が繰り返されている。切れた筋繊維が再生とともに太くなり力を増し、加えられた衝撃に耐えるべく骨格はより頑強になる。

 それをつぶさに観察し『理解』した後に、より強靭な肉体となるように『組み換え』る。発生させる力場は遠くへ広げるほど消耗するが、内向きに身体全体へ広げるのならほとんど消耗せずにすむ。

 実行するのは夜。日中のトレーニングによる負荷から再生が始まるところに干渉する。時間をかけて丁寧に。最悪寝落ちしてもいい。少しずつ、少しずつ。時にクラスメートや組員の中にいる増強系の個性持ちの肉体も参考にして、より強い『組み換え』方を模索して改造を施す。

 

 単純に筋肉の量を増やすのでは意味がない。糸と糸を撚り合わせ、より強靭な糸とするように。太さはそのまま、最低限の再生と破壊で人間の領域を超えさせる。

 

 思い描くのは前世の記憶のなかにあった強者の姿。憤怒をもって人界を踏み超えた暴力の化身。一つの奇跡とも表された最強の喧嘩人形。

 道路標識を片手で引き抜き、自動販売機を放り投げ、乗用車を蹴り転がす。目指すのはそんな圧倒的な理不尽。

 

 フィクションの存在を実現できるか? それを言ったらこの世界そのものがフィクションだ。そして私は今や漫画(フィクション)の世界を現実として生きる人間である。架空(ゆめ)が現実になった世界だと謳うのなら、夢想のひとつも実現できなければ道理が通らない。

 

 悪党は一日にして成らず。これから二十年かけて仕上げるつもりで成し遂げる。

 

 

 Plus Ultra(プルス・ウルトラ)はヒーローの言葉ではない。善悪混沌の戦場を馳せた(つわもの)の至言。

 限界を超えて未来を掴まんと手を伸ばす資格は、どんな人間にもあるのだから。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 ーーーー然して、その執念は実を結んだ。

 

 同年代と比して発育良好ではあるが、しかし無個性の常人の範疇は出ない身体。しかしそれは外観に限ってのこと。

 直に触れれば分かるだろう。撚り合わせた糸が鋼糸のごとき強度を得て、それによって編み上げられた結果生み出された鉄塊じみた頑強さを宿している。

 

 それの発するパワーが如何ほどか、それは目の前で披露されていた。

 

 

     ◆

 

 

「『うぉあらあぁッ!!』」

 

 掴んだ岩彫の首。込められた握力で軋むそれを片手で引き寄せ、同時に胸倉へ右膝を叩き込む。

 肋骨の上から心臓を打ち抜く危険な蹴り。

 花崗岩の塊のような岩肌は、膝先に当たった瞬間にバギッ!と大きくひび割れた(・・・・・)

 

「はぁっ!?」

 

 蹴足の衝撃は阻まれたものの、亀裂の生じた己の身体に驚愕する岩彫。しかし蹴られた勢いではニ三歩後退るのみで倒れはしない。

 

「『飛んでかねェか……。まだまだ練りたらねェなァ』」

 

 私は不満を口にする。蹴り一発で二十メートルぐらいは吹っ飛ばせなければ、理想には程遠い。

 

 まぁ、まだ道半ばだ。できないならできないで、やりようはある。

 狼狽える岩彫を見据えて相対する。

 

「『オラどうした。すんだろ喧嘩ァ。とっとと打ち込んできやがれや』」

 

「いやちょっ、待っ……っていうかお前がどうした!?なんだその声?!」

 

 岩盤を蹴り割ったこともさることながら、彼らにはそこが驚愕だったらしい。

 小学女子が若本●夫ボイスで喋りだしたらそりゃそうなるか。実際、後ろで廻も引いているし。

 

 しかしやったことといえば、単純に喉を『組み換え』ただけだ。声帯の構造を調整すれば一時的に声色を変えるぐらい訳はない。

 

 声というのは重要だ。見た目や姿形よりも、音からなる情報は更に深く印象を焼き付けられる。女児の声音では与えられない威圧感が、実際に奮う力以上に相手の精神を追い詰められる。

 

 ギロリ、と睨みを利かせれば、それだけで向こうの取り巻き全員が縮み上がった。

 

「『逃げんじゃねぇぞ。逃げたらコロス』」

 

 端的にそう言って、前へ出る。

 踏み出した足音に、ビクッ! と過剰な反応。

 

 岩彫もかろうじて前に踏みとどまっているという感じだ。

 

「『どうしたよ、喧嘩がしてぇんだろ? まさか殴り返される覚悟もなかったか? ブルって小便チビらせたなら帰ってママに泣きつくか?』」

 

「うっ、うるせぇ! ヴィランの家のヤツが生意気なんだよ!」

 

「『なら、お前は何者なんだよ?』」

 

 繰り返されるテンプレートな罵倒を、私は嘲笑う。

 

「『弱虫従えてふんぞり返って、挙げ句土壇場でビビッて腰が引けてやがる。テメェは一体なんなんだ? 殻の一枚剥がれた程度で、逃げ腰になるテメェは何様だってんだよ』」

 

 私は知っている。組長(オヤジ)の背中から教わっている。心強い悪党の生き様を知っている。

 汚れた世界で片意地張って、厳しく強く、それでいて人として在ろうとする男を知っている。

 

 そして私は知っている。前世の記憶に残っている、この世界の英雄を知っている。

 肉が裂け骨が折れても、気骨ひとつで立ち上がり、平和の象徴として命を賭ける男の背中を知っている。

 

 私の歩むべき道は違う。望むものも違う。私がそれに憧れることはないが、しかし現実となったこの世界に存在する彼は、先達として尊敬すべき人物だ。

 

 進む道は違えど、どちらも偉大な(おとこ)の生き様だ。

 

 

 故に、許し難い。

 

「『テメェら、しょっちゅう言ってるよなぁ。俺はヒーローになるんだ、ってよ。ヒーローってのは、なんだ? テメェで売った喧嘩で尻尾巻いて逃げるようなヤツをいうのか?』」

 

 

 軽々しく憧れを口にしながら正義のなんたるかを知らず、ただ世間の定めた敵を叩くしかしない者共が。

 辛酸を舐めたこともなく漫然と平和を享受しながら、安穏の中で精神を腐らせる者共が。

 汗と涙に塗れた善悪二極の社会で血の味も苦痛も知らずに、安全地帯からその闘争を見世物にする者共が。

 

 沸き上がる苛立ちが顔を歪める。眼は細く薄く、口角が上がり犬歯がむき出しになる。

 闘争に臨む怒気を孕んだ純然たるその笑みに、相対した全員が悪鬼羅刹の幻影を見た。

 

「『根性みせろよ、英雄気取り。お望みどおりの“悪党”らしく、全身全霊でブン殴る』」

 

 言うが早いか数歩で間を詰める。気迫に呑まれて棒立ちな岩彫の腹を正面から拳で打ち抜いた。

 腰の入ったかち上げ気味の一撃は岩の表皮をわずかにえぐり、太ましい足を大地から浮き上がらせる。

 

 岩の猿が冗談のように飛んでいくのと悲鳴が響いたのはほぼ同時であった。

 

 



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[幕間]治崎廻の【オリジン】

 

 ヴィランの家の子。

 

 己に対する周囲の総評を、廻はそう理解している。

 

 ヴィラン。その呼び名の源流は、かつては虚構の存在でしかなかった創作の世界の住人たち。超常の能力を以て混沌を振り撒く、社会に仇なす異常者たち。

 

 個性ありきの現代では、犯罪者とはすなわちヴィランであり、社会不適合者はヴィランであり、悪と呼べるものはすべからくヴィランである。

 “敵”と書いてヴィランと読ませるあたり、初めにその文字をあてた人間はどんな気持ちだったのだろうか。

 おそらくは、特に深い意味などなかったのだろう。人を助ける英雄(ヒーロー)と対になる名をあてて、それが世間にウケた。そして広まり、定着しただけのことだ。

 

 だが本来、ヴィランとは怪人や化物の類を指す言葉だ。

 

 それを知ってか知らずか、ヴィランと縁故のある者に対する風当たりは強い。

 それはまるで、異物のように。人の皮を被ったケダモノのように。いつか世界を滅ぼす怪物のように。社会を滅ぼす病原菌のように。

 

「病気……」

 

 そう、病気。廻にとっては、それが最もピタリと重なる言葉だった。

 

 個性の発現と同時に父親を殺し、母親を恐怖させ、家族を壊した。

 物でも人でも何でも治せると評された彼の個性は、彼の世界をどうしようもないほどに破壊したのだ。

 

 ヴィランの子として蔑まれ、人殺しとして疎まれる。望んで得た力ではないというのに。

 

 

 

 

 こんな個性(チカラ)さえ無ければ、良かったのだろうか。

 

 個性(こんなもの)さえ無ければ、『普通』に幸せに過ごせたのだろうか。

 

 

 理不尽に宿り、全てを奪い、消そうにも離れてくれない。

 これが病でなくてなんだというのか。

 

 

 英雄志向の現代社会の、影の中に産まれた一人。

 幼いながらも利発なその思考は、先の知れた行く末に怒りながらも、しかし絶望しきってはいなかった。

 

 一人では、なかったからだ。

 

『“私”が此処に居るのは、廻のおかげだよ』

 

 何時だったか、姉はそう言って笑っていた。

 家族が壊れて何もかも無くしたあの日を語りながらだ。

 

『あの時は、怖くて悲しくて……壊れそうだったけど、廻のおかげでもう一回立てた。まだ立ってなきゃって思えた。廻の両手が治してくれた。私はそう信じてるよ』

 

 廻の個性にそんなチカラはない。触れられもしないものは、治せない。

 いやもしも触れてしまったのなら、それすらも壊してしまうだろう。

 

『でもあの時は、手放さなかったでしょう? 私が立てるようになるまで握っててくれた。放さず握り締めていれば、壊れてもちゃんと治せる。途中で放り出して捨てちまったら、そこまでだものね』

 

 カラカラと笑い、廻の頭を撫でる姉の手は何時だって温かかった。

 ヴィランの子と蔑まれてなお、ピンと伸びたその背中が、廻にはとても眩しく見えた。

 他でもない自分の手で壊してしまった姉は、しかしそれで廻を恐れるどころか笑顔すらむけてくれた。

 だからこそ廻にとって、姉の言葉は特別だった。

 

 

『廻。たしかに世界には、理不尽な事が沢山ある。覚えの無いことで蔑まれて、大切なものを傷つけられて、怒りたくなるようなことが沢山ある。けれどそういうときに壊して放り出してしまったら、それで全部お仕舞いだ。そういう時こそ、歯を食いしばって立たなきゃいけないよ。壊して消してサッパリしましたじゃなくて、そいつをどう活かしてやるか、そいつにどう立ち向かうか。脳味噌絞って考えて、曲がらない為に強くなって、身体張って向かい合うんだ』

 

 

 筋道を徹す、ってのはそういうことさ。

 

 ……うそぶく姉の言うことは、正直難しくて廻にはほとんどわからなかった。

 けれどそう語る横顔に、組長(オヤジ)の面影を見た気がして、柄にもなく見惚れてしまった。

 

 

 

 そして、初めて姉の喧嘩を見た。

 

 十数人の大勢に取り囲まれ威圧されても、姉はいつもの姉だった。

 平時は傷付けられても泰然と、嫌がらせを受けても飄々と。ぬらりくらりと立つばかりの姉が、言葉通りに拳ひとつで立ち向かうのを見て、廻は胸を熱くした。

 

 蹴り一発で人が飛び、拳のひと振りで異形の巨体を突き崩す。

 襟首を掴んで放り投げ、ボーリングのピンようにまとめて人を弾き倒すその様はいっそ滑稽ですらあった。

 

 廻が普段やっている喧嘩など及びもつかない、清々しいほどに圧倒的で、理不尽なまでに荒々しいーーーーそれでいて綺麗で、途方もなく格好良い喧嘩だった。

 

 相手取った全員が倒れ伏した只中に立つその後ろ姿は、廻の心の真ん中に、強く深く、焼き付いた。

 

 

 

 

 

 前に立つその背中を、追いかけたいと、そう思った。

 

 



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