リブート・カドック (sako@AWとか)
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リブート・カドック

 カドックくんがカルデアの仲間になるんならこんな感じかなぁ、と二部一章をクリアした後で書いたお話。

実際はあんな事になってどうなるんでしょう。カドック君……





 

 

 

 

 

「さて、まずは状況説明から始めよう」

 膝をつき合わせなければいけないほど狭い部屋。そこに四人もの人間が詰め込まれていた。

 一人はカルデアのスタッフ。手には拳銃。初弾は装填してあり、セーフティさえ外せばいつでも撃てる状態だ。

 もう一人はゴルドルフ新所長。その肥満体は部屋の空間を相当量圧迫している。だが、苛立たしそうにこめかみをヒクつかせているのは何も圧迫感からだけではないだろう。

 残り二名は腰を降ろしていた。一人は折りたたみの小さな椅子に腰掛け、もう一人は空き箱を利用して作った簡易なベッドに座っている。

「ハッキリ言って最悪だ。人理修復、魔術王を相手にしている時でさえここまでの窮地はなかった」

 小さな椅子に座っている小さな女の子。だが、愛くるしい姿に似つかわず、この部屋のやりとりはすべて彼女が仕切っている。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 カルデアの技術主任だ。

 そうして、万能の天才にしてキャスターのサーヴァントである彼女に対し敵対的な視線を投げかけているもの、部屋の主こそが…

「前置きはいい。要点だけ話してくれ」

 最後の一人、元・クリプター。カドック・ゼムルプスだ。ひどい隈をさらに色濃くするようなしかめっ面でダ・ヴィンチを睨み付けている。

「そうだね。確かに時間が惜しい」

 肩をすくめるダ・ヴィンチ女史。生意気なやつ。にらみ返した目がそう語っている。だが、その天才的発送転換ですぐに気を切り替えたようだ。

「言ったとおり、状況は最悪だ。カルデアのマスター、藤丸立華とそのサーヴァント・マシュ・キリエライトが敵に襲われ拿捕された。それがおおよそ十二時間前。それから三時間後、超法的措置により…」

 ダ・ヴィンチがチラリと後方のゴルドルフ所長に目を向ける。ゴルドルフは目を逸らし、あからさまな咳払いをした。

「ホームズが二名の救出に出撃。だが、『敵に見つかった』という通信を最後に連絡が取れない状況だ。ま、あの天才のことだから『敵を欺くにはまず味方から。そのセオリーに従ったまでだ』とかなんとかいってひょっこり出てくるかもしれない。でも、同じ天才である私は『アイツ多分やられたな。良くて霊基破損。悪かったら座に還ってる』って結論をだした」

 ため息。長々としたそれをダ・ヴィンチは漏らす。

「もう一度言おう。状況は最悪だ。現状、カルデアは全戦力の99.9%を出撃させ、その安否が不明という状況に陥っている。残りの戦力は数名のスタッフと全員に行き渡らないだけの小火器。頭脳は天才だが戦闘力は残念ながらからっきしのキャスター一騎。あとはまぁ…没落した家系の魔術師だけだ」

 おい、それは私のことか、とゴルドルフから野次が飛んできたがダ・ヴィンチは無視した。

「まともなカードはすべて場に出した状態。残っているのはカス札だけ。ハッキリって勝負にならない。我々は負けたも同然だ」

 説明を続けるダ・ヴィンチ。カドックはそれをつまらなさそうに聞いている。貧乏揺すりのように右足で床を叩き、時折、疲れた様子で長い鼻息を漏らしている。

「それで、無理心中のお誘いに来たって訳かい?」

「いいや、違う。負けたも同然だがまだ負けたわけじゃない。今の私たちはホームズという切り札さえも切ってしまった状態だけれど、まだ、手は残されてる。イカサマ用に隠していたカードを出すみたいな手だけれど」

 そこまで言ってダ・ヴィンチは身を乗り出した。狭い部屋だ。その動作だけで相手の瞳に写る自分の姿が見えるようなぐらい近づく。威圧と真摯。その現れ。

「君だ。カドック・ゼムルプス。君がイカサマのカードだ。二人を、マスター立華とサーヴァント・マシュを救出してくれ」

 ダ・ヴィンチは対面に座るカドックにそう依頼する。命令する。お願いする。視線はそらさず、まばたきさえも極力抑え、相手の反応を一言一句間違いなく受け止め、納得のいく形で納めようとしている。

 それにカドックはすぐには答えなかった。ダ・ヴィンチからあからさまに視線はそらさなかったが、なんとはなしに面倒ごとを押しつけられてしまったかのような反応を示している。眉をしかめて、唇をきつく結んで深くゆっくりと息を吐いている。

「ルーラーは助けなくてもいいのか?」

 と、ややあってから若干、的外れなことをカドックは聞き返してきた。

「あの名探偵のことは出来ればでいい。生きているなら自分で戻ってくるだろうし、座に還ったならそれはそれだ」

 フム、とカドック。何かを考えているそぶりだが、それはダ・ヴィンチの回答を吟味していると言うより次の質問を選んでいるようにも見える。

「出撃するにしても僕は若干栄養不足な状況だ。要するにおなかがすいている。先に軽い食事ぐらい出してくれるんだろうな」

「今まで食事を出してもまともに手をつけなかったのは誰だい? まぁ、相も変わらずカルデアは食料難だがそれぐらいは配慮しよう」

「ここのアーカイブへ接続できる端末も用意してほしい。いや、セキュリティ関連は全部任せる。ここに一日籠もっていると暇だからローゼスとかオアシスを聞きたいだけだから」

「善処しよう。ネットワーク端末は貸せないかもしれないが、ウォークマンかスマートフォンぐらいなら渡せるだろう」

 カドックとダ・ヴィンチのやりとりは続く。だが、その中身はあってないようなもので具体性を大きく欠いていた。

 それにいの一番に声を荒げたのは現カルデアの所長、ゴルドルフであった。

「いい加減にしろ。無駄な質問はするな。極論、お前が口にしていいのはやるのかやらないのかそれだけだ!」

 狭い部屋に大音声を轟かせるゴルドルフ。カドックが不審な動きをした際に威嚇、場合によっては射殺を命じられていたカルデア職員が身をすくめる。

「だが、状況が状況だ。こちらにも恩赦の用意がある。首を縦に振るなら、監禁は解除しよう。あの二人を救助し戻ってきたならある程度の自由は許す。先ほどお前が口にした要望も働き如何によっては考えてやらなくもない」

 声のトーンを落とし、腕を組んで寛大なところを見せつけるゴルドルフ。腐っても元・魔術の名門だ。人心掌握術を心得ている。

 だが、当然ながらカドックにはあまり効果がなかったようだ。ぞんざいな態度で『わかったわかったから』とでも言うようにカドックは手を振ってみせた。

「いいだろう。お前たちの口車に乗ってやるよ。けど、その前に一つだけ聞かせろ」

 ゴルドルフではなくダ・ヴィンチの顔を睨み付けるカドック。

「いいよ。なんだい」

「僕が裏切ると思っていないのか?」

 今度はカドックが真っ直ぐな岩をも穿つような視線を向ける番だった。小さく開かれた唇から覗く歯は強く噛み締められていた。彼の怒り。それがそこに現れている。

「思っていない。理由は二つある。一つは仕組み上、もう一つは対外的な理由でだ」

 失礼、といってダ・ヴィンチはカドックの首に手を回した。何か、飾り気のないチョーカーを首に取り付ける。カドックはされるがままだ。

「今、君の首に取り付けたのは爆弾だ。私の手元のスイッチ一つで爆破できるし、システムからのコマンドでも同じことが出来る。君が裏切ったり、明らかに不審な行動をとった場合、問答無用でその首を吹っ飛ばせる裏切り防止の仕組みさ」

 ダ・ヴィンチの説明を聞きながらカドックは首に取り付けられたチョーカー…爆弾に触れる。当然ながら無理に外そうとしてもこの爆弾は爆発するようになっているのだろう。

「対外的な理由ってのは?」

 チョーカーから指を離し、カドックはダ・ヴィンチに続きを促した。

「ああ、それこそ簡単な理由さ。君は仲間だったクリプターに一度、殺されかかった」

 仲間に殺されかかった、その言葉にカドックの目が細くなる。

「それを救ったのは誰であろう我々カルデアのマスター藤丸立華ちゃんだ。うーん、掛け値なしにあの子は善人だからね。かつて永久凍土の地で敵対した君も助けちゃう。さすがは人類史を守ったヒーローだ」

「茶化すな!」

 と、今の今まで冷静、あるいは冷静を装っていたカドックが声を荒げた。またもカルデア職員の身体がこわばる。だが、今度のそれは驚いたからではなかった。現に、ダ・ヴィンチが止めていなければ職員は銃を持った腕を振り上げ、銃口をカドックに向けていただろう。

「すまないね。でも、それが事実だ。後者はまぁ、兎に角としてだ。君は既に仲間のクリプターから不要とされている。それも敢えての排除が必要なレベルで。それが情報流出を防ぐためなのか、あるいは別の何か、君がクリプターであったという事実に基づくものなのかはまだ解らない。だが、クリプターたちにとって君はすでに助けるべき仲間ではなく排除すべき邪魔者となっている。その事実に気づいていない君じゃないだろう。結論、カドック・ゼムルプスは裏切らない、裏切れない、ということさ」

 どうだい、と笑みを浮かべながらダ・ヴィンチはカドックの顔を見つめてくる。返答の時間。君の決意を聞こうじゃないか。そういうタイミングだ。

 意を決したのか、それともそれしかないと諦めたのか、ため息も漏らさずカドックは「わかった」と答えた。頷きはしなかったが。

「いいだろう。お前たちのイヌになってやるよ。どうせ僕の運命は決まっている。それならまだ、殺されない方を選ぶさ」

 言って立ち上がるカドック。服装を整え、今すぐにでも出て行けるといったそぶりを見せる。

「けど、ただの二流魔術師が行ってどうにかなる状況なのか。敵は魔獣や異聞帯の魔術師…それにサーヴァントがいるんだろう。僕はそこまで切った張ったが得意じゃないんだけれど」

「ああ、それなら心配いらない。君もマスターだ。サーヴァントを一騎つける。君の役目はそのサーヴァントを使役して、二人を助ける。君自身が前線に出る必要は…まぁ、あまりないかな」

 手を出して、とカドックに指示するダ・ヴィンチ。言われたとおりにするカドック。ダ・ヴィンチは椅子の下に置いていた機械を取り出した。病院の待合室に置いてある脈拍を取るような機械だ。その中にカドックの手を入れる。わずかな痛みにカドックは顔を曇らせる。機械から引き抜いたカドックの手の甲には赤い文様が輝いていた。

「令呪…」

 汚物でも見るような目で自分の手の甲を眺めるカドック。

「そう、一画だけだけどね。残り二画は私が持っている。君がもし裏切ってサーヴァントに私たちを攻撃するよう、あるいは君を抱えて全速力で逃げ出すよう令呪を使って命令しても、こちらの令呪で無効化できる」

「それで残りの一画でサーヴァントに僕を殺せって命令する。そういう手筈か。隙を生じない計画だな」

「その通り。まぁ、首輪爆弾があるから私自身はそこまでしなくてもいいだろうと思っているけど、新所長はその点、慎重でね」

 ダ・ヴィンチの言葉にフンと鼻を鳴らすゴルドルフ。

「待っていてくれたまえ。君のサーヴァントを呼んでこよう。いや、実は既に召喚済みなんだ。だから今言った呼んでくるは一般的な意味での呼んでくるなんだ」

 いいからさっさとしろ、とカドック。ダ・ヴィンチは狭苦しい部屋から出て行った。

 やれやれとカドックは肩をすくめ、再びベッドに腰を降ろした。

 ゴルドフもカルデアスタッフもカドックを警戒しているが話しかけるような様子はない。カドックも二人とコミュニケーションを取るつもりは毛頭なかった。

 一人思慮にふける。

 …サーヴァントを一騎つける? マスターがお人好しならバックアップもバックアップだ。まるでお花畑のような頭をしている。けれど、僕自身の運用は実に的確だ。つまり、鉄砲玉扱い。あいつらにとってあの二人、人類最後だったマスターとそのサーヴァントは何者にも代えがたい存在なんだろう。だが、僕は違う。死んでも裏切ってもいなくなっても別にかまわない。使い捨ての特攻にはもってこいの人材だ。サーヴァントも当然、それに似つかわしいものになるだろう。おそらくクラスはバーサーカーだ。単純な命令しか指示できず、短期的な戦闘力に秀でたサーヴァント。あてがわれるのはそんなものだろう。

「やぁやぁやぁ、おまたせ。ああ、狭いから所長たちはいったん、部屋の外に出てくれ」

 新所長は怪訝な顔をしたが、結局、言われたとおりにした。入れ替わるようにダ・ヴィンチともう一騎、サーヴァントが狭い部屋に入ってくる。はたしてそのサーヴァントは…

「さ、自己紹介してくれたまへ。あまり、必要ないかもしれないが」

「サーヴァント・キャスター。召喚の求めに従い参上いたしました」

 頭は下げず、目礼をするキャスターの少女。そう少女だ。白銀の髪に同じぐらい白い雪を思わせる肌。冬のバイカル湖に張った氷のように透き通った青い瞳。すこし不気味な雰囲気がする人形。

「真名は…」

「アナスタシア」

 キャスターに先んじて名前を告げるカドック。白い雪の少女は少しだけ驚いたように目を開いた。

「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。ロマノフ王朝最後の皇女。妖精契約者だ。知っている。自己紹介の必要はない」

 キャスター……アナスタシアの顔を見ようともせずそう淡々とカドックは説明する。いや、その握りしめられた拳は震えていた。

「マスターは、仮のマスターは私のことをご存じなのね」

 気を取り直し、そうアナスタシアはカドックに訪ねる。だが、カドックは返答しない。まるでアナスタシアがそこにいないように、視線を逸らし、言葉を返さず、意識を向けないようにしている。だが、この狭い部屋でその無視は無理がある。無理は別方向への噴出となった。

「お前ッ…!」

 前触れもなく激高し、勢いよく立ち上がるとカドックはダ・ヴィンチの胸ぐらをつかんだ。小さな身体が持ち上がる。かろうじてつま先で立つような状態。

「これは何の嫌がらせだ! それとも彼女なら……このサーヴァントなら僕が服従するとでも思ったのか!」

 あらん限りの声で叫び、カドックはダ・ヴィンチに詰問する。

 護衛の職員が銃を構えた。ゴルドルフ所長さえ身構え、攻撃用の魔術を展開させる。ダ・ヴィンチが手振りだけで『落ち着いて』と示さなければ、次の一瞬で二人はカドックを無力化、あるいは殺していたかもしれない。

「そうだ。その通りだ――って言いたいところだけれど、実際はそんなことはない」

 カドックに胸ぐらを掴まれたままダ・ヴィンチは弁明する。

「私も君と同じことは考えていたさ。カドック・ゼムルプスにアナスタシアを従事させればある程度の意思掌握ができるのではないか、或いは皇女をダシに言うことを聞かせられるんじゃないかなって。でも、そうは問屋が卸さない。カルデアの召喚システムは不完全で特定の一騎を精度一〇〇%で呼び出すのは不可能だ。クラスを偏重させることは出来るようになったけれど、それも膨大なエネルギーを使う。今そんな余裕はない。触媒による召喚も…う~ん、なんだか法則性があるようなないような感じなんだけれど、この天才の頭脳をもってしてもまだ特定には至っていない。つまりこれは――」

「黙れッ!」

 ダ・ヴィンチの説明を一喝するカドック。俯き震え、その身体には怒りが満ちている。

「理屈やお前たちの考えなんてどうでもいい。僕に…この僕にあの皇女のマスターになれっていうだけで、腹立たしいし、お前たちを殺したくなる。ああ、そうさ。僕の活躍、すべてを見返すことが出来る最高の機会を奪ったあのマスターと同じぐらい、お前たちを恨みたくなる…!」

 あの子こそ偶然だけれどね、とダ・ヴィンチは苦痛に顔をゆがめながらぼやく。いや、それは息苦しさだけではないかもしれなかったが。

「兎に角、その手を離してくれ。本当の本当にアナスタシア皇女を召喚べたのは現状、観測可能な情報においてはただの偶然だ。万に一つ、億に一つ、那由他の彼方の確立かもしれないけれどね」

「だとしてもだッ!」

 カドックの腕に力がこもる。ダ・ヴィンチの小さな身体が持ち上がる。足先が床から離れる。苦しげにダ・ヴィンチの顔がゆがむ。サーヴァントとはいってもその頭脳以外は見た目通りの幼女としての頑丈さしか持ち合わせていない。もう何秒か、もしダ・ヴィンチ技術顧問が苦悶の声を上げようものならカルデア職員は指示を無視してカドックに攻撃を仕掛けるつもりであった。ゴルドルフ所長も同じく腹を括っていた。

 一色触発の空気。何か合図、教会の鐘の音が鳴ったタイミングで撃ち合いが始まるようなそんな雰囲気が狭い部屋の中に満ちる。

「お話の途中で申し訳ないのだけれど…」

 と、爆発寸前の原子炉のような熱い空気のなかに一言、絶対零度を思わせる冷たい言葉が差し込まれた。

「この茶番はいつまで続くのかしら」

 アナスタシアだ。この状況下において彼女はあくまで冷静に、かつ興味なさそうに話す。

「知識共有したてでまだ実感が湧いていないのだけれど、かなり窮地な状態じゃないのかしら。早く何かしなくてもいいの?」

 あまり自分には関係がない、アナスタシアの態度はそう感じられる。

「説明や作戦会議の必要もあまりないと思うわ。結局、何も解っていない状態なんでしょう。兎に角、一刻も早く相手の城に乗り込んで、一つでも多くの情報を収集して、本来のマスターを救出する。そういうことでしょう」

「黙れ」

 アナスタシアの言葉を制止するカドック。だが、やはりアナスタシアの方は見向きもしない。

「確かに私は潜入のような気を使う仕事や強襲なんて野蛮なことには向いていないサーヴァントだと自分でも思うわ」

 けれども、マスターが仮であるからか、アナスタシアはカドックの言葉を聞き入れない。淡々と話を続ける。

「黙れよ…!」

 それでもカドックはアナスタシアに目を向けない。視線と敵意と憎悪は胸ぐらを掴んでいるダ・ヴィンチ、そうしてカルデア全体に向けたままだ。

「でも、マスターは以前、私を使役したことがあるのでしょう。だったら、私の使い方は知っているはず。その点を加味すれば、私はさほど悪い駒ではないと思うのだけれど」

「黙れって言っているだろ!!」

 叫ぶカドック。怒りを吐き出す。耳をつんざく大音声をまともに聞かされ、ダ・ヴィンチは顔をしかめた。

 俯き加減で荒い息をつくカドック。しばらくの間、それだけがこの部屋の音源であった。

「……そう」

 ややあってアナスタシアが口を開いた。怒りも落胆も感じさせないニュートラルな声色。

「分かりました。マスターは私では不満なようね」

 演技がかかった様子で肩を落としてみせるアナスタシア。彼女が取った動作はそれだけだ。後は興味を失ったようにきびすを返した。

「私は霊基に返還してください。無用なサーヴァントを置いておく余裕はカルデアにはないのでしょう」

 それだけ最後に口にしてアナスタシアは部屋を出ようとした。

「…いいの、かい?」

 苦しげに顔を歪めながらダ・ヴィンチがカドックに訪ねた。返答はなかったが、今まで以上に強い眼でにらみ返してきた。その恐ろしさにダ・ヴィンチは目を細めて見せた。同じタイミングで部屋の扉が閉まった。閉まった…!?

「えっ!?」

 さしものダ・ヴィンチも驚きに目を見開いた。

 シャドウ・ボーダーの扉は基本的には対人センサーによる自動開閉式だ。だが、それはシステムのオンオフによって解放不可、解放しぱなっしに切り替えることが出来る。ダ・ヴィンチはカドックに従事させるサーヴァントを連れてきた時、部屋が狭くなるため扉を開けっぱなしにするようにした。それは単に扉側のボタンを押すだけで設定できる。

 問題なのは何のためにそれを解除したかということだ。誰なのかは分かっている。アナスタシアだ。彼女が外に出る時に自らのスキル:シュヴィブジックで遠隔操作したのだ。生前の彼女がイタズラ好きだったことに起因するスキル。触れてもいない物をそっと動かすことが出来る。開け放たれていた扉を閉めるなんてことは朝飯前だ。

 だから、問題はそこではなく何のために、その一点に絞られる。それが瞬時に理解できず天才レオナルド・ダ・ヴィンチは驚きに目を見開いたのだ。

 そうして、あろうことか回答はダ・ヴィンチが己でたどり着くより先に示された。

 ほんの数秒、一〇秒はかかっていても一五秒はかかっていない短い時間で事は済んでいた。

 閉じた扉はすぐに開いた。扉の前に立っていた職員とゴルドルフに反応したのだろう。そこから強烈な冷気が部屋の中に流れ込んできた。驚くべき光景も。

 カルデアの職員、窮地にあってはカドックを撃つ役目をおっていた職員の手から拳銃は離れていた。落としたのだ。だが、拾って使うことは出来ない。なぜなら9ミリ弾使用の自動拳銃は握りこぶし大の氷に覆われていたからだ。拳銃が凍り付いた際、凍傷を負ったのだろう。職員は腕を押さえて苦悶に顔を歪めていた。

 ゴルドルフ所長はもっと酷かった。両腕に氷塊がまとわりつき、手かせの体をなしていた。両足も同様。根っこでも生えたかのように床に氷結されている。恐ろしい冷たさなのだろう。ゴルドルフは顔を真っ青にし、歯をガタガタと打ち振るわせていた。

「私にその嫌らしい鉄砲とかいうモノを見せないで頂戴」

 苛立ちげにアナスタシアは吐き捨てた。

 その状況下に誰もが驚く。怒りに震えていたカドックでさえ、ついダ・ヴィンチの胸ぐらから手を離してしまうほどだった。床に倒れ、やっと解放されたことで荒い息をつくダ・ヴィンチ。

「ケホッ、ケホッ……ええっと、反逆かい、皇女殿下」

 呼吸を整えながら身体を起こしたダ・ヴィンチが訪ねる。何をつまらないことを聞いているのかしらんとアナスタシアは目を細めた。

「ええ。生前はされた方だけれど、すると存外に気分がいいものね」

 打って変わり、何処か楽しげに話すアナスタシア。ダ・ヴィンチの顔から笑みが消える。カドックに胸ぐらを掴まれていた時でさえ余裕を見せていたというのに。つまり、状況は先ほどよりも何十倍も深刻だということだ。先ほどのカドックとダ・ヴィンチのにらみ合いが子供の喧嘩の前触れなら、現状はまさしく撃ち合いの直前、国境線をまたいで軍隊がにらみ合っているような状況だ。

「おおお、おい、キャスター、き、貴様! 何をする…!! こ、これは到底、許される行為ではないぞ…!」

 ゴルドルフがガタガタと震えながらも威勢良く弾劾の声をあげた。それを「うるさい」と一喝するアナスタシア。途端に氷塊の枷が大きくなった。手首のそれは腕を覆うほど、足を床に接着していた氷は一瞬で膝まで達した。真っ青だった顔色はもはや雪山の遭難死体のように真っ白になった。髭や眉毛にも霜が浮き始める。

 拙い――!

 ダ・ヴィンチが動いた。懐にしまっていた機械を取り出す。カドックに令呪を転写した機械。擬似的な契約者として機能するいわばマスター代替品だ。この機械からでも令呪を発動させ、サーヴァントに強制権を行使できる。下す命令は一つ。自決しろ。ここで強制的にアナスタシアを座に返還する。アナスタシア召喚に使用したリソースが勿体ないだとか彼女を座に帰してどうするのだとかゴルドルフ新所長を見殺しにすれば少しは策を考えられる時間が稼げるだろうなとか考えた。考えただけだ。実行に移すべきか吟味している余裕はない。マスター代替機を起動させ…

「令呪をもって命ずる……やめろっ! アナスタシア!!」

 それよりも早く皇女の凶行を止めさせる声が上がった。ダ・ヴィンチがまたも驚き目を見開いた。なんてことだ。この天才よりも先に答えを出して行動するなんて! そういう驚き。

 はぁ、とダ・ヴィンチが大きくため息を漏らした。解放のため息。それが合図となった様に氷塊の枷が砕け散った。やっと解放されたゴルドルフ所長がその肥満体を震わせて、自分の肩を抱いた。内股になりガタガタと工事用の掘削機械みたいに歯を鳴らしている。

「毛布と気付けになるようなキツいお酒を……あの安楽椅子らない探偵のデスク、右のキャビネットの一番下の段の裏側に十五年物のスコッチが隠してある。ああ、気をつけてくれたまえ。アイツ、誰かがキャビネットを開けたらそれとすぐに分かるように髪の毛を一本、戸に引っかけているから。先にそれをつまんでから開けるんだよ」

 まだ現状が飲み込めていない職員にそうダ・ヴィンチは指示した。職員は命令を実行しようと、駆け出そうとしてすぐに足を止めた。足下に落ちているまだ氷漬けの拳銃に目をやった。

「大丈夫だから」

 ダ・ヴィンチは手を振った。

「ここはもう大丈夫だから。刃傷沙汰にはならないよ」

 それだけ聞くと職員は納得したようでまた走り出していった。

 所長は変わらず自分の身体を抱いて、ガタガタと震えている。もはや置物も同然だ。これで話がスムーズに出来るとダ・ヴィンチは悪びれもせず思った。

「それでカドック。どうして、こんなことを?」

 ダ・ヴィンチはこの騒動で倒してしまった椅子を元に戻すとその上にこちょんと腰をおろした。

 質問にカドックは答えなかった。無視しているわけではなかった。アナスタシアの凶行を止めた本人はどうしてそうしたのか、自分が一番分かっていない様子だった。カドックは振り返ろうとした途中で停止ボタンでも押されたように半身になり、救いを求めるように手を伸ばしている。その手には痣が、令呪の残滓が痣となって残っていた。

「クソッ…!!」

 カドックは令呪が消え失せた腕を白くなるほど握りしめると、それを怒りにまかせて壁に叩き付けた。

「クソッ! クソッ! クソッ!!」

 シャドウ・ボーダー車内の壁は最大限の空間を確保するため薄く作られているが、その強度と防音性は折り紙付きだ。エリザベートの鼻歌ぐらいならびくともしない。マイクを握った場合はその限りではないが。

 兎に角、カドックがいくら壁を殴りつけたところでその音は室内にしか響かないし、穴が開いたりするはずもない。

 だからか、ダ・ヴィンチは止めることもせず椅子に座ったまま、自虐的に壁を殴り続けるカドックを見ていた。

 飛沫が壁に赤いシミを作った。激しい打撃にカドックの手が裂けたのだ。それでもなおカドックは壁を殴り続けた。殴り続けようとした。

「やめなさいマスター」

 カドックの自分に対する暴力を止める声。今度はアナスタシア自身が止める側であった。けれど、その声に令呪ほどの強制力はない。一瞬、カドックは動きを止めたものの、また怒りと自虐にまかせて壁を殴りつけ始めた。

「やめなさいと、言っているでしょう」

 手を伸ばし、カドックの腕を掴むアナスタシア。カドックは無理やり、振りほどこうとするが相手は魔術師の位とはいえサーヴァントだ。魔術も行使していない生身の人間に振りほどける力ではない。

「離せ」

 アナスタシアの方を見ようともせずつんけんな態度を取るカドック。腸捻転でも起こしたかのようなカドックの表情を見てアナスタシアもまた同じように眉を寄せて顔をしかめた。

「離せ」

「離しません」

 再度、同じ言葉をカドックは口にする。間髪入れず、アナスタシアは拒否してみせた。

「離せキャスター」

「いいえ、そんな命令は聞けないわ。貴方は私のマスターではないでしょう」

 マスターではない、その言葉でやっとカドックはアナスタシアの方を向いた。それは寝耳に毒薬でも流し込んだような意識の向けさせ方だったが。

「……そうさ」

 奥歯を噛みくだかんほど強く噛み締め、眼球が潰れそうになるほど眉に力を込めカドックはアナスタシアを睨み付ける。

「そうさ。お前は僕のサーヴァントじゃない」

 吐いて、捨てるような言葉。

「お前は僕のサーヴァントじゃない。僕のアナスタシアじゃない…! 僕のアナスタシアはカルデアに…こいつらに……アイツに、殺されたんだ…!!」

 怒りにゆがんだ顔を伝わり流れ落ちる血、血涙。いや、違う。涙だ。だが、それは血のように濃く、熱く、呪詛にまみれていた。俯き、声を殺して泣き始めるカドック。

 カドックが壁を殴りつける音でうるさかった部屋は一転、静かになった。時折、嗚咽が漏れ聞こえるだけで曇り空の正午のように静かになった。

「ええ、そうね。それは識っているわ。別の私は貴方と共に戦いそうして敗れたそうね」

 ややあってからアナスタシアがそう話しかけた。カドックは聞いているのか、それとも耳を閉ざしているのか、顔は上げなかった。

「その前にも一度、人理を救う戦いに参加しようとして、その直前で出鼻を挫かれたそうね。それも識っているわ」

 カドックの態度とは関係なしにアナスタシアは話を続けた。彼にとってはウィークポイントたる話を。

「それで今回もまた失敗した。何度目かしら? ああ、これで三度目ね。三度、貴方は失敗し敗れたわ」

「なん…だと」

 カドックが顔を上げた。目に力が、悲しみと挫折によって流れ出た力が、憎悪と怒りによって戻ってくる。

「何に失敗したって言うんだ?」

 アナスタシアの顔を睨み付けるカドック。

「世界を救うという大仕事を、よ。貴方はそれに三度失敗した。一度目は不運にも参加さえさせてもらえず、二度目は実力で敗北を期し、ついに三度目では自分の意思で仕事を放棄した」

 カドックはアナスタシアの言葉に怪訝に眉をひそめた。

「前者二つは認める。そうだ、その通りだ。だが、三度目はなんだ?」

 何が言いたいんだ、とカドックは続ける。まず最初の返答はため息だった。やれやれ、とアナスタシアは肩をすくめる。

「つまり、一画しかない令呪を愚かなことに使ってしまってマスターとしての権利を失った、そう私は言いたいの」

「…なにを」

 カドックの目が開かれた。怒りだ。カルデアやそのマスターに向ける根源的な怒りではなく、感情的な即物的な怒り。

「何を言ってるッ! あれはお前がバカなことをしたからだ。愚かなのはどっちだ! どうして、人質なんて取ろうとした! 人質をとってどうするつもりだったんだ!」

 カドックの怒鳴り声にアナスタシアは冬のシベリアの様な険しい顔をした。不敬者を斬刑に処す恐怖の女王の顔。その恐ろしさにカドックは一瞬たじろぐ。

「逆に聞くわ、どうして私のイタズラを止めたりしたの。しかも、令呪を使ってまで。そこまで強制しなければいけないほど、危険な状況だったからしら、あれは?」

 間違いなく危険な状況ではあった。誰かがアナスタシアを止めなければならないほど。だが、それはダ・ヴィンチが行うはずであった。カドックが天才に先んじて行動しなければ。けれど、止めた本人はどうしてそうしたのか明確な答えを自分の中に持ち合わせてはいないようだった。

「それは…」

 口ごもるカドック。考えるそぶりをみせ、けれど、思いつかず、ついには吐き捨てるよう口を開いた。

「知るか! 身体が勝手に動いたんだ!」

 そうしてやっとで出た言葉はそんなやけっぱちなものだった。

 カドックの叫びを聞いてアナスタシアはキョトンと目を開いた。しばらく、部屋の中にはまた静けさが満ちた。

 その静けさを破ったのは鈴を転がしたようなかわいらしい笑い声だった。もっともかわいらしいのは声色だけで、笑い方は笑われた方にとっては非常に腹立たしいものだったが。

「いやぁ、考えなしだったとは。さすがのこの天才ダ・ヴィンチちゃんにもそれは盲点だった。ああ、でも、そうか。確かにそうか。あの子も確かによく一見すると考えなしみたいな行動をよくとっているね」

 笑っていたのは今まで沈黙を保っていたダ・ヴィンチだ。膝を叩いてかんらかんらと笑っている。

「もっとも一見考えなしに見えるだけで後から見れば正解に等しい行動をあの子は取っている。なるほど。一流のマスターの条件というのはつまりそういう事なのか。レイシフト適性が二人とも高いのも何かしらの因果関係があるように感じられるな。精神鑑定の項目を増やして、類似点を探してみよう。うんうん、いいねぇ。いろいろとアイデアが浮かんでくるぞ」

 ダ・ヴィンチの言葉は非常に早口で、おそらくは誰に聞かせるために発せられたものではなかった。独り言だ。だが、聞こえるからにはその意味を考えてしまうし、考えても分からないとなると苛立たしくなる。

「今度はなんだ。何を言ってるダ・ヴィンチ!」

 苛立ちげにカドックはダ・ヴィンチにくってかかった。不意に怒鳴られ、ダ・ヴィンチは目を瞬かせ、視線を一瞬だけ明後日の方向へやった。

「何って、そうだね。君の行動分析さ。カドック・ゼムルプス。君が無意識に、この天才レオナルド・ダ・ヴィンチの判断を超える速度で皇女を止めたのは、言うまでもない。君がこのチャンスを見逃すまいと感じたからだ。つまり、人類史を守るという大仕事に参加するチャンスをね」

 ハァ、とカドックは素っ頓狂な声を上げた。

「何を言ってる? 凡人類史を守るのはお前たちの仕事だろう。僕には関係がない。僕は異聞帯側の…」

「マスターだった。それは過去形だろ。今の君はどうあがいたって我々の人類史側の人間だ。ああ、いや、あのロシアは君にとっての正史になりえたかもしれない歴史だった。君はあの異聞を守るために命を賭けた。その点は分かっているし、誇りに値すると思う。けれどもだ、私たちのマスターに敗れ、仲間だったクリプターたちから命を狙われている君は自分でどう思っていようとも既にこちら側の人間だ。そこは間違いなきよう。いや、まぁ、実際のところそれはどうでもいい。重要なのはただ一つ、たった一つの理由だ」

 それは、とダ・ヴィンチは言葉を句切る。

「もう一度、三度目の正直で『世界を救う大仕事にカドック・ゼムルプスは参加できる』その一点だ」

 ダ・ヴィンチは立ち上がると腕を組んで尊大そうな態度を取った。

「それ故に君はその必要条件たる戦力…サーヴァントを守ったって訳さ。もう0.5秒でも令呪の発動が遅ければ、皇女は私が自害させていた。それも君は感じ取って『イタズラをやめろ』という命令程度にとどめたんだろう。無意識のうちにそのレベルまでの判断を一瞬で下した。そういうことだろう」

 そう説明して聞かせるダ・ヴィンチ。

「そんなわけ…あるかっ…」

 が、カドックは間髪入れず否定してみせた。アン、とダ・ヴィンチはその小さな口をひん曲げて見せた。

「じゃあどうしてだい?」

 自分の考えを否定されたからか、少し機嫌が悪そうな口調でダ・ヴィンチは訪ね返す。少女の見た目をしたサーヴァントの鋭い視線にカドックはつい目を逸らしてしまう。

「それは……」

 カドックは応えられない。当然だ。考えて行った行動ではないのだ。応えられるはずがない。口端を歪め眉をしかめ、カドックは黙り込む。何か言い返さないとこの万能の天才にいいように言われてしまう。だが、なんと言い返すべきだ。

 確かに理性的、合理的に考えればダ・ヴィンチの意見には納得できるものがあった。『世界を救う大仕事に参加する』ために。考えて行動しろと言われてもカドックは同じようにアナスタシアを止めただろう。

 だが、それを飲み込めないでいる自分がいた。

 あの行動は衝動的にとったものだ。何かしらの打算や判断があってのものではなかった。

 そう。そうだ。渇望していた活躍の機会を得るために。それと同じぐらい、いいや、更なる大きさと力強さを持つ衝動によってカドックは令呪が刻まれた腕を掲げ、アナスタシアの愚行を止めたのだ。

 それはなんだ。衝動を呼び起こす、渇望を超えるもの。

 それは感情のうねりか。怒りなのか。

 カルデアのいいように使われてたまるかという怒り、自分を超えたマスターが無様に敵に捕まっているという怒り、そのマスターを助けに行くために自分にあてがわれたのが彼女だという怒り。そうして不甲斐なくも何もなせないでいる自分に対する激しい怒り。諸々のソレ。

 カドックの頭の中で何か一つ考えが纏まろうとしていた。

 怒り。それによって自分は動いたのだと。

 けれど、その考えが実を結ぶよりも早く、ため息を交えながら全く別の意見が述べられた。

「そうかしら。私は私の身を案じてあんな馬鹿げたことをしたのだと思っているのだけれど」

 この場にいる誰もが予想していなかった意見をあげたのは、他でもないアナスタシア皇女殿下だった。アナスタシアは下々の者を睥睨するよう、つまらなさそうに目を細めた。

「な、何を言ってるキャスター。ああ、いや、確かにある意味じゃお前の身を案じて令呪を使ったっているのは間違いない。けれど、それは…」

 説明しようとして、けれど、カドックの言葉は尻すぼみになった。けれど、それは? その次は? またもカドック自身にも理解できない理由で続く言葉は消え失せてしまった。

 今ではダ・ヴィンチの『世界を救う大仕事に参加するため』という打算も、足りない頭を絞ってだした『身を焦がすような激しい怒り』も嘘や建前のように思えてしまった。

「それは何かしらマスター? 事によっては次は貴方が氷漬けになる番よ」

 アナスタシアに問い詰められ、更にカドックの口は凍り付いたように一言も発せなくなってしまった。苦虫でもかみつぶしたように顔をしかめている。

 何か言わないと。再びカドックは思考をフル回転させ言い訳のネタをひねり出そうとした。

 それをダ・ヴィンチの笑い声が邪魔をした。

「ハハハハ、なんだい。やっぱり君も優秀なマスターじゃないか」

 笑うダ・ヴィンチを四つの瞳が睨み付ける。カドックと……アナスタシアもだ。

「失礼な学者ね。先に貴女を氷漬けにしてしまいましょうかしら」

「それは勘弁してくれ。君の魔術をレジストできるだけの力は今の私にはないんだから」

 アナスタシアに脅されてやっと笑うのをやめるダ・ヴィンチ。それでもまだ収まっていないのか含み笑いをしている。

「何なんだダ・ヴィンチ。また、どうせロクでもないことを言うつもりか」

「別に。ただ、あの子もそうだったな、と思っただけだよ。立華ちゃんもマシュを助けようとして後先考えない行動に出た。炎燃えさかるレイシフトルームに飛び込んでいったんだからね。いやぁ、アレは感動したなぁ。それが結果的に人類史を救う偉業に繋がっていった訳だが…まぁ、そこは語るまでもないか。それと似ているなと思っただけだよ」

 カドックは眉をしかめた。よりにもよってアイツと似ているだなんて。それは自分自身に対する最大限の侮辱だ。

 だが、不思議と身を焦がすような怒りはわき上がってこなかった。もう今日は散々、それを沸騰させたため、もはや湯を沸かす力は残っていなかったからだ。

 いいや、果たしてそれだけだろうか。

 今なお傷ついた自分の手を握ったままのアナスタシアがどこか嬉しそうに面白そうに微笑んでいたから……

「うわぁっ!?」

 驚きの声を上げてカドックはアナスタシアの手を振りほどいた。今度は簡単に拘束から抜け出すことができた。さしものサーヴァントもここまで虚をつけばついつい握る手を緩めてしまうものかもしれない。それかあるいは、もう自暴自棄に壁を殴り続けようとしていなかったので拘束する必要がなかっただけかもしれないが。

「何? カドック?」

 春の大地に生した苔の様な柔らかな笑みから一転、ツンドラを思わせる冷たい表情を浮かべるアナスタシア。

「ああ、いや、もう握っている必要はない、そう思って…」

「そう」

 短くそれだけ口にして、アナスタシアはツンドラどころか氷河のような堅く冷たい顔をし始める。

 これは拙い、とカドックはマスターとして判断する。どうしてこんな拙い状況になったのかは分からないが、兎に角、どうにかしなければいけない状況に陥ったのは間違いない。「ええっと」とカドックは言葉を探す。

「そ、そうだ。それよりもどうしてあんなことをしたんだ。そこの愚鈍そうな男を氷漬けにして人質にするなんて。なんだ。僕の身柄と新所長を交換でもするつもりだったのか?」

 カドックの問いかけにアナスタシアはすぐには答えず首をかしげた。自分でもどうしてあんなことをしたのか分からない。そんな表情。だが、ややあってから、カドックとは違い、ハッキリとこう応えた。

「ロックだったでしょう」

 はぁ? とカドックは素っ頓狂な声を上げた。

「ロック。ロックンロール。体制や権力に対抗する。そうじゃない」

 得意げな顔つきで人差し指を立ててみせるアナスタシア。ふふん、と鼻を鳴らす。どや顔。

 カドックはその意見に一瞬、言葉を失った。肩を落とし、俯き、握りしめた拳を振るわせた。そして、次の瞬間、「違う!」と大きな声を上げた。

「確かに反体制・反権力はロックの大きな側面だ。けれど、それはロックの一つの見方にすぎないんだ。ロックっていうのはもっとあらゆる物事に対する衝動というか叫びであって、それが向かう先は自分のコンプレックスだったり、クールだと思える何かだったり、逆にヘイトをかき立てられる何かであって、気に入らない相手を氷漬けにするのはただの暴力でテロリズムだ! そもそもロックってのは歌なんだから…ああ、いや、歌だけじゃロックは表現しきれないな……つまり」

「私、あまり激しい音楽は好きじゃないの」

 カドックの長々しい説明をバッサリと切って捨てるアナスタシア。それでなおもロックンロールについて教示しようとしていたカドックは挫けてしまった。

「そうだったな。ああ、分かったよ。つまり、生前から君が好きだったイタズラをしたと、そういう訳か」

「違うわ。あれは腹いせよ」

 悪びれもせずアナスタシアは応える。

「どこかのお馬鹿さんがサーヴァントに私を選ばなかった腹いせ。あの忌々しい鉄砲という物とそこの傲慢そうな肥満男を氷漬けにできたから、少しは晴れたと思ったけれど…また、イライラしてきたわ」

 アナスタシアはパイカル湖のような透き通った瞳でカドックを睨み付ける。その魔眼に――魔眼めいた瞳に見据えられカドックはたじろいだ。地雷を避けたはずなのにまた別の地雷を踏んでしまった。そんな心境にカドックは陥る。

 と、アナスタシアの冷たい瞳に少しだけさざ波たった。

「……そういえば私はどこで“ロックンロール”なんて言葉を知ったのかしら」

 不思議そうにアナスタシアは唇をとがらせる。

 召還時の知識共有で現代の常識は頭の中にインプットされている。ロックという音楽ジャンルがあり、ビートルズやボンジョヴィというのが有名。その程度の事は知っている。

 だが、知っているだけで聞かれなければ敢えて口にするような知識ではない。そのはずだ。

「マスター、どうしてだか知っている?」

「知らないよ。誰かに教えてもらったんだろう。それに……」

 先ほどとは打って変わった素っ気ない態度。カドックはアナスタシアから視線を逸らし、そうしてベッドの上に腰を降ろした。

「それに?」

「それに僕はもうマスターじゃない。そうだろう、ダ・ヴィンチ」

 チラリ、と座ることで同じ目線の高さになった少女の姿をしたサーヴァントに目を向けた。

 また部屋の温度が下がり始める。カドックは敵意をにじませ、何処か自虐的に笑ってみせる。

 茶番は終わった。決断の時だ。そうして、決定権は自分にはない。三度も敗れた自分には。カドックは自嘲げに顔を歪めてみせる。目の下の隈が更に色濃くなった。

「それでどうするんだカルデア。このアナスタシアを消して、もう一度、別のサーヴァントを召喚するか。それとも僕はもう見込みなしとみなして、別の手をとるのか」

 それを聞いてダ・ヴィンチは……なんと小首をかしげた。

「いや?」

 相手が何を言っているのか理解できない。いや、共通言語で喋っているのは理解できるが質問の意味や意図が理解できない。幼稚すぎて。そういう反応だった。

「今、君が口にしたことは全部間違っているよカドック。君はやはり見込みがあるし、アナスタシアは返還しないし、そうして、君はまだマスターだ」

 マスターだ。その言葉を強調しながらカドックの手を指さしてみせるダ・ヴィンチ。腕の怪我がどうかしたのか。正直なところズキズキと痛むが。そう思いながらカドックは自分の手の甲をみた。果たしてそこには、令呪が、きっかり三画分の令呪がカドックの魔力に反応し、鈍く輝いていた。

「これは……」

「言っておくが私のなんちゃって令呪をこっそりと移植したわけじゃないぜ」

 カドックの腕に令呪を転写した機械を見せるダ・ヴィンチ。そこには確かにまだ令呪が二画、残されていた。ただし、明るさはカドックのものと比べものにならないほど弱く、また、最初に取り出した時よりも暗くなりつつあった。

「もう何分かすれば消えちゃうなぁこれは。君が皇女殿下の正式なマスターになったからだろうね。たぶん、その血が触媒か何かになったんじゃないかな」

 そうダ・ヴィンチはいい加減に説明する。

 アナスタシアも自分の手を見た。カドックの怪我から血が伝わってきたのだろう。乾きつつあるが赤い汚れが白い手にまで跡を残していた。

「血が触媒に~で思い出したけれど、もう一つ、仮にこの皇女殿下を座に返還して、再度、サーヴァントを召喚しても呼び出されるのはおそらくまた皇女殿下になるとこの天才の頭脳は断定するね。何せ彼女は君の血を触媒にして呼び出したんだから」

 カドックが眉間にしわ寄せ、ダ・ヴィンチを睨み付ける。「なんだと」そう口ほどに目は語る。

「バイタルチェックに採血したのをちょろまか…いやいや、頂いてね。正直なところこのダ・ヴィンチちゃんも驚いたよ。『うわマジか』って。それぐらい、君とアナスタシア皇女殿下の繋がりは確かなものらしい。相性抜群だな。カドック・ゼムルプスは今後、どんな聖杯戦争に参加しようとも呼び出せるサーヴァントはアナスタシア、ただ一騎だ」

 得意げにダ・ヴィンチは断言する。

「ちょっと。私とこの不健康そうなピアスが相性抜群と? 衝動的に行動してしまうような二流マスターが? シベリアで木を数える仕事に就かせるわよ学者」

 ダ・ヴィンチの考えに異を唱えたのは今度はカドックではなくアナスタシアであった。不機嫌そうに顔を歪め、周囲に霜を浮かせるほどの冷気を垂れ流している。

「さっきの夫婦漫才を見ている限り相性抜群は客観的事実として認めざるをえないと思うけれどね。

 それに彼のマスター適性は私が保証しよう。私たちのマスター、藤丸立華に負けず劣らず……いや、立華ちゃんが勝ったから負けてはいるのか、だけれども、うん。掛け値なしにカドックはいいマスターだよ」

 或いは、とダ・ヴィンチは言葉を句切る。

「あの時、偶然に残ったマスターとサーヴァントが君たちでもグランドオーダーは為しえたかもしれない。私は今になってそう思うよ」

 臆面もなくダ・ヴィンチはそう言い切った。

 彼が? そんな疑問符を浮かべながらアナスタシアはベッドに腰掛ける少年に目を向ける。カドックもまたその視線に応えるよう視線をあげた。

 わずかな時間だが、室内に沈黙が満ちる。

「当然だ」

 沈黙を破ったのはカドックだった。カドックは立ち上がり、身体の具合を確かめ、一度だけ手の甲に視線を落とした。令呪の輝きが少しだけ強くなる。

「あれぐらい僕にも出来た。それを今から…」

 証明してやる。そうカドックは断言した。

 

 

END



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