Neptune~蒼海の守護者~ (R提督(旧SYSTEM-R))
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始まりの日
序章:始まりの日


ご無沙汰しております、SYSTEM-Rです。本日より新作「Neptune~蒼海の守護者~」の連載を始めたいと思います。鎮守府のイージスシリーズよりもかなり遅い更新ペースになるかと思いますが、何卒宜しくお願い致します。


 白い雲がかかった真っ青な空と、濃い藍色に染まった大海原。前へと進むたびに潮の香りを含んだ海風が頬を撫で、耳には船の機関が放つ爆音に交じって、時折海鳥たちのさえずりが聞こえてくる。多くの船乗りたちにとっては、これらの情景は実によく慣れ親しんだ穏やかな日常の一部と言えるかもしれない。

 だが残念ながら、この空間は常に平和とは限らないのだ。海の上を征く時の緊迫感は、時としてその程度のことでは覆い隠せない類のものであることも多いのだから。今まさにここにも、そうした緊迫感を胸に自身の仕事に励む者がいる。「ふそう」と名付けられたこの艦を率いる真行寺蒼(しんぎょうじあおい)一等海佐は腕を組んだまま、眼前を征く一隻の船の姿を艦橋から厳しい表情でじっと見つめていた。

 「艦橋、CIC(戦闘指揮所)。艦長、報告します」

 ふと、これまた緊張した声で艦内無線を通じて彼女に呼びかける者がいる。この船のNo.2であり、彼女にとっての右腕でもある副長兼砲雷長の沢渡真白(さわたりましろ)二等海佐だった。

 「該船、現在時刻1128(ヒトヒトフタハチ)を以て漁業法第141条2項の立入検査忌避が成立しました。本艦より音声や信号旗により停船を繰り返し求めるも、該船は呼びかけには応じず。これ以上呼びかけを続行しても停船には応じないものと判断、隊法第20条2項の規定に基づき武器使用を具申します」

 「CIC、艦橋。了解」

 蒼は頷きながらそう答えると、厳しい表情を崩さないまま一言「TAO(戦術行動士官)、総員配置」と沢渡に告げる。総員配置。このたった4文字の簡潔な指示は、「ふそう」乗員248名の緊張感を最高潮に高めるスイッチとも呼べるある種「魔法のことば」だ。無線からは、さらに緊迫感を増した沢渡二佐の声が聞こえてきた。

 「現在時刻1128、該船を攻撃対象と認定する。総員第一種戦闘配置。対水上戦闘用意!!」

 「対水上戦闘用意!!」

 そのセリフが復唱されるや否や、「ふそう」艦内全域に各個要員の配置と戦闘準備を命じるサイレンが響き渡った。階下からは、大急ぎで自身の指定された配置位置に向かう隊員たちの足音が聞こえてくる。その音を聞きながら、蒼は再び自身が攻撃対象と指定した船を睨みつけた。

 今、「ふそう」の右前方45度の位置を並走し続けているこの船は、もう1時間ほどにわたってこちらとの追いかけっこを続けている。排水量は満載350トンほどだから、同じく満載で9920トンにも及ぶ「ふそう」と比べればだいぶ小型だ。だが、たとえ小さな相手だからと言って侮ることは許されない。今の自分たちには、この船を捕らえなければならない明確な理由があるのだから。そうこうしているうちに、艦内の戦闘準備は手際よく整えられていた。

 「主砲目標よし、砲口監視員砲口よし、射撃用意よし!!」

 「各部要員配置よし!!」

 次々に上がってくる報告に頷くと、蒼はCICに控える沢渡に対して本戦闘に係る最初の命令を下した。

 「1番砲、警告射撃用意。方位角45度、仰角80度に備え」

 「警告射撃用意、1番砲45の80に備え」

 その返答と復唱に引き続き、艦橋の窓の向こう側に見える主砲が音を立てて旋回を始めた。オート・メラーラ54口径127mm単装速射砲。分間44発という優れた連射性能と威力を兼ね備えるこの砲は、型式こそやや古いものの「ふそう」にとっては最近内部の整備を終えたばかりの、新品も同然の頼れる兵装だ。今回のターゲットは、砲撃が直接当たれば簡単に沈めてしまえる相手だが、これからやろうとしているのはまだあくまでも警告射撃に過ぎない。今重要視されているのは、しかるべき手順をしっかりと踏むことだ。

 「1番砲、45の80に備えた。調定よし」

 CICから報告が上がる。

 「1番砲、警告射撃始め。発射弾数4発」

 「警告射、発射弾数4発。1番砲、撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 流れるような3段階の号令の後、大空に向いた砲身から「ズドン」という音を立てて、砲弾が約3秒に2発のペースで4度続けて高々と舞い上がった。耳をつんざくような発射音と、腹に来る衝撃が隊員たちを襲う。だが、「ふそう」乗員たちにとってこれはさして驚いたり怯んだりするようなものではない。これはあくまでも、彼らなりの日常の一部であり仕事なのだから。

 「CIC撃ち方控え」

 「撃ち方控え、砲中弾無し」

 蒼の命で、既定の弾数を発射した主砲はその動きを止めた。蒼はただちに、艦橋でターゲットの動きを監視中の見張り員に呼びかける。

 「見張り員、該船の状況知らせ」

 「該船、なおも速力を維持したまま航行を続行。減速や停船の動きは認められず。ただ今の警告射撃は失敗した模様、船体射撃の要あり。Recommend fire(射撃要請)!!」

 「了解」

 ある種「想定通り」の返答に、蒼は頷いた。もちろん、ここでこの作戦が完了するわけではない。目的達成までは道半ば、ここからは「第2段階」のスタートだ。

 「艦長、1番艇即時待機いたします」

 CICから、再び沢渡による作戦具申があった。

 「はい、了解。艦長指示により発艦」

 そう答えると、間もなく艦内無線から沢渡が別の部署に命令を下す声が聞こえてきた。

 「ウェルドック、CIC。6分隊、1番艇即時待機。艦長指示により発艦」

 彼女が呼びかけた相手は、艦尾部分に備わる「ウェルドック」と呼ばれる格納庫に待機している第6分隊こと、「警備・測量科」の面々だった。ここに収容されている短艇を用いて「ふそう」から発艦し、時には立入検査隊として敵船内にも乗り込むのがこの部署の重要な任務の1つだが、なぜ敢えてこの名前がついているのかについては、今は触れない。

 CICからの指示が終わると、蒼はこの艦橋を取り仕切る第2分隊こと航海科のトップ、航海長の佐野倉紫(さのくらゆかり)三等海佐の方に顔を向けた。すぐに佐野倉と目があう。

 「航海長、0度ヨーソロー、赤20」

 「ヨーソロー。0度、赤20」

 その復唱からしばらくして、「ふそう」の航行速度が少しずつ下がり始める。それに合わせて、蒼はCICにいる第1分隊こと砲雷科の面々に命令を下した。

 「1番砲撃ち方やめ、砲身戻せ。2番砲、船体射撃用意。方位角90度、仰角0度に備え。目標、該船船尾機関部」

 「1番砲撃ち方やめ、砲身戻せ。船体射撃用意、2番砲90の0に備え。目標、該船船尾機関部」

 今度は、先ほど警告射撃を行った1番砲と艦橋の間に設けられた、もう1つの単装砲が動作を始める。1番砲と同じイタリアのオート・メラーラ社が製造した、丸みを帯びた形状の砲盾を持つ62口径76mm単装速射砲。1番砲よりサイズは小さく威力も低いが、分間約80発と連射能力は大きく上回る。背負い式に設置されたこの2つの砲こそ、「ふそう」が戦闘において用いる主兵装だ。

 「CIC、ウェルドック。6分隊、即時待機完成。いつでも発艦できる」

 「艦橋、CIC。2番砲、90の0に備えた。調定よし」

 2つの異なる部署から、相次いで報告が上がった。同時に、2番砲がターゲットの船尾部分を捉える。それを見計らって、蒼は再び攻撃命令を下した。

 「目標、該船船尾機関部。2番砲、攻撃始め!!」

 「2番砲、撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 再び耳をつんざくような轟音と衝撃が、今度は先ほどよりも速いペースで乗員たちを襲う。灰色の煙に包まれながら勢いよく撃ち出された砲弾は、正確無比な精度を以て相手の船尾部分に命中した。だが、その砲撃は相手の船の動きを衝撃でブレさせはするものの、実際には機関部を破壊する能力は持たない。代わりに、真っ白な船体がオレンジ色のペイント塗料で塗りつぶされていくだけだ。それでも。

 「該船、速力低下。停船する模様!!」

 見張り員が声を張り上げるとともに、砲撃を受けた船は徐々に速度を下げ始めた。それに合わせて、「ふそう」も徐々に自らの航速を下げ始める。佐野倉に「両舷前進原速」を下令した後、蒼は続いてウェルドックで待機中の短艇に発艦命令を下した。

 「2番砲、撃ち方やめ。立入検査隊用意。1番艇、発艦始め!!」

 

 「安全装置よし、弾込めよし、単発よし!!」

 「突入班、総員用意よし」

 「了解」

 「ふそう」から発艦した7m型高速警備救難艇1号を率いる、6分隊所属の柳田桃子二等海尉は、乗員10名のうち突入班として乗り込んだ8名からの報告に頷いた。既にほとんど停船状態にあるターゲットに向かって、1番艇は水上ドリフトのような格好でどんどん接近していく。オレンジ色の塗料に染まった船尾は、もう少しで手が届きそうなほど近い。

 「接舷と同時に該船船橋へと突入。いつも通り手早くやるわよ。Steady(突入用意)!!」

 その言葉に他の乗員が身構えるのと同時に、1番艇は相手の左舷側後部甲板にぶつかるような形で接舷した。すかさず、柳田が大声を張り上げる。

 「Hunt(突入)!!」

 その声に合わせて、8名の突入要員たちはひらりと宙を舞うかのように軽々と船体を乗り越え、次々に後部から手際よく船橋へと突入していく。最後に移乗した柳田が乗り込んだ時には、既に銃を構えた隊員たちの前で3人の乗組員が両手を掲げていた。

 「我々は日本国沿岸警備隊の立入検査隊である。船長の山村孝雄だな。漁業法第141条2項、立入検査忌避容疑で現行犯逮捕する」

 相手の動きに気を配りながら、注意深く船橋内を一度見渡した後、柳田は乗組員たちを睨みつけながら大きな声で「確保ォ!!」と叫んだ。手際よく身柄を確保していく隊員たちの前に、3人の乗組員たちは抵抗することもなくあっさりと拘束されたのだった。

 

 「艦長、各部対水上戦闘用具収めよし。対水上戦闘及び立入検査訓練終了しました」

 「想定タイムより3分オーバー…。それでも前回より2分短縮ね。やるじゃない」

 艦橋を降り、右甲板通路で沢渡からの報告を受けた蒼は、満足そうな笑みを浮かべながら頷いた。周囲で様子を見ていた他の隊員たちに「ご苦労様」と声をかけると、彼女たちが先ほどとは対照的な達成感にあふれた表情で、口々に「お疲れ様です」と返答してくる。そこに、1人の男が接近してきた。見るとそれは、つい先ほどの訓練でターゲットの船長役を務めていた、同じ沿岸警備隊の山村孝雄三等海尉だった。

 「お疲れ様です、真行寺一佐」

 2人のそばまで歩み寄ってくると、山村は機敏な動作で敬礼してみせた。

 「お疲れ様、山村三尉。船長役感謝するわ。ありがとう」

 「いやぁ、2番砲を撃ってきた時は訓練弾だと分かっていても肝を冷やしましたよ。砲撃の迫力は、実弾と何ら変わりませんから。正直心臓に悪いです」

 「今回は主砲の能力チェックも目的の1つだもの。それにこういう訓練は、なるべく実戦に近い形でやるのが一番。空撃ちよりは、お互いに緊迫感があっていいでしょ?」

 「ハハハ…。確かに仰る通りです」

 全く悪びれない蒼に、山村は思わず苦笑いを浮かべた。

 「まぁ、そうやってはっきりとした目的意識のもとで任務に向かえる方であればこその、今の地位なのでしょうね。流石、沿岸警備艦の艦長は私なんかとは一味違う」

 自分より10歳ほどは年下の蒼に向かって、へりくだってみせた山村に対して艦長は首を横に振った。

 「いいえ、それは必ずしも正しくはないわ。本来、このメンタリティは私たち誰もが常に忘れてはならないものなんだから。『法執行権を持つ海軍』たる我々沿岸警備隊にとって、平時と有事は常に隣り合わせに存在するものよ。自分の船に戻っても、くれぐれもそれを忘れないようにね」

 「ハッ!!」

 再び敬礼した山村に向かって、蒼は先ほどと同じように温和な笑みを浮かべながら頷いたのだった。

 

 西暦2022年、東シナ海で発生したグレーゾーン事態をきっかけに発生した「アジア海洋戦争」は、その後の東アジア地域における勢力図を大きく書き換える事件となった。

 6月某日深夜、日本の尖閣諸島に数名の男が小型ボートで乗り付けて上陸。後に中国が送り込んだ工作員だと判明した彼らは、上陸するや尖閣諸島が自国領であるとの主張を始めた。この事案に対処するため、海上警備行動を発令した日本国政府は海上保安庁の巡視船2隻に加え、海上自衛隊の護衛艦・輸送艦計3隻及び陸上自衛隊の水陸機動団第1水陸機動連隊を、バックアップのために尖閣諸島周辺に投入する。

 そこに「工作員の身柄保護」を名目に現れた、人民解放軍海軍艦艇との間で戦闘が発生。上陸した工作員は全員死亡し中国海軍の撃退にも成功するものの、日本側も海保・海自の双方に複数の死傷者が生まれる事態となってしまった。

 この事件をきっかけに、東アジア地域の軍事バランスは一挙に崩壊。上陸事件で矛を交えた海自と人民解放軍の対立を中心軸に、地域を二分しての大動乱が勃発するに至った。後に日本を中心とする「極東同盟軍」が、中国を中心とする「中華連合軍」に勝利を収めたこの戦争はしかし、戦局の終盤から終戦後にかけて両陣営に対して大きな後遺症をもたらすこととなった。

 敗戦国となった中国は、戦況の悪化に伴って中央政府が国内の求心力を保てなくなり、戦争末期に東北部(旧満州地域)やチベット、ウイグル、内モンゴル、香港、マカオといった諸地域が次々に独立を宣言。国土が複数の国家に分割され、従来の「中華人民共和国」という枠組みを保つことに完全に失敗する。独立を選択しなかった地域は国名を「東亜連邦」と改め、実質的な中国の後継国として北は北京、南は上海までの領域を支配し続けることとなった。

 一方の日本も、主に陸海空自衛隊及び海上保安庁のたゆまぬ努力によって、本土への上陸や焦土化こそ辛くも防ぐことには成功したものの、その過程において少なからず痛手を負うこととなる。特に、敵陣営の侵入を最前線で防ぐ役割を担った海自と海保における、人的・物的損害は著しかった。軍事組織でないことをアイデンティティとするがゆえに、最前線での一義的対応を求められるにもかかわらず軽武装を余儀なくされた海保と、十分な練度と装備を持ちながら「専守防衛」の原則に足枷をはめられ、実力を十全に発揮するまでに時間がかかった海自。両組織並びに日本国政府の関係者とも、戦後に一致したのは「従来の体制のままでは、この国を守り切れない」という認識だった。

 そこで戦後、日本国内では従来の防衛体制に対する抜本的な見直しが行われることとなる。真っ先に着手されたのが、第2次世界大戦後における日本の防衛の基本方針を決定してきた日本国憲法第9条2項の改正だ。防衛分野以外の条文も含めて行われ、国民投票によって承認されたこの改憲により、自衛隊は引き続き防衛省の管轄でありながらも、新たに誕生した「日本国防軍」へと発展的解消を遂げる。陸自は「日本国防陸軍」、海自は「日本国防海軍」、空自は「日本国防空軍」という新たな名を与えられ、階級名にも80年前の大日本帝国軍と同じ「大中少」が復活することとなった。

 一方これと同時並行的に行われたのが、国土交通省が管轄する海保の組織改編だ。従来の海保がアイデンティティとしてきた「海上警察・消防」としての役割に加え、アメリカ沿岸警備隊に倣った「海上における法の執行権を持つもう1つの海軍」としての権能が、後継たる新組織には与えられた。

 海保の英語名である「Japan Coast Guard」を直訳した「日本国沿岸警備隊」という名称を与えられたこの組織は、海上での交通整理や密輸船の取り締まり、灯台の保守管理などといった平時の業務を旧海保から、戦闘時のシークエンスや「一・二・三等」制の階級名を旧海自からそれぞれ受け継ぎ、基本的には旧海保の直系でこそありつつも双方の文化を織り交ぜた準軍事組織として、従来とは全く異なる理念のもと活動し始めることとなった。ちなみに陸海空軍に加え、沿岸警備隊も国防軍の一部として規定されるが、「軍人であると同時に、犯罪捜査権や令状による逮捕権を持つ特別司法警察職員でもある」という性格は、防衛省傘下にはない彼らにのみ認められた特権だ。

 その沿岸警備隊における重要事項として求められたのが、「特に外洋において活動することを前提とし、有事においては海軍艦艇に匹敵する戦闘能力を発揮できる艦艇の建造」だった。どんなに大きくとも満載排水量7000トン程度、それも機関砲や機銃といった限られた武装しか持たない旧来の巡視船や巡視艇では、時には10000トンクラスのサイズを誇る東亜連邦の公船や海軍艦艇に対する抑止力としては不十分である、とみなされたためだ。

 沿岸警備隊の職掌ではないミサイル戦闘を除けば、「有事には海軍の駆逐艦をほぼ完全に代替できる」能力を目標に建造されたこれらの新艦艇は、「沿岸警備艦」という新たな艦種名を与えられ、まずふそう型の「ふそう」「やましろ」、ながと型の「ながと」「むつ」と計4隻が建造された。このうち「ふそう」は、特に優れた能力を持つ優秀な女性隊員のみでクルーが構成される、沿岸警備隊の中でもかなり異色の存在だ。

 その船を率いる蒼もまた、7年前に沿岸警備隊一期生として三等海尉からキャリアをスタートした後、海軍・沿岸警備隊を通じても前代未聞と言える30歳という若さで、一等海佐の地位にまで駆け上がった筋金入りのエリート隊員である。年上の部下も決して少なくない中、卓越したリーダーシップと人心掌握力、そして決断力を兼ね備えた蒼は、若きリーダーとしてクルーたちからも厚い信頼を勝ち取っていた。アジア海洋戦争の開戦からちょうど10年、ふそう型ネームシップの艦長という重要な役割を両肩に背負う蒼のもと、「ふそう」クルー計248名は日々様々な任務に身を投じていたのだった。




冒頭からの戦闘描写部分では、最終盤の突入場面まで「日本国沿岸警備隊」というワードを敢えて出しませんでした。「一等海佐?あぁ、海自の話なのね。…、あれっ?」というちょっとしたサプライズを演出したかったので。海自とも海保とも違う新組織の話である、というポイントがうまく表現できていれば嬉しく思います。

後半は世界観の説明のために費やしたので、次回以降本格的にストーリーに入っていければと思っています。今回登場した面々も含めて、キャラクターもさらに深堀していければと思ってますので、どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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嵐の幕開け
第一章:嵐の幕開け(前篇)


どうも、SYSTEM-Rです。今回からいよいよ本編へと本格的に入っていきます。今回はまだ導入部分になりますが、次回に向けての伏線などは随所にちりばめていますよ。それではどうぞ。


 「緊急の依頼とは何でしょうか、司令」

 蒼は引き締まった表情を浮かべながら、眼前で椅子に腰掛ける自身の上司である海将補・播磨義晴と向き合っていた。

 ここは、長崎県佐世保市は佐世保港の一角にある、佐世保沿岸警備局。前身の海上保安庁時代は第七管区海上保安本部の名で、福岡県北九州市門司区に置かれていたのを戦後に移転させたものだ。この佐世保に限らず、沿岸警備隊は本土から離れた位置にある沖縄沿岸警備局などのごく一部の例外を除けば、基本的に国防海軍と同一の港ないしは同じ都道府県内に司令部を設けている。全国に7つある沿岸警備局では播磨と同様に海将補が局長を務め、その7つを束ねて頂点に君臨する東京・霞が関の中央司令部を、政府から任命された沿岸警備隊長官(階級は海将)が率いているという構造だ。

 多額の移転費用をかけてまで、わざわざ海軍と拠点を揃えたのにはもちろんれっきとした理由がある。それは、海軍と沿岸警備隊の間で定期的に隊員の合同訓練を行い、有事における両者の共同交戦能力をより高めるためだ。彼らは戦時には同じ海上戦闘集団として情報共有しつつ、共通のシークエンスに沿って戦闘や哨戒などを実施する。戦時における海軍の特別部門たる沿岸警備隊では、全ての所属艦船が海軍の運用する「海軍戦術情報システム(Naval Tactical Information System, 略称NTIS)」への加盟を法律上義務付けられているなど、両者の一体的運用は従来以上に重要なテーマとされているのだ。

 もちろん共通の港を両者が使っていれば、お互いの動きはすぐに相手にも視覚的に伝わる。沿岸警備隊の船が緊急出港すれば、海軍側も「何かあったな」と瞬時に理解できるし、その後に備えた準備がよりしやすくなる、という算段である。そうした計算のもと作られた沿岸警備局の局長室に、蒼は局長たる播磨に呼ばれた。この日、ふそうは外洋での交通整理業務などに備えて、艦内の備蓄食料を搬入するために母港に戻ってきていた。そのさなかに急遽呼び出しがかかったのだ。

 「つい先ほど入った連絡だがな。東シナ海を航行中の日本船籍のタンカーから、救援要請が入った。要請したのは帝国汽船所属の『オリオン』、載貨重量は16万5000トンで乗員数は22名。通報時点で北緯30度34分59秒、東経124度2分27秒の地点にいる」

 「救援要請、ですか。どういった理由で?」

 「機関異常だそうだ。ペルシャ湾から原油を運んでくる途上での出来事だったらしい。何とか動いてはいるようだが、通常の巡航速度よりもかなり遅いスピードしか出せないらしくてな。このままだと海上で立ち往生しかねないとのことだ。整備士がやらかしたか、航行中にそれと気づかずに浅瀬に突っ込んだか、原因はまだ不明だそうだが」

 「なるほど…。しかし、その海域であれば沖縄に任せるべきなのでは?距離的にも彼らの方が近いでしょうに、なぜわざわざ佐世保に?」

 「その沖縄が、こっちにこの話をよこして泣きついてきたのだ。乗員の救助に耐えられる能力がない、とな」

 播磨はそう答えると、一度大きく息を吐きだした。その視線が、眼前にいる部下の姿を再び捉える。

 異例の若さで一等海佐という階級にまで上り詰めた蒼は、そのいで立ちからして有能な指揮官としての雰囲気を醸し出している。身長167cmと、一般的な日本人女性の中でも比較的長身の部類に入る彼女の肉体は、軍人として鍛え上げられつつも女性的な曲線美もしっかりと兼ね備え、しっかりと胸を張ったその姿勢がより存在感を引き立てている。

 一点の曇りもなくこちらをまっすぐ見つめるその目、邪魔にならないようシニヨンにまとめられたサラサラの黒髪。時には艦長としての冷静さを、また時には1人の女性としての穏やかさをたたえるその顔立ちは、ひいき目なしに見ても非常に整ったものだ。多少年は食っていても、下手なタレントや女優よりもよほど美人かもしれない。

 その蒼、あるいは播磨が今まとっている白い制服は、「サマードレス」と呼ばれ夏の間使われるものだ。基本的なデザインは、旧海上自衛隊及びそれを継承した国防海軍が用いる「幹部常装第三種夏服」と全く同じだが、帽章と両肩の階級章のデザインは異なる。階級章について言えば、紺色の地に黄色の桜星が乗る海軍に対し、沿岸警備隊は青色の地に黄色の錨が施されている。帽章の輪郭も、海軍が楕円形であるのに対して沿岸警備隊は盾形だ。かつて海保時代に使われていた制服も、基本的には海軍ベースで作られたものではあるものの、一新されたデザインはより軍事組織としての色合いが濃くなっている。

 「確かにお前の言う通り、本来なら彼らにこの件は任せるべきところだろうが、あいにくあそこには中型以下の巡視船や巡視艇しか配備されていないし、その数自体もここと比べれば少ない。万が一の際、22人を乗せて連れて帰ってくるには十分ではないということだ。そこで、次に近い佐世保にお鉢が回ってきた。お前の船なら航洋性も十分だし、サイズ的にも乗員の収容は問題なく可能だろう」

 「そういうこと、でしたか」

 「それともう1つ」

 播磨はそこまで言うと、ふいにその表情をより一層シリアスなものにした。

 「オリオンが救援要請を送ってきたエリアだが…お前も気づいたかもしれんが、端的に言えば上海沖だ」

 「…、東亜連邦にほど近い海域、ということですね」

 心臓の音が、ひときわ高まるのを蒼は感じた。

 「そうだ。場合によってはあっちの海軍や海警局の船も近くをうろついているかもしれん。幸い今は戦時ではないが、たった10年前には敵国だった相手だ。万が一何かあった時に、不十分な武装しか持たない巡視船艇では流石に不安だろう?」

 「…」

 「事態は急を要する。悪いが、早速頼まれてくれるか?」

 その問いに、蒼は一呼吸置いた後に自信満々の笑みを浮かべて頷いた。

 「もちろんです、司令。人命救助は我々沿岸警備隊にとって、最も重要な任務の一つですから。まして、救援を求めてきたのが同じ日本国民であればなおさらです」

 「その言葉を待っていた」

 播磨は頷くと立ち上がり、威厳に満ちた声で蒼に告げた。

 「真行寺蒼一等海佐、職権を以て海難対処任務に就くことを命ずる。本任務にはふそう乗員と共にあたれ。本作戦の目的は、22名の『オリオン』乗員の生命と財産の安全を確保すると同時に、同船の航行能力回復を可能な限り支援し、日本への帰還を支援することだ。万が一沈没の恐れがある場合は、乗員の『ふそう』への避難誘導などを適切に実施。海洋汚染が発生した際には、その被害を最小限に食い止めるよう対応せよ。以上!!」

 「Aye, sir!!」

 局長室に、蒼の張りつめた返事が響き渡ったのだった。

 

 佐世保の空は今日も快晴。港の向こうには、キラキラと輝く大海原が顔をのぞかせている。この街で生まれ育ち、幼い頃から海を身近に感じて生きてきた蒼にとって、それはいたって見慣れた光景だ。沿岸警備隊員として今の自分が生きているのも、きっと何かの運命なのだろう。

 「副長、司令から詳細は聞いているわね。現在の艦内の状況はどう?」

 「はい、つい先ほど連絡を受けました。事務作業のため上陸中の隊員には、直ちに戻るよう命じてあります。残っている者は、出港前ミーティングに備えさせているところです」

 蒼が播磨に呼ばれている間、留守を任されていた沢渡がスマートフォン越しに答える。

 「私以外は、上陸しているのは全員主計科の子たちだったわよね?」

 「えぇ。食料の搬入作業はもう終わって、今は各種書類の提出や整理に行ってます。敷地外にまで出る用事がある者はいませんから、皆すぐ戻ってくるかと思いますが」

 「フフッ、航発後帰をやらかす不届き者が出ないといいんだけど」

 「もう、艦長ったら。よりによって出港前に、そんな縁起でもないことを仰らないで下さいよ。万に一つでも本当にやらかす隊員が出れば懲戒ものですよ」

 沢渡は蒼の軽口にため息をついた。船を降りて陸上へと足を踏み入れることを指す「上陸」や、遅刻して出港に間に合わないことを指す「航発後帰」という用語。これらは旧海保が沿岸警備隊に再編される過程で、もう1つの「親」たる旧海自から輸入されてきた「業界用語」だ。

 「やぁねぇ、本気で心配なんかしてるわけないでしょう?自分の部下が優秀な人財揃いであることは、艦長である私自身が一番よく分かってるわよ」

 その言葉を笑い飛ばした蒼は庁舎の階段を下りながら通話を終えると、自身のスマートフォンを制服の胸ポケットにしまい込む。建物を出たその先に、自身の船であるふそう型沿岸警備艦1番艦「ふそう」が左舷側をこちらに向けた形で、その堂々たる姿を現した。

 旧海保から引き継いだ他の巡視船・巡視艇と同じように、ふそうもまたその艦体は白色で塗装されている。両側面には、「Security」の頭文字である大文字のSを右向きに倒した形でブルーのラインが入り、同じ青色で左側に「MGV-01(MGVは沿岸警備艦を示すMaritime Guard Vesselを意味する)」「ふそう」、右側に従来と同じ「JAPAN COAST GUARD」の文字がそれぞれ描かれている。だが、備えている装備などの細かな部分に目を転じれば、基準排水量7715トン・満載9920トンの大きな身体を誇る彼女は、明らかに他の巡視船艇とは一線を画す存在であることが分かる。

 艦首部分には、ともに立入検査訓練でも使われた54口径127mm単装速射砲と、62口径76mm単装速射砲が顔を揃える。127mm砲は沿岸警備隊の中で最大サイズ、76mm砲にしても本来は海軍艦艇に搭載される兵装で、日本国沿岸警備隊にとっての範たるアメリカ沿岸警備隊でさえも「取り締まり任務に使用するには殺傷力が高すぎる」として採用を見送ったほどの威力の持ち主だ。

 艦橋構造物の上にはマストの他、捜索と探知に使用する対空・対水上レーダーと射撃指揮装置(FCS)、そして対空迎撃用のファランクスCIWSブロック1B。両舷の中ほどには、68式三連装短魚雷や自走式デコイ(MOD)の発射管が見える。もちろん、これらも本来は海軍に卸されている装備ばかりだ。領海や接続水域だけでなく、時には排他的経済水域と公海の境界線付近をも自身の活動範囲とする沿岸警備艦は、万が一の事態に備えて海軍艦艇とほぼ同等の戦闘能力を付与されているのは既に述べた通り。それは対潜戦闘についても同様で、ふそう型はアスロック対潜魚雷を搭載していないことを除けば「完全に海軍駆逐艦を代替できる」だけの能力を誇る。あくまでも政治的な理由により沿岸警備隊籍としているだけで、彼女たちが「戦闘艦」として扱われていることの裏付けだ。

 艦尾には、警備救難艇と全天候型救難艇各2艇ずつを収容するウェルドック。そのすぐ上の一段高い場所に、ヘリ格納庫と後部ヘリ甲板が設置されている。その内部には、これまた海軍との共通装備であるSH-60K哨戒ヘリと、負傷者の救難と搬送用に用いられるMD902ドクターヘリの2機を収容。これらは計20名からなる航空科の隊員たちによって運用されている。戦闘と遠洋での負傷者救出、どちらの非常事態にも円滑に対応できる体制が整っているわけだ。

 そしてこの船では、全248名の隊員たちが第1~6分隊という6つの部署に分かれて、日々それぞれの仕事にあたっている。基本的には国防海軍と同一構造で、順に「砲雷科」「航海科」「機関科」「主計科」「航空科」「警備・測量科」で構成。唯一、国防海軍には(少なくとも常設部署としては)存在しないのが第6分隊の「警備・測量科」であり、測量や海図制作といった沿岸警備隊ならではの平時任務の多くは、ここが司る仕組みだ。

 その彼女たちをまとめ上げる艦長としての仕事は、もちろん法律的にも道徳的にも多くの責任を伴う重いものだ。ましてやこの船は、沿岸警備隊の中でも最大クラスのサイズと重武装を兼ね備える、まさしく看板の1つと言える存在である。だが、蒼自身はある種その重圧すらもどこか楽しんでいる部分があった。もちろん、それくらいの気構えでなければ30歳の若さでこの職は務まらない、ということは間違いなく言えるだろう。

 「艦長、お帰りなさい」

 ラッタルを上がりきったところで、1人の幹部(旧海自と同様、三等海尉以上の階級にある士官を指す)隊員が待ち構えていた。第6分隊のトップである警備長こと、黒川響三等海佐。ある意味で、砲雷科以上の「戦闘集団」たる立入検査隊を率いる指揮官らしく、精悍で中性的なルックスと日焼けした肌が印象的な、柳田の直接の上司だ。

 「ただいま。艦内では特に変わったことは?」

 お互いに敬礼を交わした後、問いかけた蒼に対して黒川は首を振った。

 「いえ、おかげさまで特に何も。副長から聞きましたが、海難対処だそうですね」

 「えぇ。あなたたちにも大いに活躍してもらう事になると思うわ。期待してるわよ」

 蒼はそう答えると、それまではどこか穏やかだった表情にシリアスさを取り戻した。

 「後で詳しく説明するけれど、今回の現場は上海沖だそうよ」

 「上海沖…。東亜連邦のご近所ってことですか」

 「えぇ。特に何も起きないことを祈るけれど、万が一の事態が起きないように用心しておいた方がいいかもしれないわね。海曹と海士の子たちにも、注意するよう十分言い含めておきなさい」

 「ハッ」

 その言葉に、黒川もまた真剣な表情を浮かべて頷いたのだった。

 

 「舫、6番放せ」

 「6番放ーせー!!」

 冗談半分で発せられた蒼の心配事は、案の定杞憂に終わった。彼女の帰艦からほどなくして、第4分隊のリーダーである主計長・白金弥生(しろがねやよい)三佐以下5名の主計科隊員が合流。出港前ミーティングを終えたふそう艦内では航海当番がそれぞれの配置につき、いよいよ出港の時を迎えようとしていた。

 「舫、6番放しました!!」

 「了解」

 航海科の海曹が告げたのに対して、立ったまま前部甲板での作業の様子を見つめていた蒼は、いつも通り一度大きく頷いた。緊張の面持ちで「その時」を待つ部下の1人に、目で合図を送る。続いてはっきりとよく通る声で、艦橋中にその指示が伝わった。いよいよ出港の直前、乗員全員の士気を高めるための大事な儀式の始まりだ。

 「これより佐世保港を出港する。ラッパ用意!!」

 「ソーソッソシーシッシ、レーレッレソーソレーレ、ソーソッソシーシッシ、レーレッレソッシソー♪」

 「出港用意!!」

 第2次世界大戦時の大日本帝国海軍とも、その後継組織を自任してきた海上自衛隊や国防海軍とも異なる、沿岸警備隊独自のメロディによる出港ラッパと若手隊員の元気な叫び声が、佐世保港に響き渡った。

 このラッパによる号令、いわゆる「日課号音」も旧海自から輸入した文化の1つだが、沿岸警備隊には1から独自に譜面を作成したもの、旧海自から引き継いだもの、さらには起床の号令である「総員起こし」をはじめ帝国海軍から輸入したものなど、様々なルーツを持つラッパ譜が混在している。出港ラッパについては旧海自と同じ譜面(ソシレソー、ソシレソー、ソシレソーシレッレッレー♪)をそのまま引き継いだ国防海軍とメロディを変えているのは、もちろん旋律によって双方を容易に判別できるようにするためだ。

 「舫、1番放ーせー!!」

 「1番放ーせー!!」

 砲雷長も兼務する沢渡、続いて船務長・葛城朱音(かつらぎあかね)三佐がそれぞれ、万が一問題が起きた時のために最後に1本残していた舫を放すよう命じる。長い黒髪をポニーテールに結った沢渡は、涼しげな切れ長の目元が印象的。一方、やや亜麻色がかったショートヘアの葛城は、透明感のある白い肌がトレードマークだ。普段はCICにいることも多いこの2人は、沢渡が32歳、葛城が35歳と蒼よりも年上ではあるが、どちらも入隊は彼女よりも遅い。階級的にも下ということもあって、(少なくとも他の隊員などの目がある場で)彼女と話す時は常に敬語である。

 「舫、1番放しました!!」

 「了解。曳船ありがとう」

 海軍艦艇同様、出港の際には常に引き出しに協力してくれるタグボートに、蒼は簡単に礼を述べた。葛城が「曳船使用終わり。YT-17及び18、曳船舫放せ」と告げる。2隻の支援船がふそうから離れた。いよいよここからは自力で動き出す番だ。

 「行進の機械を使う。両舷前進微速」

 蒼の一声で、ふそうは目指す海域に向けてゆっくりと進み始めたのだった。

 

 「オリオン、オリオン。こちら沿岸警備隊ふそう。聞こえますか」

 港を出たふそうは、現場海域に向けて航海を始めた。船舶無線を通じた蒼の呼びかけに、ほどなくして向こうから壮年の男性の声が聞こえてきた。

 「沿岸警備隊ふそう、こちらオリオン。私、船長の若林と申します。今回はご迷惑をお掛けして申し訳ない」

 「いえ、構いませんよ。これが我々の仕事ですから。ふそう艦長、一等海佐の真行寺と申します。どうぞよろしく」

 蒼は穏やかな口調でそう返答すると、「早速ですが、貴船の事故当時及び現在の状況をお知らせ願えますか」と尋ねた。

 「異変が起きたのは20分ほど前です。我々、出発地のサウジアラビアを出港してからずっと巡航でここまでやってきておったんですが、突然『ドーン』という衝撃が1度ありましてね。船がその弾みで大きく振られました。何せ16万5000トンのでかい船なもんで、体勢を立て直すのにもずいぶん時間がかかったんですが、そのあたりから急に後部のプロペラがうまく回転しなくなってしまいまして。それでどうしようもなくなって、救援要請させていただいた次第なんです」

 「なるほど。船内にけが人などは?」

 「船が振られた際に転倒した人間が何人かおりますが、重傷者はおりません」

 「それは何よりですね」

 蒼は一度ほっと安どのため息をついた。

 「それで、原因に心当たりなどはありませんか?」

 「それがお恥ずかしい話、どうもよく分からんのです」

 若林は困惑した様子で言葉を続けた。

 「私も最初は整備不良が原因かと思いまして、うちの機関科の人間を全員集めて確認したんですが、彼ら曰く事故の直前などは何の問題もなく動いておったそうなんです。実際、点検や動作確認作業なども弊社のマニュアル通りにきちんと行われていて、特におかしなところは見つかりませんでした」

 「そうですか…」

 「航行中にそれとは気づかずに浅瀬にあたってしまったか、それともプロペラに海中生物の群れでも巻き込んだか…。目星がついているのはそれくらいなんですけどもね、どうも何か判然としない」

 「なるほど。他に何かお気づきになられたこと、気になったことなどはありませんでしたか?」

 蒼の問いに、若林は「そういえば…」と言葉を続けた。

 「事故の1時間ほど前でしたかね、我が船の頭上をヘリコプターが1機ついてきておりました。何なんだろうと思って乗員も話題にしておったところだったんです」

 「ヘリコプター、ですか」

 「えぇ。どこのヘリだろうと思って私も船橋を出て見上げてはみたんですが、すぐ真上におったもんですから私のところからはよく見えませんで」

 「そのヘリですが、ずっとあなたの船についてきていたと?」

 「頭上を飛んでいたのは数分くらいです、飛び去るまでに10分もしません。ただ、妙にその飛び方に違和感があるというか、こちらの動きを監視でもしてるかのような感じがしたので、何か不気味だとはウチの一等航海士である真田とも話しておりました」

 「なるほど…、承知しました」

 蒼はそう答えると、一息ついてから若林を安心させるべく言葉を続けた。

 「なんにせよ、我々はこのままあなた方の救援のためにまっすぐそちらへ向かいます。そちらへの到着までに、また何か変わったことがあればすぐにお知らせください」

 「了解しました。本当にありがとうございます、真行寺艦長」

 感謝の念を前面に押し出した若林の声に、蒼の顔には女性らしく穏やかな笑みが浮かぶ。だが通話を切った瞬間、その顔は一転して厳しく怪訝そうな表情に変わった。しばし何事かを考え込んだ後、蒼は厳しい表情を崩さないまま航海長の佐野倉の方に向き直る。

 「航海長、しばらく艦橋はあなたに預けるわ」

 「かしこまりました。艦長、どちらへ?」

 「CICよ。大至急、確認したいことがあるから。よろしく頼むわよ」

 そう答えると、蒼は急ぎ艦橋を降りてこの艦の中枢へと速足で降りていく。その急転直下の行動に、艦橋にいた第2分隊の面々は何事かと顔を見合せたのだった。




出港ラッパのメロディを文章で表現するのは、なかなか難しいですね。うまく脳内再生いただけたでしょうか?こういう海事関係の事項が出てくる作品は知識を蓄えなければいけないので、調べ物をするのはなかなか大変ですが楽しさもありますね。

次回は、最終盤で蒼が感じた違和感の正体が明らかになります。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第一章:嵐の幕開け(中篇)

どうも、SYSTEM-Rです。今回、蒼が前話の最終盤で抱いた違和感の正体が明らかになります。そして終盤では、思わぬ緊急事態が…。それではどうぞ。


 「ねぇ、機関長。うちら、何ん因果でCICなんかに呼ばれやるがですかねぇ?」

 灰原美弥一等海尉は艦内の廊下を歩きながら、横を歩く茶谷早苗三等海佐に向けて口を開いた。6分隊のNo.2、黒川の直属たる測量長を務める灰原は、同じ九州は博多生まれの現在28歳。仕事中はともかく普段は気さく且つざっくばらんな性格で、部下たちからも慕われる存在だ。東京から移住してきた経験を持つ階級的にも年齢的にも上の40歳で、真面目な職人気質の機関長・茶谷とは対照的な存在と言えるかもしれない。

 「さぁね。呼ぶべき事情があるから呼ばれてるんでしょうけど」

 「そん事情が問題なんじゃなかですか。ね、なんか見当つきます?」

 「まさか。私に聞かれても困るわよ。そんなもの艦長にしか分かるわけないでしょ」

 茶谷は肩をすくめる。茶谷と灰原はつい数分前、艦内放送で蒼から直々にCICまで呼び出しを受けていた。「確認したいことがある、特別に入室を許可するから大至急来い」と言われただけで、詳細については2人とも何も聞かされていない。ただ、呼び出しの時の音声がどうもただならぬものに聞こえたのは確かなので、何かしら重大な事案なのだろうという見当だけはついていたのだった。

 「まぁ、3分隊と6分隊所属の私たちを、わざわざ特別に許可してまで呼び寄せるんだから、何かしらの考えはあるんでしょ。よほどの異例の措置だとは思うけど」

 「確かに、CICへん立ち入り権限ば持っとるんは乗員ん中でん、1分隊と2分隊ん海曹以上ん人間だけですけんねぇ。うちには縁んなか場所やったはずなんに。…、まぁ、めったになか経験ばしきるけん、ぶっちゃけちょっとだけ楽しみですたい」

 「やれやれ…、たまにあなたのそのお気楽さが心底羨ましくなるわよ」

 ため息をついた茶谷の目の前に、CICへの扉が姿を現した。戦闘時を含めた各種任務の指令が下され、任務中の周辺状況についての情報も一元的に管理される、文字通り戦闘艦にとっての中枢であり心臓部。この船にとっての最重要区画である部屋への立ち入りを前に、流石の灰原もその重苦しさで口をつぐむ。一つ大きく息を吐いた後、まず茶谷が内部に向けて声をかけた。

 「茶谷三佐、入ります」

 「灰原一尉、入ります」

 2人の士官が中に入ると、そこには今まで2人が目にしたことのない光景が広がっていた。LEDの照明で照らされた室内には大小様々なモニターや管制装置がところ狭しと並び、それらの前では第1分隊・砲雷科の隊員たちが自らの仕事にあたっている。そして彼女たちの中に、ひときわ強い存在感を放つ者がいた。それがこの艦のトップたる蒼であることに、2人は難なく気づいたのだった。

 「お疲れさま、機関長に測量長。突然呼び出したりして悪かったわね」

 「いえ、とんでもない。それで、早速ですが用件とは?」

 真面目な表情を崩さない茶谷に、蒼は「ちょっと2人とも、これを見てほしいんだけど」と背後にある大きなモニターを指さす。そこには日本を含め、CG処理された極東地域の地図が映っていた。その中に、船舶を示す2つの細長い五角形が映っている。鹿児島沖あたりにあるのが「ふそう」、目的地たる上海沖にあるのが「オリオン」であるということに、2人はほどなくして気づいた。

 「凄か、CICんメインモニターってこうなっとるんやね…」

 思わず灰原が小さく声を漏らした。

 「これが我が船とオリオンの現在位置、ですか」

 「えぇ。それで先程、オリオンの若林船長に事故当時の状況などを無線でお伺いしたのだけれど…」

 蒼はそこまで言うと、一度意味ありげに言葉と目線を切った。再び顔を2人の方に向けた彼女の口から発せられた言葉に、思わず彼女たちが怪訝そうな表情を浮かべる。

 「彼の証言が正しいと仮定すると、本事案には明らかに不審な点がいくつかあるの」

 「不審な点、ですか…?」

 「えぇ」

 蒼がはっきりと頷いたのを見て、茶谷と灰原は何事か分からず思わず顔を見合わせた。そんな彼女たちに向かって、蒼は問いかける。

 「例えば、今回の事故が起こった原因。現時点でオリオン側でもまだ特定はできていないそうだけど、彼ら自身はそれと気づかずに船体が岩礁に接触したか、スクリューのプロペラに海洋生物の群れを巻き込んだか、そのあたりだと見ているそうよ。そのどちらにせよ、航行中に一度大きな衝撃があり、それによって大きく船体が振られたと証言しているわ。だけど…」

 蒼はそこまで言ってから、スクリーンの方を一度振り返る。

 「このモニターに映っている状況から考えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…?」

 その言葉に、2人の士官は怪訝そうな表情を崩さないままモニターを睨む。しばし考え込んだ後、何かに気づいて「あれっ」という表情を先に浮かべたのは灰原の方だった。

 「艦長、あん海域で『オリオンが岩礁にぶつかった』いうんはおかしゅうなかですか」

 その言葉に、CICにいた人間全員が彼女の方に振り向く。

 「東シナ海ん日本側海域には、つい先週うちら自身が任務で来とったばっかりですたい。そん時ん調査結果と照らし合わせやったら、不自然いうこつばすぐピンとくばい」

 灰原の言葉通り、ふそう乗員たちはちょうど1週間前、測量と海図作成業務のために今回の現場近海を訪れていた。その時の調査結果で、改めてはっきりと確認したことがある。この辺りは比較的浅いとはいえ地形は平らで、岩礁と呼べるのは東亜連邦と韓国が領有権を争うソコトラ岩くらいしかないと。大体、そのソコトラ岩だって同じ上海沖とはいえど位置的には黄海寄りだから、現場海域からは離れた場所なのだ。

 「大体、いくら東シナ海が浅か海言うても水深は200mあるとですよ。オリオンはVLCC(大型タンカー)クラスとはいうばってん、ばってん普通に航行しとってぶつかるような暗礁ば、あん海にはそもそもなかですって」

 灰原がそう付け加えて肩をすくめたのを見て、今度は茶谷が口を開いた。

 「そういえば、オリオンは排水量16万5000トンと聞きましたが」

 「えぇ、私も司令からはそう聞いています」

 訓練に協力した山村三尉と同い年の茶谷。階級的に下の人間には、親しみを込めつつ全員平等に接するという意味を込めて、多少年上であろうとも基本的にタメ口で接するスタイルの蒼ではあるが、流石に10歳も年上の直属の部下が相手だと思わず敬語が飛び出る。思わずそうさせてしまうような雰囲気を、彼女が持ち合わせているという証拠だろう。

 「それだけの巨大な船が動けなくなったというなら、機関部には恐らく相当な損傷が生じているはずですが、その予兆などはあったのでしょうか?」

 「いいえ、若林船長曰く事故の直前までは何も発見されなかったと。点検作業も全てマニュアル通りに行われていた旨証言されています」

 「そう…ですか。中東からの長旅ですし、もしも事前に予兆現象が何か発見されていたのであればそちらの可能性を疑えたのですが…。そうでないのだとすれば、プロペラに海中生物の群れを巻き込んだくらいのことで船が動けなくなる、とは流石に考えにくいかと」

 茶谷がそう自分の見解を述べた時だった。

 「艦長。差し出がましいようですが、私からも1つよろしいですか」

 脇の方から声がする。声の主は、沢渡に次ぐ砲雷科のNo.2で対潜戦闘におけるリーダー格である、水雷長・我那覇翠一等海尉だった。沖縄出身の28歳で、配属は違えど同じ一尉の灰原とは、同い年かつ入隊同期生という間柄である。

 「我那覇一尉、発言を許可します。どうぞ」

 蒼に促され、自身の持ち場に座っていた我那覇は立ち上がると、こちらに歩み寄りながら自身の見解を述べ始めた。

 「私も、機関長の意見に同意します。言葉は悪いですが、いくら沿岸警備隊最大級とはいえ満載排水量10000トンに満たない我が船ならともかく、16万5000トンもの巨大船舶を暗礁への衝突や、海中生物の巻き込みごときで止められるはずがありません。まして、衝撃で転倒者が出るほどの揺れを起こすなんて、よっぽどのことでしょう。()()()()()()()()()()()()でなければ、そんなことは不可能なはずです」

 そこで、我那覇は立ち止まった。その目が、艦長である蒼の顔を捉える。

 「それともう1つ、もしもこれが本当に自然発生的に起きた事故であるなら、若林船長がもう1つ証言しておられた『監視飛行をするように頭上を飛んだヘリ』についての説明がつきません」

 「ヘリがオリオンの頭上を飛んでた?若林船長がそんなことを?」

 「えぇ。わずか数分とはいえ、自分たちを監視でもしているかのように飛んでいて、船員たちも不審がっていた、と」

 茶谷が聞き返したのに対して、蒼ははっきりと頷いた。

 「あくまでも、あのヘリコプターと今回の事故の間に関係があると仮定しての話ですが…。そもそもヘリコプターが海上、それも船の上を飛び回るなんていう状況自体、限られたパターンしか考えられないと思いませんか」

 我那覇はそこまで言うと、よりシリアスさを増した顔つきで決定的な一言を放った。

 「若林船長は、どこから飛んできた機体なのか特定できなかったようですけど、オリオンが辿ったであろう航路や諸々の状況を照らし合わせれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かと思いますが」

 「…、やはりあなたもそう思うのね、水雷長」

 蒼は静かにそう呟いて、部下の顔を見返した。他に、この場に言葉を発する者はいない。何かをはっきりと確信したような、そのどこか不気味なほど静かで落ち着いた声色に、その場にいた誰もが背中にゾクッとした寒気を覚えていた。我那覇が一度頷いたのを見て、蒼は一呼吸おいてからヘッドセットの電源を入れた。

 「ヘッドクォーター、ネプチューン。司令、緊急でお知らせしたいことがあります」

 交信の相手は、佐世保に残っている播磨だった。蒼が口にした「ネプチューン」とは、ローマ神話における海の神からとられた「ふそう」のコールサインである。蒼は播磨に対して若林の証言や、それに対する自身や部下たちの考察を伝えた後、我那覇を除くその場の誰もが驚くような結論を彼に対して述べた。

 「…、以上述べたとおり、本事案には単なる事故として片づけるには不審な点が多々あります。状況から判断するに、本件については敵国潜水艦による通商破壊活動の可能性を疑うべきかと」

 「通商破壊…だと…!?」

 播磨だけでなく、その交信を聞いていたふそう艦内の乗員も全員が思わずどよめく。CICにいた面々もお互いに顔を見合わせた。通商破壊とは、すなわち物資輸送を手掛ける民間船舶に対する攻撃である。仮に事実だとすれば、当然れっきとした国際法違反だ。

 海洋国家日本にとって、シーレーンによる海上輸送は絶対に寸断されるわけにはいかない物流の大動脈。アジア海洋戦争が勃発したのだって、間接的にはそれが日本側から見て脅かされたからという側面もあるのだ。旧海自にとっても、もちろん現在の国防海軍にとっても、シーレーン防衛は絶対に欠かすことのできない最重要任務の1つと言える。そこに打撃が加えられたとなれば国家の一大事である。

 「仮にそうだったとして、どこの国の所属か見当はついているのか?」

 「現時点では、どこの国からの攻撃かは不明です」

 「いずれにせよそのワードを出すからには、ある程度はっきりとした確信はあるんだろうな。通商破壊はれっきとした軍事作戦だ。お前の見立てが本当ならば、本件は海軍マターということになる。我々だけでは手に負えなくなるぞ」

 ヘッドセットの向こうから聞こえてくる播磨の声も、どこか震えていた。

 「もちろん分かっています。至急、国防海軍第2護衛隊への出動要請実施を具申します」

 「分かった、すぐに手配しよう」

 「それともう1つ、お知らせしておきたいことが」

 蒼は畳みかけるように、上官に対してもう1つの提案を行った。

 「万が一、件の潜水艦が依然現場付近に潜航していて、本艦自身にも攻撃を行った場合、救助したオリオンや本艦の乗員にも危険が及ぶことになります。我が船にも対潜戦闘能力は十分に付与されています。その際は状況に応じて自衛措置を採ります」

 「あまり想像したくはない展開だが、そうなればやむを得んな」

 播磨はそう応じた一方で、しっかりと釘を刺すのも忘れなかった。

 「ただし、あくまでも諸君に命じたのは海難対処任務だ。22名の乗員の救助が最優先事項であることを忘れるな。そこを疎かにしてはならんぞ、いいか」

 「ハッ!!」

 そう答えてから、蒼は司令部との通信を終えた。その目が再び眼前のモニターを捉える。一つ大きく息を吐いてから、彼女は命令を下した。

 

 「合戦準備」

 

 合戦準備。その四文字を全員が一度頭の中で反芻する。戦闘に、それも実戦に備えろという旧海自から伝わった号令だ。この命令が下されることはすなわち、ふそうが「大型巡視船」から「軍艦」へとその役割を転換することを意味する。

 「合戦準備!!」

 「防護服着用急げ!!」

 数秒の間を置いた後、CIC内部は一気に慌ただしくなった。蒼はそのさなか、茶谷の方に振り返る。彼女自身もまた、これから起こりうることを予感して緊張感のある表情を浮かべていた。

 「機関長、直ちに配置について加速機の起動準備を」

 CODAG(COmbined Diesel And Gas turbine)と呼ばれる方式で機関を運用するふそうには、IHI-SEMT 16PC2-5 V400ディーゼルエンジンと、LM2500ERガスタービンエンジンが2基ずつ併設されている。通常は航続距離と燃費を優先してディーゼルのみで運用するが、燃費を犠牲にしてでも機動性とスピードが求められる有事の際には、ガスタービンも併用してさらなる出力を得る形がとられていた。

 「ハッ、すぐに手配します」

 茶谷はそう答えてから、「攻撃が行われたことはほぼ間違いないと見ている、という認識でよろしいんですね」と確認の意味も込めて問いただす。それに対して、蒼は静かに頷いたのだった。

 「少しでも可能性があるなら、それはケアすべきですよ。想定外が起きてからでは遅い」

 

 「右舷前方にタンカー視認!!右30度、距離25000!!オリオンと思われます!!」

 艦橋に蒼が戻ってから1時間ほどが経った頃、航海科の海士が叫んだ。その声に、戦闘に備えて防護服に着替えた航海科の隊員たちが一斉にそちらに注目する。確かに、右舷前方にまだ小さいながらも、白・黒・オレンジの3色で塗装された大きなタンカーが姿を現していた。青空の下、海上にポツンと停止したままの状態になっている。

 「恐らくあれ、ですかね」

 佐野倉が呟く。

 「えぇ、私もそう思うわ。そろそろあちらにも連絡を入れておきましょう」

 そう答えた蒼が、ヘッドセットの電源を入れようとしたまさにその時。突然、その眼前のタンカーから黒煙と火柱が上がった。

 「っ…!?何事!?」

 「ばっ、爆破閃光視認!!前方のタンカーからです!!」

 大慌てで艦橋の外へと飛び出した蒼が見つめるその先で、タンカーからは黒煙が黙々と天に向かって上がり続ける。その異様な光景に思わず青ざめた蒼に向かって、今度は佐野倉が叫んだ。

 「艦長!!オリオンより、メーデー呼び出しです!!」

 その声に、蒼は急ぎ艦橋内へと戻る。無線機からは、若林の緊迫した声が響いていた。

 「メーデー、メーデー、メーデー。こちらはオリオン、オリオン、オリオン。メーデー、オリオン。現在地は北緯30度13分15秒、東経124度45分48秒。機関室にて爆発発生、至急救助されたし。乗船人数は22名。メーデー、オリオン。オーバー」

 不幸にもその音声で、前方の爆発炎上中のタンカーがオリオンであることが確定してしまった。蒼は急いで、若林に向かって船舶無線で呼びかける。

 「オリオン、オリオン。こちら沿岸警備隊ふそう、応答願います」

 「あぁ、よかった…。沿岸警備隊ふそう、こちらオリオン。どうぞ」

 応答してきた若林の声は、緊急事態の中にも安堵で感極まっていた。

 「若林船長、真行寺です。現在、本艦は右舷前方25000の位置に貴船を視認しています。これよりただちに皆さんの救助に向かわせていただきます。皆さんにお怪我は?」

 「真行寺艦長、ありがとうございます。他の乗員はまだこれからですが、私はひとまず大丈夫です」

 「分かりました。早速ですが、そちらの救難ボートは使える状態でしょうか」

 「2つ備えていたうち1艘は大丈夫ですが、もう1つは爆発の衝撃でクレーンから外れてしまいました。どうやら海上に落下したようです」

 「では、救助の実施にあたりどこかに本艦が接舷することは可能ですか」

 その問いかけに答えたのは、若林ではなかった。おそらく40代と思われる、彼よりも若い男性の声が無線機を通じて聞こえてくる。

 「真行寺艦長、オリオン一等航海士の真田と申します。せっかくのお申し出ですが、残念ながら接舷は状況的に難しいと思われます。現在はまだ辛うじて機関室内の爆発にとどまってはいますが、場合によっては燃料や積み荷にも引火するかもしれません。そうなれば本船はもちろん、貴艦まで危険にさらすことになりかねないかと」

 「分かりました。…そういう事であれば、プランCでいきましょう」

 蒼はそう答えると、最後の手段を2人に提案した。

 「我が船には10人乗りの7m型高速警備救難艇が2艘、全天候型救命艇が2艘、それとドクターヘリ1機があります。このうち、警備救難艇1艘とヘリをこちらから出します。それと貴船の救難ボートで、22名は恐らく全員賄えるはずです。負傷者はヘリで救出しますので、残っているボートを下した後に残りの乗員についてはその場で待機させてください。後ほど、うちの警備長の黒川より詳しく指示はさせますので」

 「分かりました。では、すぐに準備させます。ありがとうございます」

 オリオンとの交信を終えると、蒼は艦内マイクに向けて叫んだ。石油タンカーはその構造上、船橋は機関室の上部にある。状況を放置すれば、連絡役の2人も危険にさらすことになるのだ。もはや一刻の猶予も自分たちには許されていなかった。

 「海難対処部署発動!!副長及び全ての分隊長と分隊士は直ちに士官室に集合!!1番艇及びドクターヘリ、全力即時待機となせ!!」

 

 オリオンから9000ヤードほど離れた地点の海中。

 「前方のタンカー、ボートとヘリによる救出活動開始。どうやら、来ているのは日本の沿岸警備隊のようです」

 「まさか、コーストガードがこんなに早く到着するとはな。流石、東洋の島国の軍人は相当に優秀らしい」

 部下からの報告に、その男は呟いた。セリフだけを聞けば称賛の文句だが、その口調からするとむしろ皮肉っぽくも聞こえる。東亜連邦共和国海軍所属の晋級原子力潜水艦「長征2901」艦長、孫俊輝上校(国防海軍でいうところの大佐に相当)。今から約3時間前、「軍事警戒線を侵犯しながら航行しているタンカーがいる」という軍用ヘリからの偵察報告を受けた海軍司令部から、「当該船舶を撃沈せよ」と命じられて出動。オリオンに対する、長魚雷を用いての2度目の雷撃を完了したところだった。

 「しかし、本当にあのタンカーに攻撃を仕掛けたりしてよかったんでしょうかね」

 彼の右後方に控える副長の黄志成中校がぼやく。

 「日本海軍の補給艦ならまだしも、相手は図体がでかいとはいえただの民間船ですよ。兵装を備えているわけでもなし、我が軍に害をなす存在とは思えません。戦時中ならともかく、平時に音声での警告もなしにいきなり攻撃するとは、対応を誤れば後々面倒になるのはこちらの方かと思いますが」

 「それくらいにしておけ、副長。我々軍人にとって、党からの命令は絶対だぞ」

 すかさず、その言葉に孫が釘を刺す。

 「それはもちろん分かっておりますが…」

 「私も一個人としてはお前に同意しなくもないが、それ以上続けるようならお前を反国家的思想者とみなして党に告発しなければならん。だが、私とてそんな下らんことで優秀な部下を失いたくはない。…、言いたいことは分かるな?」

 「…、申し訳ありませんでした」

 「よろしい」

 黄が頭を下げたのを見て、孫は発令所の隊員たちに向かって「皆、分かってるな」と声をかける。すぐに声を揃えて「是的、我没有聴到任何消息(はい、私は何も聞いておりません)」という返事が返ってきた。

 「それで、これからあの船はどうするおつもりで」

 「このまま海中から見物というのも一興だろうが、最終的に確実に撃沈できねば上も納得はしまい。とどめを刺さねばならんな。それに、あいつらを救援しに来たあのやけにでかい巡視船も目障りだ」

 孫はそう答えると、その口元に邪悪な笑みを浮かべた。

 「たとえどんな理由があれ、我が国の軍事境界線を破った不届き者がタダで済むとは思うなよ。あちらがそう受け取ったかはともかく、少なくとも我が方は警告した。東亜の海を荒らす者には裁きをくれてやれ。命を以て償ってもらおう。…、第2次攻撃用意!!目標、正面の巡視船艇。対艦ミサイル、発射準備急げ!!」




やっぱりお前らかよ東亜連邦!見事に敵のターゲットを言い当ててしまう蒼も流石ですが、ずいぶんと身勝手な理屈で牙をむいてくる彼らはちょっと…、って感じですね。警告するなら事前に音声でもやれよ、という黄副長の言い分も分かるような。

ちなみに当然ながら、この時点でまだふそう乗員は本当にこの攻撃が通商破壊であったことにも、長征2901が近海に潜んでいることにもまだ気が付いていません。既に攻撃準備も始まっていますが、果たしてこの後彼女たちはいったいどうなってしまうのか?次回はそのあたりを中心に描いていきたいと思います。それではまたお会いしましょう。


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第一章:嵐の幕開け(後篇)

どうも、SYSTEM-Rです。今回で第一章が完結となります。今回はいよいよ本作最初の戦闘描写に入ります。「鎮守府のイージス」シリーズで艦娘の戦闘は描いていますが、艦艇同士の戦闘を本格的に描くのは初めて(実は軍艦と民間船舶の小競り合いしか描いたことがない)なので、うまくリアルな出来にできていれば嬉しいです。それではどうぞ。


 「ネプチューン、スカイヒーラー。オリオンより負傷者3名の身柄回収を完了。なお、機関室での爆発に巻き込まれて、重度のやけどを負った船員の方がおられます。既に国防海軍佐世保病院より、受け入れの承認はとれております。このまま直ちに本土まで搬送します」

 「スカイヒーラー、ネプチューン。了解、佐世保までの無事を祈ります」

 スカイヒーラーことMD902ドクターヘリからの報告に、再度CICに戻った蒼は内心安堵しながら応じた。既に若林と真田を含めた残る19名も、1番艇とオリオンの救難ボートで回収が完了している。後は彼らを乗せたボートが無事ウェルドックに戻ってくれば、ひとまずこの任務における最優先事項は果たしたことになるのだ。

 尤も、それを果たせたとしても今回の自分たちの仕事に100点はつけられまい。つい先ほどまで彼らが乗っていたオリオンは、既に機関室からの火の手が船橋にまで上がり始めている。石油タンカーが持つ不活性ガスシステムのおかげで、積み荷の原油にはまだ火は回っていないが、どちらにせよあの状態では船体はもう長くは持たないだろう。

 いずれ時間の問題でオリオンは海中へと沈没、その後は16万5000トンもの原油が恐らく海へと流れることになる。元々は海洋汚染を引き起こすことなく、この船を自力で日本まで帰れるよう支援するのがこの任務の目的だったわけで、その意味では残念ながら0点と言えるかもしれない。蒼にとってはいまだ海上にいる面々の安否はもちろん、この救出任務の後に控える掃海活動をどう取り仕切るかが重要な問題となっていた。

 (沿岸警備隊の保有する、油除去に使用できる船艇は全部で27隻。そのうち油回収艇は全国でも3隻しかない。やはり絶対数が足りないわよね、海軍の掃海部隊にも頭下げてお願いするしかないかしら)

 蒼はため息をついた。海軍と沿岸警備隊は、それぞれがお互いを補完しあう関係にある。今回のように、沿岸警備隊だけでは能力的に対処しきれない事案については、自分たちはどうしても海軍に頼る必要が出てくる。一方海軍も、グレーゾーン事態発生時にいきなり自分たちが出ていけば、それは国際的な緊張度を無用に高めるだけで誤ったメッセージを発することにもなる。有事への第一義的な対処は、沿岸警備隊が担うからこそ円滑に対処が可能なのだ。その意味で、両者ともお互いさまと言えばその通りなのかもしれない。

 とはいえ、負傷者の治療も海軍病院にお願いし、その上掃海までもとなると流石に蒼も気が重くなるのもまた事実。今回これだけ自らが頼るとなれば、その分はどこかで返さなければならないのだ。一体それがいつになるのかも今は見当さえつかない。もう一度、蒼が大きなため息をついたその時。突然、万が一に備えてモニターを監視していた沢渡が叫んだ。

 「Vampire, vampire, vampire!! 340度、アンノウン小型飛翔体2発高速接近!!艦橋直撃コース!!」

 「何っ!?」

 その一声に、慌てて蒼もメインモニターに目を向ける。確かに、ふそうから見て左舷側の方角から小型目標が2発、こちらに向けて接近していた。万が一直撃すれば、航海科が詰めている艦橋が地獄絵図となることは避けられない。蒼は慌てて対空迎撃を指示した。

 「2番砲、対空迎撃用意!!方位角340度、仰角20度に備え!!」

 「ダメです、2番砲間に合いません!!」

 そう告げる沢渡の表情も顔面蒼白になっている。蒼は思わず舌打ちすると、室内に向けて代替策を叫んだ。

 「CIWS、コントロールオープン!!総員、衝撃に備え!!」

 その一声で、艦内にいた全員が即座に近くにあったデスクなどをつかみ、体を小さく丸める対ショック姿勢をとる。同時に、艦橋の窓のすぐ下あたりに配置されているCIWSこと「ファランクス/高性能20mm機関砲 ブロック1B」が迎撃態勢に入った。射程内に入った目標を、分間3000発という猛スピードで発射されたタングステン弾を用いて、ほぼ確実に撃ち落とすのがこの兵器の仕事だ。

 艦橋にいた佐野倉の目にも、CIWSが左斜め前方に砲身を向けるのが見えた。同時に、その砲身が向いた方向に何やら小さい2つの点が見える。それらが火を噴きながらどんどんこちらに向かってくる、まさしく軍人にとっての恐怖映像であることを理解した時、彼女はそれを振り払わんとCICの面々にも負けないような大声で叫んだ。

 「敵弾、来る!!」

 それからわずか数秒のことだった。小さな点はその姿をやがて対艦ミサイルへと変え、ふそう艦橋へとまっしぐらに襲い掛かる。だが、その真の姿が視認できるくらいの距離まで弾頭が近づいた時、ファランクスが勢いよく火を噴いた。一瞬、まるで眼前に靄がかかったかのような密度で発射された貴金属の塊によって、2発のミサイルは正確に射抜かれたのだった。艦橋からわずか10数mほどの位置で、迎撃されたミサイルが勢いよく爆発する。その衝撃で、艦体が大きく揺れ動いた。

 「グッ…」

 目をつぶった状態で歯を食いしばり、その衝撃に隊員たちが耐える。振動が収まった時、真っ先に我に返ったのは蒼だった。あたりを見回しながら、艦内の状況を急ぎ確認する。

 「報告!!各部、状況知らせ!!」

 「CIWS、迎撃成功!!目標消滅しました。人員も全員無事です!!」

 「火器管制システム、異常ありません!!」

 「対空・対水上レーダー、オールグリーン!!」

 「機関、正常に動作しています!!」

 艦内の各部署から、次々に異常なしの報告が上がる。ただ1つ、電信室だけを除いては。

 「CIC、電信室。船舶無線がやられました。全回線、ノイズがひどく交信できません!!」

 「無線がやられた…。外部との通信は無理ね…。電信室、CIC。了解」

 思わず唇をかんだのもつかの間、蒼はすかさず沢渡の方に振り向く。彼女の眼は、再びモニターの画面上を睨んでいた。

 「今の攻撃はどこから?」

 「今調べていますが…、どうやら先ほどの目標が飛んできた方向に、水上艦艇はいないようです。…、潜水艦発射型対艦ミサイルと思われます!!」

 「潜水艦…!?」

 その報告に、CIC内部がどよめく。その場に、最高レベルの緊張感が走る。「件の潜水艦は、まだこの近海にいるわよ!!」と誰かが声を上げた。蒼が振り返る。声の主は、彼女ともどもこの事案が単なる事故でない可能性を指摘していた、我那覇だった。その表情は、迎撃したとはいえ攻撃を受けた直後とは思えないほど、冷静なものだった。

 「艦長、事前に司令に仰っていた通り本艦は攻撃を受けました。我々全員の命を守る意味でも、躊躇する理由はありません。対潜戦闘への即時移行を具申します」

 「…、えぇ、どうやらそうするしかなさそうね。だけど、その前に済ませるべきことがあるわ」

 蒼はそう答えると、1番艇と救難ボートの収容を待つ艦内後部のウェルドックに向けて呼びかける。彼女の頭には、先ほど播磨に意見具申した際の「あくまでも乗員救出が最優先事項だ」という返答がしっかりと残っていた。

 「ウェルドック、CIC。状況知らせ!!」

 「CIC、ウェルドック。既に2艇は収容する体制に入っていましたが、先ほどの爆発の衝撃で艦体が大きくずれました。立て直しに時間がかかります!!」

 「あまり悠長に待ってはいられないわよ。3分で戻ってきなさい!!」

 蒼は厳しい口調で黒川にそう命じると、今度は返す刀で沢渡に告げた。

 「副長、1分隊から5分隊まで戦闘配置。6分隊が2艇を収容出来次第、直ちに攻撃に移れるよう即応態勢を取らせて」

 「Aye, ma’am!!」

 その命令に、待ってましたとばかりに沢渡が応じる。艦内マイクに向けて命令を下すまでに、時間はかからなかった。

 「1分隊より5分隊、第一種戦闘配置。対潜戦闘用意!!」

 「対潜戦闘用意!!」

 「これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない!!」

 その復唱とともに、戦闘態勢に入ったことを知らせるアラートがふそう艦内に流れた。万が一戦闘中に転倒して、その弾みで生じた音が敵艦のソナーに探知されることがないよう、CICの面々は一斉に持ち場について手早くシートベルトを締める。その姿を横目で見ながら、蒼は艦橋にいる佐野倉に指示を送った。

 「艦橋、CIC。合図とともに最大戦速で主機起動。ただし、あくまでも6分隊とオリオン乗員の収容が優先よ。私が指示するまでは絶対に動かさないで」

 「CIC、艦橋。了解!!」

 佐野倉が返事をよこす。やがて、艦内各部では対潜戦闘の用意が完了した。

 「各部要員、配置よし」

 「了解」

 沢渡の報告に蒼は頷く。いつものように、通りの良い美しい声での命令が響いた。

 「対潜戦闘、アクティブ捜索始め!!」

 

 「アクティブソナー探知。前方の巡視船からです」

 一方長征2901の側では、ふそうが捜索用に放っていた対潜アクティブソナーを早々とキャッチしていた。

 「アクティブソナー?あの船は日本海軍ではなく、沿岸警備隊の巡視船ではなかったのか?」

 「なんで軍艦でもない船がそんな装備を…」

 艦内がどよめく中、1人その理由に気づいた孫は舌打ちをした。

 「チッ、これは下手を打ったかもしれんな」

 「下手を打った?どういうことです?」

 その呟きの意味を理解できない黄が思わず聞き返す。それに対し、孫は忌々しそうな口調で吐き捨てた。

 「先ほどのCIWSでの迎撃と言い、今のアクティブと言い…。あれは単なる巡視船ではないぞ。沿岸警備艦。海軍籍でこそないが、その戦闘能力は海軍艦艇に匹敵するともいわれる、れっきとした戦闘艦だ。どうやら我々は向こうの外観に騙されていたらしい」

 「戦闘艦って、それじゃあ…」

 「あぁ。こちらが持っているデータに間違いがなければ、あの船には短魚雷やデコイ、対潜哨戒ヘリなど十分な対潜兵装が備わっているはずだ。こちらをいったん発見すれば、海軍艦艇と全く同じように正面から殴りかかってくるぞ」

 孫はそう答えると、一度大きく息を吐きだした。しばし、次の一手について思案する。

 (こちらは原子力潜水艦、ディーゼルエンジンの通常動力型と比べれば航洋性には勝るが、常に発電し続けなければならない分静粛性には劣る。おそらく、それほど時間もかからずに我が方の位置は探知されるだろう。長魚雷と対艦ミサイルという2つの攻撃オプションはあるが、ミサイルが迎撃された以上魚雷がどこまで通じるか次第、か)

 既に、乗員全員が脱出したオリオンは沈没が不可避の状況になっている。孫の内心が「撤退」に傾き始めたその時、ソナーマンの1人が声を上げた。

 「艦長、少々気になることが」

 「どうした、陳?」

 孫が振り向くと、陳と呼ばれたそのソナーマンは奇妙な報告を上げる。

 「ターゲットですが、まだ機関を始動していません」

 「なんだと?全くの無音か?」

 「えぇ。先ほどはガスタービンとディーゼルの機関音がまじりあって聞こえていましたが、今はどちらも我が方には聞こえてきません」

 陳は何やら訝しがるように首をひねった。

 「アクティブを打ってきたということは、向こうも自分の現在位置をこちらに知らせているのと同義です。であれば、向こうはこちらの位置が探知できない間も、かく乱の意味で常に動き続けるのが定石のはずですが…。何故敢えて動かず、あの場に静止したままなんでしょうか…?」

 孫の顔にも、しばしはてなマークが現れる。だが突如、彼の頭に何事かが閃いた。目の前にある状況の真相を理解した時、再び彼の口元に邪悪な笑みが浮かぶ。

 「()()()()んじゃない、()()()()んだ…」

 その声に、司令所内の全員が振り向く。

 「あいつらはボートとヘリで、あのタンカーの乗員を救出しようとしてる。ヘリはどこかに飛び去ったが、おそらくボートの方はまだ回収ができてない。それが完了するまでは、あいつらはあそこから動くわけにはいかないということだ」

 孫はニヤリと笑った。相手が逃げ回っていれば、デコイを放ったりわざと波をたてたりと誘導魚雷であろうとも躱す手はある。だが、静止目標ならば当てるのはこの上なく容易い。なおかつ、潜水艦の長魚雷はたった一発で水上艦艇を真っ二つにへし折り、船としての機能を完全に失わせるほどの破壊力があるのだ。

 黄は艦長の横顔にちらりと目をやる。そこに浮かんでいたのは、獲物を眼下に捉えた狩人の顔であり、まぎれもない畜生の笑みだった。

 「魚雷、1番から4番まで装填急げ。あいつらが機関始動するまでが勝負だ。動き始める前に確実に叩くぞ!!」

 

 「ソナー探知、ドップラー音高い。この目標、先ほどの潜水艦と思われます」

 ほどなくして、ふそう側でも目標と思われる潜水艦を探知した。ただちに水雷長の我那覇が命令を下す。

 「了解、音紋照合始め」

 「音紋照合始め」

 命令を受けたソナーマンの安河内桔梗一等海曹が、探知した際にリアルタイムで取り込んだデータをふそうに内蔵されている音紋データベースと照合する。このデータベースには、日本国沿岸警備隊や日本国防海軍の所属艦艇はもちろん、世界中のあらゆる艦船(それは軍艦だけではなく民間の商船に至るまで)の音紋データが登録されている。

 音紋とは各船に固有の波長パターンで、2つとして同じものが存在しない、いわば人間の指紋と同じものだ。これが分かれば、相手の船が何者かが一発で分かるというわけだ。とりわけ、構造上音だけで周囲にいる相手を判別せねばならない潜水艦にとっては、まさに命綱である。

 「出ました。データベースと一致!!」

 「艦名は?」

 思わず我那覇が勢い込んで身を乗り出す。

 「東亜連邦共和国海軍、晋級原子力潜水艦『長征2901』!!」

 「やはり、相手は東亜の原潜ってわけね…」

 安河内の報告に、蒼の表情がより厳しくなる。潜水艦発射型対艦ミサイルを使える時点で、相手が原子力潜水艦であることはすぐに見抜いていた。そして、技術面と法制面の両方をクリアしなければならない関係で、原潜を開発し運用できる国は実は限られている。日本は高い原子力技術を持つ一方、軍事利用を禁止してきた背景から潜水艦は通常動力型しか運用していない。アジアで唯一原潜を運用しているのは中国、そしてその後継たる東亜連邦ただ一国である。

 「本ターゲットを攻撃対象に設定する。測敵始め!!」

 

 真田を筆頭に、オリオン乗員のうち半数の11名を乗せた救難ボートは、ふそう後部にあるウェルドックに無事たどり着いた。ドック内に完全に収容されたのを見計らって、黒川が「CIC、ウェルドック。救難ボート先に戻った、1番艇これから!!」と叫ぶ。

 「皆しゃんどうもお疲れしゃまやった。こちらへどうぞ」

 ボートを降りて周囲を見回す真田らに、普段は別部署ながら上司を手伝いに来ていた灰原が声をかける。

 「あぁ、すいません。ありがとうございます」

 真田は丁寧に礼を言うと、ふと天井裏が何やら騒がしいのに気が付いた。忙しそうに駆けずり回る足音や、何やらプロペラの回転音も聞こえてくる。思わず「この上は?」と彼は灰原に尋ねていた。

 「あぁ、ヘリ格納庫とヘリ甲板ですばい。ちょうどこれから、対潜哨戒ヘリば飛ばす準備ばしとりますけん」

 「対潜哨戒!?まさか、潜水艦がこの海域に!?」

 「今回、あんた方ん船で機関室が吹っ飛んだんなただん事故やなか。通商破壊、つまり潜水艦による雷撃が原因ばい」

 そこで、灰原は急に真顔になった。

 「本艦も、先ほど同じ船て思わるー潜水艦からミサイル攻撃ば受けました。迎撃には成功したけん被害は軽微ばってん。戦闘中ばいけん、あまりお構いできんですが勘弁してくれんね」

 予想もしなかった返答に、真田たち乗員はお互いの顔を見合わせる他なかった。

 

 (ロクマルが発艦した…。これ以上時間は浪費できないわね)

 若林ら残る8名を乗せた1番艇を率いる柳田は、対潜哨戒ヘリのSH-60Kが飛び立ったのを見て、内心そう呟いた。SH-60Kは、上空でのホバリングやディッピングソナーと呼ばれる装置を投下することによって、海中を逃げ回る潜水艦を見つけ出すのが仕事だ。また、通称「対潜爆弾」と呼ばれる航空爆雷を用いて、自らとどめを刺すこともできる。

 「対潜戦闘用意」の号令とブザー音は、先ほど柳田自身も耳にした。この機体が飛んだということは、交戦相手である潜水艦を仕留めるための準備がふそうの側でも完了しつつあることを意味する。だが、自分たちがまだ海上にいる状態では我々の指揮官はそれを決断することは多分ないだろう。攻撃を受けたのならもちろん自衛は必要だが、それ以上に我々には沿岸警備隊として果たさねばならない使命があるのだ。それを何より分かっているのが真行寺蒼という軍人である。

 その時だ。ちょうど正面に見えるウェルドックの方から、うっすらとだが空いた後部扉を通じて艦内無線の音声が聞こえてきた。必死にそれに耳を傾ける。

 「魚雷音聴知!!340度、4発高速接近!!本艦との距離、7000ヤード!!」

 「魚雷!?」

 思わず乗り込んでいた乗員たちがざわめく。自分たちがこれから戻ろうとしている船が、魚雷で狙われているという事実に恐怖を覚えた者も当然いただろう。だが、柳田はそれを半ば強引に振り払った。

 「魚雷から逃げるのは、ふそうに戻ってからですよ!!全員しっかり掴まって。悪いけど、時間がないから荒っぽくいくよ!!」

 そう言ってから、乗員たちがボートのヘリを掴んだのを確認すると、柳田は操縦士にギアを最高まで上げるよう命じた。ウェルドックに向かって、1番艇が勢いよく海上を滑り始める。水しぶきが何度も柳田たちに襲い掛かるが、10名の乗員たちは無我夢中でそれに耐えた。柳田はそのさなか、手元にあった舫のロープを握りしめる。

 「1番艇高速接近!!見張り員退避!!」

 ふそう側で様子をうかがっていた黒川が、慌てて大声で叫ぶ。その彼女に向かって、1番艇がウェルドック内に差し掛かると同時に柳田は舫を勢いよく放り投げた。

 「警備長!!」

 その声に気づいた黒川が、自分に向かって投げられたロープをしっかりと右手で掴む。あまりにも勢いよくボートが戻ってきたので、弾みで思わず足元を取られた彼女はその場に転倒した。だが、それでも立入検査や逮捕術の訓練で鍛え上げた、自慢の握力で舫は決して放さない。我に帰るや否や、黒川はヘッドセットに向かって大声で怒鳴った。

 「CIC、ウェルドック。1番艇収容終わり!!」

 それが、CICにいる蒼に対してようやく鳴らされた号砲となった。

 「今!!艦橋、最大戦速!!おもーかーじ、20度ヨーソロー!!」

 「最大戦速!!おもーかーじ、20度ヨーソロー!!」

 艦橋でその時を待ち構えていた佐野倉が復唱するのとほぼ同時に、艦内ではディーゼルとガスタービンの両機関による爆音の二重奏が始まった。ふそうの大きな身体が、静止状態からゆっくりと動き始める。

 「短魚雷1番から3番、攻撃始め!!」

 「てぇっ!!」

 蒼、次いで我那覇の号令の後に発射ボタンが押され、あらかじめ準備されていた68式三連装短魚雷発射菅から短魚雷3発が海中へと旅立った。「短魚雷よし!!」の声がCICに響く。だが、もちろん敵への対処はこれで終わりではない。

 「敵魚雷、さらに接近!!残り3500ヤード!!」

 安河内が叫ぶ。蒼は直ちに、艦橋にいた佐野倉に大きく旋回するよう指示した。わざと海上に波を起こし、その音で敵の魚雷をかく乱するためだ。

 「艦橋、回避運動始め。もどーせー、取り舵いっぱい、急げ!!」

 「もどーせー。とーりかーじいっぱぁーい、いそぉーげー!!」

 佐野倉の号令に従い、航海士が勢いよく左方向に舵を切る。唸りをあげながら、ふそうの艦体は大きく反時計回りに回転し始めた。白波の中を、これまた白に塗装された艦首が勢い良く切り込んでいく。だが、魚雷はなおもこちらに向かって近づいてきた。

 「魚雷さらに接近!!残り1000ヤード!!」

 安河内がまたも絶叫する。

 「総員、衝撃に備え!!」

 蒼の声に、再び艦内にいた全員が対ショック姿勢をとる。思わず全身をこわばらせた彼女たちの耳に、安河内のカウントダウンが聞こえてきた。

 「残り10秒、接触します!!5、4、3、2、1、今っ!!」

 全員が覚悟を決めて、思わず目をぎゅっと閉じる。だがその声の後には、爆発音も振動も続いては来なかった。予想外の静寂の中、我に返った隊員たちが何事かとあたりを見渡す。安河内が、手元のモニターに目を落とした。

 「クリア、クリア!!魚雷、全弾躱しました!!」

 その声は、安堵の色で染まっていた。ふそうに向けて放たれた4発の長魚雷は、その全てが幸運にもふそうの真下を通過。こちらは一発も被弾せずに済んだのだ。「よっし!!」との声があちこちから上がった。だが、蒼はもう1つ大事なことを見逃していなかった。

 「こっちの魚雷はどうなった?」

 

 「艦長!!魚雷、全弾躱されました!!」

 「敵魚雷3発、こちらに接近中!!」

 想定外の報告に、孫は目を見開いた。相手が動き出す前に叩く。それを我々は狙っていた。そして間違いなく、あの船が動き出す前にこちらは正確なエイムを以て4本の矢を放ったのだ。どう見ても計画通りのはずだった。だが、相手はそれを見計らったかのように動き出し、自らも3発の魚雷をこちらに向けて放ち、そして我が方の魚雷はあろうことか全弾躱してみせたのだ。思わぬ事態と屈辱に、孫は歯ぎしりした。

 「くそっ、取り舵いっぱい!!全速退避!!」

 大急ぎで逃げ始める長征2901。そこに向かって、ふそうが放った3発の短魚雷はどんどん近づいてくる。本来なら、魚雷を避けるべく急速潜航を指示して、可能な限り深く潜り込むのを狙うところだ。だが、ここは大陸棚が広がる東シナ海。水深たった200mの海に、これ以上潜水艦が深く潜れるような場所はない。魚雷が長征2901を捉えた。爆発と衝撃に見舞われる直前、孫が吐き捨てたのは渾身の憎悪を込めた捨て台詞だった。

 「クソッタレがぁ!!」




やっぱり艦艇での戦闘を描くのって難しいですね。海自の対潜戦闘訓練や、アメリカのドラマ「ザ・ラストシップ」などを参考にしながら書いてみましたが、なかなか難儀しました。何か間違っている点等あれば、誤字修正や感想などでお気軽にご指摘ください。

次回は新しい人物が登場する予定です。そろそろ国防海軍側のキャラクターも出したいと思っているので、どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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沿岸警備隊vs海軍
第二章:沿岸警備隊vs海軍(前篇)


こんにちは、SYSTEM-Rです。今回から第二章に入り、新たに本作のもう1つの舞台である日本国防海軍所属の軍人を含む、新キャラクターたちが登場してきます。特に2名の軍人は今後のストーリー上のカギになる存在とする予定ですので、ご注目ください。また、今回は政治家と外交官のやりあいもありますのでお楽しみに。それではどうぞ。


 「以上が、長征2901撃沈に至る経緯となります」

 上海沖から佐世保に帰還後、再び局長室を訪れた蒼は播磨に対し出港時からのあらましを洗いざらい報告していた。腕を組みながら、じっと彼女の話に耳を傾けていた司令官は、一度大きく息を吐きだした。

 「敵艦を、短魚雷3発を以て攻撃し全弾ヒットさせるも、相手はそこでは怯まずに浮上。なおも交戦の意思を見せたために127mm砲で砲撃を加え、敵艦がたまらず再び潜航したところにSH-60Kから対潜爆弾を投下させて撃沈、か。まさに情け容赦なしだな。敵艦の乗員からすれば悪夢もいいところだろう」

 「潜水艦はその構造上、水上艦艇と違って入口も内部通路も大変狭いため、6分隊を突入させて拿捕することには危険も伴い事実上不可能です。敵対してきた場合は無条件で撃沈するしかない。あくまでも沿岸警備隊としてのポリシーに従ったまでですよ」

 蒼は表情を変えることなく、努めて冷静な口調で応じた。

 「なんにせよ、救出を求めてきたオリオン乗員は負傷者こそ3名いたが全員無事、ふそうの側も無線は壊されたが人的損害は出さず、か。最低限の部分は何とかクリアだな」

 播磨はそう言うと、何やら悩ましそうな表情を浮かべて椅子の背もたれに寄り掛かった。

 「だが、状況的にやむを得ずとはいえ課題は山積みだ。長征2901に加えてオリオンも爆発の後に沈没したとなれば、流出した原油の掃海活動がこれから必要になる。加えて、今回オリオンに対して通商破壊が行われた以上、同様の航路を採る他の商船に対する心理的影響も避けられまい」

 「えぇ、これから色々な意味で対応に忙しくなりますね」

 「うむ。だが、それ以上に心配なのは海軍がこの一件に対してどう反応するか、という点だ。こちらの要請に応じて出動したはいいが、お前たちが独力で長征2901を撃沈した結果、結局空振りで終わってしまったんだからな」

 播磨は率直な胸中を吐露した。実は蒼が通商破壊の可能性を最初に指摘した後、沿岸警備隊からの出動要請に従って、国防海軍のはるな型イージスミサイル駆逐艦1番艦「はるな(DDG-171)」と、ふぶき型多目的フリゲート1番艦「ふぶき(FFM-830)」の2隻がふそうの援護のため、佐世保港から急遽出動していた。ところが、2隻が現場海域に到着する直前にふそうが長征2901への追撃を敢行したため、彼女たちの乗員は何も戦果を挙げられず帰投する羽目になった。しかも、対艦ミサイルを迎撃した時に飛び散った破片により、無線を壊されていたふそうからは事前に攻撃を予告することもできず、結果的に海軍側から見れば沿岸警備隊が独断で、勝手に攻撃し始めた形になってしまっていたのだ。

 「無線が使えないなら、せめて発光信号を送れなかったのか?他に通信手段もなかろう?」

 「もちろんその準備はさせていましたが、その前に相手が浮上して攻撃態勢に入ったため、やむを得ず省略する羽目になりました。申し訳ありません」

 「やれやれ。私はまぁいいが、海軍がこれをどう捉えるかは分からんな。あちらから怒鳴り込んでくるような者が出ないと信じたいが」

 そうぼやいた播磨に対して、蒼は顔を上げると再び口を開いた。

 「司令。私が言える立場ではないかもしれませんが、誠に遺憾ながらその覚悟はしておかれた方がよろしいかと」

 「なんだ、心当たりがあるのか?」

 「はるなが本件で出動したのであれば、今すぐにでも押しかけてきそうな海軍士官を私は1人知っております。あの船には、少々手が出るのが早い者が乗っていますので」

 蒼がそう答えたまさにその瞬間だった。廊下からこちらに向かってくる足音が聞こえてきたかと思うと、突然局長室のドアが力任せに開かれる。そこに立っていたのは、2人と同じくやはり白い制服に身を包んだ30そこそこの男だった。その長身から放たれるオーラは、明らかに平穏とは対極と言えるものだ。その目はタカのように鋭く、頭からは湯気が立っている。そしてその荒い呼吸は、どうやら航海からくる疲労によるものではなかったようだ。男は目ざとく蒼の姿を目にとめるや否や、つかつかと大股で歩み寄るとその筋肉質な右腕で彼女の胸倉を掴みながら怒鳴りつけた。

 「こん馬鹿姉貴、てめぇあまら(ふざけ)んじゃねぇぞ!!援護んためにおいたち海軍ば呼び出しときながら、海難対処任務ば放り出した挙句こっちに連絡ん1つもよこさず、勝手に対潜戦闘ば始めるとはどがん神経してやがる!!」

 「おい、いきなり入ってきたと思ったらその所業とは、女性相手に一体どういうつもりだ少佐殿!!大体軍種は違えど、今貴官が胸倉を掴んでいる相手は君よりも上官だぞ!!」

 突然目の前で起きた狼藉に、思わず播磨が大声をあげながら立ち上がる。だが、当の蒼は意外なほど冷静だった。一瞬、上官に対して苦笑いを浮かべた顔さえ向けてみせる。

 「大丈夫です、司令。たった今申し上げたでしょう。それに、こいつの扱いを私はよく分かっています。()()()()()()()()()()()()()()

 そう言うと蒼はその海軍士官、イージスミサイル駆逐艦「はるな」砲雷長であり、自らの双子の弟である真行寺司少佐の顔を一転して睨みつけた。その右手が、司の右手首を掴む。次いで口から飛び出したのは、今までよりもずっときつい口調の長崎弁だった。

 「覚悟はしとったばってん、まさか本当に乗り込んでくるとはね。砲雷長ともあろう人が、そん瞬間湯沸かし器っぷりばたいがいなんとかせんね」

 「あぁ!?」

 「言うとくばってん、うち相手やけんまだ大目に見るばってん、こん狼藉っぷりばうちん他ん幹部相手にやらかしたらただじゃすまんばいよ、司。国土交通省と防衛省、うちとおたくん所轄官庁が違うんはあんたも分かっとーやろう?」

 なおも怒りが収まらない司に、蒼は真っ向から対峙する道を選んだ。その目が、一直線に弟の顔を捉える。

 「オリオンの件で、海軍がうちに対して言いたかことがあるんは分かっとーわ。ふそう艦長たるうちに説明責任があることもね。ばってん、こがん状態でお互い冷静に話がでけるわけなかやろう?あんたが知りたかことには全て答えるけん、とりあえず今すぐこん手ば放さんね」

 その言葉にもなおも胸倉を掴み続けた司だったが、数秒後にようやく力任せに右手を放した。その弾みで、彼の右手首を掴んでいた蒼の手が強引に振りほどかれる。無理やり気持ちを落ち着かせるかのように数回深呼吸した後、司は蒼を睨みつけながら先ほどよりは落ち着いた、しかしドスのきいた低い声で問いただした。

 「なんで海難対処任務ば途中でほっぽり出した?わい(お前)らそんために出動しとったんじゃねぇんかよ?」

 「別にほっぽり出したわけやなかばい。オリオンの乗員は全員無事に救出したもん。そん途中でうちん船が潜水艦からミサイルで攻撃されたけん、オリオンとふそう双方ん乗員ん命ば守るために、やむば得ず交戦しただけ。あくまでも自衛んためばい」

 「どちらにせよ、状況が変わったならおいたちにも一報入るるのが筋じゃねぇんか。お互いに連携して動きよーんやけん、そうするのが当然じゃねぇんかよ。事情も知らせんで勝手に動きやがって」

 「そんミサイルば迎撃した時に船舶無線が壊れて、状況ば伝えとうても伝えられんかったと。全てん回線が使用不能になったんやけん。あん時はまだあんたたちは発光信号が届く距離にもおらんかったし、どうしようもなかやなか」

 蒼はその後、オリオンの一件について自分の弟に対して全てを説明した。ちょうど播磨に対してそうしたのと全く同じように。

 「今回ん件では、不可抗力とはいえ結果的にあんたたち海軍とうもう意思疎通が図れんかった。そこについては責任ば感じとーし、申し訳のう思うとーわ。呼び出しといてこがんことになってしもうて、ごめんなさい」

 蒼はそう言って、司に向かって頭を下げる。再び顔を上げたその時、その表情はいつものような冷静さをたたえたそれに戻っていた。

 「ばってん、うちゃそれでもこん事案へん対処では全力ば尽くしたつもりばい。あん状況ではああするしかなかった、他に手はなかったと。そんことについてはどうか理解してほしか」

 「姉ちゃん、そん言い方はちょっと違うぞ」

 少しは疑いが晴れたからか、司の物言いも先ほどより多少は丸くなっていた。だが、その刃は完全にさやに納まったとは言い難いことに変わりはない。

 「海ん上では、常に全力ば尽くすなんて当たり前やろうが。まぁおいだって一介ん船乗りだ、時には機械が故障してうもう状況に対応でけんごとなったり、窮地に陥ったりすることがあるんは分かるぜ」

 波の音と海鳥の鳴き声だけが聞こえてくる部屋の中、真行寺姉弟は播磨の眼前で依然正面から対峙し続けている。多少物言いや口調は柔らかくなっても、依然としてにじみ出てくる緊張感は全く同質のままだ。

 「ばってん覚えとけ。おいたち海軍が怒っとーんは、別にお互いんコミュニケーションの問題だけじゃねぇんだ。たとえおいが許したとしてん、他にもはらわたが煮えくり返りよー人間はまだ少なからずいる。わいらのせいで、こっちん直近んスケジュールはまるっきりパーになっちまったんやけんな」

 「えっ…!?」

 思わず蒼が目を見開いたところに、司はとどめを刺すかのごとく言い放った。

 「とりあえず、今聞いた話はうちん上層部にも報告しとく。ばってん、こっちん怒りが簡単に静まるとは思わねぇ方がよかぞ。おいんごと表に出さんだけで、腹に一物抱えとー人間は1人や2人じゃねぇんやけんな」

 そう言い残すと、司は播磨に向かって一度「お邪魔しました」と敬礼した後、再び大股歩きで局長室を出て行った。

 「真行寺司少佐、か。苗字が同じとはいえ、まさかあれがお前の弟だったとはな」

 嵐のような出来事にあっけにとられていた播磨が、我に返って呟く。

 「司令がご存じないのも無理はありません。お会いになるのは初めてのはずですから。司は元々横須賀基地の配属で、少尉の頃からずっと砲雷科一筋でやっていたんですが、能力はあるもののあの性格が災いして、とうとう今年佐世保に配置換えさせられたばかりだったんです」

 蒼は軽く胸元を手で払いながら、再び標準語に言葉を戻した。

 「身内贔屓で言うわけではないですが、決して悪い男ではないんですよ。裏表はないし、一海軍軍人としても有能か無能かで言えば間違いなく有能な部類です。ただ、あの直情的な性格だけにいったん火が付くとどこまでも猪突猛進するタイプでして」

 姉の私に免じて、このことはどうか大目に見てやってください、と今度は播磨に向かって頭を下げる蒼。これには、播磨も苦笑いしながら肩をすくめるしかなかった。

 「たとえ多少は問題を抱えていても弟は弟、やはり姉としてはある程度かばわざるを得ないか。それにしても初めてまともに聞いたお前の長崎弁、なかなか新鮮だった。想像していたよりもかなりきつい物言いだったがな。正直少し驚いたぞ」

 「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません、つい素が出てしまいました」

 こちらも思わず苦笑した蒼の言葉にかぶりを振ると、播磨はふと意味ありげな表情を浮かべて呟いた。

 「それにしても…。腹に一物を抱えている人間は海軍には1人や2人ではない、か。彼の言葉が本当だとすれば、これは案外厄介なことになるかもしれんな…」

 

 播磨への報告を終え、蒼が沿岸警備局の建物を出ようとした時だった。

 「失礼いたします。ふそう艦長の真行寺蒼一佐でいらっしゃいますか?」

 突然声をかけてきたその男の姿に、蒼は思わず目をとめた。自分と同じくらいの年に見えるその人物は、やはり白い夏用の制服姿だ。だが、それが沿岸警備隊のサマードレスではなく、国防海軍の幹部常装第三種夏服であることに蒼はほどなくして気づいた。階級章を見るに、どうやら司と同じ少佐のようだ。綺麗に切り揃えられた黒い短髪と、曇りのないキリッとした目元。どこかアスリートのような爽やかさを感じさせる佇まいは、確かに海軍士官らしい。

 「えぇ、そうですが。あなた…、海軍の方?」

 「はい、初めまして。国防海軍少佐、多目的フリゲート『ふぶき』艦長の河内翔(かわちかける)と申します。弟さんとは士官学校時代の同期でして、おかげさまで色々と世話になっております」

 「あっ、ふぶきの…。河内艦長、この度は急な要請にもかかわらずご協力ありがとうございました。感謝します」

 お互いに敬礼を交わした後、蒼は急に何やら気まずさを覚えた。司の乗るはるなと同様、ふぶきも先ほど自分たちの支援のために出動した当事者だ。つまり、彼女の乗員にも沿岸警備隊に対して不満を抱えている者がいるかもしれない、ということになる。数分前に司が投げかけた言葉が、蒼の脳内を駆け巡った。もしもこの河内少佐もそうした1人であるなら、今のうちに鎮火しておいた方がよさそうだ。

 「ただその…、せっかく出動いただいたのに結果的に徒労に終わらせてしまったこと、お互いにうまくコミュニケーションを図れないまま対処を進めてしまったことについては、申し訳なく思っています。お詫びさせてください」

 そう意を決して口にした蒼だったのだが、返ってきたセリフは予想外のものだった。

 「いえ、そんな必要はありません。お詫びいただくには及びませんよ。あの時の状況から、貴艦がどのようにしてあの潜水艦を撃沈するに至ったかは大体察せましたから」

 「えっ!?」

 想像もしていなかった言葉に、蒼は驚いて思わず目を見開く。その目に映った河内の顔は、穏やかな笑みさえ湛えていた。

 「海軍も沿岸警備隊も、所属艦船は例外なくNTISに加入しているでしょう?あれを見て、戦闘の様子は全部こちらでは把握できていました。あなた方が当初の任務を放り出すことなく、敵潜水艦に4発もの魚雷を打たれてもなお、救難ボートに乗せたオリオン乗員の回収を優先していたことも含めてね」

 「っ…!!」

 蒼はその言葉に息をのんだ。まさか、海軍と沿岸警備隊共通の情報システムがこんなところで生きることになろうとは。

 「正直、驚きました。まさかそんな言葉が聞けるなんて思ってもいませんでしたから」

 しばし間を置いた後、蒼は口を開いた。

 「実はつい今しがた、弟がここに怒鳴り込んできたんです。呼び出しておいて連絡もなしに勝手に戦闘なんか始めるなと。『海軍では、この件ではらわたが煮えくり返っている人間は1人や2人ではない』とも言っていました。てっきり、あなたも今回当事者である以上そのお1人ではないかと」

 「いえいえ、とんでもない。自分はそんなことは微塵も思っていませんよ」

 河内はかぶりを振った。

 「まぁ、確かにそういう意味でカッと来ている人間はいるかもしれないですよ、率直に言えば。真行寺がここに怒鳴り込みに来たのは僕も知っています。ですが、機械的な問題などでお互いに連絡が取れなくなるのは、もちろん望ましくはないですがそれほど不自然な状況じゃありません。まして戦闘中の艦ならね。大方、今怒っている連中がいるとすれば、その大半は国防海軍初の実戦での功を挙げる機会を潰された、とでも思っているんでしょう」

 それに、出動要請を受けた当初は本当にこれが通商破壊であるのかどうか確信が持てなかった者も海軍側には多く、そのせいで初動が少し遅れた面もありました。航路上でそれが事実だと我々も気づきましたが、結果的にその遅れが原因で戦闘に参加するには至らなかった。だから、本来は海軍もあなた方に文句をつける筋合いなんかないんですよ。

 「あなた方沿岸警備隊は『海上における法の執行権を持つもう1つの海軍』を自認され、準軍事組織として戦闘と人命救助・治安維持の両方を一手に担っておられます。その点において、純然たる軍隊である我々海軍とあなた方は格好こそ似ていても、厳密には毛並みが異なる。その違いを十分に理解しきれないがために、時には不平不満を言う者も国防海軍には残念ながらおりますが、必ずしもそういう軍人ばかりではないということを、あなたには是非お伝えしたかったんです」

 河内は最後に「では、船に戻らなければなりませんのでこれで失礼します。今後も引き続きよろしくお願いします、真行寺一佐」と付け加えると、一礼した後国防海軍の基地がある方向へと去っていった。

 「国防海軍少佐、河内翔、か…」

 その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、蒼は1人その名を呟いたのだった。

 

 「この度の貴国は、またずいぶんと派手にやらかしてくれましたな。我が国に対する落とし前、一体どうつけられるおつもりです?」

 外務大臣の町田友孝は、首相官邸の一室に急遽呼び出した駐日東亜連邦大使・李慶民を強い語気で問いただした。オリオンの一件は既に佐世保沿岸警備局から霞が関の中央司令部へ、さらに首相官邸やNSC(国家安全保障会議)にまで伝わっている。アジア海洋戦争終結から10年、そして日東両国が国交を回復してからはわずか3年のことだ。ようやく関係修復の道筋が見えてきた矢先の出来事に、日本側は失望を隠していなかった。

 「やらかし?何を仰るのか。我が国の海軍がとった行動はあくまでも正当防衛だ。件のタンカーは、我が東亜連邦の軍事警戒線を侵害するように航行していたのですぞ。陸上で軍事基地に侵入すれば、即座に射殺されても文句は言えない。それはいかなる軍隊においても万国共通でしょう。今回の一件は、それと同じ意味合いのこととしか申せませんな」

 李は流暢な日本語で反論してみせた。旧中国東北部の街・瀋陽出身の彼は、いわゆる中国朝鮮族の出だ。幼い頃から外交官を夢見ていた彼は、中国語・朝鮮語・日本語・英語に堪能なことに北京から目をつけられて、20年前に見事その目標を叶えた。元々の肩書は「駐日中国大使」だったが、日中開戦をきっかけに国外追放に。再び現在のポジションで日本に戻ってきたのは、東亜連邦大使館が開かれたのと同じ3年前のことだ。

 「その軍事警戒線とやら、貴国が主張されていることは本省も耳にはしています。だが、それは国際的な承認を正式に得たわけでもなく、あくまでもあなた方が一方的に主張しているものに過ぎない。少なくとも、我が国はそんなものを承認した覚えはありませんが?」

 「軍事警戒線は、我が国の『領海法』を根拠に定めているものだ。我が軍はあくまでも法に則って行動しているだけ。それは尊重していただかなければ困る。もしそうしないというなら、それは内政干渉と呼ばれても文句は言えぬのでは?」

 「領海法、ねぇ。かつての南シナ海における『九段線』と同じ論理ですか。どちらにしても、我が国が承認していない法律の規定を他国に押し付けようというのは、成熟した国家の在り方とは到底思えませんな」

 町田はわざと、大げさにため息をついてみせた。

 「大体、あなた方は自分たちがしたことの重大性を理解しておられるのか。東亜連邦は、あくまでも正当な業務のためにあの海域を無害通航していた民間タンカーを、戦時下でもないのに雷撃し沈没させたのだ。我が国の経済活動を武力によって寸断しようと言わんばかりの行為は、断じて許容するわけにはいきません。一般論として、百歩譲ってやむを得ず実力行使に至るとしても、事前に然るべき方法で警告をよこすのが筋でしょう。

 警告ならば事前にした?オリオン上空に海軍の偵察ヘリを飛ばした?それは妙な話ですな。確かにオリオン乗員はそのヘリコプターは視認していたものの、音声では何も通告がなかったために貴国海軍の所属だとは分からず、ましてや軍事攻撃の警告だとは受け取らなかったと証言しておられるが。それで警告したことにしてしまうなら、その行いは正義に背くものと言わざるを得ませんね」

 「正義に背く、だと…?」

 一方的に反論を許した李は、徐々に外交官としての冷静さを失い始めていた。

 「それを言うなら、日本側にも責められるべき点はあるではないか。我が国の方だって言いたいことはあるぞ」

 「責められるべき点?はて、何の話でしょうか」

 「とぼけるんじゃない!!沿岸警備隊の巡視船に偽装した戦闘艦を現場海域に送り込んで、我が国の原潜をだまし討ちさせたではないか!!それこそ卑怯者だ!!」

 顔を真っ赤にして叫んだ李に向かって、町田はなおも一歩も引くことなく口を開いた。

 「大使、あなたは何か勘違いしておられるようだ。確かに我が国が送り込んだのは実質的には戦闘艦扱いされている船だが、あれは偽装艦ではなく正式に沿岸警備隊に籍を置いているのです。我が国の法における分類上は、あれはあくまでも巡視船の一形態なのですよ。如何に軍艦並の重武装を備えていようとね」

 「馬鹿を言うな!!アクティブソナーを打ち、短魚雷を放ち、5インチサイズの速射砲をぶっ放す船が巡視船のはずがないではないか!!そんな巡視船が世界中のどこにある!!」

 「たとえ他国にそんな船がなかろうとも、少なくとも我が国にはある。それだけが事実です。先ほどのあなたの論理に則れば、貴国もそれを規定している我が国の法体系を尊重すべきと考えるが、いかがですかな?」

 口をつぐむしかない李に対し、町田は反撃を許さずとばかりに言葉をつないだ。

 「そもそも、今回出動した沿岸警備隊の巡視船に対しては、我が国は本省や沿岸警備局を管轄する国土交通省、さらには首相官邸に至るまでいかなる組織も『潜水艦を撃沈せよ』などという命令は出しておりません。いくら10年前まで敵国同士だったとはいえ、流石にこのような愚行にあなた方が走ることはないだろうというのが我が方の判断だったのですから。そして当該潜水艦との交戦当時、その船の無線機は直前に潜水艦が仕掛けたミサイル攻撃によって破壊され、外部との通信手段が遮断された状態でした。したがって、今回の対潜戦闘はあくまでも乗員たち自身の判断で、その人命を守るための自衛権行使の一環として行われたにすぎない」

 とどめとばかりに町田の口から放たれた言葉の刃が、李を鋭くえぐった。

 「あなた方は、むしろ幸運と思うべきです。この一件には我が方も海軍を出動させていたが、結果として10年前のような軍事衝突までには至らずに済んだのですからな。とにかく、今回の一件について我が国は断固として貴国に抗議し、生じた物理的・経済的損害に対する適切な賠償を請求する。ご不満ならば、ハーグの国際司法裁判所にてお会いするということで」

 あぁ、それと念のため申し上げるがこれは警告です。今回はこれで済んでも二度はなきものとご承知おきください。そして巡視船の件だが、我が国があのような船を建造し運用することになった理由は、あなた方東亜連邦が作ったということをお忘れなく。

 「グググ…」

 立場上安易に引くわけにもいかず、さりとて町田を論破するうまい方法もついに見つけられなかった李は、己の歯がゆさに歯ぎしりするしかなかった。




町田外相のこの無双っぷりw 現実世界における河野外相もかなりはっきりと言うべきことを主張するタイプの方で、支持者からはかなり人気を集めているようですが(自分も割と好きなタイプです)、この町田大臣はそれすらも凌駕するかも分かりませんね。でも、こういうことが言えるのもやっぱり軍事力の裏付けがある程度しっかりあってこそなんだと思います。外交と武力のシナジー効果大事。

と言いつつも、どうも海軍の側では沿岸警備隊に対し不快感を持っている人間もいるようです。河内少佐は打ち消してはいたようですが、果たして。そこは次回以降のお楽しみにできればと思います。それではまたお会いしましょう。


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第二章:沿岸警備隊vs海軍(中篇)

どうも、SYSTEM-Rです。今回の話には、今までは焦点が当たってこなかった海曹や海士という階級に属するキャラクターたちが、複数登場してきます。幹部勢はもちろん、それ以外の面々にも今後注目していただければ嬉しいです。また、終盤では何やら不穏な出来事も…。それではどうぞ。


 「あー、疲れた…。もう流石に限界だわ…」

 蒼はそう吐き出すや否や、勢いよく椅子の背もたれにもたれかかった。ここは、ふそうの艦橋構造物内の一角にある艦長室。この船を取り仕切る立場にある蒼にとっての仕事場の1つであり、また課業収めの後は一息つくためのプライベートスペースでもある。

 オリオン乗員救出と長征2901の撃沈から一週間。この間の蒼にはまさに一息つく暇さえ与えられなかったと言っていい。霞が関の沿岸警備隊中央司令部や、その上位にあたる所轄庁たる国土交通省、外務省、内閣官房、NSCなどありとあらゆる官庁から、本件についての聞き取り調査を受けていたのだ。

 それと並行して、オリオン乗員への見舞いや船を運航していた帝国汽船が被った損害に対する補償についての話し合い、オリオンと同じ航路を採用する他の海運企業に対する説明会などもこなさねばならず、まさに目が回るほどの忙しさだった。そのうえオリオン事件がブレイキングニュースとして国内で報じられるや、情報をかぎつけたマスコミに追い掛け回される羽目にもなっている。いずれも大事な仕事なのは重々承知の上だが、こんなに振り回されるならいっそ撃沈しなければよかったかもしれないという、少々罰当たりなことも考えたくなってしまうのは人のサガだろうか。

 幸い、明日はようやく久しぶりのオフがもらえる。あまりにもあちこちから引っ張りだこにされていたがために、「流石になんとかしてくれ」と播磨に泣きついた結果、お許しが出ることになったのだ。普段は冷静な部下が珍しく吐いた弱音に、司令も流石に対応せずにはいられなかったのだろう。明日はもう半日くらいぶっ倒れたまま寝ていようかしら。そんなことを蒼が内心呟いた時だった。

 「失礼します」

 閉じておいたドアの外から声がする。慌てて姿勢を正してから「どうぞ」と応じると、1人の部下がドアを開けて入ってきた。主計長の白金三佐だった。よく見ると、蒼の好物であるバニラアイスが盛られた皿を、トレーに乗せて運んできているではないか。ご丁寧にミントの葉まで飾ってある。

 「遅くまでお疲れ様です、艦長」

 「あら、ありがとう。わざわざ差し入れ?私の好物を持ってきてくれるなんて、流石に気が利くじゃない。だけど、私にだけこんなもの持ってきて大丈夫なの?」

 「フフッ、そこは主計長権限で…と言いたいところですけど、他の乗員は今日の夕食で皆頂き済ですから。あと残ってるのは艦長の分だけですよ。なのでどうぞご遠慮なく」

 白金はこともなげに穏やかな笑みを浮かべる。

 「このところ、ずっと忙しそうでしたからねぇ。休める時はしっかり休んでいただかないと、お体に障りますよ」

 その言葉に蒼は「ありがとう」と礼を言いつつスプーンを手に取ろうとするも、ふとその手を止めて大きなため息をついた。

 「…、もう、弥生?いくら乗艦中だからって、2人きりでいる時くらい敬語は外しなさいよ。中高の同級生でしょ。お互い何年の付き合いだと思ってるのよ」

 「今年で17年目です。あいにく今は上司と部下の間柄ですけどね」

 そう言いながらもニコニコしている白金に向かって、蒼はぼやいた。

 「30歳なんて若さで一佐に昇進しちゃったせいで、この船の佐官はあなた以外ほぼ全員年上。年上の部下から敬語使われるのって、こっちからしてみれば案外気を遣うのよ?だからと言って、お互い年相応の言葉づかいで大っぴらにやりあうのは、それはそれで指揮統率にかかわるからあまりやりたくもないし」

 蒼は学生時代、佐世保市内にある中高一貫校で6年間を過ごした。そして中学1年生の時に、親の仕事の事情で千葉から佐世保に引っ越してきた白金は、くしくもその6年間ずっと彼女のクラスメイトであり、そしてかけがえのない友人の1人だ(蒼が現在流暢に標準語を使いこなせるのも、ある面では白金のおかげと言えるかもしれない)。12年前に高校を卒業後、蒼を沿岸警備隊士官学校の前身たる海上保安大学校に誘ったのも彼女だ。

 一等海佐にまで昇進した蒼にこそ及ばないものの、同じく30歳の若さで三等海佐の階級を手にすることになった彼女もまた、沿岸警備隊員としては非常に優れた能力の持ち主だ。だが、彼女の本領は戦闘や取り締まりといった派手な大立ち回りにおいてではなく、むしろ裏方としての仕事場で発揮される。蒼もほれ込んだ温厚で心優しい性格から、白金が取り仕切る第4分隊こと主計科では、階級にかかわらず大いに慕われる存在だ。

 外洋での長期航海時の食事作りや、乗員の勤務シフト及び給与管理、その他各種書類作成などを任務とする主計科。その中で、とりわけ白金が存在感を発揮するのは食事作りだ。元々料理好きの彼女は現場を取り仕切るだけではなく、自ら曹士とともに献立を作ることも多い。たとえ失敗しても決して頭ごなしに怒鳴ったりはせず、面倒見よくフォローアップを怠ることもない。女性としての思いやりにあふれた「いい意味で」軍人らしからぬマネジメント手法や、もともと曹士の面々とは年齢的にも近いこともあって、上官というよりはむしろ「優しいお姉さん」として部下たちからは懐かれていたのだった。

 「まぁ、ともかく私だってたまにはこの船の仲間と、お互いにフラットな関係で話がしたいの。そういうわけだから付き合いなさい。艦長命令よ」

 蒼が冗談めかした口調でそう命じると、白金は苦笑いしつつ肩をすくめながら「まぁ、艦長のご意向とあれば」と呟いた。それに頷いた蒼も、仕切り直しとばかりにアイスを食べ始める。

 「で、どうだったの?お役人さんたちとの折衝は」

 「正直相手するの疲れるわよ、堅苦しい雰囲気の人たちだらけだし。大体、あの人たちいつも別々に時間取って聞き取りするくせに、揃いも揃って毎回同じようなことばかり聞いてくるのよ?いい加減勘弁してよって思ったわ」

 「アハハハ。どうせなら、記者会見みたいに全部まとめてやれればいいのにね。まぁ裏でどう思ってるかはともかく、表面的にはちゃんと律儀にそれに対応するあたりは、流石蒼だと思うけど」

 それまでとは一転して、「友人モード」にギアをシフトチェンジした白金は、声をあげて笑った。

 「仕方ないでしょう、それが仕事なんだから。ただでさえセンシティブな案件なんだし、私の振る舞い如何ではこの船の乗員全員に、妙なイメージがつきかねない。やっぱりそれは避けたいのよ」

 「ちゃんと私たちのことも考えてくれてるんだね、ありがとう。やっぱり蒼って昔から変わらないよね、そういうとこ」

 「どういたしまして。人の性分なんて、そう簡単には変わるもんじゃないわよ」

 学生時代の蒼は、中等部でも高等部でも生徒会長に選ばれていた。生徒会としての多くの仕事を、時には裏でその苦労をぼやきつつも表ではそれを決して見せることなく、与えられた責務を行動力と責任感を以て果たしていく。そんな彼女を親友としてそばで見守りつつ、時には愚痴の聞き役にもなってあげるのが、当時からの白金の役割だった。時が経ち、戦う場所が変わってもこの2人は確かに変わらないのかもしれない。そして、そんな役回りを嫌な顔一つせずに引き受けてくれる彼女のことを、蒼の側もまたかけがえのない存在として大切に感じていたのだった。

 「それにしても、今回は日本の縦割り行政の弊害って奴を肌で感じたわ。もちろん、そんなもの今に始まった話じゃないんだろうけど」

 「まぁまぁ、かく言う私たち沿岸警備隊と海軍だって、わざわざ別々の組織として作られてるんだし。そういうものなんじゃない?」

 「まぁ、それは確かに…、うん。…、海軍か…」

 蒼は一度大きく息を吐きだしながら呟いた。その脳裏には一週間前、播磨への報告中に司が局長室に怒鳴り込んできた時の姿がまだ残ったままだ。それと、河内少佐のことも。同じ少佐ながら、それぞれが伝えてくれた海軍の「内部事情」はまるで正反対だが、果たしてどっちが正しいのやら。

 「ん?海軍がどうかした?」

 「あぁ、ほら。この間、司が局長室に怒鳴り込んできたって話、皆にもしたでしょう?あの時のあいつの姿が、どうにもまだ脳裏にちらついてるのよね」

 「あぁ、あの話か。フフッ、司くんも相変わらずだよね」

 白金は微笑むと、艦長室の一角にあった椅子を自分で引っ張り出してきて、それに腰掛けた。その顔が、指揮官の方を向く。

 「まぁ、私は司くんの言い分も分からなくはないけどね。結果として、私たちが自己解決しちゃったがために徒労に終わらせちゃったのは事実なわけだし」

 「そうは言っても、戦闘の結果お互いに意思疎通が利かなくなるのは、望ましくはないけどあり得ることではあるじゃない?」

 「もちろん、それは海軍の方も本当はきっと分かってるはずだよ。だから、今回のことはたぶん単純なボタンの掛け違いなんだと思う。お互いに言い分はあるだろうけど、日本の海を守る者同士分かり合える時はきっとくるでしょ。気にしすぎることないよ」

 そう言って、白金はまた穏やかに微笑んだ。その表情に思わず蒼も相好を崩す。

 「やっぱり、弥生も昔から変わらないわよね、そういうところ。あなたみたいないい子は、きっと早々と素敵なパートナー見つけて幸せな引退するんだろうなんて勝手に思ってたのに、まさかこの年まで独身のまま沿岸警備隊員やってるとはね。世間の男どもはいったい何を見てるのかしら」

 「いやいや、それはお互い様でしょ。この仕事は好きだから別に不満はないし。蒼こそ、早めに寝ないとお肌に悪いし、せっかくの美人が台無しだよ。私たち、なんだかんだ女としてはもう若くはないんだからさ」

 「それはどうも。うーん、そうねぇ。そろそろお風呂でも入らないとかしら。せっかくだから、曹士の子たちにも色々話は聞いてみたかったんだけど…」

 蒼は名残惜しそうに後ろを振り向いた。艦長室の窓の外に、夜の闇に包まれた漆黒の佐世保港が広がっているのが見える。

 今回のオリオンの一件について、蒼自身はこれまで船の外部にいる人々とやり取りする機会は数えきれないほどあったが、一方で同じ船の乗員たちとはあまり意見交換ができていなかった。もちろん、そんな余裕がないほど目まぐるしい一週間であった為なのだが。特に、作戦中は常に最前線で手足となって動いてくれていたはずの海曹や海士たちが、一体どのようにこの事件を捉えていたのかには蒼は興味があった。

 年齢的にも近いだけに、あまり心理的な距離が遠くならないようにとは日頃意識をしていても、やはり自分たち幹部と彼女たちの間にはどこか見えない壁がある。たまにはそれを取っ払って、同じ船の仲間同士という立場で話をしてみたかったのだ。

 「うん、ごちそうさま。おいしかったわ。よし、じゃあ行きますか」

 蒼はアイスを食べ終えると、何かを決意したように立ち上がった。

 「あ、お風呂入るの?じゃあ、私もそろそろ外すね」

 「ええ。もういい時間だしね。来てくれてありがとうね、だいぶ気が晴れたわ」

 蒼は礼を言うと、艦長室の奥にある寝室から着替えや入浴セット一式を取って戻る。てっきり、艦長室に併設されている個室風呂に入るものだと思っていた白金は、指揮官の予想外の行動に驚いた。

 「えっ、ちょっ…。蒼、どこ行くの!?そっちは曹士の子たちのお風呂だよ!?」

 「聞き取り調査よ。()()()()()()()()()()()()()()()()でしょ。善は急げ、思い立ったが吉日よ。たまには部下とも包み隠さず、本音で話し合える場を持たないと」

 「包み隠さずってそれ、何も物理的な意味でやることないでしょ!?」

 なおも困惑する白金をよそに、蒼は悠然と廊下の向こうへ去っていく。その後ろ姿に、1人残された主計長は「もう、後でケチついても知らないからね」と呆れたように呟くしかなかった。

 

 ふそう艦内の風呂は、艦長用・士官用・その他科員用と3つが存在する。まさか、自分たち科員用の風呂にこの船のトップが殴り込んでくるなどとは、当然ながら夢にも思っていない入浴中の若い隊員たちは、突然の大ボス出現に大パニックになった。

 「えっ、ちょっ、まっ、艦長!?なんでわざわざこっちのお風呂に!?」

 航海科所属のラッパ手・紺野美咲海士長が、蒼の姿に素っ頓狂な叫び声を上げる。

 「皆急いで体洗って、早く上がって!!巻きで!!」

 誰からともなく浴室内にそんな声が上がったが、蒼はそれを苦笑交じりに制した。

 「やぁねぇ、お互い裸同士で階級なんか気にするもんじゃないわよ。急がなくていいからそのままゆっくり入ってなさい。あなたたちに用があって、一緒に入りたいと思ったからこそこっちに来たんだから」

 「えっ…!?」

 その声を耳にした全員が、目を見開いたままその場に固まる。

 「私はこの船のリーダーとして、あなたたち乗員の声にしっかりと耳を傾け、常にその動向に気を配りながら、少しでもあなたたちが働きやすいように環境を整えていかなければいけない。そういう責任を負っているの。これはあくまでもその一環よ」

 艦長を筆頭とする幹部は、何も偉そうに椅子に座ってふんぞり返っているためだけに士官としての座を与えられているわけではない。トップにいる自分は、自身のものも含めて248名分の人生をその両肩に背負っているのだ。その中でも最もケアすべきと蒼が常々考えているのは、艦内でもピラミッドの最下層にいる海士の面々である。

 全部で16階級ある沿岸警備隊の階層構造の中で、例えば一等海佐と一等海士は名称こそわずか1文字の違いでも、その間には歴然とした差が存在する。だが、ひとたび海に出れば同じ船の上で運命を共にする以上、幹部にとっては海士の面々とて誰1人取るに足らない存在などではないのだ。仕事上で海士が抱える問題は、それすなわちその船自身が抱える問題といえる。やがては巡り巡って他の乗員、最終的には自分自身がそれに引きずられることのないよう、細心の注意を払っていかねばならない。些細な問題と力ずくで封じ込めるのは簡単だが、それは蒼がよしとするところではないのだ。

 「通常なら、先任伍長たる海曹長があなたたちからの意見を吸い上げて、私に色々と伝えてくれるところだけど、いつもそればかりじゃお互い顔が見えないでしょ。ここ最近はずっと船の外で駆けずり回ってばかりだったから、なおさら私からは皆のことは見えてなかったしね」

 蒼の言葉に、隊員たちはあっけにとられたまま耳を傾けている。

 「というわけだから、この機会に色々と聞かせて頂戴。仕事のこと、プライベートのこと、悩んでることなど何でもいいわ。こういう場だから、もちろん無礼講よ」

 「ハッ、ハイッ!!ありがとうございます!!」

 ようやく蒼の意図や思いを理解できたのか、それとも「無礼講」というセリフに反応したのかは分からないが、部下たちはその言葉にやっと笑顔を見せたのだった。

 

 「それにしても艦長、初めて見ましたけどめちゃくちゃスタイルいいですよね…」

 「本当、超羨ましいです。30歳の身体とは思えない…」

 洗い場にいる蒼の姿に見とれる紺野の言葉に、同じ航海科の黒木恵麻二等海曹が同調する。年齢は紺野が22、黒木は26歳だ。年齢的には蒼よりも年下で、女性としてはむしろ彼女たちの方が花盛りともいえる年頃ではあるはずなのだが。

 「そう?ありがとう。まぁ、私もあなたたちと同じように厳しい訓練を潜り抜けてきてるからね。それで鍛え上げられてるから、自然といい感じに筋肉もつくわよ」

 「確かに、海軍との共同訓練は死ぬほどきついですもんね。私、一般募集で沿岸警備隊に入隊した時に、まさか海軍の教育隊に放り込まれるなんて思ってなくて。正直これ生きて帰れるのかなって思いましたもん」

 紺野は「それでも、なんだかんだ色んな意味で鍛えられましたけど」と笑った。

 「まぁでも、艦長はあれですよ。きっと女性として持って生まれたものが違うんです」

 黒木が横から口をはさむ。

 「そう?あんまり意識したことないけど」

 「そうですって。何なら、今からでもヌードモデルにでも挑戦されたらいかがです?きっと艦長のグラビア、高値で飛ぶように売れますよ」

 蒼が思わず吹き出したので、他の隊員たちもつられて笑いだした。だが、中にはその顔が引きつっている者もいる。いくら無礼講とはいえ、二等海曹の分際で艦長相手にずいぶんとまたずけずけと物を言ったものだ。事前にその条件設定がなければ、問答無用でシバかれていても文句は言えない。

 「馬鹿ねぇ、いくらなんでも現役中にそんなことできるわけないでしょ。大体まだ私はこの仕事を辞める気はないし、退役した頃にはきっと()()()()()()よ」

 ひとしきり大笑いした後、蒼は軽い口ぶりながらも黒木の発言に釘を刺した。まぁ、たまには大目に見よう。そもそも無礼講と言ったのは自分の方なのだ。

 「すみません、ちょっと調子乗りすぎました」

 黒木が手を合わせて発言を詫びた時だった。ふと、蒼が何かに気づいて耳をそばだてる。今遠くで、何かラッパの音が聞こえたような。

 「ねぇ、今何か聞こえなかった?」

 「…、出港ラッパですかね?」

 

 「ソシレソー、ソシレソー、ソシレソーシレッレレー♪」

 「出港用意!!」

 

 今度ははっきりと、メロディとその後の号令が聞こえた。

 「やっぱり、ラッパの音だわ」

 「出港ラッパですね。それも、うちじゃなくて海軍の」

 紺野が先ほどとは一転して、真面目な顔で頷く。

 「こんな夜になってからとは珍しいわね。明日の出港に備えての練習かしら?」

 蒼が呟いたのに対し、紺野は真顔で首を横に振った。

 「いえ。私たちラッパ手は、練習でああやって音を出したりはしませんよ。この時間帯にやるのは近所迷惑ですし、そうでなくとも実際の出港と勘違いされれば大ごとですから。わざわざああやって鳴らしたということは、本当に出て行ったということです」

 「こんな時間帯に2隻も?夜間訓練でもやるのかしら?そんな話、私も聞いてないけど」

 「私たち軍人は24時間体制の仕事とはいえ、こんな暗くなってから港を出ていくなんて、海軍もよくやりますよねぇ」

 黒木が苦笑交じりに呟いてからしばらく経った頃、ふいに艦内放送がかかった。

 「達する。船務長の葛城です。艦長、至急ご報告申し上げたいことがあります。恐れ入りますが艦橋までご足労ください」

 予想もしなかった呼び出しに、蒼は他の隊員たちと顔を見合わせたのだった。

 

 「主計長から聞きましたよ。まさか、本当に曹士の面々と一緒に入浴してたとは」

 風呂上がりの蒼と合流した葛城は、呆れたような表情で彼女の顔に目をやった。

 「たまには、下士官以下の子たちとも腹を割って話す機会を作らなきゃと思ってね。本当は色々と聞き出したいことがあったのだけど、その前に呼び出されちゃったわ」

 「…。まぁ、艦長なりのお考えがあってのことならいいですけど。危機管理のやり方としては、私は個人的にあまり感心しませんね」

 その言葉に思わず苦笑いを浮かべた後、蒼は話題を変えるように「で、用件というのはさっきの2度の出港ラッパについてかしら?」と尋ねた。

 「やはり艦長もお聞きになってましたか」

 「えぇ、1回目はともかく2回目はハッキリと聞き取れたわ。やっぱり、本当に2隻出て行ったのね?」

 「えぇ。航海科の当直が全員目撃してました。報告は彼女たちから詳しくさせようかと」

 葛城がそう答えたちょうどその時、2人は艦橋に到着した。紺野や黒木から当直を引き継ぎ、見張りに立っていた航海科の面々が一斉にこちらに向けて敬礼する。

 「桜井、お待たせ。艦長をお呼びしたから、さっきの話について詳しく報告してくれる?」

 彼女たちに向かって葛城が声をかけると、1人の若い隊員がこちらに歩み寄ってきた。桜井詩音(さくらいしおん)海士長。紺野と同期で、ちょうど先ほどの引継ぎの際に役割を交代したのが彼女だ。蒼の真正面まで来ると、彼女は緊張感のある表情を崩さないまま再び敬礼した。

 「報告します。先ほど、2142から2147にかけて国防海軍のフリゲートが2隻、相次いで佐世保港を出港していきました」

 「出港していった艦は特定できた?」

 「はい。どちらも艦番号はここから視認できました。『FFM-830 ふぶき』、『FFM-831 しらゆき』の2隻です。ここにいる人間は全員確認しています、間違いありません」

 (ふぶき…。河内艦長の船ね)

 一瞬、脳裏にあの好青年の姿を思い浮かべた後、蒼は桜井に尋ねた。

 「この時間に海軍が出ていくなんて、ずいぶん珍しいわよね。2隻が出港していった理由は確認できたかしら?」

 「それについてなのですが…」

 その問いかけに、桜井はふと困惑したような表情を浮かべた。

 「出港時の様子をこちらから伺っていたんですが、どうもやけに切羽詰まった雰囲気というか、何か急を要する事態に備えている様子だったんです。普段よりもかなり慌ただしい感じで。それで、これは何かただならぬことが起きていると思って、船務長にご報告の上で確認のご連絡をしていただいたんですけど、なぜか答えてくれないんですよ」

 「答えてくれない?一体どういうこと?」

 「何を聞いても、『通常の夜間訓練の一環だ』の一点張りで。ふぶきもしらゆきもまるで梨のつぶてでした。こっちの司令にも一応聞いてみたんですが、海将補も海軍からは何も聞かされてないとのことです。海軍の夜間訓練とか、長期航海中に外洋でやるならまだしも、夜中にフリゲートが2隻も出ていくなんてめったにあることじゃないのに」

 葛城がため息をつきながら、それに代わって答えた。

 「この間の一件への意趣返しのつもりなんでしょうか。情報共有の在り方としてはずいぶんといただけないやり口だと思いますが…」

 「いずれにせよ、実際には夜間訓練などではない『何か』があったのは間違いないという事ね?」

 「えぇ」

 頷いた桜井に対して「分かったわ、ありがとう」と礼を言うと、蒼は近くにあった窓から海軍基地の方向に目をやる。その一角、夜間照明で煌々と照らされているターミナルには、つい先ほどまでは艦艇が停泊していたと思われるものの、今は暗い水面がゆらゆらと揺れているだけだ。

 (河内艦長…。一体何があったというの…?)

 夜の佐世保港は、その問いには答えてくれなかった。




白金三佐は完全に「いい子」キャラ路線でキャラ設定してます。こういう友達って、一緒にいるとすごく癒される存在だろうなと思いますね。男女関係だったら、単なる女友達では済まなくなる人も少なからず出そうですが。

ちなみに30歳という年齢に引っかかったそこのあなた、これでもフィクションレートで年齢相当割引いてますからね!リアル軍隊だったら、佐官クラスは35歳オーバーとかザラだと思いますよ。海自ではどう転んでも、30歳の三佐は誕生しえないでしょうね。ましてや蒼の抜擢された一佐なんて…。まぁフィクションだからできることですね。

最終盤では海軍が謎の(というか何やら不穏な)行動をとりますが、これについては次話で種明かしする予定です。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第二章:沿岸警備隊vs海軍(後篇)

どうも、SYSTEM-Rです。第二章は全部で4話構成にする予定だったのですが、文字数や話の展開上今回で締めとしたいと思います。今回は、前話の最終盤で海軍が出動していった経緯が明らかになります。それではどうぞ。


 「いいんですか、仮にもオフの日に公用車を乗り回すような真似して。ガソリン代の財源だって、国民の血税でしょ」

 河内は、横に座る蒼の姿を横目で見ながらぼやいた。ふぶきとしらゆきの出港から一夜明け、乗員とともに佐世保港に戻ってきた彼は任務から解放された。夜勤明けの状態で自宅に帰ろうとしていたその途上、佐世保基地近くの路上で蒼に「せっかくだから、一緒に朝ご飯でもいかが」と声をかけられて、彼女の車に乗り込んでいたのだった。

 これは自衛隊時代からそうだが、大佐相当以上の士官には専用の公用車が支給され、自宅から基地に乗り付ける際などは基本的にこの車に乗って「出勤」するのが習わしとなっている。それは所属軍種こそ違っても、かつての海自と同じ「海将」「海将補」「一等海佐」の階級にある沿岸警備隊員も同様だ。もちろん、これは蒼に対しても当てはまる。しかも今は西暦2032年、支給されているのはAIによって操作されるドライバーいらずの自動運転車だ。

 「一佐にもなれば、ちょっとそこまで出かけるのにも色々と制限がかかるものですから。そうやすやすと気軽に遊びには行けないのよ。その理由は大体想像がつくと思いますけど。あなたもいずれ大佐に昇任すればこうなるわ。覚えておくことね」

 蒼はそう答えると、持っていたコンビニの袋の中からエナジードリンクの缶を取り出し、河内に手渡そうとした。

 「流石に任務明けでお疲れでしょ。よかったらどうぞ」

 「いえ、結構です。人から頂いたものに手を付けることには、慎重な主義でして」

 「いやねぇ、ただの市販品よ。スパイ映画じゃあるまいし、何も変なものは入ってないわ。大体、あなたも私も同じ日本国の軍人同士でしょ。例えば同業者に妙な薬を盛ったりして、それで私に何かメリットがあるとでも?」

 そう言いながら口元に笑みを浮かべる蒼の顔を、河内はしばし無言で見つめる。だが数秒後、疲労感にも負けた彼は観念したかのようにその缶を受け取った。

 「…、なるほど。確かに何も変なものは入ってませんね。疑ってすみませんでした」

 「ほら、見なさい。職業柄疑り深くなるのは分からなくもないけど、あまり他人を信用しないのも考え物ですよ」

 蒼はそう言うと、一度窓の外に目をやった。快晴の空と佐世保港が目に入る。

 「それに、車内なら他人にも邪魔されず色々とお話もできますからね。()()()()()()()()()()()()()()()()も含めて」

 「他人には聞かれたくない話題、ですか。ずいぶんとまた意味深な言い方ですね」

 「えぇ。例えば、あなたがそれほどお疲れになった原因であろう、昨夜のふぶきとしらゆきの緊急出港のこととかね」

 突然ズバッと切り込んできた鋭い指摘に、河内は危うく口に含んでいたエナジードリンクを盛大に吹き出すところだった。

 「そのリアクション、やっぱり何かあったのね。単刀直入にお伺いします。昨晩、あんな遅い時間に何のために出港を?」

 「あなたもずいぶん趣味が悪いな。昨夜のことなら、そちらの葛城三佐に『通常の夜間訓練の一環だ』とお伝え済ですが」

 「えぇ、分かっています。確かに葛城からはそのように聞きました。だけど、それはあくまでも表向きの理由でしょう?」

 「表も裏も、我々はあくまでも訓練のために外洋に向かっただけですよ」

 「下手な嘘でごまかさないで頂戴。昨日の晩にうちの航海科の当直が、あなたの部下たちが大慌てで出港の準備に取り掛かっている姿を目撃しているのよ。もちろん葛城もね。皆口を揃えて『明らかに通常の訓練などではない、何かただならぬことが起きていると直感した』と報告してくれたわ。私も出港の場面そのものは見なかったけど、2度の出港ラッパは確かに聞いた」

 蒼は思わず語気を強めた。

 「大体、あんな時間にフリゲートが2隻も沖合に出ていくのが、通常の訓練であるはずがないでしょう?私は生まれてこの方30年間ずっと佐世保港を見つめてきたけれど、戦時でもないのに夜中に海軍艦艇が複数出ていくところなんて、ただの一度も見たことがないわ。見たところ、あなた方海軍の中ではかん口令が敷かれているようだけど、ということはそれ相応の事態が起きていたという事じゃないの」

 「…、なるほど。それを聞き出すためにわざわざ僕を白昼堂々拉致したと。いくら乗っているのがフリゲートとはいえ、艦長クラスの海軍士官をこういう形で連れ出すとは、ずいぶんとまた横紙破りなことをされますね。発覚すれば大問題になりますよ」

 「人聞きの悪いことを仰るわね。別にあなたの身柄をむやみに拘束する気はないし、食事ならちゃんとこれから連れて行くわよ」

 尤も、到着までには色々と「お話したいこと」があるけれどね、と蒼は付け加えた。その言葉に困惑の表情を浮かべる河内。そんな彼に向かって、蒼はなおも攻勢を強めた。

 「河内少佐。勝手ながら、あなたのことは少々調べさせてもらいました。あなた、うちの弟と士官学校で同期だと仰っていたけれど、単に入隊同期というだけでなく彼とは同い年、それも偶然にも生年月日が完全に同一という間柄だそうね。ということは、あなたは司の双子の姉である私とも、その点では同じ関係ということになる」

 蒼の鋭い視線が、河内の顔を捉えた。交差点で止まっていた車が、再び青信号に変わったのを機に動き出す。

 「いい?これは私の単なる個人的興味で聞いてる話じゃない。ましてや、防衛省や国交省というそれぞれの省庁の枠組みに留めておくべき話でもない。ことによっては、日本の国益にかかわる話にだってなり得るはずよ。そして、我々には組織人としての責務よりも重い、お互いの立場を越えて果たすべき軍人としての責務がある」

 あなたは海軍と沿岸警備隊の帯びる使命の違いを理解しつつ、それでも同じ日本の海を守る者として敬意を払ってくれている。そんなあなたとだからこそ、1人の同世代の人間として話すべきことがあるの。だから話して頂戴。その蒼の言葉に河内はしばし黙りこくっていたが、やがて大きくため息をつくと口を開いた。

 「やれやれ…。沿岸警備隊きっての美人艦長と評判の真行寺の姉、それも30歳の一佐というからどんな人物かと興味を持って声をかけてみたが、どうやら弟にも負けず劣らず想像以上に型破りなお方らしい。だけど、仕事に対するそういう熱い責任感を持ってるところは、正直嫌いじゃないな」

 その口調は、以前挨拶してきた時のような丁寧なそれとは違って、1人の30歳の若者らしいフランクなものに変わっていた。どうやら、彼なりに決心がついたようだ。

 「分かった、そこまで言うなら話すよ。その代わり、僕の口から流れたということがバレないよう、情報源の秘匿は確実にやってくれないと困るよ。お察しの通りこの件にはかん口令が敷かれてるし、上官に睨まれると厄介なんでね」

 「えぇ、もちろんそのつもりよ」

 河内のこの口調は、おそらく情報を流す相手として自分を認めたという証拠だろう。個人的に思い立ったこの「ミッション」の目的をようやく果たせる目途が立ち、蒼はその言葉に白い歯を見せて満足そうに笑った。

 

 「国防軍傘下の情報本部が運用している通信所、一佐もご存じでしょ」

 目的地のレストランが入居している商業施設の地下駐車場に車を止めると、河内は周囲を一通り確認してから話し始めた。情報本部とは、日本国防軍の前身たる陸海空自衛隊時代から三軍混成で運用されている、約2400名の人員を誇る日本最大の情報機関だ。海外の軍事情報を収集・分析し、作戦展開のために活用するのが仕事である。

 「えぇ。このあたりで一番近いのは、筑前町の太刀洗通信所だったわね」

 蒼の言葉に、河内は頷いた。

 「そう。その太刀洗通信所が昨夜の2117に、東シナ海方面から日本に向けて発信された不審な通信電波を傍受した」

 「電文の内容は?」

 「残念ながら暗号文で解読はできず、送信先も巧みにマスキングされていて特定はできなかった。ただ、送信元が海上からだったことは解析できたんだ。それであの時、近海を哨戒せよという命令が急遽ふぶきとしらゆきに下って、不審船の捜索のために出て行ったというわけ。残念ながら、一晩かけて探してもそれらしき船は見つからなかったけどね」

 河内はそう言うと肩をすくめた。

 「東シナ海方面からということは、発信源はやはり東亜かしら?」

 「先入観を持つことはよくないけど、直近の情勢を考えてもほぼ間違いなく東亜だろうね。もちろん、そう断定するだけの根拠もある」

 河内はそう答えると、「東亜連邦大使の李慶民という男を知っているか」と尋ねた。

 「直接会ったことはないけれど…。この間のオリオンの一件で、首相官邸に呼び出されて抗議を受けていたそうね。町田外相に自分の主張をことごとく論破されて、コテンパンにされていたと事情聴取に来た外務省の担当者が教えてくれたわ」

 「そう。その李慶民、あくまでも表向きは日本語も含めて4つの言語を流暢に操る一外交官だけど、実は結構後ろ暗い噂が絶えなくてね」

 「後ろ暗い噂?どういうことかしら」

 その言葉に、蒼のレーダーが鋭く反応する。

 「日本国内に潜伏してる東亜の工作員。その元締めとして彼が裏で動いている疑いがあって、公安に睨まれてるんだ。外交官には色々と特権があるからね、そういう疑いをもたれるのは別に不思議じゃない。あいにく、まだ決定的な証拠が挙がってないから彼らも手出しはできてないみたいだけど」

 「だけど、日本と東亜が国交を樹立してまだたったの3年よ?そこまで強固なネットワークが構築されているとは思えないけど」

 「彼が仕切ってるのは、『東亜連邦共和国』の建国宣言以降に入ってきた人間たちだけじゃない。それ以前、戦前の中華人民共和国時代から残っている者も含まれてるって話だ。開戦と国交断絶を機に多くの中国人が国外追放になったけど、残念ながらその当時はスパイ防止法もまだ制定前で、拠点は完全には潰しきれてなかった。それを李が再び繋ぎなおしたということらしい」

 「なるほど…。それにしても少佐、ずいぶんそこら辺の事情に詳しいじゃない。一介の船乗りが握れる情報量ではないわよね」

 不思議そうに自分の顔を見た蒼に、河内は「実は船乗りになる前の入隊間もない頃に、一瞬だけ情報本部にいたことがあってね。その筋の人ともちょっとばかり顔見知りなんだ」と意味深な笑みを見せた。

 「太古の昔から、中華民族はメンツを重んじる人たちだ。そして、大使は外国におけるその国の代表者でもある。たとえ客観的に見て自国に非があるとしても、大使が完膚なきままに叩きのめされれば、それは自分の国がプライドを傷つけられたのと同じ。彼らの思考回路ならそう取り得るだろう。まして、東亜から見た日本は10年前に自らを破りアジアの覇権を奪っていった、まさに仇敵なんだからね」

 「つまり、オリオン事件の事後処理で傷つけられたそのメンツやプライドを回復する目的で、東亜が今後何か日本に対して仕掛けてくる可能性がある、と?」

 「そういうこと。おそらく、太刀洗が傍受した電文は工作員、ないしはその元締めである李に何らかの行動を起こさせるための命令だったんじゃないか、と僕は睨んでる」

 「なるほどね…。話は大体分かったわ」

 蒼はそう言うと、一度大きく息を吐きだした。目の前を、空いている駐車スペースを探して車が1台走り去っていく。今ここにいる人々は、まさかこの車内でこんな重大な会話が交わされているとは夢にも思っていないだろう。

 「だけど、そんな重大な話ならなぜ海軍はこっちに情報を流さないの?そもそも、不審船への対処は私たち沿岸警備隊の職掌のはずよ。それを勝手に肩代わりした挙句、かん口令を敷いてまで黙っているなんて、正直言ってあり得ない対応だと思うけど」

 「それについては、海軍の一員として僕からは申し訳ないとしか言いようがないな」

 河内はそう答えると、ひときわ大きなため息をついた。

 「だけど、どうやらうちの上層部はこの間のオリオンの件で、僕も想像していた以上に沿岸警備隊に不信感を抱いてるらしくてね。特に、あなた方ふそうの乗員に対しては」

 「どうして?不可抗力とはいえ、意思疎通に不備があったことについては、こちらは全面的に認めてる。抗議に来た司に対しても私から直接謝罪しているのよ」

 「いや、それはそれとして原因はもっと他の所にあったんだ」

 蒼の訴えに、河内は首を振った。

 「あのオリオン事件の現場周辺が、うちの演習海域として設定されていることは一佐も知ってるよね」

 「えぇ、外洋に出る時はいつも邪魔にならないように、最大限配慮はしているわ」

 「そうしてくれていつも助かってるよ。ただ、今回はその沈没した位置とターゲットがうちにとって大きな問題になった」

 河内はそう言うと、じっと前方を見つめた。

 「実はあのオリオン事件の翌日、はるなとしらゆきはオリオンが沈没した海域のあたりで、ターゲット役としてそうりゅう型潜水艦『ひりゅう(SS-512)』を加えての、対潜戦闘訓練の実施を予定してた。それも奇しくも、想定されてたシチュエーションもオリオン事件とほとんど同じ形でね」

 「戦闘演習予定日の前日に、同じ海に()()()()()()ってわけね」

 蒼の言葉に、河内は頷いた。

 「沿岸警備隊ではどうか知らないけど、基本的に海軍の戦闘演習は抜き打ち実施が原則だ。一部の士官連中を除けば、大半の乗員は『その時』にならないとシチュエーションは知らされない。沿岸警備局からの通報は、筋は通っているとはいえよくよく聞けばいわば状況証拠だけだから、何も知らない大多数は潜水艦出現の報を疑ってたし、演習の内容を知ってた士官たちも日付間違いだと思ってた人間が多かった。加えて、急な出動要請だったから現場の指示も錯綜して、結局はるなの随伴艦はしらゆきではなく、ネームシップである僕のふぶきが務めることになった。それで、結果的に出動が若干遅れた」

 ところがいざ出動してみたら潜水艦は本物で、それも現場海域到着前に自分たちを呼び出した側であるふそうが、連絡をよこすこともなく撃沈して自己解決。沈没したオリオンから流出した大量の原油のせいで海面が汚染されて、翌日の訓練も中止。挙句、油の回収に使える船艇が足りないという理由で掃海部隊まで駆り出された。海軍側からしたら、オリオンの一件では一方的に沿岸警備隊に振り回された形だったわけですよ。

 (司が「こっちのスケジュールがまるっきりパーになっちまった」と言ってたのは、そういうことだったのね…)

 蒼の脳内で、司が局長室に怒鳴り込んできた一週間前の場面が再現された。もう、この映像も一体何回思い返しただろう。その背景にあるものが一体何なのか、あの時は全く想像も及ばなかったけれど、河内の証言でようやくパズルのピースが埋まったようだ。

 「しかし、その言い分は正直気に入らないわね。長征2901は、私たちが撃沈しない方がよかったとでも言うつもり?あれはあなたも見てくれてたように、あくまでも我々の身を守るためのやむを得ない自衛措置だったのよ」

 「もちろん分かってるさ。だけど言わせてもらえれば、対潜戦闘は本来海軍の職掌だ。哨戒任務が、確かに本来はあなた方の仕事であるのと同じようにね。対外的な抑止力として建造された沿岸警備艦が、海軍艦艇バリの対潜戦闘能力を持つことの意味を頭では理解していても、それを面白いとは思っていない海軍士官も少なくはなかった、という事なんだろう。自分たちの仕事に、よその軍から必要以上に干渉されるということだからね」

 「だからって、こんな国防上の重大案件をダシに意趣返しするなんて、はっきり言って海軍の良識を疑うわ。そんな子供じみた態度で臨んでいい事案じゃないでしょうに」

 「東亜と同じように、海軍上層部も案外プライドが高い連中が多いんですよ。男はえてしてそういう生き物だし、何より伝統ある大日本帝国海軍の正当な末裔、という自負があるからね。まぁ、意趣返し云々については僕も心底同意するけど」

 そうぼやいた河内の顔を見ながら、蒼はある決意を固めた。彼とてそんな海軍士官の一員であり、そして言葉は悪いが所詮はたかが少佐でしかない。だがそれでも、自身の所属する組織やこの国の未来を憂いて、かん口令を破ってでもこうして重要な情報を自分に伝えてくれている。変な言い方だが、「国のためにルールを破れる」人物ということなのだろう。そして、それだけのことをこうして自分に伝えようと決意したということは、相当な覚悟を固めたとみることもできる。ならば、その覚悟に自分も応えねばなるまい。

 「ねぇ、その電文を送ってきたとみられる不審な船舶、まだあなたたちの方では見つけられていないのよね?」

 「あぁ、大変残念ながらね」

 「だったら、あなたはいいタイミングでいい相手に話をしてくれたわ」

 そう言うと、蒼は何やら自信満々の笑みを浮かべた。

 「ちょうど明日から、私の船は交通整理と沿岸巡視任務に就く。その手の船舶への対処は、私たちならお手の物よ。もちろん、海軍に捜索能力がないとは思わないけどね。あなたは他の海軍士官と違って私たちに特に反感は抱いてないようだし、せっかく今回こうして話してくれたんだから目として存分に利用してくれていいわよ」

 「そう言ってもらえるなら、こっちとしては大変助かりますよ。餅は餅屋に任せた方が、何かと都合がいいしね」

 「フフッ、そうね。それと、今後のお互いのためにもこのホットラインは維持しましょう。もちろん、本来はもっとオープンに情報交換できるのが理想だけど」

 蒼はそう話を締めくくると、「話してくれてありがとう、とりあえず朝食は奢らせて」と言いながら車を降りようとする。だが、同じく車から降りた河内はそれに笑って首を振った。話す時の口調も、初めて会った時と同じ敬語調に戻っている。

 「いいえ。それには及びませんよ、真行寺一佐。流石に朝食代を出すのに難儀するほど金には困ってませんので」

 「あら、単なる情報料ってだけじゃないわ。1()()()()()()()()()()()()()()()ことに対するお礼でもあるんだけど?」

 「あなたに対してなら、誰だってあの程度の誉め言葉は言うでしょ。お気持ちだけ受け取っておきますよ、僕とて1人の男ですから。いくら相手が自分より上官でも、女性に奢らせるほど落ちぶれてはいません。さっき言ったでしょ」

 「男はえてして、プライドの高い生き物?」

 黙って笑顔で頷いた河内に、蒼は一瞬苦笑してから言葉を継いだ。

 「まぁいいわ。あなたに対する見返りとしては、それだけじゃ不足しているのはこちらも承知の上だもの。とりあえず、ネズミ狩りは任せておきなさい」

 

 「我々もずいぶんと舐められたものですね。まさか、海軍にそんな風に思われていたとは。正直心外です」

 河内との食事を終え、船に戻った蒼から事の顛末を聞かされた沢渡は、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべていた。一緒に話を聞いていた葛城や佐野倉、我那覇、灰原といった面々も同様だ。

 「現に襲ってきてる潜水艦を、うちが撃沈したのが気に食わない、と…?我々はなすべき仕事をなしただけでしょう。それにケチをつけるなんて…、ふざけてますね」

 「こげん大事な情報ばうちらに黙っとったなんて、あり得らんばい艦長!!今すぐ海軍に抗議しに行かな」

 「ダメよ、測量長。気持ちはよく分かるけど。これはいわば内部告発。そんな真似をしたら、勇気を出して情報を明かしてくれた河内少佐の安全が保障できないわ。情報源の秘匿は彼との絶対の約束よ。それは守らないと」

 憤慨する我那覇や灰原を、蒼は強い口調で制した。

 「ですが、どうするんです?どのみち、こっちがその不審船を見つけた時点で、我々に情報が流れたことが海軍にもバレる可能性は高いでしょう。もちろん、この『真行寺-河内ライン』を当面維持すべきというのには同意しますけど」

 葛城が腕組みをしながら、厳しい表情で尋ねる。

 「沿岸巡視中にたまたま見つけたとか、うまくぼかす方法ならあるでしょう。正直、お互いに情報戦のようなことをやるのは趣味じゃないけど…」

 蒼はため息をつきながら答えた。その重苦しい雰囲気を感じ取ったのか、他の面々も一様に難しそうな顔をする。

 「なんにせよ、それだけの重大事案が発生したのなら看過するわけにはいきませんね。我々もこの国の海を守る者として、できる限りのことはしなければ」

 佐野倉が意を決したように口を開く。航海長である彼女は、沿岸巡視任務においてはとりわけ重要なポジションを担う1人だ。自身がこれから果たすべき役割の重みを、十二分に感じ取ったらしい。

 「えぇ、もちろんそのとおりよ」

 蒼は頷くと、改まった口調で部下たちに告げた。

 「とにかく、明日からの巡視では各々が自分の最善を尽くすこと。たとえどういう意図であれ、日本に仇なす国の船がもしも近海を跋扈しているなら、それを確実に確保するのが我々沿岸警備隊の仕事よ。それと、もしも当該船舶と思われる船を発見したら、その情報はうちの本部だけでなく河内少佐率いるふぶきにも流すように」

 「Aye, ma’am!!」

 艦長室に、覚悟を決めた部下たちの張りつめた返答が響き渡った。この後、佐世保の地に大嵐が吹き荒れることになろうとは、この時のふそう乗員は誰1人思っていなかった…。




河内が海軍側で重要な位置づけを占めると書いた理由、これでお分かりになったでしょうか?今後も葛城が言うところの「真行寺-河内ライン」はちょくちょく出てくる予定です。蒼のセリフにもありますが、ちょっとスパイ映画っぽい感じの描写で書いてて面白かったですね。次回からは第三章に入る予定です。今後もお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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開戦前夜
第三章:開戦前夜(前篇)


こんにちは、SYSTEM-Rです。しばらく仕事の都合上更新ができていませんでしたが、ようやく環境が整ったので再開したいと思います。今回から第三章に突入、物語が大きく動き出すことになります。それではどうぞ。


 午前8時、海軍風に言い表すなら0800に時計が差し掛かる少し前。蒼はいつものように、沢渡と連れ立ってふそうの後部ヘリ甲板で行われる朝礼、および警備艦旗(海軍で言うところの軍艦旗)掲揚作業へと向かっていた。

 「今日で3日目、いい加減見つけたいですね」

 沢渡がふと呟く。

 「見つけてもいきなり砲撃するんじゃないわよ。目的は、該船乗員の身柄確保と取り調べなんだからね」

 「分かってますって。F-4ファントムを乗り回すどこかの空軍中佐みたいな、トリガーハッピーと一緒にしないでくださいよ」

 蒼の軽口に、沢渡は口を尖らせた。

 (人手不足もあるとはいえ、30歳なんていう通常じゃあり得ない若さで今年から一佐に昇進、3代目のふそう艦長にまで抜擢されて。ここまでよく皆をまとめている点は年下ながらリスペクトしてるけど、相変わらずこういう笑えない冗談を口にするのは何とかしてほしいわねぇ)

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、蒼は笑いながら弁明の言葉を口にした。

 「ごめんなさい、もちろん副長がそんな人間じゃないことぐらい分かってるわよ。とはいえ、まだターゲットを見つけられてない以上下の子たちもピリピリし始めてるからね。一応釘は全体にさしておかないと」

 

 蒼と河内の会見から3日、ふそうのクルーたちは湾外に出ての交通整理及び沿岸巡視任務にあたり続けていた。河内が語った、「東シナ海方面から日本に向けて暗号電波を発信した不審船」は、この間まだ沿岸警備隊も海軍も見つけられてはいない。この船に関する情報は、2人の士官が接触した翌日にはNSCを通じて、正式に沿岸警備隊サイドにも伝えられた。それを知った海軍サイドは、情報を独占できなかったことに苦い顔をしたようだが、幸い河内が事前に情報をこちらに流したことまでは発覚せずに済んだようだ。

 一方、この任務では少々気がかりなことがあった。それは、NSCからは「本件については、沿岸警備隊はあくまでも警察力を以て対応してほしい」という指示があったことだ。もしこの船が河内の予測通りいわゆる「工作船」の類であったとすれば、何らかの行動を起こすことが国内に潜伏している工作員にも指示された可能性がある。

 だが、電文の具体的な送信先や内容は今なお分からずじまいだ。その指示が具体的にどんな内容で誰に対してなされ、それによってどのような脅威が日本にもたらされ得るのか。アクションが実行される前に命令を伝えた者を拘束して取り調べ、予見される事態の発生を何としても阻止しなければならない。NSCから下った指示は、その意味では極めて論理的で筋が通っていた。

 とはいえ、最初にこの電波を傍受して捜索に動いたのは海軍だ。国防海軍にも、前身の海上自衛隊時代から続く「特別警備隊」という特殊部隊が存在し、その任務は沿岸警備隊の立入検査隊とほぼ同様となっている。しかし、海軍軍人には特別司法警察職員たる沿岸警備隊員とは違って、捜査権も令状を用いての通常逮捕権も認められていない。彼らが持つのはあくまでも純然たる軍事力なのだ。

 本来ならば相互に協力すべき関係にある海軍と沿岸警備隊の間では、オリオン事件をきっかけに弱いながらも隙間風が吹き始めている。もし両者の間で「獲物の奪い合い」が始まり、そのドサクサで該船を撃沈なんてされたら全てが水の泡となってしまう。それだけは何としても避けなければならない。頼みの綱は、海軍と沿岸警備隊双方の最高司令官たる内閣総理大臣・和泉傑による統制だろう。流石に日本国の軍人たる者、首相の指示には背くわけにはいかない。その過ちを犯せばテロリストと同類だ。

 なんにせよ、ターゲットとなる船舶は何としても一刻も早く捕らえなければならない。それは、翻って日本の安全保障や国益にも適うものとなる。相手の船の姿についての手掛かりが、現時点で何もないのは少々気がかりではあるが、この手の不審船事件では何も今に始まったことではない。とはいえ今なお獲物を見つけられていないことで、ふそうクルーの面々も蒼の言葉通りピリピリし始めている。早くこの一件を片付けねば、というのは幹部たち全員に共通した思いだった。

 「おはようございます」

 後部甲板に姿を現した2人に向かって、制服姿の隊員たちが口々に挨拶する。諸外国同様に士官・下士官・兵で制服のデザインが大きく異なる海軍とは違い、沿岸警備隊では階級を問わず統一されたものを用いる。デザインそのものは旧海自由来でも、組織全体を見ればむしろ旧海保の制服文化が踏襲されているのは、沿岸警備隊が「海自・海保双方の流れを汲みつつも、基本的にはあくまでも海上保安庁の直系である」ということをよく示していると言えるだろう。揃いのサマードレスは、キラキラと輝く水面にはよく映える。

 「おはよう」

 そう答えながら沢渡ともども部下たちに答礼を返すと、蒼は艦尾に設置されている旗竿へと視線を向けた。既に、その目の前では掲揚に備えて海曹と海士が1人ずつスタンバイしている。彼女たちが抱えている青と黄色の旭日旗が艦尾にはためく時、ここでは海軍と全く同じメロディのラッパ君が代が吹奏される。自分が日本国の軍人であることを再認識させてくれる、大切な儀式だ。

 「警備艦旗掲揚、10秒前」

 「ケーッ!!」

 「ソッレレソッシッレー♪」

 艦内マイクによるアナウンスに引き続いて、当直士官である葛城が声を張り上げた。本来の号令は「気をつけ」なのだが、言いやすくかつ威厳のあるイントネーションを模索しているうちに最後の一音以外が綺麗さっぱり抜け落ちてしまっている。海軍や沿岸警備隊では、この手の短縮はよくあることだ。

 「時間」

 「ゲーッ(揚げ)!!」

 再び声を張り上げた葛城の号令に合わせ、その場に居合わせた隊員たちが一斉に敬礼する。それと同時に、紺野と桜井を含むラッパ手4名による「君が代」の明るくありつつも気品あるメロディが、朝の佐世保港に響き始めた。

 

 「ソー、レー、ソーソーシー、ソー、レー、ソーソーシー、シッシッレー、シッシッレー、シッソシレッレーシッソソソー…♪」

 

 今から100年以上も昔、あの大日本帝国陸海軍が誕生した時に制定されたラッパ譜の数々。これはそのレパートリーの最初に記録されている、由緒正しき一曲だ。軍隊ラッパの特性上、「ド・ソ・ド・ミ・ソ」の五音のみで構成されるそのメロディは、普段我々が聴き慣れているそれとは全く異なる。だが、どこまでも厳粛な雰囲気の「通常版」よりも、どこか自分の気持ちをも高めてくれるこちらの「軍隊版」の方が、蒼自身は好きだった。

 「かかれ」

 「レーッ(かかれ)!!」

 「レッソソソッレッソー♪」

 警備艦旗掲揚作業の締めくくり、そして引き続き行われる朝礼の開始を知らせるラッパが後部甲板に響き渡る。快晴の空の下、今日も佐世保港からふそうクルーの一日が始まった。

 

 沿岸巡視任務開始から約6時間。そろそろ夕方が近づいてきたその時、ターゲットと思しき船は何の前触れもなく見つかった。

 「艦長。右20度、距離10000の位置に漁船らしき船がいます」

 他の海士たちとともに見張りに立っていた紺野が、双眼鏡を手にこちらを振り向いた。

 「漁船?まだ暗いうちから漁に出て行って、朝方には近海から撤収するはずの船が、こんな時間に?珍しいわね。投網漁の仕込みでもしに来たのかしら?」

 そう応じながら、蒼も自分の双眼鏡を覗き込んだ。確かに、紺野が報告した通りの方角に1隻だけ、ポツンと漁船らしき船が左舷をこちらに向けた状態で漂っている。だがその細部に目を凝らすうちに、彼女の表情はどんどん厳しさを増し始めた。

 (漁船にしてはやけにアンテナが多いし、船上に漁具らしきものが全く見えない。「第六十二円竜丸」の文字も手書きっぽいし、佐世保沖にいるにもかかわらず番号が山口県を示す「YG」から始まってるのも解せない。…、なんだか怪しいわね)

 蒼は双眼鏡を再び首元にぶら下げると、ヘッドセットを通じて艦内に指示を送った。

 「達する。艦長の真行寺です。右20度、距離10000の位置に『第六十二円竜丸』を名乗る不審な船舶を発見。各部、対水上見張りを厳とし動向に注意せよ」

 その命令によってピンと張りつめた艦内の空気を肌で感じながら、蒼は引き続き船舶無線の周波数を調整し始めた。通話先は、佐世保港内にある佐世保漁業協同組合。本来なら船務長である葛城あたりに任せるべき仕事だが、あいにく当の本人は当直明けのため自室で爆睡中だ。もちろん緊急事態となれば、総員起こしをかけて叩き起こすのも1つの選択肢ではあるものの、今はまだそこまでする必要性のある状況ではないだろう。

 それに何より、ここに連絡するなら蒼が自らやる方がいろいろスムーズだという事情もある。佐世保漁協には、彼女をよく知る人物がいるのだから…。

 「佐世保漁協、こちら沿岸警備隊ふそう。お疲れ様です」

 「おお、そん声は蒼か。最近やけに忙しか様子やな。ニュースじゃ毎日んごとわいん顔ば見とるばってん、本人は全然顔ば見せに来んけん、心配しとったぞ。で、どがんしたと?」

 「…、じっちゃん。覚悟はしとったばってん、うち今仕事中やけん。いくら自分ん孫が相手とはいえ、ええ加減それにふさわしか言葉遣いばしてくれんね?」

 あきれ顔でそう応じる蒼の姿と、そのどこか微笑ましさも感じさせるやり取りに、艦橋のあちこちから含み笑いが聞こえた。それに気が付いた蒼も後ろを振り向くと、敢えて咎めることもせず苦笑しながら肩をすくめる。一応軍の一部門として位置づけられる沿岸警備隊ではあるが、少なくともふそうの中では蒼の性格もあってか、比較的こうした場面では対応はおおらかだ。海自の後継たる海軍とは異なり、元々軍事組織ではない海保を前身とすることも関係しているかもしれない。

 蒼が通話しているその相手は、この近海で操業する漁船を束ねる佐世保漁協組合長で、彼女の祖父でもある真行寺巌だった。蒼にも一部その素養が引き継がれたその豪快かつ寛大な性格で、地元の漁師たち誰からも慕われる存在となっている。代々港町・佐世保で暮らしてきた真行寺家の人々は、大人になると自然と海にかかわりのある仕事に就くことが多い。蒼や司が軍人となることを選んだのも、「地元の海とそこで暮らす人々を守りたい」という思いが原動力になってのことだった。

 「ハッハッハ、そげん寂しかこついうもんじゃなか。自分ん孫相手にそれと気づかんばかしこまりよるほど、おいはまだ老いぼれてはおらんばい」

 「全くもう…。まぁ、よか。ちょっと気になっとー船ばあるけん、調べてくれんね?」

 「おお、よかよ。船名は?」

 「第六十二円竜丸」

 「第六十二円竜丸な。ちょっと待っとれや…」

 巌はそう言うと、漁協のPC端末で全国の所属漁船とその所有者・船長の名前などの情報が登録された、データベースを開いて船名を検索し始めた。西暦2032年のこの時代、今や地方のこうした漁協にもこの手のデジタル技術は浸透している。もう70を優に超えながらもそれを難なく使いこなせる巌もなるほど、確かにその年齢にしてはまだ老け込んではいない。

 そんな彼の手が、ふと止まった。その目を怪訝そうに細めながら、画面をしばしじっと見つめる。

 「蒼。そん第六十二円竜丸って船ん名前、どこで聞いたと?」

 「データベースには載っとらんばね?」

 「載ってはおるばってん、現役ではなか。こん名前ん船は5年前に廃船になっとー。しかも、佐世保じゃなく秋田で操業しとったらしか。そげん船んことば、何でわいが知りたがると?」

 「!?」

 ふそう艦内でその返答を耳にした全員が、思わず身の毛がよだつような感覚に襲われる。最前線でその声を聴いていた蒼も、心臓が脈を打つのがどんどん早くなり始めるのを感じていた。寒気に襲われたか、ぶるぶると震える拳を深呼吸で必死に鎮めると、ヘッドセットに向かって語り掛けた。

 「じっちゃん、落ち着いて聞いてくれんね」

 「お、おう。どがんしたと?」

 一転シリアスになったその孫娘の口調に、思わず巌の背筋がピンと伸びる。

 「そん第六十二円竜丸って名前ん船ね…、今まさにうちん船ん目ん前におるとばい」

 「…、はぁっ!?」

 驚いた巌が素っ頓狂な叫び声を上げた。

 「ちょっと待て、どがんこつばい!?目ん前におるって、まさか海に出とるとか!?」

 「うん、海におる。ちょうど沿岸巡視中にうちん部下が見つけたと」

 蒼は頷いた。

 「数日前に不審船ん情報ば入って、海軍と沿岸警備隊がずっと捜索しとった。佐世保沖におるとに番号が『YG』から始まっとったし、漁具も見当たらんけん明らかに怪しか思うて調べてもろうたと。おかげで確信できた、ほぼ間違いのうこん船が該船ばい。漁協ん船は全部港に戻っとー?」

 「そげんこつか。とりあえず船は全部こっちにおるとばい。心配いらん」

 「分かった、ありがとう。多分これから、うちらでこん船ば取り調べすることになるばい。正式には多分後で警備局から通知ん行くばってん、念んため漁協んみんなには情報共有しといんしゃい」

 そう応じた蒼に、無線の向こうにいる巌は声をかけた。

 「蒼、くれぐれも気ばつけんね。わいや司が海軍と沿岸警備隊に入りよった時から覚悟はできとーばってん、自分ん孫たちが殉職した知らせだけは聞きとうなかよ」

 「大丈夫ばい、じっちゃん。そげん心配せんでよかよ。うちが艦長でいる間は、ふそうん乗員は誰一人死なせやせんけん。もちろん、うち自身もね」

 そう、最後には女性らしい優しくも力強い声で語りかけた蒼は、無線を切るとしばし目を閉じた。一度自身を落ち着かせるように大きく深呼吸をした後、その美しい瞳が再び開かれる。眼前の景色を捉えるその曇りなき眼は、一気に戦闘モードに変わっていた。

 「現在時刻1642、『第六十二円竜丸』を該船と認定する。合戦準備」

 発せられたその通りの良い声が、ヘッドセットを通じて艦内全域に響き渡った。

 「電信室、艦橋。司令部に打電。該船発見を報告し指示を仰げ。発見地点は北緯32度38分30秒、東経129度15分15秒」

 「艦橋、電信室。了解」

 「それが終わったら知らせなさい。ふぶきへの電文内容も別途指示するわ」

 蒼はそう言うと、今度は脇にいた紺野に呼び掛けた。

 「紺野」

 「はっ、はいっ!!」

 突然の呼びかけに、何事かと慌てた紺野が振り向く。だが彼女を待っていたのは、思いがけない称賛の言葉だった。

 「よくやったわ、お手柄よ。この仕事が終わったら、奢りで好きな店に連れてってあげるわ。母港に戻ってからでいいから、どこか候補地を考えときなさい」

 「ハッ、ありがとうございます!!」

 予想もしなかった提案に、思わず紺野の顔が一瞬綻ぶ。だが次の瞬間、その表情は沢渡の一言で再び緊張感のあるものに戻った。

 「紺野。私からも褒めてあげたいところだけど、まずは仕事が最優先よ。総員起こしに備えてラッパを用意しておくように」

 「Aye, ma’am!!」

 紺野がそう応じたのを確認してから、沢渡は蒼の方に向き直った。

 「艦長。立入検査部署発動後、該船逃走の際は総員二種配置、総員起こしとします」

 「よろしい」

 蒼は頷いた。「総員起こし」は単なる起床の合図ではない。艦に乗り込んでいる全員を戦闘態勢へと導く、正式にはそれを目的としたラッパである。少なくとも、眼前のターゲットが該船だとほぼ確定した今はそのメロディを吹鳴しない、という選択肢はないはずだ。

 恐らくこの後、ほぼ間違いなく播磨からは出動命令が下されるだろう。そうなれば立入検査部署が発動され、漁業法に定められた検査を名目に目の前の船に乗り込むことになる。あの船の乗員が素直に応じてくれるならそれに越したことはないが、もしも「第六十二円竜丸」が本当に工作船の類であったとすれば、その展開は望めない可能性が高い。総員二種戦闘配置、すなわち万が一に備えての警戒態勢の確立は、自分たちの身を守る意味でも不可欠なものだった。

 

 「CIC、電信室。艦長、沿岸警備隊『ふそう』より入電です」

 「電信室、CIC。電文は?」

 電信室からの通信に、近海を哨戒していたふぶきのCICにいた河内はそう尋ねた。

 「『我、ネズミを発見せり。捕獲のため援護されたし。発見地点は北緯32度38分30秒、東経129度15分15秒』。以上です」

 「内容には間違いないか?」

 「2回繰り返しました。確かです」

 「了解、ご苦労」

 部下からの返信にそう答えると、河内はふと口元に笑みを浮かべた。

 「艦長、ネズミとはいったい何のことです?」

 CICにいた、蒼とのやり取りについて何も知らない部下の1人が彼に問いかける。

 「我々の今回のターゲットのことさ。まさかあれから3日で見つけてくるとは、なるほど彼女たちは確かに優秀らしい。やはり餅は餅屋だな」

 「あれから3日でって…。艦長、まさか…!?」

 「よその官庁だからと何を遠慮する必要がある?同じ日本国の軍人同士、優秀な能力は存分に活用するべきだ。おかげで無駄な労力を割く手間が省けた。元はと言えば、これはふそう艦長である真行寺一佐直々の申し出だ。我々に協力できて彼女たちも本望だろうさ」

 驚きの色を隠せない部下たちに向かって、河内は堂々と語りかけてみせた。

 「不審船への対処は、彼女たち沿岸警備隊の職掌であり得意とするところだ。事実、我々海軍が発見できなかったターゲットを、彼女たちはこうして見つけてきた。大切なのは、我が国に害をなさんとする勢力の敵対行動を阻止すること。その責務を果たすためなら、下らんプライドになど囚われず使える手は何でも使おうじゃないか。電信室、CIC。電文の『ネズミ』とは我々の獲物のことだ。司令部に打電、ターゲット発見を報告せよ!!」

 

 首相官邸及びNSCの判断や、沿岸警備隊・海軍双方の司令部による対応は素早かった。該船発見の通報から約20分後の1700、和泉内閣は沿岸警備隊に該船への立入検査の実施を命じる。これを受けて、まず佐世保沿岸警備局の播磨が所属艦船に出動命令を下した。

 「佐世保沿岸警備局所属の全艦船へ。本日1642、北緯32度38分30秒、東経129度15分15秒の地点にて、沿岸警備艦『ふそう』が第六十二円竜丸を名乗る不審船舶を発見した。各艦船はこれを追跡、漁業法第74条3項の規定に基づき該船に対する立入検査を実施せよ。なお、本件への対応にあたっては沿岸警備隊法第20条2項の規定に基づき、各艦船最先任指揮官の各個判断により必要に応じて武器使用を認めるものとする。ただし、本件の目的は該船の撃沈にあらず。該船乗員の身柄確保を最優先に考え、慎重な判断の下対応するように。以上」

 一方海軍側でも、佐世保基地に所属する全艦艇乗員に対して以下のような緊急出動命令が下された。

 「佐世保基地所属全艦艇へ、エマージェンシーコール。本日1642、北緯32度38分30秒、東経129度15分15秒の地点にて、第六十二円竜丸を名乗る不審船舶が発見された。本ターゲットは去る6月15日の2117、太刀洗が傍受した暗号電波の発信源と推定される。本件への対処にあたり、沿岸警備隊に対し当該ターゲットへの立入検査の実施が指示された。海上警備行動の発令に備え、駆逐艦『はるな』及び多機能フリゲート『ふぶき』に対し合戦準備を命ずる。両艦艇は先行する沿岸警備隊艦船とともにターゲットを追跡、同船による敵対行動が行われた場合にあってはこれを阻止せよ。その他艦艇及び航空機は、追加の出動命令に備え即時待機となせ。

 なお、国防軍法第82条の規定に基づき、両艦最先任指揮官の各個判断により随時武器使用を認める。万が一、ターゲットが我が軍および沿岸警備隊艦船に対し、攻撃を仕掛けてきた場合は躊躇するな。最後に総員に厳に告げる。これは演習にあらず。繰り返す、これは演習にあらず!!」

 かくして佐世保の海にはグレーゾーン事態への即応態勢が敷かれ、日本国沿岸警備隊及び日本国防海軍の両者による共同作戦が始まることとなった。だが残念ながら、この時両軍の誰もが気が付いてはいなかった。それぞれの軍への命令における微妙なニュアンスの違いが、後に悲劇の引き金となろうとは…。




冒頭の蒼と沢渡の会話は、アニメ「GATE~自衛隊、かの地にて斯く戦えり~」での炎竜発見シーンのパロディです。ここで出てくる「F-4ファントムを乗り回すどこかの空軍中佐」とは、同作に登場する神子田瑛二佐のことですね。実際の階級は空軍中佐ではなく、航空自衛隊二等空佐ですが…。他作品のパロディやオマージュネタは、『鎮守府のイージス』でも使っています。今後も機会があれば出すかもしれません。

不審船事件についてですが、どちらも実際に起きた「能登半島沖不審船事件(1999年)」と「九州南西海域工作船事件(2001年)」を下敷きとして使う予定です(もちろん、細部の描写についてはアレンジを加える予定です)。今後の展開がどうなるか、どうぞご期待ください。それではまたお会いしましょう。


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第三章:開戦前夜(中篇)

どうも、SYSTEM-Rです。ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。前篇を投稿してから1か月以上、色々とプライベートでも事情が重なりこの時期に投下する格好です。ここまで間をあけるつもりはなかったんですけどね…。今回は、ふそうと第六十二円竜丸との追跡劇の序盤戦を描く形となります。それではどうぞ。


 「立入検査部署発動。音声送信始め!!」

 いよいよ始まった「対第六十二円竜丸作戦」。その最初の攻防は、蒼の一言で火ぶたが切って落とされた。

 「第六十二円竜丸へ。こちらは日本国沿岸警備隊です。漁業法第74条3項の規定に基づき、これより貴船に対する立入検査を実施します。その場で停船し我が船の指示に従ってください。繰り返します。こちらは日本国沿岸警備隊です―」

 少しずつ近づきながら、いつものように検査への協力を呼びかける音声を流し始めるふそう。漁業法第141条2項の規定により、沿岸警備隊や水産庁漁業取締船による立入検査に応じない場合は、「立入検査忌避」の現行犯で該船乗員を拘束する必要性が生じる。この罪を犯すのは、いわば警察官の見ている目の前で強盗に入るようなもので、成立してしまえば言い逃れは不可能だ。常識的には、特に後ろめたいこともなければ素直に応じるのが漁船としての務めではあるのだが…。

 「艦橋、CIC。該船、機関始動した模様。逃走を図るものと思われます」

 ソナーに耳を傾けていた安河内が声を上げる。長征2901との交戦時にも大活躍した彼女だが、そもそも対潜水艦作戦はあくまでも有事対応であって、沿岸警備隊の任務においてはサブ的な位置づけとなっている。どちらかというと、平時にはこうして立入検査からの逃走を図らんとする該船の行動をいち早く見抜き、それを上位の指揮官に伝えるのが彼女の仕事となっていた。

 「該船、動きます。逃走する模様!!」

 艦橋にて、第六十二円竜丸の動きから目を離さずにいた桜井が叫ぶ。その言葉通り、該船は停止状態から少しずつ向こう側へと動き始めた。だが、これくらいは当然織り込み済だ。こちらとて、建前はともかく本音の部分では「あれは、本当は漁船などではない」と判断して事に当たっているのだから。

 「逃さないわよ。とーりかーじ、340度ヨーソロー!!」

 「とーりかーじ!!ヨーソロー340度」

 蒼の命令を復唱した黒木が、舵輪を左方向に回す。それを横目で確認しつつ、蒼は沢渡に顔を向けた。

 「TAO、二種配置」

 「総員第二種戦闘配置、総員起こし!!」

 「ソッソソッソシッソソッソ、レッソソッシソー、シッシシッシレッシレッシ、ソーシレッレソー♪」

 大音量で総員起こしのメロディを流しながら、第六十二円竜丸を追跡し始めるふそう。その姿は人によっては、下手くそなラッパで周囲を煽りながら公道を爆走する、暴走族の姿を連想させるかもしれない。だが、迷惑極まりないばかりかれっきとした犯罪でもある暴走行為と、不審船舶の取り締まりは全くの別物だ。これは日本国の法令や沿岸警備隊の規則に基づく正当な行為であって、暴走族の不法行為とは同列に語るわけにはいかない。

 「ネプチューン、シーガル。本船、これより立入検査に合流します」

 やがて、ふそうと同じ白と青にカラーリングされた1隻の船舶が、後方から近づいてきた。コールサイン「シーガル」こと、つしま型ヘリコプター2機搭載巡視船1番船「つしま(PLH-36)」が、他の巡視船艇に先んじて合流してきたのだ。ふそうをはじめとする沿岸警備艦が、海軍籍でこそないにせよどちらかといえば「戦闘艦」として位置づけられるのに対し、つしまのような巡視船は旧海保時代と同様、密輸船などの取り締まりを筆頭に平時任務に重点を置いた船。今回のような不審船事案では決まって派遣され、活躍が見込まれている堂々たる主力である。ちなみに、立入検査訓練で該船の船長役を務めた山村三尉が、航海士を務めているのもこの船だ。

 既述の通り、「ふそう」「やましろ」「ながと」「むつ」とこれまで4隻が建造されている沿岸警備艦は、東から順に横浜(やましろ)・舞鶴(ながと)・呉(むつ)・佐世保(ふそう)の各警備局に1隻ずつが配備されているのみ。その数が圧倒的に多いのは、つしまを含む巡視船艇の方だ。その大半が、基準排水量5000トン以下のサイズであるこれらの船を仕切る者たちは、蒼のように「艦長」を名乗ることこそないものの彼女たちと同等の権能を有する。「船長」「艇長」の肩書を持ち自らの船を指揮統率する彼らの存在こそ、沿岸警備隊が海上保安庁の後継組織である何よりの証と言えるだろう。

 「シーガル、ネプチューン。ご協力感謝します」

 「真行寺。今はまだ明るいからいいが、あまりのんびりしていると日が沈んで視界が悪くなる。その前に何とか片付けよう」

 船舶無線の向こうにいる、つしま船長・宮路洋介一佐がそう呼びかける。沿岸警備隊がまだ海上保安庁だった時代から、長年にわたって巡視船に乗り続けてきた、この道20年のベテラン隊員だ。

 「もちろんそのつもりです。本艦はこれより、該船の左舷側から停船を試みます。貴船は右舷側より、挟み込むようにお願いします」

 「了解」

 宮路がそう応じたのを合図とするかのように、ふそうの後方には少しずつ船影が増え始めた。つしま以外の巡視船艇も徐々に合流し始めたのだ。CICのモニターに映されたNTISの画面にも、味方の船であることを示す青色のマークが少しずつ増えていく。

 その白色がまぶしい船団の後方に、やがて彼女たちとは明らかに毛並みの異なる2隻の船の姿が見え始めた。特に、そのうちの大きい方。暗い灰色に塗装されたその身体は、満載10000トンを超えるそのサイズも相まってひときわ目立つ。機能的にはもちろん、その外観からもまさしく「艦隊の目」といえるSPY-6レーダーは、その船が(この事案において必要であるか否かはともかく)世界最強クラスの防空能力の持ち主であり、そしてふそうクルー248名にとっては図らずも、オリオン事件を機に因縁の相手となった船であることを雄弁に物語っていた。

 「後方195度に艦影視認。艦橋形状より、はるな及びふぶきと思われます」

 ラッパの吹鳴を終えて、元通り見張りに立っていた紺野が告げる。それに続いて、船舶無線を通じて壮年の男の声がふそう艦内に響き渡った。

 「ネプチューン、オーシャンクイーン。現在、本艦は方位3-4-5、前方10000の位置に貴艦およびその他巡視船艇計8隻を視認している。これより、スノーストームと共に貴船団に対する後方支援任務に就く。現況について報告されたし」

 声の主はイージス艦はるな艦長、津軽武範大佐だった。彼が口にした「オーシャンクイーン」とは、海上自衛隊時代にヘリコプター搭載護衛艦として運用された初代「はるな(艦番号DDH -141)」から引き継がれた、同艦のコールサインである。一方スノーストームは、随伴艦であるふぶきのことだ。相手が自身よりもずっと年上で軍人としてのキャリアも長く、おまけに自分とひと騒動あった当事者とあって、蒼の背筋も流石に緊張感でピンと伸びていた。

 「オーシャンクイーン、ネプチューン。ご協力感謝します。それと…」

 蒼はそこで一旦言葉を切ると、大きく一度息を吐き出してから再び語りかけた。

 「先日のオリオンの一件では、海軍さんには多大なご迷惑をおかけしました。改めてお詫びします。申し訳ありません」

 一呼吸おいた後、その呼びかけに対して返ってきた津軽の言葉は、意外にも落ち着き払ったものだった。

 「真行寺一佐、その件については後でお聞かせ願いたい。今はそれについて云々する暇はお互いになかろう。ひとまず、まずはお互いに眼前の任務に集中することとしませんか」

 「…、ハッ。大変失礼しました、お気遣いありがとうございます」

 あまり感情のこもっていないその声色から判断すれば、実際にはその言葉は「気遣い」ではないのかもしれない。だが、予想よりは相手の反応が冷静だったことには、救われたのは事実だろう。蒼は内心胸をなで下ろすと、再び威厳のある声色を取り戻した。

 「現在、本船団は音声にて警告しつつ該船の追跡を継続中。今のところ、該船がこちらの停船要求に応じる様子はありません。貴艦の艦橋から該船は視認可能ですか」

 「NTISの画面上では敵船として表示しているが、ここからはちょうど貴艦の影に隠れて視認出来ていない」

 「ネプチューン、スノーストーム。本艦からはターゲットを視認しています。先頭を航行中の、白い小さな漁船らしき船で間違いありませんか」

 会話に割り込んできたのは、ふぶきを率いる河内だった。

 「えぇ。既に廃船になった船舶の名を名乗っている上、形状にも不審点が多いので間違いなく『漁船』ではないでしょうけれどね。恐らく、太刀洗が受信した暗号電波の発信源である可能性が高いかと」

 蒼がそう応じた時だった。突然、安河内の声がその通話を遮る。

 「艦橋、CIC。該船、機関音のトーンが上がった。増速する模様!!」

 「該船、速度上がります!!」

 艦橋で監視を続けていた桜井が叫んだ。その声の通り、第六十二円竜丸は勢いよく速度を増し始めた。少しずつ、ふそうを先頭とする船団が引き離され始める。慌てたのはつしまを率いる宮路だ。

 「おいおい、あんな小さなサイズなのにどんな出力の主機を積んでやがるんだ。航海士、最大戦速。該船の独走を許すな!!」

 「了解、最大戦速!!」

 命令を復唱した山村が、急いで変速機の設定速度を最大戦速にまで引き上げる。だが、巡航で航行することを前提として燃費優先で設計されている巡視船の推進方式は、ディーゼル機関を組み合わせたCODAD(COmbined Diesel And Diesel)だ。いくら巡航用と高速用2つのエンジンを同時に回したからと言って、本来低速向きの機関であるディーゼル推進では出せる速力にも限界がある。必死の抵抗もむなしく、つしまはみるみるうちに離されてしまった。

 一方ガスタービンエンジンを搭載している、ふそう・はるな・ふぶき艦内でも増速しての追撃の準備が整えられ始めた。ふそうとふぶきは、いずれもディーゼルとガスタービンを併用するCODAG。一方、ディーゼルエンジンの代わりにガスタービン主機2機を搭載するはるなはCOGLAG(COmbined Gas turbine eLectric And Gas turbine)方式である。この状況においては、戦闘に供することを念頭に通常の巡視船よりも機動力を重視した設計の彼女たちの方が、性能を考えても遥かに有利だ。

 「機関室、艦橋。該船が増速する。加速機起動用意」

 「艦橋、機関室。各部要員配置よし、機関暖機よし。加速機起動用意よし!!」

 蒼の命令に、この状況を予め見通していたかのように準備を整えていた茶谷から、即座に返答が来る。流石はふそうクルー最年長、これまた20年にもわたるキャリアを誇る宮路と同期生に当たるベテランだ。

 「了解。加速機起動始め」

 蒼がそう応じるのを耳にするや否や、茶谷はガスタービンエンジンの起動装置に手をかけていた機関員の方に振り向いた。

 「加速機起動始め。用意、てぇっ!!」

 その命令が発せられると同時に、起動装置のレバーが勢いよく降ろされる。ガスタービンエンジン特有の甲高い爆音が、少しずつそのトーンを上げながら艦内に響き渡り始めた。モニターに表示されたエンジンの回転数も、機関が異常なく動いている事を示している。

 「艦橋、機関室。加速機起動完了、機関オールグリーン。高速航行用意よし!!」

 「機関室、艦橋。了解」

 茶谷の報告に頷いた蒼は、一度前方を行く第六十二円竜丸の姿を確認した。恐らく、どんなに好意的に見積もっても300tもないであろう小さな船体。その船に、10000t近い巨艦であるふそうが振り回されている。この仕事をしていればよくある光景だ。だが、この追いかけっこはいつまでも延々と続けるわけにはいかない。沿岸警備隊が普段から取り締まり対象としている密漁船、それ以上に大きな被害を日本にもたらす船である可能性が、眼前を行く該船については高いのだから。

 「航海長操艦。第3戦速、赤黒なし。0度ヨーソロー!!」

 「了解、お疲れ黒木。航海長頂きます。第3戦速、赤黒なし。0度ヨーソロー!!」

 舵輪を握り続ける黒木のすぐ脇で待機していた佐野倉が、その働きを労うように右肩を一度ポンと叩いてから操艦を交代する。後に続くはるなとふぶき共々、速度を上げたふそうは勢いよく該船を追い続けるのだった。

 

 「まさか、またお前の姉の尻拭いをさせられる羽目になるとはな。なぁ、砲雷長」

 艦橋からCICに降りた津軽はふと、脇にいた司に向かって語りかけた。

 「あの艦長、現職に就いたのはこの春からだというじゃないか。彼女は、お前から見て信頼に値する人物なのか?身内を疑うようでお前には悪いがな」

 「トップとしてん経験ん浅かところはあるばってん、あいつは少なかばってん無能でも人として筋ん通らんこつばするような奴でもなかとです。指揮官としてん能力ん足りん人間ば一佐に据えよるほど、沿岸警備隊とて愚かじゃなかはずですたい」

 司は表情を変えずに答えた。

 「海上自衛隊ん後継である我々国防海軍ん人間なら、一等海佐がどんだけ責任ん重か階級か理解出来るとでしょう。あいつはおいと同じ年でそん地位ば認められて、あんたと同じ椅子に座っとー。そんだけんポテンシャルば秘めた人材いうこつですたい」

 「おい真行寺、貴様艦長に対してその言い草は無礼だぞ。わきまえんか」

 「構わんよ副長、別に俺を批判するつもりでの発言じゃあるまい。言わせてやれ」

 話を聞いていた副長兼船務長の日向達郎中佐が、すかさず怒声を発して司の言を咎めたが、当の津軽はそれを意味深な笑みを浮かべながらなだめる。庇われた格好の司は、一呼吸おいてから「ばってん…」と言葉を続けた。

 「その艦長としてん経験ん少なさは、やむばえんところもあるばってん如何ともしがたか。実戦でん経験値では、10年前んあん戦争ば体験しとー艦長には、あいつは恐らく到底かなわんとですよ」

 「なるほどな。30歳の若さで艦長に抜擢されて、わずか数ヶ月でこんな重大事案に巻き込まれるとは、お前の姉も随分ツキに見放されたもんだ」

 津軽はそう呟くと、ふと「だが…」と言いながらこちらに顔を向けた。

 「沿岸警備隊の出動案件に付き合わされた挙げ句、何も手出し出来ないまま帰投。貴重な労力も燃料も無駄に浪費させられた。…、同じ事を二度は繰り返したくないものだな」

 その意味深な言葉に思わず表情を変えた司を尻目に、津軽は再び視線をモニターに戻す。彼の見つめる先では、相変わらず続く追跡劇の様子がありありと映し出されていた。

 「長征2901は、本来なら我々国防海軍が仕留めるべき獲物だった。今回のあのターゲットも、元はと言えば太刀洗が捕捉し我が軍が探していた船。よその官庁でありながら二度も我々の仕事に首を突っ込み、かき回すだけかき回されてはかなわん。今回は状況次第では、我々は手ぶらでは帰投せんぞ」

 

 「該船、音声での命令にも旗りゅう信号にも全く応じませんね…」

 焦りの隠せない表情で、沢渡が呟く。彼女の言葉通り、第六十二円竜丸は再三の停船命令にも一切応じる気配を見せず、相変わらず西へと逃走を続けていた。既に、太陽は水平線の向こうにほとんど落ちている。彼女が募らせていた焦りは、艦内の多くの人間が自然と共有していたものだった。

 もちろん、それは艦長たる蒼とて同じことである。このまま夜になれば、視界が悪くなり取り締まりのハードルは一段上がる。もちろん、ふそうとて優秀な対水上捜索レーダーを装備してはいるが、やはり最後に頼りになるのは人間の目なのだ。それまでには、何とかして該船を足止めしたい。だが一方で、安易な武器使用も出来れば蒼としては避けたいのが本音だった。

 何せ、あの船はふそうが攻撃するにはかなり小さい。漁船としてみれば大きな部類には入るといえるが、それでも自艦と比べればせいぜい30分の1程度のサイズしかないのだ。127mmサイズの1番砲、76mmサイズの2番砲はいずれも対軍艦を想定した速射砲であり、目前の船に向けて撃つには過剰火力であることは明白だった。だが、今回の任務の目的は該船の撃沈ではない。あの船の乗員の身柄を拘束して取り調べること、そこから全てが始まるのだ。

 大体、状況からしてこちら側も工作船と決めてかかっている部分もあるが、そもそも論としてあの船が件の暗号電波の発信源ではなく、全く無関係の単なる密輸船・密漁船である可能性だってゼロとは言えない。もちろん、それはそれで我々沿岸警備隊にとっては最重要の取り締まり対象ではあるが、それならばなおさら不用意に撃沈することは避けるべきなのだ。

 「こうなれば、実力行使しかないかしらね…。安易に砲撃して、該船を沈めてしまう事態は避けたいのだけれど」

 「もし攻撃するなら、確かに1番砲と2番砲はオーバーキルの可能性が高いかと。威嚇射撃ならともかく、船体射撃に使うならば右舷側の機銃とCIWSでしょう。本艦のCIWSは対水上射撃能力もありますし」

 沢渡の言った機銃とは、左右両舷に1門ずつ設置されたものを指す。12.7mmサイズと口径は1番砲のちょうど10分の1で、しかも通常は銃手を配置することなくCICからFCSで遠隔操作可能という優れモノだ(もちろん、緊急時には人力でも発砲できる)。間違えて該船乗員を銃殺してしまうことさえなければ、確かにこの状況では有用な一手となりうる。

 「もしくは、イチかバチか体当たりで停船させるかよね。航海長、どう思う?」

 「確かに、主砲や機銃を使用する場合と比べれば、少なくとも該船乗員を殺傷してしまうリスクは低いとは思います。本艦は、不審船対策の一環として海軍艦艇と比べれば装甲は厚くなっていますし、側面であれば衝突でこちらが受ける被害も軽微で済むでしょう」

 舵輪を握りしめたまま佐野倉が応じた。

 「ですが、相手はあれだけ小さな船。それだけ本艦と比べて小回りが利くということです。他の巡視船艇を引き離した際の加速を見れば、恐らく相手の主機は通常の漁船が積んでいるものとは全く違う、高性能なもののはず。だとすれば、躱される可能性も少なからずあるのではないかと。確実に仕留めることを狙うならば、個人的にはあまり妙手とは思えません」

 「なるほどね…」

 蒼がそう呟いたその時だった。突然、総員起こしを受けてCICに舞い戻っていた葛城の声がその会話を遮る。

 「艦橋、CIC。レーダーに感。該船の進行方向距離10000の地点に、未確認の船影多数!!大船団です!!」

 「何っ!?」

 その報告に、思わず艦橋にいた全員の目の色が変わる。

 「CIC、艦橋。その船影は東亜海軍の艦艇と思われるか?」

 「いえ、光点の大きさからはそのようには考えられません。恐らく、民間船舶の可能性が高いかと」

 沢渡の問いかけに、葛城がその言を明確に否定する。それからほとんど間を置かず。

 「たった今、つしま搭載機より入電。当該アンノウン目標は漁船団。繰り返す、当該アンノウン目標は漁船団!!」

 該船に振り切られた格好のつしまは、その後もめげることなく搭載ヘリコプターでの追跡に切り替え、引き続き上空から該船を追いかけていた。その追跡のさなか、上空から約10km先に巨大な漁船団を発見したのだという。

 「あの中に紛れ込むつもりね…!!」

 「カモフラージュのために東亜当局が出させた船か、それとも無関係の他国の民間船か…。いずれにせよ、この時間帯であそこに逃げ込まれては流石に厄介なことになりますよ」

 沢渡がそう言いながら、窓越しに該船を睨みつけた。

 「既に該船はEEZ(排他的経済水域)の日東中間線を越えました。立入検査忌避は成立しています。ここで足止めしなければ、当初の目的である乗員の身柄確保もおぼつかなくなる可能性は高いかと」

 そう言うと、彼女は蒼の方に向き直った。曇りなき眼で、真っすぐにこちらを見つめる。緊迫しつつも落ち着いたその声は、2人のやり取りを見つめる全員の思いを乗せていた。

 「艦長。隊法第20条2項に基づく武器使用を具申します」

 「そうしましょう」

 それに応じるのに、蒼には余計な時間など必要なかった。返す刀で、蒼はヘッドセットに向かって呼びかける。

 「電信室、艦橋。沿岸警備局およびはるな・ふぶきに打電。これより、該船に対する武器使用を解禁する旨伝達せよ」

 「艦橋、電信室。了解!!」

 その返事を確認してから、蒼は再び眼前にいる部下の顔に視線を戻した。「これから起こることへの覚悟はできています」。沢渡の顔には、そうはっきりと書かれていた。

 「TAO、総員一種配置を命じます。直ちにCICへ向かい配置につけ」

 「Aye, ma’am!!」

 沢渡は叫びにも似た、今までで最も張りつめた声で答えた。ここからが、準軍事組織たる沿岸警備隊にとっての、本当の腕の見せ所である。

 

 「総員第一種戦闘配置。対水上戦闘用意。目標、第六十二円竜丸!!」




今回は、海軍側からも2名の新キャラが登場しました。特にはるな艦長の津軽は、今後の物語上海軍側における重要人物の1人となる予定です。この会話からして、明らかに次回以降に向けたフラグが立ちまくりですが…。果たしてどうなるかは次回書いていくことにしましょう。

次回は第三章が締めくくりとなる予定です。ふそうクルーと海軍との関係は、そして逃走する第六十二円竜丸はどうなるのか…。色々と種明かしをする回になると思いますので、どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第三章:開戦前夜(後篇)

どうも、SYSTEM-Rです。遅ればせになってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。まさか、連載中に年が変わることになるとは思いもしませんでしたが…。今回は、第三章がいよいよ締めくくりとなります。第六十二円竜丸との追跡劇の行方は…。それではどうぞ。


 「ネプチューン、スノーストーム。『ターゲットに対する武器使用は解禁するが、5インチ砲は使わないでほしい』というのはどのような意図ですか」

 ふそうからはるな・ふぶき両艦への電文送信が行われてからまもなく。河内の口調は、冷静ではありつつも鋭さを帯びていた。

 「スノーストーム、ネプチューン。より正確には、『船体射撃には5インチ砲を使わないでほしい』ということです」

 蒼はその言葉を表情一つ使えずに訂正した。先日の会見の時とは違い、今回は全て河内相手でも敬語で通す。河内による内部告発を、津軽たちに悟られるわけにはいかない。

 「貴艦とはるなが搭載する62口径5インチ砲、並びに本艦が搭載する54口径127mm砲は、敵艦を撃沈するという目的においては大変優秀な艦砲です。しかしながら、本作戦の目的は該船の撃沈ではありません」

 ヘッドセットを通じて河内に語り掛ける蒼の視線の先には、依然として航行を続ける該船の姿が映っていた。

 「貴官もご承知の通り、我々沿岸警備隊は軍であると同時に、海上における法執行機関でもあります。仮に該船を撃沈するとしても、それはあくまでも該船乗員の身柄と本事案の証拠物件を取り押さえ、該船が東亜の工作船であることが完全に確認されて以降にすべきです。少なくとも、現段階であの船を不用意に沈めるわけにはいきません」

 「念のため確認しますが、それは貴官の独断ではありませんね?真行寺一佐」

 「当然です。本事案については、沿岸警備局並びにNSCより『目的は撃沈に非ず』と厳命されております。また一般的に、我が軍は自軍と戦闘状態にある場合を除き、水上艦船の撃沈は任務とはしておりません」

 しばしの沈黙の後、返ってきた河内の言葉には納得の色がにじんでいた。

 「了解しました。NSCの指示であれば、我々海軍とてそれを無碍に扱うわけにはいきませんね。貴官のご判断を尊重させていただきます」

 そこまで彼が口にした時、蒼と河内の会話を聞いていた津軽からも交信が入った。

 「ネプチューン、オーシャンクイーン。本艦も貴艦が伝達した方針を尊重する。その方向で進めていただきたい」

 その少々意外にも聞こえる言葉に、日向と司が思わず顔を見合わせる中、津軽は「ただし…」と釘を刺した。

 「使うべき時に使うべき武器を使わず、相手を取り逃がしたという事態だけは避けねばなるまい。それは何より我々自身が守るべき存在である、我が国国民が許さんでしょう。今はもう海自と海保の時代ではないのだから」

 「オーシャンクイーン、ネプチューン。津軽大佐、何がおっしゃりたいのです?」

 しばしの沈黙の後、津軽が発した言葉には何やら意味深な響きがあった。

 「何も、別に大それたことが言いたいわけではない。物事には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、真行寺一佐」

 「…。なんにせよ、我々は一刻も早くあの船を取り押さえるだけです」

 その言葉の得も言われぬ不気味さに、思わず顔をしかめつつ返答した蒼。その耳に、通話に横入りする沢渡の声が届いた。

 「キャプテン、TAO。各部要員配置につきました。対水上戦闘用意よし」

 「TAO、キャプテン。了解」

 そう答えると、蒼は海軍側の2人の艦長に断固たる口調で告げた。

 「とにかく、該船はすぐにでも足止めせねばなりません。お二方も急ぎ戦闘準備を」

 「了解」

 3隻の間でのやり取りは、そこでいったん途切れた。

 

 「艦長。あの船にこの場を仕切らせて、本当によろしいのですか?」

 「今はまだ海上警備行動の発令前だ。まさかNSCからの命令に、正面切って歯向かうつもりか?副長」

 訝しがる日向に対し、津軽は冷静な表情を崩さぬまま問いかけた。その穏やかながら、どこか反論を許さぬ凄みをまとった言葉に、思わず日向がたじろぐ。

 「い、いえ…、それは…」

 「彼女の言が本当なら、それに対する河内のあの対応は正しい。我々とて軍人だ、上の判断に逆らえばこちらが悪者になるしかなかろう。どのみち、今はまだ我々が無理やり前に出ていく場面ではない。お手並み拝見と行こうじゃないか」

 ニヤリと笑みを浮かべた津軽に対し、日向は一度咳ばらいをしてから自身の定位置となる座席に腰を下ろした。ブザーのスイッチに手をかける。

 「武鍾発動します。対水上戦闘用意!!トラックナンバー2742。目標、第六十二円竜丸!!」

 

 「探照灯照射始め」

 「探照灯照射」

 とうとう日が暮れた。攻撃に備えて、該船に向けてふそうの探照灯が灯る。

 「対水上戦闘、右90度同航の目標!!」

 蒼の声が、ヘッドセットを通じて艦橋だけでなく艦内全域へと伝わっていく。思わず、一瞬口元に笑みを浮かべたのはCICにいた葛城である。美しく通りの良い声は、指示を明快にすると同時に部下たちの士気を高める、優秀な指揮官たる者に必要不可欠な資質だ。少なくとも、真行寺蒼という軍人はこの点については間違いなく天賦の才がある。

 「主砲目標よし、砲口監視員砲口よし、射撃用意よし!!」

 「了解。1番砲、警告射撃用意。方位角45度、仰角60度に備え」

 「1番砲、警告射撃用意。45の60に備え」

 「45の60に備えた。射線方向クリア、Recommend fire!!」

 いつぞやの訓練をほうふつとさせるやりとりやオペレーションが、寸分の狂いもなく流れるように進行していく。訓練時と違って仰角が60度と抑え目なのは、はるなとふぶきの主砲であるMk.45 62口径5インチ砲が、ふそうの127mm砲とは違って最大仰角が65度しかないためだ。両艦はいずれもふそうの後方を航行しているが、これだけ上を向いていればふそうに向けて誤射する心配もないだろう。

 「ネプチューン、オーシャンクイーン。Ready for call for fire」

 「ネプチューン、スノーストーム。Ready for call for fire」

 「了解。艦橋、CIC。はるな及びふぶき、発砲用意よし」

 「CIC、艦橋。了解、発砲指示送れ」

 蒼は葛城からの報告にそう応じると、改まった声で警告射撃の開始を命じた。

 「1番砲、警告射撃始め。発射弾数4発」

 「1番砲、警告射、発射弾数4。撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 ズドンという腹に来る重低音を響かせ、3隻の戦闘艦はついに第六十二円竜丸に対し牙をむいた。決して該船には当たらない角度での発砲ではあるが、その迫力は相手を恐怖に陥れるには十分なものだろう。当然と言えば当然だが、機関砲や多銃身機銃が主力武器だった海上保安庁時代と比べれば、その威圧感はまさに雲泥の差である。

 「1番砲、撃ち方控え」

 「1番砲撃ち方控え、砲中弾なし」

 沢渡が自身の命令を復唱しつつ、警告射撃をやめさせたのを確認すると、蒼はすかさず桜井の方に顔を向けた。

 「見張り員、該船の状況知らせ」

 「該船、やや速力低下するも依然停船せず」

 「チッ、ここまでされてもまだ止まらずとはしぶといわね…。了解」

 思わず舌打ちする蒼。しかし、こちらにはまだ「二の矢」がある。相手が抗おうとするなら、こちらはどこまでもしつこく追い詰めて音を上げさせるまでだ。

 「1番砲と右舷側機銃、照準を該船にロック」

 「1番砲と右舷側機銃の照準、該船にロック」

 蒼の命令に従って、まだ砲身の冷却水が零れ落ちるままの1番砲が、機銃ともども該船の方を向く。もちろん、こちらとしては実際に撃つ気はないのだが、相手を威嚇するには十分な効果があるといえるだろう。

 「1番砲及び右舷側機銃、照準よし」

 「了解」

 蒼はその報告に頷くと、一度窓越しに該船の方を睨んだ。暗い海の上を、明かりに照らされた白い小さな船体が滑っていく。あの行き足を止める上では、残念ながらあの乗員たちの良心に期待することは最早無理そうだ。これは自分たちが蒔いた種、その責任は身を以て受け止めなさい。

 「右舷機銃、船体射撃用意。目標、該船船尾機関部。乗員には当てないで。攻撃始め!!」

 「撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 その命令とともに、無数の白き小さな閃光が闇夜を切り裂き、第六十二円竜丸に猛然と襲い掛かった。1番砲への警戒こそしていても、まさか機銃弾が飛んでくるとは予期していなかったのか、フェイントをかけられた形の該船乗員はパニックに陥ったようだ。だが、ふそうクルーは当然ながら追撃の手を緩めない。

 「撃ち続けて!!」

 沢渡が叫ぶ。やがて30秒ほど銃撃が続いた時だった。

 「該船、機関停止を確認。停船する模様!!」

 ようやく、ふそうクルーが待ち望んでいた知らせを安河内が口にする。艦橋側でも、やっと第六十二円竜丸が進行をやめるのを確認した。海上で停船したその姿に、思わず艦橋のメンバーから安どの声が漏れる。

 「了解。機銃、撃ち方やめ。航海長、両舷停止。ウェルドック、艦橋。1番艇、即時待機となせ」

 早速立入検査隊を送り込もうと蒼が立て続けにそう命じた、まさにその直後だった。

 「来るな!!ボートをよこせば沈める!!」

 突然、艦内無線に耳慣れない男の声が割り込んできた。一体何事か、と思わず艦橋やCICにいた面々が顔を見合わせる。

 「何、今の声は!?」

 「CIC、艦橋。船務長、今の交信はどこから来たものか!?」

 艦橋がざわつく中、蒼は即座にCICにいる葛城に問いただす。返ってきたのは、まさに耳を疑うような驚くべき答えだった。

 「艦橋、CIC。該船からです!!」

 その声を耳にするのとほぼ時を同じくして、蒼の視線の先にいる該船の船上で何かが動いている様子が目に飛び込んできた。やがて、操舵室と思しき部屋から3人の男が姿を現す。逆光でよく見えないが、どうやら30代半ばくらいのようだ。そのいずれもがガッシリとした体格の持ち主であることは、暗闇の中でもすぐに分かった。

 「その主砲、向けても意味ない。どうせお前らは撃たない。お前ら、この船捕まえる、無理」

 男の声はなおも続く。文法も拙く中国語訛りもきつい発音。だがその声はまさしく、それがはるなからでもふぶきからでもなく、該船たる第六十二円竜丸から発せられたものであることを示していた。

 「どういうこと!?まさか、こっちの艦内無線が傍受されてるってんじゃないでしょうね!?」

 「そんな馬鹿な…。艦内での交信は、例外なく完全に暗号化してますよ!?」

 予想外の事態に素っ頓狂な声を上げた沢渡に対し、慌てて葛城がかぶりを振る。そんな2人のやり取りをよそに、なおも中国語訛りの呼びかけは続く。

 「お前たち、この海に同胞を沈めた。絶対許さない。責任、取れ!!」

 そう叫ぶと、ボートの男は手に持った何かをこちらに向ける仕草をした。その正体に気付いた桜井が、顔面蒼白で叫ぶ。

 「該船乗員は計3名。うち1名が、対戦車ロケット弾を所持してる。発砲する模様!!」

 「ロケット弾が来る!!CIWS、コントロールオープン。見張り員退避!!」

 蒼がそう叫んで間もなく、船上の男は手元の火器をこちらに向けて放った。お互いの前身が視認できる程度の近距離から、通常なら戦車に向けて撃たれる携行火器であるRPG-7が、勢いよくこちらにかっ飛んでくる。だが、今回もすんでのところでふそうクルーを守ったのはCIWSだった。迎撃された際の衝撃で、艦体が激しく揺れる。

 思わずよろめいた艦橋の面々をあざ笑うかのように、第六十二円竜丸からの反撃は続いた。ロケット弾の次は、手元の小銃を用いての銃撃である。強化ガラスで作られた艦橋右舷側の窓に、次々と弾痕で刻まれた模様が描かれていく。

 「総員、直ちに物陰に隠れて!!」

 自身の声で、艦橋の面々が姿勢を低くしたのを見計らうと、蒼はCICに呼び掛けた。

 「CIC、艦橋。該船乗員が発砲。機銃にて応戦せよ」

 「艦橋、CIC。了解!!右機銃、撃ちー方始めー!!」

 撃たれてもただでは転ばない、とばかりに、該船からの攻撃に応戦するふそう。だが長く熱い一夜は、まだ道半ばに過ぎなかった。

 

 「CIC、電信室。NSCより海上警備行動が発令。繰り返す、NSCより海上警備行動が発令!!」

 「ようやく来たか…!!」

 その知らせに、津軽は頷いた。現在、はるなはふぶきともども、ふそうの後方で停船した状態だった。

 事態への対処が沿岸警備隊の能力を超えている、と判断された際に防衛大臣より発令される海上警備行動。名称そのものはかつての海自・海保時代と同様だが、その行動の根拠法令はかつてとは異なる。警察官職務執行法を準用するに過ぎなかった過去の規定では、海自艦艇は実際に攻撃を仕掛けられない限り、機銃弾1発撃つことができないというあまりに理不尽なルールだった。

 だが、戦後に公布された国防軍法に準拠する今はそのような縛りはないし、そもそも発令される前の段階でも威嚇射撃などでの発砲は許されている。どちらかと言えば、「有事における事態対処の主導権を海軍に渡しますよ」という色彩が強いものになっていた。

 「全く、上の連中は判断が遅くて困りますね。ふそうがターゲットと交戦中に発令されていれば、こちらから追撃することだって可能だったというのに。よりによって、お互いの銃撃が止んだ段階を見計らって送ってきやがって」

 日向が愚痴をこぼす。

 「まぁいいさ。どのみち、これで主導権が我々に移ったことには変わりない」

 「艦長、『ターゲットが我が軍や沿岸警備隊に対し、攻撃ば仕掛けてきた場合は躊躇しなしゃんな』が司令部からん命令やったはずですばい。既にふそうはターゲットから攻撃ば受けた状況ですばってん、どうするとですか?」

 そう尋ねた司に対し、津軽はまたニヤリという笑みを浮かべながら顔を向けた。

 「大事なのは、ターゲットが次にどう出てくるかだ。再び彼らが攻撃しようとするなら、その時はこちらから堂々と砲撃する口実ができる。その機会を逃さないことだ、砲雷長」

 そう言うと、津軽はヘッドセットを通じて艦橋の面々に命令を下した。その声は、イージス艦はるなを率いる者としての重みを十分すぎるほどまとったものだった。

 「艦橋、CIC。ターゲットが不審な動きをしていたらすぐに知らせろ。直ちに攻撃態勢に移る」

 

 「航海長。さっきの無線の件、どう思う?」

 一転、銃撃戦が止んで静かになった艦橋で、蒼は小声で近くにいた佐野倉に尋ねた。小銃の弾が切れたせいだろうか、該船からの攻撃は完全にストップしていた。先ほどは操舵室から出てきていた男たちも、こちらからの反撃もあってか再び引っ込んでしまったようだ。恐らく機関もこちらの攻撃で完全にやられたのか、再び動き出す気配はない。

 だが、弾切れで手詰まりになっているのはこちらも同じだ。応戦するのに重点使用した右舷側の機銃とCIWSは、既に装填された弾薬を使い切り攻撃続行が不可能になっていた。こちらから撃ち続けるには、少なくとも機銃については誰かを遣わせて弾薬を再装填する必要があるが、当然その役をあてがわれた隊員は命の危険に直接晒されることになる。可能な限り、部下の負傷や殉職のリスクを減らしたい蒼からすれば、どうしても躊躇してしまう一手だ。

 「自分は航海科の人間ですし、船務科の職域については正直門外漢ですが…」

 「うん、それは分かってる。ごめんね、無線が傍受されてる可能性がなければ、始めから船務長に問い合わせるところなのだけど」

 一瞬苦い顔をした佐野倉に対し、蒼は薄暗い艦橋の中で手を合わせて詫びた。それに対し、部下からは門外漢なりに頭を捻ったのであろう所見が示される。

 「無線については、どちらともとれるとは思います。本当に傍受されてたのかもしれないし、もしかしたらたまたま相手の読みが非常に鋭くて、こちらの出方が読まれていただけかもしれません。船務長は、みすみす無線の傍受を許すような仕事を許す方ではありませんし、もちろん後者だと信じたいところではありますが」

 「ふむ…。なるほどね、ありがとう」

 そう答えると、蒼はしばし目を閉じて物思いにふけった。下手に該船を沈めたくはないが、この場面における最もふさわしい武器は弾切れで使用不能。先ほどのやり取りで、あの船に東亜海軍の軍人が載っていることは確定した。彼らの電子戦能力を考えれば、実際に無線も傍受されている可能性を捨てきれない。

 (この状況で下せる最善の一手とは…)

 思考を巡らせた末、蒼は覚悟を決めた。大きく一度息を吐いてから、佐野倉とは別の部下の名前を呼ぶ。

 「紺野、桜井、黒木。そこにいるかしら?」

 「紺野、おります」

 「桜井、います。大丈夫です」

 「黒木、おります。異常ありません」

 3人の海曹士が、すぐにその呼びかけに応じた。

 「あなたたちに大事な仕事を任せるわ。悪いけど、ひとっ走り行ってきて頂戴」

 「了解しました。具体的には何を?」

 「私たち、機銃弾の装填はやったことないのでぶっつけは厳しいですが…」

 恐らく状況を既に読んでいたのだろう桜井が、困惑の表情を浮かべる。しかし、蒼はそれに対し口元にやや笑みを浮かべつつ首を振った。

 「いいえ、流石に航海科のあなたたちにそれは任せないわ。行先は別の場所よ」

 「別の場所?」

 思わず聞き返した3人に、蒼は頷く。

 「紺野はウェルドックに行って、警備長に船内留置場の開放と1番艇の即時待機を伝えてきて。即時待機完了次第出発、くれぐれも該船に悟られないように、慎重に離艦せよと釘をさすのを忘れないで」

 「ハッ」

 「桜井は電信室に行って、海軍の2隻に手出しを控えるよう打電させて。黒木はCICに向かって、実際に無線を傍受されていた形跡がないかどうか、船務長に確認してきなさい。もし形跡がなければ、普段通り艦内無線で一報入れるようにと伝えること」

 「了解しました」

 艦長直々の命令に、薄暗い中でもはっきりと分かるほどに3人の表情が引き締まる。皆、瞬時にその意図を感じ取ったようだ。

 「無線が傍受されてる可能性が捨てきれない以上、こちらの動きを相手に悟られるわけにはいかないわ。今はあなたたちの働きが頼りよ。行ってきなさい!!」

 「Aye, ma’am!!」

 小声ながらもはっきりとそう答えた3人の海曹士は、命令を拝受するや否や脱兎のごとく艦橋を飛び出していったのだった。

 

 「全員、私が指示するまで絶対に音をたてないように。こちらの動きを悟らせないで」

 いつもにもまして静かに漕ぎ出した1番艇の中で身を潜めながら、柳田は小声で部下たちに命じた。艦長からの命令を直々に受けた紺野からの言伝を受けた後、柳田は黒川との打ち合わせもそこそこに急いで出発準備を始めた。まさか、航海科の海士を使いによこすとは予想もしなかったが、それ以上にその命令の内容にも驚いた。まさか、夜の闇に紛れて該船に乗り込めとは。

 だが、そんなオーダーが自分の力を信頼してくれているが故のものにも思えて、柳田自身は嬉しかったのも事実だ。既にあたりは真っ暗闇で探照灯も再び落としたとはいえ、完全に自分たちの姿を秘匿するのは簡単なことではない。そんな難題でも、柳田桃子ならできると艦長は判断してくれたのだろう。ならば、自分ができることはそれを意気に感じて、彼女の期待に応えることのみだ。

 少しずつ、該船に向かって警備艇は近づいていく。手元の拳銃が、無意識に手に入った力によって小さく「カチャリ」と音を立てた。全身の血液がアドレナリンによって沸騰し、心臓がバクバクと音を鳴らすのを必死に噛み殺しながら、柳田は第六十二円竜丸の操舵室に向かってその銃を構えた。

 「総員、構え!!」

 その声とともに、自らの部下たちも一斉に拳銃を船に向けた。1番艇と該船の間は今や、大体20m程度の距離だ。虚を突かれた格好の乗員たちが、何事かと飛び出た次の瞬間に事態を察し、両手を上げてその場に立ち尽くす。

 「最早あなたたちに逃げ場はないわよ。散々私たちを連れまわした責任は取ってもらうわ。全員、手を頭の後ろで組んでその場で跪きなさい!!」

 部下たちとともに拳銃を彼らに向けながら、柳田はなおもきつい口調で乗員たちに命じた。だが、乗員たちはその状況を目前にしつつも、何故かこちらを脅威と捉えている様子がない。ニヤリという余裕の笑みさえ浮かべているではないか。

 「お姉さん。あなたの艦長、私の話聞かないね」

 1人の乗員が、そのどこか不気味な笑みを浮かべたまま口を開く。

 「あ?何のことよ」

 「言ったでしょ。この船、捕まらない。ボート来たら沈める。あれ、本気よ」

 なおも拙い日本語で言葉を続ける男。その意味を、柳田はしばし掴み損ねていた。だがそのうち、何やら妙なことに気付く。先ほどの艦橋の見張り員からの報告では、該船の乗員は少なくとも3人いたはずだ。しかし、今自分の目の前には2人しかいない。そして、先ほどの銃撃戦のさなかには該船側には死者は出ていないはずだ。…、まさか!?

 「お姉さん、残念。ここで終わりね。打敗它(やっちまえ)」

 その声が聞こえるや否や、物陰からRPG-7を手に持った「第3の男」が姿を現した。瞬時に、お互いの形勢が逆転する。想定外の事態に、思わず柳田が息をのんだまさにその時。彼女の右側で、さらに予想を上回る事態が起きた。

 「今!!探照灯、照射始め!!」

 その声に引き続き、あたりが突然明るくなる。だが、探照灯をつけたのはふそうではなかった。そのまぶしさに目を細めながら、柳田とその部下たちがそちらに顔を向ける。その目に飛び込んできたのは()()()()()()()()()S()P()Y()-()6()()()()()()()()()()()()()()()()()()6()2()()()5()()()()()()()()姿()()()()

 「柳田ぁ、戻れぇっ!!」

 艦橋から事態の急展開に気付き、思わず蒼がそう叫んだ直後だった。

 

 「対水上戦闘、CIC指示の目標。主砲、撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になり反応しきれなかった柳田を尻目に、はるなの主砲が第六十二円竜丸めがけて火を噴いた。127mmサイズ、その大きさと殺傷力ゆえに蒼が使うのをためらった主砲弾が、情け容赦なく正確無比の精度で小さな船に襲い掛かる。今の今まで目の前にいた船が、瞬時に火だるまに変わった。砲撃された衝撃により、吹き飛ばされた船体の破片が1番艇の乗員を襲う。その一部が、あろうことか柳田の顔めがけて勢いよく吹き飛んできた。

 「ぐあっ…」

 破片を避けきることができず、柳田は思わず顔の右側を抑えて倒れこんだ。その弾みで警備艇が大きく揺れる。

 「艇長!!」

 「大丈夫ですか!?」

 慌てて声をかけてきた部下に対し、柳田は痛みと全身のふらつきを必死でこらえながらも、鬼の形相で叫んだ。

 「私のことはいいから、早くふそうに戻りなさい!!急いで!!」

 その命令に、操縦士は急ぎ母艦に向けて警備艇を発進させる。ウェルドックに戻った柳田たち乗員を待っていたのは、彼女の上官たる黒川と灰原のコンビだった。

 「あぁもう、畜生。すいません警備長、測量長。ただいま戻りました」

 痛みをこらえようと悪態をつきながらも、必死に平静を装う柳田。だが、その目に入ってきたのは灰原の怯えにも似た表情。耳に聞こえるのは震え声だった。

 「柳田ちゃん…。あんた…、そん右目どがんしたと…?」

 「右目…?」

 そう聞き返してはじめて、柳田は自身の視覚がきたしている異常にようやく気が付いた。明らかに左右で見え方が違うのだ。左側の視界は綺麗に見えているのに、右側は真っ赤に染まってぼやけている。これは一体…。そう頭を捻る間もなく、突然立ち眩みに襲われたかのように彼女の全身からは力が抜けた。徐々に遠くなる彼女の意識の彼方で、灰原の叫び声だけが耳に聞こえていたのだった。

 「衛生兵!!衛生兵至急ウェルドックへ!!柳田二尉、右眼球負傷!!」




【悲報】国防海軍、空気が読めない。

とうとうフラグ回収、大事なところで海軍がやらかしやがりました。一応、状況的には正当防衛としての加勢と見れないこともないですが、この砲撃は蒼の意図したものとは全く異なってしまっています。詳しくは次回以降に持ち越しますが、この事案は今後の物語上色々な意味で大きな意味を持つ出来事となりますので、この先どう進展していくのかについてはどうぞご期待ください。

次回からはまた新章に入る予定です。それではまたお会いしましょう。


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閑話休題・世界観設定
Neptune世界観設定(Q&A方式)


どうも、SYSTEM-Rです。今回は閑話休題として、かつて拙作『鎮守府のイージス』でもやっていたように、世界観の設定の一部を公開したいと思います。普通にやっても面白くないので、ちょっと捻った趣向でQ&A方式にしてみました。分量的にも普段より軽めなので、Yahoo!知恵袋みたいな感じで読んでみてください。それではどうぞ。


 Q.同じ日本の軍人なのに、海軍(大佐、中佐、少佐…)と沿岸警備隊(一佐、二佐、三佐…)で階級名が違うのはなぜですか?

 

 A.作中の沿岸警備隊における階級制度は、現実世界における海上自衛隊のものをそのまま踏襲しています。海自の直接の後継たる国防海軍は、法令上も軍事組織であることを明確にするために、物語前段の「アジア海洋戦争」終結と海自からの組織改編を機に、階級制度を大日本帝国海軍に近いものに改正しました。

 

 一方の沿岸警備隊は、元々文民の組織である海上保安庁の後継という設定ですが、海保における階級制度はどちらかというと船員の役割分担に基づくものであるため、「海上における法執行機関としての顔も持つ軍事組織」に改編するうえで、そのまま流用するのは不適当と判断しました。よって、「将・佐・尉・曹・士」と軍事組織たることを意図した名称でありながら、海軍との管轄や指揮系統の違い(沿岸警備隊は国土交通省の外局扱い)が明確であり、かつ日本国民にもよりなじみの深い海自の階級制度を踏襲することとしました。

 

 Q.海軍と沿岸警備隊では、軍人としての格付けは同等ですか?

 

 A.階級名称は異なるものの完全に同格です(ただし例外として、沿岸警備隊には海軍大将に相当する階級はない)。実際作中でも、少佐である司や河内よりも一佐である蒼の方が、所属は違えど上官だという発言があります。彼らと同格なのは沿岸警備隊では三佐であり、ふそうクルーで言うと佐野倉・葛城・茶谷・白金・黒川が該当します。彼女たちに対しては、司や河内は公然とタメ口で話しかけても全く問題視されませんし、その逆もしかりです。

 

 ちなみに、司と河内は上官であるはずの蒼にタメ口を叩いても不問とされていますが、これは彼らが蒼と全く同じ生年月日に生まれた同級生、かつ司は蒼の双子の弟である身内、河内は接触した場面自体がそもそも非公式な場であったためであり、あくまでも例外的な事案です。また、作中世界では有事において沿岸警備隊は海軍の指揮下に入ることとなっているため、非公式には海軍側は沿岸警備隊を格下にみている部分もあるかもしれません。階級の対照表は下記のとおりです(カッコ内が海軍の階級)。

 

 将官

 ・――(大将)

 ・海将(中将)

 ・海将補(少将)

 

 佐官

 ・一等海佐(大佐)

 ・二等海佐(中佐)

 ・三等海佐(少佐)

 

 尉官

 ・一等海尉(大尉)

 ・二等海尉(中尉)

 ・三等海尉(少尉)

 

 准士官

 ・准海尉(准尉)

 

 下士官(曹)

 ・海曹長(兵曹長)

 ・一等海曹(一等兵曹)

 ・二等海曹(二等兵曹)

 ・三等海曹(三等兵曹)

 

 士・兵

 ・海士長(水兵長)

 ・一等海士(一等水兵)

 ・二等海士(二等水兵)

 

 Q.現実世界における海保巡視船は軍艦とは異なる位置づけですが、この世界ではどうなるのですか?

 

 A.作中では、沿岸警備隊が保有する艦船は全て「巡視船」「巡視艇」のいずれかのグループに属する(沿岸警備艦は作中における日本の法令上、大型巡視船の一類型という扱い)こととなっていますが、沿岸警備艦以外の巡視船艇にしても「国軍に属し」「軍艦旗(作中での正式名は「警備艦旗」)を掲げ」「将校名簿に記載されている士官によって指揮され」「正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されている」という定義を満たすため、国際法上は軍艦扱いとなります。当然、法令上は他国海軍艦艇とも交戦することは可能ですが、実際にはスペックの観点から沿岸警備艦がその任務を負っています。「沿岸警備艦」「巡視船」「巡視艇」という分類は、排水量や実務上の役割分担によるところが大きいです。

 

 Q.沿岸警備艦の定義は何ですか?また、艦種記号「MGV」の由来は?

 

 A.沿岸警備隊に所属する大型巡視船のうち、次の定義を全て満たすものが沿岸警備艦とされています。

 

 (1)基準排水量が5000tを超えること(なお、作中に登場する「ふそう」「やましろ」「ながと」「むつ」は全て基準排水量7700t以上)

 (2)5インチ以上の口径の速射砲、魚雷や哨戒ヘリなどの対潜装備など、充実した攻撃兵装を有すること

 (3)ガスタービンエンジンを1つ以上搭載していること

 (4)艦体が軍艦構造で設計されていること

 

 また、艦種記号「MGV」は「Maritime Guard Vessel」の頭文字ですが、元々は警備ということでMPV(Maritime Patrol Vessel)なども考えていました。しかし、現実的に負っている任務が単なる「警備」の範疇を超えるものであるため、PatrolではなくGuardの語を使うものとしました。

 

 Q.ふそうクルーが全員女性隊員である理由は?

 

 A.ふそうクルーは総員248名全員が女性となっており、沿岸警備隊全体の女性隊員750名のおよそ1/3に相当します。ふそう以外の沿岸警備艦や巡視船艇にも女性隊員はいる(今のところ登場予定はありませんが)ものの、主力はあくまでも男性隊員です。ふそう自身も男女両方の生活設備を備え、かつては男女両方のクルーが乗っていたものの、作中現在ではある理由によって全て女性に置き換わりました。「軍艦の乗員が全員女性」というアイデアは、「ハイスクールフリート」から着想を得ている部分がありますが、もちろん理由付けは本作独自のものを考えています。このあたりの経緯については、いずれ触れていきたいと思います。

 

 Q.佐世保が舞台なのに、標準語でしゃべるキャラ多すぎない?

 

 A.挿絵がない分、方言キャラはあまり多くなりすぎるとごちゃごちゃで分かりにくくなるため、長崎弁を常用するキャラクターは意識して少なめにしています。蒼にしても、基本的には身内相手にしか方言では話しません。また、そもそも作者は元々関東の人間ですので、標準語の方が書きやすいという面もあります。

 

 Q.ふそうクルーの年齢層はかなり若いのですか?

 

 A.「蒼が30歳にして一佐であり艦長」というあたりを強調して書いていますが、そもそも曹士を含めたクルー最年長が茶谷の40歳であり、佐官の面々にしてもほとんどが30代前半から中盤くらいです。灰原や我那覇(ともに28歳)、柳田(26歳)といった尉官は20代半ばから後半くらい。フィクションの女性キャラという基準だけで考えればBBA扱いになるのでしょうが、士官クラスの軍人と考えると現実の軍隊よりはかなり若いと思います。

 

 Q.この世界での憲法9条は、どのような条文になっていますか?

 

 A.以下のような文言に改正されています。沿岸警備隊は「その他の戦力」に含まれます。もちろん、実際の最高指揮官は文民たる内閣総理大臣です。なお、現実世界における改憲論議においても、1つの現実的選択肢としてこうした規定となることは将来的にありうるのではないか、と個人的には考えています。

 

 9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 9条2項 日本国は国際紛争の発生を抑止し、以て日本国民の生命や財産の安全を維持する手段として、陸海空軍およびその他の戦力を保持することができる。前項の規定にかかわらず、武力による威嚇又は武力の行使を受けたことにより、前記の目的の達成が不能となり、かつ他に代えることのできる紛争解決手段が存在しない時は、日本国はこれらの戦力を指揮統率し防衛にあたる義務を負う。

 

 9条3項 前項における陸海空軍およびその他の戦力の権能は、別途法律によりこれを定める。




次回からは本編に戻る予定です。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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落とされた火ぶた
第四章:落とされた火ぶた(前篇)


どうも、SYSTEM-Rです。今回から第四章に入ります。前章のラストで負傷した柳田の容態、そしてはるなが勝手に砲撃を行った理由が今回明らかになります。いったいどうだったのでしょうか?それではどうぞ。


 「食事の件を辞退したい?」

 思わず聞き返した蒼に対して、紺野は申し訳なさそうな様子で頷いた。

 「艦長のお気持ちは大変ありがたいですし、自分もとても嬉しかったのですが…。該船を取り逃した挙句、柳田二尉まであんなことになってしまって。今のこの状況で、海士の自分がぬけぬけと食事になんて出かけられないですよ。それも艦長の奢りでなんて」

 「そこに関しては、あなたは責任を感じるべきじゃないわ。該船を取り逃したのも、柳田が負傷したのもあなたのせいじゃないもの。むしろ、あなたがあの時見つけてくれたからこそ、私たちはあの船に対処することができたのよ。私にはいずれにしても、上官としてあなたの働きにきちんと報いる義務があるの」

 蒼はそう言いながらも、半泣きにさえなりながら、頑なに首を振る紺野にいたたまれない思いだった。何せ、結果的に自分が言伝を伝えに行った相手が、その任務によって目の前で重傷を負う羽目になってしまったのだ。ましてやその相手は幹部である。海士長の紺野から見れば、二等海尉の柳田だって遥かに上の世界の住人だ。真面目で仲間思いの彼女が、辞退したいと考えるのも自然な成り行きなのかもしれない。

 「まぁでも、あなたの思いも汲んであげないといけないわよね。自分の仲間を思うその気持ちは立派よ、これからも大事にしなさい」

 そう言うと、蒼は妥協案を提示した。

 「じゃあ、とりあえずこの話は当分延期ね。柳田が元気になったら、その快気祝いも兼ねての開催にしましょう。それなら、あなたも気兼ねなく行けるでしょ?」

 「快気祝いも兼ねて、ですか」

 「そう。お店のチョイスは任せたわよ。あなたの好きなところでいいから、一番のおすすめを考えておくように。艦長命令よ」

 「うえっ!?幹部お2人が来られる食事の店を、私が選ぶんですか!?」

 驚いて目を見開いた紺野に対し、蒼はウインクしながら口元に一瞬笑みを浮かべた。

 「当たり前でしょう。柳田も参加させると言ったって、これは元々あなたに対する論功行賞なのよ。あなたが一番行きたい店に行かなくてどうするの。そんなところまでいちいち遠慮するんじゃないわよ」

 「あ、ありがとうございます…」

 紺野はなおも申し訳なさそうに、しかし少し安堵したような表情を浮かべつつ頭を下げる。その律儀な態度に、蒼は優しく微笑んだのだった。

 

 「失礼します」

 佐世保への帰投後。国防海軍佐世保病院に緊急搬送された柳田の病室に、蒼は足を踏み入れた。視線の先には、既に黒川や灰原をはじめ数人の部下たちが顔を揃えている。なんと、柳田も目を覚ましてベッドの上に起き上がっていた。頭と右目を覆う包帯が痛々しいが、少なくとも元気な様子ではあるようだ。

 「お疲れ様です、艦長」

 真っ先に蒼の姿に気づいたその柳田が、ベッドの上で頭を下げる。それにつられて、振り返った他の部下たちも一斉に敬礼した。

 「具合はどう?柳田」

 「まだちょっと痛みはありますが、何とか大丈夫そうです。ご心配かけてすみません」

 「何にせよ、命に別条がなくてよかったわ。それが何よりの知らせよ」

 苦笑いを浮かべた柳田に向かって、蒼は満足そうに頷いた。

 「診断は目の打撲と角膜上皮剥離、それと瞼の裂傷。幸運にも、視神経や骨には異常がありませんでした。安静にしていれば2~3日で痛みも取れますし、1週間あれば剥離も完治すると思いますよ」

 帰投中の艦内で柳田の一次治療にあたったふそう医務長、橙木美央(とうのきみお)一等海尉が口を開いた。艦内での医療行為や、第5分隊(航空科)と協力してのドクターヘリの運行管理が主な仕事。ふそう乗員の中では貴重な医官で、戦闘や立入検査の後には決まって大忙しになるのがこの人だ。特に生傷の絶えない立入検査隊の面々は、彼女に対しては頭が上がらない。切れ長の目と清涼感あふれるクールなルックスで、曹士の間では蒼や沢渡と並んで憧れる面々も多いとされる隊員の1人である。

 「とりあえず、視力には影響がなくてよかったわよね」

 「正直かなり危なかったですけどね。当たったのがたまたま瞼のあたりだったので良かったですが、あと数ミリずれていたら間違いなく失明してましたよ」

 橙木が大きく息を吐きだした。

 「それと、今回は病院がとても手際よく処置してくれたので良かったですが、もしかすると場合によっては顔に傷跡が残るかもとのことです。もちろん、任務そのものには支障がないであろうレベルですが」

 「命は救われたけど、女としては致命傷ってことね。せっかく綺麗な顔で生まれてきたのに、こんなことで傷がつくなんて残念ね…」

 そうため息をついた蒼に対し、当の柳田はあっけらかんとして笑った。

 「何言ってるんですか艦長。名誉の負傷でしょ、こんなもの。この程度の怪我なんて我々6分隊にとっては今に始まったことじゃないし、大したことじゃありませんよ。軍人稼業は命がけ、沿岸警備隊員になった時から女なんかとっくに捨ててますって」

 「流石に、目をやられた経験のある人間はそういないと思うけどねぇ。まぁ、そんだけ豪快に笑い飛ばせるくらいのメンタリティが健在なら、また現場に戻ってきてもあんたはうまくやれそうだね」

 黒川が苦笑いしながら肩をすくめる。

 「当たり前でしょ。何なら今すぐ現場戻りますよ、警備長。病室のベッドの上はすることなくて暇なんですもん」

 「馬鹿言うんじゃないの。その怪我が治ってからでないと、現場復帰もへったくれもないでしょ。まずはその包帯が取れるまで、1週間は安静にしてなさい」

 即座に厳しい口調でその言を咎めた橙木の言葉に、柳田は一転決まりが悪そうにペロッと舌を出して苦笑した。

 「ばってん、何はともあれ何ものうてよかったっさ、柳田ちゃん。うちら、あんたんことば本当に心配したんやけんさ」

 灰原が心から安堵した様子で呟く。もちろん、それは居合わせた全員が共通して抱いている思いでもある。負傷した直後はどうなることかと思ったが、少なくともしばらく安静にしていればまた職務に復帰できそうな程度の負傷で済んだ、というのは不幸中の幸いである。…、本当ならこんな怪我などせずに済むのが一番よかったのだが。

 「艦長。とりあえず柳田が復帰するまでの間、1番艇については自分がマネージしたいと思いますがよろしいですか。もちろん、あくまでも臨時の人員配置ですが」

 「そうね…。ひとまずそれでお願いするわ。1週間で元に戻せるといいけどね」

 「そうですね…」

 黒川はそう同調した後、ふと忌々しそうに表情を歪めて吐き捨てた。

 「それはそうと、柳田に怪我させた張本人はいつになったら現れるのさ」

 その一言で、一瞬にして病室内の空気が重苦しいものに変わる。柳田が運び込まれてから、ここで接した海軍側の人間は全てこの病院に勤務する医官の面々たち。船乗り、特に柳田が負傷する直接の原因を作った駆逐艦はるなの乗員たちは、誰1人としてここに顔を出してきてはいない。柳田が入院した情報は当然彼らにも伝わっているはずだが、全く音沙汰がないことに内心沿岸警備隊側は不信感を強めていた。

 加えて、事前に「手を出すな」と打電していたにもかかわらず勝手に砲撃され、拘束するはずだった第六十二円竜丸の乗員たちを船ごと沈められたことについても、ふそうクルーは揃って怒り心頭だった。一番やって欲しくなかったやり方で、NSCから任されていた仕事の段取りをぶち壊され、おまけにこちらには重傷者まで出たのだから当然である。帰投中にも当然無線では抗議したのだが、相手の反応はお互いの顔が見えないせいか、やけにつれなかった。叶うならば、港で次に遭遇した時に全員ぶちのめしてやる、というほど場の空気が殺気立ってきたまさにその時、その男は前触れもなく現れた。

 「失礼します。柳田二尉の入院されている病室はこちらですか」

 大急ぎで駆けつけてきたせいだろう、慌てている様子がうかがえるその声に、その場にいた全員が振り返る。そこに立っていたのは、アスリートのような爽やかな空気感をまとう海軍士官。先の不審船事案で現場に立ち会っていた、もう1人の艦長だった。だが、今日の彼の顔には焦燥感がありありと浮かんでいる。

 「河内少佐…!!」

 蒼がそう呟くのを聞いてか聞かずか、河内は柳田の姿を認めると一目散にこちらへ駆け寄ってきた。柳田があっけにとられている目の前で、床に膝まずく。

 「この度は、我が軍の勝手な行動でこのような怪我をさせてしまうことになり、誠に申し訳ありませんでした。国防海軍の一員としてお詫びします」

 一同があっけにとられる中、何度も頭を下げる河内。その彼に向かって、一足早く我に返り厳しい口調で言葉を投げかけた者がいた。灰原だった。

 「あんたが河内少佐と。あんたには聞きたかことがあるけん、謝罪はそん辺にしてこっちん話に付き合うてもらおうか」

 「あなたは…」

 「ふそう測量長、一等海尉、灰原美弥。警備・測量科でん柳田ん上官ですばい」

 ドスが利いた灰原の言葉は、芯まで怒りの色に染まっていた。思わず掴みかからんばかりの勢いで、河内に食って掛かる。

 「なんであん場面で、勝手にいきなりはるなが砲撃したんと?なんでそのせいで、うちん柳田がこがん目に遭わんばならんのか?説明せんね!!」

 「それは…」

 「あん包帯でグルグル巻きになった顔ば見んね。あんた方が勝手にしゃしゃり出てこんば、柳田はあがん怪我なんて負わんで済んだんばい。うちん部下はもう少しで失明するところやったんばい。こん責任、一体どう取るつもりと!!」

 顔を真っ赤にして憤る灰原。それを諫めたのは、意外にも当の柳田だった。

 「測量長、お気持ちは嬉しいですけどそこまでにしましょ。いくら個室だからと言ってここは病院ですよ」

 「ばってん!!」

 「やめなさい、測量長。柳田の言う通りよ」

 蒼がぴしり、と投げかけた言葉に、ようやく灰原は口をつぐんだ。不審船発見情報を伏せて勝手に仕事に介入された挙句、自分の部下に怪我まで負わされたことに対して、最も激しく怒りを感じていたのは彼女だ。恐らく同じ現場に居合わせた海軍の人間を前に、感情が大爆発したのだろう。立ち尽くしたまま顔を伏せた彼女の目からは、涙があふれ出ていた。それを慰めるように肩を2、3度叩いてから、今度は蒼の厳しい視線が河内の方に向く。

 「河内少佐。こうして見舞いにわざわざ来てくれた心意気は買うけど、うちの灰原が今回の件でこれだけ怒るのも無理からぬことと分かるわよね。言っておくけど、この件で部下がいらぬ怪我を負わされてブチ切れてるのは私も同じ。今の質問の答え、きっちり説明してもらうわよ」

 「っ…!!」

 静かではあれど、その有無を言わさない凄みをまとった言葉に、河内は思わず口をつぐむ。しばしの沈黙の後、ようやく彼の口から出てきたのは意外な言葉だった。

 「あの砲撃は…、はるな艦長の津軽大佐が独断でやったことだ」

 「独断…?」

 「あぁ。僕らふぶきの乗員にも、ターゲットを砲撃するなんて連絡は全く伝わってきてなかった。あなた方と同じように、僕らも砲撃直前で初めてその意図に気づいたんだ」

 「なぁ、少佐殿。三佐である私に対してならともかく、一佐である艦長に対してその口ぶりは流石に無礼なんじゃないかい。軍人としての口の利き方が分かってないようだね」

 「いいのよ、警備長。彼は階級こそ違っても私と同い年。タメ口を許した間柄よ。そこについては責めないで」

 こめかみに青筋を立てた黒川の言を、蒼は即座に制した。再び河内の方に向き直る。

 「なぜ彼はそんな勝手な命令を下したの。1番艇を送るから手を出すな、と事前に打電したはずよ。まさか、電文が受信できてなかったと言うんじゃないでしょうね」

 「そんなはずはない。少なくともうちの船では確かに受信していた。だからこそ、僕らは指示通り手を出さなかった。はるなの方でも当然把握はしていたはずだ。なのにそれが無視された。何を考えてるんだと僕だって焦ったくらいだよ」

 まさか、津軽があんな暴挙に走る人間だとは思わなかった、と河内は嘆いた。

 「あなたは恐らく深いところまでは分からないだろうけど、はるなが暴走した理由については思い当たる節はあるの?」

 「分からない。恐らく、ターゲットの乗員が彼女たちにRPG-7を向けたから、援護射撃のつもりだったんだろうと思う。それとあの時…、既にNSCからは海上警備行動が発令されてた」

 「海上警備行動が…!?」

 初耳の情報に、思わずその場にいた沿岸警備隊員全員が顔を見合わせる。河内を問い詰める蒼の口調が、より一層鋭くなった。

 「どういうこと?その一報は我が船には届いていなかったわよ。なんで沿岸警備隊には通知が来てないのよ。その話、間違いないんでしょうね?」

 「事実だよ。こんな状況で嘘なんかつけると思うのか?」

 「発令されていたのはいつ?」

 「ちょうど、君たちとターゲットの間での最初の銃撃戦が止んだ後だ」

 「銃撃戦の後…?」

 蒼は、その言葉を繰り返した。あの時、該船乗員に無線が傍受されている可能性にふそうクルーの面々は既に気が付いていた。恐らく、葛城は全ての通信回線に侵入の形跡や不具合がないかどうかを調べていたはずだ。そのタイミングでの一報だったから、気づけなかったということか。

 「今回僕ら海軍は、ターゲットが自分たちに害をなす行動を仕掛けてきた場合は躊躇するな、と言われて派遣された。だから、何かあれば撃つ用意は僕らの側では常に整えていたんだ。そこに海上警備行動が発令されて、事態対処の主導権が名目上沿岸警備隊から海軍に移った。多分、その一連の流れが彼に引き金を引かせたのかもしれない」

 「…そういう大事なことは、もっと早く言ってほしかったわね」

 蒼の右拳に、より一層力がこもる。コンクリートの壁をぶん殴りたくなる衝動を必死にこらえながら、蒼は睨むような視線を河内に向けた。

 「大体話は分かったわ。だけど、実際にあの船に乗っていた人間に問いたださなければ、どのみち本当のところまでは分からないわね。…、津軽大佐は今どこに?」

 「大佐なら今日も基地に上番してるよ。今日は上陸してたはずだけど…、ってまさか今から乗り込んでくるつもりか!?」

 自分の言葉を聞くや否や、即座に病室から退室するそぶりを見せた蒼の姿に、思わず河内が目を見開く。

 「当たり前でしょう。重傷者がこうして出ている以上、本件は沿岸警備隊としては断じて看過できない問題よ。この不始末は断固として糾弾させてもらうし、あなた方海軍に責任は取ってもらうわ。言い分があるなら、この際白黒はっきりつけましょう。…、分かってるだろうけど、止めても無駄だからね」

 そう言うと、蒼は自らの部下たちの顔を見回した。

 「これより国防海軍に抗議に向かう。文句言いたい人間は全員付いてきなさい!!」

 安静が必要な柳田を除けば、その言葉に異存のある部下は1人もいなかった。あっという間に空になった病室に、河内はあっけにとられたまま柳田とともに取り残されたのだった。

 

 「部下を引き連れてわざわざ艦長直々に出張ってくるとは、いったい何の御用ですかな」

 「すっとぼけても無駄ですよ、津軽大佐。我々がこうして怒鳴り込んできた理由、まさか思い当たる節がないなんて戯言は言わせませんよ」

 病院と同じ敷地内にある、国防海軍佐世保地方総監部に直接乗り込んだ蒼。他の海軍士官も同席した会議を終えたばかりの津軽を、彼女はほどなくして会議室にて発見する。自分の意図しない砲撃を断行した艦の最高責任者を目の前に、彼女の怒りのボルテージは少しずつ高まっていた。

 「単刀直入にお伺いします。我が船から事前に『手を出すな』と打電しておいたにもかかわらず、うちの立入検査隊が該船に接近しているのを知りながら、勝手に砲撃したのは何故ですか」

 「何故も何も、我が船は群司令とNSCからの命令に従っただけだ」

 津軽はため息をつきながら、いかにも面倒くさそうな表情で答えた。

 「我が軍に下った命令は『ターゲットによる有害行動の阻止』だ。海軍や沿岸警備隊の艦艇が危害を加えられた際は、発砲を躊躇するなと命じられていた。だが、実際にはターゲットが貴艦と交戦状態に入った時、我々は最初の銃撃戦が終わるまで手出しができなかった。だからこそ、貴艦の警備艇がRPG-7で沈められそうになったあのタイミングで、さらなる被害を防ぐために撃った。それが理由だ」

 「我々からは、事前にNSCや沿岸警備局が本艦に命じた内容を伝達したはずです。ですが、貴艦は海軍側に下った命令についての情報をこちらと共有しようとはしなかった。そこについて落ち度があるとは考えないのですか」

 「そこはお互い様だろう。貴艦とて、オリオン事件の際はこちらと十分な意思疎通をせずに勝手に動いたじゃないか。現場をかき回されたのは当時の我々とて同じだぞ」

 そもそもあの時、NSCからは既に海上警備行動が発令され、事態対処の主導権は沿岸警備隊から海軍に移っていた。段取りをぶち壊されたと言いたいのかもしれないが、それについては国が命じた以上我々に責められるいわれはない。

 「大体何よ。さらなる被害を防ぐため、ですって…?」

 津軽のふるまいも相まって、蒼の声にも徐々にドスが利き始めた。

 「冗談じゃない。その砲撃のせいで、現に我が船の幹部の中に目を負傷した人間がいる。重傷者という被害が生まれているのですよ。あれほどの至近距離で砲撃すれば、警備艇の搭乗者が無事では済まないことくらい想像がつくでしょう!?」

 「だが、幸いなことに犠牲者までは出ずに済んだ」

 その言葉に、すかさず津軽は反論した。

 「負傷したのは柳田二尉だったな。貴艦の乗員の中に、重症者を生んでしまったことは遺憾に思う。だが、あのままターゲットがRPG-7を発砲していれば、彼女どころか警備艇の搭乗者全員が犠牲になる危険性すらあったんだ」

 彼の言はさらに続く。

 「どちらにせよ我が船が砲撃しようがしまいが、あの状況では貴艦の立入検査隊は無事では済まなかった。無論最良ではないが、負傷者1名という最低限の被害にとどめることができたのは、そこまで責められるべき結果ではないはずだ。そもそも、元からこちらに帰順する気のない相手に向けて警備艇を送り込んだことの方が、采配ミスとして咎められるべきだ。任務にあっては命がけで事に当たる軍人としての気構えも忘れ、自らの失敗を棚に上げていちゃもんをつけに来るとは…」

 次の決定的な一言が、蒼たちの怒りの導火線に火をつけたことに、残念ながら彼は気づかなかった。

 

 「貴官ら沿岸警備隊には、軍人としての覚悟が足らんな」

 

 「何…ですって…!?」

 蒼の発する声が、より一層低くなる。彼女の心は、今や怒りと憎悪で煮えたぎっていた。確かに、理屈でいえば津軽の言うことは100%間違いではない。あの状況では、1番艇を夜の闇に紛れる形で送り込ませる作戦は確かにリスクの高い一手だったし、結果的に部下たちを窮地に陥らせてしまったのも事実だ。命がけで任務にあたる軍人である以上、殉職や負傷のリスクが常に背中合わせに存在することだって自覚せねばならない、という指摘も正しい。

 だがだからと言って、「怪我を負わせる可能性が高い」と分かっていて撃っていい砲などない。怪我したり殉職したりしても許される人間などというものは、この世に存在などしないのだ。ふそうクルー全248名、そのどれをとっても沿岸警備隊にとっての、あるいはこの日本国にとっての単なる捨て駒などではない。避けられたはずの怪我、それも軍人としては致命傷にだってなりうる目の怪我を部下が負わされておいて、どうして上官が平然としていられようか。それを言うに事欠いていちゃもんだと。

 そして沿岸警備隊は、確かに海軍とは違う。国交省の外局である我々は防衛省傘下の所属でもないし、そもそも組織名からして「軍」だとは名乗っていない。そうだとしても、我々だってこの日本国の軍人としての地位を公に認められ、日々厳しい任務や教練にあたり、我々なりに海洋国家日本の海を守り続けてきたのだ。そのプライドを軽んじられることも、蒼は納得がいかなかった。

 傷ついたのが海軍でなく、よその官庁である沿岸警備隊の人間だったからよかったのか。大日本帝国海軍直系の国防海軍軍人にとっては、傍流たる沿岸警備隊員の犠牲などどうでもいいと言うのか。蒼の怒りのゲージが、ついに限界点を振り切った。

 

 「あまらんじゃねぇクソッタレが!!表に出れ!!」

 

 かぶっていた制帽をパーン、と勢いよく床に叩きつけて投げ捨てるやいなや、蒼は自分よりも長身で体格のいい津軽に掴みかかった。周囲で様子をうかがっていた海軍士官や兵士たちが、慌てて彼女を止めに入る。それでもなお、津軽に牙をむく蒼はそれを振り切って進もうとし、彼らとの間でもみあいになった。無我夢中で蒼が拳を振り上げようとした、まさにその時。

 「お前たち、いったい何をやっている!!」

 突然、蒼の背後で聞き覚えのある声がした。無我夢中で押し合いへし合いしていた人の群れが、その声の主の方向に振り向く。ようやく彼らの制止を振り切った時、同様に振り向いた蒼の視線の先には意外な人物がいた。

 「は、播磨司令…!?」




津軽の言い分、軍人としての気構えなどからすれば全く間違いとは言い切れないのですが、だからと言って沿岸警備隊側からすれば「はいそうですか」とは素直に聞けませんよね。現に怪我人が出てるわけですもんね。これは蒼や灰原がブチ切れるのも当然かもしれません。どうやら、この事件で両者の対立は決定的なものとなりそうです。

次回は現場だけでなく、政治サイドの話も書けたらいいな、なんてことも考えています。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第四章:落とされた火ぶた(中篇)

どうも、SYSTEM-Rです。今回は沿岸警備隊と海軍による直接対決が実現。ストーリーのプロットの根幹となる部分がついに描かれます。また制服組だけでなく、監督官庁での背広組同士でも不穏な状況に…?それではどうぞ。


 「貴官のその物言いは聞き捨てならんな、津軽大佐」

 殺気立っていた海軍・沿岸警備隊の両者がいったん引き離された後、播磨は津軽の顔を真正面から睨んだ。その姿からは、普段の紳士的で物静かな彼本来の立ち居振る舞いは微塵も想起できない。

 もちろん、沿岸警備隊とは管轄や指揮系統の異なる海軍の施設内において、この場を取り仕切ったのは彼ではない。軍港・佐世保における海軍側のトップである、第2護衛隊群司令・肥後俊也少将。第六十二円竜丸事件の事後処理についての協議のため、播磨がわざわざ出向いてまで会いに来た相手だ。本来はお互いの参謀も交えて、将官同士のトップ会談として顔合わせをする予定だったのが、双方の艦長まで居合わせたとはなんという偶然だろうか。

 会議室に残っていた海軍士官たちや、蒼を除くふそうクルーの面々は皆帰された。今この場には、沿岸警備隊と海軍からそれぞれ3名ずつが顔を揃えるのみだ。海軍側からは肥後と津軽、そして肥後の参謀たる主席幕僚・但馬昌晃大佐。沿岸警備隊側からは播磨と蒼、さらには播磨に同行してやってきた主席統括官(海軍における主席幕僚に相当)・若狭忠靖一等海佐の計6名である。

 「確かに、本件で幸いにもお互いに殉職者が出ずに済んだこと、そして真行寺がとった策がハイリスクなものであり、かつ結果的には裏目に出てしまったことは事実だろう。だが、貴官はそもそも何故NSCや私が彼女に対し、該船を沈めるなと命じたのかという根本的な部分をまるで理解していない」

 播磨の厳しい言葉に、海軍側の3名の眉間にしわが寄ったのを蒼は見逃さなかった。

 「第六十二円竜丸は、太刀洗が傍受したとされる暗号電波の発信源であった可能性が極めて高かった船だ。だが、その電文の中身がどんなものであるのかは今なお分からぬまま。暗号化されていて中身も送信先も解析が完了していない以上、それが我が国に対してどのような影響を及ぼし得るのかは、電文を送信した当人たちに吐かせなければならん」

 だからこそ、我々はこの3日間血眼になってあの船を探していたのではなかったのか。今回必要だったのは、該船乗員の身柄を拘束したうえで徹底的な取り調べを以て搾り上げ、次に予期される東亜の敵対行動を未然に阻止すること。そのためには、第六十二円竜丸は足止めこそすれ、沈めてはならなかったのだ。

 「我々の方では既に警察庁にも根回しを済ませ、彼らの計画が発覚次第すぐに捜査機関を動かせるよう、手はずを整えていた。我が軍と警察との間にある強固なネットワークがあればこそだが、無論そのためには容疑者に対する取り調べが重要になる。にもかかわらず貴官が独断で該船を沈めたことで、結果的に計画がぶち壊しになってしまった。その罪は重いぞ、津軽」

 若狭も播磨の言葉に同調する。

 「今更それを言われたとて困る。そういう背景事情があるなら何故そう事前に言わなかった。今それを責められたところで、どのみちあの船の乗員たちはもうこの世のものではない。後出しじゃんけんもいいところだ」

 「後出しじゃんけんやなか。『目的は撃沈に非ず』やとはっきり言ったはずばい。まさか忘れたとは言わせんばい」

 自身の言葉に即座に蒼が言い返したことか、それとも言葉遣いがぞんざいな長崎弁だったことか。原因がいずれにせよ彼女の返答がよほど癪に障ったのか、津軽は思わず小さく舌打ちをした。そんな彼に対して視線が集中するのを防ごうとするかのように、今度は但馬が反撃に出る。

 「播磨海将補。お言葉を返すようですが、東亜の次の一手が知りたいのなら我が軍の方でデータを早期に解析し、それによって内容を特定すれば済む話ではありませんか。何も、容疑者が生存していなければ絶対に成り立たない話というわけではないし、そもそも拘束できたとしても取り調べで黙秘されれば同じことのはず。今の言葉は、貴官が我が軍の情報解析能力を信頼されておられないという風にも取れますが、そう解釈してもよろしいのですか?」

 「誰がそのように言った。情報本部での解析も当然続けるべきだし、そうしなければならない。だが、情報を割り出すための選択肢が多いに越したことはないし、どちらのオプションも同時並行で進めるべきだっただろう。少なくとも現時点でそちらの解析が完了していない以上、何かしらプランBは用意せねばならん。それをわざわざ自分から潰すような馬鹿げた真似をするな、と言いたいだけだ」

 「あの船の乗員たちは、我が方に帰順する意思など全く見せなかった。よしんば身柄を拘束したところで、素直に取り調べに応じるような手合いだったとは思えませんがね」

 「そのような仮定の話をしてなんになる」

 「実際の現場を見ていないあなたが何を言おうと、あの海で起きたことは変わらん」

 「やめんか、津軽」

 会話に横入りして播磨とにらみ合いになったのを見て、見かねた肥後が津軽のその不遜な言動を窘める。何が信頼だ、と蒼は内心毒づいた。海軍がその2文字を口にする資格などないだろう。我々の能力に信頼を置いていないのは、彼らの方なのだ。彼らがかん口令を敷いてまで、ふぶきとしらゆきをこっそり不審船捜索に出させたりしていなければ、もう少し我々が海軍を見る目だって違っていたかもしれないのに。まだ内心煮えたぎったままの怒りの感情のせいか、そんな彼女の思いは自然と口をついていた。

 「あんた方海軍に『信頼』ん2文字ば口にする資格はなか。不信感ば抱いとったんはこっちん方ばい」

 その言葉に、思わず他の5人が同時に振り返る。

 「NSCが正式にうちに命令ば下す前に、こそこそフリゲートば2隻も動かしてうちん了解ものう、勝手に不審船ん捜索なんかやらせてたんはどこん誰と。我々ん仕事ば横取りしといて、かん口令まで敷いて情報遮断したんはどこん誰と。我々現場はおろか、司令にさえ通達しとらんかってんどがんことばい。そがん対応ばされれば、我々が不信感ば持つんは当たり前やなかと」

 「真行寺…」

 「それでいざ該船ば見つけてみれば、こっちん段取りは平気でぶち壊すわ幹部には怪我負わせるわ、指揮系統が違うんばよかことにやりたか放題やられて。それでいて悪びれもせずそがん不遜な態度とは…。一体何様のつもりよ。あんたたちよりも若い女ばかりが乗ってる船だからって、馬鹿にするのもたいがいにしなさいよ」

 いつの間にか、蒼の言葉は再び標準語に戻っていた。まだ怒りの冷めやらぬ目で、完全に黙り込んでしまった海軍側の3名の士官を睨みつける。

 「あなた方海軍は、オリオン事件で我々が出動要請したにもかかわらず、連絡の行き違いで空振りに終わった挙句演習スケジュールまで白紙化を余儀なくされた、ということにご不満だとお伺いしました。そこに全く我々の落ち度がなかったとは申しません。ですが、オリオン事件でのいきさつが不可抗力で起きたものであるのに対し、今回のあなた方の一連の行動は明らかに恣意的だ。この点はオリオン事件と同列には語れませんし、我が軍としては断じて看過するわけにはいきません」

 若狭が援護射撃とばかりにそう口にする。播磨は、自分の正面に座っている肥後の顔を真っすぐ見据えた。海軍と沿岸警備隊、双方の佐世保における最高責任者同士の目が合う。

 「肥後少将。ご承知のこととは思うが、我々は本来貴官らを糾弾するためだけにここに来たわけではない。東亜が日本にとっての現実的な脅威となりつつある今、最前線にいる我々が仲違いするのは得策ではありえんからだ。あの時現場で何が起きていたのかを精査し、お互いに不手際があったなら謝罪をし、今後に向けて両軍がどのように共同で対処していくべきかを話し合い手打ちとする。我々がこの会見で求めていたことはそれだけだ」

 播磨の声だけが、広々とした会議室の中に響き渡った。

 「だが、誠に遺憾なことにその目的は果たすことができなそうだ。今の真行寺の言葉が全て本当であるとすれば、それも極めて残念なことだな。いや、遺憾や残念という言葉では済まされん。なんにせよ、こちらには津軽大佐の指示による砲撃に巻き込まれたことによって、目を負傷した柳田という被害者が生まれているのだ。少なくともその点については詫びの一言でも聞きたかったところだが、その考えはないとの判断でよろしいか」

 肥後は、黙ったまましばしその言葉をじっと聞いていた。やがて、息を大きく吐き出すと覚悟を固めたように口を開く。

 「播磨海将補。事情はどうあれ我が軍駆逐艦の砲撃により、沿岸警備隊側に負傷者を生んでしまったことは極めて遺憾に思う。佐世保地方総監部を代表して、柳田二尉に対してはお見舞いを申し上げたい」

 予想とは異なる賢明な判断から出た言葉に、沿岸警備隊側が思わず安どのため息を漏らしたのもつかの間だった。

 「だがターゲットを砲撃したことについては、我々は非難を受けるいわれはない。貴官らは不審船対処任務がそもそも自分たちの職掌だと言いたいのだろうし、事実その通りだ。だが、第六十二円竜丸らしき船からの電波を最初に傍受したのは我々だ。海上警備行動の発令によって、最終的に事態対処の主導権を握る法的根拠を得ていたのも我々だ。つまり、本件は例外的ではあれどあくまでも我々国防海軍の仕事だった。ならば、海軍としてのやり方で事を進めるのは当然のことだろう」

 第2次世界大戦以降、我々の先人たちは自国を守るための優れた力を持ちながら、周辺国を無暗に傷つけまいと自らその手足を縛ってきた。そこに一定の理があったことを認めるにせよ、それによってどれだけ我が国が自身の国益を毀損してきたか、貴官も知らんわけではなかろう。海上自衛隊が国防海軍に再編されたのは何故だ。純粋な警察機関だった海上保安庁が、準軍事組織たる沿岸警備隊として再建されたのは何故だ。

 お互いが刀を抜くことなく紛争を収めることができるなら、それが何よりであることに異論はない。だが、残念ながらこの世の中には力に頼らねば解決できない問題も存在する。そして、力というものは使うべきタイミングで正しく使わねば意味がないのだ。警備艇搭乗者が命の危険に晒された以上、はるなの砲撃は最良の選択ではないにせよやむを得なかった。現場がそう判断したからには、それを尊重するしかないというのが私の考えだ。

 「あくまでも貴官らは自らの正当性を主張するのみ。この場では落としどころを探ったり、話を前には進めたりする気はないということか」

 播磨はそう吐き捨てると、すっと座席から立ち上がった。

 「結構、ならばこれ以上この場で顔を突き合わせていても意味はなかろう。話し合いを続けても時間の無駄だ。残念だが、まだ執務が残っているゆえこれにて失礼する。若狭、真行寺。行くぞ」

 「ハッ…」

 その言葉に促されて、蒼と若狭の2人も席から立ち上がった。ドアのところまで向かいかけたところでふと、播磨が再び振り返る。

 「それと柳田が退院して以降の話だが、当分の間我が軍の人間を表立って海軍側と接触させることは、勝手ながら控えさせていただく。本件で貴官らに不信感を抱いている者は、我々の間では何もこの3人やふそう乗員に限ったことではないのでな。今回は幸運にも未遂で済んだが、お互いに血を見るような事態は避けねばならん。では、失礼」

 断固たる口調とその思い切った行動に、再反論する余地を失った海軍側の3人の士官は、黙ったままその後姿を見送るしかなかった。播磨以下3名が沿岸警備局へと戻る途中、総監部内の廊下で偶然彼らとすれ違った司は、そのあまりの威圧感に一切の言葉を発することができなかった。彼は後に、黙ったまま自分を一瞥すらせずに通り過ぎた姉のことを、こう評している。「あん時ん蒼ん表情は、まさしゅう夜叉んそれやった」と。

 

 「君たちねぇ、いい年こいたおっさん同士で何てことをやらかしてくれちゃってるのさ。全く見苦しいったらありゃしない」

 「申し訳ありません、総理…」

 東京・永田町の首相官邸。日本国内閣総理大臣・和泉傑は、首相執務室に呼び出した4人の男たちの前で、苦虫を噛み潰したような顔を崩さなかった。平身低頭する彼らの姿にも、呆れたようなため息が漏れるばかりだ。

 この場に召集されていたのは、防衛省から摂津防衛大臣と淡路事務次官。国土交通省から加賀国土交通大臣と越前事務次官という顔ぶれ。要するに、それぞれの省庁における大臣と事務方のトップ同士である。事の発端は、事務次官レベルで行われた第六十二円竜丸事件についての緊急協議だ。現場の制服組だけでなく、海軍と沿岸警備隊双方を管轄する省庁の背広組同士でもトップ会談が設定される格好となった。海軍側の行動により、味方であるはずの沿岸警備隊にも負傷者が出たということが、それだけ永田町や霞が関では重く受け止められたということだ。

 ところがその会談が始まる直前、会場となった国土交通省内の会議室へと向かう途中の廊下で淡路が何気なく発した一言が、越前の逆鱗に触れてしまう。顔をお互いに合わせた時点で最高潮まで張りつめていた緊張の糸は切れ、舌鋒鋭い言葉の投げつけ合いはあっという間に拳での殴り合いへと発展した。しかも、大臣同士も不穏な空気に当てられてかなかなか乱闘を収められず、騒ぎに気付いた警備員が慌ててすっ飛んできたことでようやく収まったという有様だった。

 「現場の将官同士の方がまだ理性的に事を収めてるというのに、背広組の君たちがリアル場外乱闘なんておっぱじめてどうするの。ましてや、よりによってマスコミのカメラの前でだよ?これでまた余計な仕事が増えた。ただでさえ、東亜からは今回の件で『貴国海軍が我が国の民間船を沈めた』といちゃもんつけられて、面倒なことになってるっていうのにさ。これ以上僕の手を煩わせるんじゃないよ」

 「返す言葉もございません…」

 「まぁ、お互いに色々と言いたいことがあるのは分かるけどね。君らは国会議員とキャリア官僚でしょうが。どうせ腕力で勝負なんて柄じゃないんだからさ、せめて喧嘩するなら頭使ってやりなさいよ」

 和泉はそうぼやきながら椅子に腰を下ろすと、顔を上げた4人の顔を見回しつつ「で、君らはこの件についての落とし前はどうつけるつもりなの」と問いただした。

 「よりによって現役の事務次官同士が、首都圏キー局の生中継が入ってる目の前で流血沙汰をやらかしたんだよ。ただでは済まないことくらい分かってるよね」

 「もちろんです。事が事である以上、残念ながら更迭はやむを得ないかと」

 「私も同感です。ただ更迭となるとやはり何かと波風が立ちますので、表向きは従来通り勇退という形をとるべきかと考えます。後任の人事については、決まり次第閣議人事検討会議に上げますので」

 加賀と摂津が、相次いで今後の処遇について具申する。乱闘の当事者2人は、何も言えずに黙って歯を食いしばったままだ。

 「そうね。ちょうどお2人とも任官からそろそろ2年が経つし、慣行上も頃合いでしょう。お2人にとっては不名誉な形での退官になってしまうけど、仕方ないね。傷が浅いうちに片付けなきゃいけないから、早急に頼んだよ」

 「承知しました」

 4人が執務室を出て行ったのを確認すると、一度大きくため息をついてからデスク上の電話に手をやった。ほどなくして、受話器の向こうから落ち着いた声色のバリトンが聞こえてくる。

 「もしもし」

 「もしもし町田さん、和泉だけど」

 「あぁ総理、お疲れ様です」

 電話の相手は、数週間前に東亜連邦大使・李慶民を完膚なきまでに論破してみせた、外務大臣の町田だった。彼もまた、東亜への対応で大忙しのここ数日である。

 和泉にとって、自分より3つ年下の町田は国会議員デビュー同期の戦友と言える相手。常に落ち着きがあり、感情に任せず筋道立ててはっきりとモノが言える、という点を彼は気に入っていた。自身が区切りとなる第100代目の内閣総理大臣に就任した際、町田を前政権に引き続き外務大臣として入閣させたのも、当然のことかもしれない。

 「聞いたぞ。防衛省と国交省の事務次官が大立ち回りを演じたそうだな。こんな時期に事務方トップがこんなことをやらかすとは、あなたもつくづくついてない。我が国に軍が復活して10年、ようやく我が省にも軍事オプションという貴重な交渉カードが生まれたというのに、その当事者がこんなことをしていては我々も困るんだがな」

 「全くだよ。まぁ、前世で何かやらかした報いとでも思っておこうかね」

 和泉は思わず苦笑すると、「ところで、東亜の外交部にはどのように対処するつもりなの」と尋ねた。

 「実を言うと、今回はちょっとばかり分が悪い。形式上、うちの海軍があっちの民間船に対して武力を行使して撃沈した、ということになっているんでな。要するに、この間のオリオン事件の逆をうちの海軍がやってしまったわけだ」

 「第六十二円竜丸に乗っていたのは、東亜海軍の軍人でしょう。廃船になった船の名前を勝手に騙られているわけだし、その線で攻められないの?」

 「もちろん我が方としてはそのように伝達しているが、現時点ではまだ引き揚げ作業が完了していない状況だからな。海軍と沿岸警備隊から、なるべく早く現場の映像が届けばこちらとしても楽なんだが、肝心の背広組がその状況だから困ったものだ」

 電話口で、町田が大きくため息をついた。

 「ところで和泉さん、あなたこの後は記者会見のはずだろう。こんなタイミングで電話なんかかけてきて、油売ってて大丈夫なのか?」

 「あぁ、そのことなんだけどね…」

 和泉はしばし黙り込むと、執務室の真っ白な天井を見上げた。

 「今回の一件、マスコミの書き方次第では責任を取らされるのは、もしかしたらこの僕かもしれない。無論、そうならずに済むことを望むけどね」

 「何を言ってるんだ和泉さん。事務次官人事は官房長官の管轄であって、あなたじゃないだろう。当事者への処罰や、所轄大臣の任命責任は問われるかもしれんが、そこまで背負い込む必要はないはずだ」

 「いや、それだけの話じゃない。海軍と沿岸警備隊の統制についても含めて、だよ」

 和泉は少し寂しそうに笑った。

 「今回の不審船事案、海軍と沿岸警備隊の双方を送り込んだ結果現場の統率が混乱して、結果的に沿岸警備隊に重傷者が出る事態にまでなった。そのうえ、NSCからの指示も両軍に対して全てが正確には伝わってなかったという報告もある。それに加えて事務次官による乱闘騒ぎ、現場と背広組の両方に混乱をもたらしたという責任は軽くない。政府批判が生きがいのマスコミに、格好の餌を与える形となってしまったしね」

 もちろん、直接的には現場がやったことでも両軍の最高指揮官はこの僕だ。軍に何かがあれば、最高責任者として国民から目を向けられる立場でもある。まして、今回は指揮統率の混乱という政治側のやらかし。今回の落としどころが不本意なものとなったとしても、それは受け入れざるを得ないだろうね。

 「たとえそうだとしても、今のこの状況での内閣総辞職は悪手だぞ。現時点で、東亜が次にどう出てくるかを我々とて把握しきれていない。私は軍事の専門家じゃないが、ここで内閣が変わることになれば相手に付け入るスキを与えることになる、ということくらいは分かる。今はお互い政治家としての踏ん張りどころだろう」

 「もちろん分かっているさ。だからこそ、『そうならずに済むことを望む』と言ったんだ」

 和泉は頷いた。

 「だがあなたも承知の通り、全てが思い通り動くとは限らないのが政治の世界だ。我々政治家は、常に何事も最悪の事態を想定しておかなくちゃいけない。現場に立つ軍人がそうであるようにね。リスクマネジメントってやつだよ」

 「おい、それってまさか…」

 「町田さん。可能な限り総辞職に至ることは避けたいと思うが、もし今後万が一僕が首相の座から降りざるを得なくなったとしたら、その時は頼んだよ」

 和泉がそう口にしたのとほぼ時を同じくして、執務室のドアがノックされるのが聞こえた。政務担当秘書官が、記者会見の準備が整ったことを告げる。

 「すまない、記者会見の時間が来たみたいだ。また連絡するよ」

 そう言うと、和泉は電話を切った。再びふうっと大きく息を吐きだすと、覚悟を決めたようにゆっくりと椅子から立ち上がる。ふと、自嘲的な笑みがこぼれた。

 (記念すべき100代目の首相に就任して3年目、せめて1回目の任期は全うしたいところなんだけどねぇ…。まぁ、なるようにしかならないだろうね)

 記者会見場へと向かう彼の足取りは、いつもより少しだけ重かった。




場外乱闘(物理)

この「Neptune」という作品において、互いによく似ているが異なる組織である沿岸警備隊と海軍の間での対立は、物語の根幹をなす要素の1つです。お互いが火花をぶつけ合った今回、ついにバトルが本格的に勃発した形となりました。っていうか町田や播磨の言うとおり、本来はこの人たちが対立していては色々とやばい状況なんですけどね。大丈夫かこの世界の日本。

ちなみに海軍も沿岸警備隊も、どちらにも正論の部分とやらかしてる部分があるので、正直どっちもどっちと言われればその通りなんですよね。肥後が播磨に投げかけた「力の使い方」についての言葉は、実は筆者の個人的な信条を一部投影したものでもあります。皆さんはどちらの方により説得力を感じるでしょうか。

沿岸警備隊からは今や敵視されてる感のある国防海軍ですが、ちゃんと日本国の防衛のために彼らがまっとうに仕事する話も用意してあります。海軍の名誉のためにも次回はそのあたりのストーリーを描きたいと思ってますので、どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第四章:落とされた火ぶた(後篇)

どうも、SYSTEM-Rです。第四章の締めくくりとなる今回は戦闘回となります。ただし、沿岸警備隊側の面々は基本的に登場しません。どちらかというと海軍の方が主役の話となります。ついでに陸軍もちょっと出てきますよ。それではどうぞ。


 「やっぱ、港の雰囲気ってええもんだでなぁ」

 「そうばい。まぁ、ここでん日々はおいにとってはあまり思い出しとねえもんばってん」

 紀伊利光は、職場の同僚である石見洋介とともに訪れた佐世保港の雰囲気を満喫していた。大阪出身の紀伊にとって、地元長崎出身の石見はここに転勤してきて初めての友人だ。かつて沿岸警備隊で船務士として働いていたという石見の話は、軍隊になじみがない紀伊にとっては常に新鮮そのものだった。

 「何を言うてるんや。そら仕事はきつかったかもしれへんけど、よかったこともようさんあったんやろ。大体、自分は沿岸警備隊の歴史の一部なんやで。なんて言うたって、今じゃ実質女性隊員専用の船になってる沿岸警備艦ふそうの、最後の男性隊員の1人なんやさかいな」

 「ハハハ、まぁな」

 「けど、なんで沿岸警備隊の仕事を辞めてん?職場に対する不満でもあったのか?」

 苦笑いする石見に、紀伊は好奇の視線を向けた。曇り空の下、海鳥が鳴きながら数羽群れになって飛んでいく。

 「第二ん我が家というくらい愛着んあった船や、自分にとってん最高ん仲間やと思うとった人たちから、自分ん意に反して引き離されたけんさ」

 石見の言葉にはやりきれなさや、うっすらとした怒りが込められていた。

 「10年前ん戦争で、当時ん海保に少なからず犠牲者が生まれて、後継者である沿岸警備隊は戦後にそん穴埋めばせんばならんくなった。ちょうど国全体で女性人材ん活用がおめかれ(叫ばれ)とった時期でもあったけん、それで女性んリクルートにばり力ば入れとった。で、そんリクルートんためん対外的アピールん一環として、女性隊員だけで運用する船ば作ろうとかう案が持ち上がって、それにふそうが選ばれたんばい。女は男ば立てるもんという文化が長らく続いてきた九州ん佐世保ば足場にしながら、軍ん主戦力として国防ん最前線で男顔負けにガンガン働く。そがん新しか女性像ん象徴として、政治的にも都合がよかったんやろうな」

 「せやけど、現場で働いとった自分はその方針には納得できへんかったんやな?」

 紀伊の言葉に、石見は一度大きく頷いた。

 「おいがおった頃は、ふそうん男性隊員は後から乗ってくる女性隊員んためん教育係んごたー位置づけやったんばい。やけんどんどん乗員ん男女比率が逆転してきて、最後ん方はさながら共学化したばっかりん元女子高ん雰囲気やった。もちろん、後から乗ってきた女性隊員ん人たちに対しては何一つ個人的な不満はなかし、優れた能力と人間性ば併せ持った素晴らしか人たちやったと思う。おいが嫌やったんは、自分ん居場所がそがん政治的な意図によってどんどん削られていったことなんばい」

 おいは、沿岸警備隊が意識的に女性隊員ん数ば増やしていくことそのものに異論はなか。だばってん、そりゃ常にお互いが共存し続けらるる環境が担保されてこそだ。現場ん実情ば必ずしも反映せんある特定ん意図によって、誰かが排除さるるということはあったらつまらん(あってはいかん)ばい。結果的に、ふそうけんはおいたち男性隊員が排除された。おいたち自身は、彼女たちとともにふそうクルーん一員として共闘することば望んどったんにだ。そがん政治メカニズムば理解しようとするとにきついけん、おいは沿岸警備隊ば離れたんばい。

 「なんちゅうか、聞いとって色々と複雑な気分になるなぁ…。まぁ、その口ぶりからして自分が相当降ろされたことに不満なのは伝わったわ」

 話を黙って聞いていた紀伊も、思わず苦い顔を浮かべた。

 「せやけどふそうのことは前にも自分から聞いたけど、確かに乗れることが誇りちゅう気持ちは分かる気はするわ。日本で初めて生まれた沿岸警備艦、それも全国に4隻しかあらへん船の1つやさかいな。おまけに巷でも話題の美人の宝庫ときたもんや。男の船乗りからしたら、それだけでも乗る価値のある船やわな」

 「まぁ確かにね。あん船に乗っとーんは、揃いも揃うて才色兼備んエリートばっかりだ。仕事は実際きつかったばってん、みんな気さくで裏表ものうて陰口叩くような人もおらんかったけん、そがん面で苦労した記憶は確かになかね」

 頷いた石見の声色からは、先ほどの怒りの色は消え失せていた。

 「そん中でも一番おいが印象に残っとーのが、今ん艦長である真行寺蒼一佐ばい。あん人、艦長に抜擢さるる前は船務長やっとってな。おいにとってん直属ん上官やったんばい。一緒に仕事しとった時は、いつも何かとお世話になっとったんば思い出すわ」

 「あぁ、あのえげつない美人でスタイル抜群の姉ちゃん。こないだどっかの潜水艦を沈めたって話題になっとったな。あないな漫画みたいな若い艦長なんて、現実におるもんなんやな」

 「いや、はっきり言うてあん人は例外中ん例外だぜ。普通どこん国ん海軍や沿岸警備隊でん、あん若さで艦長職ば任さるるなんてことはあり得ん。普通は40代や50代ん経験豊富な人間があてがわるるもんやけんな。ただふそうん場合、独特ん女社会ばまとめ上げつつあんでかか艦ば引っ張っていくるだけんキャプテンシーにあふれた人間は、エリート揃いと言えども実はそがん多うなか。そん中であん人に白羽ん矢ば立てた判断ば、おいは支持するばい」

 石見はそうはっきりと口にした。

 「あん人はよか意味でとんでんなか人ばい。鋼鉄んメンタルに卓越したリーダーシップ、いつも目配りが利いて部下にも優しか。シーマンシップという『船乗りに求めらるる気風』みたいなもんば表す言葉があるったいが、まさにそんシーマンシップが服ば着て歩きよーような人やった。あん人ん下で働くんは楽しかったし、もう少し長う一緒に仕事したかったんやけどな…」

 彼がそう呟いた時、ふと遠くで出港ラッパの音色が響いた。その音に乗って、白い大きな船が一隻こちらに右舷を向けて進んでくる。思わず紀伊が声を上げた。

 「おい、あれふそうやんけ?噂をしたら影やな」

 「本当ばい。まさかこんタイミングで現るるとは」

 石見も同調する。やがて、彼らの右手からも別の艦艇が姿を現した。思わず、その姿を目にした紀伊が歓声を上げる。

 「ハッハッハ、こら凄いもんだな。沿岸警備艦と、海軍のイージス艦の夢の共演やで」

 「あれは国防海軍んはるなや。おいが働いとった時からよう見かけとったばってん、やっぱりイージス艦はいつ見てんかっこよかばい」

 石見はそう吹っ切れたような表情で口にすると、ふと「紀伊、もうちょっとしたらもっと面白かものが見るるぜ」と口元に笑みを浮かべた。

 「おもろいもの?何が見れるんや?」

 「すれ違い敬礼って言うてな、艦同士が行きかう時に乗員が甲板に出てきて、お互いラッパば吹いて敬礼するったい。海軍と沿岸警備隊は微妙にメロディが違うばってん、礼式は基本的にどちらも同じスタイルやけん、お互いがそれぞれん譜面で吹いてんちゃんと成立するごとなっとー。比べてみると面白かぜ」

 「へぇ、お互い色々とよう考えて仕組みを作ってるんやなぁ。せっかくやさかい楽しみにしとくわ」

 紀伊が興味深そうに答える間も、両艦はどんどんとお互いの距離を詰めていく。しかし、その様子を見ていた2人の表情はやがて怪訝そうなものに変わった。敬礼開始の目安である前方45度の位置にお互いが近づいても、どちらの艦艇からもいつまでたっても甲板に人が出てこないのだ。

 「なぁ石見、その敬礼をやる乗員ってのはいつになったら出てくるものなんや?」

 「普通ならとっくに整列しとーはずだぞ。なんでどっちん船からも人が出てこんのや?」

 石見が思わず首をかしげたその直後。

 「国防海軍はるなに敬礼する。吹けー!!」

 「ソッレレソッシッレー♪」

 いきなり、何の前触れもなく「ラッパ気をつけ」のメロディが流れる。

 「うおっ、びっくりした。今のはどっちが吹いてん?」

 「あれは沿岸警備隊んバージョンや。海軍んはメロディはほとんど同じだばってん、節回しが違う」

 石見がそう説明した後少し間があいてから、その言葉通り最初とは少し違ったメロディや号令詞を叫ぶ声が立て続けに聞こえた。

 「吹けー!!」

 「ソッレッソッソシレー♪」

 「礼!!」

 「ソーシソー♪」

 「答礼終わり、礼!!」

 「レッソソソッレッソー♪」

 メロディのやり取りが交わされて間もなく、2隻の戦闘艦はお互いの左側をすれ違っていった。紀伊が感心した表情でその様子を見つめる。

 「おお、あないな風にやるんか。確かに、聞き比べてみるとお互い微妙にメロディがちゃうな。やけど、なんで最後までお互いに人が出てこーへんかったんやろうな?」

 「分からん。艦艇がすれ違う時は必ずあればやるもんだばってん、本来は互いん乗員ば甲板に上げるんは礼式として省いたらつまらんはずだ。お互い礼儀がなっとらんな」

 石見が肩をすくめた時。ふと、ふそうの艦橋構造物の上部で何やら光が点滅し始めた。発光信号だ。思わず、当時身に着けたスキルを使ってそのメッセージを読み取る。

 「何々…。『海自の後継、礼を忘れたか』…?」

 「へぇ、あの光の点滅はそないな意味なのか」

 「おう。発光信号って言うて、お互いにモールスん要領でメッセージば伝えるためんもんや。なんでいきなりあがんこと言い出したんかは分からんが。ぶっちゃけ、礼儀云々ならふそうも言えた口やなかだがな」

 しばらくすると、はるなからも返信があった。

 「『お前が言うな、ラッパ演練の要あり』…。なんじゃそりゃ」

 「なんやそれ。なんであいつら発光信号使うて煽りあいなんかやっとるんや?」

 「知らん、そがんことおいに聞くなや」

 そう吐き捨てた石見にも、そのやりとりの背景に潜む事情はまるで理解できなかった。当然だが、すれ違い敬礼での欠礼も発光信号での煽りあいも、自分の現役時代にはあり得なかったことである。もしそんなことをやっていれば、即座に上官にシバかれていたはずだ。そんな暴挙が海軍と沿岸警備隊の間で公然とまかり通っているなんて、一体何がどうなっているのか。

 (何やってんだあいつら、本当に大丈夫なんかよ…)

 その釈然としない思いは、しばらく彼の胸の中に残り続けていた。

 

 昼11時57分。東京で最も深い駅である地下鉄六本木駅の構内は、フラストレーションに包まれていた。今日は何故か、朝から関東一円でスマホのWi-Fiがまるで繋がらない。ネット通信が使えないので、そのせいで電話でのやりとりが集中してそちらの回線もパンクしているようだ。今の時代、ネット環境から遮断されることはとてつもない不便を強いられることを意味する。おまけに安全確認とやらで一時的に地下鉄も運行を見合わせており、ホームで待ち続ける誰もが時間をつぶす術を失い、内心イライラし始めていた。

 その時だった。突然、ホーム内に何やら場違いなメロディが響き渡り始める。止まっている電車内から繰り返し流れるその音色の正体に、そのうち気づく者たちが現れた。何やら気味の悪い状況に、ホーム上が俄かにざわつき始める。

 「なぁ、あれ地震とかの時にNHKが流すチャイムじゃないか…?」

 そんな声が上がり始める中、チャイムの音は依然として鳴り続ける。状況確認のために駅員が駆け付けた頃、そのメロディはいつしか少しずつながら歪み始め、より一層不気味な雰囲気をこの場にもたらした。そして12時ジャスト、駅員が車内で不審な紙袋を見つけたまさにその瞬間。

 六本木駅構内は、一瞬にして地獄絵図に変わった。止まっていた電車の複数個所に仕掛けられた爆発物が、立て続けに勢いよく炸裂する。その爆発に巻き込まれて一瞬で命を落とす者、血まみれでその場に倒れこむ者、突然の出来事に意味も解らぬままパニックを起こし逃げ惑う者。そこにあったのは、映画さながらの現実だった。

 

 ところ変わって、同じ日に佐賀県付近を航行していたはるなの艦内。司は通路を歩いている途中で、下級兵が2人連れだって何やらひそひそやり取りしているのを目撃した。

 「おうわいら、そがんところでこそこそ何やってんだ?」

 「…!!お疲れ様ですばい、砲雷長」

 彼の声に気付いた2人が、慌てて姿勢を正し敬礼する。

 「実はつい先ほど、たまたまとんでんなかニュースば聞きまして。なんでん、東京ん地下鉄六本木駅が爆破されたとか」

 「六本木駅が爆破されたやと…!?そりゃ本当か!?」

 「本当ですばい。おいん聞いた話じゃ、駅に停車しとった電車がいきなり吹っ飛んだと。現場じゃ死傷者が多数出とって、まさに地獄絵図になっとーらしかですわ」

 「おまけに関東ん方じゃ朝からWi-Fiも電話も通じんで、あっちは今完全に大パニックん状況ばい」

 2人が口々に、青ざめた顔でその知らせを告げる。思わず、司の背筋に寒気が走った。その額から脂汗が垂れる。

 「それが本当なら、国防上シャレにならん事態だぞそりゃ…!!」

 そう彼が呟くや否や、今度は突然艦内全域にアラームが鳴り響いた。艦内無線のスピーカーからアナウンスが流れる。

 「対空戦闘用意!!これは演習に非ず。繰り返す、これは演習に非ず!!」

 「対空戦闘…、それも実戦!?」

 思わず下級兵の1人がそのスピーカーの方を見上げる。だが、そんな彼を司はすかさず叱責した。

 「何しよーったい、戦闘用意がかかったらボーッと突っ立っとー暇はねぇぞ!!急いで各個配置に着け!!」

 「あ、Aye, sir!!」

 彼らが慌てて返事をした時、司は既にCIC目がけて駆け出していた。

 

 「対空目標、いくつだ。どこから飛んできた!?」

 CICに駆け込むや否や、司は室内の部下たちに呼び掛けた。

 「目標数2、東亜方面より飛来。3分後、本艦上空を通過する見込みです」

 ミサイル長・陸奥諒輔大尉が答える。

 「航路解析は済んどーんか!?」

 「本目標は関東方面を指向してます。本艦上空通過後10分以内に、東京23区内に着弾するコースです!!」

 「都内に着弾するやと!?」

 その知らせに、思わず司は素っ頓狂な大声を上げた。その目はすぐに、同じくCICに詰めていた津軽や日向を探し当てる。

 「艦長、副長。呉ん『ひえい(DDG-172)』及び萩んアショアとの共同交戦を具申します。恐らく、都内では空軍のパトリオットはまだ準備できとらんはずばい。あの目標には、本艦単独では対処すべきじゃなか」

 「共同交戦の件はともかく、なぜパトリオットが準備できてないと言い切れるんだ、砲雷長」

 日向が尋ねる。

 「副長はまだご存じんのか。先ほど部下から聞きましたが、東京で地下鉄六本木駅が爆破されたそうですばい」

 「…、なんだと!?」

 「おいは去年まで横須賀におったけん知っとーばってん、六本木は確か都内で一番深か駅やと聞きました。ミサイルが飛んで来たら急いで地下に逃げるのがセオリーばってん、そん六本木が爆破された以上同じことが他ん場所でも起こるかもしれんば踏んで、地下に逃げることば躊躇しとー国民が必ずいるはずばい」

 ただでさえ、関東では通信環境が途絶して大混乱ん状況やし、恐らくあっちでは国防軍も警察もそっちん対応に人員が割かれとーはず。よしんば空軍に指示が出とったとしてん、恐らくあん目標に対処するには間に合わん。何としてん、関東に近づく前に迎撃すべきばい。

 「お前の言う通りなら、これは完全に戦争を仕掛けられてる状況だぞ…!!」

 上官2人の顔があからさまにひきつった。

 「艦長。もしかして、先日の第六十二円竜丸が国内某所に出していたという指令とは、このことだったんじゃ…」

 「クソッタレ、まさかあの事件がこんな形でつながるとは」

 津軽は日向の言葉に忌々しそうな表情を浮かべながら、思わずデスクを一度力いっぱい殴った。まだ確証はないが、まさかこんな形で自分が窮地に立たされるとは。だが、今は後悔していられる余裕もない。対応を急がなければ、あの目標はすぐに上空を通過してしまうのだ。津軽は即座に顔を上げると、CIC各部に命じた。

 「ひえい及び萩のアショアと共同で交戦する。データリンクとSM-3の発射準備急げ!!」

 

 「対空戦闘用意!!脅威目標2、トラックナンバー2438及び39。SM-3発射用意!!」

 山口県萩市にある、国防陸軍萩駐屯地イージスアショアセンター。秋田県にも存在する、「陸上型イージス」と呼ばれるこの施設を管轄する第1イージス連隊の連隊長、周防雄人大佐の対応は素早かった。

 「SM-3諸元入力完了、発射用意よし!!」

 手際よく作業を終えたミサイル長・伊勢雅紀大尉が声を上げる。それに続いて周防が発した命令は奇しくも、同じはるな型イージス駆逐艦の姉妹艦同士である、はるな及びひえいの各CICでのそれと完全に同じタイミングで下された。

 「「「対空戦闘、CIC/はるな指示の目標。SM-3攻撃始め!!」」」

 「「「SM-3発射始め!!Salvo(斉射)!!」」」

 その声とともに、海上および陸上から計6発の弾道弾迎撃ミサイル、SM-3こと「RIM-161 スタンダードミサイル3」が大空へと舞い上がった。3か所の指揮所内に「ミサイルアウェイ」の声が響く。レーダー上では、6発のミサイルが次々に目標に接近していく様子がCGで映し出されていた。最初に目標を捉えたのは、最も近接しているはるなが放った2発だ。

 「インターセプト5秒前、スタンバイ。…、マークインターセプト!!」

 陸奥が、自艦からのミサイルが敵目標を射程に捉えたことを告げる。…、ところが。

 「っ…、躱された!?」

 司・津軽・日向の3名が、予想外の事態に青ざめた。迎撃態勢に入っていたはずのミサイルは、なんと直前で進路を変えられて迎撃に失敗したのだ。明後日の方向に飛んで行った弾頭の映像は、やがて点滅の後レーダーから消えた。恐らく海上に落ちたのだろう。

 「はるなが迎撃失敗だと…!?」

 その事実に直面した周防の額からも汗がしたたり落ちる。艦隊防空を司る船として、極めて高い対空戦闘能力を誇るイージス艦ではあるが、それでも対空迎撃に失敗すること自体は確率としてあり得ないわけではない。だが、これは演習ではなく実戦なのだ。この場面で彼らが外すことが何を意味するか、その重みを彼はよく理解していた。

 「SM-3、コース再確認!!」

 「ハッ!!」

 即座に伊勢に対しコースの確認を命じる。既に敵弾は、はるなの上空を通過してしまった。ここからは、自分たちとひえいで何とかするしかない。

 「本施設及びひえいのSM-3、目標アルファ及びブラボーに全弾照準合ってます」

 伊勢が周防に向けて顔を上げた。

 「迎撃成功までは絶対に油断するなよ。岡山よりも東の空に飛ばさせてはならん。必ず命中させろ」

 その祈りのこもった声を投げかける間にも、上空では依然として計6発のミサイルが火を噴きながら飛び続けていた。やがて、日本に向けて飛んできた2発の弾道ミサイルの前に、彼らから見て左側からは萩駐屯地、右側からはひえいの放ったSM-3が相次いで現れた。伊勢の声に一層力がこもる。

 「インターセプト5秒前、スタンバイ。…、マークインターセプト!!」

 その数秒後、計4発の艦対空・地対空ミサイルは猛然と2つの目標に襲い掛かった。1発ずつなら躱せた敵弾も、両サイドから斬りかかられては流石になす術がない。上空で爆発した対空目標は、昼の空に汚い花火を咲かせた。

 「迎撃成功!!目標アルファ及びブラボー、撃墜しました!!」

 伊勢の報告に、司令室内のあちこちから「よっしゃあ!!」という声が上がる。同様に、迎撃成功を確認したはるな・ひえい両艦のCICも歓喜に包まれた。

 「周辺の残存目標、有無を報告せよ」

 「探知圏内に近づく脅威目標なし。全弾消滅した模様」

 1人冷静に追加で迎撃すべき目標がないか確認した日向に対し、レーダー員が応じる。ようやく胸をなでおろした日向は、一呼吸おいて津軽の方に向き直った。

 「艦長、対空戦闘用具収めます」

 「了解」

 津軽が頷く。「対空戦闘用具収め」の号令の後、ようやくはるなは緊張から一時解放された。思わず日向が大きく息を吐く。

 「危なかったですね…。本艦が初手で外したのは残念ですが、何とか都内への着弾は食い止められてよかった。躱された時は肝を冷やしましたよ」

 「あぁ。だが、撃墜したからと言ってこれで終わりではないぞ。むしろ本番はここからになるだろう」

 津軽はしばし俯いたまま答えた。その顔を上げると、CICにいた面々に告げる。

 「総員、今一度気を引き締めろ。残念ながら我々は今回、外国からの武力による侵犯を許した。ここからの我が国の存亡は、我々自身の働きにかかっていると思え。諸君らのより一層の奮起に期待する。必ずや跳ね返すぞ!!」

 「ハッ!!」

 その返答に頷くと、津軽は艦橋に向かうべくCICを後にした。その去り際、彼から耳打ちされた言葉に司は思わず振り向いたのだった。

 「直近でお前の姉に会う機会があれば伝えておけ。『先般の海上警備行動で、しくじったのは我が方だったと認めよう。ケツは自分で吹く』とな」




冒頭のふそうとはるなとのやり取りと、六本木駅での爆破事件の間は数週間ほど経っている想定です。FFMが既に就役していたり、イージスアショアが出てきたりと割と現実の防衛政策は反映しているつもりです。実際に使われるミサイルが、SM-3になるのかどうかは分かりませんが…。

今回は特に冒頭部分の流れがなかなかうまいこと決まらず、2回ほど書き直しました。女性隊員限定の船として配備されているふそう、しかもその艦長が30歳の若さというぶっ飛んだ設定の今作ですが、少しでもそこに説得力が加わっていれば嬉しいです。

依然として組織間の確執が続いでいる海軍と沿岸警備隊ですが、ようやく津軽が過ちを認めたことで、若干お互いの関係性が改善する余地が生まれてきたかもしれません。次の第五章からは戦闘描写が一気に増えますが、お互いの関係性がうまく改善できるのかのあたりも含めて描いていきたいと思っています。それではまたお会いしましょう。


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戦闘用意
第五章:戦闘用意(前篇)


どうも、SYSTEM-R改めR提督です。自分はこのハーメルンでの小説執筆の他に、野球関係でも色々と活動していまして、元々SYSTEM-Rというのはそちらでの名前だったのですが、今回野球と小説で人格を一回分けようと思い新たにこの名前にしました。引き続きお付き合いよろしくお願いします。今回から第五章に入ります。それではどうぞ。


 「東亜製の軍事用電波受信器に乱数表、時限爆弾の材料や設計図に六本木駅構内の案内図か…。まさに数え役満だな」

 都内某所。現場となったアパートの一室で、一通り室内の様子に目を配った警視庁公安部外事第二課の丹波警部は、額に流れる汗を拭きながら1人呟いた。

 地下鉄六本木駅爆破及び首都ミサイル攻撃未遂事件から数日。このうち爆破事件については、事件発生後即座に警視庁にて特別捜査本部が立てられた。執念深い綿密な捜査の結果、駅周辺の防犯カメラの映像に不審な男の姿が映っていることが判明。男の住居がここであることを割り出し、抵抗こそ許したもののその身柄の拘束に成功したところだった。

 薄暗い室内には、捜査員によって開け放たれた窓から日の光が差し込んでいる。それに照らされた室内の証拠物件の数々は、明らかにこの部屋がただの住宅ではなく、外国の工作員の拠点であることを如実に物語っていた。

 「丹波さん」

 突然、若い男が彼に向けて声をかける。振り向くと、そこに立っていたのは自らの部下である捜査員・能登だった。

 「おう、どうした?」

 「たった今、佐世保沿岸警備局より連絡があった旨、本庁から電話がありました。先日長崎沖で海軍に撃沈された、第六十二円竜丸の引き揚げ作業が完了したそうです」

 「あぁ、沿岸警備隊と海軍が追いかけてた船だったな。派手に大砲の弾をぶち込んでたと聞いたが、原形とどめてたのか」

 「えぇ、幸いにも。船内からは暗号通信のために使用すると思われる通信機器や携帯電話、個人携行用の武器などが見つかったそうです。やはり事前の見立て通り、不審な電波通信を行っていたのがこの船だったのは、ほぼ間違いないと」

 能登の報告に、丹波が思わず顔をしかめる。

 「ってことはあの船が発信源で送信先はこの部屋、六本木駅を爆破しろという命令は6月15日時点で既にここに来てたってわけかい」

 「恐らくそういうことになりますね…」

 「なんでそんな大事な船を沈めちまったんだよ、海軍の馬鹿どもは!!おかげで何人の尊い命が失われたと思ってんだ。沈めずにとっ捕まえておけば、あんな事件は起きなくて済んだはずだってのによ」

 いかにもイラついた風の大声に、一瞬鑑識の面々が思わずその手を止める。

 「まぁまぁ、沿岸警備隊も思ってることは同じだそうですから。あそこは我々と同じく警察機関としての顔も持ってますし、軍と言っても海軍とは考えが違うんでしょう」

 能登は必死に上司をなだめると、ふと話題を変えた。

 「実際その考え方の違いが原因で、佐世保じゃ今大問題になってるらしいですよ。どうも海軍の方は、撃沈は状況的にやむを得なかったと思ってるらしくて、沿岸警備隊との間で今や冷戦状態に陥ってるとか」

 「全く悪びれもせずによ…。やっぱり警察の人間には、軍人の考えることはイマイチ理解できねぇな」

 丹波はあきれた様子で吐き捨てた。

 「でもよ、佐世保がこの時分にそんなことやってて大丈夫なのか?今回の一連の事件の首謀者が東亜なら、あいつらは最前線でそこに対峙しなきゃならねぇんだぜ?身内の足の引っ張り合いで、肝心の仕事が疎かになったらそれこそ笑えねぇわ」

 「その点は、自分も全く異論はないですね」

 能登も頷く。

 「そういや近々、総理が佐世保まで直々に激励に行くとかいう話を聞いたな。流石に、最高指揮官殿の眼前で下手なことはできねぇだろうが…」

 丹波のボヤキは、宙に浮かんでやがて消えた。

 「頼むぜ、国防海軍さんよ。あんたたちと沿岸警備隊が最前線で海を守ってくれなきゃ、この国はくたばっちまうんだ」

 

 「河内少佐。一つ聞きたいのだけれど、何故あなたはそこまでして私たちに対してコミットしようとするのかしら?あなたは最初に私とこうして会った時、かん口令が敷かれていることを理由に情報を流すことを初めは拒んでいたわよね」

 河内は、ただ黙って蒼の問いかけに耳を傾けていた。2人は今、先日と同じように蒼の公用車の中で会っている。だが、今回は河内の方から「会えないか」と声がかかった。播磨が「表立って隊員を海軍と接触させることは控える」と宣言した今、その場に居合わせた蒼が堂々と彼と顔を合わせるのは立場的に困難だ。2度目の接触もやはり、経緯は違えど「密会」には違いなかった。

 「もちろん、あの時あなたに緊急出港の経緯を話せと迫ったのは私よ。それを明かしてくれたことにも当然感謝してる。でも、今はあの時以上にこうして会うのはお互いにとってリスキーな状況のはず。それを押してまであなたの方からこうして接触しようとする、そこに何か深い意図でもあるの?」

 「自分が与えられた仕事を、少しでもやりやすい状況を作るため。しいて言えばそれくらいのものさ。他に何か理由でも必要かな?」

 河内はこともなげに笑った。

 「僕らは軍人であり、国民からこの国の海を守る役割を託された防人だ。お互いに細かい部分で職責は違っていても、その根本的な使命は同じ。それを果たすためには、常に自分たちが最高のパフォーマンスを発揮できる状況を作っておく必要がある。僕らに関して言えば、海軍と沿岸警備隊が協力体制を維持することだって、自らの練度を高める努力と同じくらい重要なことじゃない?」

 「それは分かるけど、だからってこの状況で…」

 「一佐や灰原一尉が僕ら海軍に対して、感情的になる理由はもちろんよく分かる。現実問題として部下が作戦で傷つけられた以上、それは上官としては正しい反応だよ。僕だってフリゲートとはいえ、艦長職を拝命してる人間だ。あなたの立場なら同じように怒り狂ったと思うよ」

 だけど、いつまでもこの状況を放置しておくわけにはいかない。本来なら、こうしてこそこそ車の中で会ってることだって、はっきり言って不健全な状態のはず。それでも、完全にお互いの関係が断絶するよりは遥かにマシだ。実際本音の部分では情報共有が必要だと感じているからこそ、あなたもこうして僕と会ってくれているわけでしょう。

 「言っておくけど、私たちは単に部下が怪我させられただけってわけじゃないわ。自分たちの仕事に対するプライドを傷つけられたのよ。真摯に自らの過ちに向き合わない、あなたの上官たちのせいでね。関係修復について云々するなら、再発防止の確約と一連の出来事について筋を通すことをしてもらわなきゃ、こちらとしては納得できないわ」

 蒼の口調は、病室で彼を問いただした時のような厳しいものに変わっていた。もちろんこれは、かつて白金が口にしたように元を正せばボタンのかけ違いなのかもしれない。だが残念ながら、今や海軍との関係は簡単には修復出来なさそうなほどに拗れてしまっているのだ。海軍が好き放題やった結果、自分の仕事を台無しにされたという思いが強い蒼からすれば、簡単に分かりあうことなど出来ないのも当然のことだろう。しかし。

 「真行寺一佐、何度でも繰り返すがあなたのお怒りはもっともだ。だけど、お願いだからどうかここは堪えてくれ」

 「どうしてこちらが道理を引っ込めなければならないの。そう私に伝えて来いと津軽にでも言われて来たわけ?」

 「そうじゃない、状況が変わったんだ。僕らはこれ以上喧嘩してる場合じゃなくなった」

 河内は真顔で首を振ると、「政府が東亜の外交官に対して、ペルソナ・ノン・グラータを通告した」と口にした。

 「ペルソナ・ノン・グラータ?」

 「外交官の国外退去処分。例の李慶民大使以下、駐日東亜連邦大使館の大使館員23名全員にね。48時間以内に日本から出国せよ、さもなければ大使に対する外患誘致罪の適用もありうると」

 「外患誘致罪って、刑罰が死刑しか設定されていなくて今までに一度も適用されたことのない、日本で最も重い罪状でしょう。その適用を一国の外交官に対して示唆したということは、今回の一件に彼らが関与しているという事実の裏がとれたの?」

 思わず、蒼の口調がほんの少し緩む。

 「あぁ。六本木駅爆破事件の実行犯が先日拘束されて、本国からの指令を受け取った李が書記官を通じて実行を命じたことを、ついに吐いたそうだ。工作員にそこまで言わせるなんて、この国の公安警察は流石だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 河内はほんの一瞬、その口元に意味深な笑みを浮かべるとすぐに真顔に戻った。

 「あなたはとても優秀な軍人だ。この情勢下で日本がそれを通告することが何を意味するか、あなたにも理解出来るでしょう。これは事実上、日本が東亜に対して自衛権を行使すると宣言したのと同義ってことだ。もちろん、先に攻撃を許した以上我が国にはその権利がある。宣戦布告は国際法違反だけど、武力攻撃に対する自衛は正当なものだからね。これから間違いなく、僕らは有事の局面に立たされることになる。その最前線となるのは疑いようもなくこの佐世保だ」

 僕はあなた方に、道理を引っ込めてくれなんて言うつもりはない。我々国防海軍には国防海軍の立場があるのと同じように、あなた方沿岸警備隊にも当然あなた方の立場があるはずだ。お互いがキチンと納得するためにも、議論はむしろ存分に戦わせるべきだと思うけど、残念ながら今はその時じゃない。この局面で最前線にいる僕らが仲違いし続ければ、それは東亜を利するだけ。この国を守るという使命を果たすためにも、今はお互いがひとまず矛を収めるべきだ。

 「あなたの言いたいことは分かったわ。…、しばらく一人にしてくれない?冷静に考える時間が欲しいの」

 蒼の口調は、河内の言葉を受けて一転静かになっていた。もちろん、心の奥底ではまだ完全に割り切れていない自分がいることも事実だ。だが河内の言が本当なら、確かに今のこの情勢下で自分たちが喧嘩している場合ではないことも、また事実と言える。あくまでも自分たちの立場を貫き、海軍に筋を通させることを優先するか。それとも内心もやもやしたものを残しつつも、ひとまず急場をしのぐことを優先するか。どちらの結論を出すにせよ、頭の中はクリアにしておかねばならない。

 「帰る前に、1つ重要なことを伝えておくよ」

 河内はドアに手をかけながら、蒼にとって予想外の言葉を口にした。

 「津軽大佐は自分の過ちを認めたよ。弟さんからそう聞いた」

 「嘘…!?それ、いつの話?」

 「ミサイル攻撃があった日だ。攻撃の前に六本木駅が爆破されたという知らせを真行寺から聞いて、流石のあの人も目の色が変わったらしい」

 さらに続いた河内の言葉に、蒼はただ黙って目を見開くのみだった。

 「一佐も身を以て体感しただろうけど、うちの上層部がプライドの高い連中で占められてるのは確かに事実だ。彼らの態度にあなた方がカチンとくることも、僕は正直責められない。だけどそれでも忘れちゃいけないのは、僕ら海軍はあなた方沿岸警備隊の敵などではないということさ。我々が戦うべき敵は他にいるということ、そして何らかの決断を下すまでにあまり時間的猶予はないということ、覚えておいてくれよ」

 

 「早速だが、件の船舶への対処についてあなた方の考えを聞かせていただこうか」

 国防海軍佐世保地方総監部の一角にある会議室に自ら参集させた、肥後と播磨を筆頭とする海軍と沿岸警備隊双方の関係者を前に、町田は単刀直入に言葉を発した。今、彼がここにいるのは外務大臣としてではない。第101代日本国内閣総理大臣としてだ。

 先代の総理である戦友・和泉の予感は当たった。あの記者会見以降、新聞や週刊誌には両軍や両官庁の間に多大な混乱をもたらした彼の責任を追及する声が、連日のように踊った。ネット上では右派の言論人を中心に擁護の声こそ上がったが、残念ながら大勢を覆すには至らず。町田が「悪手」だと明言した内閣総辞職と衆議院の解散総選挙は実行され、彼自身が事前の根回し通り新たな首相に就任することとなった。この一連の出来事が、六本木駅爆破事件よりも前に全て済んだことは、不幸中の幸いだったかもしれない。

 その町田が言う「件の船舶」とは、国防海軍のしょうかく型航空母艦1番艦「しょうかく(CV-185)」艦載機によって発見された、東シナ海の日東国境線あたりに停泊し続けている10000トンほどの小型タンカーのことだった。操艦は国防海軍、航空管制は国防空軍と、日本初の海空共同運用艦として設計された同艦は、佐世保を母港とする第2護衛隊群の旗艦であり、日本が自衛措置として計画中の「上海郊外のミサイル発射施設の破壊作戦」を手掛ける、まさに本作戦の要ともいえる船だ。

 そのしょうかくから偵察のために飛び立ったE-2D早期警戒機と、F-35Cステルス戦闘機(コールサイン:エスペランサ)がその途上、洋上に停泊し続けるタンカーらしき船を発見する。初めは特に気にすることもなく上空を通過しようとしたところ、突然レーダーや機器類に原因不明のエラーが発生。やがて操縦にも不具合をきたし始めるようになり、急遽作戦を中止して命からがら引き返す羽目になってしまったのだった。

 その後の分析により、件の船舶は表向きこそ民間船を装っているが、内部に強力なECM(電子的妨害装置)を備えており、近づいた航空目標に対し電子戦を仕掛ける目的でどうやら停泊し続けているらしかった。もちろん、その航空目標には航空機だけでなく、基地攻撃に用いるミサイルの類も含まれることになる。この船自体には物理的なダメージを与える力はないが、これを何とか無力化しなければ作戦は覚束ないことになるのだ。敵基地破壊に先立って、まずどのようにこの船に対処するかが日本側の課題だった。

 「臨検の実施が現実的な線であろうかと。もちろん、一番手っ取り早いのはターゲット自体の破壊です。ただその場合、ハープーンや17式艦対艦誘導弾といった対艦ミサイルは使用できないので、潜水艦による雷撃という形になってしまいます」

 「実際に乗っているのが東亜海軍の軍人であることが濃厚だとしても、表向きは民間タンカーだからな…。それをやればオリオン事件の二の舞、国際的に日本の正当性はアピールできなくなる」

 「仰る通りです。ですが幸い、我が軍には特別警備隊があります。この手の作戦には長けた者たちです。潜水艦『ひりゅう』で近海まで運び、船底の一部を爆破して海中から潜入する形にしようかと」

 頷いた町田に対し但馬がそう伝えた時だった。すぐさま播磨が反論する。

 「ちょっと待て、船舶への臨検は我々沿岸警備隊の職掌だぞ。取り締まり経験なら我が軍の方が圧倒的に上だ。臨検をやるなら我々に任せてもらいたい」

 「播磨海将補、仰っていることは分かるが既に今は有事の状況です。戦時における臨検は海軍の仕事、前線には我々が出ます。あなた方には後方で沿岸部の防衛に当たっていただきたい」

 「相手が民間船を装っているなら、どういう形であれ海軍が最初の一手を下すのは国際的に余計なハレーションを起こしかねん。大体我々が範とするアメリカ軍でも、戦時における臨検は沿岸警備隊の仕事であったはずだが?」

 播磨の言葉に、思わず肥後や但馬が反論に窮すると、すかさず彼に援護射撃せんと手を挙げた者がいた。播磨らとともに列席していた蒼だった。

 「私も沿岸警備隊の一員として、海軍の提案には賛同しかねます。臨検の経験値もさることながら、船底を爆破しての潜入というやり方はあまりにリスクが高すぎる。穴を開けた時点で相手にはこちらの出方がバレますし、よしんば爆破できたところでそこが確実に潜入できるポイントになるとは限らない。どうせなら、正面から堂々と臨むべきです」

 「馬鹿なことを言うな、先日のように海上から小舟で近づくというのか?結果的にそれで部下を危険に晒したのは貴官の方ではないか。同じ愚をまた繰り返すつもりか」

 「いいえ、他にも手はあります。私からは、本艦から直接立入検査隊を乗り込ませることを提案します。…、強硬接舷です」

 ようやく口を開いた肥後に対して、蒼は真顔で驚くべき言葉を口にした。思わず、話を聞いていた町田が興味深そうに身を乗り出す。蒼の指先は、各デスクの上に置かれたタブレットに表示された、ターゲットとなる船の画像を指し示していた。

 「この船の甲板通路の高さは、海面から約11mとあります。本艦の後部ヘリ甲板とちょうど同じ高さです。そして我がふそうをはじめ、沿岸警備隊所属艦船は不審船からの体当たりに備えて重装甲となっている。機動力維持のために装甲を排した設計の海軍艦艇では無理ですが、我が船なら体当たりして接舷したうえで、直接後部甲板から隊員を乗り込ませることができるんですよ。それともう1つ。この船自体は我々をおびき出すためのデコイの可能性があります」

 蒼はそこまで言うと顔を上げる。その表情は思案と熟慮の末、彼女なりに現状を吹っ切ったという事実を如実に示していた。

 「ECMを備えるとはいえ、非武装の船に軍人を載せているのであれば、当然その周辺には護衛の戦闘艦が潜んでいると考えるのが自然です。だとすれば、このタンカーへの臨検は我々に任せておいて、あなた方海軍はそちらへの対処に集中するのが合理的なはず。貴重な潜水艦を、臨検のためだけに向かわせるのは愚策ではないかと」

 肥後や但馬をはじめ、海軍側の将校たちはいずれも言葉に窮した。蒼の言うことにはもちろん説得力と一定の理がある。だが、経験豊富な彼らの目から見れば、30歳の彼女と言えどもまだまだ若手である。ましてや、彼女は二度にわたって自分たちとの間に軋轢の種を生んできたのだ。そんな相手に自分たちの具申した策を「愚策」と言われるのは、海軍側からすればすんなりとは受け入れがたかった。

 「真行寺一佐、愚策とはずいぶんな物言いだな。言葉を慎みたまえ」

 口を開いたのは肥後だった。

 「件のタンカーがデコイであろうという可能性は、我々とて把握している。当然ながら、本作戦は潜水艦一隻のみで行うつもりもない。敵護衛部隊への対処も含めて、前線での仕事は全て我が軍で引き受けると言っているのだ。その理由は貴官とて想像が付くだろう」

 彼の声は、いつになく厳しい響きを伴っていた。

 「過去2回、オリオンと第六十二円竜丸の事件に対して、我々国防海軍はあなた方に先陣を担っていただいた。それが、我が国が伝統的に続けてきた『海の守り方』だからだ。だがその結果どうなった?それぞれの指揮系統の違いから現場は混乱し、お互いの信頼関係が崩れた挙句このような事態を招くこととなってしまったのだ。これ以上、我が国は西方の海の守りに混乱をきたすべきではない。東亜をこれ以上利することを防ぐためにも、ここは国防海軍が一元的に作戦を管理するべき時なのだ」

 「要するに、今のこの状況を招いたのは全て我々の責任だと…?」

 思わず、蒼のこめかみに青筋が立った。

 「現場の人間として、その言は聞き捨てなりませんね。オリオン事件はともかく、第六十二円竜丸事件での混乱や六本木駅爆破事件を招いたことについては、あなた方海軍にもれっきとした責任があります。それは先日も我が上官の播磨が指摘したはずですが。第2護衛隊群司令として、それを自覚してはおられないのですか」

 「貴官が何を言おうと、今更この状況は元には戻らん。どのみち我が軍の案が総理や防衛大臣に認められれば、貴官ら沿岸警備隊の隊員諸君は海軍の特別部局として、我が軍の指揮下で統制されることになるのだぞ。立場をわきまえろ」

 「…、何がわきまえれや。何とか自分なりに踏ん切りばつけて向き合おうと思うてきとーんに、こん分からず屋…」

 思わず蒼が立ち上がった、まさにその時だった。

 

 「いい加減にせんか馬鹿者!!」

 

 室内に突如響いた怒鳴り声に、その場にいた全員が思わず固まった。そちらの方向に振り向いた時、誰もがその意外な声の主に唖然とする。声をあげたのは、町田だった。

 「東京で殴り合いの大喧嘩を演じた事務次官連中に比べれば、現場の制服組はまだ理性的にやっているものかと思ったが、いざ視察と激励に来てみればこのザマか。一国の将官や佐官ともあろういい大人が、いつまでも恥ずかしくないのか、情けない!!」

 「も、申し訳ございません!!」

 最高指揮官の思わぬ激高に、慌てて両軍の面々が一斉に頭を下げる。だが、それでも町田の怒りは簡単には収まらなかった。

 「私は諸君らの子供の喧嘩を見物するために、わざわざ佐世保まで時間を割いてやってきたわけではない。最前線を張る諸君がきちんと己の職務に向き合う姿を確認し、我が日本国防軍への信頼を新たにするためにここにいるのだ。にもかかわらずこれは一体なんだ。こんな状況で、我が国国民の生命と財産の安全を守るという、軍人の使命を全うできるとでも本気で考えているのか!?」

 静寂の中、町田の声だけが室内に響き渡り続ける。

 「全員今一度胸に手を当てて考えろ。諸君らは今本当に日本国の軍人としてあるべき姿なのか。目先の国難に目を向けず、不毛で下らない縄張り争いに明け暮れるだけの人間など、我が軍には不要だ。そういう者が日本国防軍の制服を着ることを、私は決して許さん。この際はっきりと言っておくが、これは私1人の怒りではない。私は選挙を以て選ばれた国会議員の中から任命され、国民の代表たる内閣総理大臣としての職務を与えられた人間だ。私の言葉は、我が国1億1600万人の国民の総意と思いたまえ!!」

 「ハッ!!」

 誰1人として、その言葉に反論できる者などいなかった。事情はどうあれ、軍の最高指揮官にそこまで言わせてしまった己の未熟さ。彼を目の前にして不毛な争いを繰り広げてしまった視野の狭さ。この場に居合わせていた全ての軍人たちの心に芽生えたのは、彼らが久しく感じることを忘れていた後悔や羞恥心という感情だった。

 「本件については、従来通り海軍と沿岸警備隊両軍にて対応してもらう。実際の分担については真行寺一佐の提案通りでよかろう。速やかに作戦計画をまとめ、各官庁経由で私に上申するように」

 そう言い残して、町田は怒りをかみ殺すようにして会議室から立ち去った。後に残された者たちは、ただ黙って呆気にとられたままその姿を見つめるのみだった。




町田外相改め町田総理、流石にこの状況には我慢がならなかったのでしょうね。最前線でともに日本を守らなければならない両軍が、一体何をいつまでもごちゃごちゃ争っているのかと。河内という自浄作用が、海軍側で働いているのがせめてもの救いかもですね。

揃って最高指揮官から雷を落とされることとなった沿岸警備隊と海軍、ここからは否応なしに矛を収めて協力体制を再構築することとなります。そうでなくとも、ちゃんと協働してくれないと国防上まずい事態なんですけどね。次回からは3度目の戦闘描写に入ることになりそうです。前回危うく犠牲者が出るところだった6分隊が活躍する予定です。乞うご期待。それではまたお会いしましょう。


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第五章:戦闘用意(中篇)

どうも、R提督です。今回はいよいよ、沿岸警備隊と海軍が関係回復を余儀なくされて以降初めての作戦回となります。また、最後のクライマックスに向けての大事な伏線や、久々のパロディ要素も出てきますので、どうぞお楽しみに。それではどうぞ。


 「それで、友孝の奴に皆さん思いっきり雷を落とされたってわけですか。あいつがそこまで感情を露わにするのは、珍しいんですけどねぇ」

 長崎市を拠点とする造船企業、マリタイム・デベロップメント株式会社の現場社員で、かつてふそう建造チームのチーフとして同艦を担当した近江智之は、蒼の言葉に苦笑いしながら応じた。

 近江にとって、現総理の町田は4つ上のいとこという関係である。幼い頃には一緒に港に船を見に行く間柄だった彼らだが、中学時代から興味の対象が政治の世界に移った町田に対し、近江は大きくなってからも船への情熱を絶やすことはなかった。中でもとりわけ彼が惹かれたのが、海上自衛隊の護衛艦や補給艦といった水上艦艇の類だ。大学卒業後に目指したのも、そうした艦艇の建造を手掛ける大手造船企業。現職であるマリタイム・デベロップメントもその1つだった。

 そんな彼は今、強硬接舷による臨検への準備のため長崎港内のドックに入ったふそう艦上で、蒼らとともに顔を合わせている。彼以外にも、甲板や艦内通路には点検に訪れた造船所の作業員たちが多数顔を見せていた。

 「正直、総理に怒鳴られた時は物凄くショックでした。特に、『不毛で下らない縄張り争いに明け暮れるだけの人間など、我が軍には不要だ』というあの言葉が。自分たちはそういう風に周囲から見られていたのかと。相手への不満が募るあまり、自分たちが視野狭窄に陥ってしまっていたことを突き付けられて、私は恥じ入るしかありませんでした」

 「まぁ、もちろん皆さんが皆さんなりにそれぞれの仕事に誇りを持っていて、それがぶつかり合ってしまった結果だということは、あいつも分かってるとは思いますよ。友孝も総理大臣なんていう重荷を両肩に背負って間もないし、個人的にピリピリしていた部分も当然あったでしょう」

 うなだれる蒼を、近江はなだめるような口調で諭した。

 「とはいえ、それ以上にあいつが海軍さんと沿岸警備隊さんとの関係悪化を憂いていたであろうことも、また事実だと思います。最高指揮官として、今の状況下でお互いが共倒れになることだけは避けなくちゃいけなかった。それが、和泉前総理から引き継いだあいつの重要な仕事でもあったはずです。そこらへんはどうか汲んでやってください」

 弊社にとっては、海軍さんも沿岸警備隊さんも重要な取引先です。商売人の端くれとして、自分たちはお客様の悪口をあれこれ言うほど性根腐っちゃいない。ただ、自分の客同士が喧嘩しているのを見ていて、それをよしとする商売人だっていないのも事実です。まして、それが自国の軍人同士ならなおさら。友孝やうちの人間に限らず、皆さんの諍いをそういう風に見ていた国民も少なからずいたであろうこと、意識しておいた方がいいかもしれませんね。

 「肝に銘じます…」

 蒼がそう絞り出した時、2人は船の中間あたり、ちょうど艦橋構造物と煙突の間のスペースに差し掛かった。壁面にセットされた救命用具をチェックしている若い男性スタッフの姿が目に入る。「様子はどうだ」と近江が声をかけた。

 「大丈夫です。数の不足や壁面への固定の緩みなど、特にありません」

 「よし」

 近江は頷いた。その視線は、すぐに蒼にも向けられる。

 「強硬接舷ともなれば、この船を勢いよく標的にぶつけることになります。ちょっとでも固定に緩みがあれば、その弾みで救命用具なんかが飛んでいくかもしれない。そういう事態は可能な限り避けないとね」

 「そうですね」

 蒼が頷いたのを見て、近江は再びこの空間に目を向けた。普段から艦上体育と呼ばれる、航行中に甲板通路を使って行うランニング等に使われるため、ここは通常の巡視船と比べても広々と空いたスペースになっている。ただ、それにしてはずいぶんと幅を取った設計にしてあるものだと、蒼はたまに気になるのも事実だった。

 「ここのスペースは、今回に限らずなるべく常にクリアにしておいてくださいよ。いざという時には重要な区画になりますからね」

 「はぁ…。重要な区画、ですか…?」

 「あれ、なんだ。真行寺一佐、もしかして歴代艦長の方々から何も教わってらっしゃらないんです?」

 近江はその言葉に、不思議そうな表情を浮かべた。聞き返された蒼がきょとんとしているのを見て、思わずため息が口から洩れる。

 「まぁ、着任されてまだ数か月の上にそういう機会も訪れてないから、特段教えてもらう機会もなかったかもしれませんけどね」

 「そういう機会、とは?」

 「()()()()()()()()()()()()()。沿岸警備隊籍とは言っても、この船は国際法上一応軍艦ということになってるでしょ?この空間は、いざという時には追加で兵装を載せられるように作ってあるんです」

 近江がそこまで口にした時、ふと船の外部から何やら声が聞こえた。甲板から下を見下ろすと、若い作業員が近江を呼んでいる。どうやら、彼宛に電話が入ったらしい。

 「あぁ、すいません。ちょっとひとっ走り行ってきますわ。すぐ戻りますんで、失礼」

 そう言うと、彼は挨拶もそこそこにすぐに舷門へと走っていった。蒼はその後姿を見つめながら、ふと先ほどまでと同様「重要区画」と言われた空間に目をやったのだった。

 

 佐世保沖の海は、漆黒の夜の闇に覆われていた。その中を、ふそうはいつものようにたった1隻で進んでいく。だが、クルーの間に重くのしかかる緊張感の度合いは、普段のそれとは大きく異なっていた。

 「水上レーダー目標探知。目標数1、0度、距離30000。ターゲットと思われます」

 艦橋に、CICからの葛城の声が響き渡る。蒼や佐野倉が双眼鏡を構えたその先に、うっすらとではあるがタンカーらしき大型船の姿が見えた。普段の任務において、沿岸警備隊が用いる用語である「該船」はすなわち、「取り締まり対象の船」を指す言葉だ。同じ船のことを、そもそも法律上警察力を持たない海軍側では単に「ターゲット」と呼ぶ。

 今回、葛城が彼らと同様ターゲットという言葉を使ったのは、本作戦が単なる取り締まりや警察力の範疇にとどまるものではないからだ。たとえ表向きは民間船を装っていても、あの船に乗っているのはほぼ間違いなく東亜連邦海軍所属の軍人たち。そこに対する臨検実施はすなわち、軍事力の行使を意味する。そしてそれこそが、ふそうクルー全員が内心で抱える緊張感の源だった。

 「あのカラーリングと船体のサイズ…。空軍の報告通りです。船尾に五星紅旗も上がってますね。あれがターゲットで間違いないでしょう」

 双眼鏡を覗き込んだまま、佐野倉が呟いた。

 「艦長、ターゲットまでまだ少し距離があります。もう少し接近しましょうか」

 「いいえ、もう始めてしまいましょう。相手が無理やりにでも食い下がってくるかもしれないからね」

 蒼は首を振ると、ヘッドセットを通じて「立入検査部署発動、音声送信始め」と下令した。やがて、艦橋にも眼前のタンカーに向けた葛城の声が聞こえてくる。

 “REAU (Republic of East Asian Union, 東亜連邦の英名) tanker, REAU tanker. This is Japan Coast Guard. REAU tanker, this is Japan Coast Guard. We have observed that electronic counter measure was directed to the airplanes belonging to our country from you. What is the purpose of your act? Over. (東亜連邦籍タンカーへ、こちらは日本国沿岸警備隊である。貴船より本邦航空機に対し、妨害電波が指向されたことを確認した。貴船の行動の目的を通告せよ)”

 しばしの沈黙の後、艦内には中国語訛りの英語が返ってきた。

 “Japan Coast Guard, this is REAU tanker Tianjin. We don’t understand what you are talking about. Over. (日本国沿岸警備隊へ、こちら東亜連邦籍タンカー『天津』。貴艦からの交信の意図を理解しかねる。一体何の話だ)”

 案の定と言うべきか、ターゲットである天津号はすっとぼけた返答をよこしてきた。もちろん、初手から素直に過ちを認める相手でないことなど、こちらとて百も承知である。

 “Tianjin, this is JCG. Our plane caught an error on operating system during the flight over this sea area. And they found after the investigation that electronic counter measure was directed toward them from you. (天津号へ。本邦航空機が本海域上空通過の際、管制システムにエラーを生じた。その原因として、貴船より当該航空機に対し妨害電波が指向されていたことが調査によって判明したのだ)”

 “JCG, this is Tianjin. Such issue is not related to us. It must be an ordinary error. Show us the proof if you want to blame us. (日本国沿岸警備隊へ。そのような事案は本船とは無関係である。通常の故障だろう。我々の責任だというのであれば、その証拠を開示されたし)”

 あくまでも無関係を装う天津号。しかし、葛城による追及は止まなかった。

 “Tianjin, this is JCG. By the way, this incident happened about 4 days ago. You are still stopping there for such a long time. Why don’t you move on to your destination? (天津号へ。ところで、本件が発生したのは今から4日ほど前のことである。その間貴船は本海域に留まったままとお見受けするが、何故目的地に向かわないのか?)”

 “That’s not your fucking business. (この船がどう動こうがあんたには関係ねぇだろうが)”

 “No, it surely is our business. You have been stopping on the regular international route of our civilian fleets and being an obstacle. (残念ながら、こっちにも関係ある話なのよ。あんたたちが停泊してるのは、うちの国の民間船団が使う国際航路のど真ん中なんだから。あなたたちが邪魔になってると言ってるの)”

 徐々にいら立ちを隠さなくなってきた相手に対し、葛城はやや砕けた口調ながら追及を強めた。単純な英語の流暢さもさることながら、知らず知らずのうちに相手を追い込んでいく手腕は見事なものだ。「相変わらずえげつないわねぇ」と、蒼は佐野倉と顔を見合わせながら苦笑した。

 “I’ve already told you that we are the Coast Guard of Japan. And we have a duty to keep the maritime safety around our country. That’s why we are asking about. (我々は日本の沿岸警備隊であると既に名乗ったはずよ。我々には、我が国周辺における洋上の治安と交通の安全を常に維持する義務がある。だからこそ聞いてるの)”

 “This area is neither your own territory nor EEZ. It means that this is not your place for your job. Therefore we don’t have any duty to answer. (ここはおたくらの領海でもEEZでもない。つまり、ここはあんたたちの仕事場じゃないってことだ。従って、こちらにはその質問に応じる義務はない)”

 それでもまだ突っぱねようとしてくる相手に、葛城は忌々しそうに舌打ちした。同じCICでこの会話を聞いていた我那覇が、その見慣れない反応に思わず顔を向ける。その時だった。葛城に対して、艦内無線を通じて呼びかける声がする。

 「CIC、艦橋。船務長、ちょっと変わってもらえるかしら」

 声の主は蒼だ。一瞬の間をおいて聞こえてきたのは、彼女を有能な沿岸警備隊員たらしめる要素の1つでもある、流暢な中国語だった。

 「到天津问题、海岸警卫队船只扶桑船长。 如果您拒绝从国际航线上撤回我们的私人商船,并且您不愿意接受任何肇事者对飞机的行为,遗憾的是我们无法避免采取强硬措施(天津号へ、こちら沿岸警備艦ふそう艦長。あなた方が我が国民間商船の国際航路からの撤退を拒否し、航空機への加害行為についても認める意思がないのであれば、残念ながら我々は強硬手段を取らざるを得ない)」

 「你打算做什么?(強硬手段?一体何をするつもりだ?)」

 いきなり呼びかけが自らの母国語に変わったことに驚いたのか、天津号からの返答はやや上ずっていた。それに対する蒼の返答は、有無を言わせぬ冷徹なものだった。

 「我们将根据“海岸警卫队法”第17(1)条进行现场检查。 无论如何,你很难在六本木带来像你这样的可疑之物(貴船に対し、これより沿岸警備隊法第17条1項に基づく立入検査を実施する。万が一あなたたちの寄港先が日本で、六本木の時みたいな怪しい物を持ち込まれちゃ困るからね)」

 そこで交信は途絶えた。蒼はすかさず、ヘッドセットを再び艦内無線に切り替える。

 「合戦準備。TAO、一種配置」

 「総員第一種戦闘配置。対水上戦闘用意!!」

 いつも通り、沢渡の号令の後に艦内にアラートが響いた。

 「ウェルドック、艦橋。立入検査隊、後部ヘリ格納庫右舷詰め方用意!!」

 「艦橋、ウェルドック。了解!!」

 その一言で、ウェルドック脇の待機所で備えていた立入検査隊の面々が、一斉に動き出した。柳田がまだ目のリハビリをこなしている中、依然として6分隊の隊員たちは黒川が指揮している。本来ならこの任務までには戻ってきて欲しかったところだが、それは致し方のないことだ。

 というのも、沿岸警備隊としては柳田の怪我が治癒次第、なるべく早く職務復帰させたかったところを(この点では、厄介払いがしたかった海軍サイドと珍しく意見が一致したのだが)、入院先の海軍病院が予後の確認とリハビリを省いての早期退院に、公然と猛反対したのである。元々海軍も沿岸警備隊も関係なく受け入れてきた海軍病院からすれば、現場の船乗り同士のいざこざは自身には何も関係のないこと。もちろん、彼らには医療を司る者としてのプライドや責任感がある。柳田の負傷は後遺症が残りにくい類のものとはいえ、万が一自分たちが最後までケアをせずに放りだしたせいで、妙な障害が残ったなんてことになれば沽券に関わる、という思いもあっただろう。

 「沿岸警備隊の人間だって、うちにとっちゃ大事な患者だ。船乗り同士が喧嘩するのは勝手だが我々まで巻き込むな、受け入れると決めた以上は医官として最後まで責任取らせろ」と真っ向から異を唱える姿に、流石に同じ海軍の現場サイドもノーとは言えなかった。加えて町田によるあの一喝で、海軍も沿岸警備隊も対立している場合ではなくなった。結果、柳田を早期退院させる理由も消滅したのだ。

 ちなみに、本件に当たっては沿岸警備隊側から「本作戦で特別警備隊を活用したいなら、うちの立入検査隊ともども本艦で受け入れることは可能だ」とも申し入れたのだが、これは海軍側が指揮系統の混乱の恐れを理由に断った。もちろん、そうなったところでふそう自身の検査隊だけでも戦力としては十分だ。今は与えられた条件下で任務を遂行するしかない。

 「見張り員、ターゲットとの距離、知らせ」

 蒼は、ずっと双眼鏡で天津号の方を監視し続けていた桜井の方に顔を向ける。

 「ターゲットとの距離、残り27000」

 「了解」

 蒼は頷いた。今度は、その顔が黒木の方に向く。

 「航海士、第3戦速。0度ヨーソロー」

 「第3戦速、0度ヨーソロー」

 ふそうのスピードが一段上がった。その弾みで、ヘリ格納庫に向かって最後の階段を上っていた立入検査隊の一部の隊員たちが、思わずつんのめりそうになる。海軍艦艇同様、余剰スペースを減らすために急勾配で作られている艦内の階段は、いったんバランスを崩すとかなりの危険を伴うことがある。だが、この時は下にいた隊員たちのとっさの支えなどもあり、転落する人間は出ずに済んだ。

 「艦橋、ヘリ格納庫。立入検査隊突入用意よし」

 「了解。立入検査隊総員に命ずる。接舷と同時に天津号を制圧せよ」

 蒼はその命令の後、もう一言をさらに付け加えた。

 「()()()()()()()()()()()()()()()。繰り返す、ターゲット乗員の生死は問わない」

 通常、沿岸警備隊が行う立入検査においては、抵抗する該船乗員に対して一定の実力行使を行うことはあれど、死に至らしめることは稀と言っていい。それは、洋上における法の執行機関たる沿岸警備隊にとって、身柄拘束に引き続いての取り調べ実施を考慮すればいたって合理的なことだし、海軍とは異なる性格を持つ組織として持っておくべき、一つの歯止めでもある。

 蒼はいわば、そのリミッターを解除したのだ。任務上の殺傷をなるべく最小限にとどめることを規範とする組織が、その歯止めをなくすということ。それが意味するところとはすなわち、これから自分たちが行うのは実際には「取り締まりではない」ということだ。もちろん、これは天津側とてそう思っているだろう。

 「Aye, ma’am!!」

 蒼の命令に対し、黒川は覚悟に満ちた応答をよこした。さて、ここからが蒼による操艦の腕の見せ所である。ヘッドセットを通じて呼びかけた先は、CICに控える沢渡だった。

 「1番砲及び2番砲、方位角90度、仰角0度に備え」

 「1番砲及び2番砲、90の0に備え」

 その声に合わせ、サイズの異なる2つの主砲がおもむろに艦橋から見て右方向を向く。その意図を図りかねたのか、様子を見ていた天津側がざわめいた。

 「とーりかーじ、いっぱい!!」

 「とーりかーじ、いっぱい!!」

 ふそうは勢いよく進路を左側に変え始めた。自分たちから見て横を向いていたはずの砲が、ふそうの進行に合わせて再びこちらを指向することに気が付いたのか、流石の天津号も慌てたようだ。

 「ターゲット、機関始動!!転回する模様!!」

 安河内の声に合わせるかのように、左舷側をこちらに向けて静止していた天津号は勢いよく船首をこちらに向け始めんとその場で転回し始めた。それを尻目に、なおもふそうは左に舵を切って進み続ける。

 「左舷、錨降ろし方用意!!」

 その声に合わせて、艦橋の一角にある投錨機のレバーに紺野が手をかけた。

 「投錨始め!!」

 「錨降ろせ!!」

 命令と同時にレバーが勢いよく降ろされ、左舷側の錨が海面の下に落ちた。鎖がジャラジャラという金属音を立てて、どんどん海中に潜っていくのが聞こえる。

 「ターゲット甲板上、数名の人影を視認。武装してる模様!!」

 桜井が叫ぶ。

 「立入検査隊、船上に武装した乗員の姿あり。接舷の瞬間まで格納庫内で待機せよ」

 「ハッ!!」

 「出撃」に備え、深呼吸をしつつ平静を保とうとする隊員たちを見つめる、黒川の声にも緊張の色が濃くなってくる。そしてついに、ふそうクルーの「その時」は訪れた。

 「投錨終わり、10秒前」

 「総員、衝撃に備え!!」

 紺野が告げるのに合わせ、蒼はヘッドセットに向かって大声で叫んだ。すぐさま、艦内各部の面々が手近なものを力強く掴む。彼女たちの耳に、紺野のカウントダウンが響いた。

 「投錨終わり5秒前。5、4、3、2、1、今!!」

 

 今から時を遡ることちょうど90年。1942年4月29日、大日本帝国海軍に1隻の軍艦が就役した。日本の雅称の1つをその艦名の由来とした、水上機母艦『秋津洲』。基準排水量4650トンのこの船は、初代艦長であった黛治夫大佐の下、攻撃力のなさを補うためのあまりに型破りな作戦行動を行ったことで知られた。第八艦隊参謀長の大西新蔵少将をして「厚化粧みたいにゴテゴテしている」と言わしめた、その特異な迷彩塗装もその1つだ。

 だがそれ以上にこの船を特異たらしめているのが、その独自の空爆回避行動である。連日の爆撃から、米軍側の癖を見抜いた航海士の進言によって採用されたこの航法は、両舷の錨を右舷側に偏らせ150mのところまで錨鎖を伸ばしておき、敵機が仰角38度になった時に前進一杯を下令すると、艦が急激に右に動いて爆撃を回避できる、というものだった。

 錨を利用した急激な方向転換という、今では軍用・民間を問わず多くの船が実際に行っている航法を応用したこの作戦を、黛はこう命名した。「()()()()()()()()()」と。

 

 「何だあれは!?」

 ECMを用いた対空電子戦要員として天津号に乗り組んでいた東亜連邦海軍の軍人たちは、眼前の光景に思わず唖然とした。てっきりの前を横切りつつ、こちらに向けて主砲を発砲するのかと思っていたあの巡視船が、全く想定外の動きを見せたのだから。

 左舷から伸びた錨が、海底まで到達したまさにその瞬間。ふそうの艦体は、それまでの勢いを保ったまま急激に右方向にドリフトし始めた。満載排水量9920トンの大きな体が、勢いよく海面を滑っていく。

 艦橋にいた蒼、佐野倉、紺野、桜井。CICにいる沢渡、葛城、我那覇。機関室にいる茶谷や、主計室にいる白金。衛生室で待機し続ける橙木。ヘリ格納庫内で突入の瞬間に備える黒川以下立入検査隊と、彼女たちの無事を祈る灰原ら測量科の面々。ふそうクルー総員248名の誰もが、思わずバランスを崩しそうになりながらも必死にそれに耐えていた。

 「強硬接舷10秒前!!」

 桜井が叫び声をあげる。右から左へとスライドしていく窓の外の景色に目を向けながら、それに呼応して蒼はヘッドセットに向けて命令を発した。

 「立入検査隊、突入用意!!」

 「Steady!!」

 黒川が声を張り上げる。それとほぼ同じタイミングで、天津側でもようやく事態の何たるかを飲み込んだ。

 「まずい、あいつら強硬接舷する気だ!!」

 「巡視船が接触する!!左舷側要員退避!!」

 甲板通路の面々が慌てて退避しようとする中、ふそうと天津との間はどんどん詰まってくる。そのドリフトを物理的に止めることなど、今や誰にも出来はしなかった。

 「ドゴォッ!!」

 海を震わせるが如き衝撃とともに、開戦を告げる号砲が海域に鳴り響く。作戦の火ぶたは、接舷と同時にヘリ格納庫を勢いよく飛び出した沿岸警備艦「ふそう」の立入検査隊によって、ついに切って落とされたのだった。

 「Hunt!!」




ふそうによる秋津洲流戦闘航海術、いわゆる「戦艦ドリフト」のシーンは、映画「バトルシップ」クライマックスシーンの戦艦ミズーリによる物のオマージュ(流れも全く一緒にしてます)。一方、葛城による最初の交信は現実の事件である「韓国海軍駆逐艦レーダー照射事件」での、海上自衛隊P-1哨戒機の戦術航空士(TACCO)によるものを下敷きにしています。あの事件についても個人的には色々語りたいことはありますが、ここでは割愛させていただきます。

有事におけるふそうの武装強化は、作品の構想を得た当初からずっと温めていましたが、ここでいったん伏線として出します。現実の海上保安庁は法律上軍隊ではないので、もちろんそのような設計は始めから考えていないと思いますが、アメリカ沿岸警備隊では実際にあるんですよね、そういうことができそうなカッターが。一応これをヒントとして出しておきます。

今回は本当は戦闘回にしてしまう予定だったのですが、残念ながらそこまで行けなかったので、艦上戦闘シーンは次回に回したいと思います。立入検査隊には思う存分暴れまわってもらうつもりでいますので、どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第五章:戦闘用意(後篇)

お久しぶりです、R提督です。しばらく執筆の時間が全く取れず更新が止まってしまっていたのですが、ようやく第五章の締めを書き上げることができました。今回は最初から最後まで戦闘回となります。今までと比べてもかなり長くなりますが、最後までお付き合いください。それではどうぞ。


 沿岸警備隊艦船付立入検査隊。“Visit, board, search and seizure”の頭文字をとってVBSSと通称されることも多いこの部隊の通常業務は、取り締まり対象の船に乗り込んで臨検を行い、法令違反があれば乗員の身柄を拘束することだ。

 彼らは海上における法執行機関として、沿岸警備隊自身が特に重要視している部門でもある。普段はそれぞれ個別の受け持ち区画につかせ、部署発動と同時に呼集をかける非常設部隊である海軍とは違い、砲雷科や機関科などと同じ分隊レベルの常設部署として設置されていることも、その証拠の1つといえるだろう。

 そして決して忘れてはならないのは、日本国沿岸警備隊は交戦権を有するれっきとした軍隊であるということだ。相手が民間人ではなく軍人となれば、立入検査隊自身の「対処レベル」も当然上がる。そして今まさに、沿岸警備艦ふそうの立入検査隊員たちは、軍事組織として想定している最高レベルの作戦行動、すなわち「敵乗員の生死を問わないターゲット制圧」に乗り出したのだった。

 「Go, go, go!!」

 黒川の指示に合わせて、隊員たちが次々と9mm拳銃を手に天津号へと乗り込んでいく。蒼の見立て通り、後部ヘリ甲板とぴったり同じ高さに設けられた通路は、たちまち戦場と化した。

 「てぇっ!!」

 予想もしていなかった強硬接舷に怯んだ敵乗員たちが、立て続けにこちらの正確無比な射撃により被弾して倒れていく。中には物陰に隠れてこちらに反撃しようと試みる者たちもいるが、その努力もむなしく彼らも最後には眉間や腹に銃弾を受け、海上で散っていった。

 「别动!!再动我就开枪了!!(動くな!!動けば撃つぞ!!)」

 最後に船内に乗り込んだ黒川の背後で、突然中国語の大声が聞こえた。振り向く間もなく、一瞬にして首元を筋肉質な左腕で締められる。身動きが取れない。右のこめかみに、防弾ヘルメット越しに感触を得る。それが突き付けられた銃口だと気づくのに、時間はかからなかった。

 「每个人都当场扔掉枪。白早!!(全員その場に銃を捨てるんだ。早くしろ!!)」

 男が大声で叫ぶ。その声に、黒川以外の隊員たちが思わず振り向き、その手を止めた。瞬時に状況を理解した彼女たちの顔に、悔しそうな表情が浮かぶ。

 だが、そこは百戦錬磨の警備長だ。この場面で人質に取られたからといって、簡単に諦めるようなたちではない。屈強な軍人に身動きを封じられながらも、抵抗しようとするふりをして相手の足の位置を探る。そして男の右足の場所を探り当てるや否や、靴底に鉛を仕込んだ彼女の右踵が相手の足の甲を力一杯踏み抜いた。

 「グァッ!?」

 足を踏み抜かれた痛みに、男が思わず大声を上げる。ほんの一瞬だけ、その弾みで左腕の力が緩んだ。すかさず、今度は黒川の右肘が男の肋骨を、拘束が解かれた瞬間に裏拳が首筋を直撃する。電光石火の早業に流石に耐えきれず、倒れ込んだ男に黒川は二、三発の銃撃を見舞った。この間僅か10秒足らず。あっという間に1人の男の人生が散った。

 「女だからと甘くみるんじゃないよ、バーカ」

 黒川がそう吐き捨てたその時。天津号の船橋では不穏な動きが起きていた。

 

 「ターゲット船橋に人影。ライフルを構えてます。立入検査隊を狙ってる模様!」

 艦橋で双眼鏡を構えていた桜井が、一足早くその異変に気がつく。彼女の視線の先には、船橋脇の出入口辺りでライフルを構えている敵乗員の姿があった。恐らく、甲板通路に潜んでいた面々だけでは太刀打ちできないと知り、援護射撃しに来たのだろう。だが、黒川を始めとする立入検査隊の面々がそれに気づいている様子はない。蒼は急いで、CICに指示を送った。

 「CIC、艦橋。1番砲、ターゲット船橋に照準」

 「了解、1番砲を船橋へ!!」

 沢渡の声で、127mm砲が勢いよく旋回した。普段通りのシークエンスでは間に合わない。沢渡は砲の指向を確認するや否や、急ぎ艦長から直接発砲指示を受けるべく要請を送った。そのリコメンドに蒼もしっかり応える。

 「主砲目標よし、砲口監視員砲口よし、射撃用意よし、艦長!!」

 「撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 ズドン、という音を立てて1番砲の砲身が唸った。接舷した状態で、いわゆるゼロ距離射撃で放たれた主砲弾は、回避の余地さえも与えずに天津号の船橋に襲いかかる。ド派手な爆発と衝撃で、乗員がいた辺りの一角は見るも無残に破壊された。黒川らが驚いてその方向を見つめる中、ひしゃげた船橋から構造物の一部が崩れ落ちる。

 「Target kill!!敵乗員の撃破を確認。船橋周辺に脅威なし」

 桜井が再び声をあげた。蒼は頷くと、天津号甲板上の黒川たちに呼びかけた。

 「VBSS、ネプチューン。船橋に潜んでいたスナイパーを撃破した。甲板上の状況を報告せよ」

 「ネプチューン、VBSS。了解」

 黒川はそう答えると、即座に部下たちに呼びかけた。

 「報告!!」

 「クリア!!」

 「クリア!!」

 「クリア、甲板通路オールグリーン!!」

 甲板上に敵の生存者がいないことを確認した部下たちから報告が上がる。黒川はそれを受けて、蒼に再び回線を繋いだ。

 「ネプチューン、VBSS。甲板通路オールグリーン。これより内部に潜入する」

 「VBSS、ネプチューン。了解、無事を祈る」

 その交信を聞き終えるや否や、立入検査隊の面々は即座に船内へと消えていったのだった。

 

 「遅いな…。ふそうからの交信はまだ来ないのかよ」

 ふそうと天津号の現場からはやや離れた近海。恐らく周辺に潜んでいるのであろう東亜海軍艦隊の反撃に備えて、スタンバイしていたふぶきのミサイル長、長門尊中尉はCICで思わずそう呟いた。居合わせた河内がすかさず彼の方を向く。

 「件の装置が船内のどこに仕掛けられているかもわからないんだ、時間がある程度かかるのは仕方ないだろう。お互いを信頼しろという総理の言葉を忘れたかい?」

 「しかし…」

 「まぁ、気持ちは分かるがそうぼやくな。無駄な焦りはいざという時にマイナスに働く。今は平静を保つ努力を怠ってはならないよ、ミサイル長」

 「…、失礼しました。申し訳ありません、艦長」

 長門が頭を下げたその時。突然、掌船務士の岩代雅也准尉が声を上げた。

 「沿岸警備隊ふそうより入電!!」

 「全艦放送へ」

 「ハッ」

 河内の指示で岩代がスイッチを切り替えると、間を置かずにふぶきの艦内全域に葛城の声が響き渡った。

 「ネプチューンよりネイビー。ECM kill。周辺海域の対空、対潜、対水上見張りを厳とされたし。繰り返す、ECM kill。周辺海域の対空、対潜、対水上見張りを厳とされたし」

 その声と相前後して、ふぶきのレーダーからも妨害電波の波長が消える。だが、それは決して朗報ではなかった。レーダーが復旧するや否や、そこには新たな脅威目標が映し出されたからだ。

 「水上レーダー目標探知。距離40000の位置に目標数8!!」

 「おいでなすったか…」

 河内は呟いた。ふぶきが探知した水上目標は、ちょうど天津号とふそうを挟んだ反対側に位置している。主砲射程外のこの距離ではお互いの砲撃は届かないし、ECMが起動していれば敵方のミサイルも妨害されてこちらには到達できないだろう。だが、ふそうによって装置が無効化された今、ミサイルの撃ち合いであれば水上戦闘は可能だ。当然、こちら側の他の艦艇もそれは承知しているだろう。

 「対水上戦闘用意!!ワンビー(SSM-1B)及びESSM、発射用意急げ!!」

 

 一方、最前線にいるふそうの方でも敵艦隊の展開を確認した。海軍との交信を終えたその流れで、葛城が蒼に対し報告を上げる。

 「艦橋、CIC。水上レーダーに感。距離20000、目標数8。東亜海軍艦隊と思われます!!」

 「CIC、艦橋。了解。1番砲及び2番砲、対空迎撃用意。方位角90度、仰角45度に備え」

 「1番砲及び2番砲、90の45に備えた。調定よし」

 その報告通り、2つの主砲が揃って空中へと顔を向ける。蒼は返す刀で、今度は依然天津号の船内にいる黒川たちに呼び掛けた。

 「VBSS、ネプチューン。敵艦隊の接近を確認、攻撃の恐れあり。至急撤退せよ」

 「ネプチューン、VBSS。了解、これより撤退を開始する」

 黒川のその返答が届くや否や、沢渡が叫んだ。

 「Vampire, vampire, vampire!!前方の水上艦艇より小型目標分離、高速接近!!」

 艦橋にいる蒼たちの目にも、彼方から上がるミサイル発射時の爆炎が映った。状況的に、放たれたのは恐らくYJ-83、NATOコードネームでは「サッケード」と呼ばれる艦対艦ミサイルだろう。万が一停船中の自艦や天津号が被弾すれば、相応の被害は免れない。

 だが、戦闘艦とはいえ沿岸警備隊の船である以上、ミサイル戦闘を任務として想定していないふそうは、VLS(垂直発射装置)も装備していなければ対艦ミサイルのキャニスターも積んでいないのだ。僅か1分強で到達する目標を、主砲とCIWSが万が一外せば一大事である。蒼は急ぎCICに発砲を命じた。

 「対空迎撃、近づく目標。1番及び2番砲、攻撃始め!!」

 「撃ちー方始めー!!」

 「てぇっ!!」

 サイズと射程の異なる2つの砲が、同時に唸った。普段の任務ではほとんどやることのない一斉打方である。漆黒の夜空に向けて放たれた主砲弾が、サッケードを迎撃すべく舞い上がった。時を同じくして、海軍側でも攻撃の口火が切られる。真っ先に対処するのは、やはりイージス艦はるなである。

 「ESSM発射用意よし、Recommend fire!!」

 司が叫ぶ。すかさず日向が攻撃命令を下した。

 「対空戦闘、CIC指示の目標。ESSM、攻撃始め!!」

 「ESSM発射始め!!Salvo!!」

 その命令とともに、はるなのMk.48 VLSから2発の発展型シースパローが飛び出した。同様に、随伴艦を務めていたふぶきやしらゆき、さらにはあきづき型防空駆逐艦5番艦「はつづき(DD-121)」などからも、同様にESSMが次々に発射される。撃ち出された8発の弾頭はやがて、依然として対空迎撃のため砲撃を続けるふそうの上空にさしかかった。

 「ミサイル視認!!国防海軍の対空ミサイルと思われます。左90度、上空通過コース!!」

 桜井が蒼に向けて叫んだ。だが、その声は耳をつんざくような砲撃の二重奏でかき消される。それから数秒後、CICから葛城の交信が入った。

 「艦橋、CIC。ミサイル計16発、左右両方向より本艦上空を通過!!」

 「CIC、艦橋。了解、撃ち方やめ!!」

 直ちに砲撃をやめさせる蒼。だが、その表情は徐々に怪訝そうなものに変わる。

 「ちょっと待って、16発…?どっちからいくつ飛んできたの?」

 「左右から各8発ずつです!!全目標サーヴァイブ、いずれも主砲射程圏外です」

 「そんな…、嘘でしょ!?」

 蒼の顔が一瞬で青ざめた。その目はすぐに自艦から見て左手の方角、国防海軍第2護衛隊群が展開しているのであろう方角に向けられる。

 「まさか…!?」

 

 「CIWS、コントロールオープン!!」

 「チャフ発射始め!!」

 電子戦、対空ミサイル、主砲いずれを以てしても敵ミサイルを落としきれなかったふぶき。なおも足掻くかのように、妨害電波を必死にミサイルに向け続ける彼らにとっての頼みの綱は、今や最後の砦たるCIWSとチャフのみとなっていた。

 艦長たる河内は、その対空目標が少しずつ近づいてくるレーダーの映像を目にしながら、どこか不思議な感覚に囚われていた。慌ただしいはずの艦内にもかかわらず、自分の周囲だけはゆっくりと時間が流れているような。これから自身に起こることが命にかかわると分かっているのに、何故か頭のどこかには気持ち悪いほど冷静な自分がいる。

 戦争とは、人間の最期とは時にこんなに呆気ないものなのか。8年目を迎える自分の海軍軍人としてのキャリアの中で、初めて訪れた実戦の機会。今まで自分は何回も訓練を積み重ねてきたし、そのいずれにおいても実戦さながらの緊張感を絶えず忘れずに取り組んできた。だがそれでも、心のどこかでは戦闘に臨む姿を「演じる」自分に対して、やや冷めた視線を送るもう1人の自分もいたのだ。

 そのせいだろうか。30年の人生が終わろうかという今この時、自分の身体にはまるでそのもう1人の自分が憑依しているかのようだった。人の世の儚さを悟った、驚くほどに平静でどこか諦めの感情すらも抱える自分。あくせくしてみたところで無駄だ、どうせ人間死ぬときは死ぬのだから、と…。

 「敵弾、来る!!」

 突然、彼の思考を大きな怒鳴り声が遮った。声の主は長門だ。思わず、河内は顔を上げた。その瞬間、ゆっくりに見えていた時間が再び急速に動き始める。無意識のうちに自分の肉体が拒絶していた緊張感が、一気に頭の中へとなだれ込んできた。同時に、それまではあまり意識していなかった生々しい感情が、心の中で首をもたげる。

 (何で早々と諦めようとするんだ、こんなところで死んでたまるか)

 河内は次の瞬間、まるで何かに衝き動かされたかのように、今までに参加したどの訓練でも出したことのないほどの大声で叫んでいた。

 「衝撃に備え!!」

 

 「報告します、ふぶきが被弾。繰り返します、ふぶきが被弾!!」

 紺野からの報告を、蒼は火柱が上がる左手側の海を見つめたまま、虚無感に囚われたような表情で聞いていた。

 目の前で今まさに起きていることが、蒼には全く信じられなかった。ふそうには元々、海軍艦艇のような対空戦闘能力はない。せいぜい、出来たとしても主砲とCIWSを用いた迎撃による個艦防御くらいのものだ。沿岸警備隊にとってのターゲットはあくまでも水上か海中であって、空中にはいないのだから。

 だが、それでも積んでいる主砲はどちらも海軍と同一仕様のものだ。CIWSだって同じだ。対空ミサイルが打てなくたって、それらのフェーズでは海軍と同じことができたはずだった。だからこそ、自分は砲撃を命じた。仮にミサイル攻撃が自身に向けられたものでなかったとしても、せめて1発でも撃ち落として少しでも脅威を減じたかったのだ。

 なのに、自分は味方を守れなかった。その1発、たった1発さえふそうは撃ち落とせなかったのだ。遥か上空を飛ぶ敵の対艦ミサイルに対して、我々の砲は無力だった。自ら志願して乗り込んだ戦場で、友軍を守ることができなかったという事実を突きつけられて、蒼の目は虚ろになっていた。

 だが突然、蒼の意識は強制的に現実に引き戻された。その耳に、桜井の声が届いたからだ。彼女は、まだふぶきの乗員たちにわずかながらも希望があることを告げていた。

 「海面に人の姿を多数視認!!ふぶき乗員が飛び込んでいる模様です!!」

 その言葉を単なる音としてではなく、言語として認識した瞬間に蒼の手は自身の双眼鏡に伸びていた。覗き込んだその先で、無残に破壊されたふぶき艦上から次々に海に飛び込んでいく乗員たちの姿が見える。生存している人間は少なからずいるようだ。

 「艦長、今ならまだ間に合います。至急、海難対処部署の発動を!!」

 佐野倉が慌てて意見具申する。

 「そ、そうね。急がないと。海難対処部署発動、海に投げ出されたふぶき乗員の救sh…」

 そこまで思わず口にしてから、ふと蒼の脳内に疑問が生まれた。ふぶき乗員の救出。それが今必要なことであるのは分かる。だがちょっと待て、それを誰がどうやってやるのだ。

 普段、救難艇を駆って現場へと駆け付けるのは、第6分隊の立入検査隊が主に担う役目である。彼女たちにとっては、臨検と取り締まりはもちろん遭難者を救うことも重要な仕事なのだ。だが今この瞬間は、その重責を担う人間たちはまだ天津号の中にいる。ボートはあってもそれを操縦する人員がいない状況では、人手を出そうにも出すことができない。

 第5分隊の航空科はどうか。ヘリでの遭難者救出もまた、重点的に普段から訓練しているケースでもある。だが、ふぶきの乗員は約100名もいる。次は対空ミサイルだって飛んできそうな中で、その全てをヘリコプターだけで救出するのは極めて厳しい。ホバリング中に撃墜されれば、それこそミイラ取りがミイラになってしまう。

 この際立入検査隊の回収をいったん諦め、ふそう自らを再び接舷状態から解除したうえで救出に向かわせるべきか。だが、その間に天津号が狙われれば彼女たちに反撃手段はない。一体どうすればよいというのか。八方塞と思われたその時、予想もしなかった人物の声が艦内全域に響き渡った。

 

 「艦橋、ウェルドック。艦長、うちが行くばい!!」

 

 声の主は…、灰原だった。蒼が虚を突かれて返答に詰まる間に、彼女の命令が部下たちへと向けられる。緊迫感あるその声は、有無を言わせぬ迫力をまとっていた。

 「測量長より達する。これよりふぶき乗員の救出に向かう。測量隊及び衛生兵、大至急ウェルドックへ!!ありったけんタオルと毛布ば持ってこんね、急げ!!」

 

 沿岸警備艦ふそう第6分隊測量隊。その任務は、沿岸警備局内の部署である科学測量部からの命を受け、指定された海域の測量と海底地形の観測を行うことである。ここで集められたデータは科学測量部にて海図へと変換され、国防海軍だけでなく民間の商船会社、さらには海洋系の学部を有する大学などに提供される。沿岸警備隊の中では比較的地味ではあるが、欠かすことのできない非常に重要な任務だ。

 その測量任務を現場にて取り仕切るのが、測量長である灰原の仕事だった。測量実施の際は、彼女たちもまた搭載艇を操って実際に海へと出ていく。一見、お互いにつながりの薄そうな立入検査隊と測量隊が、同じ第6分隊の構成部署であるのは、まさにこれこそが共通点であるためだった。もちろん、本来なら平時任務を司る彼女たちが、戦時に海に出ていくことはないのだが、その力を活用するというところに考えが至らなかったのは、蒼の若さが出た部分だろうか。

 灰原以下、測量隊の働きは目覚ましかった。4隻の船に分乗して、いつ第2次攻撃があるとも知れない現場に向かった彼女たちは、合計で28名のふぶき乗員の救出に成功。後の者たちの救出をひとまず他の海軍艦艇から来た短艇に任せ、無事に母艦へと戻ってきたのだ。彼女たちが救出した者たちの中には河内や長門、岩代の姿もあった。

 「全員、急いで中へ。早く体を温めて、夏の海と言ってもいつまでも浸かっていたら冷えるわよ」

 艦橋を佐野倉に任せてウェルドックへとやってきた蒼は、救難艇を降りた海軍軍人たちを急いで中へと誘導した。全身ずぶぬれになった男たちが、タオルにくるまりながら礼もそこそこに奥へと消えていく。その中の1人が、蒼の前で足を止めた。河内だった。

 「真行寺一佐…、ありがとう…。本当に助かった…」

 寒さからか、それとも夜の海に投げ出された恐怖感からか、その声は今まで聞いたことがないほど震えている。頬を濡らすしょっぱい水分は、恐らく海水だけではないだろう。今目の前にいる彼は、普段の爽やかさあふれる姿とはまるで別人のようだった。

 「戻ってきてくれて何よりよ、河内少佐。だけど、あなたが礼を言う相手は私じゃないわ。感謝の弁は彼女に述べなさい」

 その言葉に、河内が思わず蒼の指し示した方に顔を向ける。その視線の先にいたのは、第六十二円竜丸事件の後にはとばっちりで河内に罵声を浴びせながら、その彼が命の危険に晒されたとみるや真っ先に海へと飛び出した灰原だった。

 「ありがとう…、灰原一尉。本当に…」

 「不毛な縄張り争いばっかりしとー人間は、日本国防軍ん制服ば着とったらいけんのでしょう、河内少佐。同じ軍人として、当然んことばしたまでですばい」

 その言葉に力なく頷くと、河内は部下たちと同様に艦内へと消えていった。彼の姿を見送った後、蒼は再び灰原の方に振り向く。こちらはびしょ濡れでこそないが、最先任指揮官に向けたその表情は申し訳なさげである。

 「艦長。良かれと思うてんこととはいえ、ご許可もなかじょん勝手に動いてしまいました。本当に申し訳なか」

 そう言って頭を下げる灰原。だが、そんな彼女を蒼は咎めようとはしなかった。灰原の右肩を、蒼の左手が諭すようにポンと叩く。

 「顔を上げなさい、測量長。これだけ多くの命を救った行為を、私が咎めると思う?」

 その言葉通り顔を上げた灰原の目に映ったのは、蒼の穏やかな笑みだった。

 「よく勇気を出して行ってくれたわね、ありがとう。感謝するわ」

 「艦長…」

 灰原はしばし呆気にとられた表情を浮かべていたが、やがて意を決したような表情を浮かべると、小さくもはっきりとした声で「うちも6分隊ですけん」と口にした。蒼が頷いたその時、突然艦内放送で沢渡の声が響いた。

 「ESM探知、敵艦隊より再度小型目標分離!!本艦に向け高速接近中!!」

 再び、敵艦隊は攻撃を仕掛けてきた。しかも、今度はふそう自身も攻撃目標に定められている。回避行動をとらなければ危ない。だが、蒼には一つ気がかりなことがあった。すぐさま、ヘリ格納庫に問い合わせる。

 「こちら艦長、立入検査隊は全員戻ったの?」

 だが、返ってきたのは悪い知らせだった。

 「艦長、警備長がまだです!!」

 

 黒川は、肩で息をしながら最上部の甲板通路を必死で目指していた。その足取りは、最初に潜入した経路と比べるとだいぶ遠回りになっている。

 迂闊だった、とその胸には後悔の念があった。蒼からの撤退命令が出た時、彼女は周辺の警戒に当たりながら先に部下たちを撤退させていた。部隊指揮官として、現場を離れるのは常に自分が最後。それが黒川響という軍人が持つ一つの信念だったのだ。

 ところが、いざ自分が撤退を開始しようとした際にイレギュラーが起きた。船内の照明が突然落ちたのだ。恐らく、ふそうがスナイパーを仕留めるために船橋に向けて砲撃した時に、どこか重要な回路まで一緒に吹っ飛ばしたのだろう。まさか、ゼロ距離射撃で5インチ砲をぶっ放すなんて予想もしていなかった。狙撃しようとした乗員を仕留めるなら機銃で十分だったのに。

 おかげですっかり惑わされて、暗視装置を使ったのに本来通るべき通路とよく似た、別の通路に誤って入り込んでしまった。そのせいでしばらく船内を彷徨う羽目になり、自分の脱出が大幅に遅れてしまうとは。初めて乗る船では勘がないから、特に大型船ともなるといったん迷ってしまうとなかなか大変なのは仕方ないが。幸い、乗っていた敵乗員は全員始末したから襲われる心配はないのだが、真っ暗な中を一人駆け回るのはやはりなんだか不気味だ。

 ふと、ようやく甲板通路へとつながる階段にたどり着いた彼女の耳に、耳をつんざくような爆音が届いた。この距離で聞こえるということは、ふそうの砲撃音だ。先ほども迷っている最中に絶え間なく聞こえていたが、やはり甲板が近くなると迫力も段違いだ。

 階段を上がり切って通路に出たその時、黒川の目に2つのものが映った。右手奥の方で、轟音とともに2つの主砲をぶっ放し続けるふそう。そして真っすぐに向けた自分の視線の先で、そのふそうのヘリ甲板の上で必死に自分の名前を呼ぶ、先に母艦へと戻った自分の部下たち。彼女たちの表情と、ふそうにしては珍しくガスタービンエンジンの駆動音が出航時から大きくなっている様子から、黒川は瞬時にあることを察した。

 (まずい、このままじゃ置いてかれる!!)

 銃撃戦の後、駆け回る羽目になって疲労しているはずの彼女の下半身全体に、一気に力がこもった。本能のままに、黒川の身体がヘリ甲板へと向かって駆け出す。ふそうまで後2mほどに迫った時、ついにヘリ甲板と通路との境目がゆっくりと裂け始めた。だがそれにも構わず、黒川は勢いを止めることなくヘリ甲板の部下たちの下へと飛び込む。その瞬間に、彼女の背後で大きな爆発音が轟いた。

 「Target kill!!」

 「警備長復帰。繰り返す、警備長復帰!!急ぎ最大戦速で離脱せよ!!」

 安どの思いと達成感から、甲板上にへたり込んだ黒川の耳に2つの報告が届く。最大の懸案だった黒川の回収と、自艦を狙ったサッケードの迎撃。その両方をほぼ同時に成功させたふそうは、戦闘を海軍に任せて急いで現場海域を離脱したのだった。




今まで度々その肩書を出しながら、具体的な職務内容については触れる機会のなかった灰原の職位「測量長」。ようやく、ここで初めて明かすことができました。彼女が身を挺して河内らふぶき乗員を救助に行ったのは、もちろん灰原という軍人が持つ責任感の表れなのですが、同時に彼女自身の名誉をある種回復する行為であり、同時にこれから展開する物語の一つの転換期ともいえるかもしれません。

なお、次の章が本作のクライマックスとなる予定で考えています。ストーリーは残り少ないですが、最後まで何卒よろしくお願いします。それではまたお会いしましょう。


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閑話休題・世界観設定2
ふそう型沿岸警備艦性能諸元(Wikipedia風)


どうも、R提督です。今回は閑話休題として、本作の主役であるふそうが分類される「ふそう型沿岸警備艦」について、改めてご紹介したいと思います。記事の体裁は、Wikipediaにおける護衛艦などの記事を参考にまとめています。現実には存在しない艦種なので、この投稿をキッカケによりふそうの外観などがイメージしやすくなれば嬉しいです。それではどうぞ。


ふそう型沿岸警備艦

 

ふそう型沿岸警備艦(英: Maritime Guard Vessel Fuso class)は、日本国沿岸警備隊が保有する沿岸警備艦の艦級。「沿岸警備艦」という艦種として建造された、本邦初の艦船である。2023(令和5)年から2025(令和7)年にかけて2隻が建造された。

 

艦級概観

艦種: 沿岸警備艦(MGV)

建造期間: 2023年-2025年

就役期間: 2024年-就役中

前級: なし

次級: ながと型

 

諸元

基準排水量7715t 満載排水量9920t

全長165m 全幅21m 吃水6.2m 深さ12m

エンジン:CODAG方式 速力最大27kt以上

乗員: 310名

 

兵装

54口径127mm単装速射砲 1基

62口径76mm単装速射砲 1基

高性能20mm機関砲(CIWS Mk.15 mod.25) 2基

324mm三連装短魚雷発射管 2基

90式艦対艦誘導弾(SSM)4連装発射筒 2基※

 

電子戦・対抗手段

MOD自走式デコイ 2基

 

C4I

沿岸警備隊指揮システム(CGOS)

海軍戦術情報システム(NTIS)

AN/SQQ-89(V)15J対潜システム

 

レーダー

AN/SPQ-9B対水上レーダー

OPS-14航海用レーダー

 

ソナー

AN-SQS-53C艦首装備型 1基

AN/SQR-20 MFTA 曳航式 1基

 

艦載機

SH-60K対潜哨戒ヘリ 1機

MD902ドクターヘリ 1機

 

搭載艇

7m型高速警備救難艇 2艘

全天候型救命艇 2艘

 

※常時搭載する装備ではない

 

来歴

日本国沿岸警備隊の前身たる海上保安庁は、旧海上保安庁法第25条において「軍隊ではない」ものとして明確に規定され、戦時における規定を有していなかった。この為、その組織としての性質上保有船艇はあくまでも、海上における犯罪行為の取り締まりなどの警察力のみを付与され、兵装も機関砲や機銃程度と海上自衛隊(現日本国防海軍)所属艦艇と比較して限定的であった。

 

他方、尖閣諸島周辺に侵入を繰り返す中国等の警備艦は、76mm速射砲を搭載するなど軍艦に匹敵する重武装を備えており、海保に対しては国際的な緊張感を高めないようにとの目的で第一義的に対応を強いられるにもかかわらず、「武装が軽すぎる」との批判がかねてから上がっていた。

 

こうした状況下で、2022年に発生した尖閣諸島工作員上陸事件においては、初動対応に当たった巡視船2隻が中国海軍艦艇からの砲撃を受け、殆どなす術もなく撃沈。多数の殉職者を出したばかりか、その後のアジア海洋戦争の勃発を結果的に許す形となり、有事における非軍事組織としての限界を露呈することとなった。

 

この為、戦後に海保が準軍事組織たる沿岸警備隊として再建される過程において、「非海軍籍でありながら海軍艦艇に匹敵する戦闘能力を有し、より強力な抑止力と取り締まり能力を備えつつ、有事にあっては他国海軍との交戦にも耐える戦闘艦」が検討されるようになり、新設の沿岸警備隊中央司令部において構想が練られる事となった。同構想は2023年5月に行われた安全保障会議にて「MGV計画」として上申され、承認された。こうして建造されたのが本型である。

 

任務

沿岸警備隊において、本型が担当する任務は下記のとおりである。

 

・防衛(グレーゾーン事態対処)

・海上における法執行

・長距離捜索救難活動

・洋上交通の監視

・海洋情報の収集・測量

 

設計

本型はアメリカ沿岸警備隊のバーソルフ級カッターをモデルとして設計されており、ヘリ運用能力や後部ウェルドックを使用しての短艇の運用など、設計思想の基本部分をこれらに倣っている。一方、船体設計そのものはしきしま型巡視船をベースとしつつ、従来型の巡視船にはない戦闘能力の付与にあたっては、旧海自艦艇の設計も種々盛り込まれている。

 

具体的には、対潜戦闘関連はあさひ型護衛艦(現あさひ型駆逐艦)の設計が取り入れられた他、ウェルドックにはおおすみ型輸送艦、その上部に設けるヘリ格納庫およびヘリ甲板はむらさめ型護衛艦(現むらさめ型駆逐艦)と、複数艦艇の設計が流用された。

 

この為、最終的な船体は基準排水量7715トン、満載排水量9920トンと、モデルとなったこれら艦艇よりも大幅に大型化している。国防海軍艦艇との比較では、寸法はあたご型駆逐艦と同一で、あたご型の後継イージス艦であるまや型・はるな型よりもやや小さい程度である。

 

装備

・C4ISTAR

沿岸警備隊制式システムであるCGOS(Coast Guard Operation System, 沿岸警備隊指揮システム、通称シーゴス)を採用する。本システムは、国防海軍のFCS-3A射撃指揮システムと共通のソフトウェア資産を用いて設計されている。また海軍戦術情報システム(NTIS)に加入しており、リンク16を通じて海軍艦艇とも情報共有が可能である。

 

・兵装

主砲としてオート・メラーラ54口径127mm単装速射砲、及び同62口径76mm単装速射砲各1門を装備する。いずれも、海上自衛隊及び日本国防海軍以外の組織において調達されたのは、本邦において初である。また、小規模船艇への対応にあたっては、左右両舷に備えた遠隔操作型12.7mm単装機銃を用いる。

 

本型における最大の特徴は、その充実した対潜戦闘能力である。艦中央部には、68式三連装短魚雷発射管及びMOD自走式デコイを両舷に一式ずつ備える他、艦尾には曳航式ソナー一式を装備している。対潜システムとしては、あさひ型と同じSQQ-89が採用された。

 

沿岸警備隊はミサイル戦闘を任務とは定めておらず、海軍艦艇とは異なりVLSを搭載していない。ただし艦対艦ミサイルに関しては、戦時には艦橋構造物と煙突の間に広く空いたスペースを利用した、キャニスターの設置による武装強化が可能になっている。

 

・艦載機・搭載艇

艦載機としてSH-60K対潜哨戒ヘリ及びMD902ドクターヘリ各1機、搭載艇として7m型警備救難艇及び全天候型救命艇各2艘を搭載する。ドクターヘリについては、医療機関以外において本型で初めて採用された。

 

艦名

1番艦を「ふそう」、2番艦を「やましろ」と命名。艦名は日本の雅称及び旧国名にちなみ、日本の艦艇としては大日本帝国海軍の扶桑型戦艦「扶桑」「山城」に次いで2代目である。

 

同型艦

MGV-01 ふそう

MGV-02 やましろ




次回からは本編に戻ります。それではまたお会いしましょう。


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リベンジ
第六章:リベンジ(前篇)


どうも、R提督です。今回から最終章となる第六章に入ります。今回はサプライズ演出をたくさん盛り込んでますよ。それではどうぞ。


 日東海上国境線付近での両国の交戦から数日。この戦闘で撃沈されたフリゲート「ふぶき」の乗員のうち、犠牲となった42名の追悼式典が国防海軍佐世保地方総監部において、しめやかに執り行われた。

 その会場の一角で、当日の当直となった科員を除くふそうクルー全員を引き連れて参列した蒼は、式典のメインとなる弔銃発射を行う儀じょう隊の入場を待ちながら、一昨日の肥後との会話を脳内で思い返していた。

 

 「この度はご愁傷さまでした、肥後少将」

 播磨に促され、要請に応じて地方総監部に出向いた蒼は、自らと向かい合う形で総監室のソファに腰かけた肥後の目を、真っすぐに見つめた。その姿からは、先日町田を前にして怒鳴り合いを演じた時のような不遜さは微塵も感じられない。

 「先日の非礼の詫びも正式にできないうちに、このようなご挨拶に伺う形となってしまったこと、大変残念です」

 「いや、詫びを入れるべきは貴官だけではない。自らの職務へのプライドにこだわりすぎるあまり、礼を失したのは我々海軍も同じだ」

 そう応じる肥後も、神妙な面持ちだった。

 「あれから、我々も己の振る舞いに至らぬ点が多々あったこと、大いに反省したよ。最高指揮官直々にあのように怒鳴られては、流石に肝を冷やさざるを得ない。おかげで目が覚めた。己の未熟さと不見識を気付かせてくれた総理には、感謝せねばならんな。そして、今回自ら志願して我々を助けてくれた貴官ら、ふそうクルーの面々にも」

 肥後はそう呟くと、おもむろに姿勢を正した。

 「我が佐世保地方総監部では明後日、この佐世保基地で戦死したふぶき乗員の追悼式を行う予定としている。不躾なお願いで恐縮だが、貴官らにも是非参列をお願いしたい。あの海に散った者たちを、ともに弔ってほしいのだ」

 「よろしい、のですか…?」

 「もちろんだ。貴艦の参画なしには、今回の作戦は成り立たなかった。貴官らも戦闘の当事者である以上、声をかけるのは当然だ。ふそうクルーの参列なしに、この式典は完成しないものと考えている。それに…」

 蒼の問いかけに頷くと、肥後は口元にだけ何やら意味深な笑みを浮かべてみせた。

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 あぁ、なるほど。その一言で蒼は全てを察した。河内との面会の事実は、そのタイミングがどこかはともかくどうやら海軍にはバレていたらしい。別に、河内との車中での面会ついでに特段やましいことをしていたわけではないのだが、流石に海軍少将にまで上り詰めた男の目はそうそう誤魔化せないということか。蒼は頷いた。

 「分かりました。そういうことでしたら、謹んでお受けいたします」

 「感謝するよ」

 肥後の顔に浮かんだのは、心からの安どの表情だった。

 「それとついでと言っては何だが、可能であれば貴艦から海士を2人ほど供出して欲しい。…、弔銃発射も一緒にやってもらいたいのでね」

 

 蒼たち参列者の目の前では、弔銃を手にした儀じょう隊がスタンバイを完了させていた。その中には、セーラー服姿の水兵たちだけではなく、紺野と桜井の姿もあった。2人を含め、今回ふそうクルーの面々が着用しているのはいつものサマードレスではなく、国防海軍の「幹部常装第一種夏服」をベースに作られた「サービスドレス・ホワイト」である。

 「弔銃用意!!」

 儀じょう隊の小隊長を任された長門が、よく通る声を大きく張り上げる。それに合わせて、隊員たちが一糸乱れぬ動きで銃を胸の前で構えた。軍の式典は、いつだって独特の厳かな雰囲気の中で執り行われる。その中で、動きを全員できっちり揃えつつ定められた動作をこなすのは、訓練を重ねていても見た目ほど簡単なことではない。

 そんな状況でも、沿岸警備隊の代表として派遣された2人の海士長はよくやっていた。制服姿だけはどうしても仕様が異なるから、傍目には若干違和感があるのも事実だが、ルーティーンそのものはどちらも完璧にこなしている。

 「発射用意!!」

 9本の銃身が上空斜め45度を向く。

 「てぇっ!!」

 軍楽隊の演奏を間に挟みながら、発砲音が3度澄み渡るような佐世保の空に轟いた。

 

 夕方6時半を回って、夏真っ盛りと言えども流石に空がオレンジに染まり始めた頃。追悼式典を終えた蒼は1人ふそうを降り、岸壁で腰を下ろして物思いにふけりながら佇んでいた。

 「追悼式典の後じゃ、流石にお仕事も手につきませんか、艦長」

 ふと、その耳に優しい響きのアルトが届く。蒼が何かに行き詰まったり、思い悩んだりした時にはいつだってその声は聞こえてくる。そして、自然と蒼に自身の抱え込んでいる思いを打ち明けるよう言外に促すのだ。初めて出会ってから17年が経っても、それは全く変わらないのだった。

 「その顔、また何か抱え込んでるでしょ。見れば分かるよ」

 「今日は自分から敬語外すのね、弥生」

 「艦上では上司と部下だけど、陸に上がったら親友同士でしょ?」

 蒼の言葉に、白金は優しく微笑んだ。いつもと何も変わらないその顔に、蒼はやっぱりいつだって救われる思いになる。

 「あの海で散っていった42名、その中の何人があそこで死ぬことを本気で覚悟していたんだろう、ってふと思ってね」

 犠牲となったふぶき乗員のほとんどは、爆死または水死だった。サッケードの直撃を受けた時の爆発に巻き込まれたか、それとも海に飛び込んだまではよかったが助からなかったか。いずれにせよ、壮絶な死に様だったことは間違いないだろう。

 散っていった彼らにも、この世に産んで育ててくれた両親がいる。中には配偶者や恋人、兄弟姉妹を残して死んでいった者だっているだろう。軍人として生きることを志した時点で覚悟など出来ていると思っていても、いざ死に直面するとやはりそれに抗いたくなるのが生物としての本能であるはずだ。自分を大切にしてくれる者たちよりも先に逝くこと、それほど辛いものはない。

 「今だに脳にちらつくのよ。もしもあの時、私が迷わず測量長に救難艇を出すよう伝えていたら。いや、それ以前に1発でも私たちが迎撃成功していたら、こんな結末にはならなかったんじゃないかって思いが」

 「そんなこと言わないで。蒼も私たちも、あの時は出来る限りのことを精一杯やったよ。結果的にこういう結末になってしまったけど、悪いのはあくまでも攻撃してきた東亜海軍でしょ。そうやって自分を責めるべきじゃ…」

 「分かってる、分かってるわよ。いくらこうやって自問自答したところで、私たちは歴史を書き換えられないってことくらい。だけど…」

 蒼はそう白金の言葉を遮ると、ふそうの艦首部分を見上げた。背負い式に設置された2つの主砲が、その目に飛び込んでくる。

 「私たちの力では、ふぶきを守れなかった。その厳然たる事実を突きつけられるたびに、胸が締め付けられてたまらないのよ」

 「蒼…」

 うなだれる親友の姿に、流石の白金も声を発することができなかった。俯いたまま、蒼は1人声を絞り出す。

 「沿岸警備隊の一員として、ふそう艦長として、私は自らあなたたちとともにあの海に行くことを志願した。日本国防軍の一員である以上、そうすることが私たちにとってもこの国にとっても最善の策だったと心から思ってた」

 日本国沿岸警備隊は、この手の紛争に第一義的に対処することをその使命としている。沿岸警備艦ふそうはそれを果たすための非海軍籍の戦闘艦として、日本で初めて建造された船だ。蒼の下した判断は、その点から言っても全く間違ってはいないはずだった。だが。

 「日本国防海軍と日本国沿岸警備隊は、格好は似ていても全く違う存在だった。それを頭では分かっていたはずなのに。『影の海軍』なんて偉そうに自称しながら、フェーズがミサイル戦に移行した瞬間、本物の海軍同士の戦闘で私たちは無力になった。最前線にいたにもかかわらず、彼らの攻撃に対してほとんど何もできなかったのよ」

 そこまで一気に吐き出してから、蒼はふとその顔を白金の方に向けた。そこには、悲しみと怒りと絶望とやるせなさがごちゃ混ぜになった、無二の親友でさえも見たことのないような感情がありありと浮かんでいる。

 「私は、沿岸警備隊員としての自分にずっと誇りを持ってきた。三尉として任官してから死に物狂いで努力して、任された任務には常に120%のエネルギーを投入して。部下の面倒だって男女や階級を問わず、人一倍積極的に見てきた。そうやってこの年で一佐にまで上り詰めて、ふそう艦長まで任されて。その日々を、今まで自分が歩んできた足跡を自分で否定なんかしたくない。だけど…」

 もし、自分が沿岸警備隊ではなく国防海軍の一員として、その過去の延長線上であの日を迎えていたとしたら、あの戦闘の結末は違っていたのだろうか。そう思ってしまう自分がいるんだ。今までだったら絶対に吐かなかったであろうそのセリフに、白金はこれまでとは次元の違う蒼の絶望感の深さを感じ取った。しばしの間をおいて、その口から衝撃的な言葉が漏れる。

 

 「蒼、本当は国防海軍に入りたかったんだもんね…」

 

 12年前、2人が高校3年生だった時。同じ学校に通っていた真行寺蒼と司の姉弟は、揃って進路調査票に「海上自衛隊」の5文字を迷うことなく書き込んでいた。佐世保の海を身近に感じながら生きてきた2人にとって、そこに生きる人々を守りたいという思いは幼い頃から、常に漠然としてあった。

 それを確固たるものに変えたきっかけが、その年の夏休みに訪れた海自佐世保基地で開催された、恒例のカレーフェスティバルだった。そこで出会った、1隻の戦闘艦。今は既に老朽化のため退役した、こんごう型イージス護衛艦1番艦「こんごう(DDG-173)」の当時の乗組員たちは、彼女たちの目にはキラキラと輝いて見えた。同時開催された体験航海に参加した後、彼らの国防にかける思いを肌で感じ取った2人は、下艦後にこんごう自慢のカレーを頬張りながら心に決める。自分たちも彼らのように、ともに海上自衛官としてこの海を守るのだと。

 しかし残念ながら、姉弟揃って防衛大学校に入学するというその夢が叶うことはなかった。結論から言えば、防衛大学校の採用試験には司のみがパスし、蒼は僅かに及ばなかったのだ。確かに陸海空を問わず、女性にとって自衛隊や防衛大学校は門戸の狭い組織ではある。その中で、蒼自身は十二分に手応えを感じられるパフォーマンスを試験において発揮したはずだった。

 だがこの年、運の悪いことに女性志望者のレベルが想像以上に高く、例年見ないほど競争率が激しくなる。点数だけなら合格圏に達した女性受験者の数は、定員枠を大きく上回り、しかもその大半がほとんど横一線だった。本来なら大学校側としても全員合格させたいところだが、学生に対しては給与を払って勉強させなければいけない事情も絡み、誰かを泣く泣くあぶれさせなければならない状況となったのだ。その枠に蒼も入ってしまったのだった。

 もちろん、吉報を期待していた蒼の失望は大きかった。そんな彼女に対して、佐世保に戻った時に「今度は一緒に海上保安大学校を受けないか」と誘ったのが、他ならぬ白金だったのだ。将来は海上自衛官となることが夢だった蒼や司に対し、彼女の夢は海上保安官となることだった。

 防衛大と海保大は、所轄官庁や学ぶ内容は微妙に違っても海自・海保内におけるそれぞれの位置づけはほとんど同じだ。しかも、海保大の方は定員増加に伴って、女子の入学者も増えている。その上、遠く横須賀まで行かなければならない防衛大に対し、海保大のキャンパスは呉だから地理的にもより佐世保と近い。そういった事情も勘案して、気持ちを切り替えた蒼は白金とともに海保大の採用試験に応募、今度は無事2人とも合格を果たしたのだった。

 彼らが学生である間、日本の国防体制は大きく変わった。アジア海洋戦争の終結後、陸海空自衛隊は日本国防軍に、海上保安庁は沿岸警備隊に再編される。そして図らずも、海自で使われていた階級制度はそっくりそのまま沿岸警備隊に輸入された。蒼は結果的に、かつて海上自衛官として名乗るはずだった「一等海佐」という階級を、奇しくも沿岸警備隊員として名乗ることとなったのだった。

 

 白金は、盟友の美しい横顔をじっと見つめていた。だが、その同性から見ても思わず惚れ惚れするような美貌の下には、ぐつぐつと煮えたぎるような反骨心が隠されていることを彼女はよく知っている。綺麗なバラにはトゲがあるのだ。

 夢を叶えたいと思って、その第一歩となる扉を開くために全力を尽くしたのに、それをこじ開けられなかった自分。元々の目標とはよく似た、それでも全く同じではない環境に舵を切りなおすことを余儀なくされた自分。その姿を鏡で見つめるたびに、蒼の心のどこかでは「夢を叶えた」者たちに対する劣等感が首をもたげてくる。そのコンプレックスの反動からくる向こうっ気をエネルギーとして、蒼は死に物狂いで日々の任務に身を捧げてきた。今までの日々はイメージとは異なり、決して華やかなものなどではなかった。

 だからこそ、沿岸警備隊員としての自分を他者から軽んじられ否定されることを、とりわけ海軍の人間からそうされることを蒼は絶対に許すことはない。司をして「夜叉のようだった」と評されたほどの激しい怒りを、彼女があの一連の事件において海軍の人間たちに対して露にしてきたのは、それこそが理由だったのだ。その彼女が、沿岸警備隊員としての自分を自ら否定しそうになる。それがいかに重い意味を持つことか。

 「違うわ。一番無力だったのは…、誰よりもこの私よ」

 ふと、しばらく押し黙っていた蒼がポツリと漏らす。その声が、どことなく震えているのに白金は気が付いた。

 「30歳で一佐に昇任して、時の人だの美人艦長だのと散々祭り上げられて。なのに、いざ実戦の舞台に立ってみたら失敗ばかり。艦長になってから任された任務で、納得のいく成果を挙げられたことなんて一度もない。オリオン事件も、第六十二円竜丸事件も、天津号事件も及第点なんて取れなかったのよ、私は」

 言葉を紡ぐうちに、彼女の声はどんどん涙声に変わっていった。その頬を、光る物が一筋流れていく。やがてそれは、溢れ出てついに止まらなくなった。

 「私は一体どうすればいいの。私は一体どこで間違えたの。こんなはずじゃなかったのに。教えてよ、弥生!!」

 慟哭し続ける親友の姿に、白金はただただ絶句するしかなかった。これだけ深い心の闇を抱えてしまった蒼を絶望の淵から救い出すのは、並大抵のことではない。そして、20年近い付き合いであるにもかかわらず、この局面で一体どのように声をかけるべきか、彼女には残念ながら思い浮かばなかった。完全に手詰まりになり、衝動的にあたりを見回した白金の目に、思わぬ人影が目に入る。

 「話は聞かせてもらいましたよ、艦長」

 声の主は葛城だった。だが、そこにいたのは彼女だけではない。沢渡、佐野倉、茶谷、黒川、灰原、我那覇…。ふそうクルーの主だった士官が勢ぞろいしていたのである。ようやく顔を挙げた蒼が、思わずその予想外の光景にぎょっとする。その彼女の前に跪いた葛城は、普段とは全く異なる口調で蒼に語り掛けた。

 「艦長、いや…、真行寺さん。うちはあんたよりも入隊が遅かったし、ずっと船務科でも上司と部下の関係やったさかい、あんたとはずっと敬語で話してきた。せやけど、人生ちゅう意味では幸か不幸かあんたよりは5年くらい長う生きてる先輩やさかい、無礼を承知でタメ口利かせてもらうわ」

 その思わぬ関西弁での物言いに、思わず白金が目を見開く。だがそれを意に介さず、大阪出身の葛城は真っすぐに蒼の目を見ながら話し続けた。

 「ぶっちゃけね、うちら年長組はあんたとは世代もちゃうし、考え方や価値観的にはかみ合わへん部分があるのは否めへん思てるわ。あんたは良うも悪うも今までの艦長像とは違うて、型破りなとこもあるしね」

 あんただって、年上の部下相手にやりづらい部分は正直あるやろうで。うちだって35、機関長なんて本人の前で申し訳あらへんけど、もう40のババアやで。なおかつ経験も薄い中でトップに座ってるんやさかい、そら苦労かてする。うもうリードできんで悩むことだってあるやろう。

 「せやけど、そないなあんたに対して時折愚痴を漏らすことはあったにせよ、あんたがふそう艦長として不適格な人間や言うて、その座からあんたを引きずりおろそうとうちらが一度でもしたことがあった?あらへんやろう。その理由がなんでか考えたことある?」

 葛城の言葉に、蒼は声をあげて泣くのをやめていた。なおも真っ赤になった目を潤ませたままの彼女に向かって、葛城はなおも夕日と同僚たちを背に語り続ける。

 「あんたより入隊が遅いさかい?曲がりなりにも階級が下の人間がそんなんしたら、反乱行為になるさかい?もちろんそれもあるわぁ。せやけどね、一番の理由はあんたがこの船でずっとやってきたことをうちらが見とって、それ認めてるさかいやで」

 実は、蒼がふそう艦長に抜擢されるにあたっては、若干の紆余曲折があった。元々「選考レース」の最有力候補とされていたのは、蒼ではなく機関長である茶谷の方だったのだ。年齢的にも艦内最年長でリーダーシップに長けていることはもちろん、その豊富な経験に裏打ちされたロジカルな思考力と準備の手際の良さという意味では、むしろ蒼よりも上を行くとさえ目されていたのが彼女だった。

 だが、沿岸警備艦の艦長抜擢にあたっての前提となる、一等海佐への昇任試験を茶谷は結局受験しなかった。機関科一筋でずっとやってきた自分は、エンジンや動力周りのことは分かっても、戦闘艦として最も重要な戦闘の部分を理解しきれていない。そういう人間が艦長をやるのは相応しくないと、自ら身を引いたのだ。その結果、昇任試験を受けた他の数少ない候補者の中で、残った蒼にお鉢が回ってきたのだった。

 「この春から艦長に就任したばっかりのあんたには、残念ながら絶対的な経験値が足りへん。せやけど、そら沿岸警備隊ができてから今までおっきな戦闘が起きてへん以上、先刻承知のこと。それ分かったうえで、うちらはあんたの潜在能力を認めて、あんたについていくと決めてリーダーとして担いどるんやで。支えてるうちらんためにも、自分をそうやって卑下するのはやめなはれ」

 「…、確かにご自分をあまり卑下されるのはよろしくないですね。少なくとも、あなたのおかげで命を救われた人間は間違いなくここにいるんですから」

 そこで、突然別の声が聞こえた。毎日のように耳にしているわけではないが、しかし確実に聞き覚えのある男性の声。そちらに顔を向けた瞬間、蒼の口から思わず「あっ」という声が漏れた。

 そこに立っていたのはオリオン号船長の若林と、一等航海士の真田だった。一緒に、火傷の手術跡が残る若い船員を連れている。おまけに柳田まで一緒だ。まさか、こんなところで彼らと再会するとは。しかし、なぜ…?

 「ご無沙汰しております、真行寺艦長。この間の事件で火傷を負ったうちの若いのが、ようやく退院できることになりましてね。ご挨拶に伺おうと思っていた時に、たまたま廊下で柳田二尉と落ち合いまして」

 「せっかくなのでお連れしてきてしまいました。お待たせしてすみません、そしてただいまです、艦長」

 若林の言葉に呼応するように、あの怪我が嘘のように綺麗に回復した柳田がペコリと頭を下げた。それを横目に見ながら、若林が再び口を開く。

 「あの潜水艦による攻撃で、我々は中東から運んできた積み荷の全てを船ごと失いました。それでも命だけはあなた方に救われ、攻撃してきた船まで撃退してもらった。だからこそ、オリオンを代表してこうしてあなたにご挨拶できてるんです。ふそうの皆さんが駆けつけてくれていなければ、今頃とっくに私たちも海の底だったでしょう」

 柳田二尉は、任務中に起きた連絡の不備で目に怪我を負われたと聞きました。それでも幸運にも失明まではせずに済み、おまけに綺麗に元通り治して戻ってこられた。最初は確かに不幸だったかもしれないが、こうして戻ってきたのだから喜ぶべきことでしょう。

 「ふぶきんことだって同じですばい、艦長」

 そこで援護射撃したのは灰原だった。

 「確かに、あん船では42人ん命が失われました。艦長が対処された事件ん中でも一番被害は大きかったです。だばってん、あん船には全部で104人も乗っとったばい。そん生存者62人のうち28人はふそうが救うたんですばい。あん時あん海におった海軍のどん船よりも、うちらが救うた命ん数は多かったんですばい。それば忘れてほしゅうはなか」

 「測量長…」

 蒼は、自分に対して投げかけられる言葉の数々に、ただただ呆気にとられる他なかった。自分は今まで、艦長になってから対処してきた事案は全て失敗だと結論付けてきた。ここができていなかった、自分はもっとうまくやれたはずだ。そういう自責の念に駆られてきたからだ。でも、実際には違う見方をしていた人々が少なからずいた。経験の浅さからくる不器用な舵取りでも、それに救われた人間が確かにいたのだ。

 「沿岸警備隊が海軍と比べてどうこうなんてね、はっきり言うてどうでもええねん。うちらはうちらなりに、この仕事に誇りをもって沿岸警備隊員やっとんねん。そうやろう?うちらん仕事を必要としてくれてる人、それに救われた人たちがおる。そのことを忘れてはあかん」

 葛城はそう言うと、一転して苦笑いを浮かべながら「どうせ担がなきゃいけない神輿なら、せめて景気よく担がせてくださいよ、艦長。私たちをその気にさせるのがあなたの仕事でしょ」と元通りの標準語で口にした。その言葉に、ようやく蒼の表情も緩む。そうだ、私たちにはやらなければいけない仕事があるんだ。それに期待してくれている人たちもいるんだ。ならば、後ろを振り向いている暇なんてない。自らに課せられた使命を果たすべく全力を尽くすことでしか、その期待に応えることはできないのだから。

 「皆ごめん、そしてありがとう。若林船長に真田さんも、ありがとうございました。おかげで気が晴れました。今後とも、何卒よろしくお願いします」

 そう言うと、蒼は立ち上がって深々と一礼した。その彼女を、温かい笑顔が包み込む。絶望の淵から何とか這い上がった蒼は、自らの職責を果たすことに邁進すべく再び前を向いて歩み始めたのだった。




今回の最大のサプライズ要素は、蒼が実は元々国防海軍(正確にはその前身となる海自)に入りたがっていたという点だと思っています。その後紆余曲折を経て今の地位を手にしただけに、国防海軍の軍人にマウンティングされるのは我慢がならないというわけですね。ただ、結果的に今は基準排水量7700トン級の戦闘艦の艦長にまで上り詰めているので、その意味では立派に成功しているのだと思いますが。

若林と真田には、このタイミングでもう一度出てきてもらう予定でいました。残念ながら若林しか喋ってませんが…。過去に自分が命を救った人物に違う意味で救われる、これが人の世の常なのかもしれませんね。

次回は一応戦闘回になる予定です。もう一回、かなり大きめのサプライズを入れる予定でいますのでお楽しみに。それではまたお会いしましょう。


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第六章:リベンジ(後篇)

どうも、R提督です。今回は戦闘に入れるかなと思ったのですが、残念ながらそこまではいきませんでした。その代わり、前回予告したサプライズ要素はきっちりと入れてあります。どうぞお楽しみに。それではどうぞ。

※11/5追記
元々本投稿分は「第六章:リベンジ(中編その1)」というタイトルでアップロードしていましたが、章立ての都合により「リベンジ(後篇)」に変更させていただきます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。


 長崎市のマリタイム・デベロップメント株式会社修理ドック。先日の戦闘で被弾し、入渠を余儀なくされた艦艇の状況視察に訪れた肥後の表情は、明らかに曇っていた。

 天津号に仕掛けられたECMの破壊を端緒とする戦闘をきっかけに、日東両国間では散発的な戦闘が続いていた。どちらかと言えば、それによってより痛手を被ったのは日本側だろう。その損害は、空母しょうかくを旗艦とする第2護衛隊群の臨時再編を余儀なくされるほど、甚大なものとなっている。早い話が、艦隊を編成するための艦艇の数が足りなくなってしまったのだ。

 海上自衛隊時代から変わらず、国防海軍の艦隊編成は基本的に8艦8機体制を採っている。第2護衛隊群の場合、構成艦はしょうかくを中心に対空戦担当としてはるなとはつづき、対水上戦担当としてやはぎ型駆逐艦1番艦「やはぎ(DD-159)」及びむつき型駆逐艦2番艦「きさらぎ(DD-126)」、対潜戦及び機雷戦担当としてかげろう型駆逐艦3番艦「のわき(DD-165)」、ふぶき、しらゆきの8隻。加えて、ここにひりゅうを筆頭とする潜水艦隊が合流し、対空・対潜・対水上・対地の全フェーズに対応する体制が完成することとなる。

 ところが今、この第2護衛隊群は水上部隊の数が揃わない状態に陥ってしまった。特に深刻なのはやはぎときさらぎの損傷だ。度重なる出撃と、現場に急行するたびに「最大戦速」や「前進一杯」が下令される無理な操艦によって、両艦の機関は著しい金属疲労を起こしていた。きさらぎはある戦闘で機関が破断し、急遽人力で海域を離脱するさなかにヘリ格納庫にも被弾。航空運用能力まで喪失する羽目になった。

 もちろんふぶきも沈められている現状、8艦のうち3艦が既に欠けた状況というまさに非常事態。おまけに運の悪いことに、昨晩には中国地方で集中豪雨が発生。この影響で瀬戸内海にも大量の土砂が流れ込み、佐世保から最も距離的に近い呉からの救援も事実上受けられなくなってしまったのである。

 穴埋めの選択肢が全くないわけではない。偶然にも、呉の所属艦の中では唯一母港を離れていたイージス艦ひえいは、西方の急を知らされるや直ちに佐世保に入港し、やはぎの代役として艦隊に加入。きさらぎの代役には、かしま型練習艦2番艦「かしい(TV-3520)」を練習艦籍のまま、きさらぎの乗員をそのまま乗り込ませることで無理やりあてがった。だがこれを以てしてもあと1隻、ふぶきに代わる対潜戦担当及び正規の駆逐艦勢に比べて攻撃力の低いかしいのバックアップ役を兼任するための艦が、どうしても足りないのだ。

 ここで、肥後の頭の中にあったのは2つの選択肢だった。1つは、舞鶴から対潜戦に長けた駆逐艦もしくはフリゲートを、ひえいと同じように臨時で佐世保に送り込ませること。もう1つは、7隻のまま出撃させてどれかの艦に2つの戦闘局面を掛け持ちさせることだ。どちらにも一長一短はあった。前者であれば艦の数は足りるが、その分出撃できるまでに時間はかかる。後者の場合は号令1つですぐにでも出撃可能だが、物理的に数が足りない以上局面のどこかで相手に対してスキが生まれることになる。果たしてどちらを取るべきか。主機を損傷したやはぎの修理に立ち会いながら、肥後はずっとそんなことを考えていたのだった。

 だがこの時、彼の目の前には「第3の選択肢」をわざわざ投げかけに来た男がいた。艦艇乗りとして、本来ならここではなく佐世保にいるのだと思っていた人間が、それを自分に伝えたいがために長崎まで出張ってきたのである。猪突猛進タイプと聞いてはいたが、いくら何でもここまでとは肥後とて予想していない。自分にかみついてきた姉と言い、この姉弟が持つ型破りさやクソ度胸は一体どこから生まれてくるのだ。

 「ふぶきん代役が必要なら、舞鶴からわざわざ借ってこんでんよかでしょう、群司令」

 津軽や日向からの上陸許可を得てまで、佐世保から遥々追いかけてきたという司の言葉に、肥後も付き添いの但馬も怪訝そうな表情を浮かべた。

 「こんなところまで押しかけてきたと思ったら、何を言っているんだ真行寺。ひえいを除く呉の所属艦は、例の集中豪雨の影響で佐世保には派遣できないと決まっただろう。それを受けての次善の策としての舞鶴だぞ。それ以外に、一体どこの護衛隊群や地方隊から支援を頼むんだ。お前のいた横須賀から借りてくるとでも言うつもりか?」

 但馬の言葉に、司は首を横に振った。

 「違いますよ、主席幕僚。1隻既におるやなかですか、こん佐世保に。我がはるなやひえいと同等規模んサイズと、()()()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一瞬、肥後と但馬はその言葉の意味が分からず、お互いの顔を見合わせた。だが、司が言う戦闘艦がどの船のことを指しているのかを理解した瞬間、但馬がたまらず大声を上げた。

 「真行寺!!お前、自分が一体何を言ってるのか理解してるのか!?」

 「もちろん分かっとります。おいだって、何もトチ狂うてこがんことしよーわけじゃなかばい。うちん艦長も副長も、これば具申することば認めてくださったけんこそおいはここにおるばい」

 司は真顔で頷いた。

 「少佐ん分際で、おいが群司令にこがん形で意見具申するのが無礼千万なんは承知しとります。ばってん、こうなった以上我々国防海軍だけで何とかするんは難しかとも事実でしょう。沿岸警備隊が我が海軍ん特別部局であるなら、そして彼らが我々にも負けん力ば持つ戦闘艦ば保有しよーなら、今こそそん力ば借るべきやなかですか」

 そこで突然、司は意を決したように頭を勢い良く下げた。

 「幸い、偶然にもあん船ん艦長はおいん実ん姉ばい。動かそうと思えばいくらでも話は通せるけん、おいに彼らと話ばさせてくれん!!お願いします!!」

 しばしの沈黙の後、口を開いたのは肥後だった。

 「頭を上げたまえ、真行寺少佐」

 言葉通り顔を上げた司の目に、肥後の顔が飛び込んでくる。その口元には、何故かほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。

 「貴官のこの度のやり方は主席幕僚の言う通り、日本国防海軍の軍人としては決して褒められたものではない。いくら艦長や副長から上陸許可を得てのこととはいえ、規律違反とのそしりは免れんだろう。とはいえこの緊急事態、今の我が軍に何が不足していて、それを解決するために自分なりに何ができるかを考え、そのアイデアを俺に対して身を挺して伝えに来た姿勢自体は評価も出来よう。その行動力と心意気は言い値で買ってやる」

 思わぬ上官の言葉に目を見開いた司に対して、「だがな」と肥後はすかさず釘を刺した。

 「たとえお前をその言葉通り交渉役にあてがい、お前の姉が2つ返事で出撃を了承したとしても、沿岸警備隊の船はそれだけで我々が勝手に動かせるものではない。天津号の時は、あくまでも外部協力者という位置づけだったからその必要はなかったが、同じ海軍艦隊に組み込むならばまず沿岸警備隊そのものを総理の命令で、海軍の指揮下に置く手順を踏まねばならん。指揮系統が異なるがために、散々彼らとの間で今までもめたことを、まさか当事者のお前が忘れたとは言わせんぞ」

 「そりゃ、確かにおっしゃる通りばってん…」

 「それにな、よしんば国交省や沿岸警備隊中央司令部がそれを了承したとしても、ふそうは我々海軍の船と完全に同等には戦えん」

 お前もはるなの乗員として認識しているはずだ、ふそうにはミサイルを用いての攻撃能力がないと。あの船には、VLSもキャニスターもアスロックランチャーもない。ミサイル運用能力がなかったがために、先の戦闘でも自身に対する攻撃を主砲で迎撃するのが精いっぱいだったと報告が上がっている。お前もそれは現場で見ているだろう。

 「身内が乗っている船である以上、お前がそう提案する気持ちも分かる。だが実際のところ、能力的にも効率的にもあの船をふぶきの穴埋めとしてあてがうのは非現実的なのだ。せっかくわざわざ追いかけてきた結果、こういう回答しか与えてやれんのは残念だがな」

 肥後の非情な通告に、司が思わず肩を落としたその時。

 

 「ふそうなら、ミサイル戦やらせようと思えば出来ますけど?」

 

 突然、思わぬところから声がした。何事かとあたりを見回した肥後の目に、但馬でも司でもない1人の男の姿が映る。思わずため息が漏れた。

 「近江さん。いくらお世話になっている取引先の方とはいえ、民間人が軍の作戦計画を盗み聞きとは流石にいただけませんな」

 「盗み聞きとは人聞きの悪い。そんな大声で喋っていたら、そんな気がなくても嫌でも聞こえますよ。そもそも、こんなところで作戦計画についてあれこれ云々している皆さんの方が問題なのでは?まぁ、弊社にはちゃんと顧客に対して守秘義務がありますし、ましてや海軍の内部情報なんて絶対に漏らしやしないですけどね。私らも愛国者なもんで」

 そう言って、悪びれもせずに肩をすくめる近江の姿に、肥後も但馬も苦い顔を浮かべるしかなかった。一瞬、司の方に恨めしそうな視線が向く。全く、こいつが本来の業務をぶっちぎって追いかけてきさえしなければ…。

 「…、まぁいいでしょう。で、出来るとは一体どういうことです?」

 苦虫をかみつぶしたような顔で肥後が尋ねると、近江は得意そうな笑みを口元に浮かべる。その顔には、エンジニアとしてのプライドが垣間見えた。

 「海軍さんも沿岸警備隊さんも、弊社にとってはどちらも大事なお客様です。そして、ふそうは8年前に自分がチーフとして建造に携わった船。あれも軍艦として建造した手前、もしもの時のために工夫は凝らしておいたんですよ。()()()()()()()()()()()、ってね」

 

 「まさか、あのスペースがこんな形で使われることになるなんてね…。びっくりだわ」

 蒼は、岸壁からふそうを見上げながら思わずそう呟いた。その視線の先には、艦橋構造物と煙突の間に置かれた見慣れない兵装が姿を見せている。近江の発案により追加搭載された90式艦対艦誘導弾、通称SSM-1Bのキャニスターだ。

 沿岸警備艦に対艦ミサイルを搭載するというアイデアは、あるアメリカの船から着想を得たものだ。ふそう型の建造に当たって設計思想の範となった、アメリカ沿岸警備隊のバーソルフ級カッター。その1世代前に当たるハミルトン級には、全艦に対してハープーン艦対艦ミサイルの運用能力が与えられた。1990年1月16日には、3番艦「メロン(WHEC-717)」による実射試験も行われている。

 その後12隻中5隻が実際にミサイルを搭載するも、2001年までには全て撤去されることとなったハープーン。だがこれをヒントに、マリタイム・デベロップメントはひそかにミサイル運用能力をふそう型にも盛り込んでいた。増設したキャニスターを、通常は使用しないCICの発射管制装置と接続さえすれば、少なくとも対水上戦闘は海軍と全く同じようにできるようになる。もちろんVLSまでは増設できないから対空戦闘は無理だが、これだけでもふそうにとっては大幅な武装強化と言えるだろう。

 だが、単にキャニスターを載せて接続しただけでは実戦レベルでの運用は難しい。なぜなら、再三述べている通り通常ミサイル戦闘をやらない沿岸警備隊には、そのような訓練を積んだ隊員は存在しないためだ。実際にこれを取り扱うためには、臨時に海軍からミサイル要員を運用担当として乗艦させる必要があった。

 その「裏技」を可能にしたのがMOSADである。モサドと言っても、イスラエルの情報機関のことではない。Maritime Officers Studies And Development、日本語に直せば「海軍・沿岸警備隊士官留学育成制度」の頭文字をとったもの。早い話が、「海の守り」を司る国防海軍と沿岸警備隊の間で定期的に行われる、相互交流と人材育成、情報共有などを目的とした人材派遣制度のことだ。

 この制度によって派遣された士官は、相手先でも派遣元の階級を名乗り俸給制度も元の所属に基づくものの、派遣期間中は一時的に派遣先の士官名簿に名前が記載され、任務に参加する際は派遣先の指揮下に入ることとなる。先のいざこざの余波で、佐世保に関しては一時的にこの制度の運用が中止される可能性もあったのだが、実際に運用が停止に追い込まれるには至らなかった。

 結果的には、その判断は大いに功を奏することとなる。このMOSADを利用して、沈没したふぶきから河内、長門、岩代の3名がふそうに臨時で乗艦し、ミサイル要員及び通信員として乗務することが決まったからだ。ここまでスムーズに事が運んだのは、これを提案した近江が身内の人脈を生かして、町田に直接両軍の統合運用を提案したこともプラスに働いたそうだ。

 「昔、海賊対処任務のために海自護衛艦に海上保安官を乗り込ませて乗務させていたという話は聞いたことがあったけど、まさかこんな逆パターンが存在したとはね」

 蒼の言葉に河内が同調する。彼の背後には、既に長門と岩代も待機していた。

 「まぁ、人類の発想力って奴にはつくづく驚かされるけど、こんな飛び道具を使うのはできれば最初で最後にしてもらいたいね。今回はやむを得ない措置とはいえ、これが普通になったらお互いの計画がまるっきり無意味になってしまう」

 「当たり前や。こがんもん、裏技に裏技ば重ねたウルトラC以外ん何物でもなか。今回は仕方なかとして、こがんやり方がしょっちゅう発動しとってたまるか」

 頭の後ろで手を組みながら艦上を見上げる司が、河内の言葉にすかさずツッコミを入れる。だが、直後にそれにやり返したのは蒼だ。

 「あんたが言えた口やなかやろ。そもそも、海軍と一緒に出撃してくれと頼み込んできたんはあんたやなかと」

 「出撃してくれとは頼んだばってん、まさか対艦ミサイルば搭載する方法があるとまでは知らんかったぞ」

 突然始まった姉弟での漫才に、ふぶきからやってきた3人は苦笑いするしかなかった。

 「まぁでも、確かに沿岸警備隊としてもこれがしょっちゅう起きるべきではないというのは全く同意ね。今回はこうすると決まった以上、全力を尽くすのみだけど」

 蒼はそう口にすると、左手首にした腕時計に一瞬目をやった。そろそろ乗艦して準備を始めるべき頃だ。

 「司、それじゃそろそろ彼らば艦内に案内するけん。見送りありがとうね」

 「おう」

 「いざとかう時はそっちんイージスシステムにも頼らせてもらうけん。バックアップ頼んだばい」

 「任せとけ」

 司はそう答えると、敬礼した後自分を待つはるなの方へと去っていった。それを見送った後、蒼も河内以下2名を伴ってふそうのラッタルを上り始める。

 「そう言えば、弟さんとの間で話す時は方言なんですね、艦長」

 自分のすぐ後ろを上りながら、河内がふと蒼に声をかける。敬語調のその言葉遣いもさることながら、臨時ミサイル長としてふそうに派遣された今、自分のことを「真行寺一佐」ではなく「艦長」と彼が呼んでいるのが、蒼はどこかこそばゆかった。

 「二卵性双生児だからそこまで顔は似てなくても、血を分けた双子の弟だからね。身内相手じゃ、標準語で話すのは逆に慣れなくて」

 ラッタルを上り切った3人を幹部会議室に通すと、そこには既にふそうの幹部たち全員が勢揃いしていた。河内、長門、岩代が整列したのを見計らって、全員がその場で敬礼を交わす。

 「国防海軍少佐、河内翔他2名。本日よりふそうにてお世話になります。フリゲート・ふぶきを代表して共に乗務できること、光栄に存じます。何卒宜しくお願い致します」

 「改めまして。沿岸警備隊一等海佐、真行寺蒼。ようこそ我が沿岸警備艦ふそうへ。本艦乗員を代表し、貴官らの乗艦を心から歓迎します」

 蒼は河内に向き直ってそう言うと、部下たちを背にしながら断固とした口調で告げた。

 「艦長として、最初にはっきりとお伝えしておきます。今回、あなた方には人材交流のためではなく、戦闘要員として乗艦してもらいます。従って、MOSADに基づいて受け入れるからといって、我々はあなた方をゲストとして扱うつもりはありません。あくまでも正規の乗員と同様に接するので、そちらもそのつもりでいるように」

 3人が頷いたのに引き続いて、沢渡が彼らに対して着席を促した後、ふそうでの職務についてのレクチャーを始めた。CICでの配置や乗艦中の職務内容、艦内生活において心得ておくべきことなど。それらの説明が一通り終わった頃、蒼が「それと…、ここからはあまり堅くないけど、非常に大事な話をしましょうか」と再び口を開く。その口元には、何やら悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 「先日あなた方を救助した際は、そこまで気を回す余裕はなかっただろうけど、見ての通りうちの乗員は腕も確かだけど、女としてもなかなかの綺麗どころ揃いよ。それも、我々のような上級幹部から二等海士に至るまでね」

 突然一体何を言い出すのか、と思わず怪訝そうな表情を浮かべた幹部たちの目前で、なおも蒼は言葉を続ける。

 「今は女性隊員しか乗っていないこの船も、去年までは男性隊員も普通に乗せていた。だから、あなたたちが思っている以上に私たちは男性軍人の扱いには慣れているわ。彼らがいた頃は、お目当ての美人についつい目が行ってた海曹士は珍しくなかった。それと気づかずに間違えて女湯の脱衣所に入ってしまう、なんてミスをしでかす子もいたわね。かくいう私も『被害者』になったことがあったけど」

 その言葉の真意をようやく理解した一部の幹部たちが含み笑いを漏らし、元ふぶき乗員たちが思わず苦笑いを浮かべるのを見ながら、蒼はニヤリと笑った。

 「ここは女ばかり248人が働く船、あなたたちもひょっとしたら同じようなことをしてしまうかもしれない。当然そういう事案が起こらないに越したことはないけど、万が一の場合も仕事に影響のないよう解決してくれれば、こちらとしてもその手のミスを多少は大目に見る程度の度量はあるわ。その代わり、綺麗な女の子に見とれてて任務どころではないなんて状況になったら…、その時は容赦なく魚の餌にするからね」

 そのセリフに思わず吹き出した者がいた。河内だった。ひとしきり大声で笑った後、何事かと幹部たちが見つめる前でその口を開く。

 「なるほど、これから命がけの作戦に向かおうという艦内で、まだそういうセリフを吐けるだけの精神的余裕が艦長にはおありと。確かに、そういう人がトップであるなら背後は安心して預けられそうだ」

 そう言うと、河内は自信ありげな笑みを浮かべた。

 「ご安心を、我々はあなた方にご迷惑などおかけしませんよ。我々はあなた方に命を救われた恩を返しに来たのです。この船に救出された28名の乗員の代表としてね」

 実は、この3人の派遣が決まるまでの間には、ちょっとしたエピソードがある。「ふそうが第2護衛隊群へ臨時加入するにあたって、追加の乗員を求めている」という知らせが入るや否や、測量隊に命を救われた28名全員がこぞって乗艦を志願したのだ。

 だが、今回必要なのはあくまでもミサイル要員。ふそうには彼ら全員を受け入れるだけの余裕はなく(実際、救出作戦の後は乗艦人数が定員を大幅に上回ってしまい、色々と苦労を強いられた)、結果的に彼らの思いは汲みつつも泣く泣く乗艦を断ったという経緯があった。それだけ、この3人にしても自らに課せられた使命への思いは強いのだ。

 「彼らが今回こぞって乗艦を志願したのは、単にあなた方がお綺麗な方々ばかりだからというわけではありません。それ以上に、命拾いさせてもらった船に何もせずにはいられないという思いが強いんですよ。まぁ、我々も健全な男ですから全くその点を意識しなかったとまでは言いませんがね」

 河内はそう珍しく軽口をたたくと、すぐにシリアスな表情を浮かべた。

 「せっかくこうして縁あって乗せてもらった以上、我々は手ぶらでは帰りません。必ず、皆さんと共に戦い作戦を成功させてみせる。その一心でやらせていただきます。何卒、よろしくお願いします」

 

 「ソシレソー、ソシレソー、ソシレソーシレッレレー♪」

 「出港用意!!」

 佐世保港に次々と出港ラッパが鳴り響き、新編成となった第2護衛隊群の所属艦たちが順番に岸壁を立っていく。その光景を、蒼は艦橋からじっと見つめていた。

 航海当番の誰もが、いつもとはまた違った質の緊張感を感じつつ己の持ち場についていた。これから自分たちがやるのは、国防海軍艦隊の一員としての戦闘。課せられたのは、上海郊外に設けられたミサイル基地を空爆する、しょうかく艦載機のF-35Cに対する支援任務である。初めて手掛ける内容の任務に、皆が不思議な胸の高まりを感じていた。

 「艦長、出港ラッパですがどうします?」

 不意に、ラッパを手に構えていた桜井が蒼に尋ねる。その言葉の意味が分からず、思わず聞き返した。

 「どうするって、何が?」

 「海軍士官の皆さんを乗せて、海軍艦隊の一員として行くんでしょう。艦長のご命令とあれば、海軍バージョンのメロディで吹かせていただきますが」

 「あら、あなた海軍のメロディでも出港ラッパ吹けるの?」

 「いつも遊びで吹いてますんで。何なら海軍バージョンの方が簡単ですよ」

 そう答える桜井の顔は、どこか得意げですらある。その突飛にも聞こえる提案に、蒼は思わず含み笑いを漏らした。

 「面白いこと言うわね。そういう柔軟な発想、私は嫌いじゃないわよ。これからも大事にしなさい」

 その言葉に、桜井がペコリと頭を下げたのを見て、蒼は改めて首を横に振った。

 「でも大丈夫、その必要はないわ。いつもと違う任務であっても、出港はいつも通りやりましょう。私たちはあくまでも、日本国沿岸警備隊の代表として行くのだから」

 その言葉に、やりとりを聞いていた他の士官たちが一斉に笑みを浮かべる。桜井も、納得したように表情を引き締めた。そう、それでいいのだ。このセリフが言えるなら、それこそが真行寺蒼という軍人のあるべき姿なのだから。大丈夫、我々の艦長には迷いも恐れも必要ない。

 「舫、6番放しました!!」

 艦橋に声が響いた。蒼は頷くと、いつものように声を張り上げた。

 「これより佐世保港を出港する。ラッパ用意!!」

 「ソーソッソシーシッシ、レーレッレソーソレーレ、ソーソッソシーシッシ、レーレッレソッシソー♪」

 「出港用意!!」




ふそうへの対艦ミサイルSSM-1Bの搭載は、この作品の構想段階からずっと温めていたアイデアでした。「海軍が運用する艦隊の構成艦が足りなくなり、やむを得ずしばらく喧嘩していた沿岸警備隊の船に武装強化を施して、ともに出撃する」という話を、このNeptuneという作品では書きたかったのです。

今までは仕事上のパートナーとして、その関係を秘匿しつつ協力し合ってきた蒼と河内が、初めて同じ船に乗り込み堂々と協力し合うことになる次回。次が文字通りのクライマックスとなる予定で考えています。完結まで残り少ないですが、最後までお楽しみいただけると嬉しいです。それではまたお会いしましょう。


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最終決戦
第七章:最終決戦(前篇)


ご無沙汰しています、R提督です。しばらく自分の就職活動が忙しくなっており、期間限定ながらネット環境のない環境でのバイトなどもしていたため、投稿する機会が全然ありませんでした。まさか半年も間隔があくことになるとは思ってませんでしたが…。

今回より、本作のクライマックスとなる戦闘のシーンを描いていきます。なお、今回は戦闘シーンとは直接関係なく、序盤で一部R-15程度のお色気描写がありますので予めご承知おきください。それではどうぞ。


※11/5追記
元々本投稿分は「第六章:リベンジ(中編その2)」というタイトルでアップロードしていましたが、章立ての都合により「第七章:最終決戦(前篇)」に変更させていただきます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。


 時計の針を少し巻き戻して、河内たち海軍からの派遣士官3名がふそうに乗り込んだその日の夜のこと。艦内通路を連れ立って歩いていた紺野と桜井を、後ろから呼び止めた者がいた。

 「失礼、紺野士長と桜井士長だよね」

 「…、長門中尉!?お疲れ様です」

 2人の視線の先に立っていたのは、追悼式で儀じょう隊の隊長を務めていた長門だった。既に課業終了後とあって、今は日中着ていた制服は脱いで、ラフなスウェット姿だ。士官学校上がりの27歳、その姿からは1人の今どきの若者という雰囲気が漂っている。

 「その節はどうもお世話になりました。まさかここでまたお会いすることになるなんて」

 「こちらこそ。俺も、まさか君らの船に乗ることになるとは思ってなかったよ」

 長門はそう答えると、一度大きく息を吐きだした。

 「この間の追悼式の時、正直言って君たちには驚かされた。何せいきなり俺らの儀じょう隊に呼ばれたのに、一連の流れを何から何まで完コピしてきたんだから。まさか、あそこまですんなり合わせてくるとは思わなかった」

 「まぁ、ウチにも儀じょう隊はありますし、礼式は沿岸警備隊も海軍も基本的に一緒なので。制服のデザインまでは流石に統一できないですけどね」

 桜井が笑うと、長門もその口元に一瞬笑みを浮かべた。だが、その表情は瞬時に真剣なものに変わる。

 「俺たちふぶきの元乗員は、艦長だった河内少佐も含めて元々君たちふそう乗員に対してそこまで反感は持ってなかった。少佐が君らの艦長に情報を流してたと知った時は、流石に驚いたけどな。そして、縁あって俺たちは君らに命を救われた。だからこそ、俺たちには君たちとともに全力を尽くす義務があるんだ。お互いの所属を超えてね」

 「長門中尉…」

 驚いて目を見張る2人の前で、長門はなおも言葉を続ける。

 「俺は君たちよりも年齢も階級も上だけど、この船では君たちの方が先輩だ。砲雷科配属になったから部署も分隊も違うが、君らからもこの船のことは色々教えてもらえると助かる。…、お互い精一杯頑張ろうな」

 その言葉に、紺野と桜井はお互いに顔を見合わせる。だがそれは、長門の言葉に対する疑念などからくるものではなく、喜びに満ち溢れたものだった。もちろん、海軍と沿岸警備隊の間に存在した亀裂やわだかまりが、半ば強制的にとはいえ過去のものになっていることは2人とて知っている。だが現場の人間同士が、自分自身の言葉でこうして思いのたけを語る機会は、今までそれほど多くはなかったのだ。「雪解け」を真の意味で実感できたこと、それが2人にとっては何よりも嬉しかった。

 「はいっ、こちらこそ!!」

 喜色満面で頷くと、長門はそれにまた笑顔で頷いてから、ふと2人に対して尋ねた。

 「ところで、第一士官浴室があるのはこの区画でよかったんだっけ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と副長に言われて来たんだけど」

 「えぇ、浴室ならそこの角を曲がってすぐですよ」

 紺野が、自分の背後にある曲がり角を指さしながら答える。

 「サンキュー、助かった。それじゃな」

 軽く手を挙げながらそう礼を言うと、言われた通りの方角に歩いていく長門。その姿を確認した2人は、その場に立ち止まったまま静かに含み笑いを漏らす。残念ながら彼は知る由もないが、「ちょうど今は空けているから風呂に入って来い」は、この船においてはフラグ発言なのだ。それから約20秒後のこと。

 

 「うわあああああああ!!!!!?????なんで、なんでここに測量長と柳田二尉が!?」

 

 向こうから聞こえてきたのは、つい今まで冷静そのものだったとは思えないほどの長門の素っ頓狂な叫び声と、腰を抜かし転倒したはずみで脱衣所内の備品が床に落ちる音。そして、MOSADの関係で男性海軍士官を乗せた際には通過儀礼として必ず行われる、ふそう幹部による恒例の「全裸ドッキリ」の仕掛け人として事前に立候補し、揃って脱衣所で彼を一糸まとわぬ姿で待ち伏せしていた灰原と柳田の大爆笑だった。

 今や事実上の女性隊員専用艦となり、男性隊員専用の浴室を持たないふそう。それでも任務の必要上男性士官を乗せる際は、当然女性士官とは時間を区切って入れ替え制で入浴させることになる。しかし男女比が圧倒的に女性優位なことから、貴重な隙間時間を有効活用するために間を置かず入れ替えを行う都合上、臨機応変に入浴時間が変わることによる指示の行き違いが原因で、脱衣所に入ってきた男性士官が風呂上り直後の女性士官と「エンカウント」してしまう事態も、この船では実は結構な頻度で起きることだ。

 当初こそ、「艦内風紀にかかわる重大事案」として発覚次第取り締まっていたふそうの幹部たちも、何度対策を講じても一向に撲滅の気配すらないのでそのうちとうとう開き直ってしまい、「どうせ防げないなら、いかにお互いその場を穏便に済ませるかに注力しよう」と、事実上その手の事案発生を容認する方向に舵を切った。そうした状況下での対応方法を初日のうちに臨時乗員に教えこむと同時に、まだこの船では右も左も分からない彼らをからかいつつも、その同乗を歓迎するために始めたのがこのドッキリだ。

 イベント自体は艦長の蒼から、紺野や桜井ら末端の海士に至るまで全員がグルだが、そもそも男性士官とは浴室を共用しない海曹士は、ドッキリの存在を隠しておくところまでが役目。実際に待ち伏せする仕掛け人は、ここでの乗務にも慣れた二尉以上の幹部の仕事である。何の前触れもなく、いきなり目の前に美人でスタイル抜群の上官が素っ裸で現れ、どう反応していいか分からずにうろたえる若い男性士官を正規メンバー全員で笑いものにするのが、合流初日の夜におけるふそうの風物詩だった。

 元々、この船では女性隊員の方が優位な分メンタル的にも余裕があるし、過去に散々事故を起こされているだけあって場数だけは踏んでいるので、こうした悪戯に対する精神的なハードルは案外高くない。自分の女性としての魅力をそれなりに自覚している幹部も多く、エリート気質揃いの海軍士官をちょっとばかり困らせてやるためなら、自ら肌を晒す行為もむしろ「度胸試しを兼ねた洋上の娯楽」として面白がれるのが彼女たちだ。

 悪戯好きの灰原と柳田もそんな一人であり、今回も目のやり場に困る長門を散々いじり倒すなど終始ノリノリだった。毎回効果てきめんのこのドッキリがこの2人は特にお気に入りで、「普段どんなにすましたエリートでも、必ず素に戻って本気で腰を抜かすのが楽しい」と、今のところ止める気は毛頭ないらしい。

 なんだかんだ2人とも結構な美形でスタイルもいいので、ターゲットにされた長門からしてもある意味夢のような話だが、何せ刺激が強すぎて彼は消灯後もすぐには寝つけないかもしれない。そんな他愛のない悪戯が成功裏に終わったのを見届けてから、紺野と桜井は笑いをかみ殺しながらその場を去ったのだった。

 

 時間軸は元に戻って、出撃当日。

 「右舷前方にしょうかく視認!!」

 艦橋で見張りに立っていた紺野が声を上げる。その声に促されてそちらの方角に目をやった蒼は、思わず呟いた。

 「いつ見ても流石の存在感ね…。まさに黒鉄の城だわ」

 日本国防海軍第2護衛隊群旗艦・しょうかく。同名の空母としては3代目、進水にまで至った日本の正規空母としては、大日本帝国海軍の雲龍型航空母艦3番艦「葛城(2代目)」以来という同艦は、日本の軍事史における1つの転換点を作った船だ。基準排水量2万8000トン、満載排水量3万2000トンというその巨大な艦体は、いつでも見る者の視線を釘付けにする。9度の傾斜が付いたアングルド・デッキ型の飛行甲板には、エレベーターで運び上げられたF-35Cステルス戦闘機が、既に何機か姿を見せていた。

 「艦橋、CIC。しょうかくより入電」

 葛城の報告が上がる。

 「繋いで頂戴」

 「ハッ」

 その返答があってからまもなく、聞こえてきたのは群司令としてしょうかくに自ら乗艦した、肥後の声だった。

 「こちらマイティクレーンCDC(戦闘管制室)、Welcome ネプチューン。武運を祈る」

 「マイティクレーン、ネプチューン。お出迎え感謝します」

 その言葉に口元に笑みを浮かべた蒼の方も、コールサインを使って返答する。だが、呼びかけてきたのはしょうかくだけではなかった。

 「ネプチューン、オーシャンクイーン。前回のように対空目標には構わなくて結構。本艦隊に対するミサイル攻撃への対処は、原則として我々イージス組が引き受ける。貴艦は対潜戦闘及びシーファントム(かしい)のバックアップに注力されたし」

 はるな副長の日向が釘をさす。確かに今回は、はるな・ひえいと最新イージス艦であるはるな型の2隻が図らずも顔を揃え、彼らの個艦防御役として防空駆逐艦はつづきもいる。もちろん、しょうかくにも国防空軍の第85航空団が合流済だ。この状況で、ふそうがわざわざ不得手な対空戦にでしゃばる必要性はないだろう。

 「ネプチューン、シーファントム。本艦も武装強化は施してきましたが、なにぶん突貫工事であるのは否めません。貴艦の主砲とワンビーを頼りにしています、背後をよろしく」

 かしいの臨時艦長として、急遽きさらぎから移乗することとなった土佐恵吾中佐も交信を入れてきた。かしいには本来の艦長を筆頭とする正規の乗員に代わって、きさらぎクルーを乗せているという事情もある。やむを得ない措置とはいえ、「他人の船」をおいそれとは沈めたくないという思いは当然あるだろう。

 「ネプチューン、了解。ご期待に応えられるよう最善を尽くします」

 蒼がそう応じてからしばらく。改まった口調で、肥後が第2護衛隊群全艦に対して呼び掛ける声が聞こえてきた。

 「群司令より全艦に達する。これより、オペレーション・イーグルを発動する。全艦、航空機即時待機。対潜・対空・対水上見張りを厳となせ」

 オペレーション・イーグル(鷲作戦)。しょうかくから飛び立ったF-35Cによる、過去に六本木に向けて攻撃を仕掛けてきた敵拠点である、東亜ロケット軍上海ミサイル基地の空爆と破壊がその目的だ。ここを叩くことができれば、当分東亜からの日本に対する更なる攻撃の脅威は除去できる。天津号を葬り去ったのも、この作戦の実行こそが目的だった。

 だが、当然東亜側も日本側の意図は見透かしているだろう。10年前に一度苦杯をなめたとはいえ、これ以上周辺諸国に舐められまいと死ぬ気で妨害を仕掛けてくるはずだ。我々の役目は、艦隊決戦で敵方の攻撃を封じ込めることにより、尖兵である味方航空機を守り抜くことである。

 既に賽は投げられた。蒼はしょうかくからの指示を聞き終えると、すぐに艦内マイクにヘッドセットを切り替える。彼女の指示を受けた沢渡の下令によって、ふそう艦内は慌ただしく動き始めたのだった。

 「合戦準備。TAO、二種配置」

 「総員第二種戦闘配置。ロクマル即時待機、準備出来次第発艦!!」

 

 しょうかく飛行甲板。国防空軍第85航空団エスペランサ隊編隊長の高橋和己少佐は、発艦準備を終えてコックピット内で一度大きく息を吐いた。

 今、自分がここに居られているのはある意味奇跡かもしれない。最初に上海上空の偵察に向かった時、あの天津というタンカーから放たれた妨害電波の攻撃に見舞われた自分の機体は、もう少しで東シナ海に墜落するところだったのだから。すんでのところで立て直しに成功していなければ、今頃とっくに自分は海の底だっただろう。

 その電子攻撃を仕掛けたECMを破壊し、自分たちに再攻撃の道を開いたのは空軍でも海軍でもなく、戦闘機乗りの自分には普段はあまり縁のない沿岸警備隊の船だと聞いた。今回、そのふそうもこのしょうかくを中心とする第2護衛隊群に参加しているというのは、元々は予定外だったそうだから不思議なものだ。だが、一度ケツを拭いてもらった以上は今回こそは決めなければならない。海軍や沿岸警備隊にとってはもちろん、我々空軍にとってもこの戦いはリベンジマッチなのだ。

 「エアー、エスペランサ1。左右フラップ、チャフ・フレア・機銃及びミサイル、全て異常なし。周辺状況クリア、発艦用意よし」

 アメリカ空軍をモデルに、第二次世界大戦後に設立された航空自衛隊を前身とする国防空軍は、日本国防軍四軍の中で最もアメリカナイズされた組織だ。地上の空港における管制塔に相当する航空管制室に対して呼びかけると、ほどなくしてそこに控える航空団司令からも返答が返ってきた。

 「エスペランサ1、エアー。南から北の風、風速5m。方位角334度。周辺状況クリアを確認、発艦始め」

 “Roger that! (了解)”

 操縦桿を握る手に力がこもった。キャノピーのガラス越しに、甲板作業員が右手を進行方向に伸ばして「発艦」のサインを送る。エンジンの爆音が耳を支配して間もなく、窓の外の景色が勢いよく後方へと流れ、高橋の搭乗機は一気に約200mのランウェイを駆け抜けて空へと舞い上がったのだった。

 

 人の心とはつくづく不思議なものね、と蒼は心の中で呟いた。艦橋からCICに降りてきた彼女の目は、周辺状況をありありと映し出すモニターに向けられている。

 思えば、沿岸警備隊と国防海軍の間に起きた今回の一連のいざこざは、自分たちが海軍の力を借りずに独力で東亜の潜水艦を撃沈したことがきっかけで起きたものだ。第2次世界大戦で商船護衛を軽視した結果、アメリカ海軍の潜水艦にことごとく民間の輸送船を沈められ、国内経済を瀕死に追いやる原因を作ってしまった大日本帝国海軍。その反省から、戦後に言わば彼らの生まれ変わりとして誕生した海上自衛隊は、最早病的ともいえるほど対潜水艦作戦に力を入れてきた。

 もちろん、その海自を直接的に引き継いだ日本国防海軍も、その点については全く変わっていない。そんな彼らからすれば、沿岸警備隊が自分たちよりも先に対潜戦闘で功を上げたことがいかにショッキングなことか、今の蒼ならすんなり理解できる。そんな海軍が今、あれだけ目の敵にしてきた自分たちに「東亜の潜水艦狩り」を任せていて、自分たちもそれを受け入れている。全く、人生というものはどう転ぶかまるで分らない。

 だが、そんな感慨に浸っていられるのも一瞬だった。ふいにCIC内から声が上がる。

 「水上レーダー目標探知。距離30000、目標数6。敵味方識別装置に応答ありません」

 その報告に合わせるかのように、NTISの情報画面上に敵目標を示す赤いマークが、6つ映し出された。しかも運の悪いことに、会敵したのは水上だけではない。

 「ネプチューン、ホークアイ。ディッピングソナー探知。目標数2、距離28000、深度320。敵味方識別装置に応答なし、東亜海軍艦と思われます」

 ふそうから発艦し、周辺の警戒にあたっていたSH-60Kからも報告が入る。敵は水上からも水中からも、こちらの動きを封じんと向かってきた。もちろん、今優先すべきターゲットがどちらかは我々とて分かっている。

 「こちらマイティクレーン、群司令より達する。全艦、対潜・対水上戦闘用意!!」

 無線を通じて肥後の声が届いた。すぐに沢渡に顔を向ける。

 「TAO、一種配置。対潜戦闘用意」

 「Aye, ma’am!!」

 沢渡はそう応じるや否や、いつも通りの調子で艦内に戦闘準備を命じた。

 「総員第一種戦闘配置。対潜戦闘用意!!」

 「対潜戦闘用意!!」

 これまたいつも通りの復唱の中に、普段とは違う男の声が混じった。潜水艦が相手となれば、ひとまず海軍から派遣された3人には出番はないが、それでも河内・長門・岩代も揃って戦闘モードに入っている。

 「ホークアイ、ネプチューン。音紋照合を行う。ソナーの探知情報を送れ」

 「ネプチューン、ホークアイ。了解」

 一足早くシートベルト着用を済ませた葛城が、SH-60Kに呼び掛ける。データ解析作業は素早く進められた。

 「音紋照合終わり、データベースと一致。東亜連邦共和国海軍、梁級潜水艦『遠征82』及び『遠征83』!!」

 安河内が声を上げる。梁級は、2006年から運用されていた元級以来となる、東亜にとっての最新型の潜水艦だ。ただし、長征2901とは違って原子力潜水艦ではないため、戦い方は当時とは変わってくる。

 あの時は原潜特有の低い静粛性にも助けられて、容易に探知や追尾が可能だったが、今回は必ずしもそうではない。一方、敵側は燃料の関係で水中速力は最大でも20数ノット程度しか出せないし、そのスピードを出せる時間も限られる。いかに素早く正確な相手の潜航位置をつかむか、それがこの戦いでの大きなカギとなるだろう。

 「本目標を攻撃ターゲットに設定する。測敵始め!!」

 

 「水上部隊に加えて、梁級をそれも2隻も当ててきたか…。東亜側もなりふり構わずだな」

 しょうかくのCDCで、敵艦隊の情報が映し出されたモニターに目をやりながら、肥後は呟いた。

 「群司令、対潜と対水上の両方を同時に相手することには危険が伴います。エスペランサ隊を援護しようにも、その前に長魚雷を撃たれれば我々水上部隊は詰みです。東亜潜の交戦距離は9000。目標までまだ距離はありますが、相手が手出しできないうちにそちらから片付けるべきかと」

 しょうかく艦長の伊賀政宗大佐が進言する。第2護衛隊群の中核たるしょうかくのトップとして、群司令の肥後とは他艦の艦長以上になじみが深い存在だ。

 「よかろう、長魚雷による被弾リスクを後に残しておくことはないな。艦長、指示を」

 肥後が頷くと、伊賀はヘッドセットに向けて命令を下した。

 「まずは水中に潜んでいる東亜潜から叩く。全艦、駆逐艦のわきを先頭に単縦陣。艦幅1000にとれ」

 その時だった。CDC内に早速リコメンドが寄せられる。

 「お待ちください、伊賀大佐。先陣は是非本艦に」

 声の主は蒼だった。怪訝そうな表情で伊賀が言い返す。

 「真行寺一佐、あいにく本艦隊ではのわきが対潜戦闘の主軸と決まっております。貴艦にはあくまでふぶきの代役として加入いただいている。その役割に徹していただきたい」

 その言葉にも、蒼はなおも意見具申をやめなかった。

 「本艦には海軍艦艇とは違って、アスロックというオプションがありません。潜水艦相手の攻撃には短魚雷か、SH-60Kに搭載した魚雷または対潜爆弾を使うしかない。物理的に敵目標との距離を詰めなければ、遠くにいる目標を狙うのは不可能です」

 それと…、と蒼は付け加えた。

 「本丸が対水上戦なのであれば、海中に潜んでいる両艦は早急に叩いて片付けなければなりません。そのために、私に一つ考えがあります」

 「考え?」

 「先頭に立った本艦が、左右両舷からの短魚雷同時撃ちで潜水艦2隻をまとめて叩きます。同時に、後方からのアスロックによる追撃で、海軍の皆さんにとどめを刺していただきたい」

 「両舷同時撃ちだと!?」

 その交信を耳にしていた全ての海軍関係者が、思わずどよめく。かつて、大日本帝国海軍で構想された重雷装巡洋艦「大井」「北上」の両艦は、四連装魚雷5基をまとめて斉射し、同時に20発の魚雷を敵艦に撃ち込むことが可能な船だった。しかし彼女たちにしても、あくまで左右どちらか片方から撃つのが前提だ。

 確かに、今の海軍艦艇や沿岸警備艦が搭載する対潜情報処理システムの能力を以てすれば、その気になれば両舷からの斉射も出来なくはない芸当ではある。だが、少なくともそれは国防海軍では通常の運用方法ではないし、そんなやり方は基本的に想定などしていない。セオリー無視も甚だしい意見具申に、海軍側が正気を疑うのも無理からぬ話だった。

 「じ、陣形変更やめ」

 伊賀は慌てて指示を一旦取り消すと、再度蒼に向けて語気を強めて問いかけた。

 「真行寺一佐。確かに理論的にはそれも不可能ではないが、少なくとも我が軍ではそんな運用は演習でさえやっとらん。貴官ら沿岸警備隊でも恐らく同様でしょう。トレーニングでも経験がないような戦法を、命がけの実戦でぶっつけ本番でやると仰るのか」

 「どういう経緯であれ、東亜がこの海域に2隻も自軍の潜水艦を差し向けているのは事実です。片方ずつ相手していたのではその間にもう1隻に逃げられますし、向こうの水上部隊からも邪魔が入るでしょう。そうなれば対潜・対水上の二正面を強いられて航空団の支援どころではなくなり、相手の思うツボです。こちらが雷撃されるリスクをゼロにするためには、両方の潜水艦を敵射程内に入る前に同時に仕留めるしかありません」

 伊賀の反論にも、蒼の言葉は冷静だった。

 「東亜は潜水艦の同士討ちも覚悟で定石を破ってきた。無理が通れば道理がひっこむのがこの世界です。敵が常識の通用しない手を使う相手なら、こちらは思考の柔軟性でそのさらに上を行くまでかと」

 そんな返答に、思わず笑い声をあげた者がいた。肥後だった。その挙動に目を疑う部下たちを尻目に、自ら蒼に問いかける。

 「よかろう、だが定石破りにも相応の根拠は必要だ。ところで、貴艦の搭載する短魚雷はどの弾種だったかな」

 「海軍の一般的な艦艇と同じ12式になりますが」

 蒼が答える。

 「ならば、多少距離を詰めたところで短魚雷では射程ギリギリだろう。同時に撃っても当たらねば無意味だ、やるなら攻撃役にはロクマルも最低2機加えたまえ。それが条件だ」

 「ハッ、ありがとうございます」

 「群司令!?」

 明らかに狼狽した伊賀の顔には、「マジで言ってんのかこのオッサン」とはっきり書かれていた。そんな彼に向かって、肥後はほんの一瞬ニヤリと笑みを浮かべる。

 「ここは命がけの実戦の場だと言ったな、艦長。俺に対して内心どんな考えを持とうが貴官の勝手だが、上官の命令に背くことは許さんぞ」

 「いっ、いやっ…!!滅相もございません!!命令に背くなんてそんなことは…、ですが!!」

 「ですが?条件付きの信頼なんぞ俺は求めとらん。そんなもんは魚にでも食わせとけ」

 肥後はそう言って伊賀の言葉を一蹴すると、一転して大真面目な顔で続けた。

 「彼女の言うことにも一理ある。案外、部外者の彼女の方が今の状況を正確にとらえているかもしれん。確かに、同一海域に複数の潜水艦をぶつけるような無茶な手を使ってくる相手に、演習でやってきた教科書通りの運用など大して参考にならん。戦場では常に事前ブリーフィング通りに事が運ぶ、なんて考えは持たんことだ。どうせこちらとて通常の艦隊編成ではないんだ、頭を柔軟に使うしかそれを補う道はなかろう」

 彼の声と表情は、有無を言わせぬ重みを伴っていた。

 「艦長、輪形陣は維持したまま配置換えだ。ふそうを艦隊の最前列に出し、のわきをふそうの現在位置まで下げさせろ。ふそうとのわきのロクマルは短魚雷、全VLS搭載艦艇はVLAをそれぞれ用意だ」

 「Aye, sir!!」

 最早内心では半分やけくそ気味の伊賀は、その言葉に反抗する術を持たなかった。

 

 「最大戦速、おもーかーじ!!しょうかくの前へ、艦幅1000にとれ」

 蒼による具申が受け入れられ、伊賀からの命令が発せられるや否や、ふそう艦内はテンションのボルテージが1段階上がった。艦隊の正面に出るべく、機関室でも主機の回転数が上がる。

 「まさか、実戦の場で群司令を言いくるめてその気にさせてしまうとはね。あなたはつくづく末恐ろしいお方だ」

 CICで、河内が小さく笑い声をあげた。その言葉にも、蒼は表情を変えない。

 「今はお互い同じ艦隊の一員よ。ここでは沿岸警備隊も海軍も空軍も関係ない。勝つために必要なリコメンドを躊躇する理由はないわ」

 そこまで蒼が答えるや否や、CICには再び無線を通じて肥後の声が響いた。

 「真行寺一佐、条件を1つ追加だ。それぞれの射程とシステム上の処理の手間を考慮し、まずロクマルとVLS搭載艦が先に撃つ。とどめを刺す役目は貴艦がやりたまえ」

 「ハッ、最善を尽くします」

 蒼はそれに答えると、最初にこのプランを自らにぶつけた張本人である我那覇の方に顔を向けた。自らのアイデアが受け入れられたためか、はた目にも武者震いしているのがよく分かる。

 「頼んだわよ、水雷長。あなたの手腕に期待しているわ」

 「お任せください。…、具申したからには、両方とも必ずブチ殺してやりますよ」

 ほんの一言二言程度の短い会話。しかしそれを交わした当事者たちも、周りで聞いていたCICの面々も、直接耳にはしていないその他各部署の要員も、等しく同じ覚悟を固めていた。「この戦いに絶対に勝つ」という信念。それを体現するかのように、沿岸警備艦ふそうはついに艦隊の最前線に立ったのだった。




前話で蒼が「間違えて女湯の脱衣所に入ってしまった奴がいた」と説明するシーンがありますが、あれも実は偶然の事故ではなく、今回の灰原や柳田と同じく艦長就任前の蒼が仕掛けたドッキリです(なので厳密には「被害者」という言い方は正確ではないですね)。わざわざ艦長自らヒントを出してくれていたにもかかわらず、それに気づいていなかった長門は見事に餌食になりました。きっとご多分に漏れず、他の幹部からも盛大にからかわれたことでしょう。

さて、今回からついにふそう乗員が艦隊の一員として海軍及び空軍と共闘することになります。ふそうにとってはこれが2度目の対潜戦闘になりますが、そもそも作者が対潜戦闘についてはまだまだ知識不足なのもあり、シチュエーションを練り上げるのにだいぶ時間を要してしまったのも投稿の遅れにつながっています。通常想定される戦闘と比べるとお互いにだいぶ変則的なシチュエーションですが、これをどう切り抜けるのか楽しみにしていただけると嬉しいです。

次回はついにドンパチシーンに入ります。それではまたお会いしましょう。


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第七章:最終決戦(中篇その1)

大変ご無沙汰しています、R提督です。再び就職活動などでリアルの生活が忙しくなったこと、ストーリー構築のアイデアが自分の中で二転三転したことなどが原因で、またまた間がかなり空いてしまいました。まさか、連載開始から2年が過ぎようとは…。おかげさまで内定を頂くことができ、ようやく自分の生活も落ち着こうとしているので、何とか完結目指して頑張ろうと思います。

今回も、クライマックスとなる戦闘シーンの描写になります。今回は空軍の戦闘も初めて描くことになるので(空戦の描写はかなり不慣れですが…)、これで陸海空および沿岸警備隊の日本国防軍四軍が全て出揃います。敵側となる東亜海軍の指揮官も登場しますよ。それではどうぞ。


※11/5追記
元々本投稿分は「第六章:リベンジ(中編その3)」というタイトルでアップロードしていましたが、章立ての都合により「第七章:最終決戦(中編その1)」に変更させていただきます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。


 「我々もずいぶんと日本には舐められたものだな。まさか、あのようなふざけた編成の艦隊をぶつけてくるとは」

 東亜海軍北海艦隊旗艦を務める、刃海級駆逐艦「南寧(DDG-183)」。満載排水量13200トンの大型艦を率いる艦長の楊本善上校は、CICのモニターに映し出された第2護衛隊群の陣形に目をやりながら吐き捨てた。

 「空母の護衛に練習艦をあてがい、そのうえ輪形陣の先導役を海軍ではなくコーストガードにやらせるだと?あいつらはいったい何を考えている。我ら北海艦隊を舐めているのでもなければ、日本海軍の連中は度重なる戦闘での劣勢で、とうとう頭がおかしくなったとしか思えんな」

 「やめたまえ、楊上校。手負いの虎ほど、戦場で恐ろしいものはないぞ」

 彼にそう釘を刺したのは、北海艦隊司令として南寧に同乗していた曹正国大校(日本人に分かりやすく訳すなら「上級大佐」とするのが適当だろう)。持ち前の冷静さと確かなリーダーシップで、少将への昇任も目前と目される指揮官の1人だ。今回の戦闘を制することができれば、将官の座は間違いなく確実にするだろう。

 「それに、あの船は我が艦隊にとってはXファクターだ。あれをこの期に及んでなおただの巡視船などと侮るなよ、何せ長征2901を正面からの殴り合いの末に葬ったのだからな。わざわざ海軍艦隊に加えたのには、当然奴らなりの意味があるはずだ。決して警戒を怠ってはならん」

 「ハッ、失礼しました」

 軽く頭を下げた楊の姿を横目で見ながら、曹もまたモニターを見上げる。

 「たとえどんな相手であろうと、東亜連邦に牙をむくならば我々のすべきことはただ1つだ。万全なる体制で迎え撃ち、情け容赦なく叩き潰すのみ。…、これ以上我々のメンツを潰すことは許さんぞ、日本人よ」

 その呟きに感化されるかのように、楊が一度深く深呼吸をした。総員に向けて発せられたその威厳のある声が、艦内の雰囲気をより一層ピンと張りつめたものにする。

 「準備進行防空/水戰。嚴格注意各個部位、防空氣和水!!(対空・対水上戦闘用意。各部、対空及び対水上警戒を厳とせよ!!)」

 

 ところ変わって第2護衛隊群、イージス艦はるな艦内。

 「艦長、VLA攻撃準備いたします」

 「よし、行え」

 日向からの具申に対し、津軽はいつも通り手短にゴーサインを出した。砲雷長の司以下、CIC内の要員が手早く対潜攻撃への準備を進めていく。

 戦闘開始直前での作戦変更は、当然ながら津軽にとっても意表を突くものだ。蒼が伊賀に対して意見具申を始めた時、彼は内心「またあの女が…」と呟いた。両舷からの魚雷同時撃ちなどという発想には呆れるしかなかったし、それを肥後が受け入れたと知った時には流石に一瞬絶句した。恐らくしょうかくやはるなだけではなく、他の海軍艦艇の人間たちも似たような反応だっただろう。自身もまた必要性を痛感してのこととはいえ、日向ともども司に上陸許可を出して、ふそうの艦隊編入を肥後に具申しに向かわせたことを思わず後悔したほどだ。

 だが、だからと言って表立って上官にたてつくような愚は絶対に犯さないのが、津軽武範という軍人でもある。蒼の具申した作戦は国防海軍として想定しているものでも、津軽個人として好む類のものでもないが、それでもそれなりに一定の筋は通っている。そしてどういう事情があれ、肥後はその博打のような作戦に賭けた。ならば、部下である自分がやるべきはその賭けに全力で乗ることしかない。絶対的な階級社会である国防海軍において、それ以外のオプションは存在しないのだ。

 「砲雷長」

 自身の呼びかけに、司が振り向いた。

 「くれぐれも、前方を飛行しているロクマルにだけは絶対に当てるなよ。実戦で味方機を撃墜するなどシャレにならんからな」

 「ハッ」

 司はその言葉に、緊張感をたたえた表情で頷いたのだった。

 

 「ネプチューン、ホークアイ。短魚雷投下用意よし。いつでも撃てます」

 さらにところ変わって、上空を飛行中のSH-60K機内。コールサイン「ホークアイ(鷹の目)」こと、沿岸警備艦ふそう艦載機の副操縦士兼戦術航空士(通称TACCO、国防海軍では哨戒機など固定翼機にしか搭乗しないが、沿岸警備隊では回転翼機にもTACCOのポジションが設けられている)である山吹翼一等海尉は、エンジンローターの爆音に負けじといつも通り声を張り上げた。機内では副操縦士という位置づけではあるものの、階級でいうと同乗する機長は二等海尉でセンサー担当の航空士は三等海曹。機内では機体操縦のサポートと戦術立案の両方をこなし、母艦に戻れば第5分隊・航空科の分隊長も務める山吹が、この機における最先任だ。加えて艦長である蒼に対するリコメンド権限も持ち、ふそうの戦闘システムの一部たるSH-60Kにおいて、文字通り司令塔と言える存在となっている。

 「ホークアイ、ネプチューン。了解、旗艦からの指示を待て」

 「了解」

 CICで航空管制を司る葛城からの交信に、山吹は頷いた。自分たちの機体は今、ふそうから見て左舷側を飛行している。狙うのは遠征82。反対側にいる遠征83を狙うのは、自分たちと同じ機種ながら海軍所属であるのわきの艦載機だ。全く同じ外観を持ち、尾翼部分の文字だけが「日本国沿岸警備隊」「日本国防海軍」とそれぞれ異なる2機のヘリコプターは、ともに艦隊の最前線を飛行していた。

 ふと、無線を通じて伊賀、次いで葛城の命令が届いた。

 「対潜戦闘、目標遠征82及び83。短魚雷及びVLA、攻撃始め!!」

 「ホークアイ、CIC。短魚雷攻撃始め!!」

 「CIC、ホークアイ。了解」

 山吹は頷くと、後ろに控える航空士の方に振り向いた。

 「短魚雷投下!!」

 「投下!!」

 その声から間を置かず、SH-60Kからふそうが積んでいるのと同じ12式魚雷が、海面めがけて投下される。それと相前後するかのように、後方から発射音が聞こえた。VLSを搭載する海軍艦艇から、対潜魚雷である07式垂直発射魚雷投射ロケット(国産なので厳密には別物だが、海軍ではアメリカ製の類似弾頭と同じくVLAと呼ばれる)が打ち上げられたのだ。白煙を噴きながら、紅白に彩られた弾頭が次々と空に舞い上がり、2機のヘリコプターの横を通過していく。もちろんその中には、はるなから発射されたものもあった。

 「短魚雷よし」

 「了解」

 航空士からの手短な報告に頷くと、山吹は呟いた。

 「さぁ、ショーの始まりよ。よろしく頼みましたよ艦長、水雷長」

 

 SH-60Kの母艦たるふそうのCICでは、全員が固唾をのんで第1次攻撃の様子を見守っていた。一方で水雷長たる我那覇の指揮の下、第2次攻撃となる両舷同時撃ちの準備もぬかりなく進められている。彼女の目論見通り、この船の対潜情報処理システムは複数目標に対する同時攻撃を可能にする仕様だ。問題は、第1次攻撃を受けて敵側がどう動くかだった。

 「遠征82、座標30度68分28秒ノース、124度46分96秒イースト」

 「遠征83、座標30度98分46秒ノース、124度48分60秒イースト」

 ソナー担当の安河内ともども、2つの目標の動向を監視し続けている2名のレーダー員から、相次いで敵座標の報告が上がる。

 「この距離であれば、向こうも攻撃こそ出来ないが当然探知はしているはずだ。相手は間違いなく一旦は逃げの手を打ってくる。その時にどう動くか、絶対に見逃してはダメだ」

 河内が呟く。

 「レーダー員、ソナー。画面から絶対に目を離さないで。この距離なら、相手は必ず回避行動をとってくるわ。どのタイミングで、どの艦がどっちに舵を切ってくるか確実に見極めなさい」

 沢渡が緊張感を帯びた声で、3人の海曹士に命じた。そうしたやりとりのさなかにも、魚雷はどんどん敵潜水艦へと向かっていく。やがて、安河内が声を上げた。

 「敵艦、2隻とも動きます!!遠征82は面舵10度、遠征83は取舵20度に変針。速力20ノット!!」

 「ダウントリムは!?」

 河内が思わず、どれほどの角度で両艦が潜ろうとしているのか問いただす。

 「ダウントリム15度!!」

 「12式の運動性なら、十分追い切れるはずだが…。仕留められるか…!?」

 河内が再びそう呟いた時、モニターをじっと見ていた蒼が何かに気が付いた。思わず、反射的にその身を乗り出して目前の映像を覗き込む。その口から、予想もしないセリフが漏れた。

 「ちょっと待って…。こっちの魚雷、もしかしてコリジョンコースに入ってない?」

 「えっ!?」

 CICにいた一同が、思わず蒼の方に振り向く。再び視線をモニターに移したその先で、確かに第2護衛隊群が放った魚雷は少しずつ、しかし確実にある一点へと集束を始めていた。やがて、画面上の光点が1つになったのとほぼ同じタイミングで、彼方から爆発音が聞こえた。安河内とレーダー員が声を上げる。

 「水中にて爆発音聴知。キャビテーションノイズ、探知できません!!」

 「敵潜水艦、2隻ともレーダーより反応消失!!」

 「反応消失ですって…!?」

 その報告を受け、蒼は急いで上空のSH-60Kに呼び掛ける。

 「ホークアイ、CIC。攻撃効果の確認を行え」

 「了解」

 応答するや否や、急いで窓から眼下の海面を見下ろす山吹。ちょうど爆発があったあたりのエリアに、注意深く目を凝らす。しかし。

 「CIC、ホークアイ。海面上には油膜や破片等は確認できず。先ほどの攻撃は評価不明、再攻撃の要あり」

 「チッ、デコイをまかれたうえに、爆発の隙に逃げられたってわけね…」

 我那覇が思わず舌打ちする。

 「水温躍層に逃げ込まれれば、どのみちソナーでの探知は技術的に不可能だ。どうしても探そうというなら、他の手を使うしかない。…、難易度は一気に跳ね上がるけどね」

 「他の手…?」

 今回は水上戦を念頭に臨時ミサイル長として乗艦しているものの、長らく第2護衛隊群の一角で対潜戦を担当してきたふぶきの元艦長として、関連する知識や経験値はこの船の中では群を抜く河内。自然と、周囲の視線は彼の方に向いた。その彼が、不意に蒼の方に顔を向ける。

 「艦長。沿岸警備隊の部署の編成については、海軍から来た自分には不祥な部分がありますが、事前のご説明では本艦は防衛や法執行に加え、測量や海洋データの観測も重要な任務の一つとしているというお話でしたね」

 「そのとおりよ」

 「その観測した元データは、通常この船にも保存を?」

 「えぇ。もちろん、複製したデータはうちの科学測量部に送るけれど。それが何か?」

 蒼が聞き返すと、河内は思わぬ意見具申を投げかけてきた。

 「では、この近海の潮流に関する保存済のデータを、今ここでモニターに出していただけませんか。できれば、データリンクで他の対潜戦担当艦艇にも送ってもらえると助かりますが」

 「潮流のデータを…?」

 安河内が聞き返す。

 「機関を全て停止させて、完全にキャビテーションノイズを出さない状態にしたうえで、潮流にうまく乗ることで相手に自分の動きを悟らせぬまま、攻撃位置につける。潜水艦にはそういう操艦テクニックがあるんだ。かなり高度な技だが、この海域は言うなれば東亜の庭のようなもの。新鋭艦である梁級を任されるような優秀な艦長なら、潮の流れもしっかりと把握しているだろうから十分可能だと思う」

 相手が逃げ出す前に潜航していた位置や、回避行動をとった時の方位角やダウントリム、速力は既に分かっている。それとこの海域の潮流データとを突き合わせれば、ある程度どちらの方向に敵艦が潜んでいるのかは、大雑把にでもアタリがつけられるはずだ。そうすれば、第2次攻撃で魚雷を撃つべき方向もおのずと絞れる。

 「戦闘はまだ始まったばかり。潜水艦が2隻とも姿を消し、敵水上部隊にもいまだ目立った動きがないということは、相手は間違いなくここからの反撃を狙っている。どこから相手が狙おうとしているのか、手持ちのカードをうまく使って探る必要があるんじゃないかな。せっかく、この船にデータの蓄積があるのなら」

 河内の言葉に、沿岸警備隊側の一同は思わず顔を見合わせた。相手の出方を的確に読み、目の前にある手札の範囲内でそれに対して、自分たちは何ができるかを即座に弾き出す柔軟性。流石、の一言だった。対潜水艦作戦を何よりも重視し、東アジアにおける仮想敵国の封じ込めを担ってきた、国防海軍でのキャリアは伊達ではない。しかし。

 「ネガティブ。備え付けのデータじゃ使い物にはならないわ」

 予想だにしない蒼の言葉に、他の幹部たちが驚いて顔を見合わせた。それには構わず、蒼は言葉を続ける。

 「この海域の潮流は、ただでさえ複数の海流がぶつかり合っているうえに、その方向も一日や半日周期で変わる複雑怪奇な代物よ。最後にこの近海に測量に来たのは、オリオン事件の1週間前。あの時に収集したデータとは、今この瞬間の状況は全く違うはずよ」

 確かに彼女の言葉通り、ふそうクルーにとってこれはかなりの難題と言っていい。東シナ海の大陸棚部分は、北上する黒潮から分派した流れや東に向かう大陸棚沿岸水に加え、半日や一日周期で変わる海流が極めて複雑にぶつかり合う、極めて難解な海域だ。敵の水上部隊がいつ動き出すともしれない状況で、これを短時間で読み解くのは確かに至難の業と言えた。まして、その情報自体も古いならばなおさらの話だ。

 「ですが、ソナーでの探知ができない以上プランBは必要でしょう。艦隊ごと転舵して敵艦を浅瀬に追い込もうにも、この辺りは海底地形が平坦でそれに適した地点もありません。両舷同時発射なんて荒業を使うには、正確な敵艦の位置を把握することが大前提になる。そのための索敵は欠かすわけにはいかない作業のはずですが、一体どうやって敵潜水艦の位置を探ればいいんです?」

 同じ海軍から来た上官たる河内を差し置いて、長門が思わず反論する。しかし、蒼はそれに対して不敵な笑みを浮かべながら答えた。

 「長門中尉、私は潮流データを活用した索敵そのものに反対と言った覚えはないわよ。でも今のこの戦況では、保存済のデータは活用できないと言ってるの」

 「だったらどうやって…」

 「簡単な話よ。データが古いなら、この場で上書きすればいい」

 「は!?」

 予想の斜め上をつく返答に、長門も周りの面々も絶句した。

 「今のお互いの距離なら、仮に敵潜水艦が巡航15ノットで航行し続けたとしても最低30分はかかるわ。ミサイル長の言うとおり、機関を止めて潮流に乗る作戦を採ってきたなら、それ以上の時間的余裕がある。そのタイムラグを使って測量隊を展開して、リアルタイムに潮流情報を収集すればいい。敵艦の進路予測はそのデータを使って行う、それならミサイル長の提案した意図通りのことができるはずよ」

 「そんな無茶な…。本艦は今、輪形陣の最前線にいるんですよ!?測量隊は本来平時に活動する部門でしょう。敵艦隊の目の前で、非戦闘部隊をわざわざ行動させるおつもりだと仰るのですか!?」

 「えぇ、そうよ。それによって、色々と分かることがあるわ。最新の潮流データはもちろん、それ以外にもこの戦闘を制するうえで必要な沢山の情報がね」

 蒼は真顔でそう言い切った。その表情が、ほんの一瞬だけ緩む。

 「安心しなさい、彼女たちには既に戦闘海域での活動実績があるわ。測量隊もうちの第6分隊の一員。訓練は十二分に積んでいるし、あなたたちが想像するよりは遥かに勇敢よ。危険を顧みず、あなたやその仲間たちを自ら救出しに赴く程度にはね」

 蒼の言葉に、なおも食い下がっていた長門もとうとう黙りこくるしかなかった。反論する者がいなくなったCICに、再び威厳を取り戻した蒼の声だけが響き渡る。その声色には、最先任指揮官としての固い覚悟が滲んでいた。

 「これは、東亜のこれ以上の暴走を止めるための戦いよ。その目的を果たすためには、この第2護衛隊群全ての艦艇が総力を発揮しなきゃいけない。平時の活動がメインの部隊だからと言って、戦力を出し惜しみする余裕なんてふそうにはないの。この決断の全責任は、艦長である私がとります。グズグズしている時間はないわ、今はそれぞれがやるべき仕事をやるだけよ」

 

 「艦隊司令、艦長。先頭の巡視船より、短艇計4艘が発艦しました」

 レーダー担当からの思わぬ報告に、南寧のCICにいた曹と楊は思わず振り向いた。

 「映像をモニターに出せ」

 「ハッ。第2メインモニター、映像出ます」

 命令に沿って、すぐにレーダー上の映像がモニターに映し出される。確かに言葉通り、ふそうから4隻の短艇が発艦し、それぞれ四方八方に散っていく。

 「あいつら、海中に何か投げ込んでるぞ。なんだあれは」

 「まさかアレ、機雷か…!?」

 その映像を目にしたCICの乗員たちがどよめく。だが、曹は表情を少しも変えないまま、冷静な声でそれをすぐさま否定した。

 「いや、その可能性は極めて低いだろう。いくら海軍と行動を共にするような船とはいえ、コーストガードの巡視船に機雷を安全に搭載しておけるようなスペースがあるとは考えにくい。第一、奴らが本気で機雷戦を仕掛けてくる気なら、そもそも空母艦隊など送り込んではこないはずだ」

 「いずれにせよ、あれが何かしらの意図をもっての行動に出ているなら、力で排除すべきなのではありませんか。遠征82と83にも悪影響が及ぶのでは…」

 「敵の動向には引き続き警戒すべきだが、それには及ばん。この距離かつあのサイズの短艇相手では、どうせミサイルで狙ったとてまともには当たらんからな。貴重な弾薬をわざわざ無駄にする必要はない」

 意見具申してきた部下の1人に対して、曹はやや面倒くさそうに答えた。だが、その声色は一瞬にして戦闘モードに変わる。彼の目は、別のモニターに映るもう1つの映像―自艦隊に接近するエスペランサ隊を示す、5つの光点―を捉えていた。

 「我々が注力すべきは、こちらの客人への対応だ。…、来るぞ」

 

 「エスペランサ1より全機へ。間もなく敵艦隊上空に突入する。各機、なるべく敵艦隊から距離を取れ。高度11000フィート、進路0-3-0。Turn heading, now(転回せよ)!!」

 「Copy(了解)!!」

 高橋の指示が、エスペランサ隊の僚機へと下される。エスペランサ隊の5機もまた、レーダー上に敵艦隊の姿を当然捉えていた。今回、彼らが搭載しているのはJSM(Joint Strike Missile)と呼ばれる、F-35シリーズでの使用を前提に開発されたノルウェー生まれの最新鋭ミサイルだ。対艦・対地・巡航と幅広い用途に用いることができ、今回の任務にはうってつけの弾頭とも言える。だが、どちらにも使えるとはいえ「本丸」はあくまでもミサイル発射基地に対する対地攻撃だ。搭載数に限りのある弾頭を、対艦攻撃で使い果たすような展開は何としても避けねばならない。

 だが、残念ながら事はそう上手く運ばないのが戦場という場所である。突然、各機のコックピット内にロックオンされたことを示すアラームが鳴り響く。高橋の耳に、僚機から悪いニュースが届いた。

 「エスペランサ3より1へ。敵艦隊、ミサイル発射した模様!!10時の方向より10発!!」

 その言葉通り、バイザー上にはこちらへ向かってくるミサイルの姿が映し出されていた。急いで対処行動をとらなければ危ない。高橋は一度小さく舌打ちすると、急ぎ僚機に命令を下した。

 「エスペランサ1より全機へ。武器使用許可、Weapons free!!各自、目標の艦を決めて反撃せよ。発射即、敵ミサイル回避!!」

 その言葉を口にする間にも、敵ミサイルは自機を目がけてぐんぐん上昇してくる。飛んでくるのは、東亜の前身たる中華人民共和国時代に開発されたアクティブレーダー誘導の艦対空ミサイル、海紅旗9Aだ。だがその前に、高橋機は敵旗艦の南寧を照準で捉えた。コンソールの発射ボタンに指が伸びる。

 "Target lock. Esperanza 1, Dog 2. Fire!!"

 その言葉とともに、F-35Cから1発目のJSMが放たれる。それが眼下に向け消え去っていくのとほぼ同時に、情け容赦なく襲い掛かってくる敵ミサイルの姿が目に入った。このミサイルの誘導方式であれば、回避するためにこちらが打つ手は自明である。

 「チャフ、発射!!」

 アフターバーナーが描き出す真っすぐな軌跡に沿って、欺瞞のために搭載された銀色の「紙吹雪」が空に舞う。海上から自機を追撃してきた2発のミサイルは、高橋の狙い通りその金属片に巻き込まれて、機体の遥か後方で爆発した。高橋の目が、再びバイザーの情報画面に向く。どうやら、僚機は全て最初の攻撃を躱すことに成功したようだ。一瞬、安どのため息が漏れる。…、ところが。

 「嘘だろ、こっちのミサイルも全弾迎撃されただと!?」

 あまりにも予想外の展開に、高橋の目は大きく見開かれた。エスペランサ隊が放った5発の空対艦ミサイルもまた、なんと敵艦隊に全て撃ち落とされてしまったのだ。飛行速度が速く、どこから飛んでくるかも掴みづらい空対艦ミサイルは、水上艦艇にとっては本来迎撃が非常にしづらい目標の1つだ。それこそ、はるなやひえいのようなイージス艦なら問題なく対応し得るが、前身の中国時代からアメリカと対立する陣営に属していた東亜海軍には、そもそも本来の意味での「イージス艦」は1隻も存在しない。それでいて、こちらの攻撃を全てしのぎ切ったのであれば、艦隊防空能力という意味では第2護衛隊群にも引けを取らないレベルということになる。

 しかも、彼我のミサイル搭載数を考えればこちらは圧倒的不利だ。こちらは1機あたりのミサイル残数は残り3発。対地攻撃用に1発、帰還時の予備用として1発を残しておくなら、フリーハンドで打てるのは実質残り1発だけだ。対して、刃海級駆逐艦のVLSは単艦にして、前後合わせて112セルもある。艦隊全体で数えれば、その数は数百セルにも達するだろう。対空ミサイルによる飽和攻撃で来られた場合、全ては防ぎきれないかもしれない。高橋の額を、冷や汗が伝った。

 「CDC、エスペランサ1。こちらの初弾が全弾迎撃されました。このまま第2弾が来れば、エスペランサ隊単独では凌ぎきれない可能性があります。至急、はるな・ひえいによる敵艦隊への攻撃を要請します」

 その要請は、疑いようもないほど切羽詰まったものだった。もちろん、このオペレーション・イーグルの立案された趣旨からしても極めて真っ当なものでもある。ところが。

 「エスペランサ1、CDC。ネガティブ。本艦隊では、ソナーで反応が消失した敵潜水艦の所在を探知できていない。現在対潜戦部隊が捜索を始めているが、今のところ発見の見通しは立たん。相手がどこにいるか分からんうちに下手に動けば、それと気づかないうちに敵射程内に入り、攻撃される危険がある」

 「その潜水艦を見つけられるまで、どれくらい待てばいいんです?」

 「恐らく、少なくとも30分はかかる。場合によってはそれ以上の可能性も」

 「30分!?冗談じゃない、そんなに待たされてたら発見前にこっちは燃料切れになります!!ならば、何かしら代替策を…!!」

 「艦隊の動きが封じられている以上、こちらから打てる手は限られている。少なくとも、潜水艦を再度発見し撃沈するまでは、艦隊を動かしての支援攻撃は難しい」

 そう応じる伊賀の声にも、悔しさが滲んでいた。東亜にしてやられた、それが海軍と空軍の双方に共通する思いだった。結果的に見れば、当時はまだ敵艦隊の陣容を把握する前だったとはいえ、エスペランサ隊の発艦タイミングは早すぎたのだ。無音航行可能な通常動力型潜水艦2隻で第2護衛隊群の動きをけん制し封じることで、艦隊と発艦済の航空隊を分断。そうして支援が受けられず単独行動を余儀なくされたエスペランサ隊を、艦対空ミサイルで集中攻撃する。それこそが、東亜海軍側の意図だったのだ。

 対潜と対水上の二正面は避けたいというのが日本側の考えだったのに、結果的には強制的にその展開に持ち込まれた。こうなった以上、こちらはうまく頭を使ってそれを乗り越えるしかない。肥後は2人の会話を耳にしながら握りこぶしに力を込めると、覚悟を決めて伊賀に命令を下した。

 「艦長、第2飛行隊・アサシン隊に発艦準備を命じろ。同時にはるな・ひえい・はつづきには対空戦闘用意を下令。エスペランサ隊の護衛にあたらせろ」

 「ハッ」

 「対艦ミサイルを撃てずとも、味方航空機を狙うミサイルをSM-2で叩き落すことはできる。航空団が危険な状況なら、それを守りきるのが艦隊の役目だ。…、分断などさせてたまるか」




【悲報】両舷同時発射シーン、描けず。

頭の中でストーリー展開を描いている時は、自分の場合はアニメを見てる感じで(実写映像の場合もある)脳内再生されるので、いろんなシーンを1話の中に詰め込めそうな気がしてしまうんですが、実際に文章化するとすごく長くなりがちなんですよね。まさかラストシーンのためにもう1話追加する羽目になるとは思いませんでした。

一応、次回が本当にこの戦闘のラスト部分になる予定でいますので、最後までどうぞよろしくお願いします(なるべくテンポよく、ポンポン更新できるよう頑張ります)。それではまたお会いしましょう。

※3/22追記
投稿後ではあるものの結末部分がどうしても納得いかなかったため、加筆修正しました。


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第七章:最終決戦(中篇その2)

ご無沙汰しております、R提督です。テンポよく投稿できるようにとか言っておきながら、半年以上も間が空いてしまい申し訳ありません。この間新しく決まった職場での業務が多忙だったうえ、学生時代から長らく連れ添っていたPCもついに寿命を迎えてしまったので、執筆できる環境がなかなか整いませんでした。ストーリーは頭の中でできていたのに…!!

本来、今回と次回の投稿はいずれも第六章の残りになる予定だったのですが、流石に6話も一章分で使うのは長すぎるということで、内容も考慮して新たに第七章を作ることにしました。行き当たりばったりで章立てまで変わってしまい恐縮ですが、よろしくお願いします。ではどうぞ。


 オリオン事件以来、蒼の許可を得て久しぶりにCICに駆け付けた灰原は、測量隊及びサポートで帯同した立入検査隊全員の復帰完了の一報に、胸をなでおろした。部下の柳田ともども、出撃直前にも関わらずドッキリに成功して笑い転げていた前夜からは一転、今の彼女は当然そんなお茶らけた雰囲気は微塵も見せない、完全な戦闘モードである。

 「ましゃか天津号ん時に続いて、それも敵艦隊ん目ん前で戦場に出ていくことになるなんて…。無事に戻ってこれて何よりばってん、本当に生きた心地がしぇんかった。正直、うちゃこれ二度とやりとねえですばい」

 思わず漏らした言葉は本音だろう。そんな彼女の右肩を、蒼は労うように叩いた。

 「必要な行動とはいえ、無茶な事させて悪かったわね。あなたがちゃんと取り仕切ってくれて助かったわ、ありがとう」

 一瞬、女性らしい穏やかさを浮かべたその表情はしかし、次の瞬間に冷静な指揮官としてのそれに戻った。蒼の目が、測量隊と立入検査隊が海中に投下した潮流測定装置の位置を示す、モニター上の赤い光点を捉える。

 「おかげで、これで現在のこの海域の潮流データがリアルタイムで手に入る。2隻の潜水艦を捜索する手がかりには間違いなくなるはずよ。それに、なんとなくだけど敵艦隊の狙いも掴めてきたしね」

 「えぇ。測量隊や立入検査隊への対応から、確かに自分にも彼らがやろうとしていることはある程度見えてきましたね」

 「どういうことです、少佐?」

 頷いた河内に、我那覇が問いかける。

 「東亜側は、撃てばひとたまりもないようなこちらの短艇には目もくれず、あくまでもエスペランサ隊への艦対空攻撃を優先した。海中に装置を投げ込んでいる以上、自軍の潜水艦の行動にも何らかの影響が及びうることは、当然分かっていただろうにもかかわらず」

 河内は冷静な表情を崩さないまま答えた。

 「彼らの狙いはあくまでも航空団だ。ミサイル基地への攻撃さえ封じられれば、彼らにとっては勝ったも同然。艦隊攻撃が実らなかったとしても『あくまでも本土防衛のための行動』という対外的な言い訳が立つし、弾道ミサイルによる日本本土への再攻撃というカードは残るからね。航空団に対処している間は、艦隊の方は潜水艦でけん制することで、航空団への支援の動きを封じておけばそれでいい。通常動力型潜水艦を2隻も派遣して、わざわざこちらが探知可能な深度で一旦待ち伏せさせたのもそのためだろう」

 「通常動力型は原潜と違って、いったん水温躍層に隠れられればソナーではほぼ探知できなくなるものね。『この海域のどこかに動向不明の敵潜水艦がいる』とこちらに意識づけさせることが、彼らの意図だったのよ」

 蒼も同調する。

 「彼らが短艇に見向きもしなかったのはもう1つ…。今回潮流測定装置を投下したのが、恐らく艦隊の周囲9km圏内だったからってことね。東亜潜の交戦距離は9000。探知機をまいた範囲内なら、よしんばこちらに居場所を掴まれても即座に反撃できる」

 「だから、測量隊と立入検査隊がほぼ丸腰で展開していたにもかかわらず、敢えて敵水上部隊は発砲しなかった。その代わり、こっちが探知したその瞬間に攻撃されてもおかしくない、そういうことですね」

 「えぇ」

 蒼が頷いたのを見て、我那覇の表情がより一層引き締まった。敵艦隊の意図を見抜いた2人の士官に対する感嘆と、より一層高まった緊張感とがまじりあったCIC内に、最先任指揮官の声が響き渡る。

 「総員、第6分隊が体を張って集めてきたデータを、絶対に無駄にはしないように。敵艦発見と同時に魚雷が飛んできても全くおかしくはないわ。レーダー員、ソナー、全周警戒を引き続き怠らないで」

 

 エスペランサ隊の僚機全てにいったん引き返すよう命じた高橋は、操縦桿を握りながらコックピット内で次の一手を1人思案していた。しょうかくからの第2飛行隊・アサシン隊の発艦、すなわち味方の編成が5機から10機に増えることは、高橋にとってもちろん朗報であることには間違いはない。その決断を下した肥後に対しては、無事母艦に帰還した暁には何度でも頭を下げるべきだろう。

 問題は、手元の残弾のうちフリーハンドで撃てる残り1発を、どのタイミングでどのように使うかだ。今この瞬間にも、敵艦隊が艦対空攻撃の第2波を仕掛けてこない保証はどこにもない。300ノット超の超高速で飛び回ることで、必然的に大量の燃料を消費する空戦において、意思決定の遅れはすなわち死が一歩近づくことを意味する。最終的な攻撃目標であるロケット軍基地の前に立ちはだかる北海艦隊を前にして、高橋は決断を迫られていた。

 その時、レーダー上に5つの光点が突然現れた。それに合わせて、彼の耳に同僚からの呼びかけが届く。

 「アサシン1よりエスペランサ1へ。本隊、これより貴官らに加勢する」

 声の主は、アサシン隊を率いる浦賀勇翔少佐だった。高橋とは、第85航空団において常にエースパイロットの座を競い合ってきた間柄だ。彼らにとっては、お互いは頼れる相棒であり、かつ仕事へのモチベーションを高めてくれるライバルでもある。もちろん、今この瞬間においては頼もしさの方が圧倒的に勝ると言えるだろう。

 「エスペランサ1よりアサシン1へ。助かった、加勢に感謝するよ」

 「高橋、ちんたらしてたら目標を仕留め損ねるぜ。奴さんをブチ殺すためのアイデアはいい加減固まったんだろうな?」

 一転してべらんめえ調で問いかけてきた浦賀の言葉に、戦闘のさなかにもかかわらず思わず苦笑いが漏れる。空軍士官として、また戦闘機パイロットとして常にスマートであることを心掛けてきた自分とは対照的に、浦賀は言葉遣いも荒ければ血の気も多い武闘派タイプ。高橋自身も認める並外れた腕前がありながら、第1飛行隊の編隊長の座に手が届いていないのは、そういう事情もあるかもしれない。

 「あいにくだが、それができていれば援軍なんてそもそも頼んじゃいないさ」

 「けっ、うちのエースパイロット様は暢気なもんだな。まぁいい、俺にアイデアがある。考えが浮かばねぇってんならお前も乗れや」

 浦賀はそう言うと、発艦待機中に温めてきたという戦術を口にした。

 「2機1組で、2方向から同時に南寧以外の5隻を狙う。攻撃目標は前甲板のVLSだ。あそこに撃ち込んで真っ二つにしちまえば、敵艦は船としての機能を完全に失う。主砲やミサイルはもちろん、艦橋もただじゃ済まねぇだろう」

 「まずは周りの護衛艦から片付けるってわけか。問題はお互いのタイミングをどう合わせるかだ、イキって先走るような真似だけはするなよ」

 「お前こそ、出遅れるようなら承知しねぇからな。…、行くぞ!!」

 その言葉を口にするとほぼ同時に、左正面からやってきたアサシン隊の5機は高橋の眼下を通過していった。それを追いかけるように、エスペランサ隊の5機も勢いよく方向転換を始める。全10機の戦闘機に対し、高橋と浦賀からの指示が飛んだ。

 「エスペランサ1よりエスペランサ隊全機へ。これより、アサシン隊とともに南寧以外の5隻を攻撃する。各機、目標設定はアサシン1の指示に従え。敵艦隊に対して、我々がフリーハンドで撃てるのは次の1発だけだ。しくじるなよ」

 「アサシン1よりアサシン隊、及びエスペランサ隊全機へ。コールサインのナンバーが同じ機同士で、バディを組んで攻撃しろ。攻撃は左右両サイドから、敵艦の前甲板VLSめがけてJSMを叩きこむ。泣いても笑ってもチャンスは1回だ、絶対に逃すんじゃねぇぞ!!」

 

 ふそうのCICに男の声が響いたのは、第2分隊による敵潜水艦の捜索が続けられているさなかだった。

 「ネプチューン、シーファントム。ソナー再探知、敵潜水艦1隻浮上中!!」

 声の主は、練習艦かしいに乗り込んでいる土佐だった。かしま型練習艦2番艦という位置づけの同艦は、対潜ソナーとしてネームシップと同じOQS-8を装備している。普段これを操るのは、士官学校を卒業したばかりの若い新任少尉たちだが、今この瞬間に限れば使い手は駆逐艦きさらぎから移乗してきた、現場経験豊富な面々だ。積んできた経験値は段違いである。もちろん、探知したのはかしいだけではなかった。

 「本艦でも再探知しました!!方位角320度、距離9000、深度400。このキャビテーションノイズは…、間違いありません、遠征82です!!」

 安河内が声を上げる。確かに、画面上では敵艦を示す赤色に塗られたマークが、1つだけ再び現れていた。蒼が問いかける。

 「ソナー、探知できてるのは1隻だけ?」

 「1隻のみです。遠征83は依然動向不明!!」

 「遠征82の状況は?」

 「魚雷発射管外扉開口音、魚雷発射管注水音はいずれも探知なし。艦首はこちらに向いていますが、まだ攻撃態勢には入っていない模様です」

 安河内が答えた。

 「了解、引き続き警戒を怠らないで」

 蒼はそう命じると、再びモニターに顔を向けた。その目が、画面上に映し出された敵艦隊の姿を鋭く捉える。

 (相手は既に交戦距離に入ってる…。捜索のために機関を止めてる以上、この状況で先にこちらが撃たなければ、長魚雷の餌食になるしかないわね)

 蒼は覚悟を決めると、すかさずしょうかくに座乗する肥後に攻撃準備を具申した。

 「マイティクレーン、ネプチューン。遠征82発見、攻撃許可を」

 「ネプチューン、マイティクレーン。直ちに攻撃準備に移れ」

 肥後の命を受けた伊賀からすぐに返答が来る。

 「了解。水雷長、短魚雷1番から3番、遠征82に照準」

 「ハッ!!目標、遠征82。短魚雷1番から3番、攻撃用意!!」

 蒼の命を受けた我那覇が、あらかじめ準備させていた左舷側の短魚雷3発の発射準備を命じる。それに呼応するかのように、魚雷員が素早く攻撃準備を始めた。そんな中、河内は一人怪訝そうな顔で呟いた。

 「なんだか妙だな」

 「妙って、何が?」

 その呟きを拾った葛城が思わず聞き返す。それに対して、河内は顔を向けた。

 「本艦と敵艦との距離はたったの9000。この間隔は向こうにとっての交戦距離であるのと同時に、この船にとっても射程圏内だ。先に撃たなきゃやられる距離なのは、向こうだって分かってるだろう。おまけに、自艦の存在を探知され得る深度までわざわざ上がってきたのなら、不利なのは遠征82の方のはず。それにもかかわらず、何故攻撃準備をしているそぶりすら見せてないんだ?」

 「どういう理由にせよ、向こうが攻撃準備を整えてないならこっちにとっては好都合よ。1隻しか探知できてないなら、まずは1隻ずつ潰すしかないわ」

 蒼が応じた、まさにその直後だった。突然、安河内が大声を上げる。

 「艦長、水雷長、待ってください!!」

 「ソナー、どうした?」

 我那覇が聞き返す。それに対する安河内の返答は、信じがたいものだった。

 「水中にてミサイル発射音聴知!!小型目標2、本艦隊に向け高速で接近してきます。攻撃目標は…、はるなです!!」

 

 思いがけないタイミングでの攻撃による被弾で、はるな艦内は一気に騒然となった。

 「右舷弾薬庫付近に被弾、火災発生!!」

 「死者・重傷者多数、集計に時間がかかります!!」

 「応急班、弾薬庫の消火作業と当該区画の非常閉鎖を急げ!!グズグズしてると誘爆で沈没することになるぞ!!」

 次々に上がってくる報告に対し、津軽は矢継ぎ早に命令を下した。自分の命を受けた部下たちが、鬼気迫る表情でそれぞれの持ち場へと駆けていく。

 思わず、舌打ちが漏れた。まさか、自分が率いるはるなが最初の被害担当艦になってしまうとは。決して注意を怠っていたわけではない。あの2隻の潜水艦が姿をくらませて以降、いつ自分たちが再び遭遇してもいいように、捜索を始めた対潜戦担当艦の動向には気を配っていたはずだった。だが、誰が考えただろうか。2隻の潜水艦のうち1隻が自らを囮にして、もう1隻への注意をそらせようとしてくるなどと。

 もちろん奇策には違いない。そもそも、同一海域に自軍の潜水艦を複数送り込む時点で、可能な限り同士討ちを防ぐことを考える一般的な海軍の定石からは、完全に外れた戦術と言っていいだろう。確かに群司令の言うとおり、こんな手を使ってくる相手に教科書通りの戦法など通用しないのかもしれない。

 「ダメージコントロール、被害状況を報告せよ!!」

 「後部VLS、7・8・14・15・16・23・24・32番破損!!SAM及びSUM、いずれも発射不能です。その他AWS(イージス武器システム)、リンク16及び機関部はオールグリーン、航行・発電とも支障ありません!!」

 「応急第1班よりCICへ、右舷弾薬庫火災鎮火及び非常閉鎖完了。二次被害なし!!」

 「了解」

 津軽は頷いた。残念ながら手負いの状況にはなってしまったが、イージスシステムも艦橋も機関も幸運にも無事だ。まだ何とか戦うことはできる。弾薬庫が1か所やられてしまった今、手元に残ったカードをどのように切るべきか。それこそがこの艦の最先任指揮官として、考えねばならない最優先事項だった。

 「衛生兵、被弾区画での負傷者救援を急げ。まずは軽症者を優先だ!!」

 

 一方のふそう艦内。

 「ソナー、遠征83の現在地はまだ特定できないの!?」

 「現在捜索中です、お待ちを!!」

 先ほどから変化のない安河内の返答に、蒼は唇をかんだ。既に捉えている遠征82、それとは全く別の方角からはるな目がけて行われたミサイル攻撃で、もう1隻の潜水艦である遠征83がやはりまだ生きていることは確定した。だが、発射管外扉開口音などの手掛かりがある魚雷とは違い、潜水艦の対艦ミサイル攻撃は正確な位置を掴むことが非常に難しい。捜索に時間がかかるのはある意味必然と言えた。

 とはいえ、相手の居所をいつまでも掴めないままでは作戦行動に影響が出る。既に、左舷側の魚雷発射管1~3番は、遠征82への攻撃準備が整った状態だ。蒼、沢渡、我那覇の号令次第でいつでも撃てる状況にある。これに対して、遠征83を狙う右舷側の4~6番は、当然ながらまだ攻撃できる状況にはない。そして射程距離に捉えている遠征82とて、いつ攻撃準備を完了させて仕掛けてくるかは分からないのだ。

 しかも現状での位置取りを考えると、他艦のサポートを頼むのは難しい状況と言えた。同じ対潜戦担当艦であるのわきは、元々ふそうが陣取っていたしょうかくの左舷側におり、その射線上にはもちろん旗艦がいる。一方、遠征83により近いと思われるしょうかくの右舷側では、ひえいとはつづきが航空隊へのサポートのため、対空戦部署を発動した状態だ。もちろん、被弾したはるなにもサポートの余裕はないことは言わずもがなである。

 このまま定石どおりに1隻ずつ仕留めるべきか、それとも「公約」通りにあくまで2隻同時に叩くことを優先するべきか。蒼は決断を迫られていた。その時、CICから不意に声が上がる。

 「艦長!!測定装置6番、潮流データ送信を突然停止しました!!」

 その声に、蒼をはじめ一同の目が第一メインモニターの方に向く。見ると、確かに艦隊の右側辺りに先ほどまであったはずの赤い光点が1つ、何の前触れもなく消えていた。

 「本当だ…。まさか故障…!?」

 「このタイミングでなんでいきなり…!?」

 その事実に気が付いた幹部や海曹が、それぞれ思い思いの台詞を呟きながらお互いに顔を見合わせた。

 「装置に何があったの?測量長、ちゃんと動作確認はしてあったんでしょうね!?」

 「もちろんばい!!なんでよりによってこげんタイミングで…」

 我那覇の怒声に、思わず灰原が反射的に怒鳴り返す。

 「2人とも黙りなさい、聴音の邪魔よ!!大体こんな状況下で、幹部同士が口喧嘩なんてしてる場合じゃないでしょうが!!」

 即座に2人の言を咎めた沢渡に対しても、灰原はなおも口をつぐもうとしない。

 「ばってん副長、あん装置は深度4000m以上の深海帯ん水圧にしゃえ、耐えらるーような代物ばい。そう簡単にぱげるほどヤワじゃなかとです。よほど何か頑丈な物体にでも衝突したんであれば別ばってん…」

 その言葉に、敏感に反応した者がいた。蒼だった。即座に灰原の方に振り向き、その台詞を問いただす。

 「測量長。今の言葉、もう一度言ってみなさい」

 「今ん言葉、ですか?そう簡単にぱげるほどヤワじゃ…」

 「違う、その後!!」

 何事か意図が分からず、思わず目をぱちくりさせながら口ごもった灰原に対し、蒼はさらに勢い込んで言葉を投げかける。

 「よ、よほど何か頑丈な物体にでも衝突したんであれば別ばってん…」

 「それよ!!」

 艦長のひと際大きな声に一同が目を丸くする中、蒼はすぐさま安河内に問いかけた。

 「遠征83が発射したミサイルが、海面から浮上した位置は特定できてる?」

 「大まかな推定でよろしければ、ある程度は絞り込めてますが」

 「それでもいいわ。今すぐマーキングした画像を第一メインモニターに出しなさい」

 その命令の意図を量りかねながらも、安河内が画像をメインモニターの映像と重ね合わせたその瞬間。沿岸警備隊員・海軍軍人の別を問わず、CICにいた誰もが息をのんだ。遠征83が発射したミサイルの大まかな浮上位置は、故障した測定装置6番が先ほどまで存在していた地点とほぼ同じだったのだ。

 「これって、ましゃか…」

 灰原が呟く。その無意識に発せられた一言が、再びふそうのCICが喧騒を取り戻す号砲となった。

 「測量長、6番の投下位置は?」

 「さ、30度54分80秒ノース、125度40分89秒イースト、深度500!!」

 蒼の問いかけに、我に返った灰原が慌てて答えた。

 「了解。水雷長、聞いたわね。短魚雷4番から6番、測定装置6番に照準。遠征83はその付近にいるわ。急いで!!」

 「Aye, ma'am!!短魚雷4番から6番、測定装置6番に照準。急げ!!」

 蒼の命を受け、我那覇が急ぎ魚雷員に右舷側の短魚雷発射準備を命じる。そのさなか、CIC内に安河内からの思わぬ報告が上がった。

 「遠征82、魚雷発射管開口音聴知!!」

 それは、このタイミングにおけるある意味最悪の知らせと言えた。自らを囮にして遠征83のミサイル攻撃を目くらましした遠征82が、今度は自ら攻撃を仕掛ける準備に入ったのだ。グズグズしていれば、両舷同時発射の前に自分が雷撃を食らう羽目になる。時間がない。

 「魚雷員、急げ!!」

 内心焦りを隠せない沢渡が思わず叫ぶ。CICとの物理的な距離や戦闘中の騒音を考えれば、発射管を最前線で制御する海曹士には決して届かないにもかかわらず。しかしその思いが通じたのか、「短魚雷攻撃用意よし」の一声が上がったのは、それから10秒も経たない程度のタイミングだった。すかさず、蒼が満を持して攻撃命令を下す。

 「対潜戦闘、目標遠征82及び83。短魚雷1~6番、攻撃始め!!」

 「短魚雷発射用意…、てぇっ!!」

 蒼に引き続いての我那覇の命令を受けて、ふそうの左右両舷からそれぞれ3本ずつ、短魚雷が海へと飛び出した。その様子を直接、あるいはモニター越しに目撃した海軍と空軍の軍人たちが、「本当に同時に撃ちやがったよあいつら…」とばかりに顔を見合わせる。それを意に介することなく、6発の魚雷は一目散にそれぞれ定められた目標へと突撃していった。

 

 「報告!!遠征82及び83、撃沈されました!!」

 部下からの耳を疑うような報告に、南寧のCICにいた曹と楊は驚愕の表情を浮かべた。

 「82と83がやられた…!?」

 「2隻同時だと!?やったのはどいつだ!?」

 「せ、先頭にいるあの巡視船…、ふそうです!!」

 「なっ!?」

 楊の歯が、怒りと悔しさのあまり無意識にギリッという音を立てた。今回の戦闘の引き金となった、首都ミサイル攻撃未遂事件の火元であるロケット軍の上海ミサイル基地。その破壊のために、天津が落とし損ねたF-35Cを国防空軍が再び差し向けてくることは、東亜側とて読んでいた。遠征82と83は、そのF-35Cの母艦となるしょうかくを中心とする国防海軍第2護衛隊群をけん制・幻惑し、さらには撃破するための切り札だったのだ。

 それを2隻とも仕留めたのは海軍でも空軍でもなく、よりによって沿岸警備隊だと。世界を見渡してみれば、沿岸警備隊には軍事的機能をも持つものもあれば、持たないものもある。かつての海上保安庁は後者、その後継組織である日本国沿岸警備隊は紛れもなく前者だ。同じ「Japan Coast Guard」の英名を引き継いではいても、組織の性格や有り様は全く変わっている。とはいえ、現在の彼らにとっても対潜戦闘は副次的任務として担いこそすれ、決して本分たり得ないはず。それなのに…!!

 楊は、ちらりと上官である曹の顔に目を向けた。冷静を装う彼もまた、その表情には今までとは違う焦りの色を隠しきれなくなっている。この男は、「あの巡視船は我が艦隊にとってのXファクターだ」と口にした。その時は「一体何を言っているんだ」という思いもよぎったが、その見立ては正しかったと今は認めざるを得ない。流石に、我々東亜海軍の潜水艦を長征2901も含め、計3隻も葬るとは彼とて予想はできなかっただろうが。

 「不運にもこれではっきりしたな、先ほどの私の言葉は嘘ではなかったと」

 ふと、曹が口を開く。その言葉と、固く握りしめられた拳が怒りで震えていることに、楊はすぐに気が付いた。

 「梁級を2隻も…。こんな形で自分の言葉の正しさが証明されることなど、私も望んではいなかったがな」

 「艦隊司令。なんにせよ敵艦隊に対する抑えがなくなった以上、我々も敵航空団にばかりかまけてはいられなくなりました。ここは敵艦隊への攻撃に打って出るべきかと」

 「あぁ。だが、敵戦闘機はまだ上空にいるはずだ。役割分担は明確にせねばな」

 曹はそう答えると、レーダー員の1人に「敵航空団の状況は?」と尋ねた。

 「敵航空団、5機編隊から10機編隊に変更。2機一組で進行してきます。高度11000フィートで変わらず、敵速290ノット、進路0-1-0」

 「了解」

 「10機編隊で2機一組だと?先に出た5機が前衛につくわけではないのか。ならばこちらは1隻余ることになるが」

 頷いた曹を横目に見ながら、楊が怪訝そうな表情で呟く。

 「おそらく、本艦以外の5隻を先に叩くつもりだろう。旗艦を丸裸にできれば、上空突破もより容易いというわけだ」

 「では、我が南寧を敵艦隊への攻撃に充て、他5隻は個艦防空に…?」

 楊のその意見具申に、曹は首を横に振った。

 「いや、それよりもいいやり方がある」

 「は?」

 思わず目をぱちくりさせた楊を尻目に、曹は一転して不敵な笑みを浮かべた。

 「物は頭の使いようだ。対空・対水上の二正面を強いられるなら、どちらの局面もうまく利用してやろうじゃないか」

 

 ふそうによる遠征82・83撃破の一報は、上空で攻撃準備に入る高橋と浦賀にも届いた。

 「CDCよりエスペランサ1及びアサシン1へ。敵潜水艦2隻を撃破した。状況知らせ」

 「CDC、エスペランサ1。Copy, まもなく南寧の護衛艦計5隻に対し再攻撃を実施する」

 「エスペランサ1、CDC。了解、成功を祈る」

 返答した高橋の耳に、CDCの伊賀からの声が届いた。

 「魚雷の両舷同時撃ちか…。空母が職場とはいえ、あくまで空軍の戦闘機乗りの俺にとっちゃ魚雷の運用方法は専門外だが、まさか海軍の奴らですら度肝を抜く作戦を実戦で成功させちまうとはな。沿岸警備隊もなかなか命知らずなことしやがるぜ」

 浦賀が呟く。

 「どちらにせよ、艦隊が邪魔者を消してくれた以上今度はこちらの番だ。仕切り直しと行こうじゃないか」

 「おうよ」

 高橋の声にほんの一瞬ニヤリと笑うと、浦賀は僚機全8機に対して呼び掛けた。

 「アサシン1より全機、各自指定された目標をロック。JSM攻撃用意!!」

 だが、その交信に返ってきた答えは日本語の「了解」でも、英語の“Roger that”でもなかった。僚機のうち1機が、思わぬ言葉を投げかけてくる。

 「エスペランサ2よりアサシン1へ。敵艦隊、進路1-2-0に転舵する模様。目標にうまくロックオンできません」

 「転舵だぁ?相手の艦がいくら優秀だろうと、戦闘機の機動性には勝てねぇよ。その程度の悪あがきに踊らされんな、やるべきことをやることに集中しとけ」

 浦賀がやや呆れたような口調で、そんな台詞を吐いたその時。突然、機内にけたたましいアラーム音が鳴り響いた。それは、高橋や浦賀をはじめとする戦闘機パイロットが戦闘空域において最も聞きたくない音。自機が敵艦または敵機に再びロックオンされたことを、彼らに知らせるブザーだった。




この第六章改め第七章で描く第2護衛隊群vs東亜北海艦隊の戦闘ですが、対潜戦闘と空対艦戦闘が同時並行で進行するので、作者も頭を切り替えるのがなかなか大変だったりします。作者は艦これやジパングからミリタリーの世界に入った海軍ファンなので、空軍の戦闘描写は不慣れですしね。しょうかく(翔鶴)が海空共同運用艦である点も含めて、「空母いぶき」なんかも参考にしたりしてますよ。艦の見た目はいぶきとは似ても似つきませんが…。

次回は文字通り第七章の締めとなる予定です。次こそは間をそこまで開けずに投稿できるよう頑張ります…!!それではまたお会いしましょう。


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