GAZORT (いろはにぼうし)
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GAZORT
明日もきっと腹が減る。
明後日もその次も。
罪はずっと増え続ける。
突然だが、皆はヒーローと言う存在についてどう思うだろうか?
遠い場所から、あるいはとっても近い場所からやって来て、悪者をやっつけて去っていく。
見返りを求めず、決して理解されない。自らの正体を明かさない。
優しさに溢れ、悪意に晒されながらも、心の光を失わない。
そして、いつも皆を助けてくれる。
正義のヒーロー。皆の憧れ。
まぁ、この話にはヒーローなんて出てこないのだけれど。
某国某所。夜。
月が赤く輝く夜。
吹きすさぶ風に、紫の髪を揺らす少女は水色のマフラーを口元に当てた。
(寒い‥)
少女は夜中に、それも人通りの少ない廃墟を歩いていた。
ちかちか、と点滅する壊れかけの白熱街灯だけが道を照らしている。あの電灯が光を失うだけで、この廃墟は完全な暗闇に包まれるだろう。それでも少女はその道を選んで歩いていた。
否。彼女は選んでこの道を歩いているのではなく、選べない故にこの道を歩いているのだ。
彼女に選択肢はない。
どうしたって彼女は、人の居ない道を歩く必要があったのだから。
それは数年前の事。
地球に1つの隕石が飛来した。
それは本当に本当に小さな小さな隕石だった。
遠くからそれを見た少年は流れ星を無邪気に喜んだ。
近くからそれを見た少女は落下した隕石を見物しにやってきた。
遠いか、近いか。
少年ももし落下地点の近くに住んでいたなら、その隕石を眺めに行っただろう。
少女ももし落下地点から遠く離れた地に住んでいたとするなら、手を合わせて祈るだけにとどまっただろう。
少年にとっての取るに足らない一日は、少女にとって悪夢の始まりだった。
隕石を眺めに行った先で少女を待っていたのは、黒い帽子をかぶった背広姿の男だった。隕石のすぐ近くに立っていた彼は、少女を見てにっこりとほほ笑んだ。
微笑が、とても似合わない顔だった。
『やぁ、お嬢さん。君も隕石を見に来たのかい?』
警戒する少女に、男は声をかけた。
『怖がらなくてもいいよ。君は隕石を見に来た。私は君を待っていた。それだけの事じゃないか』
『私を、待っていた?』
隕石ではなく、私を?
隕石の落下は事前に宇宙観測センターから告知されていた。だからもし男が
『隕石をまっていたんだ』と言えば、少女もまだ警戒心を解いただろう。
しかし、目の前の男は、それを許さない程度には奇怪だった。
機械的なまでにぶれない奇怪さだった。
『いやいや、隕石のことだって、私は待っていたよ? 珍しい事なんだ。電離層に住む彼らがこんな隕石になって地上に来るなんて。私の知っている彼らとは色も異なるし、もしかすると本当に別の星から来たのかもしれないね』
そう言って、男はまたほほえんだ。微笑み過ぎて、口が裂けているようだった。
少女は恐ろしくなり、逃げ出そうとして。
振り返った瞬間、男に胸倉をつかまれた。
『駄目だよ、話は終わっていないんだ。お母さんに、大人の話はちゃんと聞きなさいと教わらなかったかな?』
男はそう言って拳を握り。
少女の腹を思い切り殴りつけた。
『が、は―――』
激痛が走る。肺の中の空気ごと、内臓が口から出ていく感覚を覚えた。
思わず口を開けた少女に、男はまたほほえんだ。
『Happy birthday、■■■■■■』
男が少女を殴りつけた手を、こんどは少女の口の中に突っ込んだ。
『お、え』
驚くほど、声が出なかった。
それもそうだ、口が手でふさがっているのだから。
否、少女の口を塞いでいるのは手だけではない。
男が、少女に何かを飲ませている。
じゅるり、と、得も言えぬ不快感が少女の喉を通過していく。
(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダ!! 私、何をされてるの!?)
男が少女の口から手を引きぬいた。
手に付着した粘液が、糸を引く。
『ああ、ガ ア ア ア ッ!?』
次の瞬間、少女の体に異変が起こった。
身体の奥が熱い。
何かが変わる。内側から変わる。
少女を人間足らしめている何かが、バックリとわれる。
少女が何かに食われていく。
『さぁ、トモダチ百人できるかな?』
その言葉が、少女の記憶している最後の記憶だった。
それから数年。少女は少女の姿のまま、けれど何かが決定的にずれたまま今日にいたる。
ひたすら人を避ける。
ひたすら孤立する。
それが少女が体内に飼っている『獣』に対する、現状とれる唯一の抵抗だった。
けれど、運命は残酷だ。
彼女の前に、いつも極上の甘味を置いて行く。
それは悪意か。
否、当たり前の話。
彼女が彼女である限り。
彼女が彼女で在りたいと願う限り。
運命はいつも彼女を殺しにかかる。
くちゅり、くちゅり。ぐち。
彼女の耳が、廃墟の片隅からの異音を捕えた。彼女は導かれるようにその音の方向に歩いて行く。
一歩、また一歩。
暗闇と瓦礫を踏みしめて歩いた先にあったものは。
ちぎれた女性の腕を食べる、一体の異形の姿だった。
『ンまぁいなぁ=美味しいなぁ』
異形は、暴竜の姿を取っていた。頭にヘルメットをかぶっていたが、割れたバイザー部分から見える顔は、鋭い牙に暴虐の目を備えていた。その癖、話す言葉は妙に知性的だった。
異形はしばらく憑かれたように誰かの腕をしゃぶっていたが、ややあって彼女に目線を剥けた。
『おんやぁ、ウマそうな女がいるぞぉ=お前は俺たちの仲間か?』
「ううん、ただ通りかかっただけ」
『ウマそうだ、ウマそうだ=臭うぞ、君からは俺と同じ匂いがする』
異形は涎を垂らしながらケラケラと嗤った。
『オマエを喰いたいなァ=まさか人間じゃないだろうな? なんだか妙な感じだ』
「人間だよ、私は。たぶん」
『うれしいなァ=そうか?』
「ねぇ、コレ、君がやったの?」
彼女は積み上げられた瓦礫と、当たりに飛び散った肉片、人間だったものを指さして尋ねた。
『ぐひひひひ=そうだよ? まぁ構わないだろう。君はコッチ側だ。唯の人間のことなど気にしないでくれよ』
「そう」
「じゃあ、あなたが今日の『トモダチ』ね」
彼女が『変わる』。
マフラーが風に乗って飛ぶ。
紫色の髪は逆立ち、美しい琥珀色の瞳が、獰猛な輝きを宿して金色に。
マフラーで隠していた、ふっくらとした桃色の唇が、頬まで裂けた。
歯が全て抜け落ち、鋭い牙は現れる。
変態する。
肩の皮が裂ける、服を突き破る。飛び出た骨が高質化して、黒い体表が現れた。
胸部から腹部にかけて変色し、灰色の表皮に包まれる。無数に浮かぶ黄土色の斑点が、涙をこらえる子供の顔のように歪んでいた。
『ナンダ、ナンダナンダ!?=やっぱり同業者か? ほら、君も喰えよ』
異形は自らと同種の生物と出会えた嬉しさからか、食べていた女性の腕を彼女だったものに差し出した。
彼女だったものはその腕を黄色の眼で見つめ。
ぶちん、と。
差し出された男の右腕を食いちぎった。
『イギィイイイイイイイアアアアアアアアアアッ!?』
ぶち、ぶちん。
彼女だったものは異形の腕を口の中で咀嚼する。
その表情には悦が入っていた。
『ナニスンダ、ナニスンダ!!=テメェェェッ!? 仲間だろうがァァ、俺達はよぉオオオオ!!』
『トモダチ、トモダチ=そうネ、仲間ダわ、トモダチだわ、私たチ』
異形の腕を呑みこみ、彼女はゆっくりと歩を進める。
一歩、一歩。彼女のトモダチの元へ。
『サミシイ、タベタイ=トモダチは、大事ニしたいノ。だかラ、私ハ人間ノ前には行かナい。私が、人間でアルために』
一歩、一歩、人から離れていく。
『トモダチ、ゴチソウ=デモ、それだとお腹が減っテ耐えられないから。だから』
『■■■■■■ノ、タベモノ!=私は、獣を食べる人間ニナル』
「また、服ダメにしちゃったな‥」
月夜の静寂。幾回の悲鳴を終え、彼女は元の姿に戻っていた。風に乗ったマフラーを見つけだし、首に巻く。
変態の際に体の骨格が変化するので、服は全て破れてしまっている。
彼女は目を閉じて自分の腹部に、まるで慈しむように手を当てた。
『トモダチ、ゴチソウ! トモダチ!!』
「そう。まだ足りないの?」
『トモダチ、トモダチ!』
「…、まぁ、これでいいか」
彼女は廃墟に落ちていたボロ布を体に巻いた。素足だからか、瓦礫だらけの大地を歩くたび、すこし痛い。
一歩ずつあるくこの足が、なんだかとても痛い。
「…む、いけない」
彼女はぺっ、と口から何かを吐き出した。
黒いガラス片、先ほどまでヘルメットの一部だった物だった。
「行きましょう。人間を守らなくちゃ。私が人間であるために」
彼女は歩く。裸足の足で。
人間であるために、人の道から外れ続ける。
作られた彼女は、同族を喰い続ける。
彼らはトモダチで、人間は友達だから。
その先に救いは無い。
彼女は人間に殺される。
その生涯を通じて、何も守らず、何も取り戻せず。
ただ惨めに死んでいく。
彼女は何を残すのか。
決してヒーローになれない彼女。
怪しい獣になってしまった彼女。
彼女の名は、【GAZORT】。
彼女がその後、何処に行ったのかは誰も知らない。
唯一つハッキリしている事は、後世人間が悪い『怪獣』を全滅させたと言う事実のみである。
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