灰かぶり凛ちゃんと意地悪な大人たち 〜目指せトップアイドル (りんちゃんP)
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花屋での出会い 四月十六日 (月)

 四月九日の午後、私は一人、憂鬱な気持ちでお店の手伝いをしていた。

 

 両親が切り盛りしているこの店はそれなりに繁盛している。ひもじい貧乏暮らしをしているわけでもなければ、かといってお金に余裕がある富豪でもない。

 

 こうしている今も店の裏でお得意先の企業に花の宅配の準備をしている両親や社員の忙しない姿は、決して暇で儲けのないシャッター商店街の花屋ではない、家族を養っていける花屋だろう。

 

 父や母が宅配で店を離れる時、店番をしているのは私か社員の人のどちらかだ。最近の私は学校もあるので手伝える時間は減りつつあるが、こうして時間に余裕のある日は店番の仕事をしている。

 

 今の私は店内の花に囲まれながら、カウンターで店を守る番人だ。だが、お客さんは私が店番を始めてから来ることなく、カウンターから離れてぶらぶらと店内で陳列されてある花たちを眺めていると、近くに丁度良いイスと台を見つけた。

 

 私は誘惑にふらふらと負けるように木製の椅子に腰を下ろし、そのまま手前に置かれていた台に膝をついてあくびをしながら、ぼんやりと花壇にある白いアネモネを眺めていた。

 

 だからだろう、背後から近づいて来る気配に気付くこともなくバシッと、ハリセンで叩くみたいな音が店内に響いた。

 

「……痛い」

 

「お客さんがいないからってだらしないわよ。そこのドアはガラスなんだから、裏はともかく店の中にいる凛の姿は丸見えよ? 女の子なんだから、そんなだらしたない姿しないの」

 

 「うるさいな」なんて小言を言いながらも立ち上がり、後ろで仁王立ちする母親の姿を見る。私とお揃いで着ている紺色のエプロンに右手には蒼色の傘、左手にはさっき私を叩いたであろう丸めた本、紫のブラウスと黒のパンツは着飾らない動ける女を思わせる。

 

 後ろで束ねる髪は見慣れた光景だが、今日は所々に化粧をしている。派手すぎず、かといってしてないわけではない母のおしゃれは性格を表しており、自分も歳をとったらこうなるのだろうかと考えた。

 

「配達、今から行くの?」

 

「ええ、今日は二件回ることになっているの。あんまり遅くはならないと思うけど、店番よろしくね」

 

 行ってらっしゃいと一声掛ければ、母は本を鉄製の台に置いてから、店先のドアを開き、手前で止められているお店専用の車に駆け込む。白のワンボックスカーはエンジンを鳴らし、渋谷方面へ向けて車は走っていった。

 

 父によると、それなりに良い車を買ったらしいが、車に興味のない私は「ふーん」と話半分にしか聞いていなかった為、荷室が広いぐらいしか聞いていなかった。

 

 店の裏からの梱包の音や話し声が聞こえなくなれば、両耳に聞こえてくる音は環境音だけ。外を走る車の騒音や通行人の話し声も、密閉されているこの店には、うっすらと聞こえる雨の音に混じって聞き取りにくい。

 

 晴天ならば店前のトビラは開けっ放しで、花や植物を通路前に並べるのだが、今日は朝から扉が閉まっている。外はあいにくの天気だ。雨よけもあるが、花言葉は知っていてもそれなりの知識しかないので、あんまり自分から動かして売り物がダメになることは避けたい。

 

 誰にも言われなかったから店内はそのままだと自分自身で結論を出し、溜息をつきながらどんよりとした気持ちは隠せなかった。部屋の環境も過ごし易く、花にとってもちょうど良い湿気や温度で設定されている快適さとは裏腹に、私の心は沈んだまま。マイナス思考の自分はあれこれ考え始める。

 

 特に、今日は最悪といっても良い日だ。

 心情は空に浮かぶもやもやした灰色の雲のように、先の見えない未来に怯えていて、私の心は不安と恐怖でぐちゃぐちゃになっていた。

 

 店先の通路を歩いている人はおらず、お客さんが来るまでの間、とそんな怯える未来を考える時間にリミットを保険のように掛け、エプロンのポケットに折り曲げて入れていた一枚の紙を取り出す。

 

 『未来の進路』

 

 真っ白の紙に記載された大きな文字は、色とは裏腹に地獄への正面入り口の門のように私を出迎えていて、もらった当初はたじろいでしまったほどだ。構成はシンプルにこの文字と将来の進路を記載する枠があるだけ、その遊びのない構成が私の心に自然と焦りを生み出していた。

 

 学校で周りのクラスメイトは、それぞれ談笑をしながら思い思いの未来予想図を張り巡らせていた。保育士になりたい、看護師になりたい、絵を描く人になりたい、思い思いの未来を浮かべる人を見て、私は頑張ってほしいと言いつつ、くだらないと思っている自分もいた。

 

 そんなものになれるはずがない。私はどこかでそう決めつけていて、夢を見る彼女たちを内心で見下しながらも、話しかけられた時にはなれるといいね、なんて嘘と無責任な言葉を吐いている自分に嫌気がさしたほどだ。

 

 その後。ふと、目に付いた隣の人の将来の進路予定は公務員だった。

 

 就職が難しいと言われている今の時代、安定した職業はそれだけで人気だ。なりたい仕事のランキングでも公務員は男性で一位だったのを思い出し、ニュースで夢のない世代なんて言われていたのを思い出す。

 

 実際、夢なんて幻想よりも優先するべきものは自分の生活だ。お金が無ければ生活も出来ないし、そもそも夢も追えない。だからこそ、未来がある程度確約されていると思われている公務員が一位なのは頷けるし、私自身も公務員になるかは別として、現実を見つめる事は大切だと思う。

 

 結局、学校でその進路予定表を書けずじまい。後日提出と言われ、書類を捨てるようにバックにしまい込んでの友達との帰り道、「凛は花屋だから良いよね」と言われた事を思い出す。それは、最悪の時は逃げ道があるよねという嫌味にも聞こえた。

 

「──おおきくなったら、お花屋さんになる」

 

 つい、口癖のように言っていた小さい頃の言葉を呟き、苦笑してしまう。

 

 冗談も良いところである。花の知識だって中途半端、現に今もこうして自分のことで考えるので精一杯の私が、花屋になんてなれるはずもないし、何より一生懸命働いている父と母に失礼である。

 

 花屋になるつもりだった幼い私だったが、ここまで二人が努力をしてきた姿を見て現実を知っていった。時には配達に失敗して電話越しに頭を下げたり酷い天候の中でも花を届ける父、お客さんに怒鳴られていらない謝罪をする母、二人が衝突してしまう事もあった。

 

 そんな二人の背中を見て、私はいつしか花屋になると言わなくなった。口だけでそれを言うのは失礼な気がして、私が花屋になると小さい頃に言ったのは、忙しそうな二人を助けたかったからだと理解したのだ。

 

 いつも苦労してる二人を助けたい、そんな幼い親切心みたいなものを夢とは言わない。小さい女の子の定番でもある「お父さんと結婚する」と同レベルで無責任な言葉だ。父も母も小さな私の宣言をを聞いても、花屋としての知識を植え付ける事をしなければ、道を強制した事さえもない。それが本気ではないと理解していたのだろう。

 

 適当に隣の人と同じ公務員になりますって書こうと、ペンを台の左下の引き出しから取り出し右手に持った時、私の利き手は紙の上で不思議と止まったままだった。別に障害を持っているわけでもなければ、骨折や怪我をして動かないなんてこともない。無理矢理動かそうと脳から神経に命令させれば、身体は勝手に書いてくれる。

 

 けれど、その動きを規制している組織が身体のどこかにあった。組織的に言うならば、裏切り者。身体のどこかがこの命令に対して反乱を起こし、今もそれは継続中なのだろう。……まあ、反乱者の名前は分かっていて、そんな適当に書いたものを提出したいとも思わないが。

 

「──」

 

「……あっ、いらっしゃいませ!」

 

 ガラス張りのドアが開かれ、手前の道路を走行する車のエンジン音が聞こえた瞬間、店の中には春の強い風がビューと入り込み、雨が地面に打ち付ける鮮明で荒れた音が私を現実へ引き戻す。思考の世界から帰還した私はインターネットのラグの様に反応が遅れるも、何とか立ち上がって最低限の行動はとる。

 

 今日、私が番人となってから初めてのお客さんだ。この雨と風の荒れた天候の中でも来てくれるお客さんは丁重におもてなし、と母に言われた言葉をふいに思い出し、不自然ではない程度に客の動きを横目でチラッと覗くように観察する。

 

 男の外見は普通の会社員だった。全身をシワのない黒のスーツ姿で揃え、首元には青色のネクタイを巻き、塞がる両手には白のビニール傘とバックを持つ、朝の満員電車ならば飽きるほど見そうな人だ。

 

 だが、そんな服装とは裏腹に不自然なところがあり、せっかくの顔が勿体無いと思うほどだった。

 

 それは、彼の異常な程の濡れ具合と息の乱れだ。はぁはぁとまるでマラソンで全力疾走した後の人みたいに荒れており、髪は外の雨で傘をさしていないのか前髪はベトベト、汗もあるのか匂いは男臭く、スーツで隠れている白シャツは若干避けていて、中の肌着が見えてしまっていた。

 

 そんなに今日は暑いのかと思うも、その答えは否と結論を出す。

 

 今日の朝、学校へ行く前に見ていたニュース番組での人気コーナーの一つ、天気予報では暑いなんて予報は出ていなかった。所々で入り込む変な駄洒落──「雨雲が目立ちますので、雨具もいっしょに持ちましょうね」みたいなのは気になったが、天気予報の進行人の高垣楓という人はそれが魅力らしい。

 

 まずは風邪をひくといけないと考え、カウンターに置いてある真新しいタオルを手に取り、駆け足で客へ向かう。まるで運動部の先輩と後輩みたい、と持っていく時は内心で苦笑しながらもタオルは使うかと問いかける。彼はペコッと忠犬な犬のように頭を下げてからスーツを拭き、水滴がポタポタと落ちる部分はなくなる。

 

 じっくり見たその顔は悪くないスタイルと顔立ち、人の容姿を点数化するのは好きではないが、一言で言えば、芸能人の人たちに比べると劣るが普通の一般人よりも少しかっこいい、クラスで四番目にかっこいいみたいな人が的確な言葉だろう。

 

 拭き終わってからカウンターへタオルを戻した後、そんな失礼な事を考えていた。

 

「……あの、すみません」

 

「はい。どうしましたか?」

 

 数分間、さっきから花を見つめて「うーん」と自問自答していた男の人がカウンターにいる私へ声を掛けてくる。だが、その声にはどこか自信が無い。まるで不安そうにおどおどした子犬みたいで、さっきとは反転したかっこいい印象のギャップが、あんまりにもおかしかったからなのかハナコの時みたいに笑顔で接してしまった。

 

 仕事を手伝うときは基本的に敬語だが、今のように声を掛けると、勘違いをされてストーカーがついた前科もあったので少し反省する。

 

「えっと、知り合いが熱で倒れてしまって。家へお見舞いに行くのに、花を欲しいんですけど……」

 

 そんな彼はそんな私の口調から安心感を抱いたのか、犬がしっぽを振るみたいに口調がはっきりしてくる。まだ少し話しにくいが、私だって見知らぬ他人と話すことは結構苦手だ。店員だからといって、強気な態度をとる最近の酷い客よりはやりやすい。

 

 それに、結構優しそうなら男の人だなと言うのが私の第一印象としてあった。こんな雨の中、仕事帰りに花屋に立ち寄ってお見舞い用の花を買う、もし自分が彼氏にこんな事をしてくれたら嬉しいし、同性同士の親友でもその気持ちは変わらない。まあ、嬉しさの度合いは違うが。

 

 そんな風に舞い上がっていた私は、ついついそうであれば良いなというの意味も込めて聞いてしまう。

 

「お相手は彼女さんですか?」

 

「……へっ? いやいや! そんな、彼女だなんて! あの子は仕事のパートナーみたいなものですよ!」

 

 質問の返答に数秒の間があり、最初のおどおどした感じとは打って変わってペラペラと言葉を並べて話す。彼はある程度の共通点があれば話せる人で、彼女の事もよく理解しているのだろう。顔を赤くして必死に否定する姿は、小学校の頃に同じネタでからかわれた同級生の姿を思い出し、思わず笑ってしまう。

 

 誤解されていると勘違いしたのか「違いますからね!」と必死に念押しするも、女性である事を否定しなかったのと、家を知っている時点で、ある程度の関係性はある事は確信していた。こうなると、少してを貸したくなるのが乙女心である。色恋沙汰には、女の子は首を突っ込みたくなるお年頃なのだ。

 

「じゃあ、プリザーブドフラワーはどうですか? 花の匂いもありませんし、手入れもありません。生花もありますけど、身体の免疫力が弱い人とかに結構おすすめなんです。熱ならあまり気にする必要はないかもしれないですけど、どうしますか?」

 

「生花ではなくプリザーブドフラワーでお願いします。彼女、身体が弱いので」

 

 自分が知っている知識で商品を進めてみたが、彼女のことを気遣って真剣に花を選ぶ姿を見て、ここまで思われている女の子は幸せ者だなと思った。

 

 その姿はまるで王子様とお姫様の関係で、女性を気遣って行動する彼の姿にまさにぴったりとも言えるものだ。……これで髪が乾いていればなおよいのだが、それだけ彼女を思って急いでいると考えれば、十分にカッコいいと見方を変える。

 

 仕事でも注文した事があるらしく、既に出来上がっているものからある程度要望に近いものを出す形になり、私は彼の希望する花を訪ねてみた。

 

「何か指定の花や色があればある程度は合わせますけど。どうしましょうか?」

 

「全体的に明るめの色で。あとは、出来ればでいいんでどこかに青系統の色を一つでよろしくお願いします」

 

 「わかりました」と一声かけてカウンターを抜けてバックヤードへ向かう。自然と歩きは走るように速くなり、早く花を買って彼女の元へ向かってほしいという思いが強いからだろう。やっぱり大切な人へ送る花は何より特別だと思うし、彼の努力も報われるべきだと思う。

 

 体調を崩した時、父さんが花を一輪渡してくれて、たったそれだけのことでも私は心の花が満開になったみたいに満たされた。その気持ちを知っているからこそである。

 

 裏へ着けば、辺り一面にはダンボールや資材、複数の作業台や外で飾る時に使う柵が置かれている。その密集地を抜ければ、複数のプリザーブドフラワーの商品がケースで置かれており、その中からお客の要望に合うものを探す。

 

 オレンジ系統に青系の花や小物を使った商品の数はあまり多くはなく、大体はどちらかの色で固まることが多い。二つの色は反転しており、うまく型にはまらないことが多いからだ。

 

 無いなら作れば良いという話があるように、要望があった際には作ることもウチでは出来るのだが、それだと結構な時間がかかってしまうし、あまり現実的とは言えない。そもそも出来ているもので良いとのことだし、相手はかなり急ぎの筈だ。傘をささず走っていなければアレだけ濡れる事はない。

 

 時間がない中で徐々に焦りも生まれる中、何かないかとあたりを見回した時に、偶然一つの商品を捉える。

 

 それはさっきまで配達の梱包作業をしていたダンボールやリボンがバラバラに散乱する床の上に置かれた台、そこにたった一つのプリザーブドフラワーとそれが複数個収められている、開けっ放しのダンボール箱を見つける。

 

 忘れ物かと一瞬考えるも、横に置かれた配達のリストを見れば、そこには新商品と書かれた商品で、一部をアイドル事務所へ発送するものだったらしい。

 

 バーコードを裏で置かれたレジでスキャンすれば、しっかり登録されている商品だったのでそのまま会計も可能、リストには矢印で明日販売というメモ書きもある。恐らくは配達用で作ったものが少し余ったので、残りを売ろうとしているのだろう。メモ書きにもそういった事が記載されていて、契約書のコピーと言えるものも束ねてあった。

 

 不用心だなと思いつつ、肝心の商品を見る。花にはオレンジや黄色といった明るい花々が添えられている中、シンデレラの話でよく見る青白いガラスの靴のオブジェクトがカーゴに取り付けられており、全体的にバランスのよく、女性に送るにはぴったりの商品だ。

 

 私は思わず見とれてしまった自分の頬を両手でバシッと切り替えるように叩き、お姫様な彼女にはこれしかないと確信し、勢いのままダンボールから一つ取り出してお客さんの前へ戻る。

 

「すみません。在庫を探したらこういう商品を見つけまして、一応候補の一つなんですけどどうしましょう? 他の商品にしますか?」

 

 すると、男の人は何故かその商品を見て、目を見開いたまま惚けてしまっていた。その驚いた姿を見て、これではいけないのか、とこの商品を選んだことを反省しようとしたが、相手側から拒否の言葉が発せられず、様子もどちらかと言えばこれが来たことに驚いている様子だった。

 

「いえ、この商品でお願いします」

 

 男の人は驚きからその言葉を捻り出すので精一杯だったようで、「よろしいですね?」という私の確認の声に頷くことしか出来ない状態だった。カウンターのレジで会計をしている最中、私達の間に気まずい雰囲気が時間と共に流れる。

 

 最初はそんなに驚くほどのものなのかと思ったが、よくよく考えたらこの商品はまだ販売されていないものである。明日から出回るものとはいえ、今日の時点ではまだ売られているものではない。もし、この人が花に携わる仕事をしていた場合は驚くだろうし、場合によってはうちの店そのものにも影響が現れるだろう。

 

 そう考えた時、私はなんだか無性に怖くなった。

 

 最初は良かれと思って、家で待つ彼女のことを考えて、明日発売だがこの商品を選んだ。けれど、契約は絶対である。両親に迷惑が掛かるかもしれない。今更そう考えた時、悪い予感は沼にはまるように広がっていく。人に嘘や悪い言葉を勢いで言った時、段々と罪悪感が現れるまさにその現象が、今の私の状況にぴったりだろう。

 

 大丈夫、一つぐらいなら平気だ。もし、男の人が関係者で指摘するならば無言だった最初のところで言及してるはず。大丈夫、大丈夫。必死に自分の中でこの行為を正当化し、帰ったら父と母に謝ろうと矛盾した決断する。

 

 今からこの商品の販売を取り消しにする事も出来るが、今も家で待つ彼女にはこの花を受け取ってほしいという気持ちもあり、結局こういうことに甘い私は何も出来なかった。

 

 今日は本当に厄日だと溜息をつき、同時に、それが自分自身で招いたツケだと理解もしていた。

 

「……あの、大丈夫ですよ? この商品、僕が働いている会社で注文した花なんです。実際に注文したのは自分ですしね。──それに、よく出来ていますよ。彼女にも喜んで貰えそうです」

 

 そんな私の危うい雰囲気はどうやら目の前の彼にはお見通しだったらしく、この商品を選んだ私の行動に感謝と肯定の言葉を並べる。

 

 うちに花を注文した会社の人というのも驚きだが、社内で注文した社員も同一人物というのは何かの縁を感じるほどに、出来すぎているなぁと思ってしまう。真偽は別にして、彼の一言は私の心の重りをちょっと軽くするには十分だった。

 

 会計を済ませ、赤ん坊を抱きかかえるような繊細さで黒のビジネスバックに購入した花を仕舞う。一息ついたのか腕につけてある時計を見て、ギリギリ間に合いそうだな、と何かに安堵をしている様子だった。

 

 それは、まるでこれから予定外にない行動をとるような雰囲気、言うなれば放課後に校舎裏や誰もいないところでの告白、もし好きですと言われたら目の前の男を痴漢や変質者のように軽蔑すると、咄嗟にその事が頭に浮かぶほど嫌な予感がした。

 

 これまで同じようなことの経験は私にもあるが、今は私と話すよりも、早く彼女の元へ早く迎うべきでは?と考えているからだ。

 

「──あの!」

 

 その人はまるでこれから人生の大一番をする時、スポーツ選手ならば大会直前に気持ちを落ち着かせる行為みたいに深呼吸をして、こちらへ声を掛けてくる。いよいよ、彼にとっての大一番が始まったなと実感し、こちらは溜息を隠せなかった。

 

 その時の彼の表情は必ず成功させるという決意で現れているのか、表情が人形のようにガチガチで固い。彼に好印象を持たない人ならば背けるような悪寒、私のお客さんでもあるのでを視線からは外さなかったものの、返事をする事が出来なかった。

 

 やはり、最初に笑ったのが間違いだったのだろうか? と自分の中で後悔し始める。まるで花の蜜を吸うために蝶がこちらへやって来る。特に気にもしてないが、こうして異性に声を掛けられるような経験は決して少ないわけじゃない。大概は、私にとってはくだらない、一方的な気持ちの押し付けが殆どだ。

 

 一体、何を問われるのかが怖くて。また無慈悲に興味ないといって切り捨てる絶望的な顔を見るのかと考え、逆上した時の身の危険を訴える身体の震えは止まらなかった。

 

「──アイドルに、興味はありませんか?」

「……はあ?」

 

 しかし、聞こえてくる決意表明した彼の言葉は、まるで魔法の呪文のように意味のわからない言葉の羅列だった。だってそんなこと、今まで一度も考えた事がなかったから。カウンターで呆然としている今の私の姿は、まるでアホの子みたいに口をぱっくり開けていて、さぞ無防備だったことだろう。

 

 その恥を隠すように私は、会話を打ち切る。「ありがとうございました」と接客を終わらせる必殺の一言を告げるも、諦めが悪いのか、彼は押し付けがましく書類だけを置いて嵐のように私の心を乱して去っていった。

 

 スーツ姿で外へかけ出すその姿は私がシンデレラならば、さながら彼は意地悪な魔法使いだったと、真っ白な書類に記載されている右下のアイドル事務所のロゴマークのお城を見て、童話のシンデレラの話を思い出した。



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