提督をみつけたら三次創作〝君が提督を見つけたら〟 (ジト民逆脚屋)
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『ウチ』と『君』

この作品は源治様の書かれている〝提督をみつけたら〟の三次創作となっております。
かなりの独自解釈が含まれておりますので、ご注意ください。

また、何か問題があれば当作品は即座に削除いたします。


最後になりましたが、〝提督をみつけたら〟という素晴らしいお話を書かれた源治様に感謝を。


遠く、遠く離れた位置、眼下に広がる雲海の下に、とある町の遠影を見る事の出来る。

白い、白一色の息を吐き出し、二つ括りの髪を揺らした少女が、鋭い視線を背後に向ける。

 

「遅い、はよせんと日が暮れるで」

「この、クソババア……」

 

軽く蹴落とした。急な山道を、質量のあるものが転がり落ちる音を聞きながら、懐から煙草を取り出し火を点け、紫煙を一吐きすれば、割りと派手な足音を付けて上がってくるのが聞こえる。

 

「こ、このクソババア! なんて事を! あたしが可愛くねえのかよ?!」

「ウチをクソババア呼ばわりする様なガキは知らんわぁ」

「さ、最低! 最低だ、このロリババア……!」

 

次は強めに蹴った。だが、手応えが無い。何かと、視線を下に向ければ、赤い髪が避けていた。

 

「へっへーん、そう何度も蹴り落とされて堪るかっての……」

 

杖で突き落とした。少しばかり深く入った様な手応えがあったが、あれはあれで頑丈なので大丈夫だろう。

先程より長く転がり落ちる音を横に、眼下に広がる雲海の下、遠くに影となっている町を見る。

 

「……そっかぁ、もうそんなになるわな」

 

身震いをして、煙草を携帯灰皿に押し付ける。どうにも冷えた様だ。まったく、たまの我が儘を聞いてみれば、碌な事ではない。

先程より派手な足音に振り向けば、登山杖に寄り掛かり、此方を睨む赤髪があった。

 

「ババア、テメエ! あたしが死んだらどうすんだ!?」

「食い扶持が浮いて、ウチの財布が楽になるな」

「このババア最低だ! 子孫が可愛くねえのかよ!」

 

杖で軽く額を小突く。汚れ塗れの顔を拭ってやれば、血色の良い頬が見える。

 

「可愛くない訳ないやろ。ほれ、しゃんとしいや。君が見たがっとった町やで」

「……ちぇ、このババアめ」

「なんや、見たないんか?」

「見るよ! その為にこんな馬鹿みたいな山登ったんだ!」

 

赤髪が此方を押し退ける様にして、雲海に臨めば感嘆の溜め息が聞こえる。

 

「あれが艦夢守市か……」

「そや、あれが一番艦娘が集まる町や」

「あたしが来年から住む町か……!」

 

言えば頭をひっぱたかれた。

 

「君、まだ受かってへんやろ」

「けどよ、手応えはあったんだ!」

「手応えだけでどうこうなるやったら、世の中努力の必要は無いわ」

 

高下駄で展望台に露出していた岩肌を蹴り、軽くよく響く音を鳴らす。雲を下に臨む山頂、邪魔をする物も無く、冷えた空気によく響いていく。

 

「まったく、なんでウチがこんな山登らなあかんねん」

「いや、そりゃ婆ちゃんが言ったじゃんか」

「当たり前や。ウチはあの町には行きたない」

「それが原因だよ!」

 

赤髪が指差して、二つ括りの髪が揺れる。しかし、よく響く声だ。煙草を取り出し火を点ければ、赤髪が更に喚いた。

 

「大体、あたしは下見に行きたいって言ったんだ!」

「だから、来たやん。下見」

「下に見るんじゃねぇぇ!」

「煩いわ。ちっとは静かにしいや」

 

杖で軽く小突けば、良い音がする。きっと中身が詰まっていないのだろう。

我が子孫ながら、哀れな事だ。

 

「可哀想に……」

「イッテェ……、って何が? 自分が?」

 

持ち手で振り抜いた。やはり良い音がした。

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

思えば長く永く生きたものだと、正直にそう思う。

今住んでいる町が影も形も無く、漸く通った鉄道に人が集まりだした。そんな、かの町が出来上がる気配すら無かった黎明の時代。

ちょっとした(まじな)い、占いや憑き物落としで食い扶持を稼いでいた頃、他の陰陽軽空母仲間と露店で安酒を煽っていた時、その日〝ウチ〟が始まった。そう記憶している。

 

「お~い、来たぞ~」

「なんや、また来たんか」

「また、そんな事言って、嬉しい癖に」

「やかましわ」

 

司令官と出会い、人並みに恋をして、何やかにやと色々と騒いで楽しんで、悲しい事も憤る事も多かったが、概ね幸いと言える時間を得て、新たな命も得た。

 

「おとんとおかんは何も言わんのかい」

「二人共、行き先がここなら安心だってさ」

「さよか」

 

すると、奇妙な事が起き始めた。己の子が提督適性を持っていた。また、珍しい事があるものだと、司令官と仲間達と、酒を酌み交わしながら笑ったものだ。

 

「婆ちゃん、腹へった」

「あんな、君、家で飯食っとらんのか?」

「婆ちゃんの飯の方が旨いんだよ」

「おかん聞いたら泣くで、それ」

 

そして、この子はきっと大丈夫だと、心底安心した。きっと良い仲間を得て、良い時間を過ごして、好い相手を見付ける。

そう思った。そして、そうなった。

隣の司令官に皺が増え始めた頃、子に子が出来た。初孫だ。あの時ははしゃいだものだ。

 

「だって、母ちゃんの煮物塩辛いんだ」

「塩辛いて、ああ、あの子東の出やったね」

「醤油味、汁が黒いんだ」

「東はな、出汁の違いやね」

 

すると、どうした事か。その初孫まで提督適性を持っていた。驚いた、危うく腰を抜かしそうになった。

息子に続いて孫まで提督、有り得ない事が起きた。しかも、軽空母適性だった。

 

「東は鰹節、西は昆布、味付けも東は醤油で確り付けるけど、西は塩と醤油を少し入れるだけやな」

「何で?」

「水の違いや。この国は全体的に軟水や。けど、東は硬水で昆布出汁が上手い事とれん。やから、鰹節に醤油で旨味をぶつけて強い味にすんねん」

「じゃあ、西は?」

「西は軟水でも、特に軟水でな。昆布出汁がとりやすかったし、ほれ、京都。嘗ての国民憧れの土地の料理がそれやった」

「西はミーハーだった?」

「他にも運送の問題とかあったけど、単純に文化の発信地やったわけやな。ほれ、昆布巻き」

「やった、婆ちゃんの昆布巻きだ!」

 

父、子、孫。三代続いての提督。何ぞ憑かれているのでは、そう疑いもしたが、悪い事が起きる気配も無く、日々が過ぎていった。

そして、司令官が杖無しでは歩くのが辛くなってきた頃、孫に子が出来た。

そして、その曾孫にも提督適性があった。

背中に冷たいものを詰められた。そんな気がした。三代続いての適性、出来すぎだが、これはまだ偶然や奇跡で片付けられる。

だが、四代目は流石に無理だ。そして、曾孫の適性は孫に続いて軽空母だった。

 

「ほんま好きやね」

「婆ちゃんの昆布巻き旨いもん」

「さよか」

 

憑き物落としで、何か悪いものでも憑いてきていて、それに気付けなかったのかと、己を責めた事もあった。

だが、司令官はきっと違うと言い切った。

きっと、頑張って生きてきた龍驤に、幸いを見届けろと、誰かが言っているんだ。

何も無かった時代から、新しく市を興して町になって、そこで小さな体で吹き飛ばされそうになりながら、それでも歯を食い縛って生きてきた。

きっと、そんな龍驤に見届けて欲しいんだ。君なら大丈夫だと、そう言い続けて欲しいんだ。

 

――だから、頼んだ。

 

ウチは司令官にそう頼まれた(呪われた)

そこで気付いた。除籍日が解らない。艦娘なら、己の除籍日が何時なのか、近付いてきているのか、そうでないのか。解る筈なのに、気付けば解らなくなっていた。

 

「婆ちゃん、あたしさ」

「なんや?」

「受かったよ。学校」

「さよか」

 

終わりが来ない。気が狂いそうだった。だが、狂えなかった。曾孫の子もまた提督、しかも同じく軽空母。

その子も、そのまた子も、その孫も、そのまた孫も、息子ならずっと提督が続いた。

ああ、これは死ぬに死ねん。こうも頼られたら(呪われたら)、手を払い(祓い)きれん。

そして、その見届ける日々が数え切れない程に続き、とある町で、ずっと一人で頑張り続けている金剛の噂が耳に入った頃、何代目かの子に娘が出来た。

その娘は艦娘だった。

提督の次は艦娘か。己の血筋はどうかしている。そう久々に思った。

 

「婆ちゃん、あたしさ。提督に会えるかな」

「そりゃ、解らん。まあ、この町よりあの艦夢守市の方が会えるやろ」

「そうかな」

「せやろ」

 

艦の夢を守ると書いて艦夢守市。なら、己も行けば守られたのか。この呪いの様な永い時間から。

そう思い、幾度となくあの町に足を向けたが、駄目だった。

町から出られない。否、あの町に行けない。仮に守られるのであれば、

 

――頼んだ

 

司令官の頼み(呪い)も断ってしまうのではないか。

あの人と過ごした日々が消えてしまうのではないか。

確かにあったものが消えてしまう。そんな確証の無い恐怖に駆られて、結局は戻ってきてしまう。

 

「だから、婆ちゃん……、えっとな……」

「どしたん?」

「やー、んー、と、まろーん……」

「なんやねんな」

 

そして、提督(息子)艦娘()を見届けて、また幾年月、この赤髪の娘があの町に行くと言った時、ストンと、己の中で何かが終わった気がした。

そして気付いた。

 

「まろーん……」

「どうしたん? というか、君は困るとすぐそれやね。昔から変わらんわぁ」

「……えぇい! 婆ちゃん、あたしと艦夢守市に行こう!」

「………」

「あの町ならさ、いっぱい色んなものがあるしさ。ほら、デカイショッピングセンターとか、婆ちゃん好きそうな店とかあるし……」

「艦娘がやっとる病院もある、か?」

「……あの後聞いた。婆ちゃん、最近調子よくないって」

「あの子は、敵わんなぁ」

 

己に終わりが近いと。

そして悟った。ああ、そうか。この娘をあの町に送り届けるのが、己の役目だったのか。

まったく、永いお役目だった。だがそれも、もうすぐ終わる。

 

「だからさ、婆ちゃん、あたしと一緒に行こう」

「行かんよ」

「婆ちゃん……!」

「ええか、ウチの除籍日は近い。もうこれはどうにもならん」

 

ああ、そんな泣きそうな顔せんでや。

ああ、そうか。役目がどうのと、関係無かったのだ。己はこの顔を見たくなかっただけだったのだ。

 

「やだ」

「聞き分けや」

「やだ」

「君はええ子や」

「やだ!」

「江風!」

 

青い瞳から大粒の涙が溢れるのが見えた。

 

「龍驤婆ちゃんが一緒じゃないとやだ……!」

「……江風、ええか」

「やだ……」

「江風、よう聞きや。君はきっと幸いを見付ける。龍驤婆ちゃんが保証したる」

「やだよ……」

「だから、そん時は司令官連れて()いや」

「やだ……、……へ?」

 

涙が引っ込んだ。よくよく、表情を変える子だ。

 

「なんや、ウチがすぐ死ぬ思ってたんか?」

「え? いやだって、婆ちゃん調子よくないって、え?」

「阿呆やなぁ、そんな直ぐに除籍日が来るかいな。まあ、君があの町行ったら暇になるし、旅行でもしよか」

「婆ちゃんのバカ!」

「誰がバカや、アホ娘」

「婆ちゃんがバカだ!」

「せやったら、この肉吸いと進学祝いの小遣いは要らんな」

「ゴメン婆ちゃん天才……!」

 

ホンマ、コロコロと表情変える子やね。

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

本日は晴天なり。良い日和だ。

 

「でさ、婆ちゃん。あの町変わった人が多くてさ。尖った金髪の人や、殺し屋みたいな人や、ラリアットしそうな人が居るんだ」

「……それ、大丈夫なん、君?」

「大丈夫大丈夫。だって、あたしは龍驤婆ちゃんの血を引いてんだからさ」

「なら、かまんか」

「あっさりし過ぎじゃない?」

「ウチの血筋やったら、殺し屋ラリアットも平気やろ。ウチらの頃は妖怪ベスパ女とか居ったし」

「何それ初耳」

「提督や艦娘が困っとると、何処からともなく、赤いジャージに青いベースギター背負った変な女が、黄色いベスパに乗ってやって来て、お悩み解決っちゅうやつや」

「妖怪?」

「妖怪や。何せ、ウチの若い時から居るしな。こないだも走っとったわ」

「嘘だろ龍驤婆ちゃん」

「マジやで江風」

 

アレも随分永い事在る。まあ、そういったものなのだろう。

 

「そうなんだ。あたし見た事無いけど」

「ウチの子が何を困るかいな。ウチが居るんやで」

「流石だよ婆ちゃん……!」

「で、今日はどうしたん? 仕事決まったんやろ?」

「……うん、でさ、婆ちゃん。その、えとな……、まろーん……」

「ホンマ、変わらんね」

「えっと……、その……」

「司令官、見付けたんやろ?」

「うん……、でも今日はどうしても無理だから、明日来るって」

「さよか。江風の司令官か。……歓迎せなあかんな」

 

言って、大巻物と符を取り出すと、江風が慌てて止めに来る。

 

「婆ちゃんダメだって!」

「ええい、離せい。ウチの子に手え出した若造に、灸を据えたんねん!」

「まだ手繋いだだけだから!」

「ならええわ」

 

転ける江風を他所に、湯飲みを傾ける。ホンマ、昔から変わらん子やね。すぐ騙される。だがまあ、提督関係で艦娘を騙すのは不可能だから、心配は無用だろう。

 

「もう、婆ちゃんは……。って、あ、そうだ。婆ちゃんは、新婚旅行って何処行った?」

「ちょっと、艦載機の皆と散歩行ってくるわ」

「待って! 単純な疑問、提督関係無いの!」

「……なら、ええわ。つか待てよ。ウチ新婚旅行行ってないわ」

「え?」

「ああ、そやった。ウチの頃は新婚旅行みたいな余裕無かったんやった」

「……ゴメン婆ちゃん」

「ええよ、ウチの分も君らで行って()いや」

 

少し身震いをする。ああ、天気良くても、少し冷えるわな。

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

ホンマ、昔から変わらんええ子やね。

 

「婆ちゃん、有難うな」

「いきなりなんや、薄気味悪い」

「いや、この晴れの日に、そんな事言われるとは思わなかったよ」

「冗談や。馬子にも衣装と、実に言い表しとるな」

「婆ちゃんが選んだんじゃんか」

「そやったか」

 

白い、白い衣装に身を包んで、江風が笑っている。

ああ、良かった。この子も幸いを得たのだ。

 

「あのさ、婆ちゃん。いつかも言ったけどさ……」

「そやな。ウチも行くか」

「本当!」

「旅行に」

「へ?」

 

気の抜けた顔やね。ウチが旅行に行くのが、そんなにおかしいんか?

 

「知らんのか? ウチも若い時はブイブイ言わしとったんや。新婚旅行は行ってないけど、旅行はしとったわ」

「婆ちゃん……」

「手の掛かる子も貰われていくし、ウチは司令官との思い出巡りでもするわ」

 

そんぐらいの我が儘、許されるやろ。

噂やと、あの町の金剛も一人やなくなったらしいしの。それより永い事頑張ったウチや。我が儘放題やな。

 

「婆ちゃん、有難う」

「ええか、江風。出汁は確り取りよ。男は胃袋掴んで舌引っ張ったら一発や」

「婆ちゃん、それ違う意味で一発だ」

「ええやろ。江風、何かあったらウチを呼びや。……どっからでも爆撃したる」

「婆ちゃん婆ちゃん、何か凄い言ってるよ!?」

 

気のせいや。ウチらの時代やと普通やで。

 

「江風、幸せになりよ」

「……うん」

「ウチらの子やから、大丈夫やろうけど、二人でちゃんと幸せになって、三人四人と……」

「婆ちゃん、婆ちゃんみたいには無理だよ」

 

言うやんか。

 

「ウチらの子やから、大丈夫や」

「……有難う、婆ちゃん。………元気でね」

 

ああ、ホンマ良い日和やわ。けど、少しだけ肌寒いわ。

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

「まだ残っとったんか……」

 

人里離れた山奥で、そんな呟きがあった。辺りは既に暗く、僅かに点々と白い明かりがある。

その外灯の明かりの中、やけに喧しいエンジン音が、山を降りて行くのが見えた。

 

「まったく、お互い永いもんやね」

 

朽ち果て、奇跡的に形を残しているボロ小屋に呟けば、木の長椅子が軋んだ。

 

「司令官、君と初めて会ったのは、ここやったね」

 

瞼を下ろせば、嘗ての喧騒が甦る。あの頃は、ここが繁華街だった。喧しく猥雑で、人が生きている。そんな実感のある日々だった。

 

「おっと……」

 

腰を上げようとすれば、膝から抜ける。もう満足に体が動かない。新しく孫が出来たのに、目も焦点が合わなくなってきた。

 

「大丈夫大丈夫や、ウチらの子やからな」

 

手の掛かる子、だが大丈夫だ。

あの子は幸いを手にして、その子もまた、幸いを得ていくのだ。

何故か。

決まっている。己の血筋はそうなっているからだ。

 

僅かに震える唇で笑みを作り、煙草を口に加えようとする。

 

「お」

 

よれた煙草が長椅子に落ちた。苦笑し、手を伸ばそうとした時だった。

 

「龍驤さん、こっちの方がよくない?」

 

そんな気楽な言葉と共に、中身の詰まった新しい箱が、目の前に差し出される。

 

「隼鷹かいな」

「はいよ。飛鷹も居るよ」

 

見れば何時かの見慣れた姿が居た。

 

「ちょっと隼鷹、煙草やめなさいって」

「龍驤さんはいいのかよ」

「そのまな板に煙草やめるのは無理よ」

「ヒデエ!」

 

まったく、変わりがない。苦笑すれば、白い髪が見えた。

 

「君、あんまりウチらと絡まんかったやんか」

「けど、龍驤だから」

 

さよか。応える声が聞こえる。だがもう、誰の声なのか解らない。

 

「旅行行くか?」

 

龍驤は顔を上げて、恐らく隼鷹あたりが居るであろう場所に向いた。

 

「昔やな。ウチの司令官と旅行に行ったんよ。そしたらあの人、宿の温泉、混浴と間違えてな。ひどい目に合ったわ……」

 

楽しかった。

 

「楽しかったんや」

 

だから、君らも行くか?

そう口にした。そう思った時だった。

 

「ひどいな。俺は置いていかれるのか」

 

聞き慣れた、もう聞けなくなっていた声が聞こえた。

 

「遅いやんか」

「悪い。道に迷ってな。て言うか、道変わりすぎだろ」

「当たり前やん。ウチらの頃から幾ら経ったと思ってんねん」

「すまんすまん。龍驤、行くか?」

 

言えば、頷いた。

一番聞きたかった声に、微かに頷き、しかしはっきりと、

 

「行こうや。もう大丈夫や」

 

視界が白に染まっていく。月の明かりにしては、やけに明るい。何の光だろうか。

 

「――――――――」

 

音の無い呟きがあった。音を発さず、しかし確かに呟かれた。

 

「楽しかったなあ……」

 

龍驤の体が小さく震えた。

龍驤の最後の音が響いたのだ。

 

その日、夜空に龍が昇ったという。やけに賑やかな光と共に昇っていく龍を見て、とある町のとある場所で、赤髪の娘が、腕に小さな命を抱きながら呟いた。 

 

「おやすみ、龍驤婆ちゃん。あたしも楽しかったよ」



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『ウチ』と『戦艦(いくさふね)

え~、前回の龍驤婆ちゃんの過去になります。
いつ頃だって?
かなり昔だよ……!


木造平屋の小さくはないが、けして大きくはない日本家屋。その狭い庭に、一つの影が落ちた。

頭から落ちた影は、僅かに煙る土埃の中に倒れたまま動かない。

 

「なんや、どうしたん? 君が言うたんやで」

 

一本歯の高下駄で、倒れたままの頭を軽く踏みつければ、くぐもった呻きが漏れ出た。

 

「アホらし、やる気無いやったら終いやな」

 

懐から煙草を取り出し、所々錆の浮いた古ぼけたオイルライターで火を点ける。

晴天に紫煙が揺れて、煙羅煙羅と踊る。

 

「まだ、もう一回……」

「終いや。けど、解ったやろ? 自分が自惚れとったってな」

 

踊る紫煙を息で吹き消せば、何やら恨みがましい声が聞こえた気がする。

ああ、まったく。日の高い内から、地べたに寝転がる長身を杖で軽く小突けば、聞き覚えのある声がした。

成る程、あれは煙ではなくこやつであったか。

 

「で、君は何時まで寝てるん?」

「大婆様、私は……」

「まだ言うか」

 

深く溜め息と紫煙を吐き出し、倒れた長身に吹き掛ける。咳き込み、手で煙を祓う。

やはり、何処からか怨めしい声が聞こえる。

 

「ええか、ウチにしてみれば、君のソレは勘違いや」

「…………」

「間違うんやないで。……もう、そんな必要無いんやから」

 

長身は何も言わない。何も言わず、地べたに踞るだけだった。

 

「……はぁ、まあええわ。腹減ったやろ? 飯にしようや」

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

もう何代になるか。息子は提督、そして娘は艦娘。これを繰り返し幾星霜、天高く聳える山脈の向こう側の島が、町になり始め形になりだした頃、一番最近の娘が馬鹿を言い出した。

両親は子の望んだ夢、応援はしたいが、それでも一度頭を冷やして考えてほしいと、己に言ってきた。

 

「ええとこの学校入って、ええ成績で開校以来の才女なんぞ謳われて、目玉曇ったか?」

「大婆様、そうではない」

「そうやなかったら、なんや? んン?」

 

ウチの機嫌がまだええ内に言えや。

汁物の入った碗を傾ける目は、そう言っていた。

 

「……私は、私の責任と義務を」

「君にそんな責任も義務もあらへん」

 

碗を置いた長身が言い切る前に、龍驤は言葉を断ち斬った。

何処からか、恨めしい声が聞こえた。

 

「しかし」

「しかしも駄菓子も無いわ。君にそんな責任も義務も、何もあらへん」

「なら、この身を焼く衝動はなんなのだ?!」

 

叫ぶ。龍驤は湯飲みを傾け、茶を啜る。

過去にも居たには居たのだ。嘗てあったとされる戦いから幾星霜、今となってはその影響しか残っていない。

しかし、その嘗ての戦いにて世界に刻み付けられた名前、逸話に縛られる娘は確かに居る。

今、己の目の前に居る己の血族がそうなのだ。

 

「それは君が名前に括られとるだけや」

「だが……」

「ええか。名前に括られとろうが括られてなかろうが、今の君にその道は勧めへんよ」

「大婆様……!」

 

激昂して立ち上がる彼女に、龍驤は目を細め、ただ静かに言った。

 

「ええか、長門。君にそんな責任も義務もあらへんし、君がその名に括られる事なんざ、もっとあらへん」

「…………」

「一度、頭を冷やしや。君なら他の道もあるわな」

「私は……、そこまで頼り無いのか?」

「何の話や」

 

震える程に握り締めた手を、卓袱台に叩き付け、長門は目の前の龍驤に叫んだ。

 

「私は〝長門〟だ! そう、あの逸話に語られ謳われる戦艦長門、それが私なんだ!」

「そうやな」

「それが、こうして両親に、そして大婆様に守られ、何も返す事が出来ない……。……だとすれば、私は誰なんだ……」

 

語られ謳われる戦艦〝長門〟の逸話は、実物を知らぬ者でさえ、目を輝かせ胸踊らせる。

龍驤も嘗ての幼き日々はそうだった。誇り高く威風堂々たる戦艦(いくさふね)、人々を背に敵を眼前に、鐡の魂に折れぬ意志を以て敵を粉砕する。

憧れぬ者は居なかった。そして、憧れが焦がれとなる者も確かに居た。

 

「大婆様……、私は誰なんだ」

 

嗤う、嗤い声が聞こえる。

これは何処からか、何処からともなく聞こえる嗤い声に、眉をひそめて、龍驤は声を聞いた。

 

「君は長門や」

「大、婆様……?」

「君は長門で、ウチは龍驤や。そして、ウチらは艦娘や」

「大婆様、何を?」

「そして、君はウチの血筋や。〝龍驤〟から〝長門〟へ、遥か嘗ての戦艦(いくさふね)、武勲艦。然れど、今はただの小娘」

 

紙巻き煙草を取り出し火を点ける。目の前の長門を見ている様で見ていない。紫煙が何かに絡み付く様に、嗤い声の聞こえる部屋に満ちた。

 

「ウチのせいやなぁ。君が誇りを持てんのは」

「違う……!」

 

叫んだ。その声量に、卓袱台が震え、硝子の引き戸が揺れる。

 

「何が違うんや? 現に君は誇りを持てんとおるやないか。それは君の大元、つまりはウチが情けないからやな?」

「違う……」

「何でや? なら、なんで君はそんなに小さく、嗤われとるん?」

「私は嗤われていない」

「そうやろか? なら、なんで君はそんなに辛そうなん?」

「辛くなどない! ただ……」

「ただ、何や?」

 

紫煙を吐き出し、ただ長門を見る。手には符と巻物があった。

 

「私の誇りに、何も誇れない事が苦しいんだ……」

「なら、言うてみい。君の誇りは何や? 戦場に出て、百鬼夜行と並ぶ敵を討ち祓う事か?」

「私の誇りは……」

 

声が詰まった。嗤う、嗤う、嗤う声が聞こえる。

何も言う必要は無い。

言ったところで、貴様の誇りはそこに無い。

あるのはそこ()だ。

ほら、目を開けろ。

そこ(水底)にあるだろう?

 

「喧しいな」

 

柏手が響いた。嗤う声に、笑う声が重なった。

嗤う

笑う

嗤う

笑う

もう一つ、柏手が声を打った。

 

「ウチの子や。お前に聞いてへん」

 

目を逸らすな。耳を塞ぐな。

そこに貴様の誇りは無い。

さあ、こちらへ来い。

貴様の誇りはそこに、水底だ。

 

「私は」

 

言うな。言うな。言うな。

貴様は水底だ。

水底だ。

 

「私は誇ってほしいんだ」

「誰にや?」

「貴女にだ」

 

ああ、嗚呼……!

何で?

何故?

何て事だ!

あの戦艦が

あの七に語られた戦艦が

かような矮小な小娘に誇られたい

恥を知れ

恥を知れ

恥を知れ

 

「貴女に私は誇られたい。流石はウチの子だと、貴女が胸を張って言える。そんな娘になりたいんだ……!」

「アホやな、そんなん当たり前や」

 

ええか

 

「君を誇らしく思わんかった。そんな日は無かった」

 

君はウチの子や

 

「嘗ての大戦艦、その名に恥じぬよう、真っ直ぐに生きとる君を、どうして誇らしく思えんと出来るか」

 

こっちへ()いや

 

「ええか、長門。君はウチの誇りや」

 

そこ(水底)は危ないで

 

「流石はウチの子や。君はウチの誇りや」

 

だから、今だけはこっちへ来いや

 

「ほら、こっちへ()い。お疲れやろ、大婆様が甘やかしたる」

 

長門の長身を胸に抱き止め、柔らかくその抱き締めた頭を撫でる。

 

「君は頑張っとる。君は大丈夫や。君はウチの子で、ウチの誇りの長門や」

「あ……」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫。大婆様が保証したる。君はちゃんと長門や。そんな名前に縛られんと、君の生きたい様に生きや」

 

それが、ウチの願いや

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

「有難うな。偉い手え掛けさせたわな」

「いえいえ、かの龍驤先生の為なら、艦連は幾らでも手を貸すでありますよ」

 

眠る長門を居間に、龍驤は夜闇に佇む黒に煙草を一本差し出す。

黒は煙草を受け取ると、月夜の空に紫煙を吐いた。

 

「煙羅煙羅と、よく踊る」

「ずっと昔は、それに怪異に見たんや。煙羅煙羅、又は煙々羅。読みは違えど煙の怪異、煙は触れず掴めず、ただ火のある所に漂い踊る」

 

まとわり絡み、紫煙が踊る。

 

戦艦(いくさふね)の宿縁とは言え、まさかでありますな」

「ウチも驚いたわ。まさかウチの子か、とな」

「けど、どうにかしてしまうのが、龍驤先生でありますよ」

「買い被りやな。ウチが引退したの何時やと思ってるん?」

「確か、今より三世代前でありましたな」

「ああ、嫌や嫌や。歳がバレてまう」

 

二つの紫煙が絡み付き、夜闇に踊った。

 

「もうこの世に〝火〟は無いよ。君らも早く帰りや」

 

ゆっくりと煙を空に向けて吐いた。

火の無い所に煙は無い。火は煙を生み、煙は何も生まない。ただただ。漂い踊り消えるだけ。

なら、

 

「君もこうやって、煙草の煙を出せる様になったら来たらええ。まだウチは此処に居るからな」

 

夜空に煙が踊って消えた。

もう嗤い声は聞こえない。



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『ウチ』と『提督』

前回の続き!


白亜の建物の中、紫煙が煙る一画があった。透明なアクリルの窓から見えるのは、紙巻きから紫煙を燻らす小柄な姿ともう一つ、黒があった。

小柄な方は明らかに幼く、黒い方は明らかに不健康そうな真っ白い肌で煙草の煙の中に居た。

 

その異質な二人に、入ってきた他の喫煙者は一瞬、目を見開くが、二人だと解るとすぐに何時も通りに火を点けた。

 

「この場合、どっちに驚いてんねやろな」

「先生にでありましょう。明らかに童女でありますから」

「ははは、こんな年寄り呼びつけといて、よう言うわ」

「ははは、それは申し訳ないであります」

 

どうにも薄っぺらい笑みを貼り付けた、真っ黒黒助が言えば、赤い童女が口の端を吊り上げる。

気付けば喫煙所には二人以外の誰も居なくなっていた。

 

「何やろ、こんな可愛らしい軽空母捕まえて、バケモン見るみたいに」

「龍驤先生でありますからなあ」

「なんや、どういう意味やねん」

「ははは、そういう意味でありますよ」

 

軽い調子で受け答え、新しい紙巻きに火が点いた。

喫煙所の前を通る者、こちらを見て怪訝に見るのは艦連外の者、こちらを見て一瞬怪訝に見るも、すぐに納得するのは艦連の者か。

そう暇潰しに検討をつけていると、隣の真っ黒黒助から何かが差し出される。

 

「細やかな、感謝の印の様なものであります」

 

見れば龍驤の若かりし頃から、高級品として在った銘柄、その中でも指折りに高値の細巻きであった。

 

「奮発したやん。完全に趣味の物やで、これ」

「龍驤先生の名前を出せば、これ一箱分の追加予算は簡単に出る訳でして」

「……つまりは賄賂か」

「……まあ、自分達も中々に入り用でして」

 

やけに重たい笑みが、喫煙所の空気に粘度を加えていく。

視界が白に占領されるかされないか、そろそろ喉が渇いたと、龍驤と真っ黒黒助が吸殻を灰皿に押し込むと、喫煙所の扉を叩く音が転がった。

見れば、眉間に皺を寄せる青年が居た。

 

「お、なんや、終わったん?」

「大婆さん、煙草は減らせって言ったろ」

「生意気な坊んやね。ウチの楽しみや、見逃しや」

「大婆さん、また母さんに叱られるぜ?」

「ああ、嫌や嫌や。またそうやって、親子揃ってウチを苛める……」

 

気付けばまた新しい紙巻きが口の端にあった。

青年は溜め息を吐くと、何やら諦めがついたのか、懐から一枚のラミネートを取り出した。

龍驤にそれを見せると、重そうに肩を回した。

 

「ほら、これでいいんだろ」

「ん、そうそう。ちゃんと終わったみたいやね」

「しかし、手続き面倒だな」

「なにを、ウチらの頃に比べたら、こんな面倒な手続き無かったからな」

 

名乗ったもん勝ちやったわ。

そう言うと、実に嫌そうな顔がある。

それを見て、確かに姉弟なんやなと納得し、口の端の紙巻きを箱に納めながら、言葉を続ける。

 

「ま、その分自己責任やったわ」

「そんなもんなのか」

「そやで。ウチらの頃は黎明の時代、……山の上に廃線になった駅があるやろ。あの周りに人が集まっとったからな」

「それは関係無い」

「いやいや、つまりやな。こんな証明書くれる確かな機関なんぞ、存在せんかった訳や」

 

仮に在っても、信頼は無かったわな。

 

「この町に集まっとった連中は、言ってしまえば無頼者。信用信頼に関しては話すに及ばなんだ」

「嫌な歴史を聞いたよ」

「まあ、ウチもその一人やな」

「自らのルーツが無頼者だった件について」

「問題ないやろ。君らにはもう関係無い話や」

 

くつくつと喉奥で笑い、己よりも背の高い青年の背中を叩く。

快音が響き、叩かれた背中を押さえる。だが、眉間に寄せた皺が緩んでいた。

 

「君らはホンマに姉弟やね。気負うのもかまんけど、気負い過ぎて余計なもん背負い過ぎや」

「大婆さん、ごめん」

「気にしなや。ウチの仕事やったんや」

 

引き攣る様に凝っていた肩が楽になっていた。

 

「というか、姉貴もか」

「おお、そうや。あのアホ娘、長門も面倒なんに目付けられよってからに」

 

小さな背中が肩を回せば、青年に黒が並んだ。

 

「それじゃ、ウチの子のお祝いといこうや。真っ黒黒助」

「ははぁ、いいでありますな」

「ははは、なに他人事言ってんねん。君は財布や」

「はい?」

「まさか、ウチの名前出しといて、これ一箱分の追加しか出んかったはないやろ」

 

黒い笑みがそこにあった。

 

 

 

 

 

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

「まったく、先生にはやられるものであります」

「若造が、百年生きてからにせえや」

「いくら艦娘でも、百年はキツいでありますな」

「なら、ウチはなんやねん」

「ややあ? こんな所に新種の俎が」

「ははは、祟るで、マジで」

 

おお、堪忍を。と、ふざけた調子で真っ黒黒助が両手を上げる。

龍驤が猪口に満ちた酒を煽り、紙巻きに火を点けた。

 

「まあ、言うて君も長いよな」

「提督殿に会いたい一心であります」

「会うだけでええんか」

「いや是非にも、そこから先も」

 

真っ白い顔に紫煙が吹き掛けられる。

 

「大婆さん、飲み過ぎだ」

「ええやんか、坊ん。今日はええ日や」

「俺が提督だって分かった事がか」

 

声に堅い響きがあった。見れば表情にも堅さがある。

それを見て、さてどうしたものかと視線を巡らせれば、何やら落ち着かぬ真っ黒黒助が酒を煽っていた。

何とも可笑しかったが、それを置いて龍驤は青年に向かう。

 

「坊んは、艦娘嫌いか?」

「そうじゃねえよ」

 

言えば即答が返る。

 

「ただ、艦娘が起こしちまった事故を見た人間としては、少し構えちまう」

 

艦娘は人間とは違う。殆ど変わらないとは言え、やはり根本が決定的に違うのだ。

どうしても人間よりも強く、そしてそれによる事故も起きる。

だから、艦娘をよく知らぬ人間は、艦娘を怖がる傾向がある。

 

「まあ、母さんが母さんだから、大丈夫だろうよ」

「おお、そうやった。おかん、どうよ」

「まさかの三人目……」

「やるやないか」

「いや、でも、母さん……」

「坊ん、言いたい事は分かるで。やけど、現実を見なアカン」

 

諭す様に龍驤が言えば、青年はテーブルに突っ伏した。

 

「母さん、松輪じゃんか。あの見た目で三児の母親はキツいものが……」

「坊ん……、呑むか?」

 

猪口に酒を注げば、一息に干した。

二度、三度と繰り返し、合間に肴を口にして、徳利が三つ並んだ時、青年は鼾をかき始めた。

 

「ウチには似んかったか」

「いやいや、龍驤先生と何世代離れていると?」

「坊んの母親、あの子は強いで」

「嘘でありましょう」

「マジや。ウチが潰されかけたわな」

 

言うと真っ黒黒助は参ったと、猪口を空にする。

 

「挨拶、あの娘も中々に骨が折れそうでありますな」

「瑞穂やったか。あの子の相手」

「ええ、艦連の食堂で働いているでありますよ」

「なら、飯の心配は要らんな」

 

空になった猪口に新しい酒が注がれ、また空になる。

静かな鼾を肴に、龍驤は新たな幸いを祝し、また一つ徳利を空にする。

 

「しかし、三人目。どっちやろな?」

「双子ならどうなるであります?」

「両方艦娘か提督、若しくはどっちか艦娘で提督」

「その通りでありますな」

「まあ、ウチの子や。幸せになれん訳がないわな」

 

空の猪口に言葉が落ちた。




やったぜ!


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彼と

そっと置いていくスタイル


彼はこの世に恐れるものも、理解出来ないものも無いと考えている。

今の世は情報社会、少し調べれば正否に限らず情報はいくらでも得られる。

故に彼は何も恐れず、何も否定しない。

故に彼は彼女から目を離せない。

 

「君は誰だ。答えられるか」

「分かりません。私は誰でしょう」

 

町中の雑踏、そんな会話から二人は始まった。

そも、この街艦夢守市はかつての大戦時の英雄の血筋である艦娘と人が息づく街である。

一言に血筋と言っても、実際に血の繋がりがある訳ではない。

艦娘とはこの世界における一種の人種と言っていい。

産まれながらにその名を持ち、生き様を確立している稀有な存在だ。

故に、人とはどこか立ち振舞いや雰囲気が異なる。

浮世離れとはいかず、しかし人というにはあまりに離れた。だが、人のそれとは変わらない。

それが艦娘だ。

 

さて、それらを考慮してこの公園のベンチに座り、目の前で呑気に買い与えた茶の缶を傾ける彼女の事を考える。

彼女佇まいは確かに人とは離れた艦娘のそれだが、何かが決定的に違う。

というより初対面の、いきなり君は誰だと問い掛けてきた男にホイホイついてきて、その男が差し出してきた茶を飲んでいる辺り、ちょっと警戒心というか考えが無さすぎではなかろうか。

 

「あの、私は誰でしょうか」

「それは哲学的な問かね? それとも記憶喪失的なサムシングかね? 問い掛けた私が言うのも難だが、後者の場合は医師の適切な診断を受けた方がいい」

「医者ですか。医者はあまり……」

「ふむ、心配は無用だ。私の知り合いの医者は腕利きでね。どんな臆病者でもちょいと頭を小突けば、次の瞬間には映画さながらの命知らずになれる」

「それ心配しかないですよね!?」

「ふむり、そう言われるとそうだ。しかし、腕は確かだ。つい最近も手が取れたとかなんとか言って飛び込んできた輩の腕を繋げたらしい。左右逆に。……知り合い辞めるか」

「ちょっと一回、交遊関係を見直しては?」

「そうしよう。しかし、記憶喪失ではないというなら、哲学かね?」 

「ああ、いえ。そういうのではなく、何と言いますか……。自分が自分で理解出来ない。自分を確立している筈なのにそれが理解出来ないと言いますか……」

「それこそ哲学的な問だろう。自身を自身と認識出来ない。自身の存在に疑心を抱く。精神的な哲学だ」

「艦娘である筈なのに、ですか」

「……ほう?」

 

普通の人なら、若年齢にありがちな万能感から来る中二病とでも断定しただろう。現にしていた。

だが、艦娘となれば話は違ってくる。

艦娘とは産まれながらに個を確立している。

人格や精神的なものではなく、確立された一個人を産まれた瞬間に確立している。

その艦娘が自分が理解出来ないと言う。

本格的に艦娘へと変わる艦娘変わりの時期に起こるという、情緒不安定ではなさそうだ。

 

「君は自身が艦娘であると理解しているのだね」

「いいえ、私は艦娘である筈なのに自身が理解出来ない」

「艦娘である名が分からない。そういう事かね」

 

であるならば、艦連由来の機関を受診するべきだ。

下手な医師より、そちらの方が確実だ。

だが、彼女が求める答えはそうではないのだろう。

 

「探し物であるなら良い探偵を知っている。盗聴機を探していたら、夫婦のダブル不倫を発見して修羅場に巻き込まれる程度には優秀だよ」

「あの、それは優秀ではなく行き当たりばったりでは?」

「ははは、手当たり次第と言い換えよう」

「それ結局ダメなやつですよね!?」

「うんん、細かい子だね。しかし、君の認識……。いや、自意識と言い換えよう。艦娘とは産まれながらに自意識と個を確立している。その自覚はあるかね?」

「はい」

「しかし、君は自身の名が分からない。故に自身を理解出来ない。ある意味、君は自身を観測出来ていない状態にある訳だ」

「観測出来ていない?」

「人とは何を以て個を成すか。あくまで名とはラベルに過ぎない。しかし、そのラベルこそがその個人を観測する鍵となる。人はそのラベルで個々を区別し自身を観測する。つまり」

「……私はそれが出来ていない」

「その通り。君は現状、自己の認識が不確かな状態なのだろう。まあ、一介の学生に言えるのはここまでだ」

「はい、……学生?」

「そう学生だとも。光輝く青春真っ盛りの採れたてフレッシュティーンエイジャーだ」

「……なんでスーツなんです?」

 

おかしな事を聞く。

 

「男児たる者、常在戦場。手軽な戦闘服だ。キマっているだろう?」

「ええ、キマッてますね。脳が」

「失礼だね。では失礼ついでに問おう。彼らは知り合いかね?」

 

見れば物々しい雰囲気の男達が二人を取り囲んでいた。

ヤクザの類いにしては理知的かつ、嫌に統制が取れた配置と制服。

彼の脳裏に過るのは金剛会の連中だが、これは間違いなく違う。

こいつらは

 

「ふむ、問おう。君達は何者か」

「…………」

「沈黙は金、それを体現するとは……。ちょっと礼儀が成ってないね」

「あの、私はもうここで……」

 

彼女を助ける義理は無い。

だが、彼にはある教えがあった。

 

「ははは、名も分からぬ君よ。我が家に伝わる大祖母の教えの一つにはこうある。〝憲兵隊と揉めたらちょっと一発かましとき〟と……!」

 

言うや否や、彼はポケットに忍ばせていた煙玉を地面に投げつけ、発生した煙幕に乗じて少女の手を取り駆け出した。

 

「え! あ? ちょっと!?」

「ははは! 我が家に伝わる大祖母の言葉にはこうある! 〝あの真っ黒黒助の部下ならウチの子らには手は出せん〟と!」

「貴方のお婆様は何者なんですか?!」

「なに、一般的な軽空母艦娘だったそうだよ。なんの変哲も無い、少々長生きなだけのね!」

 

走り抜けざまに蹴りを放つ。鈍い音と手応え、確かに打撃が通った。

 

「さあ、君! 今から青春の時間だ!」

「へえ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……申し訳ありません」

「いや、構いませぬ。しかしまさかまさか、龍驤先生の血筋とは……。参ったでありますな」

「強制的にいきますか?」

「いえいえ、小官が行きましょう。かのお方の血筋、下手な事があっては一大事でありますからな。……あの〝奇跡の血統〟に」

 

しかし

 

「流石に先生の御子と言えど、今回は見逃せぬのであります」

 

あの惨劇を二度と起こさせぬ為にも。

 



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