SAO:Hardmode (天澄)
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序章:もう一つの世界
#1.SAOという世界


茅場晶彦は悩んでいた。

 

 

 かねてより作り出したいと思っていたソードアート・オンラインは既に、完成が目前となっていた。それ自体は茅場自身、喜ばしいことだと思っている。

 

 ……しかし、である。

 同時に、茅場はそれについて大きな悩みを抱えていた。日に日に完成へと近づいていくSAO。その事実に嬉しさと共に、焦りのようなものを感じるのだ。

 

 ―――本当に、これで完成でいいのか。

 

 ゲームとしては、きっとこれはこれで正しい姿なのだろう。こんなゲームがあったら、自分も遊びたいとは思う。

 しかしこれを一つの世界と考えるのならば。幼い頃から作り出すことを望んでいたSAOという世界がこの程度で良いのか、これが自身の全力なのか、と。そう、自問自答する日々が続いていた。

 

 そんな悩みに、答えを出す転機は幾つかあった。

 例えば、SAOをリリースするにあたっての雑誌からのインタビュー。これに答えるうちに、茅場自身がどんな想いをSAOに込めていたのかを再確認できたこと。また、インタビューをしてきた記者を含め、ほとんどの人間がSAOをゲームとしか見ておらず、決してもう一つの世界とは捉えていないこと。

 あとは偶然見た、昔の夢も転機の一つだろう。幼い頃夢想した、今よりも世界観もそこに生きる人々も、何もかもが薄かったあの世界。そしてだからこそ今以上に自身の夢と希望が詰まっていたあの世界。

 

故に、茅場晶彦は再び自問する。

 

現状の内容でSAOを完成として良いのか?

 

否。断じて否。

 

 

 

そして茅場晶彦は本気を出すことにした。

 

 まず最初に疑問に思ったのは、HPの存在についてであった。茅場が作り出そうとしたのはゲームではなく、あくまでもう一つの世界である。あるいはもう一つの現実と言い換えてもいい。

 SAOを現実とするならば、人は頭を潰されれば即死すべきであり、心臓を貫かれた場合もまた然りである。

 ならばHPはいらないな、とまずはHPの存在は削除された。

 

 続いて茅場が目につけたのはソードスキルというシステムである。現実世界において経験や反射から身体が勝手に動くことはあっても、システムに補助されて身体が動くことはありえない。

 剣に限らず、武器とは己の鍛錬によって積み重ねられた技術で振るうものである。ならばこれもいらないな、とSAOの基本システムは否定された。

 

 そうして、茅場は目に付いた箇所を次々と変更―――否、あるべき姿へと修正していく。この際自重は無しだ、と思いつく限りの箇所に手を加えていった。

 無論、それは完全な独断であり、関係者たちがこの修正を認めないだろうというのは十二分に理解している。だから同時に関係者にバレないように、ユーザーの手に渡る瞬間までは予定されていた通りに稼働するSAOであるように見えるような、そんな工作も行わなければならない。

 そのため作業も誰かに手伝ってもらうこともできず、何とか特別親しい人間と茅場自身のみで、徹夜で作業するしかなかった。

 そしてその甲斐あって、裏の、とでも言うべき茅場が追い求めていた本来のSAOは完成した。……完成してしまった。

 

 ―――かくして。

 

 SAOは原典よりも遥かにハードモードに変貌したのだ。

 

 

 

 

帯刀(おびなた)憧志(とうじ)は浮かれていた。

 

 買い物の帰り道。ついついスキップで移動してしまう程度には浮かれていた。

 その浮かれっぷりが傍から見ると些かみっともないのは憧志自身自覚していたが、それでも抑えられない程度には現在左手に持つ袋に入っている物は憧志を浮かれさせる存在だった。

 実際、すれ違った人々の中でも袋とそのサイズから何を買ってきたのかを察することができた人は、納得したような表情をしたり、羨ましそうにしていたりする。

 多くの人にとって価値がある。それが憧志が左手に持つ物だった。

 

 そんな風に、道行く人に奇異の目で見られたり、羨ましがられたりしながらも憧志はアパートへと辿り着く。

 白かったであろう壁はくすみ、階段に使われている鉄材は何か所が錆びたような赤褐色と化している箇所もある。年季の入ったアパートといった様相のここは、実際建築からそれなりの年月が経っており、見た目通り老朽化した箇所もあるアパートだった。

 しかしその分家賃は安い。突然床が抜けたり、雨漏りするのではないかと不安なところもあるが、小さいながらも浴槽とシャワーが別になっていて、収納もそれなりにはある。壁が薄いのでスピーカーから音楽が流せない、という点に目を瞑れば、憧志にとって中々気に入っている物件だった。

 

 カンカンカン、と音を響かせながら階段を駆け上がる。音が響いてアパートの住民たちには迷惑かもしれない。あまり勢いよく駆け上がると階段が崩れるかもしれない。そんなことが脳裏を過ぎるが、今日ばかりは見逃して欲しいとそのままの勢いで二階まで階段を登る。

 そして速度を落とすことなく廊下を駆け抜け、自室の前へと到着する。憧志は自宅の鍵を左腰のリールキーホルダーに付けているため、慌てていてもさほど手間取ることなく家の鍵を開け、中へと入ることができた。

 リールキーホルダーを買った過去の自分に感謝しつつ、玄関先に荷物を置いた憧志は、まずは入ってすぐのキッチンの流しで手を洗う。別に常日頃から手洗いうがいを特別意識しているわけではなかったが、憧志は特別楽しみにしていた物に触れるならできるだけ清潔な状態で、と考えるようなタイプだった。

 

 手洗いうがいを手早く、けれど丁寧に済ませた憧志は玄関先の荷物を回収し部屋へと入る。六畳のその部屋は、モスグリーンのカーペットの上に洗い立ての白いシーツが目立つシングルベッド。壁際に少し大きめの本棚と、簡素な机があるだけのシンプルな、あるいは殺風景とも取れる部屋だった。

 それは憧志の趣味が少ないこと、同時に綺麗好きでもあるため、大抵の物がクローゼットに丁寧に仕舞われているのが理由だった。

 

 憧志は荷物を机への上へと置く。それから椅子へと座り、一つ深呼吸。大きな胸の高鳴りが、早く開けろと憧志を急かす。だが相手は精密機械、下手な扱いをして壊すわけにはいかない。一度落ち着いてから、しっかりとした手付きで袋からそれを取り出す。

 そうして袋から出てきたのは、人の頭ほどはある四角形の箱だ。白い背景の上には、注意書きや仕様、そして『Nerve Gear(ナーヴギア)』とその商品名が刻まれている。

 ナーヴギアを取り出した袋を畳みつつ、憧志はその箱を改めて観察する。そして仕様の箇所に『Sword Art Onlineインストール済み』の文字があることを確認し、安堵の溜息を吐く。ゲーム機だけ買って、ソフトがないのでは話にならないのだから。

 

 そう、ゲーム機。憧志の手によって箱から取り出されたヘルメット型のそれは、ゲーム機であった。

 

 2022年。技術は発展し続け、ゲーム機もまたその姿を変えた。箱型だった据え置き機から、目の前のヘルメット型へ。この形状への変化には、VR技術の実現があった。

 V(バーチャル)R(リアリティ)。日本語では仮想現実とも言うそれは、ついに仮想空間に存在する電子の肉体をユーザーのもう一つの肉体として操れる段階まで来ていた。厳密には色々あるのだろうが、少なくとも憧志はそんな認識であった。

 そもそも憧志はゲームやVRの技術に関してはさほどの興味はない。憧志にとって重要なのは、存分に身体を動かせるか否か。実家の関係で身につけた技術を持て余している憧志としては、それのみが関心の元であった。

 

 そのため、ゲーム自体はあまり触れたことがない。ゲームをやっている暇があったら、外で動いていたいタイプなのが憧志だ。

 だからゲームソフトより先に発売されていたナーブギアを今日、ソフトとセットで買ってきたし、ナーブギアを起動するにあたって説明書とにらめっこしているのも同じ理由だ。ついでに言うなら、ソフトが既にインストールされている仕様を買ったのも同じく。

 

 ゲームの正式サービス開始時刻までに余裕ができるように帰ってきてよかった、と思いつつ何とか憧志はナーブギアの起動準備を終える。あとはこれを被り、起動して、初期設定をして。

 どうにもこの手の物に疎いため難しいように思えるが、きっと何とかなるだろう。そう思いつつ憧志は説明書の通り、ベッドに移動して横になってから、ナーブギアを被った。

 

 

 

 

「―――うぉっ」

 

 突如変わった視界に、思わず声が漏れる。先ほどまで己がいた空間とは全く別の場所に放り出され、思わず憧志は周りを見回す。

 くすんだ赤が目を引く煉瓦造りの住居。大型の建物は石材が用いられており、一目でそれが特別な、何らかの意味を持つ建物であることが分かる。足元は石畳であり、すぐ傍には噴水。そして周囲がひらけているため、ここは広場か何かなのだろうか。

 全体的にパッと見は中世ヨーロッパ風。しかし違う、憧志は首を横に振る。

 よくよく見れば窓には硝子、骨組み等には鉄材が用いられている箇所が見られる。

 近代の建築技術を以て中世ヨーロッパの建築様式を再現した、といったところだろうか───生憎、建築周りに詳しくない憧志では、それを予想はできても断定することまではできなかった。

 

 とはいえ、正直なことを言ってしまえば建築様式など憧志はさほどの興味がない。早々に周囲の観察をやめ、代わりにとある人物を探し始める。

 憧志はゲームの経験がほとんどと言っていいほどにない。いくらVRで己の肉体を動かすようにアバターを動かせると言っても、それでもゲームである以上はシステムが存在する。それに対応する自信が、憧志には全くなかった。

 そのため、同じアパートに住んでいる親しい高校生に頼み込んで、何とか共にプレイしてもらえることになったのだ。大学生という年上である憧志に土下座されては、流石に高校生の身では断り切れなかったようだった。

 

 とりあえず、待ち合わせ場所はこのログインしてすぐの場所、ということになっている。だから憧志は周辺にその人がいないか、と辺りを見回し……あまりの人の多さに、思わず頭の後ろを掻く。

 当然と言えば当然なのだが、サービス開始直後ということもあってこの広場にいるプレイヤーは多い。待ち合わせ場所の設定を間違えた、と遅まきながらに思うも、今からログアウトして再度連絡を取るというのも面倒な話。

 もう少し探してみて、それで見つからなかったらログアウトしよう、と考え、憧志は再び周囲の人々を見る。

 

 やはり、思い思いのアバターを作れる、というだけあって周囲は色彩に溢れている。西洋系の顔立ちにして髪を金や赤に染めた人もいれば、東洋系の顔立ちのまま髪を奇抜な色にしたせいで違和感を感じさせる人もいる。

 ただやはりというか、アバターの男女比率は男の方が多い。SAOでは現実の性別と違うアバターは使えないようになっているので、プレイヤーの男女比は7:3ほどで男性の方が多い印象だった。それでも、初のVRゲームということで女性は意外と、予想よりは多いようにも思える。

 

 そんなことを思いながら女性アバターを目で追っていると、ある人物で憧志の視線が止まる。晴れ渡る空のような、透き通った水色の髪。後ろから見ればただのショートカットのようにも見えるが、回り込むようにして前から覗いてみれば前髪少し長めであり、中心部をヘアピンで、サイドを簡単な髪留めでまとめているのが分かる。

 少しばかり特徴的な髪型―――それに自分は覚えがあったために、片手を上げながら声をかける。

 

「よっす……確か、こっちでの名前ではシノン、だったよな?」

 

 正面の彼女の上に表示される《Shinon(シノン)》の文字を確認しながら、改めて彼女の容姿を見る。現実では少しだけ茶色がかった黒髪が水色となっているのと、現実よりも吊り目気味なの以外は基本的に憧志がよく知る少女―――朝田詩乃のものだ。

 髪色に合わせ、多少顔立ちこそ調整されているが、体格は現実とほぼほぼ変わらず憧志の肩ほどまでの身長と、猫科のような細身で引き締まったしなやかなもの。

 これで己が知る朝田詩乃のアバターでなかったら逆に怖い、そんなことを憧志が思っていると、その朝田詩乃のアバターであろうシノンより返事が返ってくる。

 

「どうも、憧……じゃない。えっと、《Anand(アナンド)》? ……事前に聞いた段階で気になってたけど、これ由来なんなのよ」

 

「ん?ネットから適当に、欧州圏の名前を拾ってきた」

 

 嘘である。実際は神話から引っ張ってきたのだが、神話由来で名前を付けたと素直に白状するのは大学生という、そこそこいい年齢の憧志―――アナンドには、些か恥ずかしかった。

 

「ああ、そうね、それくらい適当な人間だったわね……」

 

 アナンドの答え、あるいは嘘に対し頭痛がするかのように頭を抱えるシノンに、何を今更とアナンドは呆れる。

 2人の現実世界での付き合いはもう、それなりに長い。昔事件か何かで色々あったところを、親戚という繋がりから朝田家と共に暮らすことになったのが始まりだから……かれこれ六年ほどの付き合いになるのか。

 そんなことを思いながら、アナンドが過去に思いを馳せていると、シノンがアナンドを観察してくる。先ほど自分も同じようなことをしたため、文句が言い辛い、と仕方なしにアナンドが観察されていると、シノンがふと口を開く。

 

「……それにしても、あんまりリアルとイメージ変わらないわね」

 

「それ言ったらお前もだろー?」

 

 シノンには言われたくないなぁ、なんて呟きながら、アナンドは己の髪を一房摘まんで目の前に持ってくる。そこから手を離せば、錫色が視界で揺れる。

 アナンドもシノン同様、あまり容姿は弄っていない。高身長も、ガタイがいいのもリアル準拠だ。流石に髪色と、紺碧の瞳に合わせて顔には手を加えているが、それも違和感を消す程度であり、大きなものではない。

 だからまぁ、リアルがバレる可能性は高いのだが。それでもリアルの体格に近い方が身体を動かしやすいというのを聞いたのと、そもそもアナンドはオンラインゲーム慣れしていないために、そこら辺の警戒心が薄く、その結果としてこのようなアバターとなっていた。

 

「さて、っと……それじゃあ最初は何したらいいんだ?」

 

「知らないわよ。私も別にオンラインゲーム慣れはしてないし」

 

「えー、頼りにならないなぁもう」

 

「それを承知の上で頼んできたのはあなたでしょうが」

 

 確かに、アナンドもシノンがオンラインゲーム慣れしていないことは理解していた。それでも、自分よりかはまだゲームに触れている、ということで無理を言ってシノンには協力してもらっていた。

 最初はリアルの友人に頼もうと思っていたのだが、友人もゲームより外で運動、というタイプが多かったためにシノンにお鉢が回ってきた形だ。

 我儘を聞いてくれたシノンには感謝しかない、内心ではそう思いつつ、ログアウトしたら今日は夕飯を奢ってやろうと決める。

 

「……しっかし、真面目な話、これ詰んでない? もうゲーム終了? ゲーム初心者に優しくなさ過ぎるだろぉ……」

 

「ちょっと待ちなさい。いくらオンラインゲームと言っても、チュートリアルがあるのはゲームである限り共通……。ほら、あった」

 

 シノンの指示の通り、アナンドは宙で右の人差し指を振るいメニューを呼び出す。そこからも、シノンが言う通りメニューを操作すれば……できた。

 視界にチュートリアルの手順と、行くべき場所への案内が出てアナンドは一先ず安堵する。これなら、何とかプレイできそうだ、と街中へ向かって歩き出した。




そんなわけで、茅場が本気を出したら、というコンセプトのお話。
中学生ってデスゲームってキツくない??ということである程度の年齢操作とか、あとはALO、GGO編やる予定はないから、今回シノンが出たように、本来SAOにいないキャラも出てくるよ。

茅場が本気を出した結果、どんな変化が生まれたのかはまだ先だ。待ちたまえ。


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#2.SAOという世界Ⅱ

 ―――桐ヶ谷和人、アバターネーム《Kirito(キリト)》にとって、この世界は初めての場所ではない。

 

 目の前に広がるヨーロッパ風の街並みも、そこを行き交う人々も、現実では中々お目にかかれない光景でありながら、キリトにとってはもはや馴染み深い光景と言えた。

 それでも、この胸の高鳴りが消えることはない―――仮想空間故、偽りであるはずの、けれどそれでも美しく感じる人の営みを眺めながら、キリトはそう独り言ちる。

 

「―――なぁに黄昏れてるの!」

 

「おわっ、っとと」

 

 キリトが一人、感慨深いものを感じている中、突然背中を叩かれ、慌てて体勢を整える。幸い、今の一撃はさほど威力は高くなく、簡単に持ち直しながらそういえば今回は一人ではないのだった、今更ながらに思い出す。

 

「……あのなぁ、す……じゃなかった。リーファ、いきなり叩くなっての」

 

「ぼーっとしてるお兄ちゃんが悪い!」

 

「お前、オンゲでお兄ちゃんは……いや、まぁいいか」

 

 別に本名を呼ばれるわけではないし、とキリトは文句を言うのをやめる。そこには同時に、妹とこうして一緒に遊べるという事実に対する喜びもあったからだ。

 キリトのリアルの家族については、色々ある。大元はキリトが桐ヶ谷家と血縁でないことにあるのだが……だがそれも、高校生にもなって何時までも気にしているわけにはいかないことである。

 桐ヶ谷夫妻から不当な扱いを受けたわけではなく、むしろそれなりに愛を注いでもらっている自覚もあるキリトは、中学生時代はともかく、高校生になってからは素直に家族として接するようにしていた。

 そして今回のこれも、その一環。どこかぎこちなさの生まれてしまった兄妹関係を、再び無邪気だった幼い頃のようにということで、二人でこのSAOを遊ぶことにしたのだった。

 

 妹の直葉―――《Leafa(リーファ)》の分のSAOを用意できるかどうかは賭けであったが、キリトとリーファ、どちらの運が強かったのか。あるいは両方の運が合わさったのか、初回ロット一万本でありながら何とかこうして、無事に二人でSAOにログインできている。

 その事実がキリトには無性に嬉しく、βプレイに参加した身でありながら、SAOの世界を新鮮な気持ちで味わえる一因となっていた。

 

「それにしても、リーファは随分と見た目を変えたな」

 

 リーファの全身を見ながら、キリトはポツリと呟く。

 身に纏う衣服は、全プレイヤー共通の初期装備で些か味気ない。しかし陽の光を反射する、ポニーテールにまとめられた金糸のような髪。観察するキリトを見つめ返してくる、鮮緑の大きな瞳。

 元々、妹でありながら可愛いとは常々思っていたキリトだったが、SAOのアバターではイメージがガラリと変わって、美しい少女になっている、と内心だけで思う。

 

 そんなキリトの思考を知ってか知らずか。リーファは見せつけるようにして、その長い金髪をたなびかせながらその場で一回りしてみせる。

 その動作によって、周囲の男連中の注目を集めていることに気づかないのだから、この妹は心配になる、とキリトは思わず苦笑した。

 

「折角いつもとは違う自分になれるんだから、普段できない格好にしなくちゃ勿体ないでしょ?」

 

 それは一理ある、とキリトはリーファの言葉に頷いて返す。ここは現実世界とは別の、もう一つの世界なのだから、普段できないことにチャレンジするというのは、キリトも大いに同意できることだった。

 

「そ、れ、にー……。お兄ちゃんも、歳の割に低い身長と、童顔っていうコンプレックスを変えてるんだから、文句は言わせないよー」

 

「おまっ、それは……!」

 

 否定できない事実に、キリトは閉口せざるを得ない。実際、リアルよりも背を高くし、目を小さく、切れ長のものに変えている。β時代はリアルでの知り合いがSAO内にいなかったため気にしていなかったが、こうしてリーファに言われて初めて、リアルと比べられると結構恥ずかしいということをキリトは知ったのだった。

 

「―――だぁー! くそ! とっととSAO進めるぞ!」

 

「あ! 待ってよお兄ちゃん! チュートリアルっぽいのとかどうするの!?」

 

「βテスターだった俺にそんなのは要らないよ! ほらついてこい!」

 

 いい反論が思い浮かばなかったキリトは、勢いだけでそのまま、街の外へと向かって走り出す。慌てて追いかけてくるリーファから放たれた愚問に、βテスターがいるのだから、と呆れながら大声で返した。

 ちょっと強く言い過ぎたかな、と思いつつ、キリトは街中を駆ける。後でリーファには、リアルで……はSAOを買ったばかりでお財布の中身が怪しいので、SAO内で何かを奢ってやろうと決める。

 だがそれも後で、だ。今はただ、早く街から出てフィールドに出たい。

 

 口元が弧を描くのを自覚する。足が軽く、どこまでも走っていけるような気分になる。

 リアルではキリトは、インドア派であるためこうも軽やかには走れない。だけどこの世界でなら、ステータスさえ振っていれば簡単に成長できるここでならば、どこへだって行ける。何であっても目指せる。

 心の命じる衝動のまま、キリトは街の外へと踏み出した。

 

 

 

 

 大きく広がる穏やかな草原。宙に浮かぶ不思議な小島。

 見渡す限り緑の大地で、キリトは敵と相対する。目の前で気炎を吐くのは青黒い体表を持つ、豚、あるいは猪と呼べる生物。

 赤い瞳は真っ直ぐとキリトを捉え、次の瞬間には地を蹴って突進してくる。その動きをキリトはしっかりと見極めて、大きく余裕を持って横にズレることで回避する。

 そして振り返り、再度猪―――エネミー名《Frenzy Boar(フレンジーボア)》と相対する。

 

 キリトはβテストで既に、このエネミーとは戦ったことがある。どころか、通常ポップする雑魚敵であるために何度も狩っていた。

 しかしだからこそ、β時代と違う動きをされたらダメージを負ってしまうかもしれない。少なくとも、初期レベルである現状では、キリトは無茶をする気にはなれなかった。

 

 再び、突っ込んできたフレンジーボアを、反撃のことは考えずに一定の距離を保って回避する。そのまま通り過ぎていったフレンジーボアに、目立った動きはない。

 

 ―――そろそろ、いいかな。

 

 キリトは内心でそう呟くと同時、左の足元にあった手頃な石を踏んで、弾くことで宙へと放る。続いてそれを右足で蹴飛ばし、石がフレンジーボアへと当たった。

 何のスキルの補正もないため、ドット単位でしか削られぬフレンジーボアのHP。だがそれでいい、そこに目的はないとキリトは笑みを浮かべる。

 石を当てられ怒ったフレンジーボアが、()()()()()()()()()()()()()()()()()キリトへ向かって再度突進を敢行してくる。

 その予定通りの行動に、キリトはタイミングを合わせて跳躍。空中で右手に握る片手剣を後ろへ引き絞る。その瞬間、片手剣から発せられる燐光。

 それはSAO最大のシステム、ソードスキルが発動準備に入ったという証左であり、事実フレンジーボアがキリトの真下を通ったその時。システムの補助を受け、右から左へと水平に剣閃が奔る。

 

 プギィ、とフレンジーボアが情けない悲鳴を上げる。それを聞きながら、キリトはソードスキルを当てた反動を利用して滞空。その時間を利用し、ソードスキルを放ったことによる技後硬直をフレンジーボアの攻撃が届かない空中でやり過ごし、自由に動ける状態で地上へと戻る。

 反撃を喰らい、怒り狂った様子のフレンジーボアを見れば、残りHPが一割もないことが確認できる。故に、怒りのままに突進してきたフレンジーボアを、横に一回りすることで回避しつつ、同時に斬撃。フレンジーボアのHPをゼロにする。

 電子の欠片となり散っていくフレンジーボアを一瞥し、視界に映るログをチェック。しっかりと経験値とドロップ品が入っていることを確認して、キリトは正式サービス開始後初の戦闘を、危なげなく終えた。

 

「わー……凄いね。リアルのお兄ちゃんからは考えられない動きだった」

 

「うっさいよ。褒めるならちゃんと褒めてくれ……」

 

 ごめんごめん、と手を合わせて謝ってくるリーファの頭を、キリトは呆れの溜息を吐きながら小突く。今の立ち回り、それなりの練習の上に成り立っているのだから、純粋に褒めてもらいたいところだった、とキリトは少しだけ嘆いた。

 ただまぁ、それはそれとして、今のでβ時代から腕はそこまで落ちていないことが確認できた。期間が空いたため、全く落ちていないわけではないが、しばらくやっていれば取り戻せる程度ではあるように思う。

 

「―――――い―――」

 

「……ん?」

 

 リーファに基礎を教えている間に調整すればいいだろう、と思っていると、どこからか声が聞こえてきたような気がしてキリトは思わず首を傾げる。

 空耳か、とリーファにも何か聞こえなかったか問えば、返ってきたのは聞こえた気がする、との答え。

 声をかけられるほど、β時代に人と親しくなった記憶はないのだが―――そんな風に思っていると、遠くから徐々に、声をかけてきたであろう人物が見えてくる。

 

「―――おーい! そこのお二人さーん!!」

 

「……あれ、多分俺たちだよな?」

 

「周りに他に人いないしそうじゃない?お兄ちゃんのβテストの時の知り合いとかじゃないの?」

 

 リーファの問いに首を横に振ることでキリトは答える。仮にβテスト時とアバターの容姿を変えていたとしても、わざわざ走り寄りながら声をかけてくるほどの知り合いは、やはりいた記憶がない。キリトとβテストでそこそこ親交があった人物は、こんな風に駆け寄ってはこない性格だ。突然後ろに湧いて出た方がよっぽどそれらしい。

 だから、少なくとも今こちらに駆け寄ってくる、赤髪の青年はキリトが知らない、あるいは親交が薄い人物となる。

 

「……はっ……はぁ……すまん、こっちから声かけといてあれだけど、息整うまで待って……」

 

 初期ステータスでは、街の外でそれなりの距離を走ってしまうと現実同様に息切れをおこしてしまう。おそらく隠しステータスとしてスタミナがあるのだろうが、なんてβ時代には言われていたが、終ぞその存在の確証と、どのステータスからスタミナ値が算出されているのかは分からなかった。

 そのため、ゲーム内とはいえ目の前の青年が息が整うまで待って欲しい、というのは充分キリトには理解できる話だ。何せβ時代、初期レベルの時にキリト自身も調子に乗って動き過ぎて息切れをおこし、雑魚モンスターにいい様にあしらわれた経験があるからだ。

 

 キリトたちはしばし、青年の様子を観察しながら待つ。肩口まで伸ばされた少し薄めの明るい紅の髪に、真紅のバンダナ。切れ長の目に顎には無精ひげ。所謂二枚目、と言われるような外見の青年だと、キリトは思う。同時に、それを言ったら自分のアバターもか、と自嘲もした。

 

「……っと、悪い、待たせた」

 

「別に、構わないよ。ゲームなのにそうやって体力が尽きれば息が切れるのは凄いよな」

 

「ほんとになー。俺ぁ正直現実と変わらないように思うぜ。……ああ、とりあえず、俺はKlein(クライン)だ。よろしく」

 

 言葉と共に差し出された右手を握り返しつつ、キリトも自らの名前を告げ、それにリーファも続く。そんなクラインの姿に、害意は無さそうだ、と判断を下す。

 所詮ネットゲーム。こちらが情報を漏らさなければリアルで害は出ないだろうが……今回に限っては、リーファ、妹がいる、とキリトはチラリとリーファを見る。リーファは、SAOでは少し珍しい女性ユーザーだ。自身の魅力に対し無自覚なところがあるし、自分が男どもから守ってやらなければならない、とキリトは思っている。だから寄ってくる男どもは必ず一度、しっかりと見極めようとも決めている。

 その点、このクラインという男に関しては、リーファに見惚れる仕草こそあったが、下卑た下心のようなものは感じられない。見惚れていたのに関しては、リーファが美人なのは男として同意できるところであるから、キリトは目を瞑ることにした。

 

「それで、何で声をかけてきたんだ?」

 

「ああ、そうそう! いや、遠くから見てたんだけどよ、あんたさっき随分派手な動きをしてただろ?だからもしかしてβテスターなんじゃないか、と思ってな」

 

「βに参加してたのは俺だけだよ。リーファは違う」

 

「あたしは今日が初めてなんだ」

 

「いやいや、一人でもβテストを経験してる人がいるならありがたい!」

 

 そう言ったクラインは、パンッ、と大きな音を立てて両手を合わせ、キリトに対して頭を下げてくる。

 

「頼む! 俺に戦い方を教えてくれ! どーにもここら辺の猪すら苦労して……。俺もあんたみたいに格好良く戦えるようになりたいんだ!」

 

 その切実な声に、キリトは思わず苦笑する。何せキリトも男の子。格好良く戦いたい、というのはよくわかる話であったし、実際さっきの動きは妹の前で格好付けたかったところもあるのだから。

 気持ちはよくわかる―――ならば、同じ男として、断る理由はない。ここまで話した感覚で嫌いな人間というわけでもない。むしろ己に正直で好ましいぐらいである、とクラインについて、キリトはそんな風に思っていた。

 

「そういうことなら、元々リーファにも教える予定だったし構わないよ。まぁさっきのは所謂魅せプレイで、すぐには教えられないけどな」

 

「戦い方を教えてもらえるだけでも充分ありがたいさ。リーファちゃんも、初心者同士一緒に頑張ろうな」

 

「うん、クラインさんよろしくね」

 

 正直、手早くレベリングして攻略に勤しみたい思いはある。けれど、こうして初心者にレクチャーする、というのもネットゲームの醍醐味だろう、とキリトは二人の教導に励むのだった。




リーファちゃん登場。遠慮なくALO、GGO関連も出してくよ。

とりあえずはこんな風に各話毎に視点を点々としながら進めていこうかな、って考えてる。


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#3.SAOという世界Ⅲ

 アナンドが両手で持つ槍が、目の前に存在するフレンジーボアへと突き込まれる。しかしそれはアナンドの意思によって振るわれたものではなく、また同時に槍の穂先がフレンジーボアへとめり込んでいく感触も、思っていたよりも軽い感触だった。

 違和感しかない―――そんなことを思っていたアナンドが持つ槍から、フレンジーボアがその身を大きく暴れさせることで抜け出す。アナンドは猪であれば心臓がある位置を一突きした以上、確実に死んだものだと思っていたためにそれに対応が遅れ、見す見す敵を逃してしまうという醜態をさらしてしまう。

 HPが残っている以上は心臓を潰しても死なないのがゲームだ。その認識を改めて頭に刻みつつ、地面を転がるようにして距離を取ったフレンジーボアとの間合いを、槍のものまで詰める。

 先ほど放ったソードスキルの感覚から、適切な間合いを測り、腕を引き―――放つ。ただし今度は、ソードスキルのモーションに合わせて、自分の身体をそのモーション通りに動かすようにする。

 それでも違和感拭えない……が、多少はマシになっている、とアナンドは感じる。また、心なしかフレンジーボアのHPの減りも多くなったようにも。

 これ、思っていたよりも重要な技術かもしれない。そう思いながらフレンジーボアのHPが確かに全て無くなったことを確認し、アナンドは背中へと手に持った槍を吊る。

 

「……うん、気持ち悪いなこれ」

 

「いや、何がよ」

 

 思わずアナンドの口から零れた言葉に、共にフィールドへと繰り出していたシノンがそんな言葉を返してくる。

 一通りのチュートリアルを終えたアナンドたちは、早速こうしてチュートリアルで学んだことを活かすため街の外で実戦に挑戦していた。そしてそれはアナンドたちだけではなく、同じくチュートリアルを終えたであろう人々がここら一帯のフレンジーボアと戦っている。

 これなら呑気に会話しても問題ないな、とアナンドが草むらの上に座り込めば、そのすぐ隣にシノンも腰かけてくる。そして先ほどの気持ち悪い、にどんな意味が込められていたのかを、細められたその猫科を思わせる瞳で問うてくる。

 

「別に、そう難しい話じゃあない。ただ単純にこの世界のシステムは剣を振るったことのない者を想定している、ってだけの話さ」

 

「……どういう意味?」

 

 考えてみれば、至極当然の話なんだよ、とアナンドはそこから言葉を続けていく。

 基本的に、平和な現実世界において戦いなどとんと縁がないものだ。故に戦うための技術を修めている者などそうはいない。強いて言うならスポーツ、ボクシングや剣道などの経験者は例外とできる程度であろうか。

 しかしそれにしたって、生き物の命を奪うことを想定したものではない。そのため初めて握った剣を存分に振るえるようにソードスキルでモーションを自動化するのも、敵を斬った時の感触が薄いのも必要なことだ、というのは充分理解できる話だった。

 

「だけど結局それは戦うための技術を持たない者のためでしかない。俺みたいに剣術を修めている、とか生き物を狩ったことがある人間は対象としてないのさ」

 

「だから気持ち悪い、ってことなのね」

 

「そういうこと。自分が思った通りに得物は振るえないし、刺した手応えが違いすぎて違和感しかないんだよねぇ……」

 

 アナンドは自らが特殊であることを自覚している。と、いうよりかはアナンドの家系が現代において異端であることを自覚していた。だから違和感を感じてしまうのは至極当然である、とも納得していた。

 ただそれに文句を言うのは、また別の話。仕方がないことだとはいえ、愚痴は言いたくなるものなのだ。なに、別に運営に聞かれるわけでもなし、とアナンドはこの際幾つか発散してしまおうと愚痴を続ける。

 

「こう、せめてさ、ソードスキルじゃないと威力でないのやめてくんないかなぁ……。ソードスキル使いたくない」

 

「あなた今、ゲームシステム根本的に否定してるの自覚してる?」

 

「してるしてる、超してる」

 

 なおのこと質が悪い、とシノンは頭を抱える。とはいえ所詮愚痴は愚痴。あくまで言いたいだけであるし、言ってそれが適応されるとも思っていない。

 この世界で戦うならソードスキルに慣れるか、時間はかかるが通常攻撃で地道にやるかの二択だな、とアナンドは思いつつ初期装備である、背中に背負った槍を自身の正面へと持ってくる。

 

「……それにしても意外ね。あなたが槍を選ぶなんて」

 

「んー? 一応、槍も経験はあるんだぜ?」

 

 そうシノンに返すが、まぁ他者から見ると確かに意外なのだろう、ともアナンドは思っていた。特にシノンは今までのアナンドの生活を見ていた分、強くそう感じる部分があるのだろう、とも。

 

「そもそも、あなたがSAOをやろうと思ったのは今まで磨いてきた技術を存分に振るいたいからでしょう? だったら……」

 

「ま、そりゃあ一理ある」

 

 一理どころではないかもな、とアナンドは笑う。確かに、目的にそぐわないことをしている自覚はアナンドにもあった。だがアナンドは自らの実力を正しく把握していた。

 

 故に、()()()()()()()()()()()()()()

 

 SAOには対人戦の機能もあるそうだが……所詮相手はこの世界に来て初めて剣を握った者ばかり。ましてや決め手はソードスキルという、動きにパターンがあるものだ。その程度、アナンドにとって見切るなど容易いことだった。それは純然たる事実だった。

 その上でこの世界を楽しむにはどうしたらいい? そうしてアナンドが出した結論は、自らに制限をかけるということだった。つまりは最も得意な武器を封印する、ということである。

 そうすれば、存分に体を動かしつつこの世界で対等な戦いができる。己の得物を振るえないのは残念であるが、修めている技術はそれだけではないので、歩法などは充分実戦で試せる。そう考えれば、自らに制限をかけるのはさほど悪い選択ではない、とアナンドは思っていた。

 

「逆にシノンはイメージ通りだよなぁ」

 

「そう?」

 

 今度はシノンが、先ほどのアナンド同様に自らの得物を抜く。空に翳すようにすれば、光を反射して輝く短い刀身を持つ、所謂ダガーに分類されるものだ。

 シノンが長物を振るうイメージがない、という消去法であったが、アナンドにはSAOに存在する武器の中では短剣が一番シノンのイメージ通りに思えた。

 

「って言っても、あんまし剣とかを持ってるイメージがお前にはないけどなー。短剣ならまぁ、って程度だよ」

 

「それ言ったらそもそも、現代人に武器のイメージなんてないと思うんだけど」

 

 それは確かに、とアナンドは苦笑する。日頃からゲームをやるような人間であればともかく、普通に過ごしていれば特徴的な雰囲気でも持っていない限り武器とその人のイメージなど繋がりはしない。性格からなんとか、程度だろうか。

 けれど逆に、明確なイメージが湧かないのであれば、実際はどんなものか気になってくるというもの。シノンはどんな風にその短剣を振るうのだろうか―――それをイメージし、比較するためにアナンドは立ち上がる。

 

「それじゃあシノン、次はお前が戦ってみてくれよ」

 

「……そうね、あまりこうやって座っていても時間が勿体ないし」

 

 アナンドが座っているシノンに向かって手を差し出せば、素直にそれを握り返してシノンが立ち上がる。それからシノンは、アナンドの手を離し鞘から抜いたままだった短剣を順手で構えるのだった。

 

 

 

 

「くっそ近接戦下手だな」

 

「……うっさい」

 

 照れたように顔を赤くしてそっぽを向くシノンを、アナンドは頬を突いて遊ぶ。無論、そんなことをすれば当然シノンはアナンドの手を払うわけだが、それでもアナンドは遊ぶのをやめない。弄れる時に弄るのがアナンドの主義だし、シノンとアナンドの関係は互いに煽れる時は煽るものだ。容赦というか自重がないのが基本スタイル。

 

「いやぁ、このHPバーの差よ。俺がほとんどマックス。シノンは真っ赤っか!」

 

「あんた覚えてなさいよ……」

 

 恨みがましい目でアナンドのことをシノンが睨む。しかし報復を恐れていては煽り芸などできはしない。そのまま続けて煽ろうとして……アナンドは違和感に気づく。

 始まりの街を囲むように存在する石の大壁。その出入口として存在する木製の大扉を越えて街中の様子を目にしたアナンド。そこで初めて、街中が妙なざわめきに包まれていることに気づく。

 

「なんだ……?」

 

「……いやな雰囲気ね」

 

 街の至る所で人々が集まり何かを話している。アナンドの視界にはその集まっている人々の頭上にカーソルが表示されているため、ざわついているのはプレイヤーだけだ、と把握できる。

 何か、プレイヤーにとって予想外、不都合なことが起きたのだろう、とアナンドはあたりを付けつつ、シノンに目配せで心当たりがあるかを問う。しかし返ってきたのは首を横に振るという、分からないという返事だった。

 ならば自分で予想を立てるしかない、とアナンドは目の前の状況を改めて確認する。

 

 場所は街に入ってすぐの簡易的な広場。視界上には多くのプレイヤーがおり、逆に言えばこの場所以外にはあまり人がいないことを示している。ならば起きた“何か”はここで確認できるものだろう、とアナンドは考える。

 アナンドの場合は、ここに来た理由は戦闘を終わらせて一度、しっかりとした休憩を挟むことだ。特にシノンのHPが残り少ないのもある。だがその場合、用があるのは宿屋だ。街の門をくぐってすぐの場所でこうして人が集まる理由はない。

 ならばこうして敵のいない、落ち着ける場に来てやることは何か、とアナンドは思案する。パッと思いつくのはアイテム整理だ。しかしアナンドとシノンは街の外で軽くアイテム欄を確認しているが何か引っかかるようなものがあった記憶はない。

 疑問に思いつつ一応、アナンドはメニューを開き、そこで一つ違和感に気づく。メニューの選択肢の中に、文字もなくそもそも選ぶことのできないものがある。そこに本来あるべきなのは―――

 

「あー、そりゃ皆ざわつきますわ……」

 

 思わず呟いたアナンドの言葉にシノンが怪訝そうにするのを無視しつつ、適当にそこら辺にいたプレイヤーの方へと向かう。それは三人ほどの集まりで、全員が手元を見ているのでメニュー画面を開いているのだろう、とアナンドは予測を立てる。

 

「あの、すみません」

 

「ん、はい?」

 

「皆さんもログアウトができない状態ですかね?」

 

 その質問にそこに集まっていた三人が全員頷いて返してくる。その反応にやっぱり、とアナンドは納得しつつ何時頃からかなど簡単に情報交換を済ませてそのグループから離れてシノンの元へと戻る。

 とは言っても残念ながら、三人組も何故ログアウトできないか知っているわけではなく、この場にいる全員がログアウトできない状態だという程度のことしか聞くことはできなかった。

 それでもこの状況になったのは自分たちだけではないというのはありがたい情報だった―――そう、アナンドはシノンへと伝える。

 

「……バグかしらね。運営の対応を待ちましょうか」

 

「そう、だなぁ」

 

 そう言って街中へと歩き出すシノンを追って、アナンドも歩き出す。向かう先は恐らく、宿屋だろう。シノンはHPが減ったままなのでその判断は間違っていないように、アナンドには思えた。

 だが同時に、アナンドにはどうにも引っかかるところがあった。普通に考えてログアウトできないのはバグとしては致命的であるからだし、また単純にアナンドの直感がまだ何かあると告げていたからだ。

 しかしだからといって具体的に何がどう、と分かるわけではない。そのため特に対策を打てるわけではなく、素直にシノンについて宿屋に向かうしかない状態だった。

 

「ねぇアナンド」

 

「ん?」

 

「さっきのでいくらお金溜まった?」

 

 その問いにアナンドはメニューを開き、相変わらずログアウトができないことも確認しつつ、手持ちの金額を見ながらシノンへと伝える。

 

「やっぱりそんなものよねぇ。しばらくこの街の周辺でお金稼いで装備揃えるのと、装備を買うのは別の街にするのどっちがいいかしら……」

 

 アナンドはゲーム初心者であるため、アナンドと比べれば多少の経験があるシノンに序盤の立ち回りは丸投げするつもりだ。装備の更新タイミングなどはシノン次第であるため、特に武器防具を気にするつもりはなかった。

 だが宿屋へと向かう途中、ふと見た露店において意外なものを見つけたために思わず足を止める。

 そこに売られていたのは黒のシンプルなテーラードジャケット。素材や加工を見る限り、明らかに現実世界における現代の技術で作られるようなものにアナンドには思える。

 防具としての性能を見ても、特に防御力は設定されていない。あくまでアバターの着せ替え用……いや、それにしたってデザインがシンプル過ぎる。まるで私服にしろと言われているかのような、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……何?」

 

「これは……」

 

 アナンドの中で感じていた違和感が大きくなったのを自覚した瞬間。ゴーン、と鐘の鳴る音が辺り一帯に響き渡る。音源は……最初にログインした際に出た広場にある塔。見ればそこにある鐘が揺れているのが分かった。

 間違いなくこれは何かを知らせる音だ。そしてそれはログアウトができなくなったことに関係している。それをアナンドが確信すると同時、アナンドの視界は光に包まれた。




次回、ついに物語が動き出す。
いったいどれだけハードモードになったんでしょうね?


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#4.SAOという世界Ⅳ

 己を包み込む光をβテスターであるキリトは知っていた。

 転移時に発生する青白い独特の光。自らが転移用のアイテムを消費していない以上、これは運営側によるものだな、となんとなく察し。その違和感にキリトは首を傾げた。

 β時代。バグというものはそれなりの数あった。しかしその対応でどこか別の場所にワープさせられるなど一度もなかった。

 今回はログアウトができないという大きなバグだ、修正の目途が立たないなどならプレイヤー達を集めてもおかしくない気もするのだが。それにしたって別に運営からのメールで済ませてもいいようにキリトは思った。

 

 そんなどことなく感じる違和感について考えていると、瞼越しに感じていた光が弱まるのを感じる。転移が終わった証だ、とキリトは閉じていた目を開ける。

 目を開いたことで見えた光景は、βテスターであるキリトにとってよく見慣れた光景だった。始まりの街の中心部にあたる、通称噴水広場。SAO初プレイ時に必ず訪れる場所で、待ち合わせや憩いの場として利用される、βテスターには馴染み深い場所だった。

 ただし見慣れていたのはその街並みだけであり、日頃から人の多い場所であったが、今回ほど大勢の人で溢れているのを見るのはキリトも初であった。恐らく、人数的に全プレイヤーが集められているのだろう。運営からプレイヤーへ、何か通知があるのだろうという予想は信憑性を増してきていた。

 

「……っと、そうだ。リーファにクラインは?」

 

 今回は運営による特殊な転移であったために、直前まで近くにいた人物と共に転移したかが分からない。クラインはともかく、リーファはゲーム慣れしていないし、珍しい女性プレイヤーということもある。早めに合流しておきたいと、キリトはどことなく感じる物足りなさを一旦無視して改めて周囲を見回す。

 周りはプレイヤーだらけ。金髪キャラも多く些か探すのは大変だが……いた。アバターの背を高く設定していたのもあって、上から見下ろす形で探せたために手早く見つけられた、とキリトは安堵の溜息を吐きながらリーファの元へと向かう。

 運がいいことに、リーファの近くにはクラインもいて三人合流するのは簡単そうだった。いきなりの転移に戸惑う人が多く、二人の元まで移動するのは些か難しかったが、それでもキリトは何とか人の合間を縫ってリーファとクラインに合流する。

 

「よかったよ、二人とも近くにいて」

 

「あ、お兄ちゃん。これどういう状況なの?」

 

「多分だけど運営から何か話が……」

 

 そこまで言いかけ、ふとクラインの様子がおかしいことにキリトは気づく。しきりに何もない空間を見ていたり、首を傾げる動作を繰り返している。パッと見は挙動不審な動作、できれば関わり合いたくないタイプの人間に見える。

 しかしよくよく見ればそんな動作を行っているのはクラインだけではなく、周囲のプレイヤーにも何人かいる。つまり、間違いなく何か問題があったということを示しており、キリトはクラインを見ず知らずの人扱いするという選択肢を捨てることにした。

 

「クライン、どうかしたか?」

 

「あ……いや、キリトよぅ。実はここに転移させられてからHPとか、プレイヤーのカーソルとかが表示されねぇんだ。なんかバグったみたいで……」

 

 クラインの言葉に、キリトの意識は即座に視界の左上へと集中する。

 

 ―――ない。

 

 HP表示も、SP表示もあるべき場所に存在しない。先ほど感じた物足りなさはこれが原因か、と納得しつつも、キリトはクラインが言っていたように周囲の人々の頭上にプレイヤーカーソルが存在しないのも確認した。

 キリトは違和感が悪寒に変わるのを自覚する。何か、とんでもないことが進んでいるような―――そんな漠然とした恐怖に苛まれながらキリトは更なる確認を行う。

 右手の人差し指を宙で振るう。メニューは表示されない。軽くその場でジャンプする。転移前のように高く跳躍できない。リーファの頬に無断で触れる。ハラスメント防止の忠告が表示されない。

 他にも色々試すが、()()()()()()()()()()()()()()()()()。これではまるで―――キリトの中で言い知れぬ悪寒が形を結ぼうとした時、誰かの声が噴水広場に響いた。

 

「―――おい、何だあれ!?」

 

 人が多過ぎて誰が言ったかもわからない言葉。けれど周囲の人々が揃って空の一角を見るために、釣られてキリトやクライン、リーファは同じ方向を見上げる。

 

 ―――そこには黒い謎の流動体が存在していた。

 

 生理的嫌悪感を抱く、黒く不定形なそれ。仮に名を付けるとしたらどす黒い泥だろうか―――そう思いながら、キリトはそれを見つめ続ける。

 決して見ていて気持ちのいいものではないが、この場にシステム的な力で呼ばれたのであれば、あの泥含めてイベントの一環という可能性もある。

 最悪、SAOがハッキングされ外部からの干渉によりあの泥が発生している可能性はあるが……VRゲームに関してはほぼほぼSAOの開発者である茅場晶彦の独壇場だ。そんな茅場晶彦を上回る腕の人間がいるとは、キリトには思えなかった。

 

 故に、あれは運営の演出であり危険なものではない―――そんなキリトの予想は、最悪の形で裏切られた。

 

 不定形のそれが、幾度か胎動し宙の一箇所へと集う。集まり、合わさり、混ざり……そうして徐々に形を整えていったそれは、やがてローブを纏った巨大な男のような姿へと化した。

 不快感のある泥から形成された正体不明の男。なるほど、悪役(ヒール)としていい演出だろう。そう思いながらキリトはのんびりと巨大な男から声が発せられるのを待つ。

 

「―――諸君、初めまして。この世界を作った茅場晶彦だ」

 

 は、とキリトの口から声が漏れる。如何にも悪役然とした、宙に浮かぶ巨大な男が茅場晶彦? ならば製作者自らがイベントの悪役を務めるというのか。

 キリトはSAOが何か大変な方向に向かっているのではというのを、些細な違和感から察していたが、あくまでイベント一環だと自らに言い聞かせることで誤魔化そうとしていた。

 偏にSAOをゲームとして楽しみたい、という思いがキリトにその選択をさせていた。しかし現実とは無慈悲であり、目の前の茅場晶彦を名乗る巨人はキリトが聞きたくない言葉を発していく。

 

「まずは謝罪を。君たちに無断で、このような形で突然ある事実を告げなければならないことを。そして何よりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何を……」

 

「気づいているだろう。君たちの視界にHPが映らないことも、メニューが開かないことにも」

 

 それに対する人々の反応は様々だ。その事実に気づいていなかった人は慌ててメニューを開こうとし、できない事実に驚愕し。キリトたちのように既に気づいていた人々は茅場晶彦の口ぶりから、まるで意図してそうしたかのように感じ取る。

 キリトは同年代の人々と比べると聡明だ。頭の回転が早い。そのために気づかない方が幸せなことに気づいてしまうことがある。キリトが現実世界において、家族と血が繋がっていないと気づいたのも、キリトが歳のわりに聡明で能力があったからだ。

 そして今回もまた、キリトは一人、ある事実を察してしまう。

 

「ゲームではなく……システム的なものも存在しなくなってる……。まるで、現実みたいな……」

 

 小さく、周りの喧騒から本来ならキリト自身以外には聞こえないはずの呟き。しかし確かに一瞬、ローブの巨人から己に視線が向けられたのをキリトは自覚する。

 ローブの奥。真っ暗で何も見えないはずのそこから、そのアバターを操っているであろう茅場晶彦の目が向けられたのを、根拠がないながらもキリトは確信していた。

 

「君たちに覚えておいてもらいたい。先ほどの転移をもって、この世界はゲームではなくなった」

 

 大きく、この世界全てを示すようにローブの巨人がその手を広げる。この世界とは、すなわちSAOの舞台であるアインクラッドのことを示しているのだろう。

 それがゲームではなくなったとはどういうことか―――小さなヒントからキリトはその言葉の意味を察しながらも、分からないふりをしようとする。

 

「ソードスキルなんて便利なものも存在しない。またステータスも存在しない。故に、戦いでは己の力で戦う必要があるし、心臓を一突きされれば君たちは死ぬ」

 

 しかしローブの巨人は慈悲もなくキリトが察し始めていたことを明確に言葉にしていく。絶望するには十分すぎる内容を。

 

「NPCという概念も存在しない。彼らはここで生き、思考する一つの命だ」

 

「―――――――」

 

「もう一度言おう。この世界は既にゲームではない。君たちにとって、もう一つの現実となったのだ」

 

 ローブの巨人が言った言葉に対する反応は存在しない。理解したくない、理解したが故に言葉がない、思考が追いつかない。理由こそ様々であったが、誰もが巨人の言葉に反応する余裕がなく、この場においてはローブの巨人が主導権を完全に握っていた。

 

「故に当然、死ねば二度と生き返ることはないし、また現実世界での命も失われる」

 

 そして告げられる更なる絶望。もし事実なら発狂しても、キレてもおかしくない内容。それをキリトが冷静に聞けているのは事前に何となく察していたからか。それとも現実味がないからか。

 

「なに、安心したまえ。別にいつまでもこの世界にいなければならないわけではない。このアインクラッド最上層で待つ私の元へ辿り着ければ元の世界に返してやろう」

 

 絶望だけではなく希望もあるだろう、と表情がないながらも雰囲気で笑みを浮かべたかのようなローブの巨人に、キリトは思わず拳を握りしめる。

 希望? そんなものどこにもありはしない。自らの命が懸かっている状況で、どれだけの人間がアインクラッドの攻略に乗り出せるか。ステータス、レベルが存在しなければ自分自身の技術を磨くしか強くなる手段が存在しないのだ。

 少人数で、かつ成長には時間がかかる。攻略に何年かかるのか―――そんなキリトの疑問に答えるように、ローブの巨人はああ、とどこか人間味溢れる動きで言葉を続ける。

 

「忘れていたが、今この世界は現実世界の十倍の速度で時間が過ぎていっている。現実世界での一秒が、この世界では十秒に。一時間が十時間に。一年が十年に……時間だけなら充分にある。ゆっくりと、この世界を堪能しながら攻略してくれたまえ」

 

 もはやふざけているとしか思えない言葉だった。けれどゲーム内の時間が現実世界の十倍というのは、茅場晶彦の技術力をもってすれば不可能ではないように思える。少なくとも、キリトが調べた限りの茅場晶彦という男の能力をもってすれば、ありえる話だった。

 それはつまり、逆に言えば大元とも言えるGMである茅場晶彦自身が、この状況を作り出したということ。運営からの救出は期待できない、ということだ。

 

「……さて、私から伝えておきたいことはこれで全てになる。これ以上は君たち自身で探し出して欲しい。そう、現実のようにね」

 

 そう言ったローブの巨人―――茅場晶彦は腕を広げ、空を仰ぐ。釣られてキリトも上を見れば、雲の上に二層の基盤である灰色の鋼がある不思議な光景。

 けれど茅場晶彦が見ているのはそこではなく、その更に先だと、キリトには何となく察せられる。

 

 

「宣言する!」

 

 

「これはゲームでもないし、ましてや遊びでもない」

 

 

「君たちにとって既にここはもう一つの現実であり」

 

 

「君たちが生きるべき世界となった」

 

 

「元の世界に帰りたくば、登れ」

 

 

「アインクラッド、最上層」

 

 

「そこで私は待っているぞ」

 

 

「さぁ、この世界の住民たちよ」

 

 

「この世界を全力で生き抜く姿を私に見せてくれ!」

 

 

 

 

―――それをもって、この世界は完成するのだから―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてSAOという世界は、ゲームから現実と化したのだった。




茅場は本当にろくなことしねぇな!
というわけでついにSAOは地獄と化す。デスゲームなんかじゃ温いぜ。
ステータスはないしレベルの概念もない。斬られれば痛いし、出血し過ぎれば死ぬ。
NPCにも人格があって、誰もが協力的なわけじゃない。対応を間違えれば敵にすらなる。
タイトル通り、実にハードモードだね!!


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#5.SAOという世界Ⅴ

 困ったことになった。

 

 宙に浮かぶローブを纏った茅場晶彦を名乗る男の話を聞いて、アナンドが最初に思ったのはそんなちんけな言葉だった。

 その内容をしっかりと考えると、どう考えてもとんでもない事態だというのは理解している。しかし、あまりにも突飛過ぎて思考が追い付いていない、というのがアナンドの現状だった。

 しかしだからこそ気づけることもあり、パニックに陥っていないことでこのあと何が起きるかを察したアナンドは、近くにいたシノンの腕を掴み街の路地へ向けて走り出す。

 

 現状の広場はSAOプレイヤー約一万にがひしめいている状態。そこを人の間を縫って移動しようなど、本来であれば難しいこと。

 だが誰もが突然の事態に呆けている今ならば、多少力技にはなるができないことではない。そして事実、アナンドはシノンを引き連れた状態で人混みから抜け出し、何とか人目につかない路地へと入り込むことに成功する。

 

 ―――直後、広場から響いてくる怒号や悲鳴。

 

 状況への理解が追い付いた一人が、パニック状態になり、それが伝染。広がることで広場全体が阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。アナンドは察した通りになった、とそうなる前になんとか脱出できたことに安堵した。

 

「……ちょっと、待ってよ! ここがもう一つの現実になったってどういうことよ。ここで死んだら現実でも死ぬって何なのよ……!」

 

 けれど、それはあくまでアナンドが落ち着いているから安堵できるだけであり、明確な理解もできぬまま連れ出されたシノンはそうではない。

 先ほどまでいた場所で起きたパニックに釣られシノンもまた、軽いパニック状態へと陥ってしまう。

 その場でうずくまるようにして頭を抱えてしまうシノンに、アナンドは存外自分も冷静にはなり切れていなかったことを自覚する。

 少し考えればシノンがこうなってしまうことは想定できたのに、その対応をアナンドは一切考えていなかった。あくまで己はパニックになっていないだけで、突然の状況に冷静な判断を下せるような状態ではないのだ、とアナンドは自らへと言い聞かせる。

 それからアナンドはシノンを落ち着かせるために、しゃがみ込んで視線をしっかりと合わせる。落ち着け、と言ったところで人は簡単に落ち着けはしない。かと言って楽観的な考えを告げて安心させられるような状況でもない。

 しばしアナンドは何と言うべきかを思案したあと、シノンの両頬を自らの手で包み込み、人肌の温もりが伝わるようにしながら口を開く。

 

「落ち着け。喚いてたってどうにもならないぜ」

 

「っ、だっていきなりあんなこと言われて……!」

 

「分かるぜ、俺だってわけが分からん。だけどな、うちのクソ爺どもに散々言われた言葉を思い出せよ」

 

 そのアナンドの言葉を聞いたシノンの肩がビクつく。パニックになってなお、その存在を仄めかされただけで恐怖してしまう───それだけのものを、シノンはアナンドの親族達によって刻まれていた。

 シノンは諸事情により、アナンドとその家族や親族が暮らす家へと引っ越してきている。そして引っ越してきてしまったばっかりにアナンドに対して行われていた地獄の鍛錬に巻き込まれていた。

 一応、シノンに対して行われたのはアナンド用とは別の、生存の為の技術を叩き込むものだったのだが、それでもアナンド曰くクソ爺達が主導で行われたもの。シノンに恐怖を刻むには充分過ぎるものだった。

 

 死が迫ってくる感覚を覚えろ、とか言われて殺されかければ誰だって恐怖が刻まれる。

 

 ただ、こと現在においては恐怖故にパニック状態すら超えて言葉が届くのだから、アナンドはその点だけは助かるために親族たちに感謝していた。

 地獄の鍛錬がフラッシュバックしたのか、肩をビクつかせるシノンが顔を上げてアナンドのことを見てくる。

 それにアナンドは視線を合わせ、はっきりと言葉が力を持つようにして声を発する。

 

「『死にたくなけりゃいつ如何なる時も己ができる最善を探し続けろ』。クソ爺共がよく言ってた言葉だ。あのクソ爺共を肯定するのは癪だが……個人的には間違ったことを言ってるとは思わない。お前は今、自分がすべきことを考えてるか?」

 

 そう問いかければ、シノンの瞳がしばし揺らいだ後、その眼が閉じられる。そして次に開かれた時にはまだどこか迷いはありながらも、ある程度落ち着いた様子を見せていた。

 一先ずは落ち着いたか、と安堵しつつアナンドは親族たちへ一応の感謝の念を抱いておく。素直にありがたく思えないのは、親族たちの日頃の行い故だった。

 

「それにその言葉を実行しなければまたあのクソ爺共に扱かれる羽目になるぞ」

 

「ひぇっ」

 

 今度は恐怖からうずくまってしまったシノンを見ながら、アナンドは思案する。

 シノンにこそああは言ったが、アナンド自身も己がすべき最善とやらを見出せていない。あまりにも突飛な状況だ、こんな状況を日頃から想定しているわけもなく、アナンドは改めて現在知り得る限りの情報から打つべき手を考える必要があった。

 

「……とりあえず、あの茅場晶彦を名乗った人物が言ったことが本当だろうが嘘だろうが、ログアウトできないのは事実だ」

 

「だったらやっぱり最上層に行ってログアウトできるようにするのが最善じゃないの?」

 

「まぁそうなるわけだが……」

 

 シノンの言うことは決して間違っていない、とアナンド曖昧ながらも頷きを返す。しかし同時に、けれど、と思っていた。

 確かに現状では茅場晶彦を名乗った人物が言った通りにするしかない、とアナンドも思っている。SAOという世界の中からできる具体的な解決策がそれしかないからだ。一応、自殺してみるなどもあるがそれはいくらなんでも掛け金が大き過ぎる。

 自分たちにできる最善は確かにそれだろう―――だが、それが難しいのだ、とアナンドは首を横に振る。

 仮に茅場晶彦を名乗った人物が言ったことを全面的に信頼するのであれば。アナンドたちはこの世界で死んだ段階で現実でも死ぬことになる。

 そんな状況下で命を懸けて最上層へと登ろうとする人物がどれだけいるだろうか。

 加えて、この世界がもう一つの現実となったことでどれだけの変化が起きたか不明であるが、元々SAOというゲームではボスエネミーを倒すことで次の層へと行けるシステムだったらしい。もしそのルールが適応されていたのなら、最上層、すなわち百層まで行くのにその数だけのボスエネミーと戦わなければならないのだ。

 ソードスキルもHPもなくなった今、エネミーと戦える人間はまずいないだろう。それはアナンド自身を含めてだ。

 いくら鍛錬を積んでいるといっても、魔物と戦った経験などあるわけがない。

 戦ったことのない相手に、近接武器のみで挑む。アナンドは自らを強者であると理解しているが、それでも戦うことを想定したこともないものを相手に、幾度となく戦い続けて生き残れる自信があるかと言えばノーであった。

 

 それならば今、自分がすべき最善とは何なのか、そう改めて考え―――アナンドは視界の端で動くものを捉えた。

 

 黒髪の青年と、赤髪の青年。金髪の少女という三人組だ。彼らは何らかを話しあった後、赤髪の青年のみが別方向に行き、残りの二人はそれとは反対に向かって走っていく。

 あの方向は、とアナンドはチュートリアル中に何となく覚えた街の構造を思い出し、そして思わず頭を抱えた。

 何となくではあるが、彼らの素性やこの後の目的をアナンドは察した。問題はその上でアナンド自身はどうするのか、という話になる。

 彼らを赤の他人と考えるならば、放置一択になる。助けに行く義理はないし、アナンド自身平時であれば見知らぬ人物がバカなことをし出したとしてそれを止めにいくことはない。赤の他人に対しては、基本的に勝手にやってろ、というのがアナンドのスタンスだった。

 しかし彼らをこのSAO攻略メンバーとして考えるのならば、話は変わってくるとアナンドは思っている。

 現状でああも勢いよく動けるのであれば、少なくとも彼らは死ぬ可能性を知った上で、命を懸けて攻略に動ける人間ということになる。それが蛮勇であれ、思考停止の結果であれ。

 ならばここで貴重な戦力を失わないようにする、というのも選択肢の一つだった。

 

 貴重な戦力を見捨てるか。それとも自身やシノンが危険に巻き込まれる可能性をふまえた上で介入するか。アナンドはしばし悩んだ後、どちらの方が後味が悪いかで判断を下すことにする。すなわち。

 

「シノン、ちょっとついてこい」

 

「え、ちょ、ちょっと! いきなりどこ行くのよ!?」

 

 生憎と説明している暇がないため、アナンドはシノンの手を引いて青年と少女を追って走り出す。その瞬間、何も入っていないはずのポケットで何かが揺れたのを自覚するが、今はそれどころではないと一旦無視して走ることに集中する。

 追うか否かを悩んだせいで、少しだが黒髪の青年たちが走り出してから時間が経ってしまっている。仮にこれがゲームのままであったならばステータスの関係から追い付けはしなかっただろう。

 

 けれど、とアナンドは走る感覚から今なら追い付けなくはないと判断する。

 

 ゲームの段階では、走る際に筋肉の動きを意識してもアナンドはそれを使っていることを感じ取れなかった。単純に、速度がステータス準拠であるために筋肉による加速が存在しないからだったのだろう。

 だが今は違うようにアナンドは感じていた。走る際にその動きをしっかり体を制御し動かせば、その分正しく力が伝わり加速するのが自覚できる。

 言い換えれば、()()()()()()()()()()()

 これなら充分に黒髪の青年たちに追い付ける可能性があるだろう。アナンドはそう判断し、更にギアを上げる。生き残る為には逃げ足も大事だぞ、とシノンも昔に効率的な走り方を叩き込まれているため、アナンドの速度にもしっかりとついてこれている。

 

 その姿にやはりこういった細かなところまで現実に近づいているのだな、と思っているうちにアナンドの視界に飛び込んできたのは……木材と鉄材で構成された、巨大な扉。すなわちこの街の出入口だ。

 予想通りの場所に辿り着いてしまったことに、思わずアナンドは舌打ちをする。これで黒髪の青年たちが何を目的に走っていたのか、その予想が当たってしまったことが分かった。

 そのため手遅れになる前に黒髪の青年たちと話さなければとアナンドはあたりを見回し―――巨大な門の前で止まっている二人を見つける。何やら街から出る前に、黒髪の青年が金髪の少女へ何かを話しているようだった。

 都合がいい、これなら間に合うとアナンドは再び走り出し、二人との距離を詰めていく。

 

「―――っおい、あんたら!」

 

「……え、あ、俺らか?」

 

「そうだよ、お前らだよ」

 

 いきなり声をかけたアナンドに黒髪の青年たちに加えシノンまで怪訝な表情をする。知りもしない相手にいきなり用はあるかのように話しかければ、そりゃ誰でも困惑するとアナンドも他の三人の心情は理解できた。ましてや先ほど突然ゲームの中に閉じ込められたと告げられたばかり、警戒するのも分かる話である。

 しかしアナンドはその上で黒髪の青年たちが街の外へ出ていくのを止めなければならない。そんな義理はない相手ではあるが、救える相手を救わず無視する、というのはアナンドとしては多少寝覚めが悪いと思う程度には引っかかるものがあった。

 故に何と言うべきかしばし悩み、まずはこちらと会話する気になってもらうために興味を引かなければならないと判断する。そして興味を引くのであれば、シンプルに目的を告げるべきだとも。

 

「あんたら、両方か片方かは知らないがβテスターだろ?βの感覚で街の外へ出るのはやめておけ」

 

「……どういう意味だ」

 

 よし、と黒髪の青年から返ってきた言葉に、アナンドは内心でガッツポーズする。目つきも、口調も険悪なものではあるが、確かに興味を持たせることにアナンドは成功していた。

 相手からすれば、状況的にβテスターがその知識で他のプレイヤーよりアドバンテージを取ろうとしたところを無理矢理邪魔しようとしているように見えるのだろう。険悪な態度になるのも、アナンドには理解できた。

 となると、一先ず興味を持たせることはできたので、そこからどうやって素直に話を聞いてもらい、街の外に行くのをやめてもらうか、という話になるのだが。

 アナンドは一度街の外を見て、予想通りの光景に恐怖と絶望を改めて覚える。しかし同時に、説得するよりも見せた方が早いとも考える。

 

「とりあえず、街の外を見てみろ」

 

「街の外? あんたいきなりなんなんだ?」

 

「いいから、見ろ」

 

 少し語調を強めれば、仕方なさそうに街の外へ視線をやる黒髪の青年。それに釣られ金髪の少女とシノンも街の外を見やり。そしてアナンド自身ももう一度街の外をしっかりと見る。

 はたして、そこに広がっていた光景は―――




GE2RBやってたわ。やっぱGEは楽しいね。

そんなわけで徐々に徐々に原作とは展開が離れていくよ。
基本的に二次創作では原作を崩壊させるか、全く原作と関係ないところの話をするから面白いと思ってるので、本作では思いっきり原作と違う展開にする予定。


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#6.SAOという世界Ⅵ

 ―――男は草原を走っていた。

 

 その理由は、先程までであれば他者を出し抜くためであった。

 広場で茅場晶彦を名乗る人物から告げられた事実。男はそれに現実感を感じられなかったが故に、比較的他者より早く行動を起こせた、という人間であった。

 男は至って平凡な人生を歩んできた人間だ。高校を卒業し、大学へと通い。そこそこいいところに就職して、趣味のゲームに勤しむ。SAOだって、最新のゲームということもあって少しの金銭的な無茶をして購入していた。運よくβテストに当選してしまい、その楽しさを知ってしまったために買わないという選択肢はなくなっていた。

 そんな風に基本的に平凡な人生の男であったが、唯一特筆できることに人の死が身近になかった、ということが挙げられる。

 男の祖父母は男自身が生まれた前や、生まれてすぐの頃に死んでしまっていたし、身内の不幸というものも男がこれまで生きてきた中ではなかった。加えて、男の周囲でも誰かが死んだ、ということはなかった。

 故に、男は死というものに鈍感であった。誰かがいなくなってしまうということを、知識としては理解していも経験としては存在しないが故に、己は死ぬことがないと根拠もなく信じていた。

 

 始まりの街から我先に、と飛び出したのもそれが理由だ。

 自分はβテスターだ。簡単に死ぬわけがない。そして折角のβテスターなのだからその知識を活かさなければ。

 茅場晶彦を名乗る人物の言葉を聞いて街を飛び出すに至るまでの男の思考はこんなものだった。

 別に男は茅場晶彦を名乗る人物の話を聞いていなかったわけではない。HPなどが存在しなくなった、というのも聞いていた。ただそれを聞いた上で、男はまだβ時代の知識を活用できると思っていたし、自分ならどうとでもできると思っていた。

 そう、ただただ楽観していたのだ。

 けれど本人にそれが根拠もない、全く信ずるに値しないものであるという自覚はなく。始まりの街から、目的の小さな村へと移動しようとし。

 

 ―――ブォオオオオォォォォ!!

 

「ひっ……ひぃっ―――!?」

 

 こうして男にとっては雑魚敵であるはずのフレンジーボアに追われていた。

 おかしい、と汗や涙、鼻水をばら撒いて逃げながら男は思う。途中までは何の問題もなかったはずだ、と。

 始まりの街を出てすぐの平原部。そこはβ時代やゲーム開始直後と違ってやけに静かだったので、思わず首を傾げたのを男は覚えている。ただその時は何かエネミーのポップが変わったのだろう、程度にしか思っていなかった。

 様子がおかしい、と思い始めたのは、目的の村へのショートカットルートである森の中を走っていた時。

 β時代に何度か通った道。見た目は何も変わらないはずのそこ。木々のざわめきや、虫の鳴き声。妙にリアルに感じられたというか、何かの息遣いまでするような気がして、無性に恐怖を覚えた。

 ここは所詮データで構成された世界、加えて今の自分には戦う術もある―――男はそう自分に言い聞かせながら一度、背中にある片手剣の柄を握り、森の中を全速力で駆け出す。

 地面を踏み締め、木の根を跨ぎ、小川を飛び越え。そうやって森の中を駆けていると、がさりと草の揺れる音が響く。

 男は敵のお出ましか、と剣の柄を握り構えた。出てくるならこの森特有の植物型エネミーか、なんて思いながら構え続ければ、出てきたのは。

 

「……フレンジーボア?」

 

 βテストであれば、平原にしかポップしないはずのフレンジーボアが草むらから出てきていた。

 とはいえ驚いたのは一瞬。βテスターだった男からすれば所詮雑魚である、と背中から片手剣を抜き放ち―――その重量感に、戸惑った。

 βテストとは違う、確かな重さを手の内に握った剣から感じられる。βテストでは手に馴染むように、特に重さも感じることなく剣を握れていた。要求筋力値を満たさない剣はそもそも装備できなかったため、βテストで剣に重さを感じたことは一度もない。

 しかし今男の手の中に握った剣は、決して持ち上げられないこともないし、持ち運ぶことだってできる。けれど思うように振るえるとは思えないような、確かにそこに存在すると感じさせるような重さがあった。

 剣を握っていることへの違和感―――だが今はそれに構っている暇はないと男は剣を後ろへと引き絞る。βテストでのAIレベルなら、かなり弱めに設定されていたらしいフレンジーボアがプレイヤーを見つけた瞬間に襲い掛かってこなかったことに男は首を傾げるが、さほど重要ではないだろうと男は首を振る。

 何はともあれ、動かないならば先に斬ってしまえばいいと、剣に重量感があることなど関係なしに振るえる、身体が自動で放つソードスキルの発動待機へと入れる構えを取り。

 いつまで経っても体が動かず、また剣が燐光を発しないことで男は茅場晶彦を名乗る人物が言ったことばを思い出した。

 

 ―――ソードスキルなんて便利なものも存在しない―――

 

 それはつまり、一番のダメージリソースは存在せず、この重い剣を自力で振るう必要があるということだった。

 厄介な―――そう思うも、男にはこの段階ではまだ余裕があった。何せフレンジーボアはβテストでは雑魚も雑魚。男はフレンジーボアのパターンを全て知っていたために、ソードスキル無しでも戦えると思っていた。

 感覚を確かめるために軽く剣を振るう。β時代からの何気ない癖。

 

 ―――それに、フレンジーボアは過剰な反応を示した。

 

「ッ!?」

 

 ビクリ、と体を震わせたと思ったら、次の瞬間には突然の突進。男がそれを避けられたのは奇跡に等しかった。

 βテストではフレンジーボアは、突進の前に必ず予備動作として前足で地面を引っ掻いていた。しかし、今の突進にはそれがなかった。

 AIが変わっているのか、男は勝てるかどうか若干の不安を覚え始めながら、態勢を立て直し、突進から振り向いたフレンジーボアと相対する。

 

 ―――ブォオオオオォォォォ!!!

 

「ひっ―――」

 

 

殺される。

 

 

 一瞬で余裕など吹き飛んだ。そして理解した。今己が相対しているのはデータで構成された虚構などではないと。

 AIが変わったどころではない、ただの0と1で編まれたデータから一つの生き物になったのだ、と理解した時には、男はパニックへと陥っていた。

 初めて直接的に目にした死というもの。ましてやそれが己に向けられているとなれば、落ち着いていられるわけもない。

 気づけば男は森から飛び出し、始まりの街へ向かって平原を走っていた。右手には既に剣はない。パニック状態でフレンジーボアから逃げ回っているうちにどこかへ落としてしまったのだろう。

 けれどそもそも、男にはそんなことを気にしている余裕がない。フレンジーボアは未だに男を追ってきている。平原ではろくに隠れる場所もなく、男は自分にどんどん死が迫ってきていることを理解していた。

 

「ちくしょう、何で……何で俺がこんな目に……!」

 

 男はβテストでは最前線に立っていた。有給休暇などを用いて、仕事をしながらながらも頑張ってアインクラッドを攻略していた。

 暇があればダンジョンのマッピングと敵のモーションを覚え。通勤中などで覚えた敵のモーションを反芻し。他のプレイヤーと情報交換したりWikiを覗いたり。そうやってしっかりと努力を重ね、常に攻略最前線に立ち続けていた。

 男は決して特別ゲームが上手いわけではなかったが、努力でそれを補えるタイプであった。そしてその自負もあったために、努力をしたのだから正式サービス版でも充分戦えると信じていた。

 それがどうだ、男はフレンジーボアから涙や鼻水を垂らしながら逃げるしかない自分を自嘲した。

 茅場晶彦を名乗る人物の言葉を深く考えなかったのがいけなかったのか。それとも、一般プレイヤーを置いて、一人で駆け出したのがいけなかったのだろうか。そんなとりとめのないことばかりが男の頭の中を巡る。

 男は既に、この段階で生きることを諦め始めていた。森から必死に走りづづけてもはや体力も残っていないし、平原では利用できる障害物もない。むしろ始まりの街の門が見えるところまで逃げてこれただけ上等だろう。

 

「それに、死んだら存外、現実で普通に目が覚めるかもしれないしなぁ……」

 

 そんなことはないと直感的にそんなことはないと理解しながらも、男は思わず呟いていた。男は一切の希望も存在しない状態で迫りくる死を受け入れることはできなかった。男の心は、そこまで強くあれなかった。

 

「あっ……」

 

 転ぶ。余分なことを考えていたからか。それとも滲んだ涙で視界が悪かったからか。どちらにしても、男は足元の石に気づかず躓いて転んでしまった。

 反射的に振り返れば、勢いよく迫りくるフレンジーボアの姿。死の間際は世界がスローになるというのは本当なんだな、とどこか他人事のように男は自らの死を受け入れ。

 

 ―――突如目の前に現れた美しき金に目を奪われた。

 

 光を反射し輝く黄金の鎧。風に靡く金糸のような髪が、羽織った青色のマントに映える。

 一目で分かる、美しく清廉な少女騎士は、迫りくるフレンジーボアの牙に添えるようにその手の剣を当てる。そのまま、身を捻るようにしてフレンジーボアの突進を流し、力のベクトルをズラすことで少女と男からフレンジーボアの突進を逸らした。

 フレンジーボアを逸らす過程で男から見えるようになった少女の顔は、海のように深い青色の瞳が特徴的なあまりにも整ったもので、男は人形のようだ、なんて呑気に陳腐な感想を抱いていた。

 

 そうやって呆ける男を置いて、駆け抜けていった先で振り返ったフレンジーボアと少女は向き合う。そして剣を地面へと突き立てた後、威風堂々とした佇まいで少女は口を開いた。

 

「あなたには人の言葉を理解することはできないのでしょう……。ですが、野生の獣だからこそ実力差が分かるはずです。―――退きなさい。あなたでは、私には届かない」

 

 凛とした立ち姿から圧と共に放たれたその言葉に、フレンジーボアはしばし迷ったような姿を見せたあと森の方へ逃げるように去っていく。

 突然助かった命に思考が追い付かない男が呆然とその姿を見送っていると、傍に立っていた少女が先ほどとは打って変わって優し気な面持ちではぁ、と一息吐く。

 

「……よかった。無駄な殺生は好みませんから」

 

 ふわりと浮かべられた笑みに、男は思わず見惚れる。先程までの気高い騎士としての姿に、今のような年頃の少女のような姿。そしてそこから生まれるギャップに、短い時間ながら男は完全に虜になってしまっていた。

 

「立てますか?」

 

「え、あ、はい!」

 

 差し出された少女の手を恐る恐る握り、支えてもらいながら何とか男は立ち上がる。今までは男の方が座り込んでいたために気づかなかったが、どうやら男よりも少女は頭一つ分ほど小さいようであった。先程のフレンジーボアと相対する姿が勇ましく大きな姿に見えたので、男には余計に少女との背の差が意外に思えた。

 

「大きな怪我はありませんか?」

 

「あ……はい、擦り傷とか、軽いものしか」

 

 問いかけられ、改めて男が自らの身体を確認すると、木の枝で引っ掻いた傷や転んだ際に擦りむいた傷など、軽いものしか見当たらない。必死であったために男自身記憶にないが、意外と上手いこと逃げていたようだった。

 

「よかった……。見慣れない方ですが、最近この街に来た方ですか? この一帯に住む先程のフレンジーボアという種は、草食ということもあり基本的には臆病で大きな危険はありませんが、あまり近づいたり、巣の付近に行ったりすると途端に容赦なく襲い掛かってきます。臆病だからこそ、でしょうね……。巣は森の水辺に多いようですので、森を通る時は気をつけてください」

 

「……あっと、はい。助けていただいたり、色々ありがとうございます」

 

 今まで気にしたこともなかったフレンジーボアの生態という情報に、男は一度呆けるも何とか返事を返し、また今回の助けてもらったこと全てに関しての礼を告げる。

 正直、男は少女と会話するだけで緊張してしまっていたが、それでも助けてもらった以上は礼儀として。何より男自身がしっかりと礼を言っておきたかったがために、頭を下げてこうしてお礼を口にしていた。

 

「気にしないでください。騎士としての務めを果たしたまで。ですが、先ほども言ったようにこれからは気をつけてくださいね?」

 

 苦笑しながら告げられた言葉に、やはりドキリと男の胸が高鳴る。今まで恋をしてきたことはあるが、ここまで本気のは初めてだ―――そう思いながらも、それを一切表に出さないようにして、男は少女へ頷きを返す。

 先ほどまで死にかけていたというのに呑気なものだ、と男自身思うところはあったが、こうして少女に対し恋心を抱いたからこそ先ほど味わった死が迫る恐怖を誤魔化せているところはある。いつかは向き合うべきなのかもしれないが、男は少なくとも今は死の恐怖から目を逸らすことにした。

 

「それでは街の方までお送りいたします。森の中ほどではないといえ、草原のほうも完全に安全なわけではありませんから」

 

「……それじゃあお願いします」

 

 本気で惚れた相手と二人きり、街に着くまで心臓が持つかなと思いつつ、男は飛び出してきたはずの始まりの街へ向けて歩き始めた。




そんなわけでモブ視点。この回書くために猪の生態調べたり、動画見たりしたわ。

しかしさて、金髪に金色の鎧、青いマント……一体誰だろうね?


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#7.SAOという世界Ⅶ

「……見えたか?」

 

 男からの問いかけに、キリトは言葉を返す余裕が存在しなかった。それだけ、今見えた光景は衝撃的だった。

 

「……正直、私には何かさっきよりもAIの質が上がったな、としか思わなかったけれど」

 

「あとはあの騎士みたいな女の子、私と同年代くらいっぽかったから意外と私達でもモンスターと戦えるかなー、って私は思ったかな」

 

 キリトの代わりに男の連れの少女と、それに同調するようにキリトの連れであるリーファがそう答える。彼女たちが言っていることはあながち間違いでもない。幾らか本質よりかは離れているが、的外れというわけではなかった。

 しかしそれを指摘する余裕がキリトにはなかった。なにせ先程フレンジーボアから逃げていた男に、キリトは見覚えがあった。β時代、最前線で共に戦っていた男を忘れるわけもなかった。

 彼は特別敵と直接戦うことが上手いプレイヤーではなかった。しかし代わりに立ち回りは上手かったことをキリトは覚えている。モンスターの動きをしっかりと理解した対応に、連携を重視した補助を主眼においた立ち回り。自身の能力がそこまで高くないことを理解しながらも、そこで折れずに自分にできることを模索し続けていた、努力で強くなる好感の持てる人物だった。どちらかといえば人と関わることが苦手でついついソロに走りがちなキリトからすれば、尊敬できるようなプレイヤーだった。

 

 だから断言できる。β時代のままであるならば、いくら初期レベルとはいえあの男はフレンジーボア如きに追い詰められるプレイヤーではなかったと。

 

「………………」

 

 思わずキリトは背中の片手剣を抜き放つ。元より走ってこの場に来るまでに違和感はあった。そしてそれはこうして実際に剣をその手に握ったことで確信に変わった。

 

 ―――重い。

 

 決してそれは振るえない重さではない。ただ握って、片手で振るうだけなら簡単にできるだろう。しかしこれを握った状態で走り回り敵の攻撃を避け、動く敵に対し有効な一撃を与えるとなれば。それを見事にこなす自らを、キリトは想像することができなかった。

 β時代や茅場晶彦を名乗る人物に集められる前ならば、装備が要求する筋力値を満たしさえすればほとんど重さを感じることはなく、自らの体の一部のように扱えた。

 しかし今はずっしりとその存在を示すように、剣を握る右手に重量がかかっている。その感覚は、幼少期にやっていた剣道で木刀を握った時の感覚にどこか似ていた。

 

「どうだよβテスター、さっきの光景は? 俺はお前の感想が一番聞きたいんだぜ?」

 

 じっと、群青色の瞳に見つめられる。口調こそ砕けていてどこかふざけているが、その表情は至って真剣だ。言葉の通り、この男はβテスターであるキリトの感想を一番求めていることを、キリトは確信していた。

 故に、キリトは男の連れの少女やリーファの感想を加味した上で、自らの所感を述べることにした。

 

「……さっき、二人が言っていたことは間違ってはいない。ただ俺からすると、甘いと言わざるを得ない……かな」

 

「……甘い?」

 

 水色の髪の少女から目を細めながら言われた言葉に、キリトは若干怯みながらも何とかああ、と肯定の返事を返す。どこか冷たい印象のある少女からの圧のある言葉にキリトは軽い恐怖こそあったが、先程の街の外での光景に比べたら大した衝撃ではないと思っていた。

 

「まずAIの質が上がったっていうのは間違ってない。でも、正直上がった質がそんな簡単な言葉では表せないほどに俺には思えたんだ」

 

 先程のβテスターであろう男とフレンジーボアの逃走劇は街からはそこそこの距離があったために、はっきりとキリトも認識できたわけではない。だがそれは逆に言えば、それでもわかるだけの露骨なAIの向上があったという証左でもある、とキリトは理解していた。

 本来ならフレンジーボアは突進を仕掛ける前に必ず予備動作があり、また一定距離走ると一度突進を中断するはずだった。少なくとも、β時代ではそんな挙動があった。しかし先程の様子を見る限りフレンジーボアは突進を中断する様子は欠片もなかった。

 とはいえそれだけの要素なら対βテスター用にモーションを変えたとも考えられる範囲だ。そのためキリトはそこまで説明を口にしたあと一度言葉を切り、強調するように一拍間を置いてから改めて口を開く。

 

「一番重要なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……へぇ、その心は?」

 

「β時代の話なんだけどな。フレンジーボアはどれだけHPが少なくなっても、プレイヤーが高レベルになっても逃げ出すことはなかったんだ」

 

「でもそれだけならただAIの質が上がったって言えるんじゃないかしら」

 

「ああ、だから重要なのは逃げ出したことじゃない。逃げ出した理由だ」

 

 少女からの言葉に、キリトは先程の光景を脳裏に思い浮かべる。あれは遠目に見ただけであまりはっきりと見えたわけではない。しかしあの瞬間、確かにフレンジーボアは騎士の少女からの圧に恐怖した結果逃げ出したようにキリトには見えた。

 

「もしあれが恐怖から逃げ出したんだとしたら……それは、フレンジーボアのAIがAIという範疇を逸脱し始めてるってことになる。なんせ入力されたテンプレートに従うんじゃなく、自らの感情が存在しているということは自ら思考し、動く……生物だってことなんだから」

 

 そしてそれがもし正解であるならば。キリトは右手に握ったままだった片手剣の柄を、思わず強く握りしめる。同時に、口からガリッと歯の擦れる音が響いた。

 もし本当にモンスターがただの敵モブから一つの生物となったのであれば。それはβテスターを殺しにきていると言っても過言ではなかった。

 キリトはβテスターであるが故に、先程のβテスターであろう男がフレンジーボアから逃げていた理由がわかるような気がした。もし自分が完全に動きを理解したと思っていた相手に、突然知らない動きをされれば。ましてやそれで死ぬ可能性があったならば。そして―――そこに殺意が存在していたら。

 モンスターたちに意志があるとするならば、襲いかかってくるということは少なくとも敵対心があるということだ。平和な日本で過ごしてきたキリトたちがそんなものを向けられれば、恐怖で上手く対応できなくなるのはおかしくないようにキリトには思えた。

 間違いなく殺意、敵対心に関しては全てのプレイヤーに刺さるだろう。しかし、なまじ過去のモーションを知っていて先入観のあるβテスターたちは、それに加えてβ時代との差異という問題がある。男に止められず、そのまま街の外に飛び出していたら自分も、とキリトは今更ながらに背筋が冷える思いを味わっていた。

 

「なるほどなぁ……。正直、あのローブの男がNPCも思考し生きる一つの命だ云々って言ってたから、もしかしたらエネミーもとか思ってたら案の定かよ……」

 

 男が困ったように後頭部を掻く様子を見ながら、キリトは男の言葉の意味を吟味する。つまり、この男はモンスターがAI以上の生物としての思考を持ちうることを可能性の一つとして想定していた、ということになる。街の外へ無策に飛び出そうとしていたキリトたちを止めたことといい、随分と頭が回る男だとキリトは思う。キリトには相手の内心を推察できるほど対人経験がないため外見のみでの判断になってしまうが、男にはキリトにあった焦りやリーファにあったパニックというものが一切見られず、対応力の高い冷静な人間のように思えた。

 

「……となると今できる最善は……だが向こうからすれば俺達は見知らぬ異邦人……俺達が差し出せるものは……」

 

 ぶつぶつと漏れ聞こえてくる男の呟きを聞いて、一瞬キリトはこの男に全てを任せてしまおうかと思う。しかしそこまで考えてキリトは頭を横に振った。

 確かに男は街の外へ出ようとするキリトを止めてくれたが、そこにどんな目的があってかはわからない。呟いていた最善というのも誰にとってかはわからない。

 あまりにも予想外な今の状況。誰かに判断を投げてしまった方が圧倒的に楽だろう。だがそれは結局のところ思考停止でしかない。自らの命がかかってくる以上、他人に全て丸投げするのはあまりに危険だろう。

 キリトは現状に焦りやパニックを抱きながらもそう判断を下す。キリト自身、自分が冷静な判断を下せる状態ではないだろうとは理解していたが、それに関しては自分よりも冷静そうな男に相談すればいいとキリトは思っていた。重要なのは、先程出会ったばかりの男のみの判断ではなく、キリト自身の判断と擦り合わせた意見に基づき行動することだと理解していたからだ。

 

 ならキリト自身にとっての最善とは、とここでキリトは考える。先程まではとにかく生き残るためにβ時代の知識に基づき装備を整えることしかキリトは考えていなかった。しかし改めて、生き延びた上でどうするのかの長期的な目的を定める。

 そもそもキリトが定めるべき目的とは。無論、最終的になものはリーファとともに生き延びて無事現実世界へ帰ることになる。ではそのために必要なことは。このアインクラッドの最上層を攻略することだ。

 そうやって徐々に段階を下げながら目標を定めていき―――最終的に、キリトはまず現状すべきこととして戦える力を身につけることを直近の目的として定める。平和な日本で生きてきた人間がそう簡単に戦えないというのは、βテスター仲間だった男が先程身を持って証明してくれていた。故にどうにかして戦う力を得ることがキリトたちには必要だった。

 

「……なぁあんた。これからどうするつもりなんだ? 俺は……この世界から脱出したい。だからそのためにまずは戦えるだけの力を身につける必要があると思ったんだが……」

 

 そう言ったキリトの言葉が意外だったのか、男は目を見開き驚いた様子を見せる。確かに先程まで無謀にも街から飛び出そうとしていた人間から言われればそうもなるか、と苦笑しているとやがて男は理解が追いついたのかニヤリという擬音が似合う笑みを口元に浮かべ、言葉を発する。

 

「俺もそれには同意するぜ。そしてその算段も一応立ててある……が、それは後回しだ。それ以前に考えなきゃいけないことがあるからな」

 

「考えなきゃいけないこと?」

 

 キリトが脳裏に抱いた疑問と同じことを、リーファが男に対して口にする。見れば、リーファや水色の髪の少女はβ時代のモンスターをあまり知らないためか、先程のキリトの話を聞いてもさほどダメージを受けているようには見えなかった。あるいはそもそもこの世界から出られないという事実の方が精神的負荷が大きかったのだろう。先程の会話で焦っていたのが自分だけだったようで、何だかキリトは急激に自らが情けなく思えてしまった。

 が、そんなものはこのあとで幾らでもリカバリーが効くもの。何より、情けなくてもいいから今は現状の改善が重要だ。キリトは自らに無理矢理そう言い聞かせて恥ずかしさを押さえ込み、努めて真剣な顔で考えなきゃいけないことがある、と言った男へと視線を向けて話の続きを促す。

 

「まぁ……一応この世界は元々はゲームの中の世界とされてるわけだが。あのローブの男はここが俺達にとってもう一つの現実だって言ったわけだ。なら食事は? 睡眠は? 人間が生きていく上で必要な活動はどうなる?」

 

「……わざわざもう一つの現実って言い方をしてるんだもの。当然そこも再現されている、と考えるのが妥当じゃないかしら」

 

「That's right! 実際、正直俺は腹が減ってきているし、お前らも―――」

 

 ぐぅ、と間抜けな音が周囲に響く。思わずキリトは自らの腹を抑えるが、それで音が鳴った事実が消えるわけもなく、恥ずかしさから顔が赤くなるのを自覚した。

 

「腹が減ってきてるみたいだしな。となれば食事に宿泊、何にしても金が必要になってくる」

 

「ということは当面はお金稼ぎと強くなるための修行?」

 

 キリトは自らの腹の音で場の空気を軽くしたのだ、と無理矢理自らを納得させながら、リーファから問われた男の方を見る。そこには相変わらずニヤリと笑みを浮かべる男がおり、頼りにはなるがどうにも胡散臭い男だな、と内心だけで思う。

 

「実はそれを一石二鳥で解決できるアイデアがあってな。ただまぁできれば元手があると助かる話なんだ……ってーことで」

 

 男は一度そこで言葉を区切ると、ポケットの中から何やら茶色い小袋を取り出してくる。突然何を、とキリトたちが訝しんでいると、その茶色い小袋の中から何か―――コインを取り出し、それを一度弾きあげて、キャッチしてみせた。

 

「今ざっと数えてみたけど、これ総計があのローブの男に集められる前の手持ちの金額と一緒なんだわ。だからあくまでメニューで数値として管理されてたお金が、実物になってるっぽいぞ」

 

 そう言われ、キリトたち三人もポケットやポーチを漁れば―――確かに、それぞれ簡素な小袋が出てきてその中にはコインが入っていた。同じく数えてみれば、金額も記憶と一致する。どうやら現状では一文無しという事態は避けられたらしい。

 

「ま、流石にあのローブの男も初期資金はくれるだけの良心はあったってわけだな」

 

「そもそもこんな状況になった段階で良心もクソもないと思うけれどね。……って、あれ、これは……?」

 

 水色の髪の少女がお金の入った小袋とは別に、何かを取り出す。見ればそれはシンプルな手鏡であり、探してみればキリトを含めた全員がそれを同じく持っていた。

 しかしそんなもの、ここにいる誰もが記憶がないと言う。無論、キリト自身覚えがないものだ。ローブの男から与えられた何かだろうか、とそれぞれ手鏡を見ていると、徐ろにリーファがあ、と声を漏らす。

 

「ねぇここ、裏側の角っこ。何か書いてない?」

 

「なになに、えー……『現実世界とあまりにかけ離れた姿の者は、この手鏡を覗き込み十秒以上続けることで本来の姿に戻ることをオススメする』……だってよ」

 

 要するに、アバターとしての姿ではなく、現実世界に即した姿に戻るためのアイテムらしかった。急に大元がゲームであることを実感させるものが出てきたな、と呆れつつもキリトは現実世界の姿に戻ることに意味があるのかと首を傾げる。

 キリトとしてはコンプレックスを誤魔化した姿をアバターとしているため、この姿のまま過ごせるのならそうしたいと思っていたが、どうにもおすすめする、という言葉が引っかかっていた。

 

「あー……そうだな、あんただけはこれ使った方がいいかもな」

 

「……どういうことだ?」

 

 首を傾げていたからか何なのか、何故かキリトにだけ向けて男がそう言ってきたため思わず問い返せば、だってなぁと男は言葉を続ける。

 

「お前、現実だともっと背が低いだろ。んでもってβテスターだからかその体での動きにも妙な慣れがある。その結果重心の動きが妙になってるんだわ」

 

「じゅ、重心の動き……?」

 

 現実がアバターよりも背が低いという事実を当てられたために、キリトが思わず動揺しながら男に言葉を返せば、剣道やっているためかリーファがあぁー……と妙に納得した様子を見せる。運動している人間には重心とやらの動きでそんなにあっさりとわかるものなのだろうか。少なくとも、インドア派のキリトにはわからない感覚であった。

 とはいえあまり現実世界の姿には戻りたくない、というのがキリトの本音だ。誰だってコンプレックスがある姿には戻りたくはない。キリトが思わず渋い顔をしていると、男には苦笑しながらそのまま今後の戦いに影響が出るぞ、と言われ、リーファがそれに大きく頷いてみせる。

 男だけに言われていたら信じないところであったが、実の妹までに言われてしまえば流石に無視するわけにはいかない、とキリトは腹を括る。

 

「……わかったよ、この手鏡使うよ」

 

「俺含めて他のやつは体格は弄ってないみたいだからな、あとは任意でいいだろ。そしたらそいつが元の姿に戻ったら、自己紹介して行動開始だな」

 

 言われてみれば、確かにここまで自己紹介もせず錫色の髪の男と水色の髪の少女の名前は知らない状態であった。これがゲームとしてのSAOであれば名前が頭上に表示されて便利だったのだが、とキリトは内心で文句を言う。

 しかしそうは言っても、高校生にもなればキリトも幾度となく自己紹介くらいしてきている。それに今は趣味などを語る必要もあるわけでもないので、簡素な自己紹介を考えようとして、ふと気づく。

 

「そういや、行動開始って言ってたけど具体的にどうするか聞いてないぞ?」

 

「確かにそうね、一石二鳥とか言っていたけれど、どんなアイデアがあるのかしら」

 

 どこか挑戦的な目線で少女に問われた男は、一度軽く笑みを浮かべたあと、何処かを向いてしまう。はて、とキリトたちは反射的に男の目線の先を辿った。

 

「さっきの騎士サマに会いに行くんだよ」

 

 男が視線を向けた先には、ちょうどキリトのβテスター仲間であった男を連れて街へと帰ってきた、風にその美しい金髪を靡かせる少女がいた。




だいたい週一だし、物語の展開的にもこの物語バリくそ進行遅いな??
まぁたまにはじっくりやる作品もあってもいいよねってことで。


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#8.今、できることは

「Well……excuse me―――」

 

「はい? どうしました?」

 

「―――ああ、うん、そうか、そうだったな……」

 

 見た目からつい、とアナンドは後頭部を掻く。アナンドの目の前には、件の金髪の騎士然とした少女がいる。その姿はやはり、アナンドからすると欧州圏の人間に見え、ついつい英語を使いそうになってしまうのだった。

 存外、というかやはりというか。どうやら自分も平静とは程遠いらしい、とアナンドは自嘲する。表面上こそ冷静に見えるよう努めているが、その内心ではアナンドも緊張はしているのだ。

 もちろんそれは、見知らぬ人間に話しかけることに―――ではない。アナンドほどの歳になれば、見知らぬ他人と話すことなど何度となく経験している。今更その程度で緊張などしない。

 では何にアナンドは緊張しているのか。それは偏に、自分の行動が他三人の少年少女に多大な影響を与えることを自覚しているからだ。

 結局、黒髪の青年―――キリトのその姿はあくまでアバターであり、与えられた鏡により元の姿に戻ったキリトはシノンと歳もさほど変わらないような少年だった。そんなキリト含めた三人が、アナンドの行動如何で死ぬ可能性すらある。

 一番の年上が動揺や不安を表に出せば、それが年下に伝播し状況が悪化するのは目に見えていた。故にアナンドは不安を精神力で押さえ込み虚勢を張ることでキリトたちに安堵感を与えようとしていたが、それでも完璧に、とだけはいかなかった。

 

「あー、とりあえずお嬢さんは騎士サマ、という認識でOK?」

 

「間違ってはいませんが……」

 

「そいつぁよかった」

 

 そもそもそこが違えばアナンドの計画は全て無に帰す。思わず大袈裟に安堵の溜息を吐いてしまいながら、更に必要条件を満たしているかを確認するためアナンドは質問を重ねていく。

 

「だったら、君が所属する騎士団みたいな、この街を警備する組織みたいなのもあるかい?」

 

「それでしたら、まさに騎士団が存在しますよ」

 

「BINGO! そういうことなら少し話があるんだ、時間は取れるか?」

 

 アナンドが思わず指を鳴らしながらそう問いかければ、アナンドのリアクションに驚きながらも少女はしばし考え込んでみせたあと、頷きを返してくる。

 それにアナンドは礼を告げ、一先ず簡単に自己紹介を済ませることにする。名前と共に右手を差し出せば、彼女もまた黄金の籠手を外して対応してくれた。

 

「―――アリス・ツーベルクです。先程話した通り、騎士団の一員をやっています」

 

「よろしく頼むぜ、ツーベルクさん」

 

「アリスで結構ですよ。ツーベルクでは些か堅苦しいでしょう?」

 

 そういうことなら、とアナンドは彼女のことをアリスと呼ぶことを決める。そうして最低限のコミュニケーションの準備を済ませた二人は何にせよこの場所は話し合いに向いている場所ではない、とアリス先導のもと場所を変えることにする。

 その際に、アリスは先程街の外で救った男性と、アナンドはキリトたちと一時的に別れを告げ、アリスとアナンドの二人きりでの行動に移る。アリスと二人でその場を去る際に、βテスターだったらしい男性にやけにアナンドは睨まれたが、必要経費としてアナンドは諦めることにした。

 

「……よかったのですか、ご友人を置いてきてしまって?」

 

「まぁ、あんまり大人数で話すのも面倒だろ? 落ち着いて話すなら、少人数の方がいいってもんさ」

 

 加えて、別行動にした理由は他にもある。現状、βテスターの男が街の外でフレンジーボアに追い込まれていたことで迂闊にも街の外へ単独で出る者は減ったが、それでもその現場を見ていない人間や、自分なら大丈夫という根拠のない自信に突き動かされる人間もいる。

 アインクラッドを百層まで攻略するにあたって、その戦力の総数が減ってしまうのは好ましくない。故に、アナンドはまず自分たちの今後の生活の糧の確保。キリトたちは他のプレイヤーたちの説得という形で役割分担することにしたのだった。

 

「とりあえずは喫茶店か何か、そういう場所に案内してもらえるか?話し合いをするなら何か喉を潤すものがあった方がいい」

 

「そういうことでしたら一軒、近場にいいところがあります。そちらに参りましょうか」

 

 アリスからの問いにオーケー、と端的に返し進路を変えたアリスに変わらずアナンドはついて行く。アナンドもこの街の構造をゲームとしてのこの世界での活動で簡単には把握していたが、ゲームのようにマップがあるわけではない状況。加えて、ゲーム開始初期では利用する理由のない喫茶店の場所など把握していなかった。

 しかしだからと言って、大人しくついて行くだけなのも時間が惜しいところ、とアナンドは考える。現状だと打つ手は多ければ多いほどいい。何事も効率的に行いたいところ、と思い、移動中から話を始めておこうと口を開こうとして。それより先にアリスより言葉が発せられる。

 

「……疑問なのですが、先程街の外にいた男性然り、あなたやそのご友人然り。見覚えがないのですがどこか別の街からいらっしゃったのですか?」

 

 出鼻をくじかれる形で言われた言葉ではあったがしかし、その内容自体はアナンドからすれば目的の話題に繋げられるため、悪い内容ではないと気を取り直す。とはいえさて、どう話を繋げていくかと思案しながら人気が少な目の、街の奥まった方へ向けて路地を曲がる。

 

「私は職業柄、ある程度街の皆さんを把握していますが、どうにもあなた方には見覚えがなく……」

 

「まぁ当然だな。実際、俺らはこの街の住人じゃあない」

 

「やはりそうでしたか……」

 

 そうやって言葉を交わしながらもアリスはどんどん道を進んでいく。進めば進むほど徐々に、徐々に人気は減っていき、目立った建物も減って塀ばかりの風景にあたりの様子は変わってきていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……なぁ、本当にこっちの方に喫茶店なんてあるのか? どう見ても人っ子一人いなさそうな場所なんだが」

 

「大丈夫ですよ、元々人気がない方に向かっていますから」

 

「は―――」

 

 ―――刹那、金色が閃く。

 

 寸でのところで仰け反り、何とかアナンドはその一閃を躱すが、体勢を崩し後ろへと倒れ込んでしまう。地面に尻をぶつけた痛みに思わず顔を顰めながら、慌ててアリスの方を見ればそこには鞘に収めたままとはいえ、自らの騎士剣を振り切った姿勢のアリスがそこにはいた。

 

「……躱しましたか。できれば今の一撃で昏倒させておきたかったところですが、仕方ありませんね」

 

 そのまま、アリスは剣を下ろすことなく構えを取る。いくら鞘に収められているとはいえ、先程の勢いの剣をくらえば怪我は免れられない。先程の発言的に、アナンドのことを気絶させるのが目的であることが推測できるのでそれだけの勢いで剣を振るうのは理解できるのだが、剣を振られた側であるアナンドからすれば堪ったものではない。

 アナンドは慌てて右手を前に突き出し、情けなくも後ろへと後ずさりながらアリスへと静止の声を投げかける。

 

「ま、待て待て! 何で急に襲われなくちゃならないんだ! 別に俺は悪いことは考えてない―――」

 

「安い芝居は結構。そちらが誘い込まれていることを理解した上で付いて来てたのは既に理解しています」

 

「……おーっと、マジかよ」

 

 アリスの言葉に、アナンドは慌てている演技をやめ、苦笑しながら肩を竦める。それから、アリスが構えているのも気にせずズボンに付いた砂を払いながら呑気に立ち上がった。

 それに対し、アリスは仕掛けることもなく、ただ構えるだけに留める。それは自身の方が有利な状況故か、それともアナンドのことを警戒してか。

 

「いやぁ、オニーサン的には結構上手く演技してたつもりなんだけどなぁ。どーしてバレちゃったかね」

 

「演技に関しては極自然でしたよ。ただその染み付いた体捌きまでは誤魔化せない。ある程度の実力者であればわかることです」

 

 その答えに、あーやだやだ、これだから武人は、とアナンドは首を横に振ってみせる。それから、それを言ったら自分もだけどな、と自虐を挟みつつゆっくりと歩いて路地の塀へとその背を預けた。

 

「まー、一応最初に言っておくと、悪いことは考えてないってのは本当だぜ?」

 

「……こちらを騙そうとした男の言葉を信じろと?」

 

「疑うのも分かるが、これに関しちゃ本当だよ。ただただ単純に、騎士というあんたの立場的に、善良な市民として関わった方がいいと思っただけだ。ま、結果は逆効果だったがね」

 

 くつくつと笑うアナンドに、アリスが思わず顔を顰める。まぁ人が真面目に話しているのに笑われたら苛つくだろうと、アリスの様子にアナンドは理解を示す。とはいえそれを謝るつもりは毛頭ないようだったが。

 

「悪いけど、こっちとしてもあんまり手段を選んでられる状況じゃないんだわ。どうしても頼みを聞いてもらう必要があったからな」

 

「生憎ですが、悪に加担する気はありません」

 

「だぁから別に悪いことは考えてないって言ってるでしょうが。信じるかどうかはともかくとして、一先ず話だけでも聞いてくれよ」

 

 それを聞いたアリスが剣を下げるのを見て、アナンドは思わず安堵の溜息を吐く。それに関しては演技などではなく、心の底からのものであった。

 

 ―――実際のところ、アナンドにそこまでの余裕はない。

 

 そもそも別に騙す気はなかったのだ。下手に実力者であることを伝えて相手方に警戒されても面倒だから、と黙っていたら隠されたと思われて、結果として結局警戒心を抱かれてしまった。

 そして一度抱かれてしまった警戒を解くというのは難しい、というのをアナンドは知っている。予想外の事態にどうしようか悩んだアナンドだったが、そこでならば、とアナンドはその警戒心を利用することにした。

 

「まぁ察してると思うが、あんたが助けた男と、あとは俺が一緒にいた連中な。あれ、ちょっと訳ありでな」

 

 そこからアナンドは自分たちが置かれた状況をアリスへと説明していく。とはいえ、ゲーム云々など言われても理解できないだろう、とそこら辺はボカシてのものだったが。

 現実世界ではなく、あくまで別の遠い土地。アナンドはうっすらと覚えていたアインクラッドの設定から、遠い昔にアインクラッドが元々存在していた地上に住んでいた民、ということにして魔法か何か、原因は不明だが突然連れてこられたのだ、と説明した。

 

「地上……。昔話に出てきてはいたけれど……俄には信じ難い話ですね」

 

「まぁ信じなくてもいい。突拍子もない話だしな。ただ現状、俺達は住む家もなく、金も共通かもわからない状況なわけだ」

 

 そこで、とアナンドは宙で揺らしていた右人差し指をアリスへと向ける。ここで説得を間違えれば、アナンドたちは住む家どころか食事すらままならなくなる。故にそれ相応の緊張感があったが、それをアナンドは精神力で噛み潰し、表向きは不敵な笑みを浮かべて言葉を発する。

 

「俺達を騎士団に入団させて欲しい」

 

「……は?」

 

「ああ、もちろん、全員ってのは無理っていうのは分かるぜ。なんせ人数が多すぎる。だから俺と、その仲間たちだけだ。できれば、他の連中に仕事の斡旋をしてもらえたら助かるけどな」

 

 呆けるアリスを無視してアナンドは要求を押し付けていく。アリスが頭の中で処理し切る前に、通せるだけ要求を通してしまおうという魂胆だった。

 正直、アナンドとしては自分たちだけでも衣食住を確保できればいいのだが、それではアインクラッドの攻略に問題が生じてくる可能性が高い。他のプレイヤーたちへのフォローも仕方なしに要望に込めていた。

 

「一体、何を企んでいるのですか」

 

「企んではいても、悪いことじゃねぇって。こっちは衣食住を確保できて、身の潔白を証明できる機会を得られる。あんたらは騎士団として怪しい連中の一部を手元で監視できる。そこまで悪い話ではないと思うぜ?」

 

 まぁ強いて言うなら、騎士団側の利益が少ないということか、とアナンドは内心でだけ付け足す。手元で監視できると言えばプラスのようにも思えるが、敵かもしれない人間を懐に招き入れるのだ。加えてアナンドたちには給料を払う必要まで出てきて、経費も関わってくる。常であれば断られてもおかしくない要求だった。

 だからこそ、アナンドはアリスの警戒心を煽れるだけ煽ったのだ。自分たちでしっかりと監視しなければ危ないのではないか。そう強く思わせておくことで、この要求を飲ませやすくするのがアナンドの目的だった。

 

「で、どうだい? 結論は?」

 

「……私だけでは、判断しきれません。上司の方に掛け合ってみないと」

 

「オーケー、じゃあその上司ってやつのところに案内してくれよ」

 

「……わかりました」

 

 まぁ妥当なところか、とアナンドは多少の落胆はありつつも納得する。理想形としてはアリスから了承の言質を取ることであったが、拘束された状態ではなくあくまで対等な立場で騎士団の責任者と対話できるなら上等な部類である、とアナンドは考えていた。あとはその上司とやらを納得させられるかどうかだけが問題点だった。

 ようやく剣を収めたアリスがアナンドを案内するため歩き出す。それをアナンドは緊張感を誤魔化すため、口元に笑みを浮かべながら追いかけた。




書いてたら主人公が割りと悪者感強めになった……。
まぁこんな主人公もいいよね!


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#9.今、できることはⅡ

「ん? 別にいいんじゃないか?」

 

「……え」

 

 騎士団の本拠地だという場所に案内され、アリスが上司だという人物に一連の流れを説明した上での上司の発言がそれであった。その言葉にアリスと共に呆けることしかアナンドはできなかった。

 後ろでは途中で合流したキリトたちが状況についていけずに困っているが、残念ながらアナンドにはそちらに対応する余裕がない。

 ここに来るまで、アナンドは何とか表面上飄々とした人間であるように取り繕いながら、脳内では上司を如何にして説得するかを必死で考えていたのだ。それが実際その上司に会ってみればこうもあっさりとした言葉が返ってきてしまって、考えていた物が全て意味を失ったのだ。余裕を失い呆けてしまうのも仕方のないことと言えた。

 

「ま、待ってください小父様! いくらなんでもそんなあっさりとマズいでしょう!?」

 

 呆けた状態から先に復帰したのはアリスの方であった。あまりにも簡単に承諾してみせた無精髭を生やした男に、掴みかかるようにしてアリスが問いかける。

 その剣幕に釣られ、アナンドの意識も復帰を果たすが、一先ずは黙り成り行きを見守ることにする。本来であればこのまま簡単にこちらの要望が通ってしまう方がありがたい。しかしそうは言っても、アナンドは単純に目の前のアリスの上司である人間がどういった理由でこうも簡単に許可を出したのかが気になっていたために静観することを決めていた。

 

 ―――欧州風の街並みにそぐわない着流し。顔には多くの傷が刻まれており、その巌のような顔立ちからは威圧感を感じるが、浮かべられた笑みと口調から滲み出る気楽さから取っつきにくさを感じさせることはない。椅子の背もたれに寄りかかりながら量産品であろう、簡素な片手剣を手の内で遊ばせるその姿からは、本当に考えなしにこちらの要望を認めたようにも見える……が、それは違うだろうとアナンドは首を振る。

 あまりにも気楽な姿勢。ともすれば今すぐにその首を斬り落とせそうにも思える姿ではあるが、それは見せかけだけ。先ほどから常に、アナンドのみに対して重圧が―――剣気とでも言うべき、鋭い意識が向けられている。その圧はアナンドも気圧されてしまうようなもので、ついつい自らの口が弧を描いていたことにアナンドはしばらくしてから気づいていた。

 ベルクーリと名乗ったこれだけの男が、何の考えもなしに要求を飲んだとはアナンドには思えない。そこにある真意が知りたいというその思いのみで、アナンドは自身の有利な流れを捨てていた。

 

「危険分子かもしれない人間を懐に引き入れるのです、もっとしっかり考えた上で───」

 

「はいはい、ったくお前は相変わらず生真面目だな。もっと簡単に考えてみろ」

 

 アリスの主張を遮ってまで話していたベルクーリはそこで言葉を切る。そしてキリト、シノン、リーファを順番に睥睨し、最後にアナンドを見つめ口元を三日月形に歪めながら改めて言葉を紡いだ。

 

「たとえこいつらが何を企み、何をやらかそうが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

 

「っ、それは……そうですが……」

 

 それは挑発に等しかった。今ベルクーリはお前ら程度であれば、確実に被害を出さずに制圧できると言ったのだ。これにはもし本気で何かを企んでいたのなら、短気なやつなどは反応してしまうだろう。アリスもまた、騎士団がであればそれができると信じているし、そんなアリスのリアクション含めてそこにはきっと、ベルクーリの炙り出してやろうという意志があるのをアナンドは理解していた。

 しかし同時に、アナンドはベルクーリの瞳に期待が存在することも気づいていた。お前たちはこの挑発にどう対応する?言葉にこそ明確にはされていないが、ベルクーリの瞳が確かにそう物語っているとアナンドは感じていた。

 

「……おい、アンタ。まるで俺達が弱いみたいな―――」

 

「キリト、ストップだ」

 

 βテスターとしての自負か、一歩前に踏み出し文句を言おうとしたキリトを手で制する。それに不満げな目を向けてくるキリトを意図的に無視して、ベルクーリの方を睨む。

 ここでキリトのように反発を向ければ、すぐに捕らえられることはないだろうが、警戒心が薄まることはないだろう。だがかと言って、ベルクーリが求めている対応はきっとこの挑発を受け流すことではない。アナンドはそこまで考え、どうこれに反応するかと思案する。

 

「……ま、そうだな。それだけ当然って顔して言えるんだ、きっとあんたらは俺らより強いんだろう」

 

 そうやって、アナンドが挑発を流すかのような発言をすれば、微かにではあるがベルクーリは落胆したかのような表情を浮かべる。それにアナンドは逸るなよ、と内心で苦笑しながら、挑発的な笑みを口元に湛えてだけど、と言葉を続ける。

 

「―――だけど、そんなこと言われて引き下がるなんて男としてできるわけないよなぁ?」

 

 そう言い放ったアナンドに、ベルクーリは目を見開いたかと思えば、一度下を向き肩を揺らし始める。やがてその揺れは徐々に大きくなっていき、声も漏れ聞こえ始めた。

 

「くっくっ……はーっはっはっはっは!!」

 

 やがてそれは笑い声だと分かるほど大きくなり、ついには天を仰いだベルクーリの口からは大音量の笑い声が放たれていた。

 そうしてしばし笑った後、多少落ち着いたらしいベルクーリは今度は明確に、挑発的な不敵な笑みを浮かべてアナンドを見据えてくる。

 

「そうだよなぁ、そりゃそうだ! ああまで言われて引き下がっちゃあ男らしくねぇ!! お前さん、気に入ったぜ。名前を改めて聞かせてくれよ」

 

「アナンドだ」

 

「オーケー、アナンドだな。……よし、アリス」

 

「え、あ、はい!」

 

「ちょっとこいつの相手をしてやれ」

 

 そう言ってベルクーリはアリスの背を叩く。叩かれたことでよろめきながらも前に出たアリスは戸惑った顔をしてベルクーリを振り返るが、当のベルクーリはそれを無視して、アナンドを見据えたまま言葉を続ける。

 

()()()()()。あんなこと言ったんだ、お前さんの実力を見せてみな」

 

「小父様!? 結局彼らを入団させるのですか!?」

 

「だってさっきの啖呵聞いて気に入っちまったからなぁ……。それに何はともあれ実力は見ておくべきだろ。制圧できる実力か否か、確認しとかないとな?」

 

「む……う……わかり、ました」

 

 渋々、といった様子ながら納得を見せたアリスが稽古用であろう、刃の潰された剣を持ち、盾と共に構える。構えた姿からは未だ、不満こそ感じさせるが、それでもやるからには本気であるとその気迫を以て語っていた。

 それに、アナンドとしては相手がベルクーリでないことに落胆しながらも、やることは簡単になったと模擬戦に応じることにする。ここで己の実力を見せるだけで目的であった騎士団への入団は果たせる。故に軽く流してもいいところではあった。しかしどうせやるなら全力だ、とベルクーリから模擬戦用の槍を受け取り、構える。

 槍は西洋の突撃槍なものではなく、所謂グレイブや偃月刀と呼ばれる武器に近い、長い柄に短い片刃の剣が付いた形状のものだ。アナンドとしては過去の経験から、この手の槍の方が扱いやすいと何度か軽く虚空を切り裂き、軽く一回転させてみてから腰を落として構える。両手で握ると些か軽くはあったが、オーダーメイドでない以上は仕方ないと諦めることにした。

 

「ほら、お前らそこだと邪魔になる。こっちに来い」

 

「え、あ、はい!」

 

 ベルクーリがキリトたちにそう呼びかけ、アナンドとアリスの周囲から離れていく。アナンドとアリスの間合いは、互いの得物の間合いより外。しかし互いにその立ち振舞いから、相手がこの程度の間合いであれば一瞬で詰められるような実力を持つことを理解していた。

 チラとアナンド、アリスが揃ってベルクーリを見やる。それにベルクーリは頷きを返してくることから、開始の合図はないことを理解した。

 アリスが重心を更に落とす。右手の盾を前へ。左手の剣は身体に隠すように構える。相手の攻撃を捌き、鋭い反撃を見舞うことを主眼に置いた構えだ。それに対し、アナンドは腰を落とすのは軽く、いつでも駆け出せるように。槍の握りもまた軽く、変幻自在に振り回せるように。速度と手数に主眼を置いた構え。

 互いに睨み合い―――先に動き出したのはアナンドであった。

 前へ向かって、跳躍するかのように勢い良く飛び出す。その動きから、アリスは槍の軌道を予測し、すべき対応を想定し。

 

「ハ―――ハッハッハ!!」

 

 槍を地に突き刺し、棒高跳びの要領で跳び上がったアナンドに、アリスは虚を突かれる。宙で身を捻り、勢いを乗せたアナンドによる叩きつけ。それにアリスは反射的に自身の身と迫る刃の間に盾を滑り込ませ、角度を付けることでアナンドの槍を弾くようにして逸らす。日々の鍛錬があったが故に、咄嗟にできた対応であった。

 そうやって槍を弾かれたアナンドは、しかしその衝撃に逆らうことなく勢いのままアリスと距離を取る。ブレーキをかけるようにして砂埃を巻き上げる両足。一度右手の内で槍を回転、地面を掠るようにすることで砂埃を追加で巻き上げ()()。何故ならその方が格好いいから。

 男は格好つけてなんぼだと教わった。そして実際そうやって生きてきた。だから世界が変わろうとやることは変わらない。そうやってアナンドはいかなる状況でも自身のペースを保つ。

 

「Let's go, Rock'n'Roll !!」

 

 英語であることに意味はない。またその言葉自体にも意味もない。なんとなく響きが格好いい。アナンドとしてはそれだけで充分。勢いのまま、唯一の武器である槍をアリスに投げつける。

 

「な、は―――!?」

 

「イヤッホ―――!!」

 

 武器を捨てたようにも見えるため戸惑うアリスを無視して、アナンドは投げた槍を追うようにダッシュ。アリスの剣によってアナンドの投げた槍は宙に弾かれる。アナンドが飛び上がり、片足だけを突き出し、空中から落下の勢いを付けた蹴り―――所謂ライダーキック。仮面ライダーは男の子の憧れ。つまり格好いい。ならばやるしかない。

 無論、そんな見え見えの一撃はあっさりとアリスの盾によって防がれる。そこでアナンドはそれを足場として利用。跳躍し、弾き上げられ空中から落下を始めていた槍をキャッチ。着地を狙い奔るアリスの剣を、アナンドは掌で回転させた槍で絡め取るようにして捌き、無事着地。

 下からの突き上げに見せかけ、地面に槍を突き刺し急制動。アリス目掛けて砂を跳ね上げて視界を奪い、歩法で位置をずらしての突き込み。アリスが音を頼りにそれを盾で防げば、素早く持ち替え、槍をその場で回し石突で横から殴り付ける。

 ステップ、回転、時に身を伏せ時に跳躍し―――アリスを中心にしてアナンドは踊るように攻め立てる。その動きには余りにも無駄が多い。ブラフにすらならないものもあった。体力の観点から言っても、アナンドがやっていることは無駄でしかなかった。だがアナンドは他者にそこを指摘されようが、それがどうしたと一蹴するだろう。

 

 意味などない。無駄しかない。だが俺が楽しい。ならばそれでいい、それがいい。

 

 アナンドの考えなどその程度だった。そしてまた、そうやってノッている時の自身が一番強いことも自覚していた。ついでに言えば、ここに至るまでかなり神経を使ったため、そのストレス発散も兼ねていた。そうやってこと全力での戦いにおいては、アナンドは理屈を放棄することが多かった。

 対しアリスは真面目にアナンドに対応しようとし続ける。動きを読み、カウンターを叩き込もうと必死になる。そうして()()()()()()()()。アナンドの動きはその場の思いつきであり、それこそアナンドの好みを把握し切らなければ予測し、対応するのは難しい。

 故に、カウンターに主眼を置いたアリスは致命的に相性が悪く、何とか捌き、反撃を続けるが……徐々に掠ることが増えていく。そしてそれがアリスの焦りを助長し、動きの精細を欠き、悪循環へと陥っていく。

 

「―――アリスッ!!」

 

 そんなアリスを見かねたのか、突然ベルクーリから鋭い一喝が飛んでくる。思わずアナンドが軽く怯み、間合いを取れば、ベルクーリからの一喝にどんな心境の変化があったのか。アリスが一度深呼吸をし、その身に纏う雰囲気が変わる。表情から焦りは消え、凪いだ湖面のような落ち着き。

 何が来る、そうアナンドは警戒するが、そこからアリスに目立った動きは見られない。ならば、と再度踏み込みアナンドは間合いを詰める。正面からの、シンプルな一突き。けれど走った勢いと、全身をバネのようにして連動させたその一撃は並の速度ではない。

 アリスはそれに素早く間に盾を挟み、角度を付けることで外に流れるように仕向ける。そこからアナンドはアリスのカウンターを警戒しつつも、槍を縦回転させ下からのかち上げを放つ。それに今度はアリスは左手の剣で斬り払うが、やはり反撃は飛んでこない。

 いったい何を狙っているのか、アナンドはそう疑問に思うも反撃が来ないならと更に続いて今まで通り攻め込んでいく。

 

 ―――そうして、アナンドはアリスの意図を悟った。

 

 どれだけ攻撃しても、先程と違いアリスに一撃も掠らない。その原因は至ってシンプルだった。()()()()()()()()()()()()()()()()。ひたすらに右手の盾と左手の剣でアナンドの攻撃を捌き続けている。攻撃してきたとしても、それはアナンドの動きを阻害するためだけのもの。加えて、足捌きを以てして槍の間合いから、内へ、外へとほんの少しだけズレることでアナンドの攻撃を捌き易くしていた。

 明らかに勝ちを捨てた戦い方。個人戦として見れば褒められたものではないだろう。しかし、アナンドにはアリスの所属を考慮すれば正しい戦い方だと思えた。

 アリスのその戦いは、遅滞戦闘。ひたすらに耐え続け、時間を稼ぐことを目的とした戦い。アナンドを勝てない相手と判断し、援軍を待つ。もし援軍が間に合わないにしても、可能な限り時間を稼ぐという、個人での勝ちではなく、騎士団という組織の勝ちを見据えた戦い方であった。

 

「そこまでッ!!」

 

 そうやってアリスの意図をアナンドが悟った段階で、ベルクーリより模擬戦終了が言い渡される。結果としては、引き分け。しかしこれが実戦であった場合、アナンドが騎士団を内部から崩そうとしていたことを想定したならば、充分に時間を稼げたアリスの勝ちであると言える模擬戦であった。




ああ、言い忘れてたけど、アリシゼーション組は名前が一緒で容姿も似てても性格までは一緒じゃないぞ。
育った環境が違いすぎるからなぁ……。
まぁでももしかしたらどっかの世界線では、こうやって皆普通に生きてたら素敵よな、ということで。


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#10.今、できることはⅢ

 キリトは目の前で行われた模擬戦が信じられなかった。

 

 キリトにはβテスターとして他者より先にゲームとしてではあるがこの世界を経験していることに密かな優越感を持っていた。そして同時に、そこから来る強さへの自負もだ。

 正直な話をすれば、アリスという騎士に助けられていたβテスターを見ても、自分だったら何とかできた、と思っていたところがないとは言い切れなかった。それが根拠のない自信であるとは自覚しつつも、その気持ちは捨てきれなかった。

 だが、そんな自信、あるいは慢心はアナンドとアリスの戦いを見てあっさりと失われた。

 

「……二人共、凄かった」

 

 凄い? そんなものでは済まない。

 リーファの呟きに対し、キリトはそんなことを思うもそれを口にする余裕はなかった。βテストのSAOでも、対人戦は存在していた。だからキリトは人間同士が剣で戦う様子を見るのは初めてではなかった。しかし、と声を掛け合うアリスとアナンドをキリトは見やる。

 二人はキリト達が合流した時のギスギス感が幾らか薄れたように見える。模擬戦を通し、互いに何か思うところでもあったのか。アリスの方はまだ些かつっけんどんなところがあったが、それでも互いの反省点などを話し合っているようだった。

 

 そんな和やかな二人が見せた模擬戦。それは今の二人の穏やかさとは裏腹に、キリトがβテスト時に見た対人戦とは次元が違うものだった。

 派手さではソードスキルのエフェクトなど、過去キリトが見た対人戦の方が上だった。けれど、たった今行われた二人の戦いはそもそもキリトでは理解が及ばない。

 剣戟の応酬は早すぎて目で追うことも一苦労であり、見えたとしても仮に自分がその戦いに混じったとして対応できるか、と問われればできないとしか言えないものだ。できたとして正面から受け止める程度。見て、予測して流し避けるなどキリトにはできそうにもない。

 それに派手さに欠けると言っても、アナンドに関しては動きが大きく、またアリスの動きは堅実さから来る美しさがあった。それこそ、キリトたちがβ時代にやっていた戦いなど所詮ゲーム内でのお遊びに過ぎないように思えてしまうほど。

 

 ―――悔しい。

 

 思わず、キリトは拳を握り締める。現実の自分自身に強いコンプレックスがあったわけじゃない。家庭環境で色々あったが、それでもキリトなりにそれは乗り越えた。だからゲームの世界に逃げ込むほどではなかった。

 それでもゲームの世界はキリトにとって特別だった。キリトが他人に対し胸を張って自慢できる、数少ない得意なものだったからだ。

 βテスターとしての経験と、過去のゲームの経験。得意なものを活かせるこの世界なら―――そんな風にキリトは思っていたのだ。

 それが同い年ほどの少女と、聞いた話によれば初めてまともにゲームをやった青年に、自分とはかけ離れた実力を見せつけられてしまった。

 もはやゲームと言えないとはいえ、元々は自分の得意な分野で負けたという事実が、キリトはどうしようもなく悔しかった。

 

「……湿気た面してんな、坊主」

 

 そんなキリトの頭に、大きくてゴツゴツとした硬い掌が置かれる。声をかけられるという予想外の事態に思わずその掌の持ち主を見れば、そこにはその厳つい顔に似合わない、優しげな笑みを浮かべたベルクーリがいた。

 いきなりのことに思考が止まるキリトに対し、ベルクーリはキリトの頭に掌を乗せたまま視線をアリスとアナンドの方へ向け、口を開く。

 

「悔しいと思えるなら、坊主は上等な部類だよ」

 

「え……」

 

「アリスは、才能の塊だ。あの歳であそこまで上り詰めるやつはそうはいない。それにあのアナンドって奴も、才能とそれ相応の努力を重ねているのは分かる。そんな連中を見て心折れずに、悔しいと思えるならお前は見込みがあるよ」

 

「あ……えっと……」

 

 言葉が出なかった。まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかった。

 ベルクーリはアリスの上司らしい。ならばアリスよりも実力は上であり、キリトの実力を見抜けないとは思えなかった。

 それでも、キリトはベルクーリの言葉を素直に信じることができなかった。悔しい、負けたくない。そんな気持ちはあれど、同時に本当にアリスやアナンドほどの強さになれるのか、キリトは自信が持てなかった。

 そんなキリトにベルクーリは苦笑し、突然質問を放ってくる。

 

「しゃーねぇ。坊主、お前さんいくつだ?」

 

「え?」

 

「年齢だよ、年齢。今いくつなんだ」

 

「えっと……十六、ですけど……」

 

「それなら―――ユージオ!!」

 

 ベルクーリが声を張り上げ、誰かを呼ぶ。その声量はとてつもなく、キリトはビリビリと空気が震えるのを感じ取り、少し離れていたアリスやアナンドでさえ突然のことに驚いていた。

 そしてそんなベルクーリの大声はどうやら、キリト達がいるアリーナのような形状をした模擬戦場の外にも届いたようで、建物とその外を繋ぐ通路からコツコツと靴音が響いてきた。

 

「ベルクーリさん、毎回大声で呼ぶのやめてくれませんかね……」

 

「人伝で呼ぶよりこっちの方が早いだろ?」

 

「それやられる度に他の部隊の人から温かい目で見られるんですよ……」

 

 亜麻色の髪を揺らしながら現れたのは、キリトやアリスと同い年に見える少年だった。目尻の低い、緑色の瞳が特徴的な優しげな目をしたその少年は、照れからか顔を少し赤くしていて同性ながらもキリトは可愛らしいタイプの少年だな、と思う。それでも、目算ではキリトよりも気持ち背が高めであるため、キリトとしては若干癪なのだが。

 ユージオと呼ばれた少年は先程まで鍛錬か何かをしていたのか、稽古着を着て軽く汗をかいているのが分かる。そんな彼をいきなり呼んで、ベルクーリは何を考えているのかとキリトが訝しんでいるといきなり、頭に乗せられていた掌でバシバシと頭をキリトは叩かれる。本人は軽くのつもりなのかもしれないが、キリトからすれば威力が高すぎて言葉を発せないでいる間にベルクーリは勝手に話を進めていく。

 

「それでユージオ。ちょっとこの坊主と軽く模擬戦やってくれ」

 

「えっ」

 

「はぁ……まぁ構いませんが、新人ですか?」

 

「そんなとこだ」

 

「え、ちょっと!?」

 

 予想外の展開にキリトの思考が追いつかないうちに、あれよあれよと模擬戦の準備が進められていく。

 ユージオは何の躊躇いもなく模擬戦場の中心部へ移動し、アリスやアナンドたちも何の疑問もなく邪魔にならないようユージオよりも更に模擬戦場の奥、建物の端の方まで移動してしまう。終いにはキリトへ頑張れと声をかけていくくらいだった。

 それにキリトが戸惑っていると、ベルクーリに無理矢理模擬戦用の片手剣を握らされ、そのまま模擬戦場の中心へと押されてしまう。キリトはそれに抵抗するが、残念ながら力が違い過ぎて意味を為さなかった。

 

「ほら、いい加減腹括れ」

 

「そういう問題じゃ……!?」

 

「あはは……うちの上司がごめん。でもこうなったらベルクーリさんは止まらないから、諦めた方が賢明だよ」

 

 そう言ったユージオの顔は余りにも哀愁が漂い過ぎていて、説得力が強すぎた。彼も苦労しているのだな、と理解すると共にそんな彼の時間を奪うのも申し訳ないとキリトは抵抗するのを諦める。

 それを確認したベルクーリは満足そうに頷くと、簡単に模擬戦のルールを説明していく。と、言っても明らかに勝ち負けが付くか、ベルクーリが止めるまで戦うというシンプルなものだ。特別覚えるものがあるわけではなく、すぐにユージオ、キリト共に了承の意を示す。

 

「ユージオは坊主と歳が一緒、多分才能もそう変わらない。うちに入団したのも数カ月前だ」

 

「………………」

 

「ま、頑張れよ」

 

 ベルクーリの言葉に、キリトはようやくこの模擬戦の目的を悟る。つまり、ベルクーリはこう言っているのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 そういうことなら、とキリトはようやくこの模擬戦に本腰を入れる覚悟を決める。

 模擬戦用に渡された刃の潰された剣は、馴染むというほどではないが、握っていてもさほど違和感はない。インドア派のキリトには少しばかり重い気もしたが、キリトの持ち物である初期装備だった剣に比べれば軽いのでまだマシと言えた。

 それからキリトは、一体どうやって構えるべきかと悩むが、結局知識のない自分ではすべき構えなどわからないと諦め、SAOのβ時代にしていた構えに落ち着く。右半身を後ろに、切っ先を地面に向け少しだけ腰を落とす。β時代、キリトは手数と速度を重視していたため、動きやすさを優先した構えだった。

 それに対し、ユージオはシンプルに長剣を両手で握り、正眼に構える。キリトはそんな構えを、妹がやっている剣道でよく見たな、となんとはなしに思う。キリト自身はもう昔に剣道をやめてはいたが、妹の応援で試合自体は何度も見ている。記憶からあの構えから放たれる基本的な剣の軌道を思い出しておき、それへの対応を考えておく。考えたところで実際にできるかは微妙であったが、それでもやらないよりはマシだろうという考えだ。

 

 そんな風に準備していれば、ユージオが何かを確認するようにベルクーリを見るので、キリトも釣られてそちらを見ればベルクーリから頷きが返ってくる。武人ではないからか、キリトにはその意図がいまいちわからなかったが、先程のアナンドとアリスの試合を思い出し、多分、試合を始めていいということなのだろう、と気を引き締める。

 睨み合い。キリトがただ動けないのに対し、ユージオはきっと動かないのだろうと予想を立てる。盾がないことから、純粋な防御型ではないだろうが、先手を取るタイプではないのかもしれない。キリトはそう考えながら、自ら攻めるかを悩む。

 相手がカウンターを得意とするなら自分から飛び込めば餌食になるだけだろう。しかし、かと言って相手から攻めてきた場合、ペースを握られて待っているのは同じく敗北だろう。キリトは実戦の経験がなくても、ゲームの経験からなんとなくその程度であれば想像することができた。

 しかし、そこから最良の選択が何なのかを選ぶことはできなかった。故にキリトは、自分の性に合っている方を選ぶことにする。

 

 すなわち―――突撃。

 

 どちらにしても負ける未来が見える。ならばせめて、より抵抗できる方をキリトは選ぶことにした。

 身体が重い。思うように走ることができない。ゲームのSAOに比べ、現実に則した環境ではこうも全速力で走ることは難しかったかと思いながら、キリトは剣を引き絞る。

 今のSAOではソードスキルは使えない。それでも、キリトが知っている強そうな剣の振り方など、ソードスキルしかない。ならば、と記憶にあるソードスキルをなぞるようにして、キリトは身体を動かしていた。

 

「おぉッ―――!!」

 

 単発水平斬り、ホリゾンタル。システム的な補助がなければ、本当に何の変哲もないただの水平斬りだが、キリトは普通に剣を振るうよりかはまだ早く、強く振るえたような気がした。

 身体の後ろから、右を通って左へと抜けようとする剣。キリトなりの精一杯の一閃。

 

「――――――」

 

 それを事も無げに、ユージオは涼しい顔で一歩下がって、長剣をキリトの片手剣に添えるようにして受け流す。ユージオによって進路を調整された片手剣は地面に向かって流れていき、虚しく空を切る。

 対しユージオは受け流しに利用した長剣を手首で返し、斬り上げへと繋げる。自らに迫ってくる剣。それを特におかしく思うこともなく、当たったらやっぱり痛いのかな、なんてキリトはなんとなく眺める。

 キリトとしては正直、予想通りの結果であり、特に不思議な状況ではなかった。だから呑気に寸止めとかしてくれないかな、なんて何となくユージオの方を見て。

 

 それより奥。心配げな顔でキリトを見るリーファと目が合った。

 

 その顔立ちは金髪に合わせて欧州系のものへ変わっているというのに。どうにもキリトには家族と仲違いした時の、リーファではなく桐ヶ谷直葉の心配げな顔とダブって見えた。

 

「―――妹の前で、兄貴が無様な姿を見せられないよなぁ!!」

 

 裂帛。同時、キリトは反射神経のみでユージオの長剣を捉え、その腹に咄嗟に左拳を叩き込む。

 寸前で軌道が逸れるユージオの長剣。驚きに目を見開くユージオの隙を突くように、キリトは右手に握る片手剣をユージオの顔目掛け突き込む。

 偶然とはいえ、放たれたキリトの今できる最高の一撃。そしてその一撃は―――あっさりと顔を傾けたユージオの頬を掠ることすらなく通り過ぎていった。

 

「僕の勝ちだね」

 

「ああ……俺の、負けだ」

 

 咄嗟に出た一撃故に、その後のことを何も考えていなかったキリトの首筋にはいつの間にか復帰していたユージオの長剣が添えられており、もはやキリトには抵抗の術は残されていなかった。

 完全な敗北―――自信など、もはや欠片も残っていなかった。……けれど、それでもまだキリトの心は折れていなかった。

 最後の一瞬。確かにキリトは自分よりも実力が上であるユージオの剣をその目で捉えていた。そしてそれに、無策とはいえ今の実力でも対応することができた。そこにキリトは自らが強くなる余地を見出していた。

 強くなれる環境がある。明確な目標となる実力者がいる。同じ程度の実力から強くなったという実例がいる。

 ならば自分は強くなれる、なってみせる―――キリトは敗北に悔しさを感じつつも、妹と共に現実世界に帰るという未来のために覚悟を決めた。




我らがキリトくん、スイッチオン。
圧倒的ヒロインのユージオくんも仲間に加わったし、これは勝ちましたわ、風呂行ってくる。
そんなわけでいい加減序章も終わりが見えてきたよ。


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#Interlude.彼女の心の内は

「はっはっはっはっは!! お前ら二人ともバカだろう!!」

 

 ゆっくりと、シノンは透明な液体がなみなみと注がれたグラスを傾ける。口に含めば甘さと共にパチパチと弾ける感覚が口に広がる。

 茅場晶彦が細かく専用の料理や名前を作り込むのが面倒だったのか、はたまた人はどんな環境であれ同じ進み方をするという証左なのか。現実世界同様、サイダー、と呼称される甘い炭酸飲料をシノンは飲みながら、目の前で行われる会話を眺めていた。

 

「そりゃお前、あれだけの立ち回りができる人間が突然現れたら警戒されて当然だろ!最初から素直に事情話して、庇護求めてればもっと早くすんだろ」

 

「ぐ……む……」

 

「お前も、まんまと乗せられて相手方の思惑通りになってるじゃねぇか。生真面目過ぎるって何度も言ってるだろ?」

 

「う……申し訳ありません……」

 

 アルコールが回ってきているのか、顔を少しばかり赤くしたベルクーリに笑われているのはアリスとアナンドだ。

 一先ず、全員の戦闘力チェックを済ませ、シノンたち四人は騎士団へ入団することが許された。アリスは未だ不満そうであったが、それでも部隊長であるベルクーリが許可し、そしてそこからさらに騎士団長へと伝えられ許可が出たことから、平隊員であるアリスはそれ以上文句を言えないようだった。

 そして同日、夜。歓迎会という名目で開かれた飲み会に、シノンたちは招かれていた。未成年組はジュース、成人組はアルコールとそこら辺は騎士団らしくしっかりと分けて、当初のアリスからの警戒とは裏腹に、かなり好待遇でシノンたちは受け入れられていた。

 むしろこうもあっさりと、騎士団から見れば不審者である自分たちが受け入れられたという事実がシノンとしては不気味であったのだが、どうやらアナンドはそれをさほど気にしてはいないらしい。ここまで受け入れられたのなら、とここに至るまでの経緯と、その裏で考えていたことを洗い浚い話していた。

 

 それに対しベルクーリが言ったことに、シノンとしては概ね同意であった。究極的にはシノンたちの目的は衣食住の確保にあったのだ。ならば素直に騎士団からの庇護を求めればよかったのだ、とは思えた。

 けれど同時に、アナンドの選択も決して間違っていないというのも理解できていた。街の守護を仕事とする騎士団である以上、善良な人間が所属しているのだろう、とはシノンも思う。けれどシノンたちの面倒を見る、ということは相応の責任が生じることだ。騎士団としても街の人間でない者を守る義務は存在しないわけであるし、無能かもしれない人間を無条件で騎士団に加えることになる可能性だってあるわけだ。騎士団の権力者の人格が分からなかった以上、アナンドの判断はやはり、一概に間違っていたとは言えないもののようにシノンには思えた。

 

 それにそもそも突然この世界に囚われた状況から、ああして自分で考え行動できた以上、それだけアナンドは凄いとシノンは思う。危うく死ぬ一歩手前だったとはいえ、動くことのできたキリトという少年もまた。

 シノンと同い年であった少年が動けたのに対し、シノンは今回の状況にパニックを起こすだけであった。それは、一般的に見れば特に不思議なことではないのだろう、とシノンは理解している。しかしシノンは自分をその一般的ではない、と考えている。

 それは幼少期に一つの事件に巻き込まれたことからであるし、またそこから来るトラウマを解消するために地獄を味わったことからもまた。それらから、シノンは自らの精神性が周囲から多少なりとも逸脱してしまっている、と考えていた。

 だから、今回の一件であのような反応をしてしまった、というのはシノンは自分で思っているよりも一般的な感性が残っている、という証左であり、喜ぶべきなのかもしれなかった。

 

 ―――けれど、シノンは全くとしてそれを喜べなかった。

 

 そもシノンは、一般的な少女でありたいなど欠片も思ってはいない。事件に巻き込まれた当時であれば、それが理由でいじめられていた当時であれば。自分がもっと普通の生活を送れていたら、なんてことを想像したことがある。

 だが今はもう、そんなことを想像することなどない。それは特別、今の生活が気に入っているからなどではない。むしろ不満はいっぱいだ。頭おかしいとしか思えない親族共には無茶な扱きを受けるし、その親族からの仕送りは割と少ないし。幼少期の事件直後に比べればマシでも、なんやかんやで辛いことはまだある。

 

 それでも普通でありたかったと思わないのは―――偏に、普通では彼の隣にいられないからだった。

 

 相当飲んでいたのか、いつの間にかベルクーリと肩を組んでキリトやユージオの少年組へ絡みに行っているアナンド。中身が一緒である以上当然の話であるのだが、その動きには現実世界における帯刀(おびなた)憧志(とうじ)の癖が多々あって、別の世界であっても彼は変わらないのだな、とシノンは思う。

 飲み会会場全体が五月蠅いため具体的な会話は聞こえないが、キリトやユージオが困った顔をしているあたり、深く酔っ払うと面倒なのも相変わらずのようだった。

 

 そんな彼を好きになった自分は物好きだな、とシノンは苦笑する。

 

 しかし父が死に、事件に巻き込まれ、周囲からは拒絶されいじめられ。そんな中、親族というだけでシノンを守り、支え続けてくれ、その結果トラウマの改善の切っ掛けとなってくれたのであれば気持ちも揺れるというもの。ましてやそれが元々好みのイケメンともなれば、好きにならない方がおかしいだろう。

 チョロい女と笑いたければ笑うがいい。惚れてしまったのだから仕方がない―――恋心を自覚してからそれなりに経っているシノンは、既にその程度には開き直っていた。

 時々、本当にこれは恋なのかとシノン自身疑問に思うことはある。精神的に助けられたことからの依存かもしれないし、もっと違う感情なのかもしれない。

 

 ―――だったらなんだ。そんなこと知ったことか。恋だろうが依存心だろうが、何だろうが構いやしない。私が彼の隣に居たいからそこを目指すのだ。

 

 シノンは己の心に素直だった。それでいいと、その方が楽しいとシノンはアナンド、帯刀憧志を見て知っていた。

 けれど、それでもシノンは己の気持ちを伝えることだけはしていなかった。それは、今の自分が彼の隣に立つには相応しくないとシノンは考えているからだった。

 アナンドが自らの隣に立つことに、相応しさなど求めないことはシノンも分かっていた。ただそれでは自分が納得できない。助けられるだけの自分ではありたくない。

 少なくとも、今回の一件でパニックになってしまうような自分では、自分自身を認めることがシノンにはできなかった。加えて、騎士団の入団試験でボロクソに負けた自分ではなおのこと。

 

 はぁ、と思わずシノンは項垂れる。思い返すのは数時間前のこと。実力を把握する、ということでシノンと、それからリーファも軽い模擬戦をやることになった。そしてそこでシノンは見事にボロ負けしたのだった。

 そもそもシノンはアナンドと違って生存のための鍛錬しか積んでいないし、元よりまともに近接戦をこなせるとは自分でも思っていない。ただ剣道をやっているだかなんだかで、リーファですら多少打ち合いを演じてみせたというのに、自分はどうにかこうにか避けるのだけで精一杯だった、というのはシノンは自らが情けなかった。

 

 模擬戦後、何やらベルクーリは部隊配属を考えるやら言っていたがいったいどんな意図があるのか。そんなことをシノンが思っていると、アナンドの姿が周囲に見えないことに気づく。どうやら一人、考え込み過ぎていたらしい。

 何人かに質問し、アナンドが外の空気を吸いに行ったことを知る。それから特に深く考えることもなくその後を追おうとし、恋する乙女かよと自嘲して、恋する乙女だったと思い出す。

 どうにも、最近好きであることに慣れ過ぎてしまっている、と思いつつシノンは飲み会会場の外へ出る。

 

 外は街灯も少なく、またアインクラッドの構造上、空に見えるのは次の層の地面であるため月明りもなく、周囲はそれなりに暗い。先ほどまで人が多い場所にいたために、寒暖差に思わず身を震わせつつも周囲を見回せば比較的見つけやすい場所にアナンドの姿があった。

 

「―――正直なことを言えば、割と緊張とか焦りとかあったりしたんだよなぁ、これが」

 

 壁に寄りかかり煙草を吸うアナンドの隣に行き、シノンもまた同じく壁へと寄りかかる。宙を揺蕩う紫煙を目で追いながら、この世界にも煙草があったのだな、とシノンはぼんやり思う。

 

「だってよ、下手したら自分の命どころかお前や、キリトたちの命に関わってくるんだぜ?」

 

「………………」

 

「ガキどもが真っ直ぐ生きていけるように、大人が責任負うのは当然だ。それが格好いい大人ってもんだし、少なくとも俺が憧れた大人はそうだった。だから俺自身がそうあろうと決めたんだから別にいいんだけどよ……」

 

 そこまで言ったアナンドはズルズルと背中が壁に擦れるのも気にせず、その場にしゃがみ込む。そして咥えていた煙草を手に持ち、空いている手で顔を覆ったかと思えば、濁った声で呻き始めた。

 

「あ゛あ゛ー……上手くいってよかったー……。マジなんだよゲームの中に囚われるって……。やってられるかバカヤロー……」

 

 そこからポツリポツリとアナンドの口から愚痴が漏れていくのを、シノンはただ聞き流していく。些か情けない姿ではあるが、特に幻滅はしない。むしろこういったところがあった方が、人間臭くてシノンとしては気に入っていた。また、昔は愚痴る姿をシノンには見せてくれなかったために、見せてくれる程度には信頼されている事実が嬉しくもあった。

 

「はー……何も考えず刀振ってたい……」

 

「現代人の発言とは思えないわね……」

 

「SAMURAIになりたい……。そもそも考えるのは俺の仕事じゃないだろー……」

 

 とはいえ、あまりしつこく愚痴られるのもうざったい、というのが正直なところ。シノンはうだうだ言い続けるアナンドの脛を容赦なく蹴っ飛ばす。

 

「おぅっ」

 

「あんましグチグチ言ってんじゃないの。他のやつらに見られたらよくないでしょ」

 

「分かってるよ……分かってるけど、オニーサン的には脛蹴るのはやめて欲しかったかなぁ……」

 

 そんなことを言われても、親族連中に親しい相手には容赦するなと教わったのだから仕方ない。そう、大体諸悪の根源は親族連中であるし、何ならシノンがゲームをやるようになったのも親族から目を逸らすためなので、こんな状況に巻き込まれたのも親族のせいだろう。

 とりあえずシノンは全ての責任を親族に押し付けつつ、蹴られた脛を数度擦ってから立ち上がるアナンドを見る。キリトとは違い、互いに作成したアバターのままの姿ではあるが、身長や体格はほとんど弄っていないために身長差は変わらない。

 基本的にシノンはアナンドのことを見上げることしかできない。それは背丈的にも、精神的にも。今だって愚痴を吐き終えてしまえばキリトたちが安心できるよう、背筋を伸ばし口元には不敵な笑みを浮かべている。その内側にどれだけの不安や苦しみを抱えていようが精神力だけでそれを抑え込んでしまい、シノンからはそれが見えなくなってしまう。

 やはり、シノンとしてはそんな姿をただ見るだけなのは嫌だった。いつか、対等な目線でそんな彼を支えられるように―――そんな想いと共に、シノンもアナンドに倣い、壁から背を離して真っ直ぐと立つ。

 

「俺はこの後、騎士団長と他のプレイヤーたちのことについて話すから、シノンは他の連中のところ戻りな」

 

「私もついて行くわよ。酔っ払い一人に任せられないし、今日はずっと頭使って疲れてるでしょ」

 

「ガキが生意気だっての。でもま、頼むわ」

 

 アナンドによってシノンの頭が小突かれる。それからその後、ゆっくりとその頭を撫でられ、やはりまだ子ども扱いなのだな、とシノンは嘆息する。

 おそらくであるが、アナンドに対する好意は気づかれているのだろう、とシノンは思っている。その上でなお、何も言ってこないのはただアナンドにとってシノンは子供であり、恋愛対象ではないからなのだろう。

 それならそれでいい、とシノンは溜息を吐く。どちらにしてもシノンがやるべきことは変わらないのだ。無理矢理にでも彼の隣を勝ち取る。その邪魔をするなら、本人ですらなぎ倒してやろうと、シノンは決めた。

 

「―――おや、君たちは?」

 

 そんな風にシノンが密かな覚悟を決めていると、暗闇から声がかかる。アナンド、シノンともに思わず警戒から構えるが、よく考えてみればここは騎士団の敷地だ。飲み会中とはいえ、警備担当の人間はちゃんと残っているのを確認している。偶然ではあるが実際に顔を合わせて飲み会に参加できないことに文句を言っていたのを覚えている。そうそう不審者など現れないだろう、そう考え警戒を解く。

 現れたのは、柔和な笑みを湛えた一人の男だった。顔に刻まれた浅い皺に、白髪が混じった髪。その見た目からは初老に入ったほどに見えるが、がっしりとした体つきに、一切のブレがない体幹からシノンにすら実力者であることが分かる。

 着ている服は特に飾りもない、シンプルな部屋着であるが、飲み会にいた平隊員が着ていたものより暗闇で分かるほど作りがしっかりしている。間違いなく騎士団で身分高い人間だろう、そうシノンがあたりを付けていれば、どうやらアナンドも同じ結論に至ったらしく、若干居住まいを正していた。

 

「見慣れない顔……もしかして、君たちが件の新人かな?」

 

「そういうあなたはもしかして……」

 

「ああ、そうだね。人に名を尋ねるなら先に自分が先に名乗らなくては」

 

 おそらくではあるが、立場的に上であるはずの男は、質問に質問で返されながらも物腰柔らかくそんなことを言う。如何にも人格者といった雰囲気の男は、その面積の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を風に揺らしながら、穏やかに名乗りを上げた。

 

「―――私はヒースクリフ。この血盟騎士団の団長をやっている者だ」




シノンちゃんの事情がめんどくせーから事前解決させとこうとしたら、気づけば主人公に惚れてた。まぁそりゃイケメンにトラウマから救われて、日頃からそれなりに面倒見てもらってればなぁ、というお話で。

そんなわけでヒースクリフ登場。はてさてその中身はいったい……?


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第一章:一層攻略
#11.騎士団での日々 -Case of Kirito-


 キリトは自らの身を包む鎧の重さに思わず首を傾げる。元々、βテストでもコートなどの軽量な装備を好んで使っていたキリトだ。騎士団の装備の中では軽量な方とはいえ、服の下には鎖帷子、上からはチェストプレートなど経験したこともなかった。

 というか重い。凄く重い。アナンドたちとの軽い検証で分かったことであるのだが、どうやら基本的に握力などの筋力は同じくらい、体格でいくらかの補正がある程度のようだった。そこら辺は現実世界での身体能力で差が出ないように、という話なのだろう。

 それでも、とキリトは左隣に立つアナンドの後ろ姿を見る。その姿はキリトと同じく防具を着こんでいるはずなのに、その重量を気にした様子がない。曰く、経験の差だ、ということらしい。重いものを身に纏っている際の上手い身体の動かし方を知っているかどうか、それで結構楽さが変わるらしい。昨日、キリトとほとんど同じ筋力量でありながら、アナンドが武器を自在に使えていたのはそういうところがあったらしい。

 

「さて、今日からお前たちには早速訓練に入ってもらう。騎士団に所属する以上はとっとと使い物になってもらわないと困るからな」

 

 一先ずキリトたちに指示を出しているのはベルクーリだった。なにやら後々、個々の適性に合わせて部隊は変わるそうだが、それでも現状では訓練内容は一律のもののようだった。

 

「さて……アナンド。お前は今から何するか予想付いてるだろ。ちょっと見本がてらやってみろ」

 

「見本が必要なものとは思えませんけどねぇ……。ま、了解です」

 

 そう言ったアナンドは訓練場の中を、壁に沿って走り始める。そのペースはジョギングというには些か早い気もするが、とりあえず長時間……一、二時間程度走ることを想定しているペースにキリトには思えた。

 

「ま、やることはシンプルで、アナンドが今やってるようにこの訓練場をひたすら走り続けるだけだ」

 

 その言葉に、キリトとリーファがそんな簡単なことでいいのかと首を傾げる。しかしそれに対し、シノンは途端に死んだような顔になっていた。

 走るだけの鍛錬に、一体何故そんな表情をするのだろうか―――そう疑問に思っていると、シノンの様子を見たベルクーリがクツクツと笑いだす。

 

「お前、察したな? まぁ確かに、この三人の中じゃあシノンの嬢ちゃんが一番マシだったしな。経験があるんだろ?」

 

 死んだ表情のままシノンが頷いて返せば、やっぱりなとベルクーリが納得を見せる。そしてそのまま、口元に笑みを浮かべたまま鍛錬の目的を話し始めた。

 

「昨日見せてもらった限り、全体的な鍛え方が甘い甘い。身体は出来上がってねぇし、体力もかなり無さそうだ。その癖して妙に剣を振るうことに慣れてたりしやがる。なんつーか、ちぐはぐなんだよなぁ……」

 

 それは仕方のないことだった。シノンの事情はキリトは知らないが、キリトはβテスト時代の感覚。リーファは剣道で培った技術がある。しかしこの世界で肉体が変わったために、それを行うための筋力諸々はリセットされているのだ。ちぐはぐなのは当然の話だった。

 とはいえそんな話をベルクーリにしたところで信じてもらえるわけがない。プレイヤーは数だけはいるため、総員で説明すれば納得せざるを得ないかもしれないが、そこまでする理由がない。そんなわけで、ベルクーリには地上出身だ、というアナンドの嘘の話を通したままだった。

 

「……まぁそういう細かい話はいいか。んで、だ。何をするにしても、剣を振るうにしても、槍で薙ぎ払うにしても。全ての基礎は体力と下半身だ!よって何はともあれお前らには足腰の作り込みと、体力を付けてもらわなきゃならねぇ」

 

 ベルクーリはそう言いながら、自身の腰を叩いてみせる。足も太く、がっしりとしていて鍛錬の賜物なのだろう、というのは何となくキリトにも分かるのだが、生憎とインドア派であったキリトにはアナンドやリーファが言う、体幹云々は全く分からないのだった。強いて言うなら、立ってても一切身体は揺れないのだな、程度ならわかるくらいだろうか。

 

「じゃあその為に何をすればいいか? ()()()()()。体力が付いて、足腰が鍛えられて、ついでに効率的な身体の運用方法も学べる! 実に素敵な鍛錬だろう?」

 

 ベルクーリの説明に思わずなるほど、と声を漏らす。考えてみれば、現実世界でだって学校の運動部などは必ず走り込みをやっている。科学が発展した現実世界においてそれをやる、ということは科学的にもやはり走り込みというのはいい鍛錬法なのだろう。

 キリトはスポーツ科学には詳しくないため確証はなかったが、それっぽいしどうせ何を言おうが走らされるのだから、そう思い込むことで自らを納得させるのだった。なんせキリトは立派なインドア派。納得感でもなければ走りたくなどなかった。いや、やっぱり納得できても走りたくはない。欠片も素敵な鍛錬だとは思えなかった。

 

「御託はここらでいいか。そしたらとっとと走ってこい。昨日の動きから何となくは体力がどんなもんか把握してるから、俺が納得できないペースだったら蹴っ飛ばすぞ」

 

「あの、どのくらい走るんですか?」

 

 ペース云々の話が出たために、どんなペース配分にすればいいのか考えるため、キリトの口から自然とそんな質問が漏れる。それに対し、やけにいい笑顔を浮かべたベルクーリは、こんな答えを返したのだった。

 

「今日俺がいいって言うまでずっと」

 

 キリトとリーファの表情もまた、シノン同様死んだようになった。

 

 ―――鍛錬一週目。

 

 本当にキリトたちは走り続けるだけだった。丸一日、休憩は食事と睡眠時のみ。それ以外はひたすらに走らされた。

 止まっても、転んでも即座に叩き起こされ走らされる。少しでも体力が付いても、即座にそれが見抜かれペースアップさせられるため余裕なんて生まれはしない。

 無論、そんな状態ではろくに食事も喉を通らなかったが、それで初日の夕飯を抜いたら翌日地獄を見たため、以降キリトは無理矢理にでも三食欠かさないようにしていた。

 ある種拷問とも取れる鍛錬だが、強くなることを望んだのはキリト自身。逃げ出すわけにはいかないと、必死で鍛錬をこなしていった。

 

 ―――鍛錬二週目。

 

 二週も走ってくると、いい加減コツというものが見えてくる。それは慣れ、とはまた別でどういう走り方であれば如何に体力の消耗を抑えられるかが分かってくる。ベルクーリが言っていた効率的な身体の運用方法とは、こういうことを言っていたのだろう。

 そしてそこまで来ると、身体に鎧を纏って動くのにも慣れてくる。むしろ鎧を着ていないと動きに違和感を感じるほどであった。

 強くなった、という実感はないが、成長の実感は明確にある。これなら頑張れそうだ、とキリトは気合を再度入れた。

 

 ―――鍛錬三週目。

 

 そして再びキリトは死んだ。

 三週目からは場所を変えての走りこみ。騎士団が保有する鍛錬場の一つ。急激な丘や、ぬかるみ。そういった足場の悪い環境を再現した鍛錬場。三週目からの走り込みは、そこで行われることとなった。

 当然の話ではあるのだが、上り坂に下り坂、そうやって環境が変われば適切な走り方も変わる。今までとはまた違うリズムでの走り方が要求され、体力の消耗と転ぶことが再び増える。

 既に身体は傷だらけ、大きな怪我がないだけで満身創痍と言えるような状態だった。それでも、キリトの心が折れなかったのは、守らなければならない存在が傍にいたからだった。

 

 ―――鍛錬、四週目。

 

 足場の悪い環境での走り込みに慣れるのは比較的に早かった。最適化された動き、というものを一度知ったために、二度目はそこそこ早かった。

 それでも、三週目は全て使い切り、四週目途中でようやくという形ではあった。だがその甲斐あって、ベルクーリから普段より早く走り込みの終わりが告げられる。

 

「………………」

 

「おうおうおう、そんな疑うような目で見るなよ、照れるだろ」

 

「とか言って次はひたすら素振りとかじゃないんですか?」

 

「お、正解」

 

「えっ」

 

 何とはなしに言ったことがあっさりとベルクーリによって肯定されてしまい、言葉を失う。そんなキリトに、ベルクーリは見てみろ、とどこかを指さす。

 思わず条件反射でそちらを見れば、そこにはひたすら無言で槍を振るうアナンドがいた。

 

 キリトがアナンドを指さす。

 

 ベルクーリは大きく頷いた。

 

 キリトは思わず天を仰いだ。

 

「つっても、ここからはそれぞれ別の得物での鍛錬になるからな。アナンドとキリト、リーファに関しちゃうちで預かるが、シノンだけは別部隊だ」

 

 そう言ったベルクーリは手招きをし、一人の男性を呼び寄せる。鎧を着こんだ長身の男はしかめっ面であったが、流石にそれで初対面はマズいと思ったのか右手で額を揉み解してから、改めてキリトたちへと向き直る。

 

「初めまして、我はデュソルバート。シノン、貴殿の鍛錬に関しては今後我が面倒を見ることになった」

 

「あ……えっと、よろしくお願いします」

 

「うむ。ではベルクーリ、彼女は預かるぞ」

 

「あいよ。……あいっかわらず真面目というか、堅苦しいやつだな……」

 

 シノンを連れて別の訓練場へと去っていくデュソルバートを見送りつつ、ベルクーリが呟く。確かに、堅苦しそうで自分とは合わなそうだ、とキリトはデュソルバートのもとに配属にならなかったことを密かに安堵する。

 とはいえ、ベルクーリの鍛錬もキツイのには変わりはない。それはこの一か月間でよくわかっていたことだった。

 そのため、この後から本当にひたすら素振りをさせられるのは目に見えている。今のうちにキリトは何とか呼吸を整えておくことにする。

 

「さて、っと。それじゃあ確認だ。リーファはロングソードで問題ないな?」

 

「あ、はい、大丈夫です。こないだユージオさんが使ってたくらいので問題ないです」

 

「オーケー、あっちにあるから、担当のやつから受け取ってこい。……そんで、キリトに関してだが」

 

 そこで言葉を区切ったベルクーリが右手で頭を掻く。キリトとしてはβテスト時に使っていたのは片手剣であったし、これからもそれを使う予定だったのだが何か問題でもあったのだろうか。そんな風に訝しげにベルクーリを見ていれば、あー、いやな。とベルクーリが言葉を漏らす。

 

「……お前、二刀流やる気はないか?」

 

「え?」

 

「以前のユージオとの模擬戦。お前、咄嗟に左手も使ってただろ。もしかしたら向いてるかもしれないと思ってな」

 

 予想外の提案に、キリトは少しばかり呆ける。βテストではシステム的な補助が失われるために二刀流はできなかった。そのため完全に二刀流、という発想は失っていたが、よく考えてみればここにはもうシステムは存在していない。それはβテスト経験者のキリトからすればデメリットのようにも思えたが、なるほどしかし。考えようによっては、二刀流のようにできなかったこともできるようになったとも取れるのだった。

 だがしかし、とキリトはそこで考え込む。二刀流というのはかなり難しいことをキリトは知っている。幼少期のことではあるが、剣道で一度だけ二刀流をキリトは体験したことがあった。もはや記憶が薄いが、そもそも両手共に剣を思う存分振るえる筋力が必要になるし、両手が互いの邪魔にならないように、そして相乗効果を生み出せるように動かさなければならず頭も使う。いきなり提案されて、はいそうですか、とできるものではないというのがキリトの認識だった。

 

「まぁ、お前さんが危惧するところも分かる。実際二刀流ってのはクソ難しいからな」

 

 そんなキリトの悩みが顔に出ていたのか、それは仕方ないことであるとベルクーリは腕を組んで何度か頷いてみせる。しかしその上で、ベルクーリは指を一本立てて、だが、と言葉を発する。

 

「お前の才能を踏まえれば、努力しなければいけない量は増えるが、それでも他の連中が仕上がる頃にはお前も二刀流で戦えるようになるだろう」

 

「俺に、それだけの才が……?」

 

「人一倍じゃ足りない、それ以上の努力は必要だがな。どうする、決めるのはお前だ。もしやるんだったら俺は一切の容赦はしない。だがその代わりに一刀流よりも強くなれることを保証してやる」

 

 キリトは考え込む。けれど、ほとんど答えは出ているようなものだった。だから考えるというよりは、自分自身への確認作業。本当に自分は覚悟ができているのか否か。

 数秒―――自身への問いかけを済ませたキリトは真っ直ぐとベルクーリを見つめ、答えを口にする。

 

「俺に―――二刀流を教えてください。俺はもっと、強くなりたい」

 

「テメー自身が決めたことだ、弱音は許さねぇぞ?」

 

「弱音を吐くつもりはありません」

 

 だって少なくとも、自分たちの命まで背負っているはずのアナンドは全く弱音を吐かなかった。

 

 キリトはそこそこ聡いと自負している。だからこの世界に囚われてから日が経ち、ある程度冷静になったことであの日、アナンドにどれだけの責任がいっていたのかも理解はできていた。それでもアナンドは決して弱音を吐かなかった。

 身近にそんな格好いい男がいるのだ。ならば、同じ男として負けてはいられない。だから決して、自分が決めたことには弱音を吐かないとキリトは決めていた。

 

「はっ……いい覚悟だ。あとはしっかりと結果を出してくれよ」

 

「はいッ!!」

 

 ―――騎士団での日々は、まだまだ始まったばかり。




キリトくん、無事二刀流ルートへ。とはいえシステム補助なしの二刀流とかクッソキツイので、キリトくんはかなりの努力をしなければならないのだ……。

そういやデュソルバートくんって素顔の描写あったっけ?
覚えてねぇし、確認も面倒だからぶっちゃけ適当に捏造しちゃうつもりなんだけど。

と、まぁそんな感じでしばらくは騎士団での日常よ。


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#12.騎士団での日々Ⅱ -Case of Leafa-

 正直な話をすれば、リーファにはやる気……モチベーションというべきものがない。

 それはある種至極当然の話で、剣道の練習よりもキツい鍛錬を何故やらなければならないのかという話になる。

 元々リーファは兄であるキリトと一緒に遊べるから、という理由だけでSAOを始めており、この世界への特別な思い入れもない。現実世界に帰りたくはあったが、何故自分たちがやらなければならないのか、きっともっと強い人がいつか解決してくれるだろう―――というのが、リーファの本音だった。

 

 日々の鍛錬後の、割り当てられた自室。騎士団もそう大量に宿舎に部屋があるわけではない。四人部屋でありプライバシーも何もない部屋。そもそもこんな状態では何かに集中できるわけはなく、加えて日々の鍛錬の疲れから何かする気も起きない。

 必然的に特に行動を起こすこともなく、自然と意識が落ちるまでベッドの上で考え事をするのがリーファの日課だった。

 

 考えるのはとりとめのないことばかり。ただしそのどれもがマイナス方向への思考だった。

 なんでこんなところにいるのか、どうして鍛錬をしなければならないのか。別に努力が嫌いなわけではない。状況的に仕方がないことも分かる。それでもリーファはどうして自分たちが、という思いが拭えなかった。

 リーファとしては兄と共に普通に過ごせればそれでいいのだ。だから正直なことを言えば、別にこの世界に囚われようと、兄と一緒なら別に構わないとすら、少しだけだが思っていた。

 もちろん、両親や友人に会えなくなるのは寂しい。だからそれを本気で思うことは流石にない。ただちょびっと、そう、ほんのちょびっとだけ兄と二人きりで過ごすのもいいかなぁ、なんて思ったりもしたが、思っただけで堪えている。

 

 だからまぁ、正直な話、リーファは惰性で騎士団の鍛錬に参加していた。兄がやると言っているのだから、まぁ自分もやるかとその程度。

 結果として騎士団入団から数ヶ月。同時期に入団した四人の中で一番リーファが伸びが悪かった。それ自体には特別思うことはない……が、兄にどう思われているかだけは少し、気になっていた。

 それでも、逃げ出さずに騎士団での鍛錬を続けているのは、リーファ自身の性格もあった。自分が成長することは嫌いではないし、やると言ったことを途中で投げ出すのは性分ではない。

 モチベーションあるかどうかとやるかやらないかはまた別の話。リーファはそこそこ真面目な性格だった。

 

 はぁ、とリーファは溜息を吐く。思考はまとまらないし、眠気も来ない。規則正しい生活を送っていたために、日々のルーティンとして寝ようと思えば寝ることはできそうだったが、どうにもそんな気にもなれなかった。

 そのためリーファは少し散歩をすることを決め、簡素なベージュのカーディガンのようなものだけを寝巻の上から羽織る。茅場晶彦が気をつかったのか、当然のように現代の衣服に近いものが存在しているのが、リーファは少しだけ不思議な感覚を覚えていた。

 寝ているルームメイトを起こさないよう、静かに部屋を出る。ルームメイトとは特別親しいわけではないが、一緒に辛い訓練を乗り越えていれば連帯感も生まれるというもの。流石に寝ようとしているルームメイトを起こしてしまわないように気を遣うくらいはするのだった。

 

 冷えた廊下を一人リーファは歩く。どうやらアインクラッドにも四季はあるようで、今は冬の終わり。流石にカーディガン一枚では寒かったか、と少しだけリーファは後悔する。

 けれどその冷え方が思考を冴えさせてくれるような気もする。数ヶ月も経っているのだ、いい加減に本気でやるのかどうかを決めておくべきだろうから、丁度いいような気もする。

 最近、ベルクーリがリーファを見る目が厳しくなってきているような気がしているのだ。多分、内心を見抜かれているだろうとリーファは思っている。本気でやらないならば教えてくれているベルクーリ達に申し訳ないところもあるのだ。

 アナンドやキリト、ベルクーリを始めとした騎士団の面々が明確な意思を持って動いてる以上、リーファは自身の中途半端を認めることができなかった。

 

 リーファは宿舎の廊下から、外へ通ずる扉をくぐって外に出る。宿舎は女子棟と円形の広場を挟んで反対側に男子棟があるという構造をしている。リーファはそこで、少しだけ考え事をしようと思っていた。

 

 ―――しかしどうやら、そこには先客がいたらしい。

 

 ベンチに座る体格のいい男二人と、月明りの下で素振りを繰り返す小柄な人影。ベンチに座る二人はともかく、素振りをする少年をリーファが見間違えることはない。キリトがそこで鍛錬をしているようだった。

 

「いやぁ月明かりの下で飲む酒は美味いなぁベルクーリくん!!」

 

「特に一人頑張っているやつの前でだとなぁ、たまんないよなぁアナンドくん!!」

 

「お前ら覚えとけよ、覚えとけよほんと……!!」

 

 何やらキリトが煽られているようだが、まぁこの騎士団で生活していればよく見る光景だ。隙を見せれば即座に他の連中が寄ってたかって煽り始める。ほんとこいつらいい性格をしていると思わせる光景だった。

 ここで生活するのは真面目なアリスとかユージオの場合大変だよなぁ、とリーファはぼんやりと思う。

 予想外の光景に場所を変えるか、と思うもリーファはこんな時間にキリトが特訓をしていたなど知らず、少し気になるところもある。そのためしばし迷ったあと、隠れるようにしてキリトたちの方へと近づいていく。

 

「……まー、真面目な話あいつもよくやるよなぁ」

 

「騎士団に入団してからずっとっスからね。根性ありますよ」

 

 キリトは愚直に素振りをし続け、それをベルクーリとアナンドが見守りながら会話する。どうやらおふざけは終わりでキリトは鍛錬に集中し始めたため、ベルクーリたちはキリトに聞こえない声量で話し始めたようだった。

 リーファとしては、こんな時間にキリトが努力を重ねていたのが意外であったし、そもそも何かにここまで打ち込んでいるキリトを、現実世界でゲームに対してしかリーファは見たことがなかった。

 

「俺があんくらいの時は友人とバカやってただけだったなぁ……」

 

「俺だって……あっ、いや……どことも知れぬ山に放り出されたりしてた……」

 

 随分と酷い幼少期生活を送っている、とリーファはアナンドに呆れつつ、その視線はキリトから逸らさない。

 延々と同じモーションを繰り返すキリト。しかしその姿は騎士団入団前とは見違えるようであり、体幹のブレももはやなく。ゆっくりとした素振りでありながら、一回一回の動きにほとんど差異がない。

 仮に今の自分が同じ速度で素振りをしてキリトと同じレベルの素振りができるか―――そこまで考えて、リーファは少しだけ情けなくなる。いくら筋力などがリセットされたとはいえ、単純な経験量であればリーファの方が上だったはずなのだ。

 

「アナンド、キリトの坊主がどうしてあそこまで頑張る理由って知ってるか?」

 

「確か妹のためって照れながら言ってましたよ。俺がちゃんとあいつを守るんだーって」

 

 ―――その話に、リーファの思考が止まる。

 

「おーおー、リーファの嬢ちゃんのためか。いいお兄ちゃんなことで」

 

「詳しい事情は知らないっすけど、結構気にかけてるみたいっすよ。……で、そこら辺どうなのよリーファちゃん?」

 

「……え」

 

 思考が止まっている状況下で、更に突然振られた話に完全にリーファの反応が送れる。それにアナンドとベルクーリが苦笑するのを見て、慌ててキリトも気づいているのかと、リーファはキリトを注視する。

 

「安心しろ、キリトは気づいてない。自分の鍛錬に集中してる状態だ」

 

 アナンドの言葉の通り、キリトは黙々と剣を振り続けており、リーファのことに気づいた様子は欠片もない。その事実に安堵しつつ、思わず気づいていながら特に何も言わなかったアナンドたちへ、リーファは非難がましい目を向けてしまう。

 

「悪い悪い、盗み聞ぎなんかしてたからつい、な」

 

 それを言われてしまうとリーファとしてはどうしようもない。先に勝手に盗み聞きし始めたのはリーファの方だ、非は確かにリーファの方にあった。

 

「気になるのは分かるから攻めるつもりはないよ」

 

「だけど代わりに、ちょっと嬢ちゃんに聞きたいことがあるんだわ」

 

 そう言ったベルクーリは口元に笑みこそ浮かべているが、その眼は至って真面目なものだ。何となく今から何を言われるのかをリーファは察するが、それに対する明確な答えをリーファは持たないためにそれを止めることはできない。

 

「―――嬢ちゃんはいつになったら答えを出すんだ?」

 

「それ、は……」

 

 少しだけ考えよう、と思っていたところでまさか答えを出さなければならなくなるとは思っていなかったために、リーファは答えることができない。しかしこうしてベルクーリに聞かれてしまった以上は答えないわけにはいかない。

 

「今は基礎の段階だが、もうすぐお前たちも実戦に出す。流石に実戦を半端な覚悟でやらせるわけにはいかないからな。俺だってお前らを死なせたくねぇ」

 

 実戦。その言葉にリーファは身が竦む。今日までの鍛錬で騎士団の仲間が街の外でモンスターと戦う姿をリーファは見ている。思い出されるのは、帰ってきた仲間の傷。地面へと落ちていく、鮮烈な赤。

 その傷は多めに血が流れただけで、実際は深い傷だったわけではないが、それでもリーファの記憶に強く刻まれていた。あんな風に傷がつくかもしれない場所に行く。それは確かに中途半端な覚悟で行く場所ではない気がしてリーファは―――

 

「これはリーファにだけは言うなって言われてるんだけど」

 

 リーファが一つの結論を出そうとした時。リーファの方を見ずに、キリトを見つめるアナンドが口を開く。

 

「俺、ちょっと気になったから聞いたんだよ、何でキリトは頑張れるんだってな。今だって、こうしてこんな時間にまで秘密の特訓するほどだ、気になるに決まってる」

 

 そこで言葉を切ったアナンドは呆れたように、けれどどこか慈しむかのように息を吐く。それからゆっくりと、キリトが言っていたという言葉を話し出した。

 

「『俺にも色々あってさ、リーファとこうして過ごせるだけでも嬉しい。だけど俺が本当に欲しいのは、現実世界でリーファと笑って過ごすことなんだ』……だってよ」

 

「お兄ちゃんが、そんなことを……」

 

 呆然と呟くリーファを見やることなく、言うべきことは言ったとアナンドは素振りを続けるキリトを見つめるだけでそれ以降は完全に口を噤んでしまう。

 代わりにアナンドから引き継ぐようにして、ベルクーリがその口を開き再び問いかけてくる。

 

「さて、嬢ちゃんにもう一度聞くぜ。今のを聞いた上で、嬢ちゃんはこの後どうするんだ?」

 

 騎士団に残るか、否か。本気で戦う覚悟を決められるかどうか。リーファは自らに問いかける。少なくとも、キリトは腹を決めた、リーファのために。

 ならば自分は、兄のために命を懸けられるか。先ほどまでであれば、リーファは間違いなく騎士団をやめていた。今だって、迷っている。当然だ、誰だって傷は負いたくない。

 現実世界に戻れないのは寂しいが、兄と二人であれば生きていけると思っていた。だけど、兄は現実世界でのリーファと平和に過ごすことを求めていた。それをリーファは知ってしまった。

 そして、自分が求めるものは何なのか。それを自らに改めて問いかけ。そうして自然と出てくる答えは。

 

「―――お兄ちゃん!」

 

 素振りを続けるキリトをリーファは呼ぶ。来てたのか、なんて驚くキリトは周りが見えなくなるほど集中していたようで、リーファはそれに思わず苦笑した。

 それからリーファはゆっくりとキリトへと近づき、二刀流の練習用だろうか。地面に置かれていた剣を持ち上げ、笑顔でこう言った。

 

「私も、一緒に素振りしていい?」

 

 今だってまだ、実戦は怖いし、どうしてそこまでしなきゃいけないのかとは思う。けれどキリト言っていたという求めるものがリーファにとってもどうしようもなく素敵で。そしてそんな未来のためにキリトが傷ついてしまうかもしれないのが怖くて。

 ならばせめてもう少しだけ。そうしてリーファは覚悟は決められずも、もう少しだけ頑張ることを決めた




皆が皆、そう簡単に覚悟を決められるわけがないよね、というお話。
しかしリーファ……ブラコンが過ぎる……。
正直リーファちゃんというか直葉ちゃんってここまでブラコンでいいんだっけ?と思いつつキャラは濃い方がいいのでそのまま続行。
これで初期メンバー四人の覚悟は決まったので、徐々に一層攻略に動いていくぞ。


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#13.騎士団での日々Ⅲ -Case of Shinon-

 ―――構える。引く。放つ。

 

 チ、と舌打ち一つ。想定より数センチズレて当たった矢に、シノンは苛立ちを隠さない。

 ()()()()()()。それはもはやシノンにとっては当然のことだ。むしろ、動かぬ的に対し当たらないのであれば、シノンは容赦なく才能がないか努力不足だと吐き捨てただろう。

 しかし現状ではあくまで当たるだけ。狙った通りの軌道にはならない。それは技量不足などではなく、偏に身体の作りこみが甘いが故であった。

 狙い通りであれば確実に的の中心を射抜く。その確信がシノンにはあり、またそれは師匠に相当する人物に保証されていることでもあった。

 だからあとは弓を引いても一切のブレを起こさないだけの肉体を作り上げるだけ。ただただ純粋な努力が要求されるだけだった。

 

「……それだけの技量があって、未だ不満そうにする者など貴殿の他にそうはいないだろうな」

 

「思った通りになっていない以上、納得がいかないのは当然でしょう」

 

()()()()()()()()()()()()()、と言っているのだ」

 

 シノンの師匠にあたるデュソルバートが、呆れたような顔で的の方を指さす。それに釣られ、改めてシノンが的の方を見れば、そこには的の中心部かあるいはそこから数センチだけズレた位置に刺さる大量の矢があった。

 弓の修練に励むようになって約半年。それだけの期間で、ということを考えれば才能があるにしたって充分な結果。しかしそれでもなお、シノンは首を横に振る。

 

「足りないわよ、こんなんじゃ全然足りない。実戦で自分も相手も動くようになれば精度は落ちるし、それに全部思い通りの位置に矢が飛ばないようじゃまだまだだから」

 

「……我が騎士団でもそこまでできるものは居らぬ。我でさえも射った矢全てが思い通りになることはない。それが普通なのだ」

 

 そこで言葉を切ったデュソルバートは幾らか逡巡した様子を見せる。言うべきか言わざるべきか―――目を伏せ、悩んでいるのが見ただけで分かる様子のデュソルバートであったが、やがて意を決したのかシノンをしっかりと見据えて言葉を放つ。

 

「貴殿は些か……高みを見据え過ぎている節があるように見受けられる。一体貴殿のその眼の先には何が……否。誰がいるのだ?」

 

 デュソルバートの問いに、シノンは思わず溜息を吐く。それは面倒なことを聞かれた、というよりも傍から見てわかってしまうほどに焦っていた自分に対する呆れからくるものだった。

 何と答えるべきか、今度はシノンがしばしの間逡巡する。別に話せないような内容ではないが、他人が関わってくる話であるために流石に即断は下せない。それでも相手は自らの師匠だ。あまり隠し事をするのも気分がよくない―――シノンは素直に理由を話すことにする。

 

「……アナンド、っていたでしょう」

 

「ふむ、珍しくベルクーリがべた褒めしていた青年か。何やら随分な才があると」

 

「そうね、才能があるわ。そしてそれを活かすための努力もしている。私が目指すのは、彼よ」

 

 隣に並び立つため、最低限アナンドの動きについていくだけの実力がシノンには必要だった。だからシノンは一般的な基準においての実力者では満足ができなかった。

 再び弓に矢を番える。狙いを定める必要はない。構えた段階で、否、そも標的を見据えた段階でシノンには矢の軌道が見えている。故に、射れば当たるのは必然。

 

「しかし我が見た限りアナンドという青年も実力者ではあれど、飛び抜けて強いわけには見えなかったが……」

 

「ええ、そうね。確かに彼が()()使()()()()()()()()。普通に強いだけ」

 

 けれど、とシノンは現実世界での一幕を思い出す。彼が振るう刀の軌跡。脳裏に焼き付いて離れない美しきあの光景。

 自身が放ち、的へと突き刺さる一射など比にもならない。もっと圧倒的で、もっと美しい。求めるのはそんな一射。

 

「……けれど、彼が本気の時。刀を使った時。彼は言っていたわ、絶対に自分の攻撃は当たるし、相手の攻撃は当たらないと。そしてそれを私は事実だと思っている」

 

「彼の青年が本気を出せばそれだけの実力があると?」

 

「そうね、多分ベルクーリさんも、あなたも勝てないと思うわ。そしてその上で、まだ足りないって言ってたのよ」

 

「俄かには信じ難い……が、仮にそれが事実だとするならば、何故彼は槍を使っているのだ?」

 

 至極、当然の疑問ではある。もっと上手く扱える武器があるならそれを使った方がいい。それは誰だって思うことだろう。

 シノンは構えた弓を下ろしつつ溜息を吐く。思い出すのは、同じ疑問をシノンがアナンド本人へぶつけた時のこと。

 

「『折角の機会に同じもん使い続けてもつまらないだろ』って。あとは一度宣言した以上、それを貫いた方が格好いいだとか、ここぞって時に出した方が格好いいとも言ってたわね」

 

「それは……また随分と」

 

「はっきりと馬鹿だって言っていいと思うわよ」

 

 頭痛がするかのように頭を抱えるデュソルバートに、シノンは容赦なく自分が感じた所感を言う。実際、アナンドが言っていることは完全に舐めている、としか言えない内容だ。実際そこにあるのは格好つけだけだ。命がかかる状況下で格好つけを貫くなど馬鹿がすること。

 一応、曰く一層ではまだカタナもどきとしか言えないものしかなかったりする、というのもあるそうだが、主な理由は結局格好いいからに尽きるらしい。

 

「だけど……馬鹿だけど格好いいのよ。絶対にブレない、自分がしたいことを貫く。だからひたすらに格好いい。私はそんな姿に憧れたし……追いつきたいと思った」

 

「……なるほど、貴殿の内に彼の青年は随分と鮮烈に刻まれているらしい」

 

 呆れたように、デュソルバートは息を吐く。アナンドも、それを追いかけるシノンも馬鹿だと自覚はしている。自覚した上で止まる気のないことを理解したが故の、デュソルバートの溜息だった。

 しかしやはり、とデュソルバートはこのままではいけないと首を横に振る。

 

「貴殿は高みを見過ぎて、自身がどこにいるかを正しく把握できていない。いつか足元を掬われそうなのだ」

 

「それは……」

 

 言わんとすることは、シノンにも分かる。シノンだけに限らず、他のキリトやリーファといった騎士団に同時期に入団したメンバーは基本的に鍛錬ばかりの日々だった。加えて、妙な時期での入団だったために同期が他にいない。結果、実力を比べる相手がいないのが現状だった。

 指導も見込みがある、ということで部隊長であるデュソルバート直々だ。そういえばそもそも、休憩室や食事時ぐらいしか他の騎士団メンバーとろくに関わっていなかったことを、シノンはここで初めて自覚した。

 これは心配されて当然だ、とシノンは自らに対し思わず呆れる。今後は鍛錬に集中し過ぎずある程度他人とコミュニケーションを取る必要があるか、と思わず思案した。

 

「……というか、ひたすら鍛錬をやってた私が言うのもあれだけど、私に話しかけようとした人はいなかったの……?」

 

「貴殿は鍛錬中、気配が鋭く尖るからな……圧が強くて話しかけようにも話しかけられない者が多かったようだ……」

 

「そこまで……そこまでだったの私……」

 

 自覚していた以上の有様に、シノンは頭を抱える。どうにも騎士団のメンバーと話す際、どこか余所余所しいわけだった。これ、考えてた以上に改善に気を遣わないといけないな、とシノンが苦慮しているはぁ、と呆れの溜息を吐いたデュソルバートが一つの提案をしてくる。

 

「……一度、模擬戦をやってみるか。貴殿自身の実力を把握はすべきであるし、この騎士団では模擬戦はある種のコミュニケーションでもある。いい機会だろう」

 

「そう、ね……お願いするわ」

 

 シノンが提案を承諾したのを受けて、デュソルバートが模擬戦相手を探しに去っていく。その間、何をして待つかとシノンは考えて、やはり鍛錬に結論が行き着く。

 無論、デュソルバートに対して言ったことは全て本音だ。ただ、このアインクラッドにおいての生活で、シノンが出来る暇潰しが鍛錬しかない、というのも鍛錬ばかりしている密かな理由であった。

 なにせアインクラッドにはスマートフォンやゲーム機といった娯楽品がない。基本的にプレイヤー陣が生活しやすいようにか、建築様式や服飾に関しては妙な発達具合のある場合もあるアインクラッドではあったが、娯楽に関しては、残念ながらそうではない。

 一応、小説などならあるが、それにしたって訓練場に持ち込むようなものでもない。現在は更衣室の方に置いてあるため、デュソルバートを待つ間に取りに行けるわけでもなかった。

 すると必然、生活の大半を訓練場で過ごすシノンが時間を潰す手法として選ばれるのは鍛錬となってしまっていた。

 

 弓を持ち上げ、矢を番え、弦を引き、目標を見て―――放つ。

 

 その一射で脳内の理想の一射と、現状の肉体で放てる一射を擦り合わせる。故に続けて放つ二射目は的の中心を穿つ。

 下手に今の感覚を染み込ませれば肉体が出来上がってから、その肉体で放てる一射と誤差が出るために普段はやらないことであったが、模擬戦一回程度であれば癖として染み込むことはない。

 故に三射、四射と的の中心部からのズレを数ミリ単位まで落とした射撃を行っていると、つい先ほど聞こえたばかりの溜息が聞こえてきて、シノンは後ろを振り返る。

 

「貴殿は……いや、もはや何も言うまい……」

 

「あははは……」

 

 デュソルバートには呆れられ、そのデュソルバートが連れてきたらしい模擬戦相手は困ったように笑っている。

 これ、さては大分残念な女として見られてるな? とシノンは何となく理解しながらも、しかし事実であるとも理解しているために文句は言えない。いや、だって実際のところ寝て起きて、食事をしたらあとはひたすら鍛錬しているだけの女とか普通嫌だろう。少なくとも、シノンが男であったら異性とは見れないと思っていた。

 

「とりあえず彼が模擬戦の相手だ」

 

 そう言ってデュソルバートが紹介してくれた相手と、簡素な自己紹介と握手を交わす。一応、過去に食堂などで簡単なコミュニケーション程度ならとったことがある相手であったが、それはそれ。こちらの都合に付き合ってもらうのだから、とシノンは改めて丁寧に挨拶しておくことにした。

 それと同時、シノンは相手の体格と手持ちの武器からその戦闘スタイルをざっと確認する。全身鎧越しで些か分かり辛いが、体格はいい。けれど関節部から見え隠れする筋肉の付き方。そして盾と片手剣という組み合わせから受けて流し、そこからカウンターを叩き込むタイプだろう、と当たりを付ける。

 そもそも、SAOが現実準拠になった段階で基本的に受けて耐える、という戦闘スタイルは成立しなくなっている。人間同士ならともかく、獣などの一撃を人間の肉体で鎧越しでも耐えるのは難しいからだ。

 故に、盾と片手剣の組み合わせであれば十中八九、受けて流すことを主眼においている―――というのが、この騎士団での教えだ。

 

 騎士団とは組織だ。アリスがアナンドとの模擬戦で体現してみせたように、個人での戦いではなく組織での戦いになる。故にそこには体系化された戦いのノウハウが存在している。

 そしてそれを騎士団に入団した以上、シノンたちも座学や実践を通して叩き込まれている。相手を確認した段階で、その装備や立ち振る舞いから相手の戦い方を予測するための知識もそれに該当する。だから相手もまた、シノンの姿を確認した段階で戦闘スタイルの予測をしているだろう。

 

「今回は、どちらかが降参するか、あるいは我が勝敗がついたと判断するまで戦ってもらう。異論はないな?」

 

「大丈夫です」

 

「構わないわ」

 

 互いに距離をとって構える。相手は右手に剣、左手に盾。左半身を前とした、予想通りの防御の構え。ただしその重心は深く落とされていないために、シノンが弓を主武装としていることから間合いを詰めようとしていると予想できる。

 対しシノンは、弓を下に向け、矢を番えるのみ。シノンにとって矢は射れば当たるもの。ならばわざわざ構えて射線が読めるような状態にしておく必要はない。開始と同時に弦を引き矢を放つ、速射の構え。

 心に乱れはない。所詮模擬戦、緊張する要素はない。けれどやるならば勝つ―――何故なら、その方が格好いいから。強い意志を乗せたシノンの眼光が相手を射抜く。

 

「―――始めッ!!」

 

 朗々と告げられた合図と同時、シノンは矢を放った。




各キャラ毎に日常のバリエーション用意すんの面倒だな?
とはいえ後はシノンもう一話と、アナンド書いて一層攻略本格化ですよ。

そんなわけでランキングから消えてモチベがガタ落ちしてたわ、すまんな。
我はモチベのために感想と評価と支援絵が欲しいぞ!!


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#14.騎士団での日々Ⅳ -Case of knight's youth-

 少し離れた位置に立つ少女を見つめる。気負った様子もなく、自然体で佇むその姿は青年を歯牙にもかけていないようで癪に障る。ギリ、と青年の奥歯が鳴った。

 

 ―――青年は、目の前の少女たちよりも先に騎士団に入団した人物だった。

 

 とは言っても、さほど大きな差はない。その年の入団試験を多くの受験者と争い、何とか勝ち抜き入団が決まったと思ったら、その次の月に目の前の少女や、青年と同じ部隊に所属する少年らが入団してきた形だった。

 何やら特例で試験期間外に入団することになった、とのことだったが、当時はまだ専用の試験を受けたということでさほど気にしていなかった。自分たちは多くのライバルと争い、勝たなければ入団できなかったのに、とは思ったものの、それでも納得はできた。強いて言うならあんまり気分はよくないな、程度だった。

 

 だけど今は、青年は明確に彼ら彼女らが嫌いだった。

 

 何故なら彼らは才覚に溢れていた。アナンドという青年は最初から強かったし、キリトという少年もメキメキと実力を伸ばしている。リーファという少女はやる気こそ他二人と比べて微妙であったが、逆に言えばその微妙なやる気で実力がある程度伸びる程に才能とい下地があったということだった。

 加えて、目の前のシノンという少女はその三人と同時期に入団し、またつるんでいるところも何度も見ている。だから間違いなく、才能に溢れているのだろうと、青年はシノンのことも嫌っていた。青年は、才覚のある者全てが嫌いだった。

 

 ああ、嫉妬だ。嫉妬だとも。だが嫉妬して何が悪いというのだ。

 

 青年の周りには、常に才覚に溢れた者たちがいた。幼馴染、親友、兄弟……周りの人間の多くが、何かの才能を持っている人間だった。そして誰もが青年を見下すことなく、対等に接してくれていた。

 悔しかった。惨めだった。そう思ってしまう自分がまた、嫌いだった。だからせめて何か一つだけでも、とひたすらに剣だけは腕を磨き続けて。

 そうしてようやく騎士団に入れるだけの実力を手に入れたと思えば、今度は青年よりも年下のユージオやアリスの才能に打ちのめされ。果ては自分よりも後から入団した連中が自分を追い抜いていく。

 

 それは、誰も悪くないのは分かっている。強いて言うのであれば、悪いのは自分自身だと青年は思っている。努力しても、他の人より伸びの悪い自らの才覚が悪いのだろう、とは。だがそれと自身の感情とは、また別の話だ。

 理屈ではわかっていても、抑えきれない嫉妬がある。青年は人々を守る騎士団だ。故に、その嫉妬をむやみやたらに周囲に振り撒く気は一切ない。青年は嫉妬の感情を全て、努力の原動力として糧に変えてきた。

 だから今、相対するにあたって、シノンへとぶつける嫉妬は少ない。代わりに存在するのは、負けないという強い意志。努力の結果を、無駄ではなかったのだという証明を。青年が望むのはただそれだけ。

 

「―――始めッ!!」

 

 デュソルバートより放たれる、鋭い開始の一声。同時、青年は全力で前へと駆け出す。相手の得物は弓。青年の片手剣よりも圧倒的に間合いは広い。必然、青年は間合いを縮めようとし、シノンは距離を取ろうとする。

 走り寄る青年から逃れるように、シノンがバックステップ。それと同時、軽く宙に浮いた状態という不安定な姿勢から。先ほどまでろくに構えていなかったはずの弓を上げ、狙いを定める素振りもなく―――シノンから、青年へと矢が放たれる。

 青年自身、迎撃のために矢が飛んでくるとは思っていたが、ここまでの速射であったことは予想外。けれど青年は()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 青年の周りには、常に何らかの分野においての天才が存在していた。それは弓の扱いにおける天才もであり、その分野における天才はシノンが初めてではない。

 青年にとって天才とは常に傍らに存在していた者であり、既知の者である。故に。その経験から青年には天才であれば()()()()()()()()()()()()()()という理解があった。

 青年はシノンに対し、本当にそこまでできる天才であるのかという驚きと、天才であればその程度はやるだろうという既視感を同時に抱いていた。

 

 そのため、頭で驚きを抱きながらも、その身体は冷静に対応する。手首のスナップで、最低限の動きを以って矢を打ち払う。それに使うのは左の盾ではなく、右の剣。

 確実に防ぐなら無論、盾の方がいい。しかし、片手用の盾と言えど盾は盾。それ相応の大きさであり、青年の頭程度なら簡単に隠せる。

 つまり。下手に盾で防御すれば青年の視界からシノンが消える。今の距離で見失えば、気配のみの察知では致命的に後手になるという判断だった。

 だから飛んでくる矢を斬って、払って、打ち落として。間合いにシノンを捉えた段階で、青年は矢を盾で打ち払う。ただしこの時の間合いとは剣のリーチそのままのことではなく。青年の技量で瞬間的に間合いを詰めて斬れる範囲である。

 

 故に攻守は逆転する。

 

 弓は射撃武器である。当然、近接戦に用いるものではない。引いて放つというツーアクションの間に、剣は振るう、あるいは突くというワンアクションで攻撃できる。これは両者に余程の技量差がなければ覆しようのないものになる。

 それは弓の使い手であるシノンも当然、把握していることである。基本的には如何に懐へ入られないかを考え、入られたら入られたでその対応も当然用意しているだろう、という青年の予想に間違いはなかった。片手で弓を腰へ仕舞いつつ、もう片手はナイフを抜き放つ。

 青年が剣を叩き付けるように振るう。シノンがそれに対応するようにナイフを合わせてくる。当然、筋力的にも、武器の重量的にもシノンが押し負けるのは自明の理。そのためシノンは真正面から剣を受けずに、青年の剣を受け流す。

 そう来るだろう、と青年は理解していた。ここまでは騎士団所属であればできて当然の、示し合わせたかのような流れ。そしてここからが互いの発想、技量の見せどころ。

 

 青年は流された勢いを殺すことなく、そのまま片手剣を地面へと突き刺す。そしてその片手剣を軸に、それまでの移動の勢いを利用して円を描くように回る。更にそこから盾を鈍器として、勢いを乗せてシノンに向けて先端を突き込む。

 盾を武器とするのは奇抜―――というわけでもない。騎士団であれば当然の技能として叩き込まれる技術だ。だから奇抜さはモーションに多少しかなく。シノンの対応も澱みはない。

 先ほどまで弓を持っていた手でもう一つのナイフを抜き放つ。そのナイフで青年の盾を受け流し、盾の上を転がるようにして回避する。ナイフの二刀流。手数と早さで隙を狙う戦闘スタイル。

 ならば回避された段階で、素早い反撃が来るだろうと青年は警戒、武器としてしまった盾では防御に戻るのに時間がかかるため、片手剣を一時的に防御に利用しようとする。

 しかしそんな予想に反し、シノンからの反撃は来ない。明らかな好機、何故攻撃が来ないのか―――それは、視界の内で小さくなっていくシノンを見て理解した。

 

 走って距離をとっていくシノン。その両手には既に、ナイフではなく弓と矢が握られている。つまりあくまで攻撃にはナイフではなく、弓を使うというのがシノンなのだろう、と青年は判断する。

 確かに、一度打ち合った感覚からシノンの近接戦の腕はさほどではないように感じた。あのまま戦い続けていれば間違いなく青年が押し切れる程度には、近接における実力には差があった。だから勝ち目がある弓での戦いに移るのは青年にもわからなくはない。

 けれど下策だ、と青年はシノンの判断にそう評価を下す。先ほどの隙は戦いの中においては大きな隙となり得るものであったが、距離をとれるほど大きな時間が稼げるかというと、そこまでではない。

 シノンが稼げた距離は、青年の技量であれば数秒で追いつける程度の距離。その間に飛ばせる矢など精々一本か二本であり、それを掻い潜って近づくのは容易なことになる。

 最初の攻防の結果、青年がシノンとの間合いを詰めることに成功している以上、逃げ切れないということはシノンも把握しているだろう。故に、間違いなく何らかの策はある。そう警戒し、青年は僅かな挙動も見逃さないようシノンを注視し。

 

 パァン、と突如足元で発生した炸裂音に、意識がそちらへと逸れた。

 

 何が起きた―――原因を特定しようと一瞬視線と意識が音源である足元へ行き、それ以上にそれを仕込んだであろうシノンから視線を外すのはマズいと慌てて視線を戻せば。

 

 今度はその視界に、球体が映る。そして閃光。

 

「ぐぁッ―――」

 

 青年がしまった、と思った頃には既に遅い。視界が潰れる中、風切り音が高らかに響いたと同時に身体に連続で衝撃が走る。脳天、心臓、首。いずれも青年を殺すのに充分な箇所に当たっていた。

 模擬戦、ということで鏃は潰され、殺傷力はなくされているが、それでも矢には速度がある。速度がある、ということはそれ相応に威力があるものだ。覚悟していたこととはいえ、数瞬呼吸もままならなくなってしまう。

 

「……勝負あり、だな」

 

 デュソルバートから、模擬戦の終わりが告げられる。誰からも見ても、青年の敗北であることは明らかで、青年自身、悔しさはあっても結果に異を唱える気はなかった。敗北にどれだけの辛さがあっても、そこまですればもはや無様であることを青年は正しく理解していた。

 

「……まぁこの程度か。一度は懐に入られてしまうなんて、私もまだまだね」

 

「……自らの実力を正しく把握してもらうのが目的だったのだが。ここまであっさりと勝利しておいて、まだ納得せんか……」

 

 シノンと、デュソルバートの会話が青年に聞こえてくる。どうやらつまり、青年は体のいい当て馬であった、ということらしい。

 なんだそれは、ふざけるなよ―――と、口まで出かかった言葉を青年は飲み込む。ふざけている……ふざけている、が、それでも戦いにおいて、負けは死を意味する。文句を言うことなどできはしない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この騎士団では基本的には弱いこと自体を咎めはしないが、戦場においてのみは弱い方が悪いと断言していた。そしてそれは青年自身も納得していた。

 ザリ、と音をならして足の下を見る。そこには小さな球体―――炸裂後の癇癪玉が転がっている。近接戦中のどこかのタイミングで仕込まれたこれに意識を誘導され、青年は無防備に閃光弾をくらってしまったのだ。

 閃光弾は街の外の魔物たちに対応できるよう、街の人々の護身用として市販されているレベルで一般的なものだ。当然青年もその存在についての理解はあり、だから普通に投げられていたのであれば盾を壁として利用したり対応のしようがあった。

 けれど癇癪玉による意識の誘導があったせいで、青年はもろに閃光弾の光を見てしまった。それは一見何のこともない小細工。けれど、重要なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 青年は凡人である自らの方がより使いこなせればならない、小細工という武器を。本来格下が格上に打ち勝つための武器である小細工を使われて負けたのだ。

 

 負けて、悔しかった。歯牙にもかけられなくて、苛立った。自らが弱いという事実が、苦しかった。

 けれど青年は悔しさも、苛立ちも、苦しさも、全てを飲み込む。青年は知っていたからだ、今感じているもの全てが自身を更なる高みへと導くエネルギーとなることを。

 他者にぶつけたりなどしない。忘れるつもりもない。敗北を無駄になどしない。大丈夫、負けることには慣れている。いつだって凡人である青年は、天才たちに負け続けてきたのだから。

 だから全てを燃料にして―――いつか必ず天才どもを超えてやる。青年は、静かにそう闘志を燃やす。




スタングレネードはあれ、適当に調べた感じ1960年代だかなんだかに出たんだか普及したらしいんですよね。だからまぁ、中世ヨーロッパがベースって描写した一層には時代が合わないんだけども。
魔物とかいるんだから、需要あるしあってもおかしくないじゃろってぶち込んだ。流石に音無しで光発するだけにしたけども。まぁ完全にリアル準拠にするとあれだし、多少はね?ということで。

つーわけで我GE3やってくるね。


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#15.騎士団での日々Ⅴ -Case of Bercouli-

 突く。薙ぐ。手元で槍を一回し、柄で目の前の空間を叩く。

 槍における基本的な動作を幾度となく繰り返す。仮想の敵と打ち合うのでもなく、ただ淡々と動きを肉体に刷り込ませていくように。

 

 SAO内に囚われたことで、アナンドだけに限らず、全てのプレイヤー達の身体能力は一定値に統一された。アバターのデザインによって多少の差はあるようだが、それも些細なものだ。

 日頃から軽い運動しかしていない人間であれば強化、ある程度鍛えている人間からすれば弱体と言える身体能力の変化。それは茅場晶彦による、スタートラインの統一の一環であった。

 

 その結果としてアナンドは肉体の弱体化を受けている。本来であればあり得ない程の瞬間的、かつ大幅な肉体の弱体化。

 必然として、それに技術が追い付いていない。技術とは肉体の成長と共に磨いていくものだ。技術を磨こうとすれば、必然その技術に必要な肉体の部位は酷使され鍛えられていく。

 そのため妙な鍛え方をしない限り、技術は常に肉体に合わせたものになっているのが基本だ。そしてそこから更に己の肉体へ技術を最適化させていくのが修行というものである。

 

 だが今はその基本が成り立たない状態となっている。肉体が一気に弱体化したことで、鍛えられた肉体で振るうことが想定された技術では今のアナンドの弱体化した肉体に対応できないのだ。

 故に幾度となく基礎を繰り返し、技術の再調整を行う。過去の肉体に調整された技術を、今の肉体へと適応させる。

 

 頭の頂点から足の指先に至るまで、あらゆる箇所を意識的に動かし一撃一撃を放っていく。その一撃は遅く、傍から見るとただ手抜きの訓練をしてるように見えるかもしれない。

 しかしアナンドの身体には大量の汗が流れ、肉体にはかなりの疲労が溜まってきている。それも当然のこと、武器というものは威力を出すためにそれ相応の重さがある。そんなものをゆっくりと振るえば、それを支える肉体には負荷がかかる。水が大量に入ったバケツを持って、胸元から正面へと地面と平行にゆっくり動かすのは誰だって辛い。それと同じことだ。

 加えて、ただ動かすだけでなくそこに細かい肉体の制御があるのだ。普段生活するだけでは使わないような筋肉まで利用することもあり、その負荷はただ遠目から見るだけでは理解できないものがあった。

 

「……ふむ」

 

 とはいえ、この騎士団という場所にそれが理解できないものは少ない。強いて言うなら、入団直後の新人くらいのものだろうか。

 入団試験の時期は既に過ぎた後であるし、アナンドたち以降、特殊な事情で妙な時期に入団したものもいない。故に、座学や日々の訓練からアナンドの鍛錬の意味を理解できないものはいなかった。

 

 それ故、アナンドを見つめるベルクーリには、他の騎士団メンバーとの軋轢という心配はない。そもそも、騎士団ともあろうものが、私情で連携を乱すことに繋がるようなことをするなどないと、直接指導してきたベルクーリには確信があった。

 けれどベルクーリは思案する。見つめる先では、アナンドが一通り動きを確認し終えたのか、武器を下ろし一息ついている。

 そしてそこに駆け寄ってタオルを渡したり、意見を交換し始める他の騎士団メンバーを見て、ベルクーリはよし、と納得の声を漏らした。

 

「アナンド!」

 

 ベルクーリが声を張ってそう呼びかければ、アナンドが周囲の人間に申し訳なさそうに断ってからベルクーリの方へと歩いてくる。

 アナンドは基本的に礼儀正しく、鍛錬に真摯に取り組む。しかし遊ぶ時には全力でバカになることもできる人間で、関わっていて楽しく信頼できるタイプでもある。

 理想的過ぎて、逆に苦手とする者もいるだろうが、その数は少ない。それを理解しているからこそ、アナンドは立ち回りやすいように日頃からそういった振る舞いを心掛けているようだった。

 

「随分うちに馴染んだみたいだな?」

 

「ま、そういう風にやってますしね。……それを見抜いた上で乗っかってきてるやつもいるから、若干怖いんだが」

 

 顔を背けながら冷や汗を流すアナンドに、ベルクーリは思わずくつくつと笑う。そこには上司であるベルクーリに対して敬語を使いつつも、どこか素が出てきていることに対する若干の可笑しさもあった。

 

 騎士団の仕事は大雑把にまとめるのであれば治安維持になる。それは街に寄ってくる魔物を討伐するだけではなく、街中にいる犯罪者の取り締まりも含んでいた。

 そのため人の本性や嘘を見抜く技術、というのは必須となる。座学から実践まで、その訓練にもしっかりと時間が割り当てられている。騎士団でも上位の人間であれば、どこかある程度平和なところで育ったであろうアナンドの仮面を見抜ける人間は少なくなかった。

 

「そんな深く考えんなよ。そうやってお前の仮面を見抜ける人間なら間違いなく、お前の奥に悪意がないことは見抜いてるからよ」

 

「そこまで見抜かれてるってのが、どうにも居心地悪いんですがねぇ……」

 

 アナンドの物言いに、ベルクーリは肩を竦めることで応じる。誰だって心の奥を見抜かれているような気分は嫌だろう、という理解はあったが、同時に職業病のようなもの故に諦めてくれという意思による受け答えだった。

 どんな相手だろうと、治安維持のためになら疑ってかかる。その癖が騎士団の上位の人間であればあるほど染み込んでいた。

 

「さて、ちょいと提案なんだがな」

 

「何ですかね」

 

 ベルクーリの言葉に、アナンドが小首をかしげて応じる。なんとも気の抜けた対応だが、元々騎士団自体がそこまで常日頃からきっちりとした組織ではない。無論、有事にはしっかりと統制されている組織だが、平時であればそれなりに気の抜けた、オンオフがはっきりしているのがこの騎士団だった。

 

 とりあえず、ということでベルクーリはアナンドを連れて訓練場を出る。それはこれから指示するのは頼みではなく騎士団の仕事としての命令であり、決定事項なのだから移動しながら話した方が早い、という判断だった。

 

 騎士団の訓練場は、金属の打ち合う音や団員の掛け声などが周囲に響く、ということもあって周囲に住宅は少ない。緊急時、街のどこにでも行けるようにと中心部にこそあれど、人気という観点で言えば閑散としている方だった。それでも、中心部ということで知覚には主要な施設も多く、少し歩くだけで商店街へと辿り着くのだが。

 

「それで?商店街に連れてきたのはどんな意図があるんスかね」

 

「何、お前に関しちゃ実力も十分だしな。座学も最低ラインは超えて、それなりの量を叩き込めた。いい加減、仕事をさせるべきだと思ってな」

 

 軽く笑みを浮かべながらアナンドの肩を叩いたベルクーリは、そのまま商店街の人混みの中へと紛れていく。歩法、人々の視線、体の揺らぎ――多くのものを利用して、ベルクーリは気配を人混みにへと溶かし込んでいく。

 ベルクーリはそれなりに目立つ見た目をしている。鍛え込んだ肉体に、精悍な顔立ち。人々に覚えられるのには十分な見た目であり、事実ベルクーリは騎士団の主要人物として街の人々にその姿を覚えられていた。

 そんなベルクーリが、誰にも認識されず商店街を闊歩する。異常な光景であるはずのそれが、気配が薄れたためにアナンドには当然の光景であるように見えていた。

 

「……っと、こいつだな」

 

 アナンドにすら若干認識が曖昧になってきた頃。ベルクーリが一人の男の手を捻り上げたことで、周囲の人々が驚きと共にベルクーリの存在を知覚する。

 そうして何事か、と一瞬慌てたような仕草を見せた後、誰もがなんだ騎士団か、と口々に呟いて日常へと戻っていく。それにこれが騎士団の存在するこの街では当然の光景なのか、とアナンドは驚きつつベルクーリへと駆け寄る。

 

「いいか、俺たちの治安維持にはパトロールの仕事もある。そしてそのパトロールには二種類あるんだわ」

 

 はぁ、という気の抜けたアナンドの返事を確認したベルクーリは、手を捻り上げていた男の腕に木製の手錠をかける。男は特に抵抗する様子もなく、ばつの悪そうな顔をしているだけであり、拘束するのはそう難しいことではなかった。

 しっかりと暴れないように手錠がかけられていることを確認しつつ、ベルクーリは一つは、とアナンドに自分たちの仕事を解説していく。

 

「一般的にパトロールって思われているもの。分かりやすく騎士団の人間がうろつき、犯罪者たちに存在を知らしめることでそもそも犯罪を抑制するパトロール」

 

 おもむろにベルクーリは男のポケットへと手を突っ込む。そしてそこから取り出された手には、この世界の通貨であるコルが握られていた。

 ベルクーリが一番近くの果物屋に売り上げを数えさせれば、果物屋が計算が合わないと首を傾げ始める。そしてそれは、ベルクーリが握っていたコルと合わせるとちょうど帳尻が合う額だった。

 

「んで、もう一つが今回のような犯罪者を捕まえるためのパトロール」

 

 コルを果物屋へと渡し、お礼としてリンゴ二つをベルクーリは受け取る。そのうち片方をアナンドへ投げ渡しつつ、ベルクーリは自分の手元に残った方のリンゴへと齧りついた。

 美味いな、と呟いたベルクーリはコルを盗み出したらしい男を連れて騎士団本拠地、そこにある留置場に向かって歩き出す。今回ベルクーリの仕事は犯罪者を捕まえることであり、事情聴取などは担当ではない。故に、その部署へと引き渡すために移動していく。

 

「気配を消して、人々に混じって。バレないように犯罪者を現行犯で捕まえる。そういうパトロールが、今日お前にやってもらうもんだ」

 

 留置場に着いたら、手続きを済ませて事情聴取担当へと引き継ぐ。リンゴを齧りつつアナンドへ説明しながらというベルクーリの態度に、事情聴取担当は呆れつつもいつものことだからと大きなため息を吐いただけで手早く作業を終わらせてくれる。

 

「基本は座学で叩き込んだ通りだ。できるな?」

 

「ま、やってみますよ」

 

 ベルクーリの問いに肯定で返したアナンドを連れて、再びベルクーリは商店街へと訪れる。そして先ほどのベルクーリのように、人混みへと紛れていくアナンドを見送る。

 

「悪くはない。ない、が……」

 

 落第だな、とベルクーリは自らの気配も周囲へと溶かしながら心の中で評価を下す。

 アナンドのそれは、確かに周囲に紛れることはできていた。事実周囲の人間はアナンドを特に気にした様子はない。長身でそれなりに筋肉質、そして整った顔立ちと周囲の目を引くのに十分な要素が揃いながらも誰も目を向けないその光景は、ベルクーリにも異様に見えた。

 それでもベルクーリは落第点をアナンドに与えていた。確かに、一般の人間の目は誤魔化せているかもしれない。しかし、犯罪者相手となれば別だ。

 

「そら、逃げたぞ」

 

 一人、アナンドに若干の違和感を覚えたのか、そそくさと目立たない程度の速さでその場を離れていく。その男の姿を記憶したベルクーリは、別口で男を捕まえる算段を立てつつ、アナンドの様子を分析する。

 

 ――まだまだ、溶かし方が甘い。

 

 紛れ込み切れてないのだ、とベルクーリは溜息を吐く。一般の人間相手であれば十分なレベルで気配を周囲に溶け込ますことができている。しかし犯罪者は警戒心から、周囲をよく観察している。そのため、一般人よりも違和感に敏感なのだ。

 中途半端に民衆に紛れれば、犯罪者たちはどこか違和感を感じとる。そしてその違和感を感じ取れるような犯罪者たちは、少しでも違和感を感じてしまえばその警戒心から即座に撤退の判断を下す。

 その判断は実に早く、今回のようにアナンドが気づかないうちに離脱してしまうのだった。故に落第点。こりゃ一緒に行動することもできないな、とベルクーリは呆れる。

 

 この技術の厄介なところはこうして実地で試さなければ、どこまでの精度かわからないことだ。騎士団内では、団員の元々の気配が強すぎるために、最初から紛れる必要が存在しない。故に溶かし込む、というのが微妙に練習しづらいのだ。

 戦闘力も大事だが、騎士団に所属する以上はこういったパトロールなどのための技量も必要になる。これは一旦アナンドを連れて帰り、みっちり扱いてやらなければならないな、とベルクーリは頭を掻いた。




アナンドくんは高スぺ描写多かったけど、何でも完璧にこなせるわけじゃないやで、という趣旨のお話。
予定ではもう一話挟んで、一層攻略本格スタートかなぁという感じ。


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