脱いでよ銀騎士さん! (ななせせせ)
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銀騎士団長、ソーヤ
今は反省しようとしている。
――銀騎士。
それは国王陛下をお守りする最強の盾である。
十二人から成る彼らは肉体も精神も極限まで追い込まれ、死んだ方がましとすら称される過酷な訓練を潜り抜けた屈強なる騎士たちである。
その身に纏う『銀』は魔を寄せ付けぬ純銀。
ゆえに、至近距離で大砲の一撃を受けても傷一つ付かない設計をされたフルプレートのそれの重量は一般の騎士団員では持ち上がらぬほどになっている。
大抵の銀騎士はそれを嫌ってか大体が軽装だ。
一番多いのは胴のみに薄手のプレートメイルを着けるスタイルだが、その僅かな『銀』でも十分すぎるほどの存在感がある。
だが、それは大抵の銀騎士であればの話だ。
一癖も二癖もある彼らすらも凌駕し、拳一つで束ねあげる最強の存在――すなわち、銀騎士団長は驚くことにその全身を『銀』で覆っている。
ゴテゴテと分厚い装甲で覆われたその下は僅かたりとも見えることは無く、唯一見えるのはヘルムのスリットから覗く赤い瞳だけ。
同じ銀騎士たちでさえその素顔を見た者はいないという噂のため、その中身については様々な憶測が飛び交っている。
全身を筋肉の鎧に包まれた大男であるとか、戦地で死んだと言われていた英雄だとか、今も各地を飛び回る勇者その人であるとか……
常に王の傍らで一言も発することなく控えるその姿が憶測に憶測を呼び、今では中身は無く、実は魔法によって作られた新型の兵器だとか散々な言われようである。
周囲でひそひそとそんな会話が交わされていても微動だにせず、沈黙と不動を貫くその人は何を思うのか。
きっとそれはこの国の行く末であったり、一般人には想像もつかないような深遠で壮大なこと――
(鍛錬したい。というか剣振りたい。“最強”っていうから何かと思ってたけどこんな突っ立ってるだけの仕事をしてる奴らが“最強”なわけないし、あの糞親父仕事辞めて帰ったらぶん殴ってやる)
なわけがなかった。
王国最強の銀騎士団長の中身は至って普通の……むしろ阿呆とすら言えるほどの精神を宿していた。
憐れ他の銀騎士。君らのトップは阿呆だ。
一応彼らの名誉のために言っておくと、別に彼らが弱いとかそういったわけではなく、この阿呆が強すぎるだけである。
愚直に、偏執的に、狂気すら感じるほどの執念で最強を目指すこの
その拳は山を消し飛ばす。比喩抜きで。
その蹴りは木々を薙ぎ倒す。比喩抜きで。
その剣は要塞を真っ二つにする。(略)
彼女、いや彼が剣を握ったのは五歳の時である。
その頃はまだお転婆な娘だと笑っていられた両親も何年かするとそろそろ女の子らしいことさせたほうがいいんじゃない、と思い至ったが一向に鍛錬を辞めようとしない阿呆の心を折るため、人外魔境たる王国騎士団へと放り込んだ。
男所帯の騎士団に女子一人放り込む危険性は理解していたが、その頃の彼女はまだつるぺたの美少年フェイスだったので何とかなるだろうと楽観視したのだ。
そして気付いた時には並みいる猛者を薙ぎ倒し――挙句、銀騎士団長という名実ともに最強の存在へとなり果てていた。
この地では災厄の象徴とされるドラゴンすら単身で巣を壊滅させたという報に白目を剥いたそうな。
では、何故この阿呆はそれほどに最強に固執するのだろうか。
そこにはきっと何か特別な訳が――
(やっぱり
あるわけが無かった。
清々しいほどの阿呆である。
一回死ねば治るのだろうか。無理だろう。
無駄に最強の二文字を追い求めるこの男――体は女だが――長谷見宗也改め、ソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァは転生者である。
なんかよく分からないうちにトラックに轢かれて、よく分からないまま適当に神の言うことに頷いていたらいつの間にかこうなっていたという筋金入りの阿呆だ。
一回死んでも治らなかったのだからもう一回死んでもどうにもならないだろう。
ソーヤは端的に言って筋肉馬鹿だ。
五歳の誕生日に受ける一斉検査で魔力なし――魔法を使うことが出来ないと判定されて以降、時間が許す限り剣を振り、走り込み、全身の筋肉という筋肉を苛めあげた。
それは当然血反吐と吐しゃ物を撒き散らすような訓練の毎日が続く騎士団に入ってからも続けられ、当時の教官をして「こいつやべえ」と思わせた。
その狂人染みた鍛え方に見込みを感じた教官の手によって肉体を壊したり精神を病んだ者たちが次々とリタイヤしていく銀騎士選抜試験に参加させられ――そして見事、最後まで辿り着いた。着いてしまった。
そしてなんか鍛えるのにちょうど良さそうだったから、という理由でフルプレートアーマーなんぞに手を出し、おまけに剣というにはあまりに重く、太く、雑に過ぎる身の丈ほどもある鉄塊をこれまた鍛えるのにちょうど良さそうという理由で選び――周りがドン引きしていることに気付かぬまま今の地位へと昇りつめたのである。
鍛錬のために一日の大半をアーマーに包まれて過ごし、僅かな――トイレの時とか風呂の時くらいしか脱がずにいたため、今日に至るまでその性別は愚か顔すら割れていない。騎士団に在籍していた頃の同級生であればあるいは覚えているかもしれないが、今や別人レベルに成長を遂げているので例え町中で出会ったとて気付きはしないだろう。
故に他の団員はこの寡黙(鎧にこもって声が聞こえないだけである)でストイック(鍛錬馬鹿なだけである)な団長を完全に男だろう、と想像していたのだ。
「団長、交代の時間です」
王の左右に控えていた銀騎士。
右側に立っているのは麗しの阿呆ソーヤ嬢である。
反対に左。そこに立っているのは限界まで鎧を削ぎ落した細身の青年だ。
その胴にはシャンデリアの光を反射する「銀」がある。
クリス・マーキス。
180cm近い長身と引き締まった身体、そして世の令嬢やご婦人方から熱っぽい視線を向けられる甘いマスクの銀騎士副団長である。
……そして、銀騎士の中で唯一ソーヤの素顔を知る男でもある。
騎士でなければその顔で社交界を大いに騒がせていたであろう彼が耳打ちしてきても、何の反応も返さず謁見の間を退出する団長の姿に「……相変わらずですね」なんて小さく笑みを零しつつ、後ろをついていく。
超重量の鎧を身に着けていながら全くブレない重心と隙のない歩き方に内心で舌を巻きつつ、その鎧の中身について思いをはせる。
この静かな武人とは、実のところ同期である。
そこそこ力を持った伯爵家の次男として生を受け、大抵の貴族子弟がそうするように騎士団へと入った彼はそこで選択を迫られる。三年の訓練期間が終了すると同時に実家へと戻り、兄の補佐としての人生を歩むか、それともこのまま騎士団で訓練に耐え続けるか。
彼は後者を選んだ。
そこには兄の補佐として、代替品として生きることへの嫌悪感や屈辱が多分に含まれてはいたが、それでも国への忠誠心からである。
それから貴族としての未来を完全に捨て去った彼は訓練に打ち込み、その優秀さを遺憾なく発揮した。それから数年。十六歳という若さで選抜試験に参加することになった(ちなみにとある
息も絶え絶えにあの試験(正直思い出すだけでも泣きそうになる)を終えた自分の隣で背をしかと伸ばし、汗で張り付く金髪をうっとおしそうに払いのけた美しい横顔を、今も覚えている。
それからすぐに国庫から装備が貸与されて今の姿になってしまったため、その時のことしか覚えていないが……
(君はあの時から変わらないな。常に前だけを見て、自分に満足しない。ストイック過ぎて色々と周りに勘違いされてしまうのはちょっと問題だが……いつかそのヘルムを脱いだ君と飲みかわしたいものだ)
そんなことを考えていると、不意に銀塊の動きが止まる。
不思議に思った彼が何か言葉を発するより早く、眼前に一枚の紙が突きつけられた。
あまりに早すぎる動きを視認すら出来なかったクリスの前髪がぱらぱらと散る。
「……ええと、これは休暇申請? 珍しいですね、団長が休暇なんて」
返事こそないが、ヘルムが僅かに前後したため、頷いたのだろう。
「来週ですか……そういえばちょうど、ウチの実家でダンスパーティをやるんですけど、もしよければ――」
ゾワリ、と。
クリスの背筋を走ったそれを何と呼ぶのか。
彼の脳裏には自らの十通りの死に様が再生されていた。
「……っ、はぁ! この話題はやめときます」
またも、ヘルムが僅かに揺れる。
それからすぐに振り返って先へと進んでいく。
ドラゴンに睨まれたかのようなプレッシャーから解放され、大きく息を吐いたクリスは今更思い出したように滲みだしてきた額の汗を拭うと、ぽつりとつぶやいた。
「どんだけダンス嫌なんだよ……」
付き合いが長いからこそ分かるサイン。
全く言葉を発しないあの団長があれほどのプレッシャーをかけるときは決まってやりたくないことや嫌いなことがある時なのである。
今回の場合、十中八九ダンスだろう。
「あわよくば脱いでくれないかと思ったけど、そう簡単には行かないか……」
クリス・マーキスは単純に
この時は、まだ。
ファンタジー世界のお約束ビキニアーマーは否定派です。
むしろ美少女にごりごりの全身金属鎧とか着けてほしい。そしてベッドの上でだけ脱いでほしい。
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貴族令嬢、ソーヤ
銀騎士団長が休暇申請をした。
その報は瞬く間に城中を駆け巡り、城内を騒然とさせた。
有給というシステムもある中何故彼女の休暇程度で? と思われるかもしれないが、これには訳がある。
ソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァは休暇を取ったことがないのである。
24時間365日。
いや、流石に交代で勤務しているので24時間仕事しているわけではないが、空いた時間は全て鍛錬に費やす阿呆であるからして、一般的な人間からする休み、というものがない。
クリスは珍しいと称したが、珍しいどころの騒ぎではない。銀騎士団長初の休暇である。
もう一度言おう。
ソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァは休暇を取ったことがないのである。
その衝撃たるや、100年前にあったという新たなダンジョンの発見のそれに匹敵するだろう。
宮中女官を始め、普段はチェスで遊んでいるだけの各大臣すら真面目な顔で何か大変な事態が起こっているのでは? と会議を開き、王国が誇る騎士団は訓練量を普段の二割増しで行った。
残念ながら、かの阿呆がそんな深いことを考えていたわけではない。
一月に一度ほどのペースで送られてくる実家からのいい加減帰って来いという手紙を普段なら知ったこっちゃねえとばかりに無視するのだが、ちょうど父親に言いたいことがあったから帰るかー、と気まぐれに応じたというだけの話である。
振り回される周りとしてはいい迷惑だが、まあ普段仕事していないので同情するべくもないだろう。
では、件の阿呆は何をしているのか。
「……ごめんなさいおかあさまもうしませんゆるして」
真っ赤なカーペットの引かれたエントランスホールで正座させられていた。その脇に積まれたフルプレートアーマーが崩れてがしゃりと音を立てる。
数えるくらいしか全部脱いだことのない鎧を剥がされた後のぴっちりとしたスーツ姿で使用人達の目の前に晒されながら、落ち着かない様子で身をよじる。
……ちょっとカニの殻を彷彿とさせる鎧に、夕食はカニがいいなぁなんて考える。いや、この世界にカニはいるのだろうか?
暢気なことを考えていたソーヤに対し、母親――ナターリヤが冷たい目を向ける。
「いいえ許しません。今日という今日は貴女を立派な淑女へと矯正してあげますから覚悟なさい!」
「もうやだー帰るー!」
「ここが貴女の帰る家です! ほら、しゃんとしなさい! 大体なんですかその髪は! ちゃんと手入れしなさいと言っていたでしょう! それから肌! 何故か保湿だけはしっかりしているのが気になりますがお風呂上りに化粧水を塗るくらいはしているのでしょうね?」
「……してます」
その目はあらぬ方向へと向けられている。
顔をちらりと見たナターリヤが鼻で笑う。
「嘘ですね」
「ナゼェ!?」
「あなたがそんなことをするわけないでしょう。大体こんなものをつけて家まで帰ってくるくらいですから、どうせほとんど外していないのでしょう?」
「うっ……」
しゅん、と小さくなるソーヤ。
如何に最強の阿呆とて母には敵わない。
「あなたは素材自体はかなり良いのですから、もっとちゃんと気を遣いなさい。それこそ今頃は良い人を見つけて結婚していてもおかしくないというのに……」
分厚い金属板を外した後のソーヤ・イリイーニシュナ・パブロヴァはまるで物語の中から出てきたかのような美しい女性だった。
豊かに金の輝きを放つ巻き髪と燃えるような意志を感じさせる紅い瞳。汗でしっとりとした絹のような白い肌から漂う甘い香り――香水ではない、不思議なその匂いはフェロモン的なあれかもしれない。
ドン、と強烈な主張をする胸が身じろぎの度にふるりと震え、見ていた人たちが男女問わずごくりと生唾を飲み込む。
だが――だが、残念なことにその豪奢な金髪は長らくまともに手入れされていないことでぼさぼさになっているし、艶も失われている。白い肌も所々に擦れたような傷痕や痣が出来ているせいで
身体は成熟しきった女性のそれであるのに、中身が最強にしか興味のない阿呆であるからか。そこはかとない残念感の漂うその姿は周りの人たちの予想通りナターリヤの逆鱗に触れていた。
ちなみに彼女の信条は宝石は磨かなければ光らない、である。
「ソーヤ。明日の予定は空いていますね?」
「え、あっ、はい……」
「よろしい。では今日一日で出来るだけのことをしてみましょう」
何やら不穏な空気を醸し出した母に、ソーヤのゴーストが「やべぇよやべぇよ……」と囁く。このままいつもみたいに聞き流して頷いているだけでいたら、何か良くないことに巻き込まれる気がする。
「あの、明日は一体何があるのでしょうか……?」
「あら、決まっているじゃない」
その瞬間、ソーヤは母の後ろに鬼を見た。
「伯爵家主催の
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダンスパーティ。
それはつまり、未婚の若い男女たちがお互いの家のプライドと利益とをかけて挑む愛憎渦巻く戦争の場である。
と、まあ多少大袈裟に言ったが基本的には未婚の男女が恋人を探すための催し物だ。当然、身分が高かったり、顔のいい男なんぞはご令嬢方からの人気も高く、そういった男に集まることが多いのだが、中には話しているうちに恋に落ち、そのまま……といった具合で結婚するパターンもある。
未婚の男女、という関係上大体そこで見る顔というのは決まっている。
決まっているのだが……今回は違った。
青いドレスに身を包んだソーヤが姿を現した瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
ぼさぼさだった金髪はたっぷりと香油を塗り込まれ、黄金の如き光を放っている。それが結い上げられ、丸見えとなった背中は真珠のように白く、鍛えられ引き締まった筋肉の美しさを見せつけている。
それでいて胸元は大きく開いてこれでもかというほどに女性らしさを主張する。
見たことのない顔であるということ、それからあまりの美しさと色気に会場中の視線が集まっていた。
「あのご令嬢は一体……?」
「なんと、あのワトソン子爵でもご存知でないとは……」
「それにしても美しい……見ろ、あの黄金のような髪を」
「いや、それよりもあの身体つきだ。あの肉感的な身体はそういないぞ」
「ああ……確かに……」
「見事だ……」
男たちの下卑た視線を一心に集めながらも凛と前を見据えて歩く姿に見惚れるのは男ばかりでなく。むしろ、女性の方が注目していた。
「なんてお美しいのかしら……」
「凛々しくもお美しい……何故でしょうか、私息苦しく……」
「まあ、貴女もですの? 実はわたくしも先ほどから……」
残念ながら恋の予感などではなくソーヤが発する威圧感による不整脈である。
一晩中椅子に縛り付けられ、淑女とは何たるかをみっちりと叩きこまれ、使用人たちの手によって香油だの化粧水だのを塗り込まれ、挙句にコルセットでみしみしと音を立てるほどに絞られたのだ。
その間鍛錬することが出来なかったストレスと鎧を着けているのが常であったために軽装になると感じるストレスが周囲への威圧へと繋がり、誰もが興味を持っているのに何故か近付けない――そんな奇妙な状況を作り上げていた。
かといってそんな状況を作り上げながらそれを理解していないような阿呆たるソーヤは何かを見つけるとぱっと表情を華やかなものに変え、ぱたぱたと駆け寄った。
その先には――クリス・マーキスの姿がある。
まあ、察しのいい方はお気づきだろうがこの阿呆はただ単に誰も知り合いがいないなぁなんて考えていたところで職場の同僚に会えたので駄犬よろしく駆け寄っていったというわけである。
だが、その姿が周りにどう見えるのか。
突然現れた物凄い美人が仏頂面から笑顔に変わったかと思うと、一人の男のもとに向かっていったのだ。
これで何か邪推をするなという方がおかしい。
「全く知り合いがいない中で少し緊張していたんだが、副団長がいてくれて助かった」
「ええと……あの……?」
「いや、分かっている。みなまで言わないでくれ。確かにこんなのが似合わないのは自覚しているんだが、お母様に無理矢理着せられてしまってな」
「あの、人違いでは……?」
「そんなわけないだろう。この前だってずっと一緒にいたというのに」
「はい!?」
ずっと一緒にいただと!? と、さらなる混乱状態に陥るクリスを横目に、ソーヤは暢気にシャンパンを傾ける。
一瞬で顔が真っ赤に染まった。
「ぅあ……? なんか、ぐわんぐわんすりゅ……」
「ちょっ、ああもう!」
ぐらりと傾いた身体を支えようと伸ばした手に感じるのは、女性らしい柔らかさとそれでいて鍛えられた筋肉のしなやかさと強靭さだ。
すぐに戦うものの身体だ、と理解するが、そのことについて深く考える前に全体重を掛けられ、意識が飛びかける。
180近いクリスをして見上げなければいけないソーヤの長身。そして全身に纏った筋肉という重りがあるためそれなりに鍛えているクリスでなければ潰されていただろうという重量がのしかかる。
端的に言って重い。非常に重い。
が、女性をそのまま床に放り出すわけにもいかず、周囲に一言断りを入れてから奥の休憩室へと連れていく。
人一人が横になれる大きさのソファに何とか転がすと、クリスは大きく息をついた。
このまま回復するまで休ませていてもいいのだが、様子を鑑みるに寝てしまいそうだ。家のものを呼んだ方がいいだろう、と判断し、声を掛ける。
「すまないが、レディをもてなす部屋の用意が出来ていなくてね。迎えを寄こしてもらうから、家名を教えて貰ってもいいかな?」
この時。
家名ではなく、ちゃんとした名前を聞いていればこの先のややこしい話もコンパクトに纏まったのだろうが、クリスはあくまでも紳士であろうとして、他意はないということを示すために家名だけを聞いた。
「パブロヴァ……」
「パブロヴァ、というと……君はもしかして、
「んー」
どうやら身体が弱いせいで社交界に出ることが出来ない深窓の令嬢はこの女性らしい、と悟る。
パブロヴァ家といえば社交界でも目立っている存在である。その両親が大恋愛の果てに両家の反対を押し切り、結婚まで漕ぎつけたとかそういうこともあるのだが。
パブロヴァ家というのは代々変人が多いのだ。
そんなパブロヴァ家の娘は身体が弱いことを理由に一度も社交界に出たことが無かったのだが、恐らくは先代までの例に漏れず彼女もまた何かあるのだろう。
「クリス……水ぅ……」
「一体どこで出会ったのかさっぱりなところがまた……」
言いつつ律義に水を持って行ってあげる。
ぐにゃんぐにゃんのふにゃふにゃになったソーヤでは水を飲めそうにないため、背中を支えながら水を飲ませてやる。
白い首筋が二、三度と上下するのを見て取り、グラスを離す。
「もう大丈夫かな?」
「んー、まだぐらぐらするけど、へいき。くりす、ありがとう」
酔いの抜けない舌足らずな口調で言われたお礼と、まるで幼女のようなあどけない笑顔に、内心でどきりとしながらも、クリスはパブロヴァ家へと使いを送る。
カップラーメンが出来るよりも短い時間だったはずだが、部屋へと戻ってきたクリスが見たのは深い眠りに落ちる阿呆の姿。
色気とかよりも先に心配になってくる。
「そういえば団長も酒弱かったなぁ……」
思い出すのは一度だけ銀騎士の面子で飲みに行った時のこと。
グラス一つを一気飲みしたかと思うとそのまま沈黙した姿。あまりにも重いため、移動させるのを諦めたことを思い出して忍び笑いを漏らす。
「いや待てよ……あれだけ酒に弱い人物が他にいるか……?」
瞬間、クリスの脳裏に衝撃が走る。
まさか、まさかだが……
「団長の妹さん、か……?」
ありえる。
これだけの長身はそういないが、血を分けた兄妹なら、まあ。
そして自分のことを知っていたのも兄――団長から話を聞いていたとすれば頷ける。
「なるほど、そういうことか。全くあの人もそれなら言ってくれればいいのに」
クリス・マーキス。
優秀で有能な男ではあるが……まさか目の前の女性が銀騎士団長その人であるとは夢にも思わなかったのである。
分かる人には分かると思うけどどこぞの神造メイド長も酒呑んだらこんな感じです
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苦労人、クリス
私はおちょくって遊んでました。
「はぁ……」
銀騎士副団長、クリス・マーキスは悩んでいた。
というのもあのダンスパーティーから一週間ほどが経過してなお、あの青いドレスの少女の姿が頭から離れないのだ。
僅かな間触れただけの、肌の吸いつくような滑らかさと抱きかかえた時に感じられた女性らしい柔らかさ。特に胸元に押し付けられていたあの大質量の――
「って、いかんいかん。何を考えているんだ僕は」
これでは銀騎士副団長として失格もいいところだ、と自戒して(団長に押し付けられた)書類仕事に専念しようとするも、すぐに少女が思考の大半を奪い去っていくのだ。
しまいには夢にまで彼女が現れる始末である。
それも、決まってあの蕩けたような笑みを浮かべた状態で。
何故それまで少女のことが頭から離れないのかクリス自身分かっていない。
初めは団長の妹というもの珍しさからだと思っていたが、それもどうやら違うらしいと気付き、ではこの胸に渦巻く感情は何なのだろうと自問すれど答えは出ない。
「……はぁ。一度、頭を冷やしてくるか」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
クリスが向かった先――訓練場には数多くの騎士たちがひしめいていた。
刃先を潰した剣を使っての模擬戦形式での訓練のようである。
怒号と金属音が木霊する汗くさい部屋の中を進んでいくと、見慣れた銀のフルプレートアーマーが立っている。
三人を相手にして一歩も引かず……どころか逆に相手方を片手で跳ね飛ばしている。
騎士たちが動かなくなるのを見て取り、その背に声を掛ける。
「団長。自分ともお手合わせ願えますか」
「……」
ゆっくりと振り返った後、僅かにヘルムが前後する。
が、模造刀すら持たないままでいるのは変わりない。
ただ泰然自若と立つその姿はまるで、武器すら必要ないと言われているようであり、これには流石のクリスも腹が立った。
傍に落ちていた模造刀を拾い上げると調子を確かめ、
「その余裕、いつまで持ちますかねっ!」
一瞬の迷いもなく、その首元に長剣の突きを放つ。
周りで遠巻きに眺める騎士たちにはクリスの姿が白い閃光のように見えたであろう速度。間違いなく只人最高峰のそれは、半身になることであっさりと躱される。
元々入るとは思っていなかった一撃である。
特に驚くこともなくその速度を維持したまま剣を横なぎに振るう。
今度は僅かなバックステップであっさりと躱されるが、クリスは止まらない。
二、三、四、と筋力に物を言わせて強引に引き戻しては斬撃を放っていく。
「なっ、」
ただ、その高速の剣捌きは全て見切られ、四度目のそれに至っては剣をたった二本の指で止められてしまう。
引き抜こうとしてもまるで岩か何かに突き刺さったようにびくりともせず、次第に罅が入っていき……そして砕け散った。
恐るべきは阿呆ことソーヤ嬢の筋力である。
もはや人を辞めているとしか思えないその姿に、一般の騎士たちは恐れおののき、クリスはやっぱりまだまだ敵いそうにない、と苦笑を漏らした。
周りの騎士たちが拍手を送るのを居心地悪げに見回し、銀の全身鎧が訓練場を出ていく。クリスもまたそれに続く。
自分よりも頭一つ分は高いだろう無骨な鎧の背中を眺めながら、ふと思いついたことを聞いてみる。
「団長、ちょっとお聞きしたいんですが。こう、誰かのことが頭から離れなくなったり、無性に会いたくなったり、考えるとなんというか、幸せな気分になったりしたことはありますか?」
「……」
無言で首を横に振る。
半分以上期待していなかったとはいえ、これではまた原因不明の現象に悩まされることになる。
「そうですか……何なんでしょうかね、これ」
後半は自分に向けた問いであったが、前方からくぐもった声が返ってくる。
「……恋…………」
「え?」
しばしの間。
そしてようやく、すとんと自分の中で納得がいく。
クリス・マーキス20歳。人生で初めての恋である。
その甘いマスクや華々しい経歴から女性陣に大変な人気を誇る彼だが、これまで心の底から惚れた女性というのはいなかったのである。
仕事の忙しさなんかも理由の一つではあるが、一番は人を愛するということを理解できていなかったということに尽きる。
今までの彼にとって愛とは擦り寄ってきた女たちからただ一方的に押し付けられるだけのものであり、つまり欲に目が眩んだ下世話なものばかりだったのである。
だが、あの日。彼の前に現れた少女の純真無垢な笑みはそんなクリスの感情を動かすほどに柔らかで暖かなものだったのだ。
……最も、少女――つまりは麗しのソーヤ嬢が純真無垢などというには些か語弊が生じる。欲望が最強という二文字を追う事のみに振り切れているためにそう見えただけであって。
だがまあ、あの時のクリスには分からない話である。
「恋。そうか、これが恋か……」
なるほど、と。
天啓を得た気分である。
「とすれば、うん。まずは僕の気持ちを伝える所から始めないといけないだろう。早速団長に言って
……ここから事態は何やら深刻な勘違いをしたまま進行していき、多くの者が振り回されることとなる。
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箱入り娘、ソーヤ
悪趣味なピンク色のベッド。
ムーディーな色合いのランプに照らし出された広い室内はこれでもかという程に
当然年頃の娘であるところのソーヤ嬢がその存在――ラァヴホテェェェェ……ル、連れ込み宿、ご休憩するところ、色々呼び名があるその場所まで来て無警戒など――
(わー! ベッドめっちゃふかふかだー!)
麗しの阿呆であるところの彼女であればありうるのである。
……と、いうか。
彼女はほぼ毎日を剣と共に過ごしてきた生粋の狂人なのだ。当然同年代の女子と話すということもなく、騎士団に入ってからはそのあまりにもな訓練の様子から、友人と呼べる友人は一人もいない。
そんな環境で過ごしてきた彼女に未だ自分が女性だという自覚は無い。
結果としてどうなるかというと。
(……いや待て? そもそもクリスは何故ここに
御覧の通りの超・アホの娘が出来上がる。
無論、自身が女性であることは理解している。しているのだが――いややっぱりこいつ理解していないのでは? そう思わせるほどに無警戒だった。もしかしたら自分が女性であるということを意識しないことによって自己同一性を保っているという可能性もあるが……真相は神のみぞ知るというやつである。この阿呆がそんなことを考えて生きているはずもない。
こうしてあれよあれよという間に月日は流れ、色事の駆け引きとかそういったもの全てが遠い世界の話となってしまった。両親としては頭の痛い話である。
そんな親の頭痛と胃痛など知らない阿呆はどこか呆けたような表情のまま、隣に座る男へと視線を向けた。
「あの、クリス……?」
「平常心平常心平常心へいじょうしん……銀騎士団員たるもの常に紳士で優雅たれ……!」
「おーい?」
高速でスクワットを繰り返しながらぶつぶつと呟き、目を瞑っている。
むき出しの上半身には滝のような汗が流れている。更に発する熱でそれが蒸発し、彼の周囲は歪んで見えた。
異様な姿である。普通の婦女子であれば引くだろう。
だが幸運なことにここにいるのは普通とは口が裂けても言えないソーヤ嬢である。
その様子を見ても、無駄に力が入りすぎてるなぁとしか考えていない。
そして。おもむろに近寄ると背後から抱きしめるような体勢で密着する。
「なっ、あっ、うえあああ!?」
「ここ、力が入りすぎてる。もっと楽にしないと変に痛めるぞ」
「ふーっ、ふーっ、コレハチガウ、コレハチガウ……」
「おーいクリスー? だから力入れ過ぎだって」
この阿呆、一度でも自分のことを鏡で見たことがあるのだろうかといいたくなるほどにまるで警戒心というものが無い。
こんな場所でこんなことをされれば誰だって勘違いしてしまうだろう。恐るべきはクリスの善人性と忍耐力か。
いや。ならなんでこんな場所に連れ込んだんだという話になるのだが、それにはまず前日の様子まで遡る必要がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
クリス・マーキスは悩んでいた。
というのもあのパーティーでの出会いから以降、クリスの心を掴んで離さない女性との出会いが無いのである。
恐らく自分の上司であるところの銀騎士団長の妹なのではないかと思うのだが、兄に向って「貴方の妹さんとデートに行きたいから誘わせていただいても?」なんていうのはあまりにもだろう。
妹と部下が付き合う――というのはちょっと気分的に微妙だろう。
いや、家柄だけでいうならクリスの方が上なので喜ばれるかもしれないが、あまり家のことを鼻にかけたような動きはしたくない。
と、まあしなくてもいい心配やらなんやらで動けなくなっていたのである。
そのせいで最近仕事も手に……ついてはいるのだが、どうにももやもやとした感情が溜まっていた。
「いい加減、聞きださないとな……あんなに美人なんだ。相手が
ぐしぐしと頭を掻き交ぜながら考える。
病弱という噂だったが、多分それは嘘だろう。
あれだけの美貌だ。恐らくは当主が変な虫がつくことを恐れて隠していた……と考えるのがいいか。
「ああもう、どうすればいいんだよぉ……」
と、そこに件の銀騎士団長――その中身こそがクリスの想い人なのだが――が現れる。
「だ、団長!? どうしてここに!?」
無言で紙切れを差し出す。
そこには大きく休暇届と書かれており、珍しいなと感じつつも受け取る。
ちなみに本当はソーヤも喋ってはいたのだが、悲しいかな分厚いヘルムの壁に阻まれて聞こえていなかった。
渡すだけ渡して戻ろうとするフルプレートアーマー姿に、クリスは意を決して声を掛けた。
「――だ、団長。実はお願いが一つあるんです」
「……?」
「じ、実は……ですね。団長の妹さんとこの前お会いしたんですが……その、明日! 明日僕と……で、でっでで、デートさせてはもらえないでしょうか!?」
団長、無言。
しばらく考えるように立ち尽くすと、やがて小さく頷いた。
「ほっ、本当ですか!?」
まさかそんな簡単に許可が出るとは思っていなかったので思わず立ち上がりながら、喜色満面の笑みを浮かべる。
先程までのアンニュイな気分はどこへやら。一気に幸福感で一杯の笑顔である。彼のそんな顔を見ればどんなご令嬢でもイチコロだったのだろう。
……本来なら。
(――まさか、クリスがロリコンだったとは)
なお、ソーヤの妹であるリーナは10歳である。
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