境界線上のホライゾン〜不可能草子〜 (くるりくる)
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授業開始

 彼女が死んでしまった日から俺の中の時間の流れは停まっていた。

 

 現実の時間は何事もなく過ぎ去って行った。俺の感じた悲しみ、怒りなど世界からすればちっぽけなものでしか無いと言われているようで、なんの価値も無いものだと言われているようで。

 

 彼女が生きていた時間はもはや取り戻せないと、知らしめてくるようで。

 

 それでも俺は認めたくなかった。

 彼女が死んでしまった事は最早どうしようもなく覆せないものだったとしても、いずれ消えゆく記録であったとしても、彼女が生きてきて俺や皆の中に産まれた思い出は決して嘘では無いのだから。

 

 

 彼女を殺したのは俺だ。

 

 

 だから、俺は絶対に彼女を忘れる事なんて許されない。

 彼女を殺してしまった俺だからこそ、この胸に産まれた後悔や悲嘆、憎悪や憤怒に呑まれようとも俺は彼女を忘れる事だけは許されない。彼女が生きてきた思い出だけは決して汚してはならない。それが、それだけが死んでしまった彼女に出来る俺の贖罪だからだと信じているから。

 

 彼女が守りたかったモノを、景色を、人々を、俺は守らなければならない。その為だったら俺は俺自身を捨てる事に躊躇いなんか覚えなかった。

 

 そう決心したその日から、再び俺の中の時間は動き出した。

 

 どうしようもなく無価値な不可能の力を手に取って、俺は彼女に祈る。

 

 どうか、俺が君の守りたかった全てを守れるように力を貸してください。

 その代わりに、ちっぽけな俺の全てを捧げます。

 

 だから、皆を守ってください。

 大好きなホライゾン――。

 

 

 

 

 

 

 世界という大海を泳ぐ巨大な竜。

 空を泳ぐ艦船の側面を大量の水飛沫を打ち上げ、そして水泡が消え去っていく。その巨大な体躯は地上から天を衝く山々を優に超える高さを行き、大地に影を残していく。

 

 空を行く竜の名は準バハムート級航空都市艦・武蔵

 

 八つの航空艦がバイタルケーブルによって連結されており、巨大な姿となって空を泳いでいるのだ。たかが艦を繋いでいると侮る事なかれ。武蔵という巨大な竜の中には約10万人という住人を収納している。食料や物資を輸入に大きく頼っているが其処に住まう人々の働きによって循環し、そして空を行く姿は圧巻の一言に尽きる。

 

 中央二艦、右舷三艦、左舷三艦の武蔵に一片のズレはなく。

 その中央後艦”奥多摩”表層部の木々に覆われた自然公園にある霊園の一角から、歌が、響いた。

 

 通りませ――、通りませ――。

 

 その歌声は朝の空に、武蔵の艦船全てに響き渡る。道行く人、仕事の用意をする人、すでに機関部で仕事をしている人。皆一様に歌声に惹かれ空を見上げ、耳を澄ました。

 

 通し道歌と呼ばれる歌だ。

 それは各地に散らばり、押し込められた極東に住まう人々の心を繋げる歌。その歌声は空に響き、空に溶け、人々の心に染み渡る。

 

 歌い手は白髪の自動人形。

 

 今日も今日とて彼女の歌声は朗々と変わりない。

 

 歌が終わる。すると今の今まで彼女の歌声が止むのを待っていたかのように甲高い鐘の音が武蔵に響いた。連続する鐘の音が武蔵住人に朝の8時半を告げる。朝の8時の鐘の音によって今の今まで寝ていた寝坊助も慌てて飛び起き準備をする中、武蔵アリアダスト教導院と書かれた木の表札が掛けられた木造の建築物の二階へと繋がる橋の上に誰かがいる。

 

 

『市民の皆様、準バハムート級航空都市艦・武蔵が武蔵アリアダスト教導院の鐘で朝8時半をお伝え致します。本艦は現在サガルマータ回廊を抜けて南西へ航行し、午後に主港である極東代表国三河へと入港致します。地上の生活地域上空では情報遮断ステルス航行に入りますので、ご協力お願い致します。――以上』

 

 

 時報が終わり、朝の活動が本格的に始まった武蔵の上。そして待ってましたとばかりにニヤッと口角を上げて笑みを浮かべた軽装甲のジャージ姿の女が一人。肩紐によって肩に担いだ長剣の柄に手を添えた女は整列した多種多様な者達をぐるっと見渡し声を張り上げる。

 

 

「よぉーし、三年梅組集合! いい?」

 

 

 黒を基調とした制服を着込む学生達。人であったり、人でないもの達がいる中でも女の態度に変化はない。何故なら彼・彼女ら生徒で、女は教師であるからだ。

 

 

「それでは体育の授業を始めまーす!」

 

 

 女、オリオトライ・真喜子は顎をしゃくって右舷前方艦を指し示す。

 

 

「いい? ルールは簡単よ。先生これから右舷前方艦の品川にあるヤクザの事務所まで全力で突っ走るからみんなも死んだ気でついて来るようにね。jud.?」

 

「jud.!」

 

 

 生徒達から上げられた声にオリオトライは満足げに頷いた。そして小脇に抱えていた出席簿を広げ筆型ペンで出席している生徒の出欠を取ろうとした時、生徒の中から一人手をあげる長身の男子がおり、皆の視線が彼に集まった。

 

 

「何、シロジロ?」

 

 

 緑の腕章に”会計 シロジロ・ベルトーニ”と書かれている。その腕章をつけている男子は思考の読み取れない無表情のまま口を開きオリオトライに質問を投げかけた。

 

 

「何故、体育の授業とヤクザに関係が何の関係があるのですか? 詰まる所、金ですか?」

 

「ちょっとシロジロ、いきなり何言ってるのよ。これ授業よ? 授業とお金が関係してるのは先生だけだから! 殴る事は運動する事で、それってつまり体育なのよ。分かる? 分からなかったら――問題だわ」

 

『アンタの方が問題だよ!』

 

「ハイみんな! 授業はもう始まってるのよ? 私語禁止!」

 

 

 パンパンと手を叩いて乾いた音を出すオリオトライであったが対して生徒たちはいつも通りの無茶難題と支離滅裂さにため息を吐いた。

 

 そして腕章を付けた髪の長い少女がシロジロの袖を引き、耳元に手を添えてこっそりと耳打ちをした。

 

 

「シロくん、シロくん。先生最近表層部の一軒家割り当てられてお酒煽って肉と肉と後肉食べてはしゃいでたんだけど割り当てら得た場所がヤクザの地上げにあって話がお釈迦にあったの。そんで不貞腐れてまたお酒煽って肉肉肉のオンパレードだったんだけど、酔ってお店の壁ぶち破って教員科にまじ叱られして最下層に見事に転落って寸法なの。それにその店がホリーさんが経営してる『庭園』だったから……ね?」

 

「あぁ成る程……中盤以降は自爆のようですが、結局の所報復ですか?」

 

 

 耳打ちと言いながらも周囲に聞こえるように言葉を口にするのはハイディ・オーゲザヴァラーという名前の女生徒である。いつもニコニコ無料スマイルを浮かべているがその笑顔はシロジロに関わることに関してはさらに輝いていた。

 

 呆れ気味のシロジロはフラットな表情をオリオトライに向けるも彼女の態度に変わりなし。

 

 

「報復じゃないわよ。腹立つからぶっ飛ばすだけよ!」

 

『だからおんなじだよっ!』

 

「はいはいみんな仲がよろしくて先生ケッコーよ。それで? 今日の欠席者はっと……分かる奴、いる?」

 

 

 仲が良い、その言葉に周りから距離を取り出す三年梅組の外道ども。オリオトライは出席簿を片手に苦笑い。

 

 オリオトライの問いかけに解答者はいないように見えたが、二人の少女が答案する。

 

 一人は金髪の少女で三対六枚の金翼を背中に生やし満面の笑みで、もう一人は黒髪で三対六枚の黒翼を背中に生やし無表情で手を取り合って前に出た。笑顔のマルゴット・ナイトに対のマルガ・ナルゼ。

 

 

「ナイちゃんが見るに、セージュンにアズマ、後——ソーチョーとタチやん居ないよねー」

 

「東は午後に戻ってくるみたいよマルゴット。正純は今日、自由登校でソーチョー——トーリは知らないわ。タチの奴も酒井学長の付き添いで自由登校だけど……いつも通りでしょ」

 

「そっか。ならトーリとタチの奴は欠席っと。総長兼生徒会長とその双子の兄がこの体たらくとはいかんねー……まっ、ここ武蔵じゃ仕方ない事だけど君ら分かってる? 君らは今年で3年生で卒業するって事——その意味とこれから何をしたいか、そして何をするのか頭に入れときなさい」

 

 

 そう言って出席簿に記入したオリオトライは顔をあげて集団の中から目的の人物を見つけると、その人物に話しかけた。

 

 

「喜美、貴女トーリとタチが何処にいるのか知らない?」

 

 

 その問いかけに女は笑う。余裕そうに、事実余裕で女は笑う。

 腕を組み、見せつけるように胸を持ち上げゆったりとした動きで前に出た。

 

 

「ふふ。先生は知りたがり屋さんね。どうやら愚衆どもも愚弟たちの行き先が何処か聞きたいみたい。ねぇ? 知りたい? あんのお馬鹿たちが何処にいるのか、知りたい?」

 

 

 女の独特の雰囲気に当てられた梅組の生徒たちは指示される事なく、道を開けた。女も当然のように前に出て自信を持って解答する。その堂々たる様は見事としか言いようがなかった。

 

 

「知らないわ! あの愚弟ども、このベルフローレ・葵を起こさないどころか朝食も用意しないで朝っぱらからどっかほっつき歩いてるのよ!? ねぇ、分かる浅間!? アンタのその自慢のオパーイに答えは詰まってる!? ミトツダイラはどうか——あ察し」

 

「喜美! なんで私に矛先向けるんですかっ!? あと体ネタはアデーレとミトが傷ついちゃうんでやめなさいっ!」

 

「浅間さん!? そうやって振ってる時点で自分傷つきまくりですからっ!?」

 

「智っ! それフォローになってませんのよ! 後喜美! 自分が知らないからって私や智に当たりませんのっ!」

 

「じゃミトツダイラアンタは知ってる訳!? この賢姉でさえ知らないのにアンタは知ってる訳ねっ!? さすが狼! その鼻で愚弟たちの匂いを嗅ぎ分けてクンカクンカしてるのね!? あー、いやらしい狼ね! どうせその後あ〜んな事やこ〜んな事してるのね!? くくく、さすがミトツダイラ!」

 

「偏見!? 偏見ですのよ!? 私は王の護衛であってそのような事は——って皆もそんな風に距離を取らない! これは喜美の戯言ですのー!!」

 

 

 朝っぱらから元気な事で、三人寄れば姦しいとは言ったもの。巨乳と巨乳と貧乳が騒ぐ中、オリオトライは自然な動きでわずかに腰を落とし重心を落とした。

 

 

「ッ!」

 

「おっ、良いわねみんな及第点! 戦闘系でもそうでなくても今ので来ないとね。じゃないと……乗り遅れるわよ色々と」

 

 

 婚期? 婚期? などとほざく狂人の戯言を皆は無視してオリオトライは授業の説明に入った。

 

 

「ここから品川にあるヤクザの事務所まで先生に一撃でも攻撃を当てることができたら出席点を5点加点。分かるかしら? 要するに朝の授業5回サボれるのよ」

 

 

 その言葉で、皆のやる気は急上昇。すでに皮算用を始めるものがいる中で一人の人間の男子が手をあげる。帽子を目深にかぶり顔の半分を赤いマフラーで隠した胡散臭そうな忍者スタイルの彼の名前は点蔵・クロスユナイト。腕についた青い腕章には総長連合第一特務と書かれていた。

 

 

「先生! 攻撃を”通す”ではなく”当てる”で良いのでござるな!?」

 

「ん? 戦闘系は細かいわねー、その辺りは適当でいいわよ。とりあえず先生に当てたらオッケーね」

 

 

 手をヒラヒラと振って応えるオリオトライ。そして点蔵はその言葉を待っていたかのように隣にいた大柄の異形の生徒に語り出した。

 

 

「聞いたで御座るかウッキー殿! あの女教師、とりあえず当てたらオッケーと言ったで御座る。先生! 触ったらぁ減点されるような所とかあるで御座るか!?」

 

「またはボーナスで加点されるとことかあるか?」

 

「ははは! 授業前に死にたい馬鹿どもはお前ら二人か……」

 

 

 オリオトライの物騒な言葉と笑っていない瞳を見て点蔵と異形の男子生徒、キヨナリ・ウルキアガが身をすくめ防御体勢をとり、皆の呆れた視線が向けられたほんの一瞬が隙となる。

 

 

「じゃ、授業開始ね」

 

 

 そう言ったオリオトライは橋から橋下に続く階段へと背後を向けて身を投げ出した。投身自殺のようなその様は何とも自然であったため、梅組生徒一同皆一様に唖然として彼女を逃してしまった。

 

 

「ほら! 早く早く!」

 

 

 オリオトライは空中で身を翻し、一切の怪我することなく自由落下によって舗装された道の石畳に着地した。橋下から橋の上にいる生徒たちを見上げてオリオトライはニヤッと笑みを浮かべ、反転目的地である右舷前方艦品川へと逃走を開始した。

 

 

 追えとか、クソっと悔しげな声が爽やかな朝の空に響き渡る。遅れながら駆け出す梅組一同の姿を視界の隅で捉えながらオリオトライは駆け出して、手入れが行き届いた木々に囲まれた通りを走り抜ける。

 

 

 通りの端、ひっそりとある石碑。そのすぐ側には亜麻色の髪を後頭部で結い上げた長身の男子生徒がいた。彼は何をするわけでもなくただ、じっと石碑を見つめていた。

 

 

 その側をオリオトライは通り抜ける。笑みを浮かべ、期待を込めて、見守るように視線を向けて通り抜けた。

 

 

 ”さぁ、みんなは前を向いて走り出してる。アンタたちはどうする? 後悔だらけのお二人さん”

 

 

 

 絶望しても

 穿たれても

 それでも立ち上がったのは何故か

 

 配点(世界の敵)

 



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日常風景

「オリオトライ……あぁもう始まってたか」

 

 

 亜麻色の髪を結い上げた極東男子制服を着た男子、葵・タチは自身の後ろを過ぎ去っていった担任の女教師の姿を視界に映す。俯き加減で石碑を見下ろしていたタチだが気怠げに顔を起こしアリアダスト教導院から艦首側に走り去っていくオリオトライを見てボソッと呟いた。

 

 

 遅刻確定、タチは内心でそう思うもあまり気にしていなかった。

 

 

 外道の巣窟と名高い三年梅組において身内に容赦というものは存在しない。そんな組において付け入る隙を与えることは社会的にも物理的にも重傷を追ってしまうというのにこの男、あまり応えている様子は無い。

 

 

「タチーッ! アンタも授業に参加しなさい!」

 

 

 すでに小さな姿となったオリオトライを視界に収めながらもタチは面倒臭そうに眉根をしかめたが、手に持つ一輪のスイートピーの花を丁寧に石碑の前に置いた。その所作は色々と面倒臭そうにしていた人物とはかけ離れているもので表情も先ほどの渋面とは違う。

 

 アリアダスト教導院から駆けてくる三年梅組の生徒達。オリオトライから遅れて彼女を追いかけ始めた彼らだが幾人かが先行し、その距離を詰めてオリオトライにプレッシャーをかけようと猛然と走り出している。

 

 点蔵・クロスユナイト。

 

 

「おはように御座るタチ殿!」

 

 

 キヨナリ・ウルキアガ。

 

 

「タチッ! 貴様もあの女教師を追え!」

 

 

 アデーレ・バルフェット。

 

 

「おはようございますタチさん! それじゃ自分は先急ぎますから!」

 

 

 マルゴット・ナイト。

 

 

「おはよ〜んタチやん! 早くしないと教室掃除確定だよん!」

 

 

 マルガ・ナルゼ。

 

 

「早くしなさいタチっ。あんたが前に出たら出席点もらえる可能性あがるんだから!」

 

 

 先行しタチに手をあげたり声を掛けて去っていく彼・彼女達。

 しかしタチは声を返したりも手をあげたりもしない。ただ視線だけを向けるだけだった。

 

 続々と後続が駆けている。それを見てタチは今更授業に参加することに面倒臭さを感じつつも、オリオトライを追いかけることに決めた。

 

 だがその前に石碑に視線を落とし、逡巡。そしてたたと足を早めていき石碑から離れたところで地を蹴りつけ急激な加速を持って先頭集団に追い付いていく。だが、先頭を突っ切るオリオトライには今だに遠い。それが彼と彼女の彼我の戦力差を表しているようだった。

 

 スイートピーの花言葉は門出、別離、ほのかな喜びと優しい思い出。

 

 

 

 後悔通りから奥多摩の艦首を抜けて右舷二番艦の多摩表層部に向かうオリオトライ率いる三年梅組の生徒達。どんぱち繰り広げる彼らは周囲を機にする余裕は無いが、周囲には被害が出る為防御術式を張ってシャッターを閉める店が出てくる中『青雷亭』と書かれた木の看板を掛けた軽食屋は一時閉店することなく朝食を買いに来る客を待っていた。

 

 次第に振動が伝わり揺れる店々。それは青雷亭も例外では無い。微かな埃が天井から落ちてくるもすでに準備万端なのかガラスのショーカウンターに並べられた商品である焼きたてパン達には清潔な布がかけられていた。

 

 カウンターの奥に鎮座するのは白髪の自動人形。彼女はじっと入口を見つめ客を待っていた。

 

 

「P-01s。大事は無いかい?」

 

「jud.店が揺れているようですがこのP-01s、既に対応策は万全です」

 

「あっはっは。そうかい、なら良かったよ。じゃあ店番頼むよ?」

 

「分かりました」

 

 

 慌ただしく、何気ない日々。

 それが武蔵の日常だった。

 

 

 

 

「カレー! どうですッ——おうフッ!?」

 

「アイターッッ!?」

 

 

 先行していたアデーレがオリオトライの持つ鞘に収められた長剣によってケツバット。悲鳴をあげた打球ことアデーレは空中から強襲をかけた印度人、ハッサン・フルブシとぶつかってリタイアである。

 

 第一陣は失敗。だがオリオトライの足の歩みをわずかに遅める事が出来た。だがままだまオリオトライとの距離は遠く、また機を狙う者達はここで仕掛けるべきではないと互い動きでオリオトライに牽制を掛けていた。

 

 

「あ〜れ〜——っと!?」

 

「オゥ……ドーモですネー、タチサン」

 

「あっそ」

 

 

 きりもみしながら落下していたアデーレとハッサンの二人。吹き飛ばされ空中故に体勢を立て直せず屋根と抱擁を交わし掛けたが二人を掴んで救助したタチによって二人は屋根に直撃せずに済んだのだった。アデーレはずれた眼鏡をかけ直し申し訳なさそうに謝罪を口にしようとしたが、タチは二人を不安定な屋根の上から安定した足場のある場所に下ろすと、言葉少なく背中を向けて駆け出した。

 

 

「バルフェットくん、ハッサンくん無事かい!?」

 

「あっ、書記。大丈夫です。タチさんが落下を防いでくれたので……はい」

 

「そーですネー。後でカレーをご馳走しないとですネー」

 

 

 後続組、眼鏡をかけた少年が表層部の通路から二人の安否を確認し、二人は無事と少し離れた家屋の上から手を振り声を出して自身の安全を伝えた。

 

 

「そっか……ネンジくん、イトケンくんの二人で二人のフォローを! みんな行こう! 次はそろそろ商業区、決め所だよ!」

 

「任せよネシンバラ殿! 行くぞイトケンくんよ!」

 

「そうだねネンジくん! 数少ない僕たちの出番だよ!」

 

 

 書記 トゥーサン・ネシンバラと書かれた腕章をつけるメガネの少年。彼の指示に従って半透明の赤色のダンディーなスライムと全裸マッチョのインキュバスが屋根から屋根に飛び移って、颯爽とその身を翻す。朝日を浴びて輝くその体はまさに正義の味方のようで——そして無情にも踏み散り飛び散り飛散した。

 

 

「ネ、ネンジくん!?」

 

 

 飛び散ったのはスライムのネンジである。半透明の体を飛散させた彼だが徐々に体を集合させて戻っていく。そんな彼を踏みにじった女は振り返りながら、口を開いた。

 

 

「ごめんねネンジ! 悪いと思ってるわよ! えぇ本気よ! 私はいつだって素敵に無敵に本気なのよ!」

 

 

 そう言って学友を踏みにじったのは狂人である葵・喜美。彼女は笑みを浮かべためらう事なく走り去っていく。もう少し躊躇を見せても良いのだがと、イトケンこと伊藤健児は苦笑いを浮かべていた。

 

 

「こら喜美! 貴女謝罪すると言うのならもう少し申し訳なさそうにするとかしなさいな!」

 

「あ〜らミトツダイラ! そういうアンタは地べたをドカンドカン踏みならしてんの!? いつもの鎖でドカンと一発やればいいじゃない! そう、荒ぶるままに! ドカンと! ドカンと一発!」

 

「この辺りは私の領地なんですのよ! それなのに貴女達は堂々と遠慮も躊躇いもせずにどんぱちやって! 少しは躊躇いなさいな!」

 

「あーあー聞こえな〜い! 先生に勝てない女騎士が狼みたいにキャイ〜ンキャイ〜ン、あっあっ、って吠えてるわ! そうやって愚弟たちの同情を買おうって魂胆ねこの女騎士! 締めの台詞は——くっ、殺せっ!——て寸法ね!?」

 

「何やら分かりませんがひどい侮辱を受けているのは分かりますわよ喜美ッ! 後で覚えておきなさいな〜!」

 

 

 ドップラー効果によって響く第五特務ネイト・ミトツダイラの声。それはオリオトライを追い詰める最前線にも届く声であった。

 

 

「ひゅ〜! もう追いついてきたんだ」

 

「アンタが参加しろって言ったんだろ。だったら俺がアンタを殴ろうが蹴ろうが問題はないはずだ」

 

「まぁね! でも……アンタは遅刻。この授業でのボーナスポイントは貰えないのよ?」

 

「知るか。アンタと戦えるならどこでだっていい」

 

 

 追う者と追われる者。二人は高速処理可能な共通言語で酷く短い時間のうちに話しながら屋根の上を走り続ける。外套のように裾の長い裾の長ランタイプの制服のため裾が風にたなびき尾を引いた。

 

 タチの手に武器は無い。対するオリオトライの得物はIZUMOブランドの新型の長剣。リーチの差がある分、オリオトライに分があるはずだが彼女は己の不利を感じていた。

 

 まず、オリオトライの背後に一定の距離をとって追走するタチだが虎視眈々と機を狙っている。それに対してオリオトライは迎撃態勢が整っていない。そもそも彼女の見立てではもう少し先で追いついてくるはずで、高低の多い悪路の走破が得意な点蔵がここで仕掛けてくると踏んでいたのだ。

 

 

「それで、アンタは仕掛けてくるの! こないの! こないんなら——ちッ!?」

 

 

 邪魔だから他に譲って、そう言おうとしたオリオトライだが背後から迫る風圧を感じ、迷う事なく前進を選択した。

 

 甲高い音をたてて空を切る風圧の正体は指先までピンと揃えられた手刀である。横薙ぎに振り切られた手刀。だが手刀と侮る事なかれ。その一撃は蛮族系女教師ことオリオトライ・真喜子をしても一も二もなく逃げるべきと脅威に感じる一撃だ。

 

 数本の茶髪が空に散った。

 

 

「また速度上げたわねタチ! 師匠として、鼻がッ、高いわっ!」

 

「そういう、アンタにはっ、マトモに一撃入れた事はないがな!」

 

 

 遂にオリオトライは完全に足を止めた。追われる事をやめ、ここで完璧に迎撃すべきと判断した彼女は前進へ移動する体の慣性を殺す為に右足で踏みとどまり、背後にいるであろうタチへと長剣を振り切り体を向けて相対する。

 

 対してタチは両手を手刀の形にし、振りかぶられた長剣の腹を下から押し上げるように反らして受け流す。そして長剣を受け流した事で得た力を利用して、右半身が逸らされると共に左足を踏み込み左手の貫手を繰り出した。

 

 長剣の剣戟と手刀の剣戟の交差。捌き、受け流し、迎撃する。その動きは傍目から見れば影が動いているようにしか見えない。十数合の交差の中で梅組が接近しつつあった中、膠着を破ったのはタチであった。

 

 向こう側まで腹部を穿つような蹴り。それがオリオトライの腹部に炸裂した。派手な快音が鳴り響き武蔵住人も梅組の生徒もオォと、大きな声と共にどよめく中タチは一人舌打ちを零す。

 

 

「やったで御座るかタチ殿!?」

 

「やってねぇよ……」

 

「何だと? あの女教師派手に飛んだようだが?」

 

 

 蹴りの体勢のまま残心を解いたタチ。不機嫌そうに皺を寄せて、宙を飛ぶオリオトライを睨みつけるタチだが走り出し、その背後を点蔵とウルキアガ、そしてもう一人蓬髪の無愛想な少年が追いついた。

 

 

「……音からして衝撃が伝わってない、だろ?」

 

「あぁ。受け流して衝撃を逃しやがった。見た目は派手だが有効打になってねぇ」

 

 

 空中で体を捻り、着地したオリオトライだが肩越しに振り返り人差し指を立てて左右に振った。

 

 まだまだね、とそう伝えたいように。

 

 

「……あの女……」

 

 

 踏み込み追撃をかけようとしたタチ。だがその踏み込みを止めたのは点蔵だ。

 

 

「タチ殿、その手痛めている様子で御座るが? 今しばし休息をとってはどうでござろうか? それに、自分やウッキー殿にノリ殿も出番を奪われてこのまま引き下がるわけには行かないで御座るよ」

 

「そうだ。貴様は少し下がっていろタチよ。拙僧達にも出席点5点加点のチャンスをくれても良いだろう」

 

「分かってるなら……行くぞ!」

 

「オウで御座るよノリ殿!」

 

 

 タチの答えを待たずに駆け出し先行する三人。襲撃メンバーが点蔵、ウルキアガ、ノリキと割れている段階でオリオトライを崩せる可能性は低く、また逃げ場の限られた商業区は抜けた。仕掛けるには心許ない場所で彼らが勝ちの目を取れる可能性ゼロに近い。

 

 彼らにも分かっている。

 だが彼らの目的は明白だ。

 

 葵・タチを休ませる事。

 

 それが彼らの狙いである。

 

 

 

 

 

 巫女の射撃と魔女の射撃。その二つに晒されながら右舷前方艦品川に到達し、追いついてきた者たちの対処に長剣をぶん回し目的地であるヤクザの事務所前にたどり着きつつあるオリオトライだがじつのところそんなに余裕はなかったのである。

 

 タチが彼女の腹部に決めた蹴り。

 

 オリオトライは衝撃の大半を受け流すことには成功したがその一部を痛みとして受けていた。その痛みは時間と体を動かす毎に彼女の動きを徐々に蝕み精彩を欠いていく。それでも教師の意地で彼女は気取らせないように笑顔で逃げおおせた。

 

 二人の師の内である一人として葵・タチの成長を喜ばしいものと見ながら、正しく進んだ先に行き着く先を鑑みて眉根を顰めざるえなかった。

 

 

「また君か!」

 

「逃すわけ、ねぇだろ」

 

 

 打ち合う剣と拳。

 交差しぶつかり合う視線。

 ニヤリと笑うオリオトライに睨みつけるようなタチ。

 

 タチが振り切った一撃はオリオトライをヤクザの事務所前まで吹っ飛ばした。

 

 

「はい! 惜しかったわねみんな! ちなみにアンタは遅刻だから出席点は無しよ。jud.?」

 

「jud.元よりいらねえよ」

 



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双子の後悔

 右舷二番艦品川。船首側の甲板には暫定居住区というものが存在する。しかし管理が厳密ではないために、

 

 

「ヤクザの事務所があったりするのよねー」

 

 

 そう言ってオリオトライは背中越しに振り返って、遅れてやってきた梅組の生徒達がヤクザの事務所前の甲板に倒れ込んで寝転んだ様を見て苦笑。

 

 

「こらこら! みんな遅れてきて寝転ばない! それで……生き残ってるのは鈴とタチだけ?」

 

「え!? あの、わた……運んで、もらっただけ……です、から、はいっ」

 

「それがチームワークなの。みんなの選択なんだから鈴が気に病む必要はないわ。それに……堂々遅刻してきたお馬鹿さんもいるし、ね?」

 

 

 そうしてオリオトライは揶揄するような言葉と笑みにそっぽを向いたタチは手持ち無沙汰そうに艦首から見える景色に視線を移していたが、何かに気付いたように鋭い目つきをヤクザの事務所の入り口に向けた。

 

 そして、地響きが甲板を揺らす。その振動と音は盲目の少女、向井・鈴に恐怖を与えるものであった。体を縮こませる少女であったがその恐怖を和らげるように黒衣が翻り少女の姿を隠す。

 

 鈴の体を隠した黒衣の人物は盲目である鈴には見ることが叶わない。それでも胸から響く鼓動音によって鈴はその人物が誰か判別することが出来た。

 

 

「何だテメエらはっ!! ウチの前で遠足の真似事かアァ!?」

 

 

 ヤクザの事務所の扉を勢いよく開けて出てきたのは3メートルはあろうかという大きさで丸太のように太い四肢と分厚い筋肉に覆われた有角の異形、魔人族と呼ばれる種族であった。見せつけるように腕の筋肉を晒しながらズンズンと大股で歩く魔人族の男は厳しい顔で睨みつけ、そして笑みを浮かべたオリオトライに視線を固定する。

 

 

「怪我したくなきゃとっとと帰れこのアマぁっ! だが、その前にきっちり落とし前つけなきゃいけねぇよなぁ?」

 

「いうことが随分と三下ねー、魔人族も地に落ちたもんだわ。あっ、武蔵は飛んでるし居るのは空か」

 

「ァア!? 何言ってんだアマぁっ!」

 

 

 体を怒らせ、大声を発する魔人族だがオリオトライもタチの二人は微塵も臆して揺らいでいる様子は無く、それが魔人族の怒りと苛立ちを更に募らせた。拳と掌を打ち合わせ暴力を誇示する魔人族に対しオリオトライは肩に担いでいた長剣を下ろして身構えた。

 

 

「それじゃあ、体育の実技を始めますよっと。みんないい? よく見ておくのよ?」

 

「テメェ舐めてんのかコラ? そんな細腕で何が出来んだおらァ!!」

 

「はいはい言ってなさいって。夜警団からもシメてくれって言われてるしね……魔人族は流体路に似た機能が体内にあるの。だから内燃拝気の会得速度がハンパじゃないのよ。それに筋力も軽量級武神とサシで張り合えるくらいに強い! な訳で魔人族を倒すにはちょっとしたコツがいるのよねー」

 

 

 チャージングからのがむしゃらな腕の振り回し。子供の駄々のように技術の無い魔人族の動きだがその力強さは巻き込まれればオリオトライのような細い体はタダでは済まない。アッサリぺしゃんこと言った具合に潰れたミンチの出来上がりだが彼女はひょいひょいと華麗な身のこなしで魔人族の攻撃を避け続ける。

 

 

「このアマぁああッッ!! 大人しく、当たりやがれ!!」

 

「そんなこと言われて黙って当たる馬鹿がどこに居る? はい、みんな聞いてる!? そんなわけで弱点のなさそうな魔人族だけどっ、実はむき出しの弱点があるんだなこれが」

 

 

 振りかぶられる拳。オリオトライは踊るように体を反転、突き出された腕に手を添え倒立の体勢をとった。曲芸師のように片手で倒立したオリオトライは腕をバネのように曲げて、伸ばしきった反動によって飛び上がった。

 

 飛び上がったオリオトライが居た場所を、野太い腕を掠め通るもそこに彼女はもう居ない。

 

 

「チぃ!? あのアマどこに——」

 

「魔人族の弱点、それは頭蓋骨から伸びた角よ!」

 

 

 倒立の体勢は変わらずだが起点とする場所は先ほどよりも安定しない面積の少ない角であった。オリオトライはその手で角を掴んでおり呑気にもそこから梅組の生徒達に向かって話しかけていた。

 

 

「ゴラァ!! いい加減、大人しくしやがれってんだ!!」

 

 

 伸ばされる腕から彼女は再び逃げおおせた。逃げた場所は空中で、魔人族の魔の手はギリギリ届かない。掠める手の先でオリオトライは器用に体勢を立て直して剣を水平に構えた。

 

 

「生物には脳がある。頭蓋を揺らせば脳が揺れて脳震盪が起こる。そんな訳で、魔人族に脳震盪を起こさせるには……角を叩く!!」

 

 

 ガキンと硬質な音が響く。ぶつかり合ったのは魔人族の右角とオリオトライが振り切った長剣。

 

 

「あぁ!? こんなもんで俺がッ——!?!?」

 

 

 大した効果を生んでないようなその一撃は屈強な魔人族に膝を着かせる戦果をあげた。だがオリオトライはそれを当然のように受け止めて、呆れるような顔の梅組に体を向き直してにこやかな笑みと共に講釈を垂れる。

 

 

「はい今、この魔人族の脳みそは揺れてます。でもこう言った大型生物や魔人族には神経塊が体の各所にあって回復が早いの。だから……対角線状を素早く打つッ!」

 

 

 振り返ると共に水平に振り切られた鞘に収められた長剣の殴打が、膝を着いている魔人族の左角を捉えた。その結果は魔人族の気絶という形で現れた。おぉと感心するような声が周りで見て居た者達から上がる。それは三年梅組の生徒達も例外では無い。

 

 

「じゃあ、こっからは実技実践ね! ヤクザの事務所にカチコミかけるからみんなもさっきの山ほど実践できるわよー!」

 

 

 笑顔のままでそんなことを言い切ったオリオトライ。梅組の生徒達は嘘であってほしいとそんな願望を胸に視線を向けるも彼女の笑顔はいつも通りで、虚偽の類一切が含まれていなかった。

 

 そして彼女の言葉に恐怖したのは周りで見ていた武蔵住人や梅組の生徒達だけでは無い、ヤクザの事務所の入り口であるシャッターがものすごい勢いでピシャッと閉じられてその上から防御術式が幾重にも張り巡らされた。

 

 

「はっ。ヤクザもアンタが怖いと見える」

 

「何よー。そういう言い方は無いんじゃ無いタチ? まぁ好かれたくも無いけどさぁ——っとアンタは何する気?」

 

「実技なんだろ。俺にも参加する義務がある」

 

 

 歩き、鈴の前からオリオトライの横を通って防御術式の張り巡らされたシャッターの前に立つと、彼は脚を開き腕を引いて拳を打ち出す体勢をとる。その手に流体の光が集う。そして流体を纏う拳が打ち出される直前——底抜けに明るい声が空に響いた。

 

 

「おいおいみんな、俺抜きで何楽しそうな事やってんだよ。いっちょ俺も混ぜてくんねーかな?」

 

 

 その底抜けの明るさはこの場には分不相応だが、武蔵という場所に限ってこれ以上似合うものはないという不思議な風格があった。皆一応にそちらにつられた。タチも攻撃の体勢を取りやめて、そちらに向き直った。

 

 ちっ、と皆に聞こえるようなあからさまな舌打ち付きで。

 

 

「おいおい兄ちゃん! このプリティーでラブリーな弟兼俺様に舌打ちっておかしくね!? 俺総長兼生徒会長だってのにどうなのよその仕打ち!」

 

「うるせぇよボケ」

 

「なんだよー照れんなって! てかみんなもこんなところで何やってんだよ。あれか? やっぱみんなも待ちきれなくて並んだ口かよ。俺だけ除け者にするとかマジでみんないい空気吸ってんな!」

 

 

 金色の鎖と襟を羽根つきのファーによって装飾した長ランタイプの極東男子制服を着込んだ茶髪の男子は二ヘラと笑みを浮かべて歩いてくる。軽食屋のパンが入った袋と紙袋を片手に近づいてくるその少年の名前は葵・トーリ。

 

 パンを口に放り込んでムシャムシャと食べながら近づいてくる葵・トーリ。堂々遅れてきた彼の一斉悪びれない態度に苦笑や呆れを浮かべる梅組連中。武蔵住人もトーリの態度と行動が慣れたものなのか皆苦笑いを浮かべて仕事に戻っていく。

 

 並んだと、トーリは言った。ならば何なのか皆の興味がトーリの手に持つ紙袋に向けられる。

 

 

「それで君、授業サボって一体何に並んだ訳? 一応授業サボった弁解聞いておこうか?」

 

「何だよ先生俺の収穫物に興味あんのかよ! しょうがねぇなぁ……誰にも言うなよ?」

 

 

 そう言ったトーリが軽食屋の小さな袋をクシャクシャにして制服のポケットに突っ込んだ後、紙袋から取り出したものを衆目に晒した。

 

 誰にも言うなよと言いながら自分から衆目に晒す行為は思い切り矛盾しているようだがそれが葵・トーリである。彼を理解しようとする行為は無駄でしか無いのだと武蔵住人は知っている。

 

 

「これ見てくれよ。今日発売のR—元服えろげの『ぬるはちっ!』だぜ! これ超泣かせるらしくってさ、初回限定版手に入れるためにみんな行列作って並んでたんだよ。俺、今日帰ったら伝纂器(PC)奏填(インストール)して涙ポロポロ流しながらエロいことするんだ!」

 

 

 それを聞いた者たちは先ほど以上の呆れをトーリに抱いた。そしてタチは顔に手を添えて首を左右に振った。

 

 

「あのさぁきみ……先生がきみに何が言いたいか分かる?」

 

「あぁ!? もちろん分かるぜ先生。俺と先生の仲じゃねえか! ツーとカーで以心伝心だろ!?」

 

「はっはっは。じゃあ君今すぐ武蔵から紐なしバンジーして自殺しないといけないんだけど」

 

「はぁなんだよそれ!? この女教師、俺におっぱい揉ませるふりして殺そうとしてやがったのかよ! 大人って汚ねえ、汚ねぇよ……!」

 

 

 どう考えても戯言でしかない言葉だが葵・トーリを少しでも知る人物には彼が口にしていることが本気だと分かるため更にゲンナリとして彼に視線を向けたが、教師であるオリオトライは額に青筋を浮かべていい笑顔で拳を手のひらに打ち据えながら問いかけた。

 

 

「君、そのご立派な目ん玉には何が見えてる? 現実ちゃんと見えてる?」

 

「うん、今は”コレ”だな」

 

 

 そう言って彼が手を添えて揉みしだいたのは教師オリオトライの胸部アーマー、つまりオパーイであらせられる。そしてトーリはその慎ましやかながら確かに自己主張するオパーイを優しく揉みしだき感触を確かめながら最後に乳ビンタ一つを炸裂させて感想を告げる。

 

 

「アレおっかしいなぁ……俺の見立てだとスゲー堅い見立てだったんだけどなぁ。まあ先生のオパイ情報はどうでも良いんだよ。俺さぁ、明日コクろうと思うんだわ」

 

 

 そう言った彼に目立った変化はない。特筆すべき点は一切見られなかった。だからこそ皆は彼の真剣さが確かに分かったのである。

 

 オパイを揉まれ打ち震えているオリオトライを尻目に立ち上がって言葉を発したのは喜美である。彼女はすでに身嗜みを整え直し、いつもの余裕たっぷりにトーリを愚弟と呼びつけた。

 

 

「愚弟、いきなり出てきてコクリ予告とはエロゲの包み堂々と持ってる奴のセリフじゃ無いわね! コクる相手が画面の向こうなら全裸でチ◯コをコンセントに差し込んで痺れ死ぬといいわ素敵! で、てな訳で誰が誰にコクるの? お馬鹿な愚弟? それともいっつもしかめっ面の方の愚弟? さぁ二人ともこの賢姉にゲロしなさいハリー! ハリー! ハリィィイイイ!!」

 

「ボケたか喜美。俺を勝手に馬鹿の行動と一緒くたにするな」

 

 

 はしゃぐ喜美に対してタチは終始面倒臭そうに佇んでいた。その手には変わらず微かな流体が纏われており、いつでもヤクザの事務所にカチコミできる態勢万全であった。

 

 そして、トーリは告げる。皆に、姉に、双子の兄に。

 

 

「——ホライゾンだよ」

 

 

 その一言で空気が静まり返ったのは決して気の所為ではない。

 息を呑む梅組の面々の顔を一人一人確認しながらトーリは己の10年越しの後悔と共に決意を皆に独白する。

 

 

「みんなは覚えてねえかも知れねえけど……ホライゾンが死んでから明日でちょうど10年になるんだなこれが。だからさ——俺、明日ホライゾンにコクってくる」

 

 

 まるで贖罪のような独白だった。

 だからこそ、誰かが言わねばならなかった。

 

 

「馬鹿ね愚弟。あの子は死んだじゃない。アンタの嫌いな後悔通りで……10年前、墓碑だって父さんたちが作ったの忘れたアンタじゃないんでしょ?」

 

「分かってるよ姉ちゃん。でもよ、俺はもう辞めることにした。ホライゾンを理由にして逃げるのは、さ!」

 

 

 ビシッとサムズアップを決めた葵・トーリ。そこにはいつも通りの彼がいた。そもそも彼は先ほどからいつも通りだった。ただ、周りが重く捉えているだけだった。

 

 だからこそ一人、異質が居た。

 トーリが己の決意を口にしている間、何を思ってかその背中睨みつける少年が一人。

 

 トーリの双子の兄である葵・タチであった。

 

 

「コクった後、俺はみんなに迷惑かける。何せ世界に喧嘩売るようなマネだからな……何せ俺は何も出来ねぇ。だからよ——みんな、俺のコクりが成功するようにちょっとばかし手助けしてくんね?」

 

 

 そしてトーリもその視線に気づいていた。

 

 かつて、同じ少女の手を取ろうとして失敗し喪失した者同士。だが喪失から何を学び、選び、進んできたかは全くの別である二人。

 

 トーリはクルリと反転して皆を背後にタチと相対した。その構図は図らずもトーリの周りに皆が居て、タチの背後には誰もいない。

 

 

「兄ちゃんはどうすんだ? 俺知ってるぜ? 俺があそこを通れなくなったあの日から——ずっとあそこに通ってるってさ」

 

「勝手にやってろ。俺を巻き込むな」

 

 そう言ってタチは二の句を継げさせずにトーリの横を通り過ぎて甲板を蹴りつけてその場から去った。宙に飛び上がり数十メートルの移動の後、タチは落下時の重力を感じながら歯嚙みし、憎々しげに空を見上げて吠えた。

 

 

「クソがっ……クソがッ……クソがッ!!」

 

 

 その声は空に溶ける。

 少し後に、どこかの馬鹿の悲鳴が空に溶けた。

 

 それでもタチの後悔が晴れる事はない。

 何せ、ホライゾンを死んだ原因はタチを契機にしたものだからだ。

 



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授業風景

「おっ、あれはタチの奴か? 授業中だってのに一人抜け出してまぁ……オジサンも昔はああやって授業ふけてたもんだよ」

 

「葵・タチ様ですね。あの方は普段真面目に授業を受けていらっしゃる為酒井様と同じと言うのには語弊があると自動人形ながらそう思わずにいられません。——以上」

 

「そうかい。”武蔵”さんは優しいねぇ……。まぁ? 俺もあんな風に空を睨みつけながらサボった経験は無いし……同じとはちと違うかな?」

 

 

 武蔵中央前艦・武蔵野のピッカピカに磨き上げられたデッキの上で欄干に寄りかかった中年の男と多数のブラシデッキを侍らしている侍女服を来た自動人形が一人。

 

 中年の男は猫背気味で、顔をニヤニヤと歪めながら口端に加えていた煙管を手にとって口から紫煙を吐き出し、揶揄するように遠くの空に浮かぶ一人の生徒について言及する。

 

 

「一体何をなされたのですか酒井様。さっさとゲロった方が身の為ですよ。――以上」

 

「ちょちょ!? オジサン何もしてないから……武蔵さんの勘違いだから! ……本当に武蔵さんはタチの事になったら感情的になるんだからオジサン気が気でないよ」

 

「それは勘違いです酒井様。自動人形に感情は存在しておらず、本艦武蔵の艦長である”武蔵”はただタチ様に多大なる恩を受けている為に——優先順位を設定しているだけです。jud.? jud.?――以上」

 

「jud. jud. まぁ……アイツも何考えてんのかねぇ——幾ら力が欲しいからって自分の命丸ごとベットする奴はオジサン初めて見たよ」

 

 

 スッと、春先の涼やかな風が吹き抜ける。

 

 

「葵・タチ様の不可能の術式、ですか?――以上」

 

「そうそう。何考えてんのか今一わかりにくい奴だと思ってたけど、オジサン浅間から”ソレ”聞いて益々分からなくなったよ。人間も自動人形も働きには何かしら利益がないと生きてけないじゃん? でもアイツには——だからオジサンよく分かんないねって話」

 

「……そうですか。ですが”武蔵”としては非常に分かりやすいお方だと判断出来ます。――以上」

 

 

 

 

 

 極東男子制服を着た俯き加減の髪の長い生徒は机の前に座り、一心不乱にパンを食べていた。

 

 目元が窺えないその様は一種のホラーのよう。

 

 視線が見守る中、髪の長い生徒は無言でパンを口に頬張り飲み込んで、グラスに注がれた水を一気に飲み干し満足そうに一息ついた。

 

 

「っぷは……! あっすみません店主……毎度こうして世話になって。このお礼は将来必ずいい政治家になって——」

 

「良いよ良いよ正純さん。こっちも焼き損ねたパンと水しか出してない訳だしさ。それに礼を言うならP-01sに言ってやっておくれ。今日も倒れた正純さんを見つけて運んだのはあの子なんだから」

 

 

 食欲が満たされて落ち着いたのか、正純と呼ばれた生徒は申し訳なさそうにして向かいに座った女店主に礼と謝罪を口にした。

 

 しかし女店主は笑みと共にそれを不要だと言い切った。

 

 自分に礼を言うのはお門違いであり、もし礼を言うのであればそれは自分では無いと口にした女店主は空にグラスに水を注いで正純に差し出した。

 

 

「P-01s……ですか。ほんと、彼女には私世話になりっぱなしですよね」

 

「まぁ申し訳なく思えるんならそれで良いよ正純さん。でももう少し実のある物食べたほうがいいよ? 男装の女の子がこうして行き倒れてちゃファンの一人も付きやしないんじゃないかい?」

 

「いえ……私が女と気づいているのは殆どいないんじゃないんでしょうか? 身体測定なんかでクラスの女子は知ってると思いますけど、後は生徒会役員と父の関係者くらいでしょうね」

 

「正純さんのお父さんて暫定議会のお偉いさんだったっけ?」

 

「……jud.」

 

 

 正純は若干の時間を要しながらも返答した。

 

 そこには何かしら思う事があると、正純が父にそういった何かを感じているのが第三者から見てもバレバレなのだがそこは年の功か、女店主は見守り何も言わなかった。

 

 

「そういえばさぁ、もう教導院は始まってると思うけど正純さんサボりって訳じゃないよね?」

 

「いや違いますよ。今日は朝から小等部で講師のバイトがあってですね。午後から酒井学長を三河に送る用事があるので自由登校になっていますからサボりではないですよ」

 

「あ、そうなんだ。ゴメンね、変な気をまわして」

 

「いえ、お気遣いありがとうございます」

 

 

 教導院の事を話に出されて正純は己が所属する三年梅組について考えた。

 

 元々三河生まれの正純にとって、去年転校して来たばかりの正純にとって武蔵という土地はいろいろな意味で度肝を抜かれる場所であるとこの一年で痛感した。

 

 その原因である三年梅組は今、授業中だと思いどんな授業をしているのかとふと、そう思ったのだった。

 

 

 

 

 

 三年梅組朝の一限体育と言う名のヤクザ事務所カチコミを終えて只今授業中ナリ。

 

 

「それじゃあ今日の授業は重奏統合争乱なんだけど……誰にご高説してもらおうかな?」

 

 

 そう言ってオリオトライは教壇の上からぐるりと席に座った生徒達に視線を向け、ある一人の少女に視線を固定して一度小さな音を立ててから声を掛けた。

 

 

「鈴、いける?」

 

「は、はい……”御高説”です、よ……ね?」

 

「そうよー。先生の代わりに授業するの」

 

 オリオトライが担当する組では”御高説”と”厳罰”という独自の授業内容が存在する。

 

 教師から指定された授業内容について生徒自身が説明すると言ったものだ。

 

 質問内容に答えられたら加点、答えられなかったら減点はないが”厳罰”通称処刑が下る。

 

 ”厳罰”は月初めの自己申告であり、質問に答えられた時の加点は自己申告の”厳罰”内容に応じて変動する。

 

 また”御高説”は教員に変わり授業内容を説明すし、うまくいけば加点、失敗しても厳罰は無しである。

 

 

「え、えっと重奏統合争乱について……私、が知ってる所だと……元々、世界の人たち、は……現実、世界の神州と、別空間……に、コピーした重奏神州に別れて暮らしてたと、思います。神州には、極東の人たち……が。重奏神州に、は……世界各国の人たちが……だ、大丈夫、ですか?」

 

「良いわよー鈴。そうやって居住面積の問題を土地を増やす事で解決した。単純だけど有用よね。みんなもオッケー?」

 

 

 オリオトライの呼びかけにクラスの皆は頷いたり、良いよーなどと声を出して鈴を応援する。

 

 鈴もその声援を受けて顔を赤くしながらも、自らの”御高説”に自信を持てたのかほんの少し、胸を張って続きを口にしようとして、音を拾ってそちらを向いた。

 

 

「安心しろよベルさん! もしなんかあっても俺が代わりに殴られるからさ! だからベルさんは思い切ってやれよ!? 俺、今日は少なくともエロゲの分岐点まで死ぬ気はねーからさ!」

 

 

 葵・トーリの威勢の良い啖呵に鈴はクスリと笑みを浮かべる。

 

 三年梅組、いや武蔵においての騒動・珍事は彼を発端にすると言っても過言ではない事を小等部からの付き合いで知っている鈴は彼がいてこそこのクラスが騒がしく賑やかで楽しいのだと知っていた。

 

 だけど10年前はそれが二倍であったと鈴はそう思って意識を別方向に向けて、一息いれる。

 

 

「でも、全ては……南北朝戦争です」

 

 

 鈴が説明しようとしている内容をすでに予習して知っていた者達は鈴の説明しようとしている内容に意識を傾け、予習の不十分な者も鈴の言葉に注意深く耳を傾ける。

 

 エロゲの説明書を机の上に堂々と広げていたどこかの馬鹿から説明書が取り上げられあひん!? などと気色の悪い悲鳴が上がったがそんなものは日常茶飯事だ。

 

 

「京で地脈を……制御してる帝とは、別……の帝の代理人が争って……それ、で1412年だったかに、地脈を制御してた神器が……失われて——それに支えられて……いた、重奏神州は……地脈による、制御を失って……こちら側に、落ちてきました」

 

 

 誰かが小さく息を吸った。

 

 それは発言者である鈴なのか、教師のオリオトライか、それともエロゲの箱片手に透けないと馬鹿騒ぎをするトーリなのか、それとも全員なのか。

 

 それでも鈴の説明は続く。

 

 

「その時、重奏神州……は半分以上、が崩壊消滅……しました。残った部分、は……神州に、上書きされて合体……しま、した。えっと……外に見える、光の柱の部分がそうで……重奏領域って呼ばれてます。当時、生き残った各国の人たちは……神州の人たちに責任を追及……して争いが起き、ました。これが——重奏統合争乱、……です」

 

「うん。良い感じよ鈴。私がやるより遥かに丁寧だわ」

 

 

 オリオトライのその言葉に鈴はホッと一息ついた。

 

 そして席に着き胸をなで下ろす彼女であったが唐突に大きな音が鳴って、そちらを向いた。当然他の皆の視線も音源へと向けられる。

 

 音源は椅子に片足をかけて立ち上がった最後尾、窓際の席を陣取る男、葵・トーリである。

 

 皆の注目を集め、決めポーズなど数度決めたトーリだが本題を思い出したのか両手を広げてそれを切り出した。

 

 

「ベルさんのヨッシャ! な説明にサンキューな意味も込めて今夜は俺の告白前夜祭って事で騒ぎます。場所は——、」

 

「金のかかる所はやめろ馬鹿。経費で落ちない場所だったら貴様を吊るして観客から金をせしめるぞ」

 

「あぁ!? しゃーねーなシロ。んじゃぁ今夜は去年みたいにここで肝試しでもやっか!?」

 

 

 シロジロの有無を言わせない言葉にトーリはめげる事なく代案を叩き出す。

 

 皆も特に反対意見を出さない中、一人の少女が控えめに手上げて躊躇いながら口を開いた。

 

 

「あの、トーリくん。今時分に肝試しっていうとちょっとシャレにならないかもしれません」

 

「お? 浅間、ってーとどういう事だよ?」

 

「うち神社ですから色々情報が入って来てるんですけど最近末世の影響が出て来たのか怪異の発生率が高くなってて、肝試しなんかやったら本当にくるかもしれないって思って」

 

「あーなるほどなー。じゃあさ、今夜は生徒会活動の一環として整調祓いしようぜ。それなら学校に入っても問題なくね? なー先生」

 

「うん。先生もそろそろ宿直入れようかなって思ってたし……それなら良いかな?」

 

「おっしゃ! それじゃみんなそういう事だ!」

 

「それはそれとして——トーリ、君厳罰ね。後タチもね」

 

「ほえ?」

 

「あぁ?」

 

 

 オリオトライのその言葉に葵兄弟の訝しげな声が上がった。

 

 一人は間の抜けた声だが、もう一人は剣呑な響きのこもったものである。

 

 だがオリオトライは全く尻込みせずに歩いていき、馬鹿としかめっ面の頭を軽く叩いて指を立てて説明する。

 

 

「さっきの鈴の説明、北朝の独裁が始まったのは1412年じゃなくて1413年なの。あっ、鈴のはチョイミスだけど”御高説”でミスしても厳罰とかないから鈴は大丈夫よ。でも殴られるならどっかの馬鹿が殴られるなら任せとけ、みたいなこと言ってたわよねー。あれーどこの馬鹿だったかなー」

 

「だったら俺は関係無いだろオリオトライ」

 

「んーまぁそうだけど、アンタはアレよ。今日遅刻したじゃん。ソレよソレ」

 

「……ハッ。腹に一撃食らったのが余程お冠みたいだな」

 

「べ、べっつにぃ? 先生そんなに大人気ない先生じゃ無いしぃ?」

 

「なんだよにーちゃんと先生仲がいいじゃんかよ! 俺も混ぜてくれよ!」

 

「言ってろ馬鹿が。で、俺はいつでもいいぜ。最近逃げてばっかのアンタと堂々戦えるんだからな」

 

 

 立ち上がったタチは拳を打ち鳴らし、首を回してオリオトライへと近づいていく。途中で馬鹿がナヨナヨと絡んで来たがタチは鎧袖一触で払いのけて体に纏う雰囲気を戦闘時のソレに変化させていった。

 

 

「はっ? っ!? アンタまさか、ちょちょタンマ! まだ”厳罰”内容確認してないから! ね!?」

 

「だったら言ってやる。俺の自己申告の”厳罰”内容は『オリオトライ・真喜子とアリシア・M・ホリーとの戦闘で明確に参ったを言わせる』事。なんなら二対一でも俺は構わねぇ」

 

 

 教室の隅っこに急いで退避したオリオトライは生徒の厳罰内容が書かれた本を片手に急いで今月のページを探していくが、既にタチはオリオトライの前に迫っていた。

 

 

「点蔵よ。あの構図はタチの奴があの蛮族系女教師に迫っているように見えるのは拙僧の気のせいか?」

 

「しーっ! 迂闊なことを言っていかんで御座るよウッキー殿。自分、墓穴を掘って女連中にズドンとかバコンとかドカンとかされたく無いで御座る」

 

「おいおいウッキーに点蔵。そんな滅多なこと言うもんじゃねえょ! にいちゃんが先生に迫ってるなんて言った日にゃ姉ちゃんとか浅間とか筆頭にファイヤーするぜ!? これマジな!?」

 

「「おま、バッ!?」」

 

 

 ヒソヒソと話していたウルキアガと点蔵であったが割り込んで来たトーリの失言によって女連中の視線が突き刺さる。

 

 特に狂人の姉とオカン系巫女の視線が一際痛いのは気のせいではウルキアガと点蔵は震える体で状況を把握し、いつ何時攻撃を加えられても反応できるようにしていたのだが馬鹿に肩を組まれて動くことが出来なくなった。

 

 

「ふ、ふふ! フハハハ! よっしゃ死亡フラグ回避きたー!! タチ! トーリ! アンタたちの今月の厳罰は『とりあえず脱ぐ』よっ!」

 

 

 そういってページを見せつけるオリオトライ。

 

 確かに、トーリとタチの告げている厳罰内容は、同じような字体で『とりあえず脱ぐ』となっていた。

 

 



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知らないという後ろめたさ

 教導院廊下。

 

 そこには線の細く少女のような柔和な顔立ちの男子生徒とトランプのキングのような出で立ちの中年の男が杖をついて話し、三年梅組の教室を目指していた。

 

 男子はキャスター付きの大きめの旅行鞄を手で引いており、観察するように懐かしさを感じながら周囲を見渡す様子から長い間武蔵から離れていた事が感じ取れる。

 

 

「それにしてもあの三年梅組に東宮君である東くんが入られるとは……酒井学長も融通がきかないのである!」

 

「いやこれも規則ですし、余は大丈夫ですよヨシナオ教頭」

 

「いやいや。東くんは京で地脈の管理を一手に引き受ける帝の唯一のご子息なのですぞ? そのようなセレブな東くんのご帰還は同じくセレブな麻呂としても大変喜ばしいものなのです」

 

「はぁ……」

 

「しかし、武蔵の民は冷たい! 帝のご子息である東くんのご帰還だと言うに、麻呂以外の出迎えも居ないとは……全く!」

 

「いやでも、聖連が騒がれると困るって言ってましたし……それに余も静かな方が落ち着きますから」

 

「なるほど、民の事を庇われるとは東くんは優しいのですな。ですが言うべき時はガツンと言わねばなりませんぞ? それが良き君主というべきものなのです!」

 

 

 そう言っていささか興奮気味にまくし立てるトランプのキングような男の名前はヨシナオ。武蔵王兼武蔵アリアダスト教導院教頭だ。

 

 ヨシナオの頭に浮かぶのは自信を全く敬おうともしない憎っくき総長兼生徒会長である葵・トーリ。麻呂呼びのヨシナオのことをおちょくるように麻呂麻呂と呼ぶトーリにはヨシナオ自身何度となく煮え湯を飲まされておりその恨みは末代まで綴るべきだと考える程だ。

 

 

「全く葵・トーリめ! 今度こそ麻呂を麻呂と呼んで良いのは麻呂だけだと——おや? なにやら三年梅組が騒がしいようですな」

 

「そうですね。何かあったかなぁ? 余は今日の授業日程を知らないし……」

 

 

 東の戸惑う様子にヨシナオは今こそ先達者として君主の威厳というものを示すべきだと判断した。梅組まであともう少しという距離で、ヨシナオは堂々と歩いていき教室の扉に手をかけようとして——中から聞こえる声を聞いた。

 

 

『ほらにいちゃん恥ずかしがるなよ! 何なら俺のコレ、貸してやろうか!?』

 

『黙れ馬鹿がッ! お前が俺の厳罰申請書をちょろまかさなければこんな事を——シロジロ、オーゲザヴァラー——何をやってる? 喧嘩を売ってるのか?』

 

『気にするなタチ。今の貴様は金づるで私は売り手だ。貴様の裸体を撮ってやるから大人しく金になっておけ』

 

『ごめんねぇタチくん。でも私はシロくんの味方だから、ね?』

 

『おうシロ、オゲちゃん。綺麗に撮ってくれよ? この俺のパァー、フェクトなボディーを!!』

 

『『『はっ(笑)』』』

 

『なんだよ!? 鼻で笑うとかまじ酷くね!? なぁ、どう思うよにいちゃん! 可愛い弟が——ッ!? いてーじゃんにーちゃん! あ!? 今のなんか韻踏んでてラップっぽくね!? そこんとこどなのよーにーちゃん!』

 

『この馬鹿が……! ナルゼ、ナイト同人誌にしようものなら引き裂くぞおい? 喜美、お前は近づくな狂人が移る——ッ、ダァー! 抱きつくなボケが!!』

 

『良いじゃないの愚弟! アンタの無駄に引き締まった体誰にも見せないなんてもったいないからこの賢姉がぎゅーって抱きしめてあげるわ! ふふふ、良い感じにたくましく引き締まってるじゃない。この賢姉を出し抜くとは……やるじゃないこの愚弟!?』

 

 

 一体何が起きてるのかヨシナオと東は全く分からなかったが、兎にも角にも中身を見なければわからないとヨシナオは意を決して一気に横に引いて扉を開けたが、そこにあったのは混沌だった。

 

 股間にモザイクをぶら下げた全裸の総長兼生徒会長の葵・トーリに上半身半裸の葵・タチ。そして葵・タチに抱きつき胸板に頬ずりをする姉葵・喜美とそれらを囲んで囃し立てる外道ども。

 

 

「コ……コゥラぁあああ!! 何をやっとるかね君らはぁああ!?!? 不健全! 不健全であるぞ君らは! 神聖な学び舎で一体何をやっとるのかね!」

 

「ゲッ!? 面倒なのが——はい東よく帰ってきたわねー! あ、王様本日はご機嫌麗しゅう——ってなわけで授業中だから部外者は立ち入り禁止です!」

 

 

 呆けていた東をオリオトライは素早く確保。旅行鞄と東を片手に引っ張って教室の中に素早く連れ込んだ彼女はピシャリと扉を閉めた。

 

 ヨシナオはまだまだ言い足りなかったが、続けて東を歓迎する声が上がりそれを聞いてこれ以上苦言を呈するのも無粋だと判断し、梅組の教室前から去って行った。

 

 

 

 

 

「正純さん。そういえばさぁ、トーリとタチって今どうなの? トーリの奴は聖連から”不可能男”なんて呼ばれてるし、タチの奴はホリーさんのところに住み込みだからさ」

 

「あ……、葵——あぁ弟の方ですが一切の資格無しです。学力も平均で運動能力は……左肩の傷が原因で並以下。タチの方は……実際よく分かりません。学力も平均以上ですがさりとて高いという訳ではなく、ただ運動能力は学校一です。それと……ホリー、という人は? 私は知らないんですが学校の関係者ですか?」

 

「そう……相変わらず馬鹿やってんのかねぇあの二人……」

 

 

 三年梅組で東が帰ってきて歓迎会が行われている中、同時刻、場所は移り変わり青雷亭。P-01sが面で水撒きを行なっている最中に女店主と正純は双子の葵兄弟について話をしていた。

 

 

「え? 弟の方はともかく兄の方も、ですか? 私にはにわかに信じ難いのですが……一体どんな事を?」

 

 

 興味半分の正純の問いかけに女店主は昔を思い出すように頬杖をつきながら窓の外を見て正純の問いに答えようと、思い出を振り返り何を話すべきかと選んでいく。

 

 在りし日の思い出。

   

 それは葵・タチが今のように無愛想で口の悪い少年になる前の、好奇心旺盛で二人の少年少女を引っ張って皆の先頭を常に走っていた時の思い出だ。

 

 

「トーリの奴は昔とそんなに変わらないみたいだけどさぁ——タチはねぇ最近伝え聞くような性格じゃなかったんだよ。知ってるかい正純さん? あいつ好奇心とかすごく旺盛で浅間神社の神主しか入っちゃいけない御禁制の場所に5歳の時から凸して智ちゃんのお父さんに怒られたりしたんだよ」

 

「えぇ!? そ、そうだったんですか?」

 

「そうなんだよ。後は武蔵野の艦尾から輪ゴムで作った紐でバンジーとかやったりねぇ。機関部のボイラー室とかにも冒険したりして泰造爺さんに拳骨食らって怒られて……あの時はトーリよりも手がかかった子だったよ。とにかく自分が知らないことがあるのが嫌だったというか……知りたがりというか……そんな子供だったんだよ」

 

「はぁ……それは……大変でしたね」

 

「まぁ、今も違った意味で大変っちゃ大変だけどね。何を思ったのかホリーさんの所に住み込んで昼は教導院、夜はバイトしてるしで何とか生活してるっぽいけど」

 

 

 正純は半ば冗談半分に受け取っていたが、女店主の昔を懐かしむような顔に冗談ではないのかと不承不承ながら受け入れるしかなかった。

 

 正純も普段からタチに世話になっているということは無い。ただ、トーリのフォローに際してはタチも出張ってくるため副会長である正純と、何かと顔を合わして仕事をすることが多いという訳である。

 

 

「そ、そういえば早いものですね。去年三河を出て神州を一周してもう一年ですか。P-01sもその時に武蔵に乗りこんだんですよね?」

 

「そうだね。市民証持ちで記憶無しの自動人形とは……変わった子を拾ったもんだと当時は思ったけど今じゃこの店一番の働き者だよ。最近は朝のレパートリーも勉強してるし、もうすぐあの子が作ったパンが店先に並ぶ日も遅くは無いよ正純さん」

 

「jud.その時は古書を我慢してでも買いに来ますよ」

 

「ははは。そりゃいいね。P-01s……そういえばあの子が来てからだね。トーリやタチがまた顔出しに来るようになったのは」

 

「え? また、と言うと?」

 

 

 正純の再三の疑問。女店主は店の入口から外を見た。それにつられて正純も外を見るとそこには水をやるP-01sがおり、側には黒く小さな生物たちが数匹潜むように存在している。

 

 黒藻の獣と呼ばれる武蔵の下水道処理や汚れを食べて浄化する生物だ。汚れを食って浄化すると行ってもニオイは取れないもので、それは自他共に認識しており武蔵住人もその匂いを忌避し、また黒藻の獣もそれが分かっているために影に潜んでいるのだ。

 

 正純の意識が黒藻の獣とP-01sに向けられていた中、女店主の話は続きを話していく。

 

 

「小さい頃は姉の喜美と近所の子の四人で朝飯食いに来てたんだけど——また来だしたのはP-01sがここで働き始めてからだよ。まぁ毎日来るトーリと違ってタチは滅多にこないんだけどね」

 

「はぁ……何か二人にあったのですか?」

 

「……もしかしたらなんだけど、二人共P-01sが気になってるのかも知れない。タチなんてあの子とデートに行った事あるしね」

 

「は……はぁああ!? 自動人形に……恋? なんて無駄な事を……」

 

 

 正純の呆れた声と肩をすくめる仕草を見て女店主は笑みを浮かべたが、再び視線を動かして外にいるP-01sに向けた。

 

 

「無駄だと、いいんだけどねぇ……」

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ! 全く……体力ないなぁ私……と」

 

 

 正純は青雷亭で女店主からお土産をもらい、母親の墓参りのために武蔵右舷二番艦・多摩から中央後艦・武蔵野にある霊園に移動していた。

 

 水の入った桶と柄杓を手に持って木の階段を登り、息を吐きながら荒い呼吸で正純は考える。

 

 聖連の支配に甘んじているこの状況で本当に良いのかと。正純はそう思えて仕方がなかった。

 

 聖譜連盟。

 

 この神州全土において信奉される”聖譜”を教譜として存在する世界的な組織の通称だ。重奏統合争乱後、世界各国は極東を効率的に支配するために聖譜の名の下に支配を敷いた。それは今から160年も前から続いている。

 

 

「馬鹿やって……恋愛して……!」

 

 

 それでも、生きていくことは出来る。限られた自由の中、鳥籠の中の鳥のように生きることができる。

 

 

「それで……いいのか本当にっ……!」

 

 

 そう言い切ると同時に正純は階段を登り切って霊園のある自然公園に到着した。荒い息を整えながら、制服の袖で額を拭った正純は背後に広がる景色を見た。

 

 

『正純さん。後悔通りを調べてご覧。そうしたら……正純さんの知らない、武蔵の住人が知ってる武蔵の秘密がわかるよきっと』

 

『後悔通り? ホライゾンという名前が刻まれた墓碑のある教導院前のあの通りですか?』

 

『それが分かってるなら話は早いよ。後は——踏み込むだけだよ』

 

 

 頭に浮かぶ言葉は先ほどの女店主との別れ際での会話。笑顔のままの女店主の顔が強く思い浮かぶ。武蔵住人の知っている秘密と後悔通り。そしてホライゾン。

 

 まだ自分は何も知らないのだと正純は歯噛みした。

 

 

「状況から見て——お持ち致します正純様」

 

「お前は……」

 

 

 そう言って正純は振り返った。そこに居たのは白い髪の無表情の自動人形。

 

 

「P-01s……」

 

「jud.その通りです正純様」

 

 

 

 変わってしまった

 

 どうして?

 

 変わる前は?

 

 配点(過去)

 

 



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どうしてここまで違うのか

 道がある

 

 歩くことはできる

 

 だが振り返ってはいけない

 

 すでに戻る道は無い

 

 配点(時間)

 

 

 

 午後、正純とP-01sが奥多摩の自然公園で思わぬ形で遭遇することになった時間帯と同時刻、教導院の方でタチと半人狼の女子生徒ネイト・ミトツダイラ教員室に向かい武蔵アリアダスト教導院学長である酒井忠次と会っていた。

 

 

「いやいやご苦労さんネイト。三河で昔のダチに呼ばれてちょっくら行ってくるだけだったんだがこうやってお前さんに苦労かける形になるとはなぁ」

 

「しょうがありませんわ酒井学長。三河はP.A.Odaと同盟状態で聖連との板挟み状態。少しだけなら問題ないかも知れませんが酒井学長は松平四天王のお一人。しかも中央付近に行くとあっては色々と問題が出てきますわ」

 

「面倒だよなぁ……ちょっくら昔のダチに会って酒飲んで昔話するだけだってのに……やっぱあれか? 教皇総長自ら出張ってきてるっていうしピリピリしてんのかねぇ」

 

「私が知る由もありません。…………では、酒井学長。これが証書ですので関所で渡してくださいな」

 

「jud.jud.ご苦労さんネイト」

 

 

 テラスにて煙管を吹かして鷹揚に手を振る酒井にネイトは慣れたもので、綺麗にまとめた証書の紙を酒井本人に渡すのではなく少し離れたところで立っていたタチに手渡した。

 

 

「おいおいネイト。タチも同行するけど俺に渡そうよそこは」

 

「ご自分の態度を見てから物を言ってください酒井学長。そんないい加減な態度で証書を無くされては学長としての名が泣きますわよ?」

 

「あ〜……お気遣いありがとう、ってな。じゃあ行こうか。こっから正純と合流して三河の関所を通過せにゃならんし……俺が左遷されて10年か。どんだけ変わったのかねぇ」

 

 

 火を消して灰の処理をし煙管を懐にしまいこんだ酒井が何気なく10年と呟き歩き出した。10年、その言葉にネイトの体がピクリと反応し窺うようにタチの方を向いたが彼はすでに歩き出しており酒井の後を続いて行く。

 

 

「そういやタチ。お前さんの弟が告白するんだって?」

 

「俺に聞かないでください。あの馬鹿に直接聞かれては?」

 

「いやいや、それは勿論聞くさ。だけど……お前さんの口からも聞いてみたいのさオジサンは」

 

 

 慌てたネイトが小走りで二人に近づく中、酒井が肩越しに振り返りながら仏頂面のタチに問いかけるもそれは全くの無駄。タチは敬語で対応しながらも答えようとする気は一切無いのは後ろから見ていたネイトから一目瞭然だ。

 

 葵・トーリと葵・タチの双子の兄弟。トーリが武蔵の有名人という意味で人気者ならタチは腫物扱いだと、タチの後ろ姿に視線を向けるネイトは廊下を歩きすれ違う生徒の視線から判断することができた。

 

 

「仮に、俺がアイツの事を言ったとして、アイツがどう言った心境で行動に踏み切ったかなんて分かりません。だったらアイツに直接聞いたほうが早いですよ酒井学長」

 

「それもそうか。いや、お前さんなかなか分かりにくいけど……弟のこときっちり見てんだね」

 

「見ていなくてもあの馬鹿は視界に映ってきますから」

 

 

 ニヤニヤと笑う酒井に対しタチは終始無愛想に対応する。ネイトはタチの態度を失礼だと思ったが、同時に彼らしいと思い安心してしまった。

 

 ホット漏れ出る息遣い。それは前を行く二人にも聞こえる。

 

 

「どうしたネイト?」

 

「い、いえッ! 何でもありませんわ!」

 

「そうか……まぁ、ネイトもトーリの事が心配だって事だな。仲が良くてオジサンけっこーけっこー」

 

 

 酒井の無理やりな締め方だがネイトは先ほどの息遣いについて言及されなくて再三の安堵を感じた。今度は胸の内で息をつき、つられるようにタチへと視線を向ける。

 

 タチは相変わらず前を向いてネイトの視線に気づいているのかいないのか。

 

 ネイトは問い掛けたかった。

 

 一体貴方は、我が王のホライゾンへの告白について何を考えていますの? と。

 

 ネイトは周りからの話と当時のことを顧みて、葵・タチという少年がホライゾン・Aに好意を抱いていた事が分かっている。

 

 だが、何を思っていたのかタチは一人で前を走っていた。在りし日のホライゾン・Aの手を取っていたのは幼き葵・トーリである。

 

 分からない。それがネイトが抱く想いだった。

 

 校舎から外に出た三人は橋の上に陣取った三年梅組の姿を見る。一部の気配に敏感な者は三人に気づき酒井へと会釈をしたり手を上げて挨拶をしたり。

 

 

「お! 学長先生にネイト。にいちゃんも一緒じゃん! 何々? 三人で何すんだよ」

 

「何にもしないさトーリ。そういや聞いたぞ? お前さん告白するんだってな。そんな可哀想な目に合う未来の被害者さんは一体誰なのかオジサンに教えてくれないか? タチに聞いたんだけどお前さんに直接聞けって言って教えてくれないんだよ」

 

 

 タチとトーリとの間で視線が動く。そんな中でもトーリはマイペースに振り返り、告白するべき相手の名前を口にした。

 

 

「ホライゾンだよ」

 

 

 ホライゾン、その名が出ると空気が静まり返る。春先の穏やかな風の音だけが耳に響く中、酒井は何か思い当たる事があるようにを空を見上げ顎鬚をさすった。

 

 

「ホライゾン、か。あの子の事か?」

 

「あぁ——多分学長先生が思ってる通りさ」

 

「なんで、告白しようと思ったんだ? 仮に彼女に告るとしても他人の空似ってこともあるだろ? いや実際そっちの方が確率は高い。だろ?」

 

 

 酒井は歩き、橋の階段部分に座るトーリの横に立って問い掛けた。それに対しトーリは困ったような、だが笑顔のままで恥ずかしそうに頭をかいた。

 

 それは普段笑ってばかりで賑やかという言葉がこれ以上に似合わない男の見せる滅多に見せない一面だった。タチはそれを見てすっと目を細めて右手で左腕を抱える。

 

 

「明日……明日でホライゾンが死んでちょうど10年なんだ。今朝、そう思ったら自然とコクろうって思えたんだよ。彼女最近朝飯作ってるらしくってさ。もし、彼女がホライゾンじゃなくっても彼女は誰かのために朝飯を頑張って作るような子なんだ。それ考えたらさ——一緒にいてくんねえかなって……何にもできねぇ俺だけど一緒にいてくんねぇかなって——そう、思ったんだ」

 

 

 皆はトーリのその告白を見守った。後悔だらけで、だがその後悔を片時も忘れて来なかった馬鹿が遂に前を見始めたかと微かに笑みを浮かべる者もいた。

 

 だが、同時にその視線はもう一人の後悔を引き摺る者へと向けられた。

 

 

「愚弟、だったらそれを紙に書けばよかったのよ。まぁ、それなら紙に書かなくても直接言った方が賢姉的にグッジョブなんだけど」

 

「なんだよ。そしたら点蔵の作戦意味ねえじゃん! 点蔵が恥ずかしい暴露話ゲロっただけじゃんかよなぁ点蔵!」

 

「トーリ殿!? それ言わなかったら今いい感じに終わりそうで御座ったのになんで貴殿はこう、ギャグに走るので御座るか!?」

 

「気にすんなって点蔵! お前、今日一で輝いてんぜ! お、そういやにいちゃん! にいちゃんの意見も教えてくんね? ホライゾンのコクリで」

 

 

 その言葉は周りの空気を一瞬で殺した。恐る恐るタチへと視線が向けられるが、俯き加減によって前髪で顔が隠れたタチの顔は窺い知れない。特大の地雷を踏んだというのにトーリは笑みを浮かべたままだった。

 

 

「——知るかよ」

 

 

 そう言って、タチはトーリの横を通り過ぎる。ただ一人で、同じ胎から生まれた姉弟からも、幼馴染からも、勝手知ったるかの身内からも背を向けた。

 

 それが彼の選んだ王道だった。

 

 

 

 

 

 三河の武蔵専用ドックに着艦した武蔵から三河にある関所に向けて街道沿いを行く三人。

 

 酒井忠次、本多正純、葵・タチの三人。彼らが通る道の反対を武蔵への積荷を積んだ荷車と御者が通る。御者は三河育ちなだけあって三河で顔の知れた酒井を見ると手をあげて挨拶したり、大いに敬う体勢を見せた。

 

 猫背の中年親父と手現役時代はぶいぶいと言わせたのだと、そんな酒井の当時が伺える光景に正純は感心した風にしきりに頷いていたがあいも変わらずタチは目立った反応を見せなかった。

 

 

「それにしても……シロジロの言う通り三河からの荷が多いな。正純くんどう思う?」

 

「え? 言われてみれば、武蔵からの荷が全くないですね。三河からの荷があって武蔵からの荷が無い……一体どういう事なんでしょう。何か、三河であったのかも知れないですね」

 

「なるほど……もしかしたら死ぬ前の三河が形見分けでもしてるのかもね」

 

「は、はぁ!? 何を縁起でも無いことを言ってるんですか? そんなことあるはずないでしょう」

 

「分かってるって正純くん。冗談だって……タチはどう思う? 俺たち三人の中で誰が正解か賭けてみない?」

 

「だったら俺は一抜けで」

 

「何だよ。面白くないなぁ……まぁオジサンの一人相撲って感じだしこの話は無しってことで」

 

 

 酒井のその言葉に正純は溜息をつきながら確かに酒井のいう通り三河からの積荷しかないことに疑問を抱く。そしてふと、タチが立ち止まって明後日の方向を向いた事につられて正純もそちらを向いて足を止めた。

 

 

「どうした、タっ——葵?」

 

「……気にするな本田。急ぎましょう酒井学長」

 

 

 タチはワザとらしく長ランの裾をはためかせて正純を隠す。正純には分からなかったがタチの視線の先には三征西班牙(トレス・エスパニア)の生徒が詰めている番屋が木々に隠れて存在しており、番屋の家屋から街道を行く三人を見張っていたのであった。

 

 しかし、遠方からタチに発見された事で気のせいだと彼らは判断していた。木々に隠れているこちらが見えるはずが無いと。

 

 

「そういえばさぁ、正純くんは今夜あるっていうトーリの告白前夜祭どうする? 行くの? 俺、正純くんに声掛けといてってトーリから言われてたんだよね」

 

「……いや、私は行きません。いくら武蔵の中だと言っても副会長である私が行ったら聖連にどう見られるか分かったものじゃありませんから」

 

「大丈夫だよ。正純くんも連中と同じと思われるだけだから」

 

「えぇ……? それ、すごく抵抗があるんですけど私」

 

「はっはっは! まぁそれも学生のうちにしかできない事だと思えば儲けものだよ」

 

 

 正純は溜息を吐きたくなった。

 

 彼女の記憶の中では総長兼生徒会長のトーリを中心にして様々な珍事件が武蔵で、武蔵アリアダスト教導院で起きていたからだ。そのフォローに回る身として正純は苦言を何度となく呈してきたが効果は無く。

 

 それなりに歩いていたのか、三人は三河の関所にたどり着いた。三河の住人や自動人形が居るその場所で、酒井は関所担当の自動人形に証書を提出し確認が行われている中正純に向き直った。

 

 

「それじゃ、正純くん証書受け取ったらあとは戻って遊んでも良いよ。お勤めご苦労さん」

 

「jud.あ……もし忠勝公のご息女に会ったらよろしく伝えておいてください。私、三河で同級生だった事があるので」

 

「jud.それじゃタチ、行こうか」

 

 

 酒井は確認済みの証書を自動人形から受け取りそれを正純に手渡しタチを伴って三河の関所の向こうへと穂を進めて行く。

 

 正純は一呼吸して、ためらいながらも一歩踏み込んだ。

 

 

「あの……今日はこの後”後悔通り”について調べてみようと思っています」

 

 

 その言葉に酒井は振り返ってわずかに目を見開いて正純を見る。視線を向けられた正純はおっかなびっくりな心境であったが、何も知らないままだというのは嫌だと、今日あった色々を含めてそう決めたのだった。

 

 亡くなった少女ホライゾン、”後悔通り”、そして正純の知らない武蔵の秘密。

 

 

「いいねぇ」

 

 

 そう言って酒井は笑った。年長者として若者の成長を祝うように。再び前を向いた酒井は手を振って正純に別れを告げる。

 

 

「一歩踏み込んだ正純くんのその行動が、正純くんにとって良い事になると良いね。トーリの告白。そして殿先生の祭り。今日は祝い事づくめだ」

 

 

 そう言って酒井は先を行く。タチもその後ろを黙ってついて行く。

 

 だが正純は確かに聞いた。

 

 

「トーリを……みんなを、頼む」

 

 

 

 

 

 雑木林、獣道。そんな形容がふさわしい鬱蒼とした木々に囲まれた森の道を行く酒井とタチだが視界に人影が映ったために立ち止まる。松平四天王として酒井は警戒と共に腰元にある短刀の柄に手を伸ばしたがその人影が見知った顔だと気づくと手を離し片手を上げた。

 

 

「俺もまだまだ捨てたもんじゃ無いねぇ。どうよタチ? 松平四天王の内、本多忠勝と榊原康政がお出迎えだぜ? 井伊の奴はどうしたよダッちゃん」

 

 

 大柄の男と対比して小柄でメガネをかけた男。その影に隠れている黒髪の軽装甲を纏った少女が一人。

 

 酒井の問いかけに小柄でメガネをかけた中年、榊原康政が何か答えようとしたがそれを制するように肩に手を掛け一歩前に出た大柄の中年。本多忠勝は単刀直入に——火蓋を切った。

 

 

「見せろ」

 

 

 その言葉を皮切りに一陣の風が翔ける。

 そして向かい打つように黒衣が翻った。

 



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他人から見た彼

 

 元東宮君である東。彼は今未曾有の危機に陥っていた。

 

 

「ここで間違ってないよね……?」

 

 

 そう言いながら彼は何度となく手に持つ紙を見て確認し、板張りの遣り戸の前で溜息をついて立ち往生。

 

 通行人の生徒が不思議そうに東を見て過ぎ去って行く。東としてもなぜ自分がこんな境遇になっているのかケラケラと酒飲んで笑ってる担任に物申したかったが武蔵の思考は画一的に染められているのか帰ってく答えは皆同じだった。

 

 再三の溜息に仕方ないかと彼は扉の前から背を向けた。東としてもここで譲るわけにはいかなかったのだ。

 

 武蔵に帰ってきて早速野宿というのは避けたいものであり、だからこそこの状況を打破せねばと今尚陽気に酒飲んでケラケラ笑う担任の所に向かおうとして立ち止まった。

 

 東の足が止まったのは端的に言って声を掛けられたためである。

 

 

「何してるの? 貴方、この部屋に割り当てられたんでしょう? 入ったらどうかしら」

 

「え、あっ……でも、余は男だよ?」

 

「そんなこと言われなくても見れば分かるわ。それに、部屋の前でずっとウロウロされてる方が迷惑なの。私が同居人を気に入らないから追い出してるなんて噂立てられたら嫌なのよ」

 

「よっ、余はそんなつもりじゃ——!」

 

「噂は得てしてそういうものよ。話をしましょう東」

 

 

 遣り戸を開けて東に声を掛けてきたのは金髪の少女だった。少女は車椅子に乗っていた。

 

 東は少女が車椅子だった事に驚き一瞬だけ言葉を失うも彼女にとっては慣れた反応だったのか、車椅子を己の体のように動かして室内へと戻って行く。それに釣られて東も荷物を持って部屋に入ったが、扉を閉める事はしなかった。

 

 

「ここは貴方の部屋でもあるけど私の部屋でもあるの。女の子がいる部屋よ。いつまでも開けてないで閉めてくれないかしら?」

 

「あ、……ご、ごめんっ」

 

「ふぅ……私の名前は表札を見て分かってると思うけど改めて紹介させてもらうわ。私はミリアム・ポークウ。それで、貴方は?」

 

「東……です。そ、その一ついいかな?」

 

「早速? 何かしら? ファーストコンタクトだから節度は守って頂戴。貴方も寝る場所で気まずい空気を味わいたく無いでしょう?」

 

「そ、それはそうだけど……あの! ……ポークウさんはいいの?」

 

「いいって、何が——あぁ、異性との同室ってことね。別に、いいわよ」

 

「いいって言っても……でも……」

 

 

 ミリアムの言葉に従い東は慌てて扉を閉めるもその心は後ろ向きだ。

 

 東とて見た目は線が細いが男である。だというのにミリアムはそれを構わないと、同室で構わないと逡巡することなく頷き肯定した。

 

 

「ルームシェアは私にとって初めてでは無いし、貴方と私が同室だってことは間違いが万に一つも起きないって信頼されてる証拠よ。それに私に貴方の同室の有無を問うって事は逆もまた然りなの。私はこの部屋を出て行きたく無いわ、だから貴方もここに居ていい。そういう事よ」

 

「そう、だね……」

 

「……東。早速だけど私の方から一つ、約束してもらってもいいかしら?」

 

「な、何?」

 

 

 ミリアムは表情を変えずに約束を、己にとって矜恃に等しいことを東に約束させる。それはミリアム・ポークウが正しく人である為の矜恃。

 

 

「お互いの生活に口出ししない事。もしこれが守れないのなら悪い事は言わないから戻ってちょうだい」

 

「それって具体的には?」

 

「うん……見た通り私は車椅子で貴方とは色々と違うわ。でも私には私の生活がある。基本在宅学習だしみんなとも生活のリズムが違うからいちいち干渉されたく無い。貴方だってそうでしょう?」

 

 

 たとえ不自由であったとしても己は人なのだと、それを通すためにミリアムは東に約束を取り付けようとしているのだ。

 

 ミリアムの表情を見て何となく彼女の考えを汲み取った東だが、彼の気質故かどうしてもそんな彼女を放って置けずについつい口を挟んでしまった。

 

 たとえ彼女が望んでいない分かっていても。

 

 

「車椅子の移動とか……手伝おうか……?」

 

「別にそういうことの為に同室になったわけじゃ無いでしょう? 貴方はヘルパー? ボランティア? 違うわ。学生でしょう?」

 

 

 ミリアムとてきついことを言っていると自覚しているが東がどういう心積もりでミリアムの手助けを口にしたのかわからないわけでは無い。

 

 まだ何か言おうとしている東を制し、でもね、とそう言ってミリアムは続きを口にする。

 

 

「もちろん私にも不自由だと感じる場面は多々と出てくるわ。それでも車椅子の私が普通の貴方と同室を認められた事は等しく対等だと認められてると思うのよ。それなのに同室だからって手助けされてたらそれが失われる。貴方にとって何気無い言葉だったのかもしれないけど、この権利は車椅子の私にとってかけがえの無いものなの。分かってくれるかしら」

 

「うん……で、でもこっちからも約束させて!」

 

「? 何かしら?」

 

「その……相手が困っているように見えたら、それを問うくらいは許してほしい」

 

「ぷっ……あはは!」

 

 

 東の意を決した言葉にミリアムはこらえきれないとばかりに笑う。戸惑う東に対しミリアムは目端に涙を浮かべながらそれを指ですくい取り微笑みながら東に向き直った。

 

 初めて見せるミリアムの柔らかな微笑み。それは東を見とれさせるに足る魅力的な微笑みだった。

 

「真面目ね——でも私は真面目な人を疑えないの」

 

 

 

 

 

 駆ける疾風となった少女は腰から刀を抜き放ち、避けるのが難しい横の線の攻撃を繰り出す為に腕を曲げている状態から伸ばしていく。

 

 対して、翻った黒衣の正体であるタチは刃の線を避けるように深く沈み込みながら突き進み、鉤爪のように曲げた腕を下から振り上げた。

 

 

「ッ!? しっ!」

 

 

 かちあげるのように鋭く振り上げられた腕が、少女の腕を崩し横の線による斬撃を遮った。

 

 しかし少女もこの程度では崩されない。腕を空へと投げ出すような不恰好な体制を刹那の間に立て直し、タチの体を中心として円を描くように反転、背中を向けた体制から柄頭による殴打を繰り出した。

 

 少女の手に肉を打つ確かな手応えが伝わった。

 

 

 

 

 

 武蔵右舷二番艦・多摩表層部。

 

 観光向けの艦なだけあって人々の賑わいが活気付いており、陸港から入ってきたK.P.A.Italia(ケー・ピー・エー・イタリア)三征西班牙(トレス・エスパニア)の生徒たちの姿もちらほらと見える商店街に三年梅組の生徒である浅間・智、アデーレ・バルフェット、向井・鈴、直政の四人が居た。

 

 多量の食料を買い込んで紙袋を手に持って歩く四人。この後の機関部での仕事の為に作業着の直政はラックにまで食料の入った袋を下げて人間物干し竿のようになっている。

 

 

「はいそれじゃあ今さっき行ったお店で買った分を含めれば、明日の分のお料理の食材は揃いましたね」

 

「い、いっぱい……買った、ね」

 

「jud.人数分とはいえ一気にこんだけ買いこむ必要あったのかいアサマチ」

 

「いいじゃないですかマサさん。これ自分的に明日も今夜もヨッシャーですよー!」

 

「まぁアデーレの言う通り、あたしも食い出があるのには言うことなしさ」

 

 

 歩く彼女たち。彼女たちの意識は今日行われるトーリの告白前夜祭に、そして明日の告白に向けられていた。なんやかんや彼女たちにとって付き合いの長いトーリの告白はそれほどまでに嬉しいものなのだ。

 

 だが、同時に頭に思い浮かぶのは背を向ける黒衣の少年の姿。

 

 

「一体どう言う心境なのかねトーリの奴。あの子が死んでから10年越しの告白ってのは」

 

「……やっぱりマサもそう思いますか」

 

 

 浅間のその口調は同時に問いかけでもあり、それを感じ取った鈴もアデーレも頷きを持って首肯する。

 

 

「今夜は元信公の言ってた三河の花火がありますけど皆さんもソーチョーを幽霊探しに行くんですか?」

 

「はっ、はい」

 

「まぁ、そう言うあたしも今日の夜番は泰造爺さんからやすみもらう予定だけど。にしてもねぇ……」

 

 

 そう言って直政はハッと息を吐いた。まるで揶揄するかのようなその呼吸に三人の視線が彼女に向けられる。それを待っていたのかそれとも無意識だったのか直政は長い付き合いであるトーリについて考えながら世間について話し出した。

 

 

「世間じゃ末世だ、織田だと煩いってのに今日も今日とて武蔵は平和なもんだよ。世間の騒ぎなんて知ったことじゃ無いって感じでさ。勝手に騒いで勝手に盛り上がって、それに一人の告白が通るか通らないかみんな固唾を呑んで見守ってる。……ほんと、通し道歌じゃ無いけど怖いさね……」

 

「……トーリくんは、今回の告白をどう思ってるんでしょうか? 過去の清算か、それとも心機一転か」

 

「あたしが知るわけないじゃないかアサマチ。まぁ……そこんところは喜美も——タチの奴も覚悟してんだろ」

 

 

 タチ。その名前が出ると皆の歩が止まった。

 

 ここにいる四人は少なくとも知っていた。幼き頃の葵・タチが在りし日のホライゾン・Aに好意を抱いていたことを。そして彼がホライゾンを殺してしまったと後悔の中に埋もれている事を。

 

 四人の歩が、再び再開された。先ほどと同じような足取りだが四人の表情には影が差し込んでいる。

 

 だってのにさ、直政は苛立たしげに言葉を告げる。誰に言っているのかわからない物言いだった。

 

 

「あの馬鹿二人はここに居ない。特に——タチに至っては武蔵にさえ居ない……ほんと、あの馬鹿は何やってんだよ……」

 

 

 直政の義腕に持っている大型レンチから軋む音がする。ギリギリと、それは大きな力がかかり続けている証拠だ。三人の顔が直政に向けられると、直政はバツが悪そうに横を向いて無意識にかけていた力を解いた。

 

 

「トーリくん。”後悔通り”を歩いてみるって言ってましたよね」

 

「そうさね。あの馬鹿、あれから一度も通ったことのない”後悔通り”を通るって……だから喜美が見守ってんのさ。馬鹿な弟が、ホライゾンが死んでから一度も通ったことのない後悔通りを通れるかどうか……ってね」

 

「でも……タチさん、は……武蔵、に居ないん……ですよね」

 

「そうですね。酒井学長の護衛でついて行って……今日の夜も参加するのか聞けずじまいでしたし。来てくれるんでしょうか……?」

 

「十中八九来ないだろーね。タチの奴は馬鹿は馬鹿でも頑固だよ。何せトーリが通れない代わりに”後悔通り”通ってたんだ。この10年、雨の日だろうが風の日だろうが。どんな時でもそれを欠かした事はないんだから……双子揃ってどっちも馬鹿とは喜美の奴もよくやってられるさね」

 

「……全ては……ホライゾンなのかも知れません」

 

 話しながら歩く四人。その歩みは目的地である青雷亭に向かっていた。鈴はおっかなびっくりで、彼女に出会う事を恐れている様子であったが直政が落ち着くように諭し、いまの時間なら彼女はいないと言って鈴の恐怖を和らげる。

 

 浅間の口にしたホライゾンが全てという言葉。だが浅間は果たしてそうなのかと首を傾げたくもあった。

 

 葵・タチが最初に口にした夢の始まり。それを思い出すともっと大きなもののような気がしてならなかった。そして不安にもなった。小等部以前からの長い付き合いだが自分は葵・タチのことを本当に理解できているのかと。

 

 あの時もそうだった。

 

 不可能の術式なんて、あんな無茶苦茶なモノに手を伸ばすのを黙って見ていることしかできなかった。記憶の中の浅間は泣いて、泣いて縋ってもタチは後ろ姿のまま。

 

 

「ホライゾン、優しい、人だったの……」

 

「鈴さん?」

 

「あの、ね? トーリ、くんが……私に話しかける時、絶対、声かけてくれるの。後、触れるときとか、小さな音たて、てから……手を伸ばしてく、れるの。わた、し目……見えない、から」

 

 

 そう言ってから鈴は恥ずかしがるように微笑む。

 

 

「これ、ホライゾンが……始め、たの。トーリくん、ホライゾンが……居なく、なっても忘れなかったの」

 

「そうだったんですか……」

 

「あれ? 君達もこっちだったのかい?」

 

 

 いつの間にか四人は青雷亭前までたどり着いており案の定彼女はいなかった。代わりに声をかけて来たのはネシンバラである。彼の後ろにはシロジロ、ハイディ、ウルキアガ、点蔵もおり彼女・彼らの手には浅間たちと同様に食材の入った紙袋を抱えていた。

 

 

「ネシンバラ……あんた達もこっちだったんなら今夜も明日も食材かぶるんじゃないかい?」

 

「そこはほら。料理人の腕の見せ所だよ直政くん」

 

「なるほど。アサマチ、頑張ってくれよ? 祝いだってのに二日連続でおんなじ料理とか勘弁願いたいからねあたしは」

 

「jud.! 自分もです! 浅間さんの料理は美味しいんで自分期待してますから!」

 

「あはは……これは責任重大ですね」

 

 

 青雷亭の入り口前で笑う声が響く。するとつられて店の奥から女店主が出て来て集まっていた浅間達を司会に移して快活な笑みを浮かべた。

 

 

「なんだいなんだい。今日は教導院の客が多いねぇ。それにその荷物。明日は祭りでもやろうってのかい? これはP-01sにも普段以上に働いてもらわないとねぇ」

 

 

 女店主の言葉が皆の胸に響く。

 

 どうか明日は祝うことが出来ますように。友が後悔から前へと踏み出せるように。

 

 

「そう、ですね——そうなる事を祈っています」

 

 

 

 

 

「外れだ女」

 

 

 少女は確かに肉を殴打した手応えを感じていた。怯んだ隙に次に繋げて行こうかと思った矢先にその言葉を耳にする。

 

 背中を向けたままであった少女だが驚愕のあまり振り向いてしまった。

 

 剣の柄頭は確かに相手の肉に触れていた。だが、受け止められ少女が両手で引いても押してもびくともしない。相手は片手だというのに、まるで堅木に打ち込んでいるような印象を少女に与えた。

 

 互いに背中を向けて背中合わせの二人。

 

 

「テメェの負けだ——女」

 

 

 豪と、烈風と共に肘打ちが少女、本田・二代の顔面に目掛けて迫りそしてその鼻っ柱に炸裂した。

 



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器の測り方

「で、またこの榊原って男が口だけでなぁ!」

「そうそう! おまけにノリも悪いしよ!」

 

 

 そんな感じで酒井忠次、本多忠勝、榊原康政の三人プラスその他2名による酒盛りが始まったのだが久しぶりに行われたのは昔をなぞるように酒井と忠勝による榊原の弄りであった。

 

 ガハハハ、と笑うのは酒が入って陽気になった中年二人。対して残された中年は眉根に皺を寄せてヤケクソ気味に注文した焼き鳥をばくばくと食っている。

 

 そんな中年同士の同窓会が行われている中、その他2名である葵・タチと鼻のあたりを赤く染めていた本多忠勝の息女、本田二代は隣同士無言で箸を進めていた。

 

 

「しっかし普通久しぶりに会った昔馴染みに娘ふっかけるかね? なぁダっちゃん!」

 

「ウルセェな酒井! 我はお前が鈍ってねぇか試してやったんだ! こういうのはあれだ……ありがたく取っとけ!」

 

「出たよダッちゃんの意味わかんない押し付け! しかも支離滅裂ってのがどうしようもない! なぁどう思うよ榊原?」

 

「だから! そこで私に振りますか!?」

 

「「お前ノリ悪いなぁ!」」

 

 

 先ほどからコレだった。酒井が始め、忠勝が囃し立て、最終的に榊原に振ってノリが悪いと弄る。通算4ループほど繰り返されていたこの下りに流石の二代も飽きて来たのかおずおずと割って入った。

 

 

「あの……父上。さっきから榊原様が同じような感じで4ループほど虐げられておりますが改めてご紹介をお願いするで御座る」

 

 

 小さき頃に二代はまだ三河に居た頃の酒井と出会っていたがその頃はただの猫背のおっさんとしか認識できなかった。そこから修行によって父の背中追って行って、松平四天王という大きさの一端に触れてそれに強い敬意を抱くようになったのだ。

 

 榊原康政や井伊直政とは三河育ちのため数回ほど顔を合わせ挨拶することが出来た。だからこそきっちりと挨拶をと身を乗り出し改めて身を正す。

 

 

「あぁ、俺は酒井・忠次。松平四天王の実質的なリーダーね。学生時代は松平・元信公が学長兼永世生徒会長で政事やってたから俺が総長やってたんだ。そんで君のお父さん本田・忠勝が特攻隊長」

 

「副長って言えよ馬鹿野郎!」

 

「はいはい。そんでここに居ない井伊が副会長で榊原が書記だったんだけどこいつがまた口先だけな男でなぁ……」

 

「そ、そんなことはありませんぞ!? 文系としての能力がありましたからな!」

 

 

 適当に済んだ自己紹介。これが松平四天王かと呆れてしまうかもしれないが二代は思い出補正によって型にはまらない人物と酒井という男を無理矢理に上方修正し、視線を隣へと移した。

 

 二代の動きに気づいたのか酒井達の視線もそちらに向けられる。そこに居たのは終始無言ですでに出された料理を食べ終えたタチがひっそりと居るだけだ。

 

 

「でだ……酒井、そいつは誰だ? 我は何にも聞いてねぇからアレだけどよ……こいつが殿先生がお前に連れてこいって言ってたアレか?」

 

 

 良いの中にあっても鋭い忠勝の眼光。さすが今でも特殊予備役副長を張っている東国無双本多・忠勝と酒井は口笛を吹きまぁまぁと宥めるように手で制した。

 

 

「ダッちゃん、アレとかアレとかじゃ全然わかんないから。まぁ、殿先生が連れてこいって言ったのは本当だけどね。こいつは今日の俺の護衛の葵・タチってんだ。ほら、噂に名高い武蔵の総長兼生徒会長の双子の兄だよ」

 

「お初にお目にかかります。本田様、榊原様。葵・タチと申します」

 

 

 スッと座ったまま礼をするタチであったがそこに一切の隙は含まれていない。付け入る隙が排除されたその姿勢は敵地に踏み込んだ武士の心構えのようだとそばで見ていた二代は思えた。

 

 事実そうだった。タチにとってこの場は自身にとってのテリトリーではない。そもそも彼にとって落ち着けたり気を休めれる場所は武蔵内においても皆無に等しい。そんな彼にとってこの状態はほぼ普段通りと言えた。

 

 

「お前……強えな。さっきも二代は加速術式入れてたってのにそれとタメ張れたんだからよ」

 

「お褒めに預かり光栄にございます」

 

「へっ。多くを語らねぇってか……気にくわねぇ野郎だぜ。おい酒井! お前の教育間違ってんじゃねぇか!? てか人ん家の娘の鼻っ面に肘鉄かますってマジでどういう神経してんだよ!」

 

「そこで俺? いやぁ俺ほとんど何にもしてないし、コイツの場合オリオトライくんとホリーさんが鍛えてるからねぇ。俺もあんまり知らないわけよ。まぁ、肘鉄はやりすぎだと思ったけどさぁ……」

 

「そうですかな? 私からすると言葉遣いや礼節はしっかりしていますから好印象ですぞ?」

 

「「なんだよ榊原。お前ノリ悪いなぁ!」」

 

「だから! なんで私をオチに使いますか!? 絶対飽きてますぞこんな中年のおっさんの昔話なぞ本田くんのご息女もあの子も!」

 

 

 一瞬だけタチと忠勝との間に走った緊張。それははたから見ていた二代の背中に怖気が走るようなものだった。とっさに身構えてしまい掛けたがそこに割って入ったのは文系の能があると言った榊原であった。

 

 彼のお陰でその緊張はうやむやになったと言える。

 

 彼は戦闘系の技能を備えて居るわけではない。それでも何度となく修羅場をくぐって来ている松平四天王の一角なのだと、二代は安堵の息と共に感心するように息を吐く。

 

 

「本多・忠勝様」

 

「あぁ? なんだぁ坊主」

 

「ご息女の将来についてどうお考えですか」

 

 

 しかし空気が読めないのか、再び場をごった返したのはタチであった。とは言っても先ほどのような剣呑な空気は流れず少々の緊張が走る程度。

 

 

「なんだぁ!? 二代はお前なんかに嫁にはやらねーかんな!!」

 

「ご冗談を。ご息女にはもっと相応しい者がおりましょう」

 

「酒井……お前ホントどんな教育したんだ? コイツ、チョーノリ悪いぞ? 我だったらそこをなんとか!? って乗ってたぞ」

 

「いやいや。ダッちゃん相手にやったら蜻蛉切持ち出して割断してんでしょ? 誰もやんないからそのネタ」

 

「お? やっぱバレてんのかよ!」

 

 

 蜻蛉切、神格武装かと二代は自身の父にまつわる由緒正しき武装について思いを馳せた。父上が蜻蛉切を持ち出されてはまさに鬼に金棒にござると、腕を組んでウンウンと頷く二代が隣にいるというのにタチは無視して本題を話し始めた。

 

 

「ご息女を武蔵アリアダスト教導院に編入されてはいかがかと愚考致します。そして、副長位に在位させてみては如何でしょうか本田様」

 

 

 武蔵の生徒からの直々の誘い。しかも自分より強いであろう者からの——、そう思うと二代の太ももに置かれた拳に力が入った。

 

 

「訳を言え坊主。だが……半端な答えなら叩き返すぜ?」

 

「”これから”の武蔵にご息女の様な存在が必要だと愚考した末の決断です」

 

「それだけか……? 我を説得しようって気はねぇのかよ。現役時代の榊原ならもちっと上手く説得したぜ?」

 

「これが最善です本田様。貴方の様な方相手では、そちらの方が悪手にございましょう」

 

 

 二人の視線が交わった。忠勝の腰は僅かに浮き掛けているのに対しタチは堂々と、愚かに無防備に座ったままだ。顔をしかめる榊原に対し酒井は煙管を咥えて火を点け紫煙を吸っている始末。

 

 これは自分がなんとかしなければと二代が何か口にしようとして何も浮かばなかった時、誰かが笑った。

 

 それは本多・忠勝その人であった。

 

 纏う緊張の気配は霧散している。その豪笑は高らかに居酒屋の個室の中に響き渡った。客は酒井たち以外におらず従業員は自動人形だけ。誰にも気にせず、誰の目もはばかる必要がない空間で忠勝は腹を抱えて声を上げて笑った。

 

 

「酒井! 前言撤回だ。コイツはやっぱお前の教え子だわ! こんな馬鹿みてぇな説得すんのはお前んところしかいねぇ!! 気に入らねぇが気に入ったぜ坊主!」

 

「いや、本田くん結局どっちなんですかそれ」

 

「まぁまぁ榊原。これいつものダッちゃんだしほっときゃ良いって」

 

「あの、父上……? 一体何がそんなに可笑しかったので御座るか? 拙者にはイマイチわからないで御座るが……」

 

 

 戸惑う二代。誰も説明する気がないのか笑ったり苦笑したりニヤニヤしたり終始無愛想だったり。

 

 

「坊主、じゃ締まらねぇな。葵・タチ、だったか? タチ、二代の力を望んでんのはお前か?」

 

「はい、本田様」

 

「あながち嘘でもねえか。だがよ……お前は二代を望んでる様で望んでねぇ。我の言っている意味、分かんだろ?」

 

「はい、本田様」

 

「タチ、お前さんの事我は気に入った……だがな、そんな半端な奴に二代は預けてやれねえ。それに二代の将来は二代自身が決める事だ。それに関しては我が口出しする気は一切ねぇ」

 

「では、ご息女が望まれれば武蔵編入もやぶさかではないと本田様はお考えなのでしょうか?」

 

「おう。後——二代には安芸からは好きにしろと言ってある。そこで二代が武蔵を必要とし、武蔵が二代を必要とすれば自ずと結果はついてくるだろーよ」

 

「分かりました。差し出がましい真似、大変失礼いたしました本田様」

 

 

 そう言ってタチは頭を下げると忠勝はまんざらでもない様に鷹揚に手を振って対応する。それを見ていた二代は、強い関心をタチに示した。

 

 松平四天王の武の象徴、本多・忠勝を相手に引かない度量。その大胆さ。武士として見習うモノがあるとし、また口ではなく武も備えたその技量に感心したのだった。

 

 これが武蔵の生徒。これが極東の唯一の代表国の生徒。だからこそ二代は疑問であった。話から察するにタチは一般生徒の様子。役職付きでもおかしくない、というか副長であっておかしくない。なのに何故役職に就かず一般生徒のままなのか。

 

 総長は聖連の決定によって無理だったとしても、生徒会長は選挙だと二代は聞き及んでいる。だからこそ疑問だったのだ。

 

 何を考え、何を見定めているのかと。

 

 この時二代は分からなかったが、彼女は葵・タチという器に君主・王としての風格を見たのだったがそれに気づくのは未来の事である。それか一生気づかない。これも彼女の人徳故か。

 

 ウンウンと唸っていた二代だが足音を聞いた為、ふと顔を上げて縁側の方へと顔を向けた。ガラッと縁側の障子の引き戸が空くとそこに立っていたのは角の付いた自動人形であった。

 

 

「ゲェ!? か、鹿角!?」

 

「jud.誰かと思えば酒井様ですか。こんな所までわざわざご苦労様ですね。おや——? そちらのお若い方は?」

 

「まぁなんとも嫌味ったらしい言い方だと事で……そいつは葵・タチ。武蔵アリアダスト教導院の生徒だよ」

 

「お初にお目にかかります、葵・タチと申します。以後、よろしくお願い致します」

 

「これはこれはご丁寧に。私は本田・忠勝様に仕える自動人形”鹿角”と申します」

 

 

 なんて事ない挨拶だった。だがタチの視線が細く、鋭くなったがそれは一瞬だけ。

 

 

「鹿角、さっそくで悪いがな——この小僧、タチを試せ」

 

「は? いきなり何を忠勝様。私は三河警護隊隊長である二代様のご出港の準備とお見送りにきたのですが」

 

 

 忠勝は焼き鳥の串摘んで口にいれて肉を食む。口から出てきた串には肉はついていない。無作法なまま忠勝は続けていく。

 

 

「二代を必要とする男の実力が、器がどんなもんかお前も知っといたほうがいいだろ?」

 

「なるほど。jud.」

 

 

 そこから早かった。

 

 鹿角は全く無駄のない動きで腕をタチへと向ける。そして忠勝の持っていた串に自動人形の基本能力である重力操作によって宙へと浮かし、ソレを——二代へと突貫させた。

 

 二代は動く。これは長年染み付いた動きであった。攻撃に対し回避か迎撃かの選択及び実行。

 

 しかし二代の動きは徒労に終わる。

 

 地面に打ち据えられた串に、二代の顔の横を通過し伸ばされたタチの手によって掴み取られたもう一本の串。

 

 

「お見事です。葵・タチ様」

 

「はっ! ちゃんと見てやがったかこの野郎!」

 

「試せと、本田様自ら仰ったのですから。それに鹿角様の言動からして手緩いことはしないだろうと思ったまでです」

 

 

 手に取った串を鹿角へと返したタチ。それを見て忠勝は面白そうに笑い視線を二代に向けてきた。

 

 お前は、こいつの器ににどう応えると。

 

 

 

 

 

 二代と鹿角を連れ立って忠勝は先に帰宅の途に至った。残った居酒屋で二人の中年と一人その他がいたがしばらく無言のまま茶をすする音だけが響くだけだ。

 

 

「榊原……ダッちゃん払ってないよな?」

 

「まぁ、そうですな。それも本田くんらしいと言えましょう」

 

「じゃあここは俺が払うしかないじゃんか。俺、財布持ってきてないよ」

 

「では、私が——」

 

 

 そう言って懐を探り財布を出そうとする榊原であったがそれを遮る手があった。

 

 

「榊原様、ここは私が払って置きます。ですのでごゆるりと昔話を。私は外に出ておきます」

 

 

 タチはそう言って立ち上がり個室から出てカウンターへと向かっていく。榊原は止めようとしたがそれを酒井が遮り意味を成さなかった。

 

 支払いを終えて店を出た姿が二人に見えた。酒井はそれを見て敵わないと苦笑いを浮かべながらも、この気遣いを無駄にしない為に榊原に向き直る。

 

 

「榊原、ツケの代金さっそく払ってくれ」

 

「……払うとしたら葵くんにではないでしょうか? まぁ……いいでしょう」

 

「まず、井伊の事だ。アイツ、今日来なかったがダッちゃんの反応からしてなんかあったろ? それと去年、武蔵に乗り込んだP-01sっていう自動人形について話せ。それでチャラだ」

 

 

 沈黙が流れる。しかし榊原は根負けしたように肩を落とし笑みを浮かべて語り出した。

 それは全てに帰結する話だった。

 

 

「公主隠し。酒井くんは知っていますか? この怪異を」

 



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手繰るは手は何処に伸びるか

「明日はきっと楽しくなるなぁ。そう思わない? ガッちゃん」

 

『そうね。トーリの馬鹿がコクって成功すればいいんだけど……そこは喜美や浅間が手を回してうまくいくように運ぶでしょ』

 

 

 左舷二番艦・村山右舷側の輸送横町を行く金髪金翼の少女マルゴット・ナイト。彼女は顔の横に展開したスピードメーター型の魔術陣(マギノ・フィグーア)に映っている相方のマルガ・ナルゼと話しながらカートを押していた。

 

 この時間帯、陸港のから受け取った荷物を各企業や個人の配送業者が地上を移動したり、空を飛んで配達する為に空中でのレースが行われる。

 

 空を飛び交う有翼種族や機殻で覆った機動殻で空を飛ぶ者達の姿をマルゴットは見上げながらこの後の予定を考える。

 

 

「ガッちゃん、今空で加重空間内での上昇レース行われてるね。後で参加する?」

 

『そうね。でも今は仕事を終えましょう。それから”提督(アルミランテ)”や”海兵(マリネ)”相手に稼ぎましょう。”山椿(ヴィルトカメリー)”の姐さんから見下し魔山(エーデル・ブロッケン)のテスター推薦もらえたしお互いに機動殻のカスタムとかしておきたいじゃない。元手が掛かるから遠慮してたけど最近は勝てるようになったしね』

 

 

 ナルゼの確認に、うんと元気よく頷いたマルゴット。彼女はカートに入れていた愛用の箒に視線を向けながら思い立ったように中央後艦・奥多摩へと顔を向けて立ち止まった。

 

 魔術陣(マギノ・フィグーア)越しからその動きに気づいたナルゼは苦笑をこぼし、マルゴットの言葉を待つ。マルゴットは心配そうに眉根を潜めて奥多摩の方向を見ながら口を開く。

 

 

「ガッちゃん。そっち、喜美ちゃん見える」

 

『jud.さっきからずっと橋の階段のところから動いてないわよ』

 

「じゃあさ、ソーチョーも動いてないんだよね」

 

『喜美が動いてないってことはそういうことでしょ。何かコメントある?』

 

「あるある!」

 

 

 そう言ってマルゴットはカートの中にあった包装された包みを魔術陣(マギノ・フィグーア)に映るナルゼに見えるようにそれを取り出した。

 

 

「これ、多分っていうか絶対ソーチョーだよね? 荷物の中に一個急ぎのやつがあってね。生徒会宛に包装は教育番組のやつで誤魔化してるんだけど配送表に思いっきり”絶頂! ヴァージン・クイーンエリザベス 初回限定盤”って書いてあるんだよね?」

 

『マルゴット……しんみりしたいのかツッコミたいのかどっちかにしなさいよ。全くあの馬鹿は、今朝買った奴で卒業するとか言ってたじゃない。何? 今朝のは最後でそれ以前だからセーフみたいな感じかしら』

 

「ナイちゃんに言われても困るよぉ。あっ、セージュンだ!」

 

 

 ナイトの視界に映った長い黒髪の男子制服を纏った線の細い後ろ姿は狭い武蔵の中と言えどマルゴットの知る限り正純しかいない。まだこちらに気づいていないのかぼんやりとした足取りの正純に彼女はカートを押しながら追いつきポンと肩を叩いた。

 

 

「やっほーセージュン! 今、三河からの帰り?」

 

「ぁ! ナイトか……そうだな。ちょっと考え事というか何というか……」

 

「そうなんだぁ、何考えてたの?」

 

『マルゴット、正純がそこに居るの? だったら今夜の事と生徒会宛の荷物、任せたら?』

 

 

 魔術陣(マギノ・フィグーア)から聞こえるナルゼの生徒会宛の荷物という言葉に正純が反応したのをいいことにマルゴットは嬉々として手に持つ例の荷物を正純に押し付けるように手渡した。

 

 正純は戸惑いながらも生来の生真面目さが発動して受け取ってしまったが、それを改めて確認してゲンナリと顔をしかめて後悔するのだった。

 

 

「何でこんな物が生徒会に?」

 

「ソーチョー宛だよん!」

 

「何で葵特定……あぁ、よく考えなくてもこんな物を頼む生徒会の人間はアイツしかいないな」

 

 

 己の上司の破天荒さと言うか非常識っぷりに正純は肩を落としてどうしようかと悩んでいたが、マルゴットが正純に声をかける。

 

 

「ねぇ、セージュン。今夜の8時に教導院でソーチョーとみんなで幽霊探しするんだけど来る?」

 

「え? あぁ、その……うちは村山だから夜奥多摩に向けて出歩くなら番屋を通るだろ? そしたら、父に迷惑が掛かる。すまないが今回は三河の花火を見に行くよ」

 

「そっか……セージュンも来てくれたらソーチョー喜んでくれると思ったんだけどなぁ。ナイちゃんはレースに参加しようと思うんだけどセージュンはこの後どうするの?」

 

「レース? なんのことかは分からないが私はこの後”後悔通り”について調べようと思っているんだが……」

 

「! そうなんだ……そしたらソーチョーに会っておくといいよ。後、タチやんにも話し――聞けないか……タチやん今三河かな?」

 

「あぁ。まだ酒井学長の護衛だと思うが……何故、葵達に話を聞いておけばいいんだ? ”後悔通り”と葵達に何か関係が?」

 

 

 正純の矢継ぎ早とも言える質問にマルゴットは答えることは無く。そんな二人がいる輸送横町に強い風が何回も吹き付けた。顔を手で覆った正純に対し、マルゴットは笑みを浮かべて空を見上げる。

 

 

「上がって来いよ”双嬢(ツヴァイ・フローレン)”、今度は負けねぇぞ! 年寄りの威厳って奴を見せてやらぁ!!」

 

 

 上空にいるのは有翼種族の者や機動殻に乗った飛行乗り達だ。彼らは空から二人を、正確にはマルゴットを見下ろしながら威勢の良い啖呵を口にする。

 

 マルゴットが箒の先端にある賢鉱石(オレイ・メタロ)に触れて機動準備に入っていた中、正純は己の中にあるわだかまりを解消するためにマルゴットに確認しようとしたが彼女はすでに箒に跨って飛行の準備態勢を整えていた。

 

 老兵である空のライバル達が若い挑戦者であるマルゴットを待っている中、正純は口を開いた。

 

 

「なぁ、ナイト」

 

「何? セージュン」

 

「もし、タチがさ――みんなを頼むって言ったら――お前は……どう思う? 信じられるか?」

 

 

 飛び上がる直前であったマルゴット。彼女はにこやかな笑みから目を見開いて驚愕した。夕方に差し掛かる少し前、暖かな日の光に橙が混じりかける。

 

 

「そっか……タチやん。ナイちゃん達の事気にかけてくれてるんだね。それだけで……ナイちゃん嬉しいよ。でも――ちゃんとこっち見て欲しいって、ちゃんと言葉にして伝えて欲しいって思うな」

 

「ナイト……」

 

「ごめんねセージュンしんみりしちゃって? 荷物の事任せたから!」

 

 

 そう言ってマルゴットはスピードメータ型の魔術陣(マギノ・フィグーア)を箒の先端と柄頭に展開し、反重力を発生させて空へと飛び上がる。風が正純の髪を揺らし、彼女が空を見上げた時には既にマルゴットの姿は小さくなっていた。

 

 

『マルゴット……目の端拭いたら? 霞んでちゃ前、見えないでしょ』

 

「うん。ごめんねガッちゃん。でも、でもね? ナイちゃん嬉しいんだ。いっつも背中向けてる人がさ――ちゃんとこっち見てくれてたって思うと何だか、胸の辺りがキュッとするけどほんわかするんだ。あははっ! 日差しが眩しいねぇ……ねぇ、ガッちゃん」

 

『そうね。確かに眩しいわね』

 

 

 

 

 

「怖かったら戻って来てもいいのよ、トーリ。――アンタは愚弟なんだから」

 

 

 教導院へとつながる橋の下に広がる階段に座り欄干に身をもたれ掛からせる喜美は一人呟きながら視線を先へと続く通り手前で動かない弟から固定して動かさない。

 

 先へと進もうとして引き下がり、それでも何とか進もうとして再び交代するという行動を繰り返すトーリであったが何を思ったのか反復横跳びやら、道の端にある街灯に足を絡ませてポールダンスを繰り出す始末。

 

 

「フフ、何と無くシリアスかましてたのにいい感じにぶち壊してくれるじゃない愚弟。何ポールダンスやってんのよ。賢姉ならもっとセクシーに、エロスにやれるわよ」

 

 

 できると言ったが喜美はそれを有象無象になど見せるつもりは毛頭なかった。彼女はいい女を自負し、またいい女として自身を磨き、決して簡単には頷かないし靡かない。

 

 心に決めた特定の誰かに、身も心も捧げてもいい男にしか彼女は己を許さない。それが彼女の矜持であり在り方だった。

 

 

「ありゃりゃ、トーリの奴何やってんの? 叩き落としたほうがいいかな?」

 

「あら、先生じゃない。食堂で一升瓶片手にゲラゲラ笑ってるって聞いてたけどこんなところまで何の用かしら? 今度は外で飲む気分?」

 

「ん~ん。先生は、涼みにかな?」

 

 

 そう言ってオリオトライは喜美の一歩降りた所の階段に腰掛ける。春先の穏やかな風を感じながら彼女は目を閉じて顔にかかった髪に指を通した。

 

 何気ないその行為だが美容に気を遣っている喜美としてはその行為は少々看過できないものであった。

 

 喜美は何処からか櫛を取り出し、手櫛で髪を梳くオリオトライを制止して櫛で髪を梳いていく。

 

 

「ダメよ先生。手櫛は髪を痛めるんだから。トーリやタチなんかもやるんだから賢姉的にバツなのよ。それなのに髪質いいんだから愚弟達の割に生意気だと思わない?」

 

「へぇ……そういやタチの髪、サラサラだもんね。――えへへ、なんか懐かしいなぁ」

 

「くふふ、一体どうしたの先生」

 

「いやぁ? 近所のおばちゃんとか……後お義父さんにさ、こうやって髪梳いてもらったの思い出したんだ」

 

「泣く子も泣き止むいい女の賢姉をおばちゃんや性別超えてお義父さん呼ばわりとは、いい感じに酔っ払ってるわね先生」

 

 

 照れ臭そうにはにかむオリオトライは喜美の優しい手つきに身を委ね、視線を下へ。

 

 トーリは”後悔通り”手前で逡巡する。まるで見えない壁がそこに存在しているかのように、足書きの根っこのように地面に埋まってしまったかのように彼は動かなかった。動けなかった。

 

 

「がんばれ。がんばれ」

 

 

 オリオトライはそう言って首元にかけている何の変哲も無い対の鎖を弄ぶ。それを聞いて喜美はいつも通りの、だが優しい笑みを浮かべた。

 

 

「先生は愚弟のこと応援してくれるの?」

 

「もちろん! 先生はクラスのみんなの味方だから。これ絶対ね! トーリも、喜美も、みんなも。後――タチもね」

 

 

 オリオトライの髪を梳いていた櫛が止まる。だがそれも一瞬で、先程と同じように優しい手つきでオリオトライの髪を梳いていった。

 

 

「先生は……タチの事、どう見えてる?」

 

 

 タチがオリオトライともう一人、アリシア・M・ホリーに師事している事を喜美も梅組の皆も知っている。だが知っているのはそれくらいだった。

 

 無茶苦茶な修行を、苦行を積んで体を苛め抜いているのを喜美は見ている事しかできなかった。

 

 

「あの子――あの時の夢を忘れてない筈よ。でなきゃ無茶する必要なんて、自分一人で背負おうとする必要ないもの」

 

「先生はその時の事知らないけど――そうなんだ。でもそれって間違いなのかなって先生は思うわ」

 

 

 オリオトライは鎖を弄びながら後ろを振り返る。君は少し不思議そうな顔でオリオトライと向き合う事になった。

 

 

「たとえ貴賎があってもその先にきっと花は咲く筈よ。あの子は腐らないし決して折れない。きっとアリシアもそう思ってる筈よ。だからさ――喜美も見守ってあげなよ。待つのもいい女の嗜み、でしょ?」

 

「……クフフっ。これは先生に一本取られたわね。そうね……。私に出来る事は、無茶する愚弟たちがちゃんと帰ってこられるように待ってる事だものね。そんで引っ叩いてやるのよ! つまり賢姉の天下よー!」

 

 

 しんみりから狂人っぷりを発揮した喜美であったが視界に見える自然区画に見知った顔がいたためそちらに注目した。オリオトライも気づいたのか、小さく声を上げて額に手をかざして陽光を遮った。

 

 自然区画から”後悔通り”に向けて歩いて行くのは正純であった。上からはその様子がよく見え、もうすぐ通りに抜けるのが分かるが正純は林に足を取られて進むのに四苦八苦している様子が見て取れる。

 

 

「あの子、変わった所を歩いてるわねぇ……もしかして”後悔通り”に行こうとしてるのかしら? くふふ、いい感じに新しい動きばっかりね」

 

 

 ねぇ、タチ。アンタはどうするの。いつまで後ろ向いてるの。何一人で背負いこんで何もかも決着つけようとしてるの。こっちを向きなさいよ。じゃないと——アンタの顔見て抱き締められないでしょう。

 

 

 

 右往左往する心

 それでも心は抱きしめたいと手を伸ばす

 例え拒絶されても尚、手を伸ばして

 

 配点(家族)



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解明のち疑問

 

 ついに辿り着いた 

 ついに登りきった

 だが、そこから見える景色は絶景だった。

 

 配点(交差)

 

 

 

「これ、私完全に――いや、そんな事はない! 狭い武蔵なんだしなっ!」

 

 

 三河から武蔵左舷二番艦・村山にある自宅に一度帰宅し、ナイトと会って生徒会宛の急ぎの荷物を受け取り”後悔通り”へと向かう正純であったが絶賛迷子の子猫ちゃん状態である。

 

 空元気で声を張るも虚しく響くだけ。鳥が飛び立つ音さえなく、森のさざめきだけが正純の耳に聞こえ彼女の不安をさらに煽っていく。

 

 

「近道だと、思ったんだけどなぁ……」

 

 

 多少木々の中を歩くことになるが整備された人工林だとたかをくくっていた正純。自然区画を抜ければ”後悔通り”に一直線だとそう思っていたのが失敗だった。

 

 これでは、自分から神隠しに逢いにいっているようだ——そう思って正純は反射的に制服のポケットにしまってある最低限の機能しかない携帯社務に手を伸ばし、お守りのようにギュッと握り込んだ。

 

 大丈夫、大丈夫だ。きっと——大丈夫。

 

 そんな切実な正純の願いを神が聞き届けたのか一陣の風が吹き付けた。それは木々の間を通り抜け正純に一つの標を示した。

 

 本来なら気にもしない事であったが、心細かった正純は天啓でも得たかのように顔を明るくして、風に従って歩き出す。風が吹き抜けた先か明かりが漏れ出て、抜けた先には自然公園の区画に存在する休憩所があった。

 

 

「! やった! 人がいる! と……ここは……?」

 

 

 親子がいて、休憩所で休んで笑顔であったその光景。正純は心の底からその光景を安堵と共に見つめ、そして目的を思い出し辺りを見渡した。

 

 そして目についたのが休憩所に壁に貼られた金属のプレート。どこか会議室のような様相の休憩所の壁にある金属のプレートにはこう記されていた。

 

 『”御霊平安” 一六十八年』

 

 おそらくは鎮魂、死者の魂に安らぎを願うものだろうと正純は辺りをつけた。現在一六四八年でありプレートに記された年月は約三十年ほど前のこと。

 

 約三十年は、三河周辺は安定していたとは程遠く極東各地で戦乱や政治の圧迫に対し、旧派による反乱があったはずだと正純は記憶の中から探り当てた。

 

 

「そうした反乱を収めた手腕から若くして元信公は、”松平元信”を襲名できたんだよな……っと、”後悔通り”はこっちか」

 

 

 看板に”正面通り方面”と書かれている。正純はそれに従って整備された道を行く。色々と考える事のある日だと、そう思いながら今日得たものを思い出していく。

 

 失った物を再確認して悲しみを得て、だが武蔵で確かに得た物はあって、それはかけがえのないものだったり下らないものだったり、しかしそれらは正純の確かな日常であった。

 

 森のさざめきに混じって唄が聞こえる。

 

 通りませ、通りませ、と。

 

 

「通し道歌……P-01sか」

 

 

 通りに出た安心感。紆余曲折あれど目的地に到達した爽快感から正純は珍しく爽やかな笑みを浮かべ、腰を降りながらも額を制服の袖で拭い中央前艦を向いた。

 

 

「彼女のこと、友達と——」

 

「こんなところで何をしている正純」

 

 

 その声に、正純の背筋に冷たいものが走る。一度、ゴクリと息を飲んで務めて平静を取り繕って正純は振り返った。

 

 そこには二頭の馬に引かれた立派な作りの馬車があった。どうして今の今までで気づかなかったのだろうと正純は自分の観察眼に辟易しながらも、それ以上に馬車の窓からカーテンを分けて顔を出した身なりのきっちりとした男に向き直った。

 

 

 正純と、何も感じない声をかける男へと、己の父へと、本田・正信へと正純は向き直った。

 

 

 かけられる言葉一度だけ。それ以上深く踏み込まないし遠慮する事もない。正純は手に持つ携帯社務を思わず握りこんでしまったが、声も表情も冷静を保って模範的な受け答えをする。

 

 

「武蔵の事で、未だわからない事があったので実地で調査していました」

 

 

 父と娘の会話ではないと正純自身思っている。だがこのような会話が己と父の関係を如実に表していると自嘲するほかなかった。

 

 何故なら父は、襲名に失敗した私などに——もう何も期待していないのだから。

 

 だから、そうかと言って御者に促して馬車を進ませて、

 

 

「ならば正純。お前の出てきた森にあった休憩所について、何か分かったか?

 

 

 本多・正信は正純の諦めとは裏腹に、そう問いを投げかけた。

 

 

「え? あの休憩所が何か——-?」

 

「勉強不足だな。何一つ、理解が無いとはな」

 

 

 そう言って正信は明らかな落胆のため息をこぼす。まるで期待外れだと、そう言われているようで。

 

 確かに自分は勉強不足なのかもしれない。いろいろな人に踏み込めと言われた。今まで踏み込んでこなかった自分の落ち度なのかもしれない。それでも——学ぶことを忘れたわけではないと、言いたかった。

 

 グッと奥歯を噛んで、俯けど何を言っていいのか分からなくて。そもそも言ったとしても何か帰ってくる保証など微塵もなくて。それでも、それでも、それでもそれでも——。

 

 そんな折、馬車の中に居た人物がヒョッコリと顔を出した。まるで絵に描いたような七福神の恵比寿様のような風体の男だが、正純はその男が武蔵商工会において多くを斡旋する小西という男だと気づいた。

 

 

「これはこれはご子息、また珍しい物をお持ちのようで。私は取引でそういった物を扱うのですが——初回盤とはまたレアな」

 

「え!? あ、コレはその……友人のモノで——」

 

 一瞬、小西が何を言っているのか理解できなかった正純だったが、左手に教育番組のチラシで包装された箱を持っていることに気づいた。

 

 

「……よく分からんが——差し上げろ」

 

 

 正純は己の父親が何を言っているのか理解出来なかった。全くもって持っていたくもないそんなシロモノだが、仮にも他人の物でしかも渡してくれと頼まれたものだ。

 

 それを差し上げろと。迷うことなく断るはずなのだが——正純はそこで躊躇ってしまった。

 

 

「友人のモノだというのなら後で買って届ければいい。そもそも相手が未だ所有していないのだ。そこにある物でも、後で買った物でもさりとて違いは無い」

 

 

 全くもってその通りなのかもしれない。正信は正純に、小西とつながるチャンスを作ろうとしているのだろう。

 

 こいつは使えると、将来の布石として正純に、小西に恩を売っておく。分かる。分かるからこそ正純は躊躇ってしまったのだ。卒業後に控える武蔵の暫定議員としての今後を考えて。

 

 だが、本当にそれで良いのかと正純は再び奥歯を噛み締めた。友とは呼びたくも無いし願い下げだが、それでも相手はなんやかんや声を掛けてくれて、しかもいろいろ顔を合わせる男の弟で——考えて考えて考えて、それでも正純がどうもできなくなった時に——救いの手は現れた。

 

 

「おっしゃセージュン、良い仕事したー!!」

 

 

 武蔵における芸人、ではなく総長兼生徒会長葵・トーリその人である。

 

 正純の手から力無く包装されたエロゲの包みを掴み取ると、正純と馬車の間に入ってコレまた力無く彼女の体を馬車から遠ざけた。

 

 一体全体なんなんだと正純が軽く慌てていて気づかなかったが、正信と小西の2人は目を見開いてトーリを見つめていた。

 

 

「はぁ……はぁ……ナイスだぜセージュン。コレ俺んだよな? そうだよな!」

 

「あぁ……そうだが、お前どうした? 顔色悪いぞ。今すぐにでも戻しそうな感じだ。大丈夫か?」

 

「あぁ、ちょっと走ったからな。ハハハ、久しぶりの運動は堪えるー。そういやセージュン、俺、明日惚れた女にコクりに行くんだけどさ。今夜前夜祭するからお前もこねぇか? ん? ん?」

 

「はぁ!? 急に出てきて何言ってるん葵! それに夜中出るなら三河の花火を見に行くさ」

 

「あぁそっか、そりゃ残念だわ。実は俺のコクる人セージュンもよく知ってる奴だからさ。来て欲しかったんだけどそういう事ならしゃーなしだな」

 

「っておま!? それ私に迷惑かからないよな!? 何よりそいつに迷惑かからないよな!?」

 

「さ〜、どうだろうな〜。なぁー……なぁー……ぁー」

 

「何だったんだアイツ……!? あっ、申し訳ありません。とんだ物を見せてしまって——!」

 

 

 はっとなって、今自分が誰を前にしているのか正純は思い直して小西と正信に向き直るも、馬車の中にいる正信の視線は教導院へと向かう葵・トーリの背中に向けられたまま。小西は気にはしていないと手を振って鷹揚に対応し、彼もまた感慨深げに窓枠から軽く顔を出してトーリの背中に視線を負追わせた。

 

 

「いやはや……まさかこんな所で”後悔通り”の主に出会うとは……。もう十年ですかな」

 

「”後悔通り”の……主? それは一体……」

 

 

 一年間、狭い無際に中で生きてきて初めて聞いた言葉だと正純は思った。恐らくトーリの事だと思うのだがあまりにも情報が少ない。こんな話は何一つとして聞いた事がなかった。

 

 それは一重に、武蔵の住人がこの話題を避けていたからでは無いのか、

 

 

「後ろにある石碑を見られるとよろしい」

 

「あの石碑……ですか?」

 

「うむ、その通り。”一六三八年 ホライゾン・Aの冥福を祈って 武蔵住人一同”そう書かれているあの石碑です。あれは鎮魂のための物。昔、ここで、ここが”後悔通り”と呼ばれる前に1人の少女が事故で亡くなられました」

 

「その子が……ホライゾン・A……」

 

「そうだ。ホライゾン・アリアダスト。聞いた事がなかったか? 元信公には内縁の妻が居ると。その内縁の妻との娘が、ホライゾン・アリアダストだ」

 

 

 父、正信から告げられる衝撃的な事実。正純は三河に行く途中で境から聞いた話を冗談か何かの類だと思ったが、こうして大真面目な父と神妙な顔の小西から聞いては冗談では済まされないと、そう受け止めるしかできなかった。

 

 

「アリアダストと——コノ性はかつて元信公が三河の当主となられた時に、聖連に恭順を示そうとして松平の姓を逆さ読みにし頭の一字を削る事によってMATSUDAIRAからARIADUSTと。聖連は元信公の意思を認めた上で元に戻させました。ですがこの姓は後に色々と別の形ですが残ったのです」

 

「まさか……それが……」

 

「そうだ。ホライゾン・アリアダスト。元信公の内縁の妻の娘」

 

 

 愕然とした正純であったが話はまだまだ続く。強制的に情報が正純の頭の中に叩き込まれる。

 

 

「ホライゾン嬢が死んだ事故。その事故に遭わせたのは元信公の乗った馬車でな。明日でちょうど十年の武蔵改修が決められた式典に向かう途中だった。遺体は松平家で引き取られたが遺品も何もこちらには——いや、そう言えば唯一彼が持っていたな。まぁコレは公にできぬ話だ。そうか——明日でもう十年になるのか」

 

 

 感慨深げな正信。もう十年と、そう口にした。だが正純には分かる。トーリの後悔は未だ続いていると。未だ後悔のリアルタイムにいるのだと。

 

 

「結論だけで言えば彼が——いや、彼葵・トーリとその双子の兄葵・タチがホライゾン嬢を殺したのですから。その後悔は未だ癒えてはいないのでしょう」

 

「葵・トーリと……葵・タチが——殺した!? それは一体どういう——」

 

 

 ここまで饒舌に語った小西だが、彼は否と首を横に振るだけで答えなかった。その先は正純自身が踏み込めと言っているようで。

 

 

「踏み込め。彼らの後悔の行き場所に。——これ以上は語りすぎだ。進めてくれ」

 

 

 正信はそう言い残し、馬車に揺られて去っていった。

 

 

「葵が……タチが……ホライゾン・アリアダストを殺した? そんな……だったら葵は何故笑っていられる? それにタチは? 何故、あんなにも平常を保っていられるんだ? 何故、何故?」

 

 

 疑問だけが正純の中に残った。解明された疑問の先に、見えた先にあったのはさらなる疑問だけだった。

 



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祭りの前の静けさ

 

 

 三河陸港、武蔵専用ドックとは数キロ離れた場所にある一般港に着艦しようとしていた三征西班牙(トレス・エスパニア)所有の艦。その甲板の上で双眼鏡を大きな義腕片手に覗き込む少女が一人。

 

 義腕と小柄な体躯のアンバランスさを見る者に感じさせるが、どこかそんなアンバランスさが違和感ないそんな少女はジッと遠くを見つめていたが、大きくすれ違う形の艦に気づき双眼鏡を外して視線を送った。

 

 

「誾さん。先程の飛んだ、武蔵の進路の安全を確認をする先行艦には”東国無双”本田・忠勝様のご息女が乗られているそうですよ」

 

「宗茂様……」

 

 

 大型の義腕の少女、立花・誾は振り返った。振り返った先にいたのは金髪の美丈夫が一人、空を行く先行艦を見上げながら誾へと言葉を掛けてくる。

 

 甲板で作業をしていた三征西班牙の生徒が金髪の美丈夫に気づくと作業を止めて会釈をし、挨拶もそこそこ作業へと戻っていく。美丈夫は苦笑いを浮かべたりしながらも頭を軽く下げて返礼とし甲板の艦首側に立っていた誾の隣に立った。

 

 男の名前は立花・宗茂。”西国無双”の名を襲名した若き武士である。

 

 

「Tes.今夜は三河も祭りのようですし、役目をしばし忘れてゆっくりとしたいものですね」

 

「はぁ……そんなことよりも、もっと前に出て堂々と胸をお張りください宗茂様」

 

「ちょ、誾さん!? これ以上前に出ては私、もう落っこちそうなんですけど!?」

 

「大丈夫です。宗茂様ならむしろどんとこいです。そんじゃそこらじゃ真似できないことやって俺Tueeee!! して下さい」

 

「はぁ……誾さんがそう言うのなら不肖この立花・宗茂、俺TUeeeeします」

 

「それでこそ宗茂様です。立花の性は伊達ではないと周囲に誇示して下さい」

 

「Tes.」

 

 誾の隣で堂々と、前を向いて己と言う存在を誇示する宗茂に対し彼女は無表情のまま満足げに頷きともに前に倣った。

 

 夕暮れの空。徐々に高度を落とし陸港に着艦していく三征西班牙の特務である宗茂と誾が搭乗する艦の上を泳ぐ一艦が一つ。

 

 

「教皇総長自ら大罪武装の無心ですか……いやはや世も末ですね」

 

「末世ももうじきと言われていますからあながち間違いではないのではないですか宗茂様。P.A.Odaや羽柴に対する対抗策として個人で携行可能な大量破壊兵器の大罪武装の無心と言う建前は理にかなっています。だからと言ってK.PA.Italiaに独走を許して良い理由にはなりません。だからこそ同じ大罪武装の担い手であり八大竜王である宗茂様がこうして牽制に出ているのです」

 

「戦う事しか出来ない私が、随分と政治的な価値を持っていますね。私、弁は全くたちませんよ?」

 

「Tes.そんな事は私が一番よく分かっています。宗茂様は西国無双。誰よりも強いのですから」

 

 

 そう言って、誾は宗茂の顔を見上げた。宗茂もまたその視線に応えるように誾へと顔を向ける。

 

 

「勝って下さい宗茂様。私を――悲しませないように」

 

「……Tes.ここは冷えます。それに私たちがいては作業中の彼らの邪魔になってしまいますから中に戻っていましょう」

 

 

 宗茂の促しに誾は黙って頷いた。誾の背中に手を軽く当てて甲板を歩く宗茂であったがふと、疑問に思い夕焼けの空の向こう、神代の時代の痕跡が残る町・三河へと視線を向けてポツリと呟く。

 

 

「しかし……一体、何に対しての祭なのでしょうか……」

 

 

 

 

 

 夕暮れは過ぎ、夜の帳が落ちてあたりがすっかり暗くなった頃を見計らって一体の自動人形が号令を出す。

 

 

「今宵、三河最後の祭りを始めます。元信公、主催として存分に乱り狂い下さい。我らはその本懐が叶いますように、微力ながらご助力致します」

 

 

 今宵、この時から末世の行く末を巡る創世の異聞録は幕開いた。

 

 

 

 

 

「めんどくせぇ……」

 

 

 葵・タチはぶっきらぼうに悪態をつき三河から武蔵が着港している武蔵専用ドッグへと続く山道の間に存在する関所まで戻ってきていたが後ろを振り向き四角いの巨大な建築物を視界に収めた。

 

 関所には武蔵へと荷物を運んでいた三河側の人間もほとんど居らず、そこに居るのは警備に勤めていた三征西班牙の所属の人間や、大罪武装の無心に来た教皇総長の護衛であるK.PA.Italiaの学生がほとんどで極東所属の人間はタチ一人という中、タチはそんな事は一切気にせずにその建物を見つめていた。

 

 酒井や榊原と別れて三河から武蔵へと戻ってくる道で軽い胸騒ぎ、虫の知らせ、第六感とも言うべき不鮮明な胸のつっかえを感じていたタチは歩くごとに大きくなるそのつっかえを無視できなくなり、苛立ちを感じていた。

 

 

「何処の誰だかしらねぇが……誰だ」

 

 

 誰かに呼ばれている気がする、という不鮮明なものがタチの胸中に存在するつっかえの原因であった。 

 

 その声は、タチにとって不愉快そのものでありながら同時に惹きつけられ無視できないといった不可解なものであった。

 

 不可解で、不愉快で、それ以上に決して無視してはいけないようなその声が頭の奥底にべったりとへばりつくように、染み付くようにまとわりついて消え去らず更にタチは怒りを募らせていく。

 

 

「ちっ……」

 

 

 その声が大きくなった。

 

 不愉快だから、タチは武蔵へと戻ることをやめて再び三河へ向かう事に決め方向転換し歩いて来た道を戻っていく。不審げな視線が関所にいた者達から多数向けられたがタチは気にせずに見えざる声という不可解なものを自覚したが故に、さらに大きくなった声を頼りに三河へと戻っていく。

 

 何を言っているのかわからないし、そもそも女なのか男なのかさえも定かでは無いその声。

 

 タチの胸のあるのは頭の中に響く声を響かせる者への苛立ちと怒り、その他諸々を抱え睨みつけるように三河中央部に存在する四角い建築物に視線を向けて舌打ち一つ。日が地平線の向こうに沈んでいく中、夕暮れのオレンジブルーの空にポツリポツリと斑点のように雲が浮かんでいる。

 

 整地されているとはいえ細く険しい山道を歩き三河へと戻っていくタチ。

 

 今夜、夜8時からトーリの告白前夜祭がある事はタチも分かっていた。口にしないが、誰も明言していないが三年梅組の者達は全員トーリの告白に何かしら思っていて、そして告白前夜祭に参加するだろうとタチも分かっている。

 

 10年の後悔からついに前を向き双子の弟が自分で歩き出した事は、タチも言葉にはしないが嬉しいと思う気持ちはあったが自分がそれを祝う資格もないと思っていた。

 

 だから、行かないし行ける訳が無い。

 

 ホライゾンを死なせてしまったのは自分なのだという後悔。

 

 それはタチの中にも10年前から根付いているのだから。

 

 今朝の言いようからトーリはトーリでこの10年で色々と考えて何かしらしようと考えている様子なのはタチも気づいているし、それは近くで見て来ていた喜美や浅間、三年梅組の者達がもっとも深く理解できているだろうとタチは橋上での様子で確信したのだ。

 

 夕日が沈み薄暗くなっていく中で影が濃くなっていく山道を歩くタチは武蔵の上に住む者達について考えながらも、振り返る事なく三河への道を進んでいく。

 

 いい連中に恵まれたのが幸いだ、と弟に対する喜びやその連中とやらに対する感謝を感じ一瞬だけ表情を和らげたタチであったが、彼は弟や他の連中が歩く道と共に同じ道を歩く気は一切なかった。

 

 10年前、皆が思い浮かべた口にした夢の中で誰かの為の夢を口にしたトーリとホライゾン。その二人ならきっと皆を幸せに出来るとタチは信じているから、彼も10年前に口にした己の夢を叶えるためにこの10年を費やしてきたのだ。

 

 今年で末世。タチは末世というモノの正体は何も分かっていないが、ソレが本当に訪れるものと確信していた。

 

 だから、今年でケリをつけると彼も今日決めたのだ。

 

 明日でホライゾンが死んで10年となり、今年で末世が訪れるのならもはや悠長に待っている時間も己を鍛える時間も無い。

 

 

「まぁ……大丈夫だろ」

 

 

 どんちゃん騒いで明日に向けて英気を備えて、そして明日に全てを成功させてホライゾンを手を取ってトーリが前を歩いてくれたらタチとしては万々歳なのだ。式をするというのなら浅間が色々取り持ってくれるだろうし、姉である喜美が手を焼くのは目に見えて分かる。武蔵艦上もきっとお祭り騒ぎになるだろう。

 

 とはいっても、タチ自身はソレに参加するつもりはない。祝儀を送れば済むとは微塵も思っていないが、シロジロに頼んで貸金庫にタチが貯めて来たそれなりの額を収めてもらっており、その時に出してもらうように頼んでいる。

 

 金で動く人間だがそれなりに金を積んでいるため早々裏切りはしないはずだと、タチは思い薄暗く夜がおりて来た空を見上げた。

 

 山道を抜けて木々の葉によって明かりがおぼつかない雑木林の中を進み、砂利に足を取られる事なくタチは三河へと再び戻って来た。

 

 武蔵が神州を一周して荷を下ろして交易する時以外にほとんど接点の無い三河の地にタチが足を踏み入れた事は滅多になく、足を踏み入れても郊外の住人が住んでいる場所だけで今日のように酒井の付き添いとはいえ中央部近辺に向かった事はなかった。

 

 三河郊外から中央部に向けての道は人の活気や生活の灯りもなく、足を踏み入れる事が躊躇われる不気味な場所であったがタチは深く考えずに躊躇う事なく中央部へと歩いていく。

 

 

 声が強く、大きくなった。

 

 

 どこの誰かは知らないが呼んでいるというのならとにかくその面拝んで文句の一つでも口にしなければタチの気は収まらなかった。

 

 どこの誰かも知らない声。もしかしたら末世の影響で湧き出て来た怪異かもしれないがそれならそれで対処すれば良し、としてタチは対処すると決めたがどうもそのようなモノではないという不思議な確信があった。

 

 三河中央部はかつての神代の生活の名残である建築物が残されており、三河郊外の三河住人の生活圏はそこから先には存在していなかった。そこから先は三河に存在する地脈を利用して作られた地脈炉の活動によって発生した怪異が闊歩しているためである。

 

 怖いもの知らずや大型の怪異に対して対抗策を持つ者なら夜中に出歩いても己の身は守れるだろうが、そもそも自分から危険に飛び込んでいくような人間はまずいない。末世の噂もあり世の中一層物騒になっている中で夜間に出歩き自ら怪異に会いにいくなど自殺志願者か気狂いの類だ。

 

 さっさと帰って飯食って寝る。

 

 タチの頭の中にはそのような気軽な考えとバカ騒ぎには間に合わなかったなと、そんなお気楽な考えだけであった。

 

 

 

 振り返って見ても

 後ろを見ても

 あんまり意味はないかもしれない

 配点(追憶)

 

 



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世界に向けてのセンセーション

 

 エゴい本音を一つだけ

 誰も失いたくは無かった

 配点(覚悟)

 

 

 

 三河に存在する地脈炉を内部に搭載する四角く閉じられた建物から、天に向かって伸びる光の柱が君臨すると共に時代に取り残された神代の街並みにヒビが入り、建物を中心に地割れが生まれ光が、世界を構成する流体の光が噴き上がった。

 

 

「ッ?! どうなってんだ!」

 

 

 地中奥深くから発生する地響きが確かな揺れとなって地面を揺らし、それは震源と思われる中央部から三河郊外にも大きな揺れとして確認された。地面を裂くように吹き上がる流体の光と、地脈炉からそびえ立つ光の柱からして明らかな異常が誰の目にも認識する事ができた。

 

 そして、こっそりと三河中央部へと足を踏み入れていたタチはその異常を間近で視認することとなり、いつも仏頂面か不機嫌な渋面が今は目を見開き驚愕に染めて無意識のうちに声を張り上げてしまった。

 

 地面の揺れは今も大きくなっており、普段から体を鍛えて悪路の走破もたやすく行う事が可能なタチであっても不用意に動けない規模に膨れ上がりつつあった。

 

 苔が生え蔓に覆われて雨風に晒されていた神代の巨大な建築物が崩れ、大きな岩となって地面に降り注ぎ、その一部がタチの頭上へと降ってくる。夜に差し掛かったが、光の柱によって十分すぎるほどの光量を得た三河においてタチの足元に生まれた影の正体にタチはすぐさま気づきその場から退避して落石から退避した。

 

 

「あの光……おそらく流体だろうが……まさか――流体炉の暴走か?」

 

 

 神代の建築物の崩落によって発生した落石。兎にも角にも落石による圧殺から己の身を守ったタチは自身が持ち得る知識から導き出した推測と、無加工の流体を見てここ三河で起きつつある異常の原因におおよその目処を付けていた。

 

 

「さっさと帰っときゃ良かったな……」

 

 

 苛立ちに眉根を寄せて天を衝かんばかりの光の柱、流体を発生させている三河の地脈炉を睨みつける。

 

 地脈炉の限界稼働によって発生した意図的な暴走だというのなら、暴走させた張本人がいるであろう事は少なくない判断材料であっても気づく事ができる。地脈炉の使用によって地脈から流体を大量に抽出する事ができるが、それによって周囲の空間に歪みが発生する。周囲の空間に歪みによって大なり小なり怪異が生まれる事はタチも授業や怪異発生の原因として把握していた。

 

 三河に存在する地脈炉・新名古屋城。四つの地脈炉とそれを統括する中央統括炉によって構成される新名古屋城が暴走しているとなれば、聖連もすぐに乗り出してくるだろう。

 

 何故なら、過去、地脈路の暴走によって発生した被害により半径数キロが比喩ではなく消滅した。それに比べて新名古屋城が暴走自壊すれば無加工の流体が周囲の空間を侵食し、そして周囲一帯を消す飛ばすだろう。

 

 その被害によって恐らく三河は消滅するであろうと仮説を立てたタチは光の柱を睨みつけた。仮に三河が消滅せずとも三河という地が尋常では無い被害を被るのはもはや明白であり、それによって極東という地がその責任を負わされる未来は避けられようもない。

 

 

「……武蔵を監視してた武神、なんでここまでになるまで気付かなかったんだよ……三河が消えたら聖連が極東に責任追及できるから放っておいたのか? 三征西班牙は最低限、三河の監視はしていたっていう証拠が欲しいから動いたか……それとも本気で今まで気づけなかったか……どちらにしろめんどくせぇな」

 

 

 タチが考えた仮説。前者であってもタチとしては納得できた。極東人は過去行われた歴史再現による南北朝戦争を発端として重奏統合争乱によってその地位を貶められている。聖連所属の各国にとって極東にとっての不利益は、聖連所属の各国にとってほとんどが利益であり、だからこそ聖連は虎視眈々と神州の支配権を狙っている。

 

 三河で起こされた地脈炉の暴走、これを出汁にして神州の暫定支配から完全支配に移行するかもしれない。限られた生活圏において、安全で豊かな地に各国の人々が住み、重奏神州と神州が融合して発生した重奏領域の過酷な環境に極東の人々を押し込めれば聖連は万々歳だ。

 

 

「マジでさっさと帰っときゃ良かった……チッ!」

 

 

 不可解な声などというものなど無視して帰っておけば良かったと心底思ってうんざりしたように大きく溜息を吐いたタチだが、意を決したように重心を落として腰を落とし構えていた状態から背をすっと伸ばしていまだに揺れる地にしっかりと足を踏ん張り新名古屋城に向かって体を向けた。

 

 半ば自分から巻き込まれに三河中央部に踏み込んだとはいえ、新名古屋城の地脈炉暴走の原因の排除に尽力する事が極東ひいては武蔵を守ることに繋がると判断したタチは、まず新名古屋城の所有者にして三河君主である松平元信やその配下と接触するべきと判断し、周囲に人の気配が無いか探った所で自分に刃が向けられていることに気づく事ができた。

 

 空を裂いた甲高い風切り音と地を踏みしめて移動する疾走の音。それはタチが知る中で最強にして最高の実力者であるオリオトライやアリシアの二人に引けを取らない速度と技巧とわずかな驚きと静まりゆく思考の中で瞬時に判断。

 

 

「シッ――!」

 

 

 背後から迫る刃の気配。真っ向からという言い方も可笑しなものだが、何の躊躇いもなく背後からの不意打ちをしてきた謎の存在の動きを察知し、その動きから槍や薙刀のような長物の得物と判断する。

 

 相手の間合いに自分が入ったと感じ取り、踏み込みと腕の突き出しによって刺突と思しき動きによって発生した烈風を間一髪、左足を伸ばしきり、地面を這うように四肢をつけて身体の上を通過した刃を回避に成功したタチは、右足を軸にしてコマのように回転しながら左足による足払いを繰り出した。

 

 

「――フッ……」

 

 

 しかし、タチが繰り出した足払いは相手にかする事もなく空振りとなった。

 

 だがタチとしても足払いが当たるとは最初から思っていない。凶刃を繰り出した相手に背中を向けていたが、回転することによって体を相手に向ける事が目的であったのだ。足払いによって次の動きに繋げるのを阻止する狙いもあったが難敵にして強敵であろう相手がその程度で手を緩めるとは考えてはいなかったタチ。

 

 タチの動きは非常に合理的で、また戦い慣れた動きであったが彼は相手を見誤った。

 

 彼は並外れた師に師事して、戦闘技能を高めてはいたがこれほどまでに鍛え上げられた槍の名手にはいまだ出会った事がなかったのだ。

 

 それが、彼の誤算であった。

 

 

「遅く――そして弱い」

 

 

 謎の存在に体を真正面に向けたタチであったが、既に槍は引き戻されており、引き絞られた両の細腕から鋭い刺突が繰り出され、空気を切り裂く烈風と共に鋭すぎる刃の一撃がタチの右肩に直撃した。

 

 

 

 

 新名古屋城正面では赤を基調とする三征西班牙の制服を纏い武装した戦士団や、膝をつき崩れ落ちた武神の操縦者が小柄な少女に救助されて撤退していきながら、少女、立花誾が視線を新名古屋城の方へと視線を向ける。

 

 新名古屋城正面へと続く木造の橋が半ばから何らかの力によって抉れ、その先にも地面を削り取ったかのような傷跡が残されている。

 

 そして、暴走し三河消滅の危機に陥りつつある原因の新名古屋城前では二人の武士が睨み合っていた。一人は若く、もう一人は老いているが若者に負ける事なく、二人の体から発せられる覇気は互いにせめぎ合っている。

 

 

「遅くなって申し訳ありません。そして、お初にお目にかかります”東国無双”本多・忠勝殿。三征西班牙所属”神速”ガルシア・デ・セヴァリョスを襲名しました――立花宗茂と申します。戦種は近接武術師です」

 

 

 若い美丈夫はこの尋常ならざる状況下でも国の威信を背負った代表であることを忘れることなく毅然とした態度を取り、己が手に持つ得物を胸の前に掲げて更なる二つ名を口にする。

 

 

「三征西班牙に配られた大罪武装、二つのうちの一つ”悲嘆の怠惰”を預かる八大竜王の内の一人でもあります」

 

「おうおう! ノリノリじゃねえかお前!」

 

 

 毅然とした態度と鍛え上げられた肉体の若武者、立花宗茂に対して甲冑を着込んだ老いた武者は心の底から面白いと言わんばかりにニヤリと口角を吊り上げて笑みを浮かべるが老武者、本多忠勝に一切の油断はなく神格武装”蜻蛉切”の切っ先を宗茂へと向けて相対する。

 

 

「ま、遅くなって申し訳ねぇって思うんなら帰んなお前さん。我はお前さんに構ってやる暇はねぇし、やらなきゃならねぇ事があんだから――ってわけには行かねえか……」

 

 

 まるで分からず屋を相手にする大人のように疲労のこもった溜息を吐いた忠勝は視線だけをを背後にむける。忠勝の背後には”悲嘆の怠惰”の切っ先を忠勝に突きつけた宗茂が居るが彼は先ほどまで忠勝の正面数メートルの距離に居たはずだった。

 

 

「――Tes.投降を。そして新名古屋城の異常解明にご助力をお願い――」

 

 

 いくら一騎当千にも等しい武勇を誇る武者といえど背後を取られれば取れる行動は限られる上、背後を取った者の方が有利なことは変わりはない。背後を取られた忠勝が不利な体勢であることは覆しようがなく、宗茂は忠勝がおかしな行動を取ろうものならすぐに切っ先を突き刺す事も辞さない覚悟を持ち合わせていたが、宗茂は忠勝の次の行動を確認すると共に一目散に回避に徹した。

 

 

「結べ――”蜻蛉切”」

 

 

 忠勝の手に握られた得物”蜻蛉切”の刃が煌めく。曇りなき白刃に映った宗茂の姿。そして”蜻蛉切”の神格武装としての能力は、刃に映した対象を割断するという物。

 

 だからこそ、宗茂は退避を選んだ。対象の範囲内にて能力を使われれば防御は不可能。故に全力での回避。

 

 

「なるほどな—-”神速”の名は伊達じゃねえって事か。やるな若ぇの。”蜻蛉切”の範囲から一瞬で逃げ切るたぁな」

 

「Tes.刃に対象を映し対象を割断する”蜻蛉切”の有効射程距離は30メートル。それならば、そもそも刃に映らないようにするか、有効射程距離から一瞬で退避するしかない」

 

「まぁ、”悲嘆の怠惰”を持ってんだ。対処法の一つや二つ思いつくか」

 

 

 口笛を吹き、感心した様子の忠勝に対し宗茂は大きく息を吐いて急激な動作によって熱のこもった体から熱を吐き出し、ここからどうするかと思考を巡らせ新名古屋城に意識を向けながらもその大部分を忠勝から引き離すことはできなかった。

 

 

「何故……”蜻蛉切”の事をあそこまで知っているのですか?」

 

「あ? なんだ鹿角——お前生きてたのか」

 

「なんと、忠勝様は死体を抱く趣味があったのですか? 地脈炉がドンと爆発寸前だと言うのに……ここに来て新しい趣味を見出すとは流石は忠勝様ですね」

 

「お前こそそんな様でよくもまぁ減らず口が叩けるなおい。これはアレだ……鎧のつもりだよ!」

 

「なるほどなるほど。鎧のつもりでしたら……このようにすれば問題は無いと思います」

 

 

 つい先程まで武神と切った張ったの大立ち回りを繰り広げていた自動人形・鹿角だが、その体は胸から下が何らかの力によって抉られ削られたかのようで、それは血の通わない自動人形といえど致命傷とも言える損傷であった。

 

 彼女は先程から忠勝に抱えられており、機能不全に陥っていたが駆動源である流体の循環を調整して機能を復活させたのである。そして鹿角は忠勝のいう鎧のつもりという言葉を受けて、何とか無事な右手で動かない左手首を掴み忠勝の胴体を守る鎧となる。

 

 

「それにしても……何故、あの方は”蜻蛉切”についてあそこまで詳しいのか疑問です」

 

「あぁ、そりゃ三征西班牙に配られた大罪武装の”悲嘆の怠惰”と”嫌気の怠惰”の試作品が”蜻蛉切”だからよ。テストも我がやったし——殿先生が色々聖連なんかに伝えた情報なんかもあったんだろうよ」

 

 

 鹿角を伴った忠勝は背後へと体を向ける。図らずも退路を断たれるような形となった宗茂だがもとより彼の頭の中に撤退の二文字は存在せず、また撤退は決して許されていない。宗茂の不退転の覚悟を感じ取ったのか、忠勝はニヤリと笑みを浮かべたがそれは先ほどよりも遥かに好戦的で鋭い気配が伴っている。

 

 

「先程飛来した弾丸のような力場を左手から入れて、重力制御の連続制御で何とかそらせましたが……アレは一体——”悲嘆の怠惰”の能力でしょうか?」

 

「”悲嘆の怠惰”の超過駆動ってヤツだな。刃に映り覚えた射程距離上の物を削ぎ落とす大規模破壊」

 

「成る程、力場の後に飛来した力は”悲嘆の怠惰”の超過駆動というわけですか」

 

「つっても、我の”蜻蛉切”も負けてねぇんだぜ? 上位駆動は事象も割断できるんだからよ」

 

「jud.jud.具体的に勝つ方法を仰ってください忠勝様。あちらは新品、こちらは出がらしの試作品ですので」

 

「いきなり悲観的な鎧だなお前。まぁ、我の勝ちはここでこの若ぇのと時間まで遊んでりゃいいわけだ。それよか——我としちゃあっちの方が気になるんだがよ」

 

「jud.こちらに来ているのは姿を見て確認出来ていますが……私も武神の方と戦闘を行っていたので現状どうしているのか。忠勝様の方に連絡はありましたか?」

 

「ねぇな」

 

「そうですか。まぁ、私としても忠勝様には連絡しようとは思わないので当然ですが。えぇ、分かりきったことを聞いて申し訳ありませんでした忠勝様」

 

「悲観的かと思ったら今度は腹たつ鎧になりやがったなお前!」

 

 

 緊張感のかけらもない忠勝と鹿角のやり取りを黙って聞きながら宗茂は立ち上がり、隙を伺っていた。”悲嘆の怠惰”の超過駆動は刃に対象を映し力場を射出して削ぎ落としの力を発射するまでに二、三秒の時間がかかる為、その時間を満たせば発動を阻止することはできないが本多忠勝を前にして力場の射出体勢に移ることが困難である。

 

 そして忠勝と鹿角両名が口にする地脈炉暴走以外の懸念。一体何を狙っていると宗茂は思考を巡らせたがもはや時間は無いと、地脈炉鎮圧における忠勝の協力は望めないとして一歩踏み出そうとし、背後から大きな音が耳に聞こえた為、彼の意識が背後に向けられた。

 

 一直線の街道の向こう側、新名古屋城の西側正門がゆっくりと開かれていく。

 

 神木で作られた約20メートルほどの巨大な両開きの門が、大きな音と軋む音を立てながら新名古屋城の内部さえも見渡すことができる正面口までもが開ききりその奥から眩いばかりの光を発していた。

 

 

「既に四方の地脈炉の暴走が完成し残るは統括炉のみ、でしょうか」

 

「だな。流体炉の暴走によって抽出された流体の柱が落ちきると新名古屋城ですら許容出来ん流体がオーバーロードを起こして見事にボンッ! てわけだ」

 

「!? それが分かっていながら何故! 元信公は一体何をしていると言うのですか!!」

 

 

 光の柱が、徐々に落ちてくる光景が確認された。もはや地脈炉の暴走は避けられない事態となり、宗茂が持つ”悲嘆の怠惰”の超過駆動で地脈炉に穴を開け流体の逃げ道を作ったとしても三河が被害を受ける事は必然となった。

 

 それを分かっていながら忠勝と鹿角は当然のようにしていた。だからこそ宗茂には理解出来ず声を荒げてしまう。

 

 

『その通ーり! ようやく先生ここまで来れたよ皆。さてさて——遠路はるばるご苦労様だけどそこの立花くんは一体全体どうするのかな? 地脈炉暴走を止めるには後5分くらいしか猶予はないぞ〜?』

 

 

 新名古屋城正面口から眩い光が発せられるが、そこには多くの人影が、否自動人形の姿があった。そして中央にいるのは擦り切れた白衣を着込み学帽を被った初老の男が拡声器から声を響かせる。

 

 己の声が世界に届けと、その先にいる全ての人々に響けと言わんばかりに。

 

 口から泡を吐きながら、全身で動きながら声を張り上げる。

 

 

『ようし——じゃあ最初で最後の全国放送だ! 先生の授業を皆。耳かっぽじって目ん玉見開いて一挙手一投足見逃すんじゃないぞー! 見逃した君には先生、あの世からげんこつだからね。と、言うわけで——今日、先生は、いい感じに爆発寸前の地脈炉前に来ていまーーすッ!!』

 

 

 初老の男、そして三河君主にしてこの地脈炉暴走の首魁、松平元信が全世界に向けて言い放った瞬間、三河の街並みを破壊するように何かが街道へと勢いよく放り出されてくる。

 

 鎖で雁字搦めにされて、刺し傷切り傷打撲といった外傷のオンパレードを負った人影が地面に叩き付けられ、そして追い討ちをかけるようにその体を上から踏みつけられる。

 

 その人影は、その少年はここ三河に密かに紛れ込んでいた葵タチその人であった。

 



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あの子は何処

『と、言うわけでもう一度――全国の皆、こんばんはーー! 全国放送で見えてると思うけど先生は今、いい感じに暴走してる地脈炉前で授業をしまーす! ウンウン! この地脈の鼓動音がトランス系っぽくて先生年甲斐もなく踊っちゃいそうな気分だよ。それにこの眩い光は、先生に踊れって誰かが言ってるようなものだと思うんだけど――まぁ、先生も自制して授業をしようか! というわけで……もしも~し! 生きてるかい葵・タチくん? 君が死んでたらみんなが考えた”創世計画”がおじゃんになるから生きててもらわないと困るんだよ! それとも君、あの子を死なせておいて自分だけあっさり死のうなんて――そんな虫のいい話はダメだろう?』

 

 

 自動人形が構える放送機材によって、全国放送された元信の姿が世界の人々の目に映る。

 

 地脈炉の暴走を知っておきながら、それを何とも思っていないかの様に振る舞いこの状況で授業と口にし何事かを始めようとする元信だがマイクによって響いた彼の言葉がきっかけとなり、絡みつく鎖によって縛られ全身に刻まれた傷によって満足に動けなかった身体が動き出す。

 

 

『そうだよそうだよ! それでいいんだよ葵・タチ君! さぁ、世界の行く末を巡る授業を始めようか』

 

「……ッ……!」

 

 

 先ほどまで地面に叩き付けられ踏みつけられていたタチであったが、鎖が意思を持つかの様に動きタチの四肢を縛り上げて宙吊りへと移行する。

 

 授業を始めると、元信が口にしたことによって彼の背後や周りに何百体と居る自動人形たちが各々楽器を手にし、音程を合わせ増幅器によって拡大させた音色を響かせた。自動人形の感覚共有によって一糸乱れぬ演奏が行われる。

 

 楽曲名は——通し道歌。

 

 極東に住む者なら子供でも知る馴染み深いものが、祭囃子の様に演奏されるその光景。そして数多の鎖によって宙吊りにされているタチの姿は神へと捧げられる供物の様だと、宗茂は言いようの無い悪寒を感じながらも毅然とした態度をとって元信へと向き直った。

 

 

「元信公! これは一体何のマネなのか説明をお願いします! 地脈炉の暴走など……その結果によって三河、ひいては極東に引き起こされる被害がわからない貴方では無いはずです!!」

 

『いい質問だよ立花くん。だけど——先生の話はよく聞こうね? 質問の前には必ず手をあげましょうって。諸々の事情で手があげられない生徒については考慮してあげるけど、見た所君は五体満足だろう?』

 

 

 余りにも場違いな問答だと宗茂は思いつつも手に持つ”悲嘆の怠惰”を掲げてそれを挙手とした。ここで馬鹿正直に武器から手を離すなどという愚行をとれば咄嗟の事態に対応が間に合わないと判断しての行動だ。

 

 宗茂の挙手に満足したのか、笑みを浮かべて満足げになんども頷いた元信は大きく息を吸ってマイクを口元に寄せた。

 

 

『じゃあ、質問を質問で返す様で悪いけど立花くん。先生、よく言うよね——危機って、面白いって?』

 

「——なっ!? 何をふざけた事を言っているのですか!」

 

『はい立花くん、先生の話は最後まで聞きましょうねー。さて——考えるってことはさ、面白いと思わないかい? 試験の問題だったり、日常のふとした事だったり、あと立花くんの様な現役の学生にわかりやすく例えて言うなら恋愛だったり。ならさ——危機って、ものっっすっごく考えないといけないよね!? すっごく、すっっごく考えて対処しないと死んじゃったり滅んじゃったりする危機! ほら! 危機は面白いって事だと思わないかい立花くん!!』

 

 

 遠く離れているとはいえ元信の全身から発せられている真剣さを感じ取り、宗茂は元信が本気で戯言としかいえない事を口にしているのだと嫌でも理解することができた。

 

 まるで狂人の様な思考回路だと宗茂は思ったが元信は至って正気で、本気だと言うことも感じることができた。

 

 今尚新名古屋城の暴走の危機は健在であり、地脈から抽出された大量の流体は天を衝く柱の様にそびえ立つも徐々に徐々に地上へと落ちてきておりオーバーロードは目前にまで迫ってきている。だからこそ人々は放送に載せられる映像がショーの類では無いのかと思っていた。否、そう思いたかった。

 

 

『でも、地脈炉がボンとして極東に降りかかる危機なんかよりも、もっともっと、もっっとすごい危機があるんだよ! はいそこの立花・宗茂くん——何か分かるかい? こう、先生が花丸あげちゃうくらいな解答を頼むよ』

 

 

 鳥居型の表示枠に映る元信がわざとらしい動きで聞き耳を立てる。

 

 それに対して宗茂は間髪入れずに大きな声で返答した。

 

 

「わかりません! 時間稼ぎの問答だと言うのならやめていただきたい元信公!」

 

 

 宗茂の返答は、この映像を見ていた人々が抱く共通見解と言ってもいい。地脈炉の爆発による被害、それによって降りかかる極東の危機。これ以上の危機があるのかと誰もが思考停止の様な状態に陥っていたが元信はそれを決してよしとはしなかった。

 

 

『そうか——』

 

 

 そう言って元信はマイクを右手で握り、スタンドを蹴り飛ばす。カランと乾いた音が放送に乗った。

 

 逆光によって元信の表情はわからない。だが、元信は失望や落胆を浮かべる様に侮蔑の言葉を世界に向けて投げかける。

 

 

『今、君は考える事をやめた。未曾有の危機を前に対処どころか受け入れる事さえしなかった。そんな”君は” 危機よりも恐ろしいモノを前にした時、何も出来ず、目を背けて死ぬ人間だね』

 

 

 宗茂は咄嗟に言い返すことが出来なかった。

 

 何故ならば、元信の言う事は何一つとして間違ってなどいなかったからだ。

 

 

『黙って死ぬのは嫌かい? 何も出来ず、何も生めず、何も残せることなく消えるのは嫌かい? だったら、問題に向き合いなさい。恐怖を克服するということはまず向き合うことだと先生は思うね。というわけで立花くんはバツ一つだね。はい、本田くん。そこで暇そうに突っ立てる君にも一応聞こうか。極東の危機よりもすっごい危機って、な〜んだ?』

 

「は〜い! 先生、我わかりませ〜ん!」

 

『はい本田くんもバツ一つ。先生が良いって言うまで自動人形首から引っさげてそこの街道に突っ立てろ』

 

「おい殿先生!? そこの若ぇのと扱い違いすぎんだろ! 先生の扱いが酷いって我グレるぞ!」

 

「そう言う忠勝様は少しは考えると言う事を覚えましょうね」

 

『全く……そんなんだから加齢臭がとか、脳筋だとか、仕えてる自動人形に尻に敷かれるんだぞ。じゃあ、ここに居る最後の生徒に聞こうか。はい、葵・タチくん——君なら答えられるよね?』

 

 

 元信はそう問いかけた。

 

 答える事さえ億劫で苦痛につながる様な容体のタチに向けて、マイクを向けて、君の答えが聞きたかったと子供の様に好奇心を浮かべた笑顔で問いかける。

 

 元信の言葉は聞こえていたのだろう。咳き込みながら体を動かすタチは血に濡れ垂れ下がる前髪越しに鋭い目つきを元信へと向けて口を開いた。

 

 

「——死ね……クソジジィ……」

 

『いや〜先生ショック! 一応初対面なんだけど思いっきし”死ね”って言われちゃったよ。と言うわけで君にもバツ一つだ葵・タチくん』

 

「ハッ……ゲホッ……ゴホッ……!?」

 

『はいはい死んだらダメだよ葵・タチくん。君が死んだら、色々な人たちが路頭に迷っちゃうからね。もし君が死んじゃったら——”世界を創れても世界を救うことが出来なくなる”からね』

 

 

 激しく咳き込み口端から少量の血を吐いたタチを頷きながら見つめる元信。元信はここにきて悲しい様な悔しい様な、そんな曖昧な表情を浮かべて縛り付けられた少年へと視線を送った。

 

 

『生徒が皆ダメダメなので先生が教えましょう! 極東の危機や地脈炉の爆発よりも恐ろしい物、

それは——末世だよ』

 

 

 声が響いた。

 

 この新名古屋城の暴走という事態を目の前に突き付けておきながらも、元信の口にした言葉は世界に住むすべての人々の心に突き刺さる。

 

 

『末世……この世の滅び! 宗茂くんや葵・タチくんの様な現役の学生に例えるのなら未来の無い卒業だよ! 末世という卒業の先には、友達と語り合って夢見ていた自分の未来なんてものは何も無いんだ!』

 

 

 そう言って元信は大股で前へと進み出す。自動人形が奏でる楽器の音色を背後に携えて彼は歩き出す。

 

 

『末世という卒業を前にした学生の君達は、それまでの限られた時間を一生懸命考えながら過ごさなくちゃいけないよ!? そうじゃなきゃ時間が無駄になるからね。さぁ、この末世という特大の危機を前に必死になって考えようじゃないか』

 

 

 元信はこの放送を見ている全ての人々の尻を蹴り上げる。

 

 末世がもうすぐそこなんだと、じゃあこの程度で思考放棄なんてしてる場合じゃないぞと。

 

 

『さぁ! この放送を見ている生徒の皆! 末世は待ってはくれないぞ!? それとも末世なんて来ないと布団を被って震えてるかい!? だらだらと時間を潰して最後の時を過ごすのかい!? それとも、世界を創りに行く者かな?』

 

 

 マイクを通して張り上げられた声が全国に響いた。大きな身振りを取りながら、流体の光を浴びて前へと歩く。

 

 

『必死に考えてよく出来ましたな答えが出せた人には先生、ご褒美をあげようか。それはもしかしたら末世を覆せる、かもしれない手段の一つだよ』

 

 

 足を止め、そう口にした元信はスッと腕を突き出しマイクを持っていない方の空いた手で何かを指し示す。

 

 指し示す先にいるのは宗茂で、だが彼は元信が何を指しているのか正確に判断できた。

 

 

『大罪武装。ものす、っごくわかりやすく言うと——全ての大罪武装を手にした者には末世を左右できる力を手にする事ができるんだよ』

 

 

 眉を顰めた宗茂は己の中に生まれた疑問を口にするべく口を開く。己の手にする曰く付きの物の凄まじい力を知りながらも、それが末世を左右する事ができると言われても宗茂には信じる事ができなかったし何より元信の行動が理解できなかった。

 

 

「大罪武装を各国に配ったのは貴方です元信公! 貴方の言葉が本当だと言うのであればッ……大罪武装を配られた六つの国に八つの大罪武装を巡って戦争を起こせとでも言うのですか!? 一体、貴方は何がしたいのですか元信公ッ!」

 

 

 今、世界は聖譜によって全ての動きが定められていると言っても過言ではない。聖譜に定められた物事の通りに世界が動き、利益を求めて世界が動くのだ。

 

 だが、元信が各国に配った”大罪武装”という末世解決の手段を、元信の言葉によって奪い合えと言うのは不可解であり意味不明なのだから。

 

 宗茂は大きく腕を振って声を張り上げ元信へと訴えかけたが、元信はキョトンとした顔で宗茂の顔を見ながら口を開く。

 

 

『六つ? 八つ? 違うよ宗茂くん。配られた国は七つだし、先生が作った大罪武装は全部で——九つだよ?』

 

 

 世界の動きが止まり、怖いくらいに静まり返る。

 

 宗茂は目を見開いて驚愕をあらわにしているが、今まで黙っていた忠勝はようやくネタバラシかとニヤニヤと笑っている始末の中、元信は小さく溜息をついてマイクを構えた。

 

 

『大罪武装のモデルとなった八想念。だけど本当は原盤というものがあって、九大罪なんだなこれが。それを知ってる先生が大罪武装を九つ作らないなんて事があると思うかい、すごい顔の宗茂くん?』

 

 

 それ一つだけでも巨大な力を有する事ができる大罪武装は各国のパワーバランスの一翼を担っている物であり、その力は携行できる武装でありながら大規模破壊ができるものとして各国に認知されている。

 

 それが六つの国ではなく七つの国に存在するとなれば各国はこぞってそれを求め出すだろう。新たな大罪武装の存在を巡って争うことになれば強国はともかく小国となれば大きな力の前に呑まれるだけで終わるだろう。

 

 

『九つ目の大罪、それは嫉妬だ。神代の魔物——全竜(レヴァイアサン)をモチーフとする悪徳。それは今、武蔵に存在して、そして生活しているよ』

 

 

 さらりと口にされた7つ目の国。元信は変わらぬ笑みのまま、淡々と世界へと隠されてきた真実を告げるのであった。

 

 

『皆、噂で聞いた事があるんじゃないのかい? 大罪武装は人間を材料にしていると。それは本当だよ。10年前、武蔵改修の式典において私が事故にあわせて——いや、君が殺してしまった女の子の心を材料にしているんだよ葵・タチくん』

 

 

 それは現武蔵総長兼生徒会長の葵・トーリの後悔にして、葵・タチの後悔でもある少女であった。

 

 

『彼女の名前はホライゾン・アリアダスト。去年、最後の悪徳”嫉妬”を材料としてある自動人形の魂を宿して武蔵に送り出したんだよ。その自動人形の名前は——P-01s』

 



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語ることはなく

 

 

『今日……ホライゾンを見たよ』

 

『ホライゾンは……元気そうだった。それが……本当に良かったよ』

 

 

 世界へと通達された新たな火種の所在。それによって発生した沈黙を知らぬと、先程までの常規を逸した元信とは打って変わり何処にでもいる親としての安堵を口にする。

 

 未だに世界が止まっていた中、二人の少年が既に動き出していた。

 

 一人は武蔵艦上にて、翌日に控えた告白を成功させるための前祝いとして前夜祭を行っていた葵・トーリ。

 

 彼は学友たちが呆気にとられたり顔を見合わせている中誰よりも早く反転し、武蔵アリアダスト教導院前の橋を駆け出して何よりも求め焦がれた少女の元へ。

 

 並よりも低い運動能力しかないトーリがなりふり構わずに走ってもそれは大した速度ではない。そして彼の足は後悔通りへと踏み入れていた。

 

 

「ホライゾン……ッ!」

 

 

 必死の叫び声。

 

 トーリの声が夜の空へと虚しく響く。

 

 

 

 

 

「断頭台への刃を手に」

 

 

 全国中継されている三河において、鎖が引き千切られ砕け落ちる音が響き渡った。引きちぎられ縛鎖の解かれた少年は黒く変質化した右腕に異形の刃を生やし、傷だらけの身体でありながらも構えを取ってこの場にいる全てに敵意を向ける。

 

 

『泣いているのかい、葵・タチ君』

 

 

 元信の声は泣いていると彼を称したが、件のタチはその目から涙の一雫も流す事なく異形の刃を携えて鋭い死線を元信へと向け、影を置き去りにする踏み込みをもってその手を元信へと伸ばす。

 

 

「——拘束が緩かったのではないか?」

 

 

 しかし、元信へと伸ばされた右手は介入してきた槍の穂先によって目前で止められた。

 

 微笑みを浮かべる元信の寸前で右手の刃を振りかざすタチと、湾曲し罪を犯した罪人の首を無慈悲に斬り落とす刃を真っ黒に塗りつぶされた槍の柄によって押しとどめる謎の存在。

 

 体の各所を鎧で覆い、陶器のように真白い肌を晒し長い髪を結い上げ顔の大半を隠したその存在。体の細さ、女性としての特徴に声色から女と判断できるその存在は断頭の刃を尻目に背後へと視線を向けた。

 

 

「貴女も知っているでしょう? 現状、私達は神としての力の大半を行使できません。そもそも、彼がこちら側に居ないのですから……精々足止めくらいが関の山でしょうね」

 

「そうか。しかし——既に具現化が可能とはな。彼が末恐ろしいというべきか、武蔵が不甲斐ないというべきか」

 

「嘆いていても始まらないはずです。私達にはこの先陣を任していただいた皆への恩があるのですから仕事は真っ当いたしましょう」

 

「了解した。では、彼は私に任せてもらおう。貴殿は援護を」

 

 

 松平元信、本多忠勝、立花宗茂、鹿角、葵・タチという身元・所属が明らかである彼らとは違い槍の名手である女と鎖を手繰り白の鎧に身を包んだ豊富な髪を備えた女はその所属や身元が一切不明であった。

 

 断頭の刃が弾かれる。

 

 剣戟の音が響き、槍を手に持つ女が瞬く間に刺突を繰り出す動きは影さえ捉えきれないほどに早く、鋭く、致命的だ。

 

 鋭い刺突が、弾かれた。

 

 身の丈に迫るほど長大で扱いにくい湾曲した刃のエッジを滑る槍の穂先。

 

 タチの背後へと滑り、女の腕がそれに従って伸びきった中、タチの右腕が女の首元めがけて振りかぶられていくが、刃の先に鎖が絡みつくことで一瞬だけ停滞した。

 

 

「シッ——」

 

 

 鎖によって生まれた停滞の隙を突き、女は伸びきった腕を引き戻し下からかちあげる石突きの掬い上げでタチの頭部を砕く一撃を放つが下から迫り来る石突きの動きと合わせるように動く体がバク転で回避する。

 

 互いに円を描く二者。着地したタチと槍の円運動を止めた女がとった次の行動は奇しくも同じ、当たれば堅牢な甲殻を持つ魔神族の体にさえ穴を穿つような回し蹴りであった。

 

 ぶつかり合った蹴りによって衝撃が周囲に撒き散らされる。

 

 舗装された街道は衝撃によって陥没し二人を中心に亀裂が刻まれる。撒き散らされた衝撃がビリビリと空気に伝わった。その衝撃の余波は離れていた宗茂や忠勝にさえ伝わってくるほど強烈であった。

 

 

『うわっと!? 全く……逸りすぎだよ葵・タチ君。先生はまだ授業開始の合図を口にはしていないよ。まだ君には色々と伝えなきゃいけないことがあったりするんだけど……止まってはくれないかな?』

 

 

 衝撃によって学帽が飛んだ。

 

 衝撃によってたたらを踏んだ。

 

 それでも元信は手からマイクを離さずに、指南すべき生徒を真正面から見据えて目を離さない。

 

 

『君はその手に握った断頭台の刃に何を願う? その王道に何を願う? そしてその先には、果たして君の未来は存在するのかい? なぁ、どうなんだい葵・タチ君』

 

 

 漆黒の槍と黒塗りの刃がしのぎを削る中、元信は誰かに語りかけた。

 

 激化する二人の戦いは影を置き去りにし幾重にも残像を残して刃を重ね合わせた。響く剣戟音だけが二人の居場所を確かなものとして、映し出された映像には最早残像さえ映っていない。

 

 

『まぁ、そんな訳で——これからはみんな次第だよ。宗茂くんの活躍次第で三河消滅は防がれるかもしれないし、政府の記述にも無い世界を巻き込んだ戦争が始まるかは。だけど——先生は言いいます! そんな、そんな運命に決められない結末や結果が見てみたいと!』

 

 

 大きな手振りを伴った彼は口にする。

 

 運命に決められた路線ではなく、自らが選び進んだ先にある結果が見てみたいと。

 

 流体のオーバーロードが目前に差し迫り自らの存在が消えゆくのがもうすぐそこだというのに、彼は声を大にして高らかに未来を謳いあげた。

 

 誰もが思ったことでは無いだろうか。運命に縛られることなく自らの手で選び取った未来を望むという事。一度は誰もが思うであろうその思考だが、己の手に持つ得物の柄を痛いくらいの力で掴み唸りをあげて吠えたてた。

 

 

「止めます! 貴方のその行いを!」

 

『いい返事だよ宗茂くん! 自ら考えた末の君の結論に、先生は花マルをあげようか。でもね……末世を救うのにこの三河消滅は必要不可欠なんだよ。だから、先生は君を止めるよ。君が、先生を止めるようにね』

 

「ならば、三河消滅をせずともよい方法を貴方に考えさせるまでです! 貴方一人で考え出せないというのであれば、各国の協力を得ても最善の方法を考え導き出してもらうまでです!」

 

『他力じゃいけないよ宗茂くん。だけどまぁ——みんなで考えようというその姿勢は本当に大事だよ。それは、きっと彼に最も必要な事だからね。一人でできないなら二人で。それでもできないのならさらに多くで』

 

 

 宗茂の答えを元信は褒め讃え、笑顔を浮かべて花マルだと口にするがその答えを前にしても彼はこの授業を撤回しようとは思ってはいない。

 

 

『じゃあ、先生も他力に頼るとしようか。と、いうわけでそこの副長。ちょっとどーにかしてちょうだいよ』

 

 

 宗茂の背後へと元信の指先が向けられた。

 

 同時に膨れ上がる覇気と闘気。宗茂の背中にゾクリと冷たいものが流れるが彼は強靭な意志によってそれを抑え込み、構えた”悲嘆の怠惰”の切っ先と体を向ける事で踏み越えた。

 

 視線の先にいるは聖譜の名において”東国無双”の名を冠する事を許された極東随一の武士。

 

 仕える君主からの命を受け、その手に握る槍を以って忠だ勝利を捧げる男。

 

 老いて尚強者たるその男の名前は、

 

 

「本多忠勝ッ!」

 

「応……!」

 

『もう末世へのカウントダウンは始まっているんだ。誰もがそれを自覚しなくちゃいけないんだ。だから……さぁ行け、本多忠勝! お前の忠義の偏差値を全国レベルで見せつけろ!』

 

 

 示し合わせたかのごとく二人は地を蹴り疾走した。

 

 世界に放送されるこの戦い。”東国無双”と”西国無双”の名を冠する二人の武士が刃を以ってぶつかり合う。

 

 三河消滅まで刻一刻と差し迫るカウントダウン。

 

 誰かの為に、自分の為に、掛け替えのない人の為に。

 

 

 

 

 

 

 

 斬り結ばれる断頭の刃と極東式の槍。オーバーロード目前の地脈炉を背後に控えさせておきながら二人は目の前の敵手から意識をそらす事なく刃を交え続けた。

 

 時折、鎖が介入するもその均衡は崩れる事なく二人の剣戟音は響き渡り続けた。

 

 

『……タ……んッ! そこか……やくっ!』

 

 

 高速で続けられる戦闘の最中、タチの顔の近くに鳥居型の表示枠が不完全ながら表示され地脈の以上によって不完全な音声通神が彼の耳に届いた。

 

 その声は女のもので、タチにとって聞き馴染みのある声であった。ほんの少しだけ彼の意識がそれる。それを女は見逃さず刺突が繰り出された。

 

 激突する刃と刃。火花と衝撃が響き両者は街道を滑り刃を突きつけ、再び構え直した。

 

 

『タチ……ん、聞こえ、ていますか!? 返事してください!』

 

「浅間、今は取り込み中だ。後にしてくれ」

 

『ッ?! そんなこと言ってる場合ですか!? 早く、其処から逃げてください! 地脈炉の爆発に巻き込まれたらどうなるか分からないタチ君じゃ無いでしょう!?』

 

「耳元でうるせぇよ」

 

『〜〜!? いい加減にして下さい! 早く逃げないと間違いなく死ぬんですよ!? それに、君の術式は不完全なんて言葉じゃ言い切れないくらい術者の安全なんて考慮されてない代物なんです! その術式が砕かれたら——』

 

「死ぬ、そうだろ」

 

 

 表示枠の画面には通神先の相手の顔が映し出されることなく音声だけがタチに届いていた。

 

 地脈炉の暴走によって地脈が不安定となっているというのに、離れた場所にいるタチに通神を繋げるのはさすが浅間神社の跡取りだとタチは内心感心していたがそれを声にすることはない。刃を構え、視線の先に立つ二人の敵を倒す事だけが彼の意識を支配していた。

 

 

『お願いだからっ……! お願いだから戻ってください! もう……っ、時間がないんですよ!? 死んじゃうんですよ!? だからッ——!』

 

「……」

 

 

 悲痛な声が聞こえる。長い付き合いの幼馴染の悲痛な叫びと訴えを耳にしたタチは、顔の近くに表示されている表示枠に視線を向けたが再び二人の女へと視線を向け直した。

 

 そして、左手の手刀を以って表示枠を叩き割る。

 

 軽い音と共にあっさりと割れて散らばった表示枠は流体へと還元されて消え去った。

 

 

「……良いのか。仲間であろう」

 

 

 女が口を開きその声を聞いたタチは眉ひとつ微動だにせずに、街道を踏み込んで右手に生えた刃を振るう。

 

 胴体と頭を綺麗に断ち斬る刃の一撃。風切り音が鳴り、瞬きの間に槍を構える女に突きつけられた死は遮るように構えた槍によって防がれた。

 

 

「説法とは随分と余裕だな」

 

「そう見えるか——ならばそうなのであろう」

 

「退け。俺はあのジジィに用がある」

 

「退かぬ、そう言ったら?」

 

 

 数秒の問答の後、タチは女への返礼として再び刃を振りかぶる。硬質な剣戟の音が響き、間近に迫ったタチと女の視線が交わった。

 

 女は異質であった。

 

 本来人として白目である部分が黒く、黒い瞳である部分は血のように赤く変色している。

 

 

「後、ほんの少しで地脈炉は爆発する」

 

「だったら——それまでにあのジジィを連れて行く」

 

「何の為に。いや、誰の為にと——聞くまでも無いか」

 

 

 意思を持つかのようにうねる鎖が睨み合う二人を引き離す。獲物を追い立てるように4本の鎖は四方からタチへと迫るが、その一息で十メートル以上もの距離を稼げる俊足に追いつくことは叶わなかった。

 

 しかし、状況はまた膠着状態であり地脈炉爆発までに退避しておかねばならないタチが圧倒的に不利であることには変わらない。

 

 

「退きなさい。今の貴方では、どうあがいても私達には勝てません」

 

 

 白の鎧を纏った女がお前の行為は無駄だと口にする。

 

 女の言葉は的外れのようで真実であった。

 

 今のタチでは二人の連携を崩しその先にいる元信の元へ行くことが出来ない。

 

 タチの目的はホライゾンの前に元信を連れて行く事。

 

 タチが救いたいと思う存在は決して元信ではない。本当に手を伸ばしたい存在はこの場に居ない。

 

 

「信じてるから……俺はここに居るんだよ」

 

 

 瞳に諦めの色は無い。それに応えるかの様に彼の腕から生えた異形の刃が深く深く黒く沈んでいく。

 

 葵・タチであるというのなら、この場に残りホライゾンの元へと向かう事を選択しないのはある種当然であった。

 

 何故なら、十年前に彼女の手を握れる者へと託していたのだから。

 

 

「「ならば——ここで敗北しろ。葵・タチ」」

 

 

 

 

 

 

 

『それでは——これより授業を始めます』

 

 

 穏やかな表情。そして世界に向けての宣言と共に松平元信は流体の光に呑み込まれて行く。周囲へと広がる無加工の流体による還元は、地脈炉の爆発という結果を周囲へと刻みつけた。

 

 新名古屋城の爆発によって三河は消滅。それに伴い三河君主にして首謀者の松平元信、および配下の本多忠勝、鹿角、何百体の自動人形と多くの存在が諸共に消滅した。

 

 そして、魂に大罪武装を搭載したP-01s改めホライゾン・アリアダストは正式に元信公の息女として厳島神社関係者によって相続・認可され元信公の責任を取らされる形で自害が決定した。

 

 

 

 

 



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はたして一体何とやら

 

 

 その日の目覚めは浅間智にとってこれ以上無いほどに最悪な者であったと言ってよかった。

 

 松平元信の狂行によって三河は消滅し、地脈の不調によって発生するであろう怪異を予測した浅間神社側が夜通し動き、跡取り娘である智も走り回っていた。

 

 ようやく一息つけたのは暁の光が登る頃で、圧縮睡眠の術式符によって約6時間分の睡眠を得た彼女であったが体はまだまだ睡眠を欲している様で朝、浅間神社の禊用の泉で体を清めていてもウトウトと船を漕いでしまい契約している神の走狗に起こされる始末。

 

 こんな体たらくと、彼女自身自嘲の笑みを浮かべて気をしっかりしようとして、結局思考はただ一つの方向へと辿り着いてしまう。

 

 まるで何かに導かれている様だと悪態をつきたくなった智だがその思考に自分を導いているのは自分自身だと、それがわかっているから始末に負えずに、深いため息を、ついた。

 

 朝の8時。いつもとは違う、不気味な静けさの武蔵の街並み。

 

 教導院の、智自身や幼馴染、勝手知ったるかの外道どもが所属する三年梅組教室に向かうにはいささか早すぎると彼女自身思っているが、それでも、すがるような思いで教室に向かう。

 

 教室の廊下側窓際の最前列。そこでブスっと不満げで、いつも何かに苛立っているような憮然とした表情で頬杖をついている男子の背中が浅間の脳裏に浮かんでくる。

 

 教室に行けば、昨日の事なんて嘘だったと言わんばかりに彼がいるのではないかと浅間はそう思ったが故に幼子が親を求めるような心細く悲しみに濡れた心のままに足を進めた。

 

 

「タチ君……」

 

 

 きっと、彼はいる。彼なら、大丈夫。そんな、不確かな信頼。

 

 でも、彼はずっと背中を向けてきた。だから、無気力な諦観。

 

 地脈のオーバロードが引き起こした三河を消滅させた流体の暴走に呑み込まれればなど考えるまでもない。

 

 死、消失、存在を構成する流体の還元。

 

 智とて馬鹿ではない。むしろ浅間神社の跡取り娘だからこそこの世界を構成する流体というものに関しては教導院や武蔵の中でも一等に詳しく、だからこそ彼女の聡明さと持ちうる知識が葵・タチの生存が絶望的で、その死が絶対的だと導き出されるのだから。

 

 ぼんやりとした頭のまま彼女は目的の場所である三年梅組の教室前についた。

 

 そこが目的地であるというのに、扉の前で、扉に手をかけたままで、彼女は止まってしまった。

 

 ここに、居て欲しい。無事で居て欲しい。

 

 そんな願望が胸の奥から湧き起こって扉を開けるべきだと動こうとするのだが、もし、もし、と己の願望を打ち壊す現実が待ち受けていたらと考えてしまったら、智は扉を開けることができなかった。

 

 だがしかし、彼女の意に反して扉が開けられた。

 

 開けていないのに勝手に開くなんて何かの怪異、とそんな思考停止というか思考放棄が引き起こった智の堂々巡りの思考に反して鮮明な視界に映ったのはいつも馴染みのある女である。

 

 

「って、喜美?! こんな時間に喜美がいるなんてどうしたんですかっ!?」

 

「そう言うあんただって随分酷い顔してるじゃない。あのムッツリ愚弟が見たら鼻で笑われるわよ?」

 

 

 いつも弟のトーリと姉の喜美とで智のストレスマッハにしてくれるが、今日は何のつもりかこうしてわざわざ朝っぱらから顔を合わせて早々に酷い顔と口にしてきた。いつもの狂人っぷりに比べれば大人しいと言えるかもしれないが今の智にとってタチの事を話題にされることは何よりも心に堪えてしまう。

 

 

「トーリ君……」

 

 

 そして喜美は満足したのか笑みを浮かべて己が座るべき場所へと戻っていく。喜美という視線を遮る物がいなくなった為にその先に居る人物が見えてしまった。

 

 窓際最後列の座席。机の上に体を投げ出すように突っ伏すトーリの姿。いつも笑って、馬鹿騒ぎして、何かしらの話題が絶えないトーリが黙ったまま、ピクリとも動かない。

 

 

「おはよう浅間くん。まだ教導院が始まるには早いようだけど、君も何かしてないと落ち着かなかったりするのかな?」

 

「ネシンバラ君、ってほとんど皆いますね。これ、私が最後だったり……?」

 

「別に遅刻ってわけじゃないからそんなに気にしなくても良いと思うけどね。それに……まだ来てないじゃないか。彼が」

 

 

 鳥居型の表示枠の鍵版から手を離し、躊躇いながらも、それでも受け入れるべきだと寝不足気味のネシンバラが浅間の視線を誘導するようにある方向へと人差し指で誰かが居るべき座席を示す。

 

 廊下側の窓際最前列。そこに彼はいない。

 

 それを智は確かに見て、無意識に唇を噛んでしまった。

 

 居て欲しかった。だけど、彼は居なかった。

 

 

 

 

 

 

「武蔵さん。俺、今軽く軟禁されてるよね? 何にも悪い事してないってのにこれは酷いと思わない?」

 

「同窓会だなんだかんだ昔の仲間と酒飲んでダベって飽きたらさっさと帰ると言っておきながら、ぶらぶらしてさっさと帰らなかった酒井様が悪いかと。――以上」

 

「いやね? 三河で地脈炉ボンッてなったら三河なくなっちゃうじゃん? そしたら三河に住んでる人達も危ないよね? それはいかんでしょーと、おじさん頑張ってたらさぁ……ってわけで情状酌量の余地ってあると思うんだけどねぇ」

 

「その点に関して酒井様にしては、お見事と言えますが、ご自身の潔白を主張するというのなら聖連の方々に任せて即武蔵に戻ってきたらよかったのでは。――以上」

 

 

 三河から武蔵へと続く道の関所。

 

 荷を荷車にのせた者達が関所の前で待機している中、大きめの木造テラスの上からその様子を見下ろす酒井は無表情の自動人形”武蔵”を前にして弁解を行うもそれをバッサリ切り捨てられて苦笑い。

 

 酒井は昨夜三河に取り残されて近隣住民の避難を行なっていたのだが、諸事情によってこの場を取り仕切るK.P.A.Italiaと三征西班牙(トレスエスパニア)によって身柄を拘束されているのであった。

 

 

「酒井様、色々とお聞きしたい事はありますがここは”武蔵”、質問を絞って酒井様の気苦労を軽減して差し上げます。なので――ホライゾン様と絶賛身元不明な葵・タチ様についてお聞きしたくあります。――以上」

 

「ほんと、避けてた話題直球で振るね”武蔵”さんは……」

 

「jud.K.P.A.Italia側の神宮当事によってホライゾン様は元信公の嫡子として略式とはいえ相続なされています。つまり、ホライゾン様は準バハムート級航空艦武蔵の所有者であります。そのホライゾン様が今回の責任の清算により自害なされば、その権限は聖連へと譲渡されますので気にならない方がおかしいかと。――以上」

 

「小耳に挟んだんだけど”武蔵”さん、もしかしたら”三河”さんになるかもしれないんでしょ? 聖譜の記す歴史再現において三河が消滅したなんて記述は無い。それは元信公もおんなじだから、無くなった三河の穴埋めを武蔵ですると。そうなったら極東において唯一独立していた土地が失われ、重奏統合争乱から続いてた極東の暫定支配が完全支配になっちゃうと……ほんと、面倒なことになったよね」

 

「三河から避難者、千百十一名と武蔵艦上で生活している武蔵住民十万人弱の方々は清居留地内の水戸松平領へと引っ越しとなります。――以上」

 

 

 無表情のまま、”武蔵”が淡々と告げていく現状に酒井は肩を落として大きな溜息をつく。

 

 だが、”武蔵”の追求は未だ終わったわけでは無い。そもそもホライゾン・アリアダストについて酒井は何一つとして言及していないのだから”武蔵”の疑問は何一つとして解消されていないのだから。

 

 

「ホライゾン様の事を救いたいとは思わないのですか。そして、何故、あの場に、酒井様の護衛であるはずの葵・タチ様がおられたのですか。そして何より、元信公のあの物言いは――ある意味葵・タチ様を対象にした物であるかのようにも判断できます。――以上」

 

 

 ジッと酒井に向けられる双眸。頬杖をつき、ちらりと伺うように視線を向けた酒井に対し”武蔵”は微動だにせずに答えを待つ。

 

 彼女の態度は酒井が答えなければテコでも動かないという頑なな意思を感じさせるもので、だからこそ酒井は根負けしたと苦笑、大きく息を吐いてテラスから見える空へと上る流体光に目を向けた。

 

 

「俺、もう学生じゃ無いよ」

 

「知っています。――以上」

 

「まぁ――結局、おじさんは何にも出来ないけどさ。それにタチの奴があそこに居たのはおじさんもよく分からないよ。おじさんや榊原とかダッちゃんの払いをあいつがしてくれて、その代わりにおじさんが榊原から話をしてもらう、って感じで店で別れて。そんで榊原を待ってたらあいつが公主隠しで消えてマジ焦ってたらダッちゃんが来て……そっから俺は住民たちとかの避難誘導」

 

 

 酒井が知っているのはここまでだ。酒井自身の推測によってタチが何故あの場にいたのか理由をつけて”武蔵”に伝える事はできるだろうが結局のところそれは推測であって答えそのものではない。

 

 だが、あえて言うのであれば――、

 

 

「殿先生に何か言おうとでもしてたのかな」

 

「……ホライゾン様についてでしょうか?――以上」

 

「だろうね。で、俺いつ帰れるか”武蔵”さん知ってたりする?」

 

 

 そう口にして三河を見ていた視線を対面に座る”武蔵”へと向けた酒井。そして場に新たな動きがあったのかテラスへと続く階段を登ってきたのは”武蔵”と同じような侍女服を着た自動人形である。

 

 

「”武蔵”様、酒井様、”品川”参上致しました。酒井様の釈放に関して諸々の書類手続きが終わりましたのでこれより武蔵へのお帰りが可能です。――以上」

 

「やっと帰れるか……あぁ、ありがとね”品川”」

 

「jud.、ありがとうございます酒井様。――以上」

 

「Jud.、学生にツケを払わせておきながら礼も言えないようであれば自動人形でなくても見損なっていましたよ酒井様。――以上」

 

「いや……あいつ帰ってきたらちゃんと返すよ。まぁ……生きてるのか、死んでるのかさえもわかんないんだけどねタチの奴」

 

 

 K.P.A.Italiaや三征西班牙によって軟禁されていた酒井はあの場に居合わせていた殆どの者の安否や生死が不明であることも小耳に挟んでいた。現場に居合わせて生き残った者は戦闘不能と判断して撤退した三征西班牙の地上部隊や武神のパイロット、そして”西国無双”立花・宗茂。

 

 松平・元信含め、本多・忠勝や鹿角および襲名した自動人形の数々。そして葵・タチと所属不明の二人の存在。

 

 被害状況を確かめるために即時編成されたK.P.A.Italiaや三征西班牙の調査隊が得た情報によれば、死体どころか何かしらの形跡すらなく、だからこそ安否および生死不明。

 

 むしろ、生きている方がおかしいのだから。

 

 

「おや、もう帰るのかな。もう少しくらいゆっくりしてもいいだろう。元少年」

 

 

 ほんの少しの物思いの隙間を突くように、第三者の声が酒井へと投げかけられた。そこに敵意はないがだからといって親愛のようなものが入っているわけではない。例えるなら面白がっている、そんな声色。

 

 テラスへと姿を現したのは3メートルは確実にある体高に大柄な体躯。そして特徴的な赤い体色にこめかみから生えたヤギのような角。眼鏡をかけ長い髭を生やしたK.P.A.Italia式の制服を着たその存在を視界に収めた酒井は笑みを浮かべたが瞬時に動けるように自然な動きで戦闘態勢へと移り変わる。

 

 

「パドヴァ教導院学長ガリレオ。随分な遠出だな……っ!」

 

「今は学長ではなくK.P.A.Italia総長連合副長であるな」

 

 

 瞳に喜色を浮かべる魔神族。だが動きはそれだけではない。間髪入れずに次なる動きが発生した。テラスへと上る足音が酒井や”武蔵”らの耳に入り、重苦しい男の声が姿を表すとともに発せられる。

 

 

「久し振りだなぁ、”大総長(グランヘッド)”酒井・忠次」

 

「教皇総長インノケンティウス……てかお前まだ総長やってんのかよ」

 

「Tes.」

 

 

 酒井たちの前に姿を現した壮年の男はガリレオから一歩前に出たところで立ち止まる。ニヤリと挑発的で好戦的かつ不敵な笑みを貼り付けた男、インノケンティウスに真っ向から向かい合った酒井だがインノケンティウスにとってそれは予測できたもので、彼の表情に曇りはなく、寧ろそうでなくてはという不思議な信頼が見て取れた。

 

 

「わざわざ見送りに来てくれたのかい? お前さん、俺のこと嫌いだと思ってたんだけどね」

 

「いやいや、俺はお前の事など嫌ってはおらんよ。堪え難い屈辱を味合わされた怨敵として賞賛しているほどだ」

 

「それを嫌ってるって言うと思うんだけどねぇ……」

 

 

 げんなりとした表情を浮かべた酒井は頭を掻き猫背のままで、一見するとただの中年にしか見えないがK.P.A.Italiaの意そのものである彼らが牙を向こうものなら即座に対応できるようにと構えを解くことはない。

 

 ごくごく自然体で、相手に気取られないような巧妙な構えだ。

 

 しかし、そのような小細工はインノケンティウスには通じない。

 

 

「20年前、我らK.P.A.Italiaは貴様を筆頭とした仲間たちに、極東に戦略で敗北した。その結果として旧派の極東進出の機会を奪われ、そしてK.P.A.Italiaの没落を招いたわけだが……だからこそそれを奪った極東から取り返すぞ。姫ホライゾン・アリアダストの命と武蔵を支払ってもらうことによってな」

 

 

 そして、と続く言葉をはっきりと教皇総長は口にする。

 

 

「武蔵を三河の代理として、今後は——大罪武装を置きP.A.Odaの最前線にする」

 

 

 その発言は武蔵を管理する自動人形として看過できぬ事で、だからこそ動き出した”品川”が何かを発しようと動き出したのは必然であった。

 

 だから、インノケンティウスとガリレオの姿が酒井の視界から消え去り、その気配が背後に現れたことに反応して酒井が”武蔵”と”品川”を庇ったのは必然である。

 

 

「どうした元少年。こちらだよ」

 

「!? ……随分と早いな。副長の名前は伊達じゃないってか」

 

「異端の術式に一つであるな。これを元教え子の前でやると始末書を出さなくてはならないのだが、私は元教え子の後ろにいるので大丈夫であろう」

 

 

 確かに二人の気配を背後に感じ取ったはずだというのに、そこから逃れたというのに、ガリレオとインノケンティウスの二人は酒井の真正面に立っている。

 

 何らかの術式だと判断できた酒井に対し、ガリレオは己こそがその手繰り手だと隠すことなく笑みを浮かべて対応した。

 

 

「元信はいい置き土産を遺してくれたよ。嫡子である姫ホライゾンと——聖連によって認可されていないにも関わらず明確に武装した極東の人間、葵・タチの存在。今期の武蔵総長”不可能男”の身内の一人らしいが……昨夜放送された映像によって誰もが目にしたぞ、なあおい」

 

 

 贖うべき罪がまた一つ増えた、とインノケンティウスは極東を揺すれる材料に笑みを浮かべた。

 

 

「へぇ、タチの奴”不可能の術式”使ったんだ」

 

 

 しかし酒井は苦笑を浮かべるのみ。知に優れ各国きっての有数の頭脳を持つガリレオをしても未だかつて耳にした事がない言葉を口にして。

 

 



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馬鹿と狂気は紙一重

 

 

 途切れていた意識の覚醒は突然で、しかしそれさえ分かれば彼にとっては十分だった。

 

 体は傷ついている。今までに無いくらいに傷ついて体の芯はガタガタだ。

 

 動けるというのなら、折れていないなら、まだ戦える。

 

 そして、まだ始まってさえいないのだから。

 

 己が宿す”不可能の術式”を以って、必ず勝利を掴んでみせると誓ったあの日、あの時から、歩み始めたのだ。

 

 こんな所で、止まるわけにはいかない。止まれない。

 

 繰り返す。

 

 全ては、まだ始まってさえもいないのだから。

 

 

 

 

 命も賭けた。

 覚悟も決まった。

 未来を祈った。

 だから、後は勝利のみ。

 

 配点(不可能の術式)

 

 

 

 三河現地において、聖連代表として現地で活動する三征西班牙やK.P.A.Italiaと三河の学生であり極東の武の象徴といえる三河警護隊が同じ場所でコの字を描くように三陣営に分かれ顔を合わせていた。

 

 放送機材によって全国中継されている現場では情報交換や書類交換などが粛々と行われている。

 

 これには各国様々な思惑があったが、主目的として聖連が極東に理解を示しているという姿勢を表す事にあった。

 

 耳の聡い者は、三河の責任問題を円滑に解決するためには聖連への武蔵の委譲という情報がすでに入ってきているだろうし、住民の憶測によってそのような話も出てきている。

 

 その中で聖連へと反感を抱く者の存在を、万が一にも考慮して極東の武の象徴ともいえる三河警護隊をこの場に参加させることでその芽を摘もうと考えたのだ。

 

 極東の武の象徴が、何の動きも見せず。

 

 二国は三河に通ずる者を受け入れて。

 

 僅かな抵抗を許さず、その強大な威をもってして何も言わせず、動かさせず。

 

 まだ極東には武器や力を手に取る余地があるのだと、極東にどのような形であれ可能性を残そうとして行動した本田・二代の行動は負傷を残すはずの立花・宗茂によって阻まれる。

 

 そしてその行動も、三征西班牙は気にも留めずその場を進行させた。

 

 中継から流れ出る映像によって極東の民は聖連の強大さを明確に実感しただろう。抵抗の無意味さを実感させられただろう。極東の武の象徴の警護隊、その隊長が一矢報いることさえ敵わない事実が極東の民の心に深く突き刺さった。

 

 蜻蛉切を返却され、二代が退がりこれにて会談は終了——、そのはずであった。

 

 まず第一に生まれたのは疑問。

 

 放送機材を構えたK.P.A.Italiaの生徒の一人がソレに気づき、何故この場に部外者が紛れ込んでいるという疑問から次第にそれは驚愕に変わり漏れ出る声が悲鳴のような声となってその場に流れ出した。

 

 声を耳にした者達は自然な流れとして何事かと声の主の方へと意識を向ける。

 

 しかし見られているということに気づいていないのか、その生徒は口をわななかせて芽を微かに見開き尋常では無い様子をとっている。視線は三陣営の空白部分。

 

 ソレはごく自然な動きでその場に足を踏み入れて、放送機材によってその姿を全国へと中継された。

 

 

「おい、本田・二代。今はどんな状況だ」

 

「葵殿!? 生きていたので御座るか!」

 

 

 背中ほどまで伸びた茶髪は今は結われておらず、風の動きによって揺れている。制服には裂傷や汚れなどが目立つが特に目立つ傷跡等は見られない。

 

 五体満足といってもいい葵・タチは驚愕の声を出し思わず動きの止まった二代へと歩いて近づいてくる。その動きはしっかりとしており、だからこそソレが信じられないとこの場に集った者達は驚愕と疑問を頭に浮かざるを得ない。

 

 そう、葵・タチは暴走した地脈炉によって消失した三河の被害から逃れることができず調査した二国によって生死不明と判断された内の一人で、だからこそ死んでいなければおかしい存在だ。

 

 

「……蜻蛉切がお前の手にあるということは本多・忠勝や鹿角、松平・元信も死んだか」

 

「……jud.」

 

「それで——ホライゾンは。彼女は何処にいる」

 

「あ……そ、れは……」

 

 

 二代は咄嗟に言い淀んでしまった。

 

 何故なら、その問いには言外に彼女を——ホライゾンを救いに行くという真意が込められている事に二代は即座に気付かされた。

 

 一切の迷いが無い、曇りのない目だった為に二代は俯いてしまった。

 

 自分は三河警護隊で、その長である隊長で、三河君主に仕えるサムライで、ならばこそ君主であるホライゾン・アリアダストの窮地を救いに動かねばならない立場で、だが負傷の残る相手にさえ敵わずじまいで、それでも諦めきれなくて——。

 

 動きたいのに、己の無力さ故に動けない。

 

 そんな二代にとって迷いなくホライゾンを救いに行くことを既に決めているであろうタチの意志は眩しすぎた。

 

 

「姫ホライゾンは元信公の責任を取る形で引責自害となりました」

 

 

 別の声が響く。

 

 それは男の声。

 

 揺るぎない意志を乗せた声色には行動を牽制する警告の意味も込められている。

 

 

「姫ホライゾンは自動人形の身であり、その魂に”大罪武装”を搭載しています。それは、あの場にいた君も聞いていたはずでしょう。武蔵アリアダスト教導院所属、葵・タチくん」

 

 

 宗茂は硬い声でタチへと呼びかけた。

 

 タチは肩越しに振り返りその視線を宗茂へと向けた。

 

 重苦しい緊張が流れたがそれを意に介さぬように宗茂は続く言葉を口にしていく。

 

 

「武装解除がなされている極東において大量破壊兵器である”大罪武装”の所持は認められていません。魂と合一している大罪武装を姫が存命のまま取り出すことは不可能であり、だからこその自害です」

 

「なるほど。それが聖譜を信仰する聖連の意思か。あのクソジジイから権限諸々受け継いだ彼女がその責任を取る形で死ねば、三河君主の所有物である極東唯一の独立領土武蔵も手に入って晴れて聖連の神州の完全支配……か。一応、おめでとうと言っておくか聖連」

 

「……Tes.理解が早くて何よりです」

 

 

 おめでとうと、どのような意味を込めて言われたのか宗茂は予想がつかなかったが少なくとも心からのものではないだろうと苦笑と一人の少女を犠牲にする結末に引っかかりを感じながらも、表面上は毅然とした態度のままタチへと視線を向けた。

 

 地脈炉の爆心地中央にいながらも五体満足。

 

 一体どのような方法を用いて生き残ったのか宗茂個人としては興味が尽きないが、一方で戦闘に携わる者としてタチを危険だと判断を下す。

 

 昨夜三河で行われた戦闘において、腕から異形の刃を生やしたタチの姿を宗茂は確かに目にし、そして改めて向かい合ったからこそ分かる。

 

 強い、と。

 

 聖術を用いて加速する自分以上の速度で動け、明らかに殺傷目的の武装。

 

 

「何処へ行くのですか」

 

 

 油断なく視線を向けたまま宗茂は歩き出したタチへと問うていた。

 

 問われたから答える。

 

 それもまた、当然の動き。

 

 この場にもはや用はないと背を向け歩き出したタチは気だるげに振り返りながらも、確かに、言葉として、己の意思を形にした。

 

 

「俺が殺したホライゾンを救いに」

 

 

 二代の手に握られた”蜻蛉切”や宗茂が口にした少ない情報で現状を見抜いた人間であるならば、口にした言葉の意味を自覚していないはずはなく、だからこそ、そのような人物が口にした言葉は硬い意志の下に導き出された答えであった。

 

 

「何を馬鹿なことを!」

 

 

 宗茂は咄嗟に声を張り上げ反論する。

 

 確かにホライゾン・アリアダストが自害すれば極東の主権の聖連預かりや武蔵の移譲など極東に住む人間として見逃せない事態であることは確かだ。しかし、ホライゾンを救うということは聖連の決定への叛意と見なされてもおかしくはない。

 

 武蔵の学生は上限が18歳までと定められており、それに対して他の教導院では学生であることに年齢制限などない。その上明確な武装のない武蔵に戦う術があるとでもいうのか、否、存在しない。

 

 

「君の意思に武蔵の人々を巻き込むというのですか!」

 

「誰が、武蔵が、ホライゾンを救いにいく等言った。俺一人で向かう。そう言った」

 

 

 沈黙が流れた。

 

 何故なら、聖連というほぼ全世界に一人で戦いを挑むと口にした馬鹿を目にしたからだ。

 

 

「だから——待ってろホライゾン。必ず、君を自由にするから」

 

 

 そう言い残し、葵・タチは風に巻かれたようにこの場から姿を消えた。

 

 丘の上に風が吹き、返すように逆風が吹いた。

 



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