百合色スタァライト (尊さに目を焼かれた人)
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真矢クロな日々
何が何でもクロちゃんが欲しい真矢様の話


「クロディーヌ! 私のクロディーヌ!」

「ちょ、ちょっとやめてよ天堂真矢! ここリビングよ!?」

 

 寮の共用リビングにて愁嘆場が催される。主演は西條クロディーヌと天堂真矢、観客は星光館在住の九九組の面々である。大場なながスマホを卓上に設置しムービーを撮りだした。

 

 完璧という言葉は彼女の為にあるとまで言われた女、天堂真矢は身も蓋も無く愛しの西條クロディーヌに縋りつきながら、本気で嘆く。訴える。

 

「あの時、想いが通じたと感じたのは私の勘違いだったのですか!? 私の真矢と呼んでくれたではありませんか、クロディーヌ!」

「だ、だから、その、気持ちの切り替えっていうか……ひ、人前では止めてよ頼むからぁ!」

「だって、貴女が私と話してくれないから……ようやく、ようやく愛しい貴女と真に共に歩めると思ったのに……私のクロディーヌ、一体この天堂真矢の何が気に入らないと言うの!? 答えて、クロディーヌ!」

「……せめてあの時みたいにフランス語でやってくれねぇかなぁ」

 

 ソファに座った石動双葉がお菓子を齧りながら呟くと、双葉からお菓子をあーんされている香子が頷いた。

 

「うーん、大胆なポーズ。情熱的な台詞。うんうん、ばななイス♪」

「個人的には応援したいけど流石に寮の風紀が乱れるわ。学級委員長として、見過ごせないわね──あ、ありがとう、なな」

「どういたしまして♪」

 

 星見純那がななお手製ばななプリンを手渡され、顔を綻ばせる。寮の風紀とななお手製お菓子では後者に軍配が上がるらしかった。

 

「あの時、確かに通じ合えた筈の私と貴女の愛……あれは私の勘違いだったのですか? クロディーヌ、貴女は私を愛してはくれないの……? 私の真矢……そう言ってくれたあの言葉は嘘だったの……?」

「ち、ちが、そうじゃなくて、私だって、貴女の事を……」

「では何故?」

「だ、だから、普通に二人っきりの時とかなら、私だって……嫌では……」

 

 鼻先の触れる距離で囁く真矢の言葉に状況認識を侵略されて来たらしいクロディーヌの視界から、周囲の人々が消え始めた様だった。その証拠に、先程まで気にしていた筈のみんなでは無く、その視線は潤んだ天堂真矢の瞳に釘付けになりつつあった。

 

「ひかりちゃん、華恋ちゃん。そろそろお布団に入ろうか」

「えー、まだ起きてる~」

 

 わめく華恋の隣でひかりがテレビから視線をそらす事無く首肯する。画面では彼女の愛するMr.ホワイトが動き回っていた。初期のエピソードが再放送されている様だ。

 

「だーめっ。ただでさえ二人とも朝弱いんだから、夜更かししないの。ひかりちゃんも、私それDVDで持ってるから、後で見せてあげるから、ね?」

 

 真矢クロ劇場が二人の教育に悪いと判断したまひるに手を引かれ、愛城華恋と神楽ひかりがリビングから自室に連行されていく。最近のまひるはお姉ちゃん通り越してお母さんみたいだな、と双葉は思った。が、思った直後、膝に香子の頭が乗っかってきたため直ぐに忘れた。

 

「重いんだよ」

「ふ~ん、双葉はんったら、嬉しい癖にぃ」

「では二人きりなら貴女の気持ちを教えてくれるのですね」

「う、うん……二人だけ、なら……」

 

 いつの間にかクロディーヌの利き手は真矢の手指に絡めとられ、細い腰には腕が回され、最早距離を取る事は出来なくなっていた。自然、耳を侵略してくる美声から逃れる事も出来ない。

 

「分かりました、では今夜の消灯後、貴女の部屋で」

 

 消灯後の密会宣言に学級委員長の眼鏡が妖しく煌くが、ななに宥められ沈黙した。

 

「うん……て、ええ!? へ、部屋に来るの?」

「いけませんか? 何か都合が?」

 

 基本的に皆が二人一部屋や三人一部屋での寮生活を営む中、主席である真矢と次席であるクロディーヌの部屋は一人部屋である。確かに一人部屋である以上必然的に二人きりであり、クロディーヌが望んだとおりのシチュエーションではあるが、想い人の真夜中訪問はなんというか、彼女には刺激が強過ぎた。

 

 ただでさえ今まで通じていないと思っていたフランス語での独白の数々を真矢が理解していたと発覚し、ただその姿を見るだけでも羞恥に襲われるというのに。そのせいで顔を合わせづらくなり、結果真矢が我慢の限界を超え、こうして衆目の只中で問い詰められる事となったのだが。

 

 これほどの至近距離で畳み掛けてくる真矢の攻撃力は高すぎた。クロディーヌは真矢の情熱に押し切られてしまいそうであった。

 

「う、ううん……待ってる」

 

 押し切られてしまった。

 

「では、また今夜」

 

 それだけ言って優雅に身を翻した真矢に対し、熱に当てられたクロディーヌは何時までも赤い顔のまま、リビングに佇んでいた。最後に赤面するクロディーヌの顔をアップでたっぷりと撮影すると、ななはスマホを回収した。他の級友たちも自室に浴場にと、無言の内に計ったように散っていく。今此処は真矢とクロディーヌが主演の真矢クロ劇場、彼女たちは観衆たる己らの守るべきルールをとくと弁えていた。

 

 その夜、九九組の皆は学生らしく消灯時間直後にはすっかり眠りに落ちた。彼女たちは空気が読める良い子なのであり、舞台少女なのだ。故に皆が夢を見ている時間、彼女たちの首席と次席がどの様に過ごしていたのかは誰も知らない。

 

 ただその日の夜から──天堂真矢はオレンジの、西條クロディーヌはホワイトのペアチョーカーをそれぞれ身に着けていたという。そして真矢は誇らしくも満足気に、クロディーヌはしとやかに恥ずかし気に、お互いを真矢、クロディーヌととても大事なものの様に呼び合うようになったとか。

 

 これは更なる飛躍を遂げる二人の舞台少女、その再生産の日のお話──。




オーバーチュア二巻とアニメ十一話が待ち遠しいです。


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実は恋バナとかしてみたかったクロちゃんの話

続きました。


「クロはん、天堂はんとはその後どうなん?」

「……ど、どうってなによ」

 

 風呂である。

 聖翔音楽学園学生寮星光館、その浴場である。

 

 共に九九期生たる花柳香子と西條クロディーヌは、二人っきりで風呂に浸かっていた。別に示し合わせた訳でも無く、偶然の巡り会わせで期せずして二人だけなのだった。

 

「やって、クロはんと天堂はんはほら、あれやろ? せやからその後、どうなんかなぁって。うちも年頃の娘やさかい、気になってしもて~」

「──っ」

 

 クロディーヌの顔が真っ赤に染まる。風呂に入っているだけにのぼせたかと思ってしまうほど。だが勿論、その紅潮の理由は湯あたりでは無い。

 

 九九期生次席たる西條クロディーヌと九九期生首席天堂真矢が両想いであり、そしてつい最近想いを通じ合わせて好き合っているという公然の事実を、真っ向からつっつかれた事に羞恥を覚えているのだ。

 

 それは九九期生総員の間では、公然の秘密であり事実である事柄だ。なにせ寮のリビングで多数の観衆を前にあんな立ち回りを演じたのだから。その後二人はペアルックであり互いに名前呼びで、より激しく競い合い実力向上著しい今日この頃なのだから。

 

 人前で二人がイチャついた事は無い。舞台少女として研鑽に身を捧げる間、この主席次席のカップルが色恋にうつつを抜かした事など有りはしなかった。

 

 しかし、互いを呼び合う声に秘められた熱い何かとか。声を交わさないまでも明らかに目と目で通じ合っている様子とか。寮に帰ってきてからも二人で何かしらの練習や勉強をしていて、あまつさえ互いの部屋を訪問し合う事著しく。

 

 同じ教室で学び、同じ寮で暮らす面々の中でのそういう関係である。隠そうとしたって隠し通せるものではないし、しかも真矢クロの場合公私の割り切りこそすれ隠してはいない。

 

 主席と次席の九九期生頂点カップルが祝福と共に、思春期の少女たちから多大な関心を寄せられるのはごく自然な事であった。

 

 二人の一挙手一投足は以前にもまして注目の的なのである。だがそこは日本最難関の学園に集った舞台少女たち。気にはなれども二人の真剣な交際を玩具にしてはならじと不用意かつ興味本位な接触は誰にともなく控えていたのであるが──

 

「いややわぁ、そないな怖い顔せんくてもええやないの」

 

 其処で一歩踏み込むのが京都出身家元の生まれ、花柳香子という女なのである。今丁度二人だけやし聞いたろ、という精神である。

 

 そして一対一の逃げ場のない環境で踏み込まれれば赤面してしまい、被害の最小化の為に背を向けて逃げるという手段も取れなくなるのが、初心にして負けず嫌いの西條クロディーヌという女なのである。

 

 クロディーヌは近頃今までにない充実と充足を感じていた。

 自分の実力がめきめきと伸びているという実感、昨日より今日の方がよりきらめき、より高く飛んでいるという偽りのない事実──そして、そんな自分に負けず劣らず美しく飛翔する愛しい人の背中を追う日々が、競い合い鍛え合う毎日がとても幸福で満ち足りているのである。

 

 愛しい人と相思相愛の関係になる、胸に抱いた想いが通じる、自分が相手に抱くものを相手も自分に抱いてくれている──そんな夢のような体験をしたのは、人生で初めてであったのだ。

 

 故にちょっとだけ、ほんの少しだけ──この幸せを誰かと語りたいとか、誰かにこの充実を聞いてもらいたいなぁ、という思春期の少女らしい思いも、あったりしたのである。

 

 初心と負けず嫌いにこの様な思いも重なり、だから彼女はついつい、

 

「か……香子こそ、最近双葉とはどうなのよ? 進展はあった?」

 

 だがそれはそれとして素直にきゃぴきゃぴお喋りするのは恥ずかしい。故にこういう行動に出る、そっちはどうなのよ、と。そっちも話しなさいよ、と。

 

 こっちが恥ずかしい思いをするのだからそっちだって相応の代償を、という発想は、この場合相手が悪かった。

 

「うちどすかぁ~それはもう、双葉はんと毎日仲良しで日々充実してますぅ。ほら、例のレヴューでお互いに胸の内を明かしたのが良かったんか、うちはもう本当に、双葉はんと一緒で毎日が幸せですわ~」

 

 うちと双葉はんは何時までも一緒やと誓い合った仲どすからなぁー、と。

 

「双葉はんもなんや前よりずっと凛々しゅうならはって、ここだけの話どすけども、うちも不意にどきりとしてしまいますわ」

「へ、へぇー。そう……」

 

 相手は花柳香子である。

 仮に双葉の前であったなら絶対に言わないであろう底の底の本音を、この場面この相手、西條クロディーヌの心情を透かし見てさらりと口にし、堂々と惚気て見せる。

 

 あっけらかんと札を切られた以上手番は回り、クロディーヌの番である。自ら促し相手に喋らせた以上、もう自分も話す以外に道は無い。

 

 嵌められた、という思いが五割。でも正直こういう話とか少ししてみたかったという無自覚の想いが五割。西條クロディーヌは首から耳から、水面より上の部位全てを真っ赤に染めながら、しかし動作だけは優雅に日頃手入れを欠かさない己の美髪を撫でてみせる。

 

 入念な余裕アピールの末、遂にクロディーヌは香子に対し、

 

「──ま、まあ私と、真矢もね。充実してるわ。でも結構大変なのよ、真矢は人前でこそああだけど、割と──香子ほどじゃないにしろ、甘えん坊な所があるから」

 

 見栄張ってちょっと盛った。二人きりの時の真矢は確かに常よりも安らいだ柔和な様子を見せるけども、どちらかというとクロディーヌこそが彼女の懐に抱かれて甘える側である。

 

「ほほぉー、天堂はんが……なんや意外やわぁ。正直天堂はんって達観してはるというか、常に自分を律してはる大人びたイメージどすから」

 

 しめしめとばかりに笑みを深める香子に気付かなかったのは浴場内に充満する湯気故か、それともクロディーヌが初めての恋人自慢及びラブラブ自慢で冷静さを欠いていた為か。

 

「確かにそういう面が目立つけど、一歩進んだ関係になってみると真矢にも子供らしい所とか──ぼ、母性的な所、とか? あるのよね、色々と」

 

 なにせ天堂真矢への愛ならば、憧れや対抗心と共にクロディーヌの脳内に大量に膨大に満々と貯蓄されている。一旦漏れ出れば止まらないのはもう、自然の摂理の様なものだった。

 

 最初は正しく興味本位というか揶揄い半分であった香子も、クロディーヌの熱弁に当てられてか少しずつ口が滑らかになっていった。

 

「で、でね? その時真矢が耳元で優しく励ましてくれて──」

「ええなぁ、天堂はんは優しゅうて。双葉はんにもそういう趣向がちょっとは欲しい所やわぁ」

「香子だって双葉にこの上なく想われてるじゃない。私からしても香子と双葉の関係性っていうか、幼馴染らしい昔から互いを分かり合っているって関係は憧れる所が──」

 

 完全に互いのパートナー自慢合戦賛辞の投げ合いと化した香子とクロディーヌの恋バナは、相方の長風呂を訝しんだ双葉と真矢が突入してくるまで続いた。

 



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ちょっと嫉妬しちゃった真矢様とそれが嬉しいクロちゃんの話

また続きました。


 就寝前の想い人との語らいの時間は、天堂真矢の学園生活で最も安らぐ憩いの一時である。

 

 主席と次席という席次故、天堂真矢と西條クロディーヌは寮生活を営む皆の中で稀有なる一人部屋持ちだ。互いの部屋を訪れれば、集団生活の中でも容易に二人だけの時間を作れる。

 

 同じ学校同じクラスに同じ寮で生活しているのだから、何もしないでいても二人は常に共に行動している様な物であったが、やはり他の耳目を気にせずに済む時間と空間というものはとても大事なのだ。

 

 勿論真矢は級友や友人たちとの語らいも嫌いではないが、愛しい彼女を独り占めできる瞬間は特別だった。特別で大切な、心安らぐ憩いの一時──。

 

 しかし、時には違う。

 

 天堂真矢は嫉妬深い。強欲でもあり、独占欲もすこぶる強いと自認している。強い意志力で自制しているからこそ人前で挙動に出す事こそ無いが、人目のない状況で彼女を前にすれば常になく逸り、少々性急に行為を求めてしまう事がままあった。

 

「ちょっと、真矢……どうしちゃったの?」

 

 愛しい声がした。彼女自身の腕の中で。

 

 クロディーヌに遅れて入浴を済ませると真矢は彼女の部屋を訪れ、招き入れられるなり衝動のままに想い人をその胸に抱きすくめると、そのままの体勢で寝台に腰掛けたのだった。

 

 ぎゅうううっと力強く、しかし決して痛みなど与えない様にクロディーヌを抱き締める真矢。

 

 前触れの無い唐突な行動に眼を白黒させ、同時に頬を染めたクロディーヌであるが、見れば天与の才気と油断ない研鑽でもって常に頂点にあり続ける天堂真矢が──少しばかり拗ねた様な顔をしている事に気付く。

 

 学校でも寮でも、クロディーヌ以外に見せる事の無いその表情。軽い、しかし確かな嫉妬の感情である。

 

 惚れた弱みと言うべきか、天堂真矢を前にすれば少しばかり平静を失いがちであるクロディーヌにしても、この時ばかりはあらあらと我が子のわがままに苦笑する母親の様な表情を見せる。

 

「香子と仲良くしてたの、気に入らなかった?」

「──貴女を信じていますし、彼女には石動さんがいますから」

 

 妙に早口なその言葉に、クロディーヌは柔らかい苦笑を深めた。

 

「私はずっと真矢の、香子はずっと双葉の話をしてたのよ?」

「それでも、です。それに……二人だけの時間が少し減ってしまいましたので……」

 

 真矢とクロディーヌはこういう関係になってからも想い人同士として振舞うよりも、以前と同じく、いやそれ以上に己を鍛え上げ、競い合う強敵同士としての時間の方が長い。

 

 真矢が少しでも恋情に惚ければクロディーヌに、クロディーヌが少しでも愛情に眩めば真矢に。そうでなくとも成長著しい愛城華恋に神楽ひかりに露崎まひるに星見純那に大場ななに花柳香子に石動双葉に。選抜以外でも日進月歩の級友たちに。

 

 色恋にうつつを抜かして足を止めれば追い付かれ、追い越されてしまう。それは己の舞台少女としての矜持が許さない。負けず嫌いの二人は互いの関係がどう変わろうとそこはぶれないのである。

 

 だからこそこの、そうした自負と誇り抜きで想い合う就寝前の二人だけの時間はとても特別で大切で、とても尊いのだ。

 

「ふふふ。少し話をするだけでこれじゃ、私も大変だわ」

 

 言いつつも、クロディーヌの声音に負の感情は無い。むしろ喜色が多分に含まれていた。あの天堂真矢が、憧れ続け追い続け、何時しか愛する様になったクロディーヌのトップスタァが、こうまで自分に夢中であるのだ。

 

 誰にも渡したくない、目移りしないで、私だけを見ていてと黒さの無い、幼い位の可愛らしい独占欲で自分を欲しているのだ。

 

 憧れの想い人にして未だ打ち倒せぬ強敵たる天堂真矢が、自分にだけ見せる姿。自分にだけ向ける感情。嬉しくない訳がない。

 

 あのレヴューを終えて以降、両想いとなって以降、より一層高く飛翔し大輪の花を咲かせる舞台少女、天堂真矢──文字通り自分たちの頂点に立つ我らが首席。そんな彼女の、こういう関係になったからこそ見られるクロディーヌに恋焦がれる一人の少女天堂真矢の姿。

 

「──私の真矢」

 

 先程までの苦笑とは違う笑みを浮かべ、クロディーヌは真矢を抱き返す。頬を擦り合わせ、想いを言葉にして囁く。

 

「あの言葉に嘘は無いわ。ずっとあなたを。ずっと、あなただけを──」

 

 多くの言葉を用いずとも、今の二人は通じる。真矢のクロディーヌを抱き締める腕から、力はそのままに硬さが抜けた。

 

「──私のクロディーヌ」

 

 私の真矢。私のクロディーヌ。貴女の私で、私のあなた。

 

「勿論、私の言葉にだって嘘はありません」

 

 真矢が呟くや否や、クロディーヌは動いた。何時もあなたにドキドキさせられっぱなしの私じゃないのよ、とクロディーヌの根本たる負けず嫌いと初心な愛情がそうさせた。

 

 真矢の頬に一瞬の感触。ちゅ、とほんの小さな音。真矢の脳がその意味を理解するより早く身体が反応し、彼女の柔い肌が一瞬で真っ赤に染まる。

 

 口付け、と脳裏にその言葉が浮かぶ頃にはたっぷり三秒が経過しており、真矢の腕の中でクロディーヌの笑い声が響いた。

 

「ふふふ、今日は私の勝ちみた──」

 

 ライバルの勝利宣言が完成する前に、真矢の骨身まで染み込んだ負けず嫌いと深い恋情がその行動を選ばせた。

 

 クロディーヌの後頭部に手を回し、もう一方の手で髪を掻き分けると彼女の額に己の唇を押し付ける。天才にして研鑽家たる舞台少女天堂真矢のそれとしては、強引で硬い動きだったかもしれない。

 

 しかし、効果のほどは目の前のクロディーヌの真っ赤な肌と潤んだ瞳が、開閉するばかりで言葉を発しない口がこの上なく証明していた。

 

「今日も私の勝ち……とまでは言いませんが、これで引き分けですね?」

「……ほんとヤな女」

 

 自室に居なければならない点呼の時間まで、まだ少し時がある。二人きりの夜はもう少しだけ続く──。

 



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思春期真っ盛りな真矢様の話

 

 天堂真矢は思い悩む。

 

 自室である。一人っきりだ。パジャマ姿で天蓋付きベッドの上、枕を抱きかかえ顔を埋めて沈思黙考している。

 

 既に消灯時間を過ぎる事三十分、未だ結論は出ない。

 

 悩みはクロディーヌとの事だ。あの、口付けを交換し合った夜から既に二週間は経っている。

 

 このままでは埒が明かないと判断した真矢は携帯電話を取り出す。常日頃あまり使わない端末だが、世の中には日がな一日これを弄って時を過ごす者もいるという。

 

 一人で答えを出し行動に移すには余りに大きなこの悩み、今こそ文明の利器によって数多の英知を参集し、教えを授かる時──! 

 

 真矢は『付き合う キス タイミング』と打ち込むと検索ボタンをタップした。其処で表示された検索結果の中から、取り合えず一番上のものを読んでみる。

 

「付き合い始めてから三か月目くらい、デートで言うなら三回目くらい……?」

 

 他の記事にも目を通し、ちょっと考えてから今度は『同性 恋愛 キス 何時ごろ』と検索してみる。先程と比べてお悩み相談の様なものが多く表示されている傾向だ。

 

 ただ、一回目の検索の時と比べても『雰囲気は大事』『あまり性急すぎるのも駄目』『相手の気持ちも考えて』という類の忠告は共通しているように思う。あまり早い時期に求めると相手は身体だけが目当てなのか、と不安に思ってしまうから、余りがっついた態度は良くないと。

 

「私、がっついているのでしょうか……」

 

 天堂真矢は西條クロディーヌとキスしたかった。

 

 あの夜以降よりクロディーヌとの距離は縮まり、消灯時間の為に自分の部屋に戻る時、互いにお休みのキスを頬や額、首筋などにする習慣が出来たのだけども──。

 

 天堂真矢は西條クロディーヌの唇に、己の唇で触れてみたかった。すごく、してみたかった。頬にするだけでもこうなのに唇同士を触れ合わせてしまったら、と興味津々なのだった。

 

 多分そうした感情は多少なりとも表に出ているだろうし、クロディーヌも雰囲気でそれを感じ取っているだろう事は間違いがないと思う。

 

 こう、二人の時間の最後、別れの時に改めて──改めて、口付けの為に身を寄せ合う瞬間とか、彼我の心臓が痛いほど高鳴っているのを感じるのだ。

 

 例えば頬に触れる瞬間、ほんの数センチ横にずれて唇にキスをする事に抗いがたい誘惑と、そしてもしその行動によってクロディーヌとの関係に良くない変化が生じたらどうしようという拭いがたい恐怖を感じるのだ。

 

 思わず、刹那の隙にクロディーヌの顔色や表情を窺ったりしてしまう。彼女の可愛らしい顔には高揚と羞恥と、そして明らかな緊張が見て取れた。この緊張は抵抗感と期待感、どちらの感情から来る緊張なのかと答えの出ない疑問に頭が一杯になる。

 

 逡巡の結果、いつも通り頬に唇を落とす。ややあって、クロディーヌからも返礼として同じ部位に。

 

 触れ合った後の、身体を離すまでのお互いに流れる何とも言えない数秒がとてももどかしい。居心地が悪い、という表現にすら掠る。まるでお互い不器用に探り合っている様な、無言の沈黙から未出の言葉を得ようとしている様な、そんな踏み出す一歩を恐れ合う臆病な時間。

 

 真矢はクロディーヌの気持ちを、自分の願望に対する彼女の気持ちを。

 クロディーヌは真矢の気持ちを、肌で感じる彼女の欲求に対する自分の想いを。

 

 したい、という気持ちは言わないまでもクロディーヌに伝わっている。それに対して、伝わっているのなら彼女の方から何らかの、拒絶なら拒絶の、受諾なら受諾の意思表示は無いものかと都合の良い思いを抱く。

 

 でも結局何時も、お休みなさい、また明日、で終わる。この上なく幸せなのにとてももどかしい。

 

 キスなんて演劇、ドラマ、映画、漫画、アニメ、創作と現実のどちらでも日常的に目にするものだ。特に恋愛が主なる題材と言う訳では無くとも、何かしらそういう場面自体はある事が多い。愛や恋というのは、人にとってそれほど密接で根源的なものだという事だろう。

 舞台少女として学んできた真矢の人生においても実体験こそ無いにしろ、幾度も幾度も目にした事がある。今更照れる様な行為ではない、そうとすら言えるのに──。

 

 一人の少女天堂真矢として、愛しい西條クロディーヌと向き合ってしまえばこんなにも特別で大切で大事で、畏れ多くて触れ難い。とても崇高で、尊い。

 

 真矢はらしくもなく溜息を零すと、もう寝なければ明日に差し支えると横になる。確かなる実力で主席の座に君臨する彼女と言えど、寝不足で明日に挑めるほど聖翔音楽学園は、九九組生たちは、ライバルであるクロディーヌは甘くない。

 

 眠りに落ちる間際、真矢は思う。誰かに相談してみようか、と。

 

 先程携帯電話で検索した時には、ネット上にそういった相談は多く、そしてまたそれに対する回答も沢山あった。一人で悩んで答えが出ないなら、誰かに導いてもらえばいい。単純明快ながらも真理であると思えた。

 

 問題は誰に相談するか、という事だ。ネットで、というのも少々疎い世界なので抵抗感がある。この気持ちや事情を、見ず知らずの人に正しく言語化して相談できる気もしない。

 

 身近な誰かでこういう事情に詳しい、いわばこの道の先達もしくは理解のある人はいないだろうか。

 

 愛城華恋と神楽ひかりと露崎まひる。

 星見純那と大場なな。

 花柳香子と石動双葉。

 

 改めて冷静に考えてみれば意外に沢山いる、と半分寝ている脳裏で真矢はびっくりする。

 

 いや、勿論、彼女たちが恋人同士的な恋愛の情で結ばれているとは言い切れない部分もあるのであるが、それと同等かもしくか上回るほどの絆の強さ、互いに対する信頼や尊重で繋がっているのは間違いがない面々である。

 

 文字通り運命の二人である愛城華恋と神楽ひかり、その二人を愛し二人に愛される露崎まひる。

 余人の及ばぬほど互いに互いを見知り支え慈しむ星見純那と大場なな。

 これまでも一緒でこれからも一緒だろう、一番近くにあると誓い合った花柳香子と石動双葉。

 

 この中でそういった相談が出来るのは──今の天堂真矢の悩みに対して、答えを授けてくれそうなのは──。クロディーヌとの関係進展の一心の為に其処まで考えて、天堂真矢は眠りに落ちた。

 




何故か私の中の真矢様はケータイを使わなさそうなイメージがあります。特に機械音痴とかそういうのではなく、本当に連絡とか最小限の事にしか使ってないイメージ。


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ふたかお部屋を訪れるクロちゃんの話

「はあ……天堂がねぇ」

「そうなのよ」

「はあ……でも、正直意外やわぁ。二人ともまだそんな感じやったんやね。うちはてっきり、あの口振りからしてもう行く所まで行ってる思てましたわ」

 

 あんまりと言えばあんまりな香子の発言にクロディーヌが赤面と共に抗議する。だがその様子すらも以前と比べれば随分丸くなった風である。

 

 クロ子も天堂の事となると人が変わるよなぁ、と双葉は内心で舌を巻く。

 

 前からも対抗心剥き出し戦意旺盛何かというと勝負を仕掛けている様な西條クロディーヌだったが、内に秘めた想いが通じて両想いとなって以降、二人の関係は変わったのだろう。

 

 ライバルという構図が崩れた訳では無い。むしろその面に関しては前より激化している。彼女たちの競い合いは周囲をも巻き込んで、九九組全体の良い刺激、見本になりつつある。

 

 だが、その根底にあるのは愛情なのだろう。

 

 天堂真矢がどれだけ躍進しようと西條クロディーヌは決して諦めず追い続け、あまつさえその後背を脅かすほどに成長する。

 西條クロディーヌが伸びれば伸びる程に、天堂真矢はそれすら糧にしてより遥かなる高みに駆け上がる。その確信と信頼が、聖翔音楽学園九九期生が誇る主席と次席の強さを下支えしているのだ。

 

 最良にして最愛のライバル、それが天堂真矢と西條クロディーヌ。

 

 だが現在、双葉と香子の前にいる西條クロディーヌはなんというか、只一人の恋する少女だ。負けん気も勝気も闘争心も現在は休みをもらって引っ込んでいるらしい。

 

 あの、フランス語を解さない者でも愛情と敬意の告白として聞こえなかった『私の真矢』『私のクロディーヌ』発言以降、人前では兎も角、多分天堂と二人きりの時のクロはこんな感じなんだろうなぁ、と双葉は察した。

 

 休日、特に用事も無く自室でのんびりとしていた双葉と香子であったが、そこに訪ねてきた西條クロディーヌの相談とやらはまた随分甘酸っぱい物だった。

 

 日本最難関の聖翔音楽学園に通う言わば将来を嘱望されるエリートにして実力者、女子校の寮住まいという条件もあってこの手の話題に飢えた者らにとっては垂涎物のお話だっただろう。

 

 恋人との関係進展について悩んでいる、なんて。

 

 とは言っても、クロディーヌの話した相談内容は双葉や香子からすればはいはいご馳走様と言わんばかりの甘々なものであったが。聞いてるだけでも双葉は頬が熱を持ってくるのを感じたほどだ。

 なにせ当のクロディーヌはもう真矢の気持ち自体は全然全く嫌では無くて、ただちょっと結構かなり恥ずかしいからいざとなると自分から求めるなんて事は出来ない、真矢もその辺りの気持ちを察してしまうのか思いきれないみたい、なんて言うのだから。

 

 もう相談については聞いてやっただけで、クロディーヌにしてみれば人に話して内心を整理できただけで終わりも同然だろう。ご両人とも何時までもお幸せに、以外に言う事も何もない。

 

 先の香子では無いが、双葉も内心とっくにそれ位済ましているものだと思っていた位だ。

 

 多数の観衆を前にして恋愛劇を演じて見せ、一夜の後にはペアチョーカーなんてつけて過ごしている高レベルさにしては天堂もクロ子も純なんだな、と双葉は変に感心する。

 

 双葉が師事し、追う者として共に切磋琢磨していたクロディーヌは高い実力とそれに見合った自負を持つ日々戦う女だったが、また随分乙女な一面もあったもので……いや、思えば乙女は元からかと双葉は考える。

 

「言うてクロはん、流れる血だけやのうて小さい頃は実際におフランスに住んでたんやろ? キスやってそれこそ、挨拶代わりやないの?」

「フランスでだって、本当に頬に唇をつけるのは親密な間柄の時だけよ。基本は、頬を合わせて唇でキスの音を出すの。それだって誰とでもする訳じゃないし。何より──」

「愛しい愛しい天堂はんとのファーストキスは全く別物や、と。すいまへんなぁ、うちが野暮やったわぁ」

「もう、香子!」

 

 それにしても、何時の間に香子とクロは仲良くなったんだろう、と双葉は少し驚いた。

 

 一年時から交流はあったし、スタァライトの主役級を演じる選抜として同じ舞台にも立った。何よりあのキリンのレヴューを共に戦った仲だ。

 

 香子とクロディーヌが特別不仲だったという訳では全くないのだが、それでもここまで和気藹々とした風では無かったように思う。

 

 あの長風呂の一件で何か変わったのだろうか、と双葉は思い、香子もあたしの知らない所でみんなと関わっていくんだなあ、なんて二年にもなって今更ながら深い感慨を抱く。基本的に双葉と香子はセットで行動しているので、普通なら当たり前の事でも趣深い。

 

 思い返せば一年生の時、それも最初の頃の香子はクラスメイトと話すだけでも双葉の背中に隠れる様な人見知りぶりだったものである。とんでもなく自信家で強かで良い根性をしている女だと言うのに。

 

「天堂はんなんて見るからにむっつりやもん、クロはんが流し目の一つもくれはって、釣れたら意味ありげに頷いたればイチコロちゃいますぅ?」

 

 双葉も人の事を言えたものでも無いが、そういった経験も無いのにイイ笑顔でよく回る口である。舌鋒も滑らか高らかにクロディーヌを翻弄し、赤面させ、時には感心さえさせている香子をみて双葉は一つ思い立った。

 

 わざとらしく、座った姿勢で後ろに手を突いて身体をのけぞらせ、声だけは真剣に、

 

「あ~あ。香子ときたら、あたしがいるのにクロ子とばっか話しちゃってさ。香子はあたしに飽きちゃったのかぁ。捨てられちゃったなぁ。こうなったらあたし、今度は天堂ん家の子になるしかないかなぁ」

「──ぷっ」

 

 何時かの夜の公園での香子の台詞を思い出させる内容に、クロディーヌは即座に連想したらしく噴き出した。双葉は聞き知らぬ事だったが、この双葉の台詞は一年時、バイクの免許を取る為に一時香子のそばを離れがちだった双葉を不審に感じ、双葉に他に大事な人が出来た為にわがままな自分は捨てられるのではないかと疑心暗鬼に陥っていた香子の心情にも掠っていた。

 

「な、なんやて!」

 

 ふと浮かんだネタにしては思いの外受けたと気を良くする双葉であったが、クロディーヌとは別の意味で刺さった者もいたらしかった。当の香子である。

 

「な、なんでそないな事言うん! こ、こんな少しの事で……うちが双葉はんに飽きる事なんてあらへんもん! 双葉はうちのや! ずっとうちの隣にいなきゃならへんの! 誰のとこにも行ったらあきまへん!」

 

 日頃のレッスンとそれを血肉に変え得る確かな素質を感じさせる、実に張りのある臨場感に満ちた声であった。

 

 反射的に言い切ってから、香子はポカンと自分を見る二人の視線に気づき、ハッとする。自分が言わば冗談を真に受けて真剣な反応をしてしまったと気付いたのだ。

 

 それでも顔面に流入する血液の速さと熱さに負けず劣らず、とっさに口を回すことが出来たのは流石花柳香子といった所だろうか。

 

「──ふ、双葉はんったら、こんなちょっとの事ですーぐ嫉妬してしまうやなんて、か、甲斐性が足らんのとちゃいます? ほんに、うちがおらんと駄目なんやから……」

 

 ただ、長年連れ添った相方にはそんな強がり、通じないのだったが。

 双葉がまるで悪巧みをする香子のそっくりの顔で笑み崩れると、流石の花柳香子も自分の不利を悟った様だった。なにせ吐いた唾は飲めない。覆水は盆には返らない。

 

 双葉本人の前でぶちまけてしまったのである。

 

 うちが双葉はんに飽きる事なんてあらへんもん! 

 双葉はうちのや! 

 ずっとうちの隣にいなきゃならへんの! 

 誰のとこにも行ったらあきまへん! 

 

 反射的に出た言葉だけに自分自身本音と認めざるを得ないこれらの熱い台詞は、どう考えても先程までのクロディーヌの相談風惚気話と同等かそれ以上のアレ具合であり、しかも観衆として最近の双葉は凛々しくてドキドキするという胸に秘めた本音を語ってしまったクロディーヌまで付いている。

 

 お風呂場では回避した羞恥が今倍に膨れて戻ってきた様であった。

 

「──~ッ!」

 

 故に耐え切れなくなった香子は幼少の頃からの持ち芸、対石動双葉必勝の策を取る──堂々と拗ねて不平不満をぶちまけるという策を。

 

「──ふ、双葉はんのアホ! 意地悪! もう知らん!」

 

 と、ベッドに潜り込むと布団を頭から引っ被って引きこもりを決める。こうなるともう、事の発端や経緯に関わらず双葉がご機嫌を取らねば解決しない問題である。

 

「香子ー、あたしが悪かったから機嫌直してくれよ」

「いやや! 絶対うちの事わろてるやろ、もう双葉はんなんかき、嫌いや……」

 

 よっぽど恥ずかしかったのだろう、布団の内側から響く声は涙声であった。こりゃ時間かかりそうだな、と察した双葉はクロディーヌに向けてごめん、と掌を合わせる。

 

「うちのお姫様が拗ねちまった、クロ子、悪いけど今日は」

「私の事は気にしないで、わがままお姫様のご機嫌、なんとかできると良いけど」

「だいじょーぶ、慣れっこだからさ」

 

 これ以上双葉を独占すると香子がまた拗ねるので、クロディーヌはそれきりふたかお部屋を辞去した。背後からは早速関係修復を図る双葉のあやし声が聞こえてくる。

 

 良い二人よね、とクロディーヌは思う。なんというか、年季が違うのだ。

 

 双葉と香子の関係を単に恋愛感情で片付ける事は出来ないが、友情や腐れ縁では到底説明が付かない強い絆があるというのは分かる。そしてその絆は、レヴュー以降もっと強くなっているのだ。ある意味、恋人なんていう段階はとうに通り過ぎているのかもしれない。

 

 二人っきりでいる事の特別感が安心感に変わり、愛情はそのままに落ち着きを得たら、自分と真矢の関係もあの二人の様になるだろうかとクロディーヌは思う。

 

 廊下の窓から空を見ると、季節柄まだ明るい事は明るいが、日はそれなりに傾いていた。星光館の門限は六時。とすると、彼女の愛しい天堂真矢も戻ってくるだろう。

 

 さて、どんな風に口説いてくれるのかしらあのむっつりさんは、とクロディーヌは期待と高揚に胸を高鳴らせて、自室で待つ事した。たまには、自分が挑戦を受けるのも悪くない。勝ちでも負けでも、心は決まっているのだから。

 




ちなみに真矢様は前話の三組の中から「一番それっぽい関係に思えましたので」という理由でじゅんなななに相談に行きました。こちらはわざわざ寮からでてお外で。
純那さん真っ赤っか。ななさんにっこにこ。


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覚悟完了のクロちゃんと万策尽きた真矢様の話

「ななや純那と? 珍しいと言えば珍しい組み合わせね?」

「はい……彼女たちの相談に……乗ってあげていました……」

「……大丈夫? 何か疲れてない?」

 

 順序で言えば私が相談したはずだったのに私の話は彼女たちのイチャつきの燃料にされたのです、誰かに歩み方を教えて欲しかっただけなのに何故私が意図せずして背中を押す側に──などと、なんだか疲れた様子の真矢である。

 

 学級委員長星見純那とみんなのばななこと大場なな、九九期生の真面目なお父さんと優しいお母さん的存在を相手に、首席たる天堂真矢は躍らせられてしまったらしい。クロディーヌには何が何だかさっぱりだが。

 

 今日は真矢の部屋にクロディーヌが訪れている。何時もの様にベッドの縁に隣り合って座り、互いが互いにそっと体重を預け合って、寄り添う。

 

 寮なので間取り自体は同じ一人部屋であるクロディーヌの自室と何ら変わらないが、部屋の主が違う分だけ印象は大分異なっている。

 

 天堂真矢の性格を反映して無駄な物の無い部屋。それでも荷物自体は意外と多い。ただ、舞台や演劇に関する物を除けば残る物品はほんの僅かだろうけども。露崎まひるが日々戦っている散らかし癖の女王神楽ひかりをこの部屋に連れてきて一日過ごさせれば、一般的な女子高生の部屋くらいにごちゃごちゃするかもしれない。

 

 そんな律された部屋の中で第九十九回聖翔祭の後みんなで取った写真、それに以前までは無かった筈の、少なくとも目に見える場所には置いていなかった筈の西條クロディーヌの子役時代の出演作品は割合浮いた存在だ。

 

 今でも一般に販売されている物ならば全て揃っていると言っても過言では無いほどの入手率。天才子役と謳われたクロディーヌの出演作品は決して少なくは無いのに。

それに僅かな埃の積り具合、床材のへたれ具合や入れ物のほつれが部屋の主の行動パターンの偏りをクロディーヌに知らせてくる。

 

 多分、恋人同士になる前、恋心や愛情を抱く前の時期からあるのだろう。愛すべき追走者、大事なライバルとしての西條クロディーヌに抱いた、天堂真矢の執着の証。

 

 クロディーヌは写真の中、手を差し伸べられても取る事無く、負けてないとだけ宣言した過去の自分に視線を送る。今と同じく真矢の隣で、今と違ってツンとした顔の自分。

 

 アンタ、自分で思うよりずっとずっと想われてたのよ、と今や微笑ましい思いで。

 

 思えば私も随分変わったものね、とクロディーヌは吐息。

 

 クロディーヌには落ち着きがあった。何というかもう、双葉や香子と話したお陰もあって気持ちの整理が付き、覚悟が完了してしまったのだ。

 

 無論余裕とは行かない。胸の内で心臓は強く高鳴っているし、今日真矢と交わすだろう行為を思えば頬が発火しそうだ。子役時代、娘役として父や母にした家族のそれとは違う。両親や親族と交わすそれとも違う。

 

 恋人同士のそれだ。古今東西に共通する愛の証。愛の誓い。特別な相手と想いを通わせる愛情交換、愛情表現。今時の小学生や中学生も経験のある者は多いかも知れない。

 むしろ自分たちの年齢や交際期間を考慮すれば、あるいは遅い方かも。

 

 でもこんなにドキドキしている。でもこんなに愛おしい。他の誰かや何かと比べる意味は無い。だって今からする今宵のキスは、西條クロディーヌと天堂真矢のファーストキス。

 

 真矢の気持ちは分かっている。自分の気持ちも分かっている。──私は真矢に応えたい。真矢に捧げたい。真矢が欲しい。

 

 クロディーヌはそう、覚悟完了と共に受け入れ態勢が整っていたのだ。対する真矢がしたい様な雰囲気だけは隠し切れず、しかし言い出せずに無難な話題を取り合えず展開するという凡そ天堂真矢らしからぬ話題運びムード作りに終始しているのに対し、愛おしさをすら感じる懐の深さとなって発現していた。

 

 舞台の上では愛も恋も憎悪も悲しみも自在に魅せ、演じ、表現する。天堂真矢。クロディーヌの憧れで、何時か追い付き追い抜きたい背中。

 

 彼女の頭の中には著名な愛の物語が百や二百はある筈。

 

 でもほら、私の前だとこんな可愛らしい。完璧とまで言われた彼女が自分との関係に苦悩する。両想いだと分かっているのにそれでも一筋縄でいかないのだと四苦八苦。額や頬、首筋や手の甲。色々なキスでクロディーヌを翻弄した癖に。私のクロディーヌと皆の前で主張した癖に。

 

 真矢のクロディーヌであるという証が今も首にあり、クロディーヌの真矢だと言う証もまた首にあるのに。

 

 それでも天堂真矢が自分との初めてにこんなにも特別を感じてくれている。こんな天堂真矢らしくも無い天堂真矢を、どうして西條クロディーヌが嫌いになれるだろう。

 

 だから、西條クロディーヌは天堂真矢とふと見つめ合った時、自然に恥じらう様に微笑んでいた。自然に、彼女に向けて全てを肯定する様に目を伏せて頷いていた。

 

「……あ」

 

 花の蜜に誘われる蜜蜂の様に、クロディーヌの頬に真矢の手が寄り添った。それはきっと、理屈を超えた本能の動き。

 

 行為だけ見れば完全に真矢の方から動いていただろう。クロディーヌは眼を瞑って待っていただけ。でもきっと、真矢をリードしてあげたのは西條クロディーヌだったのである。

 

 ムードも雰囲気も所詮は有れば良い程度のものだ。結局言語さえ要らなかった。互いを愛し合って欲し合って天堂真矢と西條クロディーヌが共にいる以上、他には何にも要らない。

 

 西條クロディーヌは天堂真矢と、初めてのキスをした。

 天堂真矢は西條クロディーヌと、初めてのキスをした。

 

 ほんの一瞬触れ合っただけで二人は理解した。どうしてこの文化が世界中のどんな時代場所にも存在するのか。

 

 きっとこの熱さに、この愛苦しさに、耐えられないのだ。自分の全てを差し出した、相手の全てを手にしたという錯覚さえも与えてくれるこの接触が繋がりが、人を捕らえて離さない。

 

 演劇を詩歌を舞踏を学び、恋も愛も舞台で本物同然に演じられていると思っていた。でもそれは大間違いだった。本物を知ってしまった以上、もう今までのはごっこ遊びだと認めざるを得ない。

 

 他者と溶け合う、愛しく思う者同士が互いを差し出し合うという幸福と悦楽を、きっともう忘れられない。

 

「責任、取ってよね。一生」

 

 二人が離れた後、最初に喋ったのはクロディーヌ。これに対する九九期生首席・天堂真矢の返事は、

 

「勿論です。………………あの、クロディーヌ……」

 

 なに、とクロディーヌが慈愛を受かべて小首を傾げる。今ならどんな愛の言葉も受け止めきれる気がした。だからなぁに、と優しく微笑んで、愛しい人の言葉に耳を傾ける。

 

「………………も、もう一回していいですか」

「ぷっ」

 

 俯きがちな真っ赤な顔でどもって言う天堂真矢の余りの威厳の無さにクロディーヌは噴いた。一緒に雰囲気も何処かへ飛んで行った。

 

 己の内から湧き出る笑いを必死で抑えようと口を両手で押さえてベッドに転がった西條クロディーヌに、天堂真矢がこちらも必死で言い募る。

 

「な、なんで笑うの! クロディーヌ!」

「だ、だって、だって、真矢」

 

 笑うなって方が無理よ、とクロディーヌはやっぱり声に出して笑ってしまった。また彼女は天堂真矢の新しい一面を発見してしまった様だ。

 

「だ、だって! 貴女とのキス、本当に凄くて、本当に幸せで……」

 

 だからもっと長く、もっと沢山したいのです、と天堂真矢。気の利いた口説き文句も愛の囁きも、天堂真矢本来のスペックなら百万通りは考えられてしかるべきだろうに。

 

 純で、むっつりで、我慢が苦手で、欲しがりさんなのだ。

 

 でも良いわ、と西條クロディーヌは天蓋付きの寝台に横たわったまま、自分に縋る天堂真矢に言う。

 

 天堂真矢が私を欲しいっていうんだもの。

 したいしたいって子供みたいに強請るんだもの。

 飢えた真矢にご飯を上げられるのは私だけだもの。

 

 求められる喜び、捧げる幸せというものが、西條クロディーヌの内側で渦を巻いていた。

 

 他ならぬ天堂真矢が威厳も強さも無し崩して求めるのは世界で西條クロディーヌだけ。

 あの天堂真矢がなりふり構わず欲するのは世界で西條クロディーヌだけ。

 天堂真矢が溺れるのは西條クロディーヌだけ。

 逆もまた然り。

 

 クロディーヌだって心臓は破裂しそうだし肌は発火した様に熱いし、唇は未だ先程の一瞬の感触、真矢の唇の触感が鮮明で、想い返すだけで幸福感と酩酊感の暴走で死にそうだけれども。

 そう思えば、クロディーヌは自分に夢中な真矢の為になんでもしてあげたいと思えた。

 

 天堂真矢と西條クロディーヌは今宵、あと一回だけ、くっつけるだけのキスをした。一回目は一瞬。二回目は一秒間。それ以上は互いに許容量が限界だった。何だかんだ言っても初心はお互い様なのだ。

 

 




何故かこんなんなっちゃった真矢様。

多分書く機会が無いだろうと思うのでここで書きますが、真矢様とじゅんなななの相談会は「一番そういう関係っぽく見えましたので相談したいのです」といった真矢様に「私たちはそういう関係じゃありません!」って叫んだ純那ちゃんと「うん、今はねー」て言ったばななでイチャつき大会が発生したので真矢様は三人で同じ喫茶店の同じテーブル席に座ってるのに一人で紅茶飲んでました。

ばななの「今はねー」はこれからは分からないという意味と、今じゃない再演ではそういう関係だった事もあったかもという純那ちゃんだけに通じる二重の匂わせで、最終的に早とちりした純那ちゃんが自分じゃない過去の自分にセルフ嫉妬した所でばなながネタバラシと同時に「純那ちゃん、純那ちゃんならたった一言で私を純那ちゃんだけのななに出来るよ?」で爆沈です。
真矢様はそのままの流れで帰宅して自室でクロちゃんをお迎えしました。

レヴュースタァライトの十一話を見たら時間が許す限り見返す予定なのでしばらく更新が滞るかも知れません。


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幕間:まひかれひかとふたかお

2018/9/22、ちょっと描写を修正。


「うええぇ~ん、うええぇ~ん」

 

 子供の様に大声を上げてわんわん泣いている女の子が一人。共用リビングのソファに突っ伏したその人物は露崎まひるであった。

 

 容姿も性格も女の子女の子した大人しくて優しくて面倒見がよい、そして時に華恋とひかりのお姉ちゃんかれひかのお母さんかれひかの飼い主と称される彼女の涙はどうしようもなく人々の同情を引き、まひるを泣かした奴は誰だ! と義憤に駆られること請け合いの哀れさがあった。

 

 たまたまその姿を発見した石動双葉も例外では無く、泣き暮れる友人を発見するなり血相を変えて傍に駆け寄った。

 

「どうしたんだよまひる! 何かあったのか?」

「ふ、双葉ちゃん……」

 

 なにせ、尋常な泣き方では無い。慟哭と称してもなんら過度でないその嘆きは、咄嗟に不幸を察してしまうだけの臨場感があった。北海道にいる彼女の家族に何かあったのか、と双葉は思ってしまったほどだ。

 

「あ、あのね、華恋ちゃんとひかりちゃんが」

「華恋とひかりがどう──」

 

 そこで双葉は思った、まさか、と。

 

「ふ、二人が私に、駄目、嫌だって……受け入れられないって……」

「──っ」

 

 ついにこの日がきちまったのか、と双葉は臍を嚙む。愛城華恋と神楽ひかり、そして露崎まひるの均衡が崩れる時が、と。

 

 そう、それは見えていた破局。不可避のもつれ。いずれ訪れる結末──。

 

 露崎まひるは愛城華恋の事が好きだ。それは周知の事実であった。なんてったって見れば分かる。一年生の頃から、ひょっとすると初めて会った日から、露崎まひるは愛城華恋を恋い慕っていた。

 

 天真爛漫元気一杯天然娘の愛城華恋も露崎まひるが大好きである事は間違いがなく、二人は一番の親友であり、その仲は非常に良かった。

 

 だがある日、一人の転校生の存在がその関係に変化を齎す。愛城華恋にはいたのだ、運命の相手、約束の子、写真の彼女──神楽ひかりが。

 

  愛城華恋は神楽ひかりの事だって勿論大好きで、そして神楽ひかりは愛城華恋を愛していた。

 

 突如としてまひるの満たされた日々に分け入ってきた神楽ひかりは、華恋の隣というまひるの幸せの座を侵略したも同然だった。実際、一時期は二人の間に良くない空気が漂った事もある。

 

 だが、それでも彼女らは同じ夢に魅せられた舞台少女で、同じ人を好きになった者同士。元から相性自体は良かったのか、あるきっかけを経て打ち解けたまひるとひかりは親友になり、華恋とまひるとひかり、三人のほのぼのとした日々がつつがなく続いていたのである──が。

 

 考えてみれば当たり前の事。この三者の関係は永遠の物では無い、そう定められていたのだ。

 

 露崎まひるが神楽ひかりを受け入れ、友情を抱いたとしても、彼女が恋する愛城華恋は一人なのだから。

 神楽ひかりが露崎まひるを受け入れ、友情を抱いたとしても、彼女が愛する愛城華恋は一人なのだから。

 

 キリンのレヴューすら乗り越えた三人でも、三人である以上どうしたって、結ばれるのはどちらか一方。たった一組。三人が三人ともずっと幸せなんて──土台無理な話。

 

 それでも、傍から見る双葉からすれば三人は幸せそうに日常を過ごしていたのだった。それはなぁなぁな決着で悲劇の引き延ばしなのだとしても、三人はともに双葉の親しい友人で、出来る事なら誰にも泣いてほしくないと思ってしまっていたのだ。

 

 何時か来るはずの時が今日来てしまった。そして、華恋が選んだのは幼馴染のひかりだった。まひるでは無かった──。

 

 言ってしまえば、好き合っている者同士が一緒になったという喜ばしい事。ただそこには一人、恋破れ泣く者も居る。誰が言えるだろう、不幸になる奴がいるんだから恋を諦めろなんて。自分じゃない誰かに遠慮して気持ちを誤魔化せなんて。

 

 三人の中でそんな事をしても、結局は泣く者が変わるだけ。不幸は変わらない。一組のカップルが誕生するという幸福も変わらない。偽り続けるという無理はより悪い破綻を呼ぶかもしれないのだ。

 だから、本来双葉のするべきことはまひるを慰め励ましてやる事くらいで、華恋やひかりに物申そうなんておこがましい事なのかもしれない。

 

 ただ、大粒の涙を流すまひるを前に、双葉は耐え難い怒りを感じていた。

 

 しょうがない事だとしても、そんな言い方をする事無いだろ、と。こんなにまひるを悲しませるやり方なんて、と。

 

「三人とも……仲良かったじゃねぇかよ……」

 

 もっと優しい言い方は無かったのか? 結末は変わらないにしても、もっとまひるを傷つけずに済む、何時かまた三人で笑い合えるような、思いやりのある伝え方は無かったのかよ、と。

 

「そんなのってねえだろ、華恋、ひかり……!」

 

 許せない、と。例え部外者の嘴突っ込みでも、あの二人に一言言ってやらねきゃ気が済まない。双葉はぐっと拳を握り締めた。

 

「か、華恋ちゃんも、ひかりちゃんも……!」

「もういいっ。もういいんだまひる、あたしがあの二人にガツンと言って──」

「私が華恋ちゃんとひかりちゃん両方のお嫁さんになりたいって言ったら、二人とも駄目だって言うの!」

「──は?」

 

 聞き間違いか、と双葉は思った。目の前のまひるは未だ泣いている。先程までの様子と何ら変わらず、悲痛な顔で大粒の涙を流している。そんな感じだから双葉は、自分が聞き間違えたのかと思った。思いたかった。

 

「……まひる、あたしちょっと耳がおかしくなったみたいだ。悪いけどさっきのもう一回言ってくれないか?」

「私が華恋ちゃんとひかりちゃん両方のお嫁さんになりたいって言ったら、二人とも駄目だって……」

「そりゃあ駄目に決まってるだろ!?」

 

 駄目だろ。法律的にも、人情的にも、全部駄目だろ。そりゃあ受け入れられないだろ。どうしちゃったんだまひる。双葉が愕然とする中、更なる驚愕の事実がまひるの口から発せられる。

 

「華恋ちゃんはまひるちゃんもひかりちゃんも自分のお嫁さんにしたいって譲らないし、ひかりちゃんは華恋が私の婿でまひるは私の嫁って言って聞かなくて」

「二人もかよ……!?」

 

 まひる案では、まひるが華恋とひかり両方の嫁になる。

 華恋案では、まひるもひかりも華恋の嫁になる。

 ひかり案では、華恋がひかりの婿になり、まひるはひかりの嫁になる。

 

 日本では同性婚も重婚も認められてねぇよ、何そのトライアングル婚、その一言で切って捨てるには、双葉の混乱は大き過ぎた。というか脳が理解を拒みかけていた。

 

 そして更なる、追い打ちの声。

 

「ノンノンだよ、まひるちゃん!」

「実にノンノンよ、まひる」

 

 声に打たれて振り返れば、其処には堂々と立ち塞がった定めすら打ち破る運命の舞台少女二名の姿。逃げようかな、とようやく現実的な解決策を打ち出した双葉の脳が自分の体に指令を出す間に、張りのある口上が高らかに響く。

 

「双星輝くマイホームに、可憐に咲かせる愛の花」

「生まれ変わった私を纏い、煌く家庭に飛び込み参上!」

「九九期生、愛城華恋! 二人を世界一幸せなお嫁さんに、しちゃいます!」

 

「華恋は私の婿、まひるは私の嫁……それが私たち三人の──」

「運命、だから」

 

「あたしもう帰って良いかな」

 

 キレッキレの決めポーズとあまりにも得意げなドヤ顔が実にイラっと来る。あたしの心配を返せよ、と双葉は真剣に思った。変則的にも程がある痴話喧嘩に人を巻き込むんじゃない、と。

 

 がばりとソファから起き上がったまひるが、涙を振り切って二人に対峙する。二人もまた受けて立つとばかりに間合いを詰めた。

 

「か、華恋ちゃんひかりちゃん! どうして分かってくれないの!?」

「まひるちゃんこそ! 私が二人を幸せに、するの!」

「この運命だけは変えられない……! 華恋はずっと昔から私の運命だし、まひるだって同じ位に大切な、新しい私の運命!」

「三人用の婚姻届けなんてねぇし受理してくれる役所もねーよ」

 

 そういう事では無いと分かっていながら、京都とは言え関西圏の出身である双葉は突っ込まずにはいられなかった。そして何故か急に、双葉は香子を抱き締めたくなった。ある種の逃避本能だろうか。

 

「私がトップスタァになればひかりちゃんとまひるちゃん二人の十人や二十人余裕で養えちゃうよ!」

「私だってトップスタァになるもん! 華恋ちゃんにもひかりちゃんにも負けないんだから! 私が二人を……私だって二人をスタァライトしたい!」

「トップスタァになるのは、この私……! だからまひる、華恋──神楽まひると神楽華恋になって!」

 

 こいつらホント何時も楽しそうで幸せそうだな、と思う石動双葉であった。

 そんじゃあたしはこれで、と小さな声で言って、双葉は香子が待つ自分の部屋へ帰っていく。

 

 背後からはお互いが大好き過ぎるバカップル三人の姦しい声が、大分長い事聞こえていた。末永く一生やってろ、本当にやってそうだな、と双葉は思った。

 

 

 

 

「はぁー、疲れた……」

「どうしたん、双葉はん。ほんのちょっと見ん間に、随分やつれはった様やけど」

 

 ベッドに寝っ転がっている香子の横に、なにやら溜息と共に双葉が横たわる。そしてまるで子供の様に、ぺったりと香子に抱き着いてきた。なんや今日の双葉はんは妙に甘えん坊やなぁ、と思いつつも、悪い気はしなかった香子である。

 

「………………なぁー香子ー。ちょっと変なこと聞くけどさー」

「なぁに、双葉はん」

 

 双葉はんかてたまには甘えたなる時もあるんやな、しゃーない、疲れとるみたいやし、何時もうちの為にようやってくれてはるし、今日はこの花柳香子が双葉はんを癒したろうやないの、と香子はニコニコとした裏表のない笑みで双葉の頭を抱きかかえつつ問いを待つ。すると胸元の双葉が、

 

「あたしと香子が結婚するとしたらさ、どっちがどっちの嫁になるべきだと思う?」

「は──はあ!? 双葉はん、うちと双葉はんがけ、け、けっこ、結婚って!?」

 

 お互いがお互いを大好き過ぎるバカップルの声が、この部屋からも響いていった。まず間違いなくこの二人も、一生やっているだろう。

 




ギャグです。何故幕間なのかというと真矢クロが未出演なので、タイトル的に。
十一話を見て書いた。ほのぼの円満な話が書きたかった。

十一話。……十一話。十一話!
最終話まで一週間。早く見たいけど一週間たって最終話を見たら少女歌劇☆レヴュースタァライトが終わってしまう。早く来てくれ一週間後。でも出来るだけゆっくり過ぎてくれ一週間よ。


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大暴走真矢様と怒れるクロちゃんの話

「クロディーヌ、今少し良いで」

「なによ、天堂真矢」

 

 その瞬間、A組の教室に小さく、しかし確かな波紋が伝わった。その中心は九九期生首席・天堂真矢と次席・西條クロディーヌだ。

 

 総員の視線の先で、天堂真矢は話しかけた姿勢のままびきりと硬直しており、驚くべきことにその表情には絶望にも近い感情があった。

 そして西條クロディーヌ──椅子に座って足を組み、己のライバルをツンツンとした表情で下から睨み付ける少女は確かに今、天堂真矢の事を天堂真矢と呼んだのだ。

 

 それは少し前であればよくあった、実にらしい西條クロディーヌの姿。クロちゃんったら今日も元気ねって位の日常風景。

 

 だが、飼い主に捨てられた子犬の様な顔で固まっている天堂真矢の姿を見れば分かる通り、今となっては有り得ない筈のもの。

 

「──く、クロディ」

「だから何よ、天堂真矢」

 

 再度の声。真矢、ではない。天堂真矢と、以前まで──恋人同士になる前の様に、フルネームでクロディーヌは彼女を呼んだ。

 

 飼い主さんはボクの事が世界一大好きで、ボクがおねだりすればお散歩もボール遊びも何時でも何処でも満足するまで付き合ってくれるんだワン──そう信じて疑う事すらなかった優秀で、しかしちょっとおバカな子犬ちゃんが突如として段ボールに詰められて道端にポイ捨てされた様な──そんな天堂真矢の顔。

 

 漲る絶望は彼女の身体から滴り落ちて大地を満たさんばかりで、立ち昇る悲しみは大空を黒に染めるかと思われた。しかし恋人のそんな顔を目の当たりにしても、西條クロディーヌは表情を緩めない。

 

 舞台の上ならいざ知らず、今此処は圧倒的リアル。これが現実。同級生たちの注目を一身に浴びながら、天堂真矢は、

 

「……なんでもありません……」

 

 すごすごと自分の席に引き返すと、崩れ落ちる様に椅子に座し、上半身を机上に投げ出して臥せってしまった。

 

 勿論こんな天堂真矢も初めてである。クラス中が無言のざわめきと共に真矢とクロディーヌの間で視線を往復させるが、流石に今此処でどうしたの、なんて聞ける者はいなかった。

 

 ただ、全員が否応なく理解した──人前でべたつく事は無かったにしろ、言葉に秘めた愛情で、視線で通じ合う信頼感で、何より寮のリビングで演じた威風堂々の恋愛劇で名を馳せた九九期生トップクラスのラブラブカップルの間に、何かあったんだと。

 

 

 

 初めての唇と唇でのキスよりこっち、西條クロディーヌと天堂真矢の熱愛っぷりは更に加速していた。

 

 より一歩親しく、より進んだ関係になれたという実感、幸福感、充実感。愛しい人とより一層深く繋がる確かな快楽。喜悦。それは両者に共通するものだったが、此度の事件に繋がるある事態も、同時に起こってしまった。

 

 ──他ならぬ天堂真矢が、大好きな人とのイチャイチャラブラブちゅっちゅにドはまりして自制心を失ってしまったのだ。九九期生首席・天堂真矢が超愛してるクロディーヌとのイチャイチャラブラブちゅっちゅにドはまりして、自制心を失った結果暴走してしまったのである。

 

 舞台少女として他を圧倒する才と比類なき努力によって格別の実力を持つに至った彼女、天堂真矢。その意志力、自制心、確固たる精神も無論格別の強固さであったが、今思えば彼女だって一人の人間、一人の少女だったのだ。

 

 例えば大好きな大場ななお手製バームクーヘンやまひる芋によるお芋料理の数々となると、日頃の節制を忘れてそれはもうご満悦の態で大食してしまう所とか。

 美術の教科、特に絵が苦手で思わずエスケープを決め込んでしまう所とか。

 

 そう、下級生などには完璧超人の如きイメージを持たれている彼女だって一人の女の子。時にはご飯を食べ過ぎたり、苦手から逃げてしまったりもする。間違いだって失敗だってたまにはする。

 

 そんな事、最も近くで真矢を見ていたクロディーヌには重々分かっていたのだけれど、クロディーヌにだって我慢の限界というものはあったのだ。

 

「クロディーヌ、もう一回」

「もう、まだするの?」

 

 その日も天堂真矢と西條クロディーヌは二人きりの時間を堪能していた。口では呆れた様に問うてみせたクロディーヌとて嫌な訳では全くなく、ただ、真矢ったら本当に甘えんぼになっちゃって、とせがむ真矢に対し微笑ましい思いと、恋人が子供の様に自分を求める姿にほんのちょっとの優越感を抱いただけであった。

 

 人前では絶対見せない姿、自分だけが見られる天堂真矢の欲求の発露。勿論自分だって嬉しいし幸せだ。だからクロディーヌは許可を与える様に頷いて見せた。

 

 真矢はクロディーヌをひしと抱き締めると、目を閉じた彼女の唇に自分の唇をそっと押し付ける。胸を満たす幸福感、じんわりと染みる彼女の暖かさ、心の底から湧いてくる愛しい思い。

 

 初めての時魅了されたその感覚は何度回数を重ねても全く薄まらず、慣れで恥ずかしさが多少減じた事もあり、その度に発生する快楽を覚え込み、よりこの愛情確認にして愛情交換に傾倒する様になっていた。

 

 真矢はクロディーヌに対する抑えきれない愛しさのままに、そのまま彼女を離す事無く二度、三度と続けて唇を押し付ける。これ以上無いほどの間近で感じるクロディーヌの吐息と接する瞬間の僅か硬直、触れている間に伝わる熱情は真矢の脳髄を痺れさせた。

 

「あ、こらっ……」

 

 夢中になり過ぎて思わず、真矢はクロディーヌを寝台に押し倒してしまう。無意識の行動に自分でも驚いたが、クロディーヌの声に嫌悪や拒否の感情が無かった事からつい誘惑に負けて、そのままクロディーヌを下に敷いて自分が彼女の上になる。

 

 意識していては到底出来ない大胆な行動。やってから羞恥が込み上げてくるが、同じく真っ赤なクロディーヌは目に動揺を浮かべつつも、拒否の台詞や動きを見せない。これは許可を貰ったも同然では、と考えてしまった真矢はこの時すでに頭が茹っていたのだろう。

 

「クロディーヌ、私のクロディーヌ……」

「ちょ、真矢……」

 

 今までの様に確認することも無く、真矢はクロディーヌの両手を自らのそれで押さえつけ、また彼女にキスをした。洋画やドラマでのそれの様に舌を絡ませる事こそ無いが、今までのどんなキスより長いキス。欲求が急かすままに、彼女の唇を自分のそれで柔らかく食む。

 

 身長は自分の方が僅かに高いとは言え身体能力の差はほぼない、本当に嫌ならクロディーヌはどうとでも自分を跳ね除けられる筈、だからこれは無理矢理でも強引でも無い──という言い訳さえ今の真矢の中にはない。

 

 完全に冷静さを失い、熱に浮かされ、欲求のままにクロディーヌを求めていた。こんな真矢は真矢自身にとってさえ初めての事で、クロディーヌにとっても無論そうだった。

 

 余りにも突然で今までにない真矢の強引さにクロディーヌは困惑するが、求められる事自体は変わらず嬉しく幸せで、確かに急だし強引ではあるけどはっきり拒絶するほど嫌と言う訳でも無く、でも未体験のゾーン過ぎて素直に受け入れるというのも難しくて──そんな複雑な内心の結果は、ほんの僅かに顔を逸らしたり少しだけ手足を揺すったりという抵抗とも言えない抵抗に終始してしまう。

 

 そして前述した様に身体能力の差がほぼ無い以上、上から体重を掛けている真矢と下に敷かれているクロディーヌ、本能のままに求める真矢とどっちつかずに悩むクロディーヌという差は大き過ぎ、結果的にクロディーヌは真矢にされるがままになってしまった。むしろ弱弱しい抵抗が火に油を注いだとまで言えるかもしれない。

 

 やがて興奮している真矢の方が先に息が続かなくなり、名残惜しそうにクロディーヌから離れる。自分が散々好きにしてしまったクロディーヌの顔を真矢は直視したのであるが、

 

「……も、もう、強引過ぎよ……ここまでして良いなんて、私言ってないんだから……」

 

 真っ赤な顔、潤んだ眼、荒い呼吸。僅かに乱れた衣服から覗く肌色。困惑が強い、僅かに怒ってもいるかもしれない。でも、そう、それよりも遥かにもっと──もっと──善がっている様にも見えた。

 

 今の真矢にはその余りにも煽情的なクロディーヌの姿は誘惑としか感じられなかった。こんなに蠱惑的で可愛らしい彼女が自分のもの、私だけのクロディーヌと心の炎が更に燃え盛る。

 

 真矢は自分の欲望に従って、クロディーヌの首筋に唇を押し付け──そして舌を這わせた。汗の味が少ししょっぱくて、でもそれ以上に甘ったるい香りがした、様な気がした。

 

 キスどころでは無い行為、唇と舌による首筋への愛撫によって身体の内側から沸き上がる確かな快楽にクロディーヌの背筋を震えが走る。だが流石にこの行為は一足飛びが過ぎ、クロディーヌの貞操観念がアウトの判定を下し、

 

「こ、こら真矢! 流石に駄目!」

 

 しかし真矢は今更止まれない。好きが暴走して思いやりや順序より本能の欲求を満たす事が優先されている真矢は、可愛い可愛い自分のクロディーヌに、自分の証を付けるという発想に心を囚われていた。

 

 もうお互いの首にはその証が、チョーカーがある。でもしかし、自分の身体でクロディーヌの身体に証を刻むという行為はより一層甘美に思え、真矢はその欲求と戦うまでも無く全面降伏をキメていた。

 

 天堂真矢、人生で初めての大暴走であった。

 

 過ぎた快感に身を震わせながらの抵抗は結局真矢に抑え込まれてしまい、事が終わるとクロディーヌの首筋にはくっきりと赤い充血の跡──いわゆるキスマークが残されていた。一つ、二つ、三つと。

 

 恋に乱れ愛に溺れるとしか言い表せない行為に及んだ天堂真矢だが、僅かに冷静さを取り戻した後でも、生憎彼女はまだまだ茹っていた。どこか全能感すら覚えていた。

 怒れるクロディーヌを目の当たりにしてさえ、好きで愛しくて堪らなかったんだからしょうがないじゃないですか、私悪くないですよね、とまで半ば本気で思っていた。

 

 一日後の真矢が見ていたら蹴っ飛ばしてでも止めただろう台詞を、羞恥と共に怒りを漲らせ潤んだ瞳でガチ睨みしているクロディーヌに対し、ベッドの上で正座させられつつ言い訳する。この時謝らなかった事が尾を引くとも知らず弁明口調で、

 

「く、クロディーヌは私のものですから。私だけのクロディーヌですからね。だから、こうやってその証拠を残しておきたかったのです」

 

 怒りがある一定以上に至るとむしろ冷静になるらしいとクロディーヌはこの時実感した。真矢の向かい側で立ったまま彼女を見下ろしつつ赤面半目で自分の首筋のキスマークを指さし、

 

「……この跡、どうするの? 着替えの時とか、シャワーの時とか……」

「………………ちょ、チョーカーの位置を少し上にすれば隠せるのではないですか? シャワーの時は……人目に気を付けるとか……」

「……それはそうね。で? 他に何か言いたい事は?」

 

 真矢はクロディーヌの怒りをひしひし感じていたが、自分たちの間の愛情を信じていたし、まだリカバリー可能だと思って間違った選択肢を選んでしまった。

 

「──怒った顔も可愛いですよ、私のクロディーヌ」

 

 真矢は自分の知らないフランス語で罵倒されながら部屋から追い出された。

 

 そして次の日完全に冷静になった真矢はクロディーヌに謝らねばと思うわけだが、朝の練習でペアを組んでくれなかった事からその怒りの深さを察して焦り、一刻も早く謝らねばと話しかけた所で喰らったのである。冒頭の天堂真矢呼びを。

 

 結局学園にいる間、クロディーヌは真矢に取り合ってくれなかった。二人の遺恨は寮にまで持ち込まれたのである。

 

 

 

 

 今真矢は、クロディーヌの部屋の前にいる。何時もどちらがどちらの部屋に訪れるかは決まっていないのだが、まさかクロディーヌの方から謝られに来てくれると思う程真矢はお馬鹿さんでは無かった。

 

 何という事をしてしまったのだろう、という気持ちが表情を暗くさせている。しかし悪いのは確実に自分であるので、ただ許してもらえるまで謝る他ない。

 

 控えめにノックをし、真矢は扉ごしに許可を願う。

 

「クロディーヌ、ごめんなさい。貴女にちゃんと謝りたくて……」

 

 口調も何処かたどたどしいが、謝りたいと言う気持ちは本物だった。しかし無情にも扉は開かない。それどころか返事も無かった。

 

「クロディーヌ……」

 

 やはり返事は無い。真矢の心にじんわりと絶望が忍び寄ってくる。確かに自分は酷い事をしてしまったが、謝る事も許されないなんて……まさか私たちの関係はこれで終わってしまうのでは、そんなのは嫌なのに……とどんどん悪い方向に想像力が働かされる。

 

 思わずドアノブに手を掛け、そして気付く。扉には鍵がかかっていなかったのだ。普通ならそうは考えなかったのだが、追い詰められていた真矢の想像は飛躍した。

 

 返事すら無しに無視すると言う強い拒絶を見せておきながら、その実ドアには鍵がかかっていない。その気になれば入っていく事ができてしまう。これはもしやクロディーヌからの無言の意思表示では?

 

 『私だって仲直りはしたいわ。でも今回はあんたが悪いのよ。だから私は一歩たりとも歩み寄ったりしないからね』──そういう怒りに満ちた、そして真矢の誠意を試している意思表示なのでは、という希望的解釈が成立していく。

 

 昨日もクロディーヌの意志を無視して怒らせてしまったのに、また許可も無く入室するなんてしていいのか。しかしこうしていても時が解決してくれるとは思えないし、むしろ今日より明日の方が、明日より明後日と先延ばしにする方がどんどんハードルは上がっていく気がした。

 

 ならば何が何でも顔を合わせて、兎に角謝りに謝り倒してどうにか許してもらうしか無いのでは。罪人である私に許されるのは伏して乞うだけなのでは──真矢は決意を固めた。

 

 決意を胸にドアノブを捻ると同時、

 

「ごめんなさいクロディーヌ! 全部全部私が悪か」

 

 部屋は無人であった。セルフで上げて落とす事により地面に落下した際のダメージは更に上昇し、真矢は崩れ落ちて地に膝を付けたという。

 

 

 

 

 

 

 

「なあクロ子。天堂と会ってやらなくて本当に良かったのか? 言われた通り居ないとは言ったけどさ……」

「何があったのかは知らんし聞かんけど、天堂はん、今日一日天堂はんや無いみたいやったで? ばななはんのお菓子を食べ残す天堂はんなんてうち初めて見たわ。今だって」

 

 というかクロはん、寝る時もそれ外さんのやね、と香子はチョーカーを示していった。

 

 心配そうに声を掛けるふたかおの真ん中で、まひかれ部屋の神楽ひかりの様に床に布団を敷いて西條クロディーヌは横たわっていた。

 

「ふん、良いのよっ。それより二人とも、お邪魔しちゃって悪かったわね」

「それは別にええけども……」

 

 乙女の柔肌を無断で侵犯した罪は重いとばかりに怒って見せるクロディーヌである。実際のところ一日中絶望顔をしていた真矢を見て怒りはほぼ消えていて、何度ももう許してあげようかと思いはしたのだが、誇り高い彼女にとっては謝れば簡単に許してくれる女、後で謝れば強引にしても大丈夫な女だと思われるのも業腹であったのだ。

 

 なので今日までは意地でも許さず、明日になったら和解してあげようと思ってふたかおの所に来たのである。何だかんだ彼女も惚れた弱みか、長い間真矢と離れているのは良い気持ちがしなかった。

 

 もっと紳士的に自分を淑女として扱い、そして段取りや順序というものを重んじてアプローチしてくれたなら、真矢のものだという証拠を付けられるのだって嫌では無いのに──布団の中でチョーカーの上から、真矢に付けられた証を撫でるクロディーヌ。

 

 人には見えない所にある、真矢の唇で自分の身体に刻まれた証。確かにその発想にはこう、クロディーヌとしてもクるものがあるのだ。

 

 私ったら一体何処まで真矢に惚れているんだか、と自分で自分に呆れ、双葉と香子にお休みを告げて眠りに落ちたクロディーヌであった。明日は早起きして朝一番に真矢の所にいってあげようと、そう思いながら。

 




全ての部屋を訪ねて回ったけれども何処にもクロディーヌはいない、靴も荷物もあるので外出はしていない筈なのに──そんなに自分に会いたくないのかと失意の内に眠りに落ちた真矢様、目を覚ますと隣には(一刻も早く仲直りしたくて寮で一番早起きして真矢の所に来た)久し振り(一日イチャついてないだけ)のクロディーヌの姿が。


涙と共にごめんなさいをする真矢様を、クロちゃんはようやく許してあげました。二人は久し振り(一日イチャついてないだけ)に抱擁を交わしたのでしたとさ。

何事も無かったかのようにどころかより距離が近くなった二人を見て周囲は「もしかして昨日のは変則のイチャつきかそういうプレイだったのでは」と思ったとか思わないとか。


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純那ちゃんとお茶をする真矢様の話

 わざわざ広く設備も整っている共用スペースでは無く自室にさる人物を招き、紅茶とお茶菓子など振る舞いながら、天堂真矢は切り出した。

 

「それで……近頃パートナーとの仲などどうですか、星見さん」

「…………天堂さん、まさかまた?」

 

 第一声を唐突に述べた真矢に対し星見純那はなにやら心当たりがあるようで目を細めた。彼女の視線を王者の威厳で受け止めた天堂真矢は、この上なく真剣な表情のまま、

 

「星見さんとの親交を深める為に、いわゆる恋バナなどしてみようかと思いまして──」

 

 以前にも同じような経験をしている純那には分かった。これは単なる恋バナなどでは無く、天堂真矢が婉曲表現で助けを乞うているのだと。

 

「西條さんとまた何か上手くいってないんですか? そう言えばついこの前も喧嘩してたみたいですけど」

 

 その卓越した実力と驚くべき練習量などから下級生などにはストイックで近寄りがたい孤高の人的に思われがちな天堂真矢だが、同じクラスで過ごしていれば直ぐに分かる。

 

 彼女は意外と茶目っ気があり、協調性も高く、表情豊かで親近感の湧く人物だった。演劇界のサラブレッドにして九九期生首席という肩書からすれば意外なほどに。

 

 そして最近知ったのだが、今に至るまで人生で経験のないジャンルに対しては人並みに無知で不慣れである。筋書きも設定も無い生身の恋愛、恋人との距離の詰め方なども当然知らない。

 目の前で図星を突かれてしゅんとしている様子などからも分かる通り、彼女も舞台から離れてしまえば恋に悩む一人の少女であった。

 

 どうしたら愛するクロディーヌと良い感じの雰囲気であれやこれやが出来るだろうか、という様な相談を以前にも受けたのが星見純那と同室の大場ななであった。

 

 純那は前回の相談内容とその後のななとのあれやこれやを思い出して顔に熱を登らせたが、それを元凶にして恩人とも言える目の前の人物に見せるのは抵抗を感じ、供された紅茶を口に含んで間を置いた。

 

「──天堂さん。前も言いましたがなんで私に?」

「……理由は前回と同じですが、一度相談しましたし声を掛けやすくて……」

 

 ただし今度の真矢は大場ななを呼ばなかった。二人セットで来られてまた時間一杯イチャイチャを見せつけられるのは嫌だったのだ。自分とパートナーの間が円満では無い状況で他人同士の仲睦まじい様子を見せつけられると、精神的にクる。

 

 一番仲の進展してそうな恋人同士に二人は見えましたのでとストレート極まりない理由を真矢が二人に告げ、純那は恥ずかしさから自分とななはそういう関係では無いと否定してしまった。ななの目の前でだ。

 

 そのせいでご立腹してしまったななと色々あり、今や純那とななは以前よりももっとずっと深い仲だった。だから今度こそ真矢の見立ては大当たりであったりする。

しかしだからと言って、今まで真面目一徹努力に一途で聖翔音楽学園九九期生選抜にまで至った星見純那の中から、羞恥が消え去る訳ではない。

 

 キスとかその先とかどういう雰囲気どういう流れでしたんですか、私もクロディーヌとそういう事がしたいので教えて下さいと言われて、ええそうね私とななの時は~なんて屈託なく教授できるほど純那の面の皮は耐熱性に優れていないのである。

 

 冷静に考えて恥ずかし過ぎる。なんと言えというのだ。

 ななが想定を超えて蠱惑的だったとか私には私自身思いもよらない強い欲求があったとかそれをななが引き出した上で全部受け入れてくれたからトントン拍子に事が運んだ、とか言えば良いのか。

 

 私の場合、ななに誘われる時もななに迫られる時も人前とは全く違った自分だけが見られるななの姿に骨抜きにされていて毎回毎回すごく大変ですごく気持ちよくて結局我慢できないんです、とでも言えと言うのか。仮にも学級委員長としてクラスを纏めている星見純那が。

 

 そんな事を人様に口頭で語って聞かせる位なら純那は天堂真矢の目の前で自分の眼鏡を叩き割って買い替えを理由に逃げる道を選ぶ。

 人前での学級委員長星見純那とみんなのばなな大場ななの事ならいざ知らず、二人きりの時の純那のなな、ななの純那のあれやこれやは門外不出である。

 

「他にも、その……仲の良い人たちはいるじゃないですか」

「石動さんと花柳さんはもう恋人とかそういう段階を遥か置き去りにしている風情で……私とクロディーヌは幼馴染でも無いですし」

「……華恋たち」

「三人一組の事情が参考になるかはちょっと……」

「それは……」

 

 知り合ったのが学園に入ってからでそういう関係になったのも最近という点では、確かに自分たちは近しい状況にあるかも知れない。

 

「いやでも、私はこういう話は慣れてなくて」

「お願いします、助けて下さい……学級委員長」

「うっ」

 

 純那は呻く。確かにこういう話は苦手ではあるけども、学級委員長である己を頼ってきた人を突き放すのもどうかと真面目で責任感の強い彼女は思ってしまったのだ。

 

「他に頼れる人がいないのです……」

 

 天堂真矢ほどに容姿に恵まれそれを磨き上げた人物が憐れみを誘う声で乞うと、それだけで人はなんとか力になってあげたいという衝動を抱くものである。何をするにしても様になり過ぎる人なのだ。

 

 そして何より、これが演技では無い素の天堂真矢だという事実がよりその気持ちを強くする。

 

「はぁ……」

 

 星見純那は深々と溜息を吐いた。本当にもう、まったくもう。この主席様と来たらすっかり青春を満喫しちゃって、と。それでいて勉強にも修練にも全く緩みを見せないのだから本当に嫌になる。負けられない。

 

「……今回きりですからね」

「ありがとうございます!」

 

 地獄に仏とばかりにぱあっと明るくなる真矢の表情。同性からしても見惚れてしまう位に綺麗である。

 

「で、つい先日に引き続いて今度は何を悩んでるんですか?」

「クロディーヌともっと先に進みたいのです、学級委員長。仲直りを期にもう一歩。でもクロディーヌはむしろもっと今のままの距離感を保ちたい様子で」

「……つまり天堂さんは、なにか有った訳では無く単純にもっとラブラブになりたいだけ?」

「端的に言えば、そうですね」

「帰って良いですか」

「其処を何とか。経験者としてどうか後進に導きを」

 

 一体どれだけ惚れに惚れたらこの女傑がこうも二の足三の足を踏んでしまう様になるのだろう、と純那は呆れた。というかキスの相談を受けたのだって然程前の事でも無いのにがっつき過ぎでは無いだろうか。

 

「天堂さん、今みたいな関係になる前はむしろ貴女の方が西條さんを翻弄していた様に思うんですけど」

「一度過ちを犯した身なので、どうも此方からは踏み込めなくて……でも私は知ってしまったのです、より深いクロディーヌの味を。だからもう、我慢など出来ない……」

「…………」

「クロディーヌもある時点までは好ましく思っている様なのですが、それ以上に踏み込もうとすると貞操観念からか拒否感というか、もっと共に時を重ねてからと思うらしいのです。そういう身持ちが堅いところもまた私のクロディーヌの魅力、ですね」

 

 良い声良い顔で何を言っているのだか。事ここに至っては恥ずかしがっている方が恥ずかしいと開き直っているのか。星見純那の中の天堂真矢像に色ボケ、思春期真っ盛りが追加された瞬間だった。割り切っているから恥ずかしくは無いのだとしても、純那が他の人間にこの事を話すとか考えないのだろうか。

 信用されている? それとも知られても構わない? 後者だとしたら到底追い付けないレベルの高さに眩暈がする。流石ペアチョーカー装備で登校してくる人間はやる事なす事ハイレベルだ。

 

「ポジション・ゼロは私の定位置。クロディーヌのポジション・ゼロも私のものにしたいのです」

 

 一瞬最低系のジョークに聞こえたが天堂真矢はあくまで真面目だ。西條さんも大変ね、と純那は思った。

 

 しかし、アドバイスである。純那もなな以外との経験など無いし他の人がどの様にするのかも知らないのだが、

 

「──両想いなのは間違いが無いんですから、まずは正面から口説いてみては? 私とななの…………ん、んん。あくまで一般論ですけど、直接相手に気持ちを伝える以上に効く手段はないと思いますよ」

「それが出来たら苦労はしません。どうにかなりませんか、自然にそういう展開になってしまう様な雰囲気とか……」

 

 本当にこの人天堂真矢なのかしら、舞台上でだったらどんな愛の言葉も雰囲気も百戦錬磨の手際で演じて見せるというのに。純那は心底不思議に思う。

 

「星見さん、では聞きますが貴方にはできますか? 未だそういう経験は無い時期、部屋で二人っきりでいます。両想いなのは間違いがありませんね、ではあなたの口から大場さんに大人のキスを強請ってみて下さい。両想いだから大丈夫と容易く踏み込めますか? 貴方の時は踏み込めましたか?」

「そ、それは……」

 

 改めてそう言われてみると確かにそうかもしれない。と純那は認めざるを得ない。今ですら死ぬほど恥ずかしくて息苦しくて繋がるその瞬間まで酷い緊張に襲われるのに、初めての時に自分からは──確かに難しい。少なくとも純那には無理だ。

 

 元々純那は理詰めで物事を考えるタイプであった。自分とななの時は状況が特殊だったしなながリードというか誘導してくれたと思えば、他の人の場合どうしていいかはちょっと分からない。

 

「うーん……デートに誘う、とか。良い雰囲気になるんじゃあ?」

「狙い過ぎて意図がバレそうですね……」

「逆に、バレたら向こうも察してくれる。少なくとも意識はしてくれると思いますけど」

「やらかしたばかりなので警戒される方が大きく」

「本当に何をしたんですか天堂さん……もう逆に時を置いてほとぼりが冷めるまで待っては?」

「我慢できません」

 

 ストレートに我儘をいう真矢に、純那は半目になる。

 

「私は万能でも恋愛の達人でも無いんですけども」

「でも、あの後見事大場さんと添い遂げたのでしょう? 二人の間で交わされる視線、それに籠った熱量……以前とは比較になりません。……どうやったんです?」

「うえぇえ!? わ、私とななの話は良いじゃない?」

「興味は、有ります。宜しければ是非。是非!」

 

 期せずして最初の建前の様に、真矢と純那の友情が深まる恋バナが始まってしまった。これを機に、二人は確かに仲良くなった。だが、自然とそういう展開になる魔法の言葉や状況は最後まで分からなかった。

 




私の中の真矢様が完全にしたがりで固定されてしまった。一度味を覚えたらもう駄目系の。
そしてクロちゃんはちょっと戸惑ってる(真矢様では無く一度は拒否した真矢様の欲求に応えたいと思っている自分の本音に)

多分この後純那さんは色々意識している状態で部屋に帰って微妙な変化をななさんに見透かされて誘われるだか迫られるだかどっちか。
真矢クロひかまひかれふたかおじゅんなななで一番進んでいるのはじゅんなななという概念が好きです。

今更思ったんですがこれ真矢様はじゅんなななのどっちかだったらばななさんの方に相談するべきだったのでは。


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眠り姫な真矢様とクロちゃんの話

 純那と真矢のお茶会から一週間ほど経ったある日の事である。

 

 クロディーヌと真矢の間では、逢瀬の時どちらがどちらの部屋を訪れるかは決まっていない。どの様に過ごすかも同じだ。

 

 足繁く互いの部屋を訪ね合うのは、それ自体が一種のゲームの様で楽しかった。恋人が訪ねてくるのか、自分が恋人の部屋に赴くのか。所用を済ませたらすぐさまだったり、あえて就寝の少し前にであったり。

 

 近頃は会って然程も無い内に真矢がクロディーヌを求める例が大半だったが、ただ今日あった出来事を話すだけでも、レッスンの延長の様に互いの演劇論はぶつけ合ったりするのもそれはそれで楽しい時間だ。

 

 互いに手を重ね合って、ただ窓から見える夜空を眺めていた日もある。

 無言の内にも手を握る僅かな動きで真矢の考えている事がクロディーヌには何となく分かってしまったり、逆にクロディーヌの静かで深い呼吸が真矢に彼女の安息と充実を知らせたり──共にいるだけでも、互いを行き来し合う感情の波がある事を思い知らされ、最後にお休みの一言を交わして別れるまで一言も喋らなかった。でも、とても楽しかったのだ。

 

 どちらが部屋を訪れた場合でも、まずはノックがルールだ。反応が返ってくるまでの僅かな時間が胸を高鳴らせる。一生のうち、この瞬間にも何時かは慣れる日が来るのだろうかと先々に思いをはせるのだ。

 

 みんなの前で消灯時間後に訪れると真矢が告げた日、クロディーヌは扉を開けて真矢を迎えるというたったそれだけの事に随分時間を掛けてしまった。

 入学試験でクロディーヌの方から手を差し伸べペアを組んだ時から様々な場面を経て、観衆の前でなりふり構わず真矢がクロディーヌを求めた場面まで──その時々の真矢の顔が脳裏に次々と去来したのを覚えている。

 

 そして実際に扉を開け、対面した時の天堂真矢の顔はそのいずれとも違った初めて見る顔だった。何時もの様に自信に溢れてはいなかった。澄ました顔でも無かった。敢えて言うなら、人並みに緊張していたのかもしれない。ほんの数時間前には大胆極まる手法で会う約束を取り付けたのに。

 

 何故だかその緊張した顔に、妙に見惚れてしまったのはよく覚えている。妙に嬉しかったのをよく覚えている。

 

 真矢の手でチョーカーを付けられ、自分の手で真矢にチョーカーを付け、そして今に至るまで見た事のない天堂真矢をたくさん見た。クロディーヌだけが見られる、真矢の両親だって知らない真矢の顔を、新たな一面をたくさん見たのだ。

 

 カッコいい真矢、甘える真矢、拗ねる真矢、欲望に流される真矢、強請る真矢、色んな真矢。

 

 その時々の彼女を面して西條クロディーヌは悶えたり、見惚れたり、愛しく思ったり、包み込んであげたくなったり、怒ったりした。

 

 今日の真矢はどんな表情を、姿を見せてくれるのか。それを見て、自分は何を思うのか。

 

 同じ寮内なので部屋と部屋はとても近い。その気になればこっそり消灯時間後に忍び込み、人知れず共に一夜を過ごし、みんなが起きる前に何食わぬ顔で自室に戻る事だって容易いと思う。

 

 真矢がどう思っているかは知らない。もしかしたらそうやってより長く一緒に過ごしたいと思っていて言い出せないのかも知れない。でも少なくとも西條クロディーヌは、恋人の下へ足を運ぶという行為そのものが好きだった。

 

 真矢が自分の部屋を訪れる事より、自分が真矢の部屋を訪れる事の方が、何故だかドキドキするのだ。

 

 今日もそんなドキドキを胸に、クロディーヌは真矢の部屋を訪れ、扉をノックする。近頃の真矢は扉の前に立って待ち構えていたのではないかと思う程迅速な対応でクロディーヌを迎え入れる──のだが。

 

「真矢? いないの?」

 

 反応が返ってこない。扉は空かず、返事も来ない。無視されるはずは無いので不在だろうかと思えば、灯りは点いている。点けっぱなしでない限り、居る事は居るのだろう。

 

 クロディーヌは少し迷ったが、会いたいという欲求には逆らえず、少し戸を開けて中を覗いてみる。するとやっぱり、真矢は居た。

 

「あらあら」

 

 ベッドの上で、座った状態から前方に倒れ込む様にして眠っている。

 

「そんなに遅い時間では無いけど……疲れてるのかしら」

 

 寝間着姿なので入浴などは済ませているらしかったが、こんな体勢で寝ていては疲れも取れないし何処か傷めるかもしれない。

 

 声を掛け肩を揺すってみるが、起きない。こんな苦しそうな姿勢で良くも眠れるものだといっそ感心してしまう位の熟睡ぶりだ。華恋やひかりは相当に睡眠が深く一時期は毎日の様に、今でもたまにまひるが苦労して起こしているが、今この時の真矢は二人に匹敵するかもしれない。

 

「……しょうがないわね」

 

 最近真矢に甘えられっぱなしだから、今日はちょっと甘えたい気分だったのに。付き合い始めて直ぐの頃の様に、真矢の腕に抱かれて、静かで落ち着く時間を過ごしたかった。

 

 クロディーヌは真矢をちゃんとした姿勢で、しっかりと毛布をかぶせて寝かせてあげる事にした。意識の無い人の身体は動かしづらいが、クロディーヌとて相当に鍛えている方だ。同じ位の体重の真矢が相手ならさほど苦労する事も無く、抱きかかえる事が出来る筈である。

 

 そう思って真矢の上体を起こすと、寝ている彼女の身体の下に複数の本がある事に気付く。戯曲や詩集の類ではない、週刊誌などでもないのが装丁で分かった。

 机じゃなくてベッドの上で本を読んでいて、その最中に眠ってしまったのか──クロディーヌの視線が自然とその最近購入したと思しき真新しい複数の本のタイトルを辿る。

 

『彼女と自然に距離を縮める為の十か条 ~両想いだから大丈夫は油断の始まり~』

『失敗するカップル 成功するカップル 実はあった成功の条件!』

『言葉や文化だけじゃない 国際恋愛が失敗する意外な理由トップテン』

 

「………………………………………………」

 

 これ、私が見て良かったのかしら。少なくとも真矢はこれらを読んでいる自分の姿を絶対に見られたくなかったに違いない。特に私には。長い空白を挟んでクロディーヌの頭に浮かんだのはそんな感情だった。

 

 というか真矢。天堂真矢。クロディーヌは腕の中で無防備な寝顔を晒す彼女を見ながら複雑な思いを抱く。

 

 取り合えずクロディーヌは当初の予定通り真矢をちゃんと寝かし、少し迷ってからハウツー本たちをさも寝台にもぐる時の動きで自然に落ちたかのように床に並べておく。こうしておけば真矢が起きた時、眠気に負ける寸前になんとか自力で寝台に入った様に思えるだろうか。

 

 武士の情け的な一連の偽装工作が終了したわけだが、クロディーヌはそそくさと自室に戻る気にはなれなかった。真矢の眠るベッドの縁に腰を下ろし、しばし悶々とする。

 

「……その、私だって結婚するまでは駄目とか、そういう価値観を持ってる訳じゃないのよ?」

 

 勿論真矢は寝ているのでその声には答えない。答えられたらそれはそれで、互いに気まずいだろう。

 

 どうなんだろうか。

 聖翔音楽学園は女子校なので見て取れる身近な実例は殆ど存在しない訳だけども、今時恋人とキス位自分たちより年下でも普通にしているだろう。男女共学の学校ではキスどころか避妊失敗で彼女が在学中に妊娠という話だって時たまあるのだ。

 

 それを考えれば、いわゆる深いキス位でこうも時間を掛けたいと考えるクロディーヌの方が珍しいのだろうか。この年頃の少女としては真矢の方が自然で普通なのか。

 

 世間と比べて遅いも早いも無く、真矢とクロディーヌのタイミングですればいいと思っていた。でも真矢はもうしたいと思っている。

 

 少なくとも普通のキスは何度も何度もした事があるのだ。真矢から求められたらクロディーヌは喜んで応じたし、クロディーヌの方からだって何度も欲した事がある。それを考えたらもう少し進んだ関係になりたいと言う感情自体は、理解できるものである。

 

「私だって、興味は……ちゃんとあるわよ? あるけどもね?」

 

 真矢の事は疑いなく愛している。

 

 クロディーヌだって子供ではない。性欲は汚いと一概に思い込んではいない。普通のキスは清純だが深いキスは淫猥だという固定観念も無い。それらは愛情交換で愛情表現で、意思表示でコミュニケーション。

 

 真矢とのキスが好きか嫌いかと言えば大好きだ。愛を示し合う、互いを捧げ合う、より深く相手を探り理解し合う行為はとても尊く大事な物だと思う。ではなぜ拒むかと言えば、なんとなく──としか言えない。

 

 少なくともはっきりとした理由は無い。強いて言うなら恥ずかしい、まだ早いといった所だ。

 

 人並みに興味津々で、人並みにちょっとだけ怖い。クロディーヌの気持ちはそんな感じなのだ。受け入れてあげたいと思うけども、実体験としては未知の領域である為自分たちの足で踏み込む決意を固めるのに少しだけ時間が欲しい。

 

 でも、

 

「そんなに……シたいの?」

 

 クロディーヌは寝ている真矢の美しい髪をそっと撫でた。

 

 古典や名作と言われる有名な恋愛物の数々は、基礎教養としてとっくに見て覚えているだろう。理屈の上でならとうに既知の物。それはクロディーヌも真矢も変わらない筈。

 

「私ともっとすごいキスがしたくて、この本を買いに行ったの? 遠くの書店に足を伸ばしたり、気持ちいつもと雰囲気の違った服を着て変装っぽく振舞ったりした? 寝不足なのもこの本を読み込んでたから? 私と別れてこの部屋に戻った後、ちょっとだけ上手くいった時の想像をしてみたり?」

 

 いじらしい、とクロディーヌは思った。そんな天堂真矢、あんまりにも可愛らしい。勿論しないけれども、この部屋を本気で家探ししたら『彼女をその気にさせるさり気ないボディタッチ術』とか、そんな本も出てくるのだろうか。

 

「そういえば、初めてのキスだってあんたは天堂真矢らしくもなく煮え切らなくて、私の方が受け入れて、そうしたらやっと……」

 

 クロディーヌの中で、不思議な感覚がした。歯車が噛み合う様な、そんな感覚だ。

 

 今の西條クロディーヌの顔を見たら、その雰囲気を感じたら、真矢はまた前の様に暴走してしまうかもしれない。

 

 天堂真矢、今夜は私の夢を見ると良いわ。クロディーヌは心の中でそう呟いて、眠り姫の耳元に口を近づける。目覚めのキスは今日はお預けよ、とそう思いながら。

 

「シてあげても良いわ──ううん、私も、してみたい。だから、近い内に勉強の成果を見せてね? 私の真矢……」

 



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真矢様に挑む気持ちを再認識したクロちゃんの話

「お休み、真矢」

「お休みなさい、クロディーヌ」

 

 最後に笑顔を交換し合って、天堂真矢は西條クロディーヌの部屋を退出していった。

 

 クロディーヌの笑顔を固まらせて、ベッドに身を投げる。天蓋付きベッドのスプリングが彼女のささやかな体重で僅かに音を立てた。クロディーヌはうつぶせで枕に顔を埋め、息を大きく吸って吐く。

 

 吐き切って、吸って、止める。そのままの状態で三十秒が経過。まだ呼吸を再開しない。一分経過。まだだ。

 

 歌で踊りで演劇で鍛えた心肺機能を十全に活用した無呼吸状態は二分を超え、三分に至ろうかという所でやっと、すぅ、と鋭く排気、吸気。瞬時に取り込んだ息を全て使い切る様な発声で、

 

「……なんでー、キスしてー、くーれーなぁいぃのぉー」

 

 歌う様に、何時でも準備は出来ているのに一向に行動に移さないヘタレな真矢と、一度は拒否した癖にその気になった途端待ちきれなくなっている我儘かつヘタレな自分に呪詛を吐く。

 

 枕で遮られて周囲には然程響かなかったクロディーヌの声だが、他ならぬクロディーヌ本人にはとても良く響いた。

 

 真矢の部屋で寝ている彼女に深いキスOKの意思を伝えて、クロディーヌの側がもうすっかりその気になって、つまりは一歩踏み込んでさえくれれば後は何の障害も無い状態となって、一週間が経った。

 

 でもキス出来てません。何故でしょう。正解は、真矢は以前の失敗とそれによって引き起こしてしまったクロディーヌの怒りを恐れて今一歩踏み込めず、クロディーヌはクロディーヌで真矢の意思を受け入れる形で覚悟を固めたので自分からはちょっと度胸が足りないかなというヘタレっぷりだからです。

 

 クロディーヌは枕に顔を埋めたまま足をばたつかせてしばし暴れた。なんでこう上手くいかないのか、なんでこう不器用なのか、と。

 

 本気で比較するわけでは無いが、今までやり通したどんな舞台やレッスンよりも恋愛は難しい気がする。

 

 この前は熱に浮かされてクロディーヌを押し倒してまで首に舌を這わせて吸い付いてキスマークを付けた癖に、クロディーヌがその気になってからは優秀な子犬ちゃんみたいに恋人の言いつけを守って実に紳士的であった。

 とても久し振りな気がするカッコ良くて落ち着いた天堂真矢だ。頑なに手を出してこないが。裏で純那やななと頻繁に作戦会議を開いているのは知っているが、その兆候をクロディーヌの前で見せる事は無い。

 

 そして、真矢の健気さにキュンときて急にキスOKに転じたクロディーヌはといえば、意気地なし全開である。待ちなのだ。ずっと待ちだ。寝ている真矢には分かった様な事を言ったのに結局は愛しい真矢に優しく激しくチューして欲しいなぁという夢見る乙女気質でチラチラしているだけなのだ。

 

 脳内を吹き荒れる自虐と故無き他虐にクロディーヌは恥ずかしいやら情けないやらで息が出来なくなってきた。負けず嫌いは何処に行った、西條クロディーヌ。真矢を超えるという意気込みは何処に落としてきた、西條クロディーヌ。

 

 そりゃあクロディーヌの真矢は何時だって凄くて素敵でカッコ良くて可愛くて可憐で凛々しい上に実は人並みに抜けた所もあって目が離せない世界で一番魅力的な人だが、自分はそんな真矢のお淑やかなで控えめなお姫様で満足なの? 

 

 むしろ過去の失敗を気にして踏み出す蛮勇を失っている真矢の唇を華麗に奪って妖艶に微笑みを投げかけてやり、殺し文句の一つも囁けばこの先の主導権はずっと私のものよねって位の大チャンスでは無いのか?

 

 あんたが買ってた本見たわよ、あんなのに頼ってまで私が欲しくて堪らなかったの? はしたない真矢、情けない真矢。こんなあんたを愛してやれるのなんか私だけよってな位に飴と鞭を食らわせれば天堂真矢だってもうイチコロなのでは? 

 

「ここで奮起しないで何時するのよ西條クロディーヌ。あんたは天堂真矢を超えるんでしょ? 天堂真矢に勝つんでしょ? だったら私の真矢を私がリードしてあげる位の気持ちで挑むのが当然では無くて?」

 

 そもそもキスなどこの先ずっとこの世界で生きていくなら役割を演じる上でもする事は当然あるだろう。ましてや相思相愛の恋人同士の間でそれをするのがなんでそんなに悩ましいのか。

 

 確かに少し前まではもうちょっと時を重ねてからとか思ってはいたが、真矢の想いに絆された今、そんなのは過去の話。今のクロディーヌの気持ちは悩むまでも無く、真矢とそういう事がしたい。真矢にされたい。真矢にしてあげたいに決まっているのだ。

 

「純那となななんか絶対してるわよ。たまにあからさまに顔が赤い時があるもの。人前では兎も角二人きりでは何してるか分かったものじゃない。華恋とまひるとひかりなんか下手したら三人でよろしくやってる……!」

 

 双葉と香子はなんというかもう夫婦の域なので殿堂入りという事で除外。

 

「第一何時までも待たせて置いたら、もっとお手軽な誰かさんの所に真矢が行っちゃうかも……!」

 

 クロディーヌ自身それは無いだろうと思ってしまう無理な疑惑である。真矢がそんな下らない理由でクロディーヌを捨てるなんて事は無い。絶対に。逆もまた然りだ。だが、今のクロディーヌには無理筋な妄想であっても行動の為の燃料が必要だった。

 

 実際あり得るかと言えば絶対に否だが、仮の想定としてはそこそこ実用的な妄想である。

 なにせ天堂真矢はモテる。聖翔音楽学園は女子校だが、だからこそ真矢の様に才色兼備で実力があり血筋も良くそれでいて人当たりの良い女はモテる。カリスマにやられるのだ。

 下級生の間では最上級生にすら匹敵、或いは凌駕する人気があると聞く。

 

 実際にそう振舞えるとは自分でも思わない威丈高な自分、親友たちの恋愛事情や存在しないし存在させる気も無い仮想泥棒猫を脳内で想像して、クロディーヌは自分に発破をかける。

 

 ああいう天堂真矢には縁遠そうな本を買い求めてまでクロディーヌを欲していて、それでいて何時かクロディーヌが受け入れてくれる日まで我慢しようとしているのが今の真矢。ヘタレなんてとんでもない。

 

「あの強欲で嫉妬深くて私大好きな真矢が、私の為に、私を想って、私の言う通り我慢してくれてるの。なら、勇気を出さなきゃいけないのは私の方」

 

 何故なら私は西條クロディーヌ。真矢に付いて行けるのは私だけ。真矢と一緒なら、私はもっと高く飛べる。私と一緒なら真矢はもっと高く飛べる。他ならぬ真矢と私がそう言ったのだから。

 

 「私のクロディーヌ」に対する真矢の愛に、「私の真矢」に対するクロディーヌの愛が負けていない事を証明する必要がある。待ちの姿勢なんてとんでもなかった。今までの構図で言うなら、挑みかかるのが西條クロディーヌで満を持して迎え撃つのが天堂真矢だ。

 

 勝敗はお互いがお互いを尽くした結果に付いてくる。

 

 何時かこの行為が日常になって、この悩みは過去の微笑ましい思い出になるとしても、少なくとも今現在は最大最強の願望欲求にして悩みの種だ。開き直る事など出来ない。それでも行動だけが道の先を開く。

 

「……良し!」

 

 クロディーヌはベッドの上で立ち上がると、己を奮い立たせるべく拳を握った。

 

 乙女たる者、恋に真剣で何が悪い。舞台少女は日々進化中なのだ。前進あるのみ。後退は無い。

 

 

 

 

 

「今日、此処で寝るから」

「──ぅえ」

 

 点呼後にして消灯後、もう寝るしかない時間に部屋を訪れそう宣言したクロディーヌを相手に──真矢はすごい顔ですごい声を出した。

 

今日の二人の夜は、まだ終わらない。

 



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一晩中イチャついた真矢クロの話

「今日、此処で寝るから」

「──ぅえ」

 

 余りの都合の良さに、天堂真矢は目の前の光景が自分の生み出した妄想の産物である可能性を真剣に検討した。

 既に消灯時間は過ぎている。今日の逢瀬はもう終わっている。笑顔で別れを告げた後だった。これでもう、明日の朝までクロディーヌとは会えないのだ。だったのに。

 

「──良い?」

「勿論、喜んで」

 

 即答しながら、それでもやっぱり真矢には現実感が無かった。もう自分は寝ていて、これは夢なのでは無いかと思う。

 

 常夜灯の弱い灯りにうっすらと照らされたクロディーヌはいつも通り綺麗だった。学園にいる時は勝気そうだったり気が強そうだったり、兎角目元に力が入っている事が多い。特にレッスン中はそうだ。

 

 真矢はその眼が好きだった。挑戦者の目だ。自分に挑みかかってくる目だ。不屈の目だ。愛しい目だ。

 

 手を抜くという概念は天堂真矢には無い。そもそも手を抜ける程、下に見られるほど実力差の有る相手でも無かった。本気で競い、結果何度でも上回り、突き放した。

 すると何度でも追い縋ってきた。クロディーヌの方が思っているほど真矢にとって楽な勝負では無かった。敗北の可能性は多くの場合真矢に程近い場所で存在を主張していたものだ。だから本気を超えて必死にもなり、結果真矢はより高みへと実力を伸ばした。

 

 歩みが遅くなればその瞬間追い付かれ、追い越される。その確信があった。クロディーヌを筆頭に多くの者に常に後背を脅かされている。嬉しくて楽しかった。常に頂点にいた真矢にとってはとても幸いな事だった。練磨し合う関係下で互いの実力はより良く伸びる。その上で尚君臨した。

 

 聖翔音楽学園九九期生の中でも、その更に選抜の中でも、西條クロディーヌこそが常に真矢の脅威で、最も恐れ、故にこそ信頼するに足る競争者だったのだ。

 

 何時も自分を鍛えこんでいた。何時でもより良くより強い舞台少女であろうとしていた。真矢がそうしている様に西條クロディーヌもそうだった。

 何時でも西條クロディーヌは天堂真矢に勝とうとその背を追っていた。何時でも天堂真矢は誰にも、最も近くを追走する西條クロディーヌに負けまいとしていた。

 

 抱いていた感情が敬意であり友情だった時も、真矢とクロディーヌは互いを最良の糧として良く共にレッスンを行ったものだ。結果的に、他の誰よりも共に時間を過ごした。

 差し伸べた手を取られる事は無かったが、手に手を取り合って踊り、席を共にして食事し、同じテーブルについて紅茶を楽しみ、並び座って会話を交わしたのだ。

 

 何時頃までが敬意と友情で、何時からが尊重と愛情だったのかは真矢自身良く分からない。もしかしたら入学試験で挑まれたあの最初の頃から、天堂真矢は不屈と努力の天才、西條クロディーヌを好いていたのかも知れなかった。

 

 自分とクロディーヌが並び立ち手を取り合えば誰にも負けないと本気で思っていた。レヴュー・デュエット、互いが互いを高め合い無言の内に通じ合ったあの瞬間に、真矢はクロディーヌこそが自らの運命である事を確信したのだ。

 

 涙を流して真矢の不敗を叫ぶクロディーヌに、私の真矢と言ってくれた愛しい人に、真矢は確信をもって手を差し伸べる。

 

 結果として喫した敗北は無論悔しかったが、それでも絶望などしなかった。する筈が無い。クロディーヌと共にいるのだから。もっともっと高みへ、何処まででも飛べるのだから。だから涙を流す彼女に手を差し伸べ、本気の本音で言った。より彼女を理解する為に学んだ言葉で。

 

 泣き顔も可愛いですよ、私のクロディーヌ、と。

 

 一時我に返って逃げ回ったクロディーヌをなりふり構わず追い回して捕獲し、それから始まった愛を交わし合う日々は以前よりずっとずっと充実していて、正に飛躍の日々だった。これほど人を愛する事が出来るのだ、愛しい人に愛される事はこんなにも幸福なのだと実体験で実感する日々だった。酔い痴れてしまいそうになる程。

 

 まあ実際真矢は酔い痴れていて、そのせいで情欲に流されちょっとかなり結構無理矢理強引に致してしまい、ここ最近クロディーヌは何処か様子が変で真矢はもう一週間以上もその甘美な唇に触れていなくて正直辛抱溜まらず我慢の限界ででも二度も同じ過ちを犯すなど彼女と交わした愛を裏切る行為と思ってすごく我慢していて、つまりそのせいでクロディーヌの方から寝室を訪れ共に一夜を過ごそうと告げてくれるなんて嬉し恥ずかし都合良しな願望の表れで自分を慰め、此処まで来たか天堂真矢と真矢は自分自身の欲求不満振りに恥ずかしいやら度し難いやら──

 

「ちょっと、何時まで惚けてるの?」

「──ふえ」

 

 愛しの西條クロディーヌが、真矢の運命が真矢の隣に寝そべっていた。添い寝である。毛布の下で真矢の手にするりと柔らかで滑らかな感触が絡む。恋人繋ぎと脳が理解するより先に良い匂いが本能を刺激してきてもう夢でも良いからキスしたいと真矢の欲求が無限大の広がりを見せしかし真矢の妄想だからと言って欲求不満を解消する為だけに都合の良いクロディーヌを想像し手を出すなど不埒かつ失礼の極みで本能と理性の二律背反に晒された真矢は機能停止に陥り掛け、

 

「私が隣にいるのにもう寝ようとするなんて良い度胸じゃない」

 

 抱き寄せられ、クロディーヌに口付けされた。妄想などでは到底再現し切れない圧倒的なリアルの感触、久方ぶりの幸福感と心を満たす心地良い快感に真矢の脳が現実に復帰した。

 

 ベッドの上で、真矢とクロディーヌはぴたりとお互い寄り添い合って、手足を絡めて横たわっていた。枕一つを二人で共に使用している為、ほんの少し頭を傾ければ唇が触れてしまいそうになるほど距離は近い。

 

 というかさっきキスされた。久しぶりに。しかもクロディーヌの方から。

 

 密着としか言えないゼロ距離。手指どころか全身が触れ合っている。どこもかしこも柔らかくて暖かい。天堂真矢は再認識した状況が妄想を上回っている事に気付き、やっと顔を赤くした。

 

「ちょっと傷付いたわ。真矢だって私と一緒に居たい筈だって信じてたのに」

「クロディーヌとなら何時だって何時までだって一緒に居たいに決まっています!」

 

 余裕の欠片も無く真矢が叫ぶと、クロディーヌは微笑んだ。そして真矢が二の句、疑問やら何やらを発するより前に、彼女は繋いでいない方の手で真矢の口をふさぐ。

 

「真矢、私はあんたに謝らなきゃいけない事があるの。公平を期すためにまずは其処からね。一週間前、真矢が電気をつけたまま寝落ちしていた時、私はこの部屋に勝手に入って真矢をベッドに寝かせて、その時真矢が買い込んでたハウツー本を見たわ。そうしたらキュンと来ちゃって、この一週間ずっと、私は真矢にキスしてほしい、キスされたいって考えながら過ごしてた。もしかしたらキスより凄い事もされちゃうかもなんて想像して一人で昂ったし、されちゃっても良いかなって……ちょっとだけ思ってた」

 

 一度でも止まってしまったら絶対に言い切れないという確信があり、クロディーヌは恥ずかしくてはしたなくて身も蓋も無い告白を真矢の反応を無視してでも、一気に伝える。

 

「この前私が怒ったから、真矢は今までずっと我慢してくれてたのよね──私が今晩真矢の部屋に来たのは、私の方が我慢できなくなったからよ。私もその気だから、真矢がしたい事全部私にしていい。私も真矢ともっと繋がりたい──お望みなら朝まで付き合ってあげる」

 

 クロディーヌの体温の上昇が衣服越しに触れ合う肌を介して、真矢に伝わる。クロディーヌの本気が五感を通して真矢に伝わる。

 あの本を他ならぬクロディーヌに見られていたとか、ずっとキス待ち状態で一週間悶々と過ごしていたとか、そして我慢できなくてこの部屋に来たとか。

 

 知らなかった恥が十倍になって叩き付けられたみたいで。逃していた好機が今更になって狂おしくて。望んでいたものの百倍が突然自分の腕の中に現出していて。率直に言えば天堂真矢は混乱した。

 

 身も蓋も無く混乱した。いまクロディーヌの口から出た言葉の全てを一つ一つ分けて、その都度その都度優しく噛み分けて説明してほしかった。

 

 今口を開いたら訳の分からないうめき声しか出ない気がして、ぱくぱくと弱弱しく口を開閉する。天堂真矢史上最も正体の定まらない天堂真矢が其処にいた。

 

 それでも、どれだけ混乱していようが目を開けていれば目の前の光景が見える。そしてこの距離で向き合っていれば見えるのは枕かお互いの顔位だ。枕如きが愛しい人に勝てる訳も無く、真矢はずっとクロディーヌを見ていた。

 

 彼女も彼女で自分のあんまりな言い様にダメージを受けたらしく、常夜灯に照らされてぼんやりと薄暗く見えるその顔は真っ赤だった。それでも気丈な笑みを維持してはいるが、唇が震えていて、眼はこれでもかと潤んでいる。その瞳に映る真矢も同じような顔をしている。

 それでもクロディーヌは止まらない。彼女は天堂真矢と相対しに来たのである。天堂真矢が混乱から立ち直るまでの間、主導権は彼女にあった。

 

「き……奇襲も同然だものね。でも真矢がいけないのよ。これから先人生でずっと私の相手役をするんだから、私のどんな台詞にも応えるのが天堂真矢の使命だもの」

 

 がちん、と小さくしかし確かに、お互いの歯がぶつかる音がした。今宵二度目の口付けは少し痛くて、しかし今までにない潤いを持っている。クロディーヌの舌先が、真矢の唇を薄くなぞっていったのだ。

 

「……真矢の味。この前の仕返しね」

 

 勝ちを譲る事なんてない。自分から負けてなんてあげない。ただ待つだけの私じゃない。私だって真矢が欲しい。だってあんたは私の真矢なんだもの。

 

 目は口ほどに物を言い、そして百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず。クロディーヌの与えた反撃の機会、真矢に叩き付けた挑発は、確かに天堂真矢を無理矢理に目覚めさせた。彼女に強欲に、深い愛情に火をつけたのだ。

 

 生まれついて負けず嫌いの少女は、真っ赤な顔で勝ち誇って反撃を待ち侘びている愛しい人に乱暴に唇を押し付けた。絡めた手をぎゅうっと握り、もう一つの手でクロディーヌの頭を引き寄せる。三度目のキスはちょっと唇が痛くなるくらいだった。

 

 しばらくそうしていてやっと顔を離すと、鼻先が触れ合い、唇が触れない位の距離で二人は鼓動を共有し、吐息を重ね合う。

 

「……また強引にした」

「して欲しかった癖に」

「さっきまで訳わかんないって顔してたじゃない」

「されるがままの私をお望みですか?」

「まさか……ちゃんと並び立ってほしい」

「ここ最近ずっと我慢してきたんですよ?」

「ありがとう。でももう大丈夫だから」

「言ってくれなきゃ分からないじゃないですか」

「したいって言ってくれたらおいでって私も言ってあげたわ」

「したい事が沢山あるの」

「まずは何回だってキスがしたいんでしょ? したがりで我慢が苦手で、甘えん坊で誠実な私の真矢」

「恥ずかしがりで負けず嫌いで、意地っ張りで包容力のある私のクロディーヌ」

 

 勝負でも仕掛ける様に始めたクロディーヌだったが、彼女たちはライバルであるのと同じ位恋人同士なのであった。勝った負けたでは無く、互いに優しく溶け合う様にキスをしたかった。

 

 勢いというならそう呼べばいい。十代の内に馬鹿な事をしておかなくてどうする。情熱を保存して取っておくなんて事はできないのだから。

 

 明日様子がおかしいと見咎められて、事情を察した純那辺りが真っ赤な顔で、二人に遠回しなお説教をするかもしれない。そうしたら言ってやればいい、あんただってななと宜しくやってるでしょって。もしかしたら授業でミスをして双葉や香子あたりには呆れられるかもしれないし、華恋、まひる、ひかりなんかは素直に祝福してくれるかもしれない。

 

 でも、そんなの全部明日の話だ。時間が経って冷静になってこの日を想い返すと、もっとムードの有るロマンチックな一晩を過ごす方法は幾らでもあったとか思うだろうけども、そんなのは今よりずっと未来の話だ。お互いに溺れる日があったって良い。

 

 真矢とクロディーヌは何回もキスをした。お互いの味を確かめ合って、触れ合う身体の柔らかさに夢中になった。真矢がまた強欲を発揮し、クロディーヌがそれを受け止め、真矢を挑発する。

 

 甘えれば抱き締められ、求めれば与えられ、欲すれば応えられる。互いが互いに自分の全てを差し出して、相手の全てを独り占めした。

 

 時には我に返って、二人揃って恥ずかしい思いもした。でも少しすると隣り合う愛しい人に、その舌や唇の甘やかさにまた熱中した。真矢はまたクロディーヌに自分の証を付け、今度はクロディーヌもやり返す。学園を卒業したら同じ大学に進んで同棲しようとか、もしかしたら海外に行くかもしれないけどそれでも付いていくとか、気の早い話もした。

 

 夜が明ける頃にはもう登校の準備をしなければ行けなくなった。名残惜しく分かれると、早くも調子を取り戻した真矢が今度は私がそっちに行きますなんて言って、クロディーヌは不意を打たれてしまう。

 

 ──二人はこの日、揃って寝不足の身体を引きずって、でも軽やかな足取りで、子供みたいに手を繋いで登校したのだった。

 



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真矢クロ効果がみんなに波及した話

「……天堂クロディーヌ、かな……やっぱり……」

 

 テレビ画面では何だかんだ年に一回は放映されている気がする有名なアニメ映画が最高潮を迎えていた。クロディーヌと真矢は隣り合ってそれを鑑賞していたのだが、突然の呟きに真矢は隣の彼女を見る。

 

 クロディーヌの零した呟きは特に何の考えが有った訳でも無く、もう何回も見た作品を半ば寝ている様な意識下でぼんやりと眺めていたために、ぼんやりと脳内で浮かんでは消えていた妄想上のあれやこれやが文字通り口から零れ落ちたものだった。

 

 だから自分がその事を口に出した事さえクロディーヌは気付いていなかった。クロディーヌは隣の真矢が自分を見つめている事に気付くと不思議そうに見返し、

 

「どうしたの?」

「……いえ、その……」

「なぁに?」

「今、貴女が……天堂クロディーヌ、と……」

 

 自分の想像の中でだけ、それだけだった筈の名前が天堂真矢の口から出た事にクロディーヌは驚愕し、そして瞬時に真っ赤になった。

 

 愛しい人と同じ名字を名乗る。自分の想像の中だけでしていた、恥ずかしくて気が早くて到底口に出せないその呼び名を真矢本人に聞かれていたという事実。自分の気の抜けっぷりと口の緩さに凄まじい勢いで羞恥が湧いてくる。

 

 ここが寮の共用スペースで無かったら悲鳴を上げて自室に逃げただろう程の羞恥はしかし、真矢がクロディーヌの手を自らの両手で包み込んだ事で、一時中断される。

 

「その! 西條真矢でも私は一向に構いません……愛しいクロディーヌとずっと一緒に居られるのなら」

 

 クロディーヌ自身にとってさえ不意打ちだった不規則な発言は、真矢にもしっかり刺さっていたのだろう。言おうとして言った訳では無いと真矢にだってわかった筈だ。しかし真矢はまるでプロポーズでもするかのように、厳かに、そして真剣にそう言ってくれたのだ。

 

 不意打ち返しが、クロディーヌの失態に対してこの上なく男前に決まった。クロディーヌは羞恥とは別に感情によって急上昇する心拍数を誤魔化す様に、傍らの真矢の肩に頭を預け、消え入るような小さい声で言う。

 

「……もう、本当にヤな女」

 

 真矢はクロディーヌの肩を抱く、と囁く。

 

「照れた顔も最高に可愛いですよ、私のクロディーヌ」

「……馬鹿」

 

 という二人の振る舞いに、同じ部屋でテレビを見たり談笑したりしていたその他九九期生たちは未曽有の急上昇を見せる空間砂糖濃度に恐れ戦き、元凶二人を驚異的な物を見る目で見やった。

 

 アニメ鑑賞中に突然仲睦まじさを見せつけてくる主席と次席の名物カップルにある者は羨ましそうな、ある者は胸焼けした様な様々な反応を見せる。そして最後にはテレビ画面に視線を戻し、心中で全てを諦めた様に呟いた。

 

 真矢クロは今日も円満みたいで何よりね、と。

 

 

 

 

 

 

「って事があったんだよ、純那ちゃん」

「あの二人は本当にもう……」

 

 心底呆れた、と言わんばかりに星見純那は深々と溜息を吐く。意識しての事では無いのかもしれないが、それにしてももうちょっと時と場所を選べないのだろうか。

 

 名字交換とかもう完全に結婚を意識した言動であり、ラブラブ自慢ここに極まれりという位のアレさ加減だが、いやもう本当に二人だけの時にやって欲しかった。純那は自学の為自室で机に向かっていたのだが、同じ空間で直にその遣り取りを見聞きしていた者たちの精神状態が少し心配になった。

 

「純那ちゃーん」

 

 人伝に聞いた純那でさえ、他人事ながら頬が熱を持ってくるのを感じるのだ。唐突に濃度の高いイチャつきを直接見せつけられた被害者たちが心を乱していなければよいのだが。

 

「じゅんなちゃーん……」

 

 そう、例えば今純那の後ろでせがむ様な声を発している大場ななの様に。

 

「……なに? なな」

「えへへ」

 

 椅子を回して向き合うと、床にぺたんと座ったなながそのまま純那のお腹に手を回し、顔を埋めてくる。

 

 今日のななは甘えん坊モードな様だ。純那は慣れた様子で彼女の身体に手を回すと優しく抱き返し、その頭を撫でて上げる。

 

 純那には上手く言えないのだが、ななは甘え上手だ。そして甘えられるのも上手だ。みんなのお母さん的存在であるななが他の誰にも見せない甘えたがりな子供っぽい姿と、そして驚くほど妖艶で大人びた姿で純那を翻弄する。

 

 甘えるななを純那は無下には出来ないのだけども、妖艶なななに純那は逆らえない。あの低い声で囁かれると背筋がぞくぞくして頭に靄が掛かったようになり、全てを受け入れたい気持ちになってしまうのだ。

 

 狙ってやっている訳ではない、と純那は思う。二面性というのとも違う。ただななには再演という、単純に年数で言うと実年齢の何倍にもなりかねない長い長い経験があって、その経験の分だけ色んな思いが積み重なっていて──彼女の妙に甘えん坊で純那にべったりな子供っぽい所と、嫉妬深くて純那を欲しがる妖艶な所は、そういう物の表れなのだと思う。

 

 どちらのななにも惚れ込んでしまった純那としては、一粒で二度美味しいというか、ななの全部を理解して受け止めて上げられるのは私だけというか──そんな所だ。最も、そうして割り切った考えを持てるようになったのはごく最近なのだが。

 

 ななの最大の理解者である純那には、今の彼女が求める事が、欲しい言葉が勿論理解できた。ただちょっと、恥ずかしかっただけで。

 

「……私たちの場合、大場純那になるのかな」

「星見なな。えへへ、こっちの響きの方が素敵だと思う」

 

 勿論、嫌では無いのだ。ただ純那には、明日にでも結婚披露宴を開きそうなあのカップルみたいに振舞うには度胸が足りなさすぎるというだけで。

 

 これじゃあのバカップルを笑えないわね、なんて考えながらも、ななを抱き締める純那の顔には、幸せそうな笑顔があった。

 

 

 

 

 

 

「双葉はん、最近名字を交換して呼ぶのが流行ってるらしいで?」

「そう、なのか」

 

 普段通り直球に呼んで呼んでとせがむかと思えば、香子は自分のベッドの上で膝を抱えながら、双葉の様子を窺い、確かめる様にその話題を口にした。

 

 その姿だけを見ると香子が控えめでお淑やかなお嬢様に見えてしまって、双葉はつい動揺し、言葉を詰まらせてしまう。

 

 双葉は第二次真矢クロテロのその場に居合わせていたので、あの時は砂糖を吐きたくなるほど甘ったるい雰囲気を存分に堪能させられた。何時かのまひかれひか騒動を思い出したのもあって、それ以上同じ空間に居たくなかったので部屋に逃げ帰ったものだ。

 

 だがあの真矢クロテロがどんな影響を及ぼしたものか、九九期生の間では仲の良い友人同士で名字を交換してみるという遊びがなんと流行った。勿論バカップルみたいなガチな雰囲気では無くて、文字通り友達同士のお遊び的なものだが。

 

 おーおーお熱いですこと的な当て擦りもあっての流行だと思うのだが、元凶となった二人はさぞ居心地の悪い思いをしているかと思えばケロリとしている。ハートが強過ぎるのも考え物だ。ともあれ、今は香子だ。

 

 強かさも秘めた腹黒加減も何処へ行ったのやら、てっきりこのネタで自分を揶揄いに来るに違いないと思っていた双葉は良い意味で拍子抜けしてしまった。

 

「……あたしと香子だと、いするぎとはなやぎで響きが近いからあんま新鮮味が無いな。花柳双葉。あたし、香子みたいには舞えないけどさ」

「ふ、双葉はんはその分殺陣が得意やし、うちと同じにならんくても良いんどす。違い合っても、支え合っていければ……。うちの場合、石動香子、やね」

 

 これもぜーんぶ変な雰囲気をばら撒いたあの二人のせいだと責任転嫁して、妙に可愛らしく見える香子に対し、双葉は揶揄う様に、

 

「家元のうちの子を嫁に貰えるような女に、あたしなれるかなー?」

「そ、そこは絶対なって見せるて言うところですやろ! 双葉はんはほんに女心がわかってへんわ、もう……」

 

 香子はさも拗ねた風にそっぽを向いたが、目元が緩んでいて機嫌がいいのは丸わかりだった。それでもなお、双葉は香子を宥める為という名目の元に、彼女の隣に歩み寄っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「神楽華恋、神楽まひる。私はずーっと言ってた、やっと時代が私に追い付いた」

「むむ~……愛城まひると愛城ひかりの方が語呂が良くて私はグッドだと思うけどなぁ!」

 

 一騎打ちとばかりに睨み合う運命の二人。その傍らでまひるは出遅れてしまっていた。

 なにせ二人とも嫁にすると主張していた愛城華恋と、二人をそれぞれ嫁と婿に迎えると主張していた神楽ひかりの両者に対し、露崎まひるは華恋とひかり両方への嫁入りを主張していたからだ。故に此度の名字交換疑似結婚妄想ブームに際し、後塵を拝する結果になってしまった。

 

 開幕一番に二人の嫁になった場合まひるちゃんは何て名乗るの? 愛城神楽まひる? それとも神楽まひると愛城まひるで名前二つになるの? それはおかしいよね、うんおかしいと論理的矛盾を感情的につっつかれて二対一に押し込まれ、結果押し切られてしまったのだ。

 

 それでもまひるは自分の運命の舞台を、自分の望むスタァライトを諦めない。激論を交わす二人を前に今を至福にして雌伏の時と刃を研ぐ。

 

 三人ともボケでツッコミが存在しない、星光館が擁する真矢クロをも上回るトライアングルバカップル頂上決戦は、まだ始まったばかりだ──!

 

 




前回の話で流れ的には丁度良く締まっているので、これからは毎日更新では無く、ネタが浮かんだ日などに散発的に投稿するようになると思います。

もう直ぐ見られる最終回が待ち遠しい事この上なく、この作品を通して少女☆歌劇レヴュースタァライトを愛する皆さんと関わり合えたことに感謝いたします。


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『惚気のレヴューの開演です。ベストカップルを誇示すべく、語って、聞かせて、分かち合いましょう』  

「私のクロディーヌが魅力的過ぎて困ってしまいます」

「分かる。私の純那ちゃんもね、すごくかわいくて」

「あはは……」

 

 寮の共用スペースで両者に挟まれて、石動双葉が苦笑と共に頬を掻いた。

 

 天堂真矢は表情こそお澄まし顔だが口の端がにへらと笑み崩れているし、何より声音が夢見る様であった。基本早口で喋る辺り興奮しているのだろう。

 大場ななに至っては満面の笑みだ。この上なく幸せそうな溶け崩れた笑顔である。時折幸せ過ぎる現実に耐えかねたかの如く両手で頬を押さえていやんいやんとしているが、勿論全然嫌そうではない。

 

 双葉が聞いている限り、天堂真矢と大場ななは同じタイプの少女だ。それは私の純那ちゃん、私のクロディーヌという最早口癖になってきている言い方からも分かる。

 

 つまり独占欲が強いやきもち焼きで愛情が深く一途、相手に甘えたい、相手に甘えて欲しいという欲求があり、それでいて相手の意思を尊重する気遣いが出来る人間である。ツボも同じだ、自分だけが知る愛しい人の姿、他人の目には触れない自分だけに見せる愛しい人の素の表情、素の感情という点が琴線に触れるのだろう。

 

 そんな二人が互いに語り合う内にテンションが相乗して高まりあい、今少し凄い状態になっている。

 

「私のクロディーヌは普段こそ勝気で対抗心溢れる挑戦者ですが二人きりの時の彼女は本当にいじらしくて貞淑で包容力があってそれでいて甘えん坊で──」

「私の純那ちゃんだって真面目で努力家で優しくて正に委員長って人柄だけど二人きりの時は本当に柔らかい笑顔が暖かくて包容力だって勿論すごいしそれでいて思わず我慢できなくなっちゃいそうな得も言われぬ色気が──」

「余人には見せない自分だけが見られる姿、良いですよね……分かります。クロディーヌはもう本当に凄いのですよ、恥じらう横顔など一瞬で理性の箍が外れること請け合いでしかもそんな私の欲求ごと抱き締めてくれる器は最早太母の──」

「ね。こんな純那ちゃんを見られるのは私だけ、私だけの純那ちゃんて思うと堪らないの! もう本当誘ってるとしか思えない感じででも自分からはおねだりしてくれなくてもうこれは絶対了承しないけど拒否もしないって態で私の暴走を望んでるとしか──」

「おーい二人ともー、結構凄い事まで喋っちゃってるぞー……?」

 

 やんわりブレーキを掛けようと宥める双葉だが、オーバーヒートに近い暴走状態である真矢とななは止まらない。

 

 双葉はこの二人による自分のパートナーが如何に魅力的か、そして自分たちが如何に愛し合っているかという話を一時間くらい聞かされていた。ななお手製お菓子と真矢秘蔵の紅茶は美味いのだけれども、同級生の惚気話を延々聞かされる事が対価として釣り合っているかは微妙だ。

 

「香子、どうしてるかなぁー……」

 

 本日は西條クロディーヌと星見純那、そして花柳香子は揃ってお出掛け中だ。特別示し合わせた訳では無くただ友人同士で買い物に行ったというだけなのだが、寮の玄関口で出会ったB組の雨宮と眞井に「今日はお嫁さん組で固まってるのね」なんてさらっと当たり前の様に言われて真っ赤になって出かけて行った。

 

 そんな訳でパートナー不在の双葉、なな、真矢はB組の名コンビの表現になぞらえて言えばお婿さん組でお茶など酌み交わしているのだが、この一時間で双葉は恐らく、本人たちを別とすれば最も真矢クロとじゅんなななのカップル事情に詳しい人間になってしまった。なりたくてなった訳では無いが、なし崩しに。

 

 半ば聞き流す位の気持ちで耳を傾けていたのだが、二人ともよくもまあそんなに話すネタがあるものである。余程濃い蜜月を満喫しているものと見受けられる。

 

 レッスン中などは確かに戦意旺盛な印象のクロディーヌも、聞いている限りでは真矢と二人きりの時は随分と脳内ピンクになるらしい。双葉と香子の部屋に遊びに来た時点で大分恋に生きている感じだったが、それ以上に。

 基本恥ずかしがりで雰囲気重視なクロディーヌであるが指を絡めて手を繋いだり抱き締めたり耳元で優しく愛を囁いてやると直ぐに真っ赤な子猫ちゃんになってしまって非常に愛らしいのだとか。

 

 曰く、何時までも慣れない初心な所が最高に可憐。

 曰く、素直に頷いてくれない所が最高に燃える。

 曰く、駄目よ嫌よと言いつつ声音が喜んでる所なんか最早卑怯。

 

 多分六割くらい天堂の見栄が入ってるんだろうな、と双葉は思う。双葉は時たまクロディーヌの方からも話を聞いてるので、描写のズレから盛り具合が推定できてしまう。真矢は私の前だと可愛らしい子犬みたい、と微笑むクロディーヌの姿を双葉はよく目にしていた。

 

 子犬ちゃんと子猫ちゃんのイチャラブカップルでどちらが主導権を握っているかは、当事者ならぬ双葉には分からない事である。「夜のクロ子が子猫ちゃんなのは分かったけど、夜の天堂が子犬ちゃんだってのはマジ?」なんて聞く気は双葉には無い。多分お互いがお互いにドストライクかつ特攻持ちなのだろう。

 

 真矢だって全てを受け入れて抱き締めてくれるクロディーヌ大好き母性最高甘えたくなってしまいます、よりは他人に話す以上自分が上手かつカッコいい風に語りたいのだろう。気持ちは分かるので武士の情けだ。双葉は無言で頷いた。

 

 天堂真矢とて思春期の少女なのである。

 

 其処へ行くと大場ななは潔い。

 

 飼い主大好きな犬が人語を喋れたら恐らくこんな感じであろうというストレートかつべったりな愛情を無限に垂れ流す装置と化している。

 

「純那ちゃんは本当にね……私、結構ちょっとしたことでやきもち焼いたりしちゃうんだけど、純那ちゃんは私より早く私の気持ちに気付いてくれるの。おいで、我慢しなくていいのよって優しい声で言われちゃうともう、もうね──」

 

 料理が出来て気配り上手なみんなのばななもかなりの甘えん坊な様である。純那の方も一時の様に倒れる程ではないにしろ努力と知識の信仰者であり、かなり根を詰めて練習を重ねるので、甘えてくるななをあやすという形で一息入れる時間が結果的に丁度いい安息になっているのだろう。ななも分かってやっているに違いない。

 

「みんなといる時間もとても大切だし楽しいの。でも、純那ちゃんと居る時の、純那ちゃんだけの私でいる時間は本当に幸せで、私の腕の中で蕩ける純那ちゃんが本当に本当に、食べちゃいたい位可愛くて……」

「あー……なな、星見の名誉の為にその辺で止めといた方が」

 

 この会話が真面目な学級委員長と誇り高きハーフの少女の耳に入ったらどうなるだろうかと思わないでもない。だが、多分向こうも同じような話をしているだろうし痛み分けと言う所か。

 

 如何に双葉が普段の生活でうちに頼りきりか、どれだけ手の焼ける甘えん坊かと滔々と語る香子の姿が想像できて、双葉は口元を苦笑いの形に歪めた。

 

「石動さん、石動さんは何かないのですか?」

「ん、何かって?」

「香子ちゃんとの事!」

 

 遠くの愛しい人に思いを馳せる事しばし、現実に帰還してみれば、真矢とななが二人揃って双葉に視線を定めている。

 

「あたしと香子は別に、いつも通りだよ。変わった事はなんも無い」

「そうでしょうか? 最近とみに仲睦まじくなられた様な」

「双葉ちゃんそういうの普段話してくれないしー、この機会になな聞きたいなー」

「な、なんだよ、二人とも酔ってるんじゃないよなー?」

 

 すごいグイグイくる。脳内麻薬か何かの過剰分泌で多幸感に酔っているのではないだろうか。両隣の真矢とななはずいずいと距離を詰めてきて、今や互いの肩が触れ合うほどだ。

 

 逃がさない、貴女も話しなさいと無言で主張してくる。

 

「十数年にも及ぶお二人のお付き合い、その経験は私たちからすれば貴重です」

「将来の為に是非とも! 双葉先生!」

 

 彼女たちの世代で、想い人と十数年もの年月を重ねてきた人間は希少である。人生の大部分に当たるのだからこれは当然と言える。

 そんな長い年月を幼い頃から共に過ごしてきたふたかおという先駆者の実体験はこれからパートナーと歩む人生において指針となりうる貴重な情報だ。

 

 何より友人同士で恋バナをしているというのに一人だけ聞き専など許されようか、いや許されまい。双葉ちゃんが(石動さんが)香子ちゃんの事(花柳さんの事)大好きなのなんかみーんな知ってるのよ(知っていますから)さあ語りなさいと真矢とななの瞳が伝えてくる。

 

 なんというワクワクとした顔をするのであろうか、この二人は。

 そりゃあ双葉だって香子の事に関しては一家言持っている。何時でも何時までもずっと一緒と誓い合った仲は伊達では無い。

 別に真矢クロやじゅんななな程初々しい雰囲気でなくともだ、変な言い方になってしまうけども、自分たちこそがベストカップルであると言う無自覚の自負は双葉の奥底に確かに存在していて、其処を刺激されると思わず、

 

「…………ま、まあそりゃ、長年添ってりゃ色んな事もあったけどさぁ。あたしと香子の間にだってさ」

「おお……」

 

 第一声からさり気なく熟年夫婦感を醸し出してくる双葉に真矢とななが揃って感嘆の声を上げる。

 色んな事もあったけど、全部二人で乗り越えて血肉にしてきたとでも言いたげな自負が双葉の声音に滲んでいるのである。

 

 頬を赤らめた双葉が、まるで酒を呷るかの如くぐいっと紅茶を一気飲みする。

 

「ちょっと恥ずかしいなぁ。話、長くなるかもしれないし」

「いいのではないでしょうか、今日はそういう日ですよ、石動さん」

「香子ちゃんたちが帰ってくるまでまだまだ時間はあるよ双葉ちゃん!」

 

 すかさず真矢が紅茶のお代わりを注ぎ、なながお菓子を差し出してくる。糖分と水分で口を滑らかにして脳に栄養を補給せよと言わんばかりに。お喋りって意外とエネルギーを消費するのだ。

 

 万全なお膳立てに双葉も遂にその気になった。羞恥は確かに未だ存在するが、真矢とななから移ったのか確かな高揚も胸にはあった。

 

「──あたしと香子の思い出って言ったら、やっぱり初めて会った時の事は外せないな。あたしさ、初めて香子を見た時ってお互い本当に小さな子供だったし、馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけどあんまり可愛くて天女か何かかと──」

 

 真矢クロやじゅんななな、まひかれひかのイチャイチャと違って、ふたかおのイチャイチャは最早日常の一部。あって当たり前の風景の如きもの。なにせ一年時の最初の最初からふたかおは完成されたペアだったのだから。最初からずっとふたかおだったのだから。そういう二人として認識されているから、彼女たちがくっついていた所でいつも通りであり人目は引かない。

 当人たちだって今更周囲に語って聞かせない。誇示しない。だってずっと昔から二人はそうなのだから。

 

 喧嘩しても必ず仲直りしてより尊くなる盤石の二人。当たり前の二人一組。セット。そんなふたかおの惚気話が今、解放される。

 

 

 

 

 

 三十分後。初対面編が終盤に差し掛かる。

 

「──って訳で、今思えば一目惚れだったのかもな。その後ちょっとした事件があってさ、今となっては当たり前だけどその時のあたしと香子はまだ会ったばかりだから、お互い分かってない事が沢山あったんだ。香子はもしかしてあたしに追い掛けて欲しかったんじゃないか、そう気づいたのは香子がいなくなってから一時間も経った後で──」

「その頃からお二人のやり取りは変わらないのですね」

「あはは、香子ちゃんったら」

 

 一時間後。小学生編が佳境を迎える。

 

「酷いだろー? 突然なんだからさ、正直あたしも頭に来ちゃって、其処からはもう売り言葉に買い言葉で散々喧嘩してさ、でも次の日あったんだよ、あたしの机の上にプレゼント。自分の誕生日も忘れてはるあんて双葉はん抜けすぎや、なんで素直に言ってくれないんだよ分かんないだろってまた喧嘩。でも、今度はあたしも香子も笑ってたけど。香子の誕生日は忘れた事無いんだけど、自分のはどうも……まあ、あたしの誕生日は香子が忘れずに覚えてくれてるからあたしが忘れてても良いんだ」

「……しかし流石の引き出しの多さ、そしてなんたる記憶力……」

「うん……双葉ちゃんて香子ちゃんとの思い出なら全部覚えてるんじゃないかな……」

 

 二時間後。中学生編が終わり、聖翔音楽学園編へ。

 

「朝起こしてー、おぶってってー、足揉んでーってそればっかりだろ? でも本当に甘えたい時の香子ってそうじゃないんだ、もじもじしてて、奥ゆかしくて、控えめで、いじらしくて……何時もみたいに堂々と甘えたら良いのに。でも其処がまた香子の可愛い所なんだ、だからあたしの方からリードしてあげなきゃって──二人とも聞いてる?」

「……聞いてます、聞いてますとも……」

「……物量に、追い付けない……」

「うん、それでさ、此処からが本番なんだけど──」

 

 一時間後。キリンのレヴュー編、そして現在へ──。

 

「一番輝く処を、一番近くで……香子もあたしもずっと覚えてた。今じゃあのキリンにだって感謝してる、あの時の華恋やひかりを思えばちょっとと思う所ももちろんあるけど、あのぶつかり合いがあったからこれからだって何時までも一緒に居られるって──それ以降、関係も変わったと言えば変わったかな。こんなに長い間一緒に居たのに手指を重ねるとか頬に触れるとか、やっぱり以前とは少し感覚が違ってくる部分ってお互いにあってさ。でも今まで何とも思わなかったのに突然しなくなると如何にも意識してるように思われる、とか一時期はあたしたち二人とも変な感覚があって、半歩分くらい距離が離れちゃったり──今はもう大丈夫なんだけどな。あの時期はあの時期でこう、良かったよ。香子可愛かったし。何時も可愛いけど。でさ、香子って普段からあたしにくっつついてるだろ? まああたしが香子にくっついてるとも言うけど……さっきも言ったけど普段からおぶって、足揉んでーって時は別に恥ずかしく無いんだよ香子的には。ただ、そういう気分とか雰囲気の時には駄目なんだ。あ、これは手繋いでほしいって思ってるなー、ちゃんと抱き締めてほしい感じかなーとか、パートナーのそういうの、分かる時ってあるだろ? その時の香子はあたしから見ても香子史上一番可愛くて、隣り合って膝に手を置いた時のちっちゃい吐息とか、変な言い方だけどこの瞬間の香子ってあたしが支配してるんだよなとか考えちゃったりして十年以上一緒にいるのに未だに心乱される──あ、もうこんな時間か、そろそろ三人とも帰ってくる頃──」

「双葉はーん、ただいま~」

「香子ー!」

 

 ぼちぼち門限とあって、香子純那クロディーヌの三人組が帰ってきた。

 

 えらく上機嫌な様子の香子は両手に買い物袋を抱えながらしんなりと笑い、

 

「なんや双葉はん随分嬉しそうな顔しはって、うちがおらんくてそんなに寂し──」

「ああ、すごく寂しかったよ香子……」

 

 そして双葉は香子にひしと抱き着いた。買い物袋が音を立てて床に落っこちる。

続いて入ってきた純那とクロディーヌも珍しく人前で、しかも双葉の方が香子に縋っているという状況に目を丸くし、ついであらあらまあまあと温い笑みを浮かべる。

 

「ふ、双葉はん!? なんや珍しい、い、いや人前やよ人前──」

「あたしはやっぱり、香子が世界で一番大事で大切なんだ。香子がいないと駄目なんだ。これからも親友としてライバルとして、ずっと香子の隣に居たいよ、香子──」

 

 キラキラと煌く上目遣いと紅潮した頬で告げられる双葉からの言葉に、人前である事など即座に忘れた香子だった。フリーになった両の手が、やけに保護欲を刺激する双葉を強く抱き返す。

 

「ふ、双葉はんはほんまにうちがおらんと駄目なんやからもう! もう! うちかて双葉はんの事離さへんもん、ずっと、ずっと一緒やで? 他の子によそ見したらあきまへんよ?」

「しないよ、よそ見なんか……あたしだって香子の事、離さない。離したくない……」

「ふ、双葉はん……」

「香子ぉ……」

 

 完全に二人の世界に入ってしまったふたかおを他所に、純那とクロディーヌはソファーで寝転んでいる各々のパートナーを不思議そうに眺めていた。

 

「……どうしちゃったのかしら?」

 

 二人と、そして明らかに平常とは異なる様子の双葉を交互に眺めながら、クロディーヌは疑問気に呟く。

 純那は空のティーポットとカップの臭いを嗅いで、

 

「まるで酔ってるみたい──お酒の匂いはしないわね、当たり前だけど」

 

 他人に伝えるという形で語り倒した十数年分の香子との思い出、香子への想いによって引き起こされたナチュラル・ハイである。

 真矢とななは圧倒的な物量に根負けしてしまったのだ。

 

「真矢、今寝てたら夜に眠れなくなるわよ?」

「私は、負けてない……クロディーヌ……私たちだって、これからもずっと、ずっと」

「もう、夢の中でも私の事ばっかり考えてるの?」

「なな、そろそろご飯の時間よ?」

「純那ちゃん、じゅんなちゃん……これからずっと、二人で掛け替えのない一瞬を、積み重ねていこうね……ずっと、ずっと」

「嬉しいけど、ななは眠りが浅くなるともっと寝相が悪くなるんだから、今はちゃんと起きないと……」

 

 実際イチャつき濃度や互いへの想いならば全く負けていない。人にはそれぞれの愛の形があり、そもそも比べるモノでは無いのだから。それぞれオンリーワンでナンバーワン、みんな違ってみんな良い。

 ただどう長く勘定してもイチャイチャ歴二年未満の真矢クロとじゅんなななと香子こそ我が人生とも言える双葉では、物量に関してはどうしても天秤が偏るのである。年季が違う。

 

 共に歩み続けて寄り添って十数年、ふたかおの尊みは深い。




まひかれひかは三人水入らずでお部屋にいると思います。
書いてたふたかおの話が詰まったので別の話を書きました。


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幕間:露崎流恋愛覇道術最終奥義『真昼』

※ギャグ
※モブ下級生

以上の注意事項をお確かめの上お読み下さい



「そりゃあ露崎先輩でしょ!」

 

 自分の名前が耳に飛び込んできたので、露崎まひるは反射的に意識を向けた。

 

 まひるは今、少し提出の遅れてしまったプリントを出す為に職員室に向かっている所だった。本当は今朝が提出期限だったのだけどうっかり寮に忘れてしまったので、放課後一度取りに戻って、やっと今出しに行くところだったのだ。

 

 華恋ちゃんやひかりちゃんがすごくナチュラルに置き忘れていったのに気を取られて自分の分を忘れてしまった、というのは言い訳なのだが、先生ですら「露崎が忘れたのか? え、愛城や神楽では無くて?」と素で疑問する位に珍しい事なのであんまり怒られなかった。

 

 一応今日中に必要だから放課後にでも持って来てくれ、と言われただけだった。で、今まさに提出しに行くところだったのだけど、

 

「そうなの? 西條先輩とか天堂先輩じゃなくて?」

「断ッ然露崎先輩だね! 凄いよあの人は!」

 

 所は、下級生の教室の前。となると必然、中で話しているのは後輩、聖翔音楽学園俳優育成科百期生であろう。

 

 定員三十名の俳優育成科A組と舞台創造科B組の二クラスで一学年を構成する聖翔音楽学園では、三学年合わせても生徒数百八十人程度でしかない。普通の学校と比べたら少ない、と言える。

 

 流石に声だけで顔と名前が浮かぶほどでも無いが、まひるの耳に届いた複数人の声には聞き覚えがあった。

 特に、少し愛城華恋に似た声の元気が有り余った子。誰にでも物怖じせずにぐいぐい関わっていく彼女とは、先輩後輩として割と話す方だ。

 

 立ち聞きは良くないと歩調を落とさず歩きながらも、まひるはちょっと嬉しい気持ちだった。

 

 まひる自身主役級に抜擢される選抜の一人とは言え、首席たる天堂真矢、次席たる西條クロディーヌとの間には相応の実力差があると理解している。

 それは捧げた年月、流した汗の量、生まれ持った天分、全てから来る差だと思う。まひるにだって彼女たちにも負けないと胸を張って言える得意分野があるものの、矢張り総合力で見れば差はある。

 

 でもこうして、まひるの芝居を、演技を良いと言ってくれる人がいるのだ。愛する華恋に朗らかで暖かいと、愛するひかりに煌いていると言って貰えたまひるの姿を。

 

 華恋に縋っていた頃のまひるだったら、過分な評価に恐縮するばかりだったかもしれない。でも今は違う。まひるだって舞台少女だ。目指すはトップスタァ。

 

 応援してくれる人々の為にも、誰にだって、天堂真矢にも西條クロディーヌにも勿論愛城華恋にも神楽ひかりにも負けない。自分が一番になるのだ、そういう気持ちで挑むのだと、まひるは意気を新たに胸を張って歩き──

 

「私知ってるもん! 九九期生、否、聖翔音楽学園最強の恋愛強者と言えば露崎まひる先輩を置いて他に居ないよ!」

 

 ──出した傍からずっこけた。

 

 え、なにその肩書、私知らないよ?

 

 

 

 

「露崎先輩って、九九期生選抜の露崎まひる先輩だよね?」

「何回か話した事あるけど、優しくていい人だったな~。ほんわか暖かって感じで。でも、あの露崎先輩がそんなにやり手なの?」

「もっちろん! 露崎先輩は、運命にその存在を刻み込んだ偉人だよ偉人!」

 

 最早立ち聞きがどうとかいってられる状況では無かった。いつの間にか後輩の間で、自分の名が学園最強の恋愛強者にして運命にその存在を刻み込んだ偉人とかいう勇者みたいな存在になっているのだ。

 まひるは教室の戸に隠れて耳を澄まし、中の会話を拾う。

 

 話を聞いているとどうやら、学園一有名なカップルこと真矢クロの話から派生して、恋愛相談に乗ってくれそうな先輩、的確なアドバイスをくれそうな先輩は誰かという話になっていたらしい。

 

 やっぱり有名人だし真矢様先輩とクロちゃん様先輩では、という意見があり、先程の元気っ子がいいや! 露崎先輩一択だね! と主張したと。

 

 ──なんで!? とまひるは大いに動揺した。よしんば相談に乗ってくれそうとかなら兎も角、どうして自分が学園最強の恋愛強者として後輩に語られるまでの存在になっているのか。

 

 衆人環視下で堂々と真矢クロ劇場を表演した真矢クロや、変わらぬ仲睦まじさを体現し続けるふたかおを上回る位置に自分が置かれる心当たりなど、まひるには無い──

 

「ふっふっふ……何を隠そう、あの運命の二人こと愛城華恋先輩と神楽ひかり先輩は、二人とも露崎先輩の彼女なんだよ!」

「えー! 愛城先輩と神楽先輩!? 第百回聖翔祭、九九期の主役じゃん!」

「幼馴染で、小さい頃の約束をずっと守って二人でフローラとクレールをやったあの先輩だよね!? っていうか二人とも!? 露崎先輩の彼女!?」

 

 大有りであった。

 

 

 

 

 愛城華恋と神楽ひかりは聖翔音楽学園の有名人である。選抜の一人である事と、世界最高峰の王立演劇学院からの編入してきた事から元から人目を引く存在だったが、第百回聖翔祭で二人が主役を演じた新訳スタァライトが一層その評判を高め、其処から二人が持つドラマ性も更なる注目を集める結果となった。

 

 幼き頃に共有した思い出、そして交わした約束。長く離れ離れになった二人は二人ともその約束を忘れず胸に夢を抱き続け、片や聖翔音楽学園選抜、片や王立演劇学院で準主役級を演じるまでに成長する。

 

 そして神楽ひかりは舞い戻ってきた、約束を遂げる為に、二人でスタァライトする為に。

 その高い実力で一躍注目株となるも、僅かな期間学校に在籍しただけで彼女は聖翔音楽学園を退学してしまう。わざわざ世界最高峰の学院から日本に来た彼女が何故、と上級生や下級生の間でも大きな話題となった。

 

 最も事情に通じていそうな選抜八人、幼馴染である愛城華恋ですら彼女が何処へ行ったのか、何故退学したのか誰も分からなかった。他の誰かに分かる訳も無く、月日は躊躇いを置いて進む。

 

 数日、数週間、数か月──そして第百回聖翔祭まで残りわずかとなったある日、再び神楽ひかりは舞い戻ってきたのだ。

 

 一体どういう事情があったのか、誰も知らない。ただ、神楽ひかりは愛城華恋に手を引かれて戻ってきたという噂が囁かれるのみ。

 

 既に時は聖翔祭間近、本来なら脚本演出も固まり切り、完成度をひたすらに高める時期。しかし、愛城華恋と神楽ひかりは煌きを取り戻したその演技にて主役の座を射止めた。

 通常あり得ない筈の変更に次ぐ変更、しかしその結果の新訳スタァライトは素晴らしき舞台だった──。

 

 故に二人は、その煌きを目にした者から、その波乱万丈で運命的なストーリーを耳にした者からこう呼ばれる。運命の二人、と。

 

 ドラマ性たっぷりなこの二人の物語は学園中で語り草、詳しい事情を知る者がいない分だけ観衆の想像力という翼を得て更に飛躍を重ねていたのだ。

 

 なにせキリンのレヴューで誰からも煌きを奪わない運命の舞台を望んだので学園の地下で一人きりのスタァライトをひたすら演じ続けていたなんていう真実の話を説明できる筈も無く、誰もが真相を語らないし語れないので、実はどこぞの財閥の娘だった神楽ひかりが親に無理矢理結婚させられそうになり、実家に連れ戻された所を愛城華恋が殴り込みをかけて一途な愛を説き奪い返してきた、位の少女漫画的な妄想物語が流布されている程である。

 

そしてそんな二人と仲良くしている露崎まひるの印象は、

 

「露崎先輩はそんな運命で結ばれた二人を両方落として彼女にしちゃう御方なんだぞ! 正に桁違い! 学園最強の恋愛強者!」

「た、確かにすごい……! 愛城先輩の事好きなんだって噂は知ってたけど、まさか想い人の幼馴染まで一緒くたに虜にするなんて!」

「三人とも凄く仲が良いなあとは思ってたけど、運命の幼馴染に当たり負けせず愛城先輩をモノにするのみならず、露崎先輩からすればぽっと出の泥棒猫神楽先輩すら自分の女に──!? 強者過ぎる!」

「その精強極まる益荒男振りから露崎先輩は運命凌駕、運命支配、運命掌握、ディスティニー・イーターと一部で恐れられ、崇められているんだー!」

 

 何だかとってもラスボス系な二つ名が三つも四つも出てくる始末。

 運命掌握者露崎ディスティニー・イーターまひる。まひるは脳内で己の名を唱えて天を仰いだ。これほどの混乱はかつてない。っていうか華恋ちゃんとひかりちゃんが運命の二人と呼ばれているのに対して私がディスティニー・イーターってちょっと直接的過ぎでは無かろうか、と思う。

 

 それにまひるは自分が二人のお嫁さんになる派なのだがどうしていつの間にか並外れた手練手管で二人を口説き落として自分の物にした、みたいな事になっているのだろうか。

 

「あの天然可愛い愛城先輩は兎も角才色兼備の完璧クールな神楽先輩までお世話で落とすなんて! 一体どれ程の姉力があればそんな芸当が!? あやかりたい!」

 

 授業や生活を共にしない下級生の目から見ればひかりちゃんって確かに完璧クールにも見えるのかなぁ、結構抜けてる所があってそこが困ると同時に可愛いんだけど、とまひるは天井を見上げて真っ向から現実逃避。

 

「三竦みにして三者両想いのトライアングルラブカップルを実現させる常人離れした恋愛術、一体どれ程の高みにあるのかしら……」

「な、凄いだろ! 今からちょっと露崎先輩の所に行って教えを乞おう! みんなで露崎流恋愛覇道術に入門だぁー!」

「──っ!?」

 

 逃避してもなお迫り来る現実に、知らぬ間に露崎流恋愛覇道術開祖になっていたまひるは全力疾走で逃げ出した。

 

 

 

 

 

「つ、露崎流恋愛覇道術──ぼっぶう」

「わ、笑っちゃだめよ、まひるは真剣なんだから……ぐふ」

「露崎ディスティニー・イーターまひるはぁん……」

「やめろ香子ぉ! 我慢できなくなるだろ! んっく」

「う、運命凌駕まひるちゃん、運命掌握まひるちゃん、運命支配まひるちゃん……」

「列挙しないの! なな、露崎さんは傷付いているの、の、よ──えう」

 

 半泣きでみんなに話した所超笑われたまひるである。息が出来ないレベルでみんな腹を抱えて顔真っ赤で床を転がる勢いで超笑っている。ごめんなさいいや違うのですすいませんと言いつつ超笑っている。流石のまひるも真顔である。

 

「私たち二人がまひるの彼女……その線も、アリかな。外堀から埋めてくるとは、流石まひる」

「割としっくりくるねっ、露崎華恋、露崎ひかり……正直ときめいちゃうよ!」

 

 対してまひるの運命二人は、一時はレースから脱落したと思われていたまひるの巻き返し、露崎まひる最上位者説に戦意を燃やしていた。確かに私たちはまひるちゃんに骨抜きにされている、それでも、と。

 

「でも、私は神楽華恋と神楽まひるを諦めない! 二人にだって、負けない!」

「私だって! 愛城ひかりと愛城まひるを諦めない!二人は、私が幸せにするの!」

 

 エア短剣とエア長剣を構える愛しい二人。まひるは菩薩染みた笑顔を浮かべて二人を前に、宣戦布告する。その両手はエア打撃武器を大上段に構え、怒りと戸惑いを超克した開き直りの心境で、彼女は悟ったのだ。

 ──雌伏の時は今終わったのだ、今一度最愛にして幸いのレヴューの幕が上がるのだ、と。

 

「──露崎流恋愛覇道術最終奥義『真昼』、見せてあげるよ。華恋ちゃん、ひかりちゃん。掛かっておいで──勝つのは私、だから」

 

 説明しようッ! 露崎流恋愛覇道術最終奥義『真昼』とはッ! 露崎まひるが生来持っている朗らかで暖かな雰囲気と思いやり、そして弟妹達のお姉ちゃんとして過ごす中で体得した愛情溢れる世話焼きで対象との間に友愛・親愛・恋愛感情を構築する技である!

 この技は誰にでも親近感を持って接する笑顔満点元気200%な誰かさんと一見クールビューティーな雰囲気でありながらその実生活力低めの帰国子女な誰かさんに対し特攻効果を持つ!

 ちなみにこの技は同じく聖翔音楽学園九九期生四大恋愛流派の一角である天堂流硬軟自在恋愛成就法初歩にして秘奥の型『直球求愛』と同等の必中必殺性を持つ為最終奥義の名を冠するがその実露崎まひるの初期技かつ常時発動技でもあり、見せてあげるよと啖呵を切られた時点で既に対象者二名は術中に頭の天辺から爪先までどっぷり嵌っているのだ!

 

 奥義と運命力、そのどちらが勝つかはこれから決まる──多分一生続く三人のバカップルの戦いはまだ始まったばかり、誰も傷付かない愛情の伝え合い、その新境地、今此処に開幕!

 




マジすいませんでした。


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ふたかお物語
幻聴から変調する香子の話


・真矢クロ時空とは別の世界線
・ふたかお
・まだキリンのレヴューが始まっていない頃(細かい時系列は考えてないです)
・両想いの二人が両想いを経て両想いに至る物語

注意事項は以上です。



『香子がわがままを言うたびに罰としてキスするからな』

 

 双葉はんが訳の分からんことを言い始めたわ、と香子は思った。同時に、自分の聞き間違いであろうか、とも。

 

 双葉と香子は生まれた時からの親友である。いつも一緒に居た。一緒に居ないでいると、周囲の人々に今日はあの子いないのね、なんて言われる位常に一緒だった。

 

 それこそカップルや夫婦、デキてるんじゃないのか? なんて揶揄いを受ける程度には距離が近いし離れない。

 

 生半可な恋人同士よりもずっとずっと行動を共にしてきたといっても過言ではない。勿論互いに気心も知れている。ある意味親兄弟よりも強い絆が二人にはあった。

 

 一見すると双葉が香子の身辺一切の世話を任された従者の様で、香子は身の回りの全てを双葉に世話させる姫君の様でも、二人には対等の友情があり親愛があり尊重があったのである。

 

 時には諍いもあったけど、それとて喧嘩する程なんとやらという奴だ。なんだかんだ言っても双葉は香子の世話が好きだったし、香子は双葉がそばにいないと駄目なのだった。

 

 これまでもこれからもずっと一緒。言葉にして交わす事は無くとも自他共に認めるそんな感じの二人であったが、筈なのだが──

 

「あたしが世話をするにも限度ってもんがある。香子にもいい加減自立ってものを覚えて貰わないとな」

「はあ? 双葉はん、なに言うてはるん?」

 

 いきなり全部とは言わないけど、明日から少しずつあたしに頼らず、自分の事は自分でやってもらう様にしていくから。と、双葉は学習机に向かったまま顔を上げずに行った。

 

 香子は日常のあらゆる場面で双葉に奉仕されてきた。登下校、食事、マッサージ、膝枕に腹枕。その奉仕に全面的な信頼と信用を抱き、甘受してきたのである。それを少しずつ減らしていく、と双葉は言う。

 

 そんな双葉の宣言をごろ寝の姿勢で聞いていた香子はしばし黙り込み、

 

(キス、とか言うてた気がするんやけど……)

 

 やはり聞き間違いだったのだろうか。

 ベッドの中から仰ぎ見る双葉の横顔は実にいつも通りで、全く平常そのものだ。

 

 双葉がお小言の様な事を言い出すのはまあ、然程珍しい話ではない。むしろ日に数度は必ず零すお約束の様な物であった。零しつつもなんだかんだ香子の世話をしてくれるのが双葉なのだ。だからこれ自体は別に良いとしてだ。

 

 それにしても、キスである。口付けだ。

 

 香子は異性と付き合った事がない。勿論同性とも無い。双葉だってそうだ。常に一緒に居たのでそれは間違いがない。興味がないとは言わないが、そういう関係になりたいと思える相手には出会わなかったし、そうである以上無理して恋人を作る気にはなれなかった。

 

 なによりうちには双葉はんがおるし、と香子は考えている。双葉の一番が自分であるのは当然の事としても、香子とて己の最も近くにあるのが双葉である事は認めるにやぶさかではないのである。

 

 口にするには多少以上に気恥ずかしいが、双葉はんの一番は無論うち、うちの一番は双葉はん。双葉はんやってそう思てはる筈、と香子は確信していた。

 

 ともあれ、そうした唯一無二のパートナーからの唐突なキス宣言である。困惑と共に心臓が早鐘を打ち、頬が熱を帯びるのを香子は自覚した。

 

 映画やドラマのそうしたシーンに対する反応を見るに、双葉とて人並みにそうした行為については憧れや照れがある筈なのだが、香子の視線の先の双葉は黙々と授業の復習を続けており、顔色も何もかも普段通りだ。

 

 ノートに向かって真面目な顔で書き物をしている。なに言うてはるん、香子が聞き返したにも関わらず黙殺を決め込んでいる。

 

 香子は先ほどの発言は幻聴かなにかだろうかと考えざるを得なかった。双葉はんの中のうちを好きすぎる気持ちが変に溢れてしまったんやろうか、と。幻聴だとするなら無い筈の音を聴いた自分の側に原因があるとは香子は考えない。それでは自分が双葉に対してそうした振る舞いを望み、欲求を抱いていると認める様なものだからだ。

 

 双葉はんとうちがキスて、と一瞬脳内で想像してしまい、香子はいやいやと首を振った。

 

 華恋はんラブを隠しきれてないまひるはんの妄想やないんやから、と。とっさの想像にしては妙に艶めかしく思い描いてしまったパートナーとの口付けを振り払い、香子は、

 

「ふ、双葉はーん。うちはもう寝るから、明日の朝……いつも通り起こしてな?」

「分かった。お休み、香子」

 

 ちょっとどぎまぎしながら頼んだのだが、ノートに気を取られている双葉の返答は実に素っ気ないものだった。とてもではないが、唐突な爆弾発言をした人間の反応ではない。

 

 やっぱりうちの聞き間違いやったんやね、香子は己をそう納得させて、やがて眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 柔らかく、しかし有無を言わせぬ力強さで香子はベッドに押し倒された。

 

「い、いやや、なにするん、双葉はん……」

「香子……」

 

 咄嗟の抵抗はあっさりと封じられ、耳元で名前を呼ぶ声は妙に甘い響きを持っていて。香子は意図せずして、自分の身体が抵抗を止めていくのを感じた。

 

 両手は指を絡める様にして、目の前の彼女に捉えられてしまっている。足だって腿のところに彼女の膝が割込み、自由な身動きは実質的に不可能だった。言い訳の様に自分の状態を脳内で列挙する内、香子の四肢は完全に目の前の──双葉を受け入れてしまう。

 

 初めて見る双葉の熱くて冷たい目。背筋がゾクゾクとした。香子との結合を解いた双葉の右の手指が、香子の頬に掛かった髪を掻き上げる。僅かに触れるその指先が妙に冷たく感じるのは、それほど香子の頬が熱を持っているからだ。

 

 気付けば胸の鼓動は不安では無く、期待感に変わっていた。何時も何時でも自分に尽くしてくれる双葉の反逆とも言えるこの行いが、香子にとって驚きでこそあれ決して不快では無かったのである。

 

「良いだろ? 香子……」

 

 二度目に名前を呼ばれ、徐々に近づいてくる双葉の唇。香子は痛いほど高鳴る心臓の鼓動を感じながらそれを受け入れ──

 

 

 

 

 

 そして香子は目を覚ました。

 

「……ゆ、め……?」

 

 現実と夢想の落差に一瞬白く染まった香子の脳内であるが、部屋の反対側のベッドでまだ寝ている双葉を──夢の中での強引さと優しさと色気を備えた妖しい双葉では無く、自分がよくよく見知った何時もの双葉の寝顔を見るにつれ、

 

「──~っ!」

 

 香子は枕を引っ被って無言で絶叫した。

 

 夢だったのである。自分が見た夢だったのである。香子の夢である以上あの双葉もあのシチュエーションもキスを強く拒まなかったどころか待ち望んでさえいた香子も全部全部香子由来の産物であり──

 

 双葉はんのせいや、と香子は脳内で八つ当たりする。

 

(ふ、双葉はんが寝る直前に妙な事言いはるからうちまで変な夢見てしもうたやないの!)

 

 手足をじたばたさせながら布団の中で暴れる香子だったが、

 

「……香子? 珍しいな、こんな早くに。今日は自分で起きれたんだ」

 

 目元をこすりながらむくりと起き上がった双葉に声を掛けられ、慌てて居住まいを正す。

 

「……どうしたんだ? なんか顔赤いけど」

「な、なんにもあらしまへん! うちはいつも通り、なんっにも!」

「……そう?」

「そうどす!」

 

 香子が熱を出して寝込んでしまった時の事を思い出したのか、双葉は心配そうにするが香子は断固として異常を認めなかった。だって、話す事など出来る筈が無い。

 

 第一いま双葉に距離を詰められたらそれだけで、香子はどうにかなってしまいそうだった。

 

 未だに振り払えない夢の残滓が、香子の脳内にははっきりと残っている。頬や手指にだってまだ感触が残っているのだ。この上本物の双葉に触れられたらもう、香子は駄目になってしまう。

 

 事実今既に、自分の顔よりも見慣れた双葉の顔が真っ直ぐ見られないのだ。

 

「う、うち、ちょっとお花摘みにいってくる!」

 

 香子は逃げ去る様に部屋から出て云ってしまった。

 

「風邪って訳じゃないのか……?」

 

 双葉は変な香子、と首を捻る。顔は真っ赤で少し汗ばんでいて、声色も調子外れだった。

 

 風邪だろうかと本気で心配したのだが、実に素早く走り去っていった様子からすると足腰も頭もしっかりしている様で、体調不良とは思えない。長い付き合いだが、あんな香子を見たのは双葉にとっても初めてであった。

 

 この時、双葉は深く考えてはいなかった。なんだかんだと言っても強かな香子の事、特に病気でもないなら学校に付く頃にはすっかりいつもの調子に戻って、元気に自分に甘え始めるだろうと思っていた、のだが──

 

 これより三日間、香子は双葉に寄り付かなくなってしまったのであった。

 

 




続きは明日。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX2をスタリラでVSしながら待ち焦がれる日々です。


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寂しくて悲しいから離れたくない双葉はんの話

 

「香子ー、そろそろ行くぞ、後ろに──」

「きょ、今日はうち、自分の足で歩いていくわ。双葉はんは気にせんと、先に行っといて」

 

「香子、ペア──」

「て、天堂はん! うちと組んで!」

 

「……香子、昼ごは」

「う、うち、華恋はんやまひるはんと一緒に食べる約束が!」

 

「……か、香子……一緒に帰ろ」

「うぅ……! さ、先に帰っといてー!」

 

「な、なあ香子、一緒に食べようと思ってお菓子買ってき」

「う、うち、お風呂行ってくるわ!」

 

「……香子、今日頑張ってたし足疲れたろ、マッサージ……もう、寝ちゃったのか……?」

「………………」

 

 

 こんな感じで三日が経った。

 

「あたし香子に何かしたか……? 怒ってるのか……?」

「ふ、双葉ちゃんが死んでる……」

 

 双葉は凹んだ。香子が自分を避けている、香子に避けられている、何故だか知らないが距離を取られている──故にこの上なく凹んだ。

 

 二人セットが基本の双葉と香子の妙によそよそしい様子はクラスの中でも実に目立っており、死臭すら漂う双葉の様子を心配して、級友たちが彼女の机の周りに集っていた。舞台少女としては仲間であると同時にライバルでも、そこから離れれば仲の良い友人である。

 

「良いじゃないの、別に。ようやく香子も双葉の手を離れたんでしょ? 本来ならとっくに一人立ちしていて然るべき年齢じゃないの?」

 

 双葉だって常々香子には手を焼いてたじゃないの、西條クロディーヌが疑問する。行住坐臥を双葉にお世話されて過ごす香子がようやく一人立ちを始めた、位に彼女は考えている様だった。そんなクロディーヌの発言に対して机に突っ伏したままの双葉が、

 

「あたしは香子にちゃんとしてほしかっただけで……離れ離れになりたかった訳じゃない……」

「離れ離れって……随分重症みたいね」

 

 香子が時折口にする双葉はんはうちがおらんとなんも出来へんという台詞は、普段の彼女らの様子を知る者からすればどの口が言うのかと思うばかりであったが、この双葉の様子を見ているとある程度真なるものであったようだと認めざるを得なかった。

 

 外から見える位一方的な関係では無いのだ、双葉と香子は。彼女らの間には幼き日に交わした尊い約束があるのである。

 

 そりゃあ常日頃自分で歩け、自分で起きろ、自分で食べろ、自分で持て、と頼り倒しの香子に色々お小言を零す双葉ではあるが、それはもう定番の返しというか本気で言っている訳ではないというか。

 

 実際、そうして注意する時より香子に求められるがまま、香子に尽くす事の方が双葉は圧倒的に多いのだった。

 

 だって一人にさせたらさせたで入学したばかりの時みたいに熱を出すかもしれないのでほどほどになら頼ってくれて全く構わないというか、頼ってくれないならくれないで少し不安になるというか。

 

 離れるのは、はっきり言って寂しい。正直に言えば悲しい。天堂真矢の定位置がポジション・ゼロだと言うのなら、石動双葉の定位置は花柳香子の隣であったはずなのだ。

 

 ましてや喧嘩している訳でも無いのに一方的に避けられ続けるというのは、双葉史上初めての扱いであって正直精神的なダメージが大きいのであった。

 

 近寄ると逃げる。話しかけると逃げる。適当な理由を付けて逃げる。何の心当たりも無いのに逃げる。よしんばこれが香子なりの決心をもって自立を志したというのなら兎も角。明らかに双葉になんらかの隔意を抱いていて避けているに違いないのだ。

 

「なんであたしを疎ましがるんだ香子ぉ……あたしが何をしたっていうんだぁ……」

「疎ましがってる……って言うのとは違うと思うけれど」

「うん、どっちかっていうと変に意識してるというか、妙に恥ずかしがってるっていうか」

 

 顔とか赤いし、と学級委員長星見純那とみんなのばななこと大場ななが第三者的目線からの意見を述べるが、追い詰められている双葉の耳にはそうした冷静な意見は届かない様だった。

 

「何か心当たりはないの? 香子ちゃんと双葉ちゃんの間で何時もとは違う事とか無かった?」

 

 心配そうに目元をふにゃりとさせた露崎まひるの言葉に、双葉は改めてこうなる前の香子との会話や行動を考える。だがこの三日何度も何度も繰り返し結論してきた様に、特に何の理由も見つけられなかった。

 

 香子の様子がおかしくなったのは三日前からだ。その日の朝起きた時にはもう既に変だった。ならばそれ以前かと思うが、寝る前に多少のお小言を言った位でこんな大事になるとは思えない。

 

 双葉の表情だけで全てを察したのか、まひるは突っ伏す双葉の頭を撫でて慰めてくれる。その優しさと暖かさが今の双葉には刺さった。その名の通り真昼の陽光の如き暖かさだが、日に照らされた分だけ陰の部分がより濃くなるのだ。

 

「ずっとずっと尽くしてきたのに……ずっと一緒に居るって約束したのに……こんな形で終わるなんて嫌だよぉ……」

「双葉ちゃん……」

「言っちゃなんだけど、たった三日で随分とまあ消耗したわよね……」

 

 親友が突然自分を避ける様になったというよりも、最早嫁に絶縁状を叩き付けられた男の如くなってしまった双葉である。

 

 ずっと一緒に居るという約束。香子が世界で一番輝く処を、双葉に一番最初に見せてくれるという約束。石動双葉と花柳香子を今に至るまで結び続けるその約束があったから、双葉は日本最難関の音楽学校まで香子を追いかけて、その隣に居続けてきたのである。

 

 少なくとも現在までにおいて、石動双葉の人生とはすなわち花柳香子だったのだ。人生に捨てられてしまった人間はどの様に生きていけばいいのだろうか。

 

 希望を失った人間とはこの様なものであるという見本の如き状態にある双葉は、あんまりにも哀れが過ぎた。

 

「直接話してみるしか無いのでは?」

「そうね。少なくとも、香子が何の理由も無く双葉離れするなんてあり得ないわ」

「天堂、クロ子……で、でも、香子はあたしと碌に顔すら合わせてくれなくて」

「それでも何が何でも、聞いてみるしかないよ双葉ちゃんっ」

「華恋……」

 

 このまま二人が二人じゃなくなっちゃうなんて、そんなの絶対ノンノンだよっ! 我が事の様にそう言ってくれる華恋に、双葉は目頭が熱くなるのを感じた。

 

 勿論まだ不安はある。今の双葉は有り得ない程に弱気だ。

 

 人の感情は計算式によって算出されるきちんとした答えで決まる訳でも無い。理由なくなんとなくで変わってしまう事など何時でもある。

 

 もし本当に香子が双葉の事を嫌いになり、純粋に嫌だから顔を合わせたくないし言葉も交わしたくないのであったら? 周囲からすれば負の方向にばかり想像を加速させたものでしかなくとも、凹んで心の弱っている双葉にとっては現実的な恐怖だった。

 

 なにせ実際に避けられているのだ。ずっとずっと一緒だった大事な人に、少なくとも双葉の側からすれば思い当たる理由も無く。

 

 踏み込むのが怖い。もしそれで今よりももっと悪い事になってしまったらという気持ちが無くなってくれないのだ。人と人とは望み合って一緒に居るもの。もし双葉の方が変わらず香子を想っていても、香子が双葉と居る事を望まなければそれまでなのだ。だから、怖い。

 

一日目はまだ、今日の香子は様子が変だけど、明日になれば元通りと考えてもいられた。急に自分から離れた香子の体調を心配する余裕すらあった。

 

 二日目ともなれば本格的に心配し、なにか理由があるのだと香子を問い詰めた。だが結果は避けられただけ。三日目はもう双葉は嫌な想像ばかり頭に浮かんで駄目も駄目駄目だった。

 

でも、だけど、それでも。

 

「──こんな急に、何の言葉も無く離れ離れなんて嫌だ! あたしはそんな簡単に香子を諦められない! みんな、ありがとな! 石動双葉、気合入れて突っ走ります!」

 

 だからと言って蹲ってウジウジしているなど、双葉の性に合わない。何よりこうして、親友たちに背中を押してもらったのだから。怯みを振り払って走り出すまでだ。

 一度でも止まればまた怖くなってしまう。そんな確信があった双葉は、大声で礼を言うと先程までとは打って変わって素早く教室を出て、走り去っていった。

 

 後に残っていた者たちは一仕事終えた顔で互いを見渡すと、

 

「実際、今回のってそもそもどうなの?」

「私としては、以前の石動さんの様に花柳さんがサプライズを企画しているのではないかと思いますね」

「で、でも、もしそうだったとしたら香子ちゃんの様子がおかしい気が……」

「喧嘩自体はあの二人、稀にするけど……」

「でも、三日も長引く上に香子ちゃんの方が双葉ちゃんを避けるのは、今までにないパターンだわ」

 

 ななが小首を傾げながら言う。

 

「ばななってみんなの事よく見てるよねー」

「うん♪ 何でも分かってるわ、私はね」

 

 そんな会話をしながらもどこか、みんなの雰囲気は明るい。当事者故にそして初めての事態であるが故に動揺してしまっていた双葉と違って、彼女たちは客観的な目線で二人を見ていた。

 

 確かに香子が何故ここ数日双葉を避けるのかは分からない。だが何処から如何見たってそれは、嫌いになったとか一緒に居るのが苦痛だとかいう悪感情が根っこではないのだ。

 双葉はどう歩み寄ろうと一向に靡かない頑なさは確かに謎だし前代未聞だが、どちらかと言うと恥じらいに近い感情で避けている様に見えるのである。

 

 実際の所は案外簡単で、双葉が楽しみに取っておいたお菓子をうっかり全部食べてしまったとかで代わりの物がまだ手に入っていないから謝るに謝れず避けているのではないか、位に考えている者が大半だった。天堂真矢が案ずる様に何らかのサプライズ企画という良い予想が大穴であり、ガチのマジで嫌いになったと考える人間は皆無も皆無である。

 

 なにせ二人の信頼関係は強固だ。それこそ入学初日から折に触れ、九九期生たちは色んな所でまざまざとそれを見せつけられている。双葉と言えば香子、香子と言えば双葉という程に。九九期生の中でも随一の熟年夫婦振りであるのだ。

 多少様子がおかしかろうとも、そうやすやすと二人の関係が崩れたりはしないだろうという思いであった。

 

 背中を押した事で疑心暗鬼かつ気弱になっていた双葉が走り出した以上、真相が何にせよ、明日になればまたいつも通りの仲睦まじいふたかおに戻っているに違いない。そんな確信をもって、仲間たちは彼女を送り出したのであった。

 

「しっかし、双葉ったら心底香子に惚れてるのね。あそこまで一本気だと茶化せもしないわよ」

「愛故、近しく親しいが故の恐れというものですね」

 

 いっそ感心した様に零し合う主席と次席の姿を、ななは素早く写真に収めた。

 

 




続きは明日。


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気付いてしまった香子の話

「駄目や、ほんに駄目や……双葉はんの顔が見れへん」

 

 見ると、意識してしまう。今まで一度としてそんな風に意識した事は無い筈なのに、今はもう駄目だ。

 

 一番身近で、一番傍で、一番尽くしてくれる、一番一緒に居た、一番の親友。今まではそれだけだったのに。いや、今だって双葉は何も変わっていないのだ。変わってしまったのか他ならぬ香子の方で。

 

 突然理由も言わず、一方的に自分を避け始めた香子の事を双葉はただただ心配してくれていた。香子自身、正直胸が痛む。普段とは違う意味で双葉に負担を掛けているのだ。

 

 香子にしては誠に珍しい事に、申し訳ないと言う気持ちがある。でも他ならぬ双葉にだけはこんな相談は出来ない。

 

(双葉はんにキスされるゆう幻聴聞いたり双葉はんにキスされる夢みたりしてから、双葉はんを見るとドキドキする様になって……なんて言える訳ないやろ)

 

 言える訳がない。でも、言ったらどうなるだろうか? 引かれる? 笑われる? そうしてまたいつもの関係に戻れるのなら、一通り引かれたり笑われたりすることで香子自身ここ三日間脳内を占拠し続ける光景を忘れられるのなら、それはそれでいい気もする。良くないけど。出来る気はしないけど。少なくとももう悩まずに済む。

 

 けれども、

 

(夢と同じ展開に、とか……)

 

 予知夢、正夢。そんなもしもを想像している香子が、期待している香子が──香子の中には確かに存在するのだ。

 

 だから双葉と一緒に居られない。一緒に居る事に耐えられない。今まで当たり前だった接触が、今はもう堪らない。

 

 顔が熱くなる。目を合わせられない。胸が高鳴る。声が震える。そうした様子を双葉に見咎められたら、ましてや内心を察されてしまったら。

 

 ずっとずっとそんな事ばかり考えていて、もう三日になる。三日も双葉と離れ離れでいた事が香子の人生で今まであっただろうか。

 

 いや勿論、お互いに仲が良く親同士も密接な関係とは言え別々の家の子だし、病気や喧嘩などでそれ位離れていた事自体は、ある事はあるのだ。でもそういう仕方なく以外で、会えるのに会わない、追い縋る双葉を香子が避け続けた事なんて前代未聞だし、これからもないだろう。

 

「双葉はんに会いたい……」

 

 ちゃんと一緒にいたい。今までずっとそうしていた様に、これからもずっとそうだと約束した様に、当たり前の様に傍に居て欲しい。双葉が傍に居るのが当たり前の人生を過ごしてきた香子にとって、自分より小さくて、そして遥かに大きな存在だった双葉の不在は大変事だった。

 

 そうである事に耐えられず避けているのは香子の方であると言うのに。寮でも学校でも稽古中でも避けて避けて、同じ部屋の中でも何でもないと言い張って帰るなり寝たふりをして、そんな香子を双葉はずうっと心配してくれて。

 うちはなんて我儘なんやろう、そんな気持ちが香子の胸を満たした。これもまた非常に珍しい事だ。

 

 何時もなら双葉はんはうちがおらんと何も出来へん、うちが双葉はんのお世話してあげてるの、双葉はんがうちを最優先するのは当然、だってお弟子さんみたいなもんやし。双葉はんだって好きでしてはるの。それが花柳香子であり、また石動双葉だった筈なのだ。

 

 でも今は違う。

 

 そういう幻聴を聞いて、それがきっかけでそういう夢を見た。たったそれだけの事で一変してしまった。

 

 ──本当に一変したのだろうか。香子は三日間悶々と悩み迷った末に、恐ろしく恥ずかしい可能性に気付いた。

 

 だって、もし自分と双葉の間にあるものが強い友情という絆、ただそれだけだったのならば、そもそもキスがどうこうなんてありもしない幻聴を感じるのはおかしい。それを夢に見る程気にして、親の顔より見慣れた双葉の顔が見られないほど心を乱すなんておかしい。

 

 それほどの大変革が一夜にして起こってしまうなんて変では無いか。

 

  本当はずっとずっと好きだったのでは? ずっとずっと、それこそ最初の最初から。ただ本当に幼いころから当たり前だったからそういう物だと気付かずに、意識せずに、自覚せずにいただけで──花柳香子は最初から石動双葉が好きだったのではないだろうか。

 

 満たされてはいたから飢えを知らずにいただけ。

 

 やっと、十数年かけて好きの意味に気付いたのでは?

 幼児の様な好きから年相応の好きに飛躍してしまっただけなのでは?

 だから今までの様なお世話だけでは足りなくて、キスを欲しがってしまう? 

 人生の大部分を掛けて溜め込んできた好きに耐えられなくて、でも双葉が欲しくて、でも気持ちの変化は自分でも分からなくて。だから顔を真っ赤にして避け続けていた?

 

「あっ……」

 

 その考えに至った瞬間、香子の全身が発火して、心臓は爆発した。

 

 そうとしか思えない程に、身が焼け切れるかの如く好きが押し寄せてきて、耐え切れなかった。

 

 何時だって双葉に傍に居て欲しかった。

 ご飯を食べる時は隣で、時にはあーんで。

 歩く時は一緒で、手を繋ぐか、自転車やバイクの後ろで寄りかかり、ぎゅうと抱き着いて。

 双葉の一番が自分でなくては我慢がならなかった。他の子にしろ物にしろ、それのせいで双葉がちょっとでも離れてしまうなら嫌だったし嫉妬したし怒った。

 双葉の全てが自分に向いていて欲しくて、双葉の持っているもの全部が自分の為であってほしくて、時間も手間も、なんだって何もかも全部全部。

 そうしていると、双葉も自分の事がちゃんと好きなのだと安心できて、嬉しくて。

 

 時に双葉が思い通りにならなければ駄々をこね、離れる振りをしてはちらりちらりと双葉の反応を窺って、気持ちを確かめて。追ってくれれば嬉しかったし、わざとらしく逃げられれば香子の方から追った。

 

 どんな時でも離れると言う選択肢は無かった。何の自覚も無かった昔の香子は、聖翔音楽学園に来る時だって当たり前の様に双葉にもそうする様に強請ったのだ。幼い頃の約束をそのままに、小中学校を卒業したって、それこそ大人の仲間入りも間近な歳になっても、ずっとずっと一緒に居る事を望んだ。

 

 例えば聖翔音楽学園を卒業する時が来たら、香子は双葉と離れるだろうか。絶対に嫌だと思ったに違いない。京都に帰って流派を継ぐにしろ、進学するにしろ、想像も付かない新たな道を歩むにしろ、絶対に自分の隣には双葉がいなければいけないのだと何が何でも強弁しただろう。

 

 幾つになっても、ずっとずっと。

 

 こんなの何処から如何見ても恋だし、愛に決まっているではないか。

 こんなにも大好きで愛しているのに、むしろ今までの自分はどうして幼馴染、腐れ縁、親友、お弟子さんなんていう言葉で誤魔化してこられたのだろう。

 

「あかん、あかん……」

 

 香子は呻いた。

 

 この気持ちに気付かなければ良かった。幻聴も夢も、何もかも無かった事になれば良いのに。

 そうだったら今までと同じに、当たり前の様に双葉を求め、当然の如く一緒に居られたのに。それだけで満足だったのに。

 

 これからどうしたら良いのだろう。双葉の事が好きだという自分の気持ちに、香子は気付いてしまった。もう今までの様に双葉と接する事は出来ない。

 

 今までとは違った意味で傍に居て欲しい。今までとは違う意味で手を繋ぎたい。抱きしめて欲しい。甘やかして欲しい。自分だけの双葉でいて欲しい。──キスしてほしい。そういう自分の気持ちが、香子にはもう分かってしまう。

 

 でも、十数年一緒に居た幼馴染に、こんな自分の急変をどう伝えたらいいのだろう。上手く告白できれば、受け入れてもらえるのだろうか。

 

 現状告白するどころか、真っ当に双葉と会話をするだけでも香子には難しいのに。

 

 たった三日でもう香子は双葉欠乏症になりつつある。でも、これから何日かけた所で香子はこの恋情に慣れる事など出来そうにない。ただの親友、ただの幼馴染の振りなどできない。

 悲しくなる。視界がぼやける。涙が出てきた。

 

「双葉はん……」

「──香子!」

 

 力強い想い人の声が耳に飛び込んできたのは、そんな時だった。

 




続きは明日。


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双葉大好き花柳香子、香子大好き石動双葉の話

「やっぱりここにいたんだな」

「ふ、双葉はん……!」

 

 道場の畳の上で膝を抱えて転がっていた香子を見つけてくれたのは、当然の如く双葉だった。

 

 ここは香子のお気に入りの場所なのだ。畳の上が落ち着くから。

 疲れた時、拗ねた時、二人だけになりたい時、香子と双葉はいつもここに来た。

 

 そして香子は双葉の膝やお腹に頭を預け、和やかな時を過ごすのだ。

 

 ただし、今日の香子は乱れた心境のままにただ足の向くまま逃避の末にこの場所に来たのであり、どちらかと言うと見つかりたくなかったのだ。だが、双葉は当たり前の様に香子の下へ辿り着いて見せた。

 

「な、なして──」

「あたしが香子の事、見つけられない訳がないだろ?」

 

 事も無げに言い放つその言葉に、香子の心臓は跳ねた。

 

 何の事は無い、双葉は幼い時から香子探しの経験値を積みに積んでいる。日ノ本広しと言えど、逃げた花柳香子を探させたら石動双葉に太刀打ちできる者は存在しないのだ。

 変な話だが、双葉が必ず自分を見つけてくれると分かっているから、香子にしてみれば安心してお稽古からエスケープできるという意識もあるのだ。

 

 ここ最近の双葉は、他ならぬ香子が原因不明のつれない態度を取るせいで精彩に欠けていた。表情も力無く、不安げでオロオロとしていた。その姿を見る度にうちのせいや、と香子は胸を痛めていた訳だが、今の双葉は全く違う。

 

 決意に満ちた顔をしている。麗しくも堅く引き結んだ口元は凛々しく、キッっとした形の良い眉は意志の強さを感じさせ、それでいて目元は力強くも──どこか熱情を秘めた様に熱っぽい。頬も上気している。

 

(いややぁ、めっちゃかっこええ……)

 

 香子は一瞬、悩みも忘れて見惚れた。久しぶりに見るからか、双葉の仕草や振る舞いが一々魅力的に見え、なんというかこう──ドキドキする。

 芯まで双葉に惚れているという事実を思い知らされ、香子は顔をそむけた。その仕草を見て双葉は自身も畳に膝を付いて香子に詰め寄る。

 

「香子、泣いてたのか……?」

「な、泣いてへんもん……見んといて……」

 

 顔が近い。双葉の鼻先が香子の頬に触れそうなほど近い。ヤバいほどドキドキする。心臓が破裂するのではないかと真剣に心配になる。

 

 双葉と香子にとってはそれほど非常識的な距離感では無いのだが、覚醒を果たし恋心を自覚した今の香子にとっては命の危険を感じる距離だ。そんな深い愛情から来る心配を満面に浮かべた顔で傍に寄ってこないで欲しかった。キュン死しそうになるではないか。

 

 離れ離れの現状にも耐え難いが──今の香子にこの双葉は別の意味で耐え難い。

 乙女の本能はこの三日間そうであり続けた様に、逃避を選択した。

 

「ほんに何でもないわ。うち、ちょっと用事を──」

「──いやだ!」

 

 思い出したわ、と腰を上げてエスケープしかけた香子を、双葉はぐいっと引っ張って畳に引き戻した。もう逃がさないとばかりに香子の両手を自分のそれで押さえつけ、捉えて離さない。

 

「この三日間、そればっかりじゃないかよ……! 泣いてただろ、なんでもない訳あるかよ!」

 

 もう絶対に逃がさないからな、と自身もまた潤んだ瞳で言い切る双葉はその言葉通り香子を逃がさぬよう、床に倒した香子の上に覆いかぶさり、からだで蓋をする。

 

 双葉はんに押し倒されてる──瞬時に香子の心拍がもう一段跳ね上がり、つい先ほどの恋心自覚の瞬間を軽々と上回るほど頬が──否、顔中が熱くなる。

 

「や、いやや! 双葉はん放し──」

「絶対に嫌だ! 離さない──離れたく、ない……」

 

 力強く言い切った双葉の瞳には、しかしほんの少しの気弱さと、今にも零れそうな涙があった。

 

 石動双葉の泣く姿。ほんの童の頃以来、幾年ぶりに見る涙。

 

「双葉はん……」

「なんで避けるんだよ……なんで何も言ってくれないんだよ、香子……」

 

 それは紛れもなく弱音であり、苦鳴だった。

一粒、また一粒と香子の頬に落ちるのは、最も愛しい人の涙だ。

 

「こんなこと初めてで……どうしたらいいか分からないんだ。なにか嫌な事でもあったのか? 誰かと喧嘩でもしたのか?」

 

 違う──口に出す事さえ出来なかった香子の反応を見て取った双葉が、より深く瞳を悲しみに染めて唇を歪める。

 

「やっぱり──あたしが何かしたのか? だったら謝るから。だから、だから」

 

 どうして何も言ってくれないんだ。なんで一緒に居てくれないんだ。今までずっとずっと一緒に居たのに。香子の一番傍に居たのはあたしだったのに。これからだってそうであり続けると信じてたのに。

 

「──てないで」

 

 花柳香子と共にある事こそが、今までの石動双葉の人生であった。望まれて、望んで、共に歩んできたのだ。お互いはお互いにとって必要不可欠なのだと、無言のうちにそう通じ合えているものと思って隣り合ってきたのだ。

 

 幼き頃より今までずっと双葉の人生を定めてきた約束に、花柳香子そのものに。

 今更見捨てられてしまったのでは、もうどうしていいか分からない。

 

 舞台に魅了され、自らもまた舞台少女となってはいるけれど、元はと言えば聖翔音楽学園に入った事すらもが香子の為、隣に居続ける為であったのに。

 

 何時の日にか見つけてしまった、夜空に輝く一本道。ポジション・ゼロを、トップスタァを目指して香子とすら競い合う未来を、石動双葉は無意識のうちに覚悟し始めてはいたけれど──それでも仲違いなど、離れ離れなど望んではいない。

 

 仲間に背を押され、発破を掛けられ、ようやく出来た体当たり──なのにこんなにも簡単に揺らぎ、涙する。

 

 花柳香子はどうしようもなく一人の少女である石動双葉の一番で、全てだった。ぎゅうっと、幼子が母に縋りつくように、自らの下にある最愛を抱き締める。こんなに大事なんだ、離したくないんだ、離れたくないんだと伝わるように。

 

「捨てないでくれ……ずっと傍に居させてくれよ、香子……その為ならあたしは、なんだってするから……」

「双葉はん……」

 

 長い長い沈黙を挟み、香子は口を開く。

 双葉が悪い、と。

 

 自分は自分なりに悩んでいたのに、こんな風に抱き締められて、なんでもするとか傍に居させて捨てないでなんて言われたら期待してしまうに決まっている、と。

 

 双葉だって自分と同じ感情を自分に抱いていると、そう思ってしまう。

 双葉の好きと自分の好きは同じ好きなのだと、そう信じて良いんだと思わされてしまうでは無いか。

 

 この胸に満ちる申し訳なさ、切なさを取り去ってくれるのだろうか。愛しい人の腕に抱かれる喜びを、共有できるのだろうか。

 好きと好きを、伝え合い交わし合えるのだろうか。

 

 発破をかけたんは双葉はんの方や、と半ば破れかぶれの勢いで、しかし多分に期待しながら、

 

「じゃあ──」

 

 ゆるゆるとした動き、香子らしくもない躊躇いがちな所作で自らに覆いかぶさった双葉の胴に手を回し、胸のあたりに顔を埋める様にぎゅうっと抱き返して、

 

「うちに、キスして」

「──え」

 

 

 




続きは明日。


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強請った香子と強請られた双葉の話

 キス、と聞こえた気がした。

 

 なんでもするからと双葉が言って、そうしたら香子は「キスして」と言ってきた。

 

 自分たちは今抱き合って畳の上に転がっている──双葉が香子を押し倒し抱き締め、それに香子が応えてくれた形だ。

 

 衝撃に白く染まった脳裏で、双葉は無意識に此処に至るまでの経緯を反芻する。

 

(え、だって、香子は最近ずっとあたしの事避けてて、一緒に居てくれなくて……)

 

 だからこう、双葉としては香子には自分と一緒に居る事を嫌がる様ななにか、隔意を抱く類のあれこれがあったとか、自分が知らない間に何かしてしまったのだと考えていたのだけども。

 

 キス。誤解のしようもない。確かに香子の口からその言葉が出て、双葉の耳はそれを聞き取った。嫌がっていたり隔意があったりするのでは絶対に出てこない言葉だ。

 

(え、香子はあたしのことがそういう意味で好──)

 

 反射的に「いやいや」と否定しそうになる脳裏で、否定に対する否定が次々浮かびあげる。

 

 今になって思い返してみれば、自分を避ける香子の顔はいつも赤かった気がする。

 冷静になって思い返してみると、嫌悪などは全く感じなかった様な。

 何より今現実に、強引に抱き締めた双葉に対し、香子は自分の意志で抱き締め返してくれて、そしてキスを強請ってきた。

 

 この現実の前には感情的な疑問や否定など無意味。勿論何を切っ掛けに何故突然、という疑問は残るけれども、どう考えたって、

 

(えいやだってでもししかしそんな、ええっとあのその)

 

 勿論嫌いだったら今の今まで付きっきりで傍に居るなんて事をしていられる筈も無いのである。四六時中、行住坐臥、生活のほぼ全てを世話し通すなんて事にはただ単なる友情、ただ単なる成り行き、腐れ縁なんて言葉では説明し切れない労力が掛っている訳で。

 

 労を労とも思わない、香子の想い一つで己の人生の先行きすら定めてしまうだけの感情を、石動双葉は花柳香子に対して抱き続けていた訳で。

 

 石動双葉こそは花柳香子に魅入られ、憧れ、惚れ込んだ最初の一人であり、望み望まれて最も傍に居続けた人物だった。

 

 その感情をたった一つの言葉で表してしまうとすれば、どの様な意味合いでのそれかはさておいても、「愛」以外に無い訳で。

 好きか嫌いかで言えば心底惚れている訳で。

 

 そしてたった今。

 普段息をする様に双葉にもたれかかり甘えかかり付きっ切りである事を求める香子が、世界で一番大事だと言い切れる双葉の大切な人が、別人の様にしおらしく口付けを──具体的な、恋愛的な意味でのそれとしか思えない行為を求めてきた訳で──

 

(え、え、え)

 

 再び、自分は今まさに香子を押し倒していて、押さえつけていて、抱き締めていて、抱き返されているのだという現状を双葉は強く、強く意識した。

 

 香子のふっくらとした艶やかな唇、血色の良い麗しい唇。悩ましく柔らかに違いない唇と、自分のそれを触れ合わせる。一度も実現した事が無く、そして今まさに強請られたその行為を、双葉は脳内で克明に想像し、妄想した。

 

(し、して良いのか)

 

 当の香子がそう願ったのだから、良いか悪いかで言えば良いに決まっている。

 

(して良いんだ)

 

 映画で、ドラマで、舞台で、他人事としてならば幾度も目にしたその行為を、今、自分と香子がする。

 

 石動双葉は生唾を飲んだ。

 

 双葉は、自分の顔は今まさにトマトか林檎かという位に真っ赤であろうと確かめる術もなく確信する。なにせ発火しそうなほど熱い。

 日常時だったらなんらかの異常を疑うだろう程に早鐘を打つ心臓の鼓動が、ダイレクトに耳に、脳に響く。他の音が聞こえない。

 つい数秒前まで気にする余裕も無かった腕の中の香子、全身で感じる双葉よりずっと豊かで柔らかい身体の弾力、良い匂いなど五感に訴えかけてくる一切合切に耐えがたい誘惑を感じる。

 混乱と熱情が暴れ回り正常な思考を失いつつある頭の片隅で、「稽古の後のシャワーをもっと念入りに浴びておけば良かった、あたし汗の臭いとか残ってないかな」という細かい事が非常に気になる。

 

(か、香子は今、どんな顔をしてるんだ)

 

 逃避的にそんな事を考え、しかし双葉の胸元に顔を埋めている香子の顔など見えはしない。

 ずるい、と思った。

 

 顔が見えないのはお互い様かもしれないが、香子の方からすれば暴れ回る双葉の鼓動、胸の高鳴りはそれはもう良くと聞こえている事だろう。

 

 双葉の頭からはもうとっくに、此処が学校であるという事実やこと此処に至るまでのあれあこれやは綺麗さっぱり完全に忘れ去られていた。

 脳内の九九%を占めるのは花柳香子の事であり、キスの事であり、残り一%は自分の体臭とか口臭とかのあれやこれやを懸念していた。

 

 勿論双葉は年頃の少女であり、舞台に立つ人間として自分の身目や身嗜みというものに人一倍気を使う舞台少女であるからしてそれらの心配は全く杞憂だったのだが、それでも当然気になるし不安になるのだ。

 

 なんだかんだと言っても、多感な思春期真っ盛りなのであるかして。

 

 ただ、混乱と興奮でしっちゃかめっちゃかな暴走状態になってしまっている双葉は、自分の主観時間と現実時間のズレが生まれていた事に気付いていなかった。

 

 香子の「キスして」宣言からたっぷり十秒も沈黙を続けている、という状況に双葉が気付いたのは、胸の中の香子が泣きそうな声を上げてからやっとの事だ。

 

「……嫌、なん?」

 

 嫌な訳は無い。全く全然、ほんの少しも嫌では無い。嫌悪や拒否という感情は、今の双葉から最も遠い。それ故一瞬言葉の意味を理解できなかった双葉が返答する前に、香子は、

 

「……嫌なんや」

「ち、ちが!」

「せやったらなんで──うちの事、き」

 

 震える声。制服越しに感じる熱いもの──香子の涙。

 

「嫌い、なん……?」

 

 心の底から、大好きだった。

 

 香子の涙に世界一弱い生き物こと石動双葉は、ありとあらゆる段取りと過程をすっとばして愛しい女に口付けした。

 

 がち、と歯と歯がぶつかる小さい音がしてしまったが、そんな事は些細な問題だ。

 

 柔らかい、潤ってる、ゼロ距離で感じる愛しい人の体温、そんな言語化可能な感想が浮かび上がったのはほんの束の間で、直ぐにそれどころでは無くなった。

 

 ずっとずっと一緒に居て、互いの身体に触れる事なんて当然意識するまでも無い日常茶飯事で、同性であるので裸身とてシャワーや入浴で日常的に目にしていて、最早互いに目新しさなんてものはなく、共にある事が当たり前の存在とすら思っていた。

 

 キスという未体験の、しかし心の何処かで焦がれていた今まで以上の非日常。親愛や友愛よりも濃くて少しだけ粘度の高い、恋愛感情に踏み入る行為。

 

 悩みも迷いも戸惑いも全部まとめて溶けて消え、香子はすぐに誰よりも傍で支え続けてくれた人の唇の感触に夢中になった。

 過程も前後も名分も全部全部忘れ去って、香子よりももっともっと、双葉は今まで追い続けてきた香子の唇に溺れた。

 

 反射的に止めてしまった呼吸の中で、二人の腕はより強い接触と密着を求めて相手の身体を掻き抱く。加速するばかりの興奮はあっという間に酸素を消費し息が苦しくなるけれど、離れるのが嫌で呼吸の代わりに相手を求める。

 

 本能の求めるままに、より深い接触に踏み切ったのは双葉の方だった。

 香子の事がもっと欲しい、もっと深く触れたいとそれだけに急かされるがまま焦がれるがまま、香子の唇を割り開いて、舌が歯と歯の間を強引に突破する。

 

 流石に、香子の身体が驚きに跳ねる。だが、上に伸し掛かっている双葉が香子の掌を押さえつけ、腰の上に乗っかる様にして身動きを封じた。

 

 無論、こんなにも強引な双葉は初めてであるし、貪られる様な口付けも初体験である。いっそ暴力的とすら思える本能の蹂躙に僅かな抵抗感を覚え、しかし同時に、香子は好きな人にこんなにも求められているという事実に陶酔を抱く。言葉より遥かに雄弁な双葉の「好き」に、抗えない。

 結局されるがままに受け入れて、拙いながらも応えてしまう。

 悦びと、共に。香子は自分の意志で、双葉の手指に自分の手指を絡ませた。

 

 理性を無くすほどの強い想いに流される双葉にはもう、香子への気遣いすら薄い。

 

 彼女の興奮の下となったのは、ある種の背徳感だ。

 放課後とは言え何時誰が訪れても不思議ではない場所で口付けを交わしている──というものではない。

 同性の幼馴染と云々、でもない。

 

 それはある種の下剋上、反逆の快感──女王に反旗を翻す臣下の如き、革命に似た恍惚、高揚だった。

 

 勿論、双葉と香子の関係が主従か、単純に上下で表せる関係かと言えば否である。間違いなく二人の間には二人なりの友情があり、親愛があり、尊重があったのだ。

 

 しかしそれでも、ずっとずっと尽くしてきた香子を自分の手で欲しいままにするという行為には、双葉の脳髄を痺れさせる何かがあった。

 

 羽衣伝説で天女を嫁にした男は、こんな気分だったのだろうか?

 まるで天の星を手にした様な──憧れを手中に収めた様な気持ちになった。

 今の双葉の行為に、支配欲や独占欲が無関係だと言えば嘘になる。

 

 なにせ双葉には、これ以降香子を手放す気が無い。羽衣を返してやる気はないのだ。

 

 多分二人とも、頭が茹っていたのだと思う。少なくとも酸欠ではあり、朦朧としていた。二人が身を離したのは、息が詰まって苦しくなってから漸くの事だった。

 

 真っ赤な顔で荒い息を繰り返すばかりの二人。双葉から香子へ、重力に従って唾液の糸が伸びていた。

 

 瞳を興奮に染めて荒く呼吸する双葉を、香子は獣の様だと思った。ほんの僅かに怖いと感じ、しかしそれ以上にこんなにうちの事好きなんや、双葉はうちが欲しゅうて欲しゅうて溜まらんのや、と思うと、愛しいと思った。心が満たされた。

 

 反面、息も絶え絶えで喘ぐ香子を見下ろした双葉の未だ興奮冷めやらぬ心中に湧いたのは、罪悪感であった。

 初めてだったのに、こんなにも強引に荒っぽく、無理矢理、配慮の欠片も無くシてしまった。でも香子から強請ってきたんだし、ここ数日ずっと心配させられてたんだあたしは──そんな混然とした感情は、香子が潤んだ瞳を細めて嬉しそうに微笑んでくれた事で、一層強くなった。

 

 同時に、もっとしたい、今からもう一回キスしたら怒られるかな、と考えてしまう自分の欲深さに呆れた。

 

「か、香子!」

 

 何か考えがあって口を開いた訳では無かった。強いて言うならば、責任を取らねばと思ったのだ。

 

 舞台少女として表現を、己の感情を表し、魅せる術をとことん学んだ筈だった。その途上で、恋の囁きや熱い愛の言葉だって知った。今こそ本番だ、日頃の努力の成果をここで生かさず何時生かす。

 

 今は正に、人生という舞台の大一番である筈だった。だが、

 

「す……好きだ! ずっと好きだった! 一生大事にするから、これからもずっとあたしと一緒に居て欲しい!」

 

 口から飛び出たのは兎に角真っ直ぐな言葉だけ。飾りも演技も、なにもかも余計な気がして、胸の奥底から吐き出した本音だけが本当に伝えたい全部。

 

 今まさに無理矢理押さえつけて致したばかりだと言うのにこの言いざまは、完全に順序が逆である。

 一度頭が冷えてしまえば、九九期生の中でも良識派で通っている石動双葉である。胸の焔は未だ消えずとも、自制は出来なかったが痛恨に自省していた。しかし、謝るより何より先に、自分の気持ちを答えとして伝えなければいけないと思ったのだ。

 

 そんな双葉が、香子にしてみれば可愛く見えたのだろうか。

 

(さっきの双葉はんも嫌いやないけど、やっぱりうちの知ってる双葉はんが一番や)

 

 双葉は何時もそうだ。香子の欲しい物、欲しい言葉を与えてくれる。だったら、答えは決まっている

 

「……うん。末永く──うちのこと、幸せにして?」

 

 一世一代の告白に貰ったオーケー。双葉の顔が笑み崩れ、同時に涙を浮かべた。無論、嬉し泣きだった。

 

 今までだって言外に分かっていた。香子の一番は双葉、双葉の一番は香子。

 しかしそれを、言葉として伝え合い、誓い合うこの瞬間は無上のもの。

 

 二人は優しく互いを抱き締め、穏やかな鼓動に耳を澄ましていた……。

 




続きは明日。


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共に歩むふたかおの話

 そんな二人だったが、満ち足りた穏やかな時間をたっぷり十分も過ごしてようやく気付く。

 

 そう言えばここ学校だった、と。

 

「誰かに見られたりしてないよな……」

「誰にも見られてへん……とは思うけども」

 

 正直お互いに夢中で、周囲の事など一切耳目に届いていなかったのでちょっと分からない。

 多分大丈夫、だとは思うのだけれども。

 

 二人は気持ち周囲を見渡して安全を確かめると、連れ立って帰路を歩み始めた。

 ほんの少し前までそうしていた様にくっついて、寄り添って。

 

 思ったより時間が経過していたのか、校舎内には夕陽が差し込んでいた。レッスン室などに残っている人はまだいるのかも知れないが、二人が歩む廊下は全く無人で、それぞれの教室にも人影はない。

 

「……何時からやったん?」

 

 多くを用いずとも二人の間では意志は通じるけども、交わす言葉はちょっとぎこちない。

 

「……何時からって……厳密には分かんないけど、多分初めて会った時からずっと」

「……うん……多分、うちもや」

 

 色恋などまるで解せない幼子の時分、その時から既に惹かれていた。好きという感情を理解する以前からずっと好きだったのだ。何時からそれが恋と愛に変わったものか、二人とも良く分からない位に。

 

 いつもよりゆっくり目に歩く香子の手を引いて、双葉は半歩前を行く。視線をやれば見える香子の顔がちょっとうつむき気味で、信じられない位に可憐で、そしてかなり赤い様に見えるのは、夕陽の魔力などでは無い筈だった。

 

 ほんの少し遡れば自分があの香子を組み敷いて、あの唇を欲しいままにしていた。そう思うと双葉の胸中には罪悪感と羞恥、そして隠し様の無い興奮が沸き上がってくる。

 

 そんな事を考えていたから、香子の呟きはかなり鋭く双葉に刺さった。

 

「……双葉はんにあない強引にされるやなんて思ってもみんかったわ」

「んぐっ」

「初めて、なんやし……もう少し優しゅうしてくれるもんやとばっかり」

 

 振り返れば香子は感触を思い出す様に己の唇を指でなぞっていて、からかいやいやみでは無く心底から恥じらっているらしかった。

 何時もの如く強かに言われたのなら双葉だって言い返す余地もあるけれど、こうまで乙女になられたのではまるで双葉が一方的な欲情で襲い掛かった様な気にさせられる。

 

 香子から強請ってきたんだろ。香子だって応えてくれたじゃないかよ。ほんの少しだけそう思い、でも何も言えず素直に謝ったのは長年の習慣か、乙女な香子に胸がときめいたせいだったかもしれない。

 

「ご、ごめん」

「あ、謝らんでもよろしおす」

 

 香子はちょっと躊躇って、広げた扇子で顔を六割方隠し、そっぽをむいて、

 

「強引なのも──ああいう双葉はんも、うちは嫌いやない、よ?」

「っ──」

「も、勿論、優しゅう労わってくれはるのが一番やけど……たまに、なら……」

 

 この瞬間、もう一度抱き締めて唇を奪わなかったのは、双葉の我慢の賜物である。

 

 ずるい。本当に、香子はずるい。好きな子にこんな事を言われて、調子に乗らないでいられる奴がこの世にいるだろうか。

 

 肯定されてしまったら、許された気になってしまう。もう一歩踏み込んでも良いのかな、もう少し欲張っても良いのかも知れない、と思ってしまう。

 

 香子のせいだからな、と。

 最初に強請ったのも香子だし、今煽ったのも香子なんだからな、と。

 

「りょ」

 

 ちょっとどもってから、少しはあたしの気持ちも分かれ、味わえ、大好きで大好きで仕方ないんだよ、と思いを固めて言ってやる。今日はこれで終わりとか色々無理だから、と。

 

「──寮に帰ったら、さっきの続き、したい」

 

 今度はちゃんと優しくするから、と。

 

「──ぇ」

「……良いだろ?」

 

 香子が潤んだ瞳を真ん丸に見開き、ついで真っ赤な顔で喘ぐ様に口を開閉させる。双葉も内心は自分の発言で香子同様焼け野原になっていたが、女の意地で表情は崩さない。

 

 視線も逸らさない。ただ真っ直ぐに、香子を見つめ続ける。

 香子の根負けは近かった。なにせ嫌いでは無いという間接的なイエスを既に口にした後であり、彼女もまた双葉の事が大好きで大好きで仕方ないのだ。

 

「…………ぅん」

 

 俯いて、消え入る様に肯定した香子は死ぬほど可愛かった。

 

 了承を聞き届けた双葉は前に向き直り、気持ち速足で香子を引っ張って行く。これ以上見つめ合っていたらどうにかなってしまいそうだ。

 

 差し込む夕陽に包まれる二人は全身が赤色だった。

 

 二人は校舎から出て駐輪場に至る辺りまではそのまま無言でいたが、いざヘルメットを被るという所で、

 

「……なあ香子。どうしてその、急に……なにが切っ掛けだったんだ? ほんの数日前まで、いつも通りだったじゃないかよ」

 

 双葉と香子の間に多くの言葉はいらないが、こればかりは聞かねば分からない。

 双葉には分からない何かのきっかけで想いが溢れてしまうまで、香子はいつも通り双葉に甘え、双葉はいつも通り香子を甘やかす、未分化な愛情で満たされた生活が続いていたのだ。

 

「そ、それは……」

 

 香子は言い辛そうに淀むが、二人の関係を変わらぬままに一変させてしまったその切っ掛けが双葉にとって気にならぬはずは無い。

 

「なんだよ?」

「うう……ど、どうしても言わんといかへん?」

「ああ、どうしても聞きたい」

 

 一時的に香子の上位に立つという悦楽を味わっている双葉が念押しすると、香子は殆ど聞こえない声量でぼそぼそと呟き始めた。

 

「ゅめ……とか、げんちょう……」

「え?」

「や、やからぁ……」

 

 あくまでも聞き取ろうとする双葉に香子は半眼になって唸るが、何時もなら双葉を撤退させるその意思表示も今は子猫の駄々同然である。きっちり口元に耳を寄せて、ついに双葉はそもそもの原因を知った。

 

 キスしてやるからなという旨の幻聴を聞き、そのせいで双葉に迫られる夢を見た、という事実を。香子の口から。

 

 それをきっかけにして自分の恋心、欲求を自覚するに至ったのだと言う。それで恥ずかしくて恥ずかしくて、香子はここ数日双葉の顔が見れず、避け続けていたのだと言う。

 

 そんな理由だったのか、と双葉はつい、

 

「香子……どんだけあたしの事好きなんだよ」

「~!」

 

 結果的には両者幸せに円満解決した訳だが、だからこそ一層この笑い話の様なきっかけを自分の口で説明するという羞恥が辛かった。

 

(そっかぁ、香子はそんな幻聴や夢を見ちゃうくらいにあたしの事が大、大、大好きだったのかあ)

 

 口には出さないまでも双葉の勝ち誇った様な、幼い子供を見る様な目線がむず痒くて仕方ない。

 

 そのむず痒さが、愛情に包まれて鈍っていた香子の強かさ、高いプライドに火をつける。

 

(ちょ、調子に乗ったらあきまへんえ。いくらこ、こ、恋人同士になったゆうても双葉はんはうちの双葉はんやもん)

 

 香子が双葉の香子であるという面もまあ少しくらいはあるかも知れないが、主体として、「双葉は香子の双葉」なのである。何が違うのかと思うなかれ、香子にとっては大事な事なのだ。

 誇り高い家元の生まれであり、自分こそが追われる側、つまり先を行く側であるという事が大事なのだ。

 

(うちの事いじくって弄ぶなんてこと、許した覚えはないで!)

 

 第一そういう双葉だって、ちょっとキスを強請られただけで正体を無くして獣の様になってしまう程香子の事が大好きである癖に、である。

 

 愛しているし恋しているが、だからこそ軽んずる様な事は駄目なのだ。思えば強引で無理矢理なキスを許してしまったり、寮に帰ったら続きをするとかいう言葉にただ頷いてしまったりだとか、一時の幸福感と快楽に流されて、まるでちょろい女にでもなっていた様な気がする。

 亭主の手綱を取れんようでは駄目や、ここは一度引き締めんと。そうやって一言言ってやろうと決めた香子が実行に移す前に、すい、と身を寄せた双葉が香子の耳元で囁いた。

 

「明日から香子がわがままを言うたびに、罰としてキスするからな……?」

「っ……!」

 

 言うだけ言ってぱっと身を離した双葉の浮かべた笑みは、ちょっと照れの入った勝気な笑顔。それを直視しただけで、香子の心臓は大いに跳ねた。

 

 声が、でなかった。

 今度は、幻聴では無かったから。

 

 思い、出した。

 つい先ほどの、強引で、無理矢理で、力強くて、とてもとても満たされる口付けを。

 

 想像、してしまった。

 双葉の腕に抱かれて交わす、優しく甘やかな口付けを。

 

 喉元まで出掛かった文句が、引っ込んだ。

 

 香子は双葉に、伝家の宝刀となる言葉を与えてしまったのかも知れない。

 



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幕間:目撃者大場なな

 仮にも多くの人がいる学び舎で人目もはばからずイチャイチャちゅっちゅしておいて、誰にも目撃されないだなんて都合のいい事は無いのだった。

 

(あ、あわわわわわ)

 

 今しがたしかと認めてしまった光景に息をのみ、両手で口元を押さえて赤面している一人の少女。

 

 今やふたかおルームと化している道場の戸に背中を預けている彼女の背丈はすらりと高く、脇には随分と年季の入った台本を挟んでいる。バナナの房を連想させる髪型が実に特徴的な彼女こそは、九九期生の実力者にして人気者、みんなのお母さん大場なな。

 

 みんなを何度でも挫折や絶望から守る──愛情と思いやりの才媛なる再演ティスト。

 

 正確な回数も忘れるほどに、絶望の前で折り返す事幾たびか。実時間換算にして数十年聖翔音楽学園で仲間を守り続け、あの日のきらめきを、眩しくて届かない光を追い求め続け、運命の舞台に立ち続ける舞台少女である。

 

 何度も何度も何度でも、大切な仲間たちとの日々を過ごし続けた彼女はみんなの事は何でも分かっている。事と次第によっては本人よりも尚理解しているやもしれない。

 

 でも。

 

 そんな彼女ですら。

 

 この光景は初見であったりする──

 

(ふ、双葉ちゃんも香子ちゃんも! がががが、学校で何やっているの!?)

 

 大場ななは目撃してしまったのである。

 まるでお子様にはお見せできない系のラブロマンスが如く熱烈な口付けを交わすふたかおを──。

 

 ななは別に最初から覗きにきていた訳では無くて、ただ単に二人の事が心配だったからそれとなく様子を窺い、もし必要ならばフォローしようと思っていただけだったのだ。

 

 ななは級友たちが、大事な仲間たちが大好きなのだ。仲違いなどして欲しくはない。みんなで仲良く互いに良い影響を与え合って切磋琢磨して、あの舞台をもう一度作り上げたいのだった。

 

 この時期の双葉と香子の関係に特段の事件や変化が起こる事は、幾十度を数える再演の中でも前代未聞である。つまり、大場ななにとっても未知の出来事でありどういう結果になるのか想像が付かない。

 

 良くも悪くも、人の気力の萎えや栄えは動きに出る。俳優育成科舞台創造科問わず、今の己らに出来る最高の舞台を作る為に全力である。人間関係の縺れなどで精彩を欠こうものなら例え本番直前とて代役を立てる事はあり得るのだ。

 

 そうでなくとも大の仲良しである双葉と香子の喧嘩だなんて、心配な出来事である。十中八九大丈夫だとは思っていても、万が一の可能性を考えれば気に掛かる。

 

 だから、だから、決して覗きに来たわけでは無くて。今動かないのだって、二人を邪魔する訳には行かないからで。

 

(キス、長くない? 絶対二人とも、ここが学校だって忘れてるよぉ……)

 

 もし自分が立ち去った後、別の誰かが二人の行為を目撃して、あまつさえそれを人に喋ってしまったり、その結果先生方の耳に入ったり不特定多数の噂の的になったりしない様にしなければならない、という言わば親切心でもあるのだ。

 

 大場ななとて人間なので、勉強内容などを筆頭に何回繰り返しても完全には身に付かない事、日常の積み重ねの中で忘れてしまう事などは普通にあるのだが、みんなの関係性が変化しかねない出来事、引いては第九九回聖翔祭の配役などに影響を及ぼしかねない出来事には敏感である。

 

 今までも何か大きな失敗やイベントの為にそれとなく立ち回ったり、立ち回った結果思わぬ変化を引き起こしてしまったりとななの再演は毎度毎度賑やかである。

 繰り返す日々はななにとって仲間たちとの掛け替えのない幸いな時間である為、基本的には楽しく過ごしているのだが。

 

 再演の中で磨きをかけた「純那ちゃんにななって呼び捨ててもらうまでの最速記録更新チャレンジ」などは既に神速の域に達しており、一時期頻発していた距離を詰めようとする動きがあからさま過ぎて警戒されてしまう問題などは完全に回避できるようにもなったのだ。

 

 だって仕方の無い事だと分かってはいても私の純那ちゃんに他人行儀に名字呼びされるの毎回毎回胸がズキってするんだもの──なんていう思考は現実逃避なのだけども。

 

 初めて肉眼で目にした口付け。しかもそれをしている二人は見知った人物。主観時間で言えば何十年もの時を学び舎で過ごした二人。

 

 ななの大事な友人で、仲間で、切磋琢磨し合うライバル。花柳香子と石動双葉。

 

(て、っていうか、なにが切っ掛けでそうなったの? 今まで一度だって無かったよ、二人が学校でこんな──)

 

 元より仲の良い二人ではあった。友情以上の強い感情で結ばれた関係であるとも思える二人だった。でもでも、こんなはっきりと恋愛的な行為に踏み切っている所など今まで一度も──。

 

 何時も一緒な二人。

 基本距離が近い二人。

 何をするにも一緒な二人。

 常にナチュラルにくっついている二人。

 双葉が自分以外に傾倒していると嫉妬する香子。

 香子の為に聖翔音楽学園に入学し香子の為にバイクの免許を取り香子の為におはようからお休みまで付きっ切りな双葉。

 

(あ、あれ!? もしかして二人って最初からずっと付き合ってたの!?)

 

 最初からそうだったので「そういう二人」として当たり前に認識していたが、目の前の光景を考慮に入れてみるに、もしかして二人はずっとずっと恋仲だったのでは。

 今まで決定的なシーンだけはちゃんと二人きりの時だけに留めておいてくれたお陰(?)で気付かなかったけども、冷静に考えると仲の良い幼馴染にしてもちょっと心身共に密接な関係過ぎないだろうか。

 

 幾十年越しに発覚した驚愕の事実(?)と光景に、大場ななは足が止まってしまった。

 何十度のレヴューを勝ち抜き再演を繰り返すなな。一度二刀を振るえば、その歌は、踊りは、頂点たる天堂真矢をも下し得る現状九九期生で最も運命の舞台に焦がれる少女。

 

 ただ、色恋に関しては年齢相応以下の経験値しか持たない普通の少女であった。一応好きな人との同棲歴も主観時間で幾十年は積み重ねているが、それでも告白とかはした事が無かったし、転んだ拍子に唇と唇がくっついてしまう様な嬉し恥ずかしな事故も未体験であった。

 

 ななはみんなと共に過ごせるだけで、大切なななの純那と一緒にいられるだけで幸せなのである。ピュアピュアな友達以上恋人未満歴計数十年なのだ。

 

 それ故思いがけず同級生のラブラブ熱烈キッスの目撃者となってしまった事で、再演の中で培ってきたふたかお観にパラダイムシフトが発生して混乱してしまったななである。

 

 ともあれ、二人が何時冷静になるとも知れないし衣擦れの音とか悩ましい吐息とか耳に毒なので、もうちょっとちゃんと距離を取って──

 

「あれー、ばなな、こんな所でなにし──」

 

 瞬間。

 

 大場ななの肉体はノータイムで疾駆する。

 

 超人的な身体能力を発揮するレヴューの時とはさすがに比べられないが、それでもその速度は生身の女子校生が実現し得る無音高速移動としては無上の物。

 

 本来双手で操る鉄塊を片手で一本ずつ振るう。本来二本の手で成立させる剣速を片手で成す。対手による両腕の撃ち込みを片手で捌く。強くて負けない二刀流の実現には一刀流より遥かに多くの困難が付きまとう。

 古の剣豪曰く、「運動神経が良く体格に優れ身体能力が高くて手足も長いセンスのある奴がめっちゃ鍛えればそれが最強」という余りにもごもっともかつ身も蓋も無い、夢の無い説が提唱されるほど、二刀流は限られた一部の人間がやってこそ強い技術であった。

 

 二刀流だから強いのではない、強いから二刀流でも強いのだ。

 甘くて優しいばななは最強なのだ。

 

 日頃のレッスンで鍛えられた肉体は友の甘い時間を守る為に全力を発揮し、彼我の距離を食い潰す。

 

 後に愛城華恋はこう述懐する──「確かにあの瞬間、自らの襟元に迫りくる二刀の煌きを幻視した」と──

 

「もがっ」

「しー! 華恋ちゃん、しー!」

 

 小さく叫ぶななの両手は、物陰からするりと現れた愛城華恋の口をがっしりと塞いでいた。そのまま押し込んで、廊下の曲がり角まで離れる。

 

「華恋ちゃん、今こっち駄目だから、色々と駄目だから!」

「ええ? ばななどうしたの、でも私忘れ物しちゃって」

 

 小声で叫ぶななに釣られて小声で返す華恋。でも元が笑顔満点気合200%な彼女なのでそれでも結構大きめの声である。

 

「知ってる! 十中八九タオル忘れちゃったんだよね華恋ちゃん、でもそれ殆どはレッスンルームにあるから、こっちじゃないから! 早く行こうね、まず間違いなくまひるちゃんが寮のお部屋で待ってるから!」

「ええ、ばなななんで分ったの──」

 

 ばななはなんでも知っているのである。なにせ体験済みなのだから。細かい事とかは些細なきっかけで変わってしまうので忘れる事も多いのだけれど。

 特に華恋の忘れ物は頻度の高いイベントで正直覚えきれないし、直感と衝動で動く本人の性質も相まって屈指のバリエーションを誇る為その全様はななにすら見通せない。

 

 だが、まひるとは別々のグループでの練習となった後汗を拭いたタオルをその辺に放置してしまい、次の日まで放っておくと不衛生なので後で気付いて慌てて取りに戻るパターンは発生回数が多いのである程度流れが掴めている。

 

 長年の経験と匠の勘からずばり華恋が放課後の学校を彷徨っている事情を見事見抜いたななは華恋を抱きかかえる様にして迅速に二人の愛の巣から遠ざかっていく。

 

 同級生を半ば脇に抱えて忍び足で高速移動するそのパワーはまさにばななパワー。みんなを守るお母さんは強いのだ。

 

「あーれ~」

 

 口元を抑えた手の隙間から漏れ聞こえるちょっと楽し気な華恋の悲鳴。無論これも初体験。

 

 みんなを何度でも挫折や絶望から守る才媛なる再演ティスト大場なな。

 彼女の優しさと思いやりは双葉と香子のイチャイチャタイムをも、人知れず守っていたのである。

 

 双葉と香子が我に返り、きょろきょろと周囲を見渡しながら廊下へ出てきたのはこの直後であった。

 



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