美醜逆転した艦これ世界を憲兵さんがゆく (雪猫)
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001 - 憲兵、配属される

初めまして。
続くかどうか分かりませんが、とりあえず投稿してみる精神です。
よろしくお願いします。


 自分には今、一つの転機が訪れようとしていた。

 

 ……が、その前に、自分の生い立ちを簡単に思い出しておきたいと思う。

 

 その昔、日本近海に化け物が現れた。

 当初それは見間違いだとされていたが、実体があり、実害があり、そしてなす術がないと分かったとたん日本は混乱の渦に飲まれた。

 そんな時現れたのが艦娘であり、提督と共に海を駆け、外敵を打ち滅ぼしてきたのだという。

 この話は詳しくは知らないが、日本は艦娘と協力体制にあり、化け物……深海棲艦と戦うようになったとのこと。

 そのうち世界中で深海棲艦が陸地や船を襲う事件が相次ぎ、大変な混乱があったそうだ。

 で、それから50年くらいして生まれたのが自分だ。

 自分はいわゆる平均的な日本人の顔立ちであり、良いとは言えないが悪いとも言えない造形をしているらしい。

 そんな自分には提督の才能があった。

 妖精さんと呼ばれる存在を認識できるかどうか、という点である。

 慢性的な提督不足が叫ばれる中、お偉いさんがわざわざ自宅まで来て説得をしに来たこともあった。

 しかし、自分には能力不足であるとそれを固辞。それでもと食い下がるお偉いさんに、ならば鎮守府に一番近い憲兵という役割を目指すと約束した。

 そうして、20歳となったこの日、自分はとある鎮守府の前に立っていた。

 

 ……というのが、『二つ目の記憶』にある自分の話。

 実は、自分にはもう一つの記憶がある。

 先程の記憶より昔、もっと平和な世界の話だ。

 そこに深海棲艦という存在はなく、むしろそれは『艦これ』というゲームの中の話だった。

 それなりに真面目に勉強し、することがないからと体を鍛え、迎えた20歳の誕生日。それは突如訪れた。

 

 何もなかった。

 予兆など、少しもなかった。

 気づけば自分は、小さな体となり女性の腕の中に抱かれていたのだった。

 その女性こそ、これから自分が母と呼び慕う女性であることなど、この時は知る由もない。

 精一杯四肢を動かすも、思うように動かず、悔しく思ったそばから感情が制御できず暴れ出し、泣き叫ぶ。

 こんなに自分が恥ずかしいと思ったことはない。

 ……そして自分は、訳も分からず二度目の人生を歩むことになったのである。

 

 途中で艦これの世界だと気付いた時は狂喜乱舞したが、冷静に考えると酷く退廃的な世界観に背筋が凍る思いがした。

 この世界はゆっくりと死に向かっている。

 それでも、自分には提督をする勇気がなかった。

 だから、提督のサポートをしたくて憲兵になろうと思った。お偉いさんからのアプローチは、実はナイスアシストだったのだ。

 そうして、脇目も振らず、一心不乱に体を鍛えた。

 学友と遊ぶこともほとんどなく、テレビやネットを見ることもほとんどなかったせいで、大変遺憾であるが両親には世間知らずの烙印を押されてしまった。

 

 そうして、この日、一度目で転機が訪れた20歳の誕生日であるこの日、自分はとある鎮守府の前に立っていた。

 

 

 自分には今、一つの転機が訪れようとしていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 鎮守府の門の前に立ち、中を見渡す。

 

「これが鎮守府、か」

 

 実は、自分はこの世界で艦娘を見たことがない。

 政府は艦娘の存在は認めていても、その姿を頑なに見せようとはしなかったからである。

 それでも多少パパラッチの様な存在から写真を撮られることはある。それは遠くから演習中の様子を撮ったものであったり、船舶を護衛しているものを撮ったりと様々だ。しかし、サイバーポリスか何かがいるらしく、ネットに上がった途端に消えるという徹底っぷり。

 その写真は全て口元にマスクをしている写真ばかりであり、顔全体が見えるものは決して多くない。

 それについていろいろと憶測は飛び交ったが、真実は波にのまれたままだった。

 

「いやしかし、それでも艦娘は艦娘。期待して裏切られるということはないだろう」

 

 ゲームは世の提督に比べればそれほどちゃんとやってはいなかったが、初期艦は電を選び、確か現状レベルが一番高いのが北上の80だったはずだ。当然のごとくケッコンカッコカリは出来ていない。

 とにかく、美人揃いの艦これ世界にやって来たのだから、仲良くやっていきたいものである。

 

「しかし自分が憲兵か……。それなりの実績は積んできたが、やはり緊張するな」

 

 肩掛けリュックを持ち直し、制服の襟を直して鎮守府に向かって進む。

 ここは柱島第一鎮守府という場所である。

 柱島、というだけあって島である。

 基本的に木と海以外特に何もない。

 以前はもっと人が住んでいたが、みな本土に移住してしまったせいで島民はわずかしか残っていない。それも、鎮守府とは真反対に住居区画があるので、会うこともそうそうないようだ。

 簡単に手元の資料を再確認し、ふと顔を上げる。すぐ横に守衛室があるようだった。

 

「すいません、誰かいらっしゃいますか」

 

 閉じられた門の横の守衛室に声をかける。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

 出てきたのは、40歳代くらいの男性だった。

 

「初めまして、本日よりこちらに憲兵として配属されました小林というものです」

「ああ、そういえば今日でしたね。命令書を見せて下さい。……はい、確認しました。ようこそ、柱島第一鎮守府へ」

「ありがとうございます」

 

 そういって、守衛へ頭を下げる。

 

「しかし、珍しい事もあったもんですね」

「どういうことです?」

「こんな辺鄙な所へ、しかも艦娘と接触しなければならない職業へだなんて、物好きにもほどがあるでしょう。何かやらかして送られたとかですか?」

 

 何故だろう。眉目秀麗美人揃いの艦娘と交流できる鎮守府なんて、こちらからしたら天国のようなものなのに。まぁ自分は眉目秀麗とは縁のない容姿だから関係ないと言えばそれまでだが。

 

「まぁ何か事情がおありなんでしょう。誰かに案内をお願いするので、暫く待ってて下さい」

「わかりました」

 

 そう言われ、暫く待っていると鎮守府の建物の方から誰かが走ってくるのが見えた。

 

「遅くなり申し訳ございません!」

「ああ、いや全く構わないよ。こちらも正確な到着時間は伝えていなかったしね」

「あっ」

 

 何か言いかけたが、途中で口をつぐんでしまった。

 しかし、自分の口調は冷静にと努めていたが、頭の中では初めて見る艦娘に感動を覚えていた。

 この娘は、瑞鶴だ。

 翔鶴型正規空母の妹の方。 

 特徴的なツインテールが風になびいており、またその整った顔立ち、ぷっくりとした唇、さらに仄かに甘い香りがして、どうしようもないくらい感動した。ああ、ここに生きてるんだなぁ、と。

 自然と頬が緩んでしまう。

 

「……かっこいいかも」

「ん? 何か言った?」

「はっ!? いえ、何でもありません! ご案内させていただきます!」

「ああ、よろしく頼むよ」

 

 そういって、少しギクシャク歩く瑞鶴の後ろについて行った。

 その揺れる後ろ頭に見とれていたせいで、後ろから不思議そうな顔をする守衛に、ついぞ気付くことはなかった。

 

 すぐに建物の中へ入って、おそらくは提督のいる執務室へ案内されるのだろう。妙に静かな廊下を歩く。

 と、ここで自己紹介がまだだったと気付いた。

 

「遅くなったが、初めまして。自分は憲兵の小林という者だが、君は?」

 

 どうも瑞鶴という少女は背格好から高校生くらいに見えてしまい、口調が緩くなってしまう。

 しかしながら、是非お近づきになりたいので話しかける。

 

「あ、申しわけありません! 私は翔鶴型二番艦、正規空母の瑞鶴と申します、よろしくお願いします!」

「瑞鶴だね。どうぞよろしく」

 

 かわいいなぁと、のほほんと思いながら自然と笑みが零れる。

 

「……あの、小林さん」

「ん? なんだい?」

 

 急に神妙な顔つきに代わり、瑞鶴が足を止め振り返った。

 

「小林さんは、なぜ私を見て笑うんです? 馬鹿にしてるんですか?」

 

 その目には、怒りと怯えが見て取れた。

 

「え、いや、そんなつもりはないが……。しかし、何か不快になるようなことをしていたのならすまない。直していく努力をしたいのだが、教えてはくれないかな?」

 

 困惑しながらもそう言うと、瑞鶴の怒りが萎んでいくのが分かった。

 それと同時に、ちらちらとこちらを伺うような視線になり、何かへの怯えだけが残った。

 

「何か、言いづらいことかな。もし気に喰わないことがあれば自分に直接言ってもらっても構わないし、君たちの提督に陳情しても構わない。これから関わっていく中で、しこりが残っては問題だか――」

「違うの!」

 

 少し大きめの声で制された。

 目を多少見開いて、瑞鶴を見る。

 

「小林さんは、あの、私を見てどう思う……?」

 

 なんともふわふわとした質問である。

 ここで、世界で一番かわいいよ!と答えられれば満点なのかもしれないが、如何せん初対面である。知り合い以下でそんなこと言われては、警戒度が青天井に飛び上がるだろう。

 

「そう、だなぁ。まだ会って数分だから内面について述べることは出来ないけれど、それでも可愛い人だなぁとは思うよ」

 

 これは素直な気持ちだ。

 自分も男だ。可愛い女性とはお話してみたいと思うのは当然のことだろう。

 

「……もう一つ聞いてもいい?」

 

 目で続きを促す。

 

「私の顔、醜いと思わないの……?」

 

 んんんんん?

 何でさ?

 

「いや、かけらも思わないけれど。なんでまた?」

「だ、だって、綺麗な人はみんなシミがあったり、太った人が多いじゃない。私、そんな体型じゃないし、どこからどう見たってブサイクそのものだもの……」

 

 ここで、やっと違和感に気付いた。

 瑞鶴が醜いわけがない。

 それは自分の感覚ではあったが、そういえばテレビで俳優とか見たことがないかもしれない。なにかがずれている。

 

「……ちょっと待って、何かネットが見れるようなものはないか?」

「え、っと、これでいい?」

 

 瑞鶴は小さなデバイスを取り出した。一般的にスマホと呼ばれるものだが、名前なんて今はいい。

 

「変なことをお願いするが、今一番かっこいい俳優は誰だろうか。写真を見せてくれないか?」

「なんでそんなことを……まぁいいわ、ちょっと待って。――はい、どうぞ」

 

 それを見た瞬間、失礼だが口を押えてしまった。

 ……なんだこのクリーチャーは。クトゥルフか何かか。目とか眉とかそんなちゃちなもんじゃねぇ。パーツが全部とっ散らかってる。

 そこには何とも形容しがたい生物が映っていた。

 

「これが、か」

「ええ、私はあまり好みじゃないけど、最近一番有名な俳優さんよ」

 

 つまりあれか。

 このクリーチャーが美しく、瑞鶴が醜いとされる世界。

 やっと気付いた。20年間、自分は勘違いをしていたんだ。

 この世界は艦これが混ざった世界な『だけ』じゃない!

 

 この世界は!!

 

 美醜が逆転している!!!!

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 昔々、自分が生まれるよりずっと前に、のちに深海棲艦と呼ばれる化け物が自然発生した。

 何が原因なのかと研究は続けられているが、今なおはっきりとした説明がつかないため、自然発生という形で教えられている。

 その化け物は当初日本近海に現れ、海岸近くを攻撃していった。

 壊滅的だったそうだ。

 自衛隊が出動し対応に追われたが、数体現れた中で撃破は一体もできなかったのだという。

 その後数回に分かれ衝突があり、そのうち人型のものが現れだした。

 ソレは圧倒的な破壊力を持って日本を破壊しつくそうとした。

 艦娘が現れたのはそんな時であった。

 ある日、応戦していた隊員からこのような報告が入った。

 水兵服を着た少女がどこからか現れ、化け物に応戦し始めた、と。

 その日は歴史的な日となった。初めて、局地的にではあったが人間側が完全勝利をおさめた日となったからだ。

 いつしかいつもの平静さを取り戻した海で、人は勝鬨を上げ、涙を流し勝利を称え、……振り返った少女を見て真顔になった。

 

 とんでもないブサイクだったのである。

 



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002 - 瑞鶴からみた憲兵さん

 柱島第一鎮守府。

 その執務室の中で、ソファーにぐったりと寝転がる艦娘が一人いた。

 8月の暑さに茹だっているわけではない。豪雨のように降り注ぐセミの声が原因でもない。

 私瑞鶴は、かなり気が滅入っていた。

 

「ねー、提督さーん……、どうしても私が迎えに行かなきゃダメ?」

「どーしてもってわけじゃないけど、他の子は遠征行ってたり休みだったりするでしょう? その点今日の秘書艦は瑞鶴ちゃんなんだから、当然っちゃあ当然じゃないかなー」

「それはそうなんだけどぉ……」

 

 かなり気が滅入る。

 どうやら本日をもって、憲兵が一人、柱島第一鎮守府に着任するらしいのだ。

 しかも、それはどうやら男性らしいのだ。

 普段からして喜ぶべきところなのだろうが、如何せんここは鎮守府。艦娘の存在を知るいろいろな場所から、モンスターハウスなどと揶揄されているのは知っている。

 確かに私たちは綺麗ではないかもしれない。でも、みんなと海を守ろうとしている存在に対して投げる言葉ではないと思う。

 だから、滅入る。

 そんな、男性から汚いものを見るような目で見られるのは。

 

「まぁ瑞鶴ちゃんの言いたいことは分かるけどね。私だって朝鏡を見るたびに、だんだん自分が女というかむしろ人ではないのかもと思ってしまうくらいだもの」

「提督さんは飛び切りだしねー」

「瑞鶴ちゃんは休みはいらない、と」

「わー! ごめんなさいー!」

 

 提督、という職業はだんだん人が減ってきている。

 それは、提督になろうとした人であっても、いざ実地研修といった段階で艦娘の真実に触れ、辞めてしまうのだ。

 それが広がってはそもそも提督を目指す人がいなくなるので、大本営からキツく箝口令が敷かれている。

 気持ちは分からないではない。

 だから、結局残るのは艦娘と同じような容姿をした人だけなのだ。

 

「はぁ、やだなー」

「どうせ今までと同じよ。ここまで来て、私と対面して、泣いて懇願して辞めるか、無言で逃走するか、泡吹いて倒れるかよ」

「最後の憲兵さんはびっくりしたよねーあはは」

「私は裁判にかけられそうになったから笑い事じゃないんだよねー」

 

 提督はそれでも苦笑しながら言うが、確かにあれは笑い事ではなかった。

 お腹の虫が騒ぎ始めたのでちらりと時計を見ると、そろそろ11時になろうかというところ。お腹の虫には少し待てと指示を出し、そういえばと思い出す。

 

「提督さん、例の人っていつくらいに来るんだっけ?」

「あっと、ちょっと待ってね、期待が無さすぎて蔑ろにしすぎたわ。資料どこやったっけ……」

 

 わりとずぼらなこの提督の事が、瑞鶴はなかなかに好ましく思っていた。

 外面にとらわれず、内面を見てコミュニケーションを取ろうとするスタンスが、艦娘を扱う提督という職業に見事にマッチしていたのだ。

 逆に言えば、それが出来ない人間の多さが、提督という職業が過疎化している原因ともいえる。

 

「あ、見つけたよー。ん、ん? あ、もう来るわたぶん」

「え」

 

 と、その時、執務室内の内線が鳴った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 全速力だ。

 私はそんなに速い艦ではないけれど、それでも全速力で正面の門へ向かう。

 あの内線は守衛さんからのもので、憲兵さんが来たから案内をお願いしたい旨の連絡だった。

 思わず提督さんを睨みつけるも、てへぺろで返されたので一発殴っておいた。

 

「遅くなり申し訳ございません!」

「ああ、いや全く構わないよ。こちらも正確な到着時間は伝えていなかったしね」

 

 流れる汗を拭いながら、憲兵さんを見る。

 待たせてしまったにもかかわらず、その人はゆるく微笑みを浮かべていた。

 その姿に心臓が止まるかと思った。

 もう何年もそんな反応をされたことが無かったからだ。

 

「あっ」

 

 しかしそれよりも、重大なミスを犯している事に気が付いた。

 マスクを……忘れてきた……!

 外部の人間と接触がある可能性がある時は、マスクをつけることが慣習としてある。それは艦娘の評判を落とさないためと、会話が成り立つようにとの配慮の為であった。

 ……それなりの数でいるのだ、こちらの顔を見て閉口する人が。

 しかし、憲兵さんはまじまじとこちらを見てきている。自分の顔が赤くなったり青くなったりしているのが分かる。

 今私の顔は、恥ずかしいやら申し訳ないやらでとんでもない形相になっているだろう。

 しかし、そんなことも憲兵さんの顔を見た瞬間に吹き飛んでしまった。

 

「……かっこいいかも」

 

 飛び切りかっこいいというわけではない。

 でも、私に笑いかけてくれた笑顔が本当に優しくて素敵で、自分の提督と出会った時のように全身に鳥肌が立つような感覚を得た。

 

「ん? 何か言った?」

「はっ!? いえ、何でもありません! ご案内させていただきます!」

「ああ、よろしく頼むよ」

 

 そう言って、私は執務室まで案内をするために歩き出した。

 私達艦娘というのは、提督という存在に影響される点がある。本能的な部分なのだが、どうしても上官の様な親の様な、そういった印象を持つのだ。それは自分の提督だと顕著に表れるものだが、憲兵さんにも少しそんな感覚があった。もしかしたら提督としての素質があるのかもしれない。

 それにしても、こんな容姿の私に少しも嫌な顔を見せないこの人は、天使か何かなのだろうか。

 

「遅くなったが、初めまして。自分は憲兵の小林という者だが、貴女は?」

「あ、申しわけありません! 私は翔鶴型二番艦、正規空母の瑞鶴と申します、よろしくお願いします!」

「瑞鶴だね、どうぞよろしく」

 

 しかし、そこまで考えて、どこか卑屈な自分の感情が顔を出した。

 もしかして、ただ私を憐れんでいるだけなのではないだろうか。

 今までの人はすべからく嫌悪感を表情に出していたが、ただ単にポーカーフェイスが上手いだけで、心の中ではもしかして、

 

「……あの、小林さん」

「ん? なんだい?」

「小林さんは、なぜ私を見て笑うんです? 馬鹿にしてるんですか?」

 

 言ってはいけないことを言ってしまった気がした。

 

「え、いや、そんなつもりはないが……。しかし、何か不快になるようなことをしていたのならすまない。直していく努力をしたいのだが、教えてはくれないかな?」

 

 しかし、そんな失礼極まりない事を口にした私に対して、憲兵さんは慌てるような口調で言った。本当に、身に覚えがなく、私に対して親身になってくれているかのように。

 こんな世界で生きるためにせっかく積み上げた心の壁が、ぼろぼろと崩れていくような幻覚が見えた。

 

「何か、言いづらいことかな。もし気に喰わないことがあれば自分に直接言ってもらっても構わないし、君たちの提督に陳情しても構わない。これから関わっていく中で、しこりが残っては問題だか――」

「違うの!」

 

 思わず食い気味に否定した。

 違う、そうじゃない、貴方に不満なんかない。

 まだ全てを信じられるわけではないけれど、少しだけ希望を見てみたい。

 

「小林さんは、あの、私を見てどう思う……?」

 

 私は思わずそう訊ねた。

 小林さんは未だ困惑の中にいるようで、少しだけ首を傾げながら答えた。

 

「そう、だなぁ。まだ会って数分だから内面について述べることは出来ないけれど、それでも可愛い人だなぁとは思うよ」

 

 ……。

 いや、まだだ。

 

「……もう一つ聞いてもいい?」

 

 どうぞ、とでも言うように目線で促された。

 

「私の顔、醜いと思わないの……?」

「いや、かけらも思わないけれど」

 

 即答されて息が詰まる。

 

「なんでまた?」

「だ、だって、綺麗な人はみんなシミがあって、太った人が多いじゃない。私、そんな体型じゃないし、どこからどう見たってブサイクそのものだもの……」

 

 すると、小林さんの顔が困惑した顔になった。

 少しだけ考え込んで、何やら嫌なことでも思いついてしまったかのように、口端をひくつかせていた。

 そこからの話の展開は早かった。

 

「……ちょっと待って、何かネットが見れるようなものはないか?」

「え、っと、これでいい?」

「変なことをお願いするが、今一番かっこいい俳優は誰だろうか。写真を見せてくれないか?」

「なんでそんなことを……まぁいいわ、ちょっと待って。――はい、どうぞ」

「これが、か」

「ええ、私はあまり好みじゃないけど、最近一番有名な俳優さんよ」

 

 絶句という言葉がよく似合いそうだ。

 なんともいえない顔だけど、見たことがあるような気がした。

 

「んー……」

 

 あ、と思い出した。

 うちの提督さんを見た人のリアクションと一緒なんだ。

 名状しがたく形容しがたい生物を見てしまった時の反応そのものである。

 パニックホラー映画とかと一緒だ。

 

「……そうか、そうだったのか」

 

 小林さんは少し目を伏せて、ちらりと私を見て、もう一度目を閉じた。

 何なのだろうか。もしかして何かやらかしてしまったのだろうか。

 そんなドキドキとは裏腹に、もう一度目を開けて憲兵さんは私を正面からはっきりと見た。

 

「こんなこと初対面の自分が言っても信じられないかもしれないけど、君はそんなに外見を気にしなくてもいいと思うよ。他の人はどうか分からないけど、少なくとも自分の前では無意味だろう」

 

 えっと、つまりどういうこと?

 

「まぁ、気にしなくていいよ。その、容姿だとかそういうのは。自分はどうやら世間一般とは美的感覚がずれているようでね。君を見ても、特段醜いとかあまり感じないようなんだ」

 

 一瞬、私は鎮守府の中にいる事を忘れてしまっていた。

 今まで聞こえていたうるさいくらいのセミの声は、いつの間にか聞こえなくなっていて、じめじめした海風は、まるで意味を無くしていた。

 そんなことがあるのだろうか。

 

「ま、とりあえず提督さんに会いに行こうか。先に挨拶してしまわないとね」

 

 その声に感覚が雪崩のように戻って来た。

 未だ混乱真っ最中の私の頭は、その意味を解し、執務室への道を思い出すのに少しかかってしまい、慌てている私を見て笑う小林さんに、また顔を赤くするのだった。



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003 - 提督と艦娘と憲兵の立ち位置

 来たぜぬるりと。

 今、目の前には執務室と書かれた札があり、これまだ豪奢な扉が鎮座している。

 この先に、これからお世話になるこの鎮守府の、最高権力者がいるわけだ。

 つまり、艦これの提督である。

 テンションが上がらないわけがない。

 

「さて、入ろうか」

「う、うん」

 

 先程から瑞鶴の様子がおかしい。

 たぶん自分の美的感覚がおかしいとカミングアウトしたからだろうか。明らかに変な人だと思われてしまった。

 それもまぁ、仕方のない話だ。人間だれしもコミュニティの中で生きていて、そこから外れる存在を排斥して存続しているのだ。

 今回排斥されるのは自分なのかもしれない。

 しかし、あの瑞鶴は見ていられなかった。

 例えそうなったとしても、救いはどこかにあるのだと気付いてほしかった。

 まぁそのせいで変な人扱いされているのだけれども。

 とはいえ、どうにもできないしこれから少しずつ慣れていってもらうしかないかな。

 

「よし」

 

 少しの緊張と共に、執務室の扉をノックする。

 ――どうぞ、と鈴が鳴るような細い女性の声が聞こえて来た。

 ……ちょっとまって、ここの提督って女性なんですか。

 提督と言えばなんとなく男だと思っていたが、女性だったのか。いや、これは失礼に当たるかもしれないから、一応隠しておこう。

 今や女性だろうと何だろうと参画社会になっているこの時代、提督に女性がいてもなんらおかしい事はないのだろう。

 

「失礼します」

 

 そう言いながら扉を開く。

 重く湿った木の軋む音が響く。それは、自分の不安をそのまま音に乗せたような音だった。

 その先に、見えたのは、

 

「じゃああああああああん!!!!!!」

 

 ……えっと、島風?

 扉を開いた目の前に、島風がいた。

 

「………」

「………」

 

 こう、両手を上げて、精一杯背伸びした状態で固まっている。

 痛々しい空気が執務室を満たす。

 え、どうすればいいのこれ。というかなんなのこれ。

 ゆっくりと島風から視線を外し、後ろの瑞鶴を見る。

 

「くッ……プッ……!」

 

 必死に笑いをこらえておられた。

 もう一度島風に視線を戻す。

 同じ姿勢のまま、顔を真っ赤にしながら涙目になっていた。正直ものすごく可愛いけど、そんなこと言っている場合ではない。

 そしてようやく気付いたが、執務室の中に何人もいるのが見えた。おそらく艦娘だろう。10人近くいるようだが、なんでだ。

 そしておそらく、一番奥で座っているのが、ここの提督なんだろう。

 が、それはいい。とりあえず、この可愛い生物をどうにかしよう。

 

「わ、わあー、びっくりしたあー」

 

 ……自分でもびっくりするくらいの棒読みにドン引きした。

 ごほん、と仕切り直す。

 

「な! なん!」

 

 顔を真っ赤にして鯉のように口をぱくぱくしている島風を、とりあえず頭をぽんぽんしながら脇によける。

 

「失礼いたしました。初めまして、自分は小林憲兵中尉と申します。本日付で本鎮守府に着任いたしました。以後よろしくお願い致します」

「……ええっと、初めまして。私はこの柱島第一鎮守府の提督を任されている立花という者です。階級は中佐ですが、そもそも提督自体が少ないこの状況ではあまり言っても意味がありませんけどね」

 

 やばい(語彙力)。

 とんでもなく美しい人がいた。

 絶世の、とか、傾国の、と頭につきそうなくらいの美女である。

 これだけの艦娘を目の前にして、それ以上の美貌を持っているというのは、奇跡に近い。

 あと机の上と肩に、何体かの妖精さんがいた。久しぶりに見るが、やはりなんとも癒される姿をしておられる。

 

「しかし小林中尉、あなたは私たちを見て驚かないんですね」

 

 一瞬何がだろうと思ったけど、すぐに容姿のことを言っているんだと分かった。

 もしこれが逆転しているのであれば、それこそとんでもないクリーチャー的存在なんだろう。SAN値がピンチだ。

 そして島風のことで忘れていたが、よく見るとほかの艦娘が誰か分かって来た。

 おそらくここにいるのは、金剛・北上・時雨・夕立・曙・潮、かな、たぶん。いつも画面ごしに見ていたから違うかもしれないけど。

 

「提督さん、この憲兵さんはちょっと美的感覚がおかしいらしいから、大丈夫だと思うよ」

「美的感覚が? どういうこと?」

「小林さん」

 

 と、瑞鶴が話しかけてきた。

 なんだろうかと返事をする。

 

「提督さんを見てどう思う?」

「凄い美人だと思うが」

「ね?」

 

 立花提督が目を驚愕に見開いていた。それは他の艦娘も同じだった。

 いや、本当にこの世界だと自分がずれているんだなぁとぼんやりと改めて思う。

 

「ちょ、ちょっと待っててください」

「了解です」

 

 提督にそう言われ、入口で待たされる。

 ある意味失礼な行為ではあるのだろうけど、彼女らの心中を察するに仕方ないかとも思う。まぁそもそも美女に待っててと言われ待たない奴いるのかと。

 

「テートク、これは何かの罠デース!」

「その線はあるかもだよね」

「提督、わたし、初めて頭ポンポンされた……」

「島風ずるいっぽーい!」

「あはは……この後してもらえばいいんじゃないかな」

「時雨もしてもらいたいくせに。潮はどう思うの?」

「曙ちゃん……まだちょっと怖いかな……」

「私はここまでずっと一緒に来たけど、言っていることに嘘はない様に見えたわ」

 

 と、ここまで話してから、一斉にソファーを見る。そこで寝転がっていたのは北上であった。

 

「ん、なに?」

「北上ちゃん、あなたはどう思う?」

「ちゃんはやめてって何度言ったら……まあいいや、で、憲兵さんねぇ」

 

 そう言って自分を見る。

 今までの会話が全部聞こえていたので非常に気まずい。せめて聞こえないように会議して欲しかった。

 

「うーん、まあいいんじゃない?」

「え、そんな簡単に?」

「んー、まぁ少なくとも私たちに嫌悪感は持ってないみたいだし」

「でも、もしかしたら隠してるだけかも……」

 

 人一倍人見知りな潮が小さな声で反論する。

 

「もーしょうがないなー。憲兵さーん」

「ん、なんだい?」

「起こして―」

 

 そう言って寝転がったままこちらに両手を差し出す。

 ふむ、手を引っ張って起こせばいいのかな。

 北上のそばまで行って、その両手を掴む。白くて、すべすべしてて、綺麗な、でも小さな手だった。

 よいしょ、という掛け声とともに引っ張り起こす。

 

「ありがとー。ね?」

 

 提督たちが考え込む。

 え、今の行為がそんなに重要だったのか?

 

「あのね、普通の人は私たちに触れるのも躊躇するんだよー」

 

 北上がそう注釈してくれた。

 そんなもんなのか。ふむふむと1人で納得していると、立ち上がった北上が腰に抱き着いてきた。

 

「ちょ、何してる」

「えへへー、いや、あんまりこういうこと出来ないからさ、やってみたかったんだー」

 

 そういいながら顔を腹部にスリスリしてくる。

 お願いやめて。でもやめないで。

 

「嫌?」

「嫌というよりは恥ずかしいかな。それに挨拶も済んでいない」

 

 可愛すぎるんですけど何なのマジで。天使かよ。ここは天国だったのか。違う世界に転生とか思ってたけど天国にいたのか自分は。

 そろそろやめてくれないと主砲が最大仰角とかほんとにシャレにならんことになってしまう。

 

「あとで嫌になるほどやっていいから、今はちょっと勘弁してくれないかな」

「うん、わかったよー」

 

 そう言って北上は離れるが、ニコニコしながら触れそうなくらい近くで立っている。

 そうして一応離れた北上を確認して視線を戻すと、立花提督が顎に手をやりながら考え込んでいた。

 

「おうっ!」

「おうおうおうおう」

 

 なにか自分にちょっかいをかけようとした島風を、再び頭をぐりぐりして押し留める。

 

「離してよー!」

「今自分に何かしようとしていただろう」

「……憲兵さんは私のこと、なんともないんだね」

「よく分からないけど、なんともないかな」

「最初驚かせようとしたんだけど、空振りしちゃった」

 

 今更だけどよく分かった。世にも醜い顔で急に現れたら、普通はビックリするのだろう。そのまんまお化け屋敷みたいなもんだ。

 まぁ急に現れたのは天使だったけど。

 

「まぁ自分に対してそんなに気にすることはないよ」

「わかった! 憲兵さん、島風のことよろしくね!」

「島風か。よろしくな」

 

 少し微笑みながら島風に返答する。

 やはり間違いなく天使である。

 と、考え込んでいた立花提督が顔を上げた。

 

「小林中尉」

「はい」

「とりあえず、先に着任の処理をしてしまいましょう」

「そうですね、そうしましょう」

 

 そういって、2人で書類等々の処理をする。

 それに関してはそんなに時間がかかるものではなく、すんなりと終わった。

 そのあと、一応大本営にいる、自分をここにやった張本人に到着の報告をいれさせてもらい、ひとまず落ち着いた。

 

「さて、ここから少し込み入った話をします。瑞鶴ちゃん、今鎮守府にいる手の空いている子を食堂に集めておいて。少し挨拶をしてもらって、そのまま軽い食事会を開きましょう」

「わかったわ」

 

 そう言うと、他の艦娘と一緒に執務室を出て行った。まだ金剛や潮や曙あたりは警戒してそうだが、北上と島風に関してはある程度警戒は解けたようだ。

 時雨と夕立は分からん。

 

「さて、先に紅茶でも入れましょうか」

「ありがとうございます」

 

 立花提督が隣室でお湯を沸かしている間、来客用ソファーに座って手元にいる妖精さんと戯れる。

 感覚としてはネコの様な感じで、頭をなでたりくすぐってやるととても喜ぶ。

 しかし、こんななりでも艦娘が艦娘としてあるために必須の存在で、妖精さんが居なければ兵器が使えず、当然のように人間は滅んでしまうだろう。

 だから、われわれ人間は妖精の機嫌を損ねないようにし、艦娘を敬っていないといけないのだ。

 それなのに世間は蔑ろにしてばかりで、まったくもって納得できない。

 まぁ自分は艦娘を敬っているというか愛でている。可愛いし。

 ぷんすか怒る自分に、妖精さんが慰めるように手にすり寄って来た。愛いやつよのう。

 うりうりと指で押したりして2人で遊んでいると、立花提督が戻って来た。

 

「あ、妖精さんが見えるというのは本当だったんですね」

「昔から自分だけ見ることが出来るこの生き物がなんなのか、分かりませんでした。しかし、それを教えてくれた人がいて、その人が道を示してくれたおかげで自分は今ここにいます」

 

 そういうと、立花提督は微笑んだ。

 

「どうぞ、紅茶です。スコーンもどうぞ」

「ありがとうございます。……いい香りだ」

「金剛たちがそういうのが得意でして、私も少し教えてもらっているんです」

「なるほど、それは素晴らしいですね」

 

 和やかに話は始まり、しばしゆったりとした時間が流れる。

 しかし当然立花提督も自分も、それだけで話が終わるとは思っていない。

 

「さて、小林中尉」

「はい」

「まずは再確認です。ある意味ではこれがこれからここでやっていけるかの最重要案件なのですが、……その、……私たちがあまり、その、醜く見えないというのは本当でしょうか」

 

 やはりそれは気になるよなぁと他人事のように思った。

 

「はい、何故かは分かりませんが、貴女方のことを自分は醜いとは思えない。なんでしたら美しいと思ってしまうほどです」

 

 その言葉に立花提督は顔を赤くして俯いてしまった。

 なんとなくそうなりそうな気はしたが、これは認識の共有の為に必要なことなので、耐えてもらいたい。

 というか、自分みたいなイケメンとブサイクの間みたいな人間にそう言われて赤面するとは、何とも度し難い。もっと自分がイケメンだったらよかったのだが、フツメンで逆に申し訳なくなる。いや、美醜逆転してるから、どっちに転んでも嫌だな。フツメンで良かった。

 自分はもともと、どちらかと言えば顔面偏差値は低めだ。だから、ここではちょっとイケメンに見えてるのかもしれない。

 ……たぶん。

 ………誤差の範囲で。

 …………希望的観測だが。

 

「……失礼しました。それでですね、念のための確認なのですが、憲兵とはここ桂島第一鎮守府でどのようなことをされるんですか?」

「基本的には提督の指揮下にならない大本営直轄という形で、鎮守府の監視をします。何か不穏なことがあれば報告し、必要とあれば武力にて鎮圧します。その鎮圧行為に関しては、法律で保障されていますので、それを妨害する行為は原則的に執行妨害で罪となります」

 

 なるほど、と難しい顔をしてまた悩みだす。

 それはそうだろう。ある意味怪しいとハンコを捺され、監視員が目を光らせている状態なのだ。しかも、何が起こっても原則手出しは出来ないときた。あらぬ誤解で艦娘が捕捉されても、正当な理由を提示できなければ助けられないのだ。

 こんな不条理な話があってもいいのだろうか。

 ……だから、というか実は本来の意味合いは別にある。

 

「不安にお思いなのも分かります。ただ、文面での説明はこのようになりますが、実務上は異なります」

「え? 違うんですか?」

「はい。まず、そもそも全ての鎮守府に憲兵がいるわけではありません。それ以外の業務の方が主ですし、たいていは大本営と、呉や佐世保などの大きな鎮守府に所属しています」

 

 これは立花提督も知っていたようで、コクリと頷く。

 もともとは対深海棲艦として組まれたのが前身であり、そのときの経験を生かして提督や艦娘に陸での訓練をしたり、報告書や稟議書の手伝いをしたりする。そして、ひとたび戦闘が始まれば鎮守府を守るために総出で陸を守るのだ。

 

「では憲兵が派遣されるされないは、どこで決めるのか分かりますか?」

「……やはり、大本営に対し危険性があると判断されるか否かでは?」

「確かにそういう側面もあります」

 

 事実、過去に何度か艦娘が反旗を翻したことがあった。結果がどうであれ、その事実が重要で、これを機に艦娘の待遇を見直す動きが見られるようになった。

 

「正解は、外からの危険性があり、守る必要があると判断されるか否か、です」

 

 ぽかん、とした顔をしている。

 やはり自分の説明は分かりにくいかな。

 

「つまり憲兵とは、実際は鎮守府を守るために、そして補佐するために存在します。歴史上存在した憲兵とは、もはや別物です。守る過程で艦娘自体が危険であると判断されたなら、大本営の許可のもと、自分は鎮圧に向かうでしょう。しかし、それはあくまで付帯業務であり、やはり守るというのが主業務であろうと自分は考えます」

 

 立花提督はまだぽかんとした表情のままだ。

 

「そういえば自分がここへ来た理由をまだ言っていませんでしたね。これはまだ公表していませんが、近く、シーレーン復活のための侵攻作戦が発令されます。この鎮守府もそれに少し関わっているらしく、そのための一つの保険としての憲兵です」

 

 長く話過ぎた。ここらで締めさせてもらう。

 

「ですので、これから忙しくなるでしょう。何か困ったことがあれば遠慮なく自分に仰ってください。きっと、力になりましょう」

 

 そう言って、ソファーに体を預ける。

 ゆっくりとだが理解が追い付いてきた立花提督は、少し瞑目し、同じようにソファーに体を預けた。

 

「なるほどね……。でもそうなると、憲兵が置かれていない鎮守府は大変そうですねぇ」

「確かにそうですね。あまり重要ではなく、仕事に真面目で、艦娘が強力であるならば、基本的に置かれることはないので」

 

 現在の憲兵という概念からすると、置く意味がない、といったところか。

 

「そっか、じゃあこれからいろいろお願いする事になるかもしれませんね。是非ともよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ、よろしくお願いします」

「それと」

 

 そう言うと、立花提督は少しはにかみながら続けた。

 

「この鎮守府は、みんな仲良くっていうのを目標としているんです。公的な場でない限り、砕けた口調でお願いしてもいいですか?」

「それはいいことですね。……じゃあ改めて、これからよろしく」

 

 そう言って右手を出す。

 最初何の手だろうかと首をかしげていたが、得心がいったようで、しかしおそるおそる右手でそれを握りこんだ。

 

「しかし、小林中尉」

「なんだ?」

「さっきの鎮圧の話だけど、必要とあらば艦娘も、みたいな話をしたよね。たとえ陸の上とはいえ、艦娘を鎮圧なんて出来るの?」

 

 そう言われるも、にこりと自分は笑う。

 

「まぁ、人の形をしている以上、やりようはいくらでもあるさ」

 

 後ほど聞いた話だが、その時の自分の笑顔はなぜか怖くて仕方がなく、握った右手が心配でならなかったそうだ。



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004 - ルビーの瞳

「さて、じゃあそろそろ食堂へ行きましょうか」

 

 そう言って立花提督が立ち上がる。

 それに追従する形で、腰を上げた。少し話し込んでしまい、もうそろそろ正午になりそうだった。

 

「……正直なところ、外部の人間は信用ならないと思っていたの」

「ほう」

「私は、たとえ醜い存在と疎まれようと艦娘を率いて提督として人間を守る、そう決めた。でも、その守るべき人から疎まれ続けるうちに、その覚悟が少しずつ揺らいでいったの」

 

 それも、納得できる話だった。

 自分を排斥する人間を、誰が守ろうというのか。

 

「どうしようって思ったの。このままじゃ私は提督という肩書は背負えない。……だから私は、艦娘の為に戦うことにした。いつか艦娘たちが笑って、山登りをして頂上でお弁当を食べたり、水族館で魚を見てはしゃいだり、そういうなんでもないことを実現したいと思ったの」

 

 なんでこんなこと話してるんだろう、と彼女は頬を掻きながら照れたように取り繕った。

 いや、なるほど。

 

「その気持ちはとても尊いものだと思うよ。大事にするといい」

「人間を助けないって言ってるのに?」

 

 立花提督は、少し自虐的に笑った。

 

「いいや、結果的にそれは、人間を助けることに繋がっている。その夢だけ実現したいなら、逆に艦娘で人間を駆逐してしまえばいいんだ。そうすればほら、君たちを疎む存在も消えて、艦娘たちは笑いあえて、万々歳じゃないか」

「でもそれは――」

「ね、そこなんだよ」

 

 ずいぶんと人間味のある提督さんじゃあないか。人間と疎遠になりたがっていても、やはり捨てることは出来ない。

 そういう心を持っている。

 そういう人こそ、提督という価値ある肩書に向いている。

 

「そういう優しさが、貴女を貴女足らしめているんだろう。だから、それはとても尊いものだよ」

 

 分かり切ったようなことを言ってすまないね、と一言詫びておく。

 しかし、やはり立花提督は恥ずかしそうにしていた。

 ……翻って自分はどうか。先程の様な、人を駆逐してしまえという発想が出る時点ですでに、提督というものからはかけ離れているだろう。人としての心が足りていない。

 だから、自分は提督になりたくなかった。

 だけど、提督の力になりたかった。

 

「……さ、食堂とやらに向かおうか。もうみんな待っているんじゃないか?」

「う、うん、そうだね、行こうか。ついてきて」

 

 いくらか敬語が抜けて、おそらくこれが本来の立花提督であろう少し幼くなったような話し方が自然になってきた。

 改めて思う。めっちゃ美人。

 先程くぐった執務室の扉を今度は反対側から押し開けるが、入った時の様な重苦しい音は聞こえなかった。

 ところで、と立花提督に話しかける。

 

「この鎮守府には何人くらいの艦娘がいるんだ?」

「あれ? 配属されるときの資料に書いてなかったかな」

「……実はあまり目を通せていないんだよ。この配属に関しても割と急な辞令でね。受け取ってからの数日は準備に追われていたんだ」

「そっか。今この鎮守府には80人くらいが所属しているよ」

「具体的な数字はないのか?」

 

 そう言うと、少し迷ってから話し出した。

 

「ここは少し特殊な鎮守府でね。他の鎮守府から艦娘を受け入れて、訓練する場でもあるんだ。もちろん通常業務はあるけどね」

「なるほど。それで入り混じっているから、所属艦は不定数なのか」

「……その送られてきた子が、返してもらう気のない艦娘だったりするから。所属は他のところだけど、実務上はここの鎮守府で運用してる子もいるからね。だいたいの数しかだせないんだよ」

 

 これは、あまりまだ聞かない方がよさそうかな。

 

「あ、提督さんっぽーい!」

 

 と、通路の先に明るい金髪の子と、黒髪の子が見えた。

 あの横ハネした耳みたいな髪の毛は、さっきも見た夕立と時雨だろう。

 

「あら、夕立ちゃん、時雨ちゃんも。どうしたの?」

「遅いからむかえに来たっぽーい! 早く早くー!」

「あ、ああ、引っ張らないでぇ」

 

 ぐいぐいと引っ張られる立花提督を眺めながら、遅れないようについていく。

 と、横に並んだ時雨がこちらを見上げてきた。

 

「さっきも会ったね。自分は憲兵の小林だ。よろしく頼むよ」

「もう知ってるかもしれないけれど、僕は時雨。白露型駆逐艦の二番艦だよ」

 

 よろしく、と涼やかな声が響く。

 

「憲兵さんは不思議な人だね」

「一言目にしてはなんとも辛口な評価だね。まぁ仕方ないといえば反論の余地はないのだけれど」

 

 ここまで何度自分の価値観を疑ったことか。

 

「あ、いや別に悪い意味で言ったんじゃないさ。どちらかと言えばいい意味じゃないかな」

「さて、それはどんな意味なのか自分には見当がつかないな」

「本当かい? それは残念だね。あ、今のは悪い意味だよ」

「それはだいたい分かるからあえて口に出さなくても大丈夫かな」

 

 なんとも小気味良い会話の応酬だった。

 そうこうしているうちに、食堂に到着したようだった。少し前からいい香りが漂ってきていて、お腹が主張を始めていたのだ。

 

「小林中尉、ここが食堂です。先に私が入るので、呼んだら来てください」

「了解です」

 

 一言済ませ、立花提督は食堂へ入っていった。時雨もそれに続いて入った。

 よし、何も言うこと考えてないが、どうしよう。一発ギャグとかした方がいいのだろうか。いや、自分のキャラ的に不可能である。普通にやろう普通に。

 なんてことを考えながら待っていると、不意に視線を感じた。

 つい、と視線を巡らせると、少し離れたところに、金色がいた。

 

「――夕立? どうしたんだそんなところで。入らないのかい?」

 

 そう言えば入っていったのは立花提督と時雨だけだった。

 夕立は、何か理由があってここに残ったのだろうか。

 

「……憲兵さん」

「どうした?」

 

 夕立の目は、酷く怯えていた。先程立花提督を引っ張っていった時とはまったくもって別人のようだった。

 ――パーソナルスペース、という概念がある。人と人との距離感のことだ。家族が触れるくらい近くで立っていても気にならないが、それが知らない人ならそうはいかないだろう。

 憲兵としての職務をするにあたってそういうことも学ぶのだが、夕立との距離は約2メートル。これはかなり警戒されている距離だ。

 

「……憲兵さん、お願いがあるっぽい」

「なんだろうか。自分に出来る事ならなるべく努力するよ」

 

 夕立は静かに、祈るように手を合わせて、震える身体を隠しながらこちらを見た。

 怯えないように、無言で続きを促す。

 

「あの、私と、……仲良くして欲しい……っぽい」

 

 ……ん?

 どういうことだ?

 

「仲良く……とは具体的にどういうこと?」

「ッ、あ、あの、おしゃべりしたり、お昼ご飯を一緒に食べたり、そういうことしたいなって、思って……」

 

 夕立は視線を下げてしまった。

 ふむ。

 これも逆転の影響なのだろうか。でも、ちょっと夕立のこれはなにか違う気がする。

 

「それくらいなら喜んで。自分もまだここに来たばっかりだ。よければこの後暇なら、鎮守府内を案内でもしてくれないかな」

 

 そういうと、夕立は落としていた視線を驚いたように上げた。

 

「いいっぽい!?」

「ん、構わないよ。というかむしろこちらからお願いしたことだし」

 

 そういうと、わちゃわちゃと動き出した。嬉しさが溢れてくるのを、どうにかしたいけどどうにもできないような動きだった。

 ここでばあちゃんちの犬を思い出すのは失礼だろうか。

 そして、飛び上がったり足踏みをさんざんした後、こちらを振り返り、

 

「憲兵さん! 握手して欲しいっぽい!」

 

 そう言った。

 もちろん自分に否はない。

 

「これからよろしくな、夕立」

「~~~~~ッ!!」

 

 がばちょ。

 そんな擬音がぴったりだろうか。

 握手をして、よろしくと言って、笑いかけた次の瞬間には捕食されていた。

 いや、食べられてはいないのだが。

 単純に、夕立が抱き着いてきたのだ。

 

「ちょ、おい、どうした」

「………」

 

 夕立は自分のお腹に顔をうずめたままピクリとも動かなかった。

 先程の北上の感じとは違う。何か、必死さを伴うものだった。

 それを何となく感じ取り、払うようなことはしない。ゆっくりと夕立の頭を撫でることにする。

 少しびっくりしたように震えたが、後はもうされるがままだった。

 ――ふむ、と思考を巡らせる。

 実はさっき見て取れたのだが、夕立の手が気になった。

 艦娘というのは不思議な存在で、戦闘でダメージを受けても基本的に体に傷を負うことはない。全て纏う服と装備に蓄積される。

 しかし無傷というわけでもなく、損傷したダメージは入渠することによって回復される。たとえそれが死に体であってもだ。

 しかし、夕立の手には、なぜかいくつもの裂傷があった。それもただ傷があるのではなく、古傷だ。

 これは変だ。さっきの入渠というものがある以上、傷は癒えるはずなのだ。

 もし傷が残る状況と言えば、治療されずに放置されたか、傷が癒える前にさらに傷を負う状況が続いたか、自分で治療を拒否したか。

 いずれにしても、ただ事ではないだろう。

 果たしてこれは自分が介入するべきことなのか。

 そんなことを考えてるのと、夕立がごそりと動いた。

 

「……憲兵さん」

「なんだ?」

 

 夕立は顔を上げる。

 

「私は、――信じていいの?」

 

 そのルビー色の瞳に吸い込まれそうだった。

 だが、言葉に窮することはなかった。

 

「ああ、構わないよ。信じた分、裏切られたと感じることがないよう努力するさ」

 

 そう言うと、もう一度夕立が抱き着いてきた。それは先程の必死なものとは、また違った雰囲気だった。

 と、なんとなく夕立に集中していたが、耳端に何か引っかかるものがあった。

 

「――さーん、小林中尉ー? 小林さーん?」

 

 あ、と思い出した。

 立花提督が呼んでいる声だ!

 

「夕立、すまないが離れてくれ、立花提督が呼んでいるから入って挨拶しなければならない!」

「………」

 

 夕立は無言のまま抱きしめている。

 いや、こんなタイミングでどうかとは思うが、それはそれ、これはこれだ。

 

「あの、夕立? 夕立さん? おーい」

「むー!」

 

 いや可愛いけど。可愛いけど! 凄く心苦しいよ自分だって!

 などと思っていると、不意に拘束が解かれた。

 

「すまない、さっきも言ったが後で案内を頼む。ではっ」

 

 そう言い捨てるようにして、扉に手をかけた。

 少しの力で開いた扉の向こうは、やはりとてもいい香りがした。

 何人いるか分からない数の艦娘たちの視線が集まるのを感じる。そこには色々な感情がこもっていたが、まだ触れるべき時じゃない。

 前を向けば立花提督がにこりと笑いかけ、こちらですよとジェスチャーをしてくれた。

 これが自分の憲兵としての始まりなんだ。

 そう思うと自然と背筋が伸びる気がした。

 いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。

 そう思い、一歩踏み出した。

 ――そして、次の瞬間には後ろからの衝撃を受けてその一歩を踏み出せず、食堂の床にヘッドスライディングを決めた自分がいた。

 

「むー!!」

 

 むくれた夕立を背に、なんだこれ、と自問自答しながら。

 

 どうやら、自分の憲兵としての始まりは、こんな感じらしい。




なんとなく分かるかもしれませんが、私は北上さんが大好きです。あのぐでーっとした感じがたまらない。


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005 - 挨拶する憲兵

「先程紹介に預かった小林憲兵中尉です。憲兵としての配属だけど、基本的に立花提督の手伝いと鎮守府の警備といった業務の方が多いだろうと思う。これから何かと顔を合わせる機会は多いと思うけど、用事があれば何でも言ってくれていい。きっと、助けになろう。これからよろしく頼む」

 

 そう言って締めくくる。

 艦娘たちからは、懐疑の目もあるがある程度の拍手をもらえた。

 

「さて、では小林中尉に質問もあるだろうけど、それは食事をしながらにしましょう。それに、小林中尉も同意してくれたけど、公的な場でない限りは気軽に話しかけてもらって大丈夫だから。だから遠慮なく絡んであげて下さーい」

 

 言い方が若干気になるが、まあいいとしよう。問題はないし。

 それよりも、ここからどうやってこの状況を打開していくかだよなぁ。

 一応食事会ということで来たのだが、いやはやこんなに静かで誰も食事を取りに行かない食事会は初めてだわ。誰か助けて。

 と、1人の女性が立ち上がり近づいてきた。

 

「初めまして小林中尉。私は正規空母の赤城です」

「こちらこそ初めまして」

「すいません、先程提督からも聞いたのですがもう一度確認の為に聞かせて下さい」

「ああ」

 

 もう何度聞かれただろうか。

 それに、もう答えも決まっている。

 

「私たちのことがどう見えていますか」

「……自分から見てではあるけど、君たちは綺麗だ。その容姿は自分の前で隠す必要はない。それに、自分は君たちを尊敬している。国のために没し、しかし今再び国の危難のために命を燃やしている。それを尊敬こそすれ、蔑むことなどありえない」

 

 これは紛れもなく本心だ。

 いくらある程度の海域を確保しても、それで安心とは全く言えない。しかし人は、自分だけは大丈夫だと勘違いをする。危険性を過小評価する。

 それは正常性バイアスという当然の作用ではあるが、だから危険なのだ。

 

「だから、気にすることはないよ。自分も君たちとは仲良くなりたいと思っているし。それに、信頼関係がないと意味ないからね」

「……私たちの様な存在に、寛大な対応ありがとうございます。その言葉が真であるなら一つお願いしたく思います。……私と握手してもらえますか?」

「もちろん喜んで」

 

 手と手を合わせる。

 思ったよりもしっかりした手だった。弓を引く手だからだろうか。

 

「そういえば、一応こういう口調が自分の癖なんだけど、不快に思ったのなら言ってくれ。人によっては上から目線だとか威圧感があるとか言う人もいるんだ」

「いえ、私たちの口調の方が無礼にならないかと心配ではあります」

 

 うーん。やけに、自己評価が低い。

 ここに来てからずっと、変な違和感がある。どう考えたって、艦娘の自己評価が低い。

 こんな世界なら仕方ないのかもしれないが、それを原因としてしまうには彼女の態度は特に不可解が過ぎる。

 

「……もう少し砕けた態度で構わないよ? 自分もあまりそういうのは慣れていないし、この鎮守府の方針にそぐわないところでもあるだろう?」

 

 そう言うと、赤城は少し困惑したようだった。

 

「いえ、言っておりませんでしたが、私はこちらの艦娘たちの代表として立っております。であるなら、きちんとした態度でお迎えしなければなりません」

 

 きちんと、ね。

 まだ疑問は晴れないけれど、いつまでもここで話し込むわけにもいかない。

 ちらりと立花提督に視線を移すと、どうやら察してくれたようだった。

 

「さて、こうしてても仕方ないからさっさと食べちゃいなよー! 午後からまた訓練あるからねー!」

 

 立花提督がそういうと、ぽつりぽつりと、そのうち皆が食事をとるために立ち上がり始めた。

 この食堂はどうやら食券制のようだった。

 とはいえ学食のように何種類もあるわけではなく、今日に関しては五種類ほどの選択が出来るようになっていた。

 さて、と自分はどこで食べようかと迷っていると、立花提督からちょいちょいと手招きされた。

 

「小林中尉、こちらで食べましょう」

「ああ、ありがとう」

 

 そう言ってそのテーブルに近づくと、先ほど執務室であった艦娘たちがいた。

 それと同時に後ろから軽い衝撃があったが、それは今は置いておく。

 

「すまない、お邪魔するよ」

「テートクが誘ったのデスから、楽しくお喋りしまショウ」

 

 自分の斜め向こうで、金剛がにこりと笑った。

 金剛といえばもっとはっちゃけたイメージがあったのだけど、例えばバァァァニングッッ(溜め)ラアァァァァァブ!!!(相手は死ぬ)くらいのイメージなんだが。

 個体差があってもおかしくはないから、そこまで気にすることではないかもしれないけど。

 

「まあ少なくとも来たばかりの自分に対して取る態度ではないか」

「何か言いマシタ?」

「すまない、何でもないよ」

 

 さて自分も何か取りに行こうかなと思っていると、ストンと自分の目の前に皿が置かれた。

 ハンバーグ定食のようで、上にかかったデミグラスソースが匂いと色で胃に訴えかけてくる。

 その皿を差し出してくれた手をたどると、潮がいた。

 

「ひ、あ、あの、よければ、召し上がって下さい……」

「自分のために? ありがとう、喜んで頂くよ」

 

 そう微笑みながら伝えると、パタパタとまた受取口へ向かって行った。どうやら自分の分を受け取りに行ったらしい。

 まだまだ時間はかかりそうだが、こうしてお世話をしてくれているのを見ると、なんだろう、ちょっと自分の子供を見ているような感覚に陥る。これが父性というやつだろうか。

 

「ちょっと憲兵さん、もう手を出してるの?」

「憲兵さんは小さい子が好きなのー? っていうか座ったら?」

 

 自分の両側へ座ったのは、瑞鶴と北上だった。

 さっきぶりだが、ずいぶんと砕けてくれたものだ。当然、こっちの方が楽でいい。

 

「いや、いい子だなと思ってな。いつもあんな感じなのか?」

「まぁそうね。潮はいい子よ」

「駆逐艦だけど、ウザくないから嫌いじゃあないかねぇ」

 

 潮もそうだけど、一つのテーブル上で自分から一番遠い位置で昼食を取っている曙も、いい子には違いないんだろうな。

 

「しかし、なんでハンバーグ定食なんだろう?」

「あー、多分それは、潮が一番好きな料理だからじゃないかしら。気に入られたんじゃない?」

 

 なるほどな。本当にそうなら嬉しい限りだ。

 と、不意にその曙がこちらを見た。

 

「ねえアンタ」

「ん、自分のことかな。なんだ?」

「なんで誰も突っ込まないのか知らないけど……腰のソレ、どうにかしたら?」

「……ふむ」

 

 曙の視線は自分というよりは、その後ろに向けられていた。

 それもそのはずである。

 赤城との掛け合いが終わり、食事をしようとこちらへ来たとたんにこうなったのだ。

 

「……なあ」

「む」

 

 自分を後ろから羽交い絞めにする一つの影。

 そこにいたのは、まだ何かに怒っている夕立だった。

 たぶん夕立のことを無視する形で挨拶へ向かおうとしたからなんだろうけど……、なんでここまで怒るんだい君は。

 

「どうしたんだ一体。何か怒らせてしまったのなら謝らせて欲しい。しかし、自分の頭ではどうも思いつかないんだ。どうか教えてくれないか?」

 

 どう言えば伝わるかと考えながら言葉を口にするが、なんとも変な言い回しだ。

 

「……夕立」

「え?」

 

 ぼそりと夕立が呟いた。

 

「夕立って呼んで欲しいっぽい」

「夕立? さっきからそう呼んでいるだろう」

「でもさっき、夕立さんって言ったっぽい」

 

 え、ああ、いや確かにそういえば呼んだけど。え、それだけ?

 

「あらあら、夕立ちゃんとは仲良くしてあげて下さいね」

 

 あらあらあらと言いながら脇をすり抜けていく愛宕。その手にあるトレイにはうどんが大盛りで乗っていた。

 

「さん、は、嫌っぽい……」

 

 愛宕に気を取られていたが、夕立は真剣な目をしてこちらを見ていた。

 

「そ、そうか、夕立。すまなかったな。そんなに深い意味はなかったんだが、不安にさせてしまったんだな。今度からは気を付ける」

「ん」

 

 そう言って仕切り直して抱き着く夕立の髪の毛を、両手を後ろに回しわしゃわしゃと撫でる。

 うにゃうにゃと言っているが、嬉しそうだ。

 

「お腹すいたっぽい!」

「そうだな、夕立はそろそろ離れようなー」

 

 そう言って優しく席へ促すと、しぶしぶ立花提督の隣の席へと向かって行った。金剛やほかの艦娘たちが迎え入れ、夕立はまた笑顔になって、どうやら自分のことを周りに話しているようだった。これは気恥ずかしい限りだ。

 

「どうやら仲良くなれたみたいだね」

「時雨か」

「僕も夕立と仲良くなってくれると嬉しいよ」

「ふむ……、時雨、少し聞きたいことがあるんだがいいか?」

「まだ駄目だね。もう少し僕の好感度を上げてからもう一度言うといい」

 

 夕立のことを聞こうとしたが、素気無く跳ね返されてしまった。

 

「これは手厳しい」

「若しくは夕立から直接聞くんだね。憲兵さんなら話してくれるかもしれないよ?」

 

 どうやら自分の聞きたいことも当然のごとく知っているようだった。なかなか強かな子らしい。

 

「ま、いいか」

「いいの?」

「ああ。少しずつみんなのことを分かっていけたらいいさ」

 

 ふぅん、と時雨は息を漏らした。それはあまり不快なものではなかった。

 

「さて、じゃあとりあえず座ってもらえるかな」

「ん? ああ」

 

 さて、と、時雨は後ろから肩に両手を置いた。

 

「みんないろいろ聞きたくてうずうずしてるだろうから、ここらで僕は手を引こうと思う」

「んん?」

「じゃ、頑張って」

 

 スッと時雨が離れる。

 と、同時だった。

 

「どうも初めまして青葉と申します小林憲兵さんですねよろしくお願い致しますで聞きたいことがあるのですがよろしいでしょうか!!」

 

 すごい勢いですね……!

 

「あ、ああ」

「ではまず――」

 

 今はただ、ハンバーグが冷めないうちに終わることを願うばかりだ。




全然いちゃいちゃ出来なかった。いちゃいちゃしたい。というか父性を感じてほしい。
次からは、できれば艦娘個別の話にして交流できたらいいなと思う(希望)。
あと、なんでかシリアスな話に持っていきたがるこの手が憎い。いちゃいちゃさせて。


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006 - 金剛からみた憲兵さん

 私はまだ小林憲兵を信じたわけではない。

 信じたいという気持ちはあるが、まだ否定される恐怖を越えられずにいる。

 

「なぁ金剛といったかな」

「ハイ、なんでショウ?」

 

 食堂で、なんとか青葉の猛攻を凌ぎ切った憲兵さんが、話しかけてきた。

 

「ここはやっぱり金曜日はカレーなのかな?」

「Yes、そうデスネ。メニューの一つに入りマス。だいたいその日はみんながカレーにするのデスが、調子が悪い娘は違うメニューにすることもありマース」

 

 なるほどねぇと頷く。

 少し瑞鶴とも話したが、飛び切りかっこいいというわけではないようだ。しかし、そもそもこちらを拒否せずに話しかけてくれる人が珍しいし、艦娘に対しこんな普通の対応をしてくれる人も珍しい。というか、わが鎮守府の提督以外に見たことがない。

 であるなら、なるほど、これは違う意味でかっこいいのかもしれない。

 

「憲兵さーん! どっちが早く食べ終わるか勝負しよー!」

「すまない島風……自分は早く食べると調子が悪くなってしまうんだ」

「え、そうなの? じゃあ島風が食べるとこ見てて!」

 

 嘘か本当か分からないようなことを言いながら、猛スピードで食べる島風を憲兵さんはニコニコしながら眺めている。

 それはどちらかといえば父親の様な顔をしていた。若しくは孫を見るような。

 

「ねー、金剛」

「oh、センダイ、どうしマシタ?」

 

 後ろから話しかけられて見やると、川内がこちらの肩を叩いていた。

 普段はあまり話すような仲ではないのだが、やはり憲兵さんが気になるようだった。

 

「金剛的にはどうなの? 小林憲兵って信用できる?」

「……正直マダ分からないデース。ただ、どうやらワタシ達の常識は、あまり通用しないみたいネ」

「いやま、そうなんだろうね。私たちにあんな態度取る人なんて、珍しいってレベルじゃないからね。最初提督にマスクは外していいよって言われてびっくりしたもん」

 

 そうなのだ。憲兵さんが最初食堂に入る前に、提督からある程度の説明を聞いていた。その際、通例通りマスクをしていたのだがマスクを外すように指示を受けたのだ。

 びっくりした。

 もしそんなことをすればせっかく着任した憲兵さんが辞めてしまわないかと思ったのだ。そもそも提督の補佐に近い事をすると聞かされてからのマスクの話だったので、おそらく皆がそう思っただろう。

 しかしその考えは改めざるを得なかった。

 私達の顔を見ても嫌な顔をせず、あまつさえ自然な笑顔を向けて来てくれたのだ。

 提督の判断は間違いではなかったのだ。というか、今考えると食堂で顔合わせ、というのはかなり仕組まれた事なのかもしれない。

 だって、食堂は食事をするところだ。食事は経口摂取するものだ。つまり、マスクを外さないと食べれない。

 どちらにせよそれは成されることだったのだ。

 ……わが提督ながら、恐ろしい。

 

「金剛ちゃんからなんか尊敬の目を向けられている気がするんだけど、なんでだろう……」

「どうせまた変に勘違いして提督すげーってなってるんでしょ。さっさと食べて仕事するわよクソ提督」

「次それ言ったらラブリーマイエンジェルぼのたんっていう愛称を全力で広めます」

「すいませんでした」

 

 何か提督と曙が話しているが、小さい声過ぎて何を言っているか分からない。

 ところで憲兵さんは、と見ると、

 

「憲兵さーん、北上様は食べ終わりましたよー」

「ああ、そうか」

「そうかじゃないよー遊んでよー」

「北上はこの後何か仕事とかないのか?」

「ないよー」

「嘘言いなさい。私と一緒に演習よ」

 

 北上と瑞鶴と遊んでいた。

 

「まぁ私はどっちでもいいし、暇だったら絡んでみるよ」

「OK、ほどほどにしてあげてネー」

 

 それは確約できないかなー、といいながら川内は離れていった。でも、憲兵さんが川内におちょくられている光景があまり目に浮かばない。

 これは面白くなりそうだ。

 と、それと入れ替わるように天龍と龍田がやってきた。駆逐艦を率いる遠征の旗艦を務めることが多い二人だから、今後のことを考えてのことだろうか。

 

「なぁ、憲兵さんよ」

「ん? ああ、初めまして」

「オレの名は天龍。フフフ、怖いか?」

「え、ああ、そうだな?」

 

 物凄いあっけにとられているけど、普通の人はそもそも容姿が恐ろしいと感じるはずだから。正直そもそも艦娘が揃うこの場が、なかなかのホラーハウスだから。たぶんその辺の自覚がないんだろうなぁと思う。

 

「初めまして、龍田だよ。天龍ちゃんが迷惑かけてないかなあ~?」

「初めまして。大丈夫だよ。元気なようで何よりだ」

 

 その言葉に、きょとんとする天龍と龍田。まぁ普通に挨拶出来ること自体が稀だから、そういう反応にはなるだろう。

 

「先程と同じになるが、小林憲兵中尉だ。今後ともよろしく頼む。それで、何か聞きたい事でもあったかい?」

「……いや特にはねぇが、顔見せだな。オレたちは基本的に水雷戦隊を率いて遠征が主な仕事だ。だからあんまり顔を合わせることがないだろうから、やっておこうと思ってな」

「いや、これは丁寧にありがとう」

 

 そう言った憲兵を、天龍が興味深そうに監察していた。

 

「なぁ憲兵、結構体鍛えてるよな」

「ん、まぁそうだな。それなりには鍛えている」

「今度オレと訓練してみないか」

 

 その言葉に慌てたのは龍田だった。

 

「ちょっと天龍ちゃん、それはやめておいた方がいいわよ? 憲兵さんは本職だし、私たちは艤装がなければ力は普通の人と変わらないんだから」

「だからじゃねぇか」

 

 ふん、と天龍は龍田に向き直った。

 

「力が弱いから力を手に入れようとするのは間違いじゃない。それに、オレには守ってやらなきゃならんガキどもがいるしな。いざって時に艤装がないからダメでした、なんて言い訳は言いたくない」

 

 確かにその通りだ。その言葉に心打たれたものは少なくないだろう。

 天龍と龍田は確かに遠征組だ。しかし決して弱いから前線にいないわけではない。遠征というのはそもそも速度があり燃費の少ない駆逐艦が起用されることがほとんどだ。その駆逐艦たちは、だいたいが小学生くらいの姿をしている。

 その駆逐艦を守れるだけの力量がそもそも前提でないと、遠征の旗艦は任せられない。

 

「なるほど、いい覚悟だ。自分が習ったものの中に護身術も含まれている。今度時間があるときにでも一緒に訓練しようか」

「ホントか!? いやぁ話の分かる憲兵でよかったぜ! よろしくな!」

「憲兵さんごめんね~。天龍ちゃん思い立ったら行動しないと気が済まないから」

「ははは、いや構わないよ。自分も自主トレはタイミングを見つけてするつもりだったしな」

 

 絶対だからな!と嬉しそうにしながら天龍は戻って行き、龍田は憲兵さんに会釈してから天龍に続いた。

 遠征による資材の確保は、鎮守府が機能するにあたって大前提のものだ。unsung heroes……縁の下の力持ちとは全くもってその通りだろう。

 さて、と憲兵さんは北上に振り向いた。

 

「北上、すまないが自分はこのあと夕立に鎮守府内を案内してもらう予定なんだ」

「あ、そうなんだ。夕立、ねぇ。あの子は嫌いじゃないけど……ちょっとウザいかなぁ……」

 

 北上がそう言うのは、わりと珍しい。いつも中間に立っていて、広い視野で物事を見ることが出来るのが北上という少女だ。この鎮守府の古株であることは皆が知っているが、その慧眼には時折鋭いものが潜んでいる。

 そんな彼女がウザいというのは、夕立という少女が問題を抱えているからであって、それをウザいと表現したのだろう。

 

「ほう、なるほど。ありがとう北上、よく話してみるよ」

「え、うん……え、意味分かったの?」

「いや、なんのことだか分からないけどね。でも何かあるんだろう?」

「それは……そう、まあ、そうねぇ……」

 

 北上が言い渋るのも無理はない。

 

「嫌だねぇ、心を見透かされてるみたいでさ」

「別に自分はエスパーでも何でもないさ。偶然だよ」

 

 もし私たちがエスパーで、そんな簡単に人の心が読めたなら、私たちは苦労しないだろうか。いや、むしろ常に悪意にさらされるのだから、今よりつらいこともあるかもしれない。

 つらいのは嫌だなぁ。

 

「なぁ金剛」

「ン、なんデース?」

 

 急に話しかけられ、かろうじて体裁を整えて返事をする。

 

「自分でもある程度確認はして来たんだが、少し意見が聞きたい。この鎮守府において、もし侵入されるのであれば、どこが一番危険だと思う?」

「……なぜワタシに?」

「いや、この中だと金剛が一番適任じゃないかと思ってね」

 

 あえて名前を付けるなら、やはりこれは嬉しいという感情なのだろうと思う。

 

「Thank youね。でも、ちゃんとしたことが聞きたいならアカギやセンダイに聞いた方がいいと思うヨ」

「なるほどね、後で聞いておこう。それで、金剛はどうなんだい?」

 

 それでもなお自分に聞いてくる憲兵さんに少し笑みが漏れる。わりと自分の意見は曲げない性格のようだ。

 

「おい、なにか自分は笑われるようなことをしたか?」

「気に障ったのならsorryね。そういう意味じゃないデース」

「なんなんだ一体……」

 

 少し不貞腐れるように言う憲兵さんに、笑みが深くなる。

 

「憲兵さんは変な人だからねー」

「おい瑞鶴。変な人呼ばわりはやめてくれ。自分が憲兵に捕まってしまうじゃないか」

「それはあまりに喜劇だねぇ」

「立花提督も乗らないで。自分にとっては悲劇になっているから」

 

 いじられる憲兵さんが可愛そうになってきたので、自分が考える鎮守府の脆弱なところを考えながら上げていった。

 それに対し、ふんふんと頷きながら、中空を見つめていた。おそらくは自分の頭の中の地図に照らし合わせて聞いているのだろう。

 つまりそれは私の言葉をちゃんと聞いてくれているということで、それはとても嬉しいなと思った。

 少し憲兵さんのことが分かったような気がした。

 この人は、少し口調が厳しい印象があったが、中身はそうでもないようだ。普通にいじられるし、普通に会話もする。聞きたいことがあれば聞くし、尋ねられれば答えるのだろう。

 

 こんな、――こんな兵器相手にも。

 

 憲兵さんはいい人だ。でも忘れてはいけない。私たちは兵器だ。

 考えることのできる兵器であることを忘れてはいけない。

 話し終えた私に、憲兵さんはなるほどと呟き、ありがとう、と言ってくれた。

 ……信じては駄目だ。また、裏切られたら、つらいから。



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007 - 姉としての矜持

「ふぅむ」

 

 と、不意に憲兵さんが変な声を出した。

 それはどうやら自分にしか聞き取れなったらしく、いつの間にやら憲兵さんが自分のことを見つめていた。

 それがどうも恥ずかしく、居心地が悪くて俯いてしまう。

 

「すまない、少しお手洗いを借りたいんだが……金剛、良ければ案内してくれないか?」

「え、ワ、ワタシが?」

「ああ」

 

 周りを見渡すも、特に憲兵さんの行動に疑問を持っている者はいなかった。初めてここに来る人にお手洗いを案内するだけなのだから、なにもおかしいことは無いのだ。

 それでも、なにか嫌な予感がするが、私はこう答えるしかない。

 

「OK、Follow meネ」

 

 そう言って憲兵さんを連れ立って食堂を出た。

 火を使う食堂よりは幾分マシな廊下ではあったが、それでもなお気温と湿気は体にまとわりつき、異質な不快感があった。

 また、時期が時期だけに蝉の声がうるさいくらいに降ってくる。音の波に吞まれる様だ。

 お手洗い自体は遠くない。食堂を右に出て、最初の曲がり角を左へ曲がればすぐだ。たぶん1分もかからず到着する。

 しかし、予感というものは当たるものだ。お手洗いに着く直前、憲兵さんは立ち止まった。

 

「なぁ金剛」

「Yes?」

「ここは蒸し暑い場所だな」

「そうデスネ。南寄りの鎮守府デスし、これはどこも一緒デスが、海風とはそういうものデース」

 

 なるほどその通りだとご納得して頂けたご様子。

 

「なぁ金剛」

「Yes?」

「普段はどこで寝てるんだ?」

「艦娘専用の宿舎が別棟にありマース。そこで姉妹艦であったり、1人部屋であったり、混合部屋だったりデスネ」

 

 なるほどなるほどとこれもご理解いただけたご様子。

 

「なぁ金剛」

「Yes?」

「最初は瑞鶴だったんだ」

 

 なんの脈絡もなく憲兵さんは話し出す。

 これに関しては何のことか全くわからなかった。

 

「その次は島風、そして夕立。さっきの赤城ときて、とどめに金剛だ」

「なんのことデス?」

「なぜ、」

 

 その時、蝉の声がピタリと止まった。

 

「なぜ、――時折そんな悲しい目をするんだ?」

 

 ――、呼吸が止まる。

 音のない世界に、私と憲兵さんだけがいた。

 

「原因は分かる。世間の評価からくるものだろう。だが、見ているとどうやらそれでは説明がつかないような気がしたんだ。というか自分の理解度では不十分、かな。本当は信頼関係ができれば自然と分かるものなのかもしれないが、なにかとんでもない誤謬を生みそうでね」

 

 何も言えない。

 

「何も言わないのならそれでもいい。それはそれで答えだからな。艦娘が世間からどんな目で見られているかを考えたら、気付いていたはずのものなんだ。だから、ある程度の予想は出来てる。金剛にお願いしたいのは答え合わせなんだ」

 

 何も――

 

「つまり、世間一般において君たち艦娘の扱いは、――兵器でしかないのか」

 

 息をのんだ。

 ……なんとなく、この憲兵さんは世間知らずなのではないかと思っていた。艦娘に対する理解や、態度があまりにも普通と違っていたから。

 だから、正直言いたくなかった。そういう偏見でもって私たちを見られたくなかったから。

 心を落ち着かせるように、細く息を吐く。

 

「……Yes、私たちは使い捨ての兵器デス。デスガ、成長する兵器でもありマス。ある程度は長く使われマスが、壊れたら直すより新しいものを使いたい人が少なくないデス」

 

 それは、壊れたら新しいものを買う感覚と同じだろうか。しかも、支払いはお金ではなく、大本営から支給されたり遠征で獲得する資材である。新しい艦娘を建造するために必要な資材の最低値は30×4。1万2万保有はあたりまえの世界で、低コストで排出されるのはちいさい駆逐艦がやっとだが、それはつまり替えの利く使い捨ての兵器だということ。

 

「ワタシたちを同じ人間として扱ってくれる人もいマス。テートクがそうデスネ。でも、そんなに多くいるわけではありまセン」

 

 基本構造がそうなのだから、もうどうしようもないのだ。私たちは艤装をつけていないと弱い存在だ。しかし、艤装をつけると深海棲艦にも負けないくらい強くなる代わりに、提督の命令に基本的に背けなくなる。

 以前どこかの鎮守府が提督に対し反旗を翻したことがあると聞いたことがある。

 結果、当然のように失敗した。提督とはいえ、軍人だ。かなりの訓練を積んでいるし、身体も鍛えぬいている。また、艦娘は艤装が無ければただの人だ。いくら人数がいたところで難しいのに変わりはない。それに、どうやら兆候があったらしく、そこの提督も準備をしていたという話だ。

 

「それに対して、みな、何か思うところがあるのでショウ。たぶん、それが顔に出てしまったのデス。sorryネ、ケンペイさん。嫌な思いさせてしまいマシタ」

 

 それから少し憲兵さんは黙り込んだ。

 時折覗く鋭い眼光が、何かを貫くようで少し怖くなる。

 

「一つ新しく分かったことがある」

「なんデスカ?」

「きっと、自分は立花提督と仲良くなれそうだってことだ」

 

 行くか、と憲兵さんは結局お手洗いには向かわず、そのまま踵を返し食堂の方へ歩き出してしまった。

 呆気に取られたが、すぐに離された距離を埋めるように小走りで追いかける。

 いつの間にか、耳には蝉の声が流れ込んできていた。

 

「本当に下らないな、その考えは」

「え?」

「艦娘が兵器だという考え方だ。兵器が感情を持つわけがないだろう。あれはただの物言わぬ無機物だ」

 

 でも、それでも私たちは兵器だと思う。だって、怪物を屠ることのできるポテンシャルは普通の人間は持ちえないのだから。

 

「確かに艦娘は兵器じみた力を持つのかもしれない。しかし、感情が、心があるものを自分は兵器と呼びたくはない」

「じゃあなんだというのデスカ」

 

 口調が僅かに鋭さを持った。

 憲兵さんが立ち止まり、こちらを見る。

 

「ワタシたちは人間ではありまセン。でも兵器ではないとアナタは言う。ならば、ワタシたちはなんデスカ! 兵器は感情を持たない? なら、ならワタシたちのこの感情も!! 全て、……全て偽物だとでも……っ!!」

 

 胸が詰まり、それ以上言葉を紡げなかった。

 カッとなってまくしたてる私に、憲兵さんは穏やかな顔をしていた。

 

「艦娘だろう?」

 

 その言葉に、私の目が見開かれるのを感じた。

 

「君たちは人間でもなく兵器でもなく、ましてや化物なんかじゃ決してない。『艦娘』だ。人の為に戦い、没し、また護国の為に蘇った軍艦たち。そうだろう?」

 

 すっかり虚を突かれ、戸惑いながらも、コクリ、と頷く。

 

「ならばそれが答えだろう。悩む必要はない。結果は二元論で片付けることなど到底不可能だ。AでないからB、だなんて、前時代的な考え方は捨てた方がいい」

 

 その考え方だと兵器じゃないから人間だとも言えるしな、と憲兵さんは呟いた。

 

「……ケンペイさん」

「なんだ?」

「ワタシたちは艤装を纏えば人間を優に超えた力を得マス」

「そうだな」

「海に浮くことだってできマス」

「羨ましい限りだ」

「食事とは別に補給をしなければなりません」

「そのようだな」

「それはボーキサイトであったり鋼材であったり、人間では摂取出来ないものばかりデス」

「その通りだ」

「怪我をすれば入渠で直りマス」

「便利だな」

「……たとえ腕がなくなっても元通りでデス」

「人間に実用化したいもんだ」

「……ワタシたちは、人間とはかけ離れていマス」

「その通りだろう」

「……ワタシ、は、」

 

 もういい、と憲兵さんは言った。

 頭をくしゃりと撫でられ、手の温かさがじんわりと頭に移る。

 

「金剛という艦が頑張ったことは、史実を少し調べればすぐにわかる。おそらく今ここに着任している艦の中でも、一番の姉にあたるだろうさ。空母の母と呼ばれる鳳翔よりも、長門やもちろん大和よりも、ずっと就役は早い」

 

 視線を上げる。

 憲兵さんの顔があった。

 

「姉としてみんなを守る立場にいたんだろう? みんな知っているだろうよ、金剛がよく頑張ったこと。そして頑張っていることも。自分は艦娘としての金剛は初めましてだが、艦としてだったらずっと昔から知ってる」

 

 その顔は笑っていた。

 

「だから心配するな。君たちは温度のない兵器なんかじゃない。そんなに意味はないかもしれないが、自分と、きっと立花提督も保証してくれる」

 

 そうか――

 

「だからあとは任せておけ。少なくともここは、君たちが胸を張って、『艦娘』であることに誇りをもって歩ける場所にしよう」

 

 ああ、だからこの人は――

 

「それでも、何か脅かされるようなことがあったら言ってくれ。そこからは間違いなく憲兵としての自分の出番だ」

 

 たぶん、きっと――

 

「きっと、力になろう」

 

 ――私たちの力になってくれるのだろう。

 

 その時私の中で張り詰めていた何かが溶け、両目から溢れ出るのを感じた。



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008 - 一名様ご案内

 矜持、という言葉がある。

 『矜』とは誇ること。矛を手に持つことが誇りとされたことが由来である。

 『持』とは保つこと。寺は保つことを意味し手中で保つという意味がある。

 つまり矜持とは、『誇りを持ち、且つ自分の中に留め続ける』という意味合いが強い。

 金剛とはつまり、そういう子なんだろう。

 知った風なことを、と言われても仕方ないが、これでもそれなりに生きてきたのだ。前世と合わせてもう40。アラフォーなのだ。それでも肉体に精神が引きずられているせいで、若い気分ではいるのだが。

 ともあれ、今世の幼少期など、人間観察が趣味になるほど暇をしていたのだ。

 それにヒントはあった。周りの艦娘たちの目である。自分も注目されている自信はあったが、金剛も同じように注目されている気がした。おそらく、金剛の反応を見ていたのだろう。建造された順番は知らないが、それでも金剛というビッグネームはどこまでも轟いているのだ。

 

「ねぇ憲兵さん」

 

 さすがは金剛。潜水艦の雷撃で唯一沈められた艦とか言われてるけど、直接の原因でなくともきっかけとなった艦は他にもいっぱいいるのだし、気にするな気にするな。

 

「憲兵さん」

 

 ははは……。

 

「全機爆装、」

「すまない、なんだ?」

 

 自分が悪かったから瑞鶴さん、いっちゃわないで。

 

「小林中尉、色々聞きたいことがあるんだけど……」

「ああ、なんだ?」

「ケンペイサーン!! それは内緒デース!!!」

 

 観念して立花提督の質問に答えようとすると、横から顔を真っ赤にして金剛が割り込んできた。

 いやまあそうなるだろうなー。金剛にとっては不意に泣いてしまったから、恥ずかしい話なんだろう。こっちからすればなんとも素敵な話じゃないかと思うのだが、本人からすればそうでもないらしい。

 そして他の艦娘からすれば、廊下から泣き声がして覗いてみると、自分があたかも金剛を泣かせている現場だったのだ。

 すぐさま食堂に引きずり込まれ、立花提督に弾劾を受けそうになるのも納得である。

 ひらりと手を金剛に向けて、口を開く。

 

「すまない立花提督、この通りだ。金剛のためにもこの場は勘弁してくれないか」

「テートクゥ! 勘弁ネー!!」

「……金剛ちゃんが小林中尉を庇ってる時点で悪い事ではないようだし、いいでしょ。でも金剛ちゃん、あとで教えてね?」

「うう……、絶対デス?」

「デース」

「ううう……」

 

 やはり立花提督は一応ヒエラルキーの頂点に立っているようだ。仲がいいとはいえ、そこはちゃんとしているのだろう。立派な人だと思う。

 ただまあ今回は使いどころがなかなかえぐいが。

 

「さて、小林中尉。このあとなにか予定は?」

「夕立に鎮守府の案内をお願いしているから、何もなければそうなるかな。その後は巡回ルートや何かあった際の警戒場所や装備品の確認、あとは警備計画書の再確認と、必要であれば内容の訂正をしようかなと思っている」

「結構することあるんだね……」

「まぁ初日だからね。とにかく一番しなきゃならないのはどこに何があるのかということを、徹底的に頭に叩き込むことだ」

 

 つまり、といいながら夕立を見る。

 

「鎮守府の徹底的な案内、期待しているよ」

「……! っぽい!!」

 

 ああ、夕立の背後に千切れ飛ばんばかりのしっぽが見える……。

 

「なるほどねー。じゃあ引き留めても申し訳ないね」

「すまないな、用事があれば呼んでくれ」

「ん、分かったよ」

 

 さて、と腰を上げる。

 

「ケンペイサーン!」

「なんだ?」

「さっきはsorryネー!」

「構わんよ。また何かあったらいつでも言うといい。溜めるとストレスになるからな」

「Thanks!」

「ああ。で、夕立は食べ終わったか?」

「ぽい!」

「では行こうか。よろしくな」

 

 そう言って、夕立を連れ立って食堂を出る。

 先程も感じたが、ここはかなり蒸し暑い。すぐに熱中症になってしまいそうだ。ちなみに廊下にも冷房設備はあるのだが、電気の節約で使っていないそうだ。

 ……しかし、なんにしたって蝉がうるさい。

 昔はツクツクホーシやらヒグラシやらどこにでもいたものだが、今じゃクマゼミばかりだ。それもそこら中にいるおかげで、豪雨のようである。蝉時雨とかいうレベルじゃねぇ。

 

「ここで蝉時雨って言ったら殴るよ」

「思いつきもしなかったよ」

 

 はははと笑うが、どうも上手く笑えている気がしない。

 しかし何気なく一緒に付いてきていた時雨が、綺麗に横で笑っていた。その完璧な笑顔が今は怖い。

 

「じゃあ夕立、最初はどこから案内してくれるんだい?」

「まずは入渠するところっぽーい!」

「ちょっと待って」

 

 ――とまぁこうして案内が始まったわけだけれど、この鎮守府はかなり大きい。

 いくつかの隊に分かれて開放した海域を巡回し、軽巡洋艦と駆逐艦と潜水艦で遠征を行い、練度の低い艦娘は残った高練度の艦娘と演習を行う。さらに、鎮守府近海の警備は昼夜問わず行われている。

 当たり前といっては当たり前だが、さっき食堂に顔を出さなかった艦娘の中には、夜勤で今まさに就寝中の者もいたのだろう。

 夕立が実に様々なところまで案内をしてくれたおかげで、少なくとも道に迷うということは今後なさそうだと思った。

 しかし、案外この鎮守府を設計したやつは面白いヤツだと思う。どこの鎮守府もそうなっているのかは分からないが、いたるところに隠し部屋というか一畳くらいの隠しスペースがあるし、数はないが隠し通路のようになっているところもある。さながら要塞のようだった。

 夕立がそれを案内しながら説明している横で時雨が驚いているのを見ると、どうやら全体に知らされているわけではないらしい。夕立に聞くと、自力で見つけたとのこと。

 それら隠されているはずのものを見つける辺り、夕立の感覚の鋭さが垣間見えるところである。

 

「これで全部かしら。うん、ここで最後っぽい!」

 

 そうして最後に案内されたのが、艦娘の寮である。

 ……いや、大事だが。何かあった際には構造を知っておくのは大事だが。とはいえここ女子寮ですよね。

 

「……分かった、行こう。しかし、自分が勝手に入ってもいいところなのか?」

「んー? たぶん大丈夫? ぽい?」

 

 凄く曖昧!

 

「あー、憲兵さん。夕立の言う通り、多分大丈夫じゃないかな」

「なぜだい?」

「もう憲兵さんが鎮守府をあっちこっち回ってるのは知れ渡っているはずだし、提督がみんなに広報もしてるはずだしね」

 

 なるほど、それならば問題あるまい。あとは自分が気を付けて回ればいいだけだ。

 

「よし、夕立。案内頼んだぞ」

「任せるっぽい!」

 

 ぽいぽーいと言いながら寮に入っていく夕立を、時雨とともに追いかける。

 この寮は4階建てで、ある程度戦艦だとか巡洋艦だとかで区割りがなされているようだ。そして部屋割りもある程度好きなようにしていいらしく、だいたい4人部屋くらいの大きさがベースとしてあって、もう少し大きい部屋や小さい部屋など、わりと多種多様である。

 たぶん駆逐艦は大部屋で寝ているんだろうなと思ったら、やはりそうだったようで、吹雪型の部屋とかがあった。

 

「まぁ至って普通の寮だな。強いて言えば壁がかなり頑丈であることくらいか」

「そうだね。どこだって兵器工場や倉庫なんかは頑丈に作るものさ。いざ戦う時に武器が無ければ大問題だからね」

「確かにな」

 

 確かにな、じゃないんだよなぁ。

 

「そういえばあまり艦娘と出会わないな」

「まぁこの時間は一番人がいない時間帯だからね。歩いているといったら完全オフの子たちくらいじゃないかな。……ほら、まさにあんな感じさ」

 

 そう時雨が指さす先に、小さな子がいた。おそらく駆逐艦だろう。

 

「やぁ龍驤さん、こんにちは。どうしたんだい?」

「時雨やないか。暇やからちょっと訓練見とってな、今帰ってきたとこなんよ」

 

 あっぶねー!!!

 見て気付けよ!! 軽空母の龍驤さんじゃないですか!!!!

 

「んで、こいつが今日から配属されたっちゅー憲兵かいな」

「初めまして、かな。自分は小林憲兵中尉だ。今後ともよろしく」

「軽空母の龍驤や。よろしゅうなー……、ところであんた」

「なんだい?」

「うちのこと駆逐艦や思たやろ」

 

 バレてるぅ!!

 

「いや、そんなことはないが」

「バレバレやっちゅーねん」

 

 龍驤はやれやれというように肩をすくめた。

 

「まぁ分からんでもないで? この体や。おんなじ軽空母の千歳なんか見てみい。なんやあれ。発着艦できるんかいな。へこますぞワレ」

 

 最後に素が見え隠れしてますよ!

 

「まぁええわ。これからよろしゅうな」

「……ああ、よろしく」

「もうちょいしたら演習やるゆーてるから、良かったら見てきぃ。ここで憲兵するんやったらある程度艦娘の練度も知っとくべきやろ」

「まさにその通りだな。あとで向かうとしよう」

「そんじゃなー」

 

 そう言ってまたゆらりと歩いていく龍驤。

 いやはや、最初から最後まで彼女のペースに流されっぱなしだった。

 

「凄い艦娘だな、龍驤は」

「龍驤さんはすごいっぽい!」

「そうだね。龍驤さんは柱島第一鎮守府が発足した当初からいた、最古参メンバーの艦娘なんだ。当然練度も相当なものだよ」

 

 いわゆるメイン火力というやつか。軽空母とはいえ、最初は普通に正規空母だったわけだし。確かゲーム内でも艦載機スロットが多いのと少ないのとがあって、そこに何を装備させるか迷った覚えがある。

 しかしなんといっても、軽空母でスロット2の搭載が28はやばい。

 

「さてもう少し回ったら、龍驤の言う通り演習を見に行こうか」

「そうだね」

「ぽーい」

「そろそろ行こうか、夕立、蝉時雨」

「ぽい!」

「いまなんつった?」

 

 ……ちょっと冗談のつもりで言っただけなのだが、横の時雨から無表情かつ瞳孔開きっぱなしの色のない目でガン見されて脂汗が出てきた。

 目を合わせないようにしてスタスタ歩く自分と、その横に余裕で付いてきながら「ねぇいま、いまなんていったの? ねえねえねえねえ」と壊れたレコードのように垂れ流す時雨、それを不思議そうに眺めながら後ろからぽてぽてとついてくる夕立、というなんともカオス空間の出来上がりだ。

 今度からこのネタで時雨をおちょくるのはやめよう。

 そう自分は心に誓うのだった。




タイトルは一名様ご案内。
夕立には鎮守府を、時雨には地獄の入口がギリ見える所くらいまで案内されてます。


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009 - 闇に惑う憲兵

ブラック鎮守府というものがあります。
①艦を犠牲に強硬攻略するもの
②艦娘を人身売買するもの

このあたりよく見かけますが、私のところはというと、
③さんざんアピールするのに手を出してくれない

こんな第三型ブラック鎮守府を私は目指したい。


 というわけで演習場に来た。

 来たのだけれど。

 

「んー、なぁ時雨」

「なんだい?」

「たぶんだがこれもう終わっているな」

「そうだね」

 

 演習場には何人かの艦娘が撤収作業をしている最中で、演習していたであろう艦娘は一人もいなかった。

 今ここにいるのはそれ以外の、お手伝いに来た艦娘だろう。全体的に駆逐艦が多い気がする。ああ、そこにいるのは第六駆逐隊ではないか。必死に演習弾を倉庫に運んだりしているのを見ると、なかなか癒される。

 しかし、運ぶのはいいんだが、艤装を背負ったままでは重くないのではなかろうか。

 

「なぁ時雨」

「なんだい?」

「艤装背負ったまま作業をしているが、重くないのだろうか」

「僕たちは艦娘だよ? 艤装をつければ出力は上がるから、むしろ楽になるよ」

 

 なるほど。

 ただし、艤装をつければ船としての性格が表面化するから提督に逆らえなくなる、ということなのかもしれない。……もしかして、これも艦娘自身がモノであると認識する一端なのだろうか。

 

「憲兵さーん」

「どうした夕立」

「もうすこし居たかったけど、そろそろ寝なきゃダメっぽーい……」

「ん? 寝る?」

「ああ、僕らは鎮守府近海夜間哨戒任務があるんだ。2200からだから、そろそろ寝て、起きてから夕飯を取って、それから任務に行かなきゃ」

「……なるほど、それならば仕方ない。ここまで本当にありがとう。君たちのおかげでかなりここのことが理解できたと思う」

 

 素直に感謝を述べると、二人とも恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「また今度お礼がしたいから、何か考えておいてくれ」

「なんでもいいっぽい?」

「まあ自分が実現可能な限りでな」

「言ったね?」

「時雨はある程度手加減してくれ」

 

 フフフと暗黒微笑を浮かべる時雨に、肩をすくめる。

 そんな自分たちを、夕立はニコニコしながら見ていたので、仲良く見えているのかもしれない。

 

「それじゃ、僕たちはもう行くね」

「またね、憲兵さーん!」

「ああ、ほんとにありがとう。おやすみ」

 

 そう言って二人は先ほどまでいた寮の方へ歩いて行った。

 やはり仲がいいなあの二人は。よきことである。

 さて、とこれで一区切りだ。一人になったことだし、もうちょっと歩き回ろうかな。

 そう考え、夕立たちとは別方向へ足を向ける。赴任一日目としてはもうわりと働いた気がするので休みたい気分ではあるのだが、怠け癖が付いてしまうのはよろしくない。

 そう考えた結果、とりあえずもう一度ぐるりと見て回ってから自室へ戻ろうか。

 

 ……いや、ちょっと待て。

 

 ふいに何か違和を感じた。決定的な何かを忘れている感覚。

 なんだ、なんなんだこれは。体中を不快感が駆け回る。何か、大事な何かを。

 そう、例えば、

 

 自分の荷物はどこへ行った?

 

 やっべ。執務室に忘れてきた。というか、これからやってくるであろう自分の荷物を受け取るために自室も確認しなければならないのに、それも忘れていた。

 ……やっべ。

 とりあえず、早足で執務室へ戻ることにする。

 途中途中で艦娘に話しかけられたが、大変申し訳ないがまた後でと遠慮してもらった。まだお互い自己紹介していないので名前は呼べないが、蒼龍とか望月とかがいた。

 しかし驚いたのは、磯風がいたことだ。秋刀魚漁を頑張ったのだろうか。それに、海外艦も何人か見掛けた。そもそもが大人数の鎮守府であるからそれくらいは当然なのかもしれないが、やはり驚きの方が勝っている。

 というか、大鳳もいたし、なんなら大和もいた。

 もう何も言うまい。

 そんなこんなで執務室に舞い戻ってきた。

 

「すまない、立花提督はいるか?」

 

 扉をノックしながら声をかける。

 

「へっ、あ、は、はい、ちょっと待ってください!」

 

 中でバタバタと騒がしい音がした後、ゆっくりと扉が開けられた。

 そして、わずか五センチほど開けられた扉の隙間から覗く瞳。

 軽くホラーである。

 

「あの、どなたでしょうか?」

「自分は小林という。憲兵として本日から配属になったんだが、立花提督はいらっしゃるだろうか?」

「……どのようなご用事で?」

「ん、自分の部屋を確認していなくてね。どこだろうかと尋ねに来た」

「……少し待っていてください」

 

 ガチャリ。

 軽い音とともに空間は別け隔てられた。ある意味これが今現在の心の距離かな?と思うと俄然悲しくなってくる。

 しかし今の子は誰だろうか。金髪で、多分髪は長めだ。体躯から考えて戦艦以上ではなさそうだ。となるとだいたい限定されてくるが……いや、これだけの情報から誰だと推理するのはなかなかに難しい。

 わからん、と心中で嘆息する。

 と、再び扉が開けられた。先程とは違い大きく開かれた先にいたのは、

 

「阿武隈か……」

「え?」

「あ、いやなんでもない」

 

 なるほど、阿武隈か。前髪わさわさしてやろうか。

 などと思っていると、少し擦り下がりながら前髪を気にしていた。しまった、視線で気付かれたか。まだまだ自分も修行が足りない。

 

「あら、小林中尉、どうしたんです?」

 

 つい先ほども似たような光景だ。

 机で書類と格闘している立花提督の姿がそこにはあった。

 

「自分の荷物をおそらくここに置いてきたのではないかなと思ってね」

「ああ、それならそこにあるよー」

 

 視線を横にずらすのに合わせてそちらを見ると、なるほど、自分の荷物がまとめてあった。とはいえ、当日に必要となるようなものばかりなので、バックパック一つ分だけだ。追ってその他の日用品が届くだろう。

 

「すまない、ありがとう。ところで自分の住むところというか、自室になる場所はどこだろうか。先に荷物を運んでしまいたいんだが」

「それなら、入口の守衛さんに聞いたら早いかも。入れ替わりになるので」

 

 なんだと。

 もしかして男一人になるのか。

 

「……もしかして聞いてなかった感じ?」

「ああ」

「そっかぁ。まぁあの人も好きでここにいたわけではないし、当然っちゃあ当然なんだけどね」

 

 そういえば守衛さんから、物好きなやつだ、みたいなことを言われたな。その時は言葉の意味が解らなかったが、まぁそういうことだ。

 

「わかった。じゃあとりあえず守衛さんに挨拶してこようかなと思う」

「それがいいよ。なんだったら遅いくらいだしね。もしかしたらもう出る準備をしているかもしれないよ」

「……本当に入れ替わりでいなくなるんだな」

「……まぁ、ねぇ。ただの人間がモンスターハウスでの寝起きをしなければならなくなるなんて、悪夢以外何物でもないんじゃない?」

 

 なんとも反応しづらいブラックジョークである。

 

 何はともあれ、と自分は執務室をあとにした。

 守衛さんに会いに行くと既に荷物の整理は完了しており、あとは入れ替わるだけ。自分が来てわずか数時間で守衛さんはこの鎮守府を出て行った。結局、自己紹介もしないままだった。

 一応軍属の人であろうから、またどこかの勤務に派遣されるのか、それとも除隊するのかは分からない。ただ、なんとなくもう辞めるのではないかな、といった雰囲気はあった。

 ちなみに、部屋は広めのマンションのワンルームといった所か。守衛室に隣接されており、鎮守府本体とは物理的に切り離されている。これからここは憲兵詰所という名前に変わるのだろう。

 

「案外綺麗に使われていたようだし、良かったな」

 

 自分はタバコは吸わない派だが、別に嫌煙家ではない。ただそれでも自分の家に臭いが付くのは喜ばしい事ではないが、どうやら守衛さんは吸わない派の人だったようだ。

 

「荷物が本格的に届くのは明日という話だし……、とりあえず資料を読み返すか」

 

 そう言って、詰所内の椅子に座り、机の上に資料を広げる。が、1人で憲兵をやるにあたり、意味合い的には警備をしているわけではないことに注意しなければならない。もしそうであるなら、1人では無理がありすぎる。

 本来は艦娘の監視であり、実際は運営の手助けだ。もちろん警戒は怠らないが。

 パラリ、パラリ、と資料をめくる。外がだんだん暗くなって来たため、電気をつけた。

 ――しかしな、と今日のことを思い返す。

 本当にこの世界はおかしなことばかりだ。そもそも艦これの世界ということ自体がびっくりなのだが、どうしていろいろ逆転してしまっているのか。

 いやしかし、ある意味自分の嫌いなブラック鎮守府はなさそうだから、それはそれで艦娘には良かったのかもしれない。

 ……いやいやいや、それはその世界を知っているから言えることであって、この世界に生きる艦娘からしたら笑えない事態なのだろう。自戒しよう。

 

「……風呂にでも入るか」

 

 この隣接したワンルームには当然のように風呂もトイレもついている。ちなみにここが大事なのだが、風呂とトイレは別だ。もう一度言うが、ここ大事。

 部屋自体はそんなに大きくはないが、男一人で入る分には何の問題もない。むしろこれ以上広くても掃除が大変というものだ。

 そしてマンションのようだと言っても、一階部分しかない一戸建ての形なので、朝昼晩何時でも騒音を気にせず風呂に入れる。いやはや、素晴らしい事だ。

 風呂に関してもゆっくりとつかり、さてもう一度資料を読み直すか、というところで扉がノックされた。

 

「はいはい、どちらさまですか?」

「大和です。立花提督より夕飯の時間であるとお伝えして欲しいと言われ、参りました」

 

 ああ、そういえばもう8時も回ろうかという時間だ。むしろ時間としては夕食は終わっているくらいかもしれない。

 

「ああ、すまない、すっかり忘れていた」

 

 そう言いながら、とりあえず扉を開ける。

 夜の生暖かい空気と、今まで気づかなかった鈴虫をはじめとする夏の大合唱が耳朶を打つ。

 

「先程ぶりです、大和で――」

「さっきぶりだな大和……大和? どうした?」

「ひぁ、あ、あの、憲兵さん、あの、」

 

 どうも様子がおかしい。わたわたと顔を赤くして両手で覆っている。隙間から目が見えているのは、もはや言わずもがな。

 自分の姿を見てみるが、特におかしい装いをしているわけではない。

 なら状況はどうだろうか。やっと太陽の残滓がなくなり、暗くなって間もないころに、女性が男性の住居を訪ねる。うーん、微妙だ。

 などと思っていたが、解答はすぐに提示された。

 

「な、なんでシャツ一枚なんですか!」

 

 なんでだ。

 確かに黒色のTシャツ一枚だ。というか、Tシャツ一枚とジャージである。風呂上がりだから、当たり前といえば当たり前なのだが、何か問題でもあるのだろうか。

 しかしまあ、このあとも少し動き回る予定をしていたから、すぐにジャージは履き替えて、上も羽織る予定ではあったが。

 ――と、言うようなことを説明したら分かってくれたが、なんか怒られた。

 

「我々はあまり男性に耐性が無いんです! 自重して下さい!」

「あ、ああ、済まなかった。これからは気を付ける」

「分かったのなら早く着替えて来て下さい!」

 

 あまりに怒るのでそそくさと部屋に戻った。

 いや、まったく気にしていなかったが、なるほど。そういうこともあるのか?

 もしかしてあまり男に対する耐性がないとか、あるのかもしれない。

 

「なぁ大和」

「……なんですか」

 

 ちょっと頬を膨らませているような声に苦笑いが漏れる。

 

「艦娘は男性と接触する機会はそんなに少ないのか?」

「そもそも! 私達みたいな女性と積極的に接触したい人がいると思っているんですか!? バカにするのもたいがいにして下さい!!」

「いや、ここにいるが」

「なんなんですか貴方は! 私だってこんな容姿に生まれたくて生まれたわけじゃありませんよ!! こんな容姿でもいいって人なんて一生現れません!!」

「むしろ、ここにいるが」

「私たちのことをちゃんと見てくれる人なんて……そんな……」

「いや、だから、」

 

 怒られるので少しだけ扉を開けて、顔だけ覗かせながら言った。

 

「ここにいるが」

「……え」

 

 やはり扉を開けたことを怒られそうなので、次の瞬間には閉じた。大和の目が少し潤んでいた。やっぱり色々ストレスあったんだろうなー。少しでもそれを無くしていくことも自分のいる意味になるだろう。これから頑張らなくては。

 

「ちょ、ちょっと憲兵さん!? 何ですか今のは! ちょっと開けて下さい!!」

 

 だむだむだむと扉が叩かれる。

 閉めろと言ったり開けろと言ったり忙しい子だなぁ。大和ってこんな艦娘だっけか……?

 

 結局着替えてから開けたところ、大和に大変詰め寄られた。待って、そんなにマシンガンのように質問を投げかけられても対応しきれない。

 それでもなんとか対応しきったところ、とても懐かれた。どうやら、夕立、時雨に続いて大和も犬派だったようだ。

 とはいえ、大和ほどの成長した女性に懐かれるというのは、かなり厳しいものがある。これでも自分は正常な男性なのだ。その正常な理性をカットインしながら破壊しに来る大和は、さすが日本海軍の大御所である。

 

「すまない大和、少し離れてくれないか」

「え……迷惑でしたか……?」

「……そう捨てられた子犬のような目をするな。歩きづらいだけだよ」

「なら問題ないですね!」

 

 ぎゅぅ、と腕を絡めとられ、気分はさながらタコに捕食される小魚である。

 しかし当然のように腕に押し付けられる大きなモノには、さすがに精神が疲れる。なんというか、この子天然だわ絶対。

 

「なぁ大和」

「なんですか?」

 

 ニコニコしながらこちらを見上げる大和。

 今幸せそうなこの子に水を差すのは、いささかためらわれた。

 

「……いや、なんでもない。食堂へ行こうか」

「はいっ」

 

 こうして自分は食堂へ向かって行った。

 るんるんと擬音が聞こえそうな雰囲気を隣に携えて。

 

 

 

 

 ちなみに。

 食堂へ着くと同時に北上に話しかけられた。

 ちょっと怖かった。




逆転物の種類として、貞操概念逆転モノがあります。
女性が男性にかなり積極的にアピールする系の世界線なのですが、お気づきでしょうか? 美醜逆転モノには、ある意味それが内包されていることに。


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010 - 朝と溶けた鉄

 二日目の目覚めは悪いものではなかった。

 空はまだ薄明りの中、あれだけ騒がしかった虫たちも、今は鳴りを潜めている。

 『夏は夜』とは言うけれど、昔から自分はどの季節も『つとめて』の時間が好きだった。それがなぜかと言われると何とも説明が難しいのだが、あえて言うのであればピンと張った空気感が好きだから、であろうか。

 冬となればそれは鋭利な刃物を連想させるものではあるが、今の季節はもっと穏やかな感触を持って自分の肌を撫でてくれる。冬は冬で良いのだが、夏も悪くはない。

 いつの間にか横に押しやられていた薄い掛け布団を横目に、ゆっくりと体を起こす。ぼんやりとした視界には、見慣れない部屋が映っていた。

 少し考えて、ああそうか、と独り納得する。

 ベッドから足を出して、フローリングに触れる。やはり、刺すような冷たさとは無縁のものであった。そんな当たり前のことに安堵しながら、洗面所へ向かう。さらけ出された足の裏と床によって生まれるなんとも間抜けな音が、付いてくるように追いかけてくる。

 昨日のうちに置いてあったタオルの位置を横目で確認しながら、水を出して両手で掬う。顔をこれでもかと濡らした後、手探りでタオルを手繰り寄せ、水滴を拭き取った。

 

「ふぅ……」

 

 これで一息。

 次いで、歯ブラシを取り出す。

 これらの動きは日ごろからルーチンとしている故に、全く流れが滞ることはない。

 手早く歯磨きを済ませると、今度は着替えである。とはいえ、この時間から憲兵の服に着替えるわけではない。運動しやすいような、トレーニングウェアを身に着けるのだ。

 肌に張り付くような感覚に満足しながら、まだ太陽の覗かない鎮守府の敷地へ足を伸ばす。

 通り過ぎる空気は涼しさを感じさせ、数時間後には耐えられないほどの熱波となることが信じられないほどだ。

 ――さて、と独りごちながらストレッチを始める。

 これも順番、ルーチンが存在する。

 ルーチンというのは大切だ。心や体のスイッチを入れ替えるための、良いきっかけになる。朝起きて顔を洗い歯を磨く。そしてようやく目が冴えるという人も少なくないはずだ。

 例えばサッカーのPKで何回足踏みして助走をつけてから蹴るとか、陸上競技に出る前にどんな音楽を聴くだとか、そういう『きっかけ』を自分で作るというのはとても大切で、それさえやればパフォーマンスを最大に近い値まで持って行くことも可能になってくる。

 自分の場合は起きてからストレッチや運動も含めたルーチンが朝に存在するので、その順番も決まっている。

 とはいえ、動的ストレッチ・筋力トレーニング・有酸素運動・静的ストレッチの順番なので、おそらくそれほど周りと変わらないのかもしれないが。

 簡単にストレッチを済ませ、腕立て伏せや腹筋などを30分程で終わらせる。さて、それじゃあ走るかとスポーツ飲料を飲んだところで、建物の陰からひょっこりと顔を出す人影に気付いた。

 

「ん? 誰だ?」

「や、朝から頑張るねぇ」

 

 そうして、それこそひょっこりと姿を現したのは、水兵服、つまりはセーラー服を着た黒髪の少女だった。長い髪の毛はわりとぼさぼさで、寝起きで急いで着替えて出てきたかのようだ。まあまさか女の子がそんなことをするはずないと思うのだが。だが、いつもは結んでいる一本の三つ編みも、今は解かれているようだ。

 

「おはよう北上、どうかしたか?」

「んや、憲兵さんが窓から見えたもんでね。ちょっと冷やかしに」

「そうか。ちょうど体が温まって来たところなんだがな。冷やすのはもう少し後にしてくれると助かる」

「布団が吹っ飛んだ」

「それはなかなか冷えそうだ」

「アルミ缶の上にあるミカン」

「凍えそうだ」

 

 ふふっ、と北上は微笑んだ。

 

「ここで見ててもいい?」

「もちろん構わないよ」

 

 そう言い残し、鎮守府前の広場を走り出す。

 そもそも数が多いせいか、この広場自体もなかなかのものである。学校のグラウンドくらいはあるのではないだろうか。ここで全員揃って朝礼でもしたら、それはそれは壮観だろうと思う。

 そんなことを考えながらぐるぐる回る自分を、北上は小さい段差に座りながら、両手で頬杖をついて眺めているだけだった。果たしてそれは楽しいのだろうか。聞いてみたい気もしたが、聞いてはいけない気もした。

 短い息を連続して吐き出しながら走る。少しずつ明るくなる空は赤紫色をしていた。鎮守府では当たり前だが、潮の香りがする。だが、不思議と特有の粘質の空気は感じなかった。時期によるものなのか、時間によるものなのかは分からないが、運動するにはとても良いなと感じた。

 

「結構走るんだねぇ」

 

 20分程走って帰ってくると、北上にそんなことを言われた。

 

「そうかな。あまり走っても逆効果だし、これから仕事が待ってるからな。これら全てが今日一日の前にするストレッチみたいなものさ」

 

 そう言いながらも足を止めることはしない。ゆっくり歩きながら息を整える。そして、最後のストレッチに入る。

 ゆっくり、ゆっくりと体を伸ばし、乳酸が溜まらない様に注意する。このタイミングでヨガでもすればいいのかもしれないが、そこまで時間も取ってられない。簡単にではあるが、丁寧に筋肉を伸ばす。

 

「いやはや、憲兵さんはこれ毎日やるつもりなの?」

「そりゃそうさ。怪我や病気にならない限りはやるさ。体が資本とはよく言うだろう?」

「まぁ、ねえ」

 

 何やら感心しているようだ。

 しかし、これでもやっていることは訓練生時代とは段違いだ。あの頃は当たり前だが訓練漬けといって過言ではなかった。

 

「さて、終了っと。そろそろ自分は戻るが、北上はどうするんだ?」

「んー、どうしようねぇ」

 

 北上は座ったまま中空を見つめた。

 

「そういえば憲兵さんって、門のところの守衛室に住んでるの?」

「ああそうだ。今は元守衛室で、現憲兵詰所といったところか」

「そうなんだ……」

 

 そう言って少し考え込んだ。

 と、もしかしてどんな部屋なのか気になるのではないかと思った、以前の守衛さんであれば艦娘のことを嫌っていたから、気になっていても近づくことは出来なかった。しかし、今住んでいるのは自分だ。室内が気になって見てみたいと思うことは何ら不思議ではない。

 なるほど。それならばこちらから言い出してあげるのが筋だろう。

 

「なぁ北上」

「ん、なに?」

「自分の部屋に来ないか?」

「……え? …………んん!?」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 憲兵さんの部屋にお呼ばれした。

 これは覚悟を決めた方がいいのだろうか。

 

「すまない北上、先にシャワーを浴びてくる。少し待っていてくれ」

「ひゃ、あ、はい……」

 

 え、なんでこんな事になってんの。助けて大井っち。あ、駄目だ今いないわ。

 などと頭は混乱していたが、どこか冷静な部分が部屋の中を観察していた。

 奥のフローリングの部屋にベッドが置かれ、その上に薄い掛け布団が掛かっている。きっとあそこで憲兵さんが寝ていたんだろうな。そう無意識に思ってしまった瞬間、顔が急に熱くなってきた。

 経験はなくとも、知識はあるのだ。何の、とは言わないが。

 ただ、一度意識してしまうといろんなことに目がいってしまう。寝室はそのフローリングの部屋だろうが、もう一つの扉の先には何があるんだろうとか、今自分は椅子に座っているが昨日は憲兵さんがこの椅子に座っていたんだろうかとか、そもそもこの部屋憲兵さんの匂いがするとか。

 

「……いや待って。憲兵さんは今シャワーを浴びているんだよね。当然裸だよね。もし、いやたとえばの話だけれど、突撃したらシャワーを浴びている憲兵さんがいるってこと?」

 

 当たり前である。

 

「ちょっとまってそれはやばい」

 

 何を待つのだろうか。

 ゆるりとバスルームを見た。わずかにオレンジ色の光が漏れ、水の流れる音がする。

 心臓が爆発しそうだった。こんなに自分が男に対して免疫がないとは思ってもみなかった。確かに男はごまんといるが、自分にはほとほと縁のない存在である。それは鎮守府全体に言えることであり、当然自分もその中に含まれている。

 誰だって一度は妄想する王子様のような存在。艦娘である自分にはあまり想像は出来ないが、例えは眉目秀麗な男性が提督として現れ、自分を上手く使ってくれて、時に心配もしてくれて、『ありがとう、君のおかげで暁の水平線に勝利を刻むことが出来たよ』なんて言われて抱きしめられたら。

 そんなことを想像しないわけではない。

 

「いやいや、それはないって分かってるけど……でもぉ……」

「何が分かってるって?」

「いひゃぁぁぁぁあ!!??」

 

 勢いよく椅子から転げ落ち、尻もちをついた。

 

「いったぁ……」

「す、すまない。そんなに驚くとは思っていなかった。大丈夫か?」

 

 そう言って差し出された手を掴み、立ち上がる。

 

「怪我はしてないか?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとー。……もー、急に話かけられたらびっくりするじゃん」

「本当にすまない、自分も気を付けるべきだったよ」

 

 あ、と思う。

 今憲兵さんと手を繋いでいないか?

 先程までシャワーを浴びていたせいか少し体温が高めだった。それに、昨日も思ったがずいぶんと綺麗な手だ。

 

「あの、北上」

「ん? どしたの?」

「手はいつ離してくれるんだ……?」

 

 ハッと気付き手を離す。うう……無意識だったぁ……。

 

「ご、ごめんね。嫌だったよね」

「嫌ではなかったが……少し照れ臭いな。気分を換えよう。コーヒーでいいか?」

「あ、うん。ありがとね」

 

 やってしまったと思うと同時、嫌ではないという憲兵さんの言葉に頬が緩む。

 昨日から夢を見ているみたいだ。自分たちの様な残念極まりない姿をしている兵器に対してこんな優しくしてくれる、しかも異性がこの世に存在するなんて、一体誰が信じられるだろう。

 今現在ほかの鎮守府に演習に行っている大井っちならどういう反応をするだろうか。演習組が帰ってくるのはもう少し後になるので、その時が楽しみだ。

 

「インスタントですまない。砂糖はどうする?」

「あ、一本あれば十分だよー」

「分かった」

 

 つい、と出されるコーヒー。朝からこんな穏やかな気持ちでコーヒーをゆっくり飲むなんていつぶりだろう。いや、むしろ初めての経験かもしれない。

 憲兵さんは自分の対面の椅子に座りながら続けた。

 

「本当はサイフォン式の抽出機はあるんだが、いかんせん後処理が面倒でね。買ったはいいがめったに使わないんだ」

「へぇ、良く持ってるねぇそんなの」

「昔そういうのに憧れた時期があってね。だが、確かに美味しいコーヒーは出来る。いつか御馳走しよう」

「おお、それは嬉しいねぇ。楽しみにしておくよ」

 

 先程までの焦燥はすっかり消え、手元の黒い液体をのほほんとすする。どこかの高速戦艦は紅茶党だが、自分はどちらかというとコーヒーの方が好きだ。

 と、その時机の端からひょっこりと顔を出す存在がいた。自分たちにはなじみ深い妖精さんだ。

 

「あれ、妖精さんじゃん。なんでこんなとこに?」

 

 普段妖精さんは入渠や改装、あとは艤装なんかと一緒にいる事が多く、その他鎮守府内で見かけることはそんなに多くない。執務室で見かけることもあるが、それも多い事ではない。

 

「おや本当だ。なにか食べるか?」

 

 妖精さんがこくこくとかわいらしく首肯した。

 憲兵さんが椅子から立ち上がり、隅に置かれた荷物へと向かう。どうやらお菓子の様なものを探しているようだ。

 その間に、自分は妖精さんのほっぺたを指でつついて遊ぶ。妖精さんは猫のようで、こういうスキンシップは度を越えなければ許してくれる。自分は度を越えたことがないから分からないけど、長門さんあたりが触りすぎて怒りを買ったことがあるはずだ。どうやら主砲担当の妖精さんだったらしく、三日後にお菓子を貢いで許しを請うまで主砲が撃てなくなったらしい。

 今でも思い出す。あの謝り倒す情けない長門さん……ではなく、それを後ろから極寒の目で見る陸奥さんを。絶対零度の目とはああいうものを指すんだろう。知りたくなかった。

 

「はいどうぞ。他の妖精さんと分け合って食べてくれ」

 

 憲兵さんが何が渡すと、妖精さんは音が出るような敬礼をしたあとそそくさと去っていった。

 

「なに渡したのさ?」

「妖精と言えば金平糖だろうさ」

 

 なるほど。確かに小さくて甘くて妖精さんにはぴったりだ。

 しかし、やはり憲兵さんには妖精さんが見えるわけで、提督をしていないのがもったいなく感じてしまう。それでも憲兵をしていたからここにやって来てくれたわけで、どちらが良かったとは言えないが。

 

「ところで北上」

「ん、どうしたのー?」

「会った時から思ってたんだが、なぜそんなに髪がボサボサなんだ?」

 

 あ、と思い出した。

 なんとなく目が覚めて窓の外を見たら憲兵さんがいて、急いで着替えて来たんだった。そのせいでいつもは結んでいる後ろ髪の三つ編みも、今は乱雑に広がっている。

 まって、それは拙い。というか恥ずかしい。

 

「ちょ、まって、見ないで!」

「え、ああ、すまない……?」

 

 憲兵さんが顔を背けている間に慌てて手櫛で髪を整えるが、慌てているせいかうまくまとまらない。

 普段あまり気にしていないものだから、すっかりと忘れてしまっていた。とはいえ、自分の髪はどうやらストレートが基本の髪質らしく、いつもであれは少し髪を梳くだけで直る。ストレートが嫌いというわけではなかったし、別に誰が見ているというわけでもなかったから適当に結ぶくらいで日々を過ごしていた。

 だが、今日の髪の毛はなんだか手ごわい。湿気でもあるのだろうか。ということは今日は雨予報だったり?

 混乱ここに極まれり。思考回路が勝手に脱線していく。

 

「大丈夫か?」

「う、うーん、寝ぐせかねぇ。なかなか直らないや」

「ちょっと待っててくれ」

 

 すくっと憲兵さんは立ち上がり、洗面所へと消える。と思ったらすぐ帰って来た。

 その手には謎のスプレー。

 

「なんなのさそれ」

「洗い流さないトリートメント兼寝ぐせ直しだ」

 

 なんだそれは。自分たちが知らない間に外の世界ではそんなものが売られているのか。

 

「トリートメントにこだわりがないならこれを使うか?」

「……そうだね。貸してくれるの?」

「ああ、使うといい」

 

 そう言うと憲兵さんは洗面所から櫛を持って来てくれた。なんでもあるんだねここ。

 しかし、スプレーを自分の髪にかけた経験があまりないため、どうにもやりづらい。後ろ髪とかどうやってかけたらいいんだろう。

 そうしてまごまごしていると、ついに憲兵さんが少し困った顔で口を出した。

 

「ある程度かければあとは櫛でなんとでもなるんじゃないか?」

「いや、なんかこうちゃんとまんべんなくかけないと、なんか嫌じゃない?」

「わかるけど……」

「にしても難しいねぇ。これ、こう、どうやって、んんん?」

 

 はぁ、と憲兵さんは一息。

 

「嫌でなければ自分がしようか?」

「ん?」

 

 うーん、その方が楽かもしれないなぁ。

 

「じゃあ頼んでもいーい?」

「構わないよ」

 

 そう言うと、自分の手から櫛とスプレーを受け取り、ささっとかける。そして櫛で髪を撫でるように梳かれるが、それがなんとも慣れているようでへんにくすぐったい感じもなく、むしろ心地よいものだった。

 

「いいねぇ。こういうこと慣れてるの?」

「……いや、初めてかな」

 

 そう言いながらもささっと寝ぐせが直される。本当に手早く、初めてというのが嘘のようだ。

 そして、後ろ髪が三つ編みに編まれていく。

 と、そこでなんとなく思う。これ、結局寝ぐせ頭を見られただけでなくその処理までさせて、ずいぶんと恥ずかしくないか、と。

 

「……ッ!」

 

 急に顔が熱くなる。

 それに、なんか早朝から一緒にモーニングコーヒーを飲んで、自分の寝癖を直してもらうって、ある意味自分の理想の男性像ではなかろうか。

 

「…………ッ!?」

 

 しかもとどめに、この憲兵である。

 性格はまだ分からないが悪くはなさそうで、顔も悪くなく、なにより自分たちに対して嫌悪感がまるで見られない。

 以上のことからやはり理想に近い存在であることが分かる。

 導き出される答えはなんだ。

 

「よし出来た。……ん? 耳が真っ赤だがどうかしたか?」

 

 ふいに右の耳元で囁くように声がして、左耳が撫でられた。

 限界。

 

「あ」

「えっ」

「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 椅子を蹴飛ばし、自分の靴をひったくって外に飛び出す。靴なんか履いていられない。

 撤退撤退撤退!!

 視界の端に見えた、呆然とした憲兵さんなんて気にしていられない。とにかく今はこの溶けた鉄の様な顔を冷やさないと!

 

 矢のように飛び出し、なりふり構わず自室へ直行する。何人かの子に見られた気はするが覚えていない。

 自室から出てきた時と同じようなスピードで自室へ戻る。扉の閉まる音がやけに大きく響いた。

 

「はーっ、はーっ、はーっ、」

 

 息が出来ない。体中が酸素を求めている。

 まだ顔は熱い。……でも、悪い気はしなかった。

 

「はぁ、はぁ、ど、どうしよう……」

 

 それよりもなによりも、ほっておけない問題がある。

 扉に沿って腰を下ろし、両手で顔をおさえた。

 

「顔、合わせらんないよ……」

 

 少女らしい、そしてなんとも可愛らしい悩みが、太陽よりも莫大な熱量で体を焦がしていた。



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011 - 淑女とは

 朝起きて訓練して朝食とって訓練して。

 昼食とって訓練して夕食とって訓練して。

 あとは風呂に入って泥のように眠るだけ。

 そんな生活が主だったため、朝食の後にこうして外を歩き回っているのはなんだか新鮮な気持ちになる。

 しかし、まだ上がり切っていない気温と風は、それでもなお体にまとわりつくようだった。

 

「今日もまた夜は明け世は変わりなく。……しかし全く違うのだろう」

 

 靴を擦るように動かすと、地面との間で砂利が音を立てた。

 まったく一緒のように見えても、同一の時間が流れているわけではない。木の葉一つとってしても同一ではない。今動かした砂利のように、今という時間は今後一切現れることはない。

 それは生物にとっても同じことだ。細胞は日々生まれ変わり、体中は日々新しく生まれ変わる。それでも変わらないと考えてしまうのは、対応する瞳を持たないからだろう。

 気づかないと分からない。分かりようがない。

 ――とはいえ、逆に言えば分からなければ変わらないのと同じなのかもしれない。

 今自分が行っている巡回という名の散歩も、それに似たところがある。

 昨日と比べて変化はないか、おかしいところはないか、違和感はないか。そういったことに気付くことが一番重要なのである。少しでも変化を見つければそれを手掛かりに解決することもある。

 たとえば、そう。少し後ろから尾行されているような微かな音に気付くこともまた、重要なことなのだ。

 

「ふむ」

 

 鎮守府の周りをぐるりと一周するつもりであったのだが、如何せん視線が気になる。尾行自体はそれほど慣れた様子ではなく、隠れ方が不安定だ。

 どうしたもんかなと内心考える。

 それほど悩むほどのものではないのかもしれない。フツーに声をかければいいだけなのだ。正直自分を標的とした尾行であることは明らかだし、何気なく振り返った時に目端に捉えたセーラーの様なものから艦娘であると判断できる。……ある意味ここで潜水艦の線は消えた。

 なら、何が目的かというのを探りたい。

 ううむ、やっぱり少し泳がせておこうかな。そのうち痺れを切らして直接来る可能性もあるし、飽きてやめる可能性もある。どちらにせよ、自分の立場上その行為を明かすことは艦娘にとってもリスクの多いことだ。出来ればやりたくはない。

 そんなことを悩みながら歩いているうちに、いつのまにか演習場区域の近くまで来ており、少し開けた場所に出た。昨日もここまで来たが、ここには大きめの花壇が三つある。少し楽しみにしながら鎮守府の角を曲がり、花壇をみやると、

 

「あ、憲兵さん!」

「ん? おや、暁だったかな」

 

 小さなレディと遭遇した。

 暁がいるあたりにはひときわ大きな向日葵たちがずらりと天を仰いでいた。なんともはや壮観である。

 白いセーラーに赤いリボンと、絵に描いたような学生服といった出で立ちの少女の手にはジョウロがあり、今まさに水をあげようとしていたところのようだ。

 その弾けんばかりの笑顔は、もう一輪向日葵が咲いたのかと見紛う程である。

 

「向日葵か。綺麗に咲いているな」

「ふふーん、私たちにかかればこれくらい朝飯前よ!」

「流石だ。本当に綺麗だな」

「ちょ、ちょっと褒めすぎじゃない?」

 

 あまり褒められ慣れしていないのか、もじもじする暁が可愛すぎる問題が発生していた。

 まあそれはいいとして。

 

「見るに、水をやるところか?」

「そうよ。ここ最近は日差しがきついから、すぐに葉っぱがしなしなになっちゃうのよね」

 

 そう言いながら水を与える小さな手は、きっと向日葵にとっては救いの女神の様な存在なんだろうなと思った。

 自分がこんなところに一日中立っていろと言われれば、当然救急車を呼ぶはめになるだろう。そんな中、水を与えてくれる存在がいたら、それはまさしく救世主といったところか。

 

「……まぁ暁は女神というよりは天使かな」

「ん? 何か言った?」

「いや、どうせなら水やりを手伝おうかと思ってな」

「あら、それは願ってもない話ね! 今日は一人で当番の日だったから大変なのよ」

 

 そのあと話を聞いてみるに、この花壇たちは第六駆逐隊、つまり暁・響・雷・電で育てているものらしい。いつもはみんなでやっているらしいのだが、運悪くこの時間帯に空いているのが暁一人。とはいえ水をやらないわけにはいかないということでやって来たらしい。

 

「まぁ花が育つのを見ているのは楽しいからいいんだけどね」

 

 とは暁の言葉。

 自分が知っているよりずいぶんとレディに近づいているような気がする。やはり、個々で性格の違いというものはあるんだろう。

 あらかた水をやり終え、今度は草むしりを始めた。

 定期的にやるものらしいが、どうやら自分に世話の楽しさを知って欲しいようで、ウキウキしながら教えてくれた。

 

「憲兵さん、その草は雑草だから取ってしまってもいいわよ」

「これか」

「違う違う! その横のびょんびょん伸びてるやつー!」

「ああ、これか」

 

 などと怒られながらも処理を進める。

 なるほど、土いじりはあまりしたことがないが、これはこれで楽しいかもしれない。

 もともとじっくりと物事を進めるのが好きな自分としては、こういう作業はあまり苦ではないし、むしろ楽しみを感じつつあるのは事実だ。

 とはいえ、たかだか三つの花壇とはいえ、それなりに大きな花壇である。四人ならすぐに終わりそうだが、二人だと単純計算で二倍になる。

 なるほど、これはなかなか重労働だ。

 

「……ふぅっ、今日は肥料はまかなくていいから、これで終わりね!」

「お疲れ様。いい運動になったよ」

 

 すると、暁は小さく感嘆の溜息をついた。

 

「……これだけ働いても疲れた素振りすらないなんて、やっぱり鍛えてるのね!」

「そうだな、それなりには鍛えているさ」

「私ももっと頑張らないとね」

 

 ふむ。

 

「やはり、思った通り君は素敵なレディだよ」

「ぅえ? な、なによ急に」

「なに、思ったことをそのまま言ってみただけさ。たまにはこういうのもいいだろう」

 

 さて、と空を仰ぐ。

 

「そろそろ自分はお暇するよ」

「そ、そう? また見に来てよね! 次はもーっと綺麗なお花見せてあげるから!」

 

 暁に軽く手を振りながらその場をあとにする。が、見えなくなるまで笑顔で手を振り続けてくれる暁は、どこからどう見ても天使だった。

 しかし、ずいぶんと濃い時間だった。今までまるで興味はなかったが、これを機になにか育ててみるのも一興かもしれない。その時は第六駆逐隊のみんなに手伝ってもらってもいいかもしれないな。

 そんなことを考えながら、次の場所へ向かう。

 花壇から離れるとすぐにちょっとした積乱雲に太陽が隠れ、いつの間にか影の中を歩いていた。夏は太陽が高い場所にあるため、他の季節よりもコントラストが顕著だ。

 次はどうしようかなと思っていると、よく考えると隣に寮があることを思い出した。

 前回も見たが、この寮は海風に当たって少しぼろっちい印象だが、窓は頑強なものを使っているし、中に入ればかなり綺麗にされている。

 さて、とここで一つ問題だ。昨日は複数で入ったからまだ良かったが、今一人で入ってしまうのはどうなんだろうか。流石におかしいのではなかろうか。それに、まぁ今朝の北上の件もあるし、寮内で出くわしてしまったらちょっと困る。いや別に自分は何かしたというわけではないのだが、どうも様子がおかしかった。

 先程の朝食にも来ていなかったし、いやもしかしたら任務の関係で時間をずらしているとも考えられるが……それは楽観しすぎかな。

 

「とりあえず、寮はまた今度にしようかな……」

 

 誰にでもなく呟くと、軽く周りを見渡して素通りする。

 そうして横に視線をずらすと、見えるのはドックだ。ここでは装備の開発やら修理やらいろいろやっているが、注目すべきは入渠だろうか。

 いや、風呂が見たいわけじゃなくて。

 たしか艦娘にとっての入渠というのは、風呂だけじゃないはずだ。日々訓練や任務で肉体的にも精神的にもボロボロになる艦娘の、保養所なのだ。リラクゼーション施設と言いかえてもいい。

 そこには風呂はもちろんだが、エステや治療室、マッサージに談話室など揃っているはず。これは興味深い。なんなら自分もマッサージをしてもらいたいくらいだ。

 なんて、そんなことしてもらうわけにもいかないか。ここは艦娘専用であるだろうし、自分が入ったことによって他の艦娘が利用できないなんてことになったら本末転倒もいいところだ。

 そもそも、内地で直接的な危険がない我々軍人が踏み込むのはよろしくない。それがどう変化して艦娘のストレスになるか分からない。もしかしたら、内地で安全に仕事をしている奴が私たちと同じ施設を使っているなんて、とか思うかもしれない。

 そんなことを考える娘なんていないのかもしれないが、それでも可能性の芽は摘んでおかなければいけないだろう。ただでさえ女所帯に黒一点なのだ。自分の身はわきまえて、誠実に仕事に従事しよう。

 まあ流石にこれくらいのことは誰でも考え付くだろうし、まさか艦娘専用施設に入る人間なんているわけ、

 

「あー、いいお風呂だったぁ」

「おい」

 

 ――いたわ。

 ここにいたわ。

 なんなら目の前にいるわ立花提督が。

 

「あれ、小林中尉おはようございます。こんなところでどうしたの?」

「おはようございます。自分は巡回の最中だが、立花提督はなにを?」

「や、朝風呂をちょいと頂きにきたんだー。やー、いい湯だったよー」

 

 タオルを首にかけ、ほかほかしながら出てきた。一応提督の服装はしているが、どことなくちゃんと着れていない感じが否めない。さっきのレディを見習ってくれ。

 ただ、この提督はその程度のこと歯牙にもかけないと言わんばかりの顔立ちをしている。

 髪はまだ少ししっとりとしていて、顔も桃色に染まっているわけで、正直かなり艶やかだ。色気が尋常じゃない。なんならその雑な着方も色気に拍車をかけているのではなかろうか。

 なにをもってレディとするかは議論の余地ありだが、その解釈の仕方によれば、一番のレディは立花提督なのかもしれない。

 

「……にしても、一晩経っても信じられないよね」

「何がだ?」

「その美醜感覚マヒしてるところ。何度考えてもおかしいよね」

「悪かったな」

 

 少し不貞腐れた自分に、あははと朗らかに笑う提督の顔が恨めしい。

 

「このあと予定は?」

「だいたい見て回ったし、そろそろ執務室に行こうかと思っていたところだ。……まぁその提督が朝風呂を楽しんでいるとは思わなかったが」

「そ、そうだね。ちょっと昨日から私たちの間でお風呂がブームでね」

 

 何で今頃お風呂にブームが来ているのか。確かに風呂は心の洗濯ともいうし、気持ちいいのは大変良い事だが。

 

「まぁ清潔にすることはいい事だろうけど」

「そうだよね! そう思うよね!」

 

 なんでそんなに食い気味なのか。

 とりあえずドックの前で立ち話していてもアレなので、執務室に向かうことにした。

 この鎮守府は南向きに建てられているため、日当たりが大変良い。ありがたい限りだ。暁が咲かせていた向日葵も、遥か海と空を仰ぎ見ていた。

 

「立花提督はこのまま執務に入るのか?」

「いえ、一度私室に寄ってからにするわ。着替えとかタオルとか置いてこないとね」

 

 ドックから執務室は遠くない。というか、頭数は多いが鎮守府自体は小さくまとめられているイメージなので、どこに行くのにもそれほど遠いとは感じない程度だ。

 あえて言うのであれば、入口の門からは演習場は真逆の方向にあるので、それが一番遠いかもしれない。

 執務室で待っててねーと残され、立花提督とは途中で別れ、ひとり鎮守府の中を歩く。

 やはり建物の中は太陽の角度のせいで少し暗いイメージだ。とはいえそれが嫌いというわけではない。むしろ季節を感じることが出来て好ましいと思う。

 よく自分はおかしいと言われるのだが、晴れも曇りも雨の日も好きだ。

 大抵は雨の日が嫌いな人が多いように思うが、自分はそんなことはない。『良い天気』というのはきっと環境によって違うことだし、晴れが『良い天気』だというのは世界共通ではない。……一例としては花粉飛び交う季節の雨とか。あの雨は間違いなく『良い天気』だ。

 それに雨がないと生き物は死んでしまうわけで、悪いばかりではない。そういうことが曇りの日にも言えるし、晴れの日が悪い日だと思う人もいるだろう。

 同じように季節だってそうだ。春は花粉が多いが心地よい風が吹く。夏は茹だる様な気温だが新緑が目にまぶしい。秋は木枯らしが吹くが食べ物が美味しい季節だ。冬は寒く動きづらいが炬燵の魔力が暴走する。

 きっとその他にも人の数だけメリットデメリットがあるだろう。きっとそれに気が付かないだけなのだ。そして自分の場合は、メリットがデメリットを上回ることが多い、それだけの話だ。

 だから、ああ夏だなぁ、としみじみ感じる今日この頃なのである。

 とりあえずはまあ、今日のお仕事を始めますか。

 業務内容の把握とその中から手伝えるものの選定からかなーと考えながら、靴底で鎮守府の床を鳴らした。




正直、北上さんを書いて燃え尽きた感ありましたよね。申し訳ないです。
とりあえず続きます。


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012 - 君がそこに至るまで

 建造されたのはおよそひと月前。

 

『不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです』

『ちっ、また駆逐艦のクソブスかよ』

『え?』

 

 それが最初だった。

 その後、自分の生まれた意味を考えるに至るまではそう長くなかった。

 

『那智さん、不知火はなぜ生まれて来たんでしょうか』

『……』

『不知火たちは軍艦です。人を守るのが使命であることに疑いはありません。しかし、同時にそれをよしとできない、なんでしょう、思いのようなものがあります』

『そうか。……それはな、不知火。心があるから疑問になるんだ。どうか大事にしてくれ』

 

 そう言うと、那智さんはとても優しい顔をして、そして同時に悲しそうな表情をしていた。

 確かに艦娘として生まれてきた軍艦たちは、みな一様に不細工な容姿であることはよく分かっている。朝起きて鏡を見るのが憂鬱だし、鎮守府内を歩いていてもマスクをしている艦娘が多くいる。どこかそれが規律のように守られている。

 きっとそれは必要なんだろう。その心という見えない臓器を守るために。

 しかし問題は、守るべき人間がその臓器を傷つける存在であるということ。

 なんと退廃的なことであろうか。

 なんと冒涜的なことであろうか。

 なんて、――悲しいことだろう。

 そんなことをひと月も考えていたせいで、出撃すれば大破し、遠征すれば失敗し、演習すれば足手まといという役立たずの権化のようになっていた。

 そして、ついに出された戦力外通告。もともと戦力外ではあったのだが、鎮守府に存在する事すら無駄だと判断されたわけだ。

 いよいよ自分の存在意義が分からなくなった。

 そうして異動となる艦娘の行きつく先はいろいろあるが、自分の場合は別の鎮守府で練度を上げるという道だった。

 そこで練度を上げてから再び元の鎮守府に帰るという、いわば練習場のような、更生施設の様な場所だと聞いた。

 ようするに棄てられたのだ、自分は。

 そして、送り出すときの司令の顔を見て、きっと不知火は二度とここに帰れはしないのだろうということも悟った。司令と会えなくなることに対して思うところは一切ない。ただ、他の艦娘たちは優しくしてくれたし、スれている子もいたが、決して悪い子ではなかった。そういった子たちと別れるのは、少し悲しかったかもしれない。

 そうして送られた場所が、――柱島鎮守府。

 自分が運命の人と出会う場所だ。

 

「不知火と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」

 

 そう立花提督に挨拶した時の表情はどうだっただろうか。きっと自分は無表情だっただろう。司令は、どこか諦観したような表情だったかもしれない。

 鎮守府に関することをいろいろと教えてもらった。しかし不思議と、情報は頭に入って来るが、どうも司令の人物像だけがはっきりとしなかった。なにか目の前にフィルターが掛かっているような、頭の中で情報がセーブされているような、とても奇妙な感覚だった。

 ――景色が灰色になったみたいだった。

 

「歓迎会を開きたいと思うんだけど、どうかな?」

「いいえ結構です。必要ありません」

「……そっか、ごめんね。今日は寮でゆっくりしてね」

 

 執務室から退出し、瑞鶴さんという艦娘に寮まで案内してもらった。

 部屋に入ると既に違う子の荷物が置いてあり、誰かと相部屋らしいことは分かった。誰となのかは言っていた気がするが覚えていない。

 入口からまっすぐ窓際まで行き、それを背にして床にずり落ちた。三角座りした膝を眺めながら、両手は上げる気力もなく床に投げ出す。さながらその辺に置かれた人形のようだった。

 

「なぜ、なぜ、不知火は、ここにいるんでしょうか」

 

 独りぶつぶつと自問する。

 何度も自問し、何度も自答できなかった。それでも、何かにとりつかれたように繰り返している。

 どれだけの間そうしていたか分からない。気付くと、扉が小さくノックされていた。

 

「不知火? 瑞鶴よ。中にいる?」

「はい」

「入るわよ」

 

 扉の開く軽い音とともに、瑞鶴さんが入って来た。

 瑞鶴さんはここで秘書艦を務めていたようなので、それなりの古株なのだろう。

 きっと歴戦の猛者であり、自分なんかとは全く正反対の道を歩んでいるのだろう。こんな不良品なんかと違って。

 

「さっき不知火が配属になったすぐ後に、憲兵さんが配属されたの。これからみんなで食堂でお昼を食べる予定なんだけど、不知火も行きましょう? なんか、面白い人よ」

 

 そう言うと、瑞鶴さんはクスクスと笑った。前の鎮守府では見なかった種類の笑い方だ。どうしてこんな笑い方が出来るのだろう。

 

「そう、……ですか。いえ、不知火は結構です」

「そっか、分かったわ。でも来れるようならいつでも来ていいからね」

 

 そういうと、瑞鶴さんは部屋を去っていった。

 瑞鶴さんのことも気になったが、どちらかというとそういう笑顔をさせた憲兵の方に興味がある。前の鎮守府ではみんなもっと陰鬱な雰囲気で、マスクをしていた。……そうだ、何か違和感があると思ったらこの鎮守府の艦娘はマスクをしていない。

 自分は今でもマスクをしている。柱島鎮守府も敷地外へ行くときはマスク着用義務があるはずだが、敷地内ではマスクをしていない。

 これは、鎮守府を一つしか知らない自分には目から鱗の事実だった。

 ……ゆっくりと、おそるおそるマスクに手を伸ばす。

 

「……ッ!」

 

 震える右手を左手で押さえつけるように抱きしめた。

 心臓がうるさいくらいに騒ぎ出したからだ。自分では分からなかったが、もしかしたらトラウマにでもなっているのかもしれない。まったくもって不良品だ。

 

「は、はは……」

 

 変な笑いがこみあげてくる。瑞鶴さんとは大違いだ。

 不細工な顔に不細工な笑顔。

 最低だ。 

 

 ――その日、相部屋の片割れが帰ってくることはなかった。

 

 次の日の朝早く、廊下でバタバタと誰かが走る音で目が覚めた。

 どうやら昨日の姿勢のまま寝落ちてしまったようだ。座ったままでよく寝れたものだと薄い感情ながら思わないではない。

 体中の固まった関節をほぐそうと立ち上がる。大きく伸びあがりながら、横目で相部屋の相方がまだおらず、誰か分からない状況が続いていることを確認する。

 

「……少し、外の空気を吸いたいですね」

 

 糸を吐くような声でつぶやくと、いつの間にか外れていたマスクをつけて静かに部屋を出た。

 先程の騒々しさとは一転して、廊下はまだ静かなものだった。誰かほかの艦娘と遭遇するかとも思ったが、結局誰とも会うことなく寮を出た。

 寮を出ると目の前に海があるが、それを右に行くと演習場がある。そして、演習場へ続く道の途中に海に突き出た小さな岬の様な場所を遠目に見つけた。

 少し歩く程度にはちょうどいいだろう。昨日の今日でまだ何も指令を受けていないし、どうせ何も指令は貰えないだろう。今まで通り、資源を無駄にしないよう部屋でじっとしているのが一番役に立つ過ごし方だ。

 ――ズキン、と胸が痛んだ。

 

「……歩きましょう」

 

 踏み出した足の先で、砂利の擦れる音がした。なぜかそれが酷く不快だった。

 すっかり明るくなった空は、それでもなお焦らすかのように太陽を見せてくれはしない。朝の澄んだ空気は少しづつ温まり、ぬるま湯の様な不快感を伴っている。

 潮風が色素の薄い髪の毛を揺らす。潮騒が耳朶を撫でる。

 

「……今日は海が静かですね」

「そうね、こんな日は珍しいかも」

 

 なんとなく呟いた声に返答があった。

 びっくりして振り返ると、……誰だっけ。

 

「え、ちょっと待って。その反応もしかして誰か分かってない?」

「あの、申しわけございません……」

 

 彼女は大きなため息を吐くと、目を瞑り後頭部に手をやった。何を言おうか迷っているようだった。

 が、それもそのうち諦めたのか、まあいいか、と小さく呟いた。

 

「で、何をしていたのかな?」

「いえ、あの岬まで行ってみようかと思いまして」

「なるほど。ついて行ってもいーい?」

「……構いませんが」

 

 そう言うと、彼女は嬉しそうに砂浜を歩きだした。

 穏やかな波は足元をくすぐるように、触れるか触れないかの距離で寄せては返すを繰り返す。

 浜から岬までは約50メートルほど。岬というのもおこがましいような、ちょっとしたでっぱりだ。

 海底はそこまで深くなく、釣りをしたところで大きな魚は獲れないだろう。もしかしたら砂地にヒラメやカレイがいるかもしれないが、あとは小魚程度しかいない。

 

「魚が好きなの?」

 

 彼女にそう問われ、少しだけ考える。

 

「嫌いではありません」

「そっか」

 

 それだけの会話に、彼女はとても嬉しそうに笑った。

 そうしているうち、岬の先端まで来た。ここは最南端部分であるらしく、東はかなり明るいが、西はまだ少し暗い。朝と夕だけに見られる、空のイルミネーションだ。

 

「いやぁ、ここの空気は気持ちいいねぇ。この鎮守府のイチオシなんだよね、ここ。最初にこの場所を見つけるとはなかなかお目が高い」

「そうですか」

 

 それからも色々と話しかけられたが、どうも霞がかった頭は晴れない。

 

「君はさ」

 

 ふいに、先程までの口調が静かなものへと変化した。

 その落差に興味が引かれ、彼女を目に映す。

 

「君はこの鎮守府でどうやって過ごしたいの?」

「どう、とは」

「何をしに来たの? 何を成したいの?」

 

 分からない。ここへ来たのだって自分の意志ではない。何かやり遂げるために来たんじゃない。ただ、棄てられたのだ。

 

「艦娘として生まれて、こうしてここへ送られて、悔しくないの? 見返してやろうとか、思わない?」

「……」

 

 分からない。きっと最初ならそう思っていただろう。でも、今となっては分からない。

 身体の中心にぽっかりと穴が空いたようだった。

 

「……そっか」

 

 彼女はそれだけ言うと、顔を戻し再び海を眺める。

 それから、少しの間そうしていた。波の音は絶え間なく、海鳥が朝焼けの海原を悠々と飛び回っていた。やっぱり、この景色は嫌いじゃない。

 

「ところで、憲兵さん見た?」

「いえ、まだ」

「君はね、あの憲兵さんと会ってみるべきだと思うよ」

 

 憲兵、とは何だったか。

 確か大本営から送られてきたお目付け役の様なものだっただろうか。

 

「それはなぜですか?」

「そうだねぇ、とりあえず男だね」

 

 もうその瞬間に会いたくないという気持ちでいっぱいだった。

 以前の鎮守府の司令も男だったからだ。自分が生涯会ったことのある男性というのは、司令一人だったため、男のイメージもそれで固定されている。

 確かに船だった時の男性のイメージもあるが、それは記録でしかなく、記憶ではない。

 男性に忌避感を覚えるのも当たり前だった。

 

「なんだい、男性は苦手かな?」

「苦手です」

 

 即答すると、彼女はぽかんとした顔をした。

 それもすぐに元に戻り、しかしわずかに苦笑の様な形をとった。

 

「なるほどねぇ。でも、彼なら大丈夫だよ。一度会ってみたらいいんじゃないかな」

「……」

「特にすることないんでしょう? それに、君にとってたぶん今一番大事なのはそれなんじゃないかなって思うし」

「……」

「だからさ、私もちょっと他人任せになって申し訳ないんだけど、君の今日からの仕事はそれだね」

 

 ……何を言っているんだろう。なんの権限があってそんな命令を出すんだろう。

 

「命令権限は司令にあるはずですが」

「……あー、それは大丈夫。何なら後で確認してもらってもいいよ」

「そうですか」

 

 確かにどうせ何も命令をもらえないのであれば、一時的に従ってみてもいいかもしれない。それに司令に確認を取ってもいいとも言った。それから行動に移っても遅くはないだろう。

 憲兵、か。なるほど。これはこれで面白いかもしれない。当然相手は武官であるから、自分が尾行したところで気付く可能性はかなり高い。しかし、どれだけ自分が通用するかも試すことが出来る。

 なるほど、了解した。

 

「駆逐艦不知火、尾行作戦了解致しました。行動に移ります」

「え、あ、うん、了解」

「では」

 

 そう言いながら、駆けだした。

 何故か分からない胸の高鳴りを感じながら。

 

 ――さて、まずは何をしようか。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「いっちゃったかー」

 

 結局一度もマスクは外さなかったな。

 私はもう一度後頭部に手をやりながら目を閉じた。

 正直ここまで燃えるとは思っていなかった。ただ、憲兵さんに、小林中尉に会えば何か変わるんじゃないかと思って焚き付けただけだ。

 たぶん本人にばれたらとてもめんどくさそうな顔をしそうだなー。

 そんな表情を想像し、少し笑みが漏れる。

 

「なんでかなぁ。なんか信じたくなっちゃうんだよねぇ」

 

 あれがカリスマというのか、ただ物珍しさからそう感じてしまう幻なのか。

 でも、そうだなぁ。

 どうか、できるなら、信じさせて欲しい。

 きっと今の私たちには彼の様な存在が必要なんだ。

 

「どちらにせよ、不知火ちゃんにはいい刺激にはなりそうだし」

 

 ――ああ、ようやく太陽が顔を覗かせた。

 針の先ほど光がどんどん大きくなっていく。

 目が焼けるのも厭わず、私の目は太陽を見据えていた。

 

「がんばれぇ、不知火ちゃん。君ならきっと大丈夫だよ」

 

 ふと空を仰ぎ見ると、小さな飛行機が飛んでいるのが見えた。あれは……彩雲かな? たぶん瑞鶴ちゃんが心配して偵察機を飛ばしてくれていたんだろう。もしくは私がさぼらないか見張っていたのか。

 いやはや、朝からこんなに働いているなんて私くらいのものだろう。もちろん、夜勤のものは除く。

 そんな身勝手な考えが読まれたのであろうか。空高く舞っていたはずの彩雲がいつの間にか近くまで来ていた。

 

「はいはい、すぐ戻りますよー」

 

 そう言うと、彩雲は一回りしてから鎮守府の方へ戻っていった。さて行くかと改めて足をそちらへ向ける。

 が、途中で思い出したように苦笑を漏らした。

 まぁ1つ言いたいことがあるならば。

 

「でも私、尾行したら、なんて一言も言ってないんだけどなぁ」

 

 まぁいいか、と小さく笑みを零し、海を背に歩き出した。



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013 - 北上が沈んだ日

 北上が沈んだ。

 その知らせを聞いたのは早朝のことだった。

 

 

 

 その日、鎮守府は朝から蜂の巣をつついたように騒がしかった。

 

「島風ちゃん入渠準備急いで!」

「修復材は!?」

「当たり前! 許可申請も任せる!」

「任せて!」

 

 目の前を島風が、旋風を巻き上げながら最大速力で駆け抜けていった。

 ここは、鎮守府の執務室と同じ階にある、作戦指令室の前だ。基本的にここは作戦前のブリーフィングと、作戦行動中の指令を出す場所である。

 中央に大きなディスプレイがあり、その脇には異なる場面を映し出す画面がいくつもある。

 中央のものには、衛星から送られてきた作戦海域の詳細な海図と、艦娘が持つGPS反応を重ねてリアルタイムで映し出している。

 両脇のものには、空母が飛ばす艦載機や水上偵察機からの映像が映し出されている。ただ、これは当然空母へ補給に戻ったり墜落したりするので、作戦が始まると頻繁に移り変わる。その移り変わりは基本的に大淀が管理するが、大規模作戦になるとその他の艦娘も数名手伝いながら、各機器を操作して作戦に当たる。

 ここ何日か当然出撃はあったのでどういったことをしているかは知っていたが、そんな指令室がここまで騒がしくなっているのは初めてだった。色々書類を確認したりと立花提督の手伝いをしてきたが、ここまで騒がしくなるような作戦があった記憶がない。

 

「憲兵さんごめんね!」

「っと、すまない」

 

 立ち止まったその脇を、鈴谷が翻るスカートもまるで気にせずに駆け抜けていく。

 

「蒼龍、警戒を厳として! 五十鈴も対潜警戒を!」

『了解です!』

『了解よ!』

 

 立花提督の持つ通信機からも切羽詰まった声が聞こえてくる。

 何か手伝いたいと思うが、まだ正直何から手伝っていいか分からない。基本的にこの作戦指令室には入らないようにしているからだ。おそらくここには機密が溢れているだろうから。

 それを言えば執務室もそうなのだが、常に自分以外の誰かがいる状態であるし、見ても構わない資料しかこちらへ回ってこない。

 だから、というえば言い訳になるだろうか。業務上自分が知りえないことは割と多い。

 

「えーっと、どうしようかな、」

「立花提督」

「え、憲兵さん!?」

 

 少し流れに隙間があったから話しかけてみたが、ここまで驚かれるとは思っていなかった。悪い事をしたかもしれない。

 とはいえ、正直何も分からないままここで立っているだけというのは辛い。

 

「驚かせてすまない。何かあったようだが、自分に手伝えることはないだろうか」

「えっと、えっと、ちょっと作戦海域でトラブルが起きて、今撤退させてるところなんだけど」

「追っ手は来ていないのか?」

「いや、それが来てるから問題なんだよ。こっちはあまり足が速くはないから」

 

 なるほど、その作戦を行っていたのは足が遅い艦娘だと。で、撤退となると足が遅いのはちょっと大変だな。

 撤退作戦といえばキス島撤退作戦だけど、あれも駆逐艦を主力に編成したし。

 

「第二陣は出撃しているのか?」

「二水戦が行ってるよ」

「一応第三陣は大丈夫か?」

「鎮守府近海の哨戒範囲を広げて対応する予定。ちょっと予想外に姫級が出たから、他の鎮守府からも応援が行ってるよ」

「ひ、」

 

 おいおい姫級とか自分が来ていきなり出てくる敵じゃないだろう。王都から出てスライムでレベル上げしてたら、草むらから野生のボスが飛び出してきたようなもんだ。

 とはいえ、自分が実際戦っているわけではないわけだから、艦娘には頭が下がる思いだ。

 

「そうか、じゃあ自分は港で怪我人を入渠施設に運ぶのを手伝おう」

「ありがとう、そうしてくれると助かるよ」

 

 そうとなれば話は早い。踵を返しながら艦娘が帰還する場所と入渠施設の位置関係を頭の中に思い描きつつ、そういえばタオルの置いてある場所といつ帰還するのかを聞き忘れた。

 そう思い、再度振り返――

 

「でも、まさか、北上ちゃんが沈むなんて……」

 

 ……え?

 

「それ、どういう意味、」

「提督! 追っ手が来ました!」

「方向は!」

「進行方向の三時方向です! 距離5000!」

「ちっか!? なんでそんな距離まで!?」

「分かりません! ですが、そろそろ射程圏内です!」

「蒼龍! 五十鈴! 聞こえてた!?」

『三時方向敵影確認しました!』

『たぶん島に隠れてたわね……!』

 

 突然に騒がしくなる室内。

 聞いているだけで状況は手に取るように分かる。

 

「二水戦が間もなく合流します!」

「了解、神通頼んだよ!」

『了解しました!』

 

 自分も一応軍人である。艦娘一人の被害状況なんて些事は今は聞けない。それでも気になってしまうのは、やはり関わってしまったからだろうか。

 それが悪いとは言わないけれど、今は待つしかできないのだろう。

 

「こういう時、憲兵ってのは無力だよな」

 

 つい口に出た言葉にハッとして、今できることをするしかないとかぶりを振り、気持ちを切り替える。

 とりあえずタオルは入渠施設にあるだろう。鎮守府近海は安全だから、帰還する場所は入渠施設の一番近い所。つまりドックになるだろう。そう考え、身を翻して走り出した。

 当然、出撃していたのは北上だけではない。先程聞こえてきた蒼龍や五十鈴をはじめ、何人かで作戦を行っているはずだ。きっとその艦娘たちも傷を負っているはずだ。

 ――だけど、それでも北上のことを気にしてしまうのは、きっと自分のエゴだろう。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 もう、この波止場で2時間以上はいるだろうか。

 詳しい話を聞いていなかったため、いつ帰還するのか自分は知らない。ただ、きっとそれぞれ役割があって、自分に出来るのがこうして待つことなんじゃないかなと思う。

 入渠の準備も、ご飯の用意も、島風が頼まれた高速修復材やその申請だって、自分が適役ではない。

 果たして一体自分は何のためにここにいるのか。

 こうして待っていて、実際帰還した際に自分は何と言って迎えればいいんだろう。

 一体、どんな顔で、

 

「憲兵さん?」

 

 ふと、心配そうな顔でこちらをのぞき込んでくる、小さな影があった。

 

「君は……」

「初めまして、ですか。駆逐艦朝潮です」

 

 朝潮。朝潮型駆逐艦一番艦で、いわゆるネームシップだ。

 小柄ながらも、朝潮型の長女として気高い少女だ。

 

「憲兵さん、ご気分が優れないのであればあとは私たちが引き継ぎますよ?」

「……いやいい。自分にはこれくらいしかできないからな」

「とはいえ、もうずっとここにいるじゃないですか」

 

 作戦指令室をあとにして、すぐにタオルを集めてドックに向かい、そこでもいろいろと慌ただしかったので、出てすぐ横から海をずっと見ていた。

 今日はずっと曇り。雨は降らないまでも、空気は重い。それはどこか心の重さを表しているようで。

 しかし海はそれほど荒れてはおらず、風もあまりない。凪、とまではいかないが、穏やかだ。

 

「……いや、やはりここで待たせてくれないか。邪魔になるのだったら移動するから言ってくれ」

「いえ、そういうわけではありませんが……」

 

 その長い黒髪を揺らしながら、朝潮は少し考えるそぶりを見せた。

 

「では、私も待たせてもらいましょうか」

「いや、朝潮こそ休んでくれて構わないよ。君は……確か夜警明けだろう?」

「そうですね。ですが、妹が大変な時に寝ていられるような性格ではないので」

 

 朝潮は苦笑いを浮かべた。

 

「誰か出撃しているのか?」

「はい、末の妹で霞といいます」

 

 霞、か。艦これの世界では知名度が高い方の艦娘だろう。

 

「あの子は私たち朝潮型の最後の娘なので、性能は一番良いですよ。少し口が悪いところはありますけどね」

「……確かに。史実ではあちこち酷い戦場に駆り出されていたようだしな」

 

 自分もそこまで詳しいわけだはないが、本当にあっちこっち駆り出されていたような記憶がある。

 ここの霞がどのような性格なのかは分からないが、ベースとしては口が悪く、あまり周囲に好かれない性格の娘だ。しかしそれは自分の提督を思いやるが故、よく聞くと発破をかけるような発言が多い。

 しかし、やはりいろんな艦娘を見たから言えることだが、当たり前だが性格は同一ではなく、個性がある。生きているのだから当たり前だが。だからここで第一印象を決めてしまうのは良くないだろう。

 そんなことをつらつら考えていると、隣で朝潮がクスリと笑うのが見えた。

 

「なんだ……どうかしたか?」

「あ、いえ、なんでもありません。強いて言うなら可愛い人だなぁと思ったくらいでしょうか」

 

 これはどういう意味なんだろうか。

 

「お気に障ったのなら申し訳ありません」

「いや、別にそれくらい構わないが……」

 

 もう一度朝潮は微笑みを残し、準備をするのでこれで、と言って何処かへ行ってしまった。

 ……果たして本当に何だったのか。そして準備とは何なのだろう。

 などと思っていると、今度は暁が手に何かを持って歩いてきた。

 

「あら、憲兵さんじゃない。お疲れさま!」

「ああ、お疲れ様。これは?」

「これ? このタオルは帰って来たみんなに渡すものよ!」

 

 なるほど、当然海から帰って来たのだ。濡れているだろう。

 そのために自分が用意したタオルを近くの屋内に置いていたので、どうやらそれをここまで持って来てくれたらしかった。

 

「ありがとう、運んでくれたんだね」

「これくらいお安い御用よ。お花のお手入れを手伝ってくれたお礼も兼ねてるわ!」

 

 やはりその笑顔は、まるで向日葵のようだった。

 そして、その暁の影からひょっこりと顔を出すもう1人の影があった。

 

「ほーう、もう憲兵さんと仲良くなったのかい」

「あら響。この前話した花壇を手伝ってくれたのよ」

「なるほど、それは感謝しないとね」

 

 くるりと振り向き、

 

「ありがとう憲兵さん。ぼっちの姉を気遣ってくれて」

「ちょっと!?」

 

 暁が大慌てしながら訂正を求めるが、響はどこ吹く風だ。ここでも響は響なんだなぁと少し気が緩む。

 その表情を目ざとく見つけた響が、不思議なものを見るような目を向けてきた。

 

「珍しいね、そういう目を向ける人は」

「そうかい?」

「そうだね。まあそういう人は嫌いじゃないよ」

 

 そのクールさに少し笑ってしまう。この大変な状況なのに、姉妹の掛け合いがどうにも緊張の糸を解してしまう。

 とはいえ、そのいつも通りさに少し疑問を感じてしまう。

 先程の朝潮もそうだったが、なぜこうも自然な態度でいられるのか。

 ということを聞いてみたが、不思議そうな顔をされたが、すぐハッとした表情をした。

 

「あ、響、憲兵さんはいなかったからまだ聞いてないわよ」

「そうか、なるほどね。……今回姫級と邂逅した部隊は無事だよ。中破が3名、小破が2名だね」

 

 それを聞いて、あれ、と思った。

 が、その疑問はすぐに判明した。

 

「そして、北上さんが沈んだ」

 

 振り向くと、朝潮がそこにいた。

 その言葉を咀嚼し、飲み込むことが出来ずにいる自分に、朝潮は少し笑みを漏らす。

 

「私が来たのは、まもなく部隊が帰ってくるからです」

 

 よいしょ、となにやらいろいろ持ってきたものを地面に降ろす。

 

「ほら、見て下さい憲兵さん。話をしている間に、もうずいぶんと近くまで来ていますよ」

 

 そう言われ、海に振り返るともうなんとか顔が見えるくらいにまで近くに来ていた。よく耳を澄ますと、波を切る音も聞こえてくる。

 

 その部隊を遠目で確認する。

 霞が先陣を切っている。顔に煤が付いているようだが、小破だろうか。

 そうして川内、五十鈴などが続くが、北上の姿が見えない。

 だんだんと近づいてくる。

 表情も見えてきた。

 なんだかみんな、とても疲れているように見える。

 服もボロボロだ。

 もっと近づいてくる。

 そしてようやく気が付いた。

 中ほどにいる金剛の背に誰かが背負われていた。

 自分がいる事に気が付いた金剛が、背に何か話しかける。

 ビクンとその誰かが跳ね、そろりとこちらを見上げる。

 もう部隊は間近だった。

 その誰かは少し逡巡した後で、

 

「えへっ」

 

 と、三つ編みを揺らし、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。




この話は次に続きますので、気合があれば早めに出したいとは思ってます(希望的観測)


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014 - 名前のない感情

 その日、私はいつもより呆けていたように思う。

 理由は先日の、憲兵さんとの朝の邂逅であろうと予想するが、……いまおもいだしてもかおがあつい。

 結局あの後憲兵さんから逃げ隠れしており、顔を合わせることなく今に至っている。今日までも任務や訓練は当然あったが、実際危ないことは何度かあった。その度に誰かにフォローしてもらいながら、なんとかこなしていた。

 しかしこの日、作戦海域から離脱する寸前で、姫級の深海棲艦が現れた。どこから現れたのか分からず、少なくともレーダーに異常はなかったはずだった。

 

 ……気づいた時には手遅れだった。

 

 足元で何かが爆発し、一撃で大破まで持って行かれた。自分のダメージを肩代わりする装備も、ほぼほぼ残っていない。おそらく魚雷であったのだろうが、一番大事な足の装備の破損が最も酷く、航行不能にまで陥り、誰かに支えてもらわないと沈んでしまいそうなほどだった。

 その後ほかの鎮守府からの応援や、二水戦の参戦により離脱が可能となり、一足先に帰投することとなった。

 相手は姫級であり、それ以外にも深海棲艦はまだまだいたはずだ。

 しかし、うちの二水戦は強い。ものすごく強い。特に神通は飛び抜けているだろう。本人は自分より姉の方が強いと言っているが、当の川内はそんなわけないよねーと笑っていた。

 ともかく、なんとか生き残った私たちは鎮守府へ向けて帰投中であった。

 と、ふいに耳元にノイズが走る。これはおそらく鎮守府からの無線だろう。

 

『第三艦隊、こちら立花』

「あら、提督ね。んんっ、……こちら第三艦隊五十鈴です、どうぞ」

『了解。そちらの状況を報告せよ』

「了解です。現在敵影なし。状況は先ほどと変わらず大破が北上1名、中破が蒼龍と霞と五十鈴の3名、小破が金剛と川内の2名。現在鎮守府へ向け帰投中で、波風ともに穏やかです」

『了解。北上の状況は?』

「大破判定の主な理由は、脚部装備の半壊による航行不能によるところが大きいので、傷は軽微かと思われます。小破であった金剛の曳行により帰投します」

『了解、引き続き警戒して帰投せよ』

「了解しました」

『よろしく。……んー』

 

 ぶつり、と無線が切れる。

 まぁ、一応曳行という言葉は使うが、実際は金剛に背負われている。

 

「ごめんね金剛、おぶってもらって」

「大丈夫ネー! 大船に乗ったつもりでイイヨー!」

「2000人以上が乗船できるんだから、確かに大船だねー」

「超弩級戦艦デスカラ!」

 

 こっちは700人弱くらいしか乗れなかったことからも、大きい船だなぁという感じはある。

 そんなことを思っていたら、もう一度無線が入った。

 

『第三艦隊、こちら立花』

「こちら第三艦隊五十鈴です」

『以降500番にて対応せよ』

「? 了解しました」

 

 500番というのは秘匿回線のことだ。他から傍受されないように、暗号化し、チャンネルも変えている。

 何かあったのだろうか。

 

「こちら五十鈴です。変更完了です」

『あ、五十鈴ちゃん? おつかれー』

 

 ガクッ、と全員でずっこける。

 

「いや提督、もうちょっと威厳を大事にしなさいよ……」

『秘匿回線だし、もういいかなーって。それより北上ちゃん』

「んぁ? なにー?」

『憲兵さんが怒ってたよー』

「え゛」

『以上無線おわりっ』

 

 ぶちぃ、といきなり無線が切れた。

 

「でもあの姫級の深海棲艦、どこから出てきたんだろうね」

 

 こちらが衝撃から回復出来ていないことはどうでもいいとでも言うように、蒼龍がのんびりとした声で話題を提供すると、

 

「そうね、私たちは誰も警戒は解いていなかったはずだし、少しおかしかったわね」

 

 と、五十鈴が応える。

 いや、そんな普通に会話って続くんだ。

 とはいえ、なんだかここ数日に渡って警戒がおろそかになってそうな自分が、もしかしたら接敵を見逃したのではないかと心配になってくる。

 自分ではそんなつもりはないが、大体そういう時に限ってやらかしてしまうものだ。

 もしそうだったらどうしよう。自分のことしか考えなくて仲間を危険にさらして、情けなくなる。

 

「そんな顔しないでくだサイ。ここ最近不調なのは誰もが知ってる事デス。さすがに原因まではワカリマセンが、そんなアナタをfollowしながらの警戒なんて朝メシ前デース」

 

 金剛が慰めてくれるが、それでもいつもより負担があったのは確かだろう。

 今は反省で済んでいるが、これが取り返しのつかないことになっていたら後悔に変わっていたはずだ。

 それは先に立たぬもの。しっかりと反省し、次に活かさねば。

 

「ごめんねー、みんな。次はもっと集中するよ」

 

 言葉にすると安っぽいが、言葉にしないと伝わらない。

 そんなネガティブな気持ちで出した言葉に霞が噛み付く。

 

「当たり前でしょそんなこと。……でもここ数日北上さんの様子がおかしいのも確かよね。何かあったの?」

 

 噛み付かれた先は、心臓だったかもしれないなぁ……。

 なんでそっちに噛み付くかなぁ……!

 

「たしかにそうだよねー。五十鈴もそう思うよね?」

「まぁ思わないでもないけど、あんまりそういうの突っつくと馬に蹴られるわよ蒼龍」

「でもでも気になるよねぇ、霞ぃ」

「私に振らないでよ。まぁ気にならないといえば嘘にはなるけど」

「それは聞いてもイイ話デスカ?」

「いや、……まぁ重い話ではないけどさぁ……」

「じゃあ教えてよ北上ぃ! なになに色恋!?」

「ち、ちがうし! 全然そんなんじゃないし!」

「ほーらやめときなさいって蒼龍」

「そうよ蒼龍さん。あまりつついても可哀想じゃない」

「霞に言われると反論する気なくなっちゃうんだよなぁ……」

「どういう意味よそれ」

「なんか妹が出来たみたいな」

「あたしがチビで貧乳と言ったか牛娘」

「それが私の胸の事ならいいが、体型の事だったら今ここで海の藻屑となるぞ」

「喧嘩やめい。あんたたち子供か」

「誰が幼児体型か!」

「誰が脳足らずか!」

「言ってないわよそんなこと!!」

 

 女3人寄ればとは言うが、6人もいるのだ。こうなるよねー。

 ……6人?

 あれ、私と金剛と蒼龍と五十鈴と霞と、あれあれ?

 

「川内は?」

「ん? 後ろにいるよ?」

 

 振り返ると、最後尾を川内がついてきているのが見えた。珍しく話に入らなかったのはなぜなのか、というのはすぐ判明した。 

 

「私さぁ、最近夜戦が多かったじゃん?」

 

 川内は、朗々と謳うように、舞台の上から語りかけるように口を開いた。

 その言葉になにか不穏なものを感じた私たちは口を閉じ、次の言葉を待つ。

 

「そうするとさ、帰ってくるのは早朝になるんだよね。今の季節的にもうすっかり明るくなってはいるんだけど、そういう空気って結構好きだから帰ってきてからボーっとしてたりするんだけどさ、数日前にちょっと面白いことがあったんだよ」

 

 次の瞬間蒼龍が私を羽交い絞めにし、霞に手で口を塞がれた。

 

「んーーーー! んーーーーーーー!!!」

「ごめんね北上。これはもう仕方のない事なの」

「あんまりにも焦らす北上さんが悪いと思う」

 

 離せェ!!と、目で二人を威嚇するがなんのその。蒼龍と霞に裏切られた私は俎上の魚でしかない。

 というか、金剛に背負われているせいで、あまり暴れられない。金剛ホントごめん。

 

「北上がさぁ、物凄い速さで走って行ってさぁ、何事かと追いかけたわけよ。途中で一度止まって必死で息を整えて、出て行った先には憲兵さんがいたんだよなぁ」

 

 終わったー!!

 終わったわこれぇ!!!

 

「で、憲兵さんの早朝訓練が終わったあとに何事か話した後、なんとなんと」

 

 ごくり、という音が聞こえそうな静寂、それはきっと嵐の前の静けさというやつで――

 

「一緒に憲兵さんの部屋に入っていったんだよなーこれが!」

 

 ――直後に爆弾を落とされて嵐が来た。

 

「えー!! うっそぉ、やるじゃん北上!」

「へー、知らなかったなぁ、北上さんもやるわねぇ」

 

 苦笑している金剛と五十鈴はいいとして、蒼龍と霞、それと川内は後でボコボコにする。絶対にだ。

 それからはずっと、それでそれで!?と食い下がる蒼龍の猛攻を、全部無視するというか、意識から外すことにした。

 しかし、思い出させるのは先程の提督の言葉。

 

「帰ったら憲兵さんに怒られるのかなぁ……」

「ン? 何の話デスか?」

「さっきの提督の話だよー」

「……ああ、あれデスか」

 

 怒られるのはやだなぁ。というか、憲兵さんに怒られたら堪えそうだ。

 

「まあ大丈夫デショウ」

「そうかなぁ」

「あのケンペイさんが怒るところって、ちょっと想像できないネー」

 

 確かに、それはある。

 なんというか、叱られるイメージは出来なくはないが、怒るというか感情をそこまであらわにするような性格にはどうしても見えない。静かに喜んで静かに怒ってそう。うわ、それ一番恐いやつだ。

 

「怒ってたら、その時はその時デース。大人しく謝りまショウ」

「そうだねぇ。今までみたいな理不尽なものではないだろうし」

 

 理不尽というか、不条理というか、やっぱり世界はビジュアル8割なんだろうなぁ、と。私たちみたいなのは、排斥されやすい。

 

「まぁでも、怒られるだけいいよね」

 

 ふと川内の口から漏れ出た言葉は、ある意味真を捉えていた。

 

「海の底にまではそんな言葉も届かないんだからさ」

 

 確かに。確かに。と、みんな口々に呟く。

 

「だからまぁ、とりあえずはここに6人揃ってることが、私は嬉しいよ」

 

 ちょっと恥ずかしそうに笑うこの人は、きっと今世界中の誰もが魅了される笑顔をしていた。

 

「さぁて、凱旋とまではいかなかったけれど、もうすぐ我が家だよ!」

 

 川内の一言にふと前を向き直ると、もう間近に柱島が見えていた。なんなら鎮守府も見えるから、もう4キロもないだろう。

 よく見ると何人かこちらを待ってくれている人がいる。しばらくなかった大破や中破が出たからだろう。着いたらすぐ入渠だろうなぁ。

 しかし、さらによく見ると、背の高い人がいた。

 誰だろうなー。分かんないなー。

 その人物は、いつもは無表情なその顔が巌のようになっていて、あたかも怒りを抑えているかのように見えなくもない。

 思わず金剛の肩に顔を伏せた。

 

「ほら、ケンペイさんデース」

 

 しかし、金剛に促されもう一度顔を上げる。

 一瞬だけ対応に迷った末に出てきた言葉は、

 

「えへっ」

 

 という、なんとも間の抜けた声だった。

 瞬間、憲兵さんの顔が曇る。やばい、やってしまったかもしれない。

 

「ハーイ、ケンペイさん。ただ今帰投しまシター!」

「……ああ、お疲れ様。こんなことを私が言うのもおかしいかもしれないが、……よく帰ってきてくれた」

 

 その一言で、ああ、帰ってこれたんだなぁ、という安堵感が全身を駆け巡る。

 やはり、憲兵さんは、憲兵よりも提督にむいているように思う。こんな人が提督だったら、きっと艦娘の競争率は高そうだけど。

 不意に憲兵さんの顔が、隣にいた朝潮に向けられる。

 

「え、や、私は嘘は言ってないですよ。北上さんは脚部装備が破損して海面に浮かぶことが出来なくなり、そのせいで大破判定となりました。そして、金剛さんに背負ってもらい、帰投しました。嘘は言ってません」

「あからさまなミスリードは、嘘より悪質だと思わないかい?」

「ふふ、まぁそうですね。正直そう仕向けたことは間違いありません。ごめんなさい」

「心臓がいくつあっても足りないから、そういうことはやめてくれ」

「了解しました」

 

 はぁ、と憲兵さんにしては珍しく疲れたような顔をしていた。なにか朝潮とあったのだろうか。

 

「だから言ったろう、今回出撃した部隊は無事だったって」

 

 と、憲兵さんの後ろからぬっと出てきた響が口をはさむ。

 

「……確かに、そう言っていたな」

「おや、よく覚えていたね。きっと一番騒然としていた時に顔だけ出してすぐにいなくなったから、その後の事を知らなかったんだろう。実際結果だけ見れば、そんなに大したことにはなってなかったのさ」

 

 それに、と響は驚くようなことを言ってのけた。

 

「もう第二水雷戦隊も帰投中だしね」

「え」

 

 誰から漏れ出た声か分からないが、きっと誰もが思ったことだろう。

 

「もう終わったのか?」

「ああ、さっき連絡があった。終わったよ。夜戦に持ち込むことなく終わった」

「早すぎないか?」

「姫級ではあったけどどうやらはぐれだったらしくてね。すでに瀕死だったみたいだ」

 

 だからほかの鎮守府からの応援が早かったのか。そうなると、あの深海棲艦は追撃されてここまで来た可能性がある。

 こちらがピンチになって助けを呼んだ形だと思っていたけど、どうやらこっちはただの被害者になりそうだ。

 と、一人一人タオルを配っていた暁が、苦笑しながらこちらを向いた。

 

「ほら、ここで立ち話は早すぎるわ。さっさと装備下ろして入渠してきなさいよ」

 

 確かに、今しがた帰ってきたばかりで立ち話は早すぎる。

 暁のレディ度が留まることを知らない。

 

「私たちは船渠で下ろすから、先に北上さんだけ入渠してきたら?」

 

 霞がそういったことを言うのは珍しいのでびっくりしていると、蒼龍の目が光った。嫌な予感がする。

 

「そうだね! 装備は預かるよ! ほら、憲兵さん! 引っ張り上げて!」

「あ、ああ」

 

 ほらやっぱり!

 くそぉこの女、やったね!みたいな目でこっちを見やがって。ちょっとやったぜって思ってるけど悔しいので表情には出さない。

 不意に、目の前に手が差し出された。

 視線を少し上にあげると、案外近くに憲兵さんの顔があって、ビクリとしてしまう。

 

「ほら、手を貸そう」

「あ、ありがとう。よっ、と、とぉ?」

 

 差し出され、掴んだ掌が思ったよりがっしりしていてドキドキしていたら、ぐいっと引っ張り上げられた。まだ覚束ない足元にフラついた体が、ぽすり、と憲兵さんの胸に受け止められる。

 空白。

 真っ白になった頭の中で、憲兵さんの体が温かいということだけがぐるぐるしていた。

 

「――あ、ご、ごめん!」

 

 すぐに回り始めた頭で離れようとするが、少しの抵抗を感じた。

 ほんの少しの力で。離れようと思えば簡単に離れられるような、そんな羽のような抵抗だった。

 

「あの、け、けんぺ――」

「大丈夫かい?」

 

 そんな抵抗など初めからなかったかのように、あっさりと憲兵さんは体を離した。

 

「体が冷え切っているな、早めに休んだ方がいい。歩けるか?」

「あ、うん。ちょっとフラついただけ。陸なら大丈夫」

「すまない、北上だけ先に連れて行くが、君らは大丈夫か?」

「はーい、大丈夫でーす! 北上をよろしくー!」

 

 にっこにこの蒼龍は後でボコボコにするともう一度誓いながら、さっきのことを思い出す。

 あれは、もしかしてだけど、ひょっとすると、

 

 ――抱きしめられた?

 

「どうした?」

「え、いや、なんでも、ない、です……」

 

 いま、かおを、みられたら、やばい。

 

「やはり大破は大破か。傷は少ないだろうが、見えない疲労はあったんだろう……。朝潮、暁と響も、後は頼む」

「はい、お任せください」

「任せてちょーだい!」

「修復材使っていいらしいからよろしく」

 

 さぁて行くわよー、と暁を先頭に私たちを残して去っていく。

 

「さて、歩けるか北上」

「あ、うん、大丈夫」

「なら腕に掴まってくれるか」

 

 もうちょっとそろそろ声が出ないので、黙って憲兵さんの左腕を掴む。

 手の時も思ったが、腕も太く筋肉が詰まっていることが分かる。まるで丸太に触れているようだ。

 自分の手から伝わる感触に驚いていると、歩きながら憲兵さんが小さな声で呟いた。

 

「すまない」

「え?」

 

 きっと周りに人がいても、私にしか聞こえなかっただろう。それくらい小さい声だった。

 

「どうしたのさ、憲兵さん?」

「いや……、これはただの自己満足だな、すまない」

 

 そういって、もう一度謝る。

 何のことだか分からない。

 

「どうしたのさー。言ってくれなきゃ分からないよ?」

 

 そう言って促すも、どうも歯切れが悪い。それでもなお目で訴え続けると、暫くして諦めたかのように溜め息をついた。

 

「呆れないでくれよ?」

「うん」

「君たちが海で戦っている間、私は何も出来なかった」

「うん?」

 

 どういう意味だろう。

 

「私はね、ここに来てから思ったんだ。艦娘という存在が嫌いだ」

「――っ」

 

 その一言が与えた衝撃はどれくらいだっただろう。

 息が止まり、視界は狭まり、立っている感覚が消失し、まるで、それこそ沈んでしまったかのような感覚。黒い泥に埋もれてしまったかのようだった。

 顔面蒼白になる私を見た憲兵さんが、慌てたようにかぶりを振る。

 

「ちょっとまて北上、何か勘違いしている」

 

 慌てた姿は珍しいもので、そんな憲兵さんは少し可笑しかった。

 でも、ちょっとその言葉を信じるには衝撃が大きすぎたんだけど。

 

「……私はな、出来ることなら君たちと共に戦いたかった」

 

 ――それは、どうあがいても不可能なことだった。

 

「なぜ、そんな危険な場所に君たちを送り出さなければならないのか。なぜ、私はその場で一緒に戦えないのか。なぜ、私はこんなにも無力なのか。君たちが帰ってくるまでの間、そんなことばかり考えていたよ」

「でも、それは、」

「理解はしている。私もここに来るまではそんな感情は持ってはいなかった。正直言うと、艦娘という存在はそういうものだと認識していたからな。……今思えばなんとも傲慢で無責任な話だと呆れるばかりだ」

 

 そんなことない。とっさに口から出ようとした言葉は、こちらを見る強い視線に遮られた。

 

「だから、艦娘が嫌いだ。そういう世界が嫌いだ。いつか、艦娘が艦娘という役割を持ったものではなくなる世界が見たい」

 

 これは立花提督と似た夢になるかもしれないな、と憲兵さんは笑った。

 

「……無力だなんて思ってないよ。私たちにとってはね、待っててくれる人がいるってのは、何よりも大事なことなんだ」

「ん?」

「自分は無力だって言ってたでしょ。そんなことないよ。きっと待ってる側からは実感できないんだろうけど、それでも、とても大切なことだよ」

 

 少しの間。

 憲兵さんは何か考えているようだったが、ふと、笑みを漏らした。

 

「そうかな」

「そうだよ」

 

 そう返すと、憲兵さんはいつもの柔らかい笑みを向けてくれた。

 これだ。

 私は、この陽だまりのような笑顔が、とても――

 

「ん? あれは……」

 

 そんな憲兵さんの声で我に返る。どこかを見ているようだった。

 その向かう視線の先を辿る。

 

「あ、ばれた。逃げるよ」

「ちょ、待って!」

「ままま待ちなさいよ!」

 

 すたこらと逃げる三人娘の背中が見えた。

 装備がそのままだったから、どうやら別れた場所からそのまま私たちに付いて来たようだった。

 ほう……。

 

「ふむ、川内と蒼龍と霞か。何をしていたんだろうか」

 

 私には分かる。

 あとでね、あとで。待っててね三人とも。

 

「あ、そういえば言い忘れてた」

「どうしたのー?」

「おかえり。無事で良かった」

 

 ――ああ、もうほんとにこの人は……。

 

「あの三人は走ってるから、そんなに損傷はないんだろうな……」

「そうだね。ここでいいよ、あとは歩けるから」

「そうか? まぁ入渠まで一緒に行ってはやれないしな。行ってらっしゃい」

「うん、行ってくる」

 

 入渠施設の前で別れて、一人歩く。

 さっきまでほとんど凪いでいた潮風が吹いて、髪を巻き上げた。

 そんな、何気ないことが、なぜか嬉しくなる。

 憲兵さんと話すのが恥ずかしかったけれど、今はそんなこともなくなった。

 もっと話していたい。

 この気持ちはなんというのだろう。

 

 まだ名前のつかないこの感情は、もう少し、胸にしまっておこう。




北上が物理的に沈んで、気持ち的に沈んで、憲兵さんが己の無力さに沈んで、たぶんあとで三人娘も北上の手で沈むことになる。


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015 - 大井とお話

「なるほど、あなたが憲兵ね」

 

 ある日のお昼前。突然話しかけてきたのは、茶髪でロングな北上の姉妹艦。

 

「こんにちは、初めまして」

 

 礼儀正しく、それでいて情熱的な彼女。

 

「私が、来たわ」

 

 大井が来た。

 ……来ちゃったかぁ。

 

「初めましてだね、自分は憲兵の小林だよ」

「球磨型の四番艦大井よ。重雷装巡洋艦です。昨日北上さんが大破したって聞いて急いで演習から戻ってきました」

「そ、そうか」

「……ふぅん」

 

 え、なんなんですかね。その意味深なため息は。

 昨日ひっそりと北上を抱きしめたのバレたのか。いや、だってこっちは泣きそうなほど心配してたんだから、あれくらい許されるはず。許して。

 

「なるほど、提督に聞いた通りですね。容姿に頓着しない方でしたか」

「ああ、そのことか。……そういえばマスクをしていないがいいのか?」

 

 確か、普段からマスクをしている艦娘は多いはず。ここでは最初はしている子が多かったが、最近ではあまり見ない。

 不知火がマスクしているのは知っているが、他ではほぼ見なくなった。

 

「マスク、ねぇ」

 

 少し大井は考えるようなそぶりを見せた。

 

「私、あまりマスクって好きじゃないのよね」

「おやそれはまたどうして」

「だって息し辛いじゃない」

 

 いや、まぁ確かに。

 何とも極々普通の感想だった。

 

「それはそうと、北上さんの様子が私が演習に行く前とかなり変わっているんだけど、何か知らない?」

「……知らないな」

「ダウト。あんた以外に考えられないでしょう常識的に考えて」

 

 いや、まぁ確かに。

 以前の、というのを自分は知らないが、それでもいろいろあったから変わりもするだろう。

 

「それで、そのあたりの事を聞きたいんだけど今いいかしら?」

「いや、自分は今から巡回しようかと――」

「いいかしら?」

「や、あの――」

「いいわよね?」

「……ああ」

 

 どの世界でも、きっと大井のこの押しの強さは変わらないんだろうなぁ。

 

「じゃあ憲兵さんのお部屋にでも行きましょうか」

「自分のか?」

「あら、私の部屋に来たいとでも?」

「……いや、問題ない」

「では改めて行きましょうか」

 

 もう自分の部屋の位置は知っているようで、その方向に向けて歩き出す。守衛室だったものがそのまま自分の部屋になっているのだから、自明の理ではあるのだが。

 お昼前の太陽が目に痛い。

 しかしながら思うのは、腕を掴んで歩くのはやめてほしい。歩幅が合わないからちょっとこけそうになるし、……というか普通に恥ずかしい。

 それに、もしかしたら自分には女性としての魅力がないとでも思っているのだろうか。だから大胆になっても大丈夫ということなのだろうか。

 色気と下品をはき違えている者もまれにいるが、これは前者だろうな。おそらく天然だろうし、いい香りがするし。

 くっそ、なんなんだよこの世界。自分にとっては生き地獄のようなものではないか。こんなに可愛い女性がいるのに、手を出せないなんて。……いや、そもそも自分は手を出せるような陽の者ではないし、結局どうであろうと無理だったのかもしれない。

 

「……なんでそんなどんよりしてるのよ。そんなに部屋に入られるのが嫌?」

「ちょっと自分の性格が嫌になってね……」

「なんでそうなったのよ……」

 

 呆れついでにようやく腕を離してくれたが、まだ感覚が残っているようで気恥ずかしい。

 二人で変な空気になりながら向かうは、自分の部屋。そこにお客が訪れるのは、北上に続き二人目だ。

 あの時はまだ来たばかりで部屋も綺麗だったが、今は何日か経ってしまったので少し散らかっている。来るとわかっていればあらかじめ掃除もできたんだがなぁ。

 スタスタと歩く大井の背中を見ながら思うのは、華奢な体だなぁということ。どこからどう見ても普通の女の子だ。それが海へ行って怪物と戦うんだから、世も末だ。

 自分がそこへ行って戦えないのがもどかしい。なんとか自分で艤装を運用できないものか。

 

「大井は、今日は何も予定はないのか?」

「ほかの鎮守府に行ってまで演習してたし、今日は休みよ」

「そうか」

「本来なら北上さんとまったりする予定だったのに、どうも訓練があるらしくて、訓練場に行っているわ」

「ほう、なるほどな」

「なんでも3対1を想定した訓練らしいわ。何の意味があるのか分からないけど、北上さんがわざわざ提督に直談判してたから何かしら意味があるんでしょう」

 

 それは珍しいな。北上って、あんまり訓練とか好きじゃなさそうなのに。今回の件で錬度を上げようと思ったとか、そういう感じなのだろうか。

 

「でも不思議よね。霞、川内、蒼龍の三人対北上さんなんて、意味あるのかしら」

 

 んーーー、それは訓練っていうか、たぶん処刑じゃないかなーーー。

 

「さぁ憲兵さん、入らせてもらうわよ」

 

 いつの間にか自分の部屋の前についていた。もうここまでくれば腹をくくるしかない。

 腰から鍵を取出し、ドアを開けた。

 

「……んん、なるほど」

 

 なんだなるほどって。

 

「お、お邪魔します……」

「? どうぞ」

 

 なんだか、先程までとは大違いだ。借りてきた猫のように、警戒している。

 そーっと中の様子を見回し、一歩、また一歩と進める。

 ものすごく猫だ。

 

「いや、誰もいないから早く入るといい」

「誰もいない!?」

「まあそうだな。自分の部屋だし」

「いや、そりゃそうよね……二人っきりか……」

 

 なにやらぼそぼそと呟いているが、いまいちよく聞こえない。

 そろりそろりと入っていく大井に続き、自分も中に入る。途中入口のドアを閉めた時にビクリとしていた。

 

「その辺に座ってくれ。何か飲み物を出そう」

「あ、ありがとう。……ございます」

「何かリクエストはあるかい?」

「……ではコーヒーで」

「了解。北上と一緒だな」

 

 以前北上が来た際に話題に上がったサイフォンだが、あれから個人的に一度使って、使いやすい場所に直しておいた。どうせだからこれを使ってコーヒーを淹れようか。

 アルコールやらコーヒーの粉やらを用意し、ビーカーの下部に水を入れて火にかける。水が沸騰してきたら上部の蓋を閉める。すると沸騰した水が上に吸い上げられ、蒸されていたコーヒーと混ざり合う。少し待って火を消すと、再びビーカーの下へ水が戻る。そうして、コーヒーが出来上がるのだ。

 なんだか小学校時代の理科の実験みたいで、見ている分には面白いが、やはり片付けが面倒な代物だ。

 

「砂糖は?」

「いらないわ」

「大井はブラック派だったか。なら自分も今日はブラックで飲もうかな」

「う、うん」

 

 なんだか、本当に借りてきた猫だな。先程まで威勢がよかったのに、今ではしぼんだ風船の様だ。

 

「……そんなに緊張しなくてもいいんじゃないか? 別に取って食おうってわけじゃないんだから」

「や、まあ緊張というか、うん、まあ、そうよね……」

 

 テーブルの上にコーヒーの入ったコップを置く。よく考えたらアイスコーヒーの方が良かったかもしれないが、基本ホットしか飲まないので頭になかった。

 椅子に座った大井はそわそわとしていたが、コーヒーを一口飲むと落ち着いたようだった。

 

「それで、北上のことだったかな」

「あ、そうだった。あんた、北上さんになにしたのよ」

 

 いきなり戻った威勢に、少し笑ってしまう。

 

「な、なによ」

「いや、元気になったなぁと思って」

「はぁ!?」

「そんなに怒らなくても……」

 

 言いながら一口。うむ、美味い。

 

「でも、本当に自分は何もしていないよ。なんなら本人に聞いてみるといい」

「聞いたわ」

「どうだった」

「顔を真っ赤にしてた」

 

 いや、それは疑われるわ。

 

「そうだなぁ……初日に抱き着かれて、」

「ふん。……ん?」

「早朝訓練で会ったときは、その後ここで一緒にコーヒーを飲んだな」

「んん……?」

「で、昨日の作戦では、帰ってきた北上を入渠施設前まで送ったくらいだな」

「えっと、いくつか聞いていいかしら」

 

 なにやら頭を押さえた大井が、こちらにストップをかけた。

 

「初日に抱きしめられたの?」

「ああ。何かを確かめるためだったらしいが、詳しいことは聞いていない」

 

 くっそ羨ましいわね……、と小声で聞こえてくる。なにやら恨みがましい目でこちらを睨みつけてくるが、自分に非を求められても困る。

 手元に視線を移すと、淹れたてのコーヒーから湯気が立ち上っていた。その湯気ごと掬い取るように口をつけると、華やぐ香りが鼻腔に抜け、なんとも優雅な気分になる。

 

「で、北上さんはここに来たの?」

「ああ。自分が早朝訓練をしていた時に偶然会ってな。自分の部屋を見てみたいようだったので案内したよ。コーヒーを飲んですぐに帰ったけどね」

 

 なにやらひと悶着あったが、これは言わないでおこう。

 

「その時はほかにだれかいた?」

「いや、二人だけだったよ」

「ちょっとあんたに殺意がわいて来たわ」

「ちなみに今大井が座っている椅子に座っていたよ」

「殺すのは最後にしてあげる」

 

 ちょっとだけ許されたようだ。

 

「まぁ、分からないでもないけどね……」

「ん? 何がだい?」

「北上さんが心を許したのが、よ」

 

 おっと、自分は北上から心を許されていたのか。少し恥ずかしいが、嬉しいの方が勝るな、これは。

 照れ隠しにコーヒーに口をつける。立ち上り消えていく湯気と一緒に、自分の恥ずかしさも消えてしまわないかと願いながら。

 大井を見ると、同じようにコーヒーに口をつけていた。こちらは本当に優雅に、まるでお嬢様のような居住いだった。気品、とでもいうのだろうかこれは。隠し切れない優雅オーラが出ている。さっき殺意がなんだと言っていたとは到底思えない。

 

「まあいいわ。なんとなく分かったし。……あんたのこともなんとなく分かったし」

「おや、本当かい?」

「たぶん嘘つくのが苦手でしょ」

「……そんなことはない」

 

 そういうと、大井は初めて笑った。

 ――不覚にも、少し見とれてしまったのは内緒だ。

 

「とりあえずこちらから聞きたいことは以上なんだけど、逆にあんたは何か聞きたいことでもある?

「自分が?」

「ええ、ギブアンドテイクよ。こっちから聞くだけじゃ不公平でしょ」

 

 なるほどなぁ。分からないではないけれど、別に今聞きたいことはないんだよなぁ。

 あ、でもこれは聞きたいかな。

 

「大井はどんなコーヒーが好きなんだい?」

「コーヒー?」

 

 うむ。

 

「いや、一応用意しておきたいじゃないか」

「……なんで?」

「? 次来た時に出すためだよ」

 

 ガン。と、強めの音を出して大井の頭が机に落ちた。

 え、凄い音だったんだけど。頭蓋骨割れてない?

 

「あ、あの、大井……?」

「……なによ」

「だ、大丈夫か?」

「……大丈夫よ」

 

 大丈夫には到底見えないが。などと言ったら、じゃあ聞くなと返されそうだ。

 

「……ねぇ」

「うん?」

「また来てもいいの?」

 

 なんのことだろう。自分の部屋にってことだろうか。

 

「当然構わないが。歓迎するよ」

「そう……」

 

 沈黙。

 時計の秒針の音が、少し響く。

 しかし、なぜか居心地の悪さは感じていなかった。

 少しののち、

 

「酸味がある方が好きよ」

 

 と返ってきた。

 

「ん?」

「コーヒーの話」

 

 ああ、なるほど。

 酸味……酸味か……。

 

「そしたらモカかキリマンジャロでも用意しておこうか」

「そうね、ブルマンでもいいわよ」

「……まぁ買えなくはないが」

「嘘よ」

 

 そういってようやく上げた顔は、少し赤かった。

 

「ごちそうさま。今度は北上さんと寄らせてもらうわ」

「ああ、待っているよ」

「あ、それと、北上さんはどちらかと言えば苦みの方が好きよ」

「それならマンデリンがあるから、今度はそれを出そうかな」

「……ちなみに今回はなんだったの?」

「ブレンドだよ。酸味も苦みもいい塩梅だったろう?」

「……確かに」

 

 昔から贔屓にしているおじさんのところで買ったものだ。これからもここに輸送してもらおうと思っている。

 基本的に自分はこのブレンドを好んで飲んでいるので、ここへ来ても配達してもらうよう依頼はしてあるのだ。

 さて、といいながら大井が立ち上がる。

 

「落ち着いたし、私はそろそろ戻るわ」

「え、まだ一杯飲んだだけだろう? もう少しゆっくりしていけばいいのに」

 

 ここにきてからまだ30分くらいしかたってないだろうに。用事があるなら仕方ないが、わざわざここまで足を運んで来てあまりおもてなしもできずに帰すのは忍びない。

 時計を見れば、なるほどいい時間かもしれない。

 

「どうだ大井。お昼はここで食べて行かないか」

「ここ……、ってあんたが作るの?」

「ああ。こうみえて料理は得意なんだ」

 

 大井が上げかけた腰をもう一度椅子に落とし、少し考える。

 沈黙。

 沈黙。

 ……えらく長考だな。そんなに自分の料理が心配なのだろうか。

 

「よし」

 

 なにがよしなんだろう。

 

「北上さんには悪いけど、お昼いただくわ」

 

 なんで北上に悪いのだろう。

 まあ自分だけ食堂ではなく特別なお昼御飯だから申し訳ないとかそういう感じなのだろうか。とはいえ、食堂はあの鳳翔さんが作っているのだから、すべて絶品なのは間違いない。しかし、たまにはこういうのも悪くなかろう。

 

「わかった、少し待っていてくれ。……ちなみに食べたいものはあるか?」

「んー、なんでもいいわよ」

「了解だ」

 

 では、お嬢様のために何を作ろうかな。

 頭の中で献立を考えながらそんなことを思っていると、ねぇ、と後ろから声を掛けられた。なんだ、と少しおざなりに返す。

 

「ありがとね、小林さん」

「……どういたしまして」

 

 突然のことに、一瞬思考が停止した。

 初めて名前を呼ばれたせいか、恥ずかしくて顔をまともに見れない。しかしそれは大井も同じだったのかのかもしれない。

 食器ガラスに反射した大井の顔は真っ赤な林檎のようになっていて、しかしその幸せそうな笑みはなかなか忘れられそうになかった。




私には、どうもあの爆裂した大井さんは書けない。案外淑女なイメージです。

では皆々様、良いお年をお過ごしください。


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016 - 未だ知れずの火

どうも、遅くなりましてもうしわけないです。
ここから今話含めて3話分、同じ時間に投稿しますので、よければどうぞ。


 いつも通り、5時のアラームが鳴る直前に目が覚めた。

 そのことに疑問を持つことはなく、いつも通りにアラームのセットを解除する。

 ……まずは憲兵の情報収集からだ。

 昨日知らない誰かに指示された憲兵の尾行作戦について司令に確認したところ、『え、まだ私だって気付いてない……? あ、いやなんでもないよ。よろしくね不知火ちゃん』と言われた。途中よく分からないことを言っていたが、おそらく私に必要な情報ではないと判断し、切って捨てる。なぜか司令が瑞鶴さんに慰められていたが、とりあえず今は置いておく。

 手早く着替えを済ませ、髪を結ぶ。

 そして、忘れてはならない、マスク。夜の間もずっと付けているので、朝に取り換えることが多い。

 私にとって、この瞬間が一番辛い。

 新しいマスクをそのまま上から被せ、ゆっくりと付けていたマスクをずらす。そうやって出来るだけマスクから顔が離れないようにして、交換をする。

 ふぅ、と息をついた。

 誰もいないこの部屋でこんなことをしているのは、きっと私だけだろう。

 

「……では、行きましょうか」

 

 部屋の鍵を開け、廊下に出る。夏の暑い空気は、しかしこの時間においてはその本領を発揮しておらず、ひんやりとまではいかない程度の涼しさを保っている。

 それは、外へ出るとより顕著になった。

 この時間は、虫の声も鳥の声も聞こえない一瞬がある。静寂に包まれるこの一瞬、世界に私独りだけになってしまったかのようで、酷く嫌いだ。

 いや、仮定の話ではなく実際孤独なのか。ははっ、と自嘲的な笑みがこぼれる。

 とりあえず、憲兵がいるであろう正門近くにある施設に行こう。どうやら元は管理人のようなものがいたであろう場所に、憲兵はいるらしい。

 こうした少し離れた場所にあるのは、男性と女性が同じ場所で寝起きすることが原因で発生する『間違い』が起きないように……、なんてことではもちろんない。

 そもそも艦娘という存在は美しくない、といえば自己防衛のようになってしまうが、正直醜い。醜悪だといっても過言ではない。そんな存在と一緒の場所で寝起きするなんてこと、ありえないのだろう。というか、そもそも女性としては見られていないのは確かだ。もしかしたら、最初は一緒の場所で寝起きしていていたのに、離れていく人が多かったから別棟にしたというのもあり得る話だ。

 なんとなく、砂利を踏みしめる音が大きく聞こえた。

 その音に気を取られ、下を見る。

 ――かわりばえのないけしきだ。

 

「誰だ?」

「ッ!?」

 

 急に男の声がして、心臓が止まったかと思った。

 次の瞬間にはぶわっと汗が噴き出し、顔から血の気が引くのを他人事のように感じていた。

 誰だ、と問われた。男の声だった。私は、男の人が怖い。

 

「や、朝から頑張るねぇ」

 

 と、自分とは反対側から別の声が聞こえてきた。そしてそのまま男性と話し始める。

 呼吸が自然と止まっていたことに気付き、急いで建物の陰に隠れながら必死で息をする。なぜか視界は涙で滲み、早鐘を打つ心臓は耳元で鳴っているかのようで煩かった。

 あれは、確か北上だ。……そして、男はおそらく憲兵なのだろう。どうやら朝から訓練をしていたようだ。

 

「酷い、ですね。不意打ちは、心臓に悪い……」

 

 誰を責めているのかは自分でも分からなかったが、悪態をつかないとどうにも冷静になれそうもなかった。

 少しして呼吸が整ったのを見計らい、建物から覗き見る。憲兵はランニングをしていて、北上はゆっくりと近くの段差に腰かけた。

 が、腰かけた北上がこちらを振り向いた。

 

「え」

「おーい、そこにいるのは不知火かな。こっちへ来たらどうかね」

「えっ、いえ、いいです……」

 

 とっさに断ってしまった。

 

「そっか、まあいいけどね」

 

 北上さんはそう言うと、視線を前に移してしまった。別にだからどうというわけではなかったが、なんだかもやもやする。

 そして、そういう感情が私にはまだあるんですね、と自嘲する。

 

「あんた不知火だよね。どうかしたの?」

「……いえ、特に何も」

「ふぅん。私はまた憲兵さんでも見に来たのかと思ったよ」

 

 無言になってしまうが、それが正解である。

 

「もしかして、男の人が苦手だったりする?」

「……はい、正直、苦手です」

「そうだろうねぇ。私もそうだったし。てか今もそうなんだろうけど、気にはならなくなったかな」

 

 どういう意味だろう。気にならなくなった、ということはそれなりの意識改革があったからであって、それは何によって成されたのか。

 いや、ソレに気付かないわけではない。もしかしたら、というのは得てして当たるものだ。

 

「ま、機会があれば不知火も憲兵さんと話してみるといいよ」

「何も変わりませんよ……」

「でも変わるかもしれない」

 

 北上さんは、もう一度こちらを振り返り、その綺麗な目で私を見つめる。

 

「この鎮守府がそうであったように。そして、私自身がそうであったように。……きっと不知火も、何か変わるかもしれない」

 

 なんてね、と恥ずかしそうに笑いながら視線を前に戻した。そんな北上さんを見て、なんだか眩しいような感じがした。

 北上さんは憲兵さんと話して、何かが変わったんだろう。それは何だとはっきりとは分からないのかもしれないけれど、でも確かに何かが。

 私はまだこうして北上さんとグラウンドを、施設の陰から見ることしかできなくて、北上さんは日の当たる場所で憲兵さんを見ている。この違いは何なんだろうか。

 北上さんが言っていた憲兵と話してみるということに関係しているのだろうが、まだ怖い。もう少しリサーチを重ねてみることにしようと思う。

 

「ありがとうございます北上さん。少し考えてみます」

「ん、そうするといいよ。次は一緒に憲兵さんとお茶でもできたらいいねー」

 

 それから少しの間グラウンドを眺めてから、すっと体を離し、鎮守府の中へ向かった。

 

 が、その後、鎮守府をぐるりと歩いて戻ってくると、なぜか憲兵が微妙な顔をしてとぼとぼと歩いていた。あれほど『とぼとぼ』という擬音が合う人もなかなかいないんじゃなかろうか。

 何があったんだと気になったが、流石に聞ける雰囲気ではなかったため、遠くから眺めるだけにした。

 憲兵は少し歩き、向日葵が植えてある花壇の方向へ向かった。確かあそこはさっき見たときは暁が水やりの準備をしていたはずだ。

 思わず見つからないように隠れてしまったが、あの範囲をおそらく一人で水撒きをしようとしていたのなら、申し訳なかったかもしれない。私が恐れているのは男と提督という存在なのであって、艦娘は助け合わなければならないはずだった。

 ……あ、これはちょっと罪悪感が凄くなってきた。

 考えれば考えるほど暁に申し訳が立たなくなってきた。

 

「あ、憲兵さん!」

 

 という暁の声に落ち込みかけていた意識が浮上する。

 

「ん? おや、暁だったかな」

 

 そんな言葉から始まる会話を、またしても陰から聞いていた。

 どうやら憲兵が水撒きを手伝う流れになったようだ。私には出来なかったことを、憲兵がしてくれた。それがなぜかとても悔しかった。

 ちくしょう、次は絶対私が手伝う。

 なんとも変な決意を胸に抱きながら、静かに二人を見守る。

 水を撒き、草むしりをして、なんだかんだしながら作業を終えたのは、2時間近く経ってからだった。

 この時間になると、もう早朝の空気などまるでなかったかのように太陽は燦々と照り付け、肌がじりじりと焼けるようだ。

 

「ちょっと休みましょうか……」

 

 前からあまり外に出なかった影響か、身体全体が怠くなっている。これが熱中症というやつなのかもしれない。果たして艦娘が熱中症になるのかと聞かれたら疑問だが。

 ふらふらとおぼつかない足取りで部屋に戻る。

 ようやく部屋に辿りつくと、水を一杯飲んで、そのまま目をつむった。

 

 結局その日はそのままぐったりとしたまま部屋で過ごしてしまい、気付いた時には夕暮れだった。

 しかし体は重く、喉はカラカラで、重力が何倍にもなったかのような錯覚をしてしまう。

 なるほど、これはやはり熱中症か。

 とすれば、このまま寝ているのは下策。というかこのままでは死ぬ。よく生きて目が覚めたものだと自分をほめねば。

 

「うあ……目が回る……」

 

 ぐわんぐわんする頭を揺らさないようにそっと持ち上げ、ゆっくりと水道へ向かう。そこでコップに満たした水を、喉へと流し込む。

 ……当たり前だがそれでも治る気配はなく、もう一度部屋の隅に戻ると、体を丸めて意識を失うように眠りに入った。

 

 

 

 次の日。

 目が覚めたのはお昼を回ったくらいだった。いつも早起きなので、この時間まで体が回復しなかったということだろう。最悪艦娘は何も食べなくても行動は出来るのだが、精神がもたないために食事は必要不可欠とされている。

 だがこのご時世、この姿の艦娘が町に出て食事をとれるはずもなく、結局は鎮守府内の食堂で済ませてしまうことがほとんどだ。それでも、鳳翔さんの食事は、町で適当に食べるよりもよほど美味しいと聞いたことはある。

 ともあれ、食事をとろう。その方が体の治癒も早くなるはずだ。

 熱中症の後遺症とみられる筋肉痛に苛まれながらも、食堂へ足を運ぶ。

 一定の時間さえ過ぎてしまえばお昼でも艦娘はまばらになり、すんなり食事がとれる。

 

「あら、初めまして不知火さん」

 

 そこで話しかけられたのは、食事を作ってくれている鳳翔さんだ。前の鎮守府でも、最初は司令から『お前みたいな不細工が作った飯なんぞ食えるか』と言われていたそうだが、それでも鳳翔さんの料理スキルには勝てなかったそうで、結局食堂を任されていたという話があった。

 

「初めまして。宜しくお願い致します」

「ええ、よろしくね」

 

 にこにこ笑う鳳翔さんに違和感が湧き上がる。前の鎮守府での表情と違いすぎるからだ。それはほかのことにも言える。こんなに活気のある場所ではなかった。

 とはいえ、そもそも私は無価値な置物状態だったから食堂に食べに来ること自体めったにない事ではあったのだが。

 

「申し訳ありません、部屋で食べれるものはありますか」

「はいありますよ。少し待っててくださいね」

 

 ぱたぱたと離れていき、すぐに戻ってきた。

 

「はいこれ。巡回任務用のお弁当も用意してるから、いつでも言ってね」

 

 まだ温かいから早めに食べてね、と付け加え、鳳翔さんはまた厨房の奥へと引っ込んでしまった。どうやら中ではいろいろと料理が進行中の様で、聞こえてくる音は一人で切り盛りしているとは思えないほどの、多種多様な音が聞こえてきていた。きっと鳳翔さんは厨房においてのみ三人に分身出来るのだろう。

 ありがとうございます、と言おうとしたがタイミングを逃してしまった。

 

「あ、不知火じゃーん。おつかれー。何食べるの?」

 

 なんだこの能天気な声は。

 かなり失礼なことを考えながら振り返ると、いたのは瑞鶴さんだった。

 

「あれ、おべんとなんだ。部屋で食べるの?」

「はい」

「そっかー。今度一緒に食べようね」

 

 そう言い残し、カウンターへ向かっていった。

 

「なんなんですか……」

 

 なんだか突風に煽られたけど一瞬後には無風になったような、完全な巻き込まれ事故のような感覚だけが残る。

 その残った感情は、しいて言えば虚無だった。

 ――ふむ。

 と、ふと考える。

 どうも、自分の感情が制御出来ていないような感覚に陥る。というより、以前より色んなことに感情が動かされている気がする。

 しかし、それが嫌かと問われればそうでもないのが不思議だ。 

 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、自分の境遇を深く考えなくてもいいんじゃないかと思えてきた。ここに住まう艦娘たちを見ていると、どうにもいい意味で気が抜けてしまうのだ。

 それがここの司令のおかげなのか、それとも憲兵さんのおかげなのか。

 どっちだろうなと考えながら、食堂を出る――

 

「あいたっ」

 

 ――と同時に誰かが入ってきたらしく、ぶつかってしまった。

 その拍子にマスクが外れ、

 あ、と思う間もなくぶつかった人物に目が行き、

 そこに当然のような顔で突っ立っている昨日の午前中ずっと追い掛け回していた憲兵を確認し、

 

「ぶっ」

「うおっ!?」

 

 噴き出した。

 

「ちょ、つば飛んだ……」

「な、なんで、」

「なんでって……昼食を取りに来ただけだが……」

「……」

「……」

「……うっ」

「う?」

 

 吐き気を感じ、口を手をおさえて下を向く。

 ――マスクが落ちている。

 なんで?

 ――自分がさっきまでしてたマスクだろう。

 つまり?

 ――今してないってことですかね。

 

 次の瞬間、視界がぐるりと回転し、

 

「おい、ちょっと、」

「おろろろろろ」

「不知火ィ!?」

 

 吐いた。



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017 - 彼の覚悟と彼女の覚悟

「小林中尉」

「……なんだ」

「正直に言って。何したの?」

「……ぶつかっただけだ」

 

 これこそ弾劾なのではないだろうか。

 入渠施設内のベッド脇で立花提督から責められているような空気だったが、「まぁ小林さんがそんなことする人だとは思わないけどねー」という言葉であっさりと霧散した。

 だったら最初から責めないでほしかった。

 

「とはいえ、これは重症だねー」

「……不知火は大丈夫なのか?」

「明石ちゃんの話では、栄養失調と脱水症状と低カリウム血症と低マグネシウム血症、それに伴う不整脈と筋痙攣などなど?」

「つまりなんだ、熱中症のわりと重いやつか」

「つまりはその通りだね。明石ちゃんも驚いてたよ。よく動けたなーって」

 

 しかし不知火はあまり見なかったから、そんなに外出する子だっただろうか。当然自分が見ていないところで出ていたらその限りではないが。

 

「これも明石ちゃんの話になるんだけど、たぶん丸一日は目を覚まさないんじゃないかって。さっきの症状ももちろんあるんだけど、憲兵さんとぶつかったのがトリガーだったみたいだしね」

「やっぱりそうか」

 

 どうみても普通の反応ではなかったし、これまでの艦娘の反応から男に慣れていないのは当たり前として、恐怖を感じている子も少なくはない。不知火が他の鎮守府から来たことだけは知っていたが、もしかしたらあまりよくない鎮守府だったかもしれないし、であればトラウマ的存在であった可能性もある。

 そこまでくれば自分ではもうどうしようもない状況ではあるが、ある程度慣れる手伝いくらいは出来るだろう。

 

「不知火ちゃんはね、マスクを絶対に外そうとしないんだ。あのマスクは、顔を隠すためのもの以上の意味があるんだろうね。……あれは、外界から自分を護るための楯なんだよ。そして、壁でもある」

 

 その考え方は、きっと正解なのだろう。

 そうして楯を構えて壁を作って拒絶しても、そこはきっと酷く寒い場所なんだろう。

 

「私は精神科医じゃないから分かんないけど、こういうのはゆっくり慣れていくしかないのかなぁ」

「どう、だろうな。自分もそちらに明るいわけではないから、なんとも言えないな」

 

 ただ、と続ける。

 

「自分はちょっと不知火の前の鎮守府を調べたくなったので、少し電話を貸してくれるかい?」

「え、あ、あー、なるほど。いいよ喜んで」

 

 そういうと、立花提督が率先して歩きだし、自分もそれに付いて行く。

 

「一応私もちょっと調べてはみたんだけど、外面だけはそれなりの鎮守府だったよ。それなりの戦績とそれなりの海域を確保してるね」

「なるほどね。まぁ最悪自分の先輩がそちらへ行ってもらえるか聞いてみるよ」

「あれ、小林さんが行くんじゃないの?」

「一瞬それも考えたんだけど、しょせん自分は新人だからね。上手くやれるかちょっと不安だし。どうせ先輩も本部で暇してるだろうし」

 

 そういいながら、かつて自分を教導してくれた先輩を思い出す。

 優しそうな顔をして、結構えぐいことをやらされたもんだ。そのかわりいろいろ大切なことは教わったけども。

 などと考えながら、たどり着いた執務室の電話を借りて大本営に繋ぐ。

 

「柱島第一鎮守府所属小林憲兵中尉です。――あ、お疲れ様です。――いや、まさか先輩が出ると思わないじゃないですか。――ええまぁ。えっ? え、なんで知って……、え、あ、はい、そうですけど。え、終わった? なんで? ――……そうお伝えすればいいんですね。了解しました。――はい、ありがとうございます、失礼します」

 

 がちゃり。

 ちらりと横目で立花提督を見る。白い目で見られた。

 

「今のが先輩さん?」

「……まぁその通りだ。なぜか電話口に出た。なぜだ」

「それは知らないけど。なんか全部終わったっぽい?」

「………まぁ、その通りだ」

 

 なんか知らないうちに査察が入ったらしく、なんなら先輩が出向き、そこの提督は再教育になったとのこと。どうやら艦娘の建造数と所属数と轟沈数の計算が合わなかったらしい。ということは、まぁつまりそういうことなんだが、それなりの戦績というのは『楯』を使ったものなんだろう。

 提督の再教育という判断は自分からすれば甘いどころの話じゃないが、きっと艦娘は道具でしかなく、提督という存在は貴重であるから、当然の判断なんだろう。

 なるほどな。胸糞悪い。

 

「と、いうわけで、そこの鎮守府から何人かこっちに来るかも、とのことでした」

「何が『というわけ』なのかは分からないけど、でももしそうなら大本営から連絡があるでしょ。その時はその時だよ」

 

 なんだかよく分からないうちに大事なイベントを逃したような、不思議な感覚だ。

 とはいえ、自分が出向くよりははるかに良い結果にはなったはずだから、それはそれで良かったのだろう。

 さて、と立花提督が気分を切り替えるように呟く。

 

「小林さんはこれからどうするの?」

「そうだな、これといって今日急いでやることもないし、不知火を少し見てからまた書類に目を通しておこうかな」

「はーい。もし緊急の用事があったらその時は呼ぶね」

「ああそれでお願いする」

 

 それじゃあ、と言って執務室から退室する。

 ……しかし、随分なところにいたんだなぁ。それこそ楯として矢面に立たされていないことが奇跡だ。

 とはいえ、こういうことが割と常態化しているのが情勢なんだろう。艦娘に人格があるとはいえ、例えば自分の感覚でいうところの、ロケットランチャーに人権を!と言っているようなものなのかもしれない。

 それだけ聞けば無機物に何をいっているんだという人が大勢いるとは思うが、その武器に人格があればまた話は変わってくると思うんだけどなぁ。

 

「それこそ、革命家にでもならなければ意識改革は無理なんだろうな。……只人である自分が何かしたところで、世界が変わるわけでもないし」

 

 自分の片手の半径は90㎝弱くらいだろうか。たったそれだけの距離で変えられるものなど、守れるものなど高が知れている。

 

「だからといって諦めたくはないよなぁ」

「何がだい?」

「いや、ヒトの権利的な話だよ。艦娘の立場が弱すぎるなと思ってね」

「立場っていうか、いわゆる道具だから人間の扱いやすいようにするのが一番じゃないのかい?」

「ここではそうなんだろうけどな。自分はそういう考え方が好きじゃなくて」

「へぇ、変わってるね」

「ここの常識を考えたら変わってるんだろうなぁ。きっと大本営とかでこんな発言したら一発で変人の烙印を押されそうだ」

「よかったね。ここでもすでに変な人っていう認識をされつつあるよ」

「よくはないな」

 

 つい、と横を見る。

 何食わぬ顔で時雨がそこにいた。

 

「ところで時雨、何か用かい?」

「驚かせられなくて残念だよ」

 

 やれやれと言わんばかりに時雨が肩をすくめる。

 

「つまり用事はないんだな」

「まぁそう言わずに」

 

 そう言って歩き出した時雨は自分を追い抜き、すぐに振り返った。

 

「不知火のことなんだけど」

「ほう」

「少し僕に任せてくれないかい?」

 

 その発言に少し瞠目する。

 

「いいのか?」

「憲兵さんにはお世話になったしね」

 

 時雨に何かした覚えがない。ほぼ毎日会ってはいるが、そこまで大した話をした覚えがない。

 よく分からないと思ったのがそのまま顔に出ていたようで、時雨はクスリと笑みを零した。

 

「……夕立の件さ。あれから少しずつ明るくなってる。憲兵さんのおかげだよ」

 

 夕立。

 なにか仄暗い過去を持っていそうな子だ。

 とはいえ、自分は最初から明るいイメージしかなかったので、明るくなったと言われても比較できない。……でも、夕立が落ち込んで静かだったら、それは緊急事態だろう。夕立には幸せそうな顔をしてぽいぽい言いながら駆け回っていてほしい。

 

「……じゃあ、その好意に甘えさせてもらおうかな」

「ああ、甘えてくれていいよ」

 

 どちらにせよ自分が出来ることなど、あまりない。情けない話ではあるが、時雨に任せてしまった方がいいのかもしれない。

 

「じゃあ、これから見に行くよ」

「すまない、よろしく頼む」

 

 時雨はふわりと方向を変えた。

 

「ああ、そうだ時雨」

「ん? なんだい?」

「もし自分が何か助けになれそうなことがあれば何でも言ってくれ。時雨に頼り切り、というのも情けないしね。きっと力になろう」

 

 少しびっくりしたような顔をしてから、ふんわりと笑った。

 今まで見た中で、一番柔らかい笑顔だった。

 時雨は「ん」とだけ言って、通路の曲がり角に消えていく。不知火のもとへと向かって行ったのだろう。

 さて、これからどうしようか。しばらく不知火には近づかない方がいいだろうし、いつも通りの散歩かな。

 ……時雨はうまくやってくれるだろうか。いや、信じよう。珍しく彼女が任せろと言ったのだ。とはいえ、何か後で成功報酬を強請ってきそうで恐い。

 

「……まぁ、出来る限りのお礼はするさ。だから、」

 

 だから、どうか不知火を助けてやってくれ。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 『僕に任せて』

 『甘えてくれていいよ』

 

 先程自分の口から出た言葉だ。

 気づかれてはいなかったようだが、そんな言葉が自分の口から出たことに内心酷く驚いていた。

 頼られたい。信じられたい。寄りかかってほしい。自分だけに弱さを見せてほしい。

 ――きっと、そんな感情が混ざり合って、結果出た言葉がアレだったのだろう。

 これは艦娘としての本能なのか、それとも別の何かなのか。

 

「……ああ、もう、嫌になるな」

 

 期待することを止めたはずの心に、まだ何か残っていたことに辟易とする。

 

「……とりあえず、不知火のところに行こうか」

 

 聞いた話ではまだ目覚めることはないだろうということだ。急ぐ必要はないだろう。

 ゆっくりと、そう、ゆっくりと進めばいい。

 何かから逃げるように、視線を窓に移す。

 

 ――照り返す波の光が眩しくて、少しだけ、目を瞑った。



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018 - 不知火

 あれから、数日が過ぎた。

 不知火は明石から聞いた通り夕方ごろに目覚め、その次の日に時雨と突堤で話をしていた。

 自分も鎮守府を歩き回っているときに見かけたので、もしかしたら以前の話をしているのかもしれない。だとすれば自分の存在は邪魔になるだろうと思い、足早にその場を離れた。

 その結果による変化は2つ。それからというもの不知火は時雨に付いて回るようになったということと、自分に対する警戒のようなものが若干薄らいだということだ。

 時雨と一緒に行動するのは構わない。それにともなう弊害は出ているが、まぁ一時的なものだろう。そして自分に対する忌避だが、まだ警戒は当然しているが害はないと判断されたような、そんな感じだ。

 

「ふむ、まぁむこうから接触してくるのを待つべきなのかな」

「むー」

「とはいえ待つだけというのもな」

「むー」

「……夕立」

「む?」

 

 変化に伴う弊害。

 夕立が暇。

 

「今日は何もすることはないのかい?」

「さっき夜間哨戒明けで帰ってきて、おフロ入って朝ごはん食べたっぽい」

「寝たら?」

「むー!」

 

 たぶん怒られたっぽい。

 ちなみにではあるが、相も変わらず背中に貼りついている。暑い。

 

「時雨は不知火に構ってばっかりでつまんないっぽーい」

「それは仕方ないなぁ。じゃあ一緒に散歩でもするかい?」

「ぽい」

 

 ぽいだけで会話できそうなのが恐ろしい。

 とりあえず北上の事件が終わったのでゆっくりしたい気持ちがある。だいたい煽ってきた朝潮のせいな気もするが、そこはまぁ許そう。

 とにかく、今はこのまったりした時間を楽しもう。

 

「小林憲兵、お話があります」

「……不知火」

 

 まったりした時間は長続きしないもんだということを、これほど実感したことなど今以上にあっただろうか。

 

「すまない夕立」

「……寝るっぽい」

 

 少しどころではなくかなり落胆したような顔で夕立が背を降りその場を離れ、一人で歩いて行こうとする。さすがにこれをそのまま見送るのは無理だ。

 歩いて行こうとする夕立の腕を掴んだ。

 

「ゆうだ――、腕ほっそ」

「え?」

「いやなんでもない。少し話してくるだけだから、また後でな」

「……うん」

「今日はこの後何かあるのか?」

「ううん、次は明日の朝から演習っぽい」

「なるほど、じゃああとでそっちに行くよ」

「……ほんとう?」

「本当だ。時雨にも話しておくよ」

「ん!」

 

 そういうと今度こそ夕立はその場を離れていった。その様子を少し見送る。

 

「……お邪魔でしたか」

 

 後ろから不知火が声を掛ける。

 

「いや、夕立もわかってくれるさ。それに、」

 

 ゆっくりと振り返り、目を合わせた。

 

「こっちの方が、今は大事だろうしね」

 

 不知火は一瞬目を合わせたがすぐにうつむいてしまう。それだけでも、かなり勇気のいる行動だったことは想像に難くない。

 

「場所を変えようか」

「……はい」

「どこか落ち着ける場所はあるかい?」

「それなら、……あそこを」

 

 指差した場所は、いつか時雨と話していた突堤だった。

 

「分かった。それじゃあ行こうか」

 

 歩き出した自分に、少し遅れて不知火がついてくる。

 その距離、約2メートルほど。

 

「ここ最近は時雨と一緒だったみたいだね」

「……はい」

「時雨はいい子だろう」

「はい、凄い方です」

 

 そっか、と話を終わらせる。

 食堂でぶっ倒れたことを考えれば、成長した方だろう。ある意味急激な成長過ぎるかもしれないが。

 言葉も少なく、ただ歩く。背後から付いてくる足音はするが、極力抑えられたものだ。

 突堤まではさほど遠くない。歩いても10分はかからなかった。

 

「さて、まぁ座ろうか」

「はい」

 

 そう言ってコンクリートの上にそのまま座り込む。足は海に投げ出して、靴を海面に落とさないよう気を付けながら。

 不知火も少し迷って、隣に座った。少し距離は空いていたが、ここまで距離が近づいていることに驚きを覚える。

 

「話というのは、この前のことかな」

「はい、食堂でのこと、申し訳ありませんでした」

 

 いや、あれは不知火は悪くないし、あえてどちらかが悪いとするなら自分の方だろう。おそらく熱中症の体調の悪さと男が思わず近くにいたから、精神的にあっさりと限界をむかえたのだろう。とはいえ、謝っている相手に『それは違う』とわざわざ言うのもおかしな話だ。

 いいえこちらこそ、とだけ返しておく。

 

「小林憲兵、私は役立たずでした」

 

 不知火から後悔の色と共に言葉が流れ出る。

 

「この世で一番不幸なんだと思っていました。でも、それは違った。下には下がいて、上には上がいることを知りました」

「……それは不穏だなぁ。話の流れだけだと、あたかも時雨がその『下』にいたように聞こえるんだけど」

「いえ、時雨ではありません」

 

 一体どういうことだろうか。

 

「ですが、この話は時雨から聞きました。私はまだ恵まれている方でした」

「いや、いやいや待ってくれ。その考え方は危ういぞ」

 

 自分より下がいるから自分はまだどん底じゃない、だから頑張らなくてはならない。それは危険な考え方だ。他者と比較して自分がどうかではなく、自分がどう感じているかが重要なのだ。相対評価を根拠にした考え方はいらない。絶対評価が大事なんだ。

 

「……言いたいことは分かります。ですが、私には今はこれでいいのです」

「……なんで、と聞いていいかな」

 

 不知火はこちらをちらりと見て、すぐに視線を海に戻した。

 

「まだ私には自信が足りない。そこまでの評価を自分に与えてやることができない。私の価値はまだ最低ラインなんです」

 

 これに言い返そうと思えば、万の言葉で言い返せそうだった。

 そんなことないよ、君は頑張っているじゃないか、君の価値は海の上だけで決まるものじゃない。

 ――なんて。

 そんな言葉こそ薄っぺらい言葉になりそうで、口に出すのが怖かった。

 

「私は前の鎮守府では、ただの在庫でした。倉庫の奥にひっそりと忘れ去られて、思い出した時に『そういえばこんなのもあったな』と2秒で捨てられる程度のモノでした。それが、偶然ちょうどいい感じの中古屋さんがあって、捨てるのも面倒だからとそのまま流して引き取られた。回収料金もかからず万々歳。そんなものでしょう」

「……さすがに言い過ぎでは?」

「事実です」

 

 そう言われてしまえば、もう何も言えない。言ったところで今の自分では空虚なものにしかならない。

 それがなんとももどかしかった。

 

「それでも私は役に立ちたかった。弾除けでもいい。何か私に出来ることはないかと頭を絞ったこともあります。でも、全て無駄でした」

 

 不知火は海に向けていた視線を、空へ向けた。

 

「それはきっと、何をしてもどうにもならない、雲をつかむような日々。それがいつ終わるのか、そもそも終わるのか分からない日々。……ですが、私には分かりませんでした」

 

 空はこんなに青いのに、暗雲が立ち込めているような錯覚に陥る。

 

「分かるわけないんですよね。――だって私は艦娘だから」

 

 不意に、目に力が宿る。突然のことに動揺している自分がいた。

 

「私は、結局どこまで行っても駆逐艦不知火なんです。陽炎型駆逐艦2番艦不知火。1937年8月に浦賀船渠で起工し、1939年12月に竣工し、1944年10月に轟沈。……早霜には申し訳ないと思っています」

 

 確か、不知火の最期を見届けたのは早霜だったか。

 

「私はそれでもこの国の軍艦で、人に使われて価値が見いだされるものなんですよ。そうでないなら価値はない。その程度の自我しか持たない私に、足がかりをくれたのが時雨です」

「時雨から何を聞いたんだ?」

「……」

 

 少し、考えるようなそぶりがあった。

 この先を聞いていいのか自分では判断できない。判断できるのは、聞いた本人だけだ。

 

「先程私は役立たずだと言いました」

「ん、そうだね」

「これも先ほど言いましたが、弾除けにさえなれませんでした」

 

 ドロップ艦などを隊に組み込み、主戦力の被弾率を下げる攻略の仕方がある。

 つまり、錬度の低い駆逐艦を出撃させ敵の奥まで潜り込んでからほぼ無傷の主戦力で敵本体を叩く、というやり方だ。

 

「……そうだね。まぁでも、矢面に立たされなくてよかったよ」

「時雨は、その矢面に立たされたことのある艦娘だそうです」

 

 呼吸が死んだかのようだった。

 

「これ以上は私の口からは言えませんが、時雨から聞いたことは確かに私の中の篝火に火を灯しました」

 

 矢面に立たされた時雨が、どうして生き残っているのか。色々なことが考えられるが……、幸運艦という意味なのであれば、逆に死神と呼ばれることもあったろう。

 そう言う意味で幸運艦は、ある意味不幸でもある。沈む船を全て見送る立場になるからだ。しかも、周りの幸運を吸い取っているとか、幸運であるがゆえに相対的に回りが不幸を感じてしまったりする。自分本位な考え方だが、この世界ではそういうこともあるのだろう。特に、周りの提督という存在を見ていればなおさらだ。

 

「今はまだ、これでいい。きっとここからの自信は、小林憲兵から教えてもらえると、そう言っていました」

「……それも時雨から?」

「はい」

「……なるほど」

 

 最後の最後に自分に投げてきたなアイツ。

 

「まぁ、……そっか」

 

 そんな間の抜けた言葉が口から洩れた。

 ふと目に映った不知火の少し笑った横顔は、とても美しかった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 私は、時雨と話した時のことを思い出していた。

 

「艦娘として生まれて、こうしてここへ送られて、悔しくないの? 見返してやろうとか、思わない?」

 

 奇しくも、それは以前同じ場所で言われたことと全く同じ言葉。何も感じなかったはずの言葉が今、言われた瞬間、目の前が真っ赤になったようだった。

 

「悔しくないわけないじゃないですか! 不知火は軍艦で、敵を屠るための船で、それが唯一の存在意義なのに、それなのに何をしても誰の力にもなれない、こんな、こんなことが悔しくないわけありません! もっと、もっと不知火は人に役に立ちたい! じゃないと、この、この辺がきゅってなって、頭もぐちゃぐちゃになって、どうしていいか分からなくなるんです!」

 

 子供のように喚き散らす。

 そんな私の頭を、時雨は優しく撫でた。

 

「そうだよね。どうしたって、僕たちそうなんだ」

「なんで、なんで不知火は、こんななんですか……、もっと、もっと不知火を……」

 

 時雨は少し考えて、こう切り出した。

 

「少し、僕たちの話をしようか」

 

 ――そうして聞かされた話は、いや、思い出すのも憚られる。

 だが、それでも心に灯るものがあった。

 

「きっと、不知火はこの話を足掛かりに、ある程度までは歩いていけるだろうさ。でもどこかで躓くだろう。そこでまた歩き出せるかは君次第だし、あの男の人にでも相談してみるといいさ」

「あの男……というと、小林憲兵ですか?」

「うん。憲兵さんはどうも頭のおかしい人でね。僕らにとってはそれが心地よかったりするのさ」

「……分かりません」

「そうだろうね。だから、やっぱり言葉を交わしてみないと分からないことっていっぱいあるんだよ。口に出さないと伝わらないことだって、きっとそれがほとんどだ。別に僕らは超能力者じゃないから、言葉にしなくても察することができることなんて、ごく僅かでしかない」

 

 だから、と時雨は続けた。

 

「一度、彼と話してみなよ。駄目だったらまた僕のところへ来たらいい。そしたら僕が憲兵さんをぶん殴って、再挑戦だ」

 

 そんな酷い物言いに、目を丸くする。

 だが、挑戦する後ろで誰かが見守ってくれているというのがこんなにも心強いものだとは思ってもみなかった。私は今、小林憲兵に話しかけてみてもいいかな、と思っている。今までの私からしたら異常な思考だ。

 だがそれを、別に悪くないかな、とも思っている。

 

「ま、当たって砕けろ、だね。砕けてしまったら仕方ない、また立ち直れるよう手伝うよ。……いや、そうじゃないな」

 

 時雨は少し迷ってから、こう口にした。

 

「きっと、力になるよ」

 

 だから頑張って。

 そう言われた気がした。

 

 

 ――そんな記憶を辿っていると、横に座っていた小林憲兵がこちらを向いた。

 

「正直自分がそこまで不知火に自信をあげられるかは分からないけど、努力はしよう。まぁ自分はあまり君らが気にしているようなことは特段気にならないしね」

 

 そういえば時雨が小林憲兵の評価として、頭のおかしい人と言っていた。

 

「時雨から聞きましたが、美醜感覚がおかしいとのことでしたがそれは事実ですか?」

「……まぁ事実なんだろうねぇ。自分からすれば君たちは酷く美人に見えるから、おかしいというよりはずれてるという表現の方が正解かな」

「なるほど、おかしな人ですね」

「あの、だからずれてると表現してほしいんだけど」

「ふふっ、おかしな人」

「何が面白いんだ……不知火の笑顔初めて見たよ……」

 

 その言葉にはっとする。そういえば、これが生まれて初めての笑みかもしれない。

 本当に、この姿で生まれて、初めての笑み。

 ああなるほど、これは悪くない感情だ。

 

「ま、いいけどね。何か困ったことがあればいつでも言ってくれ。きっと、力になろう」

 

 その言葉は時雨から聞いた言葉。

 でもきっと、時雨はこの人からの受け売りなのだろう。

 

「ありがとうございます。私も、何かあれば言ってください。できる限りのお力は貸しましょう」

「おや、それはありがたいね。頼りにしてるよ」

「っ!」

 

 『頼りにしてる』

 ……それは、きっと私の存在意義だったものだ。それこそが私がここにいる意味。意義。理由。価値。全て、だ。

 そして、只人にそう思われることが、どれだけ、どれだけの間待ち焦がれたものであったか、今ここでまざまざと見せつけられた。

 そんなの、――嬉しすぎて泣いてしまう。

 

「ん? おい不知火? え、待って待って待って」

 

 今だけは、泣かせてほしい。

 やっと手に入った心地よさに、少しだけ浸っていたい。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 不知火が泣き止むまで、しばらく時間を要した。

 それが何から湧き出たものかは分からなかったが、そう悪いものではなかったのだろう。泣き止んだ顔を見れば、それくらい分かる。

 泣く、という行為は大人になるにつれ難しくなる。だが、涙は流さないといけない。涙にはストレスの成分が混ざっていて、泣くことによってストレス解消になる場合もあるんだとか。

 

「んん、すみませんでした」

「構わないよ、泣けるときに泣いた方がいい」

 

 まだ少し鼻をすすっているが、とりあえず落ち着いたようだ。

 

「そういえば立花提督が、こんど演習組んでみようかなって言ってたが、大丈夫そうかい?」

「……ええ、大丈夫でしょう。期待に応えて見せます」

「そうか、楽しみにしているよ」

 

 頼もしい限りである。

 

「ああ、小林憲兵」

「ん?」

「そういえば気付かれましたでしょうか」

「……何がだい?」

「私、今日はマスクをしていません」

 

 ……あ、ほんとだ。

 この鎮守府ではみんなマスクをしていないから、不知火がしてないことに気付かなかった。

 

「すみません、少し試していました。小林提督が本当に私たちの顔を見てなんとも思わないのか」

「ああ、なるほど……でもそれは、マスクは自分を護るための楯だったように思ってたんだけど、大丈夫だったのかい?」

「いえ、全然大丈夫じゃなかったです。最初の方はずっと吐きそうでした」

「だろうね……」

 

 ということは今はもうマシにはなったのだろうか。念のため、出来るだけ不知火の顔を見ないよう努める。

 その時、視界の端の鎮守府方向に、人影を発見した。あれは……立花提督か。

 

「不知火。立花提督がいるぞ」

「え、ああ、そのようですね何をしているのでしょう」

「きっと自分たちが心配になって見に来たとか、そんな感じだろうさ。あの人も艦娘のために身を粉にしている人だ。信用してもいいと思うぞ」

 

 ふむ、と唸る不知火は置いといて、立花提督へ目を向ける。ちょいちょいと手招きすると、少し迷ってから恐る恐る近づいてきた。

 

「や、やぁ小林さん」

「どうも、立花提督。どうしたんだい?」

「いや、廊下から二人で話してるのが見えてさ。ちょっと気になりましてー…」

 

 すごく気まずそうにしているが、別段何か問題があるわけでもない。

 と、不知火が立ち上がり、立花提督に頭を下げた。

 

「司令、色々とご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」

「ん、了解。大丈夫、迷惑じゃないから。……それにしても」

 

 ふとこちらを見る。なんなんだろうか。

 

「やっぱり、憲兵さんと話してみて良かったでしょ?」

「はい。……なるほど、そういえばあの時岬で会ったのは司令だったのですね」

「それ……今かぁ……今気付いたのかぁ……」

 

 がっくりと項垂れる立花提督。どうやら以前に話したことがあるみたいだ。しかもその時に自分の名前を出していたようだ。なるほど、後で詳しく話を聞こう。

 

「ま、あとはこれからさ。不知火も、少しここの鎮守府で心を慣らすといい。立花提督はいい人だよ」

「えへへ、照れるなー」

「普段はちょっと抜けてるところもあるけど」

「待って」

「あとわりと面倒くさがり」

「待って待って」

「顔はいいのにちょっと残念美人な感じがあるよね」

「前半部分だけで全部許してしまいそうになる」

 

 そんな自分たちの掛け合いを見ていた不知火が、おかしそうに笑った。

 

「ふふっ、仲がいいんですね」

「そうだねー!」

「そうかなぁ」

「なんで疑問形!?」

「なんでだろう、一概に立花提督と仲がいいと認めたくないような、不思議な感覚」

「そんな感覚捨ててくれないかなー!?」

 

 慌てている立花提督を見て、なおも笑顔を見せる不知火。

 と、ふと思い出したように声を上げた。

 

「あ、そうでした。もう一度、ここで言っておきたいことがあります」

 

 その声に、自分たちは掛け合いを中断し、不知火を見る。

 以前までの、生気が抜けたような、濁った瞳の少女はもういなかった。

 ――ここからだ。

 ――ここからもう一度始めよう。

 そう言わんばかりに、声高らかに宣言した。

 

「改めて、陽炎型駆逐艦2番艦、不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです」




どうも。
次話でちょっとだけその後の話をして、不知火編はとりあえず終わりです。

ちなみに不知火のセリフですが、基本形は「ご指導ご鞭撻、よろしくです」です。
ですが以前の扱いが酷かった結果、この鎮守府での最初の挨拶はものすごく硬い挨拶をしています。それがまたこの挨拶に戻れたということは、ある程度気持ちの整理がついたということなのでしょう。

いわゆる神の視点からしか説明できないことなので、この場で蛇足のあとがきとさせていただきました。


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019 - 憲兵さんはちょっと意地悪

 朝。いつものように走ろうと準備運動をしていると、ふと視界の端から見知った人物が歩いてくるのが見えた。

 

「やあ不知火、おはよう」

「おはようございます、憲兵さん」

 

 とてとてと近くまでやってくると、すとんと近くに座った。

 準備運動を止めることなく、視線を向ける。

 

「朝早いね。何かあるのかい?」

「いえ特に。しいて言うなら憲兵さんの訓練を見てみたかった、という感じでしょうか」

 

 それはちょっと嬉しいようなむず痒いような。まぁ嬉しいとしておこう。

 そうかい、とだけ返してランニングを始める。不知火なら一緒に訓練をとでも言うかと思ったが、艤装がなければただの少女だし、今までろくに訓練できなかっただろうから、暫くはストレッチとかにしておいた方がいいのかもしれない。

 そして朝の静かな空気に響くのは、自分の走る音と波の音だけ。

 それもそこまで時間のかかるものでもない。ある程度で済ませて、歩きながら息を整える。

 

「どうぞ」

「ん? ああ、ありがとう」

 

 いつのまにか不知火がすぐそばまで来ており、自分が持ってきたドリンクボトルを差し出した。

 とりあえず一口だけ飲み、閉じる。すると不知火が手を出したので、少し考えてからドリンクボトルを渡すと、それを受け取り先程座っていた位置まで戻っていった。

 なんなんだこれ。

 ある程度歩いてから不知火がいる場所に戻ると、目が合った。

 

「どうかしたかい?」

「……いえ、特に」

 

 本当に何なんだこれ。

 あまりずっと見ているのも気まずいので、不知火の隣に腰かける。いつかのように、少し静かな一瞬が訪れる。あの時隣にいたのは北上だったな。

 そんなことを考えていると、不知火が息を吸う音が聞こえた。

 

「私は、朝のこの一瞬が嫌いです」

「ほう、それはなぜだい?」

「こんなこと言うと笑われてしまうかもしれませんが、世界に独りぼっちになってしまったみたいで」

 

 朝の静かな一瞬。

 時折訪れる、風の音も虫の声も鳥の囀りもなくなってしまう一瞬。

 そのことを、不知火は言っているのだろう。

 

「……ああ、なるほど。それは分かる気がするなぁ」

「分かって下さりますか!」

「あ、ああ。……でも、絶対にそんなことはないから、それが分かってるから自分はこの空気が好きだなって思えるんだ」

 

 不知火は意味が分からなかったようで、首をこてんと傾けた。頭の後ろでポニーテールが揺れる。

 その様子に少し笑みが零れる。

 

「確かに、朝の誰もいない何も聞こえない一瞬っていうのは、酷く孤独かもしれない。でも、他の場所では当たり前のように誰かが布団の中で眠っているし、誰かが海の上で警戒しているし、それにきっと食堂では鳳翔さんが朝食の下ごしらえをしているだろう」

 

 不知火が神妙な顔でこちらの目を見る。

 

「長い人生、どこかで孤独を感じることもあるだろう。でも、この瞬間は絶対に独りじゃない。孤独だと感じてしまうこの一瞬は、実は間違いなく孤独じゃない。そう考えると、悪くはないなと自分は思うんだよ」

 

 難しいかな、と問うと、難しいです、と答える。

 それでもいいかなと思う。

 答えは結局自分で出すしかないし、こっちの考え方を押し付けたいわけでもない。ただ、考え方の幅が広がればいいな、と願うだけ。

 それが助けになったのであれば、それは勝手に助かっただけ。こちらは助けようにも助けられないからだ。

 そんなことを考えながら再び騒がしくなった世界に耳を傾けていると、また不知火から視線を感じた。

 なんでもなさそうな顔をしていたが、不知火は少し考えておそるおそるといった感じで再度口を開いた。

 

「……実はですね、少し相談に乗っていただきたいことがありまして」

「不知火が自分にか。いいよ、どうしたんだい?」

 

 珍しいこともあったもんだ。が、これが今日ここに来た本題なんだろう。

 あの一件があってからというもの、ほどほどに交流はあったが、こういった話は初めてだった。

 

「私の部屋は以前までは一人だったのですが、少し前に相部屋の人が帰ってきまして」

「あ、そうなんだ。上手くやってるかい?」

「……まぁそこが相談の内容なのですが、ちょっと押しが強い人でして、私としては大変苦手な部類なんです。どうにかできないものかと」

「なるほどね、不知火は今まであんまり深い交流はしてこなかっただろうしなぁ。で、誰なんだい?」

「大井さんです」

 

 ―――……ああ、なるほど。

 

「自分にできることはなさそうだ」

「そんな!?」

「頑張って生きてくれ」

「ちょっとその言葉は涙が出そうになるほど嬉しいんでやめてください」

 

 言ってほしいのかやめてほしいのか微妙なラインだなこれ。

 というか、さらっと出た言葉が不用意に闇に触れるのやめてほしい。

 

「すまない。で、大井だったか。問題あるのか?」

「いえ、なんでしょう、私をただのコミュ症として扱っているかのようでして、あっちこっち連れまわされたり、やたらと構ってきたりするんですよね。ありがたいと言えばそうなんですが、戸惑いの方が正直大きいです」

 

 なるほどなぁ。でもおそらく、大井が何も知らないということはないだろう。彼女もなかなか頭のまわる子だ。何も知らないように見せて、誰より一番深くまで知ってそうな感じはある。

 今回がそうとは限らないが、しかし大井の基本的な行動原理は北上にある。基本的に姉妹を大切にするのはよく見る光景だが、大井の姉妹愛は他よりも強い傾向にある。

 それにもかかわらず不知火とよく一緒に行動するということは、穿って見れば北上に良く見られたいという見方もできるが、……単純に不知火を気遣ってのことだろう。

 いやはや、分かりづらい愛情表現をする女の子だ。

 

「不知火はどう思ってるんだい?」

「先ほども言いましたが戸惑いが大きいのはあります。……ですが、それ抜きで俯瞰的に考えれば、……恥ずかしい話ではありますが、とても安心感はあります」

 

 うつむく不知火の顔に、うっすら笑みが浮かぶ。

 

「あの方はとても私を大事に見てくれます。あちこち連れまわされたと言いましたが、実際にはこちらが行きたくないとか、今は話したくないと思ったことが筒抜けであるかのような動きをします」

 

 ポーカーフェイスには自信があったんですけどね、と小さな声で零す。

 

「だから、なんと言っていいか表現に迷いますが、……母のような、そんな雰囲気があるというか――」

 

 ほほう。

 

「そうなんだね」

「――いえ、今のは取り消してください。想像でしか母の像はありませんし、なにより本人に聞かれたら恥ずかしくて気絶しそうです」

「はっはっは、顔真っ赤だね」

「……性格悪いですよ憲兵さん」

「そうかな。まぁ大井が母とはまた面白い評価を聞けたものだ。言われてみれば確かにあの世話焼きで面倒見のいい女性は、母と呼ぶにふさわしいだろうさ」

「だからやめてくださいと」

 

 まだ笑みが漏れそうではあるが、これ以上笑えば不知火に怒られてしまいそうだ。

 

「そう思えるなら答えは決まったようなもんだろう。少しの間、大井に連れ回されておくといい。そこから広がる世界もあるだろう。今君に一番必要なことを大井はしてくれているよ」

 

 不知火は少し考えて、そうですね、と小さな声で頷いた。

 

「ではそうしてみます。ありがとうございます、憲兵さん」

 

 そう言って不知火は立ち上がった。

 

「少しくらいは役に立ったかな」

「はい、少しと言わずとても。ですが、分かったことがあります。……憲兵さんは案外意地悪なんですね」

 

 いたずらっ子のような笑みだけ残して、不知火はそのまま歩き去って行った。

 本当に相談に来ただけのようだ。どうせなら北上や大井のようにコーヒーでも飲んで行くのかと思っていた。

 

「……ほんと、コーヒーくらい飲んで行けばいいのに。――なぁ、そう思うだろう?」

 

 ガサガサッ

 

「……いや、出てきたらどうだ大井」

「……………なによ」

 

 頭に葉っぱをつけて、顔を真っ赤にした大井が後ろに立っていた。

 

「盗み聞きはよくないなぁ」

「……悪かったわよ」

 

 珍しく素直な大井は、横に来てさきほどまで不知火がいた場所にすとんと腰を下ろした。

 

「良かったじゃないか」

「うっさい」

 

 なんともつれない態度だ。いや、こうしたのは自分が原因だけれども。

 

「これは不知火と同意見になるけど、性格悪いでしょ憲兵さん」

「そんなことないさ。いつだって君たちの力になりたいと思っているよ」

「絶対嘘よ」

「ちょっとだけ嘘。仲良くなりたいとも思ってる」

「けっ」

「やさぐれてるなぁ」

「誰のせいだと」

「不知火か?」

「あんたのせいよあんたの!」

 

 ぷんすこ拗ねて膝を抱える大井。なんというか、こういう時の大井はいじりたくなるんだよなぁ。

 とはいえ、このままでは遺恨も残ろうというもの。機嫌を直していただかなければ。

 

「すまない、ちょっと悪ふざけが過ぎたようだ。許してくれないか?」

「つーん」

 

 え、それ言葉で言うの? 可愛い過ぎない?

 

「……まぁ、あれだ」

 

 未だに大井の髪の毛に付いていた葉っぱをとりつつ提案する。

 

「今ならブルーマウンテンを出してやろう」

「出してやろう? 出させていただきますの間違いじゃないの?」

「いらないか?」

「……もう! いるわよ!」

 

 勢いよく立ち上がり、そのまま歩いて行く大井。どうやらこれで許してもらえそうだ。

 不知火の一件は色々と大変だったが、これで落着だろう。大井という素晴らしい女性がついているのだから、不知火もこれからきっと元気を取り戻していく。

 それはとても嬉しいことだ。

 

「ほら早く行くわよ! あんたの部屋に行くんだから、鍵がないと入れないじゃない!」

 

 少し遠くまで行った大井が、腰に手を当ててこちらを振り返っている。

 その光景に少し笑みを浮かべながら、腰を上げる。

 

「はいはい、すぐ行くよ母さん」

「誰が母さんか!」

 

 横に並んだとたんガシガシと脇腹にパンチをしてくる大井をなだめながら、プラスでお菓子でも出した方がいいかなと悩む。出すとしても、一体何を出そうか。

 ……幸せな悩みだよなぁ、なんて考えながら、未だに脇腹をつついてくる大井の頭に手を乗せた。




これにて不知火編は終了です。
たぶん次で散らかした話の後片付けをして、その次は……もっと明るい楽しい頭空っぽにして読めるなんかを書きたい。

それとこの場を借りて。
いつも感想頂きありがとうございます。返信は多くて出来ないのですが、いろいろと賛否読ませていただいております。
それと、誤字報告、本当に助かっております。ありがとうございます。

それではまた次回。みなさまお体にはお気を付け下さいね。
ではでは。


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020 - 料理をしよう

 私は眠っていた。

 深い眠りではない。浅い、とても浅い眠りだ。

 なんとなく感覚は残っているし、誰かが近づけばすぐに分かる。

 そんな眠れない、夢を見ない日を何日数えたか分からない。

 それでもこの体は丈夫だ。どんな使い方をしても大して壊れはしない。

 

「……」

 

 うっすらと目を開ける。

 隣に誰かがいるのに気が付いた。

 

「あ、おはよう夕立。起こしちゃったね」

 

 そこにいたのは時雨だった。私のお姉ちゃんだ。

 

「おはようっぽいぃ……」

「あはは、眠そうだね。まだお昼だからもう少し寝るといいよ」

「むー…」

 

 眠っているときに誰が近づいてきても分かるが、唯一時雨だけはたまにしか気づけない。

 それはたぶん、私が時雨に心を許しているからだろう。

 

「僕はちょっとこの後用事があるから出るけど、起きるんだったらご飯でも食べてきなよ」

「ぅあぃ」

「なんだいその返事」

 

 くすくすと笑いながら、じゃあねと言って時雨が部屋を出る。

 それをぬぼーっとした頭で見送り、ベッドの上でぐいっと背伸びをする。

 お昼、か。確かに枕元の時計の短針は1の数字を指している。つまり13時過ぎくらいだろうか。

 未だ霞がかった頭で、なんでこんな時間なのかと考える。……確か、今朝夜警から帰ってきて、えっと、その後憲兵さんに会って構ってもらっていたら不知火が来て、……あー、なるほど。

 

「憲兵さん……。置いて行かれちゃった、なぁ……」

 

 もう寝れはしないだろうが、もう一度布団の中へ潜り込む。

 きっと憲兵さんは不知火と大事な話があって、別に私と一緒にいたくなかったというわけではないだろう。それでも、もしかして、という嫌な想像が放してはくれない。あとで、とは言ってくれたが、それが本当なのか信じきることができない。

 それはつまり、憲兵さんを自分が信じ切れていないということなのではないだろうか。

 これで憲兵さんが来なければ、きっともう憲兵さんを信じることが出来なくなるだろう。もし本当に来たとしても、信じられなかった自分への罪悪感に耐えられないかもしれない。

 あんなに憲兵さんは優しくしてくれたのに。

 

「うぅぅ~……、ダメっぽいぃ~……」

 

 嫌な想像ばかりが頭を駆け巡る。

 こういう時はいっそ何もかも忘れて寝るか、身体を思いっきり動かすかして気分を変えなければならない。

 そういえば時雨がご飯でも食べろと言っていた。食堂へ行こう。

 

「なにか……たべるっぽい……」

「お、ちょうどいいな。自分も今からなんだ」

「……む?」

 

 一瞬遅れて声のした方、入口へ顔を向けると、憲兵さんがドアを開けてこちらを覗き込んでいた。その顔のすぐ下に、にやりと笑った時雨の顔があった。

 

「けん、ぺいさん?」

「やあ夕立。朝はすまなかったね。よく考えると自分は君たちの部屋を知らなかったから困ってたんだけど、偶然いた時雨に案内してもらったんだよ」

 

 な、と憲兵さんが下を向いて言うと、ね、と時雨が上を向いて返す。

 仲が大変よさそうで少し嫉妬する。

 

「で、どうだい夕立。一緒に行かないかい?」

「……」

「ゆうだ、おっと」

 

 とすん、という軽い音とともに憲兵さんの胸に収まる。

 さっきまでの嫌な想像が、まだ頭を離れない。ともすれば憲兵さんに見放されるのではないかという変な想像が、どうしても心を不安定にする。

 急に胸に飛び込まれた憲兵さんは少し戸惑っていたが、すぐに抱きしめ返してくれた。とんとんとリズムを刻んで背中を叩かれる振動が心地いい。

 

「憲兵さんって女の子の扱いうまいよね。なに、プレイボーイってやつなの?」

「時雨はどこでそんな言葉覚えてきたんだ……」

「摩耶さんが見てる雑誌に載ってたけど」

「あとで会えたらちょっとオハナシしとこうかな」

「で、どうなの?」

「……自分は憲兵になりたくてずっと努力してきた人間だから、そういうこととは縁がなかったなぁ」

「そうなんだ。……えっと、なんだっけ、それって確か、どう――」

「待て。それも摩耶か」

「そうだね」

「了解した」

「なにを了解されたんだろう……」

 

 頭の上で憲兵さんと時雨が話をしているようだが、知っている人の声が聞こえていることがこんなにも安心を与えるものなのか。さっきまでの黒い靄が晴れていくような気分だった。

 

「憲兵さん!」

「ん? おお、どうした?」

「憲兵さんが作った料理が食べたいっぽい!」

「なんと」

 

 あ、ずるい、と時雨が呟く。

 

「なにか食べたいものでもあるのかい?」

「ハンバーグ!」

「なるほど、今からか……」

 

 少し困った様子の憲兵さんに、しまったと思った。

 あまりにわがままが過ぎると言ってから気付いた。

 

「あ、あの、ごめんなさ――」

「いやなんとかしよう。ただ、流石に今からでは遅くなってしまうから、今晩でいいかい? お昼はお昼でまた別のものを用意しよう」

 

 それはつまり、昼も夜も憲兵さんの料理が食べれるってこと?

 ぽん、と頭の上に手がのせられた。それだけでなにもかもどうでもよくなってしまう。

 

「時雨も食べていくか?」

「僕? 食べたいけど……うーん……、うん、お昼だけ食べようかな。この後提督と会議予定だったから、提督にもうちょっと後でもいいか聞いてくるよ。先に行っててほしい……っていうか、どこで作るんだい?」

「んー、自分の部屋でもいいけど、ちょっと急ぐから食堂を貸してもらおうかな」

「了解。じゃあね後で」

 

 そういうと時雨はさっさと部屋を出ていってしまった。

 ふむ。

 

「いくか、夕立」

「うん!」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 というわけで憲兵'sキッチンへようこそ。

 夕立と時雨になにか昼飯を、ということで食堂へ来て冷蔵庫を見ていたが、ある問題が発生した。食材はいっぱいある。が、なんか人もいっぱい来た。

 自分と夕立と時雨は当然として、立花提督もいる。それと金剛と瑞鶴と響と、あと誰だ。望月もいるな。朝潮もいるし霞もいる。驚いたのは、大和と大鳳もいることだ。この二人がそろうと、ある意味圧巻である。資材がマッハで消えそう。

 海外艦勢として、イタリアとローマ、それとプリンツ・オイゲンがいる。

 いやはやなんとも。

 

「こんな人数を自分一人で……?」

「あの、手伝いましょうか?」

 

 そう願い出てくれたのは、ここの主である鳳翔さん。

 だがしかし、たぶんこれは自分の料理を食べたくて集まってくれた方々であろう。つまり徹頭徹尾自分が作らなければ意味がない。

 なるほど、やってやろうではないか。

 

「ありがとう鳳翔さん。けど、ここは自分に任せてくれ」

 

 そう言った自分に対し、鳳翔さんの瞳がぐりっとこちらを見る。こわい。

 

「さん?」

「えっ」

「“さん”?」

「えっ」

「なぜ、私は鳳翔“さん”なのでしょう?」

「な、んで、だろうね。大人びて見えるからじゃないかな……」

「みんな呼び捨てなのに」

「いやまぁそれはそうかもしれないけど、みんなってわけでもな――」

「私のことは、鳳翔、と呼んでください」

「……いや、でも鳳翔さんは鳳翔さ――」

「ん?」

「――…、ほうしょう」

「はい」

「……よろしく、鳳翔」

「はい」

 

 にこにこ笑ってる。こわい。

 

「憲兵さーん、何作るっぽい?」

 

 夕立が天使のようだ。いや、事実天使だけど。

 

「そうだな、簡単で申し訳ないけど、ペペロンチーノにしようか」

「あら、いいですね。私はあまり洋食は作らないので、良ければ見せてもらっても?」

「鳳翔さ……、鳳翔が見たければまったく構わないよ。参考になるかは分からないけどね」

 

 ペペロンチーノなんて、ニンニクと鷹の爪をオリーブオイルで炒めて、茹でたパスタ入れて塩振れば完成だ。

 ただ不思議なことに、作る人ごとに味の違いが如実に出る料理でもある。

 いやはや……15人前? 今から作るの? みんなお昼ご飯食べたんじゃないの? もう13時半くらいだけど?

 まぁ、そんなこと言ってられないので手早く作る。それこそさっきの通りに作るだけだが。

 とはいえそれだけでは物足りないので、ベーコンも入れようか。うむ、美味しそうな匂いがしてきた。

 あまり自分で料理はする方ではないが、スパゲッティだけは昔から好きで、なんとなく作れる。和風スパゲッティなんかが簡単でしかも美味しくて好きだ。めんつゆは正義。

 

「夕立ー、お皿を用意してくれるかい?」

「分かったっぽいー!」

「時雨は配膳の用意をしてくれ」

「うん、わかったよ」

「私は何をすればいいですか?」

「鳳翔は……なんで鳳翔がここにいるんだ」

 

 気付かなかった。もう席に座って待ってるもんだと。

 

「そうだな……、たぶんほぼ同時に出来上がるから、盛り付けを手伝ってくれないか」

「ええ、喜んで」

 

 そういうと、鳳翔はうきうきしながら夕立からお皿を受け取っていた。やっぱり鳳翔は何か料理に携わっている方が落ち着くのかもしれない。

 

 とりあえずはまぁみんなに食べてもらったのだけど、おおかた気に入ってもらえたようで良かった。大和が案外小食だったのと、大鳳が案外大食漢だったのには驚いた。

 他の子たちは美味しそうに食べていたが、イタリアとローマはやはり本場の娘だからか気になるところがあったようで、いろいろとアドバイスをもらった。一応美味しいとは言ってくれたが、自分もまだまだのようだ。

 

「どうだ夕立」

「おいしい!」

 

 おお、夕立があの語尾をつけずにしゃべるとは。これはかなり嬉しいな。

 

「あんまり急いで食べるんじゃないぞ。喉に詰まらせるからな」

「もぐ。もぐもぐもぐ」

「……変なタイミングで話しかけて悪かった。落ち着いて食べるといい」

 

 そんな会話をしていると、となりで黙々と食べていた望月が、気怠そうに口を開いた。

 

「なんかあれだよね」

「ん? どうかしたか?」

「なんか親子みたいだよね、二人見てると」

 

 ほう、親子か。

 ちらりと夕立を見る。視線に気づいたのか、食べる手を止めこちらにきょとんとした目を向けた。

 その、なんとも小動物的な振る舞いに、自然と笑みが漏れる。

 

「そうだなぁ、こんな可愛い娘がいたら毎日幸せだろうなぁ」

「おおう、案外やぶさかじゃないカンジ?」

「そうだね、年中見ていても飽きはしないだろうさ」

「ふぅん、本当に憲兵さんは普通の人の感覚じゃないんだねぇ」

 

 ……ああ、そういえばこんな可愛い子でも一般的には醜いとされているのか。そもそも『普通の人の感覚』なんて存在しない幻想のものだし、だからどうしたという話だ。

 

「念のため言っておくが、自分は望月のことも可愛いと思っているよ」

「……あー、なるほど。これかぁ」

「どうした?」

「いや……なんでもない。あたしも案外ちょろいのかもしれないなーって」

 

 なにがだろう、ほめられて嬉しいってことだろうか。

 

「でもあれだぞ憲兵さん」

「ん?」

「あんまりそういうこと言いふらしたらダメだぞ」

「なんでさ」

「なんでって……」

 

 望月が視線を自分から、その後ろに向ける。背後に何かいるのだろうか。

 

「まあ後ろの子に嫉妬されるってのもあるけどね。じゃ、頑張ってね。ごはんありがと、おいしかったよ」

 

 そう言うと望月はテーブルから離れ、そのまま食堂を後にした。

 ふむ、なるほど。

 

「むー!」

「やあ夕立。なんだどうしたそんな恐い目をしてなにかあったのか痛い痛い痛い」

 

 つねられた脇腹が激痛を訴えている。

 

「ほら、もう食べないならごちそうさましなさい」

「おかわり!」

「まだ食べるのか……」

 

 これたぶん自分の分はなくなるんだろうな。

 

 ――そうして突発的な大人数での食事会はつつがなく終わり、その晩に夕立に晩御飯も自分の部屋で作り、食べてもらった。

 問題が起こったのはその後だった。



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021 - 嵐の中で君を呼ぶ

「……雨、か」

 

 雨が降っていた。

 それも、少しくらいの雨ではなく、土砂降りという表現がまさしくそうであるほどの雨だ。しかもそれだけではなく、雷を伴った雨だ。1分に1回は落ちているような気がする。

 当然ではあるがすでに日は暮れ、窓の外はとっぷりと闇が広がっている。この守衛室から鎮守府の明かりは当然見えるが、しかし雨のせいでそれすらおぼろげだ。

 

「台風かな……。でもそんな予報だったかなぁ」

 

 朝の天気予報では確かに午後から崩れるという話ではあったが、ここまで暴風雨になるとは聞いていない。洗濯物は昼のうちに取り込んでいるからいいものの、この嵐では明日の朝は大掃除になるかもしれない。

 ちなみに鎮守府側には洗濯機も乾燥機もあるが、こっちにはない。なんとなく一緒のところで洗濯するのは気が引けたため、居室で自ら洗濯をしている次第だ。乾燥機は当然のように用意されていない。

 さらにいえばここにあるのはなぜか全自動洗濯機ではなく、二層式洗濯機であったりする。全自動よりちょっと面倒な代物だ。

 

「まぁそんなことはいいとして、こっちをどうするか、だよなぁ」

 

 現実逃避を一通り始末してから視線を窓の外から部屋の中、それも自室のベッドに移す。

 掛け布団の小山が出来ていた。

 

「……おおい、夕立。大丈夫か?」

「うえええぇぇぇぇ……」

 

 声だけだと吐いているように聞こえ、急いで近づいて布団を少しだけ剥がすと、中には顔面蒼白涙目の夕立がいた。吐いてはいない様だ。

 のそりと手が動き、捲った布団をひっぱりそのまま元の小山の形に戻った。

 どうやら夕立は雨が、というか嵐とか雷が苦手らしかった。

 

「少し待っていてくれ」

 

 そういうと、居室に予め置かれている電話の受話器を取る。

 

「えっと、提督の内線番号は、っと」

 

 脇に置かれている内線番号一覧から立花提督のものを探し、電話を掛ける。2コール程ですぐ反応があった。

 

『はい立花です。どうしたのー?』

「お疲れ様、小林です。ちょっと聞きたいことがあってね」

 

 そうして、現状と夕立のことを伝える。すると、立花提督は、なるほど、と少し低い声になった。

 

『小林さん。もし可能なら夕立ちゃんを今日だけ泊めてあげられないかな』

「……ふむ、なるほど。理由を聞かせてもらってもいいかな」

『もちろん』

 

 そして聞かされた話は、ちょっと嵐にトラウマがあるという話だった。詳しくは話せないとのことだったが、どうやらこの鎮守府へ来る前に何かあったらしい。

 立花提督は立場上詳しい内容は知っているが、それも表面的な書類上のものであって、夕立の口から聞いたことはないそうだ。

 

『正直聞くのが怖いというのもあることは否定出来ないね。情けないけど。それに、聞くことでトラウマが再発して、また心を閉ざしてしまうことが怖い』

 

 そう言った立花提督の声は、震えていた。

 

『本当にさ、小林さんが来る前の鎮守府って、表面上はみんな明るくて仲良しなんだけど……どこか遠慮してたっていうか……。誰だって自分の中にある暗い部分って見せたくないし聞かれたくもないじゃない? それが凄く顕著でね』

 

 それは確かにそうなんだろう。

 友人関係は、決して自分の中にあるものを全て見せなければ成立しないなんてことはないけれど、でも人によってはそれが壁だと感じる人もいるだろう。

 こんな世界だ。知られたくない過去は、きっと山ほどある。夕立にだってあるだろうし、時雨にだってあるだろうし、金剛だって北上だって瑞鶴だって、立花提督にだってあるだろう。

 

『でも、小林さんが来てから鎮守府の雰囲気は変わった。心からの笑顔が増えた。そして、夕立ちゃんはきっと小林さんに心を開きかけてる。とても酷いことを言うけれど、これはチャンスだと思うの』

「……分かった。時雨はどうしてる?」

『運の悪いことに、今日は夜間哨戒任務に出てるんだよね。いつもなら部屋で夕立ちゃんといてもらうんだけど、こんな急な嵐だったから変更出来なくてね』

「それなら仕方ないな。……だが、もう一つ問題がある」

 

 そう、避けては通れない大きな問題が。

 

『……問題? どうしたの?』

「あのね、立花提督」

『うん』

 

 立花提督の声色により真剣みが帯びる。

 

「自分は、男だ」

『……うん。………うん?』

 

 ものすごくマヌケな声が出た。

 

「当然自分にそんな気持ちはないが、男女同じ屋根の下で一泊となると、夕立の世間体も悪くなるんじゃないか?」

『……あー、なるほどねぇ、そうきたか……』

 

 電話口で立花提督が長考に入る。そんな変なことを言ったか自分。確かに小動物的な少女だが、大の大人と二人っきりで一泊は問題だろう。

 さらに言えば、少女、というところがなおさらだ。見た目的には中学生、もしくは高校生くらいの女の子だ。警察を呼ばれてもおかしくない事案だろうこれは。自分はロリコンじゃねぇ。小さい女の子が可愛いと思うこと自体は認めるが、ペドみは感じねぇ。

 電話口で服の擦れる音が聞こえた。長考が終わったのだろう。

 

『小林さん』

「はい」

『夕立ちゃんは明日朝から演習だけど、9時からの予定だから通常通りに起きて来てくれたらそれでいいよ』

「待って待って、長考してたんだから考えること放棄しないで」

『今日はそっちで預かってねー。私はたぶん徹夜だからなんともならないし。他も夕立ちゃんを預かれるような子はいないし』

「いや、そもそも男女2人で泊まること自体どうなんだって話なんだが……」

 

 どんどん外堀を埋められている気がしてならない。

 

『小林さんは夕立ちゃんと一緒に寝るのはどうしても嫌?』

「そんなわけないだろう。……その質問は卑怯だぞ」

『ごめんごめん。でも本当に頼める人がいなくてさー。小林さんなら大丈夫だろうし、他のことはこっちに任せてくれたらいいよ。というか、夕立ちゃんの状況はみんなある程度は知ってるし、小林さんのことも知ってるから、想像してるようなことは起きないと思うよ』

 

 それならばいいのだけれど。

 でも確かに夕立をこのまま放置というのも心が痛い。自分よりも頼れる子がいるのなら、それこそ時雨がいてくれたら夕立を任せることもできただろう。

 とはいえ来てそう日にちの経っていない自分でいいのか、というところは気になる。当然ほかの艦娘といた時間の方が圧倒的に長いし、信頼関係もあるだろう。

 ……無理やり納得させるのであれば、信頼関係があるからこそ見せたくない一面がある、と考えられなくはないが……。それでも単純にこの嵐の中、短い距離とはいえ鎮守府まで歩かせるというのもなんだし、ここはこれくらいで折れておく方がいいのだろう。

 

「分かった。だけど、夕立の怯え方が尋常じゃないから、もしかしたら明日は出れないかもしれない。それは考慮してやってくれ」

『それはもちろん』

 

 その後簡単な話だけして、通話は切れた。

 

「ふぅ、仕方ないか。まぁ自分は事情が事情だから構わないんだけど……」

 

 と考えた次の瞬間、足首を掴まれた。

 ビクーンとして下を見ると、布団の塊がいた。たぶん夕立だった。

 

「ゆ、ゆうだち……?」

「おぁいええぇぇぇぇぇ……」

 

 何を言っているか分からない。それでも、必死にズボンの裾を引っ張ってくる。

 ベッドの上から動くことも出来なかったのに、ここまで来た。布団の隙間からわずかに見えた瞳は、すでに決壊していた。

 

「……ごめん、悪かった」

 

 そう言って座り、夕立を抱きしめる。

 夕立も抱きしめ返してきた。縋るように。

 

「ごめん、ごめんな。そばにいてやるべきだったな」

 

 この嵐の中、そばに誰もいないことに耐えられなかったのだろう。自分を求めて、這いずってでもここまで来たのだ。

 夕立の身体は熱く、身体は震えていた。

 さっき話を聞いたところだっただろう。怯え方が尋常じゃない。きっと何かある。

 自分の身体に回された手を見た。いつか見たように、そこには治らない傷があった。

 艦娘は傷を負っても入渠により修復される。だが、夕立の傷は治らない。

 もしかしたら何か関係があるのかもしれないが、それを聞いた瞬間にこの関係が変わってしまうかもしれない。それが良い方向なのか、それとも悪い方向なのか。

 そこまで考えて、ああなるほど、と思った。

 きっと立花提督が思っていたのは、こういう感覚なんだろうな、と。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 雨はやまない。

 やまない雨はないとは言うけれど、今降っている現状がつらいのにいつかやむさとか何を悠長なことを言っているんだ。

 

「……んぅ?」

 

 目が覚めた。変な夢を見ていた気がする。

 頭まで被っていた布団をどけて体を持ち上げると、薄暗く知らない部屋が視界に入った。

 一瞬混乱しかけたが、近くに嗅ぎ慣れた匂いがあることに気付き、再び体をベッドに沈ませて目を閉じる。布団には程よい暖かさが残っており、このまま二度寝できそうだなと寝ぼけた頭で思った。

 ふと無意識に目を開ける。

 憲兵さんが寝ていた。

 

「? ……?? ………!!??!?」

 

 え、なんで!?

 声にならない悲鳴が出たような気がした。なるほど嗅ぎ慣れた匂いというのは憲兵さんのことだったかー。と混乱中の頭の中で変な納得をするが、身体は声も出せないまま、ガッチリと固まったままだ。

 しばらくして息をしていないことに気付き、ぜーはーと生命活動を再開したことで驚きから戻ってきた。

 

「なんで……? なんでこうなってるっぽい……?」

 

 混乱の極致にいながらも、ようやく視覚以外の感覚が戻ってきた。窓の外から聞こえる音。雨の音だ。

 ……私は雨が嫌いだ。昔のことを思い出してしまうから。そして、嵐となるともうだめだ。いつもなら時雨が一緒にいてくれるのだけど、いないのだろうか。

 そう思い、もう一度周りを見渡す。

 やはり室内は薄暗く、まだ夜が明けていないことが分かる。雨はもう強く降ってはおらず、風の音もさほど聞こえない。あたかも台風の過ぎた後の小ぶりの雨のようだ。

 

「のど……かわいたっぽい……」

 

 そっとベッドを降りる。

 振り返って見た憲兵さんの布団は、規則正しく上下を繰り返している。

 

「憲兵さん、よくねてるなぁ」

 

 いつもよりあどけない表情に、少し笑みが漏れる。

 さて、っと。水を飲もう。

 

「うう……暗いっぽい……、水道どこぉ……?」

 

 月明かりのない部屋はほぼ真っ暗で、おぼろげなままで進むしかない。当然明かりはあるが、憲兵さんが寝ているのに点けて回るのも忍びない。

 そこまで広くない部屋であるし、なんとなく場所を覚えていたので一歩一歩といった感じで足を進める。途中何かを蹴っ飛ばしてしまったが、ガラスとかそういう危ないものの音ではなかったので、朝になったら謝ろうと思う。

 

「あ。あった」

 

 ふと、すでに目的地の近くまで来ていたことに気付いた。これでやっとのどの渇きを潤せる。

 しかし問題はまだあった。

 

「……コップどこぉ……?」

 

 水を飲むためのコップが手元になかったのだ。

 ということはおそらく食器棚にあるのだろうが、その位置はいまいち覚えていない。

 これはいわゆる詰んだという状況なのでは……?

 

「夕立?」

 

 ふと電気がついた。

 急な眩しさに痛む目を我慢して振り返ると、憲兵さんがいた。

 

「ふわぁ……。おはよう夕立。流石に早起きが過ぎるんじゃないか?」

「おはようっぽい? のどが渇いたっぽい」

「ん? ああ、水か」

 

 憲兵さんが近寄ってくると、その足でフローリングの床がたしたしとまぬけな音をたてた。そしてそのまま私越しに戸棚を開ける。

 なるほどそこに入っていたのか。

 ほら、と出されたコップを手に取り、水道から水を入れてのどを潤す。

 

「おいしい」

「ただの水道水だけどね」

「なんでおいしいんだろう……」

「のどが渇いていたからじゃないかな……」

 

 趣旨は違うけど沢庵和尚の話みたいだなー、と憲兵さんは言っていたが、意味は分からなかった。

 

「さて、まだ夜明けは遠いが寝直すか?」

「んー、ちょっと起きてるっぽい」

「なら自分もお供しようかな」

 

 憲兵さんは冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。その横に私のコップを置くと、特に何も言うことなく私の分も入れてくれる。

 テーブルの席に着き、おもむろに憲兵さんが口を開いた。

 

「こんな朝早くに目が覚めるのは久しぶりだなぁ」

「いつも憲兵さん早起きっぽい」

「とはいえまだ日も昇らない未明だからね。訓練校時代にその一環として起きていたことはあるけど、ここへ来てからはなかなかないね」

 

 ところで、と憲兵さんが話を区切った。

 

「夕立、その、大丈夫なのか?」

「え、なにがっぽい?」

「いや、……嵐に酷く怯えていただろう」

 

 そういえば、と思い出す。

 いまいちよく覚えていないが、憲兵さんの晩ごはんを食べに来たはずだ。そこで突然嵐が来て、……あとはあまり記憶がない。なにやら恥ずかしいことをしたり言ったりした気もするが、覚えてないのでなんともできない。

 

「……今は大丈夫っぽい」

「そうか……。ならいいんだけど」

 

 ふぅ、と憲兵さんは息をついた。

 ――なんで何も聞かないんだろう。

 いつも嵐の日は記憶が曖昧になる。ただ、強い恐怖だけを鮮烈に残して。

 あまり言いたくないことだけれど、憲兵さんになら少し話してもいいかなと思う。

 

「私ね、前の鎮守府で時雨を殺しかけたの」

 

 憲兵さんが息をのむのが分かった。

 

「そのころ私は解体されかかっていて、ほら、こんな醜い見た目だし、しかたないっぽい。……しかもほかの子たちより私は性能が良くなくて、作戦に参加して被弾しても補給とかあんまりされなくて。でも艦娘の数が少ない鎮守府だったから、それでも出撃させられて」

 

 手元のコップを傾けると、麦茶も一緒に揺れた。

 

「そんなことを続けられたのも、隣に時雨がいたからっぽい」

 

 時雨。私のお姉ちゃん。

 

「ずっとつらかった。でも、時雨やほかのみんながいたから頑張れた」

 

 時雨だけじゃない。みんなで生き残ろうって、いつも話してた。

 

「でも、ある嵐の夜に強行しなきゃならない作戦があって、私たちはそれに出撃した。輸送船団を撃沈させるだけの作戦だった。でも、深部で出て来たのは姫級だったの」

「姫級だと?」

「……あの日は本当に酷い嵐で、電探も信用できないくらいだったっぽい。お互いを見失わないようにすることで精いっぱい。しかも、姫級相手に引いたらみんな沈む」

 

 こんな時、憲兵さんだったらどうする?

 そんな意地悪な質問に、憲兵さんは目を伏せて口を開いた。

 

「救助要請を出し、砲撃で牽制しながらの撤退戦」

「それが叶わなければ?」

「姫級相手に撤退すらできない状況であれば、……陽動作戦というのも案としてはある」

「たとえばどんな作戦っぽい?」

「……言いたくない」

「教えて」

 

 憲兵さんは目を開き、私と視線を合わせた。

 ――初めて見る、酷く寒気のする目をしていた。

 

「……嵐で前が見えないというのであれば、それは敵も同じだろう。誰かが単騎で敵中央に突っ込み攪乱する。おそらくそれだけで敵はこちらを見失うから、その間に全力で逃げれば隊全体としての生存率は上がる」

「そうだよね。もし単騎で行かせるなら、どういう艦娘が選ばれるっぽい?」

「……敵が味方の隊を見失うまで時間を稼げるやつ。具体的には、できれば回避率が高く、高速艦で、それなりに火力が高いやつ。もっというなら錬度が低く、あまり補給をしていない、すげ替えのきく、ロスの少ないやつ」

「憲兵さん、それ120点っぽい」

「言うな……だから自分は提督には向かない性格なんだよ……。それにこれは陽動作戦とはいうが、囮というかただの生贄だ」

 

 憲兵さんはテーブルに突っ伏してしまった。酷いことを聞いてしまった。

 

「ま、その単騎が私だったっぽい」

「だろうと思ったよ……」

 

 本当は憲兵さんが言った通り、最初は撤退戦だった。

 だけど敵の方が速く、このままでは追いつかれると思い、独断で突撃した。

 

「そこからはほとんど覚えていないんだけどね」

 

 気が付いたら夜は明け、それでもなお降りしきる雨の中、手が真っ赤だったことは覚えている。

 そして、救援部隊とともに引き返してきた時雨たちに、砲口を向けた。

 

「その時の私は錯乱してて、敵と誤認した時雨に砲弾を当てて、一撃で大破させてしまったっぽい」

 

 覚えてないのでそこらへんは時雨から聞いた話だけれど。

 

「だからなのかな、何時まで経ってもその時の傷が消えないんだ」

 

 自分の掌をみる。

 何度入渠しても消えることの無い傷があった。きっとこれは罰なんだろう。

 

「……なるほどな。それで嵐もトラウマになっていると」

「や、どうなのかな……分かんないっぽい」

「ん?」

「実際ホントに覚えてないから、何があったかは分からないっぽい。でも、……嵐の日はとっても恐くなる」

 

 きっと嵐の中で戦い続けたことと、時雨に砲口を向けてしまったことがトラウマなのだろう。思い出せないのはきっとそういうこと。

 大丈夫だよと、こうして生きてるし問題はないねと、いつか時雨は言ってくれた。

 

「どうやって朝まで戦い続けることができたかも覚えていないんだろう?」

「そうっぽい」

「そっか。……まあ、生きていてくれて良かったよ」

 

 何気ないその言葉が、すごくうれしい。

 

「きっと昨晩は時雨も心配してただろうね。朝一番に連絡してあげないと」

「そうだね! 時雨のために朝ごはん作るっぽい!」

「おっと、まだ4時過ぎだぞ」

 

 気合を入れて、力強く立ち上がる。

 

「サンドイッチを作るっぽい!」

「あ、こっちの話聞いてくれない感じかぁ」

 

 憲兵さんが何か言いながらも、パンあったかなぁと席を立って棚を見に行く。

 その背中に向けて全力ダイブをかました。

 

「うおっと、なんだ夕立?」

「なんでもなーい、っぽい!」

 

 憲兵さんの背中が好きだ。大きな温かいこの背中が大好きだ。

 そういえばこんな時間にこれだけ元気が出たのは憲兵さんのおかげだろう。嵐のせいで昨晩の記憶はほとんどないけど、よく眠れたからかもしれない。

 

「ん?」

 

 ふと気付く。

 よく眠れたのか、私は。

 今までどんなに眠っても浅い眠りしか出来ず、時雨以外が来たらすぐに目が覚めてしまうほど神経質だったのに。

 なんだろう、今ならなんだって出来そうな気がする。

 

「憲兵さん!」

「なんだ?」

「よく眠れたっぽい!」

「この時間にそれだけ元気だったらよく眠れたんだろうなぁ」

「睡眠大事!」

「それはほんとにそう」

 

 きっと憲兵さんは何のことか分からないだろう。その言葉に込められた意味も、その感謝も。

 でもいいかな。言ってしまうのも少し恥ずかしいし。

 

「とりあえずゆで卵作るか……」

 

 そう言って憲兵さんは冷蔵庫から卵を取り出す。

 

「ゆで卵にケチャップ!」

「嘘だろ……?」

「言ってみただけっぽい!」

「なんで……?」

 

 戦慄している憲兵さんの顔も、なんだかかわいく見えてくる。

 

「えへへぇ」

「……ご機嫌だな夕立」

「憲兵さん!」

「んー?」

「大好き!」




どうも。
ちょっとだけ長くなりました。

さて、次は今回と前回の話関係で短めの小話をいくつかまとめて、その次はたぶん北上さんとまったりする予定です。
わりとすぐ投稿できると思います。

ではでは。


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022 - それでも届く声

今回は話の流れで入れられなかったものを少しだけ。
主に前回と前々回、つまりは夕立回の小話です。


■食堂にて「イタリア勢を怒らせる一番簡単な方法」(020 - 料理をしよう)

 

「さて、パスタを茹でるのですが」

 

 ちょっと大きめの声を出す。

 

「まず最初に食べやすいようにパスタを二つに折ります」

「ちょっと」

「待って」

 

 折ろうとした手を、瞬間移動でもしてきたかのように現れた2人の手で両側から抑えられる。

 

「やあ、どうしたんだい」

「それは……それだけはだめでしょう……!」

「そんなことしたら戦争よ……!」

 

 いやいやもちろん冗談だけれども、こうすればイタリア人がキレるという噂は本当らしい。

 

「冗談だよイタリア、それと……ナポリ?」

「ローマよ!!」

 

 気の強いローマはツッコミが激しくて楽しいなぁ。

 

「冗談だ」

「あの、パスタ折ったりしませんよね? 大丈夫ですよね?」

「もちろんだとも。パスタを折るやつは腕折ってもいいって昔から決まっているからね」

「そこまでは言ってませんけど……!」

 

 イタリアの下から突き上げるようなツッコミも好きだわ。

 

「さて、本当に冗談だから座って待ってなよ。最高の食事とはいかないまでも、それなりの料理は保証するよ」

「本当ですか……?」

「信用ならないわね」

「まぁそこまでいうならここで見ていてもいいけれど」

 

 うーん、と少し迷った二人だが、大人しく席へと帰っていった。

 さて、普通に作るか。

 

 

 

■憲兵居室にて「憲兵さんの眠れない夜」(021 - 嵐の中で君を呼ぶ)

 

 夕立に抱き着かれたままというのも心臓に悪いので、とりあえず部屋の電気を消しつつベッドまで移動することにした。

 

「ほら夕立、もう布団にくるまって寝てしまった方がいいよ」

「……けんぺいさんも」

「え」

「ううぅぅぅぅ………」

 

 夕立が抱き着いたまま離れない。着替えも何もしていないから、このまま寝るというのもちょっと憚れるというか。

 とはいえ、じゃあこのメンタルが逝ってる夕立をこのままここに放置していいのかと言ったら、あらゆるものが次元を超えて自分を抹殺に来そうではある。

 

「分かった、今日は一緒にいてやるから。夕立が眠るまでここにいるよ」

「……」

 

 夕立がしゃべらなくなってしまった。

 しかし、抱き着いたままでいるため、横にはなっていない。想像としては、眠る夕立のベッドに腰掛けるか、もしくはベッドを背に床に座るかして、夕立の手を握っている、みたいなことになると思っていたのだが、どうやらそうはならないらしい。

 現状ベッドに腰掛けた自分に、ベッドの上で女の子座りをしている夕立に抱き着かれている状態だ。はたしてここから想像する状況に持っていくことができるのか。

 一番やばいのは、このまま一緒に横になって寝ようと言い出すことだ。それだけは回避せねばならぬ。

 

「一緒に」

「ん?」

「同衾」

「難しい言葉知ってるね君……」

 

 一瞬でフラグは回収したわけだが、少し考え、夕立を一人にしてしまうことが一番回避せねばならぬことかもしれないと思い直した。

 ある意味ものすごい葛藤の末の決断だった。

 

「……分かった。一緒に寝ようか」

「……」

 

 ベッドの上に寝転ぶと、そのまま夕立も付いて横になる。

 夏場で暑いからと冷房をつけっぱなしにしていたが、今さらリモコンを取りにテーブルには行けない。風邪をひかないように、夕立のかぶっていた布団の一部を少しだけ拝借し、身体にかける。

 うわ、いい匂いする。

 現在時刻午後9時。そうして眠れぬ夜が始まった。

 ちなみにようやく眠れたのが午前1時。夕立が起きた物音で起きたのが午前4時のことであった。

 

 

 

■憲兵居室にて「脳みそ稼働率1%の代償」(021 - 嵐の中で君を呼ぶ)

 

『憲兵さん!』

『んー?』

『大好き!』

 

 ……いわゆるライクの方だと解釈すべきだな、これは。

 午前5時。

 

「夕立、昨日はお風呂に入れなかったが、どうせなら朝風呂にでも行ってきたらどうだ?」

「んぅ? 確かに体がべたべたして気持ち悪いっぽい……、シャワー借りるね!」

「えっ」

 

 がちゃん、ばたん。

 そんな音とともに、夕立が風呂場へと消える。

 確認しよう。ここは自分の居室、自分の部屋。消えていったのは風呂場。

 違うじゃん? 入渠施設に風呂あるじゃん? そっち使うと思うじゃん?

 ……ふむ、これ以上何も考えてはいけない。脳みその稼働率を1%以下に抑えるのだ。

 

「そうだ、洗濯をしよう」

 

 そう考え、シャワーの音が聞こえ始めたのを確認してから洗面所へ入る。

 

「夕立ー、服は洗濯してもいいのか?」

「いいよー、ありがとうっぽいー」

 

 独特の反響音とともに中から返事が返ってくる。

 よし、と気合を入れつつ洗濯かごを持ち上げ、中に入っていた服を洗濯機に入れる。その瞬間、はらりと舞い散る白ひとつ。

 なんだろうと持ち上げると、それはたぶん、夕立が、着ていた、下着――

 ゴスッ。

 

「え、け、憲兵さん? どうかしたっぽい?」

 

 浴室で響いていたシャワーの水音が途切れ、夕立の声が聞こえてきた。

 

「……いや、なんでもない。驚かせてすまなかったね」

「うん……?」

 

 夕立は納得はしていないようだが、とりあえずシャワーを優先してくれたようで、再び背後から水音が響いてきた。

 ついでに、足元にぴちゃりと赤い水滴。どうやら頭を思いっきり柱にぶつけたときに切れたようだ。額から頬を伝い、顎先から滴り落ちている。

 そんなことはどうでもいい。

 

「――おいおいおい、今お前何を考えた?」

 

 次なんか考えたらビンタすんぞ。

 とりあえず先に全部洗濯機に入れて回してしまおう。水は先に入れてあるので、洗剤を入れて回すだけだ。

 その間に床を掃除し、顔も洗う。やはり頭が少しだけ切れていたようで、水をかぶると鋭い痛みが走った。

 頭の傷は大きなものでなくても出血が酷くなることが多い。適当にティッシュで押さえて止血する。というか、あまりに動揺しすぎだろう自分。やってることがあまりにマヌケだ。普通にアホだ。

 洗濯、すすぎ、柔軟剤、と全てやって、脱水してから籠に入れ、それごと外に持っていく。

 

「夕立ー、洗濯物裏に干してくるから」

「はーい。……え?」

 

 何か聞こえたが、とりあえず気のせいかと思い、裏に行く。行ってから気付いたが、まだ普通に雨が降ってるから干せないわこれ。

 仕方なしに部屋干しするかと服を全て室内物干しにかける。昨晩からずっとついていた冷房は、今はドライにしている。一瞬夕立の白いナニカの干し方に迷ったが、適当に吊るしておいた。

 さて、と戻ると、洗面所から夕立の顔が覗いていた。

 びくり、と自分の足が止まる。

 

「干したっぽい?」

「雨降ってたから部屋干しだけど」

「乾いてないっぽい?」

「そりゃあ、脱水しただけだからな」

「着替え……」

「おっとぉ」

 

 あ、そっかー。そりゃそうだよね。着替えなんか持って来てるわけないし、洗ったらそれ着れるわけないよね。

 あ、なるほどわかったぞ。普通鎮守府側には乾燥機も付いてるから、最悪着替えが無くても洗濯乾燥までやってしまえるのか。だから夕立もその感覚でシャワーを浴びたし洗濯してもいいと言ったわけか。

 なるほどなるほど。

 脳みそ1%の代償をここで支払ったわけだな。

 

「どうしようか」

「とりあえずバスタオルは借りたから出るっぽいー」

 

 そういうと、夕立が洗面所から出てきた。体にバスタオルを巻いて。

 案外大き――、いや、いやいや待ってくれ。

 再び脳みその稼働率を下げなければ。

 

「……髪、乾かしてやろうか?」

「いいの? やった」

 

 夕立が嬉しそうに笑い、近くの椅子に座る。天使かよ。

 使ってはいなかったが一応ドライヤーはある。コンセントに差して、新しいタオルを持ってくる。

 ある程度タオルドライは済んでいるが、念のため再度タオルでわしゃわしゃと髪から水分を抜く。その後でドライヤーで根元から温風をあてて乾かしていく。

 ……なんだこの髪の毛。すんごい綺麗なんだけど。

 世の女性たちがどれだけ苦労しても手に入らない美貌がそこにあった。まるで精巧な人形のようだ。人間味が無い、といえばいいのだろうか。

 ……まあおそらくそれをこの世界の艦娘に言ったところで、貶されていると思われそうではあるが。そもそも美貌は醜悪と言い換えられるだろうし、人形というのも物だと思われている現状の艦娘からしたら皮肉でしかないだろう。

 なんともはや。褒めにくい世界だ。

 

「はい、終わったぞ」

「んにゃー」

 

 天使かよ。

 ちなみに、髪の毛の外はねをストレートにしてみようとこっそり試してみたが、どうやらそうはならないようだ。

 ドライも済んだことだし、鼻歌交じりでご機嫌な夕立の髪の毛を梳いてやる。

 だが、わりとそういうまったりした時間に、アクシデントというのはやってくるものである。

 

「夕立!」

 

 部屋の扉を物凄い勢いで開けて登場したのは、夕立のお姉ちゃんだった。

 

「あ、時雨! おはようっぽい!」

「え、あ、うん、おはよう……え、どういう状況?」

 

 いやまぁ自分の妹がバスタオル一枚で男に髪の毛を梳かせている状況って、なんなんだろうね。

 

「シャワー浴びたっぽい!」

「なぜ……?」

「着替えがなかったっぽい!」

「どうして……?」

「で、髪を乾かしてもらってたっぽい!」

「どういうことなの……?」

 

 時雨の頭にはハテナが飛び交っているんだろう。なんとなく幻視できる。

 

「あと憲兵さんと一緒に寝たっぽい」

「憲兵さん。説明」

「あ、はい」

 

 説明した。

 

 

 

■憲兵居室にて「それでも届く声」(021 - 嵐の中で君を呼ぶ)

 

「最初は焦ってたんだけどね、そのうちなんか大丈夫な気がしてさ」

 

 時雨は夕立が作ったサンドイッチを食べながらそう語った。

 今は色々と落ち着いて、テーブルの席について夕立と共にコーヒーを飲んでいる。その夕立も先ほど時雨が着替えを持ってきたため、今は狼のパーカーを着て、下はホットパンツだ。おそらくこれが普段着なのだろう。

 

「大丈夫って……なにが大丈夫なんだい?」

「急な嵐だったじゃない? いつもは僕が一緒にいるけど、夕立が独りになるっていうのはすごく心配でね。でも、なんか途中から焦りがなくなってきて、あ、これ大丈夫だなって」

 

 結局何が言いたいのかは分からなかったが、きっと姉妹でなにか繋がった糸みたいなものがあるのだろう。

 それはきっと、絆のようなもので。

 

「あ、それ私も感じたっぽい!」

 

 夕立が狼の手を挙げる。どうしてもその恰好は緊張感が無いな。

 

「私もずっと怖かったんだけど、なんか途中で時雨の声が聞こえた気がして、それで安心して眠っちゃったっぽい。憲兵さんも一緒に寝てくれたしね!」

 

 それについては苦笑するしかないが、時雨はちょっと驚いているみたいだった。

 

「夕立、眠れたんだ」

「ぐっすり!」

「そっか……」

 

 よかったね、と呟きながら時雨は笑った。

 

「さすが憲兵さんだよね」

「いや、自分は何もしていないさ。何も出来なかったよ」

「そう思っているのは自分だけさ」

 

 しかし、大丈夫と思った割に急いで部屋に駆け込んできたな。

 そう尋ねると、やはりそれでも当然心配は晴れるものではないし、急いで来たとのこと。ま、それもそうか。

 

「でもなんだか不思議だよね、僕は初めてだよこんなの」

「そうだねー。私もはじめてっぽいー」

 

 まあなかなかある話ではないだろう。シックスセンスというかセブンセンシズというか、いわゆる虫の知らせのようなものは超常なものだからだ。常識では測れない何かがあるのだろう。

 それでも、そういうものが存在する以上、やはりなにか超常な、自分たちの目には見えないチカラというものが存在する。

 嵐の中でも、それでも届く声。

 きっと世界は、素敵な奇跡であふれている。

 

「いつか憲兵さんとも、そんな関係になりたいっぽいー」

「ああ、そうだな。……そうだな?」

 

 なんだかおかしな発言だったような気がして夕立を見たが、特に深い意味で言ったわけではなさそうに、きょとんとしていた。時雨はにやにやしていたが。

 まあそれはそれで。

 

 すでに雨は止み、蝉はうるさくなってきたし、気温もどんどん上がっていくだろう。特に今日は台風一過のような晴れ晴れとした天気になりそうだ。入道雲が空をのぼり、あるいはどこかで局地的に雨になるかもしれない。

 

 ――つまりはそう、今日もまた、平和な良い一日になりそうだ。




「イタリア勢を怒らせる一番簡単な方法」
 本来私はシリアスよりもこうした会話劇が好きです。

「憲兵さんの眠れない夜」
 前回では一緒に寝た経緯を入れられなかったので、こういう形で入れさせていただきました。前回、睡眠が大事と言っていたのはこういうことがあったため。

「脳みそ稼働率1%の代償」
 随分前に中身だけ書いていて、どこかで入れられないかと機をうかがっていた話ですが、流石にシリアスの中にこれを突っ込めなかった。

「それでも届く声」
 上の続きの話。夕立の狼パーカーは、ハロウィングラのパーカーバージョンを想像してます。くっそ可愛い。でももしかしたら狼じゃなくて犬かもしれない。


 次は北上と九マイル的な話をする予定です。
 ではでは。


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023 - これで晴れても大丈夫(前編)

「けーんぺーさぁん」

「……どうかしたか、北上」

 

 とある昼下がり、ここのところ旧守衛室、現憲兵居室にちょくちょく来るようになった北上が、テーブルの上に腕と顎を乗せてスライム化していた。

 太陽は雲に隠れ、湿気がまとわりつくようでまるで水の中を歩いているようだった。

 さすがにこの猛暑には艦娘もぐったりしているようで、鎮守府内を移動する子たちはみな沈鬱な雰囲気を醸し出している。特に瑞鶴がそうだが、金剛なんかもぐったりしているように見える。おそらく秘書艦なりの何か別に仕事があるのだろう。しかし逆に駆逐艦たちはなぜかほとんどが元気だ。これが有り余る子供の力だというのか。

 しかしここは自分の居室。冷房を付けて北上に対面するように座り、ノートパソコンを叩きながら報告書をまとめているこの現状は、それなりに楽しいものだった。

 

「けんペーさん。それ楽しい?」

「楽しい楽しくないでするものじゃないだろうこれは。自分はこれで給金を貰っているのだから、義務を果たしているだけだ」

「でも楽しいことを仕事にしたいじゃん?」

「……私見だが、趣味を仕事にしない方がいいと思ってるよ、自分は」

 

 仕事を趣味にするのはいいけどね、と続ける。

 北上は特に興味があって聞いたわけではない様で、ふぅん、とだけ漏らして静かになった。

 冷房がよく効いた部屋には打鍵音が響き、そばに置いたアイスコーヒーの中で溶けた氷がカランと澄んだ音をたてた。

 最近北上がここに顔を出すようになったのは、立花提督がなんだかピリピリしているからだそうだ。とはいえ作戦がどうとかではなく、特に理由は分からないらしいのだが。いつもなら執務室でだらだらしている北上も、これにはちょっと居辛さを感じているらしい。

 ふと北上が思い出したように顔を持ち上げた。

 

「憲兵さん、ちょっと休もうよ」

「……何言い出すかと思ったら、どうした急に」

「暇」

「自由か」

 

 とはいえ、確かに昼食をとってからずっと仕事をしていたから、そろそろ休んでもいいのかもしれない。

 しかし今日はお休みの日らしい北上が食堂からずっと後ろからついてきて、そのまま上り込み、だらだらしているのを眺めていた。なので実はそんなに疲れてないし、なんなら癒されながら仕事をするという素敵なことになっていたのだが、それは言うまい。

 

「そしたらちょっと休もうか。何か食べるかい?」

「さっき食べたところだし、私は大丈夫」

 

 とはいえ休憩というのだから、なにかつまめるものがあった方がいいだろう。アイスコーヒーがあるのだから、クッキーとかでいいだろうか。最近なにかと艦娘がここに来るようになって常備しだしたお菓子棚からクッキーを取出し、皿に入れてテーブルに置いてやる。

 溶けていた北上も甘い香りに気付いたのか顔を上げた。

 

「あ、クッキーじゃん。しかもチョコチップ入り」

「どうぞ、食べていいよ」

「あー」

「……ほれ」

「ん」

 

 口を開けたのでクッキーを放り込んでやると、もしゃもしゃと食べ始めた。多少行儀が悪いぞ、北上。

 

「今日も暑くなりそうだねぇ」

「なりそうというか、ちょうど今が一番暑い時間帯だろう。熱中症とか気を付けないとな」

 

 今日は本当に嫌な天気だ。風もないし湿度も高いしで、まさしく熱中症になりやすい気候といえるだろう。それに、海といえばクラゲとかカサゴとかエイとか、毒のある生物が案外多くいる。艦娘が耐性を持っているのかどうかは分からないが、気を付けてほしいものだ。

 でも艦娘は海に出る時は艤装を装備しているはずで、そうすれば艦娘としての能力を出せるはずだから、大丈夫なのかもしれない。

 

「暇だねぇ」

「自分は暇ではないけどね」

「なぞなぞしようよ」

「しりとり並みにやったらダメな事だろそれ」

 

 しりとりの立ち位置は、会話が続かないときの最終手段。逆説的に、相手とは話が弾まないと言っているのとほぼ同義だ。

 

「もんだい」

「やるのか」

「パンはパンでも食べられないパンは?」

「フライパン」

「ざんねん。カビの生えたパンでしたー」

 

 キレそう。

 なぞなぞの定義がおかしい。

 

「あ、そういえはなぞなぞじゃないんだけど、さっき誰かが言ってたんだけど、あれなんだったんだろう」

「ほう、何か変な事でも言っていたのか?」

「『今日はスリッパなんだ、いいでしょ。これで晴れても大丈夫だね』って」

 

 晴れても大丈夫って言っているのに、なんでスリッパなんだ?

 

「スリッパで良かったって、まぁせめて雨なら分かるんだけどさ、靴濡れるし。でも晴れで良かったってことある?」

「うーん、確かに。……なんでだろう」

 

 スリッパを履いていて、晴天の方が良い場合。……なんだろう。晴天であれば靴よりはスリッパの方がいい。例えば靴が暑いからスリッパの方がいいとか。

 

「私さぁ、確かに靴だと暑いし、それならスリッパの方がいいなって最初は思ったんだ」

「ああ、今自分もそうかなって思った」

「でもね、それだとおかしいんだよ」

 

 おかしい、とはなんだろう。

 北上はテーブルに両肘をついて、その両手で顎を支えながら口を開いた。

 

「晴れてもってことは晴れなくてもどちらでも大丈夫、むしろ晴れてほしくない、って意味でしょ?」

「……なるほど。雨であれば暑いとかではなくて、単純に濡れるから靴よりはスリッパの方がいいかもしれないな」

 

 晴れても大丈夫。つまり、出来れば雨であってほしかった。

 逆に言えば、雨であれば靴でもよかったということになる。

 

「確かに違和感があるな」

「だよね。たぶん暑い暑くないの話じゃないんだよね」

 

 となると、どういうことだ。

 ……ああダメだ。頭が混乱してきた。

 

「一度、整理しようか」

「はーい」

 

 テーブルを立って、自分の机があるところへ行き、いらない紙とボールペンを持ってくる。

 まずもって、本題である先程の一文を紙に書いた。

 

「さて、文章を分解してみようか。……まず読み取れることとして、彼女は現在スリッパを履いている。そして、いつもはスリッパではなく靴を履いている。また、これから向かう先に関しては定期的に行っていることが分かる、ってことくらいか」

「『今日は』って言っているところだね。こういう言い方は以前にも何度か行っているってことだし」

 

 紙に書き込みをしながら続ける。

 

「次に、いいでしょ、と言っていることからそれは羨ましがられる行為だとわかる」

「うん」

「そしてさっきも言ったが、晴れてもということは晴れなくてもいいしできれば雨がいいというニュアンスになるな。またあえて言うなら雨であれば靴でもよかった、ということだろう」

「そうだねー。どういうことなんだろう」

 

 雨であれば靴でもいい、か。

 もしかして、靴は靴でも長靴なのか? それならばまだ分かるか。だがそれは一旦置いておこう。

 

「あとはそうだな、苦労したんだろうな、この子は」

「どういうこと?」

「いや、『これで』と言ってるから、これでようやく、といった意味に聞こえてね」

「あ、確かに」

 

 これまで何度も継続してその行為があって、今までは靴で苦労した。だが、今日はようやくスリッパで来れて、一安心だ。そう言っている気がする。

 

「あとはそうだな。これは前提条件だが、複数人で行われていると考えていいだろう」

「そうだね。他にも何人かいて、話しながら歩いてたし」

「ああ。『いいでしょ』とも言ってるしな。羨ましがられるということは、複数人のうち、その子だけ若しくは少人数がスリッパであるということだ」

 

 ここまで考えて、ちょっと頭の中を整理しようと椅子に背を預けた。同じようにして北上も背伸びをし、アイスコーヒーで喉を潤す。

 はてさて、これは一体なんのことを言っているのだろうか。

 やはりなにかの理由で濡れてしまうから、スリッパがいいということなんだろうか。であれば、雨だとやらなくて、晴れの時にやる何かであるとか。

 

「なにか分かったか?」

「んー、ちなみに複数人ってさ、もしかしたら単独かもしれないよね」

 

 ん? どういうことだろう。

 

「いや、グループとしては複数人かもしれないけど、何人かいて、1人ずつ交代でやってる可能性ない?」

 

 ああ、そういうことか。

 たとえば10人が1回行くパターンと、1人ずつ10回行くパターンがあるわけか。結果としては複数人となるけど、意味合いは異なってくる。

 

「それはいい発想だな」

「でしょー」

 

 えへへと笑う北上が可愛い。

 よし、そろそろ仮説を考えてもいいだろう。

 

「仮説1。雨天演習があり、その片付けをしている」

「反論。スリッパでいい理由にならないよ」

「確かに。でもスリッパの利点を考えると、何がある?」

 

 北上は腕を組み、唸る。

 

「スリッパねぇ。一番はやっぱり濡れても被害が少ないことかなぁ」

「ま、そうだろうな。でももう一つ、履きやすい、もしくは履き替えやすい、という点もある」

 

 どういうこと?と言わんばかりに北上が首を傾げる。

 

「雨天演習があり、当然雨だから濡れることを考慮してスリッパで来た。だが、もし晴れたら演習は中止になり、別の任務があってすぐ履き替えなければならないとしたらどうだろう」

 

 つまり、『今日は雨天演習の片付けだからスリッパで来た。これで晴れたら別任務だけど、靴に履き替えやすいからいいでしょ』という意味にはとらえられないだろうか。

 また少し瞑目して考えていた北上だが、ひとつ頷いて目を開けた。

 

「確かに、それはあるかもしれないね」

「でも反論は当然あるよな?」

「ん。そもそも今日雨天訓練はないってことだね」

 

 そうなのだ。これは脳内のキャッシュ削除だ。

 いろいろな条件でがんじがらめになってしまったから、一度こういう形でアウトプットしておいた方がいい。

 

「一度休憩しようか。頭を使いすぎた」

「そだねー……そもそも休憩中じゃなかったっけ」

「……そうだな」

 

 忘れていた。そういえば仕事の休憩中で、その暇つぶしにこんな話になったんだった。

 

「じゃあ休憩の休憩をしようか」

「やったね。じゃあ休憩が終わったら休憩だね」

「そうだな。その休憩が終わったら仕事だ」

 

 ややこしいわ。

 さて休憩の休憩とかもうわけわからん感じにはなっているが、休憩である以上なにかしないとな。

 あまり冷たいものばかり飲んでいても胃に負担がかかるだろうし、お茶でも入れるか。紅茶とかと違って、お茶の基本適正温度は60℃くらいだったか。テーブルに出すころには熱くて飲めないということはないだろう。

 なんだかんだクッキーもなくなってしまったし、ここは秘蔵のブツを出すか。

 

「はい、お茶だ」

「ええぇ~、熱いお茶ぁ?」

「まあまあそう言わずに。おいしいからのんでみなよ」

 

 北上が眉を寄せながらズズズをお茶をすする。わずかに瞠目し、ぺかーっと後光が差した。美味しかったのだろう。なんとなくだが、北上には緑茶が似合う。

 そして決め手はこれ、間宮さんからいただいた塩羊羹。

 どちらかと言えば水羊羹に近いものだが、これに少量の塩をかけて食べるという逸品だ。これがまた大変美味い。甘さと塩気のバランスがとても良いのだ。

 

「なにこれうまっ」

「そうだろう。間宮さんお手製だからな」

「なんと! そんな貴重なものをこんなタイミングで食べてもいいの?」

「いいんじゃないか? お手製ゆえにだけど賞味期限も長くはないだろうし、自分だけで食べるのももったいないしね。北上と一緒に食べられるなら、それに越したことはないよ」

 

 北上が両手で顔を隠してしまった。ちょっと自分でも恥ずかしいことを言ったような気がするが、……いや普通に恥ずかしいな。正直かっこつけて言ってみたはいいが恥ずかしいなこれ。

 きっ、と北上が睨みつけてきたので視線をそらす。

 切れ味鋭そうな目つきであった。

 

「……でもあれだな。そんなに難しい話じゃないのかもなぁ」

「んー?」

「単純にスリッパを履きたかっただけとか」

「うん、でも雨の方が良かった理由がよく分からないんだよねぇ」

「そうなんだよな。結局そこに戻ってくるんだね」

 

 休憩とは言いつつも、甘さを補給した分脳みその回転は速くなっているのだろうか。

 今日はスリッパ。いいでしょ。晴れても大丈夫。

 なんだ……、でも何か違和感があるんだよな、最初から。そもそもこれ合ってるのだろうか。聞き間違いとかあるんじゃないか?

 

「なぁ北上」

「はいはい」

「例えばさ、聞き間違いだったりしないか?」

 

 甘味に舌鼓を打っていた北上の視線が少し鋭くなる。

 

「晴れても大丈夫、じゃなくて、荒れても大丈夫、とか」

「それはないね」

 

 ピシャリ、と北上が否定する。

 

「『は』ってのは擦過音で、母音の『あ』とは明確に聞き分けられるんだよ。少なくとも私はそうだし、これに関してはないだろうねー」

 

 さらっと北上のスペックの高さが露呈したが、そう言うならそうなんだろう。

 

「ちゃんと『はれてもだいじょうぶ』とは言っていたよ」

「そうか……、それならまた振り出しかな」

 

 そうか、晴れても大丈夫、か。

 ん? 晴れても?

 

 はれても、大丈夫?

 



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024 - これで晴れても大丈夫(後編)

 ふと疑問に思うことがあった。

 晴れても大丈夫、とは、本当に『晴れ』だったのだろうか。

 

「なぁ北上、晴れって、それは天気のことだったのか?」

「晴れ……、ああ、音は同じだけど意味が違うかもってこと?」

「ああ。例えば……そうだな、蜂に刺されて腫れる、とかの方だったりしないか?」

 

 北上が、飲んでいたお茶を置いて腕を組む。

 

「そうだね、そっちは分からないや。結構艦娘ってどこで生まれたかによってアクセントが変わったりするし、浦風とかもう広島弁過ぎて何言ってるか分からないときもあるし」

 

 浦風いたのか。まだ会ってない様な気がする。

 しかしそうか、それなら少し考えようがあるかもしれない。

 

「今日はスリッパなんだ。いいでしょ。これで腫れても大丈夫だね」

「ちょっとニュアンス変わるね」

「そうだな。……いやこれ腫れたの方だとヤバくないか?」

 

 字面だけ見れば、腫れてもスリッパなら脱ぎやすい、という意味にならないだろうか。先程考えた仮説にもあったが、やはり脱ぎやすいからスリッパだった、ということに……ならないだろうか?

 もしそうであればどこへ向かったのか。それこそ蜂に刺されて腫れるという意味なのか。……いや、それなら警戒すべきは足元だけじゃない。黒に寄って来る性質を考えると髪の毛、ひいては顔を守らなければならない。それに、刺される前提というのもおかしな話だ。そもそも刺されないようにしなければならない。

 だとすればなんだ。足元だけ、しかもたとえ靴を履いていても刺される可能性があるもの。

 ……いや、ある程度予想は出来ている。

 

「話していた子らはどこへ向かっていたか分かるか?」

「確か工廠がある方だから、まあ海の方だよね。……もしかして、浜辺?」

「その可能性が高いな」

 

 何の用事か分からないが浜辺に向かっていて、腫れることが多かった。

 それはつまり、クラゲ、なのかもしれない。

 

「……憲兵さん、腫れてもってクラゲに刺されて腫れてもスリッパなら脱ぎやすいとか、そういう意味?」

「……かもしれないってとこだな」

「一つ嫌な想像していい?」

「……なんだ」

「靴の隙間に入り込むくらいすごく小さいクラゲで、刺されたら腫れて、それなりに危険なやつがいるんだけど」

「その名前は?」

「キロネックス」

 

 聞いたことはある。でもあれはオーストラリアかどこかで生息している殺人クラゲだったはず。

 

「そいつ自体は日本までは来ていないと思うんだけど、近縁種っていうんだっけ。似た種類のはいくつか存在して、確か日本にもいるはずだよ」

「もし、浜に行った奴がそれに当たったらやばいよな」

「当然やばいね」

「アナフィラキシーショックの可能性は」

「あるよね」

 

 無言。

 数瞬後、二人して勢いよく立ち上がる。

 

「北上、行くぞ」

「了解」

 

 二人して扉を蹴破るように出ると、いつの間にか雲は消え去り、まさしく炎天下となっていた。

 その膨大な光量に一瞬目が眩むが、そんなことも言ってられないと走り出す。

 

「念のためだぞ、念のためだ」

「分かってるよ! 念のため!」

 

 可能性だけの問題ではあるが、念のためだ。

 演習場方向に工廠があり、そのすぐそばに浜があったはずだ。おそらくそのあたりにいるのだろう。

 

「北上、思い出した」

「なにをー!」

「キロネックスの近縁種、確か沖縄にいるハブクラゲと、北海道まで生息してるアンドンクラゲだ」

「よく知ってるねぇ!?」

「海はもともと好きだからな」

 

 口も動かすが、足はもっと動かしている。これだけ全力疾走したのはいつ以来だろうか。

 と、走っている途中で見慣れた後ろ頭があったので、これ幸いにと声を掛ける。

 

「大井!」

「ん? あ、北上さん! と、憲兵さん? どうしたの?」

 

 声を掛けたはいいものの、立ち止まって話をするか迷う。

 そんな気配をいち早く察したのか、大井がそのまま並走してくれた。

 

「どうしたのよ、そんなに慌てて」

「すまん大井、すぐに入渠出来るように、ちょっと施設に連絡入れてくれるか」

 

 スッと大井の顔が険しくなった。

 

「念のため、だけどな。何もなかったらすまない」

 

 ほんの一瞬だけ思考する顔になったが、すぐに「分かった」とだけ残して、走る足を入渠施設に向けて去って行った。

 ありゃあいい女だわ。頭の回転がとんでもねぇ。

 

「けんぺーさん、そろそろ着くよ! いちゃいちゃしない!」

「してないし語弊があるなそれ」

 

 北上が言った通り、浜辺はすぐそこだった。そして、遠目ではあるが見慣れた4人組がいた。いつもの第六駆逐隊、つまりは暁、響、雷、電だろう。

 そして、一人が倒れていてほかの三人が集まっているように見える。

 もしかすると、もしかするかもしれない。なんでもっと早くに気付かなかった。

 

「おーい! どうした!」

 

 声を張り上げるとみんなこっちに気付いたようで、電が泣きそうな顔をした。

 

「憲兵さん! 暁ちゃんが急に、足が腫れてて!」

「了解、暁、足を見せてくれ」

「うぐっ……、い、痛い……」

 

 暁は必死に涙を我慢しているようだが、耐えられるような痛みでもないだろう。片足だけ裸足になった足元を見てみると、ミミズ腫れのような跡があった。ほぼ間違いなくクラゲによるものだ。

 北上を見ると、雷や電のパニックをなだめているのが見えた。

 

「憲兵さん」

「響か」

「クラゲってことは、酢を持ってきた方がいいのかい?」

 

 ふと話しかけてきた響が言ったことは間違いじゃない。……が、確か酢で活性化する毒があったようななかったような気がして、どうにも判断がつかない。

 

「ありがとう、でもそれより一番早い方法がある」

「それは?」

「入渠だ」

 

 そういうと、暁の背と膝裏を腕で支えるように持ち上げた。

 

「北上! 先に入渠施設に行って、クラゲに刺されたと妖精さんに言ってみてくれないか。もしかしたら早く治せるかもしれない」

「分かった!」

「あ、私も行くわ!」

「電も行きます! です!」

「なら私は司令官に報告をしてこよう」

 

 北上が雷と電を連れて走って行く。それに続いて、響は指令室へ、自分は北上たちを追うように走り出した。

 自分はあまり揺らさないように暁を抱えて走らなければならず、流石に速度はゆっくりだ。こうしてる間にも暁は苦痛の表情をしており、当然だが急いだ方がいいだろう。

 やはり北上と出した想像はあっていたのか。晴れた、ではなく、腫れた。足が腫れたら靴が脱ぎにくくなるから、スリッパで来たというわけか。なんでまたそんな無茶を。

 

「けんぺいさん……い、いたい……」

「大丈夫、大丈夫だからな。少しだけ辛抱だ」

 

 周りに妹がいないせいか、隠せなくなった涙が痛々しい。抱きしめる腕に少しだけ力が入るのを自覚した。

 考えることは色々あるが、とりあえず先に入渠だ。本当はクラゲの触手が残っていたら取った方がいいし、水を掛けるなり、温めるなり冷やすなりした方がいいんだろうが、何と言ったってここは鎮守府だ。入渠施設という病院に近いものだってある。ならば病院に連れて行った方がいいというのは、誰もが分かることだろう。

 冷房の効いた部屋から準備運動なしで酷暑の中で短距離走をし、人ひとり抱えて砂浜ダッシュからの平地ラン。ぶっ倒れてもおかしくない運動をしている。

 ふと暁の足を見ると、裸足の方には痛々しいミミズ腫れがあった。そしてもう片方の足はなんともなかったのか、―――靴を履いていた。

 

「……ん?」

「おーい! けんペーさん、こっち!」

「来たわね」

 

 ふと潜りかけた思考の外から、北上と大井の声がした。

 

「けんぺーさん! 入渠の前にベッドに寝かせてくれってたぶん言ってる!」

「たぶんってなんだ」

「妖精さんの声は聞こえないからね!」

 

 なぜか北上が自信満々に言っているのはなぜなんだろうか。

 ともかく、入渠施設に入るとすぐに妖精さんがベッドの近くで集まっているのが見えた。おそらくそこに下ろせと言っているのだろう。そんな感じのジェスチャーをしている。

 

「暁、ゆっくり下ろすぞ」

「うん……」

 

 小さな手を握り締めて、必死に痛みに耐えているのが分かる。

 そして、ベッドにゆっくり横たえると、すぐに妖精さんが周りを取り囲み、特に足に集まっていた。

 何をしているのかと自分も含め、北上と大井、それと雷と電が覗きこむ。すると、どうやらクラゲの針を抜いているようだった。正確に言うと刺胞というやつを除去しているようで、何をどうやってしているのか分からない。妖精さんの不思議パワーとしか言いようがないなこれ。

 でも確かにこれがもし出来るのであれば、人間世界でも処置の仕方が変わるかもしれない。当然毒針を抜いてからの方が治癒は早いだろう。

 妖精さんはスイスイと手を動かし、どうやらすぐに処置は終わったようだ。

 じゃあな、とでも言うように手を挙げた妖精さんに同じように返すと、大井が暁を抱え、雷たちとともに奥へと去っていった。入渠の風呂にでも入れるのだろうか。

 入渠自体はマッサージやら睡眠やら色々種類があるが、高速修復材がバケツであることを考えると、やはり一番修復が早いのは風呂なんだろうと思う。

 

「あの子たちね、今日はお休みで、浜辺で遊んでたんだってさ」

 

 ふいに北上が話し出した。

 

「そしたら急に暁が足が痛いって言い出して、混乱してたら私たちが来たって感じらしいね」

「そうか、それなら丁度いいタイミングだったのかな」

 

 それならよかった。クラゲ毒は呼吸困難になったり筋肉が動かなくなったりするから、海にいたら溺れてしまう可能性があった。それに発見も早かったから、処置も早く終わるだろう。

 

「さて、これで一件落着だな」

「そうだねぇ」

「結局、さっきの推察通りになったわけだ」

「え?」

 

 ……えっ、てなんだ。これで解決したんだよな?

 そんな思いとともに北上を見ると、眉間にしわを寄せ何とも言えない顔をしていた。

 

「ごめん、けんぺーさん。一つ思い出したことがある」

「……なんだ」

「たぶん、言ってたのは暁じゃない。なんなら、そもそも駆逐艦じゃなかったと思う」

 

 ……は?

 ということは、なんだ。推察は間違っていた、ということか。そう考えるよりほかにないようだ。

 

「そもそも一人はスリッパで来てるはずだよね」

「……そうだな。スリッパでいいだろと言っていたわけだし」

「誰もスリッパ履いてないよ?」

 

 ――……。

 言われてみればそうだ。あの4人は誰もスリッパなんか履いていなかった。刺された暁だって、刺された方は処置のために裸足になっていたが、もう片方は靴だったじゃないか。

 どういうことだ。どこから間違えていたんだ。

 推察から導き出した答えが間違いだったにせよ、急を要することになっていた。なぜか嫌な予感がする。

 

「小林さん!」

 

 と、そこに響とともに立花提督が走ってきた。

 

「小林さん、暁ちゃんは大丈夫!?」

「ああ、おそらく問題ないだろう。いま入渠に行ったし、どうやってかは分からないが毒針も妖精さんが取ってくれたしな」

「そっか……、良かった。ありがとう小林さん、北上ちゃんも」

 

 立花提督は安心したように、そっと胸をなでおろした。

 まだ息が整ってないあたり、かなり走ってきたのだろう。

 

「響ちゃん、妖精さんに高速修復材使っていいよって言ってきてもらえる?」

「了解だよ、司令官」

 

 響はこちらに黙礼だけして、中に入っていった。

 

「いや、ありがとね。まさかクラゲがいるなんて考えてなかったよ」

「クラゲ自体はいるが、被害が出ている所を実際に見かけることはあまりないだろうさ」

 

 それはいわゆるバイアスと呼ばれることかもしれない。だからこそ事前準備と訓練が必要なわけだが。

 

「しっかし今日は暑いねぇ。小林さんと北上ちゃんはなんで浜辺なんかにいたの?」

「ああ、ちょっと北上と休憩がてら暇つぶしに推理ごっこしてたら、いつのまにかこんなことに」

「なにそれ、面白そうね。あーあ、私も仕事が無ければのんびりしたかったんだけどなぁ」

 

 そういうと、立花提督は大きく両手を上げて伸びをした。デスクワークが多いから、肩も凝るだろう。

 

「最近ずっと欲しい装備が出なくてさ、調整が大変なんだよね」

 

 ――ん?

 ふと急に頭の中が整理されているような、不思議な感覚がした。

 

『猛暑日』

『高い湿度』

『疲労度の高い秘書艦』

『最近不機嫌な提督』

『晴れても大丈夫』

『今日はスリッパ』

『複数人でローテーション』

『装備』

 

 あと二つピースが足りない。

 

「立花提督、ちなみに装備って何を開発しようとしてたんだ?」

「えっと、流星と彩雲だね」

 

 ということは艦載機。

 開発で出る装備は、当然ながらその日の秘書艦によって可能性が変わる。艦載機ということは、つまり空母が秘書艦である可能性が高い。

 つまり。

 

「北上、もしかして例の話をしていたのって、瑞鶴か?」

「え、ああ、そういえばそうかも」

「なるほど、ついてきてくれ」

 

 早足で歩き出すと、不思議そうな顔をした北上と立花提督が付いて来た。

 

「どこに行くの?」

「工廠だ。……やっぱり最初に北上が言っていたことが正しかったんだ」

「え?」

「暑いからスリッパだったってことだよ」

 

 そう、最初に破棄した第一案。暑いからスリッパだった、ということだ。

 

「最初から間違ってたんだ。雨の方がいいんだからなんとなく屋外であるということを前提に話していたけど、これはおそらく屋内の話だ」

「屋内? でも屋内でスリッパを履く意味なんてなくない?」

「だから、暑いからだ。汗をかくから、スリッパの方がいいんだ。そしてそれは冷房もかけられない場所であると」

 

 簡単な話だ。最初から答えなんて出ていたようなもんだ。ただ、それを認識できていなかっただけで。

 

「つまり、工廠」

 

 足の向く先は、当然、工廠だ。

 

「立花提督、おそらく最近ずっと装備開発をしていたんだろう?」

「う、うん、そうだね。どうしても艦載機が足りなくて、瑞鶴ちゃんに工廠に行ってもらってたけど……」

「それで最近ピリピリしてたんだねー」 

 

 北上が、なるほどと言わんばかりに頷く。それに対し、不機嫌であったことがバレバレだったのが申し訳ないというかのように、立花提督は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

「そして工廠は当然開発を行っているから暑いし、あそこは冷房なんてかけられないだろう。それでも開発を行うのだから、せめてもとスリッパを履いた」

「あ、なるほど、ローテーションっていうのも、開発が日ごと別の人が行っていたからなのかな」

「そういうことだろう。それに、雨が降った方がいいような言い回しも、当然雨が降れば気温も少しは下がるだろうし、そういう意味だったんじゃないか」

 

『今日はスリッパなんだ、いいでしょ。これで晴れても大丈夫だね』

 

 細かく言い換えるとしたらこうだ。

 

『(工廠へ行くのに)いつもは靴を履いているけれど、今日はスリッパを履いている。(暑いから)できれば雨であってほしいし晴れてほしくないけれど、最悪晴れてもスリッパを履いていれば(暑さはまぎれるから)問題ない。そして、雨であれば(そんなに暑くならないから)靴でもよかった』

 

 そんな感じになるだろうか。

 

「それでなんだけど、一つどうしても気になることがあるんだ」

「どうしたの? これで完全に解決だよね?」

「ああ、解釈はこれで正解だ。ただ、念のため、だ」

 

 先程も使った『念のため』。

 この言葉のおかげで暁のもとへ駆けつけられた実績があるが、今日に限ってはある意味曰くつきの言葉だ。

 当然、北上の顔に真剣みが帯びる。

 工廠へ向かう足も、徐々に早足よりもスピードが上がっていた。

 

「いくつか条件が揃ってしまっていてね。猛暑日、一番暑い14時という時間帯、高い湿度、雲が晴れて急激に上がった気温と熱、海からの照り返し、開発という熱作業の近くでしかも熱が逃げにくい屋内、そして瑞鶴本人の疲労」

「もしかして……」

「これらすべて、熱中症の要因だ」

 

 最後にはほぼ走るようにしてたどり着いた工廠に駆け込むと、妖精さんがわらわらと集まっていた。そして、その中心に、瑞鶴が倒れていた。

 

「瑞鶴!」

「瑞鶴ちゃん!?」

 

 嫌な予感っていうのは当たってほしくないときに限って当たるんだよな!

 駆け寄ると、工廠内の熱気が押し寄せてくるようだった。こんなところにいたら、すぐに茹だってしまいそうだ。

 瑞鶴の意識はあるが、呼吸がやっとで話すことは難しいようだった。しかし、よく見ると妖精さんがうちわで必死に煽いでくれているのが分かった。

 

「北上! 先に行っててくれ!」

「了解!」

 

 瑞鶴に声を掛けていた北上が跳ね起き、そのまま全速力で出て行った。おそらくそのまま入渠施設に行ったはずだ。

 そんな瑞鶴のそばでは立花提督が応急処置をしている。呼吸の確認と、袴の胸元を大きく開いて通気をよくしていた。あと背中をごそごそしていたから、下着のホックも外したのだろう。

 

「行こう、立花提督。その方が早い」

「ちょっと待って。よし、これで多少熱は発散するはず」

 

 服のことを言っているのだろう。そちらはあまり見ないようにして、瑞鶴を自分の背にのせる。やはり、体に熱がたまっているのか、火傷しそうなほどの熱と汗をかいていた。

 まだ汗を掛けるだけ水分が体に残っているのは、不幸中の幸いかもしれない。

 

「ありがとう妖精さん、うちわ助かった。また今度お礼に来るよ」

 

 そういうと、瑞鶴を心配そうにしながらも音の出るような敬礼をしてくれた。素早く返礼し、立花提督と共に工廠を飛び出す。

 

「立花提督は自分の前を走ってくれないか。先導を頼む」

「おっけー!」

「すまない、助かる」

 

 必要ないかもしれないが、先導として道を開ける役をお願いする。

 そうして走っていると、背中の瑞鶴が少し動いたような気がした。

 

「けん、ぺ、さ……」

「ああ、自分だ。もうすぐ入渠施設につくから、ちょっとの間だけ我慢してくれ」

「わたし……汗臭いから……おろ、して……」

 

 女子か。女子だわ。

 分からないではないが、承服しかねるなぁ。

 

「大丈夫、いい匂いだよ」

「へん、たいぃ……」

 

 ……………対応間違えた。

 先導しているはずの提督もすごい形相でこちらを見ている。

 そんな感じで急に精神が病みかけた自分の目に、先程と同じように大きく手を振る北上と、どこか呆れるような大井が見えた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 結果的に瑞鶴も暁も特に異常なく、快方に向かっているようだ。二人とも高速修復材を使ったそうだが、暁はいいにしても瑞鶴は何日か療養するとのこと。とはいえ、流石に暁も次の日は休みにされていたが。

 本人曰く、

 

「私は大丈夫って言ってるのに、みんな心配しすぎなのよ!」

 

 とのことだが、響以下3人の妹から泣きつかれては、抵抗も出来なかっただろう。あの時冷静に見えた響でさえそうだったのだから、暁も諦めるよりほかない。

 そして瑞鶴だが、その後見舞いに行ったら顔を真っ赤にして追い出された。まあ、そうなるだろうな。

 ぶっ倒れてるわおんぶされるわ汗でぐちゃぐちゃになってるわ服も緩められてなんなら上の下着のホックも外されて、あまついい匂いとか言う変態がいたら、そうなるわ。それに関してはただただ申し訳ないわ。

 しかし、丸一日あとくらいに会いに来てくれて、感謝の言葉は受け取った。

 その際に、

 

「……あの、これがお礼になるか分からないんだけど……また汗かいたら抱き着いた方が……いい……?」

 

 と言われた。

 ぶっちゃけ刹那だけ迷ったが、自分はそういった類の変態ではないし、またそういう精神的負担を強いるために助けたわけではないと説明し、丁寧にお断りした。

 ……が、それから時折訓練や任務終わりの瑞鶴が近くに来るようになった。果たしてこれは何を意味するのか。

 立花提督に関しても、瑞鶴の疲労に気付けなかったことを自戒し、きちんとしたローテーションと健康管理を徹底すると言っていた。ちなみに艦載機だが、その後無事開発されたようだ。

 また瑞鶴に対する発言に関しても、

 

「まぁ、趣味嗜好は人それぞれだからね……そもそも小林さんは感覚バグってるし……大丈夫だよ……」

 

 と、私理解ありますよアピールをされた。いや、必要ないから。

 大井はというと、あのすぐ後に感謝を述べると、

 

「や、私は北上さんとほかの子のために動いただけですし、あんたのためじゃないわよ。……でもそうね、それでも感謝したいというなら、またコーヒーでも頂きに行くわ」

 

 と言って颯爽と去って行った。なんだあのいい女。

 ――そして、全ての渦中にいた自分と北上はというと。

 

「けんぺーさぁん……」

「なんだ」

「それたのしい?」

「だから、楽しい楽しくないでするものじゃないんだよ」

 

 再び憲兵居室でまったりしていた。

 あの日聞いたことをほぼそのまま言ってくる北上に、ほぼそのままのことを返す。

 当然、自分はパソコンで報告書を作っていて、北上は対面で机にほっぺたをつけたままどろりと溶けている。こやつもしや軟体生物なのでは。

 

「なんか、ずいぶん前のような気がするねぇ」

「ん? クラゲやら瑞鶴やらの日か」

「そー。まだ一週間くらいしかたってないのに、濃い一日だったせいで時間の感覚がおかしくなっちゃうよ」

 

 確かになぁ。あの日もこんな感じだっただろうか。

 そう、暇になった北上がこう言い出すのだ。

 

「ねー、憲兵さん、休憩しない?」

「どうした急に」

「暇」

「自由か」

 

 そう言って、仕方ないなと思いながらお茶でも入れようかと立ち上がった瞬間、北上がこちらを見ているのに気付いた。

 しばし見つめ合う。

 そして、北上がにやりと笑った。

 

「さっき誰かが言ってたんだけど、あれなんだったんだろう」

 

 ……あの時自分はなんと言って返したか。

 そう、確かこんな感じだ。

 

「ほう、何か変な事でも言っていたのか?」

 

 それを聞いた北上は笑みを深くして、こう言った。

 

「『今日はナタにしましょう。硬いのがあったし、まだ間に合うかな』」

 

 ナタ? 伐採でもするのか? そもそもナタは硬いだろうし、間に合うってことはどこかに行くのか?

 そんなことを考えながら思案する自分を見て、北上が提案した。

 

「今日の休憩は、これを推察することにしない?」

「……」

 

 してやったりな顔の北上に、毒気を抜かれたようにため息をつく。

 

「分かった、そうしよう。……さて、まずは文章を分解してみようか」




くっそ長くなって申し訳ない。

米澤穂信氏リスペクト。さらに言うならH・ケメルマン氏リスペクト。
いわゆる「九マイルは遠すぎる」という小説があり、これは安楽椅子探偵の代表作とまで言われています。
氷菓(もしくは古典部シリーズ)の短編の一つ「心あたりのあるものは」と同じ構成です。

結論としては、くっそむずい。私ではまだ文章力と構成力が到底足りない。
ので、まあ関係性だけでも楽しんでいただければ幸いです。

あと最後の一文は、分かる人には分かると思いますが、かなりマニアですね。ナタで硬いのはヤバいです。

それではまた次回。

※この辺にアンケートがあると思いますが、その他の提案があればメッセージなどでお願いします。感想で書いてしまうと違反になってしまうので。


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025 - 大和と釣り

「憲兵さん、お疲れ様です」

 

 残暑厳しい時期になるこの鎮守府では、そろそろ9月9日をむかえ、重陽、つまりは菊の節句となる。

 その日を迎えるにあたって個人的に鎮守府の入り口で色々と手配をしていた自分の後ろから声を掛けてきたのは、大和だった。

 

「おや、大和じゃないか、お疲れ様。どうかしたのか?」

「いえ、憲兵さんが見えたので来ちゃいました。これはなんです?」

 

 ここは鎮守府の門があるところで、憲兵居室の隣だ。そこに、先程業者が置いて行った箱が二つほどある。

 

「もうすぐ重陽だろう。日本酒と食用菊を手配していて、今届いたところだ」

「あ、そういえばそうですね」

 

 ぽんと手を叩いて納得する大和。すらりと背が高い大和が、たまにちょっと幼い動作をするのがわりと好きだ。

 

「しかし、よく重陽など知っていましたね。最近では雛祭りとか七夕くらいしか節句行事はしないのに」

「子供のころはわりと年寄りと交流する機会が多くてね。友達のように接していたから、こういう古臭い知識が常識だと思ってたよ」

 

 古臭い、とはいっても大事な行事である。

 3月3日の雛祭り、5月5日の端午、7月7日の七夕、と祝ってるんだから、1月7日と9月9日も祝ってやれよと思うわけだ。いわゆる五節句と言われるのがこれらだ。

 

「なるほどそうでしたか。それでこの荷物はどちらへ?」

「これは個人的なものだからね。居室の冷蔵庫にでも入れておくよ」

「私も手伝います!」

 

 ふんす、と聞こえてきそうなほどに気合を入れる大和。かわいいなぁ。

 

「じゃあお願い出来るかな。そっちの小さい方持ってくれるかい?」

「はい。あ、軽いですね」

「そっちは菊の花が入っているだけだからね」

 

 そして、もう一つには日本酒の一升瓶が入っている。そんなに呑む方ではないが、この大きさしか手に入らなかったのだ。

 最悪呑めなかった分は料理酒として使えるしな。……まぁ随分高い料理酒になってしまうが。

 

「どうぞ入ってくれ。大和は初めてだったかな」

「はい、そうですね、……そうですね? ………そうですねぇ!?」

 

 え、なんなのこわい。

 靴を脱ぐ瞬間で時間が止まったかのようにピタリと固まる大和。よく見ると首から上が徐々に赤らんでいくのが分かった。

 ……まぁ自意識過剰でなければ男の部屋に入るのが恥ずかしいってことなんだろうな。最近北上やら大井やら、あと不知火もちょくちょく来ているので、頭からすっぽ抜けていた。普通は、ちょっとデリカシーに欠ける行動だったかもしれない。

 そういえば時の止まる場所っていう都市伝説があったなぁと思い出しながら、ひょひょいと中に入り日本酒を冷蔵庫に入れ、戻ってきてすでに大和の手の上に置いてあるだけになっている食用菊を持ち上げこれも冷蔵庫に入れる。

 戻ってきても、未だ時間停止は解けず。

 

「おーい大和。生きてるか?」

「っはい! 大和生きてます!」

 

 生存確認よし。

 

「落ち着いた?」

「あの、はい、すみません……」

「ところでこの後何か用事はあるか?」

「いえ、特には……。何かあるのでしたらお手伝いしましょうか?」

 

 お手伝いというか……、まぁお手伝いか。

 少し迷ったが、とりあえず提案だけしてみよう。

 

「今から釣りに行くんだけど、大和も来るか?」

「はい? 釣り?」

「釣り。フィッシングだな。ちなみにルアーじゃなくてサビキ」

 

 ルアーはいわゆる疑似餌のことで、バス釣りとかでよく見るやつだ。

 サビキはよく見るけどなぜか案外名前が知られていない。釣糸の先に針が何個も付いていて、先端に付いた小さい籠には餌、大体はアミエビを詰めて海に落とす。そして糸を上下に動かして魚をおびき寄せて釣る方法だ。

 自分は昔からサビキ釣りしかしたことが無いため、いまいちルアー釣りの仕方が分からない。

 

「……いいでしょう、その挑戦受け取りました」

「いや、挑戦とかでは」

「大和ホテルの名が伊達ではないことを証明いたしましょう!」

「何の関係が?」

「用意してきます!」

「聞いてよ人の話」

 

 言うが早いか猛ダッシュで遠ざかる美女。なんだこれ。人の話聞いてよ。あと大和ホテルはたぶんどっかに実在しそうだから危ない言動は控えて控えて。

 無意識で中途半端に上げた右手に気付き、複雑な心境のまま下ろす。

 とりあえず来るってことでいいのかな。用意するとは言ったが、果たしてどこまで持って来るのだろうか。釣り竿だけだろうか。それともサビキ釣りの針も持ってたりするのだろうか。クーラーボックスや、場合によってはチェアもいるかもしれない。

 はてさて、大変興味深いところだ。

 なんてことをしばらくつらつら考えていると、再び猛ダッシュで走ってくる影が。いい笑顔で、なんかもう背中にぶんぶん振られる尻尾が見えそうだ。

 

「憲兵さーん! 持ってきましたよ!」

「……うん、それは何だ?」

「お弁当です!」

 

 大和ホテルの名は伊達ではなかったようだ。

 確かに釣り具の準備をするとは一言も言っていない。そして、確かにそろそろ昼時だ。というか、なぜこの短時間でお弁当が準備できるのか。

 そしてお弁当と表現しているが、これは重箱というんだよ大和さん。

 

「早かったねぇ。でもどうやってこんな短時間で重箱を?」

「ああ、それは先程まで料理の勉強で食堂にいたのです。でも作りすぎちゃって、お昼に加賀さんあたりに食べてもらおうと思ってたんですよ」

 

 私も当然それなりに出来るのですが、やはり本職の人にはかないませんね。

 そうはにかみながら大和は言っていたが、その本職の人って鳳翔さんだろ。鳳翔さんの本職は一応航空母艦だぞ。

 

「それじゃあとりあえず行こうか」

 

 大和の重箱を食べられなかった加賀よ、強く生きてくれ。

 などと心の中で黙祷を捧げながら、釣り具を準備する。あらかたまとめて置いてあるので、2人分とはいえ、1分ほどで準備は終わった。

 ちなみに、サビキに使う餌は朝早くに町に行って買ってきた。というか、町からちょっとだけ鎮守府方向に行ったところに釣具屋がある。

 

「どこまで行くんですか?」

「演習場に行く途中のとこかな。ルアーみたいに浅くても出来るものじゃないから、突堤で釣ろうか」

「了解です」

 

 そこまで遠い場所ではない。15分も歩けば到着し、折りたたみの椅子を2脚用意する。

 大和が釣り具の準備をしてくれているので、一緒になって準備をする。

 

「なんというか、懐かしいです」

「懐かしい?」

「単純に鎮守府で釣りをした経験がずっと前だってこともありますが、私が戦艦として人を乗せていた頃に、みなさんが甲板から釣りをしてたなぁって思いまして」

「ああ、なるほどな」

 

 艦娘にも色々と記憶の差異がある。全部覚えているという子もいるし、全く覚えていないという子もいる。夕立なんかはわりと鮮明に覚えているし、五月雨は一部忘れているみたいだ。……まぁ五月雨は第三次ソロモン海戦で比叡に誤射しまくって、恥ずかしいのと申し訳なさからなのかもしれないが。

 特に何を言うわけでもなく黙々と準備は進み、最後に大和が餌かごにアミエビを入れて完了となった。

 

「サビキはやったことある?」

「はい、大丈夫ですよ」

 

 それならいいかと見ていると、ゆっくり海に沈めて、糸を上下に動かしていた。問題ないようだ。

 それを確認して、自分も同じように海に沈ませる。

 今日もいい天気だ。海も空も青い。

 昔は海も空も一緒のもので、だから青いのだと思っていた。ただ、今になって不思議が不思議じゃなくなったこの時代において、改めてその青さというのは海も空も一緒なんだなぁと思う。

 真実は純粋な子供の目に映る、というのはあながち間違いではないのかもしれない。

 

 ――いつの間にか昼をむかえ、大和ホテルの重箱弁当を食べた。

 大変美味だった。これでまだ鳳翔さんに勝てないとかどうなってるんだ。

 そして再度釣りに戻ったが、これがなかなか釣れない。たぶん潮が引いて同時に魚もいなくなってしまっているようだ。タイミングが良ければアジなんかがいくらでも獲れるんだがなぁ。

 そんなことを考えながら大和とだらだらと会話を続ける。

 

「いい天気ですね」

 

 そんな中、ふと大和がそんな言葉を漏らした。

 

「もうあまり覚えてはいませんが、私が沈んだ日もこんな日だったらいいのになって思います」

「どうしたんだ急に」

「いえ、ちょっと菊を見ると思い出してしまうんですよね……。私にとってその花は象徴ですから」

 

 菊……というよりは菊紋、十六葉八重表菊のことだろう。菊花紋章とは、当然のことながら天皇を表す紋章である。当然、大和の艦首にもその紋章があったはずだ。

 それに、大和と菊といえばもう一つ思い出されることがある。

 

「すみません、なんだかちょっとセンチメンタルというか、感傷に浸ってしまいました」

「……いや、構わないよ。人間にしてみたら一度死ぬ体験をしているんだ。そう簡単に割り切れるものではないさ」

 

 結局轟沈表現が艦娘にどう干渉するのかというと、やはり死ぬという表現が一番正しいようだ。

 なので、轟沈する瞬間を覚えていなかったり、小破であっても極端に怯える子もいるらしい。逆にごく少数ではあるが死を恐れなくなる子もいるそうで、立花提督が頭を抱えていた。

 

「魚、釣れませんね」

「そうだなぁ」

 

 正直一人なら別に釣れなくてもいいと思っている。こうして太公望の真似事をして、つらつらとどうでもいいことを考えるのもわりと嫌いではないからだ。だが、人がいる時は釣れた方が当然面白い。

 ……と、思っていたわけだが。どうも大和と一緒に釣りをするというのは、あまりそういうことを気にしなくて済むような気がする。

 それはきっと、大和が楽しそうにしているからだろう。

 

「そういえば憲兵さん」

「なんだい?」

「雑談ついでにひとつ」

 

 なんだろう。

 

「私が沈んだ作戦をご存知ですか?」

 

 割と重い話ぶっこんできたな。

 

「……確か天一号作戦……えっと、1945年の4月だったか?」

「あ、すごい。よくご存知ですね」

「さすがに有名だからなぁ」

 

 世界一の戦艦と呼ばれた大和の、運命の作戦だ。ちょっとミリタリーに明るい人ならば、誰でも知っているような作戦だと思う。

 

「そう、天号作戦。その一号ですね。もっと言えばのちに坊ノ岬沖海戦と呼ばれるものでしょうか。あの辺はもうみなさんてんやわんやだったので、何をやってるのか私もよく分からなかったんですよね」

「確か天一号作戦と菊水作戦がごっちゃになってたよな」

「あ、そうですそうです。菊水作戦かなと思ってたら違ってたんですよー」

 

 まぁ今でもよく分からないんですけどね、と大和は笑った。

 菊、と聞いてもう一つ思い出したのが菊水作戦だ。

 天号作戦とは、沖縄以南に対する航空戦力を主力とした総力戦である。大和はこれに参加していた矢先に、沖縄に対する米軍の侵攻があり、急遽沖縄本島に特攻し固定砲台として運用されるはずだった。その途中、坊ノ岬沖にて接敵し、……といった感じだ。

 対して菊水作戦は同時期に発令されたが、海戦を想定したものではない。あれは沖縄に襲来した米軍に対する特攻も含めた航空攻撃だ。

 沖縄への特攻という部分が交叉していたため、混同されがちというわけである。

 

「随分懐かしい話だな」

「そうですね……。菊といえば、そういうこともあったなぁと思い出してしまうんですよねぇ」

 

 ちらりと横目で大和を見る。

 暗い顔をしているかと思いきや、ただの世間話であったようなのんびりとした顔だった。おそらく大和にとってはすでに過去の話となっているのだろう。心の整理がついた、とでもいうのか。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど、少なくとも今の大和の顔を見れば、ある程度の答えは出たようなものだろう。

 

「戦争だったんだよな」

「はい」

「今とは生きる感覚が違いすぎるな」

「そうでしょうね」

 

 今だって深海棲艦との戦争中であることに変わりはない。しかし、一度平和となった国の感覚はそうそう変えられないものだ。

 今ここで、大変だったな、辛かったよな、と言うのは簡単だ。だが、どうも実体験を伴わない言葉は薄っぺらくなってしまう気がする。分かったような口をきくんじゃねぇ、といったところか。……きっと大和はそんなことは言わないだろうけど。

 

「何でまたそんな話を?」

「んー、特に意味はないです」

「そっか」

「はい。……やっぱり生きるって素敵ですねぇ、という話です」

 

 その言葉に、どれだけの思いが詰め込まれているかなんて、推し量れるようなものでもないだろう。

 

「こうして憲兵さんと釣りもできますし。今は結構幸せなんですよ」

 

 そう思ってくれているなら重畳だ。みんながみんな幸せに、なんて夢物語かもしれないが、手の届く範囲、目の届くところでは、幸せであってほしいと願うことは傲慢だろうか。

 まぁ、傲慢であってもいいか。多少傲慢であった方が、人生も実りのいいものになるだろう。

 

「楽しいかい、大和」

「ええ、特に憲兵さんが来てからとても楽しいですよ」

 

 ずいぶんとまぁ楽しそうで、なによりだよ。

 しかし、戦艦大和の一連の流れは有名どころだからこそ知っていたから良かったが、当然知らない子の方が断然多い。夕立や綾波は知っているし、響や雪風なんかも有名だ。だが、例えば鈴谷はどうだったかといえば、正直ほとんど知らない。

 これは一から勉強し直した方がいいかもなぁ。確か艦ごとの一生というのは、提督になるにあたっては必須な教養だが、憲兵は必須ではないんだよな。でもこれからも何人もの艦娘と交流があるんだろうから、詳しくじゃなくてもある程度は知っておくべきなのだろう。

 

「……あ、憲兵さん」

「ん? どうした?」

「私の糸、引いてるかもです……」

「え、なんでそんなに落ち着いてるんだ。引き上げろ引き上げろ」

「あの、引いてるんですけど、根掛かりしてるみたいで」

「サビキで地球釣るやつ初めて見たな……」

 

 なんとか竿をあおったりあっちこっち方向変えながら引っ張ってようやく取れたころには、わりと自分のバケツにアジやカワハギが何匹も入っていた。というのも、根掛かりを外している間に竿を置きっぱなしにしていたら、それが良かったのかわりと食うのだ。食ったからには引っ張り上げて魚をバケツに移し、一応餌を補充して仕掛けを下ろす。すると、何分もたたないうちにまた食って、それが繰り返されていた。

 最終的に、自分の竿を大和が慌てふためきながら巻き上げ、大和の竿の根掛かりを自分が外すという、なんとも奇妙な光景がそこにはあった。

 

「あの、なんかすみませんでした……私ばかり釣ってたみたいで……」

「いや、別に構わないよ。魚に怯える大和も面白かったしね」

「……ふんっ」

 

 拗ねたふりをする大和はいつもより幼く見えた。

 あまりの変わりっぷりに、自然と笑みがこぼれる。

 

「さて、もういい時間だし晩飯はこれを刺身にするか」

「お刺身いいですね!」

「……食べるか?」

「もちろん!」

 

 釣ったら食べるまでが礼儀ですよ!とドヤ顔で言われたので、片付けたら戻って捌くとしよう。残ったのは三枚おろしか開きにして冷凍しておけばいい。

 でも、とりあえず絶対にしなければならないものがある。

 

「日本酒があるのだから、刺身、それとなめろうは絶対にするぞ」

「……好きなんです?」

「好きだ」

 

 言ってすぐに、そこだけ切り取れば大和に向けて好きだと言ったような状況だなと思い、ばれないように横目で見る。

 

「……」

「……」

 

 目が合った。

 大和の顔の色にはあえて気付かないふりをして、とりあえず釣り具の片付けを急ごう。

 ……集中していないと、なんだか大和の赤面症がうつりそうだ。




オヒサシブリデス。

①を書いて途中から書けなくなって、②を書いて以下略、③を以下略、そして時間をおいて①を再度見直して加筆修正してやっと投稿まで漕ぎ着けました。
書けなくなったら全く書けないのやめてほしい。

それと、設定上ちょっと前から思っていたことがあって、美醜逆転の定義ですが、いわゆる美しさには黄金比があって(たとえば生え際から眉、眉から鼻下、鼻下から顎が、1:1:1)、これに近ければ近いほど科学的に美しいとされています。
しかしこの世界では、その黄金比が理解しがたい別のバランスで成り立っている、という設定で行きます。
なので、美醜と清潔不潔は関係ないとした方が、まぁよいとしましょう。じゃないと深海棲艦より先に病気で人類滅亡しそうですし。

以上でございました。
あと前回の最後のアレはナタマメではないし、推理できるようにも作られていない大変不親切なものなので、気にしなくて大丈夫です。いつか書くかもしれませんが。あれが分かったらたぶん超能力者。

それではまた。


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026 - ひとつ花をもたせて

 大和が寝た。

 いや、これといっていかがわしいことは悲しいかな全くなかった。

 というのも、釣りから帰ってきて、じゃあ晩飯は自分が作ってやるぜやったね私お刺身大好きー!(意訳)となったはいいが、まずもって自分の居室で作ったものだから大和がガチガチに緊張していた。だって食堂で作ったらまた大人数で押しかけられそうで……自分の分がなくなりそうで……。

 というわけで刺身となめろう、それとどうせなので昆布締めを作って、日本酒と一緒に出したのだが、するとどうだろう。大和はおいしいおいしいと繰り返しながら食べて飲んで、緊張もあったのだろうがすぐにぶっ倒れた。チェイサーも挟まずに飲んでたからなぁ。

 自分の寝室の隣にあるけど使っていない一室に布団を敷き、そこに寝かせてやった。寝苦しそうだったので仕方なく、本当に仕方なく首元だけ緩めて、一応キラキラが口から溢れてきた時を考慮して横向きに寝かせて回復体位を取らせておいた。

 しかしこの居室は何のために2LDKなのだろう。以前は2名体制だったりしたのだろうか。……まぁこうして今便利に使わせてもらってるから、なんの文句もないのだけれど。

 

「さて、どうしようか……」

 

 ようやく一息ついたころには、もう22時といったところだった。大和に関してはもう面倒なのでそこに寝かせておくとして、自分が同じ空間にいるのがちょっとためらわれる。

 であれば、少し行儀は悪いが夜風に当たりながら一杯といこうじゃないか。

 日本酒の瓶とお猪口、それと残っていた酒のアテを持ち出して玄関の扉を開ける。

 

「およ?」

「ん?」

 

 開いた先に、今まさにチャイムを鳴らそうとしている鈴谷がいた。

 

「あ、ちわっす憲兵さん。おばんです。珍しいカッコしてるねぇ」

「……こんばんは、鈴谷。どうかしたのかい?」

「や、ちょっちオハナシしたいなーって」

「ああ、構わな――、い、んだけど、とりあえず場所を変えようか」

「んー?」

 

 ひょこっ、と鈴谷が首を傾げて開いた扉から中を覗くと、さらりと指通りのよさそうな髪がなびく。むむむ、と唸ってから半目になってこちらを見上げてきた。

 

「誰かいるの?」

「……なぜそう思う」

「行ったらわりと中に入れてくれるって噂になってるんだよね」

「聞きようによってはとても悪い噂だなそれ」

「誰が中にいるか当ててあげようか」

「……いや、結構だ」

「たぶん大和じゃない?」

 

 なんでバレた。

 

「いや、昼前から二人で釣りしてたのはみんな知ってるし、そのあと二人とも食堂に来なかったら、……まぁなんとなく」

 

 なんというか、推理にもならない分かりきった事実だった。

 

「……正解だよ」

「やったぜ。で、中で何してるの?」

 

 鈴谷がニヤニヤしながら聞いて来るので、簡潔に答えた。

 

「酔って寝てる」

「……ホントに何してるの」

 

 真顔になった。

 やむにやまれぬ事情があるのだ。……いや特になかったわ。

 

「……まぁ、なに? 飲み過ぎたとかそんな感じなの?」

「……そうだな。大和の沽券に関わるからあまり吹聴して欲しくはないが、随分と緊張していたみたいで、ペース配分を間違えたようだ」

「ははぁん、憲兵さんが飲ませたわけじゃないんだよね?」

「どちらかといえば自分は止めてたし、チェイサーも渡してたんだが、……申し訳ない」

 

 うーん、と鈴谷は腕を組み唸っていたが、最終的にさっぱりした顔で「ま、いいか」と呟いた。

 

「さ、憲兵さん、どこで飲む?」

「どこかいい場所はあるか?」

「んー……、海岸でも行く?」

 

 カモン憲兵さん!と言って走っていく鈴谷を、一瞬ためらうが追いかけることにした。ただし戸締りとグランドシートは忘れないように。

 ちなみになぜテントの下に敷くためのグランドシートがあるのかというと、……興味半分で買ったはいいが、使わなかったという残念な代物である。ちなみに肝心のテント本体は買っていない。ただし寝袋はある。マミー型のやつ。

 

「憲兵さーん、この辺でいい?」

 

 先を走っていた鈴谷が、波打ち際で両手を挙げていた。

 

「もう少しだけ上に行こう。波が寄せてきたら濡れそうだしな」

「濡れるだなんて……やらしっ」

「頭の中どうなってるんだ……」

 

 適当に場所を選んで、ばさりとグランドシートを敷くと、待ってましたとばかりに鈴谷が靴を脱いで上がり込む。

 なんだかこの状況がちょっとおかしく思えて笑えてきた。自分もちょっと酔いが回っているのかもしれない。

 

「よいしょっと」

 

 さて、と一息つくと、ふと忘れていた夜風と潮騒が心地よく体を包むようだった。この瞬間は鈴谷も静かになって、目を瞑り、耳を澄ませていた。

 波の弾ける音と砂の擦れる音。それだけが世界に溢れていた。

 

「ありがとう鈴谷」

「んー?」

「なるほど、ここはいい場所だ」

 

 鈴谷は一瞬だけきょとんとしたが、すぐににっこりと笑った。

 

「でしょ?」

 

 いひひと笑う鈴谷可愛い。

 

「さーて憲兵さん、今日のお酒は?」

「日本酒だね。銘柄はいるかい?」

「わかんないからいいや」

「だと思ったよ」

 

 お猪口に酒を注ぎ、鈴谷に渡そうと手を伸ばしたところで、ぴたりと止まる。

 良く考えると、これは大丈夫なんだろうか。

 

「どしたの?」

「いや、鈴谷。見た目は女子高生くらいなのだけど、酒は飲んでも法律的に問題ないのか?」

「ああそういうこと。それなら大丈夫だよー。犯罪の成立要件における『行為』に該当しないからねー」

 

 ……ああ、なるほど。艦娘は人ではないから犯罪ではないと。

 少し考えてから思い出した、犯罪の成立要件。

 犯罪とは、構成要件に該当する違法で有責な行為であるとされているが、行為というのは行った主体を言うもので、つまりは人の行為であるかどうかが成立要件の一つだ。

 要するに、犬に噛まれたから傷害罪なのか、台風でガラスが割れたから器物損壊なのか、といった意味だ。普通は犬や台風に罰を与えることはない。ただし、犬に飼い主がいた場合はその人に過失傷害罪として罰せられたりはするが。

 

「艦娘だから犯罪にはならないと」

「そゆこと」

 

 まぁお酒に関してはねーと言いながら自分の手からお猪口を摘み上げ、くいっと口に入れた。

 そして咳き込んだ。

 

「……一応日本酒だから度数はそれなりだけど、だとしても普通そうは飲まないからな?」

「ぇほっ、ぇほっ、先に言ってよ……」

「たぶんっていうか確信なんだけど、あまり酒飲んだことないのか」

「提督に禁止されてるからねー」

 

 ……おい。法律の方も気になったが、こっちの方が気になるのだけれど。自分に実害が出てくるのでは?

 

「ふーん、なんだろ。アルコール臭がすごい」

「……まぁ初めてだったらそうなるだろうな。また今度美味しいやつ取り寄せておくよ」

「甘いやつがいな~」

「日本酒で甘いやつ……? そうだなぁ、生原酒とかだったら自然と甘いし微発泡だから美味しいと思うよ」

「微発泡……? 日本酒が……?」

 

 なんでそんな怪訝そうな顔してるんだ。おいしいんだぞ。最近は炭酸日本酒はわりとあるし、売れてるんだぞ。

 とはいえ、おそらく鈴谷はお神酒とかの日本酒を想像しているんだろう。わりと日本酒も奥深いもので、ちゃんと成分を見て買わないとアルコール臭が強すぎとか、甘すぎとか辛すぎとか度数高すぎになったりするので、気を付けないといけない。きっと精米歩合とか言われても分からないだろう。

 日本酒はだいたい精米歩合が低くて、ラベルに純米という文字が書いてあって、酒度が+3とかのを選んでおけばほぼ間違いがない。あとは慣れたらお好みで変わっていくのだろうけど。

 

「飲んだことがないならあまり無理するんじゃないぞ」

「んー、でもなんか美味しくなってきた。アルコール臭もそんなに気にならなくなってきたし、ほのかに甘い?」

「おお、それが分かれば美味しく飲めるだろ。ゆっくり味わって飲むといい」

 

 ちょっとわかってくれたのが嬉しくなって笑うと、なぜか鈴谷が再び怪訝な顔で、今度は覗き込んできた。

 ……なんだね。そんな可愛い顔してもおつまみくらいしか出んぞ。

 

「憲兵さんって、わりと酒飲みなの?」

「いや、どちらかといえば飲めない方だよ。酒は好きだけれど、分解が追いつかないから量は飲めないって感じだね」

「へぇー」

 

 そう言って、鈴谷はちびちびと舐めるように日本酒を飲み始めた。それを横目に見て、自分のお猪口を取り出して、手酌する。

 ん、うまい。

 また時期が来たら菊酒をするものではあるが、このままでも当然完成したものなので、大変に美味である。余は満足じゃ。

 そして、おつまみにと持ってきたなめろう。なめろうとは、確か千葉発祥の郷土料理だ。鰯や鯵などの青魚と、味噌、そして薬味として葱・茗荷・生姜などを入れて、包丁でまとめて微塵切りにする。

 これが日本酒に大変合うのだ。魚料理はだいたい日本酒が合うのだが、これは格別に美味い。ちなみに自分は、魚はちょっと食感が残っているくらいのぶつ切りが好きだ。

 

「あ、なめろうじゃん。私も食べるー」

「どうぞ」

「そういえば私は生まれが横須賀なんだけど、すぐ隣だねぇ」

 

 ……まぁそう言えなくもないか。東京湾渡ればすぐだし、海ほたるを通れば陸路でも近い。

 

「そういえばさ」

 

 ふと、空気が変わるような感覚がして横を見れば、鈴谷は膝を抱えるようにして、海を見つめていた。

 ……ふむ。たぶんこれが本題かな。

 

「最近憲兵さんはあっちこっちで女の子を泣かせてるみたいだけど」

「言い方言い方」

 

 真剣に聞いてるんだから、ちょっとギャグ寄りにするのやめてくれません?

 

「どんな話をしたのかまでは分からないけどさ、きっといい方向に向かってるんだと思う。そこでちょっと私の悩みも聞いてほしいんだけど、どう?」

「どうって言われてもな……。出来るだけ力になってやりたいが、具体的にはどうしてほしいんだい?」

「私の処女を」

「まってまってまって」

 

 ……聞き間違いかな?

 …………聞き間違いだな。

 

「だってさー、一応沈む覚悟くらいしてるけど、この体で生まれてきたんだから一回はシてみたいじゃん?」

 

 あ、待たない系女子かお前。

 

「とはいえこんなナリだし、好いてくれる人なんかいるわけないし、かといって私だって誰でもいいわけないし。……そんなこと言ったらたぶん熊野に特製素敵ステッキでぶん殴られそうだし」

 

 鈴谷の貞操観念どうなってんだ。あと熊野の素敵ステッキってなんだ。お嬢だからステッキ持ってんのか? もしかして仕込み杖? マジで素敵じゃんそれ。

 

「そこで憲兵さんなんだけど、私の容姿を見ても気にしないし、ちゃんと会話してくれるし、性格だって悪くない、そしてこうして触れても嫌がらないでしょ?」

 

 そう言って鈴谷が肩にしなだれかかってくる。今まで気付かなかったが、ふわりと石鹸の香りがした。

 肩に置かれた掌から、鈴谷の体温が伝わってくる。

 

「ね、憲兵さん。イイコト、しよ?」

 

 早まる心音を宥め賺して、鈴谷を見ようとして、……やめた。

 心の中で深く、とても深く息を吐く。さっきまでのちょっと楽しい感情が一瞬にして冷えていくのを幻視した。

 ええ……嘘やろお前……。このちょっとうきうきした気持ちの置き場に困る。

 迷う。言っていいのか悪いのか。

 あまり突っ込まずになあなあで笑わせて終わる方がいいのか。それとも……。

 と、ここまで考えて、それも今さらかと思い直る。初日からやらかしたし、夕立の件でも色々と首を突っ込んでるんだ。それこそ今さら、何を恐がれというんだ。

 目は合わさない。

 一度だけ深呼吸をした。

 

「――何がしたいんだお前は」

「え?」

「震えてるじゃないか」

 

 触れてようやく分かった。鈴谷は、今までずっと緊張しっぱなしだった。

 だから酒を飲んだ。それを紛らわせるために。

 ……改めて、今度はちゃんと鈴谷を見る。間近で目が合ったことにビクリと肩を震わせ、その眼に怯えが混ざるのが分かり、なんとも言えない気分になる。

 そんな沈みきった気分のまま、自分は鈴谷を咎める一言を放った。

 

「お前さては――、自分を脅そうとしたね?」




最近ちょっとあべこべものが増えて来てる気がして嬉しい。みんなも是非書いてくれ。


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027 - 泥中に咲かせ

 今度こそはっきりとした反応を見せた。

 明らかな怯えと共に視線を身体ごと外し、顔を伏せる。

 

「そんなに自分が単純な男だと思ったかい? これくらいの男なら騙せるとでも?」

「そ、そんなこと!」

「なんてな」

 

 え。

 鈴谷から聞こえたのは、息が漏れただけの声だった。

 

「どこまで本気だったのかまでは分からないけどね」

 

 鈴谷はあっけにとられたまま微動だにしない。

 いやまぁ正直惜しいことをしたなぁとは思う。だってかわいいし。だが、やはり100%好意ではないっていうのは、どうしても気が進まない。

 きっと自分に対する好意はあるのだろう。ただ、なんとなくそれが純粋なものではないというのは、こうして面と向かって話せば分かってしまう。

 となればなぜこういうことをしたのか、ということだが、貞操観念ぶっ壊れてて食えそうな男なら誰でもいいぜ、みたいな感じだったら分かりやすかったのだろう。だが、大和を心配していた様子などを見ていると、どうもそれでは違和感が残る。

 となれば残るのは、推理とは呼べないほどの推理だが、おそらく自分をここに繋ぎとめようとしてのことなんだろうというのが一番可能性が高い。そしてそれは、先程のやりとりからも裏付けが取れた。

 そこまで買ってくれるというのは嬉しい話だが、対価が己の身体……しかも処女ってのはくっそ重いだろ。確かにそこまでされたら動けないわ。

 

「自分は今まで、君たちを守るんだという事を言葉や行動で示してきたつもりだったけど、鈴谷はきっとそれでは確信できなかったんだな」

「………」

 

 鈴谷は俯き、その髪に表情は隠れてしまった。

 

「……ごめんね」

 

 時間をかけて、鈴谷が絞り出した言葉だった。

 いろいろな感情を混ぜた、複雑な感情の色。

 潮騒は聞こえてくるのに、いつの間にかとても静かな場所にいるかのようだった。

 

「そこまでして自分をここに引き留めたいと思ってくれたこと自体は、実は結構嬉しいのだけど、どうしてこんな強引な手を使ったんだい?」

 

 そう尋ねると、鈴谷は俯いたままぽつりぽつりと話し出した。

 

「私ね、以前は別の鎮守府にいたんだけど、使えないからってここに送られたんだ」

 

 これは、ここにおいてはよく聞く話だ。

 別の場所で使えないからとここに送られた者、教練という建前の上で来た者、解体処分が決定してから提督が引き取った者。色々な環境で暮らしていた子がいる。

 この世界からしても、そう珍しいことではない。よくある悲劇の一つだ。

 よくあってしまう、悲劇だ。

 

「ここに来る時にね、ほとんど連行みたいな形で連れてこられたんだけど、途中の海上で深海棲艦が現れて、いきなりだったから私が出て応戦しようとしたの。でもその場には装備が無くて、何も出来る状態じゃなかった」

 

 深海棲艦は現れるスポットが決まっており、そこから編隊を組んで侵攻してくる。鈴谷が遭遇したのはいわゆるはぐれだろうが、そんな簡単に本島の近海まで来れるとは思えないし、おそらくどこかの鎮守府がサボった可能性が高い。

 これはこれでブラックさが滲み出ている。

 

「するとね、船に乗ってた人が私に戦えって言うんだ。装備がないから戦えないって言っても、なんとかしろの一点張りでね。私の事情なんかほっぽり出して、自分が助かろうとしかしなかった」

 

 なんで護衛がいなかったんだろうと一瞬思ったが、どうも近海においては安全が確保されているとして、ある程度の船の往来は認められていることを思い出した。それらにいちいち護衛を付けていられないのと同じく、きっと輸送だけの船にはそういうものが無かったのだろう。

 

「私、今でも忘れられないんだ、あの時言われた言葉」

「……なんて言われたんだ?」

「今まで我々に生かせてもらった恩を返せ」

 

 ……。

 言葉が出なかった。

 

「その時は別の艦娘が来てあっという間に勝ったんだけど、どうしてもあの時のことが忘れられなくて、人間不信になって、ここに来てからもずっと海には出なかった」

「……確かに、そういえば中ではよく見かけるが、海に出ているとことかは見たことが無いな」

「でしょー」

 

 鈴谷は少しだけ顔を覗かせ、笑った。

 

「でも私が体験したことなんてありふれた悲劇で、それより酷いことになってた子も何人だっている。最低な事を言うと、それが私の慰めになってたんだと思う」

 

 きっと、自分は鈴谷を責められない。

 心が壊れないようにするための、必要なものだったのだろうから。

 

「でもね、憲兵さんがやってきて、みんながちゃんと笑顔が出せるようになってきた。きっとそれはとてもいいこと。……でも、私が最初に憲兵さんに抱いた感情は、嫌悪だったね」

 

 ……面と向かって言われると心にくるものがあるな。

 

「ほんと、最初は憎くて憎くて仕方なかったんだよね」

 

 しかもきちんと丁寧に追い打ちしてくるあたり、重巡の粘り強さが窺い知れる。

 

「んで、結局自分の慰めが無くなったことに対するものだったんだろうけど、そんなの当然憲兵さんからしたら濡れ衣でしかないよね。でも思ったんだ、じゃあ逆にいなくなったらどうなるんだろうって。……たぶん鎮守府が壊れるんじゃないかな?」

「そんなこと……あるのか?」

「たぶんだけどね。結構みんなの心の奥まで潜り込んでることは自覚した方がいいよー」

 

 そう言われては、なんとも言い難い居心地の悪さを感じてしまう。

 なんとなくその場から逃げたい気持ちになったが、それを咎めるかのように、目に差す月明かりが一層輝いているような気がした。

 

「……それで、鈴谷は自分をここに繋ぎとめる錨になろうとしたと」

「うん。私はここが好きなんだ。だから、ここを守りたい。その手段の一つとして、私の身体くらい、いくらでも差し出せる」

「あほめ」

 

 あぁん?と鈴谷が睨め上げてくる。

 逆にこちらから睨みつけると、ビクリとして気まずそうな顔になった。

 

「その覚悟だけは評価しよう。だが、方法がまるで駄目だ」

「……だって、その方法しか思いつかなかったんだもん」

「たとえば立花提督に言ってみな。えぐい方法で逃げられなくすると思うよ」

「え、そう……?」

「やるとなったら、みんなでクーデター起こして鎮守府どころか日本解体するぞって上に脅しを掛けそうな気がする。ただ、もっと婉曲で丁寧な言い方だろうけど」

 

 ええ……、と鈴谷がドン引きしているが、立花提督はなんとなくそんな系統のことをしでかしそうな雰囲気がある。普段はおとなしいが、あの人もあの人で溜まった鬱憤は計り知れないはずだ。

 ちなみに、一番苛烈な方法を取るのは夕立じゃないかと思ってる。

 

「まぁそれは大袈裟にしても、やろうとすれば他にもありとあらゆる方法があるわけで、それに一番大事なことを忘れている」

「一番大事なこと?」

「そうだ。そもそも自分はどこかに行く気がないってことだ。それが命令であれば難しいかもしれないが……」

 

 たぶん命令が下されても、どうにかしてここに残りたいって思うんじゃないかな。

 自分はもうここの住人達を好ましく思っているから。

 

「憲兵さん」

「ん?」

「ここからいなくならないでね」

「ああ」

「きっといなくなったら、みんな前以上に心を閉ざしちゃう」

 

 少し笑ってしまう。

 それはほとんど脅しじゃないか。でも、そこまで思われていることが嬉しいと思う感情の方が上回っている。

 鈴谷は、まだちゃんと自分の立ち位置というのが理解できていないのだろう。きっとまだ一人で……独りで生きていると勘違いしている。

 

「結局な、鈴谷。足りなかったのは、相談っていう簡単なことだけなんだよ」

 

 報告連絡相談。

 上司部下の関係で生きている以上必要とされるものだが、それ以上に横の繋がりでも当然大切なことだ。

 

「鈴谷にとって大切な人はいるかい?」

「……うん、いる。提督さんもそうだし、ここにいるみんなが大切」

「だろうね。だからこそこんな話になっているんだろうけど、その人たちに自分の不安な気持ちや、それこそ自分に対する憎しみとか、相談したことはあるかい?」

「どうだろ……たぶん、ないかな……」

 

 鈴谷は海を眺めていた。

 その瞳は、ここではない遥か遠くを見ている気がした。

 

「人は……艦娘もそうだけれど、意思を伝える方法は口しかないんだ。超能力が使えたら、概念をそのまま相手に伝えることも出来たかもしれないけれど、今のところそれは神様に許されていない。なんで私の苦しみに気付いてくれないんだ、と言う人もいるけれど、当たり前なんだよね。隠してるから気付かれないんだ」

「……やっぱり憲兵さん嫌いだ」

「はっはっは。厳しいことを言っていると自覚はしているよ」

 

 ぶすっとした顔でこちらを睨みつけてくるが、先程までの剣呑な空気は少し薄れているような気がした。

 

「その自覚はしているが、やはり君は誰かに相談をすべきだ。溜まりに溜まってあとで手が付けられないほど爆発するタイプだよ、君は。まぁそれが今なのだけど」

「うっさい」

 

 あまり言うと、本格的に嫌われかねないなぁ。説教臭くなってしまうのもマイナスポイントだ。

 しかしまぁ説教と言えば、引き出しは多い。

 

「他人を信じることが怖いか?」

「うっさい」

「他人に自分を曝け出すことが怖いか?」

「だからうっさい」

「はっはっは」

「だからうっさいわぼけぇ!!」

「うごっふ」

 

 昔見たアニメか何かのセリフを適当に言ってみたら案外ぶっ刺さったようで、鈴谷がいきなり頭突きをかましてきた。

 あまりの突然の出来事に、何も対応できずに顎に決まってそのまま後ろにぶっ倒れる。

 そしてびっくりするほど痛い。

 なんでさ。

 

「あー……」

 

 後ろにぶっ倒れて星天を仰ぐ。

 鈴谷に降っていた雨は晴れただろうか。

 まったく。自分にこういうのは向いてないんだって。ていうかそもそもみんな何がしか溜め込みすぎなんだって。もっと吐き出していこうよ。

 なんてことを考えていたら、結果的に寝転んでいる自分の斜め上から鈴谷が神妙な顔でこちらを見ていた。

 

「怒ってるよね。ごめんね。もう話しかけないから」

「え、頭突きのこと?」

「は?」

「……」

 

 一瞬、何とも言えない空白が訪れた。

 え、頭突きのことじゃ……あ、違うわ。

 

「冗談だよ。騙そうとしていたこと自体は、さっきも言ったけど正直理由は嬉しかったからなんとも思っていない」

「絶対今の冗談じゃないでしょ」

「どうだろうな」

「案外面白い人だよね」

「……その評価は心外だな」

 

 とはいえ、ちょっとくらい気持ちは持ち直してくれただろうか。

 

「……私も、頑張ってみようかな」

「……ああ、頑張れ。駄目そうだったら倒れてくるといい」

「後ろにいてくれる?」

「もちろん」

 

 じゃあとりあえず明日提督さんに話してみようかなー、と言いながら、鈴谷は背伸びをしながらシートの上に横になった。ちょうどその横には自分が横になっているわけだから、つまり添い寝のような形になる。

 

「今日はここで寝よっか」

 

 え、鈴谷マジで言ってんの? 自分居室に帰っていいですかね。あ、大和が寝てるんだったわ。詰んだ。

 

「あ、憲兵さん。今日のこと内緒にしててね」

「それはそうだろうな。承知しているよ」

 

 そういうと、鈴谷はニコーっと笑って自分の腕に抱き着いた。

 思わず硬直する。

 が、そんな自分を知ってか知らずか、鈴谷は「あ、そういえば」と言いながら自分の耳に口を寄せ、

 

「憲兵さん、どこまでが本気か分からないって言っていたけど、抱くことに関しては前向きに考えといてね。気付いてない様なら改めて言うけど、私、もう憲兵さんのこと嫌いじゃないよ。今は逆。……じゃ、お休み」

 

 ……寝れるかよ。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 その後の話。

 

 ばっしゃーん。

 

「うわっ!」

「んぁ?」

 

 急に顔に水を掛けられ、眠りから覚醒させられた。

 開いた目にはもう星は見えず、代わりに朝日に彩られ紫がかった雲が視界に入った。

 朝の早い時間かと頭の隅で認識しつつ何事かと見ると、昨晩より海水の水位が上がっており、満潮になりつつあり、そして普通に波がここまで押し寄せてきたようだ。

 

「鈴谷、撤収するぞ!」

「んー…? うぁいす」

 

 水を掛けられたのにまだちょっと寝ぼけている鈴谷を叩き起こし、引っ張って少しだけ海から遠ざかる。

 そういえば干潮とか満潮とか考えていなかったな。そもそもあの場所で朝まで過ごす予定ではなかったわけだし。

 

「大丈夫か?」

「……ん? ああ、だいじょばない」

「日本語が大丈夫じゃないな」

「服が……ぬれぬれ……」

「濡れ濡れとかいうんじゃない」

「んー? あ、なるほど。えっち」

 

 ええ……罠じゃんそれ……。

 

「ああー、髪がギシギシいってる……。お肌もべたべたするぅ」

「お風呂に行ってきな。そんで寝直しなさい」

「憲兵さんも一緒に?」

「なんでだ。自分はもう起きる時間だからそのまま起きてるよ」

 

 まぁ濡れてしまったから、自分も先に風呂に入ろう。ただしもちろん自分の居室でだが。

 

「入渠施設に行ったら広いお風呂に入れるよ?」

「常識的に考えてね」

「常識なんて18歳の頃までに付けた偏見の別名でしょ」

「なんで急にそんな難しいこと言い出したんだよ」

 

 でもまぁ確かにその通りではあるんだけれど。

 

「とにかく、この濡れ鼠状態で話すことじゃないな。帰るか」

「そだねー。んじゃ憲兵さんまたねー」

「ああ、またな」

 

 最後はあっさりと。

 昨晩いろいろと話してはいたが、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔をしていた。これならとりあえず一旦は大丈夫かな。これ以上何か抱えていないといいんだけど。

 ま、抱えていたら抱えていたで、出来るだけ力になろう。それで、一緒に乗り越えられたらそれが一番いい。艦娘たちが自分の意思で自分の人生を歩むことが出来たらそれが最上だ。……そのためにはまず深海棲艦を駆逐して、平和な世の中にしないといけないのだけど。

 

「さて、風呂入るか」

 

 ま、たまにはこんな日もいいだろう。

 そんなことを考えながら、鈴谷が見えなくなったことを確認して、歩き出した。

 

 ちなみにその後、シャワーを浴びている最中に大和が目覚め一悶着あったが、それはそれで、また別の話。




鈴谷とのなんでもない話でした。
次回の目標は「シリアスじゃない」です。


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028 - 対憲兵蜂蜜作戦

「で、昨晩二人っきりの海で何をしていたのかを聞きたいんだけど?」

「いや、待ってくれ立花提督。自分は何もしていない」

「大抵やった人は何もしていないって言うんだよね」

「いや、本当にやってない人はじゃあなんて言うんだそれ」

「その言葉が何かあったことの証左だよね。しかもついでに『自分は』何もやっていないってことは、鈴谷ちゃんが何かやったってこと?」

 

 立花提督が恐ろしいほど鋭すぎて言葉が出てこない。

 

「あれ、小林さん? 語彙力消えました?」

 

 煽ってくるねぇ!

 

「なるほど、そこまで言われては自分も言い返さないと男が廃る。よかろう。鈴谷、言ってもいいな?」

「だめぇ」

「駄目だそうだ。許してくれ」

 

 一瞬にして折れた。

 鈴谷が駄目って言ったら駄目でしょう。というか、誰にも言えないような内容だし、それ自体も方法は悪かったとはいえ、全面的に悪いかと言われれば、そうではないだろう。

 あれでも鈴谷は鈴谷なりに考えて行動に移したのだろうから、その想いまで否定する気にはなれない。

 

「というわけで、今回この場を整えさせていただきましたのは、小林さんをどうやってこの鎮守府に縛り付けるかの会議のためなのです」

「いや、鈴谷お前結局昨晩の話を立花提督に言ったのか」

「え? 提督に相談しなって言ったのは憲兵さんじゃーん。言ったからにはするよ、そりゃ」

 

 有言実行は当たり前。いい教育をされてきたようだ。

 ただまぁこの場に於いては、自分にとって悪手だと言わざるを得ない。

 

「じゃあなんだったんだ今の立花提督の詰問は」

「ああ、それ以外の詳細はもちろん言ってないからねー」

「それ以外?」

「そりゃあ……ね?」

 

 ぽ、と鈴谷の顔が赤くなる。そして、それを見逃す立花提督ではない。

 いやだから何もしてないって。そう言うのは簡単だが、ギロリと睨みつけられて防御力が下がりそうになったので沈黙を選んだ。

 

 ……さて、今の状況を整理しよう。

 今朝鈴谷と別れて居室で大和と一悶着あったあと、午前中はいつも通りに過ごしていた。が、昼食をとったくらいで立花提督に鈴谷ともども会議室に呼ばれ、今の状況になった。

 どうやら午前中には立花提督に相談をしていたようだ。内容は言わずもがな、自分こと憲兵をこの鎮守府にずっといさせるためにはどうしたらよいか、というものだろう。

 とりあえず、状況の確認が最優先だ。

 

「なぁ鈴谷」

「なに?」

「どこまで相談したんだ?」

「んー? 憲兵さんの脅迫手段の相談だけだよ。憲兵さんに対する……あの、昔と今の感情? とかは別に、言ってない」

 

 脅迫手段て。随分と物騒だな。

 あまり鈴谷とこそこそ話しているとまた立花提督に言われそうなので、一旦それだけ聞いて良しとするか。

 

「で、小林さん。準備はいいかな?」

「準備も何も、今からここでその話をするんだろう? ……というか、その会議に自分が参加するのは流石に意味が分からないが」

「そうなんだけど、うちの子たちも忙しいから一人一人呼んで案を出してもらおうかなって」

「……ずいぶんと大掛かりになってきてないか?」

「だいじょぶだいじょぶ。さ! というわけで!」

 

 ジャン!と言いながら立花提督がいつから用意していたのか、フリップを出した。そこに書かれていたのは――

 

「第一回!誰が小林憲兵をメロメロに出来るか選手権!!」

 

 いえーい。

 鈴谷がぱちぱちと拍手をする。

 

「……これ、趣旨変わってきてないか?」

 

 

■響の場合

「響、入ります」

「どーぞー」

「やぁ司令官、……と、憲兵さん? どうかしたのかい?」

「実は憲兵さんがここから離れられなくする方法はないかなと思って」

「なん……は? けんぺ……離れ……は?」

 

 くっそ戸惑ってる。そりゃそうだ。

 ちなみに鈴谷は会議室から出ている。そういう話をするのに、いち艦娘である自分がいてはなかなか腹を割って話せないだろうから、とのこと。

 つまりこの会議室には立花提督と自分、そしてくっそ戸惑ってる響だけがいる状況である。

 しかも、なぜか面接のように部屋の奥に立花提督と自分が座っており、その手前にさあ座れと言わんばかりにパイプ椅子が一つ置かれている。

 いや、この聴取方法怖いわ。

 

「どうぞ、座って響ちゃん」

「え、あ、うん」

 

 どこかおびえた様子で座る響。なんか変な罪悪感がある。

 

「で、どうかな」

「憲兵さんがここにいてもらうようにってことかい? ……そうだね。やはり待遇をよくする、とかじゃないかい?」

「ほほう? 例えば?」

 

 そうだね……、と言いながら響は空中に視線を巡らせた。

 うろうろしていた視線が不意に自分と交わる。

 

「……ふむ。簡単なところで言えば給金を上げるとかじゃないかい? あとは間宮券の配布とか」

 

 間宮券。それは、間宮が作る甘味を優先的に食べることのできる権利を認めた紙である。

 

「なるほどね。そんなところでどうかな、小林さん」

「……給金に関しては十分もらっているし、間宮券に関してもありがたいがそこまで甘味が好きというわけでもない。そしてそもそも自分は柱島鎮守府から離れる気がない」

「そっかー。じゃあ響ちゃんの案は一旦保留だね」

「それなら仕方ないね。また何か考えておくよ」

「ありがとね、響ちゃん」

「君たち意図的に自分を無視してないか?」

 

 最後に響がこちらを流し目で見て、小さな笑みを浮かべた。

 なんだろう、ちょっとかっこいい。

 

「それで響ちゃん、一応主題は小林さんをメロメロにするってことなんだけど、響ちゃんならどうする?」

「なにをどうしたらそれが主題になるんだい……」

 

 眉がハの字になり、呆れたとでもいうような表情になる。

 

「とはいえ、駆逐艦の私が出来ることはあまりないと思うけどね。憲兵さんが幼女性愛者ならまだ可能性はあるけど、そこのところどうだい?」

「……まぁ子供は可愛いと思うが、流石に恋愛対象ではないな」

「性愛対象でもないかい?」

「それは全くないから安心してくれ。あっても親愛や友愛だよ」

「ま、そうだろうね」

 

 内心、鈴谷に迫る思考回路に戦々恐々としているが、頑張って隠すのだ。お前は憲兵だ。

 

「とまぁこんなところさ司令官」

「ありがとね響ちゃん」

 

 それじゃ、と言って響は去って行った。

 良く考えなくても、これはセクハラじゃないのか? 女性が女性にするセクハラは許されるのか? いや、そんなはずはない。

 ……駄目だ、一度忘れよう。艦娘から苦情があったら対応しよう。若しくは自分の目に余ったら注意しよう。それがいい。

 

「待遇の改善……っと。よし、次呼ぼうか」

「……ああ」

 

 一人目にしてなんでこんなに疲れてるんだ……。

 

 

■瑞鶴の場合

「失礼しまーす。どしたの提督さん。仕事は?」

「や、あの、仕事はちょっと一旦置いといて、」

「は? まだやること一杯あったはずだけど? 報告書類は? 作戦の実施計画書と終わった作戦の処理簿は? 演習の計画スケジュールの管理は出来てるの? そろそろ査察があったはずだけど、その準備は? 私には装備の開発させといて自分だけ遊んでたの?」

「いや、あの、違うんです……すみません……」

 

 立花提督が押されまくってる。え、瑞鶴……さん……? 瑞鶴さんですよね……? 思ってたキャラとかなり変わってきてるんですが……。

 

「あ、憲兵さんお疲れ様です」

「ん、ああ、お疲れ様。装備開発に行ってたのかい? 大変だねぇ」

「まぁこれも私の仕事のうちだしね。でもそのトップが遊んでるのはいただけないなぁ。ね、立花提督? 立花提督はどう思う?」

 

 ちょ、怖い怖い。

 ただでさえ小柄な立花提督がより一層小さく見える。

 

「まあまあ瑞鶴。ちょっと聞いてやりなよ」

「……わかったわ。で、何の話?」

「瑞鶴ちゃん憲兵さんのいうこと聞きすぎじゃない?」

「ま、命の恩人だしね」

 

 一応そうなるのか。それを言えば、正確には北上が恩人になるような気はするが、もっと話がややこしくなりそうなので言わないでおこう。

 

「で、瑞鶴ちゃんを呼んだのはですね、少し意見が聞きたいと思って。あ、そのパイプ椅子に座ってね」

「なにこの圧迫面接会場みたいな構図……。で、聞きたいことって?」

 

 そうしてようやくといった感じだが、立花提督が机に両肘をつき、手を合わせ、その手で顔の下半分を隠す。いわゆるゲンドウスタイル。

 

「実は小林さんがこの鎮守府から離れることになってね……どうにか留まって欲しいんだけどいい案はないかね」

「………」

 

 え、ちょ、瑞鶴の目からハイライト無くなったんだけど。本当の無表情ってこんな感じなのか。いや、知りたくなかったわこんなの。

 

「っていうのは冗談で、もし離れるなんて話になったらどうやってここに留まってもらおうか、ってとこが本題だよー」

「……ああ、なるほど」

 

 あ、生気が戻ってきた。

 

「とりあえず悪質な嘘を言った立花提督は一週間くらいは絶対に許さないとして、憲兵さんが自分の意思で出ていくとは思えないし、あるとしたら誰かに引き抜かれたとかありそうよね。……例えば私たちの鎮守府で、私が言うのもなんだけど艦娘のメンタルケアが出来たわけだから、他の鎮守府でもメンタルケアをして欲しい、みたいな。……自分で言っててアレだけど、本当にありそうねコレ」

 

 確かに。

 ただ自分は、当然ながら自分が来る前の艦娘の様子というのは知らないわけで、変わったと言われてもなかなか実感がわかないというのが本当のところだ。

 分かりやすい変化と言えば、夕立あたりが最初はおどおどしていたのが、最近ではぶつかってくるようになったことくらいだろうか。あとは金剛が警戒しまくってたのが、どうも最近は警戒心ゼロになってることとか。

 距離が近くなったようで嬉しいのだが、なんかもうそれこそ心の距離も実際の距離もほとんどゼロになってるのは、ちょっとやめてほしい。別に嫌だというわけでは全くないが……ほら、自分も男だし……パーソナルスペースどうなってんの……。

 

「で、もしそうだと仮定すると、……うーん、そうねぇ……、正直ほかの鎮守府に一時的に行くこと自体は私は構わないと思ってるわ。他にも苦しんでいる子もいるでしょうし。でも必ず帰ってきてほしいというのも本当のところね」

「ねぇ小林さん、これもはや告白では?」

「ちょっと口を閉じてなさい」

「だからやっぱり契約書に書いてしまえばいいんじゃない?」

 

 ほう、瑞鶴からすれば随分と理知的な内容だな。

 

「まぁ別に憲兵さんはもちろん私たちの所有物なんかじゃないからどういう契約なのかは分からないけどさ、ただの異動じゃなくて、1ヶ月限定で異動、みたいなことって出来ないのかな」

「うーん、どうだろ。でも瑞鶴ちゃんの言いたいことは分かるなー。ただ、一応憲兵という存在は形式上鎮守府の見張り番として大本営から送られるものだから、ちょっとやり方は考えないといけないかな。……でもまぁやり方はいくらでもあるか……」

 

 ちょ、立花提督、闇が溢れだしてるから。

 

「こんなところかしら。これでいい?」

「うん、ありがとー。それとこっちが本題なんだけど」

「今のが本題じゃないの!?」

「憲兵さんをメロメロにしようっていう話なんだけどね」

「話の流れが全く分からない……!」

 

 ……そりゃそうなるわな。

 

「どうよ瑞鶴ちゃん、なんか思いつくことある?」

「どうよって言われても……」

 

 ちらっと瑞鶴がこちらを見る。

 1秒、2秒。

 ぶわっと顔が赤くなった。

 

「……なぁ瑞鶴」

「は、はい」

「分かってるとは思うが、ある程度倫理観とか道徳観とか捨てた発言はダメだからな」

「え、でも、前――」

「待て瑞鶴。もしかして熱中症で倒れた時のことに言及しようとしてるか?」

「憲兵さんって匂いフェ」

「待て待て待て、違うから。違うって自分言ったよな? なんで理解してくれないの?」

「で、でも私、憲兵さんの匂い好きだな……えへへ」

 

 えへへじゃないが。

 

「立花提督、レフェリーストップだ」

「あ、うん。こんなに瑞鶴ちゃんって乙女になるんだねぇ」

 

 乙女……?

 その表現で合ってるのか……?

 

 

■大井の場合

「正直どうでもいいわね」

 

 次に呼ばれた大井が、話を聞いて開口一番言ったことがこれだ。

 

「わざわざ小林さんをここに引き留めておく必要もないし、いたらいたで北上さんを取られるし、どこへなりと行けばいいわ」

「え、大井ちゃんきっつ」

「……まぁ美味しいコーヒーが飲めなくなるのは残念だけど」

「え、急にデレるやん」

「提督うるさい。こんなくだらないことで呼んだの? 帰るわよ」

「あ、まってまって」

 

 立ち上がって帰ろうとする大井を、立花提督が引き留めた。大井はなにやら凄く嫌そうな顔をしている。

 なんか……すまんな大井……変なことに付き合わせて……。

 

「本題は小林さんをメロメロにしようってことで始まったんだけど、なにか意見ある?」

「……は?(全ギレ)」

「ナンデモナイデス」

 

 大井はそれだけ言うとさっさと部屋を出て行った。

 ……大井からは特に意見はなかったが、まぁ自分の出すコーヒーを美味しいと思って飲んでくれていたのは嬉しいかな。

 今度来た時は特別に何かいいやつを飲ませてやる。その舌を唸らせてやるぜ覚悟しとけ。

 

 

■不知火の場合

「やはりお願いするしかないのでは。土下座で」

「まじかよ不知火ちゃん」

「憲兵さんの性格上、そうすれば心が痛んでお願いを聞いてくれるのではないでしょうか」

「……小林さん、どう思う?」

「……まぁ正しいとは思う」

「額から血が出るほど土下座してぐっちゃぐちゃに泣いて喉が裂けるくらい懇願していなくなったら深海棲艦に突撃すると言えば、流石に袖にはしないかと」

「不知火ちゃん重いな」

「ちなみに現実になったら、私はそうなる自信があります」

「……」

「……」

 

 え、おっも。

 もし自分が異動になると言ったら、額から血が出るほど土下座されてぐっちゃぐちゃに泣かれて喉が裂けるくらい懇願されて、その後深海棲艦に突撃するんだろうか。これはこれで脅迫だよな。

 

「ちなみに、異動する予定があるんですか?」

「な、ないないない。大丈夫だよないから!」

「そうですか、なら良かったです」

 

 立花提督の焦った声に、にこりと不知火は笑って、失礼しますとだけ残して退室した。

 少しの間沈黙が流れ、顔を見合わせた。

 

「え、不知火ちゃん怖っ」

「どうしてああなったんだろうな……」

「というか笑った顔ってすごくレアだよね」

「あんな真っ黒い笑みは見たくなかったかなぁ」

 

 どっかで少しフォローを入れておいた方がいいかもしれない。このまま放置しておくと、そのまま黒くなってダークマターになりそう。

 確か大井が不知火と同室だったはずだから、今度いろいろ聞いてみよう。

 

「あ、本題聞き忘れた」

 

 ……それはもういいから。




メリークリスマス。(24日遅刻)
明けましておめでとうございます。(17日遅刻)


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029 - 対北上蜂蜜作戦

■北上の場合

「どーもー、北上さんだよぉー」

 

 これが最後ということで、おそらく一番会っている回数が多いであろう北上が呼ばれた。どうやら北上は夜警明けの様で、帰ってきて寝ている所を呼ばれたためかなり眠そうだ。

 ちなみに、呼び出しは各艦娘の持つケータイのようなガジェットである。いわゆるスマホ的な機能はほとんどなく、無線機とケータイの間くらいの機能しか持たない。一番近いのはIP無線とかそういったものだろうか。

 提督が艦娘のタイムスケジュールを見て、あー北上ちゃん空いてるー、と意気揚々と呼び出したはいいものの、よく見たら夜警明けで寝ている時間であると判明し、やっぱり寝てていいよごめんねと連絡しようとした矢先、北上が入ってきたというわけだ。

 

「なにさていとくー…。ねむいんだけどぉー」

「ご、ごめんね、寝てるの気付かなかったんだよ……」

「いいけどさぁー…」

 

 北上は入ってきて椅子に座ると、開ききっていない眠たげな眼を擦りながら、ふわぁ、とあくびを漏らした。

 ちなみにだが、今から重要なことを言います。

 北上さん、寝間着です。

 ホットパンツ的なものと、薄いシャツ一枚というとてつもなくラフな格好。そして、髪の毛は長いためか、サイドで軽くシュシュでまとめている。

 なんかこう、脳と心臓にくるものがあるよね。

 あと太ももの眩しさが視界の暴力。

 

「……んでぇ、寝ている北上さまを起こしてまで呼んだのは如何な理由によりて?」

「あ、えっと、まぁ相談というかアレなんだけど……」

「んー、ん? ……あれ、けんぺーさんじゃん。おはー」

「ああ、おはよう北上」

 

 えへー、っと笑う北上。可愛いけどめちゃくちゃ寝ぼけてるなこれ。

 

「まぁもし憲兵さんがこの鎮守府から異動になるとして、それを阻止する方法って例えば何があるかなって」

「んー? どっか行く予定あるの?」

「いや、ないけど」

「なんじゃそれ……」

 

 わかる、わかるぞ北上その感情。

 

「……そうだねぇ、ここに世帯をもてばいいんじゃない?」

 

 それはちょっとわかんないかなぁ……!

 

「ん?」

「例えばてーとくと結婚するとかさぁ。あ、でもそうなると逆に公平な目で見ることがどうのって言われて、異動になりそうだね。だとしたら内縁の妻みたいな、……なんて言ったっけ、アレでいいんじゃないの? 体だけの関係?」

「き、北上ちゃん?」

「つまりけんぺーさんをメロメロにすればいいんじゃないの? ハーレム的な? しゅちにくりん?」

「北上ちゃん!?」

「あ、でも艦娘って子ども出来るのかなぁ。そういう機能はあるはずだけど、試したってのは聞いたことないなぁ。……けんぺーさん、どうよ」

「どうよじゃないが」

「子ども出来ると思う?」

「知らんよ」

 

 ……いや、冷たい返しになっているのは分かる。しかし、少しでも動揺したり感情を顔に出してしまうと、その時点で終わりだ。ずるずると駄目な方向へ行ってしまいそうだ。

 あと立花提督が顔真っ赤。まぁそりゃそうだろう。自分だって気を抜けば真っ赤になる自信がある。明鏡止水。心を落ち着かせねば。

 

「けんぺーさん的にはどうなの?」

「何がだ」

「私、魅力ない?」

「ないわけないだろう」

「じゃあ試す?」

「試さんよ」

「なんでさ」

 

 小さく溜め息を溢す。

 

「いくらなんでも試すとかそういう軽々しいその場の勢いでやることじゃあないだろう。少なくとも自分はそういう形は好きではないよ」

「なにさー、据え膳じゃん」

「北上がそう思っていたとしてもだ」

 

 ちぇーっ、と北上は言うが、何ともえぐい話をしてるものだと、ここまで来ると逆に呆れて冷静になってしまうなこれ。

 立花提督はあわあわ言うだけのブリキ人形みたいになってるし、誰がこれ収拾付けるんだ。

 などと思ってたら、北上の顔が急に下に向いた。よく見ると耳が赤くなってきている。

 んー、……ははぁん、なるほど、起きたな。

 

「……けんぺーさん」

「はい、おはよう」

「………そういうことだねぇ……」

 

 今やっと、寝ぼけ北上が覚醒北上になったようだ。

 今までは半分夢の中のようで、現実感がなかったのだろう。しかし、例えば朝起きて冷たい水で顔を洗った後のような、意識が急にはっきりするような覚醒。それを今北上は体験しているのだろう。

 いやはや、お酒飲んで酔ってはっちゃけた後、酔いがさめて恥ずかしくなるアレと一緒だ。はっはっは、ここからしんどいぞこれ。

 

「……あのさ、私、いろいろ言ってたよね」

「言ってたねぇ」

「……どこから現実だったんだろう」

「それは分からないけど、随分とはっちゃけてたね」

「……例えば?」

「まぁメロメロにされようがされなかろうが、異動する気はないよ」

「ああ、それ現実だったかぁ」

「あと自分は据え膳は食べない派だよ」

「それもかぁ……!」

「それと北上は十分魅力的だから自信を持つといい」

「うがああぁぁぁぁ………!!!」

 

 はっはっはと笑う自分の目の前で、ついに頭を抱えこんでしまった北上を見下ろす。これは間違いなく黒歴史だろうなぁ。うむうむ、自分も小さいころは死んだらどうなるんだろうかとか必殺技考えたりとかしかもそれを口に出してみたりだとか漢字にかっこよさを見出して四文字熟語を創作したりしたけど最終的に漢字一文字がスタイリッシュに思えてきたり…………。

 やめよう。

 なぜ治りかけたカサブタを引きはがすような真似をしたんだ自分は。黒歴史は思い出したくないから黒歴史なんだよ。触れるんじゃない。

 

「おーい、立花提督。北上が起きたけど、もういいんじゃないか?」

「え、あ、そうだね! ごめんごめん、ありがとね北上ちゃん」

「絶対に許さない」

「いや……勝手に黒歴史作って勝手に死にそうになってるだけじゃん……」

「絶対に……許さない……私にこんな辱めを……!」

「え、私関係なくはないけど、そこまで恨まれるの……?」

 

 流石にこのままでは心の傷というか将来的な心の傷が増え続けるような気がしたので、よっこらしょと重い腰を上げた。

 

「ほら北上、今日のことは忘れるからもう部屋に戻って寝た方がいい。呼び出したのがこちらだから申し訳ないけど、今日はもう本当に寝た方がいい」

「でも……私提督にマウント取ってボコボコにしなきゃ気が済まない……!」

「そこまで? ……いや、もういいんだ北上。忘れよう。……どうだ、寝るのが嫌ならちょっとノンアルカクテルでも作ってやろう」

「でも……、ん? カクテル? 憲兵さんそんなの作れるの?」

「カクテルと言っても、シトラスハニー的な簡単なやつだよ。柚子蜂蜜サイダー、みたいな」

「……美味しそう」

「決まりだね。さあさあ一緒に行こう」

 

 このままだと立花提督がボコボコにされそうなので、緊急回避的に北上とともに会議室を後にする。出る時にちらっと立花提督を見たら、こちらに向かって手を合わせていた。

 感謝されるのは分からないではないが、よくよく考えると意味が分からんな。

 寝起きでなにやら恥ずかしいことを言って自爆した北上から、その遠因を作った立花提督が恨まれ、急迫した危難を回避するために自分が北上をその場から連れ出し、それを立花提督に感謝されている。

 なんとも混沌としている。

 

「蜂蜜楽しみだなぁ」

 

 鎮守府の廊下を歩いていると、ふと北上が零した。

 

「ん、北上は蜂蜜好きなのか?」

「そりゃ好きだよー。甘いしねー。昔は大井っちがよく蜂蜜くれたんだぁ」

 

 なんで大井?

 もしかして北上用に購入していたりしたんだろうか。なんなら北上のために養蜂しててもおかしくない気がする。

 

「昔ちょっと拒食だった時があってさぁ」

 

 ん? 流れ変わった?

 

「そのころは、まぁそもそも艦娘って最悪食べなくても稼働できるんだけど、なんだかいろいろあって食欲がなくなってたんだよねぇ」

「……それで蜂蜜を?」

「だね。食事が必要ないとはいっても、あった方がパフォーマンスは良くなるんだよ。てことで、栄養価の高い蜂蜜を食べさせようって思ったらしくて、いつもどこからともなく蜂蜜が出て来てたなぁ」

 

 大井は大井で考えた結果なんだろう。パフォーマンスが良くなるという事は、いざという時に生存率が高くなるという事だ。その状態で立花提督が出撃させていたとは思えないが、全く出撃しないというのは、おそらく北上自身が許さないだろう。

 大井にとって蜂蜜は、そのジレンマを解消する一つの解決策だったのかもしれない。

 

「一年くらいだったかなぁ。主食が蜂蜜っていう不思議生活をしてたよ」

 

 それを聞いてなんとも言えない表情となってしまう。どんな言葉を吐いても、雲を掴むような、やるせなさだけが残りそうな、そんな予感がした。

 

「あはは、そんな顔しないでよ。他の子たちみたいに重い何かがあったわけじゃないよ。北上さまは今日も元気、それでいいじゃん」

 

 ……いろいろと言いたいことはある。だが、やはりそれは口に出すべきではないんだろうなぁ。

 きっと自分に出来る気遣いというのは、そう選択肢があるわけではないのだろう。

 

「……そうだな、なら早く居室に行くか」

「そーだねぇ、楽しみにしておくよー」

 

 にこにこと笑う北上の横顔に陰りはない。きっと、すでに過去の話なのだろう。

 まあでも、さらっと連れ出してぼちぼち歩いているが、普段ならここまで簡単に会議室から連れ出せないだろう。それに、こんな話をするというのも、ちょっと想像できない。きっといつもはプライドが邪魔して話せないようなことも、今だから話せるなんてこともあるのかもしれない。……やはり目が覚めたといっても、まだ1割か2割くらいは寝ているのかもしれないな。

 

「はっちみっつ、はっちみっつ」

 

 少し前を歩きながら、北上が謎の歌を歌いだした。……正直こんなに蜂蜜が好きだとは思っていなかった。というか、カクテルというかっこいい言い方をしただけで、基本的に蜂蜜と柚子果汁とサイダーを混ぜただけのシロモノだ。誰でも作ろうと思えば作れるやつなわけで、期待され過ぎるのもちょっと考えものである。

 

「はっち、」

 

 ……ま、北上の機嫌がいいのなら、それがなによりなんだけどな。

 

「みっちゅ――」

「あ、噛んだ」

 

 反射的に出た言葉に口を押さえたが、当然間に合わず。

 立ち止まり、プルプル震える北上さま。

 勢いよく振り返るスーパー北上さま。

 やっべ。




北上さまかわいいよ北上さま。
だが黒歴史、てめーは駄目だ。

あと、作中のカクテルもどきは時々やります。当たり前ですが、普通に美味しい。アルコールが欲しければ、ピュアウォッカでも入れとけばなんかいい感じになります。




(もう一話だけ続く)


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030 - とある騒乱について

■夕立の場合

 それは、北上が自分の居室でちびちびカクテルを飲んで、そのままソファーで寝たのでどうしようかと立ち尽くしている時だった。

 不意に自分の端末に連絡が入った。

 

「はい、小林です」

『小林さん!? 今すぐ指令室に来て!』

「立花提督か? すぐ行くけど、何があった?」

『夕立ちゃんがどっかに行っちゃったの!』

 

 ……なんで?

 とりあえず制服の上着だけ脱いでいたのでそれだけ手に持って居室を走り出た。

 何かあったのだろうか。何かあったから呼ばれたのだろうが、それこそ、艦娘の誰かが襲われたとかであれば本質としての憲兵たる自分の失態だ。

 

「クソ、なんだってんだ」

 

 柄にもなく悪態が漏れる。

 とりあえず急がねば。残暑とはいえまだ9月。たまに涼しくもなるが、まだまだ夏と言って差し支えない時期に走るのはやはり堪える。

 おそらく最速で指令室まで駆け抜け、辿りついた先に立花提督が見えた。他には龍驤と赤城がいるが、わりと珍しい光景だ。そして、幾多に並んだディスプレイの一つに夕立の姿があった。

 ……なんか普通に海の上滑ってるんだけど。どっか行ったって、もう捕捉出来てるじゃん。なにが問題なんだろうか。

 

「あ、小林さん! ちょっと早速で悪いんだけど、夕立ちゃんに呼びかけてくれる?」

「え、ああ、いいけど……」

 

 立花提督に小型マイクのようなものを持たされて、ディスプレイに映る夕立を見る。

 ……ふむ。

 

「夕立、夕立、こちら柱島第一鎮守府所属小林、どうぞ」

『ぽい? こちら夕立っぽいー。どしたの?』

「どうしたんだろうなぁ、夕立は何してるんだ?」

『んー、ちょっと散歩? あ、それよりも憲兵さん!』

 

 ぷんすこ怒ったように、ディスプレイから睨んでくる夕立。何したって可愛いから意味ないけどな。

 そういえばこのディスプレイは艦載機から妖精さんが映像を飛ばしているんだっけ。なるほど、だから空母の龍驤と赤城がいるのか。

 

「どうした?」

『憲兵さんが鎮守府からどっかに行くって噂が流れてるっぽい!』

「え、そうなのか。……全部デマだから安心していいよ。立花提督が悪いやつだな」

『……そうなの?』

「まあいろいろあってな、帰ってきたら説明するよ。今どこにいるんだ?」

『んーと……? 結構遠くっぽい?』

「分からないのか?」

『帰る方向は分かるから大丈夫っぽい! ……憲兵さん、いなくならないよね?』

「ん? 今のところ予定はないし、ここは居心地がいいから異動はしたくないとは思っているよ。ちょっと公私混同しすぎかもしれないけど」

『そっか……』

「ま、暗くなるから早めに帰ってきなよ。できれば晩御飯までには帰って来たほうがいい。鳳翔がやる気だったから、きっといつもより美味しい料理が待ってるぞ」

『りょーかい! すぐ帰るっぽい!』

「安全にね。じゃあ切るよ、以上」

 

 ふぅ、と息をついて立花提督を見る。

 親指をぐっと上げて、やるじゃんみたいな顔をしていた。

 

「これで良かったのかい?」

「ばっちりだよ小林さん! ありがとね!」

「……結局何があったんだ?」

「えっと、……あはは?」

 

 それは誤魔化そうとしてるのか。だとしたら下手とかそんなレベルじゃないぞ。

 目は泳ぎまくってるし、挙動不審だし……なんなら今口笛吹き始めたぞ。しかも下手くそ。……なんだこれ。誤魔化そうとしてバレバレなやつのフルコースかよ。

 

「……まぁいいか」

「! そうだよ! まあいいんだよ!!」

 

 ……うん、まぁいいか。

 

「それじゃあこれで失礼するよ」

「うん! ほんとにありがと!!」

「はいはい」

 

 立花提督が小さく手を振り、一言もしゃべらなかった龍驤と赤城もこちらを見て、龍驤は少しだけ手を振って、赤城は手を揃えて会釈してくれた。

 結局なんだったんだろうか。ここに留まる理由もなく、少し後ろ髪をひかれる思いもありながら、指令室を出る。相も変わらず粘度の高い空気だ。

 あまり細かく聞いても、それが軍事機密で教えられない場合もあるだろう。そうなると間違いなく微妙な空気になるし、ここらで引いておくのがベターだろう。

 もし本当に困っていたら自分に連絡してくれるだろうし、そういう意味で信頼もしている。

 ――と、そこで気付いた。

 

「もしかして、それが今だったのか……?」

 

 もしかしてどうにもならなくなって、自分を呼んだのか?

 振り返って出てきたばかりの指令室の扉を見やる。いくら見つめたところで無機質な扉は何も応えることはない。

 もしかしたら夕立が何か、ヤバいことに首を突っ込んでいた……?

 少しだけ考えを巡らすも、ふむ、と一息漏らして歩き出す。今考えたって仕方のない話か。きっと今自分に出来る一番のことは、帰ってきた夕立を目いっぱい甘やかしてやることだろう。

 廊下から外を見ると、斜陽が目を焼いた。

 

「まぶしっ……」

 

 とりあえず目下の解決すべき問題は、居室に置いてきたスーパー寝ぼけ北上さまをどうするか、だな。そろそろ起きないと夜眠れなくなるだろうし。

 

「はてさて、夕立はいつ帰ってくるのやら」

 

 見上げた空はまだ青く、ひぐらしが鳴くまでもう少し。

 

 

■夕立、その裏で

 3人だけになった指令室で、ふー……っ、と深く息を吐き、同じくらい息を吸いこむ。3度ほど繰り返し、ようやく頭が回ってきた。

 近くにあった椅子にどっかと倒れるように座りこみ、背もたれに全身を預けた。知らず流れていた汗にようやく気付き、袖口で拭う。

 

「なんとかなったよね……?」

「そうやなぁ……なんとかなったんやろなぁ……」

「なんだかすごく疲れました……」

 

 私が口を開くと、そちらもようやく一息つけたのか、龍驤と赤城も疲れた様子を隠さずに続いた。

 先程小林さんが出て行った扉を何気なく見つめる。

 小林さんがいて良かった。このままだと夕立が……、もしかしたら最悪の事態になっていたかもしれない。

 

「せやけど提督、こんなんはこれっきりにしてや、ホンマに」

「いやまさかこんなことになるなんて、ちょっと想像出来なかったかなぁ」

 

 龍驤の言葉に苦笑ながら応える。

 

◆◇◆

 

 ――まさか、だったのだ。

 それは小林さんと北上が出て行ってすぐのことだった。緊急連絡回線で報告が入り、誰かと思えば天龍だった。

 

「こちら立花」

『提督! 夕立がどこにもいねぇ!』

「は?」

 

 あっけにとられるとはこういうことなんだろう。

 確か夕立は今日は午後から出撃予定で、内容自体は哨戒任務だったはず。

 一瞬で色々なことが思い浮かんだ。もしかしたら何者かが入り込んで、夕立を攫ったのではないか、それとも一人で町に行って酷い目にあったのではないだろうか、それとも――

 

『おそらくだが、装備がないから海に出てんぞ!』

 

 ――それとも、たった一人で海に出たか。

 それからすぐに、龍驤と赤城を呼んだ。状況が読めない以上、数は少ない方がいい。この事案を握り潰さなければならなくなったときのことを考えて、口外されるリスクは最小限にしたい。

 つまりこの二人を呼んだのは、この鎮守府の中でも古参で信頼も厚く、空母である彼女たちであれば発見も早いだろうと思ったからだ。

 果たして、夕立は見つかった。海上を、ある方向に向かって進んでいた。

 ……生きていた。一人で海上に出て一番怖いのは、深海棲艦との遭遇だ。いくら夕立が熟練した腕の持ち主だとはいえ、駆逐艦一隻で対応できる量は高が知れている。

 しかし、生きていること、それを喜ばしく思うと同時、よぎったのは『脱柵』の二文字。つまり、脱走。

 

「夕立! 今すぐ帰って来なさい!」

『提督さん!』

 

 艤装の通信装置を切られていたので妖精さんを通じて呼びかけると同時、夕立から妙に弾んだ声が返ってきた。

 

「……どうしたの、夕立」

『憲兵さんどっかに行っちゃうんだってね』

 

 ……この時、不思議と夕立の行動に合点がいった。

 思い出されるのは瑞鶴をからかった時のこと。いなくなるからどうにかしたいと冗談で言ったことが、どこからか噂として漏れたのだろう。

 そしてもう一つ、不知火のこと。小林さんは良くも悪くも、柱島鎮守府の深いところに根付いてしまっている。それこそ、不知火のように執着してしまう子が出てくるほどに。

 全て、身から出た錆だった。

 

「夕立、それは勘違いだよ、だから――」

『だから? だからなに? とりあえずよくわかんないけど呉鎮守府潰してくるっぽい!』

 

 何故。

 駄目だ。そこまでしたら脱柵どころじゃない、内乱罪だ。

 

「……提督」

「赤城?」

「最悪の場合は、私にご命令下さいね」

 

 最悪の場合。

 本当の本当に最低最悪。

 その汚名を赤城は被ろうというのか。

 

「あー、提督。……とりあえず、憲兵さん呼ばん?」

 

 今度は横から龍驤が口を開いた。

 そしてそれが、今回の銀の弾丸となる。

 

◆◇◆

 

「なんにしても、とりあえず何もなくて良かったね」

「なんもなかったわけやないけど、大きなことにならんで良かったわ……」

 

 私も冗談で大本営にちょっかいかけるみたいな発言をしたことがあるが、実際そうなると内乱罪であり、一種の革命だ。もっとも犯罪らしい犯罪とまで言われている。

 夕立の場合、呉鎮守府は大きいし日本の要ともなる一つとはいえ、仕掛けていたら内乱罪というよりは騒乱罪あたりが妥当かもしれない。……しかし怖いのは、艦娘に対する法律がまだ整備されきっていない点だ。……最悪、その場で終了処理される可能性すらある。

 夕立は、その一歩目を踏み込んでいたのだ。

 

「でも、赤城」

「はい?」

「最悪の場合を被ろうとするのは不甲斐ない私が悪いわけで、命令を出すのも私。もし本当にそうなってても、赤城は命令されて汚名を被らされただけってことをよく覚えておいて」

「……了解です」

「一番悪いのは、私よ」

 

 あー、もうやだー。楽してだらりと日々を過ごしていきたい。提督として、上司部下の関係で艦娘と会話することのなんとストレスの溜まることか。

 もちろん公私を分けなければならないし、それが出来ない人間はそもそも上に立つ資格がない。……とは思うけどさー。やっぱさー、しんどいよなー。

 

「……とりあえず、提督はもう休んだ方がええんちゃう? 赤城と交替で見とくし、もうそんな警戒せんでもええやろ」

「……そうだね、ごめんだけど龍驤、赤城、あとお願いね」

「まかせときー」

「了解です、ゆっくり休んでください」

 

 二人の声に押されて、指令室を出る。

 確かに、あとは夕立が帰ってくるのを待つだけだ。それに、昔は2人とも秘書艦として動いてくれていたことも多く、ある程度の裁量権が与えられている。

 指令室から出る直前に聞こえた、念のため夕立の代わりに時雨を入れた哨戒部隊を夕立方向に向かわせようか、といった内容を聞いて安心する。もちろん夕立には命令違反で何かしらの罰は与えないといけないが、それよりも姉妹からの言葉の方が、夕立には響くだろう。

 

「……ふぅ」

 

 とはいえ、今日のはちょっと疲れた。

 

「はぁ……、だらっと生きてたいなぁ」

「おお、ついに司令官もその境地に」

 

 突然聞こえた声に視線を向けると、だらだらの女王、望月がいた。

 

「司令官、顔色が悪いね。よければ一緒にだらだらするかい?」

 

 少し考え、こくりと首肯した。

 

「おおう、珍しい。本当にまいっているようだ。よろしい、のんびりの真髄を教えよう」

 

 たまには自分の意思ではなく、ただ流されるまま、誰かに師事するのもいいかもしれない。

 そんなことを思う、ある晩夏の夕暮れであった。




「憲兵さんがここからいなくなっちゃうっぽい?」
「一番近いから憲兵さん呉鎮守府にいくっぽい?」
「なら呉鎮守府潰さなきゃ(使命感)」

 ???


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