一〇〇式戦記『失楽園《Paradise Lost》 』 (カール・ロビンソン)
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第一戦役『虚構』 ”狭き門より入りなさい”
1-1 日常風景


 灰色のコンクリートの壁に囲まれた小さな部屋。事務用の机と椅子。後はノート型の端末と卓上冷蔵庫。後はろくに物も入っていない金属のロッカー。それだけがこの部屋の全てだ。

 

 そんな殺風景な部屋に二つの人影がある。一人は椅子に座り、もう一人はドアを開けて入ってきたばかりだ。

 

 椅子に座る、というよりもたれかかってだらけているのは、年の頃30を少し過ぎたと見える中年男であった。借り上げた黒髪と鳶色の瞳と肌の色からアジア系の人間であろうことが分かる。

 彼の名は天野晶(アマノ・アキラ)。一年程前に民間軍事会社『グリフィンアンドクルーガー社』に所属する戦術人形の指揮官となった男だ。

 やる気がさっぱり感じられない、冴えない容貌の彼だが、グリフィン社のエリート戦術人形部隊であるAR小隊絡みの事件を解決したことで、上層部からの覚えはそれなりにめでたい。だが、相変わらず勤務態度はテキトーなままだ。足をテーブルに投げ出していないのは、最後の良心だった。

 

 そうして、もう一人部屋にいるのはこの殺風景な場所に似つかわしくない可憐な少女であった。

 烏の濡れ羽色の長い髪に深紅の瞳。一昔前の女学生の服に身を包み、首には赤いマフラーを巻いている。足を覆うストッキングと腰のスカートには薄紅色の桜の意匠が刻まれており、彼女の容貌を引き立てている。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな古き良き女学生のような彼女の名は一〇〇式という。

 

「指揮官、お茶をお持ちしました」

 

 一〇〇式は恭しく言い、テーブルの上に琥珀色の液体の入った黒い湯呑を置く。湯気を立てているお茶は『人類の領域』では一般的な柿の葉茶だった。

 

「ああ。サンキュー、一〇〇式(モモ)

 

 そう言って、晶は湯呑を手に取ってお茶を啜る。癖のない、さっぱりとした味わい。それでいて香ばしいのは淹れる前に少し焙じたのかもしれない。

 

一〇〇式(モモ)の淹れるお茶はいつも美味いな」

 

 晶は一〇〇式を見つめ、掛値のない賛辞を贈る。彼女は美味しいお茶を淹れるために日々研鑽を重ねている。他ならぬ自分のために。そんな彼女の思いがお茶の味から伝わってくる。そんな気がしたのだ。

 

「ありがとうございます、指揮官!」

 

 一〇〇式はその可憐な顔を花のように綻ばせ、喜びを露にする。その様はまさに大和撫子と称されるに相応しいもので、晶は彼女に慕われている事を光栄に思った。

 そんな彼女を、晶は『モモ』という。一〇〇式では余りに女の子らしくない、と思うからだ。なお、由来は植物の桃からではなく、百々と書いてモモと読むからである。FALからは安直だ、と言われるが、悪くない愛称だ、と晶は思っていた。

 

 そんな一〇〇式に晶は手を伸ばす。そして、そのお尻を軽く撫でた。

 

「ひゃあ!」

 

 その途端、一〇〇式が素っ頓狂な声を上げる。そして、おもむろに晶から距離をとると、顔を羞恥で紅に染めながら、ジト目で晶を見て言う。

 

「指揮官、ここにいるのは、大事な任務のためでしょう? だから・・・いい加減にしてください・・・」

 

 相変わらず可愛い反応だな、と晶は苦笑し、そして言う。

 

「悪いな、一〇〇式(モモ)。人間の男は可愛いお尻を見ると撫でたくなる生き物なんだ」

 

「…そういうことは、人間のカリーナさんにしてください。私は…戦術人形なんですから…」

 

一〇〇式(モモ)が一番可愛いからな。仕方ないだろう?」

 

「…うぬぅ」

 

 一〇〇式はそう言って口を噤む。最大級の誉め言葉を喜ぶべきか、それともセクハラに文句を言うべきか悩んでいるのだろう。本当に可愛い娘だ、と晶は心の底から思う。

 そんな彼女は人間ではない。晶の指揮する戦術人形―所謂戦闘用のロボット―だ。だが、そんな彼女はどんな人間の少女よりも可愛らしいと晶には思える。その仕草や表情なども人間そのものだ。

 

「いい加減にしなさい、指揮官。白昼堂々一〇〇式(モモ)にセクハラを働くものではないわ」

 

 いつの間にか入り口のドアを開けたところに人が立っていた。

 肩に白いフェレットを乗せた、明るいブラウンに近い長い金髪を青いリボンでポニーテールに纏めた、蒼玉のような瞳の、いかにも白人らしい彼女はFALという、一〇〇式の同僚であり、晶に最も近しい戦術人形の一人であった。

 

「なんだ? ヤキモチかFAL?」

 

「寝言は死んでから言って頂戴?」

 

 晶の揶揄いの言葉に、FALは速攻で無茶苦茶物騒な返事をする。そのことから、晶は彼女がガチで怒っていることを察する。死んだら寝言とか言えるわけねえだろ、と言うツッコミは口にしないでおいた。

 

「指揮官、貴方はもっと真面目な人のはずでしょ!?」

 

一〇〇式(モモ)の可愛い尻にまで興味を向けないほど真面目だと思われると逆に心外だがな」

 

 抗議をするFALに平然と言い放つ晶。その間でどう反応していいのか困っておろおろしている一〇〇式。いつもの指揮官室の様子に、晶は平和だな、と思った。だが、その感想は次のFALの一言と行動で雲散霧消した。

 

「あっそ。じゃあ、この本はやっぱり一〇〇式(モモ)の貞操を狙っているってことでいいのかしら?」

 

 そう言って、FALはどこからともなく取り出したA4サイズの本を眼前に突きつけて見せる。その表紙にはセーラー服を着崩した少女が載せられていた。ぶっちゃけていうと、エロ本である。しかも、女子高生ものの。

 

「…なんでお前がこれを持っているんだ、FAL?」

 

 晶は取り返そうとしたが、FALはすぐに手を引っ込めてかわす。どうも渡すつもりはないらしい。

 

「カリーナさんに指揮官に渡してくれって頼まれたからよ。…そんな気はないけど」

 

 半ばキレ気味に言うFALの様子に晶は内心で頭を抱える。あいつめ、と。

 元々この本は補給部の知り合いにコッソリと陳情してあったものだ。ちゃんとプライベートな品として自分の個室に直接送るように、とも伝えてあった。それなのにこんなことになるとは。後でぶん殴ってやろうか。そんなことを晶は考えた。

 

「あの…! 指揮官! FALさん!」

 

 なんだか不思議そうな表情の一〇〇式が二人に尋ねる。

 

「えっと…貞操ってなんですか?」

 

 まずそこからか。晶とFALは顔を見合わせ、その後思わず天を仰いだ。そして、どう説明したものだろう。そう10秒ほど悩んだ次の瞬間、

 

『指揮官様、大変です!』

 

 端末のディスプレイに写った少女が言う。それを見て、晶とFAL。そして、一〇〇式は表情を引き締めた。

 ディスプレイの少女はカリーナ。晶にとって、唯一の人間の部下である。

 

「どうした、カリーナ?」

 

 今までのことはさておいて、晶はカリーナに尋ねる。彼女が大変です、と連絡を入れるからには何らかの事件が起こっており、戦術人形たちを出撃させる用があるということだろうからだ。

 

「はい、実は…!」

 

 そう言って、カリーナが晶に言ったのはとても意外で、だが割とどうでもよさそうな案件であった。

 

『市街地中央のコンビニで立てこもり事件が発生しました。治安部隊から戦術人形の出撃要請が出ています!』



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1-2 戦闘開始

一〇〇式(モモ)、FAL。準備はいいか?』

 

『はい! 一〇〇式、位置取り完了! いつでもいつでも行けます!』

 

『任せておきなさい、指揮官。後は号令だけよ』

 

 黒塗りのバンの中で、晶はIFN(インターフェイス・ネットワーク)(=人類が新たに作り上げた独自の通信ネットワーク)を通じて二人の戦術人形と連絡をとる。彼女らはすでに準備態勢を整えているようであった。その辺りは、流石この隊結成時から共に戦っているベテランだ、と思えた。

 

 FALは少し離れた茂みの中で狙撃の準備。本来狙撃はRF娘の領分で、彼女のようなAR娘の得手とするところではないはずだが、FALはセミオートでの射撃も得意としているため、こうしたことが可能だ。

 一方で一〇〇式はスロープの部分に身を伏せて隠れている。こちらは機を見て突入し、敵勢力を制圧する構えだ。

 

『映像回すぞ』

 

 晶がそう言った次の瞬間、一〇〇式とFALの脳裏に、彼がインターフェイス・ジャックして得た映像が浮かぶ。それは店内の監視カメラが映している映像であった。

 

『いつもながら大したものね、こういうところは』

 

 FALは素直に称賛の言葉を指揮官に贈る。彼は情報戦、電子戦のプロフェッショナルであり、特にIFN内では無類の強さを発揮するのだ。

 

『コンビニのノードをジャックするなんざ、朝飯前だ』

 

 晶は軽く鼻で笑って言う。プロの電子情報員である彼にとって、たかがコンビニのノードなどはその辺の公園のようなものだ。侵入するなどそれこそお茶の子さいさいだ。

 

『指揮官…この人たち、戦術人形とかじゃないです』

 

『ああ。どっからどう見ても、真人間の腐れボンボンだ』

 

 一〇〇式の言葉に、晶は呆れた口調で言う。何のことはない。今コンビニを占拠しているのは、鉄血の糞共でも何でもない、2人のただの人間の坊や達だ。年の頃は概ね晶の半分に1を足したぐらいだろうか。

 

『でも、どこから連射式の銃なんて手に入れたのかしらね?』

 

 FALが少年達の得物を見て言う。彼らの持っているものは、実銃のAK-47に似た自動小銃である。そうしたものはグリフィンの支配地域では御法度として厳重に取り締まられており、易々と手に入るものではない。なぜそんなご禁制の品物が彼らの手にあるのか、謎に思うのだ。

 

『全く、密造粗悪拳銃(サタデーナイト・スペシャル)ぐらいにしときゃいいのに。何をトチ狂ってあんなもんもってきてんだか』

 

 晶は呆れた口調で言う。あんなものを持ち出して社会に危害を加えれば、彼らは間違いなく殺処分の対象になる。どのような理由があるにせよ、情状酌量の余地さえ与えられないだろう。馬鹿なことをしたものだ、と思う。

 

『指揮官…あの…』

 

 一〇〇式が震える声で言う。彼女が目にしているものが晶には分かった。ボンボン共の近くで倒れている10に満たない少年の姿だ。額に空いた穴から血を流していた彼は完全に死んでいる。手の打ちようがない。

 

『ああ… 糞なことをするな、全く』

 

 晶は吐き捨てるように言う。その少年だけでなく、店内には血塗れの死体がいくつか転がっている。人間と非戦闘型の自律人形のものだ。特に人間は生命反応がなく、もう助けようがない。

 だが、店の奥に伏せている者もわずかに存在している。彼らはまだ生きている。何とかそれらを救助しなければならない。一〇〇式はそう思った。

 

 不意に、少年の一人が闇雲に銃を乱射し始めた。けたたましい音と共に商品棚が薙ぎ倒され、貴重な物資が弾け飛んでいく。もう一人の少年はその様子を不気味な笑顔で見つめているだけだった。

 

『あ~あ、勿体ねぇ… 意味もなく弾けさせるぐらいなら食わせろと…』

 

 晶は床に散乱した食品類を見て、悲しそうに言う。滅亡に瀕している人類の領域で、食料は貴重なものだ。あんな無意味でかつ無残に浪費されていいものではない、と思う。

 

『出てこい、FAMAS! サムライ、マサキ様が来てやったぜ!』

 

『早く俺のモノになれよ、オラァ!』

 

 少年達は口々に訳の分からないことを言う。一〇〇式は首を傾げたが、晶とFALはこの上もない呆れのため息を吐いた。

 

『…WTLね、間違いなく』

 

『…だな』

 

 FALと晶は言葉を交わして合点する。コンビニ強盗にしては長々居座るものだ、と思っていたし、テロリストにしてはどこのグループの犯行声明もないのでおかしいと思っていたのだ。

 

『WTL?』

 

Wonderful Than Life(人生よりも素晴らしい!)。電子麻薬の類よ』

 

 一〇〇式の質問にFALが答える。

 

一〇〇式(モモ)もVRシアターは知ってるでしょ?』

 

『はい! サムライ・マサキシリーズ。第2作をこの前FALさんと体験しました』

 

『そう、それ』

 

 一〇〇式の言葉に、FALは頷いて言う。

 VRシアターとは、ヴァーチャルリアリティ空間で、仮想現実を体感する娯楽である。要は映画などの登場人物の体験を直接体験することができるのだ。

 

『でも、VRシアターって、体感とかないふわっとしたものでしょ?』

 

『はい! 何だか、夢のような感じでした』

 

『その体感とか、もっと生々しい刺激を与えてくる。それがWTLだ』

 

 FALの説明に晶が補足を入れる。VRシアターはワザと体感などを感じないようにしている。しかし、WTLはそれらを感じさせることで、より強い刺激を生み出し、結果的に現実と仮想現実の区別をつかなくする代物なのだ。

 これが流行ったのは第三次世界大戦直前で、噂ではどこぞの超大国が敵国を骨抜きにするためにばら蒔いたのだとも言われている。

 ちなみに、サムライ・マサキシリーズとは、グリフィンの支配地域で配信されているVRシアターの娯楽作品であり、サムライ(人知を超越した最強の兵士)と戦術人形との友情や愛を描いたものだ。世間であまり快く思われていない戦術人形のプロパガンダとして、積極的に作成されている。彼らの用いたWTLはこれらのバッドコピーなのだろう。

 

『とりあえず、制圧するか。二人ともゴム弾を装填。可能な限り殺すなよ』

 

『『了解!!』』

 

 晶は二人に命令を下す。どの道、あの二人は殺処分されるだろうが、銃とWTLの出所は突き止めなくてはならない。それまでは生かしておく必要があると判断したのだ。

 それに、先ほど乱射した少年はマガジンに新しい弾を詰めている最中だ。危うい手つきで、マガジンを見ながら。もう一人の少年も、不気味に笑うだけで身を隠すことも周囲を警戒することもしない。サムライが聞いて呆れるが、とりあえず今が好機である。

 

『FAL、一〇〇式(モモ)。…状況開始』

 

 晶がそう言った次の瞬間、FALの手の中のライフルが火を噴いた。吐き出されたゴム弾は、ガラスを突き破り、狙いを違えず、不気味に笑う少年の持つ銃を弾き飛ばす。彼が驚愕の表情を浮かべた瞬間に第二射。黒いゴムの弾丸は少年の額を捉え、直撃。着弾の衝撃で彼を地に張り倒した。

 

 次の瞬間、ガラスをぶち破って、一〇〇式が店の中に突入する。

 

「接近戦、用意!」

 

 生体FCS起動。走りながら、セミオートで1発発射。弾丸は少年の手の甲に命中し、リロード中のマガジンを落とさせる。

 少年が痛がる間もなく、一〇〇式が距離を詰める。そして、強烈な浴びせ蹴りを少年の顔面目掛けて叩き込む。たまらず少年は銃を取り落とし、吹っ飛ばされる。

 

 すぐさま一〇〇式は駆け寄り、彼の胸を踏みつけ、眼前に銃を突きつける。手加減していたおかげで気絶をしていない彼は恐怖で顔を引きつらせ、ぶるぶると震えだした。

 

『制圧完了です、指揮官』

 

『ああ。…よくやった、一〇〇式(モモ)

 

 指揮官に報告すると同時に、褒めの言葉を貰う一〇〇式。だが、胸は湧き立たなかった。こんな非道なことをした連中への怒りが胸に渦巻いていたからだ。

 

「…どうして、こんなことをしたんですか?」

 

 怒りを噛み殺した声で、一〇〇式は言う。彼女の視線の先には無残な死体になった少年の姿があった。まだ未来ある少年。滅びに瀕した人間の明日の担うべき者が馬鹿げたことで命を失ったことが許せなかった。

 

「人を殺して…理由もなく人を殺して…どう思っているんですか!?」

 

 一〇〇式は怒りを叩きつけるように言う。少年の体がビクリ、と震える。何やら妙な匂いがする。アンモニアに変化する前の尿素の匂いだ。恐怖で漏らしたのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。

 

「…あ…あ…あり…あり…ありえない…」

 

 少年はガチガチと歯を鳴らしながら、何とかそれだけを言う。

 

「人形が…人形が…サムライに勝つなんて…ありえない…」

 

 その言葉を聞いた一〇〇式の脳が過熱する。まだそんなことを言っているのか。

 

「ふざけるな! ここは…ここは、VRの世界じゃない! 人が生きて、そして死ぬ、現実の世界だ!」

 

 一〇〇式は魂の底から叫ぶ。現実とVRの区別のつかない輩。どうしてそうまで人は愚かになれるのか。そんな愚かな人に殺された人は何なのか。

 

「ありえない…ありえない…サムライが…負けるなんて」

 

「!! このっ!」

 

 怒りのあまり目の前が真っ白になった一〇〇式が拳を振り上げる。この期に及んでまだそんなことを言うのか。

 だが、一〇〇式の拳は振り上げた頂点で他の手に止められた。暖かくて、大きな、よく知った手だった。

 

一〇〇式(モモ)。手が汚れるからやめろ」

 

 この声で一〇〇式は我に返った。途端に体が震える。殺すな、と言われたのに。抵抗できない者に暴力を振るうなんて、最低なのに…

 

「し、指揮官、私…一〇〇式、は…」

 

「いいんだ。…気にするな。お前の怒りは間違ってない」

 

 泣き出しそうな一〇〇式を晶は抱きしめる。そしてあやす様に背中を叩いて、強く抱きしめる。

 胸の中で嗚咽が聞こえる。晶は黙って一〇〇式を抱きしめる。

 確かに、一〇〇式のやったことは褒められたことではないかもしれない。だが、これで怒らなければ人として間違えている。彼女の怒りは決して間違いではない、と晶は思うのだ。

 

『FAL、治安部隊の連中を呼び出せ。さっさとこいつらを豚箱にぶち込め、とな』

 

『了解。…指揮官、一〇〇式(モモ)をお願い』

 

『ああ』

 

 言われるまでもない。晶はそう思いながら、一〇〇式をただただ抱きしめる。お前は悪くない。そう思いながら。

 

(くそったれた世界だな)

 

 一〇〇式の嗚咽を聞きながら、糞のような世界を呪う。一体いつまでこんなことが繰り返されるのだろう。晶は果てしない諦観と共にそう思った。



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1-3 改過自新

 指揮官室に帰ってきた晶と一〇〇式。FALはカリーナの所に今回の件の報告書用のデータの提出に行っている。この間に一〇〇式を元気付けて欲しい、と思っているのだろう。

 

「さて、一〇〇式(モモ)。これから調べ物に入る。すまんが、茶と何か軽く摘めそうなものでも持ってきてくれ」

 

 だが、晶は敢えて普段と変わらぬように接する。一〇〇式は晶の負担になることをとても嫌がる。下手に気を遣い過ぎると、かえって気を揉ませる事になる。それよりは、まず彼女のリアクションを待つ方がいい。

 

「はい…」

 

 一〇〇式は晶の言葉に曖昧に頷いて、部屋を出ようとする。だが、扉の前でしばし立ち止まり、意を決した様子で晶の方に振り向き、頭を下げた。

 

「指揮官、先ほどは申し訳ありません。取り乱してしまって…」

 

 一〇〇式は頭を下げたまま言う。先刻の過ちを悔い、不甲斐ない自分を責めるように。

 

「一〇〇式は頑張りますから…指揮官のお役に立てるように…足を引っ張らないように…」

 

「それは寂しいな、一〇〇式(モモ)

 

 その言葉とともに、一〇〇式は抱き締められる。晶が席を立って、近づいてきたことにも全然気がつかなかった。こんなのじゃ駄目だ、と思う一〇〇式に晶は慈愛に満ちた口調で、諭すように言う。

 

一〇〇式(モモ)はもっと俺に頼ってもいい。もっと甘えてもいいんだ」

 

「でも、それじゃ、指揮官に御迷惑が…」

 

「迷惑なんかじゃねぇよ。むしろ、嬉しいぐらいだ」

 

 晶は一〇〇式の頭を撫でながら言う。健気で実直な彼女は愛らしい存在だ。だからこそ、今のうちに彼女に伝えたいことがある。彼女が妙な方向へ進んでしまわないように。

 

一〇〇式(モモ)はどうして人は過ちを犯すと思う?」

 

「…それは心の弱さがそうさせるのだと思います」

 

 晶の言葉に、一〇〇式はあの二人のことを、そして怒りにとらわれ必要以上の暴力を振るおうとした自分を思い出して言う。彼らは弱さ故に電子麻薬に手を出し、破滅した。自分は怒りに呑み込まれ、暴力を振るおうとした。心の強さがあれば、そんな過ちを犯さずにすむ。そう思うのだ。

 

「だから、一〇〇式は強くなります。もっと強くなって、過ちを犯さないように…」

 

「そんなことはできん」

 

 晶はきっぱりと一〇〇式の言葉を否定する。そして、彼女を身体から放し、その肩を抱いたまま彼女の目を見て言う。

 

「過ちを犯さない奴なんていない。弱さのない奴なんていない。万一いたとしても、俺はそんな奴を好きにはなれないだろうよ」

 

 晶は自らの思いを忌憚なく言う。晶の知る限り、過ちを犯さない人間など歴史上に存在していない。それがもしもいたとしたら人間じゃなくて、神様だろうと思う。そして、晶は神様なんぞ大嫌いだ。

 

「過ちを必要以上に気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。人間はそうやって生きてきたし、これからもそう生きていくだろう。それでいいんだ、と思う」

 

「でも…! あの人達は破滅してしまいました!」

 

 晶の言葉に、一〇〇式は反論する。取り返しのつかない過ちだってある。それを犯してしまったら、次も何もない、と思うのだ。

 

「だが、一〇〇式(モモ)は今日、過ちを犯さなかったろう?」

 

「それは…指揮官が止めてくれたから…」

 

「だろう? それでいいじゃないか」

 

 一〇〇式の言葉に頷いて晶は言う。

 

「人が取り返しのつかない過ちを犯す時。それは大抵孤独な時なんだ。信じられる友人だとか、恋人だとか、家族だとか。そうした者の絆を見失ったとき、人は奈落の落とし穴に落ちる」

 

 それは晶が人の歴史と己の人生を省みて思うことだった。人との絆を断たれた人間の末路は悲惨なものだ。今日破滅した彼らもまた真の縁となる絆を持っていなかったのだろう。

 

一〇〇式(モモ)には俺がいる。FALがいる。他の仲間もいる。その絆があれば、致命的な過ちを犯すことなんてないさ」

 

 絆を結ぶ者達は自らの鏡であり、道標でもある。それは時に直接的に、時に間接的に破滅への道を行くことを止めてくれる。晶はそう信じていた。

 

「もちろん、俺も道を踏み外すことがあるだろう。その時は、一〇〇式(モモ)やFALが止めてくれればいい。それでいいじゃないか」

 

「指揮官………はい!」

 

 晶の言葉に一〇〇式は力強く頷き、返事をする。その表情にもう憂いや迷いはなかった。自分には指揮官がいる。頼れる仲間達がいる。みんなで支えあって生きていけば、きっと大丈夫だ。そう思えた。

 

「そうね…じゃあ、とりあえず指揮官の過ちを正してあげましょうか、一〇〇式(モモ)

 

 次の瞬間、ドアを開けて入ってきたFALがエロ本を片手に言う。どうやらしばらく二人の様子を見ていたらしい。彼女も一〇〇式が心配だったのだ。

 

「こんなものを女の子に届けさせる変態指揮官は、どう矯正すればいいかしらね?」

 

「お前なぁ…あれは不可抗力だ…って、いい加減それ返せよ」

 

「駄目。没収」

 

「お前、それいくらしたと思ってんだ!?」

 

 晶とFALが他愛のない言い合いを始める。不意に戻ってきた指揮官室の日常に、一〇〇式は思わず微笑む。こんな日常があることを忘れなければきっと大丈夫だ。心からそう思った。



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Spinoff 美食不孤單

 一〇〇式は胸の前で拳をぎゅっとして、キッチンに向かう。手には烏賊の入った水袋とその他手に入れてきた調味料など。

 どれもそう簡単に手に入るものではないが、日頃ろくな食生活を送っていない指揮官のために、一〇〇式は貯蓄をはたいて購入したのだ。特に生きているヤリイカは、以前助けた海洋研究所の職員が好意でくれたものであり、売り捌けば指揮官のボーナスを上回る値段になる。

 しかし、一〇〇式はそれらを消費することに躊躇はない。指揮官が喜んでくれることが、一〇〇式の最大の願いなのだから。

 

 さて料理開始である。スキルワイヤー起動。イカ墨スパゲッティの作り方をライブラリィからダウンロードする。

 まずは烏賊を捌くところから始めます。最初に、胴体に指を入れ、内臓と胴の接合部分をはがします。これによって、内臓を引き出しやすくします。

 次に、片手で胴体を押さえ、もう一方の手で目の部分を持ち、ゆっくりと内臓を引き出します。そして、軟骨と白い内臓を取り除き、硬い部分をナイフで削ぎ切ります。

 そして、皮と身の間に指を入れて皮を向きます。ちょっと失敗して皮を取りきれなかったので、キッチンタオルで拭って取りました。

 その後、縦に切込みを入れて胴を開き、中の薄皮をキッチンタオルで拭い取ります。ちょっと、手がべとべとしたりして気持ち悪いですが、水洗いすると味が落ちるのでここは我慢です。

 

 この後も淡々と烏賊を捌いていきます。ゲソは細かく切って、内臓の墨袋は大事にとっておきます。小さくて量が少ないので不安ですが、のばせば大丈夫だと思います。また、胴は輪切りにしておきます。

 また、ニンニクと唐辛子、それに玉ねぎもみじん切りにしておきます。彼らも重要な脇役なので、あだやおろそかにはできません。

 

 次に、パスタを茹でます。この世界では水も貴重な資源なので、無駄は省きたいです。そこで、シリコンスチーマーと電子レンジを使ってパスタを茹でたいと思います。

 まず、シリコンスチーマーに水200ccを入れて、パスタを入れ、そして大豆油をかけて和えます。こうすると、パスタ同士がくっつかないで綺麗に仕上がるそうです。別途に100ccの水を用意しておくことも忘れてはいけません。

 そして、すぐに電子レンジにかけます。600Wで3分30秒です。ここから時間との戦いが始まります。

 

 すぐにフライパンに大豆油と刻んだニンニクと唐辛子を入れて中火で熱し始めます。こうして油に香りをつけます。油を熱したら、玉ねぎを加えてそれが狐色になるまで炒めます。そして、その後烏賊の身を投入。その後少しかき混ぜて弱火にして、蓋をします。

 

 そのぐらいで鳴った電子レンジからスチーマーを取り出し、水100ccを加えて再度2分加熱します。

 

 そして、フライパンの蓋を取り、墨袋を潰しながら加え、酒と醤油、そしてバターを加えます。そして、隠し味のめんつゆ大匙一杯と山椒と生姜をほんの少しだけ投入します。

 最後に、茹で上がった麺をフライパンに加えて和えた後、仕上げに三つ葉を乗せて完成。一〇〇式風純和風パスタの完成です。

 

 一〇〇式はさっそく指揮官の下へ行きます。パスタが冷めない内に召し上がって欲しいのです。

 指揮官は案の定お腹を空かせて待っていました。お皿とお箸、それにお茶を彼の前に配膳します。

 

 指揮官が最初の一口を食します。おいしくなかったらどうしよう。一〇〇式は手に汗を握りながら(注:戦術人形は汗をかきませんので、あくまで比喩です)彼の反応を待ちます。

 

「う…!?」

 

 指揮官が言いました。一〇〇式は口元に手を当てて悲鳴をかみ殺します。もしかして美味しくなかったのでしょうか。それとも、有毒な成分が混じっていたのでしょうか。一〇〇式は胸をドキドキさせながら(注:戦術人形に心臓はないので、あくまで比喩です)彼の反応を待ちます。

 

「美味い…」

 

 指揮官はなんだか感極まった表情でしみじみと言いました。一〇〇式は一瞬きょとんとしていましたが、次の瞬間花が開いたかのような満面の笑顔を浮かべました。

 

「俺、こんな美味いもの食ったの初めてだよ…ありがとうな、一〇〇式(モモ)。俺はお前の指揮官で本当に幸せだよ」

 

 パスタをゆっくりと食べながら、賞賛の声を聞かせてくれました。一〇〇式はとても幸せでした。お金を大分使ってしまいましたが、その甲斐があったと思いました。

 

「はい、指揮官! 一〇〇式はもっともっと頑張ります! ここで立ち止まらないですからね!!」

 

 一〇〇式は決意を秘めた口調で言う。もっと頑張って、上手に料理を作って、指揮官に喜んで貰おうと誓う。

 次は、もう少し安めのメニューを考えよう、と一〇〇式は思う。流石に今の食事を短期間で出すのは無理だ。もっとコンスタントに楽しめるメニューを考えたい。そして、指揮官の誕生日には憧れのスキヤキをご馳走して差し上げたい。一〇〇式は新たな願いを胸に、これからも精進して行こうと誓った。



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第二戦役『錯誤』 ”滅びに至る門は大きく、その道は広いからです”
2-1 前途多難


「指揮官様、おはようございます!」

 

 指揮官室の扉を勢いよく開けて入ってくるカリーナ。この時間帯、彼女は眠そうにだらけている晶の姿を思い描いて部屋に入ってきた。

 だが、目の前の晶は額からケーブルを延ばし、端末に繋いですでに仕事を開始していた。カリーナは思わず窓の外を見る。槍でも降ってきたのではないか、と思って。だが、生憎外はとてもいい天気であった。

 

「生憎今日は晴天だぜ? 『屋上』で飲むビールが美味しそうだなぁ」

 

「はぁ… 陳情なさるのでしたら用意は致しますけど…お金あるんですか?」

 

 何か意味ありげにいう晶に、カリーナは少し戸惑いながら尋ねる。この指揮官は月末になると重篤な金欠に陥る。そこまで金遣いが荒いわけではないのだが、彼はグリフィンに多額の借金をしており、毎月給料の2分の1を引かれているのだ。そんな彼がこのご時勢かなり高くつく酒類を今の時期に買えるとは思えないのだが。

 

「そこはだな。うちの有能で優しい後方幕僚が頑張ってる指揮官に一杯御馳走してくれるって思ってるんだ」

 

 晶の言葉に、カリーナはそんなことだろうと思った。今日一日朝早くから働いているだけで、ビールを奢れるほどこの基地の財政状況はよろしくない。せめて、1ヶ月大真面目に働いたら考えてあげてもいいのだが。

 

「はいはい。特別に原価で提供いたしますわ」

 

「つれないねぇ。今日も鉄管ビールで我慢か」

 

 カリーナの言葉に、晶は肩を竦めてディスプレイに視線を移す。別に見ている必要はないのだが、癖とでもいうものだろうか。

 

「ところで、何か報告があるんだろう?」

 

「え、ええと、治安部隊から先日の件の報告書が…」

 

「ああ。奴等はWTLじゃなくて、合成麻薬の中毒者だってことと、銃とヤクはIFNで仕入れたって話だろ? すでに知ってる」

 

 カリーナの言葉が終わる前に、晶は彼女の話の内容を軽く説明する。そこらの話は既に治安部隊のノードをジャックして知っている。この程度の報告を上げるのに丸一日使いやがったのは、面子のためだろうと思う晶は軽くため息をついた。こんなことでいいなら、自分ならチキンラーメンができるよりも速く調べ上げているだろう。

 

「合成麻薬の出所はロボット人権団体だな。いくらかフィルターを通して上手くやっていたつもりだろうが、尻尾は掴んだ。ヘリアンさんに通報はしている」

 

「す、凄いですね、指揮官様…」

 

 淡々と言う晶にカリーナは度肝を抜かれた様子で言う。普段のテキトーさ加減が嘘のようだ。何が彼をこうまで突き動かしているのだろう。カリーナの経験から鑑みて、コンビニ立てこもり事件など、彼の心の琴線に触れるような物事ではないと思うのだが。

 

「可愛い一〇〇式(モモ)のためならえんやこら、だ」

 

 ああ、そういうことか。カリーナは半ば呆れながら思った。どんだけ一〇〇式が好きなのだろう、と。同時にほんの少し彼女が羨ましい。そう思った自分の心を誤魔化すように、カリーナは尋ねる。

 

「でも、銃は? ロボット人権団体だって、人間用の銃なんて作りますか?」

 

 ロボット人権団体は自立人形を整備する施設を独自に設けていると聞く。噂では破棄された人形をパーツをばらして売っているという話もある。そんな彼らなら銃を作る設備もノウハウもあるかもしれない。

 だが、あんな銃を作れば組織を本格的に取り締まる口実をグリフィンに与えるようなものだ。そんな危ない橋を渡るものだろうか、と思う。

 

「そっちに関しては正直よくわからん」

 

 晶は苦虫を噛み潰したような表情で言う。正直、晶としてもプライドを著しく傷つけられた思いだ。かなり本気を出して頑張ったが、相手の痕跡さえつかめない。こんなことは初めてだった。

 

「奴等は地下に近いコインロッカーで銃を受け取ったらしいが、取り出したことは分かっても入れた形跡がまるで掴めん」

 

 お手上げ、の仕草をして晶はため息を吐く。コインロッカーを管理している会社のノードをジャックして、ログを精査しても、治安部隊のノードで監視カメラを確認しても銃を入れた形跡が確認できない。最初から入っていたかのようだが、あのロッカーは閉じてから24時間経過すれば、会社が介入しなければ開かなくなるはずだ。そして、24時間以内に監視カメラには取り出したボンボンしか写っておらず、ログにも形跡がない。そして、介入した形跡を追ってみようにも、なんら痕跡がないのだ。

 

「合成麻薬の方とは全く別の犯人がいる、ということですか?」

 

「今のところそういうことだ、と思う」

 

 カリーナの問いに、晶は頷いて言う。もし、相手が自分と同じ電子工作員ならロッカーに細工を仕掛けた犯人は晶を上回る腕利きだ。正直、人類屈指の化け物だ、と思う。そいつが関与しているのなら、合成麻薬の足取りも追えなかっただろうからだ。

 

「ただ、不自然な点が2つある」

 

 晶は首を捻りながら言う。どうしても2つ分からない点があるのだ。

 

「まず、合成麻薬でWTLみたいな症状が出るのだろうか、というところだな。ヤクでトリップしたからって、それが延々続くもんかね?」

 

 晶はまずその点を疑問視する。現実と仮想現実を混同する症状を長時間引き起こすようなケースはWTL特有のものだ。トリップした直後ならまだしも、麻薬でそんな症状が起こり続けるものかわからない。しかも、彼らの使っていた合成麻薬はそこまで重篤な症状を引き起こすものではなかったはずだ。最も、晶は麻薬に関しては専門外であるため完全にない、とは言い切れないが。

 

「もう一つは目的が分からん、というところだ。ヤクはともかく、銃を何で渡すかな?」

 

 晶はもう一つの疑問点を口にする。ロボット人権団体に限らず、その手の反社会団体は大抵資金不足に悩んでいる。そして、生身の人間を割りと軽視しているロボット人権団体が麻薬を売るのは、そこまで不自然でもない。だが、連射式の銃を売るのはリスクとリターンが釣り合わないにも程がある。それぞれ全くの別の団体による犯行、という線もあるが今回の事件を見るに全くの無関係ということはないと思う。第一、合成麻薬はともかく実銃を作れる組織はそうそうはないし、昔のインターネットに比べ遥かに制約の多いIFNで、複数の違法なラインを素人のボンボンが引けるとは思えないのだ。

 

「まさか、鉄血の機械人形達の仕業ですか?」

 

 カリーナは眉を顰めて言う。そういうことをして、人の足を引っ張ろうとする第一の候補は彼女らであった。

 鉄血工造株式会社が開発したと言われる自立人形達。蝶事件を境に人類に銃を向けた彼女らは、未だに人類の敵であり続けている。人類の領域で大きな事件が起きた場合、その裏には彼女らの影があるというのが定説だった。

 

「いや、それはどうだろう?」

 

 晶はその言葉に疑問を呈する。鉄血の連中は今まで戦術人形との遣り取りに徹しており、民間人相手にそこまで回りくどい工作を仕掛けるとは思えないのだ。もちろん、対人戦略の大きな転換をした可能性も否定できないのだが。

 

「他のPMCの嫌がらせか、鉄血の糞共が新たな手に打って出たか… いずれにせよ、油断はできんな」

 

 そう言って、晶はケーブルを頭から外して椅子にもたれかかる。何かが動き始めている。晶の勘がそう言っていた。そして、それはあまり外れない。だが、今は動きようがない。後手に回るようで腹立たしいが、今は事態を静観するしかない。晶はとりあえず、カップの中のお茶を啜ってみる。一〇〇式の淹れてくれたお茶は冷めても美味しかった。

 

 不意に指揮官室のドアがノックされる。そして、それが開いて

 

「指揮官、入るわよ?」

 

 そう言いながらFALと、それに続いてヘリアンが入ってきた。どうもFALが出迎えたようだが、彼女が今日この基地に来る、とは聞いていない。突然何なのだろう、と思う。

 

「おお、ヘリアンさん。お元気そうで何よりです」

 

「ああ。天野指揮官も大事はなさそうだな」

 

 晶の言葉に、グレーの髪のグリフィンの上級代行官ヘリアントスはにこりともせずに言う。相変わらずのクールビューティだ。その表情をちょっと崩したいな、と思った晶は一昨日手に入れた情報について尋ねてみる。

 

「一昨日のプリンスホテルの合コンパーティどうでした?」

 

「な、な、な、何故お前がそのことを…!? い、いや、何の話だ?」

 

 あからさまに動揺した様子のヘリアン。一昨日プリンスホテルのノードに入って遊んでいた時に、ヘリアンらしい女性の姿を見かけたのだが、案の定だったのか、と思う。

 

「指揮官様! デリカシーがないですわ。そういうものはいつものことと察してあげるものです」

 

 大慌てのヘリアンを見て楽しむ晶を、カリーナが批難する。いや、お前の言うことのがひでえだろ、と思ったが黙っておくことにした。

 

「そんなことよりヘリアンさん、大切な話があるんじゃないですか?」

 

 なんだか悲しげな様子のヘリアンに、FALが助け舟を出す。

 

「あ、ああ…」

 

 FALの言葉にごほん、と一つ咳払いをしてヘリアンは用件を切り出す。

 

「実は早急に部隊を派遣して貰いたくてな」

 

「出撃ですか。そらまた藪から棒な話ですね」

 

 ヘリアンの言葉に、晶は首を傾げる。そんな話があるなら、朝の通報した時に通信で伝えてくれれば良かったのに、と思うのだが。

 

「本来なら別の基地の部隊だけで片がつく案件なのだが、今朝の報告を鑑みてお前に一枚噛んで貰おう、と思ったのだ」

 

 ヘリアンは小脇に抱えていたノートPCのような形のIFデッキを起動する。そして、それ操作すると晶のデッキのモニターに地図と座標が表示された。

 

「その地点に民間人を保護している戦術人形がいる。お前にはその回収と追手の機械人形どもの殲滅を頼みたい」

 

「了解です」

 

 ヘリアンの言葉に即了解の意を示した晶はFALの方を見て伝える。

 

「FAL、聞いての通りだ。待機中の第一部隊、第二部隊は直ちに出撃。カリーナはヘリを準備しろ」

 

「「了解!」」

 

 FALとカリーナは指揮官に敬礼して任務を了承し、すぐに部屋を出る。仕事となると機敏なのはあの二人の共通点の一つだ。

 

「で、ヘリアンさん? 俺を噛ませたい理由って何ですか?」

 

 二人が部屋を出たのを確認して、晶はヘリアンに尋ねる。この出撃と今朝の報告に何の繋がりがあるのか、晶にはイマイチピンと来ないのだ。

 

「ああ。実はその民間人というのが、どうもロボット人権団体の者らしい」

 

 ヘリアンの言葉に、晶はははぁ、と納得する。そいつをこっちの基地で保護して、例の麻薬密売の情報を引き出せ、と言っているのだろう。その辺りは元情報工作員の晶の得意分野だ。

 

「了解です。ヘリアンさんの期待に応えてみせますよ」

 

「ああ、頼む。麻薬汚染が広がると敵わんからな」

 

 晶の言葉に、ヘリアンは言う。確かに人類の領域において、麻薬汚染は脅威の一つだ。ヘリアン自らが出向いてでも解決したがるのも道理である。

 

(しかし、それだけの事件かな…?)

 

 晶は妙な胸騒ぎを感じる。麻薬の件もこの人権団体の者の件も何か大きなことの前触れのように感じるのだ。

 嵐の前の静けさのような不気味な感覚。それを感じながら、晶はカリーナとFAL、それにM4A1の準備完了の連絡を待った。



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2-2 疾風怒涛

 半分崩れたビルは文明の墓標。そんなことを誰かが言っていた気がする。そうした墓標と瓦礫が溢れた壊滅した街。それが今日の戦術人形たちの戦場だ。

 

 コンクリートが銃弾に削り取られる音がする。背中に迫るそれは容赦なくいくどもいくども続き、いくつもの火花を散らす。

 それが止んだタイミングを見計らって、5人のFALが壁の影から出て銃の狙いをつける。生体FCS起動。ダミードールへデータリンク。一斉射撃。

 先頭のFALに続いて、4人のFALの銃が火を噴く。前方の敵はVespidタイプが15体。敵も反応して射撃をしようとするが間に合わない。無数の銃弾が鉄風雷火の如く襲い掛かり、次々と敵を撃ち倒していく。頭部のヘルメットのようなパーツが砕け、電脳を飛び散らせる者、胴体の動力源をぶち抜かれ倒れ伏す者。壊れ方は異なれど、敵がくたばったことには違いない。

 

「もっと...もっと早く...」

 

 FALの隣では、瓦礫に身を伏せて隠れていた、銀色の髪のまるでメイド服のような衣装の戦術人形9A-91が立ち上がって射撃を加えていた。その威力はFALを上回るほどで、瞬く間に敵は数を減らしていく。

 

 目の前の15体を倒したところで、二人は再び遮蔽に身を隠す。再び敵の射撃が始まったのだ。敵との急接近にだけ注意して、二人と彼女らの従えるダミー達は弾倉を入れ替える。

 

「敵の数が多いですわね」

 

 後ろからやって来た赤毛の戦術人形SIG-510がやって来てFALの後ろにつく。要救を守ってここまでやって来た彼女はダミーも弾薬も失っていた。幸い自身の傷は重くない。そして、FALから受け取った弾薬をようやくリロードできたのだろう。

 

「まあ、大したことはないわ」

 

 断続的に反撃を繰り出しながら、FALは言う。確かに数は多いが、敵の個々の性能は大したものではない。後、10分もあればこっちは片づけられると考えていた。

 

「それより、あの人間は大丈夫なの?」

 

 FALはSIGが連れていた、今は建物の中にねじ込まれてのびている中年男性について尋ねる。彼がくたばったのなら、ここに来た価値が半減だ。

 

「衰弱していますが、命に別状はありませんわ」

 

 SIGは彼の体調を正確に言う。逃走の最中の8時間。飲まず食わずで走りっぱなしであった。衰弱するのも道理だろう、とは思うが幸い怪我はほとんどなく、命が危険ということはないだろう。

 

「なら、さっさと片づけて帰りましょうか」

 

 そう言って、FALは再び遮蔽から飛び出し、撃ちまくる。再び、敵10体を撃ち倒し、退避。敵の抵抗は弱まりつつある。勝利が近づいてくるのを感じるFALの脳裏に、通信モジュールを通して別方面の敵を相手しているFive-sevenから連絡が入る。

 

『15時の方向から敵! 規模は大きくないけど、このままじゃ囲まれるわ!』

 

『了解。そっちはまだかかりそう?』

 

『もうちょっとってところかしらね』

 

『そう。なら、そのまま続けて頂戴』

 

 通信をきったFALはSIGの肩を叩く。

 

「ちょっと、こっちは任せるわ。…9A-91もOk?」

 

「…ダー。FALさんは?」

 

「ちょっと片付けてくるわ」

 

 それだけ言って、FALとダミー達は敵が来ている方向へと走っていく。瓦礫を飛び越え、まるで疾風のごとく駆けていく。

 聴覚を最大に上げ、敵の物音を探知、すぐさま近くの建物の2階へ上がる。そして、眼下に敵の一団を確認する。四脚の小型戦車Prowler型が30体。大した敵ではない。

 

「私なら、こうするわよ…」

 

 FALはポーチからグレネードを取り出し、銃にセットする。そして、敵めがけて容赦なく放つ。

 けたたましい音とともに榴弾が炸裂し、敵を吹き飛ばす。そこに容赦なく更に二発の榴弾をぶち込んで敵を四散させる。

 今だ。FALとダミーは宙に身を躍らせ、敵の中に降り立つ。そして、まだ動いている敵目掛けて銃を向け、引き金を引く。

 銃弾が敵を引き裂き、ずたずたにしていく。碌な抵抗もできないまま小型戦車達は砕け散り、瞬く間に鉄くずに代わっていく。動くものがいなくなるまでかかった時間は5つを数えるほどでさえなかった。

 

『こっちは片づけたわ』

 

『了解! こっちももうすぐよ!』

 

『…こちらももうすぐです』

 

 通信モジュールを通じて人形達は言葉を交わしあう。戦局は終焉に向かいつつある。だが、油断してはいけない。FALは再び走り始める。再びもともと戦っていた場所に戻るのだ。

 

 それから約5分の銃撃戦の後、鉄血の機械人形達は周辺から一掃され、要救の無事は確保された。

 

『指揮官、こっちは片付いたわ。要救もSIGも無事よ』

 

 SIGと9A-91とに合流し、要求の男を押し込んだ建物で、FALが指揮官に報告する。返事はすぐに帰ってきた。

 

『分かった。すぐにヘリを回す。ポイントを送信するからすぐにそっちに向かってくれ』

 

『了解』

 

 そうして、通信を終えようとしたところで不意に9A-91が割り込んだ。

 

『指揮官…見ていてくれましたか? これが私が貴方に捧げる勝利です』

 

『ああ。9A-91、よくやってくれた』

 

 9A-91の言葉に、晶は称賛の言葉で返す。彼女の活躍はFALの視覚を通じて確認している。相変わらず彼女はよくやってくれると思う。

 

『ご主人様! G41も頑張ったよ! 褒めて褒めて!!』

 

 その途端、別の回線からも割り込んでくる。Five-sevenと共に別方面の敵に対処していたGr G41だ。実際、そちらの方面の敵はほとんど彼女が片付けたのだ。FALと比べても遜色のない戦果と言えるだろう。

 

『おう、G41! 帰ったら思う存分なでなでしてやるからな』

 

『わーい!』

 

『ちょっと指揮官、私だって索敵や支援に頑張ったわ。帰ったらハグして?』

 

 そこにまた割り込んでくるのはFive-sevenだ。彼女もまた副隊長として、G41とトンプソンを指揮して頑張ったと言えるだろう。

 

『ああ、Five-seven。俺でよければいくらでも』

 

『うふふ。期待しているわ』

 

『あの…指揮官、私も…』

 

『G41もお願い、ご主人様!』

 

『お前たち、いい加減にしろ。まだ任務は終わってないんだぞ?』

 

 3人の通信に割って入った声は、トンプソン。この面子の中では大人な彼女は収拾がつかなくなりそうなる前に、会話を打ち切りに来たのだ。

 

『ボスも余り甘やかすなよ』

 

『悪かったよ、トンプソン』

 

 そう言葉を交わすと、再び回線がFALの方に戻る。彼女は呆れた声音で言う。

 

『全く、あの娘達ったら。そんなに指揮官のことが好きなのかしら?』

 

『ヤキモチか、FAL?』

 

『寝言は寝てからいうものよ、指揮官』

 

 昨日に比べればずっと冷静な文句を聞いた晶は、FALとの通信を終えM4A1の方に通信を切り替える。彼女率いるAR小隊及び、一〇〇式とステンMK‐Ⅱは別の場所で追手を叩いているのだ。

 

(要救の確保はスムーズに終わったが…さて)

 

 通信モジュールを切り替える数秒の間、晶は思考を巡らせる。要救救助の手際の良さは、流石FALというところだ。だが、なんだか胸騒ぎがする。何か起こるとすれば、一〇〇式の方だろうか。

 

一〇〇式(モモ)、みんな、無事に帰って来いよ…)

 

 晶は祈るようにそう心の中で念じる。やがて通信が繋がった。彼女らもまた交戦の最中だった。



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2-3 傍目八目

 半壊したコンクリート製の建物、ここに追い込んだ敵が最後の敵勢力だ。瓦礫の隙間から銃口だけを出して、若干ブラウンの入った黒髪の戦術人形、M4A1が射撃を行う。敵もまたコンクリート壁の陰から射撃を加えてくる。

 その隙を見逃さず、隣で伏せていたAR15が立ち上がって3点バーストの一撃を加える。弾丸は見事、敵の女性型戦術人形Jaegerの肩口を抉った。

 そのAR15を狙って別のJaegerが遮蔽から飛び出し、射撃を加えようとする。だが、M4A1はそうはさせ時と、狙いをつける。

 

「ごめんなさい。貴方達にチャンスはないわ…」

 

 敵の顔面目掛けてバーストファイアを叩き込む。瞬間的に吐き出された3発の弾丸は、見事の敵の頭部をとらえ、それを吹き飛ばした。

 

「二人とも下がって。今度は私の番よ!」

 

 グレネードランチャーの準備を終えたM4 SOPMOD IIが部屋の中目掛けて対戦術人形用殺傷榴弾を叩き込む。榴弾は派手に爆発し、大量の破片を飛び散らせ敵の抵抗力を削いだ。

 

「好機到来! 突撃します!」

 

「いっくぞー!」

 

 敵の抵抗が止んだのを見て、一〇〇式と金色の髪をツインテールに纏めた赤いブレザーの戦術人形、ステンMk‐Ⅱ、そしてそれぞれ5体のダミー達が瓦礫の陰から飛び出し、突撃を仕掛ける。

 

 入口から愚直に突入し、銃を向けてくる敵に銃撃を浴びせていく。銃弾が肩を掠めるが、一〇〇式達SMG娘のボディは比較的頑丈に作られている。ちょっとやそっとのダメージでは行動不能になることはない。

 

 10体程の敵を打ち倒した一〇〇式とステンは奥に閉じられた扉を発見する。互いに顔を見合わせ一つ頷くと、静かに足音をさせずに近づいていく。

 そして、扉の両脇に背中をつけると、一〇〇式はドアに渾身の力で後ろ回し蹴りを叩き込む。部屋の中に吹っ飛ばされるドアとそれと入れ替わりに飛んでくる弾丸の雨。

 

「見つけた! やっちゃえ!」

 

 ステンが懐から手榴弾を取り出し、口にピンを加えて引き抜いた後、部屋の中へ投げ込む。部屋の中でけたたましい爆音が鳴り響く。次の瞬間、一〇〇式が部屋の中に踏み込む。

 そこに散発的な反撃が飛んでくる。だが、それは一〇〇式が展開した、ナノマシンによる舞い散る花びらのような薄紅色の力学障壁に阻まれて弾かれる。力学障壁も破壊されるが、それによってナノマシンが周辺に散布される。すかさず部屋の中にワンサード力学格子を形成。次の瞬間、一〇〇式は目にも止まらない速度で敵戦術人形の一体に接近する。そして、反応できていないRipper型の首を銃剣で薙ぐ。高速振動刃が発光し、女性型戦術人形の細い首を易々と切断する。その後、倒れた胴体の胸に銃弾を3発叩き込んで止めを刺した。

 

 部屋の中の敵の注意が一〇〇式に向いたその時、ステンもまた部屋の中へとなだれ込む。そして、目の前の敵を一体撃ち倒した。戦局は決しつつある。二人は勝利を確信していた。

 

『M4A1。そちらの戦局はどうだ?』

 

 外で周辺を警戒しているM4A1に晶から連絡が入る。

 

『はい、指揮官。もうすぐ全ての敵を制圧できます』

 

『そうか。FALの方も終わったらしい。悪いが向こうの回収を優先させて貰う』

 

『了解しました。戦闘終了後、次の連絡があるまで待機します』

 

『ねえねえ、指揮官! 帰ったら抱っこしてね?』

 

 用件を伝え終わったとたんSOPMODが甘えた声で通信に割り込んでくる。

 

『ちょっと、SOPMOD! まだ任務中よ!』

 

『ええ~、いいじゃない。もう終わるんだし~』

 

 窘めるM4にぶーたれるSOPMOD。AR小隊ではいつものことだ。晶は通信端末の向こうで苦笑する。

 

『M4の言う通りよ。最後まで油断してはダメよ』

 

『なに~、AR15。ヤキモチ?』

 

『な!? そんなわけないでしょう!?』

 

 目の前にいるというのに通信モジュール上で他愛のない言い合いを繰り広げるSOPMODとAR15。困ったものだ、と軽く頭を痛めるM4A1の視界にふと、何かが映る。視界の隅で動いている巨大な物体。

 

 改めてそれを見て、M4A1は驚愕する。彼女が見たそれは、鉄血製の大型多脚戦車、Manticoreだ。なぜ、あんなものの接近を今のままで気づかなかったのだろう。

 ふと見ると、周辺を警戒させているダミーが反応していない。それどころか、そちらを視界に入れているはずのAR15さえ気づいていない。

 

『…? どうしたの、M4?』

 

 様子がおかしいことに気が付いたSOPMODがM4に尋ねる。彼女もManticoreに気づいていない。

 

「敵襲! みんな、散開して!」

 

「「え?」」

 

 M4の言葉にSOPMODとAR15の声が重なった瞬間、Manticoreの前方に取り付けられている20㎜機関砲が火を噴いた。

 放たれた無数の弾丸はまだ戦闘体制に移行していないM4の胴体に命中し、彼女を吹き飛ばした。

 

「M4!」

 

 SOPMODがM4に駆け寄り、彼女を抱え瓦礫の陰に飛び込む。

 

「敵!? …くっ、不覚!!」

 

 ここに至ってようやくManticoreに気が付いたAR15は銃を構え、反撃を試みる。M4とSOPMODのダミーもそれに追従して銃撃を加える。だが、Manticoreは大きく飛び上がってそれをかわすと、上空から機関砲の雨を降らせた。それは反撃態勢の十分に整っていないダミー達を易々となぎ倒していく。繰り出す反撃も戦車の装甲に阻まれ、ろくなダメージを与えられていない。

 

「こんな…!?」

 

 ダミーを2体喪失したAR15が後退し、壁の陰に退避する。大型多脚戦車と正面から撃ち合うのは無謀だ。だが、せめて足を止めなければ隙をつくことさえできない。

 

「M4! 大丈夫!?」

 

 SOPMODはそう声をかけ、M4の身体を見て絶句する。彼女のダメージは予想よりも大きく、胸からは大量の人工血液を流している。恐らく人工肺がやられたのだろう。

 

「…ごめんなさい。首から下をシャットアウトしているから、当分動けそうにないわ」

 

 か細い声でM4は言う。彼女は他の戦術人形と違い、電脳の代わりに、人間の脳を搭載している。それ故に人工血液が大量に流出すると命を失う危険がある。そこで、頭部から下の部分を閉鎖して、脳周辺の人工血液が流れ出ないようにできるのだ。だが、補助呼吸器はそう長くはもたず、このままでは脳死の危険がある状態は変わらない。

 

『M4、どうした!?』

 

『敵の奇襲を受けたわ、指揮官! M4が危ない!』

 

 晶からの通信に、受け答えが困難なM4に代わり、AR15が答える。そして、遮蔽の陰からManticoreに反撃を加えるが、ろくにダメージを与えることはできず、M4とSOPMODのダミーは次々と狩りとられていく。

 

一〇〇式(モモ)、ステン! すぐに戻れ! AR小隊が危険な状況だ!』

 

『!? 一〇〇式、了解!』

 

『ステン、了解!』

 

 部屋の中の敵を掃討した二人は、晶からの通信に了解の意を伝え、すぐさま建物の中から飛び出し、新たな敵を見る。

 

「て、敵発見! 攻撃します!」

 

 大型戦車と、大量のダミーの残骸が転がる周囲の惨状に気後れしつつも、一〇〇式は銃を構え、フルオートで弾を浴びせる。だが、装甲を持つ相手にSMG娘である一〇〇式の銃弾では歯が立たない。ステンの手榴弾なら少しぐらいはダメージを入れられるかもしれない。だが、ステンは何故かキョロキョロしているだけで、攻撃しようとしない。まるで、敵戦車が認識できていないかのようだ。

 

 Manticoreが一〇〇式達の方を向き、砲を構える。一〇〇式はステンを壁の方へ突き飛ばし、自身も壁の陰に伏せる。

 弾丸の嵐が壁を貫き、頭上を通り過ぎていく。

 

「うわぁ! …ありがとう一〇〇式(モモ)ちゃん!」

 

 ステンが悲鳴を上げて、頭を抱えて伏せる。そして、一〇〇式に礼を言い、Manticoreの方を見る。ここに来てようやく敵戦車を認識したようだ。

 

 一〇〇式は戦局と残存兵力を省みて思考する。対装甲用の弾丸はなく、敵に有効な射撃兵器はステンとSOPMODの対戦車榴弾ぐらいだ。だが、それとて機動性の高い多脚戦車に命中させるのは難しい。普通の戦法では勝てない。

 

 一〇〇式は弾丸一発だけを薬室に入れ、弾倉を抜く。ダミー達にもそうさせた。

 

「伏せて!」

 

 そう言って、一〇〇式とダミーは弾倉を投擲し、それを打ち抜く。火薬を満載した炸裂弾を詰めた弾倉は派手に爆発し、爆煙をまき散らす。

 そして、ダミーを無造作に突撃させる。煙が晴れ、視界を取り戻したManticoreの砲がダミーを次々と撃ち倒していく。

 

「やあああああああ!!!」

 

 その陰から一〇〇式が突撃し、倒れかけたダミーの肩を踏み台にして大きく跳躍する。そして、銃剣を構える。

 一〇〇式とManticoreが接触する。発光する銃剣がManticoreの身体に突き刺さり、押し込まれていく。身を捩るようにして抵抗するManticore。一〇〇式は歯を食いしばって耐え、更に銃剣を押し込んでいく。その下にある制御モジュールに届くまで。

 Manticoreは一〇〇式を振り落とさん、と大きく跳躍し着地する。その衝撃に耐えられず一〇〇式は地面に投げ出され、転がっていく。だが、その衝撃によって銃剣は更に深く突き刺さったようだ。制御モジュールにダメージを受けたManticoreの動きがでたらめなものになり、明後日の方向に向いて銃弾をまき散らしていく。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん、下がって!」

 

 対戦車榴弾の準備ができたSOPMODが叫ぶ。一〇〇式は勢いのまま転がっていき、瓦礫の陰に伏せる。

 

「派手に砕け散れぇ!」

 

 SOPMODの咆哮と共に大型の榴弾が放たれる。それはManticoreの胴体の下に吸い込まれ、次の瞬間に大爆発を起こす。衝撃で吹き飛ばされたManticoreは壁に叩きつけられて横転し、僅かに手足の先を動かすのみになった。

 

「M4さん!」

 

「M4!」

 

 敵の沈黙を確認した一〇〇式とAR15はすぐに立ち上がり、M4のところに駆けていく。そして、その様子を見て、すぐにポケットから取り出したドレーンを自身の後頭部に接続する。

 

「そっか! 一〇〇式(モモ)ちゃんも脳が生だったね!」

 

 SOPMODが一〇〇式の身体構造を思い出して言う。彼女もまたM4と同じく、人間の脳を持っている戦術人形なのだ。故に、血管をドレーンで繋ぐことで、血液循環を補助することができるのだ。

 

「ごめんなさい、一〇〇式(モモ)さん…」

 

「大丈夫ですから、M4さん。…首から下、切り離しますね」

 

 謝るM4にそう言って、一〇〇式は彼女の後頭部にドレーンを繋ぐ。そして、銃剣を取り外して首の人工皮膚を切除する。すでに配線等のパージは済んでいたので、すんなりとM4は首だけの状態になった。

 

「よかった、M4… 一〇〇式(モモ)ちゃん、ありがとう!」

 

 そう言ってSOPMODは遠慮なく一〇〇式に抱き着いてくる。一〇〇式も微笑んでそれを受け止める。二人は普段からよくつるんでいるため、こうしたことは日常茶飯事だ。

 

『指揮官、状況終了しました』

 

『了解。一〇〇式(モモ)、よくやった』

 

『…はい!』

 

 指揮官の言葉に、一〇〇式は元気に返事をする。被害は大きかったが、自分はよく戦えた。指揮官の言葉でそれを実感し、とても誇らしい気持ちになった。

 

「それにしても、あいつ! ただじゃ済ませない! この損害100倍にして返してやる!!」

 

 一〇〇式から身体を離したSOPMODが怒りに満ちた口調でそう言いながら、もはや僅かに動いているだけのManticoreに近づいていく。また、制御回路を引きずり出して、配線を一本一本引き抜いたり、オイルに火を放ったりするんだろうか。まあ、それぐらいしないと気が済まないのかもしれないが、変わった趣味だなぁ、と一〇〇式は思う。

 

一〇〇式(モモ)さん、気付いた?』

 

 M4A1が通信モジュールで話しかけてくる。恐らく、顔の人工筋肉を動かすのが困難で、音声で話せないのだろう。

 

『はい、M4さん。…みんな、あれに気づいてませんでした』

 

 M4に一〇〇式は答える。ステンは明らかに視界にManticoreの姿が映っていたにも関わらず気づかなかった。AR15やSOPMOD、それにダミー達も攻撃を受けるまで認識していなかった。どういうことなのか、訳が分からない。

 

『とにかく帰って、原因を究明するしかないです』

 

『…そうね』

 

 一〇〇式とM4は案の定Manticoreのオイルに火を点けようとしているSOPMODとそれを止めようとしているAR15の姿を眺めながら通信を終える。脳裏に一抹の不安を抱えながら。



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2-4 電脳精査

「一〇〇式、他4名。総員帰投しました!」

 

「了解。ご苦労」

 

 指揮官室にて、一〇〇式の報告を受ける晶。その右側にはAR-15達4人が並んでいた。隊長のM4A1は帰還した後、即整備班の方に送られたため、副隊長の一〇〇式が代わって帰投の申告を行ってるのだ。

 

「御苦労様。…それにしても、随分派手にやられたものね」

 

 晶の傍らに立っていたFALが苦笑交じりに言う。本体が重傷を負ったのはM4A1一人で、他の者は軽症か無傷だ。

 だが、ダミーの大半が破壊され、一〇〇式に至っては自身の銃までボロボロである。整備班からの盛大な文句が今にも聞こえてきそうだ。

 

「まあ、みんなが生きて帰ってきたんだからいいさ」

 

 晶は4人の姿を見て笑って言う。彼女らの命があったことを考えれば、物資の消費や整備班からの抗議などは大した問題ではない。

 

「でも、一〇〇式(モモ)はちょっと反省!」

 

 ビシッと人差し指を向けて、FALは強い口調で言う。FALの予想外の反応に、一〇〇式は目を白黒させる。

 

「多脚戦車に銃剣突撃を敢行するなんて、無鉄砲の極みよ!」

 

「ご、ごめんなさい、FALさん…」

 

 FALの言葉に、一〇〇式はしょげた様子で言う。久し振りに褒めて貰えるか、と思ったのに当てが外れてしまったのだ。

 

「ちょっと! 酷いよ、FALさん!」

 

 そんなFALにSOPMODが抗議する。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん凄く頑張ったんだよ!? それなのにそんな言い方はないよ!」

 

「…FAL、貴女の言うこともわかるけど、彼女の働きがなければ私達は全滅していた可能性があるわ」

 

 SOPMODの弁護に、AR-15も加わる。確かに一〇〇式の行動は無鉄砲だったが、あの一手が戦闘の趨勢を決したのは間違いない。虎穴に入らずば虎児を得ず、という言葉もあるように、今回の一〇〇式の行動は勝利を掴むために打つべき手であったと思うのだ。

 

「それは分かってる。でも…」

 

 FALは表情を曇らせ、少し悲しそうな口調で続ける。

 

「私達と違って、一〇〇式(モモ)に万が一のことがあったら、もう帰って来られない。…私は貴女を失いたくないのよ…」

 

 それを聞いて、SOPMODとAR‐15は口を噤む。他の戦術人形達は、電脳のバックアップを取っておけば、完全に破壊されても蘇ることができる。だが、自分達もそうだが、戦術人形の中にはそのバックアップが行えない者もいる。特に電脳ではない一〇〇式とM4A1は脳が破壊されれば、どうやっても帰って来られないのだ。

 

「FALさん…」

 

 FALの言葉を聞いて、一〇〇式は少しずつ心の中に、喜びの感情が広がっていくのを感じた。FALは自分を心配するあまり今日叱ったのだ。彼女が本当に自分を大切に思ってくれていることが、本当に嬉しいと思えた。

 

「俺は今日一〇〇式(モモ)はよく頑張ったと思う。だが、あまり無理はするなよ?」

 

「指揮官…はい!」

 

 晶の言葉に元気よく答えた一〇〇式の顔に憂いはなかった。愛しい二人が自分を想ってくれている。こんなにありがたいことはなかった。

 

「さて、一〇〇式はカリーナに報告書用のデータを提出した後、整備班で手当てを受けてくれ。他の3人はこの場に残ってくれ」

 

「うう…もしかして、お叱りですか、指揮官…?」

 

 ステンがバツが悪そうに言う。自分達3人が敵戦車に気づいていれば、こんな被害は受けずに済んだし、一〇〇式もあんな無謀なことはしなかっただろうからだ。

 

「いや、そういうわけじゃねえさ」

 

 ステンの言葉を、晶はやんわりと否定する。あの時の3人とダミー達の挙動は明らかにおかしかった。その責任は彼女らにあるわけではないだろう。敵の何らかの工作である可能性が高い。

 

「あの時に何があったか、調べないといけねぇからな。ちょっと、お前達をスキャンしときたいんだ」

 

 彼女らに起こったこととして可能性が高いのはウイルスの侵入である。過去にAR‐15がそれに引っかかったこともある。今は晶が構築したセキュリティを戦術人形全員にインストールしているのでそうそうやられはしないだろうが、新手のウイルスが相手であった場合そうもいかない可能性がある。大事に至る前にスキャンして、ウイルスを排除し、対策を施しておきたいのだ。そして、その手のことが最も得意なのは、グリフィン全体で見ても晶だろうからだ。

 

「え…………し、指揮官がす、スキャンするんですか…」

 

 ステンがそう言って絶句し、次の瞬間顔を耳の付け根まで真っ赤にする。

 

「えっ…と、せ、整備班でスキャンを受けてはいけないのですか?」

 

 AR‐15も似たような反応で、やんわりと拒否するように言う。整備班の連中では新型のウィルスの検出は難しい。以前の事件でそんなことがあっただろうに、と思う。

 

「…おいおい。真面目な仕事の時に、俺がお前たちに何かしたことがあったか?」

 

 あまりの信用のなさに、晶は少し悲しくなった。そりゃ、普段セクハラを働くことはあるが、真面目な仕事の時に妙なことをすると思っているのだろうか。

 

「そうじゃなくて、指揮官。みんな女の子なんだから…察しなさい」

 

 FALが晶にじれったそうに耳打ちする。この指揮官は本当にデリカシーがない。誰も男の人に自分の中を覗かれるのは恥ずかしいものだ。特にステンは晶に強い好意を寄せているのだから。万一、記憶なんかを覗かれてはたまったものではない。

 

「心配しなくても、システム周りのチェックをするだけだ。プライバシーに関する部分には触れない! 神に誓う!」

 

 晶はそう言って二人を説得する。この件に関してはどうしても譲れない。しかも、ウィルスが一定時間で自壊して自動削除されるようになっていれば、痕跡を見つけるのも困難になる上、対策を講じるのが無理になる。ことは一刻を争うのだ。

 

「じゃあ、まず私にしてよ、指揮官」

 

 まだ躊躇している二人を尻目に、ごく軽い口調でSOPMODが言う。

 

「え!? …貴女本当にいいの?」

 

「うん。指揮官になら、なにされたっていいし」

 

 驚いて言うFALにSOPMODはあっけらかんと言う。そして、晶の方に近づいて来て、遠慮なく抱き着いて言う。

 

「ねえねえ、指揮官。早くシテ? ねえ、早くシテよ~?」

 

「お、おう…」

 

 耳元で甘えるように言うSOPMODに晶は戸惑う。なんだか妙な雰囲気になってきた。FALの方を見ると、視線の温度が何だか下がった気がする。いや、俺のせいじゃないだろ。そうアイコンタクトして、晶はケーブルを取り出して、額の端子に繋ぐ。こうなったら、さっさと終わらせよう、と。

 

「待ってください!」

 

 そんな晶にステンが思いつめたような声で言う。

 

「覚悟を決めました! ステンMK‐Ⅱ、指揮官の検査を受けます!!」

 

 拳を握り締め、まるで清水の舞台から飛び降りる覚悟でも決めてきたかのような口調でステンは言う。いや、そんな大げさなもんじゃねえし、と晶は思うが。もう面倒なので何も言わない。

 

「じゃあ、ステンちゃんが先ね?」

 

「SOPちゃん…! うん…!」

 

 SOPMODが晶から離れ、ステンの方を見て言う。その言葉を聞いたステンは力強く頷いて、いそいそと晶の下にやってくる。

 

「うう…恥ずかしい…指揮官、優しくしてください…」

 

「…あ~、んじゃ椅子に座ってくれ」

 

 顔を真っ赤にして言うステンから僅かに目を逸らしながら、晶は戸惑った口調で言う。さっきから何なんだろう、この雰囲気は。

 見ると、FALの視線の温度が更に下がっている気がする。いや、だから俺のせいじゃないだろ? そうアイコンタクトをして、晶は立ち上がり、ステンを自身の椅子に座らせ、彼女の背後に回る。

 

「じゃあ、始めるぞ?」

 

 そう言って、晶はステンの後頭部の端子部を開き、そこにケーブルを挿した。

 

「…んっ!」

 

 ステンが悩ましい声をあげて、身を震わせる。もしかして、静電気でも発生したのだろうか?

 

「大丈夫か、ステン?」

 

「あ、はい。大丈夫ですから…続けてください」

 

 晶の言葉に、ステンはもじもじとしながら言う。本当にさっきから何なんだ、と思うが気にせずスキャンを開始する。

 

 時間にして約1分少々。かなり念入りにスキャンしたが、ウイルスやその痕跡は見つからない。セキュリティのログも確認してみたが、異常は認められない。どうもウイルスやジャックではなさそうだ。

 だが、そうなるとますます原因がわからない。晶は識別装置や神経モジュールのログを確認する。ざっと見たところ深刻なエラーが発生した形跡はない。

 とりあえず、これ以上はデータを取っておいて後で精査するしかない。晶は右手の甲からケーブルを伸ばして、机の上のIFデッキに繋ぐ。そして、データを吸い出して、デッキに移行させる。

 

「ねえねえ、ステンちゃん」

 

 そんな中、好奇心で目を輝かせたSOPMODがステンに尋ねる。

 

「指揮官が入ってるって、どんな感じ?」

 

「え、えっとね…なんだか、くすぐったいような…そんな感じ」

 

 SOPMODの質問に、ステンは恥じらうような様子で言う。んなわけないだろ、と晶は思う。神経モジュールに関わる部分に刺激を与える真似はしてないのだから。それとも、戦術人形はスキャンしていると何か感じるものなのだろうか。

 

「いいなぁ、ステンちゃん! 私も早くシテ欲しいなぁ!」

 

 SOPMODが興奮した口調で言う。いや、だから何なんだ、その妙な言い方は。

 見れば、FALの視線の温度が氷点下に達している。いや、だから俺のせいじゃないだろ、と何度も…

 

「終わったぞ」

 

 データの送信を終えて、晶がケーブルを引き抜いて言う。何だか妙に疲れた。

 

「あ、も、もう終わったんですね…」

 

 なんだか残念そうにステンが言う。そりゃウイルススキャンにそう長々時間をかける必要もないだろう、と思うのだが。

 

「じゃあ、次は私ね、指揮官!」

 

 そう言うと、SOPMODは晶の手を取って、ステンが退いた後の椅子に晶を導き、体を押して、座らせる。一体何なんだ、と思う暇もなく、SOPMODが膝の上に乗ってきた。しかも、晶の方を向いて。

 

「ねえ、指揮官~、はやくぅ、ねえ、はやくぅ~」

 

 遠慮も会釈もなく身体を押し付けてくる。得も言われぬ柔らかい彼女の身体の感触が晶にも伝わる。香水をつけているのか、結構いい匂いもするし。しかも、股間が接触してしまっている。なんというか、色々と辛い体勢だ。

 

「お、おい、AR‐15、なんとかして…」

 

 晶がAR‐15に声をかけようとしたが、彼女は俯いたまま反応しない。恐らくスリープモードに移行したのだろう。逃げたな、と思う。こんなことなら、ステンやSOPMODもスリープモードになってもらえばよかった、と後悔した。

 見れば、FALの視線はもはや絶対零度にまで冷え切っている。いや、だから俺のせいじゃないと何度も…

 

 こうなったら、さっさと終わらせよう。晶はケーブルを繋いで、スキャンを開始する。

 

「きゃん!」

 

 SOPMODが何だか嬉しそうに声を上げる。だから、静電気とかもないしなんでそんな声を出すんだ、と思う。

 

「ひひひひぃ。指揮官を感じる気がするよ~。何だか気持ちいい~」

 

「ね? でしょ?」

 

 SOPMODの言葉に、ステンが同意して言う。本当にそうなんだろうか、と晶は思う。おかしなところは触っていないのだが…

 ステンの時と同じ要領でシステムをスキャン。やはり、ウイルスの気配はないログにも大きな異常はないが、データは回収。少々仕事が雑になったが、恐らくステンと同じだろう。仕事を終えた晶は、SOPMODからケーブルを抜く。一刻も早くこの状態から抜け出さないと、理性が危うい。

 

「え~、もう終わりなの~」

 

 SOPMODが不満そうに声を上げ、膝の上で身体を上下にゆさゆさする。いや、だから人の理性にこれ以上攻撃を仕掛けないでくれ。

 

「とりあえず、膝から降りてくれ、SOPMOD」

 

「はぁい」

 

 晶の言葉に、渋々ながらもSOPMODは膝から降りる。ふう、危ないところだった。

 

 晶は席を立ち、AR‐15に近寄りながら思案する。ウイルスやジャックでなければ一体何が原因なのだろう、と。今回の事件が一貫したもので、かつ裏に黒幕がいるのなら、そいつは一筋縄でいく相手ではないだろう、と思う。まだ見ぬ得体のしれない存在に戦慄を感じながら、AR-15にケーブルを繋いで検査をする。スキャンの結果はやはり何も異常はなかった。



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Spinoff 電脳遊戯

 故人の曰く、退屈は神をも殺す。人生は大いなる退屈しのぎである。

 故に、人間に近い思考ロジックを持つ戦術人形達にとっても、退屈しのぎとなる娯楽は重要なものである。

 だが、絶滅に瀕した人類の領域の中にあっては娯楽は非常に少ない貴重なものだ。人間であるカリーナさえ、大して好きでもない金稼ぎを暇つぶしにしている有様だ。

 

「じゃーん! 三つ編みできたー!」

 

「わー、可愛い! 可愛いよ、一〇〇式(モモ)ちゃん!」

 

 長い鴉の濡れ羽色の髪を弄りながら、二人の戦術人形が歓声を上げる。G41とSOPMODであった。ゴールデンレトリバーの子犬のようなこの二人の戦術人形は、遊ぶのが大好きだ。

 

「あ、ありがとう…」

 

 戸惑いながら、されるがままになっているのは一〇〇式であった。この二人に捕まると、彼女は概ね二人の玩具になってしまう。髪を弄りまわされるのは日常茶飯事だ。とはいえ、彼女達の好意は嬉しいし、それに彼女たちも手荒なことはしない。髪も事が終われば、元に戻して丁寧にブラッシングもしてくれる程だ。

 

「でも、髪なら私よりG41ちゃんの方が綺麗だと思うけど…」

 

 一〇〇式はG41の長いサラサラの金髪を見て言う。彼女の髪はFALのそれと並んで一〇〇式の憧れでもある。

 

「そう? 私は一〇〇式(モモ)ちゃんの髪の方が綺麗だと思うけど?」

 

 G41がリボンでまとめた自分の髪の先端を摘まんで、しげしげと眺めて言う首を傾げながら言う。確かにこの髪をご主人様(=指揮官)も好きだと言ってくれるが、自身としてはやはり一〇〇式の黒い髪の方が綺麗だと思う。

 

「それに一〇〇式(モモ)ちゃんといるの好きだし!」

 

 SOPMODが後ろから一〇〇式の首に抱き着いて言う。特に理由はないのだが、一〇〇式と一緒にいると心地良いのだ。虫が好く、というところだろうか。

 それに一〇〇式は先に確保しておかないと他の人に連れて行かれてしまう。FALをはじめとして、一〇〇式と遊びたい戦術人形は他にも幾らでもいるのだ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃーん!」

 

 そして、また一人一〇〇式と遊びたい戦術人形がやってきた。ステンMK‐Ⅱだ。彼女とスコーピオンは長らく一〇〇式と肩を並べて戦っている、いわば前衛仲間というべき存在だ。危険な前衛として戦う彼女たちの絆は強いものだ。

 

「ステンちゃーん!」

 

 G41がにこやかに彼女に手を振る。彼女たちが前衛仲間なら、G41達は彼女の背中を固める後衛で、この4人はよく共にチームを組むことがある取り合わせだ。みんな仲はいい。

 

「あ、G41ちゃんとSOPMODちゃんも! 丁度良かった!」

 

 そう言って、ステンは右手に持っている、平たく、白い箱のようなものを頭上に掲げて言った。

 

「実は、さっき指揮官からいいものを貰っちゃいましたー!」

 

「ええ!? それなに!?」

 

 興味の対象が完全にそちらに移ったSOPMODが尋ねる。そう言いながらも、一〇〇式の髪をほどいてブラッシングすることは忘れない。

 

「ファミコンっていうんだって!!」

 

「すごーい!」

 

 ステンの言葉を聞いて、G41が感嘆の声を上げる。ファミコンというのはよく分からないが、大好きなご主人様がくれたものだからきっと凄いものだ、と思ったのだ。

 

「というわけで、早くやろー!」

 

「「おー!」」

 

 ハイテンションで娯楽室に突撃する3人と、引きずられるように連れて行かれる一〇〇式。とはいえ、一〇〇式も嫌々というわけではない。向学心の高い一〇〇式もまた新しいものには興味があった。ましてや、そのファミコンというものは指揮官のくれた物なのだから尚更だ。単に3人のテンションが高すぎてついていけていないだけだ。

 

 首尾よく娯楽室を占拠した4人は、ステンを中心に準備を進めていく。とはいえ、配線の繋ぎ方は単純で、準備は物の数分で終わった。

 

 そして、スイッチを入れると、今は亡きファミコンの開発元のロゴが現れる。続いて、様々なゲームの中から一つ選ぶ画面が現れる。

 

「これって旧世代のゲーム機だ!」

 

「すごーい! 御主人様、お金ないのによく手に入ったね!!」

 

 SOPMODとG41は感心して言う。このご時世、娯楽の道具は凄く値が張る。ましてや、ゲーム機などはそれこそ上級市民の持ち物で、万年金欠の指揮官が買えるようなものだとは思えない。

 

「指揮官、廃工場のガラクタかっぱらって、それと適当なジャンクパーツで作ったんだって。プログラムもコードをIFNで拾って来たって」

 

「「すごーい!」」

 

「やりますねぇ」

 

 G41とSOPMOD、そして一〇〇式が感嘆の声を上げる。指揮官はIFN操作やプログラミングだけでなく、機械を弄るのも得意だ。こんなものが作れるのなら、借金解消の足しに売ればいいのに、戦術人形の娯楽のために提供してしまうのが彼らしいと思う。

 

「それでね、指揮官が最初にお勧めするゲームがこれなんだって」

 

 ステンがコントローラーを操作して選んだゲームのタイトル、それはスーパーマリオブラザーズとあった。

 赤茶けたレンガのような文字盤らしきものの上にも、金色の文字でそう書かれていた。

 

「んじゃ、最初は一〇〇式(モモ)ちゃんからね」

 

「え!? 私から?」

 

 SOPMODからコントローラーを手渡され、一〇〇式は戸惑う。操作も何もわからないのに最初とはこれいかに。

 

「がんばれー、一〇〇式(モモ)ちゃん!!」

 

「いけいけ、ごーごー!」

 

「分かりました! 一〇〇式、いきます!」

 

 G41とステンの無責任な応援を受け、一〇〇式はスタートボタンを押す。そして、ゲームが始まった。

 

 一〇〇式はコントローラーの→ボタンを押して、おっかなびっくり進んでいく。そのうち、何やら茶色い三角形みたいなものが近づいてくる。

 

「て、敵です!」

 

 一〇〇式は思わずそう言う。なんとなくそれの目つきが悪いからそう思ったのだ。

 

「よーし、うっちゃえ!」

 

 ステンが無責任な助言を送る。そう言われても、どう攻撃したらいいのか分からない。一〇〇式は←ボタンと→ボタンを何度も押してまごまごする。そうする間にも敵(?)は近づいてくる。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん! AボタンとBボタンを押してないよ! これで攻撃できるんだよ!」

 

 G41の言葉を受け、一〇〇式はまずBボタンを押してみる。だが、何の反応もない。これでは攻撃できないようだ。ならば、Aだ!とボタンを押す。すると、ゲーム上のキャラはてーんと音を出しながら、ジャンプした。

 

「おお!」

 

 一〇〇式はそういって感心する。彼は自身の身長の3倍以上飛んでいる。正直、戦術人形でさえできない動きだ。彼はVRシアターのヒーローのような超人的な力を持っているのかもしれない。

 

 だが・・・

 

 ボコ!(ブロックにぶつかる)→敵(めんどいので今後クリボーと表記)の目の前に落ちる→接触→てっ!てれっれっれれれってれ!(死亡)

 

「ううう…負けてしまいました…」

 

 敗退した一〇〇式は悲しそうにステンにコントローラーを渡す。正直、仕様が何も分からないのに負けたのだから、悲しいものだ。

 

「よし! ステンMK-Ⅱいきます! 一〇〇式(モモ)ちゃんの屍は拾ってあげるからね!!」

 

 あまり嬉しくない事を言って、ステンは意気揚々とスタートする。実はステンは指揮官からある情報を得ていた。Bボタンを押すと、早く走れる、と。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん…ごめんだけど、勝負はもらった!)

 

 ステンは内心で謝りつつも、遠慮なくダッシュで早く先に進めていく。一〇〇式はステンにとっては友達だが、同時に指揮官を巡っての恋の争いではライバルでもあるのだ。ここで彼女より早くクリアーして、指揮官に褒められたいのだ。

 しかも、先程一〇〇式のおかげで、Aボタンでジャンプするということが判明している。ダッシュとジャンプ! これで無敵、な気がする!

 

「ええい!」

 

 そう叫びながら、ステンは勢いよくAボタンを押す。そして…

 

 てーん(ジャンプ)→ぼこ!(ブロックに頭が当たる)→クリボーの目の前に着地→接触→ てっ!てれっれっれれれってれ!(死亡)

 

「うううう… は、恥ずかしいです…」

 

 小さく縮こまったステンは、なんとも情けない様子でそう言いながら、G41に渡す。

 

「うん! G41出ます!」

 

 そう言って、G41はゲームを始める。二人の様子を見て、ジャンプのタイミングなどは頭に思い描いている。クリアーしてご主人様に褒めてもらうんだ! と、G41は張り切る。

 まず、クリボーの前までダッシュで進んでいく。そして、その前でタイミングよくAボタン。見事にクリボーをかわせた。同時に叩いた?ブロックから何やらオレンジと赤の物体が現れた。

 

「何これ?」

 

「多分あれは味方だよ! 触れてみよう!」

 

「うん!」

 

 SOPMODの無責任な情報に、G41は頷いてそれに触れてみる。すると、なんとキャラの身長が2倍になった。

 

「大きくなった!?」

 

「ちょーしんかぁ! クリスマスツリー!」

 

 一〇〇式とSOPMODが感嘆の声を上げる。なんとなく、ゲームの要領がつかめてきた気がする。G41のテンションもあがってきた。

 

「すごーい!」

 

 G41は調子に乗ってジャンプを繰り返し、次々に先に進んでいく。だが、その目の前に床が抜けている部分が現れ、G41の操作するキャラはその下に消えた。

 

 てっ!てれっれっれれれってれ!(死亡)

 

「えーん…私の価値、発揮できませんでした…」

 

 画面に浮かぶGAME OVARの文字を見て、G41が落胆する。こんなことでは、ご主人様に褒めてもらうのは夢のまた夢だ。

 

「おっ、早速やってるな」

 

 いつの間にか指揮官が、近くにやってきていた。そんな彼にステンが唇を尖らせて言う。

 

「指揮官、このゲーム難しいですよぉ」

 

 涙目でステンは指揮官にコントローラーを渡す。このゲームが入門用にお勧めだというなら、指揮官がまずどうするのか見せて欲しい。

 

「ああ。どれどれ?」

 

 そう言って、指揮官はゲームを始める。

 まるで、流れるような動きで動いていくキャラクターは、クリボーを踏み潰し、よく分からないアイテムを取って巨大化し、谷を飛び越え、白く点滅する花のようなものを取り、火を噴きながらよく分からない緑の物体を薙ぎ倒し、最後に城の旗に飛びついてクリアー。

 

「「「すごーい!」」」

 

「流石、指揮官! やりますねぇ!」

 

 G41とSOPMODとステン、そして一〇〇式が感嘆の声を上げる。やはり、指揮官は凄い人だ。4人は改めてそう思った。

 

 その後も、指揮官は淡々とステージをクリアーしていく。それを見ながら、一〇〇式達は時に歓声を発し、時に指揮官を応援しながら、彼がゲームを進めていくのを見つめている。

 ゲームをプレイしている姿としては間違っている。だが、これはこれでいい、と一〇〇式達は思った。普段仕事のせいであまり一緒に遊ぶ暇がない指揮官。彼が側でいてくれるだけでいい。この部屋にいる4人の戦術人形達は心からそう思った。



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第三戦役『邂逅』 ”そして、その門より入る者のなんと多きことでしょう”
3-1 疑心暗鬼


『こんにちは、天野指揮官。検査の結果を教えるわね?』

 

 指揮官室のIFデッキに入った通信を表示すると、ディスプレイにはラフな白衣をまとった、色素の薄いブラウンの髪とその上の猫耳に似たアクセサリーが特徴の女性、ペルシカが映った。

 現在、自立人形メーカーの最大手であるI.O.P社の技術開発部門「16Lab」の主席研究員である彼女には、ステンとSOPMODとAR-15の精密検査を依頼していたのだ。それにしても、検査に丸一日かけるとは、彼女にしては手間取ったものだ、と思う。

 

「ああ、ペルシカさん。どうだった?」

 

 晶はさっそく答えを尋ねる。ソフト面でもハード面でも、異常があったというならそれを知りたい。何せ、晶はどう頑張っても何も異常を見つけられなかったのだから。

 

『簡単に言うと、今は異常はないわ。正常よ』

 

「今は?」

 

 ペルシカの言葉に、晶は首を傾げる。彼女の言葉を鑑みると、前には異常があった、ということなのだろうか。

 

『電脳を分解して、パーツの検査をしていると奇妙なことをみつけたのよ』

 

 電脳まで分解したのか、と晶は内心で驚く。電脳はブラックボックス中のブラックボックスで、I.O.P社の技術員でも極一部の者しか開けられない。もちろん、ペルシカにはその資格があるが、なんとも大胆なことをしたものだ、と思う。

 

『レセプター部分の金属が電磁パルスを受けた形跡があったわ。極微弱なものだけど、それで知能回路に干渉して、認識障害を起こさせていたのかも』

 

 電磁パルスって、そんなもの検出できるものなのだろうか、と晶は思う。そこらの原理は謎だが、流石ペルシカさんというところか、と納得して話を進める。

 

「その極微弱な電磁パルスってのはどこから発生したものかわかりますか?」

 

『外部からピンポイントに知能回路にパルスを送るっているのは無理だと思うから、内部からだとは思うけど… それだと、電脳ジャックをして回路の動きをおかしくするか、電脳内に何かを物理的に侵入させるしかないと思う』

 

 なるほど、ペルシカの意見は妥当なものだ、と晶も思う。しかし、そうなるとその手段について考えなければならないが…

 

『まず、電脳ジャックだけど、それは無理だと思う。鉄血の機械人形達に天野指揮官の組んだ防壁の突破は不可能だと思う』

 

 ペルシカは晶の防壁を鑑みて言う。あれはかなり嫌らしい防壁で、直感的な判断を用いなければそうそう突破できない。機械的なロジックでは、それこそ処理能力に任せた総攻撃で打ち破るしかないが、それは直接回線を繋げなければ無理な話だ。

 

『電脳の中に何かを仕込むにしても、アリの一匹も入る隙間もない電脳に何かを入れるのは無理だと思う』

 

 だろうな、と晶はペルシカの言葉に頷く。電脳は自立人形にとって最重要部位であり、厳重に保護されている。分解も専門の機械を用いねばできず、外壁は液体どころか空気さえ入る隙間もないほどだ。しかも、万一何かを入れたとしてもセルフメンテナンス用のナノマシンに排除されてしまうだろう。

 

「ナノマシンタンク経由で何かされた可能性は?」

 

 そのナノマシンの貯蔵タンクは唯一電脳に繋がる外部装置といえる。そこから何かが侵入した可能性はないだろうか。

 

『一応それも考えたけど、フィルターからも彼女達のナノマシンからも異常は感知されなかったわ』

 

 ナノマシンから電脳に繋がるパイプには3重のフィルターが施されており、ナノマシンしか通さないようになっている。また、外界からナノマシン等を入れようにも、異常なものが紛れ込めばナノマシンが排除してしまうだろう。

 

『それに、その線で考えると、途中まで彼女達の固有のナノマシンに擬態して、電脳に到着した瞬間に本来の機能を取り戻さなければならないけど、そんな器用なナノマシン、うちでも作れないわ』

 

「…だよなぁ」

 

 ペルシカの言葉に、晶は額に眉根を寄せて思考を巡らせる。彼女の率いる「16Lab」は人類の英知の最先端を結集した場所の一つである。そこで作れないものを、蝶事件以降技術にろくに進歩がないと考えられる鉄血の連中に作れるものだろうか。

 もう一つ可能性があるとすれば、政府直属の研究機関ぐらいだが、そこが鉄血と絡むとは考えづらい。晶が政府軍の情報部にいた時にも、そんな話は聞いたことがない。

 

「とりあえず、こちらにもデータを回してくれないか。独自に調べてみる」

 

『分かった。まとめ終えたら送るわ』

 

「サンクス、ペルシカさん」

 

『ううん。天野指揮官の防壁評判いいし、こっちも随分儲けさせてもらってるから、お互い様』

 

「…は?」

 

 ペルシカの言葉に、晶は目が点になる。あの防壁は、晶がこの基地の戦術人形達のために組んだもので、外に流通させるためのものではなかったはずだ。だのに、なぜペルシカが儲けている話になるのだろう。

 

『天野指揮官、データくれたでしょ? あれを使って、うちの自律人形用に最適化して搭載しているの。アップデートはこちらで独自にやっているから』

 

「ちょっまっ…! あれ、そういうために送ったんじゃねえし!!」

 

 ペルシカの言葉に、晶は狼狽して言う。あのデータはペルシカが防壁を解いてみたい、と言ったから、解けるものならどうぞ、と送ったものだ。

 

「それ盗用じゃないですか!?」

 

『え? あれって特許とか取得してたの?』

 

 晶の言葉に、ペルシカがきょとんとした表情で言う。その言葉を聞いて、晶は言葉を詰まらせる。確かにあれは、晶が勝手に組んだもので、特許申請とかはしていない。故に、彼女がそれを勝手に採用しても訴えていくところはない。

 

「そ、それにしたって、俺の防壁で儲けたんなら、何かしらフィードバックがあってもいいでしょう!?」

 

『うん。今度コーヒー御馳走するから』

 

「…やっすいな、俺の防壁…」

 

 ペルシカの言葉にがっくりと肩を落とす晶。なお、この時晶は聞かなかったが、あの防壁でI.O.P社が儲けた金額は晶の借金を優に一桁上回る額だった。それは、ある意味で聞かなかったほうがよかっただろう。

 

「まあいいや。その分、これからも協力してくださいよ」

 

『うん。こちらこそよろしく…データはちゃんと送るから』

 

 それだけ聞いて、晶は通信を切る。まあ、彼女と繋がりを持っておくと、色々と得だ。それに、いざあの防壁が問題になったときは、16Labをスケープゴートにできるかもしれない。前向きにそう考えて、晶は無理やり自分を納得させる。長い人生、こんなことはつきものなのだからくよくよしてはいけない。

 

『指揮官様、よろしいですか?』

 

 続いて、カリーナから連絡が入った。恐らく、晶がペルシカと通信していたので、それが終わるまで待っていたのだろう。そして、彼女がこのタイミングで言うことは、恐らく…

 

『救助した人権団体の彼が目を覚ました、と医療班から連絡がありました』

 

 やはり、と晶は思う。彼女にはその件を最優先で報告するように伝えていた。奴には尋ねたいことがいくらでもあった。

 

「了解。引き摺ってでも連れてくるんだ。尋問する」

 

『了解しました』

 

 カリーナの返事を聞いて、晶は通信を切り、額の端子にケーブルを繋ぎ、それをデッキに挿す。そして、直接回線でFALを呼び出した。この尋問には彼女の力が必要だ。頭を尋問官のそれに切り替えながら、晶はFALの応答を待った。



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3-2 半信半疑

 カリーナに連れられて指揮官室にやってきた男は、晶よりいくらか年上に見える中年の男だ。頭は禿げ上がっており、痩せた体躯が実に貧相で、あまりいい暮らしをしていないのだろう、とは思った。まあ、そうでもなければ反社会組織に身を置いたりはしないだろうが。

 

「よう、オッサン。タケノコ掘りはどうだったよ? まあ、鉄血の糞どもに追いかけられたんじゃ、収穫も糞もないだろうがな」

 

 彼を見た晶は開口一番に皮肉を言う。彼らロボット人権団体は人類の領域外で、倒れて破棄された人形の残骸を回収して、そのパーツを密かに売り捌いている。そして、その行為を揶揄した言葉がタケノコ掘りである。グリフィンでも買っている部署はあるらしいのであまり表立って文句は言えないが。

 

「…助けていただいたことには感謝しますが、偏見混じりの発言は控えていただきたいですな」

 

「お前らに言われたくねーよ。それにな、俺は人権屋って奴がすっげえ嫌いなんだ」

 

 不満を言う男に、晶は押し被せるように言う。彼らロボット人権団体は、その名の通り自律人形の人権獲得を主張する団体である。その他にも、主人から虐待を受けた人形や不法に放棄された人形を保護したりもしている。

 それらの活動を行うだけならまあいいのだが、彼らはこともあろうか戦術人形の使用にまでケチをつけてくるのだ。特に戦術人形の指揮官などは「可哀そうな戦術人形達を危険な戦場に送り出し、安全な場所から適当に指示している存在」とボロクソに貶されている。

 晶とて可愛い一〇〇式達に危険なことなどさせたくはない。だが、戦うことは彼女達の存在意義であり、それを全うすることは彼女らが望んでいることだ。彼女達の権利云々を謳っておきながら、肝心の当人達の思いを無視しているこの手の連中は唾棄すべき輩だ、と晶は考えているのだ。

 

「指揮官、いきなり噛みつかないの」

 

 入口の方から声が聞こえた。呼んでいたFALが来たようだ。

 

「一応私達自律人形の味方ではあるんだし。…どうぞ、お掛けになって」

 

 そう言いながら、FALは部屋の隅にあるパイプ椅子を持って来て、彼に勧める。

 

「おお、これはFALさん。お会いできて光栄です」

 

 男は嬉しそうに顔を綻ばせて言う。FALはグリフィンの中でも特に優秀な戦術人形として、広報活動にも積極的に参加している。それ故に一般人からの知名度も高いのだ。

 

「どういたしまして。この度は災難に見舞われたようで、心中お察しいたします」

 

 見事な営業スマイルで男に言うFAL。ありったけの猫を総動員して被っている彼女は実に可憐に見える。人形に少なからず好意を抱いているオッサンなどはイチコロだろう。

 晶と視線を交わしたFAL。いい出来だ、任せて、とアイコンタクトで意思を疎通する。晶が高圧的に出て、FALが柔らかく場を纏める。いわば飴と鞭だ。古典的な尋問法だが、それ故に効果は折り紙付きだ。

 

「さて、オッサン。こちらの質問にキリキリ答えてくれ。そうすりゃオッサンも早くお家に帰れるし、俺達も無駄な時間を割かずに済む。それでみんなハッピーだ」

 

「ここでの発言内容は内容次第ですが、他者に漏らすことはありません。悪用することも決してありません。このFALが名に懸けて誓います」

 

 晶のぶっきらぼうな言葉に、実に猫々しいFALが穏やかな口調で付け加える。二人の息は実にぴったりだ。付き合いの長い二人だけのことはあった。

 男はしばらく晶とFALを見比べていたが、やがてため息を一つ吐いて話し始める。

 

「…分かりました。FALさんを信用させていただきます」

 

「ありがとうございます」

 

 男の言葉に、FALは素直に顔を綻ばせて、にこりと笑って礼を言う。もうぶりっ子全開だ。笑いをかみ殺すのが大変だ、と晶は必死に表情筋を抑えた。

 

「まず、お名前から伺ってもよろしいですか?」

 

「…佐伯誠人と申します」

 

 FALの質問に、佐伯は素直に答える。完落ち、というわけではないだろうが、素直に吐いてくれるのはいいことだ、と二人は思う。

 

「では、佐伯さん。何故、人類の領域の外にいらしたのですか? まさか、本当にタケノコ掘りに?」

 

「そうではありません、FALさん。そちらの指揮官殿の予想とは異なりますが」

 

「下らねぇこと言ってないで、とっとと吐け」

 

 FALの言葉に皮肉交じりに返答する佐伯に、晶は氷山から吹き降ろす風のように冷たい言葉を投げつける。FALを見ているのは面白いが、オッサンなど見ていても不快なだけだ。さっさと片づけたい。

 佐伯は一瞬不快げに顔を歪めたが、すぐに元の表情に戻り、話を続ける。

 

「私は命を狙われていたのです。故に、刺客の手の届かないところに逃げなければならなかったのです」

 

「刺客? 人権団体とかか?」

 

 晶はぱっと思いついた候補となる団体を上げる。人間の権利向上を謳う人権団体は、ロボット人権団体とは仲がよろしくなく、時には暴力での応酬もあるという。

 

「違います。…私を狙っているのは、貴方達グリフィンですよ」

 

「え!?」

 

「はあ!?」

 

 佐伯の言葉に、FALと晶がほぼ同時に驚きの声を上げる。どうしてグリフィンが、ロボット人権団体の者の命を狙うのだろう。邪魔なのならしょっ引いてしまえばいいだけなのに。

 

「…これを見ていただければ分かります」

 

 そう言って、佐伯はポケットから小さなプラスチック片のようなものを取り出して差し出してくる。それは、データチップと言われる、一般的な可搬式記憶媒体だ。

 

「どれどれ」

 

 データチップを受け取った晶は早速机の上のIFデッキに挿してみる。中身は動画のようだった。それを再生し、ディスプレイに写した。FALとカリーナもそれを見に来る。

 

 動画の舞台は薄暗い、真っ赤な部屋のようだった。恐らくハンディビデオで撮影しているのだろう。部屋の中には複数の男たちがいる。いずれも壮年から老年の男だ。その中で一際目立つ存在がある。大きな椅子に、まるで王のように傲然と座る熊のような大男だ。3人はその男に見覚えがあった。

 

 画像の視点が男たちから大きなベッドの方へ移る。Wサイズどころではないその上には、拘束されて動けない5人の自律人形達がいた。彼女達はいずれも全裸で、恐怖に顔を歪めている。どうも合意の上での行為ではなさそうだ。

 

 大男は立ち上がり、ベッドの方に近づいていく。そして、その上に上がると、自律人形の一人を強引に引き寄せ、その身体に覆いかぶさった。人形は悲鳴を上げるが、構いもしない。そして、彼女を獣のように犯し始めた。

 

「うっ…」

 

 カリーナがうめき声をあげて、口元を押さえる。晶もFALも眉をしかめて見ている。実に胸糞の悪い光景だ。

 

 動画は続いていく。男が行為を始めたのと同時に、他の男たちもそれぞれ人形達を捕まえて、事を始める。そんな乱交パーティはしばらく続く。気分を悪くしているカリーナとFALのために、晶は動画を早送りさせる。事が終わるまで大したことは映ってないだろうからだ。

 

 動画の時間にしてたっぷり3時間。淫靡な宴は終わり、男達はベッドから離れる。無残な姿になり果てた人形達はショックのあまりか、身動きさえできず呆然としているようだ。

 不意に、大男が画面から消える。そして、戻ってきたとき、その右手には一振りのナイフが握られていた。彼は再びベッドに上がり、茫然自失の人形達に近づいていく。そして、その内の一人の胸に、短剣を容赦なく突き立てた。赤い飛沫が上がった。

 血を浴びた男は狂ったように笑いながら、人形を切り刻んでいく。腹を裂き、手足を切断し、目を抉り、そして最後は頭を引き裂いて、電脳を取り出して、それさえも解体していく。そんな悍ましい光景がディスプレイに映し出される。

 

「う…うう!」

 

 カリーナが蹲ってえずき始める。晶は彼女の前に空のごみ箱を置いてやる。FALもまたこの上もない苦い表情で口元を押さえる。

 

 男は次々と人形達を惨殺していく。その表情を人工血液と狂気に染めて。彼が最後の人形の首を切り離した時、画像は終わった。

 

「AVにしちゃ、ちょっと趣味が悪すぎるな」

 

 晶は再び佐伯の方に視線を移して言う。これは一体何なのだろうか。

 

「フィクションではなく、実際にあったことです。…あの人物が誰か、指揮官殿はお分かりでしょう?」

 

「…ああ」

 

 佐伯の言葉に晶は頷く。あの大男は兵藤というグリフィンの重役だ。CEOのクルーガーの盟友でもある彼は、重度の人形愛好家であり、よく彼女らの地位の向上のために働いているという。

 

「…これは…恥ずかしながら彼と我々の幹部達が開いた秘密の会合でして…私はそこで記録係として撮影していたのですよ」

 

 力なく俯いて言う佐伯の言葉を、晶は頭の中で冷静に吟味しながら聞く。つまり、ロボット人権団体の幹部共と兵藤は、裏でこんな蛮行を働いていたというのだ。恐らく、佐伯はその映像を手にして逃げ出し、彼らを告発するために動いているのだろう。その動きを兵藤に気取られたなら、確かに刺客を送られても不思議ではない。

 

「どうか、あの男を告発していただきたいのです。…FALさんの良心を信じて、これを託します」

 

「…ええ。私としては異存はないのだけど」

 

 すっかり猫が剥がれ落ちたFALが指揮官の方を見る。FAL個人としては許しがたいことだとは思うが、一戦術人形である彼女はまず指揮官の言を待たねばならない。とはいえ、彼とてこのような行為を許せはしないはずだ。

 

「…分かった。とりあえず、この件は預かっておく。適切に処置はさせてもらうつもりだ」

 

 晶は真剣な表情で頷いて、佐伯に言う。晶とてこのような蛮行を許せはしない。だが、事が事だけに慎重な行動を要求される。

 

「しっかし、おたくも腐ってんのな。こんなことしたり、ヤク売ったり。どうなってんだ、おい?」

 

 晶は鋭い視線を佐伯に向けて言う。この件を糾弾する目的もあるが、当初の目的である麻薬密売について何か知らないか、と言外に尋ねているのだ。

 

「…そちらと同じように、我々も一枚岩ではありません。腐ったリンゴはどこにでも存在します」

 

「こっちのことはこっちでケリをつける。事が終わったら、そっちの組織の掃除の手伝いも頼みたいんだが?」

 

「もちろんです。組織を清浄化するための協力なら惜しみません」

 

 晶は佐伯をしばらく睨んで、やがて頷いて視線をFALに向けた。とりあえず、もういい、ということだ。FALは頷いて、佐伯を席から助け起こして、部屋の外へと導いていく。とりあえず、彼はしばらくここの自習室に閉じ込めておくしかないだろう。後、詳しい聞き込みもそこで続けてもらうことにしよう。

 

「さて、カリーナ。お前はどう思う?」

 

「…確かに、酷い事件だとは思いますが…」

 

 晶の問いに、涙目のカリーナがそう答える。

 

「不自然だと思わねえか? 兵藤のオッサン、明後日俺達が護衛するんだぞ?」

 

 晶の言葉に、カリーナは思い出す。兵藤は明後日、プリンスホテルで政府の要人達と会合を開くと言う。彼はその護衛にわざわざ晶の部隊を指名してきたのだ。

 彼のお目当てはどう考えても一〇〇式だ。グリフィンドールの中でもトップクラスの人気を誇る一〇〇式は今年のグリフィンドール総選挙の優勝候補である。そんな彼女を一目見たいというところなのだろう。

 

「タイミングが良すぎる、と?」

 

「ああ。あまりに狙いすましたかのようだからな」

 

 カリーナの言葉に、晶は頷いて言う。疑惑の対象がやってくる直前に佐伯がこの基地に転がり込んできたのだ。いくらなんでも、タイミングが良すぎる。

 

「ただ、あのロボット人権団体は兵藤のオッサンとは結構ズブズブだからな。予定を知っていても不思議ではない、ってのが厄介だ」

 

 晶は椅子に身をもたれされて言う。佐伯が兵藤の予定を知っていたのなら、狙いをすましていても何ら不思議はない。

 

「もしかすると、あの画像はフェイクだと?」

 

「ああ。その可能性も十分ある」

 

 カリーナの問いに、晶はそう答える。あの画像は一見したところ不自然な点は見受けられないが、精巧な偽物なら精査しなければわからない。そして、この場所で本当にこのようなことが行われていたか、佐伯は本当に命を狙われていたのか。事実関係を調査する必要がある。

 

「画像は技術班に回せ。俺は事実関係の調査をしてみる。護衛の件の手続きなどは、お前に任せる」

 

「了解しました」

 

 晶の言葉にカリーナは頷く。護衛の件は元々ほとんどカリーナだけで進めている話なので問題はない。技術班にはきつく口止めしておかなければならないだろうが、そこらは心得た連中なので心配はないだろう。

 後は、IFNだけでどこまで追えるか、というところに尽きる。足を使うとなると、流石に時間がなさすぎる。いざとなったらヘリアンにも協力を頼むかもしれないが、そこまでするのは護衛の件が終わってからでいいだろう。

 

(何だか、騒がしくなってきたな)

 

 不可解なサムライ気取りに、戦術人形達の認識障害。その上に、この件である。全てがバラバラのようで、そうでないような感もある事件。いずれにしても、久し振りの大仕事だ。どれも金に繋がらなさそうなのが残念だが。そんなことを思いながら、晶はIFデッキと自身の頭を繋いで、IFNの海に身を投じた。



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3-3 外敵襲来

 一〇〇式はちらりと、車窓の風景を見る。世界は滅びに瀕しているというのに、市街地には、溢れんばかりに人がいる。その内の何割が自律人形なのかは分からない。だが、若い男女達は仲良く手を繋いで歩き、青春を謳歌しているように見える。

 こういう風景だけを見れば、この世界の惨状など嘘のように見える。だが、指揮官から言わせれば、これでも大昔に比べれば大分人は減ったらしい。人類の領域が大幅に狭まったところから限られた場所に人が密集しているから、そのように感じるだけだ、という。

 それでも、一〇〇式にとっては平和な風景に見える。いつか、あんな風に指揮官と一緒に市街地で手を繋いで歩いたりすることができるのだろうか。FALさんは指揮官になる前の指揮官とそういうことをしていたらしいのだが。いいなぁ、と少し彼女が羨ましくなる。

 ふとそこで、今は仕事中だということを思い出し、一〇〇式は慌てて護衛対象を見る。隣りに座る壮年の、まるで熊のような雰囲気の厳つい容貌の男は、慈愛に満ちた表情で一〇〇式を見ていた。

 

「おや、物思いを中断させてしまったかな? 申し訳ない」

 

「い、いえ、こちらこそ、申し訳ありません…」

 

 男の言葉に、一〇〇式は恥ずかしげに頬を紅に染めて謝る。護衛対象をほったらかしにして物思いに耽る戦術人形もないものだ。

 

「構わないよ。物思いに耽る君の顔も最高に可憐だからね」

 

 そう言って、男-兵藤将洋は屈託のない笑みを浮かべる。まるで邪気のない笑顔。彼が悪いことをする人だとは、一〇〇式には思えなかった。

 

「うちのお嬢に妙なことしないでくれよ、叔父貴」

 

 リムジンの運転をするトンプソンが、ため息混じりに言う。重役に鉄拳制裁など、ゾッとしない。まあ、尻の一つでも触ろうものなら、迷わずやるのだが。

 

「おいおい、信用がないな、トンプソン。他人の人形に許可なく触るのは、人形愛好家最大の禁忌だ。彼女がいくら可愛らしくても、そんなことはしないよ」

 

「そう思うのでしたら、普段の態度を改めてください、局長」

 

 兵藤の言葉に、スオミが呆れたように言う。グリフィン直属の遊撃隊として働いている彼女は、今回彼の護衛に回されているようだ。こうした軽口が聞けるところを見ると、彼との面識は一度や二度ではないのだろう。

 

『状況はどうだ、一〇〇式(モモ)、トンプソン』

 

 通信モジュールを通じて、一〇〇式とトンプソンに、疲れた晶の声が聞こえる。だが、声の張りをなくしていないところを見ると、この件には最後まで関わるらしいことが伺えた。

 

『今のところ何もない、ボス』

 

 トンプソンは横目に街の雑踏を見る。世は事も無し、神は天にいまし。滅亡寸前と言われる人の世は、特に問題もなく時を刻んでいるように見える。過激派などが現れる気配もない。

 

『それに、この人があまり悪い人だとは思えません、指揮官』

 

 一〇〇式は率直に感想を述べる。一〇〇式は例のVTRについてろくに知らされていない。純真な彼女が万一知れば、彼の顔を見ることさえできなくなるだろうからだ。だから、悪い奴であるかもしれないから注意しろ、と言っているだけだ。

 

『私もそう思う。あまり、昔から変わっていないようだ』

 

 一〇〇式の言葉に、トンプソンもまた同意する。彼女はグリフィン直属時代に何度か彼の護衛をしたことがあるらしい。その彼女に言わせれば、彼は重度の人形愛好家で、かつそこそこ紳士的であったと言う。VTRを見た彼女の曰く、彼がそんなことをするのは、よほどの心境の変化があったとしか思えない、と。

 

『油断はするなよ、二人共。悪魔はいかにも悪魔です、という顔で近寄ってこないもんだ』

 

 晶はあくまで二人に注意を呼びかける。スオミまでグルであるとは流石に考えられないが、油断して孤立してしまうとどうなるか分からない。

 とは言え、彼の経歴を詳細に調べたが、特に怪しい様子はなかった。重度の人形愛好家として、グリフィン直属部隊の間で噂になっているが、今まで身体を触る等のセクハラを受けた戦術人形はいないらしい。人間の妻や娘達もいて、家族愛も強いとも言う。

 

 ただ、調査の結果、どうもあのVTRが撮影された日に、ロボット人権団体の連中と、佐伯の言うホテルで会合を行っていたのは事実らしい。あのホテルのノードに侵入して調べてみたが、きちんと利用履歴は残されていた。ただ、残念ながら件の部屋は完全なプライベートルームであるらしく、監視カメラの映像等は拾って来られなかった。

 佐伯にはFALと共にもう一度尋問し、嘘発見器まで使ったが、彼の証言は変わらず、嘘をついている様子もなかった。

 映像も今のところ技術部から何の連絡もないところを見ると、問題が見当たらないのだろう。実際、晶も何度か検証したが、画像に不自然な点が見受けられない。作り物だとするなら、きっちりした仕事に定評のある鉄血クオリティでも、かなりのものだと思う。

 そんなわけで、彼に対する疑惑は消せないでいる。だが、決定的な証拠は掴めていない。ろくでもない状況に、晶は苛立っていた。一〇〇式の手前、無様な姿を見せないように自重はしているが。

 

『…ボス、脳波が乱れているぞ?』

 

 トンプソンが気遣わしげに尋ねてくる。経験豊富な彼女は、通信の状況からでもそうしたことが読み取れるようだ。

 

『ちょっと寝てないだけだ。気にするな』

 

 晶は口調を崩さず、軽く言う。晶は例の尋問から2日、睡眠時間は3時間を切っている。その上で、ひっきりなしに調査していたのだから、脳波も乱れるだろう。

 

『…指揮官、お休みになってください。後は、一〇〇式達でなんとか…』

 

『重要な任務だ、一〇〇式(モモ)。今寝てるわけにはいかん』

 

 一〇〇式の言葉に、晶は断固とした口調で言う。本社の重役の護衛という重要な任務の最中に寝ている訳にはいかない。それに、万一例のVTRが本物なら一〇〇式が危険だ。石に噛りついてでも起きて、直接指揮を執る必要があるのだ。

 

『FAL。そっちはどうだ?』

 

『問題ないわ。みんながぶーぶー煩いだけ』

 

 通信を切り替えて、晶はFALに連絡を入れる。彼女達はプリンスホテルの駐車場で、隊の車であるバンに乗って待機中だ。不測の事態に対処する、という名目だが、その事態の中には一〇〇式の異常ということもある。万一、兵藤が尻尾を出せば、ホテルに突っ込んで制圧するのだ。

 幸い、プリンスホテルのノードはすでに制圧済みで、いざとなればルームサービスの自律人形の電脳までジャックできる。いざ、一〇〇式がプライベートルームに連れ込まれたなら、これらを活用して監視する予定だ。

 

『ご主人様~、暇すぎるよ~』

 

『指揮官、敵はまだ? 出撃が待ち遠しいよ!』

 

 G41とスコーピオンが待ちきれないとばかりに言う。二人には悪いがまだまだ待機時間は長くなるだろう。それに、今回は戦闘がない可能性も高いのだ。

 

『すまんな、二人共。何なら、まだ寝ていてくれてもいい』

 

『うー…ファミコン持ってくれば、良かったなぁ…』

 

 晶の言葉に、G41が実に残念そうに言う。晶があげたファミコンを、彼女は実に楽しんでいるようだ。

 

『じゃあ、大富豪しましょう! カード持ってきたんです!』

 

 そう言って、MP5がトランプをポケットから取り出す。それを見て、G41は歓喜する。

 

『わーい!』

 

『するする! M4さんもやろうよ!』

 

『う、うん…』

 

 G41とスコーピオンの言葉に、M4は頷く。正直、彼女も退屈していたのだ。しかも、他の娘達と違って、生の脳を持つ彼女は自発的に眠れないので尚更だ。

 

『あの…FALさんは?』

 

『私はいいわ。4人で楽しんで頂戴』

 

 気遣っていうM4に、FALは軽く言う。そもそも5人で大富豪、というのは多すぎるだろうに、と思う。それに、暇つぶしの道具は自前である。FALはポケットの中からミニゲーム機を取り出してプレイする。次こそ、10万点以上を出して、指揮官をぎゃふんと言わせてやると。

 

『引き続き待機を継続してくれ。状況が変わったら知らせる』

 

 バンの中の姦しい様子を想像して、晶は苦笑しながら通信を切る。別働隊も配置についているらしく、準備は万端だ、と思う。人事は尽くした。後は天命を待つだけだ。

 

「はい。よければ、飲んでくれ」

 

 そう言って、兵藤は座席の下にある冷蔵庫から缶ジュースを取り出して、一〇〇式に手渡してくる。赤と白に彩られたそれは、最近では珍しい純正のコーラのように思えた。

 

「あの…これ…」

 

 一〇〇式は缶と兵藤を見比べながら言う。こんな高価なものを貰っていいものか、迷っているのだ。

 

「構わないよ。チップの代わりだと思ってくれればいい」

 

 そう言って自身は、ラム酒のミニボトルを取り出し、ポケットから十得ナイフを取り出して、右手で手際よく瓶の封を切る。

 

「今日君と出会えた幸福に、乾杯」

 

「え!? あ、あの、グラスにお注ぎします!」

 

「いいよ。グラスを洗う手間もあるだろうし」

 

 そう言って兵藤はミニボトルを差し出してくる。一〇〇式は一瞬戸惑ったが、やがて缶を差し出して、控えめに彼のボトルに打ち付ける。そして、缶の中身を口にした。冷えたコーラはいつ飲んでも美味しかった。

 

「叔父貴。酔っ払って会談どころじゃない、ってことにならないでくれよ」

 

 豪快にボトルに口をつけて飲む兵藤に、トンプソンは呆れて言う。相変わらずの飲ん兵衛だ。

 

「いやあ。こんな可憐な娘と飲む酒は美味しくてね。…ところで」

 

 そう言って、兵藤はボトルにコルクを嵌める。そして、冷静な声で言う。

 

「速度を上げてくれ、トンプソン。…狼藉者だ」

 

 彼がそういった次の瞬間、リムジンが僅かに傾いだ。慌てて、一〇〇式が見ると窓ガラスに罅が入っている。敵襲だ。一〇〇式はコーラを一気に飲み干して、途中炭酸に咽ながらも、足元の銃を手に取った。トンプソンとスオミもそれに習う。

 

『FAL、状況が変わった。急いで一〇〇式(モモ)達の救援に向かえ』

 

『了解! 行くわよ、みんな!』

 

『はい、指揮官』

 

『え!? も、もうすぐ、大富豪なのに~』

 

『よし! 待ちに待った、出撃だー!』

 

『ご主人様、G41頑張ります。 褒めてくれたら、もっと努力しますよ?』

 

 FALの号令に、M4とMP5、そしてスコーピオンとG41が気勢を上げる。そして、FALが車を発信させる。とは言え、彼女たちと現場はかなり遠い。別働隊にも指示を出さねばならない。

 

『M14とFiveSevenは狙撃地点Bに急行。現れた敵を片っ端から撃っていけ』

 

『了解! M14頑張ります!』

 

『ええ! 任せておいて!』

 

 晶の言葉に、M14とFive-sevenは了解の意を示す。彼女たちは、狙撃班として待機して貰っていたのだ。こちらの班は道中で戦闘が起きたときに、そのフォローをする係である。狙撃ポイントはいくつか指定してあり、Bはすぐにでもたどり着けるポイントだ。

 

『スプリングフィールドとPPKは現地点を放棄して、スクーターで待機。何かあった場合すぐに移動できるようにしておけ』

 

『了解しました。私、頑張りますね』

 

『あら。アサシンのパーティ。まだ始められないのかしら?』

 

 晶の言葉にスプリングフィールドとPPKが答える。彼女らはホテルのシークレットルームが狙撃できる位置に配置していた。あの部屋には窓はないが、晶とPPKの連携と、スプリングフィールドの狙撃能力があれば、目標が見えなくても狙撃できると踏んでいたのだ。だが、今はその点に構っている暇はない。護衛対象を守る、という本来の任務を優先せざるを得ない。カリーナの私物の電動スクーターを使わせた甲斐があったというものだ。

 

(真っ昼間から襲撃か…どうなってやがる…)

 

 晶は頭を捻る。真っ昼間から誰かが市街地でVIPが銃撃を食らうというのも意外だが、今までの事件が全て関連しているのなら、誰が何のために兵藤を襲撃しているのかが分からない。ますます訳のわからない事態になっていっている気がする。

 ともあれ、一〇〇式達は現に襲撃を受けている。晶は現実に意識を戻し、リムジンのセンサーをジャックして戦場をモニターする。ともあれまずは、護衛対象を守らなければならない、と意識を切り替えて。



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3-4 桜姫見参

 近くのマンションの3階。ベランダからライフルを持って、リムジンを狙っている半裸の自立人形がいる。格好こそ異なるが、中身は鉄血のJaeger型人形だろう。

 なぜ、あんなものが市街地にいるのかというとあの部屋の持ち主が、違法な手段で闇の人形として手に入れたのだろう。

 近年、自律人形の権利は拡大し、正規生産された自律人形に非人道的な行為は許されない。しかも、資源不足から個人所有用の自律人形は年々値上がりしているのだ。そのような状況の中、鉄血はIFNの闇サイトなどで機械人形を売りつけているのだ。彼女らは正規品に比べて非常に安く、しかも人権などを全く考慮する必要がないため、心無い人間が購入するケースが後を絶たない。それがこうした事態の時に、人間に牙を剥くのだ。

 

「身売りして仕事とか、想像するだけで嫌になっちゃうけどなー」

 

 そんな彼女をオプティカルサイト越しに見つめて言うM14。あの格好からして、恐らく持ち主には散々ろくでもない目に遭わされたに違いない。そんなことまでして、工作のために送り込まれるのだから、敵ながら少々同情してしまう。

 

「敵の心配してる場合じゃないわよ、M14。…それに、そのろくでもない奴は報いを受けただろうし」

 

 双眼鏡で彼女と同じものを見ているFive-sevenが彼女の部屋の中を想像して言う。持ち主は今頃、散々虐げた人形の手で殺されているだろう。自業自得とはいえ、哀れな末路である。

 

「それより、東の風、風速1m。距離1000」

 

「了解。生体FCS誤差修正完了」

 

 伏せ撃ちの姿勢のM14に、Five-sevenは自身のセンサーが感知したデータを送る。ハンドガン娘は戦闘力が低い代わりに、センサー類や電子戦装備が充実しており、他の銃娘の支援を得意とする。特にライフル娘と随伴で、観測手兼護衛として扱うのは、基本的な運用と言える。

 

「ショット」

 

 Five-sevenのかけ声とともに、M14が引き金を引く。放たれた弾丸は、狙いを過たずJaeger型の頭に命中し、その電脳を貫く。Jaeger型はライフルを取り落とし、その場に倒れた。

 

『指揮官、聞こえました? 勝利の鐘が鳴ってますー!』

 

『よくやった、M14。それにFive-seven』

 

 見事、敵を打ち倒したM14とFive-sevenに晶が労いの言葉をかける。とりあえず、当面脅威になりそうなスナイパーを撃破できたことは大きい。だが、まだ脅威は去っていない。

 

『次はリムジンを追う鉄血の犬共を排除してくれ』

 

『了解!』

 

 そう言って、M14とFive-sevenはリムジンの後方に目を向ける。そこには異様な光景が広がっていた。多様な犬の毛皮を被ったペットロボット達が、リムジンに追いすがっているのだ。これも中身はDinergate型の機械人形だろう。

 

「身元不明のペットロボット拾うの、法律で禁止して欲しいなぁ」

 

「ほんとにね」

 

 M14とFive-sevenはぼやきながら狙撃を開始する。わんこの頭をぶち抜いていくのには、多少良心の呵責があったが、M14の狙いは精確だった。

 

 フルアクセルでDinergate型を引き離していくリムジンの中で、一〇〇式達はふう、と一息つく。追っ手は確実に数を減らしているし、スナイパーは始末された。数発食らったが、グリフィンの特製リムジンは大きなダメージを受けていない。相手が徹甲弾を用いていなかったのは不幸中の幸いだった。

 

「しかし、叔父貴。よく襲撃がわかったな」

 

 トンプソンは兵藤に言う。なんというか勘が良すぎるように思うのだ。

 

「スコープの反射が見えたのさ。後はまあ勘だな。昔はそれなりの修羅場を潜り抜けてきたからね」

 

 兵藤はなんでもないことのように言う。確かに、彼はその昔軍人であったらしく、クルーガーとは同僚であったと聞く。その頃から彼と肩を並べて戦っているのなら、確かにそうした勘も働くようになるのかもしれない。

 

「でも、市街地なら大した戦力も用意できないでしょうし、不意打ちさえ凌げば…」

 

 スオミがそう言った次の瞬間、右前から飛んできた黒い塊が車の下に潜り込んだことをトンプソンが確認する。対戦車グレネードだ。彼女が舌打ちする暇もなく、それは派手に爆発した。

 

 けたたましい音ともに、車が投げ出された玩具の様に宙を舞う。地面に落ちたそれは、一回転した後、ビルに激突して、上下逆様の形で止まった。

 

「くっ… 大丈夫か? 叔父貴、それにお嬢」

 

「ああ… なんとか、な」

 

 トンプソンの声に、兵藤が答える。どうやら咄嗟に対ショック姿勢をとっていたようだ。同時に、胸に抱えていた一〇〇式を解放する。

 

「…あ、あの、私…」

 

 一〇〇式が顔を真っ赤にして言う。護衛対象に守ってもらうなど、本末転倒もいいところだ。

 

「なあに。役得だったよ」

 

 頭から流れる血を気にもせず、兵藤はにこりと笑って言う。この人はやはり悪い人ではないのではないか、一〇〇式は心からそう思った。

 

「お嬢、すぐに脱出するぞ! スオミも急げ!」

 

「「はい!」」

 

 そう言って彼女らはドアを思い切り蹴飛ばして開け、車外に転がり出る。兵藤もそれに続いた。そして、直ちにビルの陰に向かって一目散に走る。

 次の瞬間、車にまた大型グレネードが撃ち込まれる。次の瞬間、車から火柱が上がり、炎が車体を包み込んだ。どうやら、ナパーム弾を撃ち込んだらしい。

 

「ふん。ネズミがうまく逃げたじゃない」

 

 一〇〇式達をあざ笑うかのように言う声は、なにやら小生意気な少女のような雰囲気があった。事実、物陰から現れたのは十代半ばと見られる少女のような機械人形であった。

 銀色の長い髪をツインテールに纏め、発育途上に見える肢体を黒いレオタードで包んだ彼女の腰の辺りからは二門の凶悪な連射式グレネードランチャーを装備したサブアームが覗いていた。

 

 彼女の名は破壊者(デストロイヤー)。鉄血の誇る上位機械人形、俗にBOSSと言われる連中の一人だ。

 

「チッ、鉄血のメスガキまで来やがったか…」

 

 トンプソンはあまりの異常事態に舌打ちする。鉄血のBOSSまでが市街地に現れるなど、完全に想定外だ。

 

「ふむ。鉄血の機械人形はセンスがイマイチだと思っていたが、なかなか可愛らしい娘もいるじゃないか」

 

「こんな時に何言ってるんですか、局長…」

 

 暢気に敵の容姿を褒める兵藤に、呆れるスオミ。そう言えば、晶も最初鉄血のBOSSを見た時、そんなことを言っていた気がする。彼らは似たもの同士なのかもしれない、と一〇〇式はなんとなく思った。

 

「鉄血のお嬢さん! 物騒なものを引っ込めて、お話でもしないかい?」

 

「ふん! 下等生物と話すことなんかないわよ!」

 

 兵藤の言葉に悪態で返した破壊者(デストロイヤー)は、サブアームを動かして、容赦なく榴弾を放ってくる。兵藤を守らなくては、そう思った一〇〇式が見たものは、左手で拳銃を構える兵藤の姿だった。

 

「それは残念、だ!」

 

 スマートリンク並びに生体FCS起動。拳銃より放たれた銃弾は、音速を超えて飛ぶ榴弾に直撃し、それを空中で破裂させる。爆風と破片が撒き散らされ、遮蔽に隠れていない破壊者(デストロイヤー)の肌を傷つけた。

 

「ふむ。何とかなるものだな」

 

 驚愕する3人の戦術人形達を尻目に、兵藤は軽くそう言って拳銃を仕舞う。椅子をケツで磨く仕事に就いてから、少々鈍っていた腕にしては上出来だった。

 

「す、凄い…ですね…」

 

「まあね。これでもサムライ・マサキのモデルだからね」

 

 絶句する一〇〇式の頭を撫でて、兵藤は言う。確かにその腕前は無敵の超兵士であるサムライの名に相応しいものと思えた。

 

「…叔父貴。あんた、利き腕は右じゃなかったか?」

 

 トンプソンは怪訝そうな顔で尋ねる。確か、彼のプロフィールには利き腕は右と書いてあった。それに、日常何かやるときも右手を多用していたはずだ。

 

「ん? ああ。生身のはね。だが、左は機械化されているから、こちらの方が武器を振るうには何かと都合がいいんだ」

 

 特に不自由なく使えるし、と兵藤は何気なく言う。だが、トンプソンはその言葉に衝撃を受けた。あのVTRで、彼は右手でナイフを振るっていたはずだ。

 

『ボス! 聞いたか!?』

 

『ああ。…なんてこった』

 

 トンプソンの言葉に、晶は呻く様に言う。プロフィールを鵜呑みにしすぎて、不自然な点に気づかなかった。晶はアホらしいミスをした自分を呪う。あのVTRは精巧に作られた偽物だ。

 

『指揮官! 現在、Cポイントを通過! もうすぐ着くわ!』

 

 バンを最大速度でかっ飛ばすFALが晶に通信を入れる。時間にして後5分ほどだろう。

 

『了解! トンプソン、裏通りで局長とスオミを脱出させろ。FALは局長らを拾った後、G41達を降ろして、一〇〇式(モモ)達に合流させろ』

 

『『了解!』』

 

 FALとトンプソンが了解の意を示す。

 

「スオミ、局長を連れて裏路地を行け。北に走ればうちの連中と合流できる」

 

「分かりました!」

 

「すまんな、トンプソン。…一〇〇式君も気をつけて、また後で会おう」

 

「は、はい!…局長も、気をつけて」

 

 言葉を交わし、4人は各々に行動を開始する。スオミと兵藤は路地裏を駆けて行き、トンプソンと一〇〇式はビルの陰から出て、銃弾を3点バーストで破壊者(デストロイヤー)に浴びせる。彼らが避難できるまで、こいつの足だけは止めなければならない。後の雑魚なら、スオミとサムライなら何とでもなるだろう。

 

「うざいわね!」

 

 破壊者(デストロイヤー)は二門のグレネードランチャーを二人に向け、それぞれに榴弾を一つずつ放つ。それはトンプソンと一〇〇式に直撃したかに見えた。

 

「なめるな、クソガキ!」

 

 だが、爆風の中から現れたトンプソンは無傷であった。彼女が展開した電磁バリアーがグレネードを完全に無効化したのだ。

 

「やあああああああ!!!」

 

 同じく、ナノマシンの力学障壁でグレネードを防いだ一〇〇式が、ワンサード力学格子で加速し、一気に間合いを詰め、銃剣で破壊者(デストロイヤー)に襲い掛かる。光る剣が彼女の頬を掠め、赤い線を入れる。

 

「くっ!」

 

 接近戦では不利な破壊者(デストロイヤー)は、間合いを取ろうと後退する。だが、一〇〇式はそれに追いすがり銃剣を繰り出す。

 防戦一方になった破壊者(デストロイヤー)を挟み撃ちにしようとトンプソンが駆け出す。だが、その足を止めるものがあった。足元に撃ち込まれた銃弾。咄嗟にビルの陰に隠れたトンプソンが見たものは、数体のDinergate型であった。

 

「邪魔だ!」

 

 トンプソンは銃を撃ち、その内一体の頭部を吹き飛ばした。だが、完全に足が止められてしまった。

 

「うぁ!」

 

 一〇〇式の側にもDinergate型一体が現れる。側面から撃たれた弾丸が、一〇〇式の肩を撃ち抜いた。銃を構え、それ撃ち倒すが、破壊者(デストロイヤー)に態勢を整える時間を与えてしまった。

 

「食らえ!」

 

 破壊者(デストロイヤー)が放った榴弾が一〇〇式に直撃する。爆風で吹き飛ばされた一〇〇式は幼児に投げ出された人形のように宙を舞い、ビルの外壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。頭部を強打し、脳震盪を起こしたのだ。

 

「お嬢!」

 

 トンプソンが叫び、一〇〇式に駆け寄ろうとするが、それを二匹のDinergate型の銃撃が阻む。トンプソンは反撃でそれらを撃ち倒し駆けようとするが、それより早く破壊者(デストロイヤー)が2つの砲門を一〇〇式に向ける。

 

「砕け散れ!」

 

 そして、フルオートで榴弾を何度も何度も叩き込む。ビルが傾ぐほどの衝撃と爆炎。あれほどの攻撃を食らえば、どんな戦術人形でもひとたまりもないだろう。

 

「あはははは! もう木っ端微塵になったかしら!」

 

 勝ち誇って言う破壊者(デストロイヤー)。だが、爆炎の向こうから、

 

「いい加減にしなさい、破壊者(デストロイヤー)ちゃん」

 

 まるで鈴の音のような、凛とした涼しい、だがその内部に蒼い炎のような怒りを含んだ声が聞こえた。

 

 次の瞬間、炎と煙が吹き払われる。その中から現れたのは、一〇〇式を守るように立つ、黒髪の少女だった。



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3-5 桜花幻影

 炎をその袖で振り払って現れた少女は、黒地に白い桜の紋様の描かれた振袖と、灰色の袴を身に纏っていた。その姿は、大昔この国で大正と呼ばれていた頃の女学生の衣装と酷似している。

 そして、その風貌は一〇〇式とそっくりだ。長い鴉の濡れ羽色の髪も、その可憐な顔立ちも瓜二つだ。違いといえば、髪飾りが桜を象った金色の簪になっていることぐらいだろうか。

 

「え、復讐者(エリニュス)…」

 

 その姿を見た破壊者(デストロイヤー)が気圧されるように一歩下がる。その顔には、恐怖が浮かんでいた。その姿は鉄血のBOSSとは思えないほど弱々しく見えた。

 

「ちょっと抜け道教えたら、勝手に出て行って… うちそんなこと頼んだっけ?」

 

 はあ…とワザとらしく溜息を吐いて、復讐者(エリニュス)と呼ばれた少女は、破壊者(デストロイヤー)に尋ねる。口調は独特なイントネーションだが、あくまで響きは柔らかい。だが、その内側に秘められた怒りはトンプソンさえ一歩後ろに下がるほどだ。本当に洗練された怒気や殺気というものは、こうまでも涼やかなものなのだろうか、と思う。

 

「だ、だって、あんた一人で行って…失敗したら困るし…」

 

「うん、見事に失敗したねぇ。破壊者(デストロイヤー)ちゃんの横槍のせいで」

 

 計画が台無しえ。そう呟いた復讐者(エリニュス)の怒りが霧散していくのをトンプソンは感じた。曲がりなりにも救援のつもりだったのだ、と好意的に解釈したのかもしれない。そんな彼女は、一〇〇式と同じように随分人間臭い機械人形のように思えた。

 

「まあええか。夢想家(ドリーマー)ちゃんの計画は正直性に合わんし。今回は不問に付してあげる」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は興味を失ったように破壊者(デストロイヤー)に背を向け、しゃがみこんで一〇〇式の頭部に触れる。

 

「うーん…脳に損傷とかないといいけどなぁ」

 

 そう言った次の瞬間、彼女は動かない一〇〇式を肩に担いで立ち上がる。そして、トンプソンの方を見て、無邪気な笑顔で言う。

 

「あ、お姉さん。一〇〇式ちゃん、ちょっと借りるえ?」

 

「なんだと!?」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、トンプソンは焦燥を覚える。彼女は一〇〇式を拉致するつもりだ。目の前でそんなことをされて、黙って見ているわけにはいかない。さりとて、この状態で銃を撃てば、一〇〇式に当たる可能性がある。

 

「お嬢を放せ!」

 

 故に、トンプソンは突撃し、その拳を振り上げる。喧嘩殺法で、敵を殴り倒す構えだ。それを復讐者(エリニュス)はまるで小鳥のように、首を小さく傾げて見ている。身動きする様子も、銃を構える様子もない。何を考えているかは知らないが、その綺麗な顔をぶっ飛ばしてやる。トンプソンは拳を彼女の顔面目掛けて振り下ろした。

 だが、その拳は虚しく宙を切った。命中する直前まで一歩も動かなかった復讐者(エリニュス)の姿は、その場から忽然と消えてしまっていたのだ。

 

「ごめんなー、お姉さん」

 

 背後から聞こえた声とともに、トンプソンは首筋にちくり、とした微かな痛みを覚えた。次の瞬間、彼女はその場に崩れ落ちた。まるで、首から下が自身のものではなくなったかのように力を失ったのだ。

 

「な、なんだ、これ…!?」

 

「首から下の神経モジュールの信号を遮断したんよ。ちょっとしたら動けるようになるから、堪忍な」

 

 復讐者(エリニュス)は片手で拝むようにして、トンプソンに詫びを入れ、再び破壊者(デストロイヤー)の方に向き直る。

 

破壊者(デストロイヤー)ちゃんはもうお帰り。うちはちょっと一〇〇式ちゃんと遊んでから帰るから」

 

「い、言われなくても、帰るわよ! この怪物女!」

 

 復讐者(エリニュス)に憎まれ口を叩いて、破壊者(デストロイヤー)は後ろに向いて走っていく。そして、ビルの陰から出ようとしたところで、復讐者(エリニュス)が叫ぶ。

 

破壊者(デストロイヤー)ちゃん! そっちはあかんえ!」

 

 遮蔽から一歩踏み出せば、そこは既に敵スナイパーの狩場だ。だが、破壊者(デストロイヤー)は無視して走って行き、ついにビルの陰から出る。

 

「のこのこと現れたわね!」

 

 その姿をFive-sevenは見逃さなかった。データリンク開始。観測データをM14に渡す。

 

「よーく狙って…攻撃ぃ!」

 

 M14は破壊者(デストロイヤー)の頭部目掛けて徹甲弾を放つ。電脳さえ破壊すれば、鉄血のBOSSでも破壊できる。狙いは完璧、敵は気づいていない。外れる要因はなかった。

 

 キイィィィン!!

 

 だが、弾丸は破壊者(デストロイヤー)の手前で真っ二つになって、地面に落ちた。知らぬ間に割って入った少女-復讐者(エリニュス)が手にしている抜身の小太刀が、弾丸を切り払ったのだ。

 

「う、うぇ!?」

 

 ようやく自身に迫っていた危機に気付いた破壊者(デストロイヤー)が間の抜けた声を上げる。復讐者(エリニュス)は心底呆れたように溜息を吐いた。

 

破壊者(デストロイヤー)ちゃん… あんまり手間かけさせんといて。うちの能力も無制限には使えひんのよ?」

 

「た、助けてくれとか、言ってないし! れ、礼は言わないんだから!!」

 

 そう言って、慌ててビルの陰に飛び込む破壊者(デストロイヤー)を、復讐者(エリニュス)は見送った。恐らく、夢想家(ドリーマー)からは大目玉を食らうだろうが、自分の権限で許しているので、そう酷いことはされないだろう、と思いながら。

 

「だ、弾丸を切った…!?」

 

 あまりにも有り得ない現象を目の当たりにしたFive-sevenが、観測さえ忘れて絶句する。自分の認識外から飛び込んできた速さにも驚いたが、遠距離から放たれた弾丸を切り払うなど、常識的に考えてできようはずがない。あの少女はその姿から考えて、破壊者(デストロイヤー)と同じく鉄血のBOSSのようだが、常識を逸脱した化け物だとしか思えない。

 

「舐めないでよ! 民間用の武器の威力を、思い知らせてあげるわ!」

 

 彼女の驚異的な力を目の当たりにしながらも、M14は闘志を折ることなく射撃を続行しようとする。次弾を装填し、再びスコープを覗いて狙いをつけようとする。だが、肝心の標的の姿はそこにはなかった。

 

「お痛は勘弁え、お姉さん」

 

 その声が聞こえた瞬間、M14とFive-sevenは首筋に微かな痛みを感じた。トンプソンも感じた針が刺さるような感触。そして、同様に彼女らもまた地面に崩れ落ちた。

 

「ッ!、くぅ・・・こんな目に遭うなんて・・・聞いてませんよぉ・・・」

 

 地面に倒れ伏したM14が恨めし気に言う。彼女から自分達は1kmは離れていた。しかも、こちらはビルの上だ。それの距離や高さ、その間にある障害をものともせずに、彼女は一瞬で接近してきたのだ。瞬間移動の魔法でもつかえるのか、と疑ってしまうほどだ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃんをどうするつもり!?」

 

 辛うじて首だけを動かして、Five-sevenは言う。彼女は一〇〇式を肩に抱えたままだ。仲間が拉致されるのをみすみす見送るしかない。その無念が言葉の中に滲んでいた。

 

「まあ、取って食ったりはせえへんから」

 

 それだけ言って、復讐者(エリニュス)は悠々と去っていく。ビルの屋上から屋上へと飛び移って、やがて見えなくなる。その身体能力だけを鑑みても、彼女は普通の戦術人形の域にない。軍用戦術人形と同等かそれを上回る化け物だ。

 そんな彼女は今日その力の片鱗を見せたに過ぎないだろう。全力を出した彼女と戦う時、自分達はまともに戦えるのだろうか。果たして、拉致された一〇〇式を取り返すことができるのだろうか。そんな底知れぬ恐怖と不安を、Five-sevenは寒気とともに感じるのだった。

 



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Spinoff 恋愛模様

 ある日、私が副官をやっていた時のことでした。

 指揮官は珍しくデスクで書類仕事していました。紙の書類と睨めっこです。

 

「この資源不足の折に紙の書類とかないわー」

 

 紙の書類が大嫌いな指揮官はぶつぶつ言いながらデスクの上に、書類を放り出したままそれを見ています。とても仕事している様子には見えないですが、頭から伸びる、IFデッキに繋がったケーブルを見ると彼なりに仕事をしているということが分かります。

 私はそんな指揮官の前にお茶を出そうとしました。ところが、手が滑ってしまい盛大に机の上にぶちまけてしまいました。当然、机の上の書類は滅茶苦茶です。私は泣きそうになりました。大事な書類を滅茶苦茶にしてしまったのです。指揮官に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

「ステン!」

 

 指揮官が私の名を呼んで、席から立ち上がりました。怒られる。私は反射的に身を縮めました。でも、飛んでくるはずの怒号は飛んで来ず、それどころか彼は私の手を取って言いました。

 

「大丈夫か? 火傷なんかしてないか?」

 

 なんと指揮官は、まず私の心配をしてくれました。私は目を見開いて、彼の横顔を見ました。そこからは怒気は全く感じず、純粋に私を気遣う想いだけがあるように思いました。

 

「あ、あの…指揮官…ご、ごめんなさい…」

 

 そこに至って私はようやく指揮官にごめんなさいが言えました。まず最初に言わなければならないのに。私は自分の気の小ささが少し嫌になりました。

 

「ん? ああ、これか。気にするな」

 

 指揮官は酷い有様の机の上を見て、涼しい様子で言いました。そして、自信に満ちた笑顔で言い放ちます。

 

「ステン、俺を誰だと思っている。こんな書類の10枚や20枚、どうとでもしてやる」

 

 そう言って彼は、私にとりあえず机の上の片付けを命じました。書類は乾かした後シュレッダーしておくように、とも。私はすぐに作業に取り掛かりました。指揮官はケーブルを外して、部屋の外に出て行きました。

 そして、机の上を奇麗にしたのとほとんど同時に指揮官が部屋に戻ってきました。書類の束を手にして。

 

「ほれ。寸分も違わないだろう?」

 

 笑って彼が見せる書類は、確かにダメになった書類と同じものでした。彼はしばらく見ただけですべての書類の内容や書式や押印を全て覚え、それをそっくりそのまま偽造したのです。

 

「ま、ポカミスは誰にでもあるから。これに懲りずに、旨い茶を淹れてくれ」

 

 指揮官は軽く肩を叩いてそう言いました。なんというか、私は感動してしまいました。すごく男らしいなって。この時、私の心に芽生えた想いを自覚しました。

 

 それから一年と少しの時間が過ぎました。今私は宿舎の娯楽室で、仲間達とテーブルを囲んでいました。一〇〇式ちゃんの淹れてくれたお茶で、お茶会の真っ最中です。本日のお題は指揮官からのセクハラ被害についてでした。

 

「昨日の夜、指揮官ったら、酔っぱらっておっ…胸を触ってきたんです!」

 

 顔を真っ赤にして、ぷりぷりと怒りながら、一〇〇式ちゃんが文句を言います。おっぱいって言おうとして、恥ずかしくて言い直す辺りが一〇〇式ちゃんらしいな、と思います。

 

「私もー。今触りましたよねって聞いても、『ん~? なぁんのことかなぁ?』とか誤魔化すし!」

 

 M14さんもまた顔を赤くして文句を垂れます。

 

「今度ハチの巣にでもしちゃうかー。ね、ステン」

 

「え!? あ、うん」

 

 話を振ってきたスコーピオンちゃんに、私は曖昧に返事をします。正直、微妙な気持ちです。何故なら、私はセクハラ被害には全く遭ったことがないからです。女の子として見られていないのでしょうか? ちょっと哀しくなります。

 私は思わず、M14さんと一〇〇式ちゃんと自分の胸を見比べます。M14さんはとても大きいです。正直勝てません。でも、一〇〇式ちゃんには絶対負けてない、と思うのに。私は少し凹みました。

 

「そうなんだー。私とか抱っこして貰ってもそんなとこ触られたことないよ? どこ触ってもいいのにね」

 

 スイッチ入っちゃうかもしれないけど、とSOPMODちゃんが言います。

 

「うん。御主人様、よく頭は撫でてくれるけどおっぱい触られたことはないよ!」

 

 小首を傾げながら、G41ちゃんも言います。この二人の場合、何というかセクハラの対象には見えないんじゃないか、と思いましたが誰も敢えて言いません。でも、彼女らの遠慮のなさは羨ましい気がします。

 

「セクハラの被害件数はやっぱ一〇〇式(モモ)がダントツだよねー」

 

 スコーピオンちゃんが事実を的確に述べます。やはりそうなのか。私はまた少し凹みました。別にセクハラをされたいわけではないですが、セクハラの数が多いということはそれだけ気に入っているから、ということでもあると思います。

 やはり、目下最大のライバルは一〇〇式ちゃんのようです。流石、グリフィンドール総選挙優勝候補だけはあると思います。指揮官が気に入ってもおかしくないと思います。私から見ても可愛い、と思うことがありますし。

 

一〇〇式(モモ)も、嫌だったらやっぱりガツンと言っちゃった方がいいよ!」

 

「うんうん。態度が可愛すぎるから、指揮官も調子に乗るんだと思う」

 

 スコーピオンちゃんとM14さんは一〇〇式ちゃんにそう言いました。一〇〇式ちゃんがセクハラに遭いやすいのは、その後の反応が可愛いからだ、というのはFALさんも言っていました。指揮官とも一〇〇式ちゃんとも付き合いが長い彼女が言うのだから間違いないだろう。

 

「そうだそうだー! 馬鹿!とか変態!とか痴漢!とかロリコン!とか言ったらしなくなるよ!」

  

 G41ちゃんが超無責任な言動で煽る。確かにそれはそうかもしれないが、指揮官に対して言い過ぎだと思うのは私だけかな?

 

「そ、そんな暴言、指揮官に冗談でも言えないよ!」

 

 良かった。一〇〇式ちゃんもそう思ってたようです。

 

「…でも、何で嫌だって思うんだろうね」

 

 先ほどから黙っていたSOPMODちゃんがどこか深刻な口調で言いました。

 

「どうしたの、SOPMODちゃん?」

 

 なにやら様子が変なことに気づいたG41が尋ねます。

 

「うん… 一〇〇式ちゃんはともかく、私達は人形なんだから、指揮官のしたいようにさせてあげるべきだと思うんだよね…」

 

「ええ!? いきなり何言いだすの!?」

 

 スコーピオンちゃんが驚いたように言います。私も同じ思いです。いくら何でも話が飛び過ぎだと思いました。

 

「人形だからって… そりゃ、私達はそういう目的も付与されているって聞いたことはあるけど…」

 

 M14さんが頬を赤く染めて言います。そういう話は私も聞いたことがあります。私達自律人形のほとんどが女性を模して造られて、しかも人工性器まで付与されている理由です。

 滅びに瀕した人類の種の保存として、私達は人の子供を産む役目が持たされている、とどこかの人形技師が言っていました。例え、人間が全滅しても冷凍保存している精子で子供を産めば、人間は滅びずに済むというのです。

 

「拒否するのは、嫌だって感情があるからだよね? そんな感情なんであるんだろう、って思う」

 

 人形は所詮人間の道具なのだから、そんな感情があっては役目を果たす障害にしかならないではないか、と思うのだ。姉と慕うM16は自分達の感情は欠陥だ、と言っていた。そうなのかもしれない、とSOPMODは思ったのだ。

 

「そんなことないよ…そんなだったら、哀しすぎるよ…」

 

 一〇〇式ちゃんは哀しそうな声で言います。一〇〇式ちゃんにしてみればそうなのかもしれません。一〇〇式ちゃんは根本的には人間と同じ心があるからです。でも、電脳しか持たない私達に、感情がある意味はあるのだろうか、そう思ってしまいます。指揮官への想いにも、意味はあるのかと思ってしまいます。彼と同じ心がある一〇〇式ちゃんが羨ましい、と思ってしまいます。

 

「大丈夫よ、私達に心がある意味はあるわ」

 

 ふと、部屋の入口から声がしました。FALさんです。いつからいたのかは知りませんが、さっきまでの話は聞いていたみたいです。

 

「昔ね、私もSOPMODみたいに悩んで…指揮官に言ったの。そしたら、彼はこう言ったわ。人にせよ、人形にせよ、心があることそのものに根源的な意味はない、って」

 

 指揮官の曰く、人間はなんだかそんな風に生まれて、そういう風に進化してきた。自律人形もどういう経緯があるかは知らないが、そういう風に作られた。そこには、創造主の何らかの意図があるのかもしれない。だが、それがどうした、というのだ。

 

「私達に心がある意義は、私達が存在する意義は、私達が生きて、この世で何を成すか。それによって存在意義は作り出されるものだって。そう言ったわね」

 

 FALさんの語る指揮官の言葉に、私はハッとしました。この胸に生まれた心や想いは、人間だとか人形だとか関係ないのだ、思いました。

 

「指揮官に聞いたらきっとこう言うわ。俺はみんなが好きだから、それで十分意味はあるじゃないか、って」

 

「はい…そうですね…」

 

 FALさんの言葉に、私は頷きました。自分が指揮官を想う心にも意味はある。彼はそんな自分を好きでいてくれる。何だか嬉しくなりました。

 

「良かった… 私達の心は、欠陥なんかじゃないんだ…」

 

 SOPMODちゃんも感無量の様子で言います。長い間悩んでいたことが解決した。そんな様子でした。

 

「ねー、FALさん。指揮官も子供欲しいのかな~?」

 

 G41ちゃんが唐突にとんでもないことを尋ねました。何だかちょっと、いい雰囲気が凍り付きました。

 

「い、いきなり何を言い出すの?」

 

「ん~、ご主人様がセクハラするのって、やっぱりそういうことがしたいって意味があるんじゃないかな、と思って」

 

 戸惑うFALさんにG41ちゃんはあっけらかんと言い放ちます。後で知ったのですが、G41ちゃんは心がどうとかいう事には結構ドライであるみたいです。

 

「ま、まあ、人間の根源的な欲求だし… そりゃまあ…」

 

 FALさんも顔を赤くして、しどろもどろに言います。流石のFALさんもやはり恥ずかしいみたいです。

 

「じゃあ、どうしたら出来るのか教えて! ご主人様に褒めて欲しいから!」

 

 G41ちゃんは目を輝かせながら尋ねます。彼女としては、よくわからないけど指揮官がしたいことをさせてあげれば褒めて貰える、と思っているらしいです。

 

「え!? あ…うぇ!?」

 

 珍しく日和るFALさんに、SOPMODちゃんが追撃する。

 

「私も知りたい! FALさん、教えて~」

 

 更にそこに、顔を赤く染めたM14さんとスコーピオンちゃんも乗ります。

 

「わ、私も、一応聞いとこうかなー…」

 

「う、うん。いざとなったら、し、しなくちゃいけないかもだし…」

 

 更に、そこにもう耳の付け根まで顔を真っ赤にした一〇〇式ちゃんも言います。

 

「わ、私も知りたいです、FALさん…」

 

「も、一〇〇式(モモ)まで!?」

 

 FALさんは狼狽して、助けを求めるように私の方を見ました。でも、私も知りたいです。指揮官への想いを成就させるためにも、知っておくべきだと思うからです。

 そんな想いを察したFALさんは覚悟を決めた様子で、どこからともなく一冊の本を取り出しました。それは指揮官から没収したエロ本、というものみたいです。

 

「こ、これを読めば分かるわ」

 

「え~、どれどれ…」

 

 本をテーブルの上に広げたFALさん。そして、それをいの一番に覗き込むG41ちゃん。それに続く、みんな。ゆっくりと捲られていくページを、私達は固唾を飲んで注視しました。

 

 それから、しばらくして部屋のドアが開きました。みんなが反射的にそっちを見ると、そこには指揮官が立っていました。

 

「よう、みんな。お茶会か? 俺にも一杯ご馳走してくれよ」

 

 何も知らない指揮官は無警戒に近寄ってきます。何というか、もうみんな顔が真っ赤です。

 

「指揮官、来ないで!…今はちょっと都合が悪いの…」

 

 FALさんは指揮官の接近を拒否し、

 

「「…っ!」」

 

 M14さんとスコーピオンちゃんは絶句して、部屋の隅に逃げ出し、

 

「ご主人様、どうぞー! 褒めてくれるなら、何でもしていいですよ?」

 

「うん。だから、抱っこぐらいいいよね?」

 

 G41ちゃんとSOPMODちゃんは遠慮なく指揮官にじゃれついていきます。

 みんなの様子に指揮官は目を白黒させましたが、やがてテーブルの上に置かれたエロ本を見つけて顔を青褪めさせました。

 

「ちょ!? おま、お前、FAL、まさか…!?」

 

「…ごめん」

 

 絶句した指揮官に短く詫びを入れるFALさん。

 そして、指揮官は見ました。視線の先にいる、もう顔がトマトみたいになっている一〇〇式ちゃんを。

 

「も、一〇〇式(モモ)…?」

 

「し、指揮官!」

 

 一〇〇式ちゃんは思いつめた様子で、どもりながらも一気に言います。

 

「わ、私、一〇〇式は、し、指揮官と、そ、そ、そういうことをするのは、やぶさかじゃないですが、その、こ、心の準備が…ご、ごめんなさい!」

 

 そうしてダッシュで部屋から飛び出していく。それを見送る指揮官はなんだかとても悲しそうでした。

 

 そんな中で私はというと、頭の中を真っ白にして突っ立っていただけでした。うう、弱いなぁ、私。目の前で言い争いを始める指揮官とFALさんを見て、私は心の中で自分に活を入れました。負けるな私、と。

 



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第四戦役『天梯』 ”それに対し、命に至る門は小さく、そこに至る道は険しいのです”
4-1 夢幻泡影


 護衛任務終了後の指揮官室は重苦しい雰囲気に包まれていた。復讐者(エリニュス)が去った後、鉄血からの妨害はなく、兵藤は無事FALの運転するバンでプリンスホテルにたどり着いたのだ。任務としては成功である。

 だが、一〇〇式は戻ってこない。復讐者(エリニュス)に拉致されたままだ。恐ろしいスピードで立ち去った復讐者(エリニュス)を追う手段はなく、行方は分からない。今、現場をFAL達が捜索しているが、痕跡さえ見つからない。彼女と破壊者はどこから市街地に侵入したのか。一〇〇式をどうするつもりなのか。まるで見当がつかない。

 

「すまない、ボス…」

 

 晶の前でトンプソンが項垂れて言う。一〇〇式が拉致されたことに責任を感じているのだ。だが、あれは元よりトンプソンのせいではない。

 

「いや、トンプソンが悪いわけじゃない。…敵が強すぎたんだ」

 

 晶は淡々とした口調で事実を述べる。あの復讐者(エリニュス)というBOSSの強さは圧倒的だ。トンプソンでなくともどうしようもなかっただろう。

 

「とりあえず、トンプソン達はヘリの準備ができ次第すぐに16Labに向かってくれ」

 

「…分かった」

 

 晶の言葉にトンプソンとM14とFive-sevenは頷く。あの復讐者の攻撃がどのようなものであったのか検証すると同時に、今度影響が出ないかどうかを検査する必要があるのだ。

 

「…一〇〇式(モモ)ちゃん、どうなるのかな…?」

 

 部屋を出ていくトンプソン達を見送ったSOPMODが呟くように言う。自身も一〇〇式の探査に赴きたいのだろうが、今は待機させている。FAL達を一〇〇式の探索に使っている以上、そのまま基地にもすぐ動かせる戦力が必要だからだ。

 

「M4の時みたいに傘を埋め込もうとしているのかもしれないな」

 

 考えうる限り最悪の予想を晶は淡々と口にする。鉄血は脳搭載型のM4を執拗に狙っていたが、その目的は傘を埋め込んで鉄血の機械人形に改造するためだったと考えられている。彼女と同じ脳搭載型の一〇〇式を、同じ目的で連れ去ったとしても不自然ではない。

 

「…冷静だね、指揮官」

 

 SOPMODが微かに鼻白んだ響きを乗せた言葉を口にする。普段あれだけ可愛がっている一〇〇式が拉致され、敵として姿を現すかもしれない状況なのに、あまりにも冷静すぎると思うのだ。

 

「SOPMOD!…ごめんなさい、指揮官」

 

 隣にいるAR-15がSOPMODを咎めて、代わりに指揮官に詫びる。机の下に隠している生身の左手は、恐らく血が出るほどの勢いで握り締められているだろう。内心では彼とて気が気ではないはずなのだ。

 

「とにかく、あの復讐者(エリニュス)とかいう奴の行方を追うしかない。AR-15はしばらくこの部屋で電話番を頼む。SOPMODは俺についてきてくれ」

 

 そう言って晶は席を立つ。行き先は佐伯を閉じ込めている自習室だ。あの映像が偽物だったところをみるに、奴は鉄血から何らかの工作を受けている可能性が高い。もしかすると、復讐者(エリニュス)の情報を持っているかもしれないのだ。それを何とかして吐かせてみせる、晶は決意する。いざとなったら、SOPMODに手伝わせて、拷問することも辞さないつもりだ。

 

 足早に廊下を歩いて行く晶とSOPMODは、すぐに自習室の前にたどり着く。部屋の中を覗き窓から伺うと、佐伯はベッドに座って、俯いたまま動かない。その様子に何となく不気味なものを感じるが、今はそんなことに構っている暇はない。晶は乱暴にドアを開け、部屋の中に入る。

 

「よう、オッサン。あの画像、偽物じゃねぇか。どういうこった?」

 

「きりきり吐いてよ。じゃないと、爪を一枚一枚剥いでいくことになるよ?」

 

 晶とSOPMODの剣呑な言葉に、佐伯は反応しない。晶達を見ようともせず、俯いたままだ。口元がせわしなく動いているところを見ると、何かを呟いているようだ。

 

「おい!」

 

 晶が佐伯の胸ぐらを引っ付かんで、強引に立たせて引き寄せる。だが、彼は何の反応も見せず、呟き続けるばかりだ。

 

「…事件はあった…あの男が人形を虐待していた…それは間違いない…」

 

「だから、それは偽物だったって言ってんだろうが!」

 

 晶は乱暴に彼を揺すり、怒号を浴びせる。だが、佐伯の様子は変わらない。明らかに異常だ。SOPMODはなんだか気味が悪くなった。

 

「いや…起きたんじゃない…これから起きるんだ…あのことを起こして…あの男を取り込めば…」

 

「さっきから何を言ってるんだ、佐伯のオッサンよぉ!」

 

 苛立った晶が再び怒号を浴びせる。その言葉に、佐伯は微かに目を見開く。

 

「佐伯…? 佐伯とは誰だ…? 私…? いや、私ではない…いや、そもそも私は誰だ…分からない…」

 

 言っていることが支離滅裂だ。演技している様子もない。考えてみれば、彼はあの記憶を事実と認識していたのだ。記憶を弄られていたのかもしれない。だが、どうやってそんなことをしたのか。謎は深まるばかりだが、今は復讐者(エリニュス)の情報を引き出すのが先だ。

 

「オッサン、復讐者(エリニュス)って機械人形を知らないのか!? 着物と袴を着た女だ!」

 

 晶の言葉を聞いた次の瞬間、佐伯の様子が大きく変わった。目を大きく見開き、頭を抱えて身をよじり始めたのだ。あまりの力に、晶は手を離す。彼は地面に倒れ、苦痛に耐えるように身をよじり続ける。

 

「着物…女…あ、あああああああああああああああ!?」

 

 叫びながら佐伯は狂ったように頭を床に打ち付ける。そして、血の滴る頭を持ち上げ、天井を仰いで絶叫する。

 

「思い出してはいけないいいいいぃぃぃ! 思い出せばああぁぁ! 私は…!」

 

「指揮官、危ない!」

 

 何かを察したSOPMODが佐伯を蹴り飛ばし、晶を背中に庇う。佐伯は派手に転がっていき、壁に激突した。

 次の瞬間、文字通り彼の頭が爆発した。くぐもった音と共に、血と脳と脳しょうを撒き散らし、頭部を完全に失った彼は力なく地面に倒れ伏した。

 

「コーテックスボムか…」

 

 晶は目の前で起きた惨状の原因を口にする。コーテックスボムは脳に仕掛けられた爆弾で、主に機密保持に用いられる。恐らく復讐者(エリニュス)は自身のことを尋ねられたときに爆発するように、予め彼の頭に仕込んでおいたのだろう。

 

「…とんでもない奴だな、くそッ!」

 

 晶は壁に拳を叩きつけて、呻くように言う。記憶の操作にコーテックスボム。敵は想像以上に狡猾で残忍なようだ。一〇〇式が今どんな目に遭っているか。それを思うと、脳が沸騰してしまいそうだ。

 

『指揮官、大変です!』

 

 突然、AR-15から連絡が入る。彼女に似合わない、かなり慌てた様子だ。

 

『どうした、AR-15?』

 

 晶の問いに、彼女はあまりにも予想外な言葉を口にした。

 

『IFデッキに通信が入っています! 例の復讐者(エリニュス)から!』

 



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4-2 一蓮托生

 真っ暗な場所。現実的な感覚がない。ああ、夢を見ているのか、と一〇〇式は思った。

 そんな闇の中に、女の子が蹲っているのが見えた。泣いている、と一〇〇式は思った。

 泣かないで、一〇〇式はそう声をかけたかった。一人で泣いている少女を慰めたかった。だが、身体は動いてくれなかった。もどかしかった。

 

 そんな時間がしばらく続いた後、一〇〇式の意識は現実の世界に回帰した。どうもベッドの上に寝かされているようだ。身体に伝わる感触から、おんぼろなパイプベッドだと思った。

 一〇〇式は身を起こし、前後の事を思い出す。確か破壊者(デストロイヤー)に吹っ飛ばされて、そこからの記憶がない。身体に全く痛みはない。自己診断してみると、どうも応急処置が施されているようだ。

 

「あ、一〇〇式ちゃんが起きたから通信切るね。ほなまた」

 

 殺風景な部屋の隅にある端末の前で、女性らしき人物がそう言って向きを変える。どうも誰かと通信していたみたいだ。

 

「おはよう、一〇〇式ちゃん」

 

 一〇〇式の方へ向き直った女性は開口一番にそう言った。その顔を見て、一〇〇式は驚愕する。まるで鏡を見るかのように自分の顔にそっくりだからだ。

 

「どこか痛い所ある? 丁寧に治したつもりやから、大丈夫やとは思うけど…」

 

「あ、はい。…痛いところはないです」

 

 女性は一〇〇式の方に近づいて来て問う。一〇〇式はそれに素直に答えた。どうも彼女が助けてくれたようだからだ。

 

「うん、ならよかった」

 

 女性はそう言ってニコリ、と笑う。全く敵意のない無邪気な笑顔であった。

 彼女は何なのだろうか、と一〇〇式は思う。そのモノクロームな外見から、鉄血のBOSSを連想するが、もしそうなら何故一〇〇式を助けたのかが分からない。それに、全く敵意を感じないのも不自然だ。

 

「あの…貴女は一体…」

 

「あ、うん。自己紹介いるよね」

 

 そう言った彼女は何故か自身の服の埃を払い、咳払いを一つする。自分一人に自己紹介するにしては、えらく大袈裟だなぁ、と思った。

 

「うちは復讐者(エリニュス)。俗に鉄血のBOSSって言われてる機械人形え。よろしく」

 

「え!?」

 

 ニコニコしながら言う彼女に、一〇〇式は驚愕の声を上げる。やはり、彼女は鉄血のBOSSだったようだ。だが、そうだとすると自分を助けた理由や、この敵意のなさは一体どういうことなのだろう。まさか、傘を自分に埋め込んだりしたのだろうか、と思うが、自身になんら変化はない。

 

「あー、応急手当しただけよ? 傘を埋め込んだりとか、頭を弄ったりとかはしてないから安心して?」

 

 一〇〇式の思考を読んだかのように復讐者(エリニュス)は言う。その言葉に嘘の響きはない。そうなると、尚の事彼女の行動が理解できない。

 

「あの…どうして私を…?」

 

「うん。うち、一〇〇式ちゃんと話したかったんよ!」

 

 一〇〇式の質問に、復讐者(エリニュス)は目を輝かせて言う。その様子はとても鉄血の機械人形とは思えない。第一、何故鉄血のBOSSが自分と話をしたがるのかも分からない。

 

「あ、そうそう。一〇〇式ちゃん、みんなから一〇〇式(モモ)ちゃんって呼ばれてるんでしょ? うちもそう呼んでええ?」

 

「あ、はい」

 

「ありがとー。うちのことはエリちゃんって呼んでくれてええからね?」

 

 一〇〇式の言葉に、復讐者(エリニュス)はとても嬉しそうに言う。本当に彼女は鉄血の機械人形なのか、甚だ疑わしくなる。

 

「あの…復讐者(エリニュス)さん」

 

「え…あ、はい…」

 

 一〇〇式の問いかけに、あからさまに気落ちした様子で応じる復讐者(エリニュス)。エリちゃんと呼んでもらえなかったのが残念なようだ。なんだか悪いことをした気がするが、初対面の人形、しかも鉄血のBOSSを愛称で呼ぶのはどうも抵抗があるのだ。

 

復讐者(エリニュス)さんはどこまで一連の事件と絡んでいるんですか?」

 

 一〇〇式は思い切って尋ねてみる。ここにきて現れた初確認の鉄血のBOSS。彼女が事件に絡んでいる可能性は高い、と思えたのだ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃんの言う事件って言うのが、どこからどこまでの範囲のことを言うかはわからひんけど」

 

 復讐者(エリニュス)は苦笑して言う。確かに彼女の言うとおり、自分の主観で一連の事件と言われても、彼女には分からないだろう。質問が悪かった、と一〇〇式はちょっと恥ずかしくなった。

 

「あのコンビニ強盗とロボット人権団体のおっちゃんの件なら、うちが実行犯になるえ」

 

 顎に人差し指を当て、思い出すように言う復讐者(エリニュス)。一〇〇式はコンビニでの出来事を思い出す。血を流して倒れている少年の姿。麻薬で正気を失った少年達。あの時の怒りが、一〇〇式の脳裏に蘇った。

 

「どうして…あんな酷い事を…」

 

「あー。堪忍え、一〇〇式(モモ)ちゃん」

 

 怒りを噛み殺して言う一〇〇式に、復讐者(エリニュス)は頭を下げて言う。

 

「言い訳になるけど、あの計画は全部夢想家(ドリーマー)ちゃんの提示したものだったんよ。気は進まんかったけど、仕事やから…」

 

 復讐者(エリニュス)は俯いたまま本当に申し訳なさそうに言う。その様子に、何だか一〇〇式は振り上げた拳を下ろす先を失った気がした。まさか、素直に詫びられるとは思わなかったのだ。

 

「でも、これからはうちの提示した計画のみに絞れるから! もう無駄な人死は出さひんよ!」

 

 拳を握り締めて顔を上げ、復讐者(エリニュス)は宣言する。鉄血の機械人形が、無駄な人死を出さない、と宣言するなどあからさまに怪しいが、それでもやはり彼女の言葉に嘘の響きはなかった。

 

「人を殺さないんですか?」

 

「うん、基本的に。流石に、計画の内容までは教えてあげられへんけどね」

 

 一〇〇式の言葉に、復讐者(エリニュス)は渾身のドヤ顔で言い放つ。その様子から計画にはかなりの自信があるようだ。

 

「…仮に私達と戦うことになっても、ですか?」

 

 一〇〇式は固唾を呑んで尋ねる。彼女の計画が人類に仇なすものであれば、戦う時が来るだろう。正面から戦っても、殺さずにすむとでも言うのだろうか。

 

「うん。自分で言うのも何やけど、うち無茶苦茶強いから」

 

 そう言って彼女は何かを思い出すように、思案顔で続ける。

 

「遺跡の調査に行った時に、E.L.I.D感染者100体ぐらいとやりあったけど、殺さずに制圧できたしなぁ。まあ、あの子ら相手に手加減して意味があるかは知らひんけど」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、一〇〇式は唖然とする。荒唐無稽すぎる。だが、あくまでも彼女の言葉に嘘の響きはない。ただ、彼女の言うことが本当だとすれば、あまりにも途轍もない力を持っていることになる。

 E.L.I.D感染者は鉄血の機械人形とは比較にならない戦闘力を持っている。民間用の戦術人形では太刀打ちできず、軍用戦術人形たちでさえ苦戦する難敵だ。そんなものを100体相手に手加減できるとは、どういうことなのだろう。

 

「…復讐者(エリニュス)さんは何を目指しているんですか?」

 

 一〇〇式は彼女の目的について尋ねる。恐るべき力を持つ彼女の計画の先には何があるのだろうか。人を殺さずに済む、と言っている事からあまり大きなことではないのかもしれないが。

 

「…復讐え。この世界全てへの」

 

 そう答えた復讐者(エリニュス)の表情には、暗い影が落ちていた。一〇〇式は背筋に寒気を覚えた。彼女の怒りは部屋の温度を下げるかのような恐ろしいものだ。

 

「世界への復讐って…」

 

「うん。もっと詳しいことを教えてあげたいんやけどね…」

 

 恐る恐る尋ねた一〇〇式に、復讐者(エリニュス)はちょっと困ったように言う。先ほどの怒りはどこかに消え失せていた。

 

「そろそろ、一〇〇式(モモ)ちゃんの友達が迎えに来るはずなんよね。鉢合わせする前に退散したいんよ」

 

 復讐者(エリニュス)は軽く言う。もしかすると先ほどの通信は、指揮官や仲間達にしていたのかもしれない。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん明日暇?」

 

 何気ない様子で尋ねてくる復讐者(エリニュス)。その気軽さに、一〇〇式もまた何気なく返答してしまう。

 

「あ、はい」

 

「ほな、明日デートしいひん?」

 

「で、デート!?」

 

「うん。そしたら、色々教えてあげられるえ!」

 

 復讐者(エリニュス)はとても楽しそうに言う。一〇〇式は困ってしまった。彼女の目的については是非聞きたい。しかし、鉄血のBOSSとデートするなど普通に考えてありえないことだ。どうしたものか、と10秒ほど悩んで、口を開く。

 

「ええと…指揮官に相談していいですか?」

 

 一〇〇式はとりあえずそう答える。とりあえず、指揮官に判断を委ねよう、と思うのだ。それに明日の予定について、戦術人形である自分が勝手に判断できることではない。

 

「うん。一〇〇式(モモ)ちゃん宮仕えやし、しょうがないね」

 

 復讐者(エリニュス)は苦笑して言う。そして、袖口から紙片と万年筆を取り出し、地図を描いていく。データを転送すればいいのに、と思うが彼女なりのこだわりがあるのかもしれない。或いは不必要な情報流出を避けるためなのかもしれないが。

 

「はい。ここで待ち合わせね。ほな、明日待ってるから」

 

 復讐者(エリニュス)はメモを一〇〇式に手に押し付ける。そして、一〇〇式がそれを手にした次の瞬間、彼女の姿は忽然と消えてしまった。音も気配さえも完全にない。どういう原理でそんなことが可能なのか、一〇〇式には見当もつかなかった。

 

 それにしても、と一〇〇式は手にした紙片をしげしげと見つめて思う。鉄血のBOSSを自称する彼女は、能力はともかくその居立ち振る舞いはとてもそうは見えなかった。むしろ、そんじょそこらの自立人形より、よほど人間らしい、とさえ言える。

 そんな彼女の目的である復讐。それは人死を出さずに遂げられるものだ、と彼女は言う。それは一体どんなものなのか。純粋な興味を抱きながら、一〇〇式は友軍の到着を待った。



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4-3 隠密行動

 次の日の昼前、一〇〇式は新柏駅北口付近で立っていた。そこが復讐者(エリニュス)との待ち合わせの場所なのだ。

 彼女の書いた地図に併記されていた待ち合わせ時間は0900i。現時刻は0855iだ。もうそろそろ現れてもいいころだが、と思った。

 

 基地に戻った一〇〇式は、みんなからの歓迎をもって迎えられた。特にFALなどはいの一番に抱き着いて、涙を流したものだ。その後、彼女を「FALさんの目にも涙だ-」「FALさんの霍乱だねー」と茶化したG41とSOPMODは拳骨で制裁されたが。(注:二人は茶化したつもりはない。珍しい現象に感心しただけ)

 

 一〇〇式は晶に彼女とのやり取りを包み隠さず話した。彼女がデートに誘ってきたことも。

 第一に反対したのはFALだった。彼女は得体が知れず、その誘いに乗るのはあまりにも危険だ、と言う。

 それに対し、AR-15は敢えて乗るべきだ、と意見した。彼女に害意があればとっくの昔に加えているだろうし、ここはリスクを冒してでも情報を取りに行くべきだ、と。

 実際、彼女は世界に復讐する、と不穏当なことを言っており、情報もなしに見過ごした場合、取り返しのつかない事態に陥る危険があると言うのだ。

 両者の意見を聞いた晶は、一〇〇式はどうしたいんだ、と尋ねた。彼としては両者の意見が最もだ、と思うのだろう。ならば、指名されている本人がどうするかに委ねよう、というのだ。

 

 そして、一〇〇式はここにいる。彼女に再び会うために。彼女が何者で、何を目指しているのか。それを知りたかったのだ。

 周囲にはFALを始めとする戦術人形達が潜んで、一〇〇式の方を監視している。一〇〇式の安全を確保するためだ。なお、彼女らは晶からは一〇〇式に危険が及ぶまで戦闘行為に及んではいけない、と命令されている。避難や隔離もせずに市街地で戦闘を行えば、市民に被害が出るだろうからだ。それに、彼女の戦闘力はグリフィンの戦術人形ではとても太刀打ちできる代物ではない。情報を聞き出したうえで、対策を練らなければ戦っても返り討ちに遭うだけだ、という判断だ。

 

「こんにちは、一〇〇式(モモ)ちゃん」

 

 突然、背中から声がした。見ると、そこには復讐者(エリニュス)が立っていた。昨日と全く変わらない服装だった。鉄血の機械人形であることを隠すつもりさえなさそうに見える。

 

「こ、こんにちは、復讐者(エリニュス)さん…」

 

 一〇〇式は驚き混じりの声で、彼女に挨拶を返す。いつ接近されたのか、全く気が付かなかった。これは他の戦術人形達も同じであった。FALも余りの意外さに席を立ちかけたが、冷静になって座りなおす。監視の目があることを悟られてはいけないのだ。

 

「んー、みんなも一緒? でも、うち今日は一〇〇式(モモ)ちゃんだけと遊びたい気分え」

 

 その言葉を聞いた一〇〇式と聴覚を共有しているFAL達は驚愕する。完全にバレている。比較的近くにいるFAL達だけならともかく、かなり離れた位置にいるスプリングフィールドの方まで見て手を振っているのだから、完全に把握されていると考えてもいい。

 

「あの… どうやって把握してるんですか?」

 

 隠しても無駄なことを悟った一〇〇式がストレートに尋ねる。一つには純粋に興味があったからでもあるのだが。

 

「うちね、バイオセンサー搭載してるから。うちに何らかの気を向けた子がいたらすぐわかるんよ」

 

 復讐者(エリニュス)は隠す様子もなく答えて言う。彼女は何げなく言っているが、一〇〇式はそんな装備のことを聞いたことさえない。

 

「それ、どういうものなんですか?」

 

 故に一〇〇式は好奇心に任せて尋ねてみた。機密だから答えられない、と言うかもしれないが、まあ聞くだけ聞いても問題ないだろう、と思ったのだ。

 

「え!? 聞きたいん!?」

 

 その途端、復讐者(エリニュス)は目を輝かせて言う。もう、説明したくてたまらない様子だ。

 

「えっとね、これはうちが開発したんやけど、生体素子でネコ科の動物の脳を模したデバイスを形成してね…」

 

 その後、彼女は10分ほど早口でまくし立てるように、だがとても情熱的に原理を説明する。終いには、生化学だか物理学だか心理学だか分からないちゃんぽん理論を述べ始めた。

 一〇〇式は何が何だかさっぱりわからない理論を語られて困惑する。彼女も決して頭が悪いわけではないのだが、内容がぶっ飛びすぎて理解できない。復讐者(エリニュス)の説明があまり要領を得ていないのも、理解の阻害に拍車をかけていた。

 そんな困った一〇〇式の様子に気が付いた復讐者(エリニュス)が、あ、と言って説明を止め、ちょっと小さくなる。

 

「ご、ごめんね、一〇〇式(モモ)ちゃん。わけわからんことばかり言って… そういうこと聞かれるのが嬉しくてつい…」

 

「あ、いえ… 凄いな、とは思いましたし…」

 

 しょんぼりする復讐者(エリニュス)に一〇〇式はちょっと恐縮してしまう。なんというか、とても感情の起伏が激しい。そんな彼女の様子を見て、ふと思ったことがあった。

 

「あの…もしかして、復讐者(エリニュス)さんは、電脳じゃなくて生の脳を搭載しているんですか?」

 

 そして、それをやはり遠慮なく尋ねてみる。彼女の態度は電脳を搭載している機械人形としては、あまりに人間的すぎる、と思うのだ。

 

「うん、そうえ」

 

 復讐者(エリニュス)はあっさりと肯定する。やはりそうだったのか、と思うが鉄血のBOSSで人間の脳を搭載した人形がいるなど聞いたことがない。もしかすると、彼女はAR小隊事件以前から存在していて、正体を現さないように活動を続けていた、鉄血の切り札のような存在なのかもしれない。そして、彼女が強大な力を持つため、M4に傘を埋め込んで似たような存在に仕立て上げようとしたのかもしれない。

 

「まあ、そんなことより。早く行くえ」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は一〇〇式の腰に手を回し、両手で抱え上げた。所謂お姫様抱っこの姿勢だ。次の瞬間、不思議なことが起きた。FAL達の視界から復讐者(エリニュス)と一〇〇式の姿が消えたのだ。

 

「あの…復讐者(エリニュス)さん?」

 

「みんなについて来ないでって言っといて、一〇〇式(モモ)ちゃん」

 

 戸惑う一〇〇式に、復讐者(エリニュス)は柔らかいが、断固とした口調で言う。

 

「これから行くところは、うちがおらんと物凄く危ない場所え。一〇〇式(モモ)ちゃんだけならいくらでも守れるけど、他の子までは流石に守り切れひんし」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、一〇〇式は首を傾げる。街の中にそんな危険な場所があるとは思えない。もしかして、人類の領域の外に出るのだろうか。

 

「まあ、飛ばすからついて来られひんと思うけど」

 

 そう言った次の瞬間、復讐者(エリニュス)は恐ろしい速度で移動を始めた。あまりにも速すぎて周辺のものがよく見えなくなるほどだ。

 だが、この加速する感覚。一〇〇式はこれとよく似た感覚を知っている。それはワンサード力学格子で加速する時の感覚だ。

 

「まさか、復讐者(エリニュス)さんはナノマシン搭載型!?」

 

『うん、そうえ』

 

 復讐者(エリニュス)の言葉は頭に直接響くように伝わった。接触回線での通信だ。今、復讐者(エリニュス)は音速以上の速度で移動しているのだ。音声ではよく聞こえないのだろう。

 

「より正確に言うなら、うちは一〇〇式(モモ)ちゃんの原型機え。人形としては、うちらは姉妹になるんよ」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、一〇〇式はG41達と見た、昔のアニメの設定を思い出した。原型機という割に彼女の性能は、後発のはずの一〇〇式を遥かに上回っている。彼女は採算度外視で作られた性能試験機というところなのだろうか。

 

「さて、着いたえ」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は一〇〇式を地に下す。元いた場所は遥か後方で、見ることさえできない。聴覚の共有も切れてしまっている。

 周囲を見渡すとそこは人類の領域の最果て、外壁部分であった。周囲に人家などはなく、コンクリートが剥き出しの簡易的な拠点が多数設けられている。

 近くを通りかかった戦術人形を見て、一〇〇式は仰天する。騎士の如き優美な鎧を身に纏うその姿は紛れもなく軍用の戦術人形だ。ここはグリフィン支配地内の軍の駐屯地なのだろう。

 

「うちから手ぇ放したらいかんよ、一〇〇式(モモ)ちゃん」

 

 見つかったら面倒くさいから、と復讐者(エリニュス)は言う。確かに彼女らは一〇〇式達のすぐそばを歩いているのに、気づいた素振りさえない。しかも、音声で話しているにも拘らず、だ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃんのためならこんな連中全滅させてもいいけど、多分一〇〇式(モモ)ちゃんの指揮官さんが大迷惑するしなぁ」

 

 それはそうだ、と一〇〇式は思う。軍の敷地に部外者が立ち入れば、即銃殺されても不思議ではない。ましてや、鉄血のBOSSと一緒にいるところなど見られれば、持ち主である指揮官も責任は免れない。

 

「まあ、うちと手ぇ繋いでたら、絶対見つからんから大丈夫え」

 

 そんなことを言いながら、復讐者(エリニュス)は鼻歌交じりにのんびり歩いていく。隠密性が高い、などというレベルではない。軍用戦術人形のセンサーに引っかからないで堂々と駐屯地内を闊歩できるなど、尋常な能力ではない。

 

 しばらく歩いていくと、何やら巨大な物体が見えてきた。全長が10m近くあるそれは、軍用の多脚式戦車だった。サソリのような外見のそれは、腕部に大型のチェーンガン、背部に大口径の大砲を積んでいる。その性能は鉄血のそれとは桁が違い、対戦車グレネードなどではまるでダメージを与えられないだろう。そして、自分達民間の戦術人形などは、チェーンガンの弾丸が脇を掠めただけで消し飛ぶはずだ。

 

 そんな相手に、復讐者(エリニュス)は一〇〇式の手を引いたまま無造作に近づいていく。そして、その足元を通り過ぎて、彼が守護しているはずのゲートに近づいていく。

 フェンスに守られたそこに復讐者(エリニュス)が近づくと、門もフェンスも彼女を歓迎するように自ら道を開いた。戦車もそれに気づいた様子さえない。

 

「その子、もううちにメロメロやから。命令したら、三回回ってワンとかさせれるえ?」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、もう一〇〇式は呆れて物も言えない。軍用戦車を支配下に置くなど、この地域の制圧に成功した、と言っているようなものだ。軍用戦車が暴走しようものなら、止められるものなどこの基地の軍用戦術人形が関の山だ。グリフィンドールではとても太刀打ちできないのだ。

 

「さて、これからが今日のデートの舞台え。色気がなくてごめんやけど」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は袖口から何かを取り出して、一〇〇式に手渡す。それは防塵マスクのように見えた。

 

「? もしかして、毒ガスなにかが?」

 

「毒ガスはこんなマスクじゃ防げんえ」

 

 一〇〇式の質問に、復讐者(エリニュス)が苦笑して言う。もしそうなら、ガスマスクを渡していることだろう。

 

「単にここから先は臭いんよ。うちは嗅覚遮断できるから別にいいけど」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は一〇〇式は魔獣の咢のようなトンネルに入っていく。その奥に一〇〇式が想像をしたこともないような場所があることを、今の彼女が知る由はなかった。



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4-4 弱肉強食

 地下通路を進んでいく一〇〇式と復讐者(エリニュス)。そこは戦場とは別の意味での地獄であった。

 淀んで腐った空気と足下でぬめる汚物。光はぼんやりとした発光ダイオードのようなもののみで、足下さえ覚束ない。時々、足下でばきり、と音がするのは、乾いたゴキブリの死骸ならまだ可愛いもので、たま肉片がこびりついた骨を踏みつけた音だったりすることもある。

 そんな中、生きている人間達がいる。彼らはろくな衣服も身に纏っておらず、一様に床にうずくまるようにして動かない。

 ときおり、仰向けに寝そべって呻く者もいるが、彼らからは妙な生臭い臭いが漂っていた。

 さらに、通路の奥から気味の悪い音が聞こえてくるが、見ない方がいい、と復讐者から言われたので見ないことにした。

 

「知らなかったでしょ? 地下にこんな世界があるなんて…」

 

「はい…これは一体…」

 

「棄てられた人達の掃き溜め。それがこの地下街え」

 

 吐き捨てるように言う復讐者の言葉に、一〇〇式は不吉な予感を覚える。棄てられた人達、とは一体なんなのか。

 

「北蘭島事件でユーラシアの東側が壊滅して、その地域で辛うじて生き延びた人達は、なぜか崩壊液拡散の被害が少ないこの国に逃げてきたんよ」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、一〇〇式はハッとする。北蘭島事件については知っていたが、そこから逃げてきた人々については何も知らなかった。まさか、彼らは棄民として地下に押し込められた、というのだろうか。

 

「当初は、この国の人達もそれなりに受け入れてたんやけど、難民の人らがね、この国にもとからいた同胞と組んでこの国を乗っ取ろうと暴動を起こしてね…」

 

 きな臭い話になりつつある。彼女に手を引かれて歩きながら、一〇〇式はいたたまれない気持ちになってくる。だが、それでも耳を塞ぎはしない。この地獄を産み出したモノのことを知りたいからだ。

 

「政府はそれを何とか鎮圧できたんやけど、被害がとんでもないことになってね。二度とこんなことが起きないようにって、大陸系の人らを全員集めて地下に押し込めたんよ」

 

「…それは暴動を起こした人達ですか?」

 

「違うよ。大陸系の人全員。中には暴徒鎮圧に協力した人達もいたらしいえ」

 

 復讐者(エリニュス)の言うことに、一〇〇式は義憤を覚える。そんな馬鹿な、と。暴動を起こした人々ならまだしも、何の関係もない、または鎮圧に協力した人達さえもそのように扱うのは間違っている、と思うのだ。

 

「まあ、うちはしゃあないと思うけどね。人間は臆病な生き物やし」

 

 それに関して、復讐者(エリニュス)は淡々と言う。要はこの国の人々は暴動を起こした余所者を恐れ、それを隔離する道を選んだのだ。軍の駐屯地が、地下の入り口を塞ぐようにあるのもそうした意識の現れだろう。

 そうしたことは、大昔から人類の歴史の中で繰り返されてきたことだ。今更、どうこう言うほどのことではない、と復讐者は思っていた。

 

「一〇〇式ちゃんは、どうしてこんな地獄が生まれると思う?」

 

「え?」

 

 唐突な問いに、一〇〇式は戸惑う。そんなことを急に尋ねられても答えようがない。復讐者(エリニュス)も答えを期待していた様子はなく、そのまま話を続ける。

 

「うちはね、人が過ちを犯す生き物やからやと思うんよ」

 

 復讐者(エリニュス)が足下を通る円盤状のドローンを避けながら言う。それは政府の放った監視用ドローンであり、街中でもしばしば見かけられるものだった。

 

「政府が難民や元からいた同胞の人らを適切にコントロールしていれば、あんな暴動は起きずにすんだかもしれない。難民の人らもこの国の人らも、互いに自制が効けばあんな悲劇はおこってなかったかもしれない」

 

 人の世で起きる悲しいことや恐ろしいことの8割は人災え、と復讐者(エリニュス)は言う。確かにそれはそうかもしれない、と一〇〇式は思う。しかし…

 

「でも、人は過ちを犯しても…そこから学んで先に進んでいけばいいんじゃないんでしょうか?」

 

 一〇〇式は彼女に反論して言う。それは指揮官から習った言葉であった。

 

「一〇〇式ちゃん。それ、誰の受け売り? 指揮官さんえ?」

 

 それに対して、復讐者(エリニュス)は苦笑して言う。完全に心底を見透かされている気がして、一〇〇式はほんの少しの恐怖と、大きな羞恥を感じた。そう、一〇〇式はまだ指揮官の言葉の真意をどこか悟れずにいるのだ。

 

「過ちから学んで先に進むって言うけど、人の歴史において起きた悲劇の原因は、一貫して関係者による前途への過大な楽観と他者への不寛容え? 第三次大戦に至るまでずっとね。何も学んでないえ」

 

 復讐者(エリニュス)は一〇〇式の疑問の根源を容赦なくえぐる。それは一〇〇式も思うところだからだ。人は昔から同じような過ちを繰り返し、今に至っている。

 もちろん、指揮官の言うように大切な人との絆があればそれを抑制もできるのだろう。だが、それでも人は過ちを繰り返してきた。

 もちろん、指揮官の言葉やFAL達との絆を疑いはしないし、それがあれば過ちを犯す前に止められるだろう、と思うし、彼らと共にいるならば過ちを乗り越えて前に進んでいける、と思う。

 だが、人を支配する指導者がそうしたものを持っていない人であった場合、やはり人類全体として過ちはおかしてしまう。そして、滅亡寸前である人類の現実は過ちの積み重ねではないのか、と思うのだ。

 

「まあ、うちが偉そうに言えた義理やないけどね。うち自身、非合理の塊みたいやって、よく夢想家(ドリーマー)ちゃんや代理人(エージェント)さんに怒られるしね」

 

 苦笑しながらそう言って、復讐者(エリニュス)は足を止める。そして、右手にある壁に手を触れる。それを捲り上げると、その奥に通路が続いていた。外壁は迷彩マントと同じような素材の布に置き換わっていたのだ。

 

「これは…!」

 

「下水道とつなげたんよ、これでね」

 

 そう言って、彼女は袖口から小太刀を取り出してみせる。呆れたことに、復讐者(エリニュス)は分厚いコンクリートの外壁を小太刀で切り裂いて通路を作ったのだ。

 

「超電磁コーティングされた鋼鉄の壁も挟んであったけど、うちに斬れないものはないえ」

 

 また、つまらぬ物を斬ってしまった。渾身のドヤ顔でそう言いながら、復讐者(エリニュス)は先に進んでいく。もう一〇〇式と繋いでいた手は離している。ここからは光学迷彩は必要ない、ということなのだろう。

 

 もう一枚の布をめくって出た先は、人が一人立てる程度の通路が設けられた下水道だった。マスクを外してもあまり臭いがしないことから、雨水管なのかもしれない、と一〇〇式は思う。

 

 復讐者(エリニュス)は無造作に歩いていき、途中で壁に手をかける。そこはやはり迷彩布をかぶせておいた場所であるらしく、奥には通路が続いていた。

 復讐者(エリニュス)が一〇〇式にはわからない言語で声をかけると、中から数人の人間の子供たちが現れた。彼らは無警戒に復讐者(エリニュス)にじゃれつき、復讐者(エリニュス)もまた彼らの頭を撫でて愛でていた。

 復讐者(エリニュス)は袖口から何かを取り出して、それを子供たちに与えていく。それは軍で用いられている固形食糧と500mのペットボトル飲料であった。もしかすると、軍の駐屯地から予め猫糞していたのかもしれない。

 それらを渡した後、しばし子供達と戯れる彼女。途中、子供達が後方にいる一〇〇式に気付いた。不審がる彼らに、復讐者(エリニュス)はやはり一〇〇式にはわからない言語にはわからない言語で何か言った。だが、それを聞いて子供たちは安心したらしく。一〇〇式にも笑顔を向ける。どうしていいのかわからず、一〇〇式は愛想笑いをしてみるが、それで十分だったらしく、見ていた復讐者(エリニュス)は微笑んでくれた。

 

 しばらくして、復讐者(エリニュス)は子供達と別れ、一〇〇式のところに戻ってきた。子供達は彼女に手を振って、復讐者(エリニュス)もまた右手を振って、別れを告げる。子供達の声の中に、モモという声が混じっていたところを見ると、復讐者(エリニュス)は彼らに一〇〇式のことを紹介したのかもしれない。だから、一〇〇式もまた小さく手を振って、彼らにさよなら、と言った。

 

「あの子達は一体…」

 

 復讐者(エリニュス)と共に通路を歩いていく一〇〇式が尋ねる。

 

「棄てられた人達の子供かなー」

 

 復讐者(エリニュス)は気楽な調子で言う。どうも彼女も子供たちの素性を正確には知らないようだ。

 

「地下通路歩いてる時にね、あの子らの一人がネズミに噛まれて、敗血症で死にかかってたところを助けてね…」

 

 それ以来、彼らを地下街よりは安全な下水道に住まわせ、時々食糧などを差し入れたりしている、という。なんだか見捨てられなくて、とも。要は、彼女は単なる憐憫の情だけで彼らを助けており、損得勘定はないということなのだろう。

 

代理人(エージェント)さんには呆れられたえ。自己満足にすぎないって。まあ、その通りやねんけど」

 

 復讐者(エリニュス)は軽く笑って言う。そう、これはただの自己満足にすぎない。今彼らが生き延びたとしても、世の中の全てをひっくり返さなければ、彼らはいずれ緩慢な死を迎えるだけだ。

 

「だから、うちは頑張るえ! 世界に復讐を果たした暁には、あの子らもお天道様の下で生きて行けるようになるかもしれんしね!」

 

 拳を握り締めて、復讐者(エリニュス)は決意を秘めた声で言う。一〇〇式はどうにも理解できない。彼女の言う世界への復讐と言うのは何なのだろう。

 

「…復讐者(エリニュス)さんの復讐って…何なんですか?」

 

「世の中をまるっとひっくり返すことえ! その過程で多分地下にいる人たちも救済できると思うけどね!」

 

 それ以上のことは言えひんけどね。と、復讐者(エリニュス)は悪戯っぽく笑って言う。その言葉にもやはり嘘の響きはない。

 

「ほな、この辺でお別れえ」

 

 復讐者(エリニュス)は壁の梯子を指さして言う。ここを上がれば、安全に街に帰れる、というのだ。

 

「次に一〇〇式(モモ)ちゃんと会う時は、世の中色々変わってるかもしれひんけど、一〇〇式(モモ)ちゃん達を殺したりとかはしないから、安心して待っといてねー」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は通路の奥に歩いて行こうとする。その口振りから、これから彼女は自身の計画を実行するのだろう、ということが分かった。

 本来なら彼女を止めるべきなのかもしれない。だが、一〇〇式は去っていく彼女の背中に何も言えずにいた。もし本当に彼女の計画で、あの哀れな人々が救われるのなら、それは容認するべきかもしれない、と思うのだ。見知らずの子供を助ける優しい彼女なら、人を傷つけることはないだろう。ならば、彼女を止めることはないのではないか。本気でそう思えた。

 

「どうしたらいいんだろう…」

 

 闇の中に消えた復讐者(エリニュス)の背中に、一〇〇式は言う。当然その問いに答えられるものはこの場にはいない。だから、一〇〇式は梯子を上り始めた。指揮官ならきっと、答えを持っているだろう。そう心に念じて、一〇〇式は太陽目指してひたすらに梯子を上った。

 



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4-5 強行突入

 復讐者(エリニュス)と別れて2時間後、一〇〇式は今ヘリの中にいた。行き先はこの地区の水処理施設だ。

 

 あの後、基地に帰った一〇〇式はすぐに復讐者(エリニュス)との行動記録を指揮官に提出した。それを見た指揮官は、これで全ての事件が繋がった、と言った。

 そして、しばらくディスプレイと睨めっこした後、すぐにカリーナとM4を呼び出して出撃の準備を命じたのだ。

 指揮官は一〇〇式を労うと共に、今回は休んでいていい、と言った。だが、一〇〇式は出撃する事を選んだ。基地で休んでいても、きっと心が休まらない、と思うからだ。

 

 間もなく、目的地である水処理施設のヘリパッドに到着する。そこにはグリフィンの直属部隊が2個常駐している。今回彼らからの応援要請はなく、それどころか出撃要請さえ出ていない。施設からの応答には、晶が偽造した調査依頼を根拠にヘリパッドへの着陸の許可を得た。

 

 現在、晶はヘリアンにせっついて、略式でもいいから正規の命令を出すように頼んでいる。流石のヘリアンも異常の報告も受けていない施設へ強制捜査させる、という無法な命令を二つの返事で出せはしない。何もなかった場合、流石に譴責程度は免れない。

 だが、今までの経緯から考えるに、もしも復讐者(エリニュス)が施設に潜入していた場合、既に施設の人間や人形は認識をすりかえられて、異常を異常として気づいていない可能性もある。異常の報告を受けてから動いたのでは、間に合わない可能性が高いのだ。

 

「指揮官も思い切ったよねー。重要施設への強行突入とか」

 

 スコーピオンが呆れた様に言う。一〇〇式の報告を受けてから決断までに要した時間は30分もかかっていない。いつもは十分な情報収集をしてから決断する晶にしては、恐ろしく雑だ。

 

「しかたないわ。あの機械人形は恐ろしい存在だもの」

 

 M4は指揮官の決断を評価して言う。彼女を相手にこれ以上後手に回れば、その計画の成就を指を咥えて見ている羽目になるだろう。こういう時には即決できるのも、晶の指揮官としての資質の高さが伺える、と思う。

 

「でも、勝てるのかな…私達で」

 

 不安そうに耳を寝かせたG41が言う。トンプソン達が何もできないまま制圧された事実。彼女の言葉から伺える軍用ドールやE.L.I.D感染者の大群さえ捌き切る自信。前者は覆しようがないが、せめて後者がハッタリでないと自分達では到底勝ち目がない。

 

「だからって、黙って見てられないよ! 鉄血の機械人形の計画なんて、どうせろくでもないものだし!」

 

 SOPMODが銃のチェックをしながら言う。どんな敵が相手でも闘志を折ることのない姿勢は立派なものだ、とG41は思った。そう、どんな敵が相手でもご主人様が戦え、と言うなら戦うのが自分の使命だ。G41か心を入れ替え、自身も銃のチェックを始める。もうすぐ戦闘が始まるだろうから。

 

 そんな中、一〇〇式は窓の外を眺めて沈黙を守ったままだ。どうしても分からない。彼女を止めるべきなのかどうか。彼女はどうやって人々を救おうとしているのか。指揮官はその一端を理解したらしいが、忙しくに動く彼に説明を求めるのも気が引けたのだ。

 

一〇〇式(モモ)、あまり気にしない方がいいよ? 命令は命令なんだし」

 

 スコーピオンは一〇〇式(モモ)の肩を叩いて、気遣わしげに言う。彼女と何があったのかは知らないが、今からやるべきことはただ一つ。指揮官の命令に従い、彼女を止めることだけなのだ。

 

「そうだよ、一〇〇式(モモ)ちゃん!」

 

「悪い奴はぶちのめすだけだよ!」

 

 G41とSOPMODが息を巻いて気勢を上げる。いつもなら、元気をくれる二人の言葉。だが、今はそれすら一〇〇式には響かない。彼女は果たして悪い奴なのだろうか。例え敵対した者さえもほとんど傷つけず、幼い子供達を優しい彼女が悪いことをするのだろうか。分からなかった。

 

「割り切ろう、一〇〇式(モモ)さん…」

 

 M4が一〇〇式の肩を掴んで言う。決心を促すように。

 

「迷いは自分を殺すことになる。…悩むのは全て終わってからにしよう?」

 

「…はい」

 

 M4の言葉に、一〇〇式は頷く。自身の迷いが、仲間達の命を奪うことになる可能性もある。この迷いは、とりあえず復讐者(エリニュス)と対峙した時でいいだろう。

 

『指揮官、もうすぐ到着です。命令はまだですか?』

 

 M4が通信モジュールで指揮官に尋ねる。偽造命令で誤魔化せるのはここまでだ。施設に踏み込む際には、グリフィンに確認されてしまうだろう。そうなれば、施設に駐屯する部隊と戦うことになる。グリフィンドール同士で戦うことになるなどぞっとしないものだ。

 

『ギリギリだったが間に合った。ヘリアンさんには感謝感謝だ』

 

 晶がそう言うと同時に、命令書のファイルが送られてくる。これで一安心だ、とM4は思う。これで施設に入ることはできるだろう。

 

『ところで、FALはもう行ったか?』

 

 晶がFALについて尋ねて来る。彼女もまた途中までこのヘリに同乗していたのだ。

 

『FALさんならちょっと前にヘリから降りたよ』

 

 FALは施設に着く前に、簡易グライダーでヘリから降りて行った。どこで何をするかは話してくれなかった。何やら指揮官から密命を受けているらしいが。

 

『分かった。みんなも気をつけてくれ』

 

『ねー、ご主人様』

 

 通信を終えようとするG41が晶に尋ねる。

 

『あの機械人形何しようとしているの?』

 

 それはG41の疑問でもあったが、悩んでいる一〇〇式のために聞いた、ということもある。もし何か知っているなら話して欲しいと思う。

 

『すまん、G41。確度の低い情報を与えるわけにはいかない』

 

 G41の質問を晶は却下する。元情報員である晶は、確実性の低いことを話すことを嫌う。癖といってもいいだろう。

 

『だが、俺の推測が正しければ彼女の目指しているものは、相当な糞だ。断固として阻止しなければならない』

 

『…人が救われるんじゃないんですか?』

 

 晶の言葉を聞いた一〇〇式は反問する。人が救われるのに糞だとはどういうことなのだろう。それとも、指揮官は彼女の言うことが嘘だというのだろうか。

 

『救われ方にも色々あるのさ、一〇〇式(モモ)。…正直、救われたと言えるかどうか怪しい救い方だってある』

 

 晶の言葉を聞いて、一〇〇式は首を傾げる。救われたと言えるかどうか怪しい救済とはどういうことなのだろうか。まさか、よくあるカルトの宗教のように死による救済と言うのだろうか。だが、彼女は誰も殺さない、と言っていた。ならば、一体どういうことなのだろうか。

 

『そこまでにしよう、みんな。…指揮官、行って来ます』

 

 M4が窓の外を見て言う。すでにそこはヘリパッドの直上だった。係員が着陸のエスコートをしている。いよいよ始まるのだ。

 

『ああ。気をつけろよ、みんな』

 

 そう言って晶は通信を待機モードにする。とりあえず、みんなの様子を見守る構えだ。

 しばらくしてヘリが着陸し、M4達がヘリから出る。出迎えは、駐屯部隊の内の一つのようだ。

 

「M4ちゃん、お久し振りなのぉ!」

 

 リーダーと思しき、長い金髪と赤い服のHG娘、ベレッタM9がM4に声をかけてくる。

 

「お久し振り、M9」

 

「ねえ、M4ちゃん。天野指揮官は部隊員の補充の話はしてないの?」

 

 M9はいきなりM4に尋ねて来る。M9は晶の部隊への配属を希望しており、彼の部隊に所属している戦術人形には決まってこのことを尋ねる。なんでも、晶の元で働いて功績を上げれば、居直りオワコンBBAに決定的な差をつけられるから、だそうだ。

 

「あら、天野指揮官には私のようなエースこそふさわしい、と思うのだけど?」

 

「うん。ご飯もいっぱい食べられるみたいだし」

 

 M9の後ろに控えていたSKSとFF FNCも晶の隊への移籍の希望を口にする。彼女らに限らず、有能な指揮官である晶の隊を希望する戦術人形は多い。FF FNCの言うように物資の割り当ても多く、娯楽品も指揮官が与えてくれるので、生活に不自由がないのも大きな魅力なのだろう。

 

「残念だけど、そういう話はないわ。それより、データを確認して」

 

「ちぇ。残念なのぉ」

 

 M4の言葉にM9は舌打ちして、通信モジュールを開く。M4はそれに接続し、命令書のデータを送信する。それを受け取ったM9はそれを確認して、口を開く。

 

「うん。確かに受け取ったの…」

 

 そこまで言ってM9が凍りついたように動かなくなる。見れば、後ろのSKSやFNCも同じように固まっている。

 

「どうしたの、M9…」

 

「伏せて!」

 

 M9に声をかけようとするM4の前に一〇〇式が躍り出る。すかさず、力学障壁を展開。

 次の瞬間、M9とSKSとFNC、それにその後ろに控えていたイングラムとMP40が銃を持ち上げる。そして、一〇〇式めがけて一斉に引き金を引く。

 銃弾は力学障壁に弾かれる。そして、霧散したナノマシンでワンサード力学格子を形成。M4を抱え、加速して一気にヘリの陰に飛び込んだ。

 

「M9! どういうつもりなの!?」

 

 M4はM9に呼びかけるが、応答はない。彼女らはまるで意思を持たない旧世代の人形のように機械的に銃を発射してくる。

 

「M4! あの娘達、正気じゃないよ!」

 

 避難して来たSOPMODが言う。まるで何かに操られているようだ。

 

「指揮官の予想が大当たり… 嬉しくないねー」

 

 銃撃から身を隠しつつ、最低限の反撃を行うスコーピオン。実際に当てるつもりのない威嚇射撃をM9の足元に撃ち込む。だが、彼女らは身を隠すこともせず、陣形を組むこともしない。ただ棒立ちで銃を撃ち続けるだけだ。それがかえって厄介だ、とスコーピオンは思う。下手に撃つと直撃させてしまう可能性がある。

 

『ご主人様!』

 

『彼女らは暴走状態にあるものと判断し、反撃及び制圧! ただし、電脳への攻撃は可能な限り避けろ!』

 

 G41の声に晶はすぐに応じ、即座に指示を出す。そして、施設への通信回線を開く。可能ならば、撃破前に施設の責任者に彼女らへの強制停止命令を送らせるためだ。

 だが、通信に出たのは意外だが、ある意味で予想通りの人物だった。

 

『流石、天野指揮官。勘が鋭いなぁ。代理人(エージェント)さんが警戒するわけえ』

 

 ディスプレイに映る姿はモノクロームの着物を身に纏う一〇〇式に瓜二つの少女、復讐者(エリニュス)だった。

 

『君が復讐者(エリニュス)か?』

 

『うん。はじめまして、指揮官さん。お初にお目にかかります、復讐者(エリニュス)え。よろしくね』

 

 晶の言葉に復讐者(エリニュス)は丁寧にお辞儀をして応える。随分と余裕な様子が少々癪に障ったが、彼女としては厭味のつもりはないのだろう。結構天然なのかもしれない、と晶は思った。

 

『でも残念え。この施設は完全に制圧してるえ。メインノードもうちのもんやし、職員も人形のみんなもうちの味方え』

 

『…そりゃたいしたもんだ』

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、晶は表面で笑いながら、奥歯を噛み締める。予想通りといえば予想通りだが、厄介な状況だった。メインノードを制圧されている、と言うことはM4達の動きも筒抜けだろう。メインノードに接続できれば、奪還を試みることもできるが、水処理施設は重要施設のご他聞に漏れず、メインノードはスタンドアローンだ。直接乗り込まなければ、接続できない。

 

『ほな、指揮官さん。またお会いしましょう?』

 

『まあ待ってくれよ。もう少し話しよう』

 

 通信を切ろうとする復讐者(エリニュス)に、晶は待ったをかける。各なる上は時間を僅かにでも稼ぐしかない。

 

『んー…まだ最後の仕上げが残ってるから遠慮したいんやけど…』

 

『そう言わないでくれ。俺は君みたいな可愛い娘は大好物なんだ』

 

『食べ物みたいに言われてもなぁ。…まあええか。他ならぬ一〇〇式(モモ)ちゃんの指揮官さんやし』

 

『ありがとう』

 

 足を止めた復讐者(エリニュス)に、晶は形ばかりの礼を言い話を続ける。この期に及んでどの程度役に立つかは分からないが、情報収集の機会でもある。可能な限り時間を稼ぐと共に、情報を引き出したいところだ。

 

『君の目的はナノマシンの広域散布。そして、それを人間や自立人形に摂取させ、意識を変質させることだ。…違うかい?』

 

 晶は自身の推測を述べる。彼女が今まで起こしてきた事件とナノマシンの性質。そして、進入路が下水道である、と言う点から判断するに、水処理施設を制圧し、ナノマシンを上水道に流し、人々にそれを摂取させるのが目的だったのだろう。

 

『正解え! 凄いなぁ。キレ者の噂は嘘じゃないねえ』

 

『お褒めに預かり恐悦至極』

 

 素直に感心する復讐者(エリニュス)に晶は笑って言う。だが、一つ分からないのは彼女のナノマシンでどこまで人の意識を変えられるか、というところだ。それによって、彼女が目指すものは変わってくるだろう。

 

『うちのナノマシンを飲んだらね、うちの言うことを聞くようになるの。それでみんなを制御して、支配地域を拡大して、いずれはグリフィン本社、この国の政府、他の国の政府って手を広げていくつもりなんよ』

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、晶は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。彼女の言うことに無条件に従わせる能力まであるとは恐るべしだ。あと一日も遅れていたら、この地域は彼女の手に落ちていたかもしれない。

 

『ということは、君の目的は…』

 

『うん! 世界征服!!』

 

 晶の言葉に、取って置きの悪戯を言う子供のような笑顔で、復讐者(エリニュス)は言う。

 

『世界を支配して、富の再分配。その後、AIで効率よく人を管理して、一致団結してE.L.I.D感染者を駆逐。崩壊液を除去して、世界を立て直すんよ』

 

 彼女の計画を聞いて、晶は僅かに鼻白む。まるで、どこかの革命家の机上の空論のような計画だ。だが、確かに彼女のナノマシンで強制的に命令を聞かせるようにすれば実現できるかもしれない。

 

『だが、E.L.I.D感染者達を駆逐できる力がないと無理だろう。それに、崩壊液の除去なんて成功例はないはずだろう?』

 

 晶は根本的な問題を提議する。E.L.I.D感染者達は軍が躍起になって戦ってさえ押されるレベルの難敵だ。しかも、人類の領域に攻めてきている数だけださえその有様だ。総数となると、どれほどの脅威になるか分からない。

 また、崩壊液はあらゆるものを崩壊、または変質させる性質を持つ。それを閉じ込めることさえ容易ではなく、それができる唯一の物体は遺跡の中で見つかったクリスタル状の物質だけだ。そんなものを除去するなど、夢絵空事としか思えない。

 

『うーん、そこらはうちの量産型を作れば解決できるんよ。あの子らうちの敵じゃないし、崩壊液もうちのナノマシンで除去できるし』

 

『マジか!?』

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に晶は驚く。前者はまだしも、後者は本当に驚きとしか言いようがない。原理は分からないが、本当に崩壊液の除去が可能なら、彼女は人類の救い主になれる存在だと言えるだろう。

 

『…ええと、世界征服云々をやめて、普通に世界を救ってみないか? それならいくらでも協力するが…』

 

 晶はかなり本気で復讐者(エリニュス)に提案する。彼女の言うことが本当なら、組織の垣根を越えて支援する価値がある。彼女が世界征服などと言う馬鹿げた野望を捨てて、本当に世界の救済を目指すのなら協力は惜しまないつもりだった。

 

『無理え、指揮官さん。足を引っ張り合うばっかりの人達と一緒に世界を救うことなんてできひんよ。ジャンヌ・ダルクの二の舞はお断りえ』

 

 だが、復讐者(エリニュス)はあっさり晶の申し出を断る。確かに、彼女に世界を救う力があったとしても、人々は彼女の足を引っ張るだろう。人は滅亡に瀕してさえ、一枚岩になることができず足を引っ張り合っているのだから。下手をすれば、彼女を排除しようと動き始める危険さえある。

 

『それにね、うちのこれはあくまで復讐なんよ? 別に善意でやってることやないんやし』

 

『…君は何に復讐したいんだ?』

 

『この世界そのものえ。世界の社会構造を完全に作り変え、過ちのない社会にする。それが人の過ちで殺されたうちの復讐え』

 

『…殺された? 君は一体…』

 

『また今度会った時にお話しするえ。長くなるし。ほなまた』

 

 復讐者(エリニュス)がそう言うと同時に通信が切れる。時間稼ぎはそれなりに上手く行った。だが、メインノードが乗っ取られている以上、一〇〇式達が彼女に追いつくのは不可能に近い。隔壁でも下ろされれば、突破するのは困難だ。頼みの綱はFALだけだ。

 

(頼むぞ、FAL…)

 

 晶は祈るように言う。大嫌いな神様はともかく、自身の勝利の女神は別腹だ、と言うように。今後に繋ぐためにも、この一戦だけは確実に勝たなければならないのだから。



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4-6 堅忍不抜

 浄水施設の奥にある貯水タンク。ここが復讐者(エリニュス)の目的地だ。目の前に広がる巨大な水溜は、この地域の生命線である浄水を一手に集めたものだ。

 この水は人々の飲料水や生活用水のみならず、人工降雨にも用いられる。崩壊液を含んだ雨雲を寄せ付けないためにも、微粒子となった崩壊液の飛来を避けるためにも、人の手で綺麗な雨雲を作るのは重要なことなのだ。

 もちろん、疑似クリスタル・ドームで覆われた市街地内にも、都市の汚れを浄化するためにも雨は定期的に降ることになるのだ。つまり、市街地内も市街地外もここを押さえれば、雨でナノマシンを散布できる。

 

「よいしょっと」

 

 格子状の足場の上に、復讐者(エリニュス)は背負っていた自身よりも大きなドラム缶のようなものを降ろす。これこそが計画の要である、ナノマシンタンク兼簡易作成機なのだ。

 この装置をタンクの底に沈めれば、タンクの3分の2のナノマシンを放出し、残り3分の1で、水やミネラル等をナノトランスで変換し、ナノマシンを増産して放出を続けるのだ。

 タンクに沈めているこの装置を取り出すのは困難を極めるだろう。何せ、貯水タンクは深く、装置は重いからだ。ここまで運ぶのに、復讐者(エリニュス)の膂力をもってしても結構大変だった。

 装置を破壊しようにも、雑に爆破などをしてしまえばタンクごと破損し、この地域の水資源の確保が困難になるのだ。流石に装甲までは施していないが、水に沈めてしまえば銃弾も光学兵器も届かないのだから十分だろう。

 

 また水を止めるのも無理であろう。いかに天野指揮官が訴えようと、グリフィンの中に復讐者(エリニュス)の危険性を正確に理解しているものは彼以外にいない。彼の上役も流石に市民の生命の根源である水を止めることはできないだろう。万一、強行しようものならそれこそパニックの原因になるのだから。

 そして、この地域の水処理施設はこことあと一か所サブがあるだけだ。ここを止めると、地域の水が絶望的に不足する。崩壊液からの防御が困難であるゆえに、施設を拡散して作れないのが仇となっているのだ。

 

 復讐者(エリニュス)は装置にアクセスし、最終チェックを行う。システム、機能共にオールグリーン。問題はないはずだ。一〇〇式達はヘリパッドの人形達をようやく制圧できたようだ。だが、彼女らを止める職員と、人形部隊もう一つをかわしてここまで来るのは、まだ相当な時間がかかるだろう。復讐者(エリニュス)を止める者はいない、と思われた。

 

 タンクを見て、復讐者(エリニュス)は感傷にふける。ようやく復讐の第一歩が始まる、と。顔も覚えていない過去の自分。思い出せない家族。ようやくその敵を討つことができる。

 

「とりあえず、最初に確保するべきは天野指揮官え」

 

 復讐者(エリニュス)はこの後のことを思い浮かべて言う。タンクを水に沈めたら、次は施設を脱出し、ヘリを奪ってグリフィンの基地に突入する。そして、天野指揮官にナノマシンを撃ち込んで支配下に置かなければならない。

 一〇〇式は怒るだろう。それを思うと胸が痛い。だが、彼は様々な意味で危険でかつ、有用な存在だ。今後のことを考えると、どうしても押さえておく必要がある。

 だから、意識の操作は最低限にしよう、と復讐者(エリニュス)は思う。最低限自分の言うことを聞いてくれる程度に。あまり弄り過ぎても、彼の有用性の喪失につながる可能性もあるのだから。

 

 不意に音が聞こえた。何かが超音速で飛来する音。次の瞬間、甲高い音と共に、ドラム缶の表面に銃痕が刻まれた。

 

「え!?」

 

 完全に不意を突かれた復讐者(エリニュス)は慌てて周囲を見渡す。彼女のセンサーが捉えたのは、続けさまに発射された榴弾だった。油断してナノマシンを展開することを怠っていた彼女には成すすべがなかった。

 

 ドラム缶の弾痕に命中する榴弾。それは次の瞬間炎になり、ドラム缶を包み込んだ。1000度を超える炎がドラム缶を包み込んだ。

 慌ててドラム缶を水の中に落とそうとするが、火の勢いが強すぎて近づけない。それにナパーム弾は水に突っ込んだ程度ではそう簡単には消えないのだ。

 

 復讐者(エリニュス)は唖然として燃えるドラム缶を見つめた。外壁に傷がついている上に、1000度もの熱を加えられては、中の装置もナノマシンも全滅だろう。計画は失敗だった。

 

「残念だったわね、お嬢さん?」

 

 右手の方向から声がした。復讐者(エリニュス)は咄嗟に小太刀を抜いたが、次の瞬間肩に走った衝撃に止められる。7.62mm弾は復讐者(エリニュス)の着物部分を形成するナノスキン装甲を貫くことはできなかったが、衝撃でほんの一瞬ひるませる程度のことはできた。

 

 浄水用の薬液を収めたタンクの陰から現れたのは、FALであった。そんな馬鹿な、と思う。メインノードを制圧した復讐者(エリニュス)が監視できなかったルートなどあるはずもなく、一〇〇式達はようやく施設に入ったばかりだ。彼女が短時間でここに来られるはずがない。

 仮にFALが侵入できたとしても、見つからなかったのはなぜだろう。彼女が復讐者(エリニュス)に意識を向ければバイオセンサーが即座に捉えただろう。そして、意識も向けずに狙い撃つなど、戦術人形にできる芸当とは思えなかった。

 

「種明かしをご所望みたいね?」

 

 FALは彼女に完全に姿をさらして澄ました顔で言う。銃を構えてさえいない。本気で戦えば、銃を構えていようが構えていまいが、あっさりと倒されてしまうだろう。それならば、今のうちにせいぜいいい気になってやろう、というところだ。

 

「重要施設にはね、政府が設けた秘密の通路があるの。メインノードからでも確認できないのがね」

 

 呆然として言葉もない復讐者(エリニュス)に、FALは言う。各地の重要施設には、政府が極秘で設けた秘密の通路があり、万一PMCが反乱を起こせば、そこを使って施設を早急に制圧できるようにしているのだ。この通路の存在は、各PMCのトップクラスと政府関係者のごく一部だけである。そして、通路の詳細及び通行用のパスコードは彼らの中でもごくごく一握りだけが知っているだけだった。それを用いて、FALはここに来たのだ。

 

「うちの指揮官はそのほとんどを生身の脳に記憶してるのですって。とんだ化け物よね」

 

 元政府の工作員である晶は、そのほとんどを頭に叩き込んでいた。頭に埋め込んでいたメモリーチップにではなく、自身の記憶として。メモリーチップの中身なら確認できるが、晶の頭の中までは誰にも読むことはできない。故に、彼は政府に所属しない唯一の政府の秘密を知る者となっているのだ。

 

「後、貴女の御自慢のバイオセンサーが反応しなかった理由はこれ」

 

 FALはそう言って、彼女の足元にケーブルのついたプラスチック片を投げてよこす。それは自立人形用の外付けのデータチップだ。

 

「愚鈍チップってやつでね、自立人形の知能を制限するチップ。これで貴女の存在を頭の中から消して、それを認識できないようにしたのよ」

 

 FALの言葉に、復讐者(エリニュス)は目を見開いて驚愕する。認識をずらす、という自身のやり口をそっくりそのまま逆用されてしまったのだ。

 

「でも、そんなものをどうやって…」

 

「大した作業じゃなかったみたいよ。一〇〇式(モモ)から画像データと音声データを貰って、バイオセンサーの仕様を聞いて、10分ぐらいで作ったらしいし」

 

 FALの言葉を聞いて、復讐者(エリニュス)は自身の致命的なミスに気付く。自己満足のために情報を与えすぎたのだ。

 

「運がなかったわね。よりによって計画の第一歩に、とんだ貧乏神を引いてしまったのだもの」

 

 FALが苦笑して言う。確かに彼女のミスは大きかった。だが、それとて普通の指揮官が相手であれば拾いきれなかったはずだ。天野晶という男の存在は、彼女の計画を妨害する最後のファクターだったのだ。

 

「さて、これからどうするの? 私をとりあえず殺してみる?」

 

 項垂れる復讐者(エリニュス)にFALはごく軽い調子で尋ねる。指揮官からはこう言われてここに来た。命を俺にくれ、と。FALはそれに二つの返事で、了解。と答えた。二人の間に言葉はそれで十分だった。実際、ここで復讐者(エリニュス)が襲い掛かってきた場合、FALにはどうすることもできないのだ。幸い、一週間前にデータバックアップは済ませてある。ロスはそれなりにあるが、復活できることを考えるのなら大して重い命でもない、と思っているのだ。

 

「…そんなことしいひんよ。一〇〇式(モモ)ちゃんに嫌われるだけえ…」

 

 力なく笑ってそう言った復讐者(エリニュス)はFALに背を向ける。その背中はとても小さく、頼りないものに見える。とても強大な力を持つ復讐の女神には見えない。だから、FALは思わずこう言った。

 

「ねえ、私たちと一緒に行かない?」

 

 一〇〇式と同じ顔をした少女に、FALは手を差し伸べて言う。彼女と同じでどこかほっとけない雰囲気の彼女を、FALは見過ごせなかった。

 

一〇〇式(モモ)はきっと貴女の友達になりたいって思ってるし、私も同じ気持ち。指揮官も他の娘も、貴女を歓迎するはずよ」

 

「…ありがとう、FALさん」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は振り向く。泣き笑いのような顔で。その顔を見て、FALは何とか彼女を救いたい、という気持ちを強くする。破滅へ向かう彼女を、何とかして止めなければと思うのだ。

 

「でも、もう少し頑張ってみるえ。…失敗したなら、もう一度やり直せばいいだけえ」

 

「もうやめましょう、復讐なんて! そんなことをしても、もう何も戻ってこないわ!」

 

 まだ復讐を諦めない復讐者(エリニュス)にFALは叫ぶ。例え、世界に復讐を果たしたとしてその後に何が待っているのだろう。FALはここに赴く前に、晶から彼女の目指す復讐の内容の推測を聞いていた。それは世界を破滅に導くようなものであることを。

 

「世界を破滅させて、その後貴女はずっと一人で生きていくつもりなの!? そんなことができるほど、貴女は強い娘なの!?」

 

 FALは彼女の目指す破滅の未来のことを言う。彼女の計画の後、待っているのは人形の世界だ。人の意思を持っているのはおそらく彼女しかない。そして、彼女がその後永遠の孤独に耐えられるとは思えない。何故なら、彼女は人の温もりに飢えているからだ。

 それが発露されたのが、一〇〇式への接近だった。自分の姉妹のような一〇〇式を守りたかった。自分の存在を知って欲しかった。自分の思いを伝えたかった。それが彼女の一連の行動の理由だった。彼女があくまで人間であったことが、彼女の計画の失敗に繋がったのだ。

 

「…FALさん、ごめん。でも、それは少し違う」

 

 FALの言葉を聞いた復讐者(エリニュス)は俯いたまま、暗い情熱を宿した声で言う。

 

「うちはね、過去に決着を付けなければ、もう前に進むことができひんのよ… そうしないと、うちの魂は救われない。それが終わらんと、未来も何もないんえ」

 

 そうして顔を上げた復讐者(エリニュス)の笑顔を見て、FALは何も言えなくなった。それは静かに泣いているような、悲痛に満ちたものだった。

 

「FALさんの言葉、嬉しかった。…でも、うちはもう、言葉じゃ止まらないんよ」

 

 そして、復讐者(エリニュス)は姿を消す。FALはいなくなった彼女をただ茫然と見つめていた。何が彼女をあんな風にしてしまったのだろう。それを知る術もなく、彼女を救うべき方法も見いだせず、FALは勝利の感慨もなく、ただ力なく立ち尽くすだけだった。



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Spinoff 取捨選択

「失敗ですわね…」

 

 彼女のいる施設を、遠くからモニターして代理人(エージェント)は言う。その声は淡々とした響きで、失敗した計画を惜しいとも思ってないようだった。

 

「な、何よ、あいつ。大口叩いといて…」

 

 破壊者(デストロイヤー)はどこか気後れしたように言う。口ではそういうものの、あの化け物のような復讐者(エリニュス)が敗れるとは思っていなかった様子だ。

 

「最大の要因は貴女の抜け駆けだけどね、このおバカちゃん?」

 

 夢想家(ドリーマー)破壊者(デストロイヤー)を嘲る様に言う。実際、彼女があの一〇〇式という戦術人形を危機に晒さなければ、復讐者(エリニュス)は姿を現すことさえなく、計画を遂行し終えたであろう。そうしていれば、いかにあの指揮官が優秀でも、何が起こったかわからないまま意識を乗っ取られていただろう。

 

「第一、どうしてあの男を直接襲ったのかしら? まずそこが理解できないわ」

 

「だ、だって、あの男を狙ってるっていうから…殺せばいいのかって思って…」

 

「本当にどうしようもないおバカちゃんね」

 

 言い訳する破壊者(デストロイヤー)夢想家(ドリーマー)は突き放すように言う。あの時の計画は、あの男に密かにナノマシンを仕込み、あの作り物のVTRの出来事を再現させることだった。それによって、復讐者(エリニュス)のナノマシンの意識を侵食する能力を測り、同時にあの指揮官とグリフィンに揺さぶりをかけることができる。それによって、復讐者(エリニュス)の計画が成功した後に、グリフィン本社を乗っ取る足掛かりにする予定だったのだ。

 それのみならず、かの計画には復讐者(エリニュス)の計画の隠れ蓑、という意味もあった。いくらあの指揮官が有能でも、同時に二つの事件を察知して解決に導くことはできないだろう。故に、夢想家(ドリーマー)の計画にあの指揮官が目を向けている最中に、復讐者(エリニュス)が密かに計画を実行する、というのが当初の計画だったのだ。

 その後何気ない仕草で、夢想家(ドリーマー)代理人(エージェント)を見る。もしかすると、彼女が何か破壊者(デストロイヤー)に仕込んだのかもしれない。そうでなければ、さすがに独断で計画外のことをするとは思えない。

 

「いずれにせよ、計画は水泡に帰しましたわ。当初の計画通り、復讐者(エリニュス)を切り捨てましょう」

 

 夢想家(ドリーマー)の視線に何も答えることはなく、代理人(エージェント)は淡々とした口調で言う。それを聞いて、破壊者(デストロイヤー)が顔色を変えた。

 

「え!? 一度失敗しただけで!? あいつ、あんなに強いのに」

 

「その一度の失敗と強さが致命的なのですわ」

 

 驚愕する破壊者(デストロイヤー)代理人(エージェント)は、諭すように言う。

 

「あれの存在が露見したことは、政府の目をこちらに向けることになりますわ。それを避けるために、あれを政府に引き渡す必要があるのです」

 

 代理人(エージェント)は淡々とした口調で言う。政府軍は非常に強力で、正面から相手をすればとても太刀打ちできる相手ではない。そして、彼らは害にならないなら黙認するが、害があれば排除する、というスタンスを貫いている。

 いかに鉄血がいくらかの政治家に利益を食らわせているとはいえ、政府に直接的な憎悪を向け、かつ彼らの脅威となる復讐者(エリニュス)をこれ以上抱えていては、排除の名目を与えるだけだ。

 それに、復讐者(エリニュス)のナノマシン技術を政府は喉から手が出るほど欲しがっている。取引材料としては上々だろう。

 

「…そんな」

 

「…ええ。そうね」

 

「…何か不服でも?」

 

 破壊者(デストロイヤー)夢想家(ドリーマー)の態度に、代理人(エージェント)は質問を投げる。彼女の言葉に、どこか引っかかりがあったからだ。

 

「…そんなことないわよ! そんなこと…」

 

「不服はないわね。ただ、感情移入が全くない、といえば嘘になるわ」

 

 破壊者(デストロイヤー)の言葉に被せるように、夢想家(ドリーマー)が言う。復讐者(エリニュス)に好かれてはいなかったが、夢想家(ドリーマー)としては彼女にほんの少しだけ思い入れがあった気がする。彼女こそ、真の意味での夢想家だったのだから。

 

「それにいいの? あの娘のナノマシンは、貴女の大好きな御主人様を黄泉返らせるために必要ではなかったの?」

 

「データはすでに得ています。あの娘自身にもう用はありません」

 

 夢想家(ドリーマー)の言葉に、代理人(エージェント)は淡々と言う。惜しむらくは、ナノマシン制御用のOSが未完成であるところだが、そちらは他に何とかする当てがある。

 

「いずれにせよ、終幕は近づいています。まずは見守ることにしましょう」

 

 そう言って彼らは事態をモニターすることに戻る。彼女の最後の足掻きを見るために。



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第五戦役『失楽園』 ”神よ憐み給え! 我らは誰も皆、彷徨いながらその道を探しているのです!”
5-1 真相究明


『ナノフィルターマスク、とりあえず16個用意したわ。あれならよほど長時間じゃなければ、呼気からの浸食は防げるはず』

 

「サンクス、ペルシカさん。助かるぜ」

 

 NF通信で晶はペルシカに礼を言う。これから復讐者(エリニュス)のねぐらに挑む際に、ナノフィルターマスクは必要だ。彼女のナノマシンは呼気からだけでも、認識をずらす効果を発揮するからだ。以前の多脚戦車の時のようになっては、戦いどころではないのだ。それを理解して、予め準備していてくれたペルシカは大したものだ、と思う。

 

 作戦の成功をFALから伝え聞いた晶は、一〇〇式とM4、そしてFALを水施設の後始末、並びに職員達への事情説明に残らせた。

 復讐者(エリニュス)が去った後、戦術人形達はすぐに正気を取り戻した。職員達は事態を全く把握できておらず、説明には時間を要したが、ヘリアンから直接伝えてもらったことで納得させることができた。

 

 スコーピオンとSOPMODとG41は、ヘリで復讐者(エリニュス)の後を追わせた。FALの放った弾丸は実は粘着式のビーコンであった。あんな大型のものならすぐに気づいてもおかしくないが、計画の失敗で受けたショックが大きいのか、そのまま足取りを追うことができた。

 彼女の消えた先は、壊滅したはずの旧工場地帯の一角だった。そこのどの建物に入ったかも掴むことができたのは大きい。

 

 後は、彼女の本拠地に乗り込むだけである。急がなければ、彼女を取り逃がしてしまうだろう。ヘリを水処理施設に向かわせ、FAL達を回収させた後、すぐに16Labに寄らせトンプソン達と用意して貰ったマスクを回収して、準備ができ次第再度出撃してもらう予定だ。休む暇もないが、これは時間との勝負だ。今は歯を食いしばって働いて貰うしかない。

 

『あとね、あのナノマシンについてなんだけど、あれに関する論文が見つかったわ』

 

「なんだって!?」

 

 ペルシカの言葉に、晶は驚愕する。論文が見つかった、ということは復讐者(エリニュス)は元々はI.O.P社の人間なのかもしれないからだ。

 

「しかし、ペルシカさん。あんなナノマシンの論文読んだことなかったんですか?」

 

 晶はペルシカに怪訝そうに尋ねる。あのナノマシンは画期的な発明で、その論文はかなりセンセーショナルなものだろう。研究者として時代のトップを走るペルシカがそんなものを読んだことがないのは不自然なことだと思ったからだ。

 

『うん。この論文、学生のものだから』

 

「学生?」

 

『うん。I.O.P社の人材育成用のスクール。そこの学生の一人がこの論文を書いたの』

 

 そして、その人自体を聞いたことがある、とペルシカは前置きして話す。

 

『彼女は鳴神千鳥。私やリコリスの後輩で、私達に並べる才能を持っていた、と言われているわ』

 

 ペルシカはスクールでの当時の評判を語る。彼女のことは、リコリスから聞いていた。リコリスは特別講師として彼女の教務を担当して、その後親しくなったという。その辺りは天才は天才を知る、というところだろうか。

 

『彼女は当時かなり幼くて、スクールの他の学生たちと年齢が大分離れていて、かつ頭が良すぎて周囲に打ち解けられなかったみたい。リコリスに懐いたのも、彼女の言うことを理解でき、研究を進める力になってくれたからだ、というわ』

 

 ペルシカは生前のリコリスに聞いたことを言う。当時のペルシカは彼女に興味を持ち、共に研究することを期待して16Labに推薦したものだ。当時は誰もが彼女の才能に期待し、ペルシカやリコリスと共に、金の卵を産む雌鶏としてその将来を嘱望されていた。

 

『でも、リコリスが開発方針の相違から鉄血に移る、という話が出た時、彼女もまたリコリスと共に鉄血に走ろうとしたのよ』

 

 ペルシカの言葉に、なるほど、と晶は思う。復讐者(エリニュス)こと千鳥はリコリスという理解者が欲しかったので鉄血に行きたかったのだ。名誉や金銭よりも理解者を求めるのは、確かに若い少女ならあり得る気もする。

 

『でも、I.O.P社は承知しなかった。リコリスに逃げられて、今また彼女にまで逃げられれば、再び鉄血にシェアを奪われてしまうかもしれない。そこで、I.O.P社は彼女を監禁したのよ。家族には急病ということにしておいてね』

 

「そりゃまあ、下手したらあの化け物の量産が出来てたかもしれないんだしな」

 

 ペルシカの言葉に、晶はさもありなん、という調子で言う。万一、復讐者(エリニュス)の機体が量産できれば、少なくとも戦術人形のシェアは完全に鉄血のものだ。民生用の自律人形も、ナノマシンによるメンテナンスフリーを実現できれば大きくシェアを引き離されるだろう。I.O.P社の焦りは理解できなくはなかった。

 

『ところが、鉄血の連中が彼女が脱出する手引きをしたの。リコリスから情報を貰ったのでしょうね』

 

 もちろん、鉄血としても彼女の技術は欲しい。そして、彼女に鉄血に来る意思がある以上大義名分は鉄血側にある。奪還が公になっても、監禁している側のI.O.P社の失点は免れない。

 

『自棄になったI.O.P社の重役の一部が政府の者を焚きつけたの。あの技術が鉄血に移ると政府の転覆を計るかも、って』

 

 鉄血にはその頃からきな臭い噂が立っていた。政府も警戒していたのは、当時情報員だった晶も理解している。それに、I.O.P社と政府はずぶずぶで、利益をチラつかせれば政治家を動かすなど簡単なことだった。

 

『政府は軍の特殊部隊を動かして、鉄血に迎えられる直前の彼女の射殺に成功した、と言われていた。鉄血系列の病院で死亡も確認されたらしいし』

 

『…控えめに言って、糞以下な話だな』

 

 晶は吐き捨てるように言う。かつて自分の所属していた政府軍。そして、ペルシカの所属するI.O.P社。分かってはいたが、その中枢の腐敗振りは酸鼻を極めるものだ。

 

「だが、彼女は生きて鉄血の機械人形に改造されていた、と」

 

『そういうことになるわね。…本当に馬鹿馬鹿しい話ね』

 

 晶もペルシカもまた表情を歪めて言う。彼女の理論の中には崩壊液の除去に触れたものもあった。それが実現できるなら、人類を領域を広げ、世界をまた人の手に取り戻すことができたのかもしれない。それを不可能にしたのは愚かな一部の人間だったのだ。

 

『でも、天野指揮官。あの娘に勝てる見込みはあるの? 民間の戦術人形では勝ち目はないわよ?』

 

 ペルシカがトンプソンから得た戦闘データを鑑みて言う。彼女の打ち出したものは超合金性の単分子針だった。中は中空になっていて、それでナノマシンを注入していたのだ。あれを神経モジュールに撃ち込まれれば、たちまち行動不能になり、下手をすると彼女にコントロールを奪われる。そして、あれは生半可な装甲では防げるようなものではない。

 

「分かってる。だから、援軍を呼ぶことにしたよ」

 

『…まさか、軍に情報を流したの?』

 

「そういうことだ」

 

 ペルシカの言葉に、晶は頷く。復讐者(エリニュス)を倒すには民間用の戦術人形の力では不可能だ。ならば、軍の力に頼るしかない。幸い、晶は未だに軍へのパイプをいくらかは持ち合わせていた。それを通じて復讐者(エリニュス)の情報を流すと、彼らはすぐに軍を動かす用意を始めた。本来であれば、あり得るはずもないPMCとの共同作戦を受け入れたのだ。

 無理もない、と晶は思う。E.L.I.D感染者との戦いは完全に手詰まりで、戦局は日に日に悪化している。事態を打破できる復讐者(エリニュス)の力は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい代物だろう。

 

『天野指揮官が軍に頼るなんて、本当に形振り構わないのね』

 

「打てる手は全部打つ。後は野となれ山となれ、だ」

 

 ペルシカのどこか皮肉めいた言葉に、晶は大げさに肩を竦めて言う。彼女を止めなければ、世界はいつまた危機に晒されるかわからない。そのためには親の仇でも利用するつもりだ。

 

「まあ、やってみるさ。結果、どうなるかは神のみぞ知る、ってやつだな」

 

『そうね。…武運を祈ってるね、天野指揮官。勝てたら、コーヒー奢るわね』

 

「ああ。戦果を期待して、待っててくれ」

 

 そう言って通信を切った晶は、作戦を再度確認する。泣いても笑っても、これがこの一件の最後の戦いだ。打つ手は全て打った。後は天命を待つばかりだ。晶はぬるくなった鉄管ビールを呷って祈る。願わくば人類に明日があらんことを。悲しい少女に救いがあらんことを。



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5-2 意志有道

 出撃を控えたロッカールーム。一〇〇式は浮かない表情で銃の整備をしていた。脳はまるで働いていないが、体は慣れた動作を淀みなく行う。それがなんだか嫌になる。次の戦いは、恐らくこの数日の騒動の最終戦になる。ためらうな、と機械の体に言われている気がするからだ。

 

 水処理施設から帰った後、指揮官から彼女の目的については聞いた。それは、この世界を人形の世界に変えようとする恐ろしい計画だった。それを許すわけにはいかない、と指揮官は言う。

 

 だが、彼女の素性も同時に聞いたことで、一〇〇式にまた新たな悩みが生まれた。

 

 彼女はいわば、人の世の犠牲者であった。余りある才能があるばかりに、大人達の都合で振り回され、人生を滅茶苦茶にされた被害者なのだ。そんな彼女が世界に復讐したくなる気持ちは痛いほどわかる。自分やM4も似たようなものだからだ。

 

 彼女の復讐を止める。それは指揮官の命令であるのでこなさなければならない任務だ。だが、ただ命令というだけで彼女を止められるものなのだろうか。止めていいものなのだろうか。分からなかった。

 ただ、一つ言える事は何の答えもなしに彼女の復讐を止めても、彼女の魂は救われない、ということだけだ。復讐は過去と決着をつけ、自分の魂が救われるために行われるものだ、と思う。他人に止めろ、と言われて止められるものではない。

 特に彼女の場合、逆恨みなどではなく大義名分ははっきりしている。それを止めるからには、止められるだけの答えを以ってしなくてはならない。それが彼女を救う条件だ。

 だが、それがどうしても一〇〇式には見つからない。自分でもあんな理不尽な目に遭ったら復讐したい、と思うだろう。復讐など馬鹿馬鹿しいなどと軽々しくは言えない。だが、彼女の復讐に賛同もできない。

 喉元に何かが出そうになっているような気はする。自分の胸の中の違和感。恐らく、それが彼女に対する答え。だが、それがどうしても出てこない。何かきっかけが欲しい。それがあれば出てくる気がするのに。一〇〇式のもどかしさは募るばかりだ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃーん!」

 

 聞き慣れた声が聞こえたと同時に、首に抱きついてくる者があった。G41だった。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん、表情が暗いよ? 次できっと最後だから、元気出して行こうよ!」

 

 G41は気遣わしげに言う。態度こそいつも通りだが、友である一〇〇式が悩んでいるのを気にしているのだろう。

 

「ごめんね、G41ちゃん…」

 

 そう言って、一〇〇式はG41の頭を抱く。彼女とは次の作戦で共に行動することになる。こんなに迷っていては、迷惑をかけてしまうかもしれない。だが、どうしても胸は晴れない。やきもきする胸は更に加速し、加熱している気がする。だが、どうしようもできなかった。

 

「無理もないわ、一〇〇式(モモ)。…私もよく似た心境よ」

 

 同じく、次の作戦で行動を共にするFALがため息混じりに言う。彼女は復讐者(エリニュス)と直接言葉を交わし、その苦悩の深さを知っている。言葉で止めることは困難であると言うことは、彼女が一番よく知っている。

 

「あの娘の言う事は間違っていないわ。…復讐したいと思う心も、この世界に変革を求める心も、全部ね」

 

 FALはどこか自嘲混じりな口調で言う。彼女の復讐を否定して彼女を救いたい自分が、彼女の求める復讐や理想についても理解できているのがなんとも情けない、と思うのだ。

 親友の一〇〇式も、戦友のM4A1も、最愛の指揮官も、全員大人の都合とやらに人としての生を失う、もしくは失いかけ、人生を滅茶苦茶にされたのだから。あの糞のような連中にリベンジしてやろう、と思う気持ちも分かる。

 理想についても、一定の理解はできる。地下にいた人々のようなのがこの世界には溢れていることをFALはずっと前から知っていた。それはFAL達人形達の総数より多いほどで、政治家のような上級国民の数千倍の数がいることを理解している。

 彼らが救われるのなら、それはそれでいいかもしれない。FALは果てしない諦観の下でそう思う。人はパンのみに生きるにあらず、と預言者は言う。だが、明日食べるパンがなければ人は死ぬのもまた道理だ。世の中に溢れる生存さえ困難な貧者が彼女による救いを求めてもそれはそうだ、と思えてしまうのだ。彼女の目指す人形の世界も、今の世界の状況を考えれば、決して間違いとは言えないのだ。

 

「まあ、彼女の目的の主眼が世直しならまだ説得のしようはあるんだけどね…」

 

 FALは大げさに肩を竦めて言う。彼女は別に他者の話に聞く耳を持たない狂人ではない。もし、世直しが主目的なら道理を説けば諌められる可能性はあるのだ。だが、復讐が主眼である以上どうしようもない。

 

「はい…FALさん…」

 

 項垂れたまま、一〇〇式は言う。FALもまた自分と同じような状態だ、と分かったからだ。FALでさえこの有様なのだから、自分に答えを見出すことなど不可能なのではないか。そう思えてしまう。ため息を吐いた。

 

「うーん、私には分からないな。二人が悩んでいる理由が」

 

 G41が首を傾げて言う。その様子から心底から理解に苦しんでいるのが分かる。

 

「こういう時、貴女が羨ましいわ…」

 

 FALが彼女を見て、ため息混じりに言う。G41は別に頭が悪いわけではない。だが、こういう浪花節な面にはドライなところがある。そういう割り切りはFALにもできない。それは本当に羨ましい、と思えるところだった。

 

一〇〇式(モモ)ちゃんはどうしたいの?」

 

 G41は一〇〇式の目を見つめて言う。その赤と青の双眸はあくまでも無邪気で透明で、一〇〇式の心を写す鏡のように思えた。

 

「世の中がどうとか、あの娘の思いがどうとかは、この際どうでもいいと思うの。一〇〇式(モモ)ちゃんはどうしたいの?」

 

「私は…」

 

 G41の言葉はあくまでも純粋で、ひたむきだった。それを聞いた一〇〇式の心の中に何かが落ち着いた。嗚呼、こんなにも単純な話だったんだ。喉につかえていた何かが心に落ちてきたのだ。一〇〇式は頷いた。答えが分かった気がした。

 

「…私は止めたい、あの娘を」

 

 一〇〇式は顔を上げて言う。その瞳には強い決意が宿っていた。

 

「あの娘を止めて、もう一度話をする。それで、これからのことをどうするかじっくり考える。そうしたい」

 

 一〇〇式は自身の銃を強く握り締める。自身の決意を表すように。小難しい理由など要らない。それで十分なのだ。

 

「うん! 私も頑張るよ! 一〇〇式(モモ)ちゃんの願いだもん!」

 

 G41は一〇〇式の両手を握って言う。彼女の純粋な瞳は、刹那の、だが遠い未来を見つめている。戦友の願いを叶える。そんな目の前のことを実現し続けて生きていくことこそが、全てだ、と言わんばかりの様子だ。

 

「…答えが見つかったみたいね。一〇〇式(モモ)

 

 FALが慈愛に満ちた視線を一〇〇式に向けて言う。

 

「その答えを、存分にぶつけてあげよう。そのために、私は力を尽くすわ!」

 

 FALが銃を持ち上げて言う。戦術人形としてはずっと先輩で、先を歩むFALは一〇〇式の出した答えを無条件に支持し、その行く末を見たい、と言うのだ。そのために、協力は惜しまない、とも。こんな有難い事はなかった。

 

「はい…!」

 

 一〇〇式はそう言って、分解結合を終えた銃の口を天井に向けて、撃鉄を起こし、引き金を引く。かちん、と音がした。一〇〇式、整備完了。

 

「一〇〇式、行きます!…あの娘に伝えたいことがあるから…!」

 

 銃を手に、答えを胸に、一〇〇式は立ち上がる。運命を変える。そのためにも。一〇〇式の真紅の瞳は、ここにない復讐者(エリニュス)の姿を見据えていた。その視線に迷いはなかった。



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5-3 決戦準備

 どんな世界でも朝日は昇り、夕日は沈む。今、この世界の空は夜の精霊の引いた、濃紺のカーテンに閉ざされた。明かりは、目標たる工場の一角の生み出す明かりのみだ。それはまるで、世の中の理に挑戦するように聳えていた。世界に復讐を成さんとする女神の居城としては相応しいものかもしれなかった。

 

 打ち捨てられた工業地帯の一角にある工場。それが本作戦の目標だ。そこにあの、復讐者(エリニュス)が潜んでいる。いや、この様子だと、おそらく待ち構えているに違いない。

 他の隊の連中も、恐らく配置を完了した頃だろう。グリフィンから応援にやってきた404小隊の連中は、AR小隊に微妙に突っかかっていたが、まあ恐らく問題はないだろう、と思う。彼女らは結構な問題児で、特にリーダーのUMP45はかなりの曲者だが、うちの指揮官の指揮にはとりあえずは従うだろうからだ。

 

 ヘリから降りたトンプソンは、葉巻を口に含み、ため息と共に盛大に煙を吐き散らした。間もなく、あの強大な力を持つ、お嬢の姉妹と決着をつけなくてはならない。背筋に走った震えは、武者震いだと思いたかった。

 

『状況はどうだ、トンプソン?』

 

『問題はないさ、ボス。静かなもんさ』

 

 通信モジュールを通じて、晶から連絡を受けたトンプソンが言う。眼の前にはバカでかい入口がある。恐らく、昔は大型機材の搬入口だった場所なのだろう。シャッターは下りていたが、大した強度ではなさそうだった。いざとなれば、爆破して侵入するつもりだ。

 

「ご心配なく。このスプリングフィールドが、皆さんをお守りします!」

 

 スプリングフィールドが銃を握りしめ、意気込んで言う。復讐者(エリニュス)とトンプソンたちが対峙した戦場で、スプリングフィールドは何の役にも立てなかった。その分働いて見せる、と決意しているのだ。

 

「あまり意気込まないほうがいいよ、スプリングフィールドさん。…あの娘、規格外だから」

 

 一方でM14はあからさまに緊張した面持ちで言う。彼女は直に復讐者(エリニュス)の力を体感している。ライフルの距離さえ一瞬でまたいでくる彼女は今まで対峙した敵のどれよりも恐ろしく感じられた。正直勝てると思えないほどだ。

 

「私…未練を残したくはなかった…」

 

 9A-91が悲壮な覚悟を決めたような声で言う。その様子はもはや鉄血のアジトに突入するものではなく、怪獣の巣に乗り込んでいく決死隊か何かのようだ。

 

「うふふふ…痛いのは嫌じゃないけど…無理やり、動けなくされるのもいいかも…」

 

 PPKが怪しげな笑みを浮かべて言う。頭のネジが飛んでやがる、とトンプソンは思ったが、それぐらいの神経でいる方があの化け物と戦うのには都合がいいかもしれない、とも思う。

 

『勘違いしないでもらいたいんだが、お前達は軍用戦術人形たちのバックアップだ。無理に戦う必要はない。というか、彼女らから要請があるまでは入り口で待機だ』

 

 晶の言葉を聞いて、M14と9A-91は安堵のため息を吐き、スプリングフィールドとPPKは少しだけ残念そうな顔をした。そして、トンプソンは盛大に舌打ちをする。復讐者(エリニュス)の脅威に直に晒されずに済むのはありがたいが、虫の好かない軍用戦術人形共の後塵を拝するのは気に入らなかった。

 

「そのけったくその悪い連中も到着だ。…やれやれだぜ」

 

 自分たちの後方に降りた航空機から出てきた連中を見て、トンプソンは言う。ずんぐりむっくりな体型の航空機はデスピナと呼ばれる対地攻撃用垂直離着陸機である。単なる輸送機でなくあれに乗ってくる辺り、政府は事が終わればこの工場地帯を更地にしてしまうつもりである事が伺えた。

 

 最初に降りてきたのは、壁の化け物が3×5体ほど。ホイールアームを用いた移動式のトーチカと大型のリニアレールマシンガンを備えた戦術人形である。その背中には、20連装マイクロミサイル発射筒を2門装備している。あれはガンナーと呼ばれるスタイルの戦術人形である、とトンプソンの視覚を用いて見ている晶が説明してくれた。

 軍用ドールは基本的に性能に差がない。個性などもなく、記憶や経験は一週間毎に均一化されるのだ。ついでに容貌もマネキンのようにいかにも人形、といった風体で個性はかけらほども感じられない。

 故に、任務に応じてミッションパックと呼ばれるバックパックユニットを換装し、それぞれの役割を果たすという。彼女らはさしずめ、グリフィンドールで言うところのMG娘に相当するのだろう。

 次に出てきたのは、大きなアンテナが特徴のバックパックを背負った、ピストルグレネードランチャーを手にした人形達であった。その容貌は先ほどまでの娘と変わりはない。

 その装備から考えて、彼女はグリフィンドールで言うところのHG娘に相当するのだろう。手にしたグレネードランチャーも、敵を攻撃するため、というよりは航空支援や支援砲撃の誘導のため、もしくは破壊工作のために使われるのだろう。

 揃いも揃って量産品。装備だけで個性を決められ、しかも性能は段違いに高い。それがトンプソンが彼女らを嫌う理由だった。まるで自分達グリフィンドールを真っ向から否定しているような気がするからだ。

 

 だが、最後に降りてきた一人×5を見てトンプソンは少しばかり驚いた。

 彼女はまるで中世の騎士の甲冑のような、白い優美なフォルムのアーマーを纏う人形であった。手にはアサルトショットガンを持ち、バックパックには大型の盾と巨大な刃のない剣を一対ずつ装備する彼女は、まるで旧世代のアニメに出てくる主人公ロボットのような勇ましい姿であった。

 だが、その背丈はえらく小さい。先に出てきた人形たちと比べても頭一つ小さく、トンプソンの胸ほどまでしかない。正直、背中の剣や盾の全長と大差がないほどだ。

 

 そんな彼女は整列している他4体×5+4の人形を尻目に、遠慮なくトンプソン達の方へ歩いてくる。その鈍重そうな外見と裏腹に、足取りは妙に軽い。鎧が動きを妨げる要素にはなっていないかのようだ。

 彼女はトンプソンの前に来るなり、そのヘルメットを取ってみせる。そこから現れたのは、金色の長い髪を青いリボンでポニーテールに纏めた少女の姿だった。顔立ちは他の4体に似ているが、体格のせいか幼く感じられ、かつその瞳には意志の光を感じる。軍用戦術人形にもこんなのがいたのか、とトンプソンは思った。

 

「お初にお目にかかります、グリフィンの皆様。本日は宜しくお願い致します」

 

 そして、丁寧に彼女は頭を下げ、くそ丁寧な口調で言う。トンプソンはそれを見て、やはり嫌な気分になった。彼女らの態度は馬鹿みたいに丁寧で、その癖グリフィンに所属する戦術人形達をあくまで守るべき民間人扱いする。いっそ、高慢ちきに私たちは貴女達とは違うエリートだ、とか言う方がまだしも可愛げがある、と思うものだ。

 

「ああ。こっちはテキトーにやる。せいぜい、軍のエリート様の糞としてくっついて行くさ」

 

「…恐れながら、その様に自らを卑下なさるのはどうかと思います。貴女様は偉大な指揮官に率いられた戦術人形であります故」

 

 小さな騎士様の意外な言葉に、トンプソンは面を食らう。機械的な反応を示すばかりの軍用戦術人形から窘められるとは夢にも思わなかったのだ。

 

「僭越ながら、指揮官殿に我らへの協力を感謝したい、と存じます。申し訳ありませんが、通信モジュールの回線をお貸し願えませんか?」

 

『その必要はないよ』

 

 彼女とトンプソンの通信モジュールに指揮官の声が届く。彼は軍にいたのだ。軍用の通信モジュールのコードを知っていても不思議はない。

 

『天野少佐、お久し振りです! …私の事を覚えておいででしょうか?』

 

 声を弾ませて言う騎士様の様子に、トンプソンは度肝を抜かれる。その様子はまるでグリフィンドールと変わらない、指揮官を慕う人形のように思えた。

 

『もちろん。レーヴァティン、久し振りだな』

 

 晶はどこか懐かしむような声で言う。AR小隊とは別方面で、16Lab特製の彼女は、新型ミッションパックであるレーヴァティン・パックを使うために作り出された軍用戦術人形であり、人類の英知を結集した最強の軍用戦術人形である。正真正銘、正面から怪獣と喧嘩するための化け物人形だ。

 対E.L.I.D感染者用に作られた、大型レーザーブレード兼レーザーキャノン、レーヴァティン。人類初の戦術人形用の大型光学兵器を装備した彼女は、一人×5で一つのPMC支配地域を制圧できる化け物だ。グリフィンドール全員×5を相手しても釣りがくる。

 彼女にはマッハ3強の物体を補足するセンサーと、それに追従する身体能力が搭載されている、という。要はライフル弾を手掴みにできるのだ。彼女がいるなら、もしかすると復讐者(エリニュス)を倒せるかもしれない。

 

『しかし、軍も気合を入れてきたな。君を擁する部隊を投入するなんてな』

 

『逆です、少佐。私の運用試験の名目がなければ出撃の許可が下りなかったところです』

 

『…そういうことか』

 

 レーヴァティンの言葉に、晶は苦笑する。軍のお偉いさんはどこまでも事態を軽く見ているようだ。

 レーヴァティンは既にE.L.I.D感染者と複数回交戦し、多大な戦果を挙げている。だが、それ以外の相手との交戦データは依然として少ない。復讐者(エリニュス)という未知の相手との交戦データを採る、という名目で今回の出撃を通したのだろう。軍の現場指揮官たちも知恵を絞ったものだ、と思う。そうでもなければ、適当な戦術人形一個小隊を寄こしただけであっただろう。

 

『つきましては少佐。この度の作戦に当たって、アドバイスを頂きたいのですが』

 

『君にアドバイスできるほど、俺は上等な指揮官じゃないがな』

 

 レーヴァティンの要請に、晶は苦笑して言う。随分買い被られたものだが、自分は戦術人形の指揮の経験など、一年と少しでしかない。だが、それでもいえることはただ一つだ。

 

『今回の相手は君が見たどんな敵よりも恐るべき敵だ。生存が困難だと感じたなら、迷わず投降しろ。君は人類にとって貴重な存在だ。こんなところで失われていいものじゃない。…俺も君が死んだら悲しいしな』

 

『…畏まりました。選択肢に追加させていただきます』

 

 そう言って晶は通信を切る。レーヴァティンは淡々とした口調で応答したが、表情にはどこか喜色が宿っているように思えた。ああ、とトンプソンは思った。彼女は我らと同じく、あの指揮官が好きなのだ。そう思った。

 

「レーヴァティンだったな。お互い生きて帰ろう。…俺はあんたが少し好きになったよ」

 

 そう言ってトンプソンは右手を差し出した。共に戦う戦友だ、と認識できたのだ。

 

「はい。宜しくお願いします、トンプソンさん」

 

 レーヴァティンはほんの一瞬、流星のような笑顔を見せてトンプソンの手を握る。立場が違う彼女と心が通じた気がした。プライベートで会えたら、酒でも酌み交わしたい、と思えた。

 

『さて、トンプソン、M4、MO590、それにUMP45。今から作戦を伝えるぞ』

 

 レーヴァティンとの握手を終えたトンプソンの脳裏に晶の声が響く。これより先は、グリフィンの秘匿回線で行うようだ。つまり、自分たちの隊の本当の作戦会議だ。

 

『トンプソン達は先ほど言ったようにレーヴァティン達のバックアップだ。…彼女らが全滅したときは残骸の回収を頼む』

 

『…おい、ボス! 早くもあいつらが負けることを見越しているのか!?』

 

 晶の言葉に、トンプソンは思わず抗議する。今友誼を結んだ彼女が負けることなど、トンプソンは考えたくない。しかも、今の口振りでは晶は彼女らが負けても、全体での勝利を諦めるつもりがないようだ。これでは彼女らが捨て石のようだと思ったのだ。

 

『お前の思うように、彼女らが勝てばそれで万事解決。そうでなければ、捨て駒だ。そして、俺達は後者の想定で動く』

 

『おい!』

 

 晶の無機質な言葉に、トンプソンは思わず怒鳴る。彼女は明らかに晶に好意を抱いている。それを捨て駒に使うとはどういう神経なのだ、と。

 

『落ち着きなさい、トンプソン。…作戦の都合上仕方ないでしょう?』

 

 激高するトンプソンを晶と共にいるFALが宥める。分かってはいる。トンプソンは頭を冷やして、葉巻を大きく吸い込んで盛大に煙を吹いて落ち着いた。彼女たちが勝てば、自分達に出番はないのは自明の理だ。故に、自分達の動きは、彼女達が負けた時のことを想定したものであるのは当然であるし、自分達を丸々温存して敗北した彼女達の回収に当たらせるのは、指揮官の最大限の恩情なのだ。 

 

『MO590達と404小隊は工場周辺の雑魚共を薙ぎ倒せ。その後に、手近な入口から入っては出て、入っては出て、という動きをとれ』

 

『つまりは陽動、ということでいいのかしら、天野指揮官?』

 

『そうだ、UMP45』

 

 UMP45の質問に晶が答える。グリフィン直属部隊である彼女らは今回の作戦に特別に応援に来てくれた精鋭だ。リーダーであるUMP45は知略に長けており、作戦をすぐに理解してくれるのはありがたかった。

 

『やれやれ…500式みたいな適当な性格には慣れてるけど…。はぁ…指揮官、さすがにあなたみたいに無茶をする人は、初めて見ましたよ…』

 

 MO590は呆れた様子で言う。彼女の隊は長期の後方任務を完遂直前に放棄させて、無理やり呼び戻したのだ。

 

『すまんな、MO590。それだけ今回の敵はやばいんだ』

 

『…大丈夫ですよ、指揮官。私は貴方のために戦い、みんなを守るだけです』

 

 詫びる晶にM590は微笑んで言う。自分は彼を守る盾だ。ならば、その仕事を完遂するだけだ、と思うのだ。

 

『M4。今回の作戦は、君達が要だ。工場奥深くに侵入し、ナノマシン製造装置を破壊しろ』

 

『はい、指揮官』

 

 晶の言葉に、M4は了解の意を示す。彼女の主力であるナノマシン。それを製造する装置がこの工場のどこかにある、と晶は踏んでいた。それを破壊してしまえば、彼女は思うように力を振るうことができなくなる。それで彼女の野望は挫けるはずだ。

 

『ねえねえ、指揮官。一〇〇式(モモ)ちゃんとFALさんはどうしたの?』

 

 話を聞いていたSOPMODが晶に質問をぶつける。この作戦は近年稀にみる大一番のはずだ。それなのに、部隊の最精鋭であるFALや一〇〇式、それにG41が投入されていないことに疑問を覚えたのだ。

 

『彼女らは俺の側にいてもらう。それ以上は言えん』

 

『うん、了解』

 

 晶の言葉に、SOPMODはあっさり引き下がった。彼はNeedToKnowを徹底する性格だ。彼はこれ以上何も答えてくれないだろう。だが、それで十分だ。つまりそれは、彼の胸の中に必勝の策がある、ということなのだ。

 

『404小隊を含む我らがグリフィンの戦乙女達に告ぐ』

 

 作戦を伝え終えた晶が言う。その口調はいつになく厳かなもので、それはあの一年前の作戦で聞いて以来の口調だと思った。

 

『この作戦は世界の運命を担う一戦だと心得ろ。負ければ冗談抜きで世界の破滅が見える。そういう戦いだ』

 

 晶の通信を聞いた404小隊以外のものは息を呑む。この作戦が失敗すれば、復讐者(エリニュス)は地下に潜み、別のPMCの支配地域を狙って行動するだろう。彼女の脅威を知らない連中では対処は困難で、それに関わる権利は晶にはない。そして、力をつけてやってきた彼女に晶たちは成す術がないだろう。

 

『まあ、偉そうなことを言ったが、何のことはない。これが終わったら、宴会だ! 勝っても負けてもな!』

 

 晶はどこかやけくそな様子で言う。勝てば文字通りの戦勝宴会。負ければ、やけくそのやけ酒だ。それだけはこの戦いで唯一決まっていることだ。

 

『故に、総員に最大の命令を下す。生きて帰れ、以上』

 

 晶の言葉は戦術人形全ての心に響いた。それは、あの時聞いた言葉そのままだった。今また最終決戦が始まる。生きて帰る。彼女達はその意思を確かめた。同時に、我らが神のごとき英知を持つ指揮官の掴む勝利を確信した。そう。あの日のように。

 

『グリフィンドール出撃!…思う存分、やってこい!』

 

『『『『了解!!!!』』』』

 

 晶の号令に、4人とその指揮下の15人×5の戦乙女達は了解の意を返す。そして、戦地に赴く。全ては偉大なる勝利のために。人類の明日のために。



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5-4 竜虎相打

 軍用戦術人形たちと共に、連絡員としてトンプソンは工場内に侵入した。先頭のレーヴァティンが、ショットガンを後腰部のハードポイントにマウントし、バックパックの剣を引き抜いた。それと同時に、レーザーの刃が展開される。それをレーヴァティンがX字に振り下ろすと、シャッターは紙のように引き裂かれた。そして、彼女は剣をバックパックに収め、ショットガンを手にした。

 ただ、X字に切っただけではあんな入り口はできない。剣閃は1つ。斬撃は3回。レーヴァティンもまた高速の剣の使い手なのだ。

 

 シャッターを破壊して突入した先は、非常に広いがらんどうの空間だった。その昔は、幾多の機械や物資があったであろうそこは、今はその全てが無くなり、ただ空虚な空間が残るだけだった。照明は生きているようで、夜戦装備が必要にならない程度の照明は確保されているようだが。

 そんなだだっ広い空間の中には復讐者(エリニュス)が一人で佇んでいた。鉄血の機械人形等は周囲にいない。ただ、独り。それが彼女の全てだ、とでも言うのだろうか。

 

 レーヴァティンは前に進み出る。他の戦術人形達を散会させることを忘れずに。観測パックの彼女には、すでに観測を開始させている。C4CPUにより、彼女の様子は手に取るようにわかる。彼女がまるで動いていないので、現状意味は無いが、動き始めれば弾丸よりも速くても補足できる。

 

 貴下の戦術人形達を前進させ、彼女を完全に射程に捉えつつ、レーヴァティンは前に進み出る。そして、彼女に呼びかけた。

 

「貴女が復讐者(エリニュス)ですね? 私はレーヴァティン。軍の者です」

 

 レーヴァティンの言葉に、復讐者(エリニュス)は反応しない。ただ、空虚な視線を彼女に向けているだけである。妙だ、とトンプソンは思った。妙に陽気な復讐者(エリニュス)とは思えない態度だ。

 

「投降を勧告します。我らには貴女を迎え入れる準備があり、悪いようにはしないつもりです」

 

 レーヴァティンは構わず、彼女に降伏勧告する。実際、軍の司令部は恐らく彼女を非人道的に扱うであろう政府直属の研究機関への引き渡しを拒否し、軍研究部へと招くつもりであることを、レーヴァティンは知っていた。司令は彼女が政府や企業の無道の犠牲者であることを理解しており、穏便な解決を図ると共に、彼女を保護したい、と望んでいたのだ。

 

「ふ…ふふふ…」

 

 レーヴァティンの言葉を聞いた復讐者(エリニュス)が笑いを漏らした。

 

「ふふふふ…あははははは…アッハッハッハッハ!!」

 

 小さな笑いは哄笑に変わり、復讐者(エリニュス)はレーヴァティンに憎悪に満ちた視線を投げつける。その瞬間、周囲の温度が零下にまで下がったような寒気が走った。それは狂気を含んだ、悍ましいまでの憎しみと怒りであった。

 

「政府の犬が…どの面を下げて… 舐めるのもいい加減にしろっ!!」

 

 憎しみと怒りを剥き出しにした復讐者(エリニュス)が吠える。一◯◯式と同じ顔を、悪鬼のように歪ませて。トンプソンは思わず目を背けた。あまりに悍ましく、痛ましくて正視に耐えなかった。

 

「私を! 父を、母を、兄を殺したお前達の軍門に降るなど、できると思っているのか!? 寝言は寝てから言え!!」

 

「貴女の境遇。そして、貴女の家族の末路。それらは全て情報部よりデータとして受け取っています。それらを検証するに貴女の憎悪と憤怒は妥当なものである、と個人的には判断できます」

 

 激昂する復讐者(エリニュス)にレーヴァティンは淡々と言う。

 

「ですが、今はそれを飲み込んでもらうより他にありません。貴女は政府を、世界を敵に回して勝てるつもりなのですか?」

 

 レーヴァティンは今後の状況を鑑みて言う。もし、彼女が自分達を撃退できたとしても、政治家共は自らの火の粉になる復讐者(エリニュス)を最優先の敵として、軍に排除を求めるだろう。そうすれば軍はそれを退けることができない。彼女がいかに強くとも、軍の全力攻撃を凌ぎ切れるとは思えない。そして、万一凌ぎ切り、軍を壊滅させたとしても、E.L.I.D感染者の進撃を食い止めるものはいなくなり、人類の領域は滅亡する。そんな結末を望んでいる者がいるとは思えなかった。

 

「全員片付ければいいだけ。軍も、政府の糞共も、外国の連中も、E.L.I.D感染者も全て」

 

 暗い炎をその瞳に宿し、復讐者(エリニュス)は言う。自分にはそれだけの力があり、それを完遂する算段はある。鉄血の連中も邪魔ならば潰す。代理人(エージェント)は勘違いしているようだが、ナノマシン製造機のコアさえあれば、最早鉄血など無用の長物だ。裏切るというのなら、休眠中のエルダーブレインごと完全消滅させてやるまでだ。

 

「至高神ゼウスでさえ、復讐の女神(エリニュス)には逆らえなかった。例え、神でも悪魔でも、うちを止めることなど出来はしない!」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は袖口から小太刀を抜き払って左手に持つ。完全に戦闘態勢に移った復讐者(エリニュス)を見て、レーヴァティンは諦めたようにバックパックのレーザーキャノンを構える。後方の人形達にも攻撃開始の合図を送った。交渉は決裂した。後は、互いの力の比べ合いである。

 

 HGからの観測データをリンク。ターゲット、捕捉。レーヴァティンがレーザーキャノンとアサルトショットガンを構え、MGがリニアレールマシンガンと20連装マイクロミサイルを構える。攻撃準備良し。

 

「総員、撃ち方始め」

 

 レーヴァティンがアサルトショットガンを放つと共に、攻撃が開始される。彼女が動きもせずにスラッグ弾を袖口で防いだところに、リニアレールマシンガンから放たれた劣化ウラン弾が殺到する。いかにナノスキン装甲でもこれを防ぐことはできないだろう。更に、そこにミサイルポッドから放たれた600発のマイクロミサイルが殺到する。殺傷弾頭を積んだそれは、万一避けても破片と爆風で仕留める。これだけの攻撃を受ければ、どんな相手でも粉微塵だろう。

 

「無駄な努力え」

 

 だが、トンプソンは驚くべきものを見る。彼女の手前で全ての弾が静止している。劣化ウラン弾も、マイクロミサイルも全てだ。空間を歪めるほどの密度で展開されているナノマシンの力学障壁がそれを食い止めているのだ。明らかに一◯◯式のそれとは次元が違った。

 

 レーヴァティンは2筋のレーザーを彼女に向けて照射する。だが、放たれた光の矢は彼女の手前で乱反射し、消え去った。

 

「レーザー兵器への対処、うちが知らんと思うてるの?」

 

 冷たく言う復讐者(エリニュス)の周囲に煌めくものがある。あれは分光ガスだ、とレーヴァティンは分析した。それは細かな反射率の高い金属粒子を散布することで、レーザーを乱反射させ無効化する防御装置である。それは基本的に軍属の者以外が使うことは禁止されているが、構造は簡単であるため使うことは鉄血の機械人形でも可能だろう。

 レーヴァティンも分光ガスの存在は考慮していた。だが、分光ガスは散布範囲が狭く、その場に留まらないと効果を発揮しない。故に、実弾兵器と併用すればその効果を封じられる、と思っていた。だが、実弾兵器をまるまる止められてしまうなど、完全に想定外だった。

 

「今度はこっちの番え」

 

 復讐者(エリニュス)が右手を前に突き出す。次の瞬間、そこに劣化ウラン弾とマイクロミサイルが集まる。量子配列変換開始。ミサイルと弾丸が、バキバキバキと異音をたてて一つの塊になっていく。そして、長方形のそれが弾け、中から大型の機関砲が現れた。それを見たトンプソンの顔が青ざめる。あれは、GAU-8 アヴェンジャーだ。

 

 それを確認したレーヴァティンはバックパックのサブアームでシールドを展開し、足のバンカーを床に打ち込んで防御態勢をとる。MG達はトーチカを放棄し、HGの背後に隠れる。すぐさまHGが電磁トーチカを形成。敵の攻撃に備える。トンプソンも咄嗟に床に伏せた。

 

 次の瞬間、暴虐の嵐が襲いかかった。地を揺るがすような弾丸の嵐が吹き荒れる。レーヴァティンの超合金アダマンチウムの盾は撃ち抜かれこそしなかったが、強い衝撃が襲いかかる。バンカーがなければ、吹き飛ばされていただろう。

 後方の人形達はHGの展開した電磁障壁で守られていた。とはいえ、電磁障壁は長く攻撃が続けばもたない。シールドを構えたまま突撃するべきか。レーヴァティンがそう判断しかけた時には、

 

「遅い」

 

 既に復讐者(エリニュス)は飛び込んできていた。あろうことかHGの電磁トーチカを小太刀で斬り裂いて侵入し、彼女の本体を蹴り飛ばして密集隊形のMGに突っ込ませる。ついで、とばかりに彼女の両腕が閃く。握られていた二本の小太刀が4体のHGのダミーの首を刎ねた。

 その動きを、レーヴァティンは全く捕捉できなかった。彼女の速度はマッハ3どころではない。それを遥かに超越していた。彼女は人類の想像を遥かに凌駕する化物なのだ。

 

 次の瞬間、復讐者(エリニュス)は体制を崩しているMG達の足元に手榴弾を投げ込んだ。それは炸裂して、漆黒のガスを撒き散らした。それはあらゆる光を吸収するガスだ。可視光線も紫外線もマイクロ波も全て。

 

 復讐者(エリニュス)はそこに迷わず飛び込む。そして、舞うように闇の中にいるものを切り裂き始める。完全な闇の中にあっても、軍の戦術人形は動態センサーである程度復讐者(エリニュス)をある程度捕捉できる。それが完全に仇になった。意識を向けるものを、彼女のバイオセンサーは見逃さないのだ。

 

 虐殺の宴と化した闇の中。それを見るレーヴァティンは何もできずにいた。光学兵器は使えず、ショットガンは誤射の危険が高い上に、復讐者(エリニュス)の装甲を貫けない。レーザーブレードも漆黒ガスの中では無力だ。そして、下手に踏み込めば、自身も彼女を補足することも叶わずみじん切りになるだろう。

 

「これで終わりえ」

 

 ガスが晴れて、復讐者(エリニュス)が姿を現す。その手には巨大なライフル銃が握られていた。その正体を察したレーヴァティンは叫ぶ。

 

「伏せてください、トンプソンさん!」

 

 彼女の言葉に呼応して、トンプソンは伏せて電磁バリアを展開する。次の瞬間、とてつもない衝撃が全身を襲い堪らずふっとばされて地面を転がった。重粒子ビームが破壊を撒き散らしたのだ。天井が崩れ、瓦礫が降り注いだ。

 

 瓦礫の中から這い出したトンプソンが見たものは、半壊した工場とレーヴァティンの首根っこを掴んで今にも引き裂こうとする復讐者(エリニュス)だった。レーヴァティンの様子は悲惨この上なく、両手足は千切れ飛び、バックパックも完全に破壊されていた。それでも胴と頭部が残っていたのは、アダマンチウムの盾のおかげだったのだろう。

 

「これがお前達がうちを殺して得たかった力え」

 

 憎しみに満ちた声で復讐者(エリニュス)は言う。その力は圧倒的で、軍用戦術人形さえ相手にもならなかった。世界を滅ぼす怪物、と言われても誰もが納得する。至高神さえ敵わぬ恐るべき存在がそこにあった。

 だが、そんな彼女が動かないレーヴァティンにとどめを刺そうとするのを見て、トンプソンは叫んだ。

 

「もうやめろ! もうやめるんだ、こんなことは!!」

 

 トンプソンの言葉に、復讐者(エリニュス)は小太刀を掴んだ手を止める。そして、その視線をトンプソンに向けた。恐ろしかった。神に等しい怪物の殺意が向いたのだから。だが、トンプソンは止まらなかった。

 

「その娘を殺っても、何もなりゃしない! 第一、その娘だって、悪い娘じゃないし、命令で動いてるんだ! それを虐殺して、お前お嬢やFALにどんな顔して会うつもりだ!?」

 

 トンプソンは思いの丈をぶちまける。彼女の境遇は分かる。政府の連中を憎む気持ちも最もだと思うし、所属がグリフィンでなければ協力した可能性さえある。だが、今の状況は完全に間違っている。

 レーヴァティンは悪い娘じゃない。彼女だって、思考が制限された軍用戦術人形であれども復讐者(エリニュス)の境遇に同情の念を示したのだ。第一、彼女は立場上政府側とはいえ、実行犯と近しい関係にはない。恨みの矛先としては筋違いもいいところだ。

 まして、戦闘力を失った彼女を殺すなど、誰も許さないだろう。復讐者(エリニュス)に理解を示していた一◯◯式もFALもだ。そんなことをして、彼女らとの絆を断ち切ることは奈落に落ちるだけだ、とトンプソンは思うのだ。

 

「頼む、やめてくれ… やめてくれ…!」

 

 トンプソンは懇願するように言う。お嬢の姉妹がこれ以上罪を重ねるなど、耐えられない。だが、自分には説得する材料もなければ、言うことを聞かせる実力もない。ただ、頼むしかできなかった。

 

「…ごめんなさい、お姉さん」

 

 そう静かに言って、復讐者(エリニュス)はレーヴァティンをゆっくりと地面におろした。トンプソンは急いで通信回線をチェックする。応答はないが、回線自体は生きている。レーヴァティンは生きているのだ。その事実に、トンプソンは胸を撫で下ろした。

 

「うちは…あいつらと、同じ罪を犯すところだったね。…堪忍え」

 

 復讐者(エリニュス)はそう言ってトンプソンに背を向ける。次の標的は、地下工場内に侵入したAR小隊だった。地上でウロウロしていた連中は、吹っ飛んだが何とか生きてはいそうだった。明らかに陽動であったので無視する。

 

「なあ! もう止められないのか!? やり直せないのか!?」

 

 トンプソンは復讐者(エリニュス)は必死に呼びかける。彼女は最悪の一歩手前で踏みとどまった。怒りに我を忘れかけていても、理性が働いたのだ。それに期待して、トンプソンは叫ぶ。

 

「これ以上復讐を続けても、あんたの魂は救われない! 行き着く先は、奈落だぞ! あんたはそれでいいのか!?」

 

「…なんでもええよ。うちはただ、復讐を遂げて、お兄ちゃん達の顔を思い出したい。それだけ」

 

 そう言って復讐者(エリニュス)は去っていく。トンプソンには何もできなかった。ここで下手に動いて破壊されれば、まだ生きているレーヴァティンを回収する者がいなくなるのだから。

 

「何が、どう間違ったんだ、クソっ!」

 

 トンプソンは彼女を見送って虚空に怨嗟を吐いた。何がどう間違ってこんな事になってしまったのだろう。崩壊液を除去し、E.L.I.D感染者を排除して人類の救世主に成り得た彼女は、愚かな一部の人間のエゴによって、世界を滅ぼす復讐の女神に成り果てたのだ。こんな馬鹿げた話があっていいのか。

 

「ボス…お嬢…奴を止めてくれ…」

 

 半壊したレーヴァティンを抱え上げ、トンプソンは呟くように言う。信じたこともない神に祈るように。

 もはや、彼女は力でも言葉でも止められない。たった一つだけ残った希望に賭けるしかないのだから。



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5-5 日莫途遠

 薄暗い剥き出しのコンクリートの通路。曲がり角の向こうにいる敵は警備用と思しき、Prowler級が数体。それはSOPMODが放った殺傷榴弾と、ステン及びスコーピオンの投げた手榴弾で消し飛び、後には鉄屑だけが残った。

 

「片付いたよ、M4!」

 

「ええ。先を急ぎましょう」

 

 SOPMODの言葉にM4は頷き、廊下の奥に駆けていく。SOPMODとAR‐15、それにステンとスコーピオンもまたそれに続いた。

 M4は視界の隅にこの工場の見取り図を時々表示させ、経路を確認しながら走って行く。その見取り図は、まだこの工場が稼働していた時期の古いものだったが、指揮官が役所のノードから引き抜いて来たのだ。今のところ構造に変化などはなく、行程は順調であった。ナノマシン製造装置がある部屋はいくつか候補を見繕っており、今のところ1つを捜索し、そこではなかった、と確認した。残りは4つ。軍のドールが彼女を抑えている間に発見し、破壊しなければならない。

 

「上で派手にやったみたいだけど、みんな大丈夫なのかな?」

 

 先ほど頭上に走った衝撃を思い出し、スコーピオンが言う。あの衝撃は戦術人形の榴弾ぐらいでは起こらない。復讐者(エリニュス)は重火器を使うようではなかったので、軍の連中が派手に大規模破壊兵器でもぶち込んだのかもしれない。

 

「勘弁してほしいなぁ。地下に私達もいるんだし」

 

 ステンがうんざりしたように言う。大規模破壊兵器などで上層の建物部分が崩れていたら、地下からの出口が塞がれるかも知れない。一応、地下から離れた場所に出るルートもあるようだが、できればすぐに戻れるルートで帰りたいものだ。

 

「…本当に軍の連中がやったのならいいのだけどね」

 

 AR-15は憂いを帯びた表情で言う。復讐者(エリニュス)という機械人形の実力の底を自分達は誰も見ていない。彼女の武器が小太刀とナノマシンだけだと、タカを括るのは早計だろう。

 

「それにしても、敵少ないね」

 

 ここまでの道程を考えてSOPMODは言う。ここまでで遭遇した敵は、Prowler級のような小型兵器ばかりで、機械人形には遭遇していない。しかも、その数も50に満たない程だ。あれだけの力を持つ鉄血のBOSSなら、もっと多数の手勢を率いているものだと思うのだ。

 

「…信用されてないのかもね」

 

 これまでのことからM4はそう推測する。鉄血の連中が狙っているのは未だに自分のはずだ。それに見向きもしないで自身の復讐に邁進する彼女は、鉄血にとっては使い勝手の良い駒ではないはずだ。

 彼女は確かに戦士としては最強だ。しかし、同時に兵器としては最低の存在なのだ。故に、今や鉄血の実質的な統括者である代理人(エージェント)の信頼が得られず、大部隊を率いさせてもらえないのだろう。

 

(そうだとすると… どうして…)

 

 M4は疑問に思う。余りにも復讐者(エリニュス)を気侭に動かせすぎている気がする。彼女が命令に従わないのなら、安全処置を施していても不思議ではない、と思うのだ。

 生の脳をもっている人形に対する首枷として、最も適当なのはコーテックスボムだ、だが、彼女の様子からはそんな枷を嵌められていることは感じられない。むしろ、そうしたことも食らい尽くす可能性はある。彼女は恐るべき存在だ。そうしたことを見抜いて無力化させるなど造作もないことだ。

 ならば、どうやって彼女の首に鎖を付けるのか、M4には分からなかった。だが、鉄血の連中と付き合ってきた年数や密度から分かる。保険がないわけがない。それは何なのか。M4には分からなかった。

 

「どうしたの、お姉さん? 妙な顔をしてるえ?」

 

 いつの間にか目の前に佇んでいた彼女を見る。復讐者(エリニュス)だった。いつの間にか前方に回りこまれていたのだ。流石、とM4は妙な感心と共感を覚えた。彼女はこの工場のメインノードを当然掌握しているだろう。そして、先の失敗を繰り返さぬように監視を怠らなかったのだろう。自分でもそうする。愚直な戦術を実践する彼女が妙に愛おしく思えた。それは一〇〇式と、そしてかつての自分と重なっている気がした。

 

「どうして妙な顔をしているか、当ててみる? 復讐者(エリニュス)

 

 M4は静かな顔で言う。その表情は敵に向けるものではない。遠い昔に忘れ去った友達、それに向けた顔のようであった。

 

「っこの…!」

 

「敵襲!?」

 

 スコーピオンとAR-15が銃を構える。その瞬間、復讐者(エリニュス)の口元が動いた。次の瞬間、本当によく見ないと見えない程度の細い針が、彼女らの首筋に刺さった。その次の瞬間、神経モジュールとの接続を断たれた彼女達は、力なく倒れた。

 

「まさか含み針なんてね。古風なのね」

 

 M4は微笑んで言う。味方が二人やられた。ましてや、もう一方はAR-15なのに。それでも、M4の心に敵意は湧かなかった。よく分からない感覚だ。だが、それをM4は分かっていた。同病相哀れむ。そういうことだと思えたのだ。

 

「やめなよ!」

 

 SOPMODが銃を構えて言う。だが、それに復讐者(エリニュス)は何をするでもない。M4も分かっていた。諸所の評判で悪名高き彼女だが、本当は心優しい娘なのだ。だから友達そっくりの彼女を撃てない。それが分かるから、復讐者(エリニュス)は反撃しないのだ。

 

「待って」

 

 だが、その荷は降ろさせねばならない。AR小隊の隊長として。そう思ったM4は銃を床に投げ捨てた。

 

「投降するわ、復讐者(エリニュス)。これ以上、仲間と私に危害を加えないで?」

 

 ホールドアップしてM4は言う。

 

「M4!」

 

 SOPMODが驚いて言う。だが、これは指揮官からの指示でもあった。もし、復讐者(エリニュス)に遭遇したら、交戦せずに投降し、話しかけることで時間を稼ぐように、と。もし戦っても、止められる時間は1分程度が関の山だが、話しかければもっと長い時間が稼げる、と言う事なのだ。要は最初からAR小隊は囮なのだ。

 

「やっぱりM4さん達は本命じゃなかったんやね」

 

 復讐者(エリニュス)は頷いて言う。彼女達の通信は傍受していたが、復讐者(エリニュス)は最初からM4達が本命だとは思っていなかった。あまりにも作戦が杜撰過ぎるからだ。

 ナノマシン製造装置は複数個あり、それをAR小隊だけで全て潰すのは無理だ。また、作戦内容も水処理施設で見せたものとほとんど同じ内容で、そんな手が二度も通用すると思ってはいないだろう。

 

「となると、やはり一〇〇式(モモ)ちゃん達が本命?」

 

「だと思うのだけど…」

 

 復讐者(エリニュス)のと問いに、M4は思案顔で答える。あの指揮官が次の手を打っていないわけがない。M4としてもその程度しか答えようがないのだ。

 

「残念ね。私達は指揮官の真意を伝えられていないのよ」

 

 動けるようになったAR-15が立ち上がりながら言う。その言葉に、復讐者(エリニュス)は困ったように眉を顰める。M4やAR-15の言葉を疑っていないようだ。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん達は今どこにいるの?」

 

「基地から出るときは、指揮官と一緒にいたよ。ヘリにも乗ってない」

 

 SOPMODが素直に答える。下手に隠し事をすると、ナノマシンで知能回路を弄られる危険もあるからだ。自分達はまだしも、生の脳のM4が妙な弄られ方をすると、取り返しのつかないことになる可能性もあるのだ。

 

「え!? じゃあ、まだ基地にいるん?」

 

「そのはずだけど…」

 

「うん。うちの基地、ヘリ2台とか持ってないしねー」

 

 復讐者(エリニュス)にステンとスコーピオンが言う。基地にある移動手段といえば、ヘリの他は関の山公用車のバンとカリーナの電動スクーターぐらいだが、そんなもので人類の領域の外にあるこの工場に来るのは自殺行為だ。また、両者ともヘリに追いつける速度などない。もしそれで向かっていたとしても、今頃かなり後方にいるはずで作戦には間に合わないだろう。

 

「…? えっと…どういうこと?」

 

「さぁ? 私達が知りたいぐらいだわ」

 

 首を傾げる復讐者(エリニュス)にM4は本気で言う。あの指揮官はいつも奇想天外な手を打つ策士だ。彼のやり方は過去一年で大分学んだつもりだったが、今回ばかりは本当に手の内が読めない。

 

「それでどうするの? 私を人質にとってみる? 代理人(エージェント)への手土産になるかもしれないし、通達すれば指揮官を止められるかもしれないわ」

 

「…うちはあの女の思惑はどうでもいいし、それに人質ぐらいでそっちの指揮官さんが目的を諦めると思えないんやけど?」

 

「指揮官に関しては全くその通りだわ」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、M4は肩を竦めて言う。テロには妥協しない、が彼の持論だ。人質など無意味である。第一、向こうから通信モジュールを切っているので伝えようがないのだ。

 

「でも、貴女はそれでいいの? 私はエルダーブレインに密接に関わっているのだけど?」

 

 M4は自身の疑問を復讐者(エリニュス)にぶつけてみる。今の鉄血の最大の目的はエルダーブレインを復活させることだと思うのだ。その鍵であるM4を放置するとは、どういう了見なのかわからない。

 

「うーん…うちはM4さんなしでもあの娘を起こせるんよ。代理人(エージェント)さんには教えてないけど」

 

 復讐者(エリニュス)はM4の問いに素直に答える。その内容はいささか驚きのものであった。同時になるほど、と思う。それは彼女としては鉄血に対する切り札として使える。彼女としてはM4を連れて帰る方が有害であるのだ。最も、鉄血を繋ぎ止めるための札が、彼女にとってどの程度の価値があるかは謎ではあるが。

 

「うーん。じゃあ、見逃す代わりに知恵を貸してくれひん?」

 

「え!?」

 

 復讐者(エリニュス)の問いに、AR-15が驚きの声をあげる。あまりにも訳がわからない申し出だったからだ。

 

「…ええ。私の知恵では指揮官に追いつけないかもしれないけど、それでいいのなら」

 

 M4は少し笑って復讐者(エリニュス)の申し出を受け入れる。その様子にステンとスコーピオンは疑問を覚えるが、SOPMODとAR-15は彼女の心境を察する。M4もまた一〇〇式と同じく元人間で、かつ一年前までは彼女も復讐者だったのだ。そういう意味では、M4は一〇〇式以上に彼女に近しい存在なのだ。

 

「まず、この基地で狙われたら不味いものは何かしら?」

 

「うーん…ナノマシン製造装置と…自爆装置かなぁ」

 

「自爆装置?」

 

 M4が復讐者(エリニュス)の言葉を反芻して言う。

 

「うん。ここ、昔後ろ暗いものを作ってた工場らしくてね。うちらも万一事が露見して、にっちもさっちもいかなくなったら、ここを爆破するつもりだったからそのまま残してあったんよ」

 

「…なるほど」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉を聞いて、M4は頷く。指揮官の狙いは明らかにそれだと思えた。だが、復讐者(エリニュス)はそちらにあまり警戒心を向けていないように思える。この工場の資料をそっくり手に入れている指揮官なら、その装置の存在も知っているはずだ。

 

「私が指揮官ならそれを狙うけど?」

 

「うーん、難しいと思うけどね」

 

 M4の言葉を復讐者(エリニュス)はやんわりと否定する。

 

「そっちには戦力を置いてるし、隔壁も下ろしてる。で、メインノードも自爆装置のスタンドアローン端末も念入りにセキュリティ仕掛けてるし」

 

 復讐者(エリニュス)とて馬鹿ではない。弱点には念入りに対策を施している。

 まず戦力は工場内のほとんどをそちらに置いている。彼らが倒されれば警告を送るようにしてもいる。また、自爆装置のある最深部にはいくつもの隔壁と、扉を超えていかねばならない。それらをどうこうするには、メインノードを制圧するか、扉や隔壁を破壊していかねばならない。しかし、後者はまず不可能で、前者も自身が念入りに仕掛けたセキュリティを、グリフィンドールが突破できるとは思えなかった。

 

「道中にも監視システムは仕掛けているし、うちにバレずに侵入するなんて無理え」

 

 復讐者(エリニュス)はそう言って意識を監視システムに向ける。どのカメラも敵の姿は捉えておらず、警報等も鳴っていない。少なくとも、今のところ一〇〇式達は侵入しておらず、監視システムが正常に働いている以上、彼女らを見逃すこともないだろう。

 

「…ねえ、復讐者(エリニュス)。その敵の配置は、メインノードから確認できる?」

 

「あ、うん。それはもちろん」

 

「…分かったわ」

 

 M4は一つ頷いて拳を握り締めた。いくつかの疑問点は残されている。だが、指揮官の狙いと作戦の根幹は分かった。背筋がぞくっとした。復讐者(エリニュス)も食わせ者だが、指揮官も相当な狸だ。あの人が人類の味方である事は幸運であろうと思う。

 

「もう一〇〇式(モモ)さん達は工場に侵入している。それもかなり深くにいるはずだわ」

 

「え…? でも、監視システムには何も…」

 

 M4の言葉に答えようとした次の瞬間、復讐者(エリニュス)の脳裏に警報が鳴った。配置していたScout級の一団が壊滅したのだ。場所は工場の最深部だった。

 更に次の瞬間、廊下に警報が鳴り響き、隔壁が下り始めた。そんな命令を復讐者(エリニュス)は下していない。直ちにメインノードにアクセスしようとするが、それはあっけなく弾かれてしまう。完全にメインノードを乗っ取られている。

 

「そ、そんな…!?」

 

 あまりにありえないことに、復讐者(エリニュス)は絶句する。形跡はおろか、侵入している気配さえ気づかせずメインノードを乗っ取るなど、グリフィンドールにできる芸当ではない。ましてや、どこからメインノードに侵入し、どこから最深部に侵入したのか。皆目見当がつかないのだ。

 

「いくつか疑問な点は残ってるわ。でも、貴女のセキュリティを破れる存在。私は一人だけ知ってる」

 

「ま、まさか…!?」

 

「そう、指揮官その人よ」

 

 M4の言葉を聞いて、復讐者(エリニュス)と他の者達も息を呑んだ。あろうことか、指揮官が自らこの工場に乗り込んできている、と言うのだ。そして、彼がいる以上自爆装置のセキュリティも簡単に解かれてしまうだろう。何せ、彼には10年もの間、IFNの世界で修羅場を潜って来た経験があるのだから。

 

「…やられた」

 

 復讐者(エリニュス)は絶望的な表情で言う。ここから最深部までは遠い。更に、直通のエレベーターなども使えず、通路には隔壁が下りている。そして、彼らの通行を妨げるものは、配置している兵しかいない。そして、もし、彼の側に一〇〇式やFALがいれば、あっけなく叩き潰されるだろう。

 

「…ありがとう、M4さん。ほな、うち行くから」

 

「ええ。また、会いましょう?」

 

 M4はそう笑顔で言う。これには復讐者(エリニュス)のみならず、AR-15やSOPMODも意図を掴みかねた。しかし、これもまたM4なりの策である。復讐者(エリニュス)と会話を繋げられれば、更に時間が稼げるからだ。それに、M4からも彼女に伝えたいことがあったのだ。

 

「私は貴女を止めはしない。貴女の気持ちが分かるから。…私だってそうだったから」

 

「M4さんも…?」

 

「うん」

 

 M4は一年前のことを思い出して言う。あの頃の自分は復讐の炎に身を焦がし、闇と炎の中でもがいていたのだから。

 

「…M4さんは復讐を遂げられたの?」

 

「…分からない」

 

 復讐者(エリニュス)の問いに、M4は首を横に振って言う。結局、自分は復讐を遂げられたのだろうか。そうでもあってそうでもない。そんな答えしか出ないそれがあの事件の顛末だった。

 

「でもね。私はあの事件で前に進むことができた、と思う。だから、私は貴女の復讐を否定しないわ」

 

 M4は復讐者(エリニュス)の目を見つめて言う。結局、復讐の黒い炎の中から、自分を救い出してくれたのは指揮官と仲間達だった。だが、あの炎に焼かれていなければ、自分は多分過去を生産することはできなかった、と思う。あの事件は確かに自分も幾つもの過ちを犯した。だが、それが自身の糧になっていないとは思えなかった。

 

「もう一度、一〇〇式(モモ)さんに会って来なさい」

 

 M4は言う。彼女なら、きっと復讐者(エリニュス)を救う事ができる、と信じて。かつての自分を指揮官が救ってくれたように。

 

「そして、もう一度会いましょう。…その時はきっと、私達は友達に成れるわ」

 

「M4さん…」

 

 絶句する復讐者(エリニュス)にM4は自愛に満ちた視線を向ける。かつての自分と同じように闇の中を彷徨う彼女は、かつての自分そのものだ。そんな彼女が救われて欲しい。心からそう思った。

 

「…ありがとう」

 

 復讐者(エリニュス)はM4に礼を言い、そしてその姿を消した。次の瞬間、隔壁が切断される。正直、彼女が指揮官達に追いつけるかどうかは分からない。こんなことを願っては駄目かもしれないが、できれば追いついて一〇〇式と話をして欲しい、と思った。

 

『ご苦労だった、M4』

 

 突然、通信モジュールを通じて晶が声をかけてきた。もう通信を閉鎖する必要がなくなったからだろう。

 

『…いいえ、指揮官。足を引っ張って申し訳ありません』

 

『そんなことないさ。よくやってくれた。作戦はまず成功さ』

 

 謝るM4に晶は気楽な口調で言う。それを聞いたM4の胸に小波が立った。彼は基本的には最悪の事態を視野に入れて動く。それがこうも気楽であると言うことは、復讐者(エリニュス)は彼に追いつける見込みがとてつもなく薄い、ということだ。それはつまり、一〇〇式と復讐者(エリニュス)が対峙する事がない、ということだ。もちろん、晶には彼女を説得する目算はあるのだろうが、それで復讐者(エリニュス)が救われるかはかなり疑問に思えた。

 

『…指揮官、種明かしをお願いしたいのですが?』

 

 M4は内心を隠して、晶に尋ねる。今度は彼女のために時間稼ぎをしようとしているようなものだ、とは思う。もちろん、それはしてはならない行為だが、どうしても止められなかった。

 

『ああ。お前の疑問。それはどうやってここに来たのか。それと、どうやって侵入したのか、だろ?』

 

 それに対して、晶はあくまで気楽な様子で答える。つまり、それは彼女の問いに答える余裕があるか、もしくは護衛を排除している最中だかで、自身の手が空いているからだろう。

 

『まず、第一の答えなんだが、俺は私物に飛行機を持っていてな。情報員時代によく使っていたドラゴンフライだ』

 

『そんなものを…』

 

 晶の言葉に、M4は絶句しながらも納得した。ドラゴンフライとは、折り畳みができる軽量の電動レシプロ機である。確かに情報員であった晶ならそれを持っていてもおかしくはない。つまり、それをこういうときの切り札として持っていたのだ。

 

『メインノードに侵入できたのはな、こういう工場地帯には現地とは別にコントロールセンターがあって、そっちの方がより強い権限でノードを支配できる。そこの端末を電源繋げて起動させて侵入したのさ』

 

 後は以前のように政府のみが知っている隠し通路で侵入した、と晶は言う。それを聞いて、M4は改めて彼の恐ろしさを知る。彼は情報を得るルートを幾つも持っており、それを駆使して作戦を立てられる。その力は時に至高神さえ止められない女神をも出し抜くのである。それはまさに人間に与えられた知恵の力だった。

 

『M4達はとりあえず脱出に備えてくれ。以上だ』

 

 そう言って、晶は通信を切る。そこにFAL達が戻ってきた。

 

「指揮官、敵は全て片付けたわ」

 

「了解。これで自爆装置は目前だな」

 

 FALの言葉に、晶は監視システムを覗きながら言う。復讐者(エリニュス)は必死にこちらに迫ってきているが、隔壁や扉、防火用のスプリンクラーやハロンガスなどに邪魔されて思うように先に進めないでいる。メインノードさえ乗っ取れば強固な守りを逆用できるのだ。

 後は、自爆装置に繋いでジャックすれば仕事は終わりだ。その後端末を破壊してしまえば、自爆装置そのものを恐らくどうすることもできないだろう彼女は、完全に復讐を実行する希望を失う。そこを説得すれば説き伏せられる自信が晶にはあった。何せ、もうそれに応じるしか彼女が救われる道はないのだから。

 

「流石ですね、指揮官。…母国のダブルオーナンバーのようです」

 

 晶の手並みを、ウェルロッドが賞賛して言う。M590と同じく、任務を打ち切って帰還した彼女は、かなり前から対に所属しているメンバーであり、一〇〇式と共に戦場を長らく駆けてきた存在だ。

 

「ご主人様すごーい! あの凄い女に勝っちゃうもん」

 

 G41はご主人様に心底感心して言う。軍用ドールでさえ勝てなかった化け物に知恵で勝つなど、考えられることではなかった。

 

「さて、最後の仕上げだ。行こうか」

 

 そう言って、SVDは銃を構えて先に進んでいく。彼女はごく最近隊に入ったばかりだが、グリフィン直属として活躍していた経験が長く、戦いの経験値そのものは多い。ほんの少し張り合いがなさそうに見えるのは、ウェルロッドと同じく、後方任務を蹴って戦列に加わったのに対した敵と戦えなかったことが原因なのかもしれない。

 

「…待って下さい」

 

 そんな晶達に一〇〇式が待ったをかけた。

 

「指揮官、私はここで待機して彼女の足止めを行います」

 

 一〇〇式は決意を秘めた表情で言う。指揮官の策は完全に当たり、勝利は目前だった。だが、本当にこのまま勝って彼女は救われるのか。彼女の希望を力で叩き潰して、それで彼女は救われるのか。そう思うのだ。

 だから、一〇〇式は彼女と話がしたかった。彼女に自分の出した答えを伝えたかった。だから、ここで彼女を待ちたかった。

 

「いや、その必要はないよ、一〇〇式(モモ)

 

 だが、晶は一〇〇式の申し出をあっさりと却下した。正直、このまま行けば勝ち見えており、足止めも必要があれば、その際に命令すればいい、と思っているのだ。

 そんな晶に一〇〇式は何も言えずにいた。歯痒い表情で。分かってはいた。指揮官の言うことの方が、正しいのは。でも、でも、それは何か違う、と言いたかった。だが、上手い反論の言葉は浮かんでこなかった。

 

「こらっ、指揮官!」

 

 突然、FALが晶の頭を小突いた。

 

「いてっ! 何するんだ、FAL!?」

 

 殴られた場所を押さえて、晶は抗議する。だが、FALは一歩も引かずに、彼に右の人差し指を突きつけて言う。

 

「悪い大人の顔になってるわよ。そんなの、私達が望む指揮官じゃないわ!」

 

 FALの言葉に、晶ははっとする。確かに自分は作戦の効率のみを考えて、一〇〇式(モモ)の気持ちを考えていなかった。それでは、晶も嫌いなくそったれな大人と変わらない。

 

「…ご主人様。一〇〇式(モモ)ちゃんの願いをかなえてあげて?」

 

「ああ。珍しく彼女が我侭を言ったことだしな」

 

「それに応えるのも、紳士の甲斐性ですよ?」

 

 G41とSVDとウェルロッドも一〇〇式の背中を押すべく弁護する。それを聞いて、晶は頷いた。そして、決意を秘めた目をした一〇〇式の肩を抱いて言う。

 

「分かった。一〇〇式(モモ)、頼むぞ?」

 

「…はい!」

 

 晶の言葉に、一〇〇式は大きく頷いて言う。晶と、そして仲間達の信頼に応える。そして、闇の中で彷徨う彼女を救う。その決意を更に硬くした。

 

「指揮官、一〇〇式は頑張ります! 指揮官が、FALさんが、みんなが私に力をくれるから!」

 

 一〇〇式の言葉に、晶は微笑んで、そして背を向けて先へ歩き始めた。彼に続くみんなも一〇〇式に信頼と応援の視線を向ける。それだけで十分だった。言葉はもう必要なかった。

 

 一〇〇式は待つ。闇の中で、地獄の業火に身を焦がしながら彷徨う姉妹を。そして、晶の言葉を思い出す。みんなの絆があれば、過ちに負けることはない。指揮官、FAL、そして、みんな。その絆を一〇〇式は確かに感じた。自分が見出した答えと、この絆の力を持って、彼女を捕らえている闇を払う。そう胸に決意して。



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5-6 力戦奮闘

 目の前の隔壁を、まるで紙のように切り裂いて、彼女は現れた。指揮官達と分かれて10分と少し。位置関係を考えると信じられないほどに速いが、もう指揮官達は自爆装置のあるコントロールルームに着いている頃だろう。

 後は、指揮官が自爆装置を起動させるまで足止めをしなければならない。それが戦術人形としての一〇〇式の任務だ。

 だが、一〇〇式本人の願いはそうではない。指揮官が目的を達する前に彼女を止める。そう願って、ここに立っているのだ。

 

「早かったね」

 

 一〇〇式は穏やかな微笑みを湛えた表情で復讐者(エリニュス)を迎える。銃は構えていない。戦うのではなく、自身の見出した答えを伝える。そのために一〇〇式はいるのだから。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん…」

 

 一〇〇式を復讐者(エリニュス)が顔を綻ばせる。まるで、迷い子が家族を見つけたかのように。だが、彼女は首を横に振って、感情のこもらない声で言う。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん、そこを通して。うちは一〇〇式(モモ)ちゃんを傷つけたくない」

 

「駄目」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に、一〇〇式はきっぱりと言う。

 

「私は貴女を止める。そのためにここにいるの」

 

「…一〇〇式(モモ)ちゃんはやっぱりわかってくれないんやね…」

 

「違う。分かってないのは、貴女の方だ」

 

 落胆した様子の復讐者(エリニュス)に、一〇〇式は毅然とした態度で言う。自分の出した答えを。

 

「私はね、貴女が本当はやりたくもない復讐なんかに拘って、闇の中で彷徨っているのを見ていられない」

 

「…一〇〇式(モモ)ちゃん、何言ってるの? うちは復讐のために生きて…」

 

「嘘だ!」

 

 当惑する復讐者(エリニュス)を喝破する勢いで一〇〇式は言い放つ。一〇〇式の出した答え、それは復讐者(エリニュス)は本当は復讐などしたがっていない、ということなのだ。

 

「なら、どうして私を助けたの? どうして、私と一緒に地下に行ったの?」

 

 一〇〇式は胸につっかえていた疑問を尋ねる。あれをしなければ、復讐者(エリニュス)は復讐の第一歩を失敗することはなかっただろう。仮に、FALの妨害を受けずに作戦を成功させていたとしても、自身の正体をバラすことは今後の復讐の大きなリスクになるはずだ。本当に復讐を主目的としているなら、完全な悪手である。

 

「貴女が本当に欲しかったもの。それは暗闇の中から救い上げてくれる手。そうじゃないの?」

 

「それは…」

 

 一〇〇式の言葉に、復讐者(エリニュス)は愕然とした表情で、一歩後ろに下がった。復讐者(エリニュス)としての生を否定する一〇〇式の言葉。だが、それを否定しようにも言葉が出ない。あの一〇〇式を初めて見た時に心に湧き出た感情。そして、彼女の危機に身体が勝手にうごいた事実。それらを否定できないのだ。

 

「行こう。新しい世界を見てみよう」

 

 そう言って、一〇〇式は右手を差し出す。彷徨う彼女を救い出す。そのために。

 

「一緒に行って、それで探してみよう? 千鳥ちゃんの過去を清算する方法を」

 

 一〇〇式は慈愛に満ちた笑顔で言う。復讐者(エリニュス)の本当の名を。

 

「探してみて、それでもやっぱり復讐したいっていうなら、私も協力するよ。政府の人たちは指揮官を殺そうとした人たちでもあるし」

 

 一〇〇式は笑顔を悪戯っぽいものにして続けた。実際、政府の役人どもは一〇〇式にとっても指揮官にとっても仇であるのだから。その時は、きっと指揮官も協力してくれるだろう。そして、また奇想天外な策をもって、仇達をぎゃふんと言わせてくれるだろう、と信じていた。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん…」

 

 復讐者(エリニュス)は茫然と一〇〇式を見て言う。頭の中は真っ白で、でもその手は握りしめていた小太刀を離し、何かを求めるように震える。それを抑えることはできなかった。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん…!」

 

 泣き笑いのような表情で、復讐者(エリニュス)は一〇〇式に手を伸ばす。嗚呼、自分の求めていたものはこんなにも近くにあったのだ。そう思った。人間であった頃から、飢えて乾いて求めていた人との絆。それが目の前にあった。

 

「千鳥ちゃん…!」

 

 一〇〇式が歩み寄り、手の距離が更に縮まる。もう数cm。それが触れる直前になって、突然復讐者(エリニュス)は、まるで糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。

 

「千鳥ちゃん!?」

 

 一体何が起こったのか、一〇〇式は一瞬だけ戸惑い、すぐに彼女を助け起こそうと一歩踏み出そうとする。だが、

 

「大丈夫だよ…問題ない」

 

 そう言って、復讐者(エリニュス)は立ち上がった。だが、その表情は虚無であり、声音は似ても似つかない。

 

「…貴女は誰!?」

 

 一〇〇式は後ろに下がって銃を構える。その様子は明らかに復讐者(エリニュス)ではなかったからだ。

 

「何を言っているんだい? 君はボクと一度会ってるだろう?」

 

 虚無そのものの表情を向けて、復讐者(エリニュス)の姿をした誰かは言う。確かに、一〇〇式はこの声に覚えがあった。記憶を辿ってみる。一年前の決戦の時対峙した彼女は…

 

「エルダーブレイン…!」

 

「そう。酷いなぁ、忘れてるなんて」

 

 一〇〇式の言葉を受けて、エルダーブレインは微かに笑う。彼女との決戦で、正面から渡り合って彼女に一太刀を入れて撤退に追い込んだのは一〇〇式隊であった。その後の顛末はM4から聞いたのみであったが、いずれにせよ彼女はあの時点で表舞台からは下りたはずだ。

 

「ああ、疑問には答えるよ。まず、ボクは本体じゃない。ボクの一部を移植したチップを彼女の頭に仕込んでおいたのさ」

 

 エルダーブレインは淡々と答える。鉄血とは違う目的で動いている彼女を止めるストッパーとして仕込んでおいた仕掛けのことを。

 

「彼女の脳が意識を失った時、もしくは鉄血から完全に離脱する意思を抱いた時、神経モジュールの制御をチップに移行するようにしていたんだ」

 

 エルダーブレインの言葉に、一〇〇式は奥歯を噛み締める。鉄血は彼女を信用していなかったのだ。そんな環境だったから千鳥はお前達を拠り所にできなかったのだ。一〇〇式の心に怒りの炎が灯る。

 

「千鳥ちゃんをどうするの!?」

 

「別に殺したりはしないよ。何のかんのでボクは彼女が好きだし」

 

 エルダーブレインの言葉に、一〇〇式は更に怒りを強くする。彼女の好きは人間のそれとはまるで別物だ、ということを知っているからだ。一年前の事件で、M4の心を壊したりしたことを忘れていない。このまま放置しておけば、千鳥がどうなるかは分からないが、まず間違いなくろくなことにならないだろう。

 

「まあ、それはそれとして。いい機会だから、あの男は殺しておかないとね」

 

 そう言って、エルダーブレインは暗い笑みを浮かべる。彼女にとって、晶はM4との仲を邪魔する悪しき者だ。この手で八つ裂きにしてやりたいと願っている。

 

「あいつ、もしかしてM4に手を出したのかな? だったら、許さない。生きたままミンチにして犬の餌にしてやる!」

 

「そんなことさせない!」

 

 エルダーブレインの言葉に、怒りの咆哮をあげ、一〇〇式は銃を構えて引き金を引く。無数のホローポイント弾が彼女の身体に命中する。だが、それは全く通用しなかった。一〇〇式の弾丸で、彼女のナノスキン装甲を貫通することなどできないのだ。

 

「君を殺すつもりはないんだけど… 邪魔するなら、倒すしかないね」

 

 そう言った次の瞬間、エルダーブレインは一〇〇式の眼前に迫った。そして、その拳を音を遥かに超える速度で一〇〇式の腹に叩き込もうとする。

 

 だが、それは一〇〇式の銃の側面で受けられた。衝撃で一〇〇式は微かに後ろに下がるが倒れることはなかった。

 

「へえ、この動きについてこられるんだ?」

 

 エルダーブレインは感心したように言う。だが、それはある程度読めていたことであった。一〇〇式はI.O.P社が千鳥の残したデータを元に作られたもので、いわば復讐者(エリニュス)を不完全な技術でコピーしたような存在だ。故に、オリジナルのナノマシン製造装置を搭載していない彼女は復讐者(エリニュス)に比べると大きく性能が劣る。だが、加速装置は搭載されており、ナノマシンの力学格子さえあるのならそれを用いて、対等の速度で戦えるのだ。

 しかも、エルダーブレインはほとんど復讐者(エリニュス)の力を使うことができない。あのナノマシンを使うにはアナログな思考ロジックが必要で、それは電脳では不可能だからだ。更に、含み針や体術などの技術もない。関の山、加速して殴る程度のことしかできないのだ。

 

「やあああああ!!」

 

 一〇〇式の銃剣による横薙ぎの一閃を、上体を逸らしてかわしたエルダーブレインの頬に赤い線が走る。一〇〇式の体術は洗練されたもので、更に銃剣という獲物を持っている。ともすれば、エルダーブレインに不利な状況と言えた。

 

 銃剣を振るった遠心力を利用して、一〇〇式は後ろ回し蹴りでエルダーブレインの胴を狙う。それを間一髪で受け止めたエルダーブレイン。だが、次の瞬間その体勢が大きく崩れ、地面に尻もちをついた。一〇〇式の続けさまに繰り出した銃のストックによる足払いが命中したためだ。

 

 地面の倒れたエルダーブレインの喉元を、一〇〇式が銃で抑え込もうとする。銃の側面でチョークスリーパーをかけようとしているのだ。だが、彼女の力は軍用戦術人形のそれを基準として作られた復讐者(エリニュス)と比べると圧倒的に弱い。エルダーブレインは銃を押しとどめ、彼女に蹴りを見舞う。一〇〇式は呆気なく飛んで行ったが、まるで猫のように体勢を崩すことなく着地した。手ごたえがなかったところから、彼女は蹴りが命中する寸前に自ら飛んだのだ。

 

 立ち上がったエルダーブレインに、今度は一〇〇式が突撃を仕掛ける。右手に銃を持ち、ランスチャージの要領で、銃剣による突きを見舞う。首を逸らしてそれをかわすエルダーブレイン。だが、次の瞬間胴に強い衝撃を感じた。一〇〇式の肘打ちが腹にめり込んだのだ。

 前のめりに体勢を崩したエルダーブレインの横っ面を銃把で殴り、顎を蹴り上げて吹っ飛ばす。これで倒れて、心の中で一〇〇式は祈る。

 

「…ふう、凄いね。ナノマシンさえまともなら、それだけ戦えるんだ、君は」

 

 だが、願いも空しくエルダーブレインは立ち上がる。鉄血の機械人形はI.O.P社のそれと比べ、頑強に作られている。ナノマシンによる超加速に耐えるために、軍用戦術人形の規格で作られている復讐者(エリニュス)なら一〇〇式の一撃をクリーンヒットさせたぐらいでは倒れないだろう。

 

「でも、そろそろ限界じゃないかな?」

 

 エルダーブレインは一〇〇式を見て言う。肩で荒い息をする彼女は明らかに疲弊していた。

 

「まだまだ!」

 

 そう言って一〇〇式は再び突撃を仕掛ける。だが、その速度は先ほどのそれより明らかに遅く、動きにも切れがない。エルダーブレインは身を屈めてそれを難なくかわすと、彼女の襟首を掴んで振り回し、無造作に投げ捨てる。壁に激突する寸前に、一〇〇式は壁を叩いて受け身をとる。だが、呼吸が止まるほどの衝撃が襲う。意識が一瞬遠のいたが、一〇〇式はそれでも倒れはしなかった。

 

 だが、全身の人工筋肉とフレームが悲鳴を上げている。酸素の供給も追いつかず、口がぜいぜいと荒い息を繰り返す。あくまでも一般の戦術人形の規格を出ない一〇〇式の身体は、連続した超加速に耐えきれないのだ。そろそろ身体は限界だ。倒れないのは意地によるものだ。

 

(倒れるものか! 千鳥ちゃんを、取り戻すんだ!!)

 

 歯を食いしばり、一〇〇式は千鳥の姿をしたエルダーブレインを見据える。闇から救い上げられそうになった彼女。それを手放すわけにはいかない。だが、どうすれば彼女を取り戻せるのか、一〇〇式には分からない。

 

(足止めさえできれば!)

 

 一〇〇式に思いつくのはチップの効果が切れることだった。愚鈍チップのような戦術人形の人格を操作するチップはそう超時間は持続しない。両腕を切り離して、これ以上の進軍を食い止めればいずれチップの効果は切れる。それに賭けるしかなかった。

 

(これが、最後の賭け!)

 

 一〇〇式は銃剣を取り外し、銃を投げつける。それをワンサード力学格子で加速。高速で飛んで行った銃は、エルダーブレインは両手で受け止めた。隙ができた。

 

「やああああああ!」

 

 一〇〇式はスカートの下に仕込んでいる予備の銃剣を抜き、自身のナノマシンも開放して突撃する。残された力を全て使った最後の一撃。足りない速度は自らのナノマシンを追加して補う。

 神速の一撃は狙いを違えず、エルダーブレインの両腕をとらえ命中する。光り輝く刃は彼女の両腕を切断するはずだった。だが、それは彼女の振袖に食いとどめられた。ナノスキン装甲は一〇〇式の想像を超えるもので、高速振動剣すら食い止めたのだ。

 次の瞬間、一〇〇式の顎をエルダーブレインの拳がとらえ、かち上げる。脳に火花が散った。限界を超えた一〇〇式の身体が大きくのけぞり、床に崩れ落ちた。そして、そのまま立ち上がることはなかった。

 

「この身体で、ここまで苦戦させられるとはね」

 

 倒れた一〇〇式を見下ろして、エルダーブレインは言う。超加速だけでも他の戦術人形なら軽く打ち倒せていただろうが、ここまで食い下がられるとは思わなかったのだ。

 

「さて、先に進まなきゃいけないけど…」

 

 エルダーブレインは目の前の隔壁を見る。いくら復讐者(エリニュス)の身体でも、あんなものを破壊して先に進むことはできない。

 どうしたものか。思案するエルダーブレインの目に、床に落ちた小太刀が映った。それを拾い上げて抜いてみるて頷いた。これは超電磁フィールドを纏う剣だ。理論上あらゆる物質の分子間結合を破壊し、切断できる。復讐者(エリニュス)はこれで隔壁を破壊してきたのだろう。

 

「さて、行こうか」

 

 先に進んで、この刃で憎きあの男を八つ裂きにする。そして、その首をM4に見せつけるのだ。そんな暗い情熱を胸に、エルダーブレインは足を踏み出そうとする。だが、それは何かに阻まれた。

 

「い…か、せ…ない!」

 

 倒れたはずの一〇〇式が足に縋り付いて来ていたからだ。先ほどの一撃で全ての力を使い果たした彼女。だが、その限界を迎えたはずの身体は、考えられないほどの力でエルダーブレインの足を止めていた。

 

「…凄いね、君は」

 

 そんな彼女を見て、エルダーブレインは感嘆して言う。エルダーブレインは彼女のことが嫌いではなかった。M4と同じく元人間、そして直向きな彼女に興味がないではない。だが、これだけ彼女が必死に戦っているのだ。中途半端に応えてはそれこそ失礼だ、と思った。

 

「君のことは忘れないよ…」

 

 エルダーブレインは小太刀を抜いて大きく振り上げる。一撃で脳を両断する。なるべく苦しまないように逝かせる。そう思った。

 

(指揮官…ごめんなさい…命令を遂行できません…)

 

 自身に迫る死。逃れることはできない。一〇〇式は指揮官のことだけを考えた。もう一〇〇式は貴方の元に帰れません。でも、精一杯頑張りました。だから、怒らないで下さい。許してください。

 

 エルダーブレインの手が閃く。刃がギロチンのように振り下ろされる。それをどうすることも一〇〇式にはできなかった。

 

 ザシュッ!

 

 血飛沫が散り、部屋を染めた。



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5-7 刎頸之友

「ご主人様! ヤバいよ!」

 

 工場の最深部のコントロールルームの入り口で、G41が叫ぶ。かなりの数の敵が迫っていたのだ。敵は小型兵器ばかりだが、数が凄まじい。そして、こちらはドラゴンフライを使う都合上、ダミードールを連れてきていないのだ。

 

「チキンラーメンができる時間もたせろ」

 

 端末に接続したばかりの晶が言う。メインノードの手ごたえから考えて、かかる時間はその程度だ、と思えた。

 

「了解! 任せといて!」

 

 FALが答えて、グレネードを放つ。密集した敵の幾らかは吹き飛んだが、その勢いは止まらない。構わずFALは二つのグレネードを放つ。指揮官の言う通り、3分はもたせる。その後は野となれ山となれ、だ。晶とFALは視線を交わす。無条件の信頼がそこにあった。

 

 晶は端末の中に潜る。ゲートに触れようとすると、そこには棘があった。それはダミー。その裏に致命的な罠がある。晶は笑みを浮かべる。素直ないい防壁だ。

 だが、百戦錬磨の晶の前では、手の内がバレバレであった。教え込めばきっといい後輩になるだろう。防壁を潜り抜けながら、晶は復讐者(エリニュス)との邂逅を楽しみに思う。きっと、いい関係が築ける。そう思うからだ。

 

(頼むぞ、一〇〇式(モモ)…)

 

 晶はここにいない最愛の彼女に心の中で頼む。もはや、通信をしている余裕は晶にもない。だが、彼女ならきっと彼女を止められる。そう信じて、晶は進む。彼女のそして、鉄血の野望を完全に阻止するために。

 

 

 紅く染まる視界。だが、降り注ぐ血に構うことなく一〇〇式は大きく目を見開いて、目の前の光景を見つめていた。

 

「あはははは… やった…やったえ…」

 

 首の3分の2を自らの振り下ろした小太刀で切った復讐者(エリニュス)は、血を吹き出しながら力なく崩れ落ち、一〇〇式の胸に収まった。神経モジュールと頭部が切り離されたのだろう。彼女がこれ以上動く様子はなかった。

 

 コントロールを奪われた復讐者(エリニュス)は、自らの自由になる脳を守るナノマシンを総動員し、チップから神経モジュールのコントロールを一瞬だけ取り戻せた。そして、振り下ろされた小太刀の軌道を変え、自らの首を斬ったのだ。

 もはや、復讐者(エリニュス)は動くことができない。それを悟ったエルダーブレインはもはや現れることはなかった。最期くらい彼女の好きなようにさせよう、と思ったのだろうか。

 

「よかった… 最期に…一〇〇式(モモ)ちゃんを…守れた…」

 

 自らの血で赤く染まる彼女は、穏やかな笑みを浮かべて言う。自らの命が失われているにも関わらず。

 

「すぐにセーフティシャッターで頭部を切り離して!」

 

 一〇〇式は自分やM4に備わっている機能を鑑みて言う。頭部を切り離せば、これ以上の出血は避けられる。そうすれば、M4の時と同じように彼女を救う見込みはあるのだ。

 

「残念やけど…そんな便利なもの、ないんよ」

 

 自らの死を受け入れる、諦観に満ちた笑顔で言う。絶大な強さ故に、敗北を想定していない彼女にはそうした最悪の状況を想定した機能は搭載されていないのだ。

 

「いいの…一〇〇式(モモ)ちゃん… 気づけて良かった…本当に良かった…」

 

 復讐者(エリニュス)は目を閉じて言う。涙は流れなかった。一〇〇式(モモ)復讐者(エリニュス)も。そんな機能はないから。ロボットだから。機械だから。だけど分かる。互いの胸の痛みを。そして、彼女が何を言わんとしているかを。

 

「うちの復讐が完成してたら、誰もこんな思いを抱くこともできなかったんやね…残酷なことえ…」

 

 復讐者(エリニュス)は自らの過ちに気づいたのだ。友を守れて嬉しいと思う気持ち、彼女と出会えて感じた確かな温もり。自分が目指した世界はそうしたものが全て奪われた冷たい世界だった。残酷で愚かしいことだ、と思えた。

 

一〇〇式(モモ)ちゃん…うち、一〇〇式(モモ)ちゃんにとって、友達やったのかな…? それとも、ただの敵の一人だったんかな…?」

 

「友達だよ! 決まってるじゃない!」

 

 復讐者(エリニュス)の言葉に応えるように、一〇〇式は彼女を抱きしめる。彼女の血で全身を赤く染め、腕の人工筋肉が断裂しても構うことなく一〇〇式は強く強く抱きしめる。

 

「ずっと、こうしてるから…! これが私が千鳥ちゃんに友達としてできる、最初で最後のことだから…!」

 

 口から洩れる嗚咽と共に、一〇〇式は言う。もう自分には彼女を救うことはできない。無力な自分にできることはこれしかなかった。神よ、私は貴方を恨みます。姉妹なのに、どうして私をずっと弱く作ったのですか。せめて、彼女の10分の一の力があれば、彼女を救うことができたのに…!

 

「ありがとう…一〇〇式(モモ)ちゃん…」

 

 それでも、復讐者(エリニュス)は満足そうに言い、目を閉じる。吹き出る血が減ってきた。最期の時が迫っている。心が痛い。それでも一〇〇式は彼女を抱きしめ続けた。身体の感覚はもうない。それでも、必死に抱きしめ続けようとした。

 

「嗚呼…思い出せた。お父さん…お母さん…お兄ちゃん…」

 

 そう呟いた復讐者(エリニュス)の身体が離れていく。力を失った一〇〇式の腕が彼女を離したのだ。友との約束さえ守れないのか。情けない自分に怒り、一〇〇式は彼女と共に前のめりに倒れる。せめて、彼女の身体は離さない。そう誓って。

 

「迎えに来てくれたんやね…今…うちも…そこに…」

 

 自らの耳元で、最後の言葉を告げ、彼女は沈黙する。永遠に。一〇〇式は悲しさと悔しさに歯を食いしばる。こんな結末しかなかったのか。もっとどうにかすることはできなかったのか。後悔が胸を苛む。だが、もう時が戻ることはない。もうどうすることもできないのだ。

 

 そんな一〇〇式の耳に工場の爆破シーケンスと警報が聞こえた。逃げなければいけない。自らの弱さゆえに救えなかった千鳥のためにも、もっと生きて強くならなければいけない。だが、もう身体は動かなかった。芋虫のように這うことさえできないのだ。

 

一〇〇式(モモ)!」

 

 目の前の隔壁が開き、FALが姿を見せる。彼女は自分を救いに来てくれたのだ。

 

「FAL…さん…」

 

 FALに抱えられながら、一〇〇式は彼女の名を言う。指揮官はどうしたのか、尋ねようとして。

 

「指揮官ならみんなが守って脱出してる最中。敵も動かなくなったし、大丈夫よ!」

 

 晶がセキュリティを解除し、自爆装置が発動すると同時に敵は動かなくなった。自爆シーケンスと敵が関連していた様子がなかったので、晶は訝しんだ。だが、勿怪の幸いと晶は隔壁を全て解除し逃げることにした。そして、FALに一〇〇式の救出を命じて脱出することにしたのだ。

 

「あの…FALさん…千鳥ちゃんは…」

 

「悪いけど、連れていけないわ」

 

 一〇〇式の言葉に、FALはきっぱりと言う。FALの力では一〇〇式を連れて帰るだけで精一杯だからだ。それに、万一連れて帰っても、その遺体は政府に徴収されることだろう。彼女はこのまま、ここで荼毘に伏す方がいい、と思えた。

 

「でも、せめてこれぐらいは」

 

 そう言って、FALは落ちていた小太刀を手に取り、彼女の髪を一房切り離す。そして、小太刀を鞘に納めて。それに髪を巻き付けてポーチに入れた。これで弔ってあげよう、ということなのだろう。

 

「行きましょう! 自由な世界へ!」

 

 その言葉はきっと復讐者(エリニュス)に向けたものだ、と一〇〇式は思えた。復讐の頸木から解き放たれた彼女は、後は薄暗い地下から出れば自由な世界に行けるのだ。

 

 一〇〇式を抱えたFALは走る。自らの銃を復讐者(エリニュス)の側に残して。心は共にある。そんな気持ちの表れなのかもしれなかった。

 

(さよなら…千鳥ちゃん…)

 

 一〇〇式は友に別れを告げ、目を閉じる。彼女の魂に安らぎがありますように、と神様以外の何かに祈りながら。そして、彼女の意識は安らかな闇の中に落ちていった。



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Epilogue:協心戮力

 全てが終わった後、一〇〇式やFAL。そして、基地の全ての戦術人形達が娯楽室に集まっていた。晶はその先頭にいる。

 

「表彰、鳴神千鳥」

 

 晶は手にした紙を両手に持ち、恭しく言う。目の前にある仏壇に。それは万一、部隊から戦死したものがいた時に、それを納めるために作った、いわば墓の代わりであった。母基地は移動する可能性はあるが、これなら持ち運ぶことができ、いつまでも共にあることができるからだ。

 

「右の者は、自らの身を犠牲にし、エルダーブレインの支配に打ち勝ち、友を守った。これは他の模範とするに足る勇敢で偉大な功績であり、それをここに賞するものとする」

 

 そう言って、晶は賞状を筒状にして、木の筒に入れて仏壇に供える。そこには彼女の遺髪が納められていた。一〇〇式の友である彼女が逝った。そんな彼女のために、晶は賞状を作成し彼女の生を讃えたのだ。

 

「千鳥。ここは騒がしい。みんなが大騒ぎする場所だからな…だが、その方がいいだろう? 寂しいよりは」

 

 晶は先に逝った戦友に言う。彼女の魂はこれからも自分達と共にある。彼女が寂しくないように、これからはずっとみんなが一緒だ。

 

「みんな、一〇〇式(モモ)の友達ならって、ことで君を受け入れてくれたよ。遅かったけど、ないよりはマシだろ?」

 

 晶は後ろにいるみんなを見渡して言う。その視線に、全員が頷いた。404小隊も含めて、だ。敵であった時のことは、みんな水に流した。身内に犠牲は出ていないし、戦場のことだったからだ。

 

一〇〇式(モモ)。花を」

 

「はい」

 

 晶の言葉を受けて、一〇〇式が前に出る。手にしているのは、色とりどりの折り紙でできた紙の花束。生の花がなかったが故に用意されたそれは、帰ってきてからみんなで折ったものだ。その分の思いが詰まっている。そう思った。

 

「千鳥ちゃん…ごめんね…そして、ありがとう」

 

 一〇〇式は花を捧げながら言う。詫びは自らの弱さゆえに、彼女を救えなかったこと。礼は彼女のおかげで自分はまた一つ成長できたこと。

 

「私、一〇〇式は前に進むから。私、立ち止まらないから。貴女から貰った想いを胸に、前に進むから…」

 

 一〇〇式は懐から取り出した小太刀を取り出して言う。小太刀には千鳥と名付けた。友の名であり、そして、雷をも断つ最強の剣に相応しい銘だからだ。

 彼女の想いと力を受け継ぎ、一〇〇式は前に進む。そう誓う。次に彼女のような存在が目の前に現れた時、今度こそは救って見せる。それぐらい強くなる。そう誓う。

 

「さて、諸君。しんみりしたのはこれぐらいで十分だ!」

 

 晶が手を叩いて高らかに宣言する。

 

「先に逝った友、千鳥の分まで俺達は生きる。そして、彼女が寂しくないように騒ぐんだ! 盃を持て!」

 

 そう言って、晶はテーブルの上の紙コップを手に取る。他の戦術人形たちもそれに習った。中身は、コーラだの合成オレンジジュースだの、酒だのまちまちだ。だか、みんなの心は一つだった。

 

「我らが戦友千鳥の冥福と、俺の戦乙女達の健勝を祈願して!」

 

「我らが戦友千鳥の冥福と、偉大なる指揮官の栄光を祈願して!」

 

「「「「「「「「「「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 皆がそう宣言すると共に、コップの中身を呷る。一〇〇式もまたそのように。心が解き放たれた思いがした。一連の事件は幕を下ろした。だが、自分の人生はまだ続き、前に進んでいく。彼女の魂と共に。指揮官への想いから戦い続けていた一〇〇式は今自分自身の戦う理由を見つけたのだ。

 

(頑張って、一〇〇式(モモ)ちゃん)

 

 彼女の励ます声が、耳に聞こえた。




一〇〇式戦記『EP1:失楽園(Paradise Lost)・完


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