ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ (歌うたい)
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Holic 1【STORY TELLER】
Tales 1【ストーリーテラー】


この死に方は、流石に納得がいかない。

 

そんな感想は多分、そもそも死に方なんて選ぶこと自体烏滸(おこ)がましいとか、まず死にたくないと思うべきとか、理性的な正論への呼び水になるのは百も承知だった。

 

本当におっしゃる通りだけども、それでもやっぱり我が儘な納得を優先させてしまうのは、個性から来る一種の(さが)だと思う。

 

 

だってそうでもないと。

 

 

『階段から転んで死ぬ』より。

『怪談の呪いとかで死ぬ』方が絶対良い。

 

今際(いまわ)(きわ)に思い浮かぶのが、どうせなら『一人かくれんぼ』とか『こっくりさん』とかやって怨霊か何かに呪い殺されたかった、だなんて。

 

 

 

そんなアホみたいな感想、まともなヤツなら考えないだろ、絶対。

 

 

そう、自分の事ながら重々承知してるのだ。

 

というか生前の友人からも耳にタコが出来るくらい言われてる。

 

 

全くもって、細波(サザナミ)(ナガレ)は都市伝説に夢中になってる、大層な変わり者なんだって。

 

 

 

 

 

────

──

 

【ストーリーテラー】

 

──

────

 

 

 

 

 

「…………何処だ、ここ」

 

 

そんな変態野郎だって呆気に取られる事くらいある。

 

死んだと思ったら目が覚めて、死んだのに目が覚めるってどういう事って混乱の最中に、更なる混乱の種が目一杯に広がれば、もう固まるしかない。

 

滅茶苦茶に広い。

それこそ学校の体育館くらいの面積はあるんじゃないかってくらいの広間に、数えるのも億劫なほどの本棚が倒れる前のドミノみたいに並んでる。

 

床はワックスで磨いたばっかのような、ピカピカのアクリル床だけども。

白と黒の四角形が交互に並んでるのは、チェスの盤面がそのまま等身大になったとしか言いようがない。

 

そんなとこで、呆然と突っ立ってるのはどういう状況なのか。

 

 

 

 

「図書館……?」

 

 

「その推測で概ねあってるよ」

 

 

誰に聞かせる訳でもない呟きにまさか答えが返って来るとは思わず、反射的に発声源へと顔が向く。

 

本棚の壁と壁のど真ん中。

ともすれば王座へと続くレッドカーペットみたいに、ぽっかり空いた正面の直線上。

 

 

背景に縦に長いアーチ状の窓ガラスと、玉虫色の地球儀とその周りをぐるぐる回る土星の還みたいなリングを置いた、その手前。

それこそ図書館の司書が座って作業してそうなアンティークの長机で手を組んでこっちを眺めているのは、確かにヒトだった。

 

 

ヒト、なんだろうけど、やたら耳が長い。

先っぽが尖ってる感じは、ゲームとかのキャラクターに出てくるエルフというヤツみたいで。

 

縁のない眼鏡と、真ん中で分けてる薄紫の長い髪。

 

皺なんて一つもないのに、それなりの年季を感じさせるのは、多分この男の人のパープルカラーの瞳がとてつもなく澄んでいたからだろうか。

 

 

「驚いたかな、少年」

 

 

「え……まぁ、はい。目を覚ましたら、いきなり知らない場所で……」

 

 

「ふむ、無理もないね。だがしかし、光陰矢の如し、時は金なりだ。君の生まれた国にもある言葉だろう? 為すべきは速やかに行うとしようか」

 

 

「はい? あの、為すべきって……いや、それより聞いていいですか?」

 

 

「……何かな?」

 

 

現状に全くついていけないまま何かしらを始めようとする彼に、慌ててストップをかけたのは少し失敗だったかも知れない。

 

時は金なりと言ってただけあって、せっかちな気質が見え隠れする彼の機嫌が少し下がったようだ。

けど、この意味不明な人物の素が顔を出したような気がして、萎縮するよりもまず安心感を覚える辺り、俺ってやっぱ変なんだろう、今更だけど。

 

 

「あの……俺は細波 流って言います。で、良かったらそっちの名前を教えて貰っても?」

 

 

「…………まず名前を尋ねるか。人としては常識的だが、この状況ではかえって普通ではないな。きみ、変わってるって良く言われないかい?」

 

 

「ああ、まぁ。アキラ……じゃなかった、友人にもお前は変だって言われますね」

 

 

「フフ、だろうね……いや済まない、質問を質問で返すなんて無作法な真似をした。神の風上にも置けないね」

 

 

「いやそんな……って、神?」

 

 

「あぁそうだよ、神様だね。けど、それはあくまで記号の様な物だな。人が崇める為の万能な称号を便宜上、借りているに過ぎない。名前は別にちゃんとあるから気にしなくて良い」

 

 

「そ、そうですか……」

 

 

どうしよう。

ある意味、都市伝説とかよりよっぽどエグいのが出て来てる訳だけど、一周回って凄い落ち着いてる自分が居る。

 

これが例えばこっくりさんとかブギーマンとか名乗られたら飛び付き兼ねない自信はあるけど、神様と言われればもうどうしていいか分からなかった。

 

 

「『テラー』……それがまぁ、私の名前な訳だけどね。いっそブギーマンと名乗った方が良かったな?」

 

 

「……!……あの、もしかして……」

 

 

「神様だからね、頭の中は筒抜けだと思ってくれていい」

 

 

「あー……結構失礼なことを考えてたかもです。すいません」

 

 

「ハハハ、いいさ」

 

 

考えてる事がお見通しってのは流石に少し肝が冷えたけれども、よくよく考えて見れば不思議なもんだと思う。

 

自分は神様だって言われれば普通、何言ってんの、ってなるところだけど。

すごく自然にあぁ、それっぽいなって納得してた。

 

 

「しかし……君は余程、都市伝説やそれに類似するものが好きらしい。だったら、少しは神様らしい所を見せてあげるとしようかな」

 

 

「……お? もしかして予言とか予知とかですか? あ、でも俺もう死んでるから必要ないか……」

 

 

「まぁ、神の奇跡は後々のお楽しみにして貰うとして、だ。まずは本来の業務に戻るとしようか。細波 流、君は……奇跡といったら何を思い浮かべる?」

 

 

神様と話しながら改めて現実問題に向き直るという素っ頓狂(すっとんきょう)な事態だと思いながらも、死んだという実感に気落ちする。

けれど、そんな俺にまるで託宣を告げるように問い掛けるテラーさんは、さっきまでと雰囲気が違った。

文字通り神々しいというか、よく見れば彼の背後にある長窓からキラキラと結晶みたいに輝く光が射し込んでいた。

 

 

「奇跡……ですか。例えば五台の車が交通事故を起こして、ドライバー全員がフルネームまで一緒だったとか」

 

 

「まさしく運命の悪戯だな。他には?」

 

 

「えーっと……生き別れになった姉と弟が同じ通りの真向かいに住んでいた、とか!」

 

 

「ふむ、確かに。だがそれは少し奇跡と呼ぶには物足りないな。もっと分かりやすくいこうじゃないか」

 

 

「分かりやすく……ですか」

 

 

だから多分、これは最初から求められてる答えがあって。

面白可笑しくユニークに、ゆっくりと手を引かれるようにして引き出された答えなんだろう。

 

けどまぁこれも、文字通り、神様のお導きってヤツになるのかね。

 

 

「……死んだ人間が、生き返る、とか?」

 

 

「ふふ、正解。だが、残念ながらそれは元の世界に生還するという訳ではないんだよ」

 

 

「元の世界?」

 

 

「そう、元の世界。君がこれから生きるのは、元とは別の……『異世界』というものだよ」

 

 

「いっ、異世界!? それってあの、文字が訳分かんないとか、写真撮ったら変にピンぼけしたりとか、突然時空のおっさんが現れて元の世界に戻してくれたりするとかいう、あの都市伝説の!?」

 

 

「……本当に都市伝説が好きなんだな、君は。しかし、残念ながらネットなどで囁かれているのとは違うな。分かりやすく言えば……魔法とかモンスターが当たり前な、『ファンタジー』な世界だよ」

 

 

「…………あー、そうっすか」

 

 

正直失礼だとは思うけど、つい落胆してしまう。

いやファンタジーも凄いけど、出来れば時空のおっさんと語り合ってみたかった。

酒とか一緒に飲んでみたかった、まだ未成年だけど。

愚痴とか苦労話とかを色々聞いてみたかった。

 

 

「露骨だな。しかし、その分、私からの『プレゼント』は喜んで貰えそうで何より。さぁ、それでは……細波 流。心の準備は良いかな?」

 

 

「プレゼント……って、え、今から!?」

 

 

「光陰矢の如しと言っただろう? それではカウントダウンといこうか。10、9、8、7……」

 

 

「うわっ、マジか。心の準備って言われても……」

 

 

「あ、そうそう。目を覚ましたら、まずは『本』を探すといい。6、5……」

 

 

「本……?…………って、え、うわ何だ、これ、光が!?」

 

 

朗々とマイペースなカウントダウンと、本を探せというアドバイスに戸惑いながら見回した時、身体中から光の粒子が舞い上がっていく。

 

というより、俺の身体がこの粒子に変わってるのか?

 

しかし、そんな疑問に答えが返って来る訳ではなく、慌てふためく俺の耳に最後に残ったのは0を告げる一言と──

 

 

 

 

『私が君を選んだのではない。君が私を選んだ訳でもない。運命の気まぐれなどでは及ばない。これは歴史だ。因果に編まれた、一つの歴史をなぞるだけ』

 

 

 

──身体が幾つもの光にほぐれていく。

 

フワフワとした浮遊感と、緩やかな落下していく感じの板挟み。

 

けれどそこに苦しさなんてなく、ただただ摩訶不思議。

 

 

昇りながら降りて、落ちながら上がっていく。

 

 

 

 

 

『……約束みたいなモノだよ。君と、"彼女"のね』

 

 

 

その独白がどんどん遠ざかって。

 

 

『……さぁ、細波 流。君の物語を綴ると良い。【ワールドホリック】に幸運を』

 

 

 

空白が、意識を呑み込んだ。

 

 

 

『行き場を失った物語に、エピローグを』

 

 

 

そして、次に目を覚ました時には──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ガボッ、ゴバハァ!?」

 

 

 

深い湖の中だった。

 

 

 

_______

 

 

【人物紹介】

 

『細波 流』

 

本作品の主人公。

 

身長173cm、年齢18歳。

 

艶のある長めの黒髪と、青みがかった黒目。

小綺麗で中性的な顔。

線が細く、痩せた体型。

 

家族は両親共に他界しており、祖父母の元で暮らしていた。

都市伝説の様な胡散臭いながらも面白い話が大好き。

 

自他共に認めるほどの変わり者であり、お人好しな部分もあるが、それ以上に腹黒く、普段は意外にも慎重な思考スタイル。

楽観的であり割と熱血な所もある。

 

大河アキラ、要リョージ、如月チアキという友人を持ち、特に大河アキラとは親友といえるほどの仲である。

 

 

 

 

 

 



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Tales 2【世界が陥る熱源病】

十八歳にして死んで生き返ったと思ったら、また死にかけました。

 

そんな与太なフレーズを思い浮かべるには余裕が足りない水中で、ボコンと大きなシャボン玉が目の前を浮上していく。

というより、これ俺の口から出たやつだ。

つまり俺の息だ、酸素だ、形になった生命線が無情にも俺を置いていく。

 

 

「モガッ」

 

 

反射的に口から出たヤバいの台詞は不細工な音に成り代わり、また一つ溺死へと一歩近付いた。

 

これ以上は流石にまずいと上へ上へと水を掻きながら、頭上から射し込む薄い光へと必死に泳ぐ。

丁度夕暮れ時だからか、赤黄色のゴールテープを頭から突っ切る形で何とか浮上に成功した。

 

 

「ブッハァ!!……ぜっ……ぜっ、はっ……あ、危なかったぞこれマジで……はぁっ、はぁ……」

 

 

飛び込んできた茜色と肺一杯の酸素にくらっと来ながら、細い視界で辺りを見渡す。

 

オレンジのグラデーションを受けた葉の少ない痩せた木々がずらっと並ぶ一望からして、多分森の中。

パチャパチャと水を切る腕ごと浸かる俺の現在地は、どこかの森の湖のど真ん中、であるらしい。

 

 

「……どこだ、ここ」

 

 

多分神様と顔合わせしたあの場所で初めて呟いた言葉と同じものがスルリと口から落っこちた。

 

そういえば確か、ファンタジーの世界に行ってらっしゃい、みたいな話だった気がするけど、それよりもまず。

 

 

「……寒っ」

 

 

この広過ぎる冷水風呂からあがる事の方が遥かに大事だった。

 

 

 

────

──

 

【世界が陥る熱病】

 

──

────

 

 

 

口裂け女に憧れて伸ばした髪を、キモいから切れというアキラのアドバイスに渋々ながらも従って良かった。

もしあの頃みたいなポニーテールのままだったら、溺れてたかも知れん。

 

 

「……うわ、財布……札までずぶ濡れだし。勿体ない」

 

 

あんまりスタミナに自信のないながらも何とか岸まで辿り着いた俺がまず気になったのは、ここが何処かという事より、ズッシリと水を吸って重みを増した貴重品だった。

 

 

ジーパン、ロンドン橋のモノクロプリントがイラストされたTシャツ、黒のジャケットと、服回りは漏れなく全滅。

ジャケットの右ポケットに入れてたハンカチは、まぁ別に問題なし。

 

で、ジーパンのケツポケットに入ったままの財布は勿論札まで水没してしまって、ふにゃりと諭吉さんがしょげている。

 

 

「防水タイプにしときゃ良かった……くっそぉ…………」

 

 

そして極め付けは、一週間前に新機種に替えたばかりのスマートフォンまで御臨終とくれば、心が折れそうになる。

 

異世界に来てまで惜しむものかと言われても、勿体ないもんは勿体ないと感じるもので。

ガックリとついた両腕両膝をのろくさと立ち直らせながら、顔を上げた。

 

 

「…………ん? 何だあれ」

 

 

しばらく引き摺りそうなショックは、ふと目についたモノへの疑問へ早変わり。

他よりほんの少しだけ太った枝の多い樹木の根元に、ポツンと立て掛けられてるのは青い古表紙の本だった。

 

さくさくと生い茂る低い草を、歩く度にぐちゃっとして気持ちの悪いスニーカーで踏みながら、その本を手に取ってみる。

 

 

「【Archive(アーカイブ)】……? なんだこれ、本の名前? ってか何で俺、この文字が読めてんの……」

 

 

 

ダークブラウンの表紙に金の糸で刺繍されてるのは恐らくタイトルなんだろうけど、見たことのない不思議な形をしている。

日本とは程遠い、アルファベットも違う、文字というより記号っぽい。

 

だけど何故だかスラリとその意味するところが頭の中に入ってきて、まるで自動的に翻訳されてるみたいだ。

 

 

そしてタイトルを読み上げた途端、やや遠くの方で鳥達が一斉に羽ばたいたような音も聞こえたけれども、今はこの本に集中していたかった。

ペラリと捲る1ページ目。

そこにはまたも見馴れないのに読める文字が記されてあった。

 

 

「…………『君に相応しいプレゼントについて、説明させて貰うとしよう』……ってこれ書いたの、もしかしてテラーさんか!?」

 

 

そういえばカウントダウンの途中で、本を探せと言ってたけども、まさかこの本がそうなんだろうか。

 

『まず、プレゼントというのは君の身に宿ったある能力の事だ。その名も【ワールドホリック】。タイトルにもそう書いてあっただろう? この能力の概要は、"簡単"に説明すれば……』

 

 

「──都市伝説の……再現?」

 

 

辿りたどり追い掛けていく文字を口にしたところで、突拍子もない奇妙な実感が沸き上がってくる。

まるで身体の内から灯るような淡い熱が、『ご名答』とばかりに誰かみたく応えてくれているような。

 

じわりと頬まで伝うのは、渇き切らない湖の残り水じゃなくて、芯から溢れた一筋の汗だった。

 

 

『そう、君の大好きな都市伝説──或いは、それ並びに民話や逸話なども場合によっては再現も可能だが……まぁ、まずは分かりやすく【発動条件】と三つのパラメーターの説明をして行こう』

 

 

「パラメーター……? ゲームとかの?」

 

 

『まさしく。だが、君がプレイした事のあるRPGのパラメーターとは少し違うだろうな』

 

 

それは正直胸を撫で下ろしたいとこだ。

ゲームもやるっちゃやるけど、あんまり詳しくないし。

 

 

『さて、まずは【ワールドホリック】の発動条件についてだが、それは主に元となった都市伝説の状況の再現に起因する。例えば──学校、或いはそれに類似した施設に二宮金次郎の銅像を配置し、夜中の4時44分44秒まで待てば、その銅像が歩き出す。または血の涙を流す。わかるかい、つまり君が再現を出来さえすれば──』

 

 

「都市伝説が、起こる……俺の、目の前で……?」

 

 

バサバサとさっきより近くで鳥の群れが羽ばたくと共に、ゾクゾクとした興奮が背を駆け上がる。

思わず指に力が入って、本、というより分厚い説明書の表紙が音を立てた。

 

 

『ただし、ここは異世界だ。二宮金次郎の像があるわけもないし、学校なんて施設があるかどうかも分からない。しかし、例えば君が銅を削って銅像にして、学校のような施設を自ら探すかいっそ作ってしまえば良い。そして、後は指定の時間に……ワールドホリックは発動し、きっとその銅像は歩き出すだろう。再現とはそういう事さ』

 

 

「……ん。原題に近付けろって事ね」

 

 

『その通り。そしてこれは【再現性】というパラメーターに関係する。原題に近い再現であれば高く、遠ければ低い。あまりに低ければ、そもそもワールドホリックを発動出来ない。その代わり高ければ高いほど、他のパラメーターにも補正がつく。三つの中でも一番重要と考えて良いだろう』

 

 

「……意外にシビア」

 

 

まぁ、そもそも空想を現実にするような事だし、それくらいの手間は当たり前か。

 

 

 

『次に、二つ目のパラメーターについてだが。では何故、二宮金次郎の銅像を例題に出したかというと……これも話は簡単。君が日本人であるからだ。というのも、日本で生まれた都市伝説というのは当然日本で広まり、日本で浸透していったものだ。故に、二つ目のパラメーターである親和性というものが生まれるんだよ。相性、といってもいい』

 

 

「相性……なんか、ほんとにゲームみたいだなこれ。鳥は風属性、魚は水属性みたいな感じか」

 

 

『うむ。その考え方は少しズレてはいるが、あながち間違いでもないよ。君が語った……もとい、呼び出した都市伝説との親和性の高さによって、君も制御し易くなるし、"負荷"が軽減される』

 

 

「負荷?」

 

 

『その通り。こればっかりは実際に再現してみれば分かるだろう。そして、親和性の概要として纏めるなら、日本発祥の都市伝説であればパラメーターは高く、逆に海外の都市伝説とかは親和性が低いかもしれないという事だ。もちろん、日本発祥だからと言って必ずしも親和性が高いという訳ではないし、その逆も然り。都市伝説にも個性があるからね、これも語ってみてから判断していくと良い』

 

 

「なーるほど。確かに実践してからのお楽しみって方が俺としても好み……ってか、今更だけど俺の考えずっと先読みされてるし。これもう一種の都市伝説染みた現象だろ」

 

 

『【神様】なんてものはいつの時代も安定して語り継がれるものだよ…………では最後。三つ目のパラメーターだが、これも重要な要素だからしっかりと覚えるように』

 

 

「……え? 最後? まだめっちゃページが……」

 

 

余ってるんだけど、と続けようとした瞬間だった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

今まで、本を読む合間合間に聞こえていた、鳥達が羽ばたくような音とは明らかに一線を画する、"軽やかながら重苦しい"重低音が鼓膜に届く。

 

相反した要素が釣り合った奇妙さよりも、その力強さが音の輪郭だけでも伝わる──そう、まるで大きな翼が羽ばたいてるような。

 

 

「────騎士狩りの最中に新たな獲物を見つけてしまうとは。いけないな、これは……欲が出てしまう」

 

 

「……は?」

 

 

羽ばたきに紛れた、いかにも紳士的で滑らかな口調からは想像出来ないかの様な、一言で形容するならソイツは悪魔だった。

 

真っ黒で艶めいた革の翼と、その翼と変わらないくらい真っ黒な肌に、腰回りと胸元から生えたライオンの(たてがみ)みたいな灰色の獣毛。

それだけでも非現実染みてるってのに、その顔は厳めしい雄羊だった。

 

みたいな、とか例えの話じゃなくて、そのまま動物の雄羊の頭。

それがいかにも人間臭く、頭上から俺を蔑むように見下しながら、ゆっくりと降りて来る。

 

 

「クク、見たところずぶ濡れみたいだが……湖で呑気にお遊びでもしていたのかな? だとしたらお笑い草だな。すぐそこで"砦"が落ちたばかりだというのに、それすらも気付いていないのか」

 

 

「……砦?」

 

 

いきなり現れてきて好き勝手言ってるこの悪魔の台詞を、ついオウム返ししながらも足をじりじりと後退させる。

砦が危機とか騎士狩りとか、若干気になるワードに逐一反応してしまいそうになるけども。

 

こいつ、ヤバい。

なんか目が合うだけで冷や汗が止まらない、心臓がバクバクとうるさい。

 

未知なる存在との遭遇は都市伝説好きとしては喜ばしい事態だけども、素直に喜んでいい相手じゃない事くらい俺にも分かる。

 

 

「……まぁ、前菜としよう。味付けには気をつけなくてはな」

 

 

だって、コイツの目。

丸々した金眼に、歪に走る割れたの瞳孔。

 

およそ人間のものじゃないのに、それで伝わる。

この悪魔は、俺を人間としては見ていない。

というより、人間をただの物として見ているような、おぞましさ。

脇に抱えた本の角を握る手が、無意識に震えてる。

 

 

「では、軽く」

 

 

「? ────え……ごぉぶッ?!」

 

 

悪魔が消えた、かと思えばいきなり真下から現れて、左の脇腹を蹴飛ばされた。

 

ろくな悲鳴にもならない衝撃と、電車の窓の外に流れる景色みたいな視界の早送りが、気付けば襲い掛かって来てる。

あぁ、そうか、地を這うように滑空してから、それで蹴飛ばされたと。

 

 

なんて、草花茂る大地を坂道でもないのに転がりながら、ひどく他人事な推察がぼんやりと頭の中に流れる。

 

 

激痛は、本を拾った大木に背中からぶつかった後からやってきた。

 

 

「ぃっ……ガッ、ゲッホ、ゴホッ……ぃ、い、てぇ」

 

 

「……なんだ、まだたった一発じゃないか。張り合いのない、これでは前菜どころの話ではないな」

 

 

「な、に……はァ……?」

 

 

嗚咽混じりの苦悩にひたすら頭の中を掻き乱されてしまって、鼓膜の裏でつんざく耳鳴りが大きすぎて、こっちへと歩いて来てる悪魔の言葉が全く聞こえない。

 

というか、痛みの余りに感覚が麻痺でもしかけてるのか、じわっとした痺れとガリゴリと刷り潰されるような痛みで、訳が分かんねぇよもう。

 

 

「……く、そ……」

 

 

「全く、脆くて敵わん。貴様はこの期に及んで、我ら魔族を見くびってるのか? 武器の一つも身に付けず、のうのうと水遊びとは」

 

 

「ぎっ……ぶき……武器……?」

 

 

目の奥で線香花火が延々と弾け続けてる。

風流さの欠片もないフラッシュと耳鳴りの中で辛うじて拾えた武器という言葉に何かが頭を過ぎりかけるけれども。

 

それよりも、まず。

そのドラゴンみたいな足が、俺の頭を踏もうとしてるのを、どうにか、しないと。

 

 

「……おかげで口直しが必要だ、小僧。さっさと死ね」

 

 

ヤバいと心の底から思った。

コイツ、マジで人間が敵うような相手じゃないって。

 

だから、だからな、"そこの青い髪のお姉さん"。

 

 

 

こっち来んな、隠れてろって──

 

 

 

「グルメ気取りが、聞いて呆れるわね」

 

 

「……ほう。かくれんぼは終わりか、騎士」

 

 

「勝手に一人で遊んでればいいわ」

 

 

 

けれど、そのお姉さんは折れた剣を正眼に構えて、真っ直ぐな敵意を眼差しに乗せながら、雄々しく吼えた。

 

 

 

「行くわよ、アークデーモン!!」

 

 

 

 

 



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Tales 3【都市伝説が歩き出す】

──彼女はまさに、蒼い騎士だった。

 

 

後頭部でお団子を三つ編みにした髪で纏めたような髪型は涼しげで色彩によく映える。

左側に多く集めた前髪の間からは、美しいサファイアブルーの瞳が見え隠れしていた。

 

顔立ちからして綺麗な人だって印象が強く残る、シャープな美人顔と、その女性的なスタイルを包むブルーの鎧の取り合わせ。

漫画やアニメにでも出てきそうな人だと、場違いな感想がぼんやり浮かぶ。

 

けれどそんな感想を抱き続けるのは呑気過ぎて、状況を理解してないにも甚だしい。

 

確かに綺麗で、騎士の立ち姿も見惚れるくらい綺麗だったけど。

俺の危機を救おうとしてくれている碧い騎士は、戦う前からボロボロだった。

 

 

「行くわよ、アークデーモン!!」

 

 

騎士の纏う蒼い胸当ては、大きな鎚か何かで抉り飛ばされたかの様に削れてヘソとかが完全に見えるほどだし、剣は半分から先がない。

 

そんなものを正眼に構えて、無謀な突進なんてただの自殺行為だ。

突っ込んで来る騎士を前に、構えるどころか腕組みをしたまま悪魔が粘っこい嘲笑を浮かべているのが、その何よりの証拠だろう。

彼女の身に付けている、所々歪んだガントレットごと折れた剣を呆気なく蹴りとばし、騎士の細い首を片手で掴む。

 

 

「……どうした貴様。先程、合間見えた時の剣捌きはそれなりであったが、折れたとなれば無様な特攻しか出来ぬのか?」

 

 

「ぎっ、ぁ……くぅっ」

 

 

「……メインと据えたつもりが、見込み違いか。ふん、どいつもこいつも。食いごたえのない連中ばかりでつまらんな」

 

 

「あぐッ…………な、ならっ、その大口に叩き込んであげる!」

 

 

必死に両手で抵抗していた騎士を前に、失望を隠そうともしない悪魔がやれやれとばかりに羊顔を横に振る。

 

だが騎士はそのまま、スカートの腰にくくりつけていた筒のようなモノの蓋を片手で器用に空けると、その中身を悪魔の顔にぶちまけた。

 

あれは……水筒?。

なら、中は水って事になる。

けど、それじゃ目眩ましにもならない。

 

 

「小癪な真似を…………っ、この液体はッ」

 

 

「もう遅い」

 

 

「人間風情が──」

 

 

「【アイスコフィン(時よ止まれ)】」

 

 

「魔法をッ────」

 

 

 

手短に麗らかなソプラノボイスが唱えたものが、まさに『魔法』と呼ぶべきものだと理解するのに時間は掛からなかった。

 

液体を被った悪魔の額に雨粒が浮かび、ほんの一瞬で紫苑(shion)の花の形をした氷結晶に育つ。

そこの根本からベキベキと伸びていき、やがて苦悩をあげる悪魔の身体が収まるほどの、氷の棺へと姿を変えた。

 

氷細工の紫苑の花が、まるで棺に閉じ込められた悪魔への手向けであるかのように。

 

 

「……こ、れで……」

 

 

「ぅ、っ……あの、大丈夫っすか、お姉さん」

 

 

棺へと封じた、蒼い騎士がずるずると草花を敷いて膝をつく。

まずい、顔に血の気がない。

身体中のあちこちが痛むけど、何とか動けるくらいには回復したようなので、慌てて命の恩人の元へと歩み寄る。

 

 

「……ぅ、貴方、まだ……居たの……」

 

 

「いや、流石に命の恩人を放置して逃げたりしないっすよ」

 

 

力なく項垂れる騎士さんの顔を覗き込むようにして目を合わせれば、何故か彼女は意識を朦朧(もうろう)とさせていた。

助けてくれてありがとうとか、さっきの魔法みたいなヤツは何とか聞きたいが、とりあえず後回し。

 

 

「……っ、良いから……早く、遠くへ」

 

 

「……? 良くないでしょ、ほら掴まって」

 

 

「ちょっと、貴方……」

 

 

何か歓迎されてないどころか、早くどこかへ行けと言われてるみたいで少し傷付く。

でもまぁ、そんな傷心具合は今は置いといて、とりあえず、こっから離れよう。

 

少し強引に腕を取って、肩に手を回す。

ゴツゴツしたガントレットとかの感触の中にふとした柔らかい肌が当たると、蒼騎士は小さく呻いた。

 

 

「ねぇ……貴方、なんで……そんなに服が濡れてるの……?」

 

 

「あ、やべっ」

 

 

そういえば湖から這い上がってまだ十五分も経ってない。

なら当然服も濡れたてヒヤヒヤとまでいかなくても、彼女の表情に違うベクトルの苦悩が浮かび上がるのも仕方ないか。

 

 

「……悪い、けど……そう長くは保たない、のよ」

 

 

「ん? 何の話?」

 

 

「アイスコフィン……さっきの、氷精魔法」

 

 

「あ、やっぱりあれ魔法か」

 

 

口にはしないけど、やっぱり西洋甲冑を着込んでるだけあって肩にかかる重みはけっこうキツイ。

 

特にあのアークデーモンに蹴り飛ばされた腹辺りがジンジンと熱を持って来てるから、正直自分で歩けるなら歩いて欲しいところだった、言わないけど。

 

痛みを必死に我慢してるからか、頬へと伝う油汗が、肩身離さず脇に抱えたままだった例のプレゼントの表紙にポタリと落ちた。

 

 

「で、保たないってのは?」

 

 

「……今の私の実力では、拘束出来て五分が精一杯」

 

 

「はっ? 五分? え、それヤバいんじゃ……」

 

 

五分って流石に短すぎるだろ。

二人ともこんな状態じゃ、どう考えてもそう遠くへと行けるはずもない。

 

 

「な、なら思いっきり体当たりとかしてぶっ壊せば……!」

 

 

「それで壊れてくれたら良いけど、多分無駄よ。一ツ目の巨人(サイクロプス)でも連れて来れれば別だけど」

 

 

「サイクロプス……そ、そんじゃ湖の中に落とすのは?」

 

 

「魔法が解けたら直ぐ這い上がってくるわよ……」

 

 

「ぐっ……」

 

 

おい、じゃあこの状況ほとんど詰んでるんじゃないのか。

けど、他に余計なことを考えてられる切羽詰まった現状だってのは分かってるんだけども。

 

 

「今なら……まだ、間に合うわよ」

 

 

「……」

 

 

「私を、置いて──」

 

 

静かに促す、騎士の髪が揺らいだ。

青の蒼を閉じ込めている渇いた瞳が、後味の悪い選択肢を選べって。

 

 

「死にたくは、ないでしょ……」

 

 

確かにそうだけど。

それは何故か、一回死ぬ前に聞いとくべきセリフだなって思って。

 

大きく息を吸って、口の中で強く歯を噛んだ。

見捨てろってうるさい命の恩人を強く引き寄せ、より体重をこっちへと傾けて貰う。

口の中で血の味がしたけど、我慢。

 

 

「っ、ちょっと……貴方……」

 

 

「良いから黙っててよ」

 

 

「もう、時間が……」

 

 

「うるさいって」

 

 

子供みたいな意地の張り方を続けていけば、蒼い騎士はもう好きにしろとばかりに黙り込む。

心なしか、少しだけ彼女からの重みが増した気がした。

 

 

「馬鹿ね」

 

 

「余計なお世話。いいよ別に、あのアークなんたらが来ても、何とかするし」

 

 

「……ふふ、強がりはせめて、腰に剣をさしてから──」

 

 

装った強気をあっさり見抜かれて、装う物が足りないと覇気のない苦笑が耳元で囁かれて。

 

そんな些細なソプラノを──踏みにじるように掻き消すからこそ、悪魔ってヤツなんだろう。

 

 

 

「──ほう、それでは何とかしてもらおうか」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

振り返るまでもなく、そいつがいつの間にか背後まで近付いていた事が分かったのは、蒼騎士に真横へと押し飛ばされたからだった。

 

 

「っ!」

 

 

「く……──カハッ」

 

 

「絞りカスの魔力を掻き集めて唱えた魔法が、高位魔族たる者を縛れるはずもなかろう、馬鹿めが」

 

 

何をされたのかの判別もつかないまま、慌てて身体を起こせば、あんなに重い西洋甲冑をまとった騎士が、宙を舞っていた。

 

軽々と、まるで紙切れか何かみたいに。

その衝撃の強さの見せしめのように、呆気なく地に落ちた蒼い鳥。

 

翼をもがれたかの様に身体を痙攣させているのを見れば、血管の中に氷柱を流し込まれたように怖じ気が押し寄せる。

 

 

 

「ぅ、あ……ぐァッ!?」

 

 

「そら、どうした小僧。何とかするんじゃなかったのか」

 

 

「────」

 

 

悪魔の足が、剥き出しになった騎士の腹を踏みにじり、冷たく笑う。

無力にうちひしがれる口生意気なガキを見下ろして、悦に浸っている。

 

騎士の青くなりつつある唇から漏れ出る悲鳴を音楽か何かに見立てて、心地好さそうに目を細めていやがる。

 

 

(…………)

 

 

芯が、冷えてく。

 

無力さにじゃない、多分、怒り。

 

何も出来ない自分にじゃない、この分かり易く悪魔してる羊顔を、黙らせてやりたい。

 

 

『さぁ、細波 流。君の……君だけの物語を綴るといい』

 

 

ストーリーテラーが、耳の奥から、皮膚の内から、囁いている。

 

 

 

『【ワールドホリック】に幸運を』

 

 

その為の術は、もう既にこの手にあるのだと。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「……く、くくくっ……何のつもりかな、小僧」

 

 

「お願いを……聞いてくれませんか……」

 

 

講じた一計を為すべく、まず俺がした事と言えば……"土下座"だった。

卑屈に、べったりと額を大地につけ、願わくば騎士の腹に乗っかったままの足がこっちの頭に来ればいいと。

 

けど、アークデーモンはそんな俺の無様を嘲るだけで、態勢を変えてはくれない。

 

だがそれはつまり、いきなり跪いた哀れな小僧に対する殺意を少しでも削ぐことに繋がるという事だ。

 

だけど、もう一押し。

 

 

「ぼくを……みの、見逃して下さい! あ、貴方の趣向には、僕のような虫けらなんて合わないんでしたよね? だったら……!」

 

 

「──クッククッ、アッハハハハ!! 何をするかと思えばこの期に及んで命乞いとはな……どうした、さっきまでの大口は虚仮(こけ)おどしだったのかぁ?」

 

 

「う……お、お願いします! こ、殺すなら一人でも構わないんでしょう!? 僕は見逃してくださいよ!」

 

 

「っ、あ……貴方……」

 

 

喉を張り上げて、目一杯叫ぶ。

こんな蛆虫なんて殺したって意味ないと。

卑屈に、滑稽に。

 

そんな醜い姿を見て、呻きながらも俺を見つめていた青い瞳が──失意に、落ちる。

 

 

「──傑作だ。これは傑作、えぇ? 全く、とんでもなく面白いじゃないか。どうだ騎士よ、貴様が身体を張って守ろうとした男は、貴様を贄にこの場を逃れようとしているが? んん?」

 

 

「…………」

 

 

そんな醜い人間の性は、さぞ愉快にアークデーモンの目に映っただろう。

救ったはずの人間に裏切られ、見捨てられる騎士。

 

味だの何だのにうるさい彼の気には召したらしい。

 

さすが……『悪魔』。

人の醜悪を好む、それでこそ、そうではなくてはね。

この味付けを、気に入って貰わないと、こっちも困る。

 

 

だから、精々舌舐めずりをしてくれよ。

 

 

「それに、こ、これを差し上げます! これは、僕の家に伝わる……ま、マジックアイテムなんです!!」

 

 

「──ん、何だこれは。黒くて四角い……(フダ)か?」

 

 

「ど、どうぞ! お受け取りください!!」

 

 

「……む」

 

 

相手に疑問を挟む余地も与えず、まるで必死に貢ぎ物を捧げるかの様にアークデーモンへとそれを手渡した。

 

黒くて四角くて、ついでに薄い札みたいなもの──そう、壊れた俺の"スマートフォン"。

マジックアイテムなんてものが果たしてこの世界にあるかは知らないが、知らないなら知らないででっち上げてやるまでだ。

 

あとは、これが興味を惹いてくれるかどうか。

 

ダメならダメで、まだ別の手はあることにはあるけど。

 

 

「……ふむ」

 

 

きっとこんなものを初めてみたのだろう、物珍しそうにアークデーモンは俺からの貢ぎ物を眺めている。

 

彼からしたら俺みたいな無様な男にこれ以上何か出来るかなんて思ってもいないはずだし、驚異になり得るかも知れない蒼騎士は制圧済み。

 

だから、緩んだ隙が──興味を優先する。

 

悪魔が餌に食い付いた。

 

 

「確かに珍しい材質をしてるが、だから何だというのだ。そもそも、魔力自体に反応せんぞ。それとも、何か特別な効力があるとでも?」

 

 

「──はい、勿論」

 

 

そうして、一歩、二歩と少しだけ後ろへと下がり、恭しく、嫌味も含めて一礼する。

 

 

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ/Archive)】」

 

 

 

 

 

さっきから、急かす様に浮かぶ言葉を、疑問も挟まず口にして。

再現の引き金を叩くべく、唇を歪めた。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

呼応するように、小脇に抱えたままだった本が白金色に光り出す。

 

 

 

──不思議な感覚だった。

 

 

本には記されていなかった、再現までの『流れ』が頭に浮かぶ。

状況はすでに作ったのなら、後はそれを語る。

 

 

──脇をすり抜け、胸の前へと浮かび上がり、奇譚書が開かれた。

 

 

内容を語り、綴って、再現。

必要なのはそれだけ。

 

 

──目に見えない奔流が騒ぎ立て、パラパラとページが捲れる。

 

 

摩訶不思議を此処に。

焦がれ続けた存在を傍らに。

 

 

──止まった先は、最初のページ。

 

 

手段を整えた今、為すべきは。

 

 

──その空白を埋めよう。

 

 

世界に熱病の毒を流し込むこと。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「【命あるものを大事にしなさいとは、まず最初に覚える道徳だろう。だが、果たしてそれだけで足りるだろうか。命亡者(イノチ ナキモノ)にも、魂は細部に宿るもの。

今より紹介するのは──蔑ろにされた亡者が贈る、小さく短き復讐譚】」

 

 

 

「……?」

 

 

 

「【……ある少女が、古くなった外国製の人形を捨てました。するとその日の夜に、その少女の元へと電話が一本、掛かってきました】」

 

 

 

「……いきなり何を言い始める、貴様。それに、何だその本は……!」

 

 

「はは、気になる? でもまぁ、せっかくだから最後まで聞いてってよ。直ぐに済むから」

 

 

「なにィ?」

 

 

前触れも知らさず始まった語り。

けれど、アークデーモンには分からない。

突拍子もなく、意味不明だからこそ、分からない。

 

それが本当に最後まで聞いていいものか、ということを。

分からないだろうねぇ。

 

 

「【『あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』

まるで聞き覚えのない少女の声。気味が悪くなって少女が電話を切っても、またすぐにコール音】」

 

 

「デン、ワ……?」

 

 

「【『あたしメリーさん。今、煙草屋さんの前に居るの』

切ってもまたすぐに。

『あたしメリーさん。今、公園の近くに居るの』

彼女は、場所を告げるだけ。

またコール音が鳴り響く。けれど、それは──徐々に自分の元へと近付いてくるおぞましい足音だという事に気付いた時には。

『私、メリーさん。今──』

彼女はもう家の前まで来ていた】

 

 

 

風が、まるで演出のように木枯らしを揺らし、驚異が這いよる。

悪魔はただ訝し気な顔をしたまま、いつしか俺を眺めていた金の瞳が馬鹿にしているのかと言いたげに、つり上がる。

 

 

「【少女は恐怖を圧し殺し、思い切って玄関のドアを開けたが、誰もいない。きっと誰かの、手の込んだイタズラだったのだと胸を撫で下ろした時。

またもや電話が鳴り響き──

 

 

 

『あたしメリーさん。今 あなたの後ろにいるの』】」

 

 

語りを途切ると共に、一際大きく、草木が鳴いた。

荒く冷たく強い風。

それはまるで、世界があげる悲鳴の様に。

 

 

「……小僧。いつまで与太話を続けるつもりだ。そんなくだらぬ話で……」

 

 

「いやいや、これで最後。でもね、この話はこう続くんだってさ」

 

 

いつまで?

決まってる。

 

この話を、最後まで聞いた貴方には、やってくるんだよ。

 

 

 

【この話を聞いた貴方の元に、もしかしたら、やってくるかも知れません】

 

 

え、スマートフォンは壊れてるって?

はは、まさか。

 

 

【メリーさんからの、電話が】

 

 

むしろそんなの考慮してくれやしないから、都市伝説っていうんだよ。

 

 

「【World Holic(ワールドホリック)

 

 

ぼんやりと浮かんだまま囁いた言葉と共に、本の光も緩やかに途絶える。

それはまるで蛍の光みたく緩やかに、けれどもそれは終わりの合図とは結び付かない。

 

 

朧気ながら俺には理解出来る。

その消失は、再現開始の合図であるのだと。

 

 

 

──プルルルルル……

 

 

悪魔の手の中のスマートフォンが、着信を告げる。

 

 

「っ、何だ……マジックアイテムが……」

 

 

そして、それはフリックをせずとも、勝手に繋がり。

 

 

──ガチャ

 

 

聞こえるはずの無い、受話器の音すら耳に届いた。

 

 

 

【私、メリーさん。今、森の中にいるの】

 

 

 

そして、今、この瞬間より__

 

 

 

 

────

──

 

【都市伝説が、歩き出す】

 

──

────

 

 

 

 

_______

 

 

【魔物紹介】

 

『アークデーモン』

 

討伐難易度ランク『C』

 

高位の悪魔であり、その風貌や角の形状にも個体によって差がある。

独自の魔法を扱える上、近接戦闘能力も高い為に隙がない。

 

 



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Tales 4【わたし、メリーさん】

まずは(かた)って、それから語れば、空想逸話もご覧の通り。

波紋のように広がった語り言葉が、再現を引き起こす。

 

 

『私、メリーさん。今、折れた木の側に居るの』

 

 

彼女は再現され、聞かせたお話をなぞるように、やってくる。

 

 

『私、メリーさん。今、鳥の死骸の側に居るの』

 

 

「な、なに……」

 

 

「小僧、貴様……何をしたァ!」

 

 

何が起きてるのか、分からない。

手の中のマジックアイテムからいきなり、メリーさんと名乗る美しい少女のソプラノが、延々と流れ出している。

 

それはもう鳴るはずがないのに。

繋がるはずがないのに。

 

 

真下に敷いた騎士の狼狽が伝達したかのように、アークデーモンは薄ら笑いを浮かべている俺に問い掛ける。

一体何が起きてるんだと。

これはどういう現象なんだと。

 

 

さっき散々聞かせてあげたってのにね。

 

 

『私、メリーさん。今、湖の側に居るの』

 

 

「なにっ」

 

 

睨みつけていた此方側から、まるで夜道でふと後ろを振り返る人みたいに湖畔を見渡す。

けれどもそこには、当然誰の姿もなくて。

 

振り返った拍子に、アークデーモンの手からスマートフォンがガサリと落ちた。

勿論、だからといってこの『再現』は止まらない。

 

 

『私、メリーさん。今、大きな木の側に居るの』

 

 

「──ッ!! そこかぁ!」

 

 

大きな木、それは例のプレゼントが置いてあった場所の事だ。

それを察知し、すぐさまその場から空中に舞い上がったアークデーモンは、三メートルくらいの高さから手を翳した。

 

紋章のような紫色の魔法陣を展開し、そこからバスケットボールくらいの黒い弾丸を雨のように放ち出す。

直線で結ばれた先の大木は、呆気なく穴空きチーズみたいに削り取られ、緩やかに後ろへと倒れた。

 

だが、それでも意味なんてない。

 

 

「クソッ、何処だ!? 確かに今そこにッ──」

 

 

あぁ、ヤバい。

 

顔がにやける。

 

これだから変人だって言われるんだろうけどさ。

 

憧れて、集めて、読んで、試して、焦がれた存在が居るんだよ。

 

俺の大好きな、都市伝説の一つが、今、俺の目の前で起こるんだ。

 

 

「私、メリーさん」

 

 

「──な」

 

 

興奮しなくてどうする。

 

 

「今、貴方の後ろに居るの」

 

 

 

──ザシュッと、肉を食い破る音がした。

 

 

 

 

 

────

──

 

【わたし、メリーさん】

 

──

────

 

 

 

「──き、さま……」

 

 

 

アークデーモンの胸から生えたギラリと光る二つの刃先は、まるで内側から食い破る巨大な凶鳥の(くちばし)にも見える。

 

余韻も残さず、ただ恨み言のみを吐き出した羊の顔の悪魔は、真後ろからの一撃を受けて呆気なくその姿を崩す。

 

黒い石灰岩が、さらさらと黒砂に返るように。

 

風に流れて世界の色に溶け込んでいく姿が、紛れもなく人ではない異端だったのだと今更ながらに示してくれた。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

そして、今まで散々痛めつけてくれた悪魔を一撃で葬った存在が、ふわりと継ぎ接ぎフリルのスカートを浮かせながら、俺の目の前に降りてくる。

 

蜂蜜色のシャンパンゴールドのふわふわした長い髪に、黒白フリルのヘッドドレス。

エメラルドの瞳と、煤にところどころ汚されても尚美しいと思える少女の甘い顔。

 

ボロボロになってる黒いゴシックロリータのエプロンドレスを纏った12、13くらいの西洋人らしく、幼いながらもどこか大人っぽさが見え隠れしている。

『薄汚い』をまるでファッションメイクの様に振る舞って。

 

その手に大きなハサミを握りながら、静かに笑みを浮かべながら、彼女は俺の前へと降り立った。

 

 

メリーさんって西洋人形じゃないの、とか。

普通に人間じゃないかとか、そんなツッコミ所なんて今はどうでも良い。

 

 

「私、メリーさん。メリーさんを呼んだのは、あなた?」

 

 

正真正銘、彼女はあの日本人なら誰でも知ってる都市伝説の代表格の、メリーさんだ。

かつて、フランス人形買い漁ってゴミ捨て場に置きまくって電話来てくれマジでと、願いに願ったメリーさんだ。

 

 

「……やった」

 

 

「……?」

 

 

結局叶わずむしろゴミ捨て場から苦情来て、泣く泣く回収したフランス人形達に、捧げる。

俺は……成し遂げたぞ。

 

 

「いよっしゃぁぁぁぁぁぁああ!!!!」

 

 

「!?」

 

長年の夢が叶った興奮のあまり、全身全霊のガッツポーズをかましてみれば、急に誰かが近づいて来た時の猫みたいにビクッとしてた。

 

 

「マジのマジでメリーさんだよな! 都市伝説の!」

 

 

「……わ、私、メリーさん……」

 

 

「だよねだよね! あぁ……俺、都市伝説と話してる……あの、ずっと前からファンでした! さ、サインとか貰えませんか!?」

 

 

「……私、メリーさん。字、書けないの」

 

 

「あ、そう……そっか、残念……」

 

 

「私、メリーさん。元気出して欲しいの」

 

 

メリーさんだけでなく、こっくりさんとか一人かくれんぼとかをやる時に、常にサイン色紙を用意していたのは伊達じゃない。

あからさまに肩を落とした俺を見かねてか、ふわっと浮きながらポンポンと肩を叩いてくれる。

 

あれ、メリーさんって空、飛べるのか。

いやまぁいきなり後ろに現れるくらいだから、そのくらい朝飯前かも知れないけれども。

 

というかメリーさん、意外と優しいのな。

ひょっとしたら【ワールドホリック】の能力が関係してるのかも。

 

 

「しかし、メリーさん凄いな……あの悪魔を一撃って。そんな強いってイメージなかったけど」

 

 

「……それは多分、貴方のおかげだと思うの」

 

 

「え、俺の……?」

 

 

メリーさんが強いのが俺のおかげとはどういう事だ、とよぎった疑問を晴らしたのは、テラーさんからのプレゼント。

 

はたと閃いて、悪魔の介入で読み損ねた部分までパラパラと捲ると、メリーさんがいつの間にか俺の肩に引っ付いて来た。

もしかして、一緒に読みたいって事だろうか。

まぁ良いか、都市伝説と一緒に本読むとか貴重な体験だし。

 

 

『再現性、親和性と来て最後の要素は……浸透性だ。分かりやすく言うなら、知名度だね』

 

 

「知名度?」

 

 

『有名であれば有名であるほど、再現した都市伝説は存在格を増す。逆にいえば、地方のほんの一部にしか伝わってない話であれば、その存在がもたらす影響は極端に狭くなる』

 

 

「……」

 

 

『また、それが【都市伝説】として認識されているか否かも大事だな。なかには【妖怪】とか【民話】としての側面が強いのに都市伝説とされているのもあるが、そういうモノは浸透性が分散してしまうから、存在格も弱まってしまうし、再現不可なモノもある。まぁ、これもやはり試行錯誤あるのみだ』

 

 

メジャーであれば強く、マイナーであれば弱い。

極端に言えばそういう事なんだろうか。

そしてそれが『都市伝説』としてのカテゴライズされているかどうかも重要と。

 

 

『では、パラメーターについて理解をいただけたようだし、大詰めと行こう。ナガレ、最初のページに戻ってみようか』

 

 

「最初…………ってあれ、中身変わってる」

 

 

記されるがままに最初のページへと戻れば、もうこれで何度目の驚きか。

記されていた内容が、全く別のものに変わっていた。

 

 

──────

 

 

No.001

 

 

【メリーさん】

 

 

・再現性 『B』

 

・親和性 『A』

 

・浸透性 『A』

 

 

保有技能【背後より来たりて】

 

・背後から奇襲の際、効果上昇

 

 

保有技能【─未提示─】

 

──────

 

 

「…………ステータス画面?」

 

 

『君が再現した都市伝説についての情報だ。保有技能はその名の通り意味で、いわば彼女の個性の表れとも言えるだろうね』

 

 

「なんつーシステマチックな……あ、この未提示ってのは……?」

 

 

『まだ君が確認していない技能……その内に分かるという意味さ』

 

 

あえて不親切な言い方をしてくれる辺り、テラーさんは俺の性格をよく分かってくれてるらしい。

手探り上等。

なんでもかんでも教えて貰うより、そっちの方が俺好みだ。

 

 

『総括すれば、日本人である君との親和性も優れていて、かつ世界にも知られているほどの浸透性を持ち、それに再現性を与えた都市伝説──君が再現するのに選んだ【メリーさん】は、実に良いキャストだったという事さ』

 

 

 

確かに、このパラメーターの高水準っぷりが存分に物語ってるし。

 

と、ここでふと肩をトントンと叩かれた。

何だろうかと振り返れば、得意満面といったご様子のメリーさんが。

 

 

「私、メリーさん。そう、私はメリーさんなの」

 

 

「……よしよし」

 

 

ね、言った通りでしょ。

緩やかな微笑みにそんな感情を乗せるメリーさんについ、苦笑してしまう。

俺のおかげっていうのは、純粋に俺との相性が良いからってことと、その知名度による自信からか。

 

伸ばした手をすんなり受け止めて喜ぶメリーさん。

都市伝説としての威厳もあったもんじゃないけど、ずっと会ってみたいと焦がれてきた相手だ。

仲良く出来るなら仲良くしたい。

 

 

「私メリーさん。貴方のお名前は?」

 

 

「あぁ、俺は細波 流。好きに呼んでくれていいよ」

 

 

「私メリーさん。貴方はナガレ」

 

 

「……ん、これから宜しく」

 

 

「私メリーさん。ナガレ、これから宜しくお願いします」

 

 

……ヤバい、都市伝説に名前呼ばれてるよ俺。

ほんとたまんないな、これ。

 

宙に踊り出てステップを踏み、淑女のようにスカートの端を摘まみながらの丁寧な御挨拶が、骨身に沁みる。

と、ここで本へと視線を残せば、まだ記されている言葉を見付けた。

 

 

『……素晴らしい語りだったよ、流。さぁ、無粋な話はここまでとしよう。本を閉じて、君だけの物語を見せておくれ。改めて──【ワールドホリック】に幸運を──』

 

 

「……テラーさん」

 

 

それは静かな励ましのようにそっと背中を押してくれる言葉だった。

 

どうしてここまでしてくれるんだろうとも思えるけれども、何というか、全く悪意を感じさせない不思議な人だ。

 

 

「……ん?」

 

 

そこでふと、いつの間にかまた肩へと乗っかるメリーさんが、開いたページの隅っこに指を置く。

これは、絵だろうか。

ちょっとだけ縦に長くて丸い……多分、なにかの卵。

 

ペラリと、次を(めく)れば、今度は真っ白なページと、また隅っこに卵。

 

あ、もしかして……と閃きのままにパラパラとページを流せば、卵が右へ左へと揺れてるみたいに動いてる。

 

 

────

 

 

そしてヒビが入って、パカリと割れて、赤い毛色の雛鳥がそこから(かえ)った。

 

目覚めたばかりの雛鳥は、少しずつ羽を動かして、やがて空白の空を泳ぐように飛んでいく。

 

けど、途中で突然力尽きたかの様に、ゆっくりと墜落して行って。

 

 

ふと、その身体を炎が包み込めば、パラパラと灰を落としながら、雛鳥はもう一度甦った。

 

 

────

 

 

「……不死鳥?」

 

 

「私メリーさん。私もそう思うの」

 

 

紅蓮の中から甦った赤い鳥は、きっと不死鳥を意味するんだろうけれど。

生憎とページはそこで巻末、つまりはそこから先を描くものは何もない。

 

「意味深だな」

 

 

「意味深なの」

 

 

「……ま、いいか。これ以上は野暮だし」

 

 

「野暮なの?」

 

 

「そそ。教えて貰ってばかりなのも考えものだしね」

 

 

「ふぅん。そういうのも素敵ね」

 

 

「話が分かるメリーさんで何より」

 

 

「私メリーさん。ナガレに褒められたの、えへへ」

 

 

貰うものに慣れすぎれば、ありがたみだって忘れてしまい兼ねない。

だから、これで良い。

もう充分、これ以上望まなくたっていい。

いつかこの大きな借りを、返す機会がくれば良いけど。

 

 

「────く、っ、……」

 

 

「あっ、ヤバい忘れてた。メリーさん、ちょっと手伝って」

 

 

「私メリーさん。貴方のお望みなら、喜んで」

 

 

その前に、まずは命を救ってくれた恩人に、出来るだけ報いておかないと。

 

 

 

 

 

 

 

_______

 

 

【都市伝説紹介】

 

 

『メリーさん』

 

 

・再現性『B』

 

・親和性『A』

 

・浸透性『A』

 

 

メリーと名付けられた古い外国製の人形が、持ち主に捨てられた事から始まる都市伝説。

電話越しに徐々に迫ってくる恐怖的演出などから多くの類似作、創作が手掛けられるほどに有名。

 

本作では人形ではなく十二歳くらいの少女として再現されている。

親和性からも察せられる通り、再現主であるナガレには非常に好意的。

大きな銀鋏を武器として立ち回り、宙に浮くことも出来る。

 

 

 



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Tales 5【蒼き騎士のセリア】

「あの、大丈夫っすか」

 

 

「……く、アーク、デーモン、は……?」

 

 

「え……見てなかったんすか?」

 

 

「……?」

 

 

どうやら気付かない内に気絶してしまったらしい。

多分、メリーさんの話の途中辺りだろうか。

正直あの時、メリーさんを物語る高揚感に酔ってしまってて、蒼騎士にまで注意を払えてなかった。

 

出来るだけゆっくりと首に手を通して上体を起こそうとして、気付く。

彼女の臍の右側に、酷い傷が出来てしまっている。

 

 

「っ……」

 

 

「……くそ、アイツの爪か。メリーさん、ちょっとこのハンカチ、湖で洗ってきて欲しい」

 

 

「私メリーさん、物を綺麗にするのは得意なの」

 

 

「ん、ありがと」

 

 

ポケットから取り出したハンカチを受け取って、ふよふよと漂いながら湖へと向かうメリーさん。

なんだか再現してから一向、ずっと頼ってばかりで申し訳ないな。

 

 

「……? ねぇ、あの娘は……」

 

 

「……気になるだろうけど、説明は後。傷に障るから、静かにしてて下さい」

 

 

「…………」

 

 

薄目の中でメリーさんの姿を見たからだろうか、気付けば増えていた存在に疑問を抱くのは当然だろう。

 

けど、今は怪我の手当てを優先したいと諭せば、怪訝そうに顔をしかめながらも彼女は静かにしていてくれた。

 

 

「私メリーさん。しっかり洗ってきたの」

 

 

「仕事が早いね」

 

 

「私メリーさん。メリーさんは出来る子なの」

 

 

「はは、全く」

 

 

おっしゃる通り、頼りになる存在だ。

 

ともあれハンカチを受け取り、そっと傷口に当てれば騎士の眉が痛みに潜む。

白い布目が赤く染まる度、痛みに耐える騎士の声が、徐々に安らかになっていく。

 

欲を言えば消毒液とかガーゼとかほしいとこだけど、そこまで高望みは出来ない。

何せ、ここはどこかの森の中の湖畔ってことぐらいしか分からないんだから。

 

 

「染みます?」

 

 

「……っ……いいえ。何ともないわ」

 

 

「嘘が下手ですね」

 

 

「……貴方は上手だったみたいね。アークデーモン、何とかしたんでしょう」

 

 

「いやまぁ、何とかしたのは俺だけじゃなくて、こっちの……」

 

 

「私、メリーさん。初めまして、藍くて青い、蒼き騎士さん」

 

 

「……!」

 

 

突然にょきっと彼女の視界に現れるもんだから、ブルーアイズが氷結晶みたいに固まってしまう。

エメラルドとサファイアの宝石同士が覗き合って一秒二秒、先に動いたのは我等が都市伝説の方からだった。

 

 

「私、メリーさん。貴方のお名前は?」

 

 

「……わ、私は……セリアよ。あの、そういえば……貴女、いつから……?」

 

 

「さっき、俺が能力使って再現した……って言っても伝わんないよね。んーどうしよ」

 

 

「私、メリーさん。セリア、私、メリーさんなの」

 

 

「え、ええと……そう、メリー。メリーね、分かったわ」

 

 

「私メリーさん。私、メリー、さん」

 

 

「あ、あの…………ちょっと、この娘は一体」

 

 

どう説明しようと頭の中を整理してたら、何やらすがるように騎士にくいっと腕を引かれた。

 

あれどうしたのと見れば、今度はメリーさんから反対の腕を引かれる。

そっちは今ハンカチ当ててるから引っ張んないで欲しいんだけど。

 

仕方なくメリーさんの方を(うかが)えば、ジトッとつまらなそうにエメラルドが細くなってて、私は不満ですとばかりにアピールしてらっしゃった。

 

 

「私、メリーさん!」

 

 

「…………あ、なるほど」

 

 

「……何が、なるほどなのかしら」

 

 

「私、メリィ、さぁん!」

 

 

「……ちゃんとメリー『さん』って呼ばないとダメってこと」

 

 

「メリー、さん…………あぁ、そう……」

 

 

いやホント、人間臭いなメリーさん。

 

本音で言えばもっと都市伝説っぽくして貰えると嬉しいんだけど。

 

 

「私メリーさん。分かってくれて嬉しいの」

 

 

にっこりと花開く笑顔を見せられれば、もう何も言うことないか。

 

 

 

────

──

 

【蒼き騎士のセリア】

 

──

────

 

 

 

「【ワールドホリック】……聞いた事、ないわね。その、都市伝説というのも聞いたのは初めてよ。この本、アーカイブ……だったかしら? 魔導書かと思ったけど、中身も違うみたい」

 

 

「……んーまぁ、荒唐無稽な話だって思われるのは仕方ないな。俺だってまだ夢でも見てんじゃないかって気持ちもあるし」

 

 

「……でも、貴方は大丈夫? 異世界……だったかしら。そんな所からたった一人、なのに──」

 

 

「私、メリーさん。ナガレは一人じゃないの」

 

 

「だ、そうです……まぁ、想うことがない訳じゃないけど。挫けてたって仕方ないから」

 

 

「……そう。それと、畏まらなくて結構よ。普通にしてくれていいわ」

 

 

「……なら、お言葉に甘えて」

 

 

ざっと細かい事は抜きにしてあらましを説明すれば、怪我人かつ恩人のセリアに色々と気遣われてしまった。

まぁ、半信半疑ながらも、一応信じてくれてはいるらしい。

 

冷静、というよりはどこか陰りのある所作を感じさせる蒼い騎士は、血で真っ赤に染まってしまったハンカチを抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

「血は止まったけど、あんまり動かない方が良いって」

 

 

「そうも行かないわ。砦に、戻らないと」

 

 

「砦……そういえば、アークデーモンが言ってた砦って」

 

 

「何か、知っているの?」

 

 

サファイアの熱のない眼差しが、言葉を詰まらせる。

あの時、いきなり現れたアイツは確かに、砦が落ちたとか言ってたはずだ。

 

じゃあ、アークデーモンと闘っていたらしいセリアにとって、砦っていうのは……

 

伝えるべきか悩んだけれども、どっちにしろ遅かれ早かれなら、先に教えておいた方が良いかも知れない。

 

 

「……砦、落ちたらしい」

 

 

「──……そう」

 

 

予想していたんだろうか。

セリアの瞳にそこまで動揺の色は浮かばない。

しかし、それでも彼女は足を動かしはじめた。

 

 

「ちょっ、まだ動いたら……」

 

 

「それでも、私は戻らなくてはならないの。国に、ラスタリアに帰らなくては……」

 

 

「ラスタリア?」

 

 

当然聞き覚えはないけれども、それが騎士にとって忠誠を捧げた拠り所の名前だって事は分かる。

 

身体はボロボロ、血は止まったとはいえ満身創痍。

それでも、セリアは止めたって聞きそうにない。

 

 

「……っ……ぐ……」

 

 

「あーもう、頑固な人はこれだから。メリーさん、アーカイブ持っててくんない?」

 

 

「はーい」

 

 

周りの心配とか他所に突っ走るから、逆に心配を掛けてしまう。

そうだったよな、アキラ。

俺の数少ない友達、いつもめっちゃ心配させてたし。

 

心機一転じゃないけれど、俺も少し……アイツの真似でもしてみようか。

 

 

「な、に……ナガレ、貴方……」

 

 

「ほら乗って。けど、乗り心地は保証しないし、ぶっちゃけあんまり早くは動けないかんね!」

 

 

「……貴方だって、怪我してるでしょう」

 

 

「アンタよりマシ。ほら早ーく。ちんたらしてると無理矢理抱えてくけど」

 

 

「……そんな細い腕で?」

 

 

「う、うるさい! 結構気にしてる事言うなって!」

 

 

白状すれば俺は線が細いし筋肉もそんなについてないから、背丈が足りなかったら女にも見えるらしい。

けどやるときゃやるんだってば、信用してよ。

 

ムキになって早くしろとせがめば、セリアはどこか呆れたように溜め息一つを風に溶かした。

 

 

「重いは禁句よ」

 

 

「ぐおっ……ぜ、善処する」

 

 

「…「変な子」

 

 

そう年も変わらないだろうに子供扱いはカチンと来るけど、冷ややかだけどどこか甘い香りと共に背中に乗っかる重みに、それどころじゃなくなる。

 

……ヤバい、西洋甲冑の分の重さをすっかり忘れてしまってた。

 

足痛いし蹴られた腹も痛むし支える為に触れてるふくらはぎはなんか柔らかいし。

けど禁句は口に出来ないし……はぁ、アイツみたいにスマートにはいかないな、もう。

 

 

「……私、メリーさん。ナガレ、私も手伝うわ」

 

 

「や、手伝うったって……結構、その、アレだし」

 

 

「──」

 

 

包んだオブラートではまるで厚みが足りなかったようで、不服を訴えるセリアの両腕の力が強くなった。

別にセリア自体が重いって訳じゃないから良いじゃん、とは開き直れなかった。

 

けど、じわりと俺の額に浮かび始めた油汗を躊躇なくエプロンドレスの袖で拭いて、にっこり笑いながらそっと後ろの方にメリーさんが回った途端。

 

背中の重みが、ほとんどなくなった。

ていうか、メリーさんはアーカイブを器用に頭に乗っけながらセリアの脇に両手を通し、軽々と上半身を持ち上げながら支えていた。

 

 

 

「……えっ」

 

 

「……えっ」

 

 

「私、メリーさん。有名だから、力持ち」

 

 

「……ええと、どういう理屈かしら、それ」

 

 

「……さっき説明したワールドホリックの内容覚えてる? メリーさん、俺の世界じゃめちゃくちゃ有名なんだよ」

 

 

「…………魔法より、よっぽど侮れない力ね」

 

 

「私、メリーさん。どんなもんだい、なの」

 

 

再現性も高く親和性バッチリで、浸透性も凄い、だから彼女自身のスペックも相当凄くなってるって事なんだろうけど。

 

自分より一回りは小さいメリーさんと人間の平均よりやや上程度の俺とでは、腕相撲とか両手使っても歯が立たないのは目に見えるくらいの差があって。

 

なんか、立つ瀬なくないか、これ。

 

 

「…………心意気は、買うから」

 

 

「…………お気遣い、どうも」

 

 

……今日の夜、寝る前辺り、筋トレしよう。

風に擽られてざわめく木々を潜りながら、こっそり溜め息をついた。

 

 

_____

 

【人物紹介】

 

 

『セリア』

 

 

ラスタリア辺境国の女性騎士。

 

身長165cm、年齢20歳。

プラチナブルーの長髪を三つ編みとお団子シニヨンみたくまとめており、前髪は左多めのアシメントリー。

 

モデルみたいな体型で、バストも大きくサイズはD

かなりの美人顔だが、どことなく冷たい印象を受け、あまり人を寄せ付けない雰囲気。

 

物腰は女性的だが、騎士という身分であるものの厳格という訳ではない。

合理的に行動するタイプ。

 

氷の魔法を使える。

 

 



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Tales 6【末恐ろしきはどちら様】

カランと爪先にぶつかった瓦礫の欠片が、荒れ果てた石床を転がる。

外れかけたドアを潜っても、惨状は変わらない。

 

壁に突き刺さったひび割れた剣、半分に折れた槍、樽に纏められてそのまま粉々に砕かれて使われる事のなくなった弓矢の束。

 

激しい闘いの後、負けて出来た傷痕ばかりが至るところに溢れていた。

 

 

「私メリーさん、生きてる人はもう此処には居ないみたい」

 

 

「……そう。ありがとうメリーさん」

 

 

「……生きてる人は居ない、か……」

 

 

森を抜けた先にあるという砦は、もう砦としての機能すら失ってしまった。

 

偵察としての役割を引き受けてくれたメリーさんからの報告に、セリアは静かに頷くだけだった。

 

 

「……これ、まだ使えそうね。こっちも」

 

 

「そういえば、セリアの剣は折れてたっけ。でもあんまり無理に闘おうとかしないでくれよ」

 

 

「貴方に心配されるのは心外だわ。剣もろくに振った事もないんでしょう?」

 

 

「……メリーさん居るし」

 

 

「……冗談よ。とりあえず、ラスタリアに戻りましょう。でも、気を抜かないで。戻りの道中で魔の物に遭遇しないとも限らない」

 

 

「……つまり、いざとなったら俺もって事か。いいよ、腹括る。けど、どうせならもう少し自分を労る人に命救って欲しかった」

 

 

「そう。それは、残念だったわね」

 

 

砦の武器庫らしき場所から、辛うじて無事だった剣の内の一本を手渡されて、大きく息を吐いた。

 

魔物。

それはさっきメリーさんが倒してくれたアークデーモンのような怪物と遭遇するかもしれないって話で、いざという時の為の護身の手段は持っておいた方が良い。

 

この砦に来る前はそこまで深刻にとらえてなかったけど、惨状の重さを見れば誰だって楽観的にはいられない。

剣なんて持ったことないから、予想以上の重さに軽くふらつけば、肩をトントンと叩かれる。

 

 

背後に回るの好きだな、流石メリーさん。

 

 

「私、メリーさん。私の力、信用してないの?」

 

 

「そうじゃないって。もしもの時の保険ってこと」

 

 

「私メリーさん。もしもなんて来させないの」

 

 

「……頼もしいわね」

 

 

自分に任せろ、と愛らしく胸を張るけど、いつの間にか手に持った鋏をジョキンと勇ましく鳴らすのは危ないから止めて欲しい。

でもまぁ、その方が都市伝説のメリーさんって感じがしていいか。

 

 

「……」

 

 

そんな事を思う背後で、シャキンと鉄が滑る音に振り向けば、蒼い騎士が、静かな眼差しで剣の刃を眺めていた。

切れ味とかの確認、という何気ない所作。

 

けれども、その立ち姿が誓いを立てる騎士そのものだと見えたのはきっと。

 

前髪に隠れがちな青い瞳が、静かに、それでいて鋭く細まっていたからだろう。

 

 

 

 

────

──

 

【末恐ろしきはどちら様】

 

──

────

 

 

「噂をすれば、にしてはタイムラグがあるけれど……やっぱり居るわね。ゴブリンの、群れ……面倒な」

 

 

「……ゴブリン、小鬼か。たまにオーガと同一視されてる」

 

 

「……えぇ、そういう事もあるとは思うわ。でも、ナガレ。貴方には魔物の知識があるの?」

 

 

「都市伝説に比べたらほんの少し(かじ)った程度。まぁ、都市伝説の考察してたらファンタジーも多少は絡んでくる場合あるし」

 

 

「……ふぁんたじー?」

 

 

「ちょっと舌足らずな感じ、意外といいよ」

 

 

「からかわないで」

 

 

まさか本当に魔物の遭遇を果たすとは思わなかったが、ゴブリンと聞いて少し安心してしまうのは俺の悪い所だと思う。

 

 

森を抜けた時と同じようにセリアを背負い直して、砦を出てから小さな川を渡……ろうとしたけど背負いながらでは流石に無理で。

纏めてメリーさんに軽々運搬された時は、また一つ男としての尊厳が崩れかけたけれども。

 

とにもかくにも、渡りきった先の先、葉を落としはじめた樹林や背の低い草花が広がる通り道で、そいつらは居た。

 

緑色の荒い肌に耳鼻が独特に伸びたり欠けたり、人の顔に近いのに人とは違うとハッキリ分かる。

あれは魔物だ、間違いなく。

 

 

「……小さな剣みたいなの持ってる。武器を使うのか」

 

 

「えぇ。総数は八。その内、三匹が兜を被ってるわ。魔物の癖に、人の道具を使うのに抵抗とかないのかしらね」

 

 

盛り上がった丘を影にして、何やらコンビニの前にたむろしてるヤンキーみたいに集まってる姿は、正直ちょっと面白い。

しかし、その手に握られた剣や斧にこびりついた血を見れば、失笑さえ浮かばなくなる。

 

セリアの皮肉の冷たさに、むしろ気を引き締めてしまうくらいには緊張していた。

 

 

「……この先、あとどれくらい?」

 

 

「そう遠くはないけど、このまま行けば夜になるわね」

 

 

広く遠大な道を行けば目的地であるラスタリアへと到着するけれども、空の向こうはオレンジ色の夕焼けが頭を出し始めている。

 

夜になればその分、魔物と遭遇した時の危険性が増すから、なるべくここは急ぎたいところ。

自ずと鞘から白光る剣を抜いたセリアが、腰を浮かせた瞬間だった。

 

 

「…………ねぇ。ちょっと、あれ」

 

 

「……ん? え、なっ、メリーさん……!」

 

 

ふよふよとそこらを散歩でもするような軽快さで、一人ゴブリンの群れへと飛んで行ってしまったメリーさんに、俺とセリアの体感ストップウォッチが叩かれる。

 

確かに彼女の存在格は優れているんだろうけど、アークデーモンは背後からの不意討ちがきっちり決まったから勝てたのであって、複数相手ではそう簡単な話にならない。

 

だからセリアも群れが厄介って言ったのに。

弾かれるように腰を上げ、駆け寄ろうとするが……そんな心配など無意味だった。

 

 

「私、メリーさん。鬼さん此方、手の鳴る方へ……って知ってる?」

 

 

「……ギギ」

 

 

「今、お遊戯がしたいの。だからご一緒にどう?」

 

 

「……ギィ、クカカ」

 

 

淑女のお遊戯の申し出に快く応じて、各々の武器を構えてゴブリン達がニタリと笑い、殺到する。

 

その活気ぶりに心を良くした彼女は、嬉しそうに頬を緩めて、あの大きな鋏を手元へと喚んだ。

 

 

「私、メリーさん。さぁ、遊びましょう」

 

 

彼女にとってのお遊戯でも、ゴブリン達にとっては死闘と言っていいかもしれない。

だが文字通り、死んでしまう闘い、という意味だけど。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「……圧倒的、ね」

 

 

「……いや、俺もここまでとは」

 

 

セリアが抜いたはずの剣を再び鞘へと収めたのは、勝負の行く末を語らずとも察せれる行為といえるだろう。

 

最初の一匹を刺し貫いて、その後三匹纏めて首を鋏で断ち、残りの半分がたった一人の少女を相手に逃げ出すところを、バラバラバラ、と。

 

もしかしたら、あのアークデーモンに対して不意討ちしなくても勝てたんじゃないのか。

そう思えるくらいの強さに、流石と言いたい所だけども。

 

どうしてか、さっきからずっと両肩にズシンとした重さを感じる。

あれかな、とんでもない存在を味方にしているって実感が変なプレッシャーにでもなってるのか。

 

 

「正直、あのメリーさんって娘がアークデーモンを葬ったと聞いた時は半信半疑だったけれど……信じざるを得ないわね」

 

 

「……納得してくれてありがとう」

 

 

「御礼を言われても困るのだけど」

 

 

「……いや、多分だけど、都市伝説ってのは人に信じて貰いたいって思うものだから。そっちのがメリーさんも喜ぶでしょ」

 

 

「その都市伝説というモノも、まだ良く分からないけれどね」

 

 

「大丈夫、その内たっぷり聞かせてやるから!」

 

 

「……そ、そう」

 

 

そう引きつった顔をされると、こちらとしても色々見返してやりたくなる。

都市伝説の良さを誰かに語るのは愉しい事だし、その魅力にはまって貰えれば俺も嬉しい、非常に嬉しい。

 

 

と、そこで、また少し肩の重みが増して……ようやく、身体の変調に気付く。

何というか、ダルい。

熱でも出たのかという程に徐々にしんどくなって来る。

 

 

「……ナガレ? どうしたの、顔色が悪いけれど」

 

 

「……いや、なんか急に疲れが……」

 

 

「私、メリーさん。多分、それは私を再現し続けているからなの」

 

 

ゴブリン達を全て塵に還したメリーさんがいつの間にか傍らに寄り添い、申し訳なさそうにエメラルドを伏せる。

 

え、もしかして俺呪われたとか?

どうしよう、それはそれでテンションあがるって言って良い場面じゃないよな。

 

 

「私、メリーさん。私が此処に居るのは、ナガレの不思議な力のお蔭。でも、私はもともと不確かな存在。私とナガレはとても相性が良いみたいだから今まで大丈夫だったけれど、それを現実に縛りつけ続けるのは、とても大変な事みたい」

 

 

「あー……そういや、テラーさんも負荷がどうとか言ってたな……」

 

 

「……つまり、魔力を消耗しているようなもの、という意味かしら。けれど、それは危険よ。魔力の枯渇が巻き起こすのは軽くて気絶。最悪の場合は、暴走するわ。メリーさん、その能力を止めるにはどうすれば良いの?」

 

 

「私、メリーさん。それは多分簡単。ナガレが能力の使用を止めるように意識すれば私は消えるの。私を再現した時と、逆に意識を集中させれば」

 

 

「……き、消える!? せっかく再現したのにか!?」

 

 

冗談じゃない。

せっかく彼女とこうして話せるようになったってのに、消えてしまうだなんて。

いや、俺の身を案じての事なんだろうが、どうしたって惜しんでしまう気持ちが前に出る。

 

しかし、そんな俺の感情を読み取ったのか、少しだけ頬を染めてメリーさんはそっと俺の掌を両手で包み込んだ。

 

 

「……私、メリーさん。大丈夫。ナガレ、ほんの少しの間だから」

 

 

「メリー、さん……」

 

 

「私、メリーさん。いつも貴方の傍に居るの」

 

 

「…………分かったよ。都市伝説にそんな顔させるとか、愛好家として失格だな」

 

 

いつも貴方の傍に居る。

メリーさんにそう言われたのなら、もう従うしかない。

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】」

 

 

あの時と同じように、アーカイブが目の前に躍り出て、独りでに書が開く。

 

彼女とは、一時的にお別れだ。

だが、ずっとじゃない。

 

 

「……私メリーさん。また、すぐに会えるわ」

 

 

「……あぁ。ありがとう、メリーさん──【プレスクリプション(お大事にね)

 

 

脳裏に自然と浮かんだ、再現終了の言葉を紡ぐ。

 

そしてメリーさんはまるで蜃気楼のように薄っすらと風景に輪郭を溶かしていき、やがてその愛らしい姿はどこにも見当たらなくなった。

 

都市伝説、不確かな存在。

けれどもどこか人間味があって、お茶目で、常に俺の味方をしてくれたメリーさんの名残を謳うかのように、優しい風がそっと頬を撫でた。

 

 

「……ナガレ」

 

 

「大丈夫。また、再現するから」

 

 

もう一度、近い内に、絶対。

初めての再現、俺の拙い語りに応えてくれた彼女は、また必ず喚んで見せるから。

 

だから待っててくれよ、メリーさん……と、そんな台詞を寂しげに呟いたところで。

 

 

──プルルルルル

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

あれ、ちょっと待って。

え、もしかしてだけど、この音って俺の着てるジャケットから聞こえてませんかね。

 

恐る恐る着信音を響かせる壊れたはずのスマートフォンを取り出してみれば、非通知着信ではなく、バッチリ『メリーさん』って登録されてる文字が。

 

いやいや、いつの間に。

いやそれ以前にちょっと待って欲しい。

 

 

「……もしもし」

 

 

『私メリーさん。ね? すぐ会えたでしょ?』

 

 

いやいやメリーさんね。言った通りでしょってそんな可愛く言われてもね。

そりゃ会えたのは嬉しいけど。

嬉しいのは間違いないんですけども。

 

さっきのなんかほら、感動的な別れっぽいアレは何だったの。

いつも傍に居るってスマートフォン的な意味?

確かにいつも持ち歩くけど。

 

 

『このオモチャの中、結構広くて楽しいの』

 

 

「そ、そっか。気に入って貰えて……あれ? というか、そもそもなんでスマートフォンの中に……」

 

 

一瞬、再現する時に触媒みたく扱ったからかとも思ったけど、それより閃くものがあった。

手に持ち直したアーカイブを開いて見ると──どうやらその閃きは正しかったらしい。

 

 

─────

 

【依存少女】

 

・命や魂のない物質を依代にして憑依する事が可能

 

 

─────

 

 

 

【背後より来たりて】の下の欄、未提示だった保有技能が、いつの間にか解放されてる。

 

 

「……なるほど。じゃあ、スマホじゃなくても……例えばこの剣とかにも憑依出来るって事?」

 

 

『多分。でも、居心地悪いのはメリーさんもイヤだし、自由に動かせるとは思えないの』

 

 

「……これにも相性があるって訳ね」

 

 

『このオモチャはとっても居心地良いの。でも、一番はナガレの背中。くっついてると安心するの、うふふ』

 

 

これってつまり、メリーさんが人形じゃなくて人間の姿ってのが影響してるのか?

考察してみるに、恐らく再現の時に外国製の人形がなかったのが原因かも知れない。

 

 

『それじゃあ、ナガレ。またね』

 

 

──ツー、ツー、ツー

 

 

いやぁ……これは流石にね、予想出来ないって。

つまりアレかね、スマートフォンをブックマーク的な感じで依り代にしてんのか。

 

なるほど、ほんと便利で助かるけどさ。

 

 

「……うああ、めっちゃ恥ずかしい。なんでもっと早く気付かなかったし」

 

 

「…………ええと、それじゃあ行きましょうか、ナガレ」

 

 

「……あ、おぶらなくても……」

 

 

「もう多少回復したから大丈夫よ……」

 

 

「……そっすか……」

 

 

気を取り直して、なんて簡単に出来たら苦労しない。

なんかさ、セリアだって俺に気を遣ってそっと肩に手を置いてくれてた訳ですよ。

 

シリアスが肩透かし食らったら、もう立つ瀬ないじゃん。

 

 

互いに何とも言えない気恥ずかしさを誤魔化しながら進んだラスタリアへの道は、会話が弾む訳もなく。

 

ただただ微妙な空気に、別の意味で肩が重くなった。

 

 

 

 

_______

 

 

補足『メリーさん』

 

 

【背後より来たりて】について

 

原題のメリーさんのオチから引用された技能。

背後からの奇襲の際、強さに補正が掛かる。

 

 

 

 

【依存少女】について

 

物質を依代にして憑依する能力。

命や魂が介在していない、というのが憑依の条件。

メリーさんいわく、憑依する対象にも居心地の良し悪しというものがある。

居心地の悪いものは短い時間しか憑依出来ないらしく、操作もほとんど出来ない。

 

反対に、居心地の良いものは多少操作をする事が出来るらしい。

メリーさんいわく、ナガレのスマートフォンはかなり快適らしく、スマートフォンから電話を掛けたり、アラームを鳴らしたりする事も可能。

 

 

 

 

 

 



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Tales 7【辺境のラスタリア】

広げた真っ黒な傘を舞台に、深い青のインクを垂らして。

色が溶けたら、その上に、光るイエローのペンでビーズのような点を浮かべていく。

 

幾つも幾つも、飽きるほど、沢山のビーズで着飾った星空は深く澄んで彩られるから、感嘆の息すら出そうなほどに美しい。

 

けれど、その見下ろす国の有り様からすれば、綺麗さが皮肉にすら思えて来る。

 

 

「…………」

 

 

ゴーストタウン。

国というより、それなりの街というくらいの規模とはいえ、そこに人の営みを感じない。

たった一晩、街から人の気配がなくなっただけで、こうも物悲しく、寂寞(せきばく)に陥るものなのか。

 

 

「……セリア」

 

 

「気を遣わなくていいわ。これは『分かってた』事だから」

 

 

「……そう、なのか?」

 

 

「えぇ。詳しくは後。どうやら魔物の気配もないみたいだし、少し街を見て回るわ。ナガレはどうするの」

 

 

「……命の恩人に付いてく。もしかしたら、どっかに魔物が潜んでる可能性だって無くはないだろうし」

 

 

「……そう。分かったわ」

 

 

命の恩人、と強調したのは建前みたいなもんだ。

こんな所で一人置いてかれたってどうしようもない。

 

ゴーストタウン、それも明らかに魔物の襲撃があったらしき後が所々見えるけど、少し気掛かりなのは戦闘の後、という訳じゃなさそうな点。

殴り付けられたみたいに壊れた樽からはみ出た果物、足元に転がる何かの破片達はレンガ、硝子、木材と統一性がない。

 

言うなればそう、八つ当たり気味に散らかされたって感じがしっくり来る。

 

だから、セリアのこの状況は織り込み済みだって発言も関係するんだろうかと察しながらも、それは彼女の口から語って貰えるようなので、その時まで待とう。

 

 

砂利混じりの硝子の屑をブーツの靴の底で踏み鳴らしながら、静止した街並みを感情を灯さず進む蒼い背中を追いかけた。

 

 

────

──

 

【辺境のラスタリア】

 

──

────

 

 

 

「……目敏い奴ら。使えるものは殆ど持って行かれてるみたいね……せめて代わりの鎧ぐらいあれば良かったんだけれど」

 

 

「……とりあえず、色々食料かき集めて来た……火事場泥棒してるみたいであんま良い気はしなかったけどな」

 

 

「……貴方が悪い訳ではないわ。それに、魔物に奪われるくらいなら少しは建設的な使い道をした方が良い」

 

 

「セリアって結構割り切るね。ま、そう言って貰えて助かるけど」

 

 

商店らしき所の倉庫とか、貯蔵庫も恐らく魔物達によって荒らされた形跡はあったものの、奥の方にはチーズやパン、果実などの食品が手付かずだったのは不幸中の幸いか。

 

しかし、セリアとしては壊れてしまった防具の代わりを欲していたようだが、武器屋防具屋などを思い付く限り探してみたけれど、見付からなかった。

 

 

「…………あぁ、疲れた」

 

 

割れた硝子と木屑を払いよけたテーブルに集めた食材を置いて、目の前にある硬そうなベッドに腰を下ろす。

んー……硬いよりも柔らかいベッドのが好きなんだけども、そんな贅沢なんて言ってられない。

 

比較的荒らされた形跡の少ない宿屋に、今晩は一泊するとして。

では明日からどうするか、という話になるのだけども。

 

 

「セリア、この国の惨状が『分かってた』っていう理由、そろそろ教えて貰っていい?」

 

 

「…………そうね。といっても、少しはナガレも察してるんじゃないかしら」

 

 

「…………あー……まぁ、何となく。魔物達の襲撃はあったみたいだけど、抵抗した形跡は見られなかったし。って事は降伏したか……退避したか、じゃないの」

 

 

「……えぇ。大体貴方の想像通り。そして、その退避する為の時間稼ぎとして、あの砦で決死の防衛線が敷かれた。私はその一員だった、それだけよ」

 

 

「…………」

 

 

どこまでも淡白に、もはや無用の長物となったガタガタの西洋甲冑を一つ一つ外しながら、他人事みたいに事情を述べるセリア。

 

元は美しい甲冑であったとしても、こうなればもう不必要だと、切り捨てるみたいに。

ガタンと感慨なく落ちた胸当てが、決死の防衛戦の末路を思い出させる。

 

 

……捨て石。

ラスタリア、その国に住まうものを逃がす為に築かれた石垣。

彼女は、その一つだった。

 

 

聞いておいて、返す言葉が浮かばない。

大変だったな、可哀想に、酷い連中だ。

どれもこれも(おもんばか)るようで、音にすれば軽くなる。

事情も知らない上っ面な言葉では、セリアの感情を逆撫でるだけだろう。

 

 

背を向けたまま、次はガントレットを外し始めた彼女は、黙り込んだ俺の心情を察したのか、再び言葉を続けた。

 

 

「勘違いしないで欲しいのだけど、私は自ら防衛隊に志願したのよ…………貴方がそんな顔をする筋合いはないでしょうに」

 

 

「振り向いてもないのに、どんな顔してるのかとか分かるもんかよ」

 

 

「……そう。なるほど。女の着替えを眺めて楽しい?」

 

 

「!? や、そういう切り返しはズルくないか。というか防具外してるだけでしょ。第一、今日会った男の前で着替える方が問題あるね」

 

 

「…………よくよく考えれば、確かにそうね。それじゃあ、少し席を外すわ」

 

 

肩をすくめつつ、木戸を開けて部屋の外へと向かっていったセリアは何というか、独特なペースをお持ちのようで。

 

そういえば防具を探すついでに、着替えの服も失敬していた辺り、イメージしていた清廉潔白な『騎士』というのと、セリアは大きく違ってる。

魔物の軍勢に踏み入られた自国を散策していた時も、眉を潜めて暗い顔をしてはいたけど、派手に取り乱したりはしなかった。

 

ボロボロの身体を引き摺ってでも国へ帰ろうとしたあの意志は強かったのに、その火も今では成りを潜めている。

 

 

「……」

 

 

食料とか探そうと俺が言い出した時も、あまり良い顔はしないものの、背に腹は代えられないとすんなり割り切るし。

てっきり盗賊の真似事なんて、とか、騎士として恥ずべき事は出来ないとか反論されると身構えていたのに。

 

 

「……割り切ってんのかな」

 

 

あながち間違いじゃないけど、それだけでもない。

 

 

まぁ、今日会ったばっかの相手だし、そこまで深く考えるもんでもないか。

 

ワールドホリックの反動で凝った肩をぐるんと回しつつ、梨みたいな形と色をした果実を手持ち無沙汰に齧りついた。

 

 

お、これうまい。

 

 

「……んぐ…………あ、一応試しとくか」

 

 

のんびりと咀嚼すれば広がる甘味に、頭の片隅に置いてた気になる事をひとつ思い出す。

ゴソゴソと空いた手でスマートフォンを取り出し、真っ暗な画面を薄明かりの部屋の中で見つめる。

 

 

あー……名前呼べば来てくれるのかね。

まぁ、モノは試しか。

 

 

「メリーさん、今いいか?」

 

 

 

──プルルルルル

 

 

 

『私、メリーさん。ナガレ、何かご用?』

 

 

「おっ、ほんとにこの中に住んでるみたいだな。そこ、狭くない?」

 

 

『私、メリーさん。いいえ、むしろ広いわ。何もなさすぎて、広く感じるの』

 

 

「あーなるほど……」

 

 

真っ暗な画面から不意に映り出た彼女は、どうやら喚び出さない限りは、どういう原理かは知らないがスマートフォンの中に居るらしい。

まるでSFの映画に出てくる特殊なAIみたいだけども、感情豊かな彼女からすれば、そこは退屈な場所なようで。

 

せめて壊れてなければもう少しマシな環境だったろうに。

 

 

『私メリーさん。それで、ご用はなぁに?』

 

 

「あぁ、ちょっと聞きたいんだけど、もう一回メリーさんを喚ぶのって、また誰かにあの語り……というか、あらすじを聞かせれば良い訳?」

 

 

『いいえ、その必要はないの。アーカイブを使ってワールドホリックを発動すれば、また貴方の力になれると思うの』

 

 

「へぇ、便利じゃん」

 

 

それなら緊急事態とかでもすぐ喚び出せるから便利だな。

つまり、アークデーモンに語ったあらすじは最初の再現の時だけって事ね。

 

 

都市伝説を誰かに語るのは好きだけども、あんな危機的場面で毎回悠長に出来るとは限らないし、所謂(いわゆる)ブックマーク機能は俺としても大助かり。

 

 

『私、メリーさん。他に聞きたい事はある?』

 

 

「……ん、とりあえず今はいいや。また何か気になったりしたら頼らせてもらうから」

 

 

『私、メリーさん。えぇ、お好きなだけ頼って欲しいわ。ナガレの力になれるのはとっても嬉しいの』

 

 

「はは、ありがと」

 

 

どういたしまして、と液晶の向こう側で手を振るメリーさんも、セリアに負けず劣らず……いやむしろマイペースなのはこっちの方が上だろう。

ひたむきに力になりたいという姿勢に、少し渇きがちな笑みが落ちる。

 

シャリッと歯と歯の間で転がる果実の甘味が、どこか薄くなった気がした。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「……念の為、明日の朝の分も残しておきましょう」

 

 

「俺、朝はあんまり食べない派だから、残りはセリアの分で良い」

 

 

「……そう。食べておいた方が良いと思うけれど」

 

 

「間食で摘まむくらいが俺には合ってる」

 

 

サイズが違うから少し大きめの紺色ブラウスとグリーンのスカート、そんな有り合わせ感が漂う服装に着替えたセリアの物言いたげな眼差しが刺さる。

あぁそうかい、だから男の癖にそんな線が細いのかとか思ってんだろ、悪かったな。

 

 

というか、西洋甲冑を着ている時でも気付けたくらい、セリアってスタイルがかなり良い。

出るとこ出て、引き締まるとこは引き締まってて。

 

特に腰辺りのくびれとか凄いし、テレビとかでランウェイを格好良く歩くモデルとかと遜色(そんしょく)ない。

 

個人的にはゴツい単車とかにライダースーツ着て乗ってたりする絵面とか、滅茶苦茶マッチしそうだと思う。

 

「……」

 

 

とまぁ、そんなセリアに比べれば俺は、かなり……いや、ちょっと、うんちょーっとばっかしヒョロイ体格してるという自覚はある。

 

しょうがないじゃん、昔から飯とかあんまり量食えないんだからさ。

筋トレとかやってるけど筋肉付きにくいし。

 

 

「……ところで、またさっきの話に戻ってもいい? セリアからしたらあんまり良い気はしないだろうけど」

 

 

「……いいえ、問題ないわ」

 

 

別に意趣返しって訳じゃないが、現状の整理の為にも色々聞いておきたい。

防衛線云々のくだりはとりあえず良いとして、明日の行動にも関係すること。

 

 

「セリア達が退避の為の時間稼ぎに戦ってたのは分かったけど……それなら、国の皆は今どうしてる?」

 

 

「……退避先は、隣国のガートリアム同盟国。何事も問題がなければ、そこに居るはずよ」

 

 

「同盟国……いや、正直俺には国の事情とか政治とかよく分からんけど、そんな国中の人間が逃げ込めるほどの余裕あるの?」

 

 

たまにニュースとかで難民問題、移民問題が取り扱われているけれど、まさかこうして俺自身が掘り下げる展開になるとは思ってなかった。

 

腕を組んで首を捻れば、どうやらその懸念はセリアも当然抱えているようではあるが、心なしかまだ端麗な顔に余裕が浮かんでいる。

 

 

「辺境の小国であるラスタリアと違って、ガートリアムはそれなりの規模の王国だし、こういう時の為の同盟でもあるの。だから、ある程度は受け入れる準備が出来ている……余裕があるとは言い切れないと思うけれど」

 

 

「……小国でも国は国でしょ。そんなに規模が違うのか」

 

 

「面積だけで言えば、六から七倍ほどになるかしらね」

 

 

「うわ、七倍……滅茶苦茶デカい国だねしかし」

 

 

「……えぇ、そうね。それに……自国をこう言うのもどうかと思うけれど、ラスタリアが単に小国過ぎるという理由もあるのよ。ラスタリア事態の食物の生産事業が乏しい上に、若い世代がガートリアムに移住したがる、とかそんな事情もあるけれど」

 

 

「……世知辛い」

 

 

「……仕方のない事よ」

 

 

切実な事情を述べられて単純な感想しか出ない俺に、複雑そうな、微笑みとも違う曖昧な表情をするセリア。

田舎の若い人が都心に憧れて上京するようなもんなんだろうけど、そうあっさり言い切れるほど簡単な問題じゃない。

 

 

とはいえ、だ。

 

 

「……じゃあ、明日からはガートリアム行きって事だな」

 

 

「…………えぇ。そうね。少なくとも私はその必要があるけれど……」

 

 

「……ん?」

 

 

これからどうするか、の予定表の空白は最寄りだけ埋まった。

そうと決まれば今日はもう寝ようかとぐぐっと身体を伸ばせば、少し離れた位置のベッドに腰を下ろしたセリアが、また何か含んだ視線を俺に向ける。

 

サファイアブルーの光彩が、貴方はそれでいいの、と問い掛けるように青めいた。

 

 

「……俺の事情、つっても訳の分からない話だったと思うけど。今の俺は予定がほとんど白紙。迷惑かも知れないけど、せめて何かしら埋まるまで、もうちょい付き合わせてくんない?」

 

 

「……フフ、まるで大きな迷子ね」

 

 

「そういう子供扱いはやめて欲しいんだけど。まぁ言えてるとは思うけども」

 

 

「気に障ったなら謝るわ」

 

 

「うむ。ていうか、セリア何歳なの」

 

 

「ちょうど二十歳だけど」

 

 

「………………ちっ」

 

 

「何かしら、今の舌打ち」

 

 

「なんでもない」

 

 

くっそ、二つ上かよ。

子供扱いに関して言い返せないし。

 

変なとこでめんどくさいプライドを持ってることをよくアキラに揶揄されていたので、負けず嫌いな性格の自覚はあるにはあるけど。

 

あーあ、とベッドに仰向けで倒れ、薄暗い天井のシミをジッと睨む俺に、涼やかなセリアの声が届く。

 

 

「……付いて来るのは構わないわ。けれど、ひとつ約束して欲しいの」

 

 

「なにを?」

 

 

「……私を、命の恩人だとするのは貴方の勝手かも知れないけど、それを枷にしないで。第一、私だってナガレに命を救われてるわ」

 

 

「いや、あれはメリーさんが……」

 

 

「同じ事よ。だから……たとえば私が危機に陥った時、庇おうとかはしないで頂戴」

 

 

「…………そういう事か」

 

 

枷、か。

恩には報いる、それは俺にとってなるべく果たしたい事ではあるけども。

それ自体を重荷と感じてしまう人だって居ることを、ちょっと考えれてなかったかも知れない。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

あぁ、うん。

正直、セリアの気持ちは分かるし、俺もそう親友(アキラ)に願った事はあるけど。

 

……はは、そういやアイツ、あの時、俺になんて言い返してたっけ。

 

 

「おやすみ、セリア」

 

 

「──……ナガレ」

 

 

いいや、疲れてるしそのまま寝入ってしまおう。

 

布団代わりのシーツを身体に巻き付けて、耳を塞ぐように、答えを先伸ばすように。

 

 

悪いね、都市伝説好きの変態で少食な上に、偏屈家なもんで。

都合の悪いことは、聞かなかったり流したりする、そういう面倒くさいタイプらしいよ、どうにもね。

 

 

背を向けた俺を、セリアは何も言わなかった。

ただじっと、言葉代わりの視線を向け続けるだけだった。

 

 

______

 

 

【魔物紹介】

 

『ゴブリン』

 

討伐難易度ランク『F』

 

緑色の荒い肌と尖った耳と鼻といった外見をしており、基本的に群れで行動する。

人間と同様に武器や防具を装備している個体もいるが、知性はかなり低い。

 

ランクが示す通り、ゴブリン自体の強さは最下位。

しかしそれはあくまで一個体としての位置付けであるので、多対一の場合、油断は禁物。

 

 



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Tales 8【魔王と呼ばれるもの】

陽射しは目に毒を与えるほど強いのに、不思議と肌寒い。

からりと乾いた初夏の早朝みたいな朝焼けの下で、風を切り裂く鋭利な音がまたひとつ空振る。

 

 

「……精が出るね」

 

 

「……起こしてしまったかしら」

 

 

余計な一言が口を付いて出た。

ほんのりと上気した顔が此方を向けば、朝陽の後輪と藍色髪が重なっている。

 

一体いつから剣を振っていたのか、という質問が喉までせり上がるけれども、それより先に押し出たのは、我ながら呑気な欠伸がひとつ。

 

 

「単純に、環境の変化に身体がびっくりしてるだけだと思うけど。セリアは、もう身体は平気な訳?」

 

 

「万全とはいかないけれど、昨日よりは随分と良くなったわ」

 

 

昨日は途中まで歩くのも大変だったっていうのに、随分早い。

街の薬屋で治癒用の魔法薬が僅かながら残っていたからそれを使ったらしいけど、それでもここまでに快復するのだから、魔法って偉大。

 

 

「あ、それと『これ』……用意してくれてありがと」

 

 

「どう致しまして。少しは移動が楽になるかしらね」

 

 

「現時点でもかなり楽。流石セリア、出来る女は違う」

 

 

「……」

 

 

アーカイブを手に取って運ぶのも地味に苦労していた俺に気を遣ってくれていたらしいセリア。

彼女が昨日の探索の際に、ちょっとしたウエストポーチみたいなベルトを見付けて来てくれた。

 

これをホルスターみたいに使って、背中の腰辺りにアーカイブを取りつければ、歩くのも大分楽になる。

 

 

「んじゃ出発の準備しといた方が良いか」

 

 

「えぇ……けれど、その前に街の井戸で水浴びしてくるわね」

 

 

「あー昨日見つけたとこね、了解」

 

 

魔物が踏み入った後だから井戸とか水路に何かしらされてないかと警戒していたけど、主だった被害がなかったのは幸いだった。

やっぱり結構長いこと剣を振っていたらしく、汗を流してくると一度着替えを取りに宿屋へと向かった背中を歩いて追いかけながら、小さく息を吐く。

 

 

「…………」

 

 

修行の一環、朝のトレーニング。

端から見ればそんな所の、騎士であればやってて特別不思議に思わないことだろうけども。

 

一心に朝稽古を積んでいたセリアの、剣を振り下ろす端麗な横顔。

それはどこか、剥き出しの刃物みたいに鋭く、張り詰めていた印象が残った。

 

 

────

──

 

【魔王と呼ばれるもの】

 

──

────

 

 

 

ラスタリアからガートリアムまでの道なりは歩き通しでも二日は掛かる。

という訳でえっちらおっちら二人旅……もとい、メリーさんを加えたプラスアルファな徒歩の旅は、利便性は少なくても、俺個人はそれなりに満足出来ていた。

 

 

というのも、異世界──セリアが語るに、レジェンディア大陸と呼ばれるこの地には現代に見られない幻想的な自然や生物に溢れている。

夜になると蕾が発光する花々だったりとか、粘着性のある蜂蜜飴を巣と張る蜘蛛だったり、移動1日目にしてお目にかかれた不思議生物を挙げていけば暇がない。

 

 

絵本の中の生き物達が目の前で生活していれば、都市伝説一筋を貫いてきた俺だって心が揺らぐ。

あの生き物はなにとか、あの花はなんだとか、目につくリアルな幻想の名を尋ねる度、セリアが仕方なさそうに説明してくれた。

 

 

まぁ、その代わりと言ってはなんだけど、俺の方も恩返しという名の善意の押し付けとして、色々語らしていただきました。

 

 

「…………ねぇ、ナガレ」

 

 

「なに?」

 

 

「貴方の話を聞けば聞くほど……その、『都市伝説』として語られる存在の定義が曖昧になって来ていると思うのだけど。極論で言ってしまえば、アークデーモンやゴブリンとかの魔物でさえ、都市伝説として解釈出来る気もするわ」

 

 

「……ま、所謂『都市伝説』っていうモノの定義に関してはよく討論されてるけど、こればっかりは個人の解釈が関与しちゃうものだから。一般には【口承される噂話のうち、現代に発祥した、根拠が曖昧かつ不明とされるもの】ってされてるけど」

 

 

「……つまり、地方に伝わる些細な噂も都市伝説として捉えれる、ということ?」

 

 

「……些細な噂だとしても、話し手の他にも同じ話を相当数知ってるんなら、都市伝説って言えるらしいね。例えば、田舎の【朝起きてすぐに鏡を見る生活を一ヶ月続けると、不幸になる】なんて噂が流れたとする。何の根拠も信憑性もないのに、国民の大半にそれが広まったら……もうそれは一種の都市伝説って考えても良いんじゃない」

 

 

都市伝説の定義。

それはそもそも『都市化の進んだ近代社会の側面として、まことしやかに囁かれる噂』という所から始まったのだが、最近ではそれすら曖昧になって来ている。

 

 

例えば『トイレの花子さん』とか、『座敷わらし』とかは、果たして都市伝説なのか妖怪なのか。

 

恐らくこれは意見が二分されるだろう。

どちらも都市伝説として扱ってる題材や創作もあれば、妖怪として扱われているものも存在する。

 

 

『現代を発祥としている』という定義にも、実はかなり曖昧だったりするし。

 

 

座敷わらしの発祥、つまりは元ネタとして民俗学の先駆けである『柳田国男』の『遠野物語』とかが挙げられる。

けれど、それが発行されたのは1910年。

今より百年も昔の話。

 

 

『トイレの花子さん』は、1950年代頃に流行った『三番目の花子さん』が原型である。

今より五十年前が発祥。

 

さて、ここまで来たら近代的、の定義からややこしくなって来るだろう。

 

 

「……なんとも微妙ね」

 

 

微妙だし面倒で定義もあやふや。

怖い話関連じゃなければ結構分かり易いのもあるけど、色んなものが混同して都市伝説という形に落ち着くケースすらある。

座敷わらしとか、実は河童なんじゃね?って説もあったりするし。

 

 

妖怪なのか、民話なのか、都市伝説なのか。

 

はっきりしない。

ややこしい。

 

 

だが……だからこそ、そこが面白いと思うのはおかしいだろうか。

 

 

「そこが魅力なんじゃないの何言ってんの。よくよく考えれば馬鹿らしい話かもしれないのに、時に人の手を加えられて全く別の一面が出てきたりするし、なんでもないちょっとした思い付きで生まれた嘘話や教訓が、ちょっとした伝説になって世に残る! 滅茶苦茶浪漫のある話だと思うだろ!!」

 

 

「……また始まった……」

 

 

ガートリアムへの旅路、二日目の昼下がり。

綿菓子みたいな雲浮かぶ晴れやかな蒼穹とは裏腹に、同じグループの色合いを閉じ込めたセリアの瞳は曇っていた。

 

ほらそんなまたかよ、みたいな顔しないでって。

 

分からないかなーこの浪漫、この不可思議、この蓋を開ければとんでもなく高尚だったり、しょうもなかったりするワクワク感。

 

 

「特にメリーさんとかメジャーな都市伝説は色んな創作によって色んな解釈をされてる訳だ。元は単なる噂話だったり、誤解や妄想の産物が大なり小なりを惹き付ける。時には妖怪、ファンタジーすら巻き込んで語られるスナック感覚の神秘性! それだけのミステリアス! それだけのパトス! あぁ素晴らしき都市伝説、細波 流は都市伝説を応援し続けます」

 

 

「………………はぁ」

 

 

『私、メリーさん。ナガレ、いいぞ、もっとやれーなの』

 

 

「ありがとう、ありがとう!」

 

 

うーん、やっぱり合理的なモノの考えが主導的なセリアには上手く魅力が伝わらないか。

でも馬鹿馬鹿しいと切り捨てられないだけ、まだ温情な方かも知れない。

 

これがアキラとかだったりすれば、あんまりしつこいと問答無用の右ストレートが飛んで来るし。

 

 

「ところで、俺からも質問あるんだけど」

 

 

「なにかしら?」

 

 

「いや、改めて思ったんだけど。ラスタリアに攻めて来た魔物って軍勢だった訳でしょ。つまり、それを率いてる将軍とかボスクラスのやつが居るって事になるよな」

 

 

「……あぁ、そういう事。そういえば、軍勢……もとい、【魔王軍】について説明していなかったわね」

 

 

「……『魔王』か」

 

 

「えぇ」

 

 

まぁ、ファンタジーに来て早々にアークデーモンとか魔物の軍勢とかを知れば、当然その頂点に立つものを想像する。

そして想像通り、魔王と呼ばれるものは存在しており、いわば人類にとっての脅威として君臨しているみたいなのだが。

 

 

「魔王……だなんて呼んでいるけれど、実態は殆ど分かってないの。いつ生まれたか、いつ現れたか、いつから魔王として呼ばれ、いつから魔物達を率いていたか。その全てが不明とされている」

 

 

「全てが不明って……名前とか実力とかすら分かってないのか?」

 

 

「……実力、ね。魔王の元には、魔将軍と呼ばれる魔物達が居るのだけど……どれも破格の力を持つと言われてる化け物揃い。そんな化け物達が付き従ってるだけでも、計り知れない実力を証明しているわ」

 

 

「……魔王に、魔将軍ねぇ」

 

 

あのアークデーモンですら、ソイツらを前にすれば平伏してしまうと続けば、どんだけヤバいやつらなんだよとジトリとした手汗が滲む。

願わくば相対したくない連中だと素直な感想を告げれば、至極当然の反応だと振り向かないままにセリアが答えた。

 

 

……聞いておいてなんだけど、あんまり振って良い話題じゃなかったな。

レジェンディアに住まう人類にとって、軽はずみにチョイスして良い内容じゃないってのは分かったけど。

 

 

「そういえば、ガートリアムって具体的にどんな国?」

 

 

「どんな……そうね、細かい政治形態とかはとりあえず置いておいて……この地域では一番の武器防具店だったり、ちょっとした簡易ギルドだったり……近辺流通の支柱とも言える国だから、とにかく色んな施設があるわね」

 

 

「……まず第一に武器とかが例に挙がる所が、セリアらしいと思う」

 

 

「……失礼ね。心配しなくても、貴族も利用する洋服店とか宝石店も並んでるわよ。貴方も寄っておめかしして来たらどうかしら?」

 

 

「……無一文なの知ってて言ってるだろ」

 

 

「勿論」

 

 

指摘されて怒るくらいなら、最初からもっと色気のあること言えば良いのに。

けど、ちょっとしただなんて形容が入ってるとはいえ、簡易ギルドなんてのもあるのか。

 

流通の支柱ってだけあって、色々賑わってるみたいだな。

少し楽しみ……となる前に、そういえば魔王とか魔将軍とかより俺が今一番問題視しなきゃいけない事を、セリアの発言によって気付かせられる。

 

 

「………………はぁ」

 

 

そうなんだよ、俺は金なんて持ってない。

これは由々しき事態であり、一刻でも早く改善しなくちゃいけない問題である。

 

当然といえば当然だが、このレジェンディア大陸に流通しているのは日本円ではなく、エンスという名前の貨幣らしい。

 

日頃御世話になっている偉人達が、ただの紙切れに成り下がったというのは地味に衝撃がデカかった辺り、俺は小市民だと思う。

 

 

ガートリアムに着いたら、何とかして稼ぐ手段を模索しなければな。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

なんて、世知辛い現実に打ちひしがれてる瞬間すらある種の余裕であったと思い知らされたのは、目の前に広がる幻想世界の現実の凄惨さから。

 

魔王軍と、ガートリアムの騎兵隊。

 

 

剣と魔法、そんな生易しい表現ではまるで物語るに足らない、まさに魔物達と人間達の戦争風景。

 

 

剥き出しの生死が、口を開けて転がっていた。

 

 

(あまね)く広がる大地の上で。

 

 

 

______

 

 

【設定補足】

 

『レジェンディア』

 

縦に長い、トランプのダイヤの形をした大陸で、この世界の総称でもある。

 

 

『ラスタリア』

 

レジェンディア大陸の西端に位置する小国。

小規模ながら騎士団を有している。

北西から南西にかけてアーチ状に広がる『スタリオ連峰』と呼ばれる山脈があり、西側の海域への道を塞いでいる。

 

山脈の一部が鉱山となっており、そこから採掘出来る鉱物が主な資源。

ラスタリア周辺の土は農業に適しておらず、食物の生産力が低い。

 

その為に他国との交易が盛んで、自国以上の規模を有する国との同盟関係もある。

 

 



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Tales 9【ブギーマン】

「怯むな!怯むなァ! 騎兵隊、列を意識せよ! 魔物どもなど()き殺してやれ!」

 

 

「弓兵部隊、構え!! 無理に狙おうなどするなよ、隣を確認し、斉射が面になるよう心がけろ!」

 

 

「魔法隊!! 詠唱完成はまだか!」

 

 

「あと少しです!!」

 

 

「負傷者の数が多過ぎて、救護と治療が間に合いません!」

 

 

「あの化け物どもを止めろ! ガートリアムには一歩も入れるな!」

 

 

「俺の腕……あぁ、俺の腕がァ……」

 

 

「隊長、隊長ーッ!」

 

 

「泣き喚く暇があったら戦え!! 貴様らに投入した1エンス分でも働いてみせろひよっ子ども!」

 

 

 

凄惨であり、壮絶だった。

 

街並みをぐるりと囲った高い壁と出入り口らしき巨大な門。

 

そこより先を鼠一匹すら通してなるかという気迫でもって各人が手にある武器を掲げ、切っ先を恐るべき異形の侵略者へと向ける兵士達。

ある者は勇壮を叫び、ある者は痛みを食いしばり、ある者は戦場の空気に呑まれ、ある者はもう二度と何も語れない。

 

ファンタジー。

そんな生易しい響きが薄ら寒くなるくらいに剥き出しの生き死にが、そこには幾つも幾つも転がっていた。

 

 

 

「……これは……」

 

 

「……魔王軍、やはりガートリアムまで来ていたのね」

 

 

各々の恫喝にも似た叫びが届きそうな戦場から少し離れた丘の上で、セリアが歯噛みしながら紅い花弁が各所で咲いてる戦場を見据えている。

 

多くの黒が散るか、多くの紅を撒き散らすか。

 

 

それぞれの行く末を求めて奪い合う命の悲鳴が、ここからでも聴こえて来るから、脚が震えた。

 

 

「……ラスタリアに来た魔王軍って、こんなに多かったのかよ……」

 

 

百聞は一見に如かず。

(よぎ)った格言はこれ以上となく的確だけど、ありがたみなんて感じない。

 

 

現代に生きてきた十八歳の想像の限界。

 

比喩でなく、人間達と魔物達の、文字通りの殺し合い。

全身を氷河の底に浸けられたかのように、心ごと凍りついたみたいだった。

 

 

「──……っ! ナガレ、そこに居るのよ! いいわね!」

 

 

「せ、セリア!」

 

 

懸命に今尚闘う人々の束の一角で何かを見つけたセリアは、弾かれたように鞘から剣を抜き出しながら、剣戟や魔法の飛び交う戦場へと駆け抜けた。

 

 

駆け出したセリアと、足裏を縫いとめられた様に動けないでいる俺。

 

 

身を置いてきた環境の違いを暗喩されたみたいに、蒼い背中が遠くなった。

 

 

 

────

──

 

【ブギーマン】

 

──

────

 

 

「はァァッ!!」

 

 

薄く研ぎ澄まされた刃面で、青色の分厚い首をハネれば、呪詛を歌うかのようなオークの紅い目と、目が合った。

 

文句なんて言われる筋合いはない。

お互い様でしょう、殺し合いなんて。

 

黒灰に還るだけの末路にも割いてやる興味関心なんてもったいないと言わんばかりに、冷たいサファイアブルーが次を向いた。

 

 

睥睨する先。

ベトリと血に濡れた鉤爪を剣に押し付けて、ボロボロの身ながらも抵抗する西洋甲冑を着込んだ騎士を追い詰めているワーウルフ。

マズイ、このままでは彼が押しきられる。

 

 

「『凍る世界で伸ばした爪は、あらゆる色に艶光る』」

 

 

剣先を下げ、一目散に駆け寄りながら、唇を湿らせる。

 

 

「『水面映える染まりやすいプリズムを、退屈しのぎにどうか削って』」

 

 

 

魔力で編んで、言葉で編んで、唱えるのは氷精の槍。

セリアの前髪に、青光るダイヤモンドダストがどこからともなく舞い落ちる。

 

標的へと指差した右の手は、場違いにも美しく。

ダンスへと誘う貴婦人の、手を差し出す所作とよく似ていた。

 

 

「……【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)】!!」

 

 

白んだ爪の先から、青い魔法陣が展開され、そこから鋭い氷柱針が弾丸みたいに撃ち出された。

 

セリアによって唱えられた氷精の魔法弾が、ワーウルフのがら空きだった横っ腹に深々と刺さり、狼の目が苦悩と驚愕に見開かれる。

ぐらりと弾丸を浴びた勢いのまま横に倒れ、黒ずんで、ワーウルフはサラサラと死の灰へと姿を変えていった。

 

 

「っ、ぐ……おめぇは、セリアか!?」

 

 

「ラグルフ隊長。御無事ですか」

 

 

身体の至るところに傷を作りながらもワーウルフの剛力と拮抗していた短い茶髪と無精髭が特徴的な騎士は、セリアにラグルフと呼ばれ、その厳めしい顔は驚きに染まっている。

 

どうしてお前が此処に居るんだ。

 

言葉にされなくとも伝わる透明な文脈をセリアは読み取るが、そんな経緯を朗々と述べている状況じゃない。

 

 

「……また死に損なったってか?」

 

 

「えぇ、ある者に救われました」

 

 

「…………悪運の強いことで」

 

 

ラグルフという騎士の顔は、セリアの生還を歓迎している、という訳ではなかった。

折っていた膝を伸ばし、ワーウルフの爪に少し削られた剣を肩に担ぎながらの、皮肉めいた言い回し。

 

もう馴れたし、それこそ皮肉屋な彼らしいと言えた。

それ以上の感想もないまま、セリアは静かに戦況を眺める。

 

 

「……」

 

 

ラスタリアとガートリアムの混成部隊と魔王軍。

旗色が悪いのかは、今のところ此方側。

 

 

「……ガートリアムの騎兵隊。数が少なくありませんか」

 

 

「騎兵隊の本隊はエルゲニー平原方面で別の魔王軍とやり合ってる。向こうの数はこの何倍かって話らしい」

 

 

「……では、援軍は期待出来ませんか」

 

 

「……少ねぇ手札にブツクサ文句垂れてる場合じゃねぇぞ。おい、セリア。本来なら『死にたがり』の世話なんざゴメンだが、特別だ。俺の部隊に入れ、魔物のクソ共を押し返すぞ」

 

 

「……了解です」

 

 

剣を目前へ掲げ、簡易的な了承の合図をセリアが返せば、ラグルフは散り散りに展開させざるを得なかった部隊の状況を確認する。

 

ガートリアムの騎兵隊と比べれば練度も圧も未熟ではあるが、それでも数は数、戦況を打開する一手を何か打てるかも知れない。

 

 

だからこそ、まずは状況を確認しようと辺りを見渡した時だった。

 

 

 

「…………は? おいおい、なんだありゃ」

 

 

金色の美しい髪をたなびかせ、あまりに場違いは甘い微笑みと風貌を振り撒きながら、魔物達を一つ一つ、葬っていく名も知らぬ遊撃手。

 

ゴシックドレスと大きな銀鋏。

バスケットにパンをつめてピクニックにでも出掛けているのがお似合いな幼き少女が、魔を祓い灰にしていく。

 

そして、その傍らで真っ青な顔をしながら戦場を見回りしている、線が細い黒髪の青年との組み合わせが、余計に目を引く。

 

 

 

「ナガレ……」

 

 

「……おい、あの良くわからん連中…………おまえの知り合いだったりすんのか」

 

 

良くわからん連中、確かにそうだ。

どこからどう見ても愛らしいだけの金髪美少女と、端麗ながらもゲッソリと血の気が失せてる長髪の青年の組み合わせ。

 

そんな意味の分からない二人組が、というより鋏持ってる金髪美少女が、何故か魔物を片っ端からぶっ倒している。

彼らを知らないものからすれば、良くわからんとしか言い様がないだろうけど。

 

 

「……私の命の恩人達ですよ」

 

 

「……はあ?」

 

 

そして、私は彼の命の恩人らしいです。

 

彼らを唯一知る者は、そんな事を宣っていた。

 

ラグルフの見たことのない、複雑そうな微笑みを浮かべながら。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「ひぃっ!? ちょ、いま矢が(かす)ったって! 危うく落武者みたいになるとこだったって」

 

 

「……私、メリーさん。ちょっとあのやろーのおイタを叱って来るの」

 

 

「あーいや待ってメリーさん! 多分わざとじゃないから! 今のあれだ事故事故! だから鋏ジョキジョキ鳴らしながら向こう行かないでってば!」

 

 

「むう、あのやろーの顔は覚えたの。月のない夜が楽しみ」

 

 

「……さらっとゴブリン倒しながら怖い事言ってるし」

 

 

ゴブリンの肩から脇まで両断した鋏をジョキンと鳴らしながらお口が悪くなられてるメリーさん、どうやら俺に対する誤射未遂にご立腹らしい。

 

その得も知れぬ恐怖感は都市伝説っぽくて大変宜しいんだけど、ちょっとシャレにならない。

 

 

「ちっくしょう、セリアのやつ……あんなとこでほっとかれても困るよこっちは!」

 

 

「私メリーさん。素敵な角ね、お遊戯用におひとつ頂戴?」

 

 

「ギィアッッッ!!」

 

 

「あら。角まで一緒に消えちゃうなんて、残念なの。バイバイ」

 

 

一人戦場に駆け出して行ったセリアに遅れること続いた結果、あっさり彼女を見失った俺はメリーさんに守られながら戦場をさ迷っていた。

 

いやね、こんな小さな娘に守られてる絵図はなんとも男が廃ってるけどね、無理だから。

ちょっと喧嘩馴れしてるだけの高校三年生が勇ましく戦える戦場じゃないから。

 

そして俺の守護神ならぬ守護伝説は児戯を楽しむかのように襲ってくる魔物をバッタバッタとぶっ倒してる。

 

 

ホント強いなメリーさん。なんかヤギ顔の悪魔の角が手に入らなくて残念がってるけど。

 

 

 

「…………大分攻め込まれてるっぽいなこれ」

 

 

 

ガートリアムへの侵攻を防衛する兵隊達の奮戦ぶりは確かではあるものの、それでも魔物達の勢いを防ぎ切るのは難しい。

 

戦術もない突貫を繰り返すだけの暴力。

けれどもそれは愚かしくも怒涛で、魔の者の激流に押し潰された兵士がまた一人、俺の視界の隅で地を這った。

 

 

「デカイ国なら、戦力の規模もデカイって訳じゃないのか!」

 

 

つい荒っぽい語気になりながらも、とりあえずあの蒼い騎士を探そうとあっちこっちをちょこまか移動しつつ、落ち着けない目線の中で──ある光景が定まった。

 

城壁の上、弓兵が長弓を振り絞る通路の、ある一角。

 

 

壁を背に、小さな女の子を胸に抱きながら震える白髪混じりのお婆さんと、二人を守るように剣を構えてる若い男の兵士。

 

 

「──ま、マズイぞあれ」

 

 

そして、その絵図を前にして愉快そうに翼を揺らす、青い肌の……悪魔。

あのアークデーモンとは違う種類ではあるものの、少なからず脅威的な存在であるのは変わらない。

 

遠目ながらも、悪魔と対面する兵士の緊張と絶望が伝わってきそうだ。

 

 

……メリーさんじゃ、間に合わないかもしれない。

 

前と状況が違う、再現してもあの悪魔の真後ろに現れる怪奇現象まで、発生してくれるかどうか。

スマートフォンだってジャケットのポケットの中。

 

 

どうする。このままだとヤバい。

なにか手はないか。

打開策を思い付ければ。

 

 

 

『テラー……それが私の名前な訳だけどね。いっそ"ブギーマン"とでも名乗った方が良かったかな?』

 

 

 

「……! 一か八かだ!【奇譚書を此処に(アーカイブ)】!」

 

 

 

一か八か、神頼みじゃないけれど、賭けてみよう。

 

あの、お婆さんの腕の中で震えている女の子の──"恐怖"の感情に、賭けてみよう。

 

 

 

「【彼には、如何なる特定の外観もないとされる】」

 

 

時間がない、手短に語る。

再現性は乏しいし、親和性もあるとは言い難い。

けれども知名度は"世界規模"の、都市伝説。

 

 

 

「【同じ地域の同じ近所であっても、家ごとによっては全く別の姿形で信じられていることもある。不定形の恐怖が実体化した者。恐れられるべき者】」

 

 

「私メリーさん。ナガレ、同時再現は危険。誰かを喚ぶなら私を還して欲しいの」

 

 

「──ッ、了解。メリーさん、【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

メリーさんの言葉を鵜呑みに彼女をスマートフォンへ還し、すぐさま語りの続き。

 

ヤバい、外壁の上の兵士の剣が折られた。

不安がってる場合じゃない、一刻も早く。

 

 

「【そして彼は、いかなる形を持たないのに、子供達の心に住んでいる。だから、言うことを聞かない子供には、親が教訓として、彼の存在を物語る】」

 

 

イメージする。

外壁の上、悪魔の冷笑と共に振り下ろされる豪腕を防ぎ立つ、悪魔に勝るとも劣らない怪物を。

 

悪い子供を見付けては、どこからともなく現れる。

広き世界を渡り歩き、子供達の心を脅かす。

 

【恐ろしき幽霊】の名を関する、悪戯好きな伝説。

 

 

 

「【悪い子供は、ブギーマンがさらいに来ると】」

 

 

 

再現開始。

 

 

 

「【World Holic《ワールドホリック》】」

 

 

 

 

____

 

 

【魔法補足】

 

 

アイシクルバレット(爪弾く氷柱)

 

「凍る世界で伸ばした爪は、あらゆる色に艶光る

水面映える染まりやすいプリズムを、退屈しのぎにどうか削って」

 

下級氷精霊魔法

 

展開した魔法陣より、鋭く尖った氷柱の弾丸を放出する。

セリアが得意とする魔法の一つ。

中距離のレンジからでも下級ランクの魔物なら有効打となりえるので、汎用性が高い。

 

 

 

 



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Tales 10【オーバースペック】

恐いよ、助けて。

 

ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。

 

パパはいっつも悪い奴らをやっつけてくれる格好いい騎士さま。グリフォンの子供だって倒した事もあるくらい、とっても強い自慢のパパ。

 

そんなパパの活躍を見てみたいと思い付いた。

 

見に行っちゃダメって口うるさいお婆ちゃんの言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。

 

 

青い青い悪いやつ、みんなを困らせる悪いやつ。

追い付いたお婆ちゃんに抱き締められながら、震える私をニヤニヤと見つめてる。

助けに入ってくれた兵士さんの首を絞めながら、悪いやつが笑ってる。

 

 

 

わたしのせいだ。

 

こうなったのは、わたしがお婆ちゃんの言うことを聞かなかったからだ。

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

悪いのは、わたしです。

 

そんな事を、思った時だった。

 

 

【悪い子は、どぉこかなぁ? キヒ、キシシ】

 

 

まるでお耳の中から聞こえてくるような、ヘンな声。

男の人と女の人の声が、重なってお話してる。

こわい。なにこれ、誰なの。

 

 

【悪い子は、どーこーかーなぁ?】

 

 

悪い子を探してる。

 

キヒヒって笑いながら、悪い子を探してる。

 

いやだ、いやだよこわいよ。

助けてパパ、助けてママ。

 

もうワガママ言わないから、この声をどっかにやってよ。

 

 

【悪い子は────】

 

 

もう、悪いことしないから。

お野菜残さないから、夜は早く寝るから、お婆ちゃんの言うこと聞くから。

 

だから、助けて。

 

 

【お前だろうがよ、おちびちゃん】

 

 

目を開けたら、青くて悪いヤツはもういなかった。

 

けど、もっともっと恐いやつが、お婆ちゃんの腕の中で震えていたわたしをジーッと覗き込んでいた。

ギョロギョロっとした緑色の目と、目が合う。

 

 

【見ーつけたぁ……キヒヒ、キヒヒヒャハハハ!!】

 

 

 

────

──

 

【オーバースペック】

 

──

────

 

 

 

 

ブギーマン。

 

一説にはスコットランドが発祥の地とされているけれど、今やヨーロッパやアメリカの広い地域で親しまれている民間伝説。

 

創作は勿論、映画にも彼をモチーフとしたキャラクターは多く登場するし、日本でも知られているぐらい、子供の(しつけ)話として浸透してる。

 

日本では『悪い子はいねぇがぁぁぁあ!!』でお馴染みの【なまはげ】と性質が似ているといえば、概要を想像し易い。

 

大人たちが語る、眠れなくする子守歌。

悪い子のところには、ブギーマンがやってくる。

ベッドの下から、クローゼットの中から、怯える心の闇からやってくる怪人。

 

例えば外壁の上にいる少女の恐怖心から、その異形は現れたりとか。

 

かくして再現は果たされて、その世界規模を誇る知名度の怪人は、青いアークデーモンを一撃の元に葬りさってくれた訳だけど。

 

 

「……っ!!!」

 

 

ドクン、と心臓がけたたましく騒ぎ立てる。

 

壁の上から聞こえる少女の悲鳴や兵士の狼狽と、ブギーマンの狂ったような哄笑(こうしょう)に冷や汗が止まらない。

 

メリーさんの時とまるで違う、肌にペンキを塗りたくられたような息苦しさと嗚咽感。

ぐわんと鈍い色の波がユラユラと視界を揺らして、膝をつく。

 

なんだこれ、気持ち悪いってレベルじゃないぞ。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

口調だけでいえば男にも思えるが、上下が本来の逆さまになっている気味の悪い仮面を被った者から発せられる声は、男女両性の二重奏だった。

顎に目、額に口。

 

 

明らかに人間のものではない黒い鱗肌。

 

痩せた身体にボロ絹の布をグルグルと巻き付けた長身を折り曲げて、肉などないのではと思うほど細くて長い手足を震わせる。

 

その両腕の先には、腐った血がカビみたく張り付いた鉤爪(かぎつめ)、しかも先端がどれもドリルみたいにネジれていた。

 

 

【恐いかい、恐いかい? いけないね悪い子。キヒヒ、けれどしかしうん全くもって、"これ"は気に入らない】

 

 

悪魔が悪魔を葬って、それで助かったと安堵出来る相手じゃない。

アークデーモン相手に対峙していた正義感の強いガートリアムの兵士にとって、むしろアークデーモンより余程この怪人の方が恐ろしかった。

 

怯えながらも泣きじゃくる少女と、恐怖のあまり意識を手放してしまった老婆。

そして自分はといえば、ガチガチと身体の芯から震えるのを抑えるのが関の山。

 

 

「ひっ、ぅ……あ、な、なんだお前は……なんだお前はぁぁぁあ!!!」

 

 

【悪い子が恐れるべきは、俺自分私僕だよそうなんだよアヒヒ、キキィ──あんなやつらに浮気かい? 傷付くなぁ傷付くなぁ、胸が痛いからさぁ】

 

 

少女の不幸は、意識を手放さなかった事だろう。

 

ブギーマンの付ける仮面の真ん中、本来鼻であるべき場所を丸い円の形にくり貫かれたそこから見えるものを見てしまうから。

 

顔の中心にあるらしき、大きな大きな緑色の一ツ目の眼球。

彼が哄笑する度にガクガクと揺れる不気味なそれが、静かに、壁の外へと向けられた。

 

 

【まずは、君の浮気相手にオシオキして来るとするよ。その後は、お嬢ちゃんの番だね……キヒヒッ、どうかお楽しみに!! グヒッ、クカカカ、キヒャハハハ────】

 

 

悪魔を押し退けて、地獄の悪夢がやってきた。

 

ただそれだけを理解出来た兵士は、外壁を飛び降りたが為に視界から居なくなった瞬間、その場に腰から崩れ落ちた。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「……何が、起こってるの……」

 

 

「……おいセリア、いつから人間側はあんな化け物に手助けされるようになったってんだ? 俺の目が確かなら……あの訳わかんねぇのが、魔王軍を蹴散らしてるように見えるんだが。しかも、【人間】を避けつつ、だ」

 

 

戦況は、より一層の混乱に陥っていた。

しかしそれは混戦という意味ではなく、まさしく混乱。

目の前で繰り広げられる怪人の一騎当千に、兵士達はひたすらに困惑していた。

 

 

長い四肢を蜘蛛のように動かし、その捻れ鉤爪の両腕で魔王軍の雑兵を塵へと返すあの黒い鱗の集合体は、一体なんだ。

 

見れば分かる、化け物だ。

おぞましい外見をした、辛うじて人の形を留めてるだけの怪人だ。

 

ソレが奇声を挙げながらゴブリンを貫き、オークを()ね飛ばし、ワーウルフの鎧を砕き、リザードマンの身体を引き裂いている。

人間など見向きもしない。

視界にすら入ってない、道端の石ころみたいにその化け物の意識に介在してない。

 

それが何より恐ろしいのに、それが自分達が救われている唯一の理由だとすれば、混乱するのも無理はないだろう。

 

 

「……だが、これは好機だぞ。とりあえず分かってんのは、あの面妖なイカレ野郎は今のところ、俺達の敵じゃない。勢いに乗るなら今だ」

 

 

「っ、しかし……」

 

 

「なんだよ、死にたがりが一丁前に恐がってんのか? 分かれよ、援軍が期待出来ない状況なんだぞ……そら見ろ、騎兵隊の連中はもう動き出してる」

 

 

「……」

 

 

「……今、俺達ラスタリアの立場が"弱い"事くらいお前にも分かるはずだ。だからこそ俺達が少しでも戦果をあげておく、それが『姫殿下』のお力添えとなる……隊を動かすぞ、付いてこい」

 

 

 

ラスタリアの騎士、ラグルフの言うことは大胆かつ豪胆ではあるが、決して間違いではなかった。

本隊を欠いたガートリアムとラスタリアの騎士団を合わせた防衛軍は総数でも魔王軍に劣っているし、急造の軍では連携も上手くいかない。

 

援軍も期待出来ないし、この魔王軍を招いてしまった立場であるラスタリアとしては、少しでも多く手柄が欲しい。

 

 

だからこそ、この機会は紛れもないチャンスと見るべき……セリアにも、それは理解出来た。

 

 

──しかし。

 

 

「……ラグルフ隊長、お願いがあります」

 

 

セリアには、心当たりがあった。

あの不可解かつ超常かつ歪な者を再現した人間。

彼は、今どこに居るのか。

確かめなくてはならなかった。

 

あれは本当に、味方と考えて良いのかと。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「ハァッ……ハハ、凄いなワールドクラスは……けど、やっぱりこれ、マズイよな」

 

 

心臓が叫んでる、アレはヤバいと。

アレは多分、俺が御せるような存在じゃない。

規格外過ぎる、明らかなオーバースペック。

 

流石は今もなお世界に親しまれ続ける民間伝説だってはしゃぎ回りたい気分は山々だけど。

 

 

「ぁぐ、ぅっ!」

 

 

肩の荷が重いなんてもんじゃない。

立つ事すらキツイ、膝をつくのがやっとだ。

ガンガン釘打つような頭痛と目眩の中で、この現象に対して辛うじて出来た考察を並べてみる。

 

 

まず、再現性はそこまで問題ないと思う。

ブギーマンは本来夜眠る時に、クローゼットとかベッドの下とか現れるタイプだけど、何より大事なのは子供の恐怖心。

最低限はクリア出来てる。

 

 

「ぜっ……はぁ、ふぅ……」

 

 

 

次に浸透性と都市伝説か否か。

 

まぁ浸透性は文句なしだが、都市伝説……というより昔から伝わる民間伝説としての要素が強いから、これはどうとも言えない。

けど魔王軍を蹴散らすくらいの強さだから、これもまだ問題ないと思う。

 

 

「っっ、クッソ、頭痛ヤバいなもう……吐き気してきた」

 

 

で、最後に親和性。

 

多分これが最悪な気がする。

日本人云々もあるけど、ブギーマンの個性や俺との相性がとんでもなく悪いんだろう。

 

現状の頭痛とか目眩とか動悸とかを考えれば、これが最悪なんだって考えに簡単に至れる。

ぶっちゃけメリーさんが天使か何かに思えるくらい、体調がボロッボロになってないかこれ。

 

アーカイブを開いてみればすぐに分かる事だけど、そんな気力すら粉々にされた。

 

 

 

「…………」

 

 

遠くの方から届いた兵士達の勇ましい咆哮と衝撃音に、重たい頭をなんとか上げる。

ガートリアムの外壁の近くから眺める戦場は、先程の戦況とはまるで変わっていた。

 

 

明らかに狼狽している魔王軍の魔物たちを倒しまくってるブギーマンと、それに乗じるように騎馬を走らせる騎兵隊と、騎士の軍団。

 

うん、多分このままならいける。

目に見える速度で数を減らしていく魔王軍も、雑兵がブギーマンに恐れ(おのの)き逃げ始めたせいか、瓦解し始めた。

 

戦況は一気に人間側に傾いてる。

 

あともう少し、あともうちょい粘れれば……

 

 

「……っ、居た。ナガレ!」

 

 

「……せ、セリア? アンタ……どこ行ってたの。散々、探した、ってのに」

 

 

ザクザクと土を蹴る音の方に顔を向ければ、さっきまであちこち探し回っても運悪く見つけれなかったセリアが、俺に駆け寄って来る。

 

その額には小粒の汗がちらほら。

どうやら相当走り回っていたみたいだけど。

 

 

「ぐっ、なに、どしたの……」

 

 

「なっ……どうしたのはこちらの台詞よ。貴方こそ、何をしてるの。顔、真っ青じゃない」

 

 

「……セリアの髪とどっちが青い?」

 

 

「バカ言ってる場合……っ! 教えてナガレ、あの四ツ足は貴方が喚んだの?」

 

 

つまらない冗談を一蹴しながら、彼女はフラフラの俺を力強く抱き寄せて、自分の身体を支えに楽な態勢を作ろうとしてくれる。

淡白だけど、結構お節介焼きな所あるねこの人。

なんて冗談、挟んだらもっと怒られるな。

 

 

「四ツ足……あぁ、うん。ブギーマンって、言う、んだけど……ちょっと、相性悪いっていうか……」

 

 

「相性……親和性がどうとかの話? それで貴方が苦しんでいるの?」

 

 

「……みたい。詳しくはまだなんとも」

 

 

「なら止めなさい、今すぐ」

 

 

表情そのものは普段の彼女と然程変化はないように思えるのに、静かな中に迫力があるというか、もしかして怒ってないかこれ。

 

セリアの立場からしたら、防衛軍の優勢は歓迎したい状況のはずなのに。

薄い唇は固く結ばれていて、それがまるで叱られてるみたいに思えてしまう。

 

 

「……や、あともうちょい……今ブギーマン還したら、せっかくの勢いが……」

 

 

「……いいえ、もう充分。それに貴方がそんな心配する必要なんてないわ」

 

 

「……」

 

 

まぁ、本来無関係だからセリアの言うことももっともだけど。

突き放すような物言いなのに、声色はだいぶ柔らかい。

 

ちらり、と霞み始めた視界で戦場をぼんやり眺めれば、確かに勢いに乗った防衛軍が魔王軍をどんどん追い返している。

 

これなら、もう大丈夫……だろうか。

なんかセリアに少し心配かけたみたいだし、潮時だな。

 

 

「……ブギーマン、悪いね」

 

 

再現したばっかなのに、こっちの都合で打ち止めにする身勝手を口のなかで転がせば、つまらなそうに舌打ちされたような感覚が伝わる。

テレパシーじゃないけど、多分ワールドホリックによって俺とリンクしてるから、伝わるものがあるんだろうけど。

あーもう、せめて一言ぐらい会話してみたかった。サインも欲しかったし。

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】」

 

 

ま、こんな調子じゃ色紙を破り捨て去られんのがオチか。

 

 

「……【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

唱えたお別れの合図。

置き土産とばかりにブギーマンの不満げな気配が、申し訳なさに拍車をかける。

 

せめて親和性がもうちょいマシなら良かったのになぁ。

 

 

「ナガレ……ナガレ?」

 

 

「…………あー……ごめん、もうムリ」

 

 

 

ブギーマンを還した途端、吐き気や頭痛は徐々(じょじょ)に収まっていったけど、今度はとんでもなく瞼が重い。

 

これはちょっと抗えそうにないなと、セリアの腕に頭を預けたまま、ワールドホリックの反動に身を委ねる。

気絶するように眠るとはこの事なのかも知れない。

 

そんな楽観を眠りの海に沈めていけば、耳元で盛大な溜め息と、少し時を置いて身体が持ち上げられる感覚。

 

 

 

……なんか恥ずかしい目にあってる気がするけど、まぁ、いいか。

 

 

 

_______

 

 

【都市伝説紹介】

 

『ブギーマン』

 

・再現性『D』

 

・親和性『E』

 

・浸透性『S』

 

 

子供の恐怖心をベースに再現した、まさに最凶クラスの都市伝説。

世界各地で今も創作の対象になったり、膨大で多肢に渡るルーツを持つ事から、最高規模の浸透性を誇る。

しかし、親和性が絶望的に低い。

 

緊急の再現だった為に再現性も低い。

その影響で本来の能力にペナルティを受けているのだが、それでも充分過ぎるほどの殲滅力を有している。

 

人間に危害を加えないようにナガレが死に体になりながらブギーマンを抑えなければ、より一層の地獄絵図となっていた。

 

捻れた矛先の様な手足を蜘蛛のように這わせて、対象を次々に串刺しにしていく。

戦闘力だけで言えば、メリーさんすら凌駕する存在と言えるだろう。

 

 



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Tales 11【ラスタリアのテレイザ姫】

宝の地図のように丸めた紙を脇に、願掛けついでにギザギザの十円玉を握り締めて、残念ながら十四段しかない階段を駆け上がる。

 

 

射し込んだサンセットに染まる廊下を、上履きの音が落ち着きなく乱反響。

ブレーキをかけるように滑り止めたアクリル床の小さな埃が舞い上がって、夕陽を浴びてキラキラと光った。

 

 

空き教室への扉を開けば、柄悪く制服を着こなした噂の同級生達が、なんだなんだと眉間に皺寄せて俺を睨んだ。

 

 

『……大河アキラって居る?』

 

 

『……何だお前』

 

 

『うおデカッ……えーと長身に、赤い髪……うし、聞いてた通りの強面だなっ』

 

 

『…………本当になんなんだお前』

 

 

『……あっきー、こいつアレだよ。C組の変人』

 

 

『……変人?』

 

 

『あーそうそう。オカルト好きの変態って噂のイカレ野郎だとか』

 

 

校内一の不良と名高い大河アキラと、友達らしき友人がそれぞれ男女で一人ずつ。

 

いかにも訝しそうに眺められつつ、軽く息を整えながらつかつかと不良グループの近くに歩み寄り、テーブルの上に丸めていた長紙を広げた。

 

 

オカルトだったら何でも良いって思われてるのは心外だけど、一応頼み事をしに来た訳だし、訂正させるのは後で良いや。

 

 

『おい変人、てめぇ何しに──』

 

 

『細波 流。これ俺の名前ね。まぁ別に変人でも良いけど、事実だし。そんな事より、ちょっと協力してくんない?』

 

 

『……はぁ? おいこら変人、いきなりなにナメたことをほざいてんだ。つか、お前…………なんだ、どっかで……?』

 

 

『……ん? あ、これ……【こっくりさん】とかゆーやつじゃなくね?」

 

 

『え、あ、ホントホント。えぇなにー? 変人、まさかウチらとこっくりさんやりったいって事ぉ? うっは、意味分かんない』

 

 

『察し良いね、写メ娘。話が早くて助かる』

 

 

『誰が写メ娘か』

 

 

スマホをポチポチ弄り、何故かテーブルの上の長紙を写メしつつケラケラ笑って女子は実に察しが良い。

 

では早速本題に入ろうと、何か不思議そうな顔で俺を見てる大河アキラの前に立ち、いざ。

 

 

『みんな、結構怖がって一緒にやってくんなくてさぁ。学校一の不良グループなら、ビビる心配もないだろうし』

 

 

『……おい変人、まさかマジで俺達と』

 

 

『そそ。こっくりさんやってみたいから手伝ってくれ、大河!』

 

 

後の親友との、初めましての事だった。

 

 

 

 

────

──

 

【ラスタリアのテレイザ姫】

 

──

────

 

 

 

懐かしい夢だと思う。

まるで死に際の走馬灯みたいで嫌だけど、同時に懐かしさからつい頬が緩んだ。

 

 

「んん……っ、くぁぁぁ……」

 

 

濁った泥みたいな意識が、鮮明な白幕に晴れていく。

寝かせていた上半身を起き上がらせて、ぐぐっと身体を伸ばしながら、ボケーっと三秒間の沈黙。

 

 

「あれ、此処どこ?」

 

 

何かここ最近で良く口にする迷子の台詞が、薄明かりの室内に響いた。

滑らかな白い壁と、肩までかけられていたシーツの布擦れ音が、疑問符をより連ならせていく。

 

 

装飾のない部屋のベッドからヨロヨロと起き上がれば、反動を引き摺るかのように身体が重い。

反動……あ、そっか。

ブギーマンとの親和性が全然合わなくて、オーバースペックを無理矢理再現し続けたら気絶したのか。

 

 

「……」

 

 

とりあえず、ベッドのすぐ側に置いてあったアーカイブを開いてみる。

 

 

────

No.002

 

【ブギーマン】

 

・再現性『D』

 

・親和性『E』

 

・浸透性『S』

 

────

 

 

「そりゃ気絶する訳だ……」

 

 

極端過ぎるステータスに、もはや失笑もわかない。

けど、悲しいことにある意味予想通り。

 

力なく本を閉じた時、ガチャリと戸を開けて室内にセリアが顔を出した。

 

 

「……目が覚めたのね」

 

 

「割と良い夢見れたよ」

 

 

「そう。確かに、貴方の寝顔は呆れるほど呑気だったわ」

 

 

「まさか涎とか垂れてた?」

 

 

「…………はぁ」

 

 

腕の中に収めていたポットみたいな陶器とコップを、ベッドの傍の小棚に置きながら浅い溜め息。

なんかこいつの心配するだけ無駄だったみたいなニュアンスだけども、減るもんじゃないから良いじゃない。

 

 

「そんで、ここは?」

 

 

「ガートリアムの兵舎。気絶しただけの貴方を、他の怪我人と一緒に寝かせる訳にはいかないから、ここを借りたの」

 

 

「気絶しただけとは失礼な。結構頑張った結果と言いますかね……」

 

 

「……だから、余計に貴方の寝顔の呑気さを見て、馬鹿馬鹿しくなったのよ」

 

 

「……辛辣」

 

 

「辛辣で結構よ」

 

 

いやホント、思ったより心配してくれたみたいで申し訳ない。

呆れ調子のままポットの水をコップに注いでくれるセリアに、受け取りながらも軽く頭を下げる。

 

ただ、その折に何とも気難しそうというか、美人ながらも仏頂面が多い彼女にしては珍しく奥歯に物が挟まったような、微妙な雰囲気を感じるのは気のせいか。

 

 

「どしたの?」

 

 

「……いえ、貴方は貴方で、これから自分の心配をするべきだと思って」

 

 

「……なにその意味深な感じ。ちょっと身構えんだけど」

 

 

気のせいじゃなかったみたいで。

 

小棚のランプの淡い光が、陰をつくりながら首を斜に構えるセリアの藍色髪に、光る波を描いている。

まるでどう言葉を選ぶべきかを迷っている彼女の波打つ心模様を表すかのようで、ベッドから降り立たそうとする俺の身体が、嫌な予感にぶるっと震えた。

 

 

「体調に問題がないのなら、とりあえず……付いてきて貰えないかしら」

 

 

「……どこに?」

 

 

「──テレイザ姫殿下の元よ」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

切れ端に金の刺繍が施されたブルーカーペットの、靴越しの足触りだけでもうなんか高級感が半端じゃなかった。

 

装飾過多のドレッサーと、見るからに高くつきそうな大きなベッド。

ほこり自ら、この部屋に居着くのは場違いと退出したくなりそうな部屋のアンティークチェアに、彼女は腰を下ろしていた。

 

 

「目を覚まされたのですね。御加減はいかがでしょうか」

 

 

「……え、はい。ご機嫌麗しゅうございますです……」

 

 

お姫様というジャンルがそのまま形を為したような、ふわふわのピンクブロンドと薄紫の瞳、身綺麗さを一層演出する白いドレス。

 

多分、14から16くらいの年齢だろうか。

幼さのまだまだ残る愛らしい顔立ちとは裏腹に、丁寧かつスラスラと述べられたご挨拶。

思わず意味の分からない言葉遣いになる俺から一歩下がって控えていたセリアが、痛ましそうに頭を押さえたのが見なくても分かった。

 

 

「そう畏まらなくとも結構ですよ。私はテレイザ・フィンドル・ラスタリア。お好きなようにお呼び下さい」

 

 

「……お気遣いどうもです。自分は細波 流で……お、お好きなようにお呼び下さいませ……」

 

 

「では、ナガレ様と。フフフ……セリアの教えてくれた通り、面白い殿方ですね」

 

 

「は、はぁ……ありがたき、幸せ?」

 

 

な、なんだこの妙にむず痒いというか、変に居心地が悪いというか。

こうも絵に描いたようなお姫様に(うやうや)しくされれば、逆にどう対応するのが正解か分からない。

 

 

「それで……セリアが言うには、俺に何か用があるとか」

 

 

「用という程ではありませんが、少しばかりお話を聞かせていただきたいのです」

 

 

「話……あぁ、もしかしてワールドホリックについてですかね?」

 

 

チラリといつの間にかテレイザ姫の傍に控えるように立つセリアへと目を向けると、彼女は静かに瞑目するだけ。

 

ここへ向かう道中で、俺が丸一日近くも眠ってしまっていたという話を聞いたから、てっきりセリアが俺について何かしら説明してるもんだと思ってたけど。

 

 

「あの【四つ足の者】も、貴方の能力によるモノだとセリアから聞きました。勿論、その能力についてもそうですが……聞けば、ナガレ様はこのレジェンディアとは異なる世界から来訪されたとか」

 

 

「来訪とゆーか……まぁ。あ、能力についての説明とかした方が良いですかね? ちょっとややこしいんですけど」

 

 

「いいえ、今すぐでなくとも構いませんよ。というより、そういった事情も込みで、ナガレ様について色々とお話を聞かせていただきたいのです。貴方が宜しければ、ですけどね」

 

 

「……俺に、ついて?」

 

 

「はい。いかがでしょう?」

 

 

なんというか、魔王軍の襲撃にあって国を追われた姫様にしては随分と余裕があるな、とも思えるけども。

俺に興味がありますと、ひいては俺の能力、即ち都市伝説について興味がありますという事ではないだろうか。

 

シルクの手袋に包まれた両手を合わせて、期待の眼差しでもって此方を見上げるテレイザ姫。

 

いやうん、これは仕方ない。

こんな可愛い姫様に興味を持たれたんならね、しっかりきっかりお話を聞かせてやらねば男が廃るでしょう。

俺という人間を語るなら当然、都市伝説についても色々とお話しなくてはなるまいよ、うむうむ。

 

 

「勿論、喜んでお話致しましょうとも!」

 

 

「フフ、よしなに」

 

 

別に都市伝説について語りたくって仕方ないって訳じゃないから、だからセリア、そんな白い目向けるの止めようか。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「ふむふむ。それでこの銅貨に導かれ、こっくりさんなる精霊が代弁してくださるんですね」

 

 

「精霊かどうかははっきりと言えないけど。最初に話した通り、きちんとした手順を踏まないと人を害する危険性も充分あるし」

 

 

「なるほど……確かに私達の世界に於いても、高位なる精霊との対峙には礼節ある手順を踏まねば、その者の怒りに触れてしまうとされています。異なる世界でも、その辺りは変わらないものですね」

 

 

「やっぱある程度共通するもんだね。国は違えど似たような伝説、伝承なんてゴロゴロあるし。ングング」

 

 

「ナガレ……テレイザ様の前で、はしたないわ」

 

 

「構いませんよ、セリア。ここは会食場ではありませんし」

 

 

丸一日眠ってたせいもあってか、大人しくしてくれない腹の虫を聞き付けたテレイザ姫が、侍女に用意させてくれたサンドイッチ。

レタスはシャキシャキ、ハムやチキンも丁度良い味付けで、伸びる手が止まんない。

 

というのも、テレイザ姫が当初の印象と違ってフランクな人だから、いつの間にか緊張が取れて、ついでに敬語も取れてしまったという側面も関係している。

 

その度セリアが嗜め、テレイザ姫がまぁまぁと諭す、そんな構図がすっかり出来上がってしまった。

 

 

「……そういえば、俺の話……というか都市伝説の話ばっかりしてた訳だけど。俺もちょっと疑問というか、色々と聞きたい事があるんだけど、どう?」

 

 

「はい、構いませんよ」

 

 

聞き上手なテレイザ姫のおかげで随分弾んだ話も一端区切り、今度はこっちから尋ねてみる。

にっこりと頷くや否や、侍女代わりとして奉仕に務めるセリアが淹れた紅茶を一口飲むと、テレイザ姫は姿勢を正した。

 

 

「んじゃ、遠慮なく。えーっと……ずばり聞くけど、俺の扱いって今どうなってる? 正直、割と危険人物というか、今こうして呑気にお茶飲んでるより……拘束されて牢屋に連れ込まれていてもおかしくないと思うんだけど」

 

 

「…………なるほど。確かにナガレ様のおっしゃる通り、貴方の超常的な能力を危険視する者も居ます。ガートリアムの中にも……無論、ラスタリアにも。しかし同時に、ナガレ様のお力によって救われた兵も居ますし。何より、この度の防衛戦はナガレ様の介入がなければ魔王軍に押しきられていた可能性も充分にありました。そうですね、セリア?」

 

 

「……はい。私も途中から防衛戦に参加した身ではありますが、同盟軍の旗色は良くなかったと言わざるを得ません」

 

 

「ですので、貴方を頼るべき援軍……中には救世主として見立てる者も居るのです」

 

 

「……きゅ、救世主…………でもそれって、逆を言えば、災いの種とも見られてるって事か」

 

 

「そうですね……どちらも、まだ少数の意見ですが」

 

 

救世主か、災厄の種か。

まだ、というのはいずれその両極が数を増していく可能性も否定出来ないという意味でもある。

数が少ないというのも、昨日の話だからだろうし。

 

身から出た(サビ)とはいえ、どっちにしても厄介な立場に変わらない。

 

 

「……つまり、俺が今こうして呑気にお茶してる理由って、どう扱っていいか分からないからって事か」

 

 

「ユニークな方だと思っていましたけど、察しの方も良いのですね。正直、ガートリアムの上層部でも意見が割れていますし、かといって拘束などして下手に刺激するのも良くない、と」

 

 

「慎重に為らざるを得ないから…………あぁ、じゃ、テレイザ姫って要するに……"俺の監視役"?」

 

 

「──フフフ、もうバレちゃいましたね。正確には、ナガレ様が災いの種となるかどうかの目利き、という所でしょうか」

 

 

あぁ、そういえば目が覚めていきなり姫様と対談なんて妙な展開だなと思ったし、セリアが俺自身の心配をした方が良いって零した意味にも納得出来る。

というか、言ってしまえば俺に対する尋問役って事なんだろうけど、それって一国の姫様がやるべき事なのか。

 

そこら辺は何かしらあるんだろうけど、とにかく確かなのは、このテレイザ姫はただフランクなだけのお姫様ではないって事だろう。

 

 

「そんで、俺はテレイザ姫のお眼鏡に適ったって考えても?」

 

 

「はい。といっても、元々セリアからナガレ様の印象について聞いていましたからね。杞憂は必要なさそうだな、と。フフフ」

 

 

「ひ、姫殿下……」

 

 

「ほっほう。それはそれは、詳しく聞かせて貰いたいもんですなぁ」

 

 

「ナガレ、あまり調子に乗っていると後が酷いわよ」

 

 

「はいはい、悪かったってば」

 

 

「セリアとナガレ様、随分相性が宜しいのですね。お二人のやり取り、どこか微笑ましいです」

 

 

セリアって普段が生真面目な分、からかうと結構面白いんだよなぁ。

不満顔を隠そうともしない彼女の冷たい視線に肩をすくめれば、テレイザ姫がクスクスと笑う口元に手を添えた。

 

そういえば、セリアってテレイザ姫とどういう関係なんだろうか。

姫と仕える騎士って感じにしては、堅苦しさがないというか、テレイザ姫がセリアにかなり気を許しているというか。

 

 

そんな何気ない考えがふと横切った時だった。

スッと佇まいを正し、いつからか引っ込めていた王族の気風をそれとなく纏ったパープルアイが真っ直ぐ俺を見つめている。

 

 

「ナガレ様……ナガレ様に、ひとつお願いがあります」

 

 

「お願い?」

 

 

「……姫殿下?」

 

 

決して無垢ではない少女の、真っ直ぐな懇願。

 

素であって、素でない。

矛盾しながらも真摯な印象を残した表情は、どこか年不相応なもので。

 

 

 

 

 

 

「……そのお力を一時、私にお貸しして下さいませんか?」

 

 

 

 

 

_______

 

 

【人物紹介】

 

『テレイザ・フィンドル・ラスタリア』

 

 

ラスタリアの王女。

身長148cm、年齢は15歳。

ピンクブロンドと薄紫の瞳、小柄でスマートな体型。

 

絵にかいた様なお姫様の様な外見と物腰だが、交流を深めると意外にもフランクな性格をしている事が分かる。

好奇心も高く、ナガレの語る都市伝説について年相応に目を輝かせていた。

 

成長期に入っても膨らまないAサイズの胸元を気にしているという噂がある。

しかし、その事実を確認出来たものは一人たりとていない。

 



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Tales 12【死にたがりのセリア】

遠くの方では少しだけ、茜色の指紋が散りばめられているけれども、顎を上げた先ではまだまだ群青が広がっている頃。

飛行機なんて通りやしないのに、細い白線を模した三つの綿雲が行儀良く並んで、それが猫の(ひげ)に見えた。

 

 

「……」

 

 

テレイザ姫から申し出された願い事は、シンプルだった。

 

昨日の防衛戦で、ラスタリア方面まで魔王軍を撤退させる事には成功した。

しかし、彼らがまた総体を増やしガートリアムに再び攻め入って来る可能性は残っている。

 

その為、ガートリアムより北東部にあるセントハイム王国という大国へ、援軍を要請してはどうかという意見が挙がった。

セントハイム王国はガートリアムよりもさらに広大かつ保持する戦力も大きい、ガートリアム並びにラスタリアの同盟国であるとか。

 

そして、その援軍要請の使者に任命されたのが──セリアであるらしい。

 

 

「……どうすっかなぁ」

 

 

つまりは、俺にセリアの護衛として付いてってあげてという事なんだろう。

それは同時に良くも悪くも渦中に居る俺をガートリアムから距離を置かせるという政治的判断も絡んでいる気もする。

 

そういう側面もあるから、俺としてはセリアに同行するのは別に乗り気でもなければ嫌、という訳でもない。

ただ、その使者の旅路は……相当に危険な橋を渡る必要があるらしい。

 

 

『風無き峠?』

 

 

『はい。現在、本来のセントハイム王国への道であるエルゲニー平原は魔王軍の一団によって遮られており、ガートリアム騎兵団と睨み合いの状態が続いてます。ですので、それ以外のルートとなると、日数を掛けてでも遠回りするか、風無き峠と呼ばれる近道を、通過するしかありません』

 

 

『……現状だと、日数を縮めるに越したことはないだろうね。けど、その感じだと風無き峠を通るには、何かしら問題があるんでしょ?』

 

 

『はい。一年ほど前から、風無し峠には恐ろしき力を持った魔物……【ワイバーン(翼竜)】が住み着いているそうなのです』

 

 

ファンタジーにおいてはある種、御約束とでも言うべきモンスターと聞けば、ドラゴンを思い浮かべる人も多いだろう。

強大なモンスターだったり、時には神として奉られるほどの存在であり、その種が冠する威容はこのレジェンディアにおいても同じであるみたいで。

 

 

「あーもう……」

 

 

その翼の下を潜ろうものなら、死は間逃れない。

しかもワイバーンは現在冬眠前の蓄えに入っているらしく、凶暴性も増しているとか。

つまり風無き峠を越えるのはめちゃくちゃ危険な任務だって事は誰にでも分かる。

 

 

──俺は、テレイザ姫の願い事に応えてあげれるかどうか、流石に結論を直ぐには出せなかった。

 

 

少し、考える時間が欲しい。

そんな俺の申し出を、テレイザ姫は当たり前のように頷いてくれたけど。

 

 

「……セリアのやつ」

 

 

俺と同時に退室したセリアが、気晴らしにガートリアム国内を歩いてみる事を薦めてくれたので、今こうしてオレンジ色の華々しい街並みを闊歩している訳だけれども。

 

こうして散歩してれば少しは気が晴れる?

そんな訳ないでしょ。

 

ガートリアムの城門の別れ際。

 

そんな危険な任務に就くにも関わらず、変わらない仏頂面を浮かべ続けている麗人の横顔がつい気になって、何気なさを装いつつも、セリアに尋ねたひとつの疑問。

 

 

 

『こう聞くのも失礼だけど……セリア、怖くない訳?』

 

 

『……えぇ。もう"今更"よ』

 

 

今更って何だよ。

 

けど、薄く細められたサファイアブルーの眼差しが、それ以上踏み入るなと静かな拒絶を浮かべていたから。

 

 

「…………はぁ」

 

 

我ながら、らしくない。

こういうのには物怖じしないタイプだと思ってたし、ちっとは遠慮しろってアキラにしょっちゅう釘を刺されていたくらいなのに。

 

 

『……"さよなら"、ナガレ』

 

 

何故だろうか。

一向に顔を出そうとしない答えの代わりに、やるせないため息が零れ落ちた。

 

 

────

──

 

【死にたがりのセリア】

 

──

────

 

 

「……思ったより賑わってんのな」

 

 

気晴らし代わりという訳じゃないけど、特にやりたい事とか思い付かないし、いっそ風無き峠のワイバーンについての情報でも集めてみようと思い至った。

 

という訳で、情報が集まり易い場所といったら酒場でしょ、と大衆イメージに(のっと)って街の人に場所を尋ねつつ店の前まで来たまでは良かったけど。

 

正直、昨日魔王軍の進撃があっただけに、酒なんて飲んでる場合じゃねぇってことでそんなに人は集まらないんじゃないかという予測は、あっさり裏切られた。

 

 

「……まいっか」

 

 

とはいえ、そんな些細に足を止めたって意味ないなと、西部劇の酒場とかによくある小さな両開きの木扉を越えて酒場へと入る。

 

広々とした店内では、昨日戦場を戦い抜いたであろう男達が、今度はテーブルの上の料理を求めて新たな戦いを繰り広げていた。

 

 

「ちきしょう、食い意地張りやがって! おまえの皿にまだ料理あんだろうが!」

 

 

「何言ってるんだ、それは僕の皿から取ったソーセージだろ! 取られたもん取り返して何が悪い!」

 

 

「おーい、エールまだかよ! 口ん中の切り傷ちゃっちゃと消毒してーんだけど!?」

 

 

「ぎゃはははは!! ゴブリンに棍棒ビンタ食らったやつがなーに偉そうに急かしてやがる!」

 

 

ワイワイガヤガヤ、なんて賑やかそうな表現では収まり切れない騒音、昨日の戦場とデシベル値が変わらないんじゃないか。

というか、大半がラスタリアの騎士で、甲冑とか纏ったまま食事してる。

騎士ってもう少しマナーとか重んじるイメージあったけど、そうでもないのか。

 

樽ジョッキに並々注がれた黄金酒をグビグビ煽り、バクバクと肉なり野菜なりを口の中へと放り込んでいく騎士達は、良い食べっぷりだった。

若干野蛮とも取られかねないけど。

 

 

と、つい辺りを軽く見回しながら歩いていると、他とは違って人口密度の少ないエリアを発見。

ガランと開いてるカウンター席に、唯一腰掛けてる大きな背中は威圧的だけど、話をするには丁度良い。

これ幸いと騒乱の中を進んでいって、その騎士らしき男の隣の丸椅子を引いた。

 

 

「ここ座っても?」

 

 

「……あ? なんだお前、まだガキじゃ──」

 

 

「あざーす。あ、マスター。水と、この人が食べてるなんかソーセージみたいなのくださーい」

 

 

「あいよ、ただいま」

 

 

「おいこらガキ、聞いといて無視すんじゃねぇよ。しかもメシ頼んでやがるし」

 

 

「お兄さん、そのソーセージおいくら? こんくらいで足りますかね?」

 

 

「……なんなんだこのガキは」

 

 

「それ良く言われる。で、足ります?」

 

 

「……そんだけありゃ同じのがもう二皿出てくるっての」

 

 

「あ、やっぱ多いのか。どーも、お兄さん」

 

 

「…………ホントなんなんだコイツ」

 

 

短い茶髪と無精髭に強面と、騎士ってより山賊とかのが似合いそうとは思っても口に出来ない。

席に座るなり、そんな相手の言葉を聞かずにまくし立ててみれば、エールとかいう黄金酒に顔を少しだけ赤くした強面は見るからに渋い表情を作った。

 

まぁ、失礼なのは百も承知だけど、こういう強引なスタンスのが返って受け入れ易いパターンもあるんだよね。

アキラとかその代表例だし。

拒絶されたらそれはそれでそそくさと頭を下げて、場所を変えるだけ。

 

ちなみにこの金銭は、昨日の戦場での協力分の報酬として姫様がくれた1000エンスから。

あえて予想の値段より多めに掴んで晒してみたけど、強面騎士は意外と正直に訂正してくれた。

 

 

「ほい、お水。兄ちゃん、料理の分はラグルフさんのやつと一緒で良いんだったよな?」

 

 

「ラグ……あぁ、うん。一緒で」

 

 

「あいよ」

 

 

強面騎士の名前は、ラグルフさんね。

さて、この人がワイバーンについての情報とか持っててくれたら助かるんだけども。

 

とはいえ、ラスタリア騎士団だからガートリアムの周辺事情についてはあまり期待しない方がいいか。

マスターがカウンターの前に置いてくれた、冷えた涼水を軽く呷りながら考えを巡らせていると、予想外にラグルフさんから声をかけられた。

 

ただ、その表情はさっきよりも数倍険しいものだったけれども。

 

 

「──おいお前。どこのガキかと思ったら、あの"イカレ野郎"を喚び出したとかいうヤツじゃねぇか」

 

 

「……げっ」

 

 

あーマジかよ、ハズレ引いたかも。

 

セリアいわく、俺の顔や特徴はまだそんな広まってなく、とんでもない能力だけがそれこそ都市伝説みたいに独り歩きしてるって話だったはずなのに。

 

だから俺も出歩いても大丈夫だろと高を(くく)っていたんだけど、このラグルフって人はどうやら俺の事を知ってるらしい

 

 

「……誤解のないように先に断っとくけど、災いをもたらすつもりとか全く無いから。かといって救世主として持ち上げられんのもあれだけど」

 

 

「……ほう? どうしてだ。災い云々はともかく、救世主だの英雄だのと持ち上げられんのは悪い話じゃないと思うぜ?」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

この場で成敗、なんて事にならないようにみっともなく予防線を張ってみたけど、ラグルフから返って来る反応は予想とは違った。

 

試すように、推し測るように味の深い紅茶みたいな色彩をした瞳で、俺を見据えている。

 

救世主。

英雄。

確かに憧れるだろうし、男の子の夢だろうね。

 

けれど。

 

 

「……俺、細波 流って言うんだけど」

 

 

「……サザナミ ナガレねぇ。で、それがどうしたよ」

 

 

「どうしたもこうしたも、この名前気に入ってんの。救世主ナガレとか英雄ナガレとか。響きが悪いっつーか……全然ピンと来なくない?」

 

 

「…………それが理由か?」

 

 

「まぁ、(こだわ)りたいとこだよね」

 

 

「……」

 

 

「……──ハ」

 

 

それが理由の全てかと言われれば嘘になるけど、割と本音をぶつけて見れば、ラグルフの尖りがちな歯が剥いた。

 

 

「クハ、ハッハッハッハッ!!! なるほどなるほど、随分としょうもねぇ理由じゃねぇの!! ガッハハハ!」

 

 

「しょうもないとは失礼な騎士だなー」

 

 

というか、この人が大笑いしてるもんだから、周りで暴飲暴食繰り広げてた騎士達がめっちゃこっち見てるし。

なんかラグルフ隊長、機嫌直ったみたいだぞとか聞こえるし。

 

え、アンタが隊長なのかよ。

 

 

「いいや、拘りなんてしょうもねぇくらいが丁度良いだよ、ガキ……いや、ナガレっつったか。青臭そうな坊主かと思いきや、なかなか老けてんじゃねぇか」

 

 

「ふ、老けてる!? いやいや待て、おっさんに言われたかないんだけど!?」

 

 

「誰がおっさんだコラ。ラスタリア騎士団隊長、ラグルフ・アシュトマインだ。おい、エールもう一杯寄越しな!」

 

 

「あいよ」

 

 

「……へぇ、騎士団の隊長さんなのか。うん似合わない、全っ然似合わない。ぶっちゃけ山賊とかゴロツキっぽい顔だし」

 

 

「はん、顔の良し悪しで隊長が務まるかよド阿呆……でだ、ナガレさんよ。お前、なんだってこんなしみったれた場所で飯なんざ食いに来てんだ?」

 

 

隊長で年上、うんそりゃそうだけど、この人を敬いたくなる気持ちなんかもう微塵もないね。

老けてるってアキラにも言われた事ねぇし。

 

俺も大概失礼な人間だけど、このラグルフさんも結構失礼な部類だろ、だからタメ口で良し、はい決定。

 

けどまぁ、この話の流れは渡りに舟ってヤツなんで、早速本題に入ろう。

 

 

「ちょっとした情報収集。風無き峠のワイバーンについて、ラグルフさん何か弱点とか知ってる?」

 

 

「……あぁ? 風無き峠……は、なるほどねぇ。話が見えたぜ。お前、セリアの阿呆と一緒にセントハイム王国まで付いてくつもりかよ」

 

 

「……や、まだ付いていくかどうかの答えは保留してるけど。とりあえず、その噂のワイバーンがどんなのかって情報だけ集めとこう、かと」

 

 

姫様から直接要請されたって事までは知らないみたいだけど、使者の任務云々に関しては隊長だから耳に入れてるのか。

けど、その口振りにどこか蔑みというか、呆れた感じが含まれてるのが不思議だった。

 

 

「……ふん。悪い事は言わねぇ、付いていくのは止めときな。お前まで『死にたがり』に付き合う事ァねぇ、そうだろ?」

 

 

「『死にたがり』? え、何それ。ワイバーンのアダ名か何か?」

 

 

「……馬鹿言え。セリアの事に決まってんだろ。あの命知らずが……勝手にワイバーンの餌にでもなってろってんだ」

 

 

命知らず、死にたがり。

それが短いながらも共に時間を過ごした、あの蒼い騎士の呼ばれ方というのは何というか気分が悪い。

 

そのはずなのに、どこか……死にたがり、そんな形容があの諸刃の様な静かで危うい横顔に、ピタリと当てはまってしまう。

 

 

「……セリアが死にたがりって、どういう事」

 

 

「……詳しい事情は俺の口からは言わねぇよ。けど、一つだけ教えといてやる」

 

 

「……なに?」

 

 

馬鹿馬鹿しい話だが、そう前置きして、ラスタリア騎士団隊長は分かり易い真相を一つ、物語る。

 

 

 

 

「使者の件、あれは任命された訳じゃねぇ。その話が持ち上がった時、アイツ自らが名乗り出たんだよ」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

もう今更って、そういう事かよ。

 

さよならって、そういう意味かよ。

 

 

砦での、決死の防衛戦に参加して、そこで生き延びたから今度はワイバーンの翼を潜り抜けてってさ。

 

無茶無謀なんて今更、別に怖くなんてない。

いつ死んだって構わないって事か、なるほど。

 

俺の命を必死こいて助けてくれたヤツは、"実は単に死に場所を求めていただけ"って事ですか、そうですか。

 

 

「──」

 

 

長い長い、豪華絢爛な城の中を頭ん中真っ赤にしてズンズン歩く。

すれ違ったメイド服着た宮仕え達の顔がなんか強張ってたけど、まぁ、そんな事はどうでも良い。

 

 

思い返せば、初対面の時から違和感はあった。

見ず知らずの俺を庇うようにアークデーモンに挑むし、凍らせてる隙に俺だけでも逃がそうと説得して来るし。

 

てっきり騎士としてのプライドとか、そういうもんだと思ってたけど。

そういう後ろ向きな自己犠牲心は、生憎と肯定してやれない。

 

 

「……むかつく」

 

 

同情してやるよ、セリア。

 

何が目的で好き好んで死線を潜りたがるのかは知らないけど、よりにもよって俺を一時的とはいえ巻き込んだ分の"貸し"は、きっちり払って貰う。

 

 

『意趣返し』という、とんでもなく子供染みたやり方で。

 

 

「姫様、ナガレです。今良いですか」

 

 

『あら……ナガレ様。どうぞ、お入り下さい』

 

 

一枚扉の向こうから、テレイザ姫の了解の意を聞き届けて、遠慮なく室内へ。

ほんの数時間ぶりの再会だからか、彼女の薄紫の瞳が少しばかり驚きの色合いを残していた。

 

考えさせて下さいと言った手前、その日の内に答えを決めてしまうとは、あっちもこっちも予想外だった訳で。

 

でも、もう決めた。

馬鹿だろお前、もっと良く考えろと言われても知った事じゃない。

 

 

「返事、決めたよ。テレイザ姫」

 

 

「……そう、ですか。お答え、聞かせていただけますか?」

 

 

死にたがり。

じゃあなんで、昨日の戦場で俺の心配なんかしてんのさ。

放っておけば良かっただろうに、綺麗な顔を必死に強張らしてまで。

 

そう、だから意趣返しとか、そんな理由で充分だろ。

 

 

 

──死にたがりに命を救われっぱなしってのも癪なんで、俺もついて行きます。

 

 

俺の目の黒い内は死なせたりしてやんないから

ざまぁみろ。

 

 

___

 

 

【人物紹介】

 

 

『ラグルフ・アシュトマイン』

 

ラスタリア騎士団の隊長を務める、短い茶髪と無精髭が特徴的な三十代前半の大男。

幼い子供が見れば泣き出しそうなほどに人相が厳つく、言葉遣いや振る舞いは外見通り粗暴であり、およそ騎士とは程遠い。

 

実力は間違いなく一級品で、彼が居なければ防衛戦はナガレ達の到着前に瓦解していた可能性もあった。

 

 



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Tales 13【豪華絢爛そよかぜエルフ】

水と油ってよく仲の悪い関係に例える事があるけども、俺とセリアはしっかりと水と水なんだろう。

ただ各々持つ色が違うから、綺麗に混ざり合うにはある程度テコ入れってのが必要になるのかも知れない。

 

 

「……貴方はもう少し賢いと思っていたけれど」

 

 

「俺が自分で決めた事だろ。可愛い姫様のお願いは聞いてあげなきゃ男廃るし、てかセリアに馬鹿とか言われる筋合いないよ」

 

 

「……子供みたいな事を」

 

 

「子供で結構、辛辣女」

 

 

「……意趣返しのつもり?」

 

 

「心当たりでも?」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

互いに、相手の真意もろくに知らない癖に、変な意地の張り合いをしている自覚はある。

あっちもこっちも。

 

 

「……やめようか、これ。多分キリない」

 

 

「……そうね」

 

 

まぁ、それでも平行線を引きながら睨み合っても意味がないか。

 

熱しやすく冷めやすい。

自分のことを水って例えたけれども、あながち的を射てるのかも知れない。

 

セリアについてはまだ良く分からないけれども、多分、 俺と同じで変な部分で頑固な所があるんだろう。

ある意味では似た者同士。

こうしてふと冷めた時、同時に溜め息をつくくらいには。

 

 

 

────

──

 

【豪華絢爛そよかぜエルフ】

 

──

────

 

 

一日明けた今日も、不安を払うような快晴だった。

新調したらしい蒼甲冑を纏い、腰に剣をぶら下げながら穏やかな青空の下をコツコツと歩く足取りは淀みがない。

 

グリム童話の世界にあるような中世的ヨーロッパの街並みに、姿勢を伸ばした騎士の出で立ちは面白いくらいに似合っていた。

 

 

「そんで、今どこに向かってる訳?」

 

 

「ガートリアムのギルド。確か、前に説明した覚えがあるのだけど」

 

 

「そういや言ってた。ギルド……仕事探し、って事はないよな。軍資金は充分支給されたんでしょ?」

 

 

「えぇ。一言で言えば……念の為の、戦力の補強といった所かしら」

 

 

「傭兵を雇うってこと?でもそれならラスタリアかガートリアムに騎士を何人か同行させて貰えば良い気がするけど……?」

 

 

「…………」

 

 

「…………おいまさか」

 

 

肩を並べて尋ねれば、風を切っていた几帳面な足並みが少し迷いを表すかのように、一瞬乱れる。

チラリと覗いた右隣を歩くセリアの顔が、なんというか、気まずそうに薄い唇をキュッと結んだ。

 

 

「……魔王軍がいつまた侵略して来るか分からない以上、戦力をほんの少しでも削るのは得策じゃないの」

 

 

「……だから、断りましたって?」

 

 

「…………」

 

 

あぁ、こりゃ重症だわ。

ってかアホでしょ、使者の任務だってとんでもなく危険だとしても、重要なのには変わらないのに。

 

これじゃ死にたがりってラグルフさんに揶揄されたって仕方ない。

 

 

「……ちなみに、もし俺が同行しなかったらどうしてた訳?」

 

 

「……変わらないわ。金銭で傭兵を雇って、それから風無き峠に向かう」

 

 

「ワイバーンどうすんの」

 

 

「…………金銭で雇った囮が居るでしょう」

 

 

「おいマジかよ」

 

 

「冗談よ。それは最後の手段。アークデーモンに使った魔法、覚えてる? あれを使って、その隙に峠を突破するの」

 

 

「……」

 

 

冗談、それは本当にどうにもならなくなった時の最終手段ってことなんだろうけど。

 

そこまでやるか、とも。

そうまでしてでも、とも思えるのは、ガートリアムの現状がそれほど切羽詰まってるって俺が知ってるからだろう。

 

ガートリアムの国主達は今も城に缶詰めでひたすらに防衛策を練っているらしい。

魔王軍が侵略してくる以前から病に伏せていたラスタリア国王に代わって、あのテレイザ姫もその会議に参加しているくらいだ。

 

 

綺麗事だけで守れないなら、最悪、非道すら選ぶ。

セリアは、そこまでの覚悟を固めているって事なんだろう。

自分から巻き込まれてるだけの俺が責めて良い事じゃない。

 

 

「それに……ラグルフ隊長から聞いた噂なんだけれど、ガートリアムのギルドに二人組の"エルフ"が来ているらしいの」

 

 

「エルフ……あの、耳が尖ってるエルフ?」

 

 

「えぇ」

 

 

降って沸いた追加情報を聞いて思い出すのは、テラーさんの顔だ。

あの人の耳も尖ってたからつい連想してしまう。

 

それにしてもラグルフさんからの情報か。

口は悪いけど、何だかんだで面倒見が良さそうな人だよね、口は悪いけどホント。

 

 

「精霊魔法が使えるエルフであれば、ワイバーンの攻略に効果的な一手を打てるかも知れない」

 

 

「ん? セリアも魔法使えるじゃん」

 

 

「えぇ、人間の中にも魔力を編める才能があれば、魔法を使う事も出来る。けれど、使える魔法の威力はエルフと比べれば大した事ないわ」

 

 

「……そんなに違うのか。セリアの魔法も充分凄い気はしたけど」

 

 

「……一応、私は人間の中でも精霊魔法の技能は高い方。でも、エルフと比べられるとなると……正直、敵う気がしないわね」

 

 

「へぇ……それなら確かに、協力して欲しい所だ」

 

 

ガートリアムの騎兵隊にも触らぬ神に何とやらって扱い受けてるくらいの強いモンスターが相手。

それなら少しでも戦力は欲しい所だし、それが頼りになるエルフならば尚更。

 

けど、どこか怪訝(けげん)そうに形の整った眉を潜めて、セリアは景気の悪い顔をしていた。

 

 

「……何か気掛かりでもあんの?」

 

 

「……気掛かり、というか。エルフというのは、あまり人間と協力的な性格ではないの。本来なら、エルフ同士で形成した秘境とか、レジェンディア大陸の東部で暮らしてるのが大半なんだけど……それがどうして、ガートリアムのギルドに滞在しているのかが気になって」

 

 

「……もしかして、エルフって人間嫌いとかそういう感じ?」

 

 

「いえ、友好的なエルフも居るわ。勿論、ナガレの言う通り人間という種に対して嫌悪感を持ってるエルフも少なくないけれど」

 

 

「……たまたまその二人組が友好的なエルフなだけって話なんじゃない?」

 

 

「……」

 

 

エルフにも色々あるってのは分かるけど、あんまり迷いに気を取られて肝心のエルフ達がどっか行ってしまっては元も子もない。

まだ何かしら引っかかるらしく、顎に手を添えてる仏頂面を急かす事にした。

 

 

「なら、とりあえず会ってからでしょ。ほらほら、そんな眉間に皺寄せると老けて見えるよ」

 

 

「……余計なお世話よ、バカ。全く、能天気なんだから」

 

 

「はいはい、悪かったって。じゃ、さっさと行こう」

 

 

「はい、は一回。だらしがないわ」

 

 

「オカンか」

 

 

あっさりと軽口に乗ってくれる辺り、大人なだけか、単純なだけか。

まぁどっちにしろ、こういうテンポは嫌いじゃない。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

たどり着いたガートリアムのギルドロビーには、想像していた以上に人影が見当たらない。

窓ガラスから伸びた斜光が、退屈そうな待合室の長椅子の群れを照らして、より一層寂れた感じに拍車を掛けていた。

 

 

つい興味心から周りを見渡しつつ、入り口を潜って左に曲がった先にある受付へと進むセリアを追い掛ける。

そこにはデザイン的な制服を纏った受付嬢がこちらを見るなり、ペコリとお辞儀。

 

 

「あ、いらっしゃいませ……ええと、ラスタリア騎士団の方ですよね? 本日はどうかされました?」

 

 

「えぇ、その……二人組のエルフの方々が、此方に居ると耳に挟んだのだけれど」

 

 

「二人組の……あぁ、はい! それがですね、三時間程前にリコル森林へコボルト退治に向かわれましたよ」

 

 

「退治……あぁ、クエストってやつか。三時間前っていうと、丁度朝方過ぎ頃だよね。そのリコル森林って遠いの?」

 

 

「……いえ、そう遠くはなかったはずだけれど。行き帰りで一時間も掛からないくらいね」

 

 

大分前に行き違ったみたいだけど、どうやら噂の真偽は間違いないらしい。

行き帰りで一時間程度ならそこそこの近場だけども、さてどうするか。

 

というか、コボルトって確かドイツの民間伝承のヤツだよな。

で、その英語訳されたのがゴブリンっていう話だった気がするけど、レジェンディアでは別枠の扱いなのか。

 

 

「コボルトねぇ……んー、どうするセリア? 俺達も行った方が良いのかね。そのコボルトってのは良く分からんけど、もしかしたら苦戦してるかもだし」

 

 

 

「……それはないと思う。エルフともなれば、コボルト相手なら例え群れであって苦戦なんてしないだろうし。行き違いを避ける為にも、此処で待ってみるのはどう?」

 

 

セリアの反応から察するに、コボルトってのはやはりゴブリンとそう変わりない立ち位置の魔物らしい。

 

とすれば、此方から追い掛けると行き違いになるかもってセリアの意見も充分に有り得るな。

 

 

「……あ、あの、すみません。あのお二人に何か御用でも……?」

 

 

「あーうん、ちょっと助力をお願いしたくて」

 

 

「助力……です、か。うーん……大丈夫かな……」

 

 

「……何か不安に感じる事でもあるのかしら?」

 

 

一応俺の口からは使者がどうとかは語らない方が良いから、つい言葉半分な説明になったけど。

どうやら何か歯に衣着せたというか、俺が助力と言った辺りで物凄く不安げな表情をする受付嬢。

 

その反応に、ギルドに来る前の怪訝げな表情を再びセリアが浮かべた時だった。

 

 

 

「──ただいま帰りましたわ!!」

 

 

「お嬢様、余り声を張り上げますと他の方々のご迷惑になるかと。ここは淑女らしく、丁寧さと気品を織り交ぜた報告と致しましょうぞ」

 

 

「もう……いちいち口うるさいですわよ、アムソン。このわたくしの仕事ぶりを今より盛大に語ろうというのです。聴衆を惹き付ける為にも、まずは堂々たる名乗りをすべきでしょうに」

 

 

「初のクエスト達成に歓喜したいお気持ちはこのアムソン、大変心得ております。ですが、だからこそ優雅さを忘れてはなりませぬぞ」

 

 

「「…………」」

 

 

うわ、なんか凄いの来た。

ババーンと勢い良く扉を開いて登場したなんか濃い二人組に、何故だか言葉を失ってしまう。

 

 

見るからにお嬢様みたいな左右対象にクルクルとネジみたいな巻き髪のエメラルドグリーンのセミロング。

その上に、ちょこんと黒いレース付きのシルクハットみたいな帽子を被ってる。

 

爛々と輝くワインレッドの大きな瞳が、自信家な性格を物語っているような、多分同年代くらいの貴族みたいな少女。

 

 

高くもなく低くもない背丈を包む、肩ヒモタイプの赤黒カラーのフリルが多いドレスはやたらと派手で扇情的というか、胸元とかざっくり開いてる。

あと、デカ過ぎ。

正直目のやり場に困る。

 

 

そんな格好の主人の派手さを抑えるように、オールバックに纏めた銀髪と燕尾服。

とても温厚そうな夕陽色の瞳とシルバー世代に差し掛かったかのような丁寧な物腰は、まさに執事の鏡といった印象を与える。

 

彼女らの口振り、佇まいからして、お嬢様と老執事という背景がわっかり易いね、うん。

 

 

「お、お帰りなさい。クエストは達成されましたでしょうか」

 

 

「当ッッ然ですわッ!! あの程度の毛むくじゃら、このナナルゥ・グリーンセプテンバーの手に掛かればおちゃのこさいさいとゆうヤツですのよ!」

 

 

「はぁ……それで、クエスト達成の確認として、コボルト達に奪われた依頼主のペンダントをお預かりしたいのですが」

 

 

「勿論確保してありますとも!! アムソン!」

 

 

「──こちらがそのペンダントでございます。どうぞ、お納め下さい」

 

 

呆気に取られる俺達をよそに、受諾したクエストのやり取りを無駄に尊大な態度で繰り広げているお嬢様達。

 

アムソンという名の老執事が"どこからともなく取り出した"、銀細工のペンダントが受付カウンターの上に並べられた。

 

恐らくコボルト討伐のクエストを出した依頼主のものなんだろうけども……それより今、ホントにどっから取り出したんだよ。

取り出した瞬間とか、全然見えなかったんだけど。

 

 

「えーっと……はい。間違いありません! クエスト達成、おめでとうございます!!」

 

 

「──オ、オーッホッホッホ!! やりましたわよアムソン。これでまた、グリーンセプテンバー家の名を一つ上げましたわ!」

 

 

「えぇ、全くでございますな。昨日のクエスト失敗の分も、これで帳尻が合うというものです」

 

 

「んなっ、アムソン! 過ぎた事を掘り返して水を差す従者がどこに居ますか! 昨日は昨日、今日は今日。そして明日は明日の風が吹くのです!! いえ、吹かせてみせましょう、この【黄金風(カナカゼ)のナナルゥ】が!」

 

 

「……そよかぜが関の山では、とは年寄りの冷や水でありますな。ここはそっと拍手を添えるのが正解でありましょう。パチ、パチ、と」

 

 

「……アムソン。ばっちり聞こえてましてよ」

 

 

「おやこれは、ついうっかり」

 

 

「どう考えてもわざとでしょうに!」

 

 

「そんなまさか、このアムソンをお疑いになられると? なんと……お嬢様、それは心外でございますぞ」

 

 

「くっ……貴方という者はどーして人が良い気分に浸ってる時に限って要らない小言ばかり……!」

 

 

……どーしよ、これ。

 

二人組のエルフのやり取りは新手の漫才みたいで、見てる分には面白いけど。

この人達、色々大丈夫かってなんか心配になってくる。

 

 

出来れば人違いであって欲しい……けど、お嬢様も執事さんも、耳尖ってんだよね。

さっきのやり取りからしても、この二人が噂のエルフ達で間違いないんだろう。

 

 

「……どうする、これ」

 

 

「……お願い、聞かないで」

 

 

次第に声を荒げて噛み付くナナルゥとかいうお嬢様と、飄々と受け流すアムソンさんらしき老執事。

 

彼らによって繰り広げられるコメディーを前に、どうして良いか分からず仕舞い。

 

 

結局、彼女達がこっちに気付いてくれたのは、そこから更に十分ほど後だった。



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Tales 14【ちぐはぐ異種間交流】

「あー……盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっと良い?」

 

 

「ん? なんですの、貴方」

 

 

水を差さなきゃ日が暮れるまでやってそうなやり取りに介入すれば、エメラルドグリーンのお嬢様がさも今気付きましたとばかりに大きな瞳をさらに丸めた。

 

 

「俺は細波 流。ナガレって呼んで。そんでこっちは……」

 

 

「ラスタリア騎士団所属、セリアです」

 

 

「ほっほう……聞きましたかアムソン。早くもわたくしの活躍を聞き及んで、騎士団の者に声を掛けられましたわ。ふふふ、グリーンセプテンバーの名が二度咲く芽を見るのもそう遠くはなさそうですわね!」

 

 

「活躍も何も、たった今クエストの報告を終えたばかりでございますが?」

 

 

「…………そ、それで? このわたくし、ナナルゥ・グリーンセプテンバーにどういったご用件ですの?」

 

 

「うっかりタイミングを逃しかけたのを思い出し、慌てて名乗りつつモノを尋ねるとは行儀が悪うございますぞ、お嬢様」

 

 

「お黙りなさい、アムソン! いちいち口を挟まない!」

 

 

軽く頬を染めて軽く咳払いで仕切り直すナナルゥお嬢様は、なんというか見た目や態度はいかにも貴族のお嬢様って感じなんだけど、どうにも言動がアホっぽい。

 

というか従者のアムソンさん、ビシビシお嬢様に突っ込んでるなぁ。

まぁ仲良さそうだからいいけど。

 

さて、どう説明するべきか。

 

 

「えーっと……実は俺達、ある難題を解決する為に、頼りになる人材を探しててね。そんで丁度今、ギルドに二人組のエルフが来てるって噂を聞いて来たワケ。ね、セリア?」

 

 

「えぇ。そこで、もし宜しければ助力を願えないかと。どうかしら?」

 

 

「…………わたくし達に?」

 

 

「そそ。エルフって頼りになるって聞いたから、もし力を借りれればなぁって…………あれ、ナナルゥさん聞いてる?」

 

 

「………………きた」

 

 

「「……?」」

 

 

とりあえず当たり障りのない感じで、まずは相手の興味を惹けるように勿体ぶってみた訳だけども。

なんか話の途中から惚けたみたいに固まって、小綺麗に整った顔を伏せて、なんかブツブツと言い始めた。

 

どうしたんだと気になって顔を寄せれば……いきなりブワッとナナルゥさんが顔を上げた。

なんか興奮気味に高揚してて、ワインレッドの瞳が幾つもの星屑をキラキラと瞬かせている。

 

 

「きた……きたきたキタキタ、来ましたわぁぁぁぁ!!! 難題を解決するべく頼りになる人材を探している…………これをパパっとこなせれば、更にこのわたくしの勇名がレジェンディアに轟くビックチャンス! オーホッホッホ!! 強い追い風を感じますわよ、アムソン!」

 

 

「……お嬢様、お喜びになるお気持ちは大変良く分かりますが、まずはせめてお二方の話を最後までお聞きになるべきでは」

 

 

なんか、めっちゃ喜んでた。

なんだろうね、この、手に持ってるクジが見てもいないのにハズレって書いてありそうな微妙な感じ。

 

ヤバいな、判断ミスったかも。

隣のセリアはセリアで、どうしようと困り顔浮かべてるし。

 

まぁ、一応話をきっちりしてみようか。

毒を食らわば皿までとも言うしね。

 

 

 

 

────

──

 

【ちぐはぐ異種間交流】

 

──

────

 

 

 

 

「ワッ、ワイバーン!!!? お、おぉお、お待ちなさい。あ、貴方達もしや……竜種に挑むつもりなんですの!?」

 

 

「いや挑むってか……まぁ倒せるに越した事はないけど」

 

 

毒を食らわばとか失礼な事を思ったけれども、毒を食わせるつもりはなかったんだけど。

さっきまでの興奮冷めやらぬといったハイテンションから急転直下。

面白いぐらいにナナルゥお嬢の顔が青褪(あおざ)めていってる。

 

 

「失礼ですが、ナガレ様。ナガレ様は飛竜……いえ、竜種との戦闘経験はお有りなのでしょうか?」

 

 

「いや、ないです」

 

 

「セリア様は?」

 

 

「リザードマンなら、何度か。とはいえ、リザードマンは竜種の最底辺に属する程度だから、実質ないと言っても過言じゃないわね」

 

 

「なるほど、左様ですか」

 

 

ロビーの長椅子で俺とセリア、エルフ主従とでそれぞれ向かい合いながらの交渉は、早くも難航していた。

 

ラグルフさんとかテレイザ姫の話だけでも、ワイバーン含めた竜種ってのがどれだけ恐ろしいかは知ってたつもりだけど、まさかエルフですらこんなに難色を示す相手だとは思わなかった。

 

 

「確かにセリア様の言う通り、リザードマンとワイバーンでは脅威の度数が桁違いでしょうな。なにせワイバーンは空を自由自在に飛び回り、急襲と離脱を繰り返す厄介な相手。おまけに硬い竜鱗で全身を纏っておりますので、まともな武器ではダメージが通らない」

 

 

「竜種の(ウロコ)ってそんな硬いのか」

 

 

「剣や槍とかが余程の業物でもない限り、まず先に武器の方が折れるくらいには硬いわね」

 

 

「……そんじゃ魔法ならイケるとか?」

 

 

「高威力の魔法であれば有効でしょう。ですが、先程も申し上げた通り、ワイバーンは空から急襲し、直ぐにまた離脱するのです。そう易々と当たってはくれますまい。それに、竜種の生命力も尋常ではありませんからな」

 

 

「……つまり纏めると、速くてタフで防御力もあんのね」

 

 

「言っておきますけど、攻撃力も尋常じゃありませんわよ」

 

 

「……そうね。生半可な防具や魔力障壁程度では、時間稼ぎにもならないわ」

 

 

「……隙がないパラメーターで何より」

 

 

「ぱらめーたー? ってなんですの」

 

 

「あ、なんでもないこっちの話」

 

 

「??」

 

 

そういえばパラメーターってゲーム用語か。

聞き覚えがないだろう言葉に、ナナルゥお嬢がなにそれと首を傾げていた。

 

しかし、流石ファンタジーの代表的種族。

話を聞く分だけで、まともに正面から闘えば歯が立ちそうにもない。

まぁ闘わなくとも、何かしらで時間が稼げれば良いんだけど。

 

 

 

「……あ、じゃあワイバーンに餌やってさ、食べてる隙に峠を抜けるとか」

 

 

「……風無き峠でなければ、有効な手段だったわね。でも、峠に住むワイバーンが巣を作ってる場所は……峠と峠を繋ぐ橋の直ぐ傍にあるの」

 

 

「……それなら夜、ワイバーンが寝静まった頃に橋を渡れば良いのではありませんの?」

 

 

「えっと……その、多分難しいと思いますよ? 風無き峠のワイバーンは、今の時期は冬眠前の蓄えの為に必死で狩りをしてますし、ワイバーンは竜種の中でも特に嗅覚が敏感で──」

 

 

「何ちゃっかり盗み聴きしてますの! レディとしてはしたないですわ!」

 

 

どうやら平静を取り戻したナナルゥお嬢が、それとなく出した案も実行するには難しいようで。

話を聞いていたらしき受付嬢の意見にムッと口を尖らすお嬢を、慌てていさめる。

 

 

「いやいや、こっちが勝手にロビー使わせて貰ってんだから文句言えないって。で、受付のおねーさん、ワイバーンって嗅覚に敏感なの?」

 

 

「は、はい。風が吹かない風無き峠ですら、テリトリーに入ってきた動物の匂いを嗅ぎ付けて襲って来るって話です。あと、耳も良いとか」

 

 

「……眠ってる間は?」

 

 

「確かに睡眠中は嗅覚とかも半減するそうですけど、もともとが高いから橋を渡る時にはもう気付かれてしまうかと……」

 

 

風が吹かないから風無き峠。

安直な名前の由来につい和まされつつも、峠突破の難易度がますます高くなっていくように思えた

 

セリアの話じゃ峠と峠を繋ぐ橋が架かってるらしいけど、もしそんな所で襲われたらどっちにしろ終わりだ。

 

 

「随分と詳しいのね」

 

 

「い、いえいえそんな。実は、件のワイバーンから運良く逃げ延びた方が居まして。確かその方達も、餌を沢山するって方法を取ったそうです。ワイバーンはご飯を食べた後、すぐに眠るっていう習性があるらしいので」

 

 

「……逃げ延びたって事は失敗したってことだよね」

 

 

「えぇ……そうですね。風無き峠のワイバーンは、沢山用意した餌を巣に持ち帰って、お腹一杯になるまで食べていたらしくて。それでそのまま、直ぐに眠ってくれた、そこまでは良かったんですけど……」

 

 

「途中で気付かれちゃったと」

 

 

「はい」

 

 

貴重な情報に感謝したいとこだけど、余計に八方塞がりになった気分。

情報提供してくれた受付嬢にお礼を言うと、ペコリと頭を下げて元の受付場所に戻っていった。

 

参った、マジで攻略法が思い付かない。

いっそブギーマンでもぶつけてみるしか方法がない気がする。

 

いやでも、実はセリアにブギーマンは余程の事がない限り使うなってきつく言われたばっかりだった。

今がまさに余程の事だろうとは思うけど。

 

 

とりあえず他に良い案が浮かばないので、少し脇道に逸れてみよう。

 

「……ところで、アムソンさん。ちょっと気になることがあったんだけど」

 

 

「おや、なんでございましょうか、ナガレ様」

 

 

「さっきペンダント、一瞬でどっかから出してたじゃん。あれって執事の技ってやつ? あんまり早すぎてどこに仕舞ってたのかすら分かんなかったんだけど」

 

 

気になっていた事とは、単純明快。

クエスト報告の時に、アムソンさんが一瞬にしてペンダントを受付カウンターに並べていた、あの謎の技術。

 

ここで実は超高速でペンダントを取り出しただけとかそんなオチであれば、もうそれ以上はつっこめない程度の疑問だけど。

 

 

「あぁ、実はこのアムソン、収納魔法が扱えましてな。こう、独自の空間から物を収納出来まして……例えば、こんな風に──【コンビニエンス(こんなこともあろうかと)】」

 

 

「──!?」

 

 

蓋を開けてみればとんでもなかった。

アムソンさんが何やら魔法名を朗々と詠みあげると、ほぼ一瞬にして目の前に、カフェとかにあるオシャレなテーブルが出現した。

 

呆気に取られている俺に、これまたいつの間にかティーカップとケトルを手に持ったアムソンさんが、慣れた仕草で紅茶を振る舞ってくれる。

 

え、なにこれホントすごい。

ていうかめっちゃ便利じゃん。

 

 

「皆様、どうぞ」

 

 

「あ、どうもー……うわ紅茶も旨いし」

 

 

「……本当ね。この茶葉もそうだけど、淹れ方が良いんだわ。美味しいです、アムソンさん」

 

 

「お褒めに預かり恐悦至極に存じます」

 

 

「……エルフってホント凄いのな。こんな便利な魔法まで使えるなんて」

 

 

「……いえいえ、少しばかり買い被っておられますよ、ナガレ様。このアムソン、確かにエルフではありますが……扱える魔法はこの"収納魔法だけ"なのでございますよ。それにこの魔法は所謂サポートマジックというものでしてな、ナナルゥお嬢様も……そして恐らくセリア様も扱えるのではないでしょうかな?」

 

 

「え、そうなの?」

 

 

「……まぁ、使えるけれど。でも、これほどのテーブルを仕舞える空間領域を保持するのは人間の魔力だと少し厳しいわ」

 

 

 

「ご謙遜を…………つまるところ、お恥ずかしい話ですがこのアムソン、エルフとしては大変出来の悪い落ちこぼれでございましてな。恐らくお二方はワイバーンを突破出来るほどの魔法を扱えるエルフを探していたのでしょう。ご期待に添えず、誠に申し訳ありません」

 

 

 

出来の悪い落ちこぼれ。

そう卑下しながら頭を下げるアムソンさんの顔は、恥じる様子を皺の深みにひっそりと隠している。

 

言葉に迷って、チラッとナナルゥお嬢の方を伺えば彼女も彼女で複雑な色味を唇の端に滲ませていて。

肘までの長さの黒いオペラグローブに包まれた指先が小刻みに震えて、そっと彼女のティーカップの水面を揺らした。

 

収納魔法、か。

確かにここに来るまでは、単純な火力を期待してたのは事実だったけれども、これだって充分に…………

 

 

「……いや、待てよ。ねぇアムソンさん。アムソンさんってさ、この収納魔法を使ったらどれくらいの規模の物まで仕舞ったり出したり出来る? あと、人とか動物って収納可能?」

 

 

「……規模、ですか? そうですな……とりあえず、このテーブル二つ分の大きさぐらいであれば可能です。しかし、人や動物などの"生きているモノ"は無理にございますぞ」

 

 

「……じゃあ、『死んでたら』大丈夫って事?」

 

 

「出来ますわよ」

 

 

「お、お嬢様?」

 

 

「出来ます。アムソンは口喧しいながらも、執事としての技量は徹底的に磨いてますの。ですから料理なども嗜みますし、わたくしの要望には出来る限り答えれるよう色んな料理の材料を収納させていますから」

 

 

……やっぱなんだかんだで主従仲は良いんだな。

まるでフォローするかのように口数を途端に増やし出したナナルゥお嬢に、つい微笑ましくなった。

 

 

「へぇ、じゃあ当然『ワイバーン用の餌』とかも可能って事だよね」

 

 

「もっちろんですわ!! ……って、ワイバーンの餌?」

 

 

「……ナガレ。まさか」

 

 

「いや、そんな心配しなくても、ブギーマンは使わないって。代わりにちょっと良い"再現"を思い付いてね。上手く行けば────風無き峠を突破出来る」

 

 

「……ぶぎーまん? さいげん?」

 

 

冬眠前のワイバーンの習性とやらを上手く活用すれば、何とかなるかも知れない。

勿論、ただ習性を活用するだけでは橋を渡る事は出来ないだろうけど。

 

呆気に取られたように舌足らずなオウム返しをするナナルゥや、傍に控えながらも頭を捻るアムソンさんの主従コンビには、俺の思い付きが分からないのも無理はない。

 

けど、セリアは俺の能力を知っている。

当然、正解はそこにある。

 

 

「……ナナルゥさん、アムソンさん。改めてだけど、俺達に協力してくれない?」

 

 

あの"現象"を再現出来れば、突破出来るはずだ。

 

 

 

_______

 

【人物紹介】

 

 

『ナナルゥ・グリーンセプテンバー』

 

 

身長155cm 外見年齢16歳

 

ギルドにて出会った、お嬢様エルフ。

 

エメラルドグリーンのセミロングを左右両サイドでグルグルと巻いてる、まさにお嬢様っぽい髪型と高級感のあるワインレッドの瞳を持つ。

どことなく幼さの残る甘い顔立ちをしているが、スタイルは大人顔負けなレベルで、バストは脅威のGにも及ぶ。

 

お調子者で融通が利きにくい上、プライドが高いといった典型的なお嬢様気質。

自分をぐんぐんと持ち上げる割には他人をあまり卑下しない言動からして、根っこは素直であるらしい。

 

 



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Tales 15【淑女が帽子を取る前に】

「馬鹿げてますわ。なんですの、そのワールドホリックだなんてデタラメな魔法は……第一、アーカイブとやらは魔導書じゃありませんの?」

 

 

「いえ、一概に言われる魔導書とは別物であるようですぞ。召喚魔法の亜種、というべきものでしょうか。ううむ、しかし……ナガレ様のその能力は、いわゆる伝承や説話まで再現出来るという事。このアムソン、そのような特殊性を持った魔法など初めて耳にしましたぞ」

 

 

やっぱりというか、エルフが『魔法』に長けているという事は同時に魔法の知識も深いんだろう。

 

だからこそ、ワールドホリックがレジェンディアに現存するどの魔法にも該当しない、つまりは異端的なモノであると直ぐに理解してくれた。

 

 

逆に言えば、すんなり信じがたく受け入れがたい能力だと思われているということで。

胡散臭いのも都市伝説らしくて良いじゃない、と前向きに受け入れていい状況じゃないね、これ。

 

 

「……じゃ、証明する為にも喚んでみますか」

 

 

「……なんですの、その薄い箱。何かのマジックアイテム……にしては魔力が通ってませんわね」

 

 

「え、そういうの、見るだけで分かっちゃうもんなの?」

 

 

「と、当然ですわ! わわ、わたくし程のエルフともなれば、このくらいの魔力探査なんて朝飯前! もう食べましたけど!」

 

 

「……朝の前だろうが昼の前だろうがどっちでも良いけど、ナナルゥさんも凄いのな」

 

 

「へ!? あ、まぁ……す、凄い……? わたくしが、凄い…………」

 

 

「……どしたのナナルゥさん」

 

 

「ナガレ様、お気になさらず。久しくなかった喜びを噛み締めてるだけでございますので」

 

 

「はぁ……じゃあ、喚びますんで」

 

 

論より証拠。

 

ゴソゴソとジャケットから取り出したるスマートフォンを一目でマジックアイテムではないと見抜いたナナルゥさんの鑑定眼は、少なくともあのアークデーモンより優れているらしい。

それだけでも凄い事なのは事実なんだから、そんな噛み締められても困る。

 

 

さて、都市伝説を証明するなんて状況のそもそもがナンセンスだけれど、彼女らの助力はなんとしても得たい。

 

でないと……"峠まで大量のワイバーンの餌を運ばなくては"いけなくなる。

そんなめんどくさい羽目は出来れば避けたい。

 

 

「メリーさん、今良い?」

 

 

──プルルルルル

 

 

「!?」

 

 

間髪入れずに鳴り響くコール音に不意を打たれたのか、ナナルゥさんの身体がビクンと跳ねて、アムソンさんの目が険しく細まる。

 

それにしても早いレスポンス、メリーさんも暇だったのかも。

 

 

『私メリーさん。ナガレ、ご用はなぁに?』

 

 

「メリーさん、ちょっと今から再現しても良い?」

 

 

『もちろん! 最近喚んで貰えなくて寂しかったし、メリーさんはいつでもウェルカム!』

 

 

「はは、了解」

 

 

最近といっても二日ぶりってくらいだけども。

そういえば都市伝説のストーリー的に、メリーさんって寂しがり屋なのかも知れない。

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ/Archive)】」

 

 

 

曖昧な笑みを浮かべつつ、早速アーカイブを開いて、唱える。

正面のお嬢様が、息を飲む音がした。

 

 

 

「【World Holic】」

 

 

 

 

 

────

──

 

【淑女が帽子を取る前に】

 

──

────

 

 

 

 

「私、メリーさん。初めまして、長いお耳のお姉さんと長いお耳のお爺さん」

 

 

「………………」

 

 

「これが、ナガレ様のワールドホリックでございますか。成る程、これは確かに召喚魔法にも通ずる所がありますな」

 

 

真っ黒なボロボロドレスのスカートの裾をひょいと摘まんで、軽やかなソプラノを静寂の中に流し込んだメリーさんの登場に、エルフといえど流石に驚きを隠せないようで。

ナナルゥお嬢に至ってはぽかんと口を開けながら唖然としてる。

 

 

「私メリーさん。ナガレとセリアは何を飲んでるの?」

 

 

「……これ? これはハーブティよ」

 

 

「ハーブティ、つまり今はお茶の時間ね。紳士淑女の嗜みなの」

 

 

「俺ので良かったら一口飲んでみる? 旨いよ」

 

 

「ありがとうナガレ、いただくわ」

 

 

試しにと軽い気持ちでティーカップを差し出せば、にこりと笑いながら一口。

元がフランス人形という背景からか、その所作の美しさは紳士教養のない俺とは比べるまでもない。

 

というか都市伝説なのにお茶とか飲ましていいのか、これ。

もしかしたら、菓子とか普通に食べるのかも。

 

 

「おっと、驚きの余り名乗りを忘れるとは、ご無礼をお許し下さい。どうぞ、アムソンとお呼び下さいませ、メリー様」

 

 

「私メリーさん。よろしくね、アムソン。あと私はメリーさん」

 

 

「重ね重ね失礼致しました、メリーさん」

 

 

「うむ、よきにはからえなの」

 

 

「そんな物言い、どこで覚えてきたの」

 

 

「……マイペースぶりは主人に似たのかしらね」

 

 

「うっさいよ」

 

 

流石は物腰や気配りだけでも一流と分かるアムソンさん。

明らかに不可解な現象を前にしても、戸惑いをあっさり心に仕舞い込む辺り、まさに執事の鏡。

すんなりと正しい呼ばれ方をされたのに満足したのか、それともハーブティの美味しさ故か。

俺の膝にふわりと乗っかってカップを啜る彼女はご満悦と言わんばかりに笑顔を咲かせていた。

 

 

さて、執事は納得してくれたみたいだけど、主人の方はどうだろうか。

 

 

「…………ってないですわ」

 

 

「……ん? どしたのナナルゥさん」

 

 

「──っ、ナガレ!! 貴方、なってないですわ!」

 

 

「……え、俺?」

 

 

「……?」

 

 

「貴方以外に誰が居ると言うのですか!」

 

 

どうもなにも、俺に対して滅茶苦茶怒ってらっしゃった。

鼻息を荒げながらずいっと詰め寄られる拍子に、メリーさんもビクッてなって、零れたハーブティの一滴が太腿を濡らす。

 

 

「……あの、俺なんかしたっけ?」

 

 

「なんかした、ではありません!! ワールドホリックだがワーカーホリックだか知りませんけれど、仮にも貴方に仕える者……つまりは従者、しかもそんな可憐な娘に"みすぼらしい格好"を晒させるなんて、主人失格ですわよ!」

 

 

「…………あっ」

 

 

「私メリーさん。ナガレ、私の格好、なにかおかしいの……?」

 

 

あーそうか、そういう事か。

都市伝説がどうこうなんて関係なく、ナナルゥさんはメリーさんのボロボロな服装とか、煤に汚れてるとことかに怒ってるのだろう。

 

ヤバい、考えが足りなかった。

冷静に考えれば、ナナルゥさんみたいな少なからず美意識とプライドがめっちゃ高そうな人に、メリーさんを見せればこうなる事も想定できて然るべきだ。

 

年端もいかない美少女にボロボロのドレスを着せたままの性格の悪い主人。

つまり俺はナナルゥさんにこう見られてしまったと。

主人として、一人の淑女として、彼女が怒るのも無理はない。

 

「ナガレ、そこに正座なさいな! わたくしが主従とはそれぞれどういう心構えをすべきか、徹底的に教えてさしあげますわ!!」

 

 

「や、これには事情がありましてですね……」

 

 

「お黙りなさい! ナガレ! 耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれですわ! 良いですか、主人にとって従者というのは言わば己のが身と同じなのです。従者の身嗜みとはそのまま主人の身嗜みと同義。であれば従者の身嗜みを身綺麗に整えるのも主人というものの責務であり──」

 

「私メリーさん。ちょっと長い耳のお姉さ──」

 

 

「貴女もです、メリー! せっかく美しい外見に生まれたのなら美しく着飾るのも淑女の役目でしょうに!」

 

 

「え、わ、私メリーさん。私はメリーさん、ちゃんと呼んで……」

 

 

「──良いでしょう!! この際、我がグリーンセプテンバー家に代々伝わる教訓をみっちりたっぷりぎっちぎちに! このナナルゥ・グリーンセプテンバー自らが叩き込んで差し上げますわよ!」

 

 

「「……はい」」

 

 

「……止めなくて良いのかしら」

 

 

「あぁなったお嬢様はなかなか収まりませぬからな。セリア様、お茶のおかわりはいかがですか?」

 

 

「ありがとう、いただくわ」

 

 

椅子から床へと正座させられる俺とメリーさんを尻目に、悠々と紅茶を飲むセリアの薄情っぷりが心に染みる。

 

というかね、やっぱこの人ある意味凄いって。

あのメリーさんですら大人しく従わざるを得ない、この迫力。

 

ナナルゥさんの外見が凄い整ってるだけに、剣幕もまたとんでもなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「……本当に、そんな現象が起こせますの?」

 

 

「絶対とは言い切れない。都市伝説って依り代自体が曖昧であやふやなもんだし。けど……成功したら風無き峠の突破も簡単でしょ?」

 

 

「それは……そうですけども……むっ、メリー。顎の所の汚れがまだ残ってますわよ」

 

 

「……私メリーさん。ナナルゥはメリーさんに対するリスペクトが足りないの。メリーさんはメリーさん、間違えちゃ駄目」

 

 

「レディ扱いはきちんと身嗜みを整えてからですわ!」

 

 

「私メリーさん。私メリーさんなのに……」

 

 

とりあえず俺の能力についての説明と、風無き峠突破の為のプランを説明した結果。

半信半疑であることを拭い切れはしなかったものの、一応の納得は得られた。

 

というか、お嬢様の関心はメリーさんにあるみたいで、エプロンドレスを着替えさせるのは諦めたけれども、顔に煤を付けたままというのは譲れないそうで。

強引にハンカチでメリーさん自ら汚れを拭き取らせるまでクドクドと説得し切ったのだから、やっぱこの人大物だよ。

 

勿論、それもメリーさんにとってのアイデンティティじゃないのという俺の危惧も、細波なんかに留まらない荒い波で流されましたとさ。

 

 

「……アムソンは、特に意見とかしなくても良いのかしら?」

 

 

「このアムソン、どうあってもお嬢様の執事でございます。最終的に決断するのは、やはりお嬢様でなくてはなりません」

 

 

「……なるほど」

 

 

「セリア様こそ、不安は粒々とありながらも特に反対されないようですな。ナガレ様とは良き信頼関係を築いていらっしゃるようで」

 

 

「そう、でもないと思うけれど」

 

 

「おや、これは年寄りの冷や水でしたかな。差し出がましい真似をしてしまいました、申し訳ありません」

 

 

あっちはあっちで、任務の道連れと主人をそれぞれほったらかしだし。

まぁそれはさて置き、やっぱり万が一戦闘になる備えも考えてこの主従とは契約を結んでおきたい。

 

 

「私メリーさん。もう綺麗になったの」

 

 

「……まぁ、ギリギリ合格点ですわね。本来なら髪も櫛を通して、ドレスも変えておきたいところですが……」

 

 

「この服はお気に入りだから着替えたくない」

 

 

「もう、美意識が足りませんわね! 折角綺麗な顔に生まれたのだから、従者としても淑女としても美を磨く事を怠ってはなりません。それがグリーンセプテンバー家訓の六条目ですの。良いですわね、メリー」

 

 

「私、メリーさん……ちゃんと呼んで」

 

 

「良いですわね、メリーさん」

 

 

「そう、私はメリーさん。ナガレ、なんかどっと疲れたの」

 

 

「よしよし。アムソンさんにお茶淹れて貰いなよ」

 

 

相当疲れたのか、汚れのついたハンカチを掴みつつ、ふよふよと力なく茶席まで浮いていくメリーさんを見送って、目線をナナルゥさんに向け直す。

 

綺麗好きなのか、それとも純粋に淑女は淑女らしくあるべきという観念が強いだけか。

一仕事終えた後みたいに満足気に微笑む彼女に、いよいよ交渉のラストスパートへと切り込んだ。

 

 

 

「……で、どうする。俺達に協力してセントハイムまで一緒に付いて来てくれる?」

 

 

「そう、ですわねぇ……ガートリアムに居続けるよりは、大国まで行くのもやぶさかではないんですけども」

 

 

ネックは、ワールドホリックの不確かさ。

けれどこればかりは、今までのワールドホリックとは"少し違う分類の再現"だから俺としても絶対上手く行くとは言い切れない。

だからそこに関しては信じて貰うしかないんだけど。

 

 

……ちょっとニンジンでもぶら下げてみようかな。

 

 

 

「……もしこの任務が成功したら、きっとナナルゥさん達はガートリアムやラスタリアの人達にめっちゃ尊敬されるんだろうなぁ……」

 

 

「……!」

 

 

「なにせラスタリアのテレジア姫直々の要請だし、危険性の高い任務を達成するのに協力してくれた……いいや! 二人の協力がなければそれはもう突破なんて無理だったってなれば……当っ然! ナナルゥさんの知名度はうなぎ登りにズバババーンと上がるんだろうなぁきっと、うんうん」

 

 

「ち、知名度うなぎがズバババーン!!!?」

 

 

「ガートリアムの危機を救った気高きエルフ、ナナルゥ・グリーンセプテンバー……いい響きだと思わない?」

 

 

「気高き……エルフ……………………うへへ」

 

 

「私メリーさん。でもナガレの話だと活躍するのはナナルゥじゃなくてアム──ふがふが、もごご」

 

 

「おっとメリーさん、それ以上はいけない。それに従者の功績も主人の功績だからね、オーケー?」

 

 

「もーごー」

 

 

危うく水を差すところだったメリーさんの口を慌てて塞ぎながら、世の中には分かりやすい突っ込み所があっても突っ込まない事も必要なのだと教える。

 

間延びした返事と共に頷くメリーさん、素直で宜しい。

 

 

そして、何かと名声を欲していた素振りが多かったナナルゥさんは、面白いぐらいにぶら下げた餌に夢中になってる。

なんかうへへあははとかにへら顔を浮かべてらっしゃるのが、ちょっと怖い。

 

 

そして、最後の一押し。

 

 

「……まぁそれでもワイバーンが怖いってんなら仕方ない、他の冒険者をなんとか探して──」

 

 

「──お待ちなさい!!」

 

 

なんとか探して、みる必要はなくなりましたとさ。

高らかな宣誓と共にビシッとなんか気高そうなポーズを決めてるお嬢様、ぶら下げてニンジンはもう彼女の腹の中でございますね、うん。

 

 

「グリーンセプテンバーの家訓が四条、『身を整えるのは大事な務めであれど、地に平伏す者に手を差し伸べる時は、汚れを気にせぬ者であれ』──良いでしょう。貴方達がどぉぉぉぉしてもと言うのならばこのナナルゥ・グリーンセプテンバーが協力してさしあげますわっ!」

 

 

「うん。どぉぉぉしても助けて欲しいから、お願いします」

 

 

「オーッホッホッホッホ!!! お任せなさい! 例え竜種が相手の難題であろうとも、わたくし達にかかればちょちょいのちょいでございますわ!!」

 

 

「いや助かるよホントあざーす」

 

 

「私メリーさん。ナナルゥ、ちょろいの」

 

 

こうして臨時ではあるものの、風無き峠を突破する為のパーティが結成された。

 

エルフのお嬢様、ナナルゥ・グリーンセプテンバーとその執事アムソン。

 

不思議と、この二人とは長い付き合いになりそうな予感がした。

 

 

 

______

 

【人物設定】

 

『アムソン』

 

グリーンセプテンバー家につかえる老執事。

艶のある銀髪をオールバックに整えた夕陽色の瞳を持つ。

その物腰や温厚な物言い、常に一歩引いた立場から発言する姿勢と時にはしっかりと諌める所などなど、ナガレにまさに執事の鑑と評されるほどのエルフ。

 

しかしエルフの中ではろくに魔法を使えない落ちこぼれであり、唯一使えるのは収納魔法と呼ばれるサポートマジックのみ。

だが、その収納出来るスペースと量は、一般の魔法使いとは比べものにならないほど広く大きいので、利便性が非常に優れている。

 

 

【補足】

 

コンビニエンス(こんなこともあろうかと)

 

収納魔法と呼ばれるサポートマジック。

魔法によって構築した別の空間に物を収納出来る。

加えて、収納した物質はその時の状態が固定されるという事もあり、非常に便利な魔法。

 

空間の広さは個人によって決まっており、普通は鎧一つを仕舞っておける程度。

収納出来るものには条件があり、生きているモノは収納不可。

 

 



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Tales 16【メリーさんとメアリーさん】

ある意味で良い性格をしてるエルフの主従コンビとは旅支度を整えるという理由で一度別れ、テレイザ姫に彼らを雇った報告することも兼ねてセリアもまた城に戻るという。

 

てっきり俺も一緒に報告するもんだと思ったんだけども、この程度は自分一人で充分だから、せっかくなのでガートリアムの街をゆっくり回って見てはどうかとセリアに提案された。

 

 

「……思えば、こっちに来てまだ一週間も経ってないな」

 

 

あの湖畔の森でセリアと出逢ったのもなんだか結構前の事とすら思えるぐらいに濃い日々を送ったからか、こうして街中をゆっくり歩くだけで新鮮に思える。

 

 

「私、メリーさん。ナガレ、歩くの早いの」

 

 

「え、あー……悪い悪い。手、痛かった?」

 

 

「んーん」

 

 

つい思い耽って右側の重みを忘れてしまった。

ささやかな苦情に詫びれば、そこまで気にしてないからとやんわり首を横に振るメリーさん。

 

ところどころ汚れが目立った長い金髪もきっちりとお嬢様監視の元に整えられたからか、陽光を浴びてキラキラと輝くハニーブロンドが通行人の目を惹いていた。

 

 

「そのハニージュエルってやつ、ガートリアムの名産物っておっちゃん言ってたっけ。美味しい?」

 

 

「うん! とっても……ん、んん! 『私、メリーさん』……とっても美味しいの」

 

 

「……別にその口癖みたいなの、無理に言わなくても良いんじゃない?」

 

 

「……私、メリーさん。『これ』は私のアイデンティティーだから無理してる訳じゃないの、ほんとなの」

 

 

「……そ、そうですか」

 

 

ナナルゥさんとの一件で再現したままだったのだが、一人でガートリアム観光というのも味気ないしという事でご一緒して貰ったんだけども。

メリーさんが都市伝説であることは揺るぎないとしても、こうしてささやかな日常の中では彼女もまた年相応な面が見てとれた。

 

例えば、今みたいに何気なく買ってみたガートリアムの甘菓子を食べて、その美味しさにうっかり口癖を忘れてしまうとことか。

というか『私、メリーさん』の一言は彼女が意識して使ってたらしい。

 

 

この場合、メリーさんのうっかりを引き出した、ハニージュエルと呼ばれる蜂蜜でコーティングした甘栗菓子の美味しさを誉めるべきか。

それとも、ちゃっかり都市伝説っぽさを演出するキャラ付けを貫くメリーさんの意地に頬を緩めるべきか。

 

 

 

それにしても、【屋台食】と聞くと連想してしまうのは、ファーストフード。

ファーストフードと聞けば言わずもがな、これまた数々の都市伝説が存在する。

有名なのは、ハンバーガーの肉についてだろうか。

コスト削減の為に、牛肉ではなく食用ミミズや食用ネズミを使ってる、なんて噂は誰しも一度は聞いた事があるだろう。

 

 

あー懐かしい。

半年前のファーストフード店。

『ネズミのハンバーガー下さい!』と例のモノを期待してアホな注文した俺に、出てきたのは普通のハンバーガー。

ちょっとしょんぼりしながら何気なく上のパンを捲ってみると……なんと、あのネズミマークに切り取ったピクルスが一枚。

 

……紛れもなくネズミバーガー。

『神対応』としか言いようがなかった。

苦笑いしながら対応してくれたお姉さんに、恋に落ちるとこだった。

 

 

「(その後、一緒に来店したアキラ達に一発ずつぶん殴られたけど。グーはいかんよグーは)」

 

 

なんて頭の中の余談は、くいくいと袖をひくメリーさんに中断された。

 

 

「ねーナガレ。ナガレもお一ついかが? 屋台のおじさまがたくさんおまけしてくれたから、まだまだあるの」

 

 

「さっきまでアムソンさんがくれたお茶菓子食べてたし、今は甘いのは遠慮しとく。それに、そのおまけはメリーさんの可愛さにって事だったろ?」

 

 

「私、メリーさん。誉めてくれるのは嬉しいけど、過剰なサービスは考えものなの。はむ、まぐまぐ」

 

 

メリーさんもこう見えてなかなか手厳しい事を言うもんだ。

というか、メリーさんって意外と荒っぽい。

防衛戦の時、危うく俺に誤射しかけた弓兵に対しての口振りとかちょっと肝が冷えたし。

 

 

そんな折、ふとメリーさんの足が止まる。

いきなりどうしたのと彼女を見やれば、紙袋の中のハニージュエルを咀嚼しているメリーさんの視線は、ある一点に向けられていた。

 

 

「…………」

 

 

「っと、どしたのメリーさん」

 

 

いろいろと散策していく内に、中心街から結構離れてしまったらしく、いつの間にか住宅街に踏み入れていたらしい。

それも、ガートリアムをぐるっと囲んで築かれた石の外壁近くまで。

 

 

「……なにやってんだろ、あの子」

 

 

多分、外壁の上に続いてる階段の入り口近くで立ち尽くしながら壁の上辺りを見上げている、色の薄いブロンド髪の少女。

お世辞にも景気が良いとは言えない表情をしている幼いシルエットは、何故だか見覚えがあった。

 

 

 

────

──

 

【メリーさんとメアリーさん】

 

──

────

 

 

 

一歩目を先に踏み出したのは、メリーさんの方だった。

ナガレが迷子にならないように、だなんて本来なら逆の台詞と共に彼女から繋いだ掌が、また緩やかに引っ張られる。

 

メリーさんと、同じくらいの年頃だろうか。

背丈も髪の色も、瞳の色もメリーさんに近い。

 

けれどその青に近いグリーンの瞳は明確に沈んでいて、今にも泣き出しそうにも見えた。

 

 

「……私、メリーさん。ハニージュエル、おひとついかが?」

 

 

「……え?」

 

 

そんな彼女に歩み寄ってメリーさんが差し出したのは、キラキラと輝く宝石の形をした甘細工。

暗い表情を晴らす為の小さな魔法の小粒達にその少女は一度だけ目を輝かせるも、すぐさま暗い表情に戻る。

 

けれど、その瞳はどこか驚きを浮かべたままで、グリーンアイとエメラルドグリーンアイが鏡合わせみたく向き合った。

 

 

「……メアリー? あなたもメアリーっていうの?」

 

 

「私はメリーさん。メアリーさんじゃないわ」

 

 

「メリーさん……えっと、私はメアリー……」

 

 

「私、メリーさん。貴女はメアリーさんね」

 

 

似ているのはどうやら外見だけに収まらず、名前までも、ほとんど一緒らしい。

メリーさんとメアリーさん。

 

 

「ねぇ、メアリーさん。ハニージュエル、おひとついかが?」

 

 

「いいの?」

 

 

「勿論、いいのよ」

 

 

「……じゃあ、ひとつだけ」

 

 

細かく見れば違いはあるけど、こうして会話していれば双子の姉妹にも見える。

だからこそ不思議な親近感に多少戸惑いつつも、メアリーという名の少女はメリーさんに差し出しされたハニージュエルを一口頬張(ほおば)った。

 

 

「メアリーさん、美味しい?」

 

 

「う、うん。美味しい」

 

 

「私メリーさん。メアリーさんが喜んでくれて嬉しいの」

 

 

「え……あ、ありがとう、メリーさん」

 

 

「うふふ」

 

 

まぐまぐと味わいつつハニージュエルの甘さに頬を綻ばせながらも、いきなりよく分からない親切をされて、メアリーは目をパチパチと瞬かせた。

 

瞳にあった暗がりは少しは晴れたものの、このよく分からない状況にどうして良いのか分からないのだろう。

メアリーの瞳が、ゆっくりとメリーさんから俺へとシフトすると、若干不安そうに彼女の肩が跳ねた。

 

 

「……あぁ、ごめんないきなり。俺はナガレ。このメリーさんの……あー、保護者みたいなもん」

 

 

「ほごしゃ?」

 

 

「私、メリーさん。ナガレ、それは心外だわ。むしろ私の方がナガレの保護者なの」

 

 

「……わり否定出来ないのが悔しい」

 

 

「ほごしゃってなに? かくれんぼする時に色がかわる魔法のこと?」

 

 

「それは保護色……よく知ってんねそんな事。保護者っていうのは……あれだ。お父さんとかお母さんとか、そういう感じの人のこと」

 

 

「……う、ん。それなら分かるよ。じゃあ、えっと……メリーさんはナガレのママなの?」

 

 

「それは勘弁して。せめて俺がパパかお兄さん辺りにしてくれ」

 

 

「……じゃあ、ナガレはメリーさんのお兄ちゃん?」

 

 

「私、メリーさん。ナガレがお兄さん……結構いいかも」

 

 

「……もうそれで良いから」

 

 

怖がらせないようにと思って名乗った結果がこれだよ。

藪蛇とまでは言わないけど、危うくより一層場が混沌とするところだった。

けど、俺が『お父さん』と口走った瞬間、メアリーの目に陰りが生じたのは見逃せない。

 

多分、メアリーと彼女の親とで何かしらあったんだろうけど。

試しにちょっと探ってみようか。

 

 

「ところでメアリー、こんなとこで何してんの。落とし物でもした?」

 

 

「え……べ、別になんでもないよ。お散歩してただけだもん」

 

 

「私、メリーさん。お腹空かせてまで散歩してたの?」

 

 

「…………す、空かせてない」

 

 

「私、メリーさん。メアリーさん、嘘はダーメ。私は耳も良いから、メアリーさんのお腹の音だってちゃんと聴こえたもの」

 

 

「……うぅ。れ、れでぃのお腹は音がなったりしないって…………パパ、が……」

 

 

なるほど、いきなりメリーさんがハニージュエルを差し出したのは俺には聴こえないほどの微かな音さえ拾ってしまえる優れた聴力ゆえか。

 

カッと恥ずかしさで頬を赤くするメアリーだったが、『パパ』と口にした途端、今にも泣き出しそうなほどに顔を俯かせる。

あぁ、やっぱり何かあったのは間違いないみたいだな。

なるべく目線を合わせるように膝を折って、語りかけてみる。

 

 

「……メアリーのパパがどうかした?」

 

 

「…………メアリー、パパに嫌われちゃったから」

 

 

「私、メリーさん。嫌われたって、どうして?」

 

 

「……メアリーが、"悪い子"……だから」

 

 

「悪い子?」

 

 

初対面を相手に推し量りきれるような人生経験を持ち合わせてない俺だけれども、メアリーが悪い子という印象は抱かなかった。

 

何か事情がありそうだからもう少し探ってみようか。

 

 

「……良ければ話聞かせてみなって。一人で暗い顔してたってしょうがないし。なぁ、メリーさん?」

 

 

「私、メリーさん。勿論。メリーさんは優秀だから、お悩み解決だって出来ちゃうもの。さ、お話し聞かせて、メアリーさん」

 

 

「…………うん」

 

 

自然と同時に離した俺の手とメリーさんの手。

少女らしい小さな掌が、ポンポンとお姉さんぶりながらメアリーの肩を叩けば、曇り顔が少しだけくすぐったそうに微笑んだ。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「……それで、その怖いヤツがどっかに行って……おばあちゃんも怖かったって。パパが、メアリーは悪い子だって……すっごく、すっごく怒ったの」

 

 

「……」

 

 

「ちゃんと反省しなさいって……パパ、ずっと優しかったのに……あんなに怖い顔して、今まで一度も怒ったこと……うぅ、ぐすっ」

 

 

「……よしよし。メアリーさん、よしよしなの」

 

 

「ひっく……それ、で……パパが、今度はママを怒って……ママも、ずっと泣いてて……」

 

 

「……そっか。それで、家に居辛くなって飛び出して来ちゃったと」

 

 

「メアリーが悪い子だったから、パパが……ひっく、あんなに、怒ったんだもん、ぐすっ」

 

 

「ほら、ぎゅーって。メアリーさん、よーしよし」

 

 

ガートリアム騎兵隊の一員である父親の活躍を一目見たかった、そんなありふれた子供心が招いてしまった危機の経緯を聞いて、ようやくメアリーの幼いシルエットに見覚えがあった理由に思い至る。

 

メアリーは、ブギーマンを再現するきっかけとなったあの時の少女だったのは間違いない。

防衛戦の際は間一髪アークデーモンの脅威から守り切れたけれども、その後でまた色々とあったみたいで。

 

 

メリーさんの腕の中でついに涙を堪えきれなくなった彼女は、その父親に物凄く怒られたらしい。

で、その怒りという名の不安がそこで収まりつかず、メアリーから目を離してしまった彼女の母にも矛先が向いたと。

 

 

「メアリーが悪い子だから……パパも、怒って。メアリーが悪い子だから、ママも泣いてた。おばあちゃんはそんなことないって、言うけど……」

 

 

「…………メアリーのお父さんが怒ったのは、メアリーが悪いから。ほんとにそれだけだと思う?」

 

 

「……それ、だけ?」

 

 

「そう。メアリーは、自分が悪い子だからだって言うけど、もっと他に怒った理由があると俺は思うワケ」

 

 

正直、泣いてる女の子の上手い慰め方なんて俺には分からない。

女心とかそういうのより、都市伝説とか考察するような変人で通ってた訳だし。

 

だけどまぁ、戦闘もメリーさんとかブギーマンにしか頼れないんだから、こういう時くらいは頑張んないとね。

 

 

「……わかんない」

 

 

「本当?」

 

 

「……わかんないもん」

 

 

ポンポンと、幼子をあやすようにメリーさんの掌がメアリーの背中を宥めている。

ちらりと向けられたエメラルドグリーンの瞳が、不思議そうに丸まっていた。

 

そうか、メリーさんにも分からないのか。

いや、それもそうだろうな、なんたって都市伝説だし。

多分、こうやってメアリーを宥めているのも、なんとなくそうしなきゃっていう本能みたいなもんなのかも知れない。

 

 

「……その、メアリーの言う怖いヤツってさ、ブギーマンって言うんだけど」

 

 

「ブギー、マン?」

 

 

「そそ。アイツはね、怖がる子供の心に惹き付けられる。アークデーモンに襲われた時、メアリーは心から怖いって思っただろ? だからブギーマンがやって来た」

 

 

「……じゃ、じゃあ……メアリーが怖いって思ってたら……あ、あの怖いヤツがやって来るの?」

 

 

メアリーの脳裏で、怪人の姿が鮮明にリフレインしているんだろう。

小さな肩が恐怖に震えている。

こんな小さな子を怖がらせるのは大人げないかも知れないけど、その恐怖を想像することが重要だ。

 

 

「……確かに、ブギーマンは怖がる子供の前に現れる。けれども、もしかしたらメアリーのお父さんの前にも現れるかも知れない」

 

 

「ど、どうして!?」

 

 

「……子供以上に、怖がっているからだろ。きっと、メアリー以上に怖かった。だから、お父さんはものすごーく怒ってる」

 

 

「……パ、パパは騎士様だもん。グリフォンの子供だって倒しちゃえるくらい強いもん! こ、怖がったりなんて……」

 

 

「……いいや、どんなに強くても、大事な人を失うのは怖い。メアリーが悪い子だって事以上に、メアリーを失うところだったのが……多分お父さんは一番怖かったんじゃない?」

 

 

「…………パパ、メアリーのこと、嫌いになったんじゃないの?」

 

 

「聞いてみなよ。そんな訳ないだろ! ってもっと怒られるだろうけど」

 

 

「………………」

 

 

大事な娘が、自分の預かり知らぬところで死ぬかもしれなかった。

そりゃ怖いし、冷静じゃいられないくらい怒るだろう。

 

変人にだってそれくらいは、まぁ、分かる。

けど、正しい諭し方までは分からないから正直ちゃんと伝わるか不安だったけど。

 

最後にメアリーの背中を押す優しい掌は、すぐ側から。

 

 

「……私、メリーさん。ねぇ、メアリーさん。ぎゅって抱きしめて貰えると、安心出来ると思わない?」

 

 

「……う、うん」

 

 

「私、メリーさん。それってね、ちゃんと大事にされてることの証だからなの。愛されて"た"……ううん、愛されてる証なの。メアリーのお父様だって、こうしてくれたこと、あるでしょう?」

 

 

「──…………うん。怖い夢とか、見た時に。メアリーが泣いてると、パパも、ママも……」

 

 

それは、神の悪戯によって形を成すことになった少女の、灰と煤に汚れた寂しがり屋の記憶。

彼女がハサミを握る理由となってしまった、裏返ったままの優しい記憶。

 

だからこそ、その言葉は。

 

 

「……だったら、その優しい腕の中から逃げ"続けちゃ"ダメよ。そっちの方が、もっと悪い子なの」

 

 

「…………ごめん、なさい」

 

 

メリーさんの言葉は、メアリーの心に届いてくれたのだろう。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「メリーさん、ナガレお兄さん。ありがとう……メアリー、パパにもう一回謝ってみる」

 

 

「ん、頑張れ」

 

 

「私メリーさん。メアリーさん、応援してるの」

 

 

「うん!」

 

 

少しだけ赤らんだ瞳が、根っこの方に沈めていた明るさをようやく拾い上げたらしい。

花咲くような笑顔を向けられれば、もう大丈夫だと胸を撫で下ろしても良い頃合いだ。

 

けど、ふとメアリーの頬に、茜色が射し込んだ。

どこか照れくさそうに、幼き少女の口が開く。

 

 

「……ね、メリーさん」

 

 

「私、メリーさん。なぁに、メアリーさん」

 

 

「……メリーさん達は、明日にはセントハイムっておっきな国に行っちゃうんだよね?」

 

 

「私、メリーさん。えぇ、大事な手紙を届けに行くの」

 

 

「……でも、帰ってくるよね?」

 

 

「私、メリーさん。いつになるかは分からないけど、帰ってくるの」

 

 

セントハイム王国への出発は明日。

その道のりには大きな課題はあるけれど、それを乗り越えなくてはならない理由が、またひとつ増えそうだ。

 

勿論、それは悪いことではない。

 

 

「……じゃあ、次に帰って来たときは、メアリーと一緒に……遊んでくれる?」

 

 

「私、メリーさん。勿論いいわ」

 

 

「や、約束だよ!」

 

 

「えぇ。私はメリーさん。約束は守るの!」

 

 

傘要らずの赤く焼けた夕暮れ時に、メリーさんとメアリーさんが交わした小さな約束。

それを少しだけ離れながら見守る胸中で、アキラ達の顔をなんとなく思い出した。

 

死んだという実感が今更追い越していく。

 

もっと、もっと色々下らない話をしとけば良かった、そう思えるくらいには、大切な思い出だったのだと。

苦く笑うくらいなら、ハニージュエル、食べときゃ良かったかも知れないな。

 

 

 

今更過ぎるけどね、ほんと。

 

 



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Tales 17【微々たる黄金風】

 

「私達を取り巻く状況は予断を許さないものではありますけど、急いてはいけません。良いですね、セリア」

 

 

「はい、姫殿下。ですが必ずや、この親書をセントハイム王国まで届けてみせます」

 

 

「……それだけじゃいけません。届けた後、無事な姿で戻って来るまでが貴女の任務ですから。貴女が詠み上げた騎士の誓い、破ることは許しません。"いいわね、セリア"」

 

 

「っ────了解です、姫殿下」

 

 

「そこは昔みたいにテレイザ、と呼ぶところでしょうに」

 

 

 

羽の小さな夢見鳥でさえ膨らませた風船みたいに、より高くへ昇って行きそうな高い空の下。

まだ戦傷が見え隠れするガートリアム王国の外壁門で、使節団である俺達を見送る為にテレイザ姫自らのお見送りという訳なんだけど。

 

言葉の端々に単なる騎士と王女という関係ではないことを漂わせるから、こっちとしても口を挟めない。

そんな俺を気遣ってくれたのか、紫水晶の透き通った瞳がこちらを向いて、柔らかく細まった。

 

 

「ナガレ様、貴方の"お返事"、しかと覚えています。どうか、セリアを……無鉄砲で無茶ばかりする『私のお友達』を、どうか宜しくお願いします」

 

 

「ん、りょーかい。任せといてよ。無茶ばっかりする友達を持つと気苦労が絶えないね、テレイザ姫も」

 

 

「ええ、全くです。うふふ」

 

 

「……ナガレに無鉄砲扱いされるのは、物凄く釈然としないわ」

 

 

そりゃそうだろう、どっちかっていうと俺は気苦労をかけてしまう側の人間だったから。

けど、今回ばかりは俺もテレイザ姫側に立たざるを得ない。

 

何故なら死にたがりなんて揶揄されるセリアに加えてもう一人、気にかけないと不安な人物が居るもんで。

そしてそのもう一人は、セリア、俺と来てついに自分の番が来たとばかりにボリュームのある胸を張って、ワインレッドの大きな瞳を輝かせていた。

 

 

「ナナルゥさん、アムソンさん。賢知たる者(エルフ)である貴女方の助力、期待させていただきますね」

 

 

「オーッホッホッホ!! 異種族であるとはいえ、一つの国の危機ともなれば手を差し伸べるが名高き者の定めですわ! ワイバーンなどわたくし達にかかれば風に千切れる紙屑同然。へそで茶が沸かせますわよ! 勿体ないからしませんけど!」

 

 

「微力ながら、誠心誠意務めさせていただきます」

 

 

「フフ、心強い事です」

 

 

小国とはいえ王族であるテレジア姫を前にしても変わらない、いやむしろ昨日よりも更に得意気なのは流石といえる。

事情は良く知らないけど、とにかくグリーンセプテンバーの家名を広めたがる彼女としては、絶好のアピールポイントなんだろう。

 

そんな有頂天なお嬢様を前でも動揺した素振りを欠片も見せないお姫様も、なかなか剛の者だけど。

 

 

「……貴女達の行く末が無事であるよう願っています。精霊の加護があらんことを」

 

 

スカートの端を掴み、感嘆の吐息すら零れる綺麗な一礼。

お姫様からの静かな激励は、なかなかどうして心に火を灯すもんだね。

 

 

かくして、俺達はセントハイム王国への道程を歩み出したのだった。

 

 

 

 

────

──

 

【微々たる黄金風】

 

──

────

 

 

 

「……まさに原生林って感じだな、ここ」

 

 

「これでも定期的に手を加えている方よ。リコル森林には繁殖力が凄く強い植物ばかりが生息してるから、なかなか開拓し切れないの」

 

 

「へぇ。まぁこっちのルートは明らかに公道って感じじゃないもんな」

 

 

緩やかに葉先を丸めた、根元の緑から徐々に茜色へと色彩を変えている不思議な植物を軽く突っつきながら深い森の中を進む。

 

足元の至るところに生えた雑草や苔もそうだけれど、中には絵本の背景にでも描かれてそうな独特の輪郭を持った植物だったり、見たことない虫や小動物が生息する此処は、リコル森林。

ガートリアムの北々東に位置した森林地帯であり、此処を抜ければ風無き峠への近道となる。

 

近道の為の近道というややこしい経路だけれども、本来ここは土地勘のない冒険者たちが足を踏み入れる事を推奨されてない。

 

まぁその理由は、方向感覚すらあっという間に分からなくなるこの鬱蒼とした景色を見渡せばすぐに理解出来る事だけれども。

 

 

「……渡りに舟って訳じゃないけど、ナナルゥさん達を引き入れて正解だった。俺達だけじゃ絶対迷ってるってこれ。あの二人は、なんであんなサクサク進めるんだろうね」

 

 

「ナガレに分かりやすく言い換えるなら、エルフは元々、植物とかの自然との親和性がとても良いのよ。基本的に森深くに独自の集落を築いて生活する種族で、高齢なエルフの中には花や木々と意思疎通出来る者も居ると聞くわ」

 

 

「なーるほど、だからナナルゥさんあんなテンション高いのね」

 

 

「……彼女の場合、自然に囲まれてるのとは別の要因だと思うけれど」

 

 

リコル森林においてのコンパス代わりは旅人の手を逃れて、行く先行く先をぐんぐんと進んでいくからこっちも付いて行くのがほんと大変。

 

現代で都市伝説を追い掛けて色んな森林や獣道とかを渡る事もあったから俺は多少慣れてるけどそれでもキツイくらいだし、おまけに護身用の剣が意外と腰に来る。

 

セリアに至っては装甲の重みで足並みが遅くなるのも致し方なし。

 

 

先を進むエルフ二人だって動き辛そうな格好なのにね。

『あんまり遅いと置いていきますわよ!』だなんて台詞が時々振り返りつつ投げ掛けられる始末だ。

多分アムソンさんが時々(いさ)めてくんなきゃ今頃ナナルゥさんは俺達をとっくの昔に置いてってる事だろう。

 

例えば今みたいに──と、そこで何やら状況の異変に気付く。

視界の先、埋め尽くすほどの樹木の幹と幹との間で、何やら後方の俺達を制するように腕を伸ばすナナルゥさんの姿が目に映った。

 

 

 

「…………ん?」

 

 

「……どうしたのかしら」

 

 

ゆっくりと手招く黒いオペラグローブに、本能的に息を潜めながら近付いていく。

えっちらおっちらと進んで、ようやくナナルゥさん達の隣まで並べば、異変の原因が直ぐに理解できた。

 

 

「……あれ、なに?」

 

 

「……知らないんですの? コボルトですわ」

 

 

「……あぁ、そういえば昨日ナナルゥさん達がこの森で討伐してたんだっけ。なんか痩せた熊みたいな感じだな」

 

 

森林の中の、少し開けた平地で何やらうろついている毛むくじゃらの人影が全部で七。

防衛戦にもちらほら居たワーウルフってのと似てるけど、あっちが狼ならこっちは熊ってところか。

 

 

「七体か……どうする、セリア。遠回りする?」

 

 

「いえ、先に仕掛けましょう。先を急ぐ旅でも、魔物の数は可能な限り削っておきたいわ」

 

 

「……貴女、見かけによらず好戦的ですのね」

 

 

「……」

 

 

お嬢様から好戦的との指摘を受け、思わず渋面を作りながらもセリアは鞘から剣をスルリと抜いた。

新調したばかりのショートソードの蒼い刀身が、セリアの心を反映してるかのように鋭く光る。

 

 

「……ま、それじゃ先手必勝ってことで。ナナルゥさん、エルフの魔法の『威力』ってやつに期待してるよ」

 

 

「────も、勿論……わたくしにお任せなさいな!」

 

 

「…………?」

 

 

あれ、なんか思ってた反応と違う。

もっとこう高笑いするぐらいの勢いだと思ったけど、なんだろこの感じ。

 

期待感を込めた台詞に、かすかに身震いしながらも慌てて取り繕ったみたいな。

綺麗な横顔がどこか気まずそうに陰って見えるのは、気のせいか。

 

 

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】」

 

 

 

そんな疑問を秘めながらもアーカイブを浮かび上がらせ、視線は平地の先に居るコボルト達へ。

 

 

「じゃ、行くよ、メリーさん……【World Holic】」

 

 

だから、見逃してしまった。

ナナルゥさんの様子のおかしさ、その理由に当然心当たりがあるはずのアムソンさんが、静かに、そしてどこか悲しげに目を伏せていたのを。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)】!」

 

 

「グォォ……ガ、ァ」

 

 

「私メリーさん。散髪屋さんごっこをしましょう」

 

 

「────」

 

 

「首から上がスッキリしたみたいで何よりなの」

 

 

奇襲は上手くいったみたいで、瞬く間にセリアの魔法とメリーさんの鋏でそれぞれ一体ずつ黒灰と化した。

いきなり襲いかかられた上に仲間の数を減らされたからか、けたたましい獣声を各々叫びながらも動揺しているのが獣の顔からでも見て取れる。

 

 

「なんと。セリア様の太刀筋もなかなかですが、メリーさんは凄まじいですな。あのような細腕でコボルトの首を断ち切るとは」

 

 

「保有技能ありとはいえ、アークデーモンも一撃で倒してたからね」

 

 

「高位魔族すら一撃ですって!? そ、そんな力が……というかナガレ、貴方自身は闘わないんですの?」

 

 

「……剣、あんま振った事ないんです。そんな俺が飛び出してったら逆に邪魔になるって」

 

 

「そ、そうですの……ま、まぁそれなら仕方ないですわね」

 

 

「……あれ、てっきり情けないとか言われるもんだと思ったのに。意外」

 

 

「ぐぬっ……ちょっと気を遣っただけでしょうに。自覚があるなら少しは鍛えれば宜しいんですわ」

 

 

ここ最近はセリアに毎朝剣の素振りとか教えて貰ってるからと返そうとした言葉は、喉から先まで出る事はなかった。

うーん、切り返しの切れ味もなんか覇気がないな。

やっぱりちょっとナナルゥさんの様子がおかしい。

 

 

「っ、ナガレ! 一体そっちに行ってるわ!」

 

 

「ガァァァァ!」

 

 

「うわヤバッ」

 

 

セリアの一声に慌てて剣を正眼に構えれば、涎まみれの口元から尖った牙を光らせたコボルトが、雄叫びながら俺へと迫る。

 

 

「くあっ!」

 

 

息を止めて、衝突の間際、横に転がりながら薙いだ剣がコボルトの腹を切りつけるも、浅い。

回避は間に合ったけど、ダメージ入ってないなこれ。

 

土がついた膝を立ち上がらせ、再び構えを作って俺を標的と定めたらしいコボルトを睨み付ける。

果たして次は避けられるかと跳ねそうなほど弾む心臓の脈に、嫌な冷や汗がタラリと垂れる。

 

けど、次に対する杞憂は直ぐさま消し飛んだ。

 

何故なら、俺にとっての脅威が文字通り視界から吹っ飛んだからだ。

目に見えないほどの速さで繰り出された、アムソンさんの蹴りの一発で。

 

 

「……うっそぉ」

 

 

「お怪我はありませんかな、ナガレ様」

 

 

「ありがと……てか、今のキックは何?」

 

 

「執事の嗜みでございますよ」

 

 

いや、とてもただの蹴りとは思えないくらいの速度と威力なんですけど。

蹴り飛ばされたコボルト、よく見たら横腹に穴あいてるんですけど。というか蹴りの一撃で魔物を葬ったのかよこの人。

 

とんでもない『能ある爪隠し』を披露されて度肝を抜かれたけれども、これで残りは四体。

 

 

「よっくもナガレを……貴方達絶対絶対ぜーったい! 許さないの!」

 

 

いや、どうやら俺に危害を加えられた事で明らかに怒りを露にしたメリーさんの鋏による一撃で、残りが三体。

今のは油断した俺が悪いんだけど、そんな側面など知ったこっちゃないって感じにエメラルドの瞳がギラッと鋭さを帯びていた。

 

 

そして、そんな折にふと耳に届いた詠唱。

凛としたセリアの声じゃない、優雅に歌い上げる声は……ナナルゥさんのものだ。

 

「『真横に敷かれた夜空から、浮かぶ三日月を手にとって』」

 

 

セリアのショートソードの面と、コボルトの細くも力強い腕が拮抗するその毛深い背中へ、淑女の指先が向けられる。

 

 

「『姿なき巨人が腕を振るえば、三日月が無色を横切った』」

 

 

朗々と響く若き貴婦人の詠唱にセリアも気付いたのか、拮抗を緩ませてコボルトの態勢を崩した。

 

 

「『この世界の片隅を、些細な神話のように裂く』」

 

 

浅いながらの一閃を払いつつ、ナナルゥさんの直線上から急速回避。

それとほぼ同時に、森林をかける淑女の歌声にピリオドが打たれた。

 

 

「【エアスラッシュ(空裂く三日月)】!!」

 

 

生み出されたのは薄緑の風の刃。

斜めに構えた刀身が空中を這いながら一直線に進んでいき、コボルトの胴体を突き抜ける。

 

 

「グ、ォォ……」

 

 

「ナナルゥさん……風の魔法使いなのか」

 

 

それはさながら、肩から腰にかけて剣を振り落としたかのような、鋭い裂傷。

パラパラと傷口から黒い血液が流れ出て、空気に触れればすぐさま霧状へと変わる。

 

残りの数は…………なし、か。

どうやらいつの間にかメリーさんが残りの二体までも討ち取っていたらしい。

やっぱり頼りになるな。

 

 

「お疲れ様、セリア、メリーさん」

 

 

「私メリーさん。ナガレ、怪我はない?」

 

 

「俺は大丈夫だって。それにしてもアムソンさんの蹴りもそうだけど、ナナルゥさんの魔法も凄いのな」

 

 

「えぇ……ありがとう、ナナルゥ。お陰で助かったわ。それにしても"器用"なものね」

 

 

「──へ? あ、いえ……器用?」

 

 

「器用でしょう。下級風精魔法だとしても、エルフの魔力なら、本来あんな程度の威力じゃ済まないはず」

 

 

「へぇ、そうなのか。んじゃセリアに当たらないように考慮してって訳ね」

 

「………………ま、まぁ……グリーンセプテンバー家に連なる者として、この程度なら朝飯前ですのよ! 別にお腹空いてませんけど! お、オーッホッホッホ……」

 

 

「「「……?」」」

 

 

労いの言葉に答えるナナルゥさんの風物詩も、なんだか勢いが足りないというか……なんでそんな複雑そうな顔をする必要があるんだろうか。

 

謙遜してんのかな。

いや、言ってる事は謙遜してるって感じじゃないけど。

 

どう見ても様子がおかしいお嬢様に、思わずメリーさんまで一緒になって首を傾げてる。

 

 

「ナナルゥさん、なんかあった?」

 

 

「ななななな何でもありませんわ! さぁ、遅れを取り戻す為にもサクサク進みますわよ! わたくしの後に付いて来なさい!」

 

 

素直に疑問をぶつけて見れば、慌てて再出発を促すナナルゥさんは控えめに言って滅茶苦茶挙動不審だった。

 

というかこれ、明らかに何か隠してるよね。

けどそんな詮索を振り切る勢いでナナルゥさんが一人先に行くもんだから、致し方なくその後を追い掛ける。

 

 

「皆様、申し訳ありません」

 

 

「や、別に謝んなくて良いけど」

 

 

「……何があるのか、聞かない方が良いのかしら?」

 

 

「そうしていただけるとこのアムソンも助かります」

 

 

そう粛々と頭を下げられては、こちらも詮索は控えるしかない。

アムソンさんの静かな微笑みだけが、何故だか言葉を詰まらせた。

 

木を隠すなら森のなかとは言うけれど。

時には隠れ方の下手な木を、見て見ぬふりしてあげる事も必要だろう。

 

遥か頭上を駆け抜ける鳥の小さな鳴き声が、やけに耳にはっきりと残った。

 

 

______

 

【魔法補足】

 

 

エアスラッシュ(空裂く三日月)

 

「真横に敷かれた夜空から、浮かぶ三日月を手にとって

姿なき巨人が腕を振るえば、三日月が無色を横切った この世界の片隅を、些細な神話のように裂く」

 

下級風精霊魔法

 

三日月を象ったライトグリーン色の風の刃を、直線上の相手に放つ魔法。

基本的に自身と対直線上にしか撃てないために回避されれば終わりだが、その分速度に優れ、威力も下級魔法にしては高い。

 

 



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Tales 18【食べてすぐ寝ると】

「……なんとか、陽が落ち始めるまでには間に合ったか。あーもう、足の裏がなんかすげぇ違和感ある」

 

 

「…………確かに、少し疲れたわね。けれど、難問はここからよ」

 

 

「だらしがないですわね。あの程度の森で音をあげないでくださいまし」

 

 

「はぁ、アムソンはともかくナナルゥさんまでそんな余裕な顔されると立つ瀬ないね、こっちは。森に入る前は絶対途中で『疲れましたわー!』とか駄々こねると思ったのに」

 

 

「ホッホッホッ、残念ながらお嬢様は幼少期、それはもう野生児の如く森の中を駆け回っておりましたからなぁ」

 

 

「へぇ、意外」

 

 

「あ、アムソン! 余計な事は言わなくて宜しいですわ!」

 

 

足場の悪いリコル森林を抜けた先で、ようやく見えてきた風無き峠。

そこは峠というよりも、荒々しい岩肌が目立つ渓谷と評する方が近いのかも知れない。

 

 

赤褐色の荒々しい岩肌と面積の少ない緑、透き通った水面が流動的に揺れる河川といい、日本の風景にはあまりみられない光景。

 

だが一番に注目するべきところは、リコル森林を通過する時に感じた他の生き物達の気配の薄さだろうか。

 

 

「……ここに居るんだよな、ワイバーン」

 

 

「えぇ、間違いないわ。さっき戦闘したコボルトを覚えてる?」

 

 

「そりゃ忘れないけど……コボルトがどしたの」

 

 

「コボルトは日光を好む習性があるのだけれど、何故か陽が当たるには樹木が多いリコル森林に居たでしょう。恐らくは、彼らも風無き峠に住み始めたワイバーンに追いやられたのよ」

 

 

「……魔物同士でもそういう事ってあんだね。同じ魔物からも避けられる、か……ここ最近でワイバーンの株上がりっぱなしだなぁ、悲しいことに」

 

 

「…………此処まで来て今更怖じ気ついてられませんわ。ワイバーンなどという野蛮な生き物は、このわたくしの飛躍の為の踏み台にして差し上げますわ!」

 

 

一番ワイバーンの名前にビビってたはずの人の台詞とは思えないけど、今はその前向きな姿勢は素直にありがたい。

 

正直、編み出したワイバーン攻略法の全てがきっちりハマるなんて思っちゃいないし、それ故につい気が抜けた時にいちいち不安を抱えてしまう。

けど、ナナルゥさん達が今ここに居るって事は俺の立てた作戦を信用してくれてるって意味でもある。

 

なら、不安がってる場合じゃない。

 

 

「……行きますか」

 

 

ガートリアムの騎士部隊ですら手を焼く脅威が住まう、風の無い峠。

いよいよ、その侵入口への一歩目を踏み出した。

 

 

 

────

──

 

【食べてすぐ寝ると】

 

──

────

 

 

 

「もっかい確認しとくけど……ワイバーンの巣は峠と峠を繋ぐ長い橋、つまりは峠の頂上付近にあるんだったよな」

 

 

「えぇ。ついでにおさらいしておくけれど、ワイバーンの特徴としては、優れた嗅覚と、嗅覚ほどではないにしろ聴覚も発達している。その代わり、目はそこまでのようね。だから基本的には狩りをするのは陽が落ちるまでで、夜間には巣に戻るそうよ」

 

 

「でしたら、今は丁度夕刻。ワイバーンはもう巣に戻り始めているかもしれませんわね」

 

 

ナナルゥさんの言う通り、現在は峠を昇り始めて一時間過ぎた辺りで、遠目に見える太陽がゆっくりとその姿を茜色の水平線に沈めていく時間帯。

夕陽に焼かれた峡谷の岩肌さえ朱々と染め上げられて、その岩石の凸凹が作り出す立体的な影の明暗は単純に美しい。

 

影の黒と、夕焼けの朱が織り成すグラデーションは自然が作り上げた絶景とも言えるだろうけど、観光気分に浸るのを、残念ながら警戒心が許してはくれない。

 

足場のコンディションも良くない細々とした崖道を進みながら、深く息を吸った。

 

 

「みんな。段取りはもう、頭ん中に入ってるね」

 

 

「えぇ」

 

 

「勿論ですわ」

 

 

「同じく。この老骨、ナガレ様の期待に応えるには少々腰が悪ぅございますが……同時に年甲斐もなく胸が踊りますぞ」

 

 

「年甲斐もなくって言うけど、アムソンさんの"異常"な収納魔法のおかげで旅の日程をこんなに縮めれたんでしょ。これが俺とセリアだけだったら……多分まだリコル森林の入り口辺りで四苦八苦してるとこだし」

 

 

「全くね。風無き峠のワイバーンが満腹になるほどの食糧を"丸々仕舞っておける"領域を持った収納魔法だなんて、一芸にしても特化し過ぎだわ」

 

 

「ホッホッ、左様でございますか」

 

 

セリアやナナルゥさんの話では、通常収納魔法というものは、初歩的な魔法であるとはいえ、魔法を扱える人間では精々剣の一、二本を領域に収めるのが関の山。

それはエルフという魔法特化の種族であっても、あまり大差がないらしい。

 

 

「…………よし、開けた場所に着いた。ナナルゥさん、ここら辺でならどう?」

 

 

「……上に架かる橋元まで、余計な岩場が少ないですわ。ここからなら問題なく、わたくしの風で餌の匂いを届かせれますわよ」

 

 

「陽も、もう落ち始める。アムソン、ナナルゥ。準備をお願い出来るかしら」

 

 

つまり、例えば長い昇り道の途中にある広々とした足場の面積を埋めかねないほどの"巨大な肉塊"を収納しておける領域を持ったアムソンさんの魔法は、充分規格外だ。

 

例の冒険者達は、ワイバーンが満足するほどの容量の餌を夜の内に何度も往復しながら運んだらしいが、その工程がたった一人のエルフで賄えるんだから、とてつもない。

これは、一刻も早くセントハイムに行きたい俺達にとって非常にありがたい存在と言える。

 

 

「……では、いきますぞ。お嬢様、宜しいですかな?」

 

 

「スゥ──フゥ……構いません、ドンと来いですわ!」

 

 

今からするべき、ワイバーン突破の第一工程は、言ってしまえば『釣り』と似てる。

 

まずは、餌。

 

 

「【コンビニエンス(こんなこともあろうかと)】」

 

 

 

──ズシッ……

 

 

冬眠に備えて狩りにいそしむワイバーンを釣る為の餌は、その正面に立てば視界を覆い兼ねない肉塊で出来た小山。

その場で食さず、ワイバーンが巣に持ち帰るであろうくらいにセリアが調整して調達した、牛三頭分の肉塊をアムソンさんが空間から放る。

 

 

「……【シルフィード(風の精霊よ)】」

 

 

そして、丹精込めて用意した据え膳の存在を、ワイバーンにより確実に届ける為の竿と糸。

 

風を得意とするナナルゥさんにそれを託し、風を操作して峠の上部にあるというワイバーンの巣へと餌の匂いを運んでやれば。

 

 

 

「……っ、この大翼の羽ばたき──来ましたぞ」

 

 

「よし、急いで離れよう」

 

 

エルフの大きな耳じゃなくても聞こえるくらいの、大きな翼の羽ばたく音。

その威圧感と音量の鈍さは、あのアークデーモンの羽ばたき音とは、まるで比べ物にならない。

 

 

「きっ、来ましたわよ……」

 

 

 

鳥肌が立つ。

 

例の冒険者の話を受付嬢から聞いていて、本当に良かった。

風無き峠のワイバーン……それは標準とされるワイバーンの中でも一際大きいって話だったけど。

この羽ばたく音だけでも、それが想像以上に大きいフォルムを嫌でも連想させた。

 

 

多分、ワイバーンについての話を聞いてなかったら、顔が青褪める所の話じゃなかったろうね、きっと。

 

来た道をなるべく静かに、かつ急いで下りながら、障害の大きさに震える手を強く握る。

 

 

──ギャアオゥゥウ!!

 

 

 

 

澄ませた耳が掴む状況。

ワイバーンのモノと思われるけたたましい雄叫びと共にガップリと爪が肉を掴む微かな音、そしてもう一度大きく翼を扇いで風を切る音が遠退いていく。

 

 

「……ナガレ様。特殊なる技能のお手並み、しかと拝見させていただきますぞ」

 

 

「……ん、任せて」

 

 

これで下準備は整った。

あとは釣った魚をまな板に広げるだけだ。

その魚が暴れない事を願って、俺達もまたワイバーンの巣を再び目指し始めた。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

高ければ高いほど、満天にさんざめく星々の壮麗さがより増して見えるレジェンディア大陸の夜空。

風も吹かない高き岩山の頂近くから見上げれば、スパンコールのギリシア神話達は紺碧のページを舞台にして、物語を紡いでいる。

 

いにしえのロマンチズムに浸れる為の材料はこれ以上となく揃っているのに、すぐ傍の現実は冷え冷えとした現実が転がっていた。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

ワイバーンは耳が良い。

だからなるべく物音を立てないようにという共通認識があるから、俺達は誰一人として口を開いていないけれども。

 

もし仮に音にしても許されるのであれば、俺は思う存分叫びたい。

 

 

……風無き峠のワイバーン、めっちゃデカいんですけど。

 

 

「…………竜種ってかもうドラゴンじゃんアレ」

 

 

赤い肉片を食いちぎるワニみたいな強靭かつ鋭い牙の並びに、全体的に刺々しい深い青色の竜鱗から覗く禍々しい金色の瞳。

その爬虫類的な眼孔に睨まれれば、井の中のちっぽけな蛙の気持ちが心底分かるだろう。

 

 

翼も尻尾もとんでもなく大きく、もしガートリアムの防衛戦にこのワイバーンが居たらと思うと心底ゾッとする。

目測した全長三メートル弱の飛竜は、岩場の陰からこっそり覗き見るだけでも、戦意を喪失させてくれた。

 

 

「……なんだっけ。ゴブリンFランクで、ワイバーンがCランク、とかなんとかのヤツ」

 

 

「……ギルドが発行してる、魔物の討伐難易度の基準の事ね。それぞれに応じたランクが設定されていて、FからE、D、C、B……と上がっていくに連れて討伐の難易度も比例していく」

 

 

「そうそう、それ。でさ……確かアークデーモンもCランク相当って話だった気がするけど…………あの存在感、絶対Cランクどころじゃないだろ」

 

 

そうげんなり言いつつ、現在巣らしき骨山でお食事中のワイバーンをそっと指し示す。

俺達が用意した餌を大層ご満悦そうに貪っているからか、こそこそっと話すぐらいならワイバーンの耳には入らないらしい。

 

 

「……まず間違いなく、Bランク相当ですわよ。というか、あの大きさ……下手したらAランクに手が伸びるかもしれませんわ」

 

 

「……Aランクって、騎士団が相当数の部隊を投入してやっと対処できるレベルだったよな……うわぁ」

 

 

「……うわぁ、じゃありませんの! い、い今更怖じ気つかれても困りますわ!」

 

 

「お嬢様、お静かに。気付かれますぞ」

 

 

幸い、ラストスパートとばかりに肉塊を貪っているからか、ナナルゥさんの声は気付かれなかったようだ。

 

元々ヤバい相手ってのは嫌でも分かってたけども、こうしてその存在感を目にすればどうしたって怖じ気づいてしまうもので。

この場に居る誰もが、その表情を緊張に強張らせてしまっている。

 

それほどの相手、それほどの脅威。

 

でも、確かにナナルゥさんの言う通り、そんなの今更って話だよな。

 

 

「……っ、ナガレ」

 

 

「……!」

 

 

セリアの引き絞ったような、か細い声に誘われてもう一度、巣に居るワイバーンの姿を目視する。

 

たっぷりと用意した餌を平らげた大喰らいは、久々のご馳走にさも満足そうに底冷えする低い一鳴きを挙げると、ゆっくりとその翼を畳んでいく。

これ以上余計なエネルギーの消費はしたくないと言わんばかりに、食い終わったらさっさと寝る姿勢へ。

 

 

そのどこか人間味溢れる生態は少し可愛らしいとも思うが、その傍らを通り過ぎようものなら、容赦なくワイバーンは予定外の狩りをするだろう。

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】」

 

 

 

だから、こっちも遠慮なく。

この千載一遇の好機を、逃さない。

 

恨むなら、みすみす教訓を説かれるような、だらしのない我が身を恨んで貰いたい。

 

 

「【教訓とは、過去の様々な体験から基づいて、二の(てつ)を踏まないようにと願われて生まれるものが多い。そして、この一節もまた、過去の悲惨な体験──第一次世界大戦中の、ある村に起きた悲劇から生まれた】」

 

 

切り出した語り口がいつもとは違うのは、メリーさんやブギーマンとは再現する焦点が異なるから。

 

 

「【その村は牛を飼育し、牛を食し、革を剥ぎ、その牛の頭蓋骨を祠に飾るという風習があった。だが当然、戦争中につきまとう食糧難という問題から逃れられる術にはならない。次第に食糧も底をつきだし、飢えに苦しむ事となるが、それでも彼らは肉を食べて飢えを凌ぐ】」

 

 

都市伝説と一口に言っても、その生まれ方というのは正に様々である。

政治への不満だったり、悲惨な背景だったり、差別的な意識だったり、取るに足らない憶測が膨らんでしまった結果だったり。

 

 

「【だが、果たしてその肉は牛の肉だったのだろうか。剥いだ革を、代わりの肉に被せただけではないのか。例えば夜、一番始めに横になってしまったモノの肉ではないだろうか──なんて、真偽はさておいて。今もなお、ある一節が教訓として使われている】」

 

 

では、この一節はどういう場合か。

それは結構単純。

 

元々ある些細な教訓に、"有りもしない残酷な背景"を添えることで意味合いを肥やしたもの。

言ってしまえば、蛇足であり、尾ひれ。

 

まさにスタンダードな都市伝説の形と、俺は捉えているんだけども。

 

 

 

「【食べてすぐ寝ると、牛になる】」

 

 

今までワールドホリックで再現して来たのは、メリーさんやブギーマンといった、象徴(シンボル)的存在。

 

今回再現する、この誰もが耳にしたことのある一節は──現象"そのもの"。

 

 

それが果たしてどこまで再現されるのかは、はっきり言って未知数だけども。

 

 

どうしたってワクワクするこの高揚を抑えきれない。

投げた賽の目がどう出るか、楽しみで仕方ない。

 

 

「【World Holic《ワールドホリック》】」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

まぁ、そんなお気楽かつ変態野郎に対する罰なのかも知れないな、この状況は。

 

 

「……聞いていた話と、違うじゃありませんの……!」

 

 

「いえお嬢様、全くもって違うという訳ではありますまい。とはいえ、危機的状況には変わりませんが」

 

 

「……食べてすぐ寝ると、『牛』になる…………牛、と言えば牛なのだけれどね」

 

 

結果だけで言えば、成功とも言えるし、失敗とも言える。

 

どっちつかず。

信じるか信じないかは、みたいな投げ遣りっぽい感じとかまさに都市伝説らしさがあって良い、と言いたいとこですけども。

 

 

「ブモォォォォオ!!!!」

 

 

これは正直、ちょっとピンチかも知れない。

 

 

 

「牛はッ、牛でもッ…………討伐難易度『B』ランクの──ミノタウロスじゃありませんのぉぉぉ!!!!」

 

 

「マジでゴメン」

 

 

やっぱね、うん。

ワールドホリックって一筋縄じゃいかないわ。

 

 

 

______

 

 

 

【食べてすぐ寝ると牛になる】

 

 

 

・再現性『A』

 

・親和性『B』

 

・浸透性『D』

 

 

・発動条件

 

『対象が食事を終え、すぐに寝転がるか、そのまま就寝した場合のみ発動』

 

 

 

元々は太りやすくなる、病気の誘発を防ぐ為の教訓からそっと尾ひれがついて、そこから怪談として仕上げる為に【第一次世界大戦のとある農村】という背景をつけただけのもの。

当然その都市伝説的怪談はネット上に作られたデマであり、その怪談自体の知名度も高くない。

 

メリーさんやブギーマンなどの再現とは別種の再現の為、効果を発動するには毎回条件をクリアしなくてはならない。

ただ、その効果はある意味チート級。

 

 

 

 



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Tales 19【風も無いこの空の下で】

月を背負って吠えるのは何も狼だけじゃない。

 

インクみたいな真っ黒な体毛が覆ってる筋骨隆々とした巨体は、その背の後ろに並ぶ岩山よりも硬質に見える。

鼻息を荒々しく鳴らして、足元の岩盤を脚の(ひづめ)でゴリゴリと削る、人の形をした闘牛。

 

 

その額に鉤爪みたくひん曲がった鋭い角を持つソイツの、血液みたいなべっとりとした赤い大きな両目が、物言わぬ怒りを宿して俺達を見下ろしていた。

 

 

討伐難易度Bランク──魔牛ミノタウロス。

 

 

【食べてすぐ寝ると牛になる】という現象再現を引き起こしたワールドホリックがもたらしたのは、翼竜を魔牛に変化させたという事なんだろうけど。

 

 

「対象のワイバーンが魔物だから、牛は牛でも牛の魔物に……ってことか。いやーこれはちょっと予想外」

 

 

「な、なにをいけしゃあしゃあと(のたま)ってやがりますの! 良いから逃げますわよ!」

 

 

「……いいえ、大人しく逃がしてくれる様な相手じゃないわ。ミノタウロスの異名は『執念深き追跡者』……獲物と定めた相手をどこまでも追いかけるほどしつこいヤツよ」

 

 

「……ミノタウロスはスタミナも無増尽と聞きますし、退却しようにもあの橋が重量に耐えられるかどうか。あのワイバーンよりは幾分かやり易い相手とはいえ、厄介なのには変わりませんぞ」

 

 

峠の向こうへと続く橋の近くに仁王立ちしながら、俺達を睨み付けるミノタウロス。

アムソンさんとセリアの弁からして、逃げた所で執拗に追い掛け回されるのは間違いなさそうだ。

 

というか、素人目からでも簡単に逃がしてくれる相手じゃないのは分かる。

一撃で岩盤すら砕きそうな巨躯と、濃密な気配はあのアークデーモンよりも危機感を煽るほど。

 

これでワイバーンよりマシって言われても、何の慰めにもならない。

かといって今の再現を解けば、恐らく飛竜に元通り。

そうなれば全滅はまず間違いない。

 

となれば、倒すしかなさそうなんだけども。

 

見た目だけでも、めちゃくちゃ強そうなんだよなコイツ。

 

 

 

「──来るわ、下がって!」

 

 

「グモオォス!!」

 

 

俺の考えが浅はかだったと反省する暇すら与えてくれない魔牛は、愚かな人間を蹴散らすべく、おぞましい咆哮と共にこちらへと突進して来た。

 

 

 

────

──

 

【風も無いこの空の下で】

 

──

────

 

 

 

ワイバーンが巣を作るだけあって、道中の不安定だったり狭かったりする足場とは違い、この荒野みたいな円場はそれなりに自由に動ける。

だがこの場合、俺達に有利になるというよりも、巨腕巨脚を存分に発揮出来るミノタウロスの脅威さがより目立つ。

 

 

「【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)!】」

 

 

鉄槌を下ろすかのような叩き付けを横に転がりながら避けて、カウンターとばかりに氷の弾丸をミノタウロスの横っ腹に放つセリア。

 

コボルトを破った威力の氷精魔法ではあるものの、やはりFランクとBランクでは生き物としての土台が違いすぎるのか、ノーガードでも多少よろめかせるぐらいにしか効果がない。

 

 

「ハッ!」

 

 

ジャキ、と鉄臭い音を立てて追撃の一閃を食らわせるけど、それもまた強靭なミノタウロスの身体に阻まれる。

黒い剛毛の上からでも分かるくらいの筋肉ムキムキだからって、そこいらの岩より硬い肉体って反則だろ。

むしろセリアが斬撃を放ったショートソードの方が刃こぼれしてるってどういう事。

 

それに加えて、さらに厄介なのが──

 

 

「くっ、なんて硬さ……」

 

 

「セリア様、お下がり下さい──ムン!!」

 

 

自分の剣が有効打になり得ないことに歯噛みするセリアの横から豹みたいにすり抜けたアムソンが、続けざまに叩き込んだ鋭い回し蹴り。

 

そのまま土手っ腹に風穴すら空きそうな凶器的なキックに、流石のミノタウロスもズササッと土煙を立てて後退る。

けど、それはあくまでキックの勢いが強すぎるまでであって、これもまた有効打になり得なかった。

 

 

「そんなっ……アムソンの体術も効かないんですの!?」

 

 

「……アムソンさんの体術って、やっぱ相当凄いのか」

 

 

「グリーンセプテンバーに長年遣えてる功労者ですもの、魔法が使えない代わりにと磨き続けた武道の技の冴えは、達人の域にも及ぶほどですわ……」

 

 

「……どおりであんな動き出来る訳だよ」

 

 

けど、それでもミノタウロスに効果的なダメージが届いていないようにも見える。

何かカラクリがあるんじゃないのかと、再び咆哮を上げるミノタウロスを注意深く観察してみて……もしや、と一つ思い付く。

 

 

「……あの分厚い体毛のせいじゃない? なんか微妙にダブついてる感じ……あれが衝撃とかを吸収して分散させてる、とか」

 

 

「……確かに、ミノタウロスには物理的な攻撃が通じにくいとは聞きた覚えはありますけど……」

 

 

昔テレビか何かで見た、熊みたいなイタチの存在を思い出す。

分厚くて伸縮性に優れた体毛のおかげで、鋭い爪とか牙が通らない一種の鎧になってる生き物が居るとかって話。

 

多分、ミノタウロスのあの黒い剛毛も同じような役割を果たしているんだろう。

 

 

 

「ギオォォ!!」

 

 

「むうっ」

 

 

「……っ」

 

 

「くっ、不味い……」

 

 

近接戦闘の技術に優れた二人でさえ、そのタフネスさと豪腕を前に圧され始めてる光景に、口端に苦い唾液が溜まる。

戦線の膠着すらままならないとか、やっぱりBランクは半端じゃない。

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】!」

 

 

 

ガートリアム防衛戦の時に、メリーさんから忠告されたこともあって一抹の不安が霞めるけど、このままじゃ俺のせいで全滅だ。

 

 

「──メリーさん! 【World Holic】」

 

 

「私、メリーさん。ナガレ、同時再現は……」

 

 

「……大丈夫……それより二人の加勢を!」

 

 

「……うん。メリーさんにお任せなの」

 

 

同時再現は危険。

ブギーマンを初再現する時にもメリーさんにそう忠告されたけど、確かにこれは負荷が段違いにしんどい。

 

不幸中の幸いなのは、このワールドホリックの親和性は日本発祥であるだけに、メリーさんほどではないにしろ相性が良いみたいで。

 

 

これが例えばブギーマンとか親和性の悪い都市伝説にもなれば、直ぐにでも俺の意識はぶっ飛んでしまうことは簡単に想像出来た。

 

 

「な、ナガレ……? 大丈夫ですの?」

 

 

「っ……お嬢様の癖に意外と心配症だな、ナナルゥさんって。俺は大丈夫。それより、魔法で二人の援護を!」

 

 

「なっ、あ、貴方に言われなくても分かってますわ!」

 

 

反骨心って訳じゃないけど、心配させるのもアレだし、実際俺なんかよりミノタウロス相手に前線で戦ってる二人の方がよっぽど危険な目にあってる。

 

だってのに俺一人しんどいなんて言ってられない。

 

メリーさんも加われば、多少は戦況を打開出来るはず。

 

 

「ブモォォ!!」

 

 

「うっ……この牛さんの毛、ハサミの刃が通らないの」

 

 

「【エアスラッシュ(空裂く三日月)】!」

 

 

「グモオゥ!」

 

 

「ぬぐぐ……このっ、せめて吹き飛ぶなり膝をつくなりしたらどうなんですの! 知性の乏しい牛の分際で!」

 

 

「……やっぱ魔法も通りにくいのかよ」

 

 

だが、戦況はなんとか一進一退の膠着(こうちゃく)にまで繋ぎ止めるのが精一杯だった。

あの厚い体毛の前にはメリーさんのハサミも通りにくく、ナナルゥさんの魔法に至っては先程のセリアと同じく仰け反らせるのが限界。

 

 

……ん、あれ。仰け反らせるくらいが限界なのか、エルフの魔法が?

 

確かエルフの魔法って人間とは比べものにならないくらいの火力が出るはずなんじゃなかったか?

あの威力、リコルの森ん時と同じくらい、だよな……

 

 

 

 

「グモオォォァァ!!!」

 

 

ふとよぎったナナルゥさんの魔法の威力に対する疑問を吹き飛ばすようなミノタウロスの咆哮に意識を奪われると、豪腕の一撃を大きなバックステップで回避した蒼騎士の後ろ姿が目に入る。

 

そこから更なる反撃を繰り出すかに思われたが、そこでセリアはこちらへと振り返りながら叫んだ。

 

 

「っ、思い出した。ナナルゥ、ミノタウロスの角を狙って! ミノタウロスは角が弱点だったはず」

 

 

「つ、角ですの?」

 

 

「そう。正直隊長から聞いた話だから不確かではあるんだけれど、ミノタウロスは角から魔力を身体に通わせてる魔物らしいの。だから、角はミノタウロスにとってのもう一つの心臓とも言えるわ」

 

 

「じゃ、メリーさんのハサミで狙えば……」

 

 

手詰まりな状況なだけに、セリアからもたらされた情報はありがたかった。

多分、確証がない情報にあまり信を置かない生真面目さが今になるまで忘れさせていたんだろうけど、弱点にまつわる情報は非常に大きい。

 

 

「ただ、ミノタウロスの角自体もかなり硬質に出来ているから生半可な攻撃じゃ通用しない。でも、エルフの魔法の威力なら……」

 

 

「ミノタウロスの角を、折れるかもってこと?」

 

 

「……自信はないけれど、現状で有効な手段はそれしか──」

 

 

「…………っ、"威力"…………」

 

 

「……ナナルゥさん?」

 

 

「……?」

 

 

だが、有効手段についてセリアが構築し始めると共に、ナナルゥさんの表情が一変した。

ここへ来る道中は常に自信家っぽくキリッとつり上がっていたワインレッドの瞳が、あからさまな狼狽(ろうばい)を宿して揺れている。

 

それはさながら、唐突に現れた巨大な壁の前に膝をつく敗者のような、怯えとも焦りとも似ているけれどどこか異なる、負の色合い。

 

 

 

一番近いのは、多分。

 

何かしらの──トラウマのようなもの。

 

 

 

「ブモォォ!!」

 

 

「ぬおっ! むぅ、流石はミノタウロス……その有り余る体力を、このアムソンにも分けて欲しいものですな」

 

 

「くぅ……私メリーさん。牛さん、手強いの」

 

 

「っ、時間を稼ぐわ。ナガレ、ナナルゥを!」

 

 

突然……いや、思い返せばちょくちょく様子がおかしい素振りはあったけど、ここまでハッキリと動揺するナナルゥさんに、セリアも気を取られた。

だが、セリアが抜けることで再び圧され始めた前線の苦渋の声を聞いて、この場を託すとばかりに蒼い騎士が魔牛の元へと駆けていく。

 

 

「ナガレ……」

 

 

「……あの、なんかマズいのか? さっき威力がどうとかって──」

 

 

──威力。

 

 

待てよ、そう言えばリコルの森で、コボルト達との戦闘が終わった後も、ナナルゥさんの様子がおかしくなかったか。

 

 

確か、セリアに器用だって誉められたのに、ナナルゥさんはどっか気まずそうで。

あの時は慌てて再出発の先陣を切ってたけど、どう見てもあれは追求から逃れようとしていた。

 

そして、その後のアムソンさんの、どこか申し訳なさそうな静かな微笑み。

 

 

器用、つまりは手加減。

 

……手加減?

 

 

いやそもそも、さっきのミノタウロスに放ったエアスラッシュも、コボルトに放った時とほとんど変わらなかった。

 

 

──まさか。

 

 

 

「……ナナルゥ、さん。ひとつ聞くけど」

 

 

「っ!」

 

 

あぁ、そうか。

もう分かった、そういう事か。

 

だとすれば、なんか所々腑に落ちなかったナナルゥさんの態度にも納得がいく。

 

例えば、ワールドホリックがない俺なんてまるで戦力にならないって説明した時、どこか慰めるように気遣ったり。

例えば、アムソンさんが落ちこぼれって自己評価を下した時、フォローするみたく口数を増やしたり。

 

 

今こうして俺を見上げる彼女の表情が、まるで気付かないでと請い願うかの様に、怯えてる。

初対面の時の勢いなんてどこにもない、揺れるワインレッドを覗き込めば、もう。

 

 

「……コボルトとの戦いの時に使った中級魔法。あれが、ナナルゥさんにとっての──全力、だったりしない?」

 

 

「……ぁ、ぅ……ッッ」

 

 

 

悔しさの余りに噛んだ唇の端から、一筋伝う紅い色。

 

 

 

「……その通りですわ」

 

 

 

答えは、紡がれるまでもなく。

 

 

 

「……わたくしも……落ちこぼれなんですの。笑いたければ……笑ってくださいまし」

 

 

ただ、風が無き峠で。

 

卑屈に吐き出した、彼女の泣き事。

 

 

その『余計』な一言が、『余計なところ』に火をつけた。

 

 

 

_______

 

 

【魔物紹介】

 

『ミノタウロス』

 

討伐難易度『B』

 

 

豪腕、巨体、狂暴と危険な三拍子揃ったモンスターで、

執念深き追跡者と呼ばれるほどにしつこい魔物。

 

低ランクの魔物とは比べ物にならない圧倒的な攻撃力を有している。

岩よりも硬い身体と、衝撃を流す特異な組織体毛により近接戦闘を仕掛けるのは自殺行為。

ミノタウロスを倒すには、高い威力の魔法攻撃によって彼の角を破壊するのが一番楽とされる。

 

 

 



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Tales 20【その旋風の名は】

「……これでも同年代の中では誰よりも魔法の覚えが早かったんですわよ? まぁ、それでも……気付いた頃には次々に追い抜かれた訳ですけども」

 

 

「……」

 

 

火力主義。

 

度々セリアとの会話の中で見られる魔法というものの評価として、一番に持ち上げられると感じたのは、火力だった。

 

汎用性だったり操作性だったり燃費だったり、本来はもう少し重視するべきところもあるけど、それでも火力の有無がいの一番に評価されるのは、多分対魔物を想定としてるからだろう。

 

まさに今、この状況に於いてセリアが求めた打開策も、『エルフ特有』の高威力の魔法。

現にセリアの魔法の威力では足止めが精一杯、高ランクの魔物と戦うにはやはり、火力の高い砲台の役割を果たせる者が必須になる。

 

 

「『そよかぜのナナルゥ』……本当は、そう、呼ばれるくらい……わたくしの魔法は、どうしてかどれも本来の半分程度の威力しか発揮出来、ませんの」

 

 

 

対人か、対魔物か。

レジェンディアの魔法というモノの見られ方がどこに置かれるのか、それは良く分かった。

 

そして、火力のないエルフがどういう風に見られるのか。

膝をつき、顔を俯かせながら自嘲するあの強気がちだったお嬢様の、この姿を見れば想像するまでもない。

 

 

『黄金風』のメッキを剥がせば、ただの『そよかぜ』でしか、なり得ない、と。

 

 

 

「……主従揃って、落ちこぼれですもの……フフ、笑いたければ──」

 

 

「……ふーん」

 

 

ナナルゥ・グリーンセプテンバーについて分かっている事は、舞い上がり易いお調子者で、家名を誇りに想っていて、その家名をより広める為にお嬢様の身でありながらギルドで冒険者の真似事なんかしてる。

 

でも、その根っこはあんまり強くないんだろうね。

 

協力を持ち掛けた時、ワイバーンの名前だけでも戦々恐々としてたし。

それでも最終的に俺の話に乗ったって事は……それだけナナルゥさん──いや、『お嬢』にとって家名ってのは大事なものなんだろう。

 

事情は分かんないけど、それぐらいは推し量れる。

 

 

「ねぇ、あの時、俺とメリーさんに何て言ったか覚えてる?」

 

 

「……え?」

 

 

「ほら、ワールドホリックを披露した時。確か"お嬢"はさ、主人も従者も、どっちもみすぼらしい格好はするな……みたいな事を言ってたと思うんだけど」

 

 

「…………い、言いましたけども」

 

 

いきなり何を言い出すのか、と問いたげに丸まった紅い瞳を覗き込みながら、お嬢の頭の上に乗っかったままの黒いレース付きのシルクハットを失敬する。

 

身嗜みをより良く見せる為のヘアアクセサリー。

彼女の虚勢を、これ以上彼女自身で剥ぎ取らせない為にも。

淑女が帽子を取る前に、その手を取って立ち上がらせてやらないといけない。

 

 

「今、お嬢の為に老体に鞭打って頑張ってる従者があっちに居る訳なんだけど。ご主人様のあんたが、そんなみすぼらしく打ち(ひし)がられて、ホントに良いのか?」

 

 

「…………で、ですがっ、わたくしの魔法では!」

 

 

「お嬢が今までどんな悔しい思いをしてきたとか、そんな事は俺には分かんないし、知った事じゃない。ま、そもそも俺のワールドホリックがちょっと食い違ったせいでこんなピンチになってる訳だけども」

 

 

本当なら、ワイバーンをただの牛に変えて、その脇を悠々とすり抜けて風無き峠を突破する予定だった。

 

上手く事が進めば些細な苦労で済むからこそ、お嬢も俺の協力に頷いてくれたってのもあるだろう。

だから、あんまり偉そうな事を言える立場じゃないし、これに関しては後でしっかり詫びを入れるとして。

 

 

でも……笑いたければ笑えって所がカチンと来たし、自分含めたアムソンさんを落ちこぼれって自嘲したのはもった腹が立った。

 

そして何より……俺は、この人に"恩"がある。

 

 

────

 

 

 

『……私メリーさん。もう綺麗になったの……』

 

 

『……まぁ、ギリギリ合格点ですわね。本来なら髪も櫛を通して、ドレスも変えておきたいところですが……』

 

 

『私メリーさん。この服はお気に入りだから着替えたくないの』

 

『もう、美意識が足りませんわ! 折角綺麗な顔に生まれたのだから、従者としても淑女としても美を磨く事を怠ってはなりません。それがグリーンセプテンバー家訓の六条目ですの。良いですわね、メリー』

 

 

『私、メリーさん……ちゃんと呼んで』

 

 

『良いですわね、メリーさん』

 

 

────

 

 

気付いてないだろうけど、あの時のメリーさん、結構喜んでたんだと思う。

俺やセリア、アムソンさんまで都市伝説というものとして捉えている中で、唯一、お嬢だけが"ちゃんとした普通の女の子"として扱ってくれたから。

 

 

だからメリーさんは、メアリーと出会った時。

"俺の意見も聞かずに"、彼女に話しかけられるくらいの積極性を振り絞ることが出来たんだろう。

 

 

都市伝説を都市伝説として扱いたい俺としては、余計なお節介にもなり得るところだけども。

メリーさんだって、友達を欲しがるだけの普通の女の子に過ぎない、それに気付かされたんだから、これはもう恩義としか言い様がない。

 

 

「ドレスに土つけてるだけの今のお嬢は、優雅でもなんでもない。それに、従者だけに頑張らせて肝心の主人達は何もしないってのは……格好が悪すぎる、でしょ?」

 

 

「──格好、悪い……」

 

 

貰った恩は、返せるものならしっかりと返す。

我ながら頑固で鬱陶しいこだわりは、そう簡単には譲れない。

 

だから、淑女が帽子を取る前に。

立たせてやる、勿論紳士みたいなマナーなんて知らないから、多少荒っぽく。

 

 

「…………格好悪いのは、嫌ですわね」

 

 

「そそ。ヘタレてる場合じゃないよ。あんまり格好が悪過ぎると、その内従者に愛想尽かされるかもしんないね。お互い、それは避けたいだろ?」

 

 

「……ふん。最近口うるさいのも目立つから、それならそれでいっそ清々しますわ。けれど、それではグリーンセプテンバーの家名を背負う者として面目が立ちませんわ!」

 

 

「……くく、素直じゃないね。お嬢は」

 

 

「やっかましいですわ! というかお嬢って何ですの。勝手に変なアダ名を付けるんじゃありませんわ!」

 

 

「呼び易くて良いじゃん。それとも『そよかぜ』の方がいい?」

 

 

「ぐぬぬぬ……この、生意気な男は……っ」

 

 

余計な一言で、余計なところに火がついた。

より大きく、より強く炎として育てるなら、この風無き峠は場所として宜しくないけど。

 

差し出した手を腹立だしそうに引っ付かみながら、ゆっくり立ち上がる目の前の、エメラルドグリーンのそよかぜが居れば、充分に育つ。

 

 

「……じゃ、やる気も取り戻せた事だし、もう一丁行きますか」

 

 

「……もう一丁?」

 

 

ズシリと不調が(むしば)む身体を奮い立たせながら、ポンポンとお嬢の肩を叩く。

ミノタウロスを打破出来るための手段がないのなら、作れば良い。

 

あの角を折るだけの高威力が、お嬢だけ不足しているだけだというのなら、追い風を呼び込もう。

 

その為の術は、もちろん俺の中にある。

 

 

「ワールドホリック第四弾! 今回の再現には……お嬢の力を貸して貰うよ」

 

 

「……わ、わたくしの力を……?」

 

 

 

さぁ、今度は初の試み、共同作業による再現。

 

魔法と異端のコラボレーション、いってみようか。

 

 

 

────

──

 

【紡ぐ旋風の名は】

 

──

────

 

 

 

「セィ、ヤァ!」

 

 

縦一閃の凶腕を横に滑りつつ、腰を屈めた突きを放ち、弾かれるように切り上げる連撃。

追撃と回避を兼ねたセリアの得意技ではあるものの、やはりそんな小技でどうにか出来るものではない。

 

 

「私メリーさん、やっぱり角狙いはダメみたい」

 

 

「魔物とはいえ、打たれてはまずい所は心得ているという事ですな。潜り抜けようにも、こやつの動きは図体に見合わずなかなかに素早い」

 

 

動物的な本能とも言うべきか、ミノタウロスは登頂部の角をカバーするように立ち回っている。

挙げ句、硬質な角を折りかねないメリーの一撃には特に気を払っているようで、その禍々しい紅瞳は油断なくメリーを捉え続けている。

 

加えて、ミノタウロスの攻撃目標に定まることが多いのも人形少女ばかりで、淡々とした口振りとは裏腹にメリーの表情は疲れを訴えていた。

 

 

「……」

 

 

やはり、高火力の魔法による一撃が求められる場面。

 

だが、先程の別れ際に見た、ナナルゥの様子のおかしさから、セリアの胸中に不安な思いを捨てきれずにいた。

 

コボルトとの戦闘後に見せた彼女の焦った様子もそうだが、何より腑に落ちない疑問がある。

 

 

それは、二人組のエルフが居るという情報を掴んでおきながら、隊長ラグルフは何故彼女達を、魔王軍の防衛手段として勧誘しなかったのか、という疑問。

 

エルフの魔法が魔物に対しての有効な手段であることは明白なのは、誰もが分かる事。

だというのの、そもそも彼女達がフリーな状態でクエストを受けているのは、明らかにおかしい。

 

 

「……アムソン。もしかして、ナナルゥは……」

 

 

なら、考えられる事は──

 

ナナルゥとアムソンの二人は、防衛戦に参加するには『不足』だと判断されたからではないのか。

 

そんな残酷な考えに思い至ったセリアは、どこか不安を晴らすかのように口を開く。

だが、そのセリアの反応につい気取られてしまったアムソン、そしてメリーの僅かな"緩み"を、ミノタウロスは見逃さなかった。

 

 

「グルォン!!」

 

 

「ぁ──」

 

 

「いかん!」

 

 

岩盤すら紙切れみたいに貫く恐ろしい腕が、メリーをまるで本来あるべき惨めな姿に戻してやろうとするかの様に迫る。

 

一瞬の油断、それは決定的な隙へと繋がってしまう。

甲冑を身に付けたセリアの腕が、反射的に伸びるけれど、間に合わない。

 

 

「メリ──」

 

 

「【プレスクリプション(お大事にね)

 

 

「!?」

 

 

だが、無慈悲な腕から彼女を消失させてまで守ったのは、ナガレによる帰還の命。

光へと存在を霧散させた事により、辛うじて彼女の安全は保たれた。

 

 

「ナガレ!」

 

 

「ごめん、二人とも。あと十秒だけ、時間稼いで。そしたら──」

 

 

流々と紡がれる詫びの言葉と、あと少しの辛抱を願う青年の声。

それにつられるように、セリアとアムソンが横目で後方を見れば、そこには。

 

 

「お嬢様……」

 

 

柳のように静かに、けれどもどこか余裕を秘めた眼差しで此方を眺める長い黒髪の青年と。

不安を押し殺しながらも、つとめて優雅に、そして毅然と立つエメラルドグリーンの淑女の姿。

 

 

「──わたくし達が、決めますわ!!」

 

 

細い血の痕を残した唇が、凛と吠えた。

 

風の無い死地にて、風を吹き起こす為に。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「分かってんね、お嬢。大事なのは威力じゃなくて、発生させる場所と、ちゃんと"旋風"であるってこと」

 

 

「分かってますわ。ナガレこそ、また失敗するんじゃありませんわよ!」

 

 

「俺の【食べてすぐ寝たら】は一応成功っちゃ成功なんだけど……まぁいいか。じゃ、いくよ」

 

 

出来の悪い主人コンビのせいで割を食わされた前線メンバーに報いる為にも、この再現はばっちり決めなくちゃいけない。

 

そんな意気込みからだろうか、元の優雅さを取り戻したかのようにヒラリと手を翳すお嬢の手に、重なる様に腕を構える。

格好悪かった分、ここは格好付けて行こうじゃないの。

 

 

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)

 

 

逆転の鍵を、手元に。

 

いつもと違う手応えが、形となっていく。

アーカイブのプラチナの奔流光に、お嬢の魔力らしき緑閃光が重なって渦巻く。

 

その現象に驚きはするものの、疑問は挟んでられない。

派手で鮮やか、お嬢らしくていいじゃないの。

 

 

「『自由気儘に縛られる事を呪うから、淑女はいつも空回る』」

 

 

「【それはいつ如何なる時代においても散見される、ある不思議な風にまつわる話】」

 

 

互いに挑発的に細めた横目で視線を交わしながら、紡ぎ始めたのもほとんど同時。

 

へっぽこエルフなお嬢と、都市伝説マニアのろくでもない一時的なダンス。

けれど、不思議と高揚するものがあるからか、つい頬が緩んだ。

 

 

「『退屈しのぎに彼方此方へ、鈍い色した自由を求めて』」

 

 

「【悪神か、妖怪か、それともただの自然現象なのか。あらゆる推論や考察がなされる今日、決定的な結論は未だに出ていない】」

 

 

俺達の挙動に合わせて、セリアとアムソンさんもきっちりミノタウロスの気を引いてくれている。

何だかんだで、この状況を打破する一手として期待されてるって事なんだろうか。

 

ありがたいったらない。

応えなきゃ男が廃る。

 

 

「『ドレスについた紅いものを素知らぬ振りで、空絵に描く幸福ばかりに憧れる』」

 

 

「【野鎌、鎌風、飯綱、そして悪禅師の風。多様な名で呼ばれるその現象は、主に雪深い地方によって語られる】」

 

 

落ちこぼれ、なるほど確かに。

じゃあ一緒に這い上がって貰おうじゃないの。

 

淑女を舞踏会に誘えるような紳士っぷりなんて柄じゃないし、出来もしないけど。

強引に周りを巻き込むのが、いかにも俺らしいやり方だから。

 

 

「『自由とは身勝手なもの。彼女はまさに体現者』」

 

 

「【気付かぬ内に、まるで鎌で切りつけられた傷が出来ること。その摩訶不思議を、人々は、こう呼んで恐れたという】」

 

 

先手は、お嬢から。

 

翳したオペラグローブの指先から、緑閃光をまとった魔法軸が現れ、発動する。

 

 

 

「【リトルサイクロン(自覚なき台風の目)】!!」

 

 

魔法名を叫んだお嬢の声を聞くや否や、セリアとアムソンさんは大きくバックステップし、ミノタウロスと距離を取る辺り、流石だ。

 

標的と定めた魔牛の頭部から発生した、小規模な逆巻く烈風の勢いは強く、発生源に比較的近いセリアの結んでいた髪がほどけそうなほど。

 

小さいながら局地的なハリケーンを起こす、中級の風魔法らしいが、やはりこれだけでは強靭な角を折るには足りない。

 

 

だから、これがとどめの一手。

 

再現性は文句なし、親和性も多分大丈夫。

 

そして、浸透性だけど……これも下手したらワールドクラスなんだよね、実は。

 

 

だって、誰だって聞いた事あるだろう、この名前をさ。

 

 

 

【その名は──カマイタチ】

 

 

 

 

 

「【World Holic】」

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

まるで生物としての軸、重心を失ってしまったかのようにグラリと傾いていく視界に、恐らく一番驚愕したのはミノタウロス自身だっただろう。

 

 

鋼にすら勝る屈強さや反応速度は、高位の魔物として揺らぎないもののはず。

だが、これはどうしたことか。

 

 

先程からしぶとくも周りを飛び回る矮小な生き物達を叩き潰す、力ある者。

それが、まさか──こんなイタチ風情に、と。

 

 

「ゴォ、ォ……」

 

 

灰に還っていく最中、途切れていく視界の中で。

 

まるで夜空にある月のような白銀の毛を輝かせる、三つに別たれた尻尾を(ひるがえ)したその銀イタチだけを見つめて。

 

角を断たれた、命の根元を断ったその小さな怪異の鳴き声が、ただ甘く風に流れた。

 

 

「キュイ」

 

 

 

風無き峠にて、旋風となるもの。

 

そんな矛盾した事象が、やけに相応しい。

 

決着は、ただ静かに。

 

 

_______

 

 

【魔法紹介】

 

 

『リトルサイクロン《自覚なき台風の目》』

 

「自由気儘に縛られる事を呪うから、淑女はいつも空回る」

「退屈しのぎに彼方此方へ、鈍い色した自由を求めて」「ドレスについた紅いものを素知らぬ振りで、空絵に描く幸福ばかりに憧れる」

「自由とは身勝手なもの。彼女はまさに体現者」

 

 

中級風精霊魔法

 

指定した座標に局地的な竜巻を発生させ、対象に高威力のダメージを与える魔法。

その威力は対象の体重によってはバラバラに引き裂くほどに強力で残忍であるが、範囲はあまり広く設定出来ない。

 

我が儘な少女の如く、周り全てを巻き込むのでフレンドリーファイヤには気を付けてなくてはならない。

 

 



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Tales 21【鎌鼬のナイン】

鎌鼬(かまいたち)

 

 

これが何かと聞かれれば、まず妖怪と答える人が大概だと思うけども、これは元々カマイタチ現象と呼ばれるモノである事を知ってる人も現代では少なくないと思う。

 

 

日本各地に様々な呼ばれ方と共に、時には悪神とさえ扱われることもあるが、その伝承を紐解けばほとんどが同じケースから基づいてる。

自覚のない内に、皮膚に鋭利な刃物で切り裂かれたかのような傷が出来るこの現象を、古来の人々は妖怪の仕業として考えた。

 

 

けど科学の進歩と共に、『空気中で起きた真空が刃物のように傷を付けるから』とされ、その後さらに『寒帯と乾燥によって出来たあかぎれ』という説が出た。

 

特にこれは後者の説が有力視されてるけど、"面白い"のはこの説に反論するかのように暖かい地方での鎌鼬現象の報告があったり、現象が起きた時にイタチを見た、なんて意見まで出て来たところだ。

 

 

まるで、神秘的なものをわざわざ科学的手段で解明することを"無粋"とするかのように。

 

人間の技術の粋によって解き明かされたものを、否定するのもまた人間。

 

現代でも今なお各地で体験報告がネット上でも相次ぐカマイタチ現象。

古くは妖怪として伝えられ、今度はその神秘さの保持の為に生み出される手垢まみれの伝説。

 

 

その側面も踏まえて、一風変わった都市伝説として再現させてもらった訳なんだけど。

 

 

「(カマイタチ現象、じゃなく鎌鼬としての再現、か。てっきり【食べてすぐ寝ると】みたいな現象再現になると思ってたけど。浸透性……カマイタチ現象に対する大衆のイメージが影響してんのかな?)」

 

 

予想とは少々違った結果に、まだまだワールドホリックっていうものに対する理解と分析が足りてないなと唸りつつも、とりあえず危機を越えれた事に対する安堵も沸いてきた。

 

それにしても、あのめちゃくちゃ固そうなミノタウロスの角を一撃でぶった切っちゃうほどとは、流石に予想以上だ。

多分、あの三尾の内のどれかを鎌に変えてたんだろうけど、今はもう三つとも普通の尻尾に戻ってる。

 

 

 

 

「んじゃ、アーカイブでステータスチェックでも……」

 

 

「キュ、キュイ!」

 

 

「ん?」

 

 

そして、俺達のピンチを救ってくれた三尾の銀イタチは、丸っこいソプラノを響かせながら一目散に俺の元へと駆け抜けて。

 

 

「キューイッ」

 

 

「ぷあっ」

 

 

めっちゃ嬉しそうに、俺の顔にビターンと張り付いた。

 

モフモフと量があるのに滑らかな手触りな毛皮が、俺の鼻と口を塞ぐから思わずむせる。

慌ててその首根っこを猫みたいに摘まんで剥がすと、すごく機嫌の良さそうな真っ赤な瞳がパチパチと俺を見つめて。

 

メリーさんといい、このカマイタチも親和性がかなり良いみたいだから、すっごい友好的なんだろうか。

 

そんな考えがよぎった時、ついでに甘い薫のするエメラルドグリーンが視界一杯に広がって。

 

 

「やっ、やりましたわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

「どぅあっ!?」

 

 

機嫌が良いどころじゃない、満面満開に花弁を咲かせたお嬢に押し倒されたと気付いたのは、硬い地面の痛みに悶えた後だった。

 

 

 

────

──

 

【鎌鼬のナイン】

 

──

────

 

 

 

「お嬢様、ナガレ様、お見事にございましたな。よもやあのミノタウロスを倒す事が出来るとは……」

 

 

「オーッホッホッホ!! この黄金風のナナルゥの眠り続けていた真価がついに! つーいーにッ、発揮されたのですもの、勝利は当然の結果ですわッ! ミノタウロス程度、お茶の子さいさいというやつでしてよ! お茶の子ってなんなのか知りませんけどッ!」

 

 

「……ホッホ、左様ですか。ではお嬢様の真価を引き上げてくださいました功労者様を、そろそろ解放して差し上げてはいかがでしょうかな」

 

 

「ご、おっ、めっちゃ後頭部打った……いってぇぇ……」

 

 

「あ、あら……わたくしとした事が、少々はしたなかったですわね。ごめんあそばせ」

 

 

押し倒された拍子に思いっきり後頭部ぶつけたせいで、目の奥でパラパラと星が散ってる。

お調子者なお嬢様だって事は知ってけど、気を抜いてた所にいきなり飛び付くのは勘弁して欲しい。

 

悶絶してる俺を見下ろしつつ羞恥に頬を染めながらお嬢が腰の上からどいてくれたので、ぽっこりと腫れたタンコブを抑えながら俺も立ち上がった。

 

 

「……にしても、魔法を使った協力再現……思った以上に効果あったっぽいね。再現した鎌鼬、相当強いポテンシャル持ってたみたいだし」

 

 

「ふむ。状況の再現にお嬢様の魔法をお使いになられたからこそ、より強力な再現となったという事ですかな。となれば、ナガレ様のワールドホリック……ますます奥深く謎めいた力でございますな」

 

 

「つまり……つまりですわ! このわたくしの魔法を用いた結果、ミノタウロスの角を断ち切るほどの『威力』に昇華できたという訳ですのね! むふ、むふふふふふ……オーッホッホッホ!!」

 

 

なんかさっきからお嬢のテンションというか、機嫌の良さが天元突破してらっしゃる。

腰に手を当てて顎の下に掌を斜めに構えた、THE.お嬢様の高笑いなポーズを決めてる訳だけど、そのハイテンションの理由もなんとなく理解出来た。

 

 

エルフにしては物足りない魔法の威力、それはお嬢にとってとてつもないコンプレックスだったんだろう。

だからこそ、ミノタウロスの角を断つほどの再現に必要なファクターとなれた事だけでも、こんなに有頂天になるには充分過ぎた。

 

 

だからまぁ、別にお嬢の魔法が覚醒したって訳じゃないだろって無粋な発言は、舌の上で転がすだけに留めておこう。

と、そこで後頭部を酷くぶつけた衝撃ですっぽりと抜け落ちてしまったモノに気付く。

 

 

「……あれ、そういえば……肝心の鎌鼬はどこ行った?」

 

 

「ハッ、そうですわ! わたくしの美しさ上品さ絢爛さをぎゅぎゅっと凝縮したかの様な銀のイタチはいずこに!?」

 

 

「自分が関わってるからってとんでもない誉めっぷりだなおい。お嬢ってばわっかり易い……あ、ていうか、セリアもどこ行った?」

 

 

「……ご安心を。セリア様も鎌鼬様もそちらにいらっしゃいますよ」

 

 

スッと綿手袋に覆われた手が示した先を、お嬢と一緒に視線で追い掛けると、そこには。

 

すっかり夜の葵に更けた空を背景に、向き合う一人と一匹、藍色と銀色。

片膝をついて、夜に映える白銀イタチにそっと手を差し伸べる蒼き女騎士とのツーショットは息を呑むほどに、なんというか雰囲気が出来上がっていた。

 

 

……雰囲気は、うん、ばっちり。

 

雰囲気は。

 

 

「チチチ……るーるーるー……」

 

 

「キュッ、キュイ」

 

 

今まで見たことないくらいに真剣な目で、鎌鼬においでおいでってやってるセリアの頬が、ほんの少しピクピクしてるのが地味に怖い。

 

というかそれキツネにやるやつじゃない?

鎌鼬のちょっと戸惑ってるし。

 

けど、恐らくセリアに敵意がないって判断したのだろうか、彼女の籠手に包まれた指先を、前足でぽんぽこ突っつき始めて。

 

 

「……────」

 

 

いやまぁ男の俺でもその仕草はいかにも小動物っぽくて可愛いと思ったけどさ。

 

真顔のまま身悶えんのはホント怖いって。

アレだよ、めっちゃ運動した後にキンキンに冷えた飲料水飲んだ人みたいなリアクションだよそれ。

 

身悶える拍子に腰にぶら下げてるショートソードがガシャガシャ鳴ってんだけど。

 

 

「……キュイ?」

 

 

「はうっ」

 

 

あぁ、成る程……セリアって実は可愛い生き物に弱かったりすんのかな。

多分これでも必死に抑えてんだろうけど、流石にバレてるから。

 

膝をバシバシ叩きながらプルプルしてるセリアの隠れた一面を見せられて、なんとも微妙な心境に陥りましたとさ。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

───────

 

【カマイタチ/鎌鼬】

 

・再現性『B+α』

 

・親和性『A』

 

・浸透性『B+α』

 

 

保有技能【─未提示─】

 

保有技能【二尾ノ太刀】

 

・二本目の尾を鎌に変える

 

保有技能【─未提示─】

 

──────

 

 

「メリーさん並に高水準だな……このプラスアルファっのは協力再現の影響か?」

 

 

「オーホッホッホ! このわたくしの介添えの結果、更なる高みへと昇りつめれたという訳ですわね!」

 

 

「……ま、事実だから言わせといてあげる」

 

 

「そんな事より名前を決めましょう」

 

 

「賛成ですわ! ってそんな事とはなんですの!」

 

 

「キュイー!」

 

 

揺れのない長橋を渡り、風無き峠を下る途中。

そろそろ平原への緑が見えてくるかなってとこで、鎌鼬の名前を付ける事になりました。

 

正直ミノタウロス戦からずーっと再現し続けてるから、そろそろ身体がしんどい。

けど、かつてなく煌めいちゃってるサファイアブルーの瞳と、嬉々として賛成票を入れるお嬢のタッグを前に、んな事は言えません。

 

 

俺の首回りにマフラーみたいに巻き付いてる鎌鼬ご当人も、嬉しそうに一鳴き。

 

 

「名前……名前か。ちなみに案はある?」

 

 

「この子は風に関するのだから、精霊名にちなんで【シルフィス】とかはどうかしら」

 

 

「それでは安直過ぎますわ。このわたくしが再現に関わってるのですもの、華々しさと絢爛さと豪快さを兼ね備えた【ゴージャスデスパレード雪風】という名前で行きましょう」

 

 

「……仮にも風使いのエルフが精霊名を軽んじるような事を言っても良いのかしらね。それに、ナナルゥの案だと長すぎて呼びづらいわ」

 

 

「なっ、わたくしのネーミングセンスにケチを付ける気ですの!? 第一、貴女は再現に関わってないのだからここはわたくしに権利を譲るべきですわ!」

 

 

「……仮にも前線を維持した人間に対して随分な言い草ね。心外よ。それに、別に貴女じゃなくても風系統の魔法を扱えるのなら今回の再現は可能だったのだから、そう威張れるものじゃないでしょう」

 

 

「むぐぐ……いーえっ、わたくしの精密なコントロールがより再現性を高めたのです! そう、この子はわたくしとナガレとの力の結晶、言ってしまえばわたくし達がこの子の産みの親という事ですわ! それを横からアレコレと口を挟むなんて、まるで意地の悪い姑ですわね!」

 

 

「…………アムソンさん、どうするよこれ」

 

 

「そっとしておきましょう。淑女同士の意地の張り合いに男が軽はずみに口を挟むべきではないのですよ、ナガレ様」

 

 

「キュイ……」

 

 

案を募ったら、予想以上に揉め出した女性陣。

こうなってしまえばそっとしとくしかないのが男の悲しい所だな。

 

というかさ、お嬢さらっと鎌鼬のこと俺との愛の結晶みたいな言い方すんのは止めて欲しい。

その発言の時にアムソンさんの瞳がキュピーンって光ってちょっと背筋がゾワッとしたし、変な誤解を招きかねないよそれは。

 

 

「ナガレ、ここは貴方に決めて貰おうかしらね。【シルフィス】と【ゴージャスデスパレードなんたら】、どちらが鎌鼬の名に相応しいか」

 

 

「ゴージャスデスパレードゆ・き・か・ぜ! ですわ! さらっと後半を適当にして優位を稼ぐなんて、騎士にあるまじき浅ましさですわよ! ……ナガレ、貴方が産みの親としてはっきりと言ってやりなさい! この子にはわたくしの考えた豪華絢爛な名前が相応しいと!」

 

 

「えぇぇぇぇぇ……」

 

 

最悪なことにこっちに飛び火したし。

両サイドからそれぞれ腕をガッと取られながら、睨み合う両者の視線が痛いこと痛いこと。

アムソンさんに助けを求める視線を送っても、小皺混じりのダンディスマイルにさらっと回避されました、畜生。

 

なんとか矛先を俺から逸らしたい所だけども……あっ。

 

そうだそうだ。

こんな時こそ、頼りになる方がいらっしゃるじゃないか。

 

 

「……メリーさんメリーさん、メリーさんはどんな名前が良いと思う!?」

 

 

──プルルルルル。

 

 

ジャケットのポケットの中から、まさに溺れた時の藁とでも言うべきメリーさんからのコール音。

 

がっちりきまってた利き腕を固めるセリアの力が緩んだ拍子にポケットからスマホを取り出し、耳に当てる。

流石にこの二人もメリーさんの意見には耳を傾けるはず。

 

光明、射したり。

 

 

『私メリーさん。んなもん知ったこっちゃないの。ナガレが適当に付ければいいの』

 

 

「えっ」

 

 

光明どころか真夜中のふっかい闇の底でした。

 

スピーカーから伝わるくぐもった声は、やけにドスが効いてらっしゃる。

なんか、メリーさんすっげぇ機嫌悪いんだけど。

 

 

『……新参者の癖にナガレの首に巻き付くなんて許しがたい。馴れ馴れしい。なにその相棒みたいな立ち位置、ナガレの相棒はこのメリーさんだって決まってるもん。今更ダークホースなんてお呼びじゃないの……大体ナガレの初めての再現だってこのメリーさんで……ブツブツ』

 

 

「…………」

 

 

アカン、メリーさんがとてつもなく嫉妬してらっしゃる。

 

いやそこまで相棒の立ち位置大事にしてくれてて嬉しいけど、今この状況では何の解決にもならない。

というか、しれっと鎌鼬が見せ付けるように俺に頬づりしてるのは何でだ。

もしかして煽ってるとかじゃないよな。

 

 

とりあえず、この状況はもっと不味い気がする。

 

ごめん、また今度なんか埋め合わせするから。

そう言ってそっと通話を終了した。

光明射し込むどころか奈落の底に落ちましたよと。

 

 

「……うぉっほん。では、一番の相棒であるメリーさんのご意見も加味すれば、やはりナガレ様が名前を付けるべきではないでしょうかな。勿論、お嬢様方のご意見も大事かとは存じますが、カマイタチ様もそちらの方が喜ばれるのではないかと」

 

 

「「……」」

 

 

あまりに八方塞がりな状況を見兼ねて、アムソンさんがそっと助け船を出してくれた。

やはり年長者の声はよく通り、不服そうながらも俺の腕をゆっくり離す両サイド。

 

アムソンさんほんとありがと、流石執事の鑑。

 

でも、俺……ネーミングセンスないらしいんだよね。

 

以前、アキラの取り巻きの女の子、チアキが拾った猫になんか良い名前ないかって聞かれたんで『ニャー助』ってのを提案した所、即答で却下されたぐらいだし。

 

 

「名前……名前…………うーん……」

 

 

「「…………」」

 

 

でね、両サイドからの無言の圧力が半端ない。

迷ったなら自分の案を採用しろと言わんばかりのプレッシャー。

 

そんな中で、凝った名前なんて早々考えつけるはずもなく。

 

 

「……キューって鳴くから、【ナイン】とかどうか、な、って……はは、はは……」

 

 

「「…………」」

 

 

うわぁどうしよう。

安直でしかも親父ギャグみたいなネーミングにしやがったよコイツ、センスねぇなって視線がバッシバシ来るんだけども。

 

いやね、そりゃ自分で良い名前思い付くんなら最初っから案を募ったりする訳ないじゃん。

まぁ自分でも単純なネーミングだと思うけど……と、ガックリ肩を降ろした俺を慰めてくれたのは、まさかの鎌鼬だった。

 

 

「キュキュキュー!」

 

 

「……えっ? 【ナイン】が気に入ったの?」

 

 

「キュッキュイー!」

 

 

「……や、けど。セリアの名前のが格好良いし、お嬢のやつだって……うんまぁ確かに長いけど個性的ではあるよ。本当にいいの?」

 

 

「キュイっ!」

 

 

俺の首元で目一杯喜びを表現してくれてる様子だけでも充分伝わるくらい、この微妙な名前を気に入ってくれたようで。

 

しかし、これは流石にセリアとお嬢が納得いかないんじゃないかと、恐る恐る身構えるけれども。

 

 

「……優しい子ね、ナイン。撫でて良いかしら」

 

 

「キュイ!」

 

 

「ありがとう」

 

 

「ナイン……それにしても美しい毛並みですわね。そう、まるでこのわたくしの気品溢れる美貌がそのまま宿ったかのような……」

 

 

「自画自賛もそこまで突き抜けると、いっそ天晴れと申したくなりますな。流石はお嬢様にございます」

 

 

「オーッホッホッホ、もっと誉めても良いんですわよ!」

 

 

「皮肉を皮肉と取られないとは……よほど有頂天の極みにあるようですな」

 

 

……なにこの置いてけぼり感。

 

結局名前で呼べれば何でも良いんかい。

そう思うけども、ここからまた下手に藪をつついて蛇を出すのも馬鹿らしい。

 

はぁ、と溢した溜め息を鎌鼬──もとい、ナインだけには拾えてしまったようで。

 

 

「キュイっ」

 

 

「……ありがと」

 

 

慰めるように顎の下に頭を擦るナインにそっとお礼を告げて、まばたきひとつ。

 

何はともあれ、難関を越えた今、こんな些細なことで落ち込めるだけありがたい話か。

 

何とも言えない楽観を冷ますように、そっと草花の香りを運んだ緩い"風"が、ひとつ頬を撫でた。

 

 

 

風無き峠──突破。

 

 

 

_______

 

 

 

 

【都市伝説紹介】

 

 

『カマイタチ/鎌鼬』

 

・再現性『B+α』

 

・親和性『A』

 

・浸透性『B+α』

 

 

保有技能【─未提示─】

 

保有技能【二尾ノ太刀】

 

・二本目の尾を鎌に変える

 

保有技能【─未提示─】

 

 

身に覚えのない裂傷が起こるという、カマイタチ現象を元に再現した都市伝説。

正確には、カマイタチの科学的解明に対する反論のように作り出された各地での『鎌鼬発見報告の逸話』。

 

ナガレとしては【食べてすぐ寝ると】の様に現象的な再現となると予想していたが、再現されたのは原題である【妖怪『鎌鼬』】の方だった。

 

その複雑な経緯のせいで、伝承にあるような『三匹の鼬』ではなく『三尾の鼬』として顕現しているのではというのがナガレの推測である。

 

ナナルゥとの協力再現という形である為か、能力に補正が掛かっている。

 

 

 

 

 

 

 



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Tales 22【鏡は縦にひび割れて】

紆余曲折あったけれども、風無き峠のワイバーンを無事倒し『同時再現』『現象再現』『協力再現』といったワールドホリックの新たなる一面を開拓出来た。

 

再現のオンパレードで長距離マラソン一周した後のような疲労感が襲ってくるけど、達成感と満足感がそれ以上に大きい。

まぁちょっと予想外の結果もあったけれども。

 

ティーカップの紅茶色の源に浮かぶ、銀色の月を傾けて喉を潤せば、心地の良い吐息が唇の間から抜け出た。

 

 

「あー……お嬢が羨ましい。晩御飯も食後の紅茶もこんなに美味いし。至れり尽くせりじゃん」

 

 

「ほっほ、左様ですか。ご満足いただけて何よりでございます」

 

 

「やっぱあれ? 貴族に仕える執事ってこんなにハイスペックなもんなの?」

 

 

「貴族の格を測るならば、傍仕えの出来を見よ、とも言いますので。奉仕の技術はある程度磨かねば、高貴なる者の傍は務まりません」

 

 

宵の青々とした滲みがインクのような夜空の下、セントハイム王国へと続くパラミオ平原の河近く。

長い一日を締め(くく)るべく夜営の準備を終えた後のティータイムの茶席に着いたのは、俺とアムソンさんの二人だけ。

 

 

セリアとお嬢はなんか女同士で話があるってことで、林の中に涌いてた泉の方へ向かった。

多分水浴びも兼ねてるんだろうけど、話の内容については……俺も少し、思うところがある。

 

 

「あのさ……エルフのお嬢がわざわざ人里に降りてまで頑張ってる理由って、聞かない方が良い?」

 

 

「ふむ。やはり、気になりますでしょうな……本来であれば、この口がお嬢様の許しもなく身の上を語る訳にはいかないのでしょうが……ほっほ。ナガレ様には、お嬢様の葉脈に光を注いでいただきました故。少々であれば、許されぬものも許されましょうな」

 

 

「葉脈に光?」

 

 

「おぉ、これは失礼。葉脈に光を注ぐ……つまり人間で言う所の、奮起を促して下さったという事でございます。ナガレ様との協力再現……あの力によってミノタウロスを打ち倒したという実績は、お嬢様にとっての大きな自信となりました。例え、それがほとんどナガレ様のお力によるものだとしても、です」

 

 

「……いや、お世辞抜きでお嬢の魔法があれだけの再現に繋がったんだと俺は思うけど。セリアに聞いたけど、本来あのリトルサイクロンって"旋風どころの威力"じゃ済まないんでしょ? こう言ったら皮肉みたいに聞こえるかもしんないけど、お嬢だからこそより伝承に近い再現になった訳だし」

 

 

暴風(サイクロン)台風(ハリケーン)じゃ、鎌鼬どころの話じゃなくなる。

 

だからこそ、お嬢の旋風程度の威力が皮肉にも再現性に一番マッチしたってこと。

 

 

「セリアから聞いたんだけど、エルフは魔法が火力面に偏るせいで、制御があんまり得意じゃないんでしょ。だからこそあのコボルト戦の時にはかなり驚かされたらしいし」

 

 

「そうですな……お嬢様の魔法は威力こそ物足りないですが、制御の方面には多少長けております。それこそ人間の扱う魔法と同じくらいに…………ですが、それ故に偏見の対象と成り得るというものでした」

 

 

「……『そよかぜのナナルゥ』ってやつか」

 

 

「えぇ。エルフであれ、人であれ、不出来な者は蔑まれてしまうのが世の常。まして……ここより東、エルフの国の辺境伯であらせられるレイバー・グリーンセプテンバー様の一人娘ともなれば……偏見とは別の感情も付きまとうものでしてな」

 

 

「……」

 

 

エルフの国云々ってのは当然俺の中にない情報だけども、アムソンさんが言わんとするお嬢が背負ってきた重荷は、紐解かなくても充分に察せる。

 

 

笑いたければ、笑ってくれ。

 

 

あの時、自らのコンプレックスを晒したお嬢の自嘲は今でも思い出せるくらいだったから。

その分、ミノタウロスを倒せたっていう達成感は俺よりもお嬢の方が何倍も大きかったんだろうね。

 

 

「……じゃあ、お嬢が人里に降りてまでクエスト受けてたのって……そういうコンプレックスを解消する為の修行的なのが目的? で、ついでにその功績で家名を広めて一石二鳥、みたいな」

 

 

「ホッホ。そうですな、それも確かにありますが……主な、理由は────」

 

 

当たり障りのない幼稚な探りをくすぐったそうに、歴史を(したた)めた目元をほころばせるアムソンさんが、不意に背筋を伸ばした途端。

 

冷たい風が、ティーカップの紅茶から流れる湯気を、摘み取るように消し去った。

 

 

 

「────復讐、でしょうな」

 

 

 

────

──

 

【鏡は縦にひび割れて】

 

──

────

 

 

 

その昔、彼女は優秀な子供として持ち上げられていた。

 

まだ他のエルフが魔力を練るのにも苦戦している頃に、彼女は既にそよかぜと踊っていた。

 

 

紙で折った動物を動かして劇をしたり、木から落ちたスズメの子供を風で巣まで運んであげたり。

その器用さに、誰もが彼女を褒めそやした。

まるで風の精霊の生まれ代わりだと。

 

彼女もいつしかその輪の中心で、高笑いをあげていた。

 

 

しかし、それは幼き頃の眩い思い出。

 

 

次第に成長し、輪の周りが魔法を扱える頃、彼女の成長は底をついた。

当たり前に火炎で壁を壊し、水流で波を作り出し、土で巨大な人形を作れる周りと違って、彼女の風はいつも物足りない。

 

いつしか、『そよかぜ』と揶揄されていた。

それを呪いとまで憎んだ事もあったけれど。

 

 

それ以上に、ナナルゥ・グリーンセプテンバーにもたらされた災いがあった。

 

思い出すのは……跡形もなく奪われた、彼女にとっての安息であり────最後の誇り。

 

 

 

 

「そう……そういう、理由なのね。聞いておいてなんだけれど、私に話しても良かったの?」

 

 

「別に隠しておく程の事じゃありませんわよ。まぁ、かといって言い触らすものでもありませんけど」

 

 

かき上げた前髪から流れ出る水脈が、白桃色の肌を伝っていく。

穢れを知らない澄みきった泉の水面を見つめていたワインレッドが、いつになく静かな心持ちなのは、軽々と出来る話ではなかったからだろうか。

 

何故、ガートリアムを訪れたのか。

その理由をかいつまんでセリアに語った唇が、淡い水を噛んだのは、ふと吹いた風の冷たさだけが理由じゃない。

 

 

「……ふぅ」

 

 

タオルケットで濡れた身体に吸い付く水滴を一通り拭き取り、下着と替えのドレスを纏ったところで、背の低い草の絨毯に腰を下ろす。

ざわざわと木枯らしを揺れす風に委ねた身体の奥で、まだ協力再現の時に感じた熱が灯っていた。

 

 

高揚感、達成感。

 

得られたものは自信だけ。

落ちこぼれの殻を破れるほどの強さを手に入れれた訳ではない。

 

それでも、その一歩は……自らの非力さを呪い続けていたナナルゥにとって、非常に大きかった。

 

だからこそ、自信をつけられた要因であるナガレ、その連れ添いであるセリアには、自分の旅をする理由を話しても良いと思える。

 

そして、同時に、興味も。

 

 

「…………」

 

 

「……何かしら?」

 

 

「……貴女、なんで騎士なんてやってますの?」

 

 

「いきなりどうしたの」

 

 

「どうしたのも何も……まぁ、ナガレは気付いてないかもしれませんが、このわたくしの目は誤魔化せませんわよ。わたくしも淑女としてそれはもうお母様にみっちりと仕込まれましたもの」

 

 

「……つまり?」

 

 

風に靡いた草の中に、青い花弁を宿した綺麗な草花。

けれど脆さ故に、花弁の一枚が風に千切れて舞い上がり、蒼い少女の頬を追い越した。

 

 

泉の水際で、薄いタオルだけを纏った美しき女のサファイアブルーの瞳が、細くなる。

 

 

「セリア。貴女も"貴族"、もしくはそれなりに地位のある階級にあった者……そうじゃありませんこと?」

 

 

「────」

 

 

心当たりはそう多くはなかったけれど、ナナルゥには確信があった。

 

紅茶を飲む時の所作、細かな仕草に散見された気品。

身嗜みに頓着なさそうに振る舞ってはいても、そういう身に付いた癖はそう簡単に拭い切れない。

 

ナガレは何となく勘づいてる程度だけれども、同じ貴族の息女として育てられてきたナナルゥであれば、その癖を見抜くことは容易かった。

 

 

けれど、だからこそ抱く疑問がある。

 

 

「それに加えて……まぁ、わたくし程じゃないにせよ、それなりに見映えの良い立姿をしてる貴女がそんなにも"傷"を作ってまでして、騎士をやってる理由……わたくしには解せませんわね」

 

 

今回のミノタウロス戦の立ち位置でも、セリアは女の身でありながら一歩も引くことなく前線に留まり続けた。

その影響で、身体の所々で新しく出来たと見られるすり傷もあったけれど。

 

 

正直、それなりどころではなく、どこか神秘的な美しささえ映えるその女性的な身体には、小さな古い傷が幾つも見られた。

まるで、過酷な戦場を多く駆け抜けてきた証のように。

 

 

 

「──そうでもないと思うわ」

 

 

「?」

 

 

「不思議なものね。確かに……貴女と私の立場はほとんど一緒よ。貴族で"あった"という事も……『戦う理由』も」

 

 

「!! では……貴女も、ですの?」

 

 

「……えぇ、そう」

 

 

青みがかった深い夜空と月を背負った、蒼い甲冑を脱いだ女騎士。

 

銀月光に女性的な輪郭を浮かび上がらせたその姿は、まるで女神のように息を呑むほど美しく。

 

宿したサファイアの瞳が、ぞっとするほどに輝いて。

 

 

────復讐。それが私の戦う理由よ。

 

 

 

藍色の舞台を縦に裂く、復讐の剣が冷たく光った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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【Ash Tale】

 往々にして、人生というのは描いたままの道筋を進めない事の方が多い。

 そんな誰しもが前提とさえしているお約束事を、神妙深く語った四時限目の教師の弁に、耳を塞ぐように頬杖をついて聞き流したのは何故だったのか。

 

 言われるまでもないから。

 馬鹿馬鹿しいから。

 つまらないから。

 どうだっていいから。

 

 

 ぼんやりと並べた反論は、けれどすとんと腑に落ちてくれるには、どれもこれも引っ掛かってしまう形をしていて。

 退屈そうに夜空で傾く三日月を見上げながら、どうしてだと音にせず放り投げた疑問はまるで当然の法則であるかのように、届きもせずに我が身へと落ちてくる。

 

 

 どうしてか、だって?

 そんなの、お前が一番分かってるはずだろう。

 

 

 そう世界が言いたげに風が吹いて、座り込んだ土の上の草花達をあやす。

 横に倒れた『立ち入り禁止』の看板が、こっちを嘲笑うかのようだった。

 

 

「……」

 

 

 往々にして、人生というヤツは思い通りにいかない。

 適当に日々を送っていても勝手気ままにすり寄って来る、そんな前提を──これ以上となく、実感してしまうから。

 

 認めたくない。

 認めれるはずがない。

 自分が望んでいた些細な未来が、唐突に欠けてしまった事を、実感したくなかっただけ。

 以上も以下もなく、ただそれだけの話。

 

 

 いつの間にか当たり前の顔をしながらそこに居て、今はぽっかりと切り取られたように誰も居ない隣を見つめて。

 

 

「っ……、……」

 

 

"彼女"──"大河アキラ"は、唇の端を噛んだ。

 

 

 

────

──

 

【Ash Tale】

 

──

────

 

 

 

 思い出を振り返るという行為自体を、嫌っている自覚はあった。

 単純に思い返すまでもない過去というのもあるし、足を止めてまで通り過ぎた道々を振り返るのも何だか女々しいだろうからと、そんな可愛げのない理由。

 

 

 だというのに、彼女はどうして此処に来るのだろうか。

 

 

 痩せた枯れ木と低い草花と、だだっ広く陸へと腕を伸ばしている黒いだけの『沼』。

 鳥さえも枝に止まらない、まるで世界ごと静止してしまったかのような『なにもない』場所に、今日もまた足を運んでいる。

 

 

「……」

 

 

 なにもない。腰を下ろしてみたところで、何か面白い事が見付かるはずもない場所だった。

 見付かるのはただ、思い出ばかり。

 夜の闇に目を凝らさずとも、どこかの誰かみたいな気安さで、あっさりと瞼の裏へと入り込んでしまう。

 

 

『そもそも、なんだってテメェはそんなに都市伝説なんて下らねぇもんに熱中してんだか』

 

『はは、今更それ聞く?』

 

 

 そうやって、興味のなさを(よそお)って、そもそもを尋ねたのもこの場所だった。

 

 

 使い馴れた飄々さを貼り付けて『彼』がおどけたのも。

 この場所こそが、そもそものきっかけだったという事も。

 ヘラヘラとした微笑の裏にある感情の形を知ったのも。

 細波 流という人間の奥に触れたのも。

 

 彼が。アイツが、微笑みながら、涙を落としたのも。

 

 

────全部。全部、この場所だった。

 

 

 だから、此処に来ればどうしたって思い出に触れてしまうのに。

 思い出す事そのものを嫌っている自覚さえ、追想の中のうたかた一つに膨らんで、呆気なく空に溶けてしまう。

 顎を乗せた片膝は、とうの昔に冷たくなっていた。

 

 

「……やっぱ此処に居たか」

 

「そんな薄着じゃ風邪引くよ、あっきー」

 

「……」

 

 

 背後から投げかけられた声に、振り向く事はしなかった。

 けれどそんな無反応などお構い無しに近付く二人分の足音がやがてすぐ傍らまで届く頃。

 かすかな衣擦れと共に、身動ぎもしない背中に、そっとコートがかけられた。

 二人の内、どちらのモノで、どちらの行動か。

 予想をせずとも直ぐに答えが思い浮かぶくらいには、彼らとの付き合いも長い。

 

 

「んな薄いコート掛けたところであんまり変わらなくね?」

 

「全然違うってば。バカリョージは女子の冷えやすさ舐め過ぎ」

 

「へいへい。っと……ほいアキラ、微糖な」

 

「……」

 

 

 板についたやり取りと共にリョージから手渡された缶コーヒーを受けとれば、アルミ越しに伝わる暖かさに、喜怒楽の浮かばない唇の隙間から吐息が漏れる。

 そんな些細に、此処でこうしている内に、一体どれだけ時間が経ったのかという自覚が、今更になって追い付いたから。

 苦い感情を吐き出してしまう前に、プルタブを爪先で引っ掻くけれど、血の気を失った指先では不快な音を鳴らすだけが関の山だった。

 

 

「ルー君って、此処には良く来てたんだっけ」

 

「……あぁ」

 

「いわくつきって割には……沼しかないな。辺鄙っつーか不気味っつーか」

 

「でもさ、いかにもルー君の好きそうな場所だよねぇ」

 

 

 宵の中でもしっとりと色を持つ金色の髪を耳へとかけながら、浸るようにチアキが呟いた。

 彼女しか呼ばないアダ名を付けられた件の彼は、確かにこういったいわくつきの場所を好む。

 肝試し染みた探求に、幾度となく付き合わされたのもそう昔の話ではない。

 

 

「……それだけじゃねぇ」

 

「え?」

 

 

 そう、昔の話なんかじゃない。

 懐かしめるだけの思い出とは違う、確かに色づいた記憶なのだ、大河アキラにとって。

 

 

「此処は……アイツにとっても特別だったし、オレにとっても───そうだった」

 

 

 『思い出』になんか、したくない。

 彼を欠いた日々に慣れたくない。

 小綺麗な過去になんか置いておきたくない。

 

 此処に来る理由なんて、それだけだった。

 それが全てだったから。

 

 

「じゃあ……じゃあさ。あっきーにとって、特別になってった理由ってヤツ、ウチにも教えてよ。あ、バカリョージが邪魔だったらどっか行かせるからさ」

 

「おーい除け者扱いすんなよ」

 

「るっさい。こっからはガールズトークなの、空気読めし」

 

 

 全てを言葉にはしないでも、一人を欠いた日常に言い知れない空虚を抱いていた彼女らにとっては、それだけで充分だったのかも知れない。

 

 

「……いちいち話す訳ねぇだろ」

 

「あ、それってアレ? 二人だけの秘密にしときたいってゆー?」

 

「チアキ、いい加減ぶっ飛ばすぞ」

 

「つーか、肝心のアイツが居ないのにそういうこと聞こうとしていいのかねぇ」

 

「は? んなの良いに決まってるじゃん。聞かれて困るんなら、今すぐにでも……ウチらんとこに『顔を見せに来ればいい』だけでしょ」

 

「……ひっでぇ理屈。でも、まー……こちとら散々探し回ってんだ。そんくらいの恨みは買って貰わねぇと、割が合わないってのも確かだな」

 

「勝手に話進めんな」

 

 

 細波 流が過去になる事を恐れているのは、彼女だけではない。

 暗く沈み行く夜に反抗するかの様に、或いは思い出へと押していく摂理の風に立ち向かうように。

 

夜は更ける。

 

 

────それは、"細波 流が前触れもなく『行方不明』となって"、二ヶ月が過ぎた、宵の深い夜の頃。

 

 

 

 

「そういや此処、最近になって変な噂が出始めたらしいな」

 

「あ、ウチもそれ聞いた。底無し沼の新しい都市伝説だーって、なんかクラスの男子が盛り上がってたよ」

 

「…………何の話だ?」

 

「だから、新しい都市伝説だって。前のが【底無し沼の泥人間】…………あれ、【沼人形】だっけ?」

 

「どっちも微妙に違う」

 

「ま、細かい事は良いや。で、その新しい都市伝説の名前が……えっと、確か……

 

 

 

 

 

 

 

   【異世界への入り口】だっけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Holic.1 【STORY TELLER】 ─ Curtain call.



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Holic 2 予告

To be continued

 

   to the next Holic is ____

 

 

 

 

 

Beginning __ 開始

 

 

『あそこがレジェンディア三大国の一つ、セントハイム王国よ』

 

 

 

 

Immature __ 未熟

 

 

『よ、よし……ヴィジスタ! 直ぐに援軍の編成をしよう!』

 

 

 

 

Obstacle __ 障害

 

 

『……残念ながら、それは難しいかと。各方面の戦況や片付けなくてはならない内政問題に加え、【闘魔祭】の準備もございます。情けない話ですが、手を借りたいのはむしろ我らの方です』

 

 

 

 

Abyss __ 深淵

 

 

『闇沼の深淵、或いは【人智の及ばぬ黒き底】……そう呼ばれておるほどの異端者、魔女カンパネルラ。魔女と揶揄されておる時点で貴殿らにも想像がついておろうが……彼奴あやつの精霊魔法は常軌を逸しておる。その気になれば、三日三晩もかけずに大国を滅ぼしかねない程にな』

 

 

 

 

Anger __ 立腹

 

 

 

『とんだドラ息子だなアイツ。つーか誰がヒョロヒョロもやしの女顔だってふざけんなあんの垂れ目路地裏に連れ込んでアキラ直伝の喧嘩キック尻に見舞ってやろうかホント』

 

 

Mercy __ 燐憫

 

 

 

『そこまでは言ってなかったと思うけれど…………気にしてたのね、ナガレ』

 

 

 

 

 

Ridicule __ 嘲笑

 

 

 

『ご機嫌よう、グリーンセプテンバーのお嬢様!! いいえ、久しぶりの再会でもあるんだし、昔みたいにそよかぜのナナルゥと呼んであげようかしらね?』

 

 

 

 

Storm __ 碧嵐

 

 

 

『わたくしを怒らせたならどうなるか!! みっちりぎっちりばっちりたぁぁぁっぷりとぉ!! この黄金風のナナルゥが! 貴方達に教えて差し上げますわよ!!!』

 

 

 

 

Question __ 質問

 

 

 

『⋯⋯……ねぇ、あたし、キレイ……?』

 

 

 

 

 

Habit __ 悪癖

 

 

 

『そりゃもうちょーキレイっす!! たまんないっす麗しいっす!! あとサインちょーだい!』

 

 

 

 

 

 

『兄ちゃん、悪く思わんでくれ。心配しなくても温情はかけたるから安心してや』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

summon __ 再現

 

 

 

『【その隙間から、覗いてるのは誰でしょう】』

 

 

 

 

Sorrow __ 憂心

 

 

『僭越ながら、ナガレ様は……──随分と長い、"空元気"を続けておられるように思うのです』

 

 

 

 

phantom __ 幻惑

 

 

『【見境なしのシュレディンガー】は縛られるのが嫌いなの』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lux __ 光

 

 

『もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう。"今度は、詫びは要らない"。だから──』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The next PAGE TITLE__

 

 

Holic.2【Plastic Lullaby】 Go up the Curtain__

 

 

 

 



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登場人物ファイル PAGE1

 

 

No.001

 

 

【細波 流 ─ サザナミ ナガレ】

 

 

身長173cm、年齢18歳の男子高校生。

 

外見は黒髪と、青みがかった黒目で身長は平均的だが体型は痩せ型。

 

髪は前も後ろも比較的に長めだが、一年前は後ろ髪がもっと長く、腰にすら及びそうな程の髪をポニーテールみたいにしていた。

理由は、某井戸の底から這って出てくる方や都市伝説に出てくる女の怪人に対するリスペクト。

 

顔は整っているものの、男らしいというより小綺麗な造形をしてる為、若干女顔にも見える。

 

 

階段から落ちて死亡したはずが、何故か数奇な運命を辿ってレジェンディア大陸へと転生する事となる。

 

 

自他共に認めるほどの都市伝説好きで、メリーさんと会うためにフランス人形をゴミ捨て場に置いて回ったり、頻繁こっくりさんを試したりとやりたい放題。

 

その暴走っぷりのあまり、学校でも変人扱いされているが、完全に自業自得であるし本人も全然気にしてないという迷惑っぷり。

 

しかし、都市伝説が絡まなければ割とまともであるので、その落差の激しさがより目立っている。

 

自他共に認めるほどの変わり者であり、お人好しな部分もあるが、それ以上に腹黒く、普段は意外にも慎重な思考スタイル。

楽観的であり割と熱血な所もある。

 

大河アキラ、要リョージ、如月チアキという友人を持ち、特に大河アキラとは親友といえるほどの仲である。

 

熱血な部分は、彼の親友である大河アキラと叔父による影響が大きいらしい。

恩にはちゃんと恩で返す事を信条としている所がある。

 

 

 

 

No.002

 

 

【セリア】

 

 

 

身長165cm 年齢は20歳。

 

辺境国ラスタリアの騎士。

 

プラチナブルーの長髪を三つ編みとお団子シニヨンみたくまとめており、前髪は左多めのアシメントリー。

スタイルも出るとこは出て引っ込むところは引っ込むといったモデル体型に加えてかなりの美人顔ではあるものの、どことなく冷悧な印象を受ける。

鎧を着込む為に着痩せして見えるが、バストのサイズはD。

 

基本的に冷静で落ち着いた性格をしており、羽目を外すナガレを嗜めたりする立ち位置に回る事が多い。

 

ナガレとの縁は、彼がアークデーモンに襲われる際にセリアが助けに入った事から、彼に恩義を感じられた事から始まる。

 

彼とは互いに命の危機を助け、助けられの間柄。

セリア自身も、ナガレに対しては割と心を許している節がある。

 

魔物に何かしらの憎悪を抱いている為か、魔物に対してはかなり好戦的。

身を粉にしてまで戦場に身を置き、自身を省みぬ荒っぽい戦闘の仕方から『死にたがりのセリア』と騎士団内で揶揄されている。

 

剣による近接、氷精魔法による中、遠距離と幅広いレンジに対応出来る戦闘スタイル。

オールマイティに立ち回れるが、剣を扱う技量は達人の域には及ばない程度。

 

 

実は可愛らしい小動物が好きで、ナガレが再現した鎌鼬のナインをいたく気に入っている。

 

 

 

No.003

 

 

【ナナルゥ・グリーンセプテンバー】

 

身長155cm 外見年齢16歳

 

『黄金風のナナルゥ』と自称するお嬢様エルフ。

 

エメラルドグリーンのセミロングを左右両サイドでグルグルと巻いてる、まさにお嬢様っぽい髪型と高級感のあるワインレッドの瞳を持つ。

甘い顔立ちをしているが、スタイルは大人顔負けなレベルで、バストサイズは驚異のGサイズを誇る。

 

自信家でお調子者で融通が利きにくい上、プライドが高いといった典型的なお嬢様気質。

しかしその裏は意外に脆く、強気の姿勢は自身の魔法に対するコンプレックスを隠す為の仮面でもある。

 

 

幼少期を境に魔法の威力の成長が止まり、エルフが扱う魔法の威力水準を大きく下回るほどの魔法しか発動出来ない。

その為に、芯の部分では自らを落ちこぼれと評するぐらいネガティブであったのだが、高ランクの魔物、ミノタウロスをナガレと共に倒せた事により自信を取り戻し始めた。

 

前述の経緯から、口にはしないもののナガレに多大な恩義と憧憬を感じている。

 

幼少期からずっと貴族の令嬢としての英才教育を叩き込まれており、その経験からセリアが元貴族であることを見抜いた。

また、淑女は淑女らしくあるべきという価値観をもっており、ナガレが再現したメリーさんのボロボロな服装や煤汚れを見て激怒したこともある。

 

 

 

No.004

 

 

【アムソン】

 

身長155cm 外見年齢55歳

 

グリーンセプテンバー家につかえる老執事。

艶のある銀髪をオールバックに整えた夕陽色の瞳を持つ。

その物腰や温厚な物言い、常に一歩引いた立場から発言する姿勢と時にはしっかりと諌める所などなど、ナガレにまさに執事の鑑と評されるほどのエルフ。

 

しかしエルフの中ではろくに魔法を使えない落ちこぼれであり、唯一使えるのは収納魔法と呼ばれるサポートマジックのみ。

 

だが、その収納出来るスペースと量は、一般の魔法使いとは比べものにならないほど広く大きいので、利便性が非常に優れている。

加えて、格闘による戦闘技術に秀でており、その実力は達人クラスとされているほどで、低級ランクの魔物ならば徒手空拳で容易く葬り去れる。

 

実質的にパーティー内で一番純粋な戦闘力が高い。

 

また、家事的なファクターにおいても万能であるので、彼が居るか居ないかで旅の快適さが段違い。

まさに万能執事と呼ぶに相応しいエルフである。

 

 

 

No.005

 

 

【テレイザ・フィンドル・ラスタリア】

 

身長148cm、年齢は15歳。

辺境国ラスタリアの王女。

軽やかなピンクブロンドと薄紫の瞳を持つ。

これぞお姫様といった外見であり、言葉遣いや物腰、雰囲気にナガレですらたじたじになっていたほど。

 

しかし彼女自身は意外とフランクで、異世界人であるナガレや、彼が語る都市伝説やワールドホリックには明確な興味を抱いている。

 

だが、年若い身ながら自身の置かれる立場を理解しており、現在、床に伏しているラスタリア国王の代わりにガートリアムの軍義にも立つほどの胆力も併せ持っている。

ラスタリア国王が床に伏している理由は、ラスタリアからの逃避の際に、避難に遅れた子供を庇い重症を負ってしまったから。

 

庇護欲を駆り立てる少女らしさはあるものの、ガートリアムでは名目上ナガレの監視役を務めたり、それを皮切りに交渉を持ち掛けるなど彼女自身はかなり強かであるのが伺える。

 

どうやらセリアとは昔馴染みの間柄であり、テレイザはセリアの事を大切な友達だと語っている。

 

 

 

No.006

 

 

【ラグルフ】

 

 

身長189cm 年齢は32歳

 

ラスタリア騎士団の隊長を務める、短い茶髪と無精髭が特徴的な大男。

幼い子供が見れば泣き出しそうなほどに人相が厳つく、言葉遣いや振る舞いは外見通り粗暴であり、およそ騎士とは程遠い。

 

しかし酒場の席で鬱陶しく絡むナガレに対してもそこまで邪険にしなかったり、気を許した相手には豪快に接したりと、意外と面倒見の良い親分気質である。

実力は間違いなく一級品で、彼が居なければ防衛戦はナガレ達の到着前に瓦解していた可能性もあった。

 

セリアを死にたがりと蔑む理由は、彼が部下の命を大切にする隊長であり、女の身ながら積極的に激戦地に参加する自滅的な姿勢が気に入らないから。

 

分かり易く言えば彼女を身を案じているのだが、素直にそうと言える性格でもない為、やけ酒に逃げる日もしばしばであるらしい。

 

 

 

 

 



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都市伝説ファイル PAGE1

 

異能力【World Holic】

 

パラメーター解説

 

 

『再現性』

 

 

ワールドホリックで都市伝説の再現した際、どれだけオリジナルの現象に近付いた再現が出来ているかによって定まる部分。

再現される都市伝説の基礎となる部分なので、再現性があまりに低いと能力そのものが発動しない。

また、本編には記載していないがこの能力が低いことによる弊害は、再現者(=ナガレ)に対する負担が大きくなること。

 

 

『親和性』

 

 

再現の基となった都市伝説が発祥し、浸透していった国や地域と再現者が生まれ育った場所が近ければ近いほど親和性が向上する。

日本で広まった都市伝説であれば、日本人との親和性が高くなり、逆の場合も同様。

 

つまりは相性の良し悪しであり、これが高いとワールドホリックによる再現者への負荷が大幅に軽減される。

コントロール性とも言い換えれる部分であり、本編には記載していないが、これは再現した都市伝説との『交流』によって変動する(=好感度)

 

 

 

『浸透性』

 

 

再現した都市伝説がどれだけその世界で有名であるか、といういわば知名度パラメーター。

これが高ければ高いほど再現される都市伝説が有する戦闘力、効果の範囲や持続性に関わってくる。

 

また、それが都市伝説であるかどうかにも関わっており、妖怪や民話という側面が強い場合は浸透性が分散されるので効力が弱まってしまう上、内容によっては再現が出来ない。

 

 

『保有技能』

 

再現した都市伝説が持つ固有の特殊スキル。

未提出と表示されている部分は、基本的にナガレが観測する事によって開示される。

 

 

『同時再現』

 

同時再現とはその名の通り複数の都市伝説を同時に再現すること。

通常の再現より負荷が激しいので、余程親和性の高い都市伝説でなければ長時間の同時再現はナガレの身が保たないので危険。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、再現した都市伝説についてのパラメーターランクと都市伝説の解釈

 

 

最高値 『S』

 

最低値 『E』

 

 

 

No.001

 

 

【メリーさん】

 

 

・再現性『B』

 

・親和性『A』

 

・浸透性『A』

 

 

保有技能【背後より来たりて】

 

・背後からの奇襲の際、強さに補正が掛かる。

 

保有技能【依存少女】

・物質を依代にして憑依する能力。

 

 

主人公のナガレが一番最初に再現した都市伝説。

元はフランス人形であるが、今作では12、13歳ほどの金髪美少女として顕現している。

 

親和性の高さから、彼女自身もナガレを非常に慕っており、ナガレの相棒と自ら称するほど。

 

実は嫉妬深く、他の再現した都市伝説がナガレと仲良くしていると拗ねるし、ナガレに危害を加えようとした人物や魔物には容赦しない。

怒らせると色々と面倒。

気に入った人物の背後や背中に回ったりくっついたりするのは彼女なりの愛情表現。

ナガレが買ってくれたハニージュエルが好物になった。

ハサミを武器にした近接戦闘を行える上、空中に浮遊することも出来るので立体的な戦闘も出来る。

 

 

【依存少女について】

 

物質を依代にして憑依する能力。

命や魂が介在していない、というのが憑依の条件。

メリーさんいわく、憑依する対象にも居心地の良し悪しというものがある。

居心地の悪いものは短い時間しか憑依出来ないらしく、操作もほとんど出来ない。

反対に、居心地の良いものは多少操作をする事が出来るらしい。

メリーさんいわく、ナガレのスマートフォンはかなり快適らしく、スマートフォンから電話を掛けたり、アラームを鳴らしたりする事も可能。

スマートフォンに憑依する場合、ナガレとのリンクは遮断される

 

 

 

 

 

No.002

 

 

【ブギーマン】

 

 

 

・再現性『D』

 

・親和性『E』

 

・浸透性『S』

 

 

浸透性の高さから察せられる、世界規模の都市伝説。

 

発祥はスコットランドとされてはいるが、それはあくまで一節でありブギーマンに関しての資料や民話は挙げればキリがない。

言うことを聞かない子供を躾する為に語られる民間伝説であり、その姿形は各々の家庭によって千差万別に変わる、恐怖の代名詞。

 

 

子供(=メアリー)の恐怖心をベースにナガレが再現した最凶クラスの都市伝説であるものの、ナガレとの親和性は最底辺である故か、ナガレがブギーマンを再現した際にはまともに立つのも苦労するほどの負荷に襲われた。

 

その分戦闘力はメリーさんすら凌駕するほどで、先端がドリルみたいにネジまがった鉤爪を有する長い両腕と、長い両足を駆使して蜘蛛の様に動き敵を屠る。

 

分かり易く例えればメリーさんが長期戦用の少数戦闘型であるのに対し、ブギーマンは短期決戦用の広域戦闘型であり、戦況を傾かせるほどの威力を発揮する怪物。

 

 

強力な都市伝説ではあるものの、その危険性やブギーマン自身の狂気性から、セリアに極力使わないように約束させられた。

 

 

No.003

 

 

【食べてすぐ寝ると牛になる】

 

 

 

・再現性『A』

 

・親和性『B』

 

・浸透性『D』

 

 

メリーさんやブギーマンのようにその都市伝説の象徴(キャラクター)が再現されるのとは違い、何かしらを食べてすぐに寝た対象を牛にするという現象そのものを引き起こす再現。

 

元々は太りやすくなる、病気の誘発を防ぐ為の教訓からそっと尾ひれがついて、そこから怪談として仕上げる為に【第一次世界大戦のとある農村】という背景をつけただけのもの。

 

当然その都市伝説的怪談はネット上に作られたデマであり、その怪談自体の知名度も高くない。

 

効果自体は強力な現象再現ではあるが、再現の段取りがなかなかシビアなのは言うまでもない。

 

本編では触れられなかったが、この再現の効果は長時間持続することはなく、精々15分辺りが関の山。

もしくはナガレが負荷により意識を失ったりすれば自動的に解除される。

 

 

 

No.004

 

 

【鎌鼬】 ※筆者の独自解釈を含みます

 

 

・再現性『B+α』

 

・親和性『A』

 

・浸透性『B+α』

 

保有技能【─未提示─】

 

保有技能【二尾ノ太刀】

 

・二本目の尾を鎌に変える

 

保有技能【─未提示─】

 

 

 

ナナルゥの風精魔法によって引き起こした旋風を対象に再現した都市伝説。

 

都市伝説とはいうものの、鎌鼬とは非常に複雑な存在で、妖怪という面が一般的だが、本作では民承伝説という側面、そして都市伝説という側面も持つとしている。

 

昔、寒い地方で稀に引き起こる、身に覚えのない裂傷を妖怪の仕業としたのが発端であり、そこから鎌鼬という名前の妖怪が生まれた。

 

そして時が進むにつれ、『空気中で起きた真空が刃物のように人を傷付けるから』という解釈が広まり、日本ではカマイタチ現象、海外ではソニックブームなどの解釈をされるようになった。

これは現在でも大半の人々に浸透しているだろう。

 

しかし、現代科学によってこの説は立証足り得ないとされ、現在では鎌鼬の正体は『寒帯と乾燥によって出来たあかぎれ』という説が一番有力視されている。

 

それに伴い、寒帯以外でのカマイタチ現象の発生報告や鎌鼬そのものを見たという意見も増加。

当然、その報告に対して科学側からすれば単なるでっち上げという意見も出ている。

 

 

それはまるで古来より語り継がれた存在は神秘のままであって欲しいとする願いと、人が極めんする科学による探求との唾競り合い。

さながら鼬ごっこのようなこのレアケースな側面を、本作ではその一連ごと『都市伝説』らしいとしており、主人公のナガレは再現に組み込んだ。

 

彼としては【カマイタチ現象】そのものが再現されるかと予想していたが、ワールドホリックにより再現されたのは妖怪としての鎌鼬だった。

それに関して、恐らく【カマイタチ現象】というものに対する大衆のイメージの混同、カマイタチと聞けば妖怪を連想するのが大半、という浸透性の影響によるものではないかとナガレは分析している。

 

再現された鎌鼬の外見は、量の多い銀色の毛並みと真っ赤な瞳、そして三本の尻尾を持ったイタチであり、『キュウ』と鳴くことから『ナイン』という名前が付けられた。

 

その中心の尻尾は強靭な鎌の刃に変えることが出来、その威力は高ランクの魔物であるミノタウロスの角を容易く両断するほど。

 

再現性と浸透性については魔力による再現という部分から、鎌鼬の神秘性を引き上げた為にパラメーターランクが水増しされている。

 

 

人懐っこい性格で特にナガレの首回りにマフラーみたいにまとわりつくのが大好き。

そのベタベタぶりからして、メリーさんの怒りを買ってしまっているのだが、開き直ってよりくっついたりしていた事から愛らしい外見とは裏腹に肝の太いらしい。

 

また、寒い地方発祥という部分が起因してか、氷精魔法を扱うセリアにもなついている。

再現に協力した風精魔法使いのナナルゥも同様。

 

 

 

 



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Holic 2【Plastic Lullaby】
Tales 23【Beginning】


水で薄め切れてない、それこそ油絵のアクリルみたいな濃い夕焼けの中に、伸びた影法師。

 

昼に軽く過ぎた通り雨に濡らされたせいで、まだ渇ききってないアスファルトの独特な匂いが苦手で、つい顔をしかめてしまう訳だけど。

 

そんな俺の顔よりも、随分しかめっ面の似合うお隣から持ち出された苦情が、あまりに今更過ぎた。

 

 

 

『つくづくてめぇってヤツは変わりモンだな、性懲りもなく絡んで来やがって。ウチの学校、オカルト研究会とかあったろ。普通そっち行くもんじゃないのか』

 

 

『んーなんていうかね、研究会も悪くないっちゃ悪くないんだけど、あんまり活動的じゃないんだよね。基本資料を読み漁ってレポートに纏めて発表、みたいな。要は同じ趣味を持つ者同士の為のコンテンツって感じ?』

 

 

『……それの何が問題だってんだ』

 

 

『別に問題じゃないって。ただ、それならわざわざ研究会に入んなくても済む事だろ? 俺は研究するより実践派だから』

 

 

『……アホらしい。その内、マジで呪われてちまえば良いよ』

 

 

『本望。いつでもウェルカム』

 

 

『……はぁ』

 

 

呆れて物が言えないって顔をしながらアキラが頭を掻くから、その夕焼けの朱より尚濃い緋色の長髪がサラサラとなびく。

 

長身を包むライダースーツの黒。

そしてアキラがさっきから押して歩いてる単車の黒いカラーリングとの対比を生むから、よりハッキリと、どこか幻惑的に映える光景とも言えた。

 

 

つくづく変わり者だろって、言われなくても分かってる。

けどそれ以上に、言い返しときたい事もあって。

 

 

『てゆうかね、変わりモンって言うけどさ……そんな俺に何だかんだ付き合ってくれるアキラはどうなんの?』

 

 

『……別に、オレは単に新しい道を走んのも悪くねぇって思ってただけだ。そこに偶々お前がこんな廃墟まで連れてけって言い出しやがったから、まぁ良いかってなった……そんだけだよ』

 

 

『いつぞやのこっくりさんも何だかんだで一緒にやってくれたし……校内一の不良にしちゃ面倒見が良いよね、アキラって』

 

 

『あん時は適当に付き合ってやれば満足すると思ってだな…………チッ、文句あんなら帰りは歩いて帰んな』

 

 

『あーウソウソ、冗談』

 

 

『だったらさっさと行ってさっさと帰るぞ。ったく、この歳になって廃墟で肝試しとか馬鹿馬鹿しい……』

 

 

『肝試しなんかじゃないって何度も説明したでしょうが。今から行く廃墟では逢魔ヶ時にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットした状態で……』

 

 

『ハイハイ』

 

 

 

勿論、俺も充分に変わり者だって自覚はあるけど。

 

学校もバイトもない休日にいきなり廃墟に行こうとか言い出した変人からの誘いに、あぁだこうだ嫌々渋々といった体裁をとりながらも付き合ってくれるヤツだって大概じゃないか。

 

人並み外れた腕っぷしの強さと粗暴な言葉遣いで校内校外問わず有名な不良である、大河アキラという"この女"も、すんごい変わりモンだよなって話。

 

 

 

────

──

 

【Beginning】

 

──

────

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと、ようやく、とうとう、ついに。

 

この旅の道程には、そんな装飾が相応しくないと思えたのはアムソンさんによる行き届いたサポートのお蔭とも言えるけど。

大体は俺の隣でナインの尻尾をブラッシングしてるお嬢様の、良くも悪くも騒がしさによる割合が大きい。

 

 

「こらナイン、逃げるんじゃありませんわ。全く、わたくしの魔力による恩恵を受けているのであればもう少し美意識に気を配って貰わなくては困りましてよ」

 

 

「美意識の強い鼬ってなんか変じゃない? まぁ、お嬢は毎朝きっちりクルクル巻いてるもんね」

 

 

「当ッ然ですわ! この高貴かつエレガントなヘアスタイルはわたくしのポリシーですもの。ですからナインもこのわたくしの卷属らしく、常に優雅で清潔な見た目をしていただきませんと!」

 

 

「キュイ……」

 

 

「だからナインは別にお嬢の卷属って訳じゃないってば」

 

 

お嬢からしたらナインは言わば自信の証そのものみたいなもんだから、卷属としたい気持ちも世話をやきたい気持ちも分かる。

だからって毎度毎度ナインの再現し続けるのは、地味な負荷が掛かりっぱなしで色々と辛い。

 

体力的な意味でも……精神的な意味、でも。

 

 

「…………」

 

 

視野が広く土地勘も零ではないから、という理由でパーティの先頭に立ってくれてるアムソンさん。

そして、その一歩後ろで羨ましそうにチラチラと、お嬢の胸に抱かれながらブラッシングを受けているナインへと視線を向けるセリア。

 

羨ましいなら素直にナインに構えば良いのに。

とはいえ、多分俺がセリアについ言ってしまった『死にたがりってか可愛いたがりに改名する?』って一言を気にしてしまってるのが原因なので、若干申し訳なく思う所もある。

 

体裁を取り繕ろうにも今更過ぎるけど。

時々恨みがましそうにサファイアブルーがこっちを見てるけど、気付かないふりしとこう。

 

 

いや何かしらのアクションで応えたいのは山々なんだけど、もっと放置出来ない要因がある訳で。

 

 

──プルルルルル……

 

 

あぁ、ほら早速だ。

ひっそりと溜め息を落としつつ、壊れたはずのスマートフォンを取り出し、通話ボタンをフリック。

 

スピーカーから流れてくるのは、想像通り機嫌が悪そうなソプラノだった。

 

 

『……私メリーさん。ナガレの一番の相棒のはずのメリーさんなの…………なのに最近は全然私を再現してくれないのね』

 

 

「……いやね、そろそろセントハイムも見えて来る頃だろうし、着いたら着いたで色々と忙しくなるから、ここで同時再現しとくと後がキツくって」

 

 

『……じゃあそこの《あざとイタチ》をさっさと還してしまえば良いの』

 

 

「……多分それはそれでお嬢が拗ねるというかね」

 

 

案の定、拗ねてらっしゃる。

けどメリーさんの要望通りナインを還してしまえば、今度はお嬢が膨れっ面を作り出してしまうのは目に見えてる。

 

だってもうナインのブラッシングする時のお嬢、物凄く機嫌良さそうだし。

 

 

『……散々尽くして来たのに、新しい方ばっかりに構って……うぅ、メリーさんはナガレにとってただの都合の良い女にしか過ぎないのね……きっと飽きたらポイって棄てられるの、ぐすん』

 

 

「何この昼ドラ的な展開……」

 

 

それはそれで元の都市伝説の形に近付くかもしんない、ってのは思っても口にしてはいけないっぽい。

 

なんかちょっと芝居掛かった口調だけど、多分これメリーさんの本音だろうし。

 

あっちを立てればこっちが立たず。

冴えたやり方は、思い付く限り一つしかない。

 

 

「……りょーかい、喚ぶから。でも、ナインと喧嘩しないでくれよ」

 

 

『あはっ、私メリーさん! 優しいナガレが大好きなの!」

 

 

「はいはい」

 

 

冴えたやり方どころか単に折れただけなんだけど。

我ながら立場弱いなぁと凹みつつ、お決まりの台詞と共にメリーさんを喚ぶ。

 

 

「【World Holic】」

 

 

「私メリーさん。今ナガレの後ろに居るの」

 

 

「居るってか、もはや乗っかってる」

 

 

「私メリーさん。細かい事は気にしなくて良いの」

 

 

「あらメリー、ご機嫌よう」

 

 

「私メリーさん。ご機嫌よう、ナナルゥ。そしてさん付けは忘れないで欲しいの」

 

 

途端にずっしりと背中が重くなる理由は勿論、再現の負荷だけな話じゃない。

別に久しぶりって訳でもないのに再現された喜びが大きいのか、すりすりといつぞやのナインみたくメリーさんが頬を寄せて来る。

 

それはもう、お嬢にブラッシングされてるナインに見せ付けるように。

 

 

「……ギュイィ」

 

 

「……ふっふーん」

 

 

「キュイ!!」

 

 

「あ、お待ちなさいナイン! んっ、あ、暴れるんじゃありませんわ!」

 

 

「メリーさん、煽るの禁止」

 

 

「はーい」

 

 

俺からは見えないけど、恐らく得意気に勝ち誇った顔でもしてるんだろう。

 

子供っぽい挑発だとは思うけど、どうやらそれはナインの癪に触ったようで、シャーッと猫みたいに毛を逆立てて暴れ出してる。

ただ、その、暴れる足場がなんというか……お嬢のそれはもうご立派に育たれてる箇所の上だから、俺としては前を向いてる事しか出来なくなる訳で。

 

 

喧嘩するなって言ったのにこれだよ、とげんなり肩を落としながら顔を上げた先で……ふと、膨れ上がった丘の上に立つセリアがちょいちょいっと手招いているのを目にする。

 

 

それはつまり、目的地へのゴールテープが差し迫ってきたという合図だった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

空と海を遮る境界を水平線と呼ぶのなら、人という小さな波が起こした家屋や建物で出来たこの人海と蒼い空との境目も、そう呼べたって不思議じゃない。

 

 

遠目で見るだけでも感嘆の吐息がするりと抜けて落ちるほどの街並みは、最早ガートリアムですら比べ物にならない。

一体どれほどの人があそこで生活しているのか、数えるのも億劫なほどの規模。

 

現実の世界にも当然これ以上のものを見ようと思えば見れるのかも知れないけれど、この沸き立つ感覚を添えるのは、あの風無き峠での苦労が大きかったからだろうか。

 

 

 

「……もしかしなくても、アレが……」

 

 

「えぇ、そう──あそこがレジェンディア三大国の一つ、セントハイム王国よ」

 

 

そして、街並みの奥でその頭角を突き出している、目に見えて大きい白装飾の絢爛な巨城。

 

後は、あそこに座るトップへと親書を渡すだけなんだけども。

 

虫の知らせか、確証のない第六感みたいなものが知らせる、ちょっとした予感が不意に騒ぎ立てる。

 

 

 

 

──多分、俺達の目的はそうすんなりとは果たせない。

 

 

背中に取り付けたアーカイブの厚表紙に、そっと手を添えた。

 

 

 

 



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Tales 24【王城への途中で】

大国というのはそれだけ人の数が多いということで、であればある程度の共通点から先は、十人十色の言葉の通り多種多様な生活が築かれている。

 

その例を挙げればきっとキリがないが、さっとひとつ(すく)い上げるのなら、身近な所で家屋や建物の屋根の色の豊富さだろうか。

 

 

赤や青、黄色に緑、オレンジやパープル、果てはピンクといった多種の色彩に染められた街並み。

 

さながらセントハイムという巨大な白いキャンバスの上に星屑みたく溢れた一つ一つの色が、カラフルな天の河の様に国そのものを飾り付けている。

 

広大な面積に色彩の欠片をめいっぱい敷き詰めたかの様な壮麗さ、故に、人はこの国をこう呼んだ。

 

 

「レジェンディア西部の最大総人口と面積を誇る国にして、レジェンディアの三大国の一つ──セントハイム王国。通称、虹の在処(ありか)……由来は、御覧の通りよ」

 

 

「…………納得」

 

 

美意識に金かけてんなぁとか野暮な事は言わない。

 

建ち並ぶ色彩過多をキョロキョロと見回しながら遊歩するだけでも、一風変わった虹のアーチを潜ってるようでちょっとした観光気分に浸れる、のだけども。

 

今はちょっと足早にこの場を去りたい気分だった。

 

 

「オーッホッホッホッホッ!! 良いではありませんの、セントハイム! 噂に聞いてはいましたが、スケール、外観、どこをとってもわたくしが訪れるに相応しいですわ! アムソン、宜しくてよ! いつかこの色とりどりの街並みに、眩いほどの黄金色を差し込んで見せますわよ! このッ、黄金風のナナルゥが! オーッホッホッホ!」

 

 

「大国の広場にて大口を叩いて自ら全力で背水の陣を敷くその姿勢、いやはや天晴れでございますぞお嬢様」

 

 

「私メリーさん。なんだかナナルゥがいつも以上に張り切ってるように見えるの」

 

 

「張り切ってるというか、空回ってるだけだぞアレ」

 

 

大衆還視の中で、いつものキメポーズを作りつつ高笑いするお嬢だが、小刻みに震えてる膝からして色々察せれる。

 

都会の空気に呑まれまいと抗った結果、やらかしちゃった田舎者って絵図がまさに当てはまる光景を偲びはするものの、助け舟になるのは遠慮したい。

 

 

「そういやセリア、聞きそびれたけどレジェンディア三大国ってなに?」

 

 

「その名前の通り、レジェンディア大陸で最も大きい国々の事よ。さっきも言ったけれど、大陸西部は此処、【セントハイム】。他には大陸東部の魔法国家【エシュティナ】、大陸南部の聖都【ベルゴレット】……その三つを総括して、三大国と呼ぶの」

 

 

「東部と南部と……で、残る北部が魔王軍のテリトリーだったっけ」

 

 

「そうよ」

 

 

「魔王軍はともかくとして、魔法国家と宗教国家か……行ってみたいね、特にエシュティナ。セリアは行った事あんの?」

 

 

宗教信仰に関してはあんまり琴線に触れないものの、魔法国家というのは興味をそそる。

ワールドホリックなんてとんでも異能力があるにせよ、正直セリア達が扱う魔法に憧れない訳じゃあない。

 

 

「あるわ……といっても、騎士になる前の事だけれど。エシュティナには大陸唯一の魔法学園があって、私も以前はそこに通ってたの」

 

 

「……学校!?」

 

 

「え、えぇ……そこまで驚く事かしら」

 

 

憧れない訳じゃあないし、魔法の学校ってのに通ってちょろっと魔法を習うのも悪くない。

 

だが、しかし!!

それ以上に俺の心を引っ掴んで離さないというのは学校というワード!

 

 

「学校。そう、それはもはや都市伝説の宝庫と言って良い。トイレの花子さん、動く人体模型、数が変わる階段、そして歩く二ノ宮金次郎像!! メジャーからマイナーまで数を挙げればキリがないけど、そのどれもが七不思議……つまり学校という環境下で語り継がれる都市伝説! そもそも都市伝説自体、学校の七不思議を下地に大衆化したものって見解もある訳だし。ふふ、ふふふ……夜遅くまで残っては警備員のおっちゃんに大目玉食らい続け辛酸を舐め続けた日々のリベンジが、巡りめぐって来てるという話ですね分かりますッ!!」

 

 

「……奇しくも母校の危機を招いてしまったのかしらね、私……」

 

 

「むぅ……私メリーさん。なんだかまたライバルが増えそうな予感がするの」

 

 

危機とは失礼な、ちょっくらロマンを追い掛けるだけじゃないか。

 

まぁ何かしらのトラブルが巻き起こるのはご容赦戴きたい、っとまだ見ぬ未踏の地へと想いを馳せながら、サクッと用事を片付けるとしよう。

 

そんな意気込みから軽くなる足取りに枷を付けたのは、呆れ顔のセリアでも膨れっ面のメリーさんでもなかった。

いやメリーさんはさっきからずっと俺の背中にしがみついてるから、枷っちゃ枷だけども、この場合はもっと後ろの方。

 

 

 

「ちょっとー! わたくし達を置いていくんじゃありませんわよー!」

 

 

「キュイキュイィィ!!!」

 

 

 

あ、やべっ、忘れてた。

 

いやお嬢に関してはあえてスルーしてたんだけど、そういえばナインがお嬢にホールドされたまんまだったよ、いかんいかん。

 

ちょいと振り向けば、多分見捨てられたと思われたのか、お嬢に負けず劣らずの赤い瞳がうるうると潤んでらっしゃった。

 

 

「……むふん、良い気味なの」

 

 

「メリーさん、大人げない」

 

 

「……前途多難だわ」

 

 

立場的にパーティの纏め役に就き続けた女騎士の、もう何度目かも分からない疲れきった溜め息は、ダッシュで駆け寄ってくるお嬢の喧騒にあっさりと掻き消されたのだった。

 

 

 

 

 

────

──

 

【王城への途中で】

 

──

────

 

 

 

 

「……遠目で見るだけでも馬鹿みたいに広いのは分かってたけど、実際歩くと広いどころの話じゃないな」

 

 

「純粋な国土だけでもガートリアムの四倍以上と言われてるくらいだから。その分、人も物も集まり易いから便利ではあるのよ……水、要るかしら」

 

 

「貰う。ありがとセリア」

 

 

「私メリーさん……大丈夫、ナガレ? メリーさん達、やっぱり還った方がいい?」

 

 

「キュイ……」

 

 

「そんな顔しなくたって大丈夫、ちょっとバテただけだって。そのうち回復するから」

 

 

「全くナガレはだらしがないですわね。毎朝セリアと剣の鍛練を積んでるのであれば、もっと体力がついても良い筈でしょうに」

 

 

「その付いたはずの体力を削っているのは他ならぬお嬢様でありましょうに。ナイン様と戯れたくなるお気持ちはこのアムソンも重々承知しておりますが、もう少しナガレ様を労って差し上げては如何(いかが)かと」

 

 

「……た、戯れてなんかませんわよ」

 

流石は大陸西部最大国家なだけあって、王城への道程も非常に長い。

歩き始めて三十分、まだ国の中枢であるシルエットすら見えない中、先に俺の方が音を上げてしまった。

 

という訳で丁度街への入り口と王城との中間地点にある噴水広場にて一息入れている訳で。

まぁ、だらしがないとは言うけれど、その原因がメリーさんとナインの同時再現による負荷だとお嬢も理解しているらしく、罰が悪そうに椅子の上で縮こまってる。

 

 

とはいえ、折角だしメリーさんとナインにもセントハイムの風景だったりを楽しんで貰いたい気持ちは俺も同じだから、別に気にしちゃいないんだけど。

 

 

「……にしても、セリアが言うだけあって店の数も種類も半端じゃないな。武器屋とかだけでも相当な数あったし」

 

 

「何故そこで第一に挙がるのが武器屋なんですの。色気のないことを……宝石店やブティックもあったでしょうに」

 

 

「先人に(なら)ってみた」

 

 

「先人ですの?」

 

 

「先人ですの。つまりセリアリスペクト……って、いだだ、冗談だってセリア」

 

 

「……ふん、あまり好ましくない冗談ね」

 

 

いつぞやのガートリアムについて尋ねたくだりをちょっとなぞってみようという遊び心は、セリアのお気に召さなかったらしい。

 

ヒリヒリと痛む太腿を軽く擦りながら見渡せば、アクセサリーの露店やら軽食の屋台やらで賑わっている。

 

 

「……どしたのメリーさん」

 

 

「! わ、私メリーさん。別になんでもないの。なんでも……」

 

 

「……そう?」

 

 

「……うん、そうなの」

 

 

そして、人が織り成す景気の良い喧騒に惹かれたらしく、俺の隣で建ち並ぶ露店商を見渡しているメリーさん。

なんでもないとは言うけれど、そのぼやーっとした眼差しは再び露店商の方へと向けられている。

 

 

多分、なんか欲しいものでもあったんだろう。

けど俺がバテたのを気にして、変に遠慮してしまってると、そんな所かな。

 

都市伝説とはいえショッピングに興味を抱く年頃とも言える訳だし、いっつも戦って貰ってる分、日頃のお礼をしとくのも悪くないか。

 

 

「セリア」

 

 

「えぇ。コンビニエンス(こんなこともあろうかと)

 

 

どうやらセリアにも俺の意図は汲み取れたらしく、二の句を告げるまでもなく、彼女の手には俺の財布が握られていた。

ま、1エンスの相場もよく分かってない俺が持ってるより信頼出来るとこに預けとこうって判断な訳だけど、やっぱ収納魔法って便利。

 

 

姫様から貰った防衛戦の報酬もあんま減ってないし、露店で売られてる物ならそう高くもつかないだろうってなもんで。

 

 

「メリーさん、なんか欲しいもんあったら買ってきていいよ」

 

 

「えっ、あ、財布? じゃなかった、私メリーさん! え、いいの?」

 

 

「魔物相手に頑張って貰ってるし、たまには労んないとな。あ、アムソンさん……良かったら付き添ってやって貰っても良いですか? 俺じゃ下手したらカモにされるかもしれないんで」

 

 

「ホッホ、お任せあれ。このアムソン、値切り交渉も得意でございますぞ」

 

 

「ふむ、わたくしも行きますわ。メリー。淑女たるもの、身に付ける装飾のチョイスにも当ッ然、こだわらなくてはなりませんわ! という訳で、わたくしがアドバイスして差し上げます!」

 

 

「あ、ありがとう……それと私メリーさん。さん付けを忘れたらめーなの」

 

 

「キュイ」

 

 

「ナイン、あなたにもわたくしの美的センスが如何に優れているか見せて差し上げますわ! オーッホッホッホ!」

 

 

「キュイィィ……」

 

 

何気ない提案のつもりだったけど、何故かやる気になってくれたエルフの主従に引き摺られていくメリーさんは、ちょっと苦笑いながらも嬉しそうで。

ナインは巻き込まれる形で不満そうだけど、この際ちょっとはメリーさんと仲良くなってくれたら儲けものってヤツだ。

 

 

「……セリアも行ってくる?」

 

 

「いいえ、私も残るわ」

 

 

「宝石には興味なし?」

 

 

「……私が着飾った所で、意味はないもの」

 

 

「冷めてんねぇ」

 

 

「今更よ」

 

 

ヒラヒラと手を振って見送りながら、フゥと息をつく。

促してみたものの、やんわりと断られるこの一連の流れは不思議と予測出来た。

 

着飾った所で意味はあんのにね、勿体ない。

ティアラとかヒラヒラのドレスとかテレイザ姫が身に付けるような派手な装飾ってよりも、ワントップのネックレスとか普通に似合いそうなもんなのに。

 

 

「……ん?」

 

 

「どうしたの?」

 

 

「いや、アレ……なに?」

 

 

にべもないセリアの淡白っぷりも確かに今更だと肩をすくめて、何気なく視線をさまよわせていると目に付いた巨大な何かに目を奪われる。

 

噴水広場から王城へと続く遊歩道から別れた先にある、石造りの、城砦にも見えなくもない不思議なシルエットはあまりに大きくて、その全貌が見えない。

 

けれど、なんとなく見た事がある。

 

確か、あれって……

 

 

「…………あぁ、アレ。セントハイムの名物、というよりシンボルと言っても良いかも知れないわね」

 

 

「……シンボル?」

 

 

「そう。詳しくは知らないけれど……セントハイムで四年に一度催される祭の会場────確か、『闘技場(コロッセオ)』って場所だったかしらね」

 

 

「…………四年に一度って、なんかオリンピックみたいだな」

 

 

「おりんぴっく?」

 

 

「あーうん、なんでもない」

 

 

あぁ、通りで見覚えがある筈だ。

 

といっても知識の上、もとい歴史の教科書とかテレビや映画での既視感という意味ではあるけども。

 

 

ローマ帝政期に建てられた、血生臭い娯楽施設──闘技場。

ではそこで開かれる催しとは何だろうか、と聞かれればもはや考えるまでもないだろう。

 

 

「……闘技場、か」

 

 

まぁ何にせよ、俺には無縁な話だろう。

暇があれば覗いてみんのも悪くないかも、だなんて楽観的な事を精一杯思っては見るものの。

 

何故だか、じっとりと背中を伝う生々しい冷や汗を、止めることは出来なかった。

 

 

 



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Tales 25【闘魔祭】

結局のところ、俺の財布の中身はあまり軽くならなかったようで、財布の口を狭められたのはアムソンさんの敏腕交渉によるところが大きいのは言うまでもない。

 

 

その交渉術の内容よりもメリーさんが購入した、双子の蝶の羽根を模したヘアブローチの使い道の方だった。

 

幻惑的なアメジストの彩飾はメリーさんに良く映えるだろうし、購入の太鼓判を押したというお嬢の審美眼も言うだけあるなと誉めそやしたって良かったけれど。

 

 

『私、メリーさん。これはメアリーさんへのお土産なの。メリーさん用とメアリーさん用とで、お揃い!』

 

 

指通りの良いキメ細やかなブロンドに、片翼だけの蝶を誘わせたメリーさんの喜びようはあどけなくて、あまりに無邪気で。

ただの友達想いな少女が、そこに居た。

 

 

似合ってるかと頬を染めながら俺の目を覗き込むエメラルドグリーンに、すんなりと頷いてやる事は出来たのに。

 

何でかな、ちょっと複雑にも思うのは。

喉の奥でチクリと針骨が刺さったような違和感が、王城へと向かう最中、長く尾を引いていた。

 

 

 

────

──

 

【闘魔祭】

 

──

────

 

 

 

セントハイムを訪れてからというもの、驚かされる事ばかりだった。

 

デザインアートみたいな街の配色もそうだし、国の規模や人施設の豊富さ、人の多さなんかにも圧倒されっ放し。

これでも一応現代日本の東京在住だったってのに、やっぱある程度の馴れっていうのは大きい。

 

 

そして、極めつけはセントハイム王城。

 

燦々(さんさん)と煌めく太陽にも、潔癖な大地を晒す白銀の月にも、シトシトと灰雲より降り注ぐ千の雨にも映える巨大な白城。

遠目にも充分なほど目立っていたけれども、こうして目の前に来れば物言わぬ迫力すら漂ってくる。

 

 

外観は勿論、内装も豪華絢爛という熟語が似つかわしくて、珍しく口数を減らしてるお嬢を見ればそれは一目瞭然だった。

 

 

お上品なダンスパーティーでも即座に開けそうなほどのホールとシャンデリア、足跡を残すのすら億劫(おっくう)な紅蓮鮮やかなカーペットといい、金が掛かってない物を見つける方が苦労するね、きっと。

 

と、高級な調度品に目移りする最中、ちょっとばかり気になっていた疑問を口にしてみる。

 

 

「政治とかに詳しくない俺が聞くのも何だけど、こんなあっさり通されるもんなの? 普通、大国の王様相手の謁見ってなったら多少なりとも待たされるもんだと思ってたけど」

 

 

「……えぇ、普通は。けれど、融通が利く理由にも色々あるの」

 

 

「同盟国からの使者だからか」

 

 

「……それもあるわね」

 

 

「……?」

 

 

どうにも答え辛そうというか、言葉に詰まったようにセリアの瞳が泳ぐ。

 

普段は歯に衣着せぬタイプのセリアにしては珍しく声を潜めているのはきっと、謁見の間へと案内してくれている城仕えの人に聞こえないように配慮してるんだろう。

 

しかし、なんでそんな必要があるのかと首を傾げれば、これまた音を抑えた溜め息が薄い唇からひとつ落ちた。

 

 

「……直に、その色々について分かると思うわ」

 

 

もしかして複雑な事情でも関わってるんだろうかと真面目に推測してみるも、どうも違うっぽい。

言外に、会ってみれば分かると告げる蒼騎士の横顔は、気まずそうに遠くの方を見つめていた。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「こうして会うのは、去年の僕の誕生祭以来になるのかな……ええと、久しぶりだね、セリア。そして使者の方々。遠路はるばる、よく来てくれたよ、うん」

 

 

「えぇ。お久し振りです、ルーイック陛下」

 

 

城のホールにも負けず劣らず広々とした空間の奥、国の象徴がデザインされたタペストリーを背に、数段高く設置された神々しい玉座。

そこにストンと腰を下ろしながら俺達を迎え入れてくれてる噂の国王様は、多分テレイザ姫とそう変わらない年頃の少年だった。

 

王族らしい透き通った金髪と青色の瞳、目元や鼻の通りもスッキリとした、まさに絵に描いたような美少年。

急な来訪でありながらも俺達を歓待してくれてる様子もあって、大国の君主にしては随分と人が良さそうな印象を受ける。

 

ただ、失礼な話だけどもイメージしていたセントハイムの国王様としてはちょっと迫力に欠けるというか、どことなく影が薄い。

 

 

というのも、ルーイック陛下の隣で彫刻の様に静かな佇まいながら、片膝をついた態勢の俺達を一人一人値踏みするかの様に見据えている、鳥の(くちばし)のような鼻を持つ老人のインパクトが強いからだろう。

 

 

それなりの高齢であるのは後頭部から広がる白髪や皺の深い面持ちから見て取れるけれど、その黒々とした瞳は油断なく鋭い光を放っていて、老いを感じさせない。

というかぶっちゃけ恐い、なんか目が合っただけで叱られそうな厳粛とした雰囲気が漂っていた。

 

 

「ほ、本来なら長旅の苦労をねぎらったり、歓待の席を用意するべきなんだろうけど、こっちもバタバタしててね……申し訳ないけど、早速本題に入って貰ってもいいかな?」

 

 

「え、えぇ……畏まりました。では、ヴィジスタ宰相。親書を」

 

 

「──うむ」

 

 

で、どうやら厳粛さの影響を受けてるのは国王様も同じであるらしく、優男然とした甘いマスクが緊張気味にひきつってるのを見れば一目瞭然である。

ヴィジスタという名の、大国の宰相というポストに収まるには充分過ぎるくらいの威厳に満ちた老人を前に、『二通』の親書を渡すセリアですら表情がいつも以上に硬い。

 

 

……ん、親書が『二通』?

援軍要請だけじゃなかったのか?

 

 

手渡された青い印の封がされた書簡と、親書というより個人的な手紙みたいな便箋を手渡されたヴィジスタ宰相は、口元を結んだまま書簡だけを読み始めた。

 

あの便箋、セリアが持ってる以上は親書って形になるんだろうけど、何か引っ掛かるな。

 

 

「……やはりか」

 

 

顎に手を添えて重々しく一息吐いたヴィジスタさんの皺だらけの手の中には、几帳面に畳まれた親書が。

 

はやっ、もう読み終わったのか。

 

 

「陛下、本題はどうやら、ガートリアムより援軍要請の嘆願のようです」

 

 

「……えっ、ガートリアムから? ラスタリアではなく?」

 

 

「そのようです。現在ラスタリア騎士団はガートリアムに帰属しており、ガートリアム騎兵団と共同で魔王軍からの襲撃に備えているとのこと」

 

 

「っ!」

 

 

淡々とガートリアムの現況を告げる宰相とは裏腹に、泡を食ったように親書に目を通すルーイック国王の焦りように、こっちの目も点になる。

その慌てぶりは同盟国の危機に対してという立場的意識よりも、個人的な感情から来る狼狽(ろうばい)にも見えた。

 

 

「……そ、そんな……ラスタリアが魔王軍に侵略を受けていたなんて……っ、セリア! テレイザ姫は!? テレイザ姫は無事なのかい!?」

 

 

「お、落ちついて下さいルーイック陛下」

 

 

「落ち着いてなんてられないよ!!」

 

 

「陛下、使者殿より預かった親書はもう一通ございます。恐らくこちらはテレイザ姫より陛下にと、したためられた物と思われますが?」

 

 

「ひ、姫からの手紙!?」

 

 

とんでもない剣幕でセリアに詰め寄ったかと思えば、宰相さんの一言で瞳を輝かせながら、姫からの便箋を穴が空くほど凝視して、と。

こんな短時間で印象がコロコロ変わる人も珍しい、ましてやそれが大国の君主様ともなれば……色々と心配になるけども。

 

 

一つだけハッキリと分かった。

 

謁見前にセリアが言っていた、色々と融通が利く理由の『色々』ってのは、つまり。

文字通り『色恋』とかそういう意味だったって事なんだろうな、きっと。

 

しかも、テレイザ姫からの手紙の内容に俺達が居るにも関わらず、年相応に一喜一憂してらっしゃる陛下の表情を見れば、そのゾッコン振りについては言わずもがな。

 

失礼ながら、大国の君主としてはあんまり見せられない姿を晒しちゃってる気がする。

俺としては、まぁ思春期真っ盛りな年頃なんだから割と好意的に捉えれるけれども、その直近である宰相からしたらそうもいかないんだろう。

 

 

気難しそうに眉間の皺を揉みながら、ひたすら押し黙ってるヴィジスタ宰相から滲み出てる重い雰囲気に、気まずそうに俯いてるセリアの背中が、なんだか可哀想に思えた頃。

 

これまた宰相ばりの速読で手紙を読み終えた国王陛下が、意気揚々と椅子から立ち上がった。

 

 

「よ、よし……ヴィジスタ! 直ぐに援軍の編成をしよう! テレイザ姫の窮地を、僕達が救うんだ!」

 

 

「……残念ながら、それは難しいかと。各方面の戦況や片付けなくてはならない内政問題に加え、【闘魔祭】の準備もございます。情けない話ですが、手を借りたいのはむしろ我輩らの方です」

 

 

「ぐっ……でも、東部のガルシア荒野に向かわせていた師団はそろそろ戻って来るんだよね? だったらちょっと遠回りだけど、ガートリアムに送る事は出来ないかな?」

 

 

「サンク師団長の隊の事でしたら、北東方面に配備した我が軍が劣勢に立たされている故、そちらの援軍として二日前に合流を指示したばかりですが」

 

 

「うっ……じゃ、じゃあ北部戦線の師団を少し呼び戻して……」

 

 

「お言葉ですが陛下、北部方面は魔王軍からの進攻がもっとも激しく、もっとも重要な防衛線でもありますので、僅かなりとも兵数を削るのは如何かと」

 

 

想い人の窮地に燃える国王様は、さきほどまでの姿勢とはうって変わって大層男らしいんだけども、その(ことごと)くがヴィジスタ宰相に却下されるという空回りっぷり。

 

俺達の立場からすれば、援軍を送ってくれるようにアレコレと提案してくれる国王様を応援したいとこだけども、ヴィジスタ宰相の言い分ももっともだ。

 

 

そもそもこの謁見の間に居るのが若き国王陛下と宰相の二人だけって時点で、セントハイムですら人手不足に悩 まされているのは察せれるし。

いつぞやに見た、アキラの取り巻き写メ娘こと桜田チアキが集めていた少女漫画に出てくる、王子と姫との恋を引き裂く悪役貴族がするような意地の悪い企みとは訳が違う。

 

 

「人員不足か……ワイバーンよりよっぽど厄介な問題っぽいね」

 

 

「……数ヶ月前に、先代の国王陛下が急病により崩御されたばかりだから無理もないのよ。三大国の一角ともなれば、国内態勢を整えるだけでも骨が折れるし」

 

 

「…………ガートリアムの上層が援軍要請に兵を回さなかった理由ってさ、もしかして……」

 

 

「……ワイバーンだけが理由じゃなかった、という事」

 

 

「……マジかぁ」

 

 

 

セントハイムの現国王陛下がテレイザ姫と同じくらい若い理由だとか、俺達が使者の一団にしては少数精鋭過ぎる理由の裏には、そもそも『望みの薄い賭け』って意味があったのか。

 

セントハイムへの使者が任命じゃなく立候補って形な時点で妙な感じはしたけども、セントハイムの国情を推した上でなら少しは納得出来る。

そりゃ死にたがりとか言われる訳だよ……まぁ、んな悪態を今更ついたってしょうがないか。

 

 

「じゃ、じゃあいっそ! こ、今年の闘魔祭を中止にしてみるってのはどうかな? そうすれば多少の手は確保出来る訳だし……」

 

 

「────陛下、それはなりませぬ! 闘魔祭は我がセントハイムが四年に一度の折りに欠かすことなく開催し続けてきた祭儀。如何なる事情があったとしても、闘魔祭を中止にする事だけはしてはなりませぬ」

 

 

「……で、でもテレイザ姫……いや、長年ともに歩み、栄えてきた同盟国の危機かも知れないんだよ? いくら闘魔祭が大切な祭儀だからって……」

 

 

いつの間にやら陛下と宰相の話し合いは佳境へと進んでおり、なにやら【闘魔祭】なるキーワードに主題が向いてるらしい。

 

闘魔祭。

そのまま読めばとてつもなく物騒な響きに加え、セントハイムで四年に一度開催されてきた祭儀という宰相さんの言葉を聞いて思い当たるのは……勿論、城に来る途中で見た、あの『闘技場』だ。

 

オリンピックと同じ開催期間といい、祭儀の名称といい、あの闘技場で行われる荒っぽい行事であるのはまず間違いないんだろう。

 

 

それを中止にするなんて人の良さそうな陛下にしては思い切った決断にも思えたけど、それ以上に異を唱えるヴィジスタ宰相の剣幕の鋭さに、背筋が跳ねた。

 

 

「同盟国の危機であることは我輩も承知しておりますが、陛下────闘魔祭は我がセントハイム"だけ"の祭儀ではないという事、お忘れではないですか」

 

 

「──う、ぁ……そうか……闘魔祭の中止は……『彼女』との盟約を違えてしまう……」

 

 

「その通りです。彼奴(あやつ)めの怒りを買ってしまえば……同盟国どころか、我がセントハイムの存亡の危機すら招きかねません……」

 

 

「…………"彼女"?」

 

 

宰相のある一言を皮切りに、心底深刻そうな面持ちでがっくりと肩を落としたルーイック陛下。

聞き逃すにはあまりに意味深で、国王の会話に口を挟む無礼も忘れて、つい拾い上げてしまった。

 

そんな俺をチラリと流し見たヴィジスタ宰相は、無礼を咎めることはなく、むしろ致し方なしとばかりに重々しく口を開いた。

 

 

 

「────【深淵を覗き込んだ者】……そう呼ばれる"魔女"の事だ」

 

 

 

 

 

_______

 

 

【人物紹介】

 

 

『ルーイック・ロウ・セントハイム』

 

 

セントハイム王国 十代目国王

 

身長169cm 年齢16歳

 

ロイヤルの代名詞的な華やかな金髪、青い瞳を持つ美少年だが、体格自体は普通。

性格は国王とは思えないほどに優柔不断で気弱なところがあるが、優しく暖かみのある温厚な一面を持つ。

セリアいわく、ラスタリアのテレイザ姫に御執心らしい。

緩い発言も多く、宰相であるヴィジスタに度々お小言を貰っているが、彼に絶大な信頼を寄せている。

 

 

 

『ヴィジスタ・アーズグリース』

 

セントハイム王国 宰相

 

身長161cm 年齢73歳

 

後頭部まで後退した白髪と、鋭く黒い瞳。

鳥の(くちばし)のような鼻を持ち、非常に厳格な雰囲気を放つ老人。

数ヶ月前に先代である九代目国王『ルーファス・ロウ・セントハイム』が崩御した為に、16歳の若さで国王となったルーイックを支えている忠義人。

 

平民の出でありながら先代国王に『我が宝』とまで言わしめるほどの深い知性と慧眼、政治的な手腕を兼ね備えた人物。

民衆の間では『賢老』と称えられている。

 

 

 



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Tales 26【Septet Summoner】

魔女。

 

誰もが何かしらの創作、もしくは歴史などの窓口から一度は見聞きした事はあるはずで、思い浮かぶ魔女のイメージもまた人それぞれだろう。

 

 

お伽噺の悪役で出てくるような、大きな鍋で怪しげな調合をしてる老婆。

もしくは箒にまたがって悠々と空を飛ぶ少女だとか、最近ではファンシーなマスコットを連れてモンスターと闘ったりとか、その窓口は近代化につれて大きく幅を広げているが、それはあくまで現代での話。

 

 

今まさに俺が立っているファンタジーの世界では往々にして魔法関連の実力者だとか、或いは人々から恐れられている、まさにブギーマンみたいな立ち位置に在りそうなもんだけれども。

 

その推測が的外れかどうかは、あのヴィジスタ宰相が抑えきれない畏怖をその語り口に添えている辺りで察せられる。

 

 

「そ、その話! 詳しく聞かせていただいてもよろしくって!?」

 

 

「お嬢様!」

 

 

「?」

 

 

しかし、闘魔祭の開催に関わる魔女というファクターにいの一番に食い付いたのは、何故か今まで一言も発さずに黙り込んでいたお嬢だった。

 

前触れもなくピアノの高いキーの鍵盤を叩いたかのようなソプラノに振り向けば、星屑をちりばめたみたく赤い瞳を輝かせているお嬢のお顔がすぐ近くに。

 

 

いや、えっ、いつの間に。

ていうかなんでこんな俺の至近距離にお嬢が居るの。

ついさっきまではもう一歩二歩くらいは後ろに居た気がしてたのに。

 

 

「ふむ。ラスタリア騎士団、並びにガートリアム騎兵隊のなかにエルフが在籍していたとは知らなんだが……」

 

 

「……ひっ……──あっ、お、おっほん。申し遅れました……わたくしはナナルゥ・グリーンセプテンバー……と、此方に控えているのはわたくしの従者で……」

 

 

「執事のアムソンと申します。我々エルフからしても物々しい【魔女】なる響きの余り、宰相様の口上を遮った我が主のご無礼、代わってお詫び致しますぞ」

 

 

「……で、あるか」

 

 

深々と頭を下げるアムソンさんの謝辞を宰相は別段気にした様子もなく流した。

いや、というよりはもっと謝辞すべき無礼な所があるだろって言いたいんだろう。

 

 

「な、ナナルゥ……貴女……」

 

 

「なにやってんのお嬢……」

 

 

「……ち、違うんですのよ……今こうしてナガレの背に掴まってるのはちょっと眩暈(めまい)を感じたからであって……けっ、決してヴィジスタ宰相の目付きが怖いとか、過去の厳しい教育係を思い出したとかそんな訳ではだだだ断じて……」

 

 

「あー……僕にも気持ち分かるなぁ。キツく叱られた日の夜なんかには、夢にまで出て来そうな時も……」

 

 

「──陛下」

 

 

「あ、いやいや何でもない! 冗談、冗談だから! さ、さぁ! ヴィジスタ、口上の続きを」

 

 

お嬢がやたら俺の至近距離に居た理由は、何やら過去のトラウマを呼び起こしかねない宰相さんの眼差しに対する遮蔽物代わりだったという事か。

 

通りでさっきから口数が少なかった訳だ……流石にこれはお嬢が失礼だとも思うけども、俺の背に隠れながら添えられてる掌からカタカタと小刻みな震えが伝わってくる分、強く言えない。

 

 

まぁ、幸いにしてルーイック陛下の自爆もとい湾曲的なフォローのおかげで、何とか仕切り直しの空気は出来上がった。

お嬢は俺の背に隠れたままだけど。

お陰でヴィジスタ宰相が物凄く物言いたげに俺を見据えてるから、乾いた愛想笑いで取り繕ろうのが精一杯だった。

 

 

「……このセントハイムの地より南に降った先。『ヒドラの肌』と呼ばれる、枯れた木々が生い茂る森があるのだが……その奥を更に進んだ所に【闇沼の畔】と呼ばれる、我が国が危険区域と定めた魔境が存在する」

 

 

音の並びだけでもおどろおどろしいというか、まさしく魔女が居城を構えるには相応しい区域の名に心が沸き立つ。

 

都市伝説とかに近い怪談や怪奇現象を追い掛けてる内に、いかにも曰く付きな場所や廃墟ってだけですっかり琴線に触れてしまうようになったけど。

それだけに、是非とも脚を踏み入れてみたいという欲求が騒がずにはいられない。

 

 

 

 

──────

 

 

何より──『闇沼』という響き。

 

"細波流としての奇妙な縁"や、我ながら捻くれてる高揚感を覚えずには居られなかった。

 

 

──────

 

 

 

 

けど、残念ながら話の軸はその心惹かれるスポットではなく、そのスポットに住む魔女についてだ。

心底からせり上がって来る探求心を抑えつつ、固く拳を握りしめながら本題への合いの手を加えた。

 

 

「闇沼の畔……そこに、その、魔女ってのが?」

 

 

「……うむ。闇沼の深淵、或いは【人智の及ばぬ黒き底】……そう呼ばれておるほどの異端者、『魔女カンパネルラ』。魔女と揶揄されておる時点で貴殿らにも想像がついておろうが……彼奴(あやつ)の精霊魔法は常軌を逸しておる。その気になれば、三日三晩もかけずに大国を滅ぼしかねない程にな」

 

 

「【人智の及ばぬ黒き底】!? そ、その肩書き……では、その魔女カンパネルラなる者は、かの【精霊奏者(セプテットサモナー)】の一角という事ではありませの!?」

 

 

「……で、ある。魔女と呼ばれる道理も分かろう、グリーンセプテンバー嬢よ」

 

 

「え、えぇ……」

 

 

宰相が紡いだ魔女カンパネルラ、その力についての憶測だけでも、おいそれと触れてはいけない存在ってのは伝わるけど。

 

闇沼の深淵、人智及ばぬ黒き底、セプテットサモナー……次から次へと聞いたこともない単語が目まぐるしく沸いて出てくるもんだから、俺も話の流れに置いていかれまいと対応しなくちゃいけない。

 

という訳で、お嬢だけでなく少なからず衝撃を受けていたセリアに呼び掛ける。

 

 

「……セリア、セリア。セプテットサモナーってなんなの」

 

 

「あ、あぁ、そうね…………私達が扱う精霊魔法、その属性を司る大精霊と契約を交わし……"召喚魔法"を発現する事に成功した者の事を、そう呼ぶの。貴方に分かりやすく言うなれば、精霊魔法を扱う者にとっての目指すべき"到達点"、という所かしら」

 

 

「大精霊……それって、前に話してたシルフィスとかいう奴とかの事か」

 

 

「えぇ、確かナインの名前を決めた時ね。正確には、風精魔法の属性を司る大精霊の名前はシルフィスじゃなくて『シルフィード』だけれど……」

 

 

「んー……つまり、セプテットサモナーってのは魔法使いの頂点、みたいな感じ?」

 

 

「……えぇ、その認識で間違ってないわ」

 

 

ざっくばらんな纏め方に苦笑しつつも頷いてくれたセリアの弁から、ある程度の認識は固められた。

要するにセリアとかお嬢が唱える魔法と、セプテットサモナーの使える召喚魔法っていうのはそもそもの規格(レベル)が違うって事なんだろう。

 

 

「む……」

 

 

「……?」

 

 

「……あ、いや……すいません。自分、魔法に関しての知識が浅くって、ははは……」

 

 

で、恐らくそのセプテットサモナーの称号についてはこのレジェンディアじゃかなり有名、というか常識的な事らしい。

 

俺が異世界人って背景を知らないから、わざわざこの場でセリアに尋ねたことを疑問に思ったのか、訝し気に眉を潜めるセントハイムのお二方に、慌てて取り繕ろう。

 

この際、その属性とか精霊の種類とかも聞いておこうかと思ったけど、国王との謁見においてそれは完全に余談に過ぎない。

 

興味を優先するには、時と場所を選ぶべき、だったんだけれども。

 

 

後にして思えば……もう少し、考慮すべきだったな。

 

"召喚"魔法、それがレジェンディアの精霊魔法において偉業達成の証であるって事について。

 

 

もう少し、考えとけば良かった。

 

 

 

 

 

────

──

 

【Septet Summoner】

 

──

────

 

 

「……あの、話の内容からして闘魔祭を中止するとそのカンパネルラって魔女の怒りを買うってのは分かったんですが……その理由を聞いても宜しいでしょうか、ルーイック陛下?」

 

 

魔女そのものの驚異については一段落を迎えた訳だけども、本題である魔女と闘魔祭についての関連についてはまだ分かってない。

ここは同盟国からの使者って立場に乗っかって、少しでも情報を引き出しておきたいし。

 

という訳で、若干強引ながらも、厳めしいヴィジスタ宰相ではなく、尋ね易そうなルーイック陛下に疑問を投げ掛けてみる。

 

 

「え、あ……うん。といっても、僕自身彼女……カンパネルラについては伝聞ばかりで、直接顔を会わせた事はないんだけどね」

 

 

「会わせられる筈もありません。アレはひどく傲慢で利己的……度し難くきまぐれな気性で、何より精霊魔法の真髄を極めることを至上としておる異端者。斯様(かよう)な人格の者を陛下と引き合わせるなど……」

 

 

「心配症だなぁ、ヴィジスタは」

 

 

「……お言葉ですが陛下、陛下はもう少し大国の主であるという自覚を持っていただきたいものです」

 

 

忌々しい、と言葉にせずとも伝わってくる程にくっきりと寄せた眉間の皺の深さと口振りからして、ヴィジスタ宰相は魔女カンパネルラと直接会った事があるらしい。

 

ただ、過保護だと言わんばかりに苦笑する陛下には悪いけど、ルーイック陛下と魔女とを引き合わせる訳にはいかないって言い分は、宰相という立場からしても説得力がある。

 

 

「あはは……で、話を戻すけど……そもそも闘魔祭の興りは今より二百年前。初代国王である『ダグラス・ロウ・セントハイム』と、魔女カンパネルラとの間で交わされた盟約の証としてひらかれている祭儀なんだ」

 

 

「盟約、ですか」

 

 

「うん。まぁ、盟約というよりは互いに過度な干渉をしないっていう消極的なものだけどね」

 

 

要するに、ちょっとした不可侵条約みたいなものか。

大国の姿勢にしては一個人に対して随分及び腰にも見えるけど、逆に言えばそれほどまでに魔女という存在が恐ろしかったって事か。

 

というか、城門を潜る前にセリアから聞かされた話だけど、確かルーイック陛下で五代目の国王様なんだよな。

 

やっぱり魔女ってだけあってとっくに平均的な寿命を越えてるのか。

 

 

「各国各地から、魔法や戦闘技術に自信のある実力者達を集めて競い合わせる祭儀。ただ、当然魔女に参加して貰うわけにもいかなくてね……セプテットサモナーである彼女からすれば、そこまで興味を惹かれなかったんだろう。開催してから"しばらく"は、魔女からの干渉はなかったんだけど……」

 

 

「……しばらく、という事は」

 

 

「うん、そういう事。勿論、彼女自身が闘魔祭に参加したという訳じゃない。ただ、その代わりに……彼女は彼女が育てていた"弟子"を参加させたんだ」

 

 

「!!」

 

 

「ぐ、お嬢……痛いってば」

 

 

「あっ……こ、これはわたくしとした事が。オホホホ」

 

 

弟子という単語に過剰な反応してか、もう掴むどころか握り潰す勢いで肩を掴まれて、思わず非難の視線をお嬢に向ける。

 

ったく、ヴィジスタ宰相が怖いからっていつまで引っ付いてんだか。

 

けど、ヴィジスタ宰相の言葉を借りればかなり自分勝手で気まぐれな魔女にも、弟子が居たってのは意外だな。

そりゃセプテットサモナーともなれば、その教えを請いたいと願う魔法使いも沢山居るんだろうけど。

 

 

「では、結果は……?」

 

 

「あぁ……セリアの想像通り、魔女の弟子が優勝したよ。やはり、彼女の教えを受けていただけあって弟子の方も相当な実力者だったようだね。そして何より、カンパネルラにとっても、闘魔祭は弟子の成長を測る良い『目安』になったという訳さ」

 

 

「味を占めたと…………あ、じゃあ、闘魔祭が中止に出来ない理由って……」

 

 

あぁ、なるほど。

話を聞く前は、どんな難事だったり政治的局面が絡んでたりするのかと身構えていたけども。

 

蓋を開けてみれば、なんてことのないと思えてしまうくらいに単純な理由と理屈だった。

 

 

利己的かつ傲慢で、度しがたいレベルの気まぐれ、か。

 

確かに、ヴィジスタ宰相から見ればそうとも映るだろうな。

 

 

 

 

「察しの通りさ…………毎回という訳じゃないけども、闘魔祭は、今では魔女カンパネルラにとって……愛弟子の『お披露目会』の場でもあるんだよ」

 

 

 

 

 

 

________

 

 

 

【用語解説】

 

 

『精霊奏者/セプテットサモナー』

 

 

レジェンディアにおける精霊魔法を極め、大精霊と契約を交わし、精霊召喚を行える者の称号。

到達者と畏れられ、その身一つで一国を滅ぼせるとまで言われている。

 

 

『ヒドラの肌』

 

セントハイムより南に降った地にある、枯れ木の森。

A級ランクの魔物であるヒドラの、荒れ果てた竜鱗に例えてそう名付けられた忌み地。

 



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Tales 27【Eldest Ler Dea】

精霊魔法の使い手にとっての到達点であるセプテットサモナー。

闘魔祭のちょっとした起源。

大国セントハイムにすら扱い方を慎重にさせる魔女という傑物。

 

色んな情報が出揃ったのは、世界単位で部外者ゆえの知識のなさが浮き彫りになってる俺としては大助かりではあるけども。

 

 

『こんな時にテレイザの力になれないなんて……うぅ、僕みたいなへっぽこ王には愛する人の危機さえ救えやしないのか……』

 

 

結論は変わらず、援軍の要請は通らない。

 

 

いくらガートリアムの上層部からすれば、この展開が想定の範囲内であったとしても、こうしてセントハイムまで使者として訪れた俺達からすれば、仕方ないでは済ませたくない意地も沸く。

 

 

いや、沸いたんだけども……かといってセントハイムのお国事情についての知識を持ち合わせる訳でもない俺には食い下がる為の取っ掛かりを見つける事も出来ない。

その上、きっと俺達以上に無念を噛み締めているであろうルーイック陛下を前にすれば、もうなんにも言えやしなかった。

 

 

創作なんかでの英雄譚とかだとこういうのはトントン拍子に話が進むんだろうけど、なかなかどうして、世界が違えど現実というのはシビアであるらしい。

 

「あー……なんかずっと畏まってたのと、お嬢に盾扱いされたせいで変に肩凝った……」

 

 

「申し訳ありませんナガレ様。お嬢様は幼き頃からグリーンセプテンバー家の淑女足るようにと、それはもう厳しい教育を施されて来ましたので……その時の影響が今尚残っていらしたご様子。主の不徳はこのアムソンの不徳と為す所でございます。つきましては、このアムソンがマッサージをば」

 

 

「いやいや大丈夫。逆に、こう……アムソンの苦労が良く分かったというかね。肩でも揉もうか?」

 

 

「おぉ、なんというお気遣いでありますかナガレ様。この様な老いぼれを労るなどと……感激の余りこのアムソン、年甲斐もなく目頭が熱く……」

 

 

「ぐっ、わたくしだって悪かったと……ヴィジスタ宰相や陛下の御前で失礼な真似をしたと今では反省してますわ! だからといってそんな芝居がかった責め立て方がありますか!」

 

 

「んー……こりゃ相当凝ってるねアムソンさん。一辺温泉にでもじっくり浸かったら?」

 

 

「おぉ……これは、いささか手慣れておるお手並み。お上手です、ナガレ様。確かにこの年まで老いが深まると、温泉という響きがやけに魅力的に聞こえますしなぁ……」

 

 

「無視はやめて下さいます!?」

 

 

 

国外の魔王軍の動向を確認する為にも、ガートリアムの詳しい現状などを求めたヴィジスタ宰相。

使者の中で唯一明白に応えれるセリアだけを残して、こうして豪華な客室に通された俺達は、ご覧の通り完全に暇を持て余していた。

 

 

「……それで、どうするんですのこれから。致し方ない事情があるとはいえ、このままではわたくし達の努力が全て水の泡になってしまいますわよ」

 

 

「そりゃそうだけど……城内の慌ただしさからして、よそに回せるだけの手が足りてないのは間違いないみたいだし」

 

 

「ガートリアムが今にも魔物の軍勢に襲われるかも知れないというのに、そんな悠長な姿勢でどうしますの! くっ……やっぱり日を改めてもう一度ヴィジッ……ではなく、ルーイック陛下に助力を嘆願してみるか、他の手段を探してみるなりしませんと…………って、なにを驚いた顔をしてるんですの」

 

 

「……あぁ、いやお嬢達が姫様から受けた依頼の内容って、確かセントハイムまでの護衛"まで"だったじゃん。つまりは、もう依頼自体は達成してるって事になるのに……お嬢がそんなに熱心になってくれてるのが意外だったというか……うん」

 

 

「えっ、あっ……………………グ、グリーンセプテンバーの家訓が第二条!『心に痼を残すべからず、何事も向きあったのなら最後まで!!』 例え約束事を果たせたとしても、このような半端で投げ出すのはわたくしの性に合いませんの!」

 

 

「……そかそか。そーですか」

 

 

「ええ、そう、そうなのです! なにかおっしゃりたい事でもありますの!?」

 

 

「いーえとんでもない」

 

 

絶対気付いてなかったんだろうけど、本人の必死さもあって指摘するのは止めておこう。

それにしたって、このお嬢様もなかなか人が良いというかなんというか。

早くも暗雲立ち込めていた俺とセリアの行く末に、なんだかんだで付き合ってくれるお嬢とアムソンさんの存在は正直心強い。

 

 

「ありがとね、お嬢」

 

 

「…………むぅ」

 

 

素直に礼を述べれば、気まずそうに口を尖らしながら、クルクルに巻いてるサイドの髪に指を絡めてそっぽを向く。

照れ隠しのつもりなんだろうが、ほんのり赤くなってる頬を隠せてないんじゃ丸分かりなんだけど。

ま、これも指摘するのは野暮ってもんで。

 

 

「……じゃあお嬢にも渇を入れられた訳だし、セリアが戻って来たら今後に向けての作戦会議でも────」

 

 

「──そう。それなら、丁度良かったわね」

 

 

 

お嬢に背を押される形で何かしらの活路を見出だそうと客室のふかふかなソファに腰を下ろせば、台詞の通り丁度良く合流したセリアの声が届いた。

思ったより宰相への報告が早かったなと思いつつも、彼女の左手の中にある筒状に丸めた真新しい羊皮紙に目が行く。

 

確か俺達が持ってきた親書とは違うやつだと思うけど。

 

 

「丁度良かったっていうのはどういう意味ですの?」

 

 

「今後に対しての目処(めど)が立ったという意味よ」

 

 

「……目処って、その紙の?」

 

 

「えぇ、そう。といっても、確実性があるとは言い切れないけれど」

 

 

どうやら軍の力は借りれなかった代わりに、『打開策』を授けて貰ったという事らしい。

 

その鍵となる羊皮紙にそっと目を配らせたセリアが、薄い唇をそっと開いて打開策の名を詠んだ。

 

 

 

 

 

「傭兵団、『エルディスト・ラ・ディー』……彼らを頼ってみましょう」

 

 

 

 

 

 

────

──

 

『Eldest Ler Dea』

 

──

────

 

 

 

「偏見って訳じゃないけど、傭兵って聞くとやっぱ血生臭いイメージがあんだよね」

 

 

「確かに彼らは戦う力を生業にしている以上、そのイメージが強いというのも仕方ないわ。けれど今の時世では傭兵というより、魔物を狩るハンターという側面が強いかしらね」

 

 

「今の時世ではって事は、昔は違ったと」

 

 

「……貴方の言うとおり、まだ人間同士で戦争が出来ていた時代は、ということよ」

 

 

「……」

 

 

昇りきった太陽が緩やかに下りはじめる午後半ばの空は溜め息が出るくらい澄んでいて、人通りがさらに増し始めた街中は相変わらず活力に満ちている。

丁度通り過ぎた、出店で売られてる棒つき飴を買い与えられて満面の笑みを浮かべる親子の一幕がある裏で、滅びかねない瀬戸際に立たされている国だってあるのが、セリアの言う今の時世なんだろう。

 

 

セントハイムほどの大国ですら手が足りなくなるほどに魔物が跋扈してる今、国同士で戦争やってる余裕なんてあるはずが無い。

環境と共に生き方を変える生き物みたいに、戦場を寝床としていた傭兵達が剣を向ける相手も人から魔物へと変わったのは、安っぽい怪我の巧妙だと冷めた感想を抱かせた。

 

 

「ハンター……なんだか野蛮な響きですわね。本当にわたくし達の助けとなってくれますの?」

 

 

「実際に話してみないと何とも。ただ、ヴィジスタ宰相いわく、『エルディスト・ラ・ディー』という傭兵団は他の傭兵団とは違って組織方針が風変わりであるらしいのよ」

 

 

「ふむ、風変わりと言いますと?」

 

 

「基本的に傭兵団はエンスの額で依頼を請け負うものだけれど、『エルディスト・ラ・ディー』は魔物の危険性……特に人的被害の有無によって依頼を請け負うか決めるみたいね」

 

 

「……へぇ。なんというか、本来の傭兵としての在り方とは真逆に突き進んでるな」

 

 

セリアの弁からすれば、俺の想像していた傭兵の印象とは随分組織形態が様変わりしているらしい。

 

このご時世に珍しい慈善的な存在があったもんだね。

いや、魔物という明確な脅威に晒されてるご時世だからこそ成り立っているのかも。

 

 

「けれど、そんな理念を掲げている上で成り立ってる組織なのだから、少なくとも団員に相応の実力があるのは間違いないわ。でも、そのスタンスが影響して民間との結びつきは強く、支持もされてるみたいだけれど、逆に財を持つ貴族達やセントハイム上層部とは不仲であるようね」

 

 

「ちょっ、わたくし達、ヴィジスタ宰相の紹介でそこに行くんですわよね!? 門前払いされるのがオチじゃないんですの!?」

 

 

「……いえ、お嬢様。確かに宰相様の地位は紛れもなく高いものではありますが、あのお方と件の傭兵団が不仲という訳ではありますまい。それに、エルディスト・ラ・ディーが『危険性』というものを重視する組織なのであれば、少なくとも我々が門前払いされる事はないかと思われますが」

 

 

「確かに。国が滅ぶかどうかってレベルの『危険性』だから、話の席に着くくらいはしてくれそうでしょ」

 

 

「えぇ。契約を結べるかどうかは交渉や報酬次第になると思うけれど……まずは直接尋ねてみないと」

 

 

百聞は一見に如かず、もとい百聞は一会に如かず。

渡りに舟というには些か都合が良すぎる気もするけど、掴む藁も見当たらないよりかは全然良い。

 

 

「分かりましたわ……案ずるより産むが易し、とゆーやつですわね。産む方が簡単って甚だおかしい話ですけども」

 

 

「お嬢、セクハラ?」

 

 

「ちっ、違いますわよバカ!」

 

 

身から出たサビだってのに、顔を真っ赤にしながら食ってかかってくるお嬢をいなすのも、最近ちょっと馴れてきた。

そんな馬鹿らしいやり取りを呆れ顔で見送るセリアと、微笑みを添えるアムソンさんのスタンスも恒例と言っても良いかも知れない。

 

 

羞恥たっぷりなお嬢のハイトーンに驚いたのか、それとも単なる習性か。

低空飛行で俺達の頭上を追い越す数羽の鳥の影が、途端にふわりと浮き上がって、青い空へと伸びていった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

虹の在処という別名の、まさしく『虹』を示す色彩過多の屋根傘に、おかえりなさいと出迎えられたような気分だった。

 

 

民間との結びつきが強いという話からして、傭兵団の本拠地が民間エリアに構えられてるのは察せれる事だけども。

王城に来た道をなぞるように往復させられるのは、まるでここまでの行動が二度手間だったと言われてるみたいで少し複雑。

 

けど、そんなささやかな不満は、目的地到着と共に飛び込んで来た光景に、どこへやらに吹っ飛んだ。

 

 

「……城もそうだけど、あの闘技場といいこのギルドといい、セントハイムの建物って馬鹿みたいにでかくないといけない決まりでもあんの?」

 

 

「私に聞かれても困るわ」

 

 

「お、オーッホッホッホ……まぁ、なかなかの門構えと誉めて差し上げますわ。ですがグリーンセプテンバーの屋敷の方がこの2倍、いや3倍はありましてよ!!」

 

 

「お嬢様、従者として指摘するのは心苦しいですが、それは流石に盛りすぎかと」

 

 

市民街を少し歩いた先の開けた敷地にででんと構えられた石造りの屋敷は、傭兵団のアジトと言うだけあってちょっとした砦みたいにも見える。

建物の細部に曲線的なアートが施されていたり、庭園らしき自然もちらほら見られるというのに、物々しい雰囲気を感じるのは先入観によるものなのか。

 

 

「……ん?」

 

 

ふぅ、と緊張をほぐす浅い息一つ風に溶かして、誰からともなく足先を進めていく最中。

神社の狛犬みたいに屋敷の扉の前に並べられている、キッチリとワックスで磨かれたかの様に光沢を放つオブジェクトの造形に見覚えがあって、首を傾げる。

 

 

「『トランプ』?」

 

 

スペード、ダイヤ、クローバー、ハート。

 

大衆遊戯の一つとして誰しもが一度は手に取ったであろうトランプの象徴とも言うべきマーク。

生態系一つとっても現代とは大違いなこのレジェンディア大陸で、こんなにも馴染みのあるモノをお目にかかれるとは思わなかったな。

 

そんなちょっとした衝撃に気を取られたせいか、オブジェクトと屋敷の石柱周りで、箒を片手に鼻歌を響かせる細身の男性の存在に、気付くのが遅れた。

 

 

「ふーふんふーぅん、っと……んん? やーやーこれはこれは、騎士さんにエルフにと……これはまたえらい変わった組み合わせの方々がいらっしゃったなぁ。どないされました?」

 

 

「(関西訛り……?)」

 

 

微妙に音程が外れた鼻歌をピタリと止めて振り返るや否や、細長い目元に収まった緑色の瞳をゆったりと動かして俺達を見回す男性は、色んな意味でこの場所から浮いていた。

懐かしさすら覚える和風漂う濃い緑色の着流しに袖を通しているのもそうだけど、丁寧さと気安さを織り混ぜた関西訛りみたいな独特の言葉遣いも印象深い。

 

 

長めの黒髪も相まって、なんとなく彼に親近感を覚えてしまうのは日本人の性ってやつなのかね。

 

 

「失礼。エルディスト・ラ・ディーに依頼の相談があって来たのですが……」

 

 

「なんや、やっぱりお客さんでしたか──ふふ、そんならボクが案内しましょ。さ、ついて来ぃな、騎士のお姉さん方」

 

 

「は、はぁ……」

 

 

堅い口調でセリアが取り次ぎを願い出るや、細かい話を聞かなくともあっさり中へと手招かれてしまい、流石に戸惑いを隠せない。

てっきりこのお兄さんが掃除兼門番役かと思ってただけに、もう少しやり取りがあって然るべきなんじゃないか。

まぁ、話が早いに越したことはないけども。

 

 

「あ、せやせや。忘れてたわ」

 

 

建物の中へと繋がる大きな扉の蝶番(ちょうつがい)を手にかけながら、彼はにんまりと温度の分かり辛い微笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ボクはヤクト・ウィンターコール。愛称はヤッくんでもヤッキーでも、お好きなように。宜しゅうお願いしますな、皆さん方」

 

 

_________

 

 

【用語解説】

 

 

『傭兵団』

 

レジェンディア各地にある、傭兵集団の事を指す。

その形態は各組織によって様々である。

かつてはその名の通り国家間で行われる戦争に介入し、金銭を稼いでいた集団だが、現在はハンターとして様変わりしている。

 

 

『ハンター』

 

魔物を狩り、その恩赦や報酬で生計を立てている者の事。

冒険者と混同される事もある。

 



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Tales 28【五枚目の切り札】

人の気配は多いのに不思議と棲みきった空気の漂う屋敷の回廊を、先導する背中を追い掛けていく。

ハートやスペードなど、トランプのマークを(かたど)られた窓枠から差し込んだ日射しに、時間帯の影響か、淡いオレンジが混ざりかけていた。

 

 

「想像は付いてたけど、傭兵団のアジトっていうよりお偉いさんの豪邸って感じの中だな。団員っぽい人もちらほら見かけるし、エルディスト・ラ・ディーのメンバーって皆ここに住んでんの、ヤックン?」

 

 

「なっはっは、流石にボクら全員住めるほど部屋の数足りてへんよ。そうなるとこないだ増改築したばっかやのに、まーたリフォームせにゃならんやん」

 

 

「団員って全員で何人?」

 

 

「なんや自分ら、そこんとこ知らへんとウチに来たんか」

 

 

「セントハイムにも今日来たばっかなもんで」

 

 

「なーるほど、それならしゃーないな。ウチの団員数やけど……正規のメンバーだけで数えたら、五十二人やね」

 

 

「五十二……(またこれみよがしな数字だな)」

 

 

「そんでなそんでな、まぁそない大人数をいっしょくたに動かせれへんっちゅー訳で、ウチでは部隊を四つに分けてるんよ。それぞれスペード、クローバー、ハート、ダイヤってな具合に」

 

 

「ですよねー」

 

 

「え、何が?」

 

 

「ごめん、こっちの話。でも親近感沸くなぁ」

 

 

「親近感? ……変わった事言う子やねぇ。ウチらも良く変わりモンの集まり言われるけど、ナガレ君もなかなかなモンやで」

 

 

「それほどでもある」

 

 

「なっはっは!」

 

 

「あっはっは!」

 

 

アキラのグループとで良くポーカーやら神経衰弱やらで缶コーヒーやジュースの賭けとかやってたのを思い出しつつ、バシバシと互いの肩を叩き合いながら回廊を闊歩していく。

まぁこんな風に早々に仲良くなれたのは、現代におけるトランプの馴染み具合なんかより、ヤクト改めヤックンの気安さのが大きかった。

 

でも、どうやら後方、もといお嬢には俺達のフレンドリーな態度が奇妙に思えて仕方ないらしい。

 

 

「もう肩まで組んでますわよ、アレ。使用人相手とはいえ、いくらなんでも警戒心というものが無さすぎやしませんこと?」

 

 

「お相手方、ヤクト様の親しみ易さもあるのでしょうな。ナガレ様も懐に入るのがお上手であらせられます故。セリア様もそう思われませんかな?」

 

 

「……そうね。アレを見れば、緊張してるのも馬鹿馬鹿しいとさえ思えてしまうわね」

 

 

なんか好き放題言ってくれちゃって。

貴族階級の立場であるお嬢からしたら、はしたない様にも見えるのも無理はないけど。

でも、どこか擽ったそうな明るい色のセリアの、フォローとも受け取り難い言い回しに、少し意識を引っ張られた。

 

 

「……"おもろい"なぁ」

 

 

「ん?」

 

 

「いやいや、こっちの話」

 

 

「……」

 

 

まるでつい先程のやり取りを焼き回したかの様に惚けるヤックンは、組んでいた肩をスルリとほどきながら再び先頭を歩き出した。

紺色の着流しに似合った足袋とわらじのラフな足元がペタペタとタイル床を進み、やがてピタリと止まる。

 

どうやら案内先に着いたらしい。

 

 

「お待ちどうさん、到着や。そんじゃ、詳しい話 はこん中でしよか」

 

 

「ありがとヤックン」

 

 

「ふふ、ええんよ。"ついで"やし」

 

 

「ついで……? ん? お待ちなさいヤクト。貴方も中で話を聞くんですの?」

 

 

「なっはっは、そりゃ勿論。なんせ──」

 

 

お嬢の引っ掛かりをなんでもないように受け流し、ノックもせずに談話室らしき部屋への扉を開けるヤックン。

その背を追い掛けて室内へと続いた俺達の耳に、秋風の様な物静かさを感じさせるソプラノが届いた。

 

 

「お掃除早かったですね、『エース』……あれ、お客様ですか?」

 

 

「そそ。なかなかおもろい子らが来てくれたんで、"趣味"の時間は終わりや。『ジャック』、お茶淹れてくれへん?」

 

 

「……良い所だったのに」

 

 

「なっはっは、良い所でこそ邪魔が入るもんやで」

 

 

「連れてきた張本人が言いますか……」

 

 

ここまで通って来た回廊よりも幾分か白い壁と床に、中央のスペースに置かれたガラス板のテーブルとそれを囲う複数人用のソファが並べられた室内は、端的に言ってビジネス会社の事務室に思えた。

 

その奥の硝子張りの仕切りからひょっこりと顔を出した、クリアパープルのショートカットに白縁眼鏡をかけている年若い女性。

『ジャック』と、ここにきて如何にも過ぎる名前で呼ばれた彼女は、口々にしていた不満など初めから無かったかのように淡々とした表情で、此方に頭を下げて再び奥へと引っ込んだ。

 

 

多分、ヤックンの申し出通りにお茶を淹れてくれてるんだろうけど……

 

 

そのヤックンが、よりにもって『エース(団長)』か。

そう来ましたか、してやられた。

 

 

 

「そんじゃ、改めまして──エルディスト・ラ・ディーのスペード部隊長兼、"団長"もやらせてもろうてます、【スペードのエース】ことヤクト・ウィンターコール。ちなみにあっちは【ダイヤのジャック】ことミルス・バド。ミルちゃんなりミーちゃんなり、好きに呼んだって」

 

 

「勝手に紹介しないで下さい」

 

 

「なっはっは! そんじゃまぁ、ご依頼について聞かせて貰いましょか」

 

 

 

 

 

────

──

 

【五枚目の切り札】

 

──

────

 

 

 

「どうぞ」

 

 

「どうも」

 

 

手前にソーサーごと置かれたティーカップから立ち込めた白桃色の湯気の勢いが強く、向こう側のソファの上で胡座をかきながらヴィジスタ宰相からの手紙を読んでいる、ヤックンことエースの微笑みさえも曖昧にしていく。

まさか噂の傭兵団のトップが箒片手に掃除してるとは思わなかったけど、そんな茶目っ気のある真似をしでかしそうな人柄でもあると、不思議な納得が残ったのも事実だった。

 

 

未だに腑に落ちないのか、それとも騙された形が気に入らないのか、尖らせた気分ごと角砂糖を溶かしてしまえとスプーンで水面を回している左隣のお嬢。

淑女らしさはどこへやらな態度が、お嬢らしくて何故か安心してしまった。

 

 

「……随分、厄介な事になっとるみたいやね」

 

 

「ラスタリア、並びにガートリアムの状況に関しては今述べた通りよ」

 

 

「首が回らへんのはどこも一緒やなぁ」

 

 

「……そういえば、あと二人は?」

 

 

「ん? なにが?」

 

 

「『クイーン』と『キング』」

 

 

「……そういえば此処に来る途中、確か部隊を四つに分けてるって言ってましたわね」

 

 

「ふぅん、結構目敏いなぁ自分ら。まぁ、この部屋におらへんって事は……『趣味』の時間を楽しんどるんやない?」

 

 

「趣味? というか、貴方はこの団の団長じゃありませんの? 長であるならば部下の動向を把握してませんと──」

 

 

「いえ、確かに私達の団はエースを団長としてますけど、実際はそれぞれ四つの隊の隊長同士に格差はないんですよ。それに、結構ちゃらんぽらんな所があるエースだけに団の舵取りを任せるのも不安ですし」

 

 

「うわキッツいなぁ、ジャック。もうちょい優しい言い方してくれたってええやん」

 

 

「事実ですし」

 

 

「……分かるようで分からない力関係。お嬢とアムソンさんみたい」

 

 

「どういう事ですの!」

 

 

「いやはや、的を射た事を申されますなぁナガレ様」

 

 

風変わりというのは何も方針や理念だけを指した事ではなかったんだなと思いつつ、うぬぬと唸りながら詰め寄るお嬢を宥なだめる。

けど、それならよしんばこの二人に協力を結び付けれても、また更にこの場に居ないキングとクイーンを説得しなきゃならないのかも知れない。

 

予想以上に骨が折れそうだとひっそり落とした溜め息を薄目ながらも見逃さなかったエースは、ヒラヒラと手を振ってその不安を払拭してくれた。

 

 

「あぁ、心配せんでも大丈夫やで。一応その二人にも話はするけど、依頼を受諾するかせーへんかは基本的にボクが決めるから」

 

 

「……それってやっぱ、実質的にヤックンがリーダーって話に変わりないんじゃないの?」

 

 

「んなこたぁない。というより、あの血の気の多い二人にとっちゃ、より多くの魔物と派手にドンパチやれるんなら何でもえぇってだけの話やね」

 

 

「…………野蛮ですわね」

 

 

「なっはっは! ま、せやからボクらが依頼話を聞く役を引き受けてるって事や」

 

 

キングとクイーンは所謂、戦闘狂というヤツなんだろうか。

傭兵だのハンターだのと物騒な響きの組織に居るだけあって少なからずそういう人種は居るもんだと思ってはいた。

まぁ、そんな彼らの力を借りようとしてる以上は、心強いと思い込むしかない。

正直、なるべく顔を合わせたくない手合ではあるけども。

 

苦笑を紛らわすかの様に各々が紅茶を一口付けた所で、話はいよいよ本題へ。

 

 

「さて、肝心の依頼の件についてやけど……ボクら、エルディスト・ラ・ディーの理念にも『手段なき者の為の手札』っちゅうのもあるし、未然に防ぐべく危機の度合いもこれまた大きい。まずそこは間違いないな、ジャック」

 

 

「……そうですね。何より宰相様からの直々の紹介状、というのもあります」

 

 

「では……!」

 

 

まずは好感触といったエースとジャックの口振りに、ソファに腰掛けて以降、喜楽を浮かべていなかったお嬢の顔がパアッと華やぐ。

けどこれはあくまで前置きであり、駆け引きの為のちょっとした手札の開示に過ぎない事は分かっている。

 

 

それとなく探った『キング』と『クイーン』の所在。

正確な場所は分からないけども、少なくともエースの口振りからして、彼らが本拠地を離れていない事は伺えた。

それはつまり、ある"違和感"を生む。

 

 

「せやけどね、ボクらにも事情っちゅーもんがある。自分らも可笑しいと思ってるやろうけど、セントハイムも北へ東へ軍を動かして手が足りてへんのに、なんでボクらみたいなんが今こうして悠々と茶を飲んでられるんかっちゅー話や」

 

 

「……やっぱり、セントハイム"軍"からの協力要請があったのね」

 

 

「はい。軍団規模の魔物の驚異……こういってはあなた方に失礼ですが、私達の理念、そして危機の度合いをはかれば、今回の依頼以上に引き受けるべき内容でしたが……」

 

 

「その事情ってのが理由で断った、と」

 

 

相槌を打つかの様な気軽い頷きと共にエースはカップに口を付ける。

けれどもその細く尖った目元から覗いた緑色の瞳からは、強い意思が一番星みたく燦々と光っていた。

 

 

「正確には、断る"しか"なかったんやけどね」

 

 

「……?」

 

 

「前回は国から……つまりは軍が相手だっただけにボクらも首を横に振るしかなかった。せやけど今回は違う。『騎士』のセリアちゃんはともかく、他の三人は『騎士』やなくて、セリアちゃんの『協力者』って立場なんやろ?」

 

 

「──まさか、貴方達の事情って言うのは……!」

 

 

 

「そそ。国王さんとこ行ったんなら耳に入れてるかも知れんけど……もうあと一週間経ったら闘魔祭って祭技が催かれるんや。文字通り『剣でも拳でも魔法でも、何でもありのバトルトーナメント』でな、これにはエルディスト・ラ・ディーからも何人か参加するんやけどね……

 

──キミらもその参加者に加わって、可能な限り"優勝"を目指して欲しい。そして、優勝商品を手にしたのなら、それをボクらが貰う……この条件を飲んでくれるんなら、この依頼、引き受けてもええよ」

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「……テレイザめ。いつの間にか女狐の様な真似をするようになりおって」

 

 

まだ陽も沈み始めてすらいないというのに、ありもしない湿度すら伴った薄暗い部屋の中、しゃがれた老人の声が響く。

黒いカーテンの隙間から射し込んだ僅かな光と、頼りないランプの灯火が、傷の多い老朽したテーブルに積まれた書類の束を照らし出した。

 

 

「『援軍が叶わぬ代わりに、サザナミ・ナガレを闘魔祭に参加させて欲しい』などと……全く、何を考えておるのやら」

 

 

忌々しい小娘だと吐き捨てたくもなる。

皺だらけの手でランプの小窓を開きながら、蛍火を先に揺らす蝋燭へ指先を伸ばす。

多くを指示し、多くを指令をペンで刻んできた人差し指と中指の、その間には手紙が挟まれていた。

 

 

掌よりも小さいくらいの用紙に綴られた、『三枚目』の親書。

ガートリアムからの嘆願書と、テレイザがルーイックに宛てた個人的な手紙の間にひっそりと忍ばせてあった手紙。

 

 

その宛先が、この書斎の主であるヴィジスタなのは言うまでもなかったが、その内容はあまりにシンプルかつ意図の見えないもの。

 

 

「……あの小僧に何があるというのだ」

 

 

騎士セリアとエルフの主従という組み合わせの中では、逆に一際浮いていたナガレという若者。

三大国の宰相を務めるヴィジスタすら時折底を見せなくさせるあの姫君が、一見変哲のない印象を抱かせた彼に、何を期待しているというのか。

 

 

「悩みの種ばかり振り撒きおってからに」

 

 

微かな音を立てて、焔が肥大し、灰へと還す。

未熟な王を支える為に、その老骨に鞭を打ち続ける彼の心中はとても穏やかとは言えない。

 

良い意味でも、悪い意味でも。

 

 

「──やれやれ。あの小僧も、不運な事だ」

 

 

 

けれどもその呆れと厳しさに満ちた横顔に、僅かながらでも愉し気なものを見出だせたとしたら。

それはきっと、彼を深く知る者という証左なのだろう。

 

──例えば、数ヶ月前にこの世を去った、彼にとっての王であり、古き友人の様に。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「参加資格?」

 

 

「はい。闘魔祭に参加出来る条件は、少ないですが絶対です。まず一つは、『過去に一度でも参加した事のある人物は、エントリー不可』」

 

 

「一度でもって……」

 

 

「闘魔祭には予選、本選と試合があるんやけど……本選のトーナメントは勿論のこと、予選敗退の場合でも二度と参加出来ないないねんな」

 

 

「……一応聞くけど、エースとジャックは……」

 

 

「参加経験あり、です。ちなみに私は前回に参加して、エースは……前々回の優勝者でした」

 

 

「なっはっは! ボクも結構やるもんやろ? あ、分かってると思うけど、例のキングとクイーンも当然過去の参加者やで」

 

 

「血の気多いって言ってたもんな」

 

 

国を挙げての祭儀だから色々と制約なりがあるのは過ぎってたけど、ここまで厳しいとは思わなかった。

というかエースさらっと優勝経験アリかい。

 

 

「二つ目は、年齢制限です。これは『十五歳から四十五歳まで』とされていますね。恐らく、極力死者や重傷者が出ないようにする為の配慮でしょう。とはいえ、出るときは出てしまうものですが」

 

 

「…………アムソン」

 

 

「……口惜しいですな」

 

 

この制限は正直、とてつもなく痛い。

アムソンさんの実力の高さからして、俺達の中では一番優勝の芽が見えていたというのに。

 

 

「そして、三つ目ですが──『自国他国に関わらず、軍務に関わる称号、階級を持つ者のエントリー不可』」

 

 

「……え。それじゃあ、セリアは」

 

 

「──参加出来へんって事や。制限の中でも一番新しい制限なんやけども、それでもずーっと前からの決まり事やからな……」

 

 

「────ッッ」

 

 

言葉にすらならない感情を握り潰すかの様に、セリアの籠手が鈍い音を立てた。

どうしようもないから、なんて気遣いが果たして彼女の慰めになるものか。

 

自分の国の危機を救う為の戦いに、騎士という立場でありながら、剣を振るう事が出来ない。

冷悧な仏頂面を崩した騎士が、悔しさの渦を回し続ける瞳が、自分の膝を睨み付けていた。

 

 

軍務に関わる者の参加不可。

なんでまたそんな制限が存在してるのかなんて、俺にはまるで想像出来ないけれど。

セントハイム軍からの要請を断る"しか"なかったというのは、そもそも交渉のテーブルにつけなかった事を意味していたのか。

 

 

 

「……で、では……参加出来るのは、わたくしとナガレだけ……?」

 

 

 

「……そうやね。けど、残念ながら制限とは別に、もう一つ厄介な点があんねんな」

 

 

「……勘弁して」

 

 

畳みかけるように拓けていた道が、閉ざされていく様な感覚に、思わず悪態をつきたくなるけれど。

 

この上、まだ……極めつけってのが残ってるだなんてね。

 

もし俺がテラーさんと出逢ってなかったら、今頃きっと神様を呪っていたかも知れない。

 

 

 

「まぁ、これはキミらだけの障害じゃなく、ボクらにとっての懸念でもあり大きな壁になって来るんやけどね……

今年の闘魔祭は────数十年振りに【魔女カンパネルラ】の弟子が参加してくるらしい」

 

 

 

 

──弱り目に祟り目過ぎんでしょ、これは。

 

 



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Tales 29【スタンド・バイ・レディ】

相手の本音と向き合うのに、それなりの雰囲気がある場所を求めるほど、面倒な男であるつもりはなかった。

 

黙々と重たい足取りで目の前を進む騎士の背中に付いていった先が、街外れの『土曜精の石橋』と呼ばれるちょっとした有名スポットだったってだけの話。

男と女の色付いた空気は当然そこに介在しないのは、真下に流れる川を憂鬱に見下ろすセリアの表情を見れば、一目瞭然だった。

 

もう一人、終始不安げな表情をしていたお嬢様の慰め役は、適任としか言い様がない執事にお任せするとして。

俺は俺で、この"矛盾ばっかり"の頑固者の曇り顔を晴らしてやるしかない。

 

 

「いつかもあったな、似たような事」

 

 

「……?」

 

 

「ガートリアムに居たときの事。あん時は俺が時間を欲しがった訳だけど」

 

 

「……そう、ね」

 

 

心当たりは直ぐに見つかったらしく、『さよなら』と俺に告げた記憶をなぞるように、セリアがここからでは見える筈のない遠くの城門を見つめた。

似ているけれど、重ならない程度。

でもあの時と同じ、微かな怯えが浮かぶ瞳の蒼さは相変わらず頼りなく、今にも落陽の茜に負けてしまいそうだった。

 

 

────

 

『答えを……一日だけ、時間を貰えないかしら……お願い、します』

 

 

『…………ま、かまへんよ。慎重なんは悪い事やあらへんし。ボクの出した条件を呑むか他を当たるかが決まったら、またおいでや』

 

────

 

 

「闘魔祭は単なる競技じゃない。場合によっては参加者が死んでしまう事だって、ある」

 

 

「ん……ま、あの闘技場を見ればなんとなくそうなんじゃないかって思ってたけど」

 

 

「貴方に"その気"はなくても、対戦する相手はそうじゃないかも知れないのよ」

 

 

「分かってる」

 

 

「簡単に言わないで」

 

 

「簡単に言ってるつもりはないよ」

 

 

なんとなくだけど、分かって来ているつもりだ。

魔物相手には無鉄砲に立ち向かう女の奥歯が鈍い音を立てる理由も、自分の代わりに誰かが命を張るのを怖がる理由も。

死にたがりの癖に、死なせたがりとは真逆であるらしい。

 

……ま、だからってセリアの意図を介してやるつもりなんて、これっぽっちもないけどね。

 

 

「言っとくけど……自分の命を安く見て、他人の命を高く見積もるようなヤツの言葉なんて俺には通らない」

 

 

「……え?」

 

 

「姫様にも啖呵(たんか)切ってんだよこっちは……俺が此処で退いたら、何の為にセリアに付いてったのかも分かんなくなるし」

 

 

「…………そんな下らない意地で、貴方は戦うって言うの?」

 

 

「くははッ……セリア。アンタは『もう少し賢いと思ってた』んだけどね」

 

 

いつぞやの異種返しをするには、絶好のシチュエーションが巡ってきた訳だ。

夕陽が強く世界を焼いてるもんだから、つい焼き直しが多くなる。

 

そしてまぁ、水と油にもなりきれない些細な衝突を打ち止めにするべく、『あの時』と同じように苛立ってるセリアに教えてやろう。

 

 

「下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが」

 

 

ケタケタと半笑いで告げた内容がさぞ不満だったらしく、返って来たのは冷めたような溜め息と。

 

 

「………バカよ、本当。けど……それも"今更"だったわね」

 

 

不理解を装った、どこか泣きそうな微笑みだった。

 

 

────

──

 

【スタンド・バイ・レディ】

 

──

────

 

 

 

「んじゃ、そろそろ戻ろうか。この時期に水回りに居ると風邪引きそうだし。小腹も減ってきたし……」

 

 

お嬢の事も気になるし、と続きかけた口を遮られた原因は、えぇそうねとお決まりの返事で頷くセリアの肩から向こうに見えた──

 

 

「美しい……」

 

 

珍味な人物が原因だった。

 

 

「たまらないなぁ……立ち姿だけでも心を奪われてしまう美とは、たまらない。実にッ……たまらないッ! 僕の心を虜にする女性との出逢いを繋ぐ運命の糸は、紅い色だと思っていたが……サファイアの様な『青』き君よ。実に良い、と、僕は思うんだがねぇ……」

 

 

珍妙っていうのは初対面の相手に使うべき表現にしては失礼極まりないのは分かってるけど……これはしょうがなくないか?

 

所々に金の装飾を振り撒いたような、見るからに高級な宝石やら服装で身を固めた、尖った鼻と垂れ目も目立つ、すんごいニヤケ面。

昔の貴族が被るような派手で大きめの黒い帽子と、そこから覗くツヤツヤの金髪が、逆に三枚目なオーラを演出している気さえした。

 

というか、靴の先っぽがなんか渦でも作りそうなほどクルクルっと巻いてあるのが……もう、ぶっ飛んだセンスをお持ちとしか思えない。

 

前衛的な口説き文句と共に、振り返ったセリアの元へとその男が歩み寄って来るからか、勇ましい蒼の騎士様から小さな悲鳴が零れた。

 

 

「お、おぉ……なんということだ。美しい……いや、美しいという言葉すら、サファイアレディを飾るには相応しくない。素晴らしい、アモーレ!トレビアーーン!!!」

 

 

「──ひっ」

 

 

「うわぁ……って、ちょ、セリアさん!?」

 

 

勇ましい騎士様の盾にされましたけど。

 

今日は何て日だよ。

お嬢の次はセリアに盾にされるとか。

 

イタリア人に謝れ、と助走つけて殴り飛ばしたくなる男の讃美歌に、防衛本能とでも言うべき早さでセリアは俺の背後へと回り込んでしまった。

いやね、気持ちは分かるけど……流石に初対面っぽい相手にそれは不味くないか。

 

 

「おや、どうやら『僕の』レイディは恥ずかしがり屋な…………んんん?」

 

 

「や、その……なんすか?」

 

 

「んむむぅ……」

 

 

「……(うわ、近い近い顔寄せんなよ、おい! てか睫毛長いな……でもそれが余計に気持ち悪いって思うのはどういうことだよ!)」

 

 

セリアと同じく、大体二十代に差し掛かった頃合いだろうか。

薄いながら肌化粧を施してるのが分かるくらいの至近距離まで詰められ、やたら怪訝そうに男の紫がかった目が忙しなく動く。

 

 

「チッ……男か」

 

 

「…………はぁっ?」

 

 

「紛らわしい顔立ちするんじゃあない。どきたまえ、小僧」

 

 

「……おい、アンタ。名乗りもしないでいきなり」

 

 

「──」

 

 

後ろで俺の肩を掴むセリアが、あんまりな対応に絶句している気配がした。

 

……てかイラッと来るなホント。

大層上からな物言いもそうだけど、紛らわしいだと?

そりゃ線が細いとか、母親似な顔立ちってのは言われた事あるけどさ。

 

ここまでガン見しないと気付かないってのは無いだろオイ。

どんな節穴してやがるこの野郎……!

 

 

「……名乗りだと? この僕に、貴様のような小僧へ名乗れと? 舐めた口を叩くな!!」

 

 

「……」

 

 

「なんだ、その目は……生意気な面をするんじゃあない!! いいか、このロートン・アルバリーズの貴き名は、君の様な下級平民が直に耳にして良い名では……!」

 

 

「名乗ってんじゃん」

 

「名乗ってるわね」

 

 

「ない……と……」

 

 

いや、そこでハッとするなよ。

チラッと肩口に振り向けば、セリアもセリアで冷たく白い目でそのお間抜けなロートン某を見据えていた。

だかふと、その名に聞き覚えがあるかの様に、長い睫毛をシパシパと瞬かせた。

 

けれども次第にそのサファイアの瞳が、まるで気付きたくもなかった現実を突き付けられたかの様に、鬱屈とした感情に落ち込んでいく。

 

 

「……アルバリーズ? え、それって……」

 

 

「知ってんの、セリア」

 

 

「……間違いであって欲しいのだけれど

 

 

確か……セントハイムが国家として樹立した頃、初代国王に最も信を置かれて、貴族諸侯の中でも特に有力だった一門の名前が……そう、だった気が……」

 

 

……いやいやいやいや、待って待って。

じゃあ、この、女を見る目以外はぶっ飛んだ美意識と高圧的な態度を隠そうともしないロートン某って、つまり。

 

──とんでもない大貴族じゃん。

 

 

「嘘でしょ……」

 

 

セントハイムどーなってんのと、声を大にして叫びたかった。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「おぉ……おぉ、セリア! そうだとも、セリア!! セントハイムにおいては我が名門こそ誉れありと謳われた【アルバリーズ】家の嫡男、ロートン・アルバリーズとは僕の事だよ!」

 

 

「気安く名前を呼ばないで」

 

 

「これはこれは、失礼した。しかし、セリアか……んっはぁ……美しい名だ。良ければフルネームでお聞かせいただきたいなぁ」

 

 

「お断りよ」

 

 

目も耳も、ついでに記憶ごと疑いたくなるようなロートンの身分が判明した訳だけれども、相手が大貴族の嫡男であっても頑なに拒絶の意識を示すセリアの豪胆さも中々だと思う。

俺もこの人相手には敬意なんて一欠片も持ち合わせちゃいないけど、仮にも同盟国の使者ってこと忘れてませんか、セリアさん。

 

 

いや、むしろ同盟国の使者相手に知らずとはいえ失礼な真似を現在進行形でかましてるロートンのが問題だろうが。

しかし、セリアはいつの間にか盾代わりにしていた俺をむしろ庇うようにして、一歩前に立っている。

チラッと覗いた横顔からは、拝んだだけで気温を低くさせるほどの冷たさを感じた。

 

 

「……ロートン卿に置かれましては、お噂はかねがね聞き及んでおりました。嫡男の身でありながら庶民の生活を見回り、宝石商や繁華エリアにおいては常連であらせられるとか。そして……英雄よりも色を好む、とも」

 

 

「(……それってつまり、豪遊とナンパばっかしてるって事かい)」

 

 

「つまらぬ風説に耳を貸さないでくれたまえよ、セリア。単なる色食いとは違い、僕は列記としたフェミニストでね。確かに僕は色を好むが、何も手当たり次第という訳じゃあない。美しいと思う色にこそ声を掛け、彼女達が"応えて"くれたまでさ。望むならば更なる美しさへ昇華するべく『贈り物』をさせて貰うだけだよ?」

 

 

「……そうですか。生憎、私は騎士の身ですので」

 

 

応えて、の部分をやけに強調するのは、暗にアルバリーズの名をちらつかせれば『応えざるを得ない』とでも言いたいんだろうか。

随分、好き勝手にやってるらしい。

ヒクつかせた鼻の動きの下品さに、セリアのみならず男の俺でも生理的嫌悪感すら覚えた。

 

 

「つれないな……しかし、騎士であるならば尚更、僕との出逢いは特別なものになるかも知れないよ? 良ければ『所属の師団名』を教えていただければ、君の上司に……」

 

 

「…………ハァ……結構です。ヴィジスタ宰相に睨まれたくはないので」

 

 

「(……セリアがラスタリアの騎士って気付いてすらいないのかよ)」

 

 

「……ヴィジスタ宰相か。フン、尊ばれるべき貴族を蔑ろにしがちな老いぼれ風情、鼻を高くしていられるのも所詮今の内だよ……近々興る闘魔祭で、苦渋を舐めさせてやるさ!」

 

 

「……通りであんな顔の皺が多い訳だ。苦労してんだろうなぁ、ヴィジスタ宰相……」

 

 

「おい、さっきから随分と舐めた口を叩くな、平民。折角のセリアとの麗しい一時に水を差す……身の程知らずも極まりない。良いだろう、ここは一つ僕が直々に教育やるとしようか────セナト!!!」

 

 

「……セナト?」

 

 

どうやら俺の一挙一動が癪に障って仕方ないらしく、鼻息荒くロートンが喉を張り上げる。

言葉の前後からして、多分……誰かしらの名前かと小首を傾げた瞬間、俺の『真後ろ』からやけにくぐもったアルトボイスが響いた。

 

 

「何用か」

 

 

「「──!?」」

 

 

冗談抜きで心臓が跳ねた。

いつの間に、とか月並みな台詞すら喉元を通らない。

咄嗟に振り向けば、真夜中のトンネルにも勝るぐらいに黒々とした感情の灯らない瞳が、俺を見下ろしていた。

 

輪郭や骨格を隠すような厚めの生地の黒い和服、鼻と口元を覆い隠す黒い布。

辛うじて見える褐色の肌と、フード状の頭巾から流れる銀色の髪にすら熱を感じさせないその人物を見れば、自ずと『忍者』とか『アサシン』の単語を連想出来る、けど。

 

 

「その小僧に、物の通りを分からせてやれ」

 

 

「……追加依頼か?」

 

 

「ロートン卿! ふざけるのも大概に……!」

 

 

「なに、これも貴族の務めというヤツだよ、セリア……やれ、セナト!」

 

 

「…………」

 

 

無茶苦茶にも程があるだろ。

街外れとはいえ手下を使った私刑とか、印象のマイナスに拍車が掛かって止まらない。

 

──けれど、その滑稽さに拍車が掛かって止まらないのもまた此処からだったのは、一種の笑い所ってヤツだろうか。

 

 

「……?」

 

 

「……んん??……おい、聞こえなかったのか! セナト! その小僧を痛めつけろ!」

 

 

何故だか雇い主から「やれ」と命じられたにも関わらず、まるで動きを見せないセナト。

ただジッとその場に佇むだけかと思えば、その瞳に写る対象を俺からロートンへと移して、再びアルトを響かせる。

 

 

「……この者達は、恐らく例のガートリアムからの使者だぞ。騎士の女は勿論、そこの男もだ。貴様の下らぬ采配で危害を加えれば、同盟条約とやらに関わって来るが、良いのか?」

 

 

「──…………あ、かっ、なん、だと? ど、同盟国の使者だと!? 本当か!?」

 

 

「……昼頃、普段は見掛けぬ一団の中にこの二人の姿が在った。加えて、先程この男はヴィジスタ宰相の特徴を述べていただろう……状況的にこの者らと見て間違いないと思うが」

 

 

「……セ、セリア……殿。今のは……事実で……?」

 

 

「……えぇ。何なら、宰相殿に直接確認を取ってみては如何かしら」

 

 

「ぐ、ぐぐ……っ、セナト!! 貴様、何故もっと早くそれを言わなかった!! この間抜けが!!」

 

 

「辛気臭いお前が居ては話の華も枯れるから、自分が呼ぶまで姿を見せるなと言ったのはお前の方だろう」

 

 

「こ、このっ……このっ! よくもっ……!」

 

 

なんだろうな、この喜劇染みた展開。

真っ赤を通り越して青ざめてすら居るロートンの顔色には、正直滑稽過ぎてたまらない。

ていうかセナト、絶対確信犯だろ。

 

この二人の事情は今一つ呑み込めないが、取り敢えず今は置いておくとして。

この風向きの変化は是非とも利用したいけど、さてどうするか。

 

 

「……うぉっほん!! い、いや、いやいや全く……人が悪いなぁ、それならそうと早く名乗ってくれれば良いものを……いやどうにも最近虫の居所が悪くてねぇ! 軽い冗談にもつい熱が入ってしまってねぇ! 全く全く、困ったものでねぇ!」

 

 

「……へぇ」

 

 

「軽い、冗談……で、済むとでも?」

 

 

「もっ、勿論、軽い冗談のつもりだったとはいえ諸君らの気分を害したのも事実だ。と、という訳でだね、そう! 後日、我が屋敷で諸君らの訪問に対する歓迎パーティーを開催するというのはどうだろう!! と、当然その時に無礼を働いた分の謝罪といってはなんだが、それなりの『贈り物』をだね……!」

 

 

「ふ、ふざけ──」

 

 

ちょっと出方を見てみようと伺えば、もうこれは一周回って見事な政治的手腕を発揮して下さった。

舐めてるにも程がある、つまりは賄賂と歓待でこの話は水に流してくれと、そういう事なんだろうけど。

 

馬鹿にすんのも大概にして欲しいね、全く。

 

 

「いや、結構です。たまには冗談を言いたくなる時もありますよ、えぇ。けれど、我が国の方々はあまり冗談を好まない方が多いので、残念ながらこの冗談を"披露する機会"は訪れないでしょうね」

 

 

「……ふむ」

 

 

「ナガレ!? 何を……」

 

 

「おお、そうか、そうか!! 君が冗談の分かる男で良かったとも! つくづく、僕の目は曇ってしまっていたらしいな! さ、さて、それではそろそろ僕は席を外すとしよう。君とはまた愉快な冗談を語り合いたいものだな!! それでは、失礼するとしよう……セナト! ぼうっと突っ立ってないで貴様も着いて来い!!」

 

 

「……了解した」

 

 

彼なりにも苦しい言い訳だという自覚もあったんだろう、やんわりと笑いかけながら垂らした餌に一もニもなく食い付いた。

俺の意見が変わらぬ内にそそくさと退散するその逃げ足は実に見事で、如何にも疑わしそうに振り向いたセナトに小さく手を振ってみると。

 

 

「……フッ」

 

 

今まで何の感慨すら宿らなかった瞳に、ほんの少しだけ、愉快そうな色が射し込んだ。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「……どう"する"つもり?」

 

 

「そこはどういうつもり、じゃないの?」

 

 

「貴方が何か悪巧みをしている事くらい分かるわよ」

 

 

逆を言えば、分かってないのはあの絵に描いた様な傲慢貴族様ぐらいだろう。

あんだけ好き放題言われて、黙って許してやるような聖人じゃないし。

 

 

「それにしてもアレが嫡男ねぇ、全く──とんだドラ息子だなアイツ。つーか誰がヒョロヒョロもやしの女顔だってふざけんなあんの垂れ目路地裏に連れ込んでアキラ直伝の喧嘩キック尻に見舞ってやろうかホント」

 

 

「そこまでは言ってなかったと思うけれど…………気にしてたのね、ナガレ」

 

 

「言っとくけど、セリアにも『協力』して貰うから」

 

 

「……『協力』? って、もしかして貴方……」

 

 

「……そーゆーこと」

 

 

冗談が好きな、フェミニスト。

今まで散々女を泣かせてきたプレイボーイなら、逆に女に泣かされるのも悦んで受け入れて貰おうか。

 

 

「ねぇ、セリア──────マスクって売ってる?」

 

まぁ──流石に殺されそうになったら止めるけど。

 

 

 




──プルルルル、プルル「ガチャッ」


『それでナガレ、どう殺すの? いきなり首チョッキンはダメなの。それじゃあ一瞬過ぎてつまらないもの。とりあえず鼻から、次は耳。そうすればあの気持ち悪い顔も少しはまともに見えるでしょう? そしたらね、そしたらね! 次は足とかをもうこれでもかーこれでもかーって虐めるのうふふ。泣いて謝られた優しく傷口をグリッと踏みにじってあげましょう……泣いて謝る程度じゃ絶対に許してあげないもん、あの腐れナルシスト絶対絶対絶対──』


「あ、あの……メリーさん、アイデンティティ忘れてますよ」


『え? あー今はそんなのいーのいーの、それよりナガレを散々コケにしてくれたあの歩く鳥肌製造機やろーに生まれて来た事を後悔させるのが大事なの。フフフ、こうなったらメリーさん立案の残虐フルコースを──』


「……教育に悪いから、メリーさんは不参加ね、決定」


『いけずなの』






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Tales 30【落陽のラプソディ】

「珍しく貴方の考え方が読めませんね。保険をかけておくのは間違いじゃないですけど……機能しなければ意味がありませんよ?」

 

 

「えらい辛めの評価やな」

 

 

眼鏡のレンズを磨きながらどことなく呆れを混ぜたジャックの言葉に、ソファにて姿勢を崩すエースはやんわりと手を振る。

そのおざなりな対応は適当そうに見えるけれども、団長の座に君臨するこの男の決断は、いつも深い思慮を介している事を、彼女は知っていた。

 

 

「……エルフの力は確かに大きいですが、説明を聞いてるだけで青ざめているようじゃ、期待しようもないでしょう。それともまさか……あのお兄さんに何かあると?」

 

 

「ふふん、せやったらどないする?」

 

 

「……エースの事だから何か考えがあるんでしょうけど。私の目からでは普通の男の人にしか見えませんでした。いえ、あの人の持っていた本には非常に興味がありますけど、えぇ」

 

 

「本て……ジャックの趣味人っぷりも相変わらずやね。けどまぁ、普通の男っちゅう評価は仕方ないか。多少鍛えてるみたいやけど、素人に毛が生えたくらいやな。ボクらの団……いんや、【山札(キティ)】の子らにすら勝つのも厳しそうやね」

 

 

「……『補充部隊』にも及ばないなら、どうして」

 

 

「なっはっは。だって"おもろそう"やん、ナガレ君」

 

 

「──」

 

 

カラカラと軽薄そうに笑う声に、レンズからフレームへと滑るジャックの手が止まる。

 

『面白そう』。

 

実力だけなら国家師団にすら匹敵する五十二人の傭兵団──その頭取を務める男がそう言う時は、人間離れしたエースの嗅覚が感じ取ったという事に他ならない。

それならきっと、あのナガレという人の良さそうな男は何かしらを『持っている』って事なんだろう。

 

 

「(まだまだ子供だなぁ、私も)

 

 

かつて、他ならぬエースに同じ言葉を投げかけられて彼の団へと迎えられた経緯を持つ、ジャックことミルス・バドの心にじんわりと嫉妬の色が広がった。

そんな未熟な感情ごと払拭するべく、テーブルの上に置かれたままの、空になったティーカップを片付ける。

 

ついでに、彼があえて放置していた事についての疑問も、片付けてしまおうか。

 

 

「……あ、キティと言えば、どうしてあの娘を止めなかったんですか? 彼女が会談中、『ずっと盗み聞きしてた』ことくらい気付いてましたよね?」

 

 

「んー? あぁ、アレな。まーボクもあんま良くは知らんのやけど、ちょっとした因縁みたいなんがあったんとちゃうんかな?」

 

 

「……因縁? 誰と……いえ」

 

 

的を得ないというか、エース自身もあまり把握していない事か。

会談中、息を潜めて話の内容を探っていた『彼女』という存在が居た出入口を、ジャックはレンズを介さない肉眼で見据える。

 

因縁。

多分何かしらの関わり合いがあるらしき、その相手は……恐らくあの二人のどちらかなのだろう。

 

 

「人間同士ですら、しがらみの多い世の中ですけど……『エルフ』も色々あるんですかねぇ」

 

 

「なっはっは! なに当たり前の事言うてんねんジャック。あ、お茶のおかわりもろーていい?」

 

 

「はいはい」

 

 

────

──

 

【落陽のラプソディ】

 

──

────

 

 

「お嬢様、そろそろお夕食に致しましょうか」

 

 

沈み行く夕焼けに頃合いを見つけ出した執事の提案を、ナナルゥ・グリーンセプテンバーは言葉もなく拒んだ。

 

小腹の空いてくる時間帯と共に出店や食事処の客寄せが声を張り、昼間とはまたひとつ違った活気がセントハイム市民街の通りに溢れ出す。

 

派手な装いのエルフ主従の脇を通り過ぎた、熱された鉄板の上を転がる焼き物の香ばしい匂いと食欲を誘う音。

いつもの興味心の強い彼女であれば、庶民的だとケチをつけながらもちゃっかり購入しそうだというのに、今は見向きもしない。

 

 

茜を浴びてより煌めくエメラルドグリーンの巻き髪を風に流す美しいエルフの姿に、男女問わず道行く人々の衆目を集め、口々に賞賛の言葉を呟かれているというのに。

自然と拓けていく道を、目立ちたがり屋のはずの彼女は暗く沈んだ憂い顔で通り抜けて、その先にある噴水広場のベンチに腰を下ろした。

 

 

「……喉が渇きましたわ」

 

 

「畏まりました」

 

 

空に溶けている収納スペースから魔法瓶を取り出すアムソンを尻目に、普段ならば反り返るほどの背筋を丸める自分はどうしたって理想的な姿になれない。

淀みない手つきで淹れられた紅茶に映る"意地っ張り"のご尊顔を見ていられなくて、誤魔化すように水面を啜った。

 

視界の隅には、石と石とで積み立てられた荒々しい圧すら漂わせる闘技場。

 

 

「……野蛮、ですわ」

 

 

剣を剣とをぶつけ、拳と拳を交わし、魔法を紡ぎ合い壊し合う。

人と人とが優劣を決め合い、それを娯楽として楽しむ為の祭りの舞台。

そこに如何な歴史が重なっていようと、野蛮としか思えなかったけれど、それ以上に────怖かった。

 

 

「四年に一度の競技。参加者は皆、自分に確固たる自信を持つ猛者ばかりでしょうな」

 

 

「……何が言いたいんですの」

 

 

「栄光を掴むには、時には身の程知らずの蛮勇も必要となりましょう。ですが、時を計り間違えればただの無謀者としての結果しか残りませぬ……意地を張っても仕方ありませんぞ」

 

 

「……わたくしに、言葉を……『家訓』を用いた言葉さえも曲げろと、そうおっしゃいますの!?」

 

 

「未熟に震える手で何を果たせましょうか。家訓を、家名を尊重するのは大事です。しかし、それは受け継ぐ器が割れてしまえば意味がありませぬぞ……器を飾る土台をまた一から作りあげんが為に、我らが『フルヘイム』の領土を発ったのではありませんでしたかな?」

 

 

分かっている、協力再現で仮初めながら自信を持ち得たとしても、実力そのものは変わらない。

闘魔祭という大舞台に挑むにはまるで至らない未熟さが、ナナルゥの脳裏に『辞退』という二文字を恐怖と共に促していた。

 

 

「わたくし、は……」

 

 

きっとナガレとセリアは、参加を拒むナナルゥを責めたりはしないだろう。

利口な判断だと、そもそも協力的立場に居るだけの彼女にそこまで強いるのが可笑しいのだと、優しいフォローを重ねてくれるだろう。

そんな程度で、見損なったりしない。

短いながらも共有した時間と経験が、甘言のように囁いてくる。

 

けれど、本当に──それで良いのだろうか。

 

 

正しい言い訳と、浮かぶ小さなプライド。

理性と義心とが繰り広げる迷いの森で苦しむちっぽけなエルフの姿を──闖入者が嘲笑った。

 

 

「相っ変わらず身の程知らずが治ってないみたいねぇ、グリーンセプテンバーのお嬢様は。あんたみたいな落ちこぼれエルフが参加したって、優勝どころか本選出場すら無理に決まってんでしょうに!」

 

 

「なっ……その嫌味ったらしい声は!」

 

 

「おや、これはお懐かしい……」

 

 

冬を近くに控えた秋の冷たい風の中にて、その闖入者は平らな胸をこれでもかと張っていた。

 

緑織り成す自然界にあっては必ず注目を奪い取るであろう、眩いゴールドの長髪を右側に集めたサイドポニーテール。

ハキハキとした声に負けじと、幼さを魅力に昇華する顔立ちと自信に満ち溢れた紅い瞳の彩色が、同じワインレッドと向き合う。

 

同じ瞳の色、同じ耳の形、エルフの少女。

 

 

「ご機嫌よう、グリーンセプテンバーのお嬢様!! いいえ、久しぶりの再会でもあるんだし、昔みたいに『そよかぜ』のナナルゥと呼んであげようかしらね?」

 

 

「……アナタの無神経な物言いこそ相変わらずというものですわっ

────エトエナ・ゴールドオーガスト!!」

 

 

かつての同郷であり、ナナルゥ・グリーンセプテンバーとも少なからず縁を持っていた少女が、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 

その昔、彼女は優秀な子供として持ち上げられていた。

 

まだ他のエルフが魔力を練るのにも苦戦している頃に、彼女は既にそよかぜと踊っていた。

 

紙で折った動物を動かして劇をしたり、木から落ちたスズメの子供を風で巣まで運んであげたり。

その器用さに、誰もが彼女を褒めそやした。

まるで風の精霊の生まれ代わりだと。

 

彼女もいつしかその輪の中心で、高笑いをあげていた。

 

けれどそれは、子供の頃の眩い思い出。

 

 

次第に成長し、輪の周りが魔法を扱える頃、彼女の成長は底をついた。

 

当たり前に火炎で壁を壊し、水流で波を作り出し、土で巨大な人形を作れる周りと違って、彼女の風はいつも物足りない。

 

 

いつしか、『そよかぜ』と揶揄された。

 

 

照らしてくれていたスポットライトは、そそくさと次を照らして。

主演は舞台の上から、隅の隅へと追いやられて。

 

ただ物悲しく、スポットライトの行き先を眺めるだけだった。

【金色】に輝く主演を、ただ眺めるだけだった。

 

 

 

「あんた達をアジトで見掛けたときは色々驚いたけど、団長が闘魔祭の参加を持ち出した時はもっと驚いたわよ。団長もなんだってあんな条件を出したのかしらね、見る目はある方だって思ってたけど」

 

 

「……盗み聞きしてたんですの!?」

 

 

「良い暇潰しになったわよ? あんたみたいな落ちこぼれが"あの"──じゃなくて、人間の護衛役をしてるなんて……ほんと途中で笑いそうになっちゃったわ。ねぇ、『そよかぜ』?」

 

 

「っ……!」

 

 

仕草だけはあくまで上品なものではあるが、膨らみの小さな唇は、蔑むニュアンスをより濃く反映する。

 

そよかぜ、落ちこぼれ。

声だけは可憐な少女のそれなのに、どうしたって付きまとう劣等感を突き付ける音の連なりを告げられる度に、ナナルゥの肩が怯えるように跳ねてしまう。

 

 

「……ふむ、確かエトエナ様はエシュティナの魔法学園に入学されたと聞き及んでおりましたが……先程のアジトという発言からして、今はエルディスト・ラ・ディーのメンバーになっておられるようですな」

 

 

「別に正規のメンバーじゃないわよ。期間限定、すぐ辞める事になってるわ。セントハイムにだって、学園から長期休暇を貰って来てるだけだし」

 

 

「セントハイムには観光でいらっしゃったのですか?」

 

 

「観光……ま、それも悪くなかったけどね。前々からこの国の名物スポット【精霊樹】を一目見ておきたいと思ってたけど……それ以上に面白そうな催しがあるって言うじゃない?」

 

 

「催し……まさか、貴女も闘魔祭に出場するんですの!?」

 

 

「フフ……当っ然じゃない。なんたってあたしは優秀で将来有望なエリートですもの。どこかの口と態度だけのお嬢様と違って、賢知たる種(エルフ)の名に恥じないって所を人間達にもしっかり見せつけてやんないとねぇ……?」

 

 

絶対的な自信の表れを示すかの様に、尊大な物言いと起伏の乏しい胸を張るエトエナ。

その様相は端から見れば、少女然としたエルフが鼻高々に威張っているだけにも映り、微笑ましいと思うものも居るだろう。

 

しかし、その自信が決して虚勢や張りぼてなんかじゃない事を、ナナルゥは知っている。

落ちこぼれと評される自分とは違って、確かな実力に裏打ちされている物なのだと、知っている。

 

スポットライトの中心に立つ彼女を、誉めそやす周囲を、いつも眺めていたのだから。

今みたいに下を向き、劣等感と悔しさに歯噛みしながら、いつも。

 

 

「……で、結局出るの? 出ないの? さっきも言ったけど、あんたみたいな弱っちいエルフが勝ち上がれるほど簡単な大会じゃないわよ。あの魔女の弟子も出場するって聞くし、他にもどっかの貴族が雇った凄腕の暗殺者も参加するって噂もあるわ」

 

 

「暗、殺者……ですって……?」

 

 

「正直眉唾だけど……もし本当ならあんたなんかきっと瞬殺よ、瞬殺。いや、それ以前に予選落ちってのが無難なところね」

 

 

「……わ、わたくしを侮辱にするのも大概に──」

 

 

「ハッ、強がるならせめて手の震えぐらい止めてからにしなさいよ。怖いんでしょ、ホントは。自分じゃ勝てる訳ないって分かってる癖に」

 

 

「ち、違い、ますわ」

 

 

「ッ、違わないわよ!! 闘魔祭で、観客が見てる前で、『エルフの癖にこんなもんなのか』って笑われるのが怖くて仕方ないんでしょ!! そうやって昔っから……いつまでも意地張ってんじゃ──」

 

 

「──エトエナ様、どうかそれまでにして戴けませぬか」

 

 

怯えたように首を横に振るナナルゥが、エトエナの癪に触ったのか。

今にも掴み掛かりそうなほどの威勢でもって声を尖らす彼女の前を、執事が遮る。

それは、エトエナにとって、いつもの事。

 

言い返せるだけの言葉をナナルゥが持ち合わせない時は、決まって彼が壁となり、終止符を請う。

 

 

「エトエナ様にはエトエナ様の考えがあるように、お嬢様にはお嬢様の考えがあるのです」

 

 

「ちょっと……あんただって辞退しろって言ってた側じゃないの」

 

 

「えぇ、全く。お嬢様みたいな弱っちいエルフではよしんば本選出場出来ても、優勝など夢のまた夢。魔女の弟子、ましてや凄腕の暗殺者と合間見えるなどと……その状況を想像するだけでも、このアムソンの繊細で弱っちい心臓など止まってしまいそうですぞ」

 

 

「もうッ……だったら今はすっこんでなさいよ!」

 

 

「──ですがッ!!」

 

 

言動と行動が一致していない執事の対応を苛立たし気に跳ね退けようとしたエトエナの肩が、大袈裟なほどに跳ねる。

温厚と礼節を怠らない老執事が絹を破り兼ねないほどに声を張るなど滅多にない。

 

その背を見上げるナナルゥでさえ、驚きの余り半ば茫然としていた。

 

けれど、その紅い瞳に意志を宿らせるのも、頼りない主人をそっと『光の先』に促すのも、出来る執事の役目というもの。

 

 

「例え、無謀であっても、不可能であっても……挑むかどうかを決めるのは、お嬢様ですので──そうでしょう?」

 

 

「────」

 

 

夕陽色の眼差しが、落陽で滲む空と共に彼の主をそっと見下ろす。

従者でありながら小言は多いし、毒舌もしばしば混ぜるし、自尊心の強い主人の暴走をあえて放置する時だってある。

けれど、そこには疑いようのない信頼と、直視するには照れくさいだけの優しさが"いつも"あった。

 

 

「…………嫌ですわ」

 

 

「……?」

 

 

……そういえば、彼の優しさに少し似ている眼差しを、見た覚えがある。

 

 

『くく……素直じゃないね、お嬢は』

 

 

あれは。

 

 

『ドレスに土つけてるだけの今のお嬢は、優雅でもなんでもない』

 

 

そう。

 

 

「嫌だって言ったんですの!」

 

 

「な、なにがよ!」

 

 

あの小憎たらしい、青を溶かした黒の色。

からかう様な、生意気で調子づいた、けどなんか心強いかも知れないと、こっそり、ほんの少しだけ見惚れた男の微笑み。

 

 

『従者だけに頑張らせて肝心の主人達は何もしないってのは……格好が悪すぎる、でしょ?』

 

 

──なんでアナタがそこで出てくるんですの。調子に乗るんじゃありませんわ。

 

 

 

「ここで退いたら……ッ、格好が悪いから、嫌だって言ってんですの!! 何か文句ありまして!?」

 

 

「──え? はぁ? な、なによその理由……頭でも打った?」

 

 

「やっかましいですわ! というかエトエナ! アナタ、昔はわたくしに『ナナちゃーん、鳥さんの折り紙、動かして!』とか散々甘えて来てた癖に!」

 

 

「ぎゃあぁぁぁぁあ!!! あ、あんた! 馬鹿、バカァッ!! な、なにそんな大昔の事を平然と街中で……」

 

 

「それがなんですか、ちょーっと魔法が使えるようになった頃にいきなり『あんたがどうしてもって言うなら舎弟にしてあげようか』とか……そもそも舎弟とは男に対して使うものであって、女性に対しては妹分が正しいでしょうに!」

 

 

「うう、うるさいうるさい!! あんたこそ、いっつも隅っこの方でいじけてた癖に!」

 

 

「…………ほっほ、キャットファイトはまだですかな」

 

 

過去の思い出を引っ張り出すのはナナルゥ自身にとってもかなり手痛いものだが、強引にでも目の前の因縁とメンチを切るには必要だった。

 

痛くとも怖くとも、例え虚勢であっても。

半端者な自分が小さな誇りを守る為に、格好を付けるのには必要だった。

 

 

「いいですこと、エトエナ! 今のわたくしは『黄金風』のナナルゥですわ! 貴女の様なはしたない女は、このわたくしがッ! 淑女の在り方というものを直々に教育して差し上げます!」

 

 

「面白いじゃないの……! やれるもんならやって見なさいよこの金メッキ! あたしと闘う前に途中で負けたりすんじゃないわよ……あんたはあたしがボロッボロにしてあげるわ!」

 

 

「当ッッッッ然!! ですわ!! 首を洗ってお待ちなさいな! 首だけ洗う意味は分かりませんけどッ!」

 

 

「上ッ等よ! あと意味分からないなら使うな!」

 

 

「オーッホッホッホッホ!!!」

 

 

もう若干勢いだけで押し切ろうというナナルゥの魂胆は見え見えだが、それでも彼女は火蓋を切った。

それは同時に、彼女が闘魔祭を全力で挑むという事に他ならない、という意味でもあるので。

 

必然的にサポートに徹するしかない執事は、そつのない思考で、既に次を見据えていた。

 

 

「(……さて、となればお嬢様には魔法の扱いについて、これまで以上に切磋琢磨していただきませんと。とすると、このアムソンでは力になれますまい……ここは、セリア様にご協力いただくとしますか)」

 

 

隠さずとも分かるほど、実は少し後悔しているらしいご主人様の脚がプルプル震えて来てるのには、見ないフリをして。

 

 

 

 

_____

 

 

【人物紹介】

 

『エトエナ・ゴールドオーガスト』

 

身長153cm 外見年齢14歳

 

輝かしい金髪をサイドポニーテルに集めた、紅い瞳を持つエルフの少女。

ナナルゥとは真逆なほどに起伏の少ない体型で、Bカップのことを揶揄しようものなら彼女の精霊魔法で焼き付くされかねない。

 

ナナルゥとアムソンの故郷であるフルヘイムでは、神童と持ち上げれている程で、炎の精霊魔法の使い手。

ナナルゥとは幼馴染といえる間柄でもあるが、彼女の事をそよかぜと評して馬鹿にしている。

ナナルゥに負けず劣らず野心家。

 

エルディスト・ラ・ディーと一時的契約を結び、闘魔祭に参加する。

 

 

 

 

 

『ロートン・アルバリーズ』

 

大貴族アルバリーズ家の嫡男。

 

身長182cm 年齢26歳

 

金髪、垂れ目、尖った鼻。

黙っていればそれなりに整っているが、服装や言動の壊滅的なセンスが全てを台無しにしている。

 

家名による権威と金で、美しいと感じた女性を片っ端から手にしていく。

外聞を気にせず豪遊し、繁華街に入り浸ったり、気に入った平民を色町に連れ込んだりとやりたい放題しているらしい。

 

自分以外の男、さらに身分の低いものをとことん侮蔑するなど、ある意味分かりやすい人物である。

 

 

 



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Tales 31【闘争準備】

『ほんなら、二人とも参加って事やね。いやぁ良かったわぁ、ボクらもボクらで参加規約に苦しめられとったから、キミらが参加してくれて助かったんやでほんまに。そんじゃとりあえず代表のセリアちゃんには依頼契約の書類にサインして貰おか』

 

 

不安だったと語る割には、その日の内に書類をきっちり作成している辺り、抜け目のないというか油断出来ない相手というか。

お嬢の幼馴染であるエトエナが盗み聞きしてたってのも、どうやらあえて泳がせていたっぽいし。

 

 

『あ、そうそう。ちょっと気の早い話やけど、もしトーナメントでボクらのメンバーと対決ってなっても、無理に棄権とかせぇへんでええからね。とゆーか、そんな事させたらエトエナちゃんに睨まれてまうし』

 

 

勝てるもんなら勝ってみぃ、と。

要するにそういう事なんだろうけど、果たして今の俺とお嬢でどこまでやれるか。

 

俺もお嬢も伊達や酔狂で闘魔祭の参加を決めた訳じゃない。

だからこそ、予選開始までのこれより六日間を無駄に消費するつもりは毛頭になかった。

 

 

有り体に言えば──『修行』をしましょう、という事で。

 

 

 

 

「また逸れておりますぞ、重きを置くポイントを易々と手離してはなりませぬ!」

 

 

「っと……ハッ!」

 

 

「振り下ろす際に目を細めてはなりません。それではカウンターに対応しきれませんぞ」

 

 

「なんの!」

 

 

「防御の基本は、おのが隙を殺す事と間合いの管理。腕を伸ばし切らず、斬るのではなく(さば)く、ですぞ!」

 

 

「おっす!」

 

 

「ムーブをコンパクトに! ストイックなディフェンスを!」

 

 

「藪からスティック!」

 

 

藪ほどじゃないが、気を抜けば葉の長い草に足が取られそうになる草原で、また一つ俺の汗が散った。

度重なる後退で(くるぶし)が悲鳴を上げている。

 

けれど身体の悲鳴に耳を澄ませば、その隙を的確に刈り取るように拳が飛んで来るので、泣き言すら言ってられない。

 

 

「緩みましたな」

 

 

「──くあっ」

 

 

汗一つ、どころか息すら乱さないアムソンさんの鋭い蹴り上げが、握っていた剣だけを弾き飛ばしたのが、これで二十二回目になる。

クルクルと風車みたく宙を舞う剣は、放物線の終着点で待ち構えていたメリーさんの腕の中へと収まった。

 

 

「ぜぇ……はぁ……あーしんど……」

 

 

「私メリーさん。ナガレ、大丈夫?」

 

 

「……なんとか」

 

 

「ほっほ。昨日、今日とで重心の据え方もそろそろ掴めてきたようですな。要領も良い……この調子ならば、闘魔祭開始までには意識せずとも身体が覚えましょうぞ」

 

 

「お手柔らかに……メリーさん、タオルありがと」

 

 

「うふふ、メリーさんが拭いてあげようか?」

 

 

「子供扱いすんじゃないの」

 

 

「ぶー」

 

 

世話を焼きたかったのか、ぷくーっと膨れるメリーさんの頬を突っつきながら汗を拭う。

その髪に映える蝶のブローチが、淡く光った。

サッと吹いた秋半ばの風の冷たさが心地良い。

 

セントハイム郊外の街道から少し逸れた草原に来たばかりの頃はまだ太陽の位置も低かったけど、今ではもう高めの秋空を昇り詰めている。

いつの間にそんな時間が経ったのかと、体感との食い違いに渇いた笑いが自然とこぼれた。

 

 

「防御って……そんな言うほど簡単じゃないとは思ってたけどな……」

 

 

「左様。戦術に差異はあれど、攻めの訓練よりも防ぐ訓練の方が難しいものです。相手の観察と対応、下がる方向の意識など逐一考えておかねばなりませぬ」

 

 

「……ミノタウロスとの闘いの時、セリアとアムソンさんがいかに大変だったかがよーく分かったよ」

 

 

「メリーさんも! メリーさんもちゃんと頑張ったの」

 

 

「勿論分かってる、あん時はありがと」

 

 

「えへへー」

 

 

ゲームとかなら防御のコマンド一つで出来る事も、実際にやるとなれば難しいのは当たり前。

ここ(しばら)く毎朝セリアと剣の素振りをしてたぐらいじゃ、防御の心得まで身に付けれる訳もない。

 

 

「習得は難事ではあります。しかし、ナガレ様が闘魔祭を勝ち進む為には、是非とも防御の心得を身に付けて戴きたいのです」

 

 

「……確かに。メリーさんやナインは間違いなく桁外れに強いけど、『俺を潰せばそこで終わり』ってのは誰しも思う事だろうし」

 

 

「……むー……そんな事、あのあざとイタチならともかく、このメリーさんなら絶対させないのに」

 

 

「拗ねない拗ねない」

 

 

厄介な術に効果的な手段は、術者そのものを狙う事。

ワールドホリックは紛れもなく強力だが、俺自身は素人に毛が生えたレベル。

セリアが参加を厭う理由も此処にあった。

 

だからこそ、近接戦闘の達人であるアムソンさん直々に手解きして貰ってる訳であり、『メリーさんを喚んでる状態』という、より実戦に近い形式でのトレーニングを採用している。

 

 

「……さて、そんじゃ休憩がてらお嬢達の様子でも見に行こっか。アムソンさんも、さっきから気にしてたみたいだし」

 

 

「……! ほっほ、申し訳ございませぬ。ジジイにもなるとつい老婆心が働きましてな、いやお恥ずかしい」

 

 

「わたし、メリーさん。アムソン、全然恥ずかしがってるように見えないの」

 

 

「メリーさんは手厳しい方ですな、いやはや」

 

 

「??」

 

 

そう、採用。

って事はつまり、このハードながらも理に適ったトレーニングは誰かしらの発案によるもの、という意味でもあり──それは実に意外な人物からの提案だった訳だけど。

よくよく考えてみれば、戦術的な彼女の立ち位置と俺の立ち位置が似ているからこそ、とも思える。

 

加えて言うなら……彼女もまたこの護身術を会得していた、いわば姉弟子みたいなモノであり、その時の苦労を共感して欲しいというメッセージでもあるという事でもあるんだろうか。

 

 

「……」

 

 

要は『今後はわたくしにもしっかり敬意を払う事。よろしくて?』ってな目論見が見え透いてて、うん。

 

なんかムカつくし、これまで以上にお嬢の事をおちょくってやろうという決意を固めた俺の背を、また一つ流れた秋の風が押してくれていた。

 

 

 

────

──

 

【闘争準備】

 

──

────

 

 

 

「【エアスラッシュ(空裂く三日月)!】」

 

 

「【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)!】」

 

 

淑女の繰り出す薄緑の風の刃と、騎士の放つ尖鋭な氷の弾丸とが、互いの中間にて衝突する。

風の精霊と水の精霊とのせめぎ合いは不思議と長引かず、草原に敷かれた黄金(こがね)色の絨毯を優しく撫で付けた。

 

 

「【エアスラッシュ(もう一輪)!】」

 

 

「【アイシクルバレット(次弾発射)!】」

 

 

けれど、ここからがむしろ本番であるらしく、先程の光景をセリア達は幾度にも繰り返す。

もう一回、もう一度と精霊魔法が繰り返される度に、中間に位置する衝突地点ではちぎれた黄金色の葉が宙を舞い上がる。

 

さながら金に色付いた粉雪の様で、激しい衝突音とは正反対の美しさに、背中にくっついていたメリーさんから恍惚とした吐息が零れた。

けれど、その現象を作り続けるのは簡単な事ではないらしい。

 

 

「も、もう……限界、ですわ!」

 

 

「……!」

 

 

ダイヤモンドダストならぬ、ゴールドダストにも勝るとも劣らない美麗な顔を次第に息苦しそうに歪ませていくお嬢は、ついに声高にギブアップを叫んだ。

 

 

「お疲れ、セリア教官殿」

 

 

「教官はやめて。貴方達は休憩?」

 

 

「そそ、アムソンさんも心配そうだったんでね」

 

 

軽い茶化しにもおざなりな抗議をしつつ、髪束の間から覗くサファイアの瞳が笑ったように見えた。

向こうでへばってるお嬢と比べると平静な横顔なのは流石ってとこだけど、大事なのは訓練の成果だ。

 

 

「で、どう?」

 

 

「悪くはないけど、成果を期待するにはまだ気が早いわ。詠唱技術(スペルアーツ)は本来、座学からノウハウを叩き込むものだから」

 

 

「スペルアーツって、詠唱を破棄したりする技術だっけ?」

 

 

「えぇ。短縮に破棄、遅延。火力主義が台頭してるとはいえ、魔法のみで闘うのならどれもに有力なって来るものよ。特に一対一の戦いには必須といっても過言じゃないわ」

 

 

「まぁ実戦じゃ悠長に詠唱なんてさせて貰えないもんな」

 

 

ワールドホリックを主体に戦う俺に必要とされるのは、最低限の防御スキル。

精霊魔法を主体に戦うお嬢に必要とされるのは、スペルアーツのテクニック。

 

となればそれぞれに必要なコーチの割当ては、現状が最適となる。

ただ、闘魔祭までの期日の少なさもあってか、訓練内容は相応にハードになるのも仕方ないっちゃ仕方ない。

 

 

「つ、疲れましたわ……」

 

 

「ナナルゥ、ヘトヘトなの」

 

 

「お嬢、大丈夫?」

 

 

「こ、これが……大丈夫な姿に見えますの……?」

 

 

「見えなくもない」

 

 

「節穴にも程がありますわよ!」

 

 

見るからにグロッキーなお嬢だけども、軽口に対するリアクションは怠らない。

乱れ髪から覗いた紅い瞳が不服を訴えていて、それが妙に子供っぽく見えた。

 

 

「ま、お嬢も友達に啖呵切っちゃったんなら頑張らないと。ファイトー」

 

 

「ナナルゥ、ふぁいとーなの」

 

 

「ぐぬぬ、他人事みたいに……第一エトエナは友達なんかじゃありませんわよ! ナガレこそ、なんでそんな余裕そうなんですの! まさかアムソンに手を抜いて貰ったりしてませんわよね!?」

 

 

「ただの空元気だけど?」

 

 

「胸張って言える事じゃありませんわよ!」

 

 

まぁアムソンさんから聞いた話じゃ、エトエナってのとの関係は友達ってより腐れ縁のが近そうだったのは確か。

でも、なんというか……俺からしたら、意地っ張り同士が変に擦れ違ってるだけに聞こえたのも事実。

 

なんとなく"懐かしさ"と微笑ましさからか、ついからかいたくなる。

お嬢のからかい易さもあるんだろうけど。

 

もしかしたら、少し……羨ましいのかも知れない。

 

 

「……」

 

 

ふと沸いた、似合わない感傷を振り切るようにして、強引に話の舵を取る。

闘魔祭に向けての準備も大事だけど、俺にとってはもう一つ大事なイベントが残っている。

 

それは御世辞にも立派な題目とは言えない……というか、ごく個人的な目的が絡んでる訳だけど、大事なのは間違いない。

 

 

「あ、そうそう、セリア。張り切るのは良いけど程ほどに。後で『衣装』を買いに行くんだし、一応余力は残しといてよ?」

 

 

「……えぇ、分かってるわ。けれど、本当にやるの?」

 

 

「勿論。セリアの演技にも期待してるから」

 

 

「……気が重いわ」

 

 

「衣装って何の衣装ですの? それに演技って……」

 

 

どことなく乗り気じゃなさそうなセリアではあるものの、色々と思う所があるのか『今夜のメインイベント』に協力はしてくれるらしい。

けれど、今一つ話の流れが掴めなかったのか、やや疲れめのワインレッドを丸めたお嬢様は小首を傾げていた。

 

 

一応、お嬢達にも今夜の段取りについては昨日、話してたんだけど、いかんせん話の流れが急過ぎたか。

 

 

「衣装ってのは、まぁ……お嬢にしたらドレスみたいなもん?」

 

 

「……なんですのそれ。セリアがどなたかと逢い引きでもするって言うんですの?」

 

 

「そそ、正か──ってのは冗談!! 冗談だから!」

 

 

これ以上ふざけるなら懲らしめるべき矛先を変える。

 

そんな意味合いが込められた絶対零度の視線に睨み付けられて、慌てて訂正。

多分次はなさそうなので、真面目に。

 

 

 

「……ま、とある大貴族のとこにちょっとね」

 

 

「大貴族って……あぁ、そういう事ですの」

 

 

「そゆ事ですの。とゆー訳で、良かったらお嬢。

セリアが似合うような、赤いワンピース、選んでくれない?」

 

 

 

 

 

それはもう、とびっきり赤いヤツを。

 

 

 

 

 



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Tales 32【口裂け女】

本編に修正を入れた箇所について記載します



その1

ナガレが再現した都市伝説についての情報が記載された【奇譚書──アーカイブ】の追加。

その2

都市伝説の能力値に加えて、保有技能を追加。

例『メリーさん』の保有技能【背後より来たりて】
背後より奇襲する場合、能力値強化──など。


その3

アーカイブに対する描写、演出の追加。
主にTales3に描写してます。


その4

各話に簡易的な紹介、解説など記載。

その5

各都市伝説の能力値を少し修正



以上が主な変更点になります。
この度は急な改正、誠に申し訳ありませんでした。
要は、『ナガレがアーカイブって便利な本を持ち歩くようになった』と捉えていただければ充分です。
これからも本作品を宜しくお願い致します



 

厚い雲に隠れる細い月が、怯えている様にも見える夜だった。

己にとっての価値観が崩壊する恐怖を知った、ある意味で革新的な夜の事。

大貴族の嫡男、ロートン・アルバリーズは生涯忘れる事が出来ないだろう。

 

 

 

「ヒック……くぉ、っとと……飲み過ぎたか」

 

 

セントハイム市街地区の繁華街はロートンにとって、もはや自分の庭と言っても過言ではない自負がある。

慣れ親しんだ酒の味と女の香りに酔いしれた熱を、庭を流れる夜風で冷ます。

 

浮遊感から地に足がついた途端、彼の赤ら顔に快楽とは違う赤色が差し込んだ。

 

 

「……ふん。何が『貴族であるならば貴族としての責務を果たしてはどうか』だ、あの骨董品の宰相め。僕を誰だと思ってる……」

 

 

ロートンのドラ息子っぷりが問題視されていたのは以前もあったが、ここ数日の暴飲と女漁りの手荒さに、とうとう宰相からお小言をいただく羽目になった。

 

どうせどこからか告げ口を挟んだ愚か者でも居たのだろう。

自分はただ、美しい花を囲っておきたいだけなのに、それの何が間違いだと言うのか。

 

大貴族である自分に重きを置かない老骨の説教など、彼にとっては馬の耳に念仏。

だが、酒精や悦楽では癒しきれない苛立ちまでを無視する事は出来ず、その原因を探ればむしろ鼻息を荒くさせるだけだった。

 

 

「セナトもセナトだ。東方の果てから来た田舎者風情が、僕とビーナス達との一時に水を差してばかりで。無粋という言葉も知らないのか」

 

 

自らが雇った男の、冷めた目付きが脳裏に過ぎる。

 

東方では『黒椿』と呼ばれ、恐れられているらしき傭兵団の一人である彼を招いたのは、宰相自ら陣頭指揮をとる祭儀に対する子供染みた嫌がらせだった。

ちなみに、何故だか今年の闘魔祭に熱を入れているらしいエルディスト・ラ・ディーに対する嫌がらせでもある。

 

先週に対面した当初は、通り名に恥じない威容だと柏手を打ったものだが、蓋を開ければ自分の為す事に逐一不躾な視線を寄越す始末。

遊楽の間は屋敷で藁でも編んでいろと追い払った時など、いっそ清々しいような顔をしていたのも気に入らない。

 

寡黙さだけが取り柄かと思えば、融通も利かない。

特に二日前……『土曜精の石橋』での時の事は、より一層、彼の煮えたぎる不満に油を注ぐ。

 

 

「……あの小僧。貧相極まりないくせに、よくも僕とセリアの間に入ってくれたな。クソッ、使者なんぞでなければ僕自ら鞭を取ってやったものを……!」

 

 

フラフラと覚束ない足取りで、繁華街の路地を思うままにさ迷う。

進路上の木箱を怒りに任せて蹴飛ばせば、商人らしき男が何やら口を開こうとする。

だが、自分の顔を見るなりスゴスゴと引き下がった。

良い気味だ、少しだけ気分が軽くなる。

 

 

「……あぁ、だが……セリア。彼女は実に美しい。肌の透明感、顔の造形、芸術の様な青い髪……何より、あの、サファイアの輝きをもった瞳……完璧だ」

 

 

彼の視界には、もはや通行人の姿など入っていない。

アリアを歌い上げたくなるような、彼の審美眼にこれ以上となく当てはまった女の顔を思い出す。

あの反発的な態度すら好ましいと思えるほどに、ロートンは彼女を欲していた。

 

同盟国の使者という手を出せない立場でなければ、今すぐにでも……と。

 

 

「なに、今は時期が悪かっただけさ。闘魔祭が終わる頃……に、は……」

 

 

ロートンには、幸運の星の下に生まれたという自負がある。

大貴族の嫡男として生まれ、思う通りに生きれるだけの権威と金。

こちらが働きかけなくとも、それなりの権力を持った者が金と宝石を持ってすり寄って来る環境。

 

最初から強者であるべき事を運命付けられているロートン・アルバリーズは、まさに幸運。

いや……それこそ自分は運命の女神に愛されるべき存在なのだと。

 

 

──だから。

 

 

 

「……んん?……あ、あれは!?」

 

 

何気なく映った視界の奥で彼女の姿を見つけたロートンの心臓が、大きく弾んだ。

 

虫けらにも等しい者達の向こう側。

建物の影から此方を見つめる青い瞳と青い髪。

何やら口元を『布』で隠しているようだが、それでも彼女が誰であるかくらい分かる。

 

 

噂をすれば影というやつか。いや違う。

きっと彼女は自分に逢いに来てくれたのだと、ロートンは疑わなかった。

 

 

「む? ま、待ちたまえ!」

 

 

だからこそ、目が合って数瞬。

途端に身を翻して路地の闇へと去っていく彼女を、ロートンは疑いもせず追い掛けた。

 

思う通りに生きて来られた者こそ、我慢が下手になる。

もし彼が数秒、闘魔祭が終わった後にという自らの誓いを破らなければ、きっと。

 

運命の女神とやらは、彼に大して甘い顔をし続けていたのかも知れない。

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

全くもって、憎たらしい演出じゃないかとロートンは沸き上がる歓喜を隠そうともしなかった。

 

まるで恋人達の駆け引きのようだと浮かれ気分で追いかけた終着点が、あの土曜精の石橋であるのには彼女なりの演出としか思えない。

ロマンチズムをくすぐる手並みに、ロートンは鼻の穴を大きくする。

 

 

「……情熱的じゃあないか、セリア。その……ドレス、いや形はともかく色が良い。薔薇の深紅……いや、僕達との縁を繋ぐ運命の赤い糸と捉えようか。青い君に良く映える」

 

 

「……」

 

 

形状としては、ドレスというより『レインコート』に近いが、ロートンはその表現を知らない。

だが、そんな事は些細だ。

 

ぬっぺりとした紅一色の服装はロートンの好みではないが、それ以上に後ろに流したプラチナブルーの魅力が勝った。

シニヨンを崩したからか、少し癖のついている部分がより光沢を際立たせる。

 

 

「こんな場所に誘って、いけない娘だね、セリア。けれど恥ずかしがらなくて良い。さぁ、君の美しい瞳の色を見せてくれないかい?」

 

 

歌劇のように歯の浮くを朗々と歌い上げる事に、歪んだフェミニストは恥じない。

そう、ロートンからして見れば、これは彼女なりのアプローチなのだから。

 

自分の様な崇高なる男の気を引きたいが為に姿を見せ、人の気配のない場所で愛を囁き合いたいというメッセージなのだと、信じて疑わない。

 

 

「ねぇ……私、キレイ?」

 

 

「んんん? どうしたんだい僕のセリア。いまさら自分の美しさに疑問を持つなんて」

 

 

「良いから答えて」

 

 

「……ふふ、やれやれ。仕方がないなぁ」

 

 

ずっと背中を向けてばかりの彼女が、いきなり何をいうのかと思えば。

しかし、ひょっとしたら彼女は自分の様な男には釣り合わないんじゃないかと、不安を抱いてしまったのかもしれない。

 

 

そんな恥じらいは焦れったさもあるが、奥ゆかしい乙女の印象を際立せもする。

では紳士役の自分は、恥じらいを受け止めてやりつつ、ダンスに誘うように手を差し伸べてやるべきだろう。

 

 

「────あぁ、勿論さ。君は紛れもなく美しい、僕の青い鳥さ!」

 

 

しかし、彼に気付けるはずもない。

その一言が、二人だけの舞踏会に水入りを許すトリガーとなる事に。

 

 

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ)】」

 

 

 

「……んん?」

 

 

 

 

──かくして舞台は演目を変えて、彼の知らない夜が来る──

 

 

 

「【噂話とは恐ろしいもの。時に人の営む社会すら揺らがしかねない】」

 

 

「…………な、何だ、どこから……?」

 

 

どこからともなく響いた声に、ロートンは目を白黒とさせた。

念入りに整えた眉を潜め辺りを見回しても、黒々とした夜の闇しかない。

 

唯一の青は、相変わらず背を向けたまま。

 

 

「【その語り草には今でも多くの憶測が飛び交う。情報拡散のレクリエーションを計る為の、CIAの陰謀とさえ囁かれたほど】」

 

 

「……??」

 

 

ロートンは当初、演劇を好む自分の為に吟遊詩人でも招いたのかと検討外れな勘違いをした。

 

だとしたら、それは大きな間違いだ。

 

フェミニストの疑問を余所に、語り口は進んでいく。

 

 

「【彼女は、今や誰もが知る怪奇譚】」

 

 

耳に覚えのない単語、内容の掴み取れないおとぎ話。

 

──だというのに、肌が粟立つのは何故か。

 

得体の知れない怖じ気を振り払うように、橋から身を乗り出した所で、彼には語り主を見つける事は出来なかった。

 

 

「【道行く先でマスクをかけた女性に「私、キレイ?」と尋ねられたらご注意を。彼女にマスクを外させたら、口が裂けても綺麗だなんて言えなくなる】」

 

 

「ますく……?」

 

 

そしてまた、間違いを二つ。

 

 

「【何故なら彼女は】」

 

 

一つは、語り口に記されたささやかな注意喚起を聞き逃した事。

 

 

「【『 』なのだから】」

 

 

そしてもう一つは──

 

 

「【World Holic】」

 

 

セリアから目を離してしまった事だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 

「……なんとも無粋なフクロウめ」

 

 

どこからともなく響き渡った気味の悪い独白に、気分を削がれた。

唾を吐き捨てるようなニュアンスで呟いた恨み言を川底へと放って、視線を戻すロートン。

だがそれは、また一つ不可解を重ねるだけだった。

 

 

「──んんん?」

 

 

セリアの姿は、そこにはなかった。

いや、違う。

正確には──セリアの代わりに、誰かが立っていた。

 

 

 

「……」

 

 

 

彼女と同じ真っ赤なレインコート。

 

だが、髪の色が違う。

 

濡れ烏の様な漆黒の髪は、多少傷んではいるが美しい事には変わりない。

 

顔も違う。

 

整っているのは間違いないのだが、顔の下半分を大きな布のようなもので隠している。

どこかくたびれた目元はいただけないが、黒真珠のような瞳は吸い込まれそうだった。

 

背もセリアと同じくらいの、美人。

見つめるだけで、思わずニヤけてしまいそうになるぐらいに。

 

 

「…………ねぇ」

 

 

奇妙な間違い探しにピリオドを打つ、声も涼やかで透き通っている。

 

 

「な、なんだい、レディ?」

 

 

「……ねぇ、あたし、キレイ?」

 

 

「あ、あぁ、綺麗だ。出来ればその顔の全てを見てみたいものだがね。ところで君はセリアの──」

 

 

知り合いか?

 

そう尋ねようとしたロートンの脳裏に、まるで呪詛のように浮かんだフレーズが、フラッシュバックのように浮かぶ。

 

 

「──そう。じゃあ……」

 

 

 

【道行く先でマスクをかけた女性に「あたし、キレイ?」と尋ねられたらご注意を】

 

 

フェミニストを履き違えたまま自称する彼からすれば、美人以外の言葉などまともに取り合う価値すらない。

故に聞き逃してしまった事を、警告するようにリフレインが囁く。

 

 

【彼女にマスクを外させたら、口が裂けても綺麗だなんて言えなくなる】

 

 

語り草をなぞるように、目の前の女の腕が、そっと耳元へと添えられて。

愚かな男の望みを叶えて、愚かな男の欲望を殺す。

 

後悔は先に立たぬもの。

 

 

 

【何故なら彼女は】

 

 

ハラリと、落ちる布きれの行き先を追いかけていれば良かった。

 

何故なら、彼の目の前には。

 

 

────

──

 

【口裂け女】

 

──

────

 

 

そう、呼ばれる理由が立っていて。

 

 

 

「ねぇ?」

 

 

「──ひっ、い、あっ、あがっ」

 

 

耳まで口が裂けた女が、実に可憐に、実に狂おしく、『口を開けて』笑っていて。

 

 

「あたし、綺麗よね?」

 

 

「───────ぎぃぃいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!」

 

 

恥も見聞もへったくれもなく、ロートン・アルバリーズは全力疾走で逃げ出した。

 

 

 

 



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Tales 33【星型のべっこう飴】

「うっわ……すんごい逃げ足。もう見えなくなってるし。あんな姿誰かに見られりしたら、大貴族の名が泣くねぇ、あっはっは」

 

かの陸上選手の記録すら上塗りかねないダッシュを披露してみせた男の背中は、とっくに見えなくなっていた。

因果応報と開き直るつもりはないけど、これ以上とない意趣返しの成功にまずは満足。

というか、てっきり伝聞通り包丁とかもって相手を追い掛け回すと思って、いつでもコントロール出来るように身構えてたのに。

当の本人は、何故だか橋の上で佇んだままだったなのは意外の一言に尽きた。

 

 

「……イイ笑顔ね。こっちは大変だったのに」

 

 

「ベタ褒めされたんだから良かったじゃん」

 

 

「はり倒すわよ」

 

 

途中から一緒になって隠れていたセリアの顔色は、まるで食あたりでもしたかの様に悪い。

よっぽどロートンの口説き文句がお気に召さなかったのか。

 

やんわりと流れた風に、セリアのほどいたままの髪が流れる。

機会は少なくないにしろ、普段とは違う彼女の姿はロートンが言うように、確かに美しかった。

 

 

「ま、文句を受け付けるのはまた後で。セリア、ちょっと待ってて」

 

 

「……えぇ」

 

 

月映え姿に心で拍手するのも一瞬、賛辞を送るべきもう一人を待たせたままなのはいただけない。

羽織っていた紅いレインコートを収納空間に放り込むセリアを尻目に、未だに石橋の上でポツンと佇む彼女の元へと歩み寄る。

 

ザクザクと小さな砂を磨り減らした靴音が響く中。

いつの間にやら再びマスクをしている彼女が、ゆっくりと此方へと振り返った。

 

 

 

さて、今回再現したのは『口裂け女』。

 

語り草の中でも述べたように、彼女の名前を誰しも一度は聞いた事があるだろう。

なにせパンデミックみたく拡散した彼女の噂の影響は、凄まじい実績を誇る。

 

流布された1979年頃の教育現場では口裂け女の対策が議論されたり、それに伴った集団下校、パトカー出動騒ぎも発生。

さらに口裂け女の摸倣犯も現れたりと、まさに社会問題となったほどだ。

 

 

様々な憶測や逸話、派生的存在を生んだ彼女はいくつもの創作にも引っ張りだこで、海外では2004年に韓国でも流布されたり、彼女を題材にした映画も幾つか作られて反響を呼んだとか。

まさに怪談系の都市伝説の看板的な存在といっても過言ではない、都市伝説の中の都市伝説。

 

 

俺からすれば心踊り過ぎて疲労骨折しそうなレベルの相手と、今、こうして向き合ってる。

 

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

なんというか、想像していたよりも大分美人というか。

 

口裂け女の問いかけは自分の容姿に対する自信のあらわれだという説があるけど、確かにそれも頷ける。

ちゃっかりスタイルも凄いし。

レインコートで浮き彫りになるシルエットも目に毒ったらない。

 

 

……ぶっちゃけ緊張してますとも、ええ。

なにせ、リスペクトの余りに髪まで伸ばしてた俺からすれば、彼女もまたずっと会ってみたかった憧れの相手だ。

緊張すんなってのが無理な話、だったんだけども。

 

 

「ねぇ……キミ」

 

 

「ん?」

 

 

奇しくも、先に語りかけてくれたのは彼女だった。

 

マスク越しだというのに、不思議と言葉の一字一句が耳に伝わる。

 

 

「……あたし、綺麗?」

 

 

「────」

 

 

 

……あ。

 

俺今もっかい死んでも後悔しないかも。

 

 

「────めっっっっちゃ綺麗でっす!!!」

 

 

「えっ」

 

 

 

────

──

 

【星型のべっこう飴】

 

──

────

 

 

 

いやもうね、第一声がこれはズルい。

 

例えば好きなアーティストが居たとして、その人からアカペラとか生演奏されるようなもんだから。

下手したら昇天もんだから。

 

自制心とかぶっ飛ぶに決まってんでしょーが。

 

 

「え、あの……」

 

 

「そりゃもうちょーキレイっす!! たまんないっす麗しいっす!! あとサインちょーだい!」

 

 

「さ、サイン!?……ちょ、ちょっと待ってよ、ボールペンとか持ってない……」

 

 

「……あ、違う今のなし。段取りあるもんね、俺とした事が……テイク2で!」

 

 

「え……やり直し!?」

 

 

「おなしゃす!!」

 

 

「えぇ……」

 

 

だが、興奮の中でもしっかり理性は働いてくれたらしい。

危うくお約束のパターンというものをぶっ壊してしまうとこだった、いかんいかん。

 

という訳でテイク2を希望するべく、ジーっと口裂け女に期待を込めた眼差しを送る。

なんか戸惑ってるっぽいけど、んな事は後回し。

 

 

「……えーっと……あ、あたし、綺麗?」

 

 

「綺麗」

 

 

「……そっ、そうですか……」

 

 

「……?」

 

 

「……あー……じゃ、じゃあ」

 

 

なんかやっつけ感を醸し出してらっしゃる口裂け女だが、やることはきっちりやってくれるタイプらしい。

 

ついさっきロートンにしてみせたように、彼女は耳元に指を沿わせ、ゆっくりとマスクを外した。

 

 

「…………これ、でも?」

 

 

「──おぉ、おぉぉぉ!! オォォォ来たきたキタぁ!!!! ガパーっとキタよこれこれ! っしゃ! っしゃい!」

 

 

「(……どうしよう。この子、すっごい変わってる。あたし、付いていけるかなぁ……)」

 

 

 

思わず渾身のガッツポーズを取らざるを得ない。

 

感動もんだろこれ。

全俺が震えて泣いた。

 

 

「たまんねぇ……生きてて……あ、いや、生き返れて良かった……」

 

 

「……ねぇ、キミ」

 

 

「ん。どしたの?」

 

 

場所が場所なら咽び泣きかねない勢いだが、トントンと肩を叩かれて顔を上げると、なんか口裂け女が唖然としていた。

あと耳がほんのり赤い。

見た目は二十台ってとこだけど、こういう表情は随分と幼く見える。

 

 

「……あたしの事、怖くないの?」

 

 

「いや別にそこまで……ハッ。いやうん、もちろん怖い! めっちゃ怖い!! ほらよく見ろ俺の身体震えてるじゃん?!」

 

 

「…………絶対そういう震えじゃないと思う」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

「……すんませんした」

 

 

口裂け女に綺麗じゃないと答えると襲われてしまうのは有名だが、怖くないと答える場合はどうなのかを知りたくてつい無理矢理な嘘をついた。

 

あっさり見破られたのもあって、頭をかきながら少しクールダウン。

すると彼女は、責めてるつもりじゃないと言いたげに首を横に振る。

 

 

「…………別に、怖くないなら、怖くないで良いから……嬉しく、ない訳じゃないし」

 

 

怪談系の都市伝説だから、てっきりブギーマンみたいに恐怖されるのを喜ぶ性質を持ってると思ったんだけど、どうやら違うらしい。

それどころか、彼女の耳はさっきよりもまた更に若干赤く、何やらモジモジと指同士を絡めていた。

 

 

「……嬉しいの?」

 

 

「……まぁ、嬉しい……けど」

 

 

「……そっか」

 

 

「……」

 

 

口裂け女の弱点といえば、【ポマードと連呼する】、私は綺麗かという質問を【無視する】など地域によって様々なものが言い伝えられている。

またその中に、綺麗だと何度も褒めると気を良くして見逃されるというのもあったが、もしやそれが反映されてるのかも知れない。

 

いや、もしかしたら……裂けた顔を見て怖がらなかったのが肝なのか?

気になるところではあるけども、それをわざわざ事細かに尋ねるのは──ちょっと野暮な気もする。

 

 

「……渡したいモノ? あたしに?」

 

 

「そそ。おーい、セリア。ちょっと来てー」

 

 

意表をつかれたように目を丸める口裂け女に頷き返し、石橋の向こうで此方を伺っていたセリアを手招く。

ロングヘアーの流し髪にタイトな私服姿であるのも手伝って、こっちへとてくてく歩み寄って来る姿は、まるで休日のモデルみたいだった。

 

 

「話は終わったの?」

 

 

「もうちょい。セリア、昼に渡したやつ出してくれない?」

 

 

「昼……あぁ、はい。【コンビニエンス(こんなこともあろうかと)】」

 

 

「ありがと」

 

 

流石はセリア、話が早い。

彼女が取り出したのは、半球を象ったガラス瓶。

その中に敷き詰められた琥珀色の星型が、カラカラとオモチャみたいに音を立てた。

 

 

「はい、これ。プレゼント」

 

 

「!!……これは『べっこう飴』?」

 

 

「正解。昼間にレインコート探す時に、たまたま菓子職人の屋台があってから、ちょっと作って貰った」

 

 

口裂け女の好物といえば、べっこう飴というのも有名な話。

これも地域によって変わり、中には嫌いなモノ、あるいは弱点として語り継がれている所もある。

 

だから場合によっては彼女の機嫌を損なうかも知れない危惧があったんだけど、それもただの杞憂で終わってくれた。

 

 

「……綺麗」

 

 

手渡したガラス瓶を両手で受け取って、少し掌で転がし甘い黄色星の色を楽しむ。

少女の様に優しい目尻をした彼女が蓋を開け、星をひと摘まみ。

マスクをずらし、薄紅色の唇へとべっこう飴を運んだ。

 

 

──味の方は保証出来る。

 

なんたって、新しい再現と聞いてヘソ曲げたあのメリーさんが、すっかり機嫌を良くしたくらいだし。

ちょっとした変装までさせて、紅いレインコートを買いに行って貰った分の手間賃でもあるけど。

 

 

「屋台のおっちゃん、良い仕事するでしょ?」

 

 

「うん……これ、とっても美味しい。わざわざありがとう……ええと」

 

 

「……細波 流。ナガレでいい」

 

 

「そう。ありがとう……ナガレ、くん」

 

 

「どう致しまして」

 

 

それは、メリーさんが見せるような、可憐な花がふわりと咲くような笑顔じゃない。

月の佇まいが映えるような、大人の女性らしい、静かで自然な微笑み。

 

マスクがあろうとなかろうと、そこに飾るべき正しき評価は、もう決まっている。

 

 

「綺麗ね、この人」

 

 

「あ、やっぱセリアもそう思う?」

 

 

「えぇ」

 

 

「うぁ……その、あんまり誉めないで……」

 

 

ただ、気恥ずかしさに負けて直ぐにマスクで顔を隠す辺りは可愛いと言ってやるべきか。

言ったら言ったで、もっと恥ずかしがらせるだけになってしまいそうだけども。

あと、照れると指同士ツンツンやるのが癖らしい。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

ちなみに。

 

今回は仕掛ける相手が相手だったので、万が一巻き込まない為にと宿屋に待機して貰ったお嬢とアムソンさん。

 

彼らにも当然、今回の一件についての説明も兼ねて、口裂け女を紹介した訳なのだが。

 

 

「女性の外見的特徴をそのまま名前にするのはナンセンスにも程がありますわ!」

 

という、お嬢様の鶴の一言により、口裂け女のニックネーム考案というミッションが与えられた結果。

 

 

「じゃあ……口裂け女だから『くっちー』……とか」

 

 

「……相変わらず安直ですわね」

 

 

「くっちー……うん、それでいいよ」

 

 

「良いの?!」

 

 

「良いんですの?!」

 

 

「だ、だって……ちょっと可愛いかなって……(アダ名に憧れてるとか言えない)」

 

 

俺のネーミングセンスのなさが露呈したのは言うまでもないが、本人が照れながらもこれを承諾してくれた。

 

 

「そんじゃこれから宜しく、くっちー」

 

 

「よろしく、ナガレくん」

 

 

だが……今にして思えば、くっちーというニックネームは、彼女という存在の【凄まじさ】にはあまりに似つかわしくなかったのかも知れない。

 

 

ワールドホリックで再現された【口裂け女】。

 

それが巻き起こす『異常現象』を知ることになったのは──翌日のことだった。

 

 

 



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Tales 34【うわさパンデミック】

危ない橋を渡るなら、悪知恵を働かせる必要があった。

相手は仮にも大貴族。

ましてやロートンの様な相手なら、報復も想定しておかなくちゃいけない。

 

だが、アルバリーズ家が報復の手を打つとしても、まずは事実確認の調査があるはず。

なら俺が取るべき対抗策は、その調査の目を全力で誤魔化すことだった。

 

有り体に言えば、すっとぼけちゃいましょーって話。

 

昨日セリアがロートンさんと会ってたって?

はっはっは、なんの事ですか?

昨日の夜は宿に居ましたよ。

なになに、途中で宿から外出した記録があるって?

 

あーはいはい、その時間ね。

エースに呼び出されて、アジトの方にお邪魔してましたけど?

……と、要は大貴族だろうが迂闊に手を出せないエースに口裏合わせて貰う、つもり、だったんです、ホントは。

 

けど、事態は予想以上の展開になってしまって。

 

 

「大人気やなぁホンマ。『真っ赤なコートの口裂け女』ゆうて、えらい広まってるみたいや。市民街に繁華街、下街に貴族街。あの宰相の地獄耳にも勿論入ってるやろうし」

 

 

「市民街ではすごい勢いで広まってましたよ。猫も杓子も口裂け女、口裂け女って。内容も襲われるくだりまでは一緒ですが、その正体については色んな意見があるみたいですね。ナンパで不誠実な男に襲いかかる女の魔物だとか、不正で私腹を肥やす輩に制裁を加える正義の女だとか」

 

 

「いやー怖い怖い。ボクも襲われたらどないしようかなぁ……なぁ、ナガレ君。キミもそう思わへん?」

 

 

「すいませんしたぁぁ!! いやホントこの展開は想定外でして!! ってか一番驚いてんのは俺だよ!」

 

 

もうね、口裏合わせどころじゃない。

昨日の今日……時間で言えばまだ半日も経ってないのに街中で噂になってるとか、ヤバ過ぎる。

 

さっきから胃袋キュッてなる。

隣を見れば、蒼い騎士の顔まで真っ青。

だがそんな俺とセリアの消沈具合に、逆に顔を真っ赤にしたのはお嬢だった。

 

 

「な、なんですのなんですの! そもそもロートンという輩は大貴族でありながら平然と悪徳三昧する色情魔なのでしょう?! それに、先に無礼を働いたというのも──」

 

 

「お嬢様、お気持ちは分かりますが、此処はお控えください」

 

 

「何を言いますのアムソン!」

 

 

「お、お嬢、落ち着いて! 気持ちはすっげー嬉しいけど、多分問題そこと違うから!」

 

 

「へ? 何が違うんですの?」

 

 

「なっはっは! いやいや、責めてる訳やないんよ、ナナルゥちゃん。ナガレくんの仕返しに乗っかったんはボクも一緒やし」

 

 

「アルバリーズ家の嫡男から娘や恋人を取り返して欲しいって依頼に来る方達も居ましたからね。私達はあくまで魔物専門なのに」

 

 

「けど、まさかあのドラ息子が『女性恐怖症』になるとはなぁ……ま、おかげで無理矢理囲ってた女の子らに笑顔を取り戻したんは事実やし、ボクも悩みの種が減ったしで、めでたしめでたし……って終わってもええねんけど……なっ?」

 

 

一応事情を聞かせて欲しいと、そういう話の流れになる。

しらを切るには今更だし、いかんせん相手が相手なので、慎重に言葉を選ばないといけない。

 

だってこれ、下手したら俺、危険人物と思われかねないし。

冷や汗を背中に伝わせつつ説明しながら、俺の脳裏は今朝の記憶をなぞりはじめていた。

 

 

 

────

──

 

【うわさパンデミック】

 

──

────

 

 

 

『はぁ……分かってたけど、またライバルが増えちゃったの。しかも女の都市伝説……ぶーぶー』

 

 

ってな感じで宿のベッドから起きるなり、電話越しに拗ねるメリーさんのご機嫌取りから始まった今朝。

なんだかんだで疲れていたせいで、アーカイブでくっちーのステータスを見るのを先延ばしていた。

とりあえず確認、という気軽さでアーカイブを開いた訳なんだけど。

 

 

─────

 

【口裂け女】

 

・再現性『A』

 

・親和性『C→C+』

 

・浸透性『B』

 

─────

 

 

 

『ん、親和性……プラス? ってことは上がってるって意味?』

 

 

『……ちっ』

 

 

『なんで舌打ち』

 

 

『多分、口裂け女がナガレに心を許した証なの。くっちーって名前が嬉しかったのか、あの飴が美味しかったのか知らないけど』

 

 

『え……親和性って好感度も兼ねてたんかい』

 

 

『私メリーさん。親和性は、ナガレとの心の距離。だから仲良くなればなるだけ上がるの。ふふん、くっちーなんて新入りに大きな顔させないの! なんたってメリーさんの親和性は最初っから、か・ん・ろ・くの『A』!! これこそメリーさんがナガレの最高の相棒って証なの! いえーい!!』

 

 

『(ナインも最初からAなんだけど。ま、黙っとくか)』

 

 

つまり再現した彼女達と親交を深めれば、親和性が上げる事が出来るって事で。

これは非常に良い情報、というかもっと早く知っておきたかった。

ブギーマンもアレから再現出来てないけど、どうにか歩み寄れる可能性も見えてくるし。

 

なにより──自分の好きな存在と触れ合い、語り合えた証にもなる。

それは愛好家冥利に尽きること他ならない。

 

一層のやる気に頬をニヤつかせる俺だったが、その幸福感は長くは続かなかった。

 

────

 

保有技能【─未提示─】

 

 

保有技能【うわさパンデミック】

 

・都市伝説についての情報を拡散する能力

それ以外についての情報も拡散出来るが、その場合は拡散範囲と速度が低下する。

 

─────

 

 

昨日の再現したくっちーの情報。

親和性の要素についての発見はとてつもなく大きいが、それ以上に見過ごせない部分。

それは言うまでもなく、くっちーの保有技能だ。

 

 

最初その能力を見た時は、都市伝説を広めれるなんて最高の能力じゃないかと歓喜したもんだけど。

その拡散スピードの勢いと、この能力の『ヤバさ』に気付いた今では、もう素直に喜ぶ訳にはいかなかった。

 

 

「【うわさパンデミック】なぁ……なんかゆるーい名前の能力やけど、つまりはこれが原因っちゅう訳やな」

 

 

「都市伝説"限定"の情報拡散ですか……その変わった能力が、知らず知らずの内に発揮された結果が今の現状だと」

 

 

「事故……って言い訳出来る立場じゃないけど。決してこの状況を望んでた訳じゃないから! (いやホントはちょっと嬉しいけど! 都市伝説限定だったら今もきっと喜んでたと思うけど!)」

 

 

この異変を察知して呼び出された以上、最低限は手の内を明かしておかなくちゃいけない。

でも普通の情報すら拡散出来る事は、流石に伏せた。

だってこれ、政治的に見れば恐ろしすぎる能力じゃん。

 

いや、政治方面どころじゃない。

誰かにとっても都合の良い情報も、悪い情報も制限はありながら拡散出来る。

言い方を変えれば、都合の良い情報操作が出来るという事。

ネットも電話もないこの世界では、下手な魔法よりもよっぽど危険な力なのは間違いないだろう。

 

 

「…………ふぅ。まぁ、ええか。わざとじゃないみたいやし……ただ、悪戯に世間を騒がせる様な真似はアカンよ? ただでさえ今は王国師団が出払ってるから、国民も不安がってんねん。過度な刺激はパニックになってまう可能性もあるしな」

 

 

「『おもろいやん、ええよ。口裏合わせとく』って即答した方が言えた台詞じゃないと思いますが」

 

 

「あたた、ジャック痛いとこ突くぅ。ま、そーゆー事。気にせんでええとは言えんけど、そう青くならんでもえーよ」

 

 

ヒラヒラと、細長い掌が舞う。

大袈裟な安堵の息を吐き出した俺とセリアのシンクロ具合に、エースはケラケラと笑いジワを作った。

まぁ、この中でくっちーの真価を知ってる二人だから、そりゃ息も合うよね。

 

あとお嬢。

教えたらボロ出しそうだからって黙っててゴメン。

 

「……お嬢、庇ってくれてありがと。あとで五分間、ナイン触り放題ね」

 

 

「!! べ、別に庇ったんではなく、同じ貴族としてロートンが許せなかっただけですわよ…………あと五分じゃ足りませんわ」

 

 

「え? なになに、触り放題ってなんかエッチやん」

 

 

「ばっ、ななな何をとち狂ったことおっしゃいますの! って、ひ、人のむ、胸をガッツリ見やがるんじゃありませんわ!!」

 

 

「なっはっは! むしろそないなご立派ちゃん、見ぃひんとかえって失礼っちゅー……ジャック、足踏むんやめて。踵はアカンよ、踵は」

 

 

「知りません」

 

 

場を和まそうとしてくれたのか、それとも素の発言か。

羞恥の赤に染まったお嬢に肩を引っ張られて、またもや盾扱いにされる俺。

うーとか唸るぐらい恥ずかしいんなら、そんな谷間見えるドレス着なきゃいいのに。

 

 

…………ま、俺も男だから。

わざわざ忠告はしないけど。

背中に胸あってても、気付かないふりするけど。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「あ、せやせや。用件は口裂け女のハナシだけやなかったんや。自分らに朗報があんねんな」

 

 

「朗報?」

 

 

一段落を迎えてそろそろおいとましようかなと返す踵を止められる。

セリアのオウム返しに頷き、彼はその着流しの懐から一枚の手紙を取り出した。

 

 

「これ、今朝がた届いた報告書なんやけど……ガートリアム側の状況、知りたいやろ?」

 

 

「!!」

 

 

「調べてくれたのか!?」

 

 

「ボクらにとっても情報は大切やからね。闘魔祭があるとはいえ、基本的に周辺状況は把握しとくもんや。各地のギルドと仲良ぅさせて貰っとるし、その定期連絡ついでやから細かい事までは分からんけど」

 

 

「構わないわ。拝見しても?」

 

 

「細部は暗号化してますから、私が訳しますね」

 

 

大国に居を構える傭兵団なだけあって、抜かりない。

『手段なき者の為の手札』という理念の為でもあるんだろうけど、なんにせよこれはありがたい。

 

もしかしたらすでにガートリアムは魔王軍に陥落してるかも知れない。

エースとの契約も、闘魔祭に向けての訓練も全部無駄になる可能性もある。

そんな不安を抱えながらの日々だっただけに、生唾が喉を重く通った。

 

 

「えーと……『ガートリアム西方にて。魔王軍、ラスタリアに拠点を構築。魔響陣を形成し、総数を増やしている兆候有り。時折、偵察の魔物を出し此方の動向を監視しているが、それ以上の動き無し』……以上です」

 

 

「……そう。なら、ガートリアムはまだ無事なのね」

 

 

「一安心ってとこだけど……魔響陣って確か、魔物を生み出す魔法陣の事だっけ?」

 

 

「えぇ。その土地に残留する負の思念を取り込んで、新たな魔物が生まれるの。取り込む負の思念の強さによって、生まれる魔物がより強大になるらしいのだけど……」

 

 

「(……映画とかで出る理不尽なレベルの自縛霊みたいなもんなのか)」

 

 

怪談の都市伝説でも、大半が怨みや執念の深さが影響してる。

メリーさん、口裂け女とかその代表といっても過言じゃない。

 

個人的に興味が非常にそそられる話だ

ガートリアムの現状も知れたし、これで少しはセリアも心の余裕を持てるかな。

 

 

「……ふむ。ですが、少し妙ですな」

 

 

「何が妙ですの?」

 

 

「いえ、お嬢様。ガートリアム方面の状況についてですが……魔王軍の動きがいささか慎重に過ぎませんかな? それに……似たような話を近日耳に入れた覚えがありましょう」

 

 

「──……あ、そっか。エルゲニー平原でも騎兵団と膠着状態だっけ。それに、この国の師団も……」

 

 

「左様にございます。ガートリアム北東、エルゲニー平原。宰相様の言葉を借りれば、セントハイムより東のガルシア荒野。加えて北東方面、北部方面でも戦線が『膠着』してるという状況、となれば……いかがでしょう」

 

 

「──セントハイムに包囲網が築かれつつある? いえ、それならどうして……魔王軍は『戦線を押し上げない』のかしら……」

 

 

「……!!」

 

 

セリアの怪訝そうな呟き。

どうして魔王軍は戦線を押し上げないのか。

その疑問こそ、アムソンさんが妙だと言った肝だろう。

 

 

「なっはっは、ホンマ可笑しな話や。包囲網を作って、その網を縮めんでどないすんねんってな。長期戦にしたいんか、魔王軍にもそない余裕がないんか……それとも、別の本命があるんか」

 

 

「……各地で戦力を分散させて、セントハイムに直接攻めてくるとか?」

 

 

「勿論その可能性もありそうやけどな。あの賢老……ヴィジスタのじーさんなら当然、最低限備えてるやろな。ま、後手に回るんは気に食わんけど、様子見するしかなさそうやね」

 

 

変な知恵回しよってからに。

そう疲れたように呟くエースも気苦労がありそうだが、きっとそれ以上に気が気でないのはヴィジスタ宰相なんだろう。

 

今頃、いきなり広まった口裂け女の噂に頭を抱えているかも知れない。

厳しいながらも真摯に対応してくれた宰相の恩を、仇みたいな形で返してしまった事に、心の中で深く詫びるのだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

そして。

 

 

「……ナガレくん。キミ、都市伝説とかいうんが好きなんやろ?」

 

 

「うん、好きだけど。てか俺の人生そのものだけど」

 

 

「……な、なんて輝いた目を……本当にお好きなんですね」

 

 

「そりゃもう! あ、聞くのも好きだけど語るのも好きなんで! ジャック、もしかして都市伝説に興味ある?! 興味あるんなら細波流セレクションの、とっておきレパートリーを披露するけど!」

 

 

「は、はい!?」

 

 

「ナガレ、やめなさい」

 

 

「アナタのレパートリーって基本怖いのばっかりじゃないですの!」

 

 

布教のチャンスに身を乗り出せば、お嬢とセリアに呆れられながら抑えられた。

特にお嬢の反応。

セントハイムの道中に怪奇談系を語ったら、めっちゃ怯えられたのを思い出す。

【くねくね】の話とか半泣きになりながら耳塞いでたし、軽くトラウマになってるらしい。

 

くっちーの件といい、反省しとらんのかお前はとも思われそうだが……これはこれ、それはそれ。

 

 

「披露するのはまた今度の機会にしとき。キミのワールドホリックについて聞かせて貰った分のお返しに、ボクもちょっと面白い話聞かせたる」

 

 

「え! マジで!? それって都市伝説みたいな話!?」

 

 

「キミの好みに合うかは知れへんけど、一応それっぽいかなぁ。それに、キミらとボクらの『契約』についても関係ある話やし。どう?」

 

 

「聞くー!」

 

 

まさか語り手側じゃなく、聞き手側に回れる機会がくるとは。

一もニもなく飛び付く俺に、力の抜けた溜め息を落とす両サイド。

全く、浪漫が分からないやつらめ。

 

 

コホンと一つ咳を払うエース。

かくして、いかにも俺好みな眉唾が語られて──

 

 

「ほんの五日ほど前な。セントハイム王城と貴族街の境目に、聖域と呼ばれてる場所があんねんけど……そこにな、出たっちゅー話やねん」

 

 

「……出た? 何が出たんですの?」

 

 

 

何が出た?

こーいう切り口の語りなら、何が出たかなんて相場が決まってる。

 

 

「女の幽霊(ゴースト)。しかも何でか知らんけど、その幽霊の顔が思い出せへんねんて」

 

 

 

─────

 

【都市伝説紹介】

 

『口裂け女』

 

・再現性『A』

 

・親和性『C→C+』

 

・浸透性『B』

 

 

保有技能【────】

 

保有技能【うわさパンデミック】

 

・都市伝説についての情報を拡散する能力

それ以外についての情報も拡散出来るが、その場合は拡散範囲と速度が低下する。

 

 

───

 

 

1979年に流行した超有名な都市伝説。

発祥は岐阜県と言われており、そのルーツは多岐に渡る。

内容については、マスクをかけた姿で表れ、自分は綺麗かと問われる。

その問いに綺麗と答えればマスクを外して素顔を晒し、綺麗じゃないと答えた相手には鋏や鉈、包丁などで襲いかかってくる、というもの。

 

その特徴に加え地域によっては

・二メートルを越える身長で

・赤い傘をさして空を飛ぶ

・三軒茶屋など「三」の数字が好き

・百メートルを六秒で走る

・実は三姉妹いる

などがある。

 

だが、ナガレが再現した口裂け女ことくっちーには、本人いわく戦闘は苦手であるらしい。

その代わりに噂の拡散という脅威の能力を持つ。

 

都市伝説の内容とは裏腹に、くっちーの性格は案外普通の、ちょっとシャイな大人の女性。

誉められたら照れるし、綺麗なものには見惚れる。

 

ナガレの事をかなりの変わり者だと思いながらも、自分のためにべっこう飴を用意してくれた事に深く感謝している。



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Tales 35【精霊樹の雫】

──聖域『精霊樹』

 

 

周りを清らかな小湖と木々に囲まれた、水晶で出来た幹の霊樹であり、セントハイムの国宝に指定されている聖域であるとか。

そう呼ばれると荘厳に聞こえるけど、実はセントハイム有数の観光名所も兼ねてるらしい。

 

そしてエースいわく、そんな場所……しかも白昼に『女の幽霊』が出たのだという。

しかもしかも、何故だかその女の顔を『思い出せない』という不思議要素までセット。

 

なんで顔を思い出せないのに女って分かったのかというツッコミ所も素晴らしい。

いかにも胡散臭い。

そんな面白そうな体験談を聞いたなら、俺が取るべき行動は一つしかなかった。

 

 

「すごい! ナガレ! すごい! 凄く綺麗な樹! 見て見て!」

 

 

「はぁ……そりゃ観光スポットになる訳だ。街の虹模様も度肝抜かれたけど、これは……魂抜かれる。すげぇ」

 

 

雲の隙間から射した陽光を反射して輝く水晶の樹木。

根元から幹、枝の先まで。

夏の深雪。

春の紅葉。

秋の白桜。

冬の花火。

 

そのいずれよりもなお遠い幻想が、燦然とした光の世界で佇んでいるようだった。

 

 

「んー? あの、真ん中の幹のところ、ちょっと窪んでるとこ……なにか光ってるの」

 

 

「あぁ……エースが話してた、闘魔祭の"優勝商品"じゃない? たしか【精霊樹の雫】……口にしたらあらゆる病気が治る神秘薬らしいよ」

 

 

「んんー……雫ってより、果物みたいだけど……ガラスの林檎? ふふ、とっても不思議」

 

 

精霊樹の樹洞らしき空洞にて光る、硝子のような艶を放つ林檎。

四年に一度、一つだけ実るという奇跡の果実。

それ一つで巨額の富を築ける価値があるそうで、エルディスト・ラ・ディーが何を置いてでも手に入れたがってるものらしい。

その用途までは、流石に聞けなかったけど。

 

 

「……にしても、観光名所にしちゃ人が居ないな。やっぱ皆、夜に来るのか?」

 

 

「?? お昼からでもこんなに綺麗なのに、どうして夜に来るの?」

 

 

「夜になると、夜光雷虫って蛍みたいなのが集まってイルミネーションみたいになるとか。で、誰かと一緒にナイトシオンって花を湖に献花すると、その絆が永遠のモノに……っていう、パワースポットに付き物な縁結びもあるんだってさ」

 

 

「へぇ、とってもロマンチックね。ナガレ、ナガレ! メリーさんは縁結びなんてしなくても、ずっとナガレのパートナーで居る気マンマンなの! でも、ナガレが一緒に献花してみたいなら、メリーさんがお相手するの」

 

 

「光栄だけど、昼に一度でも此処に来るとご利益が薄れるらしいよ。ナイトシオンの花は別名『夜想花』って言って、昼に萎れて夜に花開くって特性があるって話な訳」

 

 

「……むぅ。だから人が居ないのね。けど、そーゆー事は先に言って欲しいの。ナガレのばか。ばぁか」

 

 

「さっき屋台でハニージュエル売ってたの見たけど、気のせいだな」

 

 

「えっ、あ、うそうそ。冗談なの。私メリーさん、ジョークも言えるメリーさんなの」

 

 

「おーけー。後でね」

 

 

「わーい」

 

 

蜂蜜の様に煌めく髪を撫で付けてやれば、あっさり機嫌を直してくれるメリーさん。

彼女の無邪気な笑みは、同時再現による負担さえも軽くしてくれるほどに柔らかい。

 

 

「(後でナインにもなんか買ってあげるか。今頃お嬢かセリアに撫で回されてるだろうし)」

 

 

セリアは興味なさそうだが、最初はお嬢もこの縁結びに食い付いていた。

しかし、アジトの出口付近で例のエトエナ嬢とはち合わせて、まーそれは子供の喧嘩みたいな口論を繰り広げて。

 

『あのワガママで貧相娘の減らず口を、絶対黙らせてやりますわ!』

 

と意気込み、トレーニングを優先したと。

でも俺にナインを喚ばせる辺り、お嬢もちゃっかりしてる。

 

 

「……じゃ、一応グルっと一周しようか。噂の幽霊が居るかもだしな」

 

 

「はーい」

 

 

そういえば、お嬢は気付いてなかったみたいだな。

エースの話してた女幽霊の発見者の口調からして、多分……あれ、エトエナの体験談じゃないの。

 

 

 

────

──

 

【精霊樹の雫】

 

──

────

 

 

困り顔のメイドからの報告に、呆れながらも肩の荷が軽くなった実感があった。

客室から執務室へと意味合いを変えた部屋の中で、テレイザは置いたペンの羽根を指先で撫でる。

 

彼女なりの高揚の落ち着かせ方。

変わった癖ですね、とはじめて指摘してくれた蒼い騎士は、今頃どうしているだろうか。

 

 

「そうですか、お父様が。ふふ、後であまり無理をしないようにと釘を刺しておかければいけませんね」

 

 

「快調に向かわれているようですが、ファムト様の傷はまだ塞ぎきっておりません。姫様の多忙ぶりは承知してますが、何卒……」

 

 

「分かっていますよ。お母様は?」

 

 

「今日も民達を励ましに城下へ降りられてます」

 

 

重症の身であった、父であり国王であるファムト・フィンドル・ラスタリア。

避難が遅れた子供を魔物の手から庇ってしまったが故に、重症を負い床に伏してしまった。

人としては善性だが、王としての自覚の足らない行為だと膨れっ面で指摘したのが堪えていたらしい。

 

 

娘に難事を押し付けてしまった事に責任を感じてもいるのだろう。

気炎を吐いてリハビリに望んでいるそうだが、無茶は禁物と後で釘を刺さなければ。

母のマードリンも、自分だけが安穏として良い訳がないと精力的に行動しているようで、精力的な両親の性格に、困ったものですと苦笑を浮かべた。

 

 

「我が民達も、不安の中よく耐えてくれてくれています。ガートリアムの国民との衝突が少ないのも幸いでした」

 

 

「なにをおっしゃいます。ガートリアム国民の方々がふところ深く迎えて下さいますのは、姫様の為してきた徳があってこそです」

 

 

「……」

 

 

「あの、姫様。セントハイムは我らに力を貸して下さいますでしょうか?」

 

 

「……案ずる事はありません。英雄とは、遅れて登場してくるものです。さぁ、もう下がっていいですよ。また何かあれば報告を」

 

 

「畏まりました」

 

 

「よしなに」

 

 

姿勢良く一礼し退席するメイドの背を見送って、肉付きの薄い太ももの上で手を重ねる。

メイドの語る徳というのも、言葉通りに受け取るには色々と思うところがあった。

 

ガートリアム国民の間でテレイザが慕われている理由。

語り草とされている『バルトレイ宮殿』の経緯を思い出せば、今でも当時の自分の迂闊さが苦々しい。

 

枕に顔を埋めてジタバタしたくなる気分を遮った、力強いノックの音を、テレイザは褒めてやりたい気分だった。

 

 

「早かったですね、ラグルフ」

 

 

「偵察任務に時間かけたって仕方ないでしょうよ」

 

 

「身も蓋もない言い方ですね」

 

 

「そこについては御容赦いただかねぇと」

 

 

「えぇ、分かってます。偵察任務ご苦労様でした。報告をお願いします」

 

 

大男の砕けた口調に、姫は少しも眉を潜める事はしない。

甲冑を脱ぐ事もせずに報告を優先するラグルフの生真面目さが、むしろテレイザにとって微笑ましかった。

 

 

「報告、といってもお察しの通り。連中は大人しいもんで、気味が悪いったらない」

 

 

「やはり、そうですか。ありがとうございます」

 

 

「……別に疑うつもりじゃないんですがね。姫さんの『魔物連中が闘魔祭までは動かないのでは』ってのは、どういう計算から出た結論で?」

 

 

以前、それとなくテレイザがこぼした推論を、今更になって拾い上げる。

片膝をついたままのラグルフの疑問に、テレイザは年齢不相応に落ち着いた眼差しで答えた。

 

 

「確固たる根拠がある訳ではありませんが……まず、セントハイム方面を含めた敵軍の動きが少々悠長過ぎる上に、杜撰(ずさん)であること」

 

 

「……まぁ、そりゃもっとも。向こうじゃ包囲網みてぇな形にはなってるが、分散的で距離も遠い。包囲戦を仕掛けるつもりにしても、連携を取れねぇなら意味がねぇ」

 

 

「はい。近年には類を見ない魔王軍の動きではありますが、大規模な包囲戦をするぐらいなら『静けさ』を演出してないで、嵐を起こす方が余程効果があるでしょう。ならば、別の目的があるのではと思うのは自然なことです」

 

 

「……その目的が、闘魔祭だと?」

 

 

「……ぐらい、じゃないかなぁ、と私は思うんですけどね。ふふ、自信はありませんよ?」

 

 

「……ったく。仮にそうだとして、なんでまた化け物共が……人間様の祭りでも見学したいってか?」

 

 

「さぁ、そこまでは」

 

 

無論、こんなものは軍議では到底口に出来ない与太話。

確証もない楽観だと、自分を疎ましがるガートリアム上層の一部に嗤われるのが目に見える。

 

だが、ニヒルに顎髭を撫でている目下の隊長は、この話を打ち切る事を選ばなかった。

 

 

「……そういや、あいつらはどうするんで? どういう手品を使ったか知らねぇが、ワイバーンをなんとかしちまいやがった以上、セントハイムに着いてるんでしょうが」

 

 

「あぁ、そうですね。上手く事が運べば、きっと闘魔祭で『大健闘』してくれるんじゃないでしょうか。帰ってくるのもその後でしょうね」

 

 

「…………はっ? あー、と姫さん。聞き間違えですかね? その言葉だと、誰かしらが闘魔祭に参加するみてぇに聞こえますが」

 

 

「はい、そうですよ。ナナルゥ様は……どうなるかは分かりませんけど、ナガレ様はきっと参加してくれますよ。なにせ、ヴィジスタ宰相にそうなるようお願いしましたから」

 

 

「賢老まで担ぐたぁな……姫さん。あの小僧に何を期待……いや。確かに『四ツ足』の力はとんでもねぇ武器になるが……」

 

 

救世主か、災禍の種か。

徐々に民達の中で風化しつつある、あの小生意気な小僧の顔をラグルフは思い浮かべる。

しかし、テレイザはそれに明確な答えを出しはせず、ゆっくりと席を立つ。

 

シルクの手袋をはめた掌が、窓際のカーテンを少しだけ開ければ、光に透かされたピンクの髪が艶を振り撒いた。

 

 

「……私は、彼に恨まれるかもしれませんね」

 

 

「……?」

 

 

どこぞの老人に、女狐と呼ばれた幼き姫君の瞳が静かに瞬く。

窓の向こう、青を渡る鳥の群れ。

例えばあの自由な翼を持つ鳥を、変わり者ながら芯の確かなあの青年とするならば。

 

 

「知っていますか、ラグルフ」

 

 

テレイザ・フィンドル・ラスタリアは、さしずめ鳥の首に鎖を繋ぐ者なのだろう。

 

 

 

 

 

 

「心と力に優れた人を味方につけておくコツは、純粋で危なっかしい者を傍に与えることです」

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「私メリーさん。この湖、結構広いね」

 

 

「確かに。精霊樹の元まで行くのにも橋とか架かってないし……まぁ聖域っていうほどだから、人の手が入らないんだろ」

 

 

「ふぅん。でも……誰も盗もうと思ったりしないの? 精霊樹の雫って、凄いアイテムなんでしょう? あんなにキラキラしてるし、メリーさんも欲しいぐらいだもの」

 

 

「精霊樹の周りに結界が張ってあるらしいよ。ルーイック陛下じゃないと解除出来ない超強力なヤツ」

 

 

「そう、残念」

 

 

湖周りの木々が見下ろす草花の絨毯を踏み越える度、靴の底から伝わるサクッとした感覚は小気味良い。

俺の背中に抱き付きながら残念がるメリーさん。

さては、もし結界がなかったら触りに行こうとしてたな。

 

 

「……」

 

 

無邪気なくっつき虫のお茶目さに苦笑しつつ、緑映える光景を見渡していく。

 

聖域。確かに、ここだけ流れる空気が違うと思えるほどに静謐で神秘的な場所。

 

──では逆に、聖域とは真逆の意味合いを持つ『魔境』はどんな場所なんだろうか。

 

 

「( 魔境の【闇沼の畔】……)」

 

 

荒れ果てた地の奥深く。

闇とさえ形容されるなら、底なし沼を連想する。

 

どんな場所なのか、という推測から浮かぶ想像図。

 

それはいとも容易く出来上がり、鮮明過ぎて、具体的過ぎて。

例えばそう、俺が都市伝説を追い求める切っ掛けとなった【あの場所】とか、まさにピッタリと当てはまって……───

 

 

「ナガレ、どうしたの?」

 

 

「──っ、あぁゴメン。ちょっとボーっとしてた」

 

 

「大丈夫? メリーさん、還った方が良い?」

 

 

「心配しなくて大丈夫。最近、負荷にも馴れて来たし、まだまだ余裕」

 

 

「ん、そっか。分かったの」

 

 

どうやらボーッとしたのが同時再現の負荷のせいだと思われてしまったらしい。

俺の背中に回していた腕をするりとほどいて、手を繋いでくるメリーさん。

 

気を遣わせるつもりはなかったんだけどな。

甘えたがりな妹分がみせた優しさに、つい苦笑が浮かんだ時だった。

 

 

「! ナガレ……あそこ。誰か居るの」

 

 

「ん、どこ? ……あ──ホントだ」

 

 

そこは、俺達が最初に精霊樹を眺めた場所と丁度反対側。

湖の周りに散らばって生えている痩せた木々の内の一本。

 

 

真っ黒で厚みのあるローブを纏った誰かが、そこに背を預けていた。

その膝にスケッチブックの様な物を乗せて、ペンを持った手がサラサラと進んでいたのだが──不意にピタリと止まってしまったのは、俺達の存在に気付いたからだろうか。

 

 

「────」

 

 

ローブのフードで隠れがちな顔が、ゆっくりと上がって。

気付けば近くまで歩み寄っていた俺達を、厚い布に隠れがちな、濃い緋色の眼差しが一瞬だけ見据えて。

 

 

 

 

 

「…………貴様ら、そこに立つな。邪魔だ」

 

 

 

 

 

あっち行けと雑なジェスチャー付きで追い払われたのが、『彼女』とのファーストコンタクトだった。

 

 

 

 

 

__

 

 

【用語解説】

 

『ナイトシオン』

 

レジェンディア西方の特産。

魔力の多い地帯にのみ見られる花で、ギルドのクエストにも良く発行される。

昼に萎れ、夜に花開く特異性から、『夜想花』と呼ばれている。

水に浸けると姿を溶かし、魔力素に変わる。

 

花言葉は『不器用な人』『心の鍵を預けて』

 

 

 



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Tales 36【緋色の女】

サッと吹いた木枯らしがさらった朱混じりの葉が、目の前でくるりと一周して落ちた。

秋風も随分寒くなってきたなと思えた理由は、色彩とは裏腹に温度の低い瞳が原因だろう。

セナトより少し焼けてるくらいの、小麦色の肌も相まって、一層威圧感があった。

 

 

「あーその、すんません」

 

 

「……」

 

 

自覚のないまま近寄ったせいで、彼女と精霊樹の対角線を遮ってしまってたみたいだ。

軽く謝りつつ、横に逸れる。

 

……というか、『彼女』で良いんだよな?

 

墨に浸けたんじゃないかってくらいに黒いローブを深めに被っているからか、その体格や顔付きが分かり辛い。

ただ、トーンは低いながらも声は女性らしい艶があったような気がする。

 

 

それに、フードの隙間からも見える流れている彼女の横髪。

 

夕陽の様な朱い毛先から、徐々に明暗のきめ細かな灰色へと変わる、不思議な配色。

ただ、その胸元に届きそうな長さからして、女性なんじゃないかって推測を立てただけ。

まぁ、一時は俺もこれくらい長かったから、断定は出来ないけど。

 

 

「…………おい、なにをジロジロと見ている。私に何か用でもあるのか?」

 

 

「──……え、いや……用っていうか……」

 

 

変わった髪色だなーとか逆に目立つ格好してんなーとかのんびり考えてる場合じゃなかった。

俯きがちだったフードの中から、間違いなく美人にカテゴライズされる様な淡美な顔がチラッと見える。

 

一瞬、アキラに似てるなとも思った。

特に今にも舌打ちしそうな煩い顔とか。

いやいや、んな懐かしさに浸ってちゃダメだろと。

 

慌てて何か言い繕おうと焦る俺だったが、その前を一歩躍り出る少女の金髪がふわりと舞った。

いうまでもなく、メリーさんだ。

 

 

「私、メリーさん。なんの絵を描いてるの?」

 

 

「…………貴様に関係ない」

 

 

「むぅ。ちょっと見せて?」

 

 

「断る」

 

 

「恥ずかしがらないで良いのに。自信ないの?」

 

 

「違う、そういうんじゃない」

 

 

「私、メリーさん。お絵描き屋さんだったら自分の腕に自信を持つべきなの」

 

 

「知った事か。第一、私は絵描きではない」

 

 

「(……いつぞやのアキラ達とのやり取り思い出すなぁ、この光景)」

 

 

どうやら彼女の存在はメリーさんの好奇心をくすぐったらしい。

(しき)りに見せてとねだるメリーさんの攻勢を、面倒そうに拒否するローブの女。

 

俺もアキラ達との初対面は、こんな感じで強引に接したもんだ。

妹分だけあって、似通(にかよ)うもんだねぇ。

 

 

「おい貴様!」

 

 

「ん?」

 

 

「何を傍観している! 貴様の連れをどうにかしろ!」

 

 

「あー、はいはい。メリーさんメリーさん、ちょっとストップ」

 

 

「あう。ナガレ、レディを持ち上げる時はもっと優しく」

 

 

猫みたいにじゃれついてるメリーさん。

両脇をひょいと持ち上げれば、拗ね気味に苦言を呈された。

善処しとく、と宥めながら、さて仕切り直し。

 

 

「いきなり悪かったね。俺はナガレ。で、こっちはメリーさん」

 

 

「そう。私はメリーさん。ちゃんとメリーさんって呼んでね?」

 

 

「……フン。名前なんて、どうでもいい」

 

 

「どうでも良くないの!」

 

 

「キーキーとうるさい奴だ」

 

 

「むぅぅぅ……」

 

 

スカートの端をちょこっと摘まむメリーさんの挨拶にも、彼女は仏頂面を崩さない。

それどころか、だからどうしたと言わんばかりに顔を伏せた。

セリアに負けず劣らず辛辣な言い様といい、絵を描くのを邪魔されただけでの態度とは思えない。

多分、元々排他的な性格なんだろうか。

 

 

「(幽霊について聞いときたいけど、これじゃあとりつく島もないな……でも)」

 

 

歓迎されてない雰囲気だろうが、お構い無しに行動するのは俺の十八番。

そして、こういうタイプには案外有効なのは、俺の交友関係からして実証済みってな訳で。

胸を張っていいもんじゃないけどね。

 

 

「っしょ、と」

 

 

「……っ、おい。なんのつもりだ貴様」

 

 

「まーまーお構いなく」

 

 

「これみよがしに隣に座っておいて何を……」

 

 

 

おー驚いてる。結構可愛い顔出来んじゃん。

戸惑いつつも、ウザがってるんだろうな。

けど、こういう『プライドの高そうな』人には、結構有効的な距離の詰め方なんだよね。

 

 

「いーからいーから」

 

 

「全然良くない」

 

 

「まぁまぁ。べっこう飴食べる?」

 

 

「いらん! くそっ、なんだコイツらは……」

 

 

何故ならこういう時、そそくさとどっかに行こうとしないから。

自分から離れる発想より、相手を追い払う方に重きを置いてしまうもので。

 

 

「ちょっと聞きたい事があって」

 

 

「チッ…………ハァ、面倒な奴。おい、さっさと言え」

 

 

「あざーす」

 

 

多分自分が退くのはプライドが許さないとか、そういうメカニズムでも働いてるんじゃないか。

そんな折にひょいと解決策をチラ見せすれば、深いため息の後に、仕方なく折れる。

それを叶えれば、どっか消えてくれるだろうと。

 

 

「じゃ、"まず"は……名前教えてくれない?」

 

 

だから、そこを折らせたのなら、後はもうこっちのものだ。

 

 

「何故そんな事、貴様に教えなくてはならないんだ」

 

 

「知らないと不便でしょ?」

 

 

「私は別に困らない……──名前なんて、そんなもの」

 

 

「……俺は困んの。メリーさんもそう思うよな?」

 

 

「そう、名前は大事。単なる音じゃないもの。あ、ナガレ。お膝の上、お邪魔していい?」

 

 

「どーぞ」

 

 

「わーい」

 

 

「自由か貴様ら……」

 

 

仏頂面も呆れ顔に変えながら、疲れたように肩を落とした彼女の名前を引き出すべく、見つめる。

胡座の上に身体を滑り込ませたメリーさんの頭に顎を乗せ、一緒になってジーっと見つめる。

 

 

「……………チッ……………────ルークス」

 

 

「「ん?」」

 

 

「だから…………私の名だ」

 

 

そうしてささやかな勝利を得たものの。

彼女……ルークスの緋色に、何故だか(くら)い光が滲んだのが気になって、つい。

悪い道化癖が顔を出して、頬を緩ませた。

 

 

─────

──

 

【 緋色の女 / Lux 】

 

──

─────

 

 

 

なんというか、今日は不思議と、懐かしく思う事の多い日だ。

 

 

「……へぇ。ルークス……はは」

 

 

「貴様……なにを笑ってる。八つ裂きにするぞ」

 

 

ギロリ、と。

眼力だけでも寒気のする切れ味の視線。

名前なんてどうでもいいって言った人とは思えない。

 

 

「おっかないこと言うなって。いや悪い悪い、実は俺、写メ娘……もとい友達にルー君って呼ばれてたから」

 

 

「ルー、クン? ……お前の名前はナガレじゃなかったのか」

 

 

「ナガレで合ってる。けどまぁ流って名前はル、って読

む事も出来んの。そんでルー君ってなった訳」

 

 

「……」

 

 

リョージとアキラはナガレ、チアキだけがルー君。

特別扱いとかそんな色っぽいもんじゃない、単なる呼びやすさから。

よく分からんなとそっぽを向くルークスと、不思議な響きだからか、るーるーと口ずさむメリーさんの対極な反応が面白い。

 

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 

付き合ってられないと、懐に抱えっぱなしだった古いスケッチブックを開き、ペンを取り出すルークス。

もう追い払うのも面倒になったのかも。

疲れた様な吐息と共に姿勢を正した慣性で、灰色の髪が柔らかく舞った。

 

 

「私メリーさん…………ほほー……うん、すっごく上手なの!」

 

 

「お、マジでか。どれどれ」

 

 

「貴様ら、勝手に……」

 

 

どうせ頼んでも見せてくれないだろうから、勝手に見ようということで。

ひょこっと覗いて見れば──確かに、ペン一つで描いたとは思えないくらい、陰影も細かく写実的な精霊樹の絵だった。

 

書きかけだが、とんでもなく上手い。

でも、それ以上に……あれ、なんか実際の精霊樹と違くないか。

 

 

「枝にも、精霊樹の雫が実ってる……」

 

 

「……あ、本当なの。どうして?」

 

 

「どうだって良いだろうが」

 

 

「んんー……あ、分かったの。精霊樹が寂しそうだから、実も描いてあげようって事ね。ルークス、やさしいわ」

 

 

「…………もう、それで良い」

 

 

きっと答えは違うんだろうが、それを提示するつもりはないらしい。

俺達の事を意識外へ追いやるように、ルークスは黙々とペンを進めてしまう。

ちょっと彼女が自棄気味になってる感じがするので、そろそろ本題に入るとしようか。

 

 

「ルークス。つかぬことをお聞きするけどさ、聖域で女の幽霊とか見てたりしない?」

 

 

「…………は?」

 

 

あまりに荒唐無稽な切り出し方だったからか、彼女は思わず顔を上げた。

丸々と開かれた緋色の瞳と、不健康そうな服装とは裏腹に健康そうな褐色肌。

鳩が豆鉄砲くらった様な素面が、少し幼かった。

 

 

「五日前くらいに、ここに観光に来た人が居てさ。そん時に女の幽霊を見たらしい」

 

 

「…………」

 

 

「で、こっからがちょい不思議なんだけど……何故か、その幽霊の顔が思い出せないんだとか! いやー紫鏡とか忘れないと不味いって話は良くあるけど、思い出せないってのは都市伝説にも中々なくってね! これは是非とも調査せんといかん! ってな具合で……」

 

 

「ナガレ、ナガレ。ちょっと落ち着くの。ルークスが……」

 

 

「……え?」

 

 

「……あの金髪エルフ。私の邪魔をしたばかりか、下らん噂を……」

 

 

「………………」

 

 

お分かりいただけただろうか。

金髪エルフ。噂。

忌々しそうにルークスが吐き出した言葉は、どう考えても当事者のモノで。

 

幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。

 

いやいや、え、これで種明かし終了かよ。

 

 

「…………」

 

 

「……おい。なにいきなり、人の頬を突っついて……」

 

 

「……生きてるじゃん」

 

 

「……見れば分かるだろうが。あと気安く触るな、消し飛ばすぞ」

 

 

またもおっかない言い方に、大人しく手を引っ込める。

この、噂の種のしょうもなさから来る落胆も幾度となく経験したものではあるけど、異世界産のネタだけあってガッカリ感がいつもより多い。

 

 

「(というか、顔思い出せないって……単に忘れっぽかっただけ? あーもう、今朝のお嬢とエトエナの口論に割って入っとけばそこら辺もっと……)」

 

 

「よしよし、ナガレ、ドンマイなの」

 

 

「…………今度は勝手に落ち込み出して……なんなんだコイツは」

 

 

「私メリーさん。そしてナガレは都市伝説大好きっ子なの。でも、幽霊の真相が勘違い?……みたいだったから、ガッカリしてるの」

 

 

「……良く分からんが、コイツが馬鹿なのは分かった」

 

 

泣きっ面に蜂みたく、凹んでるとこに容赦ない一言。

かと思いきや、隣で落ち込まれるのが鬱陶しかったのか、それとも辛辣な弁ばかりのルークスのちょっとした優しさなのか。

 

 

「…………トシデンセツ。要は根も葉もない噂好きか」

 

 

「んな身も蓋もない言い方しないでくれ」

 

 

「……フン。つまり【闇沼の底】の類の話だろう。身も蓋もないのは事実──」

 

 

「闇沼の底!? おいおいなにそれなにそれ!! めっちゃ気になるじゃんそれ教えてくれ!!」

 

 

「なっ、おい、やめ、ろ肩を、掴むな! 揺らすな!!」

 

 

「……『身』から出た錆なの。蓋はせずに、ちゃんと教えた方がいいの」

 

 

「教えてくれマジで! さぁ、さぁ!」

 

 

「ぐ、教える、教えるから……離せ!」

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「『闇沼の底は異次元に繋がってる』……?」

 

 

「私メリーさん。こういう話は、どこでも変わらないものなのね」

 

 

「だがそれが良い」

 

 

「……理解不能な奴」

 

 

「理解したら負けって言われてるくらいだから」

 

 

「知るか」

 

 

揺さぶった事をまだ根にもってるのか、凛々しめの声には冷たいトゲが過分にあった。

 

ルークの語るレジェンディアの都市伝説。

魔女カンパネルラの庭、魔境【闇沼の畔】の底は異次元に繋がってるというものだが。

 

 

「異次元か……エレベーターでの特殊な移動法、紙に六芒星と飽きたを書くとか色々とあるもんだけど……」

 

 

「……?? えれべたー……?」

 

 

「あ、ごめんこっちの話」

 

 

聞き慣れない単語に少しだけ首を傾げるルークスに慌てて誤魔化しつつ、闇沼の地へと思いを馳せる。

 

異次元への道、か。

 

 

─────

 

 

俺の世界での【底無し沼の都市伝説】も似たような噂があるのは、奇妙な偶然? それとも、よくある一致?

 

ただ、比較してみれば現実世界の方がよっぽど恐ろしく、ファンタジー要素が付随しているけど。

 

─────

 

 

でも、これはいつか訪れておきたい。

つか絶対行く、魔女ってのにも会ってみたいし。

危険なのは百も承知。

リスクを恐れてちゃ都市伝説愛好家は務まらない。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

意識した訳でもなく自然と途切れた会話。

ため息とも呼吸とも分からないくらいに落とした浅い息を、渇いた風が流した。

 

急に訪れた沈黙は、かといって居心地が悪くならない。

いつの間にか再開されたスケッチの、紙擦れとペン先の微かな音が、優しい子守唄の様にも思える。

 

けれど、絵描きの心はこれ以上、興が乗らないらしい。

草花の奏でにしばらく指揮棒を託してから、ゆっくりとスケッチブックを畳んだ。

 

 

「私、メリーさん。ルークス、続きは描かないの?」

 

 

「……まぁな」

 

 

「……気が削がれた?」

 

 

「そう思うなら、そう思っていろ」

 

 

相変わらずの憎まれ口ではあるが、その表情はどこか穏やかで、少し──いや、気のせいか。

ゆるりと立ち上がる彼女を見上げようとしたけど、首が痛いから止めた。

決して俺より背が高いのが、なんとなく悔しかったからとかじゃない、決して。

 

 

「……帰んの?」

 

 

「……あぁ」

 

 

「そか。悪かったね、邪魔して。今度お詫びする」

 

 

「…………フン。今度、か」

 

 

スケッチブックを小脇に抱えて、背の高いローブ姿が感慨もなく草を踏む。

今度。

ルークスがそう呟き、少しだけ顔を振り向かせた時。

気のせいだと思っていた事が、そうではなかったと、奇妙な確信を抱いた。

 

 

「……要らない心配はいい」

 

 

「──?」

 

 

寂しそう、だと。

なんでそう思ったかなんて、分からない。

 

 

「私、メリーさん。またね、ルークス」

 

 

「……」

 

 

メリーさんの別れの挨拶に、背を向けたまま歩みを進める彼女はやはり振り向きもしなかった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

──そして。

 

 

 

ルークスの背中を見送って、それから同時再現で疲労が無視できなくなった分、しばらく聖域で身体を休めて。

 

未だに修行を続けているだろうお嬢達の差し入れ用と、メリーさんに約束のハニージュエルを購入した時だった。

 

 

「二袋で。いくらです?」

 

 

「80エンスですね」

 

 

「丁度で……っと。メリーさん、どーぞ」

 

 

「わーい、ありがとうなの」

 

 

「ふふ、可愛い妹さんですね。あれ、でも……妹にさん付けって、んん?」

 

 

「お気になさらず」

 

 

屋台の女性店員さんの疑問符を、適度に流しつつ、俺も俺で考えてみる。

今度お詫びするとは言ったものの、気難しそうなルークスに何を包んで持ってくべきだろうか。

女性でも甘いの苦手って人はいるし、写メ娘……もとい、チアキもそうだった。

反対にリョージと、本人は否定してたけどアキラも甘いモノには目がなかったけど。

 

とりあえず、相談してみよう。

 

 

「メリーさん」

 

 

「んふぅ? はぁに……んっんん……えっと、なぁに、ナガレ?」

 

 

「いや、ちょっとね。今度ルークスにさ、何かお詫びの品渡すみたいな事言ったじゃん。で、なににしようかなーって」

 

 

「あらら、恋人さんにプレゼントとかですか? さては妹と仲良くし過ぎて焼き餅妬かせちゃったとか」

 

 

「そんなんじゃないっすよ」

 

 

女性は出歯亀と恋話が好きな生き物だと、良く分かる代表例からの臆測を、苦笑いしつつ否定する。

ふと、そんな折に、メリーさんから服の裾をちょいちょいと引っ張られ。

 

どうしたの、と顔を向ければ、彼女は珍しく戸惑いの表情を浮かべながら──

 

 

 

「あの、私、メリーさん。ねぇ、ナガレ……その。

 

 

 

 

ルークスって、誰の事なの?」

 

 

 

 

そう、告げた。

 

 

 

 

 



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Tales 37【予選開始】

実にわくわく……じゃなかった。

実に驚かされたメリーさんの発言に、慌ててルークスの特徴やら話した内容やらを伝えてみたら、次第に彼女の事を思い出していった様で。

 

 

『私メリーさん……なんで、忘れちゃったんだろう。ううーん……なんか、変な感じ。メリーさん、物覚えには自信があったのに』

 

 

なんせガートリアム防衛戦の時、俺に誤射してしまった弓兵の顔なんて未だに髭の形まで覚えているみたいだし。

奇妙な体験をセリアを始めとした仲間内に説明してみても、そんな現象や魔法に具体的な心当たりはないらしい。

だが、その真偽を確かめる事は出来なかった。

闘魔祭の予選日までの期間に折りを見て聖域に通ったが、ルークスの姿を見る事は出来なかったから。

 

 

「……お嬢、大丈夫?」

 

 

「だだだだだいじょぶぐっじょぶですわわん。かなかなのななるーにかかればこんなの朝っ、朝飯……朝食、食べ損ねてましたわぁ」

 

 

「よし、大丈夫だな」

 

 

「……どこをどう見たら大丈夫なの」

 

 

小学生の頃、ゴミ捨て場のゴミ箱をトイレ代わりにしていた二日酔いのサラリーマンとおんなじぐらい青い顔。

胃に穴が開いてても不思議じゃないお嬢の緊張具合はちょっと笑えるが、深刻なのは間違いない。

ならば、すかさずケアをするのが出来る執事の証というもの。

 

 

「お嬢様」

 

 

「うぅ、アムソン」

 

 

「分かっておられますな。辺境伯とはいえグリーンセプテンバーは名家と歌われし一門。例え西方の地とはいえ、活躍も醜態もフルヘイムの皆に届きます。よもや、たった一度の参加の機会で予選敗退などという無様を晒せば……ほっほ」

 

 

「ふぎゅっ」

 

 

「……」

 

 

「……お嬢」

 

 

ケアどころか全力で追い込んでくアムソンさんに、セリアが唖然とした。

お嬢、涙目になってプルプル震えてるし。

しかもコロシアムの前だから、他の参加者と思われる厳つい男達がなんじゃあれとすれ違い様に見てくるという、泣きっ面に蜂。

 

あまりに哀れだったので、剥き出しの背中をよしよしと擦ってやる。

これじゃ滑らかな背中の肌白さに対する感想も浮かばない。

 

けどお嬢の震えがやがて収まった辺りで。

 

 

「ぐっぐぬぬ……く、ふ……おほ、オーッホッホッホッホ!!!」

 

 

やはりお嬢の事を一番理解してるのは、この執事であるのは間違いと改めて認識出来た。

 

 

「やってやりますわよ……ええ、やってみせれば良いんでしょう?! 上等ですわよこんちくしょー! わたくしはエルフ、わたくしは黄金風のナナルゥ!! どんな者が相手だろーとちょちょいのちょいさー! ですわ!」

 

 

「それでこそお嬢様にございます」

 

 

「……荒療治ね」

 

 

「……葉脈に光、ね。だったらアムソンさんは、さしずめ水と二酸化炭素ってとこか」

 

 

「それ、なんの話?」

 

 

「んー、他愛ない話」

 

 

「そう」

 

 

これ以上となく胸を張りながらコロシアムに入場していくお嬢の背を眺め、やがてその背を追いかける。

水と二酸化炭素を与えられ、いつもみたく生き生きする彼女の姿が、少し眩しい。

でもちょっと無理してる感もヒシヒシ伝わって来るのが、いかにもお嬢らしかった。

 

 

 

────

──

 

【予選開始】

 

──

────

 

 

 

「えー…………サザナミ・ナガレ、様ですね……えっと、まぁ『モラルモノクロ』での記入は問題なし、条件もクリアされました。エントリー受付完了です」

 

 

「どうも」

 

 

「それではナガレ様から見て右手の通路をお進み下さい。先の会場にて予選説明会が行われますので」

 

 

「りょーかいです」

 

 

マジマジと俺が記入した書面を見るのは、俺の字が下手で読みづらいからだろう。

というのも、何故か俺はレジェンディアの文字が読めるし、日本語で文字を書いても相手に伝わる。

 

伝わるのだが、俺の書いた文字には『癖』みたいなものが濃く出ているらしい。

要はおじいちゃんの書く字が崩れて読みにくい的なやつであった。

 

 

「モラルモノクロか、便利だなぁ」

 

 

「王室の公文書や重要書類にも使われるマジックアイテムですもの。不正防止にはもってこいですわ」

 

 

「『本心』をインクにするんだっけ。真実であれば黒いインク、嘘があればインクが出ない……自分の心に嘘はつけないって事かねぇ」

 

 

エントリー用の書面を記入するのに使った特殊なペンの効果を聞いた時には、ほほーと感嘆の息が出ちゃったもんだ。

正直、一個欲しいぐらい。デザインもお洒落だったし。

 

 

「ほら。感心してないで、さっさと会場へ向かいますわよ!」

 

 

「へーい(予選は選手以外は会場に入れないって聞いて、滅茶苦茶焦ってたのに)」

 

 

人の溢れかえるロビーの右手口を進む背中に付いていきつつ、出入口をそっと振り返る。

参加者以外はロビーに入れない規則により、セリア達はこの場に付き添えなかった。

 

その不安さを勢いで誤魔化しているお嬢を見れば、自然と頬が緩んだ。

アムソンさんからこっそりお嬢の保護者役を頼まれてるし、まぁ、やれるだけやってみるかね。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「……ふん、来たわね。どうせそよかぜの事だから、臆病風に吹かれて欠場するもんだと思ってたけど」

 

 

「カ・ナ・カ・ゼ! ですわ! エトエナ、今に見ていなさいな。その高慢ちきな鼻っ柱を、このわたくしがてってー的に追ってさしあげます!!」

 

 

「吹いたわね、落ちこぼれ!」

 

 

「だからなんだというのです、この──」

 

 

「はいはいはい、どーどー。お嬢もポニ娘も落ち着きなって」

 

 

「馬扱いすんなですわ!」

 

 

「誰がポニ娘よ!」

 

 

体育館に似た造りの会場に着くなり、御約束のようにいがみ合う二人。

なまじ美少女同士だから目の保養にはなるけど、悪目立ちは勘弁願いたい。

緑色のカーディガンと黒のサブリナパンツといった動き易そうな格好のエトエナのリアクションは、なんか写メ娘を思い出して懐かしくなる。

 

 

「え、エトエナさん! ダメだよ、他の参加者に絡んじゃ……」

 

 

「ピア、ほっとけって」

 

 

「フォル。いやでも……」

 

 

「……ん?(双子?)」

 

 

とそこで、何やらエトエナの知り合いであるらしき二人組が顔を出した。

片や濃いブラウンの髪を伸ばした、グレーに近い瞳を落ち着きなく泳がせてる女の子。

上側だけ赤い縁の欠けた眼鏡が特徴的で、年の頃はテレイザ姫と同じくらいか。

 

そしてもう片方は、同じ髪色、同じ眼の色からして女の子と親族らしき男の子。

荒っぽく後ろに流した髪型と、肩当てやら籠手やらと戦士のような軽装備といった外見の違いはあるけれども、顔立ちは彼女と非常に似ていた。

 

 

「そちらさんは?」

 

 

「アンタ……ナガレ、だったっけ? エースから山札(キティ)については聞いてんの?」

 

 

「キティ? それって確か……」

 

 

「エルディスト・ラ・ディーの補充部隊だっけか」

 

 

「そーよ。そこの二人で……此処に居る理由も、分かんでしょ」

 

 

「なーるほど。んじゃえーっと、俺は細波 流。ナガレって呼んでよ、お二人さん」

 

 

「……オホン。わたくしはナナルゥ・グリーンセプテンバー……人呼んで、黄金風(かなかぜ)のナナルゥですわ! 決してそよかぜではありませんので悪しからず!」

 

 

「は、はい。ナガレさんに、かなかぜのナナルゥさんですね。私、ピアニィ・メトロノームです。ピアって呼んでください。で、えっと……こっちが私のお兄ちゃんの……」

 

 

「……フォルティ・メトロノーム。言っとくけど、俺はお前らと馴れ合うつもりなんてないからな!」

 

 

「もぉ、フォルってば、またそんな……」

 

 

なんか敵意向けられてるけど、なんでだろうか。

髪型同様にツンツンしてらっしゃるフォルの様子に小首を傾げると、さっきまで彼以上に怒り肩だったエトエナが大袈裟に溜め息をついた。

 

……エトエナはアレだな、熱しやすく冷めやすい気質っぽい。

お嬢に似てると指摘したらまた熱くなるだろうから、口にはしないけど。

 

 

「あたし達って、言い替えればこの兄弟の『保険』って事でしょ。それが気にいらないのよ、このガキんちょは」

 

 

「お前だってガキみたいな見かけの癖に」

 

 

「……は? 喧嘩売ってんの?」

 

 

「先に喧嘩売ってきたのはお前の方だろ!」

 

 

「だから何よ。上に信用されてないのはあんたが未熟だからじゃないの!」

 

 

「フォル、もうやめてったら! エトエナさん、ごめんなさい! 今日はちょっと、虫の居所が悪かったみたいで……」

 

 

「……子供の喧嘩ですわね。全く、はしたないですわ……」

 

 

「……そーですねー……」

 

 

とりあえずお嬢のコメントはスルーさせて貰うとして。

要するに、優勝出来ないかもって不安視されるのが悔しいって事か。

同じ男として、気持ちは分からんでもない。

しっかしこの面々、ピアを除いてみんな我が強いのばかり。

 

おかげで周りの参加者らしき人達の嘲笑を貰ってる訳だけども、本人達は気付いていない。

てか参加者めっちゃ多いな。百人以上居るだろこれ。

 

ま、そんな事よりもだ。

さっきからひたすら困り顔で間を取り繕ってるピアがそろそろ可哀想になってきたし、そろそろ助け舟を出そうとしたところで。

 

 

『参加者の皆さん、お待たせ致しました! これより闘魔祭の予選説明を行います!』

 

 

ビジネススーツを着込んだ男性の、よく通る声が、ざわめいた会場に静寂を呼び込んだ。

導かれるように、壇上へと参加者達の視線が集まる。

 

大盾を中心に、交わされた剣と杖。

この闘魔祭の象徴であるエンブレムが刻まれたタペストリーを背に、赤いネクタイを整える彼がアナウンス役なんだろう。

 

 

『まずは本日お集まりの、総勢160名のもの勇敢なる皆様に感謝を。私は予選進行役のオルガナ・ローンと申すもの。どうぞお見知りおきを』

 

 

粛々と腰を曲げる彼の言葉に、会場の空気が途端に引き締まった。

 

 

『さて早速ではありますが、闘魔祭予選についての説明をさせていただきます。その内容は──参加者十名をワンブロックとした、バトルロワイアル!!』

 

 

「!」

 

 

『ランダムに選ばれた十名同士で対戦を行っていただき、その内、"二名"の勝利者のみが本選トーナメントの出場資格を得る、という事になります。つまり、この場に居る160名の内、本選に出場出来るのは……総勢32名まで!!』

 

 

「(……二名。それはまた厄介な……)」

 

 

『加えて、本選出場者の代理参加も当然不可です。予選参加者は、敗退が決定したその時点で、今後例外なく闘魔祭への参加資格を失いますのでご了承をお願い致します』

 

 

「(しかも煽ってるし)」

 

 

十人中、二名のみの本選枠を争い合うバトルロワイアル。

つまりそれは純粋な実力のみならず、知り合い同士と組める『運』、結託する為の『交渉力』、駆け引きの為の『知力』も状況次第では必要になってきそうだ。

 

流石は四年に一度の祭典、予選ですら一筋縄ではいかないか。

参加者達も気炎を灯らせつつ、周囲に油断なく視線を通わせていた。

 

 

『それでは、只今よりそれぞれのブロックごとの選出を発表して参ります! 名前を呼ばれた参加者は、割り当てられたブロック名のプラカードを持った係員の元へお集まりください!』

 

 

かくして非常にシステマチックなモルガナ氏の挨拶は終わり、本選出場に関わる重要な振り分けが始まったのだった。

 

 

 

【おまけ】

 

『メリーさんのアプリ入門』

 

 

聖域に行った翌日

 

 

『わたしメリーさん。今アプリを開いてるの』

 

「え、ちょい待ち。メリーさん、スマホのなか住んでる内にンな事出来るようになってたの?」

 

『なんか一番大きなお部屋をお掃除してたらピローンって』

 

「なにその効果音。てか俺のスマホ壊れてんのに、どういう原理……いや、スマホの中にメリーさん住んでる時点でそういう次元の話じゃないか……」

 

『メリーさんには無限の可能性があるの。うふふ』

 

「……でも俺、ゲームとかのアプリ落としてたっけ。基本トークツールぐらいだった気が」

 

『ライントークのことね。うん、それも後でいじいじしてみるの』

 

「なんかそれだとイジけてるみたいじゃない?」

 

『私メリーさん。でも今開いてるのは、この【ぷにょぷにょん】ってアプリなんだけど。これはゲームじゃないの?』

 

「あー……そういやリョージに対戦すんぞって無理矢理インストールされてたっけな」

 

『あ、起動出来たの。ふーん……パズルゲームかしら?』

 

「そそ。ま、とりあえずそのストーリーモードっての、頑張ってみなよ」

 

『はーい』

 

 

10分後

 

 

『もう! この邪魔ぷにょ、なんでメリーさんの邪魔ばっかりするの!』

 

「そりゃ邪魔ぷにょだからな」

 

 

20分後

 

 

『あぁ~違うの、そこは緑と赤のぷにょで、青はいらない……あぁぁぁぁぁ』

 

「あるある」

 

 

30分後

 

 

『むっかつく! むっかつくのー! ぷにょバトルじゃなかったら、メリーさんこんな吸血鬼どーってことないのにぃぃぃ! 16連コンボ決めれるのにぃぃ!』

 

「……プレイアブルキャラとリアルファイトしちゃダメだろ」

 

 

一時間後

 

 

『…………ぐすん』

 

「まさかノーマルステージの一面すらクリア出来なかったとは……」

 

『……もーいいの。メリーさん一生ぷにょぷにょで遊ばないの』

 

「……コツ教えるから、拗ねない拗ねない」

 

『ホント?! ドラキュラ倒せる?』

 

「余裕よゆー」

 

『悪の魔法使いは』

 

「べりーいーじー」

 

『私メリーさん! 今、リベンジに燃えてるの!』

 

「はいはい」

 

 

こうしてナガレがアムソンと修行する一方で、メリーさんはひたすらぷにょぷにょのコンボ練習をしていたとか。

 



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Tales 38【エメラルドの磨き方】

『第一ブロック。タニストン・ユーグ選手! タニストン・ユーグ選手、係員の元へ。続きまして、エイド・ファーク選手! さらに────』

 

 

早くも流れ出すアナウンスに耳を澄ませながらも、さっきの内容を反芻すれば眉間に皺が寄る。

顎に添えた指の腹が、手汗で妙に湿っぽい。

 

 

「バトルロワイアルか……んー、俺達からすれば追い風っぽいルールかもと思ったけど、そうもいかないっぽいね」

 

 

「……ですが、わたくしとナガレが一緒のブロックに選ばれる可能性もありましてよ?」

 

 

「確かに、それはかなりラッキーかもしんない。でも、もしかしたらそこにエトエナが加わるかも知れないし、それ以上の面倒もあり得る。そうなったら、エルディスト・ラ・ディーの立場としちゃ喜べないだろ?」

 

 

「……まぁ、そうかもしれませんけど」

 

 

「それに……周り、見てみなよ。俺達思いっきり警戒されてっから」

 

 

「え……?!……な、なんですの? 皆、わたくし達をジロジロと……」

 

 

お嬢が怯えたように俺の肩に手を添えたのは、周りの参加者達からの射抜くような視線が原因だろう。

堂々と此方を注視する者も、盗み見る者も居る。

いや、視線の行く先は俺達だけに留まらず、この会場全体を行き交っている。

その視線の理由も、そう難しい話じゃない。

 

 

「うぅ……こ、怖いよ、フォル」

 

 

「……チッ」

 

 

「ふん、そーゆーこと。闘魔祭の参加者は随分小心者が多いのね」

 

 

「小心者? どういう意味ですの?」

 

 

「……察しが悪いわね。闘いはもう始まってるって事よ。さっきあんたも言ってたでしょ。あんたと、そっちのナガレが一緒のブロックになったとしたら……残り八人はどう動くかって話よ」

 

 

「……?…………! わ、わたくし達が狙われる?」

 

 

「ま、そーなるね。本選枠は二名。ってなったら、残り八人からすれば『アイツらは組んでる可能性が高い』ってなるのが自然。逆に言えば、二対八の状況を作れるかもしれない。だから皆、まず蹴落とすべき奴らの顔を頭に叩き込んでる」

 

 

説明前の『悪目立ち』が、ここに来て手痛い仇となってしまった訳だ。

ま、んな事を今更掘り返したって仕方ない。

とりあえず、周囲に(なら)って俺も周囲に視線を巡らせておくか。

 

 

『第二ブロック。ピアニィ・メトロノーム選手!』

 

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

 

と、早速か。

ビクンと背を強張らせたピアが、パタパタと『2』のプラカードを掲げる係員の元へと走っていく。

その折、何度も何度もこっちに振り返ってる顔が、今にも泣きそうなのは気のせいじゃない。

 

 

『続けて、フォルティ・メトロノーム選手!』

 

 

「……続けて呼ぶとか、悪意あるなぁ」

 

 

「……関係ないね」

 

 

信頼の置ける兄の名が呼ばれた途端にぴょんぴょん跳ねて喜びを示す妹の元へと歩み出す。

冷めた口振りながらも、フォルの背からは勇ましい気炎が上がっていた。

 

 

「どうせ、一人残らず思い知らせてやるんだ……『メゾネの剣』は、折れやしないって」

 

 

「メゾネの、剣?」

 

 

「…………」

 

 

問いに答えず、淡々と妹の元へと向かう背中に迷いはない。

抜き身の剣の様な気配は、相当な覚悟の証か。

 

 

「……どう考えても年齢ギリギリって感じだな」

 

 

「……生意気なガキだけど、一応、それなりの実力はあるみたいね。あのキングのお気に入りって話だし」

 

 

「キングって、エルディスト・ラ・ディーのか」

 

 

「それ以外に何があんのよ。言っとくけど、パッと見ただけでも、全然大したことなさそうなあんたが心配出来る相手じゃないわ」

 

 

「御忠告どーも」

 

 

『第四ブロック。コアトリクス・スパロー選手!』

 

 

そういや残り二人の隊長格とは未だに顔を合わせてなかったな。

しかし隊長格のお気に入りって事は有望視されるだけの

土台があるって事だから、侮れる相手じゃなさそうだ。

 

対お嬢とは違ってさほど刺を感じないエトエナの声色に相槌を流しつつ、浅く息を一つ。

 

 

「……」

 

 

『第七ブロック……エトエナ・ゴールドオーガスト選手!』

 

 

「……ふん。まぁ、どうせ一人残らずってのだけはあのガキんちょの言う通りよ。じゃあね、そよかぜ。くくっ、今のあんたは臆病風のナナルゥってとこね! あはは!」

 

 

「くっ……」

 

 

クツクツと喉鈴を転がすエトエナは、悪役を気取りながら、振り向きもしない。

機嫌が良さそうに揺れる金の尻尾髪が、犬のソレに良く似ていると思えるのは、他人事の証なんだろう。

 

さっきからお嬢がずっと俺の肩を掴んだままアナウンスに耳を傾けているのを、指摘する気にはなれなかった。

 

 

────

──

 

【エメラルドの磨き方】

 

──

────

 

 

 

『第九ブロック。バレンティン・ヤクマ選手!』

 

 

「……」

 

 

「大丈夫、大丈夫ですわ。わたくしは黄金風、グリーンセプテンバーに連なるエルフ。セリアだって、わたくしなら上手くやれるはずって……」

 

 

「(……熱しやすく、冷めやすい。手がかかる子供みたいだな)」

 

 

アムソンさんからの檄も、こうも向かい風が続けば臆病な心が顔を出しても仕方ない。

俺のジャケットを掴むオペラグローブに、しばらく残りそうな皺がいくつもいくつも。

 

大丈夫じゃない『大丈夫』は、お嬢にとって、言い聞かせ馴れた呪文なんだろう。

鏡に向かって言い聞かせるんじゃなく、下を向きながら延々と。

それじゃあ、かのブラッディメアリーだって引っ掻かない。

 

 

「出来るはず……やれるはず……頑張ったんですもの……ぶつぶつ」

 

 

「(……でもまぁ、手が掛かるほど可愛いって言うし)」

 

 

『最後に……ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手!』

 

 

「!!!……ぁ」

 

 

彼女が脳裏に描いていた、俺と同じブロック入りの可能性は断つアナウンスに、お嬢は身を強張らせる。

白すら混じり始めた唇のわななきが、メッキを剥がす弱音を紡ぎそうで。

 

頼まれたから、彼女の強気を引き出そうか。

先人(アムソンさん)(なら)って。

スマートにはいかないだろうけど。

 

 

「お嬢」

 

 

「え?……──ん、いひゃぁん!?」

 

 

「おー凄い声。なに、お嬢の性感帯って背中なの? へー」

 

 

「な、にゃに、なぁ、いぃぃきなり何をしますの!!」

 

 

人差し指でツーっと背中を撫でてやれば、色っぽい反応と共に目まぐるしく顔色が変わる。

若干潤みがちな瞳が、羞恥と怒りのランプ代わりに爛々と燃えているのは端美だけども、今伝えるべきは美辞麗句じゃない。

 

 

「ねぇ、お嬢。俺が思うに、なんだけど」

 

 

「え、はぁ? 今度はなんですの?!」

 

 

「まー落ち着いて。で、俺が思うに……」

 

 

「しゅ、淑女の肌を撫でておいて、なにをいけしゃあしゃあと……!」

 

 

「──アムソンさんって、無理な事は絶対にさせないんだよね。特に、お嬢に対しては」

 

 

「…………アムソン、が?」

 

 

「そそ。修行の時にも思ったけど、アムソンさんって人の限界を見抜くの上手いんだよ。俺がこれ以上は無理って本気で思った時には、いつも休憩を言い出してくれてたし」

 

 

「……」

 

 

アムソンさんの洞察力についてはお嬢が一番肌で理解してるはず。

なら、挫けやすい難儀なエルフの背中の押し方は、彼に倣うのが一番だろう。

 

 

「しゃんとしなよ、『お嬢様』。アムソンさんが送り出してくれた以上、決して無理な事じゃない。それに、セリアもセリアで、出来ない事を他人に求めるタイプじゃないし……こうして考えれば、お嬢は二人から太鼓判貰ってるって事か」

 

 

「……──!」

 

 

『ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手! 係員の元までいらして下さ─』

 

 

──宝石を磨くのに、軟らかい布で包んだって始まらない。

皺みたいにささくれたモノの方が、鮮やかに仕上がるもんじゃぞ──

 

 

そう俺の頭を撫でながら独り言みたいに呟いた『先人(じいちゃん)』の、言葉も借りて一押しすれば。

エメラルドグリーンは絢爛に、夜のオーロラよりも煌めく。

 

 

「…………スゥ……オーッホッホ!! 主役というのは端役を多少待たせておくのが作法! そう急かさなくとも、参りますわ! この豪華絢爛なるエルフ、黄金風のナナルゥが!! オーッホッホッホッホ!!」

 

 

ご自慢の美貌やらバストやらを存分に張って、悠々とブーツの底を歌わせる。

どことなく甘い顔立ちとは釣り合わない驚異的なお胸周りをこれでもかと張るもんだから、参加者の男性陣は生唾を飲んで鼻の下を伸ばすのも無理はない。

 

第九ブロックの列の最後尾の、バンダナ巻いてるお兄さんとか、渾身のガッツポーズを掲げながらうっひょーって叫んでるし。

ただ、そんな背中に苦笑混じりで呟けば、エメラルドのお嬢様は見惚れる様な所作で半分身体を俺の方へと傾けて。

 

 

「そうそう……ナガレ、この不埒者。嫁入り前の乙女の肌に触れた責任は、その内、耳を揃えてきっっっちりと払っていただきますわよ。なんでお耳揃える必要あるのかはさっぱり分かりませんけど」

 

 

「……お安くしといて」

 

 

「却下しますの」

 

 

頭のシルクハットを上品に掲げ、下唇を艶かしく潤わせるのだった。

熟しかけの林檎の様に、頬に紅を添えながら。

 

 

 

 



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Tales 39【影法師は胸に秘める】

『第十二ブロック。ラド・バラキ選手!』

 

 

人の振り見て我が振り直せじゃないけれど。

あんな偉そうな励ましをしていた我が身は、組んだばかりの腕をそそくさと組み直すぐらいには緊張していた。

 

そこいらの不良とは訳が違う猛者達の視線に、ひたすら居心地の悪さを押し潰す。

 

 

『ナガレ・サザナミ選手!』

 

 

「……」

 

 

どうせならもっと早く呼んでくれって意味もない苦情が思い浮かぶ辺り、浮き彫りになる余裕のなさ。

お嬢には聞かせられない弱音だと、ちまちまと動かした足が──止まる。

 

 

『続けて、セナト選手!』

 

 

「…………」

 

 

「…………人の背後に回るの、趣味?」

 

 

「さて……だとしたら?」

 

 

「悪趣味じゃない、それ」

 

 

「全くだ。私もそう思う」

 

 

いつから居たの、俺の背後に。

いや、もうそこは突っ込むまい。

うん、まぁセナトが参加者ってのは頭に入ってたけど。

だからこそ周囲の観察もしつつセナトの姿を探してたんだけど。

 

 

「あー……お元気そうでなにより」

 

 

「"お陰様"でな」

 

 

はい、今や何故か『女性に対するトラウマの反動で、男色に目覚めた』と巷で噂のロートン様。

つまりこの行為は、その雇われ傭兵であるセナトさんに対する意味深過ぎる意趣返しという事なんでしょうか。

 

うん、ごめん。

誰か助けてくれませんか。

 

 

────

──

 

【影法師は胸に秘める】

 

──

────

 

 

「まさかナガレ殿と一緒のブロックになるとはな」

 

 

「……よ、呼び捨てでいいよ、セナトさん」

 

 

「……そうか。ならば私もセナトで良い」

 

 

リノリウムの様な光沢を放つ白い床に、大の大人がぞろぞろと列を作って進むのは中々に面白い絵図なのかも知れない。

とはいえ、これから向かうブロックごとの闘技場で行われるのは、和気藹々としたものでは当然なく。

 

付け加えれば、さっきから真後ろでジーっと物言いたげな視線を向けているセナトが怖すぎる。

他の参加者達も、ちらちらと此方を盗み見ている辺り、彼の異端的雰囲気に少なからず脅威を感じているんだろうか。

 

 

「……その、色々あったっぽいな」

 

 

「ほう。色々とは?」

 

 

「……ロートン卿関連で」

 

 

「あぁ……確かに。例の騒ぎの次の日には護衛を解除されたのでな。もっとも、私としてはかえって精々する所だが」

 

 

「……それって、責任を負わされてってこと?」

 

 

「そうなる……とはいえ、当日私を護衛役から外したのは他でもないヤツ自身。ならば元々の依頼に集中するまで、というだけの話だ」

 

 

「……そか(通りで情報が予想以上に錯綜してる訳だ。おかげでこっちは無理矢理すっとぼけなくとも良くなったけど)」

 

 

メリーさんに変装までして貰って、あのレインコート買いに行かせたりした努力が無駄になったのは、幸か不幸か。

結果、俺は随分楽な思いが出来ている分、セナトには皺寄せがいってしまったんだろう。

 

だからといって謝れるはずもない。

そんな事すれば、ロートンについては俺がやったと白状するようなものだから。

 

 

「……因果は応報を招きたがるもの。ヤツの成れ果てには興味はない、が」

 

 

「ん?」

 

 

「……他に関しては興味を惹く。何せたった一夜にして、国中があの噂で持ちきりだ。情報屋を何人雇えばそんな規模の流布が行えるというのか……そう、思わないか、ナガレ?」

 

 

「……確かに。そういう類の魔法でも使ったとしか思えないね。ホント、"手の込んだ悪戯"だったな」

 

 

「──……くく。あぁ、全くだ。愉快犯には是非種をご教授願いたいものだ」

 

 

必死なポーカーフェイスも見透かされている様な、(くすぐ)ったそうな微笑。

全身黒尽くめの男の黒々とした瞳が、不思議と柔らかく緩む。

ゆったりとした蝶の羽ばたきみたいな睫毛の動きが、なんかちょっと色っぽいと思ってしまった。

 

 

しかし、セナトの言う元々依頼って多分、闘魔祭に参加するって内容だよな。

言い換えれば、貴族派閥からの刺客。

つまりは仮とはいえ俺達傭兵団側からすれば、大きな障害という立ち位置なんだろう、けど。

 

 

「……ん、待てよ。ねぇセナト。その依頼って──うわっ」

 

 

「おおっと、悪いなぁ坊主。へへへ。旦那、旦那。ちょいとええですかい?」

 

 

「っ……何だ、お前は」

 

 

ふと思い付いた尋ね事は、言葉に成りきる途中で、にゅっと俺の前から伸びた男の手に遮られた。

危うく(つまづ)きかけた所を、セナトが咄嗟に長い腕で抱き留めてくれたから、何とか転けずに済んだ。

 

 

「……? あ、ごめん。あと、ありがと(……何か、今……)」

 

 

「……」

 

 

その際のちょっとした違和感に顔を上げれば、セリア以上の冷悧な目付きを男に向けたまま、身体を離される。

 

セナトの視線を迎えるのは、身のこもらない会釈と薄ら笑い。

琥珀色のおかっぱ頭とリスみたいに膨らんだ頬が印象的な男に、どうやら立ち位置を奪われたらしい。

 

 

「ワイはジム・クリケットっちゅーもんで。見たところ、旦那は相当に出来るお人やないんかなぁって思いまして、へへ。あ、兄ちゃん。危なくしてごめんな、お詫びにワイの前、歩いてくれてええで」

 

 

「は、はぁ……(体よく追い払われたし)」

 

 

「……で?」

 

 

「盗み聞きするつもりはなかったんやけど、旦那はアレなんでしょ? 用心棒、っちゅーやつなんでしょ?」

 

 

「……だったらどうした?」

 

 

後ろ足で進みながら、ジムは擦り手とへつらいを怠らない。

そのポーズは卑しくも見えるせいか、彼の言葉運びからしてセナトに何を求めているかは俺にも直ぐ察せれた。

無論、それは求められてるセナトも同様らしい。

 

 

「……へへ。実はワイ、それなりに蓄えがありましてな。どうでっしゃろ。この予選に限りワイと手ェ組むっちゅーのは」

 

 

「……(ですよねー)」

 

 

「……断る」

 

 

「ん、なんでや? 言っとくが、ワイは嘘ゆーとらんし、それなりの額は支払う用意はあるんや。なんてったってワイは──」

 

 

「……真偽はどうあれ、契約書一つも用意出来ないこの状況で、口約束を結ぶつもりはない」

 

 

つまり、用心棒であるならこの場凌ぎの契約を結ばないかと提案してる訳だが、あえなく一蹴。

しかもそんな大金持ってそうな風に見えないとかではなく、きっちりとした理由付けてまで。

 

 

「……チッ。ほな、気が変わったらまた言いなはれや」

 

 

まだ食い下がるかと思いきや、ジムはあっさりと引き下がった。

さしずめ、口車に乗せるには相手が悪いと思ったのか、しかめっ面の額には冷や汗が吹き出ている。

 

と思いきや、今度はこっちに擦り寄って来たよ。

しかも肩を組んで、ボソボソと声を潜める感じに来たよ近いって。

 

 

「……んー……! なぁ兄ちゃん、ワイと組まへんか?」

 

 

「……俺と? つかちょい離れて」

 

 

「おっとと。へへ、で、どない? 兄ちゃん、ワイが見るに……結構出来るんやない?」

 

 

「……はい?」

 

 

さっきまで眼中に無しって感じだったのに、いきなりのリップサービスが白々しい。

思わず間の抜けた声が出てしまった。

 

 

「ままま、多くは語らんでええねん。ワイには分かっとる。"あんな綺麗どころ"侍らしとるんや、それだけでも大した器を持っとる証やねんな!」

 

 

「……(コイツ、俺とナナルゥ達が一緒に居たのを思い出したってとこか)」

 

 

なるほど、それでこの変わり身ね。

……大した面の厚さとでも言うべきか。

 

綺麗どころってのはエルフ。

そんなのと一緒に居る時点で、それなりの実力と見積もれるって事かな。

 

 

「……それにな。ワイと組んだら報酬付きやで」

 

 

「……いや、あのな」

 

 

「兄ちゃんもさっき、話こっそり聞いてたやろ? それなりの額っちゅうのは……ワイの身分が保証したる」

 

 

「……身分?」

 

 

俺が言うのもあれだけど、どう見てもちょっと太り気味のおっさんって感じだぞ。

ていうか、実は意外な正体隠してますって言われて食い付くように見られてんのかな、俺。

 

 

「……ええか、ここだけのハナシやで。実は、ワイはな……」

 

 

「……」

 

 

「なんとやな……」

 

 

「……」

 

 

「──ガートリアム同盟国からの使者やねん」

 

 

「──────は?」

 

 

はい? いや、なにそれ。

えっ、これ笑うとこ?

いやいや、ていうかなに、そのピンポイント。

ひょっとして、お前の身分は知ってるぞっていう遠回りな脅しか何か?

 

 

「おおっと、そんな驚かんでや。まぁ詳しい理由は教えれへんけどな。今、よその国の使者が来てるって噂、兄さんも耳にしてるんやないか? で、その使者がワイって……あれ、もしかして兄さん、聞いた事ない?」

 

 

「……まぁ。初耳」

 

 

「なんや、『繁華街』じゃそこそこ流れてる噂やのに……ま、あんな綺麗どころと宜しくやってそうな兄ちゃん来ぃへんか」

 

 

「…………(繁華街、ねぇ)」

 

 

なんとなく、酒に溺れたロートンがドレスを着た女性にそんな事を愚痴ってる図がありありと。

まぁ、アイツと限った訳じゃないが……候補は、今のところ彼しか思い浮かばない。

 

 

「で、どうや? ワイと組んだら……上のモンに頼んで、もっとええ思い出来るやもしれんなあ?」

 

 

「……(これは、どう考えても出任せだな)」

 

 

何が悲しいって、俺がそんな出任せを信じるように見えるって事だよ。

我ながら威厳の欠片もない外見してるとは思うけど、ちょっと凹む。

 

ささくれ立って仕方ない心模様であるし、当然こんな交渉を飲んでやるつもりはない。

ここは丁重に断ろうと、組まれたままの腕を少し乱暴に外した時だった。

 

 

「──ほう、ガートリアムからの使者。それはそれは……」

 

 

「……ん? お、なんやなんや、もしかして旦那……」

 

 

「……ふっ。そうだな。悪くはない」

 

 

「おぉぉぉ! マジやんなそれ!」

 

 

おいおいおい、セナト、どういうつもりだよ。

ジムのおっちゃん、めっちゃ目ぇ輝かせてるじゃん。

 

そんな俺の白んだ目線も何処吹く風な影法師。

本命の今更な好感触に嬉々として乗り換えたジムに、彼はそっと人差し指を突き付ける。

 

 

「一つ問いたい。ガートリアムの人間は、『冗談が好き』だろうか?」

 

 

「……は? 冗談? な、なんやそのけったいな質問は……」

 

 

「早く答えろ」

 

 

「……う、えーと……そら人それぞれやけどな、ワイは……冗談、割と『好き』やで! このご時世、人を楽しませる為には冗談の一つも覚えてへんとや……」

 

 

「……フッ」

 

 

正直、彼の真意はまるで掴めない。

だが、ジムから俺へと静かに視線をスライドさせた『確信犯』の性格は、少しだけ理解出来た。

 

 

「……了解した。組むとしようか」

 

 

──この人、かなり、意地が悪い。

 

 

 

 



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Tales 40【Marry go round】

「兄ちゃん、悪く思わんでくれや。心配しなくても温情はかけたるから安心してや、へへへ」

 

そいつはどーもと、ニヤニヤと取り繕うジムの掌返しにヒラヒラと手を振って返す。

断るつもりだったから別にいいとは敢えて言わないが、その清々しい転身ぶりは見習うべきかも。

 

 

「お待たせしました。此処より先が第十二ブロックの闘技場になります。列順にお進み下さい」

 

 

プラカードを担いだ女性係員が、つらつらとした説明と共にその場を一歩横に逸れれば、現代でも一般的なドアノブ付きの鉄扉が顔を出す。

 

世界が違えども、案外似るとこは似るもんだねと、今更驚く事もなかったけど。

先頭がドアノブを捻った先に繋がる、巨大な空洞広間には流石に間の抜けた声が出た。

 

 

「うわ広っ……予選会場よりも面積あんな此処」

 

 

ぞろぞろと入場しながらざっと辺りを見渡せば、目に入るのは地面をドーム状にくり貫いたような、石の壁に囲まれた造りの闘技場の風景。

遊びの余地もない無機質さが、この場で繰り広げられてきた闘争の物々しさを肌で知らせる。

 

それにしても、こんな場所があと何個もあるってどんだけ広いんだよこのコロシアム。

 

 

「では、手短にではありますが、注意事項を説明させていただきます」

 

 

参加者の誰も彼もが、入り口の扉を背に語り出す係員へと傾聴する。

白い薄手袋をつけた彼女の右手が挙がり、視線もそちらへ。

 

 

「一つ。途中棄権について。予選試合中に降参される方は、『ギブアップ』と宣言して下さい。その瞬間、宣言された参加者は本選出場資格を失います。また、気絶した場合も同様に扱わせていただきます」

 

 

「……」

 

 

係員が折り曲げた親指の項目は、棄権について。

確かにこれは必要なシステムと言えるだろう。

明確に敗退するまでは棄権不可だったらどうしようって思ってたくらいだ、むしろありがたい。

気絶に関しても異論なし。

ていうか気絶したらギブアップって言えないし。

 

 

「二つ。闘争エリアについて。試合開始から終了のアナウンスまで、この闘技場から一歩でも外に出た時点で失格と見なします。なお、先程述べたギブアップを宣言された方は、速やかにこの会場より外へ退出して下さいね」

 

 

続けて折り曲げた人差し指は、場外ペナルティ。

まぁ、これも当然っちゃ当然か。

 

 

「そして最後。これは注意事項というより確認ですが、参加者の生死についてはあくまで『自己責任』であるという事です。我々も死傷者が出ないように務めて参りますが、最終的な命の責任は、ご自分で支払っていただきます。まぁ、至極当然の事ですね」

 

 

「……(微笑みながら言う台詞じゃないよ、お姉さん)」

 

 

つまり、死にたくなかったらさっさとギブアップするなりしろ、って事で。

フォーマルスーツに、バスガイドが被るタイプの帽子を頭に乗っけた係員のお姉さんは、怖じ気すら感じる微笑みを浮かべながら。

 

中指を、折った。

 

 

────

──

 

【意訳 あの黒いの許さないの】

 

──

───

 

 

「それでは、只今より──予選開始です」

 

 

ハキハキとアナウンス役を務めていたモルガナさんが聞けば眉を潜めそうな程に、張りも勢いもない開始宣言。

だがその分、闘魔祭の酷薄とした厳しさを演出するには丁度良い冷徹さなのかもしれない。

 

 

「……」

 

 

予選開始のストップウォッチはカウントを刻み始めたとはいえ、いきなり殺伐としたしのぎ合いが始まる訳もない。

互いが互いに、武器をその手に持ち、一定の距離を保ちながら、慎重に立ち位置を変えていく。

俺もまたショートソードを鞘から抜き、腰のアーカイブをいつでも構えれる様にホルスターを緩めて、周囲に倣った。

 

 

だが、その中で一人、構えを作る事もなく悠々と腕を組んでいる人間が居る。

いや、脚を動かしていないのは、正確には二人になるか。

 

 

「……」

 

 

悠然と立つセナトと、その背に控えながら汗顔を振り撒いて周囲を見回している、ジムだ。

涼しげに、何故か俺から視線を外さないセナトはともかく、ジムが焦るのも無理はないだろう。

 

何故なら徐々に──彼ら二人を中心にした、他の参加者達による円形包囲網が出来上がっていくのだから。

 

 

「……移動中にあんな話したら、こうなるに決まってんじゃん」

 

 

かくして出来上がったのは、さながら【かごめかごめ】の童謡をなぞった様な状況。

あの童謡も色々と都市伝説チックな謂れが多いよね、なんて余談も程ほどに。

 

 

「……どっちも籠の中の鳥ってタマじゃないけど」

 

 

んでこの状況もまた、闘いのルールに則った思考の末であり、まぁ当然の帰結と言える。

どう考えたって、一番『ヤバそう』なのはセナトだっていう参加者達の認識が共通に結びつけば、手は二つ。

セナトと手を組むか、全員で真っ先に排除するか。

 

前者は既に取れる手段ではないのなら、必然的に後者を取る。

状況の仕組みとしちゃこんな所か。

 

 

「だ、旦那……あんなガキ眺めとる場合とちゃうで!? ワイら、囲まれとるやんけ!」

 

 

「……」

 

 

だがそれでも尚、狼狽しているジムと違って、セナトは1ミリ足りとも動揺を顔に出さない。

それどころか、周りの状況なんかよりも──ただひたすら俺の動向を観察している。

 

……あぁ、やっぱ、見極めたいんだろうな。

危うく国家騒乱の扇動罪に繋がりかねない『悪質な悪戯』を引き起こしたであろう、俺の能力を。

 

未知故の警戒心か、それとも純粋な興味か。

で、参加者全員が真っ先に脅威と捉えたほどの男にこうも睨まれれば、下手に動けなくなる。

 

蛇に睨まれた蛙の心境が、今ならよーく分かるよやったねチクショウ。

だが、それは周りからすれば不可解ではあるものの、付き入る隙にも映った。

 

 

「──今だ!!!」

 

 

「!! おぉぉぉ!!」

 

 

「っ、てぇぇぇい!!!」

 

 

俺と丁度反対側の三人の戦士達が、けたたましい雄叫びと共にセナトとジムへと到来する。

いの一番に叫び突進した屈強な男は、鋭利な槍の先を正眼に。

その後ろをロングソードを持った髪までロングな青年と、両手のトンファーを手に馴染ませるようにクルクルと回す軽装の女性が続く。

 

 

「ひぃっ、アカン!」

 

 

「……」

 

 

そして、他の五人もまた、いつでも踵を地から離せるように腰を屈めて臨戦態勢へ。

さらにその内二人、俺よりも遠い方の左右。

ガントレット装備のグラディエーターと、鉄の戦槌を構えた巨漢が波状攻撃を仕掛けに動き出す。

 

あのミノタウロスですら、これにはひと溜まりもないんじゃないか。

そう思えるような猛攻の奔流を、それでも影法師はユラリと身体を傾けて──

 

 

「っがぁ、はっ?!」

 

 

突き出した槍は掠りもせずに支柱を叩き折られ、顎を回し蹴り。

 

 

「ぉぉぉ──っぎ、ぎあっ?!」

 

 

ロングソードも同様に弾かれ、鳩尾を一突き。

 

 

「うそ……うぁっ」

 

 

トンファーを易々と腕で受け止め、すれ違い様に(うなじ)を手刀で一打。

 

 

「「おおぉぉぉぉ!!」」

 

 

「暑苦しい」

 

 

屈強なパワーファイター二人による挟撃。

 

頭を食い破る鉄拳のフックと、地から脚を食い千切る戦槌の下段薙ぎすら、満月を描くようなムーンサルトを軽やかに決めながらいなす。

曲芸師さながらな身軽さを見せ付け、茫然と目を見開いている彼らを瞬く間に気絶させた。

 

 

「……フッ」

 

 

「………………マジかよ」

 

 

「……は、はは!! 流石! 流石やでぇ旦那ァ! ワイが見込んだ以上や!」

 

 

ちょっと待て、ほとんど一瞬の内に五人が沈んだぞ。

かすり傷一つ負わせれず、しかも全員一撃で片付けるとか。

……おいおい、アムソンさん並じゃねーのか、これ。

しかもまだ余裕ありそうだし。

 

 

「……後三人か。で、どうする?」

 

 

「……そんなに"種"がみたいって?」

 

 

「『だとしたら』?」

 

 

「……」

 

 

ほんっとに、意趣返しがお好きなようで。

絶対ロートンの件でなんかあったろ。

そんで、しっかり根に持ってるだろこの野郎。

 

黒装束の、ついてもない埃を払う仕草が尚更俺を煽っているようにも見えるし。

それとなく俺を外した残り二人の様子をチラリと盗み見てみるが、やはり旗色は宜しくない。

セナトの圧倒的格闘術を見せられて、完全に戦意が折れてる。

 

 

「だとしたら……『良い趣味』してるよ」

 

 

「……ほう」

 

 

後のことを考えて、なるべく手の内を見せずに、だなんてあまりに楽観視し過ぎていた。

ならもう、やるっきゃない。

そんなに見たけりゃ見せてやる。

 

 

「【奇譚書を此処に(アーカイブ/Archive)】!」

 

「──!」

 

 

「なっ、ま、魔導書?! 兄ちゃん、精霊魔法使いだったんかいな?!」

 

 

「「!?」」

 

 

白金光の逆巻く奔流と共に浮かび、パラパラとひとりでにページが捲られる怪奇現象を前に、黒真珠の瞳が大きく開かれる。

 

すぐさま身を屈め、懐から黒い小刀を二本取り出し、臨戦態勢を作る辺りほんと厄介。

でも、こうなったら後は切れる手札を切り続けるまで。

 

 

「出し惜しみは無しだ──【World Holic】!! やるよ、メリーさん!」

 

 

「──うふふ。勿論。私はメリーさん。ナガレの一番の相棒だもの」

 

 

奔流が止むと共に、どこからともなくふわりとスカートをたなびかせて現れたメリーさんは、その銀鋏の刃をギラつかせる。

かくしてその奇譚から成る愛らしい姿を前に、皆は一様に目を剥いていた。

無論、あのセナトすら。

 

 

「「「────は?」」」

 

 

「…………これ、は。まさか……『精霊召喚』……なのか?」

 

 

茫然と呟くセナトの言葉に、わざわざ答えを提示するはずもない。

精霊どころか亡霊とも呼べるべき少女は、軽やかな一歩と共にその場へと踊り出て、優雅に一礼。

蜂蜜色に輝く髪が、その神秘性を演出する。

 

無論──恐怖も。

 

 

「私、メリーさん……それで、メリーさんと遊んで欲しいのは──どなたから?」

 

 

ジャキンと銀閃を走らせて、ボロボロのゴシックドレスを見に纏った都市伝説は甘く獰猛に笑う。

 

凄惨な未来を、その脳裏へと焼き付けるかの様に。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「ぎ、ギブアップだ!!」

 

 

「あ、あたしもよ! 降参、ギブアップ! 早く、早く扉を開けて!!」

 

 

「で、では……退室を」

 

 

参加者達の反応は顕著だった。

精霊魔法使い達の頂点である【精霊奏者(セプテットサモナー)】。

一週間前の謁見にて、そう呼ばれる者達の奇蹟の証が精霊召喚と呼ばれる魔法であると聞きはしたが、真偽の程はご覧の通り。

 

我先にと扉へと駆けていく参加者や、あの係員のお姉さんの引き()った表情が、決定的に物語る。

 

 

「嘘やろ……? 精霊召喚て……はは。冗談きっついわぁ……こ、こないガキんちょが【精霊奏者(セプテットサモナー)】っちゅうんか……?」

 

 

「……」

 

 

腰砕けになりながら、悪夢でも見ているかの様に身体を震わせるジム。

彼はすがる様にセナトの背を眺めてはいるが、きっとその脳裏には降参の二文字が過っているはず。

 

 

「……フッ。どういう隠し玉かと思えば、精霊召喚、と来たか」

 

 

「……」

 

 

正直、訂正したい。

精霊じゃなくて都市伝説。

召喚じゃなくて再現だって、めっっっちゃ言いたい。

都市伝説愛好家としての性がね、そこは(こだわ)るところだって叫んでる。

 

でも、この状況は俺にとっての追い風であるのは間違いないだろう。

だから我慢、ここはグッと下っ腹に力を入れて我慢だ、俺。

 

 

「……私、メリーさん。そう、黒い人。アナタがメリーさんと遊んでくれるのね?」

 

 

「……だとしたら?」

 

 

「あははっ」

 

 

動揺を霧散させ、震えるジムとは対照的に、黒小太刀二刀を悠然と構える影法師。

そんな彼の勇ましさに機嫌を良くしたメリーさんが、銀鋏を片手で持ち上げながら、無垢に笑う。

 

……あ、いや、訂正。

なんかメリーさん、若干、怒ってないか?

 

 

「私、メリーさん。ねぇ、黒い人……メリーさんね、ナガレの背中が大好きなの。相棒は背中を守るものだし、ナガレの後ろっ側はくっついてるとメリーさん、凄く落ち着くの」

 

 

「……??」

 

 

……あー、これ、怒ってる。

怒ってらっしゃるし、妬いてらっしゃる。

 

 

「……だからね、黒い人。何度もナガレの背後に回るアナタは……とっっっっても許しがたいの。というか羨ましいの。ムカつくの、ちょームカつくの」

 

 

「…………」

 

 

なんかセナトが凄いげんなりしてる空気出してる。

えぇ……みたいな。

いやうん、俺もいまおんなじ気持ち。

てか多分、メリーさんがキレてるのってさ。

背後に回るのセナトに、悪趣味って言った俺のせいじゃね。

 

 

「ムカつくから──ボロボロにしてあげる」

 

 

「──!!」

 

 

まぁ、幾ら言ってる事は戯れてる様に思えても。

俺の相棒(パートナー)は、疑いようもなく強い。

 

闘技場の石床を、跳躍の反動だけで壊した彼女は、流星の様に、影法師へと飛来した。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

ギィ──ンと、銀閃に研がれた空気の悲鳴。

鼓膜にやけに残る奇妙な効果音の刹那を埋めるように、銀と黒の刃が激しく衝突した。

 

 

「っ」

 

 

「あははっ」

 

 

大きな取っ手に腕を通し、フラフープみたく刃を踊らせる動きは優雅だが、相対するセナトはあくまで冷静に軌道を読み切る。

そのまま屈みながら懐への一歩を目指すが、軸足を変えたメリーさんの繰り出す縦の軌道に阻まれた。

 

黒刀をすべらせ受け流そうとするが、凌ぐことは許されない。

遠心力も加えた鋏の威力に、セナトは身体ごと弾かれて大きく後退した。

 

 

「……見掛けは最早関係ない、か」

 

 

「ふふ、私、メリーさん。有名だから、力持ち」

 

 

「どういう理屈だ」

 

 

随分懐かしい言い回しをするメリーさんの身長ほどある大きなハサミ。

可憐な外見通りならなら持ち上げるのも難しいのに、それをまるで手足の様に扱えるともなれば、流石のセナトとて脅威を感じるだろう。

 

 

「シッ!」

 

 

「んっ!」

 

 

緩急をつけたセナトの飛び付きも、斜めからの切り上げに弾かれる。

軸を定めてクルリくるりと、柔らかく端を浮かせるドレスのスカートとは裏腹に、その一撃はとてつもない威力。

正面から打ち合うのは、メリーさんに軍配が上がった。

 

にしても、メリーさん、防御上手い。

元々接近戦の技量は高かったけど、ひょっとしたら俺とアムソンさんの修行風景を見て学んだ、のかも。

 

 

「……な、なんやあれ……精霊が武器もってチャンバラの真似事って……」

 

 

「真似事どころのクオリティじゃないけどね」

 

 

「ひぃっ、に、兄ちゃん……」

 

 

「御無沙汰、ジム」

 

 

セナトはとりあえずメリーさんに任せるとして、俺は俺で二人の戦闘を唖然と見つめている、残り一人に声をかける。

あくまで気軽に、気安く。

勿論、ショートソードとアーカイブをばっちり構えながら。

 

 

「な、なぁ……一応聞くんやけど、ワイと組んだりせーへんか? 兄ちゃんも、本選でもっぺん旦那と闘うは避けたいやろ? なっ?」

 

 

「……一理あるね。でも、却下……ジムがちゃんと俺の味方してくれる保証もないし」

 

 

「……へへへ。信用ないんやなぁ、ワイ」

 

 

「……で、どうする?」

 

 

「……はー。ま、虫がええっちゅう話やな」

 

 

ノロノロと立ち上がりながら、ジムは観念したと言わんばかりに大きく肩を落とした。

精霊奏者とまともにやり合うつもりなんかないと、ポリポリ頬を掻いた。

 

 

「ほんなら、大人しゅう退散させて貰うわ。兄ちゃん、本選頑張りぃや」

 

 

「どーも。応援宜しく」

 

 

「はは、ムカつくガキんちょやでホンマ……」

 

 

渇いた笑いを喉で転がしながら、ジムはトボトボと俺の脇を通り抜けていく。

適当なエールに相槌を打ってみてが、彼はお気に召さなかったらしい。

 

 

──フゥと、大きく息を吐いた、その直後。

 

 

「お前がワイの応援せぇやぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

「ナガレ! 危ないの!」

 

 

「──!!」

 

 

メリーさんの切迫した様な声が、届き切るより先に。

目の前で、鮮やかな血の華が咲いた。

 

 



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Tales 41【天使の靴と悪魔な戦術】

ナナルゥ・グリーンセプテンバーは至極機嫌が悪かった。

それというのも、闘技場で係員からの説明が終わり、開始のアナウンスが宣言された途端、参加者全員に囲まれてしまったからだ。

 

 

「ふん、まずはわたくしを蹴落として、という事ですのね……気に入りませんわ。大の大人が揃いも揃って、プライドというものはありませんの?」

 

 

「……悪く思うなよ、お嬢さん。エルフの精霊魔法をほっときながらやり合うなんて自殺行為、俺達はゴメンなんでな」

 

 

「勝つために知恵を使ってるまでさ」

 

 

「恨むんなら、恵まれた種族に生まれた自分を恨んでください」

 

 

エルフという脅威へのカウンター措置。

理にかなった当然の対処法だと理屈はナナルゥとて分かる。

だが、それはそれ、これはこれ。

ムカつく事はムカつくのである。

なら仕方ない、で納得出来るほどに彼女は達観していない。

 

 

「(……上等ですわ。もう腹を括りました。セリアから提案された"あの戦術"……やってやろうじゃありませんの!)」

 

 

ジリジリと得物を構えて距離を測る周囲をワインレッドで睨み付ける。

誰も彼も、自らの選択に迷いはないらしい。

 

 

「……?」

 

 

……いや、ただ一人だけ、至極つまらなそうな冷めた目をして周囲を見渡している例外が居た。

オレンジ色のバンダナと、焦がし茶色の髪と瞳を持ったセリアよりも少しだけ年上辺りの青年。

 

背中をすっぽり覆うような、亀の甲羅の形に似た大きな盾を背負い、手に古ぼけた槍を持っている。

顔はさっぱりと整ってはいるが、その身に纏う修行僧めいたローブは今一つ似合っていない。

 

ちなみに、ナナルゥは気付かなかったことではあるが、彼女がアナウンスに従い列に並ぶとき、そのたわわなバストの揺れに「うっひょー」と叫んでいた男でもある。

 

しかし、周りと違う雰囲気に視点を奪われた隙を、最初に声をあげた男は見逃さなかった。

 

 

「参るぞ、エルフゥゥゥ!!!」

 

 

「!? あ、くっ、【コンビニエンス(こんなこともあろうかと)】!」

 

 

ドスドスと床を踏み潰しながら先行する男を前に、慌てながらも収納魔法を展開し、そこから『黒いステッキ』を取り出す。

セリアのアドバイスによって考案された、ナナルゥの杖。

魔法を編む際に、より集中力と効率を高める為にと用意したものだ。

目を見開いて突進してくる男にそのステッキの先を向け、目を閉じた。

 

準備期間中に何度も練習した詠唱短縮の手順。

大丈夫、やれるはず、何故なら自分は教師役二人のお墨付き。

 

そう、ナガレの言葉を借りて自分を励まし、開いた真紅の目の先で。

突進していた男が、徐々に斜めに『倒れていく』。

 

 

「……えっ」

 

 

「なッ……グッ、お……い。どういう……」

 

 

驚いたのはナナルゥだけではない。

他の参加者達も、彼に追従していた二人も、そして"背中に槍が刺さった"為に倒れた男も。

 

どういう事だ。

そう、吐血混じりに呟きかけた台詞に答えるように。

ツカツカと倒れた男へと歩み寄ったバンダナ男が、背中の血に湿った槍を勢いよく引き抜いた。

 

 

 

「どういうも何も、こんなダサい真似に付き合える訳ないない。この俺様、寄って集って可愛い子ちゃんをいたぶる趣味はないんでね」

 

 

「お、お前……ぐっ!」

 

 

「槍……まさか、あなたが投げたんですの?」

 

 

「そーとも、俺様がやった事。痺れたかい、ハニー」

 

 

厚めの重装の上からである為に致命傷には至らなかったが、投擲を受けた男はこれ以上の戦闘は無理だろう。

そしてここに至り、七対二の構図が描かれる。

ウインク混じりにナナルゥへと近付く彼の背には、複数の鋭い視線がぶつけられた。

 

 

「……元からバトルロワイアル、文句はねーだろ?」

 

 

「……くっ、後悔するなよな……」

 

 

「後悔? この伊達男、マルス・イェンサークル様が後悔なんてするかってんだ!」

 

 

苦虫を噛み潰したような参加者の言葉に、大盾を地に下ろし、そこに足をかけ、ビシッと正面に指をさして。

 

マルスと名乗ったバンダナ男は、威風堂々とポーズを決める。

そんな無駄に逞しい背中に、ナナルゥは困惑しつつも問い掛けた。

 

 

「どういうつもりですの? というかさっきからハニーって」

 

 

「おいおいハニー、見て分かるだろ? 俺様がハニーの味方になってやるって言ってるのさ」

 

 

「…………」

 

 

「ん? さては信用してないな? よ、よーし、そんならここはギブアンドテイクとしよう。そうしよう。それならハニーだって納得だな?」

 

 

「は、はぁ……」

 

 

ハニーという呼び名はこの際、一旦置いておくとして。

 

盾を構えながら周囲を視線で牽制するマルスの提案は、確かに納得出来るかも知れない。

だが何故か微妙にどもっている点と、チラチラと振り返る癖に目を合わせないとこが、ナナルゥには妙に引っ掛かる。

 

というか目が合わないのは、彼の目線が間違いなくナナルゥの顔より下にいってるからだろう。

 

 

──つまり。

 

 

「俺様が、助太刀する。その代わり、俺様達が勝ったら……」

 

 

「勝ったら?」

 

 

──彼は実に、欲望に忠実な男だったという事だ。

 

 

 

「そのたわわなメロン……い、一回、揉ませてくれ」

 

 

「…………は?」

 

 

────

──

 

【天使の靴と悪魔な戦術】

 

──

────

 

 

ナナルゥ・グリーンセプテンバーは至極機嫌が悪かった。

 

窮地を救って貰うという王道的展開は、年頃の乙女であれば憧れるものであり、ナナルゥもまた例に漏れることはなかった。

マルスの顔立ちが、彼女の好みではないものの、所謂イケメンといえる部類であった事も大きい。

 

だが、そんなちょっとしたときめきも一瞬で冷める時もある。

確かに、豊かに育った胸元はナナルゥにとって自慢であるし、だからこそドレスも谷間を強調する様なものを選んでいる。

 

しかし、幾らなんでも『胸を揉ませろ』はない。

例え彼女が夢枕で夢想する、百万エンスの夜景を背に、情熱的アプローチという段階を経たとしても、ない。

絶対にない。

 

故に、彼女に躊躇はなかった。

 

 

「ぜぇぇぇぇっっっったいに!! お断りですわ!!」

 

 

「え? ッ、はごぉぉッッ────?!」

 

 

全力で振りかぶったステッキが、彼の血の気の多い部分をフルスイングで振り抜くのに、躊躇など抱くはずもない。

緩やかにその場で倒れ伏した男は、ピクピクと波打ち際の魚みたいに痙攣した。

そのあまりに容赦のない一撃に、周囲がうわぁ……みたいにドン引きするのも無理はないだろう。

 

 

「……詠唱破棄(スペルピリオド)

 

 

怒りやら羞恥やらで真っ赤に染まった顔よりも、尚濃い色の瞳が、ぐるると唸る様に周囲を威嚇した。

辛うじて意識を保っているマルスに対し、軽蔑の視線を送る者と、青い顔をする者とで反応は二分している理由は言うまでもない。

 

 

「【スカイウォーカー(天使の靴)】」

 

 

『!!』

 

 

だが、この場において一番哀れなのはマルスを除いた残り七人の参加者達だろう。

マルスとの対立から意識を新たに挑もうと思えば、今度は喜劇めいた仲間割れ。

目まぐるしい状況の変化についていけない思考の空白を、ナナルゥは自覚も無しに突いたのだ。

 

彼女が現在詠唱破棄出来る二つの魔法。

その内一つの【天使の靴】の魔法名を紡ぎ、ステッキの先で軽く叩いたブーツが、柔らかな緑光に包まれた。

 

魔力光はブーツを覆い、次第に輪郭を変え、踵の横からまさに『天使の羽』と形容するに相応しい片翼が左右それぞれに現れる。

 

 

「……思い知らしてやりますわ」

 

 

【天使の靴】の効果は、空中遊泳を可能とする中級精霊魔法。

エメラルドに光る粒を舞い上がらせ、翼を得たエルフは華麗に高くへと高速浮遊。

あっという間に見上げるには首が痛くなるほどの高度に至った。

 

上品な巻き髪をふわりと撫であげて、ずれたシルクハットを直しながら、ナナルゥ・グリーンセプテンバーは高らかにステッキの先を地を這う哀れな者達に向ける。

 

 

「わたくしを怒らせたならどうなるか!! みっちりぎっちりばっちりたぁぁぁっぷりとぉ!! この黄金風のナナルゥが! 貴方達に教えて差し上げますわよ!!!」

 

 

はっきり言って、他の参加者からしたら絶望的状況だろう。

 

翼を持たぬ人間である彼らには、もはや得物を投擲するぐらいしか彼女を止める術はない。

しかし、その行為はあまりに無謀な行為。

何故なら、まだ残り『一枠』残ってるのに、自分から武器を手離す事など出来るものか。

 

ならば、この後に参加者達がその一枠に食い込む為にしなくてはならない事とは──何か。

 

高度から放たれるであろうエルフの魔法を回避しながら、他の参加者を蹴落としていく、地獄の様なバトルロワイアルを勝ち残る。

もう、それしか道は残されていなかった。

 

 

詠唱破棄(スペルピリオド)

 

 

かくして非常にハチャメチャな経緯によって、落ちこぼれと揶揄されるほどのエルフは、闘魔祭予選にて圧倒的な優位を確保した。

明暗を分けたのは感情に任せた彼女の大胆さと、参加者達の『エルフ相手だからと慎重に成りすぎた事』と言っても、過言ではない。

 

 

「オーッホッホッホッホ!! さぁ、覚悟は宜しくて?!──【エアスラッシュ(空裂く三日月)】!! 詠唱破棄!! 【エアスラッシュ(もう一丁ですわ)】!! 詠唱破棄ぃ!! 【エアスラッシュ(更に、もう一発)】!!」

 

 

そして参加者達の地獄への引き金を引いた、とある男のスケベ行為も、当然勘定には入ることも記しておく。

 

 

「どわぁぁぁ!!?」

 

 

「ひ、卑怯もの!! エルフの卑怯者──ってひいぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 

「くそっ、くそ!! あいつ、収納空間に魔力薬たんまりストックしてやがる!!」

 

 

「しかも見境なしか、って──ぐぉぁぁあっっ!?」

 

 

だが、きっと一番恐ろしいのは。

 

 

『武道家といえど【天使の靴】で空中に逃げられれば、精霊魔法を使えない限り、為す術はほとんどない』

 

 

「オーッホッホッホ! セリア! 貴女の言ってた通りですわ!! わたくし、勝てますわよ! オーッホッホッホ!」

 

 

高笑いするお嬢様と一週間のマンツーマンで、詠唱技術を叩き込み。

 

 

『さらに優位性を維持したまま一方的に魔法で攻撃して、魔力が減ったら逐次、魔力薬(ポーション)で回復すればいい』

 

 

この武道家殺しの戦術を授けた張本人。

 

 

『型にハマれば、まず負けないわ』

 

 

蒼き騎士セリアであるのは、参加者達の悲痛な叫びを耳にすれば、疑いようもないだろう。

 

 



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Tales 42【魔女の弟子】

「はぁ……ぜぇ……あー……ちょっとスッキリしまし……うっぷ、けほっ」

 

 

汗で張り付いた前髪をサッと払い、クールに勝ち誇る。

理想の姿は往々にして遠いもの、口の中に広がるポーションの苦みにむせる姿はクールのくの字も見当たらない。

 

 

「……はぁっ……ふふ。ふふふふっ、オーッホッホッホ!!!」

 

 

華麗に美しく正々堂々。

望んでいた勝利とは最後の四文字が食い違うものの、それでも──そよかぜは喜色満面に高笑う。

 

バテ気味の彼女の周りは死屍累々の有り様だが、それでもナナルゥの笑顔は子供の様に無垢だった。

 

 

「セリア、ナガレ、アムソン……! わたくし──勝ちましたわよ……ッ!」

 

「お、おめでとうございます、ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手」

 

「……え?……あっ、ま、まま、まぁこれくらいわたくしにかかれば余裕のよっちゃんですわ! よっちゃんなんて知り合い居ませんけど!」

 

「はぁ、そうですか。まぁ、構いません。では──『二名』の勝者が確定した只今を持ちまして、第九ブロック、予選試合を終了とします」

 

「……? 二名?」

 

 

頭の上から輪っかをつけた精神がふよ~と抜け出してそうな有象無象を見下ろしながら、こてんと首を傾げた。

そういえばそんなルールだったと、参加者にあるまじき感想を一つ抱いたなら。

彼女の背に向けた、少し調子の悪そうな声色が感触もなく肩を叩く。

 

 

「俺のことさ、ハニー」

 

「!!……な、なんですって?! この、この下衆男が?!」

 

「はい、マルス・イェンサークル選手は『まだ』気絶しておりませんし、ギブアップ宣告もしておりません。よって……本選出場となります」

 

「おい、何故不満そうだ」

 

「お気になさらず、マルス選手」

 

「こ、このっ、この……変態はぁ……ぐぬぬぬ……」

 

 

もう一人の本選枠は、真っ白な歯をキランと光らせ、プルプルと内股で震えているマルスだった。

参加者達がハイにキマッたナナルゥの魔の手から逃げ回っている際に、実はこっそり壁際で息を押し殺していたのである。

 

勝利の美酒に、苦物を注がれる様な気分だった。

こんな形で利用されるとは、腹立たしいことこの上ない。

 

 

「……はは、という訳で。本選で俺様と当たった時には優しくするぜハニー」

 

「ふん、容赦なく潰して差し上げますわ!」

 

「ば、馬鹿言うな。今度こそ本当に使い物にならなくなっちまうだろ!」

 

「使い道ない癖に」

 

「係員?! さっきから何故俺様だけ辛辣?!」

 

 

温厚な顔立ちの係員の性別を考えれば分かろうものだが、ともあれ決着は決着。

不満の残る要素はあれど、本選に出場出来たという実績がナナルゥの顔をにやけさせる。

 

抑えようもなければ、隠しようもない。

んふふと猫みたいなにやけ口を手で隠すようにしつつ、彼女はそっと心内で呟いた。

 

 

「(ナガレ、わたくし、やりましたわ……『目的』はどうあれらあんな風にわたくしの肌に触れておいて……もし負けてたりしてたら承知しませんわよ)」

 

 

もう一人の無礼者の、勝利を願う為に。

少しだけ赤くなる頬を、口元ごと掌で隠した。

 

 

────

──

 

【魔女の弟子】

 

──

────

 

 

剣と剣がかち合って一種だけ咲いた赤い火花。

それよりも尚紅く紅い、生々しくべっとりとした血飛沫(しぶき)に見開いたのは、お互いに同様だった。

 

 

「私メリーさん……これって、あの……」

 

「セナト……」

 

「……ぐっ、ど……どういう、つもりや……旦那ァ」

 

 

肩口へと深く刺さった黒小刀を、呻きながら抜き取ったジムの台詞も当然だろう。

おかげでさっきまでセナトと戦っていたメリーさんはすっかり混乱気味。

 

「……」

 

しかし当の本人はさも間違いなど置かしてないと、顔色一つ変えぬまま此方へと歩み寄ってくる。

メリーさんも、一応鋏を構えながら此方へ。

その折に、もう一方で握っていた黒小刀を懐に仕舞う仕草が、『事の終わり』を示した。

 

 

「なに悪びれもせんと、ワイはどういうつもりやって聞いてんねん! 答えんかい」

 

「煩い男だ。見て気付かないか?」

 

「はぁ? 気付けやと? 何を気付け、っちゅうん…………」

 

 

捻れてるとまでは言わないけど。

意地が悪い促し方というか、"嘘をついた"ジムに対する意趣返しだからか。

 

肩を抑えるジムの目が、俺の顔へと向いた途端。

その剣幕が徐々に取れていく。

 

 

「……まさか、兄ちゃん」

 

「言っとくけど、最初からって訳じゃないから。ジムに不意討ちされるまでは、俺もそんなつもりじゃなかったけど」

 

「んな訳ッ……づっ、クソ、なんやねんそれ。兄ちゃんと旦那は最初っから『グル』じゃなかったんか?!」

 

「……だってさ、セナト。俺も、どうして土壇場でこっち側に付いたのか……理由くらい教えてくれない?」

 

「……」

 

 

俺にとっては、そこだけがハッキリしない所。

まぁ裏を返せば、もしかしたらセナトが組む事を決めた相手は……っていうのはあったし、現にそうなんだろうけど。

疑問を呈せば、影法師は静かに口鼻を覆う黒布を整えながら、少しばかりの嫌味を添えて答えた。

 

 

「言っておくが……そもそも私は、貴様と組んだ覚えはない」

 

「は? 何言うてんねん! しっかり言うたやろが!」

 

「何を勘違いしている。私はあくまで、『ガートリアムの使者』と組むのは悪くないと言ったまで」

 

「な、なにがやねん……」

 

「……そうだった筈だろう。違うか、ナガレ? いや、同盟国からの使者よ」

 

「……へっ??」

 

 

うわ、そこでパスすんのかい。

わざとらしい"種"明かしするな、セナトのヤツ。

 

 

「……確かに。しかも、俺に目を合わせながらね。でも正直すんなり信じれる訳ないでしょ」

 

「そうだろうな。私としても、別にどちらと組もうが構わなかった。だが──」

 

「ちょ、ちょい待て。待ってくれやお二人さん。もしかしてそっちの兄ちゃんは……マジもんの使者なんかいな?!」

 

「──そゆこと」

 

「…………は、なんや……んなドンピシャ、アホかっちゅう……ハナシやんか」

 

 

膝から崩れながら、茫然と呟く台詞は俺も心底同意する。

ていうか、ツイてないよな。

取れたてのハナシのネタで釣ろうとした相手が、その本人だったとかどんな喜劇だよ。

自業自得だけど、そこは素直に同情してやれる。

 

 

「……あぁ、せや。もうえぇけど、あの質問は結局なんや? ガートリアムの人間が冗談どうこうっていうヤツや」

 

「…………くく。あれか。なに、大した事じゃないが」

 

 

そして、彼の不運はもうひとつ。

 

『……う、えーと……そら人それぞれやけどな、ワイは……冗談、割と"好き"やで! このご時世、人を楽しませる為には冗談の一つも覚えてへんとや……』

 

セナトからの与えられた二択を──外してしまった事だろう。

 

『いや、結構です。たまには冗談を言いたくなる時もありますよ、えぇ。けれど、我が国の方々はあまり"冗談を好まない方"が多いので、残念ながらこの冗談を披露する機会は訪れないでしょうね』

 

でも、なーんかこれって。

ジムに対する意地悪というよりもさー。

 

 

「──私は、冗談を言う男が嫌いなだけだ」

 

 

俺に対する遠回しな意趣返しな感じするのは気のせいか。

 

 

「いや、正確には……ここ数日で心底嫌いになった」

 

 

『……うぉっほん!! い、いや、いやいや全く……人が悪いなぁ、それならそうと早く名乗ってくれれば良いものを……いやどうにも最近虫の居所が悪くてねぇ! 軽い冗談にもつい熱が入ってしまってねぇ! 全く全く、困ったものでねぇ!』

 

んーこれ全然気のせいじゃなかった。

ホント何があったんだよ。いや、なんとなく想像つくけど。

多分護衛を外された理由って……うん、考えるのは止しとこう。相当ボコボコにしちゃったんだろうとか、思っても触れるまい。

 

……てかやっぱり原因、間違いなく俺のせいじゃん。

わざわざ遠回しに悟らせるとか。

ホント、セナトって意地が悪い。

 

 

「…………はぁ。もう、ええわ……おいねーちゃん。ワイもギブアップや!」

 

「畏まりました」

 

「むぅ……何だか消化不良気味なの」

 

「メリーさん、お疲れ様」

 

「……」

 

「……けったいなヤツらやなホンマに」

 

「私メリーさん。頬っぺたのブヨブヨ、削ぎ落としてあげようかしら? うふふ」

 

「ひっ」

 

 

少女らしかぬ獰猛な笑みを振りまくメリーさんを宥めながら、フゥと息を吐く。

今更な話だけど、防御とはいえ人間相手に刃物向けられるのは、なかなか肝が冷えた。

 

「それでは、サザナミ ナガレ選手。セナト選手。以上の二名の勝者が確定した只今を持ちまして──第十二ブロック、予選試合を終了します」

 

 

それにしてもセナト、結局俺の側につく事にした決め手については教えてくれないみたいだし。

ってより、理屈じゃなくて単なる気まぐれぽいっけど……まぁいいか。

 

 

「それでは勝ち抜かれたお二方、明日の明朝にまたコロシアムに足をお運び下さい。そこで、本選トーナメントの発表を行います」

 

「どうも」

 

「……」

 

 

それならそれで、もしかしたら『あの再現』に使えるかも知れないし。

とりあえず後でメリーさんに確認を──

とそこで、物思いと企みを遮ったのはジムだった。

怪我を押さえた手とは逆の手で、肩を叩かれる。

 

 

「……どしたの?」

 

「まぁ、ワイがツイてなかったんはワイの責任やからな。しゃーなしや」

 

「?」

 

「……応援したるっちゅう事やろが。本選、すぐに負けたりするんじゃないで」

 

「……あ、あぁ、うん。どうもね、ジム」

 

 

割と恨まれたりするもんだと思ってただけに、少し拍子抜けした。

おー痛い痛い、なんてわざとらしい台詞を残して、その背中が去っていく。

 

 

「気張れや、ナガレ。ついでにセナトの旦那」

 

「……」

 

「……ん、ありがと。ジムこそ『見境なし』なのも程々にね」

 

「────……はは、そら無理やな」

 

 

鉄扉が軋む音が、まるで彼の潔さをせせら笑う様に鈍い。

バタンと無感情に遮られた音が、やけに重く聞こえた。

何はともあれ、目的の本選には出場出来た訳だ。

 

 

「さて、帰るか……」

 

「私メリーさん。ナナルゥ、勝てたと思う?」

 

「さぁ、どーかな……」

 

「ふふ、メリーさんの予想では、きっと大丈夫なの……それじゃあナガレ。また後でね」

 

「……ん、了解。【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

少しだけ大人びたメリーさんの微笑みを受けて、奇譚書を呼び寄せる。

本選に向けて、なるべく手の内は隠しておかないといけない。

 

 

「【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

だから、また後で。

その時に、セナトと闘った時に感じたものを教えて貰おう。

 

──隠してそうな秘密も一緒に。

 

あんまり趣味が良いやり方とは思えないけどね。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

隅々まで清掃の行き届いた執務室の中に、他の誰かが居る訳でもなかった。

それでも緩めることをしない赤ネクタイは、彼の几帳面さをよく表すシンボルなのかも知れない。

 

 

「……ふむ。盛況と言っても過言じゃないな、今年は。五十度目の大台に相応しい面々になりそうだ」

 

 

幅のあるデスクに並んだ資料は、既に終了報告がなされた予選エリアの結果が記載されている。

普段は専ら内政官として働く彼の厚い指が、紙面へと添われた所で、硬いノックの音。

 

また一つ、予選ブロックの結果が出たらしい。

扉の向こうから届いたのは、冷ややかな印象を受けがちな女性の声だった。

 

 

「失礼致します、オルガナ様」

 

「お、来たな。入りなさい」

 

「では」

 

 

フォーマルスーツとベルキャップ。

つい先程決着がついたばかりの、第十二ブロックの係員だった。

きびきびとした会釈を一つ置いて、その脇に挟んでいた資料をデスクの上へと提出する動きは早い。

 

 

「第十二ブロックの出場者は、サザナミナガレ選手、セナト選手の両名です」

 

「ほう……セナト選手といえば、アルバリーズが雇い入れたという『黒椿』の一人だったね。いやはや、流石だ……しかし、ナガレ選手というのは……チラと見た限り、普通の青年に見えたが」

 

「それは…………いえ、取り敢えず報告を優先させていただきます。まだ予選会場の片付けが残ってますので」

 

「せっかちな事だ。いや、後のお楽しみという演出かな?」

 

「どちらとも……ところで、他の会場の結果は?」

 

「……うむ。それが少々厄介でね。『シード枠』を二つほど用意せねばならなくなった」

 

「!」

 

 

シード枠。

それが意味するのは、いずれかの予選に滞り、もしくはトラブルが発生したという事だ。

しかし、オルガナはどうしてか愉快げに口元を歪めている。

それは逆に言えば、彼にとっては歓迎するべき内容であるという証明に他ならない。

 

 

「……もしや、"彼女"ですか?」

 

 

「あぁ、察しがいいな。そうだよ、第十六ブロック"唯一"の勝者……かの魔女カンパネルラの弟子殿だ」

 

「唯一……」

 

「そう、唯一だ。もっとも、同じく唯一の勝者を生んだ第七ブロックでは、全員棄権となったがね。どうにも、エトエナ選手の強力な精霊魔法の前に戦意を喪失してしまったらしい」

 

「……ギブアップを宣言したと」

 

「あぁ。終了のアナウンスをする前に、最後の一人がギブアップを叫んだらしくてね。やれやれ、恐怖というのは冷静な判断を奪うものだ」

 

 

その時点で冷静さを取り戻していれば、その参加者も本選に出場していたのだろう。

もっとも、勝ち進めれるかは別。

しかし、その終わり方は圧倒的とはいえ、まだマシな終わり方と言える。

 

であれば、第十六ブロックは──棄権ではすまなかったという事で。

 

 

「第十六ブロックは、死傷者三名。重傷者四名、残り二名は早々に棄権した故に無傷だが……しばらく、心を癒やす事になりそうだ」

 

「……何があったというのですか」

 

「それは直に分かる事だろう。さて──」

 

 

第十二ブロック勝利者達の資料を一纏めに整えつつ、彼はゆっくりと立ち上がる。

執務室の窓からは、清々しい程の青さ。

 

深い漆黒など何処にも見えるはずがないのに。

 

 

「……魔女の弟子殿。彼女の優勝を止められるほどの実力者は、果たして現れるのかな」

 

 

予選開会宣言の際に視界に留めたシルエット。

"闇を溶かしたような、真っ黒なローブ"に顔さえ隠れそうな彼女の姿が、オルガナの脳裏に、未だ色濃く残っていた。

 

 



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Tales 43【花鳥、酔う月】

「ではわたくしの美しく天才的で華々しい勝利と!! ついでにナガレの勝利を祝って、乾杯ですわー!!」

 

「はい乾杯」

 

「乾杯」

 

「キュイ!」

 

「……えっと、乾杯……」

 

「ほっほ、乾杯でございます。しかしお嬢様、そう淑女が脇を見せるのは些かはしたのうございますぞ」

 

「何を固い事を言いますの、アムソン。今夜はぶれいこぉと言う奴ではありませんの! それに此処は個室ですわ!」

 

「淑女というものは、衆目関係なく作法を心掛けるものですぞ……ほっほ。とはいえ、お嬢様が珍しくご活躍はれた本日ばかりはこのアムソン、あまり口うるさく言いますまい」

 

「オーッホッホッホ! 分かれば宜しいのですわ! 珍しくは余計ですけど」

 

 

セントハイム王国城下、繁華街の夜は明るい。

サービスの行き届いた優良飲食店、居酒屋『ピオーネ』の広い個室に、有頂天なお嬢のソプラノが響いた。

 

グラスを傾ければ、酸味の強いレモンの味が、喉ごしと共に爽やかに広がる。

といってもチューハイじゃなくてレモネードだけど。

ぷはーっという通過儀礼を済ませれば、膝の近くで湯通しした鳥のささみをぱくついていたナインが、旨いとでも言いたげにキュイと鳴いた。

 

 

「にしても完全個室とか。良い店見つけてくれてありがとね、二人とも。おかげでくっちーも喚べたし」

 

「といっても、エースの紹介だけれど」

 

「お気に召したのであれば何よりでございます」

 

 

わざわざ予選中に祝勝会の会場を用意してくれたらしく、その心遣いには、気が早くないかという照れも言葉にならず立ち消える。

目の前の大きなテーブルにはローストビーフ中心のオードブル、彩りの良いサラダ、海鮮パエリアに塩だれあんかけ肉団子。

他にも見てるだけで涎垂モノな料理が万漢全席みたく皿を寄せ合っていた。

 

俺の知ってるのと細部は多少違えど、香りや見た目からして絶対旨いだろこれ。

 

 

「でも……良いの、かな」

 

「良いって、何が? メリーさんはもう疲れて眠ってるし、ブギーマンは反応すらしないし。別に遠慮しなくても 」

 

「でも、ナガレくん……負荷は?」

 

「まだ余裕あるって」

 

「……分かった。ありがとう」

 

「ん。あ、セリア。そのローストビーフひと切れ!」

 

「……はいはい」

 

 

遠慮がちな彼女に言い聞かせれば、消極的ながらも素直に応じてくれる。

ホント、都市伝説って感じがしない。

スプーンで料理を口に運ぶのにも、わざわざマスクを伸ばしながら不便食べてるし。

 

 

「んふっ……んくっ…………っ、くぅぅぅ効きますわぁぁぁぁ……」

 

「お嬢、良い飲みっぷりじゃん。酒強いの?」

 

「オーッホッホッホ! グリーンセプテンバー家の者が酒を嗜めぬ訳がありませんわ! というか貴方こそ、何故飲みませんの」

 

「色々あんの」

 

 

一杯目にして早くも赤ら顔になってるお嬢にぐいっとジョッキを押し付けられるのを、やんわり返す。

別に二十歳になってないから、とかそんな殊勝な理由じゃない。

強いて言うなら、過去に対する反省ってとこ。

いつか悪のりで一口だけ飲んだビールの味。

その後に経験した諸々が苦味となって思い出されて、つい顔をしかめてしまう。

 

……今のお嬢以上に顔を真っ赤にしたアキラにボコボコにされた時は、マジで死ぬかと思ったな。

 

 

「くっちー飲む?」

 

「え? あ、あたし飲んだ事なくて」

 

「あら、でしたらこれも経験ですわよ。アムソン」

 

「畏まりました。では、飲みやすいカクテルを」

 

「えっ、えっ?」

 

 

恐るべしアムソンさん、既に出入口の扉に手を掛けているとは。先読み凄いな。

トントン拍子に進んでいく事態にオロオロし出すくっちーは、もはや都市伝説的な威厳がどこにもない。

 

 

「……」

 

 

上品にワインを傾けながら、程々にしておけとサファイアの眼差しが訴えてくる。

さっきまでささみを啄むナインの姿に静かに悶えてた癖に。

 

 

「んぐっ……んくっ……ふぅ……ふへへ、勝利の美酒は最高ですわぁ」

 

 

まぁ、俺はともかくお嬢は羽目を外させ過ぎない様に見張っとかないといけないみたいだ。

明日から本選だってのに、歯止めを感じさせない飲みっぷりに不安になった。

なお、その不安は見事に的中してしまった。

 

 

────

──

 

【花鳥、酔う月】

 

──

────

 

 

「でしゅからぁ……そこでわたくしがぶわぁっとぉ……ひっく……」

 

「もう七度目だってその流れは」

 

「ニャガレだけに、でしゅわにぇ! おほほ、うみゃい!! うみゃいでしゅわぁ!!」

 

「……」

 

 

バシバシと背を叩かれ、ふにゃふにゃに緩んだ蕩け顔が至近距離で微笑むこの状況こそは男として役得と言ってもいい。

でも流石に同じ武勇伝が七度目のループを迎えれば、色情を抱こうにも冷めるというか。

 

しかも不幸中の更なる不幸が、お嬢の反対側にある。

 

 

「別に……綺麗じゃないって知ってるし……だからってあんなに叫ぶことないでしょ……あたしだってそういうものなんだって自覚してるけどさぁ……うぅ、ぐす」

 

「あー……いやでも、くっちーのこと綺麗だってセリアも言ってたじゃん。俺もそう思うし(……片膝がびしょ濡れに……)」

 

「うぅ……ほんと?」

 

「ほんと」

 

「めんどくさいとか思ってない?」

 

「……えっ」

 

「やっぱりぃぃ……あたしだって、あたじだっで分かってるけどぉ……うぅ、ううぅ……」

 

「にゃがれ! はなしぃ聞ぃてますのぉ?!」

 

 

前門の絡み酒、後門の泣き上戸。

どっちも見目麗しいのは間違いなく、この光景を見れば世の男性に舌打ちされるのは勿論分かってる。

でもこれ結構辛い。

お嬢の話に相槌打てばくっちーに袖を引かれ、くっちーを慰めればお嬢に顎を掴まれ話聞けと叱咤されて。

めっちゃ面倒臭い。

というかくっちーもう普通に、ただ打たれ弱い人じゃないか。

 

 

「……それにしても、エルディスト・ラ・ディー組は全員本選参加になるなんてね。少し出来すぎな気もするわ」

 

「キュイ」

 

「左様で。しかし、あのセナトという御仁が大きな壁でしょうな。それに例の魔女の弟子というのも、油断出来ぬ要素かと」

 

山札(キティ)部隊のピアとフォル、それとナナルゥの幼馴染のエトエナ……だったかしら。トーナメント形式というからには、運次第で彼女達と闘う事になりかねないけれど」

 

「そうなれば致し方ありませぬでしょう。いずれにせよ、お嬢様には気を引き締めていただきたいものです」

 

「いやアムソンさん、そう思うならお嬢何とかしてって! のほほんと談義してる場合かっ!」

 

「にゃあもーうるしゃいですわ!耳元で叫ぶなぁ! ですわぁ……」

 

「え、いやちょっ、っんぷ、おじょ、 待って悪かったから一旦ジョッキ置いて零れる零れる!」

 

 

神妙な顔付きすらわざとらしい。

必死にSOS送ってたのに二人揃って気付かないふりとか薄情過ぎじゃないの。

セリアに至ってはずっと膝の上のナイン撫でる手を止めやしない。

 

挙げ句、耳元で叫んだヘルプに目を据わらせたお嬢が、ジョッキの口で俺の唇を物理的に封じようとしてきた。

 

 

「……ほっほ。残念でございます。もうしばし執事としてのタイを緩めておきたかったのですが」

 

「無礼講は終わりね」

 

「名残惜しいものです……さ、お嬢様。そろそろ酔いを冷ましに風にでも当たりませぬかな? あまりそうナガレ様にご迷惑をおかけなさいますな」

 

「んぅー……? にゃにが迷惑なものですのぉ! ナガレがわたくしの活躍をききたいっていうからぁ」

 

「(一言も言ってない)」

 

「ささ、参りましょうぞ。そろそろ淑女に戻っていただけねばこのアムソン、アレーヌ様に叱られてしまいます」

 

「!!……うー……」

 

 

アレーヌ。

その名前を耳にした瞬間、酔っ払いエルフがピタリと固まり、次いで拗ねた様に口を尖らせた。

それがお嬢に対するこの上ない有効札であるのは、渋々とアムソンさんの手に掴まるお嬢の態度を見れば一目瞭然。

 

けど、先程まで散々浮かれ調子のソプラノを聞き続けていたせいか──

 

 

「おかあさま……」

 

「──……」

 

 

呂律の乱れた飴声が転がした存在を呟く背中が、必要以上に小さく、細く見えてしまった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「今夜は甘やかすと決めた以上、そう責める事は出来ませんが、それでも寄りかかり方を選ばれては如何かと」

 

「むぐぐ……そ、そんなつもりじゃありませんでしたわよ」

 

「ほっほ。殿方であるナガレ様にあそこまで迫っておいて言える台詞ではありますまい」

 

「なっ、違いますわよッ」

 

 

『ピオーネ』から出て直ぐの脇道にて冷ました酒精に、またを火を告けるは確信犯。

小皺を蓄える老執事にガーッと怒鳴ってみても、彼女自身にも酒席といえど淑女らしからぬ真似をしたという自覚があったのだろう。

いつもよりその威勢は弱かった。

 

 

「お嬢様」

 

「……なんですの?」

 

 

肌寒さから、抱くように腕を持つ緑髪を薄い月明かりが照らす。

月化粧に頬の熱を奪われた少女は、執事が手短に自分を呼ぶときは大抵直球を放ることを知っていた。

しかもその軌道の先は、投げて欲しくない所が多い。

 

 

「ナガレ様にお惹かれになられておいでですかな?」

 

「……はっ?」

 

 

今宵も、類を漏れず。

 

 

「ほっほ。まぁ無理もありますまい。風無き峠での一幕からして、そうなってもおかしくないと思っておりました故」

 

「お、おおお待ちなさいなアムソン!! 何を勝手に決めつけてるんですの!」

 

「……おや。どうやら、まだ芽が出始めた程度ですか。淑女たれとの教えを磨いて来られたとはいえ、春の迎え方は教えようがありませぬなぁ」

 

「ですから! 何を一人で納得してるんですの!」

 

「まぁ冗談はともかく」

 

「冗談なんですの!?」

 

「ほっほ」

 

「アムソン!」

 

 

からかいましたわね、なんて。

そこで金切り声を挙げたところで、手玉としてジャグリングされるだけの末路がいい加減見え透いていた。

 

 

「……ですが、そう、ナガレ様。このアムソンが見るに……『今は』あまりあの方に寄りかかり過ぎない方が宜しいかと」

 

「だ、だからそんなつもりは……くっ、まぁ、良いですわ。はぁ……それで、結局何が言いたいんですの?」

 

「ほっほ」

 

 

好々爺に掌を返されるのも弄ばれるのも気に食わないが、ナナルゥは馴れている。

そしてこういう時、彼は決して間違った事を言わないという事も。

細波 流。この夕陽色の瞳は、非凡と平凡が同居した様なあの青年に何を感じたというのか。

 

 

「僭越ながら、ナガレ様は……──随分と長い、"空元気"を続けておられるように思うのです」

 

「から、げんき……?」

 

 

月が、(かげ)る。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「セリアは、聞いた?」

 

「何を?」

 

「お嬢が、故郷(フルヘイム)を飛び出して東に来た理由」

 

「……少しの経緯なら、聞いたわ」

 

「そっか」

 

「ナガレはどこまで?」

 

「……再起と復讐。その為に二人は旅してるって、アムソンさんから」

 

「……そう、大体同じね」

 

 

広々とした個室で、角を丸めたロックアイスが舌先で遊んで欲しいと艶っぽく鳴いた。

酒精を多く溶かした様なウィスキーの量は中々減らない。

紛れるものと紛れないものがあるとでも言いたげに、掌に身を預ける琥珀色の夜をサファイアブルーが見下ろしていた。

 

 

「──スゥ……ンン」

 

「……(良く寝てるな)」

 

「キュイ……」

 

「……」

 

 

特別柔らかくもない膝の上で、すやすやと寝息を立てるくっちーの表情は草臥(くたび)れていながらも幼い。

きっと柔らかそうな膝の上で、腹一杯で幸せとでも聞こえて来そうなナインの背を、細い指が撫でる。

 

頬は綻び、横顔は見惚れるくらい優しい。

でも──それでもセリアの瞳に浮く色から、憂いは消えず。

 

 

「聞かないのね」

 

「──何を?」

 

「私の事」

 

「……」

 

 

本心を暴こうとするのは、彼女自身の意思か。

グラスの中の丸い氷月が、目に見えない月光でセリアの心雲を払っているのか。

 

 

「聞いて欲しくないんだろ」

 

「……」

 

「だったら、聞かない。傷を(えぐ)る趣味なんてないし。セリアが自分から話したくなってからでいい」

 

「そう。そうね」

 

 

我ながら、大人な言葉だと思う。

大人みたいに慎重で、"相手に深入らない為"の、子供染みた言い訳だった。

 

セリアが何を思って剣を振っているのか。

そこに騎士の様な清廉さが根を生やしている訳ではない事くらい、俺でも分かる。

むしろ根を焼き尽くすぐらいに冷めた青い焔の様な、暗く重い理由。

 

多分、"憎しみ"。

 

 

「……」

 

 

それは底の方に沈殿させた記憶を引っ張るのには充分過ぎる。

憎しみ。それも、奪われた時に出来た傷痕のよう。

 

──奇遇にも俺が一時、"都市伝説という存在に"抱いていたものと同じ形をしていたから、深入らずとも分かってしまう。

 

 

「はは……酒、頼んでみよっかな……」

 

「……ナガレ」

 

「嘘うそ、冗談」

 

 

 

──死んで、生き返って。でもどこか自分が臆病になっている気がする。

 

 

(かさ)を減らした二杯目のレモネード。

甘酸っぱさはどこにもなく、ありもしない苦味ばかりが浮いてくる。

こういう時、突き放す様に励ますという離れ業をしてくれる親友達は、この世界には居ない。

 

 

個室の広さが、いやに虚ろで伽藍堂(がらんどう)に思えた。

 

 

 



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Tales 44【冗談好きの種明かし】

新しい朝が来た。

希望になるか絶望になるかはこれからの話だとして、まずは朝焼けに向かって、凝り固まった身体をぐっと伸ばす。

もう随分長いこと停泊している宿の看板。

厚みのある木造りの上に出来た鳥の巣から、黄色い綿毛を生やした雛が鳴いていた。

親鳥は餌でも取りに行ってんのかね。

 

 

「んぎぃっ……と。さて、行きますか」

 

「うー……」

 

「しかし昨日の夜と違って晴天の洗濯日和だな。結構雲厚かったのに」

 

「うぅー……」

 

「……」

 

「うぅうう……」

 

「お嬢、構って欲しいならいっそそう言って」

 

「そうじゃありませんわよ……う、頭が……」

 

「ばっちり二日酔いしてんじゃん。アムソンさんは?」

 

「酔い止め薬を買いに……」

 

「はぁ……」

 

 

酒は飲んでも呑まれるな。

酒で痛い目を見てる相手に贈る慣例句すら(はばか)れる青い顔に、ため息しか出ない。

 

 

「んでセリア……は、ガートリアムの情報聞きにエース達のとこ行くって言ってたっけ」

 

「うぅ、アムソンはまだですの……」

 

「急かさない。自業自得っしょ。ていうか昼から試合あんのにそんなんで大丈夫?」

 

「く、薬を飲めば昼には……だから早く。お願いしますわ……」

 

「俺に言われても」

 

 

なんか生気のない顔色が、重い禁断症状みたいでおっかない。

朝にはトーナメントの出場ブロック決め、そこから昼には第一試合開始と、闘魔祭は余裕のない予定表が組まれている。

人手不足故のスケジュール調整の結果なんだろう。

昼までに治るって言葉をとりあえずは信じてみるけど、何だか先が不安になる。

 

謁見以来一度も顔を合わせた事もないのに、相当な苦労背負ってるお方がつきそうなため息が、俺の口からも零れ落ちた。

 

 

 

────

──

 

【冗談好きの種明かし】

 

──

────

 

 

結論から言えばお嬢は会場に着くまでに無事快復した。

となれば当然、顔を見るなり噛み付き合うくらい仲の良い二人の寸劇が始まった。

二日続けてキャットファイトに巻き込まれるのは御免被りたい。

 

という訳で、予選ブロックを見事勝ち抜いたメトロノーム兄妹と一緒に他人の振りをしつつ、予選から本選へと名前と装いだけを変えた会場内を見回してみる。

 

 

「……流石に予選よりヤバそうな人ばっかりか」

 

 

人口密度による圧を予選時には感じたのものだが、今はもう一人一人が持つ気配が凄まじい。

対面から歩いて来たなら曲がらない角も曲がってしまいそうな厳つい顔の大男に、歴戦の戦士の様な気配を纏う武術家に、見るからに魔法使いといったローブと杖を持った女性。

 

シルエットだけでも濃密な存在感が半端なく、口をついて出た弱音をフォルに拾われてしまった。

 

 

「怖じ気ついたんなら帰ればいい」

 

「あ、フォル! またそうやって……」

 

「……チッ」

 

「……(キングってのに焚き付けられでもしたのかね)」

 

 

相変わらずの喧嘩腰ではあるけど、それはやっぱり緊張の裏返しなのだろうか。

後ろ流しにして逆立てたブラウンの髪を逐一弄る様子は、どこか落ち着きがない。

それは赤眼鏡がズレ落ちそうになりながらもこっちに頭を下げる、妹のピアも似通った部分ではあるけど。

 

 

「す、すいません! すいませんナガレさん! お兄ちゃんがまた失礼な事を……」

 

「そ、そんな勢いつけて謝んなくても大丈夫だから」

 

「はい……」

 

「…………」

 

 

兄である立場なら、あんまり妹を困らせるべきじゃないって指摘する場面なんだけど。

どうやら本人もバツの悪そうな顔してるし、特に何も言うまい。

 

 

「……ん?……妙だ」

 

「何が?」

 

「……数。三十二枠もあるはずなのに、三十も達してない」

 

「……え………………あ、マジだ」

 

 

不思議そうな呟きに乗っかれば、少しばかり動揺を見せた厚雲色の瞳。

手短に告げた違和感の意味を辿れば、フォルの言わんとする事は直ぐに分かった。

今この会場内の出場選手の数は、『二十九』人。

三枠も足りてない。

 

 

「確かエトエナが一人勝ちしたってのは聞いてたけど、他のブロックにもそんなケースがあったのか?」

 

「……さぁな。遅刻してるだけかも知れないだろ」

 

「でも……もう時間だよ? 遅刻なんてあるのかな」

 

「ピア、俺に聞くな」

 

 

どっかのエルフみたいに羽目外したのかもな、なんて有りそうにもない事を思い浮かべてお嬢の方を振り向けば、まだ言い争ってるし。

とそこで、そんな近寄り難い二人の元へと軽い足取りで近付いていく細身のシルエットが目についた。

なんか亀の甲羅みたいなの背負ってるけど、あれは盾なんだろうか。

 

 

「よう、ハニー。朝早くから随分威勢がいいじゃないの」

 

「げぇっ?! で、出ましたわねぇ最低で下衆な軽薄男!! というかわたくしをハニーと呼ぶんじゃありませんわ汚わらしいッ!」

 

「あ、あーらら……俺様嫌われちゃってるみたいじゃねーの……ま、そんなハニーの怒った顔も魅力的だぜ?」

 

「……え。ちょっとそよかぜ。ハニーって……あんた趣味悪いわね」

 

「はぁ!? 何とんちんかんな勘違いしてやがりますの!!」

 

「趣味悪いって……おいおいこんな良い男捕まえてそりゃないぜお嬢ちゃん」

 

「は? なによこのバンダナ、馴れ馴れしいわね。髭の一つでも生やして出直して来なさい」

 

「……(髭?)」

 

 

辛辣にはね除けるエトエナの口振りに首を傾げたくなるも、俺様な盾兄さんはどこか飄々としてる。

お嬢の知り合いっぽいけど……微妙に腰が引けてるのは何故?

 

 

「折角同じ予選ブロックを勝ち抜いたんだ、もうちょっと俺様と仲良くしてくれたって罰は当たんないんじゃないか?」

 

「やっかましいですわこの色魔!! 良いですこと? マルスなにがし! もし本選で当たった時は次こそ乙女の鉄槌を下してさしあげますわよ!」

 

「マルス・イェンサークルな。そ、それと鉄槌は勘弁してくれ……」

 

 

オレンジ色のバンダナを目深にずらして青ざめるマルスの名前には聞き覚えがあった。

確かセクハラ発言されたから制裁した、とんでもない破廉恥男とかなんとか。

制裁って何とは思ったけど、あの引け腰を見る限り、詳しく聞かない方が良さそう。

 

けど、ちょっと背筋が寒くなった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

『来場された予選通過者の皆様、よくぞお集まりくださいました! 先日に引き続きトーナメント選出も、このオルガナ・ローンが務めさせていただきます』

 

 

そう時は巡らない内に、いよいよ本選トーナメントの割り振りの時間となった。

読点一つがアクセントに聞こえるようなチェストボイスは腹にまで響きそうで、会場内の視線も自ずと発生源の壇上へ。

 

後ろ手を組んだオルガナの爽やかな笑みに迎えられつつも、皆の興味は彼の後ろに運ばれてくる大きなサイズのトーナメント表へ向いた。

 

 

『さて、此度の予選ではバトルロワイアルを勝ち抜いた二人のみの選出とさせていただきました。そして次なる舞台、即ち本選は勝ち抜きのトーナメント方式となっております』

 

 

清潔な赤ネクタイをゆるめつつ、彼もまた参加者達と同様に視線をトーナメントへ向ける。

その長大な図式を仰ぎ見れば、左のブロックと右のブロックとでそれぞれ十五ずつ枠が空欄となっていた。

 

 

『本選は予選を勝ち抜いた総勢三十二名から成ると当初は説明しましたが、予選にて少々"イレギュラー"な案件が発生しましたので、ご覧の通り二つほどシード枠を設けさせていただきました』

 

 

イレギュラー、という割にはある程度想定の範囲内。

堂々ぶりを崩さないオルガナさんの立ち姿から、むしろそのイレギュラーを歓迎していたかの様にも見えるのは気のせいだろうか。

 

まぁ、そんな個人の推論は置いとこう。

要するに参加枠は三十ジャスト。

その内二枠がラッキーを勝ち取れるって事らしい。

 

 

『ではその枠を決めるべくして、今から皆様に抽選クジを引いていただきます』

 

 

オルガナさんがパンと柏手を叩けば、壇上の両袖からそれぞれ真四角な箱を持った女性が二人現れる。

その片側は奇遇にも俺の勝ち進んだブロックの係員で、相変わらず愛想のない顔と一瞬だけ目が合った。

 

 

『各々抽選箱から番号札を一枚だけお取り下さい。そこに記された数字が、貴方のトーナメントの行き末を担う運命のナンバーとなるでしょう』

 

「……(また煽ってるし。この人ノリノリだな)」

 

 

運命のナンバー、ね。

都市伝説に(かこ)つければ悪魔の数字とか、陰謀論とかを想起しそうな言い回しだけど。

残念ながら彼の遊び心は俺以外には響かず、フォルなんかいかにも馬鹿らしいと鼻で笑っていた。

 

 

「……どうぞ、サザナミ選手。引かれた番号はまだ他の選手には公表しないように。そのまま私にのみ提示して下さい」

 

「了解。ん……(『2』か……いや、それよりこの剣の絵はなんだ?)」

 

「……はい、確認致しました」

 

 

ガサゴソと探り当てた運命の番号は大分若い。

レジェンディア式にデフォルメされた数字の隣には、オーソドックスな剣のイラストが添えられているのも気になる。

 

……というか番号的に、いきなり初戦って感じじゃないかこれ。

 

 

 

「フォルティ選手」

 

「……」

 

「はい、確認致しました。ではピアニィ選手」

 

「は、はい! えっと……え、あっ……」

 

「はい、確認致しました。それでは番号札を回収します」

 

 

段取りが詰まってる分、係員が淡々と処理していく中でピアのリアクションが目に留まる。

なんか良くない数字でも引いたのかも。

 

と、そうして出場枠の割り振りは淀みなく進行していき、あっという間に公表の時間は訪れた。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

『……さて、各選手の運命が出揃いました所で公表と参りましょう。便宜上、皆様から見て左のトーナメントブロックを【剣】、右のトーナメントブロックを【魔】とさせていただきます』

 

 

あぁ、それで番号札に剣が描いてあったのか。

ってことは俺、やっぱりいきなり初戦っぽい。

 

……ん、いや、待てよ。

剣のブロックで十五。魔のブロックで十五。

シード枠が二つ。

そして会場には二十九人の予選勝利者。

 

……『後一人』は?

 

 

『それでは早速──』

 

「あの、オルガナさん」

 

『──と、失礼。如何なさいましたか、サザナミナガレ選手』

 

「あ、いや進行遮ってすいません。ちょっと気になったんすけど……トーナメント出場者ってここに居るので全員なんですか? あと一人足りないよーな気が……」

 

『ふむ、確かに参加者としては気になる部分でしょうな。ナガレ様のおっしゃる通り、会場には本来揃うべき"あと一名"を欠いたままでありまして。"彼女"には余った残りの番号を割り振らせていただいております』

 

「彼女?」

 

 

『えぇ、彼女は────! おっと。どうやら、私が説明するまでもありませんでしたね』

 

 

背後の方から届いた、重々しい鉄扉の軋む音が、まるでおどろおどろしい悲鳴の様にも聞こえた。

密閉された空間にまた新たな風が吹き込まれる様に、会場内に満ちた空気が瞬く間に塗り変わる。

 

 

それは、最後の一人の満を辞した到来に対する、無機質なりの祝福だったのだろうか。

 

 

『僭越ながらご紹介致しましょう。彼女こそ、かの【精霊奏者(セプテットサモナー)】の奏者が一人』

 

「!!」

 

 

嬉々として演出に拍車をかけるアナウンスが、より一層『彼女』から漂う濃密な気配を飾る。

 

──その濃密な存在感を醸し出している要因は二つあった。

 

 

一つは、真夜中のトンネルよりも尚深い黒。

際立ち過ぎて、異質とさえ映るほどの漆黒に浸けた様な『ローブ』を纏ったシルエット。

遠目からでも小柄だと分かる彼女の存在そのものを呑み込みそうな墨色の衣は、彼女こそ魔女なのではないかと思える程で。

 

 

『かの【人智及ばぬ黒き底】……魔女カンパネルラ様の弟子』

 

 

そして、もう一つの要因。

 

魔女の弟子であるらしき小柄なシルエットを、今にも押し潰してしまいそうな──大きな『棺』。

無機質で無感動な死の象徴が、まさに彼女の異様さを最大限に演出していて。

 

 

 

 

『お待ちしておりましたよ、"トト・フィンメル選手"』

 

「……」

 

 

 

物言わぬ影とのすれ違いざま。

闇衣から覗いたのは、恐ろしいまでに透き通った『紫水晶(アメジスト)』の瞳だった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「──とまぁ、魔女の弟子に関してはそんなとこやな。悪ぅ思わんでくれ、流石にワイも『賢老』が目ェ光らしてる場所じゃ好き勝手動けへんねん」

 

「……貴様らしくもない事だ」

 

「へへへ、買い被りやねんて。"人の中"に紛れるには『慎重さ』っちゅうのが肝要なんやで?」

 

「どちらともにも身を置こうとしない分際が。嗤わせるなよ」

 

 

セントハイムより少し離れた丘でかわされる影達のやり取りには、決定的な温度が欠けていた。

吐き捨てるような声色を風に溶かした冷美な横顔が、対面の男を冷たく見下ろす。

 

緋色の眼差しを向ける女、『ルークス』は自分の心に沸き立つ仄かな嫉妬を自覚していた。

対面が寄越した魔女の弟子に関する情報、その不明瞭さに腹を立ててる訳ではないと。

 

 

「予選は、"あえて"降りたと。そう言っていたな」

 

「言うたな。いやいやそれがなぁ、滅っ茶苦茶オモロそうな『サンプル』を見付けてしもてな! そいつの持っとる力もそやねんけど────他とは違うんや、ソイツの『匂い』が!」

 

「……匂い?」

 

「せやせや、ありゃ『どこ産の生まれ』なんやろぉな。西の魔法臭さもない、南の聖職臭さもちゃう。東かと思たけどそれもなんか違う、ほんで『かつての』中央もないな、あれは────くかかっ! たまらんやん。ルーツが知りたくなるやん!! アイツは一体なにもんやってハナシやろ!! なぁオイ、そう思わへんか?!」

 

「知るか」

 

 

この男の生き方そのものが、ルークスという存在が纏う因果をせせら笑っているかの様で。

つまりは、蔑む様な口振りでさえ、単なる八つ当たりに過ぎない。

 

 

「ちゅー訳で、魔女の弟子に関してはもうワイは興味なくなってしもたんや。気になるんなら自分で本選見に行きぃ」

 

「言われなくともそうする。貴様なんぞに貸しを作ったのがそもそも間違いだった──で、お前はいつまでその誰とも分からない『面』で居るつもりだ」

 

「──おぉ、せやせや、忘れとった。もうこの『顔』も飽きたし、えぇか。割と気に入ってたんやけど」

 

 

そう八つ当たり。

人の間をするりするりと渡りながら、思うがままに生き、思うがままに奪い、思うがままに居座れるこの存在を、ルークスは嫌う。

 

 

「『偽善偽悪に頬を打たれたなら、その者の身近に成り済まし』」

 

 

そしてきっと彼もまた、ルークスからどう思われているかなんて、とうの昔に気付いているのだろう。

足元から発生した銀の魔方陣、そこから立ち昇る銀の魔力の渦が、カーテンの様にシルエットを隠す。

 

 

「『叱咤の鞭を捌き打ち、せせら笑い、唾を吐いて、ただ応報をくれてやれ』」

 

 

彼が唱えるのは、精霊の力を借りぬオリジナル。

独自魔法(アーティファクト)にして、彼そのもの、代名詞。

そしてこの瞬間においては、だからどうしたと、憎むのならば勝手に憎めとでも言うかの様な異種返しも兼ねていた。

 

 

「『ざまぁみろ』」

 

 

道化師が嗤う。

 

 

「【クラウンメイク(お前の者は俺の者)】」

 

 

その顔を歪ませ、瞬く間にその原型は消え去って。

 

琥珀色のおかっぱ頭は、アンバートーンが華やいで波打つ長い癖髪へと変わり。

栗鼠の様に贅肉でふくらんだ頬は、彫刻像みたくすっきりとして滑らかなフェイスラインを(かたち)どり。

 

曲がった背は伸び、浅葱色の瞳がパチパチと瞬いた。

 

 

「──ふぅ。ひっさびさにこっちに戻ったわねぇ。手鏡の一つでも持ってくれば良かったかしら。ねェ、どーお? アタシ、ちゃんと綺麗かしらァ?」

 

「……貴様の顔などどうでも良い」

 

「あらやだ失礼しちゃうわ。貴女が元に戻れって言ったんじゃないのォ」

 

「知るか、【見境なし】が」

 

「──えェえェ、おっしゃる通り。アタシには境界なんてないわァ。美人でも不細工でも。男でも、女でも。

 

 

──人でも、魔物でも。神様が引いた線引きなんて、どうでも良いコ・ト・よ!」

 

 

それは、届きもしない"種"明かし。

披露したのは、とびっきりの嘘。

観客が違うのがさも残念だと言いたげに。

 

 

彼女、或いは彼は堂々と謳い上げる。

遠大に広がる青空に両腕を伸ばし、まるで自由を高らかに尊ぶ歌劇の様に。

 

 

「【見境なしのシュレディンガー】は縛られるのが嫌いなの」

 

 

──楽しい"冗談"は、大好きだけどォ。

 

ねェ、ナガレにセナト。アタシもなかなかのモンでしょォ?

 

 

妖魔が、嗤う。高らかに。

 

 

 



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Tales 45【地を這う明星】

紫陽花に似た色彩の前髪は、羊の毛みたく柔らかそうであるのに、アメジストの両眼には読み取れるだけの感情が射し込んでいなかった。

 

見るからに重量のある棺。

腰を折りつつ進む彼女の動きは機械的とさえ思えて、どこか人間味の薄さを雰囲気だけでも感じ取らせる。

周りもまた、彼女の雰囲気に気圧されているのだろう。

少なく見積もって半数が、額から冷や汗を伝わせていた。

 

「遅くなった」

 

 

輪郭だけは柔らかく、少女の声は甘く幼い。

それでもその内側の芯は熱がまるで灯らず、その事実がより一層彼女を人形めいた何かに思わせた。

 

 

『事前連絡は受けておりましたので、構いませんよ。ただ進行の事情もありますので、トト選手の割り振りは此方で行わせていただきました』

 

「ん」

 

『ご理解感謝致します。さて、それでは仕切り直しといきましょう!』

 

 

ゴトンと立てた棺に背を預けた、黒そのものを身飾る少女、トト・フィンメル。

魔女の弟子であるらしき彼女とも、闘う時が来るんだろうか。

 

 

────

──

 

【地を這う明星】

 

──

────

 

 

『まずは剣のブロック第一試合。1番──ピアニィメトロノーム選手 対 2番、サザナミナガレ選手!!』

 

「「!!」」

 

 

なんて、魔女の弟子らしき少女に思考を裂いてる場合じゃなかった。

番号の若さからして早い試合順なのは覚悟してたけど、まさか相手がピアとは。

 

……番号を引いた時、ピアがやたら挙動不審になってた理由はこれか。

 

 

「えっと……お、お手柔らかに……」

 

「あー……はい、此方こそ」

 

 

恐縮しがちな栗色の髪が、ペコペコと頭を下げる度に目の前を舞う。

いやうん、それより首の後ろからビシバシ刺さる様な視線感じるんだけど。

こう、若干殺気混じってる感じ。

 

……意外と妹想いのお兄ちゃんやってて何よりです。

 

にしても、いきなり初戦がエルディスト・ラ・ディー枠とは。どっちが勝ってもエース並びに俺達としては悩ましい所だ。

しかも、向かい風となる展開は更に続く。

 

 

『第二試合……ふふ、幸運を掴まれましたな。四番、マルス・イェンサークル選手!! シード枠です!」

 

「おっ、おぉっ、ラッキーじゃないの!! 流石俺様、幸運の女神様すら口説く二枚目は伊達じゃないってね! どーよハニー。見直したかい?」

 

「……チッ」

 

「舌打ち?!」

 

 

二つの内一つのシード枠を勝ち取ったのは、お嬢と一緒の予選ブロックを制したマルス。

トーナメント表を見るに、俺とピアのいずれか勝った方が次に当たる事になるけども。

 

 

「ついてない……」

 

 

トーナメント戦は観客を動員した闘技場で行われるらしく、参加選手も試合内容を観覧出来る。

となれば、俺とピアは手の内を晒した上で、手の内の計れないマルス相手に挑まなくちゃならない。

 

 

『第三試合──』

 

 

情報の上でのアドバンテージを覆そうにも、昨日の酔い話からしてお嬢もマルスの手の内を知らなそうだし。

早くも苦戦が予想されるなコレ。

 

 

『続いて第四試合! 七番、リキッド・ザキッド選手 対 セナト選手!!』

 

「……」

 

「え、ちょ、セナトって、あのヤバそうなのかよ……?! 七番ってハッピーセブンじゃないのか、クソッ!!」

 

……しかも何とかマルスを下せても、今度はあのセナトがスタンバってるってオイ。

洒落になんないよこれ。

俺もあのリキッドって武道家っぽい選手みたく膝をついて項垂れたい気分。

っていうかハッピーセブンってなに。

 

 

『……そして第八試合! 十五番、ビルズ・マニアック選手 対 十六番──トト・フィンメル選手!! 剣のブロックは以上の割り振りとなります!!』

 

 

「…………うっそ」

 

 

えー……つまり、あれですか。

全部勝ち星を得れたという前提で進めても、第一試合はピア。

第二試合は情報面で劣勢は確実なマルス。

第三試合にセナト、第四試合に魔女の弟子ないしそれに打ち勝つレベルの相手が待ち受けてると。

 

……きっつ。

剣のブロックキツすぎるだろこれ。

いや本選だから予選より厳しい戦いになるのは見え透いてたけど、これはハード過ぎるって。

 

目に見えた強敵達の壁の列に、早くも乾いた吐息が落っこちた。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

けどまぁ、不幸中の幸いとも言える追い風を呼び込んでくれる辺りが、流石は黄金風を名乗るお嬢なだけはあるね。

 

 

『フフ、魔のブロック第二試合……二十番、ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手!! シード枠でございます!』

 

「わ、わたくし!? あ、いや……オーホッホッホッホ!! ざーんねんですわぁ、ほんっっとざーんねんですわ! わたくしの華麗なる活躍をお見せする機会が遠退くなんて! でも仕方ないですわね、何故ならわたくしは主役! そして主役遅れて──」

 

「隣で一々喚くんじゃないわよ! そよかぜならそよかぜらしくシーンとしてなさい!」

 

「かなかぜですの!!」

 

 

滅茶苦茶ラッキーって思ってる癖に、相変わらずのスタンスを貫く辺り流石だよ。

小柄なエトエナの肩越しに、『どーですのわたくしの幸運は!』的な笑みを俺に向けてるとことかさ。

……色んな意味で可愛い人だね、全く。

 

そんな感じで我らがお嬢様がちゃっかりシード枠を勝ち取ってくれたお蔭で、暗雲立ち込めたエースとの契約に光明が射した。

 

 

『魔のブロック第四試合……二十三番、ユフィ・トランダム選手 対 二十四番、エトエナ・ゴールドオーガスト選手!!』

 

「チッ……遅いのよ。当たっても三回戦か……あんたの事だから、どうせ勝ち上がって来れないでしょーけど」

 

「なっ、どういう意味ですの!!」

 

「一々説明してやんないと分かんないの?」

 

「ぐっ、ぬぬぬ……このちんちくりんエルフ!! 必ずわたくしの手で直々ぶっ倒して差し上げますわよ!」

 

「ち、んちく……んのォ、上等じゃないの……たかが予選に勝った程度で調子付いてるあんたの鼻っ柱へし折ってやるわよ!」

 

「ハニー、やったじゃねぇかよ。シードでお揃いだなんて幸運の女神様も俺様達を祝福──」

 

「「色情魔は引っ込んでなさい!!」」

 

「………………はい」

 

 

いつぞやの風無き峠の下り道、アムソンさんが女性同士の揉め事の間に入るものじゃないとは言ってたけど。

その最たる例を見せられれば、流石は年季から来る的確なアドバイスだったと頷きつつ視線を逸らす。

飛び火を嫌うなら、見るからに祟り持ってそうな女神様達には触れぬが吉って事だろう。

 

そして、ラスト。

 

 

『そして魔のブロック第八試合……三十一番、スペンティオ・ジーラ選手 対 三十二番、フォルティ・メトロノーム選手!! 魔のブロックの割り振りは以上となります』

 

 

シード枠はランダムとはいえ、九番ブロックの両勝利者であるお嬢とマルスがその幸運をもぎ取った。

その上双子の妹は一番を引いて、兄は最後を引くなんて随分と運命か何かに弄ばれてる様だと、陰謀論に漕ぎ着けたくもなる。

 

『さて、如何でしたかな? 恵まれた相手か、絶望的な相手か。思う角度は各々違いましょうが、いずれにせよ栄光を掴むのは唯一人』

 

 

ま、ここで秘密結社とかに想いを馳せるのも悪くないけど、現実逃避は程ほどにしておくとして。

大盾と剣と杖のタペストリーを背にしたトーナメント表、そこに刻まれた名前を一通り眺めてみる。

 

 

『多少の運命は自らの鍛えた力、技、知恵によって覆していただきたい。そういう強者こそ──伝統ある闘魔祭の頂点に相応しいでしょう』

 

 

とりあえず知ってる名前が勝ち抜いた前提で、俺とお嬢のトーナメントの行き先を追ってみよう。

 

俺の場合は、ピア、マルス、セナト、トトに勝てば決勝へ。

お嬢の場合は、三回戦にエトエナ、準決勝戦にフォル。勝てば決勝って感じか。

 

 

『……それでは、本選トーナメントの開催時間まで一時解散と致します! 皆様、ご静聴ありがとうございました!』

 

 

恭しく腰を折るオルガナさんの言葉に見送られ、喜怒哀楽を十人十色に貼り付けた参加者達が踵を返す。

 

一時間の猶予が過ぎれば、遂に本選の幕が上がる。

予想よりも遥かに険しい道のりに、隠したがってる打たれ弱さが顔を出そうとするけども。

 

 

『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』

 

『………バカよ、本当。けど……それも"今更"だったわね』

 

 

土曜精の石橋で切った啖呵を嘘にしない。

あの辛辣な頑固者に、物分かりの良い女を()って貰ったのだから。

 

ベストを尽くせるようには最低限しとかないとね。

 

 

「……」

 

「……出来たら三回戦に、また」

 

「期待しておこう」

 

 

例えば──三回戦での対戦相手。

わざわざ此方の傍まで歩み寄ってきたセナトとのすれ違い様は、緊張感は多少あれど、不思議と切迫したものはなかった。

 

俺の臆測がもし正しかったとしたら、『あの都市伝説』を再現出来るかも知れない。

メリーさんもその臆測に関しては、あながち間違ってなさそうとも言ってたし。

……その間違ってなさそうと思う根拠が、『女の勘』ってのは、色んな意味でどうかと思ったけど。

 

 

月を連れ添わない夜の色したセナトの瞳が、静かに細まる。

それをやんわりと逸らしながら、俺は小さく苦笑するのだった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「ねェ、聞いたわよ。『ベルゴ』のヤツがえらく張り切ってるってハナシじゃない。今頃エルゲニー平原辺りでイライラしてるんでしょーねェ。それに西の指揮を取ってる『ファグナ』。アイツもベルゴに先陣任せるなんてって、ウズウズしてるんじゃないのォ? あの早漏野郎のことだし、そのうち『待て』の命令さえ無視しかねないかもねェ」

 

 

「……」

 

「というより、今回の進軍はなーに? 他の魔将軍もほっとんど北に引きこもってるみたいだし。一体何をお考えなのかしらァ?」

 

「『情報屋』なら自分で調べろ」

 

「だァから、今調べてるんじゃないの」

 

 

青空の支配者が放つ紫外線から波打つアンバーの髪を守る様に、丘にひっそりと立つ肥えた木の影へと逃避する美意識こそ、この妖魔の持ち味とも言えた。

 

しなやかな身体を包む上半分の、所々にフリルがあしらわれた白い紳士服と、下半分のルージュカラーのスリットスカート。

情報屋『チェシャマネキン』としての顔も持つ浅葱色の瞳は、好奇心を隠しもしない。

 

 

「それとも、『元』魔将軍のアタシには知る資格はないって事かしら?」

 

「…………チッ」

 

「あら、舌打ちなんて酷いわねェ」

 

「鬱陶しいヤツめ…………別に、そう大した事情じゃない」

 

「ふぅん?」

 

「……闘魔祭。いずれ滅ぼす国の、最後の祭儀だ。見届けてやるのも一興だと思ったまでだ」

 

 

どこまでが本心であるかは、妖魔シュレディンガーでさえ見抜けぬ事である。

ルークスの緋色の瞳に浮かぶ感情は、きっと一つのパレットには収まりきれないぐらいに複雑で、濃い。

 

 

「ところで……貴様はこれからどうするつもりだ」

 

「情報屋は一旦休業……ああ、違うわねェ。『あの坊や』の専門になっちゃおうかなァってところ。あはぁん、楽しみで疼いて仕方ないわねェ……久しぶりの未知のお・あ・じ」

 

「……気色悪いヤツめ。誰だか知らんが、貴様のようなヤツに目を付けられるとは不憫な事だ」

 

「経験者は語るってやつゥ? あら、それともヤキモチ?」

 

「……灰に還すぞ」

 

「冗談よ、冗談。ふふ、でもなかなかに良い男前な顔をしてたから、貴女にも逢わせてやりたかったわねェ……────ナガレの坊やに」

 

「……──ナガレ、だと?」

 

 

もしかしたら、この日はじめて冷徹と苛立ち以外の感情を、ルークスは浮かべたのかもしれない。

彼女の珍しい反応に、釣られるようにしてシュレディンガーは浅葱色の瞳を猫みたいに丸めた。

 

 

「あらあら……もしかして、ナガレの坊やと顔見知りだったのォ?」

 

「…………別に」

 

「なによ、気になるじゃない。ねェ、良かったら教えて下さらない? 情報料ならたっぷり支払ってあげるからァ」

 

「……断る」

 

 

取り付く島もないルークスの拒絶に、この問答を『予測』していたシュレディンガーはさして落ち込む事はなかった。

金などで釣られるはずもない。金銀財宝などルークスからして見ればガラクタと変わらない。

灰に還してしまえば一緒なだけだと、かつて冷美な緋色が物語っていたのだから。

 

──無論、予測出来た最大の理由は……もっと別。

 

 

「顔見知り…………フン。今頃は、もうとっくに……赤の他人になってる頃だろうよ」

 

「…………えェ、そうねェ。彼、"人間"だものね」

 

「……あぁ」

 

 

丘に散らばる草花の穂先を、淡く吹いた秋風が撫でれば、奏でられるのはただ静かな哀愁だけ。

まるで感情の一切が抜け落ちたかの様なルークスの相槌は、まるで灰色の様に、無垢で鈍い。

 

淡く、儚く、後を"濁せず"──それがいつもの事だから。

 

『そか。悪かったね、邪魔して。今度お詫びする』

 

ルークスは、人の間では生きられない。

魔の間でしか生きられない。

 

 

「そろそろ行くわね」

 

「フン、さっさとどこぞでくたばれば良い……【見境なし】」

 

「あらお上手な皮肉」

 

「チッ」

 

 

何かが燃え尽き、灰になったのなら。

後は風に還るだけ。

 

今までも、これからも。

 

 

 

 

 

「それじゃあね、ルークス……ふふ、いいえ。またいずれかで御逢いしましょう。ねェ?

 

 

 

 

 

 

【魔王様】────?」

 

 

人の記憶に残れない。

故に、己は人の間で生きられない。

ただそれだけの事だと。

 

 

【魔王ルークス】は、かく語りき。



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Tales 46【幾星霜の祭典へ】

「体調は?」

 

「問題なし。今日まだ何も再現してないから逆に調子良いくらい」

 

「そう。でも、無茶と油断は禁物よ」

 

「心配と忠告を同時にって、器用な真似するね」

 

「……茶化さないで」

 

 

心配だから忠告するんだってのは承知の上だけど、それじゃ不安さを隠す為の無表情を貼ってくれてる意味がない。

セリアって、要領良い癖にこういうとこは不器用だから、それが少し面白くもある。

 

 

「ふふん、安心なさい。もしナガレが負けたとしても、このわたくしがちゃちゃっと優勝して差し上げますわよ!」

 

「…………予選突破して以来すっかり調子に乗っちゃって……ま、そーなったらお嬢に託すよ」

 

「……ふむ。お嬢様、残念ながらご自分の試合で頭が一杯一杯であるのはバレてらっしゃるようですぞ」

 

「ちょっ、よよ余計な事を言うんじゃありませんわ!」

 

 

いつぞや泊まったガートリアムの兵舎に似た選手控え室に、慌てふためくお嬢の声がやたらめったら乱反射。

どことなく浮わついたお嬢の声のトーンは、調子に乗ってるからではなく、自分の試合に対する不安からだろうか。

お嬢って尊大な態度を取りたがる癖に、結構気遣い屋な所も目立つ。

アムソンさんの存在もあって、つくづく憎めないタイプの人だと思う。

 

 

「サザナミナガレ選手。お時間となりましたので、こちらへ」

 

「ども。そんじゃ皆、行ってくる」

 

「えぇ」

 

「……むー。言っておきますけど、半端に敗けるのだけは許しませんわよ。必ずベストを尽くしなさいな!」

 

「ほっほ。これもお嬢様なりの激励とお受け止めください。ご武運を、ナガレ様」

 

 

仲間達からの、各々なりの見送りを背に、例のクールな係員の後へ続く。

遠大な白い廊下の先からは、既に雄叫びにも近い歓声がここにまで届いていた。

 

 

「……」

 

 

自分に対する励まし代わりに、ホルスターに繋いだアーカイブをポンポンと叩いた。

 

 

────

──

 

【幾星霜の祭典へ】

 

──

────

 

 

『レディィイィィイィィス!! エン、ジェントルメェェェェエエンンッッッッッ!!!!! 祭典にお集まりの皆々様!! おっ待たせしましたぁ!! これより記念すべき第五十回の大台を迎えます、セントハイム名物────【闘魔祭】を開催致しますッッッ!!!!』

 

 

「「「「「「「おおおおぉぉおおおおぉぉお!!!!!!」」」」」」

 

 

幾度もの辛酸と苦渋と栄光を産み出したコロッセオに響き渡る来場者達の大喝采は、コロッセオの上部に位置する解説ブースから流れる、ハイテンションなアナウンスを霞ませるほどだった。

 

その勢いは厚い雲すら切り裂き、地を揺るがしかねないくらいに凄まじい。

客席から立ち上がって吠える周囲の観客に気圧されていた一人の老婦人が、我が家の棚が倒れたりしないかと心配するくらい、会場には熱気が渦巻いていた。

 

 

『此度の闘魔祭にてアナウンスを務めますのはぁ! 皆様のお耳の清涼剤! 人の姿をしたカナリアことミリアム・ラブ・ラプソディでーす!! よっろしくぅぅ!!』

 

「おぉおぉ!!ミリアムちゃぁぁぁぁん!!!」

 

「ソプラノボイスに耳がとろけるぅぅぅぅ!!」

 

「ミリアム、俺だァ!結婚してくれぇぇえ!!」

 

『はーい魂の籠ったご声援、ありがとーございまーす!!』

 

 

現代にあるマイクと酷似した形状をした、拡声ロッド(パフォーマンス)と名付けられているマジックアイテムを手に握るポニーテールの美女のリアクションが、より一層会場の勢いに火を灯す。

底抜けに明るい印象を与えるミリアムの甘くも芯の据えたような声は、静寂を好むジャックことミルス・バトにも好ましいと思わせた。

 

 

「……ミリアムったら、相変わらず凄い人気。前回から引き続きで登用された事、喜んでましたもんね」

 

 

歓声の勢いにずれた白縁メガネをかけ直しながらの苦笑は、ミリアムとの親密さを窺わせる。

実際のところ、ウインクをすればキラッと星の一つでも光りそうな黒髪美女とジャックは友人と呼べる間柄だった。

その切っ掛けは四年前の闘魔祭でのアナウンスも務めていた彼女が、当事最年少参加者だったジャックを気に入ったからという顛末ではあるが、きっとそんな特別な経緯がなくてもどこかしらで出会えばすぐ打ち解けられただろう。

 

 

「カナリアっつーか、カラスばりにクソ喧しい奴だろ」

 

「!! 『キング』……来ていたんですか?」

 

「闘争のある所にキング様の影ありってヤツだ」

 

 

友人の晴れ姿に目を細めていたジャックの小柄を、のっしりとした大きな影がすっぽりと包み込む。

掠れがちなエッジボイスに振り向けば、その筋一つが凶器とさえ見間違うほどの筋骨隆々な裸体に、ファーの付いたコートをそのまま羽織った格好の大男がラウンドサングラス越しに見下ろしていた。

 

顔、胸、腹、腕。

至るところに残る、数多の傷跡を戦士の勲章と誇るような野性味とドレッドヘアーが特徴的な彼こそ、エルディスト・ラ・ディーにおける三枚目の切り札『キング』である。

 

 

「やっぱり弟子が可愛いですか?」

 

「弟子ぃ? んなもんオレには居ねぇ」

 

「フォルティの試合を観に来たのでは?」

 

「カカカ。アレは精々、暇潰しの玩具(オモチャ)ってとこだろ。弟子なんかじゃねぇ」

 

「またそんな事言って」

 

 

ガタンとジャックの隣に片足を掛ければ、元々彼女の隣を確保していた男が青い顔でそそくさと横にずれる。

横に奥に遠くにと、奇妙な連鎖を生んだキングは礼の一つも告げず、当然の様にそこへ腰を下ろした。

 

 

「……エースとクイーンは?」

 

「……『エルザ』さんの所です。容態が少し悪化したみたいで」

 

「チッ」

 

 

舌打ち一つすら、狼の唸りを彷彿とさせるが、その凶悪が似合う表情には、苛立ち以上の何かが備わっていた。

恐らく、エルザ・"ウィンターコール"…エースの妹の様子が多少なりとも気掛かりなのだろう。

それをそのまま尋ねれば、冷ややかな否定が返ってくるのは想像に易くないが。

 

 

「……で、エースが契約したガキとエルフの試合はいつからだ?」

 

「ナガレさんは開会の儀の後、すぐに。エルフのナナルゥさんは当分後ですよ」

 

「ほう……ソイツは──」

 

 

『それではそれでは!! ルーイック陛下より開催宣言を賜りたいと思います! お集まりの皆様、ご静聴下さい』

 

 

愉しくなりそうだ、というキングの獰猛を静めたのは開催の儀。特別に設けられている王族用の観覧席へ自然と視線が集まる。

 

 

『──十代目国王、ルーイック・ロウ・セントハイムである』

 

 

壮麗な彩飾に劣らないゴールドの髪を風に戯れさせる彼らが王の姿は、まさに気品ある美少年という形容が相応しい。

 

 

『一つの年月を星と例えたのなら、今この時は二百の星霜が満つる時。五十を迎えるこの度に、私が開会を唱えれるのは一重に諸君らの支えがあってこそと言えよう』

 

 

その隣にて静かに佇むヴィジスタ宰相と対照的であるように、若き王は権威を示すべくモーションを大きくしながら語りかけた。

 

 

『ならば──この祭儀に剣を掲げた者達よ。励み、競い、勝ち取るが良い。この舞台に爪先を乗せただけでも、勇壮を示した何よりの証である事を私が認めよう』

 

 

天へと掲げた礼装のレイピアの刃先に、太陽からの天光が射し込む。

堂々たる王の言葉に、背筋を伸ばす民草達。

果たして彼らの内のどれだけが、緊張のあまりに顔が青ざめているルーイックに気付けただろうか。

 

 

『──剣を掲げ、杖に誓い、誇りを守る盾を構えよ!! 勇者達の闘いに──精霊達の加護ぞ在れッッ!!』

 

 

「「「「「「「─────オオォォオオォォオ!!!!!!」」」」」」」

 

 

それでもよく通る若き王の激励に、老若男女違わず雄々しき歓声が響く。

清空高らかに届く、セントハイムの祭儀が始まった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

『それではこれより闘魔祭でのルールを解説しまーす!!』

 

「き、緊張したぁ……」

 

「……途中で多少もたついた場面も見受けられましたが、普及点としておきましょう。しかし、そう気を抜かれた顔をされては困りますが」

 

「せめて少しは労ってよヴィジスタ」

 

「お断りします」

 

『まず勝敗について! 相手に降参、会場からの逃亡、気絶のいずれかをさせた時点で勝利とぉーなりまぁす!!』

 

 

装飾きなびやかな座椅子に脱力しつつ腰掛けるルーイックを、こうも素っ気なく諌めれる人物といえばヴィジスタしかいない。

冠を継いでからまだ年月を重ねていないにしても、この主従のやり方はある程度定例化していた。

 

 

『次に、レフェリーが勝利を判定した後や、ギブアップを申し出た対戦相手に危害を加えた場合、その時点で失格! その場合は相手が勝ち上がりとなりますのでご注意を!』

 

「ねぇヴィジスタ。開催宣言、本当にあれで良かったのかな? 僕……すっごく偉そうだったけど大丈夫なの?」

 

「何をおっしゃいますか……陛下が戴冠を迎えて以降、初めての闘魔祭なのです。我が国の伝統ある祭儀なれば、陛下の威光を示す機会でしょうに。あれぐらいで善いのです。先代……いえ、ルーファス様のような王でありたいとおっしゃられたのは陛下でありましょう」

 

「……そりゃ、父上はああいう台詞が似合うだけの風格みたいなものが……」

 

「ならば陛下も身に付ければ宜しい。それだけの事です」

 

 

大国の王とは思えぬ程に気弱な発言にも、毅然とした切り返しで対応するヴィジスタ。

戦線を分散させられている国難や、同盟国からの救援を押し退けてでも彼が闘魔祭に真摯に取り組む理由は、何も魔女との盟約だけが理由ではない。

 

永き歴史の中で一度として中止される事のなかった闘魔祭。

民草の間ではその手腕を疑問視されているこの若き王が、この祭儀を最後まで取り仕切る事。

それは王としての道を歩み始めたルーイックに、何よりも必要な"箔"であったのだから。

 

 

『そして最後! 試合中、対戦者以外の妨害行為は全面禁止となります!! 観客席から一方の選手に攻撃したり援助したりは絶対にノゥ!! 会場内の監視員、またはレフェリーに"故意である"と判断された場合には、即刻退場! 荷担された側の選手も敗退が確定します!! くれぐれも横槍は入れないで下さいねー! ミリアムさんとのおーやーくーそーくぅでっす!!』

 

 

「あっそういえば、テレイザ……じゃなくて、ガートリアムの使者団の……ええと」

 

「サザナミ・ナガレとナナルゥ・グリーンセプテンバーですかな?」

 

「そうそう。彼らも本選まで勝ち上がったらしいね。エルディスト・ラ・ディーとの契約の為……で、合ってるかな」

 

「はい。彼らは彼らで、祖国を救う為の策を組み立てたのでしょう。陛下も、その心意気を倣うよう──」

 

「とんだやぶ蛇だったよ……」

 

 

思わぬ説教を招いたと肩を落とすルーイックを尻目に、賢老と呼ばれし者はバルコニー状の観覧席の手摺にそっと手を乗せる。

闘いの場となる円形のフィールドを、薄い藍色を挟んだ黒の瞳が見下ろした。

 

 

「……(さて、ナガレとやら。あのテレイザに期待を寄せられるほどのものを、私にも見せて貰おうか)」

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

『──それでは早速、第一試合を行いたいと思います! まずは、剣のコーナー!! ピアニィ・メトロノーム選手の入っっっ場でっす!!!!』

 

 

俺含めた選手たちが受けたルール説明を改めて会場にした所で、リングインのコールが宣告される。

ミシミシと鈍く音を立てて上がっていく太い鉄柵から、どう考えてもこんな荒々しい場所に似つかわしくない少女の登場に、一部の客席がどよめいた。

 

恐る恐るコロシアムの中心に立つレフェリーへと近付いていくピアの手には、まさに魔法使いが愛用する様な古びたワンドが一本。

やっぱりピアは、精霊魔法使いってことか。

 

 

「いいぞー嬢ちゃん!!」

 

「頑張ってー!」

 

「無茶するんじゃないよー!!」

 

「は、はいぃい!! どうもです! どうもですー!」

 

 

それでもこの場に立つという事は、それだけの覚悟があるって事と同じ。

呆気に取られつつも暖かい声援を投げ込まれ、彼女はガチガチに緊張しながらもペコペコと客席に礼を示していた。

 

ルーイック陛下の言葉を借りれば、彼女だって『舞台に爪先を乗せた者』な訳で。

可愛らしい見掛けに気を抜くつもりは毛頭にない。

 

 

『いやぁ可愛らしいお方ですねー! 果たしてどんな実力を秘めてらっしゃるんでしょーか! さてさてそれでは、続いて魔のコーナーより──サザナミ・ナガレ選手の入場でーっす!!』

 

 

「……!」

 

 

網目の檻が、先程と同様に上っていくのがまるで幕明けにも思えたのは、少し気障かも。

しかし踏み出した一歩は想像以上に重い。

開けた青空と、その枠を囲む様な人々と揺れるぐらいの歓声。

吸い込む空気が、何だか変に渇いてる。

 

 

『おおーっと、此方は美形なお兄さんですね! 闘魔祭最初の対戦カードは可愛い系対美人系の闘いとなりそうだー!』

 

「……(はは、こりゃ凄いな)」

 

 

なんか良く分からない事を言ってそうなアナウンスの内容でさえ、すんなり頭に入って来ない。

いや、緊張すんなってのが無理な話でしょ、これは。

観衆視線の雨あられに、身体中に見えない穴でも開けられてるみたいだ。

精悍な顔付きの男性レフェリーを挟んだ向こう側も、俺と同じ気持ちらしい。

今から闘うっていうのに、まず交わしたのはざらっと渇いた苦笑だった。

 

 

「お、お手柔らかにお願いします!」

 

「俺の台詞でもあるな、それ」

 

「両名、準備は宜しいですね?」

 

 

シンパシーが奇妙なシンクロでも生んだのか、ほぼ同時に頷いて身構えた。

彼女は杖先を此方へと向け、俺はホルスターを外してアーカイブに手を添える。

 

うん、確かに緊張するさ。

こんな大観衆の前で何かするなんて機会なんて勿論無かった訳だし。

 

でもそれ以上に──少し、わくわくしている自分が居て。

 

 

「それでは──闘魔祭、第一試合…………始めッッ!!」

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

何せ──此処は所謂、晴れ舞台。

 

俺が愛して止まない彼女達を御披露目するのに、これ以上の場所はないだろうから。

 

 

「行くよ、メリーさん ────【World Holic】」

 

 

 



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Tales 47【Moment】

「それでは──闘魔祭、第一試合…………始めッッ!!」

 

 

畏まったよーいスタートと同時に、向けられた杖から灯るウォーターブルーの閃光。

鮮やかな魔方陣の色彩に目を奪われそうになるがそれは彼女達、精霊魔法使いにとっての銃口を意味する。

 

 

「い、行きます!【ウンディーネ(水の精霊よ)】!」

 

「!」

 

 

ならば放たれるのは弾丸であるのが相場と決まっている。

ファンタジーチックな精霊名をピアが唱えたなら、魔方陣から顔ぐらいはある水の塊がこっちに向かって一直線に飛んできた。

 

 

「っ、と……(水精霊の魔法使いか!)」

 

 

ぎっしり積もったシャボン玉を斜め後ろに大きく回避。

幸い速度は弾丸には到底及ばないので、避けること事態はそう難しくない。

ただ、それは単発ならの話。

 

 

「まだです!」

 

「げっ」

 

 

フォギュン、と独特な鳴りを響かせながら放たれる水泡の連弾に、思わず眉間に皺が寄る。

二秒くらいに一回、というペースで打たれると、流石に大幅な回避運動を取り続けるのはキツい。

 

アムソンさんから教わった、軸をずらす形のスマートな足捌きを思い描きながら、最小限の回避で切り抜けた。

アムソンさんぐらいの的確さはなくとも、この速度なら対応出来なくもない。

 

 

「『凍る世界で伸ばした爪は、"優しい"色に艶光る』」

 

「やばっ」

 

 

だがピアもさるもので、ならばといわんばかりに唱え始めた詠唱には聞き覚えがあった。

今から止めようにも、最初の大幅な回避運動が仇となって間に合いそうにないか。

 

 

「『水面映える染まりやすいプリズムを、"貴方の為"にどうか削って』」

 

 

微妙に細部は異なるものの、その一節はセリアが得意とするあの魔法だ。

反射的に利き腕で、腰のショートソードを引き抜く。

今度はさっきまでのとは訳が違う。

 

 

「【アイシクルバレット(爪弾く氷柱)】!」

 

 

文字通りの弾丸が五連も飛来して来る光景に、まさに背中に氷塊を投下されたような寒気を感じた。

セリアのと比べると小さく、先鋭さも劣ってはいるけれどもむざむざ食らっていいもんじゃない。

 

グッとトカゲみたく地面を這うように沈めて、比較的上に狙いをつけていた五つの内の四つはやり過ごせる。

そして、唯一脚目掛けてとんでいた一つをショートソードで横凪ぎに切り払った。

 

 

「……あっぶねー」

 

「ぜ、全部避けられちゃいました」

 

「割と容赦なかったな」

 

「え、あっ、ごめんなさい……」

 

「はは、そこで謝んないでよ」

 

『おーっとぉ! 開始早々、ピアニィ選手の怒涛の攻めと、ナガレ選手の鮮やかな守備が繰り広げられました! 見事な攻防に観客席も盛り上がっております!』

 

 

やや過剰気味なアナウンスと申し訳なさそうに肩を落とすピアに、つい苦笑が浮かぶ。

多分、本来は争いごととか好きなタイプじゃないんだろう。

 

 

「……じゃ、攻守交代とさせて貰うか」

 

 

手の内見せずに勝つ、ってのも虫が良すぎたか。

次のマルス戦を考慮するのも大事だけど、とらぬ狸の皮算用になっては元も子もない。

切るべき札を切ろう。

片腕の中に抱えていた奇譚書の背を、人差し指でコツンと叩いた。

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

「ま、魔術書が……!」

 

 

『おおっと! ここでナガレ選手が魔術書を発動させるー! 一体何をするつもりだー!?』

 

 

お馴染みのキーワードと共に捲れるページと白金光の奔流に、ピアのグレーの瞳が驚きに見開く。

慌てて杖を構えて詠唱を始めようとしても、もう遅い。

 

 

「行くよ、メリーさん────【World Holic】」

 

「【水の精霊よ(ウンディーネ)】!」

 

 

放たれる水泡の淡い色彩は、彼女のデビューに華を添えるだけの演出となるだろう。

ジョキンと音立てて、縦に走る大きな鋏の銀閃光が瞬けば──弾けた水精霊魔法の残滓が、キラキラと陽光に輝いた。

 

 

「──ウフフ。私、メリーさん」

 

 

光の舞台の中心を、飾り付けるかの様に。

 

 

 

 

「メリーさんと命懸けのお遊戯……してみる?」

 

 

 

 

 

 

 

────

──

 

【Moment】

 

──

────

 

 

 

 

ファサと、スカートの衣擦れの音がやけに明確に聞こえる程に、訪れた静寂は瞬く間に会場全体を抱き締めた。

小波一つ立てない水面を荒らすには石を投げれば済む話。反対に、水面が平静に戻るには時を必要とする。

では、刹那とも言うべき合間にシンと静まり返ったこの舞台。次はどのような題目で展開するのだろうか。

 

 

「『…………へっ?』」

 

 

奇妙な事態を招いた二人と対峙していたピアニィと実況のミリアムが、これまた不思議なシンクロを引き起こす。

心の底から呆気に取られている彼女達のリアクションが、次なる題目の呼び水となった。

この静寂を言葉にするなら、嵐の前の静けさ、という形が相応しい。

であれば、この後に訪れるのは──

 

 

 

『え、え!?……こ、ここここれこれこれって────まさかもしかして……せっ、精霊召喚んんんンンンン!?!?!?!?』

 

 

「「「「「「ええええぇぇえええぇえええ!?!?!?!?!?!?」」」」」

 

 

喉を破りかねないほどの声量でもって奏でられる、暴風雨のオーケストラであるのは、至極当然の成り行きである。

 

 

『こっ、これはサザナミナガレ選手、とんでもないかくし球を持っていたぁぁぁ!!! っていうか、えっ、マジで本当に精霊召喚?!?!』

 

「精霊召喚?! あ、あの坊主が精霊奏者(セプテットサモナー)だって言うのか?!」

 

「も、もしかしてあの人が噂の……魔女の弟子?!?!」

 

「あの女の子が精霊なの?! うっそ、あんな可愛いのに?!」

 

「いや可愛さ関係ある?」

 

「うおおぉぉ!!! 一試合目からスゲー展開だぞこれは!!」

 

 

 

「……嘘、でしょ……」

 

 

隣席の小太り中年みたく両手で頭を抱える大袈裟なリアクションこそなかったものの、エトエナもまた周りの観衆と同じく驚愕していた。

しかし、それは無理もない話だ。

ナガレのワールドホリックを見たことがないものは例外なく腰を浮かし、程度の差はあれど、その瞳を見開いている。

 

 

「……馬鹿な」

 

ピアニィの兄であるフォルティ。

 

「お、おいおい……冗談だろ」

 

シード枠を掴み、つい先程までは浮かれ調子だったマルス。

 

「…………なんてことだ」

 

驚きの余りに椅子からずり落ちたルーイック。

 

 

「……なぁオイ、ウチの大将は随分とんでもねぇ札を引いてたみてぇだな。クククッ」

 

「……(あれが、例の……ワールドホリックですか)」

 

 

エルディスト・ラ・ディーの幹部であるキングは勿論、口裂け女の一件でナガレから概要を軽く説明されていたジャックもまたその現象を目撃した狼狽を隠しきれてはいない。

 

 

「テレイザめ……!」

 

 

賢老ヴィジスタでさえ、特別観覧席の手摺に両手を乗せて、目下の現象を食い入る様に見据えているくらいだ。

この会場を取り巻く異様な空気こそ、精霊召喚……そして精霊奏者(セプテットサモナー)とは、レジェンデイアにおいてそれほどまでに特別視される存在である、この上ない証左である。

 

 

「……」

 

 

だからこそ、エトエナの狼狽もまた当然の事ではあったのだ。

しかし、彼女はここから更に思考を深める。

その理由は、目下の現象に対する違和感だった。

 

 

(まさかアイツ"も"……? いや、そんなはずは……というか、そもそもアレ……ホントに精霊召喚?)

 

 

頭によぎった心当たりを否定するように小首を振りながら、召喚された精霊を紅い虹彩が深く注視した。

ゴシックドレスに身を包むあの少女。

あれが精霊召喚であるのなら、炎精や氷精などといった属性が、彼女にも必ず見受けられるはず。

 

 

(……今のところアレの属性は不明。それに、奏者(サモナー)の証である『楽器』……あの魔術書がそうだって言うの? …………けどやっぱり、アタシの知ってる精霊召喚とは"どっちとも違う"。そんな気がする)

 

 

エシュティナの魔法学院で学んだ知識を総動員して照らし合わせてみれば、エトエナは明確な違和感を覚えた。

あれは果たして、精霊召喚と呼べる代物なのだろうか。

 

 

──そして、時を同じくして、その違和感に辿り着いた者がもう一人。

 

 

 

「……違う」

 

 

奇遇にも、彼女はエトエナの六つ後ろの席にて座っていた。

エトエナの真紅をより濃く沈めた深紅の瞳が、確固たる根拠を持った口振りで否定する。

 

 

「あれは……精霊召喚じゃない」

 

 

興奮に熱をあげた周囲が挙げる爆発的な歓声を前に、灰のように千切れてしまうほどの、小さな、けれど凛とした響きの声。

とあるお節介によってそれとなく人波に溶け込めるような、素朴な服装に着替えている彼女のアッシュグレーの髪が、サラサラと流れた。

 

 

「……サザナミ・ナガレ、メリー」

 

 

緋色の女、魔王ルークスは、静かに問う。

届くはずもない疑問を、囁くように。

 

 

「貴様らは……」

 

 

彼らは一体、何者なのか。

もうきっと、"自分の事など忘れ去ってるはず"の二人へ。

魔王ルークスが、静かに問いかけた。

 

 



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Tales 48【ピアニィ・メトロノーム】

「……やっぱり、こうなるわよね」

 

「致し方なし、でしょうな。事前知識が無ければ、ナガレ様のワールドホリックは精霊召喚と誤って認識してしまうものです」

 

「そう、ね」

 

 

耳をつんざく程の会場の驚愕っぷりを、少々オーバーだとさえ言い切れなかった。

精霊召喚というものがどういう意味を持つのかは、人間だろうとエルフだろうと変わらない。

だからこそ、ワールドホリックを知らない者が見れば、精霊召喚と誤認するのも当然だと語るセリアとアムソン。

何しろ彼女達とて、当初はワールドホリックについて理解が追い付かないほどに混乱したくらいだった。

なら、当然この現状についての予測だって出来るだろう。

 

 

「ほっほ。ナガレ様が心配ですかな?」

 

「……」

 

「恐らく、この一幕をもってあの方に対する『見方』は劇的に変化する事でしょう。この会場の観客のみならず、参加者や……或いはルーイック陛下やヴィジスタ宰相にとっても、ただの使者とは映らなくなるやも知れません」

 

「っ」

 

 

後ろ手を組みながら朗々と語るアムソンの言葉は、まさにセリアにとっての懸念であった。

ナガレのワールドホリックは紛れもなく強力であり、利便性も高い。

しかし、それは同時に異端的とも捉えられかねないリスクもあれば、利用価値があるという意味も持つ。

 

だからこそセリアは当初、ナガレの闘魔祭参加に反対した。

死というリスクに加えて、そんな余計なモノまで背負う羽目になるかもしれないのに。

 

 

『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』

 

 

簡単に決めて良い事じゃない。

いつかの土曜精の石橋で、それでも首を横には振ってくれやしなかった男とのやり取りを、伏し目がちなサファイアブルーが思い描く。

 

 

「……しかし、最後の一歩はナガレ様が自らお進みになられた事。であるならば、セリア様にも思うところはありましょうが、励む男の背を今はただ見守る……それで良いかと」

 

「──えぇ、そうね。ありがとう、アムソン」

 

「ほっほ」

 

「むむぅ、ナガレぇ……い、いくらなんでも、目立ち過ぎですわよ! このわたくしを差し置いて……うらやま……じゃなくてえっと、け、けしからんですわ!」

 

「…………ふむ。見守るのが難しいようでしたら、お嬢様の様に理不尽極まりない嫉妬の炎を燃やされてはいかがでしょう」

 

「遠慮しておくわ」

 

 

暗に自分を責めるなと告げる老執事は、目尻の小皺を深めながら優しげに喉を鳴らした。

気遣わせてばかりなのも情けない話だと、先程よりも少しだけ張り詰めたものを薄めた横顔が、励む男の背を見つめた。

 

 

 

 

────

──

 

【ピアニィ・メトロノーム】

 

──

────

 

 

 

 

 

「……凄い湧き具合だな。これは正直予想以上というか……」

 

「えっへん。メリーさんの浸透性からしてとーぜんなの」

 

「いやいや、浸透性はあくまで元の世界での話でしょうが……まぁいいや。何だったら手でも振っとく?」

 

「む。め、メリーさんはそんなに御安い女じゃないの」

 

「言うねぇ」

 

 

お高くとまってるレディであると胸を張るメリーさんだが、こんなにも注目を集めていることに内心喜んでいるのは異能を介さずとも伝わる。

心なしか蝶のブローチをアピールしている様な動きもしてるし。

やはり認知されるという事は、都市伝説という概念に属する証という事なんだろう。

銀鋏を地面に立ててちょっと格好付けてる辺り、特に分かりやすい。

 

 

「そ、そんな……」

 

「ん?」

 

「ナガレさんが、精霊召喚を使えるくらい凄い人だったなんて……ど、どうしよう……」

 

「……」

 

 

見るからに顔を青くして、愛用の杖を支えにしているピアの表情に、思わず口ごもる。

普段からしてそう気の強い性格じゃないのは分かってるけど、今はもう申し訳ないと思えるくらいに怯えてしまっていた。

実際のところワールドホリックと精霊召喚ってのは似て非なるものだろう。

精霊じゃなくて都市伝説であり、召喚じゃなくて再現。

後者はともかく前者に至っては全くの別物。

 

 

(だけど国中の人が集まってるこの場所で、都市伝説とは何か、なんて講義出来る訳ないよなぁ……死ぬほどやりたいけど!)

 

 

都市伝説愛好家を名乗る以上、本来なら都市伝説というものを一から十まできっちりとホワイトボードに書き連ねて解き教えたいところだけども。

いや本当になんならこの場できっちりみっちり説明したくて仕方ないぐらい疼くものがあるけれども。

 

流石にくっちーの噂が蔓延してるセントハイムにて、そんな真似はする訳にはいかない。

それはある意味、大貴族の嫡男を色々大変な目に合わせたのは自分ですと白状する様なものだし。

 

 

(メリーさんをはじめとした都市伝説達には、また何かしら埋め合わせしてやらないとな)

 

 

彼女達はあくまで都市伝説であり、精霊じゃない。

それは彼女達にとっての矜持であるのは他でもない俺が知ってる。

そんな俺の都合に付き合わせるのだから、彼女達には、いつか必ず報いてやらなくちゃいけない。

だから今は、そのいつかの為に。

目の前で青ざめたピアに──鋼の切っ先を向ける。

 

 

「ピア」

 

「!」

 

「……続き、どうする?」

 

「……え」

 

 

俺の動きに呼応する様に、メリーさんが突き立てていた鋏を引き抜き、銀の顎門(あぎと)をギギと鈍く開いた。

俺の相棒の手に収まる大鋏は、彼女のブロンドの蜜をくすぐる蝶のブローチとは違って、着飾る為のアクセサリーではない。

 

 

「……私は」

 

 

寒気すらする程の冷たい光を放つ両刃を向けられた彼女からすれば、生きた心地はしなかっただろう。

今、ピアの前に立つ存在は見掛け通りの、甘い笑顔が似合う少女なんかじゃない。

時にいくつもの『ご主人様(少女)』を脅かした恐れ多き【都市伝説】なのだから。

 

 

「私だって……た、闘います! 剣を使えなくたって『メゾネの剣』は……闘えるから!」

 

「!!」

 

 

グレーの瞳が強い意志を宿した様に、黒の虹彩がキリッと映える。

もうそこに、精霊奏者という看板に青ざめる少女の姿はなかった。

 

メゾネの剣。

それが何を指しているのかは俺には分からないけれども、きっと彼女とフォルにとっての譲れない矜持を奮い起こす魔法の言葉なんだろう。

 

 

「上等! メリーさん!」

 

「お任せなの!」

 

「負けませんよ……【ウンディーネ(水の精霊よ)】!!」

 

『おっとー! 再開の火蓋がいきなり切って落とされたー! ピアニィ選手、先程のように水の弾を乱れ打ちィィィィ!!!』

 

 

再開の火蓋なんてすぐにでも消火しかねない、大量の水弾が魔方陣から展開される。

放出、放出、また放出といった具合で、その様相はまるで陸で起こされる、小さな波。

 

先程よりもコントロール性や一発一発の速度は一気に落ちてるものの、連打性に特化した魔法はいわば水の障壁と化していた。

 

 

『しかぁぁし! ナガレ選手と精霊……メリーさん、だっけ? ええっとナガレ選手とメリーさん、水の弾の中を的確に進んでいくー!』

 

「っと」

 

「うふふ、お遊戯みたいで楽しいの」

 

「っ、速い……」

 

 

だが、それでも隙間を見付けて前へ進む事が出来ない訳じゃない。

メリーさんみたいにお遊戯気分とまではいかないけど、これなら俺にも突破出来る。

しかし、やっぱりピアも俺達が自分に迫ってくるのをただ指を加えて見ているだけではなかった。

 

 

「『もしも願いが叶うなら、美しい舞台へ私を招いて。銀の世界へと、輝けるだけの舞台へと。私をそこへ連れてって』」

 

「っ、魔法か!」

 

 

水弾を展開しながらも次なる魔法を完成させるべく、ピアは朗々とソプラノを響かせる。

メトロノームみたく杖の足を一小節ごと地面に打ちつければ、水色の魔力が奔流となって彼女の四隅から唸りを上げた。

 

 

「『綺麗である事の証明に、姿を映す鏡はいらない』」

 

「させないの!」

 

『メリーさん、ついにピアニィ選手を捕らえたかー!?』

 

 

ならこっちはその詠唱を妨害させるのが最優先。

クルクルと風車のように複数の水弾をまとめて切り裂いたメリーさんが、一足早くピアへと銀鋏を届かせようと振りかぶる──が。

 

 

「【精霊壁(エレメントシールド)】!!」

 

「なっ──」

 

『ピア選手、上手い! 魔力障壁でメリーさんの奇襲を防ぎました!』

 

 

メリーさんの接近に対して、ピアは白銀色の壁を展開してみせた。

多分防御魔法の類なのは見て取れるけれども、タイミングが絶妙過ぎる。

なるべく怪我させないようにとメリーさんが手加減したのもあって、エレメントシールドにパキンと淡い音を立てて弾かれるという結果を作った。

 

 

「『輝ける事の証明に、鏡のような銀幕の舞台へ』」

 

「間に合わない……メリーさん後退!」

 

「! う、うん」

 

 

水弾を撒き散らされた影響でぬかるんだフィールドに、ピアの詠唱が完成に近付くにつれて青い雪の様なものが降り立つ。

肉薄したとはいえ、これ以上は手痛い反撃を食らうかもと後退を指示した一秒後、その魔法名が紡がれた。

 

 

「──【氷上の妖精(キスアンドクライ)】」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

『こ、これは……なんということでしょう! ピアニィ選手の魔法が、コロシアムの地面を次々に凍らせています!!』

 

 

「マジかよ……!」

 

「私メリーさん。スケート……多分苦手なの」

 

「耳寄りな情報どうも……って言ってる場合じゃない!」

 

 

キスアンドクライ、という響きが彷彿とさせる光景が、今まさにコロシアムの一面に築かれようとしていた。

ピアが形成していた魔方陣から、まるで引くことを知らない波みたく、地面がどんどん凍り付いていく。

 

淡くも激しい効果音と共に『泥混じりの地面』に侵食していくその結末は、きっと氷上の妖精と呼ばれる人達をより美しく映えさせる舞台となるんだろう。

だがよくよく注視してみると、どうにも所々に凍りきってないところやムラがある箇所も見えた。

 

(水弾の痕跡がある場所しか凍らないって事か? だとしたらあの水弾全部、このリングの為の布石だったって事かよ!)

 

 

「メリーさん!」

 

「え? ふあっ」

 

 

完全にしてやられた。

 

凍土の領域を増やしていく侵食の速度も目まぐるしく、あと十数秒もしない内にコロシアムの大地は青く塗り変わる。

しかも、その恐ろしい凍結の手はもうすぐそこまで迫っていた。

 

状況を今一つ掴めていないらしきメリーさんを咄嗟に抱き寄せれば、彼女のエメラルドが大きく見開かれる。

だが、それについての説明も謝辞も後回し。

凍る範囲が仮に想像通りなら……靴の裏を泥土に濡らしてしまった俺にはもう、逃げ場がない。

 

 

「メリーさん、"浮いてくれ"!」

 

「!」

 

『な、なんと! メリーさんは浮遊する事によってピアニィ選手の魔法を回避しました! しかしナガレ選手の足元がカッチンコチンにィィィィ!!』

 

 

けど、メリーさんだけなら別だ。

俺の意図を掴んだ彼女が、鋏を抱えながらふよふよと浮いてみせれば、凍結の手は届かない。

だがそれが今出来る精一杯で、俺の足の裏から脛にかけて、まるで無数の針糸に縫い付けられるかの様に凍ってしまった。

 

 

 

「私メリーさん。ナガレ、大丈夫?」

 

「……不思議とそんなに冷たくないから大丈夫。けど……」

 

身動きは取れないも同然。

氷を剥がすのにも時間掛かりそう。

そして、相手は遠距離用の魔法──アイシクルバレットがある。

 

 

「……これ、めっちゃピンチじゃん」

 

 

不利な状況に陥った自覚を前に、背筋までもが凍り付いたのだった。

 



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Tales 49【ダンサー・オン・アイス】

辺りは一面銀世界だってのに、額から伝う汗がやけに熱く感じる。

キスアンドクライによって拘束された脛から下は、そう易々と動かせそうにもない。

迂闊過ぎたなと反省したい気持ちもあるけど、メリーさんを凍結の魔の手から逃せたのは幸いだった。

 

 

「はぁっ……はぁ……っ、精霊さんには、逃げられちゃいましたか」

 

「精霊さんじゃなくて、メリーさんなの」

 

「あ、はい。ごめんなさい、メリーさん」

 

「分かればおーけーなの」

 

 

こっちにとっての幸いは、ピアにとっての失敗でもある事が一点ともう一つ。

杖を支えに肩で息をしている彼女を見るに、多分あの魔法は魔力ってやつの消耗も相応に大きいのだろうか。

 

 

「くっ、やっぱ簡単には剥がれないか」

 

「メリーさんにお任せしないの?」

 

(……メリーさんの怪力だと足ごと粉々になりそうで恐い)

 

「む、なんか失礼なこと考えてるの」

 

「い、いやいや」

 

『さぁここに来てナガレ選手ピンチ! ピアニィ選手の反撃となるか!』

 

 

けれども不利なのは変わらないし、脱出を試みようと剣で拘束を削ってみてもそう簡単にはいかない。

メリーさんに任せるのも普段の力業を見てると一抹の不安がよぎる。

 

そして当然、折角つくった有利な状況が(くつがえ)されるのをピアが黙って見過ごしてくれるはずもなかった。

 

 

「させません! 詠唱破棄(スペルピリオド)……【フィギュアスケーター(妖精の靴)】!」

 

(詠唱破棄……それに、スケートシューズ? お嬢の天使の靴と似たタイプの魔法か!)

 

 

息を整えるなり、追撃の手立てとしてピアが唱えた魔法は、彼女の靴を硝子で出来たスケートシューズへと作り替えた。

お嬢の天使の靴が空を歩くなら、ピアの妖精の靴は氷点下を踊る為の作法。

 

シャッ、と妖精の靴のブレードが凍土を削ぐと同時に、濃い色合いの栗色髪がさらさらと流れる。

気弱な少女が観衆を惹き付ける、さながら氷上の妖精と呼ばれるべき魅惑の存在へと昇華した瞬間だった。

 

 

「いきますよ、ナガレさん! メリーさん!」

 

 

────

──

 

【ダンサー・オン・アイス】

 

──

────

 

 

 

『これは……ピアニィ選手! 妖精の靴によって凍りついたフィールドを自由自在に移動しております! その動きの華麗さたるや、観客の視線を釘付けだー!』

 

 

スケート関連に関心のなかった俺からすれば、テレビの向こうでしかお目にかかれない光景が、今まさに繰り広げられている。

陽光を浴びてキラキラと光る銀を流麗に滑るピアの姿は魅力的でもあり、ミリアムの解説通り、コロシアムに黄色い歓声があがっていた。

 

 

「アイシクルバレット!!」

 

「メリーさん!」

 

「てい、やぁ!」

 

『さらにピア選手の追撃! 華やかなだけでは終わらない戦法はまさに綺麗な花にはなんとやら! しかし、メリーさんの守護もお見事ォ! ピア選手の魔法をナガレ選手に届かせません!』

 

「ふふん、私メリーさん。これくらい余裕なの」

 

俺としてもピアの見事なスケーティングを観客席で眺めていられるのなら、気障な口笛でも飛ばしてやりたいくらいだ。吹けないけど。

 

 

「何度でもです! アイシクルバレット!」

 

「!」

 

 

でもそんな悠長な現実逃避に浸れる余裕は欠片もない。

遠距離からの攻撃は予想通りだけど、主導権は完全にピアに渡ってしまっている。

その上、コンパスの指針みたいに俺達を軸にして回るもんだから、簡単に反撃に移れない。

 

 

『ピア選手、攻撃の手も移動の足も緩めない! これには流石のメリーさんも厳しそうだー! ナガレ選手を守り切れるか!?』

 

 

移動砲台ってやつの厄介さを身をもって知らされているようだ。

メリーさんの鋏さばきはほんと頼りになるとはいえ、何処から打ち出されるか定まらない氷の弾丸をいつまで捌ききれるか。

とにかく、なんとか現状打破の手を練らないと。

 

 

「ぅ……メリーさんは、ナガレのパートナー。守るったら守るの!」

 

 

(メリーさん……くそ、もう怪我なんか気にしてられるか!)

 

 

俺が動けないのが枷になるなら、無理矢理にでも枷を外すしかない。

 

 

「────っ、壊れろぉぉ!!」

 

「えっ!?」

 

 

フルスイングで、ショートソードを右足の拘束に叩き付ける。

 

 

(痛ってぇぇぇぇ!!!)

 

 

厚めの氷から伝わる衝撃は鈍く、まるでハンマーで自分の脚をぶっ叩いたかの様で思わず苦悩の声が漏れそうになるけど、何とか我慢。

その甲斐があってか、バキンと音立てて走る亀裂は樹の根みたく広がって、右足の枷は粉々に砕け散った。

 

 

「ナガレ!……大丈夫?」

 

「だ、大丈……っ、メリーさん後ろ!」

 

「え?」

 

 

苦々しく歯を軋ませる俺を、心底心配そうなエメラルドが覗き込む。

その優しさにまた一つ強がりを重ねると同時に、詠唱を完成させたピアの姿が目に映った。

 

 

「アイシクルバレット!」

 

「左側、頼む!」

 

「お任せなの!」

 

 

片足だけでも自由になったことで、ここからは共同作業だ。

こっち目掛けて飛来する弾丸の右側二つを剣で切り払い、残り三つをメリーさんが畳んだ鋏で叩き落とした。

 

 

『ナガレ選手組、これも凌いだー!』

 

「て、手強いです……」

 

「こっちの台詞だって」

 

「あ、ど、どうもです。でも──まだまだ行きますよ!」

 

 

一瞬、頬を火照らす年相応な愛らしさは、すぐに強い意志と覚悟に移り変わる。

その真っ直ぐな気高さに感じ入ってしまったのか、自分の口角がゆっくり上がるのが分かった。

 

そして氷上の舞台での演目は、ラストパートへと。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

五十度もの大台を迎えたこの祭儀の第一試合の印象を、まるで『万華鏡』のようだったと、ミリアム・ラブ・ラプソディーは後に語る。

 

前回の闘魔祭も解説を務めた事によりある程度眼が肥えているミリアムからすれば、序盤の彼らの攻防の練度は、高水準とは言いがたい。

しかし、その後のナガレによる精霊召喚、ピアニィの鮮やかな反撃とのやり取りは目まぐるしく、観客の興奮を大いに煽る。

 

観客の中にはピアニィに苦戦しているナガレが本当に『精霊奏者』と呼べるほどの存在なのか? という疑問を挟む者も居たし、それに関する物足りなさをミリアムも抱いてはいたが。

 

 

「アイシクル……バレット!!」

 

「ナガレ!」

 

「はいよ!」

 

 

放たれる氷弾を、時に切り伏せ、時に剃らし。

 

 

「もう一回です!」

 

「メリーさん!」

 

「お任せなの!」

 

 

ナガレが処理しきれない隙を、華麗に宙を舞い、時にはナガレに手を添え彼の身体を主軸にして動きながら、弾丸の雨を攻略していくメリーという名の可憐な精霊。

 

彼女に華の全てを譲りはせず、奔放な相棒を時に重心が定まりやすいよう彼女の腰を持って支え、時に張り合うように剣と艶やかな黒髪を翻す、召喚主。

 

 

「……綺麗」

 

「せ、精霊ってあんなことも出来んのか」

 

『な、なんというコンビプレーでしょうか! ナガレ選手、さながらダンスの様な息の合いっぷり! ピアニィ選手の魔法を寄せ付けません!』

 

呼吸のあった彼らの動きは、まるで氷点下を舞台にした麗しき踊り(ダンス)のように華やかで見目麗しい。

時に命すら奪い合うこの闘技の場には起こり得ないような光景に、観客達の心はまた別の色に魅せられている。

 

これが次戦への切符を取り合う闘いである事を、観客はおろかミリアムにすら忘れさせるほどに。

例えばこれが祭儀開催を祝う演目であったとしても、きっと誰も驚かないであろうほどに。

 

まるで──極彩色が移り変わる万華鏡の様に、彼らの闘いは心を掴んだ。

 

 

(……この後の試合、ちょっと盛り上がるか不安かも)

 

 

まだ決着もついていないというのに、ところどころで沸き立つ拍手や歓声に、少々場違いな不安を抱くミリアムであった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

何だか変な気分だ。

一つ、また一つとアイシクルバレットを凌ぐ度に拍手だったり歓声だったりが沸いてる。

 

こっちは必死だってのに、勝手なもんだと皮肉屋を気取りたがる心もあるにはあるけど。

段々とダンスでも踊ってるような奇妙な愉しさが込み上げてきて、口角が緩ぐのを止められない俺は皮肉言える立場じゃない。

 

……でも、いくら楽しくったって、このままじゃ(らち)があきそうにないってのは分かってたから。

 

 

「メリーさん。次、仕掛けるよ」

 

「え? でも」

 

「大丈夫、一回くらいなら一人で何とかしてみせるから。頼んで良い?」

 

「……私メリーさん。ナガレの頼みなら、しょーがないの」

 

「さすが」

 

 

また一つ氷弾に刃を差し込みながら、攻勢の一手を打つ。

左足の拘束はまだ剥がしきれていないけれども、ここは自力でなんとかしよう。

不安を浮かべつつもゆっくりと頷いてくれたメリーさんは、俺にはもったいないくらいに良い相棒をやってくれてるよホント。

 

 

「アイシクル──」

 

「──今だ!」

 

「了解なの!」

 

 

時計で言うなら十二時、つまりは正面。

妖精仕立ての硝子の靴を履いた灰色瞳の少女へと、メリーさんが氷上を器用に踏み、大きく跳躍して襲来する。

目と目を合わせた奇襲はかえって意表をついたのか、ピアの顔付きがびくりと強張った。

 

 

「!? ──バレット!」

 

「っ」

 

『おおぉっと! ここに来てメリーさんが攻める! ナガレ選手、防ぎ切れるか?!』

 

 

戸惑いを振り払うように、カウンター気味に唱えられた氷弾がメリーさんの脇をすり抜けて此方へと向かう。

振り返らないまま鋏を振りかぶる小さな背中が、何よりの信頼の証だった。

 

半歩ずらして身を屈めて、呼吸を浅く。

ベースはやっぱりアムソンさんからの教え。

けれどもイメージするのは、予選で魅せられたセナトの軽やかさ。

 

 

「シッ──」

 

 

先行する二つを横に凪ぎ、振り切らずに返し刃でもう一つ。

ラスト二つの弾道。

このままなら、四つ目はギリギリ避けられる。

 

それならと、一直線に胸元へと向かう最後の一発を──

 

 

「ッ……らァッ!」

 

 

切り上げれば、季節外れの青いダイヤモンドダストがパラパラと舞った。

それがまるで、文字通り切り抜けた事に対する祝福みたいだと思うのは自意識過剰だな。

 

四つ目、肩を掠めてたし。まだまだ見極めが出来てない証だ。

 

 

だけど、これで。

 

 

「私、メリーさん──」

 

「【精霊壁(エレメントシールド)】!!」

 

 

俺の……いや、俺とメリーさんの勝ちだ。

 

 

「ナガレの為なら、頑張るの!」

 

「うっ、あ……あぁぁぁぁ!!」

 

 

メリーさんの全力全開の一振りは、展開された青い障壁を──多少の拮抗の末に打ち破り、ピアの手から杖を弾き飛ばす。

 

 

「…………ごめん、フォル」

 

 

チェックメイトを告げる、銀の刃がピアの首元にピタリと突き付けられて。

悔しさに瞳を揺らしながらも、がっくりと肩を落としたピアは、ゆっくりとその片手を挙げた。

 

 

「────参りました」

 

 

「そこまで! 勝者────サザナミ・ナガレ選手!!」

 

 

 

 

 

 



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Tales 50【マザーグース】

「お疲れ様、ナガレ」

 

「ん、どうも……まずは一勝、ってとこか」

 

「えぇ。怪我は?」

 

「軽く擦った程度だから問題なし」

 

「そう……メリーさんは?」

 

「相当お疲れみたい」

 

 

真っ黒な画面をコンコンとノックする音だけが選手控え室に響くのが、一番の功労者の疲労具合を示していた。

ウンともスンとも言わない、ともすれば壊れたスマートフォンとしては正しい姿でもあるけれど、今やこの掌に収まる世界の主は寝入ってしまったらしい。

 

 

「ほっほ。老いたる物の目にも優しい戦いにございました。お疲れ様でございます、ナガレ様」

 

「途中かなり際どかったけどね。メリーさんが居なけりゃまず勝てない相手だったし」

 

「謙遜は美徳なれど、少しばかりは浮かれても良いものですぞ。ナガレ様の武勇もなかなかに魅せるものでありました。でなければ、あれほどの喝采は起こらなかったでしょう」

 

「……」

 

 

労い代わりのタオルをセリアから受け取れば、ひんやりとした肌触りが、らしくもなく昂った体温をあやす様に冷ましていく。

都市伝説が絡んだ発見とかとは違った、37.5度くらいの微熱。

 

勝ちを告げられた瞬間、俺とピアに向けられた喝采に、未だに少し高揚した自分を見付けて、それが何だか照れ臭いとも思えた。

頬に桃色を浮かべて観客席に頭を下げていたピアも同じ気持ちだったのかも知れない。

 

 

「……ナガレ」

 

「お嬢」

 

 

そんな慣れない浮わつきからか、アムソンさんの背に下がって何やら口をモゴモゴさせたり、目を泳がせているお嬢の心情を掴むのに少し時間がかかってしまった。

 

 

「わ、わたくしの方がもっと観客を沸かせてご覧にいれましたわよ!」

 

「……?」

 

「で、ですから……浮かれてばかりでなくて、その、まだまだ先が長いんですから、調子に乗って足元掬われたりするんじゃないですわよ……いいですわね!」

 

(……なるほど)

 

 

そういう台詞って、指先を付き合わせながら言うべきじゃないと思うけど。

忙しなく揺れる紅い瞳の色素成分は、嫉妬と対抗心、だけじゃないんだろう。

 

目立ちたがり屋な彼女なりの、嫉妬を織り混ぜた心配りってとこなのか。

そこで素直にお疲れと言わないところが、不器用なお嬢様らしいというか、なんというかね。

 

 

「……く、はは。おっけー了解。油断大敵って言うし」

 

「!! そ、そうです! 勝って兜の緒を締めよ、とゆーやつですわ! 別に兜なんて被ってないのは分かってますけど」

 

「はいはい」

 

 

引き締め役なんて似合わない事するから、背伸びしてるようにしか見えないのが微笑ましい。

これもお嬢なりのエールって事なんだろうな。

 

その確信は、すぐ傍らの老執事の微笑を見れば明らかだった。

 

 

────

──

 

【マザーグース】

 

──

────

 

 

番狂わせって言葉があるように、あらゆるものには想定外がつきものだし、こと闘魔祭のような競争においてはそういうダークホース的なものはむしろ歓迎されるべき要素といえる。

想定が覆ることもまた一つのエッセンスというか、割り切った言い方をすれば、観客達をより前のめりにさせる演出とも。

 

今回の第一試合はきっとそういう扱いなんだろう。

精霊奏者『らしき』者の登場は、間違いなく興奮の熱を煽る要因だったと、そういう見方も納得出来る。

まぁそれがつまり俺の事であり、観戦しているはずの周囲から刺さるほどの視線が向けられている理由でもある。

 

まだ若いだの、あの精霊はどこだの、普通の人と変わらないだの、筋肉ないだの色々囁き声が聞こえるのも分かる。

でも『ちょっと背の高い女の子にも見えるよね』って囁きは分からないし分かりたくもない。

 

 

『さぁそれでは両者の入場が終わりましたので、早速行ってみまっしょう!! 第三試合はリキッド・ザキッド選手 対 セナト選手! 果たしてどのような試合になるのでしょうか!』

 

 

話を本筋に戻すと、つまりはダークホースなんてものが囁かれるなら、優勝候補と目される本命が居るって訳で。

今回の闘魔祭に限っては、程度の差はあれ『四人』も居るらしい。

 

 

「あの黒装束が、ナガレとセリアが言っていたセナトという輩ですのね。案外あっさり負けたりしませんわよね?」

 

「……それはないわね、きっと」

 

「相手側については分かんないけど、セナトは文句なしに強いよ」

 

「ふぅん。あまりそうは見えませんけど」

 

 

その内の二人は、エルフであるという理由から、エトエナと、さっきから得意気な表情を浮かべているお嬢である。

まぁお嬢の機嫌良いのは、エルフである故に周囲の観客から注目を浴びているのが理由なんだろう。

いつも以上に意味もなく得意気な彼女の耳には、今この瞬間にも周囲が囁くセナトについての前評判が入って来ないのか。

 

 

「あれがアルバリーズに雇われたって噂の、黒椿の一人か……」

 

「黒椿って……あの東の奥地で暮らしてるっていう冷酷非道な傭兵団の事か? すっげ、エルディスト・ラ・ディーとどっちが強えかな……」

 

「分からん。だが西や南にまで評判が届いてるような連中だぞ。『切り札』共の幹部クラスでもないと厳しいんじゃないかって噂だ」

 

 

生活感というよりは身軽さや利便性を求めた服装の二人組が、更にもう一人の優勝候補について語り合ってる。

多分よそから来た冒険者ってとこだろうけど、聞けば聞くほどセナトの強者っぷりが際立つな。

 

でも、冷酷非道って印象は薄い。

むしろ底意地が悪いってイメージのが強いけど。

毎度逢うたびに背後に回ってくるし、予選でも意趣返しとか結構されたし。

 

 

「それでは闘魔祭、第三試合──始めッッ!!」

 

「……」

 

 

付け加えるとたった今、試合が始まったばかりだっていうのに、腕組みながらこっちを眺めているとことかね。

 

 

「ハッ、ヨソ見てやがる……チャーンス! やっぱ七番はハッピーセブンだったってか!」

 

「……」

 

『おおーっと、リキッド選手! いきなり転がり込んだチャンスをモノに出来るか?! モーニングスターを構えてセナト選手に突っ込んだー!」

 

 

これじゃまるで予選の時の焼き回しと言ってもいい。

つまりセナトからすれば、本選の大事な初戦であろうとも、予選の時となんら変わらないって意味であって。

 

 

「俺っちの勝ちだぁぁ!!!」

 

「────寝言は寝て言え」

 

 

大きく振りかぶって放たれた高速回転状態のモーニングスターのトゲを、わざわざガシッと掴むセナト。

 

 

「…………へ?」

 

「話にならんな」

 

 

呆然とするリキッドのアゴに、ハエを払うかの様な淡白な手刀を滑らかに薙げば、ブルンと気味悪く揺れた後に、その顔がカクンと表情筋を無くした。

 

 

「──」

 

「……し、勝負あり!! 勝者、セナト選手!!」

 

『な、なんとォォ!!! セナト選手、リキッド選手を一蹴ゥゥ!!!』

 

 

問答無用の一撃は、単純な武術一つですら格の違いを観衆に見せ付ける。

鮮やか過ぎるテクニカルノックアウト。

コロシアムに巻き起こったのは称賛の嵐というよりは、隔絶したセナトの実力に対する動揺の波だった。

 

 

「な、なんなんですの、今のは……!」

 

「若き身空でありながら、凄まじい武技でございますな。いやはや、これほどとは……」

 

「……底が、見えないわね」

 

 

恐ろしいくらいの瞬殺劇に、セリア達ですら思わず狼狽してしまう。

その気持ちは勿論嫌というほど分かるし、同じでもあるけれど。

俺にとってなにが一番恐ろしいって、あんなヤバい実力者にめっちゃ目を付けられてるところだよ。

 

 

「……余裕綽々って訳ね。くっそ、ホント意地悪いなアイツ」

 

 

目指すべきゴールの前に立ち塞がる難関の大きさを改めて突き付けるように、わざわざ此方を見上げて来る挑戦的な黒曜石の瞳。

見下ろしているのはこっちで、見上げているのはあっちだってのに精神的優位は欠片も得られない。

 

愉しみだろう、お前も。

 

そう言いたげに、余裕たっぷりな銀髪褐色肌の影法師は悠々と去っていった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

俺達の試合から一転、鮮やかな瞬殺劇の一幕によってコロシアムの空気はどこか緊張感に包まれていた。

けれどもその空気の重みは、次第に水がゆっくりと凍りつくみたく、どんどん張り詰めたモノに成り代わっていくようで。

 

 

『さぁ、衝撃的な第一試合、第三試合と続きまして……いよいよ第四試合!! まずは剣のコーナーより、ビルズ・マニアック選手の入場です!』

 

 

心なしか、伸びやかだったアナウンスも緊張によってか、どことなく硬い。

鉄檻のゲートから入場した、精悍な顔付きの剣士に贈られる声援も次を急いてるようにも聞こえる。

何より、ビルズという名の剣士は相手の入場を待たずして、腰に下げた双剣を鞘から抜き放っていた。

 

最大限の警戒を顕す臨戦態勢なんだろう。

つまりこれから彼が対峙する相手は、それほどの脅威であるという事を一番に示している。

 

 

『続きまして、魔のコーナーより……噂の【魔女の弟子】こと──トト・フィンメル選手の入場ですッッ!!』

 

「「「「「────ッッ」」」」」

 

 

最後の優勝候補とは、果たして誰か。

それはたった一つの称号を添えるだけで、群衆達が息を飲む音が重なるほどの存在。

 

青々とした真上の空に、翼を広げる鳥の姿はどこにもない。

それがまるで、これよりお披露目となる今大会一番の注目株に対する群衆の心中を示しているかの様だった。

 

開かれたゲートより姿を現した、黒より尚濃い漆黒のシルエット。

本選の枠決めの時に現れた時と同じように、大きな棺を背負いながら鈍く歩むその異様さ。

 

 

「……なんだ、アレ」

 

「棺?」

 

「闇沼の弟子だ」

 

「真っ黒……」

 

「あれが、魔女カンパネルラの……」

 

 

魔女に対する畏怖。シルエットに対する恐怖。

未知に対する恐れ。重々しい棺の中身の怖いもの見たさ。

彼女がゴトリと棺を置いた、ただそれだけで見るものの姿勢を少しばかり後退させるほどのもの。

群衆達の間に伝搬する、共感の底。

それはきっと紛れもなく、恐怖という感情であることをささくれ立つ肌が教えてくれた。

 

 

「第四試合──始めッッ!!」

 

『──っ、そ、それでは第四試合! ビルズ・マニアック選手 対 トト・フィンメル選手! 注目の一戦、スタートです!』

 

「……魔女の弟子、か。雰囲気だけなら遜色ないけど」

 

「分かりやすい特別扱いだもの。相応の実力は保証されていると思うけれど……」

 

「やっぱ(アレ)がね……何して来るのか全然読めない」

 

 

いざ火蓋を切った第四試合を早々に満たしたのは、奇妙なざわめきだった。

両者ともに動かない。

というよりはトト側があくまで棺の前で自然体に佇んだままであり、その不気味な様子見に警戒したビルズも動けずにいるという、ちょっとした膠着状態。

 

 

『両者睨み合い! お互い相手の出方を伺っているのかー?!』

 

 

やっぱりあの大きな棺の存在感を前にすれば、必然的に慎重になるのも分かる。

 

 

「……っ! クソッ!」

 

『むむっ! ビルズ選手、先手を切ったぁ! 双剣を構えてトト選手に襲来! 我慢比べをするつもりはないと言う事でしょうか?!』

 

 

けれどもビルズは一度大きく目を見開くと、直ぐさま対面のトトに向かって駆け出した。

 

 

「……なんか、焦ってないか?」

 

「──いえ、焦っているのよ。彼女相手に距離を開けるのは失敗だったかも知れない」

 

「慎重になってただけではありませんの?」

 

「いえ、お嬢様。彼女が、精霊奏者である魔女殿の『弟子』であるのなら……魔法も当然使えるはずでしょうな」

 

「あ、そっか」

 

 

あの棺……というより、棺の『中身』につい意識を囚われてしまっていた。

必ずしもそうとは限らないけれど、あの物々しい二つ名で恐れられてる魔女の弟子ともなれば、精霊魔法の扱いにも長けてそうだ。

 

きっとビルズも同じ思考に行き着いて、先手を取らざるを得なかったんだろう。

だが、剣士の突撃に対してトトはくるりと反転し、その小柄な背中を敵に晒すという行動に出た。

 

 

「っっ、おぉォォ!!!」

 

 

「──」

 

 

膝を折り、自ら身体を抱き締めるような態勢はともすれば単なる自殺行為であり、決定的な好機にも映る。

ここまで来たら躊躇いも捨てるべきと、短期決戦に賭けた銀閃が光るその一瞬。

 

ガキン、と。

まるで硬質な金属で出来た錠前を断つような、静かでいて物々しい音を引き連れて──ナニカが、その姿を闇より光に晒した。

 

 

「"マザーグース"」

 

「な、に……っ」

 

 

──現れたその様相は、敬虔なる少女の祈りによって棺より放たれた聖女の様にも見える。

絵画の聖母みたく、金糸髪を覆うように純白のシルクを羽織って、その背に"ガチョウの翼を生やした"大きな『ヒトカタ』。

 

 

温度の灯らない石の肌。

高い鼻と微笑む事のない唇。

嵌め込まれた二つのアメジストの瞳が、無機質に光る。

くすんだ灰色の翼の付け根が、石造りの感情を表すように羽根の先端を空へと伸ばした。

 

揺りかごを揺らした事もない、聖母の彫刻像の右腕が、キリキリと鈍く持ち上がり──

 

 

「トトを護って」

 

『──』

 

「馬鹿な……」

 

 

鋭い刃を五本指にした"文字通り"の手刀が、ビルズの双剣を飴細工のように砕き折った。

 

 

 



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Tales 51【青を灼く赤】

『とっ、トト選手の反撃ィー!! 突如棺から現れた羽根つき石像が、ビルズ選手の剣を叩き折ったァー!!』

 

 

コロシアムの中心は、まさしく異様だった。

陶器的な光沢が艶やかな石の肌と、純白の羽衣を纏ったシルエットは女性的で滑らか。

腕に赤ん坊を抱いた姿を絵描きが描けば、きっと清らかなる一枚絵として飾られてもおかしくない。

 

だというのにギラリと禍々しく光る刃の五本指は、慈悲も救いもない鋼の剣を破壊してみせた。

彼女の威力。彼女の威容。

金色の髪とアメジストを持つ翼の生えた巨大な人形は、まさしく異様だった。

 

 

「まさかあれは……魔導人形(ガーゴイル)、なの?」

 

「ガーゴイル!? "旧時代"の魔導兵器じゃありませんの!」

 

「旧時代?」

 

「魔物が台頭する以前、人同士が争う時代があったと言ったのを覚えてるかしら。その時代の総称を旧時代……そして旧時代に用いられた兵器をガーゴイルと呼ぶの。今では聖都ベルゴレッドを始めとした一部地域では禁忌とさえされてるモノなのよ」

 

「禁忌扱いって……そんなヤバいもんなのか」

 

「……ナガレ様、ガーゴイルが活動するには周囲の魔素を"強引に"取り込むという性質があるのです」

 

「強引に? じゃ、セリアとかお嬢の精霊魔法とは……」

 

「全ッ然違いますわよ! 魔素を介して、精霊と同調する事で魔法陣を形成する『精霊魔法』とは正反対の真っ逆さま! とゆーヤツですわ!」

 

「そ、そーゆーヤツね、了解。分かったからお嬢、近い近い」

 

 

目を皿にして興奮するお嬢もそうだけど、あのアムソンですら難しそうな顔をしてる辺り、ガーゴイルって兵器がどういうモノであるかは明白だった。

簡単に言えば、精霊にとって害がある代物って事なんだろう。

けれども歯切れが悪そうに眉を潜めるセリアには、何か気に掛かる所があるらしい。

 

 

「でも……アレは、私が資料で見たものとは違うわね。ガーゴイルは、レッドクォーツと呼ばれる魔力結晶を眼にはめ込んでいるのが特徴なんだけれど」

 

「……! そ、そういえばあのガーゴイルの目は……アメジストみたいですわね。それに、ガーゴイルの周囲の魔素が枯れている訳でもなさそうですし……」

 

「じゃあ、ガーゴイルとは別物って事か」

 

「はっきりと断じれる訳じゃないけれど」

 

「……っ、お、お待ちなさいな。枯れている訳ではありませんが、魔素の流れが少し妙ですわ! それに、あのトトとやらの手から、なにか……」

 

 

細かな憶測に、推測の糸があちらこちらへ巡りそうなのを断ったのは、またもや魔力探査に優れたお嬢。

彼女の指差す何メートルも遠くのトトへと揃って目を凝らしてみれば、いち早くお嬢の意図にたどり着いたアムソンさんがポツリと呟いた。

 

 

「……あれは、魔力の糸、でしょうかな?」

 

 

 

 

────

──

 

【青を灼く赤】

 

──

────

 

 

 

双剣の使い手である青年、ビルズ・マニアックの感情は解れた糸屑の様に絡まっていた。

レジェンディア南部、聖都ベルゴレッドの出身である彼が、幼き頃から母から子守唄代わりに聞かされていたものが目の前に泰然と佇んでいるのだ。

 

ガーゴイル。人が生んだ、世界に対する仇返し。

人間の業そのものとして、特にベルゴレッドの地域では禁忌とされているモノ。

それに対する理解はなくとも、幼少から培われていた道徳の欠片がビルズの脳裏に嫌悪感をもたらした。

無論、聖母像の主である少女に対しても。

 

 

「魔女の弟子め……! そんな悪辣な兵器を持ち出してまでこの祭儀を制したいのか!」

 

「……兵器じゃない」

 

「嘘を言うな! ゴーレム(魔物)と変わらぬその禍々しさ……旧時代の汚点そのものだろうが!」

 

「……」

 

 

双牙の内、残った片割れの剣の切っ先を向けてみても、表情一つ変えない。

それがより一層、勇敢であり正義感の強い彼の思考に義憤を添えた。

 

冷静に考えれば、きっとビルズとて気付けたのだろう。

 

友好国とは言えないまでも、同じ三大国として在るセントハイムが聖都側が厳しく審問出来る要素を、祭儀に招くはずがないという点。

そして、抱き留められるような形でマザーグースに背を預けているトト・フィンメル。

彼女の指から伸びる──淡藤色に発光した"糸"の存在に、気付けていたはずだった。

 

けれど。

 

 

「そんな『汚点』や『ガラクタ』は……あってはならないんだよ!!」

 

『ビルズ選手、あの巨大なヒトガタを前に、一歩も退く姿勢を見せません! その勇姿はさながら、ドラゴンに立ち向かう戦士の如しです!』

 

 

最後に、ビルズ・マニアックは気付けたのだろう。

それこそ作り物のように無感情であったトトのアメジストの色に、より一層の冷たさが帯びた事を。

年相応の静謐な少女の淡々とした声が、かすかに震えた事を。

 

 

「マザーグースは──」

 

「!!」

 

「ガラクタなんかじゃない」

 

 

自分が、踏んではならない虎の尾を踏んでしまったことを。

 

 

「く、そ……魔女が……」

 

 

慈愛の欠片も宿さない右手の振り下ろしによって、本来ガーゴイルの持つレッドクォーツよりも一層赤く紅い、鮮血が舞い散った。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

『波乱が起こり、波紋が広がり、激動の導入となりました剣のブロックの一回戦!! 新星ばかりが煌めこの舞台、五十の大台を飾るに相応しい祭儀である事を、早くも予感させる試合内容ばかりでした!』

 

 

ざわめきに満たされたコロシアムの空気を変えるべく生き生きとした声を飛ばすミリアムさん。

ハツラツとしたアナウンスに会場内の盛り上がりのベクトルが変わりつつあるも、やっぱり脳裏に残るあのインパクトは消しきれないものがあった。

 

 

「あのビルズって剣士、素人目にも相当な実力者に見えたんだけど」

 

「えぇ。実際に手合わせしてみないと分からない所もあるけれど、予選を勝ち抜けるだけの実力はあったと思うわ。あの状況から命だけでも守り通したのがその証でしょう」

 

 

付け焼き刃な俺と違う、修練をしっかり積んだ剣士でさえ無慈悲な一撃に沈んだ。

多くの観客に鮮烈な印象を与えた聖母像。

セリア達の見立てでは、どうやらガーゴイルってのは別物であるらしく、本来ガーゴイルは自律機動するものなんだとか。

恐らくトトが魔力の糸を生成して、あの聖母像を操り人形みたく扱ってるって話なんだけど、脅威であるのには変わらなかった。

 

 

『そ~れ~で~は~……会場の興奮冷めやらぬまま、続いて魔のブロックの試合へと参りまっしょうッッッ!!!』

 

 

けれど、先に待つ強敵の影に脅威を感じているのは何も、俺だけに限った話じゃない。

 

 

『魔のブロック、第一試合決着ぅぅ!!! エドワード選手、鍛え上げられた鋼鉄の肉体で魅せる、見事なインファイトでした!!』

 

 

魔のブロックは、いわばお嬢が勝ち抜いていくべきブロック。

 

 

『バーベム選手、ギブアップを宣告!! 試合しゅうりょぉぉでっす!! 魔のブロック第三試合の勝者はブリジット選手となりましたぁ! おめでとうございまぁす!!』

 

 

そしてそこには、お嬢にとっての因縁ともいうべき相手の存在が居る。

 

 

『魔のブロック第四試合……ユフィ・トランダム選手 対 エトエナ・ゴールドオーガスト選手!!』

 

 

彗星みたいな金色の尻尾髪を風に流す小柄なシルエットには、確かな存在感があった。

悠然と腕を組むエトエナのワインレッドが此方を向いて、隣のお嬢が小さく息を飲む。

それがまるで、エトエナを満たしているものとお嬢に欠けているモノの輪郭を、よりはっきり浮き彫りにしているようで。

 

 

「……っ、エトエナ。もし負けようものなら、指差して笑って差し上げますわよ……」

 

 

無理矢理に紡いだ台詞が、他でもないお嬢自身、エトエナの勝利を疑っていない何よりの証。

そしてその証は、第四試合開始宣告と共に、あまりに鮮やかに証明される事となった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

精霊魔法使いへの対策は、何より距離を詰める事が鉄則である。

威力や範囲が大きい魔法であればあるほど、詠唱を完成させるには時を必要とする。

であるのなら、そもそも詠唱をさせなければ良いという結論に行き着くのは当然の理。

 

 

一回戦の相手がエルフだと決まったユフィ・トランダムが、その日の内に装備をより軽いモノを選んだのも間違った判断とは言えないだろう。

 

ハンターとしての経験を積んだ彼女が対峙してきた魔物の中にも、魔法を扱う種族は居たし、その鉄則は確かな有効打となり得た。

加えて、本選開始までの僅かな時間を新調した剣と盾を手に馴染ませる為に費やした彼女に油断はない。

 

 

『さぁ、始まりました魔のブロック、第四試合! 両者、まずは相手の出方を窺っているのでしょうか、睨み合いが続いております!』

 

「──」

 

 

試合開始と共に腰を低くし、腕に括った円形の盾を構えて、鞘から抜いた剣の柄を握り締める。

しかし、軽装ゆえに太ももまで露出した彼女の脚は踵を上げたまま、地を蹴ることはない。

それは一見、あの鉄則に添わないようにも映るだろう。

 

だがユフィの狙いは、エルフが自分の警戒を"怖じ気ついた"と見なして詠唱を始めて貰う事にあった。

 

 

「『道理を振るうのには、揺るぎない強さが在れば良い』」

 

「!!」

 

『は、疾い!! ユフィ選手、グングンとエトエナ選手との距離を埋めていくー!』

 

 

理由は、詠唱と同時にあえて駆け出すことによって相手のタイムラグを生じさせる為であった。

 

 

「『間違いを正すのには、揺るぎない正義が在れば良い』」

 

「よし!」

 

 

精霊魔法というのは強力な武器ともなる反面、詠唱という行為だけでもかなりの集中力を要するモノ。

そもそも詠唱とはただ単に言葉を紡いでいる訳ではなく、魔素を介して魔力を練り、口語に変換し、属性にあった精霊と同調するという複雑な工程を行っている。

 

 

「──チッ」

 

 

故に本来なら、相手の動向に合わせて対応しなければならない一対一の闘いには向いてない。

その不足を補うために遅延や短縮、破棄といったスペルアーツが産み出されたくらいだ。

 

ユフィの接近に、咄嗟に詠唱を中止し、そこから対応を構築するのなら、思考のタイムラグは必ず生まれる。

加えて、あえて試合開始と同時に距離を埋めなかったユフィの行動に対する疑問を僅かでも挟んでしまったのならば、タイムラグはより大きなものになるだろう。

 

 

「見え透いてんのよ……【精霊壁(エレメントシールド)】!」

 

「っ、それは……」

 

 

ならエトエナが取るべき選択は、スペルアーツによる魔法の発動か、詠唱を必要としない初級精霊魔法(サポートマジック)による対処。

 

しかし、実はエルフという種族は通常より高威力で精霊魔法を発現出来る反面、このスペルアーツの習得を非常に苦手としている。

何故ならエルフの一個体が持つ魔力量の大きさが人間とは比べ物にならず、それ故にスペルアーツを扱う為の技術レベルが相応に高くなるからだ。

 

ナナルゥが一週間でスペルアーツを身に付けれたのも、彼女自身が魔力の扱いに長けている点と、純粋な努力量によるものである。

 

となれば、エトエナが用いる手段は、サポートマジックの精霊壁。

苛立たしそうに彼女の前方に展開されたルビーの輝きに満ちた魔法障壁が展開される。

 

最初の試合でピアが見せた精霊壁よりも大きく、密度も段違いに硬いものだが──それもまたユフィの描いていた絵図の内だった。

 

 

『ユフィ選手! なんという俊足でしょうか!』

 

「──それはっ、私の台詞よ!」

 

『エトエナ選手の背後を取ったー!』

 

 

 

障壁の付近で急停止し、並外れた脚力でそこからエトエナの背後に回り込んだ。

短期決戦を選ぶ胆力。戦術を噛み合わせるだけの脚力、より多くの時間を稼ぐ為の心理的細工。

 

 

「アタシの台詞で合ってるわよ。【遅延詠唱(ディレイスペル)

 

 

「えっ」

 

 

彼女もまた、本選に進めるだけの知性と武技を持ち合わせた戦士であった。

そこに疑いようも間違いようもない。

 

 

けれども。

 

 

「【緋色の拒絶(スカーレッド・ドーム)】」

 

「──なっ、ぐうぅぅぅぅぅぁぁぁ!!!」

 

『こ、これはスペルアーツ?! なんとエトエナ選手の周りから突如、炎の壁が出現しました!!』

 

 

大陸唯一魔法学園にて秀才と謳われるほどの実力者であるエトエナ・ゴールドオーガストと、ユフィ・トランダム。

 

 

「ちゃんと"ここまで"、見え透いてたわよ。【詠唱短縮(スペルカット)】」

 

 

立ち昇る炎の壁よりもなお隔絶した高い壁が、埋めようのない差が、彼女達の間にはあっただけのこと。

 

 

「『握り続けば身を焦がす、いずれは灰になるのなら。その全てを費やしてでも、青を赤に()け』」

 

「ま、待って──」

 

「【焔の鉄槌(フレイムジャッジ)】」

 

 

そしてそれはエトエナとユフィの間のみにある認識ではなく、この闘いの行く末を眺めていた者達にも明確に芽生えるのだろう。

 

エトエナの頭上に掲げられた、紅蓮の大鎚。

地を這う弱者を裁く破壊の鉄槌の荒々しさは、余りに大きく、余りに人の身に余る。

その灼熱が落ちた先の末路など、どんな愚者とて簡単に想像出来るくらいに。

 

 

「で、どーすんのよ。言っとくけどあたし、別に加減とかは得意じゃないわよ」

 

「い、いや……待って、待って! お願いだから……」

 

「チッ、めんどくさいわね。だったらさっさと降参しなさい」

 

「は、はいぃぃぃ!!!」

 

 

だからこそ、賢明なる敗者ユフィは、白旗を振るのも実に潔かった。

 

 

 

「──勝者! エトエナ・ゴールドオーガスト選手!!」

 

 

 

 

 

 

 

 




【魔法補足】

焔の鉄槌(フレイムジャッジ)

「道理を振るうには、揺るぎない強さが在れば良い」
「間違いを正すには、揺るぎない正義が在れば良い」
「握り続ければ身を焦がし、いずれは灰になるのなら。
その全てを費やしてでも、青を赤に灼け」

中級炎精霊魔法

火炎で構成された鎚を現出させ、振り下ろすことによって相手を叩き潰す。本来、大地を叩くことにより高熱の衝撃破を副次的に産み出し攻撃する事も可能。
対複数戦に有効な魔法である。


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Tales 52【噂のMr.ミステリアス】

 

 

『エトエナも、スペルアーツを……使えるというんですの……』

 

 

膝上のスカートの生地を握り締めながらお嬢が呟いた、か細い弱音に、気付かないふりをするだけが精一杯だった。

エルフの使う魔法の恐ろしさ。

 

魔法使い達のなかで火力主義が声高に叫ばれるのも、エトエナが掲げたあの灼熱の鉄槌を見れば嫌でも分かる。

本来ならば自分ももっていたはずの才覚の大きさを、明確に見せ付けられたお嬢の静かな歯軋りが、今も耳に残っていた。

 

 

「そろそろか」

 

 

物音がこもりやすい造りの選手控え室に響く自分の声は、遠くからの歓声にさえ負けそうなほどに小さい。

魔のブロックラスト、フォルが出場している第八試合。

進行の都合により控え室へと連れてこられた俺には、その内容を見ることはできなくとも、歓声の盛り上がりやミリアムさんのアナウンスからして察せた。

 

 

「メリーさん」

 

『私、メリーさん。どうしたの、ナガレ』

 

「次も宜しく」

 

『……うん! メリーさんにお任せなの!』

 

 

お嬢に対する気掛かりは確かにあるけど、他人の心配に囚われてばかりじゃ自分の足元がおろそかになる。

だからまずは、俺が為すべきと思うことに集中しよう、そう意気込んで。

 

 

『第八試合の勝者は──フォルティ・メトロノーム選手となりましたぁぁ!!!』

 

「……」

 

 

熱戦の結末を告げるミリアムさんの声に、力強く両手で膝を叩いた。

 

 

────

──

 

【噂のMr.ミステリアス】

 

──

────

 

 

 

『多種多様な見所盛り沢山な第五十回闘魔祭、これより二回戦へと参ります!! 白熱の一回戦をご覧になられた皆々様、声援のあまりに喉をからした方はいらっしゃいますでしょうか?! 今なら会場内の売り子ちゃん達が、枯れた喉を癒すお飲み物を格安料金で販売しておりますので、是非是非お求めくださいませー!』

 

 

ありがたがるべきか、呆れるべきか。

軽快なセールストークに、色んな意味で強ばっていた肩の力がゆるりと抜けた入場ゲート前。

 

 

『それでは早速始めて行きまっしょう!! まずは剣のコーナー!! 一回戦にてメリーさんという可憐な少女を召喚し、華麗な闘いぶりを見せてくれました! 精霊奏者疑惑も浮上させる噂のMr.ミステリアス!! ミリアムさん的にも要注目な選手! サザナミ・ナガレ選手の入ッッッ場でっす!!』

 

(……謎のハードルを感じる)

 

 

大袈裟過ぎとも感じるのは、この世界の郷に入ってまだ日が浅いからってだけじゃないなこれ。

自分の名が呼ばれた途端にワァッと湧くのも、変にくすぐったい。

ザクザクとコロシアムの砂を蹴って太陽が照らす中心に近付けば、より一層のこと。

 

 

『続きまして魔のコーナー!! 予選でのシード枠を勝ち取った幸運は、秘めた実力を裏付けるものなのでしょうか?! 「言語道断の色男、花より男子な色男!」 マルス・イェンサークル選手の入場でっっす!!!』

 

「……なにそのキャッチコピー的なの」

 

 

緊張感が露と還りそうなアナウンスと共に、正面向こうの鉄柵から、爽やかな笑顔と白い歯をマルスが悠々とやって来る。

左腕に古びた槍と、甲羅のような大きな盾を背負ってるシルエットは何度か見かけた時と同じだった。

 

それにしても、二回戦から付きだした一風変わった紹介文の内容は、果たしてミリアムさんが考えたものなのか、それとも自分で持ち込んだものなのか。

多分、自分で持ち込んだんだろう、あの笑顔の振り撒き具合からして。

 

 

「よう、噂のMr.ミステリアスくん! そういや挨拶がまだだったな。悪く思うなよ、レディは全てにおいて最優先、男は二の次が俺様の信条なんでね」

 

「気にしなくていいよ。あと、そのMr.ミステリアスってのは止めてくんない?」

 

「ん? どーしてだ。謎めいた存在ってのは、男女違わず魅力的に映るもんだろうに」

 

「ミステリアスなモノは好きだけど、自分が謎めいたモノに見られるのはそうでもないって訳」

 

「ははん、成る程。それがお前……いや、『ナガレ』の信条って事か」

 

「そそ。『マルス』の言う信条ってより、単にこだわり云々の話だけども」

 

「そーかい」

 

 

ニカッと歯を見せつつ、我が意を得たりとすんなり頷くマルスは口振り以上に友好的だった。

顔を合わせるなりのフェミニスト宣言に、色々あったロートンとの経緯を思い描いてしまったのが失礼に感じるくらい。

 

 

「こらぁぁぁナガレェェ!!! そんな男となーに和気藹々と話し込んでますのぉぉぉ!! さっさとボッコボコのギッタンギタンにしてお仕舞いなさい!!」

 

「お嬢様、はしたのうございますぞ」

 

『……ぉ、おーっと、会場から開始のゴングを求めるヤジが飛んでいるー! 血気をメラメラと盛んにヒートアップさせるのは選手だけではなく、観客も同じ!! これも闘魔祭らしいエールと言えるでしょうっ!!』

 

 

いやホント、決して今こうして話す分にはマルスの印象が悪いとは思わない。

だってのに、ついさっきまであんなにブルーになってたお嬢があんな激情に駆られたシャウト飛ばしてくるもんだから、思わず目が点になる。

 

 

「……そういやナガレ、ハニーとはどういう関係なんだ?」

 

「むしろ俺の方こそお嬢と何があったのか聞きたい。ホント何したの」

 

「ありのままの気持ちを伝えたまでだが」

 

「なんかお嬢からはセクハラされたって聞いたんだけど」

 

「…………俺様は不器用な男でね。花を愛でるのにも誤解を招いてしまう事もあんのさ」

 

(そこで脂汗流して内股になるなよ……ホント何があったし)

 

 

酔っぱらいのうわ言みたいなお嬢の説明では、セクハラに対して何かしらの制裁を加えたって事ぐらいしか分からなかったけど。

顔面蒼白になりながらバンダナを被り直す辺り、男としての直感がこれ以上の深入りを躊躇(ためら)わせた。

 

 

「両者、私語はそこまでにして下さい。後続のこともありますので、そろそろ試合を開始させていただきます」

 

 

都合良くレフェリーの横槍が入ったところで、互いにザクザクと距離を取る。

フォーマルスーツを身につけた背の高い男性レフェリーが片手を挙げれば、コロシアムの空気がキリリと真剣さを帯びてきた。

 

 

「……」

 

 

鞘から静かに抜く剣の、シャランという鉄鳴きにスッと意識が切り替わる。

対面のマルスもまた右手に大盾、左手に槍を備えて、焦げた紅茶色の瞳が自信ありげに尖っていた。

さて、マルスが見た目通りのファイトスタイルをしてくれるんなら幾分か楽に突破出来そうなもんだけど。

 

 

『両者ともに準備が整ったようですね!! 闘魔祭、二回戦の第一試合!! サザナミ・ナガレ選手 対

マルス・イェンサークル選手! 果たしてどういった試合展開になるのでしょうかぁっ!!!』

 

 

「──試合」

 

『──試合』

 

「開始ッ!!」

 

『開始でっす!!』

 

 

 

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

『きたきたきたキタァァ!! ナガレ選手、出し惜しみをしません! 一回戦にて私達を魅せてくれた可憐な蝶、精霊メリーさんのとぉぉじょぉぉ!!』

 

「私、メリーさん。今回もばっちり活躍しちゃうの!」

 

 

正面を縦に裂くレフェリーの空手刀と共に呼び出した相棒は、たった一度の活躍で観衆の心をわし掴みにしたらしい。

割れんばかりの黄色い悲鳴にいつも以上に頬を緩めてるが、それでも小さな手に握られた大きな鋏は刃を早くも開かせていた。

 

 

「……見れば見るほどマジもんじゃねぇか。ったく、俺様ってばツイてるのかツイてないのか分かったもんじゃないな」

 

「コイントスでもする?」

 

「お断りだな。色んな意味で将来有望な幸運の女神を侍らせてるお前じゃ、ちと相手が悪そうだ」

 

「……私メリーさん。褒めてくれてありがとう、バンダナのお兄さん。でも色んな意味、は余計なの」

 

「五年もすれば、もっときちんと口説かせて貰うぜ──だから」

 

 

軽快な口調は形だけで、クルリと手回す槍の穂先が鋭く光る。

腰を低く屈めた態勢のまま、ニヤリと口角が上がった瞬間、マルスの気配が濃厚さを増した。

 

 

「せいッ!」

 

「──っぁ!」

 

 

タンッと靴底が土を削り、オレンジが疾走する。

吐いた気炎は短く静かだが、長い腕から放たれた一点突きは素人目からしても生易しくはない。

薙ぐような横一閃で突きを弾くメリーさんだが、その口からは小さな呻きが漏れた。

 

 

「っぜ! もう一丁!!」

 

「く、ぅ──速い、のッ!」

 

『は、速い! なんという凌ぎ合いでしょうか! メリーさんとマルス選手、凄まじい速さで打ち合い! と、遠目からではとても目で追えない速度であります!』

 

 

張り詰めたような鉄と銀の悲鳴。

繰り広げられる槍と鋏、異色の剣戟。

けれどもそれらの中に混じる双方の言葉には、明確な余裕の差があった。

 

 

「そんな得物で、良くやるっ!」

 

「んっ、それほど、でも! ないの!」

 

『しかし、速度はマルス選手が上回っているのでしょうか。精霊メリーさんが少しずつ後退しております!』

 

 

ミリアムさんの伝えた通り、この刃合わせはメリーさんが圧されてしまっている。

それは技量の差というよりも、マルスの言う通り、得物の取り回し易さの差なんだろう。

 

純粋にマルス自身の技量の高さもあり、風切り音すら遅れて聞こえるほどの突きに対して、メリーさんはどうしても振り払いとガードの二択を強いられる。

その弾く反動でなんとか槍の突き直す速度を遅らせ、速さを間に合わせている形。

彼女の強い腕力と技量だからこそ為せていても、そのハンデは徐々に開いていくのは自然な事だった。

 

 

「メリーさん!」

 

「──っ、ナガレッ」

 

『っとぉ! ここでナガレ選手、割って入るのでしょうか?!』

 

 

そうと分かる上で、苦しい状況を静観してはいられない。

ぐるっと半周し、マルスの右斜め後ろへと回り込みながら、ショートソードを構えて突っ込む。

 

正面から割って入っても、俺程度の腕前じゃあマルスにカウンターを貰うことは必須。

 

 

「そう来るのを待ってたぜ!」

 

 

だからこそ後方からのはさみ打ち……勿論、それはマルスも警戒していた事だろう。

彼からすれば、二対一に持ち込まれる状況は避けたい。

しかし、その瞬間を逆に好機と捉えることも彼ほどの技量なら出来る。

 

 

「──」

 

 

突きを放っていた槍の束を握り直し、一歩下がったマルスはそのままコマのように満月を描いた。

後ろの俺と、正面のメリーさんに対する同時攻撃。

 

しかし。

 

 

「ぐっ──げほっ」

 

「なにっ!」

 

『ナガレ選手、受け止めきれ──いや、これは……囮!?』

 

 

それこそ俺が求めていたアクション。

マルスの突きは、滅茶苦茶速いし、技量の浅い俺には幸運でも噛み合わないと捌けるもんじゃない。

なら、なんとか薙ぎ払いを引き出す。その為の突貫だった。

 

そして、予め身体の片側に構えていた剣で穂先を受け止める──つもりだったんだけど。

想像以上の力強さに受け止めきれず、鈍痛と共に軽く弾き飛ばされてしまった。

 

でも、隙は作れたはず。

 

 

「メリーさん!」

 

「はぁぁっ!!」

 

「──」

 

『れ、連携攻撃です! しかしマルス選手、これを盾で防いだーッ!』

 

 

その隙を縫うような、目一杯力を込めた唐竹割りをメリーさんが放てば、マルスが取れる手段は盾でのガード。

 

鋏による一撃と、迎える大盾との衝突。

ソニックブームすら発生するのではと思うような轟音が響けば、マルスは片膝を付く態勢でメリーさんの一撃を受け止め切っていた。

 

 

(よし、これで……)

 

 

後は、がら空きとなった背中を俺が攻めればいい。

痛む身体に鞭を打ち、握ったままのショートソードの柄に力を込めた時だった。

 

 

「囮とはな、一本取られた。だが──そう来るのも、待ってたぜ」

 

「え」

 

 

パチ、パチ、と。

皮肉な賞賛の拍手とも聞き間違えそうな、耳馴染みのある音を風が運んできて。

背筋が凍る。

 

 

「【ヴォルティス(雷の精霊よ)】」

 

「い──ああァぁッッ!!!」

 

「メリーさん!」

 

 

盾から伝わる小さな雷の衝撃に、メリーさんは悲鳴をあげつつ大きく後退した。

俺との感情のリンクで、抱いた危機感が伝わった甲斐あってか、咄嗟に下がれたのは幸いだったけども。

 

 

「……わ、私メリーさん。これくらいなら大丈夫、なの……」

 

「……そっか。ありがとう」

 

『これは……面白い展開になって参りました!』

 

 

それが強がりじゃない本心なのは分かったけど、厄介な問題が浮上してしまった。

 

 

「……一本取られた」

 

 

マルス・イェンサークル。

やっぱりこの人も、かなりの強敵って事らしい

 

 

「どうだい──痺れたろ?」

 

 

 

 



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Tales 53【アドバンテージ】

「どうだい、痺れたろ?」

 

 

橙色のバンダナを被り直す仕草が気障であるほど不思議と似合うマルスの言葉を、崩せるだけのモノを持ち合わせていない。

メリーさんに駆け寄るなり頬へと伝った冷や汗が、頭でも身体でも俺の焦りを証明していた。

 

 

『ビリリッと来る決め台詞と共に早くもカードを切りましたマルス選手! 二対一の状況を鮮やかに切り返す雷精霊魔法、これが彼の秘められた実力の一片という事でありましょうか!?』

 

「メリーさん、身体なんともない?」

 

「な、なんかビリビリする。うぅ、私メリーさん。苦手なものが増えたの」

 

 

銀は銅や金よりも電気が通りやすいってのは昔授業で知った知識だけど、それは精霊魔法ってフィルターを通した場合でも同じらしい。

幸いメリーさんの受けたダメージは大したことはないようだが、これで単純な攻めの一手は手痛い反撃を貰ってしまう事が明らかになった。

 

 

(……銀鋏メインで立ち回るメリーさんじゃ厳しいか。ナインに交代……いや、ナインの場合は身体の一部を鎌にする訳だし、分の悪さはメリーさん以上かも知れないが)

 

「! ぜ、前言撤回。メリーさんはナガレの相棒、ビリビリなんてへっちゃらなの」

 

「え、本当?」

 

「ほんと」

 

「……そ。じゃ、もう少し頑張ってもらうよ」

 

「うん!」

 

 

リンク機能で思惑が伝わってしまったのか、途端にむんっ、と背筋を伸ばすメリーさん。

それが強がりなのは見え透いてるけれども、ここは素直に甘えておくか。

 

ナインも、出来れば温存しときたいし。

……"お嬢の為にも"。

 

 

 

「……とんだ隠し球って訳だ。してやられたよ」

 

「なーに、このぐらい精霊奏者サマにとっちゃ初歩も初歩、児戯にも等しいってもんだろ?」

 

(……この感じ。少なくとも俺が所謂、精霊奏者とは違うってのはバレてるっぽいな。無理もないが)

 

 

トントンと靴先で地面をノックしながら飄々と肩をすくめるマルスの余裕を前に、必死こいて保ってるポーカーフェイスも崩れそうだ。

多分、彼には俺が俗にいう『精霊奏者』ではない事を感付かれてしまってるんだろう。

推測か直感か、そこまでは分からないけれども。

 

それでも不用意に近付けば必殺の突きの餌食にされる、そんな剣呑さを引っ込めないマルスの油断のなさが何より厄介だった。

 

 

「児戯ねぇ。絶妙なタイミングでかましておいて良く言う。結構(したた)かだろ、アンタ」

 

「俺様、野郎の褒め言葉に浮かれる趣味はねぇんでな。それよりかは見目麗しいハニー達に黄色い声援貰える方がよっぽど良い。こんな大舞台なら尚更、そうだろ?」

 

「……ま、男としちゃ否定出来ないな」

 

「くっははは、結構話が分かるじゃねーの」

 

『刹那の攻防を繰り広げた両者。互いの健闘を認め合うかの様な不敵な笑みを浮かべております。さしずめ、ここまでは闘う者達にとっての単なる通過儀礼に過ぎないという事でしょう! さぁ、さぁ! ここからの闘いは更に熾烈な展開となっていくのでしょーかぁ?!』

 

 

叩き合った軽口の最中、深いブラウンの瞳がギラリと鋭さを増す。

 

 

「つー訳でだ、ナガレ。お前さんは、俺様の為の踏み台ってやつになってもらうとしようか。なぁ?」

 

「……挑発のつもり?」

 

「へっ、ばーか……お耳に優しいあの姉ちゃんの言う通り、こっからが本番って意味だ!! そら……俺様の"奥の手"、目ん玉広げてよーく見てろォ!」

 

「「!!」」

 

 

カカと喉を震わせて、グッと砂利を蹴る姿勢はさながら滑空台のロケットのようで。

ミリアムさんのアナウンスと同調したみたく次の一手を示す初動に、俺とメリーさんは即座に身構えた。

 

 

……けれども、そんな警戒さえも嘲笑うようにマルスが取った行動は、なんとも意表をつくもので。

 

 

「──なんつってな!」

 

『「「……は?」」』

 

 

スッと伸びた脚をしゃかりきに動かしながら、バンダナ男は全力疾走した。

 

 

 

真後ろに。

 

 

 

 

────

──

 

【アドバンテージ】

 

──

────

 

 

 

 

『ちょっ、そこで逃げるって……う、うぉっほん! えー、ここに来てマルス選手全力後退! ナガレ選手から一気に距離を取りました! これが俗に言う戦略的撤退というヤツでしょーか?!』

 

 

 

え、いやいやなにこの乱暴に梯子を外されたみたいな脱力感。

さぁこれからどんどん追撃してやんよってな感じ出しといて、全力後退ってオイ。

 

 

「……そこで逃げるかよ普通」

 

「はや……すっごい逃げ足の速さなの」

 

 

場の流れというか空気というか、完全に想定外の行動をされたせいでいまひとつ思考が定まらない。

あっという間にコロシアムの壁際へ辿り着いたマルスのを見送るしかなかった俺達だったのだが。

 

 

「こっ……こ、こらぁぁぁぁぁ! それっぽいこと言っといてなにトンズラこいてやがりますのマルスットコドッコイ! あんな啖呵を切っておいてよくもまぁっ! どんだけ人をおちょくれば気が済むんですのぉぉぉ!!」

 

「ナ、ナナルゥ。落ち着いて、気持ちは分からなくもないけど、乱入はダメよ!」

 

「お嬢様、はしたないどころの騒ぎではありませんぞ」

 

『…………えーっとぉ……なにやら観客席側もヒートアップしておりますが、これも先程と同様、闘魔祭の醍醐味! しかし明確な妨害行為は違反となりますのでくれぐれもお気をつけてくださいねー! ミリアムさんとのお約束☆』

 

 

唖然としていた俺達の後方から飛んできた癇癪染みたお嬢のヤジが、かえって冷静さを取り戻せた結果となった。

しかし言うなればそれはあくまで不幸中の幸いであり、視界の遠くでニタッと微笑を浮かべた伊達男の策に、見事にハマってしまったことに変わりはなかった。

 

 

「あ? おちょくる? おいおい、この俺様が単なるからかい目的であんな真似するわきゃねぇだろ……【コンビニエンス(こんなこともあろうかと)】」

 

「……?」

 

 

失敬な物言いだとうわべだけの不服を訴えた彼が、手短に唱えた収納魔法によって取り出したのは、パッと見た感じだとちょっとしたオブジェクトにも見えた。

 

その正体は、マルスの右腕に備わった盾と大きさと形状が似通った、厚さ一センチにも満たないくらいの銀板。

艶やかな光沢を放つ銀面は見るからに硬質で、腕にくくりつければ即席のライトシールドくらいには出来そうだが。

何より観客をどよめかせた理由は、その銀板が一つではなく、何十枚という数がまるで数珠みたくワイヤーか何かで繋ぎとめられている点だろう。

 

それこそ、工事現場とか企業倉庫とかの角辺りに積まれてる鋼材みたいな変哲のないモノにしか見えない。

 

 

「『紡ぐは鉄糸、繋ぐは勝機。手繰り寄せるならいずれとも』」

 

 

そんな変哲のないものを、目を疑うような光景に作り変えるのが魔法使いの本領というヤツで。

槍の切っ先でコツンと叩いた銀板はその途端、眠りから覚めた様にガタガタと鳴動し、『紫電』を纏いながら宙へと浮かぶ。

一つ二つ、三つ四つと。

鉄琴を奏でる楽士みたく動きはお世辞抜きに、絵になっているというか、サマになっているというか。

 

 

「『無礼な断つ手を拒むなら、雷鳴と共に城塞を築け』」

 

 

詠唱が進むと共にバチチ、バチュンと物々しい電音を響き、マルスの周囲に紫色の電気の網が半円状に広がっていく。

 

「【紫雷の遮断(ヴァイオレット・ドーム)】」

 

 

そして宙に浮いた銀板達が、次いで浮かんだマルスの盾をセンターに次々とそのドームの表面へとパズルみたく貼り付いていく光景は、ファンタジーの世界においてはむしろどこか近未来的にも見えるけれども。

 

 

『な、なんということでしょうか……マルス選手が唱えたのは、エトエナ選手が使っていた防衛魔法と同種のものである様でしたが……! 収納魔法で取り出した謎の金属達を意のままに操り、そして……!』

 

 

──紫電の網と銀板の群れによって出来上がったのは、マルスの周囲を完全に覆うほどの大きさの半円形(ドーム)

 

それはさながら形の整い過ぎた銀色の繭。

メタリックな威容と、その中心にある瞳にも見間違いそうな、マルスの盾。

まるで巨大な眼球に見貫かれているような威圧感が、ただただ不気味で、なけなしの冷静ささえ挫かれてしまいそうだった。

 

 

『ご、ご覧下さい! 先程の金属達が、マルス選手をすっぽり覆い隠すように集まり、一つの障壁となってしまいました! その白銀の威容は、対戦相手を睨み付ける巨大な眼球! こ、これも一種の魔法の応用というやつなのでしょうか……マルス選手のとんでもない奥の手を前に、ナガレ選手も驚きを隠せないようです!』

 

「……そんなのアリかよ」

 

 

一夜城どころの話じゃない手短さで築かれたそのドームは、即席にしては見るからに頑強そうで、それこそ一縷の隙間も見当たらない。

 

 

「……なんだかおっきな白い甲羅みたいなの」

 

「甲羅って……あー確かに、言われてみれば亀っぽいか」

 

「そうそう。あのお兄さんが最初に持ってた盾も……──って、ナガレ! 上!」

 

「!?」

 

となれば、マルスにとってあのドームが果たしてなんの役割を担うのか、という疑問はすぐさま氷解された。

 

一風変わったメリーさんの例えに妙に納得してしまった俺の真上から、急速に展開された魔法陣。

コンロを回した時に鳴るような、カチチという静かな雷鳴。

そして、そこから飛来してきた稲妻によって。

 

 

「くっ……!」

 

 

頬をひきつらせながらも咄嗟に地を蹴っての回避は辛うじて間に合ったものの、ズドンと目の前に落ちた小さな雷に背筋が凍る。

これもマルスの雷精霊魔法なんだろうか。

 

 

「ナガレ、大丈夫?!」

 

「な、なんとか……けど……そうか、そういう事か。畜生……!」

 

 

──完全に、してやられた。

 

 

顔色を変えて心配するメリーさんに応えつつも、内心の焦りを抑え切れるだけの余裕はもう俺には残ってない。

 

あの一部の隙間も見当たらないドームの形成と、その内部に居るにも関わらず"正確に"俺の真上に展開された雷精霊魔法。

つまるところそれは、マルスにとっての攻撃態勢と防御態勢をきっちり整えられてしまったということで。

 

 

「ナガレ、またなの!」

 

「んにゃろっ!」

 

 

また一つ展開された、俺の真上からの落雷を必死に避けつつ、頭の片隅に浮かんだひとつの確信。

 

試合開始における打ち合いから、ことここに至るまで……多分、全部マルスの手のひらの上だったってことだろう。

 

 

(したたか、なんてもんじゃない……とんだ食わせものじゃないか、アイツ!)

 

 

そして彼が描いた絵図の通り、勝負の旗色は、誰がどう見たって確実に、マルスの方に傾いていた。

 

 

 

 



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Tales 54【ゴーストトリック】

『ナガレ選手、またも間一髪で回避ぃぃ! しっかーし、マルス選手の攻撃の手はまだまだ緩みません。また一つ! また二つ!! 正確無比な雷精霊魔法の連撃にナガレ選手、苦しい展開が続きます!』

 

「ぐっ……ゲホッゴホッ……ギリっギリだよホントに」

 

 

息を整える暇もなく落ちてくる稲妻を避け続けるのも、これで何度目か。

正確な数を数えてる余裕なんて更々ないし、そこに逐一思考を裂いてたらとっくにこんがり焼き上がってるのは目に見えてた。

 

 

「いいっ加減──出てくるのっ!」

 

 

かといってこっちも黙って好き勝手されてる訳もない。

ドームに引っ込んで攻撃魔法を唱えまくってるであろうあんちくしょうを何とか引っ張りだす為に、メリーさんが銀鋏を大きく振りかぶっている。

小柄な体躯を目一杯使って振りかぶるその一撃は、俺ですらゾッと背筋を震え上がらせるほどに恐ろしい迫力があったけれども。

 

 

──ガィィン!!

 

 

鈍く響くだけの衝突音は、マルスの築き上げた防衛手段が決して見掛け倒しではない事を何よりも証明してくれた。

 

 

『あーっとぉ! メリーさんの四度目の強襲、ですがまたも突破ならず! 硬い、硬過ぎます! マルス選手の築いた防衛魔法……ぶっちゃけ仕組みはさっぱり分かりませんが、その強固さはセントハイム門の城壁を彷彿とさせるほどです!』

 

 

「んにぃぃ……もうっ、なんなのこれ一体!」

 

 

銀の閃を銀の壁が受け止めたのも、これで四度目。

けれどそのいずれも、遠目には分からない程度の傷を付けるのが関の山。

あのメリーさんが全力でぶっ叩いて凹みもしないとか。

あまりの手応えのなさにうめくメリーさんを通して、もはやアレが要塞か何かに思えてきて。

 

見事なまでの押されっぷりに、渇いた笑いすら浮かんで来そうだった。

 

 

────

──

 

【ゴーストトリック】

 

──

────

 

 

「ふぅむ。やはり、"魔鉱石(レアメタル)"でありましょうか」

 

「……恐らくは、そうね」

 

「レア、メタル? 魔力を流し込むと色んな効果が表れる特殊金属ですわよね。ん? えっ、まさかアレ全部がそうだと言うんですの?!」

 

「まぁ……正確なところは本人に聞かないと分からないけれど。それにきっとアレは魔力を流すと硬質度が上がるタイプね。けどまさか、防衛魔法に組み合わせるなんて要塞化するなんて発想が……」

 

「いやいやいやそこじゃなくてっ! たっ、確かにあんなみょーちくりんな使い方なんて聞いたこともありませんけども……レアメタルですわよレアメタル! 希少だからレアなんですのよ!? あれ一枚で一体いくらになると思ってますの!?」

 

「他国と比べレアメタルの採掘量が多い我が国(エシュティナ)でも易々と手が伸びる代物ではありません。とすると、あのマルス殿は相当羽振りが宜しいようですな」

 

「くっ……本当に何者なんですの、あの男は……!」

 

 

レアメタル。

それは魔鉱石とも呼ばれ、主に魔力を通わせることで様々な効果を発揮したりすることが出来る故に、幅広い有用性を持つ物質。

 

例えば発光性のある種類のレアメタルを街灯に使用したり、予選エントリーの際に用意されたモラルモノクロもまた、レアメタルの一種を組み入れた魔道具である。

しかしそれほどの有用性に対して発掘出来る量は少なく、価値も非常に高い。

 

そんな貴重品を防衛魔法と組み合わせたマルスの発想と技量も驚くべきところだが、そもそも数ダース単位で所有してる時点で普通ではないのだ。

ナナルゥが狼狽をするのも無理もないだろう。

 

 

「残念でしたなお嬢様。袖にした御相手は思いのほか大物であったのやも知れませぬぞ」

 

「……う、うるさいですわよアムソン! このナナルゥ・グリーンセプテンバー……少々の財力で目の色を変えるほど安くはありませんわ!」

 

 

マルスを単なる軽薄なだけの男と捉えていたナナルゥからしてみれば、驚嘆どころではなかった。

セクハラ紛いな事をされた彼女からすれば、その先入観は多少致し方ないともいえるが。

 

 

「でも……不味い、わね。このままだと……」

 

「くぬぬぬぅ……あんな優雅さも美しさもナンセンスな壁一つどうにもできずに敗けるだなんて結果……わたくしは認めませんわよッ」

 

「別にナガレ様が膝をついたとて、お嬢様が負けた事と同義になる訳でもありますまいに。いつの間にやら一蓮托生でありますかな?」

 

「う、うるさいですわよアムソンっ! かっ、仮にもこのわたくしと道中を共にし、わたくしと共にミノタウロスを討った男ですわよ。小生意気な所も多いですが、いわゆる『同じ釜を焚いた仲』とゆーやつですわ! それがあんな破廉恥に良いようにされっぱなしというのが納得出来ないだけで……」

 

「ほっほ。左様ですか」

 

 

微妙に誤用された言い回しを、さりとて執事は否定しない。

些細な弱みにすら意地を張ろうとする主人の愛らしい反応に、目尻に皺を集める仕草は従者というより好々爺といった風情である。

だが、それでも眼下を見下ろす彼の表情は、普段と比べて厳しい。

その理由はやはり、同じ釜の飯を食べた仲であるナガレの旗色が、戦い上手のアムソンの目から見ても圧倒的に悪いからであった。

 

 

「(……さて。お嬢様の所感はともかく、ナガレ様の旗色は非常に悪い。マルス殿が築いたレアメタルの特殊障壁は生半可ではない。魔力感知に長けたお嬢様であれば、魔力同士の継ぎ目の"強弱"を見抜き、泣き所に魔法を打つなどの攻略も可能でありましょうが……)」

 

 

本来は単に攻撃を防ぐ壁として展開されるドーム系の魔法とレアメタルを用いて即席の要塞とするマルスの器用さは、並大抵の事ではないし、その頑丈っぷりは一目瞭然だ。

しかし、レアメタルの操作を含めたドームを維持し続けるのは容易とは言えないだろう。

 

ナガレに対し隙のない攻撃魔法を放ち続けている事を含めれば尚更で、そうなればある程度ドームを構築する魔力に揺らぎが出てくるはず。

となれば、ナナルゥのような魔力の感知や探査に秀でている者なら泣き所を見抜き、あの要塞を突破する手段を見出だせるやも知れなかった。

 

 

「(……厳しいですな)」

 

 

もっとも、その攻略法も異世界人故に魔法に関しての知識はほとんどからっきしであるナガレには、到底取れるものではない。

対戦相手が要塞に引きこもっているというのに、ナガレの方がまさに八方塞がりという状況は、皮肉としか思えなかったが。

 

 

「(……それにしても、あれほど大量の……加えて、彼の装備していた『盾』と『槍』も恐らくは……)」

 

 

ナガレの窮地。

それ以上にアムソンの額に皺を集める要因があった。

 

マルス・イェンサークルの持っていた、甲羅のような盾と、古びた槍。

少し風変わりな程度にしか見えない武装ではあるが、それもまたレアメタルを加工した特殊なモノであることをアムソンには"看過出来た"。

 

──けれどもそれは、直感や閃きに基づいた憶測ではなく、古い癖に未だ埃の一つもつかない、ある"心当たり"の糸を辿っただけのモノで。

 

 

「……──」

 

「……?」

 

 

マルス・イェンサークルのなにがしかから、老執事が思い至った予感。

連なる感情を押し殺す様に老執事の夕陽色の双眸が、夜に似た冷たい鋭さを浮かべるのを、隣立っていたセリアだけが些細ながら気付けた、が。

 

 

「うぅうぅうぁぁ!!! もうっ、ナガレー! なんとかなさーい!!」

 

 

夜空に浮かぶ陰り雲が、やがて風に千切れて消え行くように。

抑えきれない感情に任せて飛ばしたナナルゥの叱咤に、セリアの違和感は芽を出すこともなく立ち消えた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

思い返せば、打ち合いからの雷精霊魔法の切り返し、あそこから主導権を完全に持っていかれたんだろう。

 

下手に接近戦に持ち込めば、手痛い反撃を食らう可能性がある以上、こっちの攻め手は緩まされる。

そこにあんな意表をつく真似で距離を取られて、満を辞して奥の手を切る、と。

……単なるその場その場での思い付きとは違う。

完全にデザインされた流れに、まんまと乗せられてしまった自分が不甲斐ない。

 

 

「くそっ。そろそろ紙一重じゃ済まなくなって来たな……っと、あぶなっ!」

 

 

泣き言すら遮る働き者な稲妻に、疲労か稲光か、軽く目の奥がチカチカとすらしてきた。

正真正銘の鉄壁、その仕組みやシステムがどーなってんのとかは、この際深く考えたって仕方ないとして。

何でも良いから突破口を掴まないと、良い加減、俺自身が持たない。

 

もう、リスクとか甘いことを考えれる段階は過ぎてるか。

こっちのミスとはいえ、このまま好き放題されて無様に敗退ってのは受け入れ難いし。

 

……それに。

 

 

『うぅうぅうぁぁ!!! もうっ、ナガレー! なんとかなさーい!!』

 

 

本日二度目となるセコンドからの励まし。

まぁお嬢のことだから、こいつだけには負けてくれるなって感じのニュアンスであり、励ましっていうより『何としてでも勝て』って意味合いが大体を占めてるんだろうけども。

 

 

「………………はいよ、お嬢」

 

 

紛いなりにも美少女からの声援だし、応えてやらないと男が廃るということで。

つい綻んだ頬を引き締めて、陽光に煌めく潔癖な要塞を決意と共に睨み付ける。

 

 

(……極めて不利な状況。だとしても、まだ手はある!)

 

 

虎穴に入らずんば、虎児を得ず。

メリーさんばかりに無理を強いるのにも抵抗はあるが、もう手段を選んではいられない。

 

 

「出し惜しみは無しだ……! メリーさん!! 『保有技能』を!」

 

「えっ…………──っ、うん!! わかった! やってみる!」

 

『むむ! ついにナガレ選手、反撃の狼煙をあげるのかー?! メリーさんと何やら意味深なやり取りを交わされました!』

 

 

劣勢を、ひっくり返す。

 

その為の鍵になるのは、勿論俺の相棒メリーさんの能力が必要不可欠だ。

檄にも似た俺の指示を、彼女は初めこそ驚いてはいたが、次第に柔らかそうな頬を自信満々に吊り上げていく。

 

フワリとスカートを翻した可憐な相棒は、日輪にギラつく銀鋏を鳥の片翼みたく背に流しながら──疾風の如く駆け出した。

 

 

『っ、メリーさんはまたもや突貫! しかし、このままではさっきまでと何も変わらない結果になってしまいそうですが!』

 

 

(端から見れば、そうだろう。でも)

 

 

しつこい雷撃のアプローチをまた一つ袖にしながら、託した希望の行き着く先を見届ける。

或いは、観客のなかには馬鹿の一つ覚えだと、『なぜ魔法を使わないんだ』と、実にごもっともな声もちらほら聞こえて来るが。

 

マルスの盾を瞳と喩えた巨大な『一ツ目』に、疾走するメリーさんの速度は、事情を知らない観衆達の嘆息すら振り切るように加速していき。

 

そして。

 

 

『……へ?』

 

 

拡声ロッドが淀みなく拾い上げた、ハイテンションレディの動揺も狼狽も抜け落ちた、呆然としたソプラノ。

けれども彼女の"素の声"が、まさしく闘技場の空気をきっちりと代弁していた事は、この水を打ったような静けさが何よりの証明だろう。

 

 

……まぁ、そりゃ驚くか。

 

 

『……メリーさんが……き、消えちゃ……った?』

 

 

シルバードームに向かって全力疾走してたメリーさんが、あわやゴールと衝突するかの瀬戸際。

小柄な体躯と銀挟のシルエットが、急に光の粒子に移り変わったと思った時には、まるで幻みたく──姿を消してしまったのだから。

 

 

『こ、これは何かしらのアクシデント?! それとも、これこそが反撃の狼煙を意味するのでしょうか?!』

 

 

事態の推移を掴めない会場内に、どんどん積み重なっていくざわめき。

 

ミリアムさんの疑問の前者と後者、果たしてどちらが正しいのかと問われれば、勿論、後者だ。

そもそも、メリーさんは別に居なくなってしまった訳じゃない。

 

メリーさんの保有する技能、【依存少女】。

 

ポルターガイストさながらに物体への憑依を可能とする特殊能力、これを使ってあのシルバードームの一枚に──"取り憑いて"貰った、というのがメリーさん消失現象の正体といったところか。

 

まぁ、そんな種明かしをしてみたって、この世界の住人にすんなりと理解出来るモノでもないだろうし。

むしろ今重要なのは、この能力の欠点。

 

 

例えば俺のスマホみたいに、メリーさんにとって『居心地の良い物体』であれば、電話やメール、最近ではアプリの起動といった操作すら出来るトンデモな能力であるけれども。

逆に、相性の悪い物体だと操作も満足に出来ず、それどころか憑依出来る時間も極端に短くなるらしい。

 

もし、取り憑いたあの金属との相性が良いのなら……あのドームを憑依操作によって崩す事も出来ただろうが。

 

 

「ぐっ……」

 

『あ、あれ? なにやらナガレ選手の顔色が……や、やっぱりアクシデントなのでしょうか?!』

 

(う、ぐ……なんだこの、えっぐいくらいの不快感……ダメだ、相性かなり悪いっぽい。くそ、やっぱりそう簡単にはいかないか)

 

 

リンク越しにも伝わってきた、黒板を爪で引っ掻いた音を聴かされてるようなとてつもない不快感に思わず目眩がして、ぐらりと視界が傾くのをなんとか堪える。

きっと直接取り憑いてるメリーさんの方がしんどいはずだ、このくらいで音を上げてたまるか。

 

 

(取り憑いてから内部にメリーさんを侵入させるのも、無理か。マルスの防衛魔法が膜になってて侵入を阻んでる……でも──)

 

 

それに、例え操作出来なかったとしても、まだ、諦めるには早い。

 

メリーさんの奥の手を行使した、その『本当の狙い』は────シルバードームの内側がどうなっているのか、という情報を握る為。

もっと言えば、マルス・イェンサークルが引きこもってからの一連の中で、俺が行き当たった、あるひとつの"仮説"に対する答え合わせの為だった。

 

そして、その結果は。

 

 

 

 

「……──、────掴んだ」

 

 

 

 

試合開始からずっと、相手のペースに乗せられっ放しだった第二回戦。

散々に苦しめられた、一分の隙間も見当たらない強固な銀の要塞を打ち崩す為の鍵は、今。

 

 

不確かながらも、この手の中に。

 

 

 

 

 



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Tales 55【クラックガール】

冷たい銀の六角形同士を繋ぐ、その空間を形成する為に必要な血脈ともいえる、紫閃光の仄かな明かり。

パチパチと、ノイズを挙げるドームの内側で、右腕に古びた槍を抱えていたマルスは、実に訝しげに眉を潜めた。

 

 

「精霊のお嬢ちゃんが、消えた……? チッ、こいつは……向こう側のトラブルか、それとも誘いか。『未知の力』ってやつはこれだから怖いぜ全く。ま……それについちゃお互い様か」

 

 

おどけた様に肩をすくめてはいるものの、呟かれた声色は今までの印象とは違い、決して調子を外してはいない。

それどころか、冷俐さを纏って細まる紅茶色の瞳は、平穏の中では決して育たない気配を宿している。

 

 

左手に持った『単眼望遠鏡』を覗いた彼の鋭い視線が射抜くのは、ドームを形成するシルバープレート達とは違う唯一の異物。

外部からは大きな眼球の瞳とも映る、ナガレには亀の甲羅の様だと評された、マルスの盾の裏。

 

だが、大きな眼球の瞳というのは決して比喩ではない。

何故なら、盾の甲羅紋様の"たった一部分だけ"──外部の様子が透けて見える、いわゆるマジックミラーとなっていたのだから。

 

 

「どうせ覗くんなら野郎じゃなくて見目麗しいレディの水浴びシーンとかにさせて欲しいぜ……」

 

 

つまるところマルスは、この狭い視界から単眼望遠鏡を使い、マジックミラー越しにナガレの位置を把握していたのだ。

しかし辟易と吐き捨てるマルスとしては、自ら好き好んで特殊戦法を行っている訳ではなかった。

 

 

「防衛魔法『イージス』ねぇ……」

 

 

(力押し相手にゃ確かに有効かも知れねぇが、長期的な維持が難しいわ、そのせいで攻め手に割く魔力が限られちまうわ。挙げ句、視界確保はアナログで面倒臭いと……色々と欠点が多すぎんだろ。『研究室』の変態ヤロー共……信民達から散々お布施やら寄付やら絞り取ってやがるんだから、せめてもっとまともなの作りやがれってんだ……)

 

 

「────ん?」

 

 

恨み言のように、この戦術を試させている者共への侮蔑を募らせていたマルスの動きが、ピタリと止まる。

 

 

「……」

 

 

望遠鏡のプリズムの中心で、メリーの姿が消失した途端に苦し気だったサザナミナガレの表情が、僅かな微笑みへと変わった。

諦めの笑みではない。

自棄になってるというのも違う。

 

なら、勝利への確信だというのか。

 

 

「……やれやれだ。Mr.ミステリアス君にはまだまだかくし球があると見える」

 

 

事実、大量のレアメタルを使用したこの守護領域には、マルスの言うとおり多くの欠陥があったのだろう。

 

シルバードームの展開と維持、更に攻撃魔法による魔力と意識を費やし続けねばならなかった彼は、蓄積した疲労により"ある違和感"を見落としてしまった。

 

壁に耳あり、障子に目あり。

意識の隙間をつくように、直ぐ傍に潜んだ怪異の影を──見落とした。

 

 

────

──

 

【クラックガール】

 

──

────

 

 

そもそも疑問を持つべきだった。

蟻一匹分の隙間すら見当たらないシルバードームの中で引きこもったマルスが、どうしてああも正確に俺を攻撃する事が出来たのか。

此方からではあちらの様子を伺えない。でも視界を銀の壁に遮られているのは、あちらからしても同じはず。

 

となれば当然、マルスは何かしらの手段でもって、こっちの位置を把握する手段を持っているんだろう。

 

 

(マジックミラーと単眼望遠鏡、ね。精霊魔法使いにしちゃ、やけにアナログ……いや、ドームの維持と魔法攻撃にただでさえ魔力を食われてるから、索敵ぐらいはアナログにしなきゃならない──ってのが妥当か)

 

 

【憑依少女】によってプレートの表面に取り憑いて貰ってるメリーさんがリンク機能で伝えてくれた情報は、さながらマジックの種明かしを見せられている気分だった。

俄然優勢な向こう側も、なかなか難儀な事をしていたって事だろうか。

 

しかし、この情報は──非常に大きい。

劣勢を覆す。いや、それどころか上手くアレが再現(ハマ)れば……一気に決着が着く。

リスクは大きいが、今更そんなものに足を取られはしない。

俺もメリーさんも、この期に及んで慎重さを選べれるほど余裕もない。

 

 

賽はもうとっくに投げた。

なら後は、虎穴に入らずんば虎児を得ず──その『隙間』を作ろうか。

 

 

「────」

 

 

頭に描いた勝利への道筋を強く思い浮かべ、リンク機能でメリーさんに託す。

けれど、メリーさんの返答は──実にやる気がないというか、渋々、といった具合で。

 

それが、酷く居心地の悪い場所に取り憑いている事によるものか、メリーさんいわく新たなライバル出現に対する抵抗感によるものか。

 

……相棒の奮闘を労るには、今回はハニージュエルくらいじゃ足りそうにないかも。

 

 

◆◇◆

 

 

 

「……様子見は終わりって事か。ならっ」

 

 

組み立てた算段を実行に移すよりも、再び頭上に魔方陣が展開する方が早かった。

反射的に身を乗り出して、大きく前転しながら、腰のショートソードを抜き取る。

バックステップではなく、前転。

防戦一方から攻勢へ打ってでる、という意思表示。

 

 

『束の間の静寂を破ったのは、やはりマルス選手! ナガレ選手、メリーさんを欠いたまま勝利することが出来るのでしょうか?』

 

 

「そりゃ無理。だから──メリーさん!!」

 

 

保有技能【憑依少女】──解除。

 

 

「…………ふぅ。もう、ビリビリだし窮屈だしで、居心地最悪だったの。ナガレのすまふぉを見習って欲しいの」

 

『って、えぇ?! ドームの中からメリーさんが?! い、言ってるそばからメリーさん復活! メリーさん復活です!』

 

 

ショートソード片手にそのまま前へと駆け出せば、俺の動きに呼応して、保有技能を解除したメリーさんが"シルバードームの直ぐ側"に再び現出する。

愛らしい表情がもう二度と同じ真似はごめんだと訴えるように膨れている辺り、ほんの数十秒間とはいえ相当しんどかったらしい。

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

だからその分の不平不満は、物件の大家であるマルスにぶつけてもらおう。

 

 

「それじゃメリーさん、『マジックミラーをぶち抜いてやれ』!!」

 

「あいあいさー」

 

 

やけに間延びした返事とは裏腹に、その手に持った大鋏を携えて、俊敏にクルリと一転。

銀の凶刃が向けられた先は、大きな眼球(シルバードーム)()、そのまた一部の面。

いくらあの盾が相当に硬く作られていたとしても、マジックミラーとしてのギミックが施してあるのなら耐久度は当然、他より少しでも脆いはず。

 

 

「──っ、てやぁぁぁああ!!!!」

 

 

なら、その箇所(ウィークポイント)を一点集中したメリーさんが狙い穿てば、破れないはずがないだろう。

 

 

──バギィン!!

 

 

メリーさんが放った渾身の一撃が盾の一部を文字通り見事に突き破る。

引き抜くと同時に盾の紋様に、さながら猫の瞳みたいな、縦に割けた瞳孔の亀裂が出来上がっていた。

 

もはや盾としては落第も良いとこな有りさまだけども、それでもシルバードームを崩れさせるだけの一撃とはなりえなかった。

 

 

『強烈ぅぅぅ!!! こっちが真っ青になるくらいの、まさに乾坤一擲! しかし、恐るべき頑丈さ……マルス選手の盾は半壊こそしたものの、銀の壁は未だに健在、全体で見れば、僅かな亀裂が出来たに過ぎません! これはナガレ選手、万策尽きたかー?!』

 

 

「……本当ならメリーさん一人でなんとかしたかったけど」

 

「ホントお疲れ、後は俺に任せて。お休み、メリーさん……【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

だけどこの僅かな亀裂こそ、俺達が必死に手繰り寄せた勝機に他ならない。

 

あれやこれやと頼ってばっかりだったせいで、すっかり疲労困憊なメリーさん。

ドームの傍らで至極残念そうに佇んでいる相棒のお蔭で、その下ごしらえは全て整った。

 

 

「【プレスクリプション(お大事に)】」

 

 

なら後は、俺の役割だ。

 

 

「【非現実とは、不満や不安、恐怖の影から生まれるもの】」

 

 

精霊奏者もどきなどではなく、都市伝説の語り部として。

奇譚書を手に、物語る。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

『未知』というものが何故厄介とされるかの理由を述べるとするなら、時に易々と想定を凌駕してしまうからだと、マルス・イェンサークルは答えるだろう。

 

対峙する相手に何ができ、何が出来ないかを把握しているかどうか。

情報のアドバンテージが闘いの勝敗を左右する大きな要因である事を彼は無論承知していたし、現にこの二回戦ではその主導権を握り続け、優位を保ち続けていた。

 

闘いというものは、単に力がある方が強い、剣を上手く扱える方が強いという単純なモノではない。

たった一つの想定ミスで、目の前にある勝利を逃し、敗北の二文字を突き付けられる事だってある。

 

だからこそ、心理と真理を覆しかねない──『未知』というものは怖いのだ。

 

 

【非現実とは、不満や不安、恐怖の影から生まれるもの】

 

 

そして今、目の前で朗々と何かを謳う、夜の海空に似た青黒い瞳を持つ青年も、まさにその『未知』と呼べる者だった。

"どういう訳か"、ギミックによって生まれた急所を的確に突かれたことで半壊した盾の残骸が、足元でカランと鳴る。

悪戯できまぐれな幸運の女神があちらに微笑んだ結果などでは、決してない。

 

だが、だとしたら自分くらいしか知らない盾の弱点を知る事が出来たというのか。

 

しかし──その未知を追及する以上に、優先すべきモノがこれから起きると、マルスの直感が囁いた。

ソレを見逃してはならないと伝う冷や汗に背を押される様に、彼らによって作られた亀裂越しに、マルスは『未知』を深く見据えた。

 

 

【海を挟んだ大陸での悲劇や恐慌、エトセトラ。這い寄るように訪れる、必ずしも訪れる夜を飾る為に。"彼女"もまたそうだった】

 

 

ナガレが使役していたメリーという少女が再び姿を消した事にざわめく会場中が、彼の一言目で自然と口を閉ざし、耳を澄ませる奇妙な空気。

 

昼間なのに夜が訪れている様な、神秘とするには少し遠い得体の知れなさ。

精霊魔法の詠唱とは違う。

まるで、どこにでもあるお伽噺を聴かせるような、不思議な声色だった。

 

 

【居るはずない。けれども気にしてしまう無意識が形作ってしまうのか】

 

 

きっと遮るのは容易いのに、唯一持ち得たその権利を、マルスは行使しなかった。

魅入ってた訳でもなく、遮るのを無粋とする戦士の矜持などでもない。

 

敢えて言うなら、好奇心。

 

 

【居るはずのない、鏡の向こう。窓の外。扉の上。寝台の下、目蓋の裏。あるいは、或いは──入れるはずのない、タンスと棚の小さな隙間、とか】

 

 

例えば、今こうしてミステリアスが語る、『些細な暗がりに潜む者』に、誰もが僅かなりとも抱いてしまうもの。

恐怖と、興味。

意外なことに共存出来てしまう感情に、マルス・イェンサークルもまた心を傾けてしまったから。

 

 

「なぁ、マルス」

 

 

その心理の隙間を縫うようにサザナミナガレは、奇譚書とは異なる、もう一方の手に握っていたショートソードを、高くへと放り投げた。

クルクルと放物線を描くように空中へと放たれた剣の行方を、狭い亀裂の中から目で追う事は出来ない。

 

 

【その隙間から、覗いているのは誰でしょう】

 

 

問いかけの様で、問いになっていない、締めくくり。

深海の底からコポリと浮き上がる泡のような寒気が、マルスの背を撫でる。

 

ミステリアスの紡いだ与太話は、結局何を意味しているのか。

明かされない未知を少しでも暴こうと口を開いた、その瞬間だった。

 

 

「!」

 

 

不気味な静けさに包まれた空気を裂くかの様な、ショートソードとシルバードームとの鋭い衝突音が、マルスの"頭上"に鳴り響く。

 

ガランガランと荒っぽく転がる鋼鉄の悲鳴に誘われてふとマルスが真上へと視線を向けたのと同時に。

無機質な悲鳴とは違う、確かな温度がこもった囁きが彼の鼓膜をスルリと撫でた。

 

 

「【World Holic(ワールドホリック)】」

 

 

だから、マルス・イェンサークルは再び視線を戻す。

 

目的の見えないナガレの奇異な行動に、果たしてどういう意味があるのか。

沸き立った好奇心に従った結末に、果たして何があるのか。

 

 

それを、確認しようと。

見届けようと────するまでもなく。

 

 

異変は直ぐ、そこに居た。

ナガレの謳っていた怪異譚そのものを体現するかの様に、彼女はそこに居た。

 

 

 

「……は?」

 

 

 

元の色彩が黒なのだと見間違うほどに煤色にくすみ、手入れの三文字とは生来無縁だったと分かるほどに所々ほつれている、ダークブラウンの長髪。

痩せた頬と病人みたく青白い肌、黒のインクで塗り潰したかの様な目元の(クマ)は健常者とは程遠い。

 

そんな、陰気さをこれでもかと纏っている彼女の、洞窟の奥底みたく深々と、黒々とした瞳に『真っ正面』から睨み付けられていて。

 

 

「────なんだそりゃ」

 

 

そう、真っ正面。

凡そ人間が入り込めるはずもない、シルバードームの亀裂の中に埋まるようにして、彼女は居る。

顔と、伸び過ぎてかぎ爪みたくねじ曲がった爪を蓄えた両手を、そのわずかな隙間から覗かせていて。

 

まだ、それだけならまだ、どうとでも解釈出来ただろうに。

 

 

「おい、おい……嘘だろ」

 

 

さも当たり前の様に。その少女はするりするりと亀裂から身体を滑らせて、茫然とするマルスの目前へと這い出て来てしまったから。

 

もう、理解するしかなかった。

目の前に這い出た少女は、常軌を逸した存在だと。

 

 

「二体目の精霊召喚……ははは、この土壇場でかよ…………"してやられたぜ"、ミステリアス君」

 

 

常識は、からくも脆く崩れ去る。

積み重なる理解不能に、青に冷えていく思考が最後に残せたのは。

 

口端を歪ませながら腕を振りかぶる彼女の、どこまでも陰気を纏った暗い笑みだった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

考えても見れば、策と呼べるほどにしっかりした筋道なんかじゃなかった。

噛み合った幸運が一つでも欠けてれば、目の前で音立てて崩れていくドームはまだ健在だっただろうし。

 

 

行き当たりばったり、そう言われればそれまで。

けど……まぁ今は、俺にしちゃ上出来だったと開き直ろう。

 

 

『ちょ、ちょっと……あれ? メリーさんが居なくなったと思ったらナガレ君が何か怖い話しだして、そしたらいきなり女の子が現れて、あれよあれよとドームの中に、吸い込まれて??

………………ってうわぁぁ今度はドームが崩れていくしぃぃい!? ど、どうしよう、全然実況追っ付かないよー!』

 

「あー……どうすっかな、これ」

 

 

だけども、肩の力を抜いてる俺とは裏腹にミリアムさん含めた聴衆の皆さん方は完全に混乱してらっしゃった。

 

 

「何だ?! 一体何が起きたってんだ?! 誰か説明してくれ!」

 

「俺にだって分からん!」

 

「あの痩せっぽっちの女は?! アイツが何かしたんじゃないか?!」

 

「いきなり現れたと思ったら、急にアレの中に吸い込まれちまって……」

 

「いや、むしろ自分から突っ込んで行ったようにも見えたけど……というか、どうやったらあんな狭い亀裂の中を」

 

「ママ、メリーさんどこー?」

 

「え? ええっとぉ……疲れて帰っちゃったんじゃないかしら?」

 

「そんなー」

 

 

えー、うん、ですよね。

端から見たら何がなにやらさっぱりな摩訶不思議のオンパレードだったろうし、その結果があれだけ厄介だったシルバードームの崩壊。

その経緯をはっきり理解出来てるのはきっと、コロシアム内で俺だけなのは間違いない。

 

しかし、どれだけ過程がハッキリしなくとも、結果というヤツは自ずと姿を見せてしまうもので。

ガタンガタンとドームが崩れた拍子に巻き起こった激しい土煙が、やがて晴れたなら。

 

そこには昏倒してるマルスと、俺の再現した新たな都市伝説の姿が────って、あれ?

 

 

『あ、アレは……ご覧下さい! ドームの残骸の中からマルス選手の姿……ってあれ、マルス選手、倒れちゃってます? し、しかもなんかボロボロになっちゃってるし。というかその隣に居るのは、先程の謎の少女でしょうか?!』

 

 

なんか、様子がおかしい。

引っ掻き傷やらタンコブやらで大惨事になってるマルス……は、もうこの際良いとして、その隣。

 

薄い白絹を一枚だけ羽織るという色々際どい格好してる、俺と同じくらいの年齢の女の人が、再現した都市伝説であるのは間違いない。

しかし何故か彼女は、身を縮こませながら座り込んでいた。

 

 

(と、とりあえず、声かけに行こうか)

 

 

なんでだろ、と疑問を抱えながらも慌ててすぐ側まで駆け寄ってみれば……何やらブツブツと呪詛めいたうめき声が鼓膜にスルリと入り込んで来て。

 

 

「ううぅ……直射日光うざいし眩しいし真っ昼間だからってギンギラギンに輝きやがって……やめてやめろし太陽ほんと帰って雲仕事しろ……これ以上私日光消毒すんなしぃ……」

 

「………………」

 

「そしてなに此処、なにこの人の数……みんなしてこっちガン見すんなしマジワロえない……やめてやめろし集団恐い視線の暴力恐いしぃぃ」

 

 

……なにこれ。

あれ、なんか思ってたんとちゃう。

 

いやいやいや。

確かに、彼女の名前やらエピソードやらから鑑みれば、太陽と相性が良くないってのは分からなくもないけど。

見てるこっちが憐れんでしまうレベルで怯えてんのはどういう事だよ。

なにこのダウナー系の極地みたいなひと。ってか視線恐いってなに。

 

 

「あのー……【隙間女】さん? もしもーし」

 

「なんでなんだしなんなんだしぃ……どいつもこいつも私みたいな日陰女を虐めて何がたのし……──? えっ? えっ?! ぁ……ぁ、あぁ、貴方は、私を喚んだ……」

 

「そうだけど。あの、大丈夫?」

 

「だ、だだいじょじょ、大、丈夫……」

 

「(全然大丈夫そうに見えない)」

 

 

いざ声をかけてみれば、今度はダラダラと汗を流しながら目を白黒させている姿は、どう見ても大丈夫じゃなかった。

 

ただでさえ青白い肌が余計に具合の悪い色に冷めていってる。

しかも、間の悪いタイミングで現状を把握しにレフェリーまでやって来てしまって。

 

 

「あ、あの……失礼、ナガレ選手。そちらの方は……」

 

「ひぃッ──」

 

「え、のわッ!」

 

「!?」

 

 

──状況は、もっと訳の分からない事になってしまった。

 

端的にいえば、レフェリーの存在に驚いた隙間女が、その視線から逃れようと……俺のシャツを下から捲って、"頭を突っ込んだ"。

いや、うん、それだけならまだギリギリ羞恥プレイって事で話は着いたんだろうけど。

 

問題は、彼女がそのまま、俺の肌とシャツの『隙間』にスルスルと姿を滑り込ませてしまったのだ、"全身"ごと。

 

そう、"全身"。

頭から、足まで。お嬢ぐらいある背丈がすっぽりと。

つまりそれは彼女こと【隙間女】の持つ、『隙間に潜む』という能力に依るものなんだろう。

 

けど、んなもん俺はともかく、レフェリーからすれば真っ昼間におきた怪奇現象以外のナニモノでもなく。

 

 

「は、ハハ……せ、精霊って、凄いんデスネ」

 

「え……はぁ……」

 

「なる、ホド。成る程。分かりました」

 

「さ、さいですか(うわぁ……レフェリーの顔が真っ青に……)」

 

 

けど、んなもん俺はともかく、レフェリーからすれば真っ昼間におきた怪奇現象以外のナニモノでもない。

 

非常識な現象を前に、明らかに脳がキャパシティオーバーを起こしている。

不健康そうな汗を流しながら、まるで現実逃避をするかの様に視線をさ迷わせた彼の視線は、完全に意識を失っているであろうマルスの元でピタリと止まり、そして。

 

 

「ま……マルス選手、戦闘不能確認!!! 勝者──サザナミ・ナガレ選手!」

 

 

例え人生最大級のミステリーを前にしても、自らの仕事を全うするこのレフェリーこそ、プロフェッショナルってヤツなのかも知れない。

 

若干ヤケクソっぽいけど。

ともかく……ともかく、だ。

 

 

『えぇっと……正直、もうミリアムさんも何がなにやらさっぱりなんですが……とーもーかーく!! とにもかくにも、です!! 荒れに荒れた二回戦第一試合、混迷の中で勝ち星を挙げたのはぁぁぁ!!!!』

 

 

勝ちは、勝ちだ。

体力とかもうギリギリもいいとこ。

それでも、勝った。次に繋げれた。

 

ならもう、今は余計な事は後に回して。

 

 

『噂のMr.ミステリアスこと────サザナミ・ナガレ選手だぁぁぁぁぁぁ!!!!』

 

 

黙って、とりあえず拳を突き上げよう。

 

 

 

「太陽こわい視線こわい日光こわい集団こわい日中きらい屋外嫌いぃぃ……」

 

 

「……」

 

 

シャツの隙間からさめざめと囁いている、陰気MAXな彼女の存在を、今だけは後回しにして。

 

 

 



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Tales 56【隙間女】

「それで、調子は?」

 

「んー……どうにも、直ぐには動けそうにないね」

 

「そう。そうね。アレだけ立ち回れば、身体の方が悲鳴をあげてしまうのも、無理ないわね」

 

「……そんなしおらしい顔されると調子狂う」

 

「……ついでにその減らず口も減らせれば、回復も早くなると思うけれど?」

 

「さすが」

 

 

 三度目ともなれば、そろそろ見慣れて来そうな選手控え室のベッドは、訪問回数に応じて固さが和らいでくれる、なんて便利な特典があるはずもない。

 現にこうして腰かけてるだけで、ギシッと重い音がするくらい。

 代わりに、入室してからずっとお堅い表情をほぐす事で、溜飲を下げてやる。

 

 聞き慣れた溜め息と共に、セリアから手渡されたグラスの、並々注がれた水の冷たさが心地良い。

 そんな些細な好感が、ある意味、自分の身体の疲れ具合を如実に物語っていた。

 

 

「にしても……"逆転劇扱い"か。観客置いてけぼりな試合内容だったんだし、疑惑の勝者扱いされても仕方ないって思ってたけど」

 

「全員が全員、という訳ではないけれどね。貴方について訝んでる人だって、居るには居る。でも、それ以上に……この闘魔祭が、国民にとって娯楽として受け入れられている、というのが大きいんだと思うわ」

 

「名前の通り、お祭り感覚ってことか」

 

「えぇ。乱暴な言い方をすれば、盛り上がれば細かい事は気にしない……ってことかしら。ミリアムの様な賑やかなタイプの人が実況者として選ばれてるのが、何よりの証ね」

 

「……なるほど」

 

 

 他にやりようがなかったとはいえ、観客置いてけぼりな試合内容、場合によっては白眼視されるのも覚悟していた。

 それだけに、ふはーっと肺から送り出した息が、今は少し軽い。

 

 

「……さて、そろそろ戻るわ。ナナルゥの不機嫌が治まってると良いんだけれど」

 

「……ん? お嬢がどしたって?」

 

「『マルスに勝利したのはともかく、公衆の面前であんなにべったりとくっ付き合うなんて破廉恥にも程がある』……って、大変だったのよ。アムソンが上手くなだめてなければ、今頃この部屋も大荒れ模様だったでしょうね」

 

「……うっそぉ」

 

 

 試合が終わって以降、そういえば姿を見せてないなと思ってたが、まさかそんな事になっていたとは。

 

 破廉恥って、んなこと言われても、別にあれは俺の指示とかじゃないし。

 なんて説明してみたところで、頭に血が昇ったお嬢は聞く耳持ってくれないであろう事は、短い付き合いながらも充分把握出来ることで。

 

 げんなりと肩を落とした俺の様子が琴線に触れでもしたのか、頭の上の方からしっとりと笑う声がする。

 なに面白がってくれてんだか。

 

 

「貴方も観客席に戻るなら、頃合いを見計うべきなのかしらね」

 

「フン、お気遣いどうも。でも、それなら都合が良かったかもね」

 

「都合?」

 

「そそ」

 

 蒼い騎士の物珍しいからかい調子を続けさせまいと、そっぽを向いた先にあったのは、枕元に置かれたままの奇譚書、アーカイブ。

 

 

「新顔とのコミュニケーションは大事だろ?」

 

「……程ほどに、ね」

 

 

 オウム返しに頷いて答えながらも、ダークブラウンの装丁表紙を指先で撫でれば、いかにも納得したような相槌(あいづち)が返ってくる。

 

  くっちー再現時の記憶を思い返しでもしたのか、若干呆れたような溜め息混じりのセリアの忠告は、聞かない事にした。

 

 

 

────

──

 

【隙間女】

 

──

────

 

 

 さて、という訳で。

 

 対マルス戦にてキーパーソンを務めて貰ったかの都市伝説、【隙間女】。

 メリーさんやくっちー、もとい口裂け女に負けず劣らず都市伝説界の重鎮といっても過言ではない存在だろう。

 

 

『独り暮らしの学生が自室で不意に視線を感じて周囲を調べると、箪笥と壁の数ミリの隙間に立つ女がじっとこちらを見つめていた』という内容が典型例だが、類話や派生談も非常に多い。

 

 さらにルーツは遡ること江戸時代。

 将軍の賛美から病気の治療法、果ては同僚の怪異譚まで幅広くを書き記したというあの【耳嚢(みみぶくろ)】に、既に源流とされてる話が登場してるくらいだ。

 

 隙間に潜むという、名は体を表す、をこれ以上となく体現してる存在ともいえる。

 改めて説明するまでもない、国内有数の知名度をお持ちの御方。

 俺からすれば、サイン欲しいどころか、もういっそ油性ペンで身体に直接書いて下さいってレベルなんだけど。

 

 なんですけど……うん。

 

 

「あぁ……狭くて暗い、日光のない屋内は最高だしぃ……ベッドの下の湿った匂い、埃っぽい石の床ぁ……ジメジメはやっぱり正義。私のジャスティス…………はふぅ」

 

 

 呼び出すや否や、悲鳴をあげながら俺の座るベッドの反対側に設置されてるベッドの下へと逃げ込み、なんか気付いたらこんな有り様。

 妙に艶っぽい吐息をこぼしながら、砂埃が付くのもお構いなしに床に頬擦りしてる彼女の姿は、まるで陽射しの強い夏の日に車の下でゴロゴロと寝転がる猫そのものと言っても良い。

 

 ただ、いかんせん彼女が纏ってるのが薄い白絹一枚という非常に頼りないモノであるから、色々と際どい。

 足元とか、太腿まで露になってるし。

 まぁ、実際のところは彼女自体が痩せがちなせいで、色気を感じる以前に健康面が心配になってくるというオチなんだが。

 

 

 問題はそこじゃない。

 

 

「あの、ハッスルしてるとこ悪いんだけど」

 

「ひゃ、ひゃい!?!? な、な、なんだし……いきなり声かけないで欲しいし……」

 

「悪い悪い。で、その……隙間、女? で、良いんだよな?」

 

「は、はぁ? いっ、良いもなにも……私を喚んだのは他でもない貴方だしぃ……ななな何か問題でも?!」

 

「や、問題っていうかね……」

 

 

 分かってる。

 声をかけた途端に至福の表情から一転、こっちが戸惑うくらいに挙動不審になってるこの子が、他でもないあの隙間女ってのは間違いない。

 

 

「な、なによ……じ、ジロジロ見てくんなしぃ……」

 

「……なんで立場が逆転してんだか」

 

 

 でも、その確信を押し退けるほどに納得出来ない要素が……この異常なまでの『怯えっぷり』である。

 

  いや、違うだろうと。そうじゃないだろうと。

  そりゃ年頃の女性が異性にジロジロ見られて落ち着かないってのは、世の摂理に添ってると言えるけど。

 

 

「あー……なに。恥ずかしい訳?」

 

「ち、違うし。にっ、苦手だけだし!」

 

「苦手って……」

 

 

 あんた隙間女でしょうが。

 むしろ見る側だろ、穴空くほどガン見する方だろ。

 隙間女のエピソードの肝ってそこじゃんか。

 

 

「日光とか集団監視が無理とかならまだ分かるけど、サシでも駄目って……」

 

「う、うぅぅ……に、苦手なモノは苦手なんだからしょうがないしぃ……」

 

 

 思わず口をついて出た呆れに傷付いたのか、ただでさえ濃い陰気をより暗くさせながら、隙間女が背を向ける。

 ベッドの下の陰りだけじゃなく、目の下のクマやら青白い肌も相まって、その内キノコすら生えて来そうなどんより具合。

 

 お嬢の癇癪が暴風なら、さしずめ彼女はシトシトと降り続ける長い雨。

 その陰鬱っぷりにこっちの気分まで沈んで来そうで、非常に居たたまれない。

 

 

「どうせ……どうせ、私はまともに人の顔を見てお喋りすら出来ない日陰女だし……ぐすっ、根暗だしキョドるし非リア充だし……ふ、ふふ、オワコン過ぎてマジワロエナイ」

 

「……」

 

 

 次第に背中を丸めながら、呪詛にも近い自虐を並べ始めた細いシルエット。

 やっぱりその姿は、思い描いていた隙間女とは大きくずれてはいるけれど……考えてみれば、今更過ぎる話だよな。

 

 割と人懐っこいメリーさんに、妖怪の方の鎌鼬であるナイン、どこかくたびれたOL臭がする口裂け女ことくっちー。

 今まで再現してきた都市伝説達は、プロットの枠外を飛び出すような、言ってしまえば『らしくない』面々ばかりだし。

 

(……俺の『贅沢(ぜいたく)』を押し付けるなんて、みっともないよな)

 

 

 ふぅ、とついた息を区切りに、アーカイブを手に取る。

 慰め役は正直得意じゃないけど、んな事も言ってらんない。

 ベッドの横で体育座りなんて端から見れば変な行動をとりつつも、より一層自虐を濃くしていく背中に、そっと声をかけた。

 

 

「ねぇ、ちょっと良い?」

 

「え……な、なんだし……今はちょっと、そっとしといて欲しいんだし……」

 

「いや、そうもいかないって。あんたにそんなに自虐されると、あんたに窮地を救われた俺の立つ瀬がなくなるっていうか」

 

「は、はぁ? いぃ、いきなり何の話だし……」

 

 

 突拍子もない切り出し方に動揺したのか、どもりがちな声が明らかな戸惑いを滲ませる。

 ごもっともな反応だけど、だからと言って会話を打ち切るつもりは当然なし。

 

 

「だって最後に隙間女がマルスを何とかしてくれなかったら、まず間違いなく負けてたし」

 

「……う」

 

「実際、かなりギリギリだったし。あんたを再現した時にはもうほとんど体力残ってなかったしー? そうなりゃメリーさんの頑張りも無駄になるとこだったしー?」

 

「うぅ……ひ、ひとの口癖っ! まっ、ま、真似すんなし!」

 

 

 肉付きの薄い背中が居心地悪そうにモゾモゾと動くさまはいとおかし。

 その反応は今までの怯えや怖がり方とは違って、純粋に恥ずかしがってる様で、何だか小動物的な仕草と言えなくもない。

 なんか、変な所で愛嬌があるな、隙間女。

 でも、とりあえずからかうのはここまでにして。

 

 

「ま、ともかく。根暗だろーがキョドろーが、首の皮一枚繋げれたのは……他でもない、隙間女のおかげな訳」

 

「にぇっ?! そ、そんなこと……」

 

「そんなことあんの。だから……そう、あんまり自分を卑下しないでやってくんないかな。無理にとまでは言わないけど」

 

「……」

 

「それと、言い損ねたけど────ホントありがとう。力貸してくれて」

 

「……、──」

 

 

 届いた、だろうか。

 自分でも幼稚な慰め方というか、下手くそな感謝の仕方だとつくづく思うけど。

 もっとスマートに伝えれれば良いんだけれども、理想を形にするには人生経験がまだまだ足りない。

 

 

 たっぷり一分、二分の静寂。

 いや、静寂というには少し雑音も混じってる。

 主に、あーとかうーとか唸ったりモゾモゾしてる細い背中が発生源。

 

 しかし、黙ってその背中を見つめることもう少し。

 砂時計をひっくり返すまでには、あとちょっとの頃合いのところで、ついに。

 

 

「……、────ふぁい」

 

 

 気の抜けそうな返事と共に、うつ伏せになりながらもこっちを向いてくれはじめた顔に、ひとまず胸を撫で下ろした。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 かくして新顔たる隙間女との交流は一段落を迎えた訳だけど、となるとやっぱりあのイベントも先に済ませておくべきだろう。

 

 

「隙間……すっきー、は被るし。変化球気味にすまのん……はなんかゆるキャラっぽいし」

 

「……あ、あの、さっきからなにブツブツ言ってるんだし。すっきーとかすまのん、って……」

 

「ん? ニックネーム決めとこうかなって。『隙間女』ってそのまま呼ぶと、またお嬢がうるさいだろうし」

 

「にっ、にっくねーむ!? わ、わわ、わたしに、そんなリア充イベント、じゅ、十年早いんだし!」

 

 

 自分に対して十年早いって、また新しい使い方だな。

 しかし、十年早かろうが百年早かろうが、どうせあのお嬢の前に引っ張り出せば光陰矢の如しな事になるんだから、遅かれ早かれの問題に過ぎない。

 

 ワタワタと焦り出す隙間女を生暖かく見守りつつ、あれでもないこれでもないと悩み続けること数分間。

 気付けば静かになってるベッドの下をチラッと一瞥すれば、緊張のあまり表情が強張ってる癖に、なんだかんだで期待に目を輝かせてる隙間女がこちらをじっと見つめてらっしゃって。

 

 

「……隙間女の(アイダ)をもじって、『エイダ』とか、どう?」

 

「!?」

 

「あ、微妙だった?」

 

「ゃ!……え……、……──」

 

 

 不思議なことに、すんなりと降って沸いた名前をそのまま伝えてみれば。

 なんか悶えるように床をゴロゴロと転がったり、口をパクパクと開閉したり、うつ伏せになってうーうー唸ったりしてみせたあと。

 

「…………え……えいだ、で良いし」

 

「……ん。宜しく、エイダ」

 

 

 ゆっくりと、顔を上げた。

 

 

「うへへ……」

 

 

 にへらっと緩みきった表情が、暗がりでもくっきり分かるくらいに真っ赤だったのを指摘するのは、野暮ってやつだろう。

 何はともあれ、これにて新顔となる隙間女こと『エイダ』との初交流は幕を下ろし────

 

 

 

「これから宜しく、エイダ」

 

「よ、よろしくだし………………ご、ご主人様」

 

 

 

「よしちょっと待とうか」

 

 

 



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Tales 57【仁義なき戦い】

 男にとって、いやさ一個の男子にとって──異性からご主人様~と恭しく呼ばれる事は、一度は抱く浪漫である。

 いわば健康で健全たる証なのだと、現世での悪友三人衆の黒一点、要リョージはそう言って憚らなかった。

 

 わかる。わかりみに溢れる。

 俺とリョージとで行ったメイド喫茶、結構盛り上がったもんな。

 

 

 だが、だがしかし。

 俺にとっての『浪漫そのもの』に、ご主人様と呼ばれて嬉しいかどうかは、また話が別。

 いってしまえば、都市伝説とは憧れや信仰を向ける対象であり、リョージのいう浪漫を求める相手じゃないのだ。

 という旨をエイダに伝え、ご主人様呼びを撤回させようと試みたところ……失敗しました。

 

『え、やだ……せっかくだし……』とのこと。

 いや何故だよ。なにが折角なんだよ。

 呼ばれる側ならともかく、呼ぶ側が頑なに譲らないってどういうこと。

 なんでなんでとエイダに理由を尋ねて見ても、打ち解ける前みたく背を向けるだけで、一向に撤回してはくれなかった。

 

 

……という事の顛末を、試合を観戦してたパーティーの皆々様に誠実に包み隠さず懇切丁寧に説明したんだけど。

 

「……そう。おめでとう」

 

 という、普段より十割増しに冷たいセリアの一言と。

 

「ほっほ。若々とした浪漫ですなぁ、ナガレ様」

 

 という、俺は分かってるぜ的なニュアンスをどっぷり注いだサムズアップで迎えるアムソンさん。

 こんなとこでリョージのソウルメイト足り得そうな人を見付けるとは。

 

 だが、いよいよ大トリの番となり、折角収まったであろう台風が再び吹き荒れるかと腹を括ってみた……んだけども。

 

 

「……喚びたてほやほやの新入りとさっそく主従関係を結ぶとは……むふ、むふふ。さーてーはー……この優雅で高貴な主人たるわたくしへのリスペクト、というワケですわね!」

 

「……はい?」

 

「ですがそれも仕方のないことですわね……なにせ。な・に・せ! こぉんなにもゴージャスかつ、可憐かつ、完っっ璧な存在が傍に居れば! 憧れのあまり形だけでも真似をしたいと思うのもごくごく当っ然の摂理!

あぁ、罪ですわぁ……わたくしったら罪な女ですわぁ!」

 

「…………」

 

 

 思わず絶句した。

 

 こう言っちゃなんだけど、俺の普段の振る舞いにお嬢へのリスペクトなんて微塵も感じられないだろうに。

 もしかしたら、自分の対戦手番がもう直ぐだからって緊張の余りこんな勘違いをしちゃったとか。それとも素なのか。

 どっちにしろ、もうね、流石お嬢としか言えない。

 

 お嬢のお嬢たるお嬢っぷりを存分に堪能させられ、もうなんでもいいやの精神がむくむくと育ち切った頃。

 第二回戦、剣のブロックの最後の試合を告げるアナウンスが高々と響き渡るのだった。

 

 

 

────

──

 

【仁義なき戦い】

 

──

────

 

 

『さぁさぁさぁ、興奮収まらぬ闘魔祭二回戦、魔のブロック第一試合!! まずは剣のコーナーよりご紹介致しますのは──泰山揺るがす巨身豪腕。一回戦にてその格闘センスを存分に発揮して下さいました、祭典に拳一つで臨むインファイター…………エドワード選手ッ!!』

 

「うぉぉぉぉおァァ!!!」

 

 

 黒椿の一員、セナト。

 魔女の弟子、トト。

 有力視されていた二人が予想を裏切らず勝ち抜き、折り返しを迎えた二回戦。

 コーナーポストに昇ったプロレスラーもかくやというほどの勇ましい咆哮に歓声が飛び交う中、客席最前列に並ぶ俺達の間に流れる空気もまた、ピリッと張りつめていた。

 

 

「フン、巨身豪腕だなんて大袈裟な。ただの筋肉だるまじゃないの、あれ」

 

「いやいや大袈裟って……遠目で見ても二メートルは軽く越えてんじゃん。腕も……なにあの筋肉。多分ワンパン食らったら一撃で意識持ってかれるでしょ」

 

「近付かれなければ良いだけの話でしょうが」

 

「簡単に言うねぇ」

 

「言っとくけど、あたしをあの"落ちこぼれ"やあんたみたいなエセ精霊奏者と同じ括りに考えないでよね」

 

 

 原因は言うまでもなく、俺の隣で刺々しい物言いを遠慮なく放ってくる、このエトエナというエルフである。

 現実離れしてる程に整った顔で胡散臭い霊媒師でも見てるかの様に睨み上げてくるもんだから、その圧力もより一層キツい。

 

 事実エセだし、エトエナみたいな精霊魔法使いからしたら悪い印象を持たれるのは仕方ないけども、だったらなんでわざわざ俺の隣に来るのか、これがさっぱり。

 反対側のセリアやアムソンさんの方に行けば良いのに。

 態度と反比例して背のちっさいこの金髪は、何故だか二人とは顔を合わせようとはしなかった。

 

 

『対するは魔のコーナーより!! やって来ました期待の星、その色んな意味でド派手な見た目故でしょうか、実力は未知数ながらも既に彼女の活躍を期待する方も多いことでしょう。光彩奪目の緑閃光──ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手!!』

 

「オーホッホッホッホッホ!! この『黄金風のナナルゥ』のデビュー戦……七転八倒、八面六臂の活躍で一生忘れれない試合にして差し上げますことよ!」

 

「気合入ってんなーお嬢」

 

「ほっほ、晴れ舞台でありますから」

 

 

 ミリアムさんの煽りに乗っかって、背を反らしてズビシッと高くを指さし宣誓するお嬢の弾け具合と言ったら。

 彼女の機嫌に比例するくらい周囲の歓声も大きいが、その多くを占めるのが歓喜する男達というのも、思わず苦笑を誘う。

 

 だが、お隣のエルフさんが誘われたのは苦笑とは別のものだったらしく、小振りな唇からは不似合いな鋭い舌打ちが俺の鼓膜に届いた。

 

 

「……チッ、何よアイツ。デカイ口叩いといて、ガッチガチに緊張してんじゃないの。不様ったらないわね」

 

「……え、緊張? お嬢が?」

 

「あの落ちこぼれが難しい言葉並べる時は大体そうでしょ」

 

「初耳なんだけど」

 

 

 アムソンさんに目線を向けてみれば、微笑ましそうに緩ませた彼の目尻の皺が、エトエナの言葉が正解である事を教えてくれた。

 思わず隣のセリアと目が合って、苦笑がちに肩をすくめ合ったのは必然だったかも知れない。

 

 

「はー……良く知ってんねぇ。お嬢の昔馴染みだって言うし……あれか、ツンデレ?」

 

「は? なによそれ」

 

「素直じゃないヤツの事。なんだかんだでお嬢の心配してんじゃないの?」

 

「…………、──!? ──ッ!!」

 

「いだっ!? ちょ、やめ痛っ! 悪かったって! ていうかそのサイドテール武器かよ!?」

 

 

 けれども、そこでアムソンさんがあえて指摘しない理由を考えないから、痛い目に合うんだろう。

 無言のまま髪を鞭みたく利用したエトエナの制裁は、照れ隠しなんて可愛げのあるもんじゃない。

 

 口は災いの元。

 総体で見れば、中には美少女に責められる事をご褒美と捉えるマイノリティな連中もいるらしいけれど、生憎と俺にはそんな趣味はなかった。

 

 

……"俺には"、なかったんだけどね。

 

 

 マイノリティ、つまりは少数派。

 それをあっさり引き当ててしまうお嬢は、ある意味で運が良い。

 

 幸運であるとは、試合の決着を見届けた後では、口が裂けても言えなかったけども。

 

 

◆◇◆

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーという少女にとって、『目立つ』という過程は避けて通れるはずもない道である。

 勝利する事自体、前提として置いておくべき事ではあるが、それは彼女にとってあくまで前提に過ぎない。

 

 勝利し、その上で観客の視線を釘付けにする様な華麗さ、優雅さを知らしめる。

 それが故郷フルヘイムを飛び出したナナルゥにとっての命題であった。

 勿論、彼女自身が目立ちたがり屋という側面も関係しているが。

 

だからこそ。

 

 

「──刮目しろ」

 

 

波乱を呼び込む先手を、よりにもよって相手に披露された時。

彼女の思考は、真っ白になった。

 

 

「そして、網膜と心に刻め。俺の、この────完成された肉体美を」

 

「…………は?」

 

『うおおおおっとぉ!? エドワード選手、開始早々いきなり外套を脱ぎ捨てましたぁぁ!! これは……一体何を狙っての行動でしょうか?!』

 

 

 脱いだ。

 それはもう堂々と、荒々しく。

 いわゆるカタギではないお方々が背中に住まう墨の絵を披露するかの様に、エドワードはその巨身に纏っていた灰色の外套をブワサッと脱いだ。

 レジェンディア上着脱ぎ捨て検定などあろうものなら、間違いなく段位ものの脱ぎ捨てっぷり。

 だが、彼の真意は更に上を行く。

 

 

『ちょ、挑発行為? い、いえ、これはっ……ご、ご覧下さい! エドワードの芸術的ともいえるバランスの筋肉。隅々にまで輝く光沢のボディと、どの方角からでも己が鍛え上げた矜持が映えるべく計算されたポージング……これはっっ! アピールッッ!! エドワード選手から我々に対する、アピールなのですっ!!』

 

「な、なんですって?!」

 

 

 そう、アピール。

 豪腕と巨身を活かして、研磨し築きあげた肉体美の完成度を、宣言通り大観衆の網膜と心へ焼き付けているのだ。

 つまり、観客の視線を釘付けにする為の行為に他ならない。

 何故だか鼻息の荒いミリアムの解説により我に帰ったナナルゥにとって、許してはならない狼藉である。

 

 

「この……わたくしよりも目立とうと言うんですの!」

 

「思うに。筋肉とは何よりも平等で、誰しもが手にする事の出来る、高みを目指す為の切符だ」

 

「ちょ、ちょっと! 聞いてますの?!」

 

「思うに。高み。即ち、飽くなき究極への挑戦。それはどれだけ己を追い詰め、虐め抜けるか。延々と山を登り続けるに等しい行為だ」

 

「無視すんなですわ!」

 

 

 なんたる意志の一方通行か。

 手に取ったステッキを遠巻きに振り回して声を張っても、盛り上がった上腕二等筋を愛おしげに見つめる彼に言葉は届かない。

 それはまるで、お前など認識するまでもない矮小なものだと挑発されているにも等しかった。

 

 

「くっ、詠唱破棄(スペルピリオド)……【天使の靴(スカイウォーカー)】!!」

 

 

 そんなことを、みすみす許しておけるはずもない。

 力強く唱えた魔法によって空を泳ぐ権利を得たナナルゥは、客席最前列ほどの高さまで舞い上がる。

 スポットライトの行き先を、奪い去る為に。

 

 

「オーホッホッホ!! どうですの、貴方が目指した高みとやらから見下ろされる気分は!」

 

「……」

 

『ナナルゥ選手、負けじと挑発返しだー! あえて風精霊魔法で高く飛んでからの高笑い、これは痛烈です! 未だ一合目も迎えていないのに、両者の間には既に熾烈な闘いが始まっております!』

 

「ハッ、馬鹿と煙は高いとこが好きって言うけどその通りね」

 

「ぬわんですって?! って、エトエナ!? あ、貴女なんでナガレ達と一緒に居ますの?」

 

「どこで何しようがアタシの勝手でしょうが」

 

『ちょ、ちょっとナナルゥ選手!? 試合中に客席との口論は控えてくださーい!』

 

 

 確かに精霊魔法によって観客のどよめきをさらう事には成功しても、飛んだ矢先がナガレ達が居る最前列というミラクルによって今ひとつ締まらない結果となる。

 今にも闘う相手が入れ替わりそうなほど、至近距離で睨み合うナナルゥとエトエナ。

 

 だが、それは本来の対戦相手からしてみれば、決定的な隙とも言えて。

 

 

「思うに……」

 

 

 醜い火花の散り様を呆れながら見ていたナガレの顔を、ふと影が覆う。

 そのシルエットは、あまりにも大きく。

 

 

「筋肉があれば、空とて飛べる!」

 

 

 巨人が、壁伝いに駆け上り、空を飛んでいた。

 

 

「なっ……」

 

「お嬢!」

 

 

 電光石火。躍動する豪腕は、さながら死神の鎌のように鋭く孤の軌道を刈る。

 軌道上の風すら、すり潰しかねない凶悪な右フック。当たれば、驚愕に染まる美しき顔が悲惨な未来を辿るのは目に見えるほどの。

 

 

「っ、んのっ、無礼者ッ」

 

「なにっ」

 

 

 だが、より多くの驚愕に染まったのは、強襲をしかけたエドワードの方だった。

 風切り音すら豪快な高速フックを咄嗟に身を屈めることで躱してみせたナナルゥは、そのまま気炎を吐きながら柔道の一本背負いの要領で、エドワードを放り投げてみせたのだ。

 

 

『か、カウンター! ナナルゥ選手、エドワード選手の強襲を見事なカウンターで返してみせました! じ、実に鮮やかです!』

 

「ふむ、お見事。ナガレ様の前で、姉弟子としての面目躍如といった所でしょうかな、お嬢様。そもそも油断しているという点は、置いておいて」

 

「ひ、一言余計ですわよアムソン。ですが……ふふん。今度は此方の番ですわ!!」

 

 

 上から下へと、振り下ろしたステッキの矛先は、片膝をついてナナルゥを見上げているエドワードを指し示す。

 つまりはここから攻守交代。有言実行を為すべく、彼女もまた詠唱短縮を用いて速攻を仕掛けた。

 

 

「詠唱短縮……お食らいなさい! 【エアスラッシュ(空咲く三日月)】!」

 

「──、──!」

 

 

 薄緑に煌めく、風の刃が巨漢へと迫る。

 間に合わない……訳ではなかった。

 しかし、紙一重。躱し切れるかどうかの瀬戸際。

 

 数巡の判断の末、下手に回避し損ねるリスクを背負うよりも、彼は、エドワードは、豪腕をクロスさせ──

 

 

「ぐ、うぉぉぉ!!!」

 

『う、受け止めたぁぁ?!』

 

 

 真っ正面から、受け止めた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「……思うに。筋肉とは、拳とは。鍛え上げた強靭なる肉体とは、魔法を超えうる万能にすら手が届くと……俺は、信じている」

 

「……!」

 

「信じているからこそ。俺は、この祭典へと乗り出した。至高を冠する為に必要なものは、剣の腕でも槍の腕でも、魔法でもない──筋肉だ」

 

 

 無傷、という訳ではない。

 その両腕ともはや岩石とも見間違うシックスパックには、風の刃を真っ正面から受け止めた証である、赤い痕が出来ていた。

 ダメージは、確かに与えたはず。

 しかし、泰山エドワードは、揺らぐことなく地に立っている。

 

 

『な、なぁぁんということでしょうか!! エドワード選手、エルフであるナナルゥ選手の魔法を真っ向から受けきりましたぁぁ!! とんでもないマッスル! 不可能を可能にするマッスルです!』

 

 

 エルフの魔法を真っ向から受けるなど、自殺行為に等しい。

 その誰もが知る前提知識があるだけに、威風堂々と君臨する彼の姿はあまりに雄々しく映り、けたたましい程の歓声があがった。

 

 

……しかし。

 

 

「そして、思うに……俺は、恵まれている────そう、ナナルゥ。お前の存在がそうだ」

 

「なっ……わ、わたくしが、何だと」

 

「ナナルゥ・グリーンセプテンバー。エルフの娘よ。貴様という好敵手に出逢えたお陰で、俺は、更なる高みへと昇り詰める事が出来る。より剛く、より厚く、より強靭である肉体を得る……その機会に恵まれたのだと。だから、さぁ────」

 

 

 しかし、そう、もう既に、ある意味で決着はついてしまったのかも知れない。

 ひたすらに至高を目指し、筋肉こそその高みへと到達する為の術だと信じて己が身体を鍛えあげたエドワードにとって。

 

 

「もう一発、打って来い」

 

「…………えっ」

 

「筋肉とは、自らを痛みつけることでより強さを増していく。ならばこそ、エルフである貴様の魔法を受け止めれば受け止めるほど、それだけ俺の筋肉はより至高へと近付く。思うに、これは常識だろう」

 

「……そ、そうなんですの?」

 

 

 勝利よりも、"トレーニング"の方が大事なのだと。

 筋肉を愛し過ぎたが故、脳味噌まで筋肉で出来てそうな男が弾き出した優先順位が、それだった。

 だからこそ彼は、会場の空気などそっちのけでワンモアを好敵手に求める。

 

 

「そうだとも。だから、もっと打って来い!」

 

「え、えっと……本当に打っていいんですの?」

 

「何を躊躇う! 思うに、お前もこの大会に挑んだ者ならば、より高みを目指す心はあるのだろう?! ならば、さぁ!」

 

「じゃ、じゃあ……詠唱短縮。【エアスラッシュ(も、もう一発)】……」

 

「っ──ぐ、ぬぅぅぅぅん!!」

 

 

 流石に多少遠慮がちにナナルゥが再び放ったエアスラッシュを、やはりエドワードは仁王立ちで受け止める。

 しかし、その雄々しき顔は苦痛に歪むと共に、どこか恍惚とした温度も浮かび上がっていた。

 

 

「くぅっ、この痛み……だが、まだだ! まだこの程度の蓄積では、至高の筋肉には育たない。もっと、もっとだ!!」

 

「で、でも……」

 

「もう一度言う! 何を、躊躇う。俺を痛め付けることを躊躇っているとでもいうのか? 馬鹿な。貴様とて、この大会に臨む戦士だろう。よもや、臆病風にでも吹かれたか!」

 

「んなっ、だ、誰が臆病風ですって?! この黄金風のナナルゥに向かって…………じょ、上等ですわ! 思う存分、わたくしの魔法を食らわせて差し上げますわよ!」

 

『こ、これは……プライドとプライドの──真剣勝負! エドワード選手は、たゆまぬ筋肉への矜持を。ナナルゥ選手は、エルフ故の矜持を。互いに譲れないプライドを賭けた、まさに試合という枠組みを越える、真剣勝負なのでしょう!!』

 

 

 いや、他所でやれよ。

 という、実に的確で冷静な感情を持ち合わせいる観衆が、過半数をいくかどうかの瀬戸際である事も、悲しい事実だったのかも知れない。

 それどころか、エドワードの至高を目指す心意気に感動し、声援を送る者も多かった。

 

 

「【エアスラッシュ(ぶっ飛びなさい)】!」

 

「んおぉ、なんのぉ!! まだまだぁ!」

 

 

 真剣勝負、なのだろう。少なくとも本人達にとって。

 そして、その光景はミリアム・ラブ・ラプソディーのマイノリティな趣向を大いに擽ってしまったのも、紛れもなく悲しい事実で。

 

 

「【エアスラッシュ(しぶといですわね)】!」

 

「ぬふぉぉ!! この痛み、この高揚感! 良い、良いぞ! 思うに、昂って来た!!」

 

 

 観衆の反応はまさに、十人十色。

 

 ある者はエドワードのタフさに心を惹かれ。

 ある者は魔法を放つと同時に大きく揺れるナナルゥの一部を凝視し。

 

 ある者は連れてきた我が子の目を隠し。

 また、彼女と縁の深いある者達は。

 

 

「あ、セリア。ここ、枝毛」

 

「……あら、本当ね」

 

「髪は女の命とも言いますし、手間はあれどケアは心掛けた方が宜しいですぞ」

 

「そうね、気を付けるわ」

 

「………………あほくさ」

 

 

 ナチュラルに、他人のふりに勤しんでいたという。

 これを薄情と呼ぶか、退席しなかっただけ有情と捉えるか。

 その解釈の差もまた各々、十人十色。

 

 

◆◇◆

 

 

 ちなみ、試合の行く末については。

 およそ三十にも及ぶ風の刃をしっかりと受け止めたエドワードが、実に満足そうな笑みを浮かべながら仰向けに倒れた事によって決着がついた。

 

 

「……お、思うに……これで、俺は。また、強く……ごふっ」

 

「ぜぇ……はぁっ……ふ、ふふふ、オーホッホッホッ!! わたくし、大ッ勝ッ利ぃですわぁ!!」

 

 

 仁義の欠片も見当たらない戦いの末に、すっかり茜色が差し込み始めた大空へと、誇らしげに高笑うナナルゥの姿は、ある意味で美しいものだったとか。

 

 

 



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Tales 58【メゾネの剣】

 思い違っても、すれ違いだけはさせないように袖を引く事が上手な人は、魅力的だという理屈は俺だって分かる。甘え上手ってそういう人なんだろうし。

 何だかほっとけないと、自然に思えてしまうのだ。

 

 だからこうして、勝ったのだから褒めてくれてもいいのよとチラチラと此方からの称賛を待ってるお嬢も、そういう枠組みの内に居るんだろう。

 試合内容がアレだっただけに、つい微妙な表情になりそうな所を踏ん張って、素直におめでとうと伝える事が出来た。

 

 

「むふふん。わたくしを労るには少々飾り付けが足りませんが、一応受け取っておきますわ」

 

「勝ちは勝ち、だものね。お疲れ様、ナナルゥ」

 

「ふふん。セリアの言うとおり、何事も勝てば良かろうなのですわ! さて、アムソン、紅茶を」

 

「ほっほ。祝杯ですな。畏まりました」

 

 

 安心した様に頬を緩めたのは、お嬢の中で帳尻が合ったからだろうか。

 プラスの言葉で、ようやくとんとん。ならばそれまで機嫌のシーソーはマイナスに傾いていたという事になる。

 

 

「勝ちは勝ち……そう、あのちんちくりんの戯れ言なんて……」

 

 俺達の元に凱旋してくるまではすっかり有頂天だった移ろいやすい機嫌値を、マイナスへと踏み抜いた張本人は、既にもう此処には居ない。

 

 

『たかだか一人を倒すのに、何回魔法を使ってんのよ。勝手にフルヘイムを飛び出して、その成果が"これ"? ハッ、馬鹿馬鹿しいったらないわね……結局は──』

 

『──ただの臆病風じゃないの』

 

 

 

 そう吐き捨てられた台詞に、凍り付いたように黙り込んだお嬢。

 鋭凶なナイフを胸に突き立てられたような、あの時のお嬢の横顔が鮮明に浮かんで、拭いきれない。

 暖かな紅茶ひとつじゃ取り戻し切れない動揺をまだ口元に滲ませて、彼女は闘技場の中心を見下ろす。

 

 

 仄かな陰りを含ませた紅い瞳が見つめる先で、空を焦がす茜色にシャンパンゴールドを靡かせて、泰然と佇むエトエナ。

 まるでお嬢の勝利など取るに足りないモノなのだと嘲笑うかの様に、彼女は微塵も苦戦する事なく──三回戦へと歩を進めた。

 

 

────

──

 

【メゾネの剣】

 

──

────

 

 

 

『闘魔祭初日も、遂に大詰めを迎えました二回戦魔ののブロック第四試合!! これにて本日の最後の試合となりますが、果たして有終の華は、一体どちらの手に渡るのでしょうか……!』

 

 

 激動の一日の締めくくりとなる最終試合が訪れたのは、赤黄色に焼けた空の彼方から、徐々に夜の瑠璃が指を伸ばし始めた頃だった。

 そこに至って、やっと今日を切り抜けれたって遅すぎる実感が沸いてきて、つい抜けたため息が落っこちる。

 しかし音として拾い上げられる事がなかったのは、俺たちの後方から歩み寄ってくる複数の足音のおかげだろう。

 

 

「お見事やったでぇ、諸君。ちゃーんと勝ち上がってくれたらしいなぁ」

 

「お疲れ様でした、ナナルゥさん、ナガレさん」

 

「みなさん、こんばんわ。ナガレさん、一回戦はどうもでした」

 

「あ、エースにジャックにピア……と。あれ、そっちの二人は」

 

「──キングだ。お初にお目にかかる、ってかぁ? こうして面合わせると、なかなか威勢の良さそうなガキどもじゃねぇかよ、クックッ」

 

「あら、あらら。そう脅かそうとしてはいけませんよ、キング。えぇ……となれば、そこの『ボク』が思ってる通り、私がクイーンという事なのでしょうね」

 

「……中々、食わせ者揃いであるようね」

 

「なっはっは、それはお互い様っちゅう奴やねセリアちゃん」

 

 

 エースとジャック、ピアニィはとりあえず馴染みがあるから置いておくとして。

目を惹くのは、彼らを除いたもう一組の、色んな意味で派手な格好や風貌の男女だった。

 

 まず、ファーつきのコートを直に羽織った、さっきお嬢が戦ったエドワードばりの巨漢。

 身体の至るところに無蔵尽に出来てる傷もそうだけど、何よりも薄いラウンドサングラスじゃ隠れ切れない瞳は獰猛で、百獣の王を彷彿とさせるくらいだ。

 キングという勲章は、もはや相応しいという他ないだろう。

 

 

 そして、残るは女性の方なんだけど、こっちはアレだ。格好からして奇抜過ぎる。

 スカート付きのヘソが見えるコルセットの上に、修道女が羽織ってる白いローブという、官能的と神聖さのタッグファッション。

 

 だというのに、艶のあるミドルボブと瞳の若草色も手伝って、ほんわかとした雰囲気を振り撒いてる。

 ただ、俺を指してボクと紡いだ瞬間に、クイーンの瞳が愉快気に光ったのが、なんとも奇妙な怖じ気を背筋に与えた。

 セリアの言う通り、第一印象だけでもただならぬ人達なのだと察せれるほどに、人格が濃い。

 特に──

 

 

「あら、あらら。困りました、エース。なんだか私、ナガレの坊やに警戒されているみたい。うふふ、うふふふ、是非もありませんね」

 

「なっはっは、子供扱いしといてよう言うわ。ま、めっちゃ絡みづらいやろうけど、気にせんでやったってや」

 

「ふふん。(キング)に、女王(クイーン)、ですのね。なかなか仰々しい称号かとは思いますけど、そのくらいじゃこの黄金風のナナルゥは怯みませんわよ!」

 

「ほっほ。肩が震えておりますぞ、お嬢様」

 

「アムソン!」

 

「おう、吹くじゃねぇか。威勢(イキ)が良い奴ぁ好きだぜ? ────凹ませ甲斐があってよォ」

 

「ひっ」

 

 

 クイーンの底知れない笑みに思わず一歩下がれば、今度は凄みを効かしたキングの狂暴性にあてられて、お嬢がいつぞやの謁見みたく俺を盾にした。

 賢老ヴィジスタさんといい、本当にお嬢ってば強面が苦手なんだから。

 と、対面のキングを見上げてみれば──迎えたのは、"冷たい眼差し"。

 

 

「……クックッ。だが、テメェはそうでもないらしいな、小僧?」

 

「……小僧じゃなくて、ナガレって呼んでくれない?」

 

「ほう、必死だねぇ。咄嗟に突っ張るか……だが、それでも"透けてんなぁ"、おい」

 

 

 生々とした歯茎と尖った白に、息を飲む。

 触れられてもいないのに、首を締め上げられるような窒息感。

 初対面の遠慮とか、そんなもんどこにもない。

 そんな社交の輪の中に、収まる男じゃないのは、見れば分かるけど。

 

 

「テメェのあの芸は大したもんだ。俺にはどういう理屈であんなワールドホリックとかいう奇妙な代物が扱えんのか、さっぱりだったぜ。だが、ククッ……テメェがそんな調子じゃあ"浮かばれねぇなぁ、あの娘っ子共"も」

 

「っ」

 

 

 今度こそ息が詰まる。王の眼光に、血の気が尻尾巻いて逃げてった。

 

 

「自覚がある上でなら、尚の事だ。なぁ、おい小僧。お前、どうして闘魔祭に出た?」

 

「え?」

 

「俺様達との交渉云々は抜きにして、だ。そこの女の為か? テメェの力を誇示する為か? テメェはどんな『欲』を叶える為に上手に振れもしねぇ剣を取ってやがんだ────なぁ、答えてみろよ、『ミステリアス』」

 

「────、……」

 

 

 いや、ちょっと待てよ。

 なんで、そうあっさりと『見透かして』くれんだよ。

 俺のこと殆ど知らないはずだろアンタ。

 なのになんで、核心をつくような言葉ばかりを並べれるのか。

 喉の通りを生唾のような気味悪い何かがつっかえる。言葉が出ない。反論が、音にならない。

 

 

『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』

 

 土曜精の橋で、セリアに告げたはずの意志。

 思い返せばあっさりと用意出来た的確な台詞は……何故か、音にする事が出来なかったのは。

 

 それさえも、『見透かされたら』と思ってしまったからなのか。

 

 

「はいはい、そこまでやキング。噛みつくんならそこらにある石柱にでもしときや」

 

「……チッ、『良いとこ』だったのによぉ」

 

「すいませんナガレさん。無神経なんですあの人。犬にでも噛まれたと思ってくれませんか?」

 

「ぁ、いや……」

 

 

 直感する。このキングって奴は、人の急所を的確に見抜き、正確に潰す……まさに、ハンターって奴なんだって。

 もしエースの制止がなかったら、暴かれていたのかも知れない。心の奥を。

 

 隠す事に手馴れただけ、意表をつかれれば脆い。

 急に足場を失ったような浮遊感に青ざめた俺の意識を取り戻したのは、甲高く響くミリアムさんのアナウンスと。

 

 

『以上、剣のコーナーよりネル・ティーニア選手の入場でした。精霊魔法の使い手である彼女と対するのは──一回戦にて、年若い身ながら豪快な剣捌きを披露して下さいました、フォルティ・メトロノーム選手!! 魔のコーナーより、入場でっす!!』

 

 

──本日最後の入場選手となる、フォルの背に負われた巨大な物質だった。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 目を見張る。夕陽に赤く染め上げられた舞台の上で立つ、顔見知りのあまりの変わり映えに。

 

 いや、正確にはフォルの服装だとかが変わったとかじゃない。

 ただひとつの存在感、フォルが高々と空へ掲げる『ソレ』は、余りに圧倒的な威容を放つ。

 

 

「……なに、アレ」

 

 

 ──それはまさしく、紅蓮の大きな翼だった。

 黄昏を従えてより紅赤と、刀身を狂色に輝かせる、厚く太く大柄な。

 聴いたこともない竜の咆哮すら耳に鳴りそうな、竜の翼を模した一塊(ひとかたまり)

 

 或いは、血染めの鉄塊。それとも、もしかして。

 

 

「剣よ。あれでも。貴方は、控え室に居たから観てなかったものね」

 

「け、剣なのアレ? うっそ……普通にフォルの身長よりデカいんだけど」

 

 

 推測は隣に並んだセリアによって、あっさり肯定されてしまった。

 鈍く重々しく紅に輝く、巨大な……まるで、竜の翼の様にも見える大きな剣。

 あんなものと、まともに打ち合える武器が果たして存在するのかと訝しんでしまうほど。

 

 というか、さ。

 一番の問題は、そこじゃなくて。

 明らかに大のおとなくらいはありそうなあの雄々しい大剣を、俺よりも背の低いアイツが。

 

 

「振れんの、あれ……」

 

「見てれば、分かるわ」

 

『さぁ、それでは行ってみまっしょう!! 二回戦第四試合、開始ィィィ!!!』

 

 

 百聞は一見に如かずと、俺の疑問に上書きするような開始の合図が、会場内に響き渡る。

 先手を打ったのは、フォルの対戦相手であるネルという名の女性だった。

 黒いマントをたなびかせた彼女が、湾刀状のナイフを構えながら口ずさむ。

 

 

「『光るは断頭』」

 

「ん、あれって……」

 

 

 ネルの唱えた手短な一文と同時に、フォルの頭上に展開された『魔法陣』と、コンロを回した時に鳴るようなカチチという『静かな雷鳴』。

 

 詠唱のフレーズに聞き覚えはなくとも、現象に見覚えはあり過ぎる。

 なにせ、二回戦にて散々アレに苦しめられたのだから。

 

 

「【迅雷(トール)】!」

 

 

 光ったのなら、後は墜ちる。

 記憶に深く焼き付いた雷光は、やはり迅い。

 けれどもフォルはそれ以上に速く、トールの落下地点から前へと離れていた。

 

 

『先制を仕掛けたのはネル選手、しかーし! フォルティ選手を捉えることは出来ません! あんな大剣を持ちながら、その動きはやはり俊敏です!』

 

 

 ミリアムさんの言うことももっともだ。

 あんなの、背負うだけで押し潰されそうだってのに。

 降り注ぐ雷雨の中を、過剰ともいえる装備のままフォルは突き進む。

 

 そしていよいよ肉薄まで後一息、と差し掛かったところで──ネルの瞳が爛と煌めいた。

 

 

(マルスと同じ──なら、"アレ"も?)

 

「かかったわね……キミ。詠唱破棄(スペルピリオド)……【紫電の遮断(ヴァイオレット・ドーム)】!!」

 

「……チッ、仕込みか」

 

『おおっとぉ! ネル選手、すわピンチかと思わせておきながら、抜け目ありません! これは二回戦にてマルス選手が使用した防衛魔法。ですが、雷の檻に閉じ込められたのはネル選手ではなく、フォルティ選手の方ですっ!!』

 

 

 想起した絵図は勝算に満ちたネルの笑みに肯定され、フォルの周囲から現出した紫雷の檻。

 自分を防衛する術ではなく、対象を鳥籠みたく閉じる術。

 

 

「『光るは断頭』」

 

 

 そんな応用もあるのかと舌を巻いていると、さらに笑みを深くしたネルが、戦術を完成させる一手を唱えた。

 

 

「……残念だったわね。これでお仕舞いよ」

 

「……ふん。寝言は──」

 

 

 閉じ込められた檻の中で、首を断つ雷光の陣が広がる。

 だが、王手をかけられている当のフォルの表情には、微塵も恐怖は浮かばない。

 それどころか、この瞬間を待ち望んでいたとでも言いたげに。

 

 

「【迅雷(トール)】」

 

「──寝て言え!」

 

 

 彼はその手にある紅蓮大剣を、目の前の檻に向けて勇猛に振るう。

 

 

『え──』

 

「……うそ」

 

 

 

 凶風巻き起こす竜の大翼は──紫電を容易く、食い破った。

 均衡すらなく、紙ひらのように。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「……振った」

 

「……そんな」

 

 

 ただ一振りの結果は一目瞭然で、まざまざと見せつけられた威力のあまりに口から落ちた感嘆。

 けれども隣に居たセリアの言葉は、俺の感情の色合いと似てはいても中身がどこか違って。

 

 

「見てれば分かるって、こういう事か。凄いな、アイツ」

 

「……えぇ、確かに。あれだけの大剣を振れる、というのは一回戦で私も驚かされたけれど……」

 

「……ん? どうしたのセリア。何か気になんの?」

 

「それは」

 

「ククッ、見間違いなんかじゃねぇぞ? あの剣は、"魔を喰らう"……そういうモンだってだけの話だ」

 

「キング……」

 

 

 食い違いが浮き彫りになる。

 俺はアレを振った事自体に驚かされた訳だけど、セリア、いや──会場内の騒然っぷりは、あんなにも呆気なく防衛魔法を破った事に驚いているんだろう。

 

 理解に拍車をかけるように、低く尖った声色が、スルリと俺達の間を通り抜けた。

 

 

「魔喰らいの剣。待って。それじゃあ、もしかしてアレは、『メゾネの剣』……!」

 

「おうよ」

 

「メゾネの……?(そういえば、一回戦でピアが言ってたな)」

 

「……旧時代の、ある英雄の逸話よ。旧時代よりもずっと昔から居た最強格の竜種、【紅い女王】を倒したと言われている、伝説の戦士の通り名が……」

 

「それが、メゾネの、剣。じゃあ、ピアとフォルは──」

 

「──はい。私とフォル……お兄ちゃんは、メゾネの剣と呼ばれた英雄の……『孫』なんです。ナガレさん」

 

「!」

 

 

 芯の通ったソプラノが、力強く空に溶ける。

 振り向いた先には、あの時の決意と矜持をその瞳に湛えたピアが静かに微笑みを浮かべていた。

 

 

「ねぇ、あの剣が翼の形をしているのって……」

 

「……はい。その、『紅い女王』の片翼を大剣にしたものが、アレなんです。"彼女を討った、そのなによりの証なんだ"、って」

 

「……色々と凄いお祖父さんだったんだな」

 

「そう……ですね。でも、それも『昔の話』だって、いつまでも古き者が大きな顔をするなって、くちさがなく言ってくる人も居まして」

 

「…………なんつー無神経な。ん、じゃあ、もしかして。二人が闘魔祭に参加した理由って」

 

 

 語られたのは、お伽噺のような英雄譚。

 誰もが目を輝かせる偉業を、けれどもどこか涙を堪えるように、ピアは紡ぐ。

 

 そこから先に辿り着いた仮定に、少女は優しく微笑むだけで。

 あぁ、そうか。だからあの時、あんなにも強い意思でもって、俺の前に立ったのか。

 

 

「──教えてやる。お前に、お前達に、この闘いを観ている全ての奴らに、俺が教えてやる!!」

 

 

 そして、もう一人。

 何よりも証明しなくてはならない誇りを示すべく、空に奥高くへと、大剣を掲げて咆哮する。

 

 

「【メゾネの剣】は──折れやしない!! 決してだ!」

 

 

 赤朱と染め上げられた彼の姿はまるで、大翼を有する紅い竜のようだった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 フォルは、フォル自身のために。

 

 ピアは、ピア自身のために。

 

 お嬢は、お嬢自身のために。

 

 

 

(……俺は)

 

 

『決着ゥゥゥ!!! 闘魔祭初日、最後に勝ち星を手にしたのはぁ、フォルティ・メトロノーム選手でぇぇぇす!!!』

 

 

 響き渡る終焉のアナウンスと、歓声と、その中心で息を切らしながら空を仰ぐシルエット。

 彼は自分で決めて、自分で選んで其処に立っている。

 それは俺もきっと同じだった。

 

 俺自身が決めて、俺自身が選んだ選択だったはずなのに。

 

 

『全く、ろくでもないのう。自分につく嘘ばっかり上手くなってどうするんじゃ……聞いとるのか、このバカモン』

 

(……爺ちゃん)

 

 

 祖父と孫。連れ立った思い出は、未だに古ぼける事もなく。

 皺だらけの癖に妙に力が強かった爺ちゃんの、まだ小学生だった頃の自分に投げ掛けた言葉を、鮮明に蘇らせてしまうから。

 夕焼けを抱き締めるように伸びた宵の紺碧が、どうしようもない懐旧を呼び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

闘魔祭初日、終了。



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Tales 59【再会】

「……ちょっと散歩してくる」

 

 

 真上に広がるキャンバスの赤黄色が、やがて紺碧へと変われば、肌を撫でる風もまた冷たさを増す。

 日は暮れて、こっちも途方に暮れていた。自然と靴の先っぽばかりに目が行ってしまう。

 見咎められる前に、頭を冷やしたいと願い出た。

 

 

「それは別に、構いませんわよ。けれどナガレ、帰ってくる頃にはもう少しマシな顔をすること! ……わたくし達は試合に勝ったんですのよ? 今日の勝者が俯いていてどうするんですの」

 

「……」

 

「如何なる犠牲を払ったとて、勝ったのならば、その日その晩は笑顔であるべし……家訓第七条ですわ! 落ち込むなら、今夜の夢の中でなさいな」

 

「……はは、俺とおんなじくらい凹んでたあんたが言うか」

 

 

 けれどもすんなり見送られる事はなく。

 手厳しいような、暖かいような、どっちにも転ばせれる言葉につい笑みが浮かぶ。

 お礼代わりのからかいは、心の重石を無茶苦茶な風がさらってった証だろう。

 

 

「ナガレ」

 

「ん?」

 

「……えっと。あまり遠くは、ダメよ」

 

「はは、子供じゃないんだから。分かってるよ、セリア」

 

「……そう」

 

 

 だから、俺の心情につられて瞳に陰が差してしまっているセリアにも、冗談混じりに返せた。

 靴底を砂利で鳴らして、一人、別の道へ。

 背を向けた際につい落っこちた溜め息を、どうか聞かれていませんように。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「明日も頑張ってね、さもなーさん! メリーさんによろしくね!」

 

 

 夜空の満天の星々をそのまま散りばめたような笑顔を浮かべながら手を振る少女を、ヒラヒラと力の抜けた返礼でもって見送る。

 顔に貼り付けたのは自分でも分かるくらいの苦笑、下手すりゃ引きつって見えるくらいの。

 あぁ、参った。一人になるどころじゃない。

 闘魔祭で勝ち抜けば勝ち抜くほどに、俺という個人が注目される事くらい百も承知だったのに。

 

 道行くだけで視線が集まりと、中にはさっきみたいに小さな子供に声をかけられる事もあった。その殆どがメリーさん目当て、というのは流石というべきか。

 好意的な視線もあれば、勿論、懐疑的な視線もある。

 懐疑的、の理由は言うまでもない。

 

 

「サモナー、か」

 

 

 気のままに進む足先は、市街地から人の居ない方へと外れていく。

 サモナー、精霊奏者、魔法使い。

 そこに付きまとう疑惑はあれど、俺はその『誤解』に甘えたはずだった。

 はず、だったんだけれど。

 

 

「……」

 

 

 本当は、精霊魔法使いなんてものじゃなく、都市伝説愛好家を名乗りたい。

 そう、都市伝説愛好家。都市伝説を愛でて好み広める者。

 不可思議にときめき、噂の火種を是が非でも確かたがる探求人。

 そう在りたいって欲求は、紛れもなく本心であるはずなのに。

 

 

「……」

 

 

 掌のスマートフォンをチラッと見ても、画面は暗いまま。

 まだ、メリーさんは起きてない。

 それほどまでに疲れきってしまったという事なんだろうけど。

 そう伝えた途端頬を膨れさせた先程の少女の言葉が、心の水面に滲んで浮かぶ。

 

 

『メリーさんは女の子なんだから、無理させたらダメだよ、さもなーさん』

 

「……返す言葉もないよなぁ」

 

 

 武器にしてるつもりはない。駒だなんて思ってない。

 彼女達は愛すべき隣人で、焦がれ続けた憧れで。

 でも、"死んで"こっちの世界に来て以降、俺が都市伝説(彼女達)にやらせている事を鑑みれば、愛好家という称号は到底相応しくないものだと。

 

 

『テメェがそんな調子じゃあ浮かばれねぇなぁ、"あの娘っ子共"も』

 

 

 自分で闘うと決めた癖に、まだ俺は心のどっかで女々しくも割り切れないでいる。

 それを、まんまと見抜かれた。

 エースいわく、キング(あの男)は生粋の傭兵であり、多くの戦士と共に多くの戦場を経験した強者であるらしい。

 その経緯の中で育った洞察力と観察眼の前では、俺の迷いなんて明け透けに映るものだったんだろう。

 

 

『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』

 

 

 闘魔祭の参加を決めた日の、土曜精の石橋でセリアに切った啖呵も、これじゃあただの強がりに落ちぶれる。

 でも、じゃあ、なんで俺は自ら参加を望んだのか。

 

 セリアの為。

 テレイザ姫の為。

 ラスタリアとガートリアムの力添え。

 

 どれも、間違いじゃあないけれど、正しいとも言えない。

 本当は、ただ『必死』なだけだった。

 それこそ本当に強がってるだけだった。

 

 俺はただ。

 

 自分の死を──────

 

 

「っ、どわぁっ!?」

 

「うわっと!?」

 

 

 深々とした心の海にもう一歩沈みそうな意識を引き上げたのは、ジンジンと額に走る痛みだった。

 思いっきりぶつかったせいで、目の奥に火花が散る。

 けれど、それはつまり痛い思いをしたのは相手側も同じということで。

 

 

「んのぉ……どこ見てんねや!! ちゃんと前向いて歩かんかい!! って……おぉ?!」

 

「ったぁ……す、すいませ……ん? あれ」

 

「ナガレの兄ちゃんやん!」

 

「……ジム?」

 

 

 このだだっ広いセントハイム国内の、更に人通りの少ないはぐれ道で文字通り行き当たるのが、まさかの数少ない顔見知りとは。

 ドスの効かせた声から一転、朗らかに手を伸ばして来たのは、琥珀色のおかっぱ頭とリスみたいに膨らんだ頬が印象的な男。

 予選で闘った、色んな意味で印象の強い相手、ジム・クリケットその人だった。

 

 

「なんやこんな所で一人、もしかして迷ったんか?」

 

「あーちょっとした散歩。ジムは?」

 

「ワイも似たよぉなもんや……あ、せや! 兄ちゃんの試合、二つとも見させてもろたでぇ。あんな隠し球もっとったとは、ナガレの兄ちゃんはホンマに食わせもんやな!」

 

「……ジムにだけは言われたくない」

 

「かかか、そりゃごもっとも。一本取られたわ」

 

 

 どうやらジムも観戦に来ていたらしく、隅に置けないとでも言いたげに肘で小突いて来る。

 相変わらず軽薄なのか友好的なのか分かり辛い相手だけど、ある意味この人らしいと言うべきか。

 

 

「ま、折角や。こんなとこで()うたのも何かの縁や……ちと面白い話聞いてかんか?」

 

「面白い話?」

 

「せやせや。あんな、兄ちゃん。

 

 

 

────『精霊樹の幽霊』って聞いたことあるか?」

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 鏡を見ずとも、自分を薄情な女だと思う。

 

 何かを抱えている事は分かっていた。

 迷っている事も、悩んでいる事も、飄々とした笑みの向こうに消化しきれてない想いがあることも。

 

 

「……全く、ナガレったら、らしくもないですわね。いつものヘラヘラとした態度はどこにいったんですの」

 

「ふむ。らしくない、ですか……そも、ナガレ様とはどういう方なのでしょうな。ガートリアムから供をさせていただき、かれこれ二週間。お嬢様の目には、あの御方はどのようにお映りになられてますかな?」

 

「どのようにも何も……ナガレといえば都市伝説とかいう奇妙珍妙を好む変わり者でしょうに」

 

「ふむ、それ以外にございますかな?」

 

「え? そ、それ以外……へらへらと軽薄で、何を考えてるか分からない……やっぱり変人ですわよ。ま、まぁ、時々、その、妙な男気を見せるというか、ええと……もう、何でわたくしにばっかり聞くんですの! セリア! 貴女も何か仰いなさいな!」

 

「……私?」

 

「そうですわよ。ナガレと一番長い付き合いじゃありませんの」

 

「……」

 

 

 じんわりと頬に朱を浮かべたナナルゥの言葉に、形の良い眉が力なく垂れる。

 確かに、彼の奇妙な経緯をそのまま鵜呑みにしたのなら、この世界の住人でナガレと一番付き合いが長いのは自分だ。

 

 たがそれは供に過ごした時間が長いだけで、理解を深めたという訳ではない。

 無論嫌いだからじゃない。むしろ供に居ても、面白味のない女の自分でさえ心地良いと感じてるくらいには、許している部分もある。

 

 

「……彼は」

 

 

 けれど、それまで。

 互いが互いに踏み込むことをしていない。

 妙に波長が合ってしまったから、その居心地に甘えているのだ、お互いに。

 安堵したのだ。

 復讐の理由を問わない彼に。

 意地だなんて"無理矢理な理由"で力を貸してくれる彼に。

 

 

「……『不安』なのよ、きっと」

 

「不安、ですって?」

 

「えぇ」

 

「なんでそう思うんですの」

 

「……」

 

 

 命の恩人だからと、危険付きまとう風無し峠にまで付き合ってくれる無鉄砲な彼の事だから、自分に関われば関わっていくだけ、自分の復讐にも関わる可能性が高い。

 だからこそ、踏み込ませるつもりはなかった。

 だからこそ、彼に踏み込むつもりもなかった。

 

 

「──このアムソン、ずっと腑に落ちずに引っ掛かって居る疑問がございます」

 

「アムソン?」

 

「お嬢様も、旅の道中に一度、ナガレ様のいきさつについてお聞きなさいましたでしょう。彼が如何(いか)にして……我らの世界に訪れたかを」

 

「……まぁ、聞きましたけれど。階段で転んでどうとか、神がどうとか、正直馬鹿馬鹿しい話ではありましたわね。で、アークデーモンに襲われていたところにセリアが、という感じだったはず。それが何か?」

 

「ふむ……まぁ、信憑性についてはともかく。お嬢様、"そこを踏まえて"……普段のナガレ様について、何かおかしいと思う事はございませんかな?」

 

「……? おかしいも何も、踏まえる所が既に変ちんくり妙ちくりんりん過ぎて、どこもかしこもおかし過ぎますわよ」

 

「ほっほ。左様にございますか。しかし……このアムソンからしてみれば、普段のナガレ様は都市伝説に関しての情熱は並々ならぬものですが、それでも存外冷静で思慮深いところもある御仁。気配りも中々……"年不相応"なほどに」

 

「…………っ、あぁもう、さっきからまどろっこしいですわね! はっきりと仰いなさいな、アムソン!」

 

「ほっほ」

 

 

 でも。

 あの予選の夜の酒の席で垣間見た、ナガレの仄暗い感情と空虚な笑み。

 あれを見てから、今もずっと。

 本当にこのままで良いのだろうかと、鏡の向こうからずっと問いかけている自分が居るのだ。

 

 

「このアムソンが引っ掛かるのは、ごく単純な疑問にございます。

 

ナガレ様は、あの若さで亡くなられた。

いえ、亡くなられた『ばかり』なのです。

如何なる不可思議な奇跡により生き返ったとしても、死んだという事実はなくなりませぬ。

その事実が呼ぶ傷は、痛みは、必ずあるはず。

挙げ句、行き着く先は異なる世界。掻き立てられるのは、きっと、興味心ばかりではないでしょう。

 

 

では、何故あの方はああも平静でいられるのか?

 

答えは、否。セリア様のおっしゃる通り、不安なのでしょう。

この老いぼれの目にも、ナガレ様の普段の有り様は──まるで、"不安"から目を逸らそうと必死であるように、映るのです」

 

 

「「────」」

 

 

 市街地の色とりどりの屋根に止まっていた鳥の群れが、大きな音を立てながら羽ばたく。

 紺碧を呑み込んた、黒い星空に一斉に溶けていった。

 羽根の一枚、落とす事なく。残すことなく。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 ヒュルリと巻き込むような風が、灰色から朱色に染まり変わる髪ごと、草花を舞い上げて(さら)う。

 風圧に千切れた葉の一片が、彼女の手元に寝かせられたスケッチブックにそっと重なった。

 

 

「……あと、二日か」

 

 

 

 小高い丘に一本だけ生えた樹木に寄り添うのは、黒々と華奢なシルエット。

 目深に被ったフードの隙間から囁かれた凛とした響きには、どことなく懐旧を含ませる。

 音にならない燐閔を緋色の瞳に滲ませるルークスを一目見て、『魔王』という肩書きを思い浮かべれる者など、きっと一人足りとも居ないだろう。

 少なくとも、人間には。

 

 

「…………」

 

 

 残り、二日。

 あと二度の朝日と月夜の循環を迎えた時には、二百の刻を重ねた祭典が終わる。

 そうすれば。ルークスは、魔王を再び『始める』こととなる。人類の敵として、魔の頂点として。

 いわばこの残り二日は、彼女が様々な想いや懐旧わ精算する為の、『タイムリミット』だった。

 

 自分を奉り上げた配下の者共の中には、この僅かな、彼女にとって余りに僅かな刻でさえ、待つのが惜しいと痺れを切らしているらしい。

 ともすれば、魔王を待たずして戦いを始めてしまうだろう。

 彼らにとっても、魔王とは畏怖すべきモノであり『魔の者共』における力の象徴に過ぎない。

 "理解し合える者"とは、違う。

 

 

「……サザナミ・ナガレ」

 

 

 深淵へと沈みゆく思考を拭うべく、思考の矛先を変えれば、自然と浮かぶのはあの不思議な青年だった。

 聖域にて出逢い、メリーという少女と共に自分へとちょっかいを出して来た、面倒で馴れ馴れしく──けれど不思議と心地の良さを覚えた人間。

 

……だが、ナガレを思い浮かべた理由はそこが理由ではない。

 今日、彼が本選で示し、その上で勝利を勝ち取ったあの未知の力【ワールドホリック】。

 そして、多くの観客や選手達に、状況的に精霊と断じられたメリーという少女。

 

 

(私の知らない、未知の力……精霊の力を借りるものでもなく、『魔に堕ちた者の法』でもない。単なる偶然の産物か、それとも、まだ誰も知らない、新しき力の法則なのか……)

 

 

 魔王と呼ばれるルークスの眼を通しても、あの能力は『奇妙な何か』としか映らない。

 だがそれは同時に、とうに枯れ果てた願いを潤すように、何かを期待させてしまう。

 

 

(或いは……ナガレ。アイツならば、『私』を……──)

 

 

【人の記憶に、残らない】

 

 

 傍迷惑な祝福のようにも、履き違えた愛情のようでもある、魔王ルークスの心を永遠に枯死させ続ける『呪縛』。

 あの未知の力ならば、もしかすればこの鎖を断ち切る術になるかもしれないと──淡い願いが一筋、流星のように過ぎ去った。

 

 

「──……馬鹿馬鹿しい。また甘い夢に浸ろうというのか、私は」

 

 

 

 光って、過ぎ去る。それだけだった。

 

 大きな光の涙が散々に千切れたような、ありきたりな星の夜。

 それこそあの星々の数に届くほどの星霜の中、幾度も幾度もこの忌まわしき呪いを断ち切る術を、探し続けた。

 けれども、彼女は未だに『因果の鎖』に囚われている。ご覧の通りの有り様で。

 

 

 

【魔王】が浮かべるには、あまりに弱く儚い失笑を、彫刻のように整った顔に浮かばせた────その時だった。

 

 

 

「あ、やっぱり」

 

「……、────お前は」

 

 

 小脇に甘い香りが漂う紙袋を抱えて、何故か苦笑を浮かべている青年。

 夜闇の深い景色の中でも存在を主張する、長い烏羽色の髪と、青めいた黒曜石の瞳。

 

 嗚呼、噂をすれば影というべきか。

 世界に呪われし者の宿命とでもいうのだろうか。

 たった今、淡い希望を切り捨てたばかりだというのに。

 何もわざわざ、残酷な結果を突き付けなくても良いだろうに。

 

 

 そう、直に宣告される呪いのような『はじめまして』に、魔王は脅えるように、身を(すく)めた。

 

 

 

 

「やっぱり、ジムが言ってたのって、"ルークス"の事だったか。

 

 

 

 

 

──"久しぶり"、今度はここでスケッチ?」

 

 

 

けれど。

 

 

 

「────えっ?」

 

 

 

 

 彼の薄い唇から紡がれたのは、ルークスにとって『あり得ない』一言を含んでいて。

 

 

 零れ落ちたのは、あまりに無垢な茫然。

 

 

 魔王は、紅蓮の瞳を見開いて。

 年端もいかぬ少女の様な、あまりに無垢な顔をした。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆── Tales 59【再会】──◆◇◆

 

 

 

 

 

 



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Tales 60【Alone again】

「いっでで! おいおい、手当てならもっと優しくしてくれよ……例えば膝枕した後に、そっと優しく頭を撫でるように、だ。出来るだろ?」

 

「した事ないんで分からないです。あといちいちキモい目で見ないで下さい。本部に抗議文送りますよ」

 

「あーらら、辛辣なこって。ま、それもこの俺様への愛情の裏返しってやつなんだろ? 知ってる知ってる」

 

「……チッ、どうせなら息の根も止めてくれればよかったのに」

 

 

 魔法薬を染み込ませた布地を傷痕に抉るように押し付けながら、薄紅色の髪の少女がつく悪態を、マルスは馴れたように聞き流した。

 繁華街の一角にある宿屋の床は木肌が荒く、椅子を引くだけでミシミシと鳴る。

 けれども顔中にひっかき傷と痣を作ったマルスの顔よりは幾度かマシである、というのは色に惚ける彼に対する痛烈な皮肉なのかも知れない。

 

 

「にしても、やってくれたぜミステリアス。男前が台無しじゃねぇか。これから人に会うっつーのによ」

 

「……え、これから会うのって……えぇ、ちょっと流石に本気で本部に部署替え申請したいんですけど」

 

「おいおいおい、なに勘違いしてんだ! 使者の方に決まってんだろ……なにせ『大貴族のお使い』なんだ、綺麗どころは充分期待出来んだろ?」

 

「あぁ、そういう。暇さえあれば女漁りってほんとキモいですね」

 

「ハニー候補を探すのは俺様のライフワークなのさ。勿論イコア、お前もその内の──」

 

「吐いて来ていいですか?」

 

「辛辣過ぎないか?!」

 

 無表情から繰り出される歯に衣着せぬ物言いに、ついにマルスが音をあげるが、イコアは取り付く島もない。

 端から見れば分かり易い力関係ではあるが、実際の上下は逆である辺り、ある意味で彼らの付き合いの長さを察する事が出来るだろう。

 

 

「ところで」

 

「ん?」

 

「そのミステリアスさんですけど……彼らを止めなくて良かったんですか? 間違いなく"仕掛ける"つもりですよ」

 

「……止めたって聞きゃしねーよ、盲目共は」

 

「でも、確かあの人、ガートリアムの使者ですよね。普通に大問題ですけど」

 

「心配ねーよ。あわよくば掻き乱せって上からのお達しもある。んで、こっちに泥かかる事になれば、遠慮なく切るまでだ。今、あの盲目共に"身分はない"」

 

「……」

 

「ま、それに……だ。あのミステリアスが、『やる時は殺れるやつ』なのかを測る良い機会。そーだろ?」

 

「……はぁ。知りませんからね」

 

 

 

 如何にも悪巧みを働かせている顔をする上司に、成人になりきらない年頃の部下が重い溜め息をこぼした時、室内扉にノックが響く。

 途端に弛緩した空気は消え去り、シンと張り詰めた静寂が来客と共に室内へと滑り込んだ。

 

 

「……あらら、野郎か。次からは気を利かせて欲しいもんだぜ」

 

「聖教の犬が無駄口を叩くな。嗅ぎ付かれてはおらぬだろうな?」

 

「きちんと撒いたさ。てっきりあのミステリアスに関心を向け続けてくれるかと思いきや、こっちもマークしてるとは……流石は『賢老』さんだな」

 

「あぁも目立つ闘いを選んだのは貴様だろうが! 実験だか何だか知らぬが、余計な手間を増やしおって……仮にも『聖衛使』と呼ばれる者に、貴様のような浅慮な輩がおるとは。我が主も訝しげに眉を潜めておったわ」

 

「へいへい。そりゃ悪ござんしたねっ、と」

 

 

 顔を見せたのは、ボサボサの髪と鼻を赤らめた、明らかに浮浪者な様相をした男。

 だが、賭けたギャンブルが外れたかの様に大袈裟に肩を竦めるマルスに対する尊大な振る舞いからして、外見とイコールで結びつく身分ではないのが窺える。

 

 そして大貴族の遣いの言葉をなぞるなら、マルス・イェンサークルもまた同じ理屈が当てはまるだろう。

 

 

「──で、例のモノは?」

 

「……」

 

 

 シミのついたテーブルの上に置かれた麻布袋が、ズシリと鳴る。

 素朴なようで厚い生地に覆われた袋の口から溢れるように、『紅い光』が鮮血の様に滲んだ。

 

 

「"レッドクォーツの原石"……『エリクシル』。間違いありませんね」

 

「……」

 

 

 レッドクォーツ。南部聖都『ベルゴレッド』においては禁忌とされるガーゴイル(兵器)の命の源。

 禍々しく輝く紅光に鼻の赤をより濃くした男は、その口角をニヤリと歪める。

 

 

「確認は済んだな。では──『ベルゴレッド』よりの使徒、【聖衛第四位】。マルス・イェンサークルよ。これよりビジネスを始めよう」

 

「……ふん」

 

 

 仰々しく身分を呼ばれたマルスは、さも乗り気ではなさそうに鼻を鳴らすが、それでも席を立つ事はない。

 舌打ち混じりに頬杖をついた反動で、彼の首からぶら下がった『十字架を模したペンダント』が、無造作に揺れた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 久しぶりって言葉に、果たして誰かを茫然とさせる意味合いってあったっけ。

 

 

「──いま、なんて……」

 

「? や、だから、久しぶりって」

 

 

 そんなすっ頓狂(とんきょう)な戸惑い方をしてしまうくらい、目の前の顔見知りの反応は過剰だった。

 

 

「お前……私を、覚えてるのか?」

 

「覚えてるのかって……そりゃそうでしょ」

 

 

 なんせまだ一週間前のことだし。

 と続けようとした俺の言葉を塞いだのは、そもそも彼女と出逢ったきっかけであり、俺がこのひっそりとした丘に居る理由でもある噂。

 

『精霊樹の幽霊』

 

 俺と一緒にルークスと会話したメリーさんでさえ、その日の内に忘れかけていたという不可思議な現象。

 そしてジムから聴いた、その女の幽霊がこの丘にも姿を見せているという話。

 色々と引っ掛かりを覚えつつもこうして足を運んだ訳だけど、噂の当事者であるルークスのこの反応は、"もしかして"をよぎらせる。

 

 

「…………名前」

 

「名前?」

 

「私の名前──もう一度、呼んでみてくれ」

 

 

 凛とした強さはなく、風ひとつに消えてしまう蝋燭の火のような儚い声。

 すがりつくように囁かれた願いに、籠められた想いに未だに戸惑いはするけれども。

 俺は、当たり前のように彼女の名前を"呼んでいた"。

 

 

──ルークス。

 

 

 

「……、──」

 

 

 世の中ってのは、分からない事の方が多い。

 奇々怪々に始まり、ささやかな謎だったり、解き明かされないままの未知が、この世界には多い。

 けれど時にそれは理論や理屈を抜きにして、人を惹き付ける事がある。

 

 

 サァッと吹いた夜風に、目深に被せられたフードがふんわりとめくれて。

 月明かりに浮かび上がった冷美な輪郭をなぞる、透明な一滴に、どれだけの感情が注がれているのかも俺には分からないけれど。

 

 名前を呼んだ、ただ、それだけで。

 一番星のように光を帯びる彼女の緋色()に、俺は見惚れるように立ち尽くした。

 

 

────

──

 

【Alone Again】

 

──

────

 

 

「甘いものって平気?」

 

「別に嫌いじゃない。ん、なんだこれは」

 

「ハニージュエル。前、絵を書くの邪魔した時のお詫び。覚えてない?」

 

「……ふん。そんなこともあったな」

 

 

 差し出した紙袋から蜂蜜色の菓子を摘まみながら、ルークスはそっぽを向いた。

 外見や言動からして年上な感じはするけど、こういう仕草は子供っぽい。

 軽く咀嚼しながら、甘い、と一言呟くとことかね。

 

 

「メリーだったか。アイツはどうした」

 

「就寝中。色々あって疲れたみたいで」

 

「色々か。まぁ、あれだけ立ち回ればそうもなるだろ」

 

「ん? あれ、もしかして会場に居た?」

 

「……随分と変わり者らしいな、お前達は。顔見知りが試合に出たかと思えば、精霊召喚の真似事なんざ披露するとは思わなかった」

 

「げっ……真似事と来たか。って事はルークスには……」

 

「ふん。精霊魔法の一つさえ使っていないヤツがサモナーと扱われるとはな。今後は奇術師か詐欺師とでも名乗ったらどうだ」

 

 

 手厳しい物言いに思わず苦笑する。

 前に出逢った時から只者じゃないとは思っていたけど、もしかしたらルークスも精霊魔法使いなんだろうか。

 

 

「そういや、ルークスはなんで此処に。精霊樹のスケッチは?」

 

「……静かに描きたいんだ、私は」

 

「? ……静かに、って。あぁ、そうか。この時間はあそこ、デートスポットになってんだっけ。はは」

 

「チッ、笑うな」

 

「悪い悪い」

 

 

 目の前でイチャつきだす恋人たちにしかめっ面をするルークスの姿が浮かんでしまって、ついカラカラと喉鈴が転がる。

 てっきり手痛い一撃でも飛んで来るかもと思ったけど、ひっそりと(そび)える樹に腰を下ろしてる隣は、不機嫌そうな舌打ち一つで許してくれたらしい。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 他愛のない会話がふと途切れて、マイナスに傾いた夜の音数に、そのまま浸るように耳を澄ませる。

 本当は、もっと別の事を聞くべきなんだろう。

 隣で同じように背を預けるルークスは、あまりに意味深な存在といえる。

 人の記憶に残らない。

 それは確かに未知であり不可思議な現象であり、正直、興味を惹かれて仕方ない。

 

 けれど、あまりに目に見えてる傷痕を無理矢理にこじ開ける気には流石になれなかった。

 

 

「……お前こそ」

 

「ん?」

 

「お前こそ、どうして闘魔祭なんてものに出ている。メリーや他のエセ精霊はともかく、お前自身は特別戦いに精通している訳じゃないだろ」

 

「……はっきり言うね」

 

「事実を言って何が悪い」

 

 

 相変わらず踏み込まない俺と違って、遠慮を脇に置いた緋色の瞳が問い掛ける。

 まぁいかにアムソンさんに防御術を仕込んで貰ったとはいえ、俺の技術なんてのは素人に毛が生えた程度。ルークスの疑問はもっともだ。

 

『なぁ、おい小僧。お前、どうして闘魔祭に出た?』

 

 

 その理由は、答えは。

 セリアやお嬢達の前では、どうしても紡ぐ事は出来なかったけれど──

 

 

「……」

 

 

 ホルスターから外したアーカイブを背を預けてる樹の根元に置いて、その上にスマートフォンを重ねる。

 そんな突拍子もない俺の行動に怪訝そうに眉を潜めているルークスに、苦い笑みで返して。 

 

 

「どうして、か。聞きたい?」

 

「一々、勿体振るな」

 

「はいはい。ま、俺が闘魔祭に参加した理由は……きっと────」

 

 

 

──あぁ、そうだな。

 

 こんなみっともない『理由』を聞かせるなら。

 偶々居合わせた程度の、縁の浅い相手の方が良いかもしれない。色々と手厳しい人であるのも、都合が良い。

 

 ルークスには傍迷惑な話だろうけど、そこはこっちへと踏み込んで来た分の責任とでも思って貰おうか。

 

 

 

「──死んだって……いや。

 

大切な人達と、もう会えないんだなって。

 

立ち止まってると追いかけてくるそんな『実感』に、捕まりたくなかった。

 

 

────たった、そんだけなんだよ」

 

 

 

 

 帳が落ち始めた夜に、懺悔のように言葉が溶ける。

 

 それはまるで、あの日、あの深く暗い沼の前で。

 ひた隠しにしていた胸の内を、親友(アキラ)に吐き出したあの夜をなぞるようだった。

 

 

 



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Tales 61【夏影】

「……あにひへんほ」

 

「死人の口にしては随分と柔らかいな、ええ?」

 

「はなへ」

 

「……」

 

 

 小馬鹿にした様に、グニグニと頬を引っ張るルークスを不服そうに睨めば、負けず劣らず不機嫌そうな緋色に迎え撃たれる。

 ひょっとしなくとも冗談だと取られたんだろう、重い会話にウェットを求めるようなタイプじゃなさそうだし。

 

 

「嘘みたいだけど本当の話だぞこれ」

 

「だとしたら私よりお前の方がよっぽど『幽霊』として噂されるべきだな」

 

「ちゃんと説明するって」

 

「ふん」

 

 

 胡散臭いと目で語るルークスに、曖昧に笑いかけながら視線を夜空へと逃がす。

 さて、何から話そうか。

 なんせ俺自身の話だってのに、どこか腑に落ちない経緯だから。

 でもまぁとりあえず、先ずは前提の照らし合わせから。

 

 

「ねぇルークス、『異世界』って信じる?」

 

 

 

 

◆─◇─◆─◇─◆

 

 

 

 

 異なる文明、異なる常識、異なる思考。

 同じ地球の上で住む人間同士だってそれらを共有するのに途方もない苦労を生むんだから、違う世界の人間ともなれば尚更だ。

 セリアやお嬢に説明した時だって半信半疑って顔してたし。

 

 

「で、これもお前のセカイの代物だというのか?」

 

「そそ。遠くの人と話したりゲームしたり写真撮ったり。今はもう壊れて、代わりにメリーさんの棲み家になってるけど」

 

「壊れて棲み家……もう、訳が分からん。というより分かるように言ってないだろう」

 

「バレた? まぁ俺もこっちの魔法の概念とか仕組みとか未だに良くわかってないし、いくら説明したってすんなり腑に落ちるもんでもないだろーな、って」

 

「……」

 

 

 明かりの付かないスマホの画面を、気難しそうに人差し指でノックする。

 俺の言いたい事が分かっても、なんとなく投げやりに済まされたように思えたのか、どこか拗ねた仕草だった。

 

 

「ニッポン、か。お前の育った国の名は、随分変わった響きだな」

 

「確かに、こっちじゃ聞かないかもな。もしかして、興味ある?」

 

「……別に」

 

 

 素っ気なく言い捨てるけれども、緋色の瞳は彼女の手の中にある無機質な未知に落ちたまま。

 言葉と感情が結び付いていない事は、直ぐに分かったから。

 

 

「……その、ニッポンという場所に、お前にとっての大切な者達が居るんだな」

 

「……ん。そういう訳」

 

 

 まるで、彼女自身が抱えている何かしらの境遇を、違う世界の違うの文明へと重ねているみたいで。

 だから俺は、ルークスの更に踏み込んだ問い掛けに、案外すんなり答えられたんだろう。

 

 

「──お前の言う大切な者達とは、両親のことか?」

 

 

 揺蕩(たゆた)う月の銀色の様な、ヒヤリとした静けさが、一瞬。

 脳裏に浮かび上がったのは、フローリングに転がった黒いランドセルと、シミと、一通の手紙と、振り子のように揺れる両足。

 

 

「──いいや。俺にはもう、父さんも母さんも『居ない』から」

 

 

 振り切れるものじゃない、忘れれるものじゃない過去。

 ソレに囚われるなくても良いと、遮るように俺へと伸ばされたのは、皺だらけなのに逞しい掌と、綺麗な癖に力強かった掌。

 

 

「だから、そういう意味では、俺を育ててくれた『爺ちゃん』と……、──いっしょに馬鹿をやってくれたアイツら……ってことになるかな」

 

「アイツら?」

 

「俺が言うのも何だけど、お行儀の良い連中じゃなかったよ。善良か不良かで言うと、間違いなく不良の方に票数(レッテル)が集まるくらいに」

 

 

 だからこれは、その片方の掌についての語り。

 

 

「だってのにさ、これが割と付き合いが良い奴らで。『こっくりさん』って遊びを一緒にやろうぜって頼んだら、嫌々ながらも結局やってくれたり」

 

「……良く分からんが、そんな札付き相手に遊びを持ち掛けるお前もお前で何を考えてるんだか。大方、体良く追い払う為に、といった所じゃないのか」

 

「ま、しつこく迫ったから仕方なく、ってのもあったけど。でもなんでか、それ以降もよくつるむ様になって。変わった噂だったり、よくある迷信だったり些細な都市伝説だったり、そんな曰く付きの場所やら遊びの『調査』にも、割と付き合ってくれたんだよ」

 

「暇な連中だ」

 

「勿論、断られた時もあった。でも、不思議と……特にリーダー格のアキラってのとは相性が良かったみたいで。俺も俺で周りから変人扱いされてたから、自然とつるむ機会も増えてったな」

 

「……要は、はみ出し者同士の傷の舐め合いか」

 

「……かもな。でも、俺はともかく、アイツがそんな慰め欲しがるような女々しいヤツだったらどんなに『楽』だったか」

 

 

 口を開けば乱暴な口振りばっかりで。

 人並み外れた腕っぷしで。

 意地っ張りで負けず嫌いで。

 それでもなんだかんだで面倒見がよくて。

 

 本人は決して認めなかったけど、髪の手入れを怠ることはなかったり、背の高さが実はコンプレックスだったりと、案外、女らしいとこもあって。

 でも、それ以上に。

 

 

「……正直、男としては滅茶苦茶悔しいけど……格好良いヤツだったよ、ホント」

 

 

 そんで、俺こと細波 流もまた負けず嫌いで意地っ張りなんだって自覚させられた。

 青春ドラマみたいに青臭い感情を抱いたその時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 赤黄色に移ろいゆく最中の季節、風通しの良い冷夏。

 思い出は、残響みたく駆け巡る、遠い蝉時雨と風鈴の一鳴きが運んでくれた。

 

 

 

────

──

 

【夏影】

 

──

────

 

 

 アキラやチアキ、リョージにも時折注意されていたことだし、事実何度か遭遇しかけた事もあった。

 その時も、何度かの内の一つに過ぎないんだけれど、色々と運が悪かったってのもあったと思う。

 

 人の寄り付かない曰く付きのスポットが呼び寄せるのは、何も霊的なものばかりとは限らない。

 寄り付かないからこそ都合が良いと考える人だって中にはいるもので、そういう輩と遭遇した方がよっぽど危険が付き纏うこともある。

 

 アキラ達と出会う以前にも、一度や二度、うっかり絡まれた事もあったし、取り敢えずベルトは即席の武器に出来るって余計な知識を持てるくらいには、多少喧嘩馴れしてしまった訳で。

 でも、流石に五人に囲まれてしまえば、もうお手上げだった。

 

 

『あーあー、ダメダメ。ダメじゃんこーんな場所に一人で来たら。怖ーい幽霊に、ボッコボコに呪わんぞー? ぶはははっ!!』

 

 

 自業自得といえば話はそれでおしまいだが、その夜に絡まれた相手が災難の象徴とも言えた。

 一昔前に居たという、現代ではそれこそ都市伝説レベルに希少な『カラーギャング』という連中で、揃いも揃ってブルーカラーのパーカーやら靴やらで身を固めていた。

 

 最近になって結成され、悪評を小耳に挟む事も増えてきたような、リーダー格の金髪でさえ、当時高校二年の俺とそう変わらない年頃のチーム。

 冷や汗垂らしながら適当に話を合わせて、なんとか逃げる機会を窺ってみたものの。

 

 

『は? なにヘラヘラしてんの? つか勝手に口聞いてんじゃねーよオラァ!』

 

 

 厚いブーツの前蹴りと共に放たれた台詞からして分かるように、"最初っから見逃がしてやるつもり"なんてなかったんだろう。

 体の良いストレス解消道具にされて、『痛い』に飽きるぐらいには、ボッコボコにされて。

 

 歯が一本も欠けなかったのが奇跡だったくらいだ、代わりにあばらが大惨事になってしまったけれども。

 翌朝、晴れ上がった瞼に朝日が染み込む頃、なんとか麓のアスファルトまでたどり着いた俺を搬送する救急車の車内で、どうやら右腕も駄目みたいと分かった時は、鉄臭い苦笑をする羽目になった。

 

 まぁそんな目に合えば騒ぎにもなり、漁を引き上げて駆け付けてくれた爺ちゃんに滅茶苦茶叱られるという、泣きっ面に蜂。

 でも、問題はそのあと。

 恐らく爺ちゃんから連絡が行ったのか、普通に授業中である午前半ばにゾロゾロと病室にやって来たアキラ達が、俺のボコボコの有り様を見て、一言。

 

 

『……不っ細工になりやがって。"笑えるな"』

 

 

 こういう時ぐらい慰めてくれよって。

 いつもみたいに軽口を叩いてやりたかったのに、出来なかった。

 取り繕うような言葉さえ喉の奥に引っ込むくらいに、アキラ達の雰囲気が違ったから。

 

 

『青荻山の奥の一軒家、つってたっけな』

 

『リョージ、余計なこと言わない。じゃあね、ルー君。お大事に~』

 

 

 どこを怪我したのとか、何があったのかとか。

 そんな"本来"を一切問わず、アイツらの中でだけで会話を成立させて。

 

 

『いだっ』

 

『ふん。馬鹿が』

 

 

 爺ちゃんに食らった拳骨でコブが出来てる頭に軽く一発、土産を置いて、もう用は済んだとばかりに紅い尻尾髪が病室の外へと向かおうとする。

 遠退く背中に沸き上がったのは、疎外感か、物足りなさか、それとも、何かしらの胸騒ぎか。

 (うめ)くように引き止めた俺に、アキラだけが振り返らなかった。

 

 

『アキラ……?』

 

『──悪いな』

 

 

 ただ一言、今までの交遊の中で一度たりとも聴いたことの無かった詫びの言葉を置いて、アイツらは足早に病室から去って行った。

 

 

 まるで、俺一人を置いてけぼりにするみたいに。

 

 

 

……だなんて勿体振ってみたけど、まぁ、アイツらとの再会は思ったより早かった。

 なんせ、この日の『翌朝』だ。こんな如何にもな別れ方をしておいてだよ。

 

 しかも、まさか……隣のベッドに並んでの再会になるとは、少なくともあの時の俺には一ミリだって想像してなかったな。

 

 

◆◇◆

 

 

 

『……こんな時は、折角の美人が台無し、って言えばいいのかね』

 

『うるせぇ』

 

『アイツらのアジトに直接乗り込んで大立ち回りして、挙げ句全員ぶっ倒すとか。ていうかなんで俺を痛め付けた連中の事とか居場所とかその日のうちに突き止められんの』

 

『チアキがイカれたネットワーク持ってる事くらいテメェだって知ってんだろ』

 

『……一緒に乗り込んだリョージが「男の俺が軽傷で済んじまった」って凹んでたし。女が頭から血ぃ流すまで殴り合って、しかも右腕まで折って。なに、お揃いにでもしたかったの』

 

『気色の悪い冗談言うんじゃねぇ』

 

『冗談で済めばどんだけ良かったか』

 

『……』

 

『……』

 

 

 矢継ぎ早に苦言を呈せば、お隣さんは罰が悪そうに突っぱねるだけで、取り付く島もない。

 頭に包帯、右腕にギプス、患者衣でペアルックなお互いは、視線すら交わることなくシミのない天井を睨み付けてる。

 

 リョージは比較的軽傷ということで、チアキと一緒に警察に事情聴取。

 となれば学校側にも連絡は行くだろうし、停学はまず間逃れない。最悪、退学。

 

 

『勝手に、身体張るなよ』

 

『あ?』

 

『俺の不注意が招いた事なのに、お前らが……アキラがそんな様になって。返せない借り、作られても……困るだろ』

 

 

 アキラ達が、誰の為にここまでしたのかなんて、言われなくても分かってる。

 あぁそうだよ、袋叩きにされた時よりも痛いくらいに。

 

 

『面倒クセェな』

 

『は?』

 

『何が返せない借りだ、変人の癖にまともぶりやがって。第一そういう考えなら、テメェのツケはとっくに返し切れないぐらいに膨らんでるだろ。何度テメェの"趣味"に付き合わされたと思ってる』

 

『……』

 

『それに、だ──』

 

 

 だからこそ、不安になった。

 そこまでして貰う理由が、あるのかって。

 最近一緒につるむようになった程度の、ちょっとした悪友程度にそこまで身体を張るなよ、って。

 

……思いっきり危ない橋を渡ってくれたことを、素直に嬉しいと思えてしまう"幼稚な自分"が居る事に、どうしようもなく不安になったから。

 

 

『オレ……、──私は、私の意地を通す為に、あのクソ野郎共に喧嘩売ったんだ。お前に迷惑がられようが、関係ない。それこそ私の勝手だろうが』

 

『……アキラ』

 

『例えこれから同じ事が起きれば、また同じ様に意地を通す。何度だってな。だから、嫌なら…………もう、離れちまえば良い。それこそお前の……勝手だろ』

 

『────』

 

 

 そして、極めつけにこれだもんな。

 格好付けてる癖に、それでちゃんと格好良く決まってる癖に。

 最後の突き放し方が下手くそで、まるで腕をぎゅっと掴んだまま、どっか行けって言われてるみたいで。

 

 ズルいよな、そういうの。

 

 

『言っとくが……自分を安く見て、他人を高く見積もるようなヤツの忠告なんて知らねぇ。文句ならリョージ辺りに言ってろ』

 

『……あっそ。じゃあ、もう言わない』

 

『ふん』

 

 

 結局、ありがとう、と素直な本心を伝えることはなく。むしろ伝えない方が良い、だなんて謎めいた確信を抱いたまま。

 

 

『そういや、病院の公衆電話についての都市伝説知ってる? あれさ、基本的にかける事はあってもかけられる事はなくってね』

 

『ちっとは遠慮しろ、この変人!』

 

 

 ギクシャクとも呼べない、喧嘩未満の未熟なやり取りから来る気恥ずかしさを誤魔化したのは、俺の方が先だった。

 窓際で、誰かが吊るした淡い色した風鈴の微笑むような音色が、蝉時雨の中にそっと溶けていた。

 

 

 



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Tales 62【いずれ七色】

 木枯らしが昔語りのエンドロールを告げると共に預けた頭の後ろで、荒い樹木の肌が優しく削れる。

 フゥと喉から送り出した吐息が、大きく聞こえるくらいに静か。

 あの風鈴の音は、もう耳の内側からしか鳴らない。

 

 

「俺って割と人付き合いのよさそうな顔してるじゃん、自分で言うのもなんだけど。でも、結構面倒臭いとこ多くて。『昔の経験』からかもな、あんまり心も開かない性質だったんだ。

 

だけど、あの一件で……吹っ切れた。

仇討ちなんて時代錯誤な真似しでかしてくれる奴、他に居ない。まぁ、きっとそれ以前からだけど、俺の中でアイツらが、滅茶苦茶大きくなってったから」

 

「……」

 

 

 法律的にみれば、学園風紀的にみれば、一般的にみれば、アキラ達の仕出かした事は正しい事ではないのかも知れない。

 『だからこそ、そういう得難い馬鹿を大切にしろ』

 呆れながらもそう言ってくれた爺ちゃんに従うまでもなく、アイツらはもう、とっくに大事な存在だった。

 

 異なる場所、異なる夜空の星の下。

 それでも夜風が世界を鳴らす度、肩を叩く掌を期待してしまう。

 

 

「埋めるのに必死なんだよ、今。どうせ埋まるもんじゃないのに」

 

「……、──」

 

「俺が闘魔祭──いや。レジェンディアに来てから、色んな事に首突っ込んで、巻き込まれているのは……そんな、臆病で自分勝手な理由なんだよ」

 

 

 葬式をあげる理由には、死者を悼むという他にも、近しい者を多忙にする意味もある。

 悲しみに囚われて、心を空虚にしない為でもあるんだとか。

 死者である当人がその必要性をこんなにも実感するだなんて、皮肉にも程があるけれど。

 

 

「……軽蔑した?」

 

「納得は、した」

 

「そう」

 

 

 こんな身の上話に付き合わせた事に対する文句も悪態も、隣からは届いて来ない。

 けれどもなんとなくそっちに顔を向けれなくて、誤魔化すように傍らに置いたアーカイブの表紙を爪先でくすぐる。

 

 

「お前は思い出を、随分と大事に語ってくれるな」

 

「……悪い」

 

「……別に。ただ。ただ……そうだな」

 

「?」

 

 

 空白の沈黙に、顎をすくい取られれば。

 片膝を抱き寄せながら、彼女が呟く。

 

 

「少しだけ、私はソイツらが羨ましいのかもしれない。過去としてでも、大切にされるなら」

 

 

 その願いは、あちらとこちら、どちらへと充てたものなのか。

 銀めいた灰髪から覗いた緋色が、一番星みたく細められていた。

 微笑むようにも──泣いてるようにも。 

 

 

────

──

 

【約束】

 

──

────

 

 

 どちらにせよ、痛いほどの感傷を秘めた紅い明星に、呼吸を遠ざけてまで見入っていた。

 だから、瞬く間に変わった視界の変化に気付くのが遅れたのかも知れない。

 

 

「……っ、ナガレッ!」

 

「?!」

 

 

 ルークスの瞳が大きく見開かれ、静寂(しじま)を裂く様な叫びを耳にした時には、目の前が闇一色に包まれていた。

 甘い感触と香りと、引き寄せられた衝撃に息を詰まらせて、咳が喉で押し潰れる。

 

 一体、なにがあって、何が起きた。

 柔らかく高い双丘から顎を逸らして見上げれば、吐息が掛かるほどすぐそこに冷美な横顔があった。

 ルークスに抱き寄せられたんだと、実感が追い付く。

 けれどもそれは直ぐに心血を凍らせる恐怖へと塗り潰された。

 

 

「────いきなり何の真似だ、貴様ら」

 

 

 恐怖を誘う変化は、複数あった。

 目に見えないのに質感が重くなる夜の空気、さっきまで俺が寄りかかっていた樹木に深々と突き刺さった『黒い小剣』、緋色が睨む闇の中でかすかに"ぶれた"、何かの輪郭。

 当惑する俺を背後へと庇うルークスの背中越しに見えたのは──

 

 

「損なった」

 

「邪魔をするな、女」

 

「成敗を妨げるか」

 

 

 現れたのは、死神の群れだった。

 セントハイムの夜景を背負った丘下から、黒泥の水溜まりをヒトカタに象ったような、真っ黒い衣の影の群れ。

 

 

(鳥の、仮面……?)

 

 そこから、まるで夜空の月みたく浮かぶ白い無機質な貌の三つ。

 鳥類を模した湾曲の(クチバシ)を持つ仮面達を見て、はじめて彼らが四人組の何者かである事を理解させた。

 

 

「な、なんだって……アンタら、いきなり」

 

 

 温度のない、ひたすらに冷淡な黒衣達の言動と、向けられた事のない無機質な意思。

 そして樹木に刺さった黒剣の存在が、急速に喉の奥を締め上げる。

 

 俺はたった今、彼らに……『殺されかけた』という事に、悲鳴が漏れなかったのは奇跡だった。

 

 

「サザナミ・ナガレ。精霊教の大河に沿わぬ異端児よ」

 

「許すまじ。神秘の冒涜者よ」

 

「汝に死を。背徳者よ」

 

(……精霊教? 異端児? 冒涜者って……)

 

 

 明確な殺意を向けられたのは、初めてのことじゃない。

 こっちに来た当日にアークデーモンに襲われた時だってそうだし、事実、本当に殺されかけた。

 けれどもあの時に肌をなぶったのは、人間が羽虫を払うみたいな、"雑"な殺意で。

 

 今、こうして表情のない鳥白面達から向けられているのは、黒々と渦巻く憎悪の波だった。

 

 お前が憎い、お前が悪い、お前を許さない。

 あえて文字に書き起こすなら、そんな一方的に穿つ感情の刃先を、突き付けられる心当たりなんて直ぐに思い当たれる訳がなかったから。

 

 

「そうか」

 

(……ルークス?)

 

 

 正直、何ひとつ状況に思考が追い付いていない。

 それでもこのまま唖然としていたって状況は好転するどころか、みすみす命を奪われるのだけは確かだ。

 

 アーカイブは樹の根元。

 なら、と震える手で腰にぶら下げたショートソードの柄に伸ばそうとする俺の腕を──褐色肌の後ろ手がそっと掴んだ。

 

 

「奇妙な面だと思ったが、潔癖に汚れたその口上ぶり。貴様ら……"貌のない女神"の信奉者(囲い)か」

 

「……否」

 

「我らは何者にもあらず。(カオ)無き者。名も無き者」

 

「故に人の意志に従うならず。故に我らは世界の意思の代行者」

 

「……ふん。涙ぐましい忠勤ぶりじゃないか、"捨て石共"が」

 

(捨て石……?)

 

 

 冷淡に吐き捨てたルークスの言葉に、死にたがりと揶揄された騎士の横顔が脳裏に浮かぶ。

 女神の信奉者、人の意志じゃなく世界の意思、そして精霊教。

 もしかしたらと、彼らの背景にある物がほんの少し見え透いたところで。

 

 

 心臓が跳ねた。

 

 

 

 

「ふざけるなよ」

 

 

 

 

 胸の内の鼓動を引きちぎれるほど駆り立てたのは、変化だった。

 

 

 深海の底よりも暗く冷えた声色を奏でたさっきまでの隣人が(まと)う、夜の黒すら塗り潰せそうな濃密な気配。

 決して表面的な変化じゃないのに、仮面の奥で息を呑む者達が向けてきた殺意が、生易しかったとすら感じるほどに。

 

 

「貴様らが。よりにもよって私を『忘れてくれた』連中が……今度は、奪うつもりか。やっと見つけた、光を」

 

 

 夜の宵闇が死ぬ。

 空間そのものが重苦しい。

 

 

「私を憶えてくれるヒトを」

 

 

 肌が音にならない悲鳴をあげる。

 呼吸の仕方すら、忘れそうだった。

 

 

「世界の意思が、だと? ふざけるな。そんな小さなモノ、知ったことか」

 

 

 恐ろしいという感情すら追い付かない、余りに大きな感情の流動に、ただ立ち尽くしている俺を。

 

 

「ナガレ」

 

 

 なのに、どうして。

 振り返った緋色(ルークス)の瞳は、そんなにも優しく見つめているんだろうか。

 

 

「もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう。"今度は、詫びは要らない"。だから──」

 

 

『私の名前──もう一度、呼んでみてくれ』

 

 

 この丘で久しぶりと口にした後に。

 彼女の名前を当たり前に呼んだ時と、同じように。

 

 無垢な子供みたいに、儚く、どこかすがる様な眼差しで。

 

 

「──約束、だ」

 

 

 どうしてか。急激に薄れゆく視界。

 色が負ける、目の前の緋色がぼやけていく。

 

 その最中で『残ったもの』は、告げられた約束事が一つと。

 

 

 

 ルークスの掌の上で揺らめく、黒白(モノクロ)の───

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

『何が、起きているんだ』

 

 

 目の前の光景に、残酷に転がった現実に、固唾(かたず)すら形を無くして露と消えた。

 白蝋の仮面で隠した顔の蒼白ぶりは、鏡を見るまでもない。

 

 片方の手に収まった黒剣の刃先が、震える事すら通り越して、茫然と地の草花と絡む。

 渇き切ったカサカサ、という草の音が、口の中の水分ごと奪ってしまったかのように。

 

 

「自ら総てを捨てたのなら」

 

 

 何が、起きたのか。

 仮面の奥で。黒衣の内側で。

 青年は、闘魔祭の初戦にて魔女の弟子に敗れた青年、ビルズ・マニアック"だった者"はただ青褪めた。

 

 理由は一つ。

 失ったからだ。信仰と誓いを共にした同胞を。

 刹那の内に。わずかな一時の間に。

 名と貌を自ら無くした彼らとて、まだ肉と骨と正義はあったのに。

 

 

「灰になるとて、身軽だろう?」

 

 

 奪われたのだ。

 呆気なく。

 目の前の、灰髪の女に。毛先だけが朱い者に。

 意識を失い安らかに横たわる異端を庇い立つ、緋色の魔女に。

 

 彼女の掌から今も淀み燃え上がる、黒と白に。

 【モノクロの炎】に。

 自然が編み、生む物ではない色に焼かれて。

 彼の同胞は、まるで世界そのものから存在さえ削り取られたかの様に、悲鳴もなく塵となった。

 

 

「……ば、化物。なんだお前は。なんだその炎は! そんなもの。そんな魔法は──」

 

「あってはならない、か。いつの時代も、お前達はそうだな」

 

 

 有り得ない。

 

 炎は赤く燃えるもの。

 水は青く留まるもの。

 風は緑に光るもの。

 土は黄に築くもの。

 雷は紫に瞬くもの。

 光は白に輝くもの。

 闇は黒に呑むもの。

 

 

「なら、最期に教えてやる」

 

 

 では、そのモノクロの炎はなんだ。

 何が司り、何色に(あや)め、何を行使するというのか。

 

 

この色(モノクロ)は、ただ灰にして奪うモノだ。祈りも、呪いも、命も、記憶も。(すべ)て」

 

「──そんな、魔法(モノ)は……」

 

 

 有り得ない。

 

 あってはならない。

 

 

 世界に満ちる精霊から受け取った魔法は、刃となり叡知となり、それでも人の繁栄の基と根差す。

 時に争いを生み、時に魔を撃つ為の剣となり、時に寄り添い恵む法。

 

 それが精霊魔法であり、ビルズが信奉し尽くしてきた絶対的な教えであるのなら。

 

 

 赦してはならない。

 

 

 精霊を模した某かを、招き象る奇術も。

 黒と白に()く灰色の炎も。

 総じてそれらは、異端である。

 

 

「精霊がッ!! 世界の意思が、赦すものかァァァァァ!!!」

 

「……無礼者が。誰に言っている」

 

 

 だが、正義を吼えて、信仰を刃に乗せて挑んだ彼は、火遊びを止めたモノクロの業火に、いとも容易く呑み込まれ。

 

 

「あ──」

 

 

 焼かれる瞬間すらなかった。

 肉が焦げる音もなく、体内の水分が蒸発する間もなく。

 ただ奪われる。(すべ)て。

 

 灰を、灰に、還すように。

 

 

「言ったはずだ。知ったことか、と」

 

 

 焔の温度の一欠片も宿さない、冷悧な彼女は静かに月を見上げる。

 

 

「私は、魔王なのだから」

 

 

 焼失した命の行方を見送るようにか。

 それとも。

 ただ一つの希望の光。

 その約束の行方を、乙女のように想っているのか。

 

 

 

◆◇◆

 

 

「……っ、くぁぁっ……、……?」

 

 

 鼻先に落ちた枯れ葉のくすぐったさを嫌がれば、自然と頭が冴えた。

 冴えたは良いけど、ポツポツと浮かんだのは疑問符ばかりだった。

 

 あれ。

 いつの間に寝てたんだ、俺。

 

 

「うわ、めっちゃ土ついてるし……」

 

 

 何も敷かずに寝転がってれば、服が汚れるのは至極当然で。

 辺りを見渡しながら衣服についた土を払い、げんなりとした息を吐く。

 

 現代日本じゃないんだし、野盗だっているかもしれないのに、なんでこんなとこで爆睡しちゃってんのかね。

 幸いアーカイブもスマホも樹の根元にあったから良かったけれども。

 

 

「それにしたって、どんだけ寝てたんだよ。ったく、それならちゃんと起こして────あれ?」

 

 

 と、そこでふと気付く。

 アイツが居ない。

 思い返せば気恥ずかしい俺の過去やら迷いやらを打ち明けた、彼女の姿は見渡したところでどこにも見当たらない。

 

 

「ルークス? おーい!」

 

 

 どういう事なんだろうか。

 もしかして、話の最中に寝てしまったのか。

 いや、幾らなんでもそんな寝落ちみたいな真似はなかったと思うんだけども。

 確かに闘魔祭での疲労がかなりキテたってのは事実だけども。

 

 

「……呆れて帰った、とか?」

 

 

 あやふやな記憶を辿ってみても、どうしてか、ハッキリしない。

 何か機嫌を損ねる事をしてしまったとか、話の内容の青臭さに呆れたとか、面倒になったとか。

 

 ルークスのクールな性格的に有り得そうだけど、やっぱ腑に落ちない。

 それに、多分、あの話は最後まで聞いてくれてたと……そう思う。

 確証はないけれども、確信はある。変な感じだ。

 

 

「…………帰るか」

 

 

 とはいえ、ここで一人あーだこーだ考え込んでも答えは見つけれそうにないし、流石にそろそろセリア達にも心配かけてしまいそうだし。

 仕方ない、と割り切って、アーカイブとスマートフォンを回収。

 なんとなくポンポンと樹の幹を叩く。

 尖ったもので穿たれた痕あるけど、なんだろこれ、なんて思いつつ、背を向けた時。

 

 

『もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう』

 

 

 リフレインが、囁いた。

 

 

「────あ。そういや、そんな約束……」

 

 

 前後は全くもってハッキリ思い出せないのに、そこだけ切り取られたように思い出す。

 まるで耳奥から記憶に囁かれてるみたいに。

 願うような声と、どこか儚い色した瞳も、ご丁寧に浮かび上がって。

 

 

「……」

 

 

 樹の方を振り返れば、そこには何もない。

 ルークスの姿も、アイツに渡したお詫びの品も。

 

 だったら、まぁ、うん。

 明日にまた逢うときは、変な話してごめん、みたいな謝りは要らないだろう。

 

 

「むしろ怒るのもアリかも」

 

 

 寝てしまったとはいえ、先に帰るのはナシだろうってさ。

 

 すっきりとした早朝みたいな澄んだ夜風に、機嫌と一緒に口角が上がる。

 深刻ぶってた癖に聞くだけ聞いて貰って、ちゃっかり調子を戻してる自分は、お嬢のことをお調子者だとか、とやかく言えやしないだろう。これからも言うけど。

 

 足取り軽く、丘を下る。

 ポツンと昇る銀色の月が、いつも以上に退屈そうに見えていた。

 

 

 

 

 



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Holic 3 予告

To be continued

   to the next Holic is ____

 

 

 

 

 

Beginning __ 開始

 

 

『やぁぁぁぁっって来ました、闘魔祭二日目!! 老若男女のエーブリバーディ! 昨晩歯ぁ磨きました? お手洗いはすませましたぁ?! 楽しみ過ぎて徹夜明けなんてことしてませんかぁぁ?! そんなピュアハートな方々も、このミリアム・ラブ・ラプソディーと一緒にィ、眠気なんか吹っ飛ばして参りまっしょ~う!!!』

 

 

 

 

 

Enthusiasm __ 暗躍

 

 

『……アレが例の、奇術使いか。さて、さて……余にとってのその価値は、どちらへどう、転ぶか』

 

 

 

 

 

 

Ranaway __ 暴走

 

 

『ナイーーーンッッ!! なにやってんのぉぉぉ!!! 戻って来ぉぉぉぉい!!!!』

 

 

 

 

 

Strong __ 強者

 

 

『惜しかった、が……お前が、二度も同じ手を使うほど、つまらん男じゃない事は知っている──残念だったな』

 

 

 

 

tenacity __ 執着

 

 

 

 

『《ママ》に! 触らないで!!』

 

 

 

 

 

 

 

meteor __ 流星

 

 

 

 

『【虎が生んだ龍を、知っているか】』

 

 

 

 

 

 

Golden __ 金色

 

 

 

『存分に味合わせてあげる。この精霊の………いいえ。"炎狼ハティ"の、強さをね』

 

 

 

 

Golden __ 黄金色

 

 

 

『グリーンセプテンバーの家訓が一条!』

 

 

 

 

starychild __ 迷子

 

 

 

『メリーさんみたいな弱い、お人形は……やっぱり、邪魔?』

 

 

 

 

Fear __ 怪人

 

 

 

【教えて差し上げましょう、メリーお嬢。彼はね──恐いんですよ。ただの都市伝説であるはずのキミが愛くるしく懐くキミが……"普通の女の子"にも見えて来てしまったから】

 

 

 

 

Tear __ 涙

 

 

 

『メゾネの剣は折れないって証明したい。その為に強くなるんだって一杯一杯、努力して。

 でも、それが段々、強さを求める気持ちそのものに取り憑かれてしまってるみたいに見える時もあって……このまま突き進んでしまったら、お兄ちゃんまで居なくなっちゃうんじゃないかって──恐くなるんです』

 

 

 

 

 

 

Trust __ 信頼

 

 

 

『心を決めたなら、後は為すだけ。男子(おのこ)でしょう、そなたは』

 

 

 

 

Heroic __ 勇壮

 

 

 

 

『……あぁ。今、"助けてやる"』

 

 

 

 

Will __ 決意

 

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を』

 

 

 

 

 

 

 

Holic __ 世界が陥る中毒症状

 

 

 

 

『それでは、ご紹介しましょう!!

 

 未知なる力を駆使してこの闘魔祭を勝ち上がって参りました!

 

 その活躍っぷりについた呼び名が【無色の召喚術師(クリスタルサモナー)】!!

 

 

 

 サザナミ・ナガレ選手の入場です!!』

 

 

 

 

 

 

The next PAGE TITLE__

 

 

Holic.3【Crystal Summoner】 Go up the Curtain__

 

 

 



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登場人物ファイル PAGE2

【No.001】

 

細波 流

 

 

《追記》

 

 

 様々な思惑の中で闘魔祭に参加する事を決めた。

 だがその理由はセリアを助ける為だけではない。

 自身の死、大切な人達との別れに対する実感や虚無感を誤魔化す為でもあった。

 ナガレの中で、アキラやリョージ、チアキといった友人達の存在はとてつもなく大きかったが故である。

 

 闘魔祭にて精霊魔法の頂点である『精霊奏者』と誤解されている事、メリーさんをはじめとした都市伝説たちの再現を『精霊召喚』と誤解されている事。

 致し方ないとはいえ、本人はかなり不満であるらしい。

 彼いわく、都市伝説愛好家のこだわりに反するそうだ。

 

 

《彼の親族について》

 

 本人いわく、両親は"もう居ない"とのこと。

 レジェンディアに訪れる前までは、彼が爺ちゃんと呼び親しむ祖父に引き取られ、生活していたらしい。

 

 

 

【No.002】

 

 

セリア

 

 

《追記》

 

 

 冷たい印象を受けがちだが、責任感が強い。

 闘魔祭の参加規約に弾かれた自分の代わりにナガレとナナルゥが出場を決めたことに、相当の責任を感じているらしい。

 

 またセリアは、精霊魔法を扱う上でのテクニック、詠唱技術《スペルアーツ》に秀でており、それをナナルゥに指導した。

 エシュティナの魔法学院に在籍していた経緯を持ち、成績も優秀だったらしい。

 

 

 

【No.003】

 

 

ナナルゥ・グリーンセプテンバー

 

 

《追記》

 

 

 当初は自信の無さ故に闘魔祭に参加する事を迷っていた。

 だが現れた昔の縁の挑発と、風無き峠にてかけられたナガレの発破を軸に、持ち前の意地っ張りで参加を決めた。

 火力が乏しい分、器用さに秀でるナナルゥは詠唱技術と相性が良いらしく、闘魔祭の準備期間という短時間でそれなりの詠唱技術を身に付けた。

 

 加えてまだはっきりとはしないものの、縁を深めていくうち、ナガレに対する感謝や情景が別の淡い感情に移り始めているのかも知れない。

 

 

 

【No.004】

 

 

アムソン

 

 

《追記》

 

 

 闘魔祭の準備期間中、ナガレに護身術を指導している。

 アムソンいわく、ナガレは筋が良いとのこと。

 またナナルゥもアムソンより護身術の手解きを受けているらしく、ナナルゥはナガレの弟弟子という事にもなるらしい。

 

 主であるナナルゥに芽生えはじめている仄かな想いにいち早く気付いているらしく、その想いを止めるどころかアシストするような素振りさえ見せている。

 彼の真意は、深い皺の奥に。

 

 

 

── 以下、Holic 2 にて登場した人物 ──

 

 

 

【No.007】

 

 

 ルーイック・ロウ・セントハイム

 

 

 

 セントハイム王国 十代目国王

 身長169cm 年齢16歳

 

 ロイヤルの代名詞的な華やかな金髪、青い瞳を持つ美少年だが、体格自体は普通。

 性格は国王とは思えないほどに優柔不断で気弱なところがあるが、優しく暖かみのある温厚な一面を持つ。

 セリアいわく、ラスタリアのテレイザ姫に御執心らしい。

 緩い発言も多く、宰相であるヴィジスタに度々お小言を貰っているが、彼に絶大な信頼を寄せている。

 

 

 

【No.008】

 

 

ヴィジスタ・アーズグリース

 

 

 

 セントハイム王国 宰相

 身長161cm 年齢73歳

 

 

 後頭部まで後退した白髪と、鋭く黒い瞳。

 鳥の嘴のような鼻を持ち、非常に厳格な雰囲気を放つ老人。

 

 数ヶ月前に先代である九代目国王『ルーファス・ロウ・セントハイム』が崩御した為に、16歳の若さで国王となったルーイックを支えている忠義人。

 平民の出でありながら先代国王に『我が宝』とまで言わしめるほどの深い知性と慧眼、政治的な手腕を兼ね備えた人物。

 民衆の間では『賢老』と称えられている。

 

 

【No.009】

 

 

ヤクト・ウィンターコール

 

 

 エルディスト・ラ・ディー 団長

 スペード隊部隊長 通称《エース》

 

 身長179cm 年齢25歳

 

 

 長めの黒髪に、開いてるか閉じてるか分からないほどに細い目元。

 関西訛りの口調と、瞳の色と同じ暗めの緑染めの着流しという格好が特徴的な青年。

 若い身空にありながらセントハイムに本拠地を構える傭兵団エルディスト・ラ・ディーの団長を務める。

 

 飄々とした常に余裕を持った立ち振舞いで、フレンドリーな性格。

 だが、奥底まで踏み込ませない話術と手の内を晒さない慎重さ。

 その上でナガレの特異性を感覚のみで察知する洞察力、ナガレの不思議な力を団の目的の為に利用出来ると踏み込む大胆さなど、曲者でありながら長としての能力は高い。

 

 エルザという、病床につく妹が居るらしく、彼女の病気を治す為に闘魔祭の優勝特典である『精霊樹の雫』を欲している。

 

 

 

 

【No.010】

 

 

 

ミルス・バト

 

 

 エルディスト・ラ・ディー 幹部

 ダイヤ隊部隊長 通称《ジャック》

 

 身長 155cm 年齢19歳

 

 

 クリアパープルのショートカット、深い青の瞳。

 白縁眼鏡をかけている。

 冷静沈着で事務的な口調だが物腰も柔らかく丁寧なので、図書館の司書が似合いそうな年若い女性。

 しかし見た目とは裏腹に、エルディスト・ラ・ディーの《四枚の切り札》という幹部の座に就き、幹部の中でも最年少の才女であり、団長エースに対しては割と容赦がない。

 

 それはエースに対する仄かな好意の証でもあるのだが、そのことに気付いてる者は少ない。

 実は前回の闘魔祭出場者であり、その縁で前回、今回と実況役を務めるミリアム・ラブ・ラプソディとは友人の関係である。

 

 

 

 

【No.011】

 

 

 

ロートン・アルバリーズ

 

 

 大貴族アルバリーズ家の嫡男。

 身長182cm 年齢26歳

 

 

 金髪、垂れ目、尖った鼻。

 黙っていればそれなりに整っているが、服装や言動の壊滅的なセンスが全てを台無しにしている。

 家名による権威と金で、美しいと感じた女性を片っ端から手にしていた。

 外聞を気にせず豪遊し、繁華街に入り浸ったり、気に入った平民を色町に連れ込んだりとやりたい放題しているらしい。

 自分以外の男、身分の低いものをとことん侮蔑するなど、ある意味分かりやすい人物である。

 

 だがナガレの再現した口裂け女にとてつもないトラウマを植え付けられ、女性不審に陥る。

 更には一周回って男色に目覚めたらしい。

 そのせいか、とある雇われの黒椿に手を出そうとして、完膚なきまでに殴り倒されたが、完全に余談である。

 

 

【No.012】

 

 

セナト

 

 

 黒椿の一員

 身長180cm 外見年齢 22歳

 

 

 褐色の肌、銀髪、深い黒の瞳。

 フード付きの厚めの生地の黒い和服に、口元を覆い隠す黒い布と、暗殺者のような格好をしている人物。

 

 大陸東方にて本拠地の里があると云われる凄腕傭兵集団、『黒椿』の一員。

 アルバリーズの依頼によりセントハイムに招かれたらしく、その実力は近接戦闘においてメリーさんと軽々渡り合えてしまうほど。

 

 寡黙そうな外見とは裏腹に、人柄はかなりの食わせ者のようで、皮肉も軽口も叩く。

 ナガレに対しては興味があるのか、彼をからかうような口振りが多い。

 

 

 

 

【No.013】

 

 

 

エトエナ・ゴールドオーガスト

 

 

 魔法学院エシュティナの学徒

 身長153cm 外見年齢14歳

 

 輝かしい金髪をサイドポニーテルに集めた、紅い瞳を持つエルフの少女。

 ナナルゥとは真逆なほどに起伏の少ない体型で、そのことを揶揄しようものなら彼女の精霊魔法で焼き付くされかねない。

 

 ナナルゥとアムソンの故郷であるフルヘイムでは、神童と持ち上げれている程で、炎の精霊魔法の使い手。

 ナナルゥとは幼馴染といえる間柄でもあるが、彼女の事をそよかぜと評して馬鹿にしている。

ナナルゥに負けず劣らず野心家。

 エルディスト・ラ・ディーと一時的契約を結び、闘魔祭に参加する。

 

 

 

 

【No.014】

 

 

 

フォルティ・メトロノーム

 

 

 エルディスト・ラ・ディー 山札(キティ隊)所属

 身長166cm 年齢15歳

 

 

 濃いブラウンの髪を、荒っぽく後ろに流した髪型、グレーの瞳。

 肩当て、籠手と戦士的な装備に身を固めた少年であり、エルディスト・ラ・ディーの予備部隊に所属している。

 紅い龍の翼の形状をした大剣を振るって闘うだけあり、身体能力は年不相応に高い。

 

 他者に対して心を開かない素振りが目立ち、誰に対しても敵対的。

 彼が闘魔祭に参加した理由は、彼の祖父らしき人物の名誉の為。

 その人物とは、かつて『メゾネの剣』と呼ばれ旧時代に活躍した英雄である。

 

 

 

【No.015】

 

 

 

ピアニィ・メトロノーム

 

 

 エルディスト・ラ・ディー 山札(キティ隊)所属

 身長156cm 年齢15歳

 

 

 濃いブラウンの長髪、グレーの瞳。上側だけ赤い縁の欠けた眼鏡をかけている。

 名前の通りフォルティの親族。フォルティとは双子であり、ピアニィは妹。

 

 強気な兄とは対照的に大人しく、礼儀正しく温厚。

 彼女が闘魔祭に参加した理由もフォルティと同じであり、闘魔祭本選の第一回戦にてナガレと闘った。

 水精霊魔法の使い手。

 

 

 

 

 

【No.016】

 

 

トト・フィンメル

 

 

 魔女カンパネルラの弟子

 身長150cm 年齢不明

 

 

 紫陽花に似た色彩の、羊の毛のような髪。アメジストの瞳。インクに浸けたような漆黒のローブを纏っている少女。

 土精霊属性の『精霊奏者』であり、セントハイムにとって畏怖の対象である、魔女カンパネルラ。

 その弟子であり、今大会の優勝候補。

 巨大な棺を常に担いでおり、その棺の中には巨大な聖母人形『マザーグース』が納められている。

 

 試合ではトトの指から魔力で出来た糸を伸ばし、その糸でマザーグースを操り闘う。

 

 

 

【No.017】

 

 

マルス・イェンサークル

 

 

 ベルゴレッド特殊部隊【聖衛第四位】

 身長181cm 年齢24歳

 

 オレンジ色のバンダナと、焦がし茶色の髪と瞳。

 自身で男前と言うだけあり顔はさっぱりと整ってはいるが、その身に纏う修行僧めいたローブが今一つちぐはぐな印象を与える男。

 背中をすっぽり覆うような亀の甲羅の形に似た大きな盾を背負い、手に古ぼけた槍を持っている。

 女性に目がなく、ナナルゥ相手にストレートなセクハラをかますほどナンパ気質だが、雷精霊魔法と近接武術を駆使して闘うその実力は底知れない。

 

 それもそのはずで、三大国家ベルゴレッドの特殊部隊である『聖衛隊』に所属し、更には階位を持つほど。

 彼が真の実力でもってナガレと相対していたのなら、きっと同じ結末には至らなかったであろう。

 

 

【No.018】

 

 

イコア・ペンテッド

 

 聖衛隊隊員

 身長155cm 年齢21歳

 

 薄紅色のミドルカットと背丈、更には童顔さもあいまって少女のような印象を受けがちだが、実際は二十歳を超えている。

 マルスと同じく聖衛隊に所属している身で、彼の直属の部下である。

 しかし上司であるマルスに対しては特別辛辣なのだが、それは彼らの間にある信頼の証ともいえる。

 

 

 

【No.019】

 

 

 

ジム・クリケット

 

 

 情報屋『シェシャ・マネキン』

 身長169cm 38歳

 

 

 琥珀色のおかっぱ頭とリスみたいに膨らんだ頬が印象的な男。

 常に媚を売るように腰を屈めている為、それなりの身長がありつつも、小柄な印象を与える。

 堂々と厚顔無恥な真似をするが、あまりに躊躇いがない為に、それも彼なりの処世術なのだと納得する者もいるとか。

 だが、闘魔祭に参加する以上、ただひ弱で狡猾な男である訳ではない。

 

 

 

【No.───】

 

 

シュレディンガー

 

 

 元魔将軍 通称『見境なし』

 身長180cm(仮) 年齢 不明

 

 アンバーの色彩をした、波のような癖があるロングヘアーと浅葱色の瞳。

 彫刻像の様な無機質かつ中性的な顔。

 所々にフリルがあしらわれた白い紳士服を上に。

 下半身は、左半分がルージュカラーのスカート、右半分は同じ色彩の足首まで覆うスラックスという特徴的な格好。

 

 魔王とも面識がある掴みどころのない妖魔で、性別も年齢も不明。

 

 クラウンメイク《お前の者は俺の者》と呼ばれる独自魔法によって顔や身体を偽ることができる。

 ジム・クリケットは彼或いは彼女の、情報屋としての仮の姿。

 

 ナガレのワールドホリックに強い興味を示している。

 

 

 

 

 

 

 

【No.───】

 

 

 

 

ルークス

 

 

 魔王

 身長174cm 年齢 不明

 

 

 きめ細かな灰色から毛先へ向かうにつれて朱という、不思議な配色をした髪。緋色の瞳と小麦色にやけた肌。

 聖域『精霊樹』にてナガレと出会い、二回戦終了時にナガレと再会を果たした。

 

 正体は、魔王。

 

 彼女がセントハイムに居る理由のひとつは、闘魔祭に参加するトト・フィンメルにあるらしく、シュレディンガーに彼女の調査を依頼していたらしい。

 

 その多くが謎に包まれている存在だが、『人の記憶に残れない』という特性があるらしく、その特性を呪いと憎んでいる。

 魔王でありながら人間という種に複雑な執着を持つ。

 

 

 現状、レジェンディアの世界にて、ナガレの複雑な過去の一端を唯一知る者。

 

 自分を忘れなかった細波 流という存在を、魔王は自らの希望の光と称した。

 

 

 



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都市伝説ファイル PAGE2

No.005

 

 

 

『口裂け女』

 

 

 

・再現性『A』

 

 

・親和性『B→B+』

 

 

・浸透性『B』

 

 

 

 保有技能【─未提示─】

 

 保有技能【うわさパンデミック】

 

 

・都市伝説についての情報を拡散する能力

 

 それ以外についての情報も拡散出来るが、その場合は拡散範囲と速度が低下する。

 

 

 

───

 

 

 1979年に流行した超有名な都市伝説。

 

 発祥は岐阜県と言われており、そのルーツは多岐に渡る。

 内容については、マスクをかけた姿で表れ、自分は綺麗かと問われる。

 その問いに綺麗と答えればマスクを外して素顔を晒し、綺麗じゃないと答えた相手には鋏や鉈、包丁などで襲いかかってくる、というもの。

 

 

 

その特徴に加え地域によっては

 

・二メートルを越える身長で

 

・赤い傘をさして空を飛ぶ

 

・三軒茶屋など「三」の数字が好き

 

・百メートルを六秒で走る

 

・実は三姉妹いる

 

などがある。

 

 

 だが、ナガレが再現した口裂け女ことくっちーには、本人いわく戦闘は苦手であるらしい。

 その代わりに噂の拡散という脅威の能力を持つ。

 

 都市伝説の内容とは裏腹に、くっちーの性格は案外普通の、ちょっとシャイな大人の女性。

 誉められたら照れるし、綺麗なものには見惚れる。

ナガレの事をかなりの変わり者だと思いながらも、自分のためにべっこう飴を用意してくれた事に深く感謝している。

 

 なお、泣き上戸であるらしく、酔っ払った時にはナガレにどうしようもない愚痴を吐いた。

 ナガレいわく、都市伝説の皮を被っただけの、『くたびれOL』であるとか。

 都市伝説の中でも苦労人ポジであるらしいので、愚痴りたくなるのも仕方ないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

No.006

 

 

 

『隙間女』

 

 

 

・再現性『C』

 

 

・親和性『B→A』

 

 

・浸透性『B』

 

 

 

 保有技能【物陰のインベーダー】

 

 全身を自在に伸縮させ、凡そ人間が通過出来ないほどの小さな隙間を通過したり、潜むことが出来る。

 上下だけでなく、縦幅も横幅も調節可能。

 

 

 

 

 

───

 

 

 

 メリーさんや口裂け女に負けず劣らず有名な都市伝説。エイダというニックネームが付けられた。

 人間の入れるはずもない隙間に潜んで、部屋の持ち主を凝視するというエピソードが典型だが、類話や派生もまた数多く、なかには『隙間男』というものも存在する。

 

 本作では再現性が低く見積られた為か、『日光』や『広所』、更には『対人恐怖症』というオプションが発生してしまっている。

 メリーさんやブギーマンには遠く及ばないまでも、ある程度の近接戦闘能力を所持しているらしい。

 

 極度のコミュ症にしか映らない彼女ではあるが、能力以外にも【隙間女】としての一面はしっかり持っていたりする。

 

 

 その証拠に、ナガレに心を許した途端、ストーカーも青ざめるレベルの偏愛っぷりを見せる。

 多分ナガレに対する好意を数値化したら、ぶっちぎりかねない。

 

 

 

 

 

 



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番外編その1『第一回奇譚会議』

「という訳で、第一回奇譚会議を始めようと思うの。勿論議長は、皆大好きメリーさんでお送りします」

 

 

 どこからか持って来た眼鏡をクイクイとしながらの謎の宣言が、薄暗い部屋の中で響く。

 四方を囲むボロい壁、床だけは新築ばりにピカピカというチグハグな空間に、彼女達は居た。

 

 横長なテーブルと六つの椅子と、『第一回奇たん会議』と崩れがちな文字が記されたホワイトボード。

 多分、そこだけ見れば会議室的な場所なのだろうと察するのは割と容易い。

 けれども、いかんせんその椅子埋めている面子が普通じゃなかった。

 

 

「いや、あの……何が、という訳で、なのかな?」

 

 

 ふんす、とやる気満々な金髪少女の進行に、待ったが掛かった。

 恐る恐る声と手を挙げたのは、ホワイトボード側から数えて五番目の席に座る、赤いレインコートとマスクが特徴的な黒髪の美女である。

 席の卓上に書いてあるネームプレートには、【くっちー】と記されていた。

 

 どうやらこの集まりは、メリーの突拍子もない発案によるものらしい。

 

 

「最近色々と人員も増えてきた事だし、ここいらではっきりとハッキリさせておくべきだとメリーさんは思うの」

 

「ええと、何を?」

 

「ふふん、そんなの決まってるの。今回の議題は、ズバリ! ナガレの一番のパートナーは誰が相応しいか!」

 

「…………」

 

 

 ドギャーンと派手な効果音が付きそうな(のたま)いっぷりに、口裂け女は唖然とした。

 とんだ議長の職権乱用である。

 蓋を開けてみれば、ばりっばりの私情であった。

 

 

「なのに、ブギーマンは結局来てくれなかったし」

 

「あ、あの都市伝説は……人の話を素直に聞くような存在ではないから……仕方ない、かなぁ」

 

「そんなの皆似たり寄ったりでしょ。むぅ……『興味ナシ』だって、むっかつく。今度メリーさん直々にヤキ入れてやるの」

 

 

 ついでに、議長はバリバリの体育会系であった。

 先輩風を吹かしまくりである。

 口裂け女ことくっちーのフォローも焼石に水。

 

 

「……キュイキュイ」

 

「む」

 

 

 そんな横暴を見兼ねるように、四番目の席……というかテーブルに四つ足を並べた銀色の毛並みの鼬が、鳴き声をあげる。

 それは言葉として伝わらずとも、メリーの横暴に呆れているのが丸分かりだった。

 鼬の三尾がペシペシと八つ当たりみたく叩くネームプレートには、【ナイン】と記されていた。

 

 

「キュ、キュイ。キュイキュイ?」

 

「え、ええと……し、『新入りが増えたからって危機感を抱いてる奴が一番のパートナーって名乗っちゃうとかどうなの?』って。ちょ、ちょっとナインちゃん、それは……」

 

「ぬあっ?!」

 

 

 さながら死神の鎌ばりに鋭いナインのマジレスがぐっさり刺さったのか、メリーは思わず素っ頓狂なうめき声をあげた。

 何故くっちーがナインの通訳をしてるかなど、どうでも良くなるくらいの刺さり具合だった。

 

 

「こ、この……セリアやナナルゥにオモチャにされてるあざとイタチの癖に!」

 

「キュッ?! キュイ! キュイイ!」

 

「『心外だ。自分だって好きで撫で回されてる訳じゃないのに』って……」

 

「ふーん。でもメリーさん、ナインがブラッシングされてる時に気持ちよさそーにしてるの知ってるんだからね」

 

「キュイ! キュッ、キュイ……」

 

「『お嬢がお上手なんだからしょうがないじゃん! 自分だって本当ならご主人にブラッシングされたいのに……』って、な、ナインちゃん……」

 

「くっちー、騙されちゃダメ。しれっと寒いダジャレ言うくらいには余裕あるの、コイツ」

 

「キュッ」

 

「えぇ……」

 

 

 ナインの本音と潤んだ瞳につい同情を誘われてしまったくっちー。

 だがそこは犬猿の仲であるメリー、騙されない。

 愛らしく鳴いてしらばっくれるあざとイタチと、笑顔で殺気立つメリーの視線の火花がぶつかり合う。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……(ど、どうしよう)」

 

 

 このままでは、どこからか取り出した銀鋏と、いつのまにか変化させた鎌の一尾が、物理的な火花を散らすのも時間の問題。

 上司同士のぶつかり合いの板挟みにあうOLさながらにオロオロとする黒髪美女の背に、ふと電流走る。

 

 そう、自分と同じく、ナガレがセントハイムに訪れて以降に再現した新顔はもう一人居るじゃあないかと。

 なんだったら、本日再現されたばかりのピッカピカの新入社員が。

 目に見えない電球をピコンと光らせた彼女は、テーブルの一番奥に置かれた席の方へと声をかけた。

 

 

「え、えっと……あの、エイダちゃん。エイダちゃんはどう、思う?」

 

 

 というよりむしろ、"席そのもの"に。

 エイダと名を呼んだ相手は、この会議に参加はしているものの、席はついてはいなかった。

 正確には、椅子の下に寝そべっていた。何故か息を荒げながら。

 

 

「ハァ、ハァ……飄々としてる感じのご主人様も良い。でもでも、アンニュイに落ちてるご主人様は、最っ高だしぃ……ふひひ」

 

「え」

 

「陰気なご主人様ハァハァ、一緒になって落ち込みたいし……落ち込むご主人様の撫で肩、憂い顔……んふ、でゅふふ」

 

「(うわぁ……)」

 

 

 端的に言ってヤバかった。

 頬を情感たっぷりに染めながら悦に浸っている隙間女の姿は、変態といって差し支えなかった。

 しかし、ここで折れてはならない。

 物々しい空気を変える為にも、何より自分にとっての主であるナガレの為にも。

 

 

「あ、あの! え、エイダちゃんは議題について何か意見はない?」

 

「むむっ」

 

「キュイッ」

 

「ぐへへへ……て、ぁ、え、私?! な、何故私だし?!」

 

「う、うん。ええと……入ったばかりの『新人』としてのね。ナガレくんの一番のパートナー……じゃなくてもいいから、どういう関係でいたいとか。そんな、忌憚のない意見を聞かせて欲しいなって」

 

「ど、どういう、関係? どういう……ご主人様、との……かん、けい……」

 

 

 

 苦労人気質な彼女の決死の覚悟は、見事に功を奏した。

 ゴングを鳴らす一歩手前の両者とて、再現されたての新入りには興味を惹かれていたのだろう。

 同時に集まる視線に、途端に身を縮こませるエイダの姿は少々(しの)びないが、これで風向きも変わる。

 

 だが、その変わる方角までは、流石に考えていなかったらしい。

 

 

「私は別に、ぱ、パートナーとかそんなのは良くて」

 

「うん」

 

「せ、精々……物陰からご主人様のことをジーッと見守っていたいってぐらいだし」

 

「うんうん」

 

「良い事あったときのニヤッとした顔とか、傷付いた時の憂い顔とか、普段見せない隙をたっぷりねっとりじっとり見てたいってぐらいだし」

 

「うん、う……ん……?」

 

「あと、ため息の数数えたりしたいし、爪切るときは右手左手どっちからとか知りたいし、ご主人様が独り言で何言ってるかとかをメモしてそれをご主人様観察日記みたいに書き留めてふとした時に読み返して悶えたりしたいなぁとか思ってるだけだし」

 

「──、……」

 

 

 くっちーの脳裏に、こいつはやべぇの一文走る。

 ヤバ過ぎる。内容もそうだが、何より矢継ぎ早に口にする度にエイダの荒くなる桃色吐息と身動ぎが恐怖を煽った。

 

 怪談都市伝説として筆頭に位置する口裂け女を、こうも戦慄させるほどの情念は、もはや筆舌に尽くしがたい。

 聞かなかった事にしよう、の選択肢にカーソルを合わせた彼女の逃避は、決して責められるべき事ではないだろう。

 

 

「キュイ」

 

「ん、なに。まだ何かあるの、あざとイタチ」

 

「キュイ、キュッキュッ。キュイキュイ~」

 

「んなぁっ?! そんなことないもん!」

 

「(ちょ、ナインちゃん! 『結局この議題って、自分がご主人にアダ名つけられてない事に対する八つ当たりでしょ。器ちっちゃいなぁ』って……そんなド直球に!)」

 

 

 正直くっちーとしても薄々気付いていた事ではあったが、せめてもう少しオブラートに包んで欲しかった。

 もっとも、真っ赤に茹で上がって否定するメリーの反応からして、薄皮で包もうが包むまいが結果は変わらなかったであろう。

 

 

「ナインこそ、闘魔祭でナガレに喚ばれてないからってメリーさんの悪口言って! ナインの方がよっぽど器ミニマムなの!」

 

「キュイ?! フーッ! キュイイイッ!!!」

 

「じょーとーなの! 前々からずっと気にいらなかったの、このあざとイタチ! ここではっきり白黒付けてやるの!」

 

「キュイッッ!!」

 

「あぁあぁ……け、結局滅茶苦茶な事に……」

 

 

 くっちーの健闘も虚しく、会議室は金と銀の衝突により暴風吹き荒ぶ危険地帯と化した。

 ギィン! とか。バキィ! とか。

 けたたましい衝突音によってひっくり返る椅子やテーブルを呆然と眺めながら、彼女はそっと心の涙を流す。

 

 

「ごめんね、ナガレくん……」

 

 

 不幸だったのは、都市伝説らしくもないまともさを持ち合わせているからだろう。

 

 もし元来の口裂け女ばりに恐怖の存在であったなら。

 あるいは椅子の下で涎を垂らしながらをビクンビクン としている誰かの様に、ぶっとんだ思考の持ち主であったなら。

 

 その心情は、推して測るべきである。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 しかしながらこの第一回奇譚会議において、ある意味一番不幸だったのは、恐らく彼女ではないだろう。

 

 

『……僕なんか、今まででまだ一回しか喚ばれてないんだけどなぁ』

 

 

 ずっと席を埋めて、ついぞ触れられる事すらなかった彼の都市伝説。

 鼻についた輪っかをチャリンと鳴らし、彼は憂う。

 

 

『再現された時も、なんだか失敗みたいになっちゃったし』

 

 

 再現元の都市伝説の中では恐らく断トツでエグくバイオレンスであり、能力も限定的ではあるが超強力だというのに。

 

 

『僕にもアダ名なんてのもないし、出来る予定もないだろうしなぁ……ハァ』

 

 

 機会に恵まれない、己が身の不運を憂いながら、そっと願う。

 

 

「モォ~……」

 

『どうか、出番、増えますように』

 

 

 何故かこの場において乳牛に象られた彼の、切ない鳴き声は荒れ狂う暴風の前に儚く掻き消される。

 

 やっぱり、一番不幸であったのは彼であった。

 

 

 

 

 

 

第一回奇譚会議__終幕



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Holic 3 【Crystal Summoner】
Tales 63【グローゼム大公】


 多分俺は、人の縁ってモノには恵まれてるんだと思う。

 だってそうだろう。

 遅くなって悪かった、その一言さえ喉の奥にひっこむこの膨れっ面を前にすれば、確信は一層濃くなる。

 

 

「良いですことナガレ! 不安だの何だのに足を取られるべからずですわよ! 短い間とはいえ、このわたくしの傍に侍り、豪華絢爛にして勇猛果敢なわたくしの姿を近くで見てきた男が、あんな見るからに野蛮な輩の言葉に引き下がるんじゃありませんわ!」 

 

「……」

 

「闘う理由だとか、今後の事とか、そういうモノはまず勝ってから考えれば宜しいんですのよ! だ、だからですわね、ほら、とらぬ狸の皮算用と……ってなんでそこで狸が出てくるんですの!」 

 

「あーもう……落ち着きなって。ホントにお嬢はもう」

 

 

 気遣い過ぎてたたら足を踏んでしまう俺みたいなのには、お嬢ぐらいの遠慮なさがむしろ心地良い。

 尖らせた唇を突き出し怒るお嬢の肩の向こう、苦笑がちに肩をすくめながら、少しスッキリとしてるセリアの顔を見れば、きっと彼女も同感ってところだろうか。

 

 何故だか、それが大きな安堵に繋がって、笑みが零れる。

 

 

「何笑ってやがりますの!」

 

「お嬢が面白いから以外にないでしょ、はははは!」

 

「むっきぃぃい!!」

 

「精一杯の励ましの肝心な部分を定められず、つい照れ隠しも混ぜて憤慨したくなるお気持ちは察しますが、声を荒げるのは少々はしたないですぞ、お嬢様」

 

「んえっ?! なぁっ、んなっ、あ、あああ、アムソンーーー!!!」

 

「ほっほ」

 

 

 アムソンさんからの意地悪い忠告に、分かりやすく狼狽するお嬢の微笑ましさ。

 けれどもやがて此方にも被害が来そうなほどの台風の目に育ち兼ねないので、そそくさと撤退を開始すると。

 

 

「ナガレ」

 

「ん?」

 

「明日……の相手は、セナトと魔女の弟子ね。対策とかは考えているの?」

 

「んー……まぁ、セナトに関しては、一応。トト・フィンメルの方は……ま、正直出たとこ勝負だな」

 

「……そう」

 

 

 連れ添って並び歩きながら、声をかけてきたセリアは、どこか選ぶように言葉を紡ぐ。

 棲んだ青色の瞳は、こちらを向いていない。

 多分、本題は別なんだろう。

 

 

「無茶、は──、……いいえ」

 

「?」

 

 

 けれど前置きの背に隠した本題は、繋がる糸を切るように途中で引っ込んで。

 思わず足を止めて窺えば、フゥ、と甘く唇を滴らせる凛とした美貌が、オーロラの輪郭みたいな柔らかさを伴った。

 

 

「貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を。だからね、ナガレ」

 

「……」

 

「無茶を叱るのも、お礼を言うのも……全部終わってからにするわ」

 

「──っ」

 

 

 普段の素っ気なさを捨てた言葉は、流水のように滑り込んで、水面を人差し指でつつくように波紋を広げる。

 要は、目先の事を好きなように、っていう事なんだろうけどさぁ。

 

 

「戻るわ。お休み、ナガレ」

 

「……はいよ」

 

 

 こっちの頬を両手で包みながら、伝える事かよ。

 完全に想像外の行動だし、息がかかるくらいに顔を近付けるもんだから、流石に狼狽えるって。

 心臓に悪い。鏡見て自分の顔の造形を把握してからやってくれ、そういうのは。

 

 そんな幼稚な悪態を、結局口には出せず。

 拗ねたように応じれば、クスッと微笑みひとつ残してセリアが去っていく。

 

『からかいやがった』よ、アイツ。

 初めて見せたセリアの茶目っ気が堂に入っていた事が、なんか悔しかった。

 

 

────

──

 

【グローゼム大公】

 

──

────

 

 

 人の噂も七十五日と言うけれども、逆に噂が広まる二日目や三日目は全盛期と取れる。

 闘魔祭二日目の闘技場への道のりは、初日とは比べ物にならないくらいの人々とざわめきで溢れていた。

 

 大通りの両脇を埋め尽くすくらいの人波を見れば、老若男女の偏りがない。

 まだ陽が昇り切らない午前にこうも集まる理由は、闘技場へと向かう選手達を、より近くで眺めれるチャンスだからだろう。

 ってなれば、昨日派手に立ち回った人間に向けられる視線の量は凄まじい事になる訳で。

 

 

「きた! 精霊奏者の……!」

 

「本当か? まだあんなに若いぞ」

 

「あらあら、近くで見たら綺麗な顔してるわね~。女の子みたい」

 

「噂のミステリアス!」

 

「メリーさんの人だぁ!」

 

 

 ってな具合に、そりゃもうパンダかってくらいに好奇の視線がビシバシと伝わって来る。

 精霊奏者、ミステリアス、メリーさんの人。

 これが全部自分を指した代名詞なんだと考えれば、思わず苦笑だって浮かぶ。

 バラエティーに富みすぎて、かえって闇鍋みたいになってるし。

 

 というか箒片手にうっとりしてるそこの奥さん、何言ってくれてんの。

 皆が皆、熱気に当てられてる。まさにお祭り気分ってヤツか。

 

 

「す、すげぇ美人だなあの人」

 

「他国の騎士様か? 良いなぁ……」

 

「あのエルフ、ナイスミドルねぇ」

 

「……出来るな、あの執事」

 

 

 仕方のない事とはいえ、道すがらを共にしてくれてるアムソンさんとセリアには、申し訳なさを抱いてしまう。

 本人達は気にしてないみたいだけども、二次被害喰らってるようなもんだし。

 

 まぁ、もっとも。

 俺達三人を除いた残りの一名にとっては、テンションを最高潮に押し上げる要素でしかないんだろうな。

 

 

「オーッホッホッホ!!! この注目のされようと言ったら……良いではありませんの、良いではありませんの!! さしずめ昨日のわたくしの活躍っぷり、しかと目に焼き付けていたようですわね。たった一度の闘いでこうまで観衆を惹き付ける……そう、それは無理のないこと! むしろこの黄金風のナナルゥからしてみれば当ッ然の摂理ですわ!! 宜しくてよ、皆の衆! 今日の闘魔祭も、わたくしの活躍をご覧あそばせ!」

 

「……全開だなぁ、お嬢」

 

「いつもの事でしょう」

 

「お嬢様が楽しそうで何よりでございます」

 

 

 流石を通り越してもう安心感すら与えてくれる快笑っぷりを見せてくれるお嬢も、エルフということでやっぱり注目されていた。

 昨日の闘いっぷりもある意味語り草になるだろうし、それにまぁ、お嬢の容姿も目立ってる要因だろう。

 

 自分で言うだけあって、実際外見は気品のある美少女って評価に異は挟めない。

 ただ、やっぱりスタイルの一部の自己主張が激しいからね、うん。

 人波の中には朝早くからお盛んな男衆も居るようで。

 

 

「調子乗ってるのは良いけどさ。お嬢も今日はあのエトエナと対戦でしょ。ちゃんと対策とか考えてんの?」

 

「うぐっ……も、勿論万事問題休止ですわよ!」

 

「それを言うなら万事問題なし、な。大丈夫かホント」

 

「うぅうるさいですわね! わたくしが大丈夫と言ったら大丈夫なんですのよ! 全く、ナガレにまでアムソンのお小言癖が移ってるじゃありませんの」

 

「おや、その言い様は心外でありますな、お嬢様。このアムソン、おこがましくも小言を挟ませていただく理由はひとえにお嬢様の為にと」

 

「あぁもう、ナガレのせいでまた始まったじゃないですの……折角良い気分でしたのにぃ」

 

「はいはいごめんって」

 

「誠意がちっとも籠ってませんわよ!」

 

 

 レッドアイに怒りの焔を灯しながらポコスカ叩いてくるお嬢を苦笑がちに(なだ)める。

 大衆の面前だろうがブレる事のない"らしさ"は、見習いたいとこだな。

 

 強敵が待ち受けているのはお嬢だけじゃない。

 黒椿のセナト、魔女の弟子のトト。

 下馬評での優勝候補ツートップ。俺がしのぎを削る事になる相手もまた、文句なしに強敵なのだから。

 

 お嬢に絡まれつつも改めて気を引き締めた、そんな折。

 そろそろコロッセオの入り口が見え始めたという頃に、周囲が蜂の巣をつついたかの様にざわめきだした。

 

 

「お、おいあれ……あの馬車」

 

「銀あしらいの竜頭の家紋」

 

「大貴族の……」

 

「アルバリーズ家……」

 

 

 ざわめきの種火ば、どうやら人垣の向こう。

 雑踏を越えて届く馬の(いなな)きが数秒を数えれば、コロッセオの入り口に一台の豪奢な馬車が停まった。

 周囲の反応やその馬車から察するに、よっぽどの人物が乗ってるんだろうけれども。

 

 

「セリア」

 

「……」

 

 

 過ったのは、あまり良いとは言えない記憶。

 セントハイムに来て以降、俺達と関わった貴族といえば、彼しかいない。

 思わずひきつりそうな喉が、嫌な生唾を飲み込む間に、衆目を浴びた馬車の扉が開かれる。

 けれども、姿を表したのは予想していたあの『ドラ息子』ではなかった。

 

 

「(ロートンじゃ、ない。けど……)」

 

 

 馬車に負けず劣らず豪奢なガウンコートを身に纏ってはいるものの、伸びた背筋と大柄な体格が放つ傑出した風格を包むには、それすら物足りない。

 近くでなくともそう思えるほどの、上品に整えられた髭と老いを感じさせない精悍さ。

 

 逆立つ短い金髪と、とてつもない眼力の瞳も加われば、残る印象は。

 

 傑物。その一言で全てのカタが着く。現れたのは、そんな印象を抱かせる人物だった。

 

 

「あの御方は……グローゼム大公だわ」

 

「グローゼム大公?」

 

「えぇ。アルバリーズ家の、現当主」

 

「……!」

 

 

 セリアの忠告に、驚きと納得が同時に去来する。

 あれが、あのロートンの親父さんなのかっていうのと、流石に大貴族の頭領なだけあって存在感が違う。

 恭しい付き人達を側に侍らすその大人物の姿は、まさにというべきか。

 

 

「おぉ、ほんとオーラとか遠目でも凄いな。こりゃ同じ貴族でもお嬢じゃ分が悪い」

 

「んなっ! ぬぁに勝手に比べてやがりますのナガレ! というかわたくしの方が見劣りするってんですの?!」

 

「どわっ、ちょ、ちょっとした冗談だって! ジョークジョーク!」

 

「ナ~ガ~レ~……最近ちょくちょく小生意気さが目に余ると思っていたんですの! よろしくってよ。今日という今日はこの黄金風のナナルゥがいかに麗しく絢爛で眩い存在であるかをじっくりコトコト煮込む様に、その骨身に沁み込ませて差し上げますわ!」

 

「あ、まずい結構本気の眼だ。セリア、アムソンさん、助けて」

 

「自業自得でしょう」

 

「ほっほ。最近腰を痛めましてな。老いた身に無理は禁物でございますゆえ」

 

 

 ついポロっと口をついて出た災いが、物の見事に暴風災害を招いてしまった。

 首根っこを掴まれて、細腕とは思えないパワーでズルズルと闘技場へと連れ込まれる俺を、薄情ながら妥当にも見捨てるセリアとアムソンさん。

 

 もはや様式美になりつつある一幕に、身から出た錆びとはいえガックリと落とした肩が──ビクッと跳ねた。

 

 

「っ!」

 

「こら、暴れるんじゃありませんの。抵抗したって今更許しませんわよ」

 

「……ぁ、そう。執念深いねお嬢は」

 

「誰のせいだと思ってんですの!」

 

 

 ガーッと注がれた油を忠実に燃やすお嬢に再び引き摺られながら、黙り込む。

 さっきの、背筋が凍り付くほどに強烈な『視線』。

 あれは、一体……なんだったんだろうか。

 

 たった刹那。

 けれど今も肌に纏わりつく濃厚な誰かの意志に、表情を強張(こわば)るのを避けられなかった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「……いかがなされましたか、閣下」

 

「なに、少々珍妙なモノを見付けてな」

 

「珍妙……と言いますと?」

 

「貴様が気にする事ではない」

 

「ハッ、出過ぎた真似を。失礼致しました」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

「……クク。アレが例の、奇術使いか。さて、さて……我らにとってその価値は、どちらへどう、転ぶか」

 

 

 

 



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Tales 64【因縁バーサス】

『やぁぁぁぁっって来ました、闘魔祭二日目!! 老若男女のエーブリバーディ! 昨晩歯ぁ磨きました? お手洗いはすませましたぁ?! 楽しみ過ぎて徹夜明けなんてことしてませんかぁぁ?! そんなピュアハートな方々も、このミリアム・ラブ・ラプソディーと一緒にィ、眠気なんか吹っ飛ばして参りまっしょ~う!!!』

 

「「「「「おおおおおぉぉぉ!!!!」」」」」

 

「テンションたっかいなぁ」

 

 

 開幕からハイテンションなミリアムさんと観客達の歓声が、肌をビリビリと震わせる。闘技場の重たい開閉門すら振動してるし。

 飛ばしてんなぁと、つい他人事な感想を吐き出していれば、ついにはジーンズのポケットさえブルブルと。

 

 あ、違った。

 こっちはいわば、お馴染みの彼女からの遅過ぎるモーニングコールってところだろうか。

 

 

《ふっふっふ。ついにこの時が来たの……あっ、私メリーさん》

 

「とってつけなくて良いから。おはよ、メリーさん。で、この時って?」

 

《決まってるの。ことあるごとにナガレの背後を狙うあの"黒い人"をぎゃふんと言わせる時が来たってこと……ナガレの後ろはメリーさん専用って、こないだの会議で決まったんだからっ》

 

「黒い……あぁ、セナトのことね」

 

 

 そういえば、予選の時にセナトの事をムカつくとか言ってたっけなメリーさん。

 スマホ越しに聞こえる甘いソプラノは、すっかりやる気にみなぎっているようだ。

 昨日の疲れはすっかり取れたらしい。

 

 それにしても会議ってなに。

 え、番外編? 別に気にしなくても良い?

 あーうん、ならまぁ良いか、なんか聞かない方が良さそうな気もするし。

 

 

『今日、最終決戦へと駒を進める二組が決まります!!

一回戦、二回戦で確かな実力を示した選手が目白押し! 魔法か武術か、知略に策略、経験か才能か!

選手達の更なる凌ぎの削り合いは、きっと私達をより魅了してくれることでしょう!!』

 

「ま、簡単に勝たせてくれる相手じゃないのは間違いないし。"例の確認"も頼んだよ、メリーさん」

 

《それはお任せしてくれていいけど……はぁ。本当にアイツも喚んじゃうの?》

 

「メリーさんを信用してない訳じゃないけど、流石に一人じゃキツいだろうし。喧嘩しないでくれよ?」

 

《ぶーぶー》

 

 

 件の"アイツ"とは、よっぽどウマが合わないんだろう。

 犬猿の仲とでも言うべきか。それでも反対するだけの理由が思い浮かばないらしく、メリーさんは子供みたく口を尖らせた。

 ただ、それとは別の気掛かりが彼女にはあるらしい。

 

 

《それにもし、例の予想が"外れたら"どうするつもり?》

 

「んー……」

 

 

 昨晩セリアに答えたセナトへの対策の念押し。

 こう言っちゃなんだけど、マルス戦同様、対策というには不確定要素もちらほら浮かぶ程度の策。

 もし失敗したら。もし想定が違ったら、その時は。

 

 

「いっそ白旗でも振るかな」

 

《諦めがはやーい》

 

「出たとこ勝負はいつもの事だろ?」

 

《胸を張れることじゃないの》

 

「確かに」

 

 

 大変なのはこっちなんだから、と言いたげなトーンも苦笑で流す。

 ただでさえ想定通りに事が進んでも、勝てるかどうか怪しい相手なんだし。

 劇的なアイデアが降ってくれれば楽なんだけど、そんな簡単には世の中動いてくれやしない。

 

 

『それではぁぁ第三回戦の火蓋をバチィッと切っていきましょう!!! まずは剣のブロック、第一試合!』

 

「それでも、やるだけやるよ。意地張る為にな」

 

《……ちょっと今、無理矢理格好付けたの》

 

「バレたか」

 

 

 なんかメリーさん、セリアの普段が伝染(うつ)ったみたいに手厳しい。

 それもある意味相方らしさかもなと、お後を宜しくしといて。

 

 アーカイブを一撫でして、射し込んだ正面の光へとへと向けて、靴先を上げた。

 

 

────

──

 

【因縁バーサス】

 

──

────

 

 

 

『さぁさぁ、初戦からいきなり今大会注目株同士の激突です!! まずは剣のコーナーより!』

 

 ミシミシと音を立てて開いた門を潜れば、昨日よりも一際勢いを増した歓声が空気を塗り替える。

 そのボルテージに背を押されながら、闘技場の中心へ。

 

 

『精霊メリーさん、そして二回戦にて新たなる精霊さえも召喚してみせた彼は、果たして"何色"の精霊使いなのか?! 勝ち進める度に注目度を増すトリックスター、サザナミ・ナガレ選手の入場でっっす!!!』

 

「(ミステリアスの次はトリックスターと来たか。あえて大袈裟に言ってるんだろうけど)」

 

 

 昨日と今日とで、大袈裟な肩書きがどんどん増やされている事に、どうしたもんかと首を傾げながら肩をほぐす。

 周りの観客も乗っかってミステリアスやらトリックスターやらと声を挙げてるし。

 

 その声援の量に、自分が今、改めて大舞台に立ってるんだって自覚さえ抱く。小さく空いた口から落ちる吐息も妙に熱い。

 でも、不思議と緊張はしなかった。

 

 

『さて対するは魔のコーナー! こちらも同じく注目株、一回戦、二回戦での圧勝ぶりに今大会優勝候補の一人ではと囁かれる黒衣の使者! その腕力は細いながらもモーニングスターすら受け止めるほどのパワー、その脚力は影すら見えないスピーディー!』

 

 

 勿論、それは決して油断なんかじゃない。

 強いていうなら、高揚感なのかも知れない。

 思い返せば、セントハイムに来て以来の因縁の相手、かもだしな。

 

 

『神速の影法師、セナト選手の入場でっす!!』

 

 

 アンタもそう思うだろ。

 前触れも、自覚さえもなく挑発めいた微笑が浮かべば、そのままそっくり対面の黒衣も愉快気は微笑みで返してくれる。

 もっとも、それだけの『返し』で終わらないのがセナトという人物であって。

 立ち位置まで歩み寄るなり、黒布で覆われた口元を嘲笑混じりに震わせた。

 

 

「三分、らしい」

 

「は?」

 

 

 ピッと立てられた三本の指。

 三分って、いきなりなに。カップラーメンでも作るつもりか。

 いや、んなものセナトが知ってる訳ないけど。

 三本の指が示すモノが今ひとつ分からなくて、反射的に声を挙げる俺の姿に、黒曜石の瞳が愉快そうに細まった。

 

 

「私の闘魔祭での試合時間、だそうだ。無論、"合計"でだがな?」

 

「…………ふーーーん」

 

 

 はいはい、なるほどなるほど。

 目には目を。歯には歯を。挑発には挑発を、って訳ね。

 軽く小首を傾げる仕草が如何にも「さてお前はどれくらいの時間だったか」と問いたげで、実に腹立だしい。 

 とんだ意趣三倍返しだよ、こんにゃろう。

 

 

「なんせ『神速の影法師』だもんな。確かに試合時間からなにまで速いんだろうけど、その分影もうっすいんじゃない?」

 

「ククッ……だがどうやら私は優勝候補らしいぞ。影が薄いにしては、随分な持ち上げられ様じゃないか」

 

「羽振りの良い『雇い主さん』が大金叩いてミリアムさんに言わせてる、ってオチだったら爆笑モンだよな」

 

「なるほど。それは確かに滑稽だな」

 

「でしょうよ。ハハハ」

 

「こやつめ、クハハ」

 

『おおーっとぉ……内容は聞こえませんが、どうやら既に言葉の矛先をぶつけ合ってるようです! もしや因縁のライバル同士とかなのでしょうかッ、だとしたらより一層燃える対戦カードと言えるでしょう!』

 

 

 負けじと挑発を重ねれば、打てば響くように飄々とした答えが返ってくる。

 とんだ試合前の挨拶ではあるが、妙に小気味が良い。

 黒い外套に身を包んだ、近寄りがたい忍者染みた見た目の癖に、割と饒舌だからだろうか。

 

 といっても、笑顔で足踏み合ってるようなもんだけど。

 ミリアムさんの言うようなライバルって間柄は、御免被(ごめんこうむ)りたいだろうね、お互いに。

 

 

『観客も選手同士も、そしてわたくしミリアム・ラブ・ラプソディーのボルテージも最高潮といったところで、三回戦第一試合、そろそろ行ってみましょうじゃあ~りませんかぁ!!』

 

「両者、準備は宜しいですね」

 

「「……」」

 

 

 期を見計らったアナウンスを皮切りに、レフェリーの冷涼な声に頷きながらふと気づく。

 フォーマルスーツとベルキャップと鉄面皮、あの予選会場で係員を務めたあのお姉さんだ。

 

 こんなとこまで揃えば、ますます因縁めいた色合いが強くなる。

 偶然か作為か、なんとなくあの煽り上手のオルガナさんの顔が脳裏を過ぎれば、お姉さんとパチリと目が合う。

 

 軽い会釈と、ため息混じりに肩を竦める仕草。

 あぁ、やっぱりオルガナさんの演出か。あの人好きそうだもんな、そういうの。

 

 

(……さて)

 

 

 と、余談はここまで。

 集中しろ、と言い聞かせる。浅い呼吸に切り替えて身構え、ホルスターを外す。

 そんな俺の臨戦態勢を前に、"それでも"セナトは柳の様に立つだけだった。

 

 でも、それはあくまで姿勢の話。

 ピシリと、空気が変わる音がした。

 

 

「──」

 

「!」

 

 

 立ち姿は同じでも、セナトを取り巻く雰囲気はガラリに変わっている。

 それも呑み込むような威圧ではなくまるで刀の先端を突き付けられているような。

 俺だけに向ける為の、凝縮した、冷たい殺気。

 

 

「では只今より、剣のブロック、三回戦第一試合……」

 

『それでは参りましょう!!』

 

 

 押されてる場合じゃない、思い出せ。

 アイツが聴いてもいないのに教えてきやがった、喧嘩の『鉄則』を思い出せ。

 

 

「──試合」

 

『──試合』

 

 

 いわく、ビビッたら負け。

 ヤバい時こそメンチを切れ──だっけ。

 

 

「開始ッ!!」

 

『開始でっす!!』

 

 

 ぶっちゃけ、あの時はそんなのただの根性論じゃんって思ったけど。

 今この時、この瞬間に()いては、確かに身を助ける鉄則になってくれたらしい。

 

 

「ッ」

 

「──!」

 

 

 メンチ切るくらい睨み付けていたからだろう。

 顔めがけて飛んできた"黒い切っ先"を見逃さずに済んだ。

 

 標的を視覚で捉えて、最小限の逸らしで回避。

 そのままの流れで大きく後退し、悪意を込めてニヤッと笑ってやる。

 

 

 奇襲は失敗、残念だったなってさ。

 

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

 

 そんで、今度はこっちの番。

 奇遇だな、セナト。

 

 

「来てくれッ、メリーさん! そして──」

 

 

『奇襲』と『速攻』、考えてたのはこっちも同じなんだよ。

 

 

「"ナイン"ッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 



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Tales 65【強敵】

 情報のアドバンテージ。その大事さはマルスとの戦いで充分に思い知らせれていたこと。

 己を知りお相手を知れば百戦危うからずって言うし。

 

 その理屈でいけば、はっきり言って俺は弱い。

 多少喧嘩馴れしてたってセナトみたいな達人相手じゃ児戯みたいなもんだろうし、ここまでの戦いできっとセナトも察している。

 

 そんな俺に脅威があるとすれば、当然メリーさん達を喚ぶ力、ワールドホリックの一点だろう。

 しかし、それにも対抗策はある。

 簡単な話、喚ばれる前に叩けば良い。それだけ。

 

 

 逆を言えば……俺が一番気を付けなくちゃいけない瞬間は、試合開始直後だって話になる。

 セナトの奇襲を避けられたのは、その部分も大きかった。かなりギリギリだったけど。

 

 それでも奇襲を防げたのなら、そのご期待に"多大"なサービス精神でもって応えてやる事にしよう。

 身に馴染んだ高揚感と共に喚んだキャストは、まずは──お馴染みメリーさん。

 

 

「私メリーさん。ここで会ったが百年目なの、黒い人!

今度こそぎったんぎたんにしてあげるんだからっ」

 

「百年ぶりか。久しいな、とでも返しておこうか」

 

「どこが。二日前だよ、久しぶりでもないでしょうが」

 

『か、開始早々波乱の展開です! ナガレ選手、セナト選手の先手をきっちり見切り、そして! お待たせしました皆々様。今大会の名物、精霊メリーさんの登場です!!』

 

 

 現出するなりセナトに向かってビシッと指を差す。

 積年のライバルばりの宣戦布告ではあるが、向こうさんの受け止め方は、今ひとつわざとなのか素なのか分からない。

 

 熱のない俺のツッコミも、すっかり名物となってるメリーさんの登場に沸いた歓声にかき消される。

 だが、歓声の中にも幾つかのどよめきが混ざっていた。

 その原因は、メリーさんの隣に現れたもう一人……いや、もう一匹の登場にある。

 

 

「ふむ。だが……どちらかと言えば、久しぶりもなにもない、が言葉通りとなるのは"そちらの新顔"との話になるだろうな」

 

「ま、確かに。これがデビュー戦だし」

 

『さらにさらにぃ! ナガレ選手、期待に応えてまたもや新しい精霊を召喚してみせてくれたようです! えーっと……あれは、イタチ、で、あってるんでしょうか?? ナイン、という名前のようですが……』

 

「キュイー!」

 

『か、可愛い……あ、げふんげふん。ナインちゃんで合ってるみたいですねー! しかしその愛くるしいシルエットは闘魔祭には似つかわしくないものですが、果たしてどんな活躍を見せてくれるのでしょうか!』

 

「チッ、あざとイタチめ……」

 

「舌打ちしない」

 

「むう」

 

 

 ミリアムさんのアナウンスに応えるように尻尾をピンと立てて応えるニューフェイスの登場に、歓声に黄色いモノが混ざった。

 まぁ、その反応は織り込み済みでもある。なんせあのセリアが鉄面皮を崩すくらいだし。

 

 だが、そのあざとさが気に要らないのか、刺々しく悪態をつくメリーさんをやんわりと(なだ)めつつ、腰の剣を抜く。

 それを合図に、メリーさんとナインも臨戦態勢を作った。

 

 

「精霊の同時召喚と来たか。随分驚かせてくれるじゃないか」

 

「全然驚いてる様に見えないんだけど」

 

「顔に出さないだけだ。お前の方は、急に顔色が悪くなったが……どうやら同時に、というのは簡単ではないらしいな」

 

「っ」

 

「存外分かり易いヤツだ」

 

「アンタが目敏いだけだろ」

 

 

 腹芸はアッチのが一枚上手であるらしく、同時召喚の負担を早々に見抜かれてしまった。

 奇襲失敗を意に介した様子はないし、少し期待してた同時召喚によって動揺を誘うって目的も、成果なし。

 

 となればいよいよ悠長にしてらんない。

 

 

「メリーさん! ナイン!」

 

「ん。足引っ張るんじゃないの、あざとイタチ」

 

「キュイッ」

 

 

 檄を飛ばすように名前を呼んで、剣を構える。

 今度はこっちが攻める番だと気を引き締めれば、セナトもまた外套の内から黒刀を二本取り出して、両手に構えた。

 

 けれども、その場を動かず。

 数の有利を前にしても応戦の構えは、余裕の証なんだろう。

 

 ホント、やり辛い相手だ。

 

 

 

「行くぞッ!」

 

「来い」

 

 

 

 

 

 

────

──

 

【強敵】

 

──

────

 

 

 

 はっきり言って、セナトは底が知れない。

 なんせ予選の段階で、あっという間に五人を気絶させる程の並外れた強さを見せ付けられている。

 

 その後に直接闘ったメリーさんいわく、まだまだ余裕を残してたのが手に取るように分かるくらい、アイツは全力じゃなかったとか。

 メリーさん相手にかなりの余裕を残せるってどれだけ強いんだよ。

 

 

 聞いた話じゃ、なんでも大陸全土に名前が知れ渡ってる『黒椿』って 凄腕傭兵団の一員らしい。

 そりゃとんでもなく強いんだろうけど、じゃあ具体的にどれくらいの強さなのかと、昨日観戦の際にセリアに尋ねてみたんだけど。

 

 

『私も具体的には分からないんだけれど……多分、討伐難易度がBランクの魔物も単独で倒せるくらいには強い、と思うわ』

 

『び、Bランクって……じゃあ、俺達があんな苦戦したミノタウロスも、一人で?』

 

『えぇ。下手をすれば、Aランクの魔物も種類によっては倒せるかも知れないわね』

 

『……マジかよ』

 

 

 っていう、思わず冗談だろって笑い飛ばしたくなるような話が聞けた訳なんだけど。

 ぶっちゃけた話、むしろ冗談であって欲しかったんだけれども。

 

 

「たぁっ!」

 

 

 グオン、と。風が銀に裂かれて鳴く。

 撃ち破れるモノの方が多いその一振りを、けれども影法師は正面から、それと細い黒刀一つで軽々と受け止めた。

 

 

「シャアァッ!」

 

「……」

 

 

 合間を縫って飛来した、鎌に変化させたナインの尻尾による奇襲の一撃も、もう片方の黒刀で防ぐ。

 これで両手は塞がった、それならと。

 

 

「ッッ!!」

 

 

 奥歯を噛んで気炎を練って、そのガラ空きの背中へとショートソードを振りかぶる。

 容赦なしの三連撃。

 

 人を傷付ける躊躇なんて、そこにはない。

 三対一が卑怯とか、温いことなんて言えやしない。

 そんな"精神的余裕"なんてあるはずない。

 だって、それでもコイツには。

 

 届かない。

 

 

「甘い」

 

「うぁッ?!」

 

「キュッ?!」

 

「ぐあッ……!」

 

 

 セナトが足を軸にクルリと急速一回転すれば、独楽(コマ)にぶつかったみたいに弾かれて、風景が乱れる。

 片膝をついて着地すれば、肘の下からズキズキとした痛み。

 そこにはパックリとした赤い筋が出来てる。裂傷。いつの間に。

 

 何をされたんだ、って呆然と顔を上げれば、セナトがゆるりと纏ってる外套の、背中側の『端』を持ち上げてみせた。

 

 

「仕込みの、武器……?」

 

「御名答」

 

 

 そこには細い金糸か何かで結び付けられている、忍者の投具……いわゆるクナイが刃先を光らせていた。

 肘下の傷は、あれによって作られたらしい。

 

 鎌鼬であるナインのお株を奪うような真似。

 しかも、わざわざ手の内を明かして、御名答って。

 チクショウ、これでもまだ余裕はあるってアピールかよ。

 

 

『この連撃"も"通らないッッ! つ……強い、強すぎます! セナト選手、なんという武技、なんという練度でありましょうか! ナガレ選手陣営の、自身を含めた連携攻撃をものともしませんッッ!』

 

「うー……」

 

「キュイ……」

 

 

 ミリアムさんの言う通り、これ"も"通らない。

 実はここまでで少なくとも三度攻勢に出てる訳だけど、そのどれもがきっちりと(さば)かれていた。

 

 メリーさんのパワー重視の特攻、ナインの小柄を駆使した速度戦も通らなかった。

 しかも、それぞれパワーにはパワー、スピードにはスピードで対応されてる。

 

 ならばと彼女らによる連携も、コンビネーションの甘さをつかれて今みたいに弾かれてしまうという始末。

 四度目の正直で俺自身も加わってみたけど、結果はご覧の有り様だ。

 

 

(化けもんかよ……)

 

 

 セナトは強い、そんなの分かっていた事だった。

 それでも、流石にここまでのモンだとは思ってなかった。

 パワー、スピード、そしてテクニック。

 全部が一級品で、いつぞやに闘ったアークデーモンが今なら可愛く見えるくらいだ。

 

 

「っ……もっかいだ!」

 

「う、うん!」

 

「キュイ!」

 

「……ほう」

 

『しかしナガレ選手、まだまだその闘志は折れていないようです! 五度目の正直となるでしょうか!』

 

 

 それでも、俺達に攻勢を緩める選択肢はない。

 正確には、いまさら守勢の選択肢は選べなかった。

 

 セナトは底が知れない。

 それは試合開始前の段階からして分かっていた事だ。

 だからこそ、その『底』が表にあらわれてしまう前に一気に攻めてしまおう……っていう目論見だった。

 

 つまりは、短期決戦。

 その為に、メリーさんとナインの同時再現というカードを切ったのだから。

 逆をいえば、長引けば長引いてしまうほどこっちが不利になってしまう。

 

 

「キュイッ!」

 

「まずはお前か」

 

 

 今度の切り込み役は、ナイン。

 小柄な体躯とは思えない速度で地を駆け、凄まじい跳躍力でもって、三メートルほどの高さを跳ね飛んだ。

 

 

「キュアァァッ!」

 

「!」

 

 

 そのまま空中で身体を丸めて、ふさふさの尻尾を再び鎌に変化させると、まるで放たれたブーメランみたくクルクルと回転しながら、セナト目掛けて堕ちていく。

 

 変化を利用した、上からの攻撃。

 だがセナトの対応も速い。

 

 

「キュイッ?!」

 

 

 地に待ち構えるのではなく、宙を舞い、黒刀を振るう。

 翻る黒刀による横凪ぎとナインの縦の回転攻撃は、やはりセナトに軍配が上がり、ナインは弾かれてしまった。

 

 

「隙ありなの!」

 

 

 だが、これは好機と見て良い。

 宙から着地するその刹那、人間ならば誰しもバランスが揺らいでしまうもの。

 

 そこにメリーさんの攻撃を叩き込めれば、力の利はメリーさんに傾く。

 けれども。

 

 

「そうでもないな」

 

「っ?!」

 

 

 力の利を理解してるのは、当然セナトも同じ。

 着地の勢いをむしろ活かして、低くなった姿勢を更に伏せるくらいまで屈む事により、メリーさんの銀鋏の横一閃を掻い潜る。

 

 そのままカウンターを仕掛けるセナトの一撃を、メリーさんも慌てて迎え撃つ、が。

 一秒にも満たない瞬間に、態勢の有利はひっくり返ってしまっている。

 

 

「うあっ?!」

 

 

 そうなれば、今度はセナトの方に力の利が傾くのは必然で、メリーさんは鋏ごとセナトに蹴り飛ばされてしまった。

 

 

「まだだァァァ!!」

 

「……ふん」

 

 

 でも、ここまでは織り込み済み。

 メリーさんとの距離をつくる為に放った蹴りにも隙が出来る。

 そこを突くべく、らしくもなく喉を張り上げて剣片手に突貫する俺を、つまらなそうに見つめる黒曜石。

 

 

「馬鹿のひとつ覚えのように、同じ手を──」

 

 

 勿論、わかってる。

 メリーさんですら押し負ける相手なのに、俺程度じゃ当然相手にもならない。

 ましてやセナトに同じ手を仕掛けるなんて、愚の骨頂ってとこだろう。

 

 でも……愚でも弱くても、『囮』役なら出来るからと。

 稲妻のように放たれた黒刀の切り払いを、ショートソードで受け止めれば、尋常じゃない衝撃に襲われた。

 

 

「げはっ……」

 

 

 ぐわんと脳ごと、視界が揺れる。衝撃だけで肺の空気が風船みたいに膨むようだった。

 唾競り合いに持ち込む為に、全身の血を沸騰させて踏ん張れば、口の中から鉄の味が滲む。

 

 たった一振り、受け止めるだけでこれかよ。

 しかもあっちは片手、こっちは両手。ホント笑えない。

 

 けれど、まだ。食らいつけ。『囮役』をまっとうしろ。

 そうすれば、きっと、きっと"間に合ってくれる"からと。

 

 そう必死の形相で踏ん張る俺を、静かに黒曜石が見下ろして、告げる。

 

 

「キュイィ!」

 

「──同じ手を、取る筈がない。そうだろう?」

 

「──な、に……」

 

 

 お前の手の内は、見透かしてるんだと。

 冷静に、冷酷に告げたセナトは、ふと黒刀に込めた力を緩める。

 そのせいで前のめりになった俺の横っ腹に、浅い蹴りの一撃。

 

 

「ぎっ……」

 

 

 いや、浅い。

 浅いけど鋭いから、滅茶苦茶に痛い。

 アークデーモンに蹴られた時よりも痛い。

 痛みを堪えるあまり、その場で片膝をついてしまうくらいに。

 

 けれど今、俺の思考を一色に染めてるのは蹴りによる痛みじゃなく、見抜かれた事による絶望感だった。

 

 

「キュッ──」

 

「……」

 

 

 俺の真後ろから駆けてきた、ナインの二度目の特攻。

 それは俺自身を囮にした奇襲の一手だったのに、気付かれてしまっていたのなら。

 勿論、セナトには通用しない。

 

 

「キュイ?!」

 

「惜しかったな」

 

 

 尻尾鎌による、疾風迅雷の一閃。

 だがそれも黒刀によって阻まれ、一度目の焼き回しみたく──弾かれてしまった。

 

 

(……誰か嘘だって言ってくれ)

 

 

 これも、通らない。

 ハイリスクを承知の上で組み立てた攻勢ですら、傷一つ負わせれてない。

 横っ腹から響く鈍痛に呻きながら、重い首を働かせて顔を上げる。

 

 

 見下ろすのは、もう終わりか、とでも問いたそうな、黒曜石の瞳。

 黒布に隠された口元が、何故だか緩い微笑を形作っていた。

 

 

「惜しかった、が……お前が、二度も同じ手を使うほど、つまらん男じゃない事は知っている──残念だったな」

 

「…………腹立つなぁアンタ」

 

「こればかりは本心でな。許せよ」

 

「げほっ……お断りだよ」

 

「クク、そうか」

 

 

 正直、残念ってレベルじゃない。

 数の有利すら覆してしまう桁外れの身体能力の上に、小賢しい搦め手も寄せ付けない頭の良さ。

 

 

(ムカつく。ほんっとムカつくけど……どうやって倒せば良いんだよ、こんな奴)

 

 

 余りの強敵っぷりに、思わず天を仰ぎたい気分だった。

 

 

 

 

 



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Tales 66【トリックスター】

 ナガレの組み立てた作戦が稚拙だった、という訳ではなかった。

 短期決戦を仕掛けて勢いのまま押し込む。

 その判断は都市伝説再現の度に消耗を強いられるが故に、長期戦は不向きなナガレとしては間違っていないだろう。

 

 誤算はただ、一点。

 純粋に、セナトという人間が強過ぎた。

 

 

「ナガレ!」

 

「キュイ!」

 

「くっ、危なっ……」

 

『か、間一髪! ナガレ選手、ナイフの投擲をギリギリで回避しました! しかし当初の勢いは完全に覆り、ナガレ選手の陣営は防戦一方となっております! これはいよいよピンチでしょうか?!』

 

「……底が見えない、とは思ってたけれど」

 

「こっちは三対一……しかもミノタウロスを倒したナインもいるんですのよ。それをああも簡単に捌くなんて……何者なんですの、あの黒づくめは!」

 

「……」

 

 

 数の有利も小細工も守勢を極めたその身一つに叩き潰され、その手腕は攻勢となっても緩められる事はない。

 攻めさせまいと反撃するメリーやナインを的確に対処し、間が開けば漆塗りの暗具を投擲して、ナガレを冷徹に追いつめていた。

 

 理不尽にすら映るほどの強さ。

 影法師を映したワインレッドが癇癪染みた悲鳴をあげれば、それを拾ったのは、後方より前列への階段を降りてくる二人組。

 

 

「たはー……流石は音に聞こえた【黒椿】なだけあるなぁ。ナガレくんが完全に押されてしもうてるやんか」

 

「わざとらしい野郎だ。押されてる理由なんざ分かりきってんだろうがよ」

 

「! エース、と……キング」

 

 

 エルディスト・ラ・ディーの切り札が二枚、エースとキング。

 その並びに周囲がざわめき立てる彼らもまた、相応の実力者であるのは窺える。

 特にラウンドサングラスが象徴的な巨漢、キングの方には昨日の件で含むところがあってか、珍しくセリアの表情が鋭く張りつめた。

 

 

「出ましたわね……で、押されてる理由ってなんですの!」

 

「あァ? おいおい、テメェも本選出場者だろうがよ。そのくらい見て分かれや」

 

「わ、私は魔法で華麗に、そして優雅に闘うスタイルですの。ああいう野蛮なやり取りとかは専門外ですわ! だ、だからさっさと教えなさいな!」

 

「……」

 

「なっはっは、素直な理屈やね。ナナルゥ譲ちゃんも相っ変わらずおもろいなぁ……そら、キング。あんまり勿体ぶるのもアレやし、ご期待に添えてやりぃや」

 

「だったらテメェが教えりゃ良いだろ」

 

「イヤやよ、僕説明すんの下手やし」

 

「……チッ」

 

 

 ナナルゥとて含むところは同じなのだが、それよりもキングの口にした理由に対する追求が勝ったらしい。

 多少引け腰になりつつも開き直るナナルゥとエースの口添えもあってか、キングは舌打ち気味に口を開いた。

 

 

「単純な話……あの小僧と黒椿のとじゃあ、場数が違い過ぎんだよ」

 

「場数、ですの?」

 

「オラ、見てみろ」

 

 

 ファー付きのコートを靡かせ、グラス越しに獰猛に尖る眼光が、直下の激闘を見下ろす。

 広がる光景は、もう何度も焼き直されたナガレ達による反撃。

 がむしゃらながらにも食らい付く彼らの眼は、決して光を絶やしていない。

 

 だが、それでも。

 いいや、そんなものでは。

 

 

「メリーだなんだを召喚する能力がいかに凄かろうが、あいつらに指示してんのは、あの小僧。多角からの挟みうち、囮を使った奇襲……色々頭を回しちゃいるみてぇだが」

 

『これも通らず! セナト選手、またもナガレ選手陣営の反撃をいなしていく! 付け入る隙を全く与えさせません!』

 

 

 通らない。

 通せるはずがないのだと、多くの戦場を駆け抜け、今や『キング』という看板まで掲げる様になった男は断言する。

 

 

「アイツの視線、剣を持つ手に入り過ぎてやがる力、一撃二撃の"綺麗過ぎる"タイミング……そういうとこから狙いってのは見えてくんだよ」

 

「なっ────そんなもの、そう簡単に見えるはずが……!」

 

「だから言っただろうが、場数が違い過ぎんだろってなァ」

 

 

 キングの言う通り、理由は単純にして明快だった。

 

 多少喧嘩慣れしているだけの元高校生と、大陸全土に名が知られている傭兵集団の一員。

 闘いにおいての経験値が天と地ほどの差があるのは、推し量るまでもない。

 

 

「奇襲や搦め手っつぅのはなァ、それを通す為の牽制だの誘導だの演技だのと、クソ細けぇとこでの駆け引きが必要になんだよ。そういう『癖』は、付け焼き刃じゃ身に付かねぇ。場数っつうのはそういう事だ」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「あの黒椿からしてみりゃ、小僧の考えてる事は透けて見えんだろうよ」

 

「────」

 

 

 軍師は、ある日突然生まれはしない。

 培った経験と積み重ねの改善が、"戦術"を磨き上げる。

 苦戦の理由は、セナトの純粋なフィジカルだけではない。

 ナガレの戦術の未熟さと、セナトの推察の成熟さが何より大きかった。

 

 

 そして、彼の言葉が真実であると証明するかの様に。

 

 

「かはッ──?!」

 

「ナガレェ!」

 

「キュイィィ!!」

 

『あぁっとぉ、手痛い一撃ィ! ナガレ選手の腹部に、強烈な蹴りが炸裂、ふっ飛ばされてしまいました! これは……いよいよ決着の瞬間が来てしまったのでしょうか……!』

 

 

 未熟な青年は、翼をもがれた鳥の末路を描く様に、地へと這いつくばった。 

 

 

 

 

────

──

 

【トリックスター】

 

──

────

 

 

 

「うっ、げほっ……」

 

 

 痛感、ってのを文字通り噛み締めると、鉄と砂の味がした。

 

 込み上げる吐き気を嗚咽まじりに堪えながら、鉛みたく重い身体をなんとか起き上がらせる。

 けれども、立つには力が入らない。

 辛うじて四つん這いの態勢を作れば、耳鳴りの奥で剣檄が届いた。

 

 まだ、皆闘ってくれている、その証拠。

 早く立て、一人だけ楽をするじゃない。

 そう膝に力を込める中で。

 

 でも、と。

 これ、もう無理なんじゃないか。

 

 心の亀裂からひょっこり生えた弱気が、鼓膜の内側でそう囁いた。

 

 

(……参った)

 

 

 打開策は、ひとつある。

 けどそれは前提に、セナトへの『一撃』が必要になる。

 問題はそこだ。

 というか、試合開始前から定めていた目標がまさにそれだった。

 

 その一撃をなんとか作る為にメリーさんとナインの同時召喚というカードを切ったくらいで、言ってしまえば一点賭け。

 だが、そのたった一撃すら許されないくらいに、セナトが余りにも強過ぎた。

 

 故にこの有り様だった、ただそれだけ。

 ただそれだけが、とてつもなく高い壁なのだから。

 言い訳染みた弱音だって、鳴らしてもいないのに響いてくる。

 

 

「キュイッ」

 

「……ナイ、ン……」

 

「キュッ、キュイ」

 

「『もう一回』……か。えっと、そう、だな……次は…………」

 

 

 マイナスへ傾く思考を遮ったのは、白銀に輝く毛並みだった。大丈夫かと気遣いながらも、次の指示を求める意志が伝わる。

 

 

 けれどヒビの入り出した心では、直ぐ様に次のもう一回を編めない。

 もう、何をしたって、セナトには通用しないんじゃないかって。

 悪戯に無理を強いるだけになるんじゃないかって。

 そんな弱気がリンク機能を経由せずとも伝わってしまったんだろうか。 

 

 

「キュアッ」

 

「あだっ」

 

 

 ガプッと人差し指を噛まれた。

 セナトの蹴りみたいな鋭さはない、軽い痛み。

 けども予想だにしなかったからか、つい目を丸めてちっちゃな牙の持ち主を見つめてしまう。

 

 

「キュイ」

 

「『膝は折っても気持ちは折るな』か。はは、結構熱いこというじゃん、ナイン」

 

「キュイッ!」

 

「冗談だって。分かってる……やるよ、最後まで。メリーさん一人に闘わせてる場合じゃないよな」

 

「……キュイ」

 

「そこは同意しなよ。ほんっと仲悪いんだから…………ありがと」

 

「キュッ」

 

 

 簡単に諦めるな。赤い瞳の鎌鼬は、かく語りき。

 

 そんな励ましを、多大な力を貸してくれてるナイン達に言わせたら、都市伝説愛好家以前に男としてお仕舞いだろう。

 自分勝手な意地で、啖呵を切ったセリアに合わせる顔もなくなるし。

 

 弱り目を塞いでくれた小さなシルエットに、お礼を込めてサッと一撫で。

 それから立ち上がろうとするが、やっぱりダメージが抜けが悪く、まだ膝に力が入りきらない。

 

 

『メリーさん、ここにきてセナト選手との激しい打ち合い! しかしやはり徐々に押されつつあります! 肝心のナガレ選手は……まだ立てないようです!』

 

「くぅっ……ここは、通さない、のッ!」

 

「……」

 

 

 脂汗を落としながら、セナトによる黒刀二刀流の猛攻から、必死に防衛線を守ってくれているメリーさんの背中を見つめる。

 

 負けられはしない。

 ナインに、そしてメリーさんによって灯された火は確かに今、胸の内で熱を持つ。

 

 でも、だからといって何か策がある訳じゃない。

 このまま無策で突っ込んだって同じ事の繰り返し。

 何かないか。セナトの隙をつけるような何か、もしくは隙を作れるような何か。

 

 歯をくいしばって膝に力を込めながら、思考回路を激しく焼く、そんな折だった。

 何かに強く反応してピクンと顔を上げたナインが、一際強く訴えるように鳴き声をあげた。

 

 

「!!────キュイッ」

 

「え?」

 

「キュキュッ、キュイ!」

 

「『アーカイブを開いて』って……なんで?」

 

「キュイッ!」

 

「わ、分かったってば……」

 

 

 早く早くと急かされて、慌ててホルスターから取り外したアーカイブを開く。

 そうすれば興奮気味のナインが前足でページをパラパラと(めく)り、あるページでピタリと止まった。

 

 そのページは、紛れもなくナイン自身についてのパラメーターが記載されているページ。

 ナインが更に小さな前足で、紙面の"ある項目"を指し示したのなら。

 

 

「……!!」

 

 

 暗雲が、一気に晴れる。

 

 確かに……コレなら、セナトが俺に抱いている"ある前提"を利用出来るかも知れない。

 上手くいけば、アイツの意表をついてやれるかも。

 

 

「……なんつータイミング」

 

 

 まさかこんなタイミングで、都合良く救いの一手が開示されるなんてと、思わず苦笑してしまう。

 

 けど、そんなものはどうだっていい。

 都合なんてのは、こっちの意志とか意地とかで無理矢理引っ張って来るもんだって、いつかのアキラも言ってたし。

 これもその無理矢理の内のひとつって事で良い。

 

 

「……やるよ、ナイン」

 

「キュイッ!」

 

 

 ただ、通用するのは最初で最後だろう。

 一度限りの、文字通りの『奇襲』。

 失敗すれば、いよいよ打つ手がなくなる。

 

 何としてでも、通す。

 その為には────こだわりくらい捨ててやる。

 

 

 

 

 

「似てなくても、怒んないでよ……────お嬢」

 

 

 

 

 膝に力を入れる。

 今度はちゃんと立てた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

『おおっとぉ! すわこのまま決着かと思われましたが、メリーさんの奮闘に応えるように、ナガレ選手が再び立ち上がりました! さぁ、此処から反撃の一手は──』

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

 

 ミリアムさんの熱の入った実況を遮って、白金のいくつもの細い奔流を、招く。

 奇譚書を発動させるたびに周囲を逆巻く、この不思議な現象の正体がなんなのかを、俺はまだ知らない。

 

 けれど、今はどうでもいいことだ。

 何より大事なのは……"それっぽい演出"として映えているかどうか、という一点のみ。

 

 

 現象を目にするや、途端にざわめきだした観客。

 メリーさんと切り結ぶセナトの瞳と、視線がぶつかる。

 まだ余裕を残す黒曜石に、興味の色が乗っていた。

 

 

 きっと彼らが期待してるのは、『更なる演者』のお披露目なんだろう。

 けど、残念ながらそれは────"まだ早い"。

 

 

(……トリックスター、か)

 

 

 戦線に混ざらず、俺の右肩へと昇ったナインを一瞥して、息を浅く。

 ふと思い浮かべたのは、試合開始前に呼ばれた、新しいな肩書き。

 

 

 トリックスター。

 物語(ものがたり)の展開役にして、詐術を駆使して(かた)る者。

 

 御大層過ぎる肩書きだけれども、なら、いかにもそれっぽく──かき乱して見せようか。

 

 

 

「真横に敷かれた夜空から、浮かぶ三日月を手にとって」

 

「!」

 

『……おおっ』

 

 

 紡ぐ物語は、かつての世界には溢れて、この世界では物珍しい、奇譚ではなく。

 この世界に満ちて溢れた神秘のひとつ。

 

 

「姿なき巨人が腕を振るえば、三日月が無色を横切った」

 

「────な、に……?」

 

『あ、これはもしや……』

 

 

 会場の空気が、どよめく。

 あぁ、やっぱり。あぁ、そうだよな。そういえば、"まだだったよな"って。

 その反応も当然といえば当然だろう。

 

 レジェンディアに住む彼らからしてみれば、俺が為そうとしている事なんて、別に特別な事なんかじゃなく。

 むしろお前なら出来て当たり前だっていう、『前提』があったのだから。

 

 

 でもさ、細波 流って人間の正体を知っている人間からしてみれば。

 (ある)いは、俺が精霊魔法使いじゃないって仮定している奴からしてみれば。

 

 

『ど、どういうことですのぉぉ?!?!』

 

「この世界の片隅を、些細な神話のように裂く」

 

 

 観客とは真逆に。

 それこそ真逆(まさか)ってなぐらいに。

 前提が、物の見事にひっくり返る。

 

 そうだろ、セナト?

 

 

空裂く三日月(エアスラッシュ)!!」

 

「キュイッ!!」

 

 

 大事なのは、演技。

 

 肩から掌までに降りたナインに合図を送り、同時に……"振り上げる"。

 俺はナインが乗る右腕を、それこそ気障っぽくショータイムだと告げるように。

 そしてナインは"尻尾"を。

 

 

『か、風の精霊魔法!』

 

 

 その瞬間、生み出されたのは──白金色に輝く、風の刃。

 お嬢が得意としているエアスラッシュをそっくり形だけ模した、ヒト一人分はある巨大な三日月の刃。

 

 

──勿論、これは精霊魔法なんかじゃない。

 

 

 ついさっき開示されたばかりの、ナインの新しい保有技能によって作られたもの。

 

 自分の身体を鎌に変化する【二尾ノ太刀】、これに続いて開示された保有技能。

 

 その名も、【一尾ノ太刀】。

 効果の内容はご覧の通り。

 『風の刃を生み出す』という、いかにも妖怪鎌鼬らしい能力といえるだろう。

 

 

 それがメリーさんと打ち合っていたセナトめがけて一直線に、空地を疾走。

 俺達もその刃に追従するようにして、後を駆けた。

 

 

「逃がさない……!」

 

「……!」

 

 

 高速で地を削りながら襲い来る刃。

 こんなもの、みすみす食らう訳にはいかない。

 となれば当然回避しようとするが、それをメリーさんが許さない。

 

 自身も軌道上に残ったまま、影法師を縫い止めるが如く鋏を振るう。

 勿論、メリーさんごと攻撃なんてする訳がない。

 これは彼女の俺に対する、信頼の証だ。

 

 必死に駆け足を働かせながら、タイミングを見計らう。

 

 まだだ。

 

 まだ、もうちょい…………よし、今!

 

 

「【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

「っ、やってくれる!」

 

 

 帰還の命という名の、緊急離脱。

 逃すまいと食らい付いていたメリーさんの姿は、白昼夢さながらに姿をくらませて、今セナトの目の前に迫るのは風の刃。

 

 回避は、間に合わない。

 瞬時に判断したセナトは、両腕を目一杯弓なりにクロスさせたかと思うと、風の刃へと黒刀を振るう。

 

 

「──シッ」

 

 

 両腕でそれぞれ放つ、居合い切り。

 剣速だけで肌が騒ぐほどの、斬撃。

 恐らく、セナトが初めて見せた全身全霊。

 

 その威力は凄まじく、たった今披露されたばかりのナインの新技さえも、紙切れみたく斬り飛ばした。

 

 

(反則過ぎるってホント!)

 

 

 ほんと、いい加減にしてくれ。

 どんだけ強いんだよアンタ。

 折角の新しい保有技能も、朝露みたく儚くかき消されてしまえば、悪態のひとつやふたつも付きたくなる。

 

 

 だが。

 そのくらいはやってきても可笑しくない相手だって事は、嫌ってほど理解していた。

 そりゃもう骨身に沁みるくらいに。

 だからこそ、痛む身体に鞭打って、全力で走って来たんだから。

 

 

「喰らえッ!」

 

「ッ」

 

 

 ショートソードの切っ先を、牙みたく突き立てる。

 威力よりも速さに力に裂いた一撃。

 

 だが、それでもまだ届かない。

 風の刃を打ち破ることで崩れた態勢からでも、セナトは黒刀をダーツみたいに投げることで、俺の剣先を的確に弾いてしまった。

 

 

(……ですよね)

 

 

 つくづく、化け物じみた剣技だよ。

 パワーもスピードもテクニックも、どうやったらそこまで磨けんだってくらいに桁外れだ。

 

 でも、重ねていうけど……それも"織り込み済み"。

 

 

『惜しかった、が……お前が、二度も同じ手を使うほど、つまらん男じゃない事は知っている──残念だったな』

 

 

 アレの意趣返しって訳じゃないけど。

 

 

 

「キュイッ」

 

 

 弾かれた反動で背中から倒れそうになれば、視界は上を向く。

 そこにはあのなんちゃってエアスラッシュの際に、俺が腕を振り上げた反動で、"宙高くを舞っていた"ナインの姿。

 

 それも、尻尾を鎌に変えて。

 となれば後は……分かんだろ、セナト。

 

 

「キュイィィィ!!」

 

 

 これこそが、本命の一手。

 手間暇かけて作った隙をつく、騙しに騙した上での奇襲。

 

 

「……大した奴だ」

 

「そいつはどうも」

 

 

 都市伝説愛好家としては、あんまり好ましくない『精霊魔法使い』を自ら騙ってまで打つ、全身全霊の一手だ。

 

 こだわりさえ捨てたんだ、この瞬間の為に。

 

 セナトを倒せるかも知れない、打開策。

 その為の第一歩である、たった一撃を作る為に、ここまでしたからには、と。

 

 

 行く末は、甲斐あって──望んだ結果を切り結んだ。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 まぁでも、これが望みに望んだ結果って言うと、いろいろとアレな気がする。

 というか、風紀委員ばりに厳しいお嬢とかが許さないと思うけど。

 

 

 

「……着痩せするタイプ?」

 

「…………だとしたらなんだ」

 

「苦労してんね」

 

「あぁ、めでたく水の泡にされたところだ」

 

 

『えっ…………えっ?? あ、あれ? も、もしかしてセナト選手って……』

 

 

 ナインの奇襲によって裂かれた外套から覗く、『サラシ』の白生地の切れ端と、褐色の肌。

 そして、明らかに男のものとは思えないくらいに……豊かに育ってらっしゃる"胸のふくらみ"。

 

 そして何より。

 若干頬を染めつつ「よくも、やってくれたな」と言わんばかりに俺を睨み付けるその黒曜石が、何よりの証明といえた。

 

 

 

 

つまり──

 

 

 

 

 

 

『女の子……だったんですかぁぁぁ?!?!』

 

 

 

 

 

 

──そういうことだ。

 

 

 

 

 



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Tales 67【紺碧の将星】

『せ、セナト選手って、女の子だったんですかぁぁぁ?!?!』

 

 

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは不思議なモノの正体は実際、大したことないみたいな意味合いを持つけれど。

 影法師の正体は大したこと大有りだったらしく、衝撃の余波は、秋空高くに昇り始めた白陽を揺らしてしまいかねない程だった。

 

 

『今明かされる衝撃の真実とでも言いましょうか。波乱につぐ波乱の展開に、私ことミリアムちゃんは勿論、会場全体がどよめいております!』

 

「その顔を見るに、確信犯か。いつからだ?」

 

「確信犯って人聞き悪いな、否定しないけど。気付いたのは予選開始前ん時か」

 

「チッ……『あの時』か。ふん、なんだ。私の胸の感触でも楽しんだのか? 案外助平な奴だなお前」

 

「ひっどい言い草だなおい」

 

 

 辛辣な物言いのセナトも直ぐに思い至った『あの時』ってのは、予選会場へ向かう途中の一幕にある。

 ジムの割り込みに突飛ばされた俺をセナトが抱き留めてくれた時、後頭部に当たった感触が男の胸板にしちゃなんだか柔らかさを伴っていて。

 

 シルエットは細長の男性のモノと変わらないだけにその違和感が拭い去れなかった。

 予選で打ち合い、近距離でセナトと対峙したメリーさんにも尋ねてみたところ、彼女も似たような違和感を抱いたらしい。

 根拠は女の勘だそうだから、信憑性は微妙だったけれども。

 

 結果はご覧の通り『大当たり』だった、という訳で。

 正直誉められたやり方じゃないし、セナトも理由あって隠してた事だろうから、怨み節は甘んじて受けるとして。

 

「まぁいい。暴かれたのなら、もう隠し立てる必要もない。この借りはいずれ必ず払って貰うとしてだ…………スゥ……ハァッ……『解』」

 

「借りって……────え、ちょ、は……? 声……って、え、嘘、身体付きそのものが変わってない?」

 

「ちょっとした呼吸法の応用だ。人体神秘に通じれば、このくらいは誰にでも出来るように……」

 

「いやなる訳ないだろ!」

 

『な、なんと……セナトの体格が女性らしく……これが東方の神秘というやつなので──ってこれはつまりスタイルが思いのまま……? ぜ、是非ともバストアップやヒップラインのあれこれを伝授していただきたいですねッッ!!』

 

 

 みるみる内に、セナトの体格が骨張った男のものから、なだらかさを伴ったスリムな女性ものへと移り変わる。

 外套がはためいて、開けっ広げになってたヘソ回りの肉質も柔らかさを伴って、妙に色っぽい。

 劇的とまでは言わないけど、明確な変化。

 いやもう、ワールドホリック使ってる俺が言うのもなんだけど、なんでもありかよコイツ。

 

 

「それで? か弱い女の秘密を公衆の面前に晒して、それからどうするつもりだ?」

 

「か弱さなんて微塵もなかったでしょうがよ……でも、まぁ……んなもん、『勝つ』つもり以外にないだろ?」

 

「……ほう」

 

 

 いけしゃあしゃあと宣ってくれるセナトに尋ねられ、げんなりしつつも口端が上がる。

 誉められたやり方じゃない。それでも言うなれば、これは『必要性』があったことに他ならない。

 

 この状況を生み出す為だけに、下手くそなりのトリックを尽くした。

 なら、後は。

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

(時間稼ぎ、頼んだよ、ナイン)

 

「キュイ!」

 

 

 決起して、()け繋いで、格好悪く転び回ってでも──掴み取ったこの機会を、(むす)ぶだけ。

 

 

「【虎が生んだ龍を、知っているか】」

 

 

 

────

──

 

【紺碧の将星】

 

──

────

 

 

 

「【それは戦乱の時代。星の数ほどの願いと合理が輝き、瞬いた大河の中で、清廉に光る星一つ】」

 

 

 軌道を(はし)る尻尾鎌と、閃く黒刀の火花。

 残響を生んで散ったそれは不思議と、遠く遠く、知るはずのない世界の過去の肩を叩く。 

 

 

「【多く兵を率いて戦い、武士としての有り様を示した将が居た。武神たる毘沙門天を己に描き、多くの赤い戦場を駆けて、後に越後の龍とさえ呼ばれた星の名は──

 

 

──『軍神』上杉謙信】」

 

 

 唇を滑らせて紡いだ名前は、実在した人物のもの。

 遠い異国どころか、成層圏、惑星系、あるいはもっともっと遠くの異世界の住人には、当然知る由もない誰かのもの。

 

 

「【戦乱の時代において、最も強い将とさえ謳われる彼ではあるが。同時に、多くの謎に包まれた人物でもある。謎につきまとうのは尾ひれと憶測。それらで繋ぎ合わせた不確かながらの『説』が唱えられる事もまた……過去でも未来でも、変わらない夜影の摂理とも言えて】」

 

 

 朗々と説話を唱えていく最中、シルエットを緩めた影法師と、目が合う。

 牽制と足留めに務めるナインの鎌を受け止める黒曜石の瞳には焦りは浮かんでいなかった。

 

 

「【婚姻を結ばず、後継を定めず、月に一度体調を崩していた事、不確かなエトセトラを積み立てて、それでも誰かがこう唱えた】」

 

 

 むしろ興味深そうに、黒絹に覆われた口元を緩めてる。

 

 

「【越後の龍は『女性』だったのではないか、と】」

 

 

 ただ、『そういう理屈でか』と、少しだけ人間味のある不満を挟みながら。

 だからこちらも悪びれず、そういう訳でだ、としてやったり。

 

 

「【World Holic(ワールドホリック)】」

 

 

 白金色の奔流が、人を象り。

 

 

 

「……一睡夢を経ても、変わらぬものな。空の青は」

 

 

 目の前を、ほうき星の尻尾の様に、紺色の髪が流れた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

『こ、ここに来て……! この土壇場に、またしてもナガレ選手が新たな精霊を召喚しました! しかも今度は……騎士、でしょうか。真っ白な鎧に身を包んだ美少女騎士の登場です!!』

 

 

 くるりと半分こちらを振り返った横顔は、欠けた半月のように耽美だった。

 パチリと一度瞬いた菫色の瞳は、澄んだ昼にも満たない今なのに、夜空を見つめている気にさせる。

 鎧と同様に白塗りの兜から、サッと流れた紺色のポニーテールが、より一層夜に近付く感覚に拍車をかけた。

 

 戦国最強の武将と誉れ高い人物が持つ雰囲気にしては、儚い。

 160にも満たない小柄さと、鎧を纏っても女性らしさを隠せない耽美が、そう思わせるんだろうか。

 

 けれど。

 

 

「──抜刀」

 

 

 まばたきをひとつだけ置いた後、何も語らないまま向き直った正面。

 セナトを正眼に捉えれば、氷の瓦礫の中にほんの少しの蜜を溶かしたようなソプラノで、囁きながら腰の刀を抜いた瞬間に、"変わる"。

 

 ガチャ、という鎧の鳴りが、何かのスイッチ代わりに。

 彗星が駆けた。

 

 

「──」

 

「!」

 

 

 鎧を着込んでいるとは到底思えない駿足が地を駆けて、目を見開いたセナトへと直線を結ぶ。

 合間とも呼べない空白が埋まった後は、星同士の衝突したかの様だった。

 

 

(シッ)──」

 

「っ!」

 

 

 瞬く白刀と、閃く黒刀。

 断つ、ではなく、絶つ。

 色塗りの刃が空をなぞる軌道が、残像のように散らばるかと思えば、金打つ鉄の(いなな)きが、一拍置いて聞こえてくるほど。

 

 あまりにも高速な世界に、目が眩んでしまうくらいに。

 

 

「チィッ」

 

「三十六計か」

 

 

 追えない方が多い剣戟が積もった末、舌打ち気味に後退する影法師を、それでも紺色の龍は逃がしはしない。

 徐々に闘技場の端へと斬り結び、果てには壁伝いに刃を打ち鳴らす。

 

 

手練(てだれ)だな」

 

「追い詰めておいて、その台詞か」

 

「然り」

 

「くぅッ」

 

 

 手に持つ物と、身に纏う物。

 黒と白に偏った両者の交差は、ともすれば武術を尊ぶ人からすれば涎垂モノなのかもしれない。

 まぁ、もっとも。

 

 

 

『え~っと……お、思わず言葉を失ってしまうような斬り合いと言いますか……は、早すぎて……なにがなにやらなんですけど』

 

(……ぶっちゃけ俺も)

 

 

 ミリアムさんが代弁してくれた様に、あの凄まじい高速戦闘のやり取りが目で追えたら、の話だ。

 どっちとも、なんつー強さだよ。

 人間止めてるといっても過言じゃない。いや、謙信はそうなのかも知れないけど。

 戦国最強クラスって、あれぐらい出来ないと務まらない……ってのはないよな、流石に。

 

 

 というか、セナト……アイツ、まだあんなに余力残してたのかよ。

 謙信の再現の時はナインが頑張ってくれてたとはいえ、セナトも妙に消極的というか、むしろ再現を"見届ける"つもりみたいだったし。

 

 

(……でも、これで……、──っ!)

 

 

 セナトの企みが気になる所だけど、これなら勝てるかも知れない。

 黒を押し始めた白の勢いに、勝利の予感が目に見えた瞬間だった。

 

 

「っっ、う……ぐあっ……」

 

『!! ど、どうしたんでしょうナガレ選手、急にその場にうずくまってしまいました! 召喚の反動でしょうか?!』

 

 

 ヤバい。反動が一気に来た。

 突発的なインフルエンザにかかったように、ズシンと身体に鉛がぶら下がって、膝から下へ落ちる。

 こめかみに釘を指すような頭痛、呻き声が喉根っこから吹き上げられているみたいに。

 

 

「──」

 

『セナト選手、その機を見逃さない! 投擲されたナイフが、ナガレ選手に迫ります!』

 

 

 断片的に拾い上げた実況に顔をあげれば、刃を向けたナイフが飛来していた。

 直撃コース、避けなきゃまずい。

 あんな遠くから正確にとか、どんな強肩とコントロールしてんだよ。

 下らない文句が他人事みたく頭で囁く。

 力が入らない。避けるのは無理。受け止めるしかない。片腕くらいなんだってんだ……!

 

 ブルブルと滑稽に震える左腕を持ち上げて、コースを塞ぐ。

 無我夢中の、拙いなりの防御。

 けれどその必要性を、白銀が払う。

 

 

「キュイ!!」

 

「! っ……ナイ、ン」

 

 

 目の前でカランと転がる黒い凶器に、ドッと汗が吹き出る。

 いつの間にか近くへと駆け寄ってくれたナインが飛来する暗器を叩き落とし、間一髪で左腕は事なきを得たらしい。

 そして。

 

 

「──私を前に、余所見をする余裕があるとは」

 

「あるにはあるな」

 

「それ誠か?」

 

「ふん……」

 

 

 謙信を前に隙を見せた代償は、きっと高くつく。

 少なくとも、俺だったらその額の余りに顔面蒼白になるくらいに。

 

 

「そんな訳あるか。冗談だ」

 

「然り」

 

 

 龍の研ぎ澄まされた白牙が、黒刀の双牙を砕いて────影法師を地に縫い付ける。

 

 その一撃はまさに、手を伸ばすには余りに苦しまされた白星を、ようやく、ようやく……掴む為の。

 

 

 

 

「…………降参だ」

 

 

 

 

 画竜点睛を打つ、越後の龍の一撃だった。

 

 

 

 

「──勝者! サザナミ・ナガレ選手!!」

 

 

 

 

 



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Tales 68【越後の龍】

 もうそろそろ「おっす、また来たよ」って常連面しても、気さくな挨拶が返って来ても良い間柄なんじゃないか。

 シミの数も覚えそうな控え室の天井を見上げながらそんなつまらない冗談を思い浮かべられるくらいには、肩の力が抜けてる。

 

 かつてないほどに細く頼りない薄氷を渡り切ったという実感が、胸一杯を掬って水蒸に還してるんだろう。

 何とか勝てた。反動やらダメージやらで、もう立つ事も億劫な有り様だけども。

 

 それでも、あのセナト相手に勝利を掴み取れたのは奮闘し切ってくれたメリーさんや、八面六臂の活躍を見せてくれたナイン、そして──

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 画竜点睛の一撃でセナトを撃ち破り、ここまで肩を貸してくれた彼女の活躍によるものだろう。

 

 何故か丸椅子に几帳面に正座している彼女には、刀を手に持っていた時の異様な雰囲気は感じない。

 ただ静謐な紺碧の瞳が、粛々と此方を窺っている。儚さすら感じる唇は、横一文字に引き結ばれたまま。

 

……なんか、気まずい。

 

 

「俺が聞くのも変な話だけど……上杉謙信……さんで良いんだよな?」

 

「……然り」

 

 

 なんだろう、この厳しい教頭の前に座らせられてる感じ。

 威圧的って訳じゃないんだが、厳粛というか、肩が凝るというか。

 

 

「わ、若い……っすね」

 

「どうやら、そなたと同じ年の頃合いとして構成されたらしい。原理は知らないが」

 

「なるほど」

 

「うむ」

 

「……」

 

「……」

 

 

 ヤバイ、会話が続かない。俺ってこんなにコミュニケーション下手だったっけ。

 いや、原因は分かってる。

 目の前の上杉謙信の厳粛な雰囲気にも、想像以上の美少女っぷりに戸惑ってるってのも少なくないけれども。

 

 一番大きいのは、彼女が『実在の人物』であるから。

 その一点が、どうにも俺のいつものテンションを押さえ付けてしまっているんだと我ながら思う。

 

 

────

──

 

【越後の龍】

 

──

────

 

 

 

 上杉謙信といえば、軍神、聖将、越後の龍などなど数々の渾名を持つ戦国大名。

 

 『軍神』と呼ばれるだけあって戦には滅法強く、元服して以降七十にも及ぶ合戦を繰り広げて、そのスコアの内訳は四十三勝、二十五分け、二敗という常勝っぷり。

 

 特に彼において語られるのは風林火山の心得を掲げたかの戦国大名、武田信玄との五回にも及ぶ川中島の決戦だろう。

 名将と名将の武力、知略を競った決戦は歴史の授業にだって出てくるくらいだ。

 

 

 加えて、『聖将』という渾名が指す通り、人格も義理堅く、厳粛で優れた人物であったらしい。

 

 宿敵といってもいい武田信玄が今川氏真によって塩を断たれた時、道理に反したやり方だとして信玄に塩を送ったという逸話も、真実はあやふやであれど有名だ。

 敵に塩を送るってのもここから来てるらしいし。

 

 

 まぁ、そんな雄々しい前置きは数々あるけれども、やっぱり重要なのは、彼に纏わる都市伝説だろう。

 

 

 今回再現したのも、謎多き将でもあった彼に流れる噂のひとつ、【上杉謙信女性説】である。

 これに関しては一番大きいのは、とある歴史作家がこの説を提唱する際に集められた数々の資料にある。

 

 例えば、あるスペイン人の手紙に『上杉景勝はおばの開発した金山で利益を得ている』という記述があるので、この叔母とは謙信のことを指してる、という話。

 

 

 景勝とは、謙信の姉である『仙桃院』という人物の子供の事で、確かに謙信が女性なら記述通りと言える。  かつ、謙信に姉妹は仙桃院しかいないので、謙信は女性なのではないか、と考えるのも不自然じゃない。

 

 けど、この話の肝である『ゴンザレス報告書』ってモノの所在が、実はハッキリとしていないんだとか。

 スペインのトレド僧院にこれがあるって話なんだが、真偽は不明。

 単純に説を唱えた歴史作家が叔母(tia)と叔父(tio)の綴りを見間違えたんじゃないかって話も多い。

 

 

 勿論これ以外にも別の根拠はある。

 156cmくらいの低い身長だったって事とか、月に一度お腹を壊して陣に引きこもったりとか、美少年を側に侍らしてたとか、生涯独身だったりとか。

 そういった要素も当然、否定されるだけの材料が多いし、実際女性説の根拠には眉唾なモノが多い。

 

 

──じゃあ、何故未だに根強くこの女性説が唱えられてるのか?

 

 

 それに関しての答えとしては、やっぱり……その方が『面白い』って考える人が多い事の証だろう。

 実際、俺もそうだったら面白いなって思ってたし、だからこそこうして再現しちゃった訳だし。

 

 

(けど……実際目の前にすると、変に緊張するよなぁ)

 

 

 そして、話は振り出しに戻る。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 目の前で、何を紡ぐでもなくジッと此方を眺める彼女は、あの上杉謙信で間違いないんだろう。

 つまり、多くの戦場を駆けて、多くを討ち、多くを闘った実在の人物ということでもある。

 

 そんな偉人相手に、メリーさんやくっちーみたいに気軽にサインを求めるような接し方を、しちゃって良いんだろうか。

 無礼者って言われてぶった斬られたりしないか。

 ぶっちゃけあの時代の価値観からして、斬られても文句言えないんだけど。

 

 

(……ステータスのチェックでもしとこう)

 

 

 迂闊さが身を滅ぼすってのは今朝お嬢にたっぷりと教わったので、ここは恒例のチェックタイムにするとして、アーカイブを手に取る。

 ビビってるとかじゃない。

 慎重なだけ。そう、戒めてるだけ。

 ちょっと"確かめたいこと"もあるし。

 

 

(お、見っけ。さて……)

 

 

 

─────

 

No.007

 

 

【上杉謙信】

 

 

・再現性『A』

 

・親和性『C』

 

・浸透性『C』

 

 

保有技能

 

【─未提示─】

 

【─未提示─】

 

 

─────

 

 

 紙面に記されたアルファベットの表記に、やっぱりかと重たい息を吐き出す。

 

 

(親和性……Bはあるかと思ってたんだけどな)

 

 

 気になってた事ってのは、この親和性の低さによる疲労の度合いだった。

 

 親和性ってのは、再現した都市伝説の由来の土地と、俺の出身地によって定まるって話だったはず。

 てっきり日本縁ってことで、メリーさんやナインみたくAは行かずともBはあるだろうなと予測してたのに。

 

 

 だからこそ、セナト戦で急に反動が来た時にも、かなり驚かされた。

 もう少しは体力が保つって計算してただけに、あの時は本当に見積もりの甘さを痛感した訳だけど。

 

 

(……そういや、メリーさんが親和性は好感度みたいなもんって言ってたっけ)

 

 

 いつぞやのメリーさんの話では、再現した都市伝説との縁が深まればこのパラメーターは上がっていくらしい。

 現にくっちーやエイダの親和性も、ちょっとしたやり取りで上がってたし。

 まとめると、土地柄の縁は問題なし。となれば……残された要素は、俺と彼女の縁って事になる。

 つまり、さっきからジーっと物言わず此方を眺めてらっしゃる上杉謙信さん。

 

 彼女は俺のことを……あんまり好いてはいないと、そういう結論になるんだけど。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 敵意とか、嫌悪感とか、そんな感じは正直全然伝わって来ない。

 かといって好意的、ってのも微妙。

 ってなればどうでも良い程度の扱いなんだろうか、実際どうなのかは分からないけれども。

 

 どうしたもんかな、この距離感。

 このままグタグタと悩むのも女々しいし、いっそ単刀直入に──と、そう思った折。

 

 

「二つ、良いか」

 

「! な、なんでしょうか」

 

 

 引き結ばれていた小さな唇が、そっと音を連ねて沈黙を溶かす。

 何とも言えないタイミングに、猫みたく背を跳ね上がらせた俺を見つめる菫色の瞳が、少しだけ不服を訴えるように細くなった。

 

 

「……一つ。そう畏まらないで戴きたい。敬意を持つなとまでは言わないが、貴殿と……"この私"に、そういった上下の観念は不要だろう」

 

「あー……やっぱ、緊張してんのバレてた?」

 

「然り」

 

「……ごめん」

 

「構わない。だが、過ぎた敬意は時に卑屈さと映る場合もある。注意されたし」

 

「ん、了解」

 

 

 さっきまでの間に、リンク機能で緊張やら迷いやらが伝わってしまったのかもしれない。

 願いと忠告とを受け取って素直に頷いておけば、対面の毅然とした表情が、ほんの少し柔らかく綻んだ。

 もしかして、気を使ってくれたんだろうか。

 

 だが、綻びは直ぐに引き結ばれ、彼女の唇が再び開く。

 

 

「二つ……私を、『上杉謙信』と呼ばないで戴きたい」

 

「…………え?」

 

 

 深い瞑目を一つ落とされ、長い睫毛が降雪みたく、シンと(ひるがえ)る。

 

 自らの名を呼ばないで欲しい。

 その願いは余りにも意の外側にあったことで、今まで再現して来た皆とも隔絶した望みの形だっただけに。

 言葉に、詰まった。

 

 

「貴殿と私の間に上下の観念は不要だと、先も言った。それは貴殿がこの私に畏まる事はない、という意味合いでもあるが…………逆さまに、私が貴殿を『主』と見立てれぬが故でもあるのだ」

 

「……それが、上杉謙信の名前で呼ぶなって理由と……?」

 

「──然り。上杉謙信とは、越後を束ね、民草を束ね、乱れた世の中を、それでもなるべくして平穏に、安寧にと導くが為の名。一国の『君主』として名乗った。そして、その名を掲げている以上は、誰かを『主』として仕える訳には……いかない」

 

「……」

 

「然るに。私は、貴殿によって喚ばれたとしても……そう易々とナガレ殿を『主』と仰ぐことは──」

 

「──ん、勿論分かってる。そうだな、そりゃ当たり前の理屈だよな」

 

「……然らば」

 

 

 よくよく考えれば、それはごく当たり前の心理だった。

 いくらワールドホリックで再現した都市伝説達が協力的であるとはいえ、ゲームでいう召喚獣とか、召し使いとか、そういう存在とイコールで結びつく訳じゃない。

 

 従えるべき存在というより、むしろ人の世の影に隣合う摩訶不思議。

 都市伝説とはそういうモノであるし、"俺としても、本来ならそうあって欲しい"ところ。

 

 

 何より、かの上杉謙信が、俺こと細波 流を仰ぐということ。

 それは──かの『上杉謙信』が導き、『上杉謙信』を主と仰いだ多くの人達に対する裏切りにも等しいだろうから。

 

 

「じゃあさ、何て呼ぼうか。虎千代……ってのは、幼名だっけか」

 

 

 かといって、名前を呼ばないというのは不便極まりないので、何かしらの代案を求めたい所なんだけど。

 流石に渾名付けるのはアレだろうし、どうしたもんかと腕を組む。

 

 

(しか)らば……、────景虎(かげとら)と」

 

「……景虎、ね。了解」

 

 

 景虎。

 

 その響きは、彼女が上杉謙信を名乗る以前……元服を迎えた際に名乗った、『長尾景虎』という名前から来てるものだろう。

 

 元服。

 彼女にとって武士としての……やがて越後の龍とさえ呼ばれる大業を為すべき道の、スタートライン。

 

 菫色の瞳が、ほんの少し優しく目尻を落とした。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「……ねぇ、景虎。こっちからも一つ聴いて良い?」

 

「構わない」

 

「景虎さ。正直──女性として再現されて、どう、思う?」

 

「……どう、か。さて、どうだろうな。奇妙といえば奇妙であるし。そういうモノだとされれば、さしたる違和はない。だが……」

 

「だが?」

 

「……女としての私を是とするのであれば、男としての私は否とされるのか。逆さまに、史実通りの『上杉謙信』が是とされるのならば。

 

 此処に至った"この私"は、ただの一睡夢の様なモノに過ぎぬのか。

 

 そうであるなら、それもまた是非もなき(仕方ない)事なのだろうが……

 

 

──少しばかり、寂しいものだな」

 

 

「…………そっか」

 

 

 彼女はきっと、俺と似たような様な立場にある存在と言って良い。

 終わったはずの生を、もう一度、違う形で。

 

 彼女は、実在の人物から成る都市伝説。

 そうであるが故に今までと違うのならば、その心の模様もきっちり受け止めておかなくちゃならない。

 

 

 

 それが、彼女を再現した俺の務めでもあるだろうから。

 まぁ、つまり──寂しいばかりにさせたら、男が廃るってな訳で。

 

 

 

「景虎さぁ、塩とか味噌とか、酒とか好きなんでしょ? 確かそれで高血圧が続いて、死因にもなったってのが定説なくらいだし」

 

「──ぐっ、む、む……そう、だが……それがどうかしたのか」

 

「んー、じゃあ甘いモノとかは食べんのかなって」

 

「……う、うむ、甘味か。柿崎の職人から献上された笹団子は格別であったが」

 

 

 例え越後の龍とか軍神とか呼ばれてる存在なんだとしても、そこを除けば俺と同い年の女の子。

 若い女性を喜ばせるなら──スイーツだって相場が決まってる。

 

 

「ほほう。ならさ──今度、とびっきり甘くて旨い菓子食べさせたげる」

 

「それ誠か?」

 

「誠だ」

 

「それ誠だな!」

 

 

 かくして結果は、ご覧の通り。

 

 そこにはあからさまにテンションが上がって、ふわっと紺色のポニーテールを弾ませてる聖将様がいらっしゃったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 




─────

No.007


【上杉謙信】


・再現性『A』

・親和性『C』

・浸透性『C』


保有技能

【─未提示─】

【─未提示─】


─────


戦国大名、上杉謙信が女性であるという都市伝説から再現された人物。

純然たる近接戦闘においては恐らく現状最高峰の実力を持つ都市伝説。
セナトと同等のスピード、恐ろしいほど剣捌きなど、浸透性のランクを感じさせないポテンシャルを持つ。
その外見は、厳粛な雰囲気こそ放つが、凛々しくも儚い美しい少女である。

他の都市伝説と比べてナガレに対し一歩線を引いている節があり、それは彼女が実在の人物に纏わる都市伝説という側面があるからだと、ナガレは推測している。


なお女性説の根拠は、本編で触れたゴンザレス報告書や生涯独身、月一度の体調不良などの事項以外にもあり、その内のひとつが死因。

松平忠明が記したとされる『当代記』に、彼の死因は『大虫』だったと記載されており、ある古語辞典によると、大虫は味噌の女言葉。
味噌は赤味噌を指し、月経(生理的出血)の隠語とされている。
上記の理由からの女性説もあるが、実際の死因は本文中で述べた酒や塩分の過剰摂取による高血圧が祟り、脳出血を引き起こしたことによるものが有力視されている。




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Tales 69【クイーン様のドキドキ治療タイム】

「……で、なんともなりませんの?」

 

「病は気からって言うけど、流石に根性じゃどうにもならないっぽい」

 

「もうっ、だらしないですわね!」

 

「お嬢様、そう我が儘を申されますまいに。ナガレ様の元に参る際、頻りに安否を気にしてらっしゃいました淑やかさはどこへ置いておかれたのですかな?」

 

「あ、アムソン! ま、またまたそんな嘘八百並べるんじゃありませんわよっ!……ん? 嘘を八百個も並べてたら疲れませんこと?」

 

「疲れるだろうね」

 

「ほっほ、きっと歩くのも困難なほど……今のナガレ様ぐらいにお疲れになられるでしょうな」

 

 

 ってな風に軽やかな着地点を見つけた話の矛先ではあるけども、俺自身の実態はあまり芳しくはない。

 というのも理由は至ってシンプルで、歩くこともフラついて困難なほどに疲弊し切っているってだけ。

 

 ここの所の連戦に加えて、セナト戦での同時再現。

 ついさっきまでの、景虎との挨拶代わりのあのやり取りも、正直かなりキツかった。

 その溜まりにたまったツケを一気に払う時が来てしまった訳だ。

 

 

「……もう。なんとかなりませんの? わたくしの連れ添いたる者、わたくしの試合を見届けないなんて許しませんわよ」

 

「いつの間に従者みたいな扱いになってんの俺」

 

 

 で、お嬢がこんなにもご機嫌斜めになってる理由も、そのツケによってお嬢の試合の観戦が出来ないかも知れないからだ。

 もう間もなく始まる魔女の弟子の試合が終われば、次はいよいよ彼女の出番。しかも相手は因縁深い間柄であるエトエナ。

 

 不安なんだろう。

 勝ち気なように見えて案外気弱なお嬢だから。

 そんな彼女からの安心出来る要員認定は光栄だし、出来るものなら応援なり何なりで力になってやりたいとは思うけれども。

 気合いでも根性でもどうにもならない以上、俺自身には御手上げな状態だった。

 

 

「お嬢様。今しがた、セリア様が心当たりを頼って下さっております故、そちらに期待しましょうぞ」

 

 

 つまり頼みの綱は、今この場に居ないセリアの心当たり次第ってことになる。

 対セナト戦でのかつてない消耗具合を見抜いてくれた彼女が、ここへ駆け付けたお嬢達とは別行動を取っているらしいのだが。

 

(心当たりっつっても……セリア、セントハイムにはあんまり知り合い居ないって言ってたよな……)

 

 お世辞にも人付き合いが得意そうには見えないセリアなだけに、心当たりには検討が付かない。

 国内で評判の魔法薬でもあるんだろうか。なんて思っている最中、コンコンと柔らかいノックが扉を叩く。

 

 

「入るわね」

 

「どうぞー」

 

 

 予想に違わず、開かれた扉から姿を見せたのは凛とした佇まいの蒼騎士。

 けれどその背からひょっこり顔を出した人物は、少々意外な人物だった。

 

 

「話に聞いた通り、えらいグロッキーなっとるみたいやね、ナガレくん。あの黒椿相手に勝つなったら、そんくらいで済んでむしろ御の字って話やけど」

 

「ナガレの坊やの大層な頑張り具合、私も拝見させていただきました。つよーい相手に無我夢中で立ち向かってくがむしゃらさが眩しくって、ついクラクラと。うふふ

、うふふふ」

 

「エース、と……クイーン? セリアの心当たりって」

 

「……」

 

 

 意表をつかれた俺にしっとりと頷くセリアが連れてきたのは、言わずと知れたエルディスト・ラ・ディーの、エースとクイーン。

 

 エースに限っては、緑の着流しに細い目元、いつもの関西訛りな特徴と、気付けばそろそろ合わせた顔の数も積もるほどの相手だろう。

 セリアが頼れる心当たりというのも、意外といえば意外だけど、よく考えれば妥当なのかも知れない。

 

 でも、その隣のヘソ出しコルセットと修道女の羽織るローブというパンチの効き過ぎた出で立ちのクイーンに限れば、昨日に顔を合わせたばかり。

 ふやけた笑顔を浮かべている彼女の雰囲気はとても柔らかく、それこそ教会の花壇にでも水をやる姿が似合いそうなもんだが。

 

 

「ボロボロになってでも頑張る男の子って、とっても素敵ですよねぇ……」

 

「……え、えぇ。そうね……」

 

 

 なんていうか、うん。言動が、ちょっと引っ掛かるというか。

 相槌を求められたセリアも、やんわりながらも引け腰になってるし。

 

 

「……それで、どうなんですの? 心当たりとは言いましたけれども、二人ならナガレをわたくしの試合に間に合わせれるんですの?」

 

「んーせやな……ま、ボクはともかく。クイーンが来たからには安心してええで」

 

「ほっほ、左様ですか。このアムソン、そちらのクイーン様もエルディスト・ラ・ディーの幹部の方と見知り置いてますが、治療の心得がお有りで?」

 

「なっはっは! ウチのクイーンはなぁ、なにを隠そう……こと治療魔法にかけてなら、セントハイム国内で一、二を争う程の凄腕なんや。ナガレ君のヘロヘロ具合もパパッと治せるやろ! な!」

 

「あらあら、エース。坊やの具合を見るに、パパッ、とは流石にいかないみたい。パパパ、パパパ、パッパッパ……くらいかしらねぇ」

 

「パの多さはどうでも良いんですの! 間に合いますの、間に合いませんの?!」

 

「お嬢、どうどう。落ち着いて」

 

「わたくしを馬扱いすんな! ですわ!」

 

 

 頬に手を当てながら、(うぐいす)色のミドルボブを揺らすクイーンが加減を訂正するが、全く伝わらない。

 その調子に乱されたお嬢をなんとか宥めれば、女王の渾名を戴く美人の瞳が、妖しく煌めいた。

 

 

「勿論、間に合いますよぉ……"その代わり"。うふふ、うふふふふ」

 

「…………」

 

 

 なんでだろう。

 セナトと対峙した時とか、アークデーモンに足蹴にされた時とかともに感じたどれとも違う、この、踵の裏から這い上がってくる様な寒気。

 

 既に景虎を還してるのにも関わらず、別の意味で目の前がグラリと傾いた気がした。

 

 

 

────

──

 

【クイーン様のドキドキ治療タイム】

 

──

────

 

 

 歯医者に纏わる都市伝説の一つに、『看護婦さんのお胸が頭に当たるのはわざとであり、患者をリラックスさせる為』というのがある。

 

 うん。もはや都市伝説というか、ぶっちゃけ単なる男のスケベな願望じゃないのかそれ、みたいな所はあるのだが、実際はそんなリラックスさせる為とかの目的がある訳じゃないらしい。

 割り切りつつも仕方なくというケースや、患者が好みだから故意に、というケースも……あるにはあるらしいが、信憑性は薄い。

 

 やはりネットのアングラな情報源より、生の声を聴くべきだろうか。

 都市伝説愛好家としてはより実態に寄り添う調査をしたい所なんだけど、いかんせん業務妨害とセクハラ行為にも程がある。

 ビンタ食らって叩き出されても文句は言えない。

 

 

 という訳で、同性である女子アキラかチアキなら代わりに調査出来るんじゃないかとちょっとした提案をしてみたところ。

 顔面に、柔らかいどころか強靭なアイアンクローを存分に味合わされました。こめかみ潰れたかと思った。

 写メ娘は写メを撮らず無言で脛を蹴り続けて来た。泣くかと思った。

 

 

 結局、神妙に一部始終を眺めていたリョージの『男に必要なのは真実じゃない。ロマンだ』という深すぎる一言のまま、この都市伝説については未調査となったのだが。

 アキラやチアキはこれ以上ない程に白けていた都市伝説だが、男としてはやはり、ハートがドキドキせざるを得ない。

 

 

 さて、そんな一昔のメモリーを前にポンと置いてみた訳だが。

 俺は今、かつて求めた状況と酷似した渦中に居た。

 

 

「はぁい。口、あーんと開けてください」

 

「や、あの……せめて自分でするんで……」

 

「ダメダメ、駄目です。ナナルゥのお嬢さまに言われたんでしょう? 早く治して、観戦しなさいって。んふふ、言うこと聴かないと、治療ほったらかしちゃいますよ?」

 

「…………」

 

 

 わざわざ耳元で、飴玉を転がすように囁きながら。

 わざわざ頭ごと抱えるように俺の顎を持ち上げ、にっこりと微笑むクイーンを看護婦とするならば。

 逃げ道を優しく的確に塞がれ、諦観のあまりにそっと口をあーっと開いた俺は、さながら診察台の患者だろう。

 

 よく出来ましたと言わんばかりに、若草色の瞳が細くなり、身動ぎと共にほわんと何か柔らかいものが頭に当たる。

 はい。アレです。議題のブツです。

 俺のハートも確かにドクンドクンと脈打ってる。

 

 しかし、しかしだよ。

 件のリラックス効果なんてこれっぽっちも抱いてられない。

 何故なら、うふふうふふと笑う彼女の、もう一方の手には……フラスコの中で、"毒々しい虹色"に光る液体があったから。

 

 

「はい、ちゃあんと全部飲んでくださいね?」

 

「……」

 

 

 飲まなくても分かる、絶対マズいやつじゃん。

 聞くところ、この液体は治療魔法の効果をより良く循環させる為の飲み薬で、ようは治療促進剤みたいなモノらしい。

 

 いや、そりゃ治療の為に必要だっていうなら、滅茶苦茶心底飲みたくはないけど、飲む。

 でも、せめてそのタイミングは自分でいきたいというか、他人に委ねたくはないというか。

 

 

「大丈夫ですよ、効果はばっちりですからぁ。んふふふふ」

 

「……」

 

 

 ましてや、この妖しさ満点のクイーンに、飲ませられるというのはどうにか回避したかった。

 効果も、まぁ確かに大事だけど、不安材料はアンタだと声を大にして言いたい。

 でも、顎ごとやんわりロックされてる状況ではどうしようもなくて。

 

 

「はい、いきますねぇ?」

 

「──」

 

 

 俺の返事なんか最初っから聴いちゃいない看護婦さんは、花が咲くほどの笑みを浮かべながら、グイッとフラスコを傾けるのであった。

 

 

 え……ロマン?

 なにそれおいしいの?

 

 

 むしろ泣くほど不味かったよ。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「『咲き誇る──薔薇でなくとも』」

 

 

 もはや疲れとは別の要因で、声も挙げれなかった。

 

 

「『海を渡る──海豚(イルカ)でなくとも』」

 

 

 身体中の水分という水分がクルクルと各所を巡っているのが伝わるくらいに、感覚は鋭敏。

 けれど、それだけに口周りに残った苦味とも酸味とも言いがたい不快感がたまらない。

 

 

「『空を翔る──鳥でなくとも』」

 

 

 喉に送り込む度にのたうち回った気力も綺麗さっぱり抜け落ちた脱力感のまま、診察台と貸したベッドに横たわる。

 アレを飲む前の方が、よっぽど元気だったんじゃないのかってくらいに。 

 

 

「『命を泳ぐ──人でなくとも』」

 

 

 でも、"本当の治療はここからだから"と、鼓膜をくすぐる壮麗な歌声が教えてくれる。

 その艶やかながら清く澄んだ響きは、まるで教会に響く聖女達のアンサンブルを彷彿(ほうふつ)とさせた。

 

 

「【あまねく総てに光あれかし(カントゥス・ソナーレイ)】」

 

 

 掲げられた掌から溢れた陽光が、大きなシャボン玉みたく俺の身体を包み込む。

 纏めあげられた詩片が光脈となって、プカプカと泡のように俺の身体から浮かび上がった。

 

 

「っ、な、これは……」

 

「暴れたらダメですよ。じっとしてて、ね?」

 

 

 泡沫(うたかた)ひとつが光の幕に浮いては消えて、浮いては消えて。

 その度に、体内に蓄積していた重みや痛みがハッキリと和らいでいく実感。

 まるで、目に見えない疲労物質を泡に変換して溶かしていってるような。

 

 

「っ……す、ごいな……これ……」

 

「そう、そうでしょう、そうでしょうね。ヌクヌクとしてて、シュワシュワっともしてて、とっても気持ち良いでしょう?」

 

「……確かに」

 

 

 端的に言って、超気持ち良い。

 安っぽい表現だけど、滅茶苦茶くたびれた後に浸かる温泉みたいな感じ。

 ぬあ~~ってだらしのない声が出そうなぐらい。

 

 頬に手を当てて、我が意を得たりとばかりに頷くクイーンの言葉は、抽象的で舌足らずではあるけども的確だった。

 

 あぁ、良かった。

 前哨戦(促進剤)があまりにもキツかったけど、これは良い。

 あんだけしんどかった身体も、かなり楽になってる実感がある。

 

 

「……ちなみにこれ、後どれくらいこうしてれば良いの?」

 

「あら、あらあら。もう満足? ダメですよ、しっかり身体の芯まで暖まってからじゃないと」

 

「んな風呂みたいな……じゃなくて、単純に快復までどれくらいだろうって。あんまり長くて試合に遅刻したりすれば、お嬢に何言われっか分かんないし」

 

 正直ずっとこの光の中に包まれたいぐらいだけど、頭に過ぎるのはやっぱりお嬢の癇癪。

 エトエナとの試合、純粋に応援してあげたいのもあるし。

 

 だが、その途端。

 

 

「そうですねぇ……確かに、"あんまり長過ぎる"と……んふふふふ」

 

「……?」

 

 

 あの、寒気。

 ポカポカと暖かに包まれる光の中でさえ、ゾワッと強張るあの感覚の余りに、視線を『そっち』へと向ければ。

 

 口端をにんまりと緩め、ピンクの舌先でチロッと蛇みたく、自身の唇を舐めるクイーンと目が合った。

 

 

「もう二度と、"おっ立つことさえ出来なくなる"かも知れませんねぇ……」

 

「────は?」

 

 

 それはもう、愉悦に染まった若草色が、まばたきもせず満月みたく俺を射抜く。

 彼女の真っ白い肌が、官能的ともいえるほどに熱を浮かせて、情欲を散らしていた。

 

 

「じょ、冗談は……」

 

「冗談なんかじゃあありませんよぉ? 良い薬はとっても苦いモノです。うふふ、強力な回復魔法だって、使い過ぎれば……ッハァ、ッ──とぉっても、危ないモノ、なんですよぉ?」

 

「っ」

 

 

 さながらそれは、獲物を前にした獰猛な生き物がする舌舐めずりのような。

 次第に瞳を潤ませ、ビクビクと小刻みに悶えながら悦を味わう彼女は、もう、どう贔屓目に見ても……ヤバい人だった。

 

 あの、ちょっと。

 まさかのピンチにも程があるだろこの展開。

 

 

「私が癒しの魔法をかける度、あぁ、これで自分は救われる……そう、胸を撫で下ろしますでしょう? けれど、そこで私がこう囁いてみるのです。『過ぎた薬は、毒となる』……その瞬間、安堵に満ちた顔がゆっくりと青ざめていき……あぁ! あぁぁ! たまりません! 飴と鞭ならぬ、飴が鞭! 救済の手が破壊の術と知った時の絶望! あぁん、そそりますねぇ……うふふふふ」

 

「…………マジか、この人」

 

「ああっ! そう、その冷めた視線の奥、目の裏のビクビクっとした脅え! そそりますねぇ、たまりません……ハァッ……凄く愛らしいですよぉ、ナガレの坊や。エースの頼みじゃなければ今頃……んふふ、うふふふふふ」

 

「(うっそ…………いや。待って。だ、誰か……た、助けてぇぇぇぇェェェェ!!!)」

 

 

 

 

 

────結果的に。

 

 

 セントハイム国内最上位の治療医師としての腕があるだけに、ベストなタイミングで回復魔法は打ち切られた。

 

 おかげで、確かに身体は平穏無事かつ快活ってくらいに調子が良くなった訳で、クイーンの実力を推したエースの太鼓判も間違いじゃなかったけれども。

 

 あの光の幕に閉じ込められてる間、ずっと延々とあの言葉攻めのようなナニカを受け続けさせられた訳で。

 

 

(もう……二度と、この人の治療は受けたくない)

 

 

 身体の元気溌剌(はつらつ)具合とは裏腹に、俺の心には暫く剥がれそうにもないトラウマが、びっちりと植え付けられたのだった。

 

 

 

 



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Tales 70【サイレントヴォイス】

 

 

「悩ましい」

 

 

 見映えの良い宝飾を数点つけた分厚い拳が、ミシリとひとつひとつ指を開く様は、演劇じみたわざとらしさがあった。

 

 

「実に悩ましいな。音に聞こえた黒椿を下した、若き奇術師。それとも、余の要求通り、奇術の種一つを見事に"引き出してみせた"影法師。さてこの場合、どちらを立てたものか」

 

 

 嗄しわがれた声質とは裏腹に、クツクツと喉を震わせる大きなシルエットに老獪さはあれど、老いという要素を含まない。

 対面にて柳の様に立つ影法師と比べれば、その身には生半可では持ち得ない、覇気とも呼ぶべき圧があった。

 

 

「どちらとでも。しかしその口振り……『闘魔祭優勝』をまんまと逃した私だが、その働きはグローゼム大公の依頼に添えた、という事で宜しいか?」

 

「あぁ、構わぬ。『余の目的』は充分に果たせた。そも、闘魔祭優勝など他愛もない事……貴様を下した奇術師か、それとも忌々しい魔女の弟子にでもくれてやればよい」

 

「……であれば、此度の契約は完了、という事だな」

 

「そうとも」

 

「……」

 

 

 大貴族アルバリーズ家現当主、グローゼム大公は、(したたか)な笑い皺を深めた。

 その様を物言わず観察するセナトは、内心で一つ舌を打つ。

 

 というのも、彼女が遠い遠い東の地より招かれた契約の内容。

 それはたった今、グローゼム大公が他愛もないと一笑に伏した『闘魔祭優勝』だったのだ。

 しかし三回戦が始まる当日、目の前の大公は契約の内容を、『対戦相手の奇術師の業を、引き出せる限り引き出せ』というモノに変えた。

 それさえ果たせば三回戦にて敗退しても良い、という条件の緩和と依頼金の上積みも添えて。

 

 

──つまり。

 

 

「あぁ、そういえば……貴様には、余の息子の件で苦労をかけたな」

 

「……フン」

 

「全く、才覚の至らぬ出来損ないの癖に、妙な方へと目覚めたかと思えば……途端に、貴様を"女"だと見抜くほどの嗅覚に身に付けおってからに。しかし……些末ではあるが、お蔭で少しは"使い道"が出来るやも知れぬな」

 

「……(ぬけぬけと)」

 

 

 セナトは、グローゼム大公の告げた『本当の目的』を知らない。

 

 彼女は体のいい隠れ蓑として利用されただけなのだろう。

 きっと、今までは使い道のない役立たずとしか見られていなかった彼の息子である"ロートン卿さえも"。 

 

 当初、ロートンの護衛をさせられたのも、闘魔祭優勝という契約内容を表に出さない為と彼女は従った。

 だが、その必要性すらも今となっては疑わしい。

 恐らくその真意は──かの『賢老』ヴィジスタ宰相の目を、『本当の目的』から逸らす為のスケープゴートだったのだろう、と。

 

 もっとも、肝心のグローゼム大公の目的についてはセナトには知りようもない事だし、傭兵でもある彼女自身、知らなくて良い事だったのだが。

 

 

「……では」

 

「あぁ、ご苦労」

 

「……」

 

 

 依頼主の事情には深く突っ込まない事が傭兵の鉄則ではあるものの、こうもあざとく利用されるのは気に入らない。

 そんな意思を滲ませる様に踵を返した彼女の背に、向けられる声も視線もなかった。

 

 手切れが済んだのならば、もうそれまで。

 合理的で冷淡な大貴族の判別に、傭兵であるセナトが感傷を抱くはずもなかった。

 

 けれど。

 

 

(…………フッ)

 

 

 東から遥々訪れた用向きには、形がついた。

 となれば、後は彼女の帰るべき場所へと帰還するだけなのだが。

 

 

(……羽根を伸ばすのも、悪くはないか)

 

 

 このまま帰るのは、なにか釈然としないし、何より味気無い。

 異国の地の観光など心底楽しむ性根でもあるまいに、それも悪くはないと思えて。

 

 

(……)

 

 

 らしくもない思考が過ぎった先に、不思議と浮かんだ顔は。

 あの小憎たらしくも妙に波長の合った──ナガレという青年の顔だった。

 

 

 

────

──

 

【サイレントヴォイス】

 

──

────

 

 

 

『第二試合、けっちゃあぁぁぁっっく!!! 準決勝戦へと駒を進めたのは、トト・フィンメル選手! オルガスタ選手もかなりの健闘を見せてくれましたが、それでも巨大魔法人形、マザーグースには及びませんでした!』

 

 

 間に合った、とも。

 間に合わなかった、とも。

 ある意味でどっちとも取れる試合終了のアナウンスが流れるのと、第二試合を観覧してたセリア達の元へと合流出来たのはほぼ同タイミングだった。

 

 

「げっ、ギリギリ間に合わなかったか……」

 

「あらナガレ、ちゃんと戻って来ましたのね……って、間に合わなかったってなにがですの? わたくしの試合にはちゃんと間に合ってるじゃありませんの」

 

「や、お嬢の試合にはね。けどどうせなら次の対戦相手の試合も見ときたかったって」

 

「トト・フィンメルね。それなら多少の収穫はあったから、後で説明するわ」

 

 

 お嬢の試合には間に合ったけど、トトの試合も出来れば観戦したかったって話。

 そう漏らせば、俺の代わりに情報収集をしてくれたらしきセリアが人差し指をピンと立てた。

 

 眼鏡かけてスーツでも着たら、美人教師にでもなりそうな仕草だな。

 けどもこちとら、鼻を伸ばす男子生徒ではなく、むしろ苦情を申し立てる厄介な親御さんばりの心境になってる。

 

 

「あんがとセリア。ついでに治療の時にそそくさとお嬢達連れて退席した理由についても説明求む」

 

「……貴方の代わりにトトについての情報を集めておく必要があったからよ」

 

「目を逸らしながらじゃあ、説得力ない」

 

「ほっほ。お疲れ様ですナガレ様。顔色を伺うに、なかなかハードな治療であったようですな。病み上がりに紅茶を一杯、いかがですかな」

 

「貰っとく。ありがとう、アムソンさん」

 

 

 どうやら体力が快復した分、精神的疲労が顔に出ちゃってるらしい。

 まぁ、あんな一部のマニア受けしそうなプレイを味合わされたら、こうもなるだろうな。

 また御贔屓に、って艶々した顔でクイーンに告げられたけども、出来ることなら二度とご免だった。

 

 

「それにしてもナガレ。次の相手が魔女の弟子とはいえ、そう構える事はないんじゃなくって? 貴方が新しく喚んだあの女騎士……ええと、名前はなんて呼べばいいんですの?」

 

「女騎士……あぁ、景虎のことね」

 

「カゲトラ、変わった響きですわねぇ。しかし、景虎の剣捌きはこのわたくしから見ても、実に勇ましく見事でしたわ!」

 

「ん。お嬢は景虎が随分お気に入りみたいだな」

 

「えぇ! 優雅に美しく、そして派手な剣技! このわたくしの華々しさに通ずる所がありますわ!」

 

「……そっすね」

 

 

 どうやらこのお嬢様は、新顔の景虎の存在をいたく気に召したらしい。

 確かに静やかな雰囲気とは裏腹な研ぎ澄まされた剣技は、見映えが良い。派手好きなお嬢が気に入るのも納得だ。

 お嬢の華々しさ云々については納得しかねるけど。

 

 

「それに、あれほど手強い黒椿の者を打ち破れたんですもの。あのガーゴイルもどきも、ちょちょいのサッという具合にやっつけられるんじゃありませんの?」

 

「確かに景虎は"すんごい頼りになる"都市伝説だけど、流石にそう上手くはいかないだろ。事前の情報集めは大事だって、マルスとセナトに散々思い知らされたし」

 

「むぅ、情報集め……なんだかみみっちくて地味ですわね。どうせなら正面から堂々と打ち破るのが王道らしくて良いじゃありませんの」

 

「お嬢らしいな、それ。でも、そんな事言って……次、あのエトエナが相手なんだろ? んな余裕かましてられる相手じゃないと思うけど」

 

「んなっ……い、言ってくれるじゃありませんの……」

 

 

 からかいも含めた忠告は、お嬢のやわらかいとこにサクッと刺さったらしい。

 目尻を吊り上げるお嬢の雰囲気に、気付けにしちゃ効き過ぎたかも、と心中で冷たい汗が流れる。

 

 ふと、ワナワナと小刻みに震えるお嬢に圧されて一歩後ろに引いたとき、ポケットの中もお嬢に同調するかの様に振動した。

 

 

(ん、メリーさん?)

 

 

 メリーさんからの電話かと思ったけど、すぐにピタリと止む。

 あれ、電話じゃない……と内心で小首を傾げるが、すぐに思い至る。

 多分これは、最近メリーさんが覚えだしたメッセージアプリの通知だろう。

 

 どちらにしろ彼女からの呼び掛けだろうから、内容確認にそそくさとポケットに突っ込んだ手は……けれどもピタッと止められる。

 その原因は、見えざる手というより、目に見えたお嬢様の圧力だった。

 

 

「そこまで言うのならば、良いですわよナガレ! そのつぶらなお目々をバチィッと開いて、わたくしがあのちんちくりんを成敗する一部始終をとくと焼き付けなさいな! 試合中のまばたきは一切合切禁止ですわよ!」

 

「……まばたき禁止とかドライアイ待ったなしじゃん」

 

「ドライアイだかマンドラゴラだか知りませんが、禁止ったら禁止ですわ!」

 

「ちょ、近い近い! わかったから!」

 

 

 鼻息荒く迫って来るお嬢とのこんな感じのやり取りも、もう何度目か。

 とはいえ油に火を注いだのも他ならぬ自分である。

 そういう時に視線で救いを求めても、セリアやアムソンさんが助け船の舵を手にしてくれないのもいつもの事。

 

 血気の盛んぶりは因縁の対決を控えていることもあってなかなか収まってはくれず。

 ついには会場のスタッフがお嬢を呼びに来るまで続き、朝同様、とんだ藪蛇を味わう羽目になったのだった。

 

 

──後にして思えば、ここでもう少し早く、スマートフォンのメッセージを確認しとくべきだったと。

 

 

 やっぱり後悔というものは、先に立ってくれるほど、親切には出来ちゃいない。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

『はてさて、それではお待たせ致しました! 三回戦も後半に差し掛かりまして、魔のブロック、第一試合!

まずは剣のコーナーより!』

 

 

 晴天直下、昼下がり。

 

 

『二回戦にてエドワード選手の飽くなき矜持を堂々と迎え打った、器量も態度もお持ちのお餅もビッグスケールな風精令嬢! 今日もまた、優雅に華麗に勝利を掴み、その高笑いを天高くに響かせてくれてくれるのか?! ナナルゥ・グリーンセプテンバー選手の入場です!』

 

「オーッホッホッホッ! モチの論ですわっ! ご期待通り、優雅に華麗に勝利を掴んで差し上げますわよ!……ところでおモチってなんの話ですの?」

 

 

 セナトとナガレの因縁よりも根深い因縁のぶつかり合いが、幕を上げようとしていた。

 

 

『続きまして、魔のコーナーより! 一回戦、二回戦と圧倒的な火力の魔法で対戦相手を薙ぎ払って来ました炎麗淑女! 荒々しく息吹く火炎の如き勢いは、今日もまた更なる燃え上がりを魅せてくれるのでしょうか?! エトエナ・ゴールドオーガスト選手の入場です!』

 

「ふん。魅入る目ごと焼き尽くされないよう、精々気を付けなさいよ」

 

 

 闘魔の祭典の中心にて、対峙するのは新緑と黄金。

 

 

 

「優雅に華麗に、ねぇ。そよかぜ風情が相変わらずでかい口を。どうせ叩くなら、せめて出来る事にしとけって言ってんでしょ」

 

「口を開けば憎たらしい事ばかり……相変わらずなのはそっちこそですわよ。それと、わたくしは黄金風ですわ! なんべん言わせれば覚えますの、このちんちくりんは!」

 

「まぁ、アンタみたいな落ちこぼれが一回でも勝ち抜けた事自体奇跡みたいなもんだけど……それもここまでよ。アンタのお仲間の前で、このアタシが直々にそのオンボロ金メッキを剥がしてやるわ」

 

「ぐっ……エトエナこそ、そんなちっちゃな背丈で大言壮語を宣うんじゃありませんわよ! 可愛げのない女ですわね!」

 

「っ、アンタこそいちいち……身長は関係ないでしょ! ほんっとムカつくわね! 弱っちい落ちこぼれで口ばっかりの癖に!」

 

 

 ぶつかり合う火花は、油を必要せずとも過剰に燃え上がる。

 互いにエルフ、互いに紅眼。

 

 

『おおーっと、なにやら既に口先による激しい鍔競り合いが巻き起こってる様子! これはセナト選手とナガレ選手に続く因縁対決ということでしょうか?!』

 

 

 しかし、彼女達が進んできた道筋は、真逆といっても良かったほどに異なった。

 

 

『美少女エルフ同士のぶつかり合い、注目の一戦となります! それでは早速参りまっっしょうッッ!!』

 

 

 かつての過程の明暗は、既に光と影に別たれている。

 

 ならば、それは『この今』にさえ及んでしまうのか。

 

 その答えは、きっと、未だに霧の中。

 

 

『試合────開始でっっす!!!』

 

 

 高き清空に、その霧を払う風の第一陣を招く宣言が響き渡った。

 

 

 

 

 



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Tales 71【炎狼】

『まず精霊魔法使いにとって、理想的な距離とはどの位置か』

 

 

 傍らの樹木が無数に宿す、緑色した楽器達の間を、凛々と鳴る声質が滑らかに通った。

 

 

『それは……なるべく距離のある遠くの方が良いに決まってますわ』

 

『えぇ、そうね。各国の軍部にある魔法部隊も、後方から魔法を展開して前線を支援する。精霊魔法は基本的に、詠唱を介する事で発動するから。でも、ここには"前提"がある』

 

『前提?』

 

『そう、詠唱の際に無防備になる精霊魔法使いを守護する部隊がある、という前提。勿論これは部隊だけじゃなく小規模でも同じ事。貴女の場合だと、アムソンが守護的役割になるわね』

 

『……まぁ、そうですわね』

 

 

 ざわりと吹いた風に運ばれる木の葉の先を、紅い瞳が追いかければ遠くの方に件の執事の背が映る。

 その対面で膝をついて、肩で息をする青年の姿も漏れなく。

 

 なだらかな丘の上。闘魔祭の予選を控えた昼下がり。

 機嫌の良い気象が澄み渡る空の下で行われている、闘魔祭に向けた修行の風景がそこにはあった。

 

 

『けれど闘魔祭では、当然貴女だけが一対一で闘う事になる。つまり今述べた前提が変わってくるの……特に貴女が目の敵にしているエトエナとの試合ではね』

 

『ど、どういう事ですの?!』

 

『精霊魔法使い同士の試合は一概には言えないけれども、魔法と魔法の撃ち合いになると思うわ。何故なら、得意とする距離が同じだから』

 

『魔法の、撃ち合い……』

 

『えぇ。魔法の撃ち合いは、属性の相性も関係してくるせれど……やっぱり火力の大きい方が押し勝つわ。言いづらいけれど、ナナルゥ……"そうなれば"、貴女に勝ちの目はないでしょう』

 

『ぐっ……』

 

 

 セリアの歯に絹を少し挟んだ物言いに、レクチャーの受講生徒たるナナルゥは押し黙るしかない。

 反論したい感情は並々以上、けれどセリアの弁は彼女自身が一番身に染みている事でもある。

 

 エルフにあるまじき落ちこぼれ。

 彼女の紡ぐ精霊魔法は、威力だけ見れば並のエルフよりも下回るのだから。

 

 

『そもそも炎精霊魔法は純粋火力の高い魔法が多いし、エトエナはその使い手なんでしょう? だったら尚のこと撃ち合いは向こうの独壇場になるわね』

 

『……』

 

 

 ナナルゥが好む正面からの王道制覇は、どう考えても分が悪い。

 口を尖らせつつ項垂れる。だが、その顔にいつもの爛漫な可憐さが戻って来るのも直ぐだった。

 

 

『でも……一つだけ。風精霊魔法使いのナナルゥなら、明確に有利を取れる要素があるわ』

 

『えっ、マジですの?! そ、その要素とはなんですの! 勿体振らずに教えてくださいまし!』

 

『えぇ、それは──』

 

 

 教鞭似合いし蒼き騎士は、アドバイスをかく語りき。

 

 

『機動力よ』

 

 

 

 

 

 

 

詠唱破棄(スペルピリオド)……『深紅の矢(ブラッディ)』!」

 

詠唱破棄(スペルピリオド)ッ、『天使の靴(スカイウォーカー)』!」

 

 

 

────

──

 

【炎狼】

 

──

────

 

 

 

 瞬間的に巻き上がった魔力に、空気が弾ける。

 剛、と音立てて赤い魔法陣から放たれた業火の矢は、まさしく敵を貫く弾丸だった。

 

 

 紅い軌道の先には、紅い瞳を持つ少女。

 その華奢な身体を食い破らんと迫る矢を前に、けれど彼女の紅い瞳に脅えはなかった。

 ふわり、というあまりに柔らかい擬音。

 無遠慮に迫る業火の矢のアプローチを冷たく袖にするように、天使の靴を履いた淑女は、呆気なく軌道上から舞い上がった。

 

 

『切った火蓋をそのまま着火したかの様な、エトエナ選手、先制の電光石火ァ! 対するナナルゥ選手、二回戦でも見せたスカイウォーカーで軽やかに飛翔してみせました!』

 

「ふふん、開始と同時にぶっ放すなんて気の短いちんちくりらしいですわね。そう来るのは見え見えでしたわ!」

 

「……高いとこに昇った途端、態度が余計に大きくなる。アンタこそ、らしいほどにバカ丸出しね」

 

「誰が高いところがお似合いなおバカですってぇ?!」

 

「自分でも良く分かってんじゃない」

 

 

 過剰に拾い上げた侮蔑に憤るナナルゥを見上げながら、エトエナは呆れ調子を崩さない。

 けれどその冷淡な口振りとは裏腹に、爛々と光る彼女の赤瞳はキリリと弓弦の如く吊り上がっていた。

 

 

「今にその減らず口を利けなくしてやりますわ! 詠唱破棄(スペルピリオド)、『空咲く三日月(エアスラッシュ)』!!」

 

「!」

 

 

 靴から伸びた翼が、助走をつけるように大きく羽ばたく。

 余波によって落ちていく、淡く緑光に煌めく羽根の一片の行方を、追い掛ける余裕はない。

 ステッキを振ると同時に編み出された風の刃が、空を裂いて迫っているのだから。

 

 

「【精霊壁(エレメントシールド)】!」

 

 

 先程のブラッディ(深紅の矢)のお返しと言わんばかりに放たれた刃を、エトエナは赤い魔力の障壁で迎え打つ。

 高密度で編まれた障壁に、緑色の刃は僅かな拮抗を見せるけれども、あえなく元の風へと掻き消えた。

 

 しかし、掻き消えたのは風刃だけではなく、赤黒チェックドレスの陽炎も同様で。

 今度はエトエナの斜め後方より、追撃の一手が繰り出された。

 

 

「『エアスラッシュ(もう一発ですわ!)』!」

 

「っ」

 

 

 いつの間に。

 そう悪態をつく暇を殺して、エトエナもまた即座に障壁を展開する。

 衝突し、霧散する。先程と同様の、焼き回しの光景。

 

 しかし、意をつかれた形になった故か、障壁のタイミングが先程よりも少し遅れている。

 その僅かな明暗に、旋回しつつもエトエナの一挙一動を観察していたナナルゥの不敵な笑みが、濃さを増した。

 

 

「『エアスラッシュ(畳みかけますわよ!)!」

 

深紅の矢(ブラッディ)!」

 

 

 もう一度。今度は大きく回り込んで、横っ面に刃を放つ。

 速く、疾い連撃。

 さながら風そのもの染みたナナルゥの機動は、翼を持たない者の一秒の余裕を、緻密に削り取る。

 

 このまま障壁で迎え打っては後手に回ってしまうだろう。

 そう判断したエトエナは、飛来するエアスラッシュにブラッディを放つことで、相殺。

 目論見通りに小賢しい一手を防いだものの、その幼く可憐な顔立ちは未だに険しい。

 

 

深紅の矢(調子に乗んな)!」

 

「欠伸が出ましてよ!」

 

 

 舌打ち混じりに機先を制す為の攻撃を放つが、緑閃光は鮮やかに弾道を掻い潜る。

 標的の影にすら触れれず、客席に向けて業火の矢が飛来するが、運営側が用意した精霊魔法使い達が展開した魔力障壁に阻まれ、呆気なく形を崩した。

 

 

(セリアの言った通りですわね!)

 

 

 息つく暇を与えず、ステッキを振るい風刃を放つナナルゥの口角が上がる。

 予選前にセリアからレクチャーされた戦術。

 

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 地に足つけての魔法のぶつけ合いでは、ナナルゥ・グリーンセプテンバーに勝ち目はないだろう。

 ならば、制空権を握り、有利を活かして手数の多さを叩きつける。

 自分を落ちこぼれと弾く土壌(火力主義)に付き合わず、自分の土俵を空に築けば良い。

 

 

「チッ、ちょこまかと!」

 

「どこを見てますの、ちんちくりん!」

 

 

 天使の靴を履いた、空戦機動によるアドバンテージ。

 これこそが、蒼騎士のいう風精霊使いの強みであり、有利な要素だった。

 

 

「隙有りですわ!」

 

「──!」

 

 

 僅かに出来た膠着の隙間を、緑閃光が瞬く。

 地を削り直前まで迫ったエアスラッシュ。エトエナも咄嗟にエレメントシールドを展開するが、対応そのものが些か遅れてしまっている。

 

 その遅れが生み出した衝突の余波に、エトエナの小柄な体躯では堪えきれず、圧されるように後退した。

 

 

『これは……ナナルゥ選手、見事な機動力です! 鳥の様に宙を駆け、エトエナ選手を圧倒しております! これはエトエナ選手、苦しいかー!?』

 

「オーホッホッホッ!! どーしましたの、エトエナ! ことあるごとにそよかぜと(そし)ってくれる割には、ほんのそよかぜすら耐えられないちんちくりんっぷりじゃあーりませんの!」

 

「ちょっと(つまず)いただけでしょうが!」

 

「言い訳染みた弁明にもいつもの様な小生意気さが欠けてますわね! あぁ、良い気分ですわぁ……オーホッホッホッホッホッホッホッ! なんだかいつもより長めに笑ってしまいますわね!」

 

「こんのバカ風……分っかり易く調子に付いてくれちゃってぇ……」

 

 

 言ってしまえば、それは積年の恨みつらみの反動でもあるのだろう。

 

 幼き頃は精霊の生まれ変わりとまで持て囃され、時を経るごとに落ちこぼれと揶揄されたナナルゥ。

 彼女と対照的に、才能の開花と共に秀才と扱われ、自らの隣から遥か先へと離れていったエトエナへの、根深い悔恨。

 

 そんな積年の相手を圧しているという確かな手応えが、ただでさえ調子付き易いナナルゥの心を有頂天の極みへと押し上げていた。

 

 

 しかし。

 

 

「……ふん、まぁ良いわ。テンション極まったバカを、一気にドン底に叩き落としてやるっても──悪くないでしょうし」

 

 

 理解しなければ、否。

 もう一度、"思い出させてやらなければならない"。

 八月の黄金(エトエナ・ゴールドオーガスト)は、空を泳ぐ程度では到底届きはしない領域に居ると。

 

 

 

「ナガレっていう、エセ精霊魔法使いと……セリア"先輩"も見てる事でしょうし……折角だから、"見せて"あげるわ。『コンビニエンス(こんなこともあろうかと)』」

 

『おおっと、ここで秘策でありましょうか! エトエナ選手が取り出したのは……!』

 

 

 

 

 

「……、──フルート?」

 

 

「来なさい──────"ハティ"」

 

 

 小さな掌に握られたのは、紅い金属で造られたフルート。

 当惑するナナルゥに、そして、観客席にて試合を眺めているナナルゥの連れ添いの一団へと、挑発的な笑みを前奏に。

 

 

【─────】

 

 

 澄んだ独奏の音色が、風に溶ける。

 音という振動の集積体に、形などありはしない。

 だというのに、エトエナの周囲から、フルートの音色に同調するかの様に"赤い光の奔流"が巻き起こる。

 

 

 その現象は、まるで。

 トリックスターと名が通った奇術師が招く、『あの現象』とよく似ていて。

 

 

 ならば、八月の金色もまた、同様に。

 赤い音色によって、ナニカを招くのが道理と云えよう。

 

 

「…………、────そんな」

 

『……う、そ……』

 

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーは、呆然と息を飲む。

 

 そんな馬鹿な、あり得ない。

 当たり前の様に紡げるはずの言の葉は、けれど形に続かず、喉の内側で溶けていく。

 

 否定したかった。彼女の紅い瞳に映る存在を。

 赤い光の奔流が渦巻く中心から、浮かび上がるシルエットを。

 

 

【────グルゥゥ……】

 

 

 燃え盛る焔の如く、赤い毛並み。

 喚び主であるエトエナにも及びそうなほどの体躯。

 鋭い金色の輝きを放つ両眼と、(いなな)く顎から覗いた白牙。

 

 

「アンタ如きに、この子を"喚ぶ"つもりはなかったんだけどね……気が変わったわ」

 

「な、な……」

 

 

 

 

 その威容は、その"らしさ"は、彼女がエセと呼んだ青年が呼び出す存在とは、比べ物にならないほどに。

 

 

 

 精霊そのもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

「存分に味合わせてあげる。

 

 

 この精霊の────いいえ。

 

 

 "炎狼ハティ"の、強さをね」

 

 

 

 

 

 

 

 

【ワオォォォォォォォォンッッ!!!】

 

 

 

 主の言葉に同調するかの様に。

 

 紅蓮の狼が、蒼空へ向けて──猛々しく、吠えた。

 

 

 

 

 



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Tales 72【トゥ・ファミリア】

 ツツと静かに頬を伝う冷や汗を真似て滑り落ちる生唾を、飲み込むだけで精一杯だった。

 本意真意も喉の奥に留めて、さも"それっぽく"振る舞っていた俺の眼下にて立つ、あの姿は。

 灼熱を纏って天へと吼えたあの炎狼と、それを従えるように隣立つ、金色の精霊魔法使いの姿は。

 

 

「精霊──、……召喚……?」

 

『え、えええええぇぇぇぇえぇぇ?!?!?!』

 

 

 晴天直下、悠々空飛ぶ鳥の群れだって、一目散に逃げていくほどの大音声が至るところで響き渡った。

 

 

『な、なななななんという展開でありましょうかッ?! エトエナ選手が美しい笛の音で喚び出しましたのは、燃え盛る火焔に包まれた狼! ま、紛れもなく炎の精霊でありましょう! と、いう事は……!』

 

「ってことは……エトエナって、精霊、奏者(セプテットサモナー)なのかよ……アイツ」

 

 

 とんだ隠し球の公開に、俺含めて誰しもが唖然としていた。しかと握ってるはずの手摺の支柱が、不思議と脆く頼りないとさえ錯覚するくらい。

 

 俺のワールドホリックよりもよっぽどファンタジーチックな神秘的な姿形は、本物を知らない俺でさえ分かるほどに精霊らしさに満ち溢れていた。

 エトエナには、ことあるごとにエセ精霊魔法使い呼ばわりされてたけど、そういう意味でもあったのだろうと。

 

 しかし、その解釈に待ったの声が隣から掛かった。

 

 

「いいえ……違う。違うわ……『アレ』は、精霊奏者の精霊召喚じゃない」

 

「セリア?」

 

「……ふむ。確かに、この老翁の耳が昔に伝え聞いた

炎の大精霊(イフリート)の偉容とは、少々異なりますな。しかし、セリア様がおっしゃる根拠は、どうやらそれだけではないようですが」

 

「……」

 

 

 どうやらセリアの瞳には、アレが例の精霊召喚とは映らなかったらしい。

 温和な笑顔ながらもその根拠に切り込むアムソンさんに、セリアはどこか"気まずそう"に、"罰が悪そうに"薄い唇を開いた。

 

 

「あれは、多分……『召喚契約(トゥ・ファミリア)』。私がエシュティナ魔法学院に在学していた頃に、研究され始めた技術、だと思うわ」

 

「トゥ・ファミリア……? 思うわ、って事は……」

 

「私が卒院する時にもまだ、研究段階だったはずなんだけれど」

 

「それが完成していたらしい、って事か」

 

 

 セリアいわく、精霊奏者の偉業である精霊召喚とは別物であるという事は理解出来たけれども。

 気にかけるべきは、二つ。

 

 一つは、どうしてそんなにセリアが気まずそうな顔してるのかってこと。多分なんか事情があるんだろう。

 

 けど、もう一つの方が現状では余程大事だ。

 つまり、トゥ・ファミリアによって召喚されたあの狼は……どれくらいの戦力として捉えるべきかということで。

 

 その気掛かりを晴らすなら、百聞は一見に如かずといわんばかりに、目下の戦局が動きを見せたのだった。

 

 

 

─────

──

 

【トゥ・ファミリア】

 

──

─────

 

 

 

「そんな……! い、いつの間に、精霊召喚なんて……」

 

「ふん、魔力だけじゃなく、知識面に関しても落ちこぼれね。似てはいるけど、精霊召喚とは違うって事くらい気付きなさいよ」

 

「精霊召喚とは、別ですって? どういう事ですの!? 炎を纏った狼なんて、どこからどう見たって精霊じゃありませんの!」

 

「属性を"司る"大精霊と、属性に"類する"精霊は別物でしょうが」

 

【──クゥン】

 

「ん? あぁ、拗ねないの、ハティ。別にアンタを卑下してる訳じゃないから」

 

 

 蜂の巣をつついたような外野の喧騒も、狼狽するナナルゥの耳には入って来やしなかった。

 

 精霊召喚。精霊魔法使いの中でも最たるものの証。

 例え別物だとしても、主に対して喉を鳴らす炎狼を招く事自体が容易いはずもないだろう。

 

 秀才と落ちこぼれ。

 埋めれたと浮わついた思考は、より大きな開きをまざまざと見せ付けられる事で急速に冷えていった。

 沸き上がる悔しさと共に。

 

 

「……じゃ、早速続きと行きましょうか。靴に羽根が生えたぐらいでアタシの上を行ったと勘違いしたその思い上がり……叩き直してあげるわ」

 

【グオォォォォォォォン!!!】

 

「ひっ」

 

 

 その忸怩(しくじ)たる思いとて、確かな力の象徴の咆哮(ほうこう)を耳にすれば恐怖に転がる。

 制空権の有利はまだこちらが握っているはずだと、鼓舞する自身の声も自然と小さい。

 

 

「行くわよ! 詠唱破棄(スペルピリオド)、【ブラッディ(深紅の矢)】!!」

 

「っ、す、詠唱破棄(スペルピリオド)、【エアスラッシュ(空咲く三日月)】!」

 

 

 時を待たずして、エトエナが先ほどの精霊魔法を放てば、咄嗟にナナルゥも魔法にて迎え撃つ。

 半ば反射的に、防衛本能といっても良い。

 

 空にて弾ける緑の刃と深紅の矢。

 しかし刃はその中枢を食い千切られ、深紅はより赤きを求めてナナルゥの元へと飛来する。

 

 

「!」

 

 

 身を沈めて掻い潜る。

 空を蹴り、次なる行動は旋回。一所に留まらない鳥のように。

 しかし、鳥を狩る猟師の少女には、今や炎を纏う猟犬が居る。

 

 

【ガウッ!】

 

「っ」

 

 

 息を焦がす正面。カパリと開いた顎から覗く白牙が、翼を食らわんと高く躍動した。

 壁伝いに渡って来たのだろう。それはさながら、湾曲に曲がることを可能にした魔の弾丸。

 

 

「くっ……【精霊壁(エレメントシールド)】!」

 

 

 主の魔法に追撃するタイミングもまた鋭い。

 確かな連携を感じさせる波状の攻撃を、緑色の精霊壁を展開することで、逸らし、避ける。

 

 アムソンに仕込まれた防御動作。身に染み付いた信頼すべき技術でさえ、充分な余裕を作ってはくれない。

 

 

 

「『道理を振るうには、揺るぎない強さが在れば良い。

 間違いを正すには、揺るぎない正義が在れば良い』」

 

(まずいですわ! 詠唱を止めないと!)

 

 

 炎狼ハティの奇襲を凌いだと思えば、朗々と詠唱を紡ぐエトエナの姿が、息つく暇を奪う。

 空を駆けるナナルゥの脳裏に過ぎるのは、エトエナの初戦で見た、紅蓮の大鎚。

 

 魔に優れたエルフたる由縁ともいうべき禍々しい中級精霊魔法は、中級といえど自分には防ぎ切れるとのではない。

 

 

詠唱破棄(スペルピリオド)、【エアスラッシュ(撃たせませんわ)】!!」

 

「あっそ……【精霊壁(エレメントシールド)】」

 

 

 妨害の一手を放ってみても、赤色の障壁を断ち切ることは出来ず、儚く霧散する。

 火力と出力の差は、ここでも。

 

 

「『握り続ければ身を焦がし、いずれは灰になるのなら

──その全てを、費やしてでも』」

 

(間に、合わない……!)

 

「『青を赤に()け』……【フレイムジャッジ(焔の鉄槌)】」

 

 

 掲げた掌の先に形成されたのは、風すら焼き尽くす紅蓮の鉄槌。

 豪々と火炎渦巻く鉄槌は完全詠唱の元に紡がれたが故か、一回戦で見たフレイムジャッジと比べて、更に一回り大きい。

 

 

『な、なんという大きさ……! こんなもの食らえばひとたまりもありません! ナナルゥ選手、防ぎ切れるかー?!』

 

 

 けたたましく響くミリアムの動揺をたっぷり含んだシャウトが、耳に入り込む。

 影すら焼き尽くしかねない火龍達の巣を、防ぎ切る手立て。

 呆然と緑髪をそよがせる紅い瞳に、絶望の色が忍び寄る。

 そんなもの、ナナルゥの扱える魔法の中には残っていないのだから。

 

 

「じょ、冗談じゃ……」

 

 

 真下の罪深きを全て裁くような鉄槌が、振り下ろされる。

 皿ほどに目を見開かせたナナルゥは、かつてないほど靴の翼をはためかせて。

 

 

「ありませんわよぉぉぉ!!」

 

 

 全身全霊の、緊急離脱。

 優雅さなど微塵も感じさせない絶叫を響かせて、何とか見出だした鎚の範囲の外へと目掛けて疾走する。

 迫る業火の塊に、チリチリとあらゆるものが焦げる音が鳴り、胸内で焦燥が煙を上げるほどに巻き起こった。

 

 

──辛うじて、その身は燃え尽くされる事はなかったけれど。

 

 

『か、間一髪! ナナルゥ選手、なんとかエトエナ選手の魔法から逃れ切りました!』

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……!」

 

 

 今までにない急加速と九死に一生を強いられた精神が、ナナルゥの肉体に多大な疲労をもたらした。

 息も絶え絶えに、宙にて漂う彼女には余裕の一欠片とて残っていない。

 

 それはつまり。

 金色サイドポニーを風に流すハンターにとっては、絶好の隙と映る。

 

 

「お嬢!!」

 

「──え?」

 

【グァウ!!】

 

 

 

 やけにスルリと届いた、遠くからの声。

 誘われるように顔を上げれば、側面から獰猛な(いなな)きをあげる炎狼ハティが、その周囲に炎の弾丸を複数、浮かばせていて。

 

 ただ、駆けて喰らい付くだけではないと。

 炎の精霊たる由縁を示すかの様に、魔力素によって編まれた炎の弾丸が、一斉にナナルゥへ向けて放たれた。

 

 

「──っ、【精霊壁(エレメント、シールド)】……くぅっ!」

 

 呆気に取られた一瞬から立ち直り、展開した障壁。

 しかし、精霊が放つ魔法の弾丸は高密度の魔力で形成されているのか、強靭であり、障壁で受け止めるたびに衝撃が身体を突き抜ける。

 展開するタイミングも悪く、充分に練れなかった出来た障壁の盾は、一発、また一発と受け止める度に綻びを生んでしまい。

 

 そして、遂に。

 

 

「ぁ──ッッ?!」

 

 

 最後の焔の弾丸は、精霊壁を跡形もなく消し飛ばし。

 

 その余波で壁に叩きつけられたナナルゥは、ズルズルと壁伝いに地へと、落とされてしまった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「お嬢……!」

 

「お嬢様!」

 

「ナナルゥ!」

 

 

 力なく地へと伏せたお嬢の姿を目にして、思考よりも先に、反射的に言葉が出た。

 

 気絶、している訳じゃない。

 受けたダメージに表情を歪めながらも、必死に上体を起こそうとしているのはここからでも分かる。

 

 

「……」

 

 

 けど……けれど。

 

 立ち上がった先に、勝機はあるんだろうかと。

 お嬢の姿を憂慮する一方で、脳裏に冷淡を気取る声がひっそりと囁いた。

 そしてどうやら、それは俺だけではなかったらしい。

 

 

「試合を止めましょう」

 

「セリア?」

 

「空を飛べるイニシアチブも、手数の有利も、あの精霊を喚ばれた以上はもう……これ以上は、あの娘がより傷付くだけよ」

 

「……」

 

 

 セリアも、同じ考えに至ったんだろう。

 

 平静に務めた口調ながら、それでも端々に滲む悔しさを隠し切れていない。お嬢の事を信じていないという訳じゃない何よりの証左。

 

 それもそのはず。お嬢の修行の為に色々と教鞭を振るったのが彼女なのだから、悔しいに決まってる。

 だが、それ故にお嬢の限界を見極めるのにも説得力があった。

 

 無論、お嬢がこの大会に参加する運びとなった経緯もセリア側にあるが故に、人一倍責任を感じてるってのもあるんだろうけれど。

 

 

「……」

 

 

 アムソンさんは、何も言わない。

 ただ静かに夕陽色の瞳を、お嬢へと向けている。

 しかし、その組まれた後ろ手は微かに震えていた。

 

 

(止めるしか、ないのか……)

 

 

 展望が見えない。

 お嬢の手持ちの攻め手じゃ、エトエナの布陣を崩し切れない。

 手数の有利を押し出した速攻も厳しい。持久戦も、あの火力を誇るエトエナの魔法と連携に押し切られるだろう。

 

 どう見ても、引き際だった。

 でも、それで良いんだろうか。

 ここで俺達がタオルを投げて中止を求めたら……お嬢の心は、お嬢の矜持は、どうなる。

 

 決定的な傷を、付けてしまうんじゃないのか。

 ぐるぐると渦巻く躊躇いに、答えを見出だせずにいる、そんな最中。

 

 

「ナガレ、それ……!」

 

「え? なっ────『アーカイブ』が、勝手にっ」

 

 

 セリアの指摘に振り向けば、ホルスターから外れたアーカイブが白金色の光を放っていた。

 いや、なんだっていきなり、そんな馬鹿な現象が起きてるんだよ。

 俺、起動させた覚えないし、あのいつもの言葉だって言ってやいないのに。

 

 

「!」

 

 

 けれど、思わず呆気に取られている俺の意識とは裏腹に、独りでに起動したアーカイブは、いつも見たいに項目を開き出す。

 風一つ流れていないのにパラパラと捲れるページ。

 泡沫のように浮かぶ疑問符を置き去りにして、やがてアーカイブはある項を示して。

 

 

「────キュイ!」

 

「ナイン?!」

 

「キュイッ!」

 

「なっ、ちょっと、おい! ナイン!!」

 

 

 今度は喚んだはずもないナインが、いつもの鳴き声を響かせたのも束の間、一目散に駆け出した。

 リンク機能で必死に制止を響かせても、まるで聞こえちゃいないように、小さな体躯を走らせる。

 

 しかも。

 よりにもよって、その白銀が辿り着いた先は──

 

 

「キュイィィィィッッ!!」

 

「は? え、アンタ……」

 

 

 なんとか上体を起こしたが、膝とスカートはべったりと地に伏せた態勢でいた、お嬢の元で。

 

 まるでお嬢を守るかの様に、そして。

 

 

【グルォン!】

 

「キュイィッ!!」

 

 

 お嬢の正面にて、涼しげに彼女を見下ろしていたエトエナとハティの前へと立ち塞がったのだった。

 

 

 

 

 



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Tales 73【淑女が袖を引く前に】

 目の奥で、か弱い火花が明滅する。

 背中から広がっていく鈍い痛みに、漏れた自分の呻き声が、他人に鼓膜の1㎜傍で囁かれているような不快感。

 それさえ蹴散らすように近付いて来る、高く抜けた靴音と砂利を踏む音に、ナナルゥはゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……で、終わり? アンタがフルヘイムから飛び出して今まで、培って来たものって、こんな程度のものでしか無いっての?」

 

「ぅ……エト、エナ……」

 

 

 深い紅眼の奥で、静かな火花が明滅していた。

 けれどもそこに弱さはなく、青く燃える炎が爛々と灯っている。

 怒り。静かで、確かな怒りが灯っている。

 

 

「フルヘイムを。レイバー様とアレーヌ様を……"アタシの母さん"の命を奪い、屋敷を焼いたヤツの正体を突き止めて、仇を取る。本当に出来ると思ってんの? こんな程度で、こんな弱さで。馬鹿も休み休み言いなさいよ」

 

「ぐ……何を……」

 

「フルヘイム再興の為とかも言ってたけど……だったら、大人しくフルヘイムで復興作業の指揮を取れば良かったのよ。残されたモノのこと全部アタシの父さんに押し付けて、飛び出して」

 

「ぅ……」

 

 

 突き付けられたのは、怒りの炎で熱した刃。喉が震える。

 きっとこれは、『あの日』からずっとエトエナが抱え込んでいた、一切曇りのない剥き出しの本音だったのだろう。

 

 

「アンタ……本当は、逃げたかっただけじゃないの。レイバー様の代わりから。領主の立場から。期待や責任から、臆病風に吹かれて……逃げたかっただけじゃないの」

 

「────」

 

 

 目を閉じたまま、眩暈を覚えるようだった。

 突き詰められて、誰かに直接言葉にされて、初めて気付けたという形の利口の良さじゃない。

 そんな純粋な行儀の良さじゃない。

 

 

「ち、違いますわ。わたくしは……」

 

「……」

 

 

 気付いていたのに、逸らして置き去りにした(臆病)が、(自責)に顔色変えて途端に首を締めてくる。

 

 反論の台詞に、威勢の風が乗らない。喉が詰まる、『あの時』みたいに。

 紅蓮に飲まれていく屋敷を前に、茫然と崩れ落ちるように座り込んだ自分の喉に詰まった、業火の匂いと煤灰の残骸。

 

そして、紅蓮の炎に包まれた屋敷を前に立つ、知らない誰かの"シルエット"。

 

 振り向いた────業火の色を映した瞳。

 

 

「っ……!」

 

 

 あの日に焼き付いたのは、喪った悲しみだけじゃない。

 毅然とし、それでいて優しさを伴った強き父、レイバー。

 エシュティナ国内でも優秀と謳われたエルフである母、アレーヌ。

 そして使用人として働き、落ちこぼれな自分をよく慰めてくれたエトエナの母親である、サミュリ。

 

 その命を奪った、否、奪えてしまえるほどの"存在"。

 悲しみはある。憎しみはある。許せない、赦せない。

 

 けれども────落ちこぼれのエルフである自分に、仇を取ることなんて出来るのだろうか。

 

 

「わたくしは、逃げて、なんて……」

 

 

 そして。

 名主と領民から仰がれた、父。

 国内の精鋭魔法部隊にも席を置いた顔を持つ、母。

 その後釜として、失意に沈むフルヘイムの領民達を導く事が出来るのだろうか。

 落ちこぼれの自分に。鍍金(めっき)で装うしか出来ないそよかぜに。

 

 あの日に焼き付いたのは、喪った悲しみだけじゃない。

 未熟者の心には、『臆病な風』が付きまとうようになってしまったから。

 

 

(逃げてない。自分で決めたはずですのに。なんで……)

 

 

 言葉の先を、否定の完了を、紡ぎ切れない。

 正面に立つ金色の八月ではなく、握り締めた砂利を見つめることしか、ナナルゥは出来なかった。

 

 

 しかし、その俯いた顔を再び持ち上げた色彩は。

 

 

「キュイィィィ!!」

 

「は? え、アンタ……」

 

 

 太陽の金色ではなく、月の銀色だった。

 

 

 

────

──

 

【淑女が袖を引く前に】

 

──

────

 

 

 

「ナイン……?」

 

【グルォン!】

 

「キュイィッ!」

 

 

 心深くに塞ぎ込んだタイミングに慮外の光景が重なれば、いよいよも思考も鈍くなる。 

 目の前で三尾を立てて勇ましく鳴く銀色は、紛れもなくあのナインだったが、それすら幻か何かではと心が疑うほどなのだから。

 

 

「そんな、どうして……?」

 

「ちょっと……コイツって確か、アンタのとこのエセ精霊奏者の……」

 

『あ、あれ……えーっと……こ、これは、一体どうしたことでしょうか?! 三回戦で活躍してみせた、ナガレ選手の召喚精霊であるナインちゃんがっ! ナナルゥ選手を護るようにして、エトエナ選手の前に立ち塞がっております!』

 

 

 けれども、幻なんかじゃない証左を音でも光でも色でも訴えられれば、思考も軽さを取り戻せる。

 しかし、では何故、どうしてと疑問が駆け巡るのも当然で。

 瞬く間に埋めつくしていく疑問符を、一際大きく響いた良く知る声が、強引に払った。

 

 

「ナイーーーンッッ!! なにやってんのぉぉぉ!!! 戻って来ぉぉぉぉい!!!!」

 

「イタチさんだー!」

 

「おいおい、これって、どういうことだ?」

 

「俺、あのエルフとあのトリックスターが一緒につるんでる所見たぞ」

 

「仲間のピンチだからってこと? え、それ反則じゃないの?」

 

「ちゃんと手綱握っとけよ、しらけるなぁ」

 

「いや、だが……当の本人、滅茶苦茶焦ってないか。戻って来いって叫んでるし」

 

 

 思わぬ乱入者に加えて、その手綱を握っているはずのナガレの絶叫に、会場の空気は混乱を極めた。

 いよいよクライマックスかという展開に水を差すナインの乱入は、試合の進行において立派な妨害行為だろう。

 

 ルーイック国王による開催宣言の後に説明されたルールに基づけば、試合中、対戦者以外の妨害行為は反則行為以外の何物でもない。

  けれど。

 

 

『…………ど、どうやら何かしらのアクシデントが発生した模様です。し、しかしこれは……どう、したものでしょうか……』

 

「どうって、反則じゃないの? 確か昨日のルール説明の時には、即刻退場って」

 

「あ、あぁ。でもそれは、"故意"だった場合……じゃなかったか?」

 

 

 拡声ロッド(パフォーマンス)を通したソプラノが、困惑した様子のレフェリーの心情を映したかの様に、逡巡を孕んでいた。

 確かに明確な妨害行為であれば、荷担された側の選手及び妨害した当人は退場処置を言い付けられるのが原則。

 

 しかし、それはあくまで、レフェリーや会場内の監視員、"故意である"と判断された場合。

 当のナガレの尋常じゃない焦りっぷりを鑑みれば、少なくとも故意ではなさそうだが。

 

 故意なのか、それともアクシデントか。

 先の試合の行く末を担うが故に、会場に敷き詰まる観客達のざわめきは徐々に膨れ上がっていった。

 

 

──だが。

 

 

【グルル……】

 

「キュイ!」

 

 

 もう一人の当人であるナナルゥには、最早そのざわめきすら耳に入らない。

 彼女の頭を占めるのは、どうしてナインが、今こうして、此処に立っているのか。

 主であるナガレの意思に反する真似をしてまで、エトエナとハティの前に立ち塞がっている、その理由。

 

 深く考えるまでもない。伝わって来る。

 否、"流れ込んでくる"。銀色の意志が。

 

 護る為だった。これ以上、害させない為だった。

 自分を。ナナルゥ・グリーンセプテンバーを。

 

 

(……ナイン)

 

 

 かつて、風無き峠の下り道で語った事。

 ナインは、自分とナガレの力の結晶。自分はいわば、産みの親と言っても過言ではない。

 その気持ちに偽りはなく、それは今この瞬間にも持ち合わせ続けているものだったけれど。 

 

 

(アナタも、そう思ってくれてたんですのね……)

 

 

 威勢と尊大の仮面の裏にある臆病さは、それさえも身勝手な押し付けなんじゃないかと、脅えていた。

 落ちこぼれではないと鼓舞する為の、自身の力の証であって欲しいが為の──醜い執着なんじゃないか。

 

 一方通行なだけの、みじめな固執なのではないか、と。

 

 

 けれども、違った。

 

 

『ドレスに土つけてるだけの今のお嬢は、優雅でもなんでもない』

 

 

 こうして流れ込んでくる、心を配る銀の風は。

 必死に護ろうとしてくれている。

 産みの親である自分を。

 

 嗚呼。それは確かに、嬉しい事ではあるけれども。

 絆を感じるべき、喜ばしい事ではあるけれども。

 

 

『従者だけに頑張らせて肝心の主人達は何もしないってのは……格好が悪すぎる、でしょ?』

 

 

 

 格好がつかない、どころじゃないだろう。

 

 

 

 

「────ナインッッッッッ!!!!!」

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 喉を張り裂きかねない大きな叫びは、最早怒号と言っても良かった。

 心のままに投じた一石が、シンとした静寂を呼び込む。波紋に乱れていた水面が、瞬く間に元の形に戻る様に。

 

 けれどこの際、周りが騒いでいようが静まり返ろうが、ナナルゥにとってはどうでも良い。

 ヨロヨロと立ち上がりながら、騒動の種火の首根っこをみょんと摘まみ上げた。

 

 

「なぁにをやってますの、ナイン」

 

「キュ……?」

 

「きゅ? じゃありませんわよ! これはわたくしとちんちくりんの闘い。正々堂々の勝負なんですの。ナイン、貴方の出る幕じゃありませんわ」

 

「キュ、キュイ……」

 

 

 ムスッと口を尖らせて言い連ねれば、ナインの視線が焦ったようにオロオロと泳ぎ出す。

 時折そのつぶらな深い紅に映る自分の顔は、土埃に汚れていた。

 

 優雅ではない。美意識に欠ける。普段ならすぐにでも綺麗に拭き取っているだろう。

 それでも、ナナルゥは手より足を動かした。

 

 

「わたくしの身を案じる、その気持ちはありがたく受け取っておきます。けれど見くびって貰っては困りますわ。このわたくしが、このままむざむざと負けるとでも思ったんですの? 」

 

「キュイ……?」

 

「それに…………ほんの少し挫けただけで、庇って貰ってばかりでは。わたくし、立つ瀬が無くなるじゃありませんの」

 

 

 呆れたように腕を組み、それでも文句ひとつ言わずに事態を傍観するエトエナの脇を、通り過ぎた。

 奇妙な沈黙に包まれたコロシアム。

 けれど周囲の事はど意に介さない、高飛車な彼女らしい足音が高く響く。

 

 

「だから……」

 

「キュイ?」

 

「え、あの……ナナルゥ選手?」

 

 

 行き着いた先。

 唖然と成り行きを眺めていたジャッジに、受け取れとばかりにナインを突き出す。

 戸惑う審判の女性ではあったが、有無を言わせないナナルゥの視線と迫力に、已む無くナインを腕に抱き留めた。

 

 

「特等席でご覧なさい。黄金風の……いえ。このわたくしの、正々堂々の闘いぶりを」

 

 

 そう。この闘いに、ナインの出る幕はない。

 あってはならない。それでは"順序が逆になる"。

 自分は、ナナルゥ・グリーンセプテンバーはまだ。

 何も示せてやいないのだから。

 

 

「グリーンセプテンバーの家訓が一条!」

 

 

 ナインに。我が子に等しき存在に。

 胸を張って誇るべきものを。

 尊敬すべき両親の、優雅で真っ直ぐで逞しい背を見て育った自分が、何も示せていない。

 

 

「矜持を示し、誇りを胸に、向かい風に受けて立て──ですわ!」

 

 

 だというのに、ナインの守護に喜び、甘んじるだなんて。

 ルール以前に、あってはならないこと。順序が逆だ。

 "そんなの"、格好がつかないどころじゃないだろうから。

 

 

「さぁ──黄金風になりますわよ!」

 

 

 格好の良い理想の自分で在れるように。

 風に受けて立つように。

 ナナルゥは背筋をピンと高く伸ばした。

 

 

 



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Tales 74【エアウォーク・シンデレラ】

「…………家訓、ね。随分懐かしいもの持ち出してくれんじゃない。でも、向かい風から逃げてばっかりのアンタに、叩く資格のある口上かしらね?」

 

「資格がないのなら、今からでも手にすれば良いまでですわ! そして我がグリーンセプテンバーが家訓、貴女にもみっしりみっちりと叩き込んで差し上げますわよ、エトエナ!」

 

 

 風向きが、変わった。

 形は不定で目には見えない。けれど確かに変わったのだと肌から得た確信は、強い。

 闘いという状況においての、対峙する相手の前向きな変化。本来なら歓迎したくはない風向きだろう。

 

 それでも、エトエナは雪景色を見渡す狐みたく涼し気だった。

 目を細めた長い睫毛がしっとりと、開いて閉じて。

 引き結ばれた口元は、相変わらず強気で不遜なまま。

 けれどもどこか、ノスタルジーを甘く噛んだ彼女の懐旧が、炎熱に当てられたように揺らいだ。

 

 揺らがせた熱は、きっと火花。

 決着を望む真紅と深紅の視線が咲かせた、火の花だった。

 

 

『…………ハッ! な、なんかそれっぽい雰囲気にそのまま流しちゃいそうでしたけど、ちょーっとお待ちください! 先程のナインちゃんの乱入について、まだ片付いてないんですよう!』

 

 

 だが、そうは問屋が卸さないとばかりにミリアムが待ったをかけた。

 運営側からすれば、一番に片付けないといけないのはナインの乱入についての処遇。

 ミリアム自身の本意ではなくとも、そこを明確に処置しなければという詰まった言葉を彼女は並べるが。

 

 

『だから厳正な調査の為に、一旦試合を中止してですね────ん…………へ? えっ、もう本部から調査報告届いた?! うわはっや! い、いやいや、お仕事早くて何よりです、助かりますハイ。で、えっと…………!』

 

 

 タイミングを見計らったようにミリアムの元へと届いた通達に、彼女は観覧ブースの一角でギョッと驚嘆する事になった。

 

 

『え~~~っとぉ、会場内の監視員による迅速な調査によりますと、ナインちゃんの乱入に関しては、決して故意ではないという結果が出たとの事です! エトエナ選手に危害を加えたという訳でもありませんし、今回はアクシデントとして処理し、厳重注意に留めるとして……ナナルゥ、エトエナ、両選手ともに準備も万端みたいですので────試合はすぐに再開させていただきます!!!』

 

 

 結果は、試合続行。

 急な展開の連続に少々客席がどよめくくらいに、あまりに迅速過ぎる対応の速さ。

 中には運営対応の速さに、本当に厳重な調査だったのかと(いぶか)る人間も居た。

 当のミリアム自身も若干困惑しているくらいだから、無理もない。

 

 だが、客席の大半は、試合が続くのなら構わないとばかりに次第に盛り上がりの歓声を上げていった。

 ここに集う国民からすれば、一番の目的は選手同士の熱き闘いを観戦する事なのだ。

 

 不正行為はいかんともしがたいとしても、それが結果的にアクシデントだと判断されたのなら、本来の目的に立ち戻るだけ。

 加えて、ナガレ自身のこれまでの活躍ぶりもあり、不正を訝しんでも、彼の失格を心から望んでいる観客は殆どいなかったという側面もあった。

 

 

「両選手、準備は良いですか?」

 

「いつでもいいわよ」

 

「えぇ、わたくしも…………ナイン。よく、見ておきなさいな」

 

「キュイ」

 

 

 そしてスポットライトの焦点は立ち替わり。

 互いの魔を争う祭典が、目には見えない試合再開の花火を打ち上げるのだった。

 

 

 

────

──

 

【エアウォーク・シンデレラ】

 

──

────

 

 

 再開の第一手は、奇しくも互いに、始まりをなぞる。

 

 

ブラッディ(深紅の矢)!」

 

スカイウォーカー(天使の靴)!」

 

 

 速攻性に優れた火炎の弓矢は、飛び立つ天使の翼を刈り取るには至らない。

 紅蓮を置き去りに宙を舞う姿は優雅だが、しかしナナルゥの表情は厳しいもので。

 

 

(エトエナが最初と同じ手を? ……いや、そんなはずありませんわね)

 

「ハティ!」

 

【グオゥ!!】

 

 

 懸念はすぐに現実となり、エトエナの一声に呼応して炎狼が再び火炎弾を環状に漂わせる。

 ユラユラと遊戯染みた焔は、その一つ一つが並外れた魔力を持つ事は、ついさっき苦渋と共に味合わされたばかり。

 

 咆哮と共に放たれたガトリング(連弾連射)を、防ぐ術はナナルゥにはない。

 

 

「っ! なんのこれしき!」

 

(落ち着くんですのよ、わたくし! よく視るんですのよわたくし! これしきの攻撃、避けれない程ではありませんわ!)

 

 

 防げないなら、避け切るまで。

 目を凝らして、火炎弾を掻い潜る。

 情熱が過ぎる強引なアプローチなんて、袖にしてやるとばかりに。

 海を泳ぐイルカの如く、流動的に、最小限に。

 無我夢中で翻る彼女の姿は、本人の必死さとは裏腹に、美しい軌道を描いた。

 

 

「すげ……」

 

「わぁ……あのエルフのお姉ちゃん、綺麗……」

 

(……チッ、そんな身体の捌き方、どこで覚えたってのよ)

 

 

 感嘆に満ちた歓声さえ漏れ聴こえるほどの、美しい空戦軌道。

 それはナナルゥの可憐な外見のみならず、確かな"技術に裏付けされている"が故の、無駄のなさが大きな要因といえて。

 誰が技術を叩き込んだかなど、エトエナにしてみれば心当たりは一人しかいない。

 

 

(……単に甘やかしてた訳じゃないって事ね、アムソン)

 

「今度はこっちの番ですわよ!」

 

「!」

 

 

 はぐれた意識を戻せば、文字通り空を飛翔しながらいつの間にかステッキを取り出したナナルゥが、その杖先を振るう。

 種も仕掛けも魔の付くもので出来た風の刃が、エトエナに向けて放たれた。

 

 

エアスラッシュ(空咲く三日月)!」

 

「それは通らない、ってんでしょ! エレメントシールド(精霊壁)!」

 

 

 この試合だけでも充分見慣れた風の刃では、エトエナの障壁を突破することは出来ない。

 苛立ち混じりに防いで無駄だと吐き捨ててやれども、空を疾走するナナルゥは躊躇うこともなく再びステッキを振りかぶった。

 

 

エアスラッシュ(もう一発ですわっ)!」

 

「チッ、馬鹿の一つ覚え……っ?!」

 

 

 多少回り込んでからの連射だからといって、障壁が間に合わないはずもない。

 この期に及んで自分を侮っているのかと舌を打つ唇が、僅かに歪んだ。

 

 放たれたエアスラッシュの軌道が違う。

 エトエナを標的とするには弾道が"低い"。

 否、狙いはエトエナではなく──その目の前の、地面。

 空を咲き裂く三日月は、鋭く地に堕ちて、荒く砂埃を打ち上げた。

 

 

「【シルフィード(風の精霊よ)】! 土煙でカーテンを作りなさいな!」

 

「っ!」

 

(土煙を精霊操作で更に巻き上げての目眩まし……! 単純バカの癖に、小賢しい真似を)

 

 

 視界を奪う。

 単純な搦め手だが、王道を好むナナルゥを良く知るだけに意表をつく形となったのだろう。

 煙る土砂に形の良い眉を潜めればその最中、エトエナの耳に滑り込むのは、更なる一手を詠むソプラノ。

 

 

「『高嶺に咲く心に、荒く触れること勿れ』」

 

(詠唱……! チッ、詠唱の中身までは流石に聞き取れないけど……)

 

「『可憐の裏はかく脆く、愚直ではただ壊すだけ』」

 

(……多分、アイツの狙いは、高威力の魔法を紡ぐ為の時間稼ぎとハティとの連携崩し。フン、ちょっとは考えたって訳ね)

 

 

 視界を奪ってからの詠唱。

 位置が遠く内容こそ聞き取れはしないが、恐らくはエトエナの魔法障壁を突破出来る程の、高威力の上級魔法だと彼女は推測する。

 わざわざ土煙のカーテンを作ったのも、ハティはエトエナの的確な指示がなければ『動きが鈍る』と見ての判断だろう。

 

 

 確かに一見、エルフらしからぬ出力しか出せないナナルゥが取るならば、実に有効な戦術とみて良い。

 即席にしては悪くない、知恵の回し方。

 けれど不幸な事に、対エトエナに限っては悪手ともいえた。

 

 

「『願わくば。風に吹かれて落ちる時に』」

 

【グルル……!】

 

(けど……残念だったわね。アンタには"分からない事だろう"けど……アタシとハティは、感覚を共有出来んのよ)

 

 

 単純な話、エトエナとハティは視界さえも共有出来る。

 故に、高度な魔法詠唱の為に空中で足を止め、隙を晒すしかないナナルゥの姿も、彼女にはしっかりお見通しで。

 猟犬は足を鈍らせることなく、淑女の無防備な背中に向けて飛び掛かった。

 

 

「……そこよ! とっちめなさい、ハティ!」 

 

【グォォ!!】

 

「『軌跡を辿って、ただ、優しく受け止めて』」

 

 

 だが、ことここに至り。

 悪手を打ったのは、ナナルゥの方ではなく。

 相手を侮ったのは自分の方であったのだと、直ぐ様知らしめされる事となる。

 

 

「っ、引っ掛かりましたわね! お空の向こうまで吹っ飛びなさいな!

 

「『ジェイド・ドーム(翡翠の棄却)』!!!」

 

「なっ────ドーム(防衛)魔法ですって……!?」

 

 

 ナナルゥの足元から花園の様に咲き広がる魔法陣が生み出したのは、翡翠色の"上昇気流の渦"。

 中心に立つ『高嶺の花』に触れさせまいと、巻き起こる風の勢いは凄まじく。

 

 

【クォンッッ?!】 

 

「ハティ!」

 

 

 無遠慮に荒く触れようとした焔の狼の体躯を、高く高く。

 それこそ客席の視線が下から上へと上がる程に、真上の高くへと吹き飛ばした。

 

 

「はぁ……っ、流石に、魔法の連発は堪えますわね……」

 

「アンタ、最初っからアタシじゃなく"ハティ"を狙って……!」

 

「う、ぐっ……オホホ、そのとおりですわ。油断大敵、とゆーやつですわね、ちんちくりん」

 

(……エトエナだけを土煙のカーテンで覆ったところで、目眩ましにもならないのは分かってましたもの。ナガレいわく、感覚りんくキノウ……とかいうやつでしたわね)

 

 

 相次ぐ魔法の連発で額に脂汗を垂らしながらも、してやったり、ナナルゥは不敵に笑う。 

 

 自身を囮にした、僅かな間とはいえ、ナナルゥとエトエナの一対一に持ち込む為の一手。

 エトエナの『闘魔祭初戦』。そして彼女の連れ添いであるナガレの戦いぶりを彷彿とさせる戦術。

 エトエナのハティと、ナガレのワールドホリックとの類似性。

 

 それら全てに賭けた──ギリギリの綱渡りだった。

 手際には粗が目立つとしても、きっと試合が始まる前のナナルゥならば、選ぶ事は出来なかった思い切りだろう。

 

 

「さぁ! フィナーレと行こうじゃありませんの……エトエナ!」

 

 

 そして、その成果が実を結んだならば……最後は。

 

 思い描く理想の姿を実現するべく、詠うだけ。

 勝つために。示す為に。唱うだけ。

 

 

「『自由気儘に縛られる事を呪うから、淑女はいつも空回る』」

 

 

 一度、深く呼吸するかの様に、大きく天使の翼をはためかせて。

 九月の深緑は、地より空を睨む八月の金色へ目掛けて滑空した。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーは、確かに臆病といえたし、彼女自身も自覚している事ではあった。

 賢知たる者と呼ばれるエルフという種族においての、並以下の落ちこぼれ。

 逃れようのない自覚という腕の中に捕まりながら、それでも領主の家名を誇り続け、自分を鼓舞し続けていた。

 

 けれども。

 

 落ちこぼれである事自体を言い訳に、自身の限界を『設定』し始めている自分が見え隠れしだしたのは、いつからだっただろうか。

 エトエナの揶揄する臆病風に吹かれ、厳しい向かい風に背をむける事が増えたのは──いつからだっただろうか。

 

 

「『退屈しのぎに彼方此方へ、鈍い色した自由を求めて」』」

 

 

 心からの誇りであり、ナナルゥの心の拠り所であった自慢の両親。

 それをたった一夜にして奪われた傷跡は、拭えぬ恐怖心という形でずっと心に巣食っていて。

 

 次代の領主としての責任から逃げているだけだろうと突き付けられた時、反論の言葉を紡げなかったのも当然だろう。

 何故なら、それは紛れもない事実だったのだから。

 

 

「──真っ正面から!? 仮にも精霊魔法使いがどういうつもりよ……っ、ええい、詠唱破棄(スペルピリオド)!」

 

 

 鷹の如く、全身で風を切りながらの急降下。

 周囲の景色ごと、付きまとい続けた臆病さを置き去りにするかの様な速さに、彼女自身、恐怖を抱かない訳ではない。

 それでも恐れと共に沸き立つ不思議な高揚感が、妙に心地良かった。

 

 

 舌先で転がす詠唱は、風も鳴かない峠で心の奥底にそっと吹いた"そよかぜ"に支えられた、『あの日』以来。

 

 震える膝を押さえ付けて立ち上がる事を覚えた、『あの時』以来。

 身体の芯から溢れ出す、この"高揚感"も……きっと、あの日と同じモノだった。

 

 

「『ブラッディ(深紅の矢)!』」

 

「……っ」

 

 

 文字通り、愚直とも呼べる正面からの突撃に、戸惑いつつもエトエナが放った牽制。

 詠唱破棄でありながらも人並み以上の威力を持つ、業火の矢。

  ナナルゥの密度の薄い精霊壁では、防げるかどうかも怪しい。回避のタイミングも際どい。

 

 しかし、ナナルゥはそのどちらもせず。

 硬く唇を引き結びながら、僅かな魔力を纏わせた"左腕を差し出した"。

 

 

「いッッ──くあぁぁぁぁぁ!!!」

 

「なっ、嘘……」

 

 

 結び付く結果は、火を見るより明らか。

 魔力の焔に包まれた左腕から走る激痛に、ナナルゥは絶叫に近い悲鳴を挙げた。

 腕を包んでいたオペラグローブは一秒も持たずに燃やし尽くされる。

 左腕の、陶磁器の様な白い肌は魔力の熱になぶられて見る影もなく、火傷まみれになってしまった。

 

 

「ぐうっ……!」

 

 

 錆びた刃で幾重にも幾重にも切りつけられるような、脳髄に響き渡る鋭利な痛み。

 焔が消えてなお肌をなぶる容赦のない激痛が、脂汗と呻き声を誘う。

 それでも、堪える。

 痛みの余りにまた吹き出した臆病風を、無理矢理にでも圧し殺す。

 

 痛い。熱い。でもまだ、その程度。

 お前は逃げているだけとエトエナに突き付けられた時の方が、もっとずっと痛かったから。

 

 

「……ッ! 『ドレスに、ついた、紅いものを……素知らぬ振りで。空絵に描く幸福ばかりに憧れる』!」

 

「くっ……詠唱破棄(スペルピリオド)!」

 

 

 紅い熱も、意思を挫く痛みも、沸き上がるいつもの弱音も、喉の奥と胸の内に強引に仕舞い込む。

 これしきの痛みで喚き立てていては、思い描く理想の自分とは程遠い。

 ナインや仲間たちに示すべき、グリーンセプテンバーを謳うに相応しい器には、届かない。

 

 

──では、今の自分に足りていないものは何であるか。

 

 

 答えは、分かりきっていた。

 

 

「『自由とは身勝手なもの。彼女はまさに──体現者っ』!!」

 

 

 グリーンセプテンバーの家訓が一条。

『矜持を示し、誇りを胸に、向かい風に受けて立て』

 

 それを体現する為に。

 優雅ではなく、絢爛にはまだ遠くとも。

 思い描く理想の姿を実現するべく、彼女は詠う。

 

 あの日に掴んだ小さな切っ掛けを、もう一度振り絞る様に。

 "今度"は、自分自身だけで。

 

 

「『スカーレット・ドーム(緋色の拒絶)』!」

 

「『リトルッッ(自覚なき)──サイクロンッ(台風の目)』!!」

 

 

 吹き荒ぶのは、緑青嵐。

 聳え立つのは、緋色の城塞。

 

 賢知たる種が紡ぎ出した魔の法が、それぞれの秩序を崩さんと、大きな衝撃の余波を生みながら──衝突した。

 

 

◆◇◆

 

 

 エメラルドの魔力が、螺旋に逆巻く。

 全身全霊、残る全ての魔力を注いだナナルゥの持てる最大火力の魔法。

 

 "そよかぜ"とはかけ離れた暴風。

 激しい軋轢の音を立て、乱舞する風刃が紅いドームを押し潰さんとする勢いたるや。

 並の人では及ばない、まさに賢知たるエルフの魔法に相応しい威力である、が。

 

 だが即ちこの現象は、ナナルゥの魔力では本来引き起こせないスケールである、という事の証明に他ならない。

 

 

「ぎっ、ぁ、ッッ! ぐっ……どう、ですのエトエナ。これでも、わたくしをそよかぜと謗りますの……?」

 

「こんのぉ、大馬鹿、無鉄砲の単細胞! 座標指定系の魔法を、"自分に向かって展開する"とかっ。そんな無茶苦茶な火力増幅(ブースト)の仕方、頭沸いてん じゃないの?!」

 

「っ、ふふ……座標指定系は、"魔法の担い手との距離が近いほど威力を増す"そうですわね。ならいっそ、わたくし自身を座標にすれば……わたくしにだって、魔法の威力を高めることが出来ますわ!」

 

 

 スケールを覆したタネは、実にシンプルだった。

 

 

 精霊魔法は属性や上、中、下級といったランク分けがある中で、さらにいわゆるドーム系と呼ばれる魔法や、座標指定系と呼ばれる魔法などに分類されるものがある。

 

 二回戦にてナガレを苦しめたマルスの正確無比な稲妻、【迅雷(トール)】と呼ばれる雷精霊下級魔法もそれに類する。

 そしてナナルゥのリトルサイクロンも指定した座標に陣を展開し発動する、座標指定系というカテゴリーに属する魔法であり──。

 "魔法の担い手との距離が近いほど威力を増す"という座標指定系に共通する特色を最大限利用する事で、エトエナの防衛魔法を脅かすほどのハリケーンを巻き起こせている、というロジックではある。

 

 しかして当然、相応のリスクも孕んでいる手段である事は想像に容易い。

 

 

「だからっ、それがっ、無茶だって話でしょうが! んなやり方じゃ、アンタ自身もズタボロになる事くらいわかってんでしょ……!」

 

「……」

 

 

 スケールを覆せた代償もまた、シンプル。

 

 最大限の火力を発揮するのなら、その爆心地に自らを置く必要があるのも当然で。 

 つまりは、諸刃の剣。

 規格破りの技術は決して容易いことではない。

 

 拮抗する緑青嵐と緋色の壁。

 だがその最中の言葉を交わす僅かな瞬間でさえ、白く美しいナナルゥの柔肌には……荒れ狂う無数の風刃によって幾つも紅い切り傷が刻まれていた。

 

 

「……無茶も、無謀も、百も承知ですわよ!」

 

 

 自殺行為に等しい無茶。

 そんなこと、初めからナナルゥには分かっていた。

 そもそもセリアから指定座標の特色について教わる際にしっかりと釘を刺されていた事だ。

 結果、荒れ狂う嵐が無差別に伸ばす爪先に、今もこうして表情が歪むほどに傷め付けられている。

 

 度重なる魔法の発動に、魔力も体力もからっきし。

 自慢の美貌も、肌も、目も当てられない有り様。

 心と身体が逐一挙げる悲鳴を数えれば、既に両手両足の指じゃ足りないほどに。

 

 分かっていたこと。容易に想像が出来ていた結果。

 それでも。

 

 

「それでもアナタに勝つためならば────っ、いいえ! 皆に矜持を示せるだけの、グリーンセプテンバーに相応しいわたくしで在る為ならば! こんな程度の"肌荒れ"……ちょっとした夜更かしと変わらなくてよ!」

 

 

 優雅ではなく、絢爛にはまだ遠くとも。

 思い描く理想の姿を実現するべく、彼女は選び、詠った。

 

 

「……エトエナ、よくって?」

 

 

 決死の特攻を。

 正々堂々の正面突破を。

 気象の如く、きまぐれなものではない。

 確かな決意で巻き起こす、変革のハリケーン 。

 

 世界ごと変えるような大それた革命ではない。

 変わるのはただ、青の下。

 空に比べればこのちっぽけな、この舞台に立つほんの一人だけ。

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーに足りないものとは何か。

 

 それは。

 向かい風に受けて立つほどの、勇気。

 あの風無き峠の月の下で吹いた、ほんの少しの『そよかぜ』だった。

 

 

「例え剥がれやすくとも……グリーンセプテンバーを掲げる限り、わたくしはいつでも黄金を纏ってみせますわ」

 

 

 確かな決意を示す囁きは、暴風の中でさえ、不思議と相手に届いた。

 意思そのものを体現するかの様に、リトルサイクロンの勢いはより増していく。

 緋色が、緑の嵐に呑み込まれていくその最中。

 

 ナナルゥの無謀っぷりに、呆れたからだろうか。

 幼馴染の癇癪染みた意地の張り方に、付き合い切れなくなったからだろうか。

 

 

 それとも。

 

 

 緑閃光の嵐の中で、輝く黄金(かな)色を見つけたからだろうか。

 

 

 

「────、…………あっそ」

 

 

 彼女の口元が、ゆっくりと。

 微笑みに、緩んだ。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 そして、嵐が過ぎ去った後。

 

 

「────」

 

 

 耳をつんざく暴風など初めから発生しなかったかの様に静寂に包まれた舞台にて、大いに立ち回り奮闘した主役。

 

 けれども着込んだ衣装の赤黒ドレスは千切れに千切れ、目も当てられない有り様。

 真紅の瞳は焦点と煌めきを忘れ、どこを眺めているかも定かではない。

 

 柳のように幽かで、文字通り気力も気配も精根尽きていて──

 

 

「……」

 

 

 それでも。

 

 それでも彼女は、ナナルゥ・グリーンセプテンバーは立っていた。

 傍らの地に放ったステッキに頼らず、自らの足で立っていた。

 

 

「……けっきょく」

 

 

 そして、対面。

 負けず劣らずボロボロの格好のエトエナは、ナナルゥとは対照的に、仰向けに転がったまま、ぼんやりと蒼を眺めていた。

 常に気を張って周囲を寄せ付けず、どこかナナルゥ以上に必死だった(しか)めっ面は浮かんでいない。

 

 

「結局。勝手な奴よね、アンタって」

 

「……ぇ」

 

「カナカゼ、なんて。ただでさえ目について鬱陶しいんだから……アンタなんか、そよかぜくらいで『丁度良かった』のよ」

 

「…………」

 

 

 全身全霊を受け止めたが為に掠れがちなソプラノの、言葉の真意がどこにあったかは分からない。

 

 けれど、それまでのエトエナの態度や言葉が、単純な侮りや憎しみから向けられていたものではないと。

 淡い霧白色に包まれていく視界の中で、"それだけ"は理解出来たから、だろうか。

 

 

「……エト、エナ──」

 

 

 ゆっくりと。

 踏み出した一歩は、最後の最後で形にならず。

 静かに、ぐらりと傾いて。

 全てを出し尽くした緑の風は、安心したかの様に『黄金を纏うこと』を止めた。

 

 

「……フン。勝手だったのは、アタシも、か…………、──」

 

 

 嵐の後の澄んだ空気のような青空を映した深紅の瞳も、幕を下ろした。

 

 

『さ、三回戦、魔のブロックの第一試合、決着です!! ええと、け、結果は────』

 

 

 或いは。

 嵐が過ぎ、雨が止み、固まる地面があるように。

 

 試合に負けて、勝負に勝つという言葉がある。

 それがつまり、試合に負けてでも得るものを得た者こそ勝者である、と曲げて捉えても良いのならば。

 

 

『両選手、共に戦闘不能! よって、この第一試合は──』

 

 

 不思議なことに、この因縁の戦いは。

 試合に負けて、勝負に勝った者"しか居なかった"。

 

 

 



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Tales 75【翠星の足跡】

 雨も通り過ぎていないのに、見通す風景がふやけたように見えるから、漠然とした自覚を抱いた。

 

 瞼に焼き付くほどに見慣れた景色を、もしかしたら、風ごと追い越してしまうかも知れない。

 そんな、不安にも似た予感が芽生えたのはきっと、前向きとは言えない心の模様が原因だったのだろうと。

 

 

『旅立ちの日に似つかわしい快晴。だというのに、肝心の当人の顔が曇っているのは少し勿体ないとは思わないか、ナナルゥちゃん』

 

『ファエル……』

 

 

 その証拠に、旅立ちを引き止めた声に、止まった踵が無意識に浮く。

 まるで、足跡が残る事を怖がっているようだと。

 傍らに侍っていた老執事が、黙ってスッと一歩下がったのも、彼女に自覚を呼び込んだ原因かも知れない。

 

 

『見送りは良いと、そう告げていたではありませんの』

 

『しかし、かといって"本来の領主"が領民の誰にも見送られず、というのは寂しいだろう?』

 

 

 月の銀を彩ったファエルの長髪が、風にそよぐ。

 尖った耳にどこか照れ臭そうに触る彼の癖は、彼女の倍以上を生きてきたエルフとしては、存外子供らしい。

 ファエル・"ゴールドオーガスト"。

 ナナルゥの父親と、母親と共に焔の中で命を落とした、サミュリの夫。

 

 

『貴方には、その、迷惑をかけますわね。けれど、今のわたくしではどうしても、亡きお父様の代わりは……』

 

『……はは。君のお父上の代わりなんて、そうそう誰かに務まるはずもないさ。無論、僕にだってね』

 

『……』

 

 

 丸眼鏡の奥の赤い瞳が故郷の町並みへと逸れた一瞬。

 どうしてか、無性にホッと胸を撫で下ろしたくなった。

 

 

『……見聞を広め、器を磨き、仇を……という君の決意。君の意志を、僕は尊重したい。けれどね、ナナルゥちゃん』

 

 

 分かってはいても、認めて、受け入れる事は案外難しい。

 そして今日も、この時でさえも。

 逸らして、はぐれて、俯うつむき続けて。

 

 

『どうしても辛く厳しいと感じたときには……此処に。君の故郷に、ちゃんと帰って来るんだよ。いいね?』

 

『……、──』

 

 

 受け止め切れない自分の至らなさが、小さな頷き一つでさえ、難しくしている。

 ファエルの言葉の奥の、優しさへの理解さえ、遠ざけている。

 

 肌を撫でた故郷の風は、知らない他人の様に冷たかった。

 

 

────

──

 

【翠星の足跡】

 

──

────

 

 

 

 

 仄かなランプの熱光でも、照らすには充分な狭い部屋では、幽かな陰影すらも際立つ。

 だから普段の騒々しさとは裏腹な、静かな起床にも直ぐに気付けた。

 

 

「────んん……、?……此処は」

 

「キュイ!」

 

「ナイン……?」

 

「お、アムソンさん。お嬢が」

 

「おや。お目覚めになりましたか、お嬢様」

 

 

 甲高い鳴き声を挙げながら飛び付くナインを、為すがままにお嬢は受け止める。

 眠りから醒めたばかりだからか、今一つ現状が掴めてないんだろう。

 俺とアムソンさんの間を行き来する、丸みを帯びた真紅の瞳が、猫のそれみたいにシパシパと瞬いた。

 

 

「……! し、試合は?! わたくしの試合はどうなりましたの?!」

 

「ちょっ、お嬢! 起き抜けにそんな暴れたら!」

 

「──いッ!? ~~~~ッ……か、身体のあちこちから猛烈な痛みがぁ~……うぐぐぐぐ」

 

「あーあー……言わんこっちゃない」

 

「あれほど大きく立ち回られたのです。お身体の内と外に蓄積されたダメージもまた、相応でありましょう。普段の調子であられますと、激しい痛みにのたうち回る羽目になられますぞ、お嬢様」

 

「な、なんでそんな事を愉しそうに言いやがりますの、この悪趣味執事!」

 

「ほっほ」

 

 

 ガバッと勢い立ててベッドから立ち上がろうとした途端に、お嬢自慢の顔がくしゃりと歪む。

 唐突な激痛の嵐に、たまらず再びベッドにぐてっと横たわるお嬢だったが、眠ってる間に自分の現状って奴もすっかり抜け落ちてしまったらしい。

 痛みにヒイヒイと半べそかいてる所に、朗らかに人が悪い事言うアムソンさんも流石である。

 

 

「うぅぅ……い、痛み止めの霊薬とか持ってませんの?」

 

「それに運営側が遣わされた治療士の方いわく、左腕の治療に相当な霊薬を使用したので、これ以上の投薬はかえって身体に不調をもたらすとのことです。残念ながら」

 

「そ、そんな……あっ! それならあの、クイーンという治療士に頼めば宜しいんじゃありませんこと?!」

 

「一応頼んではいるけど、クイーンさんは現在エトエナを治療中。だからお嬢にはもうちょい我慢して貰うしかないな」

 

「ぐぬぬ、このわたくしを後回しにするだなんて……」

 

「元々エース達と契約したのはあっちのが先なんだし、拗ねない拗ねない」

 

「す、拗ねてませんわよ! ただ、あのちんちくりんの後というのが釈然としないだけですわっ!」

 

 

 最低限の治療は施されたとはいえ、激闘の末に出来た傷は残ったまま。

 特に酷かった左腕に巻かれた包帯をそれとなく弄りながら、平静を取り戻そうとしてるんだろう。

 釈然としないとは言うものの、明らかに拗ねてる少女の様な仕草だった。

 

 

「……で。結局、試合の結果はどうなりましたの……変に勿体ぶるんじゃありませんわよ」

 

「はは、バレたか。余計な気遣いだった」

 

「……別に、そう責めるつもりはありませんけれど」

 

 

 どうやらこっちが心配するまでもなく、最初っから結果を聞く態勢というか、覚悟は出来ていたらしい。

 深々と息を吐きながら、さぁ来いと顔を引き締めたお嬢に、苦笑がちに結果を告げた。

 

 

「そいつはどーも。んで、結果だけど……二人共、ほぼ同じタイミングにノックアウト。よって勝者なしの、『引き分け』って事になった」

 

「え? ひ、引き分け? わたくしの……負けじゃなく?」

 

 

 敗北の二文字を突き付けられると予想していたであろうお嬢の目が、茫然と揺れる。

 普段とも、あの大嵐を巻き起こした時とも鋭い違って、無垢に幼気な、ある意味で素のお嬢の反応だった。

 

 

「そそ。あぁ、でも、お嬢もエトエナも重傷だったから、準決勝進出者は無しって訳」

 

「……そ、そう、ですの……引き分け……」

 

 

 単なる敗北、とは違う。

 かといって、勝利とも言えない。

 どうあれ、この結果をどう受け止めるかなんて、お嬢自身が決めれば良い事だ。

 

「……ま、それ以上に」

 

「?」

 

 

 でも、外からあの闘いを見終えた一人の観戦者としては、どうしても伝えておきたいことがあった。 

 見てるだけでも、その華奢な背に、真摯な横顔に、指先に。心に。

 確かに示されたモノがあったのだから。

 

 

「カッコ良かったよ、お嬢」

 

「……へ?」

 

「最後。見てるこっちが肝を冷やすぐらいに、我武者羅(がむしゃら)で滅茶苦茶で、優雅ってのとは程遠かったけど……

 

 それでも────目が覚めるような、真っ向勝負。

 カッコ良かった。正直、見惚れるくらいに」

 

「────ぇ……あ、ぅ……」

 

 

 まっさらな、棘のない嫉妬を真っ直ぐに届ければ。

 少し前まで勇敢だったご令嬢は、落ち着きなく視線をさ迷わせ、目元が前髪に隠れるぐらいに縮こまりながらも。

 

 

「わたくしが、カッコいいのは……当、然の……ことですわよ……」

 

 

 臆病な風にすら負けそうな、か細い声で囀ずった。

 手繰り寄せたベッドのシーツじゃ、穏やかな赤色にほんのり染まった耳や頬を隠せはしないことは、言うまでもなかった。

 

 

◆◇◆

 

 

「ほい。グラス、持てる?」

 

「それぐらいは問題ありませんわよ。ただ、ベッドの上でというのが少し、はしたなくて落ち着きませんけど」

 

「お、マナー気にするとか、珍しくご令嬢っぽい」

 

「んなっ! 常々わたくしをお嬢、お嬢と呼んでおきながら、何たる言い草ですの!」

 

「いや、俺ん中で、『お嬢』と『お嬢様』は別モンだから」

 

「喧嘩売ってますのね?!」

 

 

 軽口を挟みつつも手渡したグラスには、愛嬌のある膨れっ面が映る。

 期待通りの打てば響く反応に表情を緩めれば、見咎める様にお嬢の唇が尖った。

 こういう仕草が、お嬢様とか貴族って印象を薄めてくんだろうなぁ。

 

 

「ふん、まー良いですわ。こういう事に煩い執事は席を外してますし、お行儀の悪い真似もしてやりますわよ」

 

「お嬢があんまり痛い痛いって喚くから、クイーンのとこに何か対処法聞きに行ってくれてんでしょーが」

 

「キュイ」

 

「それだけが目的かは分かりませんわよ」

 

 

 不機嫌そうな口振りなお嬢が、そわそわと落ち着きなく包帯を摘まむ。

 単なる手持ち無沙汰にしてはチラチラと此方の一挙一動を窺ってるような、そんな気配。

 

 

「……ぇと。そういえば、セリアもあのちんちくりんの元に居るんでしたわね?」

 

「そそ。あのハティっていう……『ファミリア(使い魔)』だっけか。あれについて色々と聴きたい事があるんだってさ」

 

「……そ、そうですのね。全くもう。あの炎狼が気になるのは分かりますけれど、そこは、わたくしの健闘を讃える方が先じゃありませんこと?」

 

「まーまー。セリアも魔法学院に通ってたから、何か気になる事でもあんでしょ」

 

「……むぅ」

 

(実際は、お嬢と顔を合わせ辛いってのもあるんだろうけど)

 

 言ってしまえばここのところ、セリアにとってのお嬢は、闘い方を教え込んでいる生徒みたいなもんだし。

 セントハイムに来て以降の、いつもの責任感に加えて、決して小さくない"悔しさ"もあったんだろう。

 

 そういった感情にケリを付ける時間も必要ってことで、引き留めはしなかったけど。

 

 

「……ナガレ」

 

「ん?」

 

 

 どうやら、自分の中で整理をつけておきたい事を抱えているのはセリアだけではないらしい。

 

 

「……その。少し、昔の話をしても宜しくて?」

 

「……」

 

 

 間を開けて響いた、硬い声色。

 分かりやすい緊張を孕んだ横顔が、またも此方を窺っていて。

 

──なるほど。

 

 あのアムソンさんが傷だらけのお嬢を放って席を外した理由は、もしかしたらこれだったのかも知れない。

 

 

「どーぞ」

 

 

 カウンセラーの真似事なんて柄じゃないんだけど。

 結構人遣い荒いよな、あの人。

 

 

 

 



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Tales 76【Marry:Re】

「自分でそう何度も口にしたくはありませんけど……わたくしが賢知たる種エルフの中で、いわゆる落ちこぼれだった事は……以前話しましたわね」

 

「あぁ。それで色々苦労したってのも、なんとなく」

 

「あっさり苦労の一言で片付けられるのも複雑ですわね……まぁ構いませんわ」

 

「キュイ」

 

 

 貴方には、きちんとお話しておきますけれど。

 

 そう、珍しく畏まった前置きから紡がれたのは、お嬢自身の過去について。

 真剣味を帯びた紅い瞳に見据えられて、こっちの背筋も自然と伸びた。

 

 

「……本国の執政官や他領の伯爵様が頼りに屋敷を訪れるほどに、勇知に優れたお父様。本国の精鋭魔法部隊に所属して、数々の重要な任務を成し遂げ、多くの勲章を授かったほど武と魔に優れたお母様。そんな二人の間に出来た娘が、わたくしなんですのよ」

 

「それはまた……なんつーか」

 

「別に、濁さずとも素直に言っても良いんですわよ。ペガサスが駄馬を産んだ、とでも。今だけなら許して差し上げますわ」

 

「……」

 

 

 卑屈な言い回しも、それなりの下地があってこそだろうか。

 似合わない暗い笑みを浮かべるお嬢のお許しには、応じる訳ない。

 

 

「……まぁ。あの頃はそういう意味でも苦労しましたし、お母様からの、き、き、きき厳しい教育、とか、も、ほんと。ほんっと大変でしたけれど……!」

 

「うわぁ……」

 

「でも……でも。あの時はお父様や、アムソンが庇ってくれたりして。泣き……じゃなくて、気落ちしていたわたくしを励まそうと、サミュリが紅茶を淹れてくれたりしてくれましたし」

 

「サミュリ?」

 

「……サミュリ・ゴールドオーガスト。エトエナの母親ですわ。グリーンセプテンバー家に、給仕として働いていましたの」

 

「!」

 

「お父様達との昔馴染みでもあったそうで。サミュリが作ったクッキーを摘まみ食いしたお父様を叱ったり、あのお母様でさえサミュリ相手には強く出れなくて」

 

「へぇ。メイドなのに、愉快な力関係だな。いや、そのサミュリさんの人柄なのかも。お嬢もなついてたんだろ?」

 

「あのちんちくりんからすれば、面白くない話だったんでしょうね。屋敷に来てはわたくしに突っ掛かって。サミュリに叱られて、その後のお茶会で茶菓子を取り合いになって、また叱られて……」

 

 

 彼女らエルフの言葉を借りるなら、葉脈に光が射す様な暖かい日々だったんだろう。

 目を細め、尊ぶように物語った過去の一幕は、落ちこぼれという苦境にあった彼女にとって、かけがえの無い思い出。

 

 

「……でも。そんな日々も──ある日、唐突に、前触れもなく……何もかもが、灰になってしまいましたわ」

 

「……!」

 

 

 でも。

 太陽は雲に隠され、やがて水平の向こうに沈む様に。

 安寧は終わり、違う何かが始まってしまった。

 

 

「お父様も、お母様も、サミュリも……変わったくしゃみをする庭師も、腰の悪い料理長も、背が低くて掃除が苦手な若いメイドも……全部、全部。燃え盛る屋敷ごと、炎に呑み込まれてしまいましたわ。いつもの魔法のお稽古が嫌で、街へと逃げ出していた……『落ちこぼれ』のわたくしと、そんなわたくしを探していたアムソンだけを残して」

 

「キュイ……」

 

「……お嬢」

 

 

 お嬢の掌に収まったグラスの水面が、喪った者への想いを映すように波を生む。

 深い悲壮を浮かべた瞳を閉じようと瞼で覆っても、その哀情は隠し切れるものじゃない。

 彼女の心模様を汲んだかの様な、ナインの淡い鳴き声が静かな室内に響く。

 

 

「誰の仕業か、ってのは……」

 

「屋敷に駆けつけた時に、それらしき者を一応……けれど、屋敷を見るなり意識を失ってしまったらしく、はっきりと覚えてませんの。あの時、燃える屋敷の前に立っていたのが、男であったか、女であったかでさえ」

 

 

 総てを奪っていった、憎むべき相手の顔も(おぼろ)の向こう。

 或いは、喪失の痛みから心を壊してしまわない為の、せめてもの手段だったのかも知れない。

 

 

「憎むべき、仇の顔すらしっかり覚えていない体たらく。そんなわたくしが、グリーンセプテンバーの再起と復讐を誓って、旅に出る。お父様の古くからのご友人だったファエル・ゴールドオーガストに復興作業を託し……いえ、"押し付けて"」

 

「ゴールドオーガストって、つまり……」

 

「エトエナのお父上ですわ……そう、エトエナからすれば、そんなわたくしの姿が『逃げた』としか映らないのも至極当然、ですわよね……」

 

「んなこと……」

 

 

 顔を合わせる度に口論に発展していた彼女との間柄も、単なる腐れ縁の一言で片付けられるものじゃなかった。

 エトエナが頻繁に口にしていた、臆病風という侮蔑。

 取り繕う為の『そんなことない』も、途切れて宙に浮く。

 うわべだけの安易な否定なんて、きっと軽薄な慰めにしかならないのだから。

 

 

「……いいえ。ナガレ。わたくしは逃げたんですのよ。こんなわたくしに、お父様の代わりなんて出来ない。途方にくれた領民を導くことなんて、出来ない。

 落ちてこぼれたエルフであるわたくしなんかより……お父様が頼りにしていたファエルの方が、ずっと、ずっと。そういって、逃げるように……故郷を発ったんですわ」

 

「……」

 

 

 決して一言では表せない感情の渦の正体に名前を付けることは出来なくても、測ることは出来る。

 奪われた痛み。埋めなくてはならない多く。

 その華奢な背中で負うには、余りに重い荷物と立場。

 

 お嬢がいつもグリーンセプテンバーに相応しくあろうとしてたのも、そこから逃げた罪の意識に対する、懺悔みたいなモノだったのか。

 見下ろす先の、切り傷だらけのエルフの少女は、"それがなくとも"傷だらけだったんだ。

 

 

「臆病で非力な自分を誤魔化して、逃げるように故郷からどんどん離れて……そんな時に、出逢ってしまったんですわ」

 

「……ん?」

 

「惚けるんじゃありませんわ。貴方とセリアですわよ」

 

「あぁ。なるほど」

 

 

 初めて会った時、エルフであるお嬢とアムソンさんがなんで東の地であるガートリアムに居たのかも、これで合点がいった。

 故郷への負い目が遠ざけて、その先で俺達と出会ったという顛末だったらしい。

 

 

「優雅でもなんでもなく──ただ、格好悪い。ほんっと……よくも遠慮なく言ってくれましたわね。悔しいったらなかったですわ」

 

「あー……結構勢い任せだったというか。まだ良くも知らない相手に言うべき事じゃなかったかもだけど」

 

「……良いんですのよ。癪ですけれど、事実でしたもの。それに、あの言葉だけじゃなく、この闘魔祭で嫌ってほど貴方に"見せ付けられましたし"?」

 

「見せ付けたって……なにを?」

 

「わたくしに"足りなくて"、貴方が当たり前のようにやってたことですわよ……」

 

「……?」

 

 

 要領を得ないお嬢の言い回し。

 意地の悪いクイズの様だなと首を捻れば、お嬢の顔が仕方なさそうに、プイっとそっぽを向いて。

 

 

「我武者羅で、滅茶苦茶で。優雅さの欠片もない。でも、強敵に相手にも退かず、勝利の為なら身を差し出す……そんな姿を見せられれば……『わたくしだって』と、思うじゃありませんの」

 

「────」

 

 

 して、やられた。

 

 そんな風に言われれば、もしかしてと思うだろ。

 

 つまり、エトエナとの試合の終盤で、お嬢がやってみせた闘い方は単にあの場面で思い付き組み立てたモノではなくて。 

 彼女に足りないモノを埋め合わせるのに必要とした『面影』が、あの一連には詰め込まれていたという訳で。

 

 

 自然と、包帯の巻かれたお嬢の左腕へと視線が落ちる。

 勲章でも誇るみたく、お嬢は"傷痕"をシーツで隠そうともしなかった。

 

 

「そ、それと!」

 

「え? っ、んおっ!」

 

「キュイ?!」

 

「…………いっ、一度しか言いませんから、耳の穴かっぽじって、よーく聴いてくださいまし!」

 

 

 

 そして、話はこれで終わりではなく、むしろここから。

 明るみにしたくない自分の過去を引っ張り出してまで、お嬢が俺に伝えたかった本題ってのがまだ残っているらしく。

 わしっと急にナインの両脇を掴んで、目隠しするように俺の顔へと付きつけたお嬢が、告げる。

 

 震える腕で。震えがちな声で。

 多分、顔も耳まで真っ赤にしながら。

 

 

 

「ナガレ……わ、わたくしに……っ……、──臆病なわたくしに……"勇気を"出させて、くれて。

 

 ありがとう、ございますの」

 

 

 

────

──

 

【Marry:Re】

 

──

────

 

 

 

 

 まずい。どうしよう。

 上手い言葉が、切り返しが見つからない。

 呼吸困難に陥ったみたいに、口が開いて閉じてを繰り返す。

 むしろ不手際や不恰好さのがよっぽど目立つ俺の闘いを、こんな……『真っ直ぐな』形で認められて。

 視線は然程動いてやいないのに、目を回してる気分だ。

 

 

「あー……」

 

 

 何て言えばいいんだよ、こんなの。

 こちらこそ? どういたしまして? お嬢の方こそ?

 違う、どれもなんかしっくり来ない。

 

 これ以上となく長い一秒の間、ぐるぐるぐるとそれっぽい返答が、思い浮かんでは消えていく。

 口ごもり、目を泳がせて、それでもなんとか。

 なんとか手繰り寄せた言葉は。

 

 

 

「じゃあ、これからは敬語とか使ってみよっか」

 

 

……我ながら、とんでもなく下っ手くそな誤魔化し方だった。

 

 

「……絶対、ずぅえったい嫌ですわ! 調子に乗るんじゃありませんわよ!」

 

「えー。調子に乗るなとか、お嬢に言われたくない」

 

「それどーいう意味ですの!」

 

 

 素の反応か、それとも情けない男のプライドを立ててくれたのか。

 どちらであるのか今一つ読み取れ切れないのがある意味、お嬢の魅力的な所なのかもしれない。

 

 

「──ぴぎっ! うぁ、も、もう! ナガレが大声出させるから、傷口が開いてズキズキとして来たじゃありませんの!」

 

「いやいや、んな難癖の付け方ないだろ」

 

「難癖もなにも事実ですわっ、んにぃ! くぅっ……な、ナガレ。責任取って何とかなさい!」

 

「って言われても。アムソンさん戻って来るの待つしかないだろ?」

 

 

 どうやら大声を出した弊害か、傷口に障ってしまったらしい。

 ふやけた涙目になりながら対策を投げられても、俺にどうにかする術なんてない。

 

 だが。

 後ろ頭を掻きながら、苦笑がちにお嬢を(なだ)めようとする俺よりも早く、白銀のシルエットが動いた。

 

 

「キュイ!」

 

「うぐぐ……え、ナイン?」

 

「自分に任せろって、どういう……」

 

 

 どうするつもりと首を傾げれば、自信満々なナインが

お嬢の膝上にピョンピョンと飛び移る。

 するとナインは、未だに多くの『切り傷』が残ったお嬢の右腕に己の三尾をポフッと乗せた。

 

 

「キュ~イ~……キュ~イ~……」

 

「なんですのその気の抜ける鳴き声……って──あら? な、なんだか、傷口がスースーとして来ましたわ……」

 

「『傷口』が…………、────っ! そうか、もしかして!」

 

「ナガレ? 急にどうしたんですの」

 

 

 当惑するお嬢を尻目に、ホルスターから外したアーカイブをペラペラと捲っていく。

 ナインの行動。

 お嬢の切り傷。

 そして『鎌鼬』の尻尾とくれば、自ずと閃くものがある。

 

 斯くして予感は──的中した。

 

 

 

───────

 

 

No.004

 

 

【カマイタチ/鎌鼬】

 

 

・再現性『B+α』

 

・親和性『A』→『A+』

 

・浸透性『B+α』

 

 

保有技能

 

・【一尾ノ風陣】

 

真空の刃を発生させ、放つ事が可能

 

・【二尾ノ太刀】

 

自分の身体を鎌に変える事が可能

 

・【三尾ノ治癒】

 

切り傷を治療することが可能。加えて、存在自体にセラピーの効果あり。

 

 

──────

 

 

「【三尾ノ治癒】……やっぱりか」

 

「一人で納得しないでくださいまし! なんだか傷口がぽやーって光ってますけれど! 大丈夫なんですの、これ!」

 

「心配いらない。というより、むしろナインに感謝しときなよ、お嬢」

 

「どういう意味……って。え? あれ、痛みが段々引いて……それに、き、傷が塞がっていきますわよ!」

 

 

 推測が的を射た実感に満足しながら目を向ければ、ナインの尻尾に撫でられたお嬢の右腕の傷を、ぼんやりと翠色に光る膜が覆っていた。

 まるで立体的な絆創膏(ばんそうこう)、ゼリー状の塗り薬みたいだ。

 間違いなく、新たに発現したナインの保有技能によるものだろう。

 

 

(鎌鼬は『三匹一組』の神様って説もある。一匹目が転ばせて、二匹目が皮膚を切って、三匹目が傷口に薬を塗るから、痛みがなくて直ぐ治る……って伝承)

 

 

 ナインの持つ保有技能も、伝承になぞらえれば所々違和感があるものの、納得がいく。

 もっとも、そもそもナインは三匹一組ならぬ三尾一匹という存在として再現されてる以上、多少の違和感なんて今更だ。

 

 

「ナインの新しい能力。切り傷を治す効果があんだってさ……あと、なんでか俺も良く分かんないけど、ナイン自体に癒し効果があるらしい」

 

「そ、そうなんですのね。わたくしの傷を治癒しようと……本当に、アナタは良い子ですわね、ナイン」

 

「キュイ! キュ~イ~」

 

「あぁ……確かに癒されますわねぇ……」

 

 

 丸っこい鳴き声と共に尻尾を振る、ナインの愛嬌に溢れた姿がハートに刺さったらしい。

 癒えていく傷口に比例してお嬢の表情も、にへらっとだらしなく緩んでいった。

 

 しかし存在自体にセラピーか。

 言われてみればセリアやお嬢もナインに構ってる時は、大体機嫌が良い事が多い。

 

 それにナインの『キュイ』という鳴き声も、よくよく思えばイルカの鳴き声の特徴に似ている。

 『ヒーリング(癒し)効果』といえばイルカが一番有名だろうし、セラピーってのはそこから来てるのかも知れない。

 

 

「傷付いたわたくしの為に、新しい力を身に付けるだなんて……本当に出来た子ですわね。やはりここは褒美としてなにか……ふむ。そうですわね……ナイン! これからはナインという名前だけではなく、ナイン・ゴージャスデスパレード雪風と絢爛華々しいフルネームを名乗るが宜しいですわ!」

 

「いやいや、だからそれは長い。幾らなんでも長いってお嬢。軽い罰ゲームじゃん」

 

「キュイィ……」

 

 

 気分任せなお嬢の命名は、一文の得にもならない褒美だ。

 懐かしさと呆れを覚える長ったらしさに、ナインも困惑するように小さな耳を垂れさせた。

 

 

(しっかし、最後の保有技能に加えて、ちゃっかり親和性も上がってる……お嬢の言うとおり、タイミングが良い…………)

 

 

 ん、待てよ。タイミング?

 なんか違和感あるぞ。

 そういえば、保有技能の開示はともかく『親和性』まで上がってるのはなんでだ。

 今回、友好を深めたのって……ナインじゃなくて。

 

 

「ナガレ、喉が渇きましたわ! おかわりをお注ぎなさい!」

 

 

 弾んだソプラノと、突き出された空のグラス。

 そして向けられた、気を抜けば見蕩れてしまいそうな喜色満面の、お嬢の笑顔。

 

 

(…………あぁ。協力再現って、"ここも"、なのか)

 

 

 まぁ、つまり。

 傲慢不遜に見せかけてヘタレで浮き沈みの激しい、このお嬢様との距離も、更に一歩、近付いたって事なんだろうか。

 

 

「……だから、俺はお嬢の従者じゃないっての」

 

「オーホッホッホ! 似たようなモノですわ! というか、もう少しありがたみやがりなさいな!」

 

「……はいはい」

 

 

 グラスを受け取りながら、背を向ける。

 なんだか、変に気恥ずかしいというか。

 

 

「……はぁ」

 

 

 なんとも言えない溜め息が、勝手に喉から滑り落ちる。

 でもこの『気付き』を口にすれば、もっといたたまれなくなるのは目に見えたから。

 

 

(……あ、そういえば)

 

 

 お嬢に背を向け、グラスに水を注ぎながら、気を紛らわす何かを探す。

 そこでふと思い至って、ポケットをまさぐり、取り出したるは──スマートフォン。

 

 色々とごたついていたのもあって、お嬢とエトエナの試合が始まる前にメリーさんから何かしらのメッセージがあった事をすっかり忘れてしまっていた。

 

 

(メリーさん……何の用だったんだろ)

 

 

 それなりに時間が過ぎてしまったとはいえ、だからといって確認しない訳にはいかない。

 壊れたはずのスマートフォンの電源ボタンを押せば、ホーム画面がぼんやりと映し出される。

 

 すっかり慣れ親しんだ怪奇現象に気をやる事もなく、ホーム画面にポンと浮いたメリーさんからの、未読のメッセージをタップして。

 

 彼女からのメッセージに目を、通せば。

 

 

「…………、────」

 

 

 息を呑んだ。

 いや、止まった。

 まるで透明な、小さな手に柔らかく絞められたかの様に。

 

 

「────」

 

 

 液晶に、淡々と並ぶ文字列。

 一語一句が脳に刷り込まれていく度に。

 

 

 

『ねぇナガレ。

 やっぱり、ナガレの相棒は、カゲトラみたいな強い都市伝説の方が良い?

 ナガレの役に立てないメリーさんは、相棒にはふさわしくない?

 

 

 メリーさんみたいな弱い、お人形は……

 

 

 

 ……やっぱり、邪魔?』

 

 

 

 

 

 後悔が、押し寄せて来た。

 

 

 

 

 





No.004

【カマイタチ/鎌鼬】

保有技能

・【三尾ノ治癒】

切り傷を治療することが可能。加えて、存在自体にセラピーの効果あり。


────


 切り傷、及び裂傷を治癒する事が出来る能力。
 ナインの尻尾で傷口に触れ、傷口をゼリー状の翠色光の膜で覆い、回復する。
 また、ナインそのものにヒーリングの効果があり、ナインの鳴き声が鼬の「キーキー」「クククク」というものよりも、イルカの鳴き声に類似しているのはその影響と思われる。




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Tales 77【依存少女】

「何事も迅速であるに越したことはない。それが貴殿の口癖だったかな……グローゼム公」

 

 

 薄暗く長いコロシアムの回廊では、足音も声も良く通る。

 だが例え雑踏の中でさえ、目も鼻も耳も利くその男ならば振り向いてみせるだろう。

 このように、恭しく頭を下げてみせるだろう。

 

 

「これはこれはヴィジスタ宰相殿。陛下のお傍に居らずとも宜しいのですかな? 代々継がれた我が国の伝統たる祭儀の最中。いかな陛下とはいえ、宰相殿に席を外されては多少の心細さはありましょうに」

 

「その席を外す必要性を作ったのは他ならぬ貴殿自身であろうに。心当たりがないとでも?」

 

「……さて?」

 

「先の試合の『トラブル』についてだよ、大公。迅速、迅速……全く以て。ミリアムもさぞ驚いただろうが、それ以上に私も驚かされた。なにせ、私や陛下の元にモラルモノクロの使用申請が届くよりも、"調査の結果"がミリアムに届く方が早かったのだからな」

 

「……」

 

 

 皺を深めたヴィジスタの淡々とした投げ掛け。

 苦言と表しても良いそれを、大国セントハイム宰相の言葉を、けれどグローゼムは堂の入った微笑で受け流す。

 

 

「あの乱入が、故意であったかどうか。本来であればその判定は、モラルモノクロによって断ずるべきであった。しかし、何故かその経緯を経ずして、試合続行の指示が発せられた訳だが」

 

「宰相殿の口癖は、機は熟して待て、でございましたかな? かの賢老殿の目には、"我が采配"は早計に然ると映った、と」

 

「『越権』と映ったのだよ、大公。闘魔祭は、セントハイムの国儀。然れば、重要な案件であればあるほど、国

主たる陛下の元を介して執り仕切られねばならん。しかし、此度の采配は貴殿が独自の裁量でもって指示をした……さて、どういうつもりであろうか?」

 

「いやはや、仰る通り。そう。闘魔祭は我が国の伝統、いわばこの祭儀の成功により陛下の『権威』はますます示される。

 しかして、いかに才気煥発であらせられる陛下といえど、初の祭儀はままならぬ事もございましょう。宰相殿も、祭儀に加え国外にて戦陣を敷く各師団の戦況にも気を割かねばなりませぬ。であれば、爵位を預かるこの身が、怠惰に胡座をかく訳にもいきますまい」

 

「怠惰か。貴殿には相応しくない罪よ。"椅子革の油脂が渇くほどに"忙しない日々と見るがな」

 

「くはは。宰相殿とは比べるのも烏滸がましいほどに、些末な労量でありますよ」

 

 

 互いにすれば児戯にも過ぎない軽い舌戦に、旗は上がらない。

 けれど老獪と狡猾に支配された冷えた空気にも終わりは訪れる。

 

 

「『あの小僧』に、何を見出したのかね?」

 

「さて、誰を指しての言葉でありましょうか。此度の行動は、あくまで陛下、並びにセントハイムを思う私めの浅慮でしかありませぬよ。

……では、これにて。闘魔祭の成功を心より祈っておりますぞ」

 

 

 核心を、されど傑物は晒すことなく。

 恭しい一礼と共に、マントをたなびかせて、グローゼム大公は踵を返した。

 

 

「……祈り、か。その手に、『南の十字架』が握られてなければ良いがな」

 

 

 大々なる歩みを、止める事もなく。

 

 

 

 

────

──

 

【依存少女】

 

──

────

 

 

 

「返信は……なし」

 

 

 (もた)れかかった壁から伝わる冷たさが、後悔に拍車をかける。

 落とした視線の先の、頼りない掌に収まった長方形の電子機器。この異世界には過ぎた物質。

 言い換えれば、俺と現実世界を繋ぎ止めてるモノでもあるこれは、今は求める手を繋いではくれない。

 

 

「……はぁ」

 

 

 まるで気になる相手からの返信をまだかまだかと待ち惚ける様で、自嘲さえも喉の奥で溜め息に変わる。

 何にこうも悩まされてるかなんて、言わずもがな。

 メリーさんが残したあのメッセージだ。

 

 ぼんやりとした電磁白亜に浮かび上がる、失意のようにも、悲鳴のようにも受け取れる彼女の言葉。

 温度のないデジタルの文字を追いかける度に、後悔が押し寄せた。

 

 

『やっぱり、ナガレの相棒は、カゲトラみたいな強い都市伝説の方が良い?』

 

「……くっそ」

 

 

 せめて、あの時すぐにでも返事を送っていれば、と。

 事情を説明するや、すぐに話し合って来いとお嬢に部屋から追い出されてから、今この瞬間まで。

 結果が違ったかどうかなんて定かじゃないのに、何度となく思った。

 

 

『メリーさんみたいな弱い、お人形は………やっぱり、邪魔?』

 

 

 けれども寝耳に水にも程があるだろと、怨みがましく(ほぞ)を噛む気にはなれない。

 どうしていきなり、あのメリーさんがこんなことを言い出したのか。

 その心当たりにはすぐ思い至ったのだから。

 

 

「……」

 

 

 都市伝説、メリーさん。

 その物語を紐解いてみれば、浮かび上がる教訓と性質は実にシンプルだろう。

 持ち主への執着と、置き去りにされた悲しみ。そして、蔑ろにされた事への──復讐譚。

 

 ワールドホリックで再現した『あの』メリーさんは、どうだろうか。

 人懐っこく、甘い食べ物が好きで、明るいソプラノを響かせて笑う可憐な少女。

 傍目から見ればおどろおどろしい恐怖譚とは結び付きがたいが、無邪気にお遊戯と謳いながら鋏を振る残酷性は、彼女が都市伝説である事の証明だった。

 

 

 そして──もう一つ。

 

 

『ナガレの役に立てないメリーさんは、相棒にはふさわしくない?』

 

 

 彼女の言う『相棒』の意味するところは分からないが、彼女が何に執着しているかは、分かる。

 メリーさんを再現した人物。他でもない俺だ。

 些細な触れ合いでも求め、他の都市伝説に対して嫉妬していたあの子が、俺に執着している事は分かりきっていた。

 

 所持され、大切にされ、やがて捨てられてしまった人形の怪異。

 メリーさんにとって、俺は物語で云う『持ち主』って事なんだろう。

 他の都市伝説に対するささやかな嫉妬も、自分の存在される理由を脅かされたくない気持ちの裏返しだったとすれば。

 

 

(……参るよなぁ)

 

 

 景虎。セナトとの決戦で新たに再現した都市伝説。

 接近戦においては他の追随を許さないほどに、確かに景虎は強かった。

 事実、最後の最後で、あのセナトを打ち倒してみせたし。

 だが、それがまさかメリーさんの心を大きく揺らがせてしまうとは。

 

 

……いや、違う。

 

 いきなりこうなってしまった訳じゃない。

 今までの不安が積み重なって輪郭を帯びていき、今回でついに形になってしまったという方が近いか。

 好意の奥にある焦りを、不甲斐ないことに見過ごしてしまった。

 

 

 一応、メッセージの返信を幾つも送ってみているけれども、これといって反応は返って来ない。

 いや、そもそも返信をメリーさんが見てるかも怪しい。既読付いてないし。

 袖にされているのか、完全に塞ぎ込んでしまっているのか。

 

 

 それとも。

 心の底で湧いた、ほんの少しの安堵を──見つけられてしまったからだろうか。

 

 

「相棒失格なのは、俺の方だろうよ、メリーさん……」

 

 

 あぁ、そうだ。

 焦ると同時に僅かにでも沸き立った感情を白状すれば。

 彼女が、メリーさんが都市伝説である事の実感に、俺はほんの少しでも……安堵した。

 

 

 時々、思っていたことだ。

 

 柔らかい笑みを浮かべながら接してくるメリーさんが、恐ろしい都市伝説であるべきはずの彼女が、"普通の少女にしか見えない"時があって。

 

 

 俺の為に戦い、俺の指示で躊躇なく奪い、傷付きながらも必死になって俺を守る、華奢で小さなその背中が。

 どこにでも居そうな、ごく普通の、当たり前の様に幸せになれる少女にしか見えない時があったから。

 

 

 例え薄情だとしても。

 その方が俺にとっては……よっぽど、怖かった。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 不甲斐ない話だが、メリーさんからの反応がない以上、俺に出来ることなんて大してない。

 無力さを噛み締めながら、夢遊病の様にあてもなく回廊を歩く。

 すぐそばの観客席の歓声が、やけに遠く聞こえた。

 

 

「……」

 

 

 イヤホンの隙間から漏れ聞こえる様な、観客の声。

 その賑わいは三回戦最後、フォルの試合が行われているからだろう。

 お嬢とエトエナが両者敗退となったから、この試合の勝者が事実上、決勝の舞台に立つ、って事になる。

 

 けれど今は流石に観戦する気になれない。

 かといって目的もなく、ただ足だけを能動的に動かしていた。

 

 

「……ない」

 

「……?」

 

 

 どんよりとした心境に引き摺られる最中でも声が届いたのは、それくらい物珍しかったからだろうか。

 試合中で人通りの少ない通路の隅で、もそもそと蠢くシルエット。

 遠目にも目立つ大きな棺と真っ黒な厚手のローブとくれば、すぐに誰か検討がつく。

 

 

(魔女の弟子の……あんなとこで何してんだろ)

 

「……いい。別に」

 

(……誰かと話してる? ん、あれは……)

 

 

 なんでまた、こんなところに。

 色々と気掛かりな相手であった為に、つい珍しい物でも見るように観察してしまったのだが。

 彼女が両手に乗せて、何やら話かけているっぽい物体は…………物珍しいどころの話じゃなかった。

 

 

「興味?──うん…………気になるモノなら」

 

「す、『水晶髑髏』……?」

 

「!」

 

 

 あ、やっべ。つい声に出してしまった。

 後悔も意味を成さず、向こうも今の呟きに気付いたらしく、ドクロの形をした水晶をサッと懐に隠した。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 感情を灯さないアメジストの大きな瞳が、ただジッとこっちを窺っている。

 こうして正面から向き合ってみれば、顔立ちは想像してたより大分幼く、造形もまるで精巧な人形の様に整ってはいる。

 

 だがその分、セリアよりも鉄面皮って評価が相応しいくらいに冷たい無表情が、彼女の無機質さを助長していた。

 その独特の雰囲気に、こっちも押し黙ってしまったけども……このままじゃ埒が明かない。

 

 

「……トト・フィンメル、で合ってるよな? 魔女の、弟子っていう」

 

「…………」

 

 

 結果は、なしのつぶて。

 返事はなく、視線も逸らされず。

 むしろこっちの言葉が聞こえてるのか、ってくらいに無反応。

 

 

「今しまったのって、水晶髑髏?」

 

「……うん」

 

「あ、そこは答えてくれんのね」

 

「?」

 

「じゃなくて……あれ、あんたが作ったのか?」

 

「違う」

 

 

 かと思えば、俺が思わず反応した水晶の髑髏に関する問いかけにはあっさりと答える。

 その落差に、どーゆー違いがあるんだと頭を抱えたくなったが、無視されてるって訳じゃないらしい。

……ちょっと思い切ってみるか。

 

 

「もっかい見せてくれ、って言ったら?」

 

「いや」

 

「……駄目か」

 

「……タダはダメ。貴方も見せて」

 

「! 交換条件に、ってこと?」

 

「うん」

 

 

 あれ、意外と話通じるぞこの娘。

 魔女の弟子って言われるくらいだから、もっと接し難いかと思ってたのに。話し易い相手とまでは言わないが。

 

 にしても、『水晶の髑髏』ときたか。

 

 その名の通り髑髏の形をした水晶で、マヤ古代文明の遺産。

 当時の技術では制作出来るはずのない神秘的な代物で

『全部で13個あり、全てを一ヶ所に集めた時、宇宙の謎が暴かれる』なんて判りやすい伝承まで囁かれてるくらいだ。

 なんでこんなファンタジーの世界にあるんだっていう疑問はさておいて、出来るならお目にかかりたいところだけども。

 

 

「っつっても、こっちが見せれるものなんて──」

 

「見せて。鋏の子」

 

「! 鋏って……メリーさん?」

 

「それ。興味がある」

 

「なんでまたメリーさんに……」

 

「貴方には関係ない。喚んで」

 

 

 交換条件として提示されたのは、メリーさんの再現だった。理由については検討もつかず、追求も許さず。

 見たところ、メリーさんと外見より一つ二つ上って年頃なのが関係してる? いや、んな訳ないか。

 しかし……なんつータイミングの悪さ。

 

 

「それが……今はちょっと喚べない」

 

「どうして」

 

「…………色々あって」

 

「じゃあ、見せない」

 

「……仕方ないか」

 

 

 メリーさんを諦めて、余所の神秘にうつつを抜かそうとした俺への罰なんだろうか。

 きっぱりと断られ、手痛いカウンターを食らったかの様に肩を落とした。

 

 

「譲歩して貰ったのに、悪いな」

 

「別にいい」

 

 

 そして、話は終わったとばかりにトトは棺を担ぎ直すと、俺の脇を通り過ぎていく。

 俺の胸元にも届くかどうかの背丈が背負うには、あまりにも大き過ぎる荷物。

 腰を折り曲げてる姿勢は、明らかに無理をしている証だった。

 

 

「……もし良かったら、運ぶの手伝おうか?」

 

 

 だから思わず、そう申し出ながら棺に手をかけようとしたのが……

 これが完全に失敗だった。

 

 

「────『ママ』に! 触らないで!!」

 

「っ!?」

 

 

 漏れ聞こえてた歓声すら掻き消えるようなトトの悲鳴に近い叫びに、棺に触れる寸前で身体が硬直する。

 今までの平坦な調子とあまりに違う声色。

 急変ぶりに、半ば茫然と彼女を見やれば。

 

 

「『マザーグース』に……触らないで……」

 

「わ……かった……」

 

「…………」

 

 

 変わったのは、声だけではなく。

 何の感情を灯さなかったアメジストが、明確に拒絶を浮かび上がらせている。

 少女らしからぬ鋭い剣幕に、本能的に頷けば、トトは再び歩き出す。

 

 その背から出る雰囲気には、もう怒りも何も浮かんでいなかったけれど。

  

 

(……ママ、って。母親の事だよな……)

 

 

 激情と共に耳に残った言葉。

 今こうしてトト・フィンメルが背負っている棺の中にあるものを、俺は見たことがある。

 

 マザーグース。翼を持つ彫刻像。

 腰を折り曲げ、咎人に下された罰のように背負ってるそれを。

 ママ、と。

 

 

────母親と、彼女は呼んだのか。

 

 

「……"母親"か」

 

 

 確かめるつもりもないのに、口の中で転がした音は、不協和音でもなく、むしろありふれた形をしているのに。

 

 "やっぱり"、苦い記憶を呼ぶだけだった。

 

 

 



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Tales 78【蒼に彩冴えて】

 心残りは解決せずとも、時計の針は止められない。

 時は迫り、ついに迎えた準決勝。

 俺にとっても闘魔祭自体にとっても、本日最後の試合となる。

 

 

「準備は?」

 

「出来てる。傷んでたショートソードも新しいのに替えたし。セリアがくれた魔法薬(ポーション)もほら、こんな感じでホルスターに結んでる」

 

「……ナガレ。せめて鞘とは反対に括らないと、動いてる間にポーション瓶が割れるわよ?」

 

「……ん? あ、そうか。そだな、うっかりしてた」

 

「そそっかしいのね。つけ直すわ」

 

「いやいや、自分でやるって」

 

「いいからジッとしてて」

 

 

 けれど決戦への威勢とは裏腹に、分かりやすいミスをしている辺り、平静を装うには無理があったらしい。

 溜め息混じりに身を屈めて、ビンの紐を括り直すセリアのお節介を甘んじて受け入れるしかないのが、その証拠だった。

 

 

「気に病むな、とは言わないけれど」

 

「?」

 

「あの娘は……今までの試合、ずっと出ずっぱりだった。その分、この試合ではしっかりと休んで貰う……そう、思えば良いじゃない」

 

「……それ、励ましてくれてんの?」

 

「…………」

 

「そっかそっか」

 

「貴方のそういう、わざとデリカシーのないフリする所、嫌いよ」

 

 

 手厳しい切り返しに白旗を掲げる代わりに、ポケットの中の、『心残り』を取り出す。

 チラリと覗いた、手の内のスマホの画面は真っ暗なまま。

 結局、メリーさんへのケアを消化できないまま試合へと臨む事になってしまって。

 じくじくと心内に滲む暗雲にどんよりとした溜め息を落としそうになった頃、必然といつもより近くで、凛とした声が耳に届いた。

 

 

「魔女の弟子、トト・フィンメル。きっとセナトと同等……もしかしたら、それ以上に苦戦する相手かも知れないわ」

 

「セナト以上、か。ぶっちゃけ想像するだけで気分悪くなってくるね」

 

「彼女の魔法について、観戦席から得れた情報はなるべく伝えたけれど……まだ、何か底知れないモノを持っているかもしれないわね」

 

「……」

 

「でも」

 

「?」

 

 

 紐を結び直す拍子にセリアの指先が触れたのか、瓶を爪弾いた音色が奏でられた。

 ピンと鳴る誘い水に顎先(あごさき)を掬い取られれば、息を飲むくらいの深い蒼が、直ぐそこに。

 

 

「異邦人の貴方からすれば、ここまでずっと、不安要素なんて上げだしたらキリがない戦いばかり。それでも貴方は何度も勝ってきた。知恵を巡らして、劣勢にも折れず、最後まで諦めずに。そんな貴方の姿を、ずっと観てきたから」

 

「……」

 

「不安にはならないわよ、いまさら」

 

「……、────」

 

 

 吐息がかかりそうなくらい近くで、アイスブルーがまばたく。

 セリアから捧げられた信頼は、ここのところ消極的な立ち振舞いに務めようとする彼女の言葉とは思えないほどに、青く、まっさらに透き通っていた。

 

 

「~~っ、はい。結べたわよ。そろそろ係員が呼びに来る時間かしらね」

 

「……普段顔色変わらない人って、無理に平静装うと直ぐ分かるのな」

 

「……」

 

「っっ! ちょ、痛い痛い! ブーツで踏むのは無しだろ!」

 

「アリよ」

 

 

 昨晩の宿屋でのことと良い、こうしてはっきりと言葉にして背中を押されたのは、二度目となる。

 『死にたがり』とさえ呼ばれた蒼い騎士のなにかが、変わり始めている兆しと呼べるなのかも知れない。

 

 

「ナガレ選手、お時間となりました。入場門までお越し下さい」

 

「っと……いよいよか」

 

 

 真っ正直から『信頼』を向けられるのは、やっぱり心地良かった。

 

 

「行ってくる」

 

「……はい。行ってらっしゃい」

 

 

 そしてそれは、未だに俺から背を向け続けている、『あの娘』もきっと同じはずだと思うから。

 

 

 

────

──

 

【蒼に彩冴えて】

 

──

────

 

 

「むっ」

 

「チッ」

 

 

 出逢い頭で、互いが顔に皺を浮かべたのは、雨が通り過ぎた後の地がまだ固まりかけている途中だからだろうか。

 

 

「……アンタもクイーンの治療受けてたんだったわね。てっきりまだ立ち上がれないもんだと思ってたけど」

 

「エトエナこそ、あれだけコテンパンにして差し上げたんだから、少しは減らず口も治っているかと思いましたのに。とんだ筋金入りですこと!」

 

「はぁ? アレはアンタの馬鹿げた自爆特攻に巻き込まれただけでしょうが。単なる考えなしの癖になーにもっともらしく気取ってんのよ」

 

「誰が考えなしですの! アレはわたくしの頭脳と勇気と高貴さが導き出した必殺技ですわ!」

 

「単なる蛮勇でしょあんなの! あと高貴さの要素これっぽっちもなかったし!」

 

「ありまくりましたわよ! そのおめめは節穴ですの?!」

 

「唾飛ばすんじゃないわよ汚いわね!」

 

「はぁん?!」

 

「あぁん!?」

 

 

 遠くに浮かぶオレンジが景色を焦がし始めた空の下。

 観客席の一角で再び嵐を巻き起こさんと目をキッと吊り罵り合う二人の姿に、周囲の反応も様々だった。

 

 

「……あの、執事さん。止めなくて良いんです?」

 

「えぇ。あれがお二人なりの親交の深め方であります故、そっとしておかれるのが吉かと」

 

「綺麗所同士の揉み合いはボクとしても眼福やからね。ええぞもっとやって」

 

「……軽く最低ですよエース。というかここでは他の観客の皆さんに迷惑になりますし……クイーン」

 

「はぁい?」

 

「お願いします」

 

「うふふ、ジャックの頼みなら喜んで」

 

 

 どこぞの団長みたく煽りこそしないものの、自ら仲裁に入るつもりはなさそうなセリア達を見兼ねて、ジャックは頭痛を堪えるように眼鏡のフレームを抑えた。

 しかし傭兵団内で人事も任されているだけあって、瞬時に状況に合わせた人員を適切に見抜く能力は流石である。

 

 ジャックに願われたクイーンがニコニコと笑顔を浮かべながら台風の目へと歩み寄れば、彼女の治療を受けた経験のある二人は、面白いぐらいに顔を青ざめて後退(あとずさ)ったのだから。

 それでも睨み合いは止めない辺り、筋金入りなのはお互い様である。

 

 

「やはり傭兵団の皆様もこの大事な一戦をご覧になられますか。しかし、キング様の姿がお見えになりませぬぬな」

 

「眠ぅなったから先帰るーって。ほんま幹部の癖して一匹狼気質な人で、ボクも困ったもんや。けどまぁ執事さんの言う通り、この試合はボクらにとっても大事な一戦やから。ここは是非ともキングのアホの分も含めてナガレくんを応援させてもらおうなってな!」

 

「ナガレさんが魔女の弟子に勝てば、決勝はフォルさんとナガレさんのカード。私達エルディスト・ラ・ディーが『例の優勝商品』を手に出来る事が確定しますからね」

 

「左様でありますな。ふむ、お話に上がったフォルティ殿のお姿も見えませんが……先の試合の影響でございますかな?」

 

「あぁ、フォルくんはベッドで療養中や。勝ったとはいえ、なかなか手強い相手やったからなぁ。ま、可愛い可愛い妹のピアちゃんに付き添われとるから、直ぅぐ元気になるやろ」

 

「……シスコンのエースが言えた事ですか」

 

「あたたた、キッツいなぁジャック」

 

 

 ジャックの言葉通り、先の三回戦でフォルティが勝利した為、この一戦にナガレが勝利すればエース達の手に優勝商品である『精霊樹の雫』が渡る。

 つまりエースとの交換条件もこの時点で達成され、セリアの任務もようやく叶う目処が立つのだ。

 

 それだけに、この試合の重要度は非常に大きい。

 無論、ナガレにかかるプレッシャーも。

 

 

「さてさて、そっちの嬢ちゃんコンビも、いつまでもジーッとメンチ切っとらんと。そろそろ試合始まるみたいやで?」

 

「勝手にコンビにしないでくださいまし!」

 

「そりゃこっちの台詞よ。誰がアンタみたいな『へなちょこ』と」

 

(……おや?)

 

 

 パンパンと引率者みたく手を叩いたエースが呼び掛ければ、引いた波が再び寄せるように口喧嘩を繰り広げる辺り、彼女らも懲りない。

 だが、その中でエトエナの言葉に、アムソンの白に染まった片眉が上がった。

 

 

「この……減らず口を減らすどころか、わたくしを馬鹿にするボギャブラリーばっかり増やして。少しは相手の健闘を認めたって良いではありませんの、へそ曲がり!」

 

「ハッ、冗談。十年経ったって認めてやるもんですか、『へたれ女』!」

 

「……ほっほ。これはこれは」

 

「なんでそこでアムソンがニヤニヤしてますの!」

 

「いえいえ。些細な『変化』と云うものは、間近ではかえって分かり辛いものでありますなぁ」

 

「??」

 

 

 機敏に疎い主人に代わり推し量るのも従者の務め。

 

 ボギャブラリーが増えたというよりは、常套句代わりを探しているのだろう。

 当の変化に気付いたアムソンが、やんわりと皺深い微笑みをエトエナに向ければ、慌ててそっぽを向く辺りがいい証拠だろう。

 

 

『おまたせいたしましたぁぁぁ! 只今より準決勝を開始いたします!!』

 

「ほら、アンタんとこのエセ召喚師の出番でしょ、さっさと観に行きなさいよ」

 

「エトエナに言われずとも行きますわよ!」

 

(ほっほ……『そよかぜ』卒業おめでとうございます、お嬢様)

 

 

 鼻息荒く大股で見通しの良い席に歩いていくナナルゥの背を追いながら、アムソンの浮かんでいた笑みはより色濃く。

 フルヘイムを共に出て以降、ずっと抱えていた心残りの一つが晴れようとしている兆候に、老人は静かに胸を撫で下ろした。

 

 

◆◇◆

 

 

 

『東から昇ったお日様が、沈むにつれとてつもないデレっぷりでお空を真っ赤に染めようとしている頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。どうもテンションの余りいつも以上に実況に熱が入っておりますミリアムです!』

 

(回を増すにつれて勢い増してんね、ミリアムさん)

 

『三回戦に相次ぐ、激戦激闘続きにより会場のボルテージもうなぎ登りでございます! それでは参りましょう、本日最後となりました準決勝を闘う両選手入場でっす! まずは剣のコーナーよりィッ!』

 

 

 入場ゲートから漏れ聞こえる実況の勢いも、相変わらずだと親しみすら覚える。

 門が開き、こもった空気が一気に開け放たれて、えもいわれぬ爽快感と高揚感が連れ添って胸に広がった。

 

 

『数多の激闘を勝ち抜き、今や今大会一番の注目株! 扱う魔法そのものすら神秘のベールに包まれたミステリアス! 一試合ごとに観衆の度肝を抜いてきたトリックスター! 多くの謎に包まれながらも、私達の興味を魅惹いて止まないその輝き!

 

 誰が呼んだか【無色の召喚術師(クリスタルサモナー)】……サザナミ・ナガレ選手の入場でっす!!』

 

「……絶対呼び始めたのアンタだろ」

 

 

 キレッキレの選手入場の口頭に、もはや恥ずかしさを通り越して笑えてくる。

 クリスタルサモナーだなんて仰々しい名前、不相応にも程があんだけど。

 けど、昨日もちっちゃい子供に『さもなーさん』呼ばわりされてたから、その呼称が広まっているってのもあながち間違ってないのかも知れない。

 

 

『それでは、続きまして魔のコーナーより!』

 

 

 ザクザクと砂を踏んで闘技場の中心へと歩み寄れば、そんな他愛ない考えも次第に隅に引っ込んでいく。

 熱狂の中にカラリと混ざる、渇いた空気。

 盛り上がりの中に隠れ切れずに頭を出した緊張感が、次いで開かれるゲートより現れるであろう存在に、固唾を呑んでいるようだった。

 

 

『魔女の弟子にして、今大会優勝候補筆頭──その前評判に偽りなし! ここに至るまで、対戦相手をまるで寄せ付けず、圧巻的な実力を我々の目に焼き付けてきました正真正銘の実力者! 小さな身体に秘めたる(わざ)は、背負う棺の中身の如く、とんでもないスケールでありましょう!

 

 トト・フィンメル選手の入場でぇぇぇっす!!』

 

(……来た)

 

 

 ギギギと鈍重に開いた門が、何か巨大な生き物の口にも見える圧迫感。

 あからさまな畏怖を込めた観客の声にすら関係なく、小さくて大きなシルエットがゆったりと此方へと歩み寄る。

 

 

「どーも。さっきぶり」

 

「……」

 

 

 気安い挨拶も暖簾(のれん)に腕押し。

 背中の棺に押されて伏せられっぱなしだったアメジストの瞳が、じっと俺を見つめるけども、なんの感嘆も浮かんじゃいなかった。

 

 今から闘う敵とも言うべき相手に口を利かないのは、ある意味で当然なのかも知れない。

 逆にその『無駄』すら無い対応は、今まで闘ってきたセナト達との明確な違いを浮き彫りにした。

 

 無口で無機質な少女の余裕の無さと、容赦の無さ。

 手加減して貰える可能性なんか、毛頭にない。

 冗談抜きで死ぬかもしれない。

 

 だってのに。

 それ以上に、その華奢な身には余りに不釣り合いな、重く大きな人形の"正体"が、俺には気になってしょうがなかった。

 

 

『明日の決勝、その最後の一枠を争うこの一戦。決勝の舞台へと踊り出るのは果たしてどちらとなるのでしょうか!』

 

「両選手、準備は良いですね」

 

「……いつでも」

 

「……」

 

 

 ともかく、他人の事情を気にするのは後だ。

 今気にするべきは、この並々ならない相手の出方。

 セリアから伝え聞いたトトの情報からすれば、一瞬足りとも気は抜けない。

 

 深く息を吐いて、レフェリーに頷いて返す。

 同時に、ホルスターの括りを外しながら、アーカイブの表紙に指を添えた。

 

 そこに、あの娘の声はなくとも。

 みっともない姿だけは見せらんないから。

 

 

『ではでは、張り切って参りましょぉう!! 明日を占う一大決戦!』

 

「只今より、剣のブロック準決勝戦……」

 

 

 それに。

 

 

『それでも貴方は何度も勝ってきた。知恵を巡らして、劣勢にも折れず、最後まで諦めずに。

 

 そんな貴方の姿を、ずっと観てきたから』

 

 

 こんな俺の背中でも、ずっと見続けてくれてるなら。

 そんな不器用な信頼を向けてくれたヒトが居る、ってんなら……尚更。

 

 

『試合──』

 

「試合──」

 

 

 負けてやれる道理はない。

 

 

『開始でっす!』

 

「開始!!」

 

 

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)

 

 

──来い、景虎!!」

 

 

 

 



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Tales 79【Killing Dolls】

「求めに応じ、景虎──此処に」

 

 

 ひと括りにした紺色の長髪が、冷厳な雰囲気とは対照的にやわらかくそよいで波を打った。

 

 

『開始と共に早速いらっしゃいましたぁ! 三回戦にて目が覚めるほどの大活躍をしてくださいました美少女騎士、カゲトラさん! 以前に引き続いてこの準決勝でも凄絶な剣技を披露して下さるんでしょうかぁ!?』

 

 

 三回戦に現れた将星の再登場に沸き上がる声援に、けれど俺を庇い立つ背筋は、揺らぎ一つさえ見せない。

 戦乱を生きた将軍である故か、それとも。

 正面にて、重く軋む棺の前に立つトトに対しての警戒心か。

 

 

「此度の障害は、かような少女か。しかして、無垢たる者が爪を隠した鷹というのも、ありふれた世の常。アレもまた、その例に(なら)う者か」

 

「あぁ。それもとびっきりにヤバい爪。だから頼んだよ、景虎」

 

「承知」

 

 

 景虎自身も外見からすれば、例に倣う者ではあるんだけど、そんな軽口を叩ける空気じゃない。

 景虎の再現に呼応して、あっちの棺も鈍重な音を立てながら蓋を開かれていく。

 ビロードの質に似た棺の底の暗がりから、夕に焼かれる空の下へと降り立つその姿は。

 一度目にしたら到底忘れやしない。

 

 

「トトを護って」

 

 

 ガチョウの翼を持つ巨大人形。

 死を手向ける聖母像、マザーグース。

 

 

『出たぁぁぁぁぁ!!! 負けじと登場、トト選手のマザーグースッッ! 立ち向かう対戦相手をことごとく薙ぎ倒して来た聖母像の圧倒的な存在感! 果たしてナガレ選手はこの立ち塞がる壁にどう立ち向かってくれるのでしょうかぁ!』

 

「なんつー圧迫感……」

 

「絡繰りとは、奇天烈(きてれつ)な」

 

 

 マザーグースの登場に鼻息を荒くする騒々しい実況も、やけに遠く聞こえるほどのプレッシャー。

 観客席で見るのと、こうして対峙するのではまさに段違い。

 

 さしもの景虎も流石に面食らったのか、言葉尻が鋭い。

 俺を庇い立ちながらも、腰の鞘に手を回して、いつでも抜刀出来るように正面を睨んでいた。

 

 

「マザーグース。トトの敵、やっつけて」

 

 

 囁きを皮切りに、緊張が爆ぜる。

 トトの指先から伸びた淡藤色に光る糸が、聖母像の眠りを覚ました。

 

 

 

────

──

 

【Killing Dolls】

 

──

────

 

 

 

「参る」

 

 

 微かに揺らいだ巨体が、その手に備わる五本指の刃をギラつかせたのと、景虎が目にも止まらない一歩を踏み出したのは同時だった。

 アメジストの眼を光らせて突っ込んで来るマザーグースの勢いは、まるで山が動いているかのようで。

 その威にされど景虎は怯むはずもなく、俊足で駆けながら流れる動作で刀を抜く。

 

 

(シッ)──っ」

 

 

 軌道はどちらも、直線。

 向こうとこっちとじゃ、スケールの大きさが違う。押し潰される未来さえよぎる。

 けれど景虎に躊躇は無い。

 

 振り下ろされる腕と、えぐり上げるような斬撃。

 交わる打点を見据えた互いが躊躇なく攻勢の一打を繰り出して──派手な金音を立てた。

 

 

『開幕の火蓋を切るようなはぁぁぁげしい正面衝突! 拳と剣を勇ましく交える両者の真っ向勝負! そ、それにしても……カゲトラさん、巨体のマザーグースを相手に一歩も引きません! その華奢な身体のどこにそんな力があるというんでしょうかぁ?!』

 

「づ、ァ……!」

 

 

 響く実況の内容通りの、豪快な鍔迫り合い。

 巨体人形と少女のパワー勝負だなんて、いっそ漫画の一ページになってもおかしくない。

 

 だが、こんな滅茶苦茶な光景とはいえ、流石に揺るがない現実というものはある。

 マザーグースの拳を受け止めていた景虎の態勢が、僅かに傾きだしていた。

 

 

「景虎!」

 

 

 切羽詰まって名を呼べば、彼女は受け止めていた刀を態勢で逸らし、聖母像の拳の行方を自分の足元へと流して。

 そのまま、叩かれた地面から舞い上がる砂煙にまぎれながら、大きく後ろに下がった。

 

 

「怪我は?」

 

「心配ない。だが、力比べでは些かに分が悪い」

 

「……流石にね」

 

 

 ほんのりと悔しさを滲ませる景虎だが、そもそも分が悪いで済ませれる時点で色々おかしい。

 いやまぁ、セナト相手にあれだけやってたから正直そこまで心配してなかったけども。

 

 にしても、予想してたとはいえとんでもないパワーだ。

 仮にアレに俺が捕まったら、その時点で敗北確定は間違いない。

 つまりそれは、トト側の手近な勝利条件であり。

 

 

「逃がさない」

 

(くっ、そりゃがんがん攻めてくるよな!)

 

 

 それ故に、向こうは攻めの姿勢を緩めてくれるはずもない。

 再び襲い来るマザーグース、まずはコイツをどうにかしないとまずい。

 マザーグースから距離を取るように右へと全力ダッシュしつつ、声を張り上げた。

 

 

「景虎、関節を狙って!」

 

 

 アレをどうにかするなら、まず弱点らしきポイントを突くべき。

 となれば、真っ先に思い付くのは関節だろう。

 

 

「心得た」

 

 

 マザーグースは、巨大な人形。

 身体は純白なドレスで覆われているが、長い腕の繋ぎ目には、しっかりと関節らしき隙間が備わっていた。

 人形とはいえ人体の構造を模しているのなら、少なくとも関節は泣き所のはず。

 

 指示の意図を理解して、刀を水平に、かつ切っ先を相手に向ける"突き"の構えを作った景虎が、マザーグースの前に躍り出た。

 

 

「穿つ!」

 

「……っ」

 

 

 秒針が動く僅かすら待たず、弓を射る弦みたく肘を引き絞ってから放たれた、高速の突き。

 マザーグースの右腕の関節めがけて瞬く穿光は、着地点を咄嗟に庇ったもう片方の掌によって阻まれてしまった。

 

 

(防いだ……ってことは関節狙いは有効と見ていいな。良し!)

 

 

 あの見てるだけで背筋が凍りそうな突きを防いだトトの糸捌きも、恐ろしいっちゃ恐ろしい。

 それでも攻め所をハッキリさせれたのは大きな収穫だ。

 

 内心でガッツポーズしつつ、マザーグースから逃げていた足を止めることなく、そのまま弓なりにコースを変える。

 目に見えないゴールテープの方向に居るのは、関節部位に続けて思い付くマザーグースの弱点。

 

 

(景虎、そのまま足止めも!)

 

「承知!」

 

『おぉーっとこれは立場逆転でしょうか?! カゲトラさんの息つく暇もない華麗な連続突きに、今度マザーグースが足を止められております! そして──』

 

「……こっちに、来る?」

 

 

 足先を向けた先で、魔力糸での操作に追われていたトトが俺の狙いに気付いたらしく、僅かに見開いた瞳と視線がぶつかる。 

 狙いとは勿論、マザーグースを操る人形使い、トト本人。

 俺がいわば敗北条件そのものなら、その理屈は彼女とて同じはずだろうから。

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】!」

 

 

 景虎が足止めをしてくれているとはいえ、俺の足程度じゃこの距離を埋めるには少々時間が掛かり過ぎる。

 ワールドホリックの維持の為にも、走る労力に体力を使うのも得策とは言えない。

 

 ならば、ここはウチのスピードスターの出番だろう。

 

 

「出番だ、ナイン!」

 

「──キュイ!!」

 

 

 白金の光から再現されるや、甲高く鳴き声を挙げながら俺の隣を並走するナイン。

 言葉にするまでもなく俺の意思を汲み取ってくれたのか、小柄な体躯とは思えないトップスピードで闘技場を駆け抜ける。

 

 

 

『ナガレ選手、ここでナインちゃんを召喚! 実に連携の取れたカウンター、鮮やかな反撃で一気に勝負をかけるつもりでありましょうかぁ!?』

 

 

 普段の俊敏さに拍車を掛けたような疾走ぶりは、まさに"銀色"をした一陣の風。

 あっという間にトトの元へとたどり着くと、今にも飛び掛からんと尻尾の一つを鎌に変えた。

 

 

「キュイ!」

 

「!」

 

 

 ひょっとしたら、ナインもまたお嬢のあの奮闘っぷりに当てられてたんだろうか。

 だとしたら、それは良い事だ。

 勝負にとっても、個人的な心情にとっても。

 だが、そんな邪推に頬を緩める俺の甘さを通してくれるほど……魔女の弟子は容易い相手じゃなかった。

 

 

「【エレメントシールド(精霊壁)】」

 

「キュイ?!」

 

「!」

 

 

 トップスピードからの空中前転。

 全身で躍動した尻尾鎌の刃先を阻んだのは、黄昏よりも濃い橙色の魔力の壁。

 

 お嬢が使うシールドよりも、それどころかあのエトエナと同等なんじゃないかってくらいの『厚み』と『大きさ』。

 それは決して見掛け倒しではなく、ナインの鎌も数瞬の拮抗を作れただけで破るに至らず、やがて後ろに弾かれてしまう。

 

 

『ト、トト選手、恐ろしいほどの高密度の障壁を展開。ナインちゃんの神速の一撃も通しません!』

 

「くっ、魔女の弟子ってのは伊達じゃないね……」

 

 

 ナインが突っ込んで来るってのに、動こうともしない時点で嫌な予感はしてたけど。

 でもこれで少しは景虎も楽出来るんじゃないかと横目で窺ってみるが、そう目論見通りにはいかず。

 

 今もマザーグースと至近距離で斬り結ぶ事により数ヶ所ほどドレスに斬撃を残してはいるが、関節を突くまでには至っていない。  

 いくら景虎とはいえ、生身の人間じゃない相手なんて早々経験がある訳じゃないから、どうしたってやり辛さってのがあるか。

 

 

(……というか、マザーグース動かしながら障壁も張れるって、どんだけ器用なんだよ!)

 

 

 ほんの少し前の自分が言った『とびっきりの爪を隠した鷹』というのが、嫌味なほどに一層現実味を帯びてくる。

 こっちの憶測を軽々越えるトトのスキルに思わず悪態を吐きたくなるが。

 

 

「キュイ!!」

 

 

 こんなもの、あくまで序の口に過ぎない。

 そうと知らせたのは、ナインの焦ったような鳴き声と、唐突に胸中に響いた、虫の知らせに近い直感的な危険信号と。

 

 音もなく俺の足元に広がる──橙色の魔法陣だった。

 

 

「っ……──やばッ!」

 

「【ゼトグレイヴ(逆さの石碑)】」

 

 

 遠くからひっそりと、発動した魔法の名を囁くトトの声が届くよりも前に。

 魔法陣から急速に伸びる、尖鋭に削れた石の刃の先端が、俺の胸元目掛けて差し迫っていた。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 情報ってものの有る無しがどれだけ戦局に左右するかというのは、二回戦のマルスの時に散々身に染みていた。

 だからこそ試合開始前にセリアから聞き及んだトトの扱う『土精霊魔法』についての情報と特徴、そして警告をしっかりと念頭に置けていたんだろう。

 

 そういう意味では、大きく飛び退くことでトトの魔法から逃れる事が出来たのも、警告をなるべく簡潔に纏めてくれたセリアのおかげなのかも知れない。

 

 

 いわく──足元に、常に注意を払うべし。

 

 

(あ、あっぶねぇぇぇぇ!!!)

 

 

 それでも頬に伝う冷や汗と共にしみじみと再確認出来るくらいには、今のは正真正銘、命の危機だったって訳で。

 

 なりふり構わず飛び退いた俺の直ぐ目の前に築かれた、ひと一人くらいの背丈の鋭い縦長の石碑。

 更に一拍置いて、両脇の地面からボコッとえぐれた太い釘状の岩石が、縦長の石碑に磁石みたいに吸い寄せられて、深々と刺さった。

 

 

「うっわ……(なんつーえぐい魔法、セリアに聞いてなかったらヤバかった)」

 

 

 即席で作られたその形は、まるで歪な十字架。

 もし仮に最初の縦長をさっきみたく避けられなかったとしたら。

 腹に一つ、脇腹にそれぞれ左右で二つ。でっかい穴が開いていたのは間違いない。

 心臓がドクンドクンと鳴る音が、嫌にハッキリと聞こえる。

 

 

(というかトトのヤツ、あの状況で更に俺を狙う魔法まで仕込んでたのかよ……)

 

 

 完全にアッチに一枚上を行かれた形になったが、間一髪で王手は防いだ。

 悔しがってる場合じゃないと付いてた片膝を戻しながら立ち上がる俺だったが、トトは攻め手を緩める愚を犯さなかった。

 ただ、次なる標的は俺ではなく。

 

 

「ナガレ殿!」

 

 

 直接俺を狙われた事により、一瞬此方へと気を逸らしてしまった景虎の方だった。

 

 

「マザーグース」

 

「なにっ」

 

 

 温度の灯らない呼び声が呟かれると同時に、マザーグースの巨体がスッと滑らかに後方に下がる。

 マザーグースの挙動に再び突きの構えを作る景虎。

 だが、彼女は追撃に踏み込まない。

 

 いや、踏み込めなかったんだろう。

 マザーグースの背で畳まれていたガチョウの翼が、トトの魔力糸の躍動に合わせて、大きく大きく広がったのが見えたから。

 

 

「踊って」

 

 

 トトの外見には到底似つかわしくない、ゾッとするくらいに冷たい願い。 

 されど聖母像は躊躇なく、願われるままにゴウッと禍々しく音立てて、クルリとその場で一周廻った。

 

 たった一周。派手さもない。踊るにしても淡白なほど。

 けれど……たったそれだけの動きが、ガチョウの翼を周囲を凪ぎ払う凶悪な鎌にしてしまう。

 

 

「──ッッッ!!」

 

 

 踏み込まず構えを作った景虎は、正しかった。

 構えていた刀を水平から斜めへと傾ける事で、直ぐに防御の姿勢へと移れたのだから。

 

 単なる飾りから一気にとんでもない凶器に変わった翼の一撃を、刀で受ける事には成功する。

 でも、いかに景虎と言えどただでさえ力比べでは分が悪い相手。

 そんなのから遠心力も加えた翼の一撃を貰ってしまえば、受け止め切るのは不可能だった。

 

 

「くっ、ァァッ!」

 

「景虎っ!」

 

「キュイ!」

 

 

 横っ飛びになって弾かれた景虎。

 初めて聞いた彼女の苦悩の声に、自分の顔からスッと血の気が引いたのが手に取るように分かる。

 しかし焦りに焦った俺の予想とは裏腹に……そのまま器用に空中で身体を捻り、綺麗に着地してみせた。

 

 え、どうなったんだ、今の。

 

 

「景虎、大丈夫?」

 

「っ、問題ない。多少は上手く流せた」

 

 

 慌てて駆け寄った俺の目に映る横顔は、確かに深刻そうな色はない。

 てことは彼女の言葉通り、あれでもきっちり受け流せたって事、なんだろうか。

 どういう身体能力してるんだよと都市伝説相手に身も蓋もない指摘をしたくなるが、それ以上に安堵が勝った。

 

 

「ま、マジか」

 

「誠だ。しかし……」

 

「キュイ……」

 

 

 けれど、その横顔にはじんわりと苦々しいものが滲んでいる。

 俺と同じく駆け寄ってきたナインも、言わんとする事は景虎と同じだろう。

 

 

「容易ではない手合だ」

 

「同感」

 

「キュイ」

 

 

 景虎の刀術を凌ぎ、ナインの鎌を跳ね返す障壁、俺を直接狙える魔法も扱う。

 しかもそれをほぼ同時に。

 マザーグースの攻撃も俺に対してならほぼ必殺レベルの威力で、翼を使った広範囲の凪ぎ払いも可能。

 更にまだまだ隠し球を持ってる可能性もある。

 

 

……厄介どころの話じゃない。

 

 

(攻守隙なし。どうするよ、これ)

 

 

 トト、そしてマザーグース。

 魔女の弟子と全身凶器の聖母像。

 正真正銘。

 この大会における──最大の難敵だった。

 

 

 



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Tales 80【狭間の少女】

 

 

 ずっと大事にしてくれるって、約束したのに。

 

 

『向こうに着いたら、また遊ぼうね』

 

 

 また遊ぼうって、約束したのに。

 

 

『狭い中だけど、我慢してね』

 

 

 狭い箱の中でずっと待っていたのに。

 箱の外にはもう、あの娘はどこにも居なくて。

 なんだお前って言いたげな、箱を破ったカラスの目がこっちを見てただけだった。

 

 

──今、あなたの後ろに居るの。

 

 やっと会えたのに。

 笑顔を向けてはくれなかった。

 遊ぼうね、って約束したのに。

 おかえり、っていって欲しかったのに。

 

 ピカピカのあの娘のお家には。

 買ったばっかりの、新しい。あたら、しい──

 

 

「……」

 

 

 夢と現実の境目すら、あやふやに溶けていく。

 

 

 一束の髪が崩れる音さえも、聞き逃さないくらいに静かな世界。

 ひっそりとした夜とも違う、色彩も音もない、独りぼっちの寒色。

 微睡みが薄らんでいくエメラルドの瞳でさえ、何も映さないくらい伽藍堂の暗闇に彼女は居た。

 

 

「……」

 

 

 何もないのが、何もかもを枯らしていくようだった。

 

 此処も、膝を抱いて蹲ってる彼女の心も。

 逃げているのは紛れもなくこの足なのに、光から締め切られているような、物悲しい気持ち。

 

 どこを見ているかの感覚も迷子になる其処に、いつか大事にしていた温度はない。

 膝を抱く腕をより強めると、傷んだドレスの端の衣擦れが響く。

 何かがすすり泣く様な、さめざめとした音だった。

 

 

「ナガレ……闘って、るの?」

 

 

 投じた声に、答えが帰って来るはずはない。

 感覚だけが伝える彼の現在に耳を澄ませば、ぼうっと白んだ彼女の表情が、ゆっくりと悲哀に染まっていく。

 

 闘っている。伝わった感覚が教えてくれた。

 苦戦していることも。

 そんな彼を守護すべく、隣に立つ強く清廉な少女のことも。

 

──逃げるように、膝に顔を(うず)めた。

 

 

「……」

 

 

 自分じゃどうすることも出来なかった相手(セナト)を、鮮やかに倒してみせた少女。

 あのナナルゥが目を輝かせて褒め称えたくらいに、強い都市伝説。

 きっと、敵わない。

 それが悔しくて、どうにもならなくて。

 

 

『メリーさんみたいな弱い、お人形は……

 

……やっぱり、邪魔?』

 

 

 聞いた癖に。一方的に。

 でも、答えを聞くのが恐かった。どうしようもなく。

 ナガレに与えられた蝶のブローチを、すがるように指先で確かめる。

 

 

「……私……、──」

 

 

 完成しない常套句が、告げる相手を見失って未完成のまま、静謐な闇に溶けた。

 このままを望まないのに、いつかの哀傷に許されない。

 淡水だけが満たされた何もない水槽の様に、意味を為さない空っぽの隅っこ。

 

 

「捨てないで……」

 

 

 彼女に出来たのは何もしない事だけだった。

 物言わぬ人形の様に、ただ其処に在るだけ。

 頭に留まった作り物の蝶が、羽ばたくこともないように。

 

 

──そんな、人の形をしただけのモノを見て。

 

 

【キヒヒッ】

 

 

 蠢く闇が。

 

 

【キャハハハハハ!】

 

 

 ケラケラと嗤った。

 

 

 

 

 

────

──

 

【狭間の少女】

 

──

────

 

 

 

 

 

「『器に流るる赤い砂。上から下へ、逆はなく』」

 

 

 お前は神経が図太過ぎる。

 

 

「『尽きた叫びはいずこにも。悔いも恨みも数多に(あらわ)に』」

 

 

 悪友達を都市伝説の調査に巻き込む度、こめかみに青筋浮かべながら告げられてきた褒め言葉を今、走馬灯みたく思い出してる。

 

 

「『故に鎮める為の土塊(つちくれ)。使い回しの象徴を』」

 

 

 アイツらに、鋭い右ストレートと共に押し続けられた太鼓判は……確かにあながち間違ってなかったかも。

 

 

「『眠らぬ魂に捧ぐ、揺りかご代わりの永久(とわ)を今』」

 

 

 じゃなきゃ、今頃ぽっきり折れてる。心ごと。

 

 

 

 

 

「ナガレ殿、また来るぞ!」

 

「分かってる!」

 

「【ゼトグレイヴ(逆さの石碑)】」

 

 

 バキンッと足元から生えた石の凶器が、執拗に命を食い破らんとするのを避ける度、メタボリックな俺の神経とやらもガリガリと磨り減っていく。

 しかも、トラウマさえ覚えそうな石の十字架をなんとか避けたとしても。

 

 

「【土の精霊よ(グランノーム)】」

 

「げっ」

 

 

 ぼうっと橙色の魔力を人差し指に灯したトトが、ぽつりと呟きながら虚空に指で十字を切る。

 それを合図に目の前の十字架の細かな裂け目を、オレンジ色の光が滑らかに巡ったかと思うと。

 

 

「……どっかん」

 

 

 凄まじい炸裂音を響かせながら、内側から爆ぜた。

 

 

「ぐっ──!」

 

「キュイ!」

 

 

 十字架を避けたところに迫り来る、疎らな大きさの破片の雨。

 咄嗟に俺を庇う様に飛んだナインの、振るう尾の鎌がその悉くを打ち落としてくれる。

 けれど流石に破片全てを叩くことは出来ず、打ち漏らした鋭い破片が頬を掠めた。

 

 

「っ……」

 

『炸裂ぅぅ! またもトト選手の、休む暇を与えない連続魔法。しかしナガレ選手側も、その殆どを防ぎ切る! 素晴らしい攻防です!』

 

 

 頬から垂れる血の一筋を拭いながら、苦々しく息を吐く。

 築いたオブジェを近距離で破裂させ、砕けた破片を弾丸の雨にして追撃という容赦のない二段構え。

 ひとつひとつの攻撃が殺意高過ぎてヤバい。

 さっき初めてこの厄介なコンボを披露された時にも、ナインと景虎が防いでくれなかったら、今頃控え室に運ばれていただろうし。

 

 

「マザーグース」

 

「ちぃッ……歯痒いことを」

 

 

 挙げ句、景虎が少しでもこっちに意識を裂けば、間隙を突く翼の大振りが飛んで来る。

 刀身で受けるもパワーに圧された景虎が、ズザザッと土煙立てながら此方に大きく後退したのを見て、いよいよ後がなくなってきた。

 

 

(トトの魔法はあれだけじゃないはず。けどもう、悠長に相手の情報を引き出してる暇なんかない)

 

 

 トトの魔法とマザーグースの広範囲制圧。

 ジリ貧としか言えない。

 景虎とナインの同時再現でスタミナも逐一削れていくし、どっかしらで反撃の手立てを組み立てないと敗色は濃厚だろう。

 

 

(……覚悟を決めろ。打って出るか、このままやられるか。どっちにしろ死線を潜るぐらいなら──図太く行ってやるよ)

 

 

 迷いはあっても、迷っていられない。

 選び取るのはいつものハイリスク、ハイリターン。

 決意ごと、鞘から抜いたショートソードの柄を硬く握り締め、仲間達にリンク越しにプランを伝えた。

 

 

(……キュイ)

 

(誠か。虎穴に踏み入る、と)

 

(虎児を得るにはね)

 

(やんちゃ者め。だがその意気や良し)

 

 

 ナインも景虎も、作戦内容に多少驚いたようだがすんなりと応じてくれた。

 彼女らも旗色の悪さに何かしらの打開策が必要だと感じていたらしい。

 

 肩越しに何故だか(くすぐ)ったそうに喉を鳴らすと、「ならば応えてみせよう」とばかりに頷いてみせた。

 じゃあ御言葉に甘えて、作戦開始を知らしめる合図を紡ごう。

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 駆ける。

 身体の悲鳴なんて置き去りにしてやるとばかりに駆ける。

 ぶれる視界で先頭を駆ける背中に置いていかれないように。

 いや、ひとまずのゴールはその先。

 幽鬼の如く立ち塞がる巨大な壁に向かって、駆け抜ける。

 

 

『おぉぉ?! ナガレ選手陣営、同時にマザーグースへと突っ込んでいくー!! 自棄か、それとも……!』

 

「ん……関係ない。マザーグース」

 

 

 動揺してくれれば儲けものだったが、さしてそういう様子もなく。

 トトは淡々と魔力糸を舞わせ、再びあの翼を振るわんとマザーグースの巨体が身構える。

 まとめて凪ぎ払うつもりか。

 

 

「いっけぇッ!!」

 

「無意味」

 

 

 ならばとばかりに、手に握っていたショートソードをマザーグースに向けてぶん投げてやる。

 聖母に投擲だなんて端から見れば罰当たりな行為は、虫を払うような無造作な動きで、聖母の凶手に軽々と弾かれた。

 

 

「景虎っ!」

 

「承知」

 

 

 でも問題ない。本命は別。

 投げた剣の行方には目もくれず、手早くショートソードの鞘を景虎に投げ渡す。

 最小限の動作で"反撃の鍵"を受け取った聖将が、一瞬微かな笑みを浮かべて、大翼の範囲に踏み込んだ。

 

 

「させない」

 

 

 接近する景虎に素早く反応したトトが、再びあの暴虐なターンを踊らせる。

 横に紐解かれたギロチンみたく翼が、景虎の側面に襲い掛かるが。

 

 

「毘沙門天の加護ぞ在り」

 

「!」

 

 

 よりはやく、ふわりと宙に紺碧の流星が跳び上がり、翼の軌道から逃れて。

 そのまま、手に握ったあの鞘を、ターンによって無防備になっているマザーグースの肩に目掛けて放り投げた。

 

 さすが景虎。

 タイミング、位置、ドンピシャだ。

 

 

「今だ、『エイダ』!」

 

「わ、わわ分かってるしぃ!」

 

 

 反撃の鍵。

 それはつまり、突撃かます直前に"俺のシャツの中"へと再現し、そっから鞘に移り潜ませていた三つ目の都市伝説。

 

 

「……生えた?」

 

『ふぁい?! ちょっ、鞘から女性がにょきにょきっと?!』

 

 

 合図と共に鞘からニュッと顔を出したエイダが、吃りながらもマザーグースへと落ちて行く。

 常識外れの光景に、ミリアムさんだけじゃなくトトまでも面食らっているらしい。

 

 マルス戦で一度見たことがあるとはいえ流石に意表をつかれたって事なんだろうが、なんにせよ少しでも隙作ってくれるなら好都合。

 その隙に垂らした水滴みたく落ちたエイダは、マザーグースの石肌と纏うシルクの狭間に潜り込む。

 

 

「マザーグースに、なにする────っ!?」

 

『お、おぉー?! また何がなんだかさっぱりですが、一体どうした事でしょう! トト選手のマザーグース、なんだか動きがぎこちないようですが……?』

 

 

 マザーグースに魔力糸を振るうが、描いた通りの動作にならない事に、トトの瞳が初めて大きく見開かれた。

 勿論その原因はエイダだ。

 いや、正確にはエイダが現在潜んでいる隙間……もとい脚部の『関節』。

 

 糸で操るといっても人形である以上、動作の駆動要所は関節であり弱点でもあるのは言うまでもないだろう。

 ならその関節の隙間にエイダを潜ませることによって、いわゆる"詰まった状態"を作り出せるかも知れないんじゃないかと。

 

 

「なんで、なんで! トトの言うこと聞いて!」

 

(……よっし! ナイスだエイダ!)

 

 

 で、結果はご覧の通り、上手くハマった。

 移動の自由を多少なりとも奪えたのは大きい。

 この成果に思わずリンク越しにエイダを労ったんだけど。

 

 

(よっしじゃないしご主人様ぁ! 身体のあちこちミシミシして痛いし! 超痛いしぃ! するなら早くシて欲しいしぃぃぃ!!)

 

(あ、はい。ごめんエイダ、もうちょい我慢!)

 

(はやくぅぅぅぅ!!)

 

 

 ぶっちゃけ、喜んでる場合じゃなかった。

 関節に挟まるってことはつまりサンドイッチの具の状態になるからか、隙間女であるとしても相応の痛みを味合うらしい。

 

 

「ナイン、やるよ!」

 

「キュイ!」

 

詠唱破棄(スペルピリオド)!」

 

 

 そうと決まればやることはひとつ。

 機を逃さず、ここで一撃叩き込む。

 

 

「キュイィィ!」

 

エアスラッシュ(空裂く三日月)!!」

 

 

 放つのは、保有技能【一尾ノ風陣】を使った高密度の風の刃。

 本気のセナトには斬り飛ばされたが、逆に言えばあのセナトですら全力じゃなきゃヤバいと判断した威力があるって訳で。

 

 いかに頑丈そうなマザーグースとて、直撃させれば相応のダメージを与えられるだろう。

 

 

「ママから離れて!」

 

 

 しかし、トトがマザーグースに迫る凶風をみすみす見逃してくれるはずもない。

 

 起伏の少ない今までとは明らかに異なる叫び声を上げると、トトの指から糸の繋がる先へと一際強い光が、流動する様に発光した。

 糸に繋がるマザーグースの両眼や身体の節々から、まるであの、爆ぜる直前の石十字みたく淡藤色の光が漏れ出して。

 

 

(うぇっ?! な、なんだしっ、なんか光が流れ込んで来てるし?! ぐぐぐ、ぐっ、身体が、引き剥がされて……!)

 

「ぐぇっ!」

 

「エイダ!?」

 

 

 引き剥がされる、ってどういうことだよ。

 そんな疑問を浮かべる間もなかった。

 関節に潜んでいたはずのエイダが、ほんの一瞬でマザーグースから遠くへと弾き飛ばされてしまったのだから。

 

 

(エイダが弾かれた?! 剥がされたって……もしかして、あの糸で送り込んだ膨大な魔力で関節の『隙間』を埋めたってのか?! どんな力業だよ!)

 

『え、えぇっとぉ?! 今度はマザーグースからあの女性が生えて、しかも吹っ飛んで?!……うぅ、あたま追い付かない、実況殺し過ぎますよさっきからぁ!』

 

 

 理由はともかくエイダが弾かれたのはマズい。

 即ちそれはマザーグースが再び自由を取り戻したって訳で。

 

 

「飛んで、マザーグース」

 

「んなっ……!」

 

『なんですとぉぉぉ!!!?』

 

 

 風刃は後少しで直撃という所で、大きく翼をはためかせ、宙に飛び上がった聖母像の影のみを裂くだけだった。

 いや、飛んだといっても流石にその巨体で空中に留まる事は出来ないみたいで、さっきよりトトの方へとすぐに着地したけれども。

 

……体躯に見合わないハイジャンプまで出来るとか、どんだけ出鱈目なんだよ畜生。

 ともあれ、マザーグースにとっておきの一撃を食らわせるって作戦は、失敗に終わった。

 

 

「くそ、あそこまで追い詰めたってのに……!」

 

「ママを壊そうとした……後悔させる。骨の髄まで」

 

「ひぃぃぃ!」

 

「キュイ」

 

(……滅茶苦茶怒ってる。いやまぁ、触るだけであの反応だったんだから当然っちゃ当然だけど)

 

 

 一足早く冬が来たんじゃないかと、肝も背筋も凍りつくかの様な錯覚を誘う、トトの小さな呟き。

 けれど精巧な人形ほど整った顔から放たれる怒気は凄まじく、エイダはともかくナインでさえ(すく)み上がってるくらいだ。

 

 糸の繰り手の憤慨が伝って、心なしか聖母像から放たれる威圧感も増してる気がする。

 凶手に備わる五本刃指が、これから訪れる復讐の時を今か今かと待ち焦がれるかの様に、冷たく光った。

 

 けれども、まだ終わっちゃいない。

 

 

「骨の髄まで、か。そりゃ流石に勘弁。ただでさえアンタのお蔭で神経磨り減ってんだし」

 

「……つまり、降参?」

 

「いやいや、んな訳ないでしょ」

 

 

 確かに、マザーグースをどうにか出来てれば話は早いし、それだけに失敗は手痛い。

 でも、マザーグースの打倒が難しいのは予測出来たから、あくまで『出来れば』という副次的なモノ。

 

 

「やっとアンタに手が届いたんだから」

 

 

 つまり、作戦の"標的"は最初っから『虎児』。

 一番の狙い所から逸れちゃいない。

 

 

「…………っ!

 

────騎士が、居ない」

 

 

 時に、怒りっていうのは周りを見渡す余裕を削る。

 

 感情起伏の乏しいらしいトトにとっちゃ皮肉な話だが。

 もし彼女が怒りに囚われることがなければ、もっと早く気付けていただろう。

 エイダやマザーグースの操作に気を取られて、見失う事もなかったんだろう。

 

 

「騎士に(あら)ず」

 

 

 トトの背後まで壁伝いに駆け抜けて、そこから壁を蹴り飛矢の如く肉薄する景虎の存在に。

 

 

「っ、エレメント──」

 

「この身は、ただ一振りの武士(もののふ)なり」

 

 

 幾ら頑丈な障壁でも、未完全な状態じゃ景虎の刀を防ぎ切ることなんて叶わず。

 ぶつかり合った衝撃の余波で、トトの身体は軽々と宙に舞い上がった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 初の三体同時再現。

 それぞれの都市伝説を駆使した連携。

 薄氷の上を渡るような出たとこ勝負だったけども、なんとか想定通りに進んだ。

 

 しかし幾ら勝つためとはいえ、流石にピアとそう年の変わらない少女の怒りを誘う真似は、心苦しいものがある。

 手段選べる相手じゃなかったけれども、胸の内に広がる後味は……苦い。

 

 

 それでも、これで王手。

 後は地に転がるトトを、降参させるだけ。

 

 

「……くっ、まだ………………、────ぁ……」

 

 

 そう、思っていたのに。

 

 

──おい、なんだよ、アレ。

 

──……おいおい、嘘だろ……

 

──ちょっと、あの娘の頭から生えてるのって……!

 

──わー、お母さん見て見て。あの女の子、頭に……

 

 

 

 徐々に広がる、悲鳴混じりのざわめき。

 当惑と躊躇と恐怖を溶かしたような、べったりとした空気。

 

 よろめきながら立ち上がろうとしているトトの表情から、サァ、と色が抜け落ちていく。

 小さな唇が微かに震えるのが、よりハッキリと見えて。

 

 

「ぁ……あぁぁ……」

 

 

 彼女の頭から浮き上がる、内巻く(うるし)の、"羊の角"。

 

 

 

 ここに至って、理解した。

 

 

 何故、彼女があんなにも厚いローブを羽織っているのか。

 隠したかったのだと。見られては困るものだったのだと。

 

 

 俺が、暴いてしまったのだと。

 

 

 

 

 

────魔物憑きだ!

 

 

 

 

 どこからか放たれた言葉が、鼓膜に刺さった。

 

 

 

 



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Tales 81【愛亡】

「魔物憑きだ!」

 

 

 魔物憑き。

 その言葉が指す意味の重みは、生半可ではない。

 

 

「トトって子、人間じゃないの?!」

 

「あの角を見れば分かるだろ!」

 

「単なる飾りじゃないのか?!」

 

「うそ……魔物憑きだなんて、本当に居るんだ……」

 

 

 もしこの世界の法則が、感情そのままを色に出来るものだとしたのなら。

 自分は音もなく瞼を閉じるだろう。

 そうセリアが確信出来るほどに、会場内に伝播していく感情の波は、恐れと拒絶ばかりに淀んでいく。

 

 

「魔物、憑き……? あの、トトという者が魔物とどう関係してるというんですの?」

 

 

 だからこそ眉を潜めて素直に尋ねるナナルゥの姿に、どこか救われたような心地になれたのかも知れない。

 例え一時凌ぎの心模様だとしても。

 

 

「……関係、か。まぁ、ざっくり言うなら……人間と魔物の『混血』やね」

 

「魔物との混血?!」

 

 

 魔物憑き。

 禁忌を意味する言葉の重みは、生半可ではない。

 ジャックやエトエナのみならず、あのクイーンですら闘技場に視線を向けたまま、口を開かず。

 疑問に答えたエースですら、飄々としたいつも笑みを欠片も浮かべてやいないのだから。

 

 

「お、お待ちなさいな。魔物と交わって命が宿るなんてこと有り得ますの? 魔物は、死を迎えれば亡骸すら残さない異端の生き物。人間とでは……いいえ、我々エルフでさえ、生物としての種が違い過ぎますわよ!」

 

「ん……それはちと間違うとるんよ。実は強力な魔物の中には亡骸を残す種類もおるんや。かなり珍しいけどな。フォルの持っとる『メゾネの剣』について、キングから話は聞いたやろ?」

 

「そ、そういえば……【紅い女王】というドラゴンの片翼が元だと言ってましたわね」

 

「せやせや。ま、つまり……トト嬢ちゃんの片親は、高位の魔物なんやろな」

 

 

 エースの説明をなぞれば、高位の魔物とはあれほど苦戦を強いられたミノタウロス、元となるワイバーン以上の魔物。

 それだけに途方もない存在に感じられて、ナナルゥの表情が次第に青ざめた。 

 

 

「にしても、噂の魔女の弟子の正体が魔物憑きとは思わんかった。あのエルフ並みの魔力密度も納得や」

 

「納得?」

 

「魔物憑きの特徴は角とかだけやなく、純粋な保有魔力の多さもあるっちゅーこと。細かい話は後にしよか。とりあえず今は……ナガレ君の心配、する方がええと────」

 

「!」

 

 

 まだ試合は終わっていない。

 そのことをエースが注釈しかけた時だった。

 魔力の流れに一際鋭いナナルゥでなくとも気付けるほどに、急速に膨れ上がっていく魔力が。

 

 

『あぁぁぁぁァァァァァ!!!!』

 

 

 世界全てを拒絶するかの様なトトの慟哭と共に、弾けた。

 

 

 

 

 

────

──

 

【愛亡】

 

──

────

 

 

 

 

《……ねぇ、あの子でしょう? 例の開発計画のとこの……》

 

『トトって子、人間じゃないの?!』

 

「嫌……」

 

 

 

 なんでだろうか。

 

 

 

《なんでも都市伝説だとか、奇妙な話を調べて回ってるそうよ》

 

『あの角を見れば分かるだろ!』

 

「見ないで……」

 

 

 なんだってこんな時に、こんな昔の苦ったらしい思い出なんかがよぎるんだろうか。

 

 

《みたいねぇ。"あんなことがあった"んだもの……気でも触れちゃったんじゃないかしら》

 

『単なる飾りじゃないのか?!』

 

「……やめて」

 

 

 当に振り払ったはずの、とっくに昇華し切ってたもんだと思ってたのに。

 

 

 

《……それにしても、薄情な母親よねぇ。まだ小学生だって言うのに》

 

『うそ……魔物憑きだなんて、本当に居るんだ……』

 

「どうしてそんなに……恐い目で、トトを見るの……」

 

 

 瓶の片隅に残り続けていた黒々と溶ける泥を、無神経にスプーンでかき混ぜられている様な苛立ち。

 目を開けたままに見る白昼夢に(うな)されているみたいで、思考を引き寄せられない。

 

 広がり満ちたこの肌刺すような空気に、つい囚われてしまったんだろうか。

 それとも。

 

 

《……可哀想に》

 

『ば、化け物!』

 

「ひっ────」

 

 

 過去に首根っこを掴まれるぐらいに。

 俺は何も進んじゃいなかったって事なのかよ。

 

 

「あ、あ、ぁ…………違、う……違う、違う!! トトは……化け物なんかじゃない!」

 

 

 そんな体たらくに陥ったもんだから、自身を抱き締めながら震える少女の異変を察知するのも遅れてしまって。

 

 

「あ────あぁぁぁぁァァァァァ!!!!」

 

「くっ、これはっ」

 

「キュイッ!?」

 

「ひィィィ!?」

 

 

 聴覚がトトを絶叫を捉えた瞬間、目の前が爆ぜた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「ぐっ……ゲホッゲホ……」

 

 

 キーンとつんざく耳鳴りのせいで、自分の口から出てる言葉も聞こえない。

 巻き起こった砂煙に喉を焼かれて咳き込みながら周りを見渡せば、厚い煙のカーテンに視界すら塞がれていた。

 

 

「……」

 

 

 何が起こってこうなってんの。

 混乱に飛んだ数秒間の空白を、手繰り寄せるまでもなく。

 徐々に視界が晴れると同時に映る『何か』の輪郭と共に、理解していく。

 

 遠目に立っているのに、砂霧の中でさえ濃く影が浮かぶほど、色濃い魔力の紫光に縁取られている小さなシルエット。

 遮る幕が風に剥がされた先で、虚ろな表情のまま幽鬼の様に立つ、羊の角を持った黒衣の少女。

 

 トト・フィンメル。

 俺は、アイツに吹き飛ばされたんだ、って。

 

 

(……冗談だろ)

 

 

 フィールドを見渡せば、至るところにえぐれた形跡が出来てる。

 トトの衝撃波じみた魔力による影響だろう、多分。

 詠唱は無かったし。

 でも、だとしたら魔力だけでこの有り様って事なのかよ。 

 

 

(ご、ごごご主人様!)

 

(キュイー!)

 

(……無事か、ナガレ殿)

 

(なんとか。けど……)

 

 

 最悪な事に、みんなバラバラの方向へと吹き飛ばされたと来てる。

 幸い大きなダメージは無いらしいが、こんな混乱した状況で各個に分断されてるのはまずい。

 

 いや、違う。

 現状で一番まずいのはあの、異常な雰囲気を放つトトそのものだ。

 

 沈む夕陽の茜でさえ温度を感じなくなる冷淡な気配。

 感情の何もかもを業火にくべたようなアメジストの眼差しに見抜かれて、冷たい汗が頬を伝った。

 

 

「一体なんだよ今の!」

 

「なに? 何が起きたの!?」

 

「闘技場が滅茶苦茶に……アイツだ! アイツがやったんだ!」

 

「今の魔力……ほ、本当に、魔物憑きなんだわ!」

 

 

 当然といえば当然だが、混乱してるのは俺達だけじゃない。

 単なる動揺では片付かない観客のざわめきには、少なくない嫌悪と怯えが含まれた。

 

 

(魔物憑き、って……)

 

 

 魔物憑き。

 それが何を意味するかなんて俺には知る由もないけど、どういう捉え方をされているのかは想像出来る。

 目を向けるのも嫌になる程に周囲に渦巻く嫌悪と怯え。どう転んだって好意的な響きじゃない。

 

 

「うるさい」

 

 

 そんなものは、言葉を捨てられた本人の、感慨全て削ぎ落とした呟きを耳にすればすぐに分かる。

 

 地の上に立ってるのに、深海に沈められるかの様な心地に陥る、冷たい声。

 斜光に照らされた空虚な表情が、くしゃりと歪む。

 

 

「うるさい。うるさい。ウルサイ……目障り、耳障りなだけ。お前たちの言葉なんて」

 

 

 伸ばした糸で物言わぬ聖母像を傍らに引き寄せ、温度のない凶手に、そっと掌を重ねて。

 棺の住人へ向ける『無垢な一瞬』に、何故だか、目を逸らしたくなるような強い"既視感"を覚えた。

 漠然と感じた感覚に、過去から答えに手が届く、それより前に。 

 

 

「いらない。いらない……………全部、全部、いらない。トトには、お師匠様と…………ママが居れば、どうだっていい」

 

 

 締め付けられる心臓が、アラートみたく危機を告げた。

 

 

「いらないものなら────壊してもいいよね、ママ」

 

(角が、光って……これ、絶対ヤバい!)

 

 

 激情に鳴動してトトの身に訪れた変化は明確だった。

 

 まるでワールドホリックの再現時みたく淡藤色に輝く魔力がトトの周りを逆巻くと、彼女の角が赤朱と染まる。

 俺にでも肌で感じれるぐらいの魔力の暴風。

 だというのに直感する、これでさえ嵐の前の静けさ。

 単なる予兆に過ぎないのだと。

 

 気付けば本能のままに、口からもリンク機能越しにも叫んでいた。

 

 

「……っ、皆、足元! 死んでも避けろぉ!」

 

「【土の精霊よ(グランノーム)】!」

 

 

 

 しゃがみ込んだトトが、両手の平を足元に置いて酷薄と紡ぐ。

 確かな憎しみを秘めた呪文は、大地を更に狂わせる呪詛だったんだろう。

 ただでさえ荒れた地面に、狂暴にうねる"竜"が住み始めたのだから。

 

 

(なんだよこれ……地面で土竜(もぐら)か蛇でも走ってんのか?!)

 

 

 バキバキと削岩の音を立てて、地中を何かが這い回ってる光景に思わず面食らう。

 しかも、地を荒らす脈線は、一つだけじゃない。

 トトの周囲にてとぐろを巻いてる蛇らしき何かの数は、"十"にも及んでいた。

 

 

「まずは……ママをおかしくしようとした、お前から」

 

「ひっ」

 

「まずい──エイダ!」

 

「じょ、冗談じゃないしぃぃぃ!!」

 

 

 無情な宣告を皮切りに、とぐろを巻いていた土蛇達が──標的とされたエイダに向かって殺到する。

 一斉に、扇状に広がって伸びる地影の群れは、まるで鼠一匹すら逃がさないという意志すら感じるほどで。

 

 

「に、逃げ道が……」

 

「景虎、鞘をエイダの方に!」

 

「心得ている! だが……」

 

 

 しかも、動きが滅茶苦茶に速い。

 逃げる時間も与えられず、あっという間に土蛇達に四方を囲まれてしまったエイダ。

 彼女に何とか逃げ場を作ろうと景虎の近くに落ちてた鞘を、拾って投げて貰おうとするが。

 

 

「遅い」

 

 

 それよりも速く、土に潜んでいた蛇の群れが揃って顔を出す。

 いや、顔というには目も鼻もない、ただの細長い土塊(つちくれ)と言えるほどに無機質で。

 まるで中心にへたりこむエイダを、握り潰そうとする両手の指の様に見えて、直感する。

 トトのあれは生き物ではなく、魔力糸に岩や土を接着させているのだと。

 

 

「ぁ……これ、詰んでるし……」

 

 

 だが、それが正か否かは今、どうでもいい。

 このままでは間に合わない。

 投げた鞘にエイダが潜むよりも速く、エイダ自身が潰されてしまう。

 

 

「まず一人目」

 

「させるかっ──【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】!」

 

 

 そんなこと、みすみす見過ごしてやれる訳がない。

 巨大な岩の両指がエイダを食い破らんとする前に、声高に叫んだ。

 

 

「【プレスクリプション(お大事にね)】!」

 

 

 緊急の帰還指示。

 咄嗟の願いはしかと届いたらしく、轟音立てて岩の爪が押し潰した其処に、既にエイダの姿は無かった。

 

 

「……逃げられた?」

 

「ま、間に合ったか……」

 

 

 ギリギリ、間一髪。

 なんとか間に合ってくれた事に、思わず安堵の息が漏れる。

 

 

「……構わない。それなら──次は、お前の番」

 

「チッ……そりゃそうか」

 

 

 

 けど、勿論状況は何一つ好転していない。

 むしろ頭数が減って戦力低下。

 しかも次の標的として選ばれる分、危険な状況は増している。

 景虎の位置がさっきよりも大分俺の近くに来てくれてはいるけども、合流したとして、トトの攻撃に対する突破口は、まだ見つけていない。

 

 

「ママを壊そうとしたお前も、許さない」

 

(とりあえず、孤立したままじゃ打開も糞もない。ナインに足止めを期待したいけど、トトから離れてるし、厳しい。なら俺を気にせず、警戒と回避を────)

 

 

 だが。

 危機は尚、拍車をかけて押し寄せて来るもので。

 

 一先ずは合流を優先するべきと駆け出そうとした瞬間────視界がぐらついた。

 

 

「──ぐッ、ぁ……ッッ」

 

「ナガレ殿!?」

 

「キュイィ!!」

 

 

 最悪だった。

 目の奥が揺れる、食道が焼かれる、脳漿に釘が打たれる、そんな錯覚が一気に迫り上がってくる激痛と不快感。

 ドクドクと血脈が弾んで、冷たい汗が一気に身体中から溢れ出す。

 まともな踏ん張りも効かない足が縺れて、膝から崩れ落ちた。

 

 

(しまった……! なんつータイミングで……!)

 

「くっ、間に合うか」

 

「……【土の精霊(グランノーム)】」

 

 

 ここに至って、三体同時再現のフィードバック。

 立ち上がるのも困難なほどの反動にもがき苦しむ俺に向けて。

 

 地を這う蛇達が迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ息絶えた色の中で、黒々洞と広がるだけの闇から覗く、逆さまの仮面。

 不誠実に笑う口元と、大きな大きな緑の濁った目玉。

 愉快で不愉快で仕方がない。

 相反を成立させながら鉤爪をかき鳴らす、招かれざる異形の者。

 

 

「ブギーマン……」

 

 

 あらゆる不協をへばりつける、恐怖の体現者の名を。

 メリーは茫然と呟いた。疑問を繋げて。

 

 

「なんで、貴方が此処に居るの……?」

 

 

 此処はメリーが自らの保有技能によって依り代としているナガレのスマートフォンの内部。

 アーカイブの中とは別の、彼女だけの特別室。

 他に入り込める筈も余地もないのに、どうして。

 

 

【ナンデ? なんでだって? 忘れちゃったのかい? 酷い、非道いよ、悲しくて吐き気がして涙が出るほど喜ばしいなァ】

 

 

 目的なく、貶めるだけを愉しんでいるように、無音地帯に聴くに耐えない嘲笑を響かせる。

 在り方そのものからして、正しさがない。

 

 

【この僕わたしオレは皆ご存知、恐怖の代名詞ブギーマン様ですよ? 我恐怖、故に我あり! 芳醇で濃厚な恐怖心がある所なぁらどこにだって…………現れるに決まってんだろ? クヒッ】

 

 

 入り口も出口も見当たらない一面の闇から現れるという『超常的な事象』は、彼にとってはむしろ自然な事である。

 しかし、そんなのお前も同じ穴の狢だろうと言いたげに、怪物は少女人形を優しく冷酷に見下した。

 

 

「……何しに、来たの」

 

【何しに? さァ? 何でだろー何でかなァ? こーんなとこに引きこもって、捨てられちゃうかもぉって、恐怖心をプンプン漂わせてるガラクタの顔でも見に来たのかなァ?】

 

「違う! ナガレの相棒はメリーさん……棄てられなんかしない、の」

 

【相棒……アイボーねぇ。キャハハハハッ! 本当は、捨てられるかもしれないって疑ってる相手を、『相棒』とは! カカカ、これは傑作だヨ! 傑作じゃないかィ!】

 

「ち、違うの! ナガレを疑ったりなんてしてない!」

 

【キヒッ、嘘うそウソ真っ赤っ赤! じゃあ、そもそもなーんで"『持ち主』と『人形』じゃあなく……"

 

『相棒』なーんて、人間臭い関係にこだわる必要があるんだィ、お前】

 

「────」

 

 

 恐怖とは、剥き出しだからこそ本音で。

 至極戯れに興じる口振りの癖に、相手の本質を抉る。

 だからこそ誤魔化しなんて通用しないと、ブギーマンはせせら笑う。

 

 

【ギャハハハハハ!!! ほぉら、わっかり易い。

飽きたら? おニューの玩具が手に入れば?もっと便利な道具が手元にあれば? きっとポイって棄てられる。

それが恐くて恐くて仕方がないんだろうが?

どうしても信じ切れないんだろうがヨ?】

 

「嫌……そんな事、ないの……」

 

 

【くひひひっ。そりゃァ必死になって『相棒』って関係性で居ようとするよねェ? そうじゃなくても、可愛い可愛い『女の子』で居ようとするよねェ?

もっと愛されるように、もっと大切にされるように。

本来の『お人形』じゃなくってさァ?】

 

「違う、違う! メリーさんは、メリーさんは……」

 

 

 恐怖の化身。恐怖の代名詞。

 単純にそうとは言っても、何かが何かを恐れるという結果には、当然、そうと()ち行くまでの過程が存在し。

 それもまたブギーマンの舌を愉しませるエッセンスである。

 

 故に。

 異形のモノは、"人形の壊し方は知らなくとも"。

 

 

【くひっ、くひひはは! でも、哀れだねェ。捨てられたくないが為に、もっと好かれたいが為に、大切にされたいが為に! 健気にも、人形が"人間らしく振る舞う"…………だなんてサ】

 

 

 

 "人の形をした心の、壊し方を識っていた"。

 

 

 

 

【惨めで哀れで……なんて────『逆効果』。糸に繋がれなきゃ、人形が上手く踊れるはずもなーいのにねェ?】

 

「…………え?」

 

 

 

 だからこそ、彼は。此処に居て、闇に在るのだ。

 

 

 

 

 



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Tales 82【Re:Re:】

「逆、効果……?」

 

 

 淡々と込められた静けさが、聞いてはいけないと、耳を塞ごうとする衝動を急かすのに。

 アラートを響かせる他でもない心が、ブギーマンの言葉の核心を求めていた。

 

 

「どういう、こと?」

 

 

 それこそが、大きな目玉をゆっくりと細めた恐怖の化身の舌の上へと自らを差し出す行為なのだと。

 彼女に、気付けはしない。

 

 

【どういう事、だって? 気付いてなかったのかよ、『自称』相棒のメリーちゃん?あァ嗚呼、所詮人形に人の心は分かりませぬ。真意に気付かず、肝心の寄りかかり先の苦しみを理解出来ない。なんと哀れだろうか、なんと虚しい事だろうか……ギャハハハハッ!】

 

「ナガレの真意……」

 

【教えて差し上げましょう、メリーお嬢。彼はね──恐いんですよ。ただの都市伝説であるはずのキミが愛くるしく懐くキミが……"普通の女の子"にも見えて来てしまったから】

 

「……え」

 

 

 喉に綿が詰められたような息苦しさ。

 聴覚が傾けたものは、彼女だけに成分が見えない半真半偽の戯れだった。

 

 

【ククク、そもそもさぁ、都市伝説っていうのは人を恐がらせるものだろォ。相容れないモンでしょーヨ?そう、オマエは恐怖の物語に過ぎない。捨てられた人形の復讐譚、それが怪異メリーさん。

それなのに、お前が段々、普通の子供とすら見えてくる……それは齟齬を産む。乖離を作る。ナガレの思う『都市伝説のメリーさん』から、どんどん離れていくってこと。

 

そんなの……"気味が悪くってしょうがないよねェ"?】

 

「ひっ」

 

【キヒヒヒヒ……そぉさァ、逆効果! 僕様達のご主人様も都市伝説が好きなんだって、よーく言ってるじゃないか! なのになのにこのガラクタと来たら、もっともっとと業突張(ごうつくば)っちゃうもんだからァ? そりゃもう恐いだろうさ! 気味悪ィって映るさ! ギャッハハハハハ!!】

 

「そんなはずない! そんなはずないの……ナガレは、ナガレはメリーさんを嫌ってなんか……」

 

【……オイオイ。きっと、まだ受け入れてくれる。まだ好きでいてくれる。"おかえり"って暖かく迎えてくれる……そう信じてたはずのお前に、持ち主様がくれた言葉は…………なんだったっけ?】

 

「……、────」

 

 

 

《いや、こっち来ないでよっ──化け物!》

 

 

 

 呼んでもいないリフレインが、最後の裏切りを囁いた。

 おかえりと、言って欲しかった。

 昔みたいに、遊んで欲しかった。

 けれど、そこはかとない恐怖心のままに払われた煤のついた手のひらが、掴めたのは。

 

 重く冷たい銀の鋏だけ。

 

 

「……そんなはず、ない……違う……ナガレはあの人とは、違うのに…………」

 

【哀れで惨めな人形。中途半端に人として再現されたばっかりに。可哀想、可哀想に。かァわいそうにねェ?】

 

「……ゃ、めて……」

 

【自らの行いによって、きっとまた捨てられる。あぁでも、それが『お前』だものねェ? 棄てられた人形の復讐譚、それこそが『メリーさん』なんだもの……アはッ】

 

「……イヤ……ぃ、やぁ……たす、けて……」

 

 

 無彩の世界で、エメラルドの瞳が陰りに呑まれていく。

 悪魔の手に導かれたとしても、仕舞い込んだものを明るみに引いたのならば。

 もう目を逸らせない。

 肯定を、否定を。

 答えてくれる彼は此処には居ないのだから。

 他ならない彼女自身が、深い深い闇の中に逃げ込んでしまったのだから。

 

 

【ギヒャヒャヒャヒャヒャ!!】

 

「助けて……

 

 

 

 

 助けて……ナガレ……」

 

 

 異形が嗤う。

 哀れむように、愉しむように、吐き捨てるように。

 

 月の銀も星の金も、どこにも瞬かない夜の帳で。

 身を震わせながら耳を塞ぐだけのくすんだ金色が、堕ちていく。

 絞り出した悲鳴は蝶が見る夢の様に儚く、恐怖の化身の哄笑に塗り潰された。

 

 

 

────

──

 

【Re:Re:】

 

──

────

 

 

 

 朦朧とした白い霧に溶けかける意識の中で、耳鳴りの様な囁きが聞こえる。

 

 

(……? 今、誰か……)

 

 

 ゆっくり頬伝う汗が、やがて顎からポトリと地に落ちていく。

 ただ落ちてくそれが、誰かの涙に見えた。

 誰かのって、誰のだよ。

 

 ごちゃ混ぜにした絵の具みたく淀んだ視界で、落ちてく一滴をぼーっと見送ったのは、ホントに余裕が無かったからだろう。

 気力とか体力とかがごっそり削れてる現状。

 けれど、落ちた汗が渇いた砂に呑まれる前に、僅かに生きてる感覚が違和を囁く。

 

 

(あれ。地面って、こんなに遠かったか?)

 

 

 急速に離れた地面。

 あ、違う。これ離れてんのは俺の方だ。

 違和どころじゃない。浮いてる。フワッと。

 

 

「ナガレ殿、気を確かに!」

 

「景、虎」

 

 

 原因は、耳の直ぐそば。

 力の上手く入らない俺を脇に抱えながら高く跳んだ、景虎によるものだった。

 

 次いで、真下で鳴る、詰まった轟音。

 視界の端に見えた粗雑な瓦礫と、岩の鞭。

 多分、トトの石蛇攻撃だろう。

 鈍痛にぼやけた思考の隅で、辛うじて残った冷静さが、危うく絶体絶命だった事を今更ながらに教えてくれた。

 

 

「逃がさない」

 

「……少々駆ける。我慢されよ、ナガレ殿」

 

「へ? のあっ」

 

 

 もっとも危機を逃れたって訳じゃないらしい。

 回された腕の力がより強くなったかと思えば、今度は視覚世界が加速する。

 まるでジェットコースターに乗ってるみたいだ。

 ヒト一人抱えてるってのに、どんな脚力だよ。

 

 冗談染みた思考の間もなく、真後ろで鳴り響いた轟音に、ようやく意識の(もや)も取り除かれてきた。

 

 

「挟撃か」

 

 

 いかに景虎といえどお荷物と化した俺を抱えたままじゃ、流石にトトの操る石蛇から逃げ切るのは無理らしい。

 壁沿いに逃げていた景虎の正面に回り込んだ五本の蛇達が、巨人の掌みたくコースを塞ぐ。

 更に後ろからズザザと音立てて迫る複数の石蛇。

 

 

(まずっ、挟みうちか)

 

 

 音もなく片手で抜刀する景虎、けどその横顔に滲んだ苦々しさが窮地を物語る。

 何か、防ぐ手立てを。

 すがる藁をかき集めようと痛みの止まない頭を働かせようとした時だった。

 自分の事を隅に置くなと言わんばかりの、甲高い鳴き声が響き渡る。

 

 

「キュイイィ!」

 

「! 【エレメントシールド(精霊壁)】」

 

「ナイン!」

 

 

 危機を救ってくれたのは、ナインだった。

 果敢に斬りかかって来る尻尾の鎌を防ごうと右手を翳して障壁を展開するトト。

 やっぱり分厚い魔法の壁を、突破するには至らない。

 でもお陰で、後ろの方から迫っていた石蛇が止まってくれた。

 

 

「好機。然らば」

 

 

 このチャンスを見落とさない戦上手は居ない。

 気炎を巻いた紺色の将星が、刀身を輝かせてそのまま駆け抜けながら。

 

 

「通る!」

 

 

 塞がる障害を、一閃の元に切り裂いた。

 

 

(すっげぇ……)

 

 

 接着を止めたパズルみたいに、石蛇がパラパラと散っていく。

 俺を抱えた状態で、ここまで出来るのかよ。

 

 

「……面倒」

 

 

 景虎の凄さを改めて痛感している俺だったが、それは操っていた石蛇を断ち切れられたトトもまた同じだったらしい。

 

 

「いい。だったら──まとめて壊すだけ」

 

 

 口振りとは裏腹に能面みたく表情を変えない少女は、ナインの連撃を障壁で受け止めたまま。

 全てを壊すと躊躇なく告げて、諳じた。

 

 

「【必要な理解は定まらず。正しさに従う理はなく】

 

 【地平の如く、罪科は無限に広がっていく】」

 

「……!」

 

 

 遠目からでもゾワリと産毛が逆立った。

 肌が泣き叫び、危機感が豪雪もかくやと降り積もる。

 

 

「【命を測る天秤は、この手に持てはしないから】

 

 【鋼で綴る骸を並べて、鮮血を丘に捧ぐ】」

 

 

「キュ、キュイ……」

 

「これは……」

 

 

 感覚リンク越しに伝わる、ナインの脅え。

 俺を抱える景虎の、静かな狼狽。

 

 まとめて壊す。それは多分、口から出たでまかせなんかじゃない。

 何より、現にトトの羊角が放つ光は、今までよりもひたすらに強かったのだから。

 

 

 

(掛け値無しに、アレはヤバいだろ! どうする。ナインじゃ止められない。第一、どんな魔法かもわからない!)

 

「【曲がらぬ槍が、この心に宿るから】」

 

 

 危険極まりないってのは分かる。

 けれども、あの魔法の効果、範囲、威力と分からない事尽くし。

 動かない身体の分、必死に頭を巡らせる。

 

 

(どうする。防ぐのか、逃げるのか。対抗手段は。時間もない。何でも良いから思い付けよ俺!)

 

 

 そんな思考の足掻きが、いつの間にか体を身動ぎさせたのだろう。

 不意に、腰にくくり付けていたビンらしき何かが、景虎の鞘に軽くぶつかって、鳴る。

 

 

(ぁ……セリアのポーション…………まだ割れて────、…………!!!)

 

 

『いい、ナガレ。一概には言えないけど、土精霊魔法はその名の通り、地面を介した魔法が多いの。だからくれぐれも……足元には注意を払って』

 

 

 連れ添ったのは、お節介女のリフレイン。

 

 

("まとめて"、壊す……まさかっ!?)

 

 

 結び付いたのは、度の過ぎた仮定。

 でも、馬鹿げてるって切り捨てれるか。

 アイツを前にして。魔法なんてのがあるこの世界で。

 

 

「【通う血が、紅を忘れても】」

 

 

 詠唱の完成に従い、トトの足元から大きく大きく、広がっていく魔法陣。

 拡大は今にも、遠く離れた俺達の元まで。

 いや、フィールド全てへと手を伸ばそうとしていて。

 

 だとしたら。逃れる道筋は一つしかない。

 

 

「ナイン、景虎! 上だッッ!!」

 

「「!」」

 

 

 

 感覚で、喉で、叫ぶ。

 

 

「────跳べぇッ!!」

 

 

「【グランドラクル(紅染まる槍の丘)】」

 

 

 瞬間。

 

 真下の至るところから。

 紅い土肌をした無数の岩槍が、大地の表層を見るも無惨に食い破った。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「奇天烈に過ぎる光景だ」

 

「……」

 

 

 ぽつりと呟いた景虎に、心底同意だったのは間違いない。

 沈黙で返したのは、頷きよりも唖然が勝っただけ。

 誰だってそうだろう。

 こうして目の前で森林樹みたく伸びてるおびただしい数の岩槍の群れを見れば、言の葉の一つや二つは枯らすって。

 現に、会場はこの異様な光景に静まり返っていた。

 

 

(はぁ……この戦い、どれだけ危ない橋を渡らされれば良いんだよ)

 

 

 フィールド全域に及ぶほどの広範囲攻撃って。

 なんて出鱈目。あの十字架の魔法の比じゃない。

 横には逃げられない。ならば縦だと、景虎に抱えて壁を跳び登って貰わなかったら今頃、あの槍の山に串刺しにされてたんだろう。

 

 

「寿命縮んだ……」

 

「寿命で済めば儲けものだろう。ナインも壁に登って上手く逃れたらしい。あの『れふぇりー』という輩も」

 

「そか、ナインも。レフェリー、ちゃっかり抜け目ないな……」

 

「然りにな。それよりナガレ殿、回復の手段は?」

 

「回復……あぁ、これ」

 

 

 疲労困憊の背を壁に預けながら安堵していれば、景虎の菫色の瞳が物言いたげにこっちを覗き込む。

 確かに。まずは己が身を案じる方が先だ。

 

 備えあれば……いや、こんなこともあろうかと、ってところか。

 窮地を脱するヒントにもなったポーションの紐を解いて掲げれば、返答はなく、華奢ながらも頼りになる背中が俺の前に庇い立つ。

 警戒しとくから、今の内に飲めって事だろう。

 

 

(……つくづく、助けられてばっかだな)

 

 

 景虎にもナインにもエイダにも。そして、セリアにも。

 感謝の気持ちは、確かにある。

 偽物じゃない。だけど。

 

 

(苦いなこれ……)

 

 

 ワールドホリックがなけりゃただの高校生の身分で自惚れるつもりはないけど……少し不甲斐ない。

 グビリと喉に伝った魔法薬の何とも言えない苦味が広がった。

 

 

「……ナガレ殿。どうにも奇妙だぞ」

 

「ぎ、あぐ、ぁァ」

 

「!!」

 

 

 降って沸いた感傷も束の間、怪訝そうな景虎の呟きに促されれば、耳に届く苦し気な少女の呻き。

 石槍林の隙間へと目を凝らしても、この呻きの源を目視する事は流石に出来ない。

 

 

(キュイ!)

 

(ナイン? そうか、そっち側に居るのか)

 

 

 けれど、どうやらナインは壁を伝って観客席へと逃げていたらしく、そこからならトトの姿が見えるらしい。

 感覚のリンク越しに、血の気を剥いだように色素の失せた顔で、角を抑えるトトの様子が伝わった。

 

 

「くっ……どうして、トトの邪魔、するの……! 邪魔……ジャマ……いらない、全部! トトにはママさえ居れば、良いのに……!」

 

(あれは……角を抑えてる? 苦しんで、いるのか?)

 

 

 またもより強い光を放ちながら明滅する、彼女の角。

 見えない空虚に片腕を振り回しながら、痛みに藻掻き表情を歪めているトトは、尋常じゃない。

 けどどことなく既視感を覚えるトトの苦しみ様。

 もしかしてあれは、あの強大な魔力を行使した『反動』なんじゃないのか。

 

 

「……う、ぅぁ……! き、トトは……トトは、負けなイ……せ、精霊樹の雫。あれで……マザーグースは……『ママ』に!!!」

 

(なに、言って…………マザーグースが、ママに? もしかして、トトが闘魔祭に参加してる理由って……)

 

 

 何が、あの少女にあそこまでさせているのか。

 マザーグース、母親、精霊樹の雫。

 悲痛の上に重ねられた、消え行きそうな、うわごと。

 事情を知らなければどうにも浮き立ったそれぞれに、大きな繋ぎ目を見付けられた気がして。

 

 

「だ、カラ。邪魔ハ──全部」

 

 

 何故だか、胸が酷く軋む。

 そんな俺の感傷など届きようもなく。

 

 

「あァァァァァァ!!!」

 

 

 また一つ、事態は混沌に足を滑らせる。 

 

 愚かしいくらいに宙を掴む小さな手に、繋がる先を求める糸だけが長く、長く伸びて。

 ガラス玉のような、空っぽのトトの瞳に。

 縦に裂ける、金狂う色した月が宿った。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「アァァ!」

 

 

 粉塵が舞う。石の破片が散る。

 悲鳴が飛び交い、あらゆる平静を突き放す。

 風を刻む魔力の糸が、また一つ岩槍と繋がって。

 また一つ、力任せに放り投げられて、壁を深く穿った。

 

 

「み、見境いなしかよ……!」

 

 

 暴走とでも言うべきなのか、これは。

 

 獣染みた猛り声を挙げるトトが、無数に並び天を向く槍を手当たり次第に魔力の糸で繋ぎ、見境いなしに放つ。

 瞳孔が縦に裂け、金色に染まった禍々しい両眼には、もはや標的なんて映っちゃいなかった。

 それとも、取り巻く世界の全てが敵として映っているのか。

 

 

(なっ、こっちにもっ! くそ、まだ反動が抜けきって……)

 

 

 文字通り魔物に取り憑かれている様な豹変ぶりに、呆気に取られてる場合じゃなかった。

 慣性のままひたすらに穿つだけとなった魔槍の一つが、運悪く此方に向かって飛来する。

 

 

「無骨な」

 

 

 けれども血に飢えた槍は煌めく刃の一閃に許されず、あえなく土塊と化した。

 

 

「……助かった。悪い、もうちょっとで身体も動きそうだから……」

 

「心得ている。しかし……」

 

 

 こともなげに砂埃を切っ先を払う景虎。

 彼女が仕舞った言葉の続きは、言わずとも分かる。

 

 

「あ、い、痛イ……あたまが、痛い……! 壊れ、テ。全部、全部、居なくナッテ!!」

 

(……トト)

 

 

 剥き出しの感情を矛先にして狂うトトを、どうにかしなくちゃならない。

 盲目とでも言うべき視野の中で、まるで自身が見えない糸に振り回されているかの様なあの少女。

 このままじゃ、心ごと壊れてしまうんじゃないか。

 そんな危惧すら抱かせる状態なら……もう。

 

 

「倒せ!」

 

「……え」

 

 

──響いたのは、高い高い真上からだった。

 

 

「お願い、倒して!」

 

「モタモタすんなぁ!」

 

「アイツは悪魔だ! 倒せ!」

 

「さもなーさん! 悪いやつ、倒しちゃえー!」

 

「魔物憑きが、苦しんでるぞ! 今がチャンスだ!」

 

(……なんだよ、これ)

 

 

 怒号が、ざざ鳴る激しい雨みたく、降ってくる。

 心の淵に浮かんだ言葉をそのまま、拾い上げられたような叫びが、とめどなく降ってくる。

 

 

「倒せ!」

 

「魔物憑きを倒せぇ!」

 

「がんばれさもなー!」

 

「倒せ!」

 

「化け物を倒せ!」

 

 

 倒せ。

 お前が倒せ。

 悪魔を倒せ。

 魔物憑きを倒せ。

 

 

「……」

 

 

 男も女も、子供までも混じった声。

 それはまるで、寄ってたかって、透明な石を投げるようで。

 醜い化け物に立ち向かう『勇者』へ向けた声援の様で。

 

 

「う、あ、あァ! 違ウ! ウルサイ! そんなメで、トトを、見ルナァ! トトは、化け物……じゃ……ママ、ママ……!」

 

「────」

 

 

 倒す。あぁ、確かに。

 トトをこのままにはしちゃおけない。

 勝利する為にも、目的を果たす為にも。

 やるべき事は決まってる。だったらチンタラしてる場合じゃない。

 

 

「助けて、ママ」

 

「……っ」

 

 

 けど、本当に?

 本当にやるべき事が、それか?

 

 

 魔女の弟子。対戦相手。魔物憑き。化け物。

 そのどれもがそうだとしても。

 

 

──泣いてる子供に過ぎないだろ、アイツ。

 

 

 

 

 だったら。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「……景虎」

 

「心は決まったか」

 

 

 

 どうやら感覚リンクの影響か、俺の考えは丸聞こえだったらしい。

 なんとなく、気恥ずかしさが沸く。

 背を預けていた壁から離しながらズボンに付いた土埃を払ってみても、流石に誤魔化せそうにはなかった。

 

 

「そなたの内なる声は……存外、臆病だな。ナガレ殿」

 

「ん?」

 

「この期に及んで、傷付ける事を躊躇うか」

 

「……なに? アンタも倒せって言いたい訳?」

 

「確かに、その方が事を収めるには早かろう」

 

 

 

 鋭い正論を言い放ちながらも、含んだ溜め息を落とす景虎。

 紺色の後ろ髪がサラサラと左右に揺れる。

 まるで困った知人に、呆れて肩を竦める様な仕草。

 

 

「だが。それよりも、他なる手段が……否。そなたが為したいと思う方法が、既に心内に浮かんでいるのならば。

 押し通せ。突き通せ。例えそれが難事であれど。その為に……我らが居る」

 

 

 でも、肩越しに見えた口元は、柔らかな弧を描いていたから。

 

 

「心を決めたなら、後は為すだけ。男子(おのこ)でしょう、そなたは」

 

「……あぁ」

 

 

 決めたのならを突き通す。

 もとよりそのつもりだと、少し崩した口調で微笑む彼女に、頷いて返せた。

 

 

「……んじゃ、"ちょっと無防備になると思う"から、その間、護ってて貰える?」

 

「──フフ、承知」

 

 

 もう、ざざ鳴りは、止んだ。

 いや、違うか。

 無視する事にした。

 

 倒せという彼らの叫びは、至極、当たり前の事なんだろう。

 魔物憑き。排他すべき者。

 この国の……いや、この世界では当たり前の道理なんだろう。

 俺が知らないだけなのかも知れない。

 そうなった背景、歴史、事情の道筋を。

 

 

 けど、んなもん俺の知ったことじゃない。

 

 

「……さて」

 

 

 

 ゴソゴソとポケットをまさぐって、取り出したのはとある女の子の引きこもり先。

 手前勝手な理屈で踏み込めなくて、傷付けてしまったままだった、もう一人の泣いてる子。

 

 

 

『助けて……ナガレ……』

 

「……確かに、聞こえたよ。メリーさん」

 

 

 

 光が灯らず真っ黒に静止した画面を、そっと指先で撫でる。

 

 泣いてる子供を相手に、剣はいらない。

 

 必要なのは────

 

 

 

 

「居留守なんて、使わせないからな」

 

 

 

 

 

 




【魔法紹介】


グランドラクル(紅染まる槍の丘)

「必要な理解は定まらず。正しさに従う理はなく。
 地平の如く刃の罪は無限に広がっていく。
 命を測る天秤は、この手に持てはしないから。
 鋼で綴る骸を並べて、鮮血を丘に捧ぐ。
 曲がらぬ槍が、この心に宿るから。
 通う血が、紅を忘れても」

地精霊上級魔法

自身を軸に広大な魔法陣を展開し、地表から3メートルほどの高さの、紅く染まった岩の槍を飛出させて、剣山のように攻撃する魔法。
威力も高く、範囲も術者次第ではあるが非常に広いので、魔法使いでもなければ回避の対処が難しい。
ただ槍を飛飛させるには、地続きの大地である必要性がある。




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Tales 83【人の形、心のカタチ】

 他人事の面構えのまま、方々で沸く熱気が酷く(うら)寒かった。

 

 

「あの暴れっぷり見ろよ……まだ小さい子どもなのに、どこにそんな力が」

 

「ガキでも魔物憑きさ。俺達とは違うんだよ」

 

「恐ろしい……」

 

 

 恐いという寒色の形容。

 そう口にしながらも血気盛んにヤジを飛ばす観客達の中には、足を沈め始めた斜陽の茜に負けないほどに赤い顔の者も居た。

 隣で苛々と爪を噛んでいる男など、今にも喉を張り上げそうなくらいに。

 

 魔物憑き。赦されない存在と。

 何がそうまで排他に駆り立てるのか。 

 答えはとうに知っているのに、いちいち疑問が浮かぶ度に、黒々と熟成した感情がチーズのように溶けていく。

 

 

『トトの邪魔ッ……! 邪魔しないでぇ!』

 

『禍々しいな。だがっ!』

 

「……なにしてんだあいつ? なに急に石なんか持ってボケーっと突っ立ってんだよ!」

 

(……石? いや。あれは……アイツの言っていた、すまほとかいう代物か)

 

 

 けれど、状況に整理がつかないのは同じだった。

 全てを拒絶する様に岩槍を乱れ飛ばすトトと、主を護る騎士が如く槍を切り払う景虎。

 

 だが、彼女が護る漆髪の青年だけが、動かない。

 スマートフォンを握り締めたまま、まるで時の中に取り残されたかの様に、静か。

 

 

「折角化け物が苦しんでるんだ、さっさと倒しちまえば良いのによ!」

 

 

 自由なようで、隙間が大きいだけの籠に過ぎない。

 世界というものの狭量さを、彼女は知っている。

 

 人が見たがる夢は、いつも決まって色違い。

 黒と白に狭めればもう、間に在る『灰色』は存在自体が眉を潜められるのだと、知っている。

 

 屈しろと度々圧するその理屈を、散々思い知っていたはず、なのに。

 

 

「……」

 

 

 倒すべき相手を前に、穏やかに瞼を閉じて佇むその姿に。

 どうしてか、微かにでも、透明な期待をしてしまう灰色の魔王が居た。

 

 

 

 

 

────

──

 

【人の形、心のカタチ】

 

──

────

 

 

 

 

 

 深々と沈んでいく。黒い暗泥へと。

 何もかもが絶えていく世界の中で、闇雲に響く耳鳴りが、彼女の心を壊していく。

 

 

【自らの行いによって、きっとまた捨てられる。あぁでも、それが『お前』だものねェ?】

 

 

(…………やっぱり、間違ってたのかな)

 

 

 否定は絶え間なく溢れるのに、言い訳にしかならないと囁く冷めた声が、否定が形になる前に崩れていった。

 

 ブギーマンの言葉を鵜呑みにしたくはない。

 けれど、心当たりがない訳ではなかった。

 気持ちのままに喜怒哀楽を表す自分に、躊躇っているような、ほんの僅かな隔たりを感じさせる仕草を、ナガレに見つけた事も確かにあったから。

 

 

(人形のままで居ようとしてれば、もっと大事にされてたのかな)

 

 

 ナガレにあんなメッセージを送ったのも、その仄かな一片の積み重ねが大きな不安になってしまったから。

 だから、彼女の方から逃げたのだ。

 

 

(……寒いの)

 

 

 本当は。

 それでも必死に求めて欲しかった。

 迷子になった時、誰かが探してくれるかと。

 大切な人に、探しに来て欲しかった。 

 

 煤に塗れながら、大切な人を探した、いつかのように。

 

 

(此処は……寒いの。暗くて、冷たくて)

 

 

 幼い願いで振る舞った身勝手に、首を絞められているのかも知れないと。

 

 後悔に覆われた冬が訪れて、翠の瞳が枯れていく。

 スノウフレークのように、跡も形もなくなりそう。

 あまねく温度を奪うだけの底無しの闇に耐えかねて、メリーは震えながら自らの身体を抱き締める。

 

 

(……助けて、ナガレ……)

 

 

 だが横たわる拍子に、くすんだ金糸の髪がほつれて、サラサラとせせらげば。

 

 

 

──カチャリと。

 

 

(……?)

 

 

 耳元で、蝶の羽ばたきが聞こえた。

 

 

「……ぁ……ブローチ……」

 

 

 耳を澄ませずとも響く金鳴りに誘われて、メリーは髪に留めていたそれを掌に収めた。

 エメラルドに映ったのは、片羽根の蝶の金細工。

 髪に留めていた蝶は、暗闇の中でも滑らかな光沢が、持つ筈のない命の息吹きさえ感じさせる。

 

 

「……」

 

 

 忘れるはずもない。

 セントハイムに訪れたばかりの頃、それとなく惹かれた双子の蝶のヘアブローチ。

 闘ってくれてるお礼だと、ナガレが自分に与えてくれた大切なプレゼント。

 

 

《私、メリーさん。これはメアリーさんへのお土産なの。メリーさん用とメアリーさん用とで、お揃い!》

 

「ナガレ……」

 

 

 沸き上がる嬉しさを抑えきれなくて、似合ってるかと何度も聞いた。

 柔らかく微笑みながら、頷いてくれた事が嬉しくて。

 肌身離さず。離せず。

 

 

「メリーさんみたいなお人形は……やっぱり……」

 

 

 今もこの小さな掌にある、確かな形。

 けれど、それさえも無くしてしまうものなのかと、臆病な心がまたも暗雲を纏おうとする。

 

 

 だからだろうか。

 

 

「……?」

 

【んン?】

 

 

 瑠璃色の羽根がぼんやりと煌めいたのを、メリーは自身の弱った心が見せた、刹那の優しい夢とさえ思った。

 

 けれど、違う。

 細部の装飾まで浮かび上がる仄かな光は、泡沫のように儚いものではない。

 一秒、二秒と掌の中の蝶に見蕩(みと)れていても、片羽根の瑠璃色は星みたく光り続けて。

 そして、彼女は気付いた。

 

 

『邪魔なはずないだろ』

 

 

 光っていたのは、蝶のブローチじゃなく。

 目の前に浮かび上がった、蜂蜜色に輝く文字だった。

 

 

「ナガ、レ……なの?」

 

 

 霞みがかった羅列はあまりに突然過ぎて。

 呆然と呟きながら手を伸ばせば、フッと息を吹かれた蝋燭の火みたく立ち消える。

 その消失にメリーのエメラルドが再び濃い陰を纏おうとするが、それよりも早く次のメッセージが浮かび上がった。

 

 

『他に誰が居んのさ。あとメリーさん、ちゃんとスマホの中に居る? リンクの感覚がいつもと全然違って朧気でさ』

 

「い、居る! 居るの! 此処に居るの!」

 

『あぁ、みたいだな。まぁそれはそれとしてメリーさん。邪魔ってどういうこと?』

 

「え……ぁ……」

 

 

 飴玉を与えられた子供みたいに矢継ぎ早に声を上げるメリー。

 だが再び浮かんだ文字の内容に、彼女は思わず口ごもってしまった。

 

 

『……景虎は確かに強いし頼りになるけど、だからって俺がメリーさんを邪険にするって事にはなんないだろ?』

 

「でも……ナガレはメリーさんのことが……恐い、んじゃないの? メリーさん、ナガレともっと仲良くなりたくて……大事にして欲しくって。でも、そういうのが……"気味が悪い"って思ってるんじゃ……」

 

『いや待て。待って。恐いってのはともかく、気味が悪いってなんだよ』

 

「だ、だって……ブギーマンが……」

 

 

 ぽつぽつと降る小雨にも負けそうなほど萎んだ呟きは、袋小路に迷い込んだまま途方に暮れている子供の様で。

 恐くて、気味が悪い。

 自分は、必要じゃない。

 

 真偽を聞くことだけでも、彼女自身に関わる恐怖が纏わりついて、彼女は顔が上げられない。

 掌の中の蝶を、離すまいと握り締めるのが関の山。

 

 

『……ブギーマンか。なるほど、恐怖の化身の面目躍如ってとこか』

 

【クヒヒ、あァそうですともマイマスター様。語り継がれるままに、そう在れかし、だろォ?】

 

 

 しかし、ナガレはメリーの異変を過剰にしている悪魔の指紋に気付いたのだろう。

 気味が悪いだとか、不要だとか。

 いかにも、弱い心を虐げるに適した言葉だったから。

 

 音にならない溜め息すら聞こえそうな文面に、闇に溶け込んだ怪人は隠れる気もなく嘲笑を響かせた。

 

 

『ん、この声……なんだ、ブギーマンも一緒だったのか』

 

【当ッ然ですネ! なにせこのお人形が恐い恐いって震えてるもんだからさァ? "子供もどき"なんて趣味じゃないけど、暇潰しには丁度良いって思ってェ? デヘペロォ】

 

『そっか。悪いね。俺があんまり喚ばないもんだから、鬱憤が貯まってたんだろ? そこに関しては素直に詫びとく』

 

【いやだねェ、鬱憤だなんて。僕私俺我様にとっちゃ、朝飯前々前のライフワークさ。呼吸と一緒だよ】

 

『そう在れって再現したのは他でもない俺だ。だからこそ、こうなったのも俺の責任だろ。女々しい言い訳をするつもりもない』

 

【……チッ】

 

 

 神経を逆撫でる挑発も、心構えを固められては通じない。

 潮時を感じて、ブギーマンが舌を打つ。

 どうやら、怪物の愉快で下らなく甘美な時間は、ここまでらしい。

 

 

『けど。俺の大切な相棒が苛められたとあっちゃ、黙ってられる訳ないよな?』

 

【……相棒、ね。ハイハイ。分かりましたヨ】

 

 

 あーあ、といかにも適当かつ残念そうに、引き下がったブギーマン。

 反対に、ブギーマンの相棒という呟きに、俯いていたエメラルドがゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……相、棒? メリーさんが?」

 

『え、なにその反応。他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今さら撤回する気?』

 

「ナガレはメリーさんのこと、恐がってないの?」

 

『確かにメリーさんが段々と人間染みて来て、恐いって想いがよぎったこともある。ひょっとしたら、今もまだ払拭出来てないかも知れない』

 

「……やっぱり」

 

『つってもこれは、俺の中途半端な覚悟のせいだから』

 

「……覚、悟?」

 

 

 光っては消えて、繋いで途切れての繰り返し。

 積み重ねと形容するにはあまりに短いけれど、伝わる想いはある。

 少女の幼い心でも次第に、理解出来た。

 メリーが思うナガレの『恐い』と、ナガレ自身の抱える『恐い』は、もしかしたら違うのかも知れないと。

 

 

『上手く言えないけど……今闘ってるのだって、俺のエゴで挑む事を決めたからだ。その為には皆の力を頼らなくちゃならないし、手段として用いなきゃならない。少なくともこの大会中は、そう割り切って闘うつもりだった』

 

「……」

 

『けど、頭が割り切ってるつもりでも、心が納得してくれなかった。俺は皆を……闘う為の手段として再現したかったんじゃない。単純に都市伝説が好きだからってのが根底にあった、はずなんだよ。

だから闘ってくうちに、これで良いのかって……俺の為に傷付いてるメリーさんが段々と普通の女の子に見えてきたのだって、中途半端な覚悟で闘うからだって、思い知らされてる気がして。

 

俺は、それが恐かったんだ』

 

「……ぁ」

 

 

 単純なことだった。

 自分がこうと決めた事に対して、迷ったり戸惑ったりしない訳ではなかった。

 貫き通したい想いがあっても、為し通すことは簡単ではない。

 今進んでる道を信じ切れず、ときどき月を見上げては立ち止まるだけの、当たり前の弱さ。

 細波 流は大層な変わり者であっても、その人間らしい弱さを捨ててる訳じゃない。

 

 

『けど、この恐怖は、これからも俺がずっと付き合っていかなきゃいけないものだ。また性懲りもなく迷ったりするかも知れない。その度に、メリーさんや他の皆を傷付けたりするかも知れない。

 

 でも。それでも、俺はちっぽけな人間だから。

 やりたい事があっても、やり通せるだけの力は、俺だけじゃ無理だから。

 

……俺の相棒になってくれる様な物好きが、必要だ』

 

 

 仄苦い彼の迷いを、メリーは自分への拒絶だと掛け違えてしまったのだと。

 知りたいけれども恐れていたナガレの本心を、朧気な輪郭だけでも理解出来て。

 

 

「……ほんとに、メリーさんで……いいの?」

 

『はは、他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今更撤回されるとすっごい傷付くね』

 

「でも、メリーさん……こんな風にナガレに迷惑かけちゃったし」

 

『馬鹿言ってんじゃない。この程度の迷惑で関わっちゃいけないってんなら、俺は生涯独りだろうよ』

 

「……メリーさんは、カゲトラみたいに強くないの」

 

『強い弱いの話じゃない。そもそも、んなこと都市伝説に関係ないんだよ。俺が都市伝説を好きな理由って、不合理さとか摩訶不思議さで、"都市伝説の強さ"についてとか、語ってたことないでしょ?』

 

「…………ふふ。

 そうなの。そうだったの。そんな簡単なこと。

 どうしてメリーさんは、忘れちゃってたんだろう」

 

 

 

 

 必要、だと。

 不安に沈む中でずっと欲しかった、願い続けた言葉を貰えたから。

 

 

 

 

『だからさ、俺の相棒だってんなら何時までも、んなとこで膝を付いてないで……早くおいで。

 

 ゆっくり歩くくらいの速さで良いから。俺の傍に居なよ、メリーさん』

 

 

 

 

 

 その日、その時、月も星も居ない闇のなか。

 

 人の形をした少女の、頬に流れる雫の本当の温度は。

 月だけが照らすゴミ捨て場で、茫然と流したものよりも、ずっと暖かかった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 無音だった世界に、色が戻ってくる。

 寝惚け眼子に、眩い朝日が射し込んでいるような感じ。

 無理矢理にでもリンクを繋ごうと必死に呼び掛けてたら、気付けばああなってた訳だが、まるで白昼夢でも見てたみたいだ。

 心地に引き摺られて、欠伸でも噛みたくなかったけれど。

 

 

「……少々時を掛け過ぎだぞ、ナガレ殿。信頼の証と受け取るほど、我が身を安く見積もったつもりはないが、如何か?」

 

「ごめん。年甲斐もなく本心晒すのって、やっぱり恥ずかしくってさ」

 

「フッ、若人が戯けた言を」

 

 

 無防備な俺を、ずっと護ってくれたんだろう。

 足元に積み重なった石の破片と塵の山。

 少し解れた髪と汗。微かに漏れる息遣い。

 随分と見晴らしが良くなった景色を背に、景虎が微笑んだ。

 

 

「では、此度の勝鬨は譲るとしよう。舞台は整ったというのに、またそなたに膝を付かれては敵わない」

 

「悪いね。ずっと護ってくれたのに」

 

「構わぬさ。私は、私を貫いたまでのこと」

 

「……あぁ。ありがとう、景虎……【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

 光に薄れて、気高き将星が、瞬きの中に還る。

 最後の最後までこっちに気遣って貰って、足を向けて寝れないね、これは。 

 残されたのは、頼りっぱなしの苦味と。

 

 

「あ、ア、ァ……マダ、トトの邪魔、すル……」

 

「……あぁ。今、"助けてやる"」

 

 

 根元から折れた石槍の彼方で、未だに凶想に囚われているトト。

 景虎の言葉を借りるなら、舞台は整った。

 

 なら後は。

 倒す為じゃなく、泣いてる子供の涙を、掬ってやる為に。

 

 

「来てくれ、相棒」

 

 

 喚ぼう、彼女を。

 祝福(marry)の名を持つ少女を。

 

 

 

「【World Holic】」

 

 

 

 

 

 

 そして、白金の奔流を纏いながら、彼女は現れる。

 

 

 

 

「わたし、メリーさん。

 今、ナガレの隣に居るの」

 

 

 

 俺の隣に。

 

 

 

「あぁ。おかえり」

 

「っ、ただいま!」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「メリーさんだー!!」

 

「来たぁー!」

 

 

 純真な目には、満を辞して、とも映ったんだろうか。

 エプロンドレスをひらつかせて登場した蜂蜜色の髪を持つ少女に、一際黄色い声援が湧く。

 

 もしかしたら、魔物憑きに対する排他的な空気が、子供達の心を押さえ付けていたのかも知れない。

 歓迎の声に驚いた様にエメラルドを丸めたメリーさんが、深く目を閉じ唇を噛んだ。

 

 

「また、増エタ……今度は、ハサミ、の子……」

 

「ナガレ、あの子……」

 

「トト・フィンメル。そういやメリーさんに興味あるっぽかったけど……色々あってあんな風になってる。彼女を助けてやりたい、力を貸してくれないか」

 

「私、メリーさん。勿論、協力するの。相棒だもん!」

 

「あぁ、頼むよ」

 

「オマエも……邪魔スル、ナラ!」

 

 

 反動の積み重ねか、トトも相当消耗してるらしい。

 一歩足りとも動いていないのに肩で息をしてるし、爪先から伸びる魔力糸の光と太さは、以前とは比べるまでもなく弱っている。

 

 

「……どうするの?」

 

「正面突破で」

 

「わお、シンプルなの」

 

「小細工してる余裕もないからな」

 

 

 あちらもこちらも、互いに余力は残ってない。

 ならもう、一気に正面から行く。

 俺なりのやり方で、この闘いを終わらせる為に。

 

 

「──行くよ、メリーさん!」

 

「うん!」

 

 

 地を、蹴る。並んで走る。手に持つのは、形ばかりの剣と鋏。

 噛み締めた奥歯が鈍く鳴る。

 度重なる疲労に膝があげる悲鳴ごと、置いてきぼりにしてやればいい。

 靴底を跳ねさせて、紅にまみれた槍の丘を駆け抜けろ。

 

 

「イアァァ!!」

 

 

 人を感じさせない獰猛な叫び。

 禍に光満ちるトトの角と、翻る魔力糸。

 

 ライトパープルの五本線が、しなる鞭みたく。

 ヒュンと遠くから風を切り音が聞こえた時には、こっちの足を刈ろうと迫っていた。

 

 

「跳べ!」

 

「うん!」

 

 

 意識するのは大なわとびの要領。

 魔力糸を走り飛ぶことで越えれば、真後ろの石槍が派手に音立てて壊れた。

 

 遊戯とするにはあまりに殺伐過ぎんだろ、と。

 げんなりと肩を落としたくなるが、そんな暇はない。

 

 

(メリーさん、正面左の槍! 警戒して!)

 

 

「【グランノーム(土の精霊よ)】!」

 

 

 メリーさんから見て正面左側の、まだ折れてない石槍。

 そこに一本だけ繋げられた糸が途端に光を放てば、石槍の根元が爆ぜた。

 

 

「これくらい」

 

 

 ぐらりと傾いて、石槍がメリーさんに向かって倒れ込む。

 手の込んだトラップ。だが不意を打つ形じゃなければそんなもの、メリーさんには通用しない。

 

 

「なんってことないの!」

 

 

 銀閃一蹴。

 横一文字に払われた銀鋏の一撃で、石槍はあえなく払い飛ばされた。

 

 

「【グランノーム(土の精霊よ)】」

 

(っ、今度はこっちか!)

 

 

 しかし攻撃の手は緩められず、今度は俺の前方に聳える左右の槍が、『X』の形に交差しながら倒れてくる。

 視認していたとはいえ、余力のない俺にメリーさんみたいな防ぎ方は出来ない。

 無論、余力があっても無理だけど。

 

 なら、避けるしかない。

 グラリと揺れて倒れ込む石槍のクロスを睨みつつ、俺は脚に目一杯の力を込めて……より"前"へと突っ込んだ。

 

 

(っし、ギリギリ!)

 

 

 全力のスライディングで、『X』の下を掻い潜る。

 ズシャァッと土砂を撒き散らしながら滑れば、紅色の岩肌がすぐ真上を通り過ぎた。

 これで、やり過ごした魔力糸は合計八本。

 

 

(チッ、やっぱり──来るよな!)

 

 

 なら残りは、と思考を巡らせるまでもなく。

 スライディングから態勢を戻そうとする俺に向けて、残り二本の糸が迫っていた。

 

 このタイミング。

 回避は、間に合わない。

 

 

「メリーさん、ヘールプ!」

 

「お任せなの!」

 

 

 なかなかに情けない台詞だが、この際気にしてられない。

 切羽詰まった助力要請に、待ってましたとエメラルドを輝かせながらメリーさんが鋏を振るう。

 銀に阻まれた淡藤色の糸は、力なく霧散した。

 

 

「流石」

 

「えへへ」

 

 

 手短な褒め言葉に、甘い笑顔でメリーさんが応える。

 少し緊張感が抜けるが、でもこれでトトの元まで、後もう少し。

 

 しかし、まだ油断出来ない。

 消耗してるとはいえ、やっぱりトトの糸は厄介だ。

 こんだけ避けてみせても、糸はまた直ぐに繋ぎ直される。

 

 ならより安全性を求めて、彼女の手数を減らしておきたい。

 せめて、半分に。その機は熟した。

 

 

「今だナイン! 【一尾ノ風陣】!」

 

「キュイィィ!」

 

「!?」

 

 

 今の今まで、ずっと客席で待たせていたナインが高らかに鳴きながら、宙を翔ぶ。

 意識外からいきなり届いたその鳴き声にトトが顔を上げれば、銀色の影は彼女の真上にあった。

 

 

「何処かラ……?!」

 

 

 驚愕に歪むトトの表情。

 けれどそれ以上を待たず、そのまま体躯を一転して放つ、風の刃。

 天から地へと。三日月の風刃が堕ちる。

 

 

「【エレメントシールド(精霊壁)】!」

 

 

 紐解かれたギロチンみたいに落下する刃を、片手で受け止めるように障壁を展開するトト。

 あの消耗状態でも、ナインの風刃を防ぎ切るか。

 

 

(つくづく、とんでもないヤツだよ、アンタは)

 

 

 だが、それでいい。

 予想通り。いや、むしろそうじゃなくては困る。

 ナインの奇襲は、手傷を負わせるのが目的じゃない。

 トトの片手を塞ぐ、それに尽きる。

 

 

「こんのぉぉぉォォ!!!」

 

「ッッ────来ルナァァ!!」

 

 

 一気呵成に特攻を仕掛ける俺に向けられるのは、残る片手の五本線。

 勢い任せに振るわれた五本は、悪あがきと云わんばかりに力強く風を切る。

 

 もう、トトはすぐ其処だ。

 ここが最後の正念場なんだから。

 

 集中しろ。目を凝らせ。

 

 

「ッッ」

 

 

 淡藤色の軌道。まるで巨人の大きな掌。

 迫る俺を景色ごと裂こうとする五本線。

 けど、下から二番目の狭間が僅かに大きい。

 そこだ。身体ごと滑り込め。 

 エイダの御株を奪ってやるぐらいの気持ちで。行け。

 

 

「づあっ!」

 

 

 飛び潜る。火の輪を潜るライオンみたいに。

 微かに糸に触れた右肩から、血飛沫が舞った。

 流石に、人間風情がそう上手くは飛び越せるもんじゃないらしい、けど。

 

 

「────へへ」

 

 

 血が出て痛い程度なら、充分儲けもんだ。

 なにせ、(ようや)く。

 

 ようやく、アンタの前に来れたんだ。

 トト・フィンメル。

 

 

「やっと、届いたぞ」

 

「……」

 

 

 これで、王手だと。

 右手に持ったショートソードを突き付けて、不敵に笑ってやった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「追い詰めたぞ!」

 

「サモナーの勝ちだ!」

 

「さぁ、とどめをさしてやれ!」

 

「魔物憑きを倒せ!」

 

 

 ようやく、やっと。

 そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、観客席の彼方此方でわぁっと明るい歓声が沸く。

 差し詰め、長きに渡る悪い魔物の戦いに打たれる終止符を、無邪気に心踊らせてるってとこか。

 

 

「なンで……」

 

「ん?」

 

 

 こういう湧き方をするのも分かってたとはいえ、辟易とする気持ちを抑えられない。

 ぜぇ、はぁ、と乱した息に混じって溜め息すら落としそうになっていれば、トトが力なく口を開いた。

 

 

「なンデ……ドウシテ。トトの、邪魔、するノ……トト、は勝たないと……雫、が……必要、ナノニ」

 

(……)

 

 

 懇願か。或いは、怨み言か。

 度重なる魔力の消費でついに角の光すら途絶えた彼女の、光のない、暗い瞳。

 

 けれどその端からは、音もなく伝う水脈がある。

 

 化物と謗られた少女が流す、儚い涙だった。

 

 

 

「必要、ね。アンタの事情を、俺は深くは知らない」

 

「──?」

 

 向けていた剣を無造作に放り投げた。

 

 敵を前に、武器を捨てる。

 その有り得ない行動に、目の前のトトの瞳にくっきりと疑問が上がる。

 

 

「はぁぁ?! な、なんで剣を捨てた?!」

 

「おい、どういうつもりだサモナー!」

 

「倒せよ!」

 

 

 無論、それは客席にとっても。

 彼らからすれば、恐るべき魔物憑きを前に、なんたる暴挙ってくらいの狼狽っぷりだろう。

 

 知ったことじゃない。

 つまんない同情だとしても、俺はもう決めている。

 

 身勝手な感情のままに、衝動のままに。

 何としても、この娘を止めてやるって。

 

 

 

 

「けど、『同じ目をしてた先輩』として、一つだけ。あんまり一つの事にかまけ過ぎると、それだけの為にしか生きれなくなる。もっと落ち着いて、視野を広く、色んな物を見つめれる様になることを……お薦めしとく」

 

 

「なに……それ…………トトには、関係ない。トトには……ママ、さえいれば……」

 

 

「だろうね。ま、これは勝手に親近感持った俺のエゴだし、今のアンタにそんな余裕もないだろうから、受け取るも聞き流すも好きにしていい──でも」

 

 

 でも、所詮は対戦相手に過ぎない俺なんかの言葉で、どうにかなってくれるとは思えなかった。

 身勝手な近しさを覚えてるだけの俺じゃ、きっと彼女の心に届かせることは出来ないから。

 

 だから……俺に出来たのは、必要なモノを揃える事だけだった。

 

 

 

 

 

──保有技能【依存少女】

 

 

 

 

「『これ』で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。

 

 そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから」

 

 

 

「………………え?」

 

 

 

 静かに、影が覆う。

 止まっていた時計の針が動き始めるかのように。

 

 母親の名を冠するひとのカタチが、少女を腕に抱いた。

 

 それはいつかの。

 父親に叱られた女の子(メアリー)を、精一杯慰めようとする誰かの腕と、同じ。

 

 

 

 

「──ぁ、あぁ……! ママ……ママ!」

 

 

 

 孤独に泣く子供に必要なのは。

 

 剣ではない。

 

 真新しい物語でもない。

 

 

 

「ママ……マ、マ……トト。トト、ね……頑張っ、たよ……」

 

 

 

 ずっと。

 彼女の近くにあり続けた、母の温もりと『子守唄(マザーグース)』。

 

 泣き止ませる為に必要なモノは、最初からすぐそこにあったのだ。

 

 

 

「で、も…………ごめん、ね……ママ…………ごめん、なさい…………マザー、グース……」

 

 

【──おやすみなさい】

 

 

「……マ、マ…………」

 

 

 

 例え偽善的な、"仮初めの嘘"だとしても。

 

 せめて、依存するしかなかった少女を、休ませてあげられるなら。

 自己満足だとしても、精一杯胸を張ってやる。

 だからこれは、優しさとかじゃなくて。

 

 

「…………お疲れ様、メリーさん」

 

「……優しいね、ナガレ」

 

「……そんなんじゃない。こういうのは、お節介って云うんだよ」

 

 

 何度も窮地に追い込まれた、魔女の弟子、トト・フィンメル。

 マザーグースに取り憑いたメリーさんから手渡されたその強敵の身体は、あまりにも軽い。

 

 

 

 

「トト・フィンメル選手…………戦闘不能と見なします。よって、決勝戦へと進出するのは、勝者────」

 

 

 

 けれど、フードを被せてやる前に見えた寝顔は、年相応に……無垢で、安らかだった。

 

 

「──サザナミ・ナガレ選手!」

 

 



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Tales 84【Swallow Tail】

 いつからソレを眺めているのかすら、あやふやだった。

 全身が地に足付かない、ぼやけた浮遊感。

 立ってるのか。寝そべってるのか。歩いてるのか。もしかしたら飛んでるのかも知れない。

 

 でも脳裏を占めているのは、不確かな自分の『現在』より、眺めている『過去』だった。

 

 

 

《落としたランドセルと、立ち尽くす俺。目の前には、首に紐を巻いた父親がぶら下がっていた》

 

 

 

 セピア色に薄れたかつての光景が、スライド写真みたいに流れていく。

 過去の傷。どんな魔法でも癒える事のない痕。

 今更見せ付けて、なんになるんだ。

 

 

《葬儀の場。親父の遺影を胸に抱いて、立ち尽くしている俺。焦点の失せた、空っぽの瞳》

 

 

 なんたってこんなものを、見せられてるのかと思ったけども。

 もしかしたら、これ、かもなと。

 

 空っぽの目。伽藍堂の瞳。

 ついさっきお節介をかました泣いてる子供と同じ、寂しい目をしていた『かつて』。

 

 セピアが流れる。

 

 

 

《泣いてる子供の俺と。あやす様に皺だらけの掌で頭を撫でてくれる、爺ちゃんの姿》

 

 

 あぁ、そうだ。

 親父がもう居なくて、母親が居なくなって、そんな俺に、一番世話を焼いてくれた人。

 爺ちゃん。細波 一聖(さざなみ いっせい)

 きっと俺も、この人みたいに……空っぽの目を、何とかしてやりたかったんだろう、って。

 

 そして、セピアが、流れた。

 

 

《都市伝説を求めて、目を輝かせて廃墟に突入する俺と。そんな俺に呆れながらも、付き合ってくれる……、──》

 

 

 

 

────

──

 

【Swallow Tail】

 

──

────

 

 

 

「はへっ?!」

 

「?」

 

 

 目の前の色彩は途端に、セピアから鮮やかな真紅へと。

 ついでにどっから出したと疑いたくなるような素頓狂(すっとんきょう)な女の声。

 

 

「ほぬわぁ?! い、いいいきなり目を覚ますんじゃありませんわよ!」

 

「んなこと言われても……なにやってんの、お嬢」

 

「な、なにって、別になんでも! 男なら細かい事を気にすんじゃありませんわ!」

 

「起き抜けに、んな至近距離に居られて細かいも何も……ってここ、控え室じゃん。あれ、試合は」

 

「え、試合って……ちょっと貴方、寝惚けてますの?」

 

「それだけ力を使い果たした、って事なんでしょうね。おはよう、ナガレ」

 

「ほっほ。おはようございますナガレ様。といっても、もう夕食時でございますが」

 

「セリアとアムソンさんも……」

 

 

 色褪せた眠りの世界から一転の、騒がしさと人の気配。主に騒いでるのはお嬢だけど。

 見渡すまでもなく見付けられた顔触れ。

 けれどもぽっかりとあいた空白の時間に首を捻れば、背を離したベッドの端に、セリアがゆっくりと腰掛けた。

 

 

「どこまで覚えてる?」

 

「……試合終わったとこまでは」

 

「じゃあ、貴方があの娘を相手側の控え室まで運んで、そのまま倒れた事は覚えてないのね」

 

「……ん。なんかそれっぽい記憶はあるな」

 

「ふん。普段はわたくしをおちょくってばかりなのに、淑女の支え方だけはそれっぽく出来ますのね。ナガレの癖に」

 

「は?」

 

「ほっほ、お気になさらず。これみよがしに『見せ付けられた』と妬いているだけの事です」

 

「アムソン!」

 

(……支え方。あー、もしかしてトトをお姫様抱っこしてたから? いやナガレの癖にってさ)

 

 

 お嬢の反応はともかく、記憶の空欄も少しずつ埋まっていく。

 まぁつまり、トトを運んで、そのまま倒れて。

 んで俺もまた、ここ数日で常連となったいつもの控え室に運ばれたって訳か。

 

 

「で、そのトトは?」

 

「魔力の過剰消費で衰弱してるけれど、治療士も派遣されていたようだし、しばらくすれば意識は戻ると思うわ」

 

「治療士、か」

 

「貴方が今考えてる心配も問題ないわよ、きっと。試合中にああいう状況になったとはいえ、トトは魔女の弟子。彼女に害なす行為はヴィジスタ老が許さないでしょうから」

 

「……」

 

 

 尋ね先を手早く記されて、思わず押し黙る。

 参ったな、そんなに分かり易い顔したのか俺。

 照れとも恥とも違う居心地の悪さに口を真横に引き結べば。

 複雑な色を浮かべたお嬢の瞳が、揺れた。

 

 

「そんなに気になりますの?」

 

「お嬢?」

 

「わたくしだって、別にあんな小さい娘を相手にこぞって罵声を挙げるほどじゃありませんけど。それでも、魔物憑き、というのは……エルフのわたくしから見ても、こう、抵抗感がないとは言えません」

 

「……」

 

「だから、その。あの子の何が、ナガレに、あんな危ない橋を渡るまでのことをさせたのかと……」

 

「……危ない橋か。自爆特攻かましたお嬢に言われるとはね」

 

「ちゃ、茶化すんじゃありませんわよ!」

 

 

 魔物憑きか。

 確かに列記としたこの世界の住人からすれば、俺の行動は不可思議に等しいんだろう。

 でも正直、異世界人の俺からすれば本当に、魔物憑きだろう何だろうが、んな事は知ったことじゃなくて。

 だからこだわった理由は、もっと別。

 

 

「あいつの目が、気に入らなかったってだけ」

 

「目が?」

 

「そそ。前を向いてるってより、前に付いてるってだけの……そんな、虚しい色した目が、気に入らなかった。そんだけ」

 

「…………そう、ですの」

 

 

 本当に、それだけの理屈。それだけの身勝手だったから。

 身勝手な感傷の糸が尾を引いて、舌先を苦くする。

 納得したような、そうでないような。

 お嬢にしては曖昧な相槌が、やはり異なる世界の考え方という線引きを浮かび上がらせた。

 

 

(けどアムソンさんは兎も角、あれだけ魔物に容赦がないセリアは、何も言って来ない……)

 

 

 てっきり、俺の行動に真っ先に噛みついても不思議ではなかっただけに。

 静かに壁をみつめる寡黙な横顔は、青髪のカーテンに遮られて表情が読めない。

 けれどわざわざ尋ねる訳にもいかず、胸中に奇妙な後味だけが沸いた。

 

 

「……」

 

 

 無理矢理に打ち切った言葉のバトンを、繋ごうとする手は伸びず。

 シンと、形容しがたい静寂に包まれた空気は、しかし勢い良く入室してきた存在に呆気なく破られた。

 

 

「やーやーやー! ナガレくん、おっつかーれーさーん!」

 

「あ、エース」

 

「ちょ、ノックぐらいなさいな! マナーがなってないですわね」

 

「すいません皆さん、お邪魔してしまって」

 

「し、失礼します」

 

「ジャックとピアも。らっしゃい、どしたの?」

 

「どしたのーって。功労者がすっとぼけるんやから、隅に置けんなぁ」

 

 

 陽気な救いの神来たる。

 しかし、功労者って何だ。

 結構テーマの重い話をしてただけに、直ぐにピンと来ない。

 

 

「ボクらとの契約の交換条件、これでめでたく達成っちゅー事やね。いやぁ、よー頑張ってくれたね」

 

「……あ、そか。精霊樹の雫」

 

「はい。ナガレさんがトト・フィンメルを降してくれたお蔭で、私達に雫が渡る事が確定しましたから。ですので、そのお礼と、お見舞いに」

 

「えっと……どうぞ。中身は『リフラハーブ』っていう薬草で、煎じて飲むと、疲れが直ぐに取れるそうです」

 

「ほっほ、エシュティナで採れる希少品でございますな。此方で御目にかかれるとは……ふむ。扱いは心得ておりますので、今宵辺りこのアムソンが茶薬に煎れましょうぞ」

 

「へぇ……ありがとう。んな高いモノをわざわざ」

 

「なっはっは! ええんよええんよ。受けた恩に比べれば、これくらい全然安上がりっちゅう話やし」

 

 

 いつもの笑みと饒舌に拍車が掛かってるエースは、相当に機嫌が良いらしい。

 いや、機嫌が良いというよりも、肩の重荷が降りた様な安堵ってのが近いか。

 付き合いも浅いとはいえ濃い時間を過ごして来ただけに、飄々とした笑顔の裏に潜めた情感も少しは計れた。

 

 

「……あ、あの」

 

「ん、どしたの?」

 

 

 深めた思考にそこまでと区切りを付けたのは、此方をじっと見つめていたピアの控えめな声だった。

 上機嫌なエースとは対照的に、赤縁眼鏡のレンズの奥で、躊躇いを溶かしたグレーが揺れている。

 

 首を傾げながらも急かさずに続きを促せば、小動物的な仕草を奥に仕舞って。

 意を決したように、俊敏な動きで俺の手を握った。

 

 

「す、少しだけ! 少しだけ、お時間貰えませんか?

 お話、したい事があって……ナガレさんと、二人だけで」

 

 

「────へっ?」

 

 

 控えめな性格のピアに似合わない思い切りに、間の抜けた声が漏れた。

 俺のじゃなく、お嬢のだけど。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 苦しむ吐息が、一際強かった。

 直接鼓膜を打つくらいの大雨のオーケストラ。

 遠くで走る雷の悲鳴。

 濡れ歪んだ泥を走る、ぐちゃっとした不協和音。

 

 曖昧な世界に幾つもある音の中。

 傍で聞こえる荒い呼吸が、不思議と世界で一番強かった。

 

 

『……あまねく世に満ちる精霊様。お願いします。どうか、慈悲を』

 

 

 吐息が、救いを請う願いごとに変わる。

 鼻も目も、動いてる唇さえもあやふや。

 濡れた髪、の"金糸雀色"の輪郭だけが辛うじて映る。

 

 

『この子に罪はありません。裁かれるべきは──ですから……ただ、生まれ落ちただけの無垢な命を、お救いください』

 

 

 だからこの頼りない世界で、知るべきなのは。

 頼るべきは、安心させてくれるのは、きっとこの人なんだと。

 

 

『トト……ごめんなさい。どうか、健やかに』

 

 

 泣きながら、それでも綺麗なその女性を。

 純白のシルクを修道女の様に被った泣き顔を。 

 抱かれていた腕と、額に落とされた暖かい滴を。

 

 角を持つ、幼い赤子は求めている。

 それは蛹に育った今でも、ずっと。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 光を眩しいと目を細めることが、酷く懐かしい。

 だからぼやけた靄を払う事を優先して、届くはずのない天井に向かって手を伸ばしてる自分に疑問を持つのが遅れたのだろう。

 

 

「……」

 

 

 身を起こせば、包んでいた絹布が剥がれる。

 ゆったりと風景を追いかける大きな紫水の瞳が、パチパチと瞬いた。

 

 

「?」

 

 

 室内。控え室。いつの間に。なんで此処に。

 

 途切れた散文みたいな、確認と疑問。

 夢に降った大雨が生んだ霧に隠されてしまったのか、いくら考えてみても結論は出ない。

 

 

「……!」

 

 

 しかし、部屋の隅に物静かに置かれた『ソレ』を少女が目にした途端。

 身を包んでいた暖かな布が床に落ちるのを気にも留めず、彼女はソレの直ぐ傍に歩み寄り、立ち尽くした。

 

 

「マザーグース……」

 

 

 それは棺であり少女にとっての、母の在処で、求めている全て。

 詠われない子守唄。繋ぎ手がなければ動かない、ヒトの形。

 渇いた黒板の蓋を前に、立ち尽くす。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 うわの空で、彼女は呟いた。

 棺の中の母親。

 唯一辿れる面影を象り、少女自身が作り上げた、少女にとっての母親。

 繋ぐ糸無くしては、動く事はないカタチ。

 

 

「トト、負けた。負けちゃった……」

 

 

 それでも、命を吹き込められる神秘があれば。

 例えば、万病を癒す神秘の雫を使えば、もしかしたら。

 そう願い、請い、すがり、求めるままに身を投じた彼女の闘いは……もう幕が降りてしまったから。 

 

 目の奥から足の爪先へと、見えない何かが流れ落ちていく喪失感に、抵抗する術もない。

 身を包む厚い殻が少し剥がれる様な、小さな手が寒気に(かじか)む。

 少女の。トトの願いは、叶わなかった。

 

 

 

『"これ"で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから』

 

 

 

 なのに。

 残ってる。空っぽじゃない。

 耳の奥に、細い背中に、無垢な心に。

 

 

【──おやすみなさい】

 

 

 

 蛹の殻の内側の世界に。

 腕さえ広げれない窮屈な世界に。

 何かが響いている。暖かい何かが。

 

 

「……ママ」

 

 

 少女は棺に額をつけて、目を閉じた。

 殻の内側は途方もなく暗かったはずのに、仄かに温かな光が灯って。

 蝶の羽ばたきみたく、ささやかに揺れる。

 

 

「……」

 

 

 呆気なく差し出された優しさを前に、戸惑う。

 優しさなのかどうかさえ、分からないまま。

 仄かな温度に脅えて、それでも心を逸らせなくて。

 

 ほつれた跡から零れる涙が一粒、音無く落ちた。

 

 

「……、──」

 

 

 

 蛹は殻をまだ破れず、腕を畳んで、棺に寄りかかるトト・フィンメルの姿は……

 

 暖かい腕に抱き締められるのを、ただ待つ子供の様だった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

『そうか……負けたか。しかも、角の力にまで頼って』

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

『……それで、マザーグースは? まさか滅茶苦茶に壊されたとかじゃないじゃろう? 直すにしても、素材集めからしてめっさメンドイんじゃが……』

 

 

「ううん、無事。トトだけでも直せる」

 

 

『へぇ。そうかそうか……愉快よのう。お前を負かせるだけでも中々に手こずるだろうに。その精霊奏者もどき、名前は? いくら人の名前を覚えるのが苦手なお前でも、流石に負かされた相手の名前は覚えとるじゃろ?』

 

 

 

 

「うん。サザナミ ナガレ…………覚えた」

 

 

 

『……ほぉう。サザナミ・ナガレ。随分変わった響きの名前じゃ。愉快愉快、いとおかし。

 

 ふむ……可愛い弟子を負かした、噂の精霊奏者の小僧じゃ。

 

 どんな面構えか、直接会うてみるのも一興、よのう?』

 

 

 

 

 



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Tales 85【メトロノームの歯車】

「大人しい顔して大胆っていうか、積極的っていうか……てか俺大丈夫? 兄ちゃんに大剣でズバーっていかれたりしない?」

 

「しませんよ! も、もう、分かってるのにからかわないで下さいよぅ」

 

 

 遠くに虹色の街並みが一望出来る高台では、慌てふためくピアの声もよく響く。

 精霊樹が枝を伸ばす聖域が近場にあるからか、泉から流れる澄んだ風が首筋を撫でた。

 

 

「にしたって、ありゃ誤解招いても仕方ないと思う」

 

「うぅ、すいません……な、ナナルゥさんもすっごく驚いちゃってましたね」

 

「まぁお嬢は色々とオーバーなとこあるから、変にフォローするよか放っとくのが吉」

 

「そうですか……すいません」

 

 

 こう言っては憤慨したお嬢に折檻食らいそうだけど、と。

 要望通り二人きりになれるよう選んだ場所に出向く際に、機嫌悪そうに睨んで来た膨れっ面を思い出す。 

 軽く茶化してみても、寒空すら溶かすほどに顔を真っ赤にして萎縮するピア。

 ピアって名前だけあって随分ピュアな反応だが、思ったままを口にすれば余計寒さが増すので止めとこう。

 

 

「んじゃ、そろそろ本題……聞かせて貰っていい?」

 

「あっ、はい。えっと、わざわざこうして二人きりになって貰ったのは……ナガレさんにお願いがありまして」

 

「お願い?」

 

「……はい」

 

 

 恐る恐ると此方を窺うグレーの瞳は大きな迷いを秘めているようで。

 鳴りもしない足踏みが聞こえた気がした。

 

 

「フォルを……お兄ちゃんを、止めて欲しいんです」

 

 

 

────

──

 

【メトロノームの歯車】

 

──

────

 

 

 

「はぁ、紛らわしいったらありませんでしたわね。淑女たるもの、もう少し落ち着きというモノを持ち合わせませんと」

 

「ほっほ。取り乱すのも愛嬌とは思いますが、お嬢様の立場からすればはしたないと取られかねませぬからな。お気をつけて下さいませ」

 

「…………ん? お待ちなさい。なんでわたくしが気を付けねばなりませんの」

 

「なっはっは! 真っ先に焦っといてよう言うわ。二人が出てく最後までぶっすーとしたったんはナナルゥちゃんやん?」

 

「ち、違いますわ! あ、あれはナガレの様なお調子者と二人きりで、なんて言い出したピアニィの身を案じただけですの!」

 

「ほぉらまた焦りだした。おもろいなぁ自分」

 

「エース、デリカシー無さすぎですよ」

 

「ぐえっ! ちょ、鳩尾はアカン……」

 

 

 さっきまでナガレの寝ていたベッドにぼすんと腰を下ろして不服を訴えるが、明け透けな態度に思わぬからかいを受けて、ナナルゥの頬に熱が纏う。

 憐れんだジャックの鋭い肘の制裁によって多少溜飲は下がったが、それでも不満は残る。

 

 紛らわしい言い方をしたピアもピアだが、あっさり付いていくナガレもナガレだと。

 何かしらの考えでもあるのだろうが、なんだか面白くない。

 

 

(……祝いの席でも、と思いましたのに)

 

 

 そんなナナルゥの不器用な不満を、危惧とでも捕らえたのか。

 やんわりとした笑みを浮かべながら、ジャックが口を開いた。

 

 

「ナナルゥさんが心配するような相談内容じゃないと思いますよ」

 

「心配なんてしてませんわよっ……なにか心当たりでもあるんですの?」

 

「えぇ。きっと……フォルティの事じゃないかと」

 

「フォルティ?」

 

 

 考えれば、面識の薄いナガレとピアの間を繋ぐ要素として浮上しそうな名前だが、ナナルゥにとっては思慮の外だったらしい。

 オウム返しに呟いて目を丸めれば、エースが黒い髪をぼさぼさと掻き回しながら溜め息をついた。

 

 

「せやろねぇ……ま、どっちも必死になると周りが見えなくなるというか……血は争えんなぁ」

 

「……?」

 

「ボクから言うんはちょっとな。後でナガレ君にでも聞いてみたらええよ……多分、教えてはくれんかもやけど」

 

「どういう意味ですの、それ」

 

「なっはっは! 男の意地も噛んでる事やからねぇ……外野はそっとしとくのがええよ」

 

 

 意味ありげに含ませて結局肝心を掴ませない。

 エースの煙に巻くような曖昧な物言いに、ナナルゥの眉がむっと潜まる。

 彼女からすれば自分よりも付き合いの薄い男が、ナガレの事を分かったように語るのが気に入らないだけなのかも知れない。

 

 しかし当人はそんなエルフの機敏を飄々と受け流しながら、手を打ち鳴らした。

 

 

「さて、ほんなら……セリアちゃん。そろそろ行こか?」

 

「えぇ、そうね」

 

「えっ? セリアまで何処に行くって言うんですの?」

 

「セントハイム城よ。援軍要請の件……一口に傭兵団との契約といっても、相応の手続きというのは必要だから」

 

「ボクらとしても、王様からの判子があるとないとじゃ動きやすさが違ってくるからなぁ」

 

 

 傭兵団エルディスト・ラ・ディーはセントハイムの軍ではない。

 だが国内に本拠を置いている大規模な団体である以上、どんな理由であれ他国領へと押し掛ければ、様々な摩擦(まさつ)を産む。

 故に、セントハイムからの援軍という大義名分は必要不可欠。

 セリアが幾度と登城していた理由も、ヴィジスタと要請内容を調整する為でもあった。

 

 だが。

 

 

「ま……セリアちゃんにとっては、それだけが目的じゃなさそうやけど」

 

「え?」

 

 

 セリアが此度、登城する目的は、援軍要請だけではないのだと。

 そう語るエースの言葉に誘われてナナルゥが目を向けた先には。

 

 

「……どうかしらね」

 

 

 感情を表に出す事の少ない麗人の涼しげな、けれど確かな決意を宿した眼差しが青く灯っていた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「止めて欲しいって……フォルを?」

 

「……はい」

 

 

 って言われてもな。

 多分フォル関連なんだとは思ってたけど、止めて欲しいっていうのは少し要領を得ない。

 

 

「ナガレさんには、私達が闘魔祭に参加してる理由はお話しましたよね」

 

「二人のお祖父さん……『メゾネの剣』の強さを知らしめる為だろ、確か。もう過ぎた話だ昔の話だーって言ってくる奴らを見返してやりたい、みたいな話だったっけ」

 

「はい、覚えてくれててありがとうございます」

 

「フォルの気迫も凄かったから。孫としちゃ、身内をんな風に馬鹿にされっ放しじゃいられなかったんだろうなーって」

 

「あ、そのですね。孫といっても、実は私もフォルもお爺ちゃんと血が繋がってる訳じゃないんですよ」

 

「え、そうなの?」

 

 

 早々に飛び出した予想外に目を丸めれば、曖昧な笑みを浮かべながらピアはこくりと頷く。

 秋風に渇かされて、わずかに細まる瞳。

 夜の湖畔に漕ぎ出す舟の様に静かなグレーが、切なげに揺れていた。

 

 

「もともとお爺ちゃんの世話になる前、私達のお家は商いを稼業にしたんです。物心付いた時に遊んでだのだって天秤とか算盤とかの玩具で、剣や杖なんてまだ危ないからって、触らせても貰えませんでした」

 

「へぇ、商人だったのか。確かにピアは、そっちの方が似合ってそうだな」

 

「よく言われます。私もどんな商品がお客さんに喜んで貰えるんだろうとか考えるのが好きですから、争い事よりはそっちの方が向いてるんだなって。でもお兄ちゃんは勘定の計算とか細々した事が苦手で……」

 

「あぁ、それっぽい。商人の勉強とか抜け出して、地元の悪ガキと一緒に遊び回ったりとかしてそうなイメージだ」

 

「あはは……大正解です。よく村の男の子達と一緒に落書きとか悪戯して、お父さんに叱られてばっかりなお兄ちゃんでしたね。お父さんもお兄ちゃんも頑固で、お母さんが仲裁しなきゃ一晩経っても仲直りしないし」

 

「……」

 

 

 しっかり者の看板娘。退屈嫌いのわんぱくな悪童。

 思い浮かべるのに苦労しない。

 流暢に語られる身の上話、含む懐旧の情は深く。

 瑠璃色混じりの茜空へ向けて馳せる想いが、幼さの残る横顔を自然に大人にしていた。

 

 

 でも、背伸びのような歳相応な不自然さがそこにはない。

 物悲しさを感じたのは、多分。

 それだけ乗り越えなきゃならない過去があったっていう、痛ましい傷痕に見えたから。

 

 

「……けど、今から三年前のある日、隣町で流行り病が蔓延しちゃった時があって。治す為の薬品を届ける為に私達は街道に出たんですけど……その途中で、魔物に出くわしちゃって」

 

「!」

 

「普段街道に魔物なんて出ないし、稀に出てもゴブリンとかの低ランクの魔物くらいで。魔物除けの霊水も撒いてたから、弱い魔物も近付けないはずなんですけど……運が、良くなかった、のかな……」

 

「強い魔物だった、って事か……」

 

「はい……デスサーペントっていう、背中の広い大きな蛇。街道どころか人の踏み込まないような深い森や砂漠にしか居ない魔物なのに。お父さんもお母さんも、そんな強い魔物相手に太刀打ちなんて出来なくって。私達を逃がそうとして、そのまま……」

 

(……両親を目の前で亡くしたのか)

 

 

 目の前で、親を亡くす。

 音にしたって沈んでくだけの重みは、ポケットの中の掌に、掴めない透明を握り締めさせた。

 

 

「でも、私達兄妹は助かった。お爺ちゃんが、今にも私達に襲いかかろうとしてたデスサーペントを倒してくれたから」

 

「こういったら何だけど、不幸中の幸いってヤツか」

 

「はい、少し皮肉な話ですけどね……昔のお友達に会いに行く途中で、街道を通り掛かったらしくて。それで、お父さんとお母さんを喪った私達を、お爺ちゃんが引き取って育ててくれたんです」

 

「……血が繋がってないってのはそういう事か」

 

 

 両親を喪った悲哀と、それでも大切を持ち得た幸福が半々に溶けたような、形容しがたい微笑み。

 一つの悲劇と新しい馴れ初めを手渡されて、隣立つ女の子の輪郭がよりはっきりと見えて来る。

 

 けれども、まだ本題の核心には至っていない。

 

 

「でも、英雄って言われるくらいのお爺さんなんだろ? くちさがなく言うヤツも居るって話だったけど、むしろ結構持て囃されるもんじゃないの?」

 

「……えっと、お爺ちゃんの住んでる村では、今も英雄様って呼ぶ人達も居るんです。けどお爺ちゃん自身そう呼ばれたくないというか……剣を持つ事も、あんまり好きじゃないみたいで」

 

「そうなのか、なんか意外」

 

「だと思います。お爺ちゃん、普段は一日中畑仕事したり本を読んだり、英雄ってイメージとはむしろ正反対なんじゃないかな。お兄ちゃんが何度も剣を教えてくれって頼んでも『鍬でも振っとれ』って取り合いもしませんでしたし」

 

「……」

 

「だから、なのかな。村の、特に若い人達に『昼間のランプ』とか『メゾネの剣はとうに折れた』みたいな事を言われるのも少なくなかったんです。お爺ちゃん、本当はとっても強いのに……お爺ちゃん自身も、否定するどころか平然としてて」

 

「それが悔しかったんだな……」

 

「……はい。私も勿論。でもお兄ちゃんはきっと私よりもずっと悔しかったんだと思います。何度も村の人と喧嘩になってましたし、お爺ちゃんにも食ってかかるぐらいでした。その頃からずっと、俺が『メゾネの剣』の強さを証明するんだって……強くなる事に必死になって」

 

 

 ピアの言葉に連れ添って思い浮かんだのは、初めてフォルと会った時のこと。

 荒削りな剣みたいな目付きと他者を寄せ付けない態度。

 初対面でもそれとなく伝わる必死さが、焦燥とも映ったんだが。

 

 

「……それで遂に、もう我慢出来ないって、村から飛び出しちゃったんです。お爺ちゃんの剣を持ち出して」

 

「持ち出して、って。マジか。ピアも一緒に?」

 

「うぅ、えっと……はい。お兄ちゃん一人じゃ色々と心配で。それに、その、私も……『メゾネの剣』の強さを証明出来るようになりたいって気持ちは一緒だったから」

 

「なんつーか思い切りが良いというか、無鉄砲というか」

 

「返す言葉もないです……それで、それからギルドで依頼をこなしてく内にキングさんと知り合って……今に至るって感じでして」

 

 

 紆余曲折な経緯(いきさつ)の中で、ピア自身、軽率な行動だったと思い返す所はあるんだろう。

 俯きがちな小さな背が言葉尻と共にすっかり萎れてしまっている。

 

 でもこれで、ようやく見えて来た。

 フォルの強さと、裏にある"危うさ"。

 ピアがこうして俺に話を持ち出して来た核心も、きっと──

 

 

「でも時々……お兄ちゃんを見てると、恐くなるんです」

 

「……」

 

「……エルディスト・ラ・ディーに入団して、闘う力をどんどん身に付けて、お兄ちゃんは凄く強くなってます。お爺ちゃんを馬鹿にした人達を、見返してやりたい。メゾネの剣は折れないって証明したい。その為に強くなるんだって一杯一杯、努力して。

 

 でも、それが段々、強さを求める気持ちそのものに取り憑かれてしまってるみたいに見える時もあって……このまま突き進んでしまったら、お兄ちゃんまで居なくなっちゃうんじゃないかって──恐くなるんです」

 

 

 『どちら』の気持ちも、分からなくも無かった。

 フォルの目的に向けた、愚直なほどの意志の頑なさ。

 その真っ直ぐ過ぎる意志がまるで諸刃の剣のように、ピアには映っているのかも知れない。

 

 真っ直ぐである分、脆く崩れやすい。

 目の前で両親を喪った彼女だからこそ、その予感を人一倍恐れてしまうんだろう。

 

 

「それで、俺に止めて欲しいって頼んで来たのか」

 

「……勝手なのは勿論、分かってます。でも、今日の試合を観て……ナガレさんなら、止めてくれるかも知れないって思ったんです。

 

 トトさんを、魔物憑きとして倒すんじゃなく……一人の人間として受け止めていたナガレさんなら……」

 

「……そっか」

 

 

 止めて欲しいというピアの願い。

 それを願うだけの理由も、経緯も、全てではないにしろ分かった。

 

 でも、それ以上に俺に分かった事は。

 

 フォルの目的と、"取り憑かれてる"ってぐらいに強さに固執する理由と。

 大切な人を失いたくないって気持ちを、折れそうなぐらいに強く抱えてるのは、きっと。

 

 

(ピアだけじゃないんだろうなってことだ)

 

 

 だから俺が返すべき答えは、ひとつだった。

 

 

「残念だけど、無理だろうね」

 

「……!」

 

「ピアの危惧する所は間違ってないと思うし、止めてくれって気持ちも分かるけどな。けど、話を聞いたぶん余計に、経緯を知った程度の俺の言葉なんかで、どうにか出来るとは思えない」

 

 

 にべもない突き放し方に、小柄な肩が震える。

 彼女がどれだけの想いで俺にこの話を打ち明けたのかは、分かってるつもりだ。

 

 

「正しいだけの言葉や単なる力の差で止まるほど、器用な生き方してる奴じゃない。それこそ、折れないつもりだろうねアイツ。それはピアが一番分かってる事だろ」

 

「…………」

 

 

 それでも『俺』は、この願いを受け入れることは出来ない。

 ピアの話の裏にあった、フォルティ・メトロノームの我無者羅(がむしゃら)な決意と覚悟を見つけてしまったから。 

 

 

「だから……悪いけど、ピアの頼みを聞く事は出来ない」

 

「……そう、ですか……」

 

 

 はっきりとした断りの言葉に、ピアの瞳が失意に染まる。そんな少女の心を慰めようとしたのか。

 通り抜けた無自覚な夜風が、彼女の身体を縮こませる。

 本音を言えば、心が痛む。

 必死なのはピアも一緒なんだろうし。

 それだけに、無責任な約束なんて結んでやる訳にもいかなかった。

 

 

──まぁ、だからってフォルの覚悟を肯定してやるつもりもないけどな。

 

 

「あの、ほんと、ごめんなさい! いきなり変なお願いなんかしちゃって……さっきの話は、忘れてくださ──」

 

「いや、忘れるつもりは絶対ないけど」

 

「……え?」

 

「むしろ謝んなきゃならないのは、俺の方かもだし」

 

「え、あの……どういう、意味ですか?」

 

「秘密」

 

 

 戸惑うように目を白黒させるピアに、意地の悪い笑みだけ返して、歩き出す。

 我ながら大人げない事だと思うけど。

 それでも、ピアの話を聞いて、フォルの意志を知って。

 やるべき事を、見付けてしまったから。

 

 

(……悪いね、ピア。そして、フォル)

 

 

 正しさなんて蚊帳の外な、決意と覚悟。

 それはまるで、いつかのどこかの、誰かに取り憑いた偏執。

 なら、今此処に居る俺が出来る事はきっと。

 フォルを『止める』事じゃあないんだろう。

 

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。

 私も、私でやるべき事を』

 

 

 

 止めてやるだなんて上等な真似、向こうから願い下げだろうから。

 否定もせず、肯定もせず。

 ただ俺に出来る単純を尽くそう。

 

 

(やりたい事、やりたいように。そうだよな。最後の試合くらい……らしく行かせて貰おうか)

 

 

 静かな決意と共に砂利を足踏み、空を見上げる。

 

 瑠璃色と茜が混ざった彼方に、白い月が薄く浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 



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Tales 86【悪戯と蜜菓子】

「あー、いって……ハァ。ほんとお嬢は容赦ないな」

 

 

 夕焼けの名残もすっかり紺碧に呑まれた夜の下。

 ヒリヒリと痛む頬を擦りながら、らしくもない独り言を雑踏に落とす。

 言わずもがな、お嬢に引っ掻かれて出来た傷痕だ。

 猫かと。リアルにフシャーって威嚇して来たし。

 

 

 というのも、話を終えてピアと一緒に闘技場まで戻った時のこと。

 入り口で俺達を待ってくれてた面々の中で、何故か息巻いていたお嬢に、落胆したピアの姿を見られたのが不味かったのかも知れない。

 

 ピアの落ち込み具合をどう解釈したのか。

「ま、まさか……本当に不埒な事しましたの?! 裏切り者! 信じてましたのに!」と、一目散に飛び掛かって来たのだ。

 いやもう、それこそ猫みたいな身のこなしで。

 仲裁してくれそうなセリアとエースが、援軍の話で登城してたってのも不幸だった。

 

 

「せめて弁明の余地ぐらいくれっての……」

 

 

 勿論お嬢が考えてる様な事実は一切無いので誤解もピアが直ぐに解いてくれた。

 しかし息つく間もなく、今度は「じゃあ何があったんだ」という追求の嵐。

 

 

「お嬢にも困ったもんだよ」

 

 

 流石に内容が内容なだけに口を閉ざすしか無かったんだけど、そしたらもう、ものの見事に拗ねられた。 

 取り付く島もないってくらいに。

 何故かジャックがごめんなさいって頭下げてた。

 

 

 で、結局。

 お嬢の嵐が過ぎ去るまで、宿屋に戻らず時間を潰す事にした訳だけど。

 

 

「…………せめて相槌ぐらい打ったら? それともなに、気付かれてないとでも思ってんの?」

 

「んぐんぐ。いやいやまさか。だが食事の途中で口を開くのは流石に、はしたないだろう?」

 

「食べ歩く時点でマナー悪いだろ。てかね、アンタは毎度毎度、なんで俺の背後に回んの。俺の背後に居なきゃ死ぬ病気にでも掛かってんの? なぁオイ、セナト」

 

「もぐもぐ。もぐもぐ」

 

「この野郎……」

 

 

 わざとらしい独り言を止めて振り返れば、そこには紙袋から肉まんらしき食べ物を新たに取り出すセナトの姿があった。

 しかも口でもぐもぐ言ってるし。嫌味ったらしい追求の躱し方だなオイ。

 

 いつからかは定かじゃないが、ずっとこうして俺の背後に寄り添って来て、かといって今の今まで特に何もせず。

 声掛ければニヤニヤしながらからかって来る。

 いやホント、なんなのこいつ。

 

 

「で、何の用?」

 

「冷たい言い草じゃないか。用が無ければ傍に居る事も許してくれないのか?」

 

「……は?」

 

「悲しいな。胸元を刃物で裂き、秘めたる所を暴き、屈服までさせられたというのに。私達の関係性は、そこいらの男女よりも余程深い所にあると認識していたんだがな……」

 

「……なにこのウザ絡み」

 

 

 てっきり用でもあるのかと思えば、これかよ。

 片腕を抱いて胸に谷間を作りながら、さも傷付いたと云わんばかりの、濡れた吐息。

 でも目だけはおもっくそ笑ってやがるし。

 横断歩道の白を一段飛ばしで渡るような邪気。でも可愛げはないし、似合わない。 

 セナトって、こんな面倒臭い奴だったっけ。

 

 

「くく、そう邪険にするな。たまたま羽根を伸ばしている所に、見知った背中を見つけた。それだけの事だよ」

 

「暇なのかアンタ。アルバリーズのお抱えじゃなかったのか?」

 

「残念ながら既に私はお役御免だ。あぁも見事に負けを晒した上で雇い続けてくれる程、大貴族は優しくはないらしい」

 

「……なんか怨みがましいなオイ。里に戻んなくていいの?」

 

「負けはしたが、遥々東からここまで来ておいて、早々に帰還というのも味気ないだろう」

 

「観光する気満々かよ」

 

「そうとも。"不埒な男"に色々と滅茶苦茶にされて、私の心はすっかり傷だらけだ。他国観光を愉しむぐらいの慰め、許されても良いと思うんだがな」

 

「出刃包丁で叩っ斬っても傷一つ付かなそうなオリハルコンハートが。なにを腑抜けたこと言ってんの」

 

「こやつめハハハ」

 

「ははは」

 

 

 試合はとっくに終わってんのに、何で繁華街で火花散らしてんだろうね。

 とはいえ、羽根を伸ばすという言葉に嘘はないらしい。

 いつもは口元を隠してる黒絹もオフだからと外しているのか、薄桃がかった唇が歯を見せて笑っていた。

 

 

「羽根を伸ばすって事は、暫く此処に滞在すんの?」

 

「さぁな。期間はとくに決めてない」

 

「良いのかそれ。有名な傭兵団の一員にしちゃ緩いね」

 

「引く手数多であるがこそ、緩める所は緩めなくてはな」

 

「それには同意見」

 

「お前の財布の紐も緩めてみるのはどうだ?」

 

(たか)る気かい」

 

 

 特に目的もなく背後から隣へと並び歩けば、他愛もない会話に不思議と華が咲く。

 黒椿なんてもっともらしい名前の傭兵団、てっきりもっと厳格な規律とかあるのかと思ってたけど。

 実態は違うのか、それともセナトが特別なのか。

 

 なんか後者っぽい。

 というか、セナトレベルが普通な傭兵集団とか恐過ぎる。むしろ後者であれ。

 

 

(……暫く滞在しようと思えば出来るのか)

 

 

 しかし、それはよくよく考えて見れば、一種のチャンスとも言えるんじゃないだろうか。

 セナト。

 勝った相手とはいえ、尋常じゃない強さの持ち主。

 もし味方だと仮定したら、そりゃもう心強いってレベルじゃない訳で。

 

 

「……あのさセナト」

 

「どうした?」

 

「リフレッシュが大事ってのは重々承知してんだけど、休み過ぎるのも……逆に『身体に悪い』と思わない?」

 

「────ほう。して、その心は?」

 

 

 いつぞやの予選の時。

 ジムの横入りに邪魔されて、結局は言えずしまいになってしまった考えを、もう一度聞いてみる最後の機会かも知れない。

 

 遠回しな牽制に直ぐ様気付き、影法師はニヤリと妖艶に笑う。

 いやまぁ、つくづく意趣返しだの皮肉合戦だの繰り広げて来た間柄だけどさ。

 

 

「黒椿のセナトに──頼みたい『依頼』がある」

 

「……財布の紐を緩める機会。思ったより早かったようだな、ナガレ?」

 

 

 

 打てば響くとでもいうか。

 話が早い間柄って、結構悪くないよね。

 

 

 

 

────

──

 

【悪戯と蜜菓子】

 

──

────

 

 

 

 

 イエスかノーかを問うにしても、まずは此方の事情を明かさなきゃ話にならないだろう。

 かといって歩きながら話せる内容でもないので、腰を据える場所が欲しい。

 

 そんな折に視界に入ったのは、奇遇にもセントハイムに来て始めて腰を落ち着かせた噴水広場だった。

 少なからずからずの縁頼みって訳でもないが、あやかる様に俺達は此処に隣合って座り、交渉の席としたのだが。

 

 

「ふむ、成る程。ガートリアムの使者がどういう経緯で闘魔祭に参加しているのかと思えば、祖国の危機だったとはな」

 

「別に祖国って訳じゃないけどな。一応エルディスト・ラ・ディーに力を貸して貰えはしそうなんだけど、戦力があるに越した事はないだろ?」

 

「聞くに、なかなか奇妙な情勢だな。魔物の軍勢の奇妙な動きもキナ臭い物がある。何かしらの準備でもしているのか、別の思惑か」

 

「そこら辺は正直俺にもさっぱり。けど備えあっては憂いなしだ」

 

「ほう。お前に負かされた私を、憂いを払う力と見なすと? 随分買ってくれてるじゃないか、照れるぞ」

 

 

 どうなんだろうな、これ。

 反応としては難色って訳じゃないが、相手が相手だけに浮き足立つのは宜しくない。

 現にこうやって隙あらばからかって来るし。

 

 相応の修羅場を潜ってるのか、切迫したガートリアムの状況を聞いても彼女は顔色一つ変えやしなかった。

 それは照れてるらしき今もだが。

 

 

「照れてから言え。てか、あんだけの出鱈目な強さ見せられといて、今更低く見積もる訳ないだろ」

 

「交渉事において、下手(したて)に出るのは得策じゃないぞ?」

 

「かもね。でも、試合であんたが俺を買ってくれた分、俺だってあんたを買ってる。そこに上手も下手もあるもんかよ」

 

「やれやれ、ときめくな。口説かれてるみたいじゃないか」

 

「いや、あんた口説けってなったら大人しく諦めて交渉のテーブル畳むって」

 

「くく、心底惜しい」

 

 

 真意は軽薄な物言いの霧の中。

 けどもその黒真珠の瞳は、油断なく俺の真意を見抜こうと、鋭く光る。

 手に冷たい汗がじわりと浮かんだ。

 

 

「さて。私を買ってくれる気持ちは心地良いが、この身は黒椿の傘の下。相応の報酬は必要になるぞ?」

 

「……そこなんだけど、さっきも話した通りガートリアムの使者としてのメインはセリアだ。だから、報酬額に関しては俺の一存じゃ決められない」

 

「あの騎士か。では、あくまでこの席は交渉ではなく、相談ということか?」

 

「……そうとってくれても良い」

 

 

 正直、やらかした。

 確かに金額に関しての相談はセリアを介さなきゃならない以上、これはいわばアポイントを取る段階だ。

 手の内を晒し過ぎだと言いたげなセナトの視線に、苦い想いが滲む。

 

 流石に軽率だったか。

 動揺に思わず目を伏せそうになったが、それを制するようにセナトは「ふむ」と、何故か"演技臭く"頷き、そして。

 

 

──俺のミスを、容赦なく(えぐ)って来やがった。

 

 

 

「ふふ。では、これはいわば交渉と言うより……"親しい友人からのお願い"を受けていると……そういう事だな? ん?」

 

「えっ。はい? 今なんて?」

 

「聞こえなかったのか? 親しい友人、と。そう言ったんだが」

 

「……え、なんなのそれは」

 

「おや。なんだ、違うのか? 生憎私は、そう親しくもない間柄の人間の相談を聞くほど懐広く生きていないんだがなぁ?」

 

 

 おい。おい。なんだそのニヤニヤした面は。

 え、何が狙いだよ。恐いんだけど。

 でも、なんか違うって言ったらこの話は打ち切られそうだし。

 

 

「そ、そういう事になる……の、か?」

 

「くく。あぁ、そうだとも。では、うん。それ相応の頼み方をして貰わないとな。そう、例えば……『親愛なる我が友、セナちゃん。親友の僕のお願いを聞いてくれないだろうか?』とでも」

 

「いやおい。おいこら!」

 

「なんだ? 僕という一人称は嫌か? 別にそこは俺でも構わんぞ。そこはな」

 

「いや待て! ふざけてんの?!」

 

「至って真面目だ……ぷふっ」

 

「こ、この……っ」

 

 

 こいつ。こんの野郎……!

 これが前交渉ってのを良い事に、全力で俺をからかいに来やがった。

 なんだよ親友って。まだ腐れ縁のが全然しっくり来るわ。

 

 さては、まだロートンの件に関して根に持ってやがんな畜生。

 いや確かに実力は買ってるけど。打てば響くやり取りしてる相手だけども。

 正直セナト自身に関しては、事あるごとに絡んで来るいけ好かない奴としか思ってない。

 

 つかセナちゃんっての何。マジで嫌なんだけど。

 恥ずかしいより、癪が勝つくらい嫌なんだけど。

 

 何より、この"無理矢理言わされるって状況"こそ、かなりの屈辱だった。

 

 

 

「くっそ……覚えてろよ」

 

「あぁ、分かってるとも。ナーくん?」

 

「ブホッ!」

 

 

 当然、向こうもそれを分かってんだろう。

 張り倒したいぐらいにムカつく笑顔で、促して来る。

 

 てかナーくんってなんだよ。嫌がらせか。

 あぁけど、ここで話を白紙にしたら……単に情報漏らしただけになる。

 

 

 クソッ。

 これでセリアとの交渉蹴ったら、本気でメリーさんとエイダけしかけるからな……!

 

 

「し……親愛なる我が友…………セナちゃん」

 

「なんだい、ナーくん」

 

「ぐっ! ……し、親友の……俺のお願いを、聞いて、くんない?」

 

 

「やれやれ、仕方ないなぁ。そこまで言う、なら…………くっははは! いやぁ、実にからかい甲斐のある奴だよ、ナーくん! これほどに愉快な気分は久しくなかった!」

 

「…………こっちは最悪の気分だよ」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 まぁ、その後。

 最悪な気分に陥った分、しっかり約束は守ってくれるという事で。

 

 明日の闘魔祭決勝戦の後に、依頼の報酬も兼ねての交渉の席に就くことを改めて了承してくれた。

 ついでに去り際に、『愉しませてもらった礼』として報酬額は多少は割り引いてやる、とも。

 

 最後まできっちりからかって来やがって。

 これで交渉まとまらなかったら、俺泣くぞ。

 

 

「……はぁ」

 

 

 発端を招いたのは俺とはいえ、とんだ羞恥を味合わされただけに、どっと疲れた。

 溜め息も、足取りも重い。

 だからだろうか。

 

 

「あぁ、お兄さん! どうも!」

 

「……ん? あ、前にハニージュエル買った時の」

 

 

 甘い蜂蜜の薫りと共に顔を上げれば、いつぞやの屋台のお姉さんが満面の笑みを浮かべていた。

 確かメリーさんと一緒に買ったんだっけ。

 

 

「はい、お久しぶりです! 今日は妹さんはいらっしゃらないんですか?」

 

「あー……今ちょっと眠ってて」

 

「なるほど、小さい頃は特に早寝早起き大事ですもんね。ところで、お疲れです? 前に見たときより顔色悪い気がしますけど」

 

「……まぁ。とてつもない精神攻撃受けまして」

 

「あ、あはは、そうなんですか。じゃあ、是非ともおひとつどうですか? 疲れには甘い食べ物が利きますよー!」

 

 

 なんとも商魂逞しい売り文句と一緒に差し出された『ハニージュエル』の紙袋。

 

 甘い香りは空腹を誘い、確かに疲れた身にも心にも、良く利いてくれそうだった。

 

 けど──最初に利いたのはどうやら頭の回路だったらしい。

 

 

 

『もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう』

 

 

(……そういや、そうだった)

 

 

 

 それ以上に、記憶の隅に置かれたとあるリフレインを連れ添って。

 色々あって危うく忘れてしまう所だった、ルークスとの約束。

 もしかしたら、もう待ってたりするのかも知れない。

 

 

 

『"今度は、詫びは要らない"。だから。

 

 私の名前──もう一度、呼んでみてくれ』

 

 

 

「……待たしてたら悪いよなぁ」

 

 

「え?」

 

 

「あぁいや、こっちの話。そんじゃ……

 

 

 ハニージュエル、二つ貰えます?」

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 



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番外編その2『景虎スイーツ真剣勝負』

 

 

 

 良好な関係性を築いていくには、当たり前の積み重ねが大事だと思う。

 挨拶されたら挨拶で返すように。

 受けた恩には、礼で報いるべき。 

 礼節と義を尊ぶ人が相手なら、尚更そういうのが大事なんだろう。

 

 と、ビジネスの自己啓発本の冒頭にでも書いてそうなことを並べ立ててみるだけなら、誰でも出来る。

 実行しなければ、どんな心掛けも机上に書いた落書きに過ぎない。

 

 だからこそ今日、受けた大きな恩を返す、を実行しようとした訳だけど。

 まさか、机上の落書きならぬ『椅子の上の正座』なんてものをお目にかかる事になるとは。

 

 

「ねぇ景虎」

 

「如何したか」

 

「正座……疲れない?」

 

「いいや。重心の在処を意識すればそう難しい事ではない。そなたもやってみるか?」

 

「いや、遠慮しとく」

 

「そうか」

 

 

 俺の苦笑に揺らぐことなくピンと背を伸ばすのは、ご存じ上杉謙信。もとい景虎。

 

 しかし、喫茶店のテラス席のお洒落なチェアに甲冑姿で正座する美少女。

 字面だけでもインパクトが凄い。

 勿論実際にも滅茶苦茶目立っており、他の客からの視線が凄く痛い。

 まぁ、セントハイムの中でも若い女性達に人気な喫茶店だから、多分正座関係なく甲冑姿ってだけで周囲から浮いてただろう。

 

 じゃあなんだって景虎を此処に連れて来たのかって話だが。

 その理由は、三回戦後の控え室で交わした『甘味をご馳走する』って約束を果たす為だった。

 

 

「景虎、流石に目立つから足、崩したら?」

 

「む。しかし、仮にも馳走になる身。であれば相応の姿勢でもって礼節を示さねば」

 

「いやいや。むしろ逆に行儀悪いと思う」

 

「えっ……それ誠か?」

 

「誠だから。普通に座んなよ」

 

「う、うむ」

 

 

 ん、あれ。

 もしかして景虎、緊張してるのか。

 

 形の良い眉を下げながら、いそいそと座り直す景虎の姿に、思わずそんな感想が浮かぶ。

 清風似合う凛とした雰囲気が、今はどこか綻んでいるというか。

 ちょっとそわそわしてる様にも見えなくもなかった。

 

 

「あのー……ご注文はお決まりでしょうかー?」

 

「あぁ、はい。すいません。そんじゃあアイスティー2つと……」

 

 

 まぁ、周囲からの浮きっぷりなんて今更気にしたってしょうがない。

 折角セントハイムで人気の甘味をリサーチしたんだし。

 善は急げって事で、早速注文することにした。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「って訳で、約束の甘味……なんですが……」

 

「……で、あるか」

 

 

 前言撤回。

 周囲に浮くどころじゃなくなった。

 

 運ばれたデザートグラスの上で揺れる『ソレ』を見据えて、景虎から尋常ならざる気配が(ほとばし)っていた。

 腰元の刀に指先を添える景虎の瞳が、誉れ高き軍神、謙信公のそれになってらっしゃる。

 

 

「このぷるんぷるんとした動き……なんと、奇天烈(きてれつ)か」

 

「ゼプリンってゆーデザートらしいよ。食感はプリンが近くて、味は……マスカットっぽいらしい。って言っても伝わんないか」

 

「ぷ、ぷりん? 軟弱な響きの名前だ。加えてこの見た目、面妖な……」

 

「んな構えなくとも……景虎はところてんとか、こんにゃくって食べた事ある?」

 

「心太と蒟蒻か。そう機会に恵まれた訳ではないが」

 

「あるって事ね。プリンってのは、その二つを更に柔らかくプルプルにした感じの食べ物なんだけど……」

 

「……左様か」

 

 

 リサーチの結果たどり着いた、最近セントハイムの女性を騒がせてるらしき、このゼプリン。

 透き通ったエメラルドがぷるぷると揺れる様はまさにゼリーとプリンを連想させるデザートであり、情報筋(ジャック)の感想からしても見た目通りの味と食感であるらしい。

 

 

「一見豆腐かとも見間違えたが……いや、海月(くらげ)……?」

 

(く、くらげ? 確かにゼリーフィッシュって言うけど)

 

「な、ナガレ殿」

 

「ん?」

 

「礼を失する事を承知で聞くが。これは、誠に食せるモノなのか……?」

 

「食べられない訳ないでしょ……(え、これもしかして景虎、ビビってね?)」

 

 

 だが戦国時代に生きた武将である景虎からすれば、見た目通りもなにもないようで。

 備え付けのスプーンを刀を握るように持ちながら、恐る恐る突っついてる聖将様。

 

 でもその姿は、端から見たら未知の生き物を恐れる少女にしか見えない。

 いや本人は真剣なんだろうけどね。

 

 

「じゃあ、俺が先に食べるから。それなら安全だろ?」

 

「う、うむ。斥候は肝要であるからな」

 

 

 斥候(スパイ)って。

 あの、ここ戦場じゃないんですけど。

 ゼプリンをスプーンで掬う俺の一挙一動を、見逃すまいと菫色の瞳が追う。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 なにこの緊張感。

 下手な動きしたら真っ二つにされそうな感じ。

 スプーンを持つ手が震えて、一口大のゼプリンがプルプル揺れる。

 景虎の目も小刻みに揺れる。恐い。

 

 

「あむ」

 

「っ!」

 

「……ん、旨い。結構サッパリしてるし食べやすいなこれ」

 

「ま、誠か?」

 

 

 まぁ勿論ガン見されてるからって味が悪くなる訳でもない。

 つるんと口の中で溶けていくマスカットの味は爽やかな甘味と、口当たりの良さ。

 洋菓子の様に甘さの強いデザートでもないし、景虎の口にも合うと思う。

 

 

「誠だってば。ほら、景虎も」

 

「……うむ」

 

 

 実感と共にどーぞと促せば、景虎は神妙深く頷いた。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 刀を持つには似合わない綺麗な手のひらが、スプーンを握り直す。

 慎重な手つきで銀に掬われたゼリーは、時が止まったかの様に揺れ一つ起こらない。

 見事な技。驚異的な集中力。

 うん、なんか背後に毘沙門天像が見えてるけどこれ幻覚だよな。うん。

 

 

 

「──いざ。南無三!」

 

(南無三ってあんた)

 

 

 大袈裟な。そんなツッコミを入れる刹那もなく。

 心を決めた景虎は、ここぞとばかりに気炎を吐きながら、目にも止まらぬ速さでスプーンを口の中へと運んだ。

 まさに早業。本気過ぎる。ほんと大袈裟。

 

 しかし、彼女の変化は対照的に悠々と、そして劇的に現れた。

 

 

「…………」

 

(あ、固まった)

 

「……、──────~~~ッッ!」

 

(あ、無表情で悶え出した。ナイン撫でてる時のセリアじゃんこれ)

 

「──」

 

(なんか刀の鯉口をチャキチャキしだした……恐いってオイ)

 

 

 思わず閉口してしまうほど、物騒極まりないリアクション。

 喜色にも憂色にも変わらない無表情なのに、一部分だけ騒々しいという矛盾。

 

 だが徐々に大きく見開かれていく目と、白い頬に差す朱色。

 ごくんと、すっきりとした喉が口の中を飲み込んで。

 フゥ、と恍惚の吐息を落とし、景虎はたっぷり余韻をもって、呟いた。

 

 

「──、…………至極、美味也」

 

「……はぁぁぁぁ……」

 

「む。どうしたナガレ殿。いきなり突っ伏したりなど。行儀が悪いぞ」

 

「誰のせいだと思ってんのさ……」

 

「?」

 

 

 なんだか途方もなかったプレッシャーからやっと解放されて、謎の疲労感が一気に来た。

 いやほんと、食事の席でなんでこんな緊迫感に苛まれなくちゃならないんだよ。

 

 空気の抜けた風船みたく萎れてテーブルに突っ伏す俺を、プレッシャーの発生源は、至極不思議そうな目で見ているし。

 

……けど。

 

 

「ふふ。可笑しな人だな、そなたは」

 

 

(……でも、まぁ、いいか。こっちも貴重なもん見れたし)

 

 目を細めて、頬を綻ばせ、再びゼプリンを食べ始めた景虎の表情は、喜色の感情がありありと浮かんでいて。

 

──そこには武者鎧を脱がすとも、年相応の笑顔が映える少女が居たのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆『景虎スイーツ真剣勝負』◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

 

「ねぇ景虎」

 

「如何した」

 

「ちょっとさ、『腹wwwwいてぇwwww腹筋wwww壊れるwwww』って言ってみてくんない?」

 

「!? きゅ、急に笑って急に真顔になるな! 奇天烈だぞナガレ殿」

 

「あ、悪い悪い。で、言ってくれない?」

 

「い、いつになく強引だな……だが、しかし……」

 

「お願いします」

 

「……えぇ」

 

「……」

 

「……」

 

「…………」

 

「…………うぅ」

 

 

 

 

 

 

「………………は、腹、痛む……まっこと…………は、腹筋に候……」

 

「おぉー!」

 

「何故そこで目を輝かせる?! どういった意図があるのだこれは!」

 

「いやー実はね、現代社会でも爆笑することを腹筋崩壊って言うこともあってさ」

 

「それが如何したと」

 

 

「でも、随分前に見た何かの記事で『実は腹筋崩壊という言葉、戦国時代の武将も使っていた?!』みたいな感じで話題集めてて。その参考資料として『ある武将の手紙』が載っかってたんだよ」

 

 

「…………待て。そ、その手紙とはまさか……」

 

 

「そそ。その、『腹筋(はらすじ)に候』を使ってた武将ってのが……【上杉謙信】その人でさー」

 

 

「あ、あぁぁぁ……」

 

 

「いやーマジで意味だったよね。聖将って呼ばれる謙信だっただけに、結構注目集めてたし。で、本当に使うのかなーって検証も兼ねてここは是非とも本人に……って」

 

 

 

 

「遊足庵淳相め……なぜ、何故あの手紙を残して……こ、後世にまで残ってしまっているとか………………」

 

 

 

「やっべ……か、景虎? ほらあれだゼプリンまた奢るから元気出し……

 

────ちょ、ちょっと落ち着け!

 ごめん悪かったって! 待て待てだから脇差し抜くな辞世の句を歌うな! 待て待て待て!!!

 

 俺が! 俺が悪かったってばぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 

 

 



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Tales 87【トロイメライ】

 鼻がバカになったのか。

 雪も降っていないのに冬の匂いがした。

 

 

「……」

 

 

 そういえば、今はまだ秋だったなと。

 嗅覚で季節を感じること自体が、余りにも久しい。 

 もたれた痩せ木から生えた根を手持ちぶさたに千切りながら、鼻を鳴らす。

 

 丘から遠くの方に明滅する灯りの群れが、点いたり消えたり。

 光の粒の一つ一つを、細かくは見ないものだ。

 例えばそこで悲劇があったとしても、こうして何気なく見過ごしてしまうものだから。

 

 

「……」

 

 

 無辺に伸びるようで、四角の真ん中から逃れられないだけの、無人の世界。

 どこに属して、どこに類して、どう目される。

 解答は気付けば空白になってばかりで、当たり前のように孤独が科されてしまうだけ。

 

 取り残されたような静寂が嫌いだった。

 憎んでいるといってもいい。

 なのに、草花の息吹きも宿る静かな今宵。

 ただ一人を待ち惚けるこの時すら心地良かった。

 

 もしかしたら、そんな期待すら忘却の灰になるかも知れない。

 その不安は確かにある。

 途方もない過去を省みれば、天秤はそちらに傾くだろうに。

 まだすがりたがるかと、囁く自分の声は小さくなかったけれど。

 

 

(……)

 

 

 そっと風が吹き、夢想(トロイメライ)に靡いた髪が視界を閉ざす。

 スノウフレークの溶け方をした眩暈が晴れて、夢が鳴り止んで──そして。

 

 

「……せめて、いつ頃かくらい決めときゃ良かったな」

 

 

 冬の匂いに、『蜜の香り』が寄り添った。

 

 

「……いや、そうでもない」

 

「そう? てっきり待ち惚け食らったって文句言われるかもだと」

 

「お前の中での私は随分狭量らしいな」

 

「狭量ってよりせっかちじゃね。昨日、先帰るぐらいだし。何か不味い事したのかって焦ったよこっちは」

 

「悪かったな」

 

 

 斯くして、再会は果たされて。

 宝石を詰めた紙袋を腕に抱く青年は、当たり前のように"約束"を紡ぐ。

 

 

「いーよ、もう。んで……昨日ぶり。

 

  "ルークス"  」

 

 

「…………あぁ」

 

 

 喉の震えを抑える事が、こんなにも難しいのだと。

 そんな些細を魔王は知った。

 

 

 

 

────

──

 

【トロイメライ】

 

──

────

 

 

 

「丘を登んのって結構足に来るな……ほいこれ、お土産」

 

「……ハニージュエル。昨日の物と一緒か」

 

「なんだよ文句でもあんのー? 要らないなら別に良いけど。俺腹減ってるし」

 

「うるさい。要らないとは言ってないだろう、寄越せ」

 

「はいはい」

 

 

 闘魔祭の連戦の疲労も相まって、すっかり乳酸の溜まった足を揉みほぐしながら紙袋を差し出す。

 意地の悪い物言いをしたからか、すぐ隣にあるルークスの顔は若干不服そうで。

 

 そうそう、こういう真っ直ぐな反応のが相手してて楽だよな。

 どっかの誰かとの嫌味や皮肉の打ち合いは一日に一回で充分。いや週一でも勘弁したい。

 早々に甘菓子を頬張ってる隣の分かりやすさを見れば尚更だ。

 

 

「疲れているのか」

 

「そりゃね。今日も二連戦だったし」

 

「……あの内容からすれば、疲労も溜まるか」

 

「ん。てことは、今日も観戦しに来てたのか?」

 

「……まぁ、な」

 

 

 特に目的のない会話の行方は、今日の試合について触れることで落ち着き場所を定めた。

 もっとも、僅かに俯き長い髪で表情を隠した横顔を見るに、陽気な会話とは行かないらしい。

 

 

「お前が……馬鹿な男だということは分かっていたんだがな」

 

「急になに。どっちの試合について?」

 

「惚けるな。魔女の……魔物憑きの方に決まっているだろう」

 

「……」

 

「いくらお前が理の違う世界から来たとしても、あの空気を読み取るぐらいは出来るはずだ。『魔物憑き』……いや、人間にとって『魔物』は水と油、不倶戴天の敵でしかない。魔物と付くなら、最早それ自体が相容れない存在だ」

 

「……実際にその空気の中心地に居たんだ。そんくらいは分かってるよ」

 

 

 ルークスの言葉は無機質だった。

 怒りや嫌悪の感情ではなく、淡々と模範解答を述べているだけな冷たさ。

 落ち着きを求めて手を伸ばし、甘菓子を口へと放る。

 紙袋のガサリという音色が、渇いて聞こえた。

 

 

「分かっていて、あの結末を選んだのか」

 

「簡単な道を選んだだけだろ。泣いてる子供相手に剣を振るよりは、ずっと楽だし」

 

「良く言う。適当に自滅を待つ方が余程容易かった癖に」

 

「さあね。こっちもガス欠だったし、自滅待ってるほど悠長にやってる余裕なかっただけかもよ」

 

「…………ふん。やはり馬鹿のお前なら、目も理屈も何もかもがバカになってるんだろうな」

 

「人を非常識扱いし過ぎじゃない? まともとは言わんけど」

 

「うるさい黙れ馬鹿ナガレ」

 

「ひっでぇ言い草」

 

 

 けれど冷淡さは季節風とは違って、あっさりと感情色を取り戻す。

 積もる雪の様にシンとなだらかな静寂。

 秋の高い空に浮かぶ月の下弦が、そっぽを向いたルークスの口元に少しだけ描かれる。

 

 

「泣いてる子供、か……

 

 ……、──嘘つきめ」

 

 

 小綺麗に微笑んでるようにも見えるのに。

 何故だろう。

 隅っこにぽつりと浮かぶ、寂しさを見付けてしまったのは。

 

 

「……嘘をついた覚えはないんだけど」

 

「……あぁ。確かに、お前は嘘はついてないんだろう。お前の目には少なくとも、『魔物憑き』とも『魔女の弟子』とも映らなかったらしい」

 

「だったら」

 

「……だが、『泣いてる子供』。本当に……それ"だけ"だったのか?」

 

「────」

 

「馬鹿で、単純。だというのに……解し切れない。なぁ、ナガレ。この……『嘘つき』め」

 

 

 けれど、隠したいものを見付けてしまったのはお互い様なのかも知れない。

 

 嘘つきめ、と。

 突き放す為の手酷い言葉は、包み込むような優しい音がしていたから。

 

 

「私はお前の試合を観たんだ。最後まで。ずっと観ていた。お前が魔女の弟子を抱き、闘技場を立ち去る最後までだ」

 

「最後、までか」

 

「あぁ。だからこそ、私には視えた────泣きそうになっていたお前の顔を」

 

「…………」

 

「泣いてる子供、だけじゃない。それ以外にも、あいつを通して"重ねた何か"が……あるんじゃないのか」

 

「……、────」

 

 

 参ったな。

 セリアにも、お嬢にもアムソンさんにも。

 メリーさんにもそうと悟られないように隠してたってのに。

 

 ルークスには見抜かれてしまっていたって事か。

 いや、ルークスだからこそ見抜けてしまったのかも。

 なんせ彼女は、この無愛想な隣は。

 俺という人間の過去を、傷を、弱さを。この世界で唯一、知ってくれている人だから。

 

 

「例え見つけても、黙って見逃せよ」

 

「ふん。言っただろう。馬鹿で、単純。そんなお前を、解し切れない……分かりやすい奴を、分かれていない。『癪』なんだよ、そんなの。だから見逃してやるものか」

 

「押しが強いなぁ。遠慮って言葉、知らないの?」

 

「私の辞書にはない。あっても、お前には適用しないな」

 

「嬉しくない特別扱いをありがとう」

 

「結構。それに、昨日は──無粋な"蝙蝠"に途中で遮られて、色々と消化不良だったんでな」

 

「……蝙蝠?」

 

「覚えてないならいい、聞き流せ」

 

 

 優しいようで、優しくない。

 優しくないようで、優しい。

 

 さあ話せと言わんばかりの口振りなのに、樹に背を預けて星を見上げる。

 遠慮もなしに踏み込む柔らかな横暴さが、けれども不思議と心地良いと感じて。

 

 

 あぁ。それは。

 

 

『そもそも、なんだってテメェはそんなに都市伝説なんて下らねぇもんに熱中してんだか』

 

『はは、今更それ聞く?』

 

 

 いつかのあの場所で。

 アイツ(アキラ)に聞かれた時と、同じだったから。

 

 

 

 

「……重ねた何か、か。まぁ、あんたの言う通りだよ。きっと俺は、あの娘に……トト・フィンメルにさ、勝手に重ねたんだと思う」

 

 

 手慰みに語るには気が進まない話なのに。

 進まない気持ちが、勝手に歩き始めていた。

 

 

 

「……なにをだ」

 

 

「昔の自分だよ。全部失って、どうしていいか分からず、息もしてない人形みたいだった自分を勝手に重ねてた。

……ホント。そういう"同情"ってヤツが、一番嫌いだった癖にね」

 

 

 並んで見上げた夜の向こう。

 とうに過ぎたモノにしておきたかったセピアを今更拾い上げて語るのは、きっと。

 自分なりの、トトへの贖罪。

 或いは、過ぎたモノにまだ爪を立てたくなってしまう、俺自身の女々しさなのかも知れないけれど。

 

 

 

 

 

「【荻山区再開発計画】

 

────あれが多分、全部の始まりだったと思う」

 

 

 

 囁いた名前に、懐かしさを覚える。

 レールを切り替える分岐器のように、『細波 流』という人間の有り様を変えてしまった最初の切っ掛け。

 

 気を遣われたように、静かに冥む夜空の葵。

 小さな星が一つ、落ちてくみたいに流れていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 ランプの種火が、揺れていた。

 

 

 

「さて、こうして時間を作ってみた訳だが」

 

 

 隙間もなく詰められた幾つもの本棚が窮屈さを前に出し、元の広さを分からなくさせた部屋の中。

 老朽したテーブルに肘を置いた老人の、黒々とした眼光が片膝をつく騎士を見据えていた。

 

 

「闘魔祭も後は決勝を残す所とはいえ、片付けねばならぬ仕事も残っておる。用件とやら、聞かせて貰おうか。どうせ、あの子狸からの難題であろうが……」

 

「……いえ。此度の用向きはテレイザ様からのものではなく、重ねればガートリアム、ラスタリアにおけるものでもなく──私自身の、個人的な『嘆願』です」

 

「ほう……? 長く生きれば珍しい事もあるものだな。彼奴(テレイザ)の傍らで過ごして来たお主が、彼奴(あやつ)を介さぬとは……」

 

 

 賢老の厚い白眉が、興味深そうに片側だけ吊り上がった。

 少しばかりの想定外を示す仕草は、静かな感慨を混ぜた吐息と共に、やがて消える。

 

 

「……それでは」

 

「ふむ」

 

 

 それが賢老ヴィジスタなりの、話してみろという促しの合図。

 見留めたセリアは立ち上がりながら、懐より『一通の手紙』を取り出すと、彼の前へと差し出した。

 

 

「ヴィジスタ様にお頼みしたい事、それは……此方の手紙を、ある人物へと送りたいのです」

 

「……手紙を、か。セントハイムの郵送屋ではなく、わざわざ私の元へと持ってきたということは……よほど遠くの者へと送りたいのであろうな?」

 

「仰る通りです。国境付近が魔王軍との膠着状態にある今、通常の郵送屋では無理と断られてしまいますから」

 

「……では、ある人物とは……」

 

「はい。ヴィジスタ様のご想像通り……」

 

 

 ランプの種火は、ゆらゆらと揺れる。

 けれど騎士の瞳の藍色は、些細な揺らぎ一つすら起こしていない。

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を』

 

 

 自分の代わりに闘ってくれた青年に告げた、いつかの言葉。

 揺らがない決意と眼差しは、己を語れぬ彼女なりの、確固たる意志が宿っている証であった。

 

 

 

 

「東のエシュティナ国、エシュティナ魔法学院……

 

 

──『エピオン・フルレ・スリヴァント学院長』に、この手紙を送りたいのです」

 

 

 

 

 



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Tales 88【虹ノ剥ギ痕】

 都市伝説愛好家なんて自称していても、何も子供の頃から都市伝説に対して興味津々だった訳じゃない。

 

 

 むしろ、昔の俺は何処にでも居そうな普通の子供だった。

 公園の砂場で泥だらけになるまで遊んで、母親にこっぴどく叱られたりとか。

 買い与えられた携帯ゲームをやり込んだり、夏休みの自由研究の対象はベランダで育てた朝顔だったり。

 

 ランドセルを背負うようになってしばらくの年月も、今の俺を知る人ならば拍子抜けするぐらいに平々凡々。

 好奇心旺盛だったのは間違いないけれども、変人変態変わり者と呼ばれるにはあまりにも普通だったと思う。

 

 

 でも、そんな俺の人生を揺らがした大きな出来事が訪れたのは、十度目の誕生日を見送ってしばらく経った冬の日のことだった。

 

 

 

 

────

──

 

【虹ノ剥ギ痕】

 

──

────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『萩山区再開発計画?』

 

『あぁ』

 

 

 ざく切りにした長ネギを沸騰した鍋に入れながら尋ねた母さんの言葉が、その名前をしっかりと認識した時だったと思う。

 丁度書き終えた宿題から顔を上げれば、固い声色で答えた父さんが、いつも以上の仏頂面でビールが並々と注がれたグラスを見つめていた。

 

 

『再開発といっても、要は埋め立て工事みたいなものなんだがな。白羽馬の海水浴場をリゾート化させるようなものだから、事業とも言えるが』

 

『白羽馬の……それで、どこを工事するの?』

 

『萩乃湿原だ』

 

『……え』

 

 

 今度は味噌をとかしていた母さんの声色が固くなった。

 萩乃湿原。

 俺達がこうして住んでいる『萩山市』と、萩山有数の観光名所でもある『白羽馬海水浴場』。

 地図で見れば、丁度その境目にある湿地帯の名称の事だ。

 

 

『だ、大丈夫なの? あそこの……ええと、なんだったかしら。でも確か、良くない噂があったわよね。お義父さんもよくおっしゃってたでしょう?』

 

『底なし沼の"伝説"か。確かに、俺も親父に何度も聞かされた。だが、これは市長直々に打ち上げた計画だからな。怪談なんぞ気にしちゃられんのだろうな』

 

『父さん、伝説ってなに?』

 

『ん。なんだ流、気になるのか?』

 

『うん。だって伝説でしょ? 面白そーじゃん!』

 

 

 更に言えば、萩乃湿原は所謂、地元住民にとっての"いわくつき"だったらしい。

 当時の俺には知る由もなかったが、湿地帯だけでもかなりの与太話や怪談や存在しており、特に湿地帯の一部である【底なし沼】の"ある逸話"が有名だった。

 

 とはいえ、やはり「伝説」という響きの特別さは子供心を嫌でも惹いてしまうもので。

 男という生き物は殊更、そういうのには滅法弱いのだ。

 

 

『そうだな……これは、戦国時代から伝わり続けた話で』

 

『あなた?』

 

『流も、もう十歳だ、このくらい構わんだろう。それに男というのは、こういう話を隠すと返って臍を曲げるんだよ』

 

『でも…………あのね、流。流がやってるゲームに出てくるような伝説とは全然違うのよ? 貴方が好きなドラゴンとか魔法とかのお話じゃないの』

 

『そんくらい分かってるってば』

 

『……もう』

 

 

 だから母さんがあまり良い顔せずとも、伝説について聞かないという選択肢は当時の俺にはなく。

 ひっそりと苦笑を浮かべた話下手なストーリーテラーの「はじまりはじまり」を、期待に胸を弾ませながら待つのだった。

 

 

 

 

────

 

 

 それは、遡ること戦国時代でのこと。

 

 国取りが盛んだったこの時代に、とある二つの国が現在の萩乃湿原を挟んで戦をすることになった。

 その際に、片方の側の勇猛果敢な武将が、自ら手勢を率いてこの湿地帯を突き抜け、野営を取っている敵側の軍に奇襲をかけようとした。

 

 しかし、いざ奇襲をかけるべく湿地帯に足を踏み入れた途端。

 星々が浮かぶほど澄んでいた夜空が暗雲を纏いだし、強い雨が降り始めたりと、天候が急変。

 けれどそのまま、引き返すことなくその武将は更に湿地帯の奥へと入っていき、例の『底なし沼』まで到達した。

 するとその時。なんという不運か。

 天より疾った稲妻に将軍は焼かれ、部下たちの目の前で絶命しながら底なし沼に沈んでしまったという。

 

 突然の事故により将を喪ってしまった部下達は、愕然としながら本陣へと報告に戻る事となったのだとか。

 

 

 

────

 

 

 

『……それ、ただ運が悪かっただけじゃない?』

 

『ここまでなら確かに、おまえの言うとおりなんだがな』

 

『?』

 

 

 伝説だなんて仰々しい名前の割には、単なる不幸じゃないかと。

 正直に話に水を差せば、もっともらしく父さんは頷く。

 しかし、伝説とまで語り継がれる話のキモは、むしろここからなのだと。

 ビールを(あお)った後の神妙な顔つきが、雄弁に物語っていた。

 

 

『その部下達が、本陣に報告している途中にな…………"帰ってきた"らしい』

 

『……誰が?』

 

『────例の武将が、だ』

 

『……………うっそぉ』

 

『本当だ。それどころか雷に撃たれたはずなのに、火傷一つなかったらしい。勿論、部下達は混乱真っ只中だ。なにせ目の前で死んだのを少なくない人物が目撃したんだからな』

 

『……』

 

『最も混乱したのは本陣の総大将……一番偉いひとだな。だが、色々と武将本人に質問してみたが、雷に撃たれた武将で間違いないと判断したらしい。結果、目撃した部下達は武将の死を騙ったとして処断されたそうだ』

 

『……うわぁ』

 

 

 あまりの内容に、思わず身体が震えた。

 死んだ人間が生き返る。

 そもそもその武将は本当に死んだのか。

 ひょっとしたら武将を疎ましく思った部下達が、騙しうちで襲い掛かって、沼に突き落としたとかじゃないのか。

 いやでも、それだったら重い甲冑を着た状態で底なし沼に落とされた時点で、どうにもならないはず。

 じゃあ、その武将は一体なんなんだよ。

 

 底なし沼の伝説。

 考えれば考るたび、背筋を冷たい怖じ気になぞられて気味が悪かった。

 

 

『……大丈夫、流? 怖かったでしょう? ああもう、やっぱり子供に聞かせる話じゃないわよね』

 

『こ、怖いとかじゃなくて。でも父さん、そんな場所を工事して大丈夫? 呪われたりしない?』

 

『しっかり怖がってるじゃないか。お前が怖がるとは意外だな、夏にやってた恐怖番組じゃピクリとも驚かなかったのに』

 

『怖いとかじゃないって』

 

『心配するな、流。それに久々の大仕事だ、ちょっとやそっとの呪い相手に退いてやる訳にもいかんさ』

 

 

 勿論、萩山区再開発計画と言われても小学生の俺にはいかんせん内容が想像に結び付きにくい。

 伝説の内容も確かに気味が悪かった。

 だがそれ以上に土木工事の子会社の社長である父さんが、そんな場所に関わるってことが自体が……なにか。

 なにか、虫の知らせというか、嫌の予感がつきまとって離れなかった。

 

 

 それでも結局。

 父さんの言う通り、言い伝えや祟りを恐れて、動き始めた事業が白紙に戻るなんてなるはずがなく。

 ましてや街角のポスターに張られるような人が推し進める一大プロジェクト。

 莫大な金や利権が絡んだ計画は、地域住民の危惧や反対を押しきって進められていった。

 

 

──まるで、物語がロクでもない結末を求めて。

 坂道を転げ落ち、泥の沼へと沈んでいくみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 運命の夜は、嵐だった。

 

 ガタガタと軋む窓から零れる獣のような呻き声が知らしめる、外の木々を薙ぐほどの荒々しい空模様。

 浮かぶ睡魔をことごとく引き裂く窓の悲鳴はしつこく、けれどもため息に留められるくらいには慣れてきた。

 

 それもそのはずで、その年は近年稀に見るほどに空の気象が荒かった。

 特に台風に限っていえば、この月だけでも既に三度も上陸していたのだ。

 確かに風が強い夜とはいえ、流石に台風ほどではない。

 前衛的な音楽とでも思い込めば、そんな騒がしい夜でもやがて睡魔に軍配が上がるだろう。

 

 

『……ん?』

 

 

 そんな浅い微睡みに白む視界の隅で……光が疾った。

 

 

『雷……』

 

 

 遠くの空を焼いた光は、遠雷。

 次いですぐにポツポツと降りだした細かな雨の粒が、枕元から覗ける窓に当たり、次第に勢いを増していく。

 

 

『……』

 

 

 窓のノックに連れ添われて脳裏に浮かんだのは、夜遅くにも関わらず、今も工事現場で勤しんでいるであろう父さんのことだった。

 というのも、この一月に連続で訪れた台風のせいで、萩乃湿原の埋め立て工事に多大な遅延が発生していたのだ。

 目に見えたスケジュールの遅延。

 再開発計画を立ち上げた市長や支援者たちは、相当焦ったのだろう。

 何としても作業を急がせろという分かりやすい圧力によって、こんなにも風の強い今日でさえ、工事作業は強行されていたのだった。

 

 

『……あら、流。まだ起きてたの?』

 

 

 駆られた不安の落ち着かせ方を知らない喉が、潤いを求めて。

 ベッドからのそくさと立ち上がり向かったリビングでは、テレビを見ながら家計簿をつけていた母さんの姿があった。

 

 

『喉渇いたから』

 

『そう……』

 

『淹れよっか?』

 

『えぇ。お願いね』

 

 

 意識のしてない親切をにこりと笑ってくれた母さんの頬には、小さな皺が増えていた。

 

 年齢から来るものじゃあない。隠し切れない疲労の跡ってやつだろう。

 多分、精神的なもの。

 

 

『学校は、どう?』

 

『んー……別に』

 

『本当?』

 

『本当。というかテレビ、面白いのやってないね』

 

 

 そっけなくテレビのリモコンを持ってチャンネルを変えながら、心のなかで溜め息をつく。

 学校生活に特別代わりがない、というのは嘘だった。

 酷いイジメを受けてるとか、そういうんじゃない。

 ただ以前と違って寒々しい雰囲気というか、どこか、腫れ物を扱うような距離を感じるのだ。

 

 理由も原因も、勿論分かっていた。

 

 

『……』

 

 

 萩山区再開発計画という壮大なプロジェクトは、勿論誰も彼もに受け入れられているはずもない。

 当然、計画に対する異議を挙げる人も少なくなく、特に古くからこの街に住んでいる人々の反対の声が幾つも上がっている。

 その影響は、決して小さなものではない。

 

 学校でのなんともいえない疎外感も、きっとそのひとつで。

 だから、たぶん。

 小学生の俺よりも周囲との付き合いも必要になってくる母さんは、もっと……嫌な思いをしてるんだろう。

 

 

『雨、降って来たね』

 

『……あのひと、大丈夫かしら』

 

『中止になんないの?』

 

『……なったら、良いのにね…………、──いっそ』

 

 

 中止になって欲しい。いっそ、"全部"。

 胸のうちに留め切るにはあまりに苦い『本当の音』が、母さんの、艶の少なくみえる唇を僅かに歪めていて。

 言い切る前に窓の向こう、カーテンの隙間へと母さんが視線を逃がした瞬間だった。

 

 

『うわっ』

 

『っ!』

 

 

 けたたましい雷鳴が、歯痒い夜のなにもかもを震わせた。

 

 

『なに今の……かみなり?』

 

『す、凄い音。近くに落ちたの、かしらね……』

 

 

 室内に居ても伝わるほどのとんでもない衝撃。

 間違いなく雷が、そう遠くない場所に落ちた。

 耳鳴りさえ聴こえてきそうな轟音に、思わず母さんと顔を見合わせて。

 

 

『……っ』

 

 

 あっ、と。

 どちらからともなく、息を呑む。

 そう遠くない、と聞いて真っ先に思い浮かんでしまった場所。

 雷鳴が届いた方角も最悪なことに、這い回る悪寒を更に強くしてしまう方向で。

 

 

『……父さん……』

 

 

 ベランダのカーテンを開けながら、呟く。

 落雷に遅れて勢いを増した横殴りの雨で、夜霧の向こうはまるで見えやしない。

 

 ただの杞憂であってくれと。

 子供ながらに、信じてもいない、顔も知らないどこかの神様へと祈っていた。

 

 

 あぁ、でも。

 やっぱり運命というのは残酷で。

 悲運は形となって、皮膚を剥ぐ。

 

 

────父さんが病院に搬送されたと聞いたのは、それから三十分後に鳴り響いた固定電話からだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 不幸中の幸いっていうものは、きっと大いに主観が混じった物の見方なんだろう。

 

 あてがわれた幸いに比べれば、不幸の方がずっと大きい。

 だからこそ僅かな救いにさえ胸を撫で下ろし、有りがたがることだって出来るんだろう。

 

 

 あぁ、だから。

 搬送された病院で、父さんが火傷で焦げた目蓋を開いてくれた時。

 俺は嬉しくて仕方なかった。

 生きててくれて良かったと。

 羞恥もなく泣き喚いて、不幸中の幸いに感謝していたんだ。

 

 

 けれど、もしかしたら。

 

 そんな僅かな幸いが、あてがわれた本人にとっては……地獄の釜にしか思えなかったとしたら。

 不幸のなかには、不幸しかなかった。

 救いのない悲劇がそうであるように。

 

 

 

 

《萩山区再開発計画、白紙へ》

 

 

『発生した落雷により、二十三歳の尊き命失われる』

 

『重傷、軽傷含めて四人』

 

『プロジェクト主導陣営、記者会見にて謝罪』

 

『工事責任者、細波 大雅(サザナミ タイガ)

 

『嵐の中での無謀な強行工事』

 

 

 

 カメラのフラッシュが恐くなった。

 

 メモ帳を片手に、濁った瞳で「どう思う?」と問うてくる大人に脅えた。

 通りかかった時にはピタリと止んで、通り過ぎた途端に囁かれる温度のない話声に、耳を塞いだ。

 

 

 まだ若いのに。

 可哀想に。

 二十三歳。

 未来ある若者。

 そう、無念と正義感に息巻きながら、ランドセルを背負った俺に罪の意識を問う人だって少なくなかった。

 

 

 罰当たりめが、と。

 だから止めておけと言ったのに、と。

 命が失われたことよりも、自分の主張が正しかった事に胸を張っているような誇らしげな顔が、やけに歪んで見えて。

 

 

 落書きだらけの家に帰っても、付けた灯りが照らすのは、優しいものなんかじゃなく。

 

 激しい後悔と自責の念で、死刑を待つ囚人のように生気の抜けてしまった父さんと。

 疲労にやつれながら、機械のように家事をする、能面みたく表情の失せた母さんと。

 

 

 踵を付けていた大地が途端に泥みたいにぬかるんで、暗い淵へ沈んでいくような有り様だけが浮かび上がる。

 

 息の仕方をふと忘れる、ただ何かが削ぎ落とされていく日々。

 くだる階段だけが長く遠く映るような、壊れていくだけの時間。

 

 

 けれども、そんな地獄にだって、終わりは訪れる。

 

 

 壊れかけたものに来る終わりは、言うまでもなく。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 蝉時雨が遠かった。

 夕刻になっても衰えない強い日射しに焼かれながら、坂道を登る。

 

 日常のサイクルをただ演じてるだけの案山子(かかし)のような、感情のない足取りを進めて。

 赤橙に照らされた壁のただれた落書きには、もう目を向けることもなかった。

 

 鍵を差し込んで捻った玄関のドアノブがヒヤリとする。

 眉ひとつさえ動きはしなかったけれど。

 

 

『……ただいま』

 

 

 口というより、ただの空洞から出ただけ四文字。

 迎えるための四文字を、期待はしない。

 

 ひっくり返すことを忘れられた砂時計の上半分みたいな空っぽ。

 それでも、いつか終わると思ってた。

 この苦しみの奥にある虚の日々が、終わることに期待して。

 

 

『……』

 

 

 リビングに続く薄い扉一つ、開ければ。

 

 目の前にある光景に。

 

 言葉を失う。

 

 

『────え』

 

 

 

 フローリングに出来たシミ。

 

 食卓として使っていた机に置かれた、くしゃくしゃにされた一通の手紙と。

 

 プラプラと、振り子のように揺れる両足。

 

 母さんから誕生日にプレゼントして貰ってた紺色のネクタイ。

 

 首筋に食い込んでる紺色の布。

 

 ぶら下がっているのは。

 

 首を吊って揺れるこれは。

 

 知ってる人の顔。

 

 よく知っているはずの顔を、この目で見て。

 

 

 

『────』

 

 

 

 背負っていたランドセルが、ドサリと落ちる。

 

 全部が壊れてしまったことを知らしめる音はあまりにく。

 

 虹を剥いだように、せかいの色が死んだ。

 

 

 

 

『…………父、さん』

 

 

 

 

 



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Tales 89【沈めたとて浮かぶもの】

 席を欠いたかつての世界への回想に留め具をかけたのは、立てた片膝を静かに胸元へと抱き寄せる衣擦れの音だった。

 

 

「父親の死を、目にしたのか」

 

「……そうなる。一応、救急車……こっちじゃ治療士か。呼びはしたけど、間に合うはずもなくて」

 

「そうか」

 

 

 話した内容が、内容だったからか。

 肺の中の酸素が足りてなくて重苦しい。

 足先まで通う血のトクトクと流れる感覚が、妙に鮮明だった。

 

 

「だが、母親は? 昨日お前は、両親ともにもう居ないと言っていたが」

 

「……ん。そん時にはもう、居なくなってた」

 

「……もう?」

 

「机に、くしゃくしゃになった手紙があったって言ったろ?」

 

「あぁ」

 

「その手紙、母さんからのだった。限界だ。こんな苦しいだけの生活に耐えられない、ごめんなさい……みたいな感じの内容」

 

「!」

 

 

 遺体の閉じられた右手には、指輪が握り締められていた。

 父さんの左手の薬指についてるのと同じ指輪。

 恐らく首を吊る前に手に持っていたんだろう。

 血が出るまでに、強く強く、握り締めていたんだろう。

 渇いた血を被った価値ある宝石(ダイヤモンド)が、壊れることなく無になったみたいで。

 

 

「ほんと、あっという間だった。こんな風になにもかもが簡単に崩れんのかって。このまま何も残らないまま、ただ沈んでくだけなのかも知れない……って」

 

 

 悲しいよりも、虚しかった。

 蝉の頭みたいに、全てが脆いとさえ。

 

 

「でも、そうはならなかった。沈めたとて浮かぶものがあるように、捨てる神あれば拾う神あり……ってやつなのかもね」

 

「……神か」

 

 

 膝に口を埋めながら、つまらない考え方だっていいたげに緋色の瞳が細くなる。

 確かに都合に振り回されて、疲れて足を止めた人間の弱い言い分にも、聞こえるかも知れない。

 

 

 けど、それでもあの時、沈み行く俺の手を掴んでくれたあの人の手は。

 今でも残っているくらいに暖かかったから。

 

 

 

 

────

──

 

【沈めたとて浮かぶもの】

 

──

────

 

 

 

 腕に抱いた白い遺影が、火葬場の長い煙突から流れる煙みたいに酷く軽い。

 着せられた喪服が対照的に、液を吸ったような重たさ。

 白は軽く、上に、宙に。

 黒は重く、下に、地に。

 例えた理屈がしっくりきて、余計に独りっきり。

 

 焼香をつまんで頭を下げる、顔を知らない黒い服の人達が目の前を行き来するのを見送って。

 生きたふりする死人のように、俺はただ立ち尽くすしか出来なかった。

 

 

『……』

 

 

 これからを想像してみる事すら難しかったと思う。

 

 父さんも。そして、母さんも居なくなって。

 どう"するか"より、どう"なるか"としか考えられなかった。

 いや、考えることすら出来ていなかったっけ。

 接眼レンズの覗き穴が塞がれた望遠鏡で、真っ暗過ぎる夜空に光を見つけられるはずがないように。

 虚々(からから)で穴だらけの心では、何か考えたって結局漏れ出て残らない。

 

 肌があるだけの案山子(かかし)でしかない。

 参列してくれた人達も、掛ける言葉を持て余すように一瞥しては、通り過ぎるだけで。

 同情的な目の色もあったけど、それ以上に『仕方がない』という、隔てるものがあったのだと思う。

 

 そうして、葬儀が終わったあと。

 

 

『お前まで死んだような顔、すんじゃねぇ』

 

 

 棒立つ俺の背を、強く叩いた人が居た。

 

 乱れた白髪と、シミの残った厚い顔した大きい身体のお爺さん。

 そしてその隣に柳のように立って、やんわりと微笑む皺の少ないお婆さん。

 

 

『帰んぞ』

 

『……?』

 

『ハァ……やっぱり上の空だったか。まぁ、仕方あるめぇ』

 

 

 無造作に差し出された傷の多い手を、不思議そうに見れば大きな身体に見合った大きな溜め息。

 そこで漸く、喪失のあまりに空白が募ってばかりだった記憶が、晴れていく。

 

 父さんの葬儀の手続きや準備を、俺の代わりにやってくれたのが、他でもないこの二人だってことも。

 そして。

 

 

『……帰んぞ、流。今日からワシらの家が、お前の家だ』

 

 

 着いてこいって言うだけ言って、ツカツカと駐車場へと去っていくのは。

 細波 一聖さん。

 父さんの、父さん。つまりは俺の爺ちゃんで。

 

 

『──いきマシょウ』

 

『あ……はい……』

 

 

 細いマイクのような、発声補助具を喉にあてながら俺の手を引いてくれたのは。

 細波 (みなと)さん。

 父さんの、母親。つまりは俺の婆ちゃんで。

 

 途方にくれるだけの案山子が、帰って来れる『家』になってくれた人達だった。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 細波 一聖こと爺ちゃん達の家は、萩山区の隣の区域に位置する、『深蘭(しんらん)』という港町の一画にあった。

 

 少し歩けば潮騒の香りが届く、透き通った海面の、目と鼻の先。

 白波に触れた淡い風が冷たく、けれどそれに負けない競りの活気が時々聞こえる漁港の近く。

 昔ながらの庭付きの瓦屋根が、ふとしさ懐かしさを誘う家だと思う。

 勿論、車の後部座席で揺れながら着いた時には、そんな高尚な感慨が沸くような心情じゃなかったけれど。

 

 

『覚えちゃいねぇか。前に来たときゃ、ずっとチビだったもんな』

 

『……』

 

 

 懐かしさを感じたのには、随分昔の下地があったらしい。

 それこそランドセルを背負うよりもずっと前の時に、俺は此処に来たあったそうだ。

 今はもう、此処に連れて来た二人は居ないけれど。

 

 

『そら、入んな』

 

 

 俺の背中を一度こずくと、爺ちゃんは玄関の戸をガラガラと開いて、バタバタと家の中へと消えていく。

 その背中をなんとなくジッと見送って、それでもなんだか脚が重く、縫い止められたみたいに動けない。

 

 あるいは、抵抗みたいなものかも知れない。

 

 開けっ放しの玄関の向こうへ、踏み入ることへの、抵抗。

 帰る家が変わったってことを受け止め切れない臆病さが、そうさせたんだろうか。

 

 

『……だいジョウぶヨ』

 

 

 けど、そんな俺の手をそっと婆ちゃんが両手で包み込んで。

 ガササッと補声器のノイズを走らせながら、静かに微笑みながら手を引く。

 

 

『……お邪魔します』

 

 

 まるでガキの意固地みたいな下手くそな礼儀と抵抗心を聞いても、その優しい笑顔は変わらなかった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 それからの日々は、緩やかな晴れの日の海みたいに、ゆったりと時間が流れてったように思う。

 元々漁師だった爺ちゃんは、朝から漁業組合に顔を出して、俺は深蘭町から近い私立学校に通う。

 家に帰宅してからは婆ちゃんの家事を手伝うことが多かった。

 

 というのも、家に帰っても人形みたいにジッと生活のサイクルに置かれているだけだった俺を、爺ちゃんが見咎めたからだ。

 することねぇなら湊の手伝いでもしやがれ。ガキが一丁前になにもねぇをすんな──と、地味に痛い拳骨もセットで。

 

 色々と乱暴だが、多分気を遣ってくれたんだろう。

 

 そのお陰で、婆ちゃんがしてくれていた洗濯の手伝い、掃除の手伝い、料理の手伝いをしてくにつれて。

 能動的にとは言いがたいけど一日の中で少しずつ"何もない"がなくなっていった。

 

 まぁ、ろくに家事もしたことなかったから、最初の内は手伝いどころかむしろ邪魔でしかなかったけど。

 米の炊き方が分からずに困り顔で立ち惚けるような俺にも丁寧に教えてくれた婆ちゃんのおかげで、中学に上がる頃には人並み以上に出来たと思う。

 爺ちゃんが毎日といっていいくらい組合の人達から魚を貰ってくるから、気付いたら魚を捌けるようになっていたし。

 

 

 そんななかで、それなり年月を共にすれば、一緒に暮らす二人のことも次第に知っていく。

 なかでも特に婆ちゃんが『歌手』だったことに関しては驚かされた。

 

 

 しかも現役時代には音楽番組にも出演したこともあったくらいに活躍してて、当時出したベストアルバムが30万枚も売り上げるほど。

 だが、活躍する最中で喉頭がんを患ってしまったらしい。

 婆ちゃんが補声器を使ってる理由も、手術により声帯を摘出したからだ。

 その結果引退する事になったそうだが、引退した今でも深蘭町ではかなりの有名人であるんだとか。

 

 

『け、結婚した経緯なんざどうだっていいだろぉが。いちいち話すもんでもねぇ!』

 

 

 まぁ、それがなんだって爺ちゃんみたいな武骨な漁師と夫婦になったんだろうとは流石に気になったけど。

 尋ねようもんなら爺ちゃんが照れ隠しに拳骨してくるので、ついぞ聞けなかった。

 でも事情通である組合の人いわく、なかなかの大恋愛だったらしい。

 

 

 それだけあって、寡黙というよりは不器用な職人気質の爺ちゃんも、婆ちゃんのことを大事にしているのは見てて分かるくらいだ。

 喋らずとも互いの考えは通じ合ってるみたいだし。

 婆ちゃんも、爺ちゃん相手に補声器を使うことは殆どなかった。

 

 それが少し羨ましくて。

 家事の手伝いに馴れたぐらいから、俺もなるべく婆ちゃんの考えてる事を汲み取ろうと努力していた。

 補声器を使わせずとも、婆ちゃんのして欲しそうなことを先取って、顔色を見て判断してみたり。

 料理の手伝いの時は、特に。

 

 

『……ありがトウね、流ちゃん』

 

 

 そんな俺をくすぐったそうに、婆ちゃんは目を細めて見つめていた。

 目尻に皺を集めて、やんわりとした微笑みで。

 見守ってくれているように、思っていた。

 

 

──けれど、やっぱり俺はまだまだ未熟で。

 

 海の様な優しい瞳の色の奥にあった、婆ちゃんの『悲しみ』を取り零してしまっていたんだろう。

 

 もっと正確にいえば、他でもない自分自身のことをしっかり見つめることが、出来ないでいただけなのかも。

 

 

 

 二人に引き取られてからの日々は、確かに優しくて、穏やかで。

 まるで中身のない人形に、少しずつ綿が詰められていくように。

 色んなことがありすぎてすっかり鳴りを潜めた心を、そっと包み込むような穏やかさがあったと思う。

 

 

 でも。

 それでも、胸の内にぽっかりと空いてしまっている大きな孔は、どうしても埋まらない。

 爺ちゃんに言われた"何もない"を止めることにばっかり目を向けて、鏡を見ることから逃げていたから。

 

 

──逃げ回った尾を引く影に、しっかりと捕まえられてしまったんだろう。

 

 

 ランドセルを卒業して一年が経った頃。

 

 逢魔ヶ刻に。

 燃えるような夕に焼けた街角で。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

『……あら、あの子。細波さんとこのお孫さんじゃない? お買い物の帰りかしら』

 

『えぇ……湊さんのお手伝いで家事とか頑張ってるらしいわよ。偉いわよねぇ、うちのバカ息子にも見習わせたいくらい』

 

 

 すれ違った後の、この手の大きな内緒話には、もういい加減飽きたって良いぐらい聞いてきたことだった。

 

 足りない調味料を買った帰りの、馴れた一幕。

 俺の肩にぶら下げた醤油の瓶に、映る赤空と黒い影。

 空飛ぶカラスの、間の抜けた鳴き声に掻き消されるくらいの騒音に過ぎない。

 

 

『ホントに良い子。あんな事件があったのに……』

 

『例の開発計画のこと?』

 

『そう! 可哀想だと思わない? お父さんのこともそうだけど。母親は、あんな良い子を置いてったっていうじゃない』

 

『薄情な話よねぇ。お腹を痛めて産んだ子供でしょうに……あの子の前に連れてって、頭下げさせてあげたいわ』

 

 

 いつもみたいに聞き流してしまえばいい。

 分かったように語られる、義憤の顔をしたどこまでも他人事な意見なんて。

 何度と聞いたことだろう。

 もっと脚を早めて、さっさと帰ろう。

 きっと婆ちゃんが待ってる。爺ちゃんも、そろそろ組合から戻ってくる頃だから。

 

 そう振り切ろうと大きく踏み出した脚は。

 

 

『……そういえば、知ってる? その、萩乃湿原。なんだかすごく気味の悪い噂が広まってて』

 

『あぁ、私も聞いたわそれ!

 

 確か、────【底なし沼の沼人間(スワンプマン)】……だったかしら』

 

 

 ピタリと止まった。

 影ごと、縫いとめられたみたいに。

 

 

『夜中に萩乃湿原の底なし沼に行って、水面を覗き込むと……って話よね。それで、覗き込んだら自分じゃない別の誰かが映り込むっていう?』

 

『えぇ。それでね? その誰かっていうのが……底なし沼に行った人が、逢いたいって望んでいる人物らしいのよ。しかも、映るだけじゃなくて会話も出来るって話。ただ、その水面に映る人物は……既に他界している人ばっかりなんですって』

 

『し、死者限定ってこと? なによそれ、会話出来るってのもなんだか恐い話ねぇ……』

 

 

 萩乃湿原。

 再開発計画が頓挫することになった事故が起きた場所の名前は、きっと聞き間違えじゃない。

 けど、底なし沼のスワンプマンだなんてそんな噂話、聞いたことなくて。

 

 

『それが、恐いのはむしろ此処からなのよ』

 

『え?』

 

『映り込んだ顔相手にあんまり話し込んでしまうと……そのスワンプマンに、底なし沼に引き摺り込まれてしまうらしいのよ』

 

『うわぁ、確かにそれは……けど、なんだかありがちなオチじゃない?』

 

『肝心なのは引き摺り込まれた後なのよぉ。そのスワンプマン──引き摺り込んだ相手の顔に化けて、その人そっくりの人物に成り代わってしまうって話なの! 性格も考え方も思い出も、全部取り込んで!』

 

『そ、それって……そんなの気付きようがないじゃない?』

 

『そうなのよ。だから、貴方の身近な人物は、もしかしたら──ってオチ。気味が悪いわよねぇ……』

 

『はぁ……気味が悪いのもそうだけど、不謹慎な話ねぇ。そういうの、肝試し気分で若い人が面白がりそうだわ』

 

『困った話よねぇ……あぁ、すっかり話し込んじゃったわ。夕飯の準備しないと』

 

 

 喋るだけ喋って、一番面白がっていた主婦達の遠退く足音すら、もはや俺には聞こえていなかった。

 

 

 スワンプマン。

 逢いたい人。

 成り代わられる。

 死者。会話。

 話せる。もう一度。

 

 息が止まりそうだった。

 真綿で首を締められているみたいに。

 夕焼けの中で、溺れてしまいそうで。

 

 

『父さん……』

 

 

 ぽつりと生気のない顔で呟いた俺の視界の先には。

 

 萩山区行きのバス停へと繋がる曲がり角が、目に入っていた。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 空の青も突き詰めればやがて黒に近い蒼穹へと濃さを増していくように。

 地に敷かれた碧い海も深くへと沈む度、色彩全てを呑み込むような単一色の根源へと還っていく。

 

 自然が織り成す美しい光景とて、宙に昇りつめれば、底に沈ませれば。

 やがて黒になるのなら。

 切り離したい重荷を沈めるには都合が良いのかも知れない

 

 

 けれど。

 幾ら深くに沈めたくても、沈んではくれない悲しみが。

 沈めたとて浮かぶものだけが、黒い黒い、沼の水面に映っていた。

 

 

『…………なに、してんだろ。俺』

 

 

 

 映っているのは、紛れもなく俺の顔だった。

 

 父さんの顔じゃない。逢いたい死者の顔ではない。

 ただ生きてるだけの、死人みたいな顔をした俺が居るだけだった。

 

 

『……ははは』

 

 

 馬鹿だろう、こんなの。

 本当に、自分でも笑えてくる。

 帰り道に聞いた噂話ひとつ本気にして。

 服も汚して、靴も泥だらけにして、擦り傷まで作って。

 

 ここに来れば、本当に父さんに会えるとでも思ったのか。

 与太話をすがるように信じて、結果、噂は噂で。

 馬鹿でしかない。一周回って笑えてくる。

 

 きっと婆ちゃんは心配してると思う。

 爺ちゃんももしかしたら、帰って来ない俺を探してるかも知れない。

 

 

《ホントに良い子。あんな事件があったのに……》

 

 

 

 大事な人達に心配かけるって分かってて。

 それでもこんなとこまで来た俺の、どこが。

 

 

 

《可哀想だと思わない?》

 

 

 どこが、可哀想なんだ。

 なんでそんなに哀れんでるんだよ。

 俺のこと、家族のこと。

 良く知りもしない癖に。

 

 

『ははははは!』

 

 

 可哀想。

 

 そう呼ばれるのが、苦しかった。

 自意識の美化の為だけに、『どうしようもない被害者』の枠に押し込められるのが。

 しんどかった。

 

 

《……そういえば、知ってる? その、萩乃湿原。なんだかすごく気味の悪い噂が広まってて》

 

 

《そうなのよ。だから、貴方の身近な人物は、もしかしたら──ってオチ。気味が悪いわよねぇ……》

 

 

《はぁ……気味が悪いのもそうだけど、不謹慎な話ねぇ。そういうの、肝試し気分で若い人が面白がりそうだわ》

 

 

 なのに。

 結局、こんな形に落ち着くのか。

 

 

 冗談じゃない。そんなの、我慢出来るかよ。

 

 

 

《確か、────【底なし沼の沼人間(スワンプマン)】……だったかしら》

 

 

 

『……可哀想って』

 

 

 あぁ、そうかよ。

 だったら、そう呼ばなくさせてやるよ。 

 

 

『言えるもんなら、言ってみろよ……』

 

 

 可笑しく、奇妙に。

 出鱈目にイッた心が、叫ぶ。

 

 空いた孔を埋めるものを見つけたように。

 節穴の目が、泥を睨む。

 

 

『不謹慎……フキンシンか。だったらいっそ……』

 

 

 

 可哀想が似合わない、変人に"成り済まそう"。

 

 例えばそう。

 

 こんな目に逢っておいて。

 

 こんな想いをしておいて。

 

 都市伝説に夢中になってみれば。

 

 可哀想だなんて、言われないはずだと。

 

 

 

『…………』

 

 

 

 

 沈めたとて浮かぶ泥で、空いた孔を埋めるように。

 

 "何もない"から上塗る為に、必要としたのは。

 

 個人ではなく、一塊ですらない、不特定多数へ向けた────

 

 矮小で、幼稚で、不出来な、憎しみだった。

 

 

 

 

  

 

 



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Tales 90【光について】

「……『可哀想』と思われたくなかったから、か。蓋を開けて見れば、辛気くさい理由だ」

 

「キッツい言い方。でも、ルークスの言うとおり、暗いし馬鹿げた動機だ。メリーさん達に一発ぐらい殴られたって文句は言えない」

 

 

 ルークスのバッサリとした一刀両断の物言いが、むしろこっちとしてはありがたかったのかも知れない。

 

 こうして都市伝説に関わる切っ掛けまで語ってきた訳だけど、全うに自分を見つめられる今ならば分かる。

 本当に辛気くさくて、幼稚で、ひねくれていて。

 無我夢中な衝動だったんだな、って。

 

 

「あん時は……ホント、切羽詰まってたんだよ色々と。責める時は散々責めてくれた癖に、今更になって可哀想って言われるのが凄く嫌だった」

 

「大衆ってのは、そういう生き物だろ。個人の背景に寄り添おうとするほど、抱える心の模様には目を向けられない」

 

「……」

 

「或いは、履き違えた絵画の観賞と同じか。描かれた絵の中身を理解する事より、理解出来たことで浸れる優越感を後生大事にするような。可哀想より、可哀想と言える人間にありたがる善性欲が、見え透く『同情』……それが何より許せなかったんだろう、お前は」

 

「……心理カウンセラーになれるよ、あんた」

 

 

 全員が全員、そうという訳ではなかったけど。 

 それでも粒光る星を見つめながら断じた(アカ)の他人の、呆気なく素っ気のない言の葉を。

 否定しようとは、思わなかった。

 実際ぐうの音も出ないくらいに図星だし。

 

 けれど同時に、この謎に包まれ過ぎてる女のことも、少しは分かれたのかも知れない。

 

 単なる厭世な皮肉家なんかじゃなく、まるで、彼女自身が世界を生きる上で感じた通りの言葉のようで。

 否定は出来ず、曖昧に濁したくもなかったから。

 

 ただ静かに、並んで星を見上げた。

 

 

「仕方のない話は良い。道化の衣装を着込んだ理由より、それからだ」

 

「それからか。まぁ、衣装だけじゃなくきっちり道化なら芝居もしなくちゃってことで……手っ取り早く、色んな都市伝説を調べてったね。図書館行ってそれっぽい本を片っ端から読み漁ったり、ネットの記事読み漁ったり」

 

「ネット?」

 

「あー……超でっかい情報掲示板、みたいなのイメージしてくれたら良いよ。その掲示板に貼り出されてる都市伝説を題材にした記事ばっかり調べてた」

 

「まるで取り憑かれたかのようだな」

 

「似たようなもんだろ。実際、底なし沼の呪いにかかったんだとか、悲しみのあまり人格が壊れただとか、散々気味悪がられたしな。お蔭で『可哀想』とは滅多に言われなくなった」

 

「ふん。目論見通りの様に言うな、馬鹿め」

 

「むあっ」

 

 

 何が癪に障ったのか。

 おもむろに紙袋からハニージュエルを一粒取り出したかと思えば、無理矢理口に押し込まれる。

 道化と形容したのはルークスの方だってのに。

 当の本人は不愉快そうに瞳の緋色を揺らしていた。

 

 

「目論見通りって格好付けるつもりないけど……そういう悪評が広まりきった後で『本命』について調べる時に、割と都合が良いんじゃないかって思ってたんだよ」

 

「本命?」

 

「そそ。底なし沼のスワンプマン。それを産み落とした発端の萩山区再開発計画について、深く調べるとしたら──『計画の責任を負わされた男の息子』と、『気が触れた自称都市伝説愛好家』と……どっちが"余計な疑い"を持たれずに済むと思う?」

 

「────」

 

 

 かつての萩乃湿原の武将伝説を下敷きに出来た、新たな都市伝説。

 他でもない俺がそれを調べるとなれば、己を傷を抉るという風にも見えるだろう。

 

 

「お前は……復讐するつもりだったのか」

 

「勿論、視野には入れてた。こんな目に遇わせてくれた再開発計画の主導陣営の奴らと、例の市長。そんときはまだ何も持ってない中坊だけど。いつか、機会を掴んだ時の為に……ってさ」

 

「……」

 

 

 まともじゃない。

 気が触れている。

 悲劇に狂った。

 もっともだ。

 

 だけど、もし復讐すべきと見定める相手に、そう思い込ませられたのなら。

 届かないナイフも、届かせる事が出来る。

 まぁ。ガキの頭で捻り出した、精一杯の合理性。

 可哀想と思われない為の方法と、そういうカモフラージュを兼ねていた、つもりだった。

 

 もっとも……そんな企みも全部、獲らぬ狸の皮算用にしかならなかったけど。

 

 

「……お前の祖父母は」

 

「ん? 爺ちゃん達がなに?」

 

「惚けるな。共に暮らしていたのなら、お前の変貌にいち早く気付く筈だろうが。何もなかったのか」

 

「まるでなんかあって欲しいみたいな口振りだな」

 

「うるさい」

 

 

 機嫌を曲げたままの追求に、苦し紛れの茶々を入れても乗っかってくれるはずもない。

 観念したように一拍置いて、甘さを欲しがる口にもう一つハニージュエルを突っ込んだ。

 

 思い返さずとも苦々しい記憶の欠片が、蜂蜜の甘ったるさを丁度良く中和していて。

 ほんと、なんとも皮肉な話。

 

 

「爺ちゃん達は……意外と、最初のうちはほとんど何も言ってこなかったね。夜中に部屋で、借りた本を読みふけってるのを『ガキが夜更かしすんじゃねぇ! 本なら明るい内に読みやがれ!』って叱られはしたけど」

 

「……気付いてなかっただけじゃないのか」

 

「どうだろ。婆ちゃんは俺の部屋の掃除とかもしてくれてたから、色々気付いてた節はあったと思う。そんでもやっぱり、気ぃ遣ってくれてたんだろうね」

 

「話を聞いた分ではお前の祖父が、そういう遠慮をする人間には思えなかったが」

 

「ははは。ああ見えて結構繊細な所があるんだよ、うちの爺ちゃん。単に不器用なだけで」

 

 

 本人に言ったら鉄拳食らいそうなもんだけど。

 実際のところ、爺ちゃんにも婆ちゃんにも気付かれてはいたんだろう。

 以前の人間味が希薄な状態よりは、精力的な分マシだって事なのかも。

 

 

「でも、こんな俺を引き取ってくれるだけ、やっぱお節介なとこもあってさ。何だかんだで爺ちゃんにも婆ちゃんにも、俺の浅知恵なんてまるっとお見通しだったらしい」

 

「……復讐の事か」

 

「勿論それも。けど、やっぱり年の功には勝てないってのかな。それよりも奥……もっと"根本的"なとこまで」

 

「根本、的……」

 

「そそ。ほんと……ぐうの音も出ないくらい、見抜かれてたもんなぁ」

 

 

 それはいつかの夏の夜。

 

 

『流。ちょいと座れ』

 

 

 遠くから届いた潮風の香りと一緒に思い起こされる、鈴虫の鳴き声。

 縁側に胡座をかいた爺ちゃんの隣に置かれた蚊取り線香の煙が、夏の星座が煌めく夜空へと。

 

 弔いの日の火葬場の、煙突から流れていた煙と同じように。

 細く高く、昇っていた。

 

 

 

────

──

 

 

【光について】

 

 

──

────

 

 

 

 

『夏休みの自由研究見越して、って柄じゃあねぇんだろう?』

 

『……なんの話?』

 

『惚けやがって。儂や湊がこの町じゃ顔が利くって事くれえ知ってんだろが。おめぇのすっとんきょうな評判なんざ、いびきかいてたって聴こえてくんのさ』

 

『すっとんきょうでも良いでしょ別に。俺は俺が好きなこと好きなように調べてる、だけだし』

 

『へっ』

 

 

 真っ只中に訪れた反抗期の子供みたいに口を尖らせてみたら、爺ちゃんはいかにも下手くそだ、って言いたげに鼻を鳴らした。

 

 

『流。野郎が二人、顔を付き合わせてんだ。腹割って話そうや』

 

『……』

 

 

 これまでに見たこともないくらいの真剣味を含んだ眼差しで見下ろされて、口周りの筋肉が強張った。

 

 それがまるで、境界線を引かれたようで。

 祖父と孫という間柄じゃなく。

 人と人としての話だと前置かれたみたいだった。

 

 

『おめえが好きな事を、好きなように調べることの何が悪いか。そりゃもっともだ。そんなもん儂がケチつけて止めさす道理なんざどこにもねぇさ』

 

『だったら』

 

『だがよ。どうにも儂の目にゃ、おめえのしてる事が道楽にも酔狂にも映りゃしねぇんだよ。なぁ流。おめえは好きな本を読む時に、どういう目をして読んでっか気付いてんのか?』

 

『……』

 

『暗い目だ。真っ暗な海の底みてぇに、暗い目してやがんのよ。てめぇの道楽を楽しんでる人間の目にはどうしたって見えやしねぇ。そんなら湊の手伝いをしてる時のが、よっぽど光ってやがる』

 

『……っ』

 

『長いこと生きてる身になりゃ、色んな人間の、それなりのもんを見てくる。例えば──後ろ暗いもんを抱えた人間の目とかな』

 

 

 鈴虫が今更ながらに、夜間演奏を止めたのか。

 シンとした静けさがぬるい風ごとやってきて、腹の下に重くのしかかった気がした。

 

 星空から、膝の辺りへと視線が落ちていく。

 

 

『覚えてるか、流? 儂と湊がお前を引き取ったあの日だ』

 

『……父さんの、葬式?』

 

『そうだ。あの日のおめえは本当に、何にも残っちゃいない、人間ってもんから感情を全部ひっこ抜いちまったような……脱け殻みたいになっちまってた』

 

『……』

 

『儂はてっきり……おめえに憎まれてるんじゃねぇかって思ってたんだ。湊もだ。出会い頭に「どうして助けてくれなかった」って詰められることだって考えた。死んだ後になってのこのこと現れた儂に、一発くらい殴りかかって来るやもしんねぇってな』

 

『そんなこと、する訳……』

 

『すんのさ。人間って生き物は、そんぐらいじゃなきゃ立ってられねぇ。例えどんなにてめえ勝手な恨みつらみでも、人間は立とうとすんなら必要とするもんだ。だから情けない話……参っちまったな、あん時は』

 

 

 竹を割ったような実直な爺ちゃんには似合わない、歯切りの悪さ。

 だからこそ、俺に責められると思っていたという心情は本当のことなんだろう。

 

 

『だがな。湊が言うにはな、流。おめえが──"弱くて、優しい"人間だからなんだとよ。

 弱くて優しくて、臆病な……きっと人を恨むことに向いてない、そういう子なんだろう……ってよ』

 

『婆ちゃんが……?』

 

『おう。正直あの時の儂には、アイツの言いてぇ事が良く分かりゃしなかった。だが……おめえと一緒に暮らしてく内、おめえってやつが段々分かってくるもんでな。

 

 "今なら"儂も、湊の言いてぇことが分かる。

 おめえはきっと、何かを恨んだり────復讐しようとか、そういう気持ちになること自体が下手くそな奴なんだってな』

 

 

 どうしようもない奴め、って呆れた顔で。

 ごわごわと、慣れない手つきで俺の頭を撫でる爺ちゃん。

 

 無意識に身体中に巡らせていた力が、糸を摘まんで引くように抜けていきそうになって。

 まるで藁にもすがるように、俺はその手をはね除けた。

 

 

『違う。違うよ、爺ちゃん! 俺は、ちゃんとアイツらを……俺の、母さんを、父さんを追いやった奴らに、思い知らせてやる為に……!』

 

『……意地の張り方までへったくそによぉ。本当、誰に似たんだかなぁ……』

 

『意地とかじゃない!』

 

『馬鹿野郎。復讐や恨み節に……"ちゃんと"、なんて言い回しする奴が居るかってんだ』

 

 

 その時の俺は、爺ちゃんの言わんとすることの全てを理解は出来なかった。

 それでも子供染みた反抗心がどうしてか、ここだけは譲れないと胸の内で暴れ狂う。

 

 子供の癇癪みたいな悪足掻き。

 まるであの日の底なし沼で、胸の空虚を埋め込む為にかき集めて作った狂色の泥のようで。

 

 

『焦ったんだろ?』

 

『え?』

 

『おめえは少しずつだが、脱け殻じゃなくなってった。儂らとの生活がおめえにとって、どういうもんだったかまでは分かりゃしねえ。それでも、少しずついっぱしの人間の顔をするようにもなってきやがった』

 

『……』

 

『だが、人間ってのは面倒くせぇ生き物でな。やっと一息って時に限って……考えなくたっていい不安に襲われる。湊もそうだった。喉の手術をする時に、あいつもガキみてぇに震えて恐がってた。もう歌えないって事以上に……歌っていた自分が忘れられちまうんじゃねえか。

 

 

 何より自分自身が、"忘れちまうんじゃねぇか"───ってな』

 

 

『……!』

 

 

『あぁ、ったく。しようがねぇよ、おめえもあいつも、どいつもこいつも。んなもん、忘れたくても忘れられねぇもんだってのによ』

 

『────』

 

 

 

 

 爺ちゃんの言葉は、鏡を突きつけるに等しい。

 

 

 俺が精一杯、すがり付いたなけなしの正体を映すように。

 

 空洞の根元に深く埋めた、泥の中身。

 それは爺ちゃんの言うとおり、"焦り"だった。

 

 あの日、『逢魔ヶ刻』に。

 スワンプマンの噂を聞いて、父さんに会えるかも知れないと夢焦がれる子供みたいに底なし沼に行って。

 

 結局、会えるはずもない。

 何もない、だけしかなくて。

 俺が逢えたのは。

 漠然と。寂しさという名の魔だけで。

 恐くなった。焦ってしまった。

 

 

 いつか。俺自身も父さんを、あの事件を。

 綺麗さっぱり何もなく、忘れてしまうんじゃないか──って。

 

 

 沈んでは浮かんで。

 沈めたとて浮かばれて。

 

 

 そんな焦りが、不安定な一つ足で立つ案山子(かかし)に、泥まみれの藁を掴ませた。

 繰り返していく内に磨耗してしまう孔を埋める為の、泥に過ぎなくて。

 

 

『…………じゃあさ』

 

 

 憎むことさえ下手くそ。本当にその通りで。

 ぐうの音も出ない。

 慰めのつもりか、代わりに再開される鈴虫の夜間演奏。

 リンリンと鳴る音の最中に滑り込む蚊取り線香の煙が、目に染みた。

 

 

『じゃあ、どうすれば、いいんだよ。俺。また、何もないになっちゃうじゃん……』

 

『んなもん簡単よ。誇れるもんを持ちゃ良い』

 

『そんなもん、あるわけない』

 

『女々しいこと言ってんじゃねぇ。無けりゃ作る、そんだけだろう』

 

『……作るって言ったって』

 

 

 鏡を見ることをしなかった案山子に、自分の誇りなんて分かるはずもない。

 だからまた性懲りもなく何かにすがろうとしている。

 方角の分からない迷子が、月を頼るように見上げて。

 白く大きな月は、睫毛をシパシパと瞬かせて、もう一度俺の頭を撫でた。

 

 

『儂は、船に乗るのが好きだった。波飛沫の泡立った白さを、水平から顔出す太陽(おてんとさま)を見んのが好きだった。湊もそうだ。あいつは色々あって、歌を嫌いになりかけてた時期もあったが、それでも「好き」を貫いた。その事実が、その経験が儂らにとっての……宝であり誇りだ。挫けた時に支え続けてくれたモンだ』

 

『好きを貫く……』

 

『おうよ。突き詰めるってのは大事だ。男なら、これってもんを一つは持っておくべきだろぉよ。箔になるし、矜持になる。例えば、おめえが調べて回ってる都市伝説……ってのも悪かねぇのさ』

 

『え、でも』

 

 

『言ったろ、突き詰めろってな。暗い感情に従って突き詰めんのは間違いだ。そういうのは突き進むが最後、結局回り回っててめぇ自身を陥れる。だが、入り口は暗くとも、最終的に、好きになっちまえば全然違ぇのさ。

 

 だからな、流。突き詰めるからには、最終的には好きになれ。

 そおすりゃ、いつか。最後にゃきっと────笑えるようになんだろ?』

 

 

『…………』

 

 

 誇れる何かを持て。

 好きを突き詰めろ。

 

 筋道も滅茶苦茶な、強い言葉だった。

 始まりは暗くても、最後に笑えれば問題ない。

 好きになりそうなものでなければ、また別の新しい事を始めれば良いと。

 

 無責任で、乱暴で不安定な。

 けれど強く、人生の縮図のようにさえ思えて。

 

 

『おめえなりに考えてみな』

 

 

 言いたいことは全部言ったと、すっきりした顔でニヤッと笑うと、人生の大きな先達は一足先に去っていく。

 

 残された俺は、やがてよろよろと立ち上がり、自室へ戻るや洗剤の香りが残る布団の中へと身を沈めた。

 

 漠然とした浮遊感。

 足がないような奇妙な自由さ。

 熱病に侵されたように曖昧とした頭の中で、爺ちゃんの言葉だけが反芻する。

 

 

──その日の晩に、いつもと違う夢を見た。

 

 

 首を吊った父さんの苦悩に満ちた姿はなく。

 無表情で去っていく母さんの後ろ姿もない。

 

 真っ暗な海を、頼りない木船で、灯りもなしに進んでいく夢。

 船に乗っているのは、ぽっかりと空いた孔を泥で埋めた俺一人。

 

 進んでも進んでも、濃い闇雲ばかりが広がる果てのない果ての中、どうすることも出来ない。

 次第に漕ぐことさえやめて、迷子のように立ち尽くした時だった。

 

 

『だからな。

 突き詰めるからには、最終的には好きになれ。

 そおすりゃ、いつか。最後にゃきっと────笑えるようになんだろ?』

 

 

 聞いたばかりの爺ちゃんの言葉が脳裏に過ぎって。

 

 常夜灯が、空洞の胸に。心に点いた。

 空洞を照らす優しい光火が、埋めた泥を乾かしていき、そして。

 

 

『──』

 

 

 光火が徐々に広がり、暗雲を裂き。

 真っ暗という世界の法則は、いとも簡単に崩れてしまって。

 

 暗がりが晴れた世界は。

 息を飲むほどに綺麗な、綺麗な──青だった。

 

 

 

 そんな……短くも、優しい夢。

 

 けれど現実ではそれなりに長い夢だったらしく。

 目が覚めた時には、いつも婆ちゃんと朝食の支度をしている時間はとっくに過ぎ去っていた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

『おハヨう』

 

『……おはよう、婆ちゃん』

 

 

 リビングに現れた寝坊助を迎え入れたのは、使い終わった食器を洗っていた婆ちゃんの声だった。

 朝食の時間はとっくに過ぎていて、だからテーブルの上には一人分の朝食だけが並んでいる。

 

 障子が開いた隣の部屋では、胡座をかいてテレビのニュース番組を眺めている爺ちゃんの背中があった。

 いつもならとっくに組合に向かってる時間なのに。

 そんな些細な違和感を口にはせず、おずおずと椅子を引く。

 

 

『……?』

 

 

 昨日の残りの、魚の煮付け。

 だし巻き玉子。ほうれん草のごま和え。あさりの味噌汁。白いご飯。

 この家に引き取られてから何度も食べて来た朝食のメニュー。

 だから、何も特別ということはない。いつもの通りのはず。

 

 

『……ぁ』

 

 

 いつもの通り。そう、いつもの通りに、ほくほくと"湯気が立っている"。

 いつもの、暖められたばかりの朝食のように。

 

 とうに時間は過ぎてるのに。

 

 

『……いただき、ます』

 

 

 口に運んだご飯は、当たり前のように熱をもっていて。

 舌でほぐれる魚の身も、啜った味噌汁も、当然のように暖かくて。

 いつものように。

 

 なのに。いつもよりも、ずっと深い味がした。

 醤油の香りが、魚の下味が、玉子の柔らかさが、ずっと鮮明に感じられて。

 

 

 

《どうかしら? 今日の味噌汁。少しお味噌を変えてみたんだけど》

 

《……ん。美味いな》

 

《そう、よかった。流はどう? 美味しい?》

 

《んー……大体いつもと一緒!》

 

《えぇー……》

 

《分かんないもん。おかわり!》

 

《もう……》

 

《いつもと一緒で美味いってことだろ》

 

《え? あぁ……ふふ。しょうがない子ね》

 

 

 

 

 それだけなのに。

 どうしてこんなにも。

 

 

『…………っ……ひっく……』

 

 

 訳が分からなくて。

 何かが流れ落ちていく。

 胸に埋めたものが、渇いて、溶けて、流れていく。

 

 

『ぅ……あぁぁ……ぐすっ……』

 

 

 鼻がツンと詰まる。

 ポタポタと雫が、落ちていく。

 湯気が染みて、目が痛い。

 

 みっともない。

 食事作法に至っては、下手くそどころじゃない。

 

 けれど、叱りつける言葉はなく。

 

 

『……』

 

 

 食器を洗う婆ちゃんの手が、水道の蛇口を捻る。

 

 いつもなら、あんまり多く水を使うことをしないのに。

 とっくに真っ白になってる皿を、大きく音を立てて洗ってる。

 

 

『……』

 

 

 背中を向けたままの爺ちゃんの手が、こちらの部屋に届くくらいに、テレビのボリュームをあげていて。

 

 地獄耳ってくらいに耳が良いくせに。

 

 

 まるで、泣き声を。

 

 聞いてあげないように、するみたいにさ。

 

 

 

『ひっく……ぐすっ……う、ぁ……父、さん…………かあ、さん…………』

 

 

 

 止めようとしても、我慢しようとしても、涙は堰を切ったみたいに止まらない。

 

 とめどなく溢れていく。

 それもそうだ。

 

 父親の死を目にした時も。

 火葬場で立ち尽くしていた時にも。

 

 俺は。案山子のように呆然とするだけで。

 

 この"当たり前"を、忘れてしまっていたから。

 

 

『うぁぁぁぁぁ……!』

 

 

 

 薄い瞼から、優しくほつれるように落ちた涙。

 

 必死に埋め続けた泥の、全てを流したその日に。

 

 

 

 

 

 

 

 空っぽの孔(何もない)を、光火で照らして。

 

 

 案山子はやっと、人間になれた。

 

 

 鏡を見つめられる────人間になれた。

 

 

 

 

 



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Tales 91【この手に傍ら】

「改めてだが……分かった気がするな」

 

「なにが?」

 

「お前という人間がつくづく奇妙なのは、そもそもの根本の部分からだと言うことがだ」

 

「へぇ、どういう意味だよ」

 

「そのままの意味だ。お前が祖父の言葉を受け入れたとはいえ……そのまま本当に愛好家にまでなる奴が居るか、普通」

 

「しょうがないだろ。実際、調べれば調べるほど滅茶苦茶面白かったんだから。なに。なんだったら今からとっておきのレパートリー語り尽くそうか?」

 

「断固拒否だ、バカめ」

 

 

 自分の過去を長々と語るのは気恥ずかしいもので、誤魔化しの小競り合いに乗って貰えるのは都合が良い。

 誤魔化しついでに立ち上がりながらズボンを叩けば、細かい土がパラパラと落ちる。

 ずっと喋り続けていたから、身体が凝って仕方ない。

 彼方の星を迎えるようにぐっと伸びをした。

 

 

「憎む事自体が下手……的を射た言い分だな。復讐に取り憑かれたお前の姿はどうにも想像出来ない」

 

「好意的に受け取って良いのかねそれ」

 

「さあな」

 

「ふーん……けどまぁ実際のところ、復讐に執着しなくて正解だったんだろうけどね」

 

「……?」

 

 

 馴染んだ夜の息吹きが、色々を背負って耳の後ろを通り過ぎていく。

 ふと訪れた眩暈に任せて瞼を閉じれば、セントハイムの街灯りが雪解けのように、甘く霞んだ。

 

 

「……なんだかんだ丸く収まったけど、結構不思議だった。あの不器用な爺ちゃんが、わざわざらしくない真似してまで、俺の説教役なんて買って出てくれたんだろうって。でも……後になってわかった。多分、知ってたんだろうね」

 

「……何を?」

 

「例の"市長"。結局、責任追及と失脚からは逃れ切る事は出来なかったみたいでさ。隠してたスキャンダルが暴かれたのも重なって、再開発計画の仲間にも奥さんにも見捨てられた挙げ句、ツキにも見放されたのか…………とっくの昔に、事故で亡くなってたらしい」

 

「────!」

 

 

 もしも。

 あのまま俺が下手くそな復讐を捨てきれずにいたとしても。

 一番憎むべき相手は、もうどこにもおらず。

 

 

(そうなってたら……あんたと俺の関係性も全然変わってたのか。それとも、なんだかんだで変わることはなかったのか)

 

 

 案山子はくすぶる火種に焼かれて、燃え尽きるだけだったのか。

 それとも亡霊のように、憎悪をぶつけられる誰かを探していたんだろうか。

 

 

(ま。俺は勿論、後者だと思うけど……)

 

 

 霞んだ景色の向こうに、緋色の女の幻が見えた気がした。

 

 

(あんたもそう思うだろ。な、"アキラ")

 

 

 悪友であり、親友であり、奇縁の女。

 

 "もしもの世界"ならば例の市長の。

 

 "一番憎むべき男の一人娘"でもあった───大河アキラの姿が、見えた気がした。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「つまんない話だった?」

 

「……」

 

 

 宴もたけなわとまでは適さない二人きりの夜会ではあっても、終わりがある事に変わらない。

 追想を尽くした今宵に幕を下ろすべく、丘を降り始めたのは、どちらともなく。

 

 

「肩身が少し、広く感じたな」

 

「どういう意味それ」

 

「どうとでも」

 

 

 なだらかな斜面に茂る草花が、夜の冷気に触れて霜を飾って。

 未完成の雪結晶を纏った葉の表面が、歩く度にサクリサクリと軽快に鳴る。

 心地良さが、まるで自分の心がなごり惜しむ抽象の音に思えても、不思議と悪い気はしなかった。

 

 

「ナガレ」

 

「ん?」

 

 

 一歩前を行く長い脚が、ふと止まる。

 振り向くことをしないルークス。

 フードを外したローブの隙間から流れるアッシュグレイの髪が、月光を浴びてキラキラと輝いていた。

 

 

「……お前は、闘魔祭が終わったあとどうするつもりだ? 異世界から来たというお前に帰る場所はあるのか?」

 

「え? あー…………(そういや俺、ルークスには闘魔祭に参加した『本心』は打ち明けていても、『理由』であるセリアやガートリアム、エース達の事情は伏せたままだったっけ)」

 

 

 ふと投げ掛けられた質問に、思わず口ごもる。

 おいそれと公言するのもまずいかと考慮した結果、自分以外の事情を殆ど語らなかった弊害、とでも言うべきか。

 色々と順序ってものをすっ飛ばしてるよな。

 話せる度合いで考えれば、元居た世界での事情なんて、軽々しく語れる事ではないのに。 

 

 

(……なんでだろうな)

 

 

 爺ちゃん達との事、父さん達の事、そしてアキラ達の事。

 セリアにもお嬢にもアムソンさんにも、話すどころか深入られるのを拒む素振りすらあったのに。

 どうして、ルークスにはこんなにも打ち明けてしまったんだろう。

 

 今更ながらに、不思議でしょうがなかったけれど。

 でも、後悔の念は全然湧いてこなかったから。

 

 まあいいかと、いつもの気楽さで片付けて顔を上げれば。

 

 

「────私と来ないか?」

 

「え?」

 

 

 いつの間にか振り向いていたルークスが、俺へと手を差し伸べていた。

 

 

「一緒に来ないか、って……」

 

「お前は言うなれば根なし草だろう」

 

「まぁ、間違っちゃいないけど」

 

 

 根なし草。

 言われてみれば自分の立ち位置ってのは、定まってるもんじゃないのは確かだった。

 

 この闘魔祭が終わったあと、どうするか。

 セリアと一緒にガートリアムに戻って、それからは。

 どうするのか、どうしたいのか。

 いかんせん此方に来てずっと場当たりと衝動任せだっただけに、具体的なこの先のプランなんて考えちゃいなかった。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 私と一緒に来い、か。

 俺が復讐下手なら、彼女はとんでもなく交渉下手だ。

 行き先も目的もメリットも告げず、そう言い切るなり返事を待つように黙り込まれたって困るのに。

 

 苛烈で鮮明な色である(アカ)を、落陽のように儚く細めながら。

 彼女はただ、待っていた。

 

 

「……思ったんだけどさ」

 

「なんだ」

 

「ルークスこそ結局どういう人な訳? こんだけ色々と話し込んだ仲とはいえ、流石に身分とか、はっきりしない人に付いていかないけど?」 

 

「………………冒険者だ」

 

「嘘だろそれ」

 

「な、なにを根拠に」

 

「雰囲気から何まで、全然冒険冒険してないじゃん、あんた」

 

「う……」

 

 

 この人も、どこかの誰かみたいに不器用なのか。

 或いは────最初から、俺が頷いてくれるという期待を捨てているのか。

 尖ってるのに、隙だらけな人だ。

 どっち付かずの曖昧で、分かりやすい嘘も重ねる始末。

 軽はずみな単なる冗談だったら、そう言ってくれればいっそ良かったのにさ。

 

 

「……」

 

 

 背も高いし、サバサバしてて、いかにも我の強そうな顔付きの癖して。

 諦めと期待が混ざりあって、子供のように純真な瞳を向けられるのは、今も"昔"も、どうにも弱いままであるらしい。

 

 

「けどまぁ、あんたとこの世界の神秘を巡る旅ってのも、面白そうではあるかな」

 

「!」

 

「闇沼のこととか。こっちの世界にだって、都市伝説染みた怪異はきっと山ほどあるはずだ。そういうのを探し求めるのも……悪くないよな?」

 

「……あぁ」

 

 

 顎を上に傾けて、思い描いてみる。

 見たこともない景色や神秘に、向こう見ずに首を突っ込んでは、好奇心のまま走り回る俺と。

 来いと誘ったことを後悔してそうな呆れ顔のルークス。

 そんな光景を想像するのは案外に容易で、悪くない。

 心からそう思うけれど。

 思い描くのが簡単だと思えるのはきっと、在りし日の未練をなぞっているからで。

 

 

「けど、今の俺にはやるべき事がある。やり通さなきゃならない意地がある。明日の闘いも、その後のことも。だから、そういうのがきっちり片付く間──」

 

「……?」

 

「ルークスには少しでも都市伝説を好きになって貰わないとな。じゃないと間違いなく、俺を誘ったこと……うんざりする羽目になるね」

 

「……ふん」

 

 

 それに、まだ何も片付いちゃいない。

 闘魔祭の決勝も、ガートリアムの問題も、セリアやイライザ姫に切った啖呵も。

 

 口にしたのなら、しっかりやり通す。

 他でもない自分で考えて、自分で選んで決めたことだ。

 そうじゃなきゃ男じゃない。

 

 

 だからこれは……ずる賢い知恵で編んだ、先に延ばした口約束だった。

 

 

 しっかり意地を突き通した、その後でなら。

 その頃には、きっと俺も。

 他愛ない未来予想図を、未練と思わないだけの踏ん切りを付けられていると信じて。

 

 もしかしたら、これもまたしょうのない意地みたいなもんかも知れないけれど。

 

 

「まったく……」

 

 

 そんな男のバカな意地を……彼女は心底呆れたように。

 

 

「手間のかかる男だよ、お前は」

 

 

 差し出した手を下ろし、微笑んでみせた。

 

 

 

 

 

 

 

────

──

 

【この手に傍ら】

 

──

────

 

 

 

 

 色々と本音を捧げた夜ともなれば、身体の節々に溜まった疲労もより一層だった。

 戻った宿のベッドに、くてんと倒れかかるぐらいに。

 

 枕に沈めた口から、う゛ああーと奇妙な声が漏れだすくらいに、疲れていた。

 

 

「ねむ……」

 

 

 まだ若干機嫌の治ってない様子のお嬢のことや、まだ戻ってないセリアのことも気にはなるけど。

 瞼にじんわりと広がる微熱の睡魔が、まあいいかの区切りへと気掛かりを追いやって仕方なかった。

 

 

「……んー?」

 

 

 睡魔の脚を止めたのは、ポケットから伝わる振動だった。

 それだけで、何がではなく誰が、となるくらいに、判りやすい呼び声。

 

 

『私、メリーさん。少しだけお話したいの』

 

「ん、いいよ」

 

『ありがとう』

 

 

 浮かんだ電子の文に二の句を継げずに頷けば、いつもの白金の奔流と共に、蜂蜜色の髪が靡いた。

 

 

「ごめんなさいナガレ。もう寝る所だったのに」

 

「気にしなくていいよ。で、どうしたの?」

 

「その……ね。実はね、メリーさんも……お話、聞いてたの」

 

「話って……ルークスとの?」

 

「うん」

 

「……そっか」

 

 

 てっきり休んでるもんだと思っていたけれど、どうやら彼女も俺の過去を聞いていたらしい。

 ってことは、俺が当初、都市伝説に抱いていた感情も知られてしまったという意味でも、あるのか。

 

 のっそりと起き上がりながらも、沈黙で答える俺の隣にメリーさんが腰かける。

 間隣で俺を見上げるエメラルドの瞳が、静かに揺れていた。

 

 

「ねぇ、ナガレ。ナガレは最初……メリーさん達のこと、あんまり良く思ってなかったんだよね?」

 

「……悪い」

 

「ううん、謝らなくてもいいの。謝らなくていいことなの。それに今は、メリーさん達のこと……好きになってくれてるもの」

 

「……」

 

 

 投げ出された俺の手にそっと掌を重ねると、メリーさんが俺の肩へと寄り添う。

 暖を求める冬の日の仔猫のように。

 

 

「ねぇ……聞いていい?」

 

「なにを?」

 

「恐がられても、嫌われてしまっても……いつか、また……好きになってくれる日は。大切にしてくれる日は、来てくれる、ものだって。

 

 メリーさんでも。そんな風に思っていいと、思う?」

 

 

「……、────」

 

 

 あぁ、そうかと腑に落ちる。

 彼女もまた、俺と同様に過去に囚われ続ける想いがあるんだろう。

 恐がられて、嫌われた。それはきっと、彼女を捨ててしまった『誰か』の事で。

 

 

「いいに決まってる」

 

「……ほんとう?」

 

「本当」

 

 

 だったら、俺は肯定する。

 

 その誰かに、彼女が会えないとしても。

 メリーさんが望むいつかは来なくても。

 そう信じたいというせめてもの願いは、許されないものじゃあないはずだから。

 

 

「だってメリーさんは、そのいつかを迎えられた俺の……『相棒』なんだろ?」

 

「────うん」

 

 

 エメラルドの瞳が、これ以上となく安堵に緩む。

 それでも言葉だけじゃまだ不安なのか、しがみつくように俺の胸元へとメリーさんが顔を埋めた。

 灯りを消した部屋の中でさえ蜂蜜色の綺麗な光沢が滑れば、彼女の体温が伝わってくる。

 

 人形ではなく、人間である証のようで。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 胸元から漏れ聞こえる、くぐもった感謝の言葉に苦笑しながら、あやすように背を叩く。

 

 

 

── そうして案山子は、人間になって。

 

 

 いつか貰った灯火を、分けて与えられるようにもなれたのだろうかと。

 

 窓の隙間から覗く、想いを残した夜中の月を、静かに見上げるのだった。

 

 

 

 

 




【おまけ】


「メリーさん。俺、そろそろ寝たいんだけど」

「私、メリーさん。今日は貴方のくっつき虫になるの」

「……」

「……」

「…………はいはい」

「うふふ」





「あ、そうそう。メリーさん。明日の試合なんだけど」

「うん、メリーさん明日も頑張るの!」

「あーいや、その気持ちは嬉しいんだけど。ちょっとね、頼みがあんの」

「勿論任せて! メリーさんに出来ることならなんでもするの!」











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Tales 92【エルザ・ウィンターコール】

 闘魔祭最終日の朝でも、取り立てて何が違うという訳でもない。

 なんだったらいつも以上のぐっすり快眠具合に、頭の加減がぼんやりしているくらいだった。

 

 

「だらしない顔してますわねぇ。シャキッとなさいな」

 

「なんでお嬢は朝からそんな元気なの」

 

「グリーンセプテンバーの家訓が六条、『淑女たるもの、いついかなる時も美を磨け。心も身体も清廉にあるべし』ですわ。淑女は寝惚けた顔で人前に出たりしませんのよ」

 

 

 淀みない宣誓。今日も晴天の下が良く似合う快活ぶりだ。

 もういっそ、お嬢じゃなく委員長って呼ぼうか。

 

 

「それに今日を勝てば優勝! 優勝なんですのよ! ここで気合いを入れずしてどこで奮起するというんですの!」

 

「闘うの俺なのに?」

 

「従者の栄光は即ち主人の喜びですわ!」

 

「また勝手なこと言い出す」

 

「となれば、ナガレ様はこのアムソンの後輩となるのでしょうか。指導鞭撻の腕が鳴りますな」

 

「アムソンさんも時々悪乗りスイッチ入るよね」

 

「ほっほ」

 

 

 宿屋の前でのから騒ぎも、ともすれば営業妨害になりかねない。

 もう顔見知りにもなりつつある女将さんの朗らかな笑顔が強張る前に、早いとこ出発したいんだけど。

 

 

「ごめんなさい、待たせてしまったわね」

 

「そんなひどい寝癖だったの?」

 

「ええ。見せられなくて残念ね」

 

 

 やっとこさ顔を出した騎士が、からかいの言葉に肩をすくめる。

 いつもきっちりしてるセリアが最後ってのは珍しい。

 昨日の援軍要請は問題なく通ったって話だけど、いつの時代も手続きってのは時間が掛かるもんなのか。

 ともあれ、これで顔触れは揃った。

 

 

「そうそうセリア。昨日、援軍の件で話しそびれた事があんだけど」

 

「援軍の? なにかしら……」

 

「道すがらで説明する。ま、吉報だから期待しててよ」

 

「?」

 

 

 セナトの件。

 あんだけ心労蓄えたんだから、ちょっと勿体振ったってバチは当たんないだろうと。

 肺に送り込んだ鮮明な空気を、するすると吐いて。

 お嬢いわくだらしない顔を引き締める。

 

 

「そんじゃ行こうか」

 

 

 決勝のコロシアムへと、向けた靴先。

 遠くで響く、まばらな鳥達の羽ばたきが、背を押す応援にも聞こえた。

 

 

 

────

──

 

【エルザ・ウィンターコール】

 

──

────

 

 

 

「おぉ、ナガレ選手。これはこれはお早いご到着でございますね」

 

「……あ、オルガナさん」

 

「覚えておいでですか、光栄です。ここまでのご活躍、わたくしめもしかと拝見しておりましたよ。本日の大舞台への準備も万端と見えます、善きかな善きかな」

 

 

 人通りを気にして早めに到着した闘技場の通路で、懐かしい顔と再会した。

 予選の派手な振る舞いが印象的だった、赤いネクタイがトレードマークの伊達男。

 といってもオルガナさんとは最後に顔を合わせた本選初日から、まだ三日も経っていないけど。

 

 

「相変わらずの、なんとも言えない胡散臭さが漂う男ですわね」

 

「ナナルゥ選手もご機嫌麗しく。三回戦での華々しき激闘はお見事でした。ナガレ選手のお付き添いですか?」

 

「こ、このわたくしが付き添い役な訳でしょう!」

 

「はは、左様ですか」

 

 

 お嬢が評す、胡散臭いとまでは言わないけど。

 紳士的な物腰の奥で、只者ではない気配が見え隠れする人物といえばそうかも知れない。

 って、それも考えてみれば失礼か。

 そう理由のない苦手意識を振り払うつもりでまばたきを一度、二度と重ねた時だった。

 

 まばたきの間に割り込むようにして、オルガナさんが俺の目の前ににゅっと現れたのは。

 

 

「さて、ナガレ選手。改めて言うまでもありませんが、決勝までの躍進、実にお見事でした。目を引き耳を傾けさせ、心を掴む逆転の数々。公平な立場に務めねばならぬわたくしでさえ、すっかり魅了されてしまいました」

 

「はぁ……それはどうも」

 

「えぇ。ですから、是非とも本日の闘魔祭決勝も──噂の『精霊奏者(セプテットサモナー)』らしい、観るものを魅了してやまないような素晴らしきご活躍を……期待しておりますよ」

 

「────、……」

 

 

 彼の赤いネクタイが翻る。

 俺の肩に両手を置きながら、あくまでもにこやかに。

 ズシンと重みがのし掛かったのは、目に映るものだけじゃあない。

 

 誰を指しているのかなんて、一目瞭然で。

 その当然が、"当然である事自体"が、なんとも言えない苦々しい想いを引き連れる。

 

 

「むっ、聞き捨てなりませんわね。精霊奏者ともなれば、精霊魔法を扱う者でもそうでない者でも自ずと仰ぐ箔とも言えます。け・れ・ど・も! やはり栄えある舞台にこそ必要なのは、何より気品ですわ! そう、例えばこのわたくしに備わるような圧倒的ゴージャスなほどの気品がっ!!」

 

 

 だからこそ。

 こういう時、すかさずいつもの超理論を掲げてくれるお嬢の存在がありがたかった。

 というか、この人のこういうある種空気を読まない所には、下手したら助けられている数の方が多いかも知れないな。

 

 

「ふむ、気品と。一理もない、とは言えませんな。ですが、そうおっしゃっていただくならしっかりと勝ち進んでいただかなければ」

 

「ふぐぅ……くっ、やはりあの時、あのちんちくりんにまんまと相討ちに持ち込まれてしまったのは失態でしたわね……」

 

「──なに捏造してんのよ。自爆特攻かましたのアンタの方でしょうが!」

 

「げっ、エトエナ?!」

 

 

 恒例のお約束とも言うべきか。

 お嬢の見え透いた照れ隠しに容赦ない訂正を浴びせる声の主は、振り向かなくても分かる。

 

 早々に感じるトラブルの気配。

 類は友を呼ぶというか、噂をすれば影というか。

 複雑なことに、今はそんな闖入者の飛び入りは歓迎したいところで。

 

 

「ふふふ。それでは、私はこれにて。ナガレ選手、ご健闘を祈っていますよ」

 

「……どうも」

 

 

 ふう、とついた浅い吐息をどう捉えたのかは分からないが。

 にこやかな表情を少しも変えないまま、一礼と共にオルガナさんは去っていく。

 

 

「噂の精霊奏者、か……」

 

 

 溜め息混じりに落とした呟きが、誰にも届きはしなかったのは幸いか。

 気を取り直してといわんばかりに振り向く。

 するとそこには、想像していた以上の面々が勢揃いしていた。

 

 

「やーやー御一行。調子どないー?」

 

「絶好調。そっちもエルディスト・ラ・ディー揃い踏みか」

 

「せやで。なんせ決勝やからね、パーッといかんと! それにこうして並ぶとなかなかの迫力やろ?」

 

「テメェで言ってりゃ世話ねぇぜ」

 

「迫力あるのってキングとフォルくらいですよ。ある意味クイーンもですけど」

 

「うふふ、光栄だわぁ」

 

 

 幹部である切り札の四枚。山札(キティ)が三枚。

 闘魔祭で出会ったエルディスト・ラ・ディーの面々の揃い踏み。

 確かに、尋常じゃない迫力があった。

 まぁ、クイーンに関しては多分褒められた意味じゃないけれども。

 キティの内の一人は、早くもお嬢とメンチ切り合ってるし。

 

 と、ふとそこで気付く。

 揃い踏みは揃い踏みなんだが、"見覚えのない顔"がひとつ増えてることに。

 

 

「……エース。その娘は?」

 

 

 にんまりと凄みのある笑みを浮かべるクイーンの両手に押されて俺達の前へと現れたのは、一人の少女だった。

 年頃は多分、メリーさんと同じくらいだろうか。

 癖のない、朝焼けを浴びて煌めく白雪のような、スノーホワイトの髪。

 それを左右の根元で括ってツインテールしているからか、あどけない印象をより一層増している。

 

 陶器に似たミルク色の肌が暖かみを感じさせるのに、深く閉じられた双眸が、どこか儚さを抱かせて。

 その儚さに、より拍車を掛けさせるのは小柄な彼女が腰掛けている、"車椅子"の存在が大きかった。

 

 

「ほれエルザ。恥ずかしがらんと、挨拶しぃや。連れてけ連れてけってごねたん自分やろ?」

 

「う。もぉ、分かってるてば。兄やんはちょっと黙ってて」

 

「へいへい」

 

「え……兄、って」

 

「まさか」

 

 

 車椅子の上で照れ臭そうに身動ぎする少女の言葉に、思わずセリアと顔を見合わせる。

 些細なやり取りに見える気安さと、よく見るとニマニマと口を緩ませる男に似ている少女の顔立ち。

 そしてエース譲りの、若干の関西訛りと来れば。

 

 

「……あの、初めまして。サザナミナガレさん……ですよね? ウチは、エルザ。エルザ・ウィンターコール言います」

 

「ウィンターコール。じゃあやっぱり」

 

「はいな。ウチはヤクト・ウィンターコールの。

 

 エルディスト・ラ・ディー団長『エース』の……妹です」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「エースの妹さんか」

 

「エルザでええですよ、ナガレさん」

 

「そっか、了解。宜しくエルザ」

 

 

 予想は外れることなく、やはり車椅子の少女はエースの妹さんだったらしい。

 少し緊張気味ではあるものの朗らかな微笑みを浮かべるエルザ。

 片膝ついてそっと手を差し出す。緊張ほぐしついでに、宜しくという意味も重ねて。

 

 

「……」

 

「……?」

 

「エルザ。握手」

 

「──! あっ、はいな。宜しくです、ナガレさん」

 

 

 けれど差し出した手を前に彼女が反応したのは、エースが促されてからだった。

 わたわたと小さな両手が、慌てたように俺の手を握る。別に焦らなくてもいいのに。

 

 それにしても、人懐っこくも儚げな雰囲気のエルザが此処に居る理由はなんだろうか。

 闘技場って場所の殺伐とした空気には、全く合わないタイプの子だろうに。

 

 

「エルザも観戦に来たのか?」

 

「いえ、観戦じゃなくて。ウチが此処に連れてきてもろうたのは、ナガレさんにどうしても一度会っておきたかったからなんです」

 

「俺に? どうして」

 

「ウチ、面と向かってどうしても御礼を言いたかったんです」

 

「御礼……」

 

「……もしかして、精霊樹の雫の事かしら」

 

 

 精霊樹の雫。

 言わずと知れた闘魔祭の優勝商品である万病の薬で、エルディスト・ラ・ディーが外部の人間に頼るほどに欲したモノ。

 セリアの心当たりに導かれて顔を上げた俺を、エルザの儚げな微笑が迎えた。

 

 

「はいな。実はウチ、『虚色症』っていう病気を患ってまして……」

 

「虚色症……!」

 

「知ってるの、セリア」

 

「……数はとても少ないけれど、第二次成長期を迎えたばかりの子供に発症しやすいとされる難病。病状も厄介極まりなくて、身体の感覚や神経が……徐々に弱まって、最終的には機能しなくなってしまう。弱まる部分は個人個人ごとに多少の差異があるんだけれど」

 

「……!」

 

 

 難病というだけあって、病状も子供が患うには余りに厳しい。

 徐々に弱まって、最終的には機能しなくなる。

 じゃあ、エルザが車椅子を使ってるのは、彼女の場合は脚に病魔が巣食ってしまっているという事なのか。

 

 

「それだけでも厄介なのに、発症してしまった人は共通して、大幅な視力低下と色が判別出来なくなる……そして」

 

「髪の色が、抜け落ちてまう。エルザの髪の色な、元々ボクと同じで、綺麗な黒髪やったんよ」

 

「"虚色"症って、そういうことかよ」

 

「言うてウチ、もう殆ど目が見えへんから……色が抜けても自分じゃ分からないんですけどね。えへへ」

 

「……」

 

 

 幼い少女には余りに酷な難病。

 普通ならば出来ることが出来なくなるという事が、どれだけ大変か。

 

 家事の手伝いを始めた当初、申し訳なさそうな顔でメモでやり取りをする婆ちゃんを何度も見てきただけに、それでも気丈に振る舞おうとするエルザの笑顔の裏にある、苦労や悲哀は語られずとも充分に伝わって。

 

 でも、と。

 もう一度俺の手を取る少女は、今朝見上げた蒼穹よりも晴れやかな笑顔を浮かべてくれていた。

 

 

「でも……ナガレさんが。ナガレさんやフォル君が頑張ってくれたから、ウチの病気も……治せるんや、って。それでウチ、どうしても直接御礼言いたくって、兄やんにワガママ言うてまで」

 

「……そっか」

 

 

 訥々と言葉を詰まらせながらも微笑みを絶やさず。

 それでも俺の手を包む両手は、優しく震えていて。

 視界の端で耳を傾けていたフォルが「なんで俺だけ君付けなんだよ」と、不貞腐れている。

 どう見たって照れ隠しにしかなってないけれど。

 

 

「じゃ、治ったらもっと兄やんにワガママ言わなくちゃな」

 

「ふぇ……や、もう充分迷惑かけてしもうてるし。これ以上甘えた事は……」

 

「何言ってんの。あんたがしっかり甘えることが、他でもない孝行になるもんなの。そうだろ、エース?」

 

「なっはっは! せやね、気色悪い遠慮なんてするぐらいなら、そうして貰いたいもんやね! なんやったら一緒に寝たろうか。もっとチビやった頃はちょーっと恐い話聞いたくらいですーぐ『兄やん、眠れへん……』って泣きついてなぁ……」

 

「み゛ゃ゛ぁぁぁ! ちょっと兄やん?!?! なに大昔のこと言うてんねん!」

 

「そんな昔やないやろ?」

 

「へぇ~……眠れへんって、ねぇ……」

 

「あ、もう、ナガレさん! ニヤニヤせぇへんで下さい!」

 

「えー? ニヤニヤなんてしてないけどー?」

 

「見えなくたって分かりますやん! もー兄やんのせいやで!」

 

「あぁ、可愛いらしいわねぇエルザちゃんは……うふふ、ゾクゾクしちゃう」

 

「なっはっは!」

 

 

 流し目で舟を出せばすかさず乗っかる辺り、甘えて欲しいという願いはエースの本心なんだろう。

 乗っかり過ぎて、ハチャメチャにペースを掻き乱してしまっているけど。

 

 色々と綺白なぶん、赤らんだ顔色が際立つエルザに、身体を艶やかに(よじ)るクイーン。

 闘技場の通路でやいやいと騒ぎ立てる面々。

 これから決勝を控えてるのに、緊張の欠片もない。

 

 でも、こういう雰囲気は悪くないなと、ゆっくりと立ち上がりながら頬を緩めた時だった。

 

 

 

────兄さん……

 

 

 ふと耳に届いた、内容までは聞き取れなかった小さな囁き。

 賑わう街並みをするりと抜ける冷たい風みたいな音色に、そっと後ろ髪を引かれれば。

 

 

(……セリア?)

 

 

 いつの間にかひっそりと壁に背を預けた蒼い騎士が、騒ぎ立てる中心に居る少女と青年を、眩しそうに見つめていて。

 

 藍より深い青の瞳は。

 

 ここよりずっと彼方を想っているように映った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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Tales 93【灯る因果交流電燈】

「貴方も無茶したものね。あのセナトを引き込む話を持ってくるだなんて」

 

「朗報には変わりないだろ?」

 

「実力は非の打ち所がないくらい。でも、振舞い的には相当な曲者な気がしたのよね……一体どうやって交渉の席にまで漕ぎ着けたの?」

 

「……色々あったんだよ。経緯は聞かないでくれ」

 

「そ、そう」

 

 

 物悲しく肩を落とす俺を尻目に、セリアは手持ち無沙汰に室内のランプを弄っていた。

 決勝まで目前と迫った控え室。

 すっかり顔見知りとなった天井のシミを惚けたように眺めると、積み重ねた時間ってやつが実感出来るもので。

 

 

「いよいよ、決勝ね」

 

「あぁ。でも良かったのか? セリアのことだから、てっきり今日にでも一足先にガートリアムに戻るつもりだと思ってたのに」

 

「そこまで薄情な女のつもりはないわ」

 

「そっか」

 

「寂しがり?」

 

「そこまでガキなつもりはないね」

 

「そう」

 

 

 ピア、マルス、セナト、トト。

 大なり小なり苦労の差はあれど、苦戦の末に勝ってきた相手達。凝縮された三日間も今日が最後。

 そう考えれば、逸る気持ちの一つでも湧いて来そうなものなのに。

 不思議とリラックス出来てる。

 下手をすれば今までの試合前の時よりも、ずっと。

 

 

「エルザはもうクイーンと一緒に帰ったんだっけか」

 

「えぇ。目が見えないという問題もあるけれど、何よりこの場所の空気自体、あの娘には不似合いなものでしょうし」

 

「だね。まぁ実際には普通にエルザ並の年頃の子供も観戦してるっちゃしてるが」

 

「……言っておくけれど、あの娘は今十六歳らしいわよ」

 

「……はっ? マジで?!」

 

「マジよ。エースがそう言ってたもの。虚色症の治療が原因もあるけれど、元々すごく童顔なのだそうよ」

 

「やけに年の離れた兄弟だって思ったら……今日一番の衝撃だぞそれ」

 

「同感ね」

 

 

 今と今までとの違いは、エース達との交渉の条件を達成出来ているって事だろう。

 勝たなくてはいけないって重圧は、自分で意識してるよりもずっとずっと肩にのし掛かっていたらしい。

 

 

「……ま、エルザが帰ってくれたのは助かるかな。今日のは見せられるもんにはならないだろうし」

 

「?……それって、どういう──」

 

『ナガレ・サザナミ選手。お時間となりましたので、入場門までお越し下さい』

 

 

 でも一番の大きな違いは、重圧とかじゃあなく。

 

 やっと……見付けられたからだろう。

 

 

「さてと。じゃあ、セリア」

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を』

 

 

 だから。

 

 その言葉をくれた張本人に、歯を剥き出しにして笑いかけてやる。

 

 

 

「────『やりたい事』を、やってくるよ」

 

 

 

 燈を灯すように。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「お寒いねェ。裏賭博のオッズじゃ傾きは一目瞭然と来てる。流石に魔女の弟子を破ったともなれば、疑いようのねェ箔になるらしい」

 

「……だからなんだ」

 

 

 尖る歯先を光らせる巨漢の嘲る笑みは、分かりやすい挑発としかいいようがない。

 内心で轟々と燃える焔を感じながらも、フォルティ・メトロノームは務めて冷静に聞き返した。

 

 

「ほう、強がるじゃねェの。前評判でこうも差を付けられてるってのになァ」

 

「……」

 

「魔女の弟子と噂の精霊召喚師の激突。それこそが事実上の決勝だった。今大会のピークは過ぎ、残るは"不戦勝で勝ち上がった幸運なガキ"との消化試合……だと」

 

「っ」

 

 

 消化試合。

 顔の知らない評論をわざとらしく並べられて、少年の表情が苛立たし気に歪む。

 暗に、決勝まで勝ち進んだのは実力ではないと示すような揶揄。

 舞台に爪先を乗せてすらいない者達の言葉が酷く癪に障ったけれども。

 

 それでもフォルティは、浅く息を吸って、己が誇りの刀身を見つめた。

 

 

「関係ない。誰が相手だろうと、誰にどう言われていようと。俺が為すべき事は変わらない」

 

「……それで良い」

 

「チッ。師匠気取りが、いつか黙らせてやる」

 

「誰がいつテメェを弟子にしたよ。ようやく一端の剣を振れるようになったひよっこ風情が。暇潰しに過ぎない分際を越えてから口を利きな」

 

 

 フォルティの決意は、刃なほどに愚直だった。

 例え圧倒的な相手と対峙しようとも、グレイの瞳に業火を宿したまま決して退こうとしない。

 

 早死にする男の目だろう。

 愚かで浅い。しかしそれ故に愉快だと。

 愚直を叩きなおすどころか、より燃え盛る火にくべる巨漢は、再び獰猛に笑った。

 

 

「……そう、関係ない。相手が誰だろうと、俺は」

 

『フォルティ・メトロノーム選手。お時間です。入場門までお越し下さい』

 

 

 そんな歪んだ期待に応えるように、少年は身の丈に合わない大剣を背負い歩き出す。

 関係ないのだ。

 周りの声が自分を蔑んだものだろうと、誰が相手だろうと。

 

 フォルティ・メトロノームの為すべき事は、最初から決まっているから。

 

 

「────『示すべき事』を、示すだけだ」

 

 

 答えを求めない少年の背中が遠退こうとも、巨漢は笑みを潜めることはなかった。

 

 

(そう……テメェはそれでいい。突き進むなら折れるまでだ。男ならそのくれぇの気概で誇りを謳え)

 

 

 ラウンドサングラスの奥の凶眼が、喜悦に尖る。

 この試合が辿る経緯が。行く末までの道筋が。

 楽しみでしょうがないと言いたげに。

 

 

(だが。火ィ付いてんのは、どうやら向こうも同じようじゃねェの。小僧のあの、"ギラついた目"……何やら企んでやがったな)

 

 

 何故なら。彼、キングはその目で見たからだ。

 

 己が突き付けたシンプルな問いに返す言葉すら喪っていた、あのつまらない青年の瞳の奥が。

 実に、彼好みの……『バカな男』の火の色を灯していたから。 

 

 

(ようやく雄の面をしてやがった。カカカッ! 消化試合……ねェ)

 

 

 故に、キングは確信する。

 消化試合とまで期待値を下げたこの決勝こそ、自分好みの闘いが拝めるのだと。

 

 

 

 

 

────

──

 

【灯る因果交流電燈】

 

──

────

 

 

 

 

『巡るめくめく巡るめくぅ!! 数々のドラマ、度肝を抜く展開! そして、選手達による激闘が繰り広げられた第五十度目の闘魔祭!!! いィィィィィよいよォォォ! 決勝の刻がやぁぁぁぁぁぁっって来ぃましたぁぁぁぁぁぁ!!!』

 

 

 

 セントハイム中で羽根を休めていた鳥達も一斉に飛び立ってしまいそうな、ミリアム・ラブ・ラプソディーのマイクパフォーマンスが轟く。

 おびただしく広がる清空を、鳥の群れが影を散りばめて渡り去った。

 

 

「……最後だからと惜しげもなく喚き立ててくれますわね。おかげで耳鳴りがしますわよ、もう。少しはお淑やかに振る舞って欲しいものですわ」

 

「珍しくアンタに同感よ。あーもう、耳の奥がキンキンする」

 

「仕方ありますまい。大一番を飾るものは何より豪奢と豪快さとが肝要でありますから」

 

 

 単純な耳の大きさか、それとも純粋な種としての構造の違いか。

 豪快というに相応しいミリアムの高周波に、エルフであるナナルゥとエトエナは揃って耳を塞いだ。

 

 

『泣いても笑っても喚いても、これがラストの大一番。数々の激闘を乗り越え、残るはたった二名の勇姿。今日此処におられる皆様は、栄光を握る最後の一人を目撃することになるでしょう!』

 

「……どうだか。大一番っていう割には、昨日の方が盛り上がってたと思うけど」

 

 

 見渡しても空席一つ見当たらない満席の闘技場。

 喉奥を惜しげもなくかっ開いて煽り立てるミリアムに、呼応する歓声もまた大きい。

 しかしエトエナの言うとおり、会場を包むボルテージの熱は、昨日の準決勝には及んでいないのも事実だった。

 

 

「セントハイムにおける魔女ってのは、そんだけ存在感があるって事やね」

 

「ふん。優勝候補を二人も倒したエセ精霊奏者と、不戦勝で駒を進めた剣士とじゃ、勝敗なんて分かりきってるって事でしょ」

 

「なっ……なんですのそれ。ルーイック王も言ってじゃありませんの! この舞台に爪先を乗せただけでも、勇壮を示した何よりの証と!」

 

「だあぁっ、もう、耳元で叫ぶな! んなことアタシに言ったって仕方ないでしょ。アンタもムカつくんならそこらでしたり顔してる客にでも言いなさいよ!」

 

 

 冷めた一面に、義憤に駆られたのか。

 顔を赤らめながらも唾を飛ばすナナルゥだったが、闘魔祭が祭儀である以上、薄情な一面が生まれるのも必然。

 不条理を嫌う彼女の素直さに、エースは頬を綻ばせつつも、やんわりと諭した。

 

 

「ま、ナナルゥちゃんの気持ちも分かるけどやな。ボクらが此処に居るんは、あくまでこの闘いを見届ける為やろ。余所見はアカンよ?」

 

「ぐっ……言われるまでもありませんわ!」

 

「はぁ、だったら最初からそうしてなさいよ。面倒なヤツね」

 

「ほっほ」

 

 

 余所見をするなと暗に促されたからか、口を尖らせながらもナナルゥは大人しく視線を闘技場の中心へと向けた。

 納得として呑み込めはしなくとも、彼の言いたいことは理解していた。

 

 人の心や物の見方など、十人十色。

 立場が違えば、見つめる角度も違うもの。

 この闘いを消化試合だと定める冷めた目線もあれば、逆もまたあって然りなのだから。

 

 

「遂にここまで来おったか」

 

 

 ルーイックの隣で、複雑な感情を押し込めたように呟くヴィジスタ。

 

 

「どれどれ。まーた新しい精霊でも見せてくれんのかね、あのミステリアス君は」

 

 

 売り子から買ったドリンクを片手に、ニヤリと興味深そうな笑みを浮かべるマルス・イェンサークル。

 

 

「いや、それより報告書纏めて下さいよ。マルス様が"私以外部下を一人も付けなかった"もんだから、書類作るの本当にキツいんですからね……」

 

 

 闘いの舞台には目もくれず、ひたすら手元の紙にペンを走らせながら上司を睨むイコア・ペンテッド。

 

 

「さてさて、余興よな」

 

 

 口振りとは裏腹に、さしたる興味の熱すらも灯さぬ冷たい眼差しで見下すグローゼム・アルバリーズ。

 

 

「……」

 

 

 壁に背を預けて腕を組みながら、静かに闘技場を見下ろすセナト。

 

 

「……全く、最後の試合くらい見て行けば良いのにねェ」

 

 

 独自魔法(アーティファクト)によって再びジム・クリケットの姿を取りながら、此処には居ない誰かに向けて呟くシュレディンガー。

 

 

 そして。

 

 

「……ナガレ」

 

 

 決意を固めた青年の背を見送ったばかりの、蒼き騎士。

 

 

 

『さぁ────雌雄を決する偉大な戦士の二人を今、ご紹介致しましょぉぉぉぉぉう!!!!

 先ずは、剣のコーナーからァァ!!』

 

 

 

 それぞれが異なる関わり方を、異なる見つめ方をしながら。

 今、その視線が──其処に集う。

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、ご紹介しましょう!!

 

 未知なる力を駆使してこの闘魔祭を勝ち上がって参りました!

 

 その活躍っぷりについた呼び名が【無色の召喚術師(クリスタルサモナー)】!!

 

 

 

 

────サザナミ・ナガレ選手の入場です!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 小高い丘の上。

 

 蒼い風が、灰色の髪を揺らす。

 

 

 

「決勝が始まったか」

 

 

 

 立場が違えば、見える角度も違うというのなら。

 

 

 

「……なぁ、ナガレ」

 

 

 

 緋色に映る世界は。

 

 

 

「次、お前と会えた時。私は────」

 

 

 

 流者(ナガレモノ)と、魔王(ヒトリモノ)とでは。

 

 

 

 果たして、どこまで重なるのだろうか。

 

 

 

 



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Tales 94【空響雷華】

『時に繊細に、時に大胆に。幾度も私達を魅了する激戦を繰り広げてきたサザナミ・ナガレ選手! 噂のと枕詞を置けば積み上がるその通り名の数々、枚挙に暇がありません! ついに辿り着いたこの決勝で、彼は栄光を掴むことが出来るのでしょうか!』

 

 

 ミステリアス。

 トリックスター

 クリスタルサモナー。

 

 よくもまぁこんなに色んな名前が付いたもんだと、一周回って感慨深ささえ覚えるくらいだ。

 身に余り過ぎてる名札の多くと、耳にかんかん届く声援に目を細めれば、向こう側の門が開く。

 

 

『対しまして、魔のコーナーより! 今大会最年少ながらに、決勝の舞台まで勝ち進んで来ました若き剣士、フォルティ・メトロノーム選手の入場でっっす!!』

 

 

 門から姿を現すのは、俺よりも若く小さなシルエット。

 肩当てと籠手が陽光浴びて煌めき、シルバーのレギンスがザクリザクリと砂を踏む。

 逸らすことなく俺を見据える抜き身の刃のような雰囲気が、身に纏った軽装備の数々が飾りではない事の証明だった。

 

 

『魔食らいの大剣を振るい、立ち塞がる障害を全て両断してきた、臆す心を持たない勇敢なるソルジャー! 迷いのない渾身一刀で、光輝く頂点まで切り進むのでしょうか!』

 

 

 だがやはり一番に目を惹くのは、彼に背負われた紅蓮の大剣だ。

 魔を食らう大剣──メゾネの剣。

 血塗れたような紅が他の色に染まる事を知らない、覚悟にも思えるのは。

 やはり、ピアに彼女ら兄妹の過去を聞かされたからだろうか。

 

 

「泣かすもんじゃないよ」

 

「いきなりなんだ」

 

「妹さんのこと」

 

「……お前には関係ないだろ」

 

「分かってるって。兄妹の間に入ろうって訳じゃない」

 

 

 立て板に注がれた水の如く、サラサラと勝手に言葉が流れる。

 説得でもない。先輩風を効かせたい訳でもない。

 強いて言うなら単なるケジメみたいなもんで。

 

 

「……その剣、見るからに身の丈に合ってないな」

 

「口数の多いヤツめ。挑発のつもりか?」

 

「だとしたら?」

 

「黙らせてやるまでだ」

 

「そーかい」

 

『睨み合う両雄。果たしてどちらが栄えある第五十回闘魔祭優勝者となるのでしょうか! 決戦の火蓋が今、切られます!!』

 

 

 言うだけ言って満足したような俺を、苛立たし気にフォルが睨む。

 剥き出しの敵意。立ちのぼる闘気。

 

 けれども尖る灰色の瞳は、まだ俺を捉えてはいない。

 もっと先、もっと奥。

 ここはまだまだ通過点なんだと。

 俺なんて、メゾネの剣を証明する為の踏み台のひとつに過ぎないと。

 尋ねるまでもなく、雄弁に語ってくれているから。

 

 

(……そう来なくちゃな)

 

 

 アンタが決勝の相手で良かったよ。

 こっちもこっちで、遠慮なくやりたい事をやり通せる。

 

 

『さぁ、それでは参りましょう! 闘魔祭、決勝戦! サザナミ・ナガレ選手 対 フォルティ・メトロノーム選手!!』

 

「只今より、決勝戦を行います」

 

「……」

 

「……」

 

 

 黙らせてやる、か。

 ならこっちは。

 

 

『試合──』

 

「試合……」

 

 

 その重くて仕方なさそうな大剣を、潰れないように必死な背から、下ろしてやるまでだ。

 

 

『開始ィィ!!』

 

「開始ッッ!!」

 

 

 

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)

 

 

──来てくれ、メリーさん」

 

 

 

 

 

────

──

 

【空響雷華】

 

──

────

 

 

 

『きたきた来たキタァァァァ! やっぱりこの最終局面を飾るのは彼女をおいて他にありません! すっかり本大会の顔ともいえる活躍を見せ続けてくれた可憐な精霊少女、メリーさんを召喚だぁぁぁ!』

 

 

 半ばお約束とも言えるキャストの登場に、拡声器を握り締めるミリアムの熱気は早くも高くへと昇り出す。

 通りの良い声に煽られて、白金光から現れた銀鋏を携えるメリーの姿に黄色い歓声が沸き立った。

 

 しかし、一部ではまだ冷め冷めとした眼差しで舞台を見下ろす観客も少なくなかった。

 

 

「どちらが優勝、って言ったってなぁ……」

 

「なんだよお前。ミリアムちゃんがせっかく盛り上げてんだから声援ぐらい送れよ」

 

 

 会場のボルテージに今一つ乗れないと斜に構えた男が、せっつく友人の言葉に眉を潜める。

 というのも、彼にとってはこの決勝のカードがどうも味気ないと感じているのだ。

 

 

「だってよ……ここまでの試合を全部見てりゃ、どっちが勝つかなんて分かりきってんだろ?」

 

「番狂わせがあるかも知れないじゃないか」

 

「よく言うぜ。ミリアムが盛り上げてなきゃテメーだって……今朝消化試合だっつってた癖によ」

 

「う、うるさいな。しょうがないだろ」

 

 

 消化試合。

 手に血豆の一つも作っていない男が、物知り顔で鼻を鳴らす。

 勝敗が分かっているような試合など、何も面白くなんてないと。

 

 

「片やあの黒椿に、魔物憑きの化物まで倒した精霊奏者。それに比べてあの剣士の方は、大剣こそ立派だがてんで釣り合ってねぇよ。あのエルフのどっちかでも残ってりゃ、よっぽど面白い試合になってただろうによ」

 

「あぁもう、良いから黙って試合を盛り上げろ! 微妙な空気じゃミリアムちゃんが可哀想だろ!」

 

「けっ、ミリアムファンはこれだから」

 

 

 けれども彼らのような冷めた目線で試合を眺めている人間は、僅かではない。

 それこそ番狂わせが起きてくれる事を期待している。

 そんな薄情な心理は、闘魔祭を娯楽と捉える民衆が多いからだろう。

 

 エトエナとナナルゥの試合にて、ナガレに対する詳しい調査を求める声が圧倒的に少なかった理由もまた、そういう心理に起因するのだから。

 

 

 しかし。

 エンターテイメントを求める負の面が、表層に薄く表れていたとしても。

 決勝の舞台に立つ二人には、そんなことに気を割いてやる云われはなかった。

 

 

 その目に映るのは、対峙する相手のみ。

 

 

「……来たか、鋏女」

 

 

 来るのは分かっていたと、どこか面白くなさそうにフォルが吐き捨てた。

 

 

「なぁにその安直なニックネーム。メリーさんはメリーさんなの。忘れたのなら教えてあげる」

 

「それこそ要らねぇよ」

 

 

 可愛げのない呼び名に、金髪眩い少女は負けじと不服そうに頬を膨らませる。

 あどけなさの残る少年と少女だが、正眼に構えたそれぞれの武器は見かけ倒しの玩具ではない。

 

 紅蓮の剣と、白銀の鋏。

 

 

「メリーさんとお遊戯、する?」

 

「遊べるもんなら……やってみろっ!」

 

 

 相反する色彩の凶刃が、フォルの怒号と共に交差し、火花を作った。

 

 

「てやっ!」

 

 

 力と力の衝突に、轟音が響いた。

 しかしメリーは鍔迫り合いには持ち込ませず、いち早く軸をずらし、ターンすると共に切り払いを仕掛けるが。

 

 

「そこ!」

 

「うぁっ」

 

 

 読んでいたのか。

 半歩下がりながら刺突の態勢を作っていたフォルが、大剣による突きを放つ。

 斬りでも薙ぎでもない、突き。

 慮外の攻撃にメリーは思わず面食らう。

 

 そうでなくても、薙ぎと突き。

 面と点の衝突では点の方に軍配が上がるの必然で、たまらず人形少女はたたらを踏んだ。

 

 

「っとと」

 

 

 しかし彼女もそのまま押しきらせず、軸足を上手く運びクルリと反転。

 舞うような動きで、姿勢を崩し切るまでに至らない。

 

 

「吹っ飛べ!」

 

 

 すかさずの追撃。

 コンパクトな突きの一撃から更に踏み込みながら、後方から前方へと。

 始点から終点へと半円を描きながら、ダイナミックに紅蓮を振り下ろす。

 

 轟と落ちる剣撃は、さながら紅い稲妻。

 落雷地点と定められた銀鋏を構えて、メリーが迎え撃った。

 

 

「つああぁっ!」

 

 

 襲雷を受け止めた少女の顔が、苦しげに歪む。

 だが張り上げた声は悲痛の声ではなく、切り返しの布石。

 

 

「こんのぉぉぉ!」

 

 

 正面切っての力比べ。

 凛と気炎に燃える雄叫びをあげながら、形勢を押し返す少女の剛力は並みではない。

 分の悪さに見切りを付けるや、フォルは大きく後ろに飛び退いた。

 

 

「……大した遊びだな」

 

「ふふん、まだまだウォーミングアップ段階。メリーさんのお遊戯はもっとずっと……ハード、なのっ!」

 

 

 緩和は余りに短い。

 夏の通り雨の様な静けさも一瞬、すぐに再び殺伐とした鋼音がぶつかり合った。

 

 斬るではなく削ると喩えるほうが相応しい紅塊の一撃を、銀鋏の遠心を込めた横薙ぎが真っ向から迎え打つ。 

 剛と硬。

 直線と湾曲の軌道が重なり合い、疾る紫電の火花がまた一輪。

 

 

(散々見てきて分かっちゃいたが、チビの癖になんて力だ)

 

 

 真空すら絡め取るかの様な一閃は、つくづく幼い少女に似つかわしくない。

 銀の刃を受け止めた衝突と共にガリッと削れた奥歯が、踏ん張りのそれとは別の苦々しさを呼び込んだ。

 

 

「たあぁぁぁ!」

 

「んぐ……っ」

 

(おまけに……動きも違う。一回戦の時と変わって来てやがる。精霊なのに、まだまだ発展途上だっていうのかよ)

 

 

 成長しているのだ。

 太刀筋の無駄も減っており、力任せの無軌道な大振りではなく、次の動作に繋がる為の牽制も織り混ぜている。

 メリーが初めて姿を晒した、彼の妹との一回戦の時と見比べれば、戦闘技術に触れる者ならば明らかに変化に気付くだろう。

 セナトのような強敵との闘いを経て、彼女もまた成長しているのかも知れないと。

 

 

(……ふざけるなよ)

 

 

 成長する精霊。

 その事実が。その自覚に凛と笑うメリーの誇らしげな表情が、フォルティの癪に障って仕方ない。

 

 認めてやれるものかと。

 誰かの指図を受けて、良いように使われるような存在の癖に。

 

 

「っっ──なめるな!」

 

「くうっ」

 

 

 そんなやつらに、おめおめと圧され始めている状況を認められるのなら。

 フォルティは最初から、沸き上がる反骨の心のままに振るったこの紅蓮の剣を背負ってはいない。

 並々ならぬ気炎の込めた一撃に、メリーもまたナガレの元まで大きな後退を強いられた。

 

 

「……なかなかやるの、あのおにーさん」

 

「じゃなきゃここまで勝ち残ってないよ」

 

「ん。メリーさんも気合い入れ直すの」

 

 

 再度やってきた一息の緩み。

 だが油断大敵と気を引き締める向こうのやり取りには、まだ切迫感が欠けている。

 

 つまるところ、余裕があるのだ。

 試合が始まったばかりだからではなく、まだ彼らの真骨頂はこれからであるという余裕が。

 強がりではなく事実に基づいたそのゆとりが鼻について、フォルはつい、挑発にも満たない悪態をついていた。

 

 

「ふん……女子供けしかけて、最後の最後まで自分は高みの見物かよ。ムカつくヤツだ」

 

「あっそ。妹に心配かけてまで刃物振り回してる奴には言われたくないね」

 

「減らず口が」

 

 

 負けられない。

 口をついて出た悪態に平然と切り返されて、大剣の柄を握る掌に力が篭る。

 

 負けられないのだ。

 自らではなく、誰かに頼る闘いをする男相手に──メゾネの剣を握る自分が、負ける訳にはいかなかった。

 

 

「なら、黙らせてみなよ」

 

「言われるまでもない!」

 

 

 沸々とした怒りの火が燃え広がるままに。

 フォルティは踏み込み紅蓮を叩き付けるが、やはり刃は憎たらしい青年の元へと届かず。

 思いの丈を込めた一撃も、銀を両手に颯爽と割り込んだ金色の少女が許さない。

 

 ぶつかり合う鈍い衝突音を合図に、苛烈な剣戟は再開された。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

(高みの見物か。確かに、もっともだ)

 

 

 目の前で幾度も散る雷華を見詰めながら、ナガレは静かに青めいた黒の瞳を伏せる。

 忌々しげに吐き捨てられたフォルティの悪態が、平静を装う彼に何の感慨も与えていない訳ではなかったのだ。

 

 

(やるなら自分一人で闘えって事だろ。これしかないとはいえ、虎の威を借る狐に屈するなんて屈辱以外の何物でもないもんな)

 

 

 女子供をけしかけて、その後ろでもっともらしく腕を組んで戦況を見つめる。

 そんな自分の姿が、自ら動くことをしない卑怯者のように年若い剣士の目には映っているのだろう。

 

 そんな男に、負けられない。

 合理性よりも愚直なプライドに傾くフォルティの考え方は、ナガレは嫌いではなかった。

 

 

(けど……)

 

 

 いいや、むしろ。

 そんな愚直な少年がこの最後の舞台の相手だからこそ、自分も思う存分やれるのだと。

 ひっそりと自嘲とも取れる微笑を浮かべながら、閉じていた奇譚書をもう一度広げて。

 

 

(……俺も、最後の最後まで見物で終わるつもりはさらさら無いよ)

 

 

 その脳裏に描いた未来図を、より現実を引き寄せる為に。

 細波 流は──更なる伝説の名を謳う。

 

 

 

「【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)

 

──ナイン。宜しく」

 

 

 

 



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Tales 95【死神メリー】

「キュイ!」

 

 

 白金光が去りし後、甘い鳴き声が高々と轟く。

 白銀の体躯を陽光にキラリとなぞられながら、喚び出された銀鼬は臨戦態勢とばかりに尻尾を逆立てた。

 

 

『さぁさぁ早くも戦況に変化! 熾烈な打ち合いの最中、ナガレ選手の召喚により更なる精鋭の登場です! 白銀煌めく毛並みとつぶらな瞳がとってもプリチー、しかして甘くみればそのフサフサの尻尾に隠した刃に真っ二つ! ナインちゃんのエントリーだァァァァ!』

 

 

 

「むっ。プリチーとかつぶらな瞳とか、派手な紹介文……あざとイタチの癖に」

 

「キュククッ」

 

「くっ、勝ち誇った笑い方。むっかつく」

 

「はいはい恒例のいがみ合いもほどほどにね」

 

「……だらだらと緊張感がない奴らが」

 

 愚にもつかないやり取りは、真剣味が足りてない。

 一息のウィットを挟まれても、フォルティからすればナメられてると感じるのは必然だった。

 どこまでも直情的な思考。けれども油断が欠片も見当たらない限り、彼も純然たる実力とメンタルを持つ戦士であった。

 

 

「来いよ。まとめてぶった斬ってやる。ペット亡くしても恨むなよ」

 

「安心しなよ。見た目通りが通る相手じゃないってのが嫌ってほど分かるから」

 

「キュイッ」

 

 

 見た目通りが通らない。

 そんなの言われるまでもない。

 メリーに続いてこの新たに現れた銀色のイタチが、吐き捨てた通りの愛玩動物でない事ぐらいフォルティは百も承知。

 それでも僅かに口元を吊り上げたのは、"勝算"が見えたからだろう。

 

 

「ッッッ!」

 

「くぅっ……」

 

 

 軋むほどに握り込んだ柄を振り、奇襲染みた回転斬りを仕掛ければ、やはり庇い立つようにメリーが踊り出る。

 地面が泡立つような衝撃は凄まじく、銀鋏で受け止めた少女に、一歩二歩とたたらを踏ませる程だった。

 

 

「キュイッ!」

 

「!」

 

 

 すかさず後退の隙を突かんとばかりに、フォルティが大剣の刃先を正面に構えれば、そうはさせまいと飛び込んで来たのはやはり白銀の鼬だった。

 小柄の尻尾鎌を存分に振るい、幾重もの裂撃でもって斬り結ぶ。

 

 

「ちょこまかと……!」

 

 

 まさにカマイタチの名のルーツに相応しい一陣の風。

 上下左右、小さな体躯を利用して殺到する多方向からの連続攻撃に、重い大剣で防ぐのは流石に厳しい。

 

 

「あざとイタチにだけやらせないの!」

 

 

 更に形勢を傾けるのは、ライバル視するナインだけに任せるものかと息巻くメリーの加勢だった。

 

 

「キュイ!」

 

「たぁぁぁ!!」

 

「ぐうっ、図に、乗るな……!」

 

 

 銀の鋏と鎌による、呼吸の隙間を塞ぐかのような連撃は加速し、いかなフォルティといえど切り返すには至らない。

 大剣の大きな側面を利用してのガードもこのままでは突破されかねないと判断したフォルティは、苦々しい表情のまま大きく後退した。

 

 

「ナイン、保有技能!」

 

「キュイ!」

 

 

 息つく暇をみすみす与えない。

 それこそが波状攻撃の戦術基盤だと物語るようなナガレの合図に呼応して、甲高く鳴いたナインはその場で尻尾の白刃を掲げた。

 

 

「 【一尾ノ風陣】!」

 

「キュイィィィッ!!」

 

 

 逆上がる宙返りで円を描いた尻尾から放たれるのは、エメラルドグリーンの三日月。

 地を割り進む風刃の勢いは生半可ではなく、あのセナトですら破るのに全力を用いた。

 まさにナインの必殺技ともいえるだろう。

 

 

「迂闊なんだよ」

 

 

 だが、これこそが。

 フォルティの脳裏にあった、厄介な鎌鼬に対する勝算だったのだろう。

 迫り来る風刃に対し、距離を取ることも防御の姿勢も取ることなく、構えた正面。

 

 

「────喰え、『紅い女王』!」

 

「キュイッ?!」

 

 

 フォルティの振り下ろした紅い鉄が。

 翡翠の月を紙切れの如く(むさぼ)った。

 

 

 

────

──

 

【死神メリー】

 

──

────

 

 

 

『おおーっとついに出ました! あらゆる魔法を打ち破るフォルティ選手の持つ魔食らいの剣! なんとナインちゃんのエアスラッシュさえもいとも容易く消滅させました!』

 

(……二回戦のアレか)

 

 

 ハラハラと舞い落ちる魔力の残滓を見送るナガレの脳裏に浮かび出す、二回戦での光景。

 あの時もまさに今みたく、フォルティの一撃が対戦相手の魔法を苦もなく無に帰していた。

 魔力を食らう、魔食らいの剣。

 その余りに特異な性質は、かつて最強格と云われた【紅い女王】と呼ばれる竜の翼を用いて作られた由縁からか。

 

 

「悪いが、そのペットの風程度じゃ剣の錆にもならないな」

 

「……キュイ」

 

(お嬢の魔法を基に再現しただけあって、ナインの風刃は風の魔法みたいなもの。今回はそれが裏目に出たってことか。けど……)

 

 

 気を大きくしたフォルティの挑発は、乙のが手にある伝説に対する絶対の信頼だろうか。

 風刃を容易く打ち破られたナインが無念とばかりに気弱く鳴くが、けれどナガレはどこか涼し気に返す。

 

 

「魔法が通らないとしても、それならそれでやりようは幾らでもある。形勢逆転のつもりなら早計かもよ?」

 

「……ふん」

 

 

 どこまでも飄々とした相手に、浮かぶ苛立ちもあったのだろう。

 気に食わなそうに鼻を鳴らしたフォルティは、塵を払うように大剣を振るう。

 

 しかし、ナガレの言葉を聞いても尚、フォルティの自信は崩れない。

 それもそのはずで。

 

 

「勘違いしてるみたいだが、この剣の力が……魔を食らう"だけ"だと────思ってるのか?」

 

 

 若き剣士の抱く勝算は、『魔食らい』だけではなかったのだから。

 

 

『こ、これは……フォルティ選手の大剣から、緑色の光が……?』

 

「マジかよ」

 

「キュイ?!」

 

 

 再び構えを正眼に取ったフォルティの持つ大剣。

 そこから浮かび上がった幾つもの緑閃光の輝きに、ナガレのみならずナインまでもが驚愕の声をあげた。

 いや、他ならぬナインだからこそ、というべきか。

 

 

エンチャント(属性剣)──【シルフィード(風精霊)】」

 

 

 

 何故なら、紅蓮が纏い始めた緑閃光。

 次第に剣に渦巻く"風の奔流"へと形を変えたその輝きは、色彩は。

 紛れもなく……ナインの持つ魔力そのものだったのだから。

 

 

「お返しだ、エセ野郎!」

 

「っ、ナイン! 【一尾の風陣】!」

 

「キュイ!」

 

 

 顔に似合わぬ獰猛な笑みと共に斬った空の軌跡から生まれたのは、咄嗟に再び放ったナインの風刃と同一のモノ。

 空を裂いて突き進むエメラルドの三日月が二つ。

 それらは合わさることで満ちる月になることはなく、激しい衝突と共に、新月のように姿を消した。

 

 

『ま、まさかまさかの隠し玉と言うべきでしょうかフォルティ選手! 魔法を破るのみならず、そっくりそのまま使うことも出来るとは! これは試合の行く末が分からなくなって来ましたよー!』

 

 

 魔を食らい、その魔を糧に刃と放つ、アンチ精霊魔法とも言うべき魔剣士。

 それこそがメゾネの剣の真髄なのだと、風渦巻く紅い鉄は言葉もなく雄弁に物語っていた。

 

 

「どうだよ、エセ精霊魔法使い。これでもまだ高みの見物を気取ってられるか?」

 

「……さあね。生憎、これまでの闘いが生半可じゃなかったもんで。飛び道具がひとつ増えただけ、としか思ってないかもよ?」

 

 

 寄らば斬るの一辺倒から中、遠距離へとレンジを伸ばしてみせた相手が、脅威にならない訳ではないだろう。

 事実、フォルティの見せたメゾネの剣の真髄に、冷めた目線で見ていた観客達にも少なからずの動揺が走っている。

 それでもナガレには、立ち塞がる癖に剣のひとつも手に握らない男には、挑発に挑発で返すほどの余裕が残っているらしい。

 

 

「……あぁ、そうかよ」

 

 

 その鼻につく、揺らがない態度が。

 青みがかった黒い瞳の奥の、"見透かしたような"光が。

 

 

『……そんなモンか。メゾネの剣だのと大口叩いた割には全然大したことねェなァ、小僧?』

 

 

 自分の示す力を。意志を。覚悟を。

 まるで未熟だと、鼻で笑ってくれたあの男(キング)と重なって見えて。

 

 

 ああ──気に入らない。

 心が騒ぐ。

 柄を握る手に力が(こも)る。

 痛むほど。

 

 

「だったら……!」

 

 

 メゾネの剣は、折れはしない。

 幼く無力だった自分の目にひどく焼き付いた力こそが、揺らがないものなんだと示すには、通過点(こんなところ)(つまず)いてなんていられないから。

 

 

「引き摺り下ろしてやるよ!」

 

 

 歩む道の先に立つ忌々しい青年を"見据えて"、若き剣士は勇ましく吼えた。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 証明する。何がなんでも。

 鋼にも似た強硬な意志がそのまま乗ったかのような剣筋が、ぐわんと風に悲鳴を挙げさせた。

 

 

「させないっ」

 

 

 どこまでも気に食わない青年へ向けた道筋の疾走は、けれどもやはり彼の守護たる精霊によって阻まれる。

 もう何度目かの紅蓮と銀の衝突に、けれども散る火花が枯れることはない。

 

 

「くそ……鬱陶しいんだよ、お前ら!」

 

「つ、ぅっ……!」

 

 

 薙げば同じく薙ぎで合わされ、突けばギリギリを交わし、叩き下ろしは受け止められる。

 いずれにも込めた渾身が伝わっていない訳ではないのだろう。

 唾競り合いをこらえるメリーの表情は、確かに苦悩に歪んでいる。

 

 なのに、あと少しが崩れない。

 その事実が、無性にフォルティの癪に触って仕方なかった。

 

 

「使われるだけの存在が……引っ込んでろ!」

 

「大事な人の力になることの、何がいけないの!」

 

 

 道理は分かっている。

 サザナミナガレを引き摺り下ろすならば、まずは彼の召喚物である精霊達を蹴散らさなければならない。

 この手が握る紅蓮がそうであるように、ナガレを護る精霊こそがあの男の力の証左なのだから。

 

 だが、分かっていても……認められない。

 何かに頼って闘うだけの男に、届かないなどと。

 認められるはずがないのだ。

 

 

「なら……同類の力で引っ込ませてやる! エンチャント(属性剣)!」

 

「っ、ナイン!」

 

「キュイ!」

 

 

 唾競り合いの態勢のまま再び魔を解放することで、大剣が緑閃光を纏い出す。

 その予兆にナガレが咄嗟にナインへと指示を出し、持ちこたえていたメリーも刃を払って離脱しようと後方へと下がる、が。

 

 

「遅いんだよ! 【シルフィード(風精霊)】!」

 

 

 放たれた風の刃をかわすには、距離も時も足らない。

 必然と、受け止めることで防ぐしかメリーに選択肢はないだろう。

 

 

「くううっっ!」

 

 

 しかしナインの使う風刃は、あのセナトが破る為に全力を使うほどの威力がある。

 であれば、態勢も万全とはいえないメリーには防ぎ切れる道理もない。

 フォルティの放った風刃は跡形を空に溶かすまでに、少女の手に握られた銀鋏を弾き飛ばした。 

 

 

「恨むんなら、腑抜けの主を恨め……【シルフィード(これで退場だ)】」

 

「!」

 

 

 これでもう、彼女に防ぐ手立てはない。

 メリーの瞳の色彩と同じ、エメラルドの風刃。

 

 道を阻む障害の、まず一つに引導を渡す為の追撃が土を割り、砂煙を巻き上げながら一直線に迫る────その瞬間。

 

 

「はぁ……仕方ないの」

 

 

 ひどく状況にそぐわないような、メリーの落胆が零れて。

 

 

 "保有技能──【二尾ノ太刀】"

 

 

 銀色の光が、少女の手元へと疾った。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

『しょ……衝撃的な展開になって参りました。フォルティ選手がお返しとばかりに放った魔法が、メリーさんを直撃! う、どうしましょう。彼女がどうなったのかは土煙で現在確認出来ませんが…………精霊とはいえ流石に、だ、大惨事の予感が……』

 

 

 刃となった暴風が巻き上げた砂霧に、隠された先の末路。

 想像に難くない光景を想起した観客達の、固い唾を飲む音が響いた。

 

 

「哀れなもんだな、あのチビも」

 

 

 自分よりも幼い外見をした相手にかける感傷も感慨も、冷に徹した鋼の意志には残らない。

 ただ残った皮肉を牙として、魔剣士は剣先と共に向けるだけ。

 

 

「どんな気分だ、エセ野郎。お前の悠長さが、お前の油断が……この状況を招いたんだ」

 

「……」

 

「──"肝心な時に足も動かない"。そんな力の無いヤツは、ただただ失っていくだけなんだよ……今みたいにな!」

 

 

 フォルティ・メトロノームを、メゾネの剣を見くびったお前の罪だと。

 執着も執念も隠そうとしなかった彼の、一際強い叫びが響き渡る。

 

 それはまるで。

 見失った姿見に映る、自身へと向けた『戒め』のようで。

 

 

「"失う"、か……」

 

 

 けれど。

 既に会えない人達の面影を瞼に乗せた、蝶の羽ばたきのように静かなまばたきが終わった後。

 本音も願いも平静の裏に隠してきた彼が、儚く笑う。

 

 

「ひとつの事に傾き過ぎるから、肝心な時に大事な何かを見落とすんだよ、フォル」

 

「……なにを」

 

 

 それはまるで。

 見失わないと決めた鏡に映る、己へ向けた『約束』だった。

 

 

「じゃ、こっちの隠し玉も御披露目といこうか」

 

「なにを……」

 

 

 

──あーあ。メリーさん、一生の不覚なの。

 

 

 

 主の言葉に呼応するように砂塵の中から響いたソプラノに、少年の表情がさながら綻びた剣みたく歪む。

 

 

「──ドジっちゃったからって、まさか……」

 

 

 流れる風に手を引かれて、土砂が作った地上の雲がその姿を空へと溶かしていけば。

 暖かみのある月の金(ブロンド)を持つ、都市伝説の少女が膨れっ面で不満を語った。

 

 

「あざとイタチの手を借りるなんてね」

 

『キュイ、キュッキュキュ』

 

 

 

 暗雲晴れて、小さな両手に握られたるのは。

 それだけで少女の身の丈を越す、長い柄。

 柄の先に靡く、白き獣の二つ尾。

 白銀が波打つ、三日月の刃。

 

 

 それはまさしく、命を刈り取る者が握るに相応しい──【銀の大鎌】。

 

 

 

 保有技能──【二尾ノ太刀】。

 

 自らの体を鎌へと変える鎌鼬ナインの、真の髄。

 

 それを手繰るは、死亡遊戯を嗜む人形少女。

 

 

「私、メリーさん。あとおまけのイタチ。ここからはもう、おにいさんの好きにはさせないの」

 

『キュイ』

 

 

 

 フォルティ・メトロノーム。

 メゾネの剣の重みを背負うと誓った、若き剣士は知るだろう。

 譲らない者同士(水と油)が手を取り合った形の……脅威を。

 

 

 

 



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Tales 96【パラノイア】

『煙が晴れて現れたメリーさん、まさかの無傷! それどころか彼女のトレードマークとも言う鋏とは違う、大きな鎌をその手に持っています!! 聴こえて来た鳴き声から察するに、アレは、ナインちゃん……という事なのでしょうか!?』

 

「くっ、この……次から次へと妙な事ばかりしやがって」

 

「失礼しちゃう。風で斬ったり鎌になったり妙ちきりんなのはあざとイタチだけなのに」

 

『キュイ……キュックク』

 

「なんだとー?! 鏡見ろってどういう意味なの性悪イタチ!」

 

『フシャー!』

 

「この期に及んでの平常運転に、ある意味安心する」

 

 

 すわ消滅の憂き目か、とまで巡る窮地の色を、鮮やかに塗り替えるメリーの姿に歓声が空を駆ける。

 砂塵に包まれる前と後で異なるのは、保有技能【二尾ノ太刀】によって尻尾のみならず、全身を一本の鎌へと変化させたナインだった。

 或いは真打ち、とでも名付けるべきだろうか。

 

 

「安心だと? たかだか小細工で凌いだだけで、何を気を抜いてやがる……!」

 

「……フォルティ」

 

 

 しかしフォルティにとっては、手品の種の中身など最早どうでも良かった。

 メゾネの剣の力を示すことこそ信条と敷く彼からしてみれば、決定打とも言うべき一撃が通らなかったという現状を許容出来るはずもない。

 

 

(無傷。ここまでやって、まだ一撃らしい一撃すら入れられてない……そんな、みっともない話があるかよ!)

 

 

 口から零れ出る言葉の端々に、荒れ狂う感情の欠片が滲む。

 頑なに揺らがないフォルティの、崩れかけた焦燥がそこにはあって。

 そんな『弱み』から、少年はまたひとつ目を逸らして牙を剥く。

 心中に渦巻く荒い衝動に、盲目なまでに身を任せていた。

 

 

「そっちの精霊も! 俺に好きにはさせないとほざいたな……! その世迷い言、取り消させてやるッ!」

 

「世迷い言なんかじゃないの。メリーさんは本気。それを今から……たっぷり教えてあげるっ!」

 

 

 或いは、彼が己を律して耳を澄ませていたのなら。

 きっと気付けていたはずだろう。

 

 

「ほざくなぁっ!」

 

 

 戦士としての直感が鳴らす、激しいまでの警鐘に。

 

 

 

 

 

────

──

 

【パラノイア】

 

──

────

 

 

 

(……妙だな)

 

 

 

 繰り広げられる目下の闘いを眺めている内、セナトはある一点に違和感を覚えた。

 

 

(私との時では……いや、それ以外の時も。もっとアイツは愚かだった)

 

 

 愚か、といっても侮蔑ではない。

 

 セナトとナガレが戦った三回戦では、勿論ワールドホリックを用いた物量作戦を取っていたが。

 その中でも目立っていたのは、ナガレ自身も必死に攻防に参加していたのだ。 

 

 付け焼き刃の様な技量ながら機転を利かせ、波状攻撃の形を作る。

 しかしそれはワールドホリックの弱点であるナガレ自身が渦中に飛び込む危ういものでもある。

 

 

 

 だが、それがどうだ。

 

 この試合、ナガレはフォルティに肉薄どころか、ほとんど動いていない。

 泰然と戦況を静観する姿は、さながら寡黙な知将のようでもあった。

 

 

(自身の安全を確保した上での、随時戦力投入。本来ならこれが正しい。端からでも分析できるあいつの力を活かした合理的戦術────だが。"らしくない")

 

 

 サザナミナガレという男に、合理性は似合わない。

 合理性ではないの、ではなく。

 合理性を求めないタイプの男だということを、セナトは見抜いていたからこそ。

 

 

(……クク。さて、何を企んでるんだろうな)

 

 

 黒絹に隠れた耽美な唇が、艶やかに笑む。

 その動きは舌をなめずるほど露骨ではなく、興味を惹かれて仕方のない男の人間味を啄むような可愛げがあった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 舞い散る大きな鱗と血將。

 眼球の色を喪ってぐらりと傾く巨体。

 容易く父と母を食い破った蛇の顎から突き出た、赤く紅い大剣の鋭利。

 

 無惨な運命が覆った瞬間を、今でもまだ肌が覚えているはずだった。

 

 

『手荒くしてすまんな』

 

 

 頬に降りかかった蛇の鮮血の、奇妙な生暖かさ。

 背後に隠した妹の、肩を掴む手の震え。

 覚えている。残っているはずなのに。

 

 記憶の感触が、いの一番に呼び起こすのは。

 その時に触れてもいない大きな剣の、焦げ付くような、熱と力強さで────。

 

 

 

 

「せいやっ!」

 

「っ」

 

 

 辿ってもいないのに追い掛けてきた『原点』を追い払ったのは、剛と迫る凶刃だった。

 

 口内に詰まりそうな息を無理矢理飲み込んで、刈られる寸前に大剣でなんとか防ぐ。

 たまらずたたらを踏んで崩れた重心を持ち直そうとした時には、次なる一撃が待ち構えていた。

 

 

「もっかい!」

 

「ぐっ……(こいつ、鋏の時より速くなってやがる……!)」

 

 

 振り下ろしからの掬い上げ。

 大鎌の連撃の繋がりは非常にスムーズで、フォルティの反撃の機を奪いかねないほどに速い。

 

 

「やらせるか!」

 

「!」

 

 

 このままではマズイと、後ろ足を軸に強引にも思えるような力強い回転斬りを放つフォルティ。

 メリーの更なる連撃の繋ぎ目にピシャリと合わせた、見事な反撃と言えるだろう。

 

 

「甘いの」

 

「なっ」

 

 

 しかし、強力なカウンターが決まるかという寸前。

 

 フォルティの目の前で、ふわりと。

 まるで重力が一瞬姿を眩ましたかの様に、メリーの身体が宙に浮いたのだ。

 "風に持ち上げられる"。

 そんな描写が適切と云えるほどに、軽やかな浮遊は、渾身の返し刃がなぞる軌道をいとも容易く踏み越えて。

 

 

「てやぁっ!」

 

「ヅッ、ぐ、ァ!」

 

 

 お返しとばかりに繰り出されたのは、大鎌による縦の回転斬り。

 魔獣の爪の如く風を削る神速の一撃は、間に合わせの防御もろともフォルティの身体を大きく後退させた。

 

 圧されている。

 誰が見ても一目瞭然なまでに。

 たかだか得物を鋏から鎌に持ち替えただけで、こうもあっさり天秤が傾くというのか。

 

 

「ぐうっ……属性剣(エンチャント)!」

 

 

「む」

 

 

 そんなバカな話、すんなりと認めてなるものか。

 使い手の反骨心に呼応して、大剣が再び緑光を浴び、風を纏う。

 

 属性剣。

 紅い女王がもたらす魔剣士の妙技でもう一度黙らせてやるとばかりに、グレーの瞳が見えない焔を盛んに燃やした。

 

 

「あざとイタチ、お仕事! サボったら承知しないの!」

 

『キュイッ!』

 

 

 だが忘れることなかれ。

 メリーが握る銀の鎌こそ、断ち風を産み出す怪奇譚。

 柄の先の尻尾から淡い緑閃光が立ち上り、すぐさま大鎌全体をエメラルドの輝きが包み込んだ。

 

 鎌に化けるは【二尾ノ太刀】。

 ならば、鎌鼬の起源たる刃を産むのは【一尾ノ風陣】。

 内包する二つの神秘を、もう一つの怪奇たる人形少女が()り放つ。

 

 

風精霊(シルフィード)ォォ!」

 

『キュイイ!』

 

 

 地と平行に突き進むは、竜翼が巻き起こしたる緑閃光の風刃。

 地を裂いて直進するは、鎌鼬が産み出したるエメラルドの風刃。

 

 同質より産声を挙げた二つの三日月が再び衝突し合い、互いを染め合い、侵し合い……けれどやはり、形には残らず。

 

 

「っ」

 

 

 予想出来た結末だとしても、無意識に鳴らした歯軋りを抑えることが出来ない。

 拮抗するのは、経緯からすれば当然の帰結。

 だがその当たり前が、今のフォルティには何より歯痒く思えた。

 

 

「なんなんだよ、お前らは……!」

 

 

 頭の中が、竜の吐き出す焔のように、熱を持つ。

 この手にあるのは伝説。

 揺らぐはずのない、確かな力であるはずだ。

 

 

 

「負けてられないんだよ。俺は……サザナミナガレ、お前みたいなヤツに……一人で闘えもしないヤツに!」

 

 

 なのにどうしてこんなにも、アイツが遠い。

 届かない。

 

 理屈が、塞いだ耳を抉じ開けてでも叫んでくる。

 

 この決勝の舞台で、一度として剣を振ろうとしない臆病者にさえ、勝てないのか。

 それで果たして、メゾネの剣の何を証明出来るというのだろうか。

 自分が、フォルティ・メトロノームが突き進んで来た日々が、いとも呆気なく否定されているみたいで。

 

 

 

「負ける訳にはいかないんだよ!」

 

 

 

 沸き上がる屈辱を振り払うように、吼えたその時だった。

 

 

 

────"誰"の為に?

 

 

 遠いアイツが。

 小さな子供よりも後ろに立つ、あの野郎が。

 

 憎たらしい、男の口が。

 音にもならずに、そう動いて。

 

 

「………っっっ! ナガレェェェェ!!!」

 

 

 

 あの野郎を、黙らせろ。

 

 

 衝動に駆られて、吸い込んだ息が弾けた。

 

 激情に染められて、視界が真っ赤になる。

 

 壊れるほどに握った柄を引き摺って、足を動かす。

 

 アイツの元へ。俺を語る気でいるあの臆病者に。

 

 思い知らせてやらなくては、いけないのに。

 

 

 

「させないの」

 

「邪魔だぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」

 

 

 

 当たり前のように、ナガレへと続く道をメリーが塞ぐ。

 噴火するマグマのように荒い感情のまま、フォルティが振り抜いた大剣。

 視界の中には捉えた少女、けれども心は最早彼女を捉えてすらいない。

 

 だからだろうか。

 壊れかねないほどの感情は、剣の重さには乗ってはくれず。

 噛み合う紅蓮と白銀は、互いに食い切れずに弾かれあった。

 

 

「どけよ……どけよぉ! 属性剣(エンチャント)ォ……

 

……、────?」

 

 

 何度も何度も、幾度となく立ち塞がる障害。

 それこそが譲れない事なのだと言葉なく示す少女人形。

 だったら今度こそ、跡形もなく吹き飛ばしてやると。

 

 渦巻く憤怒に負けぬほど暴風よ起これと、『紅い女王』にフォルティは願ったが。

 大剣に纏う緑の光は、先程までとは比べ物にならないくらいに弱い。

 

 

 

「な──── (しまっ、た。食った魔力が、もう……)」

 

 

 即ち、保有した魔力の枯渇。

 

 激情に駆られる余りに、手の内に対する管理を怠ってしまったが故の、痛恨の失策。

 目の前に囚われ過ぎて、他に目を向けるべき大きなモノを、フォルティ・メトロノームは見落としてしまった。

 

 

 

 

「これで、おしまい」

 

 

 ならば。

 その結末は、想像に易いほどに必然で。

 

 

「あ、ぁ……」

 

 

 頑なに握り続けた大剣が。

 信念が。矜持が。

 無力な自分が持ち続けた宗教が。

 

 

 呆気なく、手を離れて。

 

 紅い翼が、地に墜ちた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

『決ぃぃぃぃまったぁ! フォルティ選手の凄まじい迫力の特攻、しかしメリーさんの前に届かず! 痛烈なカウンターを受けて膝をついてしまいました! これは決着の決定打となってしまったか?!』

 

 

 終わった。

 どこからともなく零れた呟きは、けれど多くの脳裏に過っていた言葉だった。

 膝をつき、手元の砂を握り締めるフォルティ・メトロノーム。

 反抗の手段を失った少年に大鎌を向ける精霊少女と、悠然と立ち続けるサザナミ・ナガレ。

 

 途中に波乱の気配を見せたものの、やはり結果は当初に描いた絵図の通りだったのだと。

 

 

『この長き戦いに終止符が、打、た……』

 

 

 

 しかし。

 

 

「さて、と……【奇譚書を(アーカイブ)此処に(/Archive)】」

 

 

 

 

 地を睨む敗者と、立つ勝者。

 描き広がるその絵図が、この戦いの終点とはならなかった。

 

 

 

「それじゃ、お疲れさまナイン。【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

『…………へ?』

 

 

 

 あろうことか、ナガレは大鎌と化していたナインを労りながらも帰還させた。

 相手側の降参の宣言も、勝者判定のジャッジも降っていないというのに。

 

 

『え、あれ? これは一体、どういう……』

 

「あ、あのナガレ選手……? 勝敗はまだついてないのですが」

 

 

 その余りに不可解な行動に思わず立場を忘れたのか、実況のミリアムのみならず、ジャッジさえもが口を挟む。

 だが当の本人はといえば、分かってますとばかりに手をヒラヒラと振りながら、手持ち無沙汰となったメリーの元へと歩みを進めていた。

 

 

「メリーさん」

 

「うん。でもナガレ…………"昨日の約束"は、守ってね」

 

「分かってる。"交換条件"は、きちんと最後まで見届ける、だろ?

 でも絶対に横槍はなし。おーけー?」

 

「うん…………無理、しないでね」

 

「あいよ」

 

 

 つらつらと交わされるのは、二人だけの約束事。

 大舞台の中心に立ちながらも、幕の端で行うようなやり取りは、他のキャストの誰でさえ理解出来ない。

 ただ漠然と視界に入る光景だけが、ぼやけた情報みたく頭の中に入ってくる。

 

 

 表情を少しだけ曇らせるメリー。

 軽く頷きながら、彼女に"忌憚書"を手渡すナガレ。

 翻るスカート。遠退く背中。

 主の元から、困惑顔のレフェリーの近くへと。

 

 精霊はテクテクと距離を取る。

 見届けた主が準備運動のように一度、グッと伸びをした。

 

 

 そんな一連が、ただ漠然と目の前でおきて。

 

 目的も訳も分からなさすぎて茫然と開いていた少年の口が、なんとか説明を求めることが出来たというのに。

 

 

 

「何の、つもりだ……」

 

「今に分かるよ」

 

 

 ミステリアス。

 トリックスター。

 クリスタルサモナー。

 

 そう名前がつくほどに終始、透明で奇怪で訳のわからないこの青年が。

 くるりと反転、背を向けて────

 

 

 バカみたいにデカい声で、より一層、訳の分からないことを宣った。

 

 

 

 

「なぁ、あんた達!

 

 そーそー……観客席にずらぁーっと座ってる皆々様に聞きたいんだけどさぁ!

 

 あんたら────俺と、フォルティ。どっちに賭けた?」

 

 

 

 

 

 

 実に、悪童らしい笑顔を浮かべて。

 

 

 

 

 

 

 



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Tales 97【莫迦の花道】

『あの……あの、ナガレ選手?! いきなりなにを……え、えっ? というかまだ試合中ですよ?! いやいや、というか本当に何の話?! あれ?!』

 

「この闘魔祭で、賭けってのがあるんでしょー? 大々的にか隠れてやってんのか知らないけど! 当事者としては、オッズの内訳がどーなってんのかなーってさ」

 

『は、はぁ……』

 

 

 あまりに突拍子のない問い掛けに、ミリアムは空いた口が塞がらない。

 闘魔祭の勝敗予想が賭博に利用されている事は、確かにある。

 なにせ四年に一度の祭儀。形式ばった礼節はあるとはいえ、三大国家の内ひとつが取り仕切る一大イベント。

 

 となれば勝敗の行方に注目が集まり、注目が集まれば感情が宿り、そこに金を重ねれば闘魔祭に向けられる熱気は更に大きくなる。

 そこから生まれる経済的動きは、当然セントハイムの国政を担う者達にとって無視出来るものではない。

 よって、祭儀と定めている手前、賭博を推奨こそしないが、厳しく取り締まることもない。

 いうなれば暗黙の了解とされていることだけに、ミリアムの狼狽も至極当然だろう。

 

 

 だが、何より分からないのは、どうしてそんな事にいきなり触れ出したのかという点だった。

 

 

 

「ま、実際のところ……どっちがどう期待されてるかなんて、正直どーでもいいんだけどなっ!」

 

『え、えぇ?』

 

 

 

 賭けの対象にされている事に不満を覚えているようにも見えないし、ナガレ自身そんなものを気にしている訳でもない。

 実際に、切り込んでおきながらあっさりと掌を返す辺りからも、それは間違いないのだろう。

 

 

「だって誰がどうアブク銭を稼いだって、そんなもん俺"達"には関係ない」

 

 

 多大な困惑も、にとってはなんのその。

 周囲を振り回す事には慣れていた青年は、何故か生き生きと胸を張る。

 何故か、懐かしさに目尻を下げるような、柔らかさを青みがかった黒い目に宿して。

 

 

「ま、ただ一言。"御愁傷様"って言っときたくてね」

 

 

 サーカスの道化ような語り口の舌触りが、理由もなく不安を煽る。

 不透明な目的を掲げたまま、独壇場から降りず──

 

 

「剣と魔法の時間はここまで」

 

 

──ただ、幕だけを下ろした。

 

 

「こっから先に、あんたらがアテにした"期待値"は……全く頼りにならなくなる」

 

 

 期待値。

 つまりは決勝に至るこれまでを基に構築した情報。

 でもここからは、『それら』が全く意味を為さないのだと。

 サーカスの道化ような語り口の舌触りで、理由もなく不安を煽る。

 

 そして、これがその証拠だと示すかのように。

 唯一、腰にぶら下げたままのショートソードを。

 大観衆の動揺の中で。フォルティ・メトロノームの目の前で。

 鞘ごと捨てた。

 

 

「さあ、こっから。どっちが勝つか、もっかい賭け直してみたら?」

 

 

 特別張り上げた訳でもないのに、不思議と聞き逃す者がいなかった宣言。

 

 剣も、精霊も、魔食らう伝説も、全てが隅へと追いやられた今。

 

 己が信条を蚊帳の外へ弾かれ、屈するように膝をついていた少年と。

 自ら身一つとなった青年が、相対する。

 

 

 

「立てよ、フォルティ・メトロノーム」

 

 

 

 ルーイックの座る観覧席からぶら下がる、闘魔祭の『象徴』とも云える剣と盾が描かれたタペストリーが、ふわりと風に撫でられて。

 

 次のページへ向かうように。

 くるりと半分、捲られた。

 

 

 

────

──

 

【莫迦の花道】

 

──

────

 

 

 

『どうしてだよ、爺!』

 

『何がだ』

 

 

 四縁を白い霧に包まれた映像は、確かに自分の記憶だ。

 ストロボの閃光のように、ポツポツと切り替わる絵の彼は今よりもまだ幼い。 

 ただただ抱いた憤りを剥き出しにして、命の恩人に食ってかかっていた。

 

 

『錆びついた伝説とか、折れた剣だとか! なんであんな剣すら握ったこともない奴らに、好き放題言わせっぱなしなんだよ!』

 

『……事実だからな。ワシはもうここ数年、剣より鍬を握っとる方がよっぽど多い。今更、若気の至りに胸を張れるものかよ』

 

『嘘だ! 爺は強いだろ! 陰で叩く口だけが達者な"臆病者共"なんてっ! 見返してやれるくらいの力も、実力もある癖に!』

 

 

 どうして馬鹿にするような言葉に甘んじるのか。

 どうして仕方のない事だって言えるのか。

 剣の一本もまともに振れやしない連中の嘲笑を、そのくせ面と向かって侮蔑の言葉を叩かないような連中を、黙らせてやろうと思わないのか。

 

 ひたすらに、歯痒くて。

 

 

『フォル。力なんぞ誇示するもんじゃない。屈服させる為の剣なぞ、錆びるよりもなおつまらん結末を辿るだけだ』

 

『爺は、力をもう持ってるからそんな事言えるんだ! 必要なんだよ……持ってない奴には、無力な奴には!』

 

『フォルティ!』

 

『うるさいっ!』

 

 

 悔しかった。

 せめて胸を張って欲しかった。

 力なんて不要だと、言って欲しくはなかった。

 

 じゃなくちゃ、あまりにみっともなかった。

 

 両親を喪った、あの日。

 英雄に救って貰った、あの日。

 何も出来ずに立ち尽くしていた自分が、あまりに惨め過ぎるから。

 他でもない『英雄』だけには、自分を救ったその力を誇っていて欲しかったから。

 

 

『そんなにいらないんだったら……俺が、貰う』

 

 

 だから証明しようと決めたのだ。

 自分の目に焼き付いた明確な力の証を。

 紅く艶光るこの伝説を、知らしめようと決めたのだ。 

 メゾネの剣は折れないと、鋼のように覚悟と意志を固めた。

 

 

──その力を必要とした"一番最初の願い"からは、目を逸らして。

 

 

 

『俺が、メゾネの剣になる!』

 

「立てよ、"フォルティ・メトロノーム"」

 

 

 次第になれた重みは、今、この手になく。

 目の前で、心底気に食わない奴が不敵に笑っている。

 

 

「……お前は」

 

 

 その手には剣もなく、魔導書もない。

 否、わざわざ遠ざけたのだ。ご丁寧に目の前で。

 怒りに繋がる導火線が、丸ごと焼き切れそうだった。

 

 

「決定的にまで追い詰めて、トドメはささずに捨て置いて。挙げ句、武器を捨てておきながら…………俺に、立て、だと?」

 

 

 認めたくはないが、己を見下ろすこの男には確かに力があった。

 他力本願とはいえ、大衆を魅力し、形勢を覆し、道理を跳ね返すほどの『力』。

 闘魔祭が始まる当初にはきっと、誰もこの男に期待などしていなかっただろうに。

 今や決勝の舞台へと勝ち進むにつれ、多くの注目と称賛と、揺らぎない期待を手にしている。

 

 自分が、喉から手を伸ばしてでも欲している力の認知と証明を……栄光を掴む、寸前まで至っているという癖に。

 

 

「精霊頼りの臆病者が、俺を、"メゾネの剣"を────」

 

 

 みすみす放棄したのだ、この男は。

 目の前で、優勝に手をかけておいて、わざわざ。

 そんなものは必要ないとでも言いたげに。

 

 

「お前は、どこまで……コケにするつもりだ!」

 

 

 心の底から逆流した矜持を叫ぶ。

 答えろと、灰色の瞳に荒れ狂う熱を乗せて睨み上げた途端。

 この決勝が始まって以来、あまり動くことのなかったナガレの瞳が、はっきりとした色彩に歪んだ。

 

 奇しくも常々フォルティがこの男に抱いていた感情と同じ──黒々とした苛立ちに、歪んでいた。

 

 

「臆病者、ね。あーそうだよ。あんたに言われるまでもない。んな事とっくに自覚してる」

 

 

 臆病者。

 何度と形容した侮蔑の言葉。

 そこには勝ち進んだナガレに対する嫉妬も混ざっていたのかもしれない。

 

 けれど彼はそんな負け惜しみめいた侮蔑に撤回を求めず、あっさりと認めてしまった。

 

 

「けどね、だからこそ俺も苛つくんだよ…………同じ『臆病者』相手に言われるとさ」

 

 

 認めた上で、突き返す。

 臆病者。

 お前も同類だろうと、言葉と視線で、刺し貫かれて。

 

 肌の内を這う血が、青く、冷めた気がした。

 

 

「……同じ、だと……?」

 

「あぁそうだよ」

 

「俺が、臆病者……そう言ったか、おまえ!」

 

「そう言ったんだよ、チキン野郎」

 

 

 ふざけるなよ。

 もはやそんな定型文すら、震える唇は紡がない。

 

 同列と言ったのか、この男は。

 己がずっと黙らせたいと、憎々しいとさえ思ったあの下らない連中と。

 自分が忌むほどに嫌う、臆病な人間と。

 

 

 同じだって、言ったのか。

 

 

 

「────おまえぇっ!!」

 

 

 目の奥で火花が散った。

 押さえ付けられたバネが反発するかのように、畳んでいた膝を開いて、固めた拳を振りかぶる。

 撤回させなくてはならない。

 よりにもよって、自分をそこと同じに並べてくれたナガレに、力でもって分からせてやる必要があった。

 例え、剣がなくとも。

 

 

「……」

 

 

 しかし。

 激情に駆られた拳は武も技もなく、暴れるだけの力でしかなく。

 すい、と顎を引いた標的によって、空を振る。

 

 

「っ……ぐがッ──」

 

 

 かわされた。

 そんな驚きに表情を歪めた一瞬を埋めたのは、カウンター気味に放たれた憎い男の拳。

 的確に頬を捉えた一発に、フォルティはたまらず数歩後ろによろめいた。

 

 

「ぐぅっ、この、野郎……!」

 

「あんたが俺にムカついてたよーに、俺もあんたにムカついてたよ、ホント」

 

 

 口内にじんわりと広がる鉄の味。

 ぺっと吐いて出来た赤いシミには目をくれずに睨み付ければ、穏やかさを忘れた視線同士が唾を競り合う。

 だが思えば、それはフォルティが、ナガレの明確な感情を初めて認識とも云えた。

 

 

「メゾネの剣メゾネの剣って、馬鹿の一つ覚えみてーに。背負った看板ばっかり見せびらかして、『あんた自身』はその陰に隠れてるじゃん」

 

「隠れてる、だと……?!」

 

「事実だろ。脅えるみたいにさ」

 

「ふ、ふざけるな! エセ精霊奏者が、俺の何を分かったようにッッ!」

 

 

 どうしてだろう。

 頭の片隅で見覚えのある顔が囁く。

 これ以上となく癪に触る男の言葉のどれもこれも、無視出来ない。

 

 取るに足らないと踵を返しても回り込んでくるのは、疑問を呈する囁き。

 どうして、どうして、と繰り返してばかり。

 理由など分からない。

 けれども鬱陶しく付きまとい続ける疑問に、ついに嫌気が指して。

 

 振り返った先、目を逸らしてばかりだった鏡の奥で。

 

 無力だった頃の自分が────映って。

 

 

 

「そうだな。だから俺も看板を下ろさせて貰うよ、『同類』。フォルティ・メトロノーム」

 

 

 そして。

 立てと告げた男が。

 同類と呼ぶ男が。

 

 

『メゾネの剣』ではなく、『自分の名前』を力強く男が。

 胸を張って、名乗りをあげた。

 

 

 

 

「"今あんたの目の前に居るのは"、エセ精霊奏者でも、ミステリアスでも、トリックスターでも、クリスタルサモナーでも……都市伝説愛好家でもない。

 

 

 俺は。

 

 俺は……、────【細波 流】だッ!」

 

 

 

 勢いそのままに放たれた真っ直ぐな拳が、深々と頬に刺さって。

 体重を乗せた一撃に、身体がふわりと宙に浮いた。

 

 

 

「ただの……細波 流だッ!」

 

 

 ただ、どうしたのだろうか、この心は。

 痛みに悲鳴をあげるでもなく。

 反骨の怒りを燃やすでもなく。

 

 ほんの少し、あの男を羨んだ、そんな気がして。

 

 

「……ッッッ!」

 

 

 ここに至り、若い頭脳が結論を急ぐ。

 アイツが武器を手放した理由。

 アイツが勝利を選ばなかった理由。 

 精霊頼りでしかない男が、素手で自分を殴る理由。

 

 つまり。

 あぁ、つまりは。

 

 

 喧嘩を売られているんだろう。

 

 

「上等だァ、サザナミナガレェ!」

 

 

 

 どうしてだとか何故このタイミングだとか、そんな疑問は一瞬過った程度で、追い掛ける必要も発想もない。

 

 今フォルティの脳裏を占めたのは。

 

 

「ぶっ飛ばしてやるッ!」

 

 

 

 アイツを羨んだ一瞬について考えることではなく。

 ムカついてしょうがない男に立てられた中指を、へし折ってやる事だけだった。 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「小僧め……どういう色の風に心を吹かれたというのだ」

 

 

 おかげでまた一つ皺が増えたと、えもいわれぬ愚痴を喉元で呑み込めたのは年の功か、はたまた背負ってきた重みの慣れか。

 

 

(ここに来て、何故殴り合いなど自ら始めた。如何な利益と思惑があるというのだ。検討もつかん)

 

 

 最後の盛り上がりに欠けたとはいえ、これで闘魔祭に幕が下りる。

 痩せた老人の肩に負った荷をひとつ下ろせるかと思えばこれだ。

 

 決着を間近にして唐突にゴングを鳴らした二人の戦い……否、もはや戦いとも呼べぬ殴り合い喧嘩に、困惑するしかなかった。

 あの小僧は何がしたい、とこの喧嘩を仕掛けて煽った張本人の思惑が、まるで掴めない。

 それは観客も実況も審判も、賢人とうたわれる賢老ヴィジスタでさえ例外ではなかった。

 

 

「何かしら、手を──」

 

 

 このままテレイザが寄越したあの奇怪な男の好きにさせて良いのだろうか。

 魔物の影が見えても尚、魔女との約束とルーイックの権威の為に行うと決めたこの闘魔祭を、未知たる流れに乗せて良いのかと。

 

 半ば反射的に、動こうとしたその時。

 

 

 

「──ヴィジスタ」

 

「……陛下?」

 

 

 賢老を足を止めたのは、若き王だった。

 

 

「少し、待って欲しい」

 

「……しかし」

 

 

 ヴィジスタの前を遮る、ピンと伸ばした制止の腕。

 しかし、セントハイム王家の持つ澄みきった蒼い瞳に驚きに染まった老人の顔は映らず。

 ルーイックの眼差しは、見入るかの様にコロシアムの中心に定まっていた。

 

 

「どうして、だろう。僕自身にも理由は分からない。けど、見届けたいって……思うんだ」

 

「陛、下」

 

「頼むよ」

 

 

 王としては物足りない気弱さを持つ彼の、芯の通った懇願。

 何がルーイックにそうまで言わせたのかは、賢老には分からない。

 

 分からなくとも、主君にそう言われてはもはや動くことの出来ないヴィジスタは、静かに視線を主君の行く先と合わせる。

 

 

(……まさか。"騒いでおるのか"……?)

 

 

 

 眼科にて繰り広げられるのは、見世物とは到底言えない、ただの喧嘩。

 

 だが、その光景を食い入るように見つめる主君の横顔を一瞥して。

 

 ツツと流した賢老の冷や汗を、見た者は誰も居なかった。

 

 

 



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Tales 98【フォルティ・メトロノーム】

『波乱の展開、と言っていいんでしょうか。すわ決着かと思われた所から一転、眼下では激しい肉弾戦が繰り広げられています!』

 

「波乱、確かに。こんな展開誰にも読めませんよ……あの人って、つくづく実況者泣かせですね」

 

 

 状況に付いていけない。

 そんな一文がありありと伝わるほどに沈痛な面持ちで、ジャックは額に手を当てた。

 本当に、どうしてこうなったんだろうかと。

 発端と結果は観戦していたから分かるにしても、その原因と動機がさっぱり分からない。

 

 それは彼女の数少ない友人であるミリアムも同様だろう。

 ある意味一番割りを食ってる彼女から今夜、山のような愚痴を聞かされている自分の未来を察するのは容易だ。

 

 そんな逃避染みた思考に意識を飛ばすジャックの肩を叩いたのは、珍しく機嫌の良さそうな男の声だった。

 

 

「随分しけた面してんじゃねェか、ジャック。拾い食いでもしたか?」

 

「……貴方がそんな冗談を言うなんて、とても機嫌が良いみたいですね、キング」

 

「カカカ! 良くねェ、つったら嘘になるわなァ」

 

 

 混迷の雰囲気が重い会場で、返って不釣り合いな調子の声に少女の眉が潜む。

 仏頂面か威嚇染みた凶笑ばかりが多いこの巨漢がここまで上機嫌なのは、ジャックの目から見ても珍しい事だった。

 

 

「はぁ、一応聞きますけど。何がそんなに楽しいんですか? ただの殴り合いなんて、貴方からすれば退屈に映るものだと思ってましたが」

 

「あァ? おいおい、何を抜かしやがる。こっからが一番良いところじゃねェかよ」

 

「一番、ですか?」

 

「おォよ。ククク、ナガレの野郎。澄ましたガキだと思っちゃいたが、なかなかどうして……バカをしやがる相手選びも悪くねェ。フォルのアホなら適任だろうよ」

 

 

「……???」

 

 

 挙げ句、彼の物言いも自分の中で噛み砕いたモノばかりで何が言いたいのか分からない。

 けれど他人の理解を気にするような性質ではないこの"王"は、ジャックの怪訝も意に返さず、心底愉しそうに歯を剥いて笑う。

 

 

「晒してみろ、てめェらの『軸』を。突っ張んなら……そうそうに折れんじゃねェぞ?」

 

 

 最高潮を待ちわびる、悪童のように。

 

 

 

────

──

 

【フォルティ・メトロノーム】

 

──

────

 

 

 一心不乱に振り抜いた拳が、フォルティの脳を揺らした手応えさえあった。

 

 

「がふっ、く、このクソが……!」

 

 

 だというのに倒れるものかと膝に手を立てて踏ん張りながら睨み付ける瞳が、油を差したばかりのライターの火みたくギラギラと輝く。

 メゾネの剣は……というフォルティお得意の文句よりも、年相応な反骨心の方がよほど折れがたいと感じさせるほどに。

 

 

「ナガレェ!」

 

「ぐぁっ! こ、な……くそ!」

 

 

 そんな男がやられっぱなしを良しとする訳がない。

 気炎を吐きながら放たれたフォルの裏拳は、咄嗟に腕で防ごうともガード上から痛みをもたらす。

 こめかみ付近に走る鈍痛に、目の奥がチカチカと明滅した。

 

 

「うおらァ!」

 

「げあっ……ぐ、く、っ……」

 

 

 あんなバカでかい剣を振り回すだけあって、とんでもない怪力。

 連続で貰うと意識が飛ぶ。

 苦し紛れのカウンターで放った蹴りが、運良く綺麗に決まりはしたが、膝をつくまでには至らない。

 

 

(剣なくたって全然そこらのガキより強いじゃないかよ……や、当たり前か)

 

 

 フォルティ・メトロノームは戦士だ。

 剣を振るだけが能だとか、そんな奇特な強さとは違う。

 普通に考えて、少しばっかり喧嘩慣れしてる程度の現代のガキが敵って良い相手じゃない。

 メリーさんとナインにスタミナを相当に削って貰ったからまだ何とかなってるってだけ。

 

 万全ならとっくに俺は地を舐めてるだろう。

 背は俺よりも小さい、自分よりも年下の子供相手。

 なんて年の差に胡座をかいて良い相手じゃないし、そもそも仕掛けといてそれは、単なる侮辱にしかならない。

 

 

「はぁっ、ハァッ……っ、どうした。さっきのが効いたのかよ。もう息が荒いぞ」

 

「ぜぇ、ッ……うっさい。あんただって人のこと言えた口かよ」

 

 

 そう。当たり前の道徳や呵責なんてここに至っては無粋なくらいだ。

 

 互いにもう、下にも上にも見ていない。

 売り言葉に買い言葉を買い漁り投げ付け合うだけ。

 相手に膝をつけて、見下ろしてやる事しか頭にない。

 真っ直ぐに上下を競うだけだからこそ対等で、対照。

 いじっぱりで生意気な、クソガキ同士のくっだらない喧嘩。

 秩序に用はない。

 いるのは手前勝手な理屈だけ。そうだろ。

 

 

「お前みたいな物知り顔で悟ったようなヤツ、イライラするんだよ!」

 

「ハッ、向こう見ずの頭でっかちに言われたかないね!」

 

「臆病者って言いやがったこと、死ぬほど後悔させてやる!」

 

「事実だろうが、フォルティ!」

 

 

 臆病者だとあいつに吐き捨てた理由は、挑発だけが意味じゃない。

 

『けどね、だからこそ俺も苛つくんだよ…………同じ臆病者相手に言われるとさ』

 

 ピアニィ。あいつの妹から話を聞いて、それが事実だと思ったから言ったまでだ。

 俺と同じだって確信したからだ。

 

 

「俺は違う!」

 

「ぐぁっ!」

 

「俺は、逃げてないっ! 勝てない相手からも、弱い自分からも! 違う! 逃げない為に、だから俺は、メゾネの……爺の剣を担いだ! 逃げない為に……強く在る為にだ!」

 

「……ぐ、くっ、げほっ……いいや、違うね」

 

「知ったような口を!」

 

「あぁ……知ったよ。あんたの過去も。だからこそ断言してるんだけどさ」

 

「なにっ!?」

 

 

 同種同類、同じ穴の狢。

 けれど、フォルティの言う、ワールドホリックによる都市伝説頼りって意味での臆病者とは違う。

 もっと"芯"、もっと"心奥"。

 

 

「ずっと目を逸らしてんじゃんか。逃げたくないって、強く在るって決めたそもそもの原動力。

 

……"唯一生き残った、あんたの家族"から」

 

 

「────、…………な……」

 

 

 メゾネの剣は折れない。

 頑強なまで意志と愚直さでもって、英雄の剣を掲げて来たフォル。

 そんなこいつが妹に心配されるほどに強く在ろうとした理由は、フォルの過去を聞けばすぐに思い至った。

 

 

「なにを、言って……」

 

「なにって、あんたが逃げてるもんがそれだって言ってんだよ。逃げるのは怖いから。"また喪う"のが怖いからだろ」

 

「……っ」

 

 

 両親を殺めたデスサーペントが間近に迫った時に、きっと求めたはずだ。

 無力さに震えないほどの力を。

 恐ろしくてたまらない相手に立ち向かえる心を。

 

 そして。

 背中に庇った、(ピアニィ)を護れるほどの──強さを。

 

『──"肝心な時に足も動かない"。そんな力の無いヤツは、ただただ失っていくだけなんだよ……今みたいにな!』

 

 違う、なんて否定出来ないだろう。

 なにせフォルティ自身の口で言ったんだから。

 

 

「……言ったろ。『ひとつの事に傾き過ぎるから、肝心な時に大事な何かを見落とす』って」

 

「…………ピア……あの、お喋りが……」

 

 

 人は無力さを思い知った時。無情さを思い知った時。

 目を逸らすのに都合が良いモノを見つければすぐに飛び付いてしまうもの。

 

 俺ははりぼての奇跡にすがり、フォルは分かりやすい力に焦がれた。

 アイツは伝説の名を背負い、俺は泥沼で埋めようとした。

 大事で身近な人の心配りから──目を逸らして。

 

 

 

「ほんと同類。そりゃお互い苛つくし、気にいらないだろうよ。絵に描いたような同族嫌悪だし」

 

「……同族嫌悪、か。確かに。それならお前も…………いや、もういい」

 

 

 口の端から滲む血を拭いながら、先の言葉を飲み込んだフォルティ・メトロノーム。

 同類で同族。だからこそ分かる。

 

 それでもコイツは止まらないんだろう。

 

 妹の心配を肩代わりに伝えた程度じゃ止まらない。

 ピアの頼みを断った時から、なんとなく想像出来てた予想図。

 まぁ、なにせ。

 意地の張り方も、啖呵の切り方も、どこかの流さんと笑えるぐらいソックリと来ていたから。

 

 

 

「サザナミナガレ。それでも俺は、一度担ぐと決めたモノを下ろすつもりはないぞ」

 

「強情だな」

 

「忠告なんて、余計な世話だ。メゾネの剣は折れない。それを示すべくして、俺は此所に居る」

 

「……そーかい」

 

「だが」

 

 

 

 姿形のなにもかもが似て非なるドッペルゲンガーの雰囲気が、ガラリと変わる。

 灰色の瞳の奥の焔が、激しさを潜めて、熱を増して。

 

 フォルティ・メトロノームが、何も持たない拳を真っ正直に突き立てた。

 

 

「心底腹の立つ男の顔を殴るのに、確かに……あの剣は勿体ないからな」

 

「ふふ、あっそ」

 

 

 魔剣士は剣を下ろし。

 道化気取りはメイクを落とした。

 残るのは、バカが二人。

 ただの『フォルティ・メトロノーム』と、ただの『細波 流』。

 

 どうしようもない意地っ張り共の、下らない意地の張り合いが続く。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 飛び交う拳と蹴り、殴打の雨。

 片側の心模様が顔色を変えてみせたとしても、やること為すことが変わる訳ではない。

 

 

「なんだって殴り合いになってんだよ……」

 

 

 みるみる内に増えていく生傷と血と土と泥。

 肌が、肉が、分かりやすく視覚に痛みを訴えていくにつれて、けれども両者は失速することなく、むしろ益々激しさを増していく。

 

 

「闘魔祭の最後がこんなんで良いのか?」

 

 

 その様相は決して、見る者達の目に華々しいものとは映らないだろう。

 国をあげての祭儀の締めくくりとして相応しいかと問われれば、素直に頷く者はきっと少ない。

 

 

 

「剣も魔法も無しって、これじゃそこいらでやる喧嘩と変わらねーじゃねぇか」

 

 

 だが、どうしてか。

 否定的な口振りとは異なって、その視線は絶えず泥臭く殴り合う二人へと、釘を打たれたように留まっている。

 

 

「……でも、全然倒れないぞ、こいつら」

 

 

 その戦いに、華はない。

 目を引くような神秘の演出も、何もない。

 けれども目を離せない。

 惰性ではなく、奇妙な引力に捕まってしまったかのように。

 

 

「さァて──よォ、エース! お前はどっちの大馬鹿野郎に賭けんだ?」

 

 

 だからだろうか。

 さして張り上げた訳でもない野蛮な声色なのに、ざわめきの中でひたすら強く、響き渡ったのは。

 

 

「えぇ、僕ぅ? せやなぁ、せっかくやから今まで大健闘してくれたナガレくんにしとこうかなぁ!」

 

「ハッハァ! 相変わらずギャンブルに関しては見る目が曇りやがるなァ、エース! 意地と根性だけで勝てる勝負なんざあるかよ。チップを置くべきは、断然フォルティだ」

 

「ほっほーう、言ってくれるやん! せやったら負けた方が今日の酒代、全額持つっちゅうのはどうやぁ? ん?」

 

「良いねェ! 団長サマ自ら勝利の美酒をより旨くしてくれるとは気が効いてる! 財布がすっからかんになっても泣くんじゃねェぞ? カッハハハ!」

 

 

 水面に小石を投げると同じくらいの、他愛のない賭け事。

 男同士の馬鹿なやり取りなのだと、傍らで呆れを多く含んだ溜め息をこぼすジャックを見ればすぐに分かる。

 

 なのにそれは向きを変えた風に撫でられた観衆達の心を、不思議と擽った。

 

 

「……なぁ、お前、賭けるとしたらどっちだ?」

 

「え、そうだなぁ……サザナミナガレじゃね? あのエルディスト・ラ・ディーの団長が賭けてるくらいだし」

 

「自分の意見はないのかよ!」

 

「う、うるせぇ! ならお前はフォルティの方にしろよ 。負けた方が今晩奢りな!」

 

「じょ、上等だ!」

 

 

 

 

 蝶の羽ばたきみたく、些細な心の揺れは小さく。

 小さく、小さく、少しずつ。

 

 

「いや、フォルティだろ。精霊使いから精霊取ったらただのへっぽこじゃないか」

 

「バーカ。だったらとっくに勝負付いてるだろ。俺はサザナミナガレのガッツに賭けるね」

 

 

 

 道化の本心が鋼の心を溶かしたように。

 散る火花が、観衆の冷めた心を溶かしてみせたのかも知れない。

 小さな羽ばたきが一つ増えて、また一つと増えて。

 

 

「あ、あのよ母ちゃん、もしサザナミナガレが勝ったらよ。こないだ賭博場で遊んでたことは綺麗さっぱり水に流して貰えたり、とか」

 

「なにいってんだいあんたは。またそういう事を言い出して、この唐変木! ならフォルティくんが勝ったらあんたを綺麗な水に沈めるとするさね」

 

「や、やぶ蛇だった……ナガレー! なんとしても勝ってくれぇー!」

 

 

 徐々に僅かに、じわじわと。

 溶けて伝う。

 

 

 

「サザナミナガレだ! アイツならまだ何かかくし球持ってる!」

 

「フォルティだ! 腕っぷしならあっちに軍配が上がる!」

 

「フォルティ君よ!」

 

「いいやナガレの方!」

 

「フォルティ!」

 

「ナガレだ! この俺の目をもってすれば勝敗予想なんて簡単よ!」

 

「サザナミナガレ!」

 

 

 

 さながら──【世界が陥る熱病】のように。

 

 

 熱は伝う。

 小さく、緩やかに、確実に。

 純粋な意地のぶつかり合いに、植え付けられた火種が蕾と実るなら。

 

 

 あとは咲くだけ。

 

 

「おら、殴れ殴れ!」

 

「酒代掛かってんだぞ! へばんな!」

 

「ナガレ、負けんなー!」

 

「メゾネの剣が負けるなよ!」

 

「男見せろ!」

 

 

 

 円形のコロシアムに、莫迦共が咲かせた花道が拓いた。

 

 

 

 

 

 



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Tales 99【細波 流】

 

 

 チリンと鳴る風鈴の残響が、ふと遡る回想の始まりを告げた。

 

 

『ナガレよ』

 

『ん?』

 

 

 秋の背中に手を伸ばした夏の終わり。

 いつぞやの廃墟巡りが祟って病室に運ばれたときのこと。

 どうしようもない馬鹿達にとんでもない意地を張られてしまった後のこと。

 見舞いの品を片手に、痛い拳骨をお見舞いしてくれた爺ちゃんが、窓の外を眺めながらふと囁いた。

 

 

『おめぇ、人って字が分かるか?』

 

『……え、なに。支え合ってるってやつ? 再放送でも見たの?』

 

『馬鹿野郎、違えよ。支え合わなくたって人は立つ事くらいできらぁな』

 

『……まぁ』

 

 

 人という字は、だなんて。

 そんな手垢がついた道徳を持ち出されて、つい冷めた反応をしてしまったのはきっと。

 俺の仇討ちをしでかしたアキラ達へ、まだ消化し切れない想いがあったからだろう。

 

 

『でもなぁ、そりゃ立ってるだけよ。ただ突っ立ってるだけなら案山子で充分だ。男なら大きくならねぇといけねぇ』

 

『大きく?』

 

『おうよ、身も心も大きくだ。だがそりゃ一人じゃ出来ねぇ。一人で大きくなんのは体だけ。それじゃ心はちんまく痩せたまんまで、なーにも守れやしねぇ』

 

『……』

 

 

 もっといえば、戸惑っていたのかも知れない。

 俺なんかの為にここまでしてくれたアイツらに。

 開発計画の事故や経緯、そして都市伝説マニアな俺には、友達らしい友達なんて出来た事なかったから。

 

 じんわりと胸に広がる暖かさに、どうしていいか分からない。

 そんな、幼い戸惑い。

 

 

『必要なのは、"腕を伸ばすこと"。んで、その腕を掴んでくれるダチだ。そうすりゃ【人】は目一杯【大】きくなんのさ』

 

『……!』

 

 

 だから。

 優し気に目を細めながらポツポツと諭した爺ちゃんの言葉が、乾いた泥を恵む雨粒のように溶けて残っているんだと思う。

 

 

『ナガレ』

 

『なに?』

 

『おめぇのダチを、大事にしろよ』

 

『…………』

 

 

 記憶に夏の影が覆い被さって、優しく撫で付けられているようだった。

 

 

『言われなくても』

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

……なんて。

 流石に良い拳を貰い過ぎたのかも知れない。

 

 性格だけじゃなく脳までいっそ馬鹿になったのか。

 まぁ出来が良いだなんて言わないけどさ。

 なんだってこんなタイミングで、こんな昔の事を思い出してるんだか。

 

 

「ぜぇっ、ぜぇっ……っ、ゥぶ、っっはぁっ……あぁ、もう、しんど……」

 

「はっ……はぁっ……ぐっ、く、はぁっ……」

 

 

 肺が心臓みたいに忙しい。

 

 足元も覚束ない。

 溜まった乳酸が凝り固まって、棒みたいになってしまってる。

 案山子の方が幾分マシってレベル。

 

 

「っとに、顔ばっか……なに? 二枚目半な、俺の顔に……嫉妬でも、してんの?」

 

「はっ……馬鹿言えよ。むしろマシにして、やったんだ。感謝して欲しい、くらいだ……げほっ」

 

 

 明日になったら蜂の軍団に襲われたのかってくらいに顔が腫れ上がってんだろうね。

 もう既に左目は、ぷっくら膨れた瞼に塞がってしまってる。

 右も、普段の半分が良いところか。

 狭い視界に映る空が、弓形に削られたみたいだ。

 おまけに右耳の耳鳴りがずっと止まないと来てる。

 

 あっちもこっちも満身創痍。 

 ボクシングとかならとっくに宙を白いタオルが舞ってるだろう。

 

 

「……で」

 

「ん……?」

 

「この馬鹿騒ぎは、お前の仕業か?」

 

「げほっ、ごほっ……いいや。ここまでノッて来られるのは、俺としても想定外」

 

「そうか。まぁ……どうでもいい」

 

 

 あぁけど、感覚が正常じゃないってのに、不思議とこっちの方が肌に伝わるものがある。

 顔を腫らして睨み合う馬鹿二人を、ぐるっと囲んでバカ騒ぎしてる馬鹿な人々。

 

 勝て、だの。負けろ、だの。

 行けだのやれだの、ほんと酷い野次。

 

 どんな熱病にあてられたんだってくらいに、熱に狂った歓声。

 賭けがどうとか言い出した俺でさえ、首を傾げそうなほどの勢いだ。

 思った以上にセントハイムの国民性が祭り気質だったのか、それともどっかの誰かが煽ったのか。

 

 まぁ、確かにどっちでも良い。

 

 

「いい加減、馬鹿に付き合うのも、疲れてきたからな……さっさと倒れろよ」

 

「はは、冗談。まだまだ付き合って貰うよ」

 

「しつこい奴」

 

「そそ。細波 流はしつこい。覚えといて損ないよ」

 

 

 そうだ。むしろ良い塩梅。周りがこれなら丁度良い。

 遠慮なく馬鹿をやるなら、こういう雰囲気のが助かるってなもので。

 

 極寒に晒されてるみたいにガクつく脚で、もう一丁踏ん張ると、向こうも一歩踏み締めた。

 

 

「……ぐっ、っっと……んじゃ、続き、やろうか」

 

「フラフラの癖に、強がるな」

 

 

 一番大事なものから目を逸らして粋がってた同類だからこそ、無理矢理にでも俺のバカな我が儘に付き合わせられる。

 その点には感謝するよ。同情も。

 でも悪いが、身から出た錆ってことで諦めてくれ。

 

 

「こういう時だから、強がるんだろ」

 

「……ふん」

 

 

 身体の悲鳴なんて聞いてやらない。

 我が儘をやるなら、最後までだ。

 そう笑って、駆け出して。

 

 

(!……メリーさん)

 

 

 視界の端で、こんな馬鹿を見守ってくれてる存在を。

 

 

──此所に、居るから。

 

 

 小さな唇がなぞる言葉を、しっかりと見つけられた。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 それは昨夜のこと。

 ルークスとの邂逅、過去の告白。

 

 

『……………え? マジなの?』

 

『マジマジ。頼むよメリーさん』

 

『……で、でも、大丈夫なの? あのフォルティっておにーさん、ちゃんと強いよ? メリーさんが追い詰めたからって、ナガレ一人じゃ勝てるかどうかは……』

 

『ま、だろうね』

 

 

 そして、大事な相棒の不安を受け止めた後。

 

 

 

『でも────見付けたんだよ。

 

 "どうしてもやりたい事"。

 "やっときたかったこと"。

 

 だからさ、相棒。

 俺の我が儘……聞いてくれないか?』

 

 

 突拍子もない俺の我が儘を、理由も聞かずに静かに受け止めてくれた後。

 

 

 

『…………"そっか"。分かったの。聞いてあげる。

 メリーさんの……ううん。ナガレの頼みだもんね』

 

『……ありがとう』

 

『でも……うん。一個だけ条件』

 

『条件?』

 

 

 

 ろくでもない俺と、寂しがりな彼女とで交わした、約束。

 

 

 

 

 

『私、メリーさん。やっぱり大事な時は、貴方の側に居なくちゃ…………ね?』

 

 

 

 

 

────頑張って。ナガレ!

 

 

 約束通り、守ってくれてる。

 

 スカートの端を握り締め、こっちに駆け出したい気持ちを堪えて。

 

 こんな馬鹿でワガママな俺を、見守ってくれているから。

 

 

 

「っっ、だらぁァ!!」

 

「ぐあァっっ!」

 

 

 

 なら、まだへばる訳にはいかないだろう。

 

 

 

 俺のやりたいことを。

 

 

 細波 流のやりたいことを、やり切るまでは。

 

 

 

────

──

 

【細波 流】

 

──

────

 

 

 

 

 

 

『──噂の【|精霊奏者(セプテットサモナー)】らしい、観るものを魅了してやまないような素晴らしきご活躍を……期待しておりますよ』

 

 

 期待されてるのは分かっていた。

 次は何をする。どんな精霊が現れる。

 望んでなかったとはいえ立ち回ったのは自分だ。

 

 

『それでは、ご紹介しましょう!!

 未知なる力を駆使してこの闘魔祭を勝ち上がって参りました!

 その活躍っぷりについた呼び名が【無色の召喚術師(クリスタルサモナー)】!

 サザナミ・ナガレ選手の入場です!!』

 

 

 ミステリアス。

 トリックスター。

 クリスタルサモナー。 

 勝ち進む度に積み上がっていった、サザナミナガレを表す記号達。

 けれどそれらは、『細波 流』という一人を表すモノじゃない。

 

 嵩を増す【自分(サザナミナガレ)】の看板が思った以上に増えすぎて、【(細波 流)】が埋もれてしまうんじゃないかって。

 過去が薄れてしまうじゃないかって、らしくもなく脅えた。

 

 

 

『だが、ククッ……テメェがそんな調子じゃあ"浮かばれねぇなぁ、あの娘っ子共"も』

 

 

 それでもひた隠す為に覆った意地を、まんまと見抜かれて。

 

 

『少しだけ、私はソイツらが羨ましいのかもしれない。過去としてでも、大切にされるなら』

 

 

 立ち止まりかけた夜も、寡黙ながらに受け止められて、もっかい踏ん張ることが出来た。

 

 

『下らない意地でも突っ張るのが男でしょーが』

 

 

 為すべきと思ったことを為すために。

 無い知恵搾って、無茶な真似して、ここまで勝ち進んで来れたんだ。

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を』

 

 

 

 そして、目的を果たせた今。

 為すべきことを、為せた後。

 俺の心がやりたいと感じた"次"は、ただひとつ。

 

 

 精霊を駆る精霊魔法使いでもなく。

 

 奇譚を語る都市伝説愛好家でもなく。

 

 

──ひとりの人間。細波 流って名前の馬鹿が居るってことを、示したい。

 

 

 そんな、どうしようもない()(まま)だった。

 

 

 

『"今あんたの目の前に居るのは"、エセ精霊奏者でも、ミステリアスでも、トリックスターでも、クリスタルサモナーでも……都市伝説愛好家でもない。

 

 

 

 俺は。

 

 

 俺は……、────【細波 流】だッ!』

 

 

 

 

 

 

 

「だああああッッッ!」

 

「うおおおおッッッ!」

 

 

 

 今、この手が掴めるものは、なにもない。

 剣も、奇跡も、奇譚もない。

 ボロボロになった、野晒しな拳があるだけだ。

 

 

『必要なのは、"腕を伸ばすこと"。んで、その腕を掴んでくれるダチだ。そうすりゃ【人】は目一杯【大】きくなんのさ』

 

 

 

 だからこそ、ここからもう一回、始めたいんだ。

 いきなり大きくなれるほど、俺は強くない。

 手を取ってくれる"みんな"を期待するよりも、まずしなくちゃならない事がある。

 

 

 

 まずは、ひとりで……立つって事から始めよう。

 

 不恰好でも良い。上手くバランスが取れなくても良いから。

 

 異なる空の向こうに笑われない為に。

 

 同じ空の下で出逢ったあいつらにも、改めて。

 

 細波 流がどういう馬鹿であるかを。

 

 存分に、目一杯、知らしめよう。

 

 真新しい事ばかりの、この世界で。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 そんな、無垢とも怪奇とも取れる異邦人の心音は。

 

 果たしてどれだけの鼓膜に響くのだろうか。

 

 

 辛うじて届くのは、もはや獣染みた雄叫びと、激しく肉を傷める殴打の音。

 そこから大衆が、彼らが奥底に抱えた青き想いを理解しろというのは、題名も何も描かれない絵画を考察するようなもの。

 

 けれど、何も感じ取れない訳ではない。

 伝わるのは──熱。

 

 衝動が産み出した若い熱だけが、頭ではなく心に伝わり、突き動かし、渦巻いている。

 余計な情報など必要ないと、舞台上のみならず観客さえもが拳を突き上げ、叫んでいる。

 

 

「そこだっ、潰せー!」

 

「折れるな、まだいけるだろ!」

 

「勝てっ、フォルティ! 飲み代かかってんだぞ!」

 

「煽っといて負けるなよ、ナガレ!」

 

 

 理屈ではなく本能で。

 考えず、感じたままに。

 

 ある種、異常地帯とも呼べる有り様。

 さながら人々が織り成す複雑怪奇、摩訶不思議。

 

 

 

 

──では、少しなりとも彼を知った者達ならばどうだろうか。

 

 

 

 

 

「ちょいと押され気味じゃねーか。ここは優勝して貰わないと、俺様の立つ瀬がないんだが。なぁ、イコア?」

 

「元々マルス様に立つ瀬も何もないですけど。あと、しれっと背中に腕回そうとしないで下さいキモいです」

 

「部下が辛辣過ぎて俺様泣きそう」

 

 

 マルス・イェンサークルは、目を細めていた。

 知ってか知らずか、愉しげに舞台を見下ろし、どこか羨ましそうに。

 

 

 

『追撃のアッパーカットォォ! その威力、ナガレ選手の顎を吹っ飛ばすかの如く! しかしまだまだ倒れません! すかさず反撃のハイキック! モロに入った、これは痛い! ですがフォルティ選手も堪える! フラつきながらも再び拳を──』

 

 

 ミリアム・ラブ・ラプソディーは吹っ切れていた。

 もはやこの状況の経緯なんてどうでもいい。

 悪童の企みによって募った心労ごと吹き飛ばすべく、群衆と一体になって試合の推移に声を乗せるまで、と。

 

 

「頼むでぇナガレくん。この唯我独尊、協調性ゼロ男のハナを明かしてやれるチャンスなんや。バシッと勝ったってや!」

 

「リーダーの癖に随分器量の小さい物言いしてんじゃねェか。青ざめたお前の顔を肴に飲む酒は、さぞうめェんだろうなァおい。楽しみだぜ、クックックッ」

 

「あぁ……最っ高。あぁ、あぁぁっ、本当にどうしてくれましょうあの子達。飛び交う血、増える生傷。それを厭わずぶつかり合って……あああぁっ、そんな激しいモノで魅せられたら、昂り過ぎて溶けてしまいそうです……んんっ、んふふふふ!」

 

「……地獄絵図ですね。あっちもこっちも。ハァ……」

 

 

 ジャックことミルス・バドは呆れ果てていた。

 

 好き勝手に昂り、自ら熱に浮かされている切り札共にも。

 目を覆いたくなるほどに傷を増やして殴り合うあの二人にも。

 熱狂にすっかり取り残された哀れな正常者は、今更吹っ切れることも出来ず、ただ静かに肩身を狭めて。

 観覧席から身を乗り出すほどに、試合の推移を見つめる少女に心を配る。

 

 

「お兄ちゃん……」

 

 

 ピアニィ・メトロノームは祈っていた。

 

 ともすれば、この凄惨な状況の発端を招いたのは自分なのではないかと心を曇らせる。

 自責に苛まれながら、堪えきれず目の端から小さな雫を落としながらも。

 それでも。目を逸らすことだけはしなかった。

 

 

「はは。はははっ! とんだ変わり者の変わり種だこと。何をしでかすか解らない、とびっきりのトリックスター。ねェ、ナガレの坊や。本当、貴方は一体……どこから来たのかしらねェ?」

 

 

 シュレディンガーは手を叩いた。

 

 貼り付けた顔が本来でないまま、もはやそんな自意識を彼方に捨てて。

 目下の奇怪にならうように、彼或いは彼女はありのままの口調で疑問を謳う。

 

 

 

「……勝ちを選ばず、か。利口じゃない。むしろ極まった馬鹿だろうな。だが、うん。確かに、お前らしいさ」

 

 

 セナトは静かに納得していた。

 

 着実な勝利を捨て、栄光に手を伸ばさず、挙げ句象徴的とも言える力を手放して。

 合理性の欠片もない判断で、我武者羅になって闘う背中に。

 

 お前らしいよと、 影法師は微笑む。

 眩しい者を見るように。

 

 

「…………」

 

 

 トト・フィンメルは首を傾げていた。

 

 彼の行動のひとつひとつが、理解出来ない。

 自分の時と同じくしてまた武器を捨て、傷だらけになりながら闘う理由。

 きっと事細かに説明されたとしても今の彼女に理解は出来ないだろう。

 

 だから、声も発さず、静かに終着の時まで見つめる。

 もっと周りを見渡してみろ、と彼から告げられた言葉を胸に。

 

 

 

「……本当に馬鹿ね、男って」

 

 

 エトエナ・ゴールドオーガストは嘆息していた。

 

 理解に苦しむと言わんばかりに。

 目に見えた勝ちを捨てて喧嘩を仕掛けたナガレにも。

 それに律儀に付き合っているフォルティにも。

 彼女からすれば冷めた熱にまんまと狂う、周りの世界そのものにも。

 

 チラリと横目で見た先で、はしたなく騒ぎ立てている腐れ縁に向ける視線は、輪に入れず拗ねてる子供のようだった。

 

 

 

「さぁ、やっておしまいなさい! バシッとストレート! 合間にジャブ! とどめのアッパーそこですわぁ! いっけぇ、ナガレぇぇぇ!!」

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーは一際高く声を挙げた。

 

 他と比べて隣を歩いた時は多かったとはいえ、彼女はナガレの過去も葛藤も知らない。

 けれど、それでも良かった。

 

 自ら向かい風に立つ者を、グリーンセプテンバーは笑わない。

 いかな過去であれ、矜持に胸を張ってみせた男に、熱を重ねることを厭わない。

 仲間が賭けたものがあるのなら、価値など計らずとも良いのだと。

 

 黄金の風は────馬鹿な男の背中を押す。

 

 

 

「やれやれ。お嬢様、はしたのうございますよ。男の勝利を願う淑女らしさとは、戦いを終えた後に発揮するのがスマートですぞ。このアムソンとしましては、控え室に戻るナガレ様に駆け寄ってその頬にそっとベーゼを落とすのがベストかと」

 

「んあい!? な、ななな、なんでわたくしがそんな事を……くうっ、またからかいましたわね! 今良い所なんですの! 無粋な茶々を入れるんじゃありません!」

 

「ほっほ。申し訳ございません、お嬢様」

 

 

 そんな主に、従者アムソンは思い付いたように水を差した。

 からかいを多分に含んだ水差しなど、焼け石相手ではすぐに蒸発することなど承知の上。

 熱狂の中、ナガレの抱えてきた葛藤を察しながらも、従者は主の前に出ることを望まない。

 

 ただ好々爺とした眼差しで、若き想い達の行方を見守っている。

 

 

 

「……知ってるわよ、最初から」

 

 

 蒼き騎士セリアは、瞼を閉じた。

 

 

「意地を張って、すぐ無茶をして。貴方のそういう姿ばかり、見てきたもの」

 

 

 瞼の裏へと色濃く浮かび上がる、細波流という変わり者の姿。

 知っている。見続けている。

 

 彼自身が特別強い人間でないことも。

 意外なところで融通が効かず、子供のような意地を張ることも。

 一度決めた事から背かず、折れずに突き進もうとする意志も。

 本当は弱音くらい吐きたいはずなのに、セリアの立場を気にしてひた隠しにしようとする所も。

 

 

 ずっと、見てきたから。

 

 

「────バカ、なんだから」

 

 

 だから、せめて、終わってから。

 お礼を言うのも、無茶を叱るのも。

 それくらいはさせて欲しいと。

 

 この世界で初めて細波 流が出逢った蒼の女は。

 仕方ないなと、幼く微笑んだ。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 熱だけでなく、抱えた想いや葛藤も全て伝わる、蜂蜜色の髪を持つ少女は。

 託された奇譚書を一度強く抱き締めると、フゥと甘く息を吐いた。

 沸いた緊張を解すかのような幼い仕草は、どことなく彼女が相棒と呼ぶ男のそれと少し似ていて。

 

 そう。

 さながら、都市伝説愛好家が、都市伝説を語る時のように。

 

 エメラルドの舞台に彼を捉えて、小さな両手を広げながら、唇を僅かに湿らせる。

 

 

 怪奇譚【メリーさん】が口ずさむのは、不思議で、奇妙な……とある誰かの体験談。

 

 

 

 

「【──これは友達のお兄ちゃんの、そのまた友達から聞いた話なんだけどね】」

 

 

 唐突につらつらと言葉を発した少女に、すぐ傍で目を凝らして試合の行く末を眺めていたレフェリーが、思わず怪訝そうな顔をする。

 

 

 

「【あるところに、都市伝説が好きでたまらない人がいたらしいんだけど、ある日階段からすってんコロリンと落ちて、死んじゃったらしいの】」

 

 

 

 けれども少女の語りは止まらず、ただ一人の聴衆さえ置き去りにして、続きを紡いだ。

 さりとて彼女は語られる側、少々の余裕のなさは不慣れな証と云えるだろう。

 

 

「【それで、目を覚ましたらなぜか目の前に神様が現れて、話をしていく内に気に入られたみたいでね。

ある力を彼に与えて、剣とか魔法とかが当たり前な異世界に導いたんだって】」

 

 

 たどたどしい語り口。

 さながら何かのあらすじをなぞるように。

 

 

「【そう、異世界。なんでも、ドラゴンとかエルフとか、挙げ句の果てには魔王なんてのも居るとか。

 

 え? 彼はどんな力を貰ったのかって?

 

 その不思議な力の名前は『ワールドホリック』】」

 

 

 

 差し出すように前へと掲げた少女の両の手が、片膝をつきながらも再び立ち上がろうと吼える青年を示した。

 

 そう、これは彼の物語。

 今まさに"立ち上がろう"としている青年の物語なのだと、告げるように。

 

 

 

「【口裂け女や隙間女。

 あざとイタチに、ブギーマン。

 勿論、みんな大好きメリーさんも。

 

 そんな都市伝説達を、再現する力なんだってさ】」

 

 

 

 かつて語られた少女が知る、一人の人間の経緯(あらすじ)が語られる。

 奇妙であれど奇譚ではなく。

 熱病とするにはささやかなもの。

 起承転結のひと欠片。

 

 細波 流の、小さな真実。

 

 

 

「【信じようと、信じまいと】

 

 それは────アナタの自由だけどね?」

 

 

 

 

 だが、語られたそれは、今はまだ然したる意味を持つ事はない。

 神秘溢れる世界の者からしても、具体性に欠けた戯れ言に過ぎないのだろう。

 

 真実であろうと虚偽であろうと。

 

 

 

「それが、彼、なんですか?」

 

 

 事実、ただ一人の聴衆は、浮かべる困惑を隠すこともなく問い掛けた。

 突然語り始めた少女に対し、半ば場当たり的に問い掛けただけのこと。

 

 

 

「うん!」

 

 

 けれど彼女は恥じることなく頷いてみせた。

 

 自分にとっての大切な存在の話だったからか。

 

 流を真似る事に何かしらの達成感を得たからか。

 

 語りを聞いて貰えた事に対する喜びか。

 

 可憐な花が咲くような、満面の笑みで頷いてみせた。

 

 

 

 

「細波 流。

 

 私、メリーさんの……大事な相棒で、とっても素敵な男の子なの!」

 

 

 

 

 或いは──

 

 

 やりたい事やると告げた相棒を見つめていく中で。

 

 彼女に芽生えた……"やりたいこと"だったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 まぁ、とはいえだ。

 こんな大層な変わり者がいくら気張ってみせたって、不可能を可能に出来る訳じゃない。

 

 考えてみれば。

 いや、深く考えるまでもなく、分かりきってた事ではあるか。

 気合いひとつ、心掛けひとつで簡単に変わってくれるほど、世の摂理ってのは優しい顔をしてはいない。

 

 

 

「ぁー……」

 

「ぜぇっ、ぜぇっ……! はぁっ……くっ」

 

 

 なんせ、土台が違う。

 日本の片隅で高校生やってたヤツと、担いだ剣に潰れぬように自分を鍛えていたヤツとじゃ、パラメーターに大きな差があるのは当たり前。

 

 それでも結構イイ線まで行ったと思うんだけどな。

 

 

「……はは」

 

 

 流石に、もう限界。

 空を仰ぐように【大】の字に倒れる。

 そっからはもう、ロクに身体が動きゃしない。

 かつてない疲労困憊っぷりに、カラッカラの喉から笑い声が漏れた。

 

 

「チッ……満足したって顔、しやがって」

 

「……満足したんだよ、一応」

 

「傍迷惑なヤツめ」

 

「そそ、傍迷惑。それが俺だよ」

 

「自慢になんねーよ」

 

 

 あぁ、フォルティの言うとおりだ。

 

 最後の最後。

 我ながらとんでもないくらいの自分勝手。

 周りの迷惑なんて度外視した、我が儘有りの儘の大立ち回り。

 満足出来なきゃ嘘だろう。

 

 これで勝ててりゃこの上ないけど、そこまで贅沢を望むと天罰が当たる。

 どうせこの後、アイツからお叱りを受けるんだ。

 

 だから、これくらいが丁度良い。

 

 

「…………なんだ。案外、近いんだな、空」

 

 

 清々しいまでに、やりたいことをやりきったからだろろか。

 

 

 怖いほどに遠かったあの空が、なんだか近づいてくれた気がして。

 

 性懲りもなく────笑みを溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── サザナミナガレ選手、戦闘不能と見なします!

 

 

 

 よって、第五十回闘魔祭優勝者は……

 

 

 フォルティ・メトロノーム選手!! ────

 

 

 

 

 

 

 

 



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Tales 100【さすらえよメメント・モリ】

 敗北の味は、意外と悪くない。

 

 そう思えるのは心底満足した証だろう。

 レフェリーが決着を宣言するなり駆け寄って来たメリーさんに抱き起こされながら、口の端に笑みが浮く。

 決勝の行く末に、周りの反応も実に様々だ。

 ワァーと盛り上がる歓声やら、チキショーと悔しがる声やら、涙を流しながらの雄叫びやら、腹を抱えて笑う声やら。

 ある意味阿鼻叫喚で、ハチャメチャで、整然としていない。

 

 カオスの一言に尽きそうな状況が、なんだか懐かしいとさえ思えて。

 この状況を招いた一端のクセして暢気に目を細めていたからか、罰が当たった。

 

 

「ナガレ、あれ」

 

「ん?………………はっ?」

 

 

 ふとしたノスタルジーをぶち壊すように……人が降ってきた。

 

 俺とメリーさんと、フォルの、目の前に。

 人が降ってきました。

 

 

──ドシャァッ……てな具合に、砂塵を巻き上げて。

 

 

「「「!?!?」」」

 

 

 どこから? 観覧席の一番高い所から。

 それはつまりどこ? 多分、玉座。

 どうやって落ちてきた? 多分、跳んだ。

 それ本当に人間? うん人間。ってか知ってる顔。

 

 じゃあ、それは誰?

 

 

「────誠、心震える試合であった」

 

 

 ロイヤルゴールドの髪。反動で靡く高級なマント。

 紛うことなき十代目国王、ルーイック・ロウ・セントハイムその人だった。

 

 

(る、ルーイック陛下!? いやいや、え、なんで?! というかっ、あんな高所から飛び降りて来たのか!? 全然平気な顔してるし! それに、あれ、なんか……)

 

 

 知ってる顔、知ってる人。

 でもこうして威風堂々と立つ彼が、一度だけ謁見した時の彼と結び付かない。

 首筋を痛めるほどに高いとこからの降下でピンピンしてるって事もそうだけど、それ以上に。

 

 

「五十と重ねた我がセントハイムの祭儀。この地を踏んだ勇者達により幾度も繰り越された闘魔の中でも、今日ほどの熱を生んだ試合もなかっただろう」

 

 

 俺を見つめる瞳の奥底が、どうにも以前の彼と違う気がする。

 雰囲気が、気配が。

 テレイザ姫の苦境を聞いて慌てふためいてた、あの頼りなさそうな陛下と、ずれているかの様な違和感。

 

 

「民草が熱風に揺れ、この蒼穹(ソラ)すら焦がすほどの嵐となった。実に祭儀に相応しき決勝であったと、私は思う。

 

 皆の意思はどうだろうか!

 賛同する者は、喝采せよ! 賛辞を掲げよ! 最後まで闘い抜いた勇者達へ──喝采を!」

 

 

『「「「「「おおおぉおおおぉぉおぉぉぉぉォォォォォ!!!!!!」」」」」』

 

 

 けれど抱いた違和感も、コロシアム全体から轟と響き渡った喝采の激流に、形になる前に流されてしまった。

 賞賛を求めた若い王は、空すら揺らしかねない喝采に満足したように頷くと、雄々しくマントを翻した。

 

 

「宜しい! ではこれより、闘魔祭優勝者への授与式を執り行う! 壇上と褒賞の用意を!」

 

「ナガレ選手。それでは治療室まで……」

 

「あ、はい……メリーさん」

 

「うん。私メリーさん。ちゃんと支えてあげるの」

 

「ん。ありがとうね」

 

 

 優勝者への授与式。

 つまりはエルディスト・ラ・ディーの悲願である精霊樹の雫の贈呈が行われるってことだ。

 それなら確かに負けた俺がいつまでも此処に残る訳にもいかない。

 ルーイック陛下の宣言と同時に集まり出した係員達、その内の一人に促されて、メリーさんと一緒にこの場を去ろうとよろめきながらも足を動かした。

 

 

「……」

 

 

 ただ、その去る際で。

 ルーイック陛下が居たであろう特別な観覧席から顔を覗かせたヴィジスタ宰相が。

 ひどく安堵したように肩を落とす姿が、やけに印象に残った。

 

 

 

────

──

 

【さすらえよメメント・モリ】

 

──

────

 

 

 

 日向あれば陰。

 栄光を浴びる者居れば、こうしてベッドの上でひっそりと授与式の盛り上がりに耳を傾ける者も居る。

 まぁ、あくまで喩えの話で別段、現状に憂いてる訳とかじゃない。

 憂うよりも、むしろ懐かしんでる。

 

 

「ぐぅっ……ってて」

 

 

 治療の為に巻かれた包帯代わりの布に包まれた右腕を見下ろす。

 右目は腫れた痕と布とで塞がれてるから、左目だけが自由な不自由。

 上体を起こせばバッキバキになったアバラから鈍痛が響いた。

 

 ここで風鈴がチリンとでも鳴れば、いつぞやの馬鹿な末路をそっくりそのままなぞれただろうに。

 懲りないノスタルジーを、開かれた扉と、風鈴代わりの冷涼な声が途切らせてくれた。

 

 

「……凄い顔ね」

 

「ちょっ、開口一番がそれ?」

 

「事実だもの。仕方ないわ」

 

「怪我人相手になんて冷たい」

 

「なんとでも」

 

 

 此方の顔を見るやいなや、呆れたような溜め息は傷付く。

 まぁ、実際あれだけ馬鹿で無茶な真似したから呆れられるのは仕方ないけども。

 

 

「……」

 

「なに?」

 

「凄い顔ね」

 

「わざわざもっかい言う必要ある!?」

 

 

 見れた顔じゃないという口振りな癖に、何故かセリアからの視線が逸らされない。

 笑いたきゃ笑えばいいとそっぽを向いてはみるけど、どうにもそういう訳じゃないのか。

 

 深い青の眼差しに、ただジッと見つめられる。

 流石に落ち着かなくなって、逃げるように見回せばふと、足りない面子に気が付いた。

 

 

「あれ、お嬢達は」

 

「少し席を外して貰っているわ」

 

「そ、か……いや、あんな格好の付け方しといて負けたもんだから、てっきりお叱りの言葉でも投げつけられるんじゃないかって」

 

「……負けたからって、彼女は責めるような事はしないわ」

 

「……そだな」

 

「えぇ」

 

 

 たちまち喧騒へと空気を変えるあの主従がここに居ないのは、セリアが願い出たと聞いて、少し言葉に詰まる。

 なんというか、セリアらしくない。

 主張するよりも受け身な人だし。

 そんな彼女が、意図して二人だけの状況を申し出たってことは。

 いつもの戯れ言に逃げるのはダメ、って事なんだろうか。

 

 

 

「満足は、出来た?」

 

 

 手近な椅子ではなく、セリアはするりとベッドに腰かける。

 合わさった目線の高さ。

 手癖で掻き分けた青銀の髪から、涼しい花の香りがした。

 

 

「……あんだけ暴れたんだ。満足出来なきゃ嘘でしょ?」

 

「さぁ、どうかしら。貴方、我慢を隠そうとするのは得意みたいだから」

 

「……当て付けのつもりはない、ってのは」

 

「分かってるわ。当て付けても構わないのだけれど」

 

「そんなダサい真似しないって」

 

「……そうね。貴方はそういう人だもの」

 

 

 俺が葛藤を抱えたのも、隠したのも、押し殺したのも、全部俺自身だ。

 負けられないというプレッシャーは、セリアの責任じゃあない。

 試合の度に無茶をするなと心を配った彼女に、恥知らずな責任転嫁なんてするはずなんてないのに。

 

 透明な責任まで背負ってしまっていた目の前の女は、自嘲混じりに目を伏せて。

 

 

「知らない事の方が多いのに。不思議ね」

 

 

 まんざらでもなさそうに、微笑を浮かべてくれたもんだから。

 なんとなく罰が悪くなって、そう不思議でもないだろと切り捨てていた。

 

 

「お互い様、だからでしょ」

 

「どこがかしら」

 

「強がりたがりな所」

 

「────、……ふふふ、そう。貴方の言うとおりなのかも。似てるのかしらね」

 

 

 強がりたがり。

 自分の言葉だけれど、すとんと腑に落ちた気がする。

 お互い、無垢でいられる年でもないのに子供染みててどうしようもない。

 

 それならしょうがないとでも、似た者同士目を伏せて笑ってる辺り。

 本当に、どうしようもないよな。

 

 

「……ほんとうに、凄い顔ね」

 

「おいおい、三度目は流石にナシでしょ」

 

「事実だもの」

 

「あーもう。だったらそんなマジマジと見なきゃ良いだろ!」

 

 

 照れ隠しか、或いは気を紛らわせる為か。

 話題転換の指摘も三度目ともなれば、勘弁を願いたくもなる。

 会話の緩衝材としてなら、せめて言うだけにして欲しかった。

 好きで見苦しくなった訳じゃないんだし、腫れてボロボロな顔を見つめられても困る。

 

 幾つもの感情を深い青に溶かしたような、優しい眼差しだと──余計に困るから。

 だから思春期に入りたての子供みたいにプイとそっぽを向いてしまったのも、仕方ないだろ。

 

 

 煙草があれば、こんな時にでも吸うのかも知れない。

 

 気恥ずかしさとも、気まずさとも違う浮わついた空気の間を埋めるには、適度にスマートで、丁度良いんだろうかなと。

 そんな風に、埒のつかない誤魔化しを胸中に零していたからか。

 反応が、遅れた。

 

 

「そうね。じゃあ、隠させて貰うわね」

 

「?─────んぇっ」

 

 

 脈絡のない台詞の意図を探る間もなく、ぐいっと景色が傾いて。

 気づいたら、視界が塞がっていた。

 硬い感触と、鼻腔に届く清廉な香り。

 

 抱き締められて、いる。

 セリアに。

 

 

「せ、セリア。いきなり、なにしてんの」

 

「……」

 

 

 口数が少ない方なのは知ってる。

 けれども投げた問い掛けに沈黙で返さない律儀さも知っていただけに、余計に混乱が渦巻いた。

 細くしなやかな腕が、背に回ってる。

 強くはないから息苦しくはない。でも離す気配も感じられない。 

 

 

 求めるようではなく、ふわりと受け止めるような抱き締め方をされると。

 性懲りもない心が、元の世界での思い出に手を伸ばそうとしてしまうのに。

 

 なんで、そんな。

 そういうタイプじゃなかったじゃん、あんた。

 

 

「セリアに……慰められる覚え、ないけど」 

 

「……貴方にとって、慰めとしか知らないのね」

 

「っ」

 

 

 ズキンと、痛みが刺す。

 当たり前の捉え方をやんわりと否定されて、言葉が詰まった。

 けれど、良いのよ別にと言いたげに髪を撫でる彼女の吐息が、ささやかな温度を運んで来るから。

 

 

「女々しいだろ」

 

「……」

 

「結局、未練たっぷりだった訳。なのに平気な顔しようとするから、ボロが出てさ」

 

「えぇ」

 

「啖呵切っといて、こんなザマ……、──」

 

「いいのよ」

 

 

 こんなことならいっそ『死にたくなかった』とでも、泣いてりゃ良かったのに。

 吐露したのは、弱くも本音。

 女々しい男の泣き言を、形になる前に掬う細腕が、背中越しに力を込めた。

 

 

「貴方は生きていく。今までと、何もかもが違っても。もう一度歩き始めるのに必要だったことなのよ、きっと」

 

「……」

 

「だから、ナガレ」

 

「…………」

 

「頑張ってくれて、ありがとう」

 

「────」

 

 

 掌が、シーツを掴んだ。強く。

 腕を華奢な背中に回そうとする衝動を、堪える。

 きっと、すがるだけになってしまうから。

 

 

 

 

「どう、いたしまして……」

 

 

 

 

 なけなしの意地が張った最後の見栄を、彼女は静かに聞き届けて。

 前髪越しに額に触れたセリアの口元が、微かに笑んだ気がした。

 

 

 

 

 

 

「どうせだったら、鎧、脱いでくれてりゃ良かったのに」

 

「それはお断りよ」

 

「結構痛いんだけど」

 

「無茶した罰も、兼ねてるもの」

 

「……さいですか」

 

 

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を。だからね、ナガレ。

 無茶を叱るのも、お礼を言うのも……全部終わってからにするわ』

 

 

 

 そして、そんなお互いの約束は律儀に果たされて。

 

 微笑ましい地獄と紙一重の天国を揺りかごにされた俺は、安心したように目を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 預けた背を、そっと離す。

 はしたない行為だと指摘されるまでもない。

 承知の上で、それでも望んだ行動の末を憂うような溜め息が落ちた。

 

 

「入られないのですかな?」

 

「……そこまで無粋じゃありませんわよ」

 

 

 澄ませた耳に風が運んだのは、必死に闘い抜いた青年の弱さ。

 気付いていない、訳ではなかったのに。

 

 

 けれども自分は彼の強さに己を見出だし、共に勝利するのだと奮起を促して。

 蒼き騎士は彼の弱さを見つめて、それでも良いのだと受け止めていた。

 

 

「アムソン」

 

「はっ」

 

 

 きっと比べるものでもないはずなのに。

 

 

『カッコ良かったよ、お嬢』

 

 

 彼がくれた言葉が、溢れて。

 胸の奥がどうしても、痛い。

 

 

 

「どこか、静かな場所に」

 

「……畏まりました、お嬢様」

 

 

 主の望みを汲み取るのも執事の仕事。

 既にセントハイムの地理を頭に入れ込んだアムソンが、先導を務めようと主の前に立つ。

 ピンと伸びた背筋は動かず、諭すようだったから。

 

 

「……」

 

 

 配慮に甘えた若き主は、ゆっくりスカートを翻して。

 

 厚い扉の向こうへと、小さく唇を動かす。

 

 

 

「──ご機嫌よう」

 

 

 

 

 投げた口付けは、届かなくとも。

 

 自分だって此処に居ると、囁くように、示すように。

 

 それが────彼女の強がりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Ever Tale

「────と、そんな風にして闘魔祭という舞台には幕が降りた訳だ」

 

 

 パタンと綴じた本の表紙を、撫で付ける手つきは穏やかだった。

 

 僅かな反響を生む室内の造りは、図書館の様相でありながらどこか無機質さを感じさせる。

 ページに栞を挟むささやかですら耳を澄まさずとも届く、無音の空間。

 

 コツコツと鳴る革靴が歩むのは、チェスの盤面に等しいデザインのアクリル床。

 淀みない足取りがやがてピタリと止まった先は、アンティークの長机。

 

 

「さて、まずは起承転結のひとつと言ったところだが」

 

 

 手に持った本を几帳面に片付いたテーブルの上へとおいた『彼』は、もっともらしく眼鏡の中心をカチャリと整える。

 長く伸びた紫の髪に、エルフのように尖った長耳。

 

 かつてここで言葉を交わした変わり者は居らず、人影はただ一人。

 彼の名は、テラー。

 細波 流に神と名乗り、彼を異世界へと送り、奇譚書を託した存在だ。

 

 

「ここは語り手として、感想を尋ねてみるべきなのかな?」

 

 

 堂に入った独り言でも神たる身ならば似合いそうなものではあるが、ここに居るのは数えた影の数通りではない。

 

 

『────』

 

 

 語り手が感想を促したのは、長机の奥に鎮座した物体。

 土星の輪のようなリングを周囲に巡らせた、玉虫の羽色に染まった大きな地球儀だった。

 

 

「そう、感想さ。抱いた感嘆、憂慮、疑問……ひとつくらいはあるのではないかな?」

 

『──』

 

 

 人一人が容易に収まるその球体が、さながらテラーの問いに応えるように、淡く発光を繰り返す。

 

 だが、その現象は比喩ではない。

 球体が緑光に瞬く度に目を凝らせば、浮かび上がる影が見えるだろう。

 長い髪に、細身の身体。

 一糸纏わぬままに膝を抱え、胎児のように眠る一人の女性の影が────そこにはあった。

 

 

「ふむ、どうにも不服そうだね。彼の行動が、というよりは彼の理由がどうしても掴みかねる、といった所かな?」

 

『────、──』

 

 

 テラーの促しに、球体の女性が選んだ回答は、疑問だった。

 細波 流という若き青年の物語を、さながら現代の義務教育たる国語のように読み解き、俯瞰する二つの影。

 そこに、一体どれだけの意義と必要性があるのか。

 それはまだ、彼らにしか分からないこと。

 

 

「『何故、彼はあんな馬鹿な真似をする必要があったのか』……そこが解せないと。まぁ、利口であればあるほど腑に落ちない事もあるだろう。だが、その問いは根本からしてズレているな」

 

『────?』

 

「そもそも、"必要"などないのさ。決勝のアレは、彼にとっての為すべき事、ではない。単にやりたいと感じたからやったまで……馬鹿な真似とは得てしてそういうものなのだよ」

 

『────』

 

 

 球体の女性の疑問に対し、テラーはいよいよ教師の様にコツコツと足音を響かせ、教鞭を振るう。

 決勝においての彼の行動には、整合性などない。

 問題を解くための公式自体を間違えているのだと、語り手は静かな笑みを零した。

 

 

「フフフ。男の意地。矜持。開き直り。新しきを生きるとして彼が選んだものは、おおよそロジカルとは言いがたい。だが、理屈に従って生きる人間は意外と少ないものだ。もっと原始的な感情で動くということを……君も識っているだろう?」

 

『──────』

 

「だからそう気落ちする事はないさ。間違いや過ちなど、人でも神でもするものさ。それに……彼の真意に辿り着くには、まだ語っていない"過去"があるからね。問いかける者としては少々、意地が悪かったかな」

 

『────!』

 

「これも語り手の特権さ。そう責めてくれるなよ」

 

 

 不服を訴えかけるみたく強く明滅する球体に、薄い悪びれを示しつつ、テラーは眼鏡を掛け直した。

 

 

 

 

「とても、単純な話だ──【クーリエ】。

 

"創愛の女神"たる君の本領とも言えるかもしれないね。

 

確かに彼は色々と理由付けをしていたし、そのいずれもが本当だ。しかし、もっと奥の根本。その実は、案外シンプルだったのだよ」

 

 

『──』

 

 

 語るのは、ささやかな種明かし。

 いつかのかつて。

 夜の間際。底深き沼のすぐそばで交わされた静かな告白。

 

 

「惚れた女に……『そんな馬鹿なお前が好きだ』と言われたから。

 彼は、今でもそれを貫いているってだけの話だよ。

 かつての────今では異なる空の下、だとしてもね」

 

『──────』

 

 

 世界を動かすほどの大それた誓いじゃない。

 叙情詩にあるような神聖なやり取りでもない。

 傷を抱えた男女の、慰め合いと言えばそうだろう。

 

 でもそれもまた、細波 流が無茶をするに足る理由だったのだ。

 

 

「愛なのか、恋なのか。それともそれ以外なのか。定かではなく曖昧だとしても、大事なモノなんだよ。細波 流にとってはね」

 

 

 異なる空でも。異なる世界でも。

 もう会うことはない、としても。

 

 

「実に複雑怪奇な……『人間らしい』と、そう思わないかい?」

 

『────』

 

 

 それが流れ続けていた者の、未だ留まり続ける意志なのだと。

 

 語り部は人間臭く、静かに笑いかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて。それでは余韻収まらぬ間に、続きと行こう」

 

 

 

 

 

 斯くして、ひとつの幕が降りる。

 

 けれどもあくまで一区切り。

 

 

 

 

 

『テレイザ様、斥候より報告です!

 魔王軍に、動きあり!』

 

『……雌伏は終わり、ですか』

 

 

 

 息を潜めた動乱も。

 

 

 

『……つまらぬ茶番よな、奇術使いよ。しかして、賢しさを捨てるというのなら、それはそれ。余の駒とする価値は充分よ』

 

 

 

 影を引く思惑も。

 

 

 

『さあて、サザナミナガレとやら。どんな面なんじゃろうのう』

 

 

 

 新たなる接触も。

 

 

 

『……ナガレ』

 

 

 

 交わされた約束もまたいずれ。

 

 

 

 

 

 

 物語はまだ一区切り。

 

 

 

 

────さぁ、細波 流。君の物語を綴ると良い。【ワールドホリック】に幸運を。

 

 

 

 

 

 席を立たれぬようお願いしたい。

 

 

 

 

 

────行き場を失った物語に、エピローグを。

 

 

 

 

 

 

 題目はまだ、続くのだから。

 

 

 

 

 

────約束みたいなモノだよ。

 

    君と、"彼女"のね。────

 

 

 

 

 

 

 

 

Holic.3 【Crystal Summoner】 ─ Curtain call.

 



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登場人物ファイル PAGE3

【No.001】

 

 細波 流

 

 

《追記》

 過去とは長く尾を引くもの。

 複雑で過酷な経緯の末に両親を無くした彼は、父方の祖父母の支え、そしてその後に出会った友人達によって多くを埋めた。

 しかし、与えてくれたかけがえのない人達とは、もう逢えない。喪失感は、ついに追い付いた。

 

 だから彼は選んだのだ。

 零にはしない為に、もう一度、一から始める為の戦いを。

 かつて多くを与えてくれた、異なる空の下の大切に。

 この世界で縁を結んだ、この空の下の仲間達に。

 

細波 流(ストーリーテラー)』を、かく語りき。

 

 

 

【No.002】

 

 

 セリア

 

 

《追記》

 

 

 無鉄砲で、無茶で無謀で。

 それでも為すべきを為し、やるべきをやった彼を受け止め、叱る。

 それは初めてレジェンディアで彼と出逢った彼女だからこそ、選べれた選択だったのかも知れない。

 

 

 

【No.003】

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバー

 

 

《追記》

 

 辺境伯爵であり領民に慕われていた父、レイバー。

 エシュティナ国内でも優秀と謳われたエルフである母、アレーヌ。

 そして使用人として働き、落ちこぼれな自分をよく慰めてくれたエトエナの母親である、サミュリ。

 ナナルゥもまた、多くを喪った過去を持っていた。

 それ故に臆病風に吹かれる事も多くなった。 

 しかしそれをエトエナに突き付けられ、更には自らを守護せんと目の前に現れたナインの姿に、彼女は示すべき誇りを思い出した。

 

 故にこそ、彼女は貪欲に、もっと多くを欲しがるかも知れない。

 為すべき事を為すための力。未熟を振り切る覚悟。

 そして、己が心に火を灯す、あの小憎たらしい男のことも。

 

 

 

【No.004】

 

 アムソン

 

 

《追記》

 

 

 彼の立ち位置は変わらず、見守る者。

 しかしその慧眼は、実に深きを見据えている。

 マルスの槍と盾がレアメタルで加工された特殊なモノであると見抜いた時も。

 トトの糸が魔力で編まれたものだといち早く気付いた時も。

 

 それは果たして、彼が優れた戦術眼を持つ証なのか。

 それとも、まだ語られぬ老執事の過去にまつわるものなのか。

 

 

 

 

 

以下、Holic 3にて登場した人物

 

 

 

【No.020】

 

 

グローゼム・アルバリース

 

 

 大貴族アルバリース家現当主

 身長187cm 年齢53歳

 

 

 逆立ち短い金髪と、視線が合うだけで相手を萎縮させるような眼力。豪奢なガウンコートを纏うその姿は、高い背丈と体格のみならぬ傑出した風格を放つ。

 大貴族であり現当主、セントハイムにその人ありと謳われる正真正銘の傑物。

 

 様々な策謀を働かせ暗躍しているようで、三大国ベルゴレッドと秘密裏に取引を交わし、奇妙な術を使うナガレに対しても直接的な接触はなくとも、慎重かつ大胆な動きを見せる。

 実の息子であるロートンに対しても冷厳な見方をするこの男の目に、果たしてナガレはどう映ったのか。

 

 

【No.021】

 

 

エルザ・ウィンターコール

 

 

 ヤクト・ウィンターコールの妹

 身長141cm 年齢16歳

 

 

 癖のない白髪を左右の根元で括ったツインテールと、非常に小柄な身体付きである為、非常に幼く見える外見。

 脚と目が不自由である為に常に車椅子を必要としている彼女は、エルディスト・ラ・ディーの首領であるエースの妹である。

 彼女が障害を抱えている理由は、『虚色症』と呼ばれる身体の神経気管が徐々に衰弱してしまう難病を患っているため。髪色は元々兄と同じ黒だったが、虚色症の影響により白髪となってしまっている。

 

 それでもひたむきで明るく他人想いな性格な娘で、周囲から愛される存在。

 あのキングですらエルザ相手には少し丸くなるとは、同じ幹部達の言である。

 

 

 

 

 

【No.022】

 

 

細波 一聖

 

 

 ナガレの祖父。

 自殺した息子の死後、一人脱け殻のようになっていたナガレを引き取り、ずっと面倒を見ていた。

 元は漁師で、現在は萩山区の隣の区域に位置する、『深蘭』という港町の漁業組合員を務めている。

 言葉は荒っぽく細かい事を気にしない男らしい男ではあるが、反して思慮深い一面もあり、ナガレの心を常に気遣っていた。

 現在の細波 流を形成する要因として、間違いなく大きな存在であるといえる。

 

 

 

【No.023】

 

 

細波 湊

 

 

 ナガレの祖母。

 一聖の妻であり、彼と同じくナガレを引き取り陰に日向に面倒を見ていた。

 心穏やかで淑々とした物腰で、一聖の言い付けで家事を手伝うナガレを暖かく見守っていた。

 実は一聖と結ばれる前は歌手だった経緯を持ち、現役時代には当時出したベストアルバムが30万枚も売り上げるほど。

 現役にはテレビにも出ていたので『深蘭』ではかなり有名人である。

 しかしその活躍の最中に喉頭がんを患ってしまい、手術により声帯を摘出。現在では補声器を使って会話をしている。

 

 



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都市伝説ファイル PAGE3

No.007

 

 

【上杉謙信】

 

 

・再現性『A』

 

・親和性『C』

 

・浸透性『C』

 

 

保有技能

 

【─未提示─】

 

【─未提示─】

 

 

─────

 

 

 戦国大名、上杉謙信が女性であるという都市伝説から再現された人物。

 

 純然たる近接戦闘においては恐らく現状最高峰の実力を持つ都市伝説。

 セナトと同等のスピード、恐ろしいほど剣捌きなど、浸透性のランクを感じさせないポテンシャルを持つ。

 その外見は、厳粛な雰囲気こそ放つが、凛々しくも儚い美しい少女である。

 

 他の都市伝説と比べてナガレに対し一歩線を引いている節があり、それは彼女が実在の人物に纏わる都市伝説という側面があるからだと、ナガレは推測している。

 

 

 なお女性説の根拠は、本編で触れたゴンザレス報告書や生涯独身、月一度の体調不良などの事項以外にもあり、その内のひとつが死因。

 

 松平忠明が記したとされる『当代記』に、彼の死因は『大虫』だったと記載されており、ある古語辞典によると、大虫は味噌の女言葉。

 味噌は赤味噌を指し、月経(生理的出血)の隠語とされている。

 上記の理由からの女性説もあるが、実際の死因は本文中で述べた酒や塩分の過剰摂取による高血圧が祟り、脳出血を引き起こしたことによるものが有力視されている。

 

 

 実際に再現された上杉謙信も、歴史上で語られる傑物を彷彿とさせる風格を持つ。

 また彼女自身、自らが女性説を根幹としながらも『上杉謙信』として立ち振る舞う事を意図しているらしく、ナガレを主と呼ぶことは出来ないと告げ、また彼にかつて元服を迎える際に名乗った『長尾景虎』という名で呼ぶことを願った。

 だが非協力的という訳ではなく、ナガレに再現された以上は彼の剣として闘うことを決めている。

 

 ちなみに女性説として再現されたのが原因か、彼女は甘いモノに弱かったりするし、女性としての自意識はしっかりと持ち合わせているらしい。

 

 

 

 

 

《情報更新》

 

 

 

No.004

 

 

 

【カマイタチ/鎌鼬】

 

 

 

・再現性『B+α』

 

 

・親和性『A』→『A+』

 

 

・浸透性『B+α』

 

 

 

 

 

保有技能

 

 

 

・【一尾ノ風陣】

 

 

真空の刃を発生させ、放つ事が可能

 

 

・【二尾ノ太刀】

 

 

自分の身体を鎌に変える事が可能

 

 

 

・【三尾ノ治癒】

 

 

切り傷を治療することが可能。加えて、存在自体にセラピーの効果あり。

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 【二尾ノ太刀】について。

 

 

 基本的には尻尾を鎌にしているが、全身そのものを一振りの大きな鎌に変身させる事も出来る。

 尚、その状態でも他の保有技能を発動させる事も可能。

 

 

 

 【三尾ノ治癒】について。

 

 

 切り傷、及び裂傷を治癒する事が出来る能力。

 

 ナインの尻尾で傷口に触れ、傷口をゼリー状の翠色光の膜で覆い、回復する。

 

 また、ナインそのものにヒーリングの効果があり、ナインの鳴き声が鼬の「キーキー」「クククク」というものよりも、イルカの鳴き声に類似しているのはその影響と思われる。

 

 

 

 

 

 



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Tales 101【予兆】

 すっきりと吹いた大きな風が、伸び始めた若草をざわざわと奏でた。

 

 命が色めくエメラルドの草原。

 握った手綱に繋ぐ駿馬の黒い目が、風に千切れた草の穂先をゆらりと追いかける。

 ぶるる、という馬の嘶きが溶けるような平穏。

 けれどもそんなものは仮初めに過ぎないことを、男は理解していた。

 

 

「……」

 

 

 高い空はどこまでも突き抜けそうな蒼穹で、何もかもを置いていくように伸びている。

 

 高く、そして、遠い。

 見上げるだけ一層、置き去りにされた実感が首を締めるような。

 そんな青臭い感傷を、年を取ったなと言い訳を重ねる自分が馬鹿馬鹿しいとさえ男は思った。

 

 

「ラグルフ隊長! 斥候隊より報告です!」

 

「おう」

 

「ラスタリア方面にて、魔王軍の第一陣と思わしき群影あり! か、数も規模も、これまでの牽制とは桁違いとのこと! 恐らく……」

 

「ふん、ようやくってとこか」

 

 

 危機感に顔色を変えた伝令の言葉に、ラグルフは己が愛剣を肩に担ぎ、鼻を鳴らす。

 その厳めしい面構えに、焦りはなかった。

 平穏など所詮、嵐の前の静けさに過ぎない。

 今更慌てずとも、当に腹は括っている。

 

 小競り合いとて国命を賭けた死闘とて、戦場であればやるべきことは変わらない。

 

 

(間に合わなかったか、セリアめ。また死に損なっちまうみてぇだな。ククク、悪運の強さは兄貴譲りらしい)

 

 

 やることは、今も昔も変わらない。

 荒くれた戦士としても、一軍を預かる長としても。

 

 大柄の彼の後方には、国の命運に挑むラスタリアの兵士達がずらりと列を作っている。

 だがその巨躯の隣には、並び立つ"かつての友"の姿はどこにもなくて。

 ただそれだけで、何もかもが変わってしまったのだと肩を叩く実感に、その女々しさに、ラグルフは唾を噛んだ。

 

 

(……置いていくなら、勝手にしやがれよ。どいつもこいつも)

 

 

 噛み締めた歯の奥から零れた苦汁を、聞き拾う隣はもう居ない。

 

 

「ハッ、いよいよ準備万端ってか」

 

 

 鬱蒼と広がる樹木のひとつが、遠目にもぐらりと傾いた。

 地平の先に蠢くは、さながら人を引き潰さんと広がる魔の群れ。

 斥候の更なる報告を待たずとも知らしめる脅威の帯に、されどラグルフは獰猛に歯を剥いた。

 

 

「──かかって来いよ、化け物共!」

 

 

 怯える時でさえ優雅に羽ばたく鳥の群れが、戦士たちの頭上を飛び越えていく。

 

 

 闘争の時が迫っていた。  

 

 

 

 

 

────

──

 

【予兆】

 

──

────

 

 

 

「嘆かわしいことですわ、ナガレ。得難い貴重な機会を手離すことがどれほどの愚かであるか、貴方は分かってますの?」

 

「いや、ある意味貴重な機会だろうけどさ」

 

「なら、さっさとなさい。わたくしにいつまではしたないままで居させますのよ……」

 

「お嬢が勝手にやってる事でしょーに」

 

「ええい口答えするんじゃありませんの! 据え膳(すえぜん)食わねば男の恥ですわよ、パパッと召し上がりなさいな!」

 

(えー……てか据え膳って……)

 

 

 拒み続けて早三分。

 

 白い頬を真っ赤に染めプルプル震えながらこっちを睨むお嬢はどう見ても、恥ずかしいなら止めときゃ良いのにって指摘さえ取り合ってくれそうにない。

 

 しかも『据え膳食わねば男の恥』って。

 こっちにもその言葉あんのとか、なんか別の意味に

聞こえるとか、言いたいことはぽんぽん湧くけれども。

 

 

「さぁ、行きますわよ。覚悟を決めなさい!」

 

「……好きにしなよもう」

 

 

 なぜか意固地になってるお嬢相手じゃ、もう何言ったって馬耳東風。

 粘った三分間に追悼を捧げながら、俺は致し方なく白旗を上げる事にして。

 

 

「はい、あーん」

 

「……むぁー」

 

 

 据え膳ならぬ差し膳を、ぱくっと一口で召し上がることにした。

 うん、冷めてても美味しいスープは作った人の腕がある証っすね、ハハハ。

 

 

「あぁもう、おかげで腕が疲れましたわ。ナガレが変な意地を張るからですわよ!」

 

「いやだから、朝食くらい一人で食えるって言ったじゃん」

 

「昨晩はメリーの手を借りてたじゃありませんの」

 

「あー……昨日は動かすと痛くてキツかったんだって。それにメリーさんもお嬢と同じく割と無理矢理だったし」

 

「む。ですが今朝になってもまだ若干痺れ自体が残っているんでしょう、アムソンから聞いてますのよ? そんな腕で食事をしようものならみっともない作法になるのは必至。ですから致し方なく、このわたくしの手を貸して差し上げると、そう申してますでしょうに!」

 

「えー」

 

「だからぁっ、なんでそんなに不満そうなんですの! このわたくしの奉仕を受けられるとは即ち、最上級の褒美といっても過言ではありませんのよ!? そこんとこ分かってますの!?」

 

「お、美味い。蒸した魚の身は朝の胃にも優しいな、料理人グッジョブ」

 

「無視すんな!ですわ!」

 

 

 むきぃーっと最早お馴染みな憤怒を示すお嬢の怒りを確信犯でおちょくれば、握ったフォークを強引に奪われてしまった。

 クイーンの治療のおかげで今では少し痺れる程度には回復したとはいえ、流石にまだ本調子には戻ってないらしい。

 

 しかし、最上級の褒美ってのは過言だけど、得難い貴重な機会であるのは、まぁその通りなんだろう。

 

 

「全く、少しはわたくしという存在のありがたみを噛み締めたらどうですの。いっつもいっつもわたくしをおちょくって」

 

 

 頬を膨らませながらも魚の身を刺したフォークを向けるお嬢は、これでもれっきとした貴族の令嬢である。

 だから本来こんな風に俺の世話を焼くなんて真似、すべきじゃないはずなんだけども。

 

 はしたないですぞと嗜めるべきアムソンさんの姿は今ここになく、むしろ食事を運ぶなりささっと退室したし。

 つまりこの状況は……お嬢の意志って訳で。

 

 

「お嬢、なんかあった?」

 

「なんですの藪から棒に」

 

「藪から棒なのはお嬢でしょ、急に俺の面倒見ようとかさ。相談とかあんなら乗るけど」

 

「はぁ……失敬ですわね。別にそういう訳じゃありませんわよ」

 

 

 心境の変化ってやつか、はたまた別の理由か。

 勢い任せなとこあるお嬢だけに、これだろうって理由が見当たらない。

 一番可能性がありそうな線で窺ってみるものの、返ってきたのは呆れたような嘆息だった。

 

 でも。

 

 

「……ただ少し、頼られるべき時に頼られないというのは、中々に腹立たしいというだけですわ」

 

「え」

 

 

 どこか悔しさを滲ませながら皿に注がれたスープの水面を見つめるお嬢の横顔が、少し大人びて映って。

 

 

「よ、余計な事を気にする暇があるのなら早く召し上がりなさいな! それとも強引に詰め込まれる方が良くって?!」

 

「わ、ちょ、分かったから!」

 

「いーえ、貴方は色々と分かってませんもの! 分からず屋には身体に叩き込むまで、それがグリーンセプテンバー式ですわ!」

 

「もがっ!?」

 

 

 けどそれも一瞬。

 まばたきを二回も挟めば、大人びたお嬢の姿なんてまるで白昼夢の如く。

 ポカンと開いた俺の口へフォークを突き出す、マナーもへったくれも感じさせない、いつものお嬢の姿があった。

 

 

 

◆◇

 

 

 

 闘魔祭を終えた次の日のセントハイムは、人通りが少ない。

 虹の屋根で彩り並ぶ家屋から顔を出す婦人達はどれも呆れ顔で、昨夜の男共の賑わいぶりを物語っていた。

 

 

「セリア様、お手を煩わせてしまい申し訳ありませぬ」

 

「いいのよ、買い出しくらい。といっても紅茶の目利きに自信はないし、あくまで専門店を知っている程度だから、荷物持ちぐらいしか役に立てないと思うけれど」

 

「荷物持ちなどと滅相もない。セリア様のような見目麗しい方と並び歩けるだけで、このアムソンには身に余る光栄でございます」

 

「……なら、貴方は常に恵まれた執事、という事になるわね」

 

「ほっほ。お嬢様が見目のみならず内面ももう少し磨いてくださるのであれば、セリア様の仰る通りとなりますな」

 

「主人に厳しい従者ね」

 

 

 熱狂の爪痕を残す街並みとは裏腹に着崩れひとつない騎士と執事は、他愛のないやり取りを交えながら足取りを淀みなく。

 その足先が向かうのは、紅茶の専門店である。

 収納魔法で蓄えていた茶葉のストックを補充しておきたいというアムソンの申し出を、セリアが引き受けたという顛末だ。

 

 

「お嬢様に機会をお譲り下さり、ありがとうございます」

 

「そういうつもりで手伝いを引き受けた訳じゃないけれど」

 

「左様にございますか。このアムソン、ナガレ様の部屋の前でセリア様と鉢合わせたものですから、少々勘違いをしていたようですな」

 

「……察しが良すぎるのも考えものね」

 

「畏れ入ります」

 

 

 しかし、本来ならこの優秀な執事に案内役など不要であろう。

 だからこそアムソンの申し出に、ナガレの世話役をナナルゥに譲って欲しいと意図するものだと、セリアも気付いていた。

 

 気付いた上で、応じたのだ。

 きっとそちらの方が"収まりが良い"と思ったから。

 

 

「……申し出た身で老婆心を働かせるのは、些かナンセンスかと思いますが」

 

「……?」

 

「我欲を殺すに長けた人ほど、時に素直に、ワガママになる事を許されるというものかと存じますが」

 

「そういう女性が、貴方の趣味かしら」

 

「ほっほ。男とは古来より、得てしてそういう可愛げに弱い生き物にございますよ」

 

 

 そんなセリアの意図を朧気ながらも汲んだアムソンの助言は、果たして目の前を行く蒼き騎士にどう届いたのか。

 

 コツコツと歩むブーツが、一瞬止まる。

 まるで後ろ髪を引かれたような空白は、まばたきを二回も許さぬ刹那しか生まず。

 

 

「……今更ね、きっと」

 

 

 振り返らない紺碧髪のシニヨンは、些細な風に揺れることもなく。

 

 

 細い腰にぶら下がる剣の鞘が、ざわりと、甘い屑紙のように鳴いていた。

 

 

 



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