ぼっち整備士都築くんと小悪魔処女の大井さん (冬嵐)
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プロローグ

 

「私の専属整備士になってください」

 

 そう言って、綺麗な栗色の長髪をさらさらと靡かせながら目の前の美少女――大井さんは頭を下げた。

 

 今この場所が寂れた僻地の工廠場の片隅で、俺の姿が油と炭にまみれた姿でなければもう少し雰囲気は出たかもしれない。

 だが相手は俺で、周囲はすすけた塵が舞う灰色の空間。期待する方が間違いってものだ。

 

 そんな場所に何故か彼女は訪れた。周囲は人っ子一人いない。そんな場所で俺一人、寂れた艦娘用の砲塔を磨いていた矢先の出来事だ。

 

 しかし綺麗な所作だ。

 普段見慣れた俺の潰れたカエルのような土下座とはまるで違う、美しい佇まい。ちらりと見えるうなじがまた魅惑的で、耐性の無い不出来な俺の脳内は既に思考を諦めた。

 

 だからだろうか、俺は彼女の言っている言葉の意味が理解できなかった。

 

「……それはつまり、穏便にすませてやるから金だけ置いてとっとと失せやがれゴミクズ野郎って事だな?」

「全然違います。なんでそうなっちゃうんですかっ!」

 

 それでも残念なオツムを働かせて、意図するところを汲み取ろうとしてみたがどうやら違ったようだ。

 頬を膨らませながら両腕をぶんぶんと振る大井さんがとても可愛らしい。できればずっと眺めていたいけど、俺みたいのに見られても不快なだけだろうからここはぐっと我慢。

 

「えっと、大井さん、だよね? 呉鎮守府の」

「はい、あなたの大井です」

「いや、俺のではないよね?」

「そうなる予定ということです」

 

 満面の笑みで何を言っているんだろうこの人は。

 片や海軍一大防衛拠点、呉鎮守府のエースオブエース、片や僻地勤めの更に最底辺である量産型三等整備士。もはや比べる事自体が罪に問われそうな格差がある以上、流石の俺も勘違いする事はない。

 

 大井さんが俺を? いやいやないない。

 

 きっとからかわれているのだろう。そうでなければ一時的なストレス発散か。どちらにせよ本来ならば会話をする事すら無かったであろう関係だ。例え彼女の一時的な気まぐれだったとしても、俺は喜んで道化になろう。というかこんな美少女との会話なんてご褒美以外の何物でもない。

 

「ありがとう大井さん。今日の大井さんとの会話で俺は明日からも強く生きていける」

「今の会話の流れでどう帰結したらそんな感想になるんですか」

 

 不思議そうな表情の大井さん。しかし彼女は何も分かっていない。

 

「いいかい大井さん、君は美少女だ。そしてこんな俺にも話しかけてくれる聖母でもある。そんな美少女でもあり聖母でもある大井さんとの会話が明日を生きる糧にならないわけがないだろう?」

「わっ、分かりましたからっ……もうっ! 都築さんはもうっ!」

 

 俺の言葉に何を思ったのか大井さんは、片手で顔を覆い、もう一方の手でパタパタと扇ぎ始める。心なしか頬も赤みを帯びているような。そしてとても良い匂いがしそうだった。

 

 ――って、あれ?

 そこでふと、小さな違和感に気付く。

 

「俺、名前言ったっけ?」

 

 ポンコツすぎて正常に機能していない我が頭なので自信はないが、記憶している範囲では言った覚えがない。

 大井さん程の有名人なら初対面でも相手が名前を知っている事はあるだろうが、自己紹介をしても翌日には存在を忘れられている俺に限ってそれはない。

 

 例にももれず、大井さんとは俺が一方的に知っていただけで面識は無かった筈だし、ここに来る途中誰かに名前を聞いたのかもしれない――

 

 と、そこまで考えて、しかし大井さんの表情は予想外のものだった。

 

「やっぱり……覚えてないですよね」

「……え?」

 

 それは大切な何かを隠すような、それでいて何処か寂しそうな。

 

「大井、さん?」

「いえ、大丈夫です。なんでもないんです」

 

 しかし次の瞬間には大井さんの表情は元に戻っていて、俺もそれ以上何かを追及するのは止めておいた。ただ、さっきの大井さんの表情が少しだけ気になった。まるで既視感のような、以前何処かで見たような……?

 

「……そんなに胸ばっかり見られると困るんですけど」

「うわあ!? す、すいませんごめんなさい!」

 

 どうやら無意識の内に俺は大井さんの胸を直視してしまっていたようで、気が付くと大井さんがジト目でこちらを見ていた。そんな蔑むような視線も悪くない……なんて言ってる場合でもない。

 ここは誠心誠意、謝罪の心を見せなければなるまい。

 

「ほんっとすいませんこんなゴミクズが大井様の御身に視線を向けようだなんてかくなる上は自ら腹を切り自害する所存で……って、え?」

「…………」

 

 大井さん? 無言で俺の手を胸の前に持ってきて何を?

 

「……気になるなら、触ってみますか?」

「ン゛ン゛ン゛ッ!?」

 

 未だかつて出したことない声が出た。

 ちょっと上目遣いで恥じらいと共にその台詞はまるで小悪魔。

 絶対小悪魔だこの人!!

 

 慌てて手を引き抜き、すぐさま指の無事を確認する。俺みたいな邪気の塊が大井さんのような美少女に触れたらその場で浄化されそうだからな!

 

「お、大井さんいきなり何を!? っていうかこういうことは軽々しくやっちゃだめだ! 見ず知らずの男にこんな――」

「私は都築さんの事、たくさん知ってますよ」

「うぇ?」

 

 たくさん? たくさんとはいったいどういうことなのか。

 

「ずっと、ずーっと都築さんを見てきました。優しいところも努力家なところも、少しだけ人付き合いが苦手なところも――」

 

 大井さんの可愛らしい口から零れる数々の言葉に、しかし俺の脳は正しく反応してくれない。

 優しい? 努力家? 彼女は一体誰の話をしているのだろう。

 

「――ちょっとエッチなところも、自室のベッドの下の漫画本をダミーとしてその下に女子大生モノのイヤらしい本を隠している事も全部知ってます」

 

 否、俺の話だった。

 そしてとんでもない事まで漏れていた。

 

「な、なんで知って……!?」

「かざりさんに教えてもらいました」

「うごごごごご!」

 

 かざりとは俺の整備士仲間と言えばいいのか、まあ昔からの腐れ縁的な奴なのだが、大井さんと連絡を取り合う仲だったとは知らなかった。

 というか何を教えてくれてんだあの能天気ゴリラは。

 

「都築さん――都築八代さん」

 

 大井さんの凛とした声音で、俺の名が呼ばれる。

 

 誰かの瞳にここまで引き寄せられたのはいつぶりだっただろうか。

 そんな事をぼんやりと思う俺の前で大井さんは胸元で両手を握ったまま――

 

 ――真っ直ぐに爆弾を放りなげてきた。

 

 

 

「私は都築さんの事が好きです。だから私の専属整備士になってください」

 

 

 



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第1話 再開は突然に

「ちょっと八代、あんたいつまでそんなボケーっとした顔してんの?」

 

 大井さん襲来の翌日、工廠場で砲塔を磨いていた俺の頭上にそんな容赦ない言葉を浴びせる人物が一人。

 

 声の主は振り返らずとも分かる。このゴリラがバナナ片手にはしゃいだ時のようなハスキーボイスの持ち主は俺の知る限り一人しかいない。

 

 というかここ、第六海軍整備場でそもそも俺に話しかけて来る奴が一人しかいない。

 

「かざり、残念なように見えるかもしれないがこの顔は俺のデフォルトだ」

 

 見上げると、予想通りやつが立っていた。

 

 名を小金井かざり。短髪童顔の癖に出るところは出ている性格ゴリラな所謂幼馴染。中学卒業後、国の方針で整備士の適正がある事がお互いに分かって以来、ずるずると腐れ縁が続いている。

 

 階級は二等整備兵。俺とは同時期に入隊した同期のはずなのに気が付いたら上司になっていた。仕事してるとこ見た事ないけど。

 

 まあ口は悪いけど、こんな根暗でぼっちな俺にも話しかけてくれる良いゴリラだ。

 

 生物学上は一応女性らしいが、分類上はきっとゴリラだ。そして何故かいつも棒付きの飴を舐めている。ちょっとエロい。

 

「その残念で不細工で汚物な顔が輪を掛けてピカソみたいになってるって言ってんの」

「前半は概ね同意だが後半は聞き捨てならないな! 俺の顔にピカソほどの芸術性は全くない! 謝れ! ピカソに!」

「ごめん、モザイクが必要って加えるの忘れてた」

 

 本当に息を吸うように罵声を吐くなぁ、かざりは。

 

 別に事実だからいいんだけど。

 

「っていうか、俺そんなに上の空だった?」

「今朝八代の部屋行ったとき、目の前で勝手に冷蔵庫のアイス食べても気付かないくらいには」

「なんてこった」

 

 二重に驚きだ。自分でも気が付かないほどに昨日の出来事は俺の心に衝撃を与えていたらしい。そしてなんで勝手に食ってんだこいつは。

 

「それで、何があった?」

 

 俺の隣にどかっと腰を下ろすかざり。

 もしかしたら俺の話を聞くためにわざわざ来てくれたのか。

 やはり持つべきものは友達か、なんだかんだ言ってかざりも俺の事を心配してくれてるんだな!

 

「……話せば長くなるんだけど」

「じゃあ帰るわ」

「何しに来たんだお前は」

「長ったらしいのはいいから要点だけ、ほれさっさと」

 

 何処か釈然としないながらも、俺は昨日の出来事をかいつまんでかざりに説明した。

 

 途中『はあ?』とか『はんッ』とか正気を疑われたり鼻で笑われたりしたけど、いつもの事なので軽く流しておいた。

 

「なるほどねえ……」

「分かってくれたか?」

「……一応聞くけど、全部あんたのキモイ妄想ってオチは無い?」

「ない……とは思う、たぶん、うんきっと、50%くらいの確率で断言しよう」

「本当にアンタはバカだねえ」

 

 かざりが心底残念そうな表情で俺を見る。なんだかその視線にゾクゾクする自分がいるが、それは今はおいといて。

 仕方がないのだ。なんせ昨日の出来事は未だに当の本人である俺でさえ理解できていない代物。むしろアレは夢で、お前の汚らわしい妄想による悲しい産物なんだと言われた方がまだ納得できるぐらいである。

 

 だが、携帯のアドレス帳に入った大井さんの名前が妄想で終わらせることを許さない。

 

「そっか……大井さん、ついに八代に伝えたのか」

「ん? どういう事だ?」

「いーや、こっちの話。それで、アンタは何て答えたの?」

 

 ひらひらと手を振って飴を転がすかざり。

 まるでその先の答えは分かっているとでも言いたげに。

 

 だから俺も当たり前のように答えた。ごく自然にそうすることが世の理であるかの如く、昨日の大井さんに向けて伝えた意思と同じ意味の言葉を。

 

「それは勿論『ごめんなさい』って断ったさ。当たり前だろ?」

 

 だというのにおかしい。

 俺が答え終わるや否や、かざりの瞳からすんっと光が消えた。まるでゴミムシを見る目から汚物を見る様な目に変わるかの如く……アレ? あんま変わってないな。

 

 とにかくかざりから放たれるプレッシャーがヤバい。

 わからない。なぜかざりがこれほどまでに怒っているのかが。しかしそんな俺でもこれだけはわかる。

 

 命の危機だ、至急すみやかに正座しておこう。

 

「……一応聞いとくけど、理由は?」

 

「いや、だってアレだろ? どう考えても釣り合ってないって。美少女とフナムシなんて共通点が一つも見当たらない。俺と一緒にいても大井さんに迷惑が掛かるだけだ」

「まあ、あんたがフナムシだって事には全面的に同意する」

 

 同意しちゃうのか。

 自分で言っていてなんだけど、そこはフォローするところではないですかね? たまには優しくしてくれてもいいのよかざりさん?

 

「でも、迷惑云々の話は別でしょ。それはアンタが決める事じゃない。それとも大井さんがそんな周囲の目を気にしてアンタを突き放すような子に見えた?」

「大井さんを馬鹿にするな。大井さんはこんなフナムシにも人語で接してくれる菩薩のようなお方なんだぞ!」

「じゃあこうしてアンタの相談にのってやってるアタシは天使? それとも女神?」

「かざりはゴリラだからノーカン」

「妖精さんこの前メンテした機銃持ってきて。試し打ちしてみるから」

 

 その試し打ちの的はいったい何なのか、恐ろしすぎて聞くことはできなかった。

 かざりは大きく溜息を吐いた後、がりがりと頭を掻いた。禿げるぞ。

 

「結局さ、アンタ大井さんの事好きなの? 嫌いなの?」

「あんな優しくてちょっぴりエッチな小悪魔な人、嫌いなわけないだろ」

 

 ただ、それとこれとは話が別ってだけだ。

 なにより、遠い別々の場所に居る大井さんと俺にこれから先、新たな接点ができる事なんてほぼないのだ。

 

 だからこの話はもうこれでお終いだ。

 この甘酸っぱくもほろ苦い記憶はこのまま墓の下まで持っていく事で完全に無かった事になる。

 

 

 ――そう、思っていたのだけど。

 

 

「ま、あんたにその気が少しでもある事がわかっただけでも今はいいか。それにあの子がこのまま諦めるとは思えないし」

「? 何の話だ」

「はいこれ」

「なんだこれ? 書類?」

 

 かざりから無造作にぽいっと手渡された茶封筒。

 それを開ける前に、かざりはすたすたと出口の方へと歩いて行ってしまう。

 

 今思えば、初めに気が付くべきだったのかもしれない。

 あのかざりが、十回電話して一回も出る気配のないあのかざりが、何の用事も無く俺の相談事のために出向いてくれる筈がないということに。

 

 ふと出口の手前で止まったかざりは、わざとらしく『あ、そうそう』と付け加えた後、悪戯を思いついた子供の様な横顔でにやりと笑って言った。

 

「あんた明日から呉鎮守府に異動になったから、今日中に荷物まとめときなさいよね」

「……ええぇ」

 

 翌日、俺は大井さんと再会することになった。

 ちなみに彼女の申し出を断ってから、二日の出来事である。

 

 



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第2話 それは誘拐? いえお出迎えです。

 

 

「待っていたよ都築くん」

 

 広島県呉市にあるJR呉駅。そこで俺を待っていたのは、そんなニヒルなお姉さんのハスキーボイスだった。

 かざりとはまた違う、腹の底に落ちる様な低音ボイス。車窓から腕を出して、親指で『おら乗れよ、見たことない景色を見せてやるよ』と言わんばかりに乗車を促してくる。

 

 駅までは自分で、そこからは鎮守府から迎えを出してくれるとの事で、彼女がきっとそうなのだろう。

 

「えと、呉鎮守府の方ですよね」

「いかにも。私の事は気軽にお姉ちゃんとでも呼んでくれて良い」

 

 あ、やっぱ違うかもしれない。

 カッコいい顔して何を言ってんだこの人。

 

「すいませんやっぱ人違いだったみたいです」

「まあまあ待ってくれ。そう警戒しなくてもいい。キミは私の事を知らないかもしれないが、私はキミの事をよく知っているぞ」

 

 警戒心から引き気味だった俺の腕をにゅっと伸びてきたお姉さんの腕がぐわしっと掴む。

 あ、ちょ、なにこれ力つっよ!? 引きはがせない!?

 

「……脅迫ですか?」

「キミは私を誘拐犯かストーカーの類の何かと勘違いしているね?」

「今のところ否定の余地はありませんが」

 

 俺に人質としての価値があるとは全く思えないけど。

 

「まあそれも面白そうだけどね。キミをネタにかざり君辺りを揺すれば昼食ぐらいは奢ってくれそうだ」

「俺の見立てでは金を払って引き取ってもらうのはお姉さんですけどね」

「キミは粗大ゴミか」

「最終的に昼食代諸々も俺の懐から出るでしょう」

「強くっ……生きろっ!」

 

 お姉さんの瞳が哀れな何かを見るものに変わる。

 まあそんな事はどうでもいい。いい加減話を進めないと、駅前の往来のど真ん中で揉め事を起こしているなんて話になっても困る。

 

 幸い(?)にもかざりの事を知っているようだし、このお姉さんは呉鎮守府の人で間違いない事も分かった。

 それだけでも十分だったが、お姉さんの次の行動と言葉によって納得は確信に変わる。

 

「ま、冗談はほどほどに。さっきから彼女が後ろから騒がしいしね」

 

 そう言って、お姉さんは意味深に後部座席のスモーク式の窓を開けるよう何やら操作し始めた。

 彼女? 後ろに誰か乗っていたのか?

 

 徐々に下がっていく後部座席の窓。そこに座る人物を見て、ぎょっとした。

 

「お、大井さん!?」

「こんにちは、都築さん」

 

 まさかまさかの大井さんご登場。

 控えめに振ってくれる手が、煤けた心の陰鬱さを吹き飛ばしてくれる。

 

「わざわざ迎えに来てくれたんですか?」

「待ちきれなくて、来ちゃいました」

 

 満面の笑みに、恥じらい成分をひとつまみ。

 二日ぶりに会った大井さんは、相変わらず可愛らしい人だった。

 

 

 

 

「先ほどは、提督が色々とすみません……」

 

 走り出した車内の後部座席で、隣に座る大井さんが深々と頭を下げて来る。

 

「いや、そんなに謝らないで。別に大井さんが悪いわけじゃないし」

「そうだぞ大井君。キミは悪くない、もっと堂々とするべきだ」

「提督はもっと反省してください」

「はい」

 

 大井さんの叱責にお姉さんの背筋が伸びる。何処か二人の力関係が透けて見えるようだ。

 まるで俺とかざりの関係性を思い出させるな。主に主人と下僕みたいな感じで。

 

 ってか、

 

「お姉さん、提督だったんですね」

「ふふーん、実はそうなのだよ。そう言えば名前を言ってなかったね、遅くなったけど改めて自己紹介をしようか。私の名前は雨宮いつき、年は26、階級は大佐。親しみを込めてお姉ちゃんと呼んでくれても良い」

「提督」

「はい」

 

 驚いた。

 提督が女性だったっていうのも勿論だけど、26歳でその地位に立つのは並大抵の事ではない。

 人としての中身は俺と同じで残念そうな人だけど、軍人としての能力は際立っているのかもしれないな。

 

「まあ、整備士としてのキミは直接的な私の部下って訳ではないから、呼び方はお姉ちゃんでも姉さんでもあねさんでもお姉たまでも好きに呼んでくれ」

「じゃあ雨宮さんで」

「んもう、いけずぅ!」

 

 雨宮さんはハンドルを握ったまま、上半身をぐりんぐりんと揺さぶっている。

 言葉選びが微妙に古いなあこの人。

 

「提督、あまり私の都築さんにおかしな事を言って困らせないでください」

「いや、おかしなことを言っているのは大井さん、キミもだ」

 

 俺が大井さんの隣に立つなんて実におこがましい。下僕なら喜んでなるけど。

 

「略奪愛ほど燃える恋路もないだろう?」

「略奪できるほどの隙は誰にも与えません。丸々全部私が貰いますからっ!」

「ちょ、ちょっと大井さん!?」

 

 急激に身体を寄せてきた大井さんがあろう事か俺の腕を包むように両腕を絡ませてきた。

 ふよんふよんと柔らかい何かが腕に当たる感覚と、花の様な甘い良い匂いが理性の壁をがりがりと削り取っていく。

 

 これは、マズい。

 

「大井さん、その、ですね」

「あ、すいません! ……つい」

 

 ちらり、と目が合った大井さんは慌てたように離れて、ぱたぱたと両手を振った。そのまま冷静になったのかぽしょぽしょと何かを呟いて耳まで真っ赤にしてしまう。

 

 あれが無意識とはとんだ小悪魔じゃないか。

 とりあえずあの柔らかさと匂いは脳内の一番大事なところに記憶しておこう。

 

「うんうん、やっぱりキミたちは見ていて面白い。やっぱり都築くん、キミを選んで正解だったよ」

「俺を呉鎮守府に呼んだのは雨宮さんなんですか?」

「そうだよ。もっとも、大井君の強い推薦があっての事だけど」

 

 横を見ると大井さんが、てへっと小さく舌を出していた。

 くそう可愛いな。

 

「でもなんで俺なんかを」

「キミは整備士だったね?」

「靴を磨く事なら任せて下さい」

「いや、靴は磨かなくてもいいかな」

「だとしたら俺にできることはもう無いかもしれませんね」

「少なっ!? もっと自分がやってきた事に自信を持って!」

 

 正直に話したら励まされた。

 とは言っても、三等整備士に出来る事なんてたかがしれてるしなあ。

 

「都築さん、呉鎮守府は今、人手不足なんですよ」

「人手不足?」

 

 俺の惨状におよよとむせび泣く雨宮さんの代わりに大井さんが小声で捕捉を入れてくれる。

 ふわりと耳元に掛かる息がくすぐったくて少し興奮してしまった。

 

「キミはウチが少数精鋭部隊なのは知っているかい?」

「詳しくは知りませんが、噂程度には」

 

 なんでも、呉鎮守府は他の鎮守府に比べ配属されている艦娘の人数が少ないのは有名な話だ。

 理由は分からない。が、それでも戦果において横須賀や佐世保、舞鶴など他の一線級鎮守府に引けを取らないのは個々の練度がずば抜けて高いからとは専らの噂。

 

 ――通称、鬼神揃いの呉

 

 いつだったか、かざりが『もし呉が無かったら今頃海軍の拠点は半分になってたかもねー』などと言っていたのをうっすらとだが覚えている。

 

「戦力はね、別に問題ないんだよ。そこに座ってる大井君だけでも並の敵艦隊なら余裕をもって壊滅できる」

「大井さんやっぱり凄いんですね」

「都築さんが専属整備士になってくれたらもっと頑張れちゃいます」

「それは無理」

「むー」

 

 膨れる大井さんも可愛い。

 

「ただね、メンテナンス部隊の方が流石に限界にきちゃって」

「メンテナンスってことは整備士って事ですよね? 今まで何人でやってこられたんですか?」

「……一人」

「一人!?」

 

 なんてこった完全にブラックじゃないか!?

 いくら妖精さんがフォローしてくれるって言ったって一つの鎮守府を一人の整備士で回すなんて正気の沙汰じゃない!

 

「いやー、その子があまりに優秀だからつい、さ」

「明石さん泣いて懇願してましたからね。一人で良いから補佐を付けて下さいって」

「ずっと入らなかったズボンがここ一か月で簡単に入る様になっちゃいましたって遠い目で言われた時は流石になんとかしないとって思ったね」

 

 恐ろしい。何が恐ろしいって今の話もだけど、これからド底辺の俺がそんな修羅の国に混ざって身を粉にして働くという事実が実に恐ろしい。文字通り白骨化しないだろうか。

 

 ん? 明石? 明石ってまさか?

 

「明石さんって、あの艦娘の明石さん?」

「都築さん知ってるんですか?」

「うん。というか整備士の間ではたぶん知らない人いないんじゃないかな? 艦娘の中でも特に整備技術に長けた人だってもっぱら憧れの的になってるんだ」

「……ふーん」

 

 あれ? なんだか大井さんの機嫌が悪くなっていらっしゃる?

 

「お、大井さん、これは別に一般論的話であって、別にやましい話とかそういうんじゃ」

「大丈夫です、わかってます。男の人って大きい胸が好きですもんね。明石さんああ見えて着やせするタイプですし私はどうせ手の平サイズですし」

 

 おわあああ! 意図せぬうちに話がマズい方向に行っている気がする! 何が悪いかはわからないが!

 とりあえず現状を打破する方法を早急に考えなければっ!

 

 かくなる上はっ!

 

「雨宮さん!」

「う、うむ、残りの話は鎮守府に着いてからでいいだろう。ひいては後の時間は若い者同志でゆっくり過ごしてくれたまえ。それじゃあ私は運転に集中するから」

「ちょ!」

 

 ちくしょう! 完全に丸投げしやがった! ここぞという時に役に立たない年長者だなあ!? もう一生お姉ちゃんと呼んでやらないからな!

 

「都築さん! 私の話ちゃんと聞いてますかっ!」

「イエスマム!」

 

 結局、大井さんの機嫌は鎮守府に着くまで元に戻ることは無かった。

 

 ……くそー。

 




 感想、評価ありがとうございます。


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第3話 呉鎮守府に到着

 

 

 大井さんを宥めすかしている内に、呉鎮守府に着いた。

 雨宮さんは仕事をほったらかして俺を出迎えに来ていたようで、これから片付けなければいけない仕事が山ほどあると、嫌々ながらに仕事場に戻っていった。

 あの人、本当に提督だったんだなあ。

 

「すいません都築さん、何かまともにお出迎えもできなくて」

「いやそんな。昔、出迎えの幼稚園バスにすら素通りされた俺からすれば来てくれただけで嬉しい」

「そんな大袈裟な……」

「ちなみにバスは戻ってこなかった」

「……きっとそのバスはシャイだったんですね」

 

 大井さんの必死のフォローが胸に染みる。

 結局その後も一人家の前でボケーっとバスを待つ俺に気付いた近所のお姉さんが、自転車をぶっ飛ばして幼稚園まで届けてくれたのは今となっては良い思い出だ。

 

「それで、大井さんも今から任務なんだっけ」

「はい、本当は私が都築さんに鎮守府を案内してあげたかったんですけど」

 

 大井さんが、そんな嬉しい事を言ってくれる。

 

「平和のシンボルである大井さんにそんな迷惑は掛けられない。俺の事はもっとこう、排水溝に溜まったカビをこすり落とすたわしみたいに扱ってもらって構わない」

「都築さんの中の私はどれだけ悪逆非道なんですか?」

「大井さんの下僕になる事が今の俺の一番の夢なんだ……」

「とてもカッコいい顔でなんて残念な事を」

 

 俺がカッコよく見えた大井さんはすぐに眼科に行った方が良い

 ともあれ幸いにも、仕事が始まるのは明日からで、今日一日は荷解き意外に特にやらなければいけない事もないので、無理に大井さんに時間を取らせる必要もない。

 

 その事を伝えると、何故か大井さんは不満そうだったが。

 

「わからない事や困った事があったらすぐに連絡してくださいね。一応、今から来る子にこの後の都築さんの部屋への案内も含めて、臨時の世話役を頼んでますのでそちらも頼りにしてください」

「わかった。わざわざありがとう」

 

 そんな俺の礼の言葉に、笑顔を残して鎮守府へと向かっていく大井さん。それと入れ替わる様に、一人の少女がこちらへ向かって駆けてきていた。

 

 俺の目の前でぴたっと止まり、仁王立ち姿で腕を組む少女と目が合う。

 気の強そうな子だ。だが人を外見で判断するべからず、俺なんかの世話役を引き受けてくれる子だ、きっと見た目とは裏腹に気の優しい子に違いない。

 

「あんたが例のゴミクズねっ!?」

 

 そう思ったけどやっぱ違った。

 

 

 

 

 初見で俺の本性を的確に看破した将来有望な少女は自らを霞と名乗った。

 彼女も、大井さんと同じ艦娘だそうだ。

 

「時間が惜しいからさっさとついてきなさい。言っとくけど一度しか付き合わないから。鎮守府で迷子なんてダサい事になりたくなかったら精々必死に道を覚える事ね」

 

 ビシッと指を突き立てて、霞は背を向けて歩き出す。

 

「よし、頼んだぞ霞。俺が道を覚えられるかどうかは全てお前の案内に掛かっている」

「最初から他力を当てにするなんて、やっぱりクズね」

「自力が驚くほど当てにならんからな!」

「…………」

 

 うーむ、霞の俺を見る目がとても言葉で言い表せられないものに。

 抑揚の無くなった平坦な口調でこっち、と指をさす霞に素直について行く。

 

「ったく、大井さんの頼みとは言え、なんで私がこんな事を……」

「霞は大井さんとは仲が良いのか?」

「少なくともアンタよりはね」

「そりゃそうだ」

 

 俺と仲良しなんて汚名を大井さんに着せるわけにはいかない。

 だと言うのに霞の口は折れた爪楊枝の如くへの字に曲がっている。

 

「アンタは嫌味ってものを知らないの?」

「生憎と国語は苦手なんだ」

 

 得意な科目自体ないけどね!

 はあー、と大きなため息を吐いて、霞はやれやれと首を横に振る。

 

「アンタが此処に来るって決まってから、事あるごとに大井さんにアンタの話を聞かされた私の気持ちがわからない?」

「安心するんだ、良い精神科医の先生を知っている」

「私が言うのもなんだけど、アンタはもっと自分に自信を持った方がいいんじゃない?」

 

 慰めようとしたら慰められてしまった。

 しかし毎日俺の話を聞かせるなんて大井さん、可愛い顔してキミはなんておぞましい事をする人なんだ。俺だったら耐えられない。毎日鏡の前に立っている俺が言うんだから間違いない。

 

「それで、あまりにも大井さんが都築ってやつの事をニコニコ笑顔で話すもんだから、一目どんな奴か見てやろうと思って」

 

 なるほど、それで急遽世話役を引き受けたと言うわけだ。

 行ってしまえば品定め。うちのエース様に近寄る無粋な輩とは誰なのかその目で見定めてやろうってところか。

 

「それで、どうだった?」

「予想を遙かに下回るヘタレだった」

「なるほど」

 

 まあ、妥当な判断だ。

 が、視線に力が足りない。もっとこう抉り込むような角度から蔑みの視線をですね――

 

「――でも、今まで来てた奴らみたいなクズじゃないって事も、わかった」

「……? さっきまでさんざんボロクソに言われていたような?」

「言葉の綾よ」

 

 ふーむ、日本語って難しい。

 

「でもそういうのってちょっと見ただけでわかるものなのか?」

「そいつの目を見れば大体の事はね。実際、こんな艦娘しかいない最前線に来る奴は出世か下衆みたいな考えしか頭にない様な奴ばっかり。前に来た奴なんか着任早々権力を傘にふざけた事をしてきそうになったから遠慮なくぶっ飛ばしてやったわ」

「ああ、どうりで――」

 

 ――雨宮さんが、人員補充に慎重になるわけだ。

 フンっと鼻を鳴らして、霞はつまらなそうに床を蹴っている。

 

 これは推薦してくれた大井さんの名誉のためにも俺がいかに安全な人間かをアピールしておかなければ。

 

「安心しろ霞。俺が出世なんて無いし、身体は全身未だ綺麗なままだ!」

「全部知ってる」

「何故だ!?」

 

 どこからともなく俺のプライバシーが漏洩している気がしてならない。

 

「ふふっ、なんとなくアンタって人間がわかった気がするわ」

 

 階段を上り終えた霞の口元に悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。なんだ、笑えば年相応に可愛らしい一面もあるんじゃないか。

 まあ女の子の褒め方なんて知らないから言わないけど。

 

 曲がり角を右に折れて、三つ目の部屋の扉の前で霞が止まる。どうやらここが俺の部屋らしい。

 

「だからってアンタの事を認めたわけじゃないから、勘違いしない様に」

「わかってる」

 

 それはつまり、これからの俺次第、ということに他ならない。

 能力云々は置いといて、元より仕事に手を抜くつもりはない。大井さんや雨宮さんがどういうつもりで俺を呼んだのかはわからないが、求められているならばできるかぎり応えたい。

 

「ま、精々がんばりなさい。それともう一つ」

「なんだ、愛の告白か?」

「都築、アンタ整備士なんだって?」

 

 俺の渾身のネタふりはスルーですかそうですか。

 

「一応そうだけど」

 

 詳しくはその前にド底辺と付くが。

 

「…………」

「それがどうかしたのか?」

 

 一度黙ったかと思うと、霞はパタパタと元来た道へと駆けていき、そこでくるりと振り向いて、

 

「個人メンテナンスの資格にかこつけて、大井さんに変な事するんじゃないわよっ!」

「……ええー」

 

 とんでもない事を言い残して華麗に去っていった。

 なかなかに強烈なお友達をお持ちですね、大井さん。

 

「そもそも俺三等整備士だから、一等以上の資格持ちのフォローがないと個人メンテできないんだけどなー」

 

 まあそれはさておいて、だ。

 目の前の扉に視線を向ける。

 

「なんか今日は朝から色々あったけど、ここからはやっと一人だ。まずは一服してから、荷解きを開始しようかな」

 

 悪感情など全くないけど、大井さん、雨宮さん、霞、とここの所強烈な個性を持った人物との邂逅が立て続けに連続した所為か身体が思った以上に疲れている。

 

 ここは休息が必要だ。

 その点、自室となるこの場所は鋭気を養うためにも最適な場所。一人リラックスするにはもってこいな空間だ。

 

 さながらルンルン気分で扉を開ける。

 

「やっほー、重雷装艦へと改装されたスーパー北上さまだよー」

 

 だから四人目がいるとはまったくさっぱりこれっぽっちも思ってなかったんだよ?

 目の前のおさげ少女は埴輪がダッシュしているようなポーズでこちらを見ているし、なんだこれ。

 

「……ナイスポーズ」

「お? このポーズが分かるなんて通だねー、ささご一緒に」

 

 

 どうやらこの鎮守府はまだまだ俺を休ませる気はないらしい。

 



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第4話 スーパー北上さまと荷解き

 

 色見の強い三人との出会いにぼっちな俺の心が疲弊したので、ひと呼吸置くために案内された自室に戻ったら見知らぬおさげ少女が謎のポーズをキメていた。

 

 ちなみにポーズに深い意味は無いらしい。

 

 とりあえず立ち話もなんなので、近くにあったダンボールから座布団を引っ張り出して座ってもらう事にする。

 

「それで、そのスーパーな北上さまはここで何を?」

「大井っちに頼まれたんだよ。新しい整備士の人が来るから、荷解きを手伝ってあげて欲しいって」

 

 なんと。

 

「つまり、俺が一人荷解きに苦心する様を肴に愉悦に浸るために待っていたと、そう理解しても?」

「よくないよ」

 

 なんだ違うのか。

 そうなると本当に荷解きを手伝うために待っていてくれた事になる。

 ならばまずお礼を伝えるのが筋だろう。

 

「それはそれは俺なんかのためにありがとう北上さま」

「いいよいいよ。大井っちに頼まれたら断るわけにはいかないからねー、食堂の新作パフェDX宇治抹茶マウンテンで手を打つよ」

「はい」

 

 この北上さま、実にちゃっかりしていらっしゃる。

 それでも初対面で変に恩を売られるより、こうして軽く流してくれた方がありがたい。

 

 素なんだろうけど、気の遣い方が自然で上手いなあ北上さんは。

 

「んで、ここに来たって事はキミが“優しくてかっこよくて謙虚で仕事に真面目”な都築っち?」

「違います」

 

 それはいったいどこの世界線の都築くんだ?

 

「あ、ごめん。ちょっとエッチで女子大生好きな、が抜けてた」

「ちょっと待ってそのポケットから覗いてる怪しげなメモはなに?」

 

 確かにその情報で若干俺に近づいたような気もするけど、依然として別人である事に変わりはない。

 まずは情報の出どころだ。

 プライバシー漏洩の犯人はそこにいる。

 

「あれー? おかしいな、大井っちのこれまでの言動から組み立てた完璧な人物像だったのに」

 

 まあ、なんとなくそんな気はしてたけども。

 

「俺に対する大井さんの情報を当てにしては駄目だ。なんか変なフィルターかかってるから」

「後半の情報は暇だったあたしが専門書の下に隠されてたお宝本を探し当てた結果知った事だから、大井っちは悪くないんだよ! 謝って!」

「ごめん大井さん! そして北上さんは俺に謝るべきだと思う!」

「ごめんつい」

 

 なんて清々しい“つい”なんだ。

 ま、俺の性癖なんて超絶にキモイもの知っても北上さんに得があるとは思えないので許そう。

 

「話が逸れたね。実は荷解きの手伝い以外にちょっとエッチで女子大生好きな都築っちに渡す物があるんだー」

「そこだけ切り取るのは止めてもらえませんかね?」

 

 事実ではあるけども、口にする必要は無いはずだ。

 

「はい、これ」

「これは?」

 

 手渡されたのは十数枚程度に綴られたA4サイズの書類が一束。

 軽くぺらぺらと捲ると、鎮守府の見取り図や各階の設備の注意事項などが目に入った。

 

「呉鎮守府のガイドブックだよ」

「……この表紙の端にいる名状し難い何かはいったい?」

「大井っち渾身の一筆です」

「なるほど可愛らしいクマだな」

「猫だよ」

 

 あ、やめて北上さんそんな目で見ないで。

 同じ哺乳類という事で許していただきたい。

 

「表紙、捲ってみて」

「鎮守府の見取り図、だな。でもこうして見るとまた」

「ね、広いでしょ。本当は施設ごとに案内してあげられたら一番良いんだろうけど、流石に一つひとつ回ってたら日が暮れちゃうどころか明日になっちゃうからさー」

「や、これだけでも十分わかりやすいしありがたいよ」

 

 各々のページに各設備、部屋の情報が必要な分だけコンパクトに書かれている。

 見取り図は平面だけでなく立体図も載っているから、これがあれば平衡感覚が赤ちゃん並みの俺でも迷子にならずに済みそうだ。

 ところどころ出現する名状し難い何かは、とりあえず見なかった事にした。

 

「執務室とかドッグとか、あと個々人の部屋とか、入るのに許可が必要なところには赤い星マークが付いてるから、覚えてない内は注意してねー」

「俺の部屋だけマークがないように見えるけど?」

「大井っちが消した」

「なんでっ!?」

 

 俺の部屋で何をするつもりなんだ大井さん!?

 ……いや待て、思い上がるな都築八代。

 冷静に考えて俺の部屋に入りたい奴なんてそもそも皆無なんだからこれはこれで問題はない……のか?

 

「冗談冗談だって、そんな心配そうな顔しなくてもちゃんと止めたってば。それは今まで空室だったからマークが付いてないだけで、次の更新版ではちゃんと付けるよー」

 

 止めたってことは実際やりかけたという事では……?

 怖いからこれ以上聞かないけど。

 

「後はそうだお風呂だ」

「お風呂?」

「都築っちはやっぱりゆっくり湯船に浸かりたい派?」

「みなさんがキモーイと思われるのであれば俺はその辺で水行でも一向にかまわない」

「いやそっちのがキモイって」

 

 それもそうか。

 

「実はさ、ウチお風呂が大浴場しかなくてさー。提督も大至急改装準備を進めてるらしいんだけどまだちょっと時間がかかりそうでさ……任務によっては私たちもいつ帰ってこれるかわからないし時間制で交代っていうのもちょっと難しいんだー」

「ああ、なるほど」

「シャワー室は区切れるから自由に使ってもらっていいし、ここから歩いて十分くらいの場所に銭湯があるんだよね。お金も鎮守府の経費で落とせるから、都築っちには暫くそっちを使ってほしいんだー」

 

 どこか申し訳なさそうに頬を掻く北上さん。

 俺としてはそんなに気を遣ってもらわなくていいんだけど。というか、彼女たちと俺の立場を比べれば当然の判断だ。

 幸いにも近場に銭湯があるみたいだし、気晴らしがてら行ってみるのも悪くない。

 

「どうしても」

「ん?」

「どうしても都築っちが大井っちの入った残り湯が良いっていうなら提督に相談してみるけど」

「是非とも銭湯通いでお願いしますっ!」

 

 真剣な顔で何を言い出すんだ北上さんは。

 

 その後一頻り雑談を交わして、俺と北上さんは荷解きへと着手する事にした。

 

 

 

 

「つっかれたあああ」

 

 夜の十時過ぎ。

 荷解きを含め、着任初日に必要なあれこれを全て終えた後、銭湯で一日の汚れを綺麗に落として帰宅。

 その結果、こんな時間。

 

「銭湯で愉快な爺さん軍団に捕まったのが誤算だった……」

 

 あれが無ければ、後一時間は早く帰れたに違いない。

 

 ベッドでうつ伏せに寝転がりながら明日からのスケジュールを確認する。

 明日は朝一から工廠に行って明石さんに挨拶、きっとそのまま仕事へと突入だ。少し早いが今日はもう寝た方が明日にも響かないし良いだろう。

 

「……おやすみぃ」

 

 意思に倣うように落ちて来る瞼に抗うことなく意識を手離そうとして――

 

 

 コンコン。

 

 

 ――ふと、扉がノックされる音に再度、意識を引き戻された。

 

 誰だろう? 雨宮さんかな?

 

「はいはーい。今でまーす」

 

 重たい脚を引きずる様に扉の前に立ち、そのままドアノブを捻り――そこで改めてはっきりと目が覚めた。

 

「……こんばんは、都築さん」

 

 そこには淡いピンクに猫柄の寝間着――通称パジャマを身に纏った大井さんが立っていた。

 

 

 ……え? なんで?

 




 北上さんのポーズは埴輪というか、〇ァイナル〇ァンタジーシリーズのサボテンダーのイメージ。


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第5話 理由

 


 

 大井さんがパジャマ姿で俺の部屋にやってきた。

 

「えと、こんな時間にどうしたの大井さん」

「あ、いえ、その……折角なので都築さんと少しお話できたらなーと思いまして」

 

 お風呂上りなのか少し大井さんの表情に赤みがさしているように見える。

 もしかしたら、俺が着任初日のプレッシャーに圧し潰されて引き籠りになってないか様子を見に来てくれたのかもしれない。

 

「お部屋……お邪魔しても良いですか?」

 

 大井さん必殺の上目遣いからのお願いコンボ。

 萌え袖とかいうやつだろうか、指をちょこっとだけ出して口元を隠す様に上目遣いとかもうね、正直たまりません。

 今なら世界の全てを許せそうだ。

 

 わかったよ大井さん。

 

「好きなだけくつろいでくれ。その間俺は部屋の前でボディーガードを務めとくから」

「それじゃ都築さんとお話できません」

「あ、ちょ」

 

 大井さんに腕を組まれ、二人揃って部屋へ入る事に。

 腕に伝わる幸せな感触が眠気を完全に吹き飛ばしてくれる。思わずイケナイ妄想が捗りそうだったので、空いた方の手で太ももを思いっきりつねっておいた。

 

 本人は物足りないと落ち込んでいたけれど、俺からしてみれば十分すぎるほどに十分だ。

 

「とりあえずこの座布団使って。すぐに何か飲み物用意するから」

「ありがとうございます。この座布団って以前から都築さんが使っていたんですか?」

 

 手渡した座布団を、なにやら大井さんは真剣な表情で見つめている。

 

「そうだけど……あ! いや、安心して! ちゃんと洗濯して持ってきたやつだから!」

「そうですか、残念です」

「残念?」

「なんでもないです」

 

 意味深に笑って、大井さんは座布団の上にちょこんと座った。

 良かった。大井さんに臭いので使いたくないとか言われたら、軽く一週間は寝込むところだった。いや、大井さんは優しいからそんなこと言わないだろうけど。

 

 とりあえず俺は大井さんの視界の邪魔にならないよう部屋の隅にひっそりと座った。

 

「どうして都築さんは当然の如くそんなところに座るんですか?」

「? 大井さんだってゴミを視界に入れたくないだろ?」

「……都築さんのばかっ」

 

 ありがとうございます!

 なんて言っている場合でもない。

 大井さんの視線温度が急転直下で下がってしまっている。

 

「都築さんがそんな事言うのなら、私にだって考えがあります」

「いやでも、そもそも俺みたいな量産型底辺整備士がみんなの憧れである大井さんと話をするなんて百年早いというか、一生ありえないというか――」

「今から都築さんのベッドで私が思う存分ゴロゴロします」

「――なんてのは冗談で、話をしようか大井さん」

 

 止めて。

 そんな事されたら大井さんの匂いで俺が夜眠れなくなっちゃう。

 

 仕方がないので俺も座布団を敷いて座る事にする。

 

「霞と北上さんには会いました?」

「ああ、うん。二人共俺なんかにも親切にしてくれて凄く助かった。大井さんにも色々と気を遣って貰ったみたいで、ほんとありがとう」

「お礼なんてそんな、都築さんのお役に立てて私も嬉しいです」

 

 なんだ、天使か。

 ああ、いや大井さんだった。しかし何をどう育ったらこんな慈愛に満ち溢れた人物になれるのだろうか。

 

 しかして、はにかむように笑っていた大井さんの綺麗な眉尻が少しだけ下がっていく。

 

「本当は今日、都築さんに謝らないといけないなと思って来たんです」

 

 謝罪。それは自らの非を認め、相手に許しを請う行為。

 だが俺と大井さんの場合、考えるまでも無くこちらに非がある事は確定的に明らか。謝らなければいけない理由を俺が作っているという事になる。

 

 つまり、

 

「……俺もついにクビか。短い間だったけど夢を見させてくれてありがとう」

「しみじみと言ってますけど、まだ着任して12時間くらいしか経ってないですからね?」

「軍を辞めたら俺、田舎に帰ってカブトムシを育てるんだ」

「夏休み前の小学五年生みたいな事言ってないで、話を聞いてください」

 

 そうではなくてですね、と大井さん。

 

「都築さんは、迷惑だったんじゃないかなって」

「えっと、詳しく聞かせて貰ってもいいかな」

 

 大井さんが何を言っているのかわからない。

 わからないけど、なんとなく何か大きな勘違いをしているようなそんな気がして仕方がない。

 

「都築さんに専属整備士になる事を断られた日、鎮守府に戻った私はそれはもう死ぬほど落ち込みました」

「うん、なんかごめん」

「いえ、都築さんは何も悪くないですし、鎮守府に来てくれるって聞かされてすぐに元気になりました。でも同時に冷静になって、自分がしていた事が凄く強引だった事に気が付いて」

「と、言いますと?」

 

 ここまで言われて察することができない自分の頭が恨めしい。

 

「整備士の事も鎮守府着任の事も私は自分の事ばかりで、都築さんの気持ちを何も考えていなかったなって」

「それはつまり俺が大井さんの事や此処に呼ばれた事を迷惑だと思っていると、そういう事?」

 

 俺の問いに大井さんは小さく頷いた。

 なるほど、とんだ勘違いだ。しかし大井さんの中では身の程知らずにも俺が内心で迷惑していると、そう心を痛めてしまっている。

 

 もしこれが漫画やドラマなら、ここで大井さんを優しく抱きとめるイケメンが登場するんだろう。が、残念ながらこれは現実で相手は俺だ、ぼっちに無理を言うんじゃない。

 それでも、大井さんのためにも勘違いは正さなければいけないだろう。

 

「話はわかったし、大井さんがここに来た理由も理解できた。その上で言わせてもらいたいんだけど――大井さん、君は大きな勘違いをしている」

「勘違い……ですか?」

 

 伏目がちだった大井さんの表情が上を向く。

 

「大井さん、君はまず美少女だ、それはわかるね?」

「わかりません」

「その言葉肯定として受け取ろう。そして更に優しくて、さりげなく気も遣えてちょっと小悪魔なところもある非の打ちどころのない美少女なのが君だ」

「都築さんの目つきがちょっとヤラシイです……」

「ありがとうございます。それに対するのがちょっと女子とお話しただけで幸せを感じてしまう浅はか系底辺男子、そう俺だ」

 

 むっとしたり不思議そうだったり恥ずかしそうだったり、大井さんの表情が可愛らしくころころ変わって癒される。

 

「都築さんはかっこいいです。私の中では一等賞です」

「大井さんは女の園にでも住んでるの?」

 

 残念な子ランキングでもあれば上位に食い込む自信は多いにある。

 いや、何の話だ。そろそろ何が言いたいのかわからなくなってきた。

 

「つまり何が言いたいのかと言うと、大井さんみたいな美少女に話しかけられて嬉しい事はあっても、迷惑だなんて思う事は絶対にないから」

「そう、なんでしょうか」

「少なくとも俺はあの日、まだ誰とも話してなかったから大井さんに話しかけて貰えてめちゃくちゃ嬉しかったよ」

「でも専属整備士の件は断られました」

「それはほら俺がゴミだから」

 

 客観的かつ冷静に答えたはずなのに大井さんに怒られた。

 我ながらひねくれているとは思うけど、答えは変わらない。

 

「どうしても駄目、ですか?」

「大井さんの事は好きだけど、俺も底辺とは言え整備士のはしくれとしてそれだけは簡単に頷けないんだ」

「……すいません急に耳の調子が、もう一度最初から言って貰っていいですか?」

「大井さんの事はすっ……信頼してるけど、俺も底辺とは言え――」

「好きが抜けてますっ!」

「聞こえてるじゃん! しっかりと!」

 

 なんて策士だ。おかげで火が出そうなほど顔が熱い。

 恥ずかしくて見れないが、大井さんが膨れている姿が容易に想像できる。

 

「理由、聞いてもいいですか」

「聞いても、たぶん納得は出来ないと思う」

 

 結局は酷い独りよがりで自分勝手な事だから。

 それでも良いと大井さんは言う。

 ならば話さない訳にはいかないだろう。

 

「大井さんがこんな俺を、そのっ、慕ってくれている事は良くわかった。最初は悪戯かと思ったし、未だに理由はわからないけど、だからこそ俺は俺の整備士としての力が信じられないんだ」

「はい」

 

 大井さんは頷くだけで、静かに聞いてくれる

 

「専属契約を結んだ整備士と艦娘は文字通りパートナーだ。艦娘は自分の命綱でもある整備関係を、身体メンテナンスも含めて整備士に預け、整備士は自分の全ての力でもってそれを一任する」

 

 専属契約は整備士にとって一番の誉れ。

 同時に艦娘にとってそれは心の拠り所になる。

 だからこそ、俺は勘違いをしない。

 

「俺は俺の力を過信しない。技術は努力で身に着けられるけど、俺に整備士の素質は無い。妖精さんは二人しか付いてないし、未だに三等整備士なのが何よりの証拠だ」

 

 ちなみに平均では妖精さんは五人程度は付くそうだ。

 

「大井さんが優秀だから、表向きにはそこそこ上手く行くかもしれない。けど周囲はそうじゃない、釣り合ってないと声を上げる人間は絶対にいる」

 

 俺の事は別にいい。事実だから受け止めよう。

 だけど俺と一緒に居る事で、大井さんが不快な目に合うのならばそれはもう無しだ。

 

「周りの目なんて、私は気にしません」

「大井さんは強いね。でも、ダメなんだ、俺が」

 

 情けないけどこれが俺だ。

 慕ってくれる人が俺の所為で嫌な思いをするのが、俺は耐えられない。

 

「……そうですか」

「わかってくれたか」

 

 静かに大井さんは頷いた。

 幻滅されたかもしれないが、仕方がない。変に期待を持たせて後で傷つかせるよりは早々に現実を知ってもらった方がよっぽど良い。

 なあに、もともとズレていた立ち位置がもとに戻っただけだ。

 美女と野獣ならぬ、美少女と海に浮かぶワカメ。俺たちは多分そんな関係だったはずだ。

 

「だったら何も問題はありませんね!」

 

 だというのに大井さんは満面の笑みでそんな事を言った。

 あれれー? 何かおかしいぞ? 俺の思っていた反応と全然違うじゃないですかやだー。

 

「えと、大井さん? 俺の話聞いてた?」

「はい。でも、大丈夫です。例え妖精さんが少なくても、三等整備士でも、都築さんは整備士として、私たち艦娘にとって一番大切なものを既に持っていますから。後は私が頑張るだけです」

 

 どうしよう、大井さんが何を言っているのか全くわからない。

 それでも自信に満ち溢れた大井さんの瞳に見つめられると何も言えなくなってしまうのは、俺がヘタレなんだからでしょうか? 

 

「ええっと、結局諦めてもらったって事でいいのかな?」

「? 都築さんは何を言っているんですか?」

 

 ああ、懐かしいぞこの残念なものを見る視線の感覚。

 かざりは元気にやっているだろうか。

 

「一応確認したいんですけど、都築さんは私の事嫌いってわけじゃないんですよね……?」

 

 少し自信なさげに口元に手を添えて、ちらちらと視線を投げて来る大井さん。

 なんだこれは試されているのだろうか、俺は。

 

「大井さんは美少女でその事を歯牙にもかけない優しい人でとても俺の小さな脳みそでは言い表せないくらい素敵な人だと思います」

「……そんなに私をムラムラさせて都築さんは私をどうするつもりですか?」

 

 大井さんが壊れた。

 猫が獲物を狙うような前のめりなポーズでじりじりとにじり寄ってきている。

 これはマズい、非常に、マズい。

 

「……隣、行ってもいいですか?」

「駄目です」

「なんでですかっ!?」

「お願いだから察して! 俺みたいな底辺ボッチはこの状況にもういっぱいいっぱいなのですよ!」

 

 ぷくーッと膨れる大井さんに土下座で懇願する。

 プライドなんてない。なによりこのまま近寄られたら理性を保てる気がしないのだから仕方がないだろう?

 

 俺のプロフェッショナルな土下座の甲斐あってか、大井さんは溜め息を付きながらも元の場所に座ってくれた。

 同時に壁掛けの時計から、日付が変わる知らせが届く。

 

「もうこんな時間か」

「すいません、何か長居してしまって」

「いや、でもなんて言うか、話せてよかった」

「はい。それは私も」

 

 何を言っているのか、気恥ずかしくて誤魔化す様にお互い笑ってしまった。

 

「都築さん」

「ん?」

 

 帰り際大井さんがくるりとこちらに振り向く。

 

「私、もっと頑張りますから」

 

 何を、とは大井さんは言わなかった。それでもなんとなく何を言われているのかぐらいは察することができた。

 むしろこれから頑張らないといけないのは俺の方なのは間違いない。

 

 おやすみなさい、と最後に告げて、大井さんは部屋を出て行った。

 

 こうして長い長い初日の夜が終わった。

 

 

 拾い上げた座布団からほのかに香る大井さんの匂いに、悶々とした俺はそこから更に二時間ほど眠る事が出来なかったけどね!

 




 とりあえずプロローグ的な話はここまで。
 次からは鎮守府編になりますん。


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