かつて神だった男の追憶 (ふーてんもどき)
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かつて神だった男の追憶

話の中核となる日本神話について簡単に述べる。

かつて海ばかりの何もない世界に、男神のイザナギと女神であるイザナミの夫婦は、日本列島を始めとして様々な神を産み出した。
しかしイザナミは末っ子の火之神カグツチを産む際に、カグツチが放つ炎に身を焼かれて死んでしまう。妻を失ったイザナギは悲しみと怒りに駆られて生まれたばかりのカグツチ殺してしまうのだった。

それからイザナギは、亡くなった妻に会いに行こうと死者の世界である黄泉の国へ降りていったが、そこにいたのは黄泉の住人になり姿が醜く豹変したイザナミであった。
イザナミは恥をかかされたと激怒し、イザナギはほうほうの体でその場から逃げ出し、二人の間には埋めがたい溝が出来てしまう。
そしてついぞ、二人の仲が戻ることはないのであった。



 少し昔の話をしようと思う。俺がまだ中学生だった頃のことだ。

 

 当時の俺はまるで世の中のことを知らない厚顔無恥の少年であり、むしろ世界が自分を中心に回っていると思っているような奴だった。自分には素晴らしい何かがあり、寝て待っていれば果報が雨霰と降り注ぐように思われた。

 将来を見据えて勉学に勤しんだり、部活動で仲間と汗水を垂らしたり、異性と青々しい恋の花を咲かせるなどして真っ当な青春を謳歌する級友たちを内心で嘲笑ったものだ。そんなことをして何になる、と。

 冷静になってみて、実際は狐のブドウよろしく斜に構えていただけということが判明したが、今となっては己の浅はかさに悶絶する以外にできることはない。喉から手が出るほど欲しい薔薇色の青春を得る機会は永遠に失われてしまった。

 

 何故、俺がこのような惨めで可哀想な中学生と成り果てたのかということについては、特別に語るべき事もない。誰しもが上述にある俺と似たような気持ちは持ったことがあっただろう。世間に対して「くだらない」と批評して悦に浸りたくなる年頃があったはずだろう。

 あってくれると嬉しい。

 

 ただし、俺は諸君に輪をかけて重病であった。俗に中二病と呼ばれる、一歩間違えれば重大な後遺症が残ってしまう恐ろしい大病を俺は患っていた。そして十年以上が経った今も、この病気が人生に付けていった深い爪痕は癒えていない。どうして俺がこんなに苦しまなきゃならんのだ、と怒りに駆られることもあるが、自業自得なので泣き寝入りする他にない。

 ともあれ、中学時代における俺の誇大妄想は止まることを知らず、天を突き破らんほどに膨れ上がった。世界中全ての人々を見下し、己が神になったような自尊心に満ち溢れていた。

 いや、実際に俺は自分のことを神だと思い込んでいた。

 

 輪廻転生というものの概念を知ったのは中学一年生の秋であった。友達もいなかった俺は読書の秋にならって書を読み耽っていた。ここだけ抜き出せば文学的好青年と取れなくもないが、俺が好んで読んでいたのはライトノベルという部類に限られる。

 雑多に読み漁ったその中で、輪廻転生について触れている本がいくつかあった。なんの変哲もない主人公でも、前世が偉人や悪魔やはたまた神であれば、たちどころに超常的な力を持ってあらゆる困難を軽々と打ち破れる。その痛快極まるインスタント超人活劇に、純粋無垢だった俺の心は魅いられた。自分にも何かしら前世があり本当は凄い才能を秘めているはず、という可能性は何者でもない俺の救いとなった。

 それが歪んで過信となり、痛々しい妄想に取り憑かれるまでに多くの時間は要さなかった。前世が神だったら良いなあ凄いなあ、という思いはいつしか、自分が神であることの根拠なき確信に変わっていた。

 

 次に俺は、自分がどんな神だったのかを思い出そうとした。具体的には東西を問わず様々な神話について調べて、自己投影するにふさわしい神様を探した。あらゆる宗教に楯突く、無礼千万な阿呆の所業である。

 どれもこれも魅力的で中々決められず、新年を跨いでなお自分探しは難航した。その間、俺は北欧のオーディンになって槍を振り回したり、インドのシヴァになって破壊と創世を繰り返したり、全知全能の神ゼウスとなって麗しの女神たちと睦言を交わした。もちろんこれらは俺の脳内で行われたことである。

 暇さえあれば神としての力を取り戻すための修行として、瞑想という名の妄想に励んだ。居間のソファーの上で座禅を組んでいる姿を母親に見られて「何やってんの」と気味悪がられたところ、「人間風情には分からぬ」と変声期真っ只中の声で返したことを、今でも鮮明に思い出せる。思い出す度に死にたくなる。

 

 紆余曲折を経て、俺は中学二年に進級する頃、ついに自分の前世を見定めた。

 まず始めに己は日本人であるからして日本神話との親和性が高いだろうと論理的に考えた。また、やたらと難しい漢字を使うことに凝っていたため、日本の神々の名前は俺の琴線に触れた。

 神が八百万もいるというのも大変心をくすぐられる。当時は神話に没頭するあまり、各地域ごとの神話どうしが戦争をしたら何処が一番強いかなども考察していた。その点でも数の有利がある日本神話は俺の目に素晴らしく映った。

 もちろん米一粒につき七人も押し込められているような十把一絡げの神ではなく、もっと高貴で代えの利かぬ存在が俺には相応しいと考えていた。いっそ清々しいほどに不遜であった。天罰が幾ら下っても足りないが、あの時の俺は世界中の神々を経験したために自尊心が極限に達していたのだ。人間だけでなく、神も自分の膝元に置かねば気が済まなかった。

 

 斯くして俺は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の生まれ変わりと相成ったのだった。

 

 

 

 

 中学二年生の春、俺には好きな人ができた。めでたいことに初恋であったが、その実情はちっともめでたくなんかない。

 彼女の名前を伊崎奈美江さんといい、いつも本を読んでいるような大人しい雰囲気の子だ。同じクラスになったことで初めて彼女のことを知ったわけだが、その時の俺は青天の霹靂とも言うべき衝撃を味わった。

 

 勘の良い方はすでに察しがついているかもしれないが、俺がこよなく愛する日本神話のなかに彼女と酷似した名前の神がいるのだ。

 その神というのが伊邪那美(いざなみ)という名の女性であり、またイザナギの妻である。伊崎奈美江とイザナミ。そして彼女のすぐ側には()()()()の生まれ変わりである俺がいる。

 運命の出逢いだと思った。

 神話においては黄泉の国で決別してしまった愛しの君が、同じ時代に人として生まれ変わり同じ学校に通っている。これを運命と言わずして何とする。

 このような荒唐無稽な虚妄を浮かべ、まだシワの数が少なかった俺の脳ミソは沸騰寸前までヒートアップし、伊崎さんを知った当初は夜も寝られぬほどの興奮が続いた。世紀の大発見をした学者とはあんな気分なのだろうか。俺は話したこともない伊崎さんとの関係をたちどころに美化させ、織姫と彦星もかくやと言うほどのロマンチズムに酔いしれた。

 これが俺の最初で最後となる恋の始まりである。ああ、なんて純粋でまっすぐで、底抜けに馬鹿だったのだろう。

 

 舞い上がっている俺とは対照的に、伊崎さんは特に俺のことを気にはしていないようだった。人間たちとも普通に接していることから、神であった前世の記憶は無くしているのだろうと俺は考察した。余談であるが、一人も友達がいなかった当時の状況については「俺が無意識に発している神力が人を遠ざけるのだ」などと勝手に脳内補完していた。

 

 思えばここが最後の分岐点だった気がする。前世などあるはずもない、伊崎さんは普通の女の子である、と思い止まっていれば、俺は一生分にしても余りある恥をかかずに済んだはずなのだ。

 しかし現実は無情である。伊崎さんが全く前世を匂わせないことを、俺は悲恋の一部として捉えてしまい、むしろ愚考という火に油を注ぐ結果となった。噛み砕いて言うと「イザナミが俺のことを忘れている。記憶を取り戻させなければ」と真剣に思ったのだ。そして記憶が戻った暁には前世でのわだかまりを解消し、ゆくゆくは伊崎さんと結婚をするところにまで妄想は発展した。とりあえずもう一つ日本列島をこしらえて二人で支配しようなどと捕れぬ狸の皮算用をして悦に浸った。

 我ながらなんとも不思議な思考回路である。日本神話で、黄泉に行ったイザナミの身体は腐り果てて蛆虫がわいていたと云うが、このとき蛆に喰われていたのは俺の脳ミソだったに違いない。

 

 手始めに俺は、伊崎さんを観察することにした。積極的に関わって記憶を呼び覚ます荒療治も視野には入れたが、はやる気持ちを抑えて慎重に徹した。

 元イザナギである俺は特別な目を持っていた。左目に天照、右目に月読と名付けた。月読は文字から連想して物ごとの真実を読み取り操れる力を秘めており、天照は千里眼と何やら凄い動体視力を有している。昔から健康診断での視力が人並みより優れていたので、それを誇示したいが故の設定だった。

 これらの瞳術の発動条件は、目に意識を集中させることである。俺はこの両眼によって伊崎さんの私情を暴く気でいたので、授業や休憩時間を問わず、目尻にくわわっと力を込めて穴が開くほど伊崎さんを見つめた。おかげで学業の成績は惨憺たるものであった。

 

 無論、そんなことを続けていれば本人にバレてしまう。伊崎さんは俺と目が合えば、何とも言い難い苦々しげな表情をしてすぐに視線を逸らす。

 しかし俺はなにを勘違いしたのか「前世の記憶がフラッシュバックする際の副作用で頭痛が起きて顔をしかめているのだな」と解釈した。

 この甚だ迷惑な誤解から、俺が視線を送っていれば伊崎さんの記憶も戻りやすくなるという考えに繋がり、一層強く彼女を見つめ続ける努力をした。そしてその度に伊崎さんは怯えていた。

 本当に申し訳ないことをしたと今は猛省している。

 

 

 

 

 ところで、伊崎さんは俺とは違い交遊関係が広かった。自分から積極的に話しかけるような子ではなかったけど、幼さの残る可愛らしい顔立ちと親しみやすい穏和な空気が自然と人を引き寄せているようで、やたらとチヤホヤされていた。

 伊崎さんに神の視線を送り続けて一週間が立った頃、俺はヒソヒソと影で噂を立てられるようになった。

 

「うわ、あいつまた奈美江のこと見てるよ」

「つーか睨んでない?」

「キモいというか怖いんだけど」

 

 このような話し声が、チラチラと俺を伺う伊崎さんの友人たちから漏れていた。

 嫌悪を露にする女子たちに対し、俺は得意になった。神の威光を恐れているのだと、妙に前向きなことを思っていたのである。

 その中で伊崎さんは特に何も言ってはいなかった。ただ苦笑して、極力俺と目を合わせないように努めていた。俺はその様子をまたしても好意的に捉え「お、恥ずかしがってるのかな」と内心でニヤけていた。恥知らずとしか言いようがない。

 そして給食が終わった昼休憩の時分、ついに俺の蛮行に痺れを切らした女子の一人が、窓際に座っている俺のところへやって来て苦言を呈した。

 

「ねえちょっと、あんた最近なんなの? 奈美江ちゃんが迷惑してるんだけど」

 

 彼女は確か、田辺とかいうクラスメイトだった。バレーボール部に所属していたことは覚えている。

 脳内がお花畑だった俺でも、いつかはこうなるのではないか、と予測を立ててはいた。だから落ち着き払ってこう答えた。

 

「貴様には関係のないことだ。八秒以内に失せるがいい」

「はあ? わけ分かんない」

 

 俺の考え抜いてきた決め台詞も、一般の方にはてんで通用しなかった。八という漢数字は八咫鏡だったり八岐大蛇だったりと日本神話との関連が深いため、俺はこれを使うことに拘っていたわけだが、そんなことを相手が知る由もない。

 怪訝な顔をされた俺は、目の前の女子の知識不足を嘲笑って「やれやれ」と肩をすくめた。

 

「とにかく、貴様ら下等の者共と話すことは何もない。興味があるのは余と同じく神聖な者だけなのでな」

 

 そう言うと、田辺さんはヤバイ奴を見る目付きであからさまに引きつつ「あ、ああ、そう」と言って退散していった。

 俺は言霊で人間を退けた気になってとても嬉しかった。いよいよもって自分がイザナギ神であることを自覚するに至り、向こうからヒソヒソと「あいつ頭おかしいよ」とか「神聖だってさ」とかいう声が聞こえても高揚しっぱなしであったことを覚えている。

 であるからして、伊崎さんがポツリと言った言葉にも、さほど反応することは無かった。

 

「私、何か悪いことしちゃったのかな」

 

 思い返してみると、彼女は泣きそうになっていた気がする。しかし俺はその時、一人相撲に勝利した余韻に浸りニヤニヤとしているばかりだった。神聖とはほど遠い間抜けであったのだ。

 

 

 

 

 それから幾日か経ち、また昼休みとなってから田辺さんが再び俺のもとへやって来た。今度は男子を伴っていた。

 

「調子に乗ってんだろ、お前」

 

 男子が、出し抜けにそう言った。攻撃的な物言いである。

 彼は同じクラスに属していた宮野というサッカー部員であった。走るのが速く、体育祭のリレーなどで女子からきゃーきゃーと黄色い歓声を上げられていた、実に面白くない男だ。

 宮野には不良の気質があり、髪を染めたりピアスを着けたりなど堂々とした違反こそしないものの、その振る舞いは粗暴であった。宮野が伊崎さんのことを好いているという噂が立っていて、当の宮野もニヘラニヘラと笑いながら否定はしていなかった。

 俺は彼のことを恋敵と認定していて、また横恋慕のろくでなしだと思っていた。「伊崎さんが迷惑してるのが分からんのか」と自分のことは棚に上げた義憤を、彼に対して持っていたのである。

 

「俺の伊崎をジロジロ見てんじゃねーよ、この根暗」

 

 宮野が机に手をつき、遥か上から俺を見下した。

 「俺の」という所有物宣言に、見守っていたクラスメイトたちがドッと沸いた。宮野の取り巻きの男子が「宮野くんマジかっけー」と囃し立てる。完全に俺が悪役であり、宮野が義心に溢れるヒーローという図式が出来上がっていた。あながち間違っていないのが憎らしい。

 世界の中心に己を据えている俺は、その配役に不満を覚えて彼を睨み上げた。

 

「ほう、誰に向かって口を効いているか分かっているのだろうな」

 

 普段なら怖がって縮こまるような場面であるが、神としての自負を手にしていた俺は腕を組んで偉そうに言った。

 反撃が意外だったようで、宮野の眉がひくりと動いた。後ろの方でニヤつきながら見物していた田辺さんも一瞬驚きの表情を見せた。話題の渦中にいる伊崎さんは遠くから心配そうな面持ちで見守っている。

 

「お前ウザいんだけど」

 

 宮野が俺の机の足を蹴った。陰湿な威嚇行動だ。

 その次には直接暴力がくることが予測できたので天照を発動して臨戦態勢を取っていたが、後のやり取りは休み時間の終わりを告げるチャイムと先生の登場により中断された。我らがクラスの担任の先生は厳格な人であり、不良の宮野もおいそれと下手なことは出来なかったのであった。

 悔しげに舌打ちをして去っていく宮野の背中に向けて、俺は言った。

 

「命拾いしたな」

 

 己の格好よさに鳥肌が立った。

 そしてイザナギのキャラを見失っていた。

 

 

 

 

 田辺と宮野の件によって俺が神を自称していることが露呈し、空気同然だった俺の評判は瞬く間に要注意人物へと昇格した。見方を変えれば地に堕ちたとも言える。

 まるで腫れ物を扱うような周囲の素振りが、神として特別待遇を受けているように思えて心地よかった。掃除の時間に俺の机だけ下げたまま戻してくれないのも畏怖の証しと受け取った。

 

 迷惑だったのは宮野の待ち伏せである。先生の目につく校内で大胆なことは出来ないので、宮野は他のサッカー部の連中数名を引き連れて俺の帰宅時を襲おうとした。

 しかし実際には一度もこの被害には会わずに済んだ。それはひとえに伊崎さんのおかげだった。

 ある日のこと、なんと彼女の方から俺に話しかけてきて宮野たちの計画をこっそり教えてくれたのだ。俺はこれを参考にして、遠回りをしたり帰り道をいくつか使い分けることによって事無きを得た。

 自分を視姦してくる男に対しても優しく接せられる伊崎さんには頭が下がるばかりであるが、当時の俺は「ふっ、人間がいくら束になってこようと」などと謎の見栄を張っていた。己を張り倒してやりたい気分になる。

 中二病が解けてからはそんな伊崎さんへの不徳を数え切れないほど謝ったが、その度に伊崎さんは「もう昔のことだよ」と笑って許してくれる。

 対策が外れて運悪く下校中に宮野たちと鉢合わせてしまうこともあったが、俺は愛用の自転車を駆って縦横無尽に逃げた。それはただのママチャリだったが麒麟(きりん)と名付けて長らく世話をしている馬のような信頼を寄せていた。「風よっ」と叫びながら立ち漕ぎをするのが常であり、近所の犬によく吠えられたりしていた。

 イザナギを自称しているのに何故中国の伝説を混ぜてしまったのかは自分でもよく分からないし、俺の暗黒期を象徴する物でもあったが、フレームがダメになって廃車にする際はいささか悲しかった。

 

 一つ良いことがあると、俺は何かしら調子に乗る癖がある。好奇心旺盛だったのだと解釈してもらえればありがたい。

 当時で言えば、伊崎さんに対するアプローチを少し変え始めた。きっかけは伊崎さんから宮野たちに注意するよう教えられたことにある。

 向こうから話しかけてくれたことにより「俺は伊崎さんに好かれているのだ」と飛躍しすぎた結論を抱いた。この相思相愛論が、彼女がイザナミであるという考えをさらに確固たるものにしたことは語るまでもない。

 勘違いを深めた俺は伊崎さんを眺めることを止めて、ぽつりぽつりと話すようになった。伊崎さんからすれば、今までは一定の距離を置いていたストーカーがいきなり接近してきたように感じたことだろう。

 思春期と中二病と童貞を同時に拗らせてしまうとこうなる。諸君の中に学生がいれば是非とも気を付けてほしく思う。

 俺は機会を見計らってはこっそりと伊崎さんに話かけた。教室移動の際や廊下で偶然すれ違った時などが人目に付きにくい頃合いだったので、これを狙って伊崎さんに迫った。

 神であっても好きな人に話しかけるのは気恥ずかしく、多少の勇気を必要とした。その恥ずかしさを隠したくて、俺は以下のような神の真似事をしつつ伊崎さんに関わった。

 

「久しいな、イザナミよ」

「え、ああ、うん。たしか一昨日も話したよね。それとイザナミって私のあだ名?」

「それさえも忘れてしまったのか。我ら二人でこの日本を作り上げたというのに」

「えっ、作ったの? 日本を?」

 

 伊崎さんは日本神話には明るくなかった。

 

「そうだ。最初に出来たのは淡路島だった」

「淡路島って、瀬戸内海のだよね」

 

 淡路島の所在地については知らなかったが、俺は大仰に頷いた。

 

「どうやって日本を作ったの」

 

 この質問に、俺は困ってしまった。何故ならそこからは下の話になるため恥ずかしく、また性知識の乏しかった俺では上手く説明することができなかったのだ。

 イザナミとイザナギも性知識がないまま事に及んで日本列島を産んだとされているが、その辺りを再現する発想まではなかった。俺は神を名乗りながらも子供の自覚があり、そういうのはもっと、こう、大人になってからするものだと思っていた。変なところで純情だったのだ。

 

「それは……我も覚えていない」

 

 小恥ずかしくなった俺はそう言って逃げだした。

 かつてこのように、伊崎さんとたまに話をした。俺の想像のなかでは既に婚約まで済ませていたけれど、現実にはおいそれと手は出せず意味不明な話題ばかりを振ったわけである。

 そのうち伊崎さんは俺がただの馬鹿であり、同時にあまり危険でないことを知ってくれたが、こんな知られ方はしたくなかったと今になって後悔している。

 

 

 

 

 梅雨入りの頃、俺にあだ名が付けられた。『粉吹き妖怪』という名だった。俺が休み時間中ずっと石を磨いていて、そのときに石から出る粉で毎度机を汚していたことが由来である。

 何故石を磨いていたのかと云えば、俺は勾玉を作ることに勤しんでいたのであった。

 勾玉と古代日本には切っても切れぬ縁がある。川原で拾ってきた手頃な石を、木工の授業で配布された紙ヤスリなどで勾玉の形に削ることが俺の日課だったのだ。削る際に彫刻刀も使い、そのせいで刃をダメにして母親にこっぴどく叱られたが、俺はまるで懲りずにもう二、三本犠牲にした。

 女子を筆頭にほとんどのクラスメイトは俺の奇行を馬鹿にしていたが、オカルト方面に興味がありそうな根暗な男子が「それ格好いいね。くれないかな」と相談しに来たりした。

 それを皮切りに勾玉を所望する人がポツポツと出始めて、俺はいつしか他クラスからも勾玉製作の依頼を受けるようになった。素材は各々で持ってくるようにお願いし、一個五円で承っていた。馬鹿みたいな値段設定だったが、縁つながりで五円玉が欲しかった俺はそれで満足だった。

 

 宮野はこの寄り集まりが気に入らなかったらしい。

 俺を待ち伏せ強襲することはとっくに諦めていて、その代わりに校内で細かな嫌がらせをしてくるようになった。例としては、上履きに大量の石が詰められていたり、「バカ」だの「死ね」だのと書かれた平らな石が俺の机に入れられたりした。

 先生にバレるのを嫌ってか派手なことこそしてこなかったが、机の上に片栗粉がこんもりと盛られていた時は処理をするのに手間取った。宮野や田辺らはそんな俺を見て「粉吹いてる粉吹いてる」とクスクス笑っていた。

 俺は屈辱を味わったが、こんな些末事に一々目くじらを立てるのは神様らしくないと考え、見逃してやることにしていた。妙なところで寛容だったものである。

 寛容だったから、地味な仕返しをするくらいで勘弁してやっていた。

 俺は母親から身嗜みをちゃんとしろと云うことで小さな鏡が付いている折り畳み式の埃取りを持っていた。母の気配りに反して埃取りを活用したことはほとんどなかったが、鏡のほうは八咫鏡(やたのかがみ)と読んで重宝していた。

 授業中、この鏡を使って斜め前の席にいる宮野の後頭部に太陽光を送ることに勤しんだ。窓際の席が功を奏したのである。禿げろ禿げろ、とそれはもう地味な呪いをかけては鬱憤を晴らしていた。時々、熱を感じたのか宮野が後ろを振り向いて来たが、俺は勤勉学生を装い素知らぬフリを通した。

 こうした宮野との水面下での争いは存外に楽しく、俺はこれを聖戦と呼んで粛々とした気持ちで臨んでいた。なんともみみっちい聖戦もあったものである。

 

 当然のことながら小テストなどの成績は下がる一方であり、そんな俺を憐れんでノートを貸してくれるような人は伊崎さんだけであった。イザナミでなくとも天女のような人だったが、そんな彼女の好意によって借りたノートをまるで活用しなかった俺はやはりただの阿呆だった。

 

 こうして、夏休みに入る前まで、俺は濃密かつ非生産的な学生生活を謳歌した。また、夏休み中の過ごし方が有意義だったのかと言えば決してそんなことはないので、ご安心いただきたい。

 

 

 

 

 夏休みが明けて、新学期は先生からの説教で始まった。理由は単純明快、宿題をほとんどやって来なかったからである。

 人間風情が考えた問題なんかをあくせく解くのはイザナギである俺の意義に反するので厳格な覚悟で無視を決めたが、その結果はクラスメイトの前で晒し上げをくらい、さらに追加課題を出されるという踏んだり蹴ったりの地獄絵図であった。その絵図を自分で描いたのだから呆れるばかりである。

 唯一、自由研究だけは大真面目に取り組んだ。小学校から中学一年生まで、自由研究は読書感想文に匹敵するほどに憎むべき難敵だったが、神話世界に興味津々だったその年の俺にはむしろやる気を引き出させる格好の獲物となった。

 その熱意に任せて作り上げたのは、俺が独自に考え出した輪廻転生理論をノート一冊にまとめたものであった。つまるところ、中二病の妄想を長々と書き連ねた第一級の危険物を、堂々と提出したのである。

 俺の母校は毎年、体育館をコンテスト会場のように仕立て、全生徒の夏休みの自由研究を展示するという活気溢れる行事がある。無論、俺の恐るべきノートもその一角に陳列された。

 そしてほとんど誰にも読まれなかった。

 幸か不幸かで言えば間違いなく幸運だったのだが、当時の俺は不幸の極みだと思っていた。俺は本当に素晴らしい、誰にも真似できない最高の作品を作った気でいたので、このことが不服でならなかった。俺のノートの隣で優秀賞の威光を放っている手作りパチンコ台を木っ端微塵にぶち壊してやりたい衝動に駆られた。こんな板に釘を刺した稚拙な玩具が、俺の崇高な論文に勝つとは何事か。やはり人間は愚かな生き物だ、などと他の作品を見にも行かず拗ねていた。

 ノートを手に取ってくれた人もいたが、それはなんと宿敵の宮野であり、彼はパラパラと雑に捲ってから「だっせぇー」と声を上げた。宮野の取り巻きたちもゲラゲラと笑い、俺は腸が煮え繰り返る思いであった。

 

「なあ、こんなことばっか考えてて恥ずかしくねえの」

 

 宮野が小馬鹿にしたような口調で言った。今となっては恥ずかしさしか無いが、その時の俺はなにを隠そう厚顔無恥の少年である。心は誇りだけで出来ており、恥などいささかも感じはしなかった。

 

「お前がそんなだから、伊崎も嫌になって休んでんだろうが」

 

 実はその頃、宿題よりもずっと伊崎さんのことが心配であった。

 夏休みが明けて以降、まだ一度も伊崎さんは学校に顔を見せていなかったのである。先生からは体調を崩していると聞いているだけで、他は何も知らない。

 真面目を絵に描いたような彼女がこう何日も休むのはただ事ではない気がしていた。質の悪い夏風邪や、もっと重大な病気にでもかかったのだろうかと心配だった。ここは一つ俺が看病に出向いて、霊験あらたかな祈祷によってたちどころに病魔を退散させてくれると意気込んでいたが、俺に会いたくないがために休んでいるというのは予想外であった。

 しかし、彼女と運命の赤い糸でぐるぐる巻きにされていると信じて疑わない俺は一笑に伏すだけだった。前世から契りを交わしている俺たちの仲を宮野が嫉妬して、口から出任せを吐いたのだとしか思わなかったのだ。

 そんな俺の思いは他所に、クラスメイトのほとんどは「伊崎さんかわいそー」「これもういじめじゃない」などと勝手に俺が犯人である説を有力化させていた。

 

 伊崎さんが出校したのは、夏休みが終わって一ヶ月も経った後のことだった。午前中は何やら用事があるらしく、伊崎さんの復帰は午後からとなる。

 これだけ書けば吉報であるが、先生は朝の挨拶のあとに伊崎さんの体調がまだ良くないこと我々に伝えた。

 

「変わった病気のせいで見た目が少し変わってしまっているが、あまり騒がず、皆いつもと同じように仲良く接するように」

 

 このような物々しい前置きに、教室内は一時騒然とした。大抵はしかめ面ばかりしている厳つい教師だが、この時は口調にどこか憐れみのようなものが混じっていた。

 

 昼休みが終わり、五時限目の授業が始まる手前に、伊崎さんは姿を見せた。

 そして皆凍り付いた。

 伊崎さんはすっかり別人のように変わり果ててしまっていたのだ。

 輪郭がむっくりと膨れ上がり以前の愛らしい顔立ちは見受けられない。肌にはニキビが幾つか浮き出ており、それが不潔な印象を与えている。特に酷いのは目元の変わりようで、瞼がきゅっとすぼまった分だけ眼球がやや前にせり出し、デメキンを彷彿とさせる見た目となってしまっていた。

 クラスの皆が彼女にかけるべき言葉を失っていた。「どんな姿でも愛せるから」と息巻いていた宮野も唖然として口が開きっぱなしであった。

 可哀想に、伊崎さんは出来るだけ顔を隠すように俯いて着席した。夏休み前までは人と話すときはちゃんと相手の目を見て朗らかに笑っていたのに、全く自信を無くしてしまったようだった。

 

 授業が終わり、休み時間になって田辺を始めとした伊崎さんの友達が彼女の元へ集った。そして一様に伊崎さんを慰めたりしていたが、声は若干ぎこちなく笑顔も引き吊っており、うち何人かはほんの少し距離をあけていた。

 彼女らの話を盗み聞くに、伊崎さんが患った病気はなんでもバセドウ病と呼ばれるもので、ホルモンの異常が原因とのことだ。詳しい仕組みなどは分からなかったが、人の外見をああも変えてしまう病気が実在することを目の当たりにしたのは些か衝撃的であった。

 事情を聴いた女子たちが「お大事にね」とか「早く良くなるといいね」とか言ってぞろぞろと去っていく。

 この時ばかりは中二病と関係なく、俺は冷めた気持ちでその様子を眺めていた。伊崎さんの元から退いていった連中は今後、伊崎さんに関わらないように思われ、それに対して「ありがとう」と俯いたまま返す伊崎さんはこの上なく孤独に見えた。

 案の定、次の日から伊崎さんに話しかける人間はほとんどいなくなった。上っ面の友情など所詮そんなものである。

 

 

 

 『ほとんど』と記したのは、正確には彼女に近寄る人間が校内にまだいたからである。その人間とは担任の先生と、そして俺だった。

 俺は伊崎さんに話しかけ続けた。

 それは同情ではなく、また激励でもなく、純粋な中二病心に突き動かされた故のものであった。

 

 少し日本神話の話をする。

 イザナミには、死んでから黄泉の国に送られ、そこで姿が醜く変わり果ててしまったというエピソードがある。それを夫であるイザナギが見たことにより彼女は恥辱に濡れた。さらには妻の変貌に慄いたイザナギは逃げ出し、夫婦の仲は裂けてしまう。よってそれ以降、その二柱の神が仲直りすることはない。

 

 まさに当時の伊崎さんは、俺にとってのイザナミであったのだ。

 病気に苦しんでいた彼女には大変申し訳ないが、俺は「これこそ日本神話の再現。いや、ここからハッピーエンドに繋がる新たな神話が始まるのだ」と大興奮した。

 つまり、姿が変わった彼女に愛を囁き、前世からのわだかまりを解消するという一大ラブストーリーを勝手に思い描いたのである。傍から見れば女性の弱っているところにつけ込んで、その心に入りこもうとする姑息な男に見えたかもしれない。

 だが周りの評判なんぞ、俺には関係なかった。向こう見ずであったし、仮に気にしたところで元々地に落ちるどころか地底深くに潜っているような評判の変動などあって無いようなものである。

 まあ多少の痛々しさを含んでいるとは言え、心根は問題なかったはずだ。

 それがどうしてあんな話題しか振れなかったのか、今でも謎でしょうがない。

 

 ある時、埃取り付きの折り畳み式手鏡を持ち出して伊崎さんに見せた。

 

「見てごらん。これが真実を映す八咫鏡だよ」

 

 予想では鏡に宿る魔法の力で伊崎さんの元の顔を映すはずであった。しかしそこには、当然のことながら少女心に容赦のない悲惨な現実があるだけだった。

 伊崎さんは何も言わなかった。まったくもって最低最悪の行為であった。

 

 またある時、俺はつらつらと日本神話のうんちくを垂れ流した。思い返すと所々で間違っていたし、中国あたりの玄武やら白虎まで出てきて滅茶苦茶な無知蒙昧ぶりを発揮した。それを得意気に語っていた自分を殺してやりたい気持ちになるが、心身ともに参っているはずの伊崎さんにそんな戯言を聞かせ続けたのだから、もう殺されたあげく地獄に突き落とされても文句の言えない外道であった。

 さらにある時はイザナミとイザナギの心情についてや、自由研究でも扱った輪廻転生についての考察を述べた。どれもこれも常人なら聞くに堪えないか、欠伸が出るほどつまらない話だっただろう。

 しかし俺は一切を省みず嬉々として喋りまくった。伊崎さんに誰も近寄らなくなったのを良いことに彼女を独占した気になっていたのだ。

 まったくもって若気の至りだった。

 

 

 

 

 伊崎さんがバセドウ病による衝撃的な変化を明かしてからさらに一ヶ月が経ち、彼女はまた学校に来なくなった。この病気は外見が変わる他にも、何もしていないのに呼吸が乱れたり常に気怠かったりするらしく、『体調が良くないため』という名目で伊崎さんは自宅で療養することになった。

 しかし本当は、腫れ物のように扱われて精神を追い詰められただけだということは、誰の目にも明らかであった。

 

 ここで矢面に立たされたのが俺だった。

 理由は明確で、ただ一人、伊崎さんに話しかけまくっていたからだ。俺が心ない悪口を言って伊崎さんをひどく傷付けたという噂が広まっていた。

 この噂を流したのは宮野であり、また田辺ら女子も井戸端会議のごとく寄り集まってはこちらに聞こえる声量で俺の陰口を叩いた。

 自分たちの冷たい態度は棚に上げるこいつらに内心怒りを覚えたが、ここで何か騒ぎ立てたところでどうにもならないことは分かっていたので、俺は口をへの字に曲げて耐えた。噂が届いたか、もしくは誰かが告げ口してか、先生にも生徒指導室に呼び出され「お前なにか伊崎に言ったりしたのか」と凄まれた。それでも俺は憮然として、お喋りをしていただけだということ伝えた。

 生徒指導室から戻ると、宮野たちが俺を見て「犯罪者」と指差してゲラゲラ笑った。俺は奴らを睨み付けて、こいつらにはいつか天罰を下してやると誓った。

 

 先生からはいじめの事実確認の他に、登校を決意した際の伊崎さんの心情を聞かされた。

 バセドウ病の治療は長くかかり、症状が重ければその間はずっと学校を休む患者も少なくないという。醜くなった己の姿を喜んで晒したい人間などいない。当然のことである。

 しかし伊崎さんは一ヶ月以上が経って比較的病状が落ち着いた頃、学校に通い始めた。それも自分の意思で。

 親や医者、先生も彼女をやんわり止めたらしい。特別な事情だから無理をしてまで行くことはないと。

 それでも伊崎さんが頑なに学校に来たがったのは、彼女がまだ人というものの穢れを知らない無垢な子どもだったからであり、そして自分の周りの人間を信じる清い心があったからに他ならなかった。

 彼女は信じていたのだ。見た目が変わっても、人間は心こそが大切なのだ、と。

 その結果は前述の通りである。

 伊崎さんは見事に裏切られ孤立し、途方に暮れた後、すごすごと自宅に引き籠ってしまった。幼さの残る少女の希望は、粉々に打ち砕かれてしまったのである。そのなんと哀しく、希望のないことか。

 

 俺は静かに憤った。そして思った。

 伊崎さんの太陽となれるのは、やはりイザナギの生まれ変わりである俺しかいないと、そう思った。

 何が『やはり』なのかは大人になってみてもさっぱり分からない。

 

 

 

 

 それから俺は、宿題や学級新聞などのプリントを届けるために幾度となく伊崎さんの家に足を運んだ。通学路は違っていたが、俺が積極的に志願しては飛脚の役を買って出たのである。「名誉挽回に必死になってる」という陰口もあったがそんなものは右か左へ聞き流した。

 もちろん、それは伊崎さんを訪ねる口実に過ぎなかった。

 俺は単に好きな人に会いに行きたかったのだ。一人寂しくしているはずの伊崎さんとお喋りがしたかった。考え無しのお子様だったのである。

 

 無論、伊崎さんには会わせてもらえなかった。たいていは呼び鈴を鳴らすと伊崎さんの母親が出てきてプリントを受け取るだけだ。伊崎さんと話したい、と言っても「娘が今は誰とも会いたがらないのよ。ごめんなさいね」と門前払いをされるだけであった。

 ご両親がいない場合には、伊崎さん本人が呼び鈴に備え付けられている電話口に出て、どこか不透明な声でプリントをポストに入れるようお願いされた。その時も伊崎さんと直接会うことはできなかった。

 

 それでも尚、俺はめげなかった。

 三顧の礼という中国の故事成語がある。かの劉備玄徳がそうだったように、俺も誠意を尽くして何度も伊崎さんと会わせてくれるようお願いしに行った。雨の日も風の日も、構わずに出向いてはイザナギとしての自尊心をへし折って頭を下げた。

 やがてそれが受け入れられる時が来た。秋が深まって黄色い銀杏の葉が落ち始めた季節のことである。

 ある昼下がり、休日であるにも関わらず俺は自転車で伊崎さんの自宅に訪れた。伊崎さんのお母さんが出て何とも言えない辛そうな表情をした。

 

「そんなに奈美江と話したいの」

 

 俺は黙って頷いた。おばさんは暫し考えてから、俺に少し待つよう言って家のなかに入った。

 数分して戻ってきたおばさんは、俺を家に招き入れた。天岩戸がついに開いたのだ。

 

「上がっていいわよ。奈美江がね、少しだけなら話しても良いって言ったの」

 

 伊崎さんの部屋が二階にあることを教えられ、俺は一人で階段を上がった。おばさんは俺と別れて居間へ行く際に「奈美江をお願いします」とぽそりと呟いた。

 

 生まれて初めて入った女子の部屋は暗く、不健康な雰囲気であった。

 カーテンを閉めきった薄暗い部屋の隅で、伊崎さんは毛布を被って丸くなっていた。その優等生には似つかわしくない格好が、彼女の当時の心境を如実に物語っていた。

 「電気は点けないで」と言うので俺は伊崎さんの顔がろくに見えないまま、その場に正座した。

 

「同情してるんでしょう」

 

 伊崎さんの口調はやや確信めいていた。

 俺が「いや、別に」と言うと、鼻をすする音をさせてから「嘘」と返してきた。

 

「本当は、来たくもなかったでしょ。誰に言われて来てるの。先生? それともうちの親?」

 

 どうやら伊崎さんの中では、俺が嫌々ながら彼女を訪ねてきていることになっているらしかった。

 ただの中二病を拗らせた結果がこれである。日本神話に準じて伊崎さんの病気の経緯を美化させていたら、いつの間にか大変真面目な役回りを担うはめになった。なんとも似合わない大舞台に乗り出してしまったものだ。

 しかしそこは脳内一面お花畑絶賛真っ盛り中の俺である。やさぐれた伊崎さんの声に、この問答はイザナミからの試練だと感知した。彼女の質問に対して正しい選択肢を選んでいけば全てが丸く収まりめでたしめでたしとなると考えたのは、恋愛シミュレーションゲームで遊び過ぎていたと言う他ない。

 俺は演技でありながら、それを自覚せず大真面目に答えた。

 

「否。我が黄泉比良坂を下りここへとやって来たのは、私自身の意思だ」

 

 女子の部屋を黄泉の国などと呼ぶ俺。無礼にも程がある。

 伊崎さんは「よみひら?」と少々困惑していたが、俺の言いたいことは伝わったらしかった。

 

「じゃあ私を笑いに来てるんだ。案外意地悪なんだね。知らなかったよ」

 

 そんなことを、伊崎さんが早口で捲し立てる。興奮しているのか息が荒くなっていて、彼女の余裕のなさが伝わってきた。

 

「笑ってなどいない。我の顔をよく見るがいい」

 

 さらに布団に隠れられる。

 俺は男前の表情を作ってそう言ったが、伊崎さんは意地でも顔を見せたくはないようであった。

 

「わかんない。何で私に構うの」

「ああイザナミよ。前世のことであろうと妻を案ずるのは夫の務めだろう」

「それが意味わかんないって言ってるの!」

 

 伊崎さんはついに声を荒げた。涙でくぐもった悲痛な叫び声だった。

 

「何よイザナミって! 前世? 馬鹿じゃないの!? いつもそう………あなたの考えてることは何一つ分からないのよ!」

 

 俺は努めて平静を装っていたが、けっこうショックだった。妄想を否定されるというのはなかなかに辛いものである。

 そんな俺を置いて、伊崎さんは堰を切ったように今まで積もった思いを吐き出した。

 

「学校に行ったって誰も話してくれないし、友達も皆いなくなっちゃった! こんな顔で外を歩くのも怖いし、毎日イライラして夜も寝れないし、お父さんやお母さんには迷惑かけるばっかりだし、もうどうして良いか分かんない! ねえどうして? どうして私がこんなに辛い目にあわなきゃいけないの? 私何か悪いことしたの? 神様だって言うなら教えてよっ!」

 

 血の混じるような痛切な叫びはきっと、階下にいる伊崎さんのお母さんにも聞こえていただろう。

 言い切った伊崎さんはさめざめと泣いている。それは人が精神の限界まで追い詰められた姿だった。

 そして俺はといえば、興奮していた。

 

「泣くな。美人が台無しだぞ」

 

 伊崎さんの叫びに対して場の盛り上がりを感じた俺は歯の浮くような台詞を言う。しかも顔の話題は今の伊崎さんにとってタブーであるにも関わらずだ。

 そこに深い考えなど無かった。単純にそれっほい台詞を述べただけである。

 俺に皮肉を言われたのかと思ったのか、伊崎さんは被っている布団の隙間から俺をキッと睨んできた。

 

「馬鹿にしてるの?」

「大真面目だとも。お前はどんな姿になっても美しい」

 

 これまで散々妄想してきたシチュエーションをなぞることが出来ている今の状況に、俺は深く感動していた。一生に一度は言ってみたい台詞をばんばん言えるというのは最高に気分が良い。無論、その代償は生涯に渡る恥辱であるが。

 

「我が心を許したのは君の外見にではない。魂だ。そうでなくては転生してまで引き逢う道理がない」

 

 転生などしていないが、伊崎さんは特にそのことにはツッコまなかった。

 

「イザナミはどうなろうとイザナミだ。そうだろう」

 

 俺はどや顔でそう言い放った。

 もちろん彼女はイザナミではないが、伊崎さんは特にそのことにはツッコまなかった。

 あんな状況でも気を遣われていたのだろうかと思うと恥ずかし過ぎる。

 

「見せたくないなら、顔は見せなくても良い。その代わりに手を出せ」

 

 俺に言われるままに伊崎さんが右手をおずおずと差し出す。

 俺はポケットからあるものを取り出し「うむむ」と唸りながらそれを握り締める。何の意味もない儀式を行ってから、祈祷を込めたつもりのそれを伊崎さんの手の上に乗せた。

 

「これって」

 

 伊崎さんがそれの感触を確かめるように手の中で転がしながら呟く。

 彼女に渡した物は、俺が作った勾玉だった。

 今までで最高の出来映えであり、親に内緒でオンラインショッピングを利用して手に入れた紫水晶を使った逸品だ。後に購入履歴から親にバレて拳骨を食らいお年玉を減額されるのだが、まあ良い買い物をした。

 

「我の神力を込めた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だ。覚醒はしていないので前世の半分ほどの効力しか持たぬが、人間の病程度ならすぐに治してしまえるだろう」

 

 という設定である。

 伊崎さんは呆然としながら勾玉を見つめ、そして呟いた。

 

「これ、作ってくれたの?」

「そうだ」

「私のために?」

「当たり前だろう」

 

 しばらく伊崎さんは呆然としたように固まった。

 尊大な態度とは裏腹にどんな反応をされるかドキドキして待っていると、伊崎さんは頭から被っていた布団をパサリと落とし顔を覗かせた。以前よりマシになったとはいえ、まだ完治までは程遠い様子である。

 しかしその時の伊崎さんは薄暗がりでも分かるほど晴れ晴れと笑っていた。涙を浮かべ、「ありがとう」と言いながら、笑ってくれていた。

 

 なんだか語っていて良い話のような気もしてきたが、結局は俺が歯の浮くようなキザな台詞を吐いたに過ぎない。もっとやりようがあっただろうと叫びたくなる。

 叫んだところで伊崎さんからは「えー、嬉しかったんだけどなあ」と言われてしまうのだけども、後悔してもし足りない若気の至りであった。

 

 

 

 

 もしもこの後、病気が完治した伊崎さんとの嬉し恥ずかしな恋愛物語を期待されている方がいらしたら申し訳ないが、ついぞ彼女が中学校に顔を見せることは無かった。

 

 伊崎さんは転校してしまったのだった。

 病気とは別で、親父さんの赴任に家族で付いていくことになったのである。見舞いに行ってから伊崎さんが来ることを今か今かと心待にしていたので、春休みに入る直前で担任の先生から転校を知らされた俺は愕然としたものだ。

 そのような訳で、俺はせっかく仲良くなった伊崎さんと離れ離れになり、恋が実らぬまま青春時代を過ごすこととなった。

 

 救いだったのは、伊崎さんが俺に手紙を残してくれていたことだ。仲介役になった先生からは何だか冷やかすようでもあり、温かく見守るようでもある居心地の悪い視線を送られた。伊崎さんはなんと言って俺への手紙を預けたのだろうか。

 手紙には病気が快方に向かっていることと、彼女らしい丁寧な言葉遣いで別れを惜しむ文が綴られていた。見舞いのお礼については特に筆跡に力が入っていて、点々と紙面にある水にふやけたような跡は、俺の勘違いでなければ伊崎さんか泣きながら書いたものであると推察される。それが嬉し泣きであったなら良いのだが、事実は今も判っていない。

 最後には俺が見舞いの品としてあげた勾玉のことが書かれており『ずっと大事にする』とのことで俺は小躍りして喜んだ。神々しいイザナギの舞いを踊ったつもりだったが、父からは「盆踊りの練習か」と真顔で聞かれたのでそれ以来一度も踊ったことはない。

 

 伊崎さんがいなくなってみると、学校生活はどこか寂しく張り合いがなくなってしまった。勾玉製作には身が入らず、高校受験を控えて流石の俺も重い腰を上げねばならなくなり、次第に青春の中核を担っていた神話への盲執は悪い夢だったかのように霧散した。

 それと反比例して黒歴史が熟成していったのは言うまでもないことだろう。修学旅行で小遣いの全てを木刀につぎ込み、草薙の剣と名付けた代物もいつの間にか無くしてしまった。どうせ粗大ゴミとして捨てたに違いない。

 

 ただ一つ、俺の中二病の締めくくりを象徴するものとして、宿敵である宮野との大喧嘩がある。

 奴とは進級しても同窓となり、その憎たらしい面を拝むはめになった。いつからかは知らないが田辺と付き合っていたようで、お似合いのカップルだと内心で冷やかした。

 何より気に入らなかったのは、伊崎さんの転校が知らされてからというもの、奴らが手のひらを返したように伊崎さんのことを馬鹿にし始めたことだ。もう時効だとでも思ったのか、本人がいない安心感からか、病気で変貌していた顔の話題を始めとして、日に日に伊崎さんを嘲笑う声は大きくなっていった。それを聞く度に俺の激情は赤々と沸き立つ溶岩のごとく燃え上がった。

 ある日、ついに我慢できなくなった俺はこの不届き者共に神の鉄槌を下さんといきり立った。掃除の時間だったのでモップを振りかざして宮野の不意をついた。「薙ぎ払え!」と叫びながらモップをやたらめったら振り回すと汚水の飛沫が宮野の目を直撃し、奴は悶絶する。

 俺は怒りも忘れて己の力に感動した。ついに異能に目覚めた錯覚をして、「時は来たれり」とクラスメイトたちに声高に宣言した。

 感動するあまり、このモップを天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と呼ぶことにして掃除の時間以外でもこれを取り出しては悦に浸った。事件後もしばらく、第一の愛剣を草薙か天叢雲かどちらにしようか悩み続け、その二つが全く同じ剣だと知ったのは本当に恥ずかしい思い出である。

 もちろん生徒指導室に呼ばれての厳重注意にも耳は貸さなかった。自分は正義を執行したのだと固く信じていたからだ。そんな生意気な子供にも受験の手解きを辛抱強くしてくれた先生には頭が上がらない。

 ともかくこの一件で俺の誇大妄想はピークを迎え、あとは緩やかな衰退を見せた。栄枯盛衰。兵の夢のあとに残ったのは痛々しい記憶のみである。

 

 高校に進学すれば中二病からは完全に脱して、今に至るまでかつての自分を後悔することとなる。全ての記憶を忘却の彼方に追いやり、事実さえも消し去りたい思いであるが、あれが無くては伊崎さんとの出逢いもなかったのだと考えると忘れるに忘れられないので如何ともしがたい。

 だからと言って高校生活が中学に輪をかけて散々だったのかと聞かれればそんなことは無く、むしろ幾分か充実していた。

 具体例を挙げれば、中学のときに勾玉製作で付き合いが出来た友だちと鉱石同好会なるものを拓いたり、どこからか俺の中二病の頃の噂を聞き付けた同級生にからかわれたりしたが、そのことは話の主題から逸れるので敢えて特筆することはない。ただ、なんでも行動してみば、仲間の一人や二人は出来るものであると知れた。

 これで色恋沙汰でもあれば尚良かったが、俺の青春はやはり華やぐことはなく慎ましやかに幕を閉じた。

 

 そして大人になった今でも依然として頭が悪く、たまに男のロマンなるものを追い求めてしまう点においてはまるで成長が見られない。現在は三つ子の魂百までという諺を痛感しているところだ。

 そんな体たらくだから嫁の尻には敷かれるし、たまに昔のことをあげつらって笑われるのである。

 

 

 

 

 さて、少しと言いつつここまで長々と語ってしまったが、時は一息に十年ほど飛び、俺はいま難題と真っ向から睨み合っている。

 それというのも少し前に嫁の妊娠が発覚し、生まれてくる子供の名前をどうするかと話し合ったことが発端である。

 

 嫁はまあ俺の恥ずべき黒歴史をよくよく知っているので、日本神話の神々にちなんだ名前を候補に挙げては俺が悶え苦しむ様子を見て楽しんでいる。付き合った当初は手を握るだけでも赤面したというのに、とんだ悪女になってしまったものだ。

 男だったらカグツチにするとか縁起でもないことを言う。だからといって名付けのセンスが産毛ほどもない俺では嫁の冗談を吹き飛ばせるような案は思い付けない。また、真っ向からの口喧嘩で勝てないのはこれまでの惨憺たる戦歴を鑑みれば明らかである。死ぬまでに一勝くらいしてみたいが、きっと無理だろうと諦めている。

 

 今も机の向かいで、悩む俺を見つめて嫁が淑やかに笑っている。その胸元には紫色のネックレスがかかっていて、それがまた俺の黒い思春期の思い出を刺してくる。

 俺がプレゼントしてからというもの嫁は肌身離さずその宝飾を大切に持っていてくれている。嬉しいことだが、送った俺の態度が態度だっただけに今となっては素直に喜べない。

 それを言うと嫁は少し拗ねて見せてから、子供の頃のように屈託のない笑顔を向けてくる。なので身に付けるなとも言えず困ってしまう。

 過去に嫁へはたらいた数々の迷惑行為を謝れば笑って許してくれるのに、からかうことはちっとも止めてくれない。完全に攻守が逆転してしまった。

 

 ああ、何故、中学生の頃はあんなことばかりしていたのだろう。全ての原因はあの時代にある。どうか神にでも頼んでやり直しをさせてもらえないだろうか。もしくは嫁との関係だけは残して都合よく歴史を改竄(かいざん)してくれるのも吝かではない。

 

 嫁の首から麻紐でぶら下がっている勾玉を見ながら、かつて成りきっていた神へ、俺はそう祈らずにはいられないのだった。



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