バカな後輩が俺に催眠アプリなんてものを使い始めたが、やはりバカはバカらしい (歌うたい)
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閃いた月曜日

夕暮れ時、ちまちまと星が見えてきた頃。

 

後ろの方から、アスファルトをバタバタと駆け寄ってくるやかましい足音が聞こえてくる。

なんだろうかと振り向けば、おバカな後輩が俺に向かって手を振っていた。

 

 

「せんぱーい、まってくださーい」

 

 

「なんだよ後輩」

 

 

 

片側だけ三つ編みにした栗色のロングヘアーが、犬の尻尾みたいだ。

 

夕陽をバックに浮かぶシルエットのちっこさからして、豆柴っぽい。

 

 

「もーまたですか。そこは早苗って名前で呼んで……ん? いやいや、そういえば…………ハッ!!」

 

 

「え、なに? というかなに閃いたって顔してんの」

 

 

息切れもしてないスタミナ量。

大したもんだと言いたいけども、高い運動神経や背は小さいながらもグラマーな分、頭に行く養分が全然足りない。

 

巨乳はバカって聞くけど、多分その信憑性に一枚噛んでる。

それくらいおバカな後輩の思いつきは、ろくでもないに決まってる。

 

 

 

「……そう、そうよ早苗。これはチャンス。いっそこの際、名前で呼んでーってことも『催眠』しちゃえば……うん、そうだよね、ホントに効果あるかも試せるし……むふふ」

 

 

「……いきなり何言ってんだコイツ……というか、催眠って……」

 

 

「フッフッフ……先輩。早苗は今までに先輩に何度もバカだのアホだの、さらには頭のネジをママのお腹の中に忘れてきたとさえ言われて来ましたが……ついに汚名挽回です! この天才的頭脳が、悪魔的……もとい、小悪魔的なアイデアを閃きましたよ!」

 

 

「……」

 

 

「……あれ? ここは『それをいうなら汚名返上だろ!』ってツッコむところですけど……」

 

 

「それ実は間違いじゃないって今日の現国でやったばっかなんだろ」

 

 

「……え、そうでしたっけ?」

 

 

「お前がラインで授業の内容送ってきたんじゃんか……時間で言えばまだ二時間も経ってないし」

 

 

「……あるぇー? おかしい、記憶にない」

 

 

このほんの少しのやり取りで、この後輩がいかに天才的頭脳(笑)をお持ちなのかが良く分かる。

 

あの時は丁度黒板に解答を書き込むタイミングだったので、ポケットの中が震えてこっちは嫌な汗かいたってのに。

 

 

「まっ、いいか! そんな事より、そんな事よりもですよ先輩っ! 覚悟はいいですかっ!」

 

 

「……なんの?」

 

 

「決まってます! この早苗の……えーと、何っていうのかなこの場合……なんかあんまりいかがわしいのは嫌だし……ペット? うーんそれじゃ可愛がる相手だし、むしろ可愛がられたい方だし…………むむむ」

 

 

「早くしてくんない。さっさと帰って夕飯食いたんだけど」

 

 

「……よし、これで行こう。ちょっといかがわしいけど、まだ性奴隷とか操り人形とかよりいいよね、うん」

 

 

「お前何口走ってんの、ねぇ」

 

 

「整いました!!」

 

 

「その心は?」

 

 

「先輩は! 今日から早苗の! 愛の奴隷となります!!」

 

 

「…………愛を前に置けばいかがわしさがなくなるとでも思ってんのかギネス級単細胞」

 

 

ちなみに此処は閑静な住宅街であり、我が家の近所でもある。

いやホントね、明日からどうすんだよこれ。

 

 

「という訳で先輩、これ見て下さいこれ」

 

 

「……んー?」

 

 

「フッフッフ……何て書いてあります?」

 

 

「えー……『催眠アプリ─改』 これで相手のハートを我が物に……」

 

 

「……お分かりいただけたでしょうか」

 

 

「……おかわりいただきたいほど腹減ってるんで帰っていいですか」

 

 

「つーまーりィですねぇ……」

 

 

「巻き舌やめーや」

 

 

「このアプリを使えば、先輩にあーんなことやこーんなことが出来ちゃうっとゆーワケなんです!!」

 

 

「……あ、そう」

 

 

なんかもう、目に痛いくらいのピンク色のアプリ起動画面とかなんかもう、思わずうわぁと目を逸らしたくなるセンスである。

 

というより、つまりあーんなことやこーんなことを先輩にしてみたいですと発表している事にコイツは気付いてるんだろうか。

 

 

……いや気付いてないな、間違いない。

 

多分使った間の記憶は自動的になくなるとかそんなプラス思考が働いてるんだろうねこれ。

 

説明書とか全然読まないタイプだし。はぁ。

 

 

「なぁ、ひとつ聞いてもいいか?」

 

 

「はい、なんです?」

 

 

「それ、他の誰かに使った事とかあんの? いや、人に限らず犬とか猫とか……」

 

 

「なっ……」

 

 

まぁ普通そんな人権無視も余裕な恐ろしい秘密兵器じみたもんがあれば、大体の人は試しに実験するだろう。

 

その成果次第で、催眠アプリの有用性が実証されるというものだ。

そしてまぁ、あーんなことやこーんなことを……っていう段取りが普通だとは思うけども。

 

 

「は、初めて使う相手は先輩だって決めてるんですからね……ってなに言わせるんですかもーやだなー」

 

 

「ときめくようでときめかない台詞どうもありがとう」

 

 

柔らかそうな頬を林檎みたいに染めて、グラマーな身体をもじもじとさせる仕草は可愛いもんだけど。

 

でもこれ、愛の奴隷とか催眠とか聞かされた後だからなぁ……

 

もし効果なかったらどうするんだろうなぁコイツ。

 

普通に告白するよりも何倍もたっかいハードル飛び越えるような真似してるって気付いてないんだろうなぁ、バカだし。

 

 

「……さぁ、いよいよ運命の時間ですね、先輩。覚悟はいいですか……」

 

 

「催眠される覚悟が固まる人間なんているわけないでしょうよ……」

 

 

「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」

 

 

「そのまま掌底食らわせそうな構えとんのやめて」

 

 

もし、そんなの効果がないって分かったら……

 

多分、凹むよなぁコイツ……

 

普段ポジティブな分、落ち込んだら長いし。

 

 

「……えいやっ」

 

 

そしてスマホの画面を俺の目の前まで突き出しながら、ポチッと起動のボタンを押した。

 

その瞬間、ピコーンって音がなって、ファーブルスコファーブルスコ、とか相変わらずよく分かんない呪文がスピーカーから流れ出して……

 

 

……

 

…………

 

 

 

「……ど、どうですか、先輩! さぁ、早苗の愛の奴隷にっ」

 

 

「…………」

 

 

「せ、先輩……?」

 

 

「……腹減った。やっぱ早弁すんじゃなかったな」

 

 

「あ、あれ……先輩?」

 

 

「なに?」

 

 

「な、なんかおかしいとことかないですか?」

 

 

「は? いや別に。むしろ腹減ってるくらいだから健康の証じゃないの」

 

 

「えぇぇ……そんなぁ…………」

 

 

「…………」

 

 

「ぐぬぬぬ…………あれ……そ、そういえば私、先輩になんか……いろいろと、まずいことを言っちゃったような……」

 

 

みるみる内に顔が赤くなったり青くなったり黄色くなったり。

よっぽど焦ってるのか、信号みたいにコロコロ顔色が変わるのは見てて面白いけど。

 

 

「んじゃ帰るか。ま、そろそろ陽が暮れるし、送ってやるよ。早苗ん家って確か商店街のアーケード越えた辺りだっけ」

 

 

「えっあっ、そうです早苗の家は………………って、さなえ……?」

 

 

「商店街でコロッケでも買おっかな……」

 

 

「せ、せせせ先輩先輩!! あの! あのあのあの!! 先輩、私の事もっかい呼んでみてくれませんか!!」

 

 

「は? …………早苗でしょ。なに、改名でもしたの」

 

 

「……~~~~ッッ、やったぁぁぁぁうひゃほぉぉぉぉぉい!!!!」

 

 

「近所迷惑考えろやコラ」

 

 

まぁ、というように。

 

催眠アプリを使い始めたところで、やはりおバカはおバカなので有効活用なんて出来ない。

 

餌をポイッと投げれば尻尾振って我を忘れるタイプなので、きっと『気付かない』んだろうね。

 

 

そういうところが、なんだかんだで可愛いと思えるのは、我ながら情けない話だと思うけど。

 

 

「せんぱーい」

 

 

「なに、早苗」

 

 

「ウェへへへ……先輩素敵です」

 

 

「なんだよ気持ち悪い」

 

 

「コロッケ買ったら一口くださーい!」

 

 

「え、やだよ。お前一口っていいながら半分いくじゃん」

 

 

「大丈夫ですって、大丈夫。いま早苗、ちょっとだけしかお腹すいてませんから!」

 

 

「日頃の行いからして信用出来ないんだけど」

 

 

「信用してくださいよぉ……でっへへへ」

 

 

「そのだらしない顔と笑い方、なんとかならない?」

 

 

ほら、もう催眠アプリのこと頭っから離れてる。

 

名前で呼んだだけで満足して、愛の奴隷とやらの件もすっかりどっかいったみたいだし。

 

やはり、バカはバカらしい。

 

 

 

 

けどまぁ、もう少し様子を見てみようか。

 

 

単純さに思わず頬が緩む、ろくでもない月曜日のコト。

 

 

__



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やらかしに気付いた火曜日

 

 

「あのさぁ……ちょっと早苗、最近なんか調子に乗ってない? ちょームカつくんですけどぉー」

 

 

「うわ先輩、何ですかその絵に描いたみたいなイジメキャラ、少女マンガでも読んだんですか? そういう事言う時はあと二、三人くらい手下っぽいのを引き連れてですね……」

 

 

「正直自分でも鳥肌たつくらい今のキモかった自覚あっから。クオリティについてツッコミ入れるより、この台詞にこめたニュアンスとか重視して欲しい訳ですよ」

 

 

「くお……にゅら? ちょっとよく分かんないです。ままま、それじゃ気を取り直して、とりあえず次の百円インしちゃいましょー! 大丈夫です、さっきのホント惜しかったから! 次こそ絶対取れますよ先輩!」

 

 

「……いやさ、分かるよ? ゲーセン行ってUFOキャッチャーに可愛いぬいぐるみあって……まぁ俺が取ったげるパターンだろうよ。けどさ、普通違うじゃん、むしろ逆のパターンじゃんこれ」

 

 

「え、逆って何ですか?」

 

 

「だからさ、普通こう1500円くらい使ったら欲しがってる女の子が『もういいよ、無理しないで』的な発言するじゃん?」

 

 

「ふむふむ」

 

 

「そこをさ、男として譲れないからってムキになってもうワンクレジット、ってのが様式美な流れよ。で、そのワンクレでなんか都合よく取れちゃうまである。いわゆる勝ちフラグ的な」

 

 

「ほえー」

 

 

「つまりさ、テンプレってあると思うんだ俺は。けどお前この状況全く逆じゃん。欲しがってんのもお前だしGOサイン出すのもお前で、取るの俺、金出すのも俺はいいとしても、お前が一番ムキになるってのはなんか違うくない?」

 

 

「え、だって早苗の為に頑張ってくれる先輩、なんか可愛くて」

 

 

「そこはぬいぐるみの可愛さ語れや、それっぽい事言えば照れると思ってんじゃないよ」

 

 

「勿論あのくまさんも可愛いに決まってるじゃないですか、何言ってるんです先輩」

 

 

さて、ここで私めの冒頭の台詞を振り返っていただきたい。

 

そう、つまりそういう事です。

 

 

「なにこいつ最近ホント生意気」

 

 

「ふふふん、いいんですかそんな事言ってぇ。使っちゃいますよ、催眠アプリ」

 

 

正直あの時の判断は失敗だったかも知れない。

 

 

「というかさ、ちょっとした疑問なんだけど」

 

 

「あいあい」

 

 

「お前さ、催眠アプリを催眠アプリってなんで認識してる訳?」

 

 

「……はい?」

 

 

何言ってんだコイツ、みたいなしらーっとした目で見られるのも、まぁ仕方ないと思う。

バカと一緒にいるとちょっとずつこっちも頭悪くなるっていうのは、こいつとの付き合いの中で学んだ経験則というやつである。

 

だから今のは説明が悪かった。

そこは素直に甘んじたい。

けど、やっぱコイツにバカとして見られるのは癪なのだ、ホントじんましん出るレベルで。

 

 

 

「……普通、催眠アプリって聞いたらね、なんかこう、聞かせた相手を眠らせるヒーリング効果のある音楽のアプリとかそっち思い浮かべるんじゃないかと」

 

 

「あー、確かに。さいみんじゅつってそういう感じしますよね。ほら、あの某国民的ゲームの技にもありますし」

 

 

「そういう事は忘れないのな。まぁいいや、んでさ……俺はふと気付いたわけよ」

 

 

「おぉ、なんかもったいぶりますね先輩」

 

 

「……気付いたってのはあれだ。お前が催眠アプリを見せ付けて来た時さ、すんげぇ際どいこと言ってたよな。『性奴隷』だの『操り人形』だのって。どっからその発想が出てきたんですかねぇ……?」

 

 

「………………あっ」

 

 

ようやく俺の言いたいこと、すなわちあの時早苗がうっかりこぼしてしまった発言ミスも思い出していただけたようで。

 

 

「操り人形はもうすっげぇ黒に近いグレーとして見逃すとしてもさぁ……性奴隷ってお前、催眠アプリ=性奴隷ってお前さぁ……」

 

 

「あ、やっそれは違うんです違うんですいや別にそういう趣味とかがある訳じゃないんですってばホントホント!」

 

 

「……男女平等がわんさか言われてるこのご時世にあんまり口うるさく言いたかないけど、流石に華の女子高生がそういうアングラなネタを漁るのはちょっと……」

 

 

「ちょ、ちょっと先輩待って! あぁっ、先輩がジリジリと遠くに! 誤解ですってば!」

 

 

「いやまぁ個人の趣味をどうこう言える筋合いなんてないとは思うよ俺も。でも、無意識だとしてもオープンしちゃダメだって、そういうのはせめて密やかに隠しとかないと。仮にも異性相手に口走るのは……」

 

 

「だ、だから……その……別に、そういう本とか集めてる訳じゃなくて、ですね……」

 

 

「……うむ」

 

 

「うぅ……じ、実は……その、兄ちゃんの部屋にあるゲーム機借りようと思った時に、ベッドの下にあるのがチラッと見えまして……」

 

 

「Oh……」

 

 

「まぁエッチな内容でしたけど、それで、その時の内容がつまり……催眠アプリ、というやつでして……」

 

 

「……あぁ、それで知ってたって訳ね。納得」

 

 

ぽむ、とわざとらしく掌に拳を置いてやれば、みるみる内に沈んでた顔がパァッと華やいでいく。

多分、これで先輩は分かってくれた、とでも思ってるんだろう。

まぁ、それはそれとしてまた新しい問題が見え隠れしてる訳だけど。

 

 

ちょっと、うかつ過ぎたなぁ。

 

 

「ところで、その催眠アプリって何ページ目くらいにあった」

 

 

「何ページ目……と、言われても、そんなページ数とか覚えてませんよ。多分、半分過ぎたくらいじゃないかなぁ……」

 

 

「ほぉう……なるほど、半分以上。なるほどねーこのムッチリムッツリが」

 

 

「へ? ちょ、何ですか先輩、いきなりひどい言い草して。若干セクハラっぽいですよ」

 

 

「まぁセクハラだろうけどさ。気付けよ早苗、今お前、兄貴の部屋にあるエロ本を少なくとも半分以上読みましたって白状したようなもんだぞ」

 

 

「えっ…………あっ、あぁっ」

 

 

「お前詐欺とか引っかかんなよ絶対。や、言ってもダメか。うーんどうしたもんかねこのアンポンタン」

 

 

「どどどどどどうしよどうしよ!! こ、このままじゃ先輩の中での早苗のイメージがとんだ淫乱にっ! ビッチにっ! 放課後の保健室にぃぃぃい!!」

 

 

「……そこでそう絶叫する辺りがまさにお前だよな」

 

 

ここがうるさいゲーセンで良かった。

近くの店員がギョッて顔してこっちみてるけど。

 

そして恐らく一番被害を負ったのは、秘蔵のエロ本の内容をそれとなく暴かれた早苗の兄ちゃんなんだろう。

 

そんな哀れな早苗兄氏を慮って、この事はそっと墓場まで持っていこうと思う。

 

このバカな後輩が、また調子に乗ったらすぐ掘り返したるけど。

 

 

 

「早苗」

 

 

「…………なんですかもう、少しそっとしといてくださいよぉ」

 

 

さて、とんだ失言でひたすらテンションをがた落ちさせるムッチリムッツリを横目に、とりあえず調子に乗った分はこれでチャラにするとして。

 

流石にやり過ぎたかなと反省の意をこめて、埋め合わせをしようと思う。

 

ポジティブな分、凹ませると面倒くさいし。

 

 

 

「次でいい加減、取れたらいいなコレ」

 

 

「……もういいですよ、無理に取らなくて。こんな、こんなバカでアイタタタな個人診療女なんて……」

 

 

「……同級生相手とかと思ったら、保健医ものかよお前の兄ちゃんマジ思春期」

 

 

けど、これで一応『勝ちフラグ』は整ったわけだから。

 

神様が空気を呼んでくれることを祈って、銀の硬貨を投入して、いざ。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

「なぁ、それ抱きながら帰るの恥ずかしくない?」

 

 

「……いいじゃないですか、別に」

 

 

「その年でクマのぬいぐるみ抱きしめる姿は正直考えものだと思う。せめて家帰ってからにしない? 一緒に歩いてる俺もなんか恥ずかしくなってきた」

 

 

「……家帰ってからもギュッてするんでいいです」

 

 

「あぁそう」

 

 

夕焼け空が徐々に紺碧へと移り変わる時間帯は、商店街のアーケードの人通りが多くなる。

 

だからそんな時間に口元隠すようにぬいぐるみ抱いてる女子高生は流石に目立つし、その隣の俺も流し見られるという訳で。

 

困った後輩はやっぱりぬいぐるみ一つで元通りとはいかないらしく、多分この分の埋め合わせはまた別に訪れるんだろう。

 

 

ただまぁ、そんなに知られたくなかったんなら。

 

 

「先輩」

 

 

「なに」

 

 

「キャサリンくん、大事にしますね」

 

 

「うん……うん? え、それ名前? しかもキャサリンなのに君付け?」

 

 

 

催眠アプリ使って忘れさせれば良いのにと。

 

 

そう思ったような思わなかったような、いつもより騒がしい火曜日のコト。

 

 



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ちゅーっと吸った水曜日

 

 

ひょっとしたら愛すべきバカこと早苗は策士かもしれない。

 

そんな考えは夏のシーズンにテレビとかで特集されるコテコテの心霊映像ばりに、信憑性のないものだってのは俺が一番よく分かってる。

 

 

けれども、『分かっているけどこの道を進まざるを得ない』って状況に追い込まれている現状を鑑みれば、嫌でもそう思いたくもなる。

 

 

メジャーなヤツだと、じゃあ俺がやるよ、からのどうぞどうぞのパターン。

あの同調圧力はなかなかキッツいものがある。

 

 

まぁ今回のケースは同調圧力というより、周りの空気を逆にぶち壊しかねないからこそ、なんだけど。

 

 

「いやー先輩、テレビで見ると結構離れてるように見えますけど、こう目の前に来ると……肩くっ付いちゃうくらい近付かないとダメみたいですねーこれ」

 

 

「……なんでそんな楽しそうなの。これどうみても罰ゲームじゃん。周りめっちゃこっちガン見してんじゃん……俺明日からここら辺歩けないんだけど」

 

 

「え、先輩……もしかしてぇ……恥ずかしがってますぅ?」

 

 

「うっざ……なにその煽り方、うざさ半端ない……つか逆にさ、お前恥ずかしくないの? 肩どころか頬までべったりくっ付かないと飲めない仕様なんだけど!?」

 

 

「あ、それはですね……ほら、メニューのここ。これ見て下さい」

 

 

「……?」

 

 

「早苗がテレビで見たやつはこっちの『バカップルジュース~青春の息吹を添えて~』ってやつだったんですよ。で、なんとですね! ここの店員さんに教えて貰ったんですけどぉ……さらに『破壊力』がパワーアップされた新メニュー『バカップルジュースでーえっくす!~寄り添う頬の熱を共に~』が今日から始まるらしいじゃあ~りませんか!!」

 

 

「なんでいっちいち高級フレンチみたいな副題付けてんだよ腹立つわ!! しかも『破壊力』ってただストローが短くなっただけじゃん! んで新メニューの方が180円(税別)高いってなんだ、手間賃のつもりかやかましいわ! あとでーえっくすじゃなくて『DX─デラックス』!!」

 

 

 

多分180円って『いっぱつ』の語呂合わせなんだろうけど、つまり一発かましたれーみたいなニュアンスなのが尚の事、腹立だしい。

 

けれど一番腹立つのは、やっぱり隣でキラッキラな笑顔振り撒きながらテーブルの上のバカップルジュースをパシャパシャ写メってるこいつである。

 

もうね、頭のネジどころか羞恥心までママの腹ん中に置いてきたんじゃないかと思うくらいだ。

 

カウンター席でこっそりこっちにスマホ向けてる女の子にピースで返す辺り、一周回って流石です。

ていうかそこは盗撮だって注意してくれホント。

 

 

「ねぇ……これマジで飲まなきゃダメ? これ飲んだら俺もうしばらく引きこもるまであるよ」

 

 

「えっ、先輩……これ飲むの、嫌なんですか?」

 

 

「なにその意外そうな顔。これ運ばれてきた時の俺のリアクション見てなかったの? 多分人生で初めてくらいの勢いでテーブルに頭ぶつけたけど? まだ俺のおでこヒリヒリしてるくらいだけど?」

 

 

「へぇー……あ、早苗に撫でて欲しいとかですか?」

 

 

「はり倒すよホント。どう考えても嫌がってただろって言ってんだよ!」

 

 

「……ふっふっふ。先輩先輩」

 

 

「なに」

 

 

「イヤよイヤよも好きのうちってヤツですよね! んもー分かってますってばぁ」

 

 

「青春ってつまりあれだよな、殴りあいの喧嘩も入ってるよな。よっしゃ河原行こうぜ早苗。先輩特製の青春の味~グーパンを頬に添えて~を味あわせてやっから」

 

 

このバッドコミュニケーションに人生初の男女平等パンチ食らわせたら、奇跡的に脳細胞活性化してくんねぇかなぁ。

 

けど、あぁうん、こいつの悪いところは話聞かない所とか忘れっぽい所とかじゃなくて。

 

 

「……ほんとに嫌なんですか?」

 

 

「だってこれ、クッソ恥ずかしいだろどう考えても!」

 

 

「……もぉ、分かりましたよ。しょうがないなぁ……じゃ、先輩。いきますよ?」

 

 

「は? え、なに?」

 

 

「ふっふっふ……先輩がイヤって言うなら仕方ないですねぇ……さぁっ、久々の出番ですよーさいみ──」

 

 

「さっ、飲もうか早苗。ほらほらスマホなんか向けてないでちゃっと飲もうちゃちゃっと。もうツッコミ疲れて喉からっからなんだよね俺」

 

 

「おっ……ぬふふぅ~……ほらぁ、先輩ホントは飲みたかったんじゃないですかぁ。イヤよイヤよも好きのうち、ってやつですね、あはは」

 

 

「はは……は、は……」

 

 

 

こういうとこだよ。

 

この喫茶店で他のお客さん達が思いっきりガン見して来るこの状況でさ、催眠アプリ、とか躊躇なく言っちゃうところでしたね。

 

多分そのままの勢いで愛の奴隷とか変なことも口走る可能性もおおいにありましたね。

 

 

さぁ大分脇道に逸れましたが、もうお分かりだろう。

 

『分かっているけどこの道を進まざるを得ない』状況がまさしくこれ。

即ち周りに対してのえっぐい爆弾発言を未然に防ぐ為には、もう……これを飲むしかないのだ。

 

間違いなく人生の黒歴史のTOP3に生涯食い込みかねないこのイベントをやんなきゃいけないのである。

 

 

「…………」

 

 

「……よい、しょと。あー……うん、確かに先輩の言うとおり、頬っぺたまでくっつきますねこれ」

 

 

「そうですね……」

 

 

「…………あうアウあうアウ」

 

 

「顎カクカクさせんなよお前マジで殴るよ!?」

 

 

「や、なんか面白そうだなって思って。それに何だか先輩に敬語使われるのちょっと気持ち悪くって」

 

 

「いや知らんから。むしろこの場面で茶々に走るお前の神経とかもう胃がムカムカすっから」

 

 

「やっぱ先輩は先輩で居てほしいってゆーかぁ……こう同じ立場に居るよりちょっと前歩いてて欲しいんですよね。分かりますか、この距離感?」

 

 

「……ねぇ、お願いだからせめて同じ時間軸歩いてくんない……?」

 

 

先を歩いて欲しいという要望はあれだ、少女漫画とかの見開き辺りでヒロイン辺りにそれとなく言われればグッと来ただろうけど、コイツに言われるとホント青筋が走る。

 

分かりやすく俺達の立ち位置を置き換えれば、暴走犬と飼い主だ。

 

毎日毎日全力疾走で42.195キロメートル走ってるようなバカ犬の先に居てくれ?

 

ははは、死ねと。

高速を越えろと。

極限をぶち破れと。

 

絶対やだわそんなん。

それならもう無駄だとわかってても躾るしかないじゃん。

 

 

「……もう良いからさっさと飲んでさっさと帰るよ。いい加減さ、周りの視線がうっとーしいってかウザイ。さっきから店長っぽい人がいったれいったれってサインずっと送ってくるし……」

 

 

「ほいほい、それじゃでーえっくす、制覇しますか!」

 

 

「……もういいよでーえっくすで」

 

 

「はむ」

 

 

「あむ」

 

 

まぁ頬もべったりだし肩もべったりだし、まぁ当たり前のようにいい匂いするのがすっげぇムカつく。

というかうんちょっと待って。

 

 

「ちゅー」

 

 

「ぢゅー」

 

 

こいつ……なんかチラチラこっち見てるし。

多分飲んでる俺が照れてるかどうかを確認したいとかそんなアホな事だろうけど。

 

ただ、問題はね、早苗がこっち見ようとする度にストローの位置が変わってさ……あの、唇の端と端がぶつかりそうなんですけど。

 

 

「ちゅーちゅー」

 

 

「ぢゅー……?」

 

 

おいちょっと待て、今明らか様に距離調節したよな?

俺が少し逸らさなかったらホント当たってたよな?

 

つかさらっと俺の腕取ってるし、胸に当たっ……挟、んでるし。

 

マジか、こいつマジか。

 

 

「……ちゅー」

 

 

「……ぢゅー」

 

 

取りに……来ている、だとォ!?

俺の右半分ファーストを、事故を装って……ッ!?

 

アホか事故で済むかこんなん。

気付きませんでしたで済ます訳ねぇだろこのムッチリムッツリめが。

 

ていうか、もう、そこまで攻めてくんなら普通に告白とかさぁ………………何の為に俺が……

 

 

「ぢゅーーッ!」

 

 

「ちゅーッ!?」

 

 

もー怒った、腹立った。

小賢しい小技使うなとか口が避けても言える立場じゃないけど、そっちがそう来るなら、こっちも本気出す。

 

男の肺活量なめんなよ!

 

多分早苗の方が肺活量全然あるけど。

 

 

「──っぷはぁ!!」

 

 

「──ぷぁっ」

 

 

「ぜぇっ……はぁっ……ひぃっ……」

 

 

「せ、先輩……大丈夫ですか? なんか虫の息って感じですけど」

 

 

「いいっ、はぁっ……からっ……げふっ、んん、は、離れろ……」

 

 

「いやいや、そんな事より水頼みましょうか? 息整えた方が」

 

 

「スゥー……フシュー……んん、ん……あのな、早苗」

 

 

「あいあい」

 

 

「胸。当たるどころか挟んでんだけど」

 

 

「えっ」

 

 

あぁやっぱり無意識だったのな。

 

ゆっくり自分の胸元を眺めて、んでまた大きな目が顔をひきつらせてる俺を映し出して。

 

 

「おっぱいくらいならいいですけど」

 

 

「……俺が困るんです」

 

 

「もー敬語はやめてくださいって」

 

 

「頼む……会話のキャッチボールして……ホント俺いま一杯一杯なんで……」

 

 

「はぁ、わかりましたけど」

 

 

「ていうかお前……さっき何しようとした」

 

 

「はえ?」

 

 

「だから……ジュース飲んでるとき、チラチラと……」

 

 

「あぁ、そうですそうです思い出しました! んもー先輩が凄い勢いでジュース飲むからうっかり忘れちゃってたじゃないですか」

 

 

「気付きませんじゃすま……え、忘れたって、は、何が?」

 

 

「ちょっとじっとしてて下さいねー……あ、取れましたよ」

 

 

「……何これ、あ、ゴミ屑……──────!!!」

 

 

「さっきから気に──うひゃぁぁあッ!? ちょ、先輩? なんでまた机に頭を……?」

 

 

あぁ、そう。

ゴミ、取ろうかどうか考えてた訳ね。

そりゃあんだけ近ければゴミに気付くわな。

 

やっべぇ、これはやべぇよマジで。

 

恥ずかし過ぎて……死にたい。

 

 

「……ははーん。なーんだ、やっぱり早苗に撫で撫でして欲しいんじゃないですか。しょうがないですねーうぇへへへ」

 

 

こいつ、前は甘やかすより甘えたいとか言ってた癖に……結局どっちでもいいんかい。

 

そんで後頭部なでて意味あんのか。

そのうぇへへっていう笑い声はデフォなのか。

 

けど……うん、もういいや。

今日はもう、帰って寝よう。

 

 

だらりと寝そべってた身体を起こし、帰るぞと一言だけ告げて。

 

 

レジの前で、すっごくニヤニヤしながら口笛鳴らした髭面の店長にメンチを切って、店を出る。

 

 

悶々とした結果、無駄にから回っただけ。

 

 

 

 

確実に黒歴史入りの水曜日。

 

 



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気を揉んだ木曜日【上】

 

 

 

 

「お邪魔します……」

 

 

「違いますでしょ、先輩。こういう時は?」

 

 

「あぁ、うん……お邪魔しましたー!」

 

 

「ちょちょちょっ! もっと違いますってば! というかなんでそんな晴れやかなんですか! せっかく女の子の家に上がれるのに全力で帰ろうとしないで下さい!! ……あぁ、なんか久しぶりに誰かにツッコミ入れた気がする、でへへ」

 

 

「オチを自分から用意する辺り流石としか……」

 

 

「それでですよ先輩。お邪魔しまーすじゃないですよ。ノンノンのノンです。はい先輩、こういう時は……? さぁ、恥ずかしがらなくていいのよ……」

 

 

「なんでちょっと大人びた感じで言うの。声のトーン下げんな、ゆっくりまばたきすんな、ドヤ顔は特にすんな腹立つから」

 

 

パンパンに膨らんだ買い物袋をぶら下げた両手がそろそろ痛いし、玄関前での意味分からん寸劇とかホントいらないから。

 

 

「ほらほら先輩。たーだー……?」

 

 

「…………」

 

 

「うーん分かりませんかね? ほーらほら、たーだーい……?」

 

 

「………………ま」

 

 

「!! はい先輩、続けて言うと!」

 

 

「はぁ…………ただいま」

 

 

「おっかえりなっさいセンパァァァイ!!! お風呂にします? ご飯にします? それともそれともぉ……?」

 

 

「とりあえず退いて」

 

 

「わーたー……え、あ、はい」

 

 

言いたい事が一秒毎に増えるって、もういっそ逆に凄いけど、とりあえず玄関の中に入ってビニール袋を置く。

 

そして、まぁ、言いたい事を溜め込むと身体に良くないし、今日一日を乗り切る為にもここはね、はっきり言っとかないと。

 

 

「お風呂?」

 

 

「あいたっ」

 

 

「ご飯?」

 

 

「うぁ、ちょ先輩、チョップやめて」

 

 

「あと洗濯も、だっけ? 家事がほぼ出来ないからって教室まで来て泣きついてくれやがったやつがどの口で? ん? もれなく明日仮病使う事になりそうなんだけど?」

 

 

「あたたた、ぃで、あっ、その……グリグリやめていたいいたい、ホントいたいぃ……しょうがないじゃないですかぁ、パパもママも結婚記念日だからって旅行いっちゃったんですもん……」

 

 

「兄ちゃんどしたよ」

 

 

「サークルの合宿とかで帰れないって」

 

 

いやホント信じがたい事だが、よくこいつを一人家に置いて出掛ける勇気出たなご両親。

歩く化学反応だぞ、下手したら明日には更地になってても俺は納得する。

 

 

「……だからなんでそこで俺に声かけるかね……いや断りきれなかった俺が言うのもあれだけど」

 

 

「そですよ、先輩もノーって言わなかったしぃ……ホントは興味あるんじゃないですかぁ……? 早苗のお部屋とかとかぁ」

 

 

「断った瞬間スマホ構え出したやつが何言ってくれんの」

 

 

「あ、先輩先輩」

 

 

「なに」

 

 

「パンツは一枚、靴下二枚までは許可します」

 

 

「はっ?」

 

 

「ブラは…………ちょ、ちょっと恥ずかしいんで……見るだけでどうかご勘弁を」

 

 

「なに俺が欲しがってる形に話を着地させてんの!?」

 

 

「先輩……使ったらちゃんと洗ってかえして下さいね」

 

 

「それは女装趣味的な用途で言ってんの!? 処理的なアレで言ってんの!? どっちにしてもアウトだしやんねーよッ!! というかさ、リリース求めてどうすんだ捨てるか弁償求めんだろふつう!!」

 

 

「先輩……女装はちょっと違うんですよねぇ。先輩みたいなガタイの良いひとは似合いませんし、そういう可愛さを早苗は求めてないっていうか……」

 

 

「話聞けやぁぁッッ!!!」

 

 

早苗宅について僅か二分弱、もうすでに心が折れそうです。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

折れるどころか粉砕されたわ。

 

 

 

 

「正座」

 

 

「ぁぃ……」

 

 

「早苗。今からお前に二つくらい質問するが、マジメに答えろよ。ほんと何がどうなってんのか理解に苦しむから、お前の将来の為にもここはハッキリさせとこう」

 

 

「さー!いえっさー!」

 

 

またこいつ変なテレビ番組に影響されやがったな。

 

けどそんなの今一番問題視するべきことにくらべたら些細な問題だ。

 

なんかやたら付いてるフリルがイラッとくるエプロンを着用したままフローリングに正座する早苗を、もうそれはそれは鬼の形相で見下ろす。

 

 

「……まずひとつ目。なんでガスに火がつかなかったと思う?」

 

 

「それ早苗もずっと不思議に思ってました! おかしいんですよホント。すっごい力入れて回したのにうんともすんとも言わなくて」

 

 

「バキッとは言ったね。エッグい音したよホント。はぁ……なんで逆に回してるって発想に至れなかったのか……」

 

 

「逆……ハッ、なるほど押してダメなら引いてみろって事ですね! そっかそっか、スイッチを引っ張ればよかったんだ」

 

 

「んな訳ねぇだろ!? おかげで片っ方だけのコンロしか使えないから飯作んのも時間かかったよ!」

 

 

「料理する背中、かっこよかったですよせーんぱい」

 

 

「そういうの良いから。手伝うって言い出した時、断っとけば良かったよ……お前分かってんの? 危うくこの家ごと料理するとこだったんだぞ?」

 

 

「家を料理とかもう巨匠越えも夢じゃないですね! これはアイアンシェフへの進路も早苗の今後の視野に……」

 

 

「反省してんのかこら」

 

 

「さー!いえっさー!」

 

 

「卓球のラケット振る動作やめーや。グッ、ってガッツポーズすんなや」

 

 

この為の右手……とかボソっと呟いてんじゃねーよ。

しかし、まだツッコミたいところもあるので何とかスルー。

 

 

「次。お前の事だからポケットの中にモノ突っ込んだまま洗濯機にぶちこむと思って、先に出しとけって言った訳だが」

 

 

「ティッシュいれっぱなしでママによく怒られました……三日連続でやっちゃった時はどうなるかと」

 

 

「ホント学習能力どうしてんのお前……というかお前がウチ受かったことが完全に七不思議扱いされてる自覚あんのか」

 

 

「私がトイレの花子さんならぬトイレの早苗さんになることだ」

 

 

「ブリ○チのネタすんな。まぁ、それでさ、ティッシュとハンカチの他にもチュッパチャップスとかBB弾とか入ってたのも、もう面倒くさいから流すけど……この丸まった紙、昨日やったっていう現国のミニテストだよな? ん?」

 

 

「うげっ……ふひゅーしゅー」

 

 

口笛くっそ下手だなおい、あの喫茶店の店長にでも教えて貰えば良いのに。

ついでになんか奇跡的になにかしらに着火とかしてあの店、全焼させてくれば良いのに。

 

しかし、まぁどっちにしろ誤魔化されてやるつもりだけはない。

 

 

「……点数はこの際触れないでおいてやるとして、お前これくしゃくしゃに丸める前、紙ヒコーキにしてただろ。折り目くっきり残ってんぞ」

 

 

「うぅ……だって四限目が自主で暇だったんですもん。それで紙ヒコーキつくって飛ばし合いしようってなってですね……」

 

 

「小学生かよ。いや今時の小学生だってやんないよそれ……お前のクラスどうなってんの……」

 

 

「それで栄えある第一投目が早苗だったし、周りの皆も熱い声援送ってくれたもんだから、これはもういいとこ見せちゃるってめっちゃ気合い入れたんですけども……」

 

 

「(四限目に聞こえたあの謎の早苗コールはこれだったんかい。あれ、そういやその後……)」

 

 

「……こう、全力で投げるじゃないですか。そしたらこう、ビュンて上の方に飛んで一回転、しかもこっちに来やがりまして……気が付いたら、サクッと早苗のおでこにストライクしまして……」

 

 

「……」

 

 

「クラス皆に大爆笑されて、ぐぬぬぬぅってなってついくしゃくしゃーって……あは、あははは……」

 

 

「正直笑い声だけで床が揺れてびびったわ……ところで早苗さん」

 

 

「はい?」

 

 

「このミニテストの問1なんだけど。失った名誉を取り戻すという意味でしばしば使われる四字熟語を書きなさいってやつ。これさ、この前やったじゃん。汚名返上とか汚名挽回とかのやり取りあったじゃん」

 

 

「…………そでしたっけ?」

 

 

「そーでしたよこのギネス級単細胞」

 

 

自信満々に実はどっちも意味としては正しいって話、こいつもう忘れたのか。

いやけど、そのミニテストの時はまだ辛うじて覚えてたっぽい……けど…………

 

 

「で、お前……答え、これさぁ……『オメー卍解』ってなに? この……何? 回答欄の赤いバッテン、めっちゃ力入ってるしなんか滲んでるし……」

 

 

多分、これ先生が採点した時のだろうな……滲み方からしてガチ泣きじゃないのこれ。

先生……今度甘いものでも差し入れしとこう、うん。

 

 

「あっ、思い出しました!」

 

 

「……? なにが?」

 

 

「三日連続で早苗がティッシュいれっぱなしだった事ですよ、ママがすっごい怒ってたんですけど……『残火の太刀』って言って包丁片手に……いやぁ、あの時はホント死ぬかと……」

 

 

「……憤怒のレベルがムカ着火ファイヤーのレベルを遥かに越えてらっしゃる……」

 

 

「でも先輩。早苗は先輩とあれこれする為にもまだ倒れるわけにはいかなかったのです! だからすっごく謝ってなんとか生き延び、そして今日! こうして一緒に居られるとゆー訳なんです! さっ、褒めて下さい」

 

 

「因果応報って知ってる?」

 

 

「おほぉぉ……? あ、そっか、それを言い出したら今早苗がこうしてるのはパパとママがアレしてあぁなっておほぉぉした結果だから……よし、そうとなればママに楽しんで来てね(意味深)ってラインをば……」

 

 

「……後半だけ拾ってその発想に繋げられるとか凄いイヤなんだけど……」

 

 

「あっ、返信来た」

 

 

「……はやすぎんだろ」

 

 

「えーとなになに……『アンタこそゴム外すの忘れるなよ』……って、ごむ? 先輩、ゴムって」

 

 

「…………ねぇ、早苗。またひとつ聞きたい事があるんだけど」

 

 

「ほえ?」

 

 

ママさんのラインの返事とやらを聞いて、ツツーッと冷たい汗が頬から流れ落ちた。

 

実は、ちょぉーっと引っ掛かってた事がある。

なんでそもそも早苗は今日、俺を誘ったのか。

 

そんで、一応物の場所だけ覚えとこうと向かった洗面所。

 

入浴室の扉のすぐ近くの棚、真新しいバスタオルの上に未開封のシャツとトランクスがあったのはなんだったのか。

あとこれみよがしにこれまた未開封の歯ブラシが洗面台のコップに一本だけ入れてあったのは何の意味があるのか。

 

 

その謎が。

 

 

 

「あっちょっと待ってください先輩。ママから伝言です。えーと……『じゅんかつあぶらは洗面台の下にあるので、良かったらどうぞ。娘を宜しくお願いしますね、センパイ』って……むー、ママが先輩をセンパイって呼ぶなし」

 

 

「…………あの、早苗さん」

 

 

「ちょ、敬語はやめてくださいってば」

 

 

「早苗…………今日の朝、ママさんから何か言われなかった? たとえば……困ったら俺を頼れとか、そんな感じの事」

 

 

「んん? んー…………ハッ!! そうでしたそうでした

、旅行に行く時にママが、『料理とかは"例の"先輩に頼みなさい。あとちゃんと労ってあげること。あと常に薄着でいること』って……あっ、そういや着替えるの忘れてた。せんぱーい、ちょっと着替えてきますねー」

 

 

「………………」

 

 

その謎が。

 

今。

 

 

「繋が……ってたまるか二つの意味でェェェェェェ!!! "例の"ってどういう意味だこらァァァ!!!」

 

 

愛娘を将来ごと押し付ける気満々じゃねぇかママさん。

 

まだ色々早すぎんだよ、既成事実から入る事をよりにもよって親がプッシュしてんじゃねぇよ。

 

 

 

つまり、俺は今、クモの巣の中心近くを飛び回っているということで。

 

そしてこれから先、引っ掛ける為のトラップがあるかも知れないと、戦々恐々としながら一日を乗り越えなければいかないようで。

 

 

「…………胃が痛い」

 

 

 

とりあえず、あのバカがこれ以上とんでもないことをやらかさないように。

 

 

手を合わせて祈った。

ついでに頭の前で十字架を切った。

 

 

全力で神に祈ったが、その祈りを聞き入られるはずもなかった。

 

 

 

「せんぱーい。着替え終わりましたー」

 

 

「なんで水着なんだよこのバカァァァァ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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揉みすぎて腫れる木曜日【中】

「あ、先輩。お風呂どうでした?」

 

 

「…………」

 

 

「先輩?」

 

 

「いや普通だったけど。マジでローショ……潤滑油あったけど」

 

 

「ちゃんと浸かったんです? 思ったより早くてビックリしましたよ。いっつもあれくらい早いんですねぇ」

 

 

「なんかそのセリフがついカチンと来てしまった俺は今日ホント調子悪いわ」

 

 

「どれどれ……すんすん」

 

 

「匂い嗅ぐなやバカ犬」

 

 

「うーんジャスミーン……先輩、早苗とおんなじ匂い出してますよ先輩! どうですこれ、ドキッとしましたか?」

 

 

「うん、その手の中にあるカンペっぽいメモ用紙は後で回収するとして、だ。早苗。そろそろ俺ツッコミ入れていいか?」

 

 

「おおっ、自らツッコミの予告とは……ハードル上がっちゃいますけどいいんですかいいんですかぁ?」

 

 

「いやもうお前ね、そういう茶々いれてる場合じゃないじゃん。俺さ、飯食う前にお前に着替えろって言ったじゃん」

 

 

「あ、そうですそうです。先輩のご飯ちょー美味しかったですよ! 唐揚げとかサクサクで……そういえば早苗のイナバウアー食いはどうでした!? あれけっこう出来るまで長かったんですけども」

 

 

「妖怪にしか見えなかった。マジで学校とかでやんなよアレ……って違う。話ずれた。んで、お前割と素直に着替えてくれたし、その、風呂から上がった後も……まぁ、うん、まだ普通だったじゃん」

 

 

「む、なんですかその歯に衣着せた感じ。唐揚げだけにですかおもしろくないです」

 

 

「なんで俺が寒いこと言ったみたいになってんだ! つうかお前、ショートパンツはまだ普通でよかったけど何あのTシャツ。裏に『熊出没注意』って書いてあったし、前に至っては『燃えないゴミ』って何あれ? なんのメッセージ性があんの」

 

 

「強いて言うならラブ&ピースの願いを込めましたけど?」

 

 

「えっあれ自作かよ! っ、いかんまた脱線……で、それで、だ! 早苗、なんでお前……また水着きてんの?! ていうかこれだけ聞くのになんでこんな寄り道しなくちゃいけないんだよアホ!」

 

 

「キャッチ&リリースでも良いですよ!」

 

 

「いや意味分から……あぁ、川の近くの看板か、なるほどてそうじゃねーっつってんだろ!! なんで水着なんだよ、なんでマット敷いてんだよ、そんでなんでそんな看板持って後は先輩待ちですよみたいな雰囲気だしてんだ!! 『生感マッサージ』って書いてあんだけど看板にィ!?」

 

 

「……や、ママがこれでいけって。あ、あと、誤字だけど元の正しい形はご想像にお任せって言ってました。どういう意味なんですかね?」

 

 

「知るかァァァ!!! 料金は後払いです(意味深)ってもう露骨に据え膳じゃんかァァァアア!!」

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

大人って汚い。

これみよがしに仕込みまくってるし、その仕込みの畳み掛けが半端じゃないし。

 

ていうかそもそもカレンダーにハートで囲って結婚記念日!って書いてある日、明後日なんだけど。

 

もう両親公認してっから遠慮なくいってまえってメッセージを自ずと悟らせる感じじゃん。

 

ホント汚いよそういうとこ。

 

 

「汚いわホント……」

 

 

「失礼ですねぇ、さっきお風呂入ったときにちゃんと綺麗にしてますってば。なんならもういっそお風呂でします?」

 

 

「そうなったらいよいよそういうサービスになっちゃうだろうが!」

 

 

つーかね、水着姿っていってもそこはホラ、大人しいパレオとかフリルついた可愛いやつとかあるじゃん。

 

いやもういっそ学校指定のスクール水着でもいいわ。

それならイロモノ扱いとしてギャグ的な雰囲気出来るし、ネタとして流せる。

 

 

けどさ。

黒のビキニって……ガチ過ぎませんかそのチョイス。

 

高校生のビキニ姿て。

笑えねぇんだよ。

ムッチリムッツリがただのムッチリしか見えないんだよ深刻な事態なんだよこれは。

 

そらもう自主的にうつ伏せになるよね、マットに倒れ込むよね、生理現象隠す為に。

 

 

「んしょ……あ、先輩。ふくらはぎパンパンですよ、溜まってるんですか?」

 

 

「もうちょい別の聞き方してくれよ……んでパンパンなのは大体お前のせいだよ畜生。スーパーの買い物の途中で一体何度寄り道したと思ってんだこら」

 

 

「あ、脛毛一本だけ長いのある。プチっとな」

 

 

「そういうとこだっつってんだよ万年少年ハートが!!」

 

 

「はい先輩、足終わったんで、次は腰いきますね」

 

 

そういうなり腰にヒップを乗せるマイペースぶりにイラっとしつつも、同時にヤバいと気付いた。

 

先輩をいたわり隊!とかいって始まったマッサージだが、さすがにこの季節に水着、しかもビキニはバカでも風邪をひく。

 

だからなんとか俺のカッターシャツ無理矢理着せたんだよ、ここ俺もどうかしてたけど、ビキニのままよりは良いと思ったから。

 

でも、上は良くても下は……ほとんど薄い布切れ

一枚。

あぁうん、まずい。

 

 

「プッチンプリンとムッチリムッツリって響き似てません?」

 

 

「なんでよりによって今そんな事言うんだこのバカァァァア!!」

 

 

まずい、まずいぞこの状況。

俺今上はインナー1枚だけしか着てないから尻の感触ほとんどモロだし背中マッサージされると早苗の腰も動くから嫌でも感触が感触が感触がぁぁ……

 

 

「な、なにか気を紛らわせんとこれは……」

 

 

「あ、先輩。ちょっと聞いて欲しいんですけど」

 

 

「え、あっ、なに?(しめた! まさか早苗から会話を振ってくるとは!!)」

 

 

「実は最近、兄ちゃんがタバコ吸いはじめてですね。ホント部屋とかくちゃいんですよ、ベランダで吸ってってお願いしても面倒くさいとか言い出すし」

 

 

「あーうん。まぁ20歳になったら解禁されるもんの代表だからね、仕方ないんじゃない。別に部屋入らなきゃ良い話なんでは?」

 

 

「…………うぉ、うおっほん! それでですね、ちょっと兄ちゃんの部屋からタバコをくすねまして、それをどっかよさげなとこに隠したいなと思いましてですね!!」

 

 

「なにそのあからさまな誤魔化しは……っていうか兄ちゃんのモンくすねんなよ、ひっでぇな。そんで隠そうとするとかお前マジで犬か何かかよ」

 

 

「ワンワン! ハッハッハッ」

 

 

「くっそ似ててビビるわ……」

 

 

「でへへ……スンスン……わふ」

 

 

「………………いやいや、待てやコラおい。スンスンとか擬音出しとけば匂い嗅いでるみたいに誤魔化せるとか思ってんの? 今むしろペロペロだったよな? うなじ辺りペロってしたよな? 気付くに決まってんだろこのクソバカバカ!!」

 

 

「……ではここで問題のタバコ君に登場していただきまSHOW!! FOOOO!!!」

 

 

「勢いさえアレばなぁなぁに済ませれるとでも思ってんのか!! 絶対後で掘り返すからなこの案件! 絶対にだ!!」

 

 

「てわけで先輩、どこら辺に隠しましょうかね、これ」

 

 

「……いやどっから出したんだよ。ていうか普通に返してやれよ…………────ん?」

 

 

身体のどっかに四次元ポケットでもついてんのかって疑問も、ぶっ飛んだ。

 

差し出された真っ赤なラベルの……四角い箱。

 

 

「……0.03mm。おや、タールにしちゃ随分軽いぞ──ってこれコンドームじゃねぇかァァァ!! お、おまっ、おまおまっ、お前なァ!! よりにもよってこんなタイミングでっ、あぁぁもおぉォォ!!!!」

 

 

「『うすうすイチゴ味』……早苗、イチゴよりバナナ派なんですよねー。兄ちゃんは分かってないなぁ……」

 

 

「分かってないのはお前だアホ!! お前これ、兄ちゃんのいざって時の勝負アイテムだよこれ!! なにちょろまかしてんの?! ヤニ臭くなるんじゃなくてイカ臭くなるやつだろがい!!」

 

 

「そういえば先輩の作ってくれたイカそーめん、美味しかったですけど、ちょっと季節外れじゃないです?」

 

 

「安かったんだもぉぉぉぉん!!! 季節云々思ったけど! ていうか食ってる時に言ってくれやそれは!!」

 

 

「でもイカをムキムキするのちょー楽しかったですね。またやりたいなぁ」

 

 

「ここぞとばかりにィィ!! でもこれ戦犯俺だわクッソォォォ!!」

 

 

「あ、先輩。背中オッケーでーす。次は肩いきますねー」

 

 

「ちっとは意に介して!」

 

 

「んー……凝ってますねぇ。カチカチで固いです。なんか疲れる事でもありましたぁ?」

 

 

「今まさにだよ! というかお前と出逢って今の今まで疲れっぱなしだよ!」

 

 

「めくるめく早苗との日々で、こんなに固く……ポッ」

 

 

「ホント今日下ネタ凄いぞお前! なんなん!? 今日のお前なんでそんなピンクに振り切ってんの!?」

 

 

「うーん……力が入りにくいなぁ……よっこらしょーいち」

 

 

「オッサンか!」

 

 

「あ、この態勢ならイケそう。ンッ……どですかね先輩、気持ち良い、ですか? んしょっと」

 

 

「……いや、うん。あのね。元陸上部だからさ、お前が意外とマッサージ上手いのも分からんでもないし、実際すげぇ上手いんだけどね」

 

 

「おおぅ、ついにデレましたね先輩!」

 

 

「純然たる評価だよ。だけどな、早苗……お前のことだから無意識なんだろうけど……そろそろ自覚してくんない?」

 

 

「ん~……ほっ、えいしょっ! ……え、何の話ですか?」

 

 

「いや、だから…………当たってるどころか、俺の後頭部挟んでないかこれ」

 

 

「ほえ?」

 

 

「だからっ……胸がっ! お前の胸が! 俺の後頭部! 気付けや!!」

 

 

「……………あっ」

 

 

あぁ、やっと気付いた。

というかもう顎の下から声がしてる時点でなぜ気付かんのかコイツは。

 

ビキニの巨乳がとんでもないことなってんだってば。

お前が寒い季節に風邪引きそうな格好してるせいで、俺のが熱出しそうなんだってば。

 

 

でも、まぁ……どうせまた、おっぱいくらい良いですとかほざくんだろとかタカをくくっていたら……

 

 

 

「……ぅ、あ、その、いやー……あはは、し、失礼しました……」

 

 

「……??」

 

ゆっくりと乗ってた生暖かい物体、つーか早苗が離れていく。

というか、なんかやけにしおらしい反応というか、ついこの前の喫茶店での真似はなんだったのかってなるけど。

 

 

「……早苗?」

 

 

「うっ……ちょ、ちょっと待って下さいね。いや別に、わざととかじゃないんですよ、ないない。そんな、挟む、とか……うん」

 

 

すわバカがまさか風邪をひいたのか、と思うほど顔を真っ赤にして、ついでに俺のカッターシャツの裾で顔を隠しつつ、なんか弁明っぽい事してる。

 

いやいや、なにそのリアクション。

え、頭でも打ったの?

 

そんな言葉が浮かんだ瞬間だった。

 

 

 

『パンツは一枚、靴下二枚までは許可します』

 

『ブラは…………ちょ、ちょっと恥ずかしいんで……見るだけでどうかご勘弁を』

 

 

『…………うぉ、うおっほん! それでですね、ちょっと兄ちゃんの部屋からタバコをくすねまして、それをどっかよさげなとこに隠したいなと思いましてですね!!』

 

『なにそのあからさまな誤魔化しは』

 

 

 

頭の中で、パズルのように組上がっていく、ひとつの推測。

そして思い出すのは、あの火曜日。

 

 

『うぅ……じ、実は……その、兄ちゃんの部屋にあるゲーム機借りようと思った時に、ベッドの下にあるのがチラッと見えまして……』

 

 

 

……まさか。

 

 

「早苗」

 

 

「うひゃい!? な、なんでしょか……」

 

 

「兄ちゃんの部屋で見つけたのは、このタバコだけか?」

 

 

「えっ…………いやいやいや何言ってるんですか先輩それ近藤さんって先輩が言ったんじゃないですかタバコって! タバコて! やだなぁもう先輩ったら切れ味の悪いボケなんて言って」

 

 

「『後輩』、もっぺん聞きます。貴方が見付けたのは、本当にこのタバコだけなのですか?」

 

 

「はぅあ!? こ、後輩呼びに敬語……やだやだ先輩! その感じすっごいヤです!! ほら早苗って呼んで下さい、ねっ?」

 

 

「『後輩』。質問に答えていただくのが先かと思いますが?」

 

 

「……えぅ」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「はい………兄ちゃんの部屋の、引き出しの中に……ありましたよ、エッチなその、ほ、本が……」

 

 

「……やっぱりかよ」

 

 

で、多分内容が……まぁ、胸を使った系特集とかそんなオチだろ。

 

だからあんなに胸関連の話題を避けていた、と。

……アホらし過ぎる。

 

 

「ちなみに聞く。今度はどこまで読んだ?」

 

 

「いやそれが先輩。なんとですね……身に付けるだけで仕事が上手くいったり身体が健康になったり頭が良くなったりする金のブレスレットがあるらしいんですよ!! なんでもそのブレスレットのお陰で彼女が出来たり内定決まったり夜の営みが上手くいったり……スナックでも繁盛したんですかね?」

 

 

「最後の広告までバッチリ読んでんじゃねえぇぇぇぇよぉぉぉぉォォォ!! 前ので少しも反省してねぇぇじゃんかこんのムッチリムッツリ保険室の淫乱ビッチがァァァ!!!」

 

 

「先輩先輩。今回はプールサイドです」

 

 

「やかましいわァァァ!!!!」

 

 

「ぐへっ、ちょ、ギブギブ!! 絞まってます絞まってますってば! だ、誰か角田さんレフェリーに呼んで!!」

 

 

 

 

もうね、ホント今更だけどね。

 

俺の後輩がおバカ過ぎるしムッツリ過ぎる……

 

 

 

けど、本当に大変なのがむしろこれからとか、そんなん分かる訳ないじゃん……

 

 

 

「早苗のアホォォ!!」

 

 

「ロープ! ロープ! おや、ロープしてはなんか固いような……」

 

 

「もうお前豆腐の角で頭打って死ねこのおバカ!」

 

 

 

 



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素敵な木曜日【下】

「ぜっっっったい嫌だっつってんだろ!!」

 

 

「まーまー、そんな遠慮せずに。ささ、お茶淹れましたよ爺さんや」

 

 

「なにアットホーム感作ってやがるか! というか淹れたの俺、お前運んだだけ! みかんとか持ってくんなコタツを押し入れから出そうとすんな!」

 

 

「寒い季節が近付くと、この組み合わせに神が宿る……貴方もそう思えませんか、迷える子羊よ」

 

 

「おいシスターサナエル、確かに今の俺は怯える子羊みたいなもんだけど、迷ってないから。なんだったら家までの帰り道、目を瞑りながらでも割と余裕で帰れるから!」

 

 

「ソーメン」

 

 

「それさっき食ったイカの事じゃん。いや、ていうかホント無理、俺ホンット無理だから!! マジで!」

 

 

「ふっふっふ、先輩。イヤよイヤよも……?」

 

 

「そのくだりは前やったろーが。つか嫌なもんは嫌だよアンポンタン」

 

 

「えーもう、せっかく暇潰し用に昨日借りて来たのにぃ」

 

 

「なんで昨日見なかったんだテメェこら」

 

 

「一人で見てもつまらないですしおすし。やっぱ怖がってくれる人がいないとー」

 

 

「……ほう。つまりお前は俺がこれ見る時の反応をポップコーンがわりにサクサクいきたいと? 頭ん中常時ポップコーン女が……いい度胸してんじゃん、えぇ?」

 

 

「先輩先輩」

 

 

「なんだよ、気でも変わったか?」

 

 

「サクサクじゃなくてモキュモキュじゃないですかね。いーですかーポップコーンとは食べるとーきに音が出ないよーにと作られまーしてー」

 

 

「ここぞとばかりに隅に追い詰めて拾うなや!んな事どうでもいいだろってか色々伸ばすなエセ中国人っぽいんだよ! お前のそのツッコミしながらボケを置いてくスタイルめんどくせぇんだよ!!」

 

 

「そんなつもりないアルヨ」

 

 

「あぁくそ、また基本に忠実なツッコミ所を……いや待て、さらっとDVDプレイヤーセットすんな電源入れんな!」

 

 

波乱吹き荒れる木曜日、ついに山場が来てしまった。

というより今までも大概だけど、俺からしたら多分今この時が一番ピンチです。

 

このアマ、なんでよりにもよってレンタルしたのがなんで……っ!

 

 

「先輩先輩、怖いんですかぁ?」

 

 

「怖いって言ってんだろさっきから!! ホラーはホント無理なんだよ俺! 夢に出んだよ鏡とか一週間は見れなくなんだよ常に背後が気になっちゃうんだよ!! 俺強がった覚えないんだけど?! なにそのさっきから『ビビってんのか?』『なんだと?』みたいな鉄板の流れ作ろうとする姿勢は!!」

 

 

「先輩、怖い怖いも……?」

 

 

「好きな訳あるかァァァァ!!!!」

 

 

父さん母さんあと妹、ほんと助けて。

ちょー助けて、なんか同じ血が流れてる縁でキュピピィンとか俺のピンチ察して助けて。

 

……無理ですよね分かってます。

 

 

「……実家に帰らせていただきます」

 

 

「やーいビビりビビりぃー!」

 

 

「小学生か」

 

まぁビビりなのは事実だけどさ。

 

 

「えーもぉ、良いじゃないですかちょっとくらいー……なんだったら早苗の手とか握ってて良いですから」

 

 

「そゆことじゃねぇよ!! むしろ常々何しでかすか分からない、そんな不安しか感じないヤツの手で何を安心しろと!」

 

 

「んー……じゃあどこだったら安心するんですか?」

 

 

「早苗という人間そのものからして不安要素の固まりだつってんの。パーツの良し悪しじゃねぇんだよ、根本だよ根本。つかその根本の製造元からしてこの度めでたく不安になったよホント」

 

 

無垢なおバカ使って色々仕込みやがって早苗ママめ、まだ迎えてない初対面がほんとに怖いんだよちくしょう。

 

 

「では膝枕しながら耳掃除でどーですか。鉄板ですよ鉄板」

 

 

「いやお前に俺のやわらかいとこ預ける勇気ないです。ついうっかりで鼓膜とか破られそうじゃん」

 

 

「耳かきのあの綿って絶対くすぐりようですよねあれ。耳弱い人の性感帯を存分にかきむしってやりなさいっていう作った人のメッセージですよね」

 

 

「尚のことお前に耳掃除任せれんわドアホ」

 

 

「シスターサナエルにおまかせ☆」

 

 

「お前に任せるくらいなら悪魔崇拝した方がマシだから」

 

 

キラッじゃねぇんだよエセシスター。

迷える子羊の懺悔聞いて更に迷わせるアドバイスしか言わなさそうなヤツが何言ってんだ。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「……そんなに早苗と映画見るの嫌ですか」

 

 

「……ホラーが嫌って言ってんだけど」

 

 

「……そんなに早苗とホラー映画見るの嫌ですか」

 

 

「はい」

 

 

「即答!?」

 

 

「むしろどこに迷う要素があるのか」

 

 

あーでも……コイツまた催眠アプリ言い出しそうだけどな。

ってあれ、普通に凹み出した。

 

 

「……シュ~ン」

 

 

「……」

 

 

「……ショボーン」

 

 

「…………」

 

 

うわめんどくさっ、凹みはしてるけど構ってくれたら機嫌取り戻しますよアピールめんどくさっ。

 

いやでもなぁ、俺がホラーくっそ嫌いなのはマジだしなぁ。

見てる途中で下手したら失神するだろうし、しなかったらしなかったでここから一週間が地獄だし。

 

……いや、待てよ。

 

 

見なければいいんじゃないのか、これ。

 

 

 

「……早苗」

 

 

「……なんですかLチキ先輩」

 

 

「すねてんなよ……あと俺ファミチキ派だから。で、早苗。ちょっと聞くけど」

 

 

「(なにが聞きたいのですか迷える子羊よ)」

 

 

「(今そういうのいいですシスターサナエル)」

 

 

「んで……その、だな。アイマスクと耳栓、ある?」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「…………こんなもんですかね。先輩、聞こえます?」

 

 

「……今なんか言った?」

 

 

「先輩のそういう姿見るとちょっとドキドキします」

 

 

「…………おい早苗、何かあったら手に文字書いて。これほとんど何も聞こえない」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「……先輩、鼻毛出てます」

 

 

「…………」

 

 

「……先輩。良い所を見習わせる為にひとの爪の垢を煎じて飲ませる必要性を論理的に説明してください」

 

 

「…………」

 

 

「あ、ほんとに聞こえてないっぽい」

 

 

「なんだろう、俺の見聞きしないとこでちょっとした奇跡が起きた気がする。バカが頭良い事言うみたいな」

 

 

「!?」

 

 

「……」

 

 

「……まいっか。よし、再生しよーっと。先輩、上映スタートです」

 

 

「……さいせいかいし。うん。分かったけど、せめて手か背中に文字書いて。何故にふくらはぎ」

 

 

苦肉の策だった。

というかアイマスクと耳栓があることに割とびっくりしたけども、これならまぁ、映画終わるまで音もほとんど聞こえないし目の前は真っ暗。

 

難題をやり過ごせるぞとホッと一息つきたいとこだけども、しかしやはり早苗の存在は問題になるだろう……と思ったのだが。

 

 

「……あ、予告。ふーん、泣ける映画、ふむふむ……ほーん……」

 

 

「……」

 

 

「……キスシーン激しいな……おう、女優さん脱いでる脱いでるげへへへ」

 

 

「……」

 

 

思いの外、映画に熱中しているらしい。

リビングの座布団の上にボーっと座ってるだけってのは正直、暇だけども楽っちゃ楽。

 

下手したらその内に俺寝るなこれ。

けどまぁ、今日はいつもの倍以上早苗のおバカに付き合わされた訳だし、こうして楽出来る時間はありがたい。

 

 

……なにこの介護に疲れた片親感。

 

 

「みかん食べよ……あ、先輩先輩」

 

 

「ん?……みかんたべますか……あぁ、せっかくだから貰う」

 

 

「はいはーい。んもー手間のかかる子ねー先輩はぁん。早苗が居ないとなにも出来ないんだからぁ……うぇへへへへへ」

 

 

「……なんだろう、凄くイラッとしたぞ今」

 

 

「ギクッ……なななんでもないですってば」

 

 

「……? ななな、なにもなにもないない……いやこれ絶対何かいらんこと言っただろ。動揺し過ぎだぞいくらなんでも」

 

 

「よーし落ち着け落ち着くのよ早苗。ひっひっふーひっひっふー……」

 

 

「…………」

 

 

「……ツッコミないと、しゃみしぃ……」

 

 

……何故だ。

楽出来ると思ってたのに、なんか落ち着かない。

早苗どうした、なんかあったか。

 

 

「……むきむき、と。はい先輩、あーん」

 

 

「うぷ、ん、なっ、何だ今の、何かあたったぞおい!」

 

 

「あ、落ちちゃった。はい三秒ルール、はいセーフ。もぐもぐ……んーちゅっぱい」

 

 

「さ、早苗? おいちょっと早苗! 今のなに、なんかブヨって……」

 

 

「……よし今度こそ。えーと……」

 

 

「うぉ、いきなり書くな……くちあけて、みかん……あぁ、そういう事か。いや普通に手に置けば良いだろ」

 

 

「そんなのつまんないですもーん」

 

 

「…………なんかまたイラッと来たな。え、なに……くちあけて…………チッ……むぁ」

 

 

「はいあーん」

 

 

「……んぐ……いや旨いけどこれ、なんか凄い屈辱的な感じして嫌なんだけど」

 

 

「んふ……これ楽しい。はい、もう一口」

 

 

「んぷ。え、また? スパン早ぇよお前、まだ食ったばっかだぞ」

 

 

「……あ、やば、映画見てなかった…………あれ、いつの間にか誰か死んでる………………まいっか」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「……ふぁ」

 

 

「……あ、先輩欠伸してる。ふっふっふ……寝かせるもんですか。はいあーん」

 

 

「んぁ!? んぐ、んむ……おいこら早苗。欠伸してる時に放り込むな、咳き込むだろうが…………ん、なに、ごめんちゃい……なめてんのかお前」

 

 

「なめていいんですか」

 

 

「…………」

 

 

「……ペロ」

 

 

「うひぃ!? え、おいなんだ今の! なんか今ヌメっとしたぞこら! …………え、みかんはずしちゃいました? だから放り投げんなよ……しかも中身の汁、ちょっと零れてんじゃないのかよこれ」

 

 

「…………やば、顔熱」

 

 

「早苗? おい早苗さん!? せめてティッシュで拭いてくれって。このままじゃベトベトして汚くなんだろが!」

 

 

「…………ムカッ」

 

 

「あーもう……っておい、なになに、なんか膝重……おいこら、お前勝手に人の膝を枕にすんな。そんでティッシュはやく」

 

 

「……もぐもぐはぐはぐ」

 

 

「おいねぇ、聞いてんの? スルーすんなって。おーい…………なんか怒ってないお前」

 

 

「そんなことないですもん」

 

 

「……うわ、え、今度は二の腕かよ…………そんなことないです…………ホントか?」

 

 

「……」

 

 

「……!」

 

 

なんとなく、手を早苗の頭の上に置いたら、ビクッてなった。

普段ベタベタ犬みたいにまとわりつくヤツとは思えない反応だったけども。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

なんでか知らんが怒ってるっぽい感じだったのが徐々に薄れていくのが、これまたなんでか知らんが分かってしまって。

 

あーもう、好きにしろやと深く考えるのも面倒臭くなった。

 

 

あとコイツ、時々頭もぞもぞ動かして来るのは何だ。

 

なんか、俺の手につむじ押し付けてるみたいな、脛に身体をくっつける猫みたいな。

 

 

「……」

 

 

「……んん、んー……ふぅ。いいなぁ、これ」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

時々、撫でる手を止めてぼーっとすれば、俺の膝小僧をカリカリと引っ掻く。

猫っぽい犬、犬っぽい猫、それともただの、甘えたがりか。

 

 

その度に、手を動かせば、ご満悦そうに膝小僧をポンと叩いた。

なにこの偉そうなヤツ。

 

 

けど、その度に……二の腕をきゅっと掴まれて、少し聞き慣れた五文字を記すおバカの指先。

 

 

『ステキです』

 

 

「……ふん」

 

 

「…………んー……あんまり怖くないなぁ。失敗だったかも」

 

 

早苗が感極まったり、だらしない笑顔を浮かべる時によく言うことだ。

 

最近はよく分からないときに言われることもあるし、素敵ってなんだよとも思うけど。

 

まぁいいか、と流させる、ある意味魔法みたいな言葉で。

それを言われると、何となく許してしまうのがダメな所なんだろうか。

 

 

 

「……」

 

 

「……んん」

 

 

「……(はいはい)」

 

 

「んふー」

 

 

はいまた五文字、というかコイツ、ちゃんと映画見てるのかねぇ。

 

膝の上で多分緩んだ顔をしているおバカを軽く小突きながら、何とも言えない疲れを染み込ませたタメ息が、じんわりと口から落っこちた。

 

 

 

 

 

そしてまぁ、結局映画の途中で寝落ちしたらしい早苗を部屋に担いで、ベッドに寝かせて、俺も早苗の兄ちゃんのベッドを借りる。

 

今日の疲れもあいまってぐったりと沈んでいく意識の中で思った事は、あんまりタバコの匂いが気にならないなってこと。

 

まぁそれは、俺の頬から匂ってくる柑橘系の香りのせいだろうけど。

 

 

 

顔、洗えば良かったな。

 

 

 

悪いとは思いつつ、そのまま寝息を立て、カチコチと秒針がなる部屋の扉を。

 

 

ゆっくりと開くバカが居たことを、俺は結局知らず仕舞いだった。

 

 

 

 

 

些細な素敵を見逃した、勿体のない木曜日。

 

 

 

 

 



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木曜日の早苗【オマケ】

 

付き合うって何だろう。

好きです。付き合って下さい。

別々の言葉なのに、いつの間にか当たり前のワンセットになってるのが不思議。

 

けど、そんな私に友達のみっちゃんは言ってきた。

 

 

『心配しなくても、さーちんと例の先輩は付き合ってもそんな変わんないと思うよ。恋人云々の前に、さーちんおバカだし』

 

 

いやぁ、それほどでも。

流石みっちゃんオブみっちゃん、友達の中の友達。

 

色んな漫画とかゲームとかのお話の中で、友達の名前といえばと聞かれれば、アンケート上位は間違いなしのみっちゃん、あっぱれ。

 

 

でも、そっかな。

本当の本当に、そんなに変わらないもの?

 

だったら、私は嬉しいけれども。

今のままでも、良いんじゃないかなって思ってしまう。

 

 

 

「……」

 

 

 

少し馴れてきた。

 

べったりした黒い色がちょっと薄くなって、何がどこにあるのとかが見えやすくなった。

 

 

「んしょ」

 

 

やっぱりタバコの匂いが残ってる兄ちゃんの部屋に、お宝隠してるベッドの上で、すやすや寝息を立ててる。

先輩が、寝てる。

なんかたまんなかった。

 

 

「……せんぱい」

 

 

月曜日から、ずっと。

 

あの先輩が、名前で呼んでくれている。

なかなか恥ずかしがって呼んでくれなかったのに、催眠アプリをポチっと押したら簡単に。

 

魔法みたいだ。

魔法みたいで。

 

じゃあ解けたらどうなるの?

全部チャラとか。うむ、あり得る。

 

「寝起きドッキリ~先輩の隣に早苗を添えて~……怒っちゃうかな、さすがに」

 

 

先輩は、どこまで私に付き合ってくれるんだろう。

 

バカだなコイツって思いながら、いい加減にしろよって言いながら、話聞けって呆れながら。

それでも律儀に相手してくれるから、いっぱいいっぱい目一杯、甘えちゃうんだよね。

 

 

『頼むから俺以外にこんなことすんなよ。ホント気をつけろ、ってか聞けや枝毛気にしとる場合かコラ』

 

 

 

怒っても謝ったら許してくれるし、お前と居ると飽きないって笑ってくれるし。

 

俺以外にはするなよって。

せめてふざけるのは俺相手だけにしとけって。

 

そういう事、あっさり言えちゃう所とか本当に。

 

 

「ステキです、先輩」

 

 

スキの間に挟まってばかりのもので、そっと先輩の鼻先に触れる。

やわっこい、子供みたいな鼻。

むず痒そうにときどきピクピクしてるのが、猫みたいでつい構いたくなる。

 

ほんとは構って欲しい側だけど、構う側も結構アリ。

反復横飛びは得意だから、好きなだけ行ったり来たりしようかな。

 

 

「…………難しいなぁもう」

 

 

ちょっと真面目な事を言います。

先輩は私をよくバカな犬って言うけど、多分イルカが一番近い。

 

特に夜、真っ暗な海でキュイーとか言いながらピョンピョン跳び跳ねるイルカ、うんおバカな感じ。

 

 

けど、多分キスがしたいだけ。

 

高く飛んで、まるくておっきな月に、ピョンピョン跳んでアプローチしてるけど。

 

離れてから見れば、それはもうキスしてるよってよく言われるんだろうけど。

月と海とイルカ。

真正面からタイミングよくシャッター切れば、多分そんな感じに見える。

 

 

「……んぁ」

 

 

「!」

 

 

「……」

 

 

「……かーらーのー?」

 

 

「……すぅ」

 

 

「セーフ……」

 

 

……もし、届いたとしたら。

 

どう変わるんだろう。

海で泳いでるままなのか、それとも今度は宇宙を泳いでいるんだろうか。

 

そこで私は、ちゃんと息出来るのかな。

 

言葉をちゃんと音に出来るのか、全然分からない、バカだし。

 

もしかしたら、そんな私に、 愛想尽かしてどこか行ってしまうかもしれない。

 

 

月がずっとそこにあると、信じきれないビビりです。

 

 

「……素敵ですよ、ホントに」

 

 

「……ぉぅ……」

 

 

「!」

 

 

「……んがっ……くぅ……」

 

 

……でも、もし。

宇宙を泳ぐイルカになれたら、それはそれで気持ち良さそうって最近は思い始めてる。

 

 

にゅふふと囁いて、一度だけ頬っぺた突っついて。

 

 

「おやすみなさい、先輩」

 

 

外は寒いけど、なんかじんわり暖かい。

 

 

今日はいい夢見れそうだって思いました、まる

 

 

 



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スキをつかれた金曜日

「うぁ、風つよ。あっいたいたホントに居ましたよ。先輩先輩、こんな寒いのに屋上なんかでなにしてるんです?」

 

 

「……たそがれてる」

 

 

「うぷぷ、たそがれてるって……なになになんですかぁ先輩、そんな少年マンガのクールキャラみたいなマネは似合いませんってばぁ」

 

 

「…………」

 

 

「……話、聞こうか。へっ、そんな顔すんじゃねぇよ先輩。早苗と先輩の仲じゃねぇか……」

 

 

「…………」

 

 

「……せんぱぁい、せめてリアクションとってくださいってばぁ……スルーされるとほんとさみしぃぃ……」

 

 

「……俺とお前の仲、ね」

 

 

「!! そそそそうですそうです、そうですとも! 先輩からならシスターサナエルどんな相談だって真剣にお答えしますとも! さぁさ、先輩。心を開いて、カミングアウっ、かもーん!」

 

 

「……いや別に秘密発表する訳じゃないけど……まぁ、うん。いいか、早苗……俺が昼休憩にわざわざ一人屋上でたそがれてるわけはだな」

 

 

「ふむふむ」

 

 

「スゥ──」

 

 

「…………?」

 

 

「おまえのせいに決まってんだろぉぉぉぉぉぉお!!!」

 

 

「…………えっ?」

 

 

うん、絶対気付いてないよなこのアホは。

昨日のことはもうすっかりお忘れですかそうですか。

今朝のことまでお忘れですかそうですよね。

 

 

俺が朝、学校行きたくねぇなぁと愚痴をこぼしてた理由を聞いてきたから、懇切丁寧に教えてやったのに、川にアザラシ現れたってだけでもう忘れやがってこんにゃろうが。

 

 

 

「おまえなぁ……おまえなぁっ、今朝さんざん説明してやっただろうがよ。ちょっと珍しいマスコットがニュースに流れただけでもう忘れちったのかよこの鳥頭!」

 

 

「布団のなかで学校行きたくなーいってごろごろする先輩と見事なシンクロでしたねぇ、あの子」

 

 

「その行きたがらない理由だけピンポイントで忘れてんじゃねぇよ……お前が昨日、俺の教室まで来てっ……泊まりに来てって泣きつくからぁっ……」

 

 

「……???」

 

 

「それがなにか問題でも? みたいな顔すんな小首傾げんな! お前の発言で教室の時間が止まったの気付いてなかったのか!? 和気藹々とした昼休憩がいろいろと大惨事と化したんだぞおい」

 

 

「えーなにーお二人さんそーゆー仲なのきゃぁー……だいたーん、なんだかんだやることやってんだねあのふたりー……え、お前ら堂々とそんなこと言って大丈夫なん? なぁお前さ、俺の弁当のおかずプラスチック爆弾なんだけど卵焼きと交換しない?」

 

 

「そーだよ確か武田さん始めとした女子連中がめっちゃ盛り上がってたよ、彼女にフラれたばっかの江ノ島に至っては俺を爆殺しようとしてたよ。なんで音声だけばっちり覚えてんのお前……ここんとこ人間離れ著しいよ……」

 

 

「早苗は日々進化しております故」

 

 

「大事な要素の成長が一切見られないのはなんでですかねぇ……まぁつまりだよ、今朝教室入るなり、昨夜はお楽しみでしたねが一時的に挨拶と化してたわ。分かる か? すれ違う度にヒューッてネイティブに口笛吹かれる感じ……あの店長が量産したかと思ったわ」

 

 

「この際、左腕サイコガンに改造しちゃいます? タバコ兄ちゃんから借りてきましょうか?」

 

 

「コブラじゃねぇから。というかさ、お前の方は何もなかったの。絶対少なからずお前の教室でも話題なってるっぽいんだけど。お前のクラスの何人か真偽を確かめにこっちの教室来たんだけど。そこんとこどうよ」

 

 

「あーはい。ABCどこまで行ったのって聞かれました」

 

 

「がっつり注目の的になってんじゃんか……ちゃんと誤魔化してくれたんだろうな」

 

 

あぁ、やっぱり俺だけじゃなくこいつも大変な目に。

いや早苗の場合は自業自得だけど、というか原因元凶こいつのうかつさだけど。

 

 

 

「このたびD+になりましたって言ったら『うひょおぉぉぉぉおおお』ってクラスの皆がウェーブ起こしてました」

 

 

「でぃっ、Dぃぃ!? はぁ!? ちょ、ちょっとまてそもそもDってなんだプラスってもっとなんなんだ!? お前それ行くとこ行くどころかある種ゴールインしてるようなもんじゃないか! そしてお前のクラスの謎のテンションなんなの」

 

 

「え、でも正直に言ってって言われましたし」

 

 

「いやいやいやいや昨日ないし今までにそんな事実一切なかっただろがい! 思いっきり虚言じゃん、誤解しか生まれないぞそれ!」

 

 

「…………なんですかなんですか、早苗嘘なんかついてませんよ。本当にDよりちょい上ですし。なんならはかりますか」

 

 

そういって膨れっ面のまま、ずいっと身体を寄せる早苗。

え、なになにどういうことなの。

 

まさか学校の屋上で事に及ぼうと!?

そんな大胆だったかこいつ!?

 

……ん、はかります?

 

 

「……早苗もまぁ、恥ずかしい気持ちはありますが……嘘つきって思われるくらいならいっそ……!」

 

 

「ちょい待ち」

 

 

「ほえ?」

 

 

「……早苗、Dって何のこと?」

 

 

「……? これのサイズですけど」

 

 

…………寄せてあげんな。

 

 

「…………お前、お前さぁ……ABCってバストサイズじゃないって……どうすんだよ、完全に取り返しつかない食い違いがおきてるよそれ。なに思春期のアバンチュールな心を波立たせてんだよ……」

 

 

「貴方の心にビッグウェーブを起こすJK早苗を宜しくお願いします」

 

 

「常識を砕くやつが選挙に乗り出すな」

 

 

予想以上の大惨事に発展してることが発覚してしまい、もっとたそがれていたくなった。

 

というかほんともう帰りたい。

家引きこもりたい。

誰かたすけて。

 

最近世界の◯窓より見てると涙ホロリと出てくんだけど。

ほんと切羽詰まってきてるよ俺。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「さて先輩、話は代わりますが、先輩にいくつか質問が寄せられてきてますので、お答えして貰っていいですか」

 

 

「えっなに急に……質問ってどっから来てんだよ。そのおハガキなに。前触れもなくラジオのワンコーナー始めんなや」

 

 

しかもなに、けっこう数あんだけど。

それ全部答えんのかよ、昼休憩終わるじゃん。

 

 

「はい、それでは最初のお便り。えーと……漫才研究部所属の山田花子さんからです。『さーちゃん、例の先輩、こんにちは』……はいこんにちはー」

 

 

「『例の』先輩……? っていうかちょい待て待て。その山田花子ってお前のクラスメイトじゃないの」

 

 

「そですよ、はなちゃんには良く思い付いたっていう漫才のネタみせて貰ってます」

 

 

「最近の早苗のうざさに拍車がかかってる原因に、今ようやくたどり着いた気がする……」

 

 

「『例の先輩に質問です。さーちゃんとのネタの打ち合わせとか普段どこでやってるんですか? あと最近ツッコミの間について研究してるんですけど、例の先輩はなんでやねんのベストなタイミングはボケからコンマ何秒後くらいが良いでしょうか』」

 

 

「……いつの間にかお前と漫才組んでる事になってるのは非常に心外だけど予想以上に真面目な内容じゃん!! え、これ俺が答えなくちゃいけないのか? 謎のプレッシャー感じるんだけど」

 

 

「……カチッとな。ふむふむ、0.7秒ですね。早いなー」

 

 

「今時間はかんな! ストップウォッチどっから出した! しかもなんでやねんなんて一言も言ってねぇし……記録メモすんなこら」

 

 

「はいそれでは次いきまーす。プラモデル研究会所属の立山雪菜、通称ゆっきーなちゃんからです。えー……『接着剤をつけたパーツに思うこととかけまして、はたからみた例の先輩と早苗の関係と解きます。その心は?』」

 

 

「な、謎かけ……? なんかもう趣旨が分かんないんだが……えー……接着剤……と、はたから見た俺と、早苗…………っ」

 

 

「お、整いましたか」

 

 

「……次いこうか、早苗」

 

 

「え? 整いませんでした?」

 

 

「はい次々、あとそのゆっきーなとやらに一言いっといて」

 

 

「あ、はい。なんて?」

 

 

「……『そっとしといてくれ』って」

 

 

「……はぁ、わっかりました……うーん、でもこれどういう意味だろ……」

 

 

そのゆっきーなとやらめ、余計なお世話だ。

こっちだって一杯一杯なんだよ。

 

 

「ではでは。えーっと、今度は帰宅部を代表して中西達也くんからですね。『こんにちは、いつもお二人が仲良さそうで何よりです。益々のご発展をお祈り申し上げております』……中西くんありがとー」

 

 

「……どうも」

 

 

「『さて、話は変わりますが、例の先輩はパソコンのアプリや携帯のシステム事情に詳しいと相方さんからお伺いしてます。そこでお尋ねしますが、友達から急に身に覚えのないサイトから振り込みを命ずる内容のメールが届いたと相談されました』」

 

 

「……ん? あれ、ん?」

 

 

「『その場合、どう対処するのが一番堅実でしょうか。友達は非常に困っているようで、家族にも相談出来ないです。何か良い方法をご存知でしたら教えて下さいお願いしますホント』……うーん、なんだか大変みたいですね……って、先輩どしたんですか両手で顔を覆って」

 

 

「……うわぁ」

 

 

うわぁ……これ絶対、友達ってかうわぁどうしよ。

多分その、いかがわしいサイトでいらんことしたんだろうなぁ……中西君なにやってんの。

 

 

「先輩?」

 

 

「……無視してれば大丈夫だからって言っといて」

 

 

「えー、それ本当に大丈夫なんです?」

 

 

「大丈夫だから。余計なことせず無視してれば勝手に来なくなるからって……」

 

 

「ほほー……流石はパソコン名人。これでばっちり解決ですね!」

 

 

「……いや名人ってほどじゃないから。ちょっと色々出来るだけだから。別にそっち方面に詳しいとかじゃないからホント、ここ重要よホント」

 

 

というかさっきからまともな内容ないな。

むしろ最初の質問が一番まともな気がするし。

今のとかもう早苗関係ないじゃん。

 

これずっとこんな感じで行くの?

 

と、ふとここで早苗に異変。

 

なんというか、急にもじもじと、そんでそわそわし始めた。

え、なにどうしたのこいつ。

なんか……顔赤くなってない?

 

というかハガキの束をゴソゴソ仕舞っちゃったし

 

 

「で、では……最後の質問になります!! で、ですがその前に、先輩! 早苗の目をジーっと見てください!」

 

 

「は? え、まだハガキめっちゃ残ってたけど……」

 

 

「いいですから、はいジーっと……」

 

 

「???」

 

 

なんか良く分からんが、とりあえずそうしないと話が進まなそうなので言われた通り見つめてみる。

 

……睫毛長いし、ホント目大きいよなこいつ。

 

と、そんな折、急に目一杯のピンクが飛び出してきて。

 

えっなにこれ……とつい呆気に取られて、気付くのが遅れた。

 

ファーブルスコ、ファーブルスコ……

 

この音、この画面……

 

月曜日ぶりの、催眠アプリ……

 

 

 

「…………」

 

 

「……よしっ、これでオッケー。すーっ……ふーっ……」

 

 

…………な、なんだこの展開。

 

急に催眠アプリを起動して、一体俺に何するつもりだよこいつ。

めっちゃ顔赤いし、すんごい深呼吸してるし。

 

 

……ま、まさか。

こいつ、この意味の分からないタイミングで例のあんなことやこんなことを!?

 

いやいやまさか、いやそんなまさか。

ぐるぐるぐると、思考が絡まる。

完全に隙をつかれたせいで、考えが全然まとまらない。

 

 

そして、そんな俺を『アプリが発動してる』と誤解したままの早苗は、ぎゅっとスマートフォンを握りしめながら、真っ赤な顔で俺に問い掛ける。

 

 

「……先輩。先輩に聞きたい事があります。しょーじきに、答えて、ください……」

 

 

「……?」

 

 

え、最後の質問って……早苗ご本人からかよ。

 

いやでも、なんで催眠アプリを起動したんだ。

いっつも気になることがあれば空気も読まずに聞いてくるようなおバカの癖に。

 

 

 

 

 

「……もし、もし先輩が催眠アプリを使えるとしたら……」

 

 

……えっ

 

 

「もし、先輩が、早苗の持ってる催眠アプリを使えるとしたら…………先輩は、早苗をどうかしたいって思いますか?」

 

 

「…………ちょ、いやいや……いきなりなに言ってんのお前」

 

 

「……た、例えば……早苗にして欲しいこと、とか。なんかあったりするのかなって……『頭が良くなって欲しい』とか」

 

 

「────」

 

 

「……『俺に迷惑かけるな』とか、『俺に頼り過ぎるな』とか。『もうちょっと、おしとやかにして欲しい』とか…………ないですか。そんな事、考えた事ないですか?」

 

 

「…………」

 

 

…………なんだよそれ。

あんな事とかこんな事とかどうしたよ。

 

なに真面目な顔してんだよ。

 

お調子者のくせに、ポジティブの塊のくせに。

 

 

そんな催眠アプリの使い方、『想定してなかった』けど。

 

 

 

 

 

「……そうだな、もうちょい迷惑とか考えろとか思う時もあるよ」

 

 

「!!」

 

 

こんな一言二言くらいで涙目なんなし。

あーもう、こいつはホント、めんどくさいやつ。

 

 

 

「……何かと頼るし、一緒にいるだけで問題起こすし、家事もろくに出来ないし。正直お前将来心配なるわ」

 

 

「…………えう。そ、そですか……」

 

 

最後まで話聞かないし。

聞いても忘れるし。

 

急に訳の分からない事言い出すし。

 

 

「でもぶっちゃけおしとやかな早苗とか………………ないわー」

 

 

「…………はぇ?」

 

 

うん、想像してみた。

結果、ないわ。

おしとやかに微笑む早苗?

授業中に真面目な早苗?

 

……キモいまであるわそんなん。

 

 

「ない、もう想像するだけで誰こいつってなる。逆に明日、槍でも降ってくんじゃないのって心配なる。そんなのホラー映画より『よっぽど怖い』」

 

 

「…………そんなにですか」

 

 

「……これまだ過小表現だから」

 

 

「そんなにですか!?」

 

 

「ったりまえです。自分のアホ加減自覚しなさい」

 

 

 

 

だからまぁ、催眠アプリをもし使えるとしたら?

 

そんなのもう『とっくの昔に』結論は出てる。

 

 

 

 

「……結論。『使わない』」

 

 

「……!」

 

 

「だって操り人形なお前とか、まじで面白みの欠片もない。いらんいらん」

 

 

「……そう、ですか…………うぇへへへへ」

 

 

「褒めてな…………い、事もないか」

 

 

ほらまた、そんなだらしのない顔で笑ってさ。

やっぱりバカ犬だわ、よく分からん理由でちぎれるくらい尻尾振ってるバカ犬、うん。

 

 

「……あーもうアホくさ。それで質問終わり? ろくな質問ないなホント……というか、ちゃんとABC問題の誤解はちゃんと解いとけよお前」

 

 

「でへへへへ……先輩先輩、せんぱーい」

 

 

「……だから、話聞けよ。ホントにさ……」

 

 

その場に立ち尽くしながら、鼻の下伸ばしてにやけ面のまま、アホっぽい笑い声をあげながら。

 

見上げてくる、ものすごく嬉しそうに。

いつもみたいに人の話は右から左。

 

 

 

──キーンコーンカーンコーン

 

 

「……ほら、教室戻るよ。あとホント頼むからこれ以上余計な問題は起こすなよ。そろそろ俺のキャパも限界だからねホント」

 

 

「せんぱーい、今日の帰り、またあのゲームセンターいきましょー!」

 

 

「…………はぁ」

 

 

チャイムと同時に、寒空から逃れるべく退却開始。

さっさと帰ろうとすれば、相変わらずのにやけ面でトテトテと付いてくる。

 

付かず離れず。

いつしか馴れた距離感は、接着剤を必要としていない、今は。

 

 

 

「…………先輩」

 

 

「なに?」

 

 

「やっぱり先輩のこと、ステキだって思います」

 

 

「……あっそ」

 

 

それならいっそスキって言ってくれた方が、俺として助かるんだけどね。

 

 

さりげなく制服の裾を掴む小さな掌を、見ないふりした金曜日。

 

 

 

……どうせビビりですよ、俺は。

 

 

 

 

 

 



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覚悟を決めた土曜日

「ねぇお兄。なんか歩くの早くない? もよおしちゃってんの?」

 

 

「なんで最初に浮かんだ理由がそれなんだ妹よ。せめて見たいテレビ番組あるとかにしてくんない? 女としてどうなんそれ」

 

 

「お兄相手に女出してどーすんの馬鹿なの? もよおしてないならもうちょいゆっくり歩いてくんない。足痛い」

 

 

「ヒールなんて履いてるからでしょ。中学生でそれはやっぱ早いと思うんだけどな」

 

 

「妹は背伸びしたい年頃なんだよ、精神的にも物理的にも」

 

 

「自分で言うかね。まーいいけど」

 

 

昼下がりのアーケードを抜けて、のんびり伸びたアスファルトを歩いていく帰り道。

 

暇なら買い物付き合ってとマイシスターに引っ張られ、なにやらCDやら服やらマニキュアやらを見て回った疲れか、首の後ろ辺りがこってる。

 

 

「というかさ、お前ぐらいの年だともう兄妹で買い物ってのも嫌がるもんじゃないの。そこらの背伸びはしないわけ?」

 

 

「もしお小遣いが足らなくて買えなかったら嫌じゃん」

 

 

「財布扱いかい。末恐ろしいなお前」

 

 

「借りたら返すよちゃんと。それにお兄、けっこう服とかのセンス良いからね。この前お兄が選んだブラウス、友達にめっちゃ好評だったし。だからアレだね、プチご意見番的な感じ?」

 

 

「あーね。そりゃどうも。まぁいいや、マニキュア塗る時はちゃんと部屋の窓開けろよ」

 

 

「あーい」

 

 

楽しみが抑えきれないのか、もうすぐ我が家だってのに買い物袋をガサゴソやる妹。

まさかとは思うけど、そのブラウスのくだりで周りに、俺に選んでもらったとか言ってないだろうなコイツ。

 

もしそうなら女としてちょっと残念な扱いされるぞ。

 

 

と、そんな間にもう玄関の前。

キーケースを取り出そうとする俺の裾を、ちょいと引っ張る妹の方へと顔を向ければ。

 

 

 

「……ね、そろそろさ、つっこむべきだと思うんだよね、『アレ』」

 

 

「なんのことでしょうか」

 

 

「いや『アレ』。今どきアニメでもあんな分かり易い変装しないよ。さっきからずっと付けてるみたいだけど、ついでにウチをめっちゃ睨んでくるんだけど」

 

 

「気のせい木のせい私は森の精」

 

 

「お兄が現実逃避する時のボケってかなり寒いよね」

 

 

いやそりゃね、柄でもないボケをかましたくなる。

 

ニット帽にサングラスにマスク、バレないとでも思ってんのかねあの格好。

 

「ササッ」って口に出しながら電柱と電柱移動するとかね、逆に目立つに決まってんだろ何やってんのあのアホ。

 

 

 

「うぬぬぬ、うにゅにゅ、むぎぎぎぎ……先輩めぇ……しぇんぱいめぇぇぇ……」

 

 

「「うわぁ……」」

 

 

何言ってんだあのアホ。

いやほんと、関わりたくないんだけど。

このまま帰宅して戸締まりバッチリしたいんだけど。

 

 

「……お兄、声かけてきなって」

 

 

「…………いやだなぁ……」

 

 

お前関係やろ早よ行けや、とばかりに腰を叩く妹。

 

今日のあいつはマジで関わると面倒そうだから嫌なんだけどなぁ。

だから刺さるくらいの視線すら無視してたんだけどなぁ。

 

あーもー、面倒くさい。

 

こった首を擦りながら、仕方なく我が家の玄関の外壁に隠れてるつもりの元へと向かうのだった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「ここが、先輩の、ハウスですね!!」

 

 

「それ家入る前の台詞。んでハウスというかルームだよ」

 

 

「ホワイ ダイワハウス?」

 

 

「やかましいわ」

 

 

「先輩の部屋……先輩の部屋かぁ……うぇっへへへ……」

 

 

「恐いよ……」

 

 

「あ、これ早苗が先輩の誕生日にあげたファービー君だ。ちゃんと大事にしてくれたんですね……ほら、モルスァって言ってモルスァって」

 

 

「あんま部屋んなか、いじったりすんなよ」

 

 

「ベッドにどーん!」

 

 

「頼むから少し落ち着いてくれって!」

 

 

早苗を家にあげるのは苦渋の決断だった。

いや本音を言えばそのままおうちに帰って欲しかったんだけども、なんか半泣きで歯ぎしりしつつぶつぶつ言ってるやつを前に、帰れとは言えず。

 

というか隣で何故か俺に白い目を向ける妹が勝手に招きやがった。

 

その時、早苗が妹に向かって「どろぼうキャットにゃんめぇぇ……」とかあほくさ過ぎる台詞を吐いたから、大体の事情は察せれたけど。

 

 

「優香ちゃんでしたっけ。あんなかわいい妹さんいるなんて知りませんでしたよ」

 

 

「そういや言ってなかったな。言っとけばこんな事態にはならなかったと思うとホントね……」

 

 

「義妹だったりします?」

 

 

「何その質問!? ちゃんと血ィ繋がってますけど!」

 

 

「昨今は義理がアツいとかなんとか。ちょっとDNA鑑定いっときます?」

 

 

「いくかよアホ」

 

 

「こんな終盤でダークローズの出現とか早苗許しません」

 

 

「ダークホースだよ。なにちょっと厨ニっぽくなってんの」

 

 

「中二は優香ちゃんでは?」

 

 

「アイツは中三だって言っただろ。もう忘れたんかい。散々右腕疼いたりする?とか下らんこと聞いてたくせに」

 

 

まさかあの妹から、お兄も大変だねって気遣われる日が来るとは思わなかったよ。

貴重な経験をどうも、感謝の気持ちは欠片もないけど。

 

 

「さてさて、それでは……やはり男子の部屋にお邪魔したとなれば、このイベントは外せませんよねうんうん。とぉ、いうことでぇ!! お宝探しと行きましょうではあーりませんかぁ!!!」

 

 

「こらやめないか」

 

 

「いえ先輩の趣味趣向を探るのは後輩の務め。先輩、それがしの腕を掴むそのおて手を離されよ」

 

 

「なんで若干時代劇っぽい言い回ししてんの」

 

 

「ではベッドの下をご開帳!」

 

 

「おいこら」

 

 

「……わぁ、こんなとこまで掃除がいき届いてるなんて家庭的ですねぇ……チッ」

 

 

「舌打ち!?」

 

 

「……と見せかけて本棚の間に挟まってたりするんですよねー……って、事典とか楽譜とか音楽雑誌ばっかりじゃないですか! 先輩もうちょっとネタになるものとかないんですか!?」

 

 

「なんでお前に笑いのネタを提供せんが為に変な本を集めにゃいかんのさ」

 

 

「なに言ってんですかオカズ的なネタってことですよ言わせんで下さい恥ずかしい」

 

 

「お前の発言からして恥命的だよもう……」

 

 

「……あ、漫画もちょくちょく……んーでもバトル漫画ばっかりだなぁ……サービスシーン多めのやつとかないんです?」

 

 

「高校生にもなってそんな小賢しさないから……」

 

 

なんでめっちゃ不満気なんだよこいつ。

逆にそういう本ばっかだったらどうするんだろ。

 

……その場で読みふけるんだろうな、うん。

 

 

「……おっ、おっ! おおぉ!! こ、これは! 先輩の本棚になんかピンクな漫画が!」

 

 

「……少女漫画をピンクってお前……」

 

 

「ふむふむ……へぇ、イケメンな上級生に片思いする主人公………………ほっほーう……」

 

 

「なに」

 

 

「せんぱーい……こんな漫画買っちゃうなんてぇ……もう、仕方ないなぁ先輩ったらぁ……エヘ、エヘヘヘへ」

 

 

「…………こいつ」

 

 

「あ、お兄。ちょっといい? 前に貸した漫画読みたくなったから返してー」

 

 

「ん、あいよ。早苗、それ」

 

 

「ぇ、ぁ……」

 

 

「はいこれ。わりと面白かったぞ」

 

 

「だから言ったじゃん、最近の少女漫画はシナリオ凝ってるんだって。そんじゃこれにて」

 

 

「はいはい」

 

 

「早苗さんも、お邪魔しましたー」

 

 

「ぁ、はい……」

 

 

パタンと閉めて去ってく妹の訪問は、ある意味神がかったタイミングだったかもしれない。

 

だらしないニヤニヤ顔からしょぼーんと落ち込みだしたアホを尻目に、ベッドに腰かける。

そう落ち込まなくて良いのにねぇ。

 

 

「……で、お気は済みましたか?」

 

 

「うぅぅ……いえ! まだ、まだ早苗は諦めませんよ! というか敬語はやめて下さいって」

 

 

「あーもう、どうしたら満足すんだよ」

 

 

「先輩のよわみ……もとい、フェティズムを白日の元に晒すまでは満足しません!」

 

 

「今弱みって言おうとしたね? 聞き逃さんからな」

 

 

「……あ、先輩。これ先輩のパソコンですか? なんかすごい本格的ですけど」

 

 

「本格的って……まぁ新型だから。オプションも色々付けてるし」

 

 

「パソコンとかデジタルに強いですもんね……ハッ、まさかまさか、この中に先輩のお宝が……!!」

 

 

「いやいやないから」

 

 

「ホントですかぁ……?」

 

 

「なにその疑惑の眼差し……というか俺がそういうの持ってないと気が済まんのかこいつ」

 

 

「っと今ですスイッチオーン!」

 

 

「ちょっ」

 

 

隙ありとばかりにパソコンを起動する早苗。

なんでこういう時は的確に起動スイッチとか押せるんだいつもの天然はどうした。

 

だが、これはちょっとヤバい。

早苗が言うお宝は一切ないけど、ていうか実はそれはスマホの方にあるんですけど。

 

アレを見られたらちょっとマズイっていうか、気まずいというか。

 

 

「…………うわぁ、なんかめっちゃファイルある。うぅ、なんですかこの数。えぇと、カチカチっと」

 

 

「ファイルってかアプリケーションだろ……しかも勝手に開きおって」

 

 

「……あ、これは……楽譜? え、先輩作曲とかしてるんですか?」

 

 

「まぁ……ストレス発散とかにもなるし。いいだろ別に」

 

 

「へぇ、今度聴かせてくださいよ」

 

 

「えー……」

 

 

「……ん、なにこれ、アプリ作成プログラム……?」

 

 

「あ、ヤバっ」

 

 

「……先輩まさか」

 

 

……

 

…………これ、バレたか?

 

 

「……将来の夢はアイティンってやつですねさては!」

 

 

ですよねー

うんまぁ、やっぱりバカというか鈍いというか。

 

 

 

「……ITね、IT。まぁ、そういう選択肢もあるかなってだけ」

 

 

「……そっかぁ。先輩、もう将来の事とか考えてるんですね……」

 

 

「……そりゃそうだろ、むしろ今が一番考える時期じゃん普通。お前は決めてないの?」

 

 

「……早苗は、そうですねぇ……水族館でイルカの餌やりとかやりたいなぁ……」

 

 

なんというか、上手いこと水を差せたというか。

ちょっとセンチになりつつ俺の隣に座る早苗は、珍しく少し真剣っぽかった。

 

そういや早苗とこんな話するの、はじめてかもしれない。

 

 

「イルカの調教師……ん、意外と似合うんじゃない? ただ、イルカにおバカが伝染する不安を拭いきれないけども」

 

 

「それママにも言われましたよもう……」

 

 

「他には?」

 

 

「そうですねぇ……先輩と……」

 

 

「っ、俺と、なに?」

 

 

「……漫才組んでM-1グランプリ出たいです」

 

 

「…………R-1でどうぞ」

 

 

なに紛らわしいこと言ってんだ。

というか漫才ならクラスメイトの山田花子とかいう娘と組めばいいじゃん。

 

 

「……はぁ、要するに具体的なプランはないってことね。ホント大丈夫かそれで……」

 

 

「うーん……でもなんていうんですかね、やりたいこととかはあるんですよ。富士山登りたいとか、宇宙飛行士なりたいとか、あっ、飛行機のパイロットなんてどーでしょか」

 

 

「……全部小学生男子の持ちそうな夢なんだけど。お前のその少年ハートなにホント……」

 

 

そのうちダンゴムシ一つではしゃぎそうだわ。

 

というか、ある日突然こいつが虫かごと虫捕り網装備してカブトムシ捕まえに行こうとか言ってきてもそんな違和感ない気がする。

 

けど、ぼーっとこっちを見上げるコイツは、そんな白シャツ短パンでも普通に似合いそうなこのバカは。

 

 

「でも、どうですかね……やりたいことっていうか、なりたいことはひとつなんですよこれが」

 

 

「はぁ? なりたいことってなに」

 

 

頬を染めて、はにかんで。

こういう時、不意打ち気味に爆弾発言を放り込むから油断出来ない。

 

 

「……今日みたいに、先輩と一緒にわちゃわちゃしてたいです。ずっと」

 

 

「────」

 

 

まぁ油断してなくても、防御貫通するタイプなんだよ。

 

意味分かっていってんのかね。

 

 

「お前さ、それどういう意味」

 

 

「……そのまんまの意味ですよ」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

にへらって笑いながら、バカが答えを言ってるようで、はぐらかしてる。

 

あぁもう、分かってんだよ。

お前と違ってこっちは鈍くないんだよ、都合の良い鈍感なんて持ち合わせてないんだよ。

 

 

だから、まぁ、お前が俺のことをどう思ってるかくらい分かってるよ、結構前から。

 

 

 

「ずっと、わちゃわちゃ、か。そりゃしんどいな」

 

 

「えー……昨日はこのままの早苗が良いって言ってくれたのに。二枚舌ですか嘘つき」

 

 

「操り人形よりかはって前提を省いてんじゃねぇ」

 

 

だってのに、こいつはこの付かず離れずを続けたがる。

 

埋めたいのか離れたいのか、そわそわしながらまとわりついてくる。

 

そんな日々は楽しいことは楽しいけど、ままならないこともあるから。

こっちもつい、臆病になる。

 

 

「……先輩。背、伸びましたか?」

 

 

「……座りながら何が分かるんだよ」

 

 

「分かりますよ、先輩のことなら」

 

 

「良く言うよ、この単細胞」

 

 

「うわひどい言い草」

 

 

「事実でしょうがよ」

 

 

 

──そろそろ、潮時だよな。

 

 

チカチカと電光走る付きっぱなしのパソコンが、腹をくくれと言ってるような気がした。

 

 

「……早苗」

 

 

「はい?」

 

 

 

 

 

「────明日、暇?」

 

 

 

明日、白状しよう。

 

その結果、どうなるかは……コイツ相手だと予想を裏切られるのも珍しくないけども。

 

 

踏み出さないなら、こっちから。

 

 

そう覚悟した土曜日。

 

 

 

 

 



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深呼吸した日曜日

青空を閉ざした音楽室の黒いカーテン。

時々入り込む斜めの光の筋に誘われた気がして、おもむろに窓から見下ろしたグラウンドの隅。

 

カラカラに乾いた水道場の影に、何やらこそこそと隠れながらグラウンドの方をうかがってる変なやつが居て。

 

 

それを第一印象としていいのなら、やはり早苗は昔から今の今まで、おバカの一言に尽きると思う。

 

だから興味を惹いたんだろうし、だから今色々と苦労してる。

しかも、バカは伝染ると来たもんだ。

 

 

例えばあの時、声をかけなかったら。

そう考える度に出る結論は、多分今よりつまらないものになってただろうってのが恒例で。

 

毒されてるよ、結局。

 

『……そこで、なにやってんの?』

 

 

『……へ?』

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

明日暇かと聞いて、はいとアイツが答えたから。

その明日がやって来て、今は明日が過ぎ去る間際。

 

プカプカ浮いた丸い月が、退屈そうに傾いている。

 

 

「いやぁしかし……先輩が恋愛映画みたいって言い出した時はびっくりしましたよ。優香ちゃんから借りたってやつ、実写化してたんですねぇ、うむうむ」

 

 

「映画なりのアレンジが結構良かったな。でも、俺が恋愛映画見たがるの、そんな意外か?」

 

 

「そりゃ先輩あんまりそういう感じしませんし。ちょっと前までは早苗のクラスでもクールキャラで通ってましたし」

 

 

「元々有名だった風に言ってくれるとこ嬉しいけど、クールキャラって言われんのなんか嫌だな。こっぱすがしい。てかちょっと前までってことは、今は……」

 

 

「Mr.ツッコミスト」

 

 

「ですよねー」

 

 

午後3時過ぎに待ち合わせた街中から、並んだ映画館で食べたポップコーンのしつこいキャラメル味がまだ口の中に残ってる気がした。

 

緊張の味を甘いと思うのは余裕があるからか、逆に余裕がないからか。

 

 

「というか、俺としては早苗のボーリングの異常な上手さのがよっぽど意外だったけど。6ゲームの最高スコア220でアベレージ195ってなんだお前プロかよ」

 

 

「能ある早苗はブラを隠します」

 

 

「つまりさっきのボーリングはブラを見せちゃった事になるんですけど!? 変にボケなくっていいから」

 

 

「あう」

 

 

アスファルトを歩く足音はまばらで、もう遅い夜の時間帯では人通りなんてほとんどない。

 

そんな帰り道、いつもと違って一歩前を歩きたがる早苗の落ち着きのなさをいさめたのは、俺自身の心を落ち着かせたかったからってのもある。

 

 

そして小動物的な後輩は、そんな俺のいつもらしさの欠落を敏感に嗅ぎ付けて、切れのない言葉を空回す。

 

 

「……早苗、さ」

 

 

「は、はい」

 

 

『好きなら好きって言わないと意味ないよ』

 

 

スクリーンの向こうで主人公の男の子が(のたま)った格好の良い言葉。

甚だ同意だけれども、そんな事は誰だって分かってるよチクショウ。

 

 

「今日、楽しかったか?」

 

 

「……ぇ、ぁはい、ちょー楽しかったです! というか、ここのところ毎日楽しくてホント……楽しい、です、はい」

 

 

「そっか」

 

 

先輩とずっと一緒に居たい。

冗談半分に逃げ道を作りながらの後輩の本音は、聞こえてた。

 

だから今日誘った訳であり、だから昨日覚悟を決めた。

白状しようと、告白しようと。

 

 

だから、まずは。

 

 

 

「……早苗」

 

 

「はい?」

 

 

俺も恥をさらして、逃げ道を防ごう。

背水の陣ってほど格好良いもんじゃないし、元はといえばくだらない思い付きから始まったことだし。

 

 

 

「……催眠アプリ、アンインストールしない? 多分、もう必要ないし」

 

 

「……え? あの、それはどういう……?」

 

 

そういって差し出した手を、早苗は呆気に取られたように見つめてる。

 

結局こいつは最後まで気付いてなかったんだな。

いや、そもそもそうさせてしまったのは俺のせいか。

 

 

「……あのアプリをインストールする時、説明文をきちんと読んだ?」

 

 

「??? ……い、いえ。なんか面白そうだなぁって思いながら、ついインストールしちゃったっていうか……」

 

 

「じゃ、今読んでみな」

 

 

「ど、どうしたんです先輩……突然そんな事言って」

 

 

「読んだら分かるよ」

 

 

ひたすらに疑問符を浮かべてポチポチとスマホをいじる小さな爪の先が、仄光るライトを浴びて柔らかく光る。

 

早苗は、催眠アプリを魔法みたいだとはしゃいだけれど、実際そんなものではない。

 

 

 

「……えっと…………………あ、あの先輩。ここ……『使用者のことを好いている相手には、催眠アプリの効果は通用しません』……って」

 

 

「まぁ、月曜日には普通だったら本命の前に誰かしらで試すだろって言ったけどさ、お前が『普通じゃない』ってのは俺がよーく知ってたから」

 

 

「…………あ、はは、そっかそっか……やっぱり、先輩は早苗の事、別になんとも……」

 

 

つくづく人の話を最後まで聞かないおバカは、じわっと目尻に涙を浮かべて早とちり。

 

まぁ俺も早苗をバカとか言える立場じゃないくらい、馬鹿な真似をした訳だけど。

 

 

「……いや早苗、もっと気付くべきところがあるじゃん。なんで、俺が説明書のことについて知ってるかってこと」

 

 

「ズズ……すん……あざす…………ぇ、あ、ホントだ。なんでぇ……?」

 

 

ぐずぐすと鼻を啜る早苗にハンカチを差し出せば、涙ぐんだ目元を拭いながらようやくおかしな事に気付いたおバカが、不思議そうに目を丸めている。

 

 

「催眠アプリの名前、もっかい読んでみ?」

 

 

「……『催眠アプリ─改─』……」

 

 

「……改ってことは、改になる前の催眠アプリがあったってことだろ」

 

 

「……ぁ」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

白状するとしよう。

 

俺が催眠アプリなんて胡散臭いものを目にしたのは、二週間前くらい。

暇潰しにネットサーフィンの途中、ブロック漏れしたつまらない広告の中にそれを見たからだ。

 

『催眠アプリ』

 

なんて馬鹿らしい、今どきそんなので釣れるやつがいるのかと鼻で笑い、そんな詐欺みたいなアプリをインストールしたやつがどれだけいるのかと、つい興味を惹かれた。

 

 

まぁ、案の定、アプリにそんな犯罪めいた効果はなく、評価欄は低評価ばかりで、詐欺だとか下らない悪戯だとか口汚く罵る言葉がコメントされていた。

 

けれど、みんな効果なんてあるわけないと分かった上での、悪ノリに悪ノリが重なっていくだけのしょうもなさ。

 

 

まぁそうだよな、『普通』の人間なら、こんなものに引っ掛かったりしない。

 

 

 

と、そこでふと思い至ったのがいけなかったんだろう。

 

 

『普通』じゃないおバカにこれを見せたら、アイツはどうするだろう。

 

普段からしてバカみたいに俺を巻き込んでやりたい放題のアイツは、常に付かず離れずの距離に居る。

しかも、明らかに俺を……意識している仕草も少なくないし、異性として見られている自覚はあったけれど。

 

あんだけの恥知らずの癖に、どこか最後の一線を踏み切ろうとしない臆病さだけは一丁前で。

そういう恋する乙女みたいな本音を早苗から聞いた事はなかった。

素敵とかは良く言われるけど、もっと欲しい言葉がある。

 

 

 

なら、聞いてみたいと思ってしまうよな。

 

そう閃いた、二週間前の月曜日。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

気付けば、俺と早苗は踏み切りの前に立ち止まっていた。

脇の足元に生えた雑草が、月光を浴びて柔らかくなびいてる。

 

 

「……いやホント、自分でもどうかしてた。ビビりの後輩の本音引き出す為にそこまでするかねって話だよな」

 

 

 

「……あ、あの。じゃあこの催眠アプリって……偽物なんです?」

 

 

「そうだよ。ってか俺が作ったんだよそれ。で、LINEの別アカウント取ってお前に送った……まぁ案の定、お前はブロックもせずインストールまでしちゃった訳だがな……ホント将来詐欺とかに引っ掛かんなよ」

 

 

「…………えっと……はい」

 

 

多分、頭ん中に急に情報がいっぱい入ってきて整理出来ないんだろう。

ほんのりと頬を染めつつアプリの画面をじっと見つめてる早苗に、俺は続ける。

 

後輩の本音を引き出す為の下らない思いつき、その誤算のせいですっかり狂ってしまった予定。

 

 

「……本当はさ、お前がそのアプリを使った時……何事もなくスルーするつもりだったんだよ。そしたらお前は、説明書のあの文を思い出してくれるだろうってな。『使用者のことを好いている相手には、催眠アプリの効果は通用しません』ってさ」

 

 

「…………そ、の。そそそれって、つまり……」

 

 

──あぁ、やっと気付いてくれたか。

 

そうだよ。そのつもりだったよ。

 

けど誤算というか、すっかり俺も見落としてしまっていたんだよ。

 

 

「……ま、お前がきちんと説明書を読んでくれるやつなら、そうなってただろうけど…………俺もバカだよ、ホント馬鹿過ぎて笑える。お前が説明書まできっちり読むタイプじゃないって気付いたのが、まさかお前に催眠アプリを持ち出された瞬間ってなぁ……遅すぎるわホント」

 

 

バカは伝染るものだって、痛いほど身に染みた。

いや、下らない思い付きで男らしさから逃げたビビり野郎に対して、罰が当たっただけかもしれない。

 

 

「で、とっさにかかったフリして……ま、あとはお前も知っての通りの一週間だよ。ネタバラシしようにも、"お前が催眠アプリ起動すんのは大体周りに目がある時"だったし」

 

 

火、水、木と続けざまに、あんな衆人環視の中でよくもやってくれやがって。

おかげで勘違いさせとくしかなくなったし、そのままずるずると今日に至って。

 

自業自得だけどさ。

 

 

「……けど、もうそれも終わりだよ。俺は腹を括った。そんなアプリなんかに頼ってみっともない姿を、これ以上お前に見られたくないし」

 

 

「え、えとえと……ですね。よ、よく話がわからなかったですけど……せ、先輩は!! みっともなくなんて……ないですよ!」

 

 

「はは、そうかよ。でもな、これは俺のしょぼいプライドの問題。だからな、早苗」

 

 

「え、ちょ先輩、それ早苗のスマホ──」

 

 

種明かしが終わったのなら、お楽しみいただけたでしょうか、なんて気取った一言が必要かもしれないけれど。

 

それは、これで幕を下ろすって合図だから。

 

そんなつもりは毛頭にない、むしろ──ここから始めたい訳だ。

 

付かず離れずを、互いに止めた関係を。

 

 

 

だから、下ろすのは(まぶた)だけで充分。

 

催眠アプリのスイッチを押して、あのよく分からない──早苗からの誕生日プレゼントの鳴き声が、スマホのスピーカーから鳴り響く。

 

 

 

それを聞き届けたなら、スマホを早苗に返して、そして。

 

あとは、選んで貰うだけ。

 

 

 

 

「……早苗。『この大馬鹿者の先輩は、早苗の事を好きかどうか』──聞いてみろよ、今。ずっと知りたかったんだろ?」

 

 

「────ぅ、あ、あの……」

 

 

「ビビりがビビりに頼んでんだよ。白黒ハッキリしとこうぜって」

 

 

「……う、ぅぅぅ……ず、ずるいですよこんなの……もう、先輩の……先輩のバカぁ……」

 

 

急過ぎるって?

 

そうでもないだろ。

 

お前だってはしゃいでたじゃんか。

 

"先輩から始めてどっか行こうって誘われた"って。

 

それで勘づかない、鈍感なやつが悪いんだよバーカ。

 

 

「……先輩」

 

 

 

 

──早苗の事、好きだったら……教えてください。

 

 

 

 

 

 

やっと言ったよこのバカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「──せんぱ、んぅ……っ、ぃ」

 

 

「────」

 

 

柔かな感触とか、鼻孔をくすぐる甘い匂いだとか。

一杯一杯な息遣いとかより、まず想うことがひとつ。

 

 

ムッチリムッツリだとか馬鹿にしたこともあった女の身体は、思った以上に、か細い。

腕の中で吐息をもらし、身動ぎしながらも俺の背中を掴む力を、強くしていく女は、こんなにも小さい。

 

とっくの昔に大切な人へと置き換わった女を腕の中に閉じ込めて、少し怖くなった。

 

 

欲しいと想うより、無くしたくないが先に来た。

意味わかんない、普通『もっと』って思うだろうに。

 

付かず離れずに我慢出来なくなって、卑怯な不意打ちまで使った馬鹿な男が抱く感想が。

 

 

このまま、ずっとこうしていたい。

 

 

心から停滞を願う、その矛盾が歯痒いけど、本音だった。

 

 

「──っ、ちゅ……は、ぁ」

 

 

「────…………」

 

 

ゆっくりと離れていく顔が、そう長いキスでもないのに酸素を求めて下を向く。

あぁ、いや違う。

顔を見られたくないのか、いじらしい真似しやがって。

 

 

息遣いと上下する胸が俺の腹をくすぐって、服の上からでも早苗の熱が不思議と伝わるのがどこかくすぐったくて。

口の中の甘い屑が、舌の上で転がった。

 

 

 

「……早苗」

 

 

「ひゃ……ひゃい。なん、ですか……」

 

 

「金曜日の仕返しだ。今のは『催眠アプリによる効果か』……それとも、『俺の本心』から来るものか」

 

 

あぁ、これまた下らない質問が口から転がり落ちる。

 

だってこれ、質問の意味ないよな。

 

 

 

「お前は、どっちが良い?」

 

 

 

効果だろうが、本心だろうが。

 

命令の内容からして、選んだ答えなどっちでも結局──俺が早苗を好きという証明になるんだから。

 

 

 

カンカンカンカン、踏み切りの音が鳴り始めた。

 

 

 

「ひぁ…………ぅ、そ、そんなの……選ぶまでもないっていうかですね……せ、先輩……ちゅーするならするって……」

 

 

「教えてくれっつったのお前だろ?」

 

 

「そですけど……そうですけど……うぅぅぅ……先輩のいじわる……早苗だって、早苗だって心の準備とか!! ふぁ、ファーストキッスの味、全然分からなかったじゃないですかぁー! もぉぉぉぉぉぉお!!!」

 

 

ゆっくりゆっくりと、黄色と黒の遮断棒が降り始める。

遠くの方から響く、線路を軋ませる車輪の唄。

 

それを掻き消すくらいの大声で、訳の分からない文句を言われて、何故だか笑ってしまって。

 

 

だから、一瞬遅れたのがアダとなった。

 

 

 

「先輩のバーカ! スケベ! ぶわァァァァァカァァッッッ!!!」

 

 

顔を面白いくらいに真っ赤に染めた一番の大馬鹿女は、そのまま遮断棒をくぐって、元陸上部なだけある俊足であっという間に踏み切りの向こう側へと渡ってしまった。

 

脱兎の如く、惚れ惚れするくらいの逃げ足。

 

 

「はやっ……」

 

 

大声の影響で若干息切れの中、トップスピードで駆け抜けたからか、別たれた向こう側の早苗は肩で息をしている。

 

そのまま、ゆっくりと息を整えて、曲げた背筋を整えて。

顔を上げ、振り向きながらアイツは。

 

 

「……うぇへへへへ」

 

 

左から来る電車のライトに浮かび上がったのは、今まで見たことのないだらしのない笑顔。

 

シルエットを掻き消すように、急行速度で最終電車が通り過ぎていく。

 

 

 

「……」

 

 

ガタンゴトンという優しいものじゃなくて、鉄を軋ませる轟音。

風景をちぎっていく鉄で出来たお邪魔虫は、俺の万感を冷ますようにうるさく走る。

 

 

でも、冷めやしないって。

 

耳を澄ますまでもなく、聞こえるバカの告白。

 

ずっと聞きたかった単語が、そこには確かにあった。

 

 

 

『せんぱぁぁぁぁぁぁい!!! 好きです!! めっちゃ好きです!! だぁい好きです!!!』

 

 

思う存分、近所迷惑も考えずに。

 

おバカな後輩が、ビビりな後輩が、避けてばかりだった告白は確かにあったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん。知ってるよ、早苗」

 

 

 

 

だからまぁ、電車が過ぎ去った後で。

 

 

もうそこに、早苗が居なくても不思議じゃなかった。

 

 

これが、あのバカの関の山。

 

 

恥ずかしさに負けた、恥知らずの逃避に、呆れたような笑い声が口から落っこちた。

 

 

 

 

──さて、この場から逃げやがったのはいいとして。

 

明日から学校だけど、どうするつもりなんだろうね、あのバカは。

 

 

 

「……明日は、先に帰るからな」

 

 

 

元意気地なしから、意気地なしへ。

俺は思う存分勇気出したんだから、次はそっちから来いよ。

 

で、この場を逃げ出した罰もかねて……明日は、ゆっくりと帰るとしよう。

 

早苗には、声をかけずにね。

 

 

 

 

 

 

 

気付けば、退屈そうな月にかかっていた濃い雲が晴れていた。

 

楽しみな月曜日までの、二分前。

胸一杯に吸い込んだ空気が、何故だか甘い日曜日のこと。

 

 

 



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月から月まで【エピローグ】

夕暮れ時、ちまちまと星が見えてきた頃。

 

後ろの方から、アスファルトをバタバタと駆け寄ってくる相変わらずのやかましい足音が聞こえてくる。

 

なんだろうかと思うまでもない。

振り向く前に、遅いよ、と小さく呟いた台詞は、おバカの騒音に掻き消された。

 

 

「せんぱーい! 待ってくださーい!!」

 

 

「なんだよ早苗」

 

 

片側だけの三つ編みが走る度にぴょんと跳ねて、夕陽と重なりキラキラとして見えた。

ちょっと重症かもしんないね。

 

 

「えへへ……後輩、じゃなくてもう早苗ですもんね。早苗ですもんねー!」

 

 

「はいはい分かったから。そういう事は意外に覚えてんのな。もう一週間も前だろ」

 

 

「そりゃ覚えますとも。『祝!脱!後輩!』の記念すべき日ですからねぇ、でへーへへへ……うむ、これを記念に2月2日を先輩感謝デーにすべく早苗は政治家を目指します」

 

 

「めっちゃ身勝手なマニフェストだな、別に早苗が後輩じゃなくなった訳じゃないし。しかも2月3日だし。ちゃっかり間違えんな」

 

 

またバカな事を言い出し、乾く間もなくバカを上塗り続ける。

そんなどうでも……よくはないかも知れないが、もっと覚えて欲しい部分があるんだけど。

 

 

昨日の夜のこととか。

 

 

「おとと、つい話が逸れました。もー先輩が一週間がどうとか言うからぁ」

 

 

「言い出しっぺお前だし常々話の軸を動かすのもお前だよおバカ。何度会話の方向性が迷子になったと思ってんの」

 

 

「迷える子羊よ、集いなさい。正しき道を示しましょう」

 

 

「シスターサナエルの導きとか二十年前のカーナビ以下だわ」

 

 

「ラーメン……じゅるり」

 

 

「……あぁ、帰りに食いたいってことね。はいはい」

 

 

「主はこう仰いました。今日はとんこつな気分」

 

 

「分かった分かった、いつものアーケードんとこので良い?」

 

 

「SAY-YES byチゲ&カルビ」

 

 

「また際どいネタを……つかやっぱ話逸らしてんのお前じゃん」

 

 

恒例のようにぶっこんで来るのに、いつもと違うとこが一つだけ。

シスターサナエル、顔真っ赤。

 

多分必死に色々と誤魔化してんだろうね。

緊張とか。

わかりやすっ。

 

 

「……なんで今日、待っててくれなかったんですか」

 

 

「それは昨日のお前に対して言いたいな、俺としては」

 

 

「ぐぬぬ……だってだって、あの時は……その。なんか色々とたまんなかったというかですね……そにょ、なぁんか……走りたくなったと言うか……」

 

 

「……ふーん」

 

 

「……やわっこくて……泣きそうで……うん……」

 

 

「……(ゴニョゴニョ喋ったら俺が聞こえないとでも思ってんのかね)」

 

 

俺の聴力、結構凄いことくらい知ってる癖に。

いや忘れてんのかね。

 

まぁどっちでもいいか、そんなこと。

 

 

「…………えぃや!」

 

 

「うぉっ」

 

 

しおらしくなったと思えば、何かしらの覚悟でも固めたのか、俺の手を強引に引っ掴む。

 

早苗から結構力強いから、思わずよろめきかけたけど、なんとか態勢は崩さずにすんだけど。

 

 

「……先輩。あの、ワガママ言っていいですか」

 

 

「なに?」

 

 

「……そ、の……いっぺん、いっぺんだけ! 優人(ゆうと)、せんぱいって……呼んでみていいっすか」

 

 

「──……なんだ、そんなことか」

 

 

別にそんなのどっちだっていいよ。

何だったら君づけでも呼び捨てでも。

 

けど、多分早苗にとっては……きっかけというか、踏み込む為の一歩目なんだろう。

 

先週の月曜日を思い出せば、それはすぐに分かるから。

 

 

「いいよ」

 

 

「は、はい!」

 

 

じとりと汗ばんだ早苗の手のひらから、緊張の脈すら伝わってきそうな夕暮れ時。

赤い顔をあげて、柔らかくオレンジに染められた前髪がサラサラと流れた。

 

便利な魔法はもう、いらない。

大きな瞳が、精一杯の勇気を乗せる。

 

 

「ゆ、ゆ……う……ゆうと、せんぱい……」

 

 

「…………ん」

 

 

返事代わりに、小さな手を握る力を、少しだけ強めて。

 

オレンジ色の世界の中で、天真爛漫な笑顔が崩れた。

 

それは例えば空模様のように、単純な一つのカラーで表現出来るようなものじゃない。

 

複雑で情緒が折り混ざった、単純な女が見せる、虹のような色彩だった。

 

 

「……いっぺんだけで良いのか?」

 

 

「…………はい。今日はもう、満足です」

 

 

「……じゃ、ラーメン食いに行くか。平日だから並んでないよなきっと」

 

 

「今日は早苗、餃子は抜きます!」

 

 

「え、お前餃子好きだったろ。なんで?」

 

 

「…………そこはその、エチケットと言いますか……」

 

 

「ふーん。ちなみにあそこのとんこつラーメン、にんにく入ってるよ」

 

 

「えぇっ」

 

 

「…………」

 

 

「…………せんぱい」

 

 

「なに」

 

 

「ぶ、ブレスケアとか……持ってません?」

 

 

「ないよ」

 

 

「……そんなぁ」

 

 

そうガックリ落ち込まれると、手を繋いでる分、俺の肩も下がるんだけど。

 

凹むと長く、めんどくさい女。

 

だったらまぁ、仕方ないという名目も立つ訳で。

 

 

「……良い方法、教えてやろうか」

 

 

「え、な、なにか妙案でも!?」

 

 

「いや至極簡単なこと。後の予定を先にするってだけ」

 

 

「──へ? あ、ちょ、こここ、此処でですか!? あまってせんぱいそんな近いいきなりあっ────」

 

 

あーもう、あれだなやっぱ。

 

バカって伝染るもんだよ。

 

ご近所迷惑、失礼しましたっと。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「ねぇ早苗」

 

 

「むー……なんですかスケベ先輩」

 

 

「はいはいスケベで結構だよこのムッツリ。で、ちょっと聞くんだけど」

 

 

その、時々下唇をなめるの止めて。

なんか余韻を確かめられてるみたいで、こっちが照れるまであるから。

 

 

「……催眠アプリ、結局アンインストールしたの?」

 

 

「……いえ、してませんです、はい。なんか、ちょっともったいなくて」

 

 

「えぇ……まじか。俺としては早いとこ消してくれって思うんだけど。普通に黒歴史だし」

 

 

「やーでーすー……先輩から貰ったものですし。数少ない先輩の弱みですし」

 

 

弱みそのものが何言ってんだか。

俺も何言ってんだか。

 

 

「それに……一応、『きっかけ』ですから」

 

 

「……あっそ」

 

 

いつか、本当に細かく覚えてない、あやふやな過去のワンシーン。

 

早苗が何気なく、ポツリと言ってた事がある。

 

 

『好きです。付き合って下さい。なんでこれ、ワンセットみたいになってるんですかねー』

 

 

普段はおバカなやつが言うには、すごく真面目っぽく聞き取れたから、まだ覚えてる。

 

だから多分、要するに早苗にとっては何かしらの特別がそこには込められていたんだろう。

 

それは、今になっても分からないことだけれども。

 

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 

月曜日から、月曜日まで。

 

長いようで短い一週間は、こうして幕を下ろす。

 

何が変わったと聞かれれば、多分言えることは、繋がったこの手をひょいと掲げてみせるだけ。

 

そんなもんで、良いんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、思っていた時期が俺にもありましたよ、えぇ。

 

 

 

 

 

「ハッ!!! そうだそうだ、アプリと聞いて思い出しましたよ先輩! ちょっと見て欲しいものがあるんですけども!」

 

 

「ん……? あれ、なにこのデジャブ……」

 

 

「フッフッフッ……これですこれ!! 先輩、なんて書いてありますか!!」

 

 

「────……じ、『時間停止アプリ』……だ、と…………」

 

 

「……お分かりいただけたでしょうか……?」

 

 

「……おかわりいただきたいほど腹減ったんで早くラーメン屋行こう、そんなアプリはアンインストールしてさ、ほらほら」

 

 

「つーまーるりィィィですねぇ……」

 

 

「前より巻き舌酷いし……てか話聞いてホント」

 

 

あ、の……会社ァ……なにちゃっかり『第二弾』作ってんだクソォォォォ!!!!

 

 

「このアプリを使えば! 動けない先輩にあーんなことやこーんなことも出来ちゃうっとゆーワケなんです!!」

 

 

「またこの展開なのかよォォォォ!!!! ふざけんなちくしょォォォォ!!!!」

 

 

どうしよう。

おバカな後輩が今度は時間停止アプリなんてものを使おうとし始めた。

 

 

 

 

 

あぁ、もう。

 

やぱりバカはバカらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Fin】



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