捻くれた少年と海色に輝く少女達 CYaRon編 (ローリング・ビートル)
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プロローグ

「ヒッキー。元気でね…………」

「ああ…………」

 千葉駅には、俺の家族と由比ヶ浜、一色、戸塚、材木座、川崎、平塚先生等の、関わる機会の多かった人間や、意外にも、葉山グループのメンバーまで来ていた。

「せんぱ~い…………」

「だから泣くなっての」

「だって~…………」

 こんな時まであざとい奴かと思ったが、割と涙の量が多いので、慌ててしまう。

 困っていると、戸塚が近寄ってきて、手を握ってくる。

「八幡、向こうに行っても連絡してね。僕からもするから」

「もちろんだ。毎晩してやる」

 何ならモーニングコールも追加してやる。

「は、八幡よ。何なら我も…………」

「ああ、それつまんね」

 こいつも相変わらずである。泣くなよ。絶対だぞ。

「そういや…………」

 一応を周囲を確認する。

「あ、ゆきのんは…………」

「そっか…………」

 雪ノ下も家の事でトラブルを抱えている。それが何なのかまではよくわからずじまいだった。そして、それが気がかりだった。

「ヒッキー、心配しないで!」

 由比ヶ浜は拳をぐっと握り、胸の高さまで上げる。

「ゆきのんの事はあたしが何とかする!だからヒッキーは自分の家族の事だけ考えてればいいんだよ!」

「悪い…………」

 由比ヶ浜の強さに甘える形になったのを申し訳なく思いながら、既に電車に乗り込んだ家族の事を思う。

『すまん』

 家族に申し訳なさそうに謝る父の姿。別に俺達に謝る必要などないのに。

 ざっくり説明するなら、親父は左遷された。

 上司の大きなミスの責任を押しつけられる形での左遷。

 あんだけ社畜として頑張っていたのにこの仕打ち。やっぱり仕事なんてするもんじゃねーな。

 そんな事を考えている内に、何かしてやれないか、とか柄にも無いことを考えてしまった。

 結果が、親父の単身赴任ではなく、家族総出の引っ越しだ。俺が何か言い出す前に、母ちゃんと小町も同じ事を考えていた。意外な所で家族とは似るものである。悪くない。

「まあ、色々あるだろうが、新天地でも頑張りたまえ」

 平塚先生が頭をポンポンと叩いてくる。

「いや、何もないでしょう。3年だから受験勉強やるだけですよ」

「しかし、君だからなぁ」

 嫌な信頼である。

「君の事だから、また転校先でも誰かを変えていくのかもな」

「買い被りすぎだっての。じゃ、時間だしそろそろ行くわ」

「じゃあね、ヒッキー」

「八幡、夏休みにでも遊びに行くから」

「ぐす…………はち…………まん…………」

「先輩、富士山登りに行くついでに見に行ってあげますから」

「…………ありがとな」

 その場にいた全員に、しっかりと頭を下げた。

 そして、振り返る事はしなかった。

 

「お兄ちゃん、海綺麗だよ!」

「ま、千葉にも負けてないんじゃないか」

 MAXコーヒーを飲みながら、窓の外に目を向ける。

 さっきからずっと海は見えていたが、静岡県内にはいってから見ると、どこか違った輝きを放っているように見える。

「泳ぎ行こーよ」

「いや、死ぬから。死んじゃうから」

「ダイビングショップもあるみたいだよ」

「聞いてねぇ…………」

 しかし本当に緑も多く、気持ち良さそうだ。

 降りたら真っ先に深呼吸をしよう。

 

「千歌ちゃん。どうしたの?」

「あの人達、引っ越してきたのかな?」

「う~ん…………そうみたいだね!」

「この街のいい所…………いっぱい見つけて欲しいなぁ」

 

 *******

 

「ふう…………」

 一軒家に、荷物を詰め込み、あらかた片づけてしまう。一家総出の頑張りで掃除もあっという間に終わった。あとは蕎麦でも食うだけか。

 ふと気づく。そういや、駅で色々あって本を買い忘れていた。少し疲れはあるが、まだ日も沈んでいないし、本屋の場所を確かめておくのもいいかもしれん。

 それと、自販機にMAXコーヒーがあるかを確かめておかないとね!

 Amazonさんで注文はできるが、自販機でいつでも買える安心感というのは、やっぱりありがたいもんな。

「あれ?お兄ちゃん出かけるの?」

「ああ」

「じゃあ、小町も行こーっと♪」

「車に気をつけるんだよ-!」

 母ちゃんの言葉を背に受け、小町と二人乗りで出発した。

 

「へー、さっきはあまり見れなかったけど、駅の周辺は割と都会なんだねー」

「ま、家の周りはあれだからな」

 新居の周りは、2、3軒家があるだけて、あとは結構な自然に囲まれている。

 ここに来る途中、最初は車もほとんど通らなかった。

 改めて引っ越したんだなぁ、としみじみ思う。

「そういや、お前、総武…………」

「お兄ちゃん」

 強めのトーンに発言を遮られる。

「私さ、雪乃さんも結衣さんも好きだよ。でもね…………」

 小町が手を握ってくる。

「家族が世界でいっちばん大事」

「…………俺もだよ」

 寂しさはある。多分数日、数カ月と時間が経つと共に、千葉との違いを見つけ、そして適応していくんだろう。

 けれど、家族の為なら何て事はない。

 

「いらっしゃいませー」

 本屋の中に入ると、人の数はまばらで、J-POPだけが騒がしく響いていた。

 とりあえず、一般小説のコーナーへ行く。

「ここを曲がって…………」

 案内図に従い、突き当たりを右へ曲がると、何かを踏んだ。

「って!?」

 踏んだものにローラーが付いていたのか、ずるっと滑り、尻餅をつく。

「ずらっ!?」

 女の子の声が聞こえた。…………今なんて言ったんだ?

「ご、ごめんなさいずら!オ、オラ…………」

「いや、大丈夫だ」

 少し尻が痛いだけで、特にケガはしていない。それよりさっきから気になる事が…………。

「ほ、本当に大丈夫ずらか?」

「…………ずら?」

「ずらっ!」

 その少し長めの茶色い髪が特徴の、小柄な女の子は口元を押さえ、自分の言葉を飲み込もうとしていた。

「ち、違っ、オ、オラ…………」

 この辺りはこういう方言なのだろうか。まあ、いい。

 少し離れた所へ転がっていった台車を彼女の前へと移動させる。

「あ、ありがとうず…………ございます」

 方言を隠しながらのお礼を言われる。多分、年齢は小町くらいか。

「あ、ああ…………そっちはケガはないか?」

 まあ、俺が一人で転んだだけだが。

「あ、はい大丈夫…………です」

「お兄ちゃーん!」

 小町から呼ばれたので、俺は軽く会釈をして、その場を去った。

 

 *******

 

「あと3日か…………」

 あと3日で新天地での学校生活が始まる。おかしいな。3ヶ月足りない気が…………。ちなみに親父達は既に新しい社畜生活に突入している。ったく、あと3日間ぐらいゆっくり休めっての。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 小町が隣りに座ってくる。…………うわ、何か頼み事をしてくる時の態度だ。

 俺は沼津の共学校に、小町は浦の星女学院に編入が決まっている。小町の方はかなりぎりぎりまで悩んだらしいが、高校は千葉の時と違い、俺とは別の高校を選んだ。今回の事で、何か思うところがあったのだろうか。べ、別に寂しいわけじゃないんだからね!

「学校への道を確認しとかないと」

「そうか。いってらっしゃい」

「お兄ちゃんも行かなければいけないのです」

「まあ、まだ慣れていないしな」

 可愛い妹がまだ慣れない土地で迷子になるのも、かわいそうだ。仕方なく、外出の準備をする。

「つーか、お前の行くとこ女子校だろ?俺が行っちゃ、まずいんじゃねーの?」

「大丈夫だって!…………多分」

「おい、そこは絶対って言ってくれよ…………」

 

 バスに乗って、窓の外に目を向けると、青く澄み渡る空と、静かにたゆたう海が流れていく。その二つが水平線を溶かして合わさってしまいそうに調和しているのを見つめていると、あっという間に目的地に到着した。

「バス停からそんなに遠くはないな。これなら、大丈夫だろ」

「そだね♪じゃ、校舎探検しよ!」

「いや、しねーから」

 引っ越して1週間も経たない内にそんなドキがムネムネするようなスリルは味わいたくない。

「じゃあ、せめて校門まで!」

「へいへい」

 

「ふ~ん、結構グラウンド大きいね」

「ああ」

 返事をしながらも、視線は海へ向けている。だって陸上部とかが割と露出度高めでアレなんだもん。

「ちょっと飲み物買ってくるわ」

 

 曲がり角の辺りにある自販機前で財布を出していると、何かぶつかってきた。

「うおっ」

「ぴぎぃっ」

 やけに甲高い声で、その小動物じみた女子は呻く。

「だ、大丈夫か?」

 鼻を押さえている少女に声をかける。

「あ、はい…………こちらこそ、ごめんなさ…………」

 少女は俺を見て固まる。まるで時が止まったようだ。

 赤みがかったツインテールも、子犬のような庇護欲をそそられる瞳も、ほんのりと桃色の唇も全て停止していた。しかし、よく見たら額の辺りが青ざめているような気がする。

「お、おい、どうした?」

 片手で軽く肩をゆすった。

 しかし、それがスイッチとなったのか、少女の顔がどんどん赤くなる。そして、限界に達した瞬間…………

「ぴぎゃああああ!!!!」

 その小さな体からは想像もつかないくらいの大音量をぶっ放してきた。思わず耳を押さえてしまう。

 …………てゆーかこれ、ピンチではないでしょうか。

 あたふたしていると、背後から、凛とした声が聞こえる。

「あなた…………わたくしの妹に何をしてますの?」

 この時、確かに思った。

 悪い予感ほどよく当たる。

 

 *******

 

「え、いや、その…………」

 上手い言い訳を考えながら振り向くと、思わず息を飲んだ。

 まず印象的だったのは、その長い黒髪。腰まで届く長さのそれは、純和風の淑やかな色気があり、ある人物を連想させる。次に目に入った真っ白な肌は、季節はずれの雪のように儚げな美しさを放ち、俺を睨みつける勝ち気な瞳は、揺らぐ事なく俺を捉えていた。

「もう一度聞きますわよ、そこの貴方。私の妹に何をしているのかしら?」

「…………」

 こちらに距離を詰めてくるその凛とした姿に、危うく目を奪われかけるが、我に返り反論する。

「いや、何もしてないじょ…………」

 こんな時に噛むんじゃねえよ、俺。

 案の定、顔を顰められる。

「やっぱり怪しいわね」

 黒髪の美人は俺のパーソナルスペースに入るか入らないかの距離まで接近していた。妹と同系統ながらも、少し甘さ控え目な香りが漂ってくる。ピンチなはずなのにいらん思考が脳内を飛び交っていた。

「その腐った目…………どう考えても怪しいですわ!」

 こちらが対応できていないせいか、少しずつ黒髪がヒートアップしてきている。

 しかし、初対面の人間に腐った目と言われる筋合いはない。そういう人間に対して言う事は決まっている。

「…………この清楚系ビッチめ」

「なっ…………!」

 俺の言葉に反応して、黒髪は顔を真っ赤にした。

「だ、だ、誰がビッチですってーーーー!!!」

 ビッチという言葉が辺りにこだまする。しかし黒髪はそんな事はお構いなしで俺に詰め寄ってきた。

「その腐りきった目には、わたくしがちゃんと見えていないようですわね!」

「初対面の相手の目を腐ってるなんて言う奴にはビッチで十分だろ」

「何ですって~~~!」

 お互いにまた言い合おうとすると、二つの小さな影が乱入した。

「お、お姉ちゃん、違うの!この人は」

「お兄ちゃん、何やってんの?」

「…………」

「…………」

 そう。二人の妹が間に入る事で、その場は収まった。

 何の気なしに空を見上げると、この馬鹿騒ぎを眺めるように鳥が旋回しながら青空を漂っていた。

 

「「ごめんなさい…………」」

 とりあえず入った喫茶店にて、二人して頭をテーブルに付きそうなくらい下げる。店内にかかっているジャズがやけに物哀しく聞こえてくる。

 裁判長である小町に、ひとまずYOU達両方謝っちゃいなよ!との判決が下された。

「お兄ちゃん。女の子にビッチなんて言っちゃダメじゃん。しかもこんな綺麗な人に…………」

「いえ、そんな、わたくしなど…………」

 小町の言葉に黒髪は頬を染めながら俯く。

 …………しかし、どこかあざとい。一瞬ニヤッとしましたよね?

「あの…………」

「ん?」

「ぴぎぃっ!」

 声のした方を振り向くと、さっきまでいたはずのツインテールがいない。

「こらルビィ。そんなところに隠れてないで、あなたも謝りなさい」

「うぅ…………」

 ひょっこりとテーブルの下からツインテールが顔を出し、こちらを潤んだ目で窺ってくる。な、何だ…………この可愛い生き物は…………。

 しかし警戒されているのか、目を合わせようともしない。

「ごめんなさい。この子ったら、お父様以外の殿方と話した事がないもので…………」

「ああ、なるほどね…………」

 話した事がない理由などはともかく、男に慣れていない状態で、目つきの悪い男に話しかけられたら、そりゃあ怖がるだろう。俺も苦手なタイプの人間ならいる。リア充とかリア充とかリア充とか。

「まあ、その、やっぱり俺も悪かった…………」

「何がですの?」

 黒髪はキョトンとした顔になる。

「さっきの…………」

「ああ、もう気にしてませんわ。そもそも私が言いがかりをつけたのですし。それに、さっきお互いに謝ったじゃありませんか」

 口元に優雅な微笑みを浮かべる。感情的になりやすいかもしれないが、決して引きずるタイプではないらしい。

「そういえばさっきルビィって言ってましたけど、名前なんですか?」

 小町が興味津々な様子で黒髪に聞く。

「あ、自己紹介がまだでしたわね。私は黒澤ダイヤ。こちらが妹のルビィですわ」

「ル、ルビィです…………」

「私は比企谷小町です!これが兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「小町さんと八幡さんね」

 自然な流れでファーストネームを呼ばれた事に動揺しかけるが、何とか持ちこたえる。戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚…………。

「小町さんが浦の星に入学、ということはルビィと同じクラスですわね」

「え!?クラスまでわかるんですか?」

 驚いた小町に、黒澤姉は少し物憂げに目を伏せながら言った。

「浦の星は年々入学者が減って、今年の1年生はクラスが一つしかありません」

 

 *******

 

「そっかぁ~。入学者そんなに少ないんだ~」

 黒澤姉妹と別れた帰り道、隣りをとぼとぼ歩く小町がぼそっと呟く。

「俺なら喜んでるな」

「はいはい。ゴミぃちゃんゴミぃちゃん」

 人が少ない方が、その分トラブルも少ないと思うの。To LOVEるは一男子としては大歓迎だが。

「まあ、東京の学校でも廃校になる事があるんだ。人の少ない地域ならなおさらだろ」

「そりゃそうなんだけど、やっぱり寂しいよね」

「そういうもんか」

「そういうもんなの!さ、商店街でお買い物して帰ろっか」

 

 学生は春休みだが世間は平日。そんなわけで商店街の人通りは寂しいものがある。そう思いながらも決して嫌いではないのだが。人ごみ嫌いだし。

 そして、こんな場所に来ると何となく本屋を探してしまう自分がいる。お、さっそく発見。

「お兄ちゃん、スーパーはあっちだよ」

「ああ、少しだけ」

「もう、しょうがないなぁ。十分だけだかんね!」

「へいへい」

 小町のお許しをいただき、本屋の前まで行くと、俺に反応するより先に開いた自動ドアから、何かがそこそこの勢いで飛び出してきた。

「うおっ!」

 その小さな何かは、どすっと腹の辺りに突っ込んでくる。

「きゃっ!」

 突然の衝撃に耐えられず、背中から転んでしまう。咄嗟にその何かを庇うような形になった。

「つつ…………」

「うぅ…………」

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

 小町が駆け寄ってくる。

「ああ、何とか」

 頭は打っていないようだ。むしろ腹の方が痛い。

「ご、ごめんなさい」

 謝る声が聞こえてくる。

 その声でようやく、ぶつかってきたのが女だと理解した。そして、その響きは幼い。

 上半身だけよろよろと起こし、確認しようと顔を声の方へ向けると、驚きで変な声が出そうになった。

「…………」

 その少女(?)はマスクとサングラスで顔を完全武装していた。はっきり言って間近で見ると怖い…………。

 とりあえず人目気になるので、そろそろどいていただきたいところだ。

「あの…………」

「…………」

 声をかけても少女の方はピクリともせず、そのままの姿勢を保っている。サングラスの下の目がこちらに向けられているように思えるのは、気のせいではないだろう。

「……………………い」

「?」

 何か言ったようだが、マスクに閉じこめられた声はこちらまで届かない。

 ひとまず様子を窺っていると、サングラスがストンとずれて、ぱっちりとしたきれいな眼が露わになる。サングラスとマスクに気を取られ、気づかずにいたのだが、長い黒髪も先程の黒澤姉に引けをとらないくらい綺麗だし、お団子の部分もなんか懐かしい。お団子で由比ヶ浜を思い出してしまうからか。まだ引っ越して間もないけど。

 その二つの瞳は俺と目を合わせたまま固まっている。

 やがて俺の方が堪えきれずに目を逸らすと、少女が持っていたらしい紙袋から、ハードカバーの本が飛び出している。

「…………黒魔術?」

「え?あっ!」

 俺の上からどいた少女は慌てて本を拾い上げ、その場から逃げるように走り去っていった。

「「…………」」

 俺と小町はその背中を唖然として見送る事しかできなかった。

 

「ハァ……ハァ……」

 あの眼…………。

「ハァ……ハァ……」

 …………滅茶苦茶カッコイイ!!

「我が主…………いえ、あの人どこの学校なのかしら?」

 いや、それよりも先に自分の堕天使を捨てるのが先だ。こんな自分では絶対に引かれてしまう。一刻も早く変わらねば…………そして…………

「リア充に…………私はなる!」

 そう。浦の星女学院で私は生まれ変わる!

「…………この本、どうしよう」

 ま、まあ、持っててもいいわよね!

 

 *******

 

「お兄ちゃん、早く早く~!」

 小町に手を引かれながら、今日も晴天の下をたったかたったか小走りで目的地まで急ぐ。

「な、なあ、小町ちゃん。何も開店と同時に行かなくても…………」

「何いってんの!やっぱり一番乗りでやりたいじゃん!並ぶ必要もないし」

「…………」

 正直その心配はないと思う。

 そこまでの人通りはない。

 まあ、これはこれで落ち着くんだけど。ついでにリア充もいないと助かる。

「いらっしゃいませ-!」

 考えている内に目的地に到着していたようだ。元気のいい女性店員の声が響く。

 その声の方に目を向けると、ポニーテールの女性が奥から出てきた。年は割と近そうだ。ポニーテールなんて川何とかさん以来!さすがにパンツからの登場はしないけど!

「あの…………どうかしました?」

 怪訝そうな目を向けられる。いかん。こっちが変なインパクトを与えてしまうところだった。

「ごめんなさ~い。お兄ちゃんったら、すぐ美人に見とれちゃうから」

 小町がフォローにならないフォローをしてくる。

「ふふっ。ありがとうございます!」

「あ、実はダイビング初めてなんですけど」

「じゃあ、こちらへどうぞ」

 

 受け付けやら準備やら、小町の代わりにしっかり話を聞き、ようやく潜る事になる。

 海中は自分が思ったよりずっと透き通っていた。

 水面という確かな境界線があり、その下ではまったく別の世界の営みがあった。

 その世界の広がりに心を奪われてしまった。

 

「どうでした?」

「ああ、楽しかったです…………」

「すごかったです!こう、ばぁ~っと青くて!」

 小町のアホっぽい感想に頭を抱えていると、隣ではそれ以上に悩ましい光景が広がっていた。

「ふう…………」

 ポニーテールさんはウエットスーツのジッパーを下ろし、上半身は水着だけになる。豊満な胸の谷間も、くっきりとしたくびれも、青空と海に映えていた。

 また見過ぎないように顔を逸らす。

「お二人は旅行で来られたんですか?」

「いえいえ、小町達は最近引っ越してきたんですよ!」

「へえ、どちらから?」

「「千葉」」

「もう、ここには慣れました?」

「ぼちぼちですね」

 千葉愛が深いもので。

「学校はこの辺り?」

「私は浦の星女学院の1年生になります」

「そっか。じゃあ私の後輩だね」

「え、てことは…………」

「今年度から浦の星女学院3年になります松浦果南です。よろしくね比企谷さん」

「あ、はい!改めまして比企谷小町です!こちらは兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「お兄さんの学年は?」

「兄は果南さんと同じですよ~」

「そっか。よろしくね」

「あ、ああ…………」

「先日生徒会長とも偶然出逢ったんですよ♪」

「生徒会長…………ダイヤ?」

「はい!お知り合いなんですか?」

「小っちゃい頃からの親友だよ」

 一瞬表情が翳った気がするのは何故だろうか。

「お二人に学校で会えるの楽しみだなぁ~」

「あ、実は今休学中なんだ」

「え?どうしてですか?」

「おい、小町」

「あ、お父さんがケガしてるだけだよ。それでお店手伝ってるの」

 さすがに踏み込みすぎかと思い、小町を制するが、松浦はあっさり答える。

「そうか」

「あ、何ならうちの兄を使ってくれていいですよ!どーせヒマだし」

 確かに本当の事なんだけどね。いや、いいんだけどさ。

「え?わ、悪いよ。大した給料出せないし」

「いえいえ、果南さんみたいな美人と働けるならお兄ちゃんも気にしないと思います」

「おいおい」

 小町に抗議しようとすると、突然の大音量に遮られた。

「果南ちゃ~ん!」

 声のする方を見てみると、ボートから女子が二人手をぶんぶん振っていた。

 

 *******

 

「やっほ~!果南ちゃん!」

「ヨーソロー!」

 松浦の知り合いと思われる二人がボートを降り、こちらへ駆け寄ってくる。蜜柑色がかった短めの髪の少女は手をぶんぶん振り、薄目の茶色が印象的なショートボブの少女は敬礼しながら、という賑やかな挨拶スタイルだ。

「今日も二人して元気だね」

「もっちろん!新学期始まったらやりたい事始めるからね!景気づけに潜りに来たよ!」

「そちらの二人は、お客さん?」

 ヨーソロー(仮)の視線がこちらに向く。

「うん。この前引っ越してきたんだって。こっちの子は千歌達の後輩になるよ」

「え、そうなの!?」

「初めまして比企谷小町です!こっちが兄の…………」

「比企谷八幡だ」

「私は高海千歌です!浦の星女学院の2年生!」

 元気いいなー。でも少し声のボリュームを落としていただけると助かります。

「ヨーソロー!初めまして。渡辺曜です!」

 つられて敬礼をしそうになった。軽く手を上げて応え、それをごまかす。片や小町はビシッと敬礼を返している。適応力高すぎである。

「ヨーソロー!私の事は小町って呼んでください、先輩♪」

「よろしくね、小町ちゃん!お兄さんも!」

「お、おう…………」

 唐突な距離の詰め方に一歩引いてしまう。こちらが男だという事はあまり意識していないようだ。男の勘違い製造機である。

「お兄さんはどこの高校に通うんですか?」

 渡辺が隣にすとんと腰かけてくる。こちらは普通の距離感で助かる。

「沼津の共学だ」

「へえ、結構大きな高校ですよね。あ、二人はどちらから引っ越してきたんですか?」

「「千葉!」」

「「…………」」

 あ、やべ。千葉愛が爆発してドン引きさせてしまった。高海と渡辺は顔を見合わせている。

「千葉って…………どこだっけ?」

「東京の下だよ、千歌ちゃん」

「くっ。これが千葉のイメージなのか…………!」

「お兄ちゃん、ファイトだよ!お兄ちゃんが千葉の良さを広めていけばいいんだよ!」

「ああ、そうだな…………」

「よ、曜ちゃん。私、何かいけない事言っちゃったかな?」

「多分…………」

「あはは…………」

 意外と東京の下という表現も傷つくのだがあえて口には出すまい。さて、MAXコーヒーはどこかな?そこの自販機には…………ない。

「ねえ、皆で一緒に潜らない!?」

「お近づきの印にって事で!」

「いいね、やろう!」

「ほら、お兄ちゃん!」

「あ、ああ…………」

 幾つもの歯車がギシギシと音を立て、静かに回り出す。どの歯車がどの歯車と噛み合うのか、それは誰にもわからない。

 

「ここで…………海の音が聞けるのかな?」

 

「フフッ、ようやく戻って来れたワ。待っててね果南、ダイヤ!」

 

 こうして物語の続きが紡がれていく。

 



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明日への扉 ♯1

 高海に誘われて人生初のダイビングをしてみたのだが、ぶっちゃけ楽しかった。松浦の指導もわかりやすく、思ったよりもすんなり潜ることができたのも大きい。

 初めて体感する世界。

 薄暗くも鮮やかな海の中、海の音が何故か記憶に焼き付いた。

 そして、海から上がった時、ゴーグルを外した彼女の笑顔が何故かわからないが、やけに心に焼き付いた。

 

「沼津の海、綺麗ですよね!」

 

 ……今度戸塚や材木座にも話してみよう。

 あれ、材木座って……誰だっけ?

 

 *******

 

 まさか、いきなりパンクするとは……。

 朝、登校初日から自転車の前輪がパンクしてしまった。マジか……。幸先悪すぎだろ。

 とはいえ、朝っぱらから沈んでいても仕方ないので、渋々バス登校することにする。

 窓から見える景色は、一週間経った今でも見慣れない。自分の千葉愛に驚きである。

 千葉の景色が頭に広がりかけたところで、バスが風情のある旅館近くのバス停で一時停止した。

 ……こんなところに旅館があったのか。

 そして、バスが再びのろのろと動き始めたところで、後方からやたらと元気のいい声が飛んできた。

 

「乗りまーす!」

 

 その声に運転手が気づき、バスがゆっくり止まる。

 大きな音と共に開いたドアから慌てて乗り込んでくる二人組の女子。そのどちらにも見覚えがあった。

 さらに、どちらも小町と同じ制服を着ていた。

 

「あっ、比企谷さんだ!おはようございます!」

「……おう」

「ヨーソロー!」

「お、おう……」

 

 朝からハイテンションな二人にたじろいでいると、二人はそのまま一番後ろまで来て、俺と反対側の席に座った。

 何の気なしに見ていると、高海がこちらを向き、人懐っこい笑顔を見せた。

 

「比企谷さんもバス通学なんですか?」

「……いや、自転車パンクしただけだ」

「あらら、ついてないですね~」

「……ああ」

 

 危ない危ない。中学時代の俺なら、うっかりときめいていたところだ。てかこの子、まだ二度目ましてなのにフレンドリー過ぎない?

 朝っぱらから女子にガンガン話しかけられる気恥ずかしさのせいか、窓の外に目をやると、肩をポンポン叩かれる。だから男子へのボディタッチは控えなさいとあれほど……

 

「あの、比企谷さん!実は私、スクールアイドル始めるんです!」

「ス、スクールアイドル?」

 

 アイドルスクールに入学とかじゃないのか?いや、アイドルスクールも実際あるのかわからんけど。

 

「え?知らないんですか!?」

「すまんが、全然知らん」

「ち、千歌ちゃん……どうしたの?いきなり……」

 

 高海のハイテンションに、渡辺も戸惑っている。

 ……一瞬だけあの二人が浮かんだ。

 しかし、それは一瞬の事で、意識は距離を少しだけ詰めてきた高海に引きつけられた。

 

「だって宣伝しなくちゃ!ライブ観に来てくれるかもしれないし♪」

「…………」

 

 その後、高海達の通う学校に到着するまで、スクールアイドルとは何かを語られ続ける羽目になった。

 

 *******

 

 高海の熱い解説により、スクールアイドルがどういうものなのかは、とりあえず理解できた。とりあえず握手券を買わされることはなさそうだ。

 

「まあ、とにかく……そのユーズってグループが凄いんだな……」

「そうなんですよ!特にユーズのこの曲が……」

 

 高海がスマホの画面を見せつけながら、ぐいぐい近寄ってくる。だ、だから、そういうの男子が誤解するから止めてね?なんか滅茶苦茶いい匂いするし……。

 そこで、渡辺の声が高海の後ろから聞こえてきた。

 

「千歌ちゃん。もう着いたよ」

「あっ、本当だ!じゃあ、ライブする時は来てくださいね!」

「……ああ、まあ、いつか、その内な……って、もういないのかよ」

 

 高海達はこちらの返事も碌に聞かずにバスを飛び出していった。おい、行かなきゃいけなくなるだろうが。

 そのはしゃぐ背中を見送っていると、後をついて行く渡辺は、何故か俺と高海を交互に見比べていた。

 

 



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明日への扉 ♯2

 転校初日からステルスヒッキー発動していたんじゃないかと思えるくらいに何もなかった転校初日。まあ、正直言えばこれでいい。これがいい。

 まあ実際のところ、大学受験で転校生どころじゃないというのが本音だろう。俺が逆の立場でもそうなる。そもそもあんま人に話しかけないんですけどね?

 

「はぁ~……」

 

 どこからともなくバカでかい溜息が聞こえてきて、思考が途切れる。

 目を向けると、見知った姿があった。あれは……高海か。

 何やら落ち込んでいるのか、どんよりしたオーラを放っている。

 悩める少女の時間を邪魔するほど野暮な男じゃない紳士な俺は、黙ってその場を立ち去ることに……

 

「あっ、比企谷さんだ~!」

 

 ちょっ……何で気づくかな、この子は……しかも、大声で俺の名前呼びながら近づいて来ちゃって……俺の事好きなのかと勘違いしちゃうだろ……。

 

「こんにちは!」

「……おう」

 

 高海はニコニコ笑顔でいるが、そこに妙な違和感を感じてしまった。人間観察が特技になるまで洗練されると、そんな些細なことが目につく時があるから面倒だ。

 それでも特に話題がないので、今朝の話を振ってみる。

 

「……勧誘、上手くいったのか?」

「……えーと……その……」

 

 俺の言葉に、高海が落ち込んだ表情を見せる。どうやらこの話題は振らないほうがよかったらしい。

 案の定、彼女の声のトーンはやや暗めだった。

 しかし、それでも渇いた笑いを見せた。

 

「あはは、それがさっぱりで……スクールアイドル人気あるから自信持って声かけたんですけど失敗しちゃって……」

「……そりゃあ、残念だったな。てか、あいつ誘えばよかったんじゃねえの?えっと……」

「曜ちゃんですか?曜ちゃんは水泳部だから……」

 

 まあ、あんなに仲良さげだし、ゆるゆりしてるし、帰宅部なら真っ先に声かけてるだろうな。

 

「そっか。まあ、いかにも運動部っぽいしな」

「そうなんです!曜ちゃんすごいんですよ!飛び込みとかちっちゃい頃から上手くて、海外の大会にも出てるんですよ!」

「……す、すごいな、そりゃあ」

 

 急にはりきって渡辺の紹介を始めた高海は、ぐいぐい距離を詰め、キラキラ輝く瞳を向けてきた。だから近いっての!絶対こいつ、中学時代に同級生を死地に送り込んでんな。

 もちろん本人はそんなことお構いなしに話を続ける。

 

「ええ!本当にすごいんですよ!私もはやくメンバー集めて、あんな風に輝きたいんです!」

「……お、おう」

「あれー、千歌、今帰り?」

 

 突然の声に振り向くと、そこにはショートカットにスーツ姿の女性がいた。高海の知り合いのようだが……

 

「あっ、お姉ちゃん!」

 

 どうやら高海の姉らしい。言われてみれば、顔立ちがどことなく似ているようだ。活発そうな目つきなんか特にそう思える。

 高海の姉はヒールをカツカツ鳴らしながらこちらに駆け寄り、俺と高海を見比べた。

 

「千歌。アンタ、いつの間に……」

「はえ?何の事?」

「いや、別に……」

「むむっ」

 

 高海姉がいきなり顔を近づけ、ジロリと顔を覗き込んできた。だから近いっての!そういう血筋なんですかねぇ。思春期男子を死地に送り込む血継限界とか……あと、高海とは違う大人の香りが……

 高海姉は一人で納得したように頷いた。

 

「目つきはアレだけど、まあ顔は悪くないわね。しっかし、あんだけ男っ気なかった千歌が……」

 

 この展開、前にも似たような事があったような……姉って皆そうなのか?

 しどろもどろになっていると、高海姉は「あっ」と何かに気づいたように離れた。

 

「ごめんごめん、いきなり。私は千歌の姉の高海美渡。君は?あんまこの辺で見ない顔だけど」

「……比企谷八幡です」

「比企谷さんは最近千葉から引っ越してきたんだよ!」

「へえ、千葉県って……いすみ豚が有名な?」

「……は、はい」

 

 千葉県と聞いて、真っ先にいすみ豚が出てくるとは……こやつ、できる……!

 千葉県と聞いて『東京の下』と答えた妹は、何故か胸を張って話を続けた。

 

「比企谷さんは私のスクールアイドル活動を応援してくれる予定なんだよ」

「え、そうなの?」

 

 いつの間にかそういう扱いになっているようだ。奉仕部で材木座専用窓口になってた時……よりは圧倒的にマシか。うん。コイキングとギャラドスぐらいの差がある。

 高海姉は高海の言葉に対し、呆れたような溜め息を吐いた。

 

「アンタ、まだ言ってたの?こんな田舎じゃ無理だっての」

「まだわからないもん!私、絶対にやるから!」

「はいはい。じゃ、私仕事戻るから。比企谷君も、またね」

「…………」

 

 頭を下げると、高海姉は白い軽トラを乗り込み、軽やかに発車させ、あっという間に見えなくなった。この辺りの速さは姉妹そっくりである。

 車の行った先を見ながら、高海はぐぬぬぬ……と悔しそうにしている。まあ、あれだ。これなら俺の知ってる姉妹のケンカよりは全然微笑ましい。

 やがて、気持ちが落ち着いたのか、高海は拳を握り、海側に視線を向けた。

 

「よーし!私、海でも見ながら、何かいいアイデアないか考えてきます!比企谷さん、それじゃ!」

「……ああ」

 

 今朝みたいにいきなり駆け出した高海の後ろ姿を見送り、俺は再び帰路に着いた。

 ……変な誤解は……いや、大丈夫だろ。多分。

 



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明日への扉 ♯3

 自転車も無事に直り、高校までの道を軽やかに進んでいく。潮風の香りのする爽やかな朝の風が体を包み込むのが気持ちいい。

 そんな事を考えていると、バスがその隣を通っていく。

 ふと目を向けると、高海と渡辺の姿が見えた。

 こっちに気づいた高海が小さく手を振ってくる。

 とりあえず会釈だけしておくと、バスは緩やかに過ぎ去っていった。

 

 *******

 

「比企谷さん、自転車直ったんだぁ」

「何か用事があったの?」

「う~ん、ライブやる時連絡したいから、先に連絡先交換したかったんだけど……」

「ふ~ん、そっかぁ」

 

 *******

 

「曜ちゃんが部員になってくれたんですよ!」

「おお、そっか。よかったな」

 

 高海がやたら嬉しそうに報告してくる。昨日とまったく同じ場所で遭遇とか、中学時代なら運命感じちゃってるところなんだが……。

 高海はそんなの気にしないと言わんばかりにぐいぐい迫り、一人で喋りだす。

 

「もっと喜んでくださいよ♪あと3人。3人なんですよ!しかも既に3人可愛い子見つけてるんですよ!スクールアイドル部結成も目の前です!」

「そ、そうか……」

 

 材木座ほどではないようだが、こいつの頭の中もそこそこハッピーセットなめでたさがあるのかもしれない。おそらくその3人は頭数に入れられてることすら知らんだろう。

 

「ふふん♪あとは私が作曲できるようになればいいだけですから」

「お前、楽器とかできたのか?」

「できません!」

「何で自信満々なんだよ……」

「今から勉強します!」

「……曲ができる頃には卒業してそうなんだが」

「曜ちゃんにも同じ事言われたんですよっ。でも、スクールアイドルになりたいという気持ちがあれば奇跡が起こると思うんです!」

「そんな初っぱなから奇跡に頼ってて大丈夫か?」

「うっ……」

 

 高海が一時停止する。てか本当に渡辺という親友がいてよかったな。大事にしろよ。

 しかし、その気がなかったとはいえ、高海のリアクションに少しの罪悪感を感じていると、高海は何かを思い出したかのように「あっ」と声を出し、スカートのポケットに手を突っ込んだ。

 そして、ばっと勢いよく出した手には携帯が握られていた。

 

「連絡先交換しましょう!ライブの日程が決まったら連絡しますんで」

「……おう」

 

 特に断る理由もないので、俺は黙って携帯を差し出す。

 高海はきょとんと携帯を見つめていたが、すぐにその意味に思い至り、苦笑を漏らす。

 

「あはは、携帯あっさり渡しちゃうんですね」

「ああ。悪いが頼む」

 

 高海は慣れた手つきであっさり登録を終える。まあ、こいつコミュ力高そうだし、連絡先交換慣れてそうだしな。いや、慣れとかあるのかよくわからんけど。

 

「はいっ、終わりました」

「おう、お疲れさん……」

 

 一応労をねぎらいながら携帯を受け取る。微かに触れた指先は少しひんやりしていた。

 

「じゃあ、絶対に来てくださいね!」

「……まあ、何も用事がなけりゃな。てか、まずは部を作れよ」

「ええ、じゃあまた色々考えてきます!じゃあ、また明日!」

「ああ、またな」

 

 高海はニコッと期待に顔を綻ばせ、たったか走り去っていった。

 その際にふわりと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐっていく。

 ついまたなと返事したが、明日も偶然会うのだろうか。

 いつの間にか彼女の背中は見えなくなっていた。 

 



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明日への扉 ♯4

「おっ、少年!元気?」

「…………」

 

 放課後、沼津の本屋まで行くと、まさかの高海姉との遭遇。こんな場所でも会うとか……俺レベルのボッチじゃなけりゃ、うっかり勘違いしちゃいそうになるだろうが、高海姉妹……。

 

「なになに?こんな遠い場所にある本屋まで~、もしかしてエロ本?」

「いや、違いますけど……一応、受験生なんで参考書を」

「へぇ~、そっかぁ」

「っ!」

 

 高海姉はいきなり肩を組んで、俺の手にある参考書をじっと見る。ふわっと香水の香りが鼻腔をくすぐり、肘の辺りに微かに柔らかな感触がする。こ、この人……いきなりすぎて、心臓止まるかと思ったんだけど……そういうスキンシップ、八幡は良くないと思います!

 ようやく解放されると、香水の香りも少しずつ離れていく。べ、別に名残惜しくなんかないんだからね!

 

「まあ、頑張んなよ。そんでもしダメだったら、ウチで働いてよ」

「いや、不吉なこと言わんでくださいよ……」

「まあまあ。あっ、そうだ!近くまで送ってってあげるよ」

「いや、俺自転車なんで……」

「大丈夫、私軽トラだから」

 

 *******

 

 軽トラに固定した自分の自転車にチラリと目をやってから、流れていく外の景色に目をやる。まさかこんな楽に帰れるとは……。実はこの人、滅茶苦茶いい人なのでは?

 

「ここ何もなくて、都会から来た君にはつまらなく感じない?」

「……いえ、そうでもっていうか、俺あんまり人の多いとこ行かないんで」

「あぁ、なるほどね。あと、千歌って意外と胸おっきいよ」

「い、いや、いきなり何を……てか、話全然繋がってないんですけど……」

「ん?ただ欲求不満の男子高校生に耳寄りな情報を教えてあげただけだよ。お礼とかいらないから」

「何故良いこと言ったみたいな表情してんですか」

「よしっ、この辺りで大丈夫だよね?」

「あ、ああ、はい。ありがとうございます」

 

 スルーかよ……まあ、あれだ。高海の胸は意外と大きいか。別にどうでもいいし、興味ないし、気にもならないけど、一応脳内のメモリーカードにしっかり記録しておこう。一応ね、一応!

 

 *******

 

 自転車を軽トラから下ろし、もう一度礼を言い、家に帰ろうとすると、誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。

 目をやると、おっとりした雰囲気のお姉さんが、長い髪をさらさら揺らしながら、高海姉に困り顔で話しかけた。

 

「美渡~、千歌ちゃん見なかった?おつかい頼もうと思ったんだけど」

「あー……またスクールアイドルとかやってんじゃないの?」

「そう、じゃあ自分で行こうかしら……あら、そっちの子は?」

「あっ、紹介するね!この人は志満姉、私と千歌の姉だよ。で、こっちの目つきの悪い少年が、最近千葉から引っ越してきた比企谷……何だっけ?」

「……八幡、です」

「だってさ」

 

 ややテキトーな紹介をされながら、俺は「どうも」と会釈する。マジか。まだ姉がいるとは……。

 高海長女は、にっこりと柔和な笑みを浮かべた。

 

「姉の志満です。よろしくね、比企谷君」

「は、はい……」

 

 全身から溢れ出る大人のお姉さんオーラに、ついつい噛み気味になる。

 

「……なんか、私の初登場の時とリアクション違くない?」

「いえ、そんなことは……」

「もしかして千歌ちゃんのお友達?」

「いや、まあ、友達っていうか……」

「この前千歌が珍しく男と仲良く話してたからさ、話しかけてみたら、目つき以外は割といい男だから、私とも仲良くなったの」

 

 ざっくりとした説明に高海長女は頷きながら、「あっ」と俺の背後に目をやる。

 それと同時に、やたら元気な声が聞こえてきた。

 

「ただいまー!……あれ、比企谷さん?」

「……おう」

 

 高海はたったかと駆け寄ってきて、不思議そうに俺と自分の姉二人を見比べた。まあ、そうなるのも無理はない。俺も不思議な気分だし。

 そしてここで、まさかの三姉妹集結。『たかみけ』が見れたことに感動しながら、俺は自転車に跨がった。

 

「じゃあ、俺もう行きますんで」

「ちょっと待った」

 

 何故かガシッと腕を掴まれる。

 振り向くと、意外なほど高海次女の顔が近くにあり、ドキッとしてしまう。

 目は微かに濡れていて、頬が夕陽に照らされているせいか、やや赤い。

 やがて、ふわりと唇が動く。

 

「ねぇ、今から時間ある?」

 

 

 

 

 

 

 



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明日への扉 ♯5

「……まさかお使いを頼まれるとはな」

「あはは、なんかごめんなさい……」

 

 高海次女から何を言われるかと思い、うっかりドキドキしていたら、お使いを頼まれてしまった。いや、別に変な期待はしてないんだけどね?それに、送ってもらったのだから、何らかの形でお礼をする必要はあるだろう。

 ふと夕陽が紅く染め上げる海に目をやると、静けさも相まって、何だかセンチメンタルな気分になる。そうしてて飽きないのがこの景色の魅力なのかもしれない。

 

「…………」

「……どした?」

「あっ、いえ!何でもないです!」

 

 視線を感じたので振り向くと、高海がさっと目を逸らした。その頬は夕陽を浴び、ほんのり赤く色づき、何だか夕陽がすぐ傍にあるような温かな気分になった。

 彼女は前を向いたまま口を開く。

 

「比企谷さん、学校楽しいですか?お友達できました?」

「急にオカンみたいな質問だな……まあ、高校三年になると楽しむって感覚もあまりないし、この時期だと受験とか先の事しか興味ねえよ」

「そっかぁ……大学はどこ受けるんですか?」

「……正直、まだあまり考えてない」

「私もまだよくわかんないんです。来年は受験なのに。先の事ってよくわからなくて」

「……そっか」

「あっ、そうだ!今日作曲できる子が転校してきたんですよ!とっても綺麗な子で、ピアノ弾けるんですよ!」

「そ、そうか、よかったな……それで、入部したのか?」

「……それが、断られちゃって。あはは……」

 

 まあいきなりスクールアイドルやってくれとか言われて、首を縦に振る人間は少ない気がする。人前で歌って踊るって難しそうだし……てか、話題転換いきなりすぎて驚いたわ。渡辺、普段大変そうだな。

 

「小町ちゃんにも声かけたんですけど、家の手伝いがあるからごめんなさいって断られました」

「そっか」

 

 まあ、あいつはこっちに来てもバリバリ働いてるからなぁ、俺と違って。それにしても小町のスクールアイドル姿か……ただの天使じゃねえか。戸塚とユニット組ませたいなぁ!

 

「ひ、比企谷さん?どうしたんですか?いきなりニヤニヤして……」

「……いや、何でもない。てか、スーパーまであとどのくらいなんだ?」

「そろそろですよ。あっ、あれです!」

 

 高海が指を差した先に、少し古ぼけた看板のスーパーマーケットが見えてきた。

 

 *******

 

「何……だと……」

 

 俺は今、猛烈に感動している!!

 何と……マッ缶が置いてある!!

 

「おお……」

「えっ?ちょっ、比企谷さん!それ、頼まれたやつじゃないです!」

「え?あ、ああ、悪い……何つーか、感動のあまり……」

「そ、そうですか……」

 

 いかんいかん。高海が引いている。自重せねば。

 まあ、ここにマッ缶があることはわかったんだし、後で買いに来ればいい。

 まずはお使いを済ませますかね。

 隣に目をやると、高海はいつの間にか移動していて、高い所にある商品を取ろうとしていた。

 俺はそれを取り、彼女に渡す。

 

「あ、ありがとうございます」

「気にすんな。きっちり手伝わんと、お前の姉にどやされそうだからな」

「ふふっ、そうですね。でも頑張ったらご褒美があるかもですよ?」

「いや、お使いとか頑張りようがないだろ。しかもご褒美って……」

「でも、ほら…」

 

 *******

 

「あの、本当に持たなくて大丈夫ですか?」

「……ああ、このぐらいなら」

 

 ……めっちゃ重いんですけど。

 てか、あの次女。さりげなくメモに追加で何か書いてたな。本当にちゃっかりしてやがる。

 まあ、『一色いろは被害者の会』に所属している俺にとっては、この程度のパシリはどうってことないが。いや、やっぱり重い……。

 

「比企谷さん、このお礼にライブする時は必ず特等席用意しますから!」

「いや、特等席とかいいから、早く部員集めろよ……」

「うっ、確かに……でも大丈夫です!明日からガンガン桜内さんを勧誘しますから!!」

「…………」

 

 桜内さんとやら……御愁傷様。

 

 *******

 

 旅館の前に到着すると、高海次女が大きな犬と戯れていた。何あれ可愛い……。

 彼女は俺達に気づくと、思いきり手を振ってくる。

 それに応じるように、高海も手を振り返した。

 

「美渡姉。ただいま~」

「おかえり~!二人共、お疲れ」

「ええ。疲れました……」

「おいおい、男子~。こういう時は嘘でも全然平気ですって言うもんだよ?」

「自分に正直がモットーなんですよ」

「じゃあ、お茶でも飲んでいきなよ。入れたげるから」

「いえ、今日はもう帰りますよ。妹が待ってるんで」

「そっか。じゃあ、時間ある時は旅館の中にある喫茶店に寄ってよ。志満姉がご馳走したいってさ」

「……はあ、どうも」

「比企谷さん、ありがとうございました!明日はいい報告できるように頑張ります!」

「お、おう、程々にな……」

 

 せめて桜内さんが疲れない程度にしてあげて!あとそんな言い方されたら、俺がスクールアイドル大好きみたいじゃんか……まあ、動画見た感じ嫌いじゃないんだけど。

 

「じゃあ……失礼します」

「じゃあねー」

「また明日!」

 

 また明日、ね。本当にまた遭遇しそうだ。

 俺は二人に背を向け、再び帰路についた。

 

 

 



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明日への扉 ♯6

「昨日はありがとう。はい、これ」

「……どうも」

 

 俺は、高海家が経営する旅館『十千万』の中にある喫茶店にて、コーヒーを振る舞われていた。昨日の礼ということで、高海次女から半ば強引に連れ込まれたのだ。

 年上女性から旅館に連れ込まれるというシチュエーションが大分アレなのか、通りかかった見知らぬ男子学生がじぃ~っとこちらを見ていた。あと、近所のおばさんなのか、「美渡ちゃんったら、そこまで……」とか言われていた……だ、大丈夫だよね?色々と。

 ぼんやりとした時間を堪能していると、高海長女が「ほらほら」と口を開いた。

 

「美渡もそろそろ仕事に戻りなさい」

「は~い。じゃね、比企谷君」

「……どうも」

 

 高海次女が颯爽と立ち去ると、喫茶店内は俺とカウンターの中にいる高海長女だけになる。

 彼女はグラスを拭き終えると、俺の真正面に立ち、笑顔を向けてきた。

 軽やかな鼻唄を口ずさんでいるが、何だか肉食動物に睨まれた草食動物のような気分になる。

 

「♪~~~~」

「…………あの」

「ああ、ごめんね?千歌ちゃんに男の子の友達ができるのが珍しくてつい……ふふっ」

「いや、友達と言いますか……てか、アイツって男女分け隔てなくって感じがするんですけど」

「そこはほら……曜ちゃんがいるから。こう……男の子を寄せ付けないというか……」

「…………」

 

 その光景は、付き合いの浅い俺にも容易に想像がついた。言われてみれば、バスで高海と話した後、じっとこっちを見ていた気がする。

 まあ、二人のゆるゆりな関係は置いておこう。

 

「ねえ、比企谷君はどっちが好み?」

「…………は?」

「だから~、付き合うなら千歌ちゃんと曜ちゃん、どっちがいいかなって」

「い、いや、いきなり何ですか、その質問……」

「もしかして……美渡?」

「…………」

 

 この手の質問をされたのはいつぶりだろうかと記憶を辿りながら、どう誤魔化したものかと思考を巡らす。

 まあ、俺の将来の夢はぶれていないので、それが最適解を導いてくれるわけだが……。

 

「まあ、あれですね。それなら高海家に婿入りしてせんぎょ……」

「ただいま~」

「っ!」

 

 背後から高海の声が聞こえ、慌てて続きを飲み込む。

 振り向くと、やや落ち込んだ表情の高海がこちらに気づいた。

 彼女は笑顔を見せるが、それもどこか弱々しい。

 

「こんにちは、比企谷さん……」

「お、おう」

 

 別に大したことは言ってないし、後ろめたいこともないのだが、つい焦りが生じてしまう。

 高海はそれに気づくことはなく、隣の椅子を引き、すとんと腰を下ろした。

 

「はぁ……今日もダメだったよ~」

「……そうか」

「比企谷さ~ん、何かいい案ありませんかぁ?」

「ない」

「即答っ!?ちょっとくらい考えてくださいよ~」

 

 そう言いながら、肩を揺さぶってくる。

 ええい、やめい。こりゃあ、渡辺が男子を近づけないのも納得だわー。中学時代なら、ここ最近のスキンシップで落ちてる。あといい匂い。

 

「ほら、千歌ちゃん。比企谷君も困ってるでしょう?」

「あっ、ごめんなさいっ!……迷惑、でしたよね?」

「……いや、別に……話聞くだけだし」

 

 実際のところ、何か作業を頼まれたとかではなく、偶然会って話を聞かされているだけなので、何も迷惑はかかっていない。むしろ話を聞くしかできないまである。仮に言えたとしても、「勇気、本気、素敵、前向きが鍵」とかしか言えない。

 すると、彼女は小声で何やらぽそぽそ呟き、がばっと立ち上がった。 

 

「よしっ、今日は自分の部屋で考えよっと!比企谷さん、少し貰いますね!」

「……おう……ん?」

 

 高海はすかさず俺のグラスを奪い、くぴくぴとアイスコーヒーで喉を潤した。

 

「もう、千歌ちゃん。お行儀悪いわよ」

「えへへ、ごめんなさい。喉渇きすぎちゃって」

 

 彼女は、3分の1ぐらい減ったグラスを俺の前に戻し、ペロリと舌を見せ、パチリとウインクをしてみせた。まあ、さすがはスクールアイドル志望……といえなくもない。

 そして、「ありがとうございました~」と残し、そのまま奥へと引っ込んでいった。

 ……ま、まあ、別に?こっちはストロー使ってるし?間接キスじゃないし?気にすることなんか一つもない。

 さっさと飲んで、さっさと帰ろう。

 気持ちを切り替え、ストローに口をつけたその瞬間、高海長女が悪戯っぽい笑みを向けてきた。

 

「間接キス♪」

「っ!!」

 

 俺は盛大にコーヒーを吹き出してしまった。

 



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明日への扉 ♯7

 放課後、何となく商店街にあるCDショップに足を運ぶと、運命のイタズラだろうか、またもや高海の姿を見つけた。

 だが彼女はCDを物色しているらしく、こちらには気づいていない。ならば俺も気づかずに素通りするのが礼儀だろう。

 俺は新譜のコーナーを少し眺めてからCDショップを出た……のだが……

 

「比企谷さ~ん!!!」

「っ!」

 

 背後から高海から呼ばれ、慌てて振り向く。そこまで大声出さなくてもいいだろうに……。

 彼女はやたら笑顔で駆け寄ってくる。それだけで今からどんな話題になるか容易に想像できた。

 

「聞いてくださいよ!とうとう作曲できるメンバーが入ってくれたんですよ!」

「お、おう、そうか……てか、それ言う為にわざわざ走ってきたのか?」

「はいっ!せっかくだし一緒に帰りましょうよ」

「……別にいいけど」

 

 ……本当にこいつは渡辺がいなかったら何人の男子を死地に送り込んできたのやら。高海千歌……恐ろしい子!

 

 *******

 

 今日も穏やかな帰り道は、人通りも少なく、隣を歩く彼女の足音がやけに響いていた。

 

「比企谷さん、聞いてます?」

「……ああ。三人揃ってよかったな」

「全然聞いてないじゃないですか!もうっ、これから応援団長やってもらうんだから、シャキッとしてもらわないと!」

「ああ、応援団長……はっ?応援団長?」

「え、違うんですか?」

「いや、そもそも絶対ライブ行けるわけじゃないからね?」

「観に来てくださいよ~」

「……ライブの時、暇ならな」

「ふっふっふ~。お客さん、可愛い子揃えてますよ~」

「怪しい店の客引きかよ……てか、自分で言っちゃうのかよ」

「あはは……」

 

 高海の横顔を見ると、その瞳はキラキラと輝いていた。

 その瞳は海の彼方の水平線、さらにその向こうを見ているようで、何だか眩しく感じた。

 

「これから曲作りも始まるし、楽しみだなぁ」

「……そっか」

「あっ、でも曜ちゃん可愛いし、梨子ちゃん美人だし、私普通だから、あんまり人気でないかも」

「……んな事ないだろ」

「えっ?」

 

 高海が驚いた表情でこちらを見上げてくる。

 その反応を見て、自分が何を言ったのかに気がついた……だからこいつ……いや、今のは自分のせいか。

 少し頬が熱くなるのを誤魔化すように首筋に手を当て、海に目を向けた。しかし、彼女の視線がまだこちらを捉えている気がする。

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 ふいに呟かれた言葉は、あっさり風に溶けて流れていったが、確かに耳朶を打った。

 彼女を見ると、ほんのり夕陽が照らす口元が小さく綻んでいた。

 

「ふふっ、ほら早く行きますよ!」

「あ、ああ……てか、何で急ぐんだよ」

「何となくですっ!」

 

 春風に揺らぐ二つの影は、跳ねるように駆け出し、帰り道を辿っていった。



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明日への扉 ♯8

「♪~~」

「どしたの、千歌?ごきげんじゃない」

「そう?いつも通りなんだけどなー。♪~~」

「ま、まあ、よくわからないけど、あんま夜更かしして寝坊するんじゃないよ」

「はーい」

 

 私、そんなに機嫌よく見えるのかなぁ?

 その理由を考えると、自然とさっきのやりとりを思い出してしまう。

 

『……んな事ないだろ』

 

 あれって……気を遣ってくれたのかな?よくわかんないけど……少しくらいは自信を持っていいのかな?……ていうか、私何でニヤニヤしてるんだろ。

 頬を摘まんでみても、それはしばらく直りそうにない。

 ……まあ、気にしないでいいかな。

 

「♪~~」

「千歌ちゃん、ずっと歌ってるわね」

「まあ、これが思春期ってやつなんでしょ」

 

 *******

 

 放課後、俺は用もないのに駅前へと向かっていた。理由は高海からメールである。

 

『今日、放課後に駅前でチラシ配ります!チラシ配ります!』

 

 なんかこう……大事な事だから二回言いましたみたいなメールなんだが……いや、別にいいんだけど。

 そんなわけで、別に来てくれと頼まれたわけではないが、気が向けば応援すると言った手前、このまま真っ直ぐ帰宅というのも気が引けたのだ。

 さて、そろそろ駅前だが、案外もう終わってたりして……。

 

「ライブやりまーす!観に来てくださーい!」

 

 どうやら絶賛配布中らしい。てか声でけえ……。

 駐輪場に自転車を止め、駅前まで行くと、彼女らは三手に別れて道行く人に声をかけていた。

 高海は今の俺の位置から一番近い所で、せっせと動き回っていた。とりあえず、さりげなく……何なら俺と気づかれないようにチラシを……

 

「あっ、比企谷さ~ん!!!」

 

 気づきやがった。だから、名前を大声で叫ぶなっての。回れ右して逃げたくなるだろうが。

 そんなこちらの心情などお構い無しに、彼女はたたたっとこちらに駆け寄ってきた。手に持ってるプリントはあと十枚もなく、頑張っていたことが窺える。

 

「来てくれたんですね!」

「……まあ、気が向いたからな」

「ありがとうございます。それじゃあ、比企谷さんにも……はいっ」

 

 チラシをやや強引に手渡される。ええい、わざわざ指を開いて掴ませるのをやめろ……!

 

「お、おう……」

「よしっ!残りあと少しなんで、ちょっと待っててください!」

「じゃあな。頑張れよ。応援してる」

「いやいや、完全に無視しないでくださいよ~」

「いやいや、これ終わった後も何かやるんだろ?俺が待っても仕方なくない?」

「……確かにそうですね」

「おい」

「じゃ、じゃあ、観ていきますか?私達のチラシ配りと曲作り」

「いや、何が楽しいんだよ。せめてライブにしてくれ」

「……比企谷さんのケチ」

「ええぇ……」

 

 どうして今日はそんなに見せたがりなのかしら、この子は……。

 すると、こちらの様子に気づいた渡辺がささっと駆け寄ってきた。どうやら彼女は全て配り終えたらしい。向こうでは桜内が苦労しているようだが……。

 

「千歌ちゃーん、どうかしたの?」

「あっ、曜ちゃん!ごめんね?比企谷さんを見つけたからつい……」

「そっかぁ……」

 

 渡辺は何故か俺と高海を何度も交互に見て、それから高海の方に優しく微笑んだ。

 

「とりあえず、あと少しだから頑張ろっか」

「あ、うんっ。それじゃあ比企谷さん、来てくれてありがとうございました!」

「……おう」

 

 高海はいつものように、さっとこちらに背を向け、人混みへと駆け出した。まあ、あいつならすぐに配り終えるだろ。

 俺は、このまま帰ろうと回れ右をすると、背中に「あの……」声をかけられた。

 振り向くと、渡辺が遠慮がちな瞳をこちらに向けながら、おずおずと口を開いた。

 

「少し……お話いいですか?」



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明日への扉 #9

 渡辺は高海の方にちらりと視線をやってから、じぃっと俺の目を見た。何となくだが、その視線からはあまり好意的な話は期待できそうもなかった。

 彼女は一歩距離を詰め、口を開く。

 

「千歌ちゃんと仲良いんですね」

「……普通、じゃないか?」

「好きなんですか?」

「違う。てかいきなり過ぎんだろ。どこをどう見たらそう見えるんだよ」

「……目」

「この腐った目はデフォなんだよ。あんま気にすんな」

「…………」

 

 渡辺は黙ったかと思えば、急に距離を詰め、俺の目をじっと覗き込んできた。

 

「……何だよ」

「…………」

 

 つーか顔近いんだけど!?えっ、何?この子、俺の事好きなの!?

 ついドギマギしていると、渡辺はクスッと笑いながら顔を離した。

 

「ふふっ、目つきは確かに悪いけど、一応悪い人じゃなさそうですね。……一応」

 

 やたら『一応』という単語を強調しなくても悪い人じゃないんだけどね?

 とはいえ、目つきが悪いのは事実なので、特に反論はせず、話題を変えた。

 

「ライブ……大丈夫そうなのか?」

「う~ん、さすがに体育館いっぱいは難しいですね~。比企谷さんもお友達連れてきてくださいよ」

「いや、引っ越してきたばかりの奴に無茶言うなよ……」

「あはは……確かに。しかも千葉からじゃ前の学校の友達も呼びづらいですもんね」

「…………」

 

 こういう時に呼べる友達がいるかどうかについては黙っておこう。

 すると、少し離れた場所から視線を感じた。

 

「あれっ?千歌ちゃん、どうしたの?」

「……高海」

 

 目を向けると、いつの間にかチラシを配り終えたらしい高海がこちらを無表情でじぃっと見つめていた……かと思えば、何故か不思議そうに首を傾げている。どうしたんだ、こいつ。

 

「千歌ちゃん?」

「えっ?あ……もうチラシ配り終わったよ!」

 

 どうやら渡辺と話している内に、もう終わっていたらしい。向こうのベンチでは、疲れきった桜内が休んでいた。だいぶ気力と体力を削られたらしい。

 渡辺は高海に爽やかな笑顔を向けた。

 

「そっか。お疲れ様♪」

「えへへ、優しい人ばかりで助かったよ~」

「……お疲れさん」

 

 労いの言葉をかけると、高海は距離を詰めてきた。

 

「はいっ、ありがとうございます!」

「あ、ああ……」

 

 本当に人懐っこい子犬みたいな奴だ……あと変な勘違いをさせて、男子を死地に向かわせそう……。

 すると、渡辺が高海の肩をとんとん叩き、自分の方を向かせた。

 

「千歌ちゃん。そろそろ梨子ちゃんを連れて旅館に戻ろっか。曲作りも進めなきゃだし」

「あっ、そだね。じゃあ、比企谷さん、私達もう行きますね。ありがとうございました!」

「おう」

 

 桜内に声をかけ、遠ざかるその背中を少しだけ眺めてから、俺はそのまま本屋へ向かった。

 渡辺から何か勘違いされてる部分もあるが……まあいいだろう。そのうち自分で気づくだろうし。

 

 *******

 

「…………」

「千歌ちゃん、どうしたの?ぼーっとして」

「え?な、何でもないよ!うんっ」

 

 さっき……何で変な感じがしたんだろ?気のせい、だよね?

 

 

 

 



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明日への扉 #10

 ライブ当日。天気は生憎の雨だった。

 とはいえ、会場は体育館なので、ライブは予定通り開催される。

 俺は傘を差し、普段とは違う、どんより暗い内浦の町の風景を眺めながら、ゆっくりと歩いた。

 さて、高海達にとって記念すべき日だが、果たしてどのくらいの人があつまるのだろうか。

 

「あら、比企谷君?」

「……どうも」

 

 声をかけられただけで高海長女だとわかるあたり、俺も少しはこの街に慣れてきたらしい。

 目を向けると、彼女は赤い傘を差し、こちらに穏やかな笑顔を向けていた。

 

「おはよう。今から千歌ちゃん達のライブ?」

「ええ、まあ……」

「ふふっ、そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よ」

「?」

「この町は皆あったかいから」

「……そうですか」

 

 そう言いながら妹の事を思い浮かべるその眼差しは、とても優しく尊かった。

 

「今日は観に行かないんですか?」

「ええ。今日は旅館のほうが忙しくなるから。美渡は気が向いたらって言ってたけど……」

 

 心底残念そうに言うその表情からして、何だかんだ応援はしていたのだろう。

 すると、彼女はそっと俺の肩に手を置いた。

 

「だから今日は私の分も応援お願いね♪」

「……まあ、一応」

 

 何故か照れくさい気分になりながら、俺は控えめに頷き、その場を後にした。

 

 *******

 

 浦ノ星女学院の体育館内は、まだ人もあまりおらず、薄暗さと外の雨音も合いまって、ひどく物哀しく思えた。

 そして、その数少ない人の集団の中には、多少見覚えありそうなのがいた。

 とはいえ、仲がいいとかでもないので、別に声をかけに行ったりはしないのだが。

 そこで、ふと総武高校の文化祭を思い出す。そういやあの時は一番後ろにいたっけ。

 その記憶をなぞるように一番後ろの壁によりかかり、まだ下りたままの幕を見た。今彼女達は、幕の向こう側で緊張しているのだろうか。それとも、案外普通なのだろうか……

 

「チャオ♪そんな後ろでイインデスカ?」

 

 いつからいたのだろうか。突然声をかけられ、慌てて反応すると、まず鮮やかな金髪が視界に入った。外国人か?片言だし……。

 暗い場所なので、はっきりとはわからないが、とにかく今までに出会った事のないタイプの人間だということはわかった。

 

「ふふっ、ソーリー。まだあんなに空いてるのに一番後ろにいるからつい……」

「……べ、別に。優しい性格してるもんだから、つい後から入ってきた人の為に空けてるだけだから」

「ワオ!それは親切デスネ~」

 

 出だしで噛んでしまったが、どうやら俺の優しさは伝わったようだ。てか、いきなり距離を詰められると、緊張しちゃうから離れて欲しい。

 すると、暗がりを縫うようにクスクスと彼女が笑う声が聞こえてきた。

 

「親切なのはいいけど……」

「?」

「せっかくの彼女達の晴れ舞台なんだから、一番前で見なくちゃモッタイナイデース!」

「っ!お、おい……」

 

 こうして俺は謎の金髪女により、ステージの真ん前へと連れていかれてしまった。

 

 *******

 

「よーし、頑張らなきゃ!!……観に来てくれてるのかな」



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明日への扉 #11

 開演3分前。もうそろそろ幕が上がる……しかし……。

 

「……開演前なのに、お客さん少ないね」

 

 誰が呟いたかはわからないが、その一言が現状を物語っていた。

 客の数は10人いるかいないか……そして、誰かが入ってくる気配がまったくない。

 こりゃあ、体育館が埋まるかどうか以前の集客だな。いや、それでも無名のスクールアイドルのライブで、客が集まっただけマシだと思うべきなのか。

 ……果たして、幕が上がった瞬間に彼女達は何を思うのだろうか。

 考えているうちに、本当に幕が上がり始めた。

 そして、可愛らしいアイドルの衣装に身を包んだ3人の姿が現れた。

 

「…………」

 

 体育館内に目を向けた高海達の目が曇ったのがわかった。

 

「…………」

 

 何も声をかけることができずに、黙ってステージを見ていると、こちらを見た高海と目が合う。

 視線がはっきりとぶつかってから数秒、彼女は頭を振り、力強く頷いた。どうやら心が折れることはなかったようだ。

 ……よかった。

 素直にそんな感想が浮かんでくる。

 そして、彼女達の歌声と共にライブが始まる。

 穏やかで綺麗な旋律から、アップテンポなイントロが流れ、自然と体がリズムを刻み出す。

 最初は緊張気味だった彼女達も、次第に生き生きとした笑顔を見せ、軽やかなメロディーに前向きな言葉をのせていく。

 そして、曲が一段と盛り上がり始め……

 

「っ!?」

「きゃっ!?」

「な、何!?停電!?」

 

 突然鳴り響いた落雷とほぼ同時に、会場内が暗くなり、音楽が止まった。

 ステージ上の三人は、キョロキョロと辺りを見回し、状況を確認している。

 だがそれだけで状況が変わるはずもなく、ただ雨音だけが虚しく鳴り響いていた。

 ……さすがにもう続けられそうもないか。

 会場内にそんな空気が広がり始め、小さなどよめきが起こり始めた時、再び歌声が響き始めた。

 

「……高海」

 

 そう……マイクもBGMもない状況で、彼女は歌い始めた。

 何かを訴えかけるような目は……心からの想いをのせた声は……か細いながらも薄暗い体育館に、確かに響いていた。

 そして、その音を包み込むように渡辺と桜内も歌い出す。

 美しいハーモニーが、しっとりと体育館を穏やかに満たしていく。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 高海は俯き、肩を震わせた。

 その姿に、柄にもなく何かできる事はないのかと思ってしまった、その時……

 

「バカ千歌ー!アンタ何開始時刻間違ってんのー!?」

「美渡姉!?」

 

 高海次女がグッとサムズアップしながら登場した。ていうか、時間間違えてたのかよ……。

 さらに、入り口の方がやたらざわめいていると思ったら、同年代くらいの女子や、まだ小学生くらいの子供や、子連れの主婦や、お年寄りなどがぞろぞろと薄暗い体育館に入ってきた。

 あっという間に体育館は人で満たされ、入り口には入りきれなかった人達が、必死に覗き込もうとしているのが見えた。

 そして、どういうわけかスポットライトに再び明かりが灯り、ステージを照らし始めた。

 そして、再び勢いづいた彼女達は顔を見合せ、観客達に笑顔を向けた。

 再び音楽が始まり、三人は全身全霊のパフォーマンスを見せる。

 最後は弾けるような素敵な笑顔で曲を締めた。

 

 やがて、パチパチとどこからか手を叩く音が聞こえてくる。

 まばらな拍手は、やがて大きな音の洪水となり、体育館内を満たしていく。

 俺もいつの間にか拍手をしている自分に気づいた。

 賑やかな音の波に当てられたのかもしれない。

 ただ……素直にすごいと思った。

 こうしてAqoursの記念すべきファーストライブは、これ以上ないくらいの大成功を収めた。

 

 *******

 

 人がいなくなるまでしばらく待ち、やっと体育館を出ると、バタバタと誰かの足音が聞こえてきた。

 

「比企谷さん!!」

 

 彼女は息を弾ませながら、あっという間に距離を詰めてきた。

 ……一応、労いの言葉をかけておくか。

 

「……お疲れ」

「はいっ、今日は来てくれてありがとうございました!嬉しかったです!」

 

 そう言って笑う彼女は、雨雲なんかかき消してしまいそうなくらい綺麗に見えた。

 今年高校に入ったばかりの後輩に、そんな気持ちを抱いたことを悟られたくなくて、つい視線を逸らしてしまう。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、別に……それよか黒澤姉から色々言われてたけど、大丈夫なのか?」

 

 そう。黒澤姉は、ライブが終わった後にはっきり言った。

 今回、ライブが成功したのは、これまでのスクールアイドルの実績と、町の人の善意によるものだと。

 そして、それは確かな事実のように思えた。

 しかし、彼女の瞳はまったく揺らがなかった。

 

「わかってます。私達はまだまだなことくらい。それでも、またライブしてみたいって心から思えたんです。その気持ちに嘘はつけません」

「そっか……なら、応援する」

「は、はいっ、ありがとうございます!次も絶対に来てくださいね!」

「……まあ、行けたら行くわ。一応、多分、気が向けばそのうち」

「それ来ない人の反応じゃないですか~!」

「ばっか、お前。来れない可能性だってあんだろうが」

「今から予防線張らないでくださいよっ。ぜっったいに最高のライブにしますから!」

「……楽しみにしとく」

「はいっ」

 

 高海はこちらに小指を突き出してきた。

 それを見ていると、彼女はさらに距離を詰めてきた。

 

「……どした?」

「約束です!!」

「あ、ああ……約束ね」

 

 ここまでストレートにこられると、誤魔化せそうもない。

 観念して小指を出すと、高海は何の躊躇もなく、自分の小指を絡めてきた。

 

「ゆ~びき~りげ~んま~んう~そつ~いた~らは~りせ~んぼ~んの~ますっ!ゆ~びきった!」

 

 ほんのり温かな感触が離れると、彼女はすぐに背を向けた。

 そして、振り向き様に告げた。

 

「それじゃあ、約束しましたからね!絶対ですからね!」

「……まあ、一応な」

 

 彼女は俺の返事など聞かず、さっさと走り去っていった。

 微かに柑橘系の香りを残し、それは胸を高鳴らせた。

 

 *******

 

「千歌ちゃ~ん、どこ行ってたの?」

「あっ、曜ちゃん。ごめ~ん、ちょっとだけ……」

「千歌ちゃん、顔紅くない?」

「えっ、そうかな?そんなことないと思うけど……あれ?ちょっと、ほっぺた熱いや……何でかなぁ?」



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明日への扉 #12

 日曜日。

 翌日からの学校生活に備えるべく、しっかりと睡眠を取ろうと思っていたのだが、予定よりだいぶ早い時間に起きてしまった。しかも、やたら寝起きがすっきりしていて、二度寝できそうもないのが残念極まりない。

 仕方ないので部屋を出て、リビングまで行くと、人の気配がした。

 

「あっ、おはよ~お兄ちゃん」

「おはようございます、比企谷さん!」

「ああ、おはよう……」

 

 ソファーには小町と高海が並んで座って、楽しげに笑顔を向けてきた……は?

 念のため目をこすり、何度かまばたきしてから、もう一度確認してみる。

 

「…………」

 

 間違いない。そこにいるのは、浦の星女学院2年・高海千歌だ。浦の星の制服を着用しているし、朝からやたらテンション高そうな笑顔を見せている。

 彼女は不思議そうに首を傾げた。

 

「どうかしました?」

「……それはこっちのセリフなんだけど。なんでお前が朝からいんの?小町をスクールアイドルに勧誘しに来たのか?」

「小町ちゃんには断られてるんですよ~。もう生徒会のお手伝いをしているらしくて」

 

 なるほど、小町に目をつけるとは見る目があるようだ。

 まあ、お前にはやらんがな。

 

「お兄ちゃん、なんかアホなこと考えてる顔してるよ?自重して」

「ぐっ……ていうか、それなら何で朝からウチに?」

「いい歌詞が思い浮かばなくて、砂浜を歩いてたら、偶然小町ちゃんに会ったんで。それでお呼ばれして。もしかしてうるさかったですか?」

「いや、全然。それじゃあ俺はもうひと眠り……」

「はいはい。何バカな事言ってんの、お兄ちゃん。せっかく千歌さんが来てるんだから、さっさと顔洗ってきて」

 

 どうやら二度寝はできないらしい。

 諦めの溜め息を吐きながら、俺は洗面所へと向かった。

 

 *******

 

 比企谷さん、すごい眠そうだったなぁ。遅くまで何してたんだろ?勉強かなぁ?受験生だし。

 そこで私は、一つのある事実に気づいた。

 そういえば、男の子がいる家に上がるのって、小学生以来だなぁ。中学からは曜ちゃんや、むっちゃん達とばかり遊んでたし。

 今日は小町ちゃんに誘われて来たけど、なんだか少しだけ緊張しちゃうかも。

 

「千歌さん、ごめんなさい~。お見苦しい兄をお見せして。休日はいっつもこうなんです」

「あっ、ううん。大丈夫だよ。私が朝早くからお邪魔しちゃっただけだし」

 

 それに、何だか貴重なものを見た気分だし……。

 比企谷さんは欠伸をしながら、のろのろとリビングに戻ってきた。

 

「よしっ、じゃあ行こっか」

「……行くってどこに?」

「せっかくだし3人で朝御飯食べに行こうよ!軍資金ならさっきお母さんが出かける前にくれたから」

「えっ?わ、私もいいの?」

「あっ、もしかしてもう朝御飯食べちゃってました?」

「まだだよ。でも、なんか悪いよ……」

 

 さすがに申し訳ないと思っていたら、小町ちゃんが切なそうな目を向けてきた。

 

「お願いします!毎日兄と二人きりの朝食はもうしんどいんです……!味の感想聞いても無愛想に「美味い」って言うだけだし、会話しようとしても「ああ」とか「うん」だけで、会話にならないし!小町はいつも寂しいんです!」

「あはは……わ、わかったよ。うん」

 

 なんだか熟年夫婦みたい。比企谷さんは「なんかごめんね?」と呟いていた。確かにあんまり喋らなそうだなぁ、ウチのお父さんみたい。

 例えば、私と比企谷さんが二人で食事してたら……って、何考えてるの、私!?

 

「千歌さん?」

「あわわっ、な、何かな?」

「千歌さん、この辺りにオススメの場所ありますか?」

「この辺かぁ……あっ、そうだ!」

 

 *******

 

 そこは家から割と近い場所にあった。

 

「いらっしゃいませ~……って千歌ちゃん?そっちの玄関は使っちゃダメって言ってるでしょ?」

「ふふん、今日はお客さんをつれてきたんだよ!」

「お客さん?あら、比企谷君じゃない。そっちの女の子は、もしかして妹さん?」

「比企谷小町といいます。兄がいつもお世話になってます」

「いや、この前会ったばかりなんだけど……」

「あら、可愛らしい妹さんね。ふふっ、千歌ちゃんの姉の志摩です。よろしくね」

「ふむふむ、意外と内浦にもお姉ちゃん候補がいる……よろしくお願いしま~す♪」

 

 挨拶の前になんかブツブツ言ってたけど、それに関してはツッコまないでおこう。

 

「じゃあ志摩姉、モーニング三人分お願い!」

「はいはい。ちょっと待っててね」

 

 優しい微笑みを残し、高海長女は厨房に引っ込んだ。

 

「おっはよ~!」

「っ!?」

 

 いきなり背後から何かが覆い被さる感覚。

 聞き覚えのある声が、その正体を教えてくれた。

 

「み、美渡姉!いきなり出てこないでよ、びっくりするじゃん!」

「さっきからいたけどアンタ達が気づかなかっただけでしょー。それよか、朝からどったの?」

「朝飯食いに来たんですよ。ていうか、その……」

 

 さっきから背中に柔らかいものが当たってるんですが、少しくらい気にしたほうがいいんじゃないですかねえ、思春期男子のメンタルのためにも!

 

「へえ、照れるとか可愛いとこあんじゃん。あっ、もしかして惚れた?」

「いや、別に」

「即答!?こいつめ!うりゃうりゃ!」

「っ!」

 

 そのまま首を絞められるが、首より背中の方が気になって仕方がない。

 

「あわわわ……さらにお姉ちゃん候補が!小町は嬉しいよ……」

 

 喜んでないで助けてほしいんだが……。

 

「美渡姉っ、比企谷さんが困ってるでしょ!いい加減離れてっ」

「はいはい。それじゃ、私は仕事に行ってくるから。比企谷君と……」

「妹の小町です!よろしくお願いしま~す」

「小町ちゃんね。よし、覚えた!じゃ、行ってきま~す」

「いってらっしゃ~い」

「いってらっしゃ~い♪」

 

 小町に見送られ、あっという間に高海次女は去っていった。相変わらず賑やかな人だ。

 肩にわずかに残る感触にまだどぎまぎしていると、高海から視線を感じた。

 

「…………」

「どした?」

「顔赤いですよ」

 

 心なしかジト目で見られてる気がするんだが……いや、俺から抱きついたわけじゃないからね?

 そうこうしているうちに、注文したモーニングが運ばれてきた。

 俺達は、旅館の窓から見える海を眺めながら、あっという間に朝食を平らげた。

 休日の朝に気づいたこと。

 十千万のモーニングは美味しい。

 高海次女は着痩せするタイプである。

 朝起きて後輩女子が家にいたら、やっぱり驚く。そして、少しだけときめく。



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明日への扉 #13

「……仮入部、ね」

「そうなんですよ!それも二人ですよ、二人!」

「……そりゃあ、よかったな」

「ええ!比企谷さんももっと喜んでくださいよ~!」

「あ、ああ、喜んでるが……てかわざわざそれを報告するために来たのか?」

 

 そう、ここは俺が通っている高校のすぐ近くだが、いつも通りのんびり帰ろうとしたら、いきなり高海が声をかけてきた。ちなみに彼女の大きな声と、それなりに整った容姿のせいか、同じ学校の男子がちらちらこっちを見ているのがかなり居心地が悪い……。

 

「あれー?ヒキタニくんじゃねー?」

「……おう……誰だ?」

「ひでえ!俺だよ、俺!同じクラスの田部だって!」

「……おう」

 

 この茶髪の見るからにチャラい外見と喋り方……さらに俺をヒキタニくんとか呼ぶあたり、誰かを連想させるのだが……まあ、それはいい。

 一応紹介しておくと、まあただのクラスメイトだ。それだけ。紹介終わり。

 田部は今気づいたのか、高海に目を向けると、俺と彼女を交互に見て、申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「あっ、わりわり!邪魔した?てか、ヒキタニくん引っ越してきたばかりなのに、もう彼女できたん?」

「え?」

「違う。てか、同じ部活の奴が呼んでるぞ」

 

 少し離れた場所から、同じサッカー部……そこも一緒か……の奴らが、田部を呼んでいた。

 

「えっ、ウソ!?ヒキタニくん、彼女さん、またね!」

「………」

 

 いや、彼女じゃないからね?さっき訂正したからね?バカなの?死ぬの?

 しかし、否定しようにも、もう奴はいない。これは誤解を広めないためにも、奴とは二度と会話しないほうがいいだろう。田部、短い付き合いだったな。いや、そもそも付き合いと呼べるものはなかったが。

 

「…………」

 

 田部がいなくなるのを見送っていると、高海がじーっとこちらを見ているのに気づいた。

 

「どした?」

「あ、な、何でもないですよ!あはは……」

 

 彼女は不思議そうに首を傾げながら、苦笑いをしていた。

 

「そういや、今日は練習はないのか?」

「はい。今日は曜ちゃんは部活だし、梨子ちゃんもピアノのレッスンがあるので……」

「そうか。じゃあ、ゆっくり休めるといいな。お疲れ」

「ああ、もう!そんなすぐに行こうとしないでください」

「いや、ほら……用事があるんだよ」

「比企谷さんがそういう時は大抵ヒマだって小町ちゃんが言ってましたよ!」

「…………」

 

 おのれ、小町め……まあ、確かに用事なんて、これっぽっちもないんだけど。

 観念した俺は、高海に向き直った。

 

「それで……何かあんのか?」

「……えっと……」

 

 高海は「う~ん」と唸り、うつむいている。何だ、これ。用事が言いづらいというよりは、用事を作り出しているかのような挙動は……。

 

「じ、実は作詞のネタ探しをしておりまして……つ、付き合ってくれませんか!?」

「…………」

「その……あまり話したことない人と話したほうが上手くいきそうというか……」

「……わかった」

 

 何故すぐ了承したかは自分でもわからない。多分、勉強をサボりたかったのだろう。

 それに……まあ、応援するって言ったからな。

 

 *******

 

 う~ん、いきなり誘っちゃって迷惑じゃなかったかな?ていうか、自分でも何故誘ったのかよくわからないし……。

 あと……さっき、彼女って間違われたけど、そういう風に見えるのかなぁ?

 ……やっぱり、よくわかんないや。

 

 *******

 

 彼女とぽつぽつ話をしながら歩くと、旅館近くの砂浜に到着した。

 そのまま砂浜に腰を下ろすと、心地よい風が頬を撫でていき、つい目を細めてしまう。

 高海は裸足になり、ぱしゃぱしゃと海面を蹴っていた。

 

「わぁ……やっぱりまだ冷たいなぁ」

「……そりゃあ、まだ春だからな」

「比企谷さんもどうですか?冷たいですよ」

「冷たいからいやなんだよ」

「あははっ、そうですよね」

 

 何がおかしいのかわからないが、高海はやたら笑顔で、踊るように波打ち際を歩く

 その無邪気な姿は、つい見とれてしまうような……そんな不思議な魅力に溢れていた。それは、この前ステージを見ている時に感じたものに似ていた。

 

「…………」

「どうかしましたか?」

「……いや、何でもない」

「やっぱり比企谷さんも一緒にどうですか?」

「いいっての。ていうか、お前、足元気をつけないと……」

「わわっ!」

 

 言ったそばから、高海は足を滑らせて、思いきりこけた。

 

「うわぁ~、びしょびしょになっちゃった……あはは……」

「……だから言わんこっちゃない……っ」

 

 ある事実に気づいて、慌てて目を逸らす。

 高海は上着までぐっしょり濡れていて、オレンジ色の下着が透けていた。

 ……まあ落ち着け。俺は悪くない。あいつが悪い。

 とりあえず高海の状況をもう一度確認しよう。言っておくが、下心なんて一切ない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 俺はさりげなく紳士的に顔を上げた。

 

「「…………」」

 

 彼女は胸元を押さえ、頬を真っ赤にして、こちらを睨んでいた。うん、どうやら大丈夫みたいだ。よかったよかった。

 

「比企谷さんのエッチ!」

「……いや、俺は……ていうか、はやく着替えないと風邪ひくぞ」

「は、はい!わわっ!」

「っ!」

 

 またこけそうになった高海を、今度はしっかりと支えた。

 その瞬間、柔らかさと同時に、柑橘系の爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。

 胸元に当たる彼女の小さな頭は温かく、何だか人懐っこい小動物のように思えた。

 

「……ご、ごめんなさい。比企谷さん、濡れましたよね?」

「い、いや、気にしなくていい。どうせ金曜日だし……てか、はやく帰るぞ」

「はいっ……ありがとうございます」

「…………」

 

 その後、目を合わせることなく、俺と高海は駆け足で旅館への道を急いだ。 

 途中で春の風は、ほんの少しだけ温もりを運び、そこには次の季節の息吹きが感じられた。

 

 *******

 

「ふふっ、なんか青春って感じね~」

「いや、志摩姉見すぎだから」

「だって、高校生の頃を思い出しちゃったから」

「……志摩姉って、学生時代彼氏いたっけ?」

「美渡?」

「はい、ごめんなさい」



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明日への扉 #14

 休日の朝。ひっそりと静まり返った町の中を、たまに通り過ぎる車の音や、鳥の鳴き声が微かに空気を揺らす穏やかな時間。俺は、ここに来てから日課になりつつある朝の砂浜でぼーっとする時間を堪能しようとしたその時……

 

「あー、いたー!!」

「…………」

 

 誰かの呼ぶ声が静寂を切り裂いた。

 もちろん返事はしない。ただのしかばねのように。

 

「無視すんな、比企谷はちまーん!!」

「……はあ」

 

 大声で呼ぶんじゃねえよと思いながら振り向くと、高海次女がものすごい勢いで駆け寄ってきた。

 

「よっしゃ、かくほー!」

「…………」

 

 うわぁ……嫌な予感しかしねえ。しかも傍に高海長女がスタンバってるし、これは逃げるの難しそうですね。てか逃がす気ないよね。

 休日の穏やかさを雲散霧消させながら、二人はずいっと迫ってきた。

 

「あのー、比企谷くぅん。お姉さん達、ちょっとお願いがあるんだけど~」

「今から時間ある~?」

 

 そう言いながら、するりと腕を絡ませてくる高海姉妹(三女抜き)。控えめな柔らかさと意外と豊満な柔らかさ、爽やかな香りと甘い香りが、クロスオーバーコンボで脳を刺激してくるが……。

 だが断る!

 

「すいません。手伝いのはやまやまだし何なら今すぐ手伝いたい気分なんですが今から大事な用があるので失礼しますごめんなさい」

 

 いろはすじみた断り方をして立ち去ろうとすると、肩をがしっと掴まれた。

 

「大丈夫。お姉さん達は知ってるから。比企谷君が朝、そこの砂浜で物思いに耽っていること」

「……は?」

「いや、ほら……そこの砂浜って、私や千歌の部屋から丸見えだから。それで比企谷君が休日の朝はそこでぼーっとしてるのを見てたわけよ」

「…………」

 

 何それ恥ずかしい……俺、変な事してないよな……。

 

「それで、声かけようとしたら、比企谷君、意外と大きな声で歌ってたから……」

「……それ、本当ですか?」

 

 だとしたらかなり恥ずかしい。いや、歌ってはいなかったと思うんだが……これが思春期解放したようなオリジナルソングだったら恥ずかしすぎる。八幡、穴掘って埋まります!

 

「ま、それはさておき……とにかくここにいるってことはヒマなんでしょ?手伝ってよ、ね?ほらほら、手伝ってくれたら、あとでほっぺにチューくらいしてあげるから」

「いや、いらないんで」

「即答!?」

「いや、まあ手伝うのは別に構わないんですけど、高海はどうしたんですか?」

「私、高海だけど」

「私も高海よ~」

「…………」

 

 うわ、めんどくせえ……とはいえ、たしかに名字だけではわかりづらいだろう。今のは確信犯だろうけど。

 

「あー……高海千歌さんに思いきり手伝わせればいいんじゃないですかね……」

「千歌に興味津々みたい」

「フルネーム呼びで逃げたわね」

「…………」

 

 さらにめんどくせえ…。

 

「千歌ちゃんはスクールアイドルの練習があって、朝早くから出てるの」

「ああ、なるほど」

「千歌に会いたかった?」

「いや、そういうんじゃなくて……てか、何かやるなら、さっさと終わらせたほうがいいんじゃないですか?」

「えっ?本当に手伝ってくれるの?」

「……少しだけなら」

 

 こうして未来の休日出勤に備えているあたり、奉仕部で鍛えられた社畜力の高さを改めて思い知るのであった。

 ……それと、色々気になるんで、そろそろ離れてほしい。

 

 *******

 

 休日の朝練。

 私達は、朝からジョギングに励んでいた。最近、少しずつだけど、体力はついてきてる。でもまだ頑張らないと!

 そして、私の家の旅館の近くまで来た時、砂浜に見覚えのある人達がいた。

 あれ?お姉ちゃん達……と比企谷さんだ。なんで朝から一緒にいるんだろ……ていうか、なんであんなくっついてるんだろ? 

 

「千歌ちゃん、どうしたの?」

「え?あ、何でもない!」

 

 ……何だろ、こう、胸の辺りがモヤモヤしたような……朝ごはん食べ過ぎたかな。

 

 *******

 

 高海家……というか十千万旅館は、ちらほら客の姿があり、従業員が忙しなく動いていた。

 その様子を横目に、俺はてくてくと高海姉妹の後をついていった。

 

「それで……何をすれば」

「ああ、倉庫整理なんだけどね?まあ、けっこう力仕事あるから、男手が欲しかったのよ。でもお父さん達は忙しくて……」

「…………」

 

 それならもっと適任がいたのではなかろうか。

 力仕事あんま得意でもないんだが……。

 とはいえ、一度引き受けた以上、このまま回れ右して帰るわけにもいかない……ああ、帰りてえ。

 

「どうしたどうした?始める前から「ああ、帰りてえ」みたいな顔して」

 

 高海次女は察しがいいようだ。あまり表情にでないように善処しよう。

 

「はい、これ」

 

 高海長女からマスクを渡され、俺はそっと溜め息を吐き、倉庫へと足を踏み入れた。

 

 *******

 

 年上のお姉さん二人から薄暗い倉庫に連れ込まれるという考えようによっちゃアレなシチュエーションだが、実際はただの雑用をこなすこと約一時間。

 高海次女が、「あっ」と何か思い出したように、ぽんと手を叩く。

 目を向けると、何か企んでいるような笑顔がこちらを向いていた。

 

「そういやさ、比企谷君……」

「……はい」

「千歌の胸の話この前したじゃん?多分あれは83くらいだね」

「っ!」

 

 あ、危ねえ……、マジで落としそうになったってばよ……。 

 

「驚かさないでくださいよ……てかいきなりなんですか、その情報……」

「いやぁ、手伝ってくれてる比企谷君に、有益な情報をと思って」

 

 使い道がこない情報を渡されても困るんですが……。

 すると、今度は高海長女が耳元でぽそぽそと囁いてきた。てか近い近いいい匂い柔らかい近い!

 

「実はね……千歌ちゃんはみかんが好きよ」

「……そ、そうですか」

 

 だから何故それを俺に……あと勿体ぶった割に案外普通じゃねえか。

 そもそも、何故この二人は俺に妹の情報を流すのだろうか……とはいえ、せっかくもらった情報を捨てるのも勿体ないし?てか無理だし?一応復唱しておこう。

 ……高海千歌はみかんが好き。あと……83センチくらい。



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明日への扉 #15

 昼も近くなり、ようやく作業も終えたところで、高海長女がお茶とお菓子を持ってきてくれた。

 

「お疲れ様~。はい、これどうぞ」

「サンキュ~、志摩姉♪」

「……どうも」

 

 労働後のお茶の美味しさに、ほっと安堵の息を吐くと、彼女達はくすっと笑った。

 

「なんかウチのお父さんみたい。仕事が終わった後、そんな感じだもの」

「たしかに。アンタ、案外ここの仕事向いてるんじゃない?」

「……はあ。そう、ですかね」

 

 比企谷八幡は倉庫整理の才能に目覚めた!あんま嬉しくねぇ……。

 でもまあ、よしとしておこう。ぶっちゃけ接客しなくていいし。一人で淡々とやれるのも悪くない。いざとなった時の就職先を確保したと思えば……。

 

「うふふ、このままウチに婿に来ちゃったりしてね」

「あははっ、ねえねえやっぱり千歌と比企谷君って……はっ!待てよ?も、もしかして……私達狙いだったとか!?」

「いや、ないです」

 

 いきなり何を言い出すかと思えば……。

 

「あら、残念」

「なんだなんだ、即答か~!?」

 

 そう言って立ち上がった高海次女はガシッと俺の首筋に腕を絡ませてきた。

 

「ちょっ……!」

「失礼な奴め!こう見えても内浦一の美人姉妹って、有名なんだぞ~!」

「美渡ったら、もう……でも面白そうだから、私は腕を……」

 

 何故か高海長女は腕をホールドしてきた。アンタはこういう時、止めるキャラじゃねえのかよ……。

 最早頭をぐりぐりされている事より、背中や腕に当たる柔らかな何かや甘い香りのほうが気になるんですが……!

 すると倉庫の扉がガラリと開いた。

 なんとか首を動かして目を向けると、そこには……

 

「あら、千歌ちゃん……」

「あっ、千歌。どうしたの?今日はもう練習終わり?」

「うん。それで、手伝おうとしたんだけど……」

 

 高海はじ~っとこちらを見ていた。その目が不思議なものを見ているようなのは、まあ仕方ないだろう。誰だって、知り合ったばかりの男が姉二人に絡まれているのだから。てかじ~っと見てないで、助けて欲しいんですが……。

 しばらくこちらを見てから、彼女は何故かにぱっと笑った。

 

「なんか、楽しそうだね!」

「千歌……ちゃん?」

「……アンタ、どうしたの?」

「…………」

 

 高海は一見いつものように、ニコニコ笑顔を浮かべているが、何だかいつもと違うように見える。

 なんか、こう……目のハイライトが消えているといいますか……なんだ、この雰囲気。

 そして、とりあえず声をかけようとすると、踵を返した。

 

「あーあ、もう終わってるみたいだし、じゃあ私行くね!比企谷さんもお疲れ様!」

「あ、ああ……」

「あれ?もう行っちゃった……」

「お腹空いてんのかな?」

 

 よくわからないまま、三人でしばらくそのままでいた。

 ……いや、本当にそろそろ解放してくれませんかね。思春期男子なんで。

 

 *******

 

 なんだかよくわからないまま、私は砂浜でダンスの練習をしていた。

 普段は砂に足を取られ、動きがもつれるところも、今はあまり気にならなかった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 そのまましばらく体がくたくたになるまでステップを踏み続けた。

 

 *******

 

 翌朝。

 高海の態度に引っかかるものを感じながらも、それを考えすぎだと決め、いつものように自転車を走らせようとしたのだが。

 

「あっ……」

「……おう」

 

 まさかいきなり遭遇するとは……。

 まあ、家が割と近いので、エンカウント率高めなのは仕方ないかもしれないが。

 すると、高海はばっと距離を詰め、頭を下げてきた。

 

「あっ、あの、昨日はすいませんでした!自分でもなんだかよくわからなくて……」

「……いや、何も謝ることねえだろ。別に誰も損してないんだし」

「……あはは、それはそうなんですけど……」

「まあ、そういう日もあるだろ。俺もよくわからないままバイトとかバックレたことあるし」

「うーん、それとは一緒にされたくないような……」

「まあそれはそうと……今日は朝練はないのか?」

「あ、はい。夕方から少しきつめの練習をするので、体力温存って事で……」

「そっか」

「あ、あの~、よかったら近くのバス停まで一緒に行きませんか?」

「……わかった」

 

 俺は自転車から下り、高海の隣に並んだ。

 彼女からは、いつもと同じ爽やかな柑橘系の香りがした。

 そして、それが何処か懐かしくて、歩きながら何度か彼女の横顔をチラ見してしまった。

 

 *******

 

 その日の夜、昔読んだ本を読み返していると、携帯が震えだした。

 相手は何となく予想がついた。

 画面を確認すると、どうやら今日は勘が冴えているらしい。彼女の名前が表示されていた。

 通話状態にすると、一気に部屋が賑やかになった気がした。

 

「比企谷さん、比企谷さん!部員が増えましたよ!あの二人が入部してくれましたよ!」

「……そうか。まあよかったな」

「もっと喜んでくださいよ~!」

「いや、まあ……よかったな」

「さっきと一緒……でも比企谷さんらしいかも」

「ああ。俺もそう思う。」

「なんかドヤ顔してそう……あっ、そうだ。今度ライブやるから来てくださいよ!」

「あー……その日は予定が……」

「まだ日にち言ってませんよ。それに比企谷さんはなんだかんだ言って来てくれると思います」

「……そりゃ過大評価しすぎだろ。つまらなかったら行かないしな。まあ、割と楽しいから」

「わあ……これが捻デレ」

「捻デレとか言わないでね。恥ずかしいから」

「あはは、わかりました!じゃあ、よろしくお願いしますね」

「……おう。じゃあ」

「ええ、おやすみなさい!」

 

 通話が途切れ、空白のような静寂が訪れると、それがやけに耳を落ち着かなくさせる。

 彼女の底抜けに明るい声が聞こえなくなったからか。

 そんな事を考えながらぼんやりと天井を見ていたら、いつの間にか、眠りに落ちていた。



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明日への扉 #16

 帰り道、海側からの優しい風を目を細め、穏やかな陽射しを浴びていると、それだけで勉強疲れが癒されていく。

 すると、どこかから女子達の賑やかな話し声が聞こえてくる。

 ていうか、何人かは聞き覚えのある声だ。

 砂浜の方から聞こえてきたので、ちらりと視線を落とすと、普段とは違うテイストの衣装を着たAqoursがいた。

 さらに、高海と目が合う。

 さりげなく逃げようとしたが、どうやら手遅れだったようで、彼女はこちらに向かって、ぶんぶん手を振っていた。

 

「比企谷さーん!おーい!」

 

 いや、そんな大声で名前呼ばなくても聞こえてるから。

 とりあえず軽く手を挙げ、その場を去ろうとすると、今度は手招きをしてきた。

 ……大丈夫。俺は気づいてない。

 

「おーい、比企谷さーん!聞こえてますよねー!こっちこっちー!」

「…………」

 

 どうやら逃げられないらしい。

 仕方なしに砂浜に続く階段を降りていくと、高海の傍にいた渡辺と、その隣にいる桜内が数秒間ジト目を向けてきた。何でだよ。さらに……

 

「あ、あの方は!我が主……サタン!」

 

 見覚えのない女の子から何故か魔王扱いされた。だから何でだよ。

 とはいえ、ツッコんでたらキリがないので、俺は高海に話しかけた。

 

「それで……なんか用か?」

「はいっ、実は……これで私達を撮影して欲しくて」

 

 そう言って、高海はカメラを差し出してきた。

 

「……まあ、それぐらいなら構わんけど」

「やった♪ありがとうございます!今、新メンバー候補の子がいまして、さらにイメージチェンジして、堕天使を取り入れてるんですよ」

「ほーん、そりゃ大胆なイメージチェンジだな。なんかイロモノっぽいけど」

 

 不意に千葉にいる中二病を思い出してしまう。まあ、あいつは今も特に変わらんだろ。てか、いきなり頭の中に出てくんな、うざい。

 材木座の姿を振り払い、高海から受け取ったカメラを構えると、センターにいる黒髪の新メンバーの女子は、あわあわと慌てだした。

 

「あわわわ……マ、マスターが私を見つめて……い、いけないわ!そのような熱い眼差しで見つめられたら……!」

 

 呼び方がサタンからマスターに変わっているんだが……ちなみにどちらも嫌だ。恥ずかしすぎる。

 

「……比企谷さん、善子ちゃんに何かしたんですか?」

「いや、してねえよ……」

「むむっ、怪しい……」

 

 そんなジト~っと見られても、思い当たる節などないから勘弁して欲しい。

 結局、堕天使さんが落ち着くのを待ってたら、映像を撮るのに、一時間くらいかかってしまった。

 

 *******

 

 二日後。

 

「え?叱られた?」

「はい……生徒会長から、本当にファンを獲得したいなら、もっとしっかり考えろって」

 

 帰り道、ばったり出くわした高海から、先日の動画の反応を聞くと、どうやら黒澤姉の反応はイマイチだったらしい。

 加えて、イメージチェンジで起こった反響も、半日も経てば完全に萎んでしまったようだ。おそらく物珍しさだけに釣られたのだろう。

 

「はあ……やっぱり難しいですね。個性を出すのって」

「……別に、いつも出てるからいいんじゃね?」

「え?」

 

 ぽつりと呟いた一言に、高海が意外なくらい反応した。

 こちらも黙るわけにはいかなくなり、じっとこちらを見つめる視線に気恥ずかしさを覚えながら、思いつくままに言葉を並べた。

 

「まあ、その、なんつーか……初めて3人の時のライブ見た時、それぞれ個性的だったというか……別に奇を衒わなくても、そのままのAqoursが観れれば楽しい、と思う」

「…………」

 

 高海は先程と変わらず、くりくりした瞳をこちらに向けていた。せめて何か言って欲しいんだが……気まずいし、恥ずかしいし。

 

「ありがとうございます!」

「うおっ、びっくりしたぁ……」

 

 いきなりの大声に、つい後退りしてしまう。

 だが、彼女はそれにも構わず、こちらに笑顔を向けていた。

 

「そうですよね!私達は私達らしくやればいい!きっと善子ちゃんだって……!」

 

 そう言って、高海は俺の両手を握りしめた。え、何?イミワカンナイ……あと顔近い。

 

「比企谷さん、本当にありがとうございます!私、行ってきますね!」

「お、おう、よくわからんけど、気をつけてな」

 

 そう言って駆け出した彼女の背中は、照らす夕陽のせいか、いつもより輝いて見えた

 

 *******

 

 私はAqoursのメンバーをすぐに集め、思っていることを全て話した。

 

「それで……善子ちゃんに、善子ちゃんのままAqoursに来て欲しい」

 

 私が言い終えると、皆は笑顔で頷いてくれた。

 

「いいと思うっ」

「じゃあ、明日善子ちゃんに会いに行かなきゃね」

「うゆっ」

「マル達はマル達らしく、ずら」

「皆、ありがとうっ!話してよかったよ~」

「ところで千歌ちゃん。なんか顔赤いよ?もしかして、具合悪い、とか?」

「そうね、たしかに……」

 

 二人から言われて、頬に手を当ててみると、普段よりほんのり温かかった。

 

「あれ?どうしたんだろ?別に元気なんだけど……」

 

 顔をぺたぺた触っているうちに、さっき勢いで比企谷さんの手を握ったことを思い出した。

 ……比企谷さんの手、意外とおっきかったなぁ。

 

「千歌ちゃん?」

「な、なんでもない、なんでもないよ!さ、明日は早いから、今日はもう解散!」 

 

 



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明日への扉 #17

 祝日を含む3連休。2日間みっちり勉強したし、最後の1日くらいはゆったりと過ごして、鋭気を養っておきたい。

 そう思っていた時期が俺にもありました……。

 

「いやあ……またまた手伝ってもらって悪いねえ、比企谷君」

「本当に助かるわぁ……」

「もうっ!二人も手伝ってよ!」

「…………」

 

 何故俺は高海家にいる……そしてさらに掃除まで手伝っているのだろうか。

 ……まあ、スーパーに買い物に行こうとしたら高海次女に捕まっただけなんだが。実についてない。素直に掃除を始める俺も俺だが。

 ちなみに、掃除といっても旅館の方ではなく、高海家の居住スペースの方だ。あれ?本当に俺なんで掃除してんだろうな?

 一人首を傾げると、高海が小声で話しかけてきた。

 

「ごめんなさい、比企谷さん。手伝ってもらっちゃって」

「まあ、気晴らしの運動だと思えば……」

 

 我ながら、なんてプラス思考。だが、この家……かなり広い。家族5人暮らしとか聞いたが、広すぎじゃね?

 

「ほら、美渡姉も志摩姉もダラダラしてないで手伝って」

「まさか千歌からそんな言葉が出てくるとは……普段は一番だらけてるのに……」

「うん。お母さんに見せてあげたいくらい」

「これが恋の力か……」

「ちょっ……な、何言ってるの!?イミワカンナイ!ほら、はやく立って!そんなんだから彼氏できないんだよ!」

「何を~!一番言うてはならんことを~!」

「ほらほら、二人とも暴れないの」

「…………」

 

 てか、全員はやく手伝って欲しいんだけど……。

 

 *******

 

 小一時間ほど経ったところで、だいぶ辺りが綺麗になった実感が沸いてきた。喋らなくていい作業だから、気は楽なんだよな……疲れたけど。

 自分の仕事の成果を確認し、悦に浸っていたところへ、高海がとてとてとやってきた。

 

「比企谷さ~ん、こっち終わりましたから手伝いま……わぁっ!?」

 

 彼女は足を滑らせ、尻餅をついた。

 慌てて駆け寄ると、照れくさそうな笑みを浮かべた。

 

「大丈夫か?」

「あはは……転んじゃいました。いたた……」

 

 高海が転んだ場所は、さっき俺が柄にもなく気合いを入れて雑巾がけした場所だから、少し罪悪感はある。

 すると、今度は高海次女がぱたぱたと駆け寄ってき

 

「千歌、大丈夫!?すごい音したけど……ん?よしっ……むむっ、これはまずいわね。あまり動かさないほうがいいかも」

「え、全然平気だよ」

「何言ってんの。あんたダンスしてんでしょ?もしケガがひどくなって踊れなくなったらどうすんの」

 

 高海次女は真剣な眼差しを向け、妹を叱っていた。普段はからかってばかりでも、こういう時はしっかり姉やってんだな。「よしっ」とか聞こえた気がしたけど、あれは気のせいだったか。

 

「じゃあ、比企谷君。千歌を部屋までおんぶで運んであげて」

「「…………え?」」

 

 突然の提案に、俺も高海もきょとんと首をかしげた。

 だが、高海次女はそれもお構い無しのようだ。

 

「ほら、お父さんは今仕事で手が離せないから。それに、急がないと色々やばいよ!ほら、はやく!さあ!」

「…………」

 

 どうしたものかと思い、高海に目を向けると、彼女はあちこちに視線をさまよわせてから、申し訳なさそうな笑顔を見せた。

 

「じゃ、じゃあ、お願いしていいですか?」

 

 そんな上目遣いされたら断れるもんも断れないだろうが。ステージの上よりカワイイを発揮してやがる。

 

「…………わ、わかった」

 

 はやくしないといけないらしいので、腹を決めて素早くしゃがむと、ゆっくり立ち上がった高海が背中に乗っかってきた。

 ……やばい。な、なんだ、これ……予想よりやばいんだが。いや、どこがとは言わないが。長いボッチ生活で培った鋼の理性がなければ、どえらいことになってた気がする。

 立ち上がると、意外なくらい軽いが、今はそれどころではない。早々にこいつを部屋に運んで下ろさなくては……!

 そこで、高海の部屋の場所を聞こうとすると、なんと……高海次女がこちらに妖しい笑みを向けていた。

 ……おい、その笑み……まさか……。

 色々察してしまい、訝しげな目を向けると、すぐにまた真面目な表情になった。おい。

 とはいえ、今から下ろすのもアレなので、とりあえず足を進めると、少し離れてから高海次女が声をかけてきた。

 

「千歌って見た目の割に胸おっきいよー!」

「っ!?」

「ちょっ!美渡姉!?何言ってるの!」

 

 本当に何言ってんだ、この人は。さらに意識するだろうが。

 高海は、背中でじたばたしながら、姉に怒っていた。だから、そう動かれると色々こすれて……

 

「もうっ!美渡姉はあっち行ってて!比企谷さんもエッチなの禁止!」

「俺何も言ってないんだけど……」

「耳まで赤くなってるもん!!」

「…………」

 

 それに関しては否定のしようがなかった。 

 

 *******

 

 部屋は割と近い場所だったので助かった。

 高海に襖を開けてもらうと、ふわりと甘い香りが漂う可愛らしい室内が見える。

 

「じゃあ、下ろすぞ」

「あ、はい……」

 

 そっとベッドのそばでしゃがむと、彼女の体は離れていった。

 

「……俺は掃除に戻るから、しばらく休んでていいぞ」

「あ、でも……」

「安心しろ。一人で黙々と作業するのは得意分野だ」

 

 さっきの事もあり、気まずいのでさっさと行こうとすると、袖をつかまれた。

 振り返ると、彼女はいつもと違う雰囲気で、初めて見る表情だった。

 

「?」

「あ、あの……ありがとう、ございます」

「お、おう……」

 

 微かに頬を染めた高海の目は、なんだか熱っぽくて、ついつい目が離せなくなりそうだった。

 

 *******

 

 比企谷さんが部屋を出てからも、私はしばらくその方向を見つめていた。

 

「……なんか顔熱いな。熱、じゃないよね?」

 

 手には、さっきつまんだ袖の感触がはっきり残っていた。 



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明日への扉 #18

 朝の通学時間……穏やかな陽射しに心地よい風。どこまでも広がる海に人通りの少ない道。

 この静かな時間がやはり好きだ。考え事をするには最適だし。

 

「あ、比企谷さんだ!おはようございますっ!!」

 

 考え事をする時間終了。まあ、割といつもの事になってるんだけどね?

 そんな元気一杯な普通怪獣こと高海千歌は、当たり前のように隣に並んできた。柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、落ち着かない気持ちになる。穏やかな陽射しが体の温度を上げている気がした。

 彼女は俺の前に立ち、ぺこりと頭を下げた。

 

「あの、この前はありがとうございましたっ」

「おう、そっちはもう大丈夫なのか?」

「あ、はいっ。足はもうその日の夜には全然へーきでしたよ」

「……そっか。ならよかった」

「あの……この前、おんぶ……あ、や、やっぱりなんでもないです」

 

 何故か急にそっぽを向いた彼女は、また隣に並んできた。朝から忙しない奴だ。

 

「えっと……あっ、そうだ。次のAqoursの活動が決まりましたから、動画チェックしてくださいね!」

 

 急に思い出したように言ってくる高海に、何だか自然と頬が緩んだ。

 ……まあ、たまには賑やかなのもいいだろう。たまには、だけど。 

 

 *******

 

 そして、家に帰ってから、高海に言われた通りに動画を見ると、今回は楽曲のPVではなく、内浦を紹介していた。

 町の風景だったり、商店街だったり、ん?なんだあの土の山……まあ、いいか。全体的にまとまっているとは思う。何人か表情が硬い気もするが、

 

「どうでした?」

「……まあいいんじゃねえの?」

「うわあ、なんかテキトーに聞こえます……」

「いや、んな事ねーよ。てか、そもそも俺ここに引っ越してきてまだ半年も経ってねえから、他に言えることがない」

「ああ、確かに。それじゃあ、あまり沼津を知らない人目線で見た時の感想はどうですか?」

「特に問題はないと思うが……途中色々とAqoursらしいし」

「ですよね!よしっ、はやく理事長に見せなきゃ!」

 

 どうやら、あのPVは学校に言われて作ったらしい。

 まあ、あの出来なら少しくらい手直しすれば大丈夫だと思うが……。

 ま、何とかなるだろ。

 

 *******

 

 翌日……。

 

「ダメでした……」

「……そっか」

「全然わかってないって言われました……」

「……そっか。つーかお前はわざわざそれを言うためだけにウチに来たのか?」

「はい……だって、皆すっかり落ち込んじゃって、話聞いてくれるのが比企谷さんしかいないんですよ~」

「…………」

 

 そういう言い方されるとうっかり誤解しちゃいそうになるだろうが。相手が俺だったからよかったものを……。

 ちなみに、高海は現在俺の隣で寝そべっている。いや、無防備にも程があるだろ。普通に部屋に入れるこちらにも問題があるかもしれないが。

 本当にこのコミュ力というか、無邪気さというか……。

 

「はあ……なんかいいアイデアないかなぁ」

「……ほれ」

 

 俺は学校帰りに買って、鞄の中に入れっぱなしにしていたMAXコーヒーを1本高海に差し出した。

 

「あ、ありがとうございます……わあ、めちゃくちゃ甘い」

「人生は苦いからな。コーヒーくらい甘くてもいいだろ」

「あはは、比企谷さんのドヤ顔初めて見ました」

「いや、恥ずかしいからそこだけピックアップするのやめて?せっかく良いこと言ったんだから……」

「ふふっ、今度お姉ちゃん達にも教えますね」

「ええぇ……嫌な予感しかしねぇ……」

「そうですか?お姉ちゃん達、比企谷さんの事好きですよ。ここ数年出会った男の子の中で一番イジリがいがあるって」

「それ好かれてるのか?」

 

 いずれあの姉2人とは決着をつける必要がありそうだ。悪いな。勝てるのは……想像つかない。

 窓の外では、夕暮れの町並みが徐々に本日の営みを終えようとしていた。

 気がつくと、高海も同じように窓の外に視線を向けていた。

 慣れた町並みを見ているはずなのに、その好奇心に満ちた横顔は、彼女を少し幼く見せていた。

 すると、何かを思い出したかのように口を開いた。

 

「そういえば比企谷さん。明後日の朝、海開きがあるの知ってますか?」

「海開き?年中開いてるもんだと思ったが」

「それはそうなんですけど、この時期に朝早く皆でゴミ拾いをして、今年も快適に海が使えるようにするんですよ」

「へえ……まあ地元愛のなせる業だな。俺も夏休みには千葉のゴミ拾いをしてくるか」

「ゴ、ゴミ拾いのためだけに?ん?地元愛?…………そうだ!閃いた!比企谷さん、MAXコーヒーありがとうございました!失礼します!!」

「お、おう……なんだ、あいつ?」

 

 いきなり立ち上がるもんだから、ぶっちゃけかなりびびった……。

 相変わらず嵐のような奴だと思いながら、俺はその背中を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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明日への扉 #19

 さて、高海の奴は問題は解決したのだろうか……いや、俺が考えても仕方のないことだが。しかし……。

 あれから高海とは顔を合わせていない。

 これまでがエンカウント率高過ぎたといえばそれまでだが。

 帰り道、そんなことを考えながら歩いていると……あ、いた。

 前を歩く彼女は、何かの材料を両手に抱え、よたよたと歩いていた。

 ……まあ、これも何かの縁か。

 小走りで彼女の隣に駆け寄ると、すぐにこちらに気づき、笑顔を向けてきた。 

 

「あ、こんにちは」

「……ほれ」

「ふぇ?あ、ありがとうございます!」

 

 小町にする時と同じように、さりげなく荷物を持つと、高海は驚きながらも頭を下げてきた。てか、これ、案外重い……。

 

「何の材料なんだ?」

「ランタンです」

「ランタン?なんかイベントがあるのか?」

「えっと、普通は海開きで使うんですけど、今回ちょっとした演出に使いたくて、余分に必要になっちゃって」

「そっか……作り方教えてくれると助かるんだが……」

「え?それって……」

「とりあえず応援するって言ったからな。それに、今回もなんかパフォーマンスするんじゃねえの?」

「さすが比企谷さん!そんなに待ちわびてくれてるんですね!?」

「いや、違うから。テキトーに言っただけだから」

 

 なんでそんな目をキラキラさせてんの?あと顔近い。

 

 ******* 

 

 当日。

 不思議と目覚ましが鳴るより先に目覚めた俺は、さっさと用意を済ませると、まだ薄暗い砂浜へと足を踏み入れた。

 真っ暗な海はどこまでも広く、ついぼんやり見入ってしまいそうになる。

 もう既に沢山の人が集まっており、それぞれごみ拾いを始めている。その中に小町も混じっていた。もうすっかり溶け込んでんな。

 そして、その近くにいるのはAqoursのメンバー。

 最近本当によく見慣れた奴が、偶然だろうけど、すぐこちらに気づき、ひらひらと手を振ってきた。

 それに軽く手を挙げて応えると、いきなり背後から首をホールドされた。これはもしや……

 

「おっす、比企谷君!」

「おはよう」

「……おはようございます」

 

 やはり高海姉妹だった。俺の場合、こういう事をしてくる人間が限られているのでわかりやすい。

 

「いや~、えらいね~。比企谷君が遅刻せずにきちんと出てくるなんて」

「え、まあ、その……暇だったんで」

「またまた~、この前もウチの座敷で千歌の手伝いしてくれてたじゃん。何度か覗いたけど、黙々と作業してたし」

 

 何度も覗いてんじゃねえよ。

 

「いつもありがとう。千歌も喜んでたよ」

「そうすか」

 

 当の本人は何故かさっきの笑顔から一転、こちらを睨んでいるんですけど……。

 

 *******

 

 その日の夜、商店街近くの特設ステージにて、Aqoursのライブが開催された。

 以前のライブと違い、今回は最初から人だかりができている。

 彼女達の

 後方で……しかし、彼女達の姿がしっかり見える位置でライブ鑑賞していると、ステージ脇にランタンのほのかな明かりで文字が作られる。

 

『Aqours』

 

 それは彼女達のグループ名。

 町の人達の協力もあり作られた特別な演出。

 今日、そこに加われた事が何故か割と嬉しかった。

 

 *******

 

 ライブ終了後、一人で余韻に浸り、ランタンが彩る通りを眺めていると、隣に誰かが並んでくる気配がした。

 目を向けると、やはり高海だった。ライブの時に付けていた髪飾りを付けたままの彼女は、清々しい表情で行き交う人々を眺めていた。

 二人してそうしていると、思ったより近かったせいか、手の甲が微かに触れ合う。

 

「あ、ごめんなさい!」

「い、いや、こちらこそ……」

「…………」

「…………」

 

 しばしの沈黙。

 このまま気まずくなるのかと思いきや、高海の方から吹き出し、空気が和む。

 

「あははっ、ねえ、比企谷さん!どうですか、内浦は?」

「……まあ、来てよかったと思うよ」

 

 俺の言葉に、高海はにっこりと笑った。

 

「じゃあ、次はここが一番って言わせてみせます!!」

「いや、それは無理だ。俺の千葉愛なめんなよ」

「むむっ……あ、そうだ!あっちから見ると、すっごい綺麗なんですよっ、ぜひ観に行きましょう!」

「うおっ!ちょっ……はや……」

 

 いきなり手を掴まれ、無理矢理走らされるが、不思議と嫌な気持ちはしない。なんかどっかから鋭い視線は感じるが。

 そんな賑やかさにまぎれて、乱暴に繋がれた手も、これまで感じた事のない胸の高鳴りを生んでいた。

 

 

 

 

 



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明日への扉 #20

「比企谷さん!東京ですよ!東京!」

「お、おう……」

 

 一瞬作品が変わったのかと思い、焦ったが、目の前にいるのは、Aqoursのリーダー・高海千歌だ。彼女はやたら興奮気味に、距離をぐいぐいと詰めてくる。朝っぱらから発情期ですか、このやろう。

 

「それで……東京がどうしたんだ?スカイツリーにでも行きたくなったのか?」

「わぁ♪確かに行ってみたいなぁ……って、そういう話じゃなくて!今度行くことになったんですよ」

「へえ……旅行でもすんのか」

「いえ、スクールアイドルのイベントに招待されたんです!この前の動画、結構再生数伸びてて……それで、イベントに出てみないかって」

「……そっか。あの動画が……」

 

 まあ、確かに演出も良かったし、見応えもあった。

 しかし、東京に呼ばれるまで話題になっていたとは……すげえな。

 

「比企谷さんは東京行ったことあるんですか?」

「まあ、千葉住んでたし、一応な。あれ、最後に行ったのいつだっけ?まあ、あれだ。電車乗り間違えないようにな」

「ふっふっふ……その心配は無用です!何故ならウチには東京から来た梨子ちゃんがいるから!!」

「お、おう、そうか……」

 

 何故そこまでドヤ顔できるかわからんが、まあいい。迷子になる心配は少なそうだ。

 すると、遠くを見つめるような瞳で、高海がぽつりと呟いた。

 

「あーあ、比企谷さんにも東京でのライブ観て欲しいなぁ」

「まあ、気が向いたらネットで観とく」

「え~!?そこは絶対に観るじゃないんですか~!?Aqoursファンクラブ会長なのに!」

「勝手な肩書きつけないようにね……」

 

 しかも会長って……なんか役職についてるし。

 高海は頬を膨らませていたが、やがて笑顔に戻り、こちらの顔を覗き込んできた。

 

「でも、比企谷さんって何だかんだ観てくれるんですよね。いつもありがとうございます」

「……いや、別に礼を言われることでもないんだが」

「また……旅館の掃除も手伝いに来てくださいね」

「おい」

 

 え、何?今の話題転換。さりげなさすぎてびっくりしてるんだけど。

 

「だって、志摩姉と美渡姉がまた手伝ってもらいたいって言ってましたもん」

「マジかよ……」

 

 あの二人、実は俺の事好きなんじゃねえの?そうか、これがモテ期か。違うだろうけど。

 

「よしっ、今日も練習頑張ろっと!この調子で廃校阻止しなきゃ!あ、比企谷さんも早く早く!バスに乗り遅れちゃいますよ!」

「へいへい……ん?」

 

 今、すごい単語が混ざってなかったか?

 

 *******

 

「ん?統廃合のこと?そだよ。まだ確定じゃないけど」

「マジか……」

「お兄ちゃん、この前晩御飯の時話そうとしたら、眠いって部屋に戻ったじゃん」

「…………」

 

 そういやそんな日あったな。親父と母ちゃんがいる時に「今日学校で話があったんだけどー」って言ってたから、まあ普通の学校生活の事だろうと思い、聞かなかったな。

 

「でも、どしたの?いきなり」

「ん?ああ、いや、何でも……」

「そっかぁ、千歌さんかぁ」

「小町ちゃん。勝手な妄想しないようにね」

「だって二人仲良いじゃん」

「いや、仲良いとかそういうんじゃ……偶然家が近いだけだろ」

「偶然家が近いだけの男子に普通は家の片付け頼まないよ。興味のない人にプライベートな空間に入ってほしくないし」

「……そういうもんか」

 

 過去の事を思い出してみると……いや、やめておこう。わざわざトラウマを掘り返す必要もない。

 

「とにかく!お義姉ちゃん候補……じゃなくて、ご近所さんと仲良くできてるのはいいことだよ!ほら、千葉にいた時はそんなのなかったし!」

「え?そうだったっけ?」

 

 小町に古傷を抉られながら、俺は東京に行く高海の事を、ほんの少し考えた。

 ……あいつ、本当に迷子になったりしないよな?

 

 *******

 

「……くしゅんっ!!」

「あら、千歌ちゃん大丈夫?」

「比企谷君が噂してんじゃないの?」

「ふぇ!?……な、何言ってんの!?美渡姉のバカっ!」

 

 



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明日への扉 #21

 それから数日後、俺は高海達が出演したスクールアイドルのイベントの生中継をパソコンで見ていた。

 だが、この前のイベントの時みたいに、楽しむだけではいられなかった。

 

「…………」

 

 別にAqoursが他のスクールアイドルと比べて、特別劣ってるとは思わない。そもそも素人の俺には専門的な事など一切わからない。

 だが、他の参加グループとAqoursには、言葉では上手く言い表せない『壁』みたいかものを確かに感じた。

 ……あいつ、大丈夫だろうか。

 頭の中で何故か真っ先に高海の顔が浮かんだ。

 

 ******* 

 

「千歌ちゃん……大丈夫?」

「…………」

「千歌ちゃん?」

「えっ?あ、ごめんごめん!大丈夫だよ!ほら、せっかくこんなおっきな会場でステージに立てたんだもん!それだけでもう満足だよ!」

「千歌ちゃん……」

「ほら、曜ちゃんもはやく行かないと。せっかく東京来たんだから楽しまなきゃ!」

「う、うん……」

 

 私は嘘をついた。

 気にしてないわけがない。

 自分達が今日最下位の評価だったなんて……。

 

「……悔しい」

 

 小さすぎる呟きは誰にも聞かれることはなかった。聞かれなくてよかった。

 ……もし、比企谷さんが聞いてたら何て言ったのかな。「まあ、仕方ない」みたいな事言うのかな……。

 何故か比企谷さんの無愛想な顔を思い出していた。

 

 *******

 

 高海達が東京から帰ってくる時間を、小町が意味深な笑みと共に伝えてきた。

 いや、俺が出迎えてどうするんだよ。間違いなく「何でお前が?」みたいな目で見られるただの勘違い野郎じゃねえか。

 とはいえ、行かないとあれこれ言われそうなので、顔見せだけすることにした。

 そして駅に到着すると、既に女子が10人くらい待ち構えていた。

 ……こりゃあ俺の出る幕はないな。

 そう結論づけて、こっそり立ち去ろうとすると、Aqoursのメンバーが出てきた。

 すぐに高海を見つけることができたのは、最近見慣れているからだろうか。ちょうど目が合い、かといって周りに人がいるせいか、どう反応していいかわからず、どちらからともなく頭を下げる。

 とりあえず……今日は帰るか。

 そう考えてから、踵を返し、角を曲がると、背後から声をかけられた。

 声だけで誰だかわかったので、ゆっくり振り向くと、慌てて走ってきたのか、少し息が荒い高海がいた。

 

「……おう」

「えっと……あの……見かけたからつい……」

「そっか」

 

 夕陽に照らされた彼女の笑顔は、どこか疲れて渇いているように見えた。

 だが、どう声をかけていいかわからず、俺はウエストポーチをあさり、目的の品を取り出した。

 

「高海」

「はい?」

 

 マッ缶を一つ彼女に手渡すと、きょとんとした瞳がこっちを向いた。

 

「あ、これ……いいんですか?」

「たまたま離れたとこにあるスーパーに置いてあったからな。まあ、何つーか……お疲れ」

「……はい……」

「……戻らなくていいのか?」

「あっ、そうだった!じゃあ、失礼しますね、これ、ありがとうございました!」

「おう」

 

 駆け出した彼女の背中はすぐに見えなくなり、その空白をしばらく見つめてから、俺は再び歩き始めた。

 

 *******

 

「あ、お兄ちゃんおかえりー。千歌さんには会えた?」

「……まあ、ちょっとだけ。結構出迎えに来てる奴多かったし」

「そっかぁ」

 

 小町と少しだけやりとりをして、部屋に戻ると、急にさっきの高海の笑顔を思い出した。

 もし何か声をかけていれば、少しはあの笑顔が明るくなったのだろうか。

 いや、そんな考え自体傲慢なのかもしれない。

 だが、その日はずっとあの笑顔が脳内での片隅に浮かんでいた。

 

 



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明日への扉 #22

 夜、俺は携帯を前に悩んでいた。

 画面には数時間前に会ったばかりの高海の名前が表示されている。

 これは出過ぎた真似じゃなかろうか。

 そもそも俺がやるべきなのだろうか。

 つーか、俺がやったところで……。

 ……いや、こんな風に考えても仕方ないことはもうわかってる。悪い癖だ。

 一旦深呼吸をしてから、ゆっくりと指を動かし、通話ボタンを押してみた。

 

「…………」

 

 8回ほど呼び出し音が鳴ったが誰も出ない。

 そのまま電話を切ると、空しい沈黙が訪れた。

 

「出ないのかよ」

 

 何だかほっとしたような……肩透かしを喰らったような気持ちだ。

 だらしなく寝転がり、天井を見上げると、少しずつ気分が落ち着いてくる。

 あれこれ考えるより先に、いつのまにか眠りについていた。

 

 ********

 

 翌朝。俺は早くに家を出た。

 もしかしたら会えるかもしれない……とか考えたわけではない。

 やたらとはやく目が覚めたので、気まぐれで散歩しているだけだ。

 まだ薄暗い道を、波音をBGMにゆっくり歩くと、それだけで癒されていく。

 だが、すぐに彼女の顔が浮かんできた。

 ……やっぱ気にしてんじゃねえか。

 すると、砂浜を歩く人影が目に入る。

 のろのろと海へ進む一つの影。

 間違いない。あれは……

 

「……高海?」

 

 まさか、あいつ……!

 嫌な想像がよぎるより先に、俺は慌てて駆け出した。

 同時に視界に見覚えのある少女が飛び込んできた。

 あれは桜内か……いや、今はそれより……!

 海面に足を踏み入れ、高海が見えなくなった辺りで潜ろうとすると、近くから彼女が跳ね上がった。

 

「ぷはぁっ……あれ?二人ともどうしたの?」

「千歌ちゃん……」

「…………」

 

 あっさり現れた彼女に、俺も桜内もぽかんとしてしまう。

 だが、彼女はそれに構わず、真っ直ぐな瞳で桜内に話しかける。

 

「梨子ちゃん!やっぱり私悔しいよ!こんなんじゃやだ!リベンジしたい!」

「……そっか。わかったわ。私だって悔しいもの」

「…………」

 

 よくわからんが、何やら解決したらしい。

 あとは若い二人で……みたいな気分でその場を離れようとすると、高海の視線がこちらに向いた。

 

「そういえば、比企谷さん。どうしたんですか?こんな朝早くに……」

「……いや、別に」

「千歌ちゃんが心配で来てくれたんですよね?」

「…………いや、別に」

「違うんですか?」

 

 そんなまっすぐ見るんじゃねえよ。特に上手いことは言えねえよ。

 俺は首筋に手を当て、踵を返した。

 

「……まあ、あれだ。一応応援してるからな。元気そうならよかった。じゃあな」

「あ、待ってください!」

「?」

「えいっ」

 

 いきなり水をかけられた。

 高海の表情はわかりづらいが、何故か笑っている気がした。

 

「おまっ……いきなり……」

「えいっ!えいっ!…………う」

「?……なんか言ったか?」

「何も言ってないです!えいっ!」

 

 やたら嬉しそうで、それでいて容赦ない水かけ攻撃はその後もしばらく続いた。

 のんびりと散歩をするつもりが、予定よりかなり賑やかな早朝。

 こんな朝は初めてかもしれない。

 気づけば朝日が現れていた。

 

 



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明日への扉 #23

「比企谷さーん!!」

 

 やめて!大声で名前呼ばないで!

 冒頭から元気な高海は、たたたっと駆け寄ってきて、隣に並んだ。

 

「おはようございます!」

「……おう」

 

 そのまま並んで歩くが、なんかむず痒い。

 普段なら耐えられる沈黙にも耐えられそうもないので、俺から口を開いた。

 

「……もう、大丈夫そうだな」

「はいっ。心配かけてごめんなさい」

「気にしなくていい。それよか、またライブはやるのか?」

「もちろんです!絶対に観に来てくださいね!」

「お、おう……」

 

 その勢いに気圧されていると、高海が正面に立って、じっと見つめてきた。

 

「…………」

「……どした?」

 

 何を言われるのかと緊張していたら、高海はそのままぷいっと顔を逸らせた。

 

「な、何でもないです!さあ、行きましょう!」

「そろそろ別れるんだが……」

 

 ********

 

「おっはよー、千歌ちゃん!」

「あ、おはよう!」

「あれ、どうしたの千歌ちゃん?顔赤いよ?」

「えっ?……あはは、何でだろ?」

「…………」

 

 ********

 

 

「っ!?」

「比企谷くん、どしたー?」

「……いや、何でもない」

 

 なんだ、今の悪寒は?

 チャラいクラスメートから心配されるくらいには震え上がったぞ。てかこいついい奴だな。チャラいけど。後で礼くらい言っておいたほうがいいかもしれない。

 

「そういやさ、比企谷くん。Aqoursって知ってる?」

「ん?ああ、なんか聞いたような……」

「いや俺さー、最近ハマっちゃってさー、誰推しか決めかねてるんよー。比企谷くん、俺高海さんと桜内さんどっち推しになればいいかなー?」

「……桜内、じゃないか?」

「よしっ!そうするわ!」

 

 とりあえず、礼を言うのはやめておこう。いや、特に意味はないんだけど。

 

 ********

 

 翌日、休みということもあり、知らない所を散策しようと近くの山を登ってみた。なかなか急な階段をしばらく登っていると、結構いい眺めなのに気づく。

 船が沖へ出ていくのを見届けると、ざっざっと変わった足音が聞こえてきた。

 ……な、何だ?何かいるのか?

 さすがに熊とかではないだろうと思いながら、音のしたほうに足を向けると、そこには……

 

「っ!?」

 

 ********

 

「ち、千歌ちゃん、果南ちゃんはやすぎない?」

「そ、そうだね……はあ、はあ」

「そういえばさ、千歌ちゃん……」

「なぁに?」

「……ううん、何でもない」

「?」

 

 曜ちゃん、どうしたんだろ?

 あ、もう少しでゴールだ!

 話は後で聞こうと思い、気合いで階段を駆け上がる。

 すると、そこには……。

 

 

 

 

 



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