ルイズと幻想郷 (ふぉふぉ殿)
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幻想入り

ルイズの幻想入りです。しばらくは幻想郷の生活が続きますが、やがてハルケギニアに帰ります。


 

 

 

 

 

 今までにない爆発が起こった。

 

 何回目だろうか。進級のための条件の一つ”サモン・サーヴァント”を唱えたのは。そして何回目だろうか。いつものように失敗の爆発となったのは。その度にルイズへのヤジとからかいの声が飛ぶ。魔法が使えない彼女へのいつもの言葉。それでも、ルイズはそんな同級生達の罵声にもめげず繰り返した。そしてまた爆発。

 

 だが、今のは違う。何かが。そんな予感がルイズに走っていた。爆煙で辺りがまるで見えないが、この煙の向こうにそれはあると。

 

 やがて煙が晴れてきた。そしてルイズの目に入ったのは……三人の少女だった。

 

(やった!成功した!召喚できた!)

 

 思わず叫びそうになる。顔が自然と崩れる。ただ、よく見えてきたその姿。そこにいた少女達だった。しかも奇妙な格好をした。

 一人は、おとぎ話のメイジのような、白黒のコントラストのハッキリした服にやけに大きな帽子をかぶっている。その隣にいるのは、紫基調の寝巻きを着ている少女。ナイトキャップまでかぶったその顔は、どこか眠そう。そして最後の一人は比較的まとも。かわいらしくまとまった服装に赤いカチューシャをした金髪の少女。どちらかというと平民の豪商の娘と言ったふう。

 

(人間?人間を召喚しちゃったの!?それにしても、まとまりがないわね。別々の所から召喚しちゃったのかしら?)

 

 ルイズはそんな事を考える。

 

 そして完全に煙が晴れた。その時、彼女は信じられないものが目に入る。

 聳え立つような本棚、本棚、本棚。それにギッシリつめられた本、本、本。

 

(え!?と、図書館!?もしかして図書館を召喚しちゃったの?何よそれ!?あ、もしかしてこの三人は司書とか?いえ、利用してただけだったのかも……。でも困ったわね。コントラクト・サーヴァントする時どうすればいいのかしら?図書館の口ってどこ?入り口?床だったらやだなぁ……)

 

 アチコチを見ながら、ただただ唖然としていた。

 ふと気づくと、おとぎ話の白黒メイジが、こちらを見て近づいてくる。そして難しい顔をして一言。

 

「パチュリー……。失敗したんじゃねぇの?」

 

 すると紫寝巻きが、視線をこちらに向ける。相変わらず眠そうな目で。

 

「悪魔ダゴン……には見えないわね」

 

 そして最後に、三人の真ん中にあったテーブルの椅子にもたれかけていた、カチューシャ金髪少女が口を開いた。

 

「私の担当分はしっかりこなしたわよ。魔理沙がまた変なアレンジしたんじゃないの?」

「アリスなぁ……。変な言いがかりするな。今回はちゃんとやったぜ」

 

 何故か自信ありげな魔理沙と呼ばれた、おとぎ話白黒メイジ。

 その隣ではパチュリーと呼ばれていた紫寝巻きが考え込んでいた。手元にある本をめくる。

 

「う~ん……。それじゃあ、魔導書の方が間違ってるのかしら。こあ、ちょっと来て」

 

 彼女は二階に向かって声をかけた。すると本棚の隙間から人影が現れる。いかにも司書ですと言いたげなフォーマルな姿が。だが、その姿にルイズは目を剥く。背中に羽が生えていたのだから。

 

(翼人!?翼人がいる!なんで?でも変な羽。こうもりみたい。あ!そう言えばさっき魔導書がどうとか言ってたわ。もしかして彼女たちメイジ!?まさか翼人を使い魔に?でもマントが……。どこかに置いてるのかしら?)

 

 そんなルイズを他所に、こあと呼ばれた翼人がパチュリーの側まで飛んでくる。

 

「この子が、悪魔ダゴン?」

「いえ、違うと思いますよ。とても悪魔に見えません。妖気も感じませんし」

 

(また悪魔って、さっきから人を何だと思ってるのよ。いい加減にしなさい!あんた達は……)

 

 そこまで思って、ようやく気づいた。

 声が出ないのだ。それ所か、体もまるで動かない。サモン・サーヴァントをした姿勢のまま固まっている。

 

(え!?何!?ど、ど、どういう事?)

 

 いやな予感が、ルイズの脳裏をかすめる。

 

(ま、まさか……。私が図書館を召喚したんじゃなくって、召喚されたのは私の方……)

 

 背中に冷や汗が流れる感触が伝わる。そして決定的一言が。

 

「どうも、今回の召喚は失敗したらしいわね」

 

 パチュリーはそう言った。確かにルイズの耳にも聞こえた。

 

(な、何!?召喚って?なんで私が!?も、もしかして、彼女達……ゲルマニア辺りの貴族の不良娘で……禁忌を犯そうとして失敗したとか?なんでそんなとばっちり私が受けないといけないのよ!)

 

 叫びたくてたまらないのだが、声がまともに出ない。できる事はせいぜい目を動かす事と息をする事だけ。精一杯の抵抗で、ギリギリと歯軋りだけはできたが。

 やがて三人はテーブルに置かれた本の山や図面と睨めっこしだす。ルイズの事など興味がないかのよう。怒りが沸々と沸いてくるがやっぱり何もできない。

 だが、ふとそれが目に入った。足元の円形の図形。それが淡い光を浮き上がらせていた。

 

(何?これ?もしかしてこのせいで私動けないのかしら?そうね、そうに違いないわ。なら、これを壊せば……)

 

 幸い杖は持っていた。サモン・サーヴァントの状態のままだからだ。魔法は使えないが、失敗魔法の爆発なら床を吹き飛ばすくらいなんでもないだろう。だが肝心の声が出ない。声が出なければ失敗も成功もない。

 

(なんとか……なんとか……)

 

 思いついた魔法を片っ端から、声に出してみようとする。うまくいかない。そんな時、学院の事が頭をよぎる。

 

(もし進級できれば最初の授業は土系統だったっけ。錬金の魔法やるかも……)

 

 なんて事を思っていた。ふと、錬金の詠唱が頭に浮かぶ。そして声を絞りだす。強引に唱える。すると彼女にとっては聞き慣れた爆発音が起き、同時に足元が吹き飛んだ。

 

「やった!」

 

 ようやく声が出た。体も自由。爆発の反動で吹き飛んだが、そんな事、気にもかけない。すぐに頭を切り替える。目の前の三人が、一斉にルイズの方を向いていた。

 その隙間からティーカップが一つ見えた。すばやくまた錬金を詠唱。ティーカップは爆発。煙が辺りを覆い隠した。

 ルイズはすぐに立ち上がると、踵を返す。そして目の先の扉に向かって走りだした。

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 魔理沙はそう吐き捨てると、左手を伸ばす。そこに吸い寄せられるように、どこからともなく箒が飛んで来た。手にした瞬間またがり、宙に舞う。

 

「待ちやがれ!」

 

 ズドンという音でもしそうなくらいな勢いで、ルイズを追った。飛んでいった。

 

 一方、パチュリーとアリスはその場に佇んでいた。しばらくしてパチュリーが吹き飛んだ床の周りに魔法陣を描く。そしてブツブツと呪文を唱えた。詠唱が終わると、魔法陣が淡く光りだす。するとバラバラに散らばった破片が、動画の逆回しのように元へと戻りだした。そして止まった。だが、元に戻りきれていない。彼女はその床を見つめ難しい顔。次にティーカップに対しても同じ事をする。やはり結果は同じ。パチュリーの表情はさえない。

 こあが不思議そうな顔でたずねてきた。

 

「どうされたんですか?」

 

 だが使い魔の質問にパチュリーは答えない。代わりという訳ではないがアリスが口を開く。

 

「戻ってないわね」

 

 それに、ようやくパチュリーが返事をした。

 

「そうね」

「どういう事?」

「ちょっと考えたくない可能性を思いついたのだけど」

「何よ。言ってみなさいよ」

 

 アリスは半端に戻ったティーカップに触れながらそう言う。

 

「何でも爆発させる程度の能力……」

 

 パチュリーから出たそんな一言。二人は目を丸くする。

 

「破片が一部消失してるわ。しかも床とティーカップは構成物質が違う。床やティーカップそのものが爆発したのよ。確証がある訳じゃないけど、想定はできるわ」

 

 それを聞いたアリスは思わず声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。それってフランドールの……」

「そうね。類型の能力かもしれないわね」

「…………。魔理沙、探してくる」

 

 アリスはそう言うと、出口へ向かって飛んでいった。その後ろ姿をパチュリーは、やはり難しい顔で見つめていた。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 ルイズは汗を拭きながら呼吸を整える。どうやらうまく逃げおおせたらしい。すぐに追われるかと思われたが、後をつけている者はいなかった。

 さっきの図書館は地下にあったようで、彼女は階段を駆け上がると1階の窓から外に出る。

 

「それにしても悪趣味な館ね……。どういう好みしてんのかしら?」

 

 無理もない。目に入るものは赤、赤、赤ばかりなのだから。床も廊下も、館の外の壁もみんな赤。目にやさしくない。

 ともかく今は逃げる事が最優先。禁忌を犯そうとするような連中だ。捕まったら何されるか分からない。体に喝を入れると、ルイズはさらに先へ進んだ。

 

 ところで魔理沙だが、ルイズを見失っていた。図書館を出た直後、彼女と反対側へと飛んでいってしまったからだ。勝手知ったる他人の家。知らず知らずに正面玄関への最短距離を進んでいた。だが、なんだかんだで広いこの屋敷。一旦見失うと見つけ出すのはなかなか難しかったりする。

 

 しばらく進んだルイズだが、この敷地から出られそうになかった。屋敷をぐるりと囲んだ壁には、出入り口が見当たらない。もっとも、屋敷を一周した訳ではなく、とりあえず人影のない所にはだが。そして壁は高く、とてもじゃないが越えられない。普通のメイジならフライで飛べば問題ないが、魔法の使えない彼女には無理。

 見上げた壁の向こうに空が覗く。やや淡い緋色が差していた。日が傾きかけている。ふと、夜まで待つという事も考えたが、とにかくこの場から離れたい。

 となると方法は一つ。また吹き飛ばすしかない。ただ不安なのが、爆発音で居場所が知られてしまうかもしれない事。

 

「でも、仕方ないわ。こんな所いられないわよ!」

 

 目の前に聳え立つ壁。ルイズは大きく深呼吸した。詠唱を口にする。図書館の時よりはるかに大きな爆音、そして爆煙が上がった。

 

 

 

 

 

「ん……何よ……うるさいわねぇ」

 

 もぞもぞとベッドの中から起き上がる少女が一人。やけに白い肌に短めの淡い青の髪。その背中にはこうもりの羽が生えていた。

 

「咲夜!咲夜!」

 

 そう声を上げると、いつのまにか側に銀髪の若いメイドが立っていた。それはこの館のメイド長。メイドの長らしい洗練された立ち姿があった。でも柔和な笑顔を浮かべている。

 

「おはようございます。レミリアお嬢様」

「何?あの音。起きちゃったじゃないの」

 

 日が傾きはじめたというのに、起きちゃったというレミリア。別にぐーたらという訳ではない。これが普通。彼女は吸血鬼なのだから。しかもこの屋敷、紅魔館の主でもある。

 主の疑問に、咲夜は思いつく答えを一つ。

 

「パチュリー様達が、図書館で何か実験をなされていたようですから。その音ではないでしょうか」

「でも、なんか外の方からしたわよ」

「分かりました。様子を見てきます」

 

 そう答えると、またいつのまにか彼女は消えていた。

 

 

 

 

 

 咲夜がようやく音の発信源を見つける。だがそこには三人の姿があった。魔理沙、アリス、パチュリーの魔法使い達。そして壁の大穴。どうもこんな所で実験し、失敗して大穴を空けたらしい。彼女はあきれた顔でそう思った。

 

「どうされたんですか?パチュリー様」

「あら、咲夜」

「できればこんな所での実験は、避けて欲しかったんですけど」

 

 咲夜は、大穴を見てそう言う。だが魔理沙がそれを否定する。

 

「空けたのはわたし等じゃないぜ」

「じゃ……誰が……」

「召喚実験をしててさ。失敗して違うの呼んじゃったんだよ。それが逃げ出してな。そいつの仕業」

「…………」

 

 咲夜は憮然として腕を組む。やってしまったらしい。この魔女三人は。もしかして、後始末に駆り出されるかもしれない。そんな嫌な予感が彼女に浮かんだ。

 だがそれをパチュリーが翻す。

 

「安心して。始末はこっちでつけるから」

「…………。それで何を召喚してしまったんです?」

「人間よ。ただ魔法が使えるみたいで、油断した隙に逃げられたの」

「そうですか。分かりました。とりあえずお嬢様にはそう伝えます。では失礼します」

 

 ペコリと軽く頭を下げると、もう次の瞬間には咲夜の影も形もなくなっていた。しかしこれもここでのいつもの事。

 しばらく黙っていた三人だが、魔理沙が口を開く。

 

「パチュリー。人間って、まだ何も分かってないだろ」

「でも、そう思ってんじゃないの?」

「……まあな。こあも妖気を感じないって言ってたしな」

「アリスは?」

 

 話を振られた彼女も頷く。ついでに疑問を一つ。

 

「だけど、どうやって逃げたのかしら」

 

 アリスはしゃがみこむと、壁の大穴を覗き込む。大穴の側までは足跡があるが、その先にはない。ここを潜ったなら当然先にもあるはずだが。そんな疑問に魔理沙が答えた。

 

「外に出てから飛んだんだろ?」

「その外に出た最初の一歩の跡がないのよ」

「足が地に着く前に飛んだんだよ」

「そう考えるしかないのだけど……」

 

 と、答えたもののアリスはどこか腑に落ちない。ちなみにこの館は結界が張られており、飛べても簡単には壁を越えられない。唯一結界がないのが正面門。しかしそこには常時門番がいる。もっとも、その門番が頻繁に突破されているのだが。

 やがてパチュリーが別の回答を出す。

 

「スキマ妖怪みたいに、空間を渡る事ができるのかもしれないわ」

「それなら穴、空ける必要ないんじゃない?」

「結界を破る必要があったとか」

「考えられなくはないけど……」

 

 しばらく黙り込んだ後、アリスはすっと立ち上がる。そして、振り返った。

 

「で、どうやって捕まえるの?」

「人間なら簡単でしょ。飲み食いしないといけないから、必ず騒ぎを起こすわ。それまで待つ」

「もうすぐ日暮れよ。妖怪に襲われるかもしれないわよ」

「それならそれで騒ぎになるでしょ?それに、あんな能力持ってるのよ。そう簡単には死なないでしょうし」

「そうかもしれないわね」

 

 パチュリーの言葉に頷く。

 一通り話が済むと魔理沙は箒に跨った。後ろからアリスの声がかかる。

 

「帰るの?」

「いや、飛び回って探してみるぜ。待つのは性に合わないからな」

「そ。でもまだ推測ばかりよ。油断はしない事ね」

「おう!」

 

 返事と同時に箒が浮き上がる。そしてまたズドンという音がしそうなくらいの急加速で飛んでった。

 

「相変わらず、慌しいわね。また馬鹿やらなきゃいいけど」

「アリスも相変わらず魔理沙の事、気にかけてるのね」

「……。面倒事持ってこられるのが困るだけよ」

「はいはい」

 

 涼しい顔で館に戻るパチュリー。その後を2、3言漏らすアリスが続いた。

 

 

 

 

 

 ごそ。

 

 花壇の隙間から何かがニョキっと現れた。ピンクブロンド頭の小さな姿が。

 

「え……ここどこ?」

 

 背中をさすりながら、ルイズは辺りを見回す。

 すっかり日の落ちた闇夜の中に、うっすらと高い壁が見えた。そこに大穴が開いている。

 

「えっと……あ!」

 

 ようやく何が起こったかを思い出す。訳の分からない連中に召喚された事も、そこから逃げ出した事も。そして、壁に穴を開けようとした所までは覚えている。しかしそこからが分からない。何故ここで寝ていたのか。

 

 実は気合を入れた爆発が大きすぎ、ルイズは吹き飛んでいた。その先がたまたま花壇の隙間で、後から来たパチュリー達に見つからなかった訳だ。足跡が壁の先になかったのも当たり前。逆方向に吹き”飛んだ”のだから。そして今までずっと気絶していた。

 

 ルイズは周りに気配がない事を確認して立ち上がる。気絶していたのにも関わらずずっと見つからなかった。まさに幸運。しかも目を覚ますと誰もいない。二重のラッキー。ここを逃す手はない。彼女は急いで大穴へ向かった。速めの忍び足で。

 

 

 

 

 

「まったく……」

 

 ようやくルイズは一息つく。後ろにはなんとか逃げ出した紅い館があった。それもかなり小さくなっている。ここまでくればとりあえず安心。彼女はそう思った。そして空を見上げる。空なんてしばらく見てなかった気すらする。そこには広がる満天の星空と、昇ってきたばかりの月があった。

 一つだけ。

 

「えっ?」

 

 目をこする。だが月は一個。もう一度こする。しかし月は一個。

 

「ど、ど、どういう事よ!?なんで月が一つしかないのよ!?」

 

 何故、何故、何故?

 ルイズの頭の中をその言葉がずらずらと続く。だけど答えは出てこない。

 呆然としたまま前を向く。目に入るは大きな湖。だけ。明かりも何もない。人が住んでいる様子がまるでしない。いや、一応ある。さっきの紅い館に。

 

 実は夢。

 

 そんな事をついつい考えてしまうほど絶望的な状態。

 一瞬戻ろうかと考えるが、あの三人組の顔が浮かぶと、慌てて首を振る。しかし他に何も浮かばなかった。

 ルイズはとぼとぼと湖の縁を進みだす。当てなどなく。

 

「あたしの縄張りに入ってくるなんていい度胸ね」

 

 突然上から声がした。見上げた視線の先に一人の女の子が浮いていた。青い髪に青いワンピース、そして不敵な笑顔。そんな彼女の背中には、氷のような形の六つの羽があった。

 

「よ、翼人!?また?ここって翼人の国なの?でも、こいつも変な羽ね」

 

 ルイズが少々呆れ気味にこぼす。だが、相手はまるで気にしてない。

 

「ここ通っていいのはさいきょーのあたしだけよ」

「は?何言ってんの?」

「あたしに勝てたら通してあげるわ」

「訳わかんないわよ!私はあなたと戦うつもりなんてないの。もういいわ、他の所に行くから」

 

 翼人の少女に背を向ける。目的があって進んでいた訳ではないのだから。トラブルなんてごめんだった。

 だが、やっぱり空飛ぶさいきょーはそれを無視。

 

「あ、逃げる気ね。ひきょー者!」

「な、なんですって!」

 

 と、ルイズは激高して振り向く。だがその視線の先にはなにやらカードを一枚、高々と上げた少女があった。

 

「一枚目!氷符『アイシクルフォール』!」

 

 青色ワンピースの周りに白いものが広がった。そこから何かが向かってくる。

 

「こ、氷!?」

 

 言葉通り、氷だった。無数の氷が秩序だって向かってきた。

 ルイズは転びそうになりながら逃げ出す。確かに、氷を打ち出す魔法はある。だがこの翼人の魔法は、それがいつまで経っても終わらない。

 

「何こいつ!?空飛びながら魔法出してる!先住魔法!?じょ、冗談じゃないわよ!」

 

 なんとか氷を避けようと、側の森へと走り出す。そして滑り込むように森へと入った。氷の群れは木々が盾となってなんとか防いでくれる。

 

「ずるいぞー。ちゃんと避けなさいよー」

 

 森の向こうでは、翼人が何か叫んでいた。言っている事がさっぱり分からないが。

 木の陰に隠れながら様子を窺う。相変わらず氷が舞っているが、思ったより威力はないらしい。木で簡単に防がれた。見掛け倒しか。なんて考えが浮かぶ。やがてルイズは杖を取り出した。そして狙いをつけると……ファイヤーボールを唱えた。

 翼人の側で爆発が起る。彼女が落ちていく、攻撃も止まった。

 

「やった!」

 

 ルイズは小さくガッツポーズ。

 だが、その落ちていく少女を見て、呆然とした。左腕がない。爆発で吹き飛ばしたらしい。しかし彼女をそこまで傷つけるつもりはなかった。

 

「え!?脅かすだけだったのに……」

 

 顔が青くなるルイズ。

 だがさらに驚く事が起こる。

 なくなったはずの翼人の左腕が、みるみる内に元に戻っていく。

 

「えっ!?えっ!?えっ!?」

 

 もう訳が分からない。

 そして地面に着く頃には何事もなかったように、元通り。翼人は左拳を握り締め怒りを露にしていた。

 ルイズは顔面蒼白。さっきの苛立ちはどこへやら。もう、文字通り逃げるように森の奥へと駆け出すだけだった。

 

 

 

 



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逃げられなかった

 

 

 

 

 

 ルイズは木にもたれかかる。中天には相変わらずたった一つの月が浮かんでいた。

 

 三人のメイジ。紅い館。一つの月。片腕が吹き飛んでもすぐに回復する翼人。

 頭に浮かぶ全てが訳が分からない。理解しようと頭を回すが何も出てこない。なんだか涙が滲み出てきた。

 

「迷子なのかー」

 

 声がかけられた。後ろから。

 思わず翻るルイズ。

 そこにいたのは赤いリボンをつけた金髪のかわいらしい女の子。ただし、宙に浮いていた。何か嫌な予感に襲われる。恐る々返事をしてみた。

 

「な、何?」

「迷子なのか?」

「えっと……まあその……。ひ、人のいる所知らない?」

「人里?」

「ひとざと……って何?」

「知らないの?」

「う……うん」

 

 ルイズは小さく頷く。

 すると何も考えてないような少女の顔が、ニヤっと不気味な笑顔を作った。

 

「外来人なのかー」

「えっ!?」

「食べていい人類なのかー」

 

 笑っていた口元がさらに開く。そこから覗いた真っ白な歯に、何故か寒気がした。

 

「いただきまーす」

 

 金髪リボンの少女は口を大きく開けると、ルイズに向かって飛んで来る。慌てて、それを避ける。少女は歯をむき出しなまま、後ろにあった木に激突。いかにも痛そうに見えた。なんと言っても歯から突っ込んだのだから。

 だが、まるで堪えた様子がない。それどころか幹をかじり取ってしまった。

 綺麗な歯型が残った木。その跡を見てルイズには言葉がない。人間が木をかじり取るなんて無理だ。それをあっさりやってのけたこの少女。

 

「人間じゃない……。亜人……!?」

 

 のどが渇いてくる。体中から汗がにじみ出てくる。脳裏に『危ない』の言葉が連なっている。

 

「ぺっ。まずーい」

 

 金髪リボンは木片を吐き捨てると、何事もなかったように立ち上がった。そしてくるりと振り向く。真っ赤な双眸がルイズへ向いていた。

 脱兎。

 慌てふためいて反対側へ駆け出す。このままでは必ず死ぬ。絶対死ぬ。もう逃げるしかない。

 

「逃がさないよー」

 

 後ろからそんな声が聞こえてくる。だが、走る。とにかく走る。

 しかし、何故か視界が狭くなりだした。

 

「えっ!?何?見えない?月に雲がかかった?なんでよ、こんな時に!」

 

 ルイズは自分の不運を呪う。だが、何か違う。むしろ黒い霧にでも包まれていっているような……。それも背後から。いやな予感が走った。やがて全てが真っ黒となる。

 

「あっ!」

 

 何かに躓いて倒れる。見えないせいで何に引っかかったのすらもさっぱりだ。しかしなんとか立ち上がり、足を進めようとする。だが、分からない。どこへ進めばいいのか。

 

「だから、逃がさないっていったでしょ」

 

 声が近い。あの少女の声が。そして気づいた、彼女の仕業だと。しかし、こんな魔法聞いた事がない。見えなくなる魔法なんて。得体の知れない状況に置かれて、ますます混乱しだすルイズ。そしてまたあの声が、すぐ側で聞こえていた。

 

「いただきまーす」

 

 頭の中が真っ白になる。

 その時、閃光が目に映る。爆発だった。どうやら思わず杖を振っていたらしい。ロックの魔法か何かを唱えたのだが、よく覚えていない。

 するとさっきの気配が消えていた。あの少女の気配が。辺りも静かになる。ルイズはゆっくりと辺りを見回す。視界が晴れていた。

 

「えっ!?何?もしかしてやっつけた?」

 

 ふと、木の側で倒れている姿に気づいた。あの金髪リボンの少女に。目を凝らしてみるとどうものびているらしい。ルイズは一息零す。そして、気づかれないようにそこから離れていった。

 

 それにしても、また失敗魔法に救われた。むしろ失敗魔法が爆発でよかったとすら思う。これがディテクトマジックみたいなのとかだったら、死んでいた。役に立つとは受け入れたくないが、少なくともこれは武器になる。ルイズはそうかみ締めていた。

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が経ったのだろうか。あれほど真っ白だったシャツは泥だらけ。マントは所々破れていた。そのピンクブロンドの髪も木屑や土埃にまみれている。無理もない。あれから訳の分からない妖魔に襲われ続けたのだから。それどころか獣にも襲われた。その度に失敗魔法で撃退したが。

 

「なんなのここは!?妖魔だらけじゃないの!」

 

 確かに夜の森にいれば妖魔に襲われる事もあるかもしれない。だがここは数も種類も尋常ではなかった。生きているのが不思議なくらい。しかし切り抜けた。なんとも言えぬ逞しさ。

 

 だが安心する余裕はなかった。さらなるピンチが、訪れようとしていた。新たな妖魔が現れたという訳ではない。簡単に言えば、お腹が減っていた。ルイズは召喚されてからずっと飲まず食わず。そんな状態で、逃げ回っていたのだから。体力に余裕がなくなるのも当たり前。しかも魔法を使いすぎて、精神力もかなり厳しい。

 

「まずいわね。ちょっとくらくらしてきたわ」

 

 のどを癒そうとつばを飲み込む。だが気休めにもならない。どこまで行っても森、森、森。一向に終わる気配がない。完全に遭難している。このまま死……。そんな言葉すら浮かんでくる。

 

 その時だった。ふと視線の先に淡い光があった。赤い光が。自然の光ではない。人工的なものに見える。

 

「うそ!誰かいるの?」

 

 くらくらしながらもルイズはその赤い光に吸い寄せられるように、足を進めだした。

 

 だんだんと光が近づいてきた。ルイズは確信していた。あれは人の作った光だと。それだけではない。なんとも得も言われぬいい匂いがしてくる。食べ物だ。間違いない。いままで嗅いだことのない匂いだが、こんないい香りが食べ物じゃないはずがない。

 

 残った力を振り絞って森を進む。そしてようやく森が途切れた。開けた場所にたどり着いた。というよりはちょっと広めの道があった。その先に見えるもの。粗末な小さい小屋。どう見ても人が作ったもの。そこにやけに大きいランプがぶら下がっていた。赤い光の正体はそれだった。そしてあのいい匂いもそこからしている。いつもなら気に止めないそんなもの。でも今は、始祖ブリミルが光臨したかのような神々しさを感じていた。

 

「助かった……」

 

 なんだか自然と涙が溢れてくるルイズ。

 

 少し早足で小屋へと近づく。そしてその中の人影に気づいた。命が繋がった。そう思った。

 だが。

 足が止まる。人影の姿がよく見えるようになって。素朴だが見たことない格好をしたその人物は、伸びた長い変な耳と背中に羽を持っていた。とても人間には見えない。小声でこぼす。

 

「え!?またなの!?なんなのよ!それになによあれ?エルフと翼人のハーフ!?」

 

 絶望的。ここまで来て。こんな目に合うとは。歓喜の涙は悲しみの涙に変わる。そして小屋に背を向けようとした。

 だが彼女の空腹も体力も限界だ。これ以上は本当に死ぬ。だが進む先には、先住魔法を使う亜人の掛け合わせ。行くも地獄、戻るも地獄。すでに背水の陣。やがて懐から杖を取り出した。

 

 

 

 

 

 和服姿の少女が、ぱたぱたと炭を団扇で仰ぐ。その上には網にのったヤツメウナギの開きがあった。

 今日の仕事も終わり、ミスティア・ローレライは晩飯を作っていた。この小さな小屋、いや屋台で食事を取るのは長らく続けてきた日常。というのも彼女はこの屋台、ヤツメウナギ屋の店主なのだから。

 元々は焼き鳥や撲滅のために始めた仕事だが、最近では仕事自体が楽しくなっていた。そして地道な努力の甲斐あって、妖怪にも関わらず、近々人里に店を出す事が決まっている。焼き鳥屋の総本山へ突入だ。店構えをどうするかなんて事を想像しながら、タレを塗っていた。

 

 ふと、視界に人影が入る。

 少女が立っていた。なんか泣き顔で。

 

「ん?どうしたの?こんな時間に。もう人里の門、閉まっちゃったわよ」

「そ、それをよこしなさい!」

「は?」

 

 なにやら小さな棒を向けて怒鳴っている。

 それにしてもなんでこんな時間に女の子が?これでは妖怪に食べられても文句は言えない。不思議に思っていると、それに気づいた。格好が奇妙なのだ。とても人里の住人に見えない。一瞬妖怪かと思ったが、まるで妖気が感じられない。

 

「そっか。あんた外来人ね」

 

 外来人。外から来た人。

 この世界、幻想郷に迷い込んできてしまった、幻想郷外の住人の事を言う。ほとんどが人間だ。しかもその人間は大抵、妖怪の食事と化してしまう。生き残り、元の世界に戻るのはまれだった。

 もっとも当のルイズには、その意味を考える余裕なんてまるでなかった。

 

「訳分かんない事言わないで!」

「迷った外来人なんて捌いてもいいんだけど、今私大切な時期なの。トラブル起こしたくないのよ。ここ道なりにちょっと進むと大きな門が見えるから。外来人って言ったら、なんとかしてくれるわ」

「いいからよこしなさい!」

「あんたね、人が親切に…………」

「うるさい!」

 

 言葉が通じない。というかなんかテンパッている。もっとも、ここに来た連中が、大なり小なりこんな感じになるのは仕方がないが。にしても、いつまでも付き合ってはせっかくの食事がまずくなる。

 ミスティアはちょっと脅かしてやろうかと思って、焼く手を止め、頭から手ぬぐいをはずし、緩んだたすきを締めなおす。そして光弾を一発浮かび上がらせた。

 すると突如、頭の上から爆発音。思わず見上げた先に屋根がなかった。

 

「あーっ!な、なんて事すんのよ!」

「今度変な事したら、この小屋ごと吹っ飛ばすわよ!」

「な……!」

 

 なんかマズイ。この能力。どうもただの外来人ではないらしい。魔法使いかもしれない。しかも凶暴な。

 たぶんここでのルールなんて知らない。まともに戦ったら下手すると死ぬかも。彼女の顔から余裕が消える。血の気が引いていく。

 

「わ、分かったから、ちょ、ちょっと落ち着きなさいって」

「ぐぐぐぐ」

 

 まるで獰猛な野犬。手に負えない。

 ミスティアは屋台からそっと出ると、後ずさるように離れていく。そして慌てて飛んでった。

 

 

 

 

 

 ルイズの視界から変な格好のエルフと翼人のハーフが消える。緊張がふと解けた。そして一息漏らす。もう次の瞬間には、鼻腔を刺激する匂いに気を取られていた。

 さっそく小屋に突入。焼いている途中と思っていたそれには、十分火が通っていた。ただその焼いていたものにちょっと引く。

 

「何これ?蛇?」

 

 だがそんな事言ってられない。もう体力は限界であり、そしてこの匂いには購いがたいからだ。フォークもナイフもなかったが、適当にあった棒でなんとか皿に乗せ、ほおばった。

 うまい。本当にうまい。体に染み渡る。

 こんな食べ物があるなんて。生きている事に感謝。涙を浮かべて。なんだか今日は、泣いてばかりだなんて事を思った。

 

 ちょっと余裕が出てきたのか、他にも食べ物がないか探す。下の棚に、野菜の保存食らしきものを見つけた。ちょっとかじると少ししょっぱい味。だが、この蛇みたいなのは甘い味付けなので、いいコントラストだった。そしてもう一つに気づく。大き目のビンが置かれていた。蓋を開けてみるとなんともいい香り。アルコールだった。コップを探しだすと、一杯注いだ。ためしに一口飲んでみる。透き通ったようなほのかな甘さ。生まれてはじめて飲むが、癖になりそうな味だ。そしてまた一杯注ぐ。

 いつのまにやらルイズは、大切そうにしまっていたビンを空にしていた。

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 まぶたの隙間から微かに明かりが入ってくる。

 

「朝……?」

 

 ゆっくりと体を起こすと、寝ぼけ眼に入ったのはまずベッドだった。おかしい、ベッドに入った記憶がない。さらに自分のベッドでないのも確か。いったい昨夜は何を……。

 そして思い出した。酷い目にあった昨日の事を。

 今まで生きていて一番酷い日だった。使い魔召喚の儀式のはずが、なぜか変な三人のメイジに召喚されてしまう。そこから逃げ出したのはいいものの、その後も妖魔に追いかけられまくって散々だった。最後は強盗まがいな方法で食事を取るハメに。そしてそこまで覚えている。だが、そこから分らない。やっぱり寝てしまったのだろうか。だが、あのボロ小屋で横になったはず。少なくともベッドの上ではない。

 

「目が覚めました?」

 

 ふと横から声がした。目をこすりながらそっちを向く。ぼやけていた視界がはっきりしてきた。そしてそれがいた。

 

「よ、翼人!」

 

 まさしく召喚された場所で見た、あのこあと呼ばれていた翼人だった。ルイズはすぐに理解する。連れ戻されたのだと。あの小屋で寝てしまったのがまずかったと。慌てて杖を探す。

 しかし、辺りを見回すが何もない。それどころか服装が変わっていた。染み一つないナイトウェアに。つまり元からあった自分のものは、この身一つ。これでは失敗魔法すらできない。打つ手なし。逃げるにしても、二度目はないだろう。ルイズはベッドの上で、ジリジリと後ずさりするしかない。

 しかし、そんな彼女の様子なんて気に留めず、こあは丁寧に話かけた。

 

「ああ、お洋服はかなり汚れていたので、洗濯に出しています。それとお持ちのものは皆預かってますよ」

 

 ルイズが拍子抜けするほどの、嫌味のない語り口。客人をもてなすメイドのようだ。何か腑に落ちない。

 

「いろいろと聞きたい事もあるでしょうが、もう少し待ってくださいね。パチュリー様がまもなくいらっしゃるので」

 

 パチュリー……。ふと思い出す。そう呼ばれていたメイジがいたと。確か、紫寝巻きの少女だったか。

 そんな事を思い浮かべていると、ノックと共に扉が開いた。そこに現れた人物。あのパチュリーだ。ルイズに緊張の汗が流れる。

 彼女は本を抱えながら、こちらに向かってくると、こあの方をチラっと見た。

 

「こあ、見張りご苦労さま」

「はい」

「さてと」

 

 一息零すと、ベッドの側へ寄ってくる。するとこあが椅子を用意。パチュリーは無言で座った。そのこあのしぐさを見て、やはりメイドみたいと再認識。パチュリーの使い魔かとも思った。

 ルイズは二人の様子を観察しているかのように見つめる。その視線に今度はパチュリーがまっすぐ目を合わせてきた。

 

「いろいろ混乱してるだろうけど、まずは落ち着いて。こっちはあなたを傷つけるつもりはないから」

「そ、そう……」

「まずは自己紹介といきましょう。私はパチュリー・ノーレッジ。魔法使いよ。そしてこっちは私の使い魔。こあって呼んでるわ」

 

 このこあと呼ばれる翼人は、ルイズの予想通り使い魔。そして翼人なんてものを使い魔にするこのメイジに、少しばかりの羨望の気持ちが沸いていた。ただそれほどのメイジなのに、マントがないのが腑に落ちない。しかも魔法使いと自称している。確かにメイジは魔法を使うが、普通メイジと言う。魔法使いなんて妙な呼び方だ。

 どうにもしっくりこない。

 

「それであなたは?」

「えっと……。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステイン魔法学院の学生よ」

「トリステイン学院?」

「そうよ」

「…………。出身の国はどこ?」

「トリステイン王国よ」

「…………」

 

 パチュリーはやや俯いて難しい顔。だが考えるのをやめたのか、顔を上げる。

 

「まあ、いろいろ疑問な点はあるけど、とりあえずルイズ。そう、あなたの事ルイズって呼ぶけどいいかしら。私の事はパチュリーでいいわ」

「いいわよ」

 

 いきなりファーストネームを呼ばれるのは、いつもならムカついていただろう。でも、この優秀そうなメイジに興味もあって、思ったほど気にならなかった。

 

「それじゃ、ルイズの現状を説明するわ」

「うん」

「気付いていると思うけど、ここはあなたのいた所とはまるで違う場所よ。原因は私達の召喚魔法が失敗して、あなたを呼び出してしまったせい。その点は謝るわ」

「なんて事してくれんのよ!大事な儀式の最中だったのに!」

「怒るのは理解できるわ。文句は後で聞くから。まずは話を進めましょう」

「うう……」

 

 なんだかあまりに冷静に受け答えるせいで、気を削がれる。いつもの剣幕が長続きしない。

 

「ここは幻想郷と呼ばれてる場所なの」

「幻想郷?」

「ええ。滅びそうな妖怪や魔物が集まってる場所よ。いえ保護してると言った方が近いかも」

「それで見たこともない妖魔ばっかりいたのね。でもヨーカイっていうのには会わなかったけど」

「…………」

「でも、なんで保護してんの?滅ぼしちゃえばいいのに。人間にとって害なだけなんだから」

「いろいろ事情があるのよ。さて、あなたの一番の希望は、当然帰る事よね」

「そうよ!すぐ帰してもらいたいわ。さっきも言ったけど、大事な儀式の最中だったんだから!」

「それで、いくつか聞きたい事があるんだけどいい?」

「いいわ」

 

 それから、しばらくパチュリーからの質問の嵐が続いた。トリステインの事、ゲルマニアとかの周りの国の事、文化、政治、そして魔法の事。一方、ルイズからの質問のいくつかは、上手いことはぐらかされている。このパチュリーは、どうにも食えない人物だった。

 ただそれでも、だいたいこの世界の様子が分かった。ヨーカイって言うのはハルケギニアで言う妖魔の事らしい。それと翼人だらけと思っていたのは、同じ種類のものではないそうだ。羽の生えている妖魔、もといヨーカイはこっちでは珍しくないと。一方で、ハルケギニアの妖魔はあまりいない。せいぜい吸血鬼くらい。オークやミノタウロスなんかも。まるで違う場所と言っていたからそのせいかも、とルイズは勝手に納得した。

 そして貴族、平民と言った身分もないそうだ。ルイズにはなんとも信じがたかった。もっともこれだけヨーカイに溢れた世界で、そもそも住んでいる人間の数がそれほど多くない。階層が生まれにくいとの事だ。こんな世界もある。カルチャーショックを受けたルイズだった。

 ついでにここが紅魔館という屋敷だという事も教えてもらった。この幻想郷では一風変わった屋敷なんだそうだ。ルイズにはむしろ見慣れたものに思える。赤い内装、外装を除けば。それとここではメイジの事を魔法使いと呼ぶそうだ。あまりにストレートで品も格もないが。

 

 ようやく長かった質問タイムが途切れる。

 

「とりあえずはこんなものね。それじゃ、食事の時間になったら、呼びに来るわ。それと後でだけど、別の部屋に移ってもらうから。ここは何かと手狭だし」

「分かったわ」

 

 手狭と言われたが、そうでもない。確かに寮の部屋や実家に比べれば多少狭いが、悪くはない。だがここを狭いという事は……そして思い出す。紅魔館を逃げ出した時、趣味の悪い色合いの館だと思ったが、同時にそこそこ大きい館だと。実はこのパチュリーは結構偉い人物かも。なんて事を考える。ついでに、もう一つ思い出した。

 

「あ、そうだ。私の持ち物。杖とか大丈夫なんでしょうね」

「杖?ああ、あったわね。問題ないわ。ちゃんと保管してる。後で返すわ」

「あれ大事なものなんだから、大事にあつかってよね」

 

 そして、パチュリーは立ち上がるとこあと共に部屋を出ようとする。その時、振り向いた。

 

「そうそう、あなたミスティアの屋台、吹き飛ばしたでしょ」

「ヤタイ?」

「小さな小屋みたいなの。あなたそこで寝てたのを見つかったのよ」

「あ……」

 

 そうだった。空腹と疲れのあまり、あのヨーカイから食べ物を奪い取ったのだった。そしてついつい寝てしまった。思い返せば貴族にあるまじき行い。

 ここに連れてこられたのは、その後らしい。なんて事を思う。

 

「屋台壊した上に、いろいろ飲み食いしたでしょ。ミスティア、かなり怒ってたわ。それについては弁償してもらうから。頭の隅にでも置いといて」

「う、うん……」

 

 部屋を出て行くパチュリーを目で追いながら、これからいろんなドタバタに巻き込まれそうな予感がしていた。

 

 

 

 

 

 図書館の扉を開けると、そこは珍しく人口密度が高かった。集まった面々に、パチュリーは少しばかりうんざりする。

 

「それで結局、送り返せばいいの?退治した方がいいの?それとも何もしなくていいの?」

 

 単刀直入に結論だけ要求してくる巫女装束。

 楽園の”素敵”な巫女、博麗霊夢。別名紅白、もっと別名、鬼巫女。

 

「簡単に送り返したら、面白くないだろ。もう少しいじろうぜ」

 

 普通の魔法使いこと、霧雨魔理沙。よくこの図書館に正面から本の”超長期借り入れ”に入る白黒魔法使い。ただ最近では共同研究している都合で、それほどない。もっとも研究場所がこっちに移ったせいで、”借り入れ”する必要がなくなったのかもしれないが。

 

「まあ、おもしろそうな魔法使いではあるわよ。あんな魔法見たことないもの」

 

 整然と話すもう一人の魔法使い。そして人形遣いでもある、アリス・マーガトロイド。比較的まともな人物だが、魔法使いの中ではの話。魔法使いが常識人では二流。

 

「で、結局なんなの?魔法使い?別の悪魔?」

「悪魔だったら、私遊んでみたいなー」

 

 なんか目を輝かせている吸血鬼姉妹、レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレット。新しいおもちゃを見つけた子供のよう。その側に二人を慈しむ、むしろ溺愛するように見守るメイドがいた。この館のメイド長、十六夜咲夜。

 

 パチュリーは大きく息を吐いて、椅子に座る。そして自分に注目する面々を面倒くさそうに見た。

 

「思ったより面倒、いえ、面白いと言うべきなのかしら。とにかくややこしい事になったわ」

「…………」

 

 一同、沈黙。

 

「まず、彼女は外の住人ではないわ。もちろん幻想郷の住人でもない」

「て事は悪魔?悪魔なの?」

「レミィ。悪いけど悪魔でもないわ。魔法使いよ。人間の」

「なんだつまんない」

 

 愛称で呼ばれたレミリアは、肩を落とす。横にいたフランドールも露骨にがっかりという顔。

 

「で、問題なのはどこの魔法使いかという事なんだけど。はじめは過去から来たのかと思ったのよ。ゲルマニアとかガリアとか言ってたしね」

「ローマ時代の地方の名前ね」

「そして彼女の祖国、トリステインって言うそうよ」

「トリスタンなら人名だけど……。もっとも伝承だから、実は地方の名前っていうのもありうるかも。でもこれもローマ時代よね」

 

 人形遣いが補足を添える。

 

「ええ。これだけローマ関係が並んでるんだけど、その頃の人間には思えないわ。なんと言っても持ち物の文明度が、その頃ほど古くない」

「じゃ、どこの誰なんだよ」

 

 白黒魔法使いが興味津々というか茶化すつもりというか、楽しそうに尋ねてくる。

 

「異世界」

「は?」

「もちろん、冥界とか天界とか言う意味じゃないわ。この地球とはまるで違う所」

「なんでそう考えたんだ?」

「彼女の世界には月が二つあるそうよ」

「「「えっ!?」」」

 

 一同、唖然とした声を上げた。

 だが、次の瞬間、目を輝かせたのがたくさん。もうワクワク。で、一斉に騒ぎ始める。なんと言っても異世界の住人だ。今までいろんな人物が幻想郷に紛れ込んだが、異世界はなかった。もう各人が勝手な妄想を頭の中で繰り広げている。

 

「ストップ!」

 

 パチュリーの言葉で、騒ぎが止まった。とりあえず。

 

「今は何も分かってないの。いろいろするのはその後にしましょう」

 

 どこか不満そうな面々だが、とりあえず黙る。何かすると、この魔女は言っているのだから。ただ一人納得いかなそうな紅白がいた。この空気を無視してつまらなそうにしている。霊夢だった。ルイズがどこの誰だろうが、彼女にとってはどうでもいい事。自分にトラブルが回ってこないかどうかだけが問題だった。

 

「つまり、あんた達にまかせて放っておいていい訳ね」

「そうよ。霊夢」

「まあ、送り返せって言われても、異世界じゃ紫を呼ぶしかないし」

「そっちには声をかけなくてもいいわ。と言っても、もう知ってるでしょうけど」

「でしょうね。それじゃ私は帰るわ」

 

 霊夢は一仕事終わったというふうに、出口へと向かっていった。

 ちなみに、ルイズがここに来る切っ掛けとなったのが彼女。正確には違うが。ミスティアの屋台が爆破されたのが騒ぎとなり、いろいろあって霊夢に問題解決の依頼が来る。それも深夜に。すこぶる機嫌が悪い状態で見つけたのがルイズだった。やがて彼女は博麗神社へ送られた。そこに居たのはルイズ捜索に失敗し、博麗神社でお泊りさせてもらっていた魔理沙。それからパチュリーへと伝わった。やがて騒動を起こす。彼女の読み通りだった。その間、当のルイズは、疲れと満腹感で死んだように眠っていたので、まるで気付かなかったのだが。

 

 

 

 

 



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天才メイジ

 

 

 

 

 ルイズはドレスに身を包み、食堂に招待されていた。そこにある長いテーブルに何人か座っている。ふとルイズは実家の食事風景を思い出していた。ただ違うのがやっぱり幻想郷らしい点だろう。ずらっと並んだメイドにはみんな羽が生えており、そしてテーブルにも羽が生えた少女が二人ほどいる。しかもその少女は上座に座っている。てっきりパチュリーがこの館の主と思っていたが、どうもそうではないらしい。こんな中で人間の姿をしているのはさっきの咲夜とパチュリー、そしてもう一人。一風変わった緑の服を着た茶系のロングの女性だけ。ちなみにルイズの着ているドレス。着付けを手伝ったのは、咲夜だ。

 

 この会食はルイズ歓迎のささやかな宴だそうだ。彼女は紅魔館の正式な客人となった。それなりに大きな部屋を与えられ、杖も返してもらっている。一方、衣服の方はやぶれが目立ち修復中。代わりに新しいのを用意してもらっている。昨晩森の中で逃げ回り、ひーひー言っていたのとは天地の差だった。

 

 やがて上座に座っている少女が口を開く。

 

「ようこそ紅魔館へ。私はレミリア・スカーレット。この館の主よ。歓迎するわ。ミス・ルイズ・フランソワーズ・ド…………」

 

 言葉につまる。するとすかさず咲夜が小声で口添え。少女は一つ咳払いをして、再チャレンジ。

 

「歓迎するわ。ミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

「恐縮です。このような場をいただき、うれしく思います。ミス・スカーレット」

 

 ルイズは貴族らしく、厳かに礼を返す。レミリアはそれにまぶたと口を閉じ、沈黙で答えた。悠然と受け止める。その幼そうな姿とは裏腹に、さすが紅魔館の主。とルイズは思った。

 だが、レミリアは別に主としての態度を取った訳ではなかった。こうすると偉そうに見えるから。カリスマ維持のテクニックだったりする。で、頭の中は何考えていたかというと、はしゃいで喜んでいた。「ミス・スカーレット」なんて呼ばれたのは何十年振りかと。幻想郷の連中にそんな作法のある者はいない。無骨で乱暴なのばかりなのだから。

 

 それから、ルイズは咲夜に席を案内される。

 

「さ、食事にしましょう」

 

 その言葉と共に一斉に、メイド達が動きだす。もちろん咲夜も。

 

「さて、まずは家の者を紹介するわ。私の隣に座っているのが、妹のフランドール・スカーレット」

「よろしくね」

 

 子供のような素直な笑顔を浮かべている。ルイズはそれに、整然と返礼。見た目は金髪サイドテールの女の子だが、視線を捉えて離さないのはなんとも言いがたい羽。枝に宝石がぶら下がっているというか……そもそも羽なのか。

 レミリアはそんな彼女の思いを気にせず続ける。

 

「脇に立ってる緑のは、紅美鈴。この館の門番よ」

「よろしくお願いします。ルイズ様」

 

 美鈴は人懐っこい笑顔を浮かべる。ついつい気を許してしまいそうな。こんな人物は、ルイズにとってはじめてだった。あえて言うなら、姉のカトレアくらいか。

 

「パチュリーと咲夜は知ってるわね。後は妖精メイドがたくさんいるけど、気にしなくていいわ」

「はい」

 

 やがて皿が並び乾杯と共に、食事が始まった。

 ルイズが口にしたものはどれもなかなかの味。貴族としておいしいものを食べ慣れている彼女でも、唸ってしまう。だが一方で、落ち着かなかった。無理もない。妖魔もといヨーカイにかこまれて食事しているのだから。いくら歓迎されているとは言っても、ハルケギニアの住人には少々きつかった。

 そしてもう一つ。館の主であるスカーレット姉妹。どう見てもヨーカイ。いったいなんのヨーカイなのか気になってしかたがなかった。

 

「あの……。ミス・スカーレット」

「何かしら?ああ、私の事はレミリアでいいわ。私もあなたの事、ルイズって呼ぶから」

「私もフランでいいよ」

 

 隣にいた妹も同じ事を言う。

 ルイズは改めて質問。

 

「その、レミリア。一つ質問よろしいでしょうか?」

「ええ。なんでも聞いて」

「失礼かもしれませんが、ヨーカイ……なのでしょうか?」

「私?そうよ。吸血鬼よ」

 

 吸血鬼。その言葉がルイズの頭の中に突き刺さる。最悪の妖魔の一つ。緊張が身を包む。そしてこの大歓迎ぶりの意味をすぐに理解した。自分は大事な大事な「食事」なのだと。

 体をまさぐって、杖を捜す。だが、ない。必要ないと思って部屋に置いてきたのだった。顔から血の気が引いていく。思わず立ち上がった。一同唖然。訳が分からない。

 

「き、き、吸血鬼って……。わ、わ、わ、私を晩餐にする気!?」

「…………」

 

 レミリア、またしても無言で返答。もちろん目をつぶって。ただし口元は強く結んで。

 何故かって、はしゃぎたくってたまらないのを無理やり抑えていたから。吸血鬼と聞いて、これほど驚いてというかビビッている相手はいつ以来か。これが吸血鬼へのしかるべき畏怖の姿。にもかからわず幻想郷の連中は……。なんて事をレミリアは考え、そしてルイズの反応に感動していた。

 

 逃げようにもぐるりとヨーカイに囲まれたこの場、杖もない。立ち尽くすルイズに声がかかる。パチュリーだった。

 

「安心なさい。あなたを傷つけるつもりはないと言ったでしょ。そのつもりがあるなら、杖は返さないわ」

「あ……」

 

 言われてみればその通り。ルイズは席に戻ると、顔を真っ赤にして頭を下げる。

 

「その……大変失礼しました。申し訳ありません!」

「気にしないわ。吸血鬼を前にすれば、当然の反応だもの」

 

 何故かレミリアは胸を張ってそう言う。というか嬉しそう。

 

 次から次へ出てくる料理もお酒もおいしかったが、ルイズにとっては居心地が悪くてしかたがなかった。ヨーカイ達との食事というのもあったが、ホストの気分を害したのが貴族としての大失敗というのもあって。

 

 ようやく晩餐が終わると、ルイズは疲れたように部屋に戻り、そのまま寝てしまった。

 

 

 

 

 

「おはようございます。ルイズ様」

 

 うっすら開けた目に見覚えのある顔が入ってくる。思い出した。こあと呼ばれていた、パチュリーの使い魔だ。

 ゆっくりとルイズは体を起こす。さすがに逃げ出したりはしない。昨晩あれだけヨーカイに囲まれていたので、少々慣れたのもあった。

 

「おはよう。えっと……こあだったかしら」

「はい」

「あなたもメイドなの?」

「いえ、違います。司書です。ただパチュリー様より、ルイズ様の身の回りの世話をするように仰せ付かってます」

「そう」

 

 客人なら専属メイドがついても当然か。なんて事を思った。

 だが、やっぱり気になる。なんと言ってもヨーカイなのだから。しかもあの羽。レミリアと同じこうもりタイプ。嫌な予感があった。ルイズは思い切って聞いてみる。

 

「あの、こあ……」

「はい?」

「こあもヨーカイよね」

「はい」

「その……どんなヨーカイなの?きゅ、吸血鬼じゃ……」

「違いますよ。悪魔です」

「ええっ!?」

 

 悪魔なんて言ったら空想上と思われているとはいえ、悪の根源のような存在だ。それがこうして目の前にいる。しかも、甲斐々しく人の世話をしている。ありえない。ルイズは、常識という言葉が削れていく気がしていた。

 

「そんなに驚かないでください。悪魔と言っても低級なので、それほど強い力は持ってないんですよ」

「そ、そうなの」

 

 はにかんで答えるこあに、ルイズはどんな顔を返していいものか困る。

 ちなみにルイズ専属となったこあだが、そのせいで図書館から司書がいなくなった訳ではない。他にも悪魔の使い魔はかなりいる。

 

 愛くるしい笑顔を浮かべる悪魔。目の前のルイズの常識を超えた存在を、どう考えればいいか分からず、苦し紛れに話題を逸らした。

 

「あ~、そうだわ。昨日、お風呂入らなかった」

「それでしたら、バスルームをお使いになります?」

「バスルーム?」

「この部屋に備え付けられていますので。お湯だっていつでも出ますよ」

「いつでもお湯が出る?」

 

 よく分からない言葉が続くが、訳も分からないままこあの案内についていく。ちなみに昨日はドレスを着る前に大浴場へ案内された。学院ほどではなかったが、それなりに大きい浴場。そこで咲夜に体を洗ってもらった。

 

 バスルームとやらに入って少し驚く。まさにコンパクトな浴場がそこにあったから。しかも大浴場にもあった奇妙な設備まである。好奇心にかられバルブを捻ると、曲がった管からお湯が出てきた。いつでもお湯が出るとはこの事かと、唖然とするルイズ。どういう仕掛けなのか。そもそもバルブを捻るだけで、水が出るというのも信じられない。これがあれば、平民達がせっせと水汲みに行く必要なんてなくなる。

 

「王宮にだってこんなのないわよ……。私達より進んでるかも……。ヨーカイって妖魔みたいなのって思ってたけど、なんていうか人間っぽいのね」

 

 ちょっとレミリア達の印象が変わっていったルイズだった。

 それからこあに連れられ、紅魔館内を案内される。もちろん全部を案内するには時間がないし、危険な場所もある。主だった所だけだった。そして最後にたどりついた所は、あの場所。彼女が召喚された大図書館だった。

 

 扉を開けて奥に進むと、本棚の林の中にちょっと開けた所があった。そこに三人の人影。彼女を召喚した張本人達。ルイズは少しばかり構えた顔つきで三人に視線を送る。

 まずは、一番見知ったパチュリーが声をかけた。

 

「あら、いらっしゃい。待ってたわ。どうだった?」

「思ったより広いのね。外からのイメージとちょっと違う感じがしたわ」

「そ。で、ここに来てもらったのは、これからの話をしたいと思ったからなのだけど」

「うん」

「あれからいろいろ調べて、分かった事があるわ。まずは……」

 

 そこに声が割り込んでくる。見るのは二度目の白黒メイジ、もとい白黒魔法使いと金髪カチューシャが。

 

「おいおい、紹介ぐらいしろよ」

「しばらくはお互い、協力し合うんだし」

「…………分かったわ。じゃ、勝手にやって」

 

 まずは白黒魔法使いがルイズの方を向いた。

 

「私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ。よろしくな。ルイズ」

「私の名前知ってるの?」

「ああ、聞いたぜ。ルイズなんとかって長い名前だろ」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

「ああ、それそれ。私の事は魔理沙って呼んでくれ」

「……ええ」

 

 なんだかがさつな性格らしい。ルイズの第一印象はハッキリ言って良くない。しかも自分はファーストネームで呼ぶくせに、魔理沙がファミリーネームで呼ばせる。それもなんだか奇妙に感じた。実は彼女は、名字が最初に来る命名法があるなんて知らなかったりする。

 次に金髪カチューシャが挨拶した。

 

「私はアリス・マーガトロイド。人形遣いよ」

「人形遣い?大道芸人?」

 

 ルイズは、トリスタニアで人形劇をしていた大道芸人を思い出していた。

 だがアリスは不機嫌そう。その隣では魔理沙が楽しそうにニヤついている。

 

「違うわよ。魔法使いだけど、人形を操るのを得意としてるの」

「あ、ごめんなさい」

 

 ガーゴイルを操るのが得意なのだろうか、なんて事をルイズは思った。

 とりあえず、顔合わせが終わると、全員席についた。そしてこあが皆に紅茶を配っていく。

 最初の一杯を飲むと、パチュリーが口を開いた。

 

「さてと、話を戻すけど。ルイズ、あれから分かったことを話すわ。ちょっと驚くような事もあるけど、しっかり聞いて」

「うん」

「まず、ここ幻想郷だけど、あなたにとっては異世界という事」

「遠い所なんでしょ。そう考えても仕方ないわね」

「そういう意味じゃないの。幻想郷を出たところで、あなたはトリステインに帰れないという事よ」

「ど、どういう意味よ!」

 

 思わず身を乗り出すルイズ。てっきり帰る話を聞けると思っていたのが、まさかの展開。

 

「ハルケギニアとは空も海も大地もつながってない世界、と言ったら分かるかしら。それほど離れてるの。つまりあなたが帰るとしたら、召喚魔法のような方法しかないという事」

「そ、それで帰る事ができるの?」

「努力はしてみるわ」

「努力って……それじゃ、一生帰れないかもしれないの!?ちょ、ちょっと冗談じゃないわよ!何よそれ!あんた達のせいでしょ!何とかしなさいよ!」

 

 頭に血が上ってパニくっているルイズ。無理もない。単なる偶発事故に巻き込まれて、人生の暗転が確定するかもと言われているのだから。

 感情を爆発させるルイズを、魔理沙とアリスは少し驚いて見ていた。ただパチュリーは相変わらず冷静に返す。

 

「落ち着いてルイズ。その時は私が責任をもって帰すわ」

「でも、方法は分からないんでしょ!?」

「ええ。ただ一番使いたくない最後の手段があるのよ。それならあなたは確実に帰れるわ」

 

 その一言で、ようやくルイズは収まる。一方、魔理沙がパチュリーに耳打ち。二、三言小声で話すと渋々納得したように下がる。

 落ち着いた所で、パチュリーは次の話に移る。

 

「それでまずは、あなたの魔法を研究したいの」

「何で?」

「あなたが召喚された原因を調べるためよ。それと好奇心もあってね。あなたが紅魔館から逃げ出したときに使った魔法。ああいうのはあまり見た事ないのよ。私たち。正直、かなり興味深いものだと思ってる」

「そうかしら……」

 

 なんと言っても失敗魔法なのだから。だがパチュリーはそれにわずかに驚く。

 

「あら、意外ね。あなたにとってあの魔法は大したものじゃないのね。これはなかなか期待できそう。実はあなた大魔法使い?」

「ええっ!?」

 

 さらに、魔理沙が相槌打つように入ってくる。

 

「後で調べたけど、あの魔法ってなかなかすごいぜ。あれ以上ができるって言ったら、なんかワクワクしてくるぜ」

「物質自体を爆発させるなんて、そうそうできるもんじゃないわ。あなた学生らしいけど、あのレベルが学生にできるんだから。かなり高度に魔法が発展してるのかしら。トリステインって所は」

 

 さらにアリスが持ち上げる。

 それにルイズは苦笑いするしかない。いつもの失敗魔法をこんなに褒められると、どういう顔をしていいか分からなかった。しかも魔法について褒められた事なんて一度もなかった彼女には、なおさらどう返せばいいのやら。

 

「そ、そう?ちょっと私は特別だから。他の生徒でできるのは、いなかったわね」

 

 嘘はついていない。ついていないが、胸を張って言っているのはどういう事か。頭の中でマズイと思いながらも、高揚感にちょっと酔っていた。それを聞いて目の前の魔法使いたちは、少しばかり唸る。トリステインの天才メイジを召喚してしまったという具合に。

 ともかく方針が決まったという事で、パチュリーはまとめに入る。

 

「じゃ、早速明日からにしましょ」

「明日からって何するの?」

「魔法を試してもらうのよ。いろいろと」

「いろいろ?」

「あなたを帰すのに、どれが関係してくるかわからないし。それに他の魔法も見たいわ」

「え!?ほ、他の魔法?」

「そうよ。それじゃ明日から頼むわね」

「う、うん」

 

 それでこの会はお開きとなる。

 それからルイズは部屋に戻り、ベッドに突っ伏した。

 

「やっちゃった……。どう考えてもバレるわよ……。他の魔法なんてやったら一発で。実は失敗魔法だって。ど、どうしよう……」

 

 実は魔法が使えないとバレた時の、失望される顔が目に浮かぶ。持ち上げられただけに、その落差はちょっとショックだろう。

 酒でも飲んで、さっきの事は忘れたい気分だった。

 

 

 

 

 



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借金

 

 

 

 

 天気のいい昼過ぎ。きもちのいい風が吹いていた。何事もなければ穏やかな時間が遅れただろう。

 だが、心中全く穏やかでない少女が一人。

 ルイズだった。

 

 朝食後、紅魔館の敷地内の広場に呼び出された。そこには既に例の魔法使い三人組が何かの準備をしていた。そしてそれが、ルイズの魔法を調べるためのものだと教えてもらう。だが準備の最中にギャラリーが多くなってきた。面白そうな実験をやると知って、レミリアやフランドール。その世話をするために咲夜まで来ていた。ついでに、どさくさまぎれに美鈴までもが覗いていた。

 人目はできる限り少ないようにと期待してたのに、何故か全員集合。注目度がMAX。少なくとも吸血鬼姉妹は来ないと思っていたが、こうしている。日の下に出てきてニコニコしている。信じられない。日傘はさしているが。

 そんなどうでもいい事に頭を使っていると、やがて準備が完了していた。パチュリーから声がかかる。

 

「ルイズ。この円形の中心に立って」

「う、うん……」

 

 ルイズは彼女の言われるまま、円形の複雑な図形の中心に立った。

 足元の図形は調査のためのもので、特に何か魔法が発動する訳ではないそうだ。一番上の姉のエレオノールが魔法の研究をしているが、細かな事は聞いたことがない。彼女もこんなものを使っているのかも、なんて想像する。

 

「さ、はじめてちょうだい」

 

 一瞬現実から逃げていたのに、引き戻された。ついでに魔理沙の要望が入る。

 

「とりあえず、それなりにハデなのから始めてくれ。反応読みやすいから」

 

 だが、ルイズにとってでかいも小さいもない。なにやっても同じなのだから。

 その後ろでは目をキラキラさせている吸血鬼達。

 

「天才魔法使いなんでしょ。ちょっと楽しみよね」

「うん。面白そうだよね」

 

 スカーレット姉妹の容赦ない声援が胸に突き刺さる。しかも天才魔法使いは確定らしい。話が大きくなっていた。

 ルイズは声を濁らせながら、一応宣言。

 

「そ、それじゃぁ始めるわ」

「ええ」

 

 ルイズは杖を前に差し出す。方向はパチュリー達と反対側。つまり背を向けて。そして小声で詠唱した。

 派手な爆発が発生。狙った小石は跡形もなく吹き飛ぶ。最初にやった錬金の魔法。

 

「おお~」

 

 後ろから感嘆の声が届く。フランドールなんか手を叩いて喜んでいる。

 だが。

 一方、ルイズはそれどころではない。問題はこれから。というか後がない。

 そんな彼女の気持ちなんて知らず、アリスが声をかける。

 

「今度は軽めのにしてくれる」

「わ、分かったわ」

 

 苦笑いで返事。

 だが、頭の中は、次をどうするかでぐるぐる回っていた。ディテクトマジック辺りなら、それほどおかしな事にならないかも、なんて淡い希望を抱く。だが、そんなものが何度も打ち砕かれたのは経験済みだが。

 しかし、またも爆発。予想通りであったが。

 不思議そうな顔がルイズに向く。やはり苦笑いを返す。

 

「ちょ、ちょっと間違っちゃった」

「そう。まあいいわ。今度はしっかりやって」

「う、うん」

 

 だが、何度やっても爆発、爆発、爆発。そんな事は始めから分かっていた事だった。ルイズだけ。

 さすがにこれだけ繰り返すと、全員が怪訝な表情になるのも無理はない。

 

 そして爆発の連鎖が止まる。ルイズはゆっくりと全員の方を向いた。不思議そうな顔が目に入る。

 

「ご、ごめんなさい!ほ、本当は魔法使えないの!」

 

 なんか涙目。みんなの顔がよく見えない。もう必死で平謝りするしかない。

 やがて涙を拭いて、まっすぐ前を向く。きっと全員激怒しているか呆れているかだろうと、それは甘んじて受けると覚悟して。

 だが、それでも不思議そうな顔は続いていた。今度はルイズが不思議そうな顔。

 

 まず魔理沙が口を開いた。

 

「でも爆発してるぜ?」

「あれは……失敗したから」

「失敗すると爆発する?」

 

 ますます難しい顔をする魔理沙。次に尋ねてきたのはアリス。

 

「あなたの世界では、魔法を失敗すると爆発するの?」

「違うけど……」

「どうなるの?」

「何も起こらないわ」

「それじゃ、失敗すると爆発するのはあなただけ?」

「そうだけど……」

「…………」

 

 アリスは口元に手をやって考え込む。最後にパチュリー。

 

「初めて魔法を練習した時から、こんな具合?」

「えっと……。詠唱がまともにできるようになってからかしら」

「詠唱ができてなかった頃は?」

「う~ん……。何も起きてなかった気がする……」

「ふうん……」

 

 やがて三人の魔女はなにやら話しだす。そして一斉にルイズの方を向いた。

 

「もう少し続けましょう。今度はあなたの知ってる魔法一通りやってもらうわよ」

「え?でも爆発ばかりだけど」

「別にいいわ」

「そ、そう……」

 

 ルイズが首を捻る。いったい何を期待しているのか。

 ただ、しっくりしない空気の中、一つだけ分かっている事があった。そして、それに一番うんざりしているのが二人いた。肩を落として。

 

「つまり、これから爆発しか起こらない訳ね」

「つまんな~い」

 

 吸血鬼姉妹だった。

 

「せっかく早起きしたのに。あ~もう、寝なおすわ」

 

 そう言って、二人は屋敷へ戻っていった。咲夜も当然ついていく。ちなみに美鈴は、途中で咲夜に見つかって、追い返されている。

 そんな彼女達の後姿を、ルイズは申し訳なさそうに見ていた。パチュリーがとりあえずフォロー。

 

「気にする事ないわ。明日には忘れてるわよ。とにかく続けましょ」

「う、うん」

 

 それから休憩を挟みながら、夕食前まで実験は続いた。いつのまにやら広場は穴だらけ。これだけ長時間やった成果がこれかと思うと、ルイズは悲しくなる。

 一方の三人の魔女はまるで気にしていないふう。それどころかどこか楽しそう。

 その後ろから、ルイズが俯いて声をかける。

 

「ごめんなさい。こんな穴だらけにしちゃって」

「ああ、構わないわ。すぐ直すから」

「直す?」

 

 それからパチュリーが魔法を唱える。すると見る見るうちに地面は元通りになった。ルイズはそれを唖然として眺めていた。後で知った事だが、パチュリーは四系統どころか七系統もの魔法が使えると。四系統以外に系統があるなんてハルケギニアでは知られてない。せいぜい虚無か先住魔法くらいだ。ますますルイズは彼女に羨望の気持ちを抱いてしまう。もっともハルケギニアの四系統とパチュリーの七系統が、同じ意味を持つとは限らない。と彼女は言っていたが。

 

 

 

 

 

 それから十日間、実験は続いた。時間帯を変え、場所を変え、早く、遅く、連続で、間を置いて、とにかくいろいろ魔法をさせられる。回数も多いのでまるで詠唱の耐久レース。終われば毎回ヘトヘトになっていた。実家で姉にしごかれたのを思い出す。

 ただ実家、いやハルケギニアと違い、辛さはそう感じなかった。というのも、ルイズの失敗魔法、爆発という現象を彼女達は一定の評価をしていたからだ。理由は単純、同じ事ができないから。ルイズにとってこれはまさに目から鱗、発想の転換だった。今までのみんなが使う魔法ができない自分というのから、違った事ができる自分へと考えが変わりつつあった。

 

 そんなある日。研究を詰めると言って、実験はなしとなった。ここに来てはじめての休日と言える日となった。

 

「暇ね」

 

 バルコニーの縁にひじを突きながらこぼす。目の前には豊かな緑が広がっていた。それにしても人が他に住んでいる気配がない。まあ妖怪はいっぱい住んでいるのだろうけど。

 

「ふぅ……」

 

 ため息を一つこぼす。

 今までは忙しかったが、それはパチュリー達の魔法研究に協力していたからだ。もちろん彼女が帰るために必要な事だが、彼女自身が何かを目指していて忙しいというのとは違う。つまりルイズはここ幻想郷では、帰る以外にとりたてて目標がなかった。だからこうして休日を与えられると、やる事がない。趣味が多彩という訳でもなかったのもあって。

 

「あら、ルイズ様。どうされました?」

 

 ふと声の方を向くとメイドが立っていた。この館のメイド長、十六夜咲夜だった。

 

「暇なのよ。急に休みを貰っちゃって、何をしようにも思いつかなくって」

「でしたら、ちょっと付き合いますか?」

「何?」

「人里に買い物にいくんですよ」

 

 人里。人間が住んでいる村があると聞いている。こんな妖怪だらけの世界だ。人間が固まって身を守るように住んでいるらしい。妖怪はそこで人間に手を出すのはご法度だとか。逆に言えば、外で手を出すのはかまわないという事になる。もっともそれについてもルールがある。最初は妖魔だらけの無法な世界と思っていた幻想郷だが、意外に規則だっていたりする。ますます妖怪というのは妖魔とはかなり違う存在かもと、ルイズは考えていた。

 

 それはともかく、せっかくだからその人里というのも見てみたくもあった。咲夜の誘いに、さっそくうなずく。

 

「うん。行く」

「それでは、身軽なお洋服でお待ちください。準備が出来次第迎えに行きますので」

「分かったわ」

 

 そう答えると、ルイズは部屋に戻る。

 タンスの中の服を選ぶ。もっともこの服、全部借りたものばかり。こっちに来た時の一張羅はみんなボロボロで、仕方なく処分するしかなかった。ただ、マントだけは取っておきたいとしまってある。

 動きやすい服を引っ張り出した。そして着替えは自分で。トリステインならメイドに手伝ってもらう所だが、ここのメイドは咲夜を除いて、使い物にならない。妖精メイドは格好こそそれっぽいが、いい加減でアテにならない。一度、手伝わせて酷い目にあった。文句をパチュリーに言ったが、妖精なんてそんなものだと流された上、一人でやる事を覚えた方がいいとすら言われえた。こあは一応ルイズ専属となっているが、本職は司書なのでやっぱりいろいろと不得手がある。結局、着替えを自分でするハメに。

 

 それにしてもルイズの貴族としての感覚が、こっちに来て少しずつズレてきていた。ハルケギニアなら粗相をした平民メイドは厳しく罰する。しかしここは幻想郷。しかもメイドは平民どころか人間ですらない妖精。しかも罰しても効果がない。階級のない幻想郷の社会。しかも人間の他に妖怪が溢れている。それと社会生活を送っているのだから、なんとも表現しづらいイメージ。ハルケギニアのそれとは別の社会感覚が育ちつつあった。

 

 ちなみに妖精が本当にいると知ったのも、ここの妖精メイドが切っ掛け。もっともハルケギニアで言う妖精とここの妖精が同じかどうか分からないが。そもそも、イマイチ妖精と妖怪の区別がついてなかった。

 

 やがてノックといっしょに声がかかる。

 

「ルイズ様、準備はよろしいでしょうか?」

「いいわよ」

 

 開いたドアから、少し大きめの手さげかばんを持った咲夜が見える。

 二人は連れ立って、玄関、そして門へとたどり着いた。するとたまに見かける顔がそこにあった。

 

「さ、いきましょ。咲夜さん」

 

 門番の紅美鈴だ。やけに大きなリュックを背負っている。

 美鈴は門番という仕事上、ルイズとあまり顔を合わせる事がない。せいぜい魔法調査の時、たまたま庭の世話をしていた彼女と顔を合わせるくらいだ。ただ話した回数はわずかだが、彼女にとっては好印象の人物。だがこんな感じのいい相手だが、これでも妖怪。見かけも性格も、人間以上に人間らしい。またもルイズには常識ってものが、少し崩れていた。

 

 ともかく、美鈴もどうも買い物に付き合うらしい。ルイズは一つ尋ねる。

 

「門番の仕事はいいの?」

「はい。一番の難敵がこっちに入り浸りなんで」

「難敵?」

 

 そこに咲夜が口添え。

 

「魔理沙ですよ」

「ああ……」

 

 思わずうなずく。実験の合間に美鈴と話をした事があったが、彼女の仕事のほとんどが魔理沙についてだそうだ。ルイズは召喚されてからしか魔理沙を知らず、彼女のこの館での悪行を話でしか聞いてない。そもそも魔理沙もアリスも別に紅魔館に住んでいる訳ではない。住まいはちゃんと他にある。そしていつもの魔理沙だが、紅魔館にやってきてはいろいろとやらかすのだそうだ。しかし今はパチュリーとの共同研究のため、いろんなものの利用許可が出ている。許可が出ている以上争う理由はない。そのためか、このところの美鈴の仕事は庭いじりの方が多くなってきていた。

 

 もっとも美鈴がついていくのには、もっと別の理由がった。彼女がルイズに近づく。

 

「さ、行きますよ。ルイズ様、背中向けてください」

「え?どうする……。う、わあああああ!?」

 

 美鈴はルイズを抱え空に飛んでいた。

 

「ちょっと、我慢してくださいね」

「ちょ、ちょっとなんで飛ぶのよ」

「人里までは遠いですから。歩いて行けない事はありませんが、飛んだ方が早いですから」

「そ、そう」

 

 これがもう一つの理由。咲夜も飛べるが、人ひとり抱えながら人里まで行けるほど腕力はないので、美鈴の出番となった訳だ。

 

 

 

 

 

 人里までを飛んでいく。眼下には緑と、その隙間にその人里から紅魔館へ続く道が、ちらちらと見えていた。ルイズはその景色にただ見とれていた。

 

「うわあ……」

「飛ぶのは、あまりなされないのですか?」

 

 彼女を抱えながら美鈴が話かける。ルイズは小さくうなずく。あまりというか全く飛べないのだが。魔法を使えない彼女にとって、学院でよく見かけた飛ぶという行為はコンプレックスであり同時に憧れでもあった。

 

「それじゃ、もう少しサービスしましょう」

 

 美鈴はそう言うと、高度を上げ、そしてまた下げたりと、少しばかり違う景色の幻想郷をルイズに見せた。かと言って驚かせるようなアクロバットな飛行はしない。ルイズはただただ空の浮遊感に浸っていた。

 

「美鈴。ついたわよ」

 

 すると咲夜から声がかかる。ルイズは前をみると、家々が密集している所が見えた。

 ルイズが考えていたよりも意外と大きい。それに距離はそうでもない。馬があれば、行き来するのはそんなに難しくないだろう。もっともその馬がないのだが。紅魔館のみんなは飛べるので、使う必要がなかったりする。

 ともかく空の散歩は意外に短時間で終わる。少しばかりルイズはがっかり。そんな彼女の気持ちを察したのか、美鈴が話しかける。

 

「ルイズ様、またお時間があったら、いっしょに飛びましょう」

「うん。その時はお願いするわ」

 

 ルイズの答えに美鈴は、柔らかい笑顔を返す。

 やがて三人は高度を下げ、人里の門の手前に降りた。

 

 門の先には並ぶ家並みが見えた。だがそれはトリステインとはあきらかに違う。石ではなく木でできた街並み。ルイズはぽかん口を開け、ただ見入る。紅魔館はなんだかんだで洋式の館。彼女も馴染んだもの多いので、住人達を除くと異世界という感覚が弱かった。だがここは明らかに違う。道も建物も行きかう人々の姿も。江戸から明治初期の色合いのある人里は、これぞ異世界だった。なんともいえない真新しい感覚が頭に入り込んでくる。もっともしばらくするとルイズには、豪勢な物置小屋が並んでいるような妙な感じにもなったりした。トリステインでは木で作る建物なんて、平民の家か物置小屋や馬小屋とかくらいなものだから。

 

 人里と中を咲夜の買い物に付き合いながら進んでいく。店も珍しいが何よりも人間ばかりなのが珍しい。幻想郷に来てからというもの、人間じゃないのばかり見てきたのもあって。

 

「妖怪がいないのね。入っちゃいけないの?」

「そういう訳ではありませんよ。妖怪もたまに買い物に来ます。それでも人里ではあまり見かけませんけど」

「ふ~ん……」

 

 やがて、買い物も一通り終わり、一服つこうかと、三人は軽い食事ができる所を探した。大通りを進むと、それなりの店がいくつも目に入る。だが三人は脇道に入っていった。ルイズにとってはどこの店でも新鮮そのものだが、咲夜と美鈴はせっかくだから掘り出しものの店に案内しようと考えていた。どこに案内してくれるのか、ルイズはちょっとばかり楽しそうに期待している。

 

「あ!あんた!」

 

 だが、水を差す不穏な声が届く。振り向くと、彼女に身に覚えのある顔があった。エルフと翼人のハーフみたいな姿。以前ルイズが食べ物を強奪した時、ぶっ壊した屋台の主の妖怪だった。その後ろにはあの時みたランプもとい、提灯がぶら下がっている。どうも彼女の店の前らしい。

 思わず、たじろくルイズ。

 

「げっ!」

「どこに行ったのかと思ったら、ようやく会ったわね。さ、弁償してもらうわよ」

 

 弁償……。パチュリーに以前聞いた話だろう。まあ、身に覚えありすぎだが。

 

「う……。わ、分かったわよ。でも私はお金持ってないの」

「だから何?」

「その……えっと……。な、なんでもするわ」

 

 ルイズは腹を決めて言う。メイドみたいなのやらされたりとか、貴族として受け入れがたい事もありうるだろう。だが、そんな事は言ってられない。それに自らの咎なら、自ら償わねばならない。そう考えた。

 

 もっともこうルイズに思わせたのも、ミスティアが妖怪というのが実はあった。もしハルケギニアで平民が同じ事を言ってきたら、さすがに踏み倒しはしないものの、貴族としての見栄を捨ててまで償おうとはしないだろう。この妖怪というカテゴリーが、自然と同等のものと付き合うような感覚にさせていた。

 

 だが、この妖怪は、そんなルイズの気持ちは無視。

 

「は?何言ってんの?私の仕事手伝うとか言うつもり」

「う、うん……」

「何ができんのよ」

「えっと……」

 

 何ができると聞かれ、実は何もできない事に気付いた。そう、メイドすらできるのか怪しい。そもそも生産的な事は今までした試しがない。魔法はできなくとも座学では優秀だったルイズ。まるで何もできないとは、考えた事がなかったりする。

 身の回りの世話はみな使用人任せ、魔法関連は魔法が使えないので当然できない。その他の政治や経営なんかはただの知識。実感としてはまるで印象がなかった。想像以上に何もできない事を、いまさら思い知る。

 

 そんな、まごまごしているルイズを他所に、ミスティアは文句を並べる。

 

「あのね、臨時の給仕とかいらないから。給仕が必要になるか分からないし。それに必要ならずっと働く人を雇うわ。あんたはその内帰るつもりなんでしょ?」

「うん……」

「じゃあ、ダメね。ちゃんとお金揃えて持ってきなさいよ」

「う……」

 

 言葉がでない。どうすればいいのか。

 その時、咲夜が一歩前に出る。

 

「ミスティア。ルイズ様は、紅魔館のお客様よ。言葉には気をつける事ね」

「え?」

 

 紅魔館の名前を聞いて、今度はミスティアがたじろく。

 そして咲夜はルイズの方を向いた。

 

「何でしたら、こちらで用立てましょうか?」

「…………。い、いいわ。なんとか自分でする」

 

 ルイズ、咲夜の心使いを断固として拒否。

 確かに紅魔館の客人あつかいだ。それにこっちに召喚されたのもパチュリー達のせいだ。ルイズの面倒を見るのは彼女達の責任かもしれない。しかし、衣食住をただで与えられそれなり豊かな生活ができている状態は、少々肩身が狭かった。これ以上の好意は許されない。

 

 しかし、そんな決意の彼女を、ミスティアは訝しげな表情で見る。

 

「できるの?どうやって?」

「え、その……なんとかするわ!」

 

 ルイズ、実は勢いだけ。少々あきれていたミスティアだが、何か閃いたのか、急に表情が変わる。何か悪巧みでもしているような。

 

「そうだ。あんた、私の屋台使いなさいよ」

「屋台?」

「あんたが壊したヤツよ。もう直したけどね。ただ、人里でもう店開いちゃったでしょ。使う事なくなっちゃったのよ。それを貸してあげるわ」

「借りてどうするのよ?」

「私のヤツメウナギの蒲焼を売るの。ウチから卸してあげるわ。もちろんお金はあんた持ち。ただ稼げばそれで返せるわ」

「だからお金持ってないわよ」

「ツケにしてあげる。借金は増えるけど、稼ぐ手立てがないよりマシでしょ」

「う~ん……」

 

 確かにお金をなんとかすると心に決めたものの、方法がまるで思いつかない。渡りに船かもしれない。直接店頭に立つというのは、貴族としては抵抗があったが、暗中模索よりマシだ。

 だが咲夜はこの提案を信用してないのか、やや脅し気味に尋ねる。

 

「ミスティア。あなた何考えてるの?」

「べ、別に何でもないわよ。こっちとしてもお金返ってこないと困るし」

 

 紅魔館のメイド長の怖さを知っている身だが、商店主として下がるわけにはいかない。

 だが、ルイズは決断する。

 

「いいわ。あなたの提案受けるわ」

「そ。商談成立ね。それじゃ明日の昼頃、ここに来て」

「分かったわ」

「それで、えっと名前だったかしら?」

「ルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

「ルイズね。私はミスティア・ローレライ。夜雀よ」

「ミスティアね。それじゃ、また明日」

 

 そう言って、三人はヤツメウナギ屋を後にする。

 

「いいんですか?ルイズ様」

「いいの。決めたの。全部自分でやるわ」

「そうですか……」

 

 咲夜はどこか不安そう。なんだか妙な空気になった所で、美鈴が明るい声を出す。

 

「それじゃ私も手伝いますよ」

「ダメよ。美鈴にも仕事があるでしょ?」

「それはそうなんですけど……。魔理沙に警戒しなくてよくなりましたし。ほら、ルイズ様はまだ幻想郷には慣れてませんから」

「これから慣れるわ」

 

 なんだか意地になっているルイズ。この決意は梃子でも動かないといった感じのまま、人里から帰る事となった。咲夜と美鈴は苦笑いを浮かべながら、顔を向け合う。二人の間に、なんかマズイという空気が漂っていた。

 

 

 

 

 



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はじめての屋台

 

 

 

 

「ルイズ、あなた商売するんですってね」

「誰に聞いたの?」

「咲夜から」

 

 上座からレミリアがさっそく耳にした話題を振る。

 

 いつもの夕食の時間。紅魔館の主要メンバーが揃って食べている。と言っても吸血鬼であるレミリアとフランドールは、わずかな血さえあれば事足りる。そして妖怪としての魔法使いのパチュリーは人間の食事は別になくてもいい。もはや趣向品と言った感じでみんな口にしていた。ちなみに咲夜や美鈴は使用人なので、当然食事は別。

 

 レミリアはものぐさに口に食べ物を運びながら聞く。

 

「ミスティアの借金返すためだって?」

「そうよ。明日から、商売に励むの」

 

 ルイズは自分を奮い立たせるように答えた。

 

「そんな借金くらい、私が持ってもいいのに。あなたは紅魔館の客人なんだから」

「いいえ。ヴァリエール家の者として、自分の失敗は自分で償うわ」

「へ~。えらいのね。ほら、フランも見習いなさい」

「ん?うん」

 

 生返事のフランドール。目の前の牛フィレ肉のブリオッシュ包みに夢中だ。

 

 ところで、ルイズとレミリア達は今では普通に話している。最初こそルイズの礼儀を重んじた言葉遣いを喜んでいたレミリアだが、その堅苦しい雰囲気がその内鬱陶しくなり、ぶっちゃけてしまった。気まぐれなお嬢様であった。

 

 

 

 

 

 食事も終わり、部屋に戻って一息つく。するとこあがやってきた。パチュリーが呼んでいると言う。ルイズはもしかして帰る目処が立ったのかも、なんて淡い期待をしながら図書館に向かった。

 

「考え甘すぎよ」

 

 図書館に着いたとたん、ダメ出しされた。

 何をダメだしされたかというと、商売の事。

 

「確かにみすちーのヤツメウナギはうまいけど、それだけじゃ売れねぇぜ」

 

 魔理沙もダメ出し。

 

「だいたいどこで売るの?見当ついてるの?」

 

 アリスも以下同文。

 

 三人の魔法使いに一斉に失格の烙印を押され、少々へこむルイズ。

 ちなみに魔理沙とアリスだが、この所、図書館に泊り込みで研究をしていた。何やらルイズの魔法研究が佳境に入っているらしい。

 

 ルイズは意地になって反論する。

 

「た、確かに、まだ幻想郷の事はよく分からないわ。でも、だんだん学んでいくつもりよ」

「その間に、どれだけ損するんだよ。屋台は借り物、仕入れは全部お前持ちなんだぜ?トラブル起こした日には目も当てられないぜ」

「十分学べた後には、借金は何倍にも膨れ上がってるでしょうね」

 

 言われてようやく気づいた。覚悟と気合だけでどうにかなるものではないと。

 

「だ、だけど……」

「だから人を頼りなさいよ。友人が近くにいるでしょ」

「え?」

「私達は少なくともルイズをそう思っているわ。あなたは違うの?」

「…………」

 

 パチュリーのその言葉。友人。その響きを聞いたのはいつ以来だろうか。実家では同等の立場と言えるのは二番目の姉くらい、後は目上、両親や一番上の姉。それか目下の使用人達。学院に入っても、魔法を使えないルイズをバカにするものばかりで友人と言える相手はいなかった。友人なんて言葉にふさわしいのは、幼い頃、共に遊んだあの姫くらいだ。

 ルイズの目頭が自然と熱くなる。

 

「うん……」

「なら頼りなさい。ただしお金の無心だけはだめよ」

「うん」

 

 ルイズは目元を拭いながら、二度うなずいた。

 

「と言われても実は私、よく分からないのよ、人里。滅多に行かないし」

「え!?」

 

 感動していたのに、いきなりパチュリーにはしごを外された気分。ちょっとショック。

 でもパチュリーはそれに落ち着いてアドバイス。

 

「でも、魔理沙とアリスは詳しいわ。人里によく行ってるようだし」

「お願い二人とも。私に商売を教えて」

「ああ、任せろ」

「まあ、いいわ」

 

 やがて仕切りなおしとばかりに、魔理沙が大きめの声を上げた。

 

「さてと、どうするかだな。まず人里で店出すのは難しいしな」

「え?何で?」

 

 ルイズは少し驚いて聞く。

 

「人里には商売するのに許しがいるんだよ。各地区に顔役がいてさ。屋台も話通しておかないと出せないぜ」

「それじゃミスティアに頼んだら?」

「店開いたばかりだからな。無理はできないだろ。私らも紅魔館の連中もツテはそう強くないしな」

「そう……」

 

 想像以上に厳しい状況に、ルイズは少し唸る。本当に見通しが甘かったようだ。

 さらにアリスが補足を付ける。

 

「それに店を出せても、元からある他の店と客の奪い合いになるわ。同じ条件だとルイズの屋台はちょっと不利だから厳しいわね」

「不利ってなんで?」

「あなたがヤツメウナギ焼くんじゃないんでしょ?」

「たぶん。焼き方分からないし」

「という事はすでに焼いたのを仕入れる形になるわ。つまり店に出すときは冷えちゃてるのよ」

「あ」

 

 これは厳しい。よほど知恵を絞らないと、本当に借金が何倍にもなってしまう。少しばかり青ざめるルイズ。

 だが、そこに魔理沙が笑って参入。

 

「でだ、人里で商売するのはあきらめる」

「じゃ、どこでするのよ」

「人里の外。つまり前にみすちーがやってた所だ」

 

 ふと思い出す。最初に彼女に出会った場所を。確かに外なら許可もいらないだろう。人里からもそれほど離れてはいない。しかし、中にミスティアの店があるのに、ワザワザ外に出る人間はいるだろうか。それでどうやって商売ができるのか。しかも冷えたヤツメウナギなのに。

 そんな疑問に魔理沙は答えを用意していた。

 

「人間相手に商売するんじゃないぜ。妖怪相手だ」

「え?」

「みすちーの屋台は妖怪もよく来てたんだよ。もちろん人里に入っていけばいいんだけど、弱い妖怪には人里入るのに気後れしてるヤツもいてな」

「それで外にあるなら、気軽に来れるって訳ね」

「ああ。それなら少々冷えてても買っていくぜ。お前の屋台でしか食えないんだから」

 

 ルイズには思いつきもしなかったアイディア。いや、人里と妖怪というものよく分かってないと出てこない。こんな考えを思いつくまで学ぶなんて無理な話だったと、ようやく理解する。この粗雑な魔法使いが、今ルイズにとっては救世主に思えていた。

 しかしここでアリスが一言注意。

 

「ただし、やっぱり妖怪相手だから、危険は多少あるわ。だからあなたにも武器が必要よ」

「武器って言っても、失敗魔法しかないわよ」

「その失敗魔法を使いましょう。使うと言っても脅しで十分なんだけどね」

「そうなの」

「ただあの爆発で、屋台まで壊しちゃ元も子もないわ。だから精度を上げましょう」

「どうするの?」

「ファイヤーボールとかフライとか目標を定めない魔法は、どこで爆発するか分からないけど、錬金やロックのような目標を定める魔法は対象が爆発するわ。だから後者を使いましょう」

「まあ、ロックは鍵がいるけど錬金ならどこでも使えるわね。錬金にしましょう」

「それと爆発は屋台に届かない範囲でやってよ。それに爆発もなるべく絞るように。でもだいたい分かるでしょ?あれだけ爆発魔法繰り返したんだから」

 

 実に十日間も、立て続けに何百回とやらされた失敗魔法の日々が思い出される。確かにきつかったが、それだけに感覚的に範囲や加減がある程度は身についていた。

 

「うん、やれそうな気がする」

 

 ルイズは急に明るくなった。自信が溢れている感じがしていた。それをやけに楽しそうに見ている三人の魔女。微妙に全員笑みを浮かべていた。

 やがてパチュリーが声をかける。

 

「それじゃ、明日ね」

「こっちはいいの?手伝わなくて」

「しばらくはいいわ。時間がかかりそうだから」

「うん。分かったわ」

 

 そしてルイズは部屋へと戻ろうとする。だが、立ち止まってもごもごしている。

 

「その……あの……。みんな、ありがとう」

「ええ」

「おう」

「それじゃ、がんばりなさいよ」

 

 三人の魔女は部屋に戻るルイズを、笑顔で見送った。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……。重い……。」

 

 以前ミスティアが商売していた場所。見覚えのある場所に屋台を引っ張って来た。

 そこでルイズは汗だくになっている。屋台を一人で引っ張って来て。この屋台は想像以上に重く、そしてルイズは想像以上に非力だった。つくづく何もできないと実感する。何かと全て自分でやる事の多い幻想郷。だんだんとそれが当たり前と思う心が芽生え始めている。そしてルイズはまたあらたに決意する。明日から体も鍛えないといけないと。

 

 商売は夕食時を狙ってやる事になった。昼動く妖怪にとっては晩飯、夜動く妖怪にとっては起き掛けの飯になるからだ。

 用意されたヤツメウナギの数は少ない。時間が経ちすぎると悪くなるから、売り切れになる程度の量だけ。それに夕方から人里の門が閉まるまでの時間はそれほどない。多くを売っている余裕がないというのもある。

 

 のれんをかけ、提灯を灯して商売開始。ルイズは気合十分。店頭販売なんてやった事はなかったが、トリスタニアの商人のイメージはある。それと魔理沙達から教えてもらった事を合わせ、それっぽくはやっていた。

 だがまるで売れない。仕事から帰る人間がたまに寄って行ったが、作り置きしかないと知ると、人里のミスティアの店に行くからいいと言われた。少々残念だが想定内。彼らは商いの対象ではない。

 

 やがて三人の人影が近づいてきた、背中に羽がある。本命登場だ。

 

「あれ?みすちーは?」

 

 やや濃い金髪の女の子が話しかけてくる。みすちーというのはミスティアの愛称というのは、魔理沙から聞いた。つまりは彼女の店の常連客なのだろう。幸先がいい。

 

「人里で店を開いたから、こっちにこれないの。それで私が頼まれたのよ。作り置きだけど、食べてみる?」

「ふ~ん」

 

 しぐさが妙にかわいらしい。だが見た目で判断してはいけないのが妖怪。あのスカーレット姉妹も、一見するとルイズ以下の歳に見えるが、実は500歳程度というのだから驚きだ。

 三人をよく見るルイズ。短いツインテールのリボン少女と、モンモランシーのような縦ロールの金髪少女。そして黒いロングの少女。恰好は人里の人間とまるで違う。ゴシック風とでもいうのだろうか。そう言えば、人里でのような恰好をしている妖怪は、ミスティアくらいしかいなかったなんて事を思い出す。人間相手に商売するから、あんな恰好なのかもと思った。

 

 三人は興味ありげに店の中を覗いていた。

 

「あ!お前たち」

 

 突然、上から声がかかる。見上げた先に見覚えのある顔があった。湖の畔で酷い目にあった氷みたいな羽の生えた相手だ。それだけじゃない他に二人。しかもその内一人は、森で迷っている時に、自分を食べようとした金髪リボンの妖怪。ルイズ、少々複雑。

 

「げっ、チルノ!」

 

 ツインテール少女はそうこぼして、露骨に嫌そうな顔をしていた。

 

「この前はよくもやったな!」

「この前っていつのこの前よ!」

「この前はこの前!」

 

 店の前で口喧嘩を始めた。しかも、まるで子供の喧嘩。成りも子供っぽいので余計に。正直迷惑。他でやってとうんざり顔。

 だが、逆にチャンスなのでは、なんて言葉が頭に輝く。

 

「ちょっと、やめなさいよ。何があったか知らないけど」

「こいつらは永遠のてきなんだよ。ってあれ?どっかで会った?」

 

 チルノと呼ばれた少女は、ルイズを見て首を傾げる。するとあの金髪リボンが指差して喜んでいた。

 

「あー!外来人」

「外来人?」

「食べていい人類」

 

 まだ言っている。

 

「違うわよ!それにただの外来人じゃないわ。今は紅魔館でお世話になってるの」

「えー。それじゃ食べていけない人類なのかー」

「そうよ」

 

 この金髪リボンの食べていいという基準がイマイチ分らないが、ともかく捕食対象からは外れたらしい。

 だが、そんな事より商売だ。

 

「だけど、食べていいものは他にあるわよ」

 

 そう言って、ヤツメウナギを取り出した。そして団扇で仰いで香りを飛ばす。全員の視線が一斉に注目。目の色が変わっている。顔も少し緩んでいる。

 だが一人だけ、不安そうな顔しているのがいた。チルノと一緒にいたもう一人。緑のサイドテールで羽の生えた少女。

 

「チルノちゃん、やめとこうよ」

 

 どこかしぐさがおとなし目。このメンバーの中ではちょっと変わっている。

 

「なんで?食べていいんだよ」

「だけど……」

 

 二人は少々もめていた。するとツインテールリボンの少女の方が先に動く。

 

「私達は食べるわ。あんた達には何も残さないからね。ベー」

 

 舌出して、チルノを挑発。彼女は分かりやすく反応した。

 

「あー!あたしも貰う」

「食べるのかー」

 

 そして一斉六人は、ヤツメウナギを注文しだした。思わずニッコリとうなずくルイズ。初日だというのに、このままだと今日の分は全て捌けそうだと。

 

「あー、おいしかった」

 

 六人は満足そうに口元を拭く。本当に今日の分が捌けてしまった。ルイズは後かたづけをしながら、内心笑いが止まらない。そしてにこやかに当然の要求を口に出した。

 

「そう。よかったわね。それじゃお金、ちょうだい」

「「「え?」」」

 

 全員が不思議そうな顔をする。そしてルイズも不思議そうな顔。

 

「は?だから食べたでしょ。お金」

「お金持ってないよ」

 

 チルノがあっけらかんと当たり前のように言ってきた。ルイズは顔が青くなる。

 

「はぁ!?お金がない!?じゃなんで食べたのよ!」

「くれるって言ったのは、お前じゃないか」

「あげるなんて言ってないわよ!食べる?って言ったのよ!」

「やっぱり言ってるじゃないか!」

「どういう耳してんのよ!」

 

 今度は真っ赤になって杖を取り出す。そして向かいの端にある石ころに向かって振った。

 破裂音と共に、そこそこ大きめな爆発が起こった。ルイズ自身は抑えたつもりだったのだが、怒りに任せたせいだろうか。

 

「ふざけるんじゃないわよ!こうなりたくなかったら、お金出しなさい!」

 

 チルノ以外はその爆発で一気に血の気が引いていく。ただの人間か思ったら、とんでもない相手だと。

 

「だから言ったんだよ。やめようって」

 

 緑のサイドテールの子が、ぼそぼそこぼしていた。

 さっきまで朗らかな空気に包まれていた屋台の周りが、緊張で満たされる。

 

「ルナ、スター!逃げるわよ!」

 

 先にツインテール少女が動き出す。すかさずキッとした顔つきで、ルイズはそっちを向く。

 だが、そこにいたはずの三人は、かき消すように姿が見えなくなった。このツインテール少女、サニーミルクには光の屈折を操る能力がある。それで自分達の姿を隠すことができる。

 ルイズ、目を見開いて探すがどこにも見当たらない。

 

「えっ!?な、何!?こら、どこ言ったのよ!」

 

 すると今度は残った方。

 

「ほら、チルノちゃん逃げるよ!」

「あたしは、逃げない!」

「いいから!」

 

 だが、逃がすものかとルイズは杖をかざす。

 しかし、視界がだんだん暗くなり、あっという間に真っ暗。何も見えなくなった。ただ声だけが聞こえてくる。

 

「逃げるのかー」

「あの時の魔法!ま、待ちなさい!吹き飛ばすわよ!」

 

 脅すが何も見えないので、どうしようもない。やけくそで魔法を唱えようかと思ったが、失敗して屋台を壊しては目も当てられない。せいぜいできるのは歯ぎしりだけ。

 やがて暗闇が晴れ、視界が戻る。だが、そこには誰もいなかった。

 

「く、食い逃げされた……」

 

 ただただ、立ち尽くすしかないルイズだった。

 

 

 

 

 



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魔法少女

この話から、ハルケギニアの魔法に、自己解釈が入ってきます。


 

 

 

 

「パチュリー!」

 

 ルイズは帰ってくるなり図書館へ直行。開けた扉の先には魔理沙が何か口に頬張っていた。食事中だった。

 

「お、ルイズ。早かったな。もうちょっと苦戦してるかと思ったぜ。初日なのに上手くいったな」

「…………」

 

 だが彼女の黙り込んだその表情で、魔理沙はすぐ気づく。トラブルを起こして、急いで帰って来たのだと。

 

「逆か……」

「うん……」

「で、どうした?」

「食い逃げされた……」

 

 ぼそぼそと、うつむいて話す。それを聞いて首を傾げる魔理沙。

 

「なんで食い逃げされたんだよ」

「食べた後、お金払わなかった」

「金貰う前に、ヤツメウナギ出したのか?なんでそんな事したんだよ」

「え?品物先に出すのが当たり前でしょ」

 

 今度はルイズが首を傾げる。

 

「いや、逆だろ?金貰ってから、物渡すだろうが」

「え~!?なんでよ!?」

「客が金持ってなかったら、トラブルになるだろ?あ!もしかして、ハルケギニアは逆なのか?」

「うん……」

「そっか……。そうだったか」

 

 江戸から明治初期の習慣を色濃く残している幻想郷は、支払が先払いか信用払いのどちらかで、後払いはまずない。ハルケギニアでも先払いはなくはないが、貴族であるルイズが先払いを要求してくる店を使う事はほとんどなく、店側もまさか貴族にお金が足らないなんて考えてもいない。彼女が先払いに遭遇する事は滅多になかった。ルイズはこんな所まで違うのかと、またもや異世界というのを思い知らされ、常識を改変していくのだった。

 その後、魔理沙は幻想郷での商習慣を説明する。一方、魔理沙自身もここまで違うのかと、少しばかりカルチャーショックを受けた。

 ひと段落して、ポツリとこぼす。

 

「となると、借金は増えちまったのか」

 

 いやな響き。昨日までのやる気が、すっかり萎むくらい。

 椅子にぐったりと座りこんだルイズは、何気周りを見回す。図書館はいつも以上に人影がなかった。

 

「ところで、みんなは?」

「パチュリーは食事から戻ってない。アリスは総仕上げに入ってて、離れられないそうだ。私は夕食中。お前、食事は?」

「ううん。咲夜に後で頼む事になってるの」

「そうか」

 

 その時、図書館の扉が開く。パチュリーが戻って来た。

 

「あら、ルイズ。早かったのね。上手くいった?」

 

 すると、魔理沙が腕を交差してバッテン。やがてパチュリーは少々神妙な顔つきなまま椅子に座った。

 そしていきさつを聞く。食い逃げ犯は6人である事。その姿や能力の事も。二人はすぐに犯人の見当がついた。金髪ツインテールのサニーミルクとつるんでいたのは、ルナチャイルドとスターサファイア。通称光の三妖精と呼ばれている妖精達。もう一方の三人は氷の妖精チルノ、金髪リボンの暗闇妖怪ルーミア、そして大妖精こと大ちゃん。

 魔理沙は食い逃げ犯を思い浮かべながら、口を開く。

 

「いたずら三妖精に、チルノ達か。でも妖精相手じゃ商売できねぇぜ。あいつら金持ってないし」

「だって妖怪と妖精の区別なんて、つかないもん!」

 

 こっちに来て一ヶ月も経っていないルイズに、その違いを見極めるのは難しい。幻想郷の妖怪や妖精は外見もあるが、やはり中身の差が基準。だから一見では区別がつきにくかった。

 半端なアドバイスをしてしまった事に、二人は少々反省。だが、すぐに気持ちを切り替える。幻想郷の住人は基本的に前向きなのだ。

 

 三人が対策を考えようとしていると、奥から人影が現れた。アリスだった。

 

「あ~、疲れた。あら、ルイズ帰ってたの。早かったのね」

 

 その次に出てきそうな言葉を止めるように、魔理沙がまた×。そしてまたもやいきさつを聞く。そしてアリスもちょっとしまったという顔。

 やがて四人はこあからお茶を出してもらう、それを口に含みながら頭を捻っていた。パチュリーがポツリとこぼす。

 

「商売の事はよく分からないのだけど、コツコツやっていくしかないのかしらね」

「はぁ……」

 

 ルイズから重い溜息が漏れる。

 そこに不敵な声。アリスだった。

 

「でもないわよ。うまくいけば一発で借金返せる手があるわ」

「何だよ」

「チルノに弁償させるの」

「あいつが、何も持ってないのは知ってるだろ」

「あの子、氷精よ」

「どういう意味だよ」

 

 イマイチ、理解しかねている魔理沙。ルイズもすぐ解答が聞きたいのか、アリスに尋ねる。

 

「あいつ何かできるの?」

「氷を作れるのよ」

「え?もしかして氷を売るの?今の季節でも売れるの?」

「売れないわ。温かくなっては来たけど、まだまだね」

 

 ルイズは何を言われているのかさっぱり分からない。だが魔理沙の方はようやく意味が分かった。すかさず、ルイズに話かける。

 

「ハルケギニアじゃ、氷はどうしてる?夏とかさ」

「そりゃメイジは作れるけど、売ってるの見た事ないわよ。貴族がそんな商いするとは思えないし」

「魔法を使えるヤツじゃなくって、普通の連中だよ」

「平民じゃどうしようもないわよ。夏じゃ、氷なんてどこにもないし」

「それが幻想郷じゃ、売ってるんだよ。夏に氷。もちろん魔法なんて使ってないぜ」

「え?どうやって?」

 

 思わず身を乗り出すルイズ。魔法を使わず、夏に氷を売るなんて想像がつかない。

 

「冬の間にな、雪や氷を溜めて大きな地下室や洞窟にしまっとくんだよ」

「そんな事しても溶けちゃうでしょ」

「ああ、だけど量が多いと全部は溶けないんだ。地下は温度が変化しにくいしな」

 

 そんな方法があったとは、ルイズ、少しばかり唸る。そしてすぐアリスのアイディアを理解した。

 

「つまりあの妖精に、氷を作らせるのね。沢山。それでミスティアの借金を返す」

「その通り」

 

 アリスは静かにうなずく。だがルイズは問題を一つ思いついた。

 

「でも、あの妖精。いう事聞くかしら?」

「聞かないわ」

「じゃあ、どうするの?」

「もちろん、力づくよ」

「え?なんとかしてくれるの?」

「何言ってるのよ。ルイズ、あなたがやるの。一人で」

「え、ええ~っ!?ちょ、ちょっと無理に決まってるでしょ!」

 

 脳裏に浮かんだのは最初にチルノと出会ったときの、氷の魔法、止まらぬ氷の弾幕。あの時は逃げればよかったが、今度は倒さねばならない。その上相手は飛び回る。それに対する自分の武器は失敗爆発魔法だけ。無理ゲーだった。

 するとパチュリーが納得顔で言葉を挟む。

 

「ふふ、そういう事ね」

 

 そして、キョトンとしたルイズの方を振り向いた。

 

「まあ、この続きは明日にしましょう。じっくり休息を取ってね」

 

 と言ってニコっと笑った。なんとも不安なものしか感じないルイズだった。

 

 

 

 

 

「これは何?」

 

 いつも実験していた広場で、ルイズは露骨な不満顔を浮かべている。

 

「リリカルステッキに、マギカスーツだぜ」

「で?」

「魔法少女だぜ!」

 

 ビシッ!というぐあいに魔理沙が親指立てて答えた。ルイズの眉がピクっと動く。

 

 今朝の事。いつも通りの朝食の後、こあに言われる。この服を着て、広場に来て欲しいと。用意されたものにルイズは唖然。フリルがちりばめられた、微妙に露出度の高いピンクの服。これまたフリルなピンクの靴。そしてハートと羽のついたピンクの杖。以前採寸された事があったが、これを作るためだったのかと気付いた。

 ピンクセットを指さすと、すかさずこあに文句を言う。だが、とにかく着てくれと言うばかり。ルイズはやけくそ気味に着る。そしてここにいるのだった。

 

「その魔法少女って何よ!」

「魔法を使う少女だぜ」

「そのままじゃないの!」

「そうなんだけど、なんか違う感じがしないか?」

「しないわよ!」

 

 二人の横で、アリスが笑いを漏らす。

 

「似合ってるわよ。ルイズ。そういうの作ってみたかったのよ。着たくはないけど」

「あ、あんたねぇ」

 

 杖を握る拳がより硬くなった。

 ただ一人、大して表情を変えないパチュリーがなだめに入る。

 

「まあまあ、ルイズもあきらめなさい。これから魔法を使うのに必要なんだから」

「あきらめろって……。えっ!?魔法を使う?」

「そうよ。あなたは魔法を使うの」

「失敗魔法?」

「そうじゃないわ。チャンとした魔法よ。つまりあなたは魔法使い、いえ、間違いなくメイジという事よ」

 

 急にルイズの顔が明るくなる。この魔法使いは自分がメイジだと断言した。ゼロではないのだと。なんだかんだでその能力に感服していた相手が、魔法の才能がある事を保証してくれた。待ち焦がれたその瞬間がとうとうやってきた。さっきの不機嫌さはどこかへ吹っ飛び、かわり期待がムクムク膨れ上がる。その目はキラキラと輝いていた。

 

 パチュリーはそんな彼女を少しばかり楽しげに見る。

 

「さてと。説明するわね。いろいろ調べて分かった事を話すわ。まず、あなたはメイジ、しかもかなり能力の高いメイジよ」

「ホ、ホント?でも何で爆発しか起きないの?」

「それはあなたの能力が、封印されてるから」

「封印!?」

「そ。ただその封印は、解けるようにはなってるの。封印を解く鍵があればね」

「もしかしてそれが手に入ったの?」

「いいえ。鍵はまずこっちにはないでしょうし。なんとか封印解けないかって考えたけど、結局細かな点までは分からなかったわ。だから完全に解くにはハルケギニアに戻るしかないわね」

「え?それじゃ、今、封印解けないじゃない。どうやって魔法使うのよ」

 

 希望があるんだかないんだかよく分からない返事に、少々もどかしげに尋ねる。だがパチュリーは相変わらず。

 

「そのためのコスチュームと杖よ」

「これ?」

 

 ルイズはその恥ずかしい格好に目をやる。

 

「まずその服だけど、魔力、あなた達の言葉でいうと精神力?それを溜め込むものなの」

「精神力を溜めてどうするの?」

「あなたの魔法が爆発するのは、その封印から魔力が漏れてるからよ。そうでなかったら、爆発すら起こらないわ」

「なんで漏れてるのかしら……」

「封印が不完全なのか、それともその能力を示唆させるためにワザと漏れてるのか……まあ、分からないわ」

 

 パチュリーはお手上げとばかりに、手のひらを返す。

 

「それともう一点。ルイズ、あなたの魔力は純粋魔力なの。だから私達の技術が使えるのよ。逆に系統魔法?だったかしら、それは属性付きの魔力なんでしょうね。だからその技術では、あなたはうまく魔法が使えないの」

「へぇ……」

「この杖と服で魔法を使う仕掛けはこうよ。あなたがいつものように魔法を唱える。ハルケギニアの魔法ね。それが爆発に転化される前に、この服に蓄積。溜め込んだ魔力を、この杖を使って使う事になるわ。杖を媒介させた方が、あなたに使いやすいと思ってね」

 

 ルイズは説明を受けて、もう一度このピンクなフリルを見つめる。それがもう輝いているように思えた。妙な仮装衣装から、未来を切り開くマジックアイテムに見えた。

 そこでアリスの声が挟まれる。

 

「ただまだ試作なんで、いろいろ不便なのよ。今はそのピンクの杖しか持ってないけど、実際使うときは今までの杖も使うわ」

「え?杖を二本も?」

「そう。つまりさっき言っていた魔力を服に溜めるのと、魔法を使うのは同時にできないの。魔力を溜めて、魔法を使って、また魔力をためて……ってやり方になるわ」

「それじゃ何?例えば『錬金』を唱えて、こっちの魔法を使って、また『錬金』を唱えてってやり方になるの?」

「そういう事。ただその服の許容量はそれなりにあるから、あらかじめ魔力を溜め込んでおくって方法もあるわ。そうは言っても限界もあるから注意してね」

「限界超えるとどうなるの?」

「服が破裂するわ。死ぬようなものじゃないけど。まあ裸になるくらいかしら」

「裸……。き、気をつけるわ」

 

 なにやらいろいろと扱いに注意しないといけないらしい。少しがっかりなルイズ。未来を切り開くマジックアイテムが、不恰好な工作器具に思えてきた。しかし心の高揚感は失ってない。

 

「うん。まあいいわ。魔法が使えるんだもの」

「ま、改良はしていくわよ」

「うん」

 

 納得げにうなずくルイズ。三人の魔女はそんな彼女に表情を緩めていた。

 ルイズはふと感じる。

 

「だけど……その……なんで私にいろいろしてくれるの?」

 

 思い切って聞いてみた。こっちに召喚されてから、ずっと彼女達は自分についていろいろしてくれている。この所なんて泊り込みで、徹夜までしている。召喚してしまった責任というのはあるだろう。一方で友人とも言ってくれた。だけど友人だからと言って、そこまでしてくれるのだろうか。あまり友人関係を持った事のないルイズは、少しばかり戸惑う。

 しかしそう聞かれた三人はキョトンとしている。そして最初に魔理沙が口を開いた。

 

「そんなの面白いからに決まってるだろ」

「面白い?」

「異世界の外来人だぜ。放っておく手はないだろ」

「私は実験動物じゃないわよ!」

「はは、分かってるぜ。だけど、魔法が使えれば幻想郷にはもっと馴染めるぜ」

「それはそうだけど……」

 

 なんともどう受け取っていいか困る答え。

 

「お互い得してるんだから、気にする事ないのよ。まあ……その……同じ魔法使い仲間が増えるのは、悪くはないしね」

 

 ぽそりとパチュリーがこぼす。ルイズはわずかに目を逸らす彼女をちょっとばかり驚いて見ていた。ハルケギニアにいた時とは違う感覚が流れる。ふと暖かい気持ちになっていた。

 

 すると突然、魔理沙が箒にさっそうとまたがった。

 

「それじゃ、さっそく始めるか。練習」

「今から?」

「ああ。急がないといけないからな」

「何でよ」

「チルノを倒さないといけないだろ」

 

 そんな事を言われたのを、ルイズは思い出す。だが何故急がないといけないのか分からない。もちろん早いに越したことはないが。

 

「急がないと、あいつら忘れちゃうぜ。バカだから」

 

 その言葉に、心当たりがいくつもある。主に紅魔館の妖精メイド相手で体験して。実は、幻想郷の妖精はあまり賢くなかった。

 

「分かったわ。急ぎましょう」

 

 気合を入れた顔で、ぎゅっと拳を突き出す。羽の生えたハートピンクの杖を握り締めて。

 

 

 

 

 

 それから一週間ほど。

 昼は魔法の練習、夕方から晩にかけてはミスティアの屋台と、スケジュールいっぱいの日々が続いていた。しかもそれだけではない。ルイズはこの世界では体力自体も必要と痛感して、早起きしてトレーニングに励んでいた。専門家にいろいろ指導されながら。

 

「今日はここまでにしましょうか」

「はぁ、はぁ、はぁ……。ありがとう、美鈴」

「いえいえ」

 

 美鈴は、ニコニコしながら答える。

 トレーニング指導の専門家とは彼女の事。早起きしたルイズが、走りこみをしようとしたら声をかけられた。まだ門番に立つまで時間があるので、付き合うと。さらに彼女は体術が得意なので、運動の指導者としては適任でもあった。ついでにその体術も教えてもらっている。導入編程度だが。そして今は彼女と共に運動するのが日課となっていた。

 ルイズは汗を拭きながら、尋ねる。

 

「でも、なんで付き合ってくれてんの?」

「う~ん……。強いて言えば、好奇心でしょうか」

「好奇心?」

 

 好奇心。魔理沙も似たような事を言っていた。この幻想郷の連中を動かす原動力なのかもしれない。ハルケギニアの貴族が、誇りや立場、信念、自分の立ち位置で動くのとまるで違う。ここはただ妖怪やら悪魔やら妖精やらがいる別の世界というだけではなく、根っこから違う。異世界とはこういう事か、なんてルイズはすっと理解してしまった。

 

「ルイズ様とパチュリー様達が楽しそうに何かやってるのが、少しうらやましかったんですよ。ルイズ様ともう少しお話しできないかなぁ、と思いまして」

「楽しんでる訳じゃないわよ。パチュリー達は楽しいかもしれないけど」

「そうですか?ルイズ様も楽しそうに見えましたよ」

 

 あっけらかんと言われると、否定しづらい。少し顔を赤くして口ごもる。

 ふと美鈴が聞いてくる。

 

「ここに落ち着く気はないんですか?」

「…………。ないわ。やっぱりトリステインが私の世界だから」

「そうですか」

 

 少しばかり残念そうな彼女。

 ここの世界に馴染むほど、ルイズの中にはトリステインというものがハッキリと形作られていた。好む好まない以前に、あそこが故郷だと。

 ただすぐにでも帰ろうという気も、最初に比べれば薄くなったが。

 

「だけど、なんか私の魔法に夢中で、帰る方法見つけんの忘れてんじゃないの、って気もするんだけど」

「大丈夫ですよ。チャンと覚えてますよ」

「でもどのくらい研究が進んでるのか、教えてくれないのよね。あ、そう言えば、使いたくない手段があるって言ってたっけ。美鈴何か知ってる?」

「ルイズ様を帰すのにですか?」

「うん」

 

 美鈴は少し考えてから答える。

 

「たぶん八雲紫に頼むんでしょう」

「八雲紫?」

「幻想郷を作った張本人で、管理人です」

 

 この世界を作った本人と聞いて、驚くルイズ。もっとも誤解しているのだが。

 とにかくルイズ本人は、悪魔がいるくらいなのだ、世界を作り出す存在がいても不思議じゃないと思ってしまった。そして、それを表す言葉は一つしか浮かばない。

 

「その……神様?」

「いえ、違いますよ。妖怪ですよ」

「妖怪!?妖怪ってそんなとんでもないのまでいるの!?」

「まあ、ピンキリですからねぇ」

「それにしたって程度ってものがあるわよ。でも世界を作る妖怪ならなんでも出来そうね。でもどうして頼むのいやなの?実は悪い妖怪とか?」

「あまり会ったことないのでよく知らないのですが、うさんくさいそうです。借りを一番作りたくない相手といいましょうか……」

「確かに、それだけすごい妖怪だと、借りを作ったら何されるか分からないわね」

 

 神妙にうなずくと、ルイズはトレーニング道具をしまい出す。

 それからルイズと美鈴は他愛のない話を続け、やがてルイズは朝食へ、美鈴は門番の仕事へと向かった。

 

 

 

 

 

「大分さまにはなったけど……」

「まだまだ厳しいわね」

 

 魔理沙といっしょに飛んでいるルイズを見て、アリスとパチュリーはつぶやく。

 今は弾幕ごっこの練習中。弾幕ごっこ。もといスペルカードルール。幻想郷の決闘のルールだ。人間や妖精、妖怪と言った種族や力も大きく違う者同士のトラブルを解決する方法。お互い弾幕を打ち合い、用意した相手の術式、スペルカードを全て攻略した方の勝ちとなる。

 ルイズはこのルールを身に着けるために訓練を受けていた。と言ってもまだルイズは弾幕と言える様なものは撃てず、なんとか火のような光弾を出すのが精一杯。ましてやスペルカードなんて組めっこない有様だった。

 

「それでも一週間程度で、ここまで来たのは大したものよ」

「あれほどあっさり飛ぶとは思えなかったものね」

 

 二人は初めて魔法少女コスチュームを着た日の事を思い出す。ルイズは最初の難関。空に浮くという事をなんなく成し遂げた。魔法はハルケギニアも幻想郷もイメージが大事。ハルケギニアでなんとか魔法を使おうと、イメージトレーニングをしていたのが、役に立ったのだろう。

 

 ただそこから先が問題だった。ルイズの空を飛ぶというイメージは、学院で見かけるようなフライの魔法の印象が強かった。とてもじゃないが幻想郷で飛び回るには及ばない。さらに弾幕。火でも氷でも風でもない、なんとも言いがたい光の弾。これがイメージしづらい。結局、皮肉な事にあのムカツク火のメイジのイメージを流用するハメに。おかげでルイズの弾幕は火のような形になっている。だが、それでも山のように、さらに幾何学的に弾を撃つというスペルカードのそれとは大きく違っていた。

 

 やがて二人が降りてくる。自然と降りてくるルイズ。こういう単純に飛ぶという動作については、彼女は本当にスムーズだった。

 

「どうかしら?」

 

 ルイズの質問に、一瞬顔を見合わせる三人。最初にアリスが口を開いた。

 

「まだ始めたばかりにしては、かなり上達したわ。正直早いと思う」

「ホント!?」

 

 彼女自身も感じていたが、上達が手に取るように実感できるのは本当に気持ちがいい。それを認めてくれた。顔を綻ばせるルイズ。

 しかし人形遣いの顔は少し厳しめ。

 

「ええ、ただそれでもまだまだ足りないわ。弾幕ごっこで勝つにはね」

「なら、もっと練習する」

 

 ルイズ、あくまで前向き。なんだかんだで楽しいからだ。こんなに自在に魔法を使えるなんて、当然初めての感覚。むしろずっと続けたい気分だ。

 ただそんな気持ちに、パチュリーから冷や水が。

 

「そういう訳にはいかないの」

「何でよ」

「時間がないのよ。明日には挑まないとマズイわ。これ以上延ばすと、本当に忘れちゃうんじゃないかしら」

「ええっ!?どうするのよ!何か方法はないの?」

「何か切っ掛けがあれば、ぐっと伸びそうな気はするんだけど……」

 

 実はこれまでも、魔理沙とパチュリー、パチュリーとアリスの弾幕ごっこをいくつか見た。それを元にイメージしようとしたがどうにも上手くいかない。

 やがて練習時間が終わろうとしていた。

 ルイズに焦りが浮かんでいる。チルノがどの程度の相手かは、ちょっと模擬戦で見せてもらった。さすがにさっきの三人の戦いに比べれば、大したことはないものの、それでも今のルイズでは相手にできるレベルではなかった。

 一同が頭を悩ましていると、魔理沙が声を上げる。

 

「しゃーない。別の手で行くか」

「何?」

「チルノと初めて会った時、弾幕の途中で逃げたろ?」

「うん……。訳分んなかったから……」

「その勝負の続きをするんだよ」

 

 魔理沙達はルイズが紅魔館に戻って来た後、それまでのいきさつを聞いていた。チルノとのやりとりも当然。座学が優秀なルイズは記憶力もよかった。彼女との勝負内容も結構細かく覚えていた。その中で出てきたキーワードが勝利の鍵。

 魔理沙は不敵にそのキーワードを口にする。

 

「アイシクルフォール」

「それが何?」

 

 首をひねるルイズだが、他の二人は小さくうなずく。アリスが納得顔で答えた。

 

「Easy勝負に持ち込むのね」

「そういう事。あいつバカだからな」

 

 それから魔理沙達はルイズに秘策を説明した。アイシクルフォールというスペルカードはEasy勝負に限って、安全地帯がある。それはチルノのすぐ傍。しかも目の前。勝負が始まったら、チルノにすぐ近づき、真正面に陣取ればそれで勝ちなのだ。さらに勝利を確実にするために、うまく口車に乗せて、弾幕ごっこは1枚勝負にしてしまう。半分だまし討ちみたいなもの。今のルイズでは仕様がない。本人は少々気が引けているが。もっともそもそもの原因が、お金を払おうとしない向うのせい。そう自分に言い聞かせると、開き直った。ともかく勝利を確信し、拳をギュッと握るルイズだった。

 もっとも、だまされやすいのはバカだが、イレギュラーを起こしやすいのもバカだったりする。

 

 

 

 



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勝利

 

 

 

 

 いよいよ勝負。ルイズは魔女三人を従え、というか付き添ってもらって氷精に勝負を挑んだ。まずは、勝利のための下ごしらえ。目の前の妖精を口車に乗せないといけない。

 

「さあ!払ってもらうわよ」

「何、あんた。変な恰好」

 

 ピンクの魔法少女がいきなり笑われた。幻想郷の連中と大差ないと思っていた。思い込もうとしていたのに。

 チルノの一言に振り切るように、ルイズは大声を上げた。

 

「う、うるさいわね!とにかくヤツメウナギ代、払いなさいよ!」

「ヤツメウナギ?」

 

 チルノは首を捻る。ヤツメウナギとはなんの事か。その訳の分からない言葉と払うというのがつながらない。

 すると、隣にいた大妖精こと大ちゃんが、その訳に気づく。

 

「チルノちゃん。あの人のこの前の屋台の人だよ」

「屋台の人って?」

「ほら、サニー達と会ったときにウナギ食べたでしょ」

「あ。ルーミアと食べた時の」

「そうそう」

「うん。あれはおいしかった」

 

 そしてルイズの方を向いた。

 

「何?あたしにまたくれるの?いいよ。もらっても」

「誰もあげてないわよ!売ったのよ!だからお金払いなさい!」

「買うなんて言ってない!」

 

 以前と同じ程度の低い押し問答。話がまるで進まない。

 そこで秘策の登場。ルイズは悠然とかまえる。

 

「だったらいいわ。この前の続きをしてあげる。そして私が勝ったら、言う事聞いてもらうからね。負けたら、支払いの話もなしでいいわ」

「この前?」

「初めて会った時よ」

「またウナギの話?買ってないって何度言えばわかるの?バカ?」

「あ、あんたね~!」

 

 バカにバカって言われた。ルイズは顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

「あんたの左手吹き飛ばした時よ!」

「左手……左手……。あ!あ~!」

「思い出した?」

「あれ、お前か!よくもやったなヒキョー者!」

「なんですって!あ……いえ、だからあの勝負の続きをするのよ」

「いいよ!」

 

 チルノはさっそく飛び上がる。それについていくようにルイズも飛んだ。

 

「あの時の続きだから、私が自機、あんたがボスの1枚っきり。そして『アイシクルフォール』での勝負よ」

「『アイシクルフォール』1枚だけ?」

「そうよ。あんた自身がそう言ったんだから」

「そうだっけ……?う~ん……。よし、分かった!」

「それから……」

「氷符『アイシクルフォール』!」

「ちょ、ちょっとまだ続きが……」

 

 長々とした説明に堪えられるチルノではなかったりする。ルイズを見守っている三人の魔女も、あちゃーという顔をしている。

 そしてチルノの回りに氷の弾幕が広がる。初めて会った時に見たあの魔法だ。その中に一風変わったものがあった。当初の作戦にはなかったもの。黄色い弾幕。アイシクルフォールはEasyではなくNormalだった。

 ルイズの顔が青くなっていく。助言を聞こうにも、そんな余裕はない。今、正に弾は迫っている。いや、勝負はもう始まってしまっていた。

 目の前に広がる青と黄色。それが群れとなって迫ってくる。

 ルイズはギュッとピンクの杖、マギカスティックを握ると、覚悟を決めた。

 

「や、やってやろうじゃないの!あ、あ、当たるもんですか!」

 

 幾何学的に迫り来る弾幕を、拙いながらもなんとかよけていく。体を捻ってかわしていく。美鈴に付き合って教えてもらった体術が、こんな所で役に立っていた。しかし外から見ている方からしたらハラハラもの。何度もかする、グレイズしている状態。しかもそれがワザとじゃなくって、たまたまというレベル。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫なの?」

 

 思わずアリスがこぼす。だが魔理沙は不敵な笑顔を浮かべている。

 

「信じるしかねぇだろ」

「ルイズを?」

「それとキッチリ特訓してやった、私らをだ」

 

 自信一杯というふうに答える。どこか自分自身に言い聞かせているようでもあったが。アリスはそんな魔理沙を見て、わずかに笑みを浮かべた。するとパチュリーが一言添える。

 

「そうね。それと彼女、思ったより肝が据わってるようだわ。やるべき事が絞れたらあっさり腹をくくれるのかも。これも一つの才能かしら」

 

 言われて見ると、危なっかしい飛び方だが、動揺しまくっているというほどでもなかった。さらになんとかチルノへと弾を撃ってダメージを与えている。しかし、パチュリーはそれを冷静に見ている。

 

「連射速度が足らないわね」

「ここままじゃ、時間一杯粘るしかないわ」

 

 アリスの言葉通りだった。ルイズが普通の連射速度なら、チルノをなんとか撃退できたかもしれない。しかしあまりに連射速度が遅すぎる。まるまる時間を使っても、チルノを撃退するのは無理だろう。

 それは彼女自身が分かっていた。だからと言って、全部かわしきれるとも言いがたかった。実際グレイズの回数が飛躍的に増えている。美鈴から体術の練習を受けていなかったら、もう落ちていた。

 

 頭をフル回転させながら突破口を探る。魔理沙、いやパチュリー並に動ければ問題ない。この弾幕は魔女三人に比べれば、ずっと大した事ないからだ。避ける経路すら思い浮かぶ。しかし、体がその通り動かない。まるで枷でも嵌められているようだ。

 

 ならばどう勝つ?

 

 ルイズの脳裏に、ふとイメージが浮く。爆発のイメージ。いつもやっている失敗魔法。やる度に気分を暗くさせられた。でも、最も馴染んだ魔法。そして同時にこうも思った。これしかないと。

 

 ルイズは目の前の黄色の弾幕をなんとか避けると、急上昇。そしてチルノのほぼ真上に静止。真下を見ると、相変わらず、青と黄色の弾幕が向かってきていた。冷や汗を体中に流しながら、その時を探る。

 

 アリス達はルイズの動きの意味が分からない。弾幕の薄いところに動いたようにも思えない。しかも行った先で、わずかに動きながら弾を回避している。しかしこのまま避け続けられるとはとても思えない。アリスは思わず声をかける。

 

「何やってんの!?ルイズ!動きなさい!」

 

 魔理沙はその横で、強気に構えながらも、箒を強く握り閉める。パチュリーすら、その眉間がわずかにゆがむ。

 

 するとその瞬間、ルイズは服を、マギカスーツを脱ぎだした。

 

「「「えっ!?」」」

 

 三人の魔女は揃って声を上げる。

 何のマネだかさっぱり分からない。いやそれどころではない。何故なら、魔力源を失ったルイズは落下しはじめたからだ。慌てて、彼女の真下へ三人は飛んでいった。

 

 しかし当のルイズはこの時を待っていた。この幾何学的な弾幕の、繰り返される計算の刹那、そのぽっかり開いた隙間を。

 ルイズは真っ直ぐに落下。開いた隙間を、弾幕のトンネルを抜けていく。そのわずかな時間、杖を愛用のものへと持ち替えた。そして、唱える。その詠唱を。

 

 完了した時、目の前にチルノがいた。

 

 杖は振るわれた。同時に閃光。チルノとルイズが接触したと思われる瞬間に、強烈な爆発が起こる。

 

 光は一瞬で消える。すると、はじけるようにチルノが落ちていくのが見えた。

 一方、ルイズはすぐには落ちてこなかった。いや、ゆっくりと落ちて、降りてきていた。マギカスーツを抱きしめながら。

 

 服は脱いだが捨てた訳ではなかった。マギカスーツを脱いだのは、ハルケギニアの魔法を使うためだった。そして魔法を撃った後、抱え込んでなんとか飛ぼうとした。ただ着てないので飛ぶと言うよりは、落下の速度を抑えたくらいだが。それでも十分。ルイズは、レビテーションでもかかっているように降りていく。そして三人の魔女が待つ地上へ着いた。

 

 さっそく魔理沙が、走って来た。そしてルイズの肩を軽くたたく。

 

「やったじゃねぇか」

「え?」

「勝ったんだよ」

「え?そう?」

 

 ルイズにはどこか現実感がない。

 後から、パチュリーとアリスも寄ってくる。

 

「まさかあんなふうに勝つなんて思わなかったわ」

「服脱いだ時はちょっと驚いちゃったわよ。落ちてくんだもん」

「あれは……あ、服!」

 

 ルイズは慌てて、握っていたマギカスーツを着る。なんと言っても下着姿だったから。

 少し落ち着いてきたのか、硬かったルイズの表情が緩くなる。ふとチルノの方を見ると、怪我はないようでのびているだけのようだ。うまく爆発場所をコントロールできたらしい。もっとも妖精が怪我をしたって、すぐに治ってしまうのだが。

 そしてだんだんと浮かんでくる。勝利の感覚が。

 

「そう……。勝ったのね……」

「おいおい、どうしたんだよ」

「なんていうか……。実感がなくて」

 

 勝つ。

 それを味わった経験が今までのルイズにはなかった。確かに座学は優秀だったが、魔法が使えないという時点で、勝負の内に入らないという見られ方をしていた。家でも、優秀なメイジだった両親や姉達にも負い目ばかりだった。そしてこのチビでペタンコなスタイル。これもまたコンプレックスになっても、優越感につながる事はなかった。当然、魔法そのものに至っては言うまでもない。

 

 だが勝った。今日初めて。

 なんだか自然と目元が緩んできていた。

 

「泣くほど嬉しいのかよ。ははは」

「まあ、チルノがNormalで勝負した時点で、ほとんど勝ち目ないと思ってたものね」

「でも最後のは見事な機転だったと思うわよ」

 

 三人の魔女は、涙を拭いながら笑うルイズを称えている。ルイズは、それにもじもじしながらも嬉しそうな笑顔を浮かべている。そんな彼女に、パチュリーは柔らかい笑みを向けた。

 

「弾幕ごっこ初戦にして初勝利ね。とりあえずは、おめでとう」

「へへへ」

 

 笑いあう四人。

 だが、その輪に割って入る不満そうな声がある。大妖精こと大ちゃんだった。

 

「最後のは何ですか!?」

「?」

 

 ルイズには何を言っているのか意味が分からない。しかし魔理沙達には分かっていた。

 

「ルイズのスペルカードだぜ」

「でも、宣言してなかった気がします」

「う……」

 

 魔理沙は言葉に詰まる。

 実は、スペルカードルールでは、スペルカードを使う前に宣言しないといけない。

 だが、そこでアリスの助け舟。

 

「私は見たわよ。あなた、チルノの事気にし過ぎて、気づかなかったんじゃないの?」

「で、でも……。じゃ、じゃあスペルカードを見せてください」

「…………」

 

 スペルカードは術式を象徴する図柄の入ったカードを見せることで宣言となる。つまりスペルカードを使ったというなら、そのカードがあるはずなのだ。しかし、そんなものはない。昨日の時点ではルイズはスペルカードを組めるほどではなかったので、用意していなかった。

 アリスは妖精のくせに知恵を働かせると、少しばかり憮然。この大ちゃんは妖精の中では、頭がいい方。しかもチルノとはとても仲がいい。何か不正っぽい勝ち方で、親友を負けさせる訳にはいかないと、魔法使い四人相手に踏ん張っていた。

 

 その時、後ろから声がする。気が付いたチルノだった。

 

「やられちゃった。Easyだったけど、さいきょーのあたしに勝つなんて大したもんね」

 

 そう言って右手を差し出す。

 Easyじゃないだろうと、魔法使い達はツッコミを入れたかったがここは流す。大ちゃんも本人が納得しているようなので、黙ってしまった。

 そしてルイズはチルノの右手を握り返す。ニコっと笑うチルノ。負けた割にはどこか満足げ。

 

「よし!あんたは今からあたしのライバルだ」

「え!?あっそう……」

「あたしはチルノ。あんたは?」

「ルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

「ルイズ・フランリエールか」

「そうじゃなくって……。ルイズでいいわ」

「ルイズか。うん。今度はNormalで勝負してあげる。それまで訓練、訓練だぞ」

「えっと……その時はよろしく頼むわ」

「うん!じゃあまた勝負しよう」

 

 チルノはそう言って背を向け、飛ぼうとする。それを茫然と見送るルイズ。だが、大事なことを思い出した。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいってば!」

「何?今からまた勝負?」

「そうじゃないわよ!勝ったら私の言う事一つ聞くはずでしょ」

「そうだっけ?まあいいや。ライバル記念。うん。なんでもやるよ」

 

 ほっと胸をなでおろすルイズ。そして改めて要求を口にする。

 

「氷を作ってほしいのよ」

「そんなのでいいの?いいよ別に」

「でもたくさんよ」

「たくさんか。う~ん……。よし、いいよ。どこに作る?」

「今じゃなくってまた後で来るから、その時頼むわね」

「うん。わかった。ライバルとの約束だから、守るよ」

 

 ルイズはそれを聞くと、もう一度チルノの手を強く握り締める。望みが繋がったと言わんばかりに。一方、魔女三人は少しばかり不安そう。なんと言っても妖精との約束なのだから、忘れてしまうかもしれない。これは急がないといけないと胸に刻む。

 やがてルイズ達とチルノ達は別れていった。

 

 それからのルイズ達の動きは早かった。というかパチュリー達があまりにせかすので、急がざるを得なかった。

 いたずら三妖精、もとい光の三妖精を見つけ出すと、魔理沙達がとっちめる。さすがにチルノとは勝手が違い、姑息な手も使う連中なので、今のルイズには荷が重いと考えたからだ。そして気温が低めで、誰もいない洞窟を探させる。この三妖精、あちこちでいたずらしまくっている上、妖精にしては頭のいい方、さらにスターサファイアの気配を知る能力が、条件通りの洞窟を探すのには結構使えた。思ったよりあっさり洞窟は見つかる。

 そしてチルノを連れてきて、洞窟を氷で埋めた。出口には結界を張り、冷気を閉じ込める。

 

 やがて債権者を洞窟の前に連れて来た。ミスティアは広がる氷に目を剥いていて、固まっている。ルイズは自慢げに言った。

 

「どう。これだけあれば十分でしょ」

「へー……。これ全部?」

「そうよ。これ全部」

 

 息を飲むミスティア。長らく商売をやって来た彼女には、これがどれだけの価値があるのか分かっていた。少し驚いて、ルイズの方を向く。

 

「これだけあれば借金チャラどころか、お釣りが来るわよ。いいの?」

「いいのよ。迷惑かけたのは私だしね」

「ふ~ん……。だったら、今までの屋台の稼ぎ。あなたにあげるわ」

「えっ!?なんで?」

「こっちは借金返してもらえればいいしね。それにあんた、よくがんばってたから」

 

 ミスティアは満足げにそう言う。ルイズにはその言葉の響きは、不思議と心地良かった。

 

 そして洞窟からの帰りにミスティアの店に寄る。ルイズは彼女からお金を受け取った。その稼ぎは決して多くはなかったが、それでも自分のがんばりで身のあるものを手に入れるという感覚には、今までにない高揚感があった。

 

 やがてルイズは紅魔館へと帰っていく。とりあえず屋台の仕事は終わりとなった。借金がなくなったのもあるが、ミスティアの店が軌道に乗り始め、ルイズに回すほどのヤツメウナギの余裕がなくなってきたのもある。幻想郷に留まるつもりなら、雇ってもいいという話もあったが、さすがにそのつもりはないので断った。

 

 

 

 

 

「パチュリー!」

「あら、お帰りなさい。うまくいった?」

「うん。それとお給金貰ったわ」

「あら、なんで?」

「氷だけで十分だから、屋台の分はあげるって」

「へー。良かったじゃない」

 

 パチュリーはティーカップに手を添えながら答える。

 ルイズは嬉しそうに、いつものように図書館中央のテーブルへ向う。なんだかんだで、ここに来るのは紅魔館に住むようになってからの習慣になっていた。

 ふと辺りを見回す。メンツが少々足りない。

 

「あれ?みんなは?」

「魔理沙とアリスは帰ったわよ。とりあえず一段落ついたしね」

「そっか。ここに住んでた訳じゃないもんね」

 

 召喚されて以来、二人ともずっと紅魔館にいたので、三人揃っているのは当たり前になっていた。その顔ぶれがないのは少し寂しい。もっとも、二度と会えない訳ではないのだしと、ルイズは気持ちを入れ替える。

 

 パチュリーは紅茶を飲み干すと、ルイズの方を向いた。

 

「さて、本腰入れてあなたが帰る方法を探りましょうか」

「今まで何やってたのよ。なんとなく、そっちの方はあまり手付けてないんじゃないかと思ってたけど」

「やってたわよ。ただ壁にぶつかってちょっと苦戦中なのよ」

「壁って?」

「あなたがどこから来たか、分からないの」

 

 ルイズは怪訝な顔をする。そんな事は分り切っているはず。だがパチュリーは彼女が何を考えているかすぐに察する。

 

「ハルケギニアとかトリステインという意味じゃないの、どこの異世界かが分からないの。そうね、例えて言うなら、宛先の名前は分かってるんだけど、住所が分からないと言った所かしら」

「そんなのが必要なの?私たちがサモン・サーヴァントする時はそんなのいらなかったわよ」

「それは、そういう機能をすでに組み込んでるから」

 

 パチュリーは手元にある、ノートを取り出すとページを広げてルイズに見せた。トリステインでは見ないような、図形がいくつも書いてある。それを指さしながら説明する。

 

「サモン・サーヴァントだけど、実はとんでもない魔法よ。私たちの召喚魔法は言わば、対象も居場所も分かっていて、送ってもらうというものなの。でもサモン・サーヴァントは条件にある対象を検索し、それを送るというものなの。しかも検索範囲は異世界まで及ぶ。よくこんなもの組んだものと思うわ」

 

 ルイズは、自分達が平然と使っている魔法が、そんなにすごいものだとは思ってなかった。紅魔館の設備や弾幕ごっこで使われる多彩な魔法など、何かと幻想郷の方が進んでいるイメージがあったが、自分たちの魔法も彼女たちからすると常軌を逸した魔法らしい。ルイズはふと思い出す。最初、失敗魔法にみんな感心していたが、あれも失敗爆発魔法が再現できないって理由だった。立場が変われば、見方も違うのかなんて事を考える。

 魔女の話は続く。

 

「それで、なんとかサモン・サーヴァントの機能をコピーできないかっていうのが、今の方針と言った所かしら」

「え?何か召喚するの?」

「そうよ。ハルケギニアからね。ねずみでも虫でもなんでもいいわ」

「でも、向うから召喚してどうするの?こっちから送るんじゃないの?」

「召喚に成功すれば、ハルケギニアがどこにあるか分かるからよ。そうすれば、後はなんとでもなると思うわ」

「ふ~ん……」

 

 方針は決まっているようだけど、技術的に難しいらしい。まだまだ帰るのは先になりそうだ、なんて事をルイズは思う。ただ最初の頃のような、急いで帰らないと、という気持ちはだいぶ収まっていた。

 

「ただ、そう遠い未来って訳じゃないと思うわ。まあ、いざとなったら手もあるし。もう少し、こっちの生活を満喫してなさい」

「うん」

 

 そうルイズは答えると、図書館を後にした。

 

 

 

 

 

 食事も終わり、ルイズは自分の部屋に戻っていた。

 屋台の仕事が終わったせいで、久しぶりに部屋でくつろぐ時間が取れた。今は幻想郷の事を勉強しようと、図書館からいくつか本を借りてきている。実は最初、言葉は通じても文字は読めないかと思っていた。しかし屋台仕事の時に、普通に読めていた。その後聞いたが、最初の召喚魔法の時に、言語が分かるようになる魔法も組み込まれていたそうだ。召喚した相手とコミュニケーションをとれないようでは困るからと。

 サモン・サーヴァントやコントラクト・サーヴァントにはそんな余計な手間は必要ない。言葉を交わせない使い魔でも、召喚後コミュニケーションは普通にできているし。もっとも実はコミュニケーションの魔法が、組み込まれているかもしれないが。それにしても、そう考えると、ハルケギニアの魔法もなかなかすごいものなのかもと思ってしまった。

 

 馴染んだベッドに寝転がる。窓を見る。

 

「月が一個か……」

 

 でも、もう見慣れた光景。

 召喚されてから結構時間が経ってしまった。何かと忙しかったが、今までにない充実した日々を送っているような気がする。しかし、それもそう長くはなさそうだ。

 確かにパチュリーの研究は難関に当たっているが、あの優秀な魔法使いならなんとかするだろう。そして最終手段に、八雲紫とかいうすごい妖怪の力を借りるという方法もある。それに名残惜しいが、いつまでもこっちにいる訳にもいかない。ルイズにとって世界とは、やっぱりハルケギニアの方だった。

 

 ふと思いを泳がす。

 向うではどうなっているかと。たぶん自分が突然いなくなった事で、家族は大慌てだろう。特にカトレアは心底心配している。そして幼馴染でもあるアンリエッタ王女も、悲しんでいるに違いない。キュルケはどうしているだろう。文句を言う相手がなくなって張り合いがなくなったか、それとも気にしてないか。正直何を考えているのか想像がつかない。

 でも、戻ったら戻ったで大変だ。何より説明に困る。でもみんなを安心させられるのだから。そんなものは小さな事。そして幻想郷の事を思い出しながら、いつもの日常が……。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れる。ガバっとベッドから起きる。

 

「マ、マズイわ。このまま帰ったら、留年確定だわ!」

 

 何故かというと……使い魔がいないから。

 ここに来る切っ掛け、サモン・サーヴァント自体は全然成功していない。幻想郷に来ても。召喚されて一ヶ月ほどが経っていた。戻ったとして、いまさら召喚の儀式をやらしてくれと言っても、たぶん無理だろう。そもそも成功するとは限らない。

 

「な、なんとか使い魔を、こっちで見繕わないと……!」

 

 ハルケギニアに帰るまでのそれほど長くない時間、穏やかな日々が送れると考えていたルイズだったが、むしろ残された時間はわずか、なんて思いが浮かんできていた。

 

 

 

 

 



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召喚

 

 

 

 

 日課の朝のトレーニングを終わる。バスルームから出てきたルイズの姿は、いつもと違っていた。リリカルスティックにマギカスーツを身に着けていた。さら愛用の杖を持っている。

 

「誰もいないようね」

 

 窓の外を覗き、人影を確認する。やがて飛び立つと、いつもの広場にやってきた。

 ここにも誰もいない。そして朝食まではまだ時間がある。人目を避けてこんな所にいるのは、あまり他の人に知られたくないから。

 

 これからやる事はとても大切なこと。召喚の儀式だ。留年、進級の分水嶺。すべてはこの成否にかかっている。

 ただこれは一人でなんとかしようと決めていた。ハルケギニアでの自分自身の問題であり、魔法もハルケギニアの魔法。この所パチュリー達に頼りっぱなしなのもあって、ハルケギニアに関わる問題は自分で解決しようと思っていた。

 

 とは言っても、今まで何度やってもうまくいかなかったのは分かっている。何も召喚されなかった。実は人目を避けたのも、何度も失敗するのを、見られたくないというのもちょっとあったりする。

 だがそうは言っても、成功させねばならない。そこで考えたのが、リリカルスティックとマギカスーツ。今までやった事のない組み合わせ。幻想郷で魔法少女セットを着込んだままでサモン・サーヴァントをする。もうこれ以外に思いつかない。ただ、この魔法少女変身コスチュームが説明通りだと、何も起こらないはず。サモン・サーヴァントに使われる精神力、魔力はマギカスーツに溜められ、こっちの魔法でないサモン・サーヴァントはリリカルスティックでは効果が出ない。だがそれでも、もしかしたらとルイズは考えた。いや、縋っていた。

 

「ふぅ……」

 

 ルイズは大きく深呼吸すると、心を落ち着かせる。やがて、成功の願望、祈りを強くする。それこそ練り上げるように、絞り上げるように。

 そして詠唱と共に……。

 

 二本の杖を同時に振った。破裂音と共に爆発が起こった。

 ルイズは茫然とする。

 本来なら、失敗魔法の爆発すら起こらないはずなのに。何かあった。そう心が訴えかける。

 煙で覆われた広場。その煙がゆっくりと晴れていく。そして彼女は見た、そこにいた者を。人だった。いや人の形をしたものだった。

 ただこのパターン。ルイズが召喚された時と同じだったりする。慌てて周囲を見極める。またどっかに召喚されたんじゃないかと。だが煙がほとんど消えた中見えるものは変わっていない。さっきいた広場だ。つまり……召喚に成功した。

 

「やった……。やったわ!」

 

 思わずジャンプしてしまう。声が出てしまう。

 しばらく小躍りしていたのを落ち着かせると。座り込んでる相手を見る。そして口を開こうとした。

 

「あんた……。なんで裸?」

 

 先に話した相手の第一声はこれだった。ルイズ視線を下すと肌色しか見えなかった。

 

「な、なんで!?あ、マギカスーツが限界だったの!?」

 

 慌ててしゃがみこむ。着るものを何も持ってきてない。ついでにリリカルステッキも折れていた。

 召喚された人物は、そんなルイズを気にも止めず、ゆっくり立ち上がる。

 

「で、あんた誰?もしかして、あんたが私をこんな所に連れてきたの?」

 

 ルイズは何度もうなずく。

 よく見ると相手は少女だった。青い髪にルイズにとっても似た平板なスタイル。歳は近い気がするが、それに似合わない尊大さがある。恰好はこれまた妙。大きな黒い帽子にカラフルなエプロン。もっとも、ハルケギニアでは妙に感じる姿も、この幻想郷ではこのセンスに違和感がない。つまりどこかの妖怪ではないかと、ルイズは思う。

 そんな彼女の考えを他所に、この少女は視線を移した。

 

「あれ?ここどこかで……。ああ、吸血鬼の館ね」

 

 ルイズはその言葉に、ちょっとショック。どうも紅魔館関係の知り合いを呼び出してしまったらしい。それだと使い魔にするにはさすがに気が引ける。

 すると、縮こまってもそもそもしているルイズに声がかかる。咲夜だった。爆音を聞いて駆け付けていた。

 

「ルイズ様!なんて姿を……。あら?」

「あんた……。吸血鬼のメイドよね」

「なんで、あなたがこんな所にいるのよ?」

「連れてこられたからよ」

「連れてこられた?」

 

 ルイズをふと見ると、また頷いていた。

 

「事情は後で伺うとして、とりあえずお召し物を」

 

 咲夜はそう言うと、フッと姿を消した。そして次の瞬間には、バスローブをもって現れていた。ルイズは渡されたバスローブにすぐに袖を通す。

 やがて一息つくと、説明しだした。

 

「その……召喚したの」

「召喚?なんでまた……」

 

 首を捻る咲夜。彼女はハルケギニアの事は詳しくは聞いてないので、進級に使い魔が必要なんて事も知らない。パチュリー達なら、召喚と聞いてピンと来るだろうが。

 エプロン少女はそんな二人のやり取りを無視して要求。

 

「とりあえず、お茶くらい出してよ。呼び出したのはそっちなんだから」

「…………」

 

 憮然とする咲夜。しかし、懇願するルイズを見て折れる。どうもルイズにとって彼女は必要らしいと。なんで寄りによって「これ」なのかとは思っていたが。

 

「分りました。客間にご案内します。そこでしばらくお待ちください」

 

 しらじらしいほど丁寧で露骨に慇懃無礼な態度を取る。だが、当の相手はまるで堪えてなかった。

 

 

 

 

 

 小さめの客間に五人の姿。それがテーブルを囲んでいる。ルイズに、咲夜、パチュリー、こあ。そして召喚したエプロン少女。ルイズを除いた紅魔館メンバーの迷惑そうな視線が、突き刺さる。しかしその鉄面皮は、びくともしない。平然と紅茶を飲んでいた。

 ちなみに吸血鬼姉妹はまだ熟睡中。この早朝では、さすがに起きてなかった。

 

 こんな微妙な空気の中ルイズは、冷や汗もの。

 客間の様子ですぐに気付いた。紅魔館の知り合いには違いないが、友好じゃなくってむしろ嫌悪している関係らしい。かなりマズイ相手を召喚してしまったと。居候の身なのでなおさら。しかも今回の召喚の話を誰にもしてなかったので、余計に心苦しかった。

 まずはパチュリーが口を開く。

 

「ルイズ。なんで彼女がいるのかしら?」

「それは……」

 

 そこにエプロン少女の口が介入。

 

「その前に、紹介してくれない。見たことない顔なんだけど」

「あんたは人が話を……相変わらずなのね。まあいいわ。彼女は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。外来人で紅魔館の客人よ」

「へー、外来人。でもここの客って事はただの外来人じゃないんでしょ?」

「あなたには関係ないでしょ」

「そんな事ないわ。だって私を呼びつけたんだから」

 

 ふふんとばかりにエプロン少女は自信ありげに言う。一方のパチュリーは少々唖然。ルイズが全く面識のない彼女を、どうして呼び出したのか。その顔をルイズに向ける。

 

「どういう事?」

「召喚したの」

「召喚って……。もしかしてサモン・サーヴァント?」

「うん……」

「でもなんで、そんな魔法を今やったの?」

「だって、私、使い魔いないから。もしハルケギニアに帰れても、留年しちゃうのよ」

「あー……。言ってたわね。そんな事」

 

 パチュリーは記憶を手繰るようにうなずいた。全て納得と。だが受け入れがたい。その召喚したのが、よりによって”これ”とは。もう一度ルイズの方をしっかり向く。

 

「ルイズ。あなたが召喚した相手は、いろんな意味でとんでもないわ。彼女の名前は比那名居天子。天人、つまり天界の住人よ」

「え……。天界の住人?」

 

 それから頭に浮かんだキーワードは……”天使”。すなわち神の御使い。一瞬それはありえないと思ったが、悪魔すらいる。天使もいるかもしれない。この幻想郷では。だが、よりによって天使とは。神の御使いを目の前にして、ルイズは思わず恐縮してしまう。エプロン少女を見入ってしまう。その姿は、ハルケギニアでよく言われていた天使のイメージとまるで違っていたが。もっとも幻想郷ではそもそもいろんなものが違うので、ここでの天使はこういうものなのだろうと思った。

 だがそれで納得した。みんなの顔が嫌そうなのが。なんと言っても悪魔や吸血鬼のいる館だ。”天使”とは仲が悪いのは当たり前だと。

 

 パチュリーは残りのとんでもない事を口にする。

 

「それと、幻想郷のトラブルメーカーその1」

「えっ!?」

 

 天使がトラブルメーカー?意味が分からない。実は堕天使、なんて言葉も思い浮かぶ。そうだとするとなおさら厄介。どういうふうに相手にすればいいか困る。

 当の天子は憮然として言い返した。

 

「人の事言えないでしょ。あんた達も」

「あなた程じゃないわ」

 

 不穏な空気。ますますルイズは肩身が狭くなる。

 天子はあっさり表情を戻すと、彼女の方を向いた。

 

「で、ルイズだっけ。私になんの用?」

「えっと……その……。つ、使い魔になって欲しいんです……」

「えっ?」

「使い魔……」

 

 いきなりチョップされた。脳天唐竹割を。しかも鈍い音を伴って。

 

「い、痛ったぁ~!」

 

 ルイズ、頭を押さえながら悶絶。軽く叩かれたように思ったのだが、天子の手はまるで鉄で出来ているかのような硬さだった。鉄棒でゴンとやられたような激痛が頭を走る。

 

「な、何を……!」

「魔とか言うな。失礼なヤツね」

 

 ツッコム所、そっち?とルイズは唖然。

 だが確かに”天使”に使い”魔”というのも変というか無礼だ。じゃあなんと呼べば。使い天使?従僕?家来?どれを選んでもダメな気がする。しょうがなく当たりさわりのない言葉を口にした。

 

「パ、パートナーになって欲しいんです……」

「パートナーになって何をするのよ」

「その……いっしょに……生きてほし……」

「何それ?」

 

 なんとも要を得ない解答で、ますます訳が分からない天子。しかたがなくパチュリーの方を向く。

 

「どういう事?」

「ルイズはあなたを使い魔にしたいのよ」

 

 魔という言葉に反応し、今度はどっからともなく現れた30サントほどの岩を天子がぶん投げる。パチュリーに向かって。しかし、彼女は防御魔法で防ぐ。隣に座っていたルイズはちょっとビビった。

 だがパチュリーは平然として、天子の不満を無視するように話を続けた。

 

「言ってしまうけど、ルイズは異世界からの外来人なの。そこでは一生のパートナーとして使い魔を持つのが習慣になってるのよ」

「そんなの帰ってから、適当に探せばいいでしょ」

「そうもいかないの。使い魔を探す時期は決まっていて、彼女は正にその時に幻想入りしてしまったの」

「なるほどね。つまり帰っても、時期を逃してしまってるから、持てないという訳ね。それで幻想郷にいる内に、なんとか使い魔を持とうと」

「そうよ」

「で、なんで私?」

 

 今度はルイズの方を向いた。

 

「その……召喚魔法で呼び出したら、あなたがいたから」

「つまりあれは使い魔を探す魔法なのね」

「そ、そうです」

「私を『魔』認定して召喚するとか、なんてふざけた魔法なのかしらね。何?あんたが作ったの?」

「ち、違います!お、教えてもらったんです!」

 

 慌てて首を何度も振る。不機嫌そうな天子に向かって。

 一方、パチュリー達は含み笑い。ぼそぼそと日頃の行いが悪いからとか言っている。するとさらに天子がかめこみをピクピクさせている。

 どうしてここの連中は、ただでさえそう広くない客間の緊張感を上げるのかと、ルイズは内心ヒヤヒヤものだった。

 だが、天子は腕を組むと急に表情を和らげる。

 

「あんた、その内、故郷に帰るつもりよね?」

「え?あ、はい」

 

 ルイズの返事を聞いて、少し俯いて天子は考え込む。しばらくして何かを思いついたかのように、顔を上げた。

 

「で、期限はいつまで?」

「その……死ぬまで……」

「ふ~ん……。あんた人間でしょ」

「はい」

「って事は、50年くらいか……。いいわ。パートナーになってあげる」

「えっ、ホ、ホント!?」

 

 ちょっと驚いた。てっきり断られると思っていたので。相性の悪い紅魔館の客人で、しかも人間の使い魔になるのだから。

 だがそう簡単に事は進まなかった。

 

「だたし条件があるわ。あなたが私のパートナーに相応しいか試すから」

「試すって何を……」

「ここから離れた所に、妖怪の山っていうのがあるの。そこの山頂に神がいるわ。その神の『真澄の鏡』を持ってきて。どう持ってくるかは、まかせるから」

 

 それを聞いてパチュリーが慌てて文句。

 

「天子!何、無茶言ってるのよ。本当は使い魔になる気なんてないでしょ!」

「あるわよ。だって50年くらい、たいくつな説法聞かずに済むし。でも妥協する気もないの」

 

 不敵な笑いを浮かべている天人。やっぱり厄介なヤツだと、紅魔館メンバーは憮然として彼女を見る。

 パチュリーは文句いっても無駄と悟ると、ルイズに助言。

 

「ルイズ。使い魔は他のになさい」

「そういう訳にもいかないわ。またサモン・サーヴァントが成功するとは限らないし」

 

 何十回もやってようやく成功した。次があるとは思えない。それにリリカルステッキもマギカスーツも壊してしまった。同じ条件で召喚できない。魔法少女セットは、また作ってもらう手もあるが、それには気が引ける。

 そしてルイズは決心する。強気の表情を浮かべた。

 

「いいです。その条件受けます」

「へー。悪くない顔つきね。それじゃいい結果を期待してるわ」

「はい」

 

 強くうなずくルイズ。パチュリー達はあきらめた。こうなるとなかなか気持ちを変えない事を、一緒に暮らしていて知っていたからだ。

 天子は満足そうな笑顔を浮かべると、フランクに話してきた。

 

「ルイズ。もっと気軽にしていいわよ。私も疲れるし。そうやって畏まられるの」

「は……うん」

「それじゃ、しばらくよろしくね」

「え?」

 

 意味が分からない。今さっき、相応しいか確かめるまで、パートナーにならないと言ったばかりなのに。それとも確かめるのは別の事なのだろうか?ルイズは頭を捻る。

 

「えっと……。しばらくよろしくって……何を?」

「同じ屋根の下で暮らすからよ」

「えっ!パートナーになってくれるの?」

「ならないわよ。出した課題をクリアしない限りわね」

 

 もう、この天使は何を言っているのかサッパリだった。混乱するルイズ。

 一方の天子は相変わらず空気を読まず、いいたい事だけ言う。

 

「と言う訳で、部屋を用意してくれない?」

「何が、と言う訳か分りません」

 

 咲夜が憮然として答えた。

 

「もちろん。彼女が課題をクリアするか、確認しないといけないからよ。いつやるか分からないでしょ。いきなり呼び出されちゃ堪らないから。だから、ここに住むの。お客様待遇で頼むわ」

「な……!」

 

 思わずいつも持っている投げナイフに手が届きそうになる咲夜。もっともナイフ程度では、この天人に傷一つ付けられないのだが。

 やがてパチュリーは疲れたように解説を始める。

 

「はぁ……。つまりこの天人は、ルイズの使い魔を口実に説法をさぼりたいのよ」

「「…………」」

 

 ますます厳しい目を、天子に向ける一同。しかし通じず。パチュリーはその厳しい視線のまま、天子に話しかけた。

 

「もう一度聞くわ。ルイズの使い……パートナーになる気はあるのね」

「それは確か」

「分かったわ。咲夜、部屋を用意して。レミィには私から話を通しておくから」

「よろしいんですか?」

「説法から逃げるためなら、ここから追い出されるような事もしないでしょ。そうよね」

 

 念を押すかのように、天子を睨む。それに彼女は大きく満足げに頷いた。

 それを見届けると、パチュリーは指示を出す。すると咲夜の姿が消える。次の瞬間には、天子の隣に立っていた。部屋の準備が整ったと言い、天子を案内するため連れて行った。不機嫌そうに。

 

 二人が部屋から出ていくのを見届けると、ルイズは急に頭を下げる。幻想郷のトラブルメーカーと言われた意味を、身をもって知ってしまった。

 

「パチュリー、ホントごめんなさい。こんな事になっちゃって……」

「全く、だからやめなさいって言ったのに」

「でも……もう二度とサモン・サーヴァントが成功しないかもしれないし……」

「まあ、決まってしまったものは仕様がないわ。それにちょっと面白くなってきたかもとも思ってるのよ」

「面白く?」

「一つはコントラクト・サーヴァントが天人に通用するか。そして通用した場合、使い魔となった時の効果はどんなものなのか。とかね。いろいろ見てみたくなったのよ」

 

 ルイズはちょっと感心する。いつでも好奇心が前に出るのか。この魔女は。というよりここの住人達は。あくまで前向きなのだ。

 しかし、彼女の言う点は確かに引っかかった。コントラクト・サーヴァントが、天上の存在を想定して魔法を組んだとはとても考えられない。そもそも天使なんて、ハルケギニアでは空想上のものでしかないのに。効果がない可能性は十分にある。少しばかり不安になる。

 うつむいたルイズに、パチュリーが声をかける。

 

「それよりも、まず大きな問題があるわ」

「え?ああ……。妖怪の山の神の鏡を持ってくるって話ね」

「そ」

「妖怪の山って言うくらいなんだから、妖怪で溢れてるんでしょうね」

 

 妖怪の山と聞いて、幻想郷の妖怪総本山みたいなものを想像する。きっと見た事もない妖怪がたくさんいると。そしてその山頂の神。当然彼らの崇める神なのだろう。山頂に神殿があって、そこに宝物として鏡が大切に祀られているに違いない。その鏡を持ち出す。まさしく至難の業。ただ、どう持ってくるかは任せると言っていたから、何も盗めとは言ってない。できればしたくない。何か発想の転換がいるんじゃ……といろいろと頭を巡らす。ともかく、まずはその妖怪の山とはなんなのか知らないと。そう思い、パチュリーの方を向いた。だが、先に彼女が口を開く。

 

「確かに妖怪は沢山いるわ。それに縄張り意識も強いからやっかいよ。でも一番やっかいなのは、その神ね」

「え?どういう事?」

「だって神から鏡を持ってくるんでしょ?」

「うん……。祀られてるものを持ってくるんだから……」

「そうじゃないの。真澄の鏡は神の持ち物なのよ」

「どういう意味?」

 

 ルイズにはまたもや意味不明。幻想郷に来てこう思ったのは何度目か。

 祀られている鏡を持ってくるんじゃない?鏡は神の持ち物?いろんな言葉をいくつも頭の中で並べていると、そんな事はあるはずないという発想が浮かんできた。ゆっくり口にする。

 

「その……。ま、まさか……神様って”居る”の?」

「そう”居る”の」

「えええーーーっ!!」

 

 これはもちろん神の存在を信じているとかいう意味ではない。実体として存在するという意味だ。悪魔や天使がいるからと言って、それはいくらなんでもないだろうと思っていた。だが、そんな発想こそこの幻想郷ではあり得なかった。

 茫然とするルイズ。神が実在するという感覚を、どう捉えていいか分からない。そんな彼女を他所にパチュリーの言葉は続く。

 

「その神は風雨の神なんだけど、戦争の神でもあるわ」

「せ、戦争の神……!」

「そしてもう一つ」

「な、何?」

「幻想郷のトラブルメーカーその2よ」

「ええーーっ!」

 

 最悪だ。

 トラブルメーカーである戦争の神の持ち物である鏡を、持ってこなければならない。

 疲れたようにルイズはボヤく。

 

「あの天使、本当に使い魔になる気あるのかしら……」

「本人にとっては、どうころんでもいいんでしょ。鏡の件が片付くまで説法から逃げられたら儲けもの、程度にしか考えてないんじゃないかしら。それに異世界に行くのに、使い魔になるのを受け入れたのも気になるわね」

「なんで?」

「帰ってこれないかもしれないからよ。もしかして、ろくでもない事を、企んでるかもしれないわ」

「あいつ!堕天使だわ!」

 

 もう恨み節。最初の恐縮さはどこかへ吹き飛んでいた。しかし、もう話は決まってしまった。後には引き下がれない。やるしかない。

 ちなみに後で、パチュリーから天人と天使の違いを指摘された。天子はルイズの考えていた天使とは違うのだと。結局、天上の存在ではあるものの、純粋に困ったちゃんである事だけが、残ってしまった。そしてその神の件については、また魔理沙達も混ぜて対策を練ってみるとも言っていた。

 

 

 

 

 

 部屋に戻ると、ルイズはすぐにベッドに突っ伏した。

 考えれば考えるほど絶体絶命。まさかこんな事になろうとは。単に使い魔がいないと、留年してしまうという話だったのに。

 そしてもう一つ。またもやパチュリー達の手を借りるハメになりそうだ。確かに、こっちに来て自分でいろいろとやるようにはなった。だが借金の件にせよ、食い逃げの件にせよ、今回にせよ自分でやると決めておきながら、結局彼女たちの手を煩わしてばかりだ。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もちろん彼女たちなりに利点というか楽しみを見つけて、付き合ってはいるのだが。それでもルイズはたくさん恩を感じていた。いつか返さないと、と胸に思う彼女だった。

 

 

 

 



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新聞記者

 

 

 

 

 比那名居天子が召喚された日の午後、さっそくパチュリーと共に魔理沙、アリスに事情を話した。山の神、八坂神奈子の真澄の鏡を持ってくると聞いて、二人ともさすがに無茶と言ってはいたが、やるだけの事はやろうという話になった。実は二人とも、魔法少女セット、リリカルステッキとマギカスーツのVer.2をすでにほぼ完成させており、それを試したいというのもあった。壊してしまった魔法少女セットを、また作ってもらわないと、というルイズの気がかりは、杞憂に終わった。まあ、パワーアップしたその魔法少女セットの能力が、ちょっと不安ではあったのだが。

 

 ちなみにこの話し合いはアリスの家で。小さいながらコンパクトにまとまった家はいかにもアリスらしいと思った。しかもそこら中を人形が動き回っていた。人形遣いに相応しいもの。ただその人形たちは完全な自立ではなく、アリスが操っていた。完全自立人形が彼女の目標でもある。

 

 翌日。紅魔館を走る二人の姿があった。

 

「それで、今日からまた魔法の練習ですか?」

「違うの。今日は魔法少女セットの最終調整。練習は明後日からね」

 

 早朝のランニング。いつもの日課。そしていつもの通り、美鈴といっしょに紅魔館の周囲を走っていた。

 こうやって走るのも大分慣れてきたのか、そうは疲れない。まあ美鈴は相変わらず涼しい顔だが。妖怪であり体術の達人でもある彼女にとって、この程度の運動はゆっくり歩いているようなものだった。

 雑談を交えながら、花壇の脇を走っていく。

 

「昨日、対策の話があったんですよね」

「それが途中から話が脱線して十分できなかったわ。アリスの人形見てたら、ガーゴイルを思い出しちゃって話したの。そうしたら、もうなんか興奮しちゃって。すぐにでもハルケギニアに行きかねないくらい。いつも落ち着いてると思ったら、あんなところがあるなんてね」

「ガーゴイルってなんですか?妖怪です?」

「こっちのガーゴイルとは違うわよ。えっと、自立人形と言った方がいいかしら」

「えっ!?ハルケギニアって自立人形があるんですか?」

「うん。あちこちで使われてるわ。ま、そんなのだったから、話がズレちゃってね。結局対策はこの次になっちゃったの」

 

 やがてランニングの後、休憩を挟んで筋トレ、そして体術の練習。いつものメニューをこなしていった。そして一休み。

 二人で正面門に座ってのどを潤していると、ふと空の一点に黒いものが見えた。ルイズは目を凝らそうとすると、ボンという具合にすぐ目の前に土煙が上がる。

 

「おはようございます。お二人とも。いいお天気ですね」

 

 その土煙の中から、やけに陽気な声と共に女性が現れた。あの黒いものの正体らしい。つまり飛んできたわけだ。とんでもない速度で。

 ルイズは誰?という具合に、目を見開く。その姿はまさに翼人。こっちで勘違いしていた妖怪のそれとは違い、まさしく鳥の羽が生えていた。ただその羽は黒かったが。恰好は今まで見た連中とは違い、ややフォーマル。こあほど型にはまっているという感じではないものの、パチュリー達に比べればずっとピシッとしているイメージだった。黒髪の上に奇妙な赤い帽子?が乗っているのが気になったが。

 黒い羽の翼人は、まくしたてているように話してくる。

 

「はじめまして。私、『文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)』の記者をやっております射命丸文と申します。以後、お見知りおきを」

 

 そう言って、小さな四角い紙を持ち出した。取ってくれと言わんばかりに差し出してくる。ルイズはそれを受け取ると、不思議そうに眺めた。名前と、文々。新聞、記者。それと烏天狗という文字が書いてある。最後に連絡先らしきものも。

 

「何?これ?」

「私の名刺です」

「名刺?」

 

 初めて聞く言葉だった。ちょっと首を捻りながら、美鈴の方を向いた。

 

「えっと、自分で作った携帯用の自己紹介状みたいなものです」

「自分で作った自分の紹介状?変な物があるのね」

「でもこれを取っておくと、滅多に合わない人に用ができた時とか、すぐに思い出せたり連絡つけられたりしますよ」

「ああ、なるほど。そういう使い方すると便利かも」

 

 思わず唸るルイズ。パーティとかで初めて会った相手に自己紹介されたりするのだが、しばらく会わないと忘れてしまう。それで不意に会った時に相手は覚えているのに、自分は忘れていると失礼にあたる。そんな訳で貴族にとって、顔と名前を一致させておくのは、ある種の礼儀でもあった。だがこれがあれば随分と助けになる。またもや魔法とは違う、ちょっとした幻想郷の習慣に感心したルイズだった。

 もっとも、こんな名刺を配っているのは幻想郷にはあまりいない。忘れてしまったら、自分にとってはその程度の相手だったのだろうと考えるだけ。あくまで自分本位なのだ。この射命丸文も、新聞記者のフォーマットとして名刺を配っているようなものだった。

 

 感心しながら名刺を裏表に返していると、目の前の新聞記者、射命丸文が作ったような笑顔で、ルイズに話しかけてきた。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさんですよね」

「そうだけど……」

「お時間よろしいでしょうか?」

「えっと……。少しの間な……」

 

 と答えようとした所に、美鈴が入ってくる。まるでルイズを守るように。

 

「あーー!ちょっとルイズ様には時間がないんですよ!汗を流さないといけませんし、それにもうすぐ朝食ですから」

 

 少しムッとする文。しかしすぐに笑顔。

 

「では、ここで待たせてもらいます」

「えーっと、その後も魔法の練習とかあるんですよ」

「ほう。ルイズさんは魔法使いなんですか」

 

 思わず美鈴は口を手で覆う。しまったという感じで。一方、文はラッキーヒットと具合に笑みを浮かべている。

 

「ただの外来人が、何故、紅魔館のお客様にとは思ってましたが、魔法使いとは。しかし、外の世界ではほとんど魔法使いはいなくなったハズでは?」

「え、えっとその……とにかく、また今度という事で!」

 

 逃げるように美鈴はルイズを抱きかかえ、館へ入る。背中から文の「また来ます」という声が聞こえた。

 ちなみに文がルイズの事を知ったのは、ミスティアからだった。文は彼女の店の常連の一人。たまたま寄った時に、ルイズの話を聞いたのだった。

 

 

 

 

 

 美鈴に抱えられ中央ホールまで来ると、ルイズは声をかける。

 

「ちょっと、どうしたのよ」

「えっとですね。あの人はいろいろと困った人で、気をつけないといけないんです」

「また、そんなのなのね……」

 

 昨日の不良天人、比那名居天子に次いでだ。ちょっと疲れるルイズ。この所の出会いは運がない。

 美鈴はルイズを下すと、話を続ける。

 

「新聞記者なのですが、彼女の作る記事は……」

「ちょっと待って。その新聞記者って何?」

「新聞の記者ですが……」

「記者って何?」

「もしかして、ハルケギニアには居ないんですか?」

「新聞はあるわよ。でも記者は知らないわ」

 

 新聞があるのに記者を知らないというのはどういう事かと、美鈴は首をひねる。それじゃぁどうやって新聞を作っているのかと。もっともルイズ自身、新聞をどう作っているかなんて事はまるで知らないし、そもそもあまり読んだ事がなかったのもあった。ただ、また聞きなれない言葉を耳にし、ルイズは何か異世界の新しいものを教えてもらえるという感じで、少々ワクワク。

 美鈴は少し悩みながら説明しだす。

 

「えっと、ですね。新聞作る時に、いろんな話を集めてくる人です。それを記者と呼びます」

「へー、そうなんだ。ねえ、こっちの新聞ってどんなの?」

「持ってきましょうか」

「うん」

 

 美鈴はそういうと、ビュンという具合に瞬時にどこかへ走り出した。その早さは馬をも超えるもの。そしてすぐに屋敷の奥に行って見えなくなった。しばらくして、これまた馬以上の速度で戻ってくる。手に大きめの紙束を持って。

 

「これです」

 

 受け取った折りたたまれた紙をルイズは広げる。ハルケギニアに比べてやけに大きい。紙の質は、羊皮紙ほどではないがまあまあ。たくさん文字が書いてある点は同じだが、大分印象が違う。彼女の記憶にある新聞の文章は、もうちょっと辞典じみたものだった。だがこの『文々。新聞』。どこかエキセントリックだ。それから内容を読んでいったが、書いてあるもの自体は大した事はない。だがなんだろうか。この大した事のないものの詳細が、不思議と知りたくなってきていた。彼女は気が付いていない。この狭い紙面の中に、読者の心を鷲づかみにする様々なワザが散りばめられている事を。少なくともルイズはそのワザにハマリかけていた。

 

 そしてもう一つ気になったものがあった。美鈴に尋ねてみる。

 

「この新聞に載ってる絵って、すごいわね。本物みたい。あの新聞記者って絵の達人なのかしら」

「ああ、これは写真です」

「写真って?」

「見た光景を、そのまま絵にする道具があるんです」

「えーー!何それ!?マジックアイテム!?」

「違いますよ。ただの道具です。誰でも使えますよ」

「えーー!?」

 

 ルイズは驚いて、新聞に掲載されている写真を見入った。こんな精密な絵が誰でもできてしまったら、絵師なんて廃業だ、と思ってしまった。

 やがて新聞を広げ全体を眺める。今まで読んだ事もない、独特の魅力を感じ始めていた。またもや幻想郷から新鮮な刺激を受ける。

 だがふと、知っている事柄を見つけた。

 

「あれ?ミスティアのお店が開いたって書いてあるけど、美男美女の給仕って何?まだ一人でやってたと思うけど」

「ああ、それですか。よく読んでください。予定があるって書いてあるでしょ。だから間違ってません」

「そんな話、聞いてないわよ」

「たぶん文さんが勝手に書いたんでしょう」

「何それ。嘘じゃない」

「でもあくまで予定なんで、いなくても結果的に嘘にならないんです」

「はぁ!?」

「ただお店が開いたって書いただけじゃ、つまらないんで話を膨らましたんですよ」

「何よそれ!」

「こっちの新聞はこんな感じです。内容の詳しさより早さを優先してる所があるので、よく調べる時間がありません。それで書くと中身が薄くなるので、話を大きくしたりするんです」

「もしかして、デタラメ書く事もあるの?」

「ありますよ。結構。さて、そんな状態で、みんなが新聞を読んだらどうなるでしょう?」

「みんな勘違いするじゃない」

「はい。だからあの人は、気をつけないといけないんです」

 

 ルイズはようやく美鈴の言った意味が分かった。これは危険だ。下手なマジックアイテムより危険かもしれない。デタラメ書かれて、悪い噂が広まった日には目も当てられない。噂を消すのにどれだけ苦労する事か。ハルケギニアの新聞も、もしかしたらこんな所があるのかも、なんて考えも浮かぶ。

 新聞のイメージにちょっと悪印象を持つルイズ。すると美鈴は笑いながら話しかけてきた。

 

「まあ、でもみんな新聞に書いてある事を、それほど本気にしてませんので。後、読み慣れてくると、どの辺りが本当で、どの辺りが嘘か分かってくるんですよ」

「そうなの?」

「ですからこれを読む人は、新しい事が知りたいというより、デタラメ半分な娯楽を楽しんでる人の方が多いんじゃないでしょうか」

「ふ~ん……」

 

 もう一度新聞を眺める。そして美鈴に尋ねた。

 

「つまりあの新聞記者は、私の事を知りたい訳ね。新聞のために」

「そうでしょうね。ただ、ルイズ様の事をどれだけ知ってるかですね。ただの外来人としてなのか、異世界から来た事まで知っているのか」

「正直に話した方がいいのかしら?」

「とりあえず異世界の事は、黙っておいた方がいいんじゃないでしょうか。異世界からなんて言ったら、面倒事に巻き込まれかねませんからね。それにただの外来人なら、文さんもそれほど紙面を割かないでしょうし」

「うん。分かったわ。そうする。ありがとう、美鈴」

「いえいえ。さて、ちょっと遅くなってしまいましたが、朝食にしませんと」

「あ!急いで汗流してくるわ」

 

 ルイズは慌てて走り出すと、自分の部屋へ向かった。

 

 

 

 

 

 朝食を口にしながら、いろいろと頭を巡らすルイズ。あの射命丸文に、どう対応したらいいか。美鈴は、あくまで外来人という事だけ話すように言っていたが。

 ちなみに朝食は一人。レミリア達はまだ起きてないし、パチュリーにとって食事は趣向品なので、一日一食もあれば十分だった。

 

 ゆっくりと朝食を進めるルイズの側に、咲夜が控えていた。

 

「咲夜」

「はい。なんでしょう?」

「射命丸文って妖怪知ってる?」

「はい。新聞屋の烏天狗ですね」

「さっき会ったのよ。私に話を聞きたいらしくて。一旦帰ったようだけど、また来るって言ってたわ」

「来たら、追い返しましょうか?」

 

 そう言って、ピッと投げナイフを指先に挟む。ニコニコと。結構まともそうに見えるこのメイド長も、やはり紅魔館の住人だった。もっともルイズはすでに慣れてしまったが。

 咲夜の話を聞いて、追い返す手も悪くないと思った、が。

 

「それで、あきらめるかしら?」

「いいえ。しつこいですから」

 

 ルイズは口をつぐんで難しい顔。やはりそんな雰囲気がしていたが、そうだったかと。

 

「どんな人?」

「自称、幻想郷最速と言ってます。確かに速いですけど」

 

 最初現れた時も、何か空にあると思ったらもう目の前にいた。風竜より速いかもしれない。

 さらに咲夜は話を続ける。

 

「取材をしてる時は、物腰が丁寧ですが、それ以外は結構不遜ですね」

「え?取材って?」

「新聞記者として話を聞いてる時です」

「そう」

 

 つまりは、フォーマルとインフォーマルをうまく切り替えると。結構油断ならない人物なのかもしれない。これはやりにくい。益々困る。ふともう一度、名詞を取り出す。すると、気になったものが目に付いた。

 

「妖怪の山?」

「連絡先ですね。彼女、妖怪の山に住んでますから」

「え!?住んでるの!?」

「そうですよ。天狗は烏天狗に限りませんが、だいたいあそこに住んでます」

「山頂の神については詳しいのかしら」

「詳しいでしょうね。隣人という事もあるでしょうし」

「ふ~ん……」

 

 ルイズはちょっと頭を回す。あまり信用されてない新聞。そして山の神に詳しい記者。一つ考えが浮かぶ。山の神の事を聞いてみようかと。

 一方で、ふと思い起こす。この所、大事な決断を意地になって軽軽に決めすぎていたのではと。だから後で、パチュリー達の助けを借りるハメになったのではと。

 だいたいハルケギニアにいても、あまり誰かに相談しようとしなかった。せいぜいカトレアくらい。今、考えてみると、魔法が使えない貴族という同じ立場の人間がいなかったのもあるが、バカにされるものかと意地になり過ぎていた気もする。人に頼るような弱みは見せまいと。だが、幻想郷に来てからの短い期間で分かったのは、意地と覚悟だけでできるものなんて、高が知れているという事だった。

 ふと、隣で整然と佇んでいるメイド長を見る。

 

「咲夜、ちょっと相談してもいいかしら?」

「はい。何なりと」

「山の神について、あの射命丸文に聞きたいと思ってるの。でもその代わりハルケギニアの人間って言う事になっちゃうと思うの。できれば教えたくないんだけど、どう思う?」

「それでしたら、直接関係者に聞いてみた方がいいかと。そうすれば無理に話さなくても、済むんじゃないでしょうか」

「関係者?」

「あの山には八坂神奈子の他に、洩矢諏訪子という神。そして風祝(かぜほうり)の現人神がいます。特に現人神の東風谷早苗は、人里にもよく来ますし、博麗神社にもよく寄ってますよ」

「風祝の現人神って何?」

 

 またも聞いたことのない言葉が、耳に入る。咲夜は少し考えると、おもむろに口を開いた。

 

「その……。神に仕える女性はハルケギニアではなんて呼びます?」

「巫女かしら」

「その巫女の上位的存在と言いますか……」

「さらに上の位があるの?」

「そういう意味ではないんです。えっと……」

 

 どうにも説明しづらいのか、咲夜は頭を抱えている。やがて、仕方が無いと思ったのか、開き直って話し出した。

 

「そうですね。神と人間のハーフと思ってください」

「か、神と人間のハーフ!?そんなのがいるの!?」

「ちょっと違うんですが、そう理解されていいです」

 

 ルイズには言葉がない。いや、神が実在するのだから、人間とのハーフもありうるかもしれない。しかしそうだとしても、収まりの悪いものがあるのを否定できないでいる。

 咲夜は、ちょっと考え込んでいるルイズに、声をかける。

 

「当人は何か超常的なものなんてまるで感じさせませんよ。ただの人間と思って差し支えありません」

「そ、そうなの」

「お会いになられても、普通に話せます」

「それならいいけど……。それで、どうやって会えるか分かるかしら?」

「魔理沙なら博麗神社に来る時期を知ってるかもしれませんから、彼女に聞いてみては?」

「え?魔理沙が?」

「ええ。東風谷早苗は魔理沙の知り合いですよ」

 

 なんというラッキー。魔理沙の知り合いが関係者とは。しかも彼女はこれから魔法少女セットVer.2の調整のため、紅魔館に来る予定だ。これは聞くしかない。

 

「ありがとう、咲夜。相談して良かったわ」

「お役に立てて幸いです」

 

 咲夜は軽く、笑顔で礼をする。

 

 

 

 

 

 やがて昼も過ぎ、いつもの広場に近い部屋に四人の魔法使いの姿がある。ルイズ、パチュリー、魔理沙にアリスだ。

 そしてテーブルに用意されたリリカルステッキVer.2とマギカスーツVer.2。一度アリスの家で見たものの、相変わらずのピンク。しかも装飾がハデになっている。ちょっと微妙な顔で眺めるルイズだった。

 

 自信作とばかりに颯爽とアリスが説明しだす。

 

「今度のはかなり改良を加えたわ。まず魔力量の許容量は2倍。そして前のはルイズの魔力をただ蓄積するだけだったけど、これはそれを呼び水にさらに魔力を呼び込むの。そして……!」

 

 と勢いのいい宣言と共に、持ってきた鞄をひっくり返す。出てきたのは……。

 ショーツとスリップ。

 ルイズ、唖然として口を半開き。がアリスの顔は相変わらず、どこか自慢げ。

 

「これを着けてもらうわ」

「何?今度のは下着まで指定なの?」

「そうじゃないの。これはあなたの魔力蓄積量を増すのよ。前から気になってたんだけど、魔力の回復力がちょっと弱いのよね。それを補助するものよ」

「へぇ……」

 

 説明を聞いて、ちょっと感心。手に取ってみる。裁縫が得意なアリスらしく、なかなかのデザイン。悪くない。着てもいいんじゃないかと思った。

 次は魔理沙の番。ビシッとリリカルスティックVer.2を突き出す。前よりゴテゴテしたものになっていたが。

 

「私はやっぱパワーだぜ。最大出力は1.4倍!魔法の展開スピードも上がってるぜ。だたちょっと、気をつけてくれよ。パワーが上がった分、調子に乗って使ってると、すぐ魔力切れ起こすからな」

「うん。分かったわ」

「それと今度は、ルイズの杖をこの中に仕込めるようにした。イチイチ二本も使ってたら面倒だからな。おかげでちょっとゴツクなったが、そこは慣れてくれ」

 

 たしかにゴツイ。柄も一回り太くなっている。そうは言っても持ちにくいというほどではないが。

 

 さっそく、新たな魔法少女セットを手にする。まずはマギカスーツに袖を通す。相変わらずのピンクコスだが、魔法が使えるとなればこのくらい、という気持ちで着込んだ。そしてちょっとリリカルスティックも杖を仕込むと、手に持つ。

 そしてすぐに外に出た。広場に向かう途中、魔理沙に尋ねる。

 

「魔理沙。東風谷早苗って知ってる?」

「ああ、知ってるぜ」

「その風祝の現人神って山の神の関係者なんでしょ?」

「というか、同居人だな。三柱とも守矢神社にいるぜ」

「会えないかしら」

「そういう事か。敵情視察だな」

「別に敵って決まった訳じゃないでしょ。戦わなくて済む方法もあるかもしれないし」

「おいおい、戦う前から弱気か?」

「無理に敵対する事ない、って言ってるのよ」

 

 どうも、魔理沙はルイズと神奈子を戦わせたいらしい。まあ、魔法少女セットを試したいというのもあるのだろうが。だが戦う当人であるルイズにしてみれば、正直、神との戦いなんてごめんだ。

 なんだかんだと話を続けていると、馴染みの広場に出た。だがそこにいつもは見ない人影が。まずはレミリアと咲夜。そして……。

 

「あやや、みなさん遅かったですね。レミリアさんも待ちくたびれてましたよ」

 

 射命丸文だった。

 

「あんた……。なんでここにいるのよ」

「これは失礼しました。ですが、また来るといいませんでしたか?」

「言ったけど、こんなに早く来るなんて思わなかったわよ」

「居ても立っていられなかったんですよ」

 

 文はそう言って、ペンとメモを取り出して、ニコっと笑顔を向ける。

 

「なんと言っても、魔法使いの外来人。しかも異世界からの来訪者がいるのですから!」

 

 秘密にしておこうとしたものがすでにバレていた。

 

「な、なんでそれを……」

「レミリアさんから伺いました」

 

 ムッとした視線をレミリアと咲夜の主従に向ける。咲夜の方は申し訳ないような難しい顔を浮かべている。一方、レミリアは不敵で楽しそうな笑顔。何故?という言葉がルイズに浮かんだ。

 吸血鬼は悠然とルイズ達へ向くと口を開いた。

 

「数ある外来人の中でも、異世界人というのは今までなかったわ。それを預かってるのは、この私の紅魔館。こんなすばらしいニュースは、大衆に周知する必要があるとは思わない?ルイズ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。異世界人ってバレたら、いろいろ困るかもしれないじゃないの!」

「いいえ。困らないわ。さすが紅魔館って、羨望の想いを浮かべるに違いないわ」

 

 ルイズが言いたいのは紅魔館の事ではなく、ルイズ自身の話なのだが。お嬢様にはそんな察しのいい所はなかった。

 すると咲夜がさすがにマズイと思ったのか、言葉を添える。

 

「その……お嬢様。ルイズ様がハルケギニア出身と知れ渡ると、胡乱な連中が連れ去りに来るかもしれません。なるべく隠しておいた方がよろしいかと……」

「そんなやつらは全員、打ちのめすわ。この私が!」

 

 もはや何を言ってもダメな状態に入ってしまった。そこにさらに余計な事を言う烏天狗。

 

「さすが幻想郷で名高い吸血鬼であるレミリアさんです。もう少し注目を浴びるような話を添えると、さらに箔が付くと思いますよ」

「そうね。ルイズはねあの天人を使い魔にするのよ」

「なんですって!天人というのは、もしかしてあの比那名居天子さんですか!?」

「そうよ。あの天子」

「なんと!あの方は、とても人の下に付くように思えなかったのですが。これは大ニュースです!」

 

 嬉々としてペンを走らせる文、やたら持ち上げられ喜んでいるレミリア。この止めようのない二人を前に、ルイズはあたふたしていた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ使い魔になってなってないわよ!」

「と、いう事はその予定はあるんですか?」

「えーと……。その、まあ、できればだけど……」

「いえいえ、予定があるだけでも大したものです。さすが異世界の魔法使い。ただの魔法使いにはできない芸当ですよ」

「そ、そう?」

「はい。幻想郷をくまなく見てきた私ですが、そんな人物には会った事はおろか、聞いたことすらありません」

「へー……。そうなんだ」

 

 ルイズ、自然と口元が緩んでいる。相変わらずのにこやかな文の表情の裏では、ニヤリというような黒い思考が巡っていた。

 

「しかし予定とは残念です。ルイズさんのご都合が付かないんですか?」

「そうじゃなくって、天子の都合よ。彼女が、条件をクリアしないとヤダって言うの」

「まあ、天子さんを使い魔にするのですから、条件の一つや二つあるでしょう。しかしそれさえクリアすれば、正に稀代の魔法使いですね。その資格をルイズさんがお持ちとは、感服せざるを得ません」

「そ、そうかしら」

「それで、その条件とは、いったいどのようなものです?」

「えっとね……」

 

 ルイズは文に乗せられ、いいように話してしまっている。こういう感じに聞いてくる相手なんて、今までいなかったので無理もない。だがこのままでは、全部話してしまいそうな流れになっていた。

 しかし流れをせき止める者が一名。

 

「文。そこまでにしろ。全部聞いても、多すぎて紙面を埋められないだろ」

 

 魔理沙だった。ムッとしてペンを止める文。

 

「それにこの話は何も、お前占有って訳じゃないぜ。他の天狗が来たら話すしな」

「…………」

「ついでに言うとな、ルイズと一番付き合ってるのは私らだ。ルイズの事だったら、幻想郷で一番知ってるぜ」

「……はぁ。分かりました。ここは一旦引き下がるとしましょう」

 

 大きくため息をつくと、力が抜けるように肩を落とす。だがすぐにパッと魔理沙に向き合った。

 

「ところで、ルイズさんの話、他の天狗に進んで話すおつもりは?」

「お前の態度しだいだな」

「そうですか」

 

 すると納得したように文は、ペンとノートをしまった。代わりにカメラを持ち出す。その初めてみる奇妙な道具にルイズは、思わず目を奪われる。

 

「それでは皆さんが揃った写真を撮りたいのですが、よろしいでしょうか?」

「それはいいわね。全員揃えて撮りましょう」

 

 レミリアがすぐに了承。他の連中が、何も考える暇もなく。まあ、本人は紅魔館に異世界人がいるという決定的アピールがしたいだけだったのだが。

 やがて寝ていたフランドールを無理やり起こし、美鈴までも呼び寄せ、ついでに天子も入れて集合写真が撮られた。中心はもちろんルイズ。彼女自身はできれば魔法少女セットを着替えたかったが、結局そのまま撮ることとなってしまった。

 

 

 

 

 

 ようやく静かになった紅魔館裏の広場。おさわがせの文は帰り、吸血鬼姉妹も館へ戻った。もっともその前に、無理やり起こされて不機嫌になったフランドールと起こしたレミリアの間で、弾幕ごっこが始まりそうになる。日の光の下で戦おうとする二人を、なんとか落ち着かせるので、大騒ぎとなったのだが。

 

 広場の脇にあるテーブルで、四人は和んでいた。

 ルイズは体を投げ捨てるように、どっと椅子に座り込む。

 

「はぁ……なんか、気疲れしたわ……」

「危なかったな。全部しゃべっちまう所だったぞ」

 

 魔理沙が横に座り、こあが差し出したお茶を口にする。ルイズは考え込むと、文との会話を思い起こす。奇妙な違和感に襲われていた。

 

「何であんなに話しちゃったのかしら……。あれ何?ギアスの魔法?それとも烏天狗の能力?」

「ギアスって魔法は知らないが、魔法でも能力でもないぜ。まあ文の芸かな。新聞記者のワザって言うか……」

「芸?ワザ?新聞記者って、そんな事できるの?」

「まあな、ずっと記者やってるしな」

 

 新聞記者恐るべし。

 ルイズはハルケギニアに帰ったら、新聞に関わる者に油断するまいと胸に刻むのだった。

 

 

 

 

 




 改訂前は新聞がハルケギニアにないものとして書いていたのですが、「烈風の騎士姫」に新聞社の記述があると知り改訂しました。しかし盲点でした。後の話にも関わる所があったので、少しばかり練り直すことに。
 それでハルケギニアの新聞は、ヨーロッパの初期の頃の新聞を想定しました。材質は羊皮紙。サイズはB4程度の一枚。両面印刷。値段は結構高価。貴族や豪商くらいしか日常的に購入できないものとしました。印刷は木版印刷だったのではないかと。ハルゲギニアでは、発明という要素がどうにも弱い感じがして。コルベール先生はいろいろ作っていましたが。それに階級社会が純然とある所を考えると、貴族の情報独占の崩壊に繋がる活版印刷と木材紙の発明なかったのではと。


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現人神

 

 

 

 

 

「さて、どうしようかしら……」

 

 射命丸文は、1枚の写真を前に頭を抱えていた。

 妖怪の山にある自宅兼、仕事場の家に、朝から、いや昨日からずっとこの調子。目の前にある原稿には、何かを書いては取消し線を引かれた文字がいくつもあった。周りにも丸めた紙が散らばっている。

 

 彼女を悩ませているこの写真。昨日、紅魔館で撮ってきた写真だ。紅魔館のメンバーと魔法使い達。その中央にいるのが、異世界の魔法使いこと、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。魔法少女の格好をしてちょっと恥ずかしそう。しかしその顔は強気だった。このかわいらしい魔法使いに、文はちょっと笑みをこぼす。

 

 ともかく、最近では全くなかった、ビッグスクープ。注目される事間違いなし。しかしスクープとして大きすぎるというのが問題だった。昨日、手に入れた情報だけで紙面を埋めるには十分。『文々。新聞』が大量に捌けるだろう。だがそれは、他の天狗達にもルイズの存在を知られてしまうという事。その後は取材競争となる。できれば、この情報を占有したかった。そしてシリーズ化。これが理想。

 

 ところが、初手でしくじった。ルイズと仲のいい魔法使い達に警戒されてしまった。レミリアとのツテを頼りにして、ちょっと調子に乗りすぎた。失敗だった。このまま発行すれば、『文々。新聞』は異世界人ブームの最初の切っ掛けで終わりかねない。

 信頼をなんとか回復するか、それとも鮮度優先でとりあえず出すかどうか。少なくともレミリアへのツテという意味では、若干他の天狗より有利ではあるが。

 

「あ~、まとまらないわね。ちょっと頭を冷やしてきましょう」

 

 湯だった頭を一回まわすと、ふわっと空へと飛んでいく。

 しばらく進むと、見知った顔が飛んでいた。

 

「あやや、椛。警邏ご苦労様」

 

 妖怪の山の見回り担当、白狼天狗の犬走椛だった。愛用の盾と刀を持って、ゆっくりと飛んでいた。

 

「あれ、文さん。こんな所でどうしたんですか?」

「あー、記事の事でちょっと行き詰っててねー。頭冷やしに来たんですよ」

「そりゃ、焦るのも無理ないですからね」

「?」

 

 奇妙な言葉を今耳にした。眉間にしわを寄せる文。

 

「何で私が焦らないといけないの?」

「え?てっきり発行部数で、抜かれたからと思ってたんですけど」

「何に?」

「花果子念報です」

「はぁ?」

 

 『花果子念報』。同じ烏天狗である姫海棠はたてが出している新聞。本人があまり足を使ってネタを集めない上、記事が堅苦しいので人気があまりない新聞だ。そのため、抜かれる事なんてありえないと文は思っていた。

 

「いったい、どういう事よ?あの引きこもりが、何か大スクープでも拾ったの?」

「知らないんですか?」

 

 文は大きくうなずく。

 

「吸血鬼の屋敷に外来人の魔法少女が住んでたんですよ。それが写真付きで記事になってましたよ」

「え!?ま、まさか……!」

 

 脳裏に浮かんだのはあの写真。紅魔館メンバーと共に写る異世界人ルイズ。確かにルイズは、魔法少女っぽい格好をしていた。

 椛は記事の内容を思い起こしながら、感想を口にする。

 

「それにしてもまさか外の世界に、本物の魔法少女がいるとは思いませんでした。前に早苗さんから聞いたときは、架空のお話って言ってたんですけどね。やっぱりそういうものには元ネタが……。文さん?」

 

 文、椛の両肩をガシッと掴み、血走った目を大きく開けている。

 

「その花果子念報、今どこにあるの?」

「あ、あの……。詰め所に置いてありますけど……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、反転。文字通りかっ飛んでいった。

 

 いきなり詰め所の引き戸が勢いよく開く。休憩していた白狼天狗達の視線が、一斉に入り口へ集中。そこにいたのは、半分動揺して落ち着きのない文だった。白狼天狗達はなんでこんな所に烏天狗がと注目したが、当の文にはまるで目に入らない。そして探す。目的の新聞を。それは部屋の隅に無造作に置かれていた。

 瞬時に飛びつく文。そしてバッと広げる。そこに見つけた。自分が撮った写真を。それに、まるっきり間違った内容の記事が添えられていた。

 

「しまった……」

 

 がっくりと肩を落とし、力が抜けるように沈む文。

 

 『花果子念報』の記者。姫海棠はたてにはある意味やっかいな能力がある。それは念写能力。しかも写真に対しては特に有効。つまり写真にしてしまうと、彼女にスッパ抜かれる可能性が高くなる。文はこれをすっかり忘れていた。付き合いは長いのに、この事を忘れているとは大失態。

 

 やがて魂が抜けたように、詰め所を出て行く文。そしてふらふらと空へ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

「いったい何がどうしたっていうの?」

 

 紅魔館の一階の窓から、頭を低くして顔を覗かせているルイズ。その目に映るのは、弾幕が飛び交う熾烈な戦いであった。

 美鈴と烏天狗達の。

 

 昼食後。昨日、なんだかんだでほぼ調整も終わった魔法少女セットVer.2を本格的に使おうと、外に出ようとしたらこうなっていた。

 

「へー。こんなに烏天狗が来るなんて、初めてじゃないでしょうか」

 

 同じく顔を覗かせているこあが横で暢気に言う。

 

「たぶん新聞のせいね」

 

 さらに同じく顔を覗かせているパチュリーは憮然として言う。

 ルイズはそんな彼女を横目で見ながら思う。ハルケギニアでも新聞の関係者はこんな感じなのだろうかと。まあ、ハルケギニアと幻想郷の新聞は大分違うので、そんな事はないかもしれないが。

 

 ともかくこの状況。要はルイズへの取材が殺到していた。花果子念報を切っ掛けに。だがそこを、美鈴がガンとして通さない。そして弾幕ごっこの始まりとなった。魔理沙によく突破されると言われる割には、美鈴はこれだけの数の烏天狗を防いでいる。親しみやすい人柄なので分かりにくいが、やはり中々の実力。紅魔館の門番を任されるだけはあった。

 

 そうは言っても多勢に無勢。その内、押し切られるんじゃないかという心配になる。ルイズはさすがに不安になってきたのか、パチュリーに尋ねた。

 

「手伝った方がいいんじゃないのかしら。なんなら私が……」

「大丈夫よ」

「ホント?」

「そろそろ起きるから」

「何が?」

 

 ルイズは首を捻る。だがすぐに気付く。こんな時間に起きると言えば……。

 

「うるさーい!!」

 

 二階のバルコニーから怒号が聞こえたかと思うと、そこから何本もの光の紅い槍、デモンズディナーフォークが飛んでいった。槍は見事に、全烏天狗達に命中。ドスドスドスっと言わんばかりに。

 憤怒の槍の源は館の主、レミリアのもの。こんな早めの時間に起こされてしまった。この騒ぎで。さらに昨日フランドールとケンカした事もあって、少々機嫌が悪いのもあった。烏天狗達は間が悪すぎた。

 打ちのめされた烏天狗達は、さすがにあきらめて帰っていく。一方のレミリアも、やがてなにやらブツブツ言いながら、館へと戻っていった。

 

 ルイズはバルコニーの方を見上げならが、こぼす。

 

「そういう事ね」

「咲夜が呼ばれたのが聞こえたのよ」

「ふ~ん。ま、これで練習できるわね」

 

 ようやく立ち上がったルイズ達に、後ろから声がかかる。

 

「ねぇ。何あれ?」

「天子……」

 

 ルイズと同じ居候の天人。だが彼女と違い、こっちは強引に居座った居候。

 それにこあが嫌な顔一つせず答える。

 

「烏天狗の取材ですよ。追い返しましたけど」

「誰に?」

「ルイズ様にです」

 

 天使もとい天人と悪魔が、世間話をしているなんともシュールな光景。二人の様子を見ながらルイズは、幻想郷ならではとか思った。

 天子は納得しながら、薄い紙束を取り出す。

 

「そういう事。これのせいか」

「ん?それは?」

 

 ルイズは思わずその紙束に視線を移す。新聞らしかった。

 

「あんたが載ってる新聞。暇だから今朝、人里行ったら見つけたの。で、ちょっと貰ってきたわ。『花果子念報』とかいうの。あまり面白くなかったけどね」

「『花果子念報』?」

 

 確か文のは『文々。新聞』という名前のはずだ。いったいどういう事か。ともかくルイズは、自分がどう書かれているかの方が気になった。

 

「ちょっと貸して」

「ん」

 

 天子から新聞を受け取ると、パッと広げる。横からパチュリーとこあが覗き込んだ。一面の最初の記事のデカデカとしたタイトルには……。

 『魔法少女は実在した!紅魔館に魔法少女が滞在中!』

 と書かれていた。

 

「「「え?」」」

 

 三人が一斉に声をあげ、同時に怪訝な表情に。

 何がどういう経緯でこうなったのかさっぱり分からない。文は、ルイズが異世界からの魔法使いの外来人と知っていたはずだ。それが何故か魔法少女に。しかもこれは他人の新聞。だいたい何故こんな大スクープを、他人に譲ったのか。昨日撮った集合写真までも。

 難しい顔をしているルイズ達に、天子が話しかけてくる。

 

「何、あんた魔法少女でもあるの?」

「魔理沙も言ってたけど、何か特別なの?それ。魔法を使う少女は魔法少女でしょ」

「違うって聞いたことあるけどねー」

「どうでもいいわ。もう。何かある訳じゃないし。さ、パチュリー。練習に……どうしたの?」

 

 新聞を見つめながら、パチュリーは何か考え込んでいる。

 

「魔法少女……。悪くないわね」

 

 こっちもかと、ちょっと呆れ気味のルイズ。

 パチュリーは振り返ると、ビシッと指差した。ルイズを。

 

「ルイズ。あなたは魔法少女よ」

「は?いったいどうしたのよ」

「魔法少女ってね。本当は存在しないと思われてるのよ」

「だいたい魔法少女って何?」

「そうね。魔法を使う御伽噺の英雄と言った所かしら。あなたの今みたいな格好をして、人助けをしたり、悪人と戦ったりするの」

 

 なーんだとルイズはちょっとがっかり。要は、ただの英雄譚の主人公が、魔法使いの少女になっただけの話ではないかと。実際の魔法使いと違うのは、英雄っぽく派手な立ち回りや格好をするくらいだろうか。

 拍子抜けしたように、ルイズは尋ねてきた。

 

「それで、そんな御伽噺の英雄をどうするの?」

「ミスリードするのよ」

「ミスリード?あ、そっか」

 

 ルイズは納得がいく。異世界人という真実を、魔法少女で隠してしまおうという訳だ。魔法少女はただの架空の存在。なら、中身はいくらでもでっち上げられる。ルイズへの疑問もどうとでも言い訳できる。

 彼女は、ニヤリとした笑みを浮かべ、親指を立てる。ビシッと。魔理沙みたいに。

 

「それで行きましょう!」

 

 やがて、魔理沙やアリス達がやってくると、魔法の練習そっちのけで、魔法少女の設定を考え出した。何故か天子まで混ざって。なんかハマッてしまったのか、この日は結局、練習できなかった。

 

 

 

 

 

 それから数日。門番の美鈴の前に久しぶりの顔があった。

 

「ご無沙汰してます。美鈴さん」

「あれ?守矢神社の早苗さん……」

 

 宴会以外では中々顔を合わせない人物。守矢神社の風祝、東風谷早苗。緑のロングに、蛙と蛇をあしらった髪留め。青を基調とした霊夢のような服装をしていた。黙っていると清楚な少女にも見える。

 

 ともかく、妖怪の山の神社、守矢神社の関係者。もしかしたら、ルイズが乗り込んでいくかもしれない相手だ。それが何故ここに?美鈴は対応に困っていた。

 

「えっと……。何か約束がありました?」

「いいえ」

「では何しに?」

「これです!」

 

 バンという具合に、前に突き出されたもの。『花果子念報』だった。もうそれだけで美鈴は何しに来たか、分かってしまった。何か急に疲れてくる。この所、烏天狗達の猛攻を跳ね返すのに、一杯々なのもあって。今日はフランドールが途中参加したせいで、あっさり撃退できたのだが。

 

「えっと、魔法少女さんは、今、多忙で面会できません」

 

 美鈴は烏天狗達にも言ったのと同じ事を返す。だがこの程度で引き下がる、守矢神社の風祝ではなかった。

 

「私は幻想郷一の魔法少女通ですよ。ぜひ会わせてください!」

「…………」

 

 一体何を言っているんだ、この風祝は?という具合にさらに表情を疲れさせる。

 その時、上から声がかかった。魔理沙だった。

 

「おう!早苗」

「あら、魔理沙さん。また本の無心ですか?」

「人聞きの悪い事いうな。それに今は紅魔館入るのに許可貰ってるんだぜ」

「え?本当ですか?」

 

 美鈴は頷く。早苗はいったい何があったという顔をしているが、そんな事はお構いなしに魔理沙が話を進めた。

 

「丁度良かった。お前に会わせたいヤツがいるんだよ」

「これからですか?でも、今は紅魔館にちょっと用が」

「相手はその紅魔館の中いるぜ」

 

 早苗は口元に手をやり考える。よりによって紅魔館の中に、会わせたい人物がいる。もう答えは一つしかなかった。

 

「魔法少女ですか!」

「ああ。話がしたいそうだ」

「それは願ってもない事です!すぐに会いに行きましょう!」

「それじゃ、裏の広場で待っててくれ」

「はい!」

 

 早苗は美鈴に嬉しそうに挨拶し、門を潜る。潜った途端、ズドンという具合に裏の広場へ向かって飛んでった。

 

「慌しい娘ですね……」

 

 ただでさえ疲れているのに、気まで疲れてしまう美鈴だった。

 

 

 

 

 

「あー!魔法少女!」

 

 思わず声をかけられ、振り返ったルイズの目に映ったのは、緑ロングの少女だった。なんか目をキラキラさせている。

 またどっかの妖怪が、入り込んだらしいとルイズは少し構える。この所会った相手はろくでもないのばかりなので。緑ロングはすかさず近づくと、珍獣でも見ているような目を向けてくる。ちょっと嫌。

 

「な、何よ?あんた」

「あ。これは失礼しました。私、東風谷早苗と申します。はじめまして、魔法少女さん」

 

 早苗は礼儀正しく挨拶。ぺこりと頭を下げる。だがルイズの印象に残ったのは、そんな丁寧な物腰よりも、その名前だった。

 

「東風谷早苗?もしかして、守矢神社の?」

「あら、ご存知でしたんですか。はい、私、守矢神社の風祝をやってます」

 

 ルイズはすぐに納得した。魔理沙が連れてきてくれたのだと。彼女にはいろいろ聞きたい事がある。特に山の神について。さっそく話を進めようとしたら、先に相手が口を開いた。

 

「お名前、伺ってよろしいでしょうか?」

「ん?いいわよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

「貴族みたいな名前ですね」

「みたいじゃなくて貴族よ」

 

 だがそこまで答えて、ルイズは疑問に思った。名前だけで貴族だと分かったのは初めてじゃないかと。何か違和感がある。

 

「えっと……外来人ですか?」

「そうよ」

「ヨーロッパの方のようですが……。イギリス、いえイングランドとか?魔法使いの本場ですからね」

「え?」

 

 ヨーロッパ?イギリス?イングランド?何の事だか分からない。しかも魔法使いの本場が、どこだか知っているらしい。今までの幻想郷と連中と、この東風谷早苗は何かが違う。

 風祝は相変わらず、目をキラキラしながら話している。

 

「それにしてもヨーロッパの魔法少女とは意外でした。いえ、本場は向こうですから、魔法少女がいても不思議はないのかもしれませんね。それでルイズさんは向こうで何をされていたんです?」

 

 さっそく来た。とルイズは思った。練りに練った魔法少女の設定を、披露する時。派手になったピンクコスを、これでもかと強調しつつ話だす。

 

「そうね。私はある日、図書館で言葉を話す小さな動物を見つけたの。それは悪の魔法王国から国を追われた、王子達だったわ」

「へー……それで?」

「彼らの王国復活を復活させるためには、私の世界にある、リリカルストーンを集めないといけなかったの。私はその手伝いをするために、彼らの力で魔法少女になる事にしたわ」

「はぁ」

「ただ魔法少女になったばかりだったから、見習いとしていろんな試験を受ける事になったの。だけどその途中で、幻想郷に入ってしまったのよ。だからまだ大きな魔法ができないけど、魔法少女には違いないわ」

「…………」

 

 ルイズは、ちらっと早苗の方を見る。さっきまでのキラキラした期待の光は、瞳から失われていた。代わりにあったのは疑惑の光。とっても気まずい空気を、ルイズは察する。何かおかしな事でも言っただろうかと。でもがんばる。魔法少女ここにありという態度で。

 早苗は一つ呼吸を入れると、背筋を伸ばす。そして、右手に持っている杖のようなもの、独特の祓串を振るい、ビシッとルイズを指した。

 

「あなた、魔法少女の偽者ですね!」

 

 早苗は断言。

 ルイズは、半日かけて考えた設定が、あさっり見破られた事に驚愕。ふと思い出した。この東風谷早苗は『現人神』。ここにいるのは、ハーフとは言えやはり神なのかと。神の力によって、見抜いたのかと。神の御業とはこれの事かと。

 真相はまるで違うのだが。

 

 

 

 

 



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異変

 

 

 

 

 

「いったい何者です?」

「えっと……」

「人間のようですが、こんな吸血鬼の館にいるなんてただの人間じゃありませんね」

 

 厳しい早苗の追及が続く。それにルイズたじたじ。バレた場合の対策は何も考えてなかった。

 本当の事を言うべきか、ごまかしてこの場は立ち去るべきか。それともまた別の嘘を作り上げるか。どれを選んでも、失敗しそうな気がして身動きが取れない。

 その時、ふと四人の人影が目に入る。

 魔理沙達とこあだった。ルイズにはまさに救世主。

 

「魔理沙!」

 

 逃げるように彼女に駆け寄る。

 

「ん?どうした?」

「魔法少女じゃないって、一発でバレちゃった!あの娘、いったい何者!?」

「お前が会いたがっていた、山の神の関係者だぜ」

「そうじゃなくって。魔法少女って実在しないんでしょ?何で、嘘ってバレたの?魔法?能力?」

 

 元が創作物なので、本物も偽者もないハズ。どうして自分が魔法少女でないと見破ったのかが、分からない。

 すると納得したようにアリスが口を開いた。

 

「ああ。だって魔法少女の元ネタ。早苗からだもの」

「え!?もしかして、彼女、本物の魔法少女なの!?」

「そうじゃなくって、魔法少女の話を広めたのが彼女なの」

「ちょっと待ってよ。それじゃぁ、昨日いろいろ言ってた魔法少女の話って……」

「ええ。ほとんど彼女からの聞いた話よ」

「ええっー!」

 

 つまり、ルイズ達が作った魔法少女設定のベースは、元はと言えば早苗からの話なのだ。だからルイズの言った魔法少女の話は、早苗にとってはどこかで聞いたようなものばかり。これでは、バレないはずもなかった。

 

「それならそうと最初に話してよ!恥かいちゃったでしょ!」

「なんだよ。私が魔法少女だぜ!って胸張って説明してたのか?」

 

 魔理沙が笑いながら茶化していた。それにルイズは真っ赤になって反論。だがそんなじゃれている二人に、早苗の声が挟まれる。

 

「魔理沙さん。魔法少女はどこですか?この人、魔法少女じゃありませんし」

「ああ、悪い。魔法少女じゃなくって、早苗に会いたがっていたのはこのルイズだ」

「え?じゃあ……魔法少女は?」

「いる訳ないだろ」

 

 早苗、がっくりと肩を落とす。

 それにパチュリーが追い討ち。

 

「だいたい天狗の新聞、真に受ける方がどうかしてるわ」

「だって、『花果子念報』は比較的本当の事も多い新聞ですし……」

「それでも天狗の新聞よ」

「そうですね。浅はかでした……」

 

 なおさら沈む早苗。こんなに落ち込むとはと、期待させてしまって、ちょっと気の毒になるルイズ。

 

「まあいいです。見覚えのない方であるには違いありません。しかも吸血鬼の館にいるんですから。何かあるって事ですよね」

 

 あっさり立ち直った。

 なんか独特な妙なテンションに、ちょっとルイズ、苦手意識を持つ。

 そんなルイズにはお構いなしに、早苗は話はじめた。

 

「それで、この方は結局何者なんですか?」

「う~ん……。他言無用だぞ」

「こう見えても口は堅い方です。信用してください。それにしても、他言無用ですか。これは期待できそうですね」

 

 早苗は、魔理沙の言葉にしぼんだ期待を膨らませる。なんか目がまたキラキラしていた。

 そしてルイズの正体は明かされた。

 

「異世界人だ」

「え?」

「言っとくが冥界とかじゃないからな。ルイズは全く別の世界の人間なんだぜ」

「からかってるんですか?」

 

 早苗の期待はすぐにしぼむ。疑念溢れた半開きの瞳を、またルイズ達に向けてきた。すかさずルイズはフォローに入った。

 

「ほ、本当なのよ。疑うのは分かるけど」

「魔法少女の次は異世界人ですか。はぁ……。もしかして、あなたには、秘められたすごーい力が封印されてるとかあるんですか?」

「う、うん!そうよ。何で分かったの?」

「いえ、ありがちなんで……。あーそうですか。あなたはそういう方なんですねー。すごいですねー。おどろきましたー」

「そ、そう?」

 

 ルイズには信じられない。見事に自分の事を当てられた。まさか、心を読んでいるのかとすら思う。魔法少女の時も一瞬感じたが、現人神とはこういうものかと。

 だが理解してくれたと思った早苗は、なおさら疲れたような表情を浮かべていた。そしてため息をつくと、さっきまでのテンションが冷めてしまったか、サッパリした顔を上げる。

 

「さて、魔法少女は結局いないようですし、あまり面白そうな話はないようです。レミリアさんにあいさつする事もないでしょう。では、みなさん。そろそろ帰らせていただきます。またの機会にお会いしましょう。では」

 

 早苗はぺこりと頭をさげると、飛ぼうとした。

 ルイズには訳が分からない。信じてくれたのではないのかと。このとにかくここで帰られては、話が聞けない。

 がしっ。

 思わず袖を引っ張る。抜け落ちそうになる。

 

「な、何するんですか!?」

 

 早苗が向いた先にあるルイズは、泣きそうな困っているような懇願しているような顔だった。そして彼女は魔理沙達の方を向く。

 

「えっと……マジですか?」

「マジ」

「ええーーっ!」

 

 幻想郷で、久しぶりに常識を改変する早苗だった。

 

 

 

 

 

 早苗を伴って、ルイズ達は客間にいた。天子の時とは違って。まともな客間に。

 

「さきほどは大変失礼しました。まさか異世界人が本当だとは信じられなくて」

「別にいいわ。そう思うのも、仕方ないし」

 

 ルイズは普段着に着替えると、早苗とテーブルを囲む。もちろん魔女三人も。それとメイド代わりのこあも。

 ふと隣で紅茶を飲んでいた、アリスが尋ねてくる。

 

「そう言えば。ルイズ。早苗の事聞いた?」

「守矢神社の人ってのは聞いたわ」

「そこまでなのね。早苗はね、ある意味、ルイズに近い立場よ」

「どういう意味?」

「元々、外来人なの」

「えっ。そうなんだ」

 

 ルイズは改めて早苗を見る。雰囲気が今まで会った幻想郷の連中と、何か違うと思ったら、そういう事だったのかと。すると頭にいくつかの疑問が浮いてくる。尋ねてみた。

 

「どこから来たの?」

「ルイズさんとは違って、異世界とかじゃありません。外からです」

「外?」

「あれ?聞いてないんですか?」

「何を?」

「幻想郷と博麗大結界の事です」

「ぜんぜん」

「そうですか。では……」

 

 それから幻想郷についての説明が始まった。

 幻想郷は博麗大結界という小国が入ろうかという巨大な結界で囲まれている。外と中は地続きだが、双方の行き来は基本的にはできない。このため幻想郷では結界の外の世界を、単に「外」と言う事が多い。早苗達、守矢神社の神々はその外からやってきた。そして外の文化に浸かっていたので、その手のネタの発信源になる事もある。魔法少女ネタが彼女から広まったのも、そういう訳だ。

 

 その後、今度はルイズがやってきた経緯を早苗に話した。話を聞いている間、瞳を輝かせながら、時に感嘆の声を漏らしながら、ずっと聞き入っていた。

 話が終わると、早苗はルイズの手をしっかり握り、瞳を輝かせている。

 

「すばらしいです!ルイズさん!」

「そ、そう?」

「全く違う世界に放り込まれ、それにもめげずがんばってるんですから。そんな方がだんだんと力を付け、さらに隠された謎の力まで持っているというのです。やがてあなたは、名のある人物となる方ですよ!」

「そ、そうかしら?」

「こんな美味しい要素がいくつも重なってるんですから、それこそ何かの啓示です。現人神の私の直感が言うんですから、間違いありません」

 

 ルイズすっかり顔が緩んでいる。現人神とかいう神が言うなら、自分の将来は保証されたようなものなのではと。

 しかしそこで冷や水。パチュリーが、言葉を挟む。

 

「そこまでにしなさい。ただでさえルイズは乗せられやすいんだから。これ以上やったら、いつまでも終わらないわ」

 

 ルイズ、ハッと気づく。いい気分があっという間に冷める。ちょっと調子に乗りすぎた。一つ咳払いを入れてごまかす。そして、緩んでいた顔を締めると、あらためて早苗に尋ねる。

 

「えっと……。えっとね。実はあなたに話したい事があるのよ」

「本当ですか、それは……!まだ隠された秘密があるのですね!」

「そうじゃなくって、いくつか聞きたい事があるの。山の神の事よ」

「ウチの話ですか?はぁ……。いったいなんで?あ!もしかして、信仰されるのですか!?異世界の方が信者となられたら、ウチの神社もさらに……」

「ちょ、ちょっと、そうじゃなくって……っていうか、少し落ち着きなさいよ!」

「あ、いえ、すいません。ごめんなさい。調子に乗りすぎました」

 

 ぺこりと頭をさげる早苗。ルイズはどうにも、このテンションに少々押されぎみ。

 それから彼女は事情を話した。自分が学生である事。そう遠くない将来、故郷の世界に帰る事。しかし、進級のために使い魔が必要で、その使い魔に天人を選ばざるを得なくなる。しかし天人はそれを受け入れず、課題を出した事。その課題の話が、ここで語るべきものだった。かなり脱線したが。

 

 一通り話を聞いて早苗は、少し不憫に思う。

 

「それにしても……。なんでよりにもよって天子さんを、使い魔に……」

「しょうがないのよ。サモン・サーヴァントで出てきちゃったんだから」

 

 ちなみに次やっても成功するか分からないというのは、伏せておいた。早苗には魔法の失敗の歴史については何も言っておらず、秘められた謎の力を持った異世界人という印象のままでいたかったので。

 少々ルイズの境遇を気遣いながら、早苗は今までとは違う落ち着きを見せる。

 

「分かりました。それで課題というのは?」

「天子の課題は、妖怪の山の神が持っている『真澄の鏡』を持ってくるってものなの」

「またそれは無茶な話を……」

「なんとかならないかしら?方法は何でもいいから」

 

 早苗は顔を伏せると考え込んだ。ふーむという具合に。

 

「ちょっと無理ですね。神社に御神体持ってきてくれって言ってるようなもんですし。しかもルイズさんは異教徒ですから」

 

 そこまで聞いて余計不可能だと思ってしまった。新教徒がロマリア宗教庁へ、教皇の聖典を貸してくれと言っているようなものだ。ありえない。

 となると、方法は一つ。幻想郷のルールに従うまで。

 神に挑む。

 あのチルノにすら、今のルイズでは本来はかなわない。だが、他に方法がない。それに何も、勝利して奪う必要はない。いい闘いをすれば、慈悲の一つもあるかもしれない。何にしても、ここで必要なのは覚悟と決意なのではないだろうか。とルイズは思う。ただ、今まで一人で決めて失敗した事もある。まずは、自分のこの決意を友人達に打ち明けようとした。

 

「パチュリー、あの……」

 

 と言い掛けた所で、目の前の風祝が颯爽と宣言。

 

「では、異変を起こしましょう!」

「「「は!?」」」

 

 ルイズ以外の全員が唖然。いったい何を言っているんだ、この緑腋巫女はと視線を向ける。

 一方、ルイズは意味がよく分からない。パチュリーに尋ねた。

 

「異変って何?」

「大事件みたいなものよ」

「事件!?事件を起こすって何で?」

「言った、本人に聞いて」

 

 ルイズは早苗の方に思わず目を向ける。

 異変、事件を起こす?意味が分からない。もしかして、真澄の鏡を盗み出すという事だろうか。それなら事件だが、山の神の一員がそれを言い出すか?これでも山の三柱の一人なのか?と。

 この目の前の少女は、やっぱりトラブルメーカーと言われる山の神の関係者だけの事はある。ルイズはそう思わずにはいられない。そしてまた、やっかいな相手と出会ってしまったと、肩を落とした。

 

 早苗を見る目が一様に、怪訝というか不憫そう。それにさすがの早苗もひくつく。

 

「み、みなさん。お頭がかわいそうな子を見るような目で見ないでくださいよ」

「そこで異変って言葉が出てくるのは、頭がかわいそうな子くらいだと思ったのよ。みんな」

 

 アリスが少々呆れ気味に返した。

 

「失礼な方達ですねぇ。画期的なアイディアを、お教えしようと思ったのに」

「へー、面白いな。言ってみろよ」

「聞けば立場逆転ですよ。さすが守矢神社の風祝と思っちゃいますよ」

「いいから言えって」

 

 魔理沙がややからかい気味に聞く。なおさら早苗は、ムッとするのだが。

 気を取り直すと、説明しだす。

 

「天子さんは真澄の鏡を持ってくるように言ってますが、その方法は決めてません。ここがポイントです」

「それで?」

「つまり別にルイズさんが持ってこなくてもいいです」

「ふむ」

「そこで、神奈子様に持ってきていただくのです」

 

 すかさず魔理沙が突っ込む。

 

「ちょっと待て。それって単に持ち主が来るだけだろ」

「そうですよ。これなら神奈子様は、真澄の鏡を手放す必要はありませんし。持ってくるという要件も達成します」

 

 ルイズはそれを聞いてなるほどと思ってしまった。持ち主が直に来るなら、奪う必要も借りる必要もない。何か希望の光が見えたような気がした。

 しかし、事はそう簡単ではなかった。早苗は続ける。

 

「ですが、神奈子様がご自身の都合以外で、ワザワザ天人の所に来るとは思えません。いらっしゃるには何か特別な理由が必要でしょう」

「それじゃぁ、どうするの?」

 

 今度はルイズが尋ねた。

 すると早苗は、ビシッ人差し指を立て、ウインクしながら言った。

 

「そこで異変なのです!」

 

 話がどうにも繋がらない。ルイズは怪訝な顔で首を傾げる。

 しかし、他の面子は何を意味するのか分かったようだ。少しばかり、早苗を見る目が変わっていた。パチュリーが口を開く。

 

「なるほどね。つまり異変解決後の宴会が真の目的なのね」

「そうです。私の真意をご理解いただけるなんて、さすが日陰の少女ですね」

「”知識と”を付けなさいよ」

 

 寝巻きの魔女は軽く返す。

 もっとも、二人の話を聞いてもルイズはよく理解できないのだが。魔理沙に聞いてみる。

 

「どういう事?」

「異変が解決するとな、仲直りという事で、宴会が開かれるんだよ。それにはいろんなヤツが来る。異変の関係者も関係ないヤツもな」

「それだと神様も来るの?」

「かもな。だけど……」

 

 と、魔理沙が言いかけた所で、アリスが突っ込みを入れていた。早苗に。

 

「異変の後の宴会だからと言って、必ず神奈子と天子が来るとは限らないでしょ。どうするのよ」

「もっともな疑問です。そこで、まず宴会は天子さんのいる紅魔館でしていただきます。さらに神奈子様とルイズさんを異変の関係者にします」

 

 ルイズは自分の名前が出てきて、とっても嫌な予感が走る。ただ元々、自分の事。何かの形で絡むハメにはなるとは思っていたが。

 

「それで、私は何をするの?」

「魔法少女をやっていただきましょう」

「また魔法少女……。よっぽど好きなのね」

 

 少しばかり皮肉って返す。しかし早苗にはまるで通じず。

 

「だって、せっかく魔法少女がいるのですよ。これほど美味しいネタはありません」

「あんた偽者って言ったじゃないの」

「考えを変えました。魔法少女とはその行いによって決められる。姿や設定は本質ではないのです。その意味で、ルイズさんはその条件を満たす可能性を十分持ってます!天人に神に魔法少女。これだけ揃えば、さぞ素晴らしい異変になるでしょう」

 

 ルイズ、ちょっと顔がひくつく。なんという思考のすり替え。だいたい素晴らしい事件、もとい異変って何なのか。この風祝は、自分が楽しむために無理やり理屈を作っている、ようにも聞こえた。

 早苗の演説はとりあえず終わる。そこで、手が一つ上がった。アリスだった。

 

「質問」

「なんでしょう?」

「ちょっと小規模過ぎない?」

「確かに主な関係者が三人だけですが、異変という口実があればいいので。あまり大ごとになっても困りますし」

「それじゃ、次。具体的にはどうするの?」

「えっと……。それ、考えてなくって……」

 

 早苗は笑ってごまかす。もっとも、即興で今思いついた事なので、詳しいことなんてある訳なかった。

 そこで魔理沙が、一つ提案。

 

「じゃ、まず分りやすいのから決めて置こうぜ。まずルイズが自機で、神奈子がラスボスな」

「ちょ、ちょっと待ってください。なんで神奈子様がラスボスなんですか!魔法少女のラスボスじゃ悪人みたいじゃないですか」

 

 そこでパチュリーから追い討ち。

 

「そう?らしいと思うけど。いつも騒ぎ起こしてるから、むしろ慣れてるんじゃない?」

「失礼な。ダメです。神奈子様は解決する側です」

「それじゃぁ、ルイズがラスボス?」

「そうですね」

 

 言い切る早苗。しかしルイズは黙ってない。

 

「何言ってんのよ!だいたい魔法少女は英雄でしょ。悪人になってどうするのよ!」

「ですが仕様がありません。途中まで悪人の魔法少女もいましたし。それに、幻想郷では新参者は悪人にされてしまう風習があるんですよ。私達もそうでした」

 

 早苗はしんみりというが、一斉にそれは違うとツッコミが入った。

 それから正義はどっちかと、論争が始まる。魔法少女論まで持ち出してくる有様。

 そんな最中、突如、勢いよくドアが開いた。

 

「話は聞かせてもらったわ!」

 

 天子であった。ルイズは厄介なのに聞かれたと、微妙な顔。

 腰に手を当て、天子は高らかに宣言。

 

「私にいい考えがあるわ!」

 

 益々嫌な予感がするルイズ。しかし魔理沙は楽しそう。というかさっきから、彼女もこの異変をお祭り騒ぎにしようとしているかのよう。当事者になる事もないのもあって。

 

「おう。聞かせてくれ」

「魔法少女の事は勉強させてもらったわ。で、思ったのよ。やっぱり魔法少女は正義の使者じゃないと。そして私はそのパートナー」

 

 ルイズは胸の中で、まだパートナーになってないじゃんとツッコミを入れたが、口には出さない。

 天子の話は続く。

 

「そしてペアで正義の魔法少女をやるの」

「ちょっと待ってください。それじゃ、やっぱり神奈子様が悪のラスボスじゃないですか!」

 

 話が戻ってしまったと、早苗は慌てて文句を言う。しかし天子は平然としていた。

 

「違うわ。山の神はその二人の師匠という設定なの」

「師匠?」

「そうね。魔法少女道を極めた師匠。二人はその師匠に稽古を付けてもらうの。新しい必殺技を身に着けるためにね」

「なんで神奈子様が魔法少女を極めてるのか疑問がありますが、面白くもあります。それに、これならみんな正義ですね。それで行きましょう!」

 

 いろいろ荒があるが、早苗は魔法少女な神奈子もなんとなく見てみたくなっていた。天子の話に乗る事にした。

 だが話がまとまりそうな所に、アリスから待ったが入る。

 

「何言ってんのよ。それじゃ異変にならないでしょ。ただ三人で技の練習してるだけじゃないの」

「う~む、言われてみれば。でしたら、異変はでっち上げましょう」

 

 また妙な事をいいだす風祝。ルイズは一応聞いてみる。

 

「どうやるのよ。でっち上げるって」

「新聞を使います」

「新聞使うってどういう事?」

「魔法少女が異変を起こしたという、ガセの記事を書いてもらって。広めます」

「えー!?それっていいの?って言うか、うまくいくの?」

 

 新聞はあまり信頼性がないとも聞いていたので、そんな簡単に事が運ぶとは思えなかった。だが早苗の考えに揺らぎはない。

 

「なんとかなると思いますが、念には念をという事で、ルイズさんにも多少手伝ってもらいます。1、2件も何かやればぐっと信憑性も高まるでしょう」

「何よ。結局、やるの!?悪い事」

「いえ、やっぱり正義という設定ですから。悪事はしません。まあそれはルイズさんの要望を踏まえながら、後で考えましょう」

 

 こうして方針が決まる。

 メインの段取りを早苗が担当。新聞の件にせよ、舞台となるのが守矢神社である点にせよ、妖怪の山で顔が利く彼女が適任だったからだ。もちろん魔法少女に精通しているというのもある。もっとも本人がやりたがったというのが一番だが。ルイズはまず魔法を上達させる事。異変の内容など、残りの事も決め始める。全てが決まった時には、夜も更けていた。気づくとレミリアやフランまで話に加わっていた。美鈴だけは気付かず、ずっと門の側にいたのだが。

 

 ただこの話し合いの最中に、ルイズは一つの事に気づいた。最終的に山の神と遣り合うという設定なのだ。天子も関係している以上、二人は顔合わせする事になる。もうその時点で、真澄の鏡を持ってくるという要件は果たしたんじゃないかと。そうすれば神と戦う必要もないのではと。思わず、これを言おうとしたが、結局言い出せなかった。なんか話に勢いが付きすぎて、止めようがなかった。それに無理に神に勝つ必要も、なくなったのもあって。とにかく異変が終わってしまえばいいのだから。

 

 

 

 

 

 それから慌ただしい日々がまた始まった。

 ルイズはもっぱら魔法の練習だったが、まれに人助けに出ていた。魔法少女の恰好して。誰もが唖然とした顔をしていたが、手伝いをこなすと感謝された。なんとも演劇じみた異変に付き合っているのだが、感謝されるのは悪い気もしなかった。しかし、ハルケギニアだったらあり得ない行為。向うなら平民的立場の人たちを、貴族である自分が手伝っているのだから。

 もっともこの行為を台無しにしていたのは天狗の新聞。新聞でのルイズは、何故かダメダメ魔法少女。押し売り的な善行で失敗をやらかすという、迷惑少女になっていた。すかさず早苗に文句を言おうと思ったが、なかなか会えない。まだまだ顔の広くないルイズには、妖怪の山の山頂にある守矢神社は行きづらかった。ただ早苗は結構山を下りるので、会える可能性はあった。しかし、ルイズにはその行先の見当が付かない。パチュリー達も、異変にしないといけないので、多少の悪評は我慢しろと言われた。一方、神奈子の方は魔法少女コスを頑として拒否。ストーリーも山の神が、迷惑行為を繰り返す未熟な魔法少女に助力の道を説くというシナリオに改変。結局、ルイズがラスボス的ポジションで、神奈子が解決する側に。ルイズばっかりがデメリットを背負っているような状態になってしまった。この騒動で唯一の利点は、天狗の取材がなくなった事だろうか。その点は早苗が話をつけておいたらしい。

 

 で、とうとうその日が来た。舞台、守矢神社の準備もバッチリ。待ち構える二柱。守矢神社の祭神、八坂神奈子と洩矢諏訪子。それに裏方として段取り付けていた早苗。いいネタという事で周囲を囲む烏天狗達。魔理沙達はもちろん、レミリア達まで来ている。

 

 だが、一つ予定と違っていた。

 

 参道から思いっきり遅刻してきた天子の姿が見えた。何故か少々ダメージを受けている様子。

 その後ろから人影が一つ。

 見知らぬ顔の。

 祓串を持った紅白の巫女衣装に、憤怒の表情が張り付いていた。鬼巫女。そんな言葉が似合う人物が。

 

「誰?」

 

 ポツリと、ルイズは零した。

 

 

 

 



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決着

 

 

 

 

 ルイズの視線の先に、憤怒の巫女が立っていた。

 首を傾げているのはルイズだけ。他のメンツ、守矢神社の三柱や魔理沙達はなんとも神妙な顔。というかマズイという顔。

 ルイズは隣にいたパチュリーに聞いてみる。

 

「誰?」

「博麗霊夢。幻想郷の管理人の一人よ」

「えっ!?」

 

 幻想郷の管理人。

 前に聞いた。八雲紫というすごい妖怪で、自分をすぐにハルケギニアに戻せるほどの力があると。この目の前にいる紅白な巫女も管理人とすると、同じくらいすごい力を持っているのだろうか。そんな考えが浮かぶ。でもなんで怒っているのかが分からない。とっても嫌な予感が走る。

 

 そんなルイズの横で、アリスが訝しげな表情を浮かべていた。

 

「ちょっと魔理沙。霊夢とは話がついてたんじゃなかったの?」

「いや、そのハズなんだが……」

 

 博麗霊夢は幻想郷の管理人であると同時に、異変の解決屋でもあった。だからこの魔法少女の異変も、話が伝われば霊夢が出張ってくる可能性は当然あった。だがそれでは、目論見が台無しになりかねない。そこで、事前に魔理沙が話を通す。元々ものぐさな霊夢は、二つ返事でそれを受け入れた。ハズだった。だが、何故かここにいる。怖い顔して。

 

 そんなメンバーに近づいて来る姿。霊夢の側からゆっくりと近づいてくる人影。天子だった。

 

「へへ、やられちゃった」

 

 少しばかりダメージを受けた姿でそんな事を言う。

 

 やられちゃった?

 

 ルイズの頭の中で、天子の言葉が反芻される。なんでそんな言葉が出てくるのかと。思わず天子に詰め寄った。

 

「ど、どういう事よ!?なんでやられたなんて話になってんのよ!」

「久しぶりだったから、ラストスペルの絞込みが甘かったみたいでねー」

「そんな事聞いてんじゃないわよ!」

 

 へらへらしている天子に激高するも、相変わらず通じず。するとそんな天子の背後から、声が聞こえてくる。地を這うような声が。霊夢の声が。

 

「ふ~ん……。拾った挙句に届けてやったっていうのに、こんな風に恩を仇で返されるとは思ってなかったわよ。外来人」

「え?」

「あんたが、ラスボスなんだってね。覚悟しなさい」

「えー!?」

 

 ルイズには、一体なんの事だかサッパリ分からない。分かっているのは露骨な敵意を向けてくる紅白が、怒っているという事だけ。

 そこに魔理沙が入ってくる。

 

「よ、よう。霊夢。その……今回のは異変っていうか、異変じゃないっていうか……。つまり……お前が出てくるような話じゃないんだよ」

 

 しかし霊夢は彼女の言葉が聞こえてないのか、全く無視。一方的に口を開く。

 

「魔理沙。あの時、言ったわよね。あんた達に任せていいのねって。この外来人」

「言ったけど……。いや、ちょっと待てよ。何怒ってんだよ」

「こいつよ!」

 

 と言って祓串で指した。天子を。ビシッと。

 ああ、なんかやったらしい、このトラブルメーカーは。と全員がそんな顔して天子を見る。一方の天子はちょっと失敗した程度の顔つきで、少しばかり神妙にしていた。あまり自覚してないようだが。

 魔理沙は嫌そうな顔で尋ねる。

 

「天子……。お前、何やったんだよ」

「えっとね。ルイズががんばってたから、同じ魔法少女として少しは手伝わないと、って思ったのよ」

「それで?」

「せっかくだから、前の詫び込で、博麗神社に行ったの」

「で?」

「そうしたら、いつの間にか弾幕ごっこをやってたわ」

「途中を省くな!」

 

 文句を言う魔理沙。この天人に聞いてもしょうがないとばかりに、霊夢に振る。不機嫌そうに彼女は答えた。

 

「こいつが何をトチ狂ったか、石灯篭をたくさん持ってきたのよ。それを境内に置くって言い出してね」

「はぁ?訳分んねぇ……」

「でしょ!?ただでさえそう広くないのに。しかもこの天人の持ってくるものよ。何仕込まれてるか分かったもんじゃないわ!」

「そうかもしれねぇけど、なら断ればいいだけだろ」

「断ったわよ。そうしたら、こいつ、参道にずらっと石灯篭並べやがったわ。しかも横一列に!」

 

 なんか天子らしいと、魔理沙は呆れてしまった。

 それを聞いた天子はすかさず言い返す。

 

「境内が寂しいと思ったから、せっかくあげようと思ったのに。人の好意を無碍にするからよ。天罰よ」

「はぁ!?天罰ぅ?」

「天人の与える罰だから天罰よ」

「あんたね……。まだまだ痛い目に遭いたいらしいわね」

 

 霊夢は天子に怒気の籠った視線を送る。一方の天子も、それを受けても揺らぎもしない。

 だがそこに、ルイズの声が挟まれる。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!それならあんた達だけの話でしょ!なんで私が巻き込まれるのよ」

 

 その声を聞き、不機嫌そうな霊夢がルイズの方を向いた。そして面倒くさそうに答える。

 

「あんたがこの話持ち出したんでしょ」

「私は天子にそんな事頼んでないわよ!」

「そうじゃなくって、魔法少女ごっこの話よ。天子もそれに絡んでたから、それで私ん所に石灯篭持って来ようなんて考えたんでしょ。しかも、自分で異変とか言って、烏天狗共に新聞書かせてるし。アホじゃないの?」

「はぁ!?」

 

 思いっきり不満を込めた疑問形。

 確かに少々まぬけな異変ではあるが、これもルイズのトラブルを解決しようと、みんなでいろいろと知恵を出した結果だった。それに、あまり大騒ぎにならないように気も使っていた。なのにアホ呼ばわりされるのは我慢ならない。

 

「アホって……何も知らないくせに、勝手な事言ってんじゃないわよ!」

 

 力の限りの荒い言葉をぶつける。肩を怒らせて。続けていろんな罵詈雑言を並べていく。

 だが、当の霊夢はだんだんと怒気が収まり、冷めてきていた。急に涼しげな顔になって来ていた。そんな彼女にルイズ以外の面々はなおさらマズイと感じ始める。ルイズだけは相変わらず、いろいろ喚いていたが。

 

「ま、いいわ。とにかく異変って話なんだし。ここは私がケリは付けないと……ね!」

 

 最後の一言と共に鋭い視線が飛んでくる。ルイズに向かって。その視線だけで、ルイズの喚きはピタッと止まってしまった。代わりに出てきたのは冷や汗。額に背筋に手のひらに。ルイズは直観的に悟ってしまった。目の前にいる相手はとんでもない。やっぱり幻想郷の管理人と言われるだけの事はあると。

 

 すると霊夢はギュンという具合に真上に飛ぶ。そして空中で制止すると、声をかけてくる。

 

「上がってきなさいよ。それとも地上でやる?」

 

 ルイズは彼女を見上げるが、足が動かない。体が小刻みに震えている。霊夢のなんと言えぬ威圧感。まるで自分の母と対峙した時のような、押しつぶされる感覚を全身に受けていた。

 その時、後ろから声がかかった。

 

「落ち着きなさいルイズ」

 

 パチュリーだった。

 

「力の差がいくらあっても、別に死ぬ訳じゃないわ。むしろそのためのスペルカードルールなんだから」

 

 言われてルイズは、ハッと気づく。

 幻想郷でのトラブル解決方法は、弾幕”ごっこ”。あくまでルールに則ったものだ。ハルケギニアでの貴族同士の決闘より安全だ。何も萎縮する必要はない。敵わぬにしても、力の限りぶつかればいいだけの事だった。

 

「そうね……そうだったわ。ありがとうパチュリー」

 

 友人に礼を返すと、ルイズは自らを奮い立たせる。

 するとまた声がかかった。今度は、注連縄を背負った神様から。八坂神奈子からだった。

 

「異世界人」

「あ、はい」

「お前が、霊夢といい勝負をしたら、一つ望みを叶えてやろう」

「本当ですか!」

「ああ、神が口にしたんだ。たがわないさ」

「あ、でも……私……改宗はしませんけど……」

「はは。異教徒一人の面倒みるくらいの度量は持ってるつもりだよ」

「わかりました。全力を尽くします!」

「ああ」

 

 ルイズは神奈子に、頭を下げると。霊夢の方を向いた。震えは全くない。そして飛び上がった。

 そんな彼女を見上げる神奈子に、早苗が話しかける。

 

「なんであんな話をしたんです?」

「面白いじゃないの。あの子」

「異世界人ですからね」

「そういう意味じゃなくって。弱さを克服した訳じゃないけど、それに向かう気持ちの強さがある。ああいうのは見てて気持ちがいい」

「う~ん、確かにそんな所あるかもしれませんね。知り合ってそれほど経ってませんけど」

 

 その話を漏れ聞いていた三人の魔法使いは、確かにそうだと、小さくうなずいていた。

 

 

 

 

 

 空中で対峙するルイズと霊夢。澄んだ空に緊張感が溢れていた。

 

「あんたがラスボスでいいのよね」

「そうよ。この魔法少女異変が起こる切っ掛けは私だもの」

「なら、分かりやすい。あんたをとっちめて、事を収めるわ」

「そう簡単にはいかなわよ!」

 

 ルイズは霊夢に向かって、強い言葉で啖呵を切る。

 だが、この勝負。実はルイズはかなり不利だった。単純な技量の問題もあるが、ラスボスにしてあまりに少ない、スペルカードがたった2枚だけなのだ。普通は10枚以上を持っているのだが、こっちの魔法を使い始めてそれほど経ってないルイズでは、2枚作り上げるのが精いっぱいだった。

 さらにルイズがボス側というのも問題だった。ボス側に回ってしまうと、スペルカードルールではやる事があまりない。ボスはむしろ対決前の、どんなスペルカードを組むかという点の方が重要だったりする。チルノと戦った時のように、臨機応変で対応するという訳にはいかない。

 だが、たった2枚のカードとは言え、それだけに集中して練り上げたつもりだ。もちろんパチュリーや魔理沙、アリス達。さらに他の紅魔館のメンバーからもいろいろアドバイスをもらったのもある。ルイズ自身、それなりいいものに仕上がったと思っている。後は披露するだけ。

 ルイズはカードを高く上げ、勇ましく宣言。

 

「爆符『エクスプロージョン』!」

 

 スペルカードの1枚目は爆発をイメージしたもの。失敗魔法と同義語のこの現象だが、彼女にとっては魔法として一番馴染みがあったからだ。

 

 宣言と共に、ルイズの回りに巨大な光弾が四つ現れる。四つの光弾はルイズを中心にゆっくりと渦状に進み、霊夢の方へ近づいていく。そして戦闘エリアの端に近づくと爆発し、辺りに弾幕をばらまく。さらにルイズから通常弾幕が四方八方にばらまかれる。爆符『エクスプロージョン』は、巨大光弾で相手の避ける空間を制限し、前方からの通常弾幕、後方からは巨大光弾の爆発弾幕で挟み込むというスペルカードなのだ。

 

 ルイズの周辺はまさに弾幕だらけ。今回の勝負はLunatic。最高レベルの勝負。チルノ戦とは比較にならないほどの弾幕が宙を舞っていた。ルイズは気合を入れながら、弾幕を繰り出す。幻想郷の管理人か何かは知らないが、これだけの弾幕を避けられるものなら避けてみろ、という具合に。

 

 守矢神社の上空は巨大な光弾と通常弾幕に覆われていた。それを楽しそうに見上げている姿が一つ。洩矢諏訪子。子供のように見えるが、変わった市女笠がトレードマークの守矢神社祭神の一柱だ。

 

「弾幕ごっこ始めて間もないと言うのに、大したもんだね。あんなスペルカード組めるなんて。……と思うのだけど、浮かない顔してるのはどうしてかな?人形遣い」

 

 ちょっと離れた所で、同じく空を見上げているアリスに声をかける。その顔にやや憂いがあった。いや彼女だけではない。三人の魔法使い共似たような表情を浮かべていた。

 

「まさか霊夢とやり合う事になるなんて、考えてなかったのよ」

「あれって神奈子対策のために組んだの?」

「そういう訳ではないのだけど……」

 

 そこでアリスは口をつぐむ。諏訪子も、見てれば分かるだろうと、それからは追及せずに空を見上げた。

 

 ルイズ。最初の気合とは裏腹に、少々焦り始めていた。何故か弾幕が霊夢にまるで当たらないからだ。

 霊夢は弾幕の雨の中、わずかにできる隙間をうまく渡って、巨大光弾の脇をスルリと避けていく。だが、今は巨大光弾に段々と追いつめられつつあった。そこに弾幕の塊が迫って来た。

 

「行ける!当たるわ!」

 

 と思わず口に出る。

 だが、霊夢は弾幕のスキマをスルリと抜けていく。

 

「えっ?避けた!?なんであんな風に避けられんの?頭の後ろに目でも付いてんじゃないの?」

 

 さっきからずっとこの調子。追いつめた、当たる、とルイズが思った事が何度かあったが、その度わずかな隙間を抜けていく。一方で、霊夢は攻撃できる時にはしっかり当ててくる。みるみる内にダメージが溜まっていた。

 

 ルイズは少し気を揉みながらも、スペルカードの術式継続に集中する。だができる事はその程度。ボスはこれがやっかいだった。相手に合わせて対応ができない。

 確かに、ハルケギニア出身のルイズからしてみれば、目の前の光景はどうしようもないような弾雨に見える。空を埋め尽くすほどの、魔法が溢れるなんて事はハルケギニアではあり得ない。もはやマジックアイテムを山ほど装備かというレベル。しかし、それを危なげなく避け続ける目の前の紅白。ついつい愚痴をこぼす。

 

「ちょっと、何よアレ……。どうなってんのよ……」

 

 この博麗霊夢という巫女は、いったい何者なのか。幻想郷の管理人とは、何か次元の違う存在なのかと。そうルイズは思わずにいられなかった。

 

 霊夢がどうして軽々と避けていくか。それには訳があった。もちろん経験もあるだろう。しかし、このスペルカード爆符『エクスプロージョン』には不利な点があった。

 実はこれとよく似たスペルカードを、霊夢はすでにクリア済だった。地獄烏、霊烏路空のスペルカード。彼女のスペルカードも爆発をテーマとしており、結果的に似てしまっていた。霊夢にとってみれば、クリアした事のあるスペルカードと似たような弾幕。少々のアレンジを加えれば避けていくのは造作もなかった。

 ルイズのスペルカード構築を手伝ったパチュリー達は、もちろんこれに気づいていた。しかし当初の相手は八坂神奈子。霊烏路空とは面識がある相手ではあったが、弾幕ごっこを遣り合った経験はない。だから、ルイズの弾幕イメージを優先したのだが……。

 

 ダメージの限界が迫って来ていた。状況はまるで変わる様子がない。ルイズは祈るように、弾幕を打ち続ける。だが、最後の集中打がルイズに直撃。ダメージオーバー。爆符『エクスプロージョン』クリア。ルイズの弾幕は止まり、空から消えていく。結局、霊夢は落とされるどころかスペルカードを一枚も使わない。かすりすらしなかった。しかも想像以上に早くクリアされた。

 霊夢はそれを誇るでもなし、姿勢を直すとルイズの方を向く。

 

「一枚目クリアって所ね」

「ま、まだ残ってるわ」

「一枚だけね。もうラストスペルなんて、天子と組むくらいだから、もう少し歯ごたえあるかと思ってたわ」

「バカにしてると痛い目会うわよ!」

「いいから来なさい。チャッチャと終わらせましょ」

「ぐぐぐ……」

 

 歯をかみしめる。ルイズは言葉が返せない。それにしても歳は大して変わらないように見えるのに、なんだろうかこの悠然とした態度は。実は見かけと違って、彼女も100歳超えかもしれないなんて事を考える。

 ともかく最後の一枚。さっきはまるでいい所なしだった。今度見せ場を作れないと、神様に望みを叶えてもらえないかもしれない。ハルケギニアに帰るという望みを。

 

 ルイズはラストスペルを、少しこわばった手で取り出す。その時ふと、視界に入ったものがあった。自分を見上げている紅魔館メンバーに三人の魔法使い達。いろいろと世話になった彼女達。こっちに来てから戸惑った事も多かったが、充実していたのも間違いない。そうして今ここにいるのはみんなのおかげだ。それに未だに自分が帰るために力を尽くしてくれている。ふと思う。自分はこんなにも、いろんな人に囲まれているじゃないか。せめてそれに応えようと。もしも最悪の結果となっても、それはそれで受け入れても悪くはないのでは、という感覚も芽生えつつもあった。

 

 ルイズは一つ大きく息をする。すると震えがピタリと止まった。気持ちも不思議と静まっていた。

 霊夢に向かって話しかける。その声からは苛立ちも動揺も消えていた。

 

「それじゃぁ、ラストスペル行くわよ」

「来なさい」

「想郷『ヴァリエール』!」

 

 そのスペルカードはルイズの家、家族を思い出しながら仕上げた術式だった。

 

 宣言と同時に、後ろへ向かって水色の弾幕が広がっていく。父、ヴァリエール公爵の水の系統を思い描いたもの。水色の弾幕はある程度進むと反転。幾筋もの蛇行する流れとなって真っ直ぐ前へ向かっていった。相手は水色の柵で区分けされるように、動きが制限される。

 次に現れたのは小さく固まりつつも渦状に回りながら進む褐色の弾幕の群れ。先に進むほど渦は広がっていく。これは一番上の姉、エレオノールの土系統をイメージしたもの。それがルイズからポンポンという具合に、間をおいて撃たれていた。

 さらに、一見通常弾幕に見えるピンクの弾幕が周囲へ放たれる。だがその弾幕は進んでは止まり、進んでは止まりと、一風変わった動きを見せていた。これはうさぎのイメージから想起したもので、動物好きな二番目の姉、カトレアの弾幕だ。

 そして最後。中サイズの光弾が、ルイズを中心に渦を巻くように放たれる。敬愛と畏怖すら抱く母、カリーヌの弾幕だ。相手の側面から襲い掛かる光弾は、他の弾幕とは違う方向性を持たせ相手をかく乱する。さらにその中規模の大きさは、動く範囲を狭めていく。

 縦の筋状の弾幕と、横からくる中規模光弾で、相手の動きを制限。そこを渦状の弾幕の塊と、動きのテンポをずらす弾幕で仕留める。複数の動きが混ざり合ったスペルカードだった。

 

 さすがの霊夢もちょっと戸惑う。なんとかかわしているが、たまにグレイズ、かすりがあるほど。さっきのスペルカードでは全くかすりもしなかったのに。

 このあまり見慣れぬパターンのスペルカード。この中で一番手ごわいと感じたのが、実はカトレアをイメージしたうさぎ跳びにやってくるピンクの弾幕。地味そうに見えるが、他の弾幕とは違いテンポがズレているので、避ける時に合わせづらかった。

 

「ちっ」

 

 舌を打ちながらも、見事な体術でかわしていく。しかしグレイズ。霊夢にとってはあまり面白くない。様子を見ようと避けに徹しているのだが、それが思うようにいかない。さらに、それだけではなかった。縦に筋状に進む水色の弾幕は、右から左へとゆっくりと動いている。つまり戦闘エリア端へと霊夢を追いつめつつあった。

 やがてあとわずかとなる。霊夢の周囲はエレオノールとカトレアをイメージした弾幕で囲われつつあり、しかもカリーヌをイメージした中規模光弾が霊夢へ迫っていた。

 

「よし!当たる!」

 

 思わず叫んでしまうルイズ。

 しかし、消えた。弾幕ではない。霊夢が消えた。影も形もなくなった。

 

「えっ!?な、何?落ちたの?」

 

 当たったような感覚はなかったが、何故か霊夢が見当たらなかった。

 だがすぐに気づく。霊夢は反対側にいた。何事もなく。空間を瞬間移動した。そうとしか考えられない。

 

「ど、どういう事よ……」

 

 ふとルイズは思い出す。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜の事を。彼女も瞬時に姿を消し、まるで違う場所に瞬時に現れる。今の霊夢はその動きにそっくりだ。あの巫女はそんな事までできるのかと、彼女は霊夢に畏怖の感情すら抱き始める。

 だが負けてはいけないと、気持ちを引き締める。あきらかに霊夢は強い。だが強者と対峙する自分。幻想郷に来て何度か経験したこの感じ。窮地にあって、それに立ち向かうとはこういう事かと、なんとなく悟ってしまった。

 

 一方の霊夢は、少々苦々しく思っていた。まさか瞬間移動の業、「亜空穴」を使うハメになるとは思わなかったからだ。ついこの間、幻想入りしたばかりの相手に。ラストスペルと言いながらも、たかが二枚目と侮っていたのもある。さらに「亜空穴」は弾幕ごっこでは戦闘エリア端でしか使えない。中央で同じ状況になれば、打つ手が限られた。

 

「ちょっと気合入れないとマズイかもね。避けてるだけってのは無理っぽいわ。撃ち落とした方がいいかも」

 

 戦い方を改める霊夢。

 

 ルイズの弾幕はよどみなく続いていた。しかし霊夢の動きが変わった。弾を避ける事に専念していた動きが、弾を避けつつルイズを攻撃するというスタイルになった。性質の違う弾幕の群れを見事にかわしつつ、霊夢はルイズへの攻撃の手を休めない。

 しかし、ルイズは焦ってなかった。最初のスペルカードの時は、当たらなさばかり意識して、気持ちに余裕がなかったが、今はそうではない。なんとかいい勝負しないと、という焦りが吹っ切れたのもあるのだろう。さらに、弾幕群がうまい事、霊夢を包囲しつつあった。それでも霊夢は強気で攻めてくる。当たっても構わないという感じで。ふとルイズは気づいた、何かおかしいと。

 その時、霊夢被弾。

 だが、同時にスペルカード発動。

 

「喰らいボム!?」

 

 ルイズは思わず叫ぶ。目の前には博麗霊夢のスペルカード、霊符『夢想封印』が展開されていた。被弾を無効化する喰らいボム。被弾と同時にスペルカードを発動させる高難易度の業。弾幕ごっこではルールの一つとなっているとはいえ、自在に使いこなせるのはそうはいない。だがこの霊夢に限って、使いこなせないなどあり得なかった。

 その攻撃をモロに受けるルイズ。かなりのダメージを受ける。あの強気の攻めは、半分これを狙っていたからだ。ルイズはまるで食えない相手である霊夢に、舌を巻くしかない。だがそれでも相手にスペルカードを使わせた事は確かだ。

 

 スペルカード持続の残り時間、そして被ダメージ、それらを踏まえてルイズは考える。時間内に霊夢が自分を撃破するのは難しいだろうと。前半、回避に徹していたため、さっきの『夢想封印』を含めても、ルイズが受けるダメージが十分ではないからだ。では霊夢を落とせるか。それも微妙な所。もう少し焦ってくれれば、ミスでも起こしてくれるかもしれないが。

 

 霊夢の方はというと、少々余裕がなくなっていた。なんとか正面の位置取りをしようとするのだが、蛇行してくる水色の弾幕が邪魔。左へ左へと押しやられていき、安定して正面を取れない。さらにこれに中規模光弾が横から追い討ちしてくる。あえて避けに徹して、時間切れを待つという戦法もあるが、ここまで来て、わずか2枚しかスペルカードを用意していないラスボスにそんな消極的なやり方は癪だった。

 

「あ~、イライラするわね」

 

 霊夢は少し強引に前進する。その時、開いていたと思った目の前のスキマが、急に閉まる。うさぎ飛び状の弾幕の動きを読み誤った。

 

「マズっ!」

 

 スペルカード発動。辺りの弾幕を蹴散らし、そのままルイズに突進。スペルカードに巻き込み、ダメージを与える。しかしダメージが十分ではない。なんとか被弾は避けたものの、発動が早すぎた。

 ルイズはというとギリギリ助かった。もう少しダメージを重ねられると、落とされる所だった。霊夢は一旦後ろへ下がり、態勢を整えている。

 

 二人に残された時間はわずかとなっていた。一進一退。いや、むしろルイズの方が追いつめられていた。ダメージの余裕があとわずかしかない。霊夢に正面の位置取りをされれば、確実に落とされるほどになっていたのだから。

 

 だが、二人の戦いは唐突に終わる。想郷『ヴァリエール』の持続時間が尽きてしまった。時間切れ。弾幕は空から消えてなくなる。一応、スペルカードをクリア。霊夢の勝ちとなった。ルイズは肩を落としながら、ゆっくりと降りていく。

 地上に降りたルイズに、パチュリーが近づいてくる。

 

「結構、粘れたわね。あの霊夢相手に、よくやったわ。悪くはないわよ」

「でも負けたわ」

「仕様がないわよ。霊夢相手でスペルカード2枚じゃ、私でも勝ち目なしよ」

「そうかもしれないけど……」

 

 うなだれるルイズ。霊夢を焦らせはしたが、結局一度も被弾させる事ができなかった。残機もまるまる残っている。これで善戦と言えるのだろうか。みんなから得たものに、答えられたのだろうか。

 そこにアリスもやってきた。

 

「ま、いいじゃないの。当面の目標は達成したんだし。怪我もないんだから、上出来よ。ルイズ」

「それは、そうだけど」

 

 確かに今回の異変の目標は、異変自体を起こし終わらせるという、茶番じみたものが目標だ。そういう意味では霊夢に無理に勝つ必要すらない。だが、ルイズはそれを受け入れがたかった。満足いかないものがあった。それを見て、魔理沙は笑みを浮かべる。

 

「ふふ、くやしいのは分かるぜ」

「…………」

「けどな、楽しかったろ」

「……!」

 

 ふと顔を上げる。三人の魔法使い達が笑ってこっちを見ている。そして気付いた。この胸の内に高揚感があるのを。楽しかったと。弾幕ごっこは。同じ土俵に立って、勝負をするというのは。ハルケギニアではなかった高揚感。

 魔法の使えないルイズは、同じ土俵に立つ事すらできなかった。学んだ技を披露する機会など全くなかった。実質的に、彼女が何かに挑むなんて事はあり得なかった。だが、その土俵に立つ。その意味が今なら分かる。それは楽しかった。そして勝ちたかった。

 彼女の胸の内を、魔理沙が言葉にする。

 

「なら、練習するしかないな。霊夢に勝ちたいならな」

 

 思わずうなずきそうになる。だが、それを振り切った。ルイズは静かに答える。

 

「そうしたいのは山々だけど、そうもいかないわ。帰らないといけないし」

「そっか」

 

 少し残念そうに返す魔理沙。

 

 するとルイズに上段から声がかかった。社に鎮座していた神、八坂神奈子だった。

 

「ルイズと言ったか。なかなか面白かったよ」

「しかし、勝利には届きませんでした」

「私はいい勝負ができたらと言ったんだよ」

「え?」

「お前の願いを叶えてやろう」

 

 神奈子はわずかに笑みを浮かべながら言った。ルイズは思わず叫びそうになるが、それを押さえ整然と口を開く。

 

「私を、故郷に届けていただけるでしょうか」

「やはり、望みはそれか」

「はい」

「分かった。こっちにおいで」

 

 ルイズはその言葉に従い、神奈子の側まで近づく。そして神奈子はルイズの頭に手をかざす。

 すると慌ててパチュリーが口を挟んだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、今すぐするの?」

「そこまで無粋な事はしないよ。ちょっと調べるだけよ」

「そ、そう……」

 

 いつも落ち着き払っている、パチュリーが珍しく慌てていた。少しばかり苦笑いの魔理沙とアリス。

 そして、ルイズの頭に、神奈子の手が添えられる。しばらくの沈黙が続いた。やがて神奈子は手を離す。ルイズはゆっくりと神奈子を見上げる。ところが、何故か渋い顔をしていた。いやな予感が走る。

 

「あ、あの……もしかして、帰れないんでしょうか?」

「ん?あ、いや、大丈夫だ。帰れるよ」

「本当ですか!」

「お前にとっては異教の神でも、神は神だ。少しは信じなさい」

「は、はい!」

 

 すると今度は魔女が三人とも駆け寄った。ルイズじゃなくって、神奈子の方に。アリスがまず口を開く。

 

「か、帰れる!?」

「そうだけど、何?」

「私達の魔法じゃ、ルイズ帰すのうまくいかなくって……。それって、コピーできない?」

「神力がコピー出来る訳ないでしょ」

「そうよね……」

「もしかして、あんた達も異世界に行きたいの?」

「是非。向うでいろいろ調べたいものがあるのよ。探究者としては、それがあると知ったからには無視する事はできないわ」

「ふ~ん……。考えてやってもいいけどね」

「ホント!」

 

 思わず前のめりになるアリス達。すると神奈子何やら怪しげな笑みを浮かべた。

 

「ただし条件がある」

 

 それを耳にして嫌な予感の三人。パチュリーが口を開いた。

 

「何かしら?」

「探究者らしく、異世界を徹底的に調べて欲しいのよ。そしてたまに帰って、私にその結果を教えて欲しい」

「……どういう意味かしら?異世界にまで信仰を広めたいの?」

「他意はない。ただの好奇心。だけど、これが条件よ」

「分かったわ。まあ、こっちもそれはやりたい事だしね」

「よし。ならば約束しよう、神として」

 

 神奈子は満足そうに腕を組む。一方妙な条件に、三人の魔女はお互いの顔を見やる。微妙な表情で。だが最大の難関が突破できたのだ、選択の余地はない。結果オーライという事で、納得した。

 

 それから、霊夢が石灯篭を片づけろと文句を言ってきた。ルイズは異変のラスボスとして負けた手前、それを引き受けざるを得ない。しかし、一つ当たり7500リーブル(≒3.5t)のも石塔が10本以上ある。ルイズ自身にはどうしようもない。天子といろいろともめたが、結局これも神奈子と諏訪子がなんとかした。祭の余興とでもいう具合に。

 そしてルイズ一行は帰路に着く。帰った後は宴会の準備だ。そしてその後は……。ルイズはちょっとばかり寂しく感じていた。

 

 

 

 

 



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旅の終わり

 

 

 

 

「なかなか止まないわね」

 

 ルイズは空を見上げながらつぶやく。今日の宴会は外での立食会と決まった。そしてレミリア達の事を考え、日が落ちてから開かれる。しかし、この天気。空は分厚い雲に覆われ、朝から降り続いている雨は一向に止む気配がない。一方で準備は順調に進んでいた。

 

「どうするのかしら?中に変更するのかしら?」

「なんとかなるだろ」

 

 雨の中、先に来ていた魔理沙が答える。もっとも、その割には濡れてない。実は防御魔法を張りながら来た。そのせいで結構疲れたようだが。

 ともかく、魔理沙の楽観的な返事にツッコミ。

 

「なんとかって、なんでそうなるのよ」

「たぶんだよ」

「たぶん?たぶんなの。はぁ……なったらいいわね」

 

 少し呆れていたが、魔理沙が勝ち誇ったように笑いながら、空の方を指さしている。指の先を見るとある一点を中心に、あれほど分厚かった雲が押しのけられるように消えていく。そして雲は一かけらもなくなり、星満点の夜空が広がっていた。

 魔理沙は自慢気に言った。

 

「ほらな」

「ど、どういう事よ!?」

 

 窓を開け、身を乗り出す。いったい何が起こったのか。すると雲が消えた中心に、何か、いや人影があるのが見えた。それがだんだん近づきつつある。

 横で魔理沙が解答を口にする。

 

「神奈子だよ」

「え?あの山の神様?」

「ああ。風雨の神って聞いてたろ。この程度なら、片手間だそうだぜ」

「…………」

 

 一瞬で、天気を変える。こんな事は魔法では無理だ。系統魔法はもちろん、先住魔法でも無理だろう。そしてふと昨日の事を思い出す。石灯篭を処分する時、あれは守矢神社に突然現れた。神奈子が博麗神社から転送したのだと。その時、早苗に聞いたが、あの神は湖をまるごと転送した事があるそうだ。

 奇跡。奇跡を行うこその神。そんな言葉がルイズの頭に浮かぶ。思わず、その近づいてくる神の姿を凝視していた。

 

 守矢神社の三柱は美鈴に案内され、一階ロビーに入って来た。本来ならメイド長である咲夜の仕事だが、咲夜は調理の真っ最中で、手が空いてなかった。

 ロビーでルイズはこあと共に、三柱と顔を合わせる。そしてそのまま図書館へ向かった。

 

 図書館の奥、何もない大きな真っ白い部屋があった。そこに8人の姿。パチュリーとこあに、魔理沙とアリス。神奈子、諏訪子、早苗の三柱。そしてルイズ。

 真っ白な床には、様々な魔法陣が描かれていた。全て転送陣や召喚陣。つまりルイズをハルケギニアに送り返すための、実験をいろいろとやっていた。ただこれら様々な魔法陣で、成功したものは一つもない。

 パチュリーが神奈子に尋ねる。

 

「どうかしら?」

「いろいろやったもんだね。これを利用するのも悪くないわね」

「手を加える程度でなんとかなるかしら」

「たぶんね。結構いい線行ってるのもあるし」

 

 そう言って、ある魔法陣に近づいた。そして腰を落とした。

 

「うん。これにしよう」

 

 神奈子は右手で魔法陣に触れた。魔法陣が光る。強烈な光を放つ。思わず目を覆うルイズ。

 しばらくして光が止んだ。魔法陣は前と変わった所が見られない。パチュリー達は首をひねる。本当になんとかなったのかと。しかし魔法陣の側の神は満足そうだ。

 

「これでよし」

 

 風雨の神は立ち上がると、四人の魔法使いの方を向いた。

 

「ルイズ。あんたの気配が一番強い所に飛ぶようにしたから。不都合があったらまた言って」

「あ、はい。その……ありがとうございます」

 

 ルイズはとりあえず礼と共に頷いた。するとアリスが疑問を一つ。

 

「これって双方向性?」

「ああ。だって調査結果を聞かないといけないしね。使い方はあんた達が普通にやってたのと同じよ。ただし、行先は異世界だから無茶な使い方は避けるように」

「とにかく使える訳ね。ふふ……」

 

 アリスはちょっと興奮気味。ルイズを除けば、ハルケギニアに一番行きたがっているのは彼女だからだ。主に人形研究のために。一方のパチュリーはこの気前の良さに、神奈子に対して違和感を大きくしていたが。

 ともかく準備は終わった。そして呼び出しがかかる。宴会の準備も終わったと。

 

 

 

 

 

 眩い月光の下。紅魔館裏の広場は、宴もたけなわ。宴会が始まってからかなり時間が経っていた。各人が勝手に酒を煽っている。ルイズの周りには紅魔館の面々が集まっていた。

 レミリアはグラスをもてあそびながら話しかけてくる。

 

「なんか、あんたの壮行会みたいになっちゃったわね。悪くはないけどね」

「いろいろお世話になったわね」

「別にいいわ。それに世話してたのは、パチェの方だし。心残りと言えば、もう少し面白い事あればよかったのに」

「今までので十分よ」

 

 なんだかんだと忙しかったのも思い出しながら、ルイズは答える。すると、フランがルイズに抱き着いて来た。

 

「フランはあんまり遊べなかったなぁ。ちょっとがっかり」

「フランと遊べるほど、上達してないわよ。やっとスペルカード2枚だけなんだから」

「えー。パチェとか魔理沙とは遊んでたじゃん」

「あれは、練習よ。練習。それに昼間ばっかりだったから、どっちにしてもフランとは遊べないわ」

「ぶー。あ、それじゃ今やろう」

「えっ!?」

 

 ちょっと驚くルイズ。あの天子並に気分屋のフランとの勝負はできれば避けたかった。そこにレミリアが入る。紅魔館の主らしく。

 

「フラン。ルイズは今日の主賓なんだから。わがまま言わないの」

「ぶー」

 

 そこでフランは、ルイズから離れる。

 

「それじゃ、もっとうまくなったらやろうね」

「ええ」

 

 返事はしたものの、ルイズはその機会が来るのだろうかと思った。確かにあの転送陣は双方向性なのだが。

 気付くと咲夜が側に立っていた。まだまだ宴は途中であり、本来なら仕事場を離れるべきではない。だが、ルイズの壮行会の意味合いもあるので、レミリアが適当に切り上げるように言いつけていた。

 ルイズは彼女に話しかける。

 

「こっちに来て大丈夫なの?」

「はい。調理は全て終わりましたし、お酒も全て出しました。後はお客様がご自由になされるでしょう。そうは言っても、しばらくしたら戻りますけど」

「そう。あの……咲夜にもいろいろ世話になったわね」

「いえ、お客様のお世話は仕事ですから」

「それでもよ」

 

 ルイズの言葉に、咲夜は相変わらずのメイド長の顔。だがどことなく柔らかい笑みをたたえていた。だが何かを思い出したように、ふっと消える。次の瞬間、現れた時には、手に衣服を持っていた。

 

「いい機会ですから、これを」

「ん?」

「ルイズ様が最初にお召しになっていたものに、近いものを選んだのですが」

 

 衣服をルイズが手に取る。それは学院で使っていたものによく似たものだった。

 

「これは?」

「ハルケギニアに戻ってから、お困りになると思いまして、用意させていただきました」

「へー、ありがとう」

 

 ルイズの着ていたものは、初日に散々な目にあったせいでボロボロになってしまい、結局捨てるハメになった。今もらった衣服はその代わりという訳だ。

 そこに美鈴が入ってくる。

 

「プレゼントなら、私もありますよ」

 

 と、彼女が手に持っていたものは、トレーニング教本とグッズ、八極拳や形意拳等々の武術の書物だった。ちょっとルイズ苦笑い。彼女は受け取ると、美鈴に早朝練習のコーチングと同じように言う。

 

「いいですか。帰っても練習は続けてください。一朝一夕では武術は身に付きませんよ」

「はは、うん、分かったわ」

 

 ちなみに門は今閉じている。門番の仕事はとりあえずお休みだ。

 次に魔理沙とアリスが何やら持ってきていた。

 

「今度は私らだぜ」

「魔法少女セットVer.3よ」

「えー、また?あの恰好はさすがに帰ってからしないわよ。その……やっぱ恥ずかしいし」

 

 さすがにハルケギニアであの恰好では、貴族としての品格が疑われる。だが魔理沙とアリスは引っ込める気はなかった。

 

「と、思ってな。見かけを大分変えた」

 

 魔理沙が取り出したリリカルステッキは、Ver.2までのおもちゃ、おもちゃしたものではなかった。丁度老人が使う杖のような長いものになっている。長さは木刀程度。柄の方は相変わらず太めで、ルイズの杖を格納できるようになっていた。これなら持っていても違和感がない。

 手にした杖を眺めているルイズの前に、アリスからマギカスーツが広げられる。

 

「咲夜の後だと出しにくいけど、私のはこれ」

 

 そこにあったものはルイズが最初身に着けていたもの。ミニスカートに白いシャツ。咲夜が用意したものにかぶっていた。だが、これも身に着けて違和感のあるものではなかった。そして魔力供給を助ける、下着もある。

 魔理沙とアリスからも魔法少女セットを受け取ると、ちょっと顔を綻ばせる。

 

「へー……これはいいわ。ありがとう。これならこっちの魔法も使えるわね」

 

 実はまだまだ使ってみたかった。弾幕を。あれほど練習したのだから。このまま二度と使わないというのはちょっと惜しい。もっともハルケギニアで使った場合の問題はあるが。

 壮行会らしい雰囲気がますます濃くなった所で、パチュリーが口を開く。

 

「そう言えば、あなた、肝心なものを忘れてない?」

「何?」

「使い魔よ」

「あ」

 

 全員が一斉に思い出した。この宴会は異変解決記念の宴。その異変自体は、そもそも天子をルイズの使い魔にするためのものだった。

 紫魔女は、ちょっとからかうように言う。

 

「一番大事な事を忘れてるなんてね」

「えっと……まあ……。後でやるわ」

 

 するとレミリアが何やら企んでる笑みを浮かべた。

 

「じゃ、せっかくだから今やっちゃいましょ」

「え!?ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 しかしルイズの制止なんて当然聞かず。吸血鬼は弾幕を花火のように真上に打ち上る。そしてレミリアは飛び立つと宙で止まる。

 

「注目!紅魔館の主から、最高の余興を披露するわ!」

 

 会場の面々の視線が一斉にレミリアに集まる。

 

「今回の宴は異変解決の宴でもあるけど、我が友人、ルイズ・フランソワーズ・ラ・ル…………を故郷に送り出すための壮行会でもあるわ。そしてもう一つ。彼女が使い魔を得る記念でもあるの」

 

 ルイズは真下でレミリアの話を聞きながらも、顔を青くしていた。あれをここにいる全員に晒す事になるとはと。実はコントラクト・サーヴァントの流れは誰にも説明してなかったりする。

 吸血鬼の演説は続いた。

 

「そしてその使い魔の儀式を、今ここで行うわ。さあ、上がって来て、ルイズ!天子!」

 

 レミリアは二階のバルコニーに二人を誘う。ルイズはバタバタと言い訳していたが、こあと美鈴に強引にバルコニーに連れてこられた。一方の天子はよく分かってない顔で、やってくる。

 レミリアは颯爽と宣言。

 

「さあ、始めて!」

 

 周りからははやし立てるような声がいくつも上がる。注目度MAX。

 ルイズは観念する事にした。せっかく自分のための壮行会だ。ここはやけくそ気味に、このノリに合わせるしかないだろう。と。

 だが、天子は相変わらずキョトン。

 

「何すんの?」

「使い魔の儀式よ」

「ふ~ん……。で、なんで私呼ばれたの?」

「え?」

 

 忘れていた。この天人は。自分で言い出した事なのに。ルイズはこの空気と酒の力も借りて激高。

 

「あんたが言い出したんでしょうが!私の使い魔になるのに、『真澄の鏡』持ってこいって!」

「あー、なんか言ったっけ。でも『真澄の鏡』は?」

「持ち主が持ってきてるでしょ」

「はぁ!?それってあり!?」

「誰に持ってこさせるなんて言ってなかったわよ。持ってきたらからには、契約してもらうわ」

「う……。少しは頭使ったわね。人間」

 

 なんかハメられたみたいで不満そうな天子。もっともこのアイディアを出したのは早苗なのだが。しかし天子はあきらめる。元々どっちに転んでも構わない取引だったのもあって。

 

「で、どうするの?」

「えっと……その……。目つぶって」

「うん」

 

 なんかルイズに妙に落ち着きがないのが引っ掛かったが、天子は言われるまま目をつぶる。そしてルイズは詠唱をはじめた。会場の全員が注目。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・プラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン……」

 

 詠唱はやがて終わった。そして、この魔法のシメ。ルイズは腹をくくった。”それ”をやる。

 

「キス」を。

 

 天子は唇の感触で、目を思いっきり開く。そして後ろへ退いた。傍若無人な天人が珍しく動揺していた。一方、宴の客人達は大はしゃぎ。かなり受けている。

 

「な……!何やってんの!?あんた!」

「しかたないでしょ!こういう魔法なんだから」

「はぁ!?何それ?召喚魔法といい、契約魔法といい、あんたの所のはみんなふざけた魔法ね。誰よ、作ったの」

「知らないわよ!」

「全く……、見つけたら絶対一発殴ってやるわ!」

 

 かなり不機嫌そうな気分で、天子はそっぽを向く。その平然としている姿に、ルイズはちょっと疑問。

 

「天子」

「あ!?」

「体の調子はどう?」

「別に。気分は悪いけどね」

「え?」

 

 おかしい。使い魔のルーンが刻まれる時、体に変調をきたすはずだが。頑丈な天人は何も感じないのだろうか。ルイズは天子の周りをなめるように観察しだす。妙な行動のルイズに、ますます不満そうになる天子。

 

「何なのよ」

「な、ない!」

「何が」

「ルーンがないの!」

「ルーンって?」

「契約をした時に体に刻まれる印よ。それがないと契約した事にならないの」

「ふ~ん」

 

 天子もちょっと疑問に思い、服の中とかも調べてみた。しかし、ルーンらしきものは何もない。ルイズは顔が青くなる。前にパチュリーに言われた通り、コントラクト・サーヴァントは天人には通用しないのだろうか。しかしここまでいろいろやってきたのに、この土壇場で台無しではたまったものではない。

 それとも、サモン・サーヴァントみたいに何十回に一回しか成功しないのだろうかと。

 ルイズは真剣な表情で天子に向かう。

 

「も、もう一回」

「はぁ?何言ってんのよ!」

「お願い!もう一回だけ!」

「……。分かったわよ」

「う、うん」

 

 そして再度チャレンジ。「キス」を。

 だが。

 

「な、ない!」

 

 再々度チャレンジ。そしてチャレンジ。

 

「えー!なんで!?」

「どうも、ダメみたいね。私としては、帰るの遅らせられたらと思ってたんだけどね」

 

 バルコニーにへたれるルイズ。それを他所に会場はバカ受けであった。レミリアは満足そうに、この余興を閉める。

 

 こあと美鈴にまた一階に下してもらう。その顔は茫然。となりの天子は、まるで気にしてないようだが。

 

「残念だったわね。まあ、使い魔にするんだったら、もう少し手軽のにすればいいんじゃないの?そうすれば……あれ?」

「ん?」

 

 微妙に様子の変わった天子の方を、ルイズは向く。すると天子はルイズに、左手の甲を見せた。

 

「もしかしてこれ?」

「あ!」

 

 彼女の手の甲に、文字らしきものが刻まれていた。

 

「やったー!」

 

 ルイズは天子の手を取って、跳ねまわりながら喜んでいた。

 やけに時間がかかったが、ともかく契約成功だ。周りはホッとするのと同時に、ちょっと残念がる。これでルイズが帰るための要件は、全て満たされてしまったのだから。何にしても彼女が来てから、退屈はしなかったと思う一同だった。

 この日の宴は、ルイズにとって一生記憶に残る宴となった。

 

 

 

 

 

「いやぁ。食った、食った」

「久しぶりの洋食もいいもんだね」

「咲夜さんの腕もいいですからね」

 

 守矢神社の三柱が満足そうな顔でくつろいでる。守矢神社の社務所の居間で。円形のテーブル、ちゃぶ台を囲み、各々力を抜いていた。

 すると早苗が立ち上がる。

 

「さてと、お茶でも入れましょうか」

「何か、お茶請けあったっけ」

「さっきの残り物を包んでもらったんですよ。それにしましょう」

 

 その言葉を聞いて、諏訪子は宴の終わりの方を思い出す。

 

「あれ?霊夢も集めてたよね。残り物。よく取ってこれたもんだ」

「はは、ほとんど持っていかれました。でもずるいんですよ。霊夢さん。「亜空穴」使って片っ端から、集めていくんですから」

 

 いかにもな霊夢の行動に、あきれる神奈子。

 

「相変わらず意地汚いわね。あの巫女は」

「まあでも、そんなに集めても食べきれませんけど。じゃぁ、お湯沸かしてきます」

「ああ」

 

 そう言って、早苗は台所へと向かった。

 さらに力を抜こうとする二柱だったが、ふとそれに気づいた。神奈子が不敵な笑みを浮かべる。

 

「ひさしぶり。スキマ妖怪」

「宴会では見なかったね」

 

 諏訪子もちょっと構えている。

 すると何もなかった空間に、一筋の線が現れる。それはやがて広がり、裂け目となった。裂け目の先にあるものは、無数の目が溢れる異様な空間。そこから姿を見せるものが一人。紫のドレスを纏った金髪の女性だった。

 

「お久しぶりです。守矢の祭神の方々」

 

 その名を八雲紫と言う。スキマ妖怪、神隠しの主犯、いろいろ呼ばれるが、幻想郷の管理人である大妖怪だ。

 神奈子は、そう滅多に会わないこの妖怪が、何故ここに来たかだいたい分かっていた。とりあえずは軽口を飛ばす。

 

「あの子を飛ばすのは、あんたにやってもらいたかったわよ。専門家なんだから」

「でも天人がいっしょにいるからねー」

「ああ、だから宴会にも来なかったのか」

 

 二柱は少し笑いあったが、その表情もすぐに収まる。そして八雲紫の方を向いた。

 

「で、あっちの方は放っておいていいの?」

「今の所は」

「連中もあっちに行くつもりのようだけど、それも?」

「はい。彼女達はその道のエキスパートですし」

 

 神奈子はそのエキスパートという言葉に苦笑い。この妖怪の能力を知っていれば、そんな道など霞んでしまう。諏訪子はちょっと嫌味を込めた。

 

「まあ、あんたや霊夢に何もなければ、とりあえずは安心だもんね」

「けど、ここに来たってのは、世は事もなしって訳にはいかない可能性もあるんでしょ?」

 

 神奈子は、少々探るように尋ねる。

 

「はい。兆候を感じます。さすがにどのような形になるかは分りませんが」

「ま、私達はここでの暮らしは気に入ってるし、その意味じゃ力は貸すわ。ただ隠し事は無しにしてもらいたい」

「はい」

 

 頷くスキマ妖怪だが、神奈子と諏訪子はどこまで本気やらと、胡散臭く思う。もっとも、何があるかは、あの魔女達が調べ上げてくれるだろうとも考えていた。

 とにかく、二柱がルイズから感じていたものは本物らしい事だけは分かった。そしてこれは少々やっかいだとも。

 

「それでは、今日はとりあえずお暇させていただきます。いずれまた」

 

 そう言い残すと、八雲紫は空間に開いた隙間に消えていく。そしてその隙間も、残滓も見せず消えていった。

 やがて居間の障子が開く。早苗がお盆に湯呑とお茶請けを乗せて入って来た。

 

「お待たせしましたー」

「ん?思ったより、成果があったじゃないの」

「ふふ~ん。狙ったものだけは、確保できましたからね」

 

 二柱は早苗にお茶を入れてもらうと、咲夜の料理に舌鼓を打ちながら宴の余韻を楽しんだ。ただ神奈子と諏訪子の脳裏には、八雲紫の言葉が離れずにいた。

 

 

 

 




次からはハルケギニアが舞台となります。


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帰還

 

 

 

 

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは何故か寝付けなかった。この所の少々お酒が多めのせいか、それともこの国の不穏な空気のせいか。

 仕方なく彼女はベッドを抜け出ると、褐色の肌のメリハリのついた体をガウンで包む。そして燃えるような長く赤い髪をかき上げると、棚へ向かった。そこからお酒とグラスを取り出す。グラスの半分ほどにお酒を注ぐと、それを片手に部屋を後にした。

 

 廊下には双月の蒼と赤の光が混じりあい、幻想的な雰囲気を作り出している。人の気配がいつになく、しないのもあるかもしれない。

 やがて一つの部屋の前に彼女はたどり着く。そこで足を止めた。

 

 部屋の主の名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。キュルケの家、ツェルプストー家の宿敵、ヴァリエール家の三女でありクラスメイト。よくちょっかいをかけていた、ゼロの二つ名を持つ少女。貴族のくせに魔法が使えないという、不幸な少女。しかし弛まぬ努力と気の強さは人一倍。そんな彼女をキュルケは、それなりに気に入っていた。口に出した事はなかったが。

 

 しかし、それも二ヶ月前までの話。

 何故なら彼女、この部屋の主は、今はどこにもいないのだから。

 

「全く、何が起こったっていうのよ。ルイズ」

 

 グラスを傾けながら、あの日の事を思い出す。ルイズがいなくなった日の事を。

 

 使い魔召喚の儀式の日。最後の順番となったルイズは、相変わらず失敗を重ねていた。そしてあの時。これまでにない大きな爆発が起る。だが煙が消え去った後、爆発を起こした当人は影も形も消えていた。しばらく何が起こったか理解した者はいなかったが、やがて全員が気づく。ルイスがいなくなったと。

 それからは学院を上げての大捜索が始まった。最初は爆発に巻き込まれたと考えられたが、布きれ一枚見つからなかった。いくらなんでも何もないのはありえない。まだルイズはどこかにいると考えられた。その後学院中を探すが、三日かけてもどこにも見当たらない。手がかりすらない。

 その内、ヴァリエール家へルイズ行方不明が伝わる。すると、公爵自身がすっ飛んできた。公爵は私兵を使って、学校を捜索すると言いだし、オールド・オスマンと押し問答に。結局、公爵は折れる。そしてオスマン学院長をなじるように帰って行った。

 だがさらにこの騒動は広がる。今度はアンリエッタ王女が、学院にやってきた。視察と称して。しかも護衛の名目で、ヴァリエール公爵までもが同行。そして空前絶後な大捜索が始まった。だが部屋の隅から倉庫の奥まで調べたその捜索をもってしても、見つからなかった。見つかったのは生徒や教師、メイドや衛兵のいろんな隠し事だけ。別の意味で被害は甚大だったようだが。やがて捜索範囲は学院の外へと広がる。しかし成果は出なかった。

 そして日々が過ぎ、捜索も打ち切られる。一方で、ルイズが死亡したという証拠もない。だからこうして未だに部屋をあてがわれている。しかも打ちひしがれたヴァリエール公爵に気を使ったのか、二年生として。

 

 キュルケは、窓の向こうの月にグラスを重ねるとつぶやく。

 

「皮肉なものね。あなたはいなくなってから、魔法が使えたようよ」

 

 ルイズが二年生として在籍しているという事は、使い魔を持つことができたという事。つまり魔法が使えたという証なのだ。もちろん、いなくなった彼女が使い魔を持てたかどうかなんて分かるはずもない。

 キュルケはこの扱いが少々不満だった。戦死した軍人の階級特進のような気がして。

 

 彼女は部屋のドアの前まで来ると、ノブに手を伸ばす。だが、途中でひっこめる。ノブを回した所で開きはしないのだから。この部屋はすべてロックの魔法がかかっている。さらに部屋の中には軽い固定化の魔法がかかっていた。

 

 キュルケは窓側の壁にもたれ、廊下に腰を落とす。そして、ルイズの部屋の扉を何の気なしに見詰めた。

 

「あなたがいなくなってから、学院もかなり変わっちゃったわ」

 

 その言葉通り、学院の有様は大きく変わってしまった。今では生徒数が半数以下になっている。というのも戦争が始まったからだ。アルビオンとトリステインの戦争が。ほとんどの男子生徒と男性教師は予備兵力として動員。さらに一部の女生徒とほぼ全ての留学生は帰郷してしまった。もう留学生は、自分と親友だけ。だが学院は閉じなかった。戦時中こそ知識を蓄え、備えるべきというオールド・オスマンの言葉によって。この国はこれからどうなってしまうのか。もしかしたらあの時ルイズがいなくなったのは、不幸中の幸いになるかもしれない、なんて事すら思い浮かぶ。

 だが、こんな状況にもかかわらず自分は残っている。それは、あの魔法の使えないちっこい意地っ張りな努力家に、どこか吹っ切れないものがあるせいかもしれない。

 

「あら?」

 

 物思いにふけっていると、ふと気づいた。扉の隙間から青い光が漏れ出した事に。一瞬、蒼の月の光かと思ったが、それはない。それなら来た時から見えていたはずだ。光は今現れた。

 しばらくして光は収まる。何か不穏なものを感じ、扉に耳を寄せた。

 床を軽く叩く音、いや歩く音が聞こえる。何かがいる。それは間違いない。

 

(賊?)

 

 まず、思いついたのはそれだった。そして物音をさせないように、扉の前から離れると自分の部屋に戻る。愛用の杖を持ち出し、厳しい顔つきで、またルイズの部屋の前に来た。

 すると今度は強烈な光が、扉の隙間から漏れてくる。それが何回も。

 

(ライトニング?)

 

 一瞬そんな考えがよぎるが、ライトニングの魔法の発生と同時にする、つんざくような音がまるでしない。それどころか全くの無音だった。

 何か嫌な予感を抱えながらも、扉に杖を向ける。そしてアンロックを詠唱。鍵が外れるかすかな音がする。キュルケは呼吸を一つすると、やがてノブに手をかけた。

 

「待ちなさい!」

 

 勢いよく扉を開けると同時に、杖を中に向けた。

 だが、キュルケの目に入ったものは想像と違っていた。それは、青い光に包まれながら消えていく、小さな人影だった。

 

「な……!?え……!?ええええーーーっ!?」

 

 静寂に包まれた夜の学院に、いつもの艶っぽさが抜け落ちた叫びが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 朝食も終わり、気持ちのいい空気の中、金髪縦ロールのそばかす少女が広場を歩いていた。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。彼女は寮へ教材を取りに行こうとしていた。やわらかい日差しを浴びながら進んでいると、珍しいものが目に入る。ベンチに座っている、キュルケとタバサだ。二人がいっしょにいるのは特に珍しくもなんともないが、珍しいのはキュルケの様子だった。何やら慌てているというか動揺しているかのように、タバサに話かけている。彼女が興奮している所は何度か見るが、動揺しているというのはそう見ない。モンモランシーはなんだろうと思い、近寄っていく。その時、不穏な言葉が耳に入った。「ルイズの幽霊」と。その言葉聞いて、思わずムッとする。

 

 モンモランシーは特にルイズと仲が良かったわけでもない。いつもなら、不謹慎とは思いながらも、そう気には掛けなかったろう。だが今は事情が違う。

 アルビオンとの開戦後、彼女の恋人、ギーシュ・ド・グラモンも予備兵力として動員された。家族が戦争に参加した生徒も少なくない。知人や愛する人が死ぬかもしれないというのは、絵物語ではなくなっていた。幽霊という言葉は、冗談事では済まない。唯一心配しなくていいのが、留学生。つまり今ここにいるキュルケとタバサだけ。

 

 モンモランシーはズカズカと二人に近づいてくる。憤怒を胸に込め。

 

「ちょっと、あんた達!不謹慎でしょ!ルイズの幽霊とか……」

「あ、モンモランシー!ちょっと聞いてよ」

 

 キュルケはモンモランシーの怒りなどまるで気に留めてないのか、寄って来る。その様子はやっぱりおかしい。あの不遜なキュルケが明らかに動揺している。取り付く島もないという感じ。さっきまであった怒りは急に冷めてしまった。

 

「いったい何なのよ」

「実はね。昨日の夜、ルイズの部屋の前にいたのよ。それで……」

 

 キュルケは昨日のいきさつを話す。青い光に、足音、繰り返す強烈な光、そして消えた人影。そこまで聞いて、どう捉えていいか戸惑っていた。他の連中がそんな事を言えば、一笑に付していただろう。しかし、なんだかんだで肝の据わっているキュルケが言うのだから、本当かもしれないなんて思ってしまう。困って彼女の親友に尋ねてみた。メガネをかけた青いショートの小さなクラスメイトに。

 

「タバサはどう思うの?」

 

 だが、彼女はそれを聞いて、ビクッと動いてだけで黙り込んでしまった。いや、さっきから話していないのだが。するとキュルケが解説。

 

「この子、幽霊が苦手なの」

「え、そうなんだ。意外ね」

「だけど、そこをなんとか手伝って欲しいのよ。タバサ」

 

 しかし、タバサ答えず。石像の様に固まっている。手元の本を捲ろうともしない。わずかに震えているようにすら見える。代わりという訳ではないが、モンモランシーが聞く。

 

「手伝ってって、何をするのよ」

「今夜、またルイズの部屋に行ってみるの」

「えー!?幽霊を捕まえるとか?」

「そうじゃないわよ。もしルイズの幽霊なら、彷徨ってるって事でしょ。なら、彼女の話を聞いてあげるべきだと思うのよ」

「家族を呼んできた方がいいんじゃない?」

「だったら実家に出るでしょ?」

「それもそうね。でも恨み節かもしれないわよ」

「それでも聞いてあげるわ」

 

 モンモランシーは意外という顔をする。一番、ルイズをからかっていた当人が、そんな話をするのだから。見かけほど嫌ってなかったのだろうかと思う。

 するとタバサが突然、ベンチから立ち上がる。

 

「手伝う」

「ホント!?」

 

 頷くタバサ。予想外の返事にキュルケは歓喜。タバサもキュルケがただ好奇心から言っている訳ではないと、分かったからだった。

 ただ一方で、幽霊の恐怖から解き放たれると、冷静な頭が戻ってきていた。単純に幽霊と考えていいのかと。実は百戦錬磨のこの少女。額面通りに受け取るような甘さはなかった。

 タバサはつぶやくように話す。

 

「けど、その前に調べたい事がある」

「いいけど、何をするの?」

「ルイズの部屋」

 

 そう言って歩き始めた。後に続くキュルケ。モンモランシーは少々強引に連れられて。ちなみに三人とも最初の授業はサボリとなった。

 

 

 

 

 

 ルイズの部屋の前まで来ると、タバサは杖を振った。アンロックを唱える。アンロックは校則違反の上、この部屋は今、学院長の管理化にある。見つかったら厳罰もの。それを平然とこの小さな少女はやっていた。そして部屋へと入っていく。キュルケとモンモランシーも続いた。

 

「変わってないわね」

「そうね」

 

 部屋の中は整然そのもの。最後の大捜索の直後と同じ。あの後、公爵自らが、部屋に固定化の魔法をかけていた。だがその変わらなさが、逆にここに主はいないのだという事を告げている。

 

「タバサ。何を調べるの?」

 

 しかし彼女は答えない。代わりとばかりに周囲を見回す。わずかな変化もない事を確認。そしてディテクトマジックをかけようとする。しかしここの固定化の魔法はかなり弱い。ちょっとした衝撃で解除されてしまう。もしルイズが戻ってきても、すぐに使えるようにとの公爵の配慮だった。

 逆にそれは、ここで魔法を使うのは慎重にならないといけないという事。ディテクトマジックで固定化の魔法が解けてしまっては、入った事がバレてしまう。そこで通常よりはるかに弱いディテクトマジックを唱える。これでは魔法の気配くらいしか察知できないだろうが、それで十分だった。

 

 タバサは杖を振るった。

 キュルケとモンモランシーはその様子をただ見つめるだけ。

 しばらくして、何かに気づいたのかしゃがみこむ。そして床に手を触れた。タバサの触れている所。そこだけ固定化が解除されていた。つまり何等かの魔法が使われたという事。だが、他は解けてない。キュルケの言う通り、強い光を発する魔法を使ったのなら、部屋中の固定化が解けてもおかしくないのに。

 相変わらずタバサは黙ったまま。そこに、少し耐えかねたようにモンモランシーが聞いてくる。

 

「ちょっと、何か分かったの?」

「しっ」

「え?」

「黙ってなさいよ。その内話してくれるわ」

 

 キュルケはタバサが何をしているか分かっていると言わんばかりに、モンモランシーを抑えた。

 

 タバサは立ち上がると少し考え込む。

 魔法を使っている時点で幽霊とは考えにくい。一方で強い光は魔法ではない。となると何か道具から出た光となるが、そんなものは聞いたことがない。特殊な道具を持った賊かとの考えが浮かぶ。トリステインは戦争中なのだ。賊が潜り込んできても不思議ではない。だがそれにしては稚拙すぎる。自分だったら、侵入後、トラップを警戒してディテクトマジックを最初にやる。ならば、やはり固定化は全て解けてしまっているはずだ。しかし、今調べた通り。そもそも綺麗な円形に解除されている固定化。一体なんの魔法を使ったのか。手がかりがまるで残ってなく、見当もつかない。

 

 どうにも腑に落ちない。先生に言うべきかと思ったが、今残っているのは女性教師と、唯一男子で兵役を拒否した腰抜け評価のコルベールのみ。だいたいここの教師達は、あのフーケ捕縛にすら臆した連中だ。頼りになるかどうか。それに教師を動かすには、決定的な証拠というべきものが見つからなかったのもある。まだまだ憶測の域。

 タバサは振り向くと、結論を二人に告げる。

 

「何かがいたのは確か。でも、幽霊じゃない。賊の可能性もあるけど、変」

「……そう。で、これからどうするの?」

「今晩、この部屋を見張る」

「やっぱりそうなるのね」

「ただし用心する事」

 

 キュルケとタバサで勝手に進む話。そこにモンモランシーが口を挟む。

 

「先生に言った方がいいんじゃないの?」

「当てにならないし、証拠が乏しい」

「まあ、臆病者ばかりだしね。で、あんたも臆病者?モンモランシー?」

「わ、私は違うわ」

 

 キュルケの挑発に思わず返事をしてしまった。後悔が数秒遅れてやってくる。

 

「た、ただ、やっぱり慎重に物事は進めるべきだと思うの」

「なら、その慎重の部分はあたし達がやるわ。あなたは今夜、ここに来るだけでいいから。人手は欲しいしね」

「だったら、先生……」

「え?」

「いえ……、なんでもないわ……」

 

 妙な事に巻き込まれた。夜なんて来なければいいのに、と思うモンモランシーだった。

 

 

 

 

 

 全ての生徒が寝静まった夜。相変わらずの双月が、廊下を照らしていた。そこに潜む三つの影。キュルケ、タバサにモンモランシー。

 もう就寝の時間だというのに、普段着にマントに杖。いつもの恰好だった。それだけではない。側にはキュルケの使い魔、サラマンダーのフレイム。モンモランシーの使い魔、蛙のロビンがいた。さらにタバサの使い魔、風竜のシルフィードは外で待機していた。臨戦態勢にある全員が注目するのは、ルイズの部屋。得体のしれない現象の起こったあの部屋。

 

 だが、こうした状態のままかなりの時間が経っていた。もう深夜と言えるような時間。少々、うんざりしてくるモンモランシー。それに仮眠を取ったとはいえ、眠い。

 

「いつまでこうしてるの?」

「分からないわよ。もしかしたら、今日は起こらないかもしれないし」

「えー!?もしかして、起こるまで毎日これやるの?冗談じゃないわよ!」

「しっ」

 

 タバサのちょっと強めの静止。

 ふと部屋の扉の方を見ると、隙間から薄っすらと青い光が漏れてきた。それがだんだん強くなる。昨日より強い。今日もあの現象が起こった。

 タバサは合図をすると前に進み始めた。口を噤んで後に続く二人。使い魔達も構える。三人は扉の側まで近づくと、耳を寄せた。だが聞こえたものは、キュルケの話とは大分違うものだった。

 ドタバタと、何人もの足音が聞こえる。やっぱり賊かと、全員に緊張が走る。状況を確認しようと、耳を澄ました。すると声が聞こえた。

 

『!?!?!?』

『残念でしたー。一歩及ばなかったわねー』

『なんだよ。紅魔館とあんまり変わんねぇな』

『ほう、ここがハルケギニアですか。とりあえず記念に一枚撮っておきますか』

『ガーゴイルってのは、ここにはないのよね』

『思ったより広い部屋使ってるのね』

『それによく掃除されてますね。埃一つありませんよ』

 

 今わかるだけでもその数七人。いったいどこから入って来たのか?タバサはシルフィードの視界と同調していたが、外から入った様子は全くなかった。突然、そこに現れた。

 息を飲むタバサ達。突入すべきか迷う。相手は七人。こちらは三人。応援が必要だが、この場を離れる訳にもいかない。キュルケはモンモランシーに目配せする。助けを呼びに言ってくれと。戻ってくるまで二人で持ちこたえると。それに彼女もうなずいた。

 

 その時、聞き覚えのある声が耳に入った。

 

『あんた達、静かにしなさい!真夜中なのよ!』

 

 お互いの顔を見やる三人。まさかという思いが交錯する。

 

『バレたらどうすんの!』

『そう言うな。やっぱ初めて来た場所ってのは興奮するもんだぜ。な、ルイズ』

 

 ルイズ。そう聞こえた。確かに。

 どうするか躊躇するタバサとモンモランシー。だが気づくと、キュルケが扉を開けていた。その先に見えたものは、確かにあのルイズだった。桃色かかった金髪のちびっこいクラスメイトだった。

 

「ルイズ!」

「えっ!?キュ、キュルケ!?」

 

 思わずルイズに抱き着くキュルケ。

 

「生きてたのね、あなた!」

「え!?え!?え!?」

 

 大混乱するルイズ。いや大混乱しているのはルイズだけではなかった。中を見たタバサとモンモランシー。そして顔を見上げたキュルケ。彼女達は、異様な一団を目にしていた。月明かりに浮かぶ、見た事もない奇妙なファッションの連中と、黒い翼とこうもりの翼の翼人達を。

 この状況を正確に理解している者は、ここには一人もいなかった。

 

 

 

 




キュルケとルイズの仲は、原作の序盤ほど悪くはないとしました。もちろん、親密って訳でもありませんが。


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浦島ルイズ

 

 

 

 

 茫然としているタバサ達。しかしそれは、ハルケギニアに来たばかりの魔理沙達も同じだった。ここには誰もいないハズだったのだから。

 ハルケギニアへの転送が可能になった後、念のためとアリスの人形で魔法を試した。そして微調整を数回繰り返し完成させた。昨日は最後の確認と、ルイズの部屋の写真を撮って来たのだった。ストロボ焚いて。キュルケの見た強い光とはこれだった。

 転送した時、人の気配を感じる事は一度もなかった。さらに念入りに、絶対人が起きてない時間を選んだ。ハズだった。だが、ここにいる。どう見ても寝間着ではない、待ち伏せしたとしか思えない恰好で。

 

 全員が茫然としている中、いち早く我に返ったのはパチュリーだった。手元の本を広げると、ぶつぶつとつぶやく。瞬時に結界を構築。

 次に気が付いたのはタバサ。杖を向けようとしたが、風のようなものが自分たちを抜けていったのを感じた。すると紫寝間着の少女が、本を閉じ、力を抜く。何かをやられたと悟った。おそらく抵抗できないようにする魔法を。

 

 一方の幻想郷の面々。一斉にアリスの方を向く。まずは魔理沙。

 

「どういう事だよ。アリス。人がいるじゃねぇか」

「そんなハズないわよ。確かにいなかったんだから」

「それじゃぁ何だよ?運が悪かったって?どう見ても、待ち構えていたように見えるぜ」

「…………。悪かったわ」

 

 肩を落とすアリス。すると今度は天子が口を開いた。

 

「で、どうするのよ。見つかっちゃったけど。眠ってもらってあれは夢だったぁってする?まあ、私はどうでもいいけど」

「鈴仙さんがいれば楽だったでしょうね。幻覚見せて終わりですから。私としては、むしろ取材に繋げたいですけど」

 

 烏天狗も勝手な事を言う。するとこあが口を挟む。

 

「似たような事できますよ。私」

「え?そうだったの?」

 

 あまり取材対象にしてないため、文はこあの意外な一面に驚く。

 ところで一人だけ、この流れについていけない人物がいた。その自慢の能力も、発揮されずじまい。

 

「ど、どう言う事ですか!?総領娘様!」

 

 竜宮の使い、天空の妖怪、永江衣玖。例によって『緋想の剣』を勝手に持ち出した天子を、追いかけてきた。そして転送直前に追いつき、巻き込まれてしまったという訳だ。

 

「もう帰れないわよ。衣玖」

「どういう意味ですか?」

「ここは異世界って事よ」

「え?」

 

 さっそくその空気を察する能力で、辺りを探る。すぐに違う世界と分かった。

 

「なんと言う……。しかし、総領娘様はどうされるのです。総領様はお怒りでしたよ」

「帰ってから怒られるわ。それにこれ持ってれば、あのスキマ妖怪にも締め出し喰らわないしね」

 

 と言って、鞘に入った緋想の剣を高く上げる。天子がこれを持ってきたのは、ハルケギニアと幻想郷の繋がりを八雲紫に遮断されないためでもあった。さすがに天人の秘宝が異世界にあるままでは、天人達が黙っていないだろうと。

 

「あなたという人は全く……」

 

 無茶というか、通常運転というか、そんな天子にただただ疲れる衣玖だった。

 

 勝手に騒いでいる奇妙な面々を間近にして、キュルケは我に返る。すかさず行動に移った。ルイズを抱えドアの方へ走り出した。訳が分からないが、少なくとも相手に翼人がいるのは確か。つまり人間の敵であると。

 

「タバサ!モンモランシー!」

 

 援護を要請、二人は杖を構える。そして少しの不穏な動きを見逃さないという顔つきで、キュルケ達の盾になる。キュルケの方は、出口から逃げ出す。

 だが、止まる。

 見えない壁があるように先に進めない。キュルケは慌てた声を上げる。

 

「な、何?何なの?」

 

 その見えない壁を手で探る。確かにそれはあった。風の魔法『エア・シールド』かと思ったが、歪みもない平面を作りだすなんてスクウェアクラスかという考えすら走る。すると彼女の後ろから声がかかる。紫寝間着の少女からだ。

 

「無理よ。出れないわ。部屋には結界を築いたから」

 

 結界。三人には聞き覚えのない言葉だった。キュルケは振り返ると尋ねる。

 

「け、結界って何よ……」

 

 すると横にいたカチューシャをした金髪少女が言葉を挟む。

 

「あら、言葉が通じてるわ」

 

 まるで関係ない答えを返す。

 

「うまくいったみたいね。翻訳魔法」

「もう少し語彙を増やしたいわね」

 

 また自分たちで会話を始めた。なんだか無視されているみたいで、キュルケは気分が悪い。ちょっと語気を強める。

 

「いったい、何なのよ!あなた達は!」

 

 今度は大きな黒い帽子をかぶった、おとぎ話のメイジらしき少女が出てくる。大仰にでんと箒を立てて。

 

「おう!お前たちを征服に来た宇宙人だぜ!」

「う、宇宙……は?」

「そう!宇宙人。円盤に乗って宇宙からやって来たわ!」

 

 ついでにカラフルエプロンの少女も腕を組んで、ずいっと出てくる。

 キュルケ達は益々混乱。いつのまにか向けていた杖が垂れ下がっていた。言葉のないキュルケ達。再び紫寝間着が語り掛けてくる。

 

「緊張はほぐれたようね。さて、ルイズ。誤解を解いてくれない?」

 

 気づくとルイズはキュルケの腕を叩いていた。チョークスリーパー状態だったので。慌てて彼女は腕を話す。

 

「はぁはぁ……。死ぬかと思ったわ」

「ご、ごめんなさい。ルイズ」

「帰って来たばかりなのに、窒息死したらアホじゃないの!」

「だから、謝ってるでしょ」

「だいたい、あんたは……」

 

「ルイズ」

 

 ちょっと高ぶったルイズだったが、紫寝間着の声で止まる。ちらっと、振り返ると彼女はわずかに頷いた。息を整えるルイズ。そして再びキュルケ達の方を向いた。

 

「えっと……。とにかく彼女達は敵じゃないわ」

「それだけじゃ、納得いかないわよ。だって翼人がいるのよ」

「そうよね。何を話していいのやら……」

 

 頭を捻るルイズ。話すにしても、どこまで話していいものか。適当にぼかすような器用な事もできそうになかった。また今の状態をごまかすなんてまず無理。で、開き直る。

 

「私、異世界に行ってたのよ。で、彼女達はその時世話になった人たち。とおまけ」

「それを信じろって言うの?」

「そう」

「あなたね。嘘をつくにしても、もう少しマシなの……何?」

 

 ちょっとムッとして文句を言うキュルケのマントを、タバサが引っ張っていた。

 

「全部話を聞いた方がいい」

「はぁ……わかったわ」

 

 そう答えると部屋に戻る。そして扉を閉めた。

 

「で?」

「私は召喚の儀式で、逆に彼女達に召喚されちゃったのよ。召喚先の世界の名は幻想郷。月が一つしかない世界よ」

「……で?」

 

 半ば呆れ気味にキュルケ達はルイズの話を聞く。ルイズは簡単にいきさつを話すが、一通り話しても、まるで納得する様子がない。まあ、ルイズ自身も立場が反対なら、同じ反応だっただろうとは思ったが。

 

「信じてないのね」

「無理に決まってるでしょ」

「う~ん……困ったわね。仕様がないわ。天子、要石出してくれない?3尺くらいの」

 

 天子は意味が分からないという具合に、ちょっと首を傾げるが、小さくうなずく。そして指を軽く宙に泳がした。すると突如、その上に注連縄を巻いた巨大な岩が現れた。

 キュルケ達は思わず声を漏らす。

 

「な……!」

 

 空気を錬金して岩を生成した?そんな魔法聞いた事がない。しかも杖を持ってないのに実行した。一瞬、先住魔法かと思ったが、それ以前に詠唱すらしてない。思いつくものが何も該当しなかった。

 思考がまとまらないキュルケ達にルイズが話かける。

 

「これで信じる?」

 

 三人は黙り込んでいたが、やがて戸惑いながらも首を縦に振った。ルイズは話を続ける。

 

「それで、この事は黙ってて欲しいのよ」

「……いいわよ。言っても誰も信じないでしょうしね。その代わりと言ってはなんだけど、後で詳しい話を聞かせて」

「分かったわ」

 

 ルイズはちょっと一安心。最初の難関をやっと突破できて。力を抜くと、今度はルイズの尋ねる番となった。

 

「こっちの様子はどう?変わりない?」

 

 その言葉を聞いて、三人は難しい顔つき。お互いの顔を見やる。そして代表とばかりにキュルケが口を開いた。

 

「落ち着いてよ。あなたがいなかった二ヶ月の間。こっちはろくでもない事しか起こってないわ」

「え……。いったい何があったのよ」

「最初にだけど、土くれのフーケって知ってる?」

「聞いた事あるわね。貴族専門の泥棒だったかしら。まさか……入られたの?」

「そうよ。宝物庫が襲われたわ」

「あそこ、ものすごく強い固定化の魔法かかってなかった?」

「かかってたわ。でも、やられたわ」

「なんでよ?」

「いきさつはね……」

 

 それからキュルケはフーケに盗まれた経緯を説明する。

 ある日、巨大なゴーレムが現れ、宝物庫を襲った。教師や一部の生徒達は慌てて応戦。だがその最中に、壁に穴が開いていたのに気付く。やられたと思い、宝物庫をミセス・シュヴルーズとミス・ロングビルが確認に行った。その後、ゴーレムをなんとか撃退したが、ミセス・シュヴルーズとミス・ロングビルは宝物庫で気絶しており、宝物『破壊の杖』が盗まれていた。後で分かった事なのだが、穴が開いたと思っていたのは、実は穴の絵を描いた布だった。まんまと偽装に引っ掛かった。その後、ミス・ロングビルがフーケの隠れ家を見つけだす。そしてミス・ロングビルと責任を感じたミセス・シュヴルーズがフーケ捕縛に向かうが、あっさり逃げ出す有様。結局、学院の手で『破壊の杖』を取り戻す事はできず、王宮に報告する事に。だが、あまりに遅い追捕の手からフーケは逃げおおせてしまった。やがてミス・ロングビルは責任を取って辞職。ミセス・シュヴルーズも辞職しようとするが、優秀な教師の代わりはそうはいないので、周りがなんとか引き止めた。

 

 ルイズは話を聞いていて、教師の不甲斐なさに呆れていた。ギトーのように偉そうにしているのもいるのに、イザとなったらこのザマかと。

 

「ちょっと幻滅しちゃうわね。ウチの先生にも」

「そうね。で、次だけど、アルビオンのレコン・キスタって知ってる?」

「えっと……アルビオン王家に謀反を起こした不届きものでしょ」

「ええ。その不届きものはアルビオン王家を滅ぼしてしまったわ」

「えっ!?それで王家の方々は?」

「討ち死にしたって聞いたわ」

「そんな……」

 

 アルビオン王家はトリステイン王家の縁者でもある。しかも王子のウェールズはアンリエッタ王女の従妹なのだ。ルイズは幼馴染でもあるアンリエッタの心中を察する。ただ彼女は、アンリエッタの相思相愛の相手がウェールズである事なぞ、知りもしなかったが。

 キュルケは話を続ける。

 

「それでそのレコン・キスタだけど、神聖アルビオン共和国と名乗ったわ」

「始祖ブリミルに連なる王家を滅ぼしておいて、神聖とはふざけた名前ね」

「その神聖アルビオン共和国とトリステインは、今、戦争中よ」

「ぶっ!え!?ど、どうしてよ!」

「連中、ハルケギニア統一が目標なんですって。その最初の標的にされたのがトリステインって訳」

「な……」

 

 ルイズは言葉が続かない。予想外の事ばかり起こっていて。キュルケはさらに話を続ける。

 

「それでトリステインは今劣勢。奇襲を受けて、艦隊はほぼ壊滅。しかもラ・ロシェールの港まで奪われたわ。さらに港とタルブの平原を拠点に、アルビオン軍は続々増強中」

「…………」

「だけど本来なら、そんな状態でも五分五分に持ち込めた可能性はあったわ。トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ話になってたから。うちの皇帝とあなたの所の王女の結婚でね」

「結婚!?」

「そ。でもアンリエッタ王女のウェールズ殿下への恋文が公表されてね。ご破算。同盟は白紙。トリステイン軍はたった一国で、アルビオンを相手にしないといけなくなったわ。ここままだと次の会戦で、滅亡が決定的になるかもしれないわね」

「そ、そんな……」

「トリステイン軍はタルブ領の隣、なんて言ったかしら……。そこの城を拠点に集結してるわよ。アンリエッタ王女が先頭に立ってるようだけど、思うようにはいってないみたいね」

「姫様が……」

 

 頭が止まりだすルイズ。幻想郷ではいろいろ大変だったが、充実した日々を過ごしていた。そして使い魔も手に入れ、これから立派な貴族になるため邁進しようとしていたら、いきなり祖国が消えてなくなるかもしれない、なんて状況になっていたのだから。向うで読んだ浦島太郎という童話があったが、太郎の気持ちはこんなものだろうかと考えてしまう。

 だがまだ最後の衝撃が待っていた。

 

「もう一つ話があるのよ。あなたにとっては、こっちの方が辛いかもしれないわね」

「な、何よ……」

「又聞きなんだけど、あなたのお姉さん。倒れたそうよ」

「え!?なんで……」

「やっぱり、あなたが突然いなくなったからじゃないの?」

「……!」

 

 誰が倒れたかすぐに分かった。二番目の姉、カトレアだろう。一番家族の仲で慕っていた姉だ。生来体が弱く。結婚も無理と言われていた。それでも領地をもらい、穏やかに暮らしていけると思っていた。それが自分のせいでこんな事に。ルイズは力が抜けるように、へたり込んだ。

 

 その時、記者の直感がピンと来たのか文がキュルケに尋ねてくる。

 

「なかなか、お詳しいですね。まるで見てきたようです。戦争の最中で学生の身分だというのに、方々を飛び回ったんでしょうか?」

 

 いきなり黒い翼の翼人に笑顔で話しかけられ、身構えるキュルケ。

 

「な、何よ?」

「あ、警戒されなくてもよろしいですよ。私、新聞記者の射命丸文と申します。以後お見知りおきを」

 

 翼人から新聞という言葉が出てきて、二つがうまくくっ付かない。少し混乱する。しかし文はそんな事おかまいなしに、再度質問。

 

「それで先ほどの質問ですが、どうしてでしょうか?」

「え……。その……。この子、タバサが見たいって言うから付き合ったのよ。あちこち。そこでいろいろ聞いたの」

「ほぉ……、さっきから妙に落ち着いてるその方に……」

「最初は、一人で行こうとしてたのを捕まえて、止めようとしたのよ。だけど、どうしてもって言うから。でもさすがに戦場に一人じゃ、危ないと思って……」

 

 その言葉を耳にして、ルイズはムッとする。人の国が危機に瀕しているというのに、物見遊山に戦場見物。そんな気軽な考えは、留学生という立場だからかと。タバサとはほとんど口を聞いたことがなく、どんな人間か知りもしなかったがこんな性格だったとは。カトレアの事もあって、思わず激高する。

 

「あんた何?人の国が苦しんでるの、そんなに見たいの!?」

 

 しかしタバサは答えない。さすがのキュルケも、一度に多くの不幸を知ったルイズに対して、戦場見物をしていたというような話は悪いと感じてしまう。

 

「ちょ、ちょっと待ってルイズ。何かその……考えがあったのよ」

「どんな考えだって言うのよ!」

「それはその……」

 

 答えに窮するキュルケ。それでもタバサは口を開かない。キュルケの言う通り、実はこれには理由があった。何も戦場見物がしたくてした訳ではない。いや、せざるを得なかった。任として。

 その時、ルイズの後ろから声がした。紫寝間着の魔法使い、パチュリーだった。

 

「タバサ……とか言ったかしら」

「…………」

「あなた間諜ね」

 

 ルイズ、キュルケ、そしてモンモランシーが一斉に、パチュリーを注視し、そしてタバサの方へ振り返る。しかし、タバサは無言。

 一方のパチュリーは天子達の方へ顔を向けた。

 

「天子、衣玖、どうかしら?」

「ん?そうね。間諜ね。その子」

「間諜ですね」

 

 聞かれた二人はあっさり答える。その言葉には全く揺らぎがなく、確信に満ちたものだった。ちなみに衣玖の言葉はキュルケ達には通じてない。幻想郷組の中で唯一、翻訳魔法がかかってないので。

 見事に真相を当てられ動揺するタバサ。しかし見た目には何も変わってなかった。だから言いがかりをつけられたとばかりに、キュルケが今度は激高。

 

「何、適当な事言ってんのよ!なんの証拠があるって言うの!」

「文のおかげなんだけど、彼女、学生にしてはやけに落ち着いてるわね。こんな状況で。火事場慣れしてるみたいに。それで、試してみたのよ。そうしたら見事に引っかかったわ」

「引っ掛かった!?だからそんな証拠なんてないでしょ!」

「見てれば分かるわ。彼女、ちょっとやそっとじゃ感情を露わにしないようだし。もし私達が言ってる事がデタラメなら、顔色一つ変えないでしょう。でもそうじゃなかったら?」

「そんな事はありえないわ!」

「それほど彼女を信じてるなら、逆に見届けた方がいいんじゃないの?真相がどこにあるのかを」

「う……」

 

 キュルケはパチュリーに丸め込まれ、黙り込んでしまう。そして魔女は再びタバサに尋ねる。

 

「じゃあ聞くわね。主の国はアルビオン?」

「違うわね」

「違います」

 

 天子と衣玖はまた答える。

 

「ガリア?」

「それね」

「そうですね」

 

 またも真相を当てられるタバサ。だがガリア出身はみんな知っている事。取り立ててどうというものでもない。タバサは相変わらず。

 だがパチュリー、気にも留めず続ける。

 

「ガリアはトリステインと戦うつもり?」

「違うわね」

「違いますね」

「それじゃ、支援するつもり?」

「それも、違うわね」

「違いますね」

「それじゃぁ、分からないの?」

「それね」

「そうです」

「国家の意図を伝えられてない。ただ、使われてるだけなのね」

 

 タバサのあり様を当てられて、顔色が初めて変わった。キュルケも少し不安になる。

 

「さてそろそろ最後よ。あなたはガリアに忠誠を誓ってる?」

「違うわね」

「違いますね」

 

 忠誠。あの日がなければ持っていたかもしれないもの。だが今はない。そんなもの、思い浮かびすらしない。逆に持っているものは憎悪。なぜなら現ガリア王は仇敵なのだから。

 タバサが握っている杖が小刻みに揺れている。その意味する所は、誰からも分かっていた。

 魔女の質問は続いた。

 

「それじゃ雇われたのかしら?」

「これも違うわね」

「違います」

「忠誠を誓ってなくって、雇われてもない……。仕方なしにやってるって事ね。弱みでも握られてるのかしら?」

「うん、それそれ」

 

 最後に天子が真相を明らかにする。

 タバサの肩が震えだす。弱みを握られている。その言葉から彼女の脳裏に浮かぶのは、父の死と狂った母だった。屈辱に耐えながら、今までやってきたのもそのため。

 もういつものタバサではなかった。あの人形のように変わらない表情が、今にも泣きそうなものになっていた。さすがに見ているのが辛くなったのか、キュルケが彼女を抱きしめる。

 

「もういいでしょ。許してあげて」

「ええ。いいわ。とりあえずは」

 

 魔女の質問はようやく終わる。キュルケは小さく震えるタバサを抱きかかえながら、ここにいる異様な集団に畏怖を抱いていた。禁忌とは言え、心を操る魔法があるのは知っている。しかし心を覗く魔法なんて聞いたことがない。さっき大きな岩が出てきた時は半信半疑だったが、今なら信じられる。この目の前にいる連中は、異界の住人だとだと。

 

 ところで、なぜ天子達に心を読むような事ができるのか。別にさとり妖怪の能力に突然目覚めた訳ではない。天子は緋想の剣と契約後何故か調子のいい体のおかげで、周囲の気がどのようなものか察する事ができるようになった。一方、衣玖は元々、周囲の空気を察する能力に長けた妖怪。大気の微妙な揺らぎが分かる。二人はタバサの周囲の気や大気の乱れから、彼女の心の揺れが手に取るように分かる。高性能な嘘発見器のように。YES、NOで答えられる質問なら、その真偽を確かめるのは造作もなかった。

 

 パチュリーは一つ呼吸を入れると、ハルケギニアの友人の方を向いた。

 

「ルイズ。私としてはあなたを連れて、一旦幻想郷に引き返し、ほとぼりが冷めるのを待ちたいんだけど。あなたがそんな事受け入れるハズないわよね」

「ええ。私は祖国を守りたいわ」

「さてと、どうしようかしら」

 

 今度は後ろを振り向く紫少女。するとアリスが答える。

 

「簡単よ。私達は魔法の研究に来たんだから、ハルケギニアが平和に越した事はないわ」

「戦争に参加すると?」

「何もアルビオンを倒さなくってもいいでしょ?ごめんなさい、もうしませんって言いだす展開でもいいんだから」

 

 そのアリスの言葉を魔理沙が茶化す。

 

「そうなったら楽だなー。それがいいぜ」

「むしろ難しいように思えるけど」

 

 パチュリーはちょっと溜息混じり。アリスは簡潔な方針を一つ。

 

「まあ、基本は勝てそうなら戦う。負けそうなら騙す、全部無理そうなら逃げるで、いいんじゃないの?」

「それもそうね」

 

 そして三人の魔法使いとこあはルイズの方を見た。

 

「という訳で、私達はあなたに協力するわ。もちろん状況にもよるけどね」

「……。ありがとう」

 

 感極まるルイズ。

 だが、無粋な声が挟まれる。

 

「ああ、私パスね」

 

 手を上げているのは天子だった。ルイズ、唖然。真っ先に手伝うべき使い魔が、真っ先に一抜け。

 

「あんた、私の使い魔でしょ!」

「使い魔、言うな!」

「とにかく、パートナーになったんだから、私を手伝うのが当然でしょ!」

「でも戦争するんでしょ?」

「何?臆病風にでも吹かれたの?」

「どう取ってもいいけど、マズイのよね。さすがに殺生は。これでも天人の端くれだし」

「どういう意味?」

 

 それに側にいた衣玖が解説。

 

「生き物の命をむやみに奪ってはならないという意味です。戒律だと考えてください」

「戒律?だったら、あんた食べ物どうやって……」

 

 そこまで言いかけて言葉を止めた。こいつ人間じゃなかったと。ちなみに衣玖も天子と行動を共にすると言う。見張ってないといけないので。つまり二抜け。

 すると今度は烏天狗。

 

「私もパスで」

 

 三抜け。

 確かに文は、このメンバーで衣玖の次に関係ない。しかしそもそも付いて来たのは、姫海棠はたてに大スクープを横取りされたのを挽回するため、異世界への現地取材に挑んだからだ。あの宴会の終盤。ルイズに頼み込み、なんとか同行を許してもらった。にもかかわらずこの態度。恩を返そうとか思わないのかと言いたくなるルイズ。

 

「なんでよ?」

「新聞記者たる者。目の前でどんな凄惨な事が起ころうとも、手を貸さず目に涙を浮かべながら、ただ記録し続ける。これこそ記者魂というものです」

 

 散々ねつ造記事作っておいて、何を言っているんだとツッコミを入れたくなる一同。

 衣玖はともかく、残りの勝手な行動に、ルイズは不満タラタラ。かつてならそれを言葉にして、ただ激高していただろう。だが幻想郷で学んだ事がある。人は情と打算で動く。

 ルイズは浮かんだ怒りを抑え、ゆっくり話しだした。

 

「文。あなた、ハルケギニアを取材するのが目的よね」

「ええ」

「だったら、現地の事情に詳しい案内人がいた方が、いいんじゃないかしら。もし私に協力してくれるんだったら、あなたの取材、手伝ってもいいわよ」

「ふむ……。考えたわね、人間。いいでしょう。ルイズさんに手を貸します。まあ、戦争については、適切な編集で対応しますか」

 

 結局ねつ造するのかと、また一同は心の中でツッコミを入れていた。

 次にルイズは天子の方を向く。

 

「それじゃ、天子。人を殺さない範囲だったら、手伝ってくれる?」

「まあね」

「分かったわ。それでお願い」

 

 すると衣玖も賛同しはじめた。

 

「でしたら、私も手伝いましょうか。総領娘様から目は離せませんが」

「ありがとう。そういえば、はじめて会うわよね。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。紅魔館でお世話になってたわ」

「私は、天界で龍神様のメッセンジャーなどをやってます、永江衣玖と申します。竜宮の使いです」

「天子の使用人?」

「というより、天人という種族そのものでしょうか」

「ふ~ん……」

 

 ルイズは、貴族と平民のような関係だろうか、いや、彼女も天界の住人のようなので、大天使と天使の関係と言った方が近いかもかと思う。だが、身分というものをあまり感じなかった幻想郷に、そんな関係があるのはちょっと驚きだった。

 ともかくこれで協力体制は整った。まずやるべき事は……と考えていたら、意外な声が耳に入った。

 

「私も手伝う」

 

 タバサだった。

 キュルケが驚いて尋ねた。

 

「どうしたのよ。タバサ。だってあなた……」

「ガリアとは関係ない」

「タバサ……」

 

 キュルケは言葉に詰まる。

 一方、微妙な顔をしているルイズ。タバサがガリアの間諜である事はハッキリした。しかもガリア政府の意図はまるで知らず、ただ命令に従っているだけの存在とも。口では国は関係ないと言っているが、どこまで信用していいのか。それにもしそのつもりがあっても、ガリアから命令で裏切らざる得なくなったら、裏切ってしまうのではと。

 その時、天子の声が飛び込んできた。

 

「その子、かなり本気みたいよ」

「ホント?」

「うん」

 

 ルイズはタバサを真っ直ぐに見る。いつもと同じ無表情に見えるが、その瞳はどこか熱いものを感じた。

 

 タバサは感じていた。運命が変わりそうな予感を。今まで、父のため母のため、その仇を討つため、屈辱に耐えながらも多くの成果を重ねてきた。しかし一向に仇に近づく気配がない。母の救済に近づく気がしない。それでも、いつかはと思って続けてきた。そうとでも考えないと、心が壊れてしまいそうだから。

 だが目の前に全く違う道筋を示している存在がある。異界の存在が。タバサはそれに賭けてみる気になった。

 

 ルイズは静かに頷く。

 

「分かったわ。信じるわ。後、さっきはごめんなさいね。酷い事言って」

「事情を知らなければ、誰でもそう思う」

 

 タバサは首を振って答えた。

 

 そんな二人を見て、キュルケは三つ驚いていた。一つは、あのルイズが素直に謝った事。もう一つは、タバサがここまで感情を露わにした事。そして三つめは、それが自分に対してではなくルイズに対してだったのが、ちょっと悔しい事。いや、タバサがそんな思いを抱いたのは、ルイズだからというよりも、彼女と共にいる異界の連中の力があればこそというのは分かってはいた。キュルケには、それを与える事ができなかったのだから。

 すると、ふと手に何かが触れた。強く握られていた。キュルケが握った主を見ると、それはタバサだった。彼女が真っ直ぐキュルケを見ていた。彼女はタバサをもう一度抱きしめる。そして決意した。

 

「ルイズ。あたしも手伝うわ」

「ど、どうしたのよ。ツェルプストー」

 

 思わずキュルケの家名を口にするルイズ。宿敵が手伝うと言いだして、ちょっと驚く。しかしキュルケは揺るがない。

 

「タバサが手伝うって言ったからよ。彼女とあたしは一心同体なの。あなたのためじゃないって事は、理解しておいてよね」

「あ、あんた……。はぁ……まあ、人手が多いのは助かるわ。一応、ありがとうって言っておくわよ」

「…………気持ち悪いわね。あなた。そんな簡単に、ありがとうなんて言えなかったでしょ。何?異世界に行ってたせい?」

「そうかもね」

 

 自然と出てくるその言葉に、キュルケは益々、不気味なものを感じてしまう。ただそんなルイズは、前より気に入っているかもと、思い始めていた。

 

 ところで、完全に蚊帳の外に置かれているのが一名。モンモランシー。さっきから黙りこくっていた。ちょっと弱みを見せまいと幽霊騒動を手伝うハメになったと思ったら、こんなに話が大きくなっていた。しかも異世界ってなんなのか。関わりたくない。すぐにでも逃げ出したい気分だ。

 そんな気配を消しまくっているモンモランシーに、キュルケが話かけてくる。

 

「あ、モンモランシー。あなたは付き合う事ないから」

「そ、そう?」

「その代りと言ってはなんだけど、いくつか頼まれてくれない?」

「何かしら」

 

 異界の連中と関わりを持たなくて済むと分かると、ホッとする。何を聞いてもかまわないというほどに。

 キュルケは頼み事を口にする。

 

「ルイズ達の事は言わないのは当然として、あたしとタバサの事もうまくごまかしてほしいの」

「ごまかすって、なんで?」

「あたし達、しばらく学院からいなくなるからよ。ルイズに付き合うし」

「あ、そうね。それじゃぁ、理由はどうしようかしら」

「実家に帰ったとか言っておいて。緊急の呼び出しがあったとか言って」

「うん。分かったわ」

 

 キュルケとタバサは留学生。他の留学生がいない今。故郷に帰るのはあり得る話。ただ、先生に挨拶もせず、突然いなくなるのは不自然だが。そこはなんとかごまかすしかない。

 

 やがて全員の準備が終わると、パチュリーの結界が解かれる。ルイズは窓の側に立って、振り返った。

 

「それじゃ、行きましょうか」

「一度、両親に顔見せた方がいいんじゃないの?お姉さんの事もあるし」

 

 キュルケが、珍しくルイズに気を使う。

 

「いえ、まず姫様の所に向かうわ。きっと心細いでしょうし。あんたの話を聞いてると、急がないといけないようだしね」

「そう」

「じゃあ、行くわよ!」

 

 ルイズの掛け声と共に、一団は闇夜に一斉に飛び立った。戦地へと向かって。唯一残ったモンモランシーは、その勇姿を目で追う。

 だが、ふと気づいた。全然関係ない事を。

 

「あら?もしかしてここの固定化、解けてんじゃない?」

 

 パチュリーが結界を張ったせいで、ルイズの部屋の固定化は全部解けてしまっていた。それを確認したモンモランシーは、顔を青くする。バレたらどう言い訳しようかと思いながら。

 

 

 

 




こあはサキュバス説から、多少人の心を惑わす事ができるとしました。まあ低級悪魔なので、たかが知れていますが。


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再会

 

 

 

 

 トリステイン上空に奇妙な一団が飛んでいた。もし見つかれば騒ぎになるような団体が。だが今は夜な上、人通りもほとんどないので見つかる事はないだろう。

 

 一行は、道なりにその上空を飛んでいた。トリステイン軍が拠点としている城へ向かって。直線で行けばずっと早く着くのだが、そこまで正確に場所が分かっている訳でもないので、こうするしかなかった。なるべく急ぐというので、ハルケギニアでは結構速め。地球で言う時速400km/h程度。大人の風竜とまではいかないが、火竜の最高速度の倍以上。しかもそれが巡航速度なのだ。まだ子供のシルフィードではこの速度にはついてこられないのでどうしたかというと、衣玖が抱えていた。竜繋がりと言う訳ではないのだが。パチュリーは、こあがぶら下げているブランコのようなものに乗っている。こっちは健康上の問題があって。

 一方、ルイズ達はどうしているかというと、3メイルほどの要石の上に乗っていた。自分の分も含め、全部飛ばしているのが天子。契約してから調子がいいので、この程度は大したことないそうだ。

 

 この時速400km/hという速度。訓練された竜騎士でもなければ、まともに風を受けきれない。普通の人間では吹き飛ばされる。だが全員平然としていた。みなが結界や防御魔法、空気の制御や障壁を築いたりと、各々の能力で風を防いでいた。そんな訳で、この高速でありながら要石の上にいるルイズ達は、無風状態にあった。キュルケとタバサはこの状態にただただ感心。シルフィードで飛び回って、この風の問題にはいつも悩まされるのもあって。

 

 キュルケはこの状態に慣れてくると、いくつもの聞きたいことが頭に浮かんできた。さっそくルイズに声をかける。

 

「ねえ。あの人たち紹介してくれない?」

「えっ!?今、呼んでくるの?」

「そうじゃなくって、素性とか教えてって話」

「ああ、そういう事」

 

 ルイズは納得すると、話しはじめようとする。キュルケの顔に好奇心が浮かんでいるのが分かる。それだけじゃない。こういう時は、大抵本を読んで時間を潰しているタバサが、本を閉じたままルイズの方を向いていた。

 ルイズは口を開いた。

 

「えっとね。驚かないでよ。ほとんど人間じゃないわ」

「えっ!?妖魔って、あの翼人だけじゃないの?」

「妖魔とも違うんだけど……。人間は、彼女だけ。あの黒い大きな帽子かぶった、おとぎ話みたいなの。名前は霧雨魔理沙」

 

 そう言って魔理沙を指さす。

 

「メイジよ」

「マントも杖もないわよ」

「だって異世界だもの。魔法を使うって言ってもいろいろ違うわ」

「そうなの。魔法を使えるって貴族なの彼女?」

「えーっとね、とりあえずそれは置いといて。長くなるから。それと彼女、お調子者でガサツな性格だから。言ってる事を、あまり真に受けないでね」

「そう」

 

 ちょっと難しい顔のキュルケ。人を振り回すのは好きだが、振り回されるのはあまり好きではない。お調子者でガサツという事は、人を振り回すタイプという事だ。要注意と彼女は思った。

 次にルイズはパチュリーを指す。

 

「一番世話になったのが彼女。パチュリー・ノーレッジ。メイジよ。ただし人間じゃないわ。あー見えても100歳以上なの」

「え!100歳!?」

「そうよ。だいたい幻想郷には100歳超えなんてゴロゴロしてたわ。それどころか1000歳、万歳までいるって聞いたわ」

「…………」

 

 キュルケ達には言葉がない。万歳とか言ったら、始祖ブリミル以前の存在ではないかと。オールド・オスマンが100歳以上とか言われ、妖魔か何かのような影口を叩かれる事もあったが、異世界から見るとただの凡人レベルなのかとちょっと驚愕。

 ルイズは話を続ける。

 

「タバサには、厳しい事言ってたけど、根はいい人よ。無愛想な所があるけどね。あ、それと読書マニア」

「そうなの、意外にタバサと気が合うかもしれないわね」

 

 タバサはパチュリーの方をおもむろに向く。そのパチュリー。まるでいつものタバサと同じように、本を読んでいた。わずかに口元が緩むタバサだった。

 そしてルイズはパチュリーの上を指さす。彼女が乗っているブランコをぶら下げているこうもり翼の翼人を。

 

「あの子はこあ。悪魔よ」

「悪魔って……。そんなに性格が悪いの?彼女」

「そうじゃないわよ、本物の悪魔って事。聖典に載ってる天使と悪魔の悪魔」

「えーー!?」

 

 思わず声を上げてしまうキュルケ。タバサもその目が見開いていた。

 

「悪魔って……悪魔?」

「そう。悪魔。それでパチュリーの使い魔よ」

 

 もう一度キュルケ達はパチュリーを見る。悪魔を使い魔にするなんて、何者だと。メイジどころではない。

 そんな二人に構わず、ルイズは続ける。

 

「とは言っても基本的にはいい人よ」

「悪魔がいい人?何言ってんの?」

「そう思っちゃうわよね。私も最初はそうだったし。とにかくそうなの。それに、そんなに強い悪魔じゃないから、警戒しなくてもいいわ」

「そうかもしれないけど……」

 

 不安にならずにはいられないキュルケ達だった。

 次は人形と共に飛んでいるアリスだった。

 

「彼女はアリス・マーガトロイド。メイジよ。彼女も人間じゃないわ。人形操作を得意としててね。こっちに来たのは、その人形の研究のためなの」

「人形ってガーゴイルとか、使うの?」

「逆、ガーゴイルを研究したいんですって」

「へー。なんか今まで聞いた人より、一番メイジらしいわね」

「そうね。この中では一番、ハルケギニアのメイジに近いと思うわ」

 

 もっとも魔法自体は、パチュリーの方が近いのだが。

 そして残った内の難物その1。烏天狗。

 

「えっとね、彼女は射命丸文。見ての通り人間じゃないわ。烏天狗って種族なの」

「翼人じゃないの?」

「翼人は幻想郷にはいないわ。羽があっても、いろいろ種族が違うのよ。こあにも羽があるけど悪魔なようにね」

「ふ~ん」

「で、職業は新聞の作成配布」

「妖魔に職業?新聞作り?何よそれ。どういう意味?」

 

 キュルケ達には妖魔と職業という言葉がまるでしっくりこない。笑顔で翼人が印刷業を営んで、店頭で本を売っているような、シュールなイメージが頭を巡る。そして、それはないと、自分でツッコミを入れていた。

 一方、細かい事言いだしたら終わらないので、ルイズは流す。

 

「いいから、そこは置いといて」

「後で聞くわよ」

「分かったわよ。それで人柄にいろいろ問題があるわ。好奇心旺盛、表裏がある、自分本位、打算的。そんな性格だけど、能力もかなり高いの」

「うわー……。厄介そうね」

「だから、何を話すにしても、彼女の考えを読むくらいのつもりでいた方がいいわよ」

「疲れるから、相手にしない方がよさそう」

 

 キュルケは最初に話し掛けられた時の、ふてぶてしさを感じる笑顔を思い出していた。

 さらに難物の二人目。天人。

 

「比那名居天子。で、私の使い魔なのよ」

「あ、言ってたわね。使い魔持てたのね」

「苦労したわ。いろいろと……」

 

 ルイズはしみじみと天子の無理難題を思い出す。そんなルイズを他所にキュルケの質問は続く。

 

「でもあの時の会話聞いてると、結構癖がありそうに思えるんだけど」

「その通りよ!自分勝手で気分屋!その癖変な所で気位が高くって……」

「ふふ、なんか前のあなたみたい」

「私はそんなんじゃ、なかったわよ!」

「でもそれで、やってけるの?主として」

「それが不安なのよね。言う事聞きそうにないし。勝手な事やりそうだし。どうしよう……」

 

 突然に悩んで落ち込むルイズ。キュルケにとってはいじるネタにしかならないが。それはともかくここは疑問が前に出る。

 

「それで、彼女も人間じゃないんでしょ?」

「そうよ……。天人なの」

「天人って?」

「えっと……天使」

「天使?」

「天使と悪魔の天使よ」

「え!?えーー!」

 

 二度目の叫び。タバサの方も目を見開いて固まっていた。今度は天使の登場とは。

 もちろん天人と天使は違うのだが、ルイズはもう面倒くさくなって、説明しやすいのを選んでしまった。

 キュルケとタバサが唖然としている所で、最後の相手。シルフィードを抱えている、竜宮の使い。

 

「さっき初めて会ったばかりだからよく知らないのよね。えっと……永江衣玖?だったかしら」

「初めて会ったってどういう事?」

「天子を追っかけて来たらしくって、運悪くこっちに来ちゃった?みたいなの」

「ふ~ん……。彼女も人間じゃないのよね」

「なんか天使らしいわよ。神の伝令をやってるとか言ってたし」

「えっ!?か、神の伝令!?」

 

 またも天使の出現に、三度目の叫びを上げそうになった。ちなみに、衣玖は出発する時に翻訳魔法をかけてもらった。ようやく言葉が通じるようになっている。

 

 キュルケは、月光の晒されたこの情景を見て、いったいどういう集団だと思ってしまう。人間のメイジに、人外のメイジが二人、悪魔に天使二人、そして職業持っている妙な翼人みたいなの。キュルケもタバサも、常識という言葉が崩れそうになっていた。ルイズはこんな混沌とした世界にいたのかと、驚くしかない。これなら人が変わっても不思議はないと思ってしまった。

 

 しばらく会話を弾ませていると、眼下に城塞都市が見えだした。目的地にたどり着いた。空にはまだまだ月が上っている。さすがに早い。もし馬なら一日半以上。シルフィードでも、着いた頃には夜が明けていただろう。幻想郷の連中の飛行能力は、半端じゃなかった。

 一同はやや城から離れた場所に降りる。このメンバーで城に突入すれば、混乱間違いなしなのもあって。

 

 

 

 

 

 

 トリステイン軍が集結している街の前。そこに一人の少女の姿があった。

 

「ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールがまかり越しました。アンリエッタ・ド・トリステイン殿下への謁見をお許しいただきたい!」

 

 月夜の中、ルイズは街を囲む城壁の門の前で大きな声を張り上げる。すると城壁上の出窓から見張りの兵が顔を出した。その顔は明らかに疑っている。

 

「ヴァリエール公爵の三女ともあろう方が、このような夜更けにたった一人で何用ですか!?」

「祖国存亡の危機と知り、参戦のお許しをいただきに参りました!」

「お一人で、ですか!」

「助力してくれる者たちを連れております!ただ今は別の場所で待たせております!」

 

 と言っても、見張りの兵は表情を緩めない。それも当然。確かに貴族の子女のように見えるが、それだけに真夜中にたった一人で、最前線にやってくるなんてどう考えてもおかしい。しかも辺りを見ると幻獣はもちろん馬すらない。ここは隣町からかなりの距離のある街。乗り物なしに来られなくはないが、貴族が付き人もなしに、そんな距離を徒歩で来たという事になる。見張りは益々疑いの目を濃くすると、話しかける。

 

「ヴァリエール公爵が三女様との証がなくば、門を開く訳にはまいりません!」

 

 ルイズは、まあこうなるだろうとは思った。今ので開けたら、逆にトリステイン軍に幻滅してしまう。だが取って置きの秘策があった。

 

「ならば姫殿下にお伝えください!アミアン包囲戦はルイズの勝ちで、クリーム菓子争奪戦も私の勝ちでしたと!」

「な、なんですと……?」

「ですから、アミアン包囲戦はルイズの勝ちで、クリーム菓子争奪戦も私の勝ちでしたと!」

「?」

 

 意味が分からないという顔をすると、見張りは引っ込んだ。すると今度出てきたのは隊長らしき人物。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様と申されましたか。ただ今の口上、もう一度お願いいたします」

 

 ルイズは三度、同じ事を言う。隊長はそれを書き留めた。

 

「しばしお待ちを」

 

 そう言って、引っ込んだ。ルイズはようやく一息つく。隊長は今の口上を、密偵の合言葉か何かと思ったのだろう。確かにそうとも言える。アミアン包囲戦はルイズが幼いとき、王女アンリエッタとの遊びだったものだ。これを知っているのは幼馴染の二人だけなのだから。

 

 静まり返った門の前で、空を見上げる。戻ってくる直前は、学院でどう言い訳するかを考えていたのに、まさかこんな事になっているとは。幻想郷に召喚された時もそうだが、世の中とはままならないものだなんて思ってしまう。

 やがて、鈍い音が門からした。だんだんと跳ね橋が降りてくる。そしてズンと重い音を立てて、完全に開いた。橋の先の門がゆっくりと開くと、近衛兵が数人出てきた。その隊長らしき人物が近づいてくる。ショートの金髪をパッツンと切りそろえた女性。やけにキツイ目が印象的だった。

 

 彼女の名は、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン。元平民の騎士で、近衛である銃士隊の隊長だ。元々は宰相、マザリーニ枢機卿が、レコン・キスタの活動を懸念し実験部隊として設立。平民部隊の戦闘力を底上げするのが目的だった。坊主の暇つぶしと陰口を叩かれながらも、なかなかの成果を見せていた。だが、ラ・ロシェール攻防戦で、グリフォン隊が壊滅。その不足を補うため、急遽アンリエッタの命で近衛に昇格したのだった。

 アニエスは厳しい顔つきのまま、語り掛ける。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール殿。陛下が謁見をお許しになられました。お越しください」

「はい。え!?陛下?」

「ご存じありませんでしたか。アンリエッタ・ド・トリステイン陛下はほんの数日前、即位されました。何分、厳しい国情のため慌ただしく儀式をなされ、十分告知できませんでしたので、ご存じないのもやむを得ないかと」

「そうですか……」

 

 いきなりの即位に、アンリエッタの、トリステインの状況の想像以上の厳しさを噛みしめる。

 

 そのままアニエスと共に、街の中に入る。城への道を進む中。所々に立つ兵には緊張感に溢れた物々しさがあった。ここが戦地だと思い知る。

 やがて城の中へ案内され、ある部屋にたどり着く。そこは執務室ではなく、アンリエッタの寝室だった。突然の来訪に、準備する暇がなかったか、それほど自分に会いたかったか。とにかくルイズは久しぶりの面会に緊張する。しかも、ただの幼馴染との再会ではない。自分がここに来たのはアンリエッタを、ひいては国を救うために来た。

 

 そして扉が開くと、中へ案内された。すぐ目に入ったのは、栗色の髪と白い肌。幼い頃からは見違えた女性らしいフォルム。だが今でもあの懐かしい姫その人である事には違いない。

 

「姫様……」

「ル、ルイズ!本当にルイズなのですね!」

「はい!姫……じゃなくって陛下!」

 

 アンリエッタはルイズの声が耳に届くと、駆け寄ってくる。吸い寄せられると言わんばかりに。そしてその小さな体を抱きしめた。

 

「ルイズ、本当にルイズだわ。信じられない」

「陛下……」

 

 震える声を漏らすアンリエッタを、ルイズも抱きしめる。

 

「ホント、どこに行ってたの?」

「ご心配をおかけ、申し訳ありません。わざわざ学院にお越しになり、探されたとか」

「そうですよ。公爵といっしょに。見つからない時には、どうしようかと思ったわ。ああ、でも良かった。ルイズは戻ってきてくれて。今ほど始祖ブリミルに感謝してる時はないわ」

「陛下……」

 

 ルイズはその腕に力を込める。

 やがてアンリエッタはルイズを放すと、すっと背筋を伸ばした。その目頭には光るものがあったが、それを拭う。そして人払いをすると、ルイズを椅子へと案内し、自分も正面に座る。

 

「あなたが今になって現れるなんて、何かの天啓かもしれません。しかし、あなたはここにはいてはなりません。すぐにヴァリエール公爵の元へ向かいなさい」

「カトレア姉さまの事でしょうか?」

「知っていたの?」

「こちらに戻って来た時、伺いました」

「でしたら、何故ここに?」

「陛下のため、そして祖国のためです!」

 

 ルイズは張りつめた表情を、アンリエッタに向ける。祖国を守るという決意を。しかしアンリエッタは、どこか悲しいものを浮かべる。

 

「ルイズ。あなたにあやまらなくてはなりません」

「え?それはいったい……」

「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵。あなたの許嫁でしたよね」

「姫……でなくて陛下!な、なんで今、そ、そんな話を……」

「行方不明となりました」

「え……」

 

 ルイズ、言葉に詰まる。ワルドは親同士が決めた婚約者だが、幼い頃に見た時からずっと憧れていた存在だ。愛しているかと言われるとハッキリ言えないものの、彼との結婚はそう悪い気はしなかった。だがそんな彼が行方不明。いったいどういう事なのか。その答えをアンリエッタが告げる。

 

「実は彼は密命を帯びて、アルビオンに潜入してました。その密命はわたくしの軽率な行動のためです」

「恋文回収……でしょうか?」

「それも知っていたのね」

「はい」

「そうです。その恋文を回収するため、アルビオンに入りました。ですがその後連絡が途絶えたのです」

「そ、それでは……」

「おそらく討ち取られたかと」

「…………」

 

 返す言葉がない。キュルケに聞いたものが不幸の全てと思っていたルイズには、まさに追い討ちだった。床を見つめたまま、動かない。

 

「ルイズ。今、街道をヴァリエール公爵がここへ合流するため進軍中です。街道を逆に進めば、公爵と会えるでしょう。ご両親に無事をしらせて安心させてあげるのです。そして故郷へお帰りなさい」

「し、しかし……」

「王であるわたくしが口にしてはならないでしょうが、このトリステインはもはや風前の灯。しかし、わたくしは王としての務めを果たしたいと思います。でも、あなたは違うわ。ですから……」

 

 そこまで聞いてルイズは、キッと顔を上げる。

 

「陛下!一国の主ともあろうお方が、軽々にあきらめてはなりません。知恵をしぼり、あるいは助力を求め、力を尽くせば、閉じるようとしている道も開けます!」

「もはや絞る知恵もありません。肝心の助力も絶たれました」

「あります!助力はあります!」

「どこにですか?ガリアやロマリアが、この哀れな国に手を貸すと?」

「いえ、私です!」

「ルイズ……」

 

 アンリエッタからすれば、嬉しくも無邪気な申し出。彼女は、歓喜と悲哀が混ざり合ったような表情を浮かべていた。だが、ルイズは気休めのためにそんな事を言っている訳ではない。実のあるものとして進言していた。

 

「実は陛下。私は……」

 

 そこまで言いかけて言葉が止まる。窓の外から騒がしさが耳に入る。ルイズは察する。まさかもうアルビオン軍が動き出したかと。慌てて窓の方へ向かった。

 

 

 

 

 

 一方、ルイズがアンリエッタと面会している最中。留守番を言いつけられた面々は空へ浮いていた。と言ってもここにいるのは二人と二匹だけ。キュルケとタバサ、シルフィードにフレイム。残りの連中はどうしたかというと、勝手に城に向かって飛んで行ってしまった。

 

「何やってんの?彼女達」

 

 キュルケはシルフィードの上でタバサに尋ねる。一方タバサは遠見の魔法で様子を伺っていた。

 

「ねぇ。どうなってんのよ」

「戦ってる」

「えっ!?もしかして、もうアルビオン軍が来たの!?」

「違う」

 

 あっさりタバサはそう行った。キュルケに嫌な予感が走る。

 

「それじゃ、何と戦ってるの?」

「トリステイン軍と」

「な……」

 

 さすがのキュルケも言葉がなかった。

 

 ルイズは窓の外を見て唖然としていた。その見慣れた光景に。弾が飛び交っていた。途切れる様子のまるでない『弾幕』が。トリステイン軍はまさに大混乱と化していた。

 

 

 

 




 幻想郷の面々の飛行速度は、儚月抄の月一周からなんとなく。レミリアを音速超え程度として、それを基準に。儚月抄を額面通りに取ると、音速どころではないのですが。
 銃士隊はその前身がある事にしました。わずかな期間で達人クラスの銃の使い手が集まるというのも妙と思ったので。


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大騒ぎと安堵

 

 

 

 

 窓の外のトリステイン軍は大混乱。喧噪があちこちから聞こえてくる。そんな中、ここにも混乱してそれを眺めている者がいた。トリステイン国王、アンリエッタ・ド・トリステイン。彼女もまさしく大混乱そのもの。一体何が起こっているのか理解不能。

 だがこのトリステイン国民の中で一人だけ、混乱してないものがいた。目の前で起こっている光景が、なんだか彼女だけは分かっていた。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。突然現れた、女王の幼馴染。彼女の中にあったのは、ドが付く怒り。

 その時、もはや殴ると言った方が近い激しいノックの音がした。

 

「陛下!」

「入りなさい」

「失礼いたします」

 

 扉を開けて入って来たのは、さっきルイズを紹介した銃士隊隊長アニエスだった。アンリエッタはさっそく尋ねる。

 

「あれは何なのですか?アルビオン軍の奇襲ですか?」

「それが、分りません。何やら二つほどの飛行物が光を発してるようです」

「飛行物?竜騎士ですか?」

「いえ。遠見の魔法で観察した者からの報告では……」

「なんですか」

「その……タコかクラゲのようなものが見えると……」

 

 アンリエッタは呆気にとられる。いったいなんの冗談かと。

 

 だがルイズはそれを聞いてだいたい分かった。タコかクラゲ。丸いものに足が付いている似たような形。片方はおそらく天子に違いないと確信した。要石には注連縄が巻かれているが、縄には紙垂がぶらさがっている。それが足に見えたのだと。ただ残りの方は分らない。そんなふうに見える者が思いつかない。

 

 ともかくアンリエッタはアニエスの説明に、さらに首を傾げるばかり。空飛ぶタコかクラゲとはふざけているようにしか思えない。

 

「それはいったいどういう意味ですか!?」

「分りかねます」

「敵の姿も認識できないとは、いったい何をしているのです!」

「なにぶん、混乱しているもので……。ハッキリと確認され次第、すぐにでもご報告に参ります」

「そうだわ。我が軍の竜騎士は、どうしているのです!?」

「飛び立ったとの報告は受けておりません。それにあの様子では、近づくのも難しいかと。ともかく、ここにいるのは危険です。安全な場所へ退避を」

「……。分りました」

 

 一方のルイズは、二人のやり取りがまるで耳に入らない。それほど怒り心頭だった。絶対来るなと言っておいたのに、この有様。だがあえて落ち度を考えるなら、天子を抑えて置くように全員に言っておくべきだった事だろう。文も人のいう事聞くようなタイプではないが、取引次第では協力的になる。しかし天子はどうしようもない。使い魔だというのに、あのメンバーで一番制御不能だった。

 

 ふとその時、自分を呼ぶ声に気づく。

 

「……ルイズ!」

「あ、えっと、姫……陛下。なんでしょうか?」

「行きますよ」

「どこへ?」

「どうしたのですか?しっかりなさい!敵が迫っているのですよ!」

「その……あの……」

 

 ルイズの頭が急いで回りだす。たぶん天子は自分を目指している。このままどこかへ行っても無意味だ。むしろ混乱をさらに広げてしまう。しかし、この場にやってきたとしても、どう誤解を解くのか思いつかない。

 

 そんなまごまごしているルイズに、アンリエッタがついに怒った。

 

「ルイズ!いい加減になさい!」

「は、はい……!」

 

 しかたなく、ここは従おうとした。

 その時、

 窓の外に轟音と共に光の奔流が現れた。極太の光の束が。それが城をかすめていく。同時に響く鼓膜を突き刺す轟音。

 強烈な光に寝室が照らされる。ますます混乱しだすアンリエッタとアニエス。いったい何が起こっているのか。もうアルビオン軍とか、そういうものではないというのが直観的に感じ取れた。何か異様な違和感が、頭の中を駆け巡っていた。

 一方、ルイズも別の意味で混乱していた。あの光の奔流。恋符『マスタースパーク』に違いないと。ついに魔理沙まで参戦かと、絶望的な気分になる。もうこれからどうなるか想像もつかない。

 

 

 

 

 

 トリステイン軍大混乱の少し前。ルイズが城に向かって大分経つ頃。留守番組は森の一角で退屈していた。

 

「なかなか帰ってこないな」

「そりゃぁ時間がかかるわよ。今までいなかったのがいきなり現れたんだから」

 

 魔理沙とアリスは木に寄りかかりながら、言葉を交わす。

 各々が自由に時間を潰していたが、少々飽きてきていた。ふとアリスはキュルケの方を見る。

 

「そう言えば、お互い紹介もしてなかったわね」

「そ、そうね」

 

 少しばかり警戒するキュルケ。ルイズからほとんど人間ではないと聞いていたから。ハルケギニアでは、非人間=敵、と教育されているので、拒否反応が出てしまうのは無理もなかった。もちろん、飛んでいる最中の話から人間っぽい面もあるのは分かっていても、そう簡単には受け入れられない。さらにタバサの心を読んだ時の、畏怖の感覚が未だに残っているのもあって。

 

 アリスはそんなキュルケの様子に構わず、紹介をはじめる。そしてキュルケ達も。もっとも幻想郷メンバーの中には、急かされて粗雑に紹介した連中もいたが。パチュリー、天子辺りが。

 

 やがて会話が止まる。タバサはいつもの通り本を読んで、キュルケもはまだまだ慣れてないのもあって。微妙な空気が流れる中、要石の上でゴロゴロしていた天子が、急に飛び森の上に出る。その次に、彼女の何やら不穏な空気を感じた衣玖が飛ぶ。

 

「どうされたんですか?総領娘様」

「ん~……、ちょっとね。妙な気を感じるの」

「……変わったものは感じませんが」

「ルイズの気に近いかな」

「私には分りかねますが……」

 

 空気を読むと言っても直接気が読める訳ではないので、衣玖には天子の感じているものがよく分らなかった。一方、ルイズの気と聞いて、魔理沙達も上がる。いっしょにこあも付いていく。

 

「ルイズの気って、戻って来たのか?」

「そうじゃないわ。あの子の中にあったっていうか……」

 

 するとすかさずアリスが声を挟む。

 

「え!?それってもしかして……」

「封印の鍵じゃないかしら」

 

 パチュリーが言葉を添える。そして三人の魔女はお互いを見やった。上の連中の緊迫した雰囲気を感じると、烏天狗がにやり。ギュンと飛んで、すぐ側に寄って来た。

 

「何やらいいネタの匂いがしますね」

「まあ、いいネタかもな。そのネタと交換条件で貸し一つな」

「いいでしょう。それでネタはどこに」

「とりあえずは、天子次第だ」

 

 魔理沙の制止に、ひとまずおとなしくなる文。一方天子は。

 

「う~ん……よく分らないわね。行ってみれば分かるでしょ」

 

 そう言って天子は城へ進み始めた。

 

「ゲッ……!」

 

 だが、途中で襟首を掴まれた。衣玖に。

 

「ゲホッ、ゲホッ。な、何すんのよ!」

「お待ちください」

「何で!?」

「ルイズさんから、何があっても自分が戻って来るまでは動かないように言われていたハズです」

「はぁ……分かったわ」

 

 うなだれる天子。彼女はおとなしく……。

 

「なんてね!」

 

 する訳なかった。

 急加速で城へとすっ飛ぶ。要石に乗ったまま。

 

「全く……」

 

 衣玖も急加速して追っかける。

 魔理沙達は呆れていたが、一方でいつも通りの天子とも思った。やがて二人を追っかけていく。

 

 残されたキュルケ達は訳も分からず、空を見上げていた。さっきの様子を見ていると、何やら問題が起こったらしいのは分かる。ふと思いつく。

 

「もしかして……、アルビオン軍が来たんじゃないの?」

 

 それを聞いたタバサは、シルフィードを呼ぶ。そしてキュルケとフレイムを乗せると、空へ上がった。その後は、想像とはまるで違うものを見ることになるのだが。

 

 

 

 

 

「総領娘様!」

 

 衣玖は言葉と共に、通常弾幕を展開。だが弾幕ごっこの宣言もないので、天子は自在に回避。同時に天子も反撃。無軌道に飛びあうお互いが、さらに弾幕の軌道を乱れさせる。まさに弾幕がばら撒かれている状態。

 

 一方、トリステインが駐留している城では。城壁の上の見張りが、先の方に奇妙な光を発見した。

 

「ん?何だ?」

 

 と思ったら、光の雨が降り注いできた。

 光の弾は、城壁を叩き、見張り小屋を叩き、哨戒の兵を叩く。

 

「て、敵襲!」

 

 わけが分からない兵達は、下へ向かって叫んでいた。一斉にざわめき立つ。誰もがアルビオン軍がもう来たと考えた。寝ている兵を起こし、武器を取り、配置に付こうとする。城や街の中は騒然となった。外を慌ただしく駆け回っている彼らが、ふと気づいた。頭上に溢れる光の群れに。

 

「な、なんだあれは!?」

「アルビオンの新魔法か!?」

 

 茫然と空に舞光の群れを見る。月明かりしかない真夜中、光を打ち出しているそのものはよく見えない。そのため闇夜から突然光が現れ、無軌道に飛んで行っているように見えた。その状況をどう捉えていいのか分かる者は一人もいなかった。しかもそれだけではない。

 

「ぐぁっ!」

「うっ!」

「回避!建物に隠れろ!」

 

 光る弾は、自分たちに降り注いできていた。

 ある者は盾で防ぎながら、ある者はひたすら駆け足で、建物の中へと滑り込む。もうパニック。地球で言えば、戦場に突然UFOが現れ、攻撃しだしたかのような混乱ぶり。ちなみに弾幕ごっこ用の光弾なので、当たっても痛いだけ。精々怪我が関の山。

 

 目を見開いたまま兵は空を指さして、尋ねる。この状況を説明してくれと言わんばかりに。

 

「た、隊長!あれはなんですか!」

「と、とにかく攻撃しろ!」

「で、ですが……」

「トリステインにあんなものはない!ならばあれは敵だ!」

「は、はっ!」

 

 兵達は一斉に建物から出ると、矢、銃、魔法を放つ。光の群れに。しかしこの闇夜。目標がハッキリ見えないため、半ばやけくそ気味に空へ向かって撃っていた。不安から逃げ出したいかのように。

 

「ん?」

 

 衣玖の攻撃をかわしながら飛んでいる天子に、攻撃が届く。というかほとんど流れ弾と言ってもいいが。もっとも天子には一発も当たってない。要石の上に乗っているので、その攻撃は全部石に防がれていた。

 一方の衣玖。空気を読んで見事に全てを避けていく。すると弾幕を止めた。別に下に迷惑がかかると思ったからではない。こうなると弾幕を発しているのは天子だけ。攻撃が集中するのを考えての手。だが、それが裏目に出た。

 

「あ~!うざったいわね!」

 

 攻撃の密度が上がって来て、天子はイライラしてきた。そして……。

 

「気性『勇気凛々の剣』!」

 

 スペルカード宣言!突如、月夜の空に赤い光弾が溢れかえった!大小まさに無数の『弾幕』が。空を見上げていた兵達は、なんとも言えぬ絶望感に襲われていた。

 

 一方少し離れた空で、飛び交う弾幕を見ているアリス達。

 

「ちょ、ちょっと、マズイんじゃない?」

「そうね」

 

 アリスの慌てた声に、パチュリーが平然と返す。

 天子達の後をゆっくり追いかけていた彼女達、城壁内で広がる赤い光に眉をひそめる。あまり他人のトラブルに頓着しない幻想郷の住人だが、自分たちが火の粉を浴びそうとなるなら別だ。このままでは確実に、魔法研究に支障が出る事態になりそうだった。

 するとパチュリーが横を向いた。

 

「魔理沙。お願い」

「ちっ、しゃーねぇなぁ」

 

 そして懐から、いつもの取って置きを出す。八卦炉を。

 

「恋符『マスタァァァスパーク』!」

 

 極太レーザーが轟音と共に天を走る。

 

 そのわずか前。赤い光弾にさらされる城下。兵隊は空に向けていた矢を、銃を、魔法を止めていた。溢れかえる赤い光弾を前にして。しかもそれは、兵達に迫ってきていた。さっきとは比較にならない数。もはや攻撃どころではない。兵達は武器を捨て、一目散に逃げ出した。貴族の中には杖すら放り投げて、走り出すものも。

 

 だが、突然、轟音が空に響く。

 

 兵達が振り返った先には、巨大な光の筋があった。赤い光弾の群を丸ごと飲み込むほどの、極太の輝く帯が。

 

 当たりを真っ白に染め上げるその光の束。強烈な閃光。誰しもが足を止めていた。やがて、光は止むと先ほどの赤い光弾は影も形もなくなっていた。すると何かとんでもない速度で飛んでくるものが、いくつか視界を通り過ぎる。もっともほとんどの兵はそのあまりの速さに、錯覚かと思っていたが。そしていつもの月夜が戻っていた。ついさっきまであった光の乱舞が嘘だったように、そこには何もなかった。

 

「なん……だったんだ」

 

 兵達は唖然として、ただ空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 白光の巨大な筋が空を貫いた時、誰もが絶望的な気分に落ちていた。それは事情を知っているルイズさえ。

 だが、そこで全てが終わってしまった。

 空にはあれほどあった光の群れが、跡形もなくなっていた。元のままの月夜があるだけだった。茫然と三人は窓の外を見つめる。アンリエッタとアニエスは、集団幻覚にでもあったかのような気分だ。さっきの光景が本当にあったか確信が持てなくなるほどの。

 ルイズの方は一安心。さっきのマスタースパークは天子を止めるものだったらしい。魔理沙は参加したのではなく、逆だった。ちょっとお調子者の魔理沙にも意外な面がなんて思う。そして、安堵の溜息をもらそうとしたら……。

 

「あっ」

 

 ものすごい勢いで近づいて来るものが見えた。いや、一瞬で迫って来る。いや、もうそこ。

 突風が頭の上を通り過ぎた。部屋の中を掻き混ぜる。違う。風ではない。それが何なのかは彼女には分かっていた。ゆっくりとルイズは後ろを振り向く。

 

「よお、ルイズ」

 

 予想通り。おとぎ話メイジが、シュタッと右手であいさつしている。当然他の面々もいる。待っていろと言っておいたのに。キュルケとタバサがいない所を見ると、その通りにしていたのは彼女達だけらしい。

 

「あ、あんた達……」

 

 怒りに震える声が漏れだしてくる。怒鳴りつけてやろうと思ったその時。

 

「な、何者だ!」

 

 アニエスの緊張した声が響く。アンリエッタを守るように立ちふさがると、腰のマスケット銃を取り出し、手慣れた動きで弾と火薬を装填する。アンリエッタ自身も、愛用の杖を握り締めた。その様子を見て、今度はルイズの方に緊張が走る。パターンとしてはキュルケの時と同じなのだが、相手が大違い。ここにいるのは女王と近衛隊長なのだ。思わず、双方の間に立つ。

 

「あ、あの陛下、こ、こ、この者達は敵ではありません!そ、その味方なのです!」

 

 アンリエッタ達にはルイズが何を言っているのか分らない。一瞬呆気にとられていたが、アニエスは彼女達の中にその姿を見つけると、厳しい目をルイズに向ける。

 

「こいつらが味方だと!?翼人がいるではないか!ミス・ヴァリエール、あなたはいったい何を御前に連れ込んだ!」

「え、えっと……その……」

「返答次第では、あなたも捕縛する!」

 

 しどろもどろのルイズ。言葉が続かないというか、丸く収める方法が思いつかない。

 一方、幻想郷の面々は、またこの展開かと疲れた顔をしていた。そして翼人、翼人だ。次からは翼は、なんとかした方がよさそうだと考えていた。

 アニエスはアンリエッタを守りながら、出口へ向かおうとしていた。同時に応援を呼ぶ。

 

「賊だ!陛下をお守りしろ!」

 

 しかしその声に答えるものはいなかった。すぐ扉の外には兵がいるはずなのに。

 

「いったいどうしたというのだ!?」

 

 苛立つアニエス。ルイズはだいたい予想がついた。またパチュリーが結界を張ったのだろう。キュルケの時と同じ展開になると思って。だがこのままでは膠着状態が続くだけだ。いや、どちらかがやがてそれを破るだろう。

 ルイズは二人の前に立つと、膝を折る。

 

「陛下!このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールをお信じください!幼き頃の友をお信じください!」

「何を申され……」

 

 一喝しようかとルイズを睨みつけるアニエスを、アンリエッタが抑えた。

 

「どういう事なのか、話してください」

 

 即されるままルイズは、簡単にいきさつを話す。異世界に行っていた事。後ろの連中はその時世話になった者である事。彼女自身はついさっき戻ってきた事。そして……。

 

「先ほど申しました、助力とは彼女達の事です!」

「!?」

 

 アンリエッタもアニエスもその言葉に目を丸くする。いったい何を言いだすのだと。しかもよりによって翼人とその仲間に助けを頼んだのかと。公爵家の娘が。

 唖然としていたアンリエッタ。だが次に出てきたのは落胆だった。翼人と手を組んだという意味ではない。このわずかな人数を当てにした事にだった。

 さっきの彼女の話が真実だとしても、ここにいるのはわずか7人。万を超す軍隊を、この人数でどうするというのか。もしかしたら全員先住魔法の使い手かもしれない。それでもどうにかなるとは思えない。先住魔法の使い手は、十倍の戦力と同等という話があるが、アルビオン軍は十倍どころではない。

 ルイズが帰ってくれば国は存亡の危機。ルイズはその窮地に、血迷ってしまったのではないかとすら思ってしまうアンリエッタだった。

 

「ルイズ……。あなたの国を思う気持ち、確かに分りました。しかし、やはりあなたは公爵の元へ向かいなさい」

「へ、陛下!」

 

 顔を上げたルイズに悲壮感が走る。自分を信じてくれないのかと。いや、まだ言葉が足らないのかと。こんな状況で信じてもらうにはどうすればと、頭を必死に巡らす。しかし何も出てこない。ただその目で訴えるのが精いっぱいだった。

 

 一方、この様子を見ていたパチュリーは溜息。そんなパチュリーをアリスがこづく。キュルケの時のようにやれと。またかと少しうんざりの魔法使い。仕様がなしに口を開く。

 

「えっと、いいかしら」

 

 突然話し出した紫寝間着に、アンリエッタ達の緊張が再び膨らみだす。しかしパチュリーお構いなし。

 

「状況を確認するけど、今、トリステイン軍はとんでもなく劣勢で、このままだとアルビオン軍に負けるのよね」

「貴様、何を言うか!」

「いいから答えなさい。このまま睨みあっても、時間の無駄でしょ?」

「…………。戦はやってみねば分らん」

「つまり希望的観測が頼りなのね。それじゃ負けるわね」

「な、何!」

 

 激高するアニエスを、またもアンリエッタが抑える。

 

「あなたが何者か存じませんが、その通りです。このままではトリステインはほどなく滅びるでしょう」

「分かったわ。なら、あなたに勝つ気があるかよね。それはどう?」

「……。それは……もちろん」

 

 だがそこに口が挟まれる。不貞腐れている少女をさっきから抱えている女性から。衣玖だった。

 ちなみに、タコかクラゲに見えた片割れなのだが、それは天女の羽衣のせいだった。衣玖は長い羽衣を羽織っている。それが舞っている最中に円形になっていたのをたまたま見て、半透明の球形の体と勘違いしていた。

 

 衣玖は天子を下ろしながら答える。

 

「そうでもないようですよ。気持ち半ばと言った所でしょうか」

 

 アンリエッタの心中を暴露。衣玖自身は場を読んだつもりだったのだが。

 それを聞いていたトリステインの二人の仕草は分れた。アニエスは主をバカにする不届き者という態度だったが、ルイズは違っていた。学院で衣玖の能力はすでに見ているので。

 ルイズは考える。何故女王たるアンリエッタに勝つ気がそれほどないのか?するとふと思いついた。彼女はそれを口にする。

 

「陛下。ここでお命を落としても、ウェールズ殿下の元へ旅立つだけ、などとお考えではありませんか?」

「……!」

 

 アンリエッタには言葉がない。一方アニエスは激怒。

 

「ミス・ヴァリエール!いくら陛下と旧知の仲とはいえ、その言いぐさ!無礼であろう!」

 

 しかしルイズは止めない。

 

「陛下のご心痛がどれほどのものかは、未熟な私には分りません。ですが幼き日の友人としてなら、そのお心の助けになると信じています。陛下を支えたいと思っています。姫様。全てをお一人で抱えずとも、もう少し助けを求めてもよろしいのではないでしょうか?その気持ちがおありなら、このルイズ。姫様のその気持ち、受け止めたいとの所存です」

「ルイズ……」

 

 アンリエッタの目に映るルイズは、あの幼き頃のものよりずいぶんと凛々しくなっていた。確かにあの遊びに夢中になっていた時とは自分も彼女も違う。だが彼女はそれは、自分よりも一歩前に進んでいるかのように見える。けれども、あの頃、心交わした唯一の少女でもあった。

 彼女はルイズを抱きしめると、声を殺して泣き伏せた。溜まったものを全て解き放つように。アンリエッタをやさしく抱えながらルイズは、思い出していた。幻想郷での事を。彼女自身も魔法が使えないというコンプレックスから、一人でなんとかしようともがいていた。ハルケギニアにいた頃から。そんな彼女にパチュリー達からの友人という言葉とても眩しく、力強い助けにも思えたものだった。そして今度は自分が、心を通わせる事のできる女王を支える番だと自覚した。

 

 やがてアンリエッタは落ち着くと、ルイズから離れる。

 

「ごめんなさい。ありがとうルイズ」

「たった一人の幼馴染のためですから」

「うん……」

 

 そしてアンリエッタは涙を拭くと、元の女王の顔に戻った。だが、その表情はさっきまでのものとは違い、どこか力強さを纏っていた。どこか吹っ切れた顔となったアンリエッタを、ルイズは見上げる。そこにある姿に今までと違う力強さを感じながら。

 ここで思い出したように忠告を一つ。

 

「あ、そうだ。陛下。この者たちの前では嘘はつけませんので。お言葉にはお気を付けなさるよう」

「それで先ほどの……。もしかして心を読んでいるのですか?」

「よく分りませんが、そのようです」

「…………」

 

 アンリエッタもアニエスも驚愕する。さっきそれを体験したばかりなのもあって、言葉にされるとさらに明瞭な驚きとなっていた。そして、さっき聞いた異世界というのは、あながちデタラメではないかもと思い始めていた。

 すると、ようやく話ができるとばかり魔女が口を開く。アンリエッタに対して。

 

「じゃぁ話を戻していいかしら?で結局、勝ちたい?」

「はい。今ならハッキリと言えます」

「分かったわ。それで私達はルイズとの個人的関係やら願望から、あなた達を支援していいと考えてるの。それはどう?」

「……。ルイズが頼みとしているあなた方ならば、わたくしも信じたいと思います。助力のほど、お願いいたします」

 

 彼女の言葉には迷いがなかった。それを収めたパチュリー達はわずかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 




 アニエス、原作よりは少しばかり場を踏まえた人に。原作のアニエスのルイズに対する言葉使いは、少々乱暴に思えたんで。公爵家の息女に対して、シュヴァリエであれはちょっとと。

 終盤、ちょっと加筆しました。


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出撃

 

 

 

 

 月夜のタルブの平原は、かがり火で照らされている天幕で埋められていた。アルビオン侵攻軍の本隊。その天幕の群れの中央に二本のポールが立っていた。一本には高々と、神聖アルビオン共和国の旗が翻っていた。もう一本には戦艦へ向けての指令、信号旗を上げるものだ。もっとも月明かり程度しかない夜では役に立たないが。

 二本のポールの中央、その根本にはやや大きめな天幕が張ってある。トリステイン侵攻軍の本部。落城した敵城など、もっと安全な場所に設置すべきものだ。だがラ・ロシェール攻防戦のためほとんどの城や砦が激しく損傷し、いつ崩れるか分からない状態にあった。このため自軍の野営地中心に本部を作った。

 

 まだまだ日の出には遠い深夜。ヘンリ・ボーウッドは本部天幕の入り口をくぐる。彼はアルビオン侵攻軍の旗艦『レキシントン』号の艦長であり、艦隊司令でもある。本来なら艦上にいなければならない彼だが、この地上に降りっぱなしであった。その原因は天幕の中にあった。

 

「おお、ボーウッド。順調かね」

 

 ワイングラスをかざすこの男。トリステイン侵攻軍総司令官、ジョンストンであった。だが総司令という肩書は持っているが、軍事においては全くの素人。まるで当てにならない。この役職も能力ではなく政治的立場から就いていた。そのためボーウッドが実質的な総司令官となっていた。しかも陸軍が増強された現在のアルビオン軍。彼が艦上にいるという訳にはいかなくなっていた。

 

「総司令閣下。グラスを傾けるのは勝利の後がよろしいかと」

「何、これ一杯だけだ。ただの景気づけだ。それで?」

「艦船の物資積み込みに多少の遅れがありますが、順調です。予定通り朝には出航できるでしょう」

「うむ。重畳、重畳」

 

 酒が入っているのもあって、やけに機嫌がいい。そんな彼に呆れるボーウッド。だがこの侵攻作戦が始まってからは、いつもの事だ。むしろこの調子のまま、口出ししてこない方がありがたい。できればジョンストンは深酒でもして寝室でずっと寝ていてもらいたい。そんな事すら頭に浮かぶ。

 

 もっとも、ジョンストンがそんな様子なのも無理はなかった。ここまでのアルビオン軍は何もかもが予定以上。まさに順風満帆そのものなのだから。一方のトリステイン軍の方はというと、まさに泥縄。急ごしらえの軍勢はその力を十分だせず、ラ・ロシェール攻防戦は思った以上に早く決着がついてしまった。戦争の仕方がまるでなってない。そもそも、トリステイン王国は前の戦乱からかなりの年月が経っている平和な国。しかも形式主義のお国柄。対する神聖アルビオン共和国は、ついこの間まで王党派と戦争をし続けてきた集団だ。うさぎと鷹が戦うようなものであった。

 

 やがて彼は他の幕僚達と作戦進捗を確認する。やはり全てが順調であった。なんの問題もない。このままなら全軍が朝に出撃、トリステイン軍の本隊を目指す。午前中には開戦。そして数日の内にアルビオン勝利で大勢が決まり、この侵攻作戦も目途がつくだろう。そんな考えが過っていた。

 

 

 

 

 

 風竜の背に鞍をしっかりと取り付ける。確認作業も怠らない。いつもの事。だが、いよいよ出撃だというのに、その表情はどこかさえなかった。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。金髪の髭と長い髪がトレードマークのアルビオン軍の客将だ。しかもトリステインからの亡命将校。トリステイン側では死亡したと思われていた彼は、実は生きていた。それ所か寝返っていた。

 今回の戦ではその経歴と土地勘の明るさから、竜騎士隊一隊の隊長を任されている。初戦でも彼の率いた竜騎士隊は活躍した。もっとも勝利を決めたのは戦艦の火力であって、戦功第一とはいかなかったが。

 そんな彼に近づいてくる騎士が一人。竜騎士隊の副官だった。

 

「隊長。準備は完了いたしました」

「そうか。では待機。もうそろそろ出陣だ。気を抜くな」

「はっ!」

 

 威勢のいい返事をすると、副官はこの場を去った。

 

「まさに常勝の兵という風情だな」

 

 その背中を見送りながら、覇気なく零す。

 辺りを見回すと、戦勝祝いのような高揚感。もう勝ったつもりでいる顔ぶれがいくつも見えた。一方自分の気持ちは冷めたまま。だがそれは祖国に攻め込んでいるという、後ろめたさのためではなかった。

 

 ワルドが祖国を去った理由は一つだけ。子供の頃から常に胸にある願いを叶えるため。境遇が悪かったから祖国を出たという訳ではない。むしろ逆だ。トリステインでは大きな影響力を持つヴァリエール公爵と懇意であり、しかもその息女と婚約までしていた。その上、近衛であるグリフォン隊の隊長だった。上手く立ち回れば、ヴァリエール公爵家当主、やがてはトリステイン王国の舵を握る事すら可能だったかもしれない。だが、彼の願望を実現するには、それでは足らなかった。

 そんな時出現したアルビオンのレコン・キスタ。さらに耳に届く奇妙な噂。レコン・キスタには『虚無』がいると。心を引かれ、探りを入れた。しかし、本気でトリステインでの優遇された立場を捨て、その『虚無』の元に向かうにはさすがに躊躇があった。その背を押したのはひょんな偶然だった。婚約者だったルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが、突然、行方不明となってしまったのだ。婚約は事実上解消。これで、ヴァリエール公爵家当主の可能性はなくなった。それは即ち、トリステインの中枢に座るのもかなり難しくなったという事だ。やがて彼は決意する。このアルビオンからの風に乗ると。

 

 向かった先にいた『虚無』はまさにレコン・キスタの指導者、オリヴァー・クロムウェル自身であった。そして彼の目標、エルフからの聖地奪還は、まさに彼の願望に近いものだった。道が見えた。そう確信した。その時は。

 

 だが、今ではそれが揺らぎつつある。聖地奪還が、本当に目標とされているのかと疑問が浮かぶ。その鍵を握っているガリアの動向に、不自然なものを感じていた。

 

 そもそも無名な司教であったオリヴァー・クロムウェルがレコン・キスタの指導者となれたのは、三つの要素からだ。一つ目はなんと言っても虚無である事。虚無でなければ、聖地奪還などというお題目は誰も信じなかったろう。二つ目は無名な司教であったため、どこの勢力とも結びついておらず、権力争いの火種になりにくかった事。そして最後の一つがガリアの存在だった。以前からクロムウェルはガリアとの繋がりを噂されている。クロムウェルの虚無にガリア王が心酔したなどという話すらある。逆に言うならもしその繋がりがないなら、神聖アルビオン帝国は大陸の全ての国を相手にするという、無謀な戦いに勝利しないといけなくなる。クロムウェルという人間は、そんな事も分からない人物には見えなかった。

 

 だが一方で、当のガリアの真意が見えない。

 トリステインとゲルマニアは同盟こそ成立しなかったが、レコンキスタへ相対しようとした。一方、ガリアは何もしていない。クロムウェルとガリアの繋がりを裏付ける動きだ。

 だが、ならば何故ここで動かない。ガリアも少なくともハルケギニアを手に入れたいと思っている。ワルドはそう踏んでいた。だから、トリステイン奇襲の後、ガリアもトリステインに介入してくるものと思っていた。それはアルビオンの過度な勢力拡大を抑えつつ、ハルケギニア統一への足掛かりとなるからだ。仮にクロムウェルの虚無にガリアが心底、傾倒していたのなら、なおさら積極的に行動したはずだ。

 だがガリアは動かなかった。クロムウェルとの繋がりは、所詮噂にすぎないのか。それならばクロムウェルは彼の見立てと違う、能無しと言う事になる。自分の目は曇っていたと。

 いずれにしても今のままでは、聖地奪還、ハルケギニア統一など望めそうになかった。それは何よりも、ワルドの願望達成が遠く離れていってしまう事を意味していた。

 

「身の振り方を考えねばならんかもしれんな……」

 

 ポツリとつぶやく。

 彼は出撃準備を終わらせると、疲れたように空を見上げた。広がる星空と双月。アルビオンでもトリステインでも、これだけは同じだった。その時ふと、空を何か黒いものが走ったような気がした、とんでもない速度で。だが、すぐにそれは意識の外に消えた。やがて気を取り直すと、竜騎士隊隊長としての職務に専念する事にする。

 

 彼が一瞬見た黒いもの。実は今でも高速で飛び回っている。それは、ここにあるあらゆるものに目を向けていた。

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 黒い翼の新聞記者が戻って来た。

 彼女はアルビオン軍の偵察を頼まれていた。ルイズに協力すると約束した手前、断れなかったので。ハルケギニアの事情をまるで知らない彼女だが、アニエスから簡単な説明を受け、出発。要件を済まして、今、城に帰って来たのだった。

 だが、帰って最初に目に入ったのは、奇妙な光景。天人が体から煙を漂わせながら倒れていて、隣では顔を真っ赤にして文句言いたそうにしている天人の一応の主、ルイズがいた。

 

 窓際で怪訝な顔を浮かべている文を、魔理沙が迎える。

 

「お疲れ。どうだった?」

「首尾は上々です。ですが、これはいったい?」

「トラブル起こした張本人に、罰が当たったんだぜ」

「そういう事ですか」

 

 見た様子から察して、おそらく衣玖が天子に文字通り雷を落としたのだろう。トリステイン軍が大混乱になったのは、確かに天子のせいだ。まあ、罰が相応かともかく、オチだけはついたようだ。

 もっとも、文にとってはどうでもいい騒ぎなので、とりあえず部屋の中に入る。そしてパチュリーが声をかける。

 

「じゃあ、さっそく説明してくれない?」

「そうですね。ちゃっちゃと始めましょう」

 

 文はメモを取り出す。やがてアンリエッタに命じられたアニエスがラ・ロシェール近辺の地図を簡単に紙に書く。そこに文が記録した情報を書き記した。

 

 アニエスはその様子を見ながら、情報の緻密さに驚いていた。トリステイン軍も何度も偵察を試みた。しかし敵の哨戒の竜騎士に阻まれ、なかなか近づけず、いい成果は出ていない。だが、この黒い羽の翼人の伝える情報は、そんな状況など意に介さずと言わんばかりに詳しかった。

 港に泊まっている船のサイズ、タルブの平原に野営している敵軍の様子。天幕の配置。さらに驚くべきなのが、それを調べ上げた時間だ。最速の風竜を基準にしても、現地で偵察した時間はそれほどなかったはず。しかもそれを夜間にこなしていた。一体どういう技を使ったのか見当もつかない。もっとも文の事など、アニエスは全く知らないので、無理もなかったが。どの程度の速度で飛べるのか、何を携帯してきているのかなど分かる訳もない。

 もっとも詳しいとは言っても文の情報は、配置だけに限られた。内容まで不明のまま。例えばそれぞれの天幕の役目など。付け焼刃で身に着けたハルケギニアでの軍の知識では、そこまで分かる訳もなかった。ある意味、見たままを書いたとも言える。

 

 文は、地図に記入していきながら、一言二言口にする。

 

「そう言えば、あの羽の生えたトカゲ……」

「竜らしいわよ。ドラゴンって言った方がいいかしら」

 

 アリスの言葉に、文が目を丸くする。

 

「あんなのが?あんなトカゲが竜とは恐れ多いです」

 

 幻想郷で竜と言えば神格クラスなので。人に使役されるようなものとは天と地の差。

 それはともかく文は話を続ける。

 

「そのドラゴンと馬に、鞍を付けてましたね」

 

 その言葉にアニエスが、思わず前のめりになる。

 

「鞍を!?」

「はい」

「…………」

 

 不安そうに考え込む彼女に、アンリエッタが問いかけた。

 

「どういう事です?」

「出陣準備に入っているという事です。まさか!もしかして……」

 

 再び文に尋ねる。

 

「その……翼人!」

「私は翼人とかいうものでもありませんし、そんな名前でもありません。烏天狗の射命丸文です。そうだ、名刺渡しときますね」

 

 アニエスは訳の分からん文字が書いてある四角い小さな紙をもらった。何の意味があるのかまるで分らない。ちょっと困った顔をするが、今はそれどころではない。

 

「そのシャメイ……えっと……」

「覚えられないなら文でいいですよ。なんですか?」

「艦は、港はどうだった?」

「えっ~と……。あれは桟橋になるんでしょうか?とにかく船に繋がる通路を、荷物を持った人が盛んに行き来してましたよ」

「なんだと……!」

 

 緊張した面持ちで、アニエスはアンリエッタの方を向いた。

 

「陛下。敵はおそらく朝には全軍が出撃してきます。今日にはここを攻め、決戦とする腹積もりでしょう」

「な……!そ、それでは……!」

「何かを仕掛けるなら、朝までにしないといけないという事です」

「……!」

 

 アンリエッタは鎮痛な表情を浮かべる。文が書き記すアルビオン軍は、文字通り大群。しかも増強のためか、ラ・ロシェール攻防戦の時より隙の無い陣容になっている。特に陸軍の増強が顕著だ。まさに征服するための軍隊となっていた。これに対し、朝までに打撃を与えなければならないとは。アンリエッタに背筋が凍るような不安感が走る。

 一方、幻想郷の面々というか魔女三人も難しい顔をしていた。アリスが最初に口を開く。

 

「ネックは船ね」

「そうね」

 

 パチュリーが相槌を打つ。するとルイズが聞いて来た。

 

「他は何とかなるの?」

「船さえなんとかなればね」

「ロイヤルフレアとかで、なんとかならないの?」

「なるかもしれないし、ならないかもしれないわ。問題なのは船の防御力なの」

 

 そう言うと、今度はアニエスに尋ねる。

 

「ねえ、こっちの船は、固定化や硬化の魔法を使っているの?」

「ああ。戦艦は大抵使ってる。もちろん艦や場所により程度の違いあるが」

「やはり、そうなのね」

 

 またパチュリーはルイズへと向く。

 

「つまり私達の攻撃が、どの程度船に通用するか分からないのよ。船にかかってる固定化や硬化の魔法にね。試してる時間もないし」

「……そうなの」

 

 ルイズはつぶやくように返す。

 結局アルビオン軍の船を沈め、制空権支配を取り除かない限りは、最終的な勝利は難しいと誰もが思っていた。しかもアルビオン軍出陣前にしかけるならば、奇襲という事だ。こんな状況下で、不確定要素が含まれた戦術を組む訳にはいかない。

 その点を踏まえ作戦が練られ始めた。もっぱら三魔女とアニエスの間でだが。しかしやはり戦艦がネックとなっていた。足止め程度ならできる。帆を燃やせばいいのだから。だがそれ以上が不確定だった。場合によっては長期戦も覚悟しなければならない。そうなればさらに不確定要素は増えていく。

 

 いろいろと卓上で論議が交わされている時。むっくり起き上がる影が一つ。天子だった。起き上がると首を軽くさする。衣玖から天罰とばかりに、文字通り殺人級の落雷を受けた。だがその割には意外にサッパリした顔。まあ、これ以上騒ぐと衣玖が本気になるのもあって、おとなしくする事にしたのだが。それに、あまり引きずらない性質でもある。天子の数少ない長所の一つだった。

 気分も落ち着いて来たので、辺りを見回す。隣の論議など耳にも入らず。するとふとそれに気づいた。天子は何気なく、目標に近づいていく。そこには辞典が入りそうな綺麗な箱があった。鍵までついている。天子はそれを手に取ると、ひっくり返したりしながら眺めていた。そして振り返ると尋ねた。

 

「ねー、これ何?」

 

 すぐに反応したのはルイズ。箱にある百合の紋章が目に入り、驚き慌てている。王家の何か大事なものだと分って。

 

「バカ!何やってるのよ!元に戻しなさいよ!」

「あぁ?バカ?」

「いいから、置きなさいって!」

「教えてくれたらね」

「あ、あんたってヤツはどこまで……!」

 

 ルイズはこのまるでいう事聞かない使い魔に、そろそろブチ切れそうになっていた。すると後から声が届く。アンリエッタだった。

 

「それは『始祖の祈祷書』です」

 

 その言葉に、ルイズは目を丸くする。

 

「え!?それって……王家の秘宝の……」

「その通りです」

 

 箱をルイズはマジマジと見る。だが疑問が浮かんだ。

 

「そのような大切なものを、何故、戦場に持ってこられたんです?」

「…………」

 

 アンリエッタはうつむいて唇を閉ざす。しかし、やがて開いた。

 

「その……子供じみたとものだったのだけど、わたくしの夢はウェールズさまと結婚する事だったの。そしてその巫女を、あなたルイズに務めてもらいたかったのよ」

「え!?私に」

「ええ……。だけどあなたがいなくなり、ウェールズさままでいなくなって……。形見という訳ではないのだけど、想いのあるこの祈祷書を手元に置いておきたかったの」

「…………」

「実はゲルマニア皇帝との結婚が決まった時に、巫女に手渡さないといけなかったわ。だけど、ずっと理由をつけて手放さなかったわ。渡してしまうと二人が本当に消えてしまうような気がして……」

「姫さま……」

「だけど、ルイズは戻って来てくれたわ。これを離さず置いておいたおかげかしら。もしかして……」

 

 そこで彼女は言葉を区切る。その続きはルイズにも分っていた。だが、それを口にしても余計に悲しいだけ。二人はそんな予感に襲われ、話を終わらせる。

 アンリエッタは始祖の祈祷書の箱を持ち出すと、天子に尋ねた。

 

「それで、これがどうかされたんでしょうか?」

「探してたのよ。これ」

「え?ご存じだったんですか?始祖の祈祷書を」

「知らないわよ」

「は?」

 

 彼女は唖然として、カラフルエプロンの少女を見る。何を言っているのか分らない。どうリアクションしていいか困る。

 すると、探していたという言葉に反応するのが三人。魔女達。作戦会議をほっぽって天子の元に寄って来る。魔理沙がさっそく尋ねた。

 

「もしかして、ルイズの気がどうとか言ってたヤツか?」

「うん。それそれ」

「……!」

 

 魔理沙達はお互いの顔を見る。アリスが口を開いた。

 

「封印の鍵かしら」

「でしょうね」

 

 パチュリーは振り返ると、持ち主と思われるアンリエッタの方を向く。しかしアニエスの厳しい顔が目に入った。

 

「何があったか知らんが、今はそれどころではない。アルビオン軍をなんとしても防がねばならんのだ!」

「…………。分かったわ。こっちも手を貸すって言ったものね。楽しみは後に取っておきましょう」

 

 三人は論議に戻ろうとする。

 だが、天子が箱の鍵を力技でこじ開けて、始祖の祈祷書を取り出していた。思わず、ルイズが叫ぶ。

 

「あーっ!何て事してんのよ!」

 

 駆け寄るルイズ。しかし、目の前に差し出されたのは、その始祖の祈祷書だった。天子が何気なしに言う。

 

「ちょっと持ってみて」

「はぁ!?何、言って……」

「いいから」

 

 やけにこだわるので、渋々持つ。まあ、王家の秘宝を天子にいつまでも持たせているのも心配なのもあって。まるで守るように、しっかりと抱きしめた。そんな彼女を見て、天子は首を傾げる。

 

「う~ん……。何も起こんないか。中、読んでみてよ」

「……。何も書いてないわよ」

「そうかぁ。なんか関係あると思ったんだけどなぁ」

 

 アンリエッタが言葉を添えた。

 

「始祖の祈祷書には何も記されておりません。全てのページは白紙です」

 

 しかし天子にはそんな言葉は耳に入ってない。それより、彼女に感心があったのは、アンリエッタの指先だった。そこには指輪が光っていた。

 

「あ!それそれ!ちょっと、その指輪貸して」

「え!?その……これは……」

「くれって言ってんじゃないわよ。貸してって言ってんの」

 

 ズカズカと近寄って来る天子。その前にアニエスが立ちはだかる。

 

「貴様!無礼だぞ!少しは礼儀をわきまえろ!」

「ん?礼節の話?四書五経なら全部頭に入ってるけど、守る気ないのよねー。面倒だし」

「な、何を言っている!?」

「いいから。面白そうな事になりそうだから貸してってば」

「き、貴様……!」

 

 まるでアニエスの態度など無視している天子。アンリエッタは当惑するしかない。仕様がないとばかりにパチュリーが間に入って来る。

 

「悪いけど、その指輪貸してくれない?このままだと、作戦が決まらないわ」

 

 うんざりしたような顔で、アンリエッタの方を見る。彼女も折れたかのように同意。

 もっともパチュリー自身は、実は天子がやろうとしている事に関心があった。なんと言ってもルイズの封印の鍵かもしれないのだから。天子自身は理解してないようだが、おそらく彼女は封印を解こうとしている。そして、それもハルケギニアに来た目的の一つであった。つまり、女王を丸め込んだ訳だ。

 アンリエッタは指輪を外す。

 

「お貸しするのはかまいませんが、扱いには気を付けてください。これも王家に伝わる『水のルビー』ですので」

「陛下!そんな大事なものを……!そ、そうだわ、私がお預かりして、見せるだけで……」

 

 ルイズが言いかけた所で、天子が口を挟んでくる。

 

「それなら、そのまま指に嵌めちゃってよ」

「え!?」

「それ嵌めて、本持ってもらいたかったの。後他には……ないわね。うん。たぶん、その二つだけ」

 

 アンリエッタとルイズは首を訝しげに傾げる。このカラフルエプロンが何を言っているのかイマイチ理解できなくて。ルイズがアンリエッタの方を見ると、彼女は仕方なさそうに小さくうなずき、指輪を渡した。そしてカラフルエプロンの小さな主は訳も分からず嵌め、祈祷書を開いた。

 すると。

 

「え!?」

 

 ルイズから驚きが漏れた。

 彼女に視線が一瞬で集まる。その指にある指輪に輝きが増していた。真っ白だった紙面に、文字が浮かび、彼女の目に飛び込んできた。

 何が起こったのか。理解していたのはいなかった。魔法使いの三人を除いて。彼女達は確信した。封印が解けたと。

 ルイズは声を上げる。

 

「書いてある!文章が書いてあるわ!」

 

 その言葉に、皆が祈祷書を覗き込む。しかし真っ白のまま。

 

「何もないぜ?」

「ルイズだけにしか見えないのかもね。読んでみて」

「うん」

 

 息を飲み、気を落ち着かせる。改めて始祖の祈祷書に向き合う。そしてゆっくりと、文章を口にした。

 朗々と続くルイズの言葉。外の混乱は完全に収束しておらず、未だにざわめきが聞こえる。そんな中、誰もが他に何も聞こえないかのように、ルイズの言葉に集中していた。

 そして誰もがその言葉を耳にした。

 

『虚無』

 

 という伝説の言葉を。

 

 

 

 

 

 

 城でルイズやアンリエッタ、幻想郷の面々が衝撃の出来事に出会っている頃。城から離れた森の一角。ポツリと座る二人のメイジの姿があった。キュルケとタバサだ。

 天子達の無軌道さに唖然としていた二人だが、それもかなり前の話。あの騒ぎはすっかり収まり、城もかなり静かになった。だが、静かになったのはこっちも同じ。城に向かって行ったパチュリー達はそのまま入っていったようだが、その後全く連絡がない。城に行こうかとも考えたが、どういう理由で入城するのか思いつかず、あきらめた。その後ずっと、二人は疲れたように、岩に座り込んでいる。

 キュルケがおもむろに口を開く。

 

「はぁ……。大分経つわね。ねえ、戻ってこないわよ。どうする?帰っちゃう?」

「待つ」

 

 タバサは躊躇なく返した。彼女にとってパチュリー達は無明の中に現れた光ともいうべき存在。だが、それが錯覚なのか、本物の光なのか見極めないといけない。ここでその繋がりを、断ち切る訳にはいかない。

 彼女の返事を聞いたキュルケは仕方なく待つことにした。もっともここは最前線。いつまでもこのままという訳にはいかない。状況が変われば、彼女を引っ張ってでもここを去る気ではいた。

 

 キュルケは何の気なしに上を向く。開けた木々の間から星空が見えた。だが少しすると、そこにいくつもの影が現れた。そして近づいてきた。一瞬警戒するが、それが何かすぐに分かる。奇妙ではあるが見覚えのある姿。あの異界の連中だ。ようやく戻って来たかと、ちょっとムッとする。

 最初にあのおとぎ話メイジ。唯一の人間の魔理沙が声をかけてきた。

 

「お!帰ってなかったか」

「何やってたのよ!」

「いろいろあってな」

 

 平然とそう言いながら、地上に降りてくる。メンツは来た時と同じでルイズもいた。全員が地面に着くと、キュルケ達も立ち上がる。するとパチュリーが前に出てきた。

 

「手伝ってもらいたい事があるのよ」

「出来る事ならする」

 

 タバサ即答。だがキュルケが慌てて割って入る。

 

「ちょ、ちょっと、何するって言うのよ」

「神様ごっこよ」

 

 キュルケとタバサは怪訝な表情で、固まっていた。

 

 

 

 




 戦艦には固定化か硬化の魔法がかけられてると考えました。そんな描写はなかったんですけど、軍艦なら防御力を上げてるためにやるだろうと。



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災禍

 

 

 

 

 

 今か今かと出陣を待つアルビオン軍。そんな意気盛んな集団を窺う六つの目があった。

 タルブの平原を囲むようにある森。その内のとある一本の高い木。天辺付近に三人の姿が浮いていた。こあ、魔理沙、タバサだ。タバサは魔理沙の箒の後ろに座り、何やら金属製のような奇妙なアイマスクをつけている。こあは手に持つ地図にタバサの言葉を受けつつ、何か書き込んでいた。その木の根本には見上げる二人。ルイズとキュルケ。

 キュルケがポツリとつぶやく。

 

「あれで見えるのかしらね?」

「こあは悪魔だから夜目が利くんだって」

「そうじゃなくてタバサの事よ。そこまで夜目なんて利かないでしょうし」

「だから、あのマスクみたいの付けてんじゃないの?」

「あれ何?夜でも見えるマジックアイテム?」

「さあ?幻想郷でもあんなの見たことないし」

 

 ルイズは肩をすくませる。すると三人が降りてきた。迎えたのはアリス。

 

「で、どうだったの?」

「分かる範囲は、何とかなったぜ」

 

 魔理沙がそう答える。ルイズが覗き込んだ地図には、城にいた時よりもさらにアルビオン軍の陣容が明確になっていた。

 タバサに頼んだのはこれについてだった。見たままを描いただけの文の情報だけでは不十分なので、軍に詳しい者が補足する必要があったのだ。そして適任なのがタバサ。彼女は間諜として軍にも詳しく、風系統のメイジでもあるので遠見の魔法が使える。さすがに本陣全体を見るのは無理だが、必要な部分を掴むことはできた。ちなみに彼女が付けていたアイマスク。実は文の持ち物で、パパラッチご用達の河童特性暗視スコープだったりする。

 

 広げた地図を全員が囲み、仔細を決めていく。ここにいる10人にも満たない数で数万を相手にするというのに、その作業にはよどみがない。

 準備が整うと、パチュリーが何の気なしに口にする。

 

「さてと、そろそろ始めましょうか」

 

 作戦開始の言葉を。

 

 

 

 

 

 ルイズ達が城を出て間もない頃。アンリエッタとアニエスは会議室に向かっていた。部屋の扉を開け中に入ると、厳しい目が二人に向けられる。だが無理もなかった。

 深夜の原因不明の大混乱。今開かれているのは、その収拾のための緊急会議だ。ところが肝心の国のトップ、女王がなかなか来なかった。散々、アンリエッタの寝室へ呼びに行ったのだが、アニエスがなんだかんだと言って、出席を延ばしていた。もちろんその理由は、中にいたルイズ達との話が終わっていなかったからだが。もっとも、そんな事情を知らない将軍達やマザリーニには、アンリエッタに緊張感が足らないように思うしかない。

 しかし、こうして部屋に入って来た女王は、大幅に遅れてきたという後ろめたさを微塵も感じさせないもの。それどころか、これから戦にでも出かけようかという顔つき。

 将軍達は、彼女の予想外の様子に、非難めいた態度を収める。ただ一人、マザリーニを除いて。彼は枢機卿という役職だが、同時にトリステインの宰相の立場だった。この国の手綱を握っていると言ってもいい。その立場から、締めるところは締めねばならないという意識があった。

 

「この非常時に、ずいぶんと悠長なお出ましですな」

「遅れた事は、申し訳なく思います。それで兵達はどのようになりました?」

「落ち着きは取り戻しております。ただ全軍兵装は解除せず、警戒を続行中ですが」

「そうですか。それは丁度よいです。ではそのまま、出陣準備に入ってください」

 

 アンリエッタの言葉に一同、目を丸くする。一体何を言い出すのかと。すかさずマザリーニが問いただす。

 

「出陣とはどういう事ですかな?」

「もちろん、アルビオン軍を討ちに行くのです」

「また何をおっしゃるのかと思えば。無暗に攻めかかった所で、勝利など得られませんぞ。玉砕でもするおつもりですか」

 

 厳しい言葉が放たれる。しかしアンリエッタに動じた様子がない。日頃の彼女を知っているマザリーニだが、見慣れないその態度に少々面喰っていた。

 一方の女王は、側にいる近衛の方へわずかに顔を向ける。

 

「アニエス。お願いします」

「はい」

 

 アニエスは静かに返事を返すと、将軍達へと語り始めた。

 

「先ほど、我が手の者より、アルビオン軍についての情報がありました。陛下のご出席が遅れたのは、その説明を受けていたためです」

「アルビオン軍の?あれほど偵察がうまくいかなかったというのに。如何にして成したのだ?」

「方法についてはのちほど。問題はその内容です」

 

 この平民出の騎士団がどうやって偵察に成功したのか疑問ではあったが、ものがものなので将軍達は耳を傾ける。アニエスは話を続けた。

 

「アルビオン軍は出陣準備に入っております。遅くとも本日の午前中には出陣し、こちらに攻めかかって来るとの事です」

「な、何?それはまことか!?」

「はい」

 

 一斉にざわめき立つ将軍達。その内の一人が、アンリエッタへ質問をぶつけた。

 

「ならば陛下!出陣とはいかなる事ですか。むしろ籠城の準備を始めるべきではありませんか?」

 

 だがその質問に答えたのはアンリエッタではなく、アニエスだった。

 

「それはできません」

「何故だ!」

「入手した情報によると、陸軍を主力とした部隊はこちらに、そして艦隊はトリスタニアに向かうとの事です」

「な、何!?トリスタニアへ!?」

 

 動揺した声が返って来る。いや、動揺したのはこの将軍だけではない。この場にいる誰もが。あのマザリーニですら、顔色を変えている。

 今、トリステイン軍のほとんどはこの地にいる。一方、トリスタニアに残っているのはわずかな兵だけ、事実上のもぬけの殻なのだ。今攻められれば簡単に落ちる。大局的な戦略を考えず、強引に出陣してしまったツケだ。またラ・ロシェール攻防戦の損耗が大きく、軍を二つに分ける余裕がなかったのもあった。

 その時、他の将軍が、何かを思いついたように言葉を発する。

 

「そうだ!ヴァリエール公の軍がまだ進軍中だ!急遽、トリスタニアに向かうよう伝令を出してはどうか」

「間に合いません」

「な、何!?」

「船で移動しているならいざ知らず、公爵の軍は街道を徒歩で進軍中です。どう急いでも、トリスタニアへは1日はかかるでしょう」

「…………」

 

 アニエスの厳しい返答に、将軍達は何も言えなくなった。

 

「ただ、不幸中の幸いと申しましょうか。敵陣への侵入を果たした者達がおります。早朝、混乱の工作を行う手筈となっています」

「混乱中の敵に攻め込むという訳か……」

「はい」

「…………」

 

 だがそれを聞いても将軍達は渋い顔。やがてアンリエッタが重々しく口を開く。

 

「みなさん。劣勢の我々にはできる事は一つしかありません。出陣準備中のアルビオン軍の虚を突き、勝利するのです!」

「「…………」」

 

 女王の勇ましい言葉にも、将軍達は頷こうとしなかった。成り上がりのシュバリエの言う事では信用できないのか、それとも思わぬ事態を受け入れ兼ねているのか。やがて一人の将軍が声を荒げる。

 

「納得いきませぬぞ!そもそも、当てになるのですか!?その潜入した者とやらは」

「やはり籠城すべきでは?」

 

 あちこちから不満の声が噴き出す。

 その様子を見て、アニエスは厳しい表情。やはり無理があったかと。アンリエッタとアニエスの言葉だけを信じ出陣しろ、なのだから。しかし、ここはなんとしても出陣させねばならない。何か手はないかと考えていると、すぐ側から声が上がる。アンリエッタだった。思わず口を開いていた。

 

「みなさん!もはや滅亡の淵まで差し掛かっている我々を、救おうとしている方々がいるのです!その方達に応えるためにも……」

「おや?陛下。もしや手の者とはその者達ですかな?して、何者ですか?」

「え!?そ、それは……その……」

 

 しまった、と気づいた時には遅かった。ルイズが連れてきた亜人と仲間達については、伏せておくように言われていた。もっとも、口で説明しても信じてもらえないだろうが。

 将軍達は女王の言葉を無言で待つ。この秘策の鍵となる人物について。集まる視線に、アンリエッタのさっきまでの落ち着きと厳しさがしぼんでいく。それで……。

 

「れ、"烈風"カリン殿です!」

 

 と、つい言ってしまった。寝物語に聞いていた英雄の名を。

 将軍達は一斉に色めき立つ。

 

「な、なんと!」

「あの烈風カリン殿が!?」

「だが、軍をお辞めになってから、いずこへか隠棲されたと……」

 

 将軍達はお互いの顔を見やりながら、思い思いの事を口にする。無理もない。もはや伝説の領域に入りつつあるかつてのマンティコア隊の隊長、烈風カリン。だが、誰もが知っているのは武勇伝であり、その人物の仔細についてはほとんどの者が知らないのだから。

 そんな時、ふと言葉がこぼれる。

 

「なるほど。自軍の進軍を待っておられず、ご自身で動いたのでしょうかな。あの人らしい」

 

 グラモン元帥だった。その言葉に思わず、隣の将軍が反応。

 

「はて?グラモン卿は、ご存知なのですか?烈風殿を」

「あ……!いや……その……」

 

 こちらもしまったという顔。グラモンはカリンの正体を知っている数少ない人物。そしてそれは、ちょっとややこしい事情により、伏せられていた。別に秘密にしておけと言われた訳ではないが、現役時代のカリンが纏う雰囲気を知っている者たちの中では、他言無用の重大事のように捉えられている。

 疑問の視線をぶつけてくる隣の将軍に、グラモンは少しばかり冷や汗。で、気づくと立ち上がっていた。

 

「お、各々方!我らは陛下に最後まで付き従う覚悟で、トリスタニアを後にしたはず!その陛下が、この苦境の中、乾坤一擲の策があるとおっしゃっているのです。ならば、ここはトリステイン貴族の矜持を見せてやろうではありませんか!一戦に国の命運をかける。そんな戦で杖を振るってこそ、貴族冥利に尽きるというものではありませんか!それに籠城した所で、展望が開ける訳ではありませんぞ!」

 

 なんて事を勢いよくのたまわっていた。焦ったように。

 だがそれが功を奏する。グラモンの言葉にマザリーニも賛同。

 

「グラモン元帥のおっしゃる通りですな。私も神職の立場ではありますが、この国の命運にすでに身を捧げる覚悟はできております。陛下のある場所が、この身のある場所と心得ております」

 

 やがて将軍達の表情も変わる。何かを思い出したように。それは清々しいと言ってもいいほどだった。

 

「左様ですな。城を出立した時に、腹の内は決まっておりました。不肖、私めは陛下にどこまでもついていきますぞ!」

「ならば、私も!」

「それにすでに引退なされた烈風カリン殿も参加されているとなれば、現役の我らこそ応えねばなりますまい」

「左様!」

 

 次々と将軍達は声を上げる。それを聞いたアンリエッタは一人一人に視線を送る。感謝に満ちた視線を。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「みなさん。ありがとうございます。わたくしも心強い限りです。その忠義、決して無駄には致しません」

 

 やがて表情を引き締めた。

 

「では参りましょう!決戦の地へ!」

 

 ハッキリとよく通る声で宣言。それに合わせるように、将軍達は杖を高々と上げ、気勢を上げた。

 

 そんな女王の側で、アニエスは一人安堵していた。表情には出さなかったが、内心ではかなり無茶だと思っていたから。何が無茶かというと、トリステイン軍全軍をこの城から出陣させる事だ。だがこれが、パチュリー達と話し合って決めた作戦の一つだった。

 しかしそうは言っても、劣勢の側が野戦に挑むのだから、無謀とすら言える。むしろ常識的に考えれば、籠城が当たり前。こんな状況にも関わらず城から出すために、いろいろと策を練った。アルビオン軍の作戦を分かっているかのように言ったが、実はまるで知らない。自軍の兵が潜り込んでいるかのように言ったが、これも嘘。全部、将軍達のケツを叩くための方便。もちろんアンリエッタがカリンの名を出した点も大きかった。

 

 やがてアニエスはポツリとつぶやく。

 

「こちらの仕事はこなした。後は連中次第だな……」

 

 

 

 

 

 

 アルビオン軍、本部の天幕。その外で、総司令官のジョンストンは港の方を見上げていた。ラ・ロシェールの港、世界樹に係留されている戦艦や桟橋には、いくつもの篝火が焚かれていた。あたかも、豪華な飾りつけのように輝いている。別世界ならクリスマスツリーの様だと言われているだろう。しかも戦艦は係留されているものだけではない。すでに補給を終えた船が周囲で、出陣の時を待っていた。まさしく大艦隊であった。

 

 そして他方、視線をずらせば、この広いタルブの平原を埋め尽くす兵達が見える。竜騎士に騎馬兵、そして歩兵達。兵力、士気共に高い大規模な陸軍が。

 総司令官は満足げに天幕の中へと戻ると、つぶやいた。

 

「我ながら、この陣容には惚れ惚れする。これらが轡を並べ一斉に進軍する姿は、さぞ圧巻であろう」

「成果がともなえば、なおよろしいですな」

 

 実質的な副指令であるボーウッドがチクリと一言。しかしジョンストンは気にしない。ほぼ勝利が見えているのもあって機嫌がいい。

 やがて総司令の定位置につく。その時、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そう言えば……。トリステインの古強者がまだ残っていると聞いたな」

「ヴァリエール公爵でしょうか」

 

 ボーウッドは真っ先に思い浮かんだその名を口にした。ヴァリエールの名は、かつてはトリステインだけではなく、その周辺にも知られた名だ。政務から退いたとは言うものの、警戒すべき存在として彼の脳裏に刻まれていた。

 ジョンストンは、少しばかり楽しそうに頷く。

 

「おお、そうだそうだ。それで次の戦には参加するのか?」

「進軍中との情報は得ています。ですが杖を交える事はありますまい。戦地に来た時には全て終わっているでしょうから」

「ほう。それも作戦の内という訳か」

「はい」

 

 ヴァリエール公爵軍がトリステイン本隊に合流すれば、負けないまでも少々厄介な事になる。それを見越しての今回の出撃だ。敵が合流する前に各個撃破する。兵法の基本。

 だがジョンストンはそんなボーウッドの考えも知らず、勝手な事を言う。

 

「できれば、杖を交えたかったものだ。少々トリステイン軍は拍子抜けなのでな」

「侮らぬ事です。足元をすくわれますぞ」

「お主が言うのならそうなのであろう。何、私の出番は戦の後、政治の世界に入ってからだ。それまでは頼りにしているぞ」

「……はい」

 

 ボーウッドは何の抑揚もなく、返事をした。調子のいい総司令に、大人しくしていて欲しいとばかりに。

 

 

 

 

 

 ジョンストンが自軍の様子に酔っている頃。森の中を荘厳な光が照らしていた。天人の秘宝、『緋想の剣』の放つ光だった。自慢の剣を手にした天子は、悠然と構える。

 

「さてと、まずは私の番ね」

 

 光る剣を、天高く振り上げる。さらに輝く剣。すると見る見るうちに、雲が集まりだした。隣にいた衣玖は、そんな空の様子を確認。すると真上に飛び立つ。

 

「少し痛いかもしれませんが、我慢していただきましょう」

 

 そう呟きながら。

 雲の際までたどり着いた身には、今にも放電しかねない程の大量の電気で溢れていた。

 

 

 

 

 

 本部天幕では、急激に広がった雲に気づかず作業が続いていた。ボーウッドは忙しく動いていたが、ジョンストンは相変わらず。どうでもいい事を口にするか、頷いているだけだった。

 ふと外から、遠雷が耳に入る。

 

「雷か?」

 

 ジョンストンが上の方を見上げて言う。それに答えるようにボーウッドは、天幕の入り口から顔を覗かせた。空はいつのまにか一面雲に覆われていた。何も見えない。そして中へと戻る。

 

「雲が出てきたようです。月もすっかり隠れてしまいました」

「確か予測では、当面晴れると聞いていたが」

 

 天気は戦に重要な要素の一つだ。そこで戦の際に天気に詳しい者を連れてきていた。これには風系統のメイジが当たる事が多い。彼らから出てきた予測は、しばらく晴天が続くというものだったのだが……。

 ボーウッドは、総司令に答える。

 

「常に当たるというものでもありません」

「しかし、雨が降るのではないだろうな」

「雨天でも、作戦には支障ないよう組んでおります」

「そうではない。晴れておれば、我が軍の陣容を、トリステインの連中にまざまざと見せつけてやれたものを、と思ったのだ」

「…………」

 

 この総司令に呆れるのは、もう慣れていたボーウッドだった。

 だがそこに突如雷鳴。しかもかなり近い。

 悠然と座っていたジョンストンは、驚いて立ち上がる。

 

「な!ど、どこに落ちた!」

「近いですな。おい。どこに落ちたか確認しろ」

 

 側にいた書記に命ずる。しかし、それより先に外から衛兵が入って来た。

 

「閣下!旗が……。とにかく外にお出になってください」

 

 少しばかり動揺している衛兵に急かされるように、幕僚達は外に出る。そしてすぐにそれに気づいた。本部天幕を挟むように立っていた二本のポールから、炎が上がっている。しかも、そこではためいていたアルビオン国旗に、火がついていた。

 ジョンストンは渋い顔でつぶやく。

 

「ここに落ちたのか。すぐに消せ」

「はっ!」

 

 衛兵たちが消火しはじめた。

 一方のボーウッドは、信号旗を上げるポールも燃えてしまっている事を気にしていた。もっとも、夜間ではそれほど役に立たないが。ただ不便になったのは確かだ。全ての命令を伝令で伝えねばならない。

 消火が終わると、ポールはゆっくりと倒される。さっきまで国旗が上がっていたものが倒れていく様子は、あまり気分のいいものではなかった。

 

「全く、縁起の悪い。これも早く出陣せよとの、始祖からのお叱りかな。で、補給はどうなってる、艦隊司令」

「レキシントン号に多少の遅れが出ておりますが、大きなものではありません」

「まだなのか。あの船の唯一の問題点は、大喰らいな事だな」

 

 ジョンストンは少し不満げに答えながら、処理されていくポールを眺めていた。

 

 だが、この足元で起こったちょっとした出来事のせいで、本部の誰も気づかなかった事がある。雷が落ちたのはここだけではない。直掩に上がっていた竜騎士全てに落ちていた。その怪我の治療のため、皆一旦地上に降りている。暗闇に覆われたアルビオン軍の上空。そこは今、空っぽだった。

 

 

 

 

 

 無人のアルビオン軍上空を、猛スピードで真っ直ぐ進む一本の箒。箒には二人の影。その先にあるのはラ・ロシェールの港。なんの障害もなく、最短距離、最高速度で、あっというにたどり着く。

 

 聳え立つ世界樹の頂上に降り立つ小さな影。ルイズだ。見上げる先には星空すらなく、まさに暗闇。一方の眼下はたくさんのかがり火の元とアルビオン艦隊の威容で溢れていた。息を飲む光景。

 その脇には箒に跨った白黒魔法使いが浮いていた。魔理沙はルイズに不敵な笑顔を向けている。

 

「んじゃ、後で迎えに来るからな」

「うん」

 

 力強い返事。覚悟のこもった声。魔理沙は親指を立てて答えた。

 

「しっかりな!」

 

 白黒魔法使いはそういう言うと、またカッ飛んだ。

 

 暗闇に魔理沙が消えた後。ルイズは一つ深呼吸。自分の中にあるものの高まりを感じる。これが『虚無』、そう記されていた力かと。ルイズはなんとなしに納得してしまった。やがて、手にある始祖の祈祷書を広げる。淡い光を灯す文字が並んでいた。

 ルイズはゆっくりとルーンを紡ぎ始める。

 

 

 

 

 

 本部天幕の側に燃えてしまったポールを片づける兵に、ボーウッドが命令する。

 

「新たなポールを、用意しろ。質は問わん。長い棒ならなんでもいい」

「はっ」

 

 だが、それをジョンストンが阻止。

 

「いらん。まもなく出陣だ。余計な手間は増やさんでいい」

「しかし……」

「いいと言っている」

「はぁ……」

 

 興ざめさせられたのか、少しばかり機嫌が悪い。その彼は艦隊指令に話しかける。

 

「我らもレキシントンに向かうとするか。陸軍の準備は終わったのであろう?」

「もうまもなくとは聞いておりますが、完了の報告は受けておりません」

「まもなくなら、かまわんだろう。本部を移す」

 

 気分で本部を移されては、作戦に支障が出る。ボーウッドは釘を刺そうと、総司令への忠告を口にしようとした。だが、ふと東の方から光が目に差し込む。一瞬日の出かと思ったが、それにしては早すぎる。思わず東の方を向いた。

 

 太陽があった。

 見慣れたものとはまるで違う太陽が。膨れ上がっていく太陽が。

 

「な……!?」

「な、な、なんだあれは!?」」

 

 ジョンストンの腰を抜かしたような叫び。ボーウッドも驚嘆の表情のまま固まっている。そして誰もが、同じものを胸の内で叫んでいた。あれはなんだと。

 

 ラ・ロシェールの港を中心にすさまじい勢いで広がっていく太陽。桟橋に繋がれたままの戦艦は逃げる事も出来ず、次々と飲み込まれる。なんとか桟橋から離れ、脱出を試みる船もあったが、太陽の膨らむ速度はそれを遥かに上回る。

 やがて港は全て飲み込まれた。しかし太陽は止まらない。さらに広がり、空中で停泊していた船すら飲み込もうとする。

 

 茫然と見つめていたが、誰より先に我に返るボーウッド。

 

「いかん!退避!この場から離れよ!」

「な、何!?どういう事だ!ボーウッド!」

「このままでは我らも、太陽に飲み込まれます!」

 

 言われてジョンストンも気づいた。あれがなんだか分からない。分からないが、あのまま広がり続ければ、確実に自分たちを飲み込むと。

 

「に、逃げろ!全軍退避だ!」

 

 総司令のその言葉に、周囲は一斉に浮き足立つ。当の彼は、衛兵を捕まえ命令。

 

「おい!竜騎士を!いや、馬でいい、馬を持て!」

「は、はいっ」

 

 まずは、自分の身の確保に走った。一方のボーウッドは全軍を退避させるため、迅速な伝達を心掛けた。配下の幕僚達も同様に。

 

 突然の現れた太陽。飲み込まれていく艦隊。同じく飲み込まれなかねない自分たち。アルビオン軍はもはやパニックに陥っていた。

 

 誰もが慌てふためいたその時、不意に足元が暗くなる。太陽に照らされ明るくなっていた辺りが、急に見えなくなる。ふと港の方を見ると、あれほど大きかった太陽が、まるで空気の抜けた風船のようにしぼんでいっていた。

 ジョンストンが、ボーウッドが、いや、ここにいる数万の兵、全てが立ち尽くし、消える太陽を見つめていた。そして太陽が消えた後、残されたのは、大地にゆっくりと落ち、擱座していく大艦隊だった。

 

 

 

 

 

「私の出番はあるみたいね」

「そうね」

 

 様子を窺っていたカラフルエプロンと紫魔女。突如現れた太陽、虚無の魔法『エクスプロージョン』が何もかも飲み込み、ケリがつくかと思われたが、さすがにそこまでとはいかなかった。

 天子は置いてあった要石を右手で持ち上げる。そのサイズ直径3メイル。それをポンポンという具合に軽々と扱っていた。

 

「う~んと……。この辺りの地震の目は……」

 

 何かを探るように見回す天人。周囲は木々で覆われている上に、この暗闇では何も見えないハズなのだが。やがて、目的のものを見つけたのか、視線を一点で止める。すると要石を掴んだまま振りかぶった。

 

「そぉーれっ!」

 

 軽い調子の声と共に、直径3メイルの要石をブン投げる。凄まじいスピードで飛んでいった要石は、闇夜の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 ほとんどの戦艦が地に落ちた。あのハルゲニア最強と自負していた巨大戦艦、レキシントン号も。生き残った艦隊はわずか一隻のみだった。擱座した戦艦からは、悲鳴とも怒号ともつかない叫びが聞こえる。そして次から次へと、乗員が逃げ出していた。

 

「い……いったい何が……」

 

 そうつぶやかずにはいられないジョンストン。あの冷静なボーウッドすらも言葉がない。無理もない。訳の分からない現象で、自慢の艦隊が壊滅したのだから。

 ジョンストンは、この現実から逃げるように天幕に入る。そしてさっき酒を注いでいたワイングラスを掴もうとした。

 

 だが、ワイングラスが逃げた。動いて、彼の手を避けた。

 

「え……!?」

 

 一瞬、何が起こったか理解できない。

 だが動いたのはグラスだけではなかった。椅子が、机が、指示棒が、地図が、何もかもが動いた。

 

 そして大地が動いていた。

 

「う、うわっ!うわーーーーっ!」

 

 訳も分からず、ジョンストンは机にしがみつき叫びを上げる。

 

 揺れと共に轟く地響き。地震。今まで味わったことのない地異。話にしか聞いたことのない災厄。

 

 アルビオンは浮遊大陸という土地柄、地震がほとんどない。そこで生まれ育ったものは、地震を経験した事などまずなかった。それは人だけではない。馬もドラゴンも皆同じ。そんな彼らに地震というものは、大地が崩れるかという程の恐怖を刻み込んでいた。

 

 タルブの平原の全てから悲鳴が上がる。兵達は四つん這いになり、あるいは天幕の柱に抱き着き、あるいは顔を伏せ叫んでいた。さらに馬達は主を振り落し、駆け出す。ドラゴンは静止の声も届かず、勝手に飛び立っている。

 

 槍を投げ出した兵卒。剣を捨てた騎兵。杖を放りだしたメイジ。闇雲に走り回る馬。空中で当てどもなく飛び回っているドラゴン。

 威勢を放っていた軍勢は、もはや軍として体を成していなかった。

 

 

 

 

 

 

 遠くから混乱の軍勢を、浮いたまま眺めている二人の魔女と烏天狗がいた。同時に彼女達は、別の軍の到来を待っていたのだが。

 

「まだのようですね。もうちょっと急いでほしいのですが」

「結局、私達の所まで順番が来るのね。しかも放火担当」

「適材適所よ。それじゃぁ、任せたわ」

 

 パチュリーは声をかける。すると文は、風の申し子の証、天狗の団扇を手に持ち、文字通りカッ飛んでいった。一方のアリスは十本の指をゆっくり広げた。その指全てには、筒状の指輪がはまっている。

 

「さてと、行くわよ。みんな」

 

 指輪から伸びる10本の筋が、一瞬光ったかのよう。するとアルビオン軍の本陣へ、小さな影が突入していった。

 

 

 

 

 

 アルビオンの客将ワルド。地震を経験済みの彼はいち早く立ち直ると、地面にうずくまっている竜騎士隊の副長を怒鳴りつける。

 

「しっかりしろ!もう地震は止んでいる!」

「…………」

 

 副長は怯えた目を向けてくるだけで、何も返してこない。

 地震自体はせいぜい、震度4レベル。時間もそれほど長くはなかった。だが初めて地震を経験した者にとっては、何時間にも感じられただろう。

 ワルドは役に立たない副長を放っておき、自ら状況を確かめようとする。そして丁度頭上を飛んでいたドラゴンに、フライの魔法で飛び乗った。

 

「さっきの太陽といい。いったい何が起こっているのだ」

 

 気持ちを引き締めると、手綱を絞り真上へ上がろうとした。

 直後、切り裂くような轟音が耳を貫く。痛みが全身を走る。頭も真っ白、何も考えられない。

 しばらくして我に返ると、そこは地面だった。いつのまにか降りていた。ドラゴンと共に。

 

「な……!?一体……!?」

 

 倒れた体を起こす。体中に痺れを感じる。雷が直撃したと気づいたのは、その数秒後だった。さらに数秒後、痺れているが大した怪我もない事に驚いていた。ふと思い起こす。直掩中に雷に打たれ降りてきた配下の竜騎士。彼の怪我を見た時。丁度、今と似たような状態だったのではと。思わず夜空を見上げる。相変わらずの真っ暗な闇夜。この混乱のさなかとはいえ、そこには竜騎士が一騎も見当たらなかった。妙な悪寒が背筋を走っていた。

 

 だからだろうか。その脇を滑るように飛んでいる小さな影を察知できなかったのは。いや、この状況では、誰も小人のような影が天幕に忍び込んでいる事に、気づくはずもなかった。

 

 

 

 

 

 ボーウッドは本部天幕の前でようやく体を起こす。東には擱座した艦隊。目の前にはただただ混乱している陸軍。これはどういう事なのか。理解しようにも、何を取っ掛かりとして把握すればいいのか分からない。

 ともかく、彼は落ち着きを失っている軍を、なんとか立て直すことを決意する。まずはこの本部天幕からと。その時、また目元に光が入った。今度は西から。またあの太陽が出たのかと思ったが、そうではなかった。一部の天幕から火の手が上がっていた。

 

「あそこは……!」

 

 厳しい顔つきですぐに側にいた、幕僚に声をかける。

 

「おい!」

 

 四つん這いになって、燃える天幕をただ見つめている幕僚には返事がない。彼を引き上げ、ひっぱたく。

 

「しっかりしろ!消火だ!消火にあたれ!」

「は、はいっ!」

 

 幕僚は目が覚めたように駆け出す。

 気づくと隣にジョンストンが立っていた。まるで幽霊にでも出会ったかのような顔をして。

 

「ボーウッド……。あ、あれは……」

「あの一帯の天幕は食糧庫です」

「何!?何故だ!?」

「地震のための事故かもしれません。ともかく、食糧が燃え尽きえてしまうと、戦になりません」

「しょ、消火だ!消火を……。ん?まさか……!あの火の手、こちらにまで来るのではないだろうな!?」

「それはないでしょう。今は東風。幸いあの場所は風下です。本陣全てに火が回る事など……」

 

 そこまで言いかけた時、突然、突風が吹いた。

 西から。

 

「な……!まずい!」

「どうした!」

「風向きが変わりました。もはや、あそこは風上です。下手をすれば、この本陣全てが火の海になるかもしれません」

「な、なんだと!」

 

 動揺し、慌てふためくように、辺りに消火の指示を出すジョンストン。その隣で、ボーウッドはこの間の悪さに愕然としていた。このタイミングで風向きが変わるとはと。しかも穏やかな東風が、突然強めの西風に変わった。船乗りとしての経験が、あり得ないと語っていた。

 その時、ふと一つの思いつきが浮き上がる。

 

 この一連の出来事は敵の攻撃なのでは?

 

 と。

 だが、敵の姿などどこにもない。敵兵は一兵も見えず、敵の杖も一本もなく、一振りの剣も、一箭の矢すらない。しかも今まで起こった災禍。それが全て人の業として、可能な事なのか?

 ならば、なんなのか。

 その答えを、覇気を失った総司令官が口にしていた。

 

「なんだこれは……いったいなんなのだ……。我が軍が……あの我が軍が崩壊している……。戦ってすらいないというのに……。もしかして神罰か!?神罰なのか!?」

「…………」

「アルビオン王家を滅ぼし、さらにトリステイン王家をも滅ぼそうとする我らに、始祖ブリミルがお怒りになったのか!?なぁ!ボーウッド!」

「…………」

 

 いつもなら一笑に付すような彼の言葉。だがボーウッドは何も返せなかった。

 

 

 

 



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戦の終わり

 

 

 

 

 

 ワルドは茫然とした目で、遠くに上がる炎を見ていた。消火の手は足らないようで、西風に煽られだんだんと広がりつつあるようだ。混乱もさらに広がっていた。それはこの異常な状況のせいだけではない。命令が錯綜していた。最初の太陽の時に撤収命令が出て、次に消火命令。一方で出陣準備は継続のまま。さらに地震のせいで、命令の届く順番が乱れ、どれが最優先事項なのか分からなくなっていた。本部に確認を取ろうにも、目印となるポールが倒れたままなので、この広い天幕だらけの平原のどこに本部があるのか、完全に見失っていた。

 

 アルビオンの客将はポツリとつぶやく。

 

「ちっ……。いったいどうなっている。何にしても……やるべき事をやるだけだ」

 

 やや焦りの色があるものの、覚悟を決める。そして、隣で茫然としている副長に声をかけた。

 

「この状況を立て直す。我が隊の者を集めろ」

「は、はぁ……」

「おい。しっかりしろ」

「は、はいっ!」

 

 覚めたように顔を引き締めると、副長は走り出した。

 

「さて、まずは……」

 

 ワルドは辺りを見回すと、馬に乗って走り出した。

 

 

 

 

 

「もう……ダメだ。神に見捨てられては……」

 

 ジョンストンは肩を落とし、ブツブツとつぶやいている。ボーウッドも動揺が収まらない。火の手はゆっくりと広がりつつあるのに、本部が全く機能していなかった。

 そこへ一人の竜騎士が近づいて来た。

 

「閣下!」

 

 ワルドだった。ボーウッドは力なく返答。

 

「ワルド子爵……」

「ご報告が。ともかく、全幕僚の方々を本部天幕へ」

「分かった」

 

 ジョンストンとボーウッドは勧められるまま、天幕へと入る。やがて全幕僚も天幕の中へ。ワルドはそれを見届けると、最後に入った。

 天幕内にアルビオン侵攻軍の中枢が集まっている。その表情は未だ焦燥から抜け出てないが。全員がテーブルを囲み、ワルドの言葉を待った。

 

「では、よろしいでしょうか」

「うむ。聞かせてくれ」

 

 ようやく落ち着きを取り戻したボーウッド。ワルドは彼の言葉を耳に収めると、少しばかり急いでいるような口調で話し出す

 

「駐屯地を巡ってみたところ、軍は混乱の極みにあります。ですがその実、それほど被害を受けている訳ではありません。兵力の損耗はごくわずかです」

「だが兵はあっても、艦隊が壊滅した。これはどうする」

「はい。それについてですが……」

 

 その時、天幕の外から怒声、いや悲鳴のようなものが聞こえてきた。遠くから。幕僚達は全員、声の方を向く。同時に天幕の中に、兵が入って来た。

 

「て、て、敵襲です!」

 

 一瞬誰もがその言葉を理解できなかった。だが足はすぐに出口へと向かっていた。ここにいる全員が。

 

 月も隠れた暗闇。かがり火の中。ボーウッドやワルド、幕僚達の目に入ったのは、彼方に見える逃げ惑う味方。そして、彼らを追い立てる敵兵だった。

 

 呆然と佇むしかない軍の幹部たち。やがてジョンストンがつぶやくように言葉を漏らした。

 

「な、何故……今……」

 

 皆がそう思ったろう。このタイミングで何故と。そしてすぐに次の考えが浮かぶ。一連の異変は、トリステイン軍のものなのでは?と。

 この光景を眺めながら、ワルドは考えを巡らした。

 

 思えばおかしな事だらけだ。突然広がり夜空を暗闇にした雲。空を飛ばさせないかのように落ちてくる雷。しかも死なない程度という微妙なサジ加減。そして艦隊を狙ったかのような太陽。陸軍を狙ったかのような地震。火事に合わせたかのような、風向きの変化。

 確かに一連の現象に何か意図のようなものを感じる。だがこれら全部が人の業だろうか?あるいは虚無の担い手か?だが虚無だとしても、ここまで超越したものなのか?さらに最初に雲が出てきて今まで、結構な時間が経っている。こんな長い時間、様々な天変地異を起こすような大規模な魔法を使い続けている。そんな者が存在するとでも言うのか。それが虚無の担い手と言うなら、少なくとも勝負にならない。クロムウェルの魔法にも衝撃を受けたが、今起こった事はそれ所ではない。ならば人の業ではないのか?では、なんだ?どう頭を巡らせても答えは出なかった。

 

 ただ一つだけハッキリしたものがあった。この戦は負けたと。

 

 ワルドは艦隊指令の方を向く。

 

「ボーウッド閣下、勝敗は決しました。このままでは、我々は揃って捕縛される可能性すらあります。幕僚の方々だけでもお逃げください」

「……うむ」

 

 すかさず総司令官のジョンストンは抗議するが、幕僚達に説き伏せられる。だが次の問題があった。どう逃げるかだ。艦隊はほぼ壊滅。それどころか竜騎士も崩壊状態。アルビオンに戻る術がない。

 

 やがてワルドが進言する。

 

「閣下。あれをご覧ください」

 

 指差した先には、辛うじて被害を免れた船が一隻浮かんでいた。

 

「あれに乗艦するのです」

「だが、どうやる?」

「フライの魔法で飛んでいきます」

「雷に撃ち落されるかもしれんのだぞ」

「そうはならないかと。私自身、風竜を捕まえるため飛びましたが落ちて来ませんでした。落ちたのは風竜を捕まえた後です」

「雷はドラゴンに落ちると?」

「おそらく」

「…………分かった」

 

 ボーウッドは決意した。そして、ジョンストンへ厳しい顔を向ける。

 

「もはやここに至っては是非を問うべくもありません。閣下、ご決断を」

「く……。分かった……。撤退する……」

 

 幕僚達は馬に乗ると、残った一隻の元へと走り出していた。

 

 

 

 

 

 アルビオン軍に攻め込んだトリステインの将軍達は唖然としていた。偵察の報告を受けた時、敵軍の状況を聞いてはいたが半信半疑。なんと言っても艦隊が全滅し、竜騎士もドラゴンを手放しており、陸軍も大混乱しているというのだから。つまりアルビオン軍は軍として機能していないと。しかし、こうして実際に来てみると、それが事実であった事を思い知る。ここに見えているのは攻めかかるトリステイン兵と、逃げ惑うか投降するアルビオン兵だけなのだから。

 

 マザリーニが神妙な顔で、女王に進言する。

 

「陛下。もはや戦になりませぬ。降伏を勧告いたしましょう」

「ええ。そうですね」

「それと、あの火の手をなんとかせねば、戦の後の処理に困りますぞ」

「なるべく急ぎましょう……」

 

 降伏勧告が行われ、次々と投降してくるアルビオン兵。まさに雪崩を打つよう。一部竜騎士の頑強な抵抗があったものの、多勢に無勢。やがて四散して逃げ出した。唯一の残っていた戦艦も、瓦解していく自軍を見て撤退しはじめる。もはやトリステイン軍の完勝と言っていいものだった。

 

 それからほどなくしてアルビオン軍を完全に制する。タルブの平原にはロープで縛られた兵、貴族達が一面にあふれていた。さすがに馬やドラゴンまでは手が回らないので、放ったままだが。しかし残る問題があった。西の天幕で今でも上がっている火の手だ。風は止んだとは言え、燃えている範囲が大分広がっており、思うように消化が進まない。このまま広がれば、火薬庫の天幕に引火しかねない状態だった。

 遠くに見える炎を見つめながら、将軍達は受ける報告に渋い顔を浮かべる。

 

「これ以上はまずいな……。水のメイジだけでは人手が足らん」

「ラ・ロシェールから水を運んでは」

「そうしよう」

 

 対応に苦慮する将軍達。するとアンリエッタが口を開く。

 

「わたくしも水のメイジです。わたくしも向かいます」

「な、なにをおっしゃいます!陛下!危険です。ここでお待ちを」

「ですが……」

 

 そう言いかけた時、頬に冷たいものを感じた。手で拭うと、それは雫だった。

 

「雨?」

 

 思わず空を見上げる。それと同時に、いくつもの水滴が落ちてきた。そして一斉に振り出した。強烈な雨が。地面に叩きつけるような雨は、あれほど広がっていた火を、瞬く間に消していく。

 アンリエッタは、叩くような雨を全身に受けながら、呆然と空を見上げていた。

 

「こんな時に雨だなんて……。ここまで物事がうまく……。まさか……この雨もあの方達の仕業?」

 

 女王はトリステインを救ってくれた事に感謝しながらも、この尋常ではない力に少しばかり恐れを抱いた。

 

 それからしばらくして雨は止み、雲も晴れた。火事もすっかり鎮火している。これを待っていたかのように、東の方から光が差し込んで来る。今度は虚無の魔法によるもではない。本物の太陽、朝日だ。その澄んだ光は、トリステイン兵達にとって、まさに明日を照らしていく希望の光のよう。ついさっきまで、絶望の淵にあったものが、全く逆の状況となったのだから。

 やがてどことなく、声が上がり始める。

 

「「「トリステイン!万歳!アンリエッタ陛下!万歳!」」」

 

 万感のこの声は、タルブの平原やラ・ロシェールの町々の隅々まで何度も響き渡った。

 

 アンリエッタはそれに応えるように、兵達を見つめていた。すると脇にアニエスがやってくる。そして一言、耳に添える。

 

「陛下。ミス・ヴァリエールがいらっしゃっています」

「え!?ルイズが?それで他の方々は?」

「姿は見えません。ミス・ヴァリエール、お一人だけです」

「そうですか。では、私の馬車の中に案内しておいてください」

「はっ」

 

 アニエスは、踵を返しこの場を去る。

 

 やがて軍も落ち着きを取り戻すと、事後処理に入る。その合間をぬってアンリエッタは自分の馬車へと戻った。アニエスに外を見張らせ、中に入る。そこには、顔を綻ばせている幼馴染がいた。

 

「陛下!この度の勝利、おめでとうございます!」

「全てあなた達のおかげです。これで我が国も救われました。礼を言わねばなりません」

「そんな、陛下」

「いえ、感謝しすぎても足らないほどです」

 

 女王は頭をわずかに下げつつ、素直に胸の内を伝えた。そんな彼女の言葉を耳に収めながら、ルイズは今回の作戦を思い起こしていた。

 

 最初にアルビオン軍から、空の光を奪った。天子の緋想の剣は吸収した気を使って、対象の気質に合わせた天候を作り出すことができる。相手は数万の軍隊。気の量も気質もより取り見取り。空を覆う雲を作り出すのは造作もなかった。

 次に空の目を奪う。衣玖は雷を操れる。彼女が直掩の竜騎士を全て落とした。殺さなかったのは、衣玖が不殺生の戒律を守っていたのもあったが、殺してしまって騒ぎになるのを防ぐ目的もあった。

 そして、カラッポになった空を、港に向けて魔理沙がルイズを運ぶ。ルイズも一応飛べるが、魔力の消費を抑えるため。そして虚無の魔法による艦隊への攻撃。『エクスプロージョン』は対象を選別して破壊する事ができるので、打ってつけだった。狙ったのは砲弾と風石。戦艦はただの箱と化した。

 一方、陸軍への攻撃は天子の役目。地震を起し混乱に陥れる。これはアニエスが、アルビオンに地震がないと言った事がヒントとなった。

 さらに混乱を持続させるための火攻め。これにはアリスと文。アリスの操る人形達が火をつけ、そして文が天狗の団扇で、炎を仰ぐ。想定通り大混乱となる。

 そして最後は、トリステイン軍本隊の登場。もはや軍として機能しなくなったアルビオン軍に、攻め掛かるだけだった。

 全てが予定通り。あまりにうまく行きすぎて、自分自身で驚いていたのを思い出す。

 

 やがて二人きりなのも手伝って、アンリエッタは幼馴染の表情を浮かべる。

 

「でも、ホント信じられない。いなくなったと思っていたあなたが、戻って来て、国を救ってしまうのですから。しかも虚無の担い手なんだなんて。こんなに奇跡が続くなら、もしかして……」

「姫さま……」

「ううん……、何でもありません」

 

 アンリエッタは少しばかり憂いて首を振る。ルイズにはその意味が分かっていた。だが次に顔を上げた時、この高貴な幼馴染は元の顔に戻っていた。

 

「ところで、他の方達は?」

「落ち着く場所を探すとかで、この場を去りました」

「それなら、用意したのに」

「いろいろと、条件を言っていたので難しいかとそれに、深く関わると厄介ですわ。あの連中は」

「そうなの。でも、何かお礼がしたいわ。爵位とか勲章とかは、あの方達よろこぶのかしら?」

「いえ、そういう類の者達ではないので。ただお礼についての要望は聞いています。図々しいと、思われるかもしれませんけど」

「むしろ言っていただけるとありがたいわ。何か……ちょっと得体のしれない所がある方達だし」

「う~ん……そうですね……」

 

 ルイズはしみじみ頷く。そもそも恰好からして、ハルケギニアの基準から外れている。しかも翼人にしか見えない。文とこあがいるのだから。

 

「それで要望ですが、トリステインにある書物や資料の閲覧許可が欲しいそうです」

「え?どういう意味かしら?」

「実は彼女達は研究者なのです。その研究のために必要だとか。こちらに来たのも、そもそもハルケギニアを研究するためですし」

「まあ、そうなのですか。では、なるべく便宜を図りましょう。後、多少の資金支援もいたしましょう」

「ありがとうございます」

 

 幻想郷メンバーに変わって礼を言うルイズ。

 やがて話も一段落。すると今度は、アンリエッタは顔を寄せてきた。そして小声で話し出す。

 

「それで、ルイズ。あの方達はいったい結局何者?異世界とかなんとか言ってたけど。正直信じられません」

「えっと……その……」

 

 いつか聞かれると思ってはいたので、どうするかは決めていた。半分以上キュルケの入れ知恵なのが不満だが。

 ルイズは一つ咳払いをする。

 

「姫さま、驚かないでくださいよ。それと彼女達の事は、なるべく内密にお願いします。余計な騒ぎに巻き込まれるのを嫌がるものですから」

「はい。分かりました」

「あの時は動揺して異世界と申しましたが、実は、ロバ・アル・カリイエの住人なのです」

 

 外で馬車の警護についていたアニエス。馬車の中から声が聞こえなくなったのが少し気になった。わずかに注意を向ける。と……。

 

「えっ!!」

 

 突然大きな叫びが届いた。思わず馬車の扉を開ける。

 

「陛下!」

「ア、アニエス……」

「一体何があったのです!?」

「いえ……その……。大したことではありません。昔話に花を咲かせていたのです。それで、わたくしが知らなかった話を聞いたものですから、驚かせてごめんなさい」

「そう……ですか。いえ、失礼いたしました」

 

 女王の近衛は、首を傾げながら仕事に戻る。ただその後、馬車から漏れてくる殺したような主の声は、妙にはしゃいでいたのが気になったが。

 

 一通り話が終わると、アンリエッタはルイズの手を握る。少し残念そうに話し始めた。

 

「本当に久しぶりに会って、もう少しお話ししたいんだけど、今は状況が状況だから」

「わ、分かっていますわ。姫さま。仕方がありません。そうです、仕方ありませんわ」

 

 ちょっと焦って返すルイズ。これ以上話を続けられると、ボロが出そうなのもあって。ただ、もう少しこの幼馴染と会話を、続けていたかった気持ちもあったが。

 

 やがてアンリエッタは女王の顔に戻る。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール殿。あなたにやってもらいたい事があります」

「何なりと」

「ヴァリエール公爵軍への伝令をお願いします」

「はい。……え?」

 

 少しばかり驚いて目を見開く。それに女王は笑みを返した。

 

「戦争が終わったのですから、それを知らせるのは、当然でしょ?」

「確かに……そうですけど……」

「ま!わたくしの心遣いに文句があるのかしら?」

「いえ、いえ、いえ!ち、違います!ちょっと驚いただけです。でも……あの……ありがとうございます」

「ふふ……。では、任が終わったら軍務は解きます。カトレア殿の所にも行って、安心させておあげなさい」

「姫さま……。はい!その任、全霊を持って達成いたします!」

 

 幼馴染であり主従でもある二人は、笑顔を向け合っていた。

 それからしばらくして、ルイズは王家の馬車で、両親がいる軍勢の元へ出立した。

 

 

 

 

 

 ルイズが両親の元にたどり着いた頃。辺鄙な廃村の近くに異様な集団がいた。

 小さな盆地の開けた土地。廃村はそこにあった。家々は朽ちて、蔦が張り付いており、道は草で覆われている。村の中心にある寺院は、かつては壮麗だったのを忍ばせるのみ。そんな村を、近くの山の中腹から眺めている。

 

「ここでいいのかしら?」

「そうよ」

 

 パチュリーとキュルケは遠目にある廃村を見つめていた。

 この廃村。かつてキュルケ達が宝探しのため訪れた場所だった。ただし今はオークの縄張りとなっており、ここに近づくものはいない。元々開拓村であり、辺鄙な場所にあったのも理由の一つだ。

 

 オーク。人間の約五倍の体重を持つ、巨躯を誇る亜人。動きは鈍いものの力は人間の比ではない。手練れの剣士ですら手こずる相手。そんな亜人がたむろしている。しかし、だからこそ潜むには相応しい場所でもあった。ちなみにここを案内したのはキュルケ。そもそもキュルケを戦場に連れて来たのは、戦争の終了後の、落ち着き場所を教えてもらうためでもあった。

 

 パチュリーは全員の方を向く。そこにはルイズと別れた幻想郷メンバーとタバサがいた。使い魔であるはずの天子もここにいた。本来ならルイズと共にいるべきなのだが、すでに何度かトラブルを起こしている使い魔を、どう扱うか困っていた。それで落ち着くまではパチュリー達と同行させる事にする。衣玖の側の方が、安心できるというのもあって。

 

 紫魔女は口を開く。

 

「あそこにしましょう」

「そう」

 

 小さく返すアリス。だがキュルケが一言添える。

 

「最初に言ったけど、オークがいるわよ」

「なんとかするわ。とりあえず、休みましょうか。朝まで大変だったものね。それに準備もあるし」

「助かったぜ。さすがに徹夜明けすぐはつらいからな」

 

 魔理沙が浮いている箒に、ぐでっと寝そべりながら言う。幻想郷組で唯一の人間である彼女には、今までの騒動の後で、また何かするのは少々厳しかった。他の連中はこの程度はなんともないが。

 辺りに結界を張ると、魔理沙は寝に入る。それは同じ人間であるキュルケとタバサも同じ。一方、パチュリーとアリスは、何やらいくつかの魔法を仕掛けていた。

 ちなみに、キュルケは最初こそ彼女達を警戒していたが、時間も経った事もあり大分慣れてきた。もっとも、普段通りという程ではない。一方、タバサはむしろ好意的。と言っても、あまり話さないのは変わらない。

 

 

 

 

 

 昼も過ぎ、夕方に差し掛かろうとしていた。キュルケと魔理沙は、タバサがどっかから取って来た食材を適当に調理して口に入れている。まあ、キュルケが口に入れるのをためらったものもあったが。一方のパチュリー達は勝手に暇をつぶしている。そんな中、アリスの傍らに置いてある魔法陣に囲まれた水晶玉が、ずっと薄っすら輝いていた。

 

「そろそろいいんじゃないかしら」

 

 アリスが水晶玉を見て言う。それにパチュリーが少し疑問形。

 

「もう?」

「思ったほど社会性が高い訳じゃないようよ」

「そう。ちょっと厄介かもしれないわね」

「ええ」

 

 食事をしながら二人の会話を見ていたキュルケが、魔理沙に尋ねる。

 

「どういう事?」

「翻訳魔法作ってたんだぜ。アリスの人形が、連中の根城に忍び込んで言葉集めててな。ボキャ貧なんで、短時間で終わっちまったんだろ」

「えっ?オークって言葉が話せるの?」

「話せるんじゃないのか?声でコミュニケーション取ってるようだし」

「…………」

 

 オークとのコミュニケーションは可能だとは知っている。でないと、オークなどの亜人を戦争に参加させる事ができない。しかし、それが言葉だとは知らなかった。それに、亜人とのコミュニケーションは特殊な専門家でないと出来ないはずだ。それがこんな短時間で、出来てしまうとは。キュルケ、少しばかり衝撃を受ける。もっとも、魔理沙とキュルケのいう「言葉」は、微妙に意味が違うのだが。

 だが次の瞬間には、別の事が気になった。

 

「交渉ってなんの?」

「だってあそこ連中の縄張りなんだろ。間借りするなら、話、詰めないといけないだろ?」

「は?」

 

 言われた事が理解できない。オークのいる土地に入るという事は、すなわち戦ってオークを追い払う。その二つが直結しているのがハルケギニアの常識だ。しかし目の前にいる白黒メイジは思考の外を口にする。つまり、話し合って貸してもらうと言っている。キュルケは少しばかり動揺して尋ねた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。オークって人食べるのよ」

「ああ、そうだってな」

「人間の敵よ」

「人間の敵かもしれねぇが、私の敵とは限らねぇだろ?」

「えっ!?」

 

 この目の前の異世界メイジの言う事が、まるで分からない。確か魔理沙は人間だと聞いた。なのに人を食べる相手を何とも思わないのか。どういう感覚なのか想像つかない。一言おうとした時、袖が引っ張られた。タバサだった。

 

「何?」

「言っても通じない」

「何でよ」

「おそらく、彼女達は種族間の繋がりが希薄で、個人の繋がりが強い。天使と悪魔がいっしょに行動できるくらい」

「それじゃあ何?亜人の知り合いの方が、赤の他人の人間よりずっと大事って事?」

「たぶん」

 

 言葉に詰まるキュルケ。要は相手が亜人かどうかは関係なく、自分との距離感だけで判断していると。タバサの言っている意味は分かる。分かるが、気持ちの中にうまく嵌らない。一つだけ分かったのが、異世界というのは、能力がどうこうというだけではなく考え方も違うという点だった。

 もっとも、こうして人外達の側にいて、キュルケ自身の感覚が変わりつつある事にまだ気づいていなかったが。

 

 やがて、パチュリーが水晶玉をこあに預ける。

 

「さてと、そろそろ行くわ」

「おう。しっかりな」

 

 魔理沙の威勢のいい声援。ちなみに彼女は行かない。人間である魔理沙は、オークの前に出るとトラブルになりそうなので、お留守番。それはキュルケとタバサも同じ。

 パチュリー、アリス、天子、衣玖、こあ。このメンバーで交渉に向かうこととなった。文は取材と称して付いて行くが、交渉には参加する気はさらさらなかった。

 やがて四人は村の中央に降りる。文は上空で待機、というかシャッターチャンスを待っていた。すると彼女達の四方から豚の顔した巨躯の亜人が現れた。その数4。始め敵意を見せていたオーク達だが、パチュリーが話しだすと、敵意を緩める。交渉の始まりだ。

 

 そんな様子を遠くから見ている留守番組。その中でキュルケはやきもきした気分になっていた。このメンツで交渉の様子がハッキリ分かるのは、遠見の魔法を使えるタバサだけ。他の二人には、人影があるくらいしか分からなかった。キュルケはタバサに急かすように尋ねる。

 

「どうなってるの?」

「なんの変化もない」

「う~ん……じれったいわね~」

「私達が気を揉んでも、仕様がない」

「分かってるわよ」

 

 ちょっと強めの口調となってしまった。もちろんキュルケやタバサにとっては、この交渉がどうなろうとも意味はない。頼まれたのは、隠れ家に都合のいい場所の紹介だけなのだから。しかしキュルケは、彼女達がオークにどう対応するか興味があった。この異界の連中が。これまで、彼女達の力はいくつか見せてもらった。それらは驚愕すべきものだが、まだまだそれもほんの一旦にすぎない事も分かっている。だからこそ、さらに彼女達の力を見たかった。

 

 長らく話し合いが続いていたようだが、双方の態度が変わる。タバサがポツリとつぶやく。

 

「交渉が決裂したみたい」

「えっ?」

 

 キュルケはちょっと驚く。だが、同時に期待が膨らんでいた。気づくと脇に、箒に乗ったおとぎ話魔女が目に入る。

 

「んじゃ、私は行くぜ」

「留守番してって言われてなかった?」

「ああ。けど、こんな面白いものほっとく手はないだろ?」

 

 ニヤリと口の端を釣り上げると、ズトンと飛んでいった。

 燃えるような赤い髪のメイジは、魔理沙の後ろ姿を目に収めながら、笑みを浮かべていた。

 

「それもそうよね」

 

 するとキュルケはタバサと共に、シルフィードですっ飛んで行った。

 

 

 

 

 



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なつかしい我が家

 

 

 

 

 オーク達はじりじりとパチュリー達に近づいてきていた。敵意をむき出しにしながら。降ろしていた棍棒を、今はしっかり握りしめている。さらに仲間を呼んだのか、森の中からぞろぞろとオークの群れが姿を現した。

 だが当の敵意を向けられている方はというと、面倒くさそうにしていた。深夜から早朝にかけて、アルビオンとの戦をやったのもあって、この場は簡単に済ましたかった。それが想定外の事でご破算。もっとも、楽しそうにしているのもいたが。

 

 そんな微妙な表情を浮かべている彼女達の頭の上から、声が届いた。魔理沙だった。

 

「失敗したか」

「あんた、留守番しててって言ったでしょ」

 

 見上げたアリスの顔は、さらに面倒くさそう。もっとも魔理沙、意に介さず。

 

「来たって問題ないだろ?」

「そうだけど……」

「で?なんで失敗したんだよ。翻訳魔法がうまくいかなかったのか?」

「それ以前よ。連中、物の貸し借りとか売買って概念がないのよ」

 

 あきれたように答える人形遣い。

 アリス達はオークの縄張りにある寺院を借りたいと、オーク達に申し出ていた。対価として、人間を彼らの縄張りに近づけさせないという条件で。だが通じない。最初、少々困惑した幻想郷の面々だが、しばらくして理解した。オークの所有の概念は、とんでもなく単純だったからだ。なんとか彼らのわずかな言語で、説明したものの。知らない概念を理解させるのは、短時間では無理。

 逆にオークにとっては、自分達の言葉を話しながら、訳の分からない事を言う連中。少なくとも、縄張り内のものを欲しがっているのは確か。オークは彼女達を敵と認識した。

 

 二人の話を聞いていた明るい声が横から入る。悠然と腕を組んでいる天子。見ていて楽しくなるくらい、嬉しそうな笑顔。

 

「つまり、方法は一つしかないって事ね!」

「だな。力づくだ」

 

 魔理沙も幻想郷の住人らしい答え。

 天子と魔理沙の会話を、耳に挟んでいたパチュリーが振り返って言う。

 

「力づくでいいけど、一つだけ条件があるわ」

「なんだよ」

「ボコボコにね。トラウマになるほど。まるで歯が立たないと理解できるように」

 

 大きくうなずく二人。

 

 キュルケとタバサは、空から様子を窺っている。じわじわと包囲を縮めてくるオーク達。そんな様子をまるで気にしてないかのような幻想郷の住人達。

 

「どうするのかしらね?」

「見ていれば分かる」

「それもそうね」

 

 こちらも楽しそうな表情を浮かべている。

 

 その時、天子が叫んだ。明るい声で。

 

「とっか~ん!」

 

 天子、真っ直ぐオークへ突撃!もちろん素手。ターゲットとなったオークは驚いて、目を見開く。思わず棍棒を振り上げ、そして下ろそうと……。

 

「天子ぱ~んち!」

 

 棍棒が下りる前に相手はすっ飛んでいた。ゴロゴロゴロって具合に。

 

 脇にいたオークは唖然。どう見ても、人間の少女にしか見えない相手が、その十倍はあろうかという相手を、素手ですっ飛ばしたのだから。

 オーク達は訳も分からず、雄叫びを上げながら天子に襲い掛かる。棍棒を振り下ろす。

 

「フゴーッ!」

 

 しかし天子、棍棒を素手で軽く受けてとめた。

 

「すごい、すごい!腕力はさすが。けど、鬼って呼ばれてんなら、その10倍は出さないとねっ!」

 

 軽い気持ちで放たれるパンチ。だがその拳はオークを森の奥へと吹き飛ばしていた。天人無双。

 

 空のキュルケとタバサ、呆然。キュルケ、人の視線を常に意識している彼女にしては、珍しくポカーンとしている。一方のタバサは相変わらず変化のない表情ながらも、その目は見開いたまま。瞬きもしない。

 天子に天候の操作や大地を揺るがす力があるというのは、側で見ていた。それだけでも驚愕ものだが、単純な身体能力がここまで高いとは予想外。これが天使かと。人間の尺度で図るものではないと、改めて思ってしまった。

 

 一方、その様子を見ていた魔理沙が悔しそうにつぶやく。

 

「ちっ、出遅れた!」

 

 ズドンと箒でオークに突入。

 

「行くぜ!『メテオニックデブリ』!」

 

 手に持った八卦炉から、カラフルな星状の光弾がオークに向かっていく。

 星型の弾幕は全弾直撃。向かって来たオークに見事なカウンターになってしまった。大き目の石でもぶつけられたかのように、もんどり打って、ひっくり返る。気絶したものも何匹かいる。その仲間の状況を見て立ち尽くすオーク達。メイジとの戦いを何度か経験した事もある連中だが、こんな魔法は見た事がない。本能的な恐怖が彼らの頭の中をぐるぐる回り、余計に混乱する。もうそうなると、ただただ棍棒を振り上げ突撃するだけだった。その度に返り討ちに会うのだが。

 

 暴れまわる二人に目が奪われていたキュルケ達だが、ふと戦っているのは天子と魔理沙だけというのに気付く。脇を見ると、他のメンバーは皆、空に浮いたままその様子を眺めていた。その視線にアリスが気づく。

 

「なんで、手伝わないのかって顔ね」

「え、ええ……」

 

 人間らしい見かけとは言え、まだ人外に慣れてないキュルケ。

 

「面倒だからよ。やりたい連中だけが、やればいいの。まあ、危なくなったら手を貸すけどね」

「ふ~ん……」

 

 幻想郷の面々の微妙な距離感に、ちょっと驚く。分からなくはないが、理解しづらい感覚。

 

 やがて地上が静かになる。オーク達は算を散らして逃げ出していた。結局、天子と魔理沙にやられたのはそれほど多くない。だが、彼女達が得体のしれない連中と思い知るのは、それだけで十分だった。訳の分からない攻撃に慌てふためいたオーク達は脱兎の徒。

 キュルケとタバサは、静まり返った廃村を見下ろす。ハルケギニアでのオーク討伐と違う様子が、ちょっと気になった。脇のアリスに尋ねる。

 

「その……。なんで、殺さなかったの?」

「ん?殺しちゃったら、誰が酷い目に遭ったって伝えるの?」

「ああ。それもそうね」

 

 ついつい亜人は殲滅すべき敵という発想が、頭に出てきてしまう。だがよく考えれば、彼女達はこの廃村を拠点にしに来たのであって、オークを討伐しに来たわけではない。オークが近づかなければ、それでいい。変に恨みを買わずに、一方で恐怖だけ刻み付ける。それはオークを数匹、痛めつければ可能だった訳だ。アルビオン戦の時。死者を出すような直接攻撃をあまりしていなかった様子を見ていて、人道主義的なのかと思ったが、今の様子を見ているとどうも、そうではないらしい。オークに対し、話し合いが通じなければ、実力行使にすぐ出てしまうのだから。要は幻想郷の面々は目的にストレートで、面倒くさがりなのだろう。そんな考えがふと浮かんだ。

 

 やがて一同は地上に降りる。そして廃村の寺院を拠点と決めると、辺りに結界を張っていった。

 

 

 

 

 

 トリステイン領の端。広大な領土を持つ公爵家があった。ヴァリエール家。居城もその領土に見合う巨大なもの。だが、威勢を露わにする城とは不釣り合いなほど、ここは静まり返っていた。無理もない。今、この家には思わぬ災難がいくつも降りかかっているのだから。それを象徴するのが、次女、カトレアの寝室かもしれない。

 ルイズが行方不明になって以来、こうしてベッドに伏せっている。体は重く、気分は落ち込んだままに。

 

 そんなカトレアの寝室が、ノックもなく突然開いた。

 

「カ、カ、カ……」

「どうされたの?お姉さま」

 

 目を見開いたまま入り口で立ち尽くす金髪眼鏡の女性。長女、エレオノール。病床の床にあるカトレアは、彼女の様子にちょっとばかり驚く。いつもわがままいっぱいでヒステリックなイメージのある姉だが、いきなりノックもなく部屋に飛び込んでくるなんて事はまずしない。しかも病床の身の妹をいつも心配していたのだから、なおさらだ。

 

 相変わらず呂律の回らないエレオノール。

 

「ル、ル、ル……」

「ちょっと、落ち着いて。これを飲んで」

 

 カトレアはコップに水を入れて勧める。エレオノールは一気に飲み干すと、大きく息を吐く。

 

「ルイズが!ちびルイズが帰って来たわ!」

「え……」

 

 言葉が止まるカトレア。驚いて体を起こそうとする。だがまだまだ回復してない身。その体はどこか頼りない。エレオノールが肩を支える。

 

「ありがとう。お姉さま……」

 

 そう言って顔を上げた先。部屋の入り口に懐かしの姿が目に入った。もう見る事もないと、半分あきらめつつあった姿が。

 

「ちいねえさま。ただいま、帰りました」

「ルイズ……」

 

 カトレアはベッドを飛び出していた。ふらつく体をなんとか操り。

 その姿にルイズは思わず、駆け寄る。倒れそうになる姉を支える。すぐ側にある姉の顔。その瞳には涙が浮かんでいた。その時ルイズはふと感じた。帰って来たんだと。自分はようやく帰って来たと。

 二人は不思議と抱き合って泣いていた。

 

 やがて三人は、落ち着きを取り戻す。するとまずはルイズからの報告。

 

「えっと、父さまと母さまですけど。王城の留守居役が終わり次第こちらに戻るとおっしゃってました。後、数日だそうです」

「えっ?あんた、父さまと母さまに会ったの?」

 

 エレオノールの意外という声。うなずくルイズに、彼女は少し厳しく言う。

 

「よく頭下げたんでしょうね。あんたの事、本当に心配してたんだから」

「う、うん……」

 

 少しばかり小さくなって答えるルイズ。

 伝令として両親の前に出ていった時の事を思い出す。抱き着かれるわ、もみくちゃにされるわ、行方不明の理由をごまかそうとしたら厳しく追及されるわ。喜怒哀楽がぐるぐる回って出て来るような出会いだった。最後はやっぱり喜で終わったが。

 

 一段落すると、次にエレオノールは、いや、誰もが一番聞きたいことを口にする。

 

「それで、どこに行ってたの?」

「え、えっと……信じてもらえないかもしれませんけど、ロバ・アル・カリイエに行っていたんです」

「はぁ!?なんで、そんな所行ってたのよ!?っていうか、どうやって?」

「えっとですね……」

 

 それから召還された事、召喚先が幻想郷という所だと話した。もっとも異世界の幻想郷ではなくロバ・アル・カリイエの一地域と説明して。さらに妖怪の事もなんとかごまかす。エレオノールは最初こそ疑っていたが、あまりにルイズが真摯に話すものだから、本当ではないかと思い始めていた。少なくとも幻想郷での出来事自体は、本当だったのだから。

 

 しばらく三人に話した後、エレオノールとルイズは寝室を出ようとする。まだまだ語り足らないが、カトレアの体調の事も考えて。先にエレオノールが出る。そしてルイズが続こうとする。その時、カトレアが呼び止めた。

 

「ねぇ、ルイズ」

「はい?」

 

 振り返るルイズ。

 

「ちょっと来て」

「?」

 

 ルイズは訳も分からず寝ている彼女の側に寄る。一方、エレオノールはそのまま部屋を出ていった。

 カトレアは少しばかりいたずらな表情を浮かべ、ルイズを見る。

 

「さっきの話、嘘が入ってるでしょ」

「えっえっ……!?は、入ってないわ!」

「そうかしら?なんか、嘘ついてるような気がしたんだけどなぁ。でも全部嘘って訳じゃなさそう。隠さないといけない事なの?」

 

 自信ありげに言ってくる姉に、ルイズ、たじたじ。長らく心配かけていた引け目もあって、とうとう折れる。

 

「えっと……あの……その……。うん……。できれば……」

「父さまや母さまにもないしょ?」

「えっと……、ばれちゃって……」

「怒ってたでしょ」

「……うん」

「とっても心配してたのよ。やっと帰って来たのに嘘をつかれたんじゃ、怒るのも無理ないわ」

「……うん。ごめんなさい……」

 

 カトレアは余計に小さくなったルイズの頭を、やさしく撫でる。

 

「何か事情があるんでしょ?無理には聞かないわ。でも話したくなったら聞かせてね」

「うん……」

「そんなに、縮こまらないでよ。別に叱ってる訳じゃ……ごほ、ごほ……」

 

 不意にカトレアが咳き込む。ルイズは思わず背筋をさする。

 

「ちいねえさま!」

「ふう……。だいじょうぶよ。最近は大分落ち着いて来たから」

「だけど……」

「ルイズが帰って来たんだもの。しばらくすれば良くなるわ」

 

 笑顔を作るカトレアだが、その顔色はあまりいいとは言い難い。元々体の弱い彼女だが、それを悪化させてしまったのが、ルイズがいなくなったから。もちろん自分の意思ではない。しかし、じわっとした罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 

(ちいねえさま……。必ずなんとかしてあげる)

 

 ルイズはカトレアをベッドに寝かせながら、そう心の中でつぶやいた。

 

 それからルイズはカトレアの事を思って、しばらく留まる事にした。ちなみにエレオノールがいたのは、両親が出兵している間、留守を任されていたから。今はアカデミーを休職中。もっともアカデミーも国家存亡の危機という事もあって、研究どころではなかったが。

 

 

 

 

 

 

 それから数日が経つ。やがてヴァリエール公爵夫妻がようやく戻って来た。自領を通る軍勢には出陣する時の緊張感や勇ましさはなく、和やかな雰囲気さえある。公爵の軍は一兵も失わず、しかも国はアルビオン軍を撃退したのだから。領民たちも喜びと安堵の表情で、彼らを迎えていた。

 

 公爵夫妻の無事な凱旋と国の勝利。この二つの幸を迎えた居城では、ささやかな宴が催される事となった。いや夫婦にとっては、むしろ一番の幸いは、末娘、ルイズの帰還だったかもしれない。

 長いテーブルには久しぶりの面々が揃う。ヴァリエール公爵に夫人のカリーヌ。長女エレオノール。体はまだ十分とは言えないものの少しの間だけという事で、次女のカトレアもいた。そして主賓扱いとなっているルイズ。家族そろっての食事はいつ以来か。礼儀に厳しい家柄ながらも、その表情はどこか緩んでいた。

 まずは家長であるヴァリエール公爵が、ワインの注がれたグラスを高く上げる。

 

「まずは祝杯を上げよう。祖国の勝利と、そしてルイズの無事の帰還に!」

 

 乾杯の掛け声と共に、一斉にグラスを空ける。それからは途切れぬ会話が始まった。ターゲットはもちろんルイズ。

 エレオノールがまずは一番手。

 

「ルイズ。あなた、父さまや母さまに最初会ったって言ってけど、お二方とも行軍中だったのよ。どうして居場所が分かったの?」

「あ、それは……」

 

 ルイズが言いかけた所で、ヴァリエール公爵が言葉を挟む。

 

「ルイズは王家の伝令として来たのだよ。なんと、トリステインに戻って来て真っ先に向かったのが、我が家ではなく危機に陥っていた王家だったのだ。見上げたものではないか。うん。トリステインの貴族としては正しい行いだぞ。ルイズ」

「……はい」

 

 褒められた彼女、照れ笑い。

 公爵は末娘が帰って来たのがよっぽど嬉しいのか、ルイズを全肯定。

 すると今度はカトレアが声を上げていた。

 

「ちょっと待って。って事は、ルイズ。あなた、アルビオン軍と戦ったの?」

「えっ……」

 

 一気にルイズのにやけた顔が冷める。

 戦ったどころか最前線で幻想郷組と共に、アルビオン軍を撃退した。これを知っているのはアンリエッタ、アニエスとキュルケ、タバサだけ。極秘中の極秘だった。

 なんとか顔をのりで固めたように平静を繕うと、他愛もないかの質問とばかりに答える。当人はそのつもりで。

 

「い、一応、陣にはいましたけど、へ、陛下のお心を支えていただけですわ」

「「「…………」」」

 

 一同、微妙な顔つき。ここにいる誰もが、動揺しているように見えたというか、嘘ついていると思っていた。ルイズの嘘は分りやすい。そんなものは家族はおろか、あのキュルケですら分かってる事。こんな答えでごまかすのは無理だった。

 

 彼女の答えを聞いて、カリーヌは一つ溜息。執事のジェロームに人払いを告げる。執事もメイドも一斉に部屋を出た。ルイズ、さらに顔が青くなる。何度も経験した、母の雷が落ちて来る前兆かと。

 だが、カリーヌの表情には厳しさはあっても、怒りはなかった。

 

「ルイズ」

「は、はひっ!」

「まだ隠し事をしているようですね」

「あ、あのその……。は、はい……。も、も、申し訳ありません!母さま」

「そうですか」

 

 カリーヌは静かに頷く。そして真っ直ぐルイズを見た。

 

「ルイズ。一つ聞きますが、なんのために隠しているのですか?」

「えっ?それは……」

 

 母親の意外な質問に戸惑う。

 何のために隠しているのか?いくつもの言葉がルイズの頭に浮かぶ。トリステインの存亡、王家の危機、戦争、異界の魔法、虚無……。やがてどれもが消えていった。そして、最後に残ったものを口にする。

 

「異界の友人のためです」

 

 確かにパチュリー達の異質さは、トリステインにとってやっかいなものかもしれない。例え国を救ったとしても。それだけでも隠す理由にはなるだろう。でもルイズは、あのマイペースな連中の気持ちを考えて決めた。自分も口を噤み、口外しないようにアンリエッタに頼む。

 

 一方のカリーヌ、いやここにいる全員の目が丸くなっていた。予想外の答えに。貴族としてと言うのはよく聞くが、友人のためなんて言葉が出るとは思わなかった。

 彼女に友人と言えるような相手は、幼い頃のアンリエッタくらいしかおらず、学院に通うようになっても友人などと言うような話は耳にしていない。公爵夫妻もカトレアも、胸の内でそれを気にかけてはいた。

 異界、幻想郷の話は、伝令に来た時にさわり程度は聞いていた。ハルケギニアとは何もかも違う土地と。だが、そんな土地だからこそ、友人を作れたのかもしれない。

 

 末娘から出てきた言葉を耳に収めると、カリーヌはハッキリと言う。

 

「そうですか。ではこれ以上詮索しません」

「母さま?」

「ただし、一つだけ確かめたい事があります」

「はぁ……」

「その友人を我が家へ招待しなさい」

「え゛っ!?」

 

 ルイズ、思わず立ち上がる。意表を突かれたというか、度肝を抜かれたというか。

 

「いえ、その……それは……!」

「先ほどの話を聞いていると、その異界の友人とやらはハルケギニアにいるようですね。今でも、お付き合いしているのでしょ?」

「その……そうですけど……。でも……!」

「ならば余計に確かめねばなりません。あなたがどのような友人を持ったか、どんな世界で生活していたのかを。それに礼も言わねばなりませんしね」

「…………」

「いいですね。落ち着いたら、連絡を寄越しなさい」

「は……はい……」

 

 ルイズは力が抜けるように、椅子へ戻る。表情はまたもや青。そんな彼女にエレオノールが、今の話を聞いていろいろと尋ねてきた。だが右から左。今、頭の中にあるのは、予想される危機。フリーダムな幻想郷の連中を、この厳格な両親の前に連れて来る。絶対にトラブルの予感しかしなかった。

 

 

 



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主と使い魔

 

 

 

 

 今日もトリステイン魔法学院での授業が、いつもと同じように終わろうとしている。何気ない日常だが、今ではそのありがたみを誰もが受け止めていた。なんと言っても、ほんの少し前は戦争のため授業どころではなかったのだから。しかしアルビオン軍撃退後は、かつての風景を取り戻しつつあった。

 生徒達は、勉強道具を鞄にしまい、席を立とうとしていた。すると授業担当のミセス・シュヴルーズが声をかける。

 

「みなさん。もうしばらく、席に座っておいてください。お知らせがあります」

 

 一瞬戸惑った生徒達だが、浮かしかけた腰をまた下ろす。彼らが見たその太めの女性教師の顔は、いつも以上にほころんでいた。丸い顔なんで余計に。

 

「大変、喜ばしいお知らせです」

 

 やけに明るい声に、なおさら不思議そうな生徒達。シュヴルーズはドアの方を向くと声をかけた。

 

「お入りください」

 

 開いたドアから、見慣れた禿かかった眼鏡、もといコルベールを先頭にぞろぞろと人が入って来る。一体何事だと生徒達は怪訝な顔。だが、だんだんと誰もが気づき始めた。小声があちこちから上がる。

 

「あれ?ルイズじゃないか?」

「え!?……本当だ……」

「そうよ、ルイズだわ!」

「戻ってきたの!?」

 

 教室上がざわめきで溢れかえる。

 もっとも一部のというかキュルケ、タバサ、モンモランシーの三人だけは、やっと来たかという感じだったが。

 

 やがて檀上に、コルベールの後についてきた面々がずらっと並ぶ。それを待っていたかのようにシュヴルーズが口を開いた。

 

「みなさん、お静かに。もうお分かりですね。そうです、あなた方のお友達、ミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが戻って来たのです!」

 

 シュヴルーズは高らかに宣言。大スクープを掴んだ記者のように。

 

「さ、ミス・ヴァリール。ごあいさつを」

「はい。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。みなさんには、大変ご心配をおかけしました。ですが、こうして無事帰って来られました。これからは以前と同じく、よろしくお願いします」

 

 整然と挨拶をするルイズ。それに拍手を返すコルベールとシュヴルーズ。生徒達もそれにつられるように拍手をした。ただ微妙な表情で。いや、むしろ違和感という顔で。

 まずルイズ。確かに彼女だ。間違いない。しかし、何やら顔つきや雰囲気が変わっている気がする。そして手にしている杖も見知っているものではなく、やけに長い。普通の杖の2倍以上はある。教壇に立つピンクブロンドの少女。だが、自分達の知っている彼女が戻って来たような気はしなかった。いや、生まれ変わったと言うべきか。それに近い感覚だった。しかもそれだけではない。ルイズの横にいる奇妙な恰好をした連中はなんなのか。あきらかに異質な気配を撒き散らしている。

 不思議そうな顔を浮かべる生徒達に対して、コルベールが一歩前にでる。

 

「みなさん、いろいろと疑問があるでしょう。まずは説明したいと思います」

 

 そこからこれまでの経緯が語られる。今まで話したロバ・アル・カリイエの一地方、ゲンソウキョウという国にいたと、そしてなんとか戻って来たと。もちろんルイズ自身から聞いた話なので、異世界という言葉は出てこない。

 ただはるか東方からどうやって戻って来たのかという事は、誰もが気になった。しかし貴族の名誉にかかわるものもあるので、そこはあまり詮索しないように注意される。それを聞いて誰もがしみじみ思う。ルイズはかなり厳しい旅を続けてきたのだろうと。貴族の名誉を捨てねばならないほど。

 

 すると生徒達に次の疑問が浮かんだ。ルイズの隣にいる異様な面々。どう見てもハルケギニアの住人ではない。となると答えは一つしかなかった。するとギーシュがおもむろに立ち上がる。そして尋ねた。

 

「えっと……ミスタ・コルベール。ルイズの隣の方々なんですが、もしかして……ロバ・アル・カリイエの方々なのですか?」

「察しがいいですね、ミスタ・グラモン。その通りです。彼女達は、ゲンソウキョウという国の貴族の方々です。それでは紹介いたしましょう……」

 

 パチュリー達が紹介されている中、ざわめき始める教室。なにせ噂話。時にはおとぎ話程度でしか耳にしない世界の住人が、目の前にいるのだから。しかも貴族。つまり魔法が使えるという事。生徒達は幻想郷メンバーの異質感よりも、好奇心に心を躍らせていた。

 もっとも貴族というのは方便だ。平民ではいろいろとトラブルになりそうなので、幻想郷メンバーを貴族にしたのだった。魔法やら能力やらを使うのに都合がいいというのもあって。

 

 ところで、一方のルイズ達。特にルイズは、なんだか懐かしさに感極まっていた。こうして目に入る光景はほんの数か月前まで、彼女の日常だった。だが今は何年も前の事だったように感じる。幼馴染の女王に会い、愛すべき家族にも会った。ついでに腐れ縁の宿敵にも。そしてこの教室。自分の世界。そこに戻って来たという実感で、胸が満たされようとしていた。

 だが、それを邪魔する無粋な音がした。隣から。

 小刻みに床を踏む音。非想非非想天の娘、天子だった。腕組んで結構不満そう。コルベールの話が長いからだ。こらえ性のない天子ではこうなるのも無理もない。しかしそうなると思って、ルイズは事前に、注意しておいたのだが。天子はあいかわらず。使い魔の主は、小声で一言。

 

「ちょっと、静かにしてなさいよ。さっき少し我慢してって言ったでしょ」

「いつまで続くのよ」

「そんなに掛んないわよ」

「あとちょっとね。分かった」

 

 天子、足踏みを止めた。だが不満を無理やり抑え込んだようで、何やら危なげな空気を感じる。ルイズは少しばかり焦りだす。早く終わってくれと。

 それにしても、パチュリーやアリス、文、衣玖、あの魔理沙でさえ静かにしているというのに、この天人は相変わらず。まるで子供をしつけているような気分になるルイズだった。

 

 さらにもう一つ浮かぶ不安。このメンツを家に招待しないといけない。なんとしても無事に済ましたかった。だがトラブルのネタなら事欠かない連中。しかもすでに問題の要素が一つ出ている使い魔について。家では使い魔の事でも、少々無理なごまかしをして、納得してないという顔を向けられている。ともかくルイズの当面の悩み事だった。

 

 ちなみに、文の羽は畳み込んで隠している。そしてこあは留守番。文と違って羽を隠しようがないというのもあるが、作ったばかりの拠点を留守にするのもマズイという事で、残っている。

 

 コルベールの話は続く。ルイズの焦りと天子の不満を他所に。

 

「この方々は、ハルケギニアに興味を持ち、ミス・ヴァリエールと共にこちらに参られました。さらに、王家の来賓として迎えられています。ただ、はるか遠方からの来賓。いらぬ混乱を避けるため、公表を避けるように通達がありました。ですので、みなさん。あまり騒ぎ立てないようお願いします」

 

 その言葉で、ざわめいていた生徒達の口が閉じる。ちょっと残念そうな顔と共に。いろいろと聞きたい事を山の様に頭に浮かべていたのだが、騒ぎ立てるなと王家から言われてしまうと黙るしかない。

 

 それではという事で、ルイズの方に注目が集まった。一人の生徒が質問を口にする。

 

「その……ルイズのマントの色なのですが……やはり進級できたという事なのでしょうか」

「はい。その通りです」

「では召喚の儀は、結局成功してたのですか?」

「はい。その契約した相手こそ、ミス・ヴァリエールの隣にいる方。ミス・ヒナナイです」

 

 生徒達から驚きの声が上がる。よりにもよって人間、しかも貴族と契約をしたと。静まった教室がまたざわめく。あのゼロのルイズの使い魔となった東方の貴族。いったいどんな相手なのか。

 

 一方、ルイズはそれどころではなかった。冷や汗がどっと出る。マズイという直感が背筋を走る。というのも、この話の流れではあの禁句が出てきかねないから。しかも当の天子は、不機嫌度がMAXに近づきつつあった。ルイズは、なんとか話をそらそうと……。

 

 だが、遅かった。ギーシュが口を開いていた。

 

「では、ミス・ヒナナイがルイズの『使い魔』なので……」

 

 風を切るような音が、ルイズの脇からした。気づくと、ギーシュに向かって岩が飛んできていた。すさまじい勢いで。

 

「えっ!?」

 

 茫然と立ち尽くすだけのギーシュ。次の瞬間には要石が直撃していた。

 

「ぐぇっ!」

 

 ガチョウが絞められたような声とともに、吹き飛んだ。そしてパタリと床に落ちる。

 

 教師も生徒も全員が固まっていた。何が起こったか分からない。ただその目に映るのは、床に突っ伏したギーシュと、彼がいた場所に浮いている30サントほどの岩。岩は妙な紙のぶら下がった縄がまかれ、くるくると回っている。やがて岩は吸い寄せられるように天子の手元へ戻り、キャッチ。

 息を飲む一同。今のは何か?東方の魔法なのか?そもそも何故岩が飛んでいったのか?理解が追いつかない。

 

「ぐぐぐ……」

 

 視線が天子に集まっている中、反対側からうめくような声が上がった。床の上で。ギーシュだった。彼は四肢に力を込めながらゆっくりと立ち上がった。瞳に怒りの炎を浮かべつつ。そして天子に向かって怒号を上げた。

 

「な、なんの真似だ!」

「あんたが、『使い魔』とか言うからでしょ」

「はぁ!?なんだ、それは!?訳が分からない!」

 

 ギーシュが珍しく我を忘れて怒鳴っている。だが彼の言う事ももっとも。特に無礼を働いた訳でもないのに、いきなり吹っ飛ばされたのだから。確かに天子にとって使い魔という言葉は禁句。だが、彼が知っている訳もない。

 実は先に学院長室で挨拶をしたときに、この点を事前にコルベールが説明する手筈になっていた。もちろん天子の方にもルイズから、騒ぎを起こすなと言っている。一応。

 ただ、当のコルベールが話に夢中になって忘れていた。頭の薄い教師は、慌てて二人を落ち着かせようとする。

 

「あ、その……ミス・ヒナナイ!説明が遅れて申し訳ない!ミスタ・グラモン!怒りを抑えてくれたまえ!実は……」

 

 しかしコルベールの声は、ギーシュの耳には入ってない。

 

「ゆ、許せん!決闘だ!」

「ま、待って!」

 

 杖を抜こうとした彼を、止める姿があった。モンモランシーだ。その表情はあからさまに動揺していた。彼女は天子が何者か知っている。無理もない。

 

「せ、せっかくルイズが帰って来たんだから。そういうのは無しにしましょ。それより、怪我してるんでしょ!?ほ、ほら、治療しないと」

「いや!トリステインの貴族として、武門の家の者として、こんな侮辱を受けては我慢ならない!」

「そ、その……き、貴族同士の決闘は禁じられてるのよ」

「それは学院の生徒の間だけだ!」

 

 彼女の必死の声でも収まらない。しかし、モンモランシーの応援が入る。キュルケだった。

 

「恋人のいう事は聞いた方がいいわよ」

「え?」

 

 ちょっとばかり驚くギーシュ。こういうイベントはむしろ煽りそうな彼女だと思っていたが、言っている事はその逆。しかもやけに真面目そうな顔つきで。さらに応援がもう一人。タバサだった。

 

「国の来賓に決闘を申し込むのは、さすがに問題」

「う……」

 

 ギーシュ、黙り込む。そして渋々、席に戻った。確かに王家の客人相手に決闘するのは問題だ。だがそれ以上に二人の態度に、少しばかり気圧されたのもあった。そもそもキュルケだけではなく、いつもなら我関せずのタバサまでもが、止めに入るのだから。独立独歩気味の実力者と知られている二人。この二人までもが止めに入る相手。何かおかしい。ギーシュには腑に落ちないもの浮かぶ。そんな訳で、怒りが収まり始めていた。

 

 だが、寝た子を起こすような声が耳に入る。檀上から。

 

「決闘よ!」

 

 ルイズの声。間違いない。使い魔に代って主が名誉を賭けようというのか。ギーシュ、さすがにもうこれは引っ込む訳にはいかない。憤怒の顔を起すと立ち上がった。そして杖に手をかける。

 

「いいだろう!そこまで言うなら……あれ?」

 

 杖に触れた手は力なく降りていく。檀上の様子を見て。

 確かにルイズは杖を向けていた。ただしそれはギーシュの方ではない。

 隣にいる使い魔の方だった。

 

 

 

 

 

 突然、学院長室の扉が開くと、コルベールが飛び込んできた。

 

「学院長!」

「なんじゃい。新しい秘書でも見つかったかの?」

「は?」

「ほれ、頼んでおいたじゃろ。秘書がいなくなったから、探してきてくれと。美人でスタイルのいいのを」

「そ、そんな事はどうでもよろしい!」

「カリカリしとると、また毛が抜けるぞ」

 

 思わず頭に手をやるコルベール。だが、すぐに我に返ると、一つ咳払いを入れ落ち着く。

 

「学院長。生徒が決闘しようとしています」

「そんなもん、しょっちゅうじゃろう。遊びのようなもんじゃろうに。大っぴらでないなら、放っておけ」

「それが、ミス・ヴァリエールとミス・ヒナナイなのですよ!」

「ん?あの二人は主と使い魔の関係と聞いておったが……」

「そうですよ」

「主と使い魔が決闘?妙な事もあるもんじゃな」

「しかも使い魔は、あの『ガンダールヴ』のルーンを持つ者ですよ。いかがいたします?」

 

 『ガンダールヴ』。伝説上にしか存在しないと思われていた使い魔のルーン。それがはるか東方から来た人物に刻まれていた。気づいたときには、さすがの二人も驚く。だが、むしろ遠方の者だからこそ、刻まれたのではと考えを変える。それ故、ルーンに真実味があった。

 

 厳しい顔のコルベールの問いに、オスマンは長い髭をいじりながら考える。やがて口を開いた。

 

「では、見物するとするかの」

「と、止めないのですか?」

「彼女達を見ておると、どうも気心の知れた仲のようじゃし。そう無茶はせんじゃろう。それに……」

「それに?」

「『ガンダールヴ』のロバ・アル・カリイエの貴族が、ここで暮らすのじゃ。しかも他の東方の貴族も面倒見らんといかん。力のほどを知っておきたい。手に余るのか、なんとなるのかをの」

「なるほど」

「王家もやっかいなものを、押し付けたもんじゃて」

 

 オスマンはブツブツと文句を言いながら、遠見の鏡を取り出した。やがて鏡にルイズと天子の姿が映りだした。

 

 

 

 

 

 決闘の場である広場には人が集まっていた。彼らの視線の先には二人の姿。当事者である、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと比那名居天子。

 

 教室での騒動。あまりの天子の傍若無人ぶりに、ルイズも我慢の限界。沸点の低いルイズにしては、頑張ったというのに。それにこのメンツを実家に招待する予定になっている。一番トラブルメーカーになりそうな天子を、なんとしても手なづけないとならなかった。もはや白黒つけるしかないと、覚悟を決めた。

 ルイズの天子への要求は一つ。勝利の暁には、使い魔として主に従うようにする事。要は、普通の主の使い魔の関係になれと、当たり前の要求だった。一方の天子は、『緋想の剣』持ち出しをなんとか見逃してもらう事。もっともこれは、衣玖がやるのだが。最初、天子は決闘を拒否していた。勝ってもメリットがないので。だが衣玖の取り成しで決闘を決意。勝利の見返りを用意するからと。それが『緋想の剣』について総領に口利きをするというものだった。

 

 二人を囲んでいるクラスメイト達は、少しばかり興奮気味の様子で眺めていた。使い魔の主と使い魔が決闘するという、あり得ない珍事がここで起ころうとしていたのもある。それ以上に、ロバ・アル・カリイエの貴族の力を見られるというのがあった。

 

 そんな中にキュルケもいた。タバサ、モンモランシー、ギーシュと共に。だがギーシュ以外は他のクラスメイトほど興奮してはいない。むしろ少々不安だった。キュルケがそれを口にした。

 

「ルイズどうするのかしら?」

「どうするって?」

 

 モンモランシーが尋ねる。それにキュルケは、少しまくしたてるように言った。

 

「あなたはあの後見てないから知らないだろうけど、あの天子って子、ほんと化物じみた強さよ」

「そんなに強いの?」

「スクウェアレベルのメイジでなんとか……なるかしら?」

「そんなに!?じゃぁ、ルイズどうやって勝つの!?」

「だから、どうするのかって思ったのよ」

 

 そんな二人の会話を聞いていた、ギーシュが割り込んできた。

 

「もしかして、以前にあのロバ・アル・カリイエの貴族達に会ってるのかい?というか、そうとしか聞こえないんだが」

 

 一瞬黙り込む二人。観念したようにキュルケが話し出す。

 

「他言無用よ。実はルイズがトリステインに帰ったばかりの時に、偶然出くわしたのよ。あの連中と一緒にいたところにね」

「そうなのかい?でも、なんで今まで黙っていたんだよ」

「そりゃ、騒ぎになるでしょ。消えてしまったルイズが戻って来たんだもの。それだけでもね。で、ルイズから口止めされてた訳」

「なるほど」

 

 キュルケの言っている事にうなずく、ギーシュ。するとふと疑問を浮かんだ。

 

「ところで……先に会った君達に、聞きたいんだけど……」

「何?」

 

 モンモランシーが答える。

 

「あのヒナナイテンシって貴族は、本当にルイズの使い魔かい?」

「どういう意味?」

「人間を使い魔にするなんて聞いた事ないし、決闘するほど主と使い魔の仲が悪いってのも聞いた事がない。使い魔がどんなものでも普通、主とは仲がいいもんじゃないのかな?だいたい、サモン・サーヴァントで呼び出された所も、コントラクト・サーヴァントで契約した所も誰も見てないんだろ?」

「う~ん……。言われてみればそうだけど……。でも、使い魔のルーンが刻まれてたわ。手に」

「確かにそれらしきものがあったけど、あんなルーン知らないよ。ただの入れ墨じゃないのかな?」

 

 それを聞いて、考え込むモンモランシー。普通、使い魔の召喚も契約も第三者の前でやる。ワザワザ証明する必要などない。だがルイズと天子の場合は、彼女達の証言のみが唯一の証なのだ。そして『ガンダールヴ』のルーンは、一部の教師や研究者しか知らなかった。

 するとそこでキュルケの声が挟まれた。

 

「それじゃギーシュは、ルイズが嘘ついてるって思ってる訳ね」

「可能性もある、って言ってるんだよ」

「それはないわ」

 

 キュルケ、あっさり断言。ギーシュはちょっと意外そうな顔を浮かべた。

 

「ルイズは、そういう見栄を張るための嘘はつかないわ。口にした事は無茶でもやろうとするしね」

「ずいぶんとルイズの肩を持つんだね」

「肩を持つって言うか……、経験則というべきかしら」

 

 少しばかり鷹揚な態度で答えるキュルケ。それにタバサのツッコミ。

 

「いつもルイズを、からかっていたから」

 

 キュルケ、ちょっと気まずそうな顔。思わずギーシュは納得してしまっていた。

 

 一方、広場の中央では、ルイズと天子、そして審判役の衣玖が集まっていた。他の幻想郷メンバーは校舎の、屋根に座って眺めている。

 魔理沙が隣のアリスに尋ねた。

 

「ルイズってチルノ以外に、弾幕ごっこで勝った事なかったよな」

「練習でもね。チルノも、だまし討ちみたいなもんだったし。ま、あの子も随分腕が上達したし、頭の回転もいいから結構いい勝負するんじゃないかしら」

 

 この会話を聞き、文が嬉しそうに言葉を添える。

 

「見ごたえあるのは間違いないって事ですね」

 

 そう言って、カメラを広場に向けていた。

 

 広場中央では、ルイズと天子が向き合っていた。そしてルイズが話しかける。なんかやけに楽しそうな天子に。

 

「天子。幻想郷の決闘に弾幕ごっこのルールがあるように、ハルケギニアの決闘にもルールがあるわ」

「うん」

「まず、これを持って」

 

 そう言ってルイズが差し出したのは一本の棒。ちょうど普通の杖くらいの長さだ。手にした天子は不思議そうに尋ねる。

 

「何これ?」

「杖の代わりよ」

「別にいらないんだけど」

「決闘にいるのよ。ルールを説明するわ。ルールその1.降参を口にした方が負け」

「うん。当然」

「その2.杖を折られた方が負け」

「そのための杖か。ふ~ん」

「その3.吹き飛ばされた時の着地以外じゃ飛んではダメ」

「飛ぶのダメか……。うん。分かった」

 

 天子は嬉しそうに大きくうなずく。それはもう、並んでいたアトラクションの順番がようやく来た子供のよう。決闘というのにこの態度。普通のハルケギニアの貴族なら、怒る所だろう。しかしルイズには分かっていた。幻想郷の住人にとっては、これもちょっと変わった遊びにすぎないのだと。

 やがて、衣玖が間に入る。

 

「それでは、お二人共。位置についてください。そろそろ始めます」

 

 二人は、距離を取るように別れた。

 

 遠くに緊張感を漂わす二人。それを眺めているギーシュは、疑問を口にした。

 

「決闘にあんなルールあったっけ?」

「実質的にはある」

 

 意外にも答えたのはタバサ。それにキュルケが補足。

 

「杖を折られたら、魔法は使えなくなるからその時点で負けたも同然だわ。それに飛ぶのは禁止されてる訳じゃないけど、飛んだら他の魔法が使えないしね。逃げ回って相手の精神力切れを狙うってのも考えられなくもないけど、そんな戦い方じゃ勝っても後ろ指さされるだけよ」

「そうか。意識はしてなかったけど、確かにそうだ」

 

 うなずくギーシュ。その横でモンモランシーは微妙な顔つきで広場中央、ルイズを見ていた。

 

「それにしても、ルイズのあの恰好なんなのかしら?」

 

 ここにいる誰もが同じ感想を持っていた。ルイズの恰好に。

 いつものシャツにスカートではなく、キュロットみたいな半ズボンらしきものをはいている。そして上着は半そでのタブレットみたいなもの。だが何か違う感じを思わせる。さらに上着の背中に記されているルーンというか文字みたいなもの。貴族の証とでもいうべきマントは、端を巻き上げられ紐状にして、腕を巻くようにして背中で結ばれている。全体を緑に染めたその服装は、誰もが初めて見るものだった。

 何か新しい魔法の準備か、あるいは服自体がマジックアイテムなのか、と勝手な事を考える見物人達。

 

 だがこれ。実は美鈴からプレゼントされたもの。つまりは中華風道着。背中に綴られている文字はもちろん"龍"。ルイズの長い髪は三つ編みで一本にまとめられ、動きやすいようになっている。そしてマントはまとめて襷代わり。師匠のプレゼントに身を包んだルイズは、やけに長い杖を右手に持つと、構えを取る。右自然体、重心はあくまで正中。もはやメイジというより、刀術か棒術を使いこなす拳法使い。

 

 そんなルイズの姿を、天子は楽しそうに見ていた。

 

「ルイズ。一つ、聞きたいことがあるんだけど」

「何よ」

「あんた、黄昏ルールって知ってる?」

 

 黄昏ルール。幻想郷の弾幕ごっこのもう一つのルール。地上戦を主体として、美しさや回避の巧みさを競うのではない、より実戦的なルールだ。さらに肉弾戦を組み込んでいる点も違っていた。

 ルイズは天子に答えた。

 

「やった事ないけど知ってるわ」

「私、そっちの方が得意なのよねー」

「……!」

 

 ルイズ、息を飲む。普通の弾幕ごっこじゃまず勝ち目はない。だから地上戦に持ち込めばと思っていたが、まさかこんな見落としがあったとは。

 

「普通の弾幕ごっこも飽きてたから、こういうのも悪くないし。でも、なるべく楽しい方がいいから、すぐ倒れないでよね」

 

 天子は腕を組むと悠然と構える。

 一方、ルイズは冷や汗一つ。だが、思い起こせば、幻想郷に行ってから自分よりはるかに強い連中とばかり戦ってきた。そして天子も当然自分より強い。それにこの戦いも、ルールのある決闘だ。これもまた幻想郷と同じ。考えてみれば、いつもと同じなのだ。ルイズは覚悟を決める。すると不思議と、笑みがこぼれていた。

 

「そのつもりよ。こっちも楽しませてもらうわ」

「うんうん。なんか、面白くなってきた。衣玖、いつでもいいから」

 

 すると衣玖が手を上げる。

 

「では、始め!」

 

 手が振り下ろされた。

 直後、天子のいた場所から土煙が上がる。一瞬誰もが、ルイズの失敗爆発魔法と思ったが、爆発音ではなかった。実は天子が大地を蹴って、猛ダッシュ。天人の馬鹿力が地面を吹き飛ばす。

 見物人が天子の姿に気づいたときには、もうルイズの目の前に迫っていた。ニヤリと笑みを浮かべる天子。その拳がルイズに向かった。

 

 だがルイズ。突き出した天子の拳を、体術で見事にかわす。狙いが杖と読み通りだったのもあって。それに弾幕ごっこでは、かわす技術は基礎の基礎。修練を積み重ねたおかげ。

 

 かわされた天子はそのまま直進。

 その方向にいた生徒達は、驚いてフライで飛ぶ。天子は彼らをあっという間に通り越すと……校舎の壁に直撃。

 壁から土煙が上がった。

 言葉に詰まる生徒達。それはモンモランシー達も同じ。

 

「え!?自爆?っていうか大丈夫なの?あの子」

 

 それはここにいる誰もが思っていた。瞬時にあれだけ動いたのも驚きだが、あの勢いで壁にぶつかったのだから、無事で済むはずないと。

 だが、それにキュルケが答える。

 

「たぶん、なんともないわ」

「あれで?」

「たぶんね」

 

 モンモランシーは視線を土煙に向ける。するとその中から、平然と天子が歩いて出てきた。怪我をした様子もない。やがて煙が晴れてくると、彼女の背後に見えてきたのは……大穴。壁に大穴が開いていた。ギーシュが息を呑む。

 

「あんな穴、空けるほどの勢いでぶつかって、なんともないなんて……。いったいどんな魔法だろう?」

「……」

 

 何か言いたげだが口をつぐむキュルケ。一方、タバサが珍しく感想を口にした。

 

「避けたルイズもすごい」

「そう言えばそうね。あの恰好のおかげ?」

 

 同じ状況にあったら、キュルケはとても避けられそうにないなんて思っていた。

 

 一方の天子は、しばらく進むとルイズに声をかけた。

 

「体術習ってからそんなに経ってないのに、いい動きするじゃないの」

「教え方がよかったからね」

「んーなら、ちょっと違うのやってみようかなー」

 

 その言葉と同時に、天子の目の前に要石が現れた。ちょっと大き目の。ルイズは思わず身構える。弾幕が来る。そう直感した。

 天子に不敵な笑みが浮かぶ。

 

「んじゃ、行くわよー」

 

 ぶわっとばかりに、天子を中心に弾幕が広がった。それこそ花火のように。

 広場にいた生徒達は目を剥く。自分達に光の弾が迫って来ていた。慌てふためいて一斉に空へと飛ぶ。それはモンモランシー達も同じ。

 

「何よあれ!?東方の魔法!?」

「あんなたくさんの光の弾……。しかもずっと撃ち続けるなんて……」

 

 ギーシュもただただ目を見開いて、驚きをこぼすだけ。それはここにいるほとんどの生徒が、同じ気持ちだった。

 

 しかしルイズにとっては見慣れたもの。いつもの通常弾幕。地上なので飛んでるようにはかわせないが、それほど難しいものではなかった。いや、それが逆に気になっていた。

 

「密度が甘いわね……。こっちを落とすつもりじゃなさそう。何か狙ってる?」

 

 警戒しつつも軽いステップで、弾幕をかわしていく。

 当たっても弾幕ごっこと違いミスになる訳ではないが、弾幕自体はそれなりにダメージがある。人外ならともかく、人間のルイズには避けない訳にはいかなかった。

 

 弾幕を周囲に撒き散らす天子、楽しそうに口元が緩んでいた。そして、ルイズを指さす。

 

「それ!『非想の威光』!」

 

 要石から七条の筋、レーザー。

 ターゲットのルイズの周りにはまだ弾幕が溢れている。その弾幕をかわすため、彼女の動きは制限されていた。逃げ場がない。通常弾幕は、動きを封じるためのものだった。

 だが、ルイズ。魔法を発動。虚無の魔法『エクスプロージョン』を。

 爆音と共に辺りの弾幕が吹き飛ぶ。空いた隙間に体を滑り込ませ、レーザーを紙一重でかわした。

 『エクスプロージョン』は詠唱しだいで、艦隊まるごとから小石程度まで、爆発の規模を自由に選べる。さらに爆発する対象も選択可能。使い方しだいでは、かなり便利な魔法だった。さらにこの決闘は弾幕ごっことは違う。弾幕を吹き飛ばすのは、なにもスペルカードでなくてもかまわない。

 

 空に浮いているキュルケ達は、そんな二人の戦いを瞬きもせず見つめている。

 天子の見た事ない攻撃も驚きだが、それをかわし続けているルイズにも驚いていた。

 

「あの魔法を全部避けてるなんて……。いったいどんな目に遭ってきたのかしら……」

 

 まるで生まれ変わったかのような彼女に、言葉も途切れる。

 

 天子の攻撃を全てかわしたルイズ。今度は攻めに転じた。

 

「そこっ!」

 

 天子の足元が爆発。

 だが、爆煙の後には天子の姿はない。ルイズは目を凝らす。その時、視線の端にひっかかる影があった。

 

「上!?」

 

 ルイズは思わず真上を見上げた。10メイルほど上に、天子が宙を舞っている。彼女は別に飛んだ訳ではない。単にジャンプしただけだ。ただし天人の剛力で。天子はルイズを大きく飛び越し、後ろへ降りようとする。

 しかし、今度は天子が着地しようとした場所が吹き飛んだ。大穴が空く。

 

「うわっ!?」

 

 落とし穴にでもはまったように、穴に落ち込んだ。

 

「やってくれたわね!」

 

 すぐさま穴から出ようとする天子。だが、辺りで爆発がいくつも起こった。一旦、止まる。

 

「爆発に巻き込んで、杖を折る気?」

 

 天子の持っている杖はただの木の棒。ちょっとした衝撃で折れる事もある。やけくそ気味の爆発でも、勝負を決めてしまう可能性はあった。

 

「でもねー。それじゃ、つまんないって!」

 

 穴から飛び出ると、真っ直ぐルイズの方へダッシュ。対するルイズ。杖を真一文字に振る。弾幕斉射。横一列の中型弾幕。人間サイズの光弾の列が、薙ぐように天子へ向う。

 

「そんなんじゃ、止められないってば!」

 

 天子は杖を背中に回して守ると、迫る弾幕へ突貫。あたっても別にミスになる訳ではない中型弾幕。こんなものが、天子の脅威になるハズもなかった。中型弾幕を吹き飛ばし、さらに突撃。

 

 だが、すぐに足が止まる。弾幕を抜けた先、そこにルイズが見当たらない。

 

「あれ?」

 

 左右を見回すがどこにもいない。遠くに逃げた様子もない。もしかして、自分と同じように、空へジャンプしたのかと考える。ふと、上を見上げた。

 すると、手元から軽い音。

 音に釣られて顔を向けた先にあったのは……折れた杖だった。

 

「えっ!?えーーーーっ!?」

 

 唖然とした声を上げるしかない。いったい、いつのまに?どうやって?天子の頭にハテナがいつくも浮かぶ。

 すると、どこからともなくルイズの声がした。

 

「私の勝ちね」

 

 見た先にあったのは、穴から這い出ようとするルイズ。それで天子は理解した。

 

「あの時のやけくそ爆発……、穴掘るのごまかすためだったのね」

「そうよ。爆発で穴掘ってたの。それから中型弾幕でアンタの視界を奪って、穴に隠れる。後はアンタが私を見失って止まってる隙に、『エクスプロージョン』で杖を狙うだけ」

「う……ぐぐぐ……」

 

 完全にハメられた。歯ぎしりしながらうなる。だが、すぐに力が抜けた。

 

「はぁ……。負けちゃったか。分かったわ。ルイズの使い魔、やってあげるわよ」

「えっ!?ホント?」

「そういう話の勝負でしょ。自分で言ったじゃないの」

「え、あ、うん。うん。そうね」

 

 ちょっとばかり驚いて返事するルイズ。天子がまたわがまま言ってくるかもと思っていたので、この素直さは意外だった。だが、考えてみれば、幻想郷の住人らしいのかもしれない。弾幕ごっこで勝負がつけば、神や悪魔だろうと結果を受け入れるのが幻想郷。この天子も例外ではないのだろう。

 

 ルイズは気持ちを入れ替えると、一つ咳払い。

 

「ゴホン。それじゃぁ、主として最初の命令をします」

「何よ」

「ギーシュに謝ってきなさい!」

 

 ピシッとギーシュの方を指さした。天子は何のことかと思っていたが、指先の相手の顔を見て思い出した。

 

「ん?あーあー。あの子か」

「早く!」

「へいへい」

 

 だらけたようにトコトコとギーシュの方へ向かう天子。

 

 この後、天子はギーシュに謝る。だがその時にキュルケ達から、ルイズの使った魔法にいろいろと質問が噴出。特に中型弾幕については。一応、火の魔法とごまかしていたが、いかにも苦しい嘘だった。その後も、決闘で校舎の壁をボコボコにして大穴を空けた上、広場を穴だらけにしたとして、学院長室へ呼び出される。結局、罰として校舎中の掃除を言いつけられた。

 ルイズの学院復帰1日目は、勝利の喜びと、手痛い罰の落差の激しいものだった。

 一方の幻想郷の面々。いろんなトラブルが収まり、ようやく自分達のやりたいことに没頭できると、気分よくこの場を後にした。

 

 

 

 

 

 決闘騒ぎが一段落ついたのを確認すると、オールド・オスマンは一つ溜息。

 

「はぁ……。やっかいな連中を預かる事になったもんじゃ」

「ええ……」

 

 学院長室にいたコルベールもうなずくだけ。オスマンは記録を留めながら、つぶやく。

 

「なんじゃいったいアレは?力はオーク並、頑丈さはミノタウロスか?さらに得体の知れん魔法まで使いよる」

「正直ここまでとは思いませんでした」

「して、君の目にはどう映った?所感、いや直感を述べてもらいたい」

 

 ペンを止めたオスマンの目には、いつもと違う鋭さがあった。一方のコルベールも、いつもの教師の顔とは違うものが覗いていた。

 

「はい。手に余ります。正直、人なのかと思えるほどに」

「そうか。なら、できるだけ仲良くするだけじゃな」

「ええ。対面した様子からは、常識を弁えているとも感じましたしただ……ミス・ヴァリエールの使い魔はそうではないようですが」

「わしもそう思う。ああ、やっかいじゃ、やっかいじゃ」

 

 オールド・オスマンはただただ頭を抱えている。コルベールの方は息を飲みながらも、これから起こるかもしれないトラブルをいくつも予想していた。そしてもう一つ。本当にあれは人間のワザか?という疑念が頭に浮かんで仕方がなかった。かつて戦地にいた経験がそれを訴えていた。

 

 

 

 

 

 ルイズと天子の決闘から、数日。ここはパチュリー達の隠れ家。廃村の寺院。その地下。

 人目につかないように、ボロボロの寺院はそのままに、穴を掘り、地下室を作りだした。ここを拠点としている。ただ地下室を作ったのはいいが、補強をどうするかが大きな悩み。今は単に土を掘っただけの部屋なのだ。三魔女は様々な魔法を使えるが、建築に関しては全くの素人。天子や衣玖、こあも同じ。文は天狗であるのである程度知ってはいるが、さすがに地下室を造るとなると勝手が違っていた。いろいろと試したが結局、上手くいかない。そこでルイズに相談したら、いいアイディアを出してきた。それは、壁や天井を錬金で石に変え、柱に当たる部分には固定化をかけるというもの。

 

 パチュリーは補強の仕事をしたメンツに声をかける。ギーシュ、タバサ、キュルケにモンモランシー。

 

「世話をかけたわね。何かの形で礼はするわ。とりあえず貸しにしといて」

「いやいや、お礼だなんて。美しい女性のためなら、この程度いくらでもしてあげるさ」

「そう。ただなのね。悪いわね」

「え……」

 

 バカという視線が、ルイズ達からギーシュに送られる。ギーシュは土系統が得意という事で、今回一番働いたのだが。もっとも、なんだかんだで、結局何か礼をする事にはなった。

 やがて三人が学院に帰ろうとする。ただルイズだけは残った。

 

「パチュリー、相談があるんだけど」

「何?あなたには今回手を貸してもらった事もあるし。出来る事ならしてあげる」

「実は私の姉の事なんだけど……」

 

 それからカトレアの話をする。ただでさえ病弱な彼女が、ルイズがいなくなったせいでさらに弱くなってしまった事を。それを治して欲しいと。パチュリーは、心当たりはあると伝える。答えを聞きルイズは喜んで、三人の後を追った。ちなみに天子と衣玖は学院で留守番。

 

 彼女達を見送ると、パチュリーは地下室に戻って来た。

 

「さてと、私達も一旦帰りましょうか。幻想郷に」

「道具が何もないからな。いろいろ、持ってこないといけないぜ」

 

 魔理沙が転送陣を準備しながら答える。文もすでに書き溜めてある原稿をまとめながら言う。

 

「私も今回のシリーズの一号を出さないと、取材が長期になりすぎて忘れられてしまっては、元も子もないですから」

「それじゃ、そろそろ行くわよ」

 

 魔法陣の準備ができた事をアリスが伝える。魔法陣の上に五人、パチュリー、魔理沙、アリス、文、こあが立つ。そして詠唱が始まる。全員を青い光が包むと、やがて霞のように消えていった。

 

 

 




 天狗である文に建築がある程度できるというのは、一部の地域の伝承からです。一般的ではないのですが、妖怪の山の家はやっぱ自分達で作ったんじゃなかろうかと思いまして。


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幻想郷で一休み

 

 

 

 

 幻想郷、霧の湖のほとり。赤い屋敷が立っている。言わずと知れた吸血鬼の根城、紅魔館だ。

 その紅魔館の台所で、食事の準備しているメイドが一人。メイド長の十六夜咲夜。下拵えを進めていると、一人の小悪魔が飛び込んで来た。こあではなく、図書館の留守番をしていた司書の内の一人。

 

「メイド長、パチュリー様達が帰られました」

「あら、戻ってこられたの?」

「はい。それで、紅茶をいただきたいとおっしゃってます」

「何人分?」

「5人です」

「分かったわ。すぐにお持ちすると伝えといて」

「はい」

 

 司書はそう答えると、図書館へと戻っていった。咲夜は5人という人数に少し首をかしげるが、すぐに準備に取り掛かる。

 しばらくして紅茶を用意すると、図書館へ向かった。

 

「お帰りなさいませ。パチュリー様」

「ただいま。咲夜」

 

 挨拶をしながら、ティーカップを配る。テーブルでくつろいでいる久しぶりの面々へ。だがカップが一つ余った。

 

「5人と伺ったのですが、どなたか席を外しているのでしょうか?」

「あの……咲夜さん。たぶん、私のだと思うのですが……」

 

 文の前だけカップがなかった。少しばかり引いて尋ねる天狗。日頃の行いを察してか。

 しかしメイドは、憮然として一言。

 

「パパラッチに出す紅茶はないわ」

「えー!そんな!紅魔館の紅茶、久しぶりに飲めると思ったのにー!」

 

 烏天狗の悲しい叫び。それを見てパチュリーが一言。

 

「今回は彼女にも手伝ってもらったから、入れて上げて」

「…………かしこまりました」

 

 文はカップに注がれる、緋色の液体をキラキラした目で見つめていた。

 アリスはカップを手にし、香りと味を楽しむ。

 

「この味も久しぶりね」

「向うのお茶も悪くなかったけど、やっぱり飲み慣れてたせいかしら。この味の方が馴染むわ」

 

 パチュリーもわずかに笑みを漏らしながら、紅茶を口にする。

 

「20日ぶりでも、懐かしさを感じるものなんですね」

 

 咲夜が笑顔でそんな事を話した。その言葉に魔理沙が引っ掛かる。

 

「20日?」

「ん?正確には19日だけど」

「そんなにいたかなぁ。2週間ちょっとだと思ったんだが……」

 

 記憶を探るように、首を捻った。

 それにこあが同意。

 

「私もそんなイメージです」

 

 彼女の横で文が取材のメモ帳を取り出す。そして調べだした。

 

「16日間となってますね。咲夜さんの思い違いでは?」

「そんなはずないわ。メイド長として、日付の間違いは許されないし」

「う~ん……」

 

 腕を組んで唸りだす文。するとアリスが口元からティーカップを離すと、考えを一つ。

 

「もしかして、ハルケギニアと幻想郷で時間の流れが違う?」

「それはないと思うわ」

 

 パチュリーが反論。

 

「ルイズはこっちに2か月くらいいたけど、ハルケギニアでも2か月くらい経ってたわ。時間の流れが違っていたら、もっとズレてるはずよ」

「だったら何かしら?」

 

 次に魔理沙。

 

「あの転送陣、往復で3日かかるんじゃないのか?」

「何よ。そのやたら遅い転送魔法。聞いた事ないわ」

「神奈子が手を入れたからなぁ。だぶん、それでおかしくなってんだぜ」

「後は……、文字通り時空を移動してるせいで、時間軸がズレるのかもしれないわね」

「それはあり得るな。今度神奈子に、調整できるか聞いてみるか。いざとなった時、3日もズレるんじゃ困るしな」

「そうね」

 

 アリスはうなずく。

 そんな二人の会話を聞いていたパチュリーは、その可能性もあると思いながらも、何か腑に落ちないものを感じていた。

 

 結局の所、ハッキリした答えは出ず仕舞い。調べてもいない。原因が分かるはずもなかったが。

 一息つくと、やがてそれぞれの家路へと着いた。久しぶりのわが家へと。

 

 

 

 

 

 この所来なかった客が、人里のミスティアの店に入って来た。魔理沙と霊夢だ。ミスティアは少しばかり驚いて迎える。

 

「あれ?魔理沙。しばらく見なかったじゃないの。どうしたのよ?」

「ルイズの故郷に行ってたんだぜ」

「あー。そう言えば帰ったんだっけ。どう?あの子。様子は」

「帰ってすぐは、バタバタしたけどな。ま、変わらないぜ」

「ふ~ん……」

 

 ミスティアは話に耳を傾けながら、生真面目に屋台で商売していたルイズを思い出し、ちょっとばかり笑みを浮かべる。すると先に座った霊夢から声がかかった。

 

「話すのは後にしてくれない?」

「あ、はいはい」

「とりあえず冷二つとお新香、枝豆、それとウナギ二枚」

「は~い」

 

 ミスティアはさっそく準備にとりかかる。しばらくして、お新香、枝豆と徳利に入った日本酒が出てきた。二人は盃を交わす。最初の一杯を口にした魔理沙が、嬉しそうに言った。

 

「ん~。久しぶりだな。この味も」

「向うは日本酒ないの?」

「ワインとかの洋酒ばっかりでさ。悪くないんだけど、飲み慣れてたもんじゃないからな」

 

 霊夢はお新香をつまみ、口をもごもごさせながら尋ねる。

 

「それで、どんな所?えっと~……」

「ハルケギニアだぜ」

「それそれ」

「なんて言ったらいいかなぁ。紅魔館みたいな雰囲気の所だぜ。建物もだいたいあんな感じだ。色とか大きさは全然違うけどな」

「ちょっと想像しにくいね」

「もう少ししたら、文のハルケギニアシリーズ第一号が出るから、それに写真が載ると思うぜ」

「へー。文の新聞が役に立つとは思わなかったわ」

 

 いつもはかまどや焚き火の種火用くらいにしか思ってない『文々。新聞』が、少しばかり楽しみになっていた。

 次の杯を霊夢は口にする。

 

「またすぐ行くの?」

「まあな。戻って来たのは、研究の準備のためだからな。あっちに道具がなにもないからさ」

「そう言えば、食事とかどうしてんのよ?」

「ルイズの行ってる学院……寺子屋に食事処があってさ。そこの料理人に、世話してもらってる。ただそこの料理長がなぁ……」

 

 それから魔理沙は料理の話から始まり、トリステイン魔法学院、生徒達の様子など、次々話が広がった。土産話は尽きないので、二人の酒もいい感じで進んでく。

 やがてその二人の前に二枚の皿がでる。ミスティア自慢のヤツメウナギのかば焼きだ。

 

「はい、お待ち~」

「お、来た来た。この香りも久しぶりだ」

「しばらく来てなかったもんね」

 

 ミスティアが山椒を置きながら言う。魔理沙は山椒を手に取り、ウナギに振りかけた。香ばしい匂いが鼻を突く。

 

「って言うか、向う、醤油がないんだよ」

「それじゃぁ、代わりに何使ってんのよ?」

「代わりになるようなもんは、なかったなぁ……。せいぜいソースくらいか」

「ソースかぁ……。幻想郷とは違う?」

「全然違う。似てんのは見た目だけだ。後は香辛料も結構使われてたぜ」

「ふ~ん……。今度帰るときは、調味料適当に持ってきてよ。味見したいし」

「おう」

 

 ウナギを口に放り込みながら返事。あまり行儀のいいものではないが。

 話に区切りがつくと、霊夢が次の注文、こごみのおひたしと揚げ豆腐、また冷を二つ。聞き届けるとミスティアは板場へ戻っていった。

 しばらくまた話がはずんでいた所で、魔理沙がふと思い出したようにこぼす。

 

「そうだ。金、どうするかなぁ」

「お金?いるの?」

「何かと入用になるだろ?もってく道具は最低限だしな」

「こっちから持ってけば?金」

「通じるわけないだろ。実はさ。行ったばかりの時、ルイズの国の王様助けたんだよ。その礼で、お金結構もらったんだけどさ。でも、それだけってのもな」

「商売でもはじめる?」

「商売か……」

 

 顎を抱えて考え込む魔理沙。その時、ミスティアが近づいてきた。さっき注文したものとお酒だ。それをテーブルに置きながら話しだした。

 

「だったら、アイスクリーム屋はじめたら?」

「アイスクリーム?」

「ほら、ルイズが言ってたでしょ。氷、売ってないって。だから冷たい食べ物はヒットすると思うのよ。カキ氷屋でもいいけど、アイスクリームは年中それなり出るから」

「う~ん……。悪くないな」

 

 魔理沙は腕を組みながらうなずく。

 実は、幻想郷の人里にはアイスクリームが売っている。製造方は、19世紀後半の手動式。このため電気のない場所でも作る事ができた。ただ必須なのが氷。だが氷なら魔法で作り出すことができる。ハルケギニアには、氷以前にアイスクリームという発想自体がないので、売ればヒット間違いなし、という予感はあった。

 やがて次の注文を取ったミスティアは、また板場へと帰っていった。霊夢はヤツメウナギをつまみながら、ポツリとつぶやく。

 

「魔理沙。商売するのはいいけど、あんたできるの?」

「どういう意味だよ」

「自分の店だって切り盛りできてないじゃないの。そんな調子で、異世界で商売できるのか?っていうの」

「ウチはなぁ……道楽でやってるようなもんだから、いいんだよ」

 

 ぶっきら棒な返事。

 実は魔理沙。霧雨魔法店という店の商店主でもある。だが、店自体はほとんど客が寄り付かないので、開店休業状態なのだ。

 霊夢はそんな白黒魔法使いに、ちょっと嫌味っぽく言う。

 

「今度は本気出すって?」

「まあな」

「どうだか」

 

 霊夢はちょっとあきれ気味に、杯を煽った。

 やがて話は次の話題に転がり、二人はなんだかんだで結構長くミスティアの店にいたのだった。

 

 

 

 

 

 紅魔館の図書館に珍しい客が来ていた。八意永琳。永遠亭の薬師で月人だ。月の頭脳、不老不死の蓬莱人、月から来た宇宙人、万年を超す存在等々……いろいろ言われる。ともかく、得体の知れない女性で、この幻想郷の貴重で稀代の医者でもある。

 連れてきたのはパチュリーではなくアリス。彼女はルイズの姉、カトレアの病気を治せないか、永琳に相談しに行っていた。だが永琳は異世界へ行けることを知ると、そのための転送陣を見てみたいと言いだす。そこでこの図書館へ、お邪魔する事となった。ちなみに、パチュリーは別件があって今はいない。

 

 図書館にある魔法実験用の広い部屋と入る。小悪魔たちが忙しそうに床を拭いているのが、目に入った。永琳は彼女達を眺めながら尋ねた。

 

「何やってるの?」

「ああ、実験用の魔法陣がそのままになっててね。事故が起こっても困るから、消してるのよ。それで肝心の転送陣はあそこ」

 

 アリスが指差した場所に、一か所だけ残された魔法陣があった。永琳は近づくと、腰を落として手をかざす。すると、少しばかり驚いた表情を浮かべた。

 

「これって、あなたが作ったの?」

「違うわ。基礎はパチュリーだけど、後から神奈子が手を加えたの」

「なるほど。山の神が絡んでるとはね。どうりで魔法使いが作ったにしては、奇妙だと思ったわ。でも、なんでまた神奈子が?」

「異世界の事が知りたいんだって」

「そう」

 

 月人は立ち上がると口元に手を添える。少しばかり考え込むと、辺りを見回した。この実験室をぐるりと一周。その様子をアリスは怪訝な表情で見る。

 

「何か気になる事でもあるの?」

「これって安定してる?」

「転送そのものはね。ただ往復三日ほどかかるわ」

「三日?そんなに時間がかかるの?おかしな転送魔法ね」

「私達もそう思ってるの。最初、動作確認してた時は、そうじゃなかったのよ。原因は調査中」

 

 永琳はまた口を閉ざした。そして少しばかり実験室を入り口へ視線を送る。やがて考えを決めたかのように、アリスの方を向いた。

 

「結論を言うと私が行くのは難しいわ。屋敷を空けるなんて、そうできないもの。姫様を放っておく訳にもいかないし、いつ急患が出るか分からないしね」

「そっか……。じゃ、治すのは無理ね……。分かったわ。余計な手間取らせて悪かったわ」

「治療しないとは言ってないわよ」

「ん?行かないでどうやって治すの?連れて来るとか?」

「まずは、治療のための調査がいるわ」

「調査?ルイズの姉の病状?」

「それと異世界そのものもよ。異世界じゃ、私の能力が通じるか分からないでしょ?」

「じゃ、私達の調査待ち?」

「医者は医者で別のアプローチが必要だわ。だから、それはこっちでやるから。そうね。鈴仙連れて行って」

 

 鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバ。永遠亭の妖怪兎で、助手兼、販売員兼、雑用係。永遠亭の苦労人とも言う。アリスとはそう面識はないが、比較的常識的な人物のイメージ。連れていくことに、そう問題はなかった。

 

「分かったわ。後で、出発予定の日時を教えるから、彼女に伝えといて」

「ええ」

 

 永琳は快くうなずく。

 アリスはとりあえず一安心。少しばかり表情を緩めた。これでカトレアもなんとかなる。この月人の薬師が診るならまず治るだろうと。そもそもカトレアの病状が悪化したのは、ルイズがいなくなったからだ。その原因がアリス達の失敗召喚。そのせいで、ルイズへの後ろめたさがあった。彼女は肩の荷が下りた気分で、胸をなでおろす。

 

 用事も済み、二人は紅魔館の門の外へ出た。アリスは前にいる永琳に話しかける。

 

「それじゃ頼むわね」

「ええ」

 

 薬師は振り向くとうなずいた。そしてふわっと浮き上がると、竹林の方へと飛んで行った。

 

 永琳は飛びながら、紅魔館の方を振り返る。神妙な目つきで。

 

「一度、神奈子に話を聞いた方がよさそうね……」

 

 そう呟きながら永遠亭への帰路へとついた。

 

 

 

 

 

 暇そうにテレビに向かいながら、コントローラーをいじっている影二つ。これでも神様。そんな二柱に声がかかった。

 

「神奈子様~、諏訪子様~。パチュリーさんが来ましたよ~。客間に通してますから~」

 

 廊下からする大きな声。守矢神社の風祝、東風谷早苗だ。

 諏訪子がぽつりと言う。視線と指先は、ゲームに集中したまま。

 

「あれだね。ハルケギニアの事、調べてくれって言っといたヤツ」

「てっきり手紙かなんかで済ますと思ってたんだけど、ワザワザ報告に来るとはね。しかも、あの引きこもり魔女が。なんかあったのかしら?」

「意外に、義理固いのかもしれないよ」

「直に聞いた方がいいに越したことはないから、ありがたいけど……あっ!」

 

 神奈子の言葉が切れる。テレビ画面の中では、会話とは全然関係ない勝負がついていた。そして諏訪子、勝利の笑み。

 

「余計な事考えてるからだよ。さてと、今日の食事当番も神奈子だね」

「これで連続何日目よ」

「えっと……5日?軍神のくせにゲームは弱いんだよねー。神奈子は」

「やっぱゲームで当番決めるのは、やめよう」

 

 軍神はうなだれるように部屋から出ていった。

 

 パチュリーはこあと共に、客間で待っていた。ちゃぶ台の上に出ていたお茶も飲み干し、和菓子も最後の一かけらを口にしてしまった。すると丁度その時、神奈子と諏訪子の二柱が入って来た。その後ろから、お茶とせんべいを持ってきた早苗も入って来る。

 神奈子はパチュリーの正面に座った。でんと具合に。

 

「よく来た!魔法使い!」

「……?」

「どうかしたか?七曜の魔女」

「いえ、なんでもないわ」

 

 やけに鷹揚な態度の神奈子。不自然に見える。何か忘れるように無理にハイテンションというか……。そんな風雨の神を土着神が肘でつついていた。みるみる内にテンションが落ちる神奈子。一つ咳払い。

 

「ゴホン。それで、いつ戻って来たんだい?」

「昨日よ」

「これはまた随分早い報告だね。もう少し、ゆっくりしてるのかと思ったよ」

「できるだけ早く、ハルケギニアに戻りたいのよ」

「ふ~ん……。じゃぁ、話を聞こうか」

 

 神奈子は力を抜いて、注がれたお茶を口にする。同じくパチュリーも。

 

「まだまだ調査なんて段階じゃないわよ。話を少し聞いただけだもの。所見って程度なんだけど、それでもいい?」

「かまわないよ。逆に第一印象が真実だ、って事もあるしさ」

「なら始めるわ」

 

 すると彼女はこあが持ってきた鞄から、ノートを取り出す。

 

「ハルケギニアはヨーロッパ中世……そうね、16世紀から19世紀がごちゃごちゃになったような社会よ。それに魔法が加わるわ」

「まさに剣と魔法のRPGですね!」

 

 いっしょに座っている早苗の目が、キラキラしていた。パチュリー、とりあえず返事。

 

「そうなのだけど、一見して気になった事がいくつかあるわ」

「なんだい?」

 

 神奈子、お茶を飲み干すと、わずかばかり身を乗り出す。パチュリーはちゃぶ台の真ん中にノートを広げた。そのノート指さしながら説明を開始。

 

「ハルケギニアにはルイズの言った通り、月が二つあったわ。大きい方が青の月、小さい方が赤の月。青の月の見かけの大きさは、地球の月よりも大きいわ。聞いた話だと、連星のようよ。そう長くいなかったんで、確認はできなかったのだけど」

「へぇ、二つの月ねぇ。あんたの所の吸血鬼なんか、大喜びしそうじゃないの。それで?」

「正直、あの状態で存在してるのには驚いてるわ」

「何故だい?」

「両方の月が大きすぎるの。特に赤の月は、軌道が不安定になってもおかしくないと思うわ。どこかへ飛んでいくか、あるいは青の月かハルケギニアに落ちてても不思議はないわね」

「ふ~ん……。それにしても星に詳しいのね」

「ほら、私も太陽と月に関する魔法を使うし、レミィ達も月に影響されるから。知識は蓄えて置いて損はないわ」

 

 話を聞いていた早苗は、頭の中に双月を思い浮かべる。少女漫画のようなイメージを。

 

「でも、青と赤の月が並ぶって、ちょっとロマンチックですねぇ。青い月に祈るって……歌詞があったじゃないですか。あれ?白い月だったかな?」

「その青いのも疑問なの」

「えっ?」

 

 早苗のポエマーな気分を、ぶった切るパチュリー。

 

「赤い月はまだいいわ。おそらく鉄分が表面に多い星。でも岩石天体で、青いのはちょっと想像つきにくいの。青い鉱物はいろいろとあるのだけど、地表全面を覆うほどとなるとね」

「もしかして月自体に、何か意味があると思われてるんです?」

「何かの術の効果で、そう見えてる……とかね。そうなると連星というのも、実態なのかという疑問も出てくるわ」

「へー……。そうですか……」

 

 早苗は分かっているんだが、分かってないんだか、なんとも曖昧な返事をする。すると今まで黙っていた、諏訪子が口を開いた。

 

「青に赤の月か。後、緑があれば、色の三原色だねぇ」

「…………」

 

 パチュリー黙り込む。そしてノートの端に何かメモっていた。

 姿勢をただすと魔女は、話を進めた。

 

「それで次なんだけど……。ルイズのいる国の東。ずーっといくと砂漠があるのよ」

「それで?」

「なぜ砂漠があるか、分からないの」

「?」

 

 神奈子は不思議そうな表情を浮かべる。眉間に皺をよせ。パチュリーは続けた。

 

「乾燥地帯になるような要因が少ないのよ。境界に高い山脈がある訳でもないようだし」

「緯度は同じなのにか……。本当に東かい?実は南東とか北東とかじゃないの?」

「かもしれないわ。十分調べた結果って訳じゃないから」

 

 そこにまたもや諏訪子。

 

「地形じゃ、ないかもしれないよ」

「例えば?」

「内陸にあって常にそこだけ高気圧に覆われていれば、湿った空気は入れないでしょ?」

「高気圧が単体で存在する?そんな事ありえないわ」

「神奈子なら、できるんじゃない?」

 

 土着神はちゃぶ台に肘を立てて、隣の風雨の神に聞く。

 

「まあね。でもそんな事したら、人がいなくなって存在を維持できなくなるよ」

「できる事はできるんだ」

 

 それを聞いてパチュリー、諏訪子に言葉を返した。

 

「つまり何?砂漠の真ん中に、そういうものを発生させる何かがあると?」

「もしかしたらって話だよ。ネタみたいなものさ」

「…………」

 

 また紫魔法使いは、何やらメモ書き。ちょっとばかり考えてから、次の話を口にする。

 

「最後になるのだけど、ハルケギニアはやっぱり中世ヨーロッパみたいに、階級制度があるの。そこで貴族から上と、平民から下を分けているのが魔法」

「魔法を使えるのが貴族って訳か」

「その通り。と言いたいのだけど、そうでもないようなの。大きな手柄を上げた平民が貴族になる制度があるようだし、逆に貴族がいろんな理由で平民に身を落とす事もあるようよ」

「つまり、こう言いたい訳ね。それだけ貴族と平民が混ざり合う要素があるのに、何故か魔法が使える平民はおらず、一方、魔法の使えない貴族もいないと」

 

 神奈子の解釈に、魔女はうなずく。注釈付きで。

 

「ただ、平民から成り上がった貴族本人は魔法が使えないし、同じく没落した貴族本人は魔法が使えるようよ」

「ふ~む……。魔法は個人の能力のように聞こえるけど、何故それが制度としての身分の縛りを受けるのか分からないと……」

 

 すると早苗が考えを口にした。

 

「それって、単に例外的な貴族や平民が、とても少ないからじゃないですか?貴族になれる平民も、没落する貴族も滅多にいなければ、そう血が混ざらないような気がするんですけど」

「あなたの言う通りかもしれない。ほんの何人かに話を聞いただけだもの。どの程度の割合で、血の混ざりあいが起こってるか分からないわ。ただ、もし頻度が高いにも関わらず、身分に魔法の有無が縛られるなら理由は個人に帰属しない事になるわね」

「なんか面白そうですね。謎解きみたいで」

 

 何やらまたも早苗が楽しそう。ただパチュリーは、そのテンションを落とす解答を用意しているのだが。

 

「もっとも、これはだいたい想像がついてるのよ」

「あら、もう理由が分かってるんですか?それはちょっとがっかりです。それでなんです?」

「杖よ。ハルケギニアでは、魔法を使うのに杖が必須なの。しかも個人専用。つまり魔法の素質があっても、杖の作り方を知らなかったら、魔法が使えないのよ」

「という事は、貴族と平民を分けているのは、魔法の才能じゃなくって、杖を作る技術という事ですか?」

「おそらくね。私は、ハルケギニアで魔法を使えない人間は、いないんじゃないかと思ってるわ」

「へー、そうなんですか……」

 

 やけに感心している早苗。するとやっぱり諏訪子が一言。

 

「それを実証するの、簡単だね。平民のために杖を作ってやって、魔法を使える人間が一人でも見つかればいいんだから」

「そうね」

「でも、一人も見つからなかったら、それはそれで面白そうだね」

「…………」

 

 なにやらまた意味ありげな事を言う土着神。紫魔女は、少しばかり不機嫌そうになっていく。

 

「ちょっと聞きたいんだけどいいかしら。蛇と蛙の神様」

「酷い言われようだ」

 

 軽く返す神奈子。しかしパチュリーはおかまいなしに尋ねる。

 

「もしかしてあなた達、ハルケギニアの何かを知っていて、私達がそれを見つけられるかどうか、楽しんでるんじゃないかしら?」

「そこまで性格悪いつもりは、ないんだけどなぁ」

「では、隠し事は全くないと?」

「まあ、あえて言うなら、ハルケギニアを近いって感じた事くらいかな」

「近い?」

 

 紫魔女は少しばかり、首を傾げる。神奈子は腕を組むと、語り掛けるように口を開いた。

 

「異世界に近いという概念を当てはめていいのか分からないけど、とにかくそう感じたの。文字通り近いのかもしれない」

「つまりハルケギニアはすぐ側にあると?」

「あるいは、重なってるとかね」

「重なる……。何か影響でも出てるの?」

「別に、今のところはない」

「今後、出ると?」

「それも、分からない」

「そう……」

 

 パチュリーはうつむいて口元に手をやると、しばらく考え込んだ。神の不穏な言葉が、頭に響く。やがて何かを思いついたのか、ノートにメモをした。そしてノートを閉じ鞄へ仕舞う。そんな彼女に、また神奈子から声がかかった。

 

「それで、用事は報告だけ?」

「ああ、そうだったわ。あの転送陣なんだけど、幻想郷とハルケギニアで、往復3日のズレがでたの。あれって転送に時間がかかるもの?」

「ん?試使用の時は、ズレてなかったんじゃないの?」

「そうなのだけど。今回、戻ってきたらズレてたのよ」

「時間がかかるようなもんじゃ、ないハズなんだが……」

「やっぱり時間軸に、ズレが出てるのかしら?」

「時間だったら、あんたの所のメイドの方が専門家じゃないの?私らより詳しいんじゃないのかしら」

「神自ら、人間に劣ってると口にするとは思わなかったわ」

 

 パチュリー少しばかり嫌味を含めた口調。さっきの諏訪子の茶々への、意趣返しとばかりに。しかし神奈子、気に留めない。

 

「日本の神は専門職だからね。及ばない所も多いさ。それにあのメイドは、人間にしては規格外だ」

「それは確かね。ともかく一度、転送陣見てくれないかしら」

「ケーキを用意してくれるなら」

「ケーキが供物?」

「洋菓子はなんだかんだで、紅魔館が一番だからね」

「そ。今度咲夜に言っておくわ。神が絶賛してたわって。それじゃぁ頼むわ」

「ん」

 

 神奈子は小さくうなずく。神の了解を聞き届けるとパチュリーとこあは立ち上がった。

 

「そろそろお暇するわね。お茶と茶菓子ありがとう。久しぶりの緑茶も美味しかったわ」

「またいつでもいらしてください。お話、面白かったです」

 

 早苗は笑顔で答える。そしてパチュリー達を社の外まで送った。

 

 守矢神社を離れ、ふわふわと飛びながら、紅魔館へと向かう。すると横にいるこあが話かけてきた。

 

「あの~、パチュリー様」

「何?」

「さっきの話、よく分んなかったんですけど……」

「私もよく分からないわ」

「からかってるんですか?」

「言葉で煙に巻いてたようにも思えたし。ともかくハルケギニアに何かあるのは、間違いなさそう。そっちの方も興味が出てきたわ」

「はぁ……。そうですか……」

 

 こあは主にも煙に巻かれたようで、少し憮然。

 やがて紫魔女と悪魔の司書は、あまり爽快でない気分のまま家路につく。

 

 

 

 

 

 射命丸文は、自宅の暗室で難しい顔をしていた。

 『文々。新聞』のハルケギニア特集第一号は、ほぼ調整が終わっていた。後は本番印刷にとりかかるだけ。だがその手は何故か止まっていた。暗室で写真やネガと睨めっこしながら唸っている。

 

「おかしい……。数が合わない……」

 

 写真を並べながらそんな事をつぶやく。というのも写真の枚数がやけに多いからだ。普段なら枚数が多かろうが気にしない。スクープはどこで取れるか分からない。そんなものを気にしていたら、奇跡の一瞬を撮り損なうかもしれないからだ。

 

 だが今回は事情が違った。文のカメラはフィルム式のカメラ。はたてのデジタル式とは違い、撮れる写真の枚数がフィルムの本数に影響される。そして取材現場は、なんと言っても異世界。そして異世界では、フィルムの補充が効かない。また、デジタル式のようにいらない写真を削除して、容量を増やすなんて事もできない。普段通りにやっていたら、フィルムが無くなってスクープを取り逃がす可能性も十分ありうる。だからかなり計画的にフィルムを使っていた。余裕が常にあるように。

 計算ではフィルムが何本か余っているはずだった。しかし、それが残りわずか一本。マメにチェックしながら、写真を撮っていたつもりなのだが。

 

「16日間でこの本数……。どこかで余計に撮り過ぎたかしら?でも、ちゃんとチェックしてたはずだし……う~ん……」

 

 首を何度もひねりながら、記憶を探っていく。だがどうしても出てこない。

 

「漏れでもあったのかしら?ま、とりあえず足りてたんで、良しとしますか。今後の反省に生かすとしましょう」

 

 そう口にして気持ちを入れ替える。何せ、またハルケギニアに出発するまで時間がなかった。些細なことで悩んでいる暇はない。やがて暗室を片づけると、文は本番印刷に取り掛かった。もう不可解な枚数のずれは、記憶の彼方に追いやられていた。

 

 

 

 



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買い物にはお金が必要

 

 

 

 

 パチュリー達がハルケギニアに戻ってきて一週間ほどが経っていた。以前に来た面子に鈴仙が加わって。

 幻想郷組は相変わらず、廃村の寺院を拠点にしていた。だが魔法学院にも出入りしている。パチュリー達はもっぱら図書館が目当てだったが。さらに一応部屋があてがわれていた。と言っても一室だけ。空いている寮の部屋が。ある意味住所としてある。せいぜい休憩室程度の意味しかなかった。

 

 そんな休憩室から、出てくる姿が一人。天子だった。そしてそれを待ち構える姿も一人。その主、ルイズ。だが表情は、深夜に帰った子供を叱る母親の顔のよう。

 

「天子!あんた、どこ行ってたのよ!」

「ちょっとねー。で、何?」

「昨日の授業さぼったでしょ!」

「授業?何で私が受けんのよ」

「昨日は、使い魔同伴の授業だったのよ!私だけ恥かいちゃったじゃないの!」

「ルイズが、系統魔法の授業なんて受けても、意味ないでしょ」

「違うわよ!使い魔との連携の授業だったの!」

「あ、そうだったんだ」

「そうだったんだって……あんたはぁ……!……ん?何よ、その腰の」

 

 ふとルイズは使い魔の腰にある筒に気付いた。あまり見慣れないものだ。紅魔館にいたときも付けてなかった。天子、やけに自慢げ。

 

「いい所に気付いたわね。善行の証よ」

「あんたから、善行なんて言葉が出るとは思わなかったわ」

「ふふ~ん」

 

 何故かいい気になっている天子。だがルイズにとっては、どうでもいい事。

 

「とにかく!来週は絶対、私の側から離れない事!いいわね!」

「はいはい。分かった、分かった」

 

 天子は生返事。どこか納得いかないながらも、ルイズはとりあえず文句を飲み込む。で、次の話。

 

「それと、明日なんだけど。休みでしょ。買い物するから付き合いなさいよ」

「何、買うの?」

「マントよ」

 

 幻想郷メンバーはここでは貴族という扱いになっているが、マントをつけてない。学院内ならまだしも、外では何かとトラブルを起しかねない。そこで王家に問い合わせて、マントを付ける許可をもらった。マント代は各々出してもらう。報奨金がまだあるはずだし、この人数をルイズが賄うのには無理があった。

 天子は宙を仰ぎながら、何か思い出している様子。

 

「マントねぇ。どこで買うのよ」

「トリスタニアの『女神の羽衣』って店」

「あー。あそこ」

「何で知ってんのよ」

「社会見学したから」

「社会見学?」

「んじゃ、そこで待ち合わせね」

「ん?うん……」

 

 ルイズは天子の言葉に違和感を覚えながらもうなずく。そして念を押した。

 

「いいわね!ちゃんと来るのよ。真っ昼間、正午よ!」

「うんうん。任せなさい」

 

 大きく首を縦に振る天人。すると話は終わったとばかりに、窓から出る。そしてフワフワとどこかへ飛んでいった。ルイズは変わらぬマイペースっぷりな使い魔に、イライラするやら疲れるやら。確かに決闘以来、言う事を聞くようにはなった。もっとも、以前に比べての話。一般の使い魔には程遠い。こんな有様で、実家につれて行けるのか。とんでもなく不安だ。とは言っても躾ける方法がある訳でもなし。

 

「はぁ……」

 

 肩を落とし、ぐったりするルイズ。廊下をトボトボと歩いていく。そんな彼女に声がかかった。

 

「ルイズ。相変わらずね」

「キュルケ……。何、からかいにきたの?」

「酷いわね。いつも悪口言ってるみたいじゃないの」

「違うっていうの?」

「あたしは、そんなつもりはないわよ」

 

 キュルケは空高く飛んでいく天子を見ながら、何気なく口にする。その口調はどこかおだやか。この所のキュルケは、ルイズ帰還前とは違い、柔らかくなった印象があった。ルイズも以前ほど、ヒステリックになったりはしない。ルイズが帰ってからの短い期間だったが、慌しくそして新鮮だった。異界との交わりか、それともかなり変わったルイズが、彼女も変えたのかもしれない。

 

 キュルケはルイズの方に向き直る。

 

「黙っとくのも寝覚めが悪いから、一応伝えとくわ」

「何よ」

「昨日、授業終わってからトリスタニアに行ったんだけど。変な話を聞いたのよ」

「ん?」

「平民をいたぶる貴族に、決闘を申し込んで倒すメイジがいるんですって」

「そんな変わり者がいるのね」

 

 ルイズは少しばかりキュルケの話に興味が出てきたのか、姿勢を正す。

 

「そのメイジなんだけど、平民らしいって話だったわ。マントもないそうよ」

「平民のメイジが貴族を?よく勝ったわね。傭兵なのかしら?」

「で勝つと、貴族の杖を奪っていくの。というか、むしろ杖を集めてるっぽいらしいわ」

「へー」

 

 素直に聞き入るルイズ。ちょっとばかり面白そうに思えてきて。

 

「そのメイジだけど、見た目も派手っていうか奇妙なの。やけにカラフルなエプロンをして、黒い大きな帽子を被ってる、青い髪の女の子だそうよ」

「…………」

「あたしは心当たりがあるんだけど」

「……」

「あなたの使い魔、昼間どこにいるのかしら?」

「知らない……」

 

 ガクッと肩を落とすルイズ。面白そうと思った気分は、消え失せていた。

 キュルケの言い様に、ルイズも心当たりがあった。そんな人物は一人しかいない。間違いない。自分の使い魔、比那名居天子。

 昼間授業のルイズは、天子を見張る訳にもいかない。これが普通の使い魔なら、たまり場で主の帰りを待っている。しかしあの天人だ。彼女が授業を待ってじっとしているハズがなかった。そしてふと思い出す。天子の腰にあった筒。たぶんあれに杖が入っているのだろう。勝利の証として。

 キュルケがちょっとばかりあきれたように言う。

 

「あの天使が人助けのためにって、なんかイメージしづらいんだけど」

「そうね。たぶん違うわ」

「人助けにかこつけて、メイジ狩してんじゃないの?」

「っていうか、決闘自体を楽しんでるんだと思うわ」

「決闘?ああ。あなたとの決闘の後、負けたくせにやけに楽しそうだったものね。あれで火が点いたって訳か」

 

 ふと、広場での二人の決闘を思い出していた。普通の貴族の決闘とはまるで違う光景を見せた、あの決闘を。

 一方のルイズは、イライラで拳が固くなっている。

 

「言う事聞くようになってきたと思ったら……また、騒ぎ起して……。何で主が使い魔の事で、悩まないといけないのよ!主を助けるのが使い魔でしょ!」

「なんか使い魔っていうより、やんちゃな親戚を預かってるって感じね」

 

 ルイズ、キュルケの声が耳に入ってない。まだブツブツ言っている。そんな彼女に、キュルケは同情するやら面白がっているやら。一応、話は終わったと彼女はこの場を去ろうとする。

 

「とりあえず伝えたわ。その内お偉方と当たったりするかもしれないから、なんとかしておいた方がいいと思うわよ。じゃあね」

「うん。あ、その……。教えてくれて、ありがとう……」

「どういたしまして。じゃあねぇ」

 

 キュルケはわずかに笑みを浮かべると、手を軽く上げ足を進めた。

 

 残ったルイズ。溜息をもらして気持ちを落ち着かす。確かに彼女の言う通り。国のお偉方と決闘とかなったら、シャレにならない。ルイズが火の粉を被るのは確実。

 実はこの所、頭を悩ます事が増えていた。幻想郷組が学院に出入りするようになって。すでに魔理沙の手癖の悪さや、文の図々しさが、少々トラブルを起こしていた。他にも幻想郷とハルケギニアの習慣の違いで、いくつか問題が起こっている。で、そのとばっちりは全部ルイズに飛んでくる。幻想郷組への苦情受付窓口であった。

 

 ルイズは誰もいなくなった廊下を、力なくトボトボ歩く。なかなか心の平穏を手に入れられない状況に、うんざりしながら。

 

 

 

 

 

 幻想郷組の拠点、廃村の寺院の地下。そこには今日も、人外達が蠢いていた。ここでの生活にも大分慣れてきたのだが、大きな問題が一つあった。部屋のレイアウトという問題が。

 

「う~ん……。やっぱりいろいろ足らないわね」

「仕方がありませんよ」

 

 紫魔女とその使い魔、パチュリーとこあが部屋を眺めながらつぶやく。口元をちょっとへの字にして。

 がらんとした景色。ほんのわずかな家具だけ。広いだけに余計に感じる。無理もない。幻想郷から持ってこられる物は最低限机や棚などの基本的な家具は王家からの報奨金で揃えたが十分とは言えず、研究道具なんかはまるで足らない。おかげで折角の広さが役に立ってない。

 ふとノックの音がした。同時に二人の魔法使いが入って来る。魔理沙とアリスだ。白黒魔法使いは、ぐるっと辺りを見回しながら言う。

 

「どうだ、なんとかなりそうか?」

「本格的に研究するには、やっぱり道具が足らないわ」

「そうか」

 

 何故か不穏な笑みで答える魔理沙。すると今度はアリスが質問。

 

「研究テーマは決めたの?」

「ええ。とりあえずは、系統魔法を再現してみようと思うの。属性魔法は専門分野だし。それと双月ね」

「双月?」

「双月があの状態で安定してるのはやっぱ妙なのよ。それが気になってね。ついでに星と太陽も調べてみるわ」

「あなた、星も研究してたものね」

「それで、アリスは何やるのよ?」

「私のテーマはずっと同じよ。自立人形の実現」

「そう」

 

 アリスの答えを耳に収めると、次は魔理沙。

 

「魔理沙は何をするの?やっぱりキノコとか秘薬とかの方面なのかしら?」

「違うぜ。虚無の魔法だ」

 

 白黒魔法使いは不敵に答える。一方のパチュリーは少しばかり意表を突かれた。目が見開いてる。

 

「虚無の魔法?」

「ルイズが私達の魔法、使えたんだぜ。逆もしかりだろ」

「……確かに、そうかもしれないわね」

「だろ?仕掛けが分れば、オリジナルの虚無の魔法も作れるぜ」

「なかなか面白そうだわ。後で、一口乗らせてもらっていいかしら?」

「おう。いいぜ」

 

 やけに素直な魔理沙。いっしょにアリスもわずかに笑みを漏らしている。様子のおかしい二人に、少しばかり疑念の顔のパチュリー。不満そうに尋ねる。

 

「どうしたのよ。二人共」

「なら、ついでにもう一口乗らないか?」

「いったい何の話よ」

「金儲けだ」

「は?」

 

 さらに疑問を深める紫魔女。それに人形遣いが答える。

 

「要はお金が必要って話よ。あなたもいろいろ入用でしょ?私も研究用のガーゴイル買うんでお金がいるし」

「それにここには、魔法の森も、無縁塚もないからな。手軽に素材を集めるって訳にもいかないぜ」

 

 二人の話を聞いて、考え込むパチュリー。だがすぐに決心する。実際、いろいろと足らないのは確かなのだから。

 

「分かったわ。その様子だとお金儲けの目途も立ってるんでしょ?」

「何を売るかは。ただ、どう売るかは決まってない。こっちの商いの方法はさっぱりだからな」

 

 魔理沙に補足するように、アリスが続く。

 

「それに、商売に時間とられて、研究できなかったら本末転倒だしね」

「じゃあ、どうするのよ。前にも言ったけど、私は頼りにしないでよ。商売なんてあなた達以上に分からないから」

「パチュリーに頼みたいのは、売る方じゃないから気にしなくていいぜ」

「それならいいけど」

「ま、事が進みそうになったら、また話すぜ」

「分かったわ」

 

 こうして商売の話が進みだす。やがてこの話に文も加わった。彼女もまたいろいろと入用だった。取材には資料集めが付きものとあって。

 もっとも全員が気づいてない事が一つだけあった。実はまともに商売した経験のある者が、この中に一人もいなかった事に。

 

 

 

 

 

 虚無の曜日。別世界でいうなら日曜日。つまり休みの日。トリスタニアの町には、休みを満喫しようとしている人々でごった返していた。そんな仲、異様な一団がぞろぞろと街中を進む。奇異の視線をまるで気に留めないように。ルイズと異界の住人達、パチュリーに魔理沙にアリスとこあ、文に衣玖、そして鈴仙。ただし天子はいない。

 こあが辺りをキョロキョロと見回しながら、嬉しそうに話す。

 

「わあ、なつかしくありませんか?パチュリー様」

「そうね」

 

 パチュリー、いつも通りの無表情。代わりにルイズが答えた。

 

「え?なつかしいって……。こあってまさか……ハルケギニアに?」

「いえ、違いますよ。こことよく似た建物がある、ヨーロッパって所にいた事があるんです」

「パチュリーも?」

「はい。もっともその頃は、お互い赤の他人でしたけど」

「へー」

 

 感嘆の声を上げながらも、ルイズは悪魔の使い魔の姿が気になった。ハルケギニアに戻って来てからの姿が。

 

「話は変わるんだけど。こあが背負ってるの、何が入ってるの?」

 

 指さした先には大きなリュック。同時にげんなりするこあの顔。

 

「ああ……これですか。羽です」

「羽?」

「文さんみたいに収納できないんで。無理に入れてます」

「え!?無理矢理?そんな事して大丈夫?」

「ちょっとキツイです。サーフボードストレッチみたいな状態なので。でも、あの地下室にずーっと一人でいるのも憂鬱になりますし」

「魔法でなんとかならないのかしら?」

 

 と言いながら、視線をパチュリーに送る。しかし紫魔女には聞こえてない。あるいは無視しているのか。もうちょっと声を上げて言おうかとした所、喧騒が耳に入った。声のする方を向くと、人垣があった。

 魔理沙が楽しそうな声を上げる。好奇心満載の表情で。

 

「行ってみようぜ」

「ちょっと、魔理沙!」

 

 アリスの制止も聞かず、もう走り出していた。魔理沙も相変わらず。

 

「はぁ……。もう……」

 

 人形遣いは溜息一つ。そして白黒魔法使いを追って、足を速める。他のメンツも釣られるように後について行った。

 

 ちょっと広い場所をぐるっと囲むように人が集まっている。なんとか覗こうとするが、背の低いルイズはよく見えない。他の連中がどうしているかと思ったら、いなくなっていた。すると上からパチュリーの声がかかる。

 

「ルイズ。こっちよ」

「え?あ……」

 

 いつのまにやら屋根の上にいた。もちろん飛んで。ルイズもフワッと飛ぶと、パチュリー達の隣に座った。そして見下ろした光景に、ルイズ、絶句。一気に疲れる。

 

 人垣の中央で、数人の貴族が何者かと相対していた。いやもう、何者かとは誰だか分かっていた。ルイズと幻想郷のメンバーは。あまりにも見覚えのあるカラフルエプロンと大きな帽子のせいで。

 怒りの籠った手で杖を強く握り締めるルイズ。その表情は爆発寸前。

 

「天子……。何やってんのよ!あいつは!」

 

 飛び出そうとしたルイズを、魔理沙が止める。

 

「待てよ。面白そうじゃねぇか」

「とばっちりがこっちに来るのよ!学院であんた達に文句、どれだけ出たか知ってんの?全部、私んとこ来たんだから!」

「そりゃ悪かったと思ってるぜ。でもな、それはそれ。これはこれだぜ」

「何が!?」

 

 なんてやりとりをしていたら、貴族の中心の太っちょは怒りですでに杖を抜いていた。もう手遅れ。

 

 貴族は激高しながら、杖を向ける。

 

「き、貴様……平民の分際で……!この私が誰だか知っての無礼か!」

「知らないわ」

「し、知らないだと?田舎者めが。いいだろう。教えてやろう。我が名はチュレンヌ!陛下より徴税官のお役目を……」

「いいから、かかってきなさい」

 

 対する天子は楽しそう。そして、高らかに杖を抜いた。実はただの棒きれだが。

 一方のチュレンヌ達。杖を見て、ただの平民だと思っていたのがメイジだと悟り、少しばかり驚く。だがすぐその表情も元に戻った。

 

「メイジだったとはな。では決闘という訳か。だがその平民の姿……"元"貴族か。家名を落とした恥さらしめが。粋がるでない!」

 

 そう叫んで杖を振った。『ウィンド・ブレイク』の魔法が放たれる。巻き込まれ、周りにいたやじ馬たちの何人かが、吹き飛ばされた。

 しかし、天子、不動。チュレンヌ、唖然。

 

「あれ?」

 

 どう見ても軽めの少女が全く動かない。しかも防ぐために、何か魔法を発動させた様子もない。太っちょ貴族は、怪訝な表情を浮かべる。額に汗を浮かべながら。

 

「な、なかなかやるようだな。だが謝るなら今の内だぞ」

「いいから。どんどん来なさい」

「ふ、ふざけおって。痛い目をみせてやるわ!私の真の力を見るがよい!」

 

 チュレンヌ、詠唱を始める。そして完了と同時に杖を振った。『エア・ハンマー』の魔法を。大気が一塊となり、風の槌が天子に向かう。

 魔法は直撃。しかし何故か、甲高い金属を叩いたような音がした。当の天人は、相変わらず不動。

 一方、さらに不気味な違和感を覚えるチュレンヌ。今までの魔法が通じないので、もう直接ぶっ叩いて吹き飛ばしてやろうと考えた。

 空気の槌は確かに真正面に直撃。だが天子、不動。さらに傷一つついてない。というかエア・ハンマーの方が、砕け散ったように思えた。自分の技が通じなかった以前に、その理由が分からない。魔法を使った形跡もない。服の下に重装甲の鎧でもつけているのかと思いたくなる。だが、とてもそうは見えなかった。では何故?チュレンヌの頭に、気持ちの悪い不安が浮かぶ。

 

「き、貴様……。い、いったい……」

「さ。次、次」

 

 相変わらずの天人。不敵な笑顔を崩さない。一方、チュレンヌ動けず。冷や汗だけが背中を流れていく。

 突如、二人の間で爆発が起こる。驚いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すやじ馬たち。やがて煙が晴れてくると、空からメイジが一人降りてきた。ルイズだった。文句の三言、四言もありそうな顔の。

 

「天子。これはどういう事よ」

「あれ?もう来てたのね」

「いいから、質問に答えなさい!」

「善行よ」

「善行の中身よ!」

「か弱い民をいたぶる、悪漢を退治してたのよ」

 

 イマイチかみ合ってない主従の会話に、別の声が挟まれる。

 

「ミ、ミス・ヴァリエール!」

 

 届いた声の方を向くと、黒髪の少女が立っていた。ルイズは彼女を凝視する。見覚えがあるが、名前が出てこない。すると今度は後ろから声がする。

 

「よっ。シエスタ」

「あ、魔理沙さん!」

 

 ルイズが振り返ると、呼ばれた当人がいた。

 

「魔理沙。あの子、知ってんの?」

「おいおい。学院のメイドだろ。何度も会ってるだろうが」

「ん?あー、そう言えばいたわね。給仕服じゃないから、分んなかったわ」

 

 魔理沙は食事を貰っている手前、メイド達や調理室の面々とは顔見知りだった。

 

 一方、彼女達の会話を取り残されたように見ているチュレンヌ。ルイズの側に次々と降りて来る異様な集団を目にしていた。だが、彼の頭の中は別の事で一杯だった。恐る恐る口を開ける。

 

「あの……。ヴァリエールとはその……。ヴァリエール公爵家の事でしょうか……」

 

 ルイズ、振り向く。

 

「ん?そうよ。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール家の三女よ」

「えっ!?ヴァ、ヴァリエール家のご息女……!そ、それでは……その平民……いや、その方は、あなた様の知人なのでしょうか……」

「知人……。まあ、そうよ。それとこんな恰好だけど、一応貴族だから」

「ええ~っ!?」

 

 チュレンヌの太った体が、一気に引き締められる。緊張で。公爵家に縁ある貴族に、決闘を申し込んでしまった事に。次の瞬間、太っちょ貴族は土下座していた。合わせたように配下の連中も。

 

「こ、この度は、知らぬ事とは言え、決闘などと大それた……。その……平にご容赦を!」

 

 ルイズはそれをちょっと呆れて見ている。

 

「はぁ……。もういいわ。これからは平民に余計なちょっかいかけない事ね」

「は、はい!肝に銘じておきます!」

 

 チュレンヌは土下座の状態で叫んでいた。後は深々と頭を下げて、この場を慌てて去っていった。

 そんなズッコケ集団の姿が見えなくなると、ルイズは天子の方へ向き直った。

 

「で?本当は何をしようとしてたの?」

「さっき言ったじゃないの。善行って」

「本当は、って言ったでしょ!」

 

 ルイズは憮然としている。少しイライラしるのもあって強い語気。もっともヒステリーを爆発させない所は、大分変ったとも言えるが。

 そんな彼女を見て、天子は少し考える。すると、あっさり理由を口にした。

 

「決闘相手を探してたわ」

「やっぱり……。あんた……悪びれもしないで……」

「ぐだぐだ言っても、時間の無駄だしねー」

「だいたい、あんたはねぇ……!」

 

 ルイズ、爆発寸前。

 そこに制止が入る。魔法学院のメイド、シエスタだった。

 

「ま、待ってください!その……喧嘩はおやめになってください。私達は、助けていただいたのです!」

「私達?」

 

 シエスタの後ろに二人の姿が見えた。一人はやけに化粧の濃い偉丈夫の男。もう一人はシエスタと同じ年くらいの女性だった。二人は深々と頭を下げている。

 

 それから詳細を三人から聞いた。シエスタの後ろに立っていたのは、彼女の従妹ジェシカと、その父スカロン。二人は居酒屋『魅惑の妖精』を経営している。今日もいつも通り店の準備を始めていたら、そこにチュレンヌがやってきたそうだ。何があったのか知らないが、やけに機嫌が悪く、酒を飲ませろと我がままを言いだした。あまりの強引さに困っていたところ、天子が現れたそうだ。ちなみにシエスタだが、非番だったので、遊びに来たついでに手伝いもするつもりだった。

 

 騒動にケリが着いたので、お礼とばかりに簡単な手料理を店の中でごちそうになった。かつてなら平民の料理と聞いただけで、ルイズは不機嫌な表情になっただろう。彼女は平民の料理はまず口にしない。する機会がない。だが幻想郷でミスティアの店を手伝っている時に、この手の料理は何度も口にしていた。紅魔館でも美鈴や咲夜に付き合って、賄い料理を食べた事もある。今では、そう抵抗はなかった。

 

 やがて店を出ると、ルイズ一行は当初の目的、マントの購入に向かう。全てが終わった時には、日がかなり傾いていた。

 

 

 

 

 

 いつものように魔理沙が、食堂の調理場の賄い用のテーブルで朝食を取っていた。料理そのものは、貴族が食べるものとは思えないほど簡単なもの。そもそもこんな場所で食べること自体がありえない。だが、そういう形式ばったものが鬱陶しい魔理沙。あれこれ注文付けている内に、平民とほとんど変わらない食べ方になっていた。まあ、幻想郷でのスタイルになっただけともいう。ここの料理長のマルトーも最初こそ貴族だからと嫌っていたが、あまりにざっくばらんとしている魔理沙に、今では普通に口を聞くようになっていた。

 

 そんな調理室にシエスタが入って来た。籠に洗濯済の調理用衣類を抱えている。魔理沙は、何故か企んでいるような笑みを浮かべていた。

 

「シエスタ」

「あ、魔理沙さん。お食事中すいません」

「別にかまわないぜ。ちょっと聞きたいんだけどな。あの店の事」

「あの店?」

「ほら、お前の叔父さんがやってるっていう……」

「ああ、『魅惑の妖精』亭ですね」

「それそれ。でだな、ぶっちゃけて聞くが。景気はどうだ?」

 

 シエスタ、少しばかり苦笑い。相変わらずの貴族らしからぬ言葉使い。というか平民みたい。まあ、はるか遠方の貴族と聞いているので、トリステインの貴族とは大分違うのだろうと思っていたが。

 

「えっとですね、以前は結構繁盛してたんですが、今ではそれほどじゃないです」

「なんでだ?」

「カッフェっていう店が開いてから、そちらに客を取られてるそうですよ」

「つまり、苦しいって程じゃないが、順調って訳でもないか」

「そうですね。スカロン叔父さんも、いろいろと考えてましたし」

「店を盛り上げる手が欲しいと……。ふ~ん……」

 

 ニヤリとまたもや不穏な笑み。シエスタ、悪い予感が湧いてくる。

 

「シエスタ。頼みたいことがあるんだけどな」

「なんでしょうか?」

「叔父さんと、ちょっと込み入った話がしたいんだ。近々で時間作れないか聞いてくれないか?」

「はぁ……分りました」

「悪いな」

 

 魔理沙は軽く礼。残った食事を口に放り込むと、すぐに調理室を出る。そして、どこかへすっ飛んで行った。ラッキーとか思いながら。

 これがルイズに次々とあらぬトラブルを呼び込む切っ掛けとなるとは、当時の彼女は知りもしなかった。

 

 ちなみに食事を用意してもらっているのは、魔理沙以外では、文に天子に衣玖に鈴仙。だが人外である彼女達が食べる「人間の食事」の量は圧倒的に少なかった。「人間の食事」に関してはだが。

 

 

 

 




 チュレンヌは風系統にしてしまいました。彼自身は魔法使ってないんですけど。配下が風系統ぽかったんで。


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想定外

 

 

 

 

 その日の昼。『魅惑の妖精』の店主スカロンと娘ジェシカは、キッチンにいた。そこで二人は作業を進めている二人の珍妙な貴族、魔理沙とアリスに見入っていた。怪訝な顔で。

 

「パパ……。あれって、ケーキよね?」

「……そう見えるわよね」

 

 アリスのやっている作業は、ケーキ作りにとても似ていた。こう思うのも無理はない。

 

 そもそもなんでこの二人が、『魅惑の妖精』にいるかというと、シエスタの紹介からだった。

 2日前、シエスタから手紙が届く。チュレンヌの件の時にいた貴族で、話がある者がいると。恩はあるし、姪の頼みでもあるのでスカロンは引き受ける。そしてやってきたのが、魔理沙とアリスだ。二人が口にしたのは商売の話。最初、スカロンはなんとか断ろうとした。まだまだ学院に通っていそうな二人。貴族とはいえ、そんな少女の道楽に付き合う暇はないと。だが、なんだかんだと粘る二人に折れ、結局扱う品を見ることに。こうしてアリスと魔理沙は、商品サンプルの製作に取り掛かっていたのだった。

 

 作業を後ろから見守るスカロン親子。ジェシカはさっきから首を捻っている。

 

「もしかして、あれってケーキ作り機?」

「う~ん……」

 

 唸るしかないスカロン。

 ジェシカの言うあれとは、魔理沙の足元にある金属製の樽。いや樽のようなもの。頭頂部にはハンドルがあり、回すようになっている。二人はこんなものを見た事がない。

 

 やがてアリスの下拵えが終わる。すると仕上がったものを金属の樽の中に入れた。ふたを閉め、魔理沙がハンドルを回すこと数分。蓋を開けると、樽の中から粘土状の白い塊を取り出した。それを人数分に分ける。

 魔理沙がスカロン達の前へ持ってきた。白い塊の乗った皿を。自慢しに来たかのように、自信ありげに。

 

「さ、食べてみてくれ」

「えっとぉ……食べ物……なのですか?」

「おう。一口食べたら驚くぜ」

「そぉ……でしょうか……」

 

 さすがのスカロンも、なんと言っていいか困る。微妙な顔をしながら、差し出されたものを見た。その白い粘土の周りには霧が立ち込めており、どこか魔術的。本当に食べ物なのかという気すらさせる。

 なかなか匙を進めようとしないスカロン達に、魔理沙が自分の分を食べて見せる。いかにもおいしそうに。それを見て観念したのか、スカロンとジェシカはスプーンで一口、白い塊を拾い上げた。そして覚悟を決め口に放り込む。

 

「「……!」」

 

 二人の目が、パッチリ開いたまま固まる。いや全身が固まった。

 

「ト、ト、トレビアン~!!」

「な、何これ~!?」

 

 歓喜。というしかない声が漏れる。身も震えるおいしさとはこの事か。

 その様子に満足そうな魔理沙とアリス。人形遣いは片づけを済ますと、説明を始めた。

 

「それはアイスクリームって食べ物よ。作り方はそう難しくないわ。ケーキと似たようなものね。だからアレンジもいろいろとできるわ」

「どうだ?売れそうか?」

 

 魔理沙が笑みを浮かべて聞いて来た。ジェシカが真っ先に返答。目を輝かせながら。

 

「絶対、売れます!誰だって食べたいわよ!」

 

 スカロンもうなずく。むしろこれは是非とも売りたいという顔。やや傾きかけているこの店の、秘密兵器となるのは間違いないと確信していた。

 すると次に気になったのは作り方。特にさっきから気になっている金属製の樽。

 

「ところで、その樽はなんなのでしょうか?」

「これはアイスクリーム製造機だぜ」

「マジックアイテムか何か?」

「まあ、みたいなもんかな。ただし、こいつには氷が必要だ。氷がないと、ただの樽だぜ」

 

 氷と聞いて、スカロンは考え込む。氷なんてものは、夏に差し掛かろうとしているこの時期、全くない。つまりは、この貴族たちが氷を提供するのだろう。そして自分達が製造販売する。そのあがりを分けるという訳だ。

 

 ところで、このアイスクリーム製造機。マジックアイテムでもなんでもない。魔法瓶状の金属製手動攪拌機だ。ただ、魔法瓶というものは河童製コンプレッサーと溶接技術があって作れるもの。ハルケギニアで作ろうとしたら、かなりレベルの高い風系統と土系統のメイジと、腕のいい鍛冶職人が協力しないとまず作れそうにない。不可能ではないが、ハルケギニアではマジックアイテム同然のものだった。

 

 アリスが話を進める。一枚の紙を差し出して。

 

「それでレシピだけど、しばらくはこの通りで進めてもらいたいの。そうね、一ヶ月ほど?慣れてくれば、好みの味に調えてもいいし。アレンジを加えていくのもいいわ」

 

 スカロン達は話を聞きながら、レシピを手に取る。ただその項目に、ちょっとばかり目を丸くした。

 

「このレシピで?」

「あ、そうだ。金ならこっちが出すぜ。まあ、とりあえず一月は様子を見ながら販売って感じかな」

「まあ、そちらが出すのでしたらかまいませんけど……。ただ一つだけ、よろしいでしょうか?」

「ん?」

「その……失礼かもしれませんけどぉ……。キリサメ様とマーガトロイド様の家名には、あまり聞き覚えがないものですから」

「ああ、そうか。そうだな」

 

 魔理沙は納得。ちょっと腕を組んで考え込む。

 確かに二人は貴族扱いだが、トリステインには存在しない家だ。取引相手としては不安になるのも仕方がない。

 

「つまり後見人が欲しいって訳か」

「ええ……まあ……お察しいただき、ありがとうございます」

「うん。分かった。心当たりがあるぜ。ヴァリエール家ならどうだ?」

「ヴァリエール家!それでしたら間違いありませんわ!後見が確認できましたら、是非ご一緒に商いしたいと思いますわ!」

 

 スカロンは、ヴァリエールの名前が出てきて一安心。さっそく、この魔理沙達と手を組む事にした。二人は固く誓いの握手。ちょっと手が痛い魔理沙だった。

 

 それから商売の話が始まった。とりあえずはお試し期間という事で、一ヶ月限定の販売となる。スカロンにとっては、資金も出してもらえるのでそれほど問題はない。もっとも価格をどうするかが引っ掛かるのだが。ただ原価も可能な限り下げるよう、がんばってみるつもりだ。この辺りは慣れてきてから、なんとかしようと考えていた。ただこの価格の問題。ハルケギニアの商売に不慣れな魔理沙達には、ピンと来ておらず全てスカロンに任せてしまう。この時、もう少し気を回していれば、被害は広がらなかったろう。

 

 話がまとまって、とりあえず一同は満足。二人の魔法使いは『魅惑の妖精』を後にする。

 

「なんとかなったな」

「そうね」

「後は、パチュリーに氷を作ってもらって、文に運ばせるだけだぜ」

「私達は?」

「たまに手伝う」

「文句言われそうだわ」

「交渉したのはこっちなんだから、そのくらいいいだろ」

 

 そんな会話をしながら、トリステインの街角を進む二人。ふとアリスが足を止める。

 

「ちょっと、ごめん」

「どうしたんだよ?」

「あそこ寄っていいかしら」

 

 指さした先には武器屋があった。そこの亭主が何やら文句を言っている。誰もいない壁に向かって。魔理沙、眉をひそめる。

 

「何だあれ?頭おかしいのか?」

「いえ、たぶん違うわ」

 

 アリスはそのまま武器屋に入っていった。不思議に思いながらも、魔理沙も後を付いて行く。

 

「ちょっといいかしら」

「ちっ……。今取り込み中……」

 

 だがそこで店主の声が詰まる。二人の姿を見て。以前買ったマントを付けていた。

 急に笑顔を作り出す店主。

 

「あ!?え~……。貴族の方がこんな店に、なんの御用でしょうかね?別に妙な商売はやっておりませんよ」

「私は用がないんだけどな。こいつがな……」

 

 魔理沙はアリスの方に視線を送る。店主は釣られるように彼女を見た。まるで人形のような美少女。いかにも華奢そうな姿。どう考えても、武器屋に来る理由なんてあるはずない。ますます不安を募らせる店主。思わず口を開く。

 

「えっと……。お嬢さんが使えるような武器は、ありませんがね」

「さっき壁……、剣に向かって話してたでしょ?」

「ああ、そういう事ですか。これでさぁ」

 

 疑問が解けて、表情を緩める。いつもの話かと。やがて店主は、剣の山から一本引っ張り出した。出てきたのは長剣。しかも錆だらけでボロボロの。もう製鉄の原料以外に使い道がなさそうな剣だった。だがそこから声がした。

 

「なんでぇ、嬢ちゃん。俺になんか用か?」

「け、剣がしゃべった?」

 

 一斉に剣に視線が向かう。驚きの声と共に。

 店主は気の張りが解けたのか、ちょっと大げさに説明する。

 

「初めてのお客さんは、みんなビックリするんですがね。これはインテリジェンス・ソードでさぁ」

「ガーゴイルじゃないの?」

「こんな形のガーゴイルなんて聞いた事ないですぜ。しゃべるってのも。いや……もしかしたら、あるのかもしれませんけど。こっちもガーゴイルの専門家って訳でもないんで」

「ふ~ん……。ガーゴイルかもしれないのね」

「まあ……。けど見ての通り錆だらけ。しゃべる剣っちゃぁ珍しい事は珍しいんですが、肝心の口の方も悪いんもんで。ようはロクなもんじゃねぇってこってす」

 

 店主の言葉を他所に、アリスはまさに珍品を見る目で剣を眺めてる。ただ、話すという点を除くと確かにロクでもない。当の剣は今言われた通り、汚い口調で店主を罵っていた。だが彼女の瞳は輝いたまま。

 

「これ、もらうわ」

「えっ?いいんですかい?こんなんもん、錘にもなりゃしませんぜ?」

「話すってだけでも、十分価値はあるわ」

「そうかもしれませんが……。こっちとしちゃぁ、厄介払いできるんで、買ってくれるんならありがたいんですがね」

「それで、いくら?」

「金百で」

「わかったわ」

 

 人形遣いはなんの躊躇もなしに金を払う。店主は金額を確認すると、剣を鞘に入れアリスに手渡した。

 

「う……意外に重いわね」

「剣ってものは、そういうもんです」

 

 店主は少しばかり呆れ顔。剣がどの程度の重さを知らずに、武器屋に来たのかと。もっとも、メイジなら仕方がないとも思ったが。

 あながちその考えは外れてなかった。アリスは長い時間を生きているとはいえ、剣に触れるなんて事は滅多にない。しかも彼女は人外でありながらも、その身体能力は人間とそう変わらない。

 すると魔理沙が頭を掻きながら、手を出す。

 

「仕様がねぇな。持って行ってやるよ。ほら、よこしな」

「……。悪いわね」

 

 魔理沙は剣を箒に括りつける。やがて二人は店から出ると、空へ飛んだ。魔理沙は剣の意外な重さに、ちょっとバランスを乱しながら。

 

 

 

 

 

 それから数日後。ルイズに後見人になってもらい、本格的に話が進みだしていた。スカロンもヴァリエール家の後ろ盾があるならと、かなり気合を入れていた。そんなある日。

 魔理沙はいつものように、調理室で食事を取っている。食事も終わった頃、一枚の皿を料理長のマルトーから差し出された。ケーキが乗っていた。

 

「ん?なんだよ。これ?」

「新作だ。食べてみな」

「へー。んじゃ、いただきます」

 

 魔理沙は遠慮なくという事で、フォークで分けたケーキを口に放り込む。すると絶妙な甘さと味わいが広がっていた。

 

「ん!?うまい!いけてるぜ、おっさん」

「へへっ」

 

 自慢げに腕を組んで笑うマルトー。魔理沙は遠慮なくどんどん食べる。新作ケーキはあっという間になくなってしまった。

 

「さすが貴族相手の料理人だな。腕が違うぜ」

「だてに、ここの料理長はやってないからな」

「やっぱ砂糖も悪くないな。けどさすが貴族相手だぜ。こんなに砂糖使うなんてな」

 

 その言葉に、マルトーは怪訝な表情を浮かべる。

 

「ん?別に貴族相手だから、砂糖を使ってる訳じゃないぜ」

「んじゃ、何で、こんな高いもん使ってんだ?」

「砂糖が高い?いや、安くはねぇけど、買えねぇってほどじゃねぇぞ」

「なら余計に、蜂蜜にすればいいだろ」

「蜂蜜?逆だろ。蜂蜜なんてそうそう買えねぇよ」

「えっ!?」

 

 魔理沙、一瞬固まる。頭の中に嫌な予感が走り始めていた。一つ息を飲むと、ゆっくり口を開いた。

 

「マルトーの親方。一つ聞きたいんだけどな」

「なんだよ。あらたまって」

「砂糖と蜂蜜はどっちが高いんだ?」

「そりゃぁ蜂蜜だろ」

「どれぐらい差がある?」

 

 マルトーは白黒魔法使いの質問に、大げさに答えた。同時に魔法使いの顔色は、白黒どころか色を失っていた。

 というのもスカロンに頼んだアイスクリームの甘味料が、砂糖ではなく蜂蜜だった。当然、大量に発注している

 

 蜂蜜と砂糖。

 実は幻想郷では砂糖の方が高い。どちらかというと雪国な幻想郷は、サトウキビから砂糖を作る訳にはいかない。だから砂糖の原料は、もっぱら寒冷地作物の甜菜だった。しかし甜菜はサトウキビに比べて、効率が悪い上に甘さもイマイチ。

 一方の蜂蜜。ハルケギニアに限らず、外の世界でも蜂蜜の方が高い。しかし幻想郷では事情が違った。一人の大妖のおかげで。その名は風見幽香。単純な強さから人々に畏れられる妖怪だが、花の妖怪というファンシーな面も持っていた。彼女のおかげで幻想郷では、他の世界ではあり得ないほど花が咲いている。養蜂業者はそれにあやかっていた。幽香の方も蜂が花のためになるので、養蜂業者を追っ払ったりしない。このため幻想郷の蜂蜜は、当たり前のように豊富にある。

 どっぷり幻想郷の生活に漬かっている魔理沙とアリスが、甘味料は蜂蜜と無意識に選ぶのは無理もなかった。

 

 ぐるぐるといろんな考えが回りまくっている魔理沙。その時、シエスタが調理場へ入って来る。

 

「あ、魔理沙さん!丁度良かった。叔父さんから知らせが届きました。準備ができたって」

「…………」

「あの……、魔理沙さん?」

「そ、そ、そ、そうか……。分かったぜ……」

 

 魔法使いは、パントマイムのようにギクシャクと席を立つと、マルトーにケーキの礼を言う。料理長は微妙な顔で、それを受けた。やがて魔理沙は外に出ると、あっという間に飛んでった。最高度で。「やべぇ、やべぇ」とか言いながら。

 

 すぐさまアリスと合流。二人で『魅惑の妖精』にカッ飛ぶ。そしてキッチンに突入。

 

「スカロンのおっさん!」

「あら、お早いお着きですね。ごらんください。ご要望の物は全て揃えましたわ。特に蜂蜜を揃えるのは手がかかりましたわ。なんと言っても……」

 

 そこから長い苦労話が続く。だが二人には右から左。意識はただただ、キッチンに置かれている蜂蜜満載の小さな樽に集中していた。何故もうあるのかと。

 

 実は魔理沙達。もう一つ大失敗をやらかしていた。それはハルケギニアでは、貴族相手では後払いという法則を見逃していた。最初に見積もりがくると思い込んでいた二人は、想定外の状況に茫然。幻想郷でルイズが勘違いしてやらかした失敗を、逆にやってしまっていた。ハルケギニアではもちろん、実は幻想郷でもそう商い慣れしてないせいか。だが大きな違いもあった。金額が魔理沙達の方がはるかに上という事実。

 皮肉な事に、霊夢が心配していた通りとなる。さすがは巫女の勘だった。

 

 

 

 

 

 廃村の寺院。幻想郷の住人達の拠点。月夜に浮かぶその姿はまさに幽霊屋敷。だが、地下は全く様相が違っていた。そう広くはないものの、ちょっとした屋敷のような作りとなっている。

 そのボロボロの建物の屋根の上に人影が一つ。パチュリーの使い魔、こあだ。空を見上げながら、何かをノートに描いていた。側には望遠鏡もある。そんな彼女に声がかかる。

 

「何やってんの?」

 

 視線を向けた先にいたのは、珍しい顔。不良天人、ルイズの使い魔、比那名居天子。実はここには滅多に寄り付かない。おとなしくルイズの側に居るわけではないが、一応ルイズを意識はしているようだ。

 こあは視線を空に戻して、返事だけする。

 

「星を観測してるんですよ。パチュリー様の言いつけで」

「星?」

「はい。毎日特定の時間に、一等星以下の星を記録するようにって。他にも、双月の位置と状態、日の出と日の入り、正午を記録するように言われてます」

「なんでそんな事するのかしら?」

「さぁ?私は言われただけなので」

 

 ちなみにこあは悪魔なので夜目が利く。星を記録するのにはうってつけ。もっとも、カメラがあればずっと簡単なのだが。文が貸してくれるはずもない。

 

 天子はちょっとばかり興味があって聞いてみたのだが、思ったより面白くなかったので、すぐに下へと降りて行った。やがて天子は地下へと向かう。そこには、人数分の部屋と共用の部屋が作られていた。さらに幻想郷をつなぐための転送陣の部屋も。ただ後から来た鈴仙には部屋がなく、天子に割り当てられた部屋を使っていた。天子があまりここに居つかないのもあって。

 ふらふらと退屈そうに廊下を歩きながら、辺りを見回す。何かを感じたのか、アリスの部屋の前で足を止めた。ノブに手を添える。すると脇から忠告一つ。

 

「勝手に入ったら怒られますよ」

「衣玖。なんか久しぶり」

 

 天子の気配を察したのか、部屋から出てきていた。以前なら彼女の監視というかお守りのような立場だったが、今は違う。天子がルイズの言う事を聞くようになってから、大分手間がかからなくなっていた。ルイズが監視役を代わりにやっているとも言うが。

 

「そうですね。五日ぶりほどでしょうか。気の休まる日が多いのは、こちらに来ていい事の一つです。総領娘様の相手をしなくて済んだおかげで」

「何だって?」

「いえ、別に」

 

 しれっと笑顔を返す竜宮の使い。少し憮然とした天人。

 だが、興味はすぐに元に戻る。アリスの部屋のノブに手をかける。衣玖はあきれ顔。

 

「だから怒られますって」

「なんか気になるのよ」

「それじゃ、許可をもらってからにしてください」

「アリス、いないじゃないの」

「学院にいるんじゃないんですか?いったん戻られたらどうです?」

 

 しかし天子聞かず。というかアリスがいないと知った時点で、無理矢理開けるしかないと考える。許可をもらうためにアリスを探すなんて、思考の外だった。

 一方、ため息の龍神のメッセンジャー。お仕置きを一発食らわしてやろうと考えていると……。後ろから声がかかった。

 

「あら?天子。珍しいわね。どうしたのよ」

 

 パチュリーだった。

 

「暇になっちゃったからねー。たまには寄ってみようかなって」

「暇?」

「ほら、ルイズに決闘禁止って言われてちゃって」

 

 トリスタニアの一件以来、ルイズは天子に決闘禁止の命令を出していた。ただ彼女の口からそれを聞いて、ちょっと驚く紫魔女と竜宮の使い。この傍若無人天人が、決闘の結果とは言え、人の命令を守っているとはと。意外な律儀さに感心する二人。

 だがそれも一瞬。

 

「で、考えたのよ。毎月、決闘して主導権争いをするのはどうかって。そっちの方が楽しいかもと思ってね」

「あんたって子は全く……。」

 

 思ったほど変わってなかった天人だった。ちょっと見直したのを後悔する魔女と水妖。

 パチュリーは気分を取り直すと、質問を一つ。

 

「それで?アリスに何か用?今、いないわよ」

「彼女じゃなくてこの部屋に用があるの」

「何故?」

「何か感じたのよ」

「…………」

 

 天子の言葉を聞いて、少しばかり考え込むパチュリー。ハルケギニアに来て、こういう場面は何度かあった。その時は必ず『虚無』に関わっていた。

 パチュリーは意を決したように言う。

 

「入ってみましょう」

 

 注意を口にする衣玖を無視して、部屋の中に入っていく。

 中は小ざっぱりして、かわいらしい装飾がアクセント的にある。いかにもアリスらしい部屋だった。そして部屋のやや奥。床には魔法陣が描かれていた。

 

「あ!あれ」

 

 天子は魔法陣を指さす。正確にはその中央を。そこには剣が一振り置かれていた。錆でボロボロの、どう見てもなまくらとしか思えない剣が。すると部屋の奥から声が届いた。

 

「なんでぇ。俺になんか用か?」

「しゃべった!しゃべったわよ!」

 

 天子は後ろの二人に、嬉しそうに話かける。面白いものをまた発見したという具合に。それにパチュリーは整然と返す。

 

「あれはデルフリンガーというそうよ。本人の言い分ではね。インテリジェンスソードとかいうものらしいわ。アリスはガーゴイルじゃないかって疑ってるんけど」

「へー。どんな能力持ってんの?」

「さあ?いろいろと忘れてるらしくって、本人も分からないらしいのよ」

「ふ~ん……」

 

 楽しそうにうなずく天子。するとズカズカと魔法陣の中央に寄って行った。慌てて厳しい声を出す衣玖。

 

「総領娘様!」

「いいから」

 

 それをパチュリーが止める。こちらも何かを企んでいるような顔で。

 天子はデルフリンガーの側まで来ると、今からいたずらでもしようかという子供のような笑顔を浮かべていた。デルフリンガー少し不安。汗がかけたら冷や汗を出しているだろう。

 

「な、なんか用か?」

「いろいろ忘れてるんだってね」

「お、おう」

「ふ~ん……」

 

 すると天子は腰のものに手をかけた。抜かれた剣が、光の霧を纏いながら緋色に輝く。武器屋に長らくいたデルフリンガーだが、こんな剣は噂すら聞いた事がない。さらに不安になるなまくら刀。

 

「な、なんでぃ?それは!?」

「『緋想の剣』っていうの。マジックアイテムと思っていいわ」

「そ、それをどうしようって、いうんでぇ……」

「いろいろ思いださせてあげようと、思ってね」

 

 デルフブリンガー、楽しそうな天子を前にして恐怖でいっぱい。

 そこに不安な空気をいっぱい感じ取っている、衣玖の声が挟まれる。

 

「何をするつもりです?総領娘様」

「この剣にね、気を注入してみようと思うの。ほら、『緋想の剣』って気を天候に移せるでしょ?同じように、この剣に気を移せないかなって」

「そんな事ができるなんて、聞いた事ありませんよ」

「うん。私も知らない。だからやってみるの」

「失敗するかもしれませんよ」

「そうなったら、この剣、弾け飛ぶかもしれないわね」

 

 二人の会話を聞いて動揺している錆剣。

 

「ちょ、ちょっと待て!なんだそりゃ!殺す気か!」

「大丈夫だって。いろいろ思い出せるんだから、いいじゃないの」

「うまく行けばだろうが!」

「うまく行くって。たぶん」

「たぶんかよ!」

 

 文句言うが、天子おかまいなし。ゆっくりとその左手が伸びて来る。デルフリンガーは、今こそ動けない事を恨みに思ったことはない。

 伸びて来る天人の腕。動けぬインテリジェンスソード。そして天人の腕が、剣の柄を握った。

 

「痛っ!」

 

 天人から声が漏れた。やけに響く声が。

 

「「えっ!?」」

 

 パチュリーも衣玖も思わず零した。驚きの声を。

 

 頑丈で知られている天人。それが痛みを口にするとはと。確かに痛がる天子は何度も見た事ある。だがそれが本気だと思う者はいなかった。どこか嘘くさい声色なのが、いつもの天子の悲鳴。彼女の叫びは遊び半分。

 だが今のは違った。本当に痛い。そうとしか聞こえなかった。

 

 天子は、デルフリンガーからすぐ手を離すと、怒声を浴びせる。

 

「な、何すんのよ!」

「何にもしてねぇよ!」

「電撃出したでしょ!」

「そんな力ねぇって!」

 

 罵りあいがいくつも重なる中、ふと双方の言葉が止まった。異変に気づいて。

 どこからともなく、カタカタという音が響いて来た。三人と剣は辺りを見回す。

 ペン立てが揺れる、花瓶が音を立てている、レースのカーテンが波を打つ。

 

 地震。

 

 誰もがそう思った。

 だがそれはすぐに終る。あっさりと。精々震度2の揺れ。幻想郷なら、たまにある程度のものだ。どうという事もない。すると次に出て来るのは疑惑の目。なんと言っても、地震の申し子がいるのだから。

 天空の妖怪が総領家の娘へジト目。

 

「総領娘様……。なんのつもりでしょうか?」

「は?私?何もやってないわよ!地震だからって、なんでも私のせいにするんじゃないわよ!」

 

 天子は珍しく、怒って文句を言っていた。無実だと主張するように親指で自分を指して。

 その時、思わずその天人の左手に飛びかかる者がいた。七曜の魔女ことパチュリー・ノーレッジ。天人の手を両手でしっかり掴むと、マジマジと凝視していた。目を見開いて。やがてポツリとつぶやく。

 

「ルーンが……」

「な、何よ?」

 

 さすがの天子も困惑。パチュリーが何をしたいのかさっぱりわからない。当の紫魔女も少しばかり驚いている。やがてゆっくりと、天子に手の甲を見せた。

 

「ルーンが欠けているわ」

「え?」

 

 向けられた手を見ると、馴染みのルーンがあった。だがそれは見慣れているものと少し違っている。実は、魔女の言う通り欠けていた。ガンダールヴのルーンが。

 

 

 

 




 蜂蜜と砂糖についてですが。中世ヨーロッパでは実は蜂蜜の方が安いです。砂糖が安くなったのは大航海時代。植民地のプランテーションができてからです。しかし原作では砂糖は出てきても蜂蜜は出てこないでの、蜂蜜の方が高いとしました。


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Big Trouble

 

 

 

 

 双月が空に上がってからかなり時間が経っていた。学院の端に、小さな掘っ立て小屋があった。そこに明かりがついている。コルベールの研究室だ。教師としての仕事の後、寝るまでのわずかな時間を自分の研究に打ち込んでいた。人によっては意味のない道楽と思われているが、いつかは役に立つ時が来ればいいと考えていた。もっとも、知的好奇心が最優先なのだが。

 そんな彼の小屋のドアがノックされた。コルベールは手を止める。

 

「はい。どなたでしょうか?」

「パチュリー・ノーレッジよ。今、いいかしら?」

「これは、これは」

 

 意外な来客に驚く。すぐにドアに開けた。暗闇の中、相変わらずの奇妙な恰好の遠方のメイジと彼女の使用人がいた。実は彼、たまにだが彼女と会話を交わしている。というのも、パチュリーはよく授業に出ていたのだ。彼女の研究のテーマ、系統魔法の再現のために。

 コルベールはドアを開けたまま、話しかける。あくまで友好そうな表情で。

 

「もう遅いですから、それほど時間は取れませんが、よろしいですか?」

「ええ。かまわないわ」

「そうですか。ではどうぞ」

 

 パチュリーとこあは案内されるまま、小屋へと入っていった。

 小さなテーブルの周りに、三人が座る。コルベールは簡単にテーブルを片づけると、紅茶を用意した。簡単な挨拶の後、最初に話し始めたのはパチュリーだった。

 

「あなたがこの学院で、使い魔に一番詳しいと聞いてるのだけど。召喚の儀式にも一番立ち会ってるって?」

「そうですね。何かと私が受け持つ事が多いようです」

「後、開明的とも聞いたわ」

「そう言っていただけると、ありがたいです。人によっては、異端の疑いを持つ方もいらっしゃったので。まあ、夜な夜なこんな小屋に籠っているのでは、そう思われても仕様がない所もありますが」

 

 コルベールは、苦笑いを浮かべながら答えた。対するパチュリーは、相変わらずの無表情。

 

「それじゃ、本題に入るわ。使い魔について聞きたいの」

「ふむ……知っている事でしたら、お答えしましょう」

 

 姿勢を正すと、目の前の遠方のメイジに耳を傾ける。

 

「単刀直入に聞くわ。主と使い魔の契約が切れるのは、どんな時?」

「どちらかが死亡した場合のみですね」

「その時、ルーンは?」

「すぐに消えてなくなります」

 

 目の前の教師の言葉聞いて、パチュリーは黙り込んで考え出す。彼女の様子に、トラブルを感じ取ったコルベール。思いついた事を口に出してみる。

 

「その……。ミス・ヴァリエールとミス・ヒナナイに何かあったのでしょうか?」

「…………。ルイズには黙っておいてよ」

 

 コルベールは静かにうなずく。魔女は彼に視線を向けた。

 

「天子のルーンがね。欠けたのよ」

「欠けた?消えたのではなく?」

「ええ」

「そんな馬鹿な……」

「ここで読んだ本にも、そんな現象は見当たらなかったわ。だから、実例をいくつも見てるあなたに聞いてみる事にしたの」

「そうですか……」

 

 遠方のメイジの話は予想外のものだった。いや、ルイズの使い魔も彼女の同郷の者だ。イレギュラーがあり得るかも。という考えもあたまを掠めたが。眉を顰め頭を回す。

 紫メイジは彼に構わず、自分の考察を口にした。

 

「例えば……サモン・サーヴァントで間違った相手を呼び出したせいで、契約が不完全になるって可能性はあるかしら?」

「…………」

 

 教師は口元に手を添えると、考え込む。そしてゆっくりと視線を上げた。

 

「今から言う事は、他言無用に願えますでしょうか?私のような立場の者が、このような事を口にするのは憚られるかもしれませんので」

「ええ」

「サモン・サーヴァントではメイジに相応しい使い魔が召喚されるという事になっていますが、立証された訳ではないのです。つまり、間違った召喚なのかどうかも分りません」

「…………」

「確かに、主の系統に近い使い魔が召喚されているのも事実ですが、より相応しい使い魔がいないとも言いきれません。さらに言えば、多くの使い魔は属性のハッキリした幻獣などより、普通の動物の方が多いのですよ。そのため相応しいかどうかは、判断が難しい場合もあります」

「傾向があるのは確かだけど、決定的と言えるほどじゃないと」

「はい」

 

 パチュリーは表情を変えない。今まで授業を聞いていて、なんとなく想像はついていた。立証よりも実践重視で、現象がなぜ起こるかがあまり説明されないのだ。

 コルベールは続ける。

 

「ただミス・ヴァリエールとミス・ヒナナイには例外要素が多いので、今までの考えが通用するかどうか……」

「本当に相応しくなかった可能性もある訳ね」

「はい」

 

 小さくうなずく教師。その答えに紫魔女も考え込む。やがて、この沈黙に耐えかねたのか、コルベールが口を開いた。

 

「あの……何を考えているのでしょうか?」

「相応しくないとしたら、その理由をね」

「もしかして……ミス・ヒナナイが間違って召喚された可能性があると?」

「ええ」

「……。付き添いもなくミス・ヴァリエールが自らサモン・サーヴァントを行ったようですから、やり方に問題があったのかもしれませんね」

「その時よりも最初のサモン・サーヴァント、つまり私達の『世界』に出てきた時のサモン・サーヴァントの方がキーだと思うのよ」

「最初の召喚……」

 

 コルベールは宙を仰ぎながら思い出す。そもそも、ルイズが行方不明になったのは召喚の儀の最中だった。彼女から聞いた話では、召喚したつもりが、逆にこの目の前のメイジ達に召喚されていたと。だがそれがキーとはどういう事か。コルベールは遠方のメイジの次の言葉を待った。

 

「例えば……。ルイズが本来召喚すべき相手の所に展開したゲートに、私達の召喚陣が重なってしまったとか。するとルイズは召喚陣自体を召喚してしまうわ」

「それに巻き込まれたと……」

「考えられなくはないでしょ?」

「確かにそれならば、あなた達の所に現れた理屈も通ります。しかし、それは呼ぶべき使い魔が他にいるのとは、違うのでは?ミス・ヒナナイが相手でも、矛盾はないように思えますが」

「そうはならないの。なぜなら、彼女が呼ばれるべき相手なら、ゲートを二度見てるはずだから。最初の召喚の儀の時と、天子を召喚した時にね。でも、一度しか見てないそうよ。だから天子じゃない。彼女を召喚してしまったのは、ゲートが結界を越えられなかったせいじゃないかしら」

「結界?」

 

 コルベールは聞きなれない言葉に眉をひそめる。しかし目の前の紫メイジはそれに答えない。相変わらずのマイペース。別の事を口にする。

 

「何にしても、所詮は仮説よ。立証できる訳でもないし。あなたの言う通り、そもそも例外的な主従だしね。ま、結局、原因はよく分からないという事ね」

「申し訳ありません。力になれずに」

「気にしないで。礼を言うのはこっちよ。こんな夜更けに相手をしてもらったんだから」

 

 パチュリーはそう答えると席を立ち、こあと共に小屋を後にしようとする。何ももたらさず、この話は終わる所だった。

 だが、そこに制止の声。少しばかり張りつめた響きの。

 

「あの……礼と言われるなら……。一つ質問に答えていただけないでしょうか?」

「何かしら?」

「ご気分を害されたら、申し訳ありません」

「?」

「その……あなた方は……。何者ですか?」

「……。どういう意味かしら?」

 

 魔女と使い魔の足は止まったまま。視線は教師に向いている。表情は相変わらず起伏がない。

 対するコルベールには奇妙な緊迫が滲みつつあった。かつて戦地を潜り抜けた経験が、訴えているのか。目の前の存在は違うと。ルイズと天子の決闘を見た時の、異質感が思い出される。

 

 教師は言葉を続ける。脳裏に引っかかっていた疑問を吐き出すように。

 

「ミス・ヴァリエールとミス・ヒナナイの決闘の時から、違和感がありました。その……ミス・ヒナナイのあの能力。あれは人に可能なのかと。それから、あなた方を注視していました」

「…………」

「魔法については、特に気になった点はありません。あまり使われてないようですし。しかし、日々の生活に気になった点がいくつもあります。例えば食事。あなた方は食事も我が校で賄う事になっていますが、まともに食事をされているのはミス・キリサメだけ。他の方々はたまにしか来られない。特にあなたとミス・マーガトロイドは、食事にいらした事がほとんどない」

「ここの料理が口に合わないだけよ。他で取ってるわ」

「ならば、何日も徹夜をしても影響が見られないのは、どういう事でしょうか?警備の者から、深夜、あなた方の部屋の灯りが数日続けてついていたと聞いています」

「まるでストーカーね。単に徹夜慣れしてるだけよ。そういう体質なの」

「では、今のお住まいを教えていただけないのは?」

「女性の家を知るには、努力が足らないんじゃないかしら?」

「先ほど、あなたはミス・ヴァリエールを召喚したのを自分達の『世界』と言った。自分の国を世界などと言うでしょうか?」

「言う人もいるわ。目の前に」

 

 全ての疑問にパチュリ―は平然と答える。雑談でもしているかのように。

 だが逆にそれがコルベールに疑念を強くさせていた。見た目は学院の生徒並に見えるこのメイジ。だがその仕草、言動は老獪さを感じる。異質なアンバランス感。かつての戦士としての経験が訴える。目の前にいるのは違うと。

 

 だが、そんな彼の緊張感を他所に、パチュリーは一つ溜息。

 

「はぁ……。一つ言っておくわ」

「は、はい」

「悩んだ所で意味はないわよ」

「え?」

「私達はこっちでいろいろと研究したいだけなのよ。それにね、ルイズの友人でもあるつもりなの。私達は信じられないかもしれないけど、ルイズは信じられるでしょ?」

「それは……はい、そうですが……」

「つまりは、そういう事よ」

 

 要は自分達の手綱は、ルイズが握っているから安心しろと言っているのだ。

 そこまで聞いてコルベールは、疑問を収める。これは、一筋縄で行かないと思ったのだ。一方で、この目の前の存在は、やっかいではあるが悪ではない。そんな直感が彼の心にあったのも理由だった。気づくと、さっきまであった緊張も消えていた。

 

 やがてパチュリーとこあは部屋を後にする。すぐに帰路へと飛び立った。空を進みながら少し難しい顔。天子のルーンの疑問が晴れない上に、教師に余計な疑いを持たれてしまうとは。もっとも、後者についてはそう気にする彼女でもない。廃村に着いた頃には、頭の隅に追いやられていた。

 

 

 

 

 

 図書館に最近よく見る少女が現れた。生徒達の視線が一斉に集まる。それが目に入ってないように、いつもの場所に向う。この所、よく見かける姿だった。

 この人物。トリステイン所か、ハルケギニアの住人ではない。一目見れば分かる変わった風貌。目立つうさぎのような耳。いや本人の言い分によると髪飾りだとか。とにかく分りやすい特徴。彼女の名は、鈴仙・優曇華院・イナバ。その正体は、人間ではない。それどころか、地球の存在ではなく月出身の玉兎。もっともハルケギニアの住人からすれば、地球だろうが月だろうが関係ないが。

 

 鈴仙がこっちに来たのは、ルイズの姉、カトレアの治療のため。というのは理由の一つ。実はもう一つ理由があった。ふと、その時の出来事を思い出す。

 

 

 

 鈴仙がいつもの様に永遠亭を掃除していると、彼女の師匠が帰って来た。八意永琳が。今日は往診でもないのに、珍しく出かけていたのだ。

 彼女を笑顔で迎える鈴仙。

 

「お帰りなさい。師匠」

「ええ、ただいま」

「どこに行かれてたんです?」

「山の神社よ」

 

 山の神社。つまり妖怪の山の守矢神社。あまり関わりのない場所だ。彼女は何とはなしに聞いてみた。

 

「どうしてまたでそんな所に?」

「町内会の会合よ」

「会合……って?」

「山の神に、スキマ、亡霊姫とかに会って来たの」

「何ですかその顔ぶれは!?異変でも起こるんですか?」

「かもね」

 

 平然と答える永琳。

 だが、鈴仙の方はというと、ちょっとばかり不安になる。わずか眉間が締まる。八雲紫、西行寺幽々子、八坂神奈子、洩矢諏訪子に会ってきたと言っているのだ。幻想郷の実力者ばかり。何もないというのは無理がある。まあ年配同士の、単なるお茶飲み会の可能性もあるが。

 浮かんだ疑問を訊ねようとした所、先に永琳が口を開いていた。

 

「ちょっと頼みたい事があるのよ」

「はい?」

 

 鈴仙は手を止めると、少しばかり緊張した面持ち。

 永琳は玄関に腰を下すと足を組む。やがて話始めた。

 

「紅魔館のルイズって知ってる?」

「えっと……はい。人里で聞いた事あります。外来人の魔法使いだとか」

「それじゃ、彼女が異世界の住人って言うのは?」

「それは初耳です。けど、異世界って何です?」

「言葉通りよ。信じられないかもしれないけど」

 

 ちょっとばかり目を丸くする月のうさぎ。

 薬師は話を続ける。

 

「実は、魔理沙とアリス達が、その異世界への転送陣を完成させたの。もう行き来できるそうよ。そこで、あなたも彼女達といっしょに行ってもらいたいの」

「え……。何故です?」

 

 鈴仙、少し不安そうな声で返す。異世界がどんな所かも分からないのもあるが、実力者の会合の話を聞いた後なのだ。まず厄介な目的のためで事であるのは、間違いなかった。嫌な予感しかしない。

 ともかく、彼女の質問に師匠は答える。

 

「まずは治療よ。そのルイズに姉がいるんだけど、彼女、体が弱いらしいの。そのためにね」

「でも私じゃ、治療できるか分りませんよ?」

「分かってるわ。治療は私がやるから。その彼女から採血してきて」

「はぁ……」

 

 拍子抜けの玉兎。ただの治療目的とは。でも、ちょっと安心。

 だが、続きがあった。

 

「それともう一つ。というかこっちが本題なんだけど」

「はい」

 

 鈴仙は気持ちを引き締める。やはり、治療だけで終わるはずもなかったかと。永琳は相変わらずの表情で、中身を口にする。

 

「その異世界での、一番の宝を持ってきなさい」

「宝!?宝って何です!?」

「分からないわ。それを調べるの込みで、頼んでるの」

「ええ!?そ、それに、一番の宝なんて貸してもらえる訳ないじゃないですか!」

「そうね。だから盗んできなさい。いえ、むしろ誰にも言わないで、持ってきなさい」

「な……!だいたいなんで、そんな事するんですか!?」

「一つは研究のためね。それと困った顔が見たいから」

「はぁ!?」

 

 予想を上回る無茶振り。理由も訳が分からない。研究はともかく困った顔が見たいとか。いつから師匠はこんな歪んだ性格になったのか。初めからかもしれないが。

 あたふたする鈴仙を他所に、永琳はお構いなし。

 

「無理そうなら、二番目でも三番目でもいいわ。宝なら」

「一番目が三番目になっても、大して変わらない気がするんですが」

「ともかく、指示は伝えたわよ。さすがに手ぶらは厳しいだろうから、多少は手を貸すわ」

「多少ですかぁ……」

 

 項垂れながら答える鈴仙。永琳から無茶な頼みをされるのはよくある事とはいえ、今回はいつにも増して厳しい要件。情けない声で、せめてもの反論。

 

「師匠ぉ……。そんなに私の困った顔が見たいんですかぁ?」

「あら、あなたのとは言ってないわよ」

「え?それじゃ、いったい誰の……」

「さあね。誰が困るのか……。それ自体が求める結果なのよ」

「???」

「それじゃ、お願いね」

 

 永琳は用が終わったとばかりに奥へと引っ込む。一方、佇むだけの鈴仙。どうにも意図がわからない。左右に首を傾け考える。だが、分かっている事が一つ。何にしても盗みを働くのだから、鈴仙が貧乏くじ引くのは確実。絶望感と混乱が頭の中で巡っていた。

 

 

 

 鈴仙は学院の図書館で、思い出し笑い。その笑いはやけに乾いていたが。そしてパタリと突っ伏した。あの時の絶望感が蘇って。

 ところで彼女が図書館で何をしているかというと、やはり宝を調べていたのだ。この世界、ハルケギニアの宝を。

 

 すると、テーブルに突っ伏している鈴仙に声がかかる。顔を上げた先にいたのはルイズだった。

 

「あ、ルイズさん」

「ルイズでいいわ。あれ?どうかしたの?顔色よくないわよ」

「ははは……」

 

 むっくりと起き上がる鈴仙。なんとか表情を通常運転に戻す。

 

「えっと、何か用?」

「一週間ほどしたら、実家にみんなを招待するつもりなの。予定空いてる?」

「こっちは、いつでもいいけど」

「ありがとう。それと、ちい姉さまの治療の事なんだけど。その時にお願いしたいの」

「うん。分かったわ」

 

 要件はそれだけとばかりに、この場を去ろうとするルイズ。そんな彼女を鈴仙は止めた。

 

「あ、あの、ルイズ!」

「ん?もしかして、予定あったの?」

「そうじゃなくって……、聞きたい事があって……」

「何?」

 

 ルイズは立ち止まると、再度鈴仙の方を向く。一方、鈴仙。一つ息を飲むと、無理に笑顔を作って尋ねた。

 

「その……この世で一番の宝って何かしら?」

「は?」

 

 一瞬意味が分からない。とりあえず答えるピンクブロンド。

 

「命とか……誇り……信仰……」

「そういうんじゃなくって、宝物って意味で」

 

 鈴仙のいいたい事はなんとなくわかったが、急に言われるとルイズもよく分からない。世界の宝物なんて勉強や貴族の矜持に関係ない知識が、ルイズの頭にある訳なかった。

 

「う~ん……。そういうのはよく知らないのよ」

「そう……」

「有名なのだと……始祖の秘宝かな」

「あ、それ、本にあったわ。確か……始祖が残した遺物で、『祈祷書』、『オルゴール』、『香炉』、『円鏡』の四つ……だったかしら」

「そうよ。一般常識みたいなものだけど。各王家に一つずつあるわ」

「それじゃぁ、見ようと思ったら、王様の宝物庫とか行かないといけない訳ね……」

 

 鈴仙、溜息一つ漏らすと、またパタリと机に臥せる。そんな彼女にルイズは首を傾げながら尋ねる。

 

「そんなに見たいの?」

「まあ……」

「一つだけなら見せて上げられるわ」

「本当!?」

 

 ガバッと起き上がる玉兎。その瞳に希望の光。それにルイズは応える。

 

「私、『始祖の祈祷書』を陛下からお預かりしてるのよ。それなら見せられるわ」

「え……。ルイズが持ってるの?」

「そうよ。大切に保管してるわ」

「そ、そうですか……」

「ただ、今はいろいろ立て込んでるから、落ち着いてからでいい?」

「うん……。そうしてくれると嬉しいです。こっちも決断に時間がかかりそうなんで」

「?」

 

 何やら、小さく縮こまっている鈴仙。ルイズは首を傾げるだけ。鈴仙にとっては、顔見知りがターゲットではあまり気が進まないのも無理なかった。一方のルイズは、姉の事で世話になるのだから、これくらいのサービスはいいだろうと思ったのだ。

 

 ルイズは次の目標へと向かう。実家への招待を知らせるために。幻想郷組にリーダーでもいれば伝えるのは一人で済むのだが、残念ながらいない。おかげで、各々に言うしかなかった。

 

 そんな訳で、急いで図書館を出ようとしたルイズに声がかかる。思わず向いた先に、図書館の常連がいた。青い髪の小さな少女が。

 

「あれ、タバサ。なんか用?」

「……」

 

 タバサは静かにうなずくと、口を開いた。

 

「あのうさぎの人は何?」

「ああ、鈴仙・優曇華院・イナバって名前の……えっと……妖怪。種族は忘れたんだけど、なんでも月から来たそうよ」

「……!」

 

 思わず目を見開くタバサ。月の住人なんて、存在自体が信じがたいものだろう。だが、彼女は幻想郷の者たちの素性を知っている。ならば話は違う。予想外ではあっても、大げさに驚くようなものではなかった。そもそも知りたい事はそれではない。彼女は本題に入る。

 

「最初の時には居なかった」

「後から来たの」

「何しに?」

「私の姉上、体が弱いのよ。その治療のため」

「医者?」

「違うわ。医者の助手よ。治療のための検査をするって聞いてるわ」

 

 ルイズは答えながらも不思議に思っていた。やけに丹念に聞いて来る。もちろんまた幻想郷の住人が現れたのだ。疑問は持つだろう。だがどこかタバサらしくない気がしていた。

 そんな考えが頭を巡っている最中、次の質問が出る。

 

「その医者の腕は?」

「聞いた話だと、治せないものはないそうよ。不治の病から毒からなんだって」

「……!!」

 

 タバサの表情が珍しく明るくなる。ここまで感情を露わにするのも珍しい。初めて見る彼女の様子に、思わず気圧されるルイズ。構わずタバサは前のめり。

 

「どうやって治療を頼んだの?」

「パチュリーになんとかお願いして……よ。最初、難しいかもって言ってたんだけど。あまり面識もないそうだから。でもアリスが間に入って、なんとかしてくれたの」

「仲介を入れて、なんとか……」

 

 一言零すと、いつもの表情に、いや落胆すら感じられるほどの表情に戻った。そして礼をすると自分の席へと帰る。彼女の後姿に、何か腑に落ちない者を感じるルイズ。首をわずかに傾ける、眉間にしわを寄せる。ただ、今はとにかく全員に招待の話を通さないといけない。頭を切り替えると、図書館を出ていった。

 

 

 

 

 

 ルイズの部屋の前に三人の変わった姿があった。人妖の姿が。

 魔法使い二人に、烏天狗。魔理沙とアリスと文だ。さっきからルイズの部屋をノックしているが、返事がなく立ち尽くしている。弱り顔を、見合わせる三人。

 

「どこ行ったんだよ。アイツは」

「授業終わったら、大抵部屋にいるのにね」

 

 アリスは腕を組みながらつぶやく。すると辺りを見回していた文が、目標の相手を見つけた。笑顔いっぱいに手を振る。

 

「あやや、ルイズさん!」

 

 気づいたルイズは駆け寄って来た。

 

「あんた達何やってんのよ」

「ルイズさんに用があったもんで、探してたんですよ」

「私に?ふ~ん……。まあ、こっちも用があるから。入って」

 

 ドアのノブに手をかけると、三人を部屋へと入れる。探していたので、丁度よかったという具合に。

 ルイズは適当に二人を席に座らせ、彼女自身はベッドに腰掛けた。

 

「えっと、まずこっちから話すわ。他の人にはもう伝えたんだけど、実はあなた達を我が家へ招待したいの」

「なんでまた?」

 

 アリスが意外そうな顔をする。両親が厳格だとは幻想郷で聞いていた。そんな家に、どう考えても厳格とは程遠い連中を連れて行くとはと。

 ルイズは、仕方なさそうに答える。

 

「つまり……その……母さまが、私が世話になった相手を見ておきたいんだって」

「幻滅するだけじゃないの?」

「かもしれないけど、連れて来いって言うから。それで、一週間後くらいを考えているのよ。何か都合ある?」

「私は別に」

「文は?」

「もちろん空けておきますよ。貴族を取材できる絶好の機会ですし」

 

 なんか不安を呼ぶ事を口にしたが、とりあえずルイズは了承。次に魔理沙に尋ねようとしたら、向うから話し出した。ラッキーと言いたそうな顔で。

 

「お前ん家に行くのか。そりゃ、丁度よかった」

「丁度いいって何よ」

「お前の父ちゃんと母ちゃんに、話通しておかないといけないしな」

「!?」

 

 ルイズはその台詞を聞いて、一瞬、眉間にしわ。自分の両親に話を通して置かないといけない?まるで面識のない魔理沙が。嫌な予感しかしない。

 

「話って何よ」

「実はなぁ……金を借りたいんだ」

「え!?」

 

 ルイズ、頬が引きつる。

 ふと、周りを見ると、アリスと文もバツの悪いような顔をしている。嫌な予感はさらに強くなる。

 

 すると魔理沙は、一枚の紙切れをテーブルに置いた。そこに見えるのは、購入一覧の文字。アリスが申し訳なさそうに、説明を始める。

 

「えっと……ほら、前に買う物があるから、後見人になってって言ったでしょ?」

「え……ええ」

 

 記憶の隅をさぐると、確かにそんな事があったのを思い出す。ヴァリエール家の名で、二人の後見人となったのだ。魔理沙達は一応貴族という扱いになってはいるが、別にトリステインに所領がある訳でもない。実は金銭的な裏付けがまるでなかった。そこで彼女達が"あるもの"を買う時に、ルイズは後見人としての書類にサインしていた。もっともその時のルイズは、単なる買い物だろうと深くは考えていなかったのだが。

 

「だってあれって……料理の材料買うからって……」

「そうよ。で、買ったら思ったより高くついてね」

 

 高くという言葉に反応して、ルイズはもう一度一覧に目を通す。いろんな品が書いてあったが、その中で蜂蜜の額が突出していた。

 

「な……何よ!この額!どんだけ買ったのよ!」

 

 ルイズは部屋で、声を張り上げていた。忘れていた宿題を、期限直前で思い出したような顔で。

 対する白黒魔法使いはなだめる様に話す。

 

「実は商売始めようと思ってな」

「聞いてないわよ!そんな話!」

「言うまでもないと思ってたんだよ。名前借りるだけだったし。最初はそんなに金もいらないと思ってたしな」

「そうなってないじゃないの!」

 

 ルイズの文句は止まらない。魔理沙の口調は、ますます申し訳なさそうに。

 

「いやな、途中までは順調だったんだぜ。店も料理人も目途がついてな。たださ……」

「ただ……、何よ」

「材料購入する時に手違いがあってな」

「まさか買う量を、一桁間違えたとかじゃないでしょうね!」

「いや。購入する物自体を間違えた」

「な……!ば、ば、ば……」

 

 怒声を破裂させよとするルイズ。しかしその口を、魔理沙が手で塞ぐ。

 

「皆まで言うな。いや、気持ちは分かるぜ。悪いとは思ってる。けど最後まで話をさせてくれ」

「ぐ…………」

 

 機先を制せられ、口を噤むルイズ。だがその顔は、まさに爆発を抑え込んでいる活火山。

 

「返す当てはあるぜ。時間さえあればな。けど期日までは難しいんだよ。で、その少しの間、金を借りようと思ってな。悪いとは思ってるけどさ、なんとかならないか?」

「む、無理に決まってるでしょ!」

「親父さんかお袋さんに頼めないか?私も頭下げるぜ。いいタイミングで私らもおまえんチ行くんだし」

「逆効果よ!そんな事したら、軽々しく家名を使って借金作ったって問い詰められて、最悪、家に連れ戻されちゃうわ!」

 

 両親、特に母親の厳しさを身に染みるほど知っている彼女にとっては、こんな額を要求するという事は自殺行為にも等しい。

 ルイズのあまりの拒否っぷりに、魔理沙は結構がっかり。頼みの綱が切れたとは、この事か。

 そこに文が一つ提案。

 

「なら、別の手しかありませんね」

「そうね。他の方法にしなさい。それで、どうやるの?」

「偽造した手形で支払う」

「ぶっ!?」

 

 ルイズ、この烏天狗は何を言いだすんだって顔。詐欺にまで手を出そうというのか。さすがに止めないとと、身を乗り出した。しかし文の制止の声。

 

「勘違いしないでくださいよ。別に踏み倒す訳ではありません。支払を延期してもらうんです」

「普通に頼めばいいでしょ!」

「初めての取引なのに、そんな事したら信用を失ってしまいます。ですから、形だけでも支払った事にするんです」

 

 内心、どの口が言うかとルイズ。信用なんて考えてないような新聞を、いつも発行しているくせにと。

 

「でもそれがどうして、延期する事になるのよ」

「手形の決済を先にして、実質的な支払日をさらに延ばすんです。その間に、稼いだお金で返す。決済の期日の前に処理できれば、全て丸く収まります」

「だ、だけど手形の偽造なんて……」

 

 ルイズは何やら、歯切れの悪い返事。確かにうまく行けば、両親にも取引相手にも気づかせずに、お金の問題を終わらせられる。妙に後ろ髪引かれるものがあった。それにしても、全うな学生生活していたら、知らないままであろう悪事をポロポロ言う幻想郷の住人達であった

 その時、アリスが不思議そうな顔してルイズの後ろを指さした。

 

「何あれ?光ってるわよ」

「え?」

 

 釣られるように後ろを向くルイズ。引き出しから光が漏れている。そこは大切な物の保管場所。アンリエッタからの預かり物、『始祖の祈祷書』の。

 ルイズは首を傾げながら、引き出しを開ける。すると祈祷書そのものが光っていた。手に取って開いてみる。

 

「あ……」

 

 声が漏れる。開いた祈祷書を見て。新しいページが増えていたのだ。そこに書かれていたのは『イリュージョン』。幻を作り出す新たな虚無の魔法。

 祈祷書に見入っていたルイズの後ろに、気配が三つ。ルイズの上から、祈祷書を覗き込むようにあった。

 魔理沙が聞いてくる。

 

「なんだよ。何か書いてあるのか?」

「新しい魔法が書いてあるの」

「え?『エクスプロージョン』じゃないのが?」

「ええ。『イリュージョン』って言って、幻を作り出す魔法だそうよ」

「へぇ」

 

 話を聞いて三人は、元の席に戻った。アリスがまずは感想。

 

「てっきり、指輪と魔法がセットで、あたらしい指輪がないと魔法が増えないのかと思ったら、そうじゃないのね」

「困った時に、手に入るって代物なのかもな」

 

 魔理沙も感心しながらコメント。

 だが、そこに嫌味な声が挟まれる。烏天狗の。

 

「つまり、ルイズさんは、この『イリュージョン』の魔法で、偽造手形を作りたかったんですね」

「えっ!?ち、違うわよ!か、勝手に出てきたのよ!」

 

 ルイズは顔を真っ赤にして否定するが、逆にそれが、実は考えていたかのように思わせる。余計に、文は嫌らしい笑みを浮かべていた。どこか楽しそう。

 

「ですが幻を作る魔法ですから、まさに偽物を作るためのもの。しかも今、手に入った魔法なんですから。ルイズさんがそう願ったんじゃないですか?」

「そ、そんな訳ないでしょ!き、貴族として偽造なんてする訳ないわ!」

 

 もう、ルイズは頑なになっていた。そこをさらに文がいじるの繰り返し。ついには大声を張り上げて、怒鳴り散らしていた。

 

「と、とにかく!私は知らないわよ!魔理沙達が勝手にやったんだから!」

「う~ん……。実はそうも行かないんだよな。ルイズが私らの後見人なのは、どうにもならないからなぁ」

「どういう意味よ」

 

 ルイズの不満タラタラの声で尋ねる。体中に、文句を溜めこんでいるかのように。それに、白黒魔法使いは、渋い顔で答えた。

 

「私らが払えないと、請求がルイズ……いや、ヴァリエール家に行くと思うぜ」

「はぁ!?な、なんで、そんな事になるのよ!」

「後見人だからだぜ」

「訳分んないわよ!」

 

 ルイズはもう半ばパニック。魔理沙の言う意味が理解できない。商売に疎いルイズでは無理なかった。だがこれ、別世界では『保証人』とも言うもの。ものによっては破産への片道切符。やがて説明を受けたルイズは、さらに蒼白になり、そして、ハルケギニアに戻って来て初めて、そして本当に久しぶりに、怒りを大爆発させていた。

 

 

 

 




描写面ちょっといじりました。


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湖の畔

 

 

 

 

 アンリエッタの執務室にノックが響いた。女王は手元の書類から目を離し、顔を上げる。

 

「お入りなさい」

 

 開いたドアから白髪の神父が入って来た。マザリーニ枢機卿。姿こそ聖職者だが、纏う雰囲気はそれではない。どちらかというと政治家。それも無理もない。トリステインの宰相なのだから。

 彼は一つ礼をすると、アンリエッタの前までやってきた。

 

「全て滞りなく、終わりました。後は調印を残すのみです」

「ご苦労様です」

 

 アンリエッタは労をねぎらう。

 その労、彼のやっていた仕事というのは、実はゲルマニアとの同盟の話であった。一度、潰れたものがまた復活したのだ。しかもゲルマニア側からの要請で。

 女王はため息といっしょに、少しばかり不満そうに零す。

 

「それにしても勝手なものですね。わたくしの輿入れをあれほど要求した上に、最後は向う側から同盟を拒否したというのに。今度は無条件での同盟要請とは」

「我が国に利があると、読んだからでしょう」

「利……?」

 

 アンリエッタは首を傾ける。こう言ってはなんだが、小国である祖国に始祖ブリミルの血筋以外の利があるとは思えなかったのだ。大国ゲルマニアが欲するほどの。

 マザリーニは整然とした口調で話す。

 

「アルビオンです」

「アルビオン?」

「アルビオンは、ラ・ロシェール戦で大きく戦力を失いました。攻めるなら絶好の機会です。ですが、ゲルマニアにはアルビオンを攻める大義がありません。ここで我が国と同盟を結べば、同盟国を助けるという大義が手に入ります」

「ではかの国は、アルビオンを掠め取るために同盟を結ぶと言うのですか」

「はい」

「なんという破廉恥な……」

 

 アンリエッタは少しばかり憤りを感じていた。かつての恋人の国がまるで、単なる物のように扱われる事に怒りすら覚えた。

 だが目の前の枢機卿には、そんな心情的なものに配慮している余裕はない。別の問題が引っ掛かっていたのだ。

 

「いずれにしても、再びアルビオンと戦火を交える事になるでしょう」

「そうですね」

「そして、アルビオンに攻め込むとなると、我が国はゲルマニアの力を借りざるを得ません。何しろ兵を運ぶ船がまだまだ足りませんので」

「はい……」

 

 彼女は憂いた表情でうなずきながらも、自分の国の現状を思い出す。陸軍はかなり回復してきているが、艦隊の方はまだまだであった。最初の奇襲でほぼ壊滅してしまったのが、かなりの痛手となっている。急ピッチで再建中とは言え、元の姿を取り戻すにはかなりの時間が必要だった。このためアルビオンに攻め込むとなると、どうしてもゲルマニアの力を借りるしかなかった。

 

 同じことはマザリーニも当然分かっている。彼が女王の前に来たのはこれが理由でもあった。枢機卿は平静を装いながらも、わずかに声に力を込めた。

 

「そこで、陛下。一つ献策がございます」

「なんでしょう」

「ルイズ・ヴァリエール譲、すなわち『虚無』を戦に参加させていただきたいのです」

 

 枢機卿はトリステインの切り札を口にする。

 

 実はラ・ロシェール戦の後、戦場分析や捕虜の証言に、不自然なものがいくつも見つかったのだ。少なくともアンリエッタが言っていた、『烈風カリン』の活躍では説明のつかない物が。そして国の要としての立場から、彼女を問い詰め遂に真相を聞き出す。ルイズが虚無である事も、そしてロバ・アル・カリイエからの怪しげなメイジ達の事も。

 

 マザリーニからの提案に、思わず声を上げるアンリエッタ。

 

「またルイズを戦地に!?彼女は十分働きました!」

「分かっております。それでもなおです。本来は我が国の問題。ですが今のままでは、ゲルマニアの支援を受けざるを得ません。やがては戦後処理にも主導権を握られてしまうでしょう」

「それに対抗するためですか」

「はい。陛下お気持ちはわかります。ですが、ここは熟慮をお願いいたします」

「…………考えさせてください」

 

 少し沈みながらも、うなずく。王の務めを果たさねばと、自らを戒めながら。

 マザリーニはついでとばかりに、言葉を付け加えた。

 

「まあ、欲を申せば、ロバ・アル・カリイエの方々にも参加していただけると、ありがたいのですが」

「難しいでしょう。ルイズ自身も、手に余る方々と言っていましたし」

「ふむ……」

 

 二人は渋い顔を浮かべていた。

 もっとも今なら、ルイズ以上に依頼を聞いてくれたかもしれない。なんと言っても大問題を抱えていたので。お金の事で。

 

 

 

 

 

 学院の広場のベンチに影三つ。魔理沙とアリスと文である。珍しく元気のない姿で、並んでいる。

 

「どうすんだよ」

「どうするって言っても……」

「借金頼むどころか、逆に怒らせちゃったろうが」

 

 魔理沙がブツブツこぼしている。アリスもそれに疲れたように答えた。そして隣の烏天狗を、揃って見る。

 

「文が余計な事言うからよ」

「はは、つい口が滑っちゃって」

「誘導するのが新聞記者でしょ。逆やってどうするのよ」

「まさしくその通りでした」

「はぁ……。アンタ責めても仕様がないんだけどね」

 

 アリスは溜息をつくように天を仰いだ。空は晴れ渡り、暖かそう。寒い懐具合とは真逆である。

 すると視線に影が入った。彼女を覗き込む少女が一人。ベンチの後ろにいた。

 

「あら?タバサ?」

「立て替えてもいい」

「?」

 

 一瞬何を言われたか分からないアリス。いや、それは他の二人も同じ。

 もう一度、同じことを繰り返す。

 

「キュルケから聞いた。お金に困ってると。だから私が立て替えてもいい」

「本当か!」

 

 思わず、身を乗り出す魔理沙。だが、すぐに妙な事に気づく。どうしてキュルケが借金の話を知っているのかと。

 タバサが言うには、キュルケが直にルイズから聞いたそうだ。彼女は久しぶりに聞いたルイズの怒号に、思わず廊下に出る。そこで見かけた、追い出される魔理沙達。後からルイズが落ち着くのを見計らって、聞いてみた。すると愚痴を垂れるかのように、ぶちまけてきたと。

 

 魔理沙達は経緯に納得しつつも、ルイズの機嫌を直すには一筋縄ではいかないとか思っていた。

 タバサは、話を戻す。わずかに緊張した面持ちで。

 

「ただし条件がある」

「できる事なら、何でもするぜ」

「うさぎの人を、説得してもらいたい」

「鈴仙を?」

「治療してもらいたい人がいる」

「そういう話か」

 

 魔理沙達は、タバサの要求を一も二もなく引き受ける。他に借金をなんとかする手立てもない上に、説得もなんとかなるだろうと思っていたので。さらにルイズの姉の治療を永琳があっさり引き受けたのを、アリスから聞いたのもあった。

 

 ところでタバサだが、実は結構お金を持っている。シュバリエである彼女は給金をもらっていた。本以外にあまりお金を使う事がないので、かなり溜めこんでいたのだ。

 

 さっそく行動に移る三人。鈴仙を半ば強引に説得。ただ彼女にできる事はカトレアと同じ、治療のための検体集めだけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 ルイズの部屋に、ノックと共に今は聞きたくない声が届いた。魔理沙の声が。

 

「ルイズいるか?」

「…………」

 

 部屋の主は返事せず。

 

「昨日は悪かった。借金の話は忘れてくれ、こっちでなんとかする。というか、なんとかなった」

「!?」

 

 ルイズは少しばかり驚く。あの額がなんとかなったとは。その時、ふと頭に浮かんだのは偽造手形。

 思わずドアを開けると、申し訳なさそうにしている三人がいた。そんな彼女達を前にしても、ルイズは相変わらず不機嫌そうだが。

 

「なんとかなってってどういう事?まさか偽造手形を……」

「違う、違う。タバサが立て替えてくれたんだぜ。条件付でな」

「…………そう」

「あのな、機嫌治せって。私らも悪かったって思ってるって。商売のこと話さなかったのはさ」

「…………。だったら……」

「だったら?」

「あんた達全員、私に貸し一つ!」

「ああ、いいぜ」

「なら、許してあげる。こっちも、考えなしに家名を貸しちゃったしね」

 

 意外にサッパリしていたルイズ。魔理沙達は、とりあえず安心した表情を浮かべた。

 ルイズ自身も、後になって考えると、落ち度が少々あったと思ったのだ。家名を使うというのに、用件をよく理解しようとしなかった事に。それに、いつまでもズルズル引きずっているのも、居心地悪いのもあった。幻想郷での生活のせいか、少し大ざっぱになったのもあるのかもしれない。

 

 彼女はドアを大きく開けると、中へ三人を通す。

 

「それでタバサの条件って?」

「あの子の母親って体が悪いらしいの。それで永琳に、診てもらいたいそうよ」

 

 アリスは席に座りながら説明。

 

「そうだったのね。でも、治療してもらえそうなの?」

「たぶんね。なんだったら、幻想郷に戻って直に頼んでみるわ」

「そう」

「という訳で、一度、彼女の母親に会わないといけないの。だから、例の招待の話は、もう少し先にしてくれないかしら」

「うん。分かったわ。急ぐような話でもないし。それにしてもタバサの母さまがねぇ……」

 

 ルイズはタバサとは最近話すようにはなったが、学院関連以外の話はあまりしてない。キュルケならいろいろ知っているかもしれないが。

 

「で、どこ行くの?」

「ラグドリアン湖って所です。その畔に家があるそうです」

 

 今度は文。

 

「ふ~ん。私も行っていいか、タバサに聞いてみようかしら」

「何故また?」

「ラグドリアン湖は昔行ったことあるだけで、久しぶりだし。それに鈴仙の治療も、一度見ておきたいもの」

「ああ、なるほど。お姉さんの治療しに来たんですもんね。鈴仙さん」

 

 文はうなずきつつも、新たな取材ネタが増えた、なんて内心思っていた。

 

 ともかくその後、ルイズはタバサに許可をもらう。週末を使って行く事となった。だが、ルイズが行くとなると、使い魔の天子、付き添いの衣玖まで付いて来た。一方、パチュリーとこあは行かない。何やら、やる事があると。おかげで週末旅行は大人数。まずはタバサ、彼女が行くならとキュルケ。ルイズに魔理沙、アリス、文、天子、衣玖。そして治療目的の鈴仙である。総勢9名。

 

 だがタバサ。この時は言ってない事があった。そのいわくつきの由来がある実家についてと、さらに別に用件がある事を。

 

 

 

 

 

 週末。ほとんどのメンツがラグドリアン湖への旅行へ行っていた。

 人影の少なくなった廃村の寺院に残った二人。パチュリーとこあである。今は、アリスの部屋にいた。彼女達の向かう視線の先に、一振りの剣。デルフリンンガーと名乗る、錆だらけのなまくら刀だ。それを魔女は無表情で眺めていた。だが瞳からは、好奇心がにじみ出ていた。

 

 本来、これはアリスのもの。しかし、パチュリーが許しをもらって調査する事となった。もっとも目的はアリスとは違うが。

 パチュリーは椅子に座ると、剣に向かって話しかける。

 

「それで何か思い出した?」

「いいや」

「天子の時のまま?」

「ああ」

「う~ん……」

 

 魔女は顎を抱えて考え込む。

 デルフリンガーを握った天子が騒いだあの日。何かを、思い出しそうになったのだ。試しにもう一度天子に持たせようとしたのだが、彼女が嫌がったために、結局何も分からず仕舞いで終わった。

 

 パチュリーは、隣に立っている使い魔に顔を向ける。

 

「こあ、あなたチャームの魔法、使えたわよね」

「はい。これでも一応悪魔ですから」

「催眠術みたいに使えない?」

「催眠術?何するつもりです?」

「記憶を取り出せないかと思ってね」

「ああ、なるほど」

 

 こあは、催眠術にそんな使い方があると聞いたのを思い出す。

 主は使い魔の様子に構わず、尋ねた。

 

「それで?」

「う~ん……。応用で似たような事、できるかもしれないですけど」

「なら、デルフリンガーにチャームをかけなさい」

「え!?剣に!?だいたい目がないじゃないですか!」

「見る事はできてるんだから、目はなくても視覚はあるわ。いいからやってみなさい」

「はぁ……」

 

 こあはデルフリンガーに目を向けた。ちょっとばかり首を傾げながら。やがて、その目が淡い輝きを増す。するとデルフリンガーから声が漏れた。

 

「おお、こりゃぁ……」

 

 その反応に、パチュリーとこあは魔法がかかったと思った。僅かに明るい表情を浮かべる二人。

 

「さて、デルフリンガー。あなた、こあの事どう思う?」

「ん?まあ、かわいいんじゃねぇか?」

「…………。リアクション薄いわね。チャームかかってないのかしら?」

「そんな事より、今の良かったな。少し腹が膨れた感じがしたぜ」

「腹が膨れた?あなたもしかして……魔法を吸い取ったの?」

「んー……。おー、そうだそうだ。俺は魔法を吸えるんだ。思い出した」

「思い出した……そう。なら、ちょっと試してみようかしら」

「何をだよ?」

 

 パチュリー、返事をせずに、ただニヤリと笑み。嫌な予感が走るなるなまくら刀。

 主と使い魔は、ぼそぼそと一言二言話すと、デルフリンガーから距離を置く。そして振り向いた。どこか楽しそうに。二人の様子に、デルフリンガーは天子の時と同じような不安に駆られる。あの問答無用というようなごり押しな空気を。

 

「おい!ちょっと待て、何するつもりだ!?」

 

 だが質問に答えず、代わりに出てきたのは光る弾。それがパチュリーとこあの周りにいくつも浮いていた。

 

「なんだ、そりゃ!?おい!待て!」

 

 だが返答は弾幕。一斉にデルフリンガーめがけて光弾が飛んできた。

 

「うわあああーーー……。あ!?」

 

 当たって吹き飛ぶか、と思ったが痛くもかゆくもない。むしろ気分がいい。

 一方、パチュリーとこあは、消えていく弾幕に見入りながら感嘆の声を上げる。

 

「すごいですよ。どんどん吸い込んでます」

「こういう力は初めて見るわ。紫のスキマとかとも違うわね。魔法自体を吸収するなんて。ちょっと興味が湧いて来たわ。アリスに譲ってもらおうかしら」

「アリスさん、まだ何もしてないですよ。さすがに、無理じゃないですか?」

「大丈夫よ。だってこれって、どう見てもガーゴイルじゃないでしょ。ガーゴイルじゃないなら手放すわ」

「そっか。あの人、人形研究のために買ったんでしたっけ」

 

 雑談しながらも、光弾を打ち続ける二人。さすがのデルフリンガーも結構腹が膨れつつあった。

 

「ちょっと待て!ストップ!いつまでやるつもりだ!」

「ああ、ごめんなさい」

 

 弾幕を止める二人。大きく息をつく錆刀。いや、呼吸はしないが。

 

「はぁ……。この前の娘っ子もだが、おめぇらメチャクチャだな。説明しねぇで事を始めるしよ。少しは相手の事考えろ」

「悪かったわ。あなたの反応、見てみたかったのもあったのよ」

「なんてぇ言いぐさだよ……」

 

 紫寝間着のリアクションに呆れるしかない。だがふと、デルフリンガーは妙な違和感を覚える。今、吸った魔法に。

 

「ん?おめぇら……人間じゃねぇな」

「いまさら気づいたの?あなたを買ったのも、この前会った二人も人間じゃないわよ」

「ここは化物屋敷かよ」

「それで、何か思い出した?」

「応えねぇヤツだな」

 

 なまくら刀の文句や皮肉に、相変わらずのマイペースぶりを続けるパチュリー。もう一言、二言文句を言ってやろうかと思っていたデルフリンガーだが、あまりに変わらぬ態度にどうでもよくなってきた。結局、彼女の質問に答える事に。

 

「ん~。あ、思い出した。そうだ、俺ってガンダールヴに使われてたんだわ」

「ガンダールヴ?虚無の使い魔の?もしかして代々のカンダールヴに使われてたの?」

「いや、なんていうか最初のガンダールヴっていうか……」

「初代のガンダールヴ?それはいつ頃?」

「えっと~……。6千年くらい前の頃のような……」

「6千年?それって始祖ブリミルがいたと伝わってる頃ね。何か関係あったの?」

「いや、分からねぇ……。あったかもしれねぇ」

「そう……」

 

 パチュリーの視線が深くなる。

 ガンダールヴに、始祖ブリミルがいた時代。どうもこの剣はとんだ拾い物らしい。もしかしたら虚無に関わる情報を、握っているかもしれない。魔女は、わずかに笑みを湛えていた。

 

「今のガンダールヴに会えたのも、そんな過去があったからかもしれないわね。もしかしたら、ガンダールヴに出会える能力とかあるのかしら?」

「今のガンダールヴ?誰だ、そりゃ?」

「この前会ったでしょ。あなたが電撃喰らわした子よ」

「だから、そんな能力ねぇって。え?あの娘っ子?」

「そうよ」

「そうか?いや……。言われてみれば、ガンダールヴのような気もするな。けど、なんか妙な感じだ。シックリこねぇって言うか……」

「シックリこない?理由に、心当たりある?」

「一瞬しか触ってないからな。なんとも言えねぇ。勘違いかもしんねぇし」

「…………」

 

 少しばかり考え込むパチュリー。天子のルーンが欠けた事と、何か関係あるのかもしれない。

 だが今、答えが出るはずもなかった。やがて、デルフリンガーも魔法の吸収し過ぎという事で、今回の調査はお開きとなる。

 

 アリスの部屋を後にするパチュリーは上機嫌。ともかく、面白そうな素材が手近にあるのだから。これから楽しくなりそうだと。

 気持ちを切り替えると、もう一つの興味の事を思い出す。

 

「そうそう。こあ」

「はい?」

「星の観測の方はどう?」

「双月の軌道周期は出せました。でも、とんでもなく早いですよ。正直、異常って言ってもいいくらい」

「やっぱり実体じゃないのかしら。後は?」

「えっとですね……。惑星が見当たらないんです」

「惑星がない?」

「外惑星だけですが。それに、まだ太陽の裏側にあるかもしれませんけど」

「一応、内惑星も探してみて」

「はい。それと星見てて思うんですが、なんか作り物っぽいんですよね」

「…………。とりあえず、観測を続けて」

「はい」

 

 こあの作り物という台詞を聞きながら、パチュリーはふと思い当たる事があった。図書館に通い詰めていたが、不思議と星に関する本がほとんど見られないのだ。あるのは精々文学、芸術のテーマとしての話ばかり。

 

「また、コルベールに話を聞いてみようかしら」

 

 自分の部屋に戻りながら、ポツリとつぶやいた。上機嫌な雰囲気は消え、すっかりいつもの魔女に戻る。だが、面白いネタがいっぱい手に入ったとばかりに、その声はわずかに弾んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ルイズとキュルケは、その立派な門の前で神妙な顔つきになっていた。正確には紋章を目にして。傾いた夕日に照らされたそれに。

 ここはタバサの実家。彼女の母親を診るという事で、やって来たのだ。幻想郷の一行共々ぞろぞろと。ラグドリアン湖の畔の屋敷という事で、観光半分な気分もあった。しかしそんなものは今、吹き飛んでいた。少なくともルイズとキュルケは。

 

 紋章は明らかに、ガリア王族、オルレアン家である事を告げていた。そして紋章に印された不名誉印。この家に何か大きな不幸があったのだろうと、簡単に推測できた。思えば彼女のタバサという名前自体も不自然だった。ここには、何やら触れてはいけないものがあるのでは、という気にすらさせられる。緋色に染まり影を伸ばす紋章を、どこか悲しげに感じる二人だった。

 

 キュルケは先に進むタバサに声をかける。少し遠慮したような声色で。

 

「えっと……来て構わなかったのかしら?」

「かまわない」

 

 意外にしっかりした返事。その答えにキュルケは、胸がわずかに熱くなる。つまり、彼女が自分をそこまで信頼していると。わずかに笑みを漏らす。もっとも、おまけが大量にいての話なのは、ちょっと複雑な気持ちだったが。

 

 客間に一同が通される。タバサの側に立つのは、執事の。この屋敷の数少ない使用人で、留守を任されている人物だ。

 

「ペルスラン。後をお願い」

「かしこまりました。お嬢様」

 

 タバサは立ち上がると、玉兎の方を向いた。

 

「ミス・鈴仙」

「はい?」

「いっしょに来て」

「あ、はい。患者さんの所ですね」

 

 鈴仙は持ってきた道具入れを持って、タバサの後に続こうとする。すると、ルイズも立ち上がった。

 

「私も付いて行っていい?鈴仙が治療するの見てみたいし」

「ダメ」

「なんでよ?いいでしょ?私の姉さまも治療受けるから、参考にしたいのよ」

「ダメ」

 

 無口なタバサにしては、やや語気に力のある拒絶。少しばかりムッとするルイズ。だいたい鈴仙は、元々ルイズの姉の治療のために来たというのに。

 一言返そうかとした所に、ペルスランの制止が入る。

 

「ヴァリエール様。ここはご容赦をお願いいたします」

「だって!」

 

 不満の収まらないルイズを、今度はタバサが止める。

 

「理由は話す。ペルスラン、お願い」

「お嬢様!?いえ……かしこまりました」

 

 ペルスランは一瞬、驚きの表情を浮かべたが、主のその顔を見て、全てを理解する。そもそも彼女がこの屋敷に客人を連れてきたという事からして、最初からそのつもりだったのだろう。執事は覚悟を決めると、客人の方を向いた。ルイズの方も少々不満ながらも、席に戻る。やがてタバサは部屋を後にした。

 

 彼女のいなくなった応接室で、ルイズ達はこの家の不幸を執事から聞く。

 

 ガリアは前王崩御の後、王位は円満に継承された。にもかかわらずタバサの父は謀殺される。そして母まで毒で狂わされた。さらに母を人質に、タバサも不当な扱いを受け、汚れ仕事を押し付けられている。年齢に見合わぬ彼女のシュバリエの称号。それはその汚れ仕事を単独でやらせるための、大義名分に過ぎなかった。

 

 ルイズとキュルケは思わず義憤に駆られる。タバサを不幸に落とし込んだ、張本人に。ガリア王ジョゼフに。

 各国で無能王と陰口を叩かれる彼。ガリアを動かしているのは、実際には臣下で彼は何もしてないとすら言われている。ただ若隠居を決めた能無し王と思われたが、それがこれほど残酷な性格をしているとはと。

 ただその時ルイズは理解した。さっきタバサが拒絶したのは、毒に犯された母親を見せたくなかったのだと。病身な身内を持つもの同士。公爵家という立場の近さもあるのだろう。不思議とタバサに親近感が湧いていた。

 

 そんな二人の様子を見ながら、ペルスランは奇妙な感慨を受けていた。母が狂って以来、あれほど心を閉ざしていたタバサに、こんな友人が出来ていたという事に。何かが変わるかもしれない、という予感が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 長い廊下の一番奥、その部屋はあった。

 慎ましいながらも整然とした扉は、貴人の部屋である事を連想させた。タバサはノックをするが、返事は帰ってこない。いつもと変わらない状態に、彼女は唇に力を込める。だがこんな有様は分り切った事だ。タバサは、息を整えると、ノブに手をかけた。

 

「入って」

「はい」

 

 鈴仙は案内されるまま、部屋へと入っていく。二人を迎えたのはベッドで横になる、女性だった。顔色の悪い、痩せた、異様な目つきの女性だった。

 タバサは女性に向かって頭を下げる。

 

「母さま、ただいま帰りました」

「だ、誰ですか!」

「…………」

「王家の回し者ね!この子は、シャルロットは絶対に渡しません!」

 

 震える声で怒声をタバサに浴びせた。その手にあるボロボロの人形を、大切そうに抱えながら。長い髪のスキマから覗く瞳には、憎悪が窺える。

 

 一方で鈴仙。部屋に入ったままの状態で突っ立っている。口を半開きにして。ただただ唖然。一つだけ分かっているのは、目の前の女性がまともではないという事だけ。

 

「あ、あの……。これはいったい……?」

「母は、毒を飲まされ狂わされた」

 

 タバサは、つぶやくように一言で答える。

 納得する月うさぎ。経緯は分からない。だが彼女にはこれで十分だった。目の前の女性が自分の娘すら分からなくなっているほど、毒に犯されていると理解するのは。

 

 実の母の罵声を浴びながら、タバサは隣に立っている人外の方を向く。その瞳にいつもはまず見ない、どこか縋るような弱々しさが浮かんでいた。やがて声を絞りだす。祈るように手を組んで。

 

「母を……母をお願いします」

「はい」

 

 月の玉兎は、大きくうなずいた。力強い答えだった。

 

「でもこれでは、ちょっと治療ができませんから……」

 

 鈴仙はゆっくりと、タバサの母に近づいて行った。

 

「な、なんですか!下がりなさい!無礼者!」

「大丈夫ですよ。何もしませんから」

 

 その時、鈴仙の赤い目がさらに紅く輝き、光を灯す。

 

「うるさい!下がれ!下がれ!さが……」

 

 母の声が途切れる。思わず、タバサは彼女の側に寄った。

 

「母さま!?」

 

 彼女は体をベッドに臥せていた。だがすぐに身を起す。

 

「あら……シャルロット?」

「!?」

 

 耳に届いた声に、タバサは言葉を失った。今のは、確かに自分にかけられた声だ。毒に犯されてから、そんな事は一度もなかったというのに。

 茫然としているタバサを他所に、彼女の母はタバサを抱き寄せる。

 

「どこに行っていたのですか?心配したのですよ」

「母……さま……」

 

 見上げた先に母の笑顔があった。何年ぶりかの。あの日以来の。まさしくそれは、いつもタバサの心にある笑顔だった。

 タバサは思わず抱き着いていた。母の胸に。忘れかけていたその身に。

 

「母さま!母さま!」

「私のかわいいシャルロット。もうずっと側にいるのですよ」

「うん!」

 

 もうそこからは声にならなかった。ただただむせび泣く声と、涙があふれていた。そんな二人を見て、鈴仙の赤い瞳も少しばかり潤んでいた。

 

 ほどなくして落ち着くと、タバサは鈴仙の方を振り向く。

 

「ありがとう」

 

 涙声で出てくるその言葉。だが鈴仙は困ったような顔を返す。

 

「あのぉ……。水を差すようで申し訳ないんですが、治った訳ではありませんので」

「え!?」

「実は私、幻術が使えるんです。それでお母さんに、幻覚を見せてるんです」

「そう……」

 

 肩を落とすタバサ。

 まだ母はここにいる娘を見ているのではなく、記憶の中の娘を見ているのだと。幻覚によって自分を、記憶の中の自分と混同しているだけなのだと。だが、それでも母の笑顔を見られたのだ。今までどんな手をつくしても、見る事のできなかったものが。

 

「それでもいい。ありがとう」

 

 タバサは涙を拭くと、あらためて礼を言った。

 

 やがて鈴仙は、道具箱をベッドの側まで持ってきた。

 

「では術が解けない内に、やっちゃいますか」

 

 あらためて幻術を掛ける。今度は彼女の母を眠らせた。

 その寝顔は幸せそう。タバサは笑顔を浮かべる。もしかしたら家族でいっしょに寝た頃の幻覚を、見ているのかもしれない。

 

 鈴仙は道具を取り出すと、髪と血液の採取を行った。そしてタバサに頼みを一つ。

 

「えっと、これに軽い固定化をかけてもらえないでしょうか?」

「固定化を?」

「はい。簡単な魔法で解けるような」

「分かった」

 

 検体の保持である。冷凍せずにできるのだから、非常に便利だったりする。

 

 ともかくこれで終了。やった事は治療の事前準備にすぎない。だが治療をするのは、月の英知、永琳である。鈴仙は大船に乗った気でいいと胸を張る。もっとも永琳が、頼みを聞くかという問題が残っているのだが。

 

 

 

 




描写面ちょっといじりました。


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最後はいつも通り

 

 

 

 

 

 日もすっかり落ち、ラグドリアン湖には双月が映し出されていた。

 夕食も終わり、一同はそれぞれの用意された部屋へ行く。各々が就寝までの時間を気ままに過ごし、そろそろ寝静まるかという時間。明かりの少なくなった屋敷から、人影が一つ出た。

 その人物は厩舎へと向かうと、自分の使い魔へ話しかける。

 

「シルフィード」

「ん……何?おねえさま。今から寝ようって思ってたんだけど」

「仕事」

「え~……。またなのねー。お仕事じゃなくて、いじわるされてるだけなのにー」

「文句言わない」

 

 シルフィードはブツブツ言いながら、横になっていた体を起こす。

 タバサの使い魔、シルフィード。学院ではただの風竜として知られている。だが実は話す事もできる知能の高い風韻竜だった。非常に希少な存在だが、その希少性さ故にトラブルになるのを避けるため、あえて正体を隠しているのだ。

 

 タバサは未だブツブツ文句を言っているシルフィードを厩舎から出すと、目的の場所へ向かおうとした。

 実家に帰って来たのは、母の治療のためだけではなかった。もう一つの理由があったのだ。王家から命令されている、いつもの汚れ仕事の方の役目が。

 

「お出かけですか?」

 

 不意に後ろから声がかかる。

 タバサは瞬時に杖を抜くと、声のした方へ振り向いた。

 同時に眩しい光。思わず目を伏せる。

 

「驚きの表情、一枚いただきました」

 

 タバサがゆっくりと瞼を開けると、黒い翼の翼人が見えた。いや、そうじゃなくって、カメラを向けたパパラッチが。

 

「聞いてたの?」

「はい」

「この子が話すのも?」

「ええ、お二人で話してましたからね」

「…………。驚かないの?」

「ん?そのドラゴンが話した事ですか?」

 

 うなずくタバサ。文はそれに、少し意外そうな顔を返す。

 

「あやや。私達が気づいてないと、思っていたのですか。タバサさんは妖怪の五感を甘く見過ぎですね。シルフィードさんが話すのは、ずっと前から知ってましたよ。まあ、幻想郷では人語を話す妖獣は珍しくもないので、気にしてませんでしたが」

 

 タバサは、驚きの表情を浮かべていた。

 自身では気配に注意して、シルフィードと会話していたつもりだった。しかし、ヨーカイの能力は想定を超えていた。いや、人間の能力では、彼女達の気配を察知するのは無理だったのかもしれない。

 

 タバサは文に向き直る。

 

「秘密にして欲しい」

「なるほど。口止め料に、何かいただけるという訳ですね」

「……」

 

 なんというしたたかさか。ルイズからの話や学院で文が起こした騒ぎから、彼女の性格を知っていたとは言え、小憎らしい烏天狗である。

 そこに、もう一つ声が入って来る。

 

「何を言ってるんですか。あなたも、妖怪である事を伏せてるでしょうに」

「ち……。余計な事を……」

 

 少し不満そうな文の上から、ゆっくりと降りて来るその姿。学院ではあまり見ない人物である。永江衣玖。天使と聞いている存在。

 すると、さらに衣玖についてくる人影追加。楽しそうな声といっしょに。

 

「何、何?どっか行くの?」

 

 比那名居天子。もう一人の天使で、ルイズの使い魔。

 

 タバサ、一つ溜息。人目を避けて出かけようとしたが、無理だったようだ。いや、”人”目だったら、避けられたかもしれないが、相手は”人”ではなかった。

 やがて屋敷の部屋にいくつかの明かりが灯りだす。どうも言いふらして回ったのがいたらしい。タバサは少しばかりうんざり。幻想郷組関連で、ルイズが喚きたてている事が何度かあったが、ちょっと気持ちが分かる気がした。

 

 双月に照らされた湖畔を、ゾロゾロと歩く少女の集団。結局、全員来てしまった。ついでにシルフィードとフレイムも。

 先頭のタバサは表情を変えないながらも、開き直っている。王家からの汚れ仕事は、なるべくなら誰にも見せたくなかったが、最早この状態なので。

 

 隣を歩いているキュルケが、尋ねてきた。

 

「水臭いわね。家の事話しちゃったんだから、隠すことないでしょ。手伝ってって言えばいいのに」

「今度からそうする」

 

 やけに素直なタバサに、キュルケは少しばかり驚く。家の事情を話したのが、彼女の胸の内を解きほぐしたのかもしれない。炎のメイジはやわらかい笑みを浮かべる。

 

「それに今は、いろいろできるヨーカイがたくさんいるんだから、頼めば一発で解決しちゃうでしょ」

 

 その提案に、忠告が入る。専門家から。ルイズである。

 

「止めといた方がいいわ。連中に借りを作ると、ややこしい事になるから」

「あー、それもそうね」

 

 比較的、幻想郷組の側にいた事が多かったキュルケとタバサは、この連中が気まぐれで打算的なのをよく分かっていた。よほどの事がない限り、タダで何かやってくれるような連中ではないと。

 

 ルイズはタバサの隣に寄ると、訊ねた。

 

「それで、今度の仕事って何?」

 

 タバサは湖の方を指さす。一瞬、なんの事か分からなかったルイズとキュルケだが、すぐに気づいた。

 

「浸水してる家があるわね」

「水が増えてるの?」

 

 うなずくタバサ。

 つまり、このラグドリアン湖の水位を下げるのが仕事という訳だ。ルイズは、少しばかり拍子抜け。結構まともな命令なので。

 

「へー、汚れ仕事ってもう少し酷いのかと思ってたわ」

「ルイズは能天気ねぇ」

「何よ」

「大雨が降った様子もないのに、水かさが上がってるのよ。水の精霊が関係してるに違いないわ」

 

 キュルケの言葉に、タバサもうなずく。

 水の精霊。ラグドリアン湖に古くから存在している。水属性の先住魔法を使い、人間をはるかに超越していると言われている。それ以上はよく分からないが、それだけでも人には手に余るものに思えた。

 

 前行く人間の話を聞いている人外達と普通の魔法使い。うさぎ耳が感心した声を漏らす。

 

「へー。こっちの精霊ってそんな事もできるのね」

「私達の言う精霊とは違うと思うわ。どっちかっていうと、妖精じゃないかしら」

 

 人形遣いが解説。すると隣の白黒が一言。

 

「パチュリー、連れてくればよかったな。アイツが喜びそうなネタだぜ」

 

 さらに後ろにいる天人は、楽しそうな表情を浮かべている。

 

「こっちの妖精か。決闘してみようかしら」

「総領娘様……。なんで戦うって発想になってるんですか。こっちに来て、バトルフェチになってませんか?」

「ふふん。あのさ、話は変わるんだけど。衣玖はなんで来たの?」

「暇だったもので。それに、湖に興味がありましたから」

 

 天子は衣玖が水妖だったのを思い出す。さて烏天狗はというと、まるで関係ない事をしていた。いつもの営業スマイルで。

 

「シルフィードさん。お話しするのは初めてですね。私、射命丸文と申します。以後、お見知りおきを」

「…………」

「タバサさんの使い魔という事ですが、あの方、複雑な経歴をお持ちなんですね。その点、お詳しいんでしょうか?」

「きゅ……きゅい……」

 

 風韻竜は、キュルケ達がいる状況で、次々と質問をぶつけられる。会話する訳にいかない彼女は、苦虫を潰したような顔でなんとか鳴き声を上げるだけ。元々おしゃべり好きだけに、まさに拷問。

 

 しばらく進むと、開けた浅瀬が見えてきた。タバサはここで水の精霊と対するらしい。だが近づく目的地に気配を感じる。同時に話し声が届いた。それも聞き覚えのある声。ルイズ達も気づいたらしい。

 声の方へ急ぐ一同。すると、見覚えのあるシルエットが目に入る。

 

「ギーシュ!少しでいいから離れてて。お願いだから」

「やっぱり、モンモランシーは僕の事が嫌いなんだぁ」

「そうじゃないわよ。でもこれじゃ、儀式がやりにくいからよ」

「僕より儀式の方が好きなんだぁ!うわああああ~~ん!」

 

 足を止めたルイズ達。彼女達の視線の先にあるのは、知った顔。クラスメイトのモンモランシーとギーシュである。思わず駆け寄る。

 

「ねえ。あんた達、何やってんの?」

「え゛?ル、ルイズ!?あ、キュルケ……タバサも……。それに……」

 

 ぞろぞろと現れた集団に、モンモランシー少しばかり腰が引く。頬が引きつる。幻想郷組の正体を知っているので余計に。

 キュルケは首を傾げながら尋ねた。

 

「恋人同士が湖畔でロマンチックなひと時を、って感じじゃないわね。だいたい、どうしちゃったのよ?ギーシュ。変よ」

「えっと……その……。ほ、惚れ薬を飲ませちゃって……」

「惚れ薬って……。それ禁忌でしょ?っていうか、ギーシュってあなたの事、好きだと思ったんだけど。別にいらなかったんじゃないの?」

「だって!……浮気ばっかりするんだもん!」

「それでやっちゃったのね。だけど見てると、成功したように思えないわよ。あなたに惚れ込んだって言うより、母親に甘える駄々っ子にしか見えないわ」

「…………。なんか……うまく行かなかったのよ」

 

 落ち込むモンモランシー。キュルケの言う通り。ギーシュは確かにモンモランシーを大好きになったようだ。親に懐く子供のようになったのは、予定と違っていただろうが。

 金髪縦ドリルのクラスメイトは、視線を落としてつぶやく。

 

「それで……。治すクスリを調合しようと思ったんだけど、『精霊の涙』が足らなくって……。ここの水の精霊に、譲ってもらおうと思ったのよ」

「へー、ここの精霊って、そんな事もできるのね」

 

 するとずっと黙っていたタバサが、前に出て来る。

 

「モンモランシー。譲ってもらうのは、どうやって?」

「水の精霊と交渉して。私の家、代々ここの精霊との交渉役を務めてたのよ。ただ今は……ちょっと……上手く行ってないけど……」

「頼みたい事がある」

「何かしら?」

「水の精霊と話がしたい」

「タバサが?なんで?」

 

 今度はルイズが口を開いた。

 

「ほら、湖の水位が上がってるでしょ。タバサはこれを元に戻しに来たの」

「なんでそんな事を?もしかして、近くに実家の所領でもあるの?」

「え!?ほ、ほら、ここに住んでる人たちが困ってるからよ!」

 

 意表をつかれ、慌てふためくルイズ。タバサの実家が近くにあるのは、伏せとかないといけない。何しろ不名誉印の王族なんて事が広まったら、ただでは済まないので。

 挙動不審な動きでルイズは、なんとかごまかそうとしていた。だが、モンモランシーは、首を傾げるだけ。

 

「?」

「と、とにかく、やって欲しいのよ!あなたも水の精霊に、お願いするつもりだったんでしょ!?」

「そうね。いいわ。二つも願いを聞いてくれるか分からないけどっ……て、ギーシュ……」

 

 相変わらずギーシュはモンモランシーにまとわりつきながら、喚いていた。もうウザイというレベルで。

 するとタバサが杖を抜く。

 ギーシュが突然、空へ飛んでいった。『レビテーション』で浮かしてしまったのだ。空でバタついている色男。タバサは、変わらぬ表情で、モンモランシーの方を向く。

 

「はじめて」

「え、ええ……。さ、ロビン。出番よ」

 

 モンモランシーは腰の袋から、カエルを取り出した。彼女の使い魔、ロビンである。彼女は指に針で小さな傷をつけると、ロビンの頭に一滴血を落とした。

 

「さ、お願い。水の精霊を呼んできて」

 

 ロビンは湖に飛び込むと、あっという間に潜っていった。

 しばらくすると、小さな使い魔が水面の上に顔を出した。ロビンは岸まで泳ぎ、主の元へ帰っていく。

 

「ロビン。ご苦労さま」

 

 使い魔の労をねぎらうモンモランシー。

 すると今度は湖面に波が立ちはじめる。迫って来るような波が。それはロビンと同じコースを辿り、近づいてきていた。何か大きなもの。期待と不安。各々がいろんなものを胸に浮かべ、迫る波を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 夜も更け、ヴァリエール領の主の城もわずかな明かりを残すのみ。公爵夫妻はベッドで、眠りに入るまでのわずかな時間を楽しんでいた。

 ふと、公爵が愛妻へと声をかける。

 

「そう言えば、グラモン伯から手紙が来ていたよ。いつもの他愛のない話だったが、お前について一つ気になる事があった」

「何ですか?」

「噂にすぎないのだが、近く、お前に勲章が授与されるかもしれないそうだ」

 

 カリーヌは、怪訝な表情を公爵に向けた。

 

「どういう訳ですか?私は何もしてませんが」

「ラ・ロシェール戦での英雄的行為に対する、栄誉だそうだ」

「私達は、間に合わなかったではありませんか。それがどうして、ラ・ロシェールで戦った事になっているのです?」

 

 アルビオン軍との決戦に出陣した公爵夫妻だが、結局、現地に着く前にトリステイン勝利で決着。一戦も交える事はなかった。それは王家も知っているはずだった。

 公爵が苦笑いを含みながら、答えを告げる。

 

「それがな。おまえは何でも密かに我軍から抜け、単身アルビオン軍へ潜んだのだと。『烈風カリン』となってな。そこで大暴れ。英雄の活躍でアルビオン軍は大混乱。おかげで祖国は勝利したそうだ。英雄はまた勲章を一つ増やす。という訳だ」

「ま。おとぎ話のような、微笑ましい話ですこと。もちろん私は辞退します」

 

 カリーヌはあまりのバカバカしさに、面白くなさそうに返す。

 

 烈風カリン。演劇の題材にもなっているこの英雄は、実は公爵夫人カリーヌその人だった。在任中は通して男装だったため、実は女性と知っている者はわずか。そして退任後、姿をくらます。正体も定かでない英雄は、やがて伝説となった。もちろん、姿が消えた理由は女性に戻ったからなのだが。

 

 寝る前のちょっとした笑い話。そんななごやかな雰囲気だったが、わずかに公爵の口調が厳しくなる。

 

「ところで、烈風カリンを最初に口にしたのは、陛下だそうだ」

「もしかして……侵入を果たしたのは、『銃士隊』ではないでしょうか」

「平民出の貴族が最大の成果を上げたので、反発を買うのを避けるため……か」

「はい。そこで行方も知れぬ者に栄誉を与え、有耶無耶にしようと」

 

 カリーヌはそう言いながらも、腑に落ちないものがあった。銃士隊はアンリエッタの肝入りでできた平民出身の近衛兵。むしろ栄誉を与えて、貴族達に力を認めさせるという選択肢もある。なんと言っても救国の英雄だ。文句も言いづらくなるだろう。

 

 一方、公爵は彼女とは別の考えを持っていた。

 

「私はルイズではないかと思っている」

「ルイズが?まさか」

「正しくは、あの子の言う異界の者ども。それならば、予想外の事も起こり得るだろう。それに……勲章の話が、今になってというのも、引っ掛かってな」

「そう言えば……アルビオンへの出陣が噂されておりますね。戦にラ・ロシェールの英雄を、つれて行くという話が出ているのでしょうか?」

「だろうな。だが英雄が異界の者どもでは、明らかにする訳にもいくまい。そこで、英雄を行方のしれぬ者にし、ごまかそうとしているのではないかと思っている」

「ですが、そうなると秘密裡に、連れて行こうする可能性もあります」

「その場合は、ルイズも同行する事となるだろうな。異界の者どもと折り合いつけられるのは、あの子だけだろうし」

 

 夫妻は天上を見つめながら考え込む。予想される難事について。

 やがて、公爵はポツリとこぼした。

 

「何にしても、その者達の招待は、我が子の恩人を迎えるというだけでは済まなそうだ。気持ちを引き締めねばならんだろう」

「私は、そんな者共と付き合っている、ルイズの方が心配です。また妙な厄介事に、巻き込まれてるのではないかと」

 

 だがもう、厄介事に巻き込まれつつあった。知らぬは親ばかりだったりする。

 

 

 

 

 

 双月が照らす湖畔。見上げる少女達の視線の先にあるのは、水で出来た人型。透明な裸のモンモランシーだった。宝石のように光を反射するその姿は、神々しさすら感じる。それが水面から柱のように伸びていた。これこそ、ラグドリアン湖の水の精霊だった。

 モンモランシーは一歩前に出ると、その人型に話しかける。少しばかり、緊張しながら。

 

「水の精霊よ。私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。血に覚えがあるかしら?覚えていたら、私達に分かる言葉で返事をしてちょうだい」

 

 水の人型は様々な表情を浮かべていた。人型の身を試すように。だが、やがて静止する。そして口を開いた。

 

「覚えている。単なる者よ」

「よかった」

 

 ホッと一息。門前払いにならずに、済んだようだ。一つ咳払いをすると、本題に入るモンモランシー。

 

「いくつか頼みがあるの。まず一つは、あなたの一部を分けて欲しいの」

 

 水の精霊の一部。これこそが精霊の涙である。涙とは俗称で、この秘薬はまさに精霊そのものだったのだ。

 ラグドリアン湖の精霊は、彼女の依頼にすぐ解答。

 

「断る」

 

 一言で。

 希望があっさり絶たれた。モンモランシー、真っ青。慌てて、いろいろ言葉を並べ始める。

 

「い、以前、無礼を働いたのは謝るわ!父さまに代わって!だから、機嫌を直してもらえないかしら!?」

「…………」

「その……!あの……!私にできる事なら何でもするから!」

 

 モンモランシー、跪いての必至の懇願。すると精霊からリアクションがあった。相変わらずの無表情だが。

 

「よかろう」

「よかった……ありがとう。それで何をすればいいの?」

「貴様らの同朋に盗まれた、我の秘宝を取り戻してみよ」

「秘宝?」

「『アンドバリの指輪』」

「聞いた事あるわ。確か水のマジックアイテム……。うん。分かったわ。それで、いつまで」

「貴様の生が尽きるまでに」

 

 モンモランシーはその言葉を聞きホッとする。期間は一生。それほど長い時間があれば、いつか見つけられるだろう。これでギーシュを戻せる。そう思った。だが精霊の話には続きがあった。

 

「秘宝を取り戻した暁に、我の一部を渡そう」

「え!?今じゃないの?」

「約定を果たした時のみだ」

「ええ~~!!」

 

 茫然。うつくむモンモランシー。

 ハルケギニアの、どこにあるかもわからない秘宝。いつ見つかるのやら。それまでギーシュはこの状態。もしかしたら、薬の効果が切れるかもしれないが。少なくとも、すぐに解決しないのは確定となった。

 

 沈み込んでいる彼女を他所に、今度はタバサが話はじめた。

 

「水の精霊。もう一つ頼みがある。湖の水位を上げるのを、やめてもらいたい」

「貴様の望みは、秘宝が戻れば叶う」

「何故?」

「秘宝を探すためだ。水が触れれば、秘宝は我が手に戻る」

「見つかるまで、水かさを上げるという事?」

「さよう」

 

 話を聞いてルイズとキュルケは唖然。

 

「なんて気の長い……。指輪に水が触れるまでって、いったい、いつまでかかるって言うのよ」

「始祖の時代からいるって言われてる水の精霊だもの。時間の感覚とかないんじゃないの?」

 

 ただただ、あきれるしかない。今のペースで水かさを上げて行っては、場所によっては何百年と必要となる。ルイズやキュルケ、タバサは、精霊の時間感覚の違いを思い知らされる。

 だが、全然違う感想を持ったのが一人。ずいっと精霊の前に出る。ルイズの使い魔の問題児が。

 

「アンタ、頭悪いわね」

 

 その一言で、一斉に視線が集まる。天人に。

 

「天子!」

 

 黙らせようと飛びかかったルイズをかわし、宙に浮く。水の精霊に面と向かった。

 

「アンタ。ハルケギニア、水に沈めても探すつもり?」

「その通りだ」

「やっぱり妖精程度の頭だわ。そんな事したら、他の縄張りの連中が、アンタつぶしに来るわよ」

 

 ハルケギニアには様々な者が存在している。もちろん人間以外も。妖魔だっている。精霊だって他にもいるだろう。彼らが水浸しになって、黙っているハズもない。範囲が広がるほど、敵だらけになっていく。こんな発想も幻想郷の住人だからか。幻想郷で似たような事すれば、妖精、妖怪、神やら、巫女やらまでやってきてタコ殴りだ。

 

「それこそ、指輪探し所じゃなくなるわよ。秘宝が見つかるより、湖がなくなる方が先だと思うけどねー」

「…………」

 

 氷の様に固まって黙り込んでいる水の精霊。やがて一気に溶ける様に湖の中に戻っていった。

 広がる波紋を見下ろして、天子が一言。

 

「あ、すねた」

 

 ゆっくり降りて来る天子に、主が駆け寄って来る。顔に憤怒を張り付けて。

 

「な、何やってんのよ!」

「侮辱したなぁ!ゆるさん、決闘だー!とかなると思ったんだけどねー」

「はぁ!?決闘?そんな事してる時じゃないでしょ!だいたい、禁止って言ったじゃないの!」

「相手、貴族じゃないし」

「あ、あんたは……!!」

 

 ルイズには言葉がない。振るえる拳を強く握るのが、精いっぱい。

 次にモンモランシーの罵声が飛び出す。

 

「なんてことしてくれるのよ!これで絶対、水の精霊の涙なんて、譲ってくれなくなっちゃったじゃないの!」

「世界のどこにあるか分からない秘宝、探さないとくれないんだもん。譲らないって言ってんのと、同じでしょ」

「だ、だからって……!」

 

 相変わらずのふてぶてしさの天子に気圧されたのか、矛先が変更された。

 

「ルイズ!使い魔の失態は、主の責任よ!なんとかなさい!」

「私!?」

「そうよ!水の精霊の涙、買ってきて!メチャクチャ高いから、覚悟しときなさいよ!」

 

 またお金の話かと、ルイズはクラクラしてくる。せっかく魔理沙達の話に、目途が立ったというのに。貧乏神でも、取り付いているのだろうか。

 すると、外野から声が挟まれる。白黒魔法使いからの。

 

「ま、でも天子の言い分にも一理あるぜ」

「そうね。ハルケギニア、水没させてただで済む訳ないものね」

 

 アリスも彼女に同調。ルイズもよく考えてみれば、水の精霊の考えている事はかなり無茶筋だとは思う。しかし納得いかない。

 

「だからって、言い方ってもんがあるでしょ!」

「まあな。それはルイズの言う通りだな」

 

 やっぱり外野なのか、気軽な態度で返事。ルイズがヒスってようが、お構いなし。

 そんな騒ぎの中に溜息一つ。

 

「はぁ。私がなんとかしましょう。総領娘様の粗相ですし」

 

 竜宮の使い、永江衣玖だった。

 彼女はすぐに湖の上空に上がる。すると、真っ直ぐ落ちてった。水柱を上げ、一気に潜って行く。

 その様子をみて慌てたのが、モンモランシー。

 

「ちょ、ちょっと何やってんのよ!水の精霊相手に、生身のまま潜るなんて!」

「大丈夫よ。水妖だし、伊達に龍神相手にしてないから」

 

 腕を組んで仁王立ちの天人は、不敵に答える。

 幻想郷の龍神は全能の最高神であるが、水を好む所がある。衣玖は、そのメッセンジャーという立場だ。水を扱うもの相手は、慣れていると言うのだろう。

 ただモンモランシーは言われている事の意味が分からず、首を捻るだけなのだが。

 

 しばらくすると、また波が近づいて来た。水の精霊が現れた時と同じものだ。やがて、水の精霊が人型となって湖上に現れた。今度は衣玖の姿で。同時に、水中から飛び出す姿が一つ。本物の衣玖だった。彼女はそのまま、岸へと降りて来る。

 

「なんとかなりました。少々条件が厳しくなりましたが」

「厳しく……」

 

 ルイズとモンモランシーは不安を込めて言葉を漏らす。一体どう厳しくなったのか。

 

「一生との期限を、一年にするとの事です」

「一年……」

 

 一気に、期間が数十分の一に短くなった。

 それでも全く手に入らなくなるより、はるかにマシだ。ルイズも、自分にとばっちりが飛んでくる事もなくなったので、少し表情を緩める。

 

 だが、ふと視界に入った緋色の光が、嫌な予感を呼び覚ました。思わず向けた視線の先では、使い魔が『緋想の剣』を抜いて頭の上でくるくる回している。楽しそうな事をしようとしている、あの表情で。

 

 ルイズ、杖を向けて、魔法発動。

 

「天子!ダメよ!」

 

 天人の足元が爆発。

 しかしそこに姿はなく、天子は空へかわしていた。ルイズに構わず、水の精霊に突貫。

 

「あんたってヤツはぁ!」

 

 ルイズもすぐに飛ぶと、弾幕準備に入る。

 ところが天子の方はルイズに背を向けたまま、水の精霊と対していた。そして剣を鞘に納めると、人差し指を突き立てる。天に向けて。

 

「一ヶ月!」

「……」

 

 一瞬誰もが何を言っているのか分からなかった。

 

「一ヶ月で、秘宝を取ってきてあげるわ。その代わり、一つ貸しよ」

「……よかろう」

「うん。約束したからね」

 

 大きくうなずくと、天子は満足そうに戻っていった。

 待っていたルイズは、またも勝手な事やっている使い魔に怒り心頭。ヒステリーを爆発させ、いろいろ喚きたてている。一方、モンモランシーはさらに顔が青くなっている。数十分の一になった期限が、さらに十分の一以下になったのだから。

 しかし、鉄面皮の天人は彼女達の様子を意に介さず。むしろ楽しそう。そんな天人に竜宮の使いが声をかける。

 

「総領娘様。見当はついてるのですか」

「まあね」

 

 ルイズの罵声が止まった。

 

「え!?もう、どこにあるか分かってんの?」

「私はバカじゃないわよ。じゃないと、こんな取引する訳ないでしょ」

「う……。じゃあ、どこよ」

「ふふ~ん」

 

 自慢げに緋想の剣を抜く天人。そして北西の空の方を指した。

 

「あの妖精……じゃなかった精霊の気をあっちの方に感じるの」

「だとしても、なんでそれが、アンドバリの指輪って分かるのよ」

「"水は低きに流れる"よ。この湖より下にあるはずのものが、なんで上にあるのかしら?」

「あ、なるほど。指輪しか考えられないか」

「そういう事」

 

 さらに胸を張る天人。

 一方で、用が済んだはずの水の精霊は、まだ人型を保ったままだった。ふと口を開く。

 

「助けになるか分からぬが、盗んだ個体について教えよう」

 

 話を止め、一斉に注目する。

 

「数個体の単なる者が、我が秘宝を盗んでいった。その内の一つは『クロムウェル』と呼ばれていた」

 

 その名を聞いて、ハルケギニアの住人は神妙な顔。やがて、キュルケがポツリとつぶやいた。

 

「確か、神聖アルビオン帝国の皇帝もそんな名前ね」

 

 続いてタバサも。

 

「さっき指した方角には、高い山はない。あるのはアルビオンだけ」

 

 今の会話で、だいたい察しがついてしまった。ルイズが震える声でつぶやく。

 

「ま、まさか……アンドバリの指輪がアルビオン帝国に……?」

「決まりじゃないの。武器として使ってるんじゃないの?しかもそんな秘宝レベルのマジックアイテムだもの。ロンディニウムにあるんじゃないかしら」

 

 キュルケの返事に、愕然とするルイズ。つまり、アンドバリの指輪を取り返すには、ロンディニウム、敵本拠へ突入しないといけないという事だ。すかさず天子の方を向く。

 

「天子!あんた!どうやって……」

 

 と言いかけて言葉を止める。ふと思った。あのアルビオン軍を撃退した彼女達だ。神聖アルビオン帝国の本拠とは言え、案外いけるかも、という考えが浮かぶ。

 しかしそんな彼女の淡い期待を、砕く声。アリスである。

 

「天人ならなんとかなるかも、とか思ってるなら、考えを改めた方がいいわ」

「だって、あなた達、アルビオン軍を撃退したじゃないの。そりゃあ、今度は相手の本拠地だけど」

「撃退なんかしてないわよ。私達がラ・ロシェールでやったのは、敵を混乱させただけ。実際にやっつけたのはルイズとトリステイン軍でしょ?それに天子には五戒の縛りがあるのよ」

「…………」

 

 当時を思い出す。艦隊を沈めたのはルイズの『エクスプローション』で、最終的に全軍を降伏させたのはトリステイン軍だった。幻想郷メンバーは、一兵も倒していないのだ。

 希望が消え、動揺するルイズ。顔から血の気が引いていく。天子のせいで、モンモランシーはともかく、タバサにまで迷惑かけかねない状況になってきた。

 

「天子ぃ!」

「な、何よ!」

「何がバカじゃないよ!あんた、バカでしょ!どこにあるかちゃんと確認しないで、あんな約束して!どうすんのよ!」

「と、取り返せばいいんでしょ!いいわよ!今から行って来るから!」

 

 天人は要石を出現させると、すぐに飛び乗った。

 だが鋭い音とともに、レーザーに要石が貫かれる。崩れる要石。天子はバランスを崩し、ずり落ちる。

 

「何すんのよ!」

 

 怒鳴った先にいたのは魔理沙。八卦炉を構えていた。呆れた顔で。

 

「落ちつけよ。考えなしに行っても、怪我するだけだぜ」

「はぁ!?」

「お前は、知らないかもしれないがな。系統魔法には、鉄をスパスパ切っちまう魔法もあるんだぜ。いくら天人が頑丈だからって、舐めてかかると酷い目にあうぜ」

 

 さらに衣玖も言葉を添えた。

 

「それに、アルビオンという土地では、おそらく地震が思うように使えないでしょう。総領娘様の能力も、半減と言った所でしょうか」

 

 天子の大地を操る能力は、大地のゆがみを利用する事が多い。だが、空中大陸であるアルビオンは、地震がない事からもそのゆがみが少ないと思われる。これでは、天子フルパワーという訳にはいかない。

 

「うぐぐぐ……」

 

 天子は歯ぎしりしながら、何か口答えしてやろうとするが、何も出てこない。苦虫つぶしたように唸るだけ。

 しかし同じ気持ちなのは、彼女だけではない。まずモンモランシー。ほとんど精霊の涙が手に入る目途がつかなくなった上、一族と水の精霊の和解が絶望的に。次にタバサ。難易度はそれほどでもないと思われた仕事が、高難易度に変わってしまった。そしてルイズ。事態を悪化させた使い魔の主。

 吐き出しようがない、いらだちが渦巻いていた。

 

 だが、そんな中落ち着いた声が、ふと入ってくる。

 

「なら、やる事は一つしかないな」

 

 普通の魔法使い、霧雨魔理沙である。ルイズがいぶかしげに尋ねた。

 

「ど、どうするのよ?」

「へっ、盗むんだよ」

 

 白黒は、不敵にそんな事を言っていた。

 

 

 

 

 




描写面ちょっといじりました。


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泥棒のノウハウ

 

 

 

 

 学院の早朝。

 まだまだ寝ている学生もいる中、広場で体を動かしている少女が一人。ルイズである。

 彼女は最後の演武を終え、息吹を一つ。いつもの日課、武道のトレーニング。真面目な彼女は、今でも美鈴の教えを続けていた。初めこそからかわれていたが、今となってはせいぜい一瞥される程度である。ゆっくり息を整えるルイズ。最初の頃は、なかなか呼吸が落ち着かなかったが、今ではそう時間はかからない。積み重ねの成果が、出ていた。

 そんな彼女に、久しぶりの声がかけられた。空から。

 

「ルイズ」

「あら?パチュリー。おはよう」

「ええ、おはよう。よく続くわね」

「もう習慣になっちゃったから」

「でも、演武だけじゃ物足らないんじゃないの?」

「たまに、衛兵に相手してもらってるのよ。なかなかの勝率よ」

 

 胸を張るルイズ。張ってもないものは出てこないのは、置いといて。

 やがて、パチュリーはゆっくりと降りてくると、ルイズの側に立った。相も変わらぬ抑揚のない表情で。

 

「今日の最初の授業、コルベールよね」

「そうだけど」

「それじゃ、私も付き合うわ」

「授業受けるの、久しぶりじゃないの?」

「別に授業に興味はないのよ。彼に用があるだけ」

 

 実はパチュリー。系統魔法をテーマとしているだけに、最初の頃はよく授業に出ていた。しかし、この学院での授業が実践主義で、理論主義ではないのを知ると、授業に出なくなったのだ。

 二人は並んで校舎へと入っていく。

 

「そうそう。魔理沙に聞いたんだけど、アルビオンへ行くんですって?」

「うん」

「しかも、泥棒に」

「違うわよ!盗まれた物を取り返しにいくの!」

「まあ、どっちでもいいけど。だけど、アイスクリームの話が、なんで泥棒になってるの?」

「聞いてないの?」

「しばらくいなくなるから、アイスクリームの事は任せたって言われただけ」

 

 話を聞いて、また肝心な所を外して言ったのかと、魔理沙に呆れるばかり。ルイズはパチュリーに経緯を説明する。魔理沙達の目論見違いに始まって、タバサの助けと、いつもの天子の暴走を。

 紫魔女は話を聞いて、溜息一つ。こっちも少々呆れ気味。

 

「はぁ……。全く……。後でこの借りは返してもらわないと」

「利子はたっぷりつけた方がいいわ。懲りないから」

「その程度で懲りるなら、ウチの本ちゃんと返しに来てるわよ」

「それもそうね」

 

 思わず納得のルイズ。

 幻想郷で、魔理沙はパチュリーの本を勝手に借りては、それっきりになっている事が多い。だからこそ、シーフと呼ばれてしまっているのだが。

 

 やがて二人は校舎へ入る。

 

「汗流すから、先に部屋で待ってて」

「ええ」

 

 ルイズは大浴場へ、パチュリーは自分達の部屋へ向かった。

 

 風呂の湯はすっかり冷めており、ぬるま湯になっていた。だが汗を流すには十分。

 ルイズは湯船には入らず、湯を浴びる。流れるお湯を見ながら思い出す。ラグドリアン湖での騒ぎの後の事を……。

 

 

 

 

 

 湖の水の精霊も去り、残された一同。特にルイズとキュルケ、モンモランシーは、魔理沙の盗むという言葉をどう捉えていいか戸惑っていた。他のメンツは、だいたい察していたが。すると、白黒魔法使いはまず一声。

 

「アリス、文、手貸せよ」

「仕様がないわね。付き合ってあげるわよ」

「は?なんで私が」

 

 アリスは半ば仕方なしにうなずくが、文は露骨に不満そう。

 

「私らは、ルイズに借りがあるだろ」

「そういう話ですか。はいはい」

 

 ルイズはアイスクリームの件で、三人に貸しがあった事を思い出した。烏天狗は文句を抑え込みながら、投げやりにうなずく。

 次にタバサが声をかけてきた。

 

「手伝う。元々これは私の仕事」

「悪いな。まあ、最初から手借りるつもりではいたぜ」

 

 魔理沙は、タバサの特殊任務経験の多さを期待していた。なんだかんだ言って、ハルケギニアの裏事情には一番詳しそうだから。すると当然、キュルケも手を上げる。彼女も世情に詳しいので、手伝ってくれるならそれに越したことはない。

 次に魔理沙の視線の先にあったのは天子。

 

「お前は来いよ。話をややこしくしたツケは払わないとな。精霊と約束もしちまったし」

「分かったわよぉ」

 

 憮然と座り込み、返事。

 その隣の天空の妖怪と月うさぎにも声をかける。

 

「衣玖はどうする?」

「そうですね……。荒事となると、総領娘様と『緋想の剣』が気になりますので、付いて行きます」

「鈴仙は?」

「えっと……その私は……」

 

 少し尻込みしている鈴仙。敵地に攻め込むとかいうシチュエーションには、ちょっとしたトラウマがあった。かなり昔の話ではあるが。

 だがそこでルイズが言葉を挟む。

 

「鈴仙は残ってて。ちい姉さまの治療してもらわないといけないし。怪我でもされたら困るもの」

「そ、そうですね。申し訳ないんですが、留守番させていただきます」

 

 今度は茫然としている金髪ドリル他に、魔理沙は顔を向ける。

 

「モンモランシーとギーシュは……どうするかなぁ」

「ぬ、盗むなんて、私達はなんの役にも立たないわよ!」

「まあいいぜ。けど貸しだ。なんかあったら手貸してもらうからな」

「貸し!?」

「事が終わらねぇと、精霊の涙が手に入らないだろ?だから貸しだぜ」

「う~……。分かったわよ……」

 

 なんか厄介な連中と関わりを持ってしまったと、項垂れるモンモランシー。

 そして最後に残った一人。ルイズである。魔理沙は不敵な笑みを浮かべて尋ねる。

 

「お前は当然来るよな」

「もちろんよ。使い魔のしでかした事だもの」

 

 ピンクブロンドのメイジは、悠然と腕を組んで答えた。

 

 

 

 

 

 ルイズは脱衣所で着替えながら、それからの事を思い浮かべていた。

 

 ラグドリアン湖から帰ると、すぐに行動は開始された。まずは現場偵察という事で、ロンディニウムに旅立ったのだ。メンバーは魔理沙、アリス、天子、衣玖、タバサにキュルケ。期間は一週間程。タバサとキュルケは、実家の都合で休まないといけなくなったと、学院に伝えている。留学生だからこそのやり方。実はルイズもついて行こうかと思ったが、そうもいかなかった。休みが取れなくて。というのは出席日数が厳しいから。幻想郷に行っている二ヶ月間は欠席あつかい。そうそう長期の休みは、取れない立場なのだ。

 

 やがて着替えると、パチュリーと共に教室へ向かった。教室では、紫魔女の姿を見たコルベールが、困惑した顔をしていたが。

 

 

 

 

 

 神聖アルビオン帝国首都、ロンディニウム。その南側に建つ王城、ハヴィランド宮殿。今はかつての主を変え、新たな皇帝の居城となっている。ほんの数年前まで、出自も定かでない司教に過ぎなかった男、ここにいる誰よりも身分の低かった男、クロムウェル皇帝の。

 ハヴィランド宮殿には、白ホールと呼ばれる荘厳なホールがあった。今ではアルビオン帝国の中枢となっており、この国の方針が次々と決められている。そしてまた今、閣僚たちが集まり、迫る危機について対処を考えようとしていた。ワルドやボーウッド、ジョンストン、トリステイン出征組も、このテーブルに同席していた。

 上座に座るクロムウェル。その背後のテーブルには秘書の女性、シェフィールドが控える。美人ではあるが、不気味さを感じさせる近寄りがたい女性だった。彼女もまたこの皇帝と同じく、出自が定かでない。

 

 まずは現状報告が行われた。

 

「艦隊、陸軍は共に、以前の8割ほどまで回復しております」

 

 ラ・ロシェール戦で失った戦力は、想像以上に大きく、現在急ピッチで戦力の立て直しを図っている。しかし、以前の陣容を取り戻すには、かなり時間がかかりそうだった。

 

「また先日、ついにトリステイン、ゲルマニアの同盟が成立したとの事です。さらにゲルマニアでは早速、動員がかかっております。艦船も出航準備に入っているとの報告がありました」

「トリステインの方はどうか」

「まだ、戦力の回復に努めているようで、これといった目立った動きはありません」

「だが、時間の問題だろう」

 

 閣僚達は現状の厳しさに、ボヤキ半分に零す。

 何せ、楽勝と思われた対トリステイン戦が、まさかの大敗。しかもその原因は、天候不順と地震のためとの最終結論。つまりは運が悪かったと。さらに理由が天候不順と地震では、責任を問う訳にもいかない。おかげで、あれほどの大敗にも拘わらず、誰も罰を受けていなかった。

 

「トリステインはともかくゲルマニア参戦は、問題だ。今我が国には、連合軍を相手にできる戦力はない。橋頭堡でも作られれば、それで終わりだ」

「艦隊さえ揃えばなんとか。練度も技術も、我らが上だ。少々の劣勢は挽回できよう」

「そうとも言えませんぞ。ラ・ロシェール戦で、そのような者達を失い過ぎた。中には、トリステインに寝返った者もいると聞く」

 

 厭戦気分が会議を包みつつあった。

 しかし、悠然として弱気を感じさせない者もいた。上座にあったクロムウェルと、その秘書、シェフィールドである。やがて閣僚の口数が少なくなるのを、待っていたかのように言葉を発する。

 

「確かにこのままでは、連合軍に打ち破られてしまうだろうな」

「陛下……」

「まずは、時間を稼ぐべきであろう」

「時間を稼いでどうなると言うのです?もちろん我らの戦力も整いますが、それは相手も同様。差が縮まる訳ではありませんぞ」

「いや、あの者どもを迎える策が整う」

 

 皇帝は余裕のある笑みで、彼らの不満を受け止める。すると今度は背後で、議事録を取っていた秘書が口を開く。シェフィールドは滔々と告げていった。

 

「彼らは全軍で我々を攻めかかるでしょう。優位とは言っても、手を抜いて勝てる戦ではありませんから」

「逆に言えば、全軍で出陣すれば、確実に勝てるという事ではないか」

「ならばその間、誰か彼の者どもの国を守るでしょうか?」

「守る必要などあるまい。敵は我らしか……。まさかガリアが?」

「ふふふ……」

 

 秘書は笑みを漏らすだけで、続きを語らなかった。

 

 実はシェフィールド。ガリアとの繋がりがある事が、半ば公然の秘密と化していた。逆にこの出自のハッキリしない者が、皇帝の秘書となっても文句が出ないのは、その秘密があればこそだった。ガリアの密使ではないかとの噂もある。

 大国ガリアは現在、中立を宣言している。興味がないかの様に。しかし、トリステイン、ゲルマニア両軍が出陣した後、アルビオンへ味方すれば、情勢は一気に逆転。時間を稼ぐのは、ガリアとの交渉のためかと、誰もが考え出した。

 意気消沈していた閣僚たちは、覇気を取り戻す。さらにそれを嵩上げするように、クロムウェルが言葉を連ねる。

 

「それに、彼の者達にはないものを余は持っている」

「まさか……」

「言うまでもあるまい」

 

 誰もが分かっていた。皇帝の言う意味を。それは『虚無』であると。一介の司教が皇帝になれた最大の理由。始祖ブリミルに連なるアルビオン王家を、滅ぼした大義。ついにその力が、発露される時が来る。閣僚たちの弱気は、すっかり消え失せていた。

 

 だがそれを、冷めた目で見ていた者達もいた。ワルドやボーウッドである。

 彼らはラ・ロシェールで起こった事を、直に見ている。あの敗北が、ただの不運で片づけられるようなものではない事も。あれ以来、一つの疑念が常に頭にあった。トリステインにも『虚無』がいるのではと。だがこの意見は、身の保身を考えたジョンストンによって潰されている。大敗の原因が人のなせる業では、責任を問われるからだ。

 ワルドは、アルビオンの『虚無』がトリステインの『虚無』を上回れるかどうかが勝利の鍵となり、楽観できるものではないと考えていた。

 

 やがて、論議もまとまりを見せる。すると、クロムウェルは背筋を伸ばし、よく通る声を発した。

 

「我らはラ・ロシェールにおいて、思わぬ一敗を喫した。だが今度は彼らが同じ目に、いやそれ以上の敗北に会うであろう。余は約束しよう。次の戦こそがハルケギニア統一へ向けての、真の第一歩となろう!」

「陛下!」

 

 それからは皇帝を称える声が、いくつも続く。クロムウェルは賞賛を満足げに受けながら、指を組んだ。その右手には深い水色の指輪が輝いていた。実はこの指輪こそ、『アンドバリの指輪』である。ある意味、彼にとっても国にとっても要となるもの。

 

 ただその掌中の珠を、全く個人的都合で狙っている連中がいるなど、想像すらしなかったが。

 

 

 

 

 

 日もすっかり落ちたトリステイン魔法学院。ルイズはクラスメイトといっしょに廊下を歩いている。一人はタバサ。もう一人はキュルケである。そのキュルケが珍しく喚きたてていた。愚痴を。化粧が崩れるのでは、というくらい激しく。しかも普段ならタバサに向かいそうなのに、何故かルイズの方に飛んできている。対するルイズ。どんな顔していいのか戸惑っていた。逆の立場ならたまにあるが、この状態は滅多にないので。

 

「もう!酷い目に遭ったわ!」

「ど、どうしたのよ?」

「信じられる?一週間、ずーっと野宿よ!あの童話メイジが言いだして!おかげで、食べ物は全部その場で調達。寝るのは野原に適当。お風呂にも入ってないのよ!」

 

 童話メイジとは魔理沙の事か。

 魔理沙は珍種のキノコや、幻想入りした物を見つけるために、泊りがけで出かける事がある。もちろん野営して。アリスや天子、衣玖は、宿泊はした方がマシ程度にしか考えてない。タバサも任務の都合で、野営する事はよくある。唯一、この手に慣れてないのがキュルケだけだった。

 もっともルイズは、野宿しても妖魔に襲われないだけマシかなんて思ったが。幻想郷の初日の夜に、妖怪に襲われまくり、寝る所ではなかったので。

 

 ところで魔理沙が野宿を選んだのは、一日中、調べつくしたいというのがあったのだ。なんと言っても、寝る必要のない妖怪がいるのだから。人目のある宿に泊まる訳には、いかなかったのである。調べるのにもタバサの遠見の魔法はもちろん、双眼鏡やら、アリスの人形、緋想の剣、暗視スコープまで持ち出して徹底してやっていた。もっともそれでも、十分な結果が得られたという訳にはいかなかったのだが。

 

 三人は目的の部屋へとたどり着く。幻想郷組に割り当てられた寮の一室に。

 魔理沙達が帰って来たのは、昨日の晩。それから今日一日は休んで、日が落ちてから集まる事になっていた。メンバーは、あのラグドリアン湖で参加する事決めた全員。

 テーブルには地図が広げられていた。簡単に書かれたロンディニウムの町だ。アリスが全員揃ったのを確認すると、説明を始めた。

 

「最初に言うけど、やっぱり『アンドバリの指輪』はクロムウェルってのが持ってるわ。しかも肌身離さず」

 

 渋い顔のルイズ。これで盗むのが難しくなったと。

 

「それともう一つ。始祖に絡むがものがあったわ。多分、『始祖のオルゴール』と、『風のルビー』ね」

「アルビオン王家が滅んだ後、そのままクロムウェルが持っていったのね」

「ただ彼の部屋ではないわ。宝物庫なのかしら?地下にあったわ。こっちに手を出すかは、とりあえずなしよ。最優先はアンドバリの指輪」

 

 ルイズはできれば始祖の秘宝も手に入れたかった。虚無に関係したものでもあるし、アルビオン王家の遺品が、レコン・キスタの手中にあるのが許せなかったのだ。

 

 それからロンディニウムと、クロムウェルの居城、ハヴィランド宮殿の説明が始まる。

 

 ロンディニウムは城塞都市だ。市街をぐるりと城壁が囲っている。川の水を引き込んだ水堀まである堅固な城壁。入り口は5つ。門の警備は固く、兵達の他にメイジが2人、その上ゴーレムとディテクトマジックの魔法装置があった。ただ市内には魔法装置は見当たらない。そして上空には常に竜騎士が上がり、警戒に当たっていた。

 皇帝の居城、ハヴィランド宮殿は、ロンディニウムの南側にあった。こちらも当然警備は厳重。城壁以上の警戒がされていた。しかも宮殿内の様子は、警備が厳しくいろいろ道具を使っても、十分調べる事ができなかった。

 そして当のクロムウェルだが、基本的に最上階にいた。執務室も私室も寝室も最上階である。どうも高い所が好きらしい。

 

 話が一旦終わると、ふとキュルケが話題を変える。

 

「そうそう。タバサの知り合いが城にいたのよ」

「え?誰よ」

 

 ルイズはタバサの方を向いた。タバサはつぶやくように答える。表情はいつも通りに。

 

「名はシェフィールド。ガリア王直属の密偵の女」

「ガリア王の!?それじゃ、もしかしてレコンキスタの裏には、ガリア絡んでるって言うの?」

「たぶん」

 

 ルイズは思わず、息を呑んだ。まさかの事実に。そして考える。トリステインに攻め込んできたのは、ガリアの思惑からではと。ならばアルビオンとの戦争は、単に二国の争いという訳にはいかなくなる。ガリアが絡んでくるとなると、ハルケギニアの大乱に繋がるかも、という最悪の予想すらあった。

 ところで、実はワルドの姿もキュルケ達は見ていた。しかし、元トリステインのグリフォン隊隊長の顔を知っている者はおらず、そうだとは気づかなかった。

 

 各人がいろいろと考えを浮かべている最中、天人がつまらなそうに口を開く。

 

「で、どうるすのよ。ガーンと突っ込んで、ドーンと奪って、ダーッと逃げる?それが一番楽でいいんだけど」

 

 確かに幻想郷メンバーならそれも可能かもと、ルイズ達は思った。しかし魔理沙が口を挟む。

 

「それはなしだ」

「なんでよ」

「まず相手の手の内が、全部分かってる訳じゃない。だからドーンで、いけるのかも分からねぇ。それに、足が付くような事もできればしたくない。少なくとも姿は晒したくないぜ」

 

 厄介そうな表情を浮かべている天人。魔理沙は続けた。

 

「てな訳で、できれば弾幕も使いたくない」

「つまり、ラ・ロシェールの時みたいに、姿を見せずに事を済ませたいって話?」

「分かってるじゃねぇか」

「うわっ。面倒」

 

 天子は万歳してベッドに倒れ込む。また手間のかかりそうな事を、やらされそうな気がして。

 すると今度は文が、宙に浮きながら尋ねて来る。これまた退屈そうに。いつもの丁寧さはどこへやら。

 

「じゃあ、どうすんの?弾幕も使わず、姿も見せずじゃ。しかも、侵入するのは難しそうだし。熱光学迷彩でもあれば別だけど」

「熱光学迷彩は、河童が貸さないだろ」

「さすがに無理でしょうね」

 

 聞きなれない言葉にルイズが反応。

 

「何よ。その熱何とかって」

「透明になれる服だぜ。マジックアイテムみたいなもんかな。魔法も使ってないから、魔法装置にもひっかからないぜ」

 

 タバサは、同じようなマジックアイテムがあるのを思い出していた。もっとも、こっちの場合は魔法装置に引っ掛かって見つかってしまうが。他にもスクウェア・スペルで化ける魔法もある。しかし、やはり魔法装置がネックとなる。その時ふと思いついた。

 

「ミス・鈴仙に頼む。彼女は幻術が使える」

「ダメよ。あの子のは個人に対しての能力だもの。出会う全員に、片っ端から幻術をかけないといけないわ。一人残らず」

 

 アリスの説明で、それが至難である事はすぐに分かった。人ごみには不向きな能力だ。すると文、何かを閃いた。浮いたままのだらけた態度で。

 

「ルイズさんの『イリュージョン』はどう?」

「どれだけ持つのか、分からないもの。途中で切れたら、最悪だわ」

「事前に試したら?」

「そうしたら、しばらく使えなくなるわよ」

 

 虚無の魔法は、一旦フルパワーで魔法を使ってしまうと、精神力が溜まるまで時間がかかってしまう。指輪奪取の期限にそれほど余裕がない以上、これも採用できない。

 他にもいくつか提案が上がるが、どれも問題があった。さらに魔理沙が難しい顔で一つ。

 

「だいたいな。ハヴィランド宮殿の中身が分からないんだぜ。侵入が成功しても、そこから先が困る。アドリブで対応するには、リスクが大きすぎるぜ」

 

 なんと言っても神聖アルビオン帝国の本拠地なのだ。どんな能力のメイジがいるのか、武器やマジックアイテムがあるのか、分かってない事も多い。さらに、タバサからも追加。

 

「クロムウェル本人の所に上手く行けても、アンドバリの指輪を盗むのが難しい。あの指輪には、人の心を操る能力がある。だから、彼が起きている間はダメ。もしかしたら、ヨーカイなら効かないかもしれないけど未確認」

 

 ルイズは、うんざりしながら椅子にもたれかかる。

 

「じゃ、どうするの?侵入も強行突破もできないんじゃ」

 

 その答えは出てこない。腕を組んで考え込んだり、宙を仰いでぼーっとしてたりで、誰もがが何も出せずにいた。

 するとアリスが魔理沙の方を向いて、分かっているかのようにポツリ。

 

「魔理沙。実は、方法を思いついてるんでしょ?」

「ん?」

「ほら、プロの腕の見せ所よ」

「けどなぁ、その手もネックがあってな」

「何よ」

「う~ん……。ルイズと衣玖次第だぜ」

 

 二人は、キョトンとした表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 アルビオン大陸の真ん中辺りの町、サウスゴータから首都ロンディニウムに至る道に、二頭立ての荷馬車が進んでいた。幌のついた馬車には、平民の恰好をした女性ばかり8人。ルイズと魔理沙の盗賊一党、もといアンドバリの指輪奪還部隊である。メンバーは、ルイズ、タバサ、キュルケ、魔理沙、アリス、天子、衣玖、文。

 

 あの日の報告の後、魔理沙の言うネックを解決する事となった。ルイズに要求されたのは、虚無の魔法をさらに使いこなせるようになる事。しかも破壊力を増すとか幻の規模や持続時間を伸ばすと言った方向性ではなく、むしろ逆。手先の器用さを鍛えるような、こまごまとした使い方だった。魔力より神経をすり減らすようなそのやり方を、なんとかクリア。衣玖に任された事もうまく行き、魔理沙の言う作戦が採用された。

 

 ルイズは荷馬車に揺られながら、荷物に視線を流す。積まれているのは水、食糧の他に、大きな樽が二つ。さらに小脇に抱えられる程度の樽が、三つあった。そして最後に隣にいる魔理沙に顔を向ける。

 

「そろそろ話してくれても、いいんじゃないの?」

「そうだな」

 

 空を眺めていた魔理沙は、中へと振り返る。いつもの不敵な笑みがあった。

 

「侵入して盗むって手も使えない。ごり押しで強奪するのもなしって訳で、直に持ってきてもらう」

「え!?」

 

 意外な答え。ルイズにはどうやるのか想像がつかない。キュルケが訝しげに尋ねる。

 

「まさか取引でもするの?アルビオンが喜びそうなもの用意して。例えば……トリステインの情報とか」

 

 ルイズそれを聞いて激高。体を前のめりにして、拳で何か叩きそうな勢いで。

 

「はぁ!?冗談じゃないわよ!そんなの絶対、許さないわよ!」

 

 だが魔理沙は涼しい顔。

 

「違うぜ。クロムウェルが、これが指輪です受け取ってくださいって持ってきて、それをもらうだけだ」

「???」

 

 余計に訳が分からないルイズとキュルケ。ポカーンと口を半開き。一方、魔理沙は楽しそう。

 

「とは言っても、今のメンツじゃそれは無理だ。で、助っ人を頼んだぜ」

 

 助っ人の言葉にルイズは首を傾げる。新しい顔なんてここにはいない。

 魔理沙は面白そうに笑うと、樽の所まで進んだ。そして軽く樽を叩く。

 

「悪い。ちょっと顔見せしてくれ」

 

 そう言って、蓋を開けた。

 すると樽の中から、にゅーっと透明なものが伸び上る。やがて魔理沙の顔の形を作った。

 それを見てルイズ達は唖然。

 

「ま、ま、まさか、ラグドリアン湖の水の精霊!?」

「まあな。ラグドだ」

「ラグド?」

「ラグドリアン湖の水の精霊とか呼びにくいからな。ラグドでいいかって聞いたら、本人からOKもらった」

 

 つまり衣玖に任されたのは、このラグドを今回の話に参加させる事だった。水の精霊はある程度の"量"があれば分離していても、同時に存在できる。樽はこのその量を持ってくるためだった。

 ルイズは感心して、透明な魔理沙の顔をマジマジと眺める。

 

「へー、別々に存在できるんだ」

「分霊を思い出してな。ラグドも誓約の精霊って崇められてたし、できるかもってな」

「分霊?」

「ほら、博麗神社に守矢神社の分社があったの覚えてないか?」

「行ってないから知らないわよ」

「あるんだよ。神奈子と諏訪子は、そこからも出てこれるんだぜ」

「出口が他にもあるの」

「そうじゃない。本社と分社の両方に、同時に存在できるんだぜ。それが分霊だ」

 

 ちょっと驚くルイズ。さすがは神かと。

 もっともラグドが複数の場所に同時に存在できるのとは、まるで理由が違うが。ともかく似たようなものだ。

 やがてラグドは樽へと戻る。ちなみにラグドが手を貸してくれたのは、天子の貸しをなしにしたため。それに説得したのが、水妖の衣玖だったというのもあった。

 

 一段落ついた所で、ルイズがまた尋ねてくる。

 

「それで、作戦の中身はどうするのよ」

「クロムウェルにラグドを飲ませる」

 

 確かにそれなら、クロムウェルの心を操れる。彼自身に指輪を持ってこさせるのは簡単だ。だが問題はどう飲ませるのかだ。そもそも宮殿への侵入が、無理だと言うのに。

 ルイズ、腕を組んで思案をちょっと巡らせると、考えを一つ。

 

「井戸に混ぜるの?」

「それじゃぁ、不確実だぜ」

「ロンディニウム中の井戸に、混ぜればいいじゃないの」

「それもダメだ。そこまで量がないからな。つまりピンポイントでやる」

 

 これでは、なおさら方法が想像つかない。そこでアリスが口を挟む。仕様がないという感じで。

 

「もったいぶらないで、話しなさいよ」

「だな」

 

 魔理沙はルイズ達に、不敵な顔で向き直る。

 

「クロムウェルのヤツは執務室で、専用の水差しを使ってる。高そうなのをな。それを給仕するメイド達も決まってる。つまり狙うのは、このメイドの方だ」

「そっか。メイドをラグドに操らせて、そのメイドがクロムウェルにラグドを飲ませるのね」

「そういう事。メイドの寮は宮殿の外にある。通ってる最中が仕掛け時だ。もちろん、メイドが出入りする通用門も警備は厳重。ラグドに操られてる状態じゃ、引っ掛かる可能性はある。そこはルイズ、お前の出番だぜ」

「なるほどね」

 

 ルイズがやらされていた虚無の魔法の訓練。実はこの手の検問突破のためだった。そもそも市内に入るのに、必要だったからなのだが。仕事が増えた訳だ。

 

 やがてはるか先に、ロンディニウムの町が見えてきた。ここで二手に分かれる。市街に入るのは魔理沙、ルイズ、タバサ、キュルケ、衣玖。この場に残るのは、アリス、天子、文。魔理沙達は実践部隊、アリスたちは後方支援という訳だ。

 魔理沙は一つ大きく深呼吸。気持ちを高める。

 

「さてと、行くぜ」

「え、ええ」

 

 ルイズも、わずかに緊張して答えた。

 荷馬車は門へと進みだす。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿の一室に、似つかわしくない連中が集まっていた。誰もが避けて行きそうなほど、荒々しい容貌。体中から粗暴さが漏れ出している。彼らのリーダーは、顔にやけどを負った偉丈夫。実は彼らはメイジである。そうとは思えない風貌だが。

 こんな連中を迎えるのは、なんとこの国の皇帝、クロムウェルだった。クロムウェルはワルドとシェフィールド、さらに数人の衛兵を従え、この粗暴な連中の前に出た。

 

「よく参ったな。メンヌヴィル君」

「呼ばれたからな」

 

 一国の皇帝が相手だというのに、慇懃無礼な態度。クロムウェルの側に控えていた、ワルドが憮然として前に出る。

 

「控えよ。皇帝陛下の御前ぞ」

「よい」

「しかし……陛下……」

「これより、君は彼らと任務を共にするのだ。いらぬ諍いは、任務の支障となろう」

「私が?」

「そうだ」

「…………分りました。仰せのとおりに」

 

 ワルドは下がる。一方で、厄介事を押し付けられる予感がしていた。

 メンヌヴィル。"白炎"メンヌヴィルの異名で知られている、百戦錬磨の傭兵。さらにその能力の高さとは別に、残虐性でも有名な人物だ。この荒っぽい傭兵を雇うのだ。任務は汚れ仕事に違いないと。

 

 そんなワルドの思惑を他所に、話は進む。メンヌヴィルは横柄に尋ねた。

 

「で、仕事ってのは、なんだ?」

「トリステイン魔法学院。そこの生徒を人質として、連れてきてもらいたい」

 

 傍で聞いていたワルドは、やはりと、胸の内でうなずいた。そして同時に、時間を稼ぐと言っていた策はこれかと。手立ては汚いが、有効かつ重要な任務。覚悟を決める。

 メンヌヴィルの方は相変わらずの態度で、皇帝に相対していた。

 

「さすがに、全員は無理だぜ」

「公爵、辺境伯……、爵位の高い家の者をでき得る限りでいい」

「その他のヤツは?」

「好きにして構わん」

「そうかい」

 

 白炎の口元が緩む。それに、クロムウェルも満足そう。

 当然、一も二もなく引き受けると思っている。その残虐性を満足させ、報酬も破格なのだから。

 にやけたままメンヌヴィルは答えた。

 

「全額、先払いならな」

 

 予想外の返事が出る。皇帝は耳を疑った。

 

「何!?」

「できないなら、他を当たってくれ」

「何の不満があるというのだ?だいたい全額受け取って、依頼を放り出さない保証がどこにある!?それとも何か?子供とは言え、多数のメイジを相手にするのに臆したか!」

 

 次の瞬間、メンヌヴィルの怒気が、クロムウェルに向かった。一瞬、爆炎が上がったかと思うほどのものが。その矛先にある皇帝。帝位の尊厳さなど、どこへやら。思わずたじろいでいた。

 

「な……その……」

「言葉に気を付けろよ。俺の炎はどこにでも向かうからなぁ」

「り、理由を説明して貰おう。じょ、条件次第ではこちらも考える」

「へっ……」

 

 怒りは、すぐに種火の様に小さくなっていた。

 

「仕事が終わって戻ってみれば、お前さん達がみんな死んでた、なんてのは困るんでな。後払いじゃ、ただ働きになっちまう」

「!?」

 

 またもや予想外の答えに、クロムウェル達は唖然。近々、自分達が死ぬかもしれない、と言っているのだ。

 確かにトリステイン、ゲルマニア連合軍が攻めて来る可能性は高い。しかし、それはまだまだ先の話。だが他に死ぬ理由など考えられない。

 ワルドが訝しげに尋ねる。

 

「どういう意味だ?」

「町に入る前、妙な荷馬車に会った。平民の若い女ばかり7、8人が乗ってた、って手下は言ってたな」

「手下が言ってた?」

 

 おかしな言い回しに、ワルドは少し首をかしげる。だが、その時初めて気づいた。メンヌヴィルが盲目である事に。彼は見る事ができなかったのだ、その妙な荷馬車を。

 傭兵は話を続ける。

 

「だが俺はそうは思えなかった。少なくとも一人は貴族だ」

「何故分かった」

「匂いだよ。本人は消したつもりだろうがな、俺の鼻はごまかせねぇ。いつも香水使ってるんだろう。消し切れてなかったぜ。あの香りはいい値のもんだ。平民じゃ、とても買えねぇ代物のな」

 

 すると今度はクロムウェルが口を開く。

 

「平民に化けた貴族が、情婦を密売しようとしているのではないか?確かに怪しげだが、珍しくもないだろう」

「ハッ!アンタ、皇帝の割には、その手の事情に詳しいな」

「オ、オホン!世情を津々浦々まで知るのは、統治者の務めだ」

 

 思わずごまかそうとする、成り上がり皇帝。しかし傭兵は気にしない。

 

「けどな。それはねぇ」

「何故だ?」

「乗ってる半分は、人間じゃなかったからさ」

「な、何!?」

 

 さらに驚かされる、神聖アルビオン帝国の面々。

 メンヌヴィルは視覚を失った代わりに、匂いと熱には敏感になった。荷馬車から感じたそれらは、人間のそれとは明らかに違っていたのだ。

 今度は、今まで黙っていたシェフィールドが、静かに尋ねる。

 

「それは確かですか?」

「間違いねぇ。しかも相手は、こっちに気づいてるようだった。おかげでこの俺が、人数を正確に把握できなかった。何か術を使ったらしい」

「どんな妖魔ですか?」

「それも分からねぇよ。言ったろ?術を使ったらしいって」

「して、その者達は?」

「さあな。俺たちは南門に向かったから、途中で分れちまった。だが、そいつらが町に向かってたのは確かだぜ」

「…………」

 

 そこまで聞いて、顔色を失うクロムウェル。少し震えた声を出す。

 

「ま、まさかトリステインの間者が余の命を狙いに……」

「いえ、それは考えにくいかと。あの教義にうるさいトリステインが、妖魔を雇い入れるなど考えられません。少なくとも王家は、そんな作戦を許可しないでしょう」

「では、ゲルマニアはどうだ!?あそこは野蛮な者どもの国ぞ!」

「それは……」

 

 ワルドは言葉に詰まる。確かにトリステインだけなら、妖魔の間者などあり得ない。しかし、トリステインはゲルマニアと同盟している。力づくで統一した帝国、ゲルマニア。その間者というのは得る話だった。

 顔色を変えるアルビオンの連中を他所に、メンヌヴィルは他人事のような態度。

 

「これで分かったろう?先にアンタ等が、死ぬかもしれねぇって。確かに、証拠はねぇ。信じる信じないは勝手だ。だがな、信じないなら、俺たちは他所へ行くぜ」

 

 白炎は、ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべていた。

 すると皇帝は慌てて縋るような目を、この荒くれ者に向けた。

 

「信じる!信じるぞ!そ、そうだ!もう一つ依頼がある!いや、そっちを優先させてもらいたい!その妖魔共を狩ってくれ!」

「おいおい、無茶言うなよ。こんなでかい町のどこにいるか分からねぇ妖魔を、探して狩れだ?他を当たってくれ」

「そ、そこを何とか!」

 

 自分の命がかかるとなると、クロムウェルはすっかり落ち着きをなくしていた。確かに指にはアンドバリの指輪が嵌っている。しかし相手は人間ではないのだ。どこまで通用するか分からない。

 皇帝は、臣下の前では見せた事もない、情けない姿をさらしていた。

 だが、救いの手が他から差し出される。秘書のシェフィールドからだ。相変わらず表情を変えずに話しかける。

 

「ならば、探す手筈。こちらが受け持ちましょう」

「ほう……」

「居場所が分れば、お知らせしますわ。それでいかが?」

「ま、いいだろう。それまでこの城で、ゆっくりさせてもらうぜ」

 

 やがてメンヌヴィル一向は、客室へと案内された。

 残されたクロムウェルは、シェフィールドの方を恐る々向く。

 

「す、すまない。シェフィールド」

「いえ。私の務めですから。そのような形で任を終えてしまっては、"陛下"に申し訳が立ちませんので」

 

 表情を変えずに答える秘書。

 "陛下"の言葉に違和感を覚えたワルドは、疑念、いや、確信を強くする。この女とガリアとの繋がりを。さらに数体の妖魔を相手にしなければならないというのに、この落ち着き様。シェフィールド本人自体にも、興味が湧いていた。

 

 

 

 




ロンディニウムは勝手に設定してしまいました。原作ではほとんど描写なかったもので。

描写面ちょっといじりました。


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侵入

 

 

 

 

 ロンディニウムの入り口。西門に一台の荷馬車が近づきつつあった。魔理沙達、実行班である。いよいよ作戦開始。まずは最初の関門。町への侵入からだ。

 

 門が近づくにつれ、その警備の様子がよく見える。門番の兵は10人ほど。門をくぐる者達をチェックしている。後ろの方で、退屈そうにその様子を見ているメイジが二人。ここの責任者だろう。さらに門の脇に3メイルほどのゴーレム。今は彫像のように動く気配がない。そして門の内側、すぐ横。奇妙な形の置物が見える。魔法装置だ。

 

 まず、衣玖が検問の様子を調べる。その空気を読む能力で。彼女を連れてきたのは、このため。

 しばらくして振り返った。その表情は、いつも通り整然としたもの。

 

「特に緊張した空気はありません。むしろ、惰性と言った感じです」

「検問も、下見した時と変わってないな」

 

 魔理沙達は幌の中へ顔を戻した。まずまずの状況に、満足顔。

 

「じゃあ、任せたぜ。ルイズ」

「うん」

 

 ルイズは一つ深呼吸。そして棒術の棒のようなリリカルステッキVer.3を握り、目をつぶる。小さな声でルーンを紡ぐ。使う魔法は『エクスプロージョン』。ターゲットは魔法装置。もちろん爆発させてしまっては、騒ぎになり町に入れなくなる。狙いは中身。動力源である風石だ。やる事はラ・ロシェールで戦艦を落としたのと同じ要領である。ただし、気づかれないほど小規模にというのが、練習しないといけない所だった。

 

 ルイズは、頭の中にイメージが飛び込んでくるのを感じていた。魔法装置の中身が透視できているような感覚が。やがて、核となっている風石のビジョンが映される。

 

(見つけた)

 

 魔法発動。

 

 それは静かに起こった。『エクスプロージョン』の爆発効果を器用に操りながら、魔法装置の風石を削っていくように消す。

 やがて魔法装置は動作を止めた。

 

「ふぅ」

 

 ルイズは息を漏らす。肩から力を抜く。

 

「成功したわ」

「お疲れ。気づいたヤツは……いないな」

 

 兵士たちは、変わった様子もなく警備を続けていた。

 すると今度は、魔理沙が一枚の白紙を取り出す。そしてルイズに渡した。

 

「次の仕事だぜ」

「ええ」

 

 気合を入れなおすと、杖に力を込める。今度の魔法は『イリュージョン』、幻を作り出す魔法。練習した成果を見せる時だ。

 

 魔理沙からの注文は、少々厄介なものだった。単に幻を作り出すのではなく、幻を白紙に固定するというものだった。これを習得するのにかなり苦労した。

 なんでそんな事をするかというと、要は通行手形の偽造である。下見の時に、盗んできた通行手形を参考に生み出すのだ。何と言っても本物がベース。成功すれば見分けがつかない。だが、所詮は幻。見るだけならいいが触るとバレてしまう。触れないので。そこで紙に固定してしまおうという訳だ。

 

 そろそろ魔理沙達の荷馬車の番が、近づいて来た。

 御者をやっているのはタバサ。その横のキュルケが、この荷馬車の主人と言った役割。

 

 前の馬車が通行許可を受け、町へと入っていった。いよいよである。全員、気持ちを引き締める。

 

「よし、次」

 

 兵の呼びかけに馬車を進める。

 

「通行手形を」

「ええ」

 

 ルイズから渡された手形を手にするキュルケ。胸の内では、少々緊張が渦巻いている。今のところを魔法は成功している。だが見慣れない魔法。心配がないと言えば嘘になる。しかし、さすが世俗慣れしたキュルケ。表情からは、そんな様子を微塵も感じさせない。

 彼女は兵に言われるまま、手形を渡した。ルイズが生み出した幻を。兵はそれを手にすると、担当に渡す。

 

「人数と目的は?」

「全部で5人ですわ。目的は知人の祝いに」

「そうか」

 

 ルーチンワークと化していたのか、兵は荷馬車の中身もちょっと覗いただけで、まともに確かめない。やがて通行手形も本物と判定され、キュルケの手元に戻って来た。胸をなでおろす彼女。もっとも、これも相手に察しさせないが。

 全てクリア。最初の関門を突破。

 

 だがその様子を、少し離れた場所の通過報告を受けていた責任者のメイジ。ふと何かを思い出した。

 

「女ばかりの荷馬車?確か……」

「これか」

 

 隣にいたメイジが、少し前に来た指示書を手にする。

 

「若い平民の女ばかりの荷馬車が通れば、報告せよとあるな」

「平民だが……人数があわない。7、8人とある」

「ふむ……。念のため、見てみるか」

「そうだな」

 

 二人の男は椅子から立ち上がった。ゆっくり進む荷馬車に近づいていく。

 

「その荷馬車、ちょっと待て」

 

 馬車はピタっと止まった。

 だが中では、緊張と冷や汗が流れ始めていた。少しばかり顔が固くなるルイズにキュルケに魔理沙。息を整えようとする。誰もが思っていた。バレたのかと。だがそうとは決めつけられない。緊張した面持ちの顔をお互い向けると、小さくうなずいた。とりあえずやり過ごすと。

 すると魔理沙が、小声でルイズに話かけた。

 

「ルイズ!杖、杖!」

「あ!そうだ!」

 

 ルイズは慌てて杖を隠す。ルイズとタバサの杖は長いので、どう隠すのかが難点だった。平民を偽っているのだ。見つかれば当然ただでは済まない。

 なんとか間に合ったのか、警備のメイジが来たときには、完全に見えなくなっていた。

 キュルケの方は、すっかりやわらかい笑顔を浮かべている。さすがは男の撃墜数を、誇るだけの事はあった。

 

「どうかされました?」

「いや、ちょっとな。念のためだ。中を見てもいいか?」

「ええ、どうぞ」

 

 キュルケは答えといっしょに、少しばかり気のありそうな流し目を送る。一見、余裕がありそう。だが、実は必死。警備の注意をそらそうとしたのだ。人数は少なければ少ないほど、いいに決まっている。

 なんとか、一人のメイジを引っかけた。男の足が止る。

 

「その……娘。どこから来たんだ?」

「サウスゴータのはずれにある、小さな町ですわ。名前は……」

 

 笑みを絶やさず、執念の足止め。警備のメイジはすっかり、彼女に囚われてしまった。

 一方、残ったメイジが荷台に入ってきた。特に警戒した様子はない。彼の言葉通り、念のためのようだ。

 

「お前たちだけか」

「ええ」

「まあな……ぶっ!?」

「は、はい!」

 

 ルイズは魔理沙を抑え込んでニコニコ返事。白黒魔女がいつものフランクさで、話そうとしたので。平民がメイジに無礼な態度では、トラブルに繋がりかねない。衣玖は逆に、自然な笑顔を返していた。さすが空気を読む妖怪。

 

「これで全員か」

「はい。ご覧のとおりです」

 

 衣玖のなんの不自然さもない言葉に、男はただうなずく。衣玖、魔理沙と順番に流すように見ていく。そして最後はルイズとタバサ。するとポツリと一つ。

 

「若い女ばかりというより、大人と子供か……」

 

 カチンと来たルイズ。ニュアンスで、誰を指して言っているか分かって。しかし笑顔はしっかり維持。

 メイジはキュルケを顎で指すと、尋ねてくる。

 

「彼女は、姉か何かか?」

「違う。"歳の離れた"親戚のお姉さん」

 

 タバサが平然とそんな事を言っていた。背中でそのセリフを聞いたキュルケは、一瞬顔がゆがんだが。

 メイジはざっくばらんに荷台の中を見回しながら、最後に奥を指差す。小さな樽が二つに大きな樽が一つ。その大きな樽の方を男は指差していた。

 

「あれはなんだ?」

 

 緊張が走る。背中が強張りだす。実はこの中にラグドリアン湖の水の精霊こと、ラグドが入っていた。ラグドの存在がバレては全て水の泡。

 ルイズは、意地で笑顔を作りつつ答える。顔の筋肉を総動員して。

 

「故郷から持ってきた、お祝いのワインです」

「見せてもらうぞ」

「で、でも、その……、しっかり閉めてしまってるので……開けるのは難しいかと……」

「まるで開けられない事はないだろ。ちょっと味見をするだけだ」

「あ、えっと……その……」

 

 おたおたしだすルイズ。いい言葉が思いつかない。思わず手を伸ばしそうになる。そんな彼女を他所に、タバサがあっさり答えた。

 

「別にかまわない」

 

 そう言って、味見用の管を渡した。

 

「用意がいいな。悪いが、少しもらうぞ」

 

 男が、栓を開ける。そして、中の液体を取り出そうとした。

 が……。

 

「うっ!?何!?なんだこれは!?」

 

 驚愕とでも言えるような一声。

 バレた?

 思わず杖に手を伸ばしそうになるルイズ。しかり魔理沙がそれを止めた。小さく首を振る。今は動かなくていいと言わんばかりの表情。ルイズは、しかたなく手を引っ込めた。

 門番のメイジは口元を、いや鼻をふさいでいた。眉間に皺をよせ、目を細めて。

 

「ピネガーではないか!」

「そんなはずはない」

「なら飲んでみろ」

 

 彼が気づいたのはワインと説明を受けていたものが、まるで違ったものだった事。いや、違うものになった事。ワインは発酵しすぎると、ピネガー、酢となってしまう。まさにそれだった。

 タバサは言われるまま平然と、味見用の管を口にする。もはやそれはワインではなく、酢の味。

 

「……酸っぱい」

「どういう保管の仕方をしてたんだ?発酵しすぎだ。しかし、危うかったな。私が見つけなければ、相手の機嫌を損ねる所だったぞ」

「…………」

「まあ、祝いの席では頭をさげる事だな」

 

 そう言って男は、振り返る。しようがない平民共だといったふうに。

 

 実はこのピネガー。事前に買っておいたもの。今樽の中は、上にピネガー、下にラグドの状態。要はラグドの身を隠すため、あらかじめ仕掛けておいたのだった。

 

 ピネガー騒ぎに気を取られたのか、これで調べは終わってしまう。指示書と人数が違っていたというのもあって。偶然だが、二手に分かれたのが助けになっていた。

 メイジは荷馬車を降りていく。そして、キュルケに引っ掛かっていた同僚に声をかけた。

 

「おい、戻るぞ」

「え?もうか?」

「ああ」

 

 同僚は口惜しそうに、その場を離れた。キュルケに手を振りつつ。ついでに相方にも文句を。もう少しすれば、宿屋が突き止められたとかなんとかと。

 そして荷馬車はゆっくりと進みだした。

 二人が見えなくなるまで、五人は平静を装う。奇妙な笑顔を浮かべつつ。しばらくして見えなくなると、笑顔が消えた。そして最初に出てきたのは、ため息。無理もないが。

 それから魔理沙が、ようやく笑顔を戻す。

 

「お疲れさんって所だな。後は明日だ。宿に荷物おいて、ロンディニウム名物でも食おうぜ」

「あ~。さすがに疲れちゃった。何でもいいけど、お腹に入れたいわ」

 

 全員、ルイズの意見に賛成。やがて馬車は宿屋を探しはじめた。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿の地下。立ち入りが固く禁止されている部屋があった。実は皇帝のクロムウェルすら、入るのに許可がいる場所が。そこに一人の女がいた。皇帝の秘書、シェフィールドである。彼女だけが、ここに自由に出入りできた。彼女がこの場にいるのは、特別な作業の時だけ。その秘書という肩書とは、かけ離れた内容の。

 

 黙々と作業を進めるシェフィールド。だが、ふと手が止まった。

 

「今、何か……。これは西門?」

 

 作業を一旦中断。瞼を下し、頭を巡らす。何かを探すように。再び瞼を開けると、部屋から出て行った。そして一階へ上がり、警備隊長を呼び出した。

 

「いかがしました?」

「西門の魔法装置がどうなってるか、確認して」

「はい」

 

 警備隊長は、すぐに部下を城壁の西門へ向かわせた。

 しばらくして兵が戻って来る。その報告を一階の執務室で受けるシェフィールド。

 

「そう。風石が完全に消耗してたの。それでは、しばらく魔法装置は機能してなかった訳ね」

「確認を怠るとは!このような怠慢、厳罰で対処いたします!」

「いえ、その必要はないわ」

「しかし……」

「それより、西門の責任者に、通行記録を持ってこさせなさい」

「え?あ、はい」

 

 警備隊長は何か引っかかりを感じながらも、執務室を出ていった。

 残った秘書。やや厳しい表情を浮かべる。相手は、思ったよりやるらしいと。彼女は感づいていた。侵入者がもう町にいる事を。

 

 魔理沙達が、ただの魔法装置と思っていた置物。実は一種のガーゴイルだったのだ。そして、その術者こそ、このシェフィールドである。しかも彼女はロンディニム中の魔法装置を、全て操っていた。並のメイジでは、まず不可能な技。この技のため何か異変があれば、すぐにシェフィールドに察知されてしまうのだ。

 もちろん彼女が警戒していたのは、あのメンヌヴィルの言っていた者。妖魔の間者。一方で、妖魔相手では、門の警備が強行突破されるかもしれないとは考えていた。だが、彼女にとって予想外なのは、騒ぎもおこさず忍び込まれた事。さらに風石を、どうやって消し去ったのかが分からない。

 シェフィールドは目つきを鋭くすると、少し気を引き締めてかからないといけないと胸に刻む。

 

 ワルドは自分の執務室で、仕事を進めていた。日が傾き、部屋が影になってきた。カーテンを開けようと、手を伸ばす。するとノックの音がした。彼はカーテンを開けると、入室を許可する。扉が静かに開き、女性が一人、入って来た。

 

「ワルド子爵」

「これは秘書殿」

 

 手を止めると、ワルドは少し大仰な態度で迎えた。もっとも、顔色は大歓迎といった感じではないが。

 

「なんの御用かな?」

「例の間者の話です」

「貴族と妖魔からなるという連中のか」

「はい。すでに市内への侵入を果たしたようです」

「何?」

 

 表情が厳しくなるワルド。

 

「それは確かなのか?」

「西門の魔法装置が、密かに手を加えられていました。しばらく作動していなかったようです。さらにその間、西門から入った荷馬車の中に、女だけのものが一つ。ただ若い女ばかりというよりは、大人と子供だったようですが。そして人数は5人」

「少々、白炎の話と違うな。本当にその者達が賊なのか?捕えてみたらただの家族連れでは、恥を掻くだけだぞ」

「異常があったのはそこだけですので、間違いないかと」

 

 相変わらずの淡々とした様子だが、揺るがぬ声色には自信が籠っていた。

 彼女は確信していた。女ばかりの荷馬車という点よりも、風石が消えた理由が説明できないという異常さから、妖魔が関わっていると。ならば魔法装置が止まってから、わずかな間に入った者が間者に違いないと。『虚無』という異質な魔法が、仇になっていた。

 

 ワルドは秘書のあまりに確信めいた態度に、うなずくしかない。

 

「それで、居場所は分かったのか?」

「ただいま調査中ですが、時間の問題でしょう」

 

 笑みを含んだ余裕の答え。

 今日中に宿に入った、荷馬車を伴った5人の女。この条件だけでも、かなり絞られる。しらみつぶしに調べれば、まず見つかるのは間違いなかった。

 シェフィールドは表情を戻すと、いつもの冷たい目線をワルドに向けた。

 

「私はこの度の賊捕縛の総指揮を、陛下から承りました。ワルド子爵も私の指示に従ってください」

「秘書にしては、部を超えた権限だな」

「私は、陛下の御心に沿うだけですわ」

「……」

 

 面白くなさそうに、椅子に身を任せるワルド。シェフィールドは、そんな彼にお構いなしに指示を出す。

 

「子爵には、ただちに竜騎士隊の準備をお願いします。いつでも出動できるように」

「分かった。ところでメンヌヴィル達はどうするのだ?」

「私に同行してもらいます」

「自ら、現場で指揮をとると?」

「はい。その妖魔とやらも見ておきたいので」

「全く……勇ましい秘書殿だ」

 

 皮肉交じりの笑みを浮かべながら言う。しかしシェフィールドは、ワルドの皮肉を意に介さず。

 やがて彼女は一つ礼をすると、部屋から出る。ワルドはそれを不満そうに見送った。だがすぐに気持ちを入れ替える。彼は部屋を後にし、配下の竜騎士に召集をかけた。

 

 

 

 

 

 日もすっかり落ちたロンディニウム。宿で休む五人の少女がいた。その誰もが満足そう。というか楽しそう。皆の表情はやわらかい。タバサは最初からだったが、キュルケも初めて幻想郷組に会った時のような、気おくれした所はなくなっていた。

 

「いやぁ、結構うまかったな」

「食べ過ぎる所だったわ」

「門の騒ぎで、ちょっと気を張り過ぎたか?」

「まあね」

 

 魔理沙とキュルケがざっくばらんな会話を交える。タバサも味に関しては頷いていた。『アンドバリの指輪』奪取など、どこへやら。口から出て来るのは、ついさっき味わったロンディニウム名物の話ばかり。

 すると、ふとルイズが気になった事を思い出した。荷馬車にピネガー、ここの宿代等々、この作戦で使う費用だ。アルビオンに来るのに持ってきたのは、ラグドが入った樽だけ。残りは全部途中で調達していた。

 

「魔理沙。そう言えばお金とかどうしたの?あなた全部払ってたけど。アイスクリームの稼ぎ?」

「違うぜ。精霊の涙。あれ売った」

「え?」

「な。衣玖」

 

 話を振られた天空の妖怪は、静かにうなずく。

 

「ラグドを説得した後に、ついでに聞いてみたんです。そうしたら、あっさり譲ってくれました」

「そんな簡単に……。モンモランシーが聞いたら、泣きそうになるわ」

「もっとも私達が、アンドバリの指輪を取り戻すからこそでしょうが」

「そうかもしれないけど……。あ、じゃあ、もしかしてモンモランシーに精霊の涙、渡したの?」

 

 ルイズの質問に、魔理沙がうなずく。楽しそうに勝ち誇った笑顔で。

 

「ああ。だからギーシュも元に戻った。二人には、でか~い貸しにしておいたぜ」

 

 ルイズは二人を気の毒に思う。これから、どんな厄介ごとを押し付けられるかと考えると。

 

 明日は仕掛けの本番。しかもここは敵地のど真ん中。だというのに、まるで修学旅行に来た生徒のように、彼女達は騒いでいた。

 しかしそれもわずかな間だけ。やがて収まる。翌日は夜明け前にここを出ないといけない。早めに寝ようという話になったのだ。

 

 キュルケとタバサはルイズ達の部屋を後にした。自分達の部屋に戻ると、さっそく寝る準備。あっさりベッドに入るタバサに対し、キュルケは髪とお肌の手入れを開始。万全の準備が終わると、ようやくベッドに入った。

 横になりながら、おだやかにつぶやく。

 

「できれば、観光で来たかったわね」

 

 うなずくタバサ。するとキュルケが何かを思い出した。ふざけ半分な口ぶりで。

 

「そう言えば、タバサ。あなた門であたしの事、歳の離れたお姉さんって言ってたでしょ。何?実は老けてるとか思ってた?」

「逆。ああ、言えば私達が……。!?」

 

 タバサはそこで言葉を止めた。思わず体を起こす。何故あんな事を言ったのか。反射的にそう口にしていたのだ。あえて言うなら勘が理由。多くの荒事で培った勘が。

 キュルケは、不思議そうに親友の顔を見る。

 

「どうかしたの?」

「おかしい……」

「何が?」

「あの門番のメイジ。変な事を言っていた」

「何言ったの?あたしはもう一人を捕まえてたから、聞いてないのよ」

「"若い女ばかりというより、大人と子供か……"と」

「それがどうしたのよ?」

「何故、全員を確かめる前に、若い女ばかりと思ったのか」

「門を通る時に、チラッと見たからじゃないの?」

「それならすぐに大人と子供と分かる。少なくとも、私は見えてたはず」

 

 タバサは御者をしていたのだ。確かにチラっとだけでも、キュルケとタバサは目に入る。

 それにしてもとキュルケは思う。タバサが自身は、子供に見られてしまうと自覚があったのだと。今は、どうでもいい話なのだが。

 

「そっか。ルイズ達は幌の中に入ってたから、チャンと見ないと分からないわね。それじゃなんで、若い女って分かったのかしら?」

「たぶん門の通過報告から。……いけない!」

「何が?」

「若い女ばかりが乗った馬車を注意するように、指示が出ていた。だから、報告を受けて確かめに来た」

「それがあたし達とは、限らないんじゃない?」

「心当たりがある」

「心当たりって……あ!」

 

 二人は慌てて、ルイズ達の部屋へ向かった。その心当たりを、思い出して。

 

 ロンディニウムの町に入る前。まだ二手に分かれていない時。天子と衣玖が妙な気配を感じていた。探るような気配を。それこそメンヌヴィル達であった。それをアリスに伝え、念のためと馬車の中だけ結界を張ったのだ。やがて何事もなく、その相手とは別れたので、大して気にしていなかったのだが。

 

 部屋に入ると、寝入りっぱなのルイズと魔理沙を起す。衣玖は寝ていなかった。

 ルイズは、露骨な不満そうな声を上げる。いかにも眠そうな顔で。

 

「何よ~。も~。あんた達もいい加減寝なさいよ~」

「ルイズ!目、覚ましなさい!ちょっと、マズイのよ!」

「あ~?」

 

 寝ぼけ眼で、フラフラとしながら答えるルイズ。

 魔理沙の方も、目を摩りながら起きて来る。

 

「なんだよ一体~。明日早いって言ったろ?」

「それどころじゃないのよ!逆になるかもしれないのよ!」

「逆?」

「あたし達の方が、襲われるかもしれないって事よ!」

 

 あまりに切迫して言うキュルケに、ルイズも魔理沙もすっかり目を覚ましてしまう。やがてタバサからの説明を聞いた。

 魔理沙は難しい顔で考え込む。もはや、さっきまであった観光気分は、どこへやら。

 

「あるかもしれねぇが……。徹夜で警戒、って訳にもいかないぜ。ただの思い過ごしだったら明日に響く」

「先に延ばしたら?」

「無理だ。アリス達は動き始めちまってる」

 

 ルイズの提案に、首を振る魔理沙。二手に分かれた以上、後はスケジュール通りに動くしかない。

 すると衣玖がふと窓の方へ歩きだした。そしてわずかに開け、外の空気を入れる。

 

「どうやら遅いようですよ」

「え?」

 

 一斉に衣玖に注目した。

 

 

 

 

 

 双月がロンディニウムを照らす。

 その中を早足で進む兵達があった。およそ100人。いや、それだけではない。他からも100人ほどの兵が二隊、足を進めていた。それぞれに10人ずつのメイジを伴って。その中には白炎メンヌヴィルの一団もいた。さらに、上空には竜騎士が舞う。まるで戦争にでも行くかのような陣容。

 だが彼らの任は、わずか数人の賊の捕縛。この人数で、である。慎重を通り越して臆病と言われかねない。相手がただの人間ならばだが。しかし相手は人間ではない。得体のしれない妖魔だ。彼らは、エルフでも相手にするかのような、厳重な体制で臨んでいた。

 

 大通りを進むのはメンヌヴィルを伴った一団。手下が不満そうにつぶやく。

 

「隊長。なんだか面白くない仕事になっちまいましたね」

「ああ」

「なんで引き受けたんです?」

「俺を煙に巻いたヤツが、ちょっと見たくてな」

 

 メンヌヴィルはシニカルな笑みを浮かべて言う。

 

 上空には、竜騎士がすでに飛び立っていた。竜騎士が待機している広場では、ワルドがさらに指示を加える。

 

「私も現場に行くが、お前たちは後詰として待機していろ。だが、相手は正体も分からぬ妖魔だ。気を抜くな。いつでも支援しておけるようにしておけ」

「ハッ」

 

 部下は切れのいい返事を返す。やがてワルドも颯爽と風竜に飛び乗った。

 

 これら全てを指揮するのが、シェフィールド。一番最後に城から出た馬上の姿は、とても秘書とは思えない悠然としたもの。

 

「さて、いったいどこの手の者か……。じっくり吐かせてやろう」

 

 ベルトには見慣れないマジックアイテムが、いくつかあった。

 

 全部隊の目的地は、何の変哲もないただの宿屋。

 間者が潜む場所を突き止めたのは、日が落ちてから。決めてとなったのは、実は杖。

 今日、町に入ったばかりの荷馬車に乗った5人の女。しかも荷物まで樽と分かっている。この条件が当てはまるものは、宿屋以外を含めてもわずか3組だけだった。しかし一組だけ、他とは違う特徴があった。目立つ長い杖を持っていた女がいたのだ。宿屋の主人は別に足が悪い訳でもないのに、平民の少女が杖を持っているのを妙に思ったという。

 シェフィールドは、それをメイジの杖と判断した。しかも杖を持っているのは二人いた。するとメイジは二人。残りの三人が妖魔となる。そうなるとメンヌヴィルの言っていた、半分は人間ではなかったというのと合う。人数のズレだが、荷馬車は幌をしていた。中の人数までは、外からは正確に分からないだろう。さらに術を使われたという話もあった。彼らが、見誤ったと考えたのだ。

 

 寝静まろうとしているロンディニウム。しかしその静けさも、後わずか。異質な騒乱が起ころうとしていた。

 

 

 

 

 

 夜の宿は、相変わらずの静けさに包まれていた。穏やかな眠りにつけるほどの。しかしルイズ達のいる一室だけは、張りつめた空気だけが溢れていた。

 衣玖は窓際に立ちながら、様子を探る。わずかな空気の揺れも逃さないほど、感覚を研ぎ澄まして。

 

「こちらを窺ってる気配を、いくつか感じますね。さらにいくつもの集団が、囲むようにこちらに向かっています。それに竜騎士も、ここを中心に旋回してるようです」

 

 一気に緊張が高まる。生唾を飲み込む。お互いの顔を見やるルイズ達。

 タバサが変わらぬ表情で口を開いた。

 

「数は?」

「だいたい……兵300強に竜騎士が30と行った所でしょうか。メイジも数十人いるようですが、よく分りません」

 

 目が丸くなるとは正にこのことか。瞼が固まってしまったように、全員が見開いていた。5対300半ば。しかもただ兵隊だけではない。メイジや竜騎士までいる。

 キュルケが珍しく動揺していた。声が裏返っている。

 

「な、何よそれ!?あたし達だけ捕まえるのに、バカげてるでしょ!そんな数!」

 

 キュルケも腕には少々自身がある。だから状況によっては、強行突破も仕方がないとの覚悟はあった。しかし相手の数は、想像をはるかに超えている。

 ルイズが厳しい表情で顔を上げた。静かだが強い口調。

 

「逃げましょう」

「逃げるって、どうやるのよ!空も地上も囲まれてるのよ!」

「魔理沙がその気になれば、風竜の倍以上で飛べるわ」

「そうなの?」

 

 その言葉に、胸をなでおろすキュルケ。だが、当の魔理沙の声は暗い。

 

「私だけならな」

「え!?」

「一人乗せるくらいなら、行けるとは思う。けど、それ以上は厳しいぜ」

 

 竜騎士から逃げるには、魔理沙か衣玖のどちらかが、残りの三人を抱えていかないといけない。衣玖は魔理沙ほど速くは飛べない。だが魔理沙が、多くの人間を乗せて飛ぶのは難しい。以前デルフリンガーを積んで飛んだ時すら、少しバランスを崩しかけたのだから。

 顔が蒼くなるルイズとキュルケ。さすがのタバサも眉間に皺を寄せる。魔理沙と衣玖は、自分達だけなら逃げられるが、それを選ぶ訳にはいかない。

 

「ならば我が引きつけよう」

 

 意外な所から声がした。小さな樽に移したラグドからだ。思わず驚くルイズ達。確かに手を結んだが、精霊が自ら人間を助けると言いだすとはと。人妖が共に住む幻想郷の住民に、触れたからだろうか。

 

 精霊は樽から衣玖の顔で出てくると、起伏のない表情で言う。

 

「我を床に撒けばいい。触れた者を全て操れる。それらを使い、竜や兵に攻撃させる」

「混乱はさせられるか……。だけど、お前はその後、どうすんだよ」

「地面の下に流れを感じる」

「地面の下?下水か?」

 

 魔理沙はふと下に顔を向けた。ラグドは下水道を伝って、この町から出ると言うのだ。

 その時、ルイズが何かを思いついた。パッと明るくなる。

 

「その手があるわ!私達も下水から逃げられない?ちょっとやだけど」

「無理よ。民家の下水は、人が通れるほど大きくないわ。それほど大きいのは、大通りのだけよ」

 

 キュルケの沈んだ声。おまけに疑問を一つ。

 

「後……さすがに全ての竜騎士を引きつけるのは、無理じゃないかしら?」

「…………」

 

 返事はない。いや、無言が答えとなっていた。

 そのまま黙り込んだ一同。重い空気が部屋を満たす。時間だけが過ぎていく。だがその時間も残りわずかなのだ。考えている暇はそれほどない。

 やがてルイズが、意を決したように口を開いた。

 

「なら、方法なんて選んでられないわ。その300半ばを撃退しちゃいましょ!」

「ルイズ!何言ってんのよ!そんな事、出来る訳ないじゃないの!5人しかいないのよ!」

 

 キュルケに、いつもの余裕がなくなりつつあった。

 しかしルイズは、厳しい顔を向ける。

 

「私の系統は、もう分かってるでしょ?」

「……!」

 

 口に出した事はない。だが彼女が見知らぬ魔法を使っている所を、何度も側で見ていた。キュルケやタバサには分かっていたのだ。目の前にいるクラスメイトは、実は伝説であると。

 さらにルイズは、異界の友人へ視線を送る。

 

「それに、魔理沙と衣玖がその気になれば、350くらいなんともないわ」

 

 メイジや竜騎士までいる軍勢がなんともない。キュルケは、驚きと頼もしさが混じり合ったような目で、彼女達を見ていた。どこか希望を見つけたかのように。

 しかし、そこにタバサの冷静な声。

 

「無理」

「な、なんでよ!?」

「ここは神聖アルビオン帝国の本拠地。最低1万の兵が駐屯している。その内"わずか"300半ばが迫ってるにすぎない」

「!!」

 

 つまり今来ている相手を全て退けても、すぐ次が来ると言っているのだ。さらに『虚無』の魔法は、連発できないのが弱点だった。特に効果が大きければ大きいほど。波状攻撃を受けると、対応できなくなる。キュルケやタバサはもちろん、魔理沙もやはり人間。戦い続けるには、さすがに限界がある。さらに、衣玖は妖怪だが、天界の住人として五戒の縛りがあった。

 もはや打つ手なしか。最悪の予感すら頭をよぎる。ルイズ達の額に、冷や汗が浮かび始めていた。

 その時、魔理沙がすくっと立ち上がる。

 

「しゃーねぇ」

「魔理沙?」

「ルイズ。やっちまうぞ」

「え?今、タバサが言ってたじゃないの。無理だって。もしかして、倒せるの!?」

「いや。たぶんタバサの言う通りだ。けどな、それで構わないぜ」

「?」

 

 見上げたルイズの視線の先にあるのは、いつもの不敵な魔理沙の顔。ただ今のそれは、見慣れたものとは少し違う。自分を鼓舞しているようにも見えた。さすがの魔理沙も、不安なのだろうか。だが、何にしても、幻想郷以来の友人が言うのだ。答えは一つ。

 

「分かったわ。やっちゃいましょう」

 

 ルイズは、大きくうなずいた。

 

 

 

 




魔法装置の動力源の設定はなかったのですが、永久機関って事もないだろうと思って、土石、風石辺りに設定しました。

描写周りを少し加筆しました。


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脱出劇

 

 

 

 

 廃村の隠れ家、幻想郷メンバーの拠点で、うさぎ耳が頭を悩ましている。鈴仙・優曇華院・イナバである。

 ルイズの姉の治療のために、ハルケギニアに来た彼女だが、今抱えている問題はそれではない。もう一つの仕事。師匠の極秘命令、というか無茶な命令。この世界の宝を強奪せよという方。

 

 実はその宝、手の届く場所にあった。一つはルイズが持っている『始祖の祈祷書』。もっとも、ルイズがアルビオンに持って行っているので、今はない。しかし宝はまだある。それはトリステイン魔法学院の宝物庫。トリステインでも貴重な宝の数々が、保管されているそうだ。ただここは一度盗賊に入られており、警備が厳重になっている。だが、ここの鍵を管理しているのは、トリステイン魔法学院の学院長、オールド・オスマン。彼さえ上手く騙せば、警備を突破するのは簡単。しかも鈴仙は幻術使い。目的を達成するのは造作もなかった。問題なのは、彼女がいい人だった事である。

 

 良心と格闘しながら脂汗流していると、ノックがした。むりやり何事もなかったような顔を作り上げる。美容院のサンプルのような笑顔を。

 

「はい。どうぞ」

「失礼するわ」

 

 入って来たのは七曜の魔女こと、パチュリー・ノーレッジ。と、使い魔のこあ。ここには今、彼女達三人しかいない。残りはアルビオンで泥棒の最中。

 パチュリーは声をかける。不自然な鈴仙を気にもせず。

 

「今、暇?」

「え、ええ。特にやる事ないんで」

「なら、ちょっと付き合って」

「えっと……何?」

「時間つぶしよ」

「……まあいいけど」

 

 パチュリーに言われるまま、鈴仙は部屋を後にした。

 

 やって来たのは呼んだ当人の部屋。そこに一振りの剣が置かれていた。かなり錆びついた剣が、魔法陣の中心に置かれている。これを見るだけでも、曰くありげな物と分かる。玉兎はボロボロの剣を指さした。

 

「あれ、何?マジックアイテム?」

「見ねぇのが来たと思ったら、またヨーカイかよ。うさぎ耳って……今度は獣人か?」

「え!?しゃべった!?」

「いつも同じ反応されるな。慣れっこだけどよぉ」

 

 錆剣ことデルフリンガーは、鼻で笑うように言う。鼻はないが。

 話す剣に思わず、目を見開いたまま固まる鈴仙。口を半開きにして。やがてパチュリーに、好奇心ありそうな顔を向けた。

 

「付喪神?」

「違うわ。インテリジェンスソードっていうマジックアイテムよ」

「へー。話す道具があるんだ……」

 

 しみじみと眺めながら、異界の珍品にうなりを上げる。すると、さっきの会話を思い出した。

 

「時間つぶしってこれの事?」

「そうよ。これに幻術かけて欲しいの」

「剣に幻術?なんで?」

 

 頭にハテナが浮かぶ鈴仙。首を傾ける。紫魔女は変わらぬ態度で、説明しだした。

 

「あの剣、記憶喪失なのよ。それを思い出させたいの」

「ちょっと待ってよ。幻術でどうやるのよ?」

「できないの?」

「できる訳ないでしょ。私の幻術は、本人の記憶の中から幻を作り出すんだから。本人が知らない物は出せないわ」

 

 その言葉を聞いて、うなだれるパチュリー。望みがなくなったとばかりに。

 

「この手もダメか……」

「魔法じゃダメなの?」

「この剣、魔法を吸い込む性質があるのよ。調査用の魔法まで吸い込むもんだから、調べようがなくて。今までは、ある程度魔力を吸い込むと思い出すって方法が使えたんだけど、それも限界らしくってね」

「それで、私なのね」

「ええ。あなたの幻術は魔法じゃないから」

「でも、期待に応えられそうにないわ」

 

 鈴仙は肩をすくめて、お手上げのポーズ。

 それを見て、パチュリーはスッパリこの手をあきらめた。すぐに気持ちを切り替える。いつもの抑揚のない表情に戻った。

 

「まあ、できないものはしようがないわ。ついでだから、もうちょっと付き合って」

「いいけど……」

 

 玉兎は微妙な表情を浮かべながら、うなずく。やがて魔女達と共に部屋を出て行った。

 

 次に来た場所は廃屋となった寺院の屋根の上。後から作った観察台。鈴仙は満天の夜空を見上げながら、感心していた。

 

「へー。こんな所があったんだ」

 

 ちょっとばかり楽しそうに、空を見ている鈴仙。そんな彼女に水を差すように、パチュリーが問いかける。

 

「あなたに、星について聞いてみようと思ってね」

「私、星の専門家でもなんでもないわよ?」

「でも、あなた、波長が分かるんでしょ?」

「ああ、そういう事」

 

 実は鈴仙の幻覚を見せる力は、彼女の能力の副産物でしかない。対象の波長を操る事こそ、彼女の能力の本質。当然、いろんな物の波長が見える。もちろん星のものも。

 玉兎はさっきとは違い、見極める様に空を眺める。星々を、青と赤の双月を。

 しばらくして、空を見上げたままつぶやく。

 

「最初来た時から、なんか変だなとは思ったんだけど……、改めて見るとやっぱり変」

「で、何?」

「星が動いてないの」

 

 その言葉に、こあがすかさず反応。

 

「動いてないって……どういう意味ですか?星は空を動いてますよ?」

「星が昇ったり、沈んだりって意味じゃないの。ほら、私達の宇宙って、だんだん大きくなってるでしょ?だから、波長のブレが出て、それが星によって違うの」

 

 鈴仙の説明に、今度はパチュリーが一言添える。

 

「ドップラー効果?」

「ああ、それそれ。雰囲気って程度だけど、私達の星空だと微妙に感じるのよ。だけどここでは、それがないの」

「つまりここでは、ハルケギニアと星の距離が固定されてるって訳ね」

「うん。私が感じるレベルではだけど」

 

 月うさぎは再び空に目を向ける。そこにはさっきと変わらぬ、星空があった。

 一方、紫魔女。俯いたまま、口元に拳を当てて考え込む。こあの観測から惑星がないと考えざるを得ない。つまりは、この天空で動いているのは、太陽と双月だけという事。止まっている空。天球に張り付いている星。ふと、何か箱庭に入っているような感覚に魔女は襲われた。

 ポツリと漏らす。

 

「かなり小さい、閉じた宇宙って事かしら……」

「えっ?」

 

 鈴仙の声に、パチュリーは答えない。代わりに最後の問いかけを返した。

 

「もう一つ聞きたい事があるんだけど、青と赤の月の他に何かある?星みたいに小さいものじゃなくて」

「え?ないでしょ?見れば分かると思うんだけど……」

「本当に?」

「黄色の星……とか」

「黄色?」

「太陽……」

「……。それはそうね」

 

 肩から力が抜ける。

 そんなパチュリーにちょっと気の毒に思ったのか、鈴仙は空を指さした。

 

「えっと……その……あえて言えば……」

「言えば?」

「あそこ」

 

 だが、そこには真っ暗な闇夜があるだけ。パチュリーとこあは目を細める。

 

「何もないわよ?」

「そうなんだけど……、何か変な感じがするの」

「……。もしかして、緑のような感じ?」

「緑?違うわよ。でも、なんで緑?」

「……」

 

 魔女は答えない。ただ眉間に皺を寄せると、不満そうに零した。

 

「蛙の神様に、引っかけられたかしら?」

「蛙の神様?」

「山の神社の祟り神よ。彼女がね、青と赤の月に緑の月があれば、RGBだとか言ってね」

「ああ、三原色ね」

 

 彼女の質問に、ようやく納得する鈴仙だった。

 それから何かないかと、しばらく空を眺めていた三人。しかし、結局何も見つからないと分かると、観察台から降りていく。ただ鈴仙は首を捻りながらだが。今までの質問の繋がりが、分からないので。地下への階段を降りる途中、尋ねてみる。

 

「ねえ、いったい何を調べてるの?あなた系統魔法を調べてるって聞いたんだけど、星は関係ないような気がするし」

「この世界の事を知りたくてね。それに神奈子との約束でもあるし」

「山の神様の?」

「ハルケギニアの事を調べるって条件で、ここへの転送陣を手伝ってもらったのよ」

「へぇ……。なんでまた山の神様が?」

「さぁ?また何か企んでるかもしれないかも」

「相変わらず、迷惑な神様ね」

 

 鈴仙、呆れ顔。それにパチュリーは、短く鼻を鳴らす。

 共用のリビングに入ると、二人は椅子に腰かけた。こあが紅茶を用意。カップを置く。ただパチュリーには、それが見えてないよう。何やら考え込んでいる。この世界の事とは、そんなにそそられるテーマなのかと、鈴仙は半ば感心していた。彼女はカップに両手を添えながら、尋ねる。

 

「結構、私に期待してた?」

「ん?まあね。調査が行き詰ってたのもあったし」

「ごめんなさいね」

「気にするもんでもないわよ」

 

 魔女はそう答えると、紅茶を一口。すると玉兎に顔を向ける。

 

「鈴仙。私、一旦幻想郷に戻るわ」

「どうして?」

「原点から調べなおそうと思ってね。まずは、ルイズを召喚した召喚陣から。だから魔理沙達が戻ってきたら、そう言っといて」

「うん。分かった」

 

 置かれた紅茶を味わいながら、玉兎はうなずいた。

 その後、他愛もない会話がいくつか交わる。妖怪達の夜は、こうして更けていった。

 

 一方、パチュリーの部屋に残った剣。一人ポツリとこぼす。

 

「実験材料にされるのは初めてじゃねぇが、なんかこう面白くないぜ。もうちょっと暴れたい気分だ」

 

 ふと、使い手と共に勇ましく戦っている光景が、脳裏に浮かんだ。いや、脳はないのだが。強大なエルフと戦うその姿に、デルフリンガーは奇妙な感慨を覚えていた。

 

 

 

 

 

 月夜の神聖アルビオン帝国の帝都、ロンディニウム。その一角。ただの宿を300人以上の兵が囲んでいた。さらに空には、宿を中心に数十騎の竜騎士が旋回している。これほどの人数の兵達が、意識を向けている目標の宿。そこには賊が潜んでいたのだ。

 

 対する賊一党……ルイズ、キュルケ、タバサ、魔理沙、そして衣玖と水の精霊ことラグド。多勢に包囲されている中、何やら中で忙しく動き回っていた。

 キュルケが階段を、少しばかり重い足取りで降りて来る。一階に着いて最初に出たのは溜息。

 

「ふぅ……。終わったわよ」

「お疲れ」

 

 それを魔理沙が迎えた。キュルケは首を回しながら、厳しい面持ちで注意一つ。

 

「できるだけの事はやったわ。でも、あまり固定化って得意じゃないから、強度は過信しないでよ」

「できないものはしゃーない。そこは臨機応変だぜ」

 

 丁度、ルイズとタバサが宿屋の主の部屋から出てきた。キュルケが声をかける。

 

「そっちは?」

「終わった所。問題ないわ」

 

 ルイズといっしょに、タバサもうなずく。彼女が言った問題ないとは、主と客を一階の部屋に閉じ込める事。『スリープ・クラウド』の魔法で、眠らせてある。これからの事には邪魔になるので。

 

 準備が整い、全員が一階に揃った。

 いつもなら軽口の一つも出そうだが、今はそんなものはない。あるのは漂う緊張感。無理もない。なんと言っても地上も空も総勢350人に囲まれ、それを5人+1で相手をしないといけないのだから。だが、落ち着きを失っている者はいなかった。

 

 やがて、小さな樽を抱えた衣玖が口を開く。

 

「そろそろ始めましょう。兵達の準備が、整いつつあるようですから」

「よし。じゃ、いくぜ」

 

 魔理沙の掛け声に、全員が頷き動き出す。魔理沙とタバサは最上階の三階へ、キュルケはキッチン、衣玖は宿の入口の前。ルイズは一階の中央に陣取った。

 全員が息を飲み、構える。350人の兵を突破する脱出作戦の開始である。

 

 

 

 

 

 シェフィールドは、目標の宿から100メイルほど離れた建物の最上階から、現場を眺めていた。ここが臨時司令部。視線の先では兵の群が、一つの宿を完全に包囲していた。

 部隊は三つに分かれ、それぞれは10人ずつのメイジを含む兵100。一つの部隊は屋根の上。残りの二つは地上に。地上にはメンヌヴィル達もいた。さらにワルド率いる竜騎士が、空への脱出を防ぐため旋回し続けている。

 

 作戦はシンプル。賊が寝静まった間に、屋根からと地上からの一気の突入。数に物を言わせた奇襲だ。シェフィールドは、そのタイミングを計っている。口元には笑みが薄っすら浮かんでいた。

 これほどの構えだ。まず捕り逃がす事はない。それに、いざとなったら、自分も秘蔵のマジックアイテムを使うつもりでもある。頭に今あるのは、捕えた後の事だった。どこの手の者かと、想像を巡らせていた。

 

 やがて、副官がやってくる。

 

「全ての配置が完了しました。いつでも行けます」

「そう。では……ん?」

 

 突入の合図を出そうとした時、ふと宿の扉が開いた。人影が一つ出て来る。突入の構えを取っていた兵達は、そのたった一人に思わずたじろぐ。後ずさりしながら、人影を包囲する。

 シェフィールドは眉をひそめると、望遠鏡を手にした。その姿が目に入る。

 

 長いマフラーのようなものを、首から下げ、右手に小さな樽を抱えている。一見、顔を布で覆った平民姿の女性。だが何かが違う。異質な空気が、まとわりついているように感じる。彼女は直観した。これは妖魔だと。

 

 

 

 

 

 さて当の不審人物は、永江衣玖。一応、顔を隠すため、布を覆っている。その隙間から見えるのは、ぐるりと囲んだ兵の群れ。だが、突入しようとした正にそのタイミングで現れた彼女に、戸惑いが感じられた。

 

(かなりの数ですね。まるで祭りのようです。さてと、役目を果たしましょうか)

 

 天空の妖怪は頭の中でつぶやくと、視線を一人のメイジに向けた。この中の、指揮官らしき人物に。緊張した視線が、衣玖に向いている。一方、彼女は彼にわずかに頭をさげる。彼女自身は、先に詫びを入れたつもりだった。

 五戒をなるべく破りたくはないが、そうも言っていられないので、せめてもの礼儀。ただそれでも、人死には出さないつもりではいたが。

 対する相手は、不思議そうな顔で首を捻るだけ。

 次の瞬間、雷鳴が轟く。

 彼女を閃光が包む。

 雷撃が四方へと伸びる。

 

 しばらくして呻きながら倒れるメイジ。いや彼だけではない。衣玖の周りにいた最前列の兵が、全員バタバタと倒れていく。

 

 兵達は唖然として、動きを止めた。瞬きすらも。何が起こったのか理解している者は、ここにはいなかった。

 

 

 

 

 

 空気を切り裂くような轟音。シェフィールドが雷鳴だと気づいたのは、わずか後。

 

 妖魔らしき平民の周囲に、閃光が発生していた。その後には、うずくまる兵達。

 我に返ったシェフィールドは、思わず舌を打つ。

 

「チッ!やられた!」

 

 奇襲を掛けるつもりが、逆に先手を取られた。振り返ると、副官に命ずる。

 

「突入なさい!」

「は、はっ!」

 

 副官は直ちに伝令へ命令を伝える。夜の町がざわめき立つ。兵の群れが動き出す。

 

 しかし、最前列の部隊は動かない。妖魔の先制パンチに、尻込みしてしまったのだ。遠巻きに囲っているだけ。さらに突入班の班長も、電撃を喰らい動けずにいた。指揮は混乱し、部隊は動かない。

 望遠鏡で覗くシェフィールドは歯ぎしり。だが、まだ余裕があった。屋根の上にも部隊があるからだ。

 

 屋根の部隊は全く無傷。隊長のメイジはすぐに指示を出した。突入の合図を。

 突入班が一斉に、目標の宿の屋根に飛び移る。兵達と数人のメイジ。力自慢の兵が、屋根をぶち破ろうと、大きな木槌を振り上げる。そして振り下した。

 だが、カンと言うまるで金属でも叩いたかのような響きが返る。屋根が巨大な木槌を跳ね返した。

 

「なんだ!?」

 

 兵達は、怪訝な表情。ただの木の屋根のはずが、あり得ない硬さ。しかも、彼だけではない。数か所に分かれた兵達の木槌が、全て通用しない。

 その様子を見ていたシェフィールドは、面白くなさそうにつぶやく。

 

「固定化か……」

 

 すると隣の副官が言葉を添えた。

 

「どうやら、賊はこちらの動きに気づいていたようですな」

「そのようね」

 

 これで、賊が寝静まった所を奇襲、という彼女の目論見は上手くいかなくなった。残る方法は一つだけ。

 

「強行突破なさい。残念だけど、妖魔は始末していいわ。ただしメイジだけは捕えるように」

「はっ」

 

 副官が命令を伝えに、部屋を出て行った。

 

 屋根の上では、アチコチを叩きなんとか突入口を開けようとしていた。だがどこも固定化がかかっており、木槌を跳ね返す。隊長のメイジは、苦虫を潰したような顔。その時、掛け声が上がった。

 

「開いたぞ!」

 

 木槌が屋根を突き破っていた。隊長の表情が緩む。すぐに号令。

 

「よし!やったか!突入!」

 

 開いた場所に兵達が集合。蓋のようにめり込んでいた木槌を抜き、一気に突入しようとする彼ら。だが足が止まった。

 

「なんだ?」

 

 木槌を抜いた直後出てきたのは、白い煙。一瞬、火事かと思ったが、煙たくはない。ただこの煙のせいで、中の様子がまるで見えなかった。

 恐る々一人の兵が中を覗き込む。

 だがその身を、一筋の閃光が貫く。

 覗いた兵は、見事に吹き飛ばされていた。

 突入口を囲む兵達は茫然。吹き飛んで屋根に倒れる仲間に、顔を向ける。

 

「え……?」

 

 すると彼らの後ろから、怒号が届いた。

 

「突入と言ったろ!貴様ら、耳がないのか!」

 

 余裕がなくなっている隊長のメイジが、そこにいた。

 彼に脅されるように、兵達は少々強引にでも中へ入ろうとする。しかし、また閃光。吹き飛ぶ兵。

 体を半ば穴へ入れようとする度に、光が兵を吹き飛ばす。はじけるポップコーンのように。

 痺れを切らした隊長が、さらなる命令。

 

「一斉に入れ!」

 

 数にものを言わせようと、無茶な事を言いだした。自棄になって、穴へ飛び込もうとする兵達。

 だが……。

 

「うわっ!」

 

 全員が吹き飛んだ。空気の塊のようなものに押し出されて。

 隊長と副隊長のメイジは、渋い顔でつぶやく。

 

「あれは……『エア・ハンマー』か?」

「では、あの筋状の光の魔法は?」

「知るか!とにかく入るんだ!」

「どのように!?あんな狭い入口では、数の有利が生かせません!中で何人待ち構えているのかも、分からぬというのに」

「いっそ、宿を焼いてしまうか」

「それはなりません!捕えよとの厳命です」

「クソめ!」

 

 思わず屋根を踏みしだく隊長。

 賊の数はわずか5人。その5人に、全兵が翻弄されていた。

 

 

 

 

 

 一方、その賊の方だが、アルビオンの兵達が考えているほど余裕はなかった。

 次から次へと入ろうとする兵達を、レーザーで吹き飛ばす魔理沙。それをフォローするタバサ。

 

「切がねぇぜ」

「切はある」

「ああ……。そうだったな」

 

 いずれ相手があきらめるという意味ではない。切があるのは魔理沙達の方だった。

 

 兵達が見た白い煙は、実は湯気、水蒸気。煙幕代わりという訳だ。

 固定化でほとんど精神力を使い切ったキュルケが、残った力を振り絞り作り出していた。彼女がキッチンに向かったのはこのため。しかしこの水蒸気。井戸から溜めこんだ水を蒸発させているので、限りがある。

 

 さらに屋根の固定化。二人がいる場所の上だけ、あえてかけてなかった。突入口を絞らせるために。だがここ以外は急いで固定化をしたため、ムラがある。あちこち叩けば、いずれ破られるのは時間の問題だった。

 

「急いでくれよ」

 

 魔理沙は、チラっと一階の方へ視線を送った。

 

 

 

 

 

 その頃通りでは、兵達が宿に近づけずまごついていた。少しでも近づこうとするなら、次の瞬間には電撃に撃たれる。通りはうめき声で溢れていた。ここには20人以上のメイジがいる。にも拘わらず、宿に近づく事すらかなわない。入り口の前に陣取る妖魔は、堅牢な城壁のよう。

 

 だがそれに、つまらなそうな表情を浮かべる人物が一人。白炎ことメンヌヴィル。兵達の後方、建物の屋根の上から様子を窺っていた。

 

「ちっ……。お前の言う通り、つまらねぇ仕事だ。もう少しマシな妖魔かと思ったんだがな」

「へ、へえ……」

 

 メンヌヴィルの部下は遠慮しがちにうなずく。あの妖魔を見てなお、この口ぶり。何がそう言わせるのか、彼にはまるで分からない。

 

「まあ、あんなヤツに手出せねぇアルビオンの連中も、間抜けだけどな」

 

 そう漏らすと、地上へ降りた。おもむろに兵の中へ分け入っていく。仕方なく、彼について行く部下たち。やがてメンヌヴィルは最前列の2、3列後ろまでたどり着いた。

 おもむろに、杖を抜く。

 思わず目を見開く部下。彼らの前には、まだ兵達がいる。祭りの見物客が、人垣を作っているように。つまり、ここで杖を抜くという事は……。

 

 詠唱は瞬時。

 魔法が杖の先から噴き出す。

 色をなくすほどの白い炎が、熱の塊が。

 それは兵を貫き、妖魔に向かう。

 

 と思われたが、違った。兵はいつのまにかいなくなり、炎はなんの障害もなく進んだ。灼熱の炎は妖魔の眼前。

 水が蒸発したような音が届く。

 誰もが、妖魔を焼き尽くしたと思った。それほど熱と光を感じていた。

 だが、そうではなかった事にすぐ気づく。魔法が消えた後、まだその姿はあった。稲光を操る妖魔の。しかし、さっきとは違っていた。左ひじから先がなくなっていたのだ。避け損なったらしい。ただ、うめき声一つ上げず、痛そうにもしてない。

 

 そんな彼女に、ずかずかと近づくメンヌヴィル。最前列からさらに一歩前に出てきた。

 

「妙な匂いだな、あまり好みじゃねぇぜ」

「…………」

「痛くねぇのか?」

「……。そういう訳ではありませんよ」

「へっ……。お前、面白いな。だがバカだ」

 

 鼻で笑うと、メンヌヴィルはわずかに振り返る。そこには倒れている兵がいた。

 魔法を撃つとき、彼の目の前から兵がいなくなったのは、彼らが転んだからだ。妖魔のマフラーに足をすくわれて。そう、彼女は敵兵の命を助けたのだった。おかげでメンヌヴィルの魔法を、かわし損なった。

 呆れた顔を戻すと、今度は最前列の兵達に罵声。

 

「バカはお前たちもだ!こんな妖魔一人、始末できねぇなんてな!」

 

 彼の言葉に怒りを露わにする者もいたが、全員が言い返せないでいる。事実なのだから。ただ、メンヌヴィルを睨みつけるだけ。

 白炎の怒鳴り声は続く。

 

「足元を見てみろ!死んだヤツがいるか?倒れてんのは全部生きてる。この妖魔様はなぁ、人殺しが大嫌いなんだよ!」

 

 言われて初めて気づいた。死者が一人もいない事に。つまり、少々痛いのを我慢すればいいだけの話だった。なんと言っても、地上には200からの兵がいるのだから。

 メンヌヴィルは、再び妖魔の方を見る。

 

「へっ……。けどな、てめぇが一番バカなのは変わらねぇ。敵助けてどうすんだよ。左手をなくしちまって、逃げられなくもなったしな」

「あなたは違うようですね」

「ああ、俺なら敵に情けなんて掛けねぇ。無能な味方にもな。それに、人殺しが大好きなんだよ。燃えちまってる所なんて最高だ!」

 

 からかうような口ぶりと、にやけた笑い。負ける事は絶対にないと確信していた。何者をも寄せ付けなかった彼女を、あざ笑う余裕すらある。

 だがそんな彼に、妖魔の様子は変わらない。

 

「それにしても、よく話しますね」

「へっ、気に障ったか?命をなんだと思ってるんだとかな?ハハッ!」

「いえ。みなさんが、大人しく清聴してるので」

「あぁ?」

「時間が稼げたなと」

「!!」

 

 盲目のメンヌヴィルは気づかなかった。周りにいる兵達が、いつのまにか妖魔の方ではなく、宿の方に顔を向けている事に。視線が釘付けになっている事に。

 

 光が漏れていた。宿の窓の隙間から、入り口から。いや、宿中から光の塊が滲みだしてきた、溢れだしてきた。

 兵達は振り返り、一斉に逃げ出す。しかし、ごった返したこの通り。数歩も前に進めない。

 光はすさまじい勢いで膨れ上がる。

 もはや逃げられない。

 それは宿を飲み込み、目の前の通りを飲み込み、兵を飲み込み、区画をまるごと飲み込む。それでも光の膨張は止まらない。

 光の巨大な半球が地上に現れた。双月の夜の町を照らしていた。

 

 アルビオン艦隊を壊滅させた、虚無の魔法『エクスプロージョン』。それが再び現れた。

 

「な……!?」

 

 シェフィールドは瞬きを止めたまま、迫る光を見つめる。その身を固めたまま。側にいた副官達も同じに。

 我に返り、慌てて逃げ出したのは、その数秒後。光の珠を理解する以前に、不可解への恐怖が、ここから逃げろと命じていた。

 

「あれは!」

 

 空中にいたワルド達もそれは同じ。風竜の手綱を返すと、急いで光球から逃げ出した。

 

 だが光の玉は、突然、膨張を止める。急速に縮みだす。やがて跡形もなく消え去った。

 結局、規模としては、ラ・ロシェール戦の時よりはるかに小さい。それでも、全兵を巻き込んだ。

 

 後に残されたのは、変わらぬロンディニウムの町と、身を伏せる兵達。

 

「ん?あれ?生きてる!?」

 

 おもむろに立ち上がる彼ら。そう。光の玉に包まれはしたが、命を失った者はいなかった。だが、別の物を失っていた。

 

「おい……」

「あれ?」

 

 誰もが気づいた。自分達の武器が一つもないと。剣が、弓が、銃が、杖が。今、彼らは丸腰。振り返った先には、あの雷撃を操る妖魔が相変わらず他佇んでいた。この妖魔の前で丸腰。冷や汗がただ流れる。

 だが一人、違う感想を持った者がいた。やはりメンヌヴィルだ。

 

「信じらんねぇ!敵を嵌めたってのに、それでもお命大切かよ!大馬鹿だな!」

 

 腹を抱えて大笑い。今までいろんな戦場を歩いたが、ここまで敵の命を大切にするなど見た事もない。驚きを通り越して、喜劇にしか思えなかった。

 やがて、すぐにいつもの表情に戻ると、部下へ命令。

 

「おい、適当なロープと武器を持ってこい」

「へ?」

「このバカを始末するんだよ。こっちは死なねぇんだ。負けは絶対ねぇ」

 

 彼は妖魔を指さし、小ばかにした口ぶりで命令。

 だが当の彼女は、メンヌヴィルの態度を無視。小脇の樽の栓を抜くと、頭の上に掲げる。漏れてきた水を全身に被った。

 

「ん!?」

 

 流れる水の音に、怪訝な表情のメンヌヴィル。その様子を窺う。

 ふと妙な事に気づいた。さっきまであった、燃えつくした消し炭のような匂いが消えていくのだ。彼には理由がわからない。だが他の者は分かっていた。見えていた。妖魔のなくしたはずの左手が、生えるように元に戻ったのだ。消し炭のようだった部分はもうない。

 またも理解できない現象。メンヌヴィルの態度に、気勢を取り戻しつつあった兵達は、また顔色を失う。

 

 一方の妖魔は相変わらず。今度は、樽を両手に持つと、振り回し始めた。残った水が飛び散っていく。

 意味不明な様子を、兵達は茫然と眺めていた。最前列の数人に水がかかる。だが何も起こらない。

 しかし、それも一瞬。水がかかった兵は急に踵を返し、味方の方を向く。そして空を仰ぎ、大きく息を吸い込むと、口を開いた。

 

「エルフだぁぁ!賊はエルフだったぞ!」

 

 大声を張り上げていた。そして走り出す。もと来た道を引き返す。この場から、逃げ出していた。

 

 エルフ。妖魔の中でも、最も強大な力を持つ者。それがハルケギニアでの常識だった。

 しかしエルフと聞いても、残った兵達は唖然したまま。目の前の妖魔は確かに、得体が知れない。だが、伝わるエルフの特徴、長い耳がない。どう見ても、エルフとは思えなかった。頭がどうかしたのかという様子で、逃げた兵達の後ろ姿を見る。

 

 だがそれは、実際、妖魔を見た者だからこそ考える事。この通りは狭くはないが、さすがに200人は多すぎる。ほとんどの兵は、ごった返す味方のせいで、妖魔の姿を見る事もできずにいた。分かっていたのは、続けざまに起きる雷光と雷鳴。そして自分達を包んだ得体のしれない光だけ。

 そこに悲鳴が聞こえて来る。大声をあげながら、逃げ出す味方が向かってくる。賊はエルフだったと叫びながら。

 

 兵達はパニックとなった。

 

「エ、エルフって!?聞いてないぞ!」

「に、逃げろ!」

「う、うわぁーー!」

 

 一斉に兵が後ろを向く。走り出す。堰を切ったかのように。何せ手元に武器がないのだ。いくら人数がいようとも、エルフを相手にするのは不可能だと誰もが考える。それに釣られるように、最前列の兵達も逃げ出す。屋根にいた者達もそれは同じ。

 深夜の通りは、悲鳴で溢れかえっていた。

 

 ほんの数分後、あれほどの兵であふれかえっていた通りは、閑散とし何もない。残ったのはメンヌヴィル一味だけ。メンヌヴィル本人が引き返さないので、部下は動けずにいただけなのだが。彼は、苦虫を潰したような顔を浮かべる。

 

「てめぇ……。これ狙ってたのか」

「…………」

 

 妖魔は相変わらずの無反応。眼中にないという態度で。

 だが、あえて無視していた訳ではなかった。別の事を考えていたのだ。半ば博打の一手、決め手の事を。

 

 

 

 

 

 ほんの少し前の事。ロンディニウムの郊外。

 森の中に、奇妙な恰好の少女達がいた。アリス、天子、文である。魔理沙達との打ち合わせ通り、時間が来るまでの暇を持て余していた。すると、ふと天子が口を開く。

 

「あれ何かしら?」

「え?」

 

 アリスと文も、天子の指さす方向へ顔を向ける。この月夜に、太陽でも現れたかというような光の玉があった。ロンディニウム市内で膨らみつつあった。

 だが全員がその光に見覚えがある。文が神妙な顔つきで一言。

 

「あれは……ルイズさんの、『エクスプロージョン』ね」

「なんで、あんな魔法使ったのかしら?」

 

 天子は腕を組みつつ首を捻る。だがアリスだけは青い顔。

 

「トラブったからに、決まってるでしょ!」

「ああ、そっか」

 

 緊張感のない天子。主はトラブルの渦中だと言うのに。アリスとは対照的。

 すると人形遣いは、すぐに活動開始。

 

「助けに行くわよ!天子、雲出して。分厚くて低いの」

「えー。また、そういうの?この手のヤツになると、いつも裏方ばかりしてる気がするんだけど」

「こんな時に何言ってんの!しようがないでしょ!あんたしか、『緋想の剣』使えないんだから」

「うー……。分かったわよ」

 

 天子はブツブツ言いながらも剣を抜き、天に掲げた。あっという間に雲が広がりだす。

 次にアリスが声をかけたのは烏天狗。

 

「文。魔理沙達を助けに行って。雲に紛れてね」

「ま、いいでしょ。で、アリスは?」

「この子達に行ってもらうわ」

 

 彼女の足元の小さなしもべ達。得物を手に、町へと飛んで行った。文はそれを見届けると、暗視スコープをセット。

 

「では私も行きますか。とう!」

 

 天狗は、カッ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 ロンディニウムの宿の中では、魔理沙とタバサが外の気配を探っていた。

 

「静かになったな。いなくなったのか?」

「…………」

「ちょっと見てみるぜ。フォロー頼む」

 

 うなずくタバサ。

 魔理沙は屋根に開いた穴から、ひょっこり頭を出す。さっきまで、盛んに宿に入ろうとしていた兵達の姿は、人影一つない。さらに空には分厚い雲が広がり、月明かりもない。

 

「気づいてくれたみたいだな」

 

 ルイズの『エクスプロージョン』は、救援信号の代わりでもあったのだ。

 振り返った魔理沙。タバサに向かって親指を立てる。いよいよ脱出。

 

 一方、宿に面した通り。衣玖とメンヌヴィルが対峙していた。いや、敵意をむき出しにしていたのは、メンヌヴィルだけだが。

 対する彼女。

 

「そろそろ、お帰りになってはいかがでしょうか?」

「ぐ……」

「私には精霊の加護もありますから、あなた達だけではどうにもなりませんよ」

 

 衣玖はそう言って、元通りになった左手を軽く振る。実はこの手、治ったのは水の精霊、ラグドのおかげ。さらに、水がかかった兵達を操ったのもラグド。水妖に水の精霊。鬼に金棒である。

 対する、何も言い返せない百炎。歯ぎしりの鋭い音が響く。歯が擦り切れそうなくらい激しく。頭の中は、憤りで沸騰しそうだった。相手は舐めているというよりは、端から眼中にないかのよう。いろんな戦場を巡って来たが、こんな態度を取られたのは初めてだった。

 

「ざけんじゃねぇ!」

 

 思わず、メンヌヴィルは思わず前に飛び出す。喚きながら。

 だが、吹き飛んだのはメンヌヴィルの方。しかも衣玖に吹き飛ばされたのではない。別のものに。

 足元に小さな人影があった。人形。その小さな人影は武器を手に、ぐるりと水妖の周りを囲っていた。

 

 衣玖は安心した声を漏らす。

 

「来てくれましたか。助かりました」

「……」

 

 人形は静かに頷いた。

 

 数メイル飛んで、倒れていたメンヌヴィル。耳に、いくつもの小さな足音が届く。

 ふと悟った。賊の助けが来たのだと。彼女達が逃げ出さず宿に籠っていたのは、このためだと。要は、籠城の基本に忠実だったという訳だ。そしてもう一つ。賊が二手に分かれていたという事。つまりは、シェフィールドの読み損ない。そんな有様で立てた捕縛作戦だった。

 

 メンヌヴィルは腹を押さえながら、ゆっくりとおき上がる。そして、悔しそうに声を絞り出した。

 

「おい……」

「へ、へい」

「逃げるぞ」

「え?」

「逃げるって言ってんだよ!」

 

 メンヌヴィルは、部下を叱りつけ、急いでこの場を後にする。その表情は口惜しさが噴出しそうなほど、歪んでいた。

 宿の前には、すっかり人影がなくなった。

 

 残ったのは空にいるワルド達、竜騎士だけ。

 

「いったい、どうなっている!?」

 

 ワルドは、地上を見下ろしながらぼやく。

 光の玉が消え去った後、あちこちから悲鳴が一斉に聞こえた。そして、逃げ出していく兵達の姿が目に入る。訳が分からない。空からでは、地上の様子を把握するのに限界があったのだ。しかも、上空にいつのまにか雲がかかっている。月明かりなしでは、なおさらだった。

 

 ただ、一つだけハッキリした事がある。賊の捕縛作戦は失敗したと。

 

「これだけの人数を揃えて、しくじるとは……。せめてあの妖魔だけでも!」

 

 舌を打つと、手綱を返し急降下。建物の屋根ぎりぎりを、滑空する。

 町の上を滑るように飛ぶワルドの風竜。宿の前、衣玖を目に止める。この暗がりにも拘わらず、目標を見失わない。

 

「そこか!」

 

 彼女に向かって一直線。風竜の咢を開かせる。その奥に炎の塊が燻っていた。

 

 しかし彼は気づいていない。彼もまたターゲットになっている事に。すぐ背後に、笑っている新聞記者、もとい妖怪が近づいていた事に。

 

「キッーーーク!」

 

 ワルドの背中に強烈な打撃!肺が飛び出るほどの。

 

「げふっ!?」

 

 一瞬呼吸困難。手綱から思わず手が離れる。そのままの勢いで、前にすっ飛ぶ。糸車のようにくるくる周りながら、通りを飛んでいくワルド。

 そのままその辺の建物に直撃。壁をぶち破る。そしてピクリとも動かなくなった。

 残された風竜は、そのままどこかへ去っていく。竜騎士隊も、戸惑うばかり。ワルドの元へ向かう者、ただ宙舞っているだけの者と、もはやバラバラ。

 

 やがて衣玖の側に、ゆっくり降りて来る姿が一つ。黒い翼を広げた新聞記者、文である。

 

「お待たせしました。迎えに来ましたよ」

「お疲れ様です」

 

 一つ礼をする衣玖。さすがの衣玖も少しは気を揉んでいたのか、文を見て声から力が抜けていた。もっとも文の方は、遊びの待ち合わせかという具合に、何の気ないが。

 

「では、逃げますか」

「はい」

 

 文と衣玖はうなずくと、アリスの人形達と共に宿へと入って行く。

 

 やがて全員が宿から出た。見回す通りには一兵もおらず、見上げた空には、混乱している竜騎士。さらに分厚い雲のせいで、夜の町はまさに闇。逃げるには申し分ない。

 ルイズ達を幻想郷組がそれぞれ抱えると、宙に上がる。彼女達は誰にも邪魔される事なく、雲に紛れてロンディニウムを後にした。

 

 

 

 

 

 紅魔館の地下。大図書館の奥、実験部屋にある魔法陣が光りだす。やがてその上に二つの姿が現れた。パチュリーとこあである。幻想郷に帰って来たのだ。

 久しぶりの我が家という事で、少し表情も緩んでいた。パチュリーは一つ息をすると、出口へと向かった。

 

「とりあえずは、お茶でも飲みましょう」

「そうですね。咲夜さんの紅茶、久しぶりに味わいたいですし」

 

 使い魔のこあが彼女後から付いてくる。

 扉を開けると、聳え立つ本棚の群れ。目に入る見慣れた景色。変わった様子もないようだ。いつものくつろいでいたテーブルへと向かった。

 すると本棚の脇から、近づいてくる影一つ。

 

「パチュリー様~」

 

 留守の間、管理責任者代行をしていた別の小悪魔。ここあという愛称で呼ばれていた。ここあは嬉しそうに、寄って来る。

 

「2週間ぶりですね」

「2週間?」

「そうですよ」

「…………」

 

 難しい顔で黙り込む魔女。代わりという訳ではないが、こあが口を開いた。

 

「また、ズレてますね」

「そうね。しかもズレが逆転してるわ。今度はハルケギニアの日付の方が進んでる」

 

 ハルケギニアで過ごした日数と、幻想郷で経過した日数が合わない。前回、帰って来た時もそうだったが、また起こった。

 ここあの方は、興味がないようで、二人に構わず話を進めだす。持ってきた一冊の本を、差し出した。

 

「そうそう、パチュリー様。『王の灯篭 真昼の章』を見つけましたよ」

「何よ、それ?」

「悪魔ダゴンを呼び出すって、言ってたじゃないですか」

「悪魔ダゴン?あ~……、ルイズ召喚した時に、呼び出すはずだった悪魔ね」

 

 ルイズを呼び出した召喚陣は、そもそもこの悪魔のためのものだった。だが、出てきたのはルイズだったという訳だ。

 パチュリーは、それを思い出したのと同時に、妙な事に気付く。

 

「ちょっと待ってよ。悪魔ダゴンの召喚は、『王の天蓋 絹の章』に載ってたわよ」

「それがですね~」

 

 ここあは手元の本を広げた。覗き込むパチュリー。

 

「こ、これって……」

 

 力なく、沈み込む魔女。肩を落とす。脇からこあも、その本に目を走らす。

 

「あれ?こっちには『王の天蓋 絹の章』が、必要って書いてますよ」

「だけど、当の『王の天蓋 絹の章』には、『王の灯篭 真昼の章』がいるって書いてなかったわ」

「なるほど、注釈が片方にしか書いてなかったんですね。それで召喚が失敗したんですか」

 

 つまり二つの魔法陣が、必要だったという訳だ。魔道書は魔法使いがメモ書きのように作った本もあり、こういう事はたまにあった。

 ただ何かが引っ掛かったのか、こあが微妙な表情になる。

 

「あれ?そうなると、ルイズさんを呼び出した召喚陣は、何だったんです?」

「ただの図形って事になるわね。後から仕掛けた、拘束魔法と、翻訳魔法以外は」

「ん?」

 

 こあは首を捻る。さらに引っ掛かりを感じて。

 

「それじゃぁ、ルイズさんって、どうやって召喚されたんですか?」

「えっ?」

 

 思わず振り返るパチュリー。こあに見えたのは、珍しい唖然とした表情。

 そう。あの召喚陣は、召喚の機能を持っていなかったのだ。ではルイズはどうやって、ここに来たのか。魔女には言葉がなかった。

 

 

 




描写面ちょっといじりました。


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第二次指輪奪還作戦

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿のシェフィールドの執務室。ノックと共に声がかかる。

 

「ミス・シェフィールド、陛下のお出ましにございます」

「お入りください」

 

 開いた扉の中央に、この国の主、クロムウェル皇帝がいた。近衛兵と共に部屋へ入っていく。それに対し、姿勢を正し、おごそかに頭を下げて迎える秘書。

 クロムウェルは威厳を持ったまま、近衛兵たちに声をかける。

 

「シェフィールドと二人で話がしたい。他の者は下がれ」

「はい」

 

 兵たちは部屋から出ていき、扉を閉めた。残ったのは二人だけ。

 するとクロムウェルの表情が急に変わる。情けないと思えるほど、弱気な表情に。

 

「ミス・シェフィールド!賊を逃したというのは誠ですか!?あれほどの人数を揃えたというのに!」

 

 皇帝は縋るように秘書の元へ寄る。

 対するシェフィールドはさっきまでの、慎ましい態度はどこへやら。横柄な口ぶりへと変わっていた。

 

「読みが甘かったようだわ。妖魔らしく力攻めかと思ったら、策を弄してたようなの」

「で、では、また……」

「おそらく。妖魔とメイジのチームなんて、長続きはしないでしょう。まだ形になってる内に、仕掛けて来ると思うわ」

「な、なんと……。しかし……あれほどの人数を退ける賊を、どのように相手にしたら……。しかも、ワルド子爵まで怪我をし、戦いはしばらく無理と言うではありませんか!」

 

 自分の命の危機はまだ去ってない。クロムウェルは、その不安を隠そうともしない。

 ちなみにワルドは、壁に激突する寸前、『エアシールド』で身をなんとか守った。もっともそれでも、怪我は免れなかったが。

 シェフィールドは、成り上がり皇帝を鬱陶しいと思いながらも、冷静に答える。

 

「私が相手をするわ。というか、私にしか相手にできないでしょうね」

「と申されますと?」

「相手の正体と目的に、見当がついたという事よ」

 

 淡々と告げながら椅子に座る。驚いて突っ立ったままの皇帝を、不敵に見上げた。

 

「あの後、捕縛に参加した連中から話を聞いたわ。それから推測がついた。妖魔と呼ばれたものの一つは、水の精霊。他にも精霊がいるようね」

 

 妖魔が口にした"精霊の加護"という言葉。それに水がかかった兵達が豹変したという話を聞き、思い当たったのだ。さらに先住の魔法ですら、詠唱は必要。雷を使った妖魔は、それがなかった。そんな事ができるのは、精霊くらいだ。妖魔たちというより、精霊たちが手を組んでいるという、珍しい連中だと考えた。

 クロムウェルは話を聞き、その意味をすぐに察する。

 

「水の精霊?まさか……ラグドリアン湖の……」

「ええ。だから目的は、『アンドバリの指輪』に違いないわ」

「精霊が、取り返しにワザワザ来る!?信じられません!」

「仕組んだのはメイジの方でしょう」

 

 そうは言ったものの、方法が分からない。だからこそ、シェフィールドはメイジを捕まえたかったのだが。

 狙いがハッキリし、ますます顔をゆがめるクロムウェル。怯えた表情を、シェフィールドへ向ける。

 

「そ、そのメイジですが、やはりトリステインかゲルマニアの手の者で、私の命を狙っているのでしょうか?」

「それがよく分からないわ」

「分からない?」

「あの光の玉。ワルドからラ・ロシェール戦のものによく似てた、という報告を受けた」

「ではやはり、トリステインのでは……」

「それにしては、両国の動きが全くないのが腑に落ちない。お前の暗殺が成功すれば、この国は大混乱。絶好の攻め時になるわ。ならいつでも出撃できる体制を、とっておかねばならない。でも、そんな様子はまるでない」

 

 連合軍との開戦は間近と考えられているので、情報は逐一入っていた。その中に、おかしなものは全くなかったのだ。大規模な戦争の準備だ。隠し通せるとも思えない。

 さらに秘書は続ける。

 

「だいたい、艦隊を壊滅させるほどの攻撃を、暗殺に使うかしら?私なら、戦争のための切り札として隠しておくわ」

「言われてみれば、確かに……。それでは、いったい……?」

「戦争とは、まるで関係ない連中かもしれない。精霊と個人的に縁があるだけで、やってきた……と」

 

 得体のしれない連中に、シェフィールドも少々戸惑っていた。腕を組んで、考え込む。

 黙り込む彼女に対し、クロムウェルがしびれを切らす。

 

「と、ともかく、『アンドバリの指輪』が奪われては、何もかもが終わりです。あなたにとっても……」

「その通りよ。だからなんとしても守らないといけない」

 

 視線を強くするシェフィールド。『アンドバリの指輪』は実はこの国の要だった。無くせば、この国が崩壊しかねないほどの。

 すると彼女は、手の平をクロムウェルへ差し出した。

 

「だから、指輪を私に渡しなさい」

「し、しかし……」

「安心なさい。少なくとも精霊たちの目的は、お前の命ではない。その可能性があるのはメイジの方。それに、お前を守る方法は他に考えているわ」

「そうですか……」

 

 皇帝は仕方なさそうにうなずきながら、指輪を差し出す。シェフィールドは、手にした指輪を厳しい顔つきで見つめていた。

 

 その後、クロムウェルは部屋を出ていく。いつもの威厳を持った、国の主として。秘書はその変わり様に、皇帝よりも役者の方が向いていると、内心笑っていたが。

 やがてシェフィールドも部屋を後にする。そして地下へと向かった。地下には彼女だけが入れる特別な部屋があった。その場所こそ、彼女の本当の力が隠されていた。

 

 

 

 

 

 晴れ渡った青空。ロンディニウム郊外の岡の上。林の端。異質な一団がいた。もちろん魔理沙とその一党である。前日、危ない目に遭ったというのに、まだあきらめてない。結構キモの据わっている連中だった。

 タバサとキュルケが林から出て、町の方を見ていた。遠見の魔法を使うタバサの瞳に映るのは、ハヴィランド宮殿。隣の微熱が話しかけて来る。

 

「どう?」

「警備が強化されてる。衛兵も竜騎士も数が多い。後、メイジが宮殿中に張り付いて、何か作業をしてる。固定化らしい」

「宮殿中に固定化とか、どんだけよ」

「窓や扉にも細工をしてる」

「念には念をって訳ね」

 

 つまりハヴィランド宮殿の周りは、ガチガチに防衛されているという事だった。

 やがて二人は後ろへ下がる。迎える仲間に、キュルケはお手上げの態度。

 

「侵入はまず無理ね。予定の作戦は実行できそうにないわ。ハヴィランド宮殿なんて、籠城戦でも始めるかみたいだし」

「う~ん……。困ったわね」

 

 ルイズが難しそうな顔で、腕を組む。脇で聞いていたアリスが、魔理沙の方を向いた。

 

「どうする?一旦、引き上げる?」

「いや。それじゃ期限に間に合わなくなるぜ」

「そう言ってもね……。強行突破はできればやりたくないし。忍び込むにしても、下調べ自体が厳しそうだし……。」

「……」

 

 魔理沙も難しい顔。すると何かを思いついたのか、ピンクブロンドに尋ねる。

 

「ルイズ。虚無の魔法、どのくらい使えそうだ?」

「大きいのは無理ね。『エクスプロージョン』派手に使っちゃったから。期限までには、それほど回復しそうにないわ」

「そうか……」

「使えたら、どうするつもりだったのよ?」

「『イリュージョン』で囮を作りだしてな。そっちに引きつけて、どさくさまぎれにってのを考えたんだよ」

「なるほどね。でも今の状態じゃ無理だわ」

 

 ルイズは今でも、アリスの作ったマギカスーツVer.3を着ている。そのため、普通のメイジより精神力の回復が早いのだが、それでも期限までの短期間では、あまり回復しそうになかった。

 

 次に白黒魔法使いが声をかけたのは天人。

 

「天子」

「ん?」

「地震起こせそうか?」

「小規模ならねー。やっぱりこの土地、歪みが少ないわ。自在に、って訳にはいかなそう」

「そっか」

 

 がっくりうなだれる魔理沙。そんな彼女に、衣玖が声一つ。

 

「地震で混乱してる最中に、という訳ですか」

「まあな」

 

 漏らすような覇気のない返事。

 

 それから、何人かがアイディアを出したが、どれも上手くいきそうになかった。

 やがて誰もが口を噤む。動きを止める。ただ文だけは何やら忙しそう。話し合いにまるで乗らず、今回の事を記事として構想中。

 

 結局、無駄に頭を悩ましても仕方がないので、食事を取りだす一同。もっとも人間だけだが。

 食事の雑談の中。タバサは短くなった影を見ながら、何気なく視線をずらす。その先にあったのは、水の精霊、ラグドが入った残りの樽。半分は、町を脱出する時に流した。今は水堀から川を伝って、下流で待機している。

 

 その時ふと思いついた。彼女はおもむろに口を開く。

 

「一つ考えがある」

 

 全員が会話を止め、タバサを注視。静かに語られた第二次奪還作戦。その案は全会一致で採用された。ただし、一つだけネックがある。もっとも、なんとかなるレベル。解決するために、早速行動開始。担当は、なんと文だった。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院では、今日も変わらぬ授業風景があった。コルベールが黒板にチョークを走らせながら、解説をしている。

 ギーシュがノートを取っていると、空いた机が目に入った。ルイズ、キュルケ、タバサの席。ふと思う。三人は例のロバ・アル・カリイエの連中と共に、今頃アルビオンで何をやっているのかと。ともかく付き合うハメにならなくて良かった、とか思いながら胸をなでおろす。神聖アルビオン帝国の首都に、泥棒に行くというのだから。付き合っていられない。

 ただ、精霊の涙で正気に戻してもらったので、魔理沙達に大きな借りを作ってしまった。それが、ちょっとばかり気にかかってはいる。

 

 突然、教室の扉が開いた。

 

「ギーシュさん!ここにおられましたか!」

 

 そこに立っていたのは、射命丸文。嘘くさい笑顔でギーシュの方を向いていた。

 一方、ギーシュ顔が引きつっている。いや、ここにいる誰もが。

 

 実は文。この学院での評判は芳しくない。というか恐れられている。その烏天狗の力、ではなく秘密の収拾能力に。知らない秘密はないのではないか、と言うくらい人の裏話を知っている。空飛ぶゴシップ。彼女達が来たばかりの頃。東方の田舎者として小バカにした連中が秘密をばらされ、恋人と別れたり、教師から大目玉をもらったり、実家から呼び出されそうになったり、あるいは王宮の衛兵に突き出されそうになったりと、悲惨な目に遭っている。それ以来、文を誰もが恐れていた。

 

 そんな中、コルベールは別の理由で緊張感を持っていた。未だにパチュリーと対峙した時の、おかしな違和感が忘れられなくて。

 

「な、なんの用ですか!?ミス・シャメイマル」

「授業のお邪魔をして、申し訳ありません。実はギーシュさんに、用がありまして」

「授業が終わってからに、してください」

「そうは言われましても、女王陛下から依頼なのですが」

「女王陛下?」

 

 思わず目を見開く禿教師。意外な人物から意外な言葉。

 

「どういう事ですか?」

「それは言えません。ここでは憚られるので。ただお急ぎでしたよ。ちなみに、学院長から許可は取ってあります」

「そうですか……。分りました。ミスタ・グラモン。急いで準備しなさい」

「はい」

 

 ギーシュは納得いかないながらも、アンリエッタの命とあらばと、気持ちを引き締める。そして文の後について、教室を後にした。

 

 文が来た場所は広場。ギーシュは首を捻りながら尋ねる。

 

「陛下にお会いになるなら、身支度をしないといけないんだけど。こんな所にいる暇はない、と思うんだが」

「身支度なら、ここでしてください」

 

 そう言って、文が指さした先にあったのはフルメイルの鎧。王族などの迎賓の時、学院の衛兵達が着る儀式用のだ。結構頑丈にできている。ますますギーシュは訳が分からない。

 

「鎧を着て陛下に謁見?いったいどういう事なんだい?」

「それは道すがらお話しします。とにかくお急ぎでしたので」

「そうかい……。分かった」

 

 渋々うなずくギーシュ。腑に落ちないながらも、鎧を身に付け始める。

 実は元々メイジは、鎧の着方なんて知らない。しかし、アルビオン戦後、授業の一環として戦争関連のものが増えたのだ。今では鎧の身の付け方を、知らない生徒はいなかった。さらにギーシュは武門の家。鎧を身に着ける術は当然心得ている。

 

 しばらくして、重装甲を身に纏ったギーシュ。兜のスキマから、文の姿が目に入った。なにやらベルトらしきものを、取り付けている。眉をひそめ怪訝な表情になる色男。どうもおかしいと。

 

「あの……ちょっと聞きたいんだけど……。本当に陛下がお呼びしてるのかい?」

「あー、後ろ向いてください」

「え?あ、いや。君……そうじゃなくって……」

「ほらほら、時間がありませんので」

「ああ……」

 

 疑念がいっぱい頭の中に浮かぶ。でも文の押しの強さと、鎧のせいでイマイチ身動きの取れないのもあって、彼女の言う通りに。

 ふと、何やら金属の金具を繋ぎ止める音がした。そして腰に回される文の手。さっきの音は、彼女が身に着けたベルトに鎧を接続した時のものらしい。つまり今、文とギーシュは一心同体。いつもなら女性に密着されて喜びそうな色男だが、鎧越しでは嬉しくもなんともない。そもそも、こんな事している理由が分からない。ハテナが浮かぶギーシュ。

 

「えっと……。いったいどういう……。うわっ!?」

 

 体が宙に浮いていた。文に抱えらえれ、空を飛んでいたのだ。

 一瞬レビテーションの魔法かと思ったが、妙な事に気づく。魔法ではなく抱えられて飛んでいたのだ。そう、彼女はフルメイルを着込んだ男子を、女性の手で持ち上げていた。なんという膂力。ハテナがさらにたくさん浮かびだす。

 一方、文はそんな彼に構わない。

 

「注意事項を言っておきます。まず目は、なるべく開けないでください。それと呼吸は鼻でするように」

「い、い、いったいなんなんだ!?だいたい陛下から呼び出しって、どういう理由で……」

「それ嘘です」

 

 烏天狗、あっさり。

 驚いて文句を喚こうかと思ったギーシュだったが、慌てて口を閉じる。身に感じる妙な感覚から。異常な風の圧迫感から。

 

 速度が上がっていた。

 すぐにこの速度が、フライの魔法をはるかに上回っているのが分かった。

 いや、火竜に近づいていた。

 むしろ、風竜のそれだった。

 違う。風竜を超えた。

 

 いったいそれは何か、どういう事か、そもそもなんで自分はこんな目にあっているのか。

 すさまじい空気の圧力の中、混乱だけが頭を回る。

 

 ギーシュ・ド・グラモン。ハルケギニアで初めて音速を体験した人間となった。

 

 

 

 

 

「おーい、起きろー」

「文。あなた、ちゃんと障壁張ったの?」

「もちろん」

「人間運んでるって、考えて?」

「当然。自分なりの解釈で」

「…………」

 

 薄っすら意識を取り戻したギーシュの耳に、何やら話声が届いた。それに何人もの気配。自分をぐるりと囲んでいる気がした。

 パチっと目を開ける。

 見えたのは、格子のスキマから見える夕焼け色の空。檻に入れられた。一瞬、そう思った。

 

「うわっ!?」

 

 跳ねる様に起きる。

 

「あれ?」

 

 すぐに気づいた。檻ではなく、兜の格子だと。つまり自分は鎧兜を着込んでいると。

 ちなみにこの鎧。音速で飛ぶので、念のために着させたのだ。もちろん文は障壁を張っていたので、それで十分の可能性はあったが。

 

 ぼやけた意識の中、ギーシュは記憶を手繰っていく。授業中、突然文に連れ出された事を。女王が呼んでいるという話だったが、嘘だったと。

 思わず兜を脱ぎ棄てると、すぐに文を見つけた。

 

「き、き、き、君!いったい、どういう……。あれ?ルイズ……、キュルケ……?なんでここに?」

「アルビオンだからよ」

「え?」

 

 唖然。口を半開きにしたまま止まった。

 やがてギーシュは首をゆっくり回す。広がる見慣れぬパノラマ。すぐにここがアルビオンと悟った。眉間が引きつる。出来る事は、せいぜい薄ら笑いだけ。

 

 だが、次に思いついたのはどうやって来たのか。普通、学院からアルビオンまでは、馬車と船で数日かかる。だが何泊もした記憶は全くない。だったら数日間寝ていたのか。魔法でもかけられて。だいたい文は、鎧を着込んだ彼を、軽々と持ち上げて飛んでいた。それも魔法なのか?異様な違和感がギーシュの脳裏を襲う。妙な冷や汗が流れ始めていた。

 色男、文に向かって、ぼそぼそと尋ねる。

 

「あ、あの~……。学院を出てから何日経ったのかな?」

「えっと……、半時も経ってませんね」

「え!?」

 

 半時。つまり1時間も経ってないという。数日かかる行程が。

 

「そ、その……、と、東方の魔法かな?」

「魔法って?なんの話です?」

「いや……、どんな魔法を使ったのかなって……」

「魔法使えませんよ。私」

「えっ!?」

 

 ギーシュ、顔をゆがませて眉をひそめる。目の前にいる女性は、ロバ・アル・カリイエのメイジで貴族と説明を受けていた。にも拘わらず、魔法が使えないとはどういう意味か。だいたい魔法を使わずに、これまでやった事をどう説明するのか。何も思いつかない。

 

 対する文。なんでギーシュの表情が疑念で一杯なのか、まるで理解してない。そんな烏天狗をアリスが小突いた。ようやく気づく。

 

「あー。冗談です。魔法使えます」

「いや、だ、だけど……」

「なんなら、お見せしましょうか?」

「そう言われても……。東方の魔法なんて知らないから、判別できないし……」

「でも、信用してください。正真正銘、魔法ですから」

 

 何を根拠に信用しろと言っているのか。余計にギーシュの疑いは強くなる。

 するとルイズが溜息一つ。

 

「もういいわ。話進まないし。ギーシュ。落ち着いて聞いてね」

「な、なんだい?」

「文は魔法使えないわ。つまりメイジじゃないの。っていうか、ロバ・アル・カリイエから来た連中は、人間じゃないわ」

「ええ゛っ!?に、人間じゃない!?」

 

 ギーシュ、間抜けな顔のまま固まった。しばらくして復帰。

 

「じゃ、じゃ、じゃ、妖魔なのか!?」

「妖魔とも違うんだけど……。いろいろよ」

「い、いろいろ?」

「そうね。例えば、私の使い魔、天子。あの子は天使よ」

「天使?」

「聖典に載ってる天使」

「えーーーーっ!!」

 

 口を力いっぱい開けて、叫んでいた。目が飛び出そうなほど、瞼を開けていた。

 そんな彼を横で見ていたキュルケは、幻想郷メンバーと初めて会った時の事を、しみじみ思い出す。全く落ち着きをなくした自分達と、小憎らしいほど落ち着いていた彼女達を。

 

 ギーシュの方は、相変わらず。何か言おうとてるのだが、うまく言葉にならない。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、いったいどういう……。人間じゃない!?天使!?なんだそれは!?」

「動揺するのは分かるけど、少しは落ち着きなさいって」

 

 キュルケがなだめるように声を掛ける。隣でうなずくタバサ。ギーシュは二人へ顔を向けた。

 

「キュルケ、タバサ……君ら知ってたのか?」

「まあね。言ったでしょ?ルイズが帰って来た時に、偶然会ったって。その時知ったの。モンモランシーも知ってるわよ」

「モンモランシーも?」

「そうよ。だからあなたと天子が決闘しそうになった時、必死に止めたのよ。天使相手じゃ、勝負にならないでしょ?」

 

 息を飲むギーシュ。視線を天子に向けた。いろいろと騒ぎばかり起こしていたルイズの使い魔が、天使とは。とても神聖そうには見えないが。

 すると今度は文。

 

「ぶっちゃけてしまいましたね。なら、別に隠す必要はなさそうです」

 

 そういうと、文の背中から黒い翼が広がった。バサッという具合に。

 ギーシュ、またも目を大きく見開いて茫然。そのまま後ろへ、逃げるようにずるずる下がる。

 

「よ、よ、翼人!?」

「違いますよ。烏天狗です」

「カラステ……?え?」

「烏天狗。翼人とかいうのではありません」

「???」

 

 もう訳が分からない。いろんな話が一気に頭に飛び込んで、イケメン大混乱。もうなんか前衛芸術でもしているのか、口をパクパク、手足をバタバタさせながら、喚いていた。

 

 それから、長い説明が続く。その間、ギーシュがパニックになったり、なだめたり、という事が繰り返された。やがて何周目かで、ようやく彼は落ち着きだす。

 

「しかし……、そんな奇妙な世界があるとは……。未だに信じられない……」

「あるのよ。で、それはもういいでしょ。本題に入るわ」

 

 ルイズ、手間がかかりすぎたのもあって、少々不機嫌。強引に話の流れを変えた。ギーシュは精神的に疲れているにも関わらず、相変わらず振り回されっぱなし。

 

「本題?」

「ここにあなた連れてきた理由よ」

「そ、そうだ!なんで、こんなところに、無理矢理連れてきたんだ?」

「もちろん、アンドバリの指輪奪還のためよ」

「まだ取り戻して、なかったのか!?」

「取り戻してたら、ここにはいないわよ」

「だいたい連れて来るにしても、やり方ってものが……」

「時間がなかったの」

「はぁ……。分かったよ。それで僕になんの用だい?」

「えっとね……」

 

 またまた長い説明が続いた。そして……。

 

「やだ!絶対、やだ!なんでそんな事しないといけないんだ!」

 

 色男、強烈な拒否。彼の美学に関わる話なので。

 そこに出て来る白黒魔法使い。覗き込むように彼を見る。不敵な笑みがそこにあった。

 

「理由は簡単だ。お前は私に借りがあるからだぜ」

「な……!」

「借りは返さないとな」

「え……、あ……」

 

 言葉が出ない。有無を言わせない理由。ギーシュは、あきらめるしかなかった。うなだれて肩を落とす。

 

「はぁ……もう、好きにしてくれ……」

「まあ、私も付き合うぜ。だいたい一人じゃ無理だしな」

「それは……、心強いね」

 

 疲れた笑いで、少しばかりの皮肉。これが彼の精いっぱいの抵抗だった。

 白黒魔法使いは、そんな彼に構わない。

 

「で、今夜やるぜ」

「こ、今夜!?」

「そんな嫌がるなって。飯でも食えば気分も変わるぜ」

「そうかなぁ……」

 

 もっともその飯も、辺りで調達したものを、適当に食べられるようにしただけなのだが。とてもギーシュの口に、合うものじゃなかった。イケメンは不遇の連続で、半泣きで食べたという。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿では、急ピッチで防衛力強化の作業が進んでいる。シェフィールドの執務室では、警備隊長からの状況が告げられていた。

 

「外壁、屋根の固定化はほぼ終わりました」

「窓や扉は?」

「鍵を特殊なものに変えたため、少々時間がかかっております。ただ翌朝までには終わるかと」

「魔法装置は?」

「指示のあった場所に、移してあります」

「通用門は?」

「そちらも指示通りに」

「ご苦労。残りの作業を急がせなさい」

「はっ」

 

 歯切れのいい返事と共に、警備隊長は部屋から出て行った。

 一人になった部屋で、シェフィールドは椅子に身を沈め、考えをまとめる。

 

 相手が精霊だと分かった時点で、普通の兵やメイジには対抗ができない。彼女自身が相手にするしかなかった。幸い、ここには新たに開発したマジックアイテムがいくつもある。アルビオンはマジックアイテムの試験場でもあったのだ。

 相手の動きを掴むため、ディテクトマジックの魔法装置は、ハヴィランド宮殿周辺に集中的に配置されている。市街の城門に置かれていたものを、移したのだ。お互いがお互いをカバーし、死角は一つもない。もっともこのため、城門の警備は、逆に緩くなっている。さらに宮殿の通用門だけ、微妙に警備を軽くしてあった。侵入経路を絞り、罠に嵌めようというのだ。

 兵や武器の配置図を眺めながらつぶやく。

 

「罠に引っ掛かればいいが……。強行な手を取る可能性もある。甘く見ない方がいいわね」

 

 シェフィールドは、厳しい顔つきで席を立った。

 精霊を相手にする。しかも複数だ。一筋縄ではいかない。彼女はこれに対するに、秘蔵のマジックアイテムを、全て放出するつもりでいた。先住の力を宿した、異質な道具な数々を。

 

 

 

 

 

 日はすっかり落ち、空には双月が上がっていた。

 ルイズ達がいた丘には、ルイズ、キュルケ、タバサ、文、そしてラグドのみ。他は、二手に分かれすでに行動を開始している。

 まずは天子達。ロンディニウムからさらに離れ、川の上流、山奥の村にいた。宙に上がり見下ろしている。衣玖が辺りを見回しながら尋ねた。

 

「目ぼしいのは、ここしかありませんね。できますか?総領娘様」

「う~ん……。少ないけど、やってみるわ」

 

 そう言うと、緋想の剣を抜いた。

 

 他方、魔理沙、アリス、ギーシュ。現場に着いて、全員が顔をしかめる。

 

「こ、これは……」

「さすがに、キツイわね」

「ま、文句言ってもしゃーない。やるぜ」

「はぁ……。分かったよ」

 

 三人は作業を開始した。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿では、夜間も厳重な警備が行われている。一方で、防衛力強化も、夜を徹して進められていた。皇帝であるクロムウェルは、いつもの自室から移り、隠し部屋へ避難している。一方、メンヌヴィル達は、皇帝警護のための詰所にいた。そしてシェフィールドは地下にいた。まるで宝物庫か武器庫かというような特別な部屋に。

 ここには、得体のしれないマジックアイテムが多数置かれていた。透明になれるマントや、見かけと違い、広い空間があるチェスト。そしてあの『始祖のオルゴール』、『風のルビー』もあった。

 

 彼女は、机に乗っている小さな人形を手にする。

 

「まずはこれからか……」

 

 同じく机に乗っている小瓶を持つと、中の赤い液体を一滴、人形に垂らす。するとみるみる内に姿を変えていった。やがてクロムウェルそっくりとなる。人形の名は『スキルニル』。血に触れると、その持ち主そっくりになるマジックアイテムだ。

 

 シェフィールドは、クロムウェルに化けた人形に話しかける。

 

「お前は、いつもの皇帝の居室に籠りなさい」

 

 人形はうなずくと、部屋を後にした。この人形はクロムウェルの身代わり。メイジの正体がハッキリしない以上、保険をかけた訳だ。あの成り上がり皇帝は、まだまだ必要だった。殺される訳にはいかない。

 

「次は……、精霊にどう立ち向かうか……」

 

 彼女は棚状になった金庫へ向かった。そこから石を一つ取り出した。慎重にあつかいながら、つぶやく。

 

「水の精霊には火、雷の精霊もおそらく同じ手が使える……。だが……」

 

 雷を使った賊が、精霊の加護とやらで左手を治した点からそう考えた。どちらも水属性の存在であろうと。ただ、残りの精霊。その正体が分からない。一つは光の筋を撃つものらしいが、それだけでは、なんの精霊か想像もつかない。メイジという可能性もあるが、光の筋のような魔法など聞いた事もない。

 しかし相手が何者であろうとも、撃退できる一つの手があった。それが、今彼女が手にしている石である。

 

 火石。

 

 それが石の名だ。

 風石、土石などと同じ、四系統の力が籠っている石。ただ火石が他のものと違うのは、理論上存在するというだけで、人間には手にする事ができないものという点。

 彼女はそれを手にしている。"ある者"の協力により。もっともこれは実験中のもので、想定された能力には遠く及ばない。だがそれだけに、扱いやすくはあった。少なくとも、水の精霊、いや、生ある者は全て、瞬時に蒸発させる程度の力はある。

 

 すると、火石を眺める彼女に近寄る姿が数体。異様なゴーレムが、近づいてきていた。大きさは二メイルと、大柄な人間程度。だがその身を作る鎧は、あらゆるものを跳ね返す。電撃であろうとも。これも"ある者"の協力で作り上げたもの。そしてまだ試作品である点も同じ。

 

 シェフィールドはゴーレムに近づくと、鎧を開く。そして中に指輪を入れた。『アンドバリの指輪』を。これで指輪は、完全に守られる。さらに彼女は、またスキルニルで自分のコピーを作り出した。

 

 アンドバリの指輪は餌だ。これを囮に精霊達をおびき寄せ、火石で一気に消滅させる。だが指輪は、ゴーレムに守られているので、猛烈な爆発の中でも傷すらつかない。これが精霊達に対する策。そのタイミングを確実にするため、自分のコピーに罠を見張らせる。さらにこのコピーは、生物ではない。水の精霊に操られる事もないだろう。策が成功すれば、ハヴィランド宮殿の一角を、吹き飛ばす事になる。だが、それだけに撃ち漏らす事ない。そうシェフィールドは考えていた。

 

 道具が揃った所で、彼女は席に着く。宮殿の図面を広げ、細かな配置を考える。するとふと、妙な違和感を覚えた。

 

「ん?これは……!」

 

 違和感の方角へ思わず振り向く。魔法装置が反応していたのだ。

 

「チッ!もう来たのか!?動きが早い!」

 

 宮殿の防備も、精霊を嵌める罠の方も、準備は半ば。シェフィールドは仕方なく、コピーとゴーレム共に指示を出した。暫定的な配置だが、躊躇している暇はない。さらに、警護隊長へ賊が迫っている事を告げた。深夜の宮殿に、緊張が走る。

 

 部屋で構えるシェフィールド。賊の動きに神経を尖らす。

 賊はだんだんと近づきつつあった。すでに市内に入り込んでいるのが分かる。ただこれは想定通り。城壁の警備は軽くし、入りやすくしているのだから。うまく罠の入り口である、通用門を通る事を期待する。

 

 だが賊はある程度近づくと、足を止めた。そして宮殿を中心に横へ移動。そして離れていった。

 

「罠に気づいたか?」

 

 一瞬そう思ったが、また近づき始めた。しかし、それもやがて止まる。そして横に移動。

 結局、賊は位置を変えつつ行ったり来たりしながら、最後は宮殿から離れていった。シェフィールドは腕を組むと考え込む。

 

「探りを入れてきたか……。何にしても、まだまだこちらにも時間があるようね。準備を急がないと……」

 

 彼女は緊張を解くと、ゴーレム共を呼び戻す。そして念入りに配置を検討し始めた。

 

 

 

 

 

 さて、賊の一派。魔理沙、アリス、ギーシュの帰還を迎えるルイズ達。その顔は、あまりいいものではなかったが。特にキュルケは。

 

「あなた達……」

「言うな。自分からが一番分かってるぜ」

「そうだよ!どんだけ大変だったと思ってるんだ!」

 

 女性に優しいギーシュも、キュルケの態度にちょっと不満げ。さすがのキュルケも一応謝る。今回は、留守番しかしてないのもあって。そんな連中に構わず、アリスは服をタオルで拭きながらポツリ。

 

「ま、苦労した甲斐はあったけど。おかげで上手くいったわ」

「そう。なら、後は本番を待つだけね」

 

 ルイズ、キュルケと同じくちょっと渋かった顔を、緩める。

 しばらくして、残りの一派、天子達が帰って来た。そちらも作業完了。やがて人間たちは、明日に備えて眠りに入る。残りの連中は、暇をつぶしていた。

 

 翌日。日はすでに地平線から離れている。夜明けから、2時間ほどが経っていた。全員が準備万端、林から出てその時を待つ。

 

「さてと。はじめるぜ」

 

 魔理沙は、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 地下の自室で、賊を待ち構えるシェフィールド。仕掛けは全て終わり、後は、罠に嵌るのを待つだけだ。もっとも相手の動きによっては、臨機応変に対応しなければならないが。そのために、試作のゴーレムと火石をいくつか残してある。さらに透明になるマジックアイテムも、所持していた。

 そんな彼女の耳に雨音が届いた。

 

「雨か……。まさか……!」

 

 すぐに彼女は部屋を出て、一階へ上る。目に入った窓の外は、かなり強い雨脚となっていた。

 シェフィールドは、ロビーで警備隊長を見つける。

 

「隊長」

「ミス・シェフィールド……。なんの御用で?」

「今、外にいる者は、決して宮殿内に入れないように。さらに中の者も、外に出ないように」

「は?」

「分かったわね。厳命よ」

「は、はぁ……」

 

 渋々頷く警備隊長。意味不明な命令の狙いを、宮殿内が濡れるからかと勝手に考えた。それが厳命とは、腑に落ちないが。

 

 彼女がこんな手を打ったのは、実は、雨に紛れて水の精霊がやってくる可能性を考えたからだ。精霊自体は飛べないが、メイジが精霊を空に運ぶ事はできる。もっとも逃した賊の様子、残した品から、精霊の量はそう多くなく、大した事はできないとは思っていたが。

 

 それから雨は長く続いた。しかも大雨と言った様相。静かな地下に、雨音だけが響く。一方で、それに紛れて賊が近づくような気配はない。魔法装置は、相変わらず無反応。もちろん先日のように、細工された様子もない。

 シェフィールドは少々、落ち着きなさそうにしていた。さすがにこう緊張が続くと、不満も溜まる。

 

「賊共め……何をしている。雨は絶好の機会だと言うのに、まだ来ないなんて……。まさか、あきらめた?いや、それなら夜に来たりはしないわね……」

 

 苛立った言葉が漏れる。

 配置図を眺めながら、気持ちの置き所に困っていると、妙な刺激が鼻を突いた。

 

「ん?」

 

 背筋を伸ばし、辺りを見回す。特に変わった様子はない。だが妙な匂いは確かにあった。不快な匂いが。

 シェフィールドは顔をしかめると、席を立つ。すると部屋中に、それが充満しているのを感じた。もう何の匂いか、ハッキリ分かった。

 

 腐臭だと。

 

 ますます顔をしかめる彼女。思わず鼻を塞ぐ。いったいどういう訳で、こんな匂いが充満しているのか。空気を入れ替えようと、扉に近づき、思いきり開けた。

 すると……。

 廊下から水が流れ込んできた。

 

「えっ!?」

 

 混乱。目と口を開きっぱなしのまま、固まる。

 茫然としたまま部屋から出ると、水浸しの廊下があった。衛兵たちが喚きたている。ますます唖然とするシェフィールド。状況が、よく呑み込めない。

 その時、ふと何かを踏んづけた。やわらかい妙な感触。視線を足共に向ける。そこにあったのは……。

 

 腐ったねずみの死体だった。

 

「ひゃぁぁっ!?」

 

 らしからぬ悲鳴を上げる秘書。思わず飛び退く。

 するとネズミの死体は、流れに乗って部屋へ侵入。だがよく見ると、いろんな物が流れていた。ゴキブリの死骸に、半分溶けたキャベツ。何やら黒い塊に、黒だか緑だかよく分からん泡だったもの。……と、目を背けたくなるものばかり。

 それらが全て、強烈なものを発していた。

 

 腐ったかほりを。

 

 一瞬、喉の奥からこみあげて来る。すっぱいものが。シェフィールドは、それをなんとか飲み込んだ。押し込んだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 荒い息。だが、激しい呼吸をすれば、余計に腐臭が匂って来る。

 

「……!!」

 

 彼女は顔を叩くように、鼻と口を塞いだ。もはや待ったなし。すぐに、駆け出していた。

 着いた先の階段では、濃い茶色っぽい汚水が滝の様に流れてきている。もう、ざざざぁーっという具合に。それに構わず駆け上がる。身に着けた美しいドレスに、汚水が飛び跳ね、先の方はなんだか黒く滲んでいく。

 

 一階にたどり着いたが、状況は地下と同じ。水浸し。流れているのは、元々何かだった得体のしれないもの。溢れる腐臭。そして喚く兵達。ただメイジだけは、フライで宙に浮いていた。今ほど魔法が使えたら、と思う事はない。なんと言っても、両脚は、汚水に浸かったままなのだから。

 

 彼女は目に着いた衛兵を、どなりつけた。

 

「そこのお前!」

「はい!?」

「私を抱えなさい!」

「はぁ!?」

「いいから、やりなさい!」

「は、はっ!」

 

 お姫様だっこされるシェフィールド。なんとか汚水からは逃れた。しかし、腐った匂いはどうしようもない。

 それはもう、真夏のさなか、一週間締め切った生ゴミ処理施設に、入り込んだかのよう。もはや臭いなどという生易しいものではなく、頭にガンガンくる強烈な何か。30分もいたら、気を失ってしまいそうな何か。

 

 半ば息を止めつつ、目を流す。すると、宙に浮いている警備隊長を見つけた。

 

「隊長!窓を開けなさい!」

「そ、それが固定化を何重もかけ、鍵まで変えたので、簡単には開かないのです」

「!」

 

 防御力を強化したのが仇になった。白の宮殿が、今や汚水タンクかという状況。

 シェフィールドは、苛立ちをそのままぶつける。喚きたてる。

 

「原因は何!?」

「昨夜から高地に雨が降ったため川が増水しており、下水道の水位が上がっていたのですが、さらにこの大雨で限界を突破したようなのです。それで、トイレが溢れかえっており……」

「トイレを、塞ぎなさい!」

「しかし、雨が止んだ後に、困った事になりますが……」

「状況を考えなさ……!」

 

 いっぱい喚いたので、たくさん空気を吸ってしまった。もちろん匂いも。またも、すっぱいものがこみ上げる。

 

「うっ……!や、やりなさい!」

「は、はっ!」

 

 隊長は慌てて人を集めだした。

 シェフィールドには、慌てて去っていく隊長の姿が目に入らない。頭がくらくらしてきた。息を抑えているせいで酸欠になっているのか、強烈な腐臭のせいなのか区別がつかない。

 

 その時、彼女の体が宙に浮いた。衛兵が、彼女を放り投げていた。

 

「きゃっ!?」

 

 皇帝の秘書、汚水の中に落下。茶色の飛沫が上がる。

 

「お前!何を……!ぎゃぁぁぁっ!」

 

 手で押さえていた、プニュっとしたものに気づいた。トイレでよく見る、濃い茶色の塊に。半ば錯乱している彼女。四つん這いんになって、そこから逃げ出す。汚水がバチャバチャ舞い上がる。もうドレスはおろか髪まで、腐臭まみれ。

 ようやく立ち上がると、衛兵を睨みつけた。

 

「き、貴様……!」

 

 だがその衛兵の瞳には、光がない。意思をまるで感じない。彼女は一瞬、不思議に思ったが、次の瞬間その意味を悟る。水の精霊の影を。

 しかしその時、声が届いた。耳にではなく頭の中に。

 

(見つけたぞ)

 

「しまっ……!」

 

 シェフィールドはその言葉を最後に、意識を失った。

 しかし何故か彼女は、倒れたりしない。むしろ、しっかりと背筋を伸ばしていた。ただ、顔から感情が消え失せる。まるで別人にでも、なったかのように。そう、彼女は乗っ取られてしまったのだ。

 

 シェフィールドは辺りを見回すと、他の衛兵に声をかける。その声には、さっきまでの動揺した響きが微塵もなかった。

 

「おい、貴様」

「はい」

「外に出て、馬を一頭用意しておけ」

「しかし窓も扉も開きませんが……」

「開けろ」

「は、はっ!」

「それと隊長に、トイレを塞ぐのは止めろと言え」

「はい」

 

 衛兵は、ただちに命令を伝えに行った。

 

 やがて彼女は、汚水など気にも留めず、ずんずん進みだす。そして、罠を仕掛けている部屋にたどり着く。扉を開けると、異様なゴーレムが数体佇んでいた。彼女のコピーも。しかし、動く気配はない。せっかく用意した万全の対策も、まるで役立たず。

 部屋の様子に構わず、目標のゴーレムに近づいていく。

 

「こんな所に、仕舞っておくとは……」

 

 手慣れた作業で、ゴーレムの鎧を開けた。目標のものが目に入る。『アンドバリの指輪』が。

 

「返してもらうぞ」

 

 大切そうに指輪を抜き取り、左手に嵌める。

 無表情ながらも、どこか安心したかのよう。本人にとっては、手元から無くなったのはほんのわずかな期間だったろう。だがそれでも、他人の手によって、身から離れたのは許しがたかった。しかも、よりによって人間の手で。

 その時、ふと思い出した。異界の者達の考え方を。表情が元に戻る。

 

「さて……」

 

 彼女は目的のものを手にいれたのだが、次の場所に向った。行先は地下。もう腰ほどの高さに汚水が溢れているが、シェフィールド、相変わらず気にしない。そして自室にたどり着いた。

 

「これか……」

 

 金庫から品を取り出す。『始祖のオルゴール』と『風のルビー』。その二つを手にすると、部屋を後にした。

 

 一階に戻ったシェフィールド。ようやく窓が開いたのか、少しばかり匂いが薄まっていた。衛兵に声をかける。

 

「馬は用意できたか」

「あ、はい」

 

 礼も言わず、視線をずらす彼女。するとその背後から、近づいてくる兵がいた。さっき彼女を汚水に突き落とした衛兵だ。表情は、さっきと同じく能面のよう。

 彼はシェフィールドの脇を過ぎると、窓から出ていく。外はもちろん大雨。しかし、まるで気にしてないふう。やがて彼女は衛兵に、二つの指輪とオルゴール、そして皇帝の通行書を渡した。

 やがて二人は別々に動き出す。お互いの意思が、伝わっているかのように。だが二人には、まるで会話がなかった。側の兵は、不思議に思いながらも首を捻るだけ。

 やがて衛兵は馬に乗り、城外へ。一方、シェフィールドは、宮殿奥へと進みだした。

 

 汚水流れる廊下を進むシェフィールド。飛び散る茶色の液体に構わず、上流へと向かっていた。

 そして、たどり着いた先はトイレ。宮殿を床上浸水させている元凶のトイレ。今でも、汚水を吐き出している。ついでに、いろんな汚物も。警備隊長や兵達は、ただただ茫然と眺めていた。

 

「こ、これは、ミス・シェフィールド」

「……」

「塞ぐのを中止しろとの命令ですが、本当によろしいのですか?」

「ここは私が処理する。貴様たちは配置に戻れ」

「はぁ……。それではお任せします」

 

 命令を聞き、ちょっと喜ぶ兵達。よほどこの匂いから、逃げ出したかったのだろう。急いでトイレから去っていった。

 

 一方、残った秘書。足に絡みつく、なんか分からん汚いものなど気にせず、トイレに突入。部屋の真ん中まで来ると、立ち止まった。視線の先にあったのは便器。じゃぶじゃぶ汚水を吐き出している便器。

 

「異界の者に触れて、いくつか気に入った考えがある」

 

 便器からは、黒いのとか、死骸とか、肉の残った骨とかが、噴き出していた。

 

「借りは返さないといけないそうだ」

 

 茶色い濁った水とか、なんとも言えない腐臭とかが、嫌になるほど湧き出ていた。雫も当然、飛び散りまくり。

 そんな便器を、シェフィールドはロックオン。

 

「釣りはいらない。取っておけ」

 

 そうつぶやくと、汚水溢れる便器に……

 頭から突っ込んだ。

 

 それから、しばらくして。行方知れずとなった彼女は、トイレで溺れていた所を発見されるのであった。命は、辛うじて取り留めたという。

 

 

 

 




描写面ちょっといじりました。


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ただ漏れの謀略

 

 

 

 

 妖怪の山、守矢神社。社務所の客間に、感心しながらへーを連発する神様と、淡々と解説する魔女がいた。ついでに使い魔も。残りわずかな茶菓子と、飲みかけの湯のみを手元に、向き合っている。パチュリーが神奈子から頼まれている用件、ハルケギニアの報告に来ていたのだ。一通りの説明も終わり、お茶と茶菓子を処理するだけの一同。

 

「小さな閉じた宇宙か……。そんなものがあるとはね」

「面白いねぇ」

 

 軍神と祟り神は、素朴な感想を漏らす。

 神奈子は残った茶菓子を口に放り込んだ。

 

「……だとすると、太陽と月も実態じゃない可能性があるね」

「ええ。宇宙のものは全て、私達の知ってる星のそれとは、まるで違うかもしれない。魔術装置とかの、人為的なものの可能性もあるわ」

 

 パチュリーは湯呑を手に取り、答える。

 彼女自身も、鈴仙の星々が動かないという話から、その可能性を考えていた。元々は双月自体を、実態として説明できる理由が見つからなかったのが切っ掛けなのだが。

 諏訪子が、空になった湯呑の底を覗き込む。

 

「スペースコロニーみたいだよね。作り物ばかりの、閉じた宇宙ってさ」

 

 湯呑からシリンダー型のコロニーを想像したのだろうか。神奈子の方は出がらしのお茶を、つぎ足しながら懐かしい思い出を引っ張り出す。

 

「あー、言われて見ればそうね。アニメによくあったなぁ」

「そうそう。ゲームでもあったよ」

 

 諏訪子は、お茶を新しいものと入れ替えた。

 一方、なんとも二柱だけに通じる会話に、魔女は怪訝。

 

「何よ。そのスペースコロニーって」

「おっと、本の虫が知らなかったか。まだまだ、世界は広いゾ。魔法使い」

 

 諏訪子が、無邪気に笑いながら答えていた。もっとも肝心な質問には、まるで答えてないが。相変わらず食えない祟り神。魔女は少々憮然。いちいち相手にしては時間の無駄なので。あえて平静を装う。

 

「それじゃ、無知な私に御教授願えないかしら?蛙の神様」

「ほぉ……」

「あら、違ったかしら?」

 

 平静でもなかった。

 対する祟り神。かえる呼ばわりされ、何やら黒いオーラが浮き上がる。ちゃぶ台挟んで、妙な闘志が燃えていた。

 真ん中の軍神。疲れた顔で溜息。

 

「諏訪子」

「はいはい。冗談だよ」

 

 すぐに元の無邪気な子供顔に戻る、諏訪子。相も変わらずである。そんな彼女に構わず、神奈子は答を告げる。

 

「スペースコロニーってのは、人口の天体みたいなものさ。人が住めるように作ったね。そこに移住しようって、考えがあるんだよ」

「へー。外の世界には、そんなものがあるのね」

「そうじゃない。まだ空想の産物。遠い未来には、できるかもって程度のものよ」

「なるほどね。ハルケギニアが、閉じた小宇宙なら、そう捉えられるかもしれないか……」

 

 パチュリー、口元に手を添えながら小さくうなずく。何やら新しい発想に、刺激を受けつつ。

 一方、神奈子は少し姿勢を治すと、話を続けた。

 

「まあ、ハルケギニアに関しては、閉じた宇宙っていう点は、最優先の話じゃないから」

「そうね」

「まずは、ルイズだ」

「ええ」

 

 ここで言うルイズとは、当人の事ではない。何故、幻想郷に来られたかという点だ。図書館で見つかった魔導書から、ルイズが召喚された訳ではない可能性が高まっていたのだ。

 パチュリーが、こあから差し出されたノートを広げ、説明する。

 

「あれからいろいろ調べたけど、原因不明だわ。こっち側の理由じゃなくて、向う側の理由かも」

「つまり、向うがこっちに干渉する可能性がある、って話になるね」

「ええ」

「そっか……」

 

 神奈子は腕を組んで、漏らすようにつぶやく。難しい顔で。その隣にいた諏訪湖は相変わらず。だが、ふと何かを思い出した。

 

「そうそう。ハルケギニアの件、紫と幽々子、永琳とも話したんだけどね。しばらく様子見って事になったよ」

「何?その面子。異変にでもなりそうだったの?」

「念のためってヤツだよ」

「そう。で?」

 

 紫魔女は、片目を見開きながら尋ねる。一見、脈絡のない話を差し込んだ理由を。

 諏訪子はちゃぶ台に片肘を突き、上目づかいでパチュリーの方を見る。今までとは違い、どこか子供らしさが霞む。さっきのからかい交じりとも違っていた。神の気配を匂わせていた。

 

「様子見っていうのは、あくまで幻想郷に影響がない、というのが前提って話だよ。でもルイズの件の原因が、向う側にあるとなると話が変わって来る。紫辺りは、動きだすかもしれないね」

「…………。なんでも受け入れるのが、キャッチフレーズじゃなかったのかしら?」

「だったら、天人とダンスを踊る事もあったろうね」

 

 それはそうだと、魔女は肩をすくめた。紫の天子嫌いは有名。なんでも受け入れる、には優先順位があるのだ。つまり、スキマの寛容さは、条件付。

 さらに軍神が一言添えた。

 

「それに時間の話も引っ掛かる。最初はズレがなく、次はこっちが進んでいて、最近では向うの方が進んでる。時間の流れが揺らぎすぎだ」

「そうね」

「後、転送陣だけど。異常はなかったわよ」

「となると……それも向うの可能性かしら……」

 

 少し重い顔色になる魔女。あまり手を付けてないのもあって、時間の問題は今のところ不明だ。ただ、居心地の悪い要件なのは確かだ。

 神奈子は背筋を伸ばすと、パチュリーへ向き直った。

 

「老婆心ながら言うけど、事は時に関わるしろものだ。やっかいな目に遭う前に、ハルケギニアに行くのは控えた方がいいかもしれないよ。調べるのは何も、直に行かなくてもできるでしょ?」

「……。頭の隅に置いとくわ」

 

 小さくうなずく魔女。ただ、そっけない態度の割に、彼女自身はやや重く考え始めていたりする。そうは言っても、まだハルケギニア行きをやめる気は毛頭ないのだが。

 やがて、いつもの表情に戻ると、頭に浮かんだ事を一つ。

 

「でも、その会合。レミィは呼ばなかったのね」

「まあね。理由は聞くまでもないでしょ?」

「……。懸命かもね」

「ははっ、よく分かってるじゃん。親友の事」

 

 諏訪湖は笑いながら、新しいお茶を飲み干した。相も変わらず仕草だけは子供。

 

 やがてパチュリーとこあは立ち上がる。用件は終わったと。そして早苗に見送られながら、神社を後にした。

 またもや、スッキリしない帰路。いや、引っ掛かりは増えていた。ハルケギニアのとの関係次第では、紫などが、動きだす可能性がある事。相変わらず何を考えているか分からない二柱。そもそもパチュリー自身が、ハルケギニアを面白い研究テーマ、という扱いのままでいいのか決めかねていた。

 

「少し相談した方がいいかしら?」

 

 そう呟きながら、使い魔と共に家路についた。

 

 

 

 

 

 アルビオン、ロンディニウム郊外。雨はすっかり上がり、晴れ間がのぞいていた。川沿いにある街道の外れ、やや奥まった所に開けた土地があった。そこに女性8人と男一人と精霊がいた。ルイズ達一党である。何もしてはいないが、別に暇をつぶしていた訳ではない。暇には違いないが。

 彼女たちは、待っていたのだ。作戦の成果を。

 

 真ん中に樽が一つ置かれている。水が入ったタルが。ふと、その樽の水面が持ち上がり、形を作り出す。やがて衣玖の顔となった。水の精霊ラグドである。注目する一同。ラグドは無表情のまま、口を開いた。

 

「そろそろ来る」

 

 このラグドは、川の下流で待機していた先日の脱出劇の分。すでに回収済みだった。

 水の精霊に言われるまま、全員、街道に顔を覗かせる。人通りの少ない中、一騎の騎兵が近寄って来ているのが見えた。ルイズは目を凝らす。

 

「あれかしら?」

「だな」

 

 隣でうなずく魔理沙。

 彼女達の視線の先にあるのは、宮殿の衛兵らしき人物。小脇に何かかかえている。ラグドの言う人物は、その騎兵しかいない。

 やがて騎兵は、側まで来ると、馬を止めた。そして降り、近づいてくる。顔がよく分かる距離になると、誰もがすぐ気づいた。瞳はどこか虚ろな事に。一応こちらを向いているのだが、焦点が合ってない感じだ。間違いない。この人物がラグドの言っていた運び人。一同は、ぞろぞろと街道に出て来る。待ちくたびれたという感じで、溜息漏らしながら。

 衛兵は口を開く。

 

「目的は達成した」

 

 その言葉に返って来たのは……いくつもの渋い表情。

 

「さすがに臭いわね」

 

 鼻を摘まんだキュルケが、一言漏らす。

 雨の中を走って来たとはいえ、衛兵はあの汚物まみれの宮殿にいたのだ。匂いが取れたとはいかなかった。

 するとアリスが、一つ文句。ちょっと不満そうな声で。

 

「何言ってんのよ。こっちはそれの原料の上で、ウロウロするハメになったのよ」

 

 彼女の言葉に、二回大きくうなずく魔理沙とギーシュ。もはやユニゾン。責められるキュルケは、申し訳ないような苦笑い。

 そんな彼女達を横に、ルイズは今回の策を思い起こしていた。

 

 今回の作戦の発案者はタバサだった。ラグドリアン湖の増水を解決する予定だった彼女。そこから発想したのだ。水の精霊が下水を増水して、宮殿を浸水させられないかと。そうすれば、宮殿内に入れると。

 だが、事は考えている程、単純ではなかった。まず、アルビオンに持ってきたラグドの量がそもそも少なく、力もそれほど発揮できない。増水しても高が知れていたのだ。そこを補ったのが天子。天候を操れる彼女が、雨を降らし、水かさを増すのである。しかし、それでも問題があった。ハヴィランド宮殿を浸水させるとなると、ロンディニウム市内も浸水する事になる。さすがに短期間で、そこまでの増水は厳しかった。

 そこで宮殿に水が集まるよう、下水道を堰き止める事にした。ギーシュの出番である。彼が、土系統の魔法で要所を堰き止める。ちなみに下水道の構造は、先日逃げる時にラグドが把握済み。ギーシュが嫌がったのは、この時の下水道を回るという作業だった。魔理沙とアリスは、所定の場所に彼を案内するため、付きそう事になった。ギーシュは、魔理沙の箒の後ろに乗って、下水道巡りをしたのである。

 やがて全ての作業が終わる。まず、川の上流に雨を降らせる。さらに、ロンディニウムにも大雨を降らせる。増えた水は下水道に誘導されハヴィランド宮殿に集中、床上浸水を起す。それにまぎれてラグドは、楽々宮殿内に侵入。最初にクロムウェルの秘書を見つけた。実はラグドは、『アンドバリの指輪』強奪にクロムウェルが絡んでいるのは知っていたが、主犯は知らなかった。そこでまずは、指輪強奪の関係者から聞き出そうとしたのだ。ところが、彼女が主犯だった事が分かる。水の妖精は、人間とは比較にならないレベルで、水系統の力を使う事ができる。心すら奪うその力で人の記憶を覗くなぞ、造作もなかった。

 やがてシェフィールドの意識を乗っ取ると、全てを把握。『アンドバリの指輪』を難なく奪還したのである。

 

 ラグドに操られた衛兵はまず成果を見せた。『アンドバリの指輪』を。一同は深い水色の指輪に見入った。湖底の水を固めて、そのままにしたかのよう。まさに秘宝。

 水の精霊はタバサの方を向く。

 

「求めるものは手に入った。約束を果たそう。湖の水位は元に戻す」

「ありがとう」

 

 タバサは礼を言う。珍しくハッキリとした口調で。それにラグドは無言で答えた。誰もが、どこかやわらかい雰囲気を感じた。

 次に、魔理沙達の方を向く。

 

「異界の者達よ。この度の事、なかなか興があり悪くなかった。これはその礼、いや、借りを返そう」

「よせやい。こっちも力を借りたんだ。お互い様だぜ。けど、くれるってならもらうぜ」

「うむ」

 

 そう言って手渡されたもの。オルゴールに指輪一つ。横から覗き込むアリス。ふと何かを思いついた。

 

「これって……もしかして……『始祖のオルゴール』と『風のルビー』?」

「その通りだ」

「無視してもよかったのに」

「あのシェフィールドとか称する者への、借りを返す意味もあった」

「借り?」

「あの者の願いを、阻ませてもらった」

「どういう事?」

 

 それから水の精霊の独白が始まった。シェフィールドの記憶を、全て覗いた精霊からの。その内容は驚くべきものだった。特にルイズ、キュルケ、タバサ、ギーシュのハルケギニアの住人にとっては。

 

 まず神聖アルビオン帝国皇帝、クロムウェルは虚無を称して人心を集めていた事。

 だが実は虚無どころか、魔法を全く使えないただの平民司祭である事。

 ただの平民司祭が、虚無の担い手を装えたのも『アンドバリの指輪』のおかげであった事。

 さらにこの『アンドバリの指輪』は、トリステイン、ゲルマニア連合軍への切り札になる事。

 そして平民司祭を皇帝に祭り上げ、その後の全てを取り仕切ったのが、シェフィールドである事。

 やがて『始祖のオルゴール』と『風のルビー』を、ガリア王に渡すつもりだった事。

 しかもそれら全てが、ガリア王の命を受けてという事。

 加えてガリア王はエルフと密約を結んでおり、彼らの力を借りて特殊なマジックアイテムを開発中である事。

 

 シェフィールドは、ガリアの陰謀の中枢に絡んでいる。彼女の記憶を覗くという事は、その全貌を知るに等しかった。

 話を聞いていたギーシュは、言葉がうまく出ない。手を震わせ、顎を落とすように叫んでいた。半ばパニック気味に。

 

「な、な、なんだってーーーっ!?全部ガリア王が裏にいて、しかもエルフと手を結んでるぅ……!?」

「なんて言うか……。その……とんでもない事、知っちゃったみたいね」

 

 さすがのキュルケも動揺を隠せない。ルイズは、口をパクパクさせたまま何も言えず。タバサも黙ったままだが、その表情には明らかな驚き。石像のように固まったまま。彼女もシェフィールドがいる時点で、レコン・キスタの裏にガリアがいるとは読んでいたが、まさかエルフと手を結んでいるとは想像の外だった。

 さらに精霊は言葉を続ける。

 

「ジョゼフと称する者、虚無の担い手だそうだ。シェフィールドはその使い魔、『ミョズニトニルン』というらしい」

「きょ、きょ、きょ、虚無!?ガリア王が虚無!?」

 

 ルイズ、目を見開いたまま止まる。脳も止まる。石化ルイズ。

 無能王と呼ばれる人物が、まさかの虚無。誰もが予想しなかった事。連続する驚愕の事実。ムンクの叫びが並んでいるような、ハルケギニアの面々の顔。

 しばらくして、なんとか復帰すると、キュルケが疲れたように零した。溜息がいくつも重なってそうなくらい。

 

「まさか……二人目の虚無だなんて。こう伝説がポンポン出てくるって、何かの予兆なのかしら?」

「ちょっと待ってくれ」

 

 ギーシュが思わず一言。聞き捨てならないものを、耳にしたとばかりに。

 

「今、二人目の虚無って言わなかったかい?」

「ええ。そうだけど」

「なんだい、それは?」

「何言ってんの?そこにいるでしょ」

「そこ?」

 

 キュルケが指差した方に、顔を向ける色男。そこにいたのは、ちびっ子ピンクブロンド。不思議そうに自分を指さすゼロ。いや、一応、魔法に目覚めたのでゼロではないが。

 ギーシュは、首をかしげ、指された方を凝視。でも見つけられない。解けないテストの解答を、教えてもらうような顔を、キュルケに戻す。

 

「えっと……誰?」

「は?だからルイズよ……。あ!知らなかったんだっけ!?」

「何が?」

「ルイズは虚無なのよ」

「え?」

「ゼロのルイズは、虚無の担い手なの」

「な、なんだってーーーっ!?」

 

 ギーシュ、二度目の叫び。そして固まった。石化のギーシュ。

 2秒ほど置いて再起動。震える指でルイズを差しながら、また叫ぶ。

 

「ル、ル、ル、ルイズが虚無!!??」

 

 彼の問いに、当然のようにうなずく一同。さらにギーシュ、何か喚きだす。もう、一人劇場というか、パフォーマンスとかいうか。

 当のルイズは疲れたように、頭をかかえていた。

 

「あ~……、また面倒くさい事に……」

 

 それから説明開始。これまで何があったか、そもそも虚無の魔法とは何かとか。

 

 ちなみにルイズはハルケギニアに戻ってから、火の系統のメイジという事になっている。天子との決闘の時、弾幕を誤魔化すためについ口から出たでまかせが、そのまま定着してしまったのだ。授業の時は、小さな弾幕をうまい事組み合わせて、火の様に見せていた。弾幕の操作はかなり難しく、神経も使う。しかし、これでできたのは、せいぜい揺らめく小さな炎の真似事。火の系統のメイジからすれば、しょっぱい魔法にしか見えなかったろう。そんな訳で、ルイズは、ゼロが0.1になった、くらいしか思われていなかった。

 

 一通り説明が終わると、ギーシュ、落ちるように項垂れる。地面にペタリと手足をついた。ぼそぼそつぶやく声は、念仏のよう。

 

「はぁ……。もう何がなんだか……。異世界とかヨーカイとか、ガリアがエルフと組んでるとか、ルイズが虚無とか……。あ~あ~……」

 

 一気に考えもしなかった情報が入ってきて、脳がパンクしかかっている色男。

 そんな彼にルイズは、雑談でもするかのように言う。

 

「そんなに深く考え込むもんでもないわよ。世の中は広いんだぁ、って思っとけばいいのよ」

「気軽だね。君は。異世界行ったり、虚無に目覚めたり、アルビオン軍と戦ったりしてたのに」

「そうね。いろいろあったけど、こんなもんかしらって気もするのよ」

「なんていうか……変わったね……。そんなにおかしな所なのかい?ゲンソウキョウって所は」

「変な所よ。最初は大変だったもの。それにこっちに帰ってきても、連中に振り回されたし。いろいろあり過ぎたのかしらね」

 

 口にしながら、ルイズは思い出していた。戻ってきた後の事を。最初からして、味方の前で弾幕ごっこしだした彼女たち。落ち着いても天子の暴走や、魔理沙達の借金やら、その他学院内のトラブルやらに振り回された。後始末を何度やらされたか。何度叫んだか分からない。しかし、意に介さないのも、いつもの幻想郷の連中。こうなると、開き直るしかないのである。慣れた、というかキレた。主に吹っ切れる方向に。

 

 ギーシュは一つ息を吐くと、立ち上がる。彼にも、ちょっと開き直りの表情が見えた。

 

「そうなのか……。ところでさ、この後どうするつもりだい?」

「ん?帰るだけよ」

「そうじゃなくって。ほら、水の精霊が言ってた事だよ。少なくともアルビオンの内情については、王宮に伝えるべきだと思うんだ」

 

 今知った事は、まさにアルビオン政変の根幹というだけでなく、全ハルケギニアの将来にも関わる事。しかも、きな臭い代物だ。ルイズはトリステインの貴族としての矜持を思い起こすと、強くうなずいた。

 

「うん。帰ったらすぐに、王宮に伝えるわ」

 

 やがて一同は帰路に着く。予定外の騒動もあり、できればゆっくりしたかったが。しかし、アルビオンに長居はできない。ロンディウムで、あれだけやらかしたのだ。各地の警備は厳しくなっているだろう。こんな所に居れば、どんなイレギュラーが起こるか分からない。結局、普通の経路は使わず、幻想郷メンバーがハルケギニアの住人達を連れて、その日の内にアルビオンを後にした。

 

 

 

 

 

 

 ロンディニムのハヴィランド宮殿。晴れ渡った空に、白い壁がさらに映える。だが、これを愛でる者は一人もいない。というか、特に用がなければ近づく者はいなかった。何故なら、相変わらず異様な腐臭を漂わせていたから。

 あの床上浸水から四日ほど経っていた。宮殿内は一応綺麗になったものの、腐臭は抜けていない。それも無理もなかった。皇帝が賊の襲撃を警戒し、未だに窓やドアをしめ切っているのだ。とりあえず、風系統のメイジが、わずかな隙間を頼りに空気の入れ替えを行っていたが、まるで不十分。

 

 ハヴィランド宮殿の隠し部屋。震える姿が一つあった。アルビオン皇帝、クロムウェルだ。

 今でも溢れる下水臭。浸水と後始末のせいで、まだ混乱している味方。さらに賊対策の統括者、シェフィールドはベッドで伏せっている。いくつもの想定外の出来事に、クロムウェルは落ち着きを失っていた。シェフィールドがいない状態で、賊、精霊共が来たらどうすればいいと、そんな事ばかりが頭に浮かんでいた。

 

「何が安心しろだ、シェフィールドめ!行方知れずの果てが、トイレで気絶してただ!?しかも、それで体を壊して、指揮が執れないだと!?笑いでも取るつもりだったのか!あの女は!」

 

 誰もいないのをいい事に、愚痴をいくつも並べている。日頃のシェフィールドへの鬱憤も溜まっていたのだろう。もはや皇帝などではなく、そこらにいるひねくれ老人でしかなかった。

 だが、これもしようがない。精霊対策はシェフィールドしか知らないので、彼女以外ではできないのだ。精霊という得体のしれない存在に対し、打つ手がない。成り上がり皇帝は、縮こまって愚痴を並べるしかなかった。

 不意にノックの音が響く。一瞬、ビクつくクロムウェル。苛立った声を張り上げた。

 

「何事だ!」

「陛下、医師から報告がありました。ミス・シェフィールドは十分回復し、もう話しても大丈夫だと」

「何!?まことか!」

「はい」

「よし!では、すぐに行く!」

 

 慌ててクロムウェルは、部屋を飛び出していた。もちろん今後の指示を仰ぐため。外で待っていたのは、報告に来た警備隊長。隠し部屋を知っている数少ない人物。

 皇帝は彼らなどまるで目に入っていないかのように、ずんずん進んで行く。衛兵達は慌てて後に続いた。

 

 やがて来たのは、医務室。皇帝の命令で、厳重に管理されていた。シェフィールドはここで寝込んでいる。今では、彼女の集中治療室と言ってもよかった。

 

 シェフィールドがトイレで気絶していたのが見つかった後、彼女を治療する医師団が結成された。皇帝の命令で。もちろん彼女に死んでもらっては、彼自身も困るからだ。それほどシェフィールドの状態は悪かった。下水をたらふく飲んだようで、重症の状態だったのだ。一時は命も危ないとすら思われた。しかし、皇帝付きの医師まで動員された医療体制のおかげで、なんとか命を取り留める。その後も懸命な治療が行われた。おかげで、予想以上に早く回復している。

 

 部屋に入るクロムウェル。水の秘薬の香りが漂う治療室。外の腐臭が少々混じっているが、いくらかマシな環境だ。部屋の中央にカーテンに仕切られた場所がある。シェフィールドのベッドだ。

 この部屋にいる医師全員が、皇帝を迎える。

 

「これは陛下」

「様子はどうだ?」

「順調に回復しております。もう、話されても、大丈夫でしょう」

「うむ。では、他の者は席を外せ。シェフィールドと二人で話がしたい」

「はい。何かありましたらお呼びください。控えていますので」

 

 部屋をぞろぞろと出る医師たち。

 扉が閉まると、皇帝と秘書だけとなった。豹変するクロムウェル。すぐにカーテンを開け、シェフィールドのベッドに駆け寄る。

 横になったままのシェフィールドが目に入った。しっかりと意識を持った顔をしていた。ただ、やはり病状が厳しかったのか、やや痩せ衰えた感じはする。

 

「ミ、ミス・シェフィールド!本当にご無事でよかった。心配しましたぞ!」

 

 ベッドの側で、思ってもない事を言う。いや心配はしていただろう。もちろん、自分の身の保身に関わるからだが。すぐに要件に入った。

 

「と、ところで、お体の悪い所、申し訳ないのですが……。賊についてお話を……。」

「…………」

 

 だが彼女の方は無反応。というか少々憮然とした顔。

 

「あの……。『アンドバリの指輪』はどうされて……」

「……」

「ミス・シェフィールド、賊はいったい……」

「はぁ……。あなたは気を回すという事が、できないのかしら?」

「は?」

「療養中の女性に対して、気を回せないのかと言ってるのよ」

「は、はぁ……」

 

 クロムウェルは申し訳ないような、弱り顔を浮かべていたが、胸の内では不満が破裂しそうだった。

 命が助かったのは、誰のおかげだと。彼が、アルビオン最高の治療を彼女に施すよう、命令したというのに。そもそもシェフィールドは、全部任せろといい出したのに、この体たらく。おかげで賊対策は、まるで進まない。だというのに、この女は。

 そう思わずにいられない皇帝。でも、やっぱり下手にでる成り上がり皇帝。

 

「も、申し訳ありません。その……何分女性は、不得手なもので」

「フン」

「その……。お辛いのは分りますが、あなたにも関わる大きな問題ですから……」

「…………」

 

 わずかに目を伏せるシェフィールド。そして、そっぽを向いた。クロムウェルは機嫌を損ねたかと思い、日をあらためるか考え出す。だが、ポツリと声が聞こえた。彼女の小声が。

 

「奪われた」

 

 と。

 

「え!?」

 

 一瞬、聞き間違いかと思った。なにやら不吉な響きだったので。

 

「その……今、いったい……なんと?」

「だから、奪われたと言ってるのよ」

「な……!」

 

 口と目を開けたまま固まるクロムウェル。だが次の瞬間、顔色が変わっていた。シェフィールドの前では、見せた事ない表情に。

 

「あ、安心しろと言っておいて、この不首尾ですか!」

「何!」

「どう責任を取るおつもりか!」

「責任だと!だったらお前に何ができる!?なんの取り柄もない、平民司教が!」

「な……!私はあなたの命を救おうと、医師団まで結成したというのに!そのような口ぶりとは!」

「フン!私が死ねば、お前の命運もそれまでだからな!」

「そ、そもそも、今回の……」

 

 それから、皇帝と秘書の間で、ちょっとした罵り合いがあったという。結局、皇帝の方が負けるのだが。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院。学院長の部屋に、身を固くしている生徒が一人。ルイズである。予想される質問とお叱りが、頭の中で巡っていた。そして、同時に浮かんでいたのは、どうやり過ごすか。幻想郷の連中と付き合っていたせいか、以前のルイズと違い、どうにもしたたかな方向に思考が向かっていた。

 

 ルイズ達が帰ってから四日が経つ。実はルイズ、指輪奪還のために申請した休暇の日程が、一日オーバーしてしまっていたのだ。もちろん最初の奪還作戦が、失敗したせいなのだが。おかげで一日無断欠席となっている。ちなみにそれはキュルケとタバサは、日程を多めにとっていたので、問題なかった。出席日数が厳しいルイズだけが、引っ掛かったのだ。

 だが、単なる無断欠席なら、担任に怒られるだけだろう。ワザワザ学院長に呼び出されるなんて事はない。もっともその理由も、だいたい予想がついていた。幻想郷連中関連だと。そもそも、ここに呼び出されるのは、連中の騒ぎが原因なのがほとんどなので。

 

 学院長席で手を組み、机に両肘をつく学院長、オールド・オスマン。その脇にはコルベールが立っていた。学院長の表情はちょっと呆れた様子、一方のコルベールは厳しい顔。ルイズに、なんかマズイという予感が走る。

 

「それにしても、君はよくここに来るのぉ。慣れたかな?この部屋は」

「はぁ……」

 

 一発目は皮肉。恐縮するしかない。

 

「さて、聞きたい事はいろいろある。何故、無断欠席したのかとか、同じ時期にミス・ツェルプストーやミス・タバサも休暇、それにミス・シャメイマルがミスタ・グラモンを連れて行った事、とかな」

「は、はぁ……」

 

 グサグサと胸に突き刺さる、身に覚えのある事。

 しかし、真相を告げる訳にはいかない。戦争に大きく関わる事でもある。何よりもまず王家へ、とルイズは考えていたからだ。それに、結果的には祖国のためになりそうだが、元はと言えば、魔理沙達の借金と、それの後見人になってしまった自分が切っ掛け。公爵家の息女として、こんな羞恥な話をしたくない、という打算もあった。

 

 歯切れの悪いルイズに、オスマンは溜息。よほど言いたくない理由があると察する。同時に、またあの遠方のメイジと共に、何かやらかしたのだとも。教育者としては、道を正すべきだろう。この所のルイズは、貴族として少々ガサツになってきているので。以前なら、考えられなかった事だが。

 

 さらに追い打ちをかけるコルベール。

 

「ミス・ヴァリエール。ミス・シャメイマルを、なんとかできないのですか。正直、学院内の秩序において、憂慮すべき事です」

「は、はい……。なんとか言い聞かせますので……」

 

 その場しのぎの回答。ギーシュから文が何をやったか聞いていたので、トラブルになっているとは思っていたが。やはりと思うしかない。だが、彼女をなんとかする方法なんて知らない。もう、ごまかすしかないのである。

 そこに意外な助け舟。老学院長の声が挟まれる。

 

「まあ、アヤちゃんについては大目にみてやれ。悪い子じゃなかろう」

「アヤちゃん?」

 

 コルベールの厳しい視線が、今度はオスマンに向かう。

 

「いや、その、ミス・シャメイマルはあれで気の利く子なんじゃ。じゃからな……」

「学院長。あなたもミス・シャメイマルに、弱みを握られているのですか?」

「いやいやいや。そんな……ものはないゾ」

「まさか……手を組んで何かをやっているのでは……」

「きょ、教育者として、そんな事する訳なかろうが!」

「私は、悪事とは申してませんが。教育者としてする訳にはいかない事とは、どのようなものですかな?」

「そ、そ、それはじゃな……」

 

 何故か今日のコルベール、勘が鋭い。ミス・ロングビルがいなくなってから、新たに始まった密かな趣味が止められてしまう。オールド・オスマンは、露骨なほど大げさにルイズの方へ声をかけた。

 

「そ、そうじゃ!こんな事をしている場合ではない!ミス・ヴァリエール!これを受け取りなさい」

 

 学院長は一枚の書面を差し出す。

 

「これは?」

「オホン。王家からの呼び出しじゃ。しばらくすれば、迎えが来るじゃろう」

「え!?陛下から?」

「うむ。理由は聞いておらんがな」

「は、はい」

「失礼のないようにな」

「はい!」

 

 ルイズは胸を張って返事をする。

 まさかこんな機会が、向うからやってこようとは。彼女はやるべき事を胸に定めると、颯爽と学院長室を後にした。

 その背中を見送るオスマンとコルベール。ルイズが、なにやらまたやっかい事に引っ掛かったらしい、と直感する。しかも王家に関わるような。そこには生徒を憂う、教育者の姿があった。

 だが、それもほんのわずかな間だけ。すぐ後、学院長と教師の押し問答が始まるのだった。

 

 

 

 



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参戦要請

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿のバルコニーに立つ姿があった。ワルドである。ここからの景色は久しぶりだった。なんと言っても、この所、宮殿中をずっと締め切っていたのだから。今ではアチコチの窓がみんな開いている。あの充満していた匂いも、さすがに薄れた。怪我の具合も大分よくなり、気分は悪くない。少々痛みを堪えながら、大きく息を吸った。外の空気がうまいなどと感じたのは、いつ以来か。

 そんな彼の後ろから声がかかる。

 

「ワルド子爵」

 

 振り向いた先にいたのは、白鬚を蓄えた威風堂々とした将軍だった。

 

「これはホーキンス将軍」

 

 ホーキンス。古武士という雰囲気を漂わせた老将軍である。その戦歴も、いくつもの輝かしいものがあった。アルビオン軍の要と言っていい人物。ホーキンスは自慢の髭を摩りながら、笑顔を浮かべる。

 

「怪我の具合は、いかがかな?」

「後、わずかで完治します。さすがアルビオンの医師は優秀ですな」

「左様。おかげであの秘書も、命を取り留めたというものだ」

 

 実はこの所、シェフィールドはよく話題に上る。

 秘書の分際で、鼻に着く口ぶり、どこかしらバカにしたような態度。誰もが彼女に含む所を持っていた。だが、皇帝からの寵愛や、ガリアの後ろ盾もあるので、苦々しく思いながら厳しく当たれない。そんなシェフィールドが、皇帝護衛の総指揮という権限を貰いながら、賊を逃がした上、最後はトイレで気絶していたというのだから。兵はもちろん貴族、閣僚の間ですら、物笑いのネタになっていた。

 

「かなり病状は、酷かったようだな」

「ええ。高熱の上、下痢に嘔吐が止まらなかったそうで。妙齢の女性としては、とても見せられたものではなかった、と聞きました」

「ハハッ。これであの秘書も、慎みを覚えてくれればいいが」

「確かに」

 

 僅かな笑みを交わらせ、二人はバルコニーの手すりに寄りかかる。しかし、ワルドの笑みが消えた。ホーキンスの方へ顔を向ける。

 

「お時間は、空いているでしょうか?」

「ん?ああ。警備の任も解けた。後始末は部下がやっておる。時間には余裕があるな」

「私の執務室で、話がしたいのですが」

「…………分かった。伺おう」

 

 それから二人は、ワルドの執務室へ向かった。

 

 ワルドの執務室へ入った二人。そこには、資料が整然と並べられ、机の上も整理されている。それはワルドの性格を、表しているようだった。感心するホーキンス。すると部屋の主は、ホーキンスを脇にあるテーブルへと案内する。

 

「将軍、こちらへ」

「うむ」

 

 席に座るホーキンス。ワルドの方はというと、机の中から一枚の紙を取り出した。老将軍の前へ差し出した。

 

「なんだと思われます?」

「古代文字……いや、ルーンのようにも見えるが……。いったい何だ?これは?」

「これが秘書殿の、額に刻まれていたそうです」

「何?」

「医者から聞きました」

 

 ワルドはシェフィールドについて、探りを入れていた。アルビオンにおける、シェフィールドという存在。ガリアとの関係が噂されるなど、ある意味、要とも言える人物。だがどうにもその人物がハッキリしない。そもそもガリアの後ろ盾は、本当なのか?本当だとしてもガリアの真意は?これらの真相によっては、彼の予定が大きく狂う事になる。だからこそ知りたかったのだ。シェフィールドの事を。そして、いい機会を得た。彼女が倒れたのだ。期間が短かったので、そう深い調査はできなかったが、重要な情報を手に入れた。

 

「調べてみたところ、これは使い魔のルーンです」

「あの女が使い魔!?人間の使い魔なぞ、聞いた事がないぞ!」

「ええ。ですが注目すべきは、そこではありません。このルーンの意味です」

「なんだったのだ?」

「虚無の使い魔『ミョズニトニルン』」

「な……!いや、では陛下の……」

「そういう事になります」

 

 ワルドはうなずく。話を聞いていたホーキンス。歴戦の将といえども、少しばかりショックを受けていた。クロムウェルが虚無と称している以上、その使い魔がいるのは当たり前なのだが、まさか人間だとは思わなかったのもあった。もう一つ。クロムウェルの虚無に、少々疑念も持っていたのもある。だが、これで彼の虚無は確実なものになった訳だ。

 

「陛下があの女を重用するのは、てっきりガリアの後ろだてからと思っていたが、まさか使い魔だとは……。ならばあの女が倒れた時の、陛下の動揺も分からなくもない。して、どんな力を持っているのだ?虚無の使い魔というからには、普通ではないのだろ?」

「それがハッキリしません。あらゆるマジックアイテムを、使えるらしいのですが……」

「そうか……。しかし、よりによってあの女が……。いずれにしても、我が国にとっては、よい知らせと受け取るべきだな」

 

 言っている事は好意的だが、態度は憮然。腕を組んで不満そう。ホーキンスは、よほどシェフィールドが、気に食わないらしい。

 ワルドはそれに思わず賛同したくなる。彼自身も彼女に、いい感情を持っていなかった。それはともかく、ワルドは話を次に進めだす。

 

「もう一点あります。先日の浸水の件です」

「あれがどうかしたのか?」

「どうも、人為的に起されたようです」

「何!?あれが、何者かの仕業だと?いや、待て。どう考えても大雨が原因であろう。あの日、山中に雨が降り、市内も大雨であったでないか。貴卿も知っているであろうが?」

「はい。ですがこれをご覧ください」

 

 そう言うと、子爵は別の紙を出した。そこには迷路のようなものが書かれている。所々にロンディニウム市内の屋敷の名前があった。ハヴィランンド宮殿の名もある。

 ホーキンスは、見下ろすように地図へ目を向けた。

 

「これは?」

「ロンディニウム市内の、下水道の図面です」

「ふむ。ん?何やら、線で道が塞がれているが……」

 

 図面の所々に線が引かれていた。下水道を寸断するように。ワルドは線を指さした。

 

「ここに、土壁ができていました。土系の魔法のようです」

「なんと……!」

「あの浸水の日、市内で浸水した場所は、宮殿だけだったそうです。そこで調査させた所、これが見つかりました。さらにこの土壁は、川の水や市内の雨水が、宮殿に集中するように作られています」

「むぅ……」

 

 髭をいじり眉間に皺を寄せながら、うなるホーキンス。

 

「しかし、貴卿の言う通りだとすると、あの浸水の最中、賊が何かしかけたという事になる。まさか、シェフィールドが行方知れずとなっていたのは、そのせいか?」

「おそらく。しかも賊は、目的を達成したと思われます。今回、説明もなく警備を解いたのも、賊がもう来ないと分かっているからでしょう」

「だが、一体何をされたというのだ?被害など、何も聞いておらんぞ?陛下からのお言葉も、ないではないか」

「実は、ミス・シェフィールドを陛下が見舞った時、二人が言い争う声を耳にした医師がいました」

「なんと……!しかし……そうなると、二人だけしか知らぬなにか、重要な事態が起こったと考えるのが妥当か……」

「はい。重臣にも言えぬ何かが」

「…………」

 

 ホーキンスは口を噤むと黙り込んだ。顔に刻んだ多くの皺が、やや深くなる。

 

 彼が神聖アルビオン帝国に身を置いているのは、何もクロムウェルの虚無に惹かれてという訳ではない。むしろ、先王、ジェームズI世のやり方に反発を覚えたからだった。今のアルビオンに属している多くの貴族が、大なり小なりその気持ちを持っている。そうでなければ、レコン・キスタ発生後から、勢力が急激に増大するはずもない。クロムウェルの虚無は、無道を働く王を打倒する大義、という側面も強かったのだ。だからクロムウェル個人が、貴族達の信任を確実にしているという訳ではなかった。

 そんな状況でのワルドの話。クロムウェルとシェフィールドには秘密があると。それは皇帝の信用に、ヒビを入れかねないもの。しかし、出来上がったばかりの国で、それは危うい事態を招きかねない。

 

 老将軍は厳しい眼を、目の前の若い貴族に向ける。

 

「一つ、伺おう。何故この話を私にした?こう言っては何だが、子爵はアルビオンでは新参者。言わば陛下の寵愛こそが、貴卿の立場を支えている。だが、こんな後ろ盾の信用をなくすような話をして、なんとする?」

「私が、アルビオンに混乱をもたらそうと、していると?」

「そうとも取れる」

「実はトリステインの間者、とでも言われますか」

「そうは思わん。そこまでトリステインに忠誠を誓うほどの者なら、あの手紙を持ってくるはずもないしな。さすればテューダー王家は未だ滅んでおらず、泥沼の戦をしておったかもしれん。トリステインへの出兵も起こるまい。それに、騙すならもっと相応しい相手が他にもいる。こんな問いを返す相手を選ぶハズもない」

 

 そこには、ホーキンス自身の慧眼の自負と、ワルドの能力の高さを認めている態度が、見えていた。ワルドはそれに苦笑い。

 

「仰る通り。私は祖国を捨てた新参者です。虚無を求めこの国に来ました。だからこそ、虚無の真意を確かめたかった」

「それで、陛下の周りを探っていたという訳か」

「はい」

「……。分かった。今後は何かと相談に乗ろう」

 

 ホーキンスはワルドの真意を汲み取った。要は味方が欲しいのだと。

 皇帝周辺を調べた結果、クロムウェルに対し疑念ができてきた。皇帝が心代わりでもすれば、この地でのワルドの立場はない。そのための保険。さらにホーキンスは親皇帝というよりは、反テューダーという立場でこの国にいるいわば反主流派。両方に縁を作った訳だ。ホーキンス自身も、クロムウェル周りの情報が入れやすくなると踏んで、彼と縁を結ぶ事とした。それに彼自身を、気に入ったのもあった。

 

 やがてワルドはホーキンスと固く握手をすると、部屋から出る彼を見送った。一人残ったワルド。一つ息を漏らす。そして安堵の表情。うまくいったと。実は同じ話をボーウッドにもしていた。元々共に戦った仲なので、快く味方となってくれた。

 さらに、二人に話していない事がある。シェフィールドの部屋を調べていた時、ガリアとの繋がりを証明する決定的な証拠を手に入れたのだ。ガリアからの命令書を。クロムウェルの使い魔である彼女が、何故ガリアの命令書を持っていたのかは判然としないが、一つハッキリした事がある。クロムウェルの裏にガリアがいるのは、噂ではなく実体のあるものだと。

 

 大国ガリアの後ろ盾。心強くもあるが、ワルドにとって不都合な面もあった。虚無を、掛け替えのないこの世界の珠を、ガリアの道具にされる訳にはいかないからだ。むしろ、ワルドの意を虚無が実現しなければ、アルビオンに来た甲斐がない。それこそが、彼の望みに近づく事なのだから。ワルドは、そのために動き出した。アルビオン内での影響力を増そうとしていた。

 

 一方のシェフィールド。彼女の陰謀に、足元からヒビが入り始めていた。そうは知らず、相変わらずベッドで療養中の彼女だった。

 

 

 

 

 

 ルイズは、今朝、王家からの使者を伴い、王宮へ入城した。謁見の儀礼もそこそこに、アンリエッタの執務室へと案内される。簡単だった儀礼に、幼馴染からの遊びの誘いかも、と考えたルイズ。しかし、執務室へ入ったとたんに、その考えが変わった。

 女王の執務室にいたのは、まず女王アンリエッタ。そして、近衛である銃士隊のアニエス。さらに、宰相であるマザリーニ枢機卿。この場にマザリーニがいるのだ。政務に関わる話なのだろうと、気持ちをあらためる。

 ちなみに天子は置いて来た。もう公の場で、あの天人をなだめるのはコリゴリなので。

 

 アンリエッタは執務席に座っていた。他に席がいくつか用意されている。

 

「ルイズ、お坐りなさい。枢機卿もどうぞ」

 

 二人はうなずくと、席に座った。アニエスは立ったまま、わずかに緊張感を漂わせている。

 女王の表情は何やら重い。ルイズはますます身が縛られる気持ちになる。重要な話をされるのは、間違いないと。

 

 アンリエッタは重々しく口を開いた。

 

「ルイズ。あなたを呼び出したのは、大変重要な話があるからです」

「はい」

「やってもらわねばならない事が、あるのです」

「はい。なんなりと」

「できれば、頼みたくはなかったのですが、これも国のためです。心して聞いてください」

「はい」

 

 ルイズは背筋を伸ばすと、毅然と返事をする。

 アンリエッタはマザリーニの方へわずかに顔を向けると、うなずいた。それに応える枢機卿。一つ咳払い。

 

「オホン。では仔細は私が話そう」

「はい」

「知っての通り、現在我が国は神聖アルビオン皇国と戦争状態にある。しかし、この度、ゲルマニアとの同盟が成立した」

「そうなのですか!?おめでとうございます!陛下」

 

 なんとかアルビオンの侵攻は食い止めたが、劣勢なのは変わりない。だがゲルマニアとの同盟が成ったとすると話は違う。女王の心を痛めていた戦争も、好転するだろう。ルイズはそんな気持ちで、賛辞を送ったのだが、当のアンリエッタの表情は冴えない。硬い笑顔を返すだけである。

 マザリーニの話は続く。

 

「状況はそれほど、楽観できるものではない。両国合わせてもアルビオンとは、よくて六分四分と言った所だろう」

「そうですか……」

「そこで、この状況をさらに我々有利にするため、ミス・ヴァリエールには戦地に赴いてもらいたい」

「え!?」

 

 思わず、少し間抜けな顔で返すルイズ。重大な話が出るとは考えていたが、まさか戦争に行けという命令が出るとは予想外。しかも自分一人が行って、どうなるというのか。学徒総動員ならともかく、たった一人だけとは。ただただ、困惑するルイズだった。

 アンリエッタが心痛を湛えた表情で、言葉をかけてきた。

 

「ごめんなさい、ルイズ。こんな事になってしまって。実は、あなたの虚無とロバ・アル・カリイエの方々の事を、話してしまったの」

「え!?陛下……」

「約束を破ったのは謝るわ。でも、今は国家存亡の危機。弱体化した我が軍では、不十分なのです」

 

 さらにマザリーニが付け加えた。

 

「その足りない部分を、ミス・ヴァリエールの虚無で補ってもらいたいのだ。ロバ・アル・カリイエの方々の参加も望みたいが、それは難しいと陛下から伺っている。だからこそ、ミス・ヴァリエールの参加が不可欠なのだ。時期は、すぐにという訳ではないが、そう先の話でもない。なるべく早く、心を決めていただきたい」

 

 ルイズには、言っている事をすぐに理解した。理由も納得できるもの。ただ、引っ掛かる点があるのだ。根本的な話で。

 一方、女王と枢機卿、さらに近衛兵長。全員が、心痛な顔つきでルイズを見た。貴族としての矜持を常に意識している、ヴァリエール公爵家が三女。当然、毅然と胸を張って了承すると、誰もが思っていた。

 

「えっと……そのぉ……」

 

 出てきたのは、やけに気に抜けた返事。

 一気に全員の表情が、厳しくなる。不快な方向に。

 

「ルイズ。確かに、無理なお願いです。ですが、是非ともあなたの力が必要なのです」

「ミス・ヴァリエール!国家の状況を正しく認識すべきですぞ」

「今こそ、貴族の矜持を見せる時だ!」

 

 アンリエッタ、マザリーニ、さらにアニエスも、まるで責めるかのような口ぶり。ますます微妙な態度になるルイズ。

 実は彼女、参戦するのが何も嫌な訳ではない。むしろ進んで参戦する気持ちがある。だがある事実を知っている事により、どう返していいか困っていた。

 三人の要請はさらに厳しくなる。主にマザリーニとアニエスが。

 

「ミス・ヴァリエール!この度の件、君の助力に全てがかかっていると言っていい!」

「貴族の誉は、国と民につくしてこそだ!」

 

 ルイズは益々当惑。やがて観念した、というか開き直った。一つ深呼吸して、ゆっくり話始める。

 

「あの……お話ししたい事があるのです」

「…………」

 

 その言葉に三人は、一旦、追及を止める。代表して女王が答えた。

 

「ええ。伺いましょう。あなたにも言い分があるでしょうから」

「その……。神聖アルビオン帝国ですが、放っておいても潰れちゃうと思います」

「「「は!?」」」

 

 一瞬、言われた事がよく理解できない一同。さっきの厳しい表情は崩れていく。何を言いだすんだこの娘は?という顔が並ぶ。

 最初に口を開いたのはマザリーニ。声色にちょっと怒気が混ざっていた。国家の大事を話す場で、投げやりな事を言いだすルイズに対し少し苛立っている。

 

「どうかされたのか?ミス。何を根拠に、そのような戯れを言っておる」

 

 続いてアニエス、そしてアンリエッタが口を開く。

 

「臆したのか!?ミス・ヴァリエール!」

「ルイズ。繕う必要はありません。こちらも無茶な依頼と承知していますから。正直な気持ちを言っていいのですよ」

 

 益々、困った顔になるルイズ。それが三人には、真剣味がないように見えて、余計に不満を増していた。

 ルイズ、一つ深呼吸。なだめる様に話し出した。一歩引いた態度で。

 

「その……、信じられないかもしれませんが、アルビオン皇帝は、虚無の担い手のフリをしたただの平民司教です。でも、もう虚無のフリはできません」

「何?」

「そのためのマジックアイテムを、私達が奪ってしまったからです」

「は!?」

 

 さらに表情が歪む三人。今度は困惑した顔が並ぶ。意味不明という有様。もう、どうかしたのか?という目で、ルイズを見ている。

 

「えっと……つまりですね……」

 

 それからルイズの長い語りが始まった。アルビオンで自分達が何をやったか。やってしまったかの。魔理沙達の借金に始まり、水の精霊、アンドバリの指輪、ロンディニウム、クロムウェル、シェフィールド、そしてガリア王と虚無。一連の出来事を全て。水の精霊に裏取りすれば、事実と証明できるとも。

 ただしこの中で、タバサについては語らなかった。さすがに、不名誉印のガリア王弟家の話をする訳にはいかないので。もっともそのせいで、指輪を取り戻しに行った理由が、変わってしまったのだが。

 

 話が終わって、アンリエッタ、大きな溜息。もう呆れているんだか、戸惑っているんだか分からない表情。机に肘を突き、疲れたように肩を落とす。

 

「つまり、あなた達は借金を返すために、神聖アルビオン帝国の要を奪ってしまったと」

「まあ、結果的にですが……」

「なんというか……はぁ……言葉もありません」

 

 言葉に詰まっているのは他の二人も同じ。聞いていて耳を疑うほどに。微妙な表情を浮かべている。頬と眉間が引きつっている。どんな顔すればいいのか、分からなくて。本当は、喜ぶべき話なのだが、なんか笑えない。

 あれほど戦争を起こしたレコン・キスタの根幹が、ただ一つのマジックアイテムだったとは。しかもそれを奪った動機が、借金を返すためだと。実は喜劇の脚本と言われても、納得してしまう。

 

 なんとも間抜けな空気が漂う、アンリエッタの執務室。最初の緊張感は霞のように消えてしまった。やがてマザリーニが口を開く。咳払いでごまかして。

 

「オホン。まあ……その……いずれにしても、ミス・ヴァリエールの行いは国のためになったのは確かですな」

「え、ええ」

 

 苦笑いを向け合う女王と枢機卿。だがさすがは宰相、すぐにいつものマザリーニに戻った。

 

「しかし、今、聞いた話。特にガリアの暗躍は憂慮すべきものです。さらに、ガリア王が虚無だとは。しかもエルフと手を結ぶなど、信じがたい」

「重臣達とも、話し合う必要がありますね」

「はい。またアルビオンについても、『アンドバリの指輪』の件により、作戦を大きく変えざるを得ないでしょう」

「ええ。ですが被害が、かなり抑えられそうなのは幸いです」

「それどころか戦にもならぬかと。クロムウェルの正体を、アルビオン中に知らせれば、それだけで分裂するでしょうから」

 

 マザリーニは考えていた。クロムウェルの真相を主要都市に伝播させれば、それだけで勝敗は決すると。ただ当面の懸念が一つある。それはアルビオンでもガリアでもない。同盟国であるゲルマニアの事だ。かの国に、どう対するかである。

 

 枢機卿はルイズの方を向く。

 

「ミス・ヴァリエール。あなたの国への貢献は非常に大きい。それは私も評価する」

「は、はい!」

 

 目を輝かせ、胸を張って答えるルイズ。褒められ慣れしてないので、ついつい大げさに反応してしまう。しかも、さっきの自分を責めるような態度から、一変してなので余計に。だが、対するマザリーニは何故か渋い顔。

 

「だからこそ、心苦しいのだが、ミスの手柄を譲ってもらえないだろうか?」

「はい?それはいったい……」

「つまりミスの行いを別の者がした、という事にしたいのだ」

「え……」

 

 折角の手柄を取り上げられる事に、ちょっとばかりショック。確かに、元々国のためにやった訳ではない。だが祖国に最大限の貢献をし、称えられるという栄誉を、貴族として手に入れたいものだ。貴族の矜持を叩きこまれたルイズには、それがあった。それに、やはり褒められるのは嫌いじゃない。だがそれを、他人に譲ってくれという。彼女としては、すぐには答えづらいものだった。

 

 アンリエッタもさすがに悪いと思ったのか、口を挟む。

 

「それはあまりに無体ではないでしょうか?曲がりなりにも、危険を乗り越えての成果なのですから」

「分かっております。そこを押してです」

「何故ですか?」

「ゲルマニアに対するためです」

「ゲルマニア……」

「今回の遠征。アルビオンの状況に関わらず、ゲルマニアの力は借りざるを得ません。結果、我が国が政治的に劣勢に立たされ、戦後処理も不利に働く可能性があります。ですが、アルビオンを我が国が窮地に陥れたとすれば、話は変わります。立場を対等にする事ができるでしょう」

「そうなのですか……」

「はい。そのため、『アンドバリの指輪』の件は、国として行った事にしたいのです」

「…………。言われる事は分りました」

 

 アンリエッタは引き下がるしかない。ゲルマニアとの関係は、以前にマザリーニから説明を受けていた。この点もあり、虚無の参戦を了承したのだから。しばらく黙り込んでいた彼女だが、やがて考えなおす。ルイズに声を掛けた。

 

「ごめんなさい。ルイズ。枢機卿の申し出を受けてもらえないかしら?わたくしとしては、あなたが戦地に向かわなくて済むなら、それはそれで悪くないと思っています」

 

 つまりアンリエッタは、ゲルマニアに対するために、虚無か他の成果を見せるしかないと言っている。前者ならルイズは戦地へ、後者なら戦地に向かわずに済む。そして彼女は、後者を選んで欲しいと願っているのだ。

 ルイズは懇願するような視線を向けてくる女王に、向き直った。一つ、呼吸を整える。

 

「分りました。それが国のためになるなら、喜んで成果をお譲りします」

「ありがとう。ルイズ。あなたには、何か別の形で答えたいと思いますから」

「はい」

 

 ルイズは整然と礼を返す。もっとも、いかにも貴族というような顔の奥で、ちょっと悔しいとか思っていたが。ただ、手柄自体は瓢箪から駒みたいなもの。おかげで、それほど不満がある訳でもなかった。

 

 やがて主だった話は終わる。ルイズはわずかな間、アンリエッタとの談笑を少し交わした後、帰路についた。外は日が傾き始めていた。

 

 後の話になるが、水の精霊に指輪の件の裏取りをした後、手柄は銃士隊のものとなった。最初、嫌がっていたアニエスだが、マザリーニに押し切られる。銃士隊の名を上げるのに、ちょうどいいと。生真面目な当人は、結構不満。実力で名を上げたかったし、人の手柄を掠め取ったようで、あまり居心地のいいものではないからだ。

 

 

 

 

 

「あー、肩凝ったぁ」

 

 背伸びするルイズ。

 ここは自室ではなく、幻想郷組に割り当てられている寮の一室。だがこの部屋で生活している者はいない。おかげで、ルイズ達のたまり場と化していた。

 さらにこの部屋には、もう一つ役目がある。いわば連絡路の出入り口。というのは、ここは転送陣で廃村の寺院と繋がっているからだ。部屋の奥に、転送陣が描かれている。さらに結界まで張られており、登録されていない人物は入れない。

 もっともこの仕掛けのせいで、部屋自体が不気味がられていた。なんと言っても、大勢入って行ったのに気配が消えたり、逆にさっきまで物音が一つなかった部屋から、ゾロゾロ人が出てきたりする。しかも何故か一部の人間しか入れない。密かに幽霊部屋なんて噂も立っていたりする。当たらずとも遠からずだが。ここを使っているのは、ほとんど人外なので。

 

「疲れたー」

 

 パタリとテーブルに臥せるルイズ。王宮から帰って来て、羽を伸ばす。さすがに気疲れしたらしい。

 

「お疲れ」

 

 目の前にカップが置かれる。紅茶の甘い香りが漂ってきた。ふと見上げた先にいたのは、アリス。ルイズ、体を起こす。

 

「ありがとう」

「どうしたしまして」

 

 アリスはルイズの対面に座った。カップを両手で持って、少し味わう。

 

「王宮行ってたって?」

「うん」

「なんの用?」

「戦争行ってくれないかって、頼まれたのよ」

「何でまた?」

「私の虚無の力が、借りたいんだって」

「ん?秘密じゃなかったの?」

「姫様が話しちゃってね。問い詰められて」

「ふ~ん……。でも魔力そんなに溜まってないでしょ。虚無、使えないんじゃないの?」

「うん。行っても、大して役に立たなかったと思うわ」

 

 指輪奪還騒動で、ルイズは『エクスプロージョン』を使ってしまったので、魔力はそれほどない。少なくとも、軍事作戦ができるような、大規模な魔法は使えそうになかった。そう思うと、実は、アンリエッタの期待に応えるのは、そもそも無理だったのだ。

 紅茶を一口、喉に通す。ちょっと間を置くルイズ。

 

「でも、行かずに済んだわ。指輪の話したから」

「良かったじゃないの。面倒な事しなくて」

 

 ルイズ、ちょっと笑いを漏らす。戦争に行くのは、アリスにとって危険じゃなくて面倒なのかと。

 それから、手柄を取られたことの文句を言ったり、アリスのガーゴイル研究の話になったり、文についてまた教師から怒られそうになったりと、他愛もない雑談が続いた。

 ふと窓を見ると、外は緋色に染まっていた。夜まであとわずか。ルイズは新たな話題を振った。

 

「最近、パチュリー見ないわね。どうしたの?」

「幻想郷に帰ったのよ。なんでも研究が、行き詰ってるらしくてね」

「系統魔法の研究なのに、幻想郷に必要なものがあるの?」

「ああ、それは一旦保留。今、彼女がテーマにしてるのは、ハルケギニアそのもの」

「何それ?」

「万物の由来の研究って所かしら」

「はぁ……。気の遠くなるような話ね。なんでまた、そんな途方もないもの、テーマにしたのよ」

「元々、神奈子から頼まれてたのよ。でも『デルフリンガー』ってインテリジェンスソードを手に入れてからは、のめり込んでるわね」

「インテリジェンスソードの『デルフリンガー』?」

「ええ」

「…………」

「ん?どうかした?」

 

 アリスは、少し不思議そうな顔しているルイズに、視線だけ向ける。だがすぐに、いつもの彼女に戻った。

 

「いえ、なんでもないわ。それにしてもインテリジェンスソードなんてものが、本当にあったなんて」

「珍しいらしいわね。他に聞かないし」

「それで、いつまで彼女向うに行ってるの?」

「ん?ああ、それは……」

 

 と答えを言いかけた時、視界の脇に光が入って来た。青白い光が。二人は思わず、その方向に顔を向ける。魔法陣が光っていた。誰かが来たらしい。二人にとっては、とりたてて珍しい事でもない。誰が来るのか、黙って見る事に。やがて姿を現したのは……三人。

 

「あら、ルイズ。元気にしてた?」

「ルイズー!久しぶり!」

「御無沙汰しております」

 

 ルイズに取っては懐かしい顔。思わず、パッと表情が明るくなる。

 

「レミリア、フラン、咲夜!」

 

 紅魔館のメンバーだった。席を立つと三人に近づくルイズ。すぐにフランが抱き着いて来た。

 

「来ちゃったー」

「どうしたのよ!?」

 

 笑顔で抱き着いて来た少女を迎える。それはもう、妹を迎えるかのように。フランの方も屈託のない笑顔を浮かべていた。それを姉と従者が顔を綻ばせて見ている。

 人間と吸血鬼と従者。ハルケギニアではあり得ない組み合わせだが、四人は昔馴染みのように言葉を交わしていた。

 ほどなくして、フランも離れる。するとまた魔法陣が光った。出てきたのは紫寝間着。

 

「レミィ。やっぱり、ベッドはどうしようもないわよ。あきらめ……。あら、ルイズ。帰って来てたの?王宮に行ってたって聞いたけど」

「帰って来たばかりよ。あなたも、いつ帰ったのよ」

「同じ。ついさっきよ。おまけもいっぱい連れてね」

 

 少しばかり、うんざりしたような顔で答える。すかさずレミリアが反論。口を尖らせて。

 

「ちょっとくらいいいじゃないの。パチェばっかり、ハルケギニアに遊びに行ってるんだから」

 

 フランもそれに賛同。大げさにうなずく。

 横で聞いていたルイズは、納得。パチュリーが、あまりにこっちにいるものだから、レミリアが文句を言ってきたのだろうと。で、駄々をこねて付いて来たという訳だと。

 だがすると、一つ気に掛る事があった。

 

「ねえ。レミリア。屋敷の方は大丈夫なの?」

「美鈴に任せてきたわ。あれでも元メイド長だしね」

「へー。そうだったんだ」

 

 いっしょにトレーニングしていた時は、そんな話は一度も出てきた事はなかった。彼女の意外な一面を知る。だが思い起こせば、フランクながらも対応は丁寧だったし、内容はともかく生活も規則正しかった。メイドっぽい所が、いくつも思い当たる。

 

 やがてアリスが廃村に戻ると、ルイズは四人といっしょにテーブルについた。ふと懐かしい光景が、脳裏に浮かぶ。異世界での慌ただしい生活が。少しばかり顔を綻ばせると、レミリアに話しかけた。

 

「で、予定はどうするの?私が観光案内してあげようか」

「そうね。それもいいけど、まずは挨拶からね」

「挨拶?」

「一時的とはいえ、あなたを預かったんだもの。スカーレット家当主として、筋目は通しておきたいわ」

「ふ~ん……。そう」

 

 レミリアの言葉から浮かんだのは、両親。だが、元々幻想郷メンバーを紹介する予定ではある。彼女は吸血鬼だが、人外だらけの中に新たに吸血鬼が入っても、なんとか説明できるだろうと楽観していた。

 レミリアは思案しながら答える。

 

「まずはあなたの両親」

「うん」

「そしてここの長、学院長だっけ?」

「学院長か……。まあ、なんとかなるでしょ」

 

 日頃、幻想郷メンバーのトラブル処理に関わる事も多い、オールド・オスマン。また新しいメンツに会った所で、なんという事はないだろう。こっちもなんとかなる。もちろん吸血鬼である事は、伏せておかないといけないが。

 ルイズはどう紹介するか考えを整理していると、もう一言レミリアが付け加えた。

 

「後、この国の主ね」

「え?」

 

 何やら不吉な響きが耳に入った。

 もう一度言葉を噛みしめる。確かに"国の主"と言った。ルイズはちょっと慌てた。

 

「ちょっと待ってよ。さすがに陛下は無理よ」

「なんでよ」

「ハルケギニアの妖魔と人間の関係は、話したでしょ?人間と妖魔は敵対してるって。人間の国王と会えるはずないじゃないの」

「そうね。妖魔なら無理ね」

「だったら……」

 

 そこで言葉を止めるルイズ。お嬢様は自分が妖魔じゃなくて、妖怪だとか言いだすんじゃなかろうかと。それは、ただの屁理屈。しかし、レミリアの自身満々の演説は続く。

 

「でも私は違うわ」

「そうじゃなくて……」

「そりゃぁ、妖魔が嫌われるのも無理ないわ。人様の家に忍び込んだり、洞窟に住んだり、木の上に掘っ立て小屋作って生活してたんじゃね。最低限、文化的じゃなくちゃぁ。その点、私の文化性は別次元よ」

「は?」

「真の強者には、真の気品が宿るわ!それを知れば、王とやらも自然と握手を求めてくるわよ」

 

 そう言ってお嬢様は胸を張る。今回のハルケギニア旅行のために新調したお洋服を、見せびらかすように。

 一方、ルイズ。レミリアの妖魔の理解はそういうものなのかと、絶句。確かに野蛮とも思われているし、実際、野獣と言っても差支えないのもいる。だが、敵対している理由は、全然違う。

 ともかく、このカリスマをなんとかしないといけない。嬉しい旧友との再会兼、新たな悩みの増えたルイズだった。

 

 

 

 

 



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わが家へ出発

 

 

 

 アンリエッタに会おうとするレミリアを、なんとか諦めさせようとするルイズ。これが天子とかが相手なら、頭ごなしに怒鳴りつけて従わせようとする。だが、レミリアにそれはできなかった。彼女は、幻想郷での恩人。彼女が紅魔館に住む事を許さなかったら、どうなっていたか分からない。その上、衣食住の全て世話になっていた。なんだかんだでルイズは、恩義を強く感じていたのだ。

 

 そんな訳で、レミリアを説得するにしても、微妙な言い回しになってしまっていた。

 

「その……ほら!挨拶なんて簡単に済ませばいいじゃないの!両親と学院長くらいで。時間が勿体ないわ。せっかく来たんだもの、いろんな所案内したいし」

「そうは行かないわよ。礼節の筋道を通すのは、私の矜持でもあるわ」

 

 毅然と胸を張るお嬢様。

 ルイズは苦笑い。紅魔館に住んでいて、この手の礼節が気まぐれなのはよく知っているので。ともかく、何故か頑固。同じ唯我独尊でも、天子だったら、もうちょっとごまかしやすいのに、とかルイズは胸の内でぼやく。

 それからあの手この手で、話を逸らそうとするが、全て無駄だった。

 

 すると助け船が入る。レミリアの後ろから。彼女の従者である。

 

「お嬢様」

「何よ。咲夜」

「こちらの貴人に礼を尽くすのは、結構な事です。ですが、それならばハルケギニアでのマナーを習得する必要が、あるのではないでしょうか?」

「マナー?」

「ルイズ様。幻想郷とハルケギニアのマナーでは、やはり違うのではないですか?」

 

 何やら含みのあるような顔で、尋ねて来る咲夜。ルイズ、すぐにそれを察する。意を得たりというような、ちょっと喜びが滲んだような声が出て来る。

 

「そ、そうね!思ったより違う所あるわ!しかも陛下に、お会いになるんだもの。マナーができてなかったりしたら、スカーレットの家名に傷がついてしまうわ」

「う~ん……」

 

 さっきまでの頑固さは一転、腕を組んでうなりだすお嬢様。そして観念する。

 

「分かったわ。それもそうね。マナーも気品の内だもの。ま、急ぐ訳でもないし。それからやりましょう。ルイズ、あなた教えてよ。一応、貴族の娘でしょ?」

「うん。分かったわ。いい本があるから、持ってきてあげる」

 

 ようやく安心の溜息をもらすルイズ。とりあえずトラブルは回避できた。もっとも、しばらくの間だけなのだが。

 それから話は、他愛もない雑談に移った。やがて、月が上がる頃にようやく、三人は廃村の寺院に帰った。帰るとき、ルイズは咲夜に、小声で感謝を伝えたのだった。

 

 

 

 

 

 神聖アルビオン帝国の中枢、ハヴィランド宮殿。

 すっかり元の姿を戻した白の宮殿に、似つかわしくない人物たちがいた。いや、まだいたというべきだろう。メンヌヴィル一党である。トリステイン魔法学院襲撃の仕事が、ロンディニウムに侵入した賊撃退へ変更、さらに皇帝護衛に。一応両方共、成功し、そこそこの支払を受けている。だが、その割にメンヌヴィルは不機嫌だった。部下が近づき難いくらい、淀んだ空気が滲みだしていた。

 

 それも無理もない。

 人間を焼けると思った仕事が、妖魔の焼却に。ところが、その妖魔には、いいようにあしらわれた上、結局賊は逃がした。さらに翌日以降の皇帝護衛では、臭い匂いに耐えながらその時を待ったのに、肝心の妖魔は現れず。しかも四日間そのまま。鼻のいいメンヌヴィルには、ここは地獄に違いない、と言わずなんと言うのか。こんな面白くない目に遭ったのに、両方の仕事の支払いが当初の学院襲撃よりも少ないのだ。もっとも、アルビオン軍との共同作業でもあった賊対策の仕事が、安くなるのは仕方ないのだが。

 怒りをぶちまけてこの城を出ていくのは簡単なのだが、予定の収入が入らないのも癪に障り、ここにいる。それに学院襲撃の仕事自体も、取り消された訳でもないので。唯一の救いが、待遇は悪くないくらいだった。

 

 そんな彼らにあてがわれた居室のドアが開いた。

 

「ミスタ・メンヌヴィル。お話があります」

 

 現れたのは皇帝の秘書、シェフィールド。もはや寝込んでいた面影はない。元の美しさと妖艶さを纏っている。

 ソファーに寝転がっていたメンヌヴィルが、体を起こした。

 

「おう。なんだ、便所女か」

 

 同時に笑いを漏らす部下たち。対するシェフィールドは顔をしかめる。ちょっと殺気を含んで。

 あのトイレの件以来、彼女にはいろいろなあだ名が付いていた。もっぱら兵達の間でだが。その第一人気が、便所女である。

 シェフィールドは一つ深呼吸。平静を保とうとする。切れ者秘書の顔を、作り出す。ちょっとこめかみが震えているが。

 

「新たな仕事を、依頼に来ました」

「やっとか。で、いつ襲撃する?」

「学院の件ではありません。別件です」

「またかよ。今度はまともな仕事だろうな。皇帝のお守りは勘弁してくれよ」

「私と共に、ラグドリアン湖に行ってもらいます」

 

 つまり『アンドバリの指輪』の奪還である。奪還の奪還ともいう。ともかく、アンドバリの指輪がなくては、この国が立ち行かないのは確か。そこで取り返しに行こうという訳だ。水の精霊の居場所は分かっている。当然、指輪の場所も。盗られたからと言って、慌てるような話でもなかったのだ。

 

 話を聞いたメンヌヴィルは、記憶を探るような態度。

 

「ラグドリアン湖っていやぁ……水の精霊の住みかだったか」

「はい」

「ハッ、なるほどな。あの連中は、水の精霊の関係者って訳か」

「ご存じでしたか。水の精霊の能力を」

「今、思い出した。……って事はなんだ。連中を追うって話か?」

「それにつきましては道々。ともかく、重要な仕事です。これまでとは違う、破格の額を支払いたいと思いますわ」

「フッ……。まあ、いいぜ。こっちも金が欲しくて来たんだからな」

「それでは、仔細は後ほど」

 

 秘書はわずかに礼をすると、部屋を後にした。メンヌヴィル達もようやく退屈な日々が終わると、ちょっと上機嫌。やがて前祝とばかりにロンディニウム市内へ、酒と女を求め繰り出すのだった。

 

 

 

 

 

「ミス・ヴァリエール」

 

 教室に、ルイズを呼ぶ声。しかし返事なし。

 

 当の本人の頭の中は、別の事で一杯だった。

 なんとか、レミリアがアンリエッタと会うのを先延ばしにしたが、所詮時間稼ぎ。しかも、そんなに長くは持たない。というのはマナーが違うと言ったが、実はそれほど差がないからだ。紅魔館自体がヨーロッパの流れを組んでいるので、似たような要素を持つハルケギニアとの差などわずかだったりする。

 

「ミス・ヴァリエール」

 

 教室にまた声が響く。でも無言。

 

 いっそアンリエッタに会わせてしまう、というのも頭をよぎる。ただ口実が問題だ。アルビオン戦参戦の話があれば、それも手だったのだが、指輪の話をしてしまったので使えない。しかし、会せたら会わせたで、謁見をどうやり過ごすのかが想像がつかない。

 

「ミス・ヴァリエール!」

「は、はい!」

 

 ようやく聞こえた。ギトーの声が。

 

「一度ならずも、二度までも答えないとは。授業をなんだと思ってるのかね?」

「す、す、すいません!」

 

 立ち上がり、ひたすら恐縮するしかないルイズ。よりにもよってギトーの授業で、この失敗。何言われるか、分かったものじゃない。ギトーが嫌みたらしい視線を彼女に向ける。杖を軍人教官のように、手元でいじりながら。

 

「確かに君は、ようやく魔法に目覚めた。しかし、君の系統は風ではない上に、できる魔法と言えば、まだ初歩の初歩。スタートラインに、立ったままなのだよ?」

 

 自分の系統を持ち上げる事を、忘れないギトー。ムッとする生徒も何人か。ルイズにはそんな余裕ないが。

 

「同級生は、はるか先に行ってしまっている。同じドッドのメイジすらだよ。分かっているのかね?」

「は、はい」

「しかも最近では、優秀だった座学の方も成績が下がってきている。しかも先日は無断欠席までしたとか。少々、気が弛んでるのでは、ないかね?」

「いえ……。そんなつもりは……ありません」

 

 言っている事の割には、少し引け気味に答えるルイズ。以前なら毅然と返していただろうが、今は心当たりがなくもないので。

 

 ルイズの座学の成績が、落ちつつあるのは確かだった。もっとも、元々トップクラスだったので、以前に比べての話。しかし、魔法が使えるようになり、優秀な座学に上乗せされると思っていた教師達。それが、座学が落ちてきて、気を揉んでいたのだ。

 もちろん、理由はある。当然、幻想郷メンバーが主要因。彼女達のトラブル処理に追われたり、トラブルに巻き込まれたりで時間を取られているのだ。さらにアルビオン絡みの、いろんな騒動に関わったのもある。これらは結果、大きく国に貢献したのだが、真相を知っているのはアンリエッタの周りとキュルケ、タバサくらい。一般の生徒や教師には、どこか泊りがけで遊びに行ったくらいしか思われていなかった。

 そして天子。この傍若無人、自分勝手な使い魔。この天人が他の使い魔から抜きんでて強力なのは、どの教師も分かっていた。一方で、抜きんでて制御困難な自由人、というのも分かっていた。教科として見た場合、ルイズ、天子の主従は、連携のほとんど取れてないダメダメコンビと判定せざるを得ないのだ。ルイズ自身は、がんばって天子にいう事聞かせているつもりなのだが。教師達の評価は厳しく、これも成績の足を引っ張っていた。

 もっとも、外部要因だけでもない。魔理沙やアリス、文、天子などがトリスタニアによく行くようになったせいで、町の遊びを覚えてきていた。彼女達がルイズを誘うのである。勉学一辺倒だったルイズが、遊びを知り始めてしまっているのもあった。

 

 ギトーは少し叱りつけるような目で、ルイズを見た。だがその時、終業の鐘がなる。一斉に立ちだす生徒達。そして出口へ向かって行く。ただルイズだけは、突っ立ったまま残っていた。ギトーは少々不機嫌に言う。

 

「罰を与える。私についてきなさい」

「はい……」

 

 やがて教員室へ連れていかれたルイズ。ねちっこい説教の後、厄介な課題を渡されるのであった。

 

 

 

 

 

 夕方。かなり日が傾き、影が伸び始めていた。そんな中、ひと気のない広場で、激しい動きをしている二人の姿。一人はルイズ。ただし、いつものシャツにスカートではない。中華風道着を着込んで、愛用の長い杖を振り回していた。もう一人はメイド。だがこの学院では見慣れぬ姿。銀髪ミニスカートのメイド服。吸血鬼の従者、十六夜咲夜である。

 

「そこっ!」

 

 ルイズの右掌底が、咲夜の脇を狙う。しかしスルリと、体を回すように避ける咲夜。ルイズが次の攻撃に移ろうと、体を入れ替える。だが、喉笛に触れる木。ナイフ代わりの木刀もとい、木小刀。ルイズの見上げた先に、整然としたメイドの顔があった。

 

「ここまです。ルイズ様」

「はぁ~。また負けちゃった」

 

 静かに笑みを浮かべる咲夜と、項垂れるルイズ。二人は組手をやっていたのだ。

 

 ギトーに怒られた後、ムカついていたルイズは、汗を流して忘れる事にした。そこで思いついたのが咲夜。彼女に組手を頼んだのだ。せっかく来ているのだし、衛兵相手もちょっと飽きてきたのもあったので。咲夜自身も、レミリアが起きるまで時間があったので、引き受けた。

 さっそく組手をやったが、衛兵とは勝手が違い、結局ルイズは一度も勝てなかった。いや、善戦すらしていない。さすが美鈴を叱りつけている、メイド長の事だけはある。もっとも、ルイズも体術を初めてから数か月。敵うはずもなかった。練習相手も体術は素人の衛兵ばかりで、あまりいい相手に恵まれてないというのもある。

 

 咲夜は時計を見ると、わずかに目を見開く。そして、ルイズに詫びを入れた。

 

「申し訳ありません。お嬢様が、そろそろ起きる時間なので。この辺で、お暇させていただきます」

「謝る事ないわよ。頼んだのはこっちなんだから。でも……また、お願いできない?時間があったらでいいけど」

「ええ、喜んで」

 

 笑みを浮かべる吸血鬼の従者。やがて脇のベンチに置いてあった愛用の銀ナイフと、組手用の木製ナイフを入れ替える。意外に多いナイフの数。脇で見ているルイズ。いったいどれだけ持っているのだと、感心するやら、妙な寒気を覚えるやら。

 

「ルイズ」

 

 すると後ろから声がかかった。振り返った先にいたのは、キュルケとタバサ。

 

「あら?何よ。二人揃って」

「面白そうな事やってたから、見てたのよ。途中からだけどね」

「ふ~ん……。そう」

 

 そっけない返事だが、ルイズ、意外にまんざらでもない。

 もうかつてのように、キュルケといがみ合うような事も最近なくなった。ルイズのヒステリックが大分収まって来たのもあるのだが、なんだかんだでこの所、一緒に行動する事が多いせいもあった。今までよく知らなかった彼女の別の面が、見えてきたのだ。一方のキュルケも、幻想郷から戻って来て大分様変わりしたルイズに、今までとは違う態度で接している。彼女にとっても、もう遊び半分でからかうような相手ではなくなったという事だろう。

 

 ルイズ、汗を拭きながら尋ねる。体を動かして気が晴れたのか、ちょっと満足そうに。

 

「どうだった?」

「悪くない」

 

 タバサの素直な答え。

 実戦経験を積んでいるタバサからしても、ルイズの動きは悪くなかった。これに状況判断力が加われば、すぐ実戦に出られると思うほど。

 一方、それを聞いてキュルケは、胸の内で苦笑。メイジが体術で、褒められていいのかと。系統が虚無である事といい、接近戦を磨いている事といい、なにやらルイズはかなり変わったメイジに育ちつつあった。

 

 やがてキュルケは、もう一つの好奇心の方へ視線を移す。咲夜の方へ。

 

「見かけないメイドよね。新人?……っていうか銀髪ってのも珍しいわ」

「ああ、紹介するわ。咲夜!」

 

 銀髪メイドはルイズの側まで来ると、一つ礼。洗練された態度に、キュルケとタバサは少なからず感心。

 学院のメイドは、王宮や貴族に長らく勤めている者と違い、洗練されているとは言い難いものあった。人の入れ替わりも程々あるので。それだけに、彼女がここに雇われたメイドでないとすぐに分かる。誰かに長らく仕えている者だと。

 しかも、気に止まったのは態度だけではない。メイド服としては珍しいミニスカート。それだけなら単に煽情的なコスチュームとバカにしそうだが、そこから覗いているナイフの群れ。このミニスカートは、機能的なものなのだと直感する。ナイフが抜きやすいように。となると、このメイドは物騒な相手に仕える女性だと予想する。

 

 ルイズはそんな彼女を、まるで馴染みの親戚を顔見せするように紹介した。

 

「彼女は十六夜咲夜。幻想郷でお世話になってたの」

「またゲンソウキョウから来たの?」

 

 キュルケ少々呆れ気味。またかと。さらに、一癖もふた癖もある人物なのだろうと思っていた。

 咲夜は、話に一段落着くのを待っていたのか、改めて礼を一つ。

 

「スカーレット家のメイド長を務めさせていただいています、十六夜咲夜と申します。お二方の事は、ルイズ様より伺っております。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー様、タバサ様。以後、お見知りおきを」

 

 整然とした丁寧な言葉。だが、どこか冴えるような響きを感じる二人。鋭利な刃物。そんな雰囲気が漂ってくる。姿はハルケギニアのメイドに近いが、纏う空気がまるで違う。やはり異世界人なのだと、二人は返事をしつつも勝手に納得していた。

 

 紹介も済んだので、咲夜はルイズに向き直る。

 

「では、ルイズ様。そろそろ、行かなければなりませんので」

「うん。いいわ。今日は、ありがとね」

「お時間がありましたら、またお付き合いいたします。それでは」

 

 最後に三人に軽く会釈。次の瞬間。

 消えた。

 咲夜が。

 

「えっ!?」

「……っ!?」

 

 素っ頓狂な一声を上げる微熱と雪風。で、硬直。一時停止。フリーズ。口を半開きにしたまま。

 その横で、ルイズは思わず笑いを漏らしていた。キュルケはともかく、こんな露骨に驚くタバサを見るなんて、まずないのもあって。でも、そんなものを気にする余裕のない二人。途端にキュルケがルイズに、キスでもするのかというくらい顔を寄せてきた。表情はキスどころじゃなく、動揺しまくりだが。もう、微熱の優雅さはどこへやら。むしろ、なんか怖い。

 

「ル、ル、ル、ルイズ!き、き、消えたわよね!今、あのメイド!ねえ!」

「そうよ」

「そ、そうよ!?」

「あれが彼女の能力なの。時間を止められるって言うか……止まった時間の中を動けるの」

「はぁ!?どういう意味よ!?」

「つまり、流れてる時間を止めて、人も物も風も水も火も何もかもが止まった中で、彼女だけが動ける。って聞いたわ」

「な、な、何よそれ……」

 

 またも唖然とする二人。

 よく意味が分からないが、言わんとしている事はなんとなく分かる。だが、とても信じられないものだ。瞬間移動とか言う方が、まだ理解できる。幻想郷の連中の側にいて、いろんな能力を見てきたが、咲夜のものはそれと比べても常軌を逸していた。時間を止めるなんて、先住魔法とかそういう括りとは別次元の存在にすら感じる。

 なんとも言えない、茫然とも混乱とも取れるような様子の二人。銀髪メイドのいなくなった跡を、ただ見つめていた。やがてキュルケ、ポツリと零す。

 

「ヨーカイ?」

「違うわよ。人間よ。メイジでもないわ」

「それじゃぁ、ただの平民だとでも言うの?あり得ないでしょ……」

「分んなくもないけど」

 

 ルイズ、自分で咲夜の能力を言ってみて、ちょっと自信がなくなった。

 

 しばらくして、ようやく落ち着く二人。ふとタバサが気になった事を口にする。

 

「さっきのメイド。スカーレット家に仕えていると言っていた」

「そうよ。つい最近、主従共々やってきたの」

「主はヨーカイ?」

「うん。吸血鬼」

 

 ルイズ、あっさり。ようやく復帰したばかりの二人が、また動揺しだした。目が見開いている。さっきと同じ顔。

 しかし無理もない。吸血鬼と言えば、ハルケギニアでは最も警戒すべき妖魔だからだ。吸血鬼、人の血を吸う鬼。しかし人の命を奪う妖魔は、他にもいる。しかも、吸血鬼は魔法も力もそう突出した訳でもない。それでも最も恐れられているのは、卓越した忍び込む能力にある。何気なく人と共に暮らし、人の血を吸う。気づかぬ内に、人々に死を招く。ある意味、見えない敵。さらに、吸血鬼は血を吸った相手を、屍人鬼として使役する事ができる。これほど恐ろしいものはない。特にタバサには、吸血鬼退治の経験もあるので、なおさら実感があった。

 

 少しばかり不安感を浮き上がらせる二人。キュルケは、ルイズに小声で尋ねた。

 

「あのメイドって……実は屍人鬼?」

「だから、正真正銘の人間だって」

 

 相も変わらぬ、あっけらかんとした返事。さらに補足一言。

 

「それに、彼女の主は屍人鬼なんて使わないわ。って言うか逆。"こっち"の吸血鬼みたいに、忍び込むなんてまずしないわよ。正面から堂々と宣言して乗り込んで、相手を屈服させるタイプよ」

「何よそれ。ホントに吸血鬼?」

「異世界ってのは、そういう事よ」

「う~ん……。そう……なの」

 

 イマイチしっくりこないながらも、キュルケは腕を組んで考えを咀嚼する。首を捻りながら。理解するにはいろいろ足らないようだが、一つだけ分かる事がある。今まで以上に厄介な人外が、またゲンソウキョウから来たのだと。

 

 そして落ち着きを取り戻すと、三人で寮へ向かい始めた。食事の時間まではまだ間があるが、遊びに行く程の時間もないので。

 かなり日差しの傾き、緋色に染まった廊下。ふと、キュルケが話を振る。

 

「そう言えば、ギトーの罰って何よ」

「うっ……。思い出したくない事を……」

「で、何?」

「使い魔との連携をレポートにした上、実践しろって」

「うわっ。それは難題だわ。あなたにとってはだけど」

 

 笑いながら言う。半ばからかい気味に。対するルイズは膨れ顔。一般の生徒なら造作もない課題だが、使い魔が天子という一点だけで、難易度は跳ねあがっていた。

 

 進む三人の影。穏やかな夕暮れ。廊下に響く足音の中、キュルケはしみじみと話だした。

 

「でも……、あなたが授業態度悪い、って怒られる日が来るとはね」

「ちょ、ちょっといろいろ考え事があったのよ」

「成績でも怒られたでしょ?」

「あ、あれは……その……、いろいろ忙しかったから……。勉強する暇なかったの!」

「トリスタニアによく遊びに行ってるのに、時間がなかった?」

「な、なんで知ってるのよ!」

「そりゃぁ、私だって遊びに行ってるもの。たまに見かけるわ。あの"魔法使い"達とつるんでるの」

「い、息ぬきよ!」

 

 ムキになって反論するルイズ。キュルケはそれを微笑ましく見ていた。誇りに対してではなく、遊びを誤魔化そうとしてムキになるルイズが新鮮で。

 どこかサッパリした微熱。ルイズに笑みを向ける。

 

「悪くないわよ」

「何が?」

「悪いって言われたの」

「は?何言ってんの?悪いのは悪いに、決まってるでしょ!」

 

 むやみ突っかかる。遊ばれていると感じたのだろう。ルイズにとっては。すると脇から、タバサが言葉を添える。

 

「余裕ができたのを感じた」

「え?」

「以前のルイズは、遮二無二なり過ぎていた」

「…………」

 

 言われてみれば分からなくもない。

 公爵家という家柄、魔法が使えない貴族、両親の期待……。埋まらぬスキマを、無理に埋めようとしていたのだ。学問という自分ができる唯一の事で。今考えると、いつも気が張っていた様な気がする。些細な事ですぐに苛立ったのも、そのせいかもとすら思ってしまう。

 だが、今は違う。魔法にも目覚めた。しかもそれが虚無。だがそれだけではない。あの幻想郷の連中。世間の目なんてまるで気に留めない。自由闊達で、好奇心旺盛。彼女達が、器に嵌ろうとする自分の思考を、変えてくれたのも確かだ。もっとも、最近は少々器を壊しすぎかもしれないが。

 

 それにしてもと、ちょっと驚くルイズ。タバサはクラスメイトだったが、一年の頃は接点もなく会話もない。それが意外にも、自分の事を見ていたとはと。その点ではキュルケも同じだろう。からかいながらも、彼女は自分を人として見ていたのだ。

 ルイズは、やけにすがすがしい表情を浮かべていた。

 

「うん。そうかもね」

「フッ……」

 

 そんなルイズに、キュルケとタバサは笑みを浮かべていた。お互いの顔を見やり、肩をすくめて。

 

 

 

 

 

 

 日の落ちた廃村寺院のアジト。というか幻想郷メンバーの住居。そこに二人の姿があった。ルイズと天子の主従である。重要な事を知らせに来たのだ。

 廊下の真ん中に立つと、ルイズは声を張り上げた。やけに機嫌のいい声を。

 

「えーっと。お知らせしたい事があります。全員集合ーっ!」

 

 地下なので声がよく通る。やがて部屋から出て来る姿が見えた。まずは鈴仙、そして衣玖。でもそれで終わり。出てきたのは、二人だけだった。

 肩から力が抜けるピンクブロンド。相変わらず、集団行動のとれない連中だと。それから部屋を一つ々回って、呼び出すハメに。あれやこれやで時間をかけて、ようやく全員そろった。一同リビングに集合。

 

「なんだよ用って」

「手短に済ましてくださいよ。記事書いてる途中だったんで」

「パチェ。あれ何?」

「あれはね……」

 

 集合してもまとまりのない一同。またまたルイズは声を張り上げた。

 

「静粛にーー!」

 

 一応、静かになる。ルイズ、演説を始める様に一つ深呼吸。

 

「えー。以前より話していた、我がヴァリエール家への訪問を来週末にしたいと思います。そこで、来週の予定は空けて置いてください」

 

 多少のざわめきは起こるが、その中で露骨に困った顔する者が一名。魔理沙だった。

 

「来週かよ。参ったぜ」

「何か予定があるの?」

 

 ルイズの問いに、魔理沙は親指で後ろを指す。その先に見えたものは、祠のようなもの。それが棚の上に置かれていた。祠の中には小さな水瓶があり、水で満たされている。眉を潜めるルイズ。あんなものが、リビングに今まであっただろうかと。

 

「何よあれ?」

「ラグドだぜ」

「え?どういう事?」

「ここにも住むって話だぜ。あの祠は、まあ……ラグドの分社みたいなものかな」

「分社って……。いつから神様になったのよ」

「けど、誓約の精霊って崇められてたんだろ?場合によっちゃぁ、神格も身に着けてたかもしないぜ」

「崇めるっていうか……そう言われてるってだけよ」

 

 水の精霊を誓約の精霊と呼ぶのは、よくあるゲン担ぎみたいなもので、崇めるというほどではない。古くは民間信仰として、崇めていたらしいと聞いた事はあるが。ただルイズは、なんとも少々呆れ気味。最初は妖精並の頭とか言われていた水の精霊が、今では神様あつかいとは。ともかく話を戻すルイズ。

 

「で、ラグドと来週の予定が、どう関係するのよ」

「残りのラグドを戻すのよ」

 

 ルイズの問いに、今度はアリスが答えた。

 

「残り?」

「アルビオンに持って行った分。あの水瓶に入ってるのは、その一部だけなの。で、残りをラグドリアン湖に戻そうと思ってね」

「時間かかりそう?」

「戻すだけなら、そんなに時間かかんないわ。ただ……せっかくだから、いろいろ寄ろうと思っていただけ」

「そうなの。じゃあ、寄り道する予定はキャンセルして」

「仕方ないわね」

 

 アリス零すようにあきらめる。するとまた魔理沙。

 

「けどな、一旦こっちに戻るってのも手間だぜ。直におまえんチ、行けばいいだろ?」

「ダメよ。ヴァリエール家として、招待するって形になってるんだから。ホストとして、連れて行かないといけないの。それに、あなた達だけで行って、どうやって入るのよ。怪しまれるのがオチでしょ。だいたい私の家知ってんの?」

「地図書いてくれ、下見してくるから」

「下見って、どこにあると思ってんのよ。近所って訳じゃぁ……」

 

 そこまで言いかけてルイズは言葉を止める。魔理沙はここにいるメンツの中では、文、吸血鬼姉妹の次に速い。一日でラ・ヴァルエールの居城まで往復するのは、造作もなかった。それに街道に沿って行けば、簡単にたどり着けるほど、城は分りやすい場所にある。もっとも、ラグドを湖に届けてから戻って来るのも、そう無理ではないのだが。ただ魔理沙達は、せっかく遠出する事を、有効活用したいらしい。

 いろいろと考えをまとめているルイズを他所に、魔理沙の後ろから声がかかる。レミリアだった。瞳に好奇心が滲みだしている。

 

「何?あんた達旅行に行くの?」

「旅行っていうか、用を済ました後、寄り道するだけだぜ」

「ふ~ん……。面白そうね。私も付いて行くわ」

「なんだよ。マナーの勉強するんじゃなかったのかよ」

「フッ……。私がその気になれば、あっと言う間よ」

 

 自信ありげに胸を張るお嬢様。女王との謁見はどこへやら。相も変わらず、気まぐれな吸血鬼であった。

 だが、それを聞いていたルイズ。チャンスなんて言葉が頭に浮かぶ。学院に戻った後、マナー不足を口実に、アンリエッタとの謁見をさらに伸ばしてしまおう、なんて考えた。

 

「いいじゃないの。魔理沙。レミリア連れて行ったら?」

「私はいいぜ。けど、ルイズが私ら連れて行くってのは、どうすんだよ」

「そうね。じゃぁ待ち合わせをしましょう。実家の近くに宿場町があるのよ。だから、そこで待ち合わせ。後で地図渡すから、下見してきて」

「ああ」

 

 大きくうなずく魔理沙。レミリアもこっちに来て最初の観光なので、ちょっとワクワクが顔に出ていた。

 魔理沙と共に行くのは、アリス、レミリア、フランドール、咲夜、パチュリー、こあ。ちなみに、ルイズは魔理沙に全部任せるのは心配だったので、アリスとパチュリーに念を押すのだが。期日に必ず宿場町に来るようにと。

 

 

 

 

 

 翌日の晩。学院長室にノックが響く。読んでいた本から視線を外す、オールド・オスマン。

 

「ん?何かな?」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。本日、お話しした件について、参りました」

「おう。そうじゃった、そうじゃった。入りたまえ」

 

 扉が開くと、見慣れたルイズが入ってくる。だが、すぐにオスマンは渋い顔に。彼女の後ろにゾロゾロと続く連中の姿を見て。しかも、身に着けているのはハルケギニアとは明らかに違うファッション。学院長はだいたい、ルイズが何しに来たのか分かってしまった。

 

 そんな何とも言えない表情のオスマンを余所に、ルイズは滔々と要件を話だす。

 

「オールド・オスマン。実はご紹介したい方がおりまして」

「そのようじゃな」

「この方たちは私が、ロバ・アル・カリイエの生活でお世話になった、スカーレット家の方々です」

「…………そうか」

「ご紹介します。まず……」

 

 それからレミリア、フランドール、咲夜の順に紹介した。本来ならメイドは紹介しないのだが、ルイズとしては紹介した方が後々トラブルの種にならないだろうと考えて。一応咲夜を、臣下というような紹介の仕方をした。

 各人の自己紹介を、オスマンは言葉少なく聞いていた。もちろん、いろんな事を考えながら。

 一通り終わると、レミリアが代表して締める。

 

「しばらくの間、よろしく頼むわ」

「こちらこそな……。ところで、一つ伺いたいんじゃが、その背中にあるのは何かな?」

 

 指差した先にあるのは、レミリアの翼。ルイズとしては隠してもらいたかったのだが、お嬢様をうまく説得できなかったのだ。だが、次善の策は考えてある。

 

「オールド・オスマン。これは、向こうのファッションのようなものです。ご覧の通り、ミス・レミリアは蝙蝠の羽を、ミス・フランドールは枝状のものを身に着けているのです」

 

 堂々と言った。でまかせを。当たり前の事を、口にしたまでという態度で。まるで何度も練習してきたかのように。実際していたのだが。

 もっともこの嘘も、フランドールの羽が、パッと見ではとても羽に見えないからこその手。二人とも蝙蝠の羽だったら、使えなかったろう。

 しかし、オールド・オスマン。まるで表情が変わらず。レミリアの方に顔を向ける。

 

「なるほどな。じゃが、できれば学院内では、外してもらえんだろうか」

「翼人の事ね。話は聞いてるわ」

「知っておるなら、ありがたい。混乱は避けたいからの」

「そう。混乱の元になるの」

「そうじゃ。お前さん方も、できれば面倒は避けたいじゃろ?」

「フフ……」

 

 わずかに頬を上げるレミリア。すると大仰に礼をする。

 

「では、ご老体。今宵はここまで」

 

 オスマンの頼みに、YesともNoとも言わず、主従は部屋を後にした。それを少し不審な目で、見送るオスマン。

 ルイズも彼女たちに付いて行こうとする。しかし、背中から声がかかる。

 

「ミス・ヴァリエール。君は残ってもらえんか」

「あ、はい?」

「ミス・スカーレット。ミス・ヴァリエールがおらんでも、部屋に戻れるかの?」

「ええ、ここの構造はだいたい知ってるわ。では、失礼」

 

 軽い挨拶のあと、部屋から出て行ったレミリア達。そして一人残ったルイズ。少し顔が引きつっている。さっきの羽の嘘が疑われているのかも、なんて考えが浮かぶ。だがオスマンの顔色からは、意図が窺えない。

 老人は机から一枚の紙を出すと、それに目を通した。やがてルイズの方へ向き直る。

 

「ミス・ヴァリエール」

「は、はい」

「休暇願を出してるようじゃな」

「はい。ロバ・アル・カリイエの方々を両親に紹介する事となっていましたので、両親の方も時間が取れたようですから、この機会にと」

 

 ルイズ、ちょっと胸をなでおろす。嘘がばれた訳ではないと分かって。それにしても本当の事を話しているせいか、ルイズの声はやけに滑らか。一方、オスマン。微妙な表情。零すように口を開く。

 

「それにしてもついこの間、休んだとハズじゃが、また休暇かの」

「い、いえ……。その、今回の予定は随分と前から決まっていたもので……両親の都合もありますし……」

「ま、今回は、ミス・ツェルプストーとミス・タバサは休んでおらんようじゃしな」

「…………」

 

 ルイズ、顔が少し青くなる。オスマンは、彼女がアルビオンに行ったとき学院で文が起こしたちょっとした騒動を、まだ気にかけているらしい。その時は確かに、キュルケとタバサも同じく休んでいた。別々の表向きの理由で。

 だが、オールド・オスマンは、そんな気がかりなど他所に置いたように表情を緩める。

 

「ま、いいじゃろう」

「ありがとうございます」

「帰ったら、ご両親と十分話し合ってくるのじゃぞ」

「え?」

 

 なにやら微妙な言い回し。ルイズ、怪訝な表情。学院長は変わらぬ穏やかな口調で、話を続けた。

 

「実はご両親から手紙が来てな。君が戻って来てから、どのような生活を送っているか……とな。まあ、ご両親としては、心配するのも無理なかろう。ロバ・アル・カリイエから帰って来たというだけでも、気を揉む出来事じゃろうし」

「はぁ……」

「そこで返事を書いたのじゃ。魔法にも目覚めた事や、日々体を動かす鍛錬をしておるとかな」

「はい」

「ついでに、最近、成績が下がっとるとか、無断欠席までしたとかもな」

「えーーーっ!!?」

 

 喉が裏返るほどの声が、学院長に室に響く。ルイズ、目剥いて、叫んでいた。そんな内容の手紙を両親が見ては、どんな目に遭うか分からない。いや、想像がつくが、つくだけに予想される将来にはリアリティがあった。

 

「ご両親によろしく」

 

 にこやかに笑う、老学院長。その言葉はルイズに届いていなかった。頭にあったのは、やっぱり悪いものは悪いのだという事だけである。

 

 

 

 




 実は今回、マリコルヌを出そうと思っていました。今まで出てなかったんで。シーンも作ったんですけど、結局カット。そもそも、能力的には上位互換のタバサがいるし、ルイズとの関わりもそう強くないので、出しづらいというか。いつか機会があれば出るかも。出ないような気がしますけど。


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UMA

 

 

 

 

 そろそろ日が変わろうしている深夜。トリステイン魔法学院の敷地内にある、小さな小屋。夜遅いというのに、まだ灯りがついていた。コルベールの研究室である。今日も小屋の主は、研究に勤しんでいた。半ば趣味の。

 すると小屋の古びた扉から、ノックが聞こえた。手を止めるコルベール。

 

「どなたでしょうか?」

「わしじゃ。ミスタ・コルベール」

 

 コルベールは意外な人物に驚く。オールド・オスマンがここに立ち寄るなど、滅多にないので。彼は思わず立ち上がると、すぐに扉を開けた。

 

「これは学院長。このようなむさ苦しい場所に」

「むさ苦しいが、我慢できぬほどでないぞ」

「ともかく、中へどうぞ」

「うむ」

 

 老学院長は、部屋の中に案内される。そして席に座った。

 

「散らかっておりまして、申し訳ありません」

「ホント、散らかっておるの。少しは整理したらどうじゃ」

「いやはや。おっしゃる事はごもっともで……」

 

 薄い頭を下げる教師。苦笑いしながら。もっともオスマンも、この小屋はあくまでコルベールの私室なので、とやかく言うようなものではないのは分かっている。

 やがてコルベールが紅茶を用意する。カップを置き、席に座ると、まずは一言。

 

「それで、このような時間に、どのようなご用件でしょうか?」

 

 さっきまでの人の良さそうな雰囲気は、そこにはなかった。とぼけた態度が消え失せる。

 

「一時ほど前、ミス・ヴァリエールが学院長室に来たのじゃ。紹介したい人物がいると」

「紹介したい人物?」

「君もだいたい察しておろう。ロバ・アル・カリイエの住人じゃ。なんでも、ミス・ヴァリエールに住居を用意した人物なのだとか。スカーレットと名乗る主従じゃった」

 

 話を聞いて、表情を硬くするコルベール。

 

「この間、ミス・レイセンが来たばかりではありませんか。にも拘らず、またですか」

「そうじゃ。どういう訳か、ロバ・アル・カリイエは、まるで隣町かのように気軽に来れる場所になったらしい」

「学院長……。私の考えを述べさせてよろしいでしょうか?」

「この場に限り、という事じゃな?」

「ご配慮、感謝します」

 

 コルベールは厳しい顔をオスマンに向けた。それは今まで溜めていた不安、疑問を吐き出そうとするような表情だった。オスマンもまた、それを受け止めるようにわずかに頷く。気持ちを締めて。彼も多くの疑問を胸に秘めていた。

 ゆっくりと教師は口を開いた。

 

「単刀直入に言います。ロバ・アル・カリイエの住人との話は、嘘ではないかと。いえ、そもそも彼女達は……人間……なのでしょうか?」

「うむ……。実はわしもそう思っておった。独特の服装や考え方、見慣れぬ魔法に目を奪われがちじゃが、日常生活からしておかしい」

「ええ……。実は、ミス・ノーレッジに、その件について聞いた事があります」

「ほっほ。こりゃ、思い切った事をしたのぉ。で、返事はどうじゃった?」

「ごまかされました」

「そうか」

 

 老メイジは、椅子にもたれかかると、わずかに視線を落とす。何か考え込むように。やがて、意を決したのか、懐から一枚の封書を取り出した。そしてコルベールの前に差し出す。コルベールはそれを手にすると、中身を読み始めた。すぐに表情が硬くなる。厳しい視線をオスマンに向けた。

 

「これは……」

「王宮からの要請じゃ。彼女達の仔細が知りたいとな」

「何故、今になって?」

「最近、アルビオン出兵が決まっての。もう作戦会議も始まってるそうじゃ」

「それに関係して?そう言えば、先日、ミス・ヴァリエールが王宮から召喚を受けてましたが……。まさか彼女達の出兵の仲立ちを、要請されたのでは?」

「やもしれん」

 

 オールド・オスマンは白い髭をいじりながら、つぶやく。考えをまとめているかのように。やがて意を決したように、コルベールの方へ向き直る。厳しい視線がそこにあった。

 

「わしは王家より、ここの学院長を任されておる。故に王家の臣下じゃ。彼女達が何者でも、王家の賓客なら丁重にもてなさねばならん。じゃが、同時に学院長として、ここの生徒達を預かる身でもある。生徒達の安全は何よりも優先せねばならん」

「では……」

「あのような力を持った者達が、得体の知れないまま生徒達の側にいるのは、看過できまい」

「ならばどうされます?本人達に聞いても、はぐらかされると思いますが」

「手はある。彼女達に直接聞くより、ずっと簡単な方法がな」

 

 わずかに笑みを浮かべるオスマン。コルベールはそれに確信を感じた。学院長には決め手があるのだと。ただ、その後が問題だ。彼女達の正体を知った後。予想通りだったとし、どうするのか。彼自身、まだ決めかねていた。

 

 

 

 

 

 トリステインの東に広大な領地を保有する貴族がいる。ヴァリエール公爵家。ゲルマニアと接しガリアも近いこの家は、トリステインの東の要とでもいうべき家だった。さらにアルビオン出兵はもはや時間の問題。不穏な空気が、この城下を包んでも不思議ではない。

 しかし、そんな気配はわずかもなかった。いや、むしろ戦争の足音が近いからこそ、今の穏やかさを大切にしているかのようでもあった。

 

 ひげを蓄えたヴァリエール公爵。その金髪は色がかすみ始めていた。対面に座っている愛妻のカリーヌ。ルイズとよく似たピンクブロンドは、まだまだ衰えを見せてない。二人はかつて勇者だった。周辺国まで名を馳せる程の。そう、"烈風カリン"。カリーヌこそがその人だった。カリンと仲間達の英雄譚は、今でも語り草だ。しかし当の二人にとっては、それも昔の話。今はこうして、穏やかな日々を送っている。

 

 公爵夫妻は、昼食後の紅茶を楽しんでいた。公爵が、カップを置き話かける。

 

「ルイズは、あと五日程してこちらに来るそうだ。例の異界の者達と共にな」

「異界の者ですか……。詳しい事は聞きませんでしたが、どのような者でしょうね」

「想像もつかん。だが、分かるのもそう遠くはない」

 

 二人は、それがどんな連中だとしても、迎えねばならないと考えていた。娘が世話になったのだから。もっともそれが、人外だとは思っていなかったが。ルイズは両親に異界の話をしておきながら、住人の話はしていなかったので。さらにヴァリエール夫妻は、異界でも人間が万物の霊長として存在していると、勝手に思い込んでいたのだ。

 

 カリーヌはおかわりのお茶を頼むと、不満そうに零す。話題を変えるように。

 

「それにしても、あれから随分と時間のかかった事。なにをモタモタしていたのでしょうね」

「そう言うな。学院に復帰してから、いろいろとあったのだろう」

「ですが、学院長の手紙をご覧なったでしょう?あの子は、少々気が緩んでいるのではないのですか?」

「それは……。うむ……」

 

 なんとも公爵の歯切れの悪い返事。手紙の内容は、ルイズの成績が以前に比べ芳しくないというもの。確かに、耳障りのいい話ではない。

 だが、ふいに笑いを漏らす公爵。それにカリーヌは憮然。

 

「笑いごとではありません。ルイズの成績が落ちているのですよ」

「いや、悪い。そういう意味ではない。何、親として普通に娘を心配している自分が、可笑しくてな」

「…………。そうですわね。あの娘がいなくなった時は、それどころではありませんでしたから」

 

 カリーヌは窓の外を、遠い目をして眺める。

 二人のこの数か月は、起伏の激しい出来事ばかりだった。突如、行方不明になった愛娘。アルビオンとの戦争。いきなりの娘の帰還。しかも魔法にも目覚めた、というのだから。悲哀と歓喜が上下するような日々。それに比べれば、ルイズの成績など些細な事に思える。今はこうして、娘の帰郷を待っているだけだが、以前にはない不思議な満足感があった。二人はわずかな笑みを向け合った。

 その時、食堂へ執事が入って来る。ヴァリエール家に長年仕えている執事、ジェロームだ。おごそかに礼をする。

 

「旦那様。エレオノールお嬢様が、先ほどお着きに……」

 

 と言いかけたとたん、後ろから彼を押しのけて入って来る女性が一人。キツメの目にブロンドの長い髪。エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール家の長女、ルイズの姉である。今は王立魔法研究所に勤めている。今日は、ルイズの帰郷に合わせ帰って来たのだ。家族に関係した重大な事があると、両親から聞いて。

 

 彼女はそのキツイ目を余計に尖らして、ズカズカと部屋へ入って来る。

 

「父さま!私に兵をお貸しください!」

「なんだ藪から棒に」

 

 呆気にとられる公爵。娘の只ならぬ態度と、いきなりの無茶な要求に。しかし、そこに冷静な声が挟まれる。母親のカリーヌだ。

 

「エレオノール。不作法ですよ。まずご挨拶なさい」

「か、母さま……。申し訳ありません。ただいま帰りました。父さま、母さま」

「うむ。それで?」

 

 公爵はエレオノールの方へ向き直った。カリーヌも彼女の話に耳を傾ける。

 

「妖魔あらためをするのです!」

「どういう事ですか?エレオノール。吸血鬼の痕跡でも見つけたのですか?」

 

 カリーヌの視線が少々厳しくなる。同時に、さっきまでの穏やかな態度が、緊張感を纏うものに。

 妖魔あらため。町や村に忍び込んだ妖魔を、見つけ出す作業だ。この妖魔はほとんどの場合、吸血鬼を指す。町に潜んで隠れている妖魔など、まず吸血鬼以外にいないからだ。ともかく吸血鬼は、領主にとって懸念すべき大事の一つ。しかし、長女は意外な事を口にした。

 

「翼人を探すのです!」

「翼人?」

 

 さらに眉をしかめる公爵。自分の娘は、何を言っているのだ?という具合に。

 

「待て待て。翼人が、どうやって町に忍び込むというのだ?翼があるのだぞ。隠れようがない。ワザワザ妖魔あらためを、するまでもないだろう。それどころか、騒ぎになっておるだろうに」

「で、ですが私は見たのです!確かに宿屋に潜んだ翼人を!」

 

 何故か必死のエレオノール。益々理解不能の夫妻。カリーヌは一つ息をこぼす。少し浮き出た緊張感はどこへやら。冷静に返事を返す。

 

「エレオノール。少し落ち着きなさい。最初から話してごらんなさい」

「は、はい。あれは昨日の事でしたわ……。私は……」

 

 

 

 

 

 王立魔法研究所の研究員、ヴァリエール公爵家の長女、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。当時、彼女は、実家への帰路へ就いていた。両親から、呼び出しがあったのだ。

 住まいのトリスタニアから、ラ・ヴァリエールの居城までは長くても馬車で三日の道のり。一泊目を愛用している宿屋で、過ごす事とした。ところが部屋は満員。実は祭があり、宿場町に人が溢れかえっていた。この地を治める侯爵に待望の世継ぎが生まれ、その祝いの祭が行われていたのだった。

 

「よりによってなんで今日なのよ。間が悪いわね!」

 

 彼女は宿屋の前で、そう毒づいたと言う。

 その後、付き人と共に空いている宿を探したが、目ぼしい宿は全て満室。辛うじて空いていたのは、場末の安宿。そのみすぼらしい宿を見た時、悪い予感があったそうだ。

 

 部屋の中は彼女の予想通り、酷いものだった。天井は低く、壁も薄くスキマが所々。ベッドは固く、布団はツギハギ。大貴族の娘である彼女からすれば、不快な感情しか湧き上がらなかったそうだ。

 なるべく早く宿を出たいと思った彼女。すぐに寝る事とした。ただ今は祭の最中。夜になっても騒ぐ連中がおり、彼女が寝入ったのはかなり遅かった。

 

 深夜、そんな彼女が、ふと目を覚ます。光が目元を照らしていたのだ。寝入りを起こされ、朦朧としていた彼女が目にしたのは、壁からの光。よく見ると、隣の部屋の壁から漏れてきていた。安普請なこの宿。壁にはアチコチに隙間が空いていた。

 

(ホント、ボロな宿ね。だいたいこんな時間まで起きてるって、常識なさすぎよ!全く平民というのは……)

 

 そう胸の中でボヤキながら、壁に近づく。どんな連中か見てやろうと思ったのだ。エレオノールはスキマに目を寄せた。

 

(!?)

 

 その光景が目に入った時、思わず後ろに飛び跳ねそうになったと言う。なんとか堪え、壁際に留まる。

 彼女は何かの見間違いかと思い、もう一度壁の隙間を覗いた。だが確かにそれはいたのだ。

 翼人が。

 息を飲むエレオノール。せっかちだが、実は臆病な所もある彼女。少々腰が引けたが、それでも勇気を振り絞り、中を探ろうとする。

 よく見ると、翼人は一人ではなかった。何人か他にもいたのだ。だが奇妙な事に気づく。最初に見た翼人の翼は黒いのだ。普通は白い。他にも、ひだともなんとも言い難い、妙な翼をもっている者もいた。それにウサギの耳を生やした、獣人らしき者も。後もう一人いるようだが、それはよく分からなかった。壁の隙間から見るだけでは、限度があった。またその連中たちは、なにやら話していたそうだ。小声で、よくは聞こえなかったのだが。

 

 なんとか様子を伺おうとしていると、彼女の耳に不穏な言葉が入ってくる。

 

「ヴァリエール……しのび……こむ……」

(ヴァリエール家に忍び込む!?)

 

 辛うじて口を押え叫ぶのを我慢したエレオノール。だが、その言葉は、何度も頭の中で反芻されたと言う。

 それからの行動は早かった。もうこんな宿屋で寝ている場合ではない。付き人を起こすと、すぐに宿屋を出る。そして夜通し、馬車を走らせ城に急いだそうだ。

 

 

 

 

 

「…………というような事があったのです」

 

 エレオノールの話を聞いていた、ヴァリエール公爵夫妻は渋い顔。公爵のため息と共に出てきたのは、疑問の声。

 

「黒い羽の翼人?そんなもの、聞いた事もないぞ」

「実際、そうだったのです!」

「祭で浮かれていた連中が、仮装をしていただけではないのか?」

「それは考えました。しかし、侯爵の嫡子誕生の祝いですよ。翼人の仮装なんて、不敬を通り越して悪質ですわ。それはあり得ません!」

「そうかも……しれんが……。」

 

 筋は通るが、どうにも納得しがたい。今度は、様子を窺っていたカリーヌが質問。公爵と同じく信じがたいという顔で。

 

「先ほども話しましたが、だいたい翼人が、どうやって宿に泊まるというのですか?宿の主が密かに泊めたとでも?仮にそうだとしても、他の客も泊まっている階に、潜ませるなどおかしいでしょ」

「それは……その……おっしゃる通りですけど……。どうしてあんな場所にいたのかは、分かりませんが……」

 

 なおさら呆れだす両親。お互いの顔を見やって、再び溜息。そんな二人に、エレオノールは変わらぬ必死の訴え。キツイ目を余計吊り上げて。

 

「で、ですが、私は見たんです!」

「それは聞きました」

「そうではなくて、翼が羽ばたいてるのをです!」

「翼が?」

「はい!それはもう、自然に!その時、翼人の手はベッドについていましたわ!何も持たず。断じて、操って動かしたものではありません!あれは本物の翼です!」

 

 あまりに頑強に言うので、さすがのカリーヌも返事に困る。公爵の方も少々うんざり。そして観念したかのように、うなずいた。

 

「分かった。一つ聞くが、その連中は、確かに"ヴァリエール家に忍び込む"と言ったのだな?」

「はい」

「よかろう。妖魔かどうかはともかく、我が家の名が出たのだ。賊の可能性はある。念のため探索の兵を出そう」

「よろしくお願いします」

 

 エレオノールは深々と頭を下げる。もう、しっかり探索してくれという要求のように。

 すると母から一言。

 

「エレオノール。ですから、あなたはルイズが来るまで、何も案じる事はありません。大人しく、城の中にいなさい」

「は、はい……」

 

 カリーヌは釘を刺すのを忘れなかった。どうにも落ち着きのない様に、自分で探索を始めてしまいそうな予感がして。

 

 やがてエレオノールは、次女のカトレアの部屋へ向かった。見舞いのために。それを見送る二人。部屋から彼女の姿が消えると、椅子に身を沈め、力を抜く。公爵がポツリとぼやいた。

 

「研究員となって、少しは落ち着くかと思ったが、相も変わらずだな。いつかは、お前のようになればよいが」

「どういう意味ですか?」

「それは、もちろん……昔のお前は……」

 

 そこまで言いかけて、言葉を止める公爵。愛妻の鋭い視線が向いていたので。夫は微妙な笑みでごまかす。

 

「と、ともかく、妖魔は勘違いとしても賊はあり得る話だ。ルイズも来る事だし。多少は警戒しておくべきだろう」

「そうですわね」

 

 いつもに戻る夫妻。ただ、わずかばかり不満そうだった。愛娘の帰還を楽しみに待つだけ、という訳にはいかなくなったので。

 

 その後公爵は、妖魔あらための担当を呼び出すと、探索を命令した。もちろんエレオノールの事は話して。妖魔探索の名目の賊探索。妖魔あらための隊長は、そう理解して町へと向かった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 朝食も終わり、エレオノールは部屋へと下がった。次女のカトレアは、相変わらず部屋で朝食を取っていた。体調は徐々によくなりつつあるが、ルイズが来る前に無理はしないという彼女の考えもあって。

 公爵夫妻は、食後の紅茶を味わっていた。公爵が何の気なしに、口を開く。

 

「あの侯爵も、ついに世継ぎが生まれたか……」

「なんの話です?」

「昨日、エレオノールが言っていた祭の話だ」

「妖魔が宿泊していた宿場町の話でしたわね」

「はは、そうだ。妖魔が泊まっていたとかいう」

 

 半ば冗談半分に返す公爵。もう、エレオノールの言っていた妖魔については、ほとんど信じていない。何かの見間違いだと思っていた。むしろ盗賊の可能性に傾いていた。

 すぐにカリーヌが話を戻す。彼女にとっても気になる話なので。妖魔ではない方が。

 

「あの侯爵も世継ぎなかなかできず、難儀していたようですし」

「そうだったな。何にしてもめでたい事だ」

「他人事のようには言えませんよ。あなた。我が家の身になって考えてください」

「う~む……」

 

 公爵の顔が難しくなる。困ったように口髭をいじった。

 そう。世継ぎの話は、他人事では済まないのだ。娘ばかり三人のヴァリエール家。家を続かせるためにも、なんとしても婿を取らないといけないのだが、それが上手くいっていない。長女のエレオノールは、諸般の事情で婚約解消。次女のカトレアは生来体が弱く、結婚はできそうにない。そして三女のルイズにも、トラブルが起こっていた。

 

 少しばかり憂いを浮かべる公爵。

 

「そうだな。エレオノールはともかく、ルイズにはかわいそうな事をした」

「ワルドがまさか、あのような者とは……」

「職務を離れ、わし達の目も曇っていたという事だろう」

 

 公爵の言葉に何も返せないカリーヌ。ルイズ、ワルドの婚約は、彼女達が決めた事なのだから。

 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵。トリステインの親衛隊、グリフォン隊隊長。ルイズの婚約者。……だった男。今彼は、トリステインにいない。なんと国を裏切って、アルビオンにいるという。ラ・ロシェール戦での捕虜の取り調べや、アルビオンへ侵入した密偵から判明したのだ。彼の裏切りは、王宮を騒がせた。だがそれ以上に、ヴァリエール家を動揺させた。

 

「陛下も、ルイズにはお伝えしてないそうだ。わし達に任せると」

「家族の問題でも、ありますからね」

「……ルイズにはわしが話そう」

「はい」

 

 静かにうなずくカリーヌ。公爵もただため息を漏らすだけ。

 だが突然、振り払うように首を振ると、大仰に声を上げた。

 

「いかん、いかん。朝からこう重くては。ジェローム」

「はい。旦那様」

「何か面白い話はないか?市井の噂でもかまわん。場が和むようなものを頼む」

「場が和むかは分かりませんが、先日、当家の御用商人から変わった話を伺いました」

「ほう。聞かせてもらおう」

「はい」

 

 執事のジェロームは背筋を伸ばすと、ゆっくりと話しだした。

 

「御用商人の知人に、街道沿いで飲食店を営んでいるコックがいるそうで。現地の山菜などを使った、変わった料理を出すそうです。腕もなかなかの評判だと、言っておりました」

「ふむ」

「数日前の事になりますか。そのコックは……」

 

 

 

 

 

 

 街道沿いで飲食店を営んでいる評判のコック。当時、彼は、山中へ山菜を取りに行っていた。近隣の領主に待望の嫡子が生まれ、その祝いの祭が開催されるとの事。それに備え、食材を蓄えておこうと考えたと言う。

 食材集めに夢中になり、すでに日がかなり傾きかけていた。コックは急いで山を下りようとする。街道沿いは、妖魔はそうでないが、時々盗賊が出るので、日が落ちてからは危険だそうだ。

 山道を下っている最中、遠くの空、西の方に奇妙なものが飛んでいるのが目に入った。

 

「なんだ?ドラゴン?いや……違う」

 

 目を凝らしながら、そうつぶやいたと言う。

 よく晴れ渡った空に、その奇妙なものだけがあった。ただ薄暗くなり始め、ハッキリと姿は見えなかったが。コックの見たそれは、おかしな形だったそうだ。

 細長いものの上に、大きな盛り上がりがあるような。あえて言うなら、翼を広げた翼人のようでもあったと。

 

 彼自身は翼人を見たことはないが、話には聞いていた。ただ目に入ったそれは、聞いていた翼人とは少々形が違うようだとも言っていた。

 

 しかし、一番おかしな点はそれではない。速度だ。異常に速く空を飛んでいたのだ。風竜顔負けなくらい。伝令の竜騎士を見かけた事は何度かあるが、あれ程速いのは初めてだと。

 やがてそれは、あっという間に、東の空へと消えた。

 

「なんだありゃぁ……」

 

 コックはそうつぶやきながら、茫然と空を見つめていたと言う。

 

 

 

 

 

「「…………」」

 

 話を一通り聞いて、黙り込むヴァリエール夫妻。そのリアクションに、ジェームズは少し困っていた。刻まれた皺が余計深くなる。何かマズイ話でもしたのかと。

 公爵は呼吸を整えると、ジェームズに質問を一つ。

 

「竜騎士の見間違いでは、ないのだな?」

「同じ事は御用商人も思ったようで、コックに訪ねたそうです。しかし、竜騎士ではないと断言したと申しておりました。ご存じの通り、あの街道は軍隊も利用する道。竜騎士が飛び交うのも、そう珍しくないと。ですからそのコックも、ドラゴン自体は見慣れているそうです」

「しかし、風竜並の速さで飛ぶ翼人など、聞いたこともないぞ」

 

 ジェロームの整然とした答えに、公爵は眉間にしわを寄せて腕を組む。おさまり所の悪い様子で。カリーヌが紅茶を一口飲んだ後、夫に問いかける。

 

「では、何が飛んでいたと思われます?」

「それは……その……なんだ……、やはり風竜の見間違いではないのか?だいたい見たのは、そのコックだけではないか。本当に見たのかも疑わしい」

「そうかも、しれませんわね」

 

 カリーヌ、静かに返す。ただ、夫の言うことに納得した様子はないが。今度はジェロームへ。

 

「その翼人らしきものは、黒かったのですか?」

「そこまでは聞いておりません。なにぶん、日も落ちかけていたようですし、色までは分からなかったかと」

「そうですか。それが東の空に消えたと」

「さように伺っております」

「分かりました。なかなか面白い話でしたよ。ジェローム」

「お楽しみいただければ、幸いです」

 

 ジェロームはおごそかに礼。

 もっとも、カリーヌの言葉とは裏腹に、夫妻に楽しめた様子はなかった。というか逆。昨日のエレオノールの必死さが、記憶に新しいので。何やら怪しげな話と思いながらも、妙に引っかかるものがあった。

 公爵夫人はつぶやくように言う。

 

「細長い部分は体、盛り上がった部分は翼という所でしょうか」

「まさか本当に、風竜並に飛ぶ翼人がいると思ってるのか?」

「翼人とは、限らないかもしれませんよ。何にしても、得体のしれないものが、我が家の方へ向かってきている、という話があるだけです」

「得体のしれないもの……。だが、行先が、我が家とは限らんだろう」

「確かに。それに越したことは、ありませんね」

 

 カリーヌの、どこか警戒心を湧き立たせる返事。彼女には奇妙な違和感があった。何か根拠がある訳ではないが。あえて言うなら勘。かつて何度も自分を救った勘が、何かを訴えていた。

 若い頃、カリーヌと共に杖を並べていた公爵。愛妻の今の表情は、かつて何度も見た。それがよく当たっていた事も知っている。彼も少々、胸騒ぎがあった。

 

 

 

 

 

 夕刻。

 

 執務の時間もあとわずかになり、公爵は最後の仕事を始末しよう待っていた。やがて執務室の扉からノックが聞こえる。

 

「入れ」

「はっ」

 

 入って来たのは妖魔あらための隊長。彼の報告を待っていたのだ。公爵は手元の書類を脇に置くと、体をわずかに机に寄せた。

 

「それで?」

「賊が潜んでいる様子は、ありませんでした。さらに宿屋の翼人とやらは、痕跡すらありません」

「だろうな」

 

 力を抜き、椅子に身を沈める公爵。予想通りだという顔。エレオノールの勘違い。気を揉んだだけだったと。ただエレオノールを、責める気にはならなかった。婚約解消という出来事があったので、少々神経質になっているのだろうと思っていたのだ。

 しかし隊長の話は、終わっていない。

 

「確かに宿に翼人はおりませんでしたが、翼人については別の話を聞いております」

「何?」

 

 表情が厳しくなる公爵。ジェロームから聞いた話が、頭に蘇る。そして何かを感じたような妻の表情も。

 少しばかり身を乗り出す公爵。隊長は話を続けた。

 

「城下から少し離れた山沿いに、きこり達が住んでおります。本日そのきこり達が、屯所に飛び込んできたのです。見るからに動揺した様子でした」

「うむ。それで」

「その者達はこう申していました。翼人の群を見たと」

「翼人の群?どういう事だ。詳しく説明しろ」

「はい。きこりのいう事には……」

 

 それから隊長は、滔々といきさつを話し出した。

 

 

 

 

 

 ラ・ヴァリエールの居城の南西、少し離れた場所に木材の製材所があった。当時、きこり達は切り出した木を、木材として使えるようにと、製材の仕事にあたっていたそうだ。

 翌日、侯爵の祭に行くつもりだった彼らは、二日分の仕事をこなす事にしていた。だが、日が落ちても終わらず、全て終わった時には、双月がかなり上まで上がっていたと言う。

 

 仕事が終わり、家路につくきこり達。その時、一人のきこりが空を指さした。全員がそれに釣られるように、空を見上げた。

 

「よ、翼人!?」

 

 異口同音。全員が、同じ事を口にしていたと言う。唖然とした表情で。

 確かに言葉通りだった。遠くを、ゆっくりと羽ばたく翼人が飛んでいたのだ。しかもそれは一体ではない。翼人のさらに向うに、いくつもの黒い影が見える。月夜な上、翼人よりも奥にいたため、シルエットはよく分からなかったそうだが。だが少なくともそれらは、速度を合わせ、同じ方向へ飛んでいたと言う。

 

 身を縛られるような、不安を感じたきこり達。彼らは見つからないように、一斉に伏せる。だが何も起こらず、やがて翼人達は、木々に隠れ見えなくなったそうだ。

 それから慌てて、屯所へと駆け込んだと言う。

 

 

 

 

 

 口元に手をやり、眉間に皺を寄せる公爵。直立不動の隊長を見上げる。

 

「翼人であったのは、間違いないのだな?」

「はい。それは断言しておりました」

「その翼人達。何か変わった様子はなかったか?」

 

 公爵の脳裏に、エレオノールやジェロームの話があった。隊長は変わらぬ表情で答える。

 

「特に、そのような話は聞いておりません」

「その……色はどうだった?」

「聞いておりません。夜間でしたので、分からなかったのではと」

「飛ぶ速度はどうだった?異様に速かった、とか聞いておらんか?」

「いえ。ゆっくり羽ばたいていたと聞いておりますから、むしろ速くはなかったかと」

「そうか……」

 

 椅子に身を沈める公爵。うつむいて口ひげをいじる。難しい顔をしながら。

 エレオノール、ジェロームと来て、また翼人の話。しかし、それらは微妙に違う。同じものを見たのか、それとも別々なのか?そもそも本当に翼人なのか?だいたい、それらは実在しているのか?見間違いでないのか?

 断片的な情報ばかりで、真相にたどり着けるようなものは何もない。一方で、何か不気味なものを感じさせた。

 

 やがて公爵は隊長に向き直った。

 

「状況が分からん。できる限り情報を集めろ」

「はい」

 

 命令を聞き届けると、隊長は直ちに部屋を出た。それを見送りながら領主はポツリとつぶやく。

 

「得体のしれないものか……。念のために、城の防備も考えた方がいいな」

 

 妻の言っていた言葉を思い出す。その表情は朝方の、穏やかな領主から、かつての勇者のものへと変わりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 夜半。

 

 すっかり寝入っていた夫妻の寝室の扉から、声が届く。

 

「旦那様、奥様、お起きになっておられるでしょうか?」

「…………」

「失礼いたします」

 

 返事がないので、ジェロームは部屋へと入った。灯りをつけ、ベッドの側まで来る。そして、公爵の耳元で声をかけた。

 

「旦那様。お起きください」

「……ん……。ジェローム?」

 

 薄っすら目を開ける主。ぼやけた視線で、執事を見る。横で寝ていたカリーヌも目を覚ました。二人は目元をこすりながら、体を起こす。

 

「どうした?こんな夜更けに」

「実は……」

 

 執事は主の耳元でささやいた。すると公爵の寝ぼけていた眼が、大きく見開かれた。水でも浴びたかのように、顔色が変わる。

 

「何!?で、今どこにいる」

「いつもの離れにて、お待ちいただいています」

「分かった」

 

 公爵はすぐに起きると、ガウンを纏った。するとカリーヌも起き、同じくガウンを纏う。

 

「どうされたと言うのです?」

「村長が来た」

「村長と言うと……まさか!」

「ああ。お前の考えてる通りだ。しかも、かなり混乱してるらしい」

「何ですって?急ぎましょう」

 

 二人はその恰好のまま、僅かばかりの衛兵を連れて、城の外へと出た。

 

 ラ・ヴァリエールの居城の敷地内。城から離れた場所に、小さな別館があった。手入れは行き届いているものの、物寂しい雰囲気を漂わせている。窓は常に木戸で閉じられ、ひと気がしないのだから。日中、滅多な事で使わなくなった館だ。ただし、ごくまれにヴァリエール夫妻が、ここを訪れる事があった。それも決まって夜に。それには、もちろん理由があった。

 その理由が屋敷の中にいた。老人と少女が。わずかな灯りの中、二人の前に立つヴァリエール夫妻。まず老人に、公爵が声をかける。

 

「久しぶりだな。村長」

「ご、ご領主様。久しゅうございます」

「うむ。それに……」

 

 公爵が村長の次に顔を向けた先、黒髪の少女がいた。美少女と言っていい顔立ち。しかし、その白すぎる肌は、やや病弱に彼女を見せた。少女は少し、落ち着きなく礼をした。

 

「御無沙汰しております。旦那様、奥様」

「ああ、アミアス」

「久しぶりね。アミアス」

 

 ヴァリエール夫妻は、その名を口にした。どこか懐かしい表情で。

 アミアスと呼ばれた少女。実は人間ではない。妖魔である。それも最悪と呼ばれる妖魔、吸血鬼であった。だが二人にとっては、忌むべきものでは全くない。むしろ、戦友と言っていい少女だった。

 アミアス、それに彼女の姉、ダルシニ。二人はかつて公爵とカリーヌの仲間達と共に、ハルケギニアを所狭しと駆け回った仲であった。言わば烈風カリンと騎士達の裏方が、彼女達だった。さらにこの姉妹は吸血鬼でありながら、人を殺す事を忌みしているという珍しい妖魔である。

 とある事情から、姉妹を預かる事になった夫妻。公務を離れてからも、面倒を見る事にした。大スキャンダルになる危険性が、あるにも関わらず。その二人が生活していた村の村長が、今来ている老人だ。ダルシニ、アミアスの姉妹は、身元を一部の人間にだけ打ち明け、メイジの医者という肩書で暮らしている。実際、先住の魔法は医療にも役に立ったので、二人は村から歓迎されていた。姉妹は、汗やまれに血を少々分けてもらいながら、村で平和に暮らしていた。

 それが慌てた様子で、ここに駆け込んできている。

 

 ヴァリエール夫妻は、気持ちを整えると二人に向き直る。公爵が、まず村長に問いかけた。

 

「それで何があった?」

「む、村に吸血鬼が現れたのです!」

「吸血鬼!?」

 

 険しい表情になる夫妻。公爵は続けて問う。

 

「それは間違いないのか?」

「はい。確かに牙を見ましたし、自ら名乗っておりました!」

「自ら吸血鬼と名乗る?」

「はい。それは堂々と」

 

 怪訝な表情の二人。吸血鬼退治も経験した事のある二人は、こんな露骨な吸血鬼に聞き覚えがなかった。そもそも吸血鬼は、魔法や腕力自体はそう強い妖魔ではない。だから、正体を明かす事は自殺行為なのだが。

 村長は話を続ける。

 

「実は、村民皆で逃げる途中、十数人程のメイジの方々と出会いました。その方々が快く、吸血鬼退治を受けてくださったのですが……。皆、返り討ちに……」

「十数人のメイジが返り討ち?吸血鬼相手にか?信じられん……」

「ですが、事実なのです。メイジとしては、珍しい奇特な方達だったというのに……。残念でなりません……。盲目の方や女性もおられたというのに……」

「しかし……十数人ものメイジが、何故そんなところに……?」

 

 吸血鬼の話もそうだが、どうにも腑に落ちない所がある。公爵は顎に手をやりながら、首を傾げる。すると脇から厳しい声が挟まれた。カリーヌだ。

 

「あなた。その話は後です。それで、ダルシニはどうしたの?」

「ダルシニは……。わしらを逃がすために、一人残りました……」

 

 村長は力なく返し、うなだれる。吸血鬼とはいえ、村人全員を守る事を、たった一人の少女に背負わせたのだ。

 すると今度は、彼の隣から必死の声が出て来る。アミアスからだ。手を組んで訴えかけるように、真っ直ぐ夫妻を見ていた。

 

「違います!あれは吸血鬼なんかじゃありません!」

「どういう事かしら?」

「系統でも精霊でもない、見た事ない魔法を使ってました!しかも、力はオーク以上、速さは風竜以上、あれが吸血鬼のはずがありません!」

「では、なんだと?」

「分りません。そもそも妖魔なのかどうか……。何か……得体の知れないものです」

「得体の知れないもの……」

 

 カリーヌの表情が重くなる。何か訳の分からないものが領内にいる。それは昨日からあった話。頭に浮かんだのは、エレオノールから始まった一連の話。

 

「どのような姿をしてたのかしら?」

「見た目は子供のようですが……そう!翼がありました!」

「翼……。色は覚えてる?」

「はい。赤黒かったです。しかも翼人のような鳥ではなく、蝙蝠のような翼です!」

「!」

 

 黒い翼。その答えを聞いた公爵の眉間に、皺ができる。心痛な面持ちとなる。歪んだ口から言葉を漏らした。

 

「まさか、エレオノールの見間違いでは、なかったのか……。そうだ、その妙な者。数は?」

「5か……6?くらいだったかな……。何体かいたのは分かるんですが、全部見れなかったんで……。それと、種類もバラバラでした」

「種類がバラバラ……。そう言えばあの娘は、うさぎの耳をした獣人らしきものもいた、と言っていたな……」

「あ、そうだ!思い出しました!あの連中、"ヴァリエール"って口にしてました!確かに聞きました!」

「な、何!やはり、そうか……!」

 

 ヴァリエール夫妻の頭に一本の線ができる。エレオノールは黒い翼の翼人を見たと言った。だが、鳥の翼とは言ってなかった。さらにヴァリエールへ忍び込むとの話。コックが見た、風竜並の速度で飛ぶ翼人。きこり達が見た、東へ向かう翼人の群。そして、村長とアミアスの話。全てが、一つの意味を導いているように感じた。

 

 その時、アミアスの叫びが二人の耳に入る。祈りのような声が。

 

「お願いします!おねえちゃんを助けてください!」

 

 目に涙を湛え、両手を組んで、ただかしずいていた。

 カリーヌは、意を決したように夫の方を向く。その表情はまさに"烈風カリン"。

 

「あなた。わたくしは、ダルシニを助けに行こうと思います。相手を探るついでに」

「いや、危険すぎる」

「ですが、ダルシニは放っておけません。それに、こちらに向かってくるというなら、正体が分からないままの方がよっぽど危険です」

「しかし……」

「引き際なら、見極めていますわ。もう、騎士見習いではありませんのよ」

「そうか……うむ、分かった。ダルシニ救出と偵察の任、まかせよう。直属の兵を連れて行きなさい」

「はい」

 

 静かに礼をするカリーヌ。するとすぐに颯爽と、部屋を出て行った。

 それを見送る公爵。ふと昔に戻ったような感慨に囚われる。だが、ある意味その感覚は間違ってない。同じく、今も危機が迫ってきているのだから。少なくとも、夫妻はその心持ちで、事態に構えることとした。

 

 残った公爵は、村長と逃げてきた他の村人をかくまう。さらに城の防備を固めるため、城下の兵に招集をかけた。アミアスは案内役として、カリーヌと同行する事となった。

 

 深夜の城内の広場。マンティコアに跨った騎士甲冑の女性が一人。カリーヌである。だがその姿は、まさに往年の"烈風カリン"。アミアスを後ろに乗せ、威風堂々とした姿を見せていた。その前に二十騎ほどの整然とした竜騎士。ラ・ロシェール戦以後、カリーヌが領内の兵から選りすぐった者達だ。戦争の気配冷めやらぬ中、非常時に備え鍛え上げてきたのだ。

 "烈風"は、士気を多いに高めた兵達を前に、よく通る声を放つ。

 

「我らが城に、妖魔の群が近づきつつある。今こそ、我らヴァリエールの力、見せてやる時!始祖ブリミルのご加護を!」

「おおおーーーっ!」

 

 カリーヌの歯切れいい宣言と、部下たちの雄叫び。歴戦の勇者を先頭に騎士達は、目的地へと向かって行った。

 

 ところで残りの関係者はというと……。ルイズの頭にあった事。自分の成績の事で、どんなお叱りを受けるか、どうごまかすか。旅の最中、こんな事ばかり考えていたりした。他の連中は、言わずもがなである。

 

 

 

 

 




 ヴァリエール夫妻が主役の話でした。ルイズ、出番なし。
 エレオノールとかの体験談、どう書こうかっていろいろ考えていたんですけどね。心霊体験再現ドラマ風とか、アメリカのドキュメント番組風とか、稲川淳二の一人語り風とか。でも結局、普通にしてしまいました。




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楽しい旅行

 

 

 

 

 ラ・ヴァリエールの居城が大騒ぎになる数日前、夜の帳が降り始めている夕暮れの空。街道沿いを、何やら黒いもの、いや白黒なものが飛んでいた。風竜並かそれ以上の速度で。それは、街道には沿って飛んでいるのだが、飛んでいる場所は街道から少しはなれた所。人目を避けるようでもあった。

 

 飛んでいたのは、普通の魔法使いこと、霧雨魔理沙。トリステイン魔法学院から、ヴァリエール家までの道順と、待ち合わせの宿場町を確認していたのだ。

 

「見つかってもいいなら、もうちょっと楽なんだけどな」

 

 ルイズに書いてもらった地図を手にして、ぼやく魔理沙。

 ほうきに乗った、とんでも速度で飛ぶ魔法使い。なんてものが見られると騒ぎになると、ルイズから人目を避けるよう言われていた。こんな時間帯に飛んでいるのも、そのせい。そんな訳で、街道が見にくいような飛び方をせざるを得なかった。一方で、その街道が行先を知る唯一の道しるべなので、飛びにくい事この上ない。ぼやくのも無理なかった。

 

 トリステインから南下する道と、ラ・ロシェールから東へ進む街道が交差する場所。大きな町が見える。ルイズが一日目の宿泊に使う予定の町だ。

 それを確認すると東へほうきを向ける。後は一直線。速度を上げると、町はあっという間に小さくなった。

 

 しばらく進み、そろそろ目的地に着く頃となる。速度を緩める。間違って通り過ぎてしまわないように。ハッキリ見えだす眼下の光景。ふと、魔理沙は後ろを振り向いた。

 

「やっぱ夕日ってのは、どこ行ってもいいもんだな」

 

 緋色と藍色の混ざった光に照らされる森や山々、澄んだ空を見ながら、そんな事をつぶやいた。

 前に向きなおすと、意識を先へ集中。視線の先にまた町が見え始めた。目を細める。

 

「あそこか?んー……、あそこだな」

 

 地図と照らし合わせて確認。魔理沙はほうきの柄を握りなおすと、速度を上げる。目標達成したら、最高速度で帰ろうとか思っていた。

 

 そんな彼女を、遠くから眺める者があった。山菜取りに来ていたコックが。そのコックには箒が本体に、箒に乗っている魔理沙のシルエットを翼と思ったようだ。後に、風竜並に飛ぶ翼人を見た、と口にする事となる。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院の寮の門の前。三台の馬車が止まっていた。その前にずらっと並んだ、ルイズ一行。ルイズ、魔理沙、アリス、パチュリー、レミリア、フランドール、咲夜、こあ、天子、衣玖、文、鈴仙。総勢12名。

 魔理沙達は最初から、ルイズ達と別行動の予定だったのだが、レミリアが馬車に乗りたいと言いだしこうなった。魔理沙達もそれに賛同。幻想郷には馬車がないので、物珍しかったのだ。

 ちなみに、費用は半分以上魔理沙達が持った。アイスクリーム商売が軌道に乗り、余裕があるので。それにこの台数。ルイズだけで、これだけ揃えるのはさすがに無理だった。

 

 ルイズが一同の前に立つ。

 

「えー。これから我が家、ラ・ヴァリエールの居城へ向かいます。すでに言ったように、四泊の予定です。行程は三日ですが、余裕をもって入城するのは五日後としています。また一泊目までは、みんなで一緒に行きますが、そこから私の班と魔理沙の班に分かれます。馬車の中はそんなに広くないので、中では暴れないようにしてください。それから……」

 

 もはや修学旅行の引率。珍しく幻想郷メンバーが静粛して聞いているのも、なおさらそう思わせる。

 やがて説明と注意事項が終わる。

 

「それでは、各人、決められた馬車に乗ってください」

 

 と言った瞬間、レミリアとフランドールが駆け出した。すぐに馬車へ直行。ドアを開けて、文字通り中へ飛び込む。

 

「1番!」

「あー、もう!」

 

 馬車の中からにぎやかな声。それをルイズ、何とも言えない顔で眺めていた。

 

「こ、子供……」

 

 思わず、つぶやかずにはいられない。

 この吸血鬼姉妹は年齢相応、500歳程度の威圧感を見せたと思ったら、見かけ相応の10歳程度のしぐさを見せたりする。この落差にときどきついて行けなくなる。ある意味、幻想郷の住人らしく、根に正直ともいうが。

 

 ともかく、ルイズもレミリア達と同じ馬車なので、後から乗り込もうと馬車の扉を開ける。それはもう楽しそうな二人が、ルイズの方を見ていた。

 

「ほら、さっさと乗りなさいよ」

「その前に、羽なんとかならない?」

「羽?」

 

 少し首をかしげるお嬢様達。

 一応馬車は四人乗りなのだが、中はそんなに広くない。羽を広げたままだと、四人乗れないのだ。しかもこの馬車には、レミリアとフランドールの羽付きが二人。このままでは二人乗るのが精いっぱい。

 ふと背中を見るレミリア。

 

「あー、これじゃ四人乗れないわね」

「うん」

「じゃぁ……」

 

 ポツリと漏らす。すると、羽が霞むように消えていった。目を見開くルイズ。

 

「えっ!?レミリアって羽、仕舞えたの?」

「仕舞った訳じゃないわよ。霧にしただけ」

「霧?」

「私達は霧になれるのよ」

「へー……。なれるんだ……」

「こんなもの、大した能力じゃないわよ。フフン」

 

 言っている事の割に、胸を張ってさも自慢げに仰るお嬢様。一方、ルイズはただただ感心していた。幻想郷の吸血鬼の能力は、聞いてはいたが、ほとんど見ておらず実感がなかったので。

 しかし、どの吸血鬼もがそうとは限らなかったりする。ちょっと情けない顔をしている少女が、レミリアの前にいた。羽が手話でもしているかのように、奇妙な動きをしている。

 

「お姉さま、できない」

 

 口をとがらせるフランドール。長らく表に出た事のない彼女は、そういう器用な真似はできなかった。

 レミリアは、少しばかり困った顔を浮かべる。だが、すぐに明るい声を上げた。雰囲気を入れ替えるように。

 

「ほら、飛ぶのイメージして。羽ばたきながら」

「うん」

 

 羽が狭い馬車の中で羽ばたいている。もっとも彼女のは羽には見えないので、飾りを振り回しているような感じだが。

 妹のしぐさを見ながら、レミリアは大げさに身振り手振り。合わせてコメント。

 

「はい!先っぽだけ霧にして」

「うん」

 

 すると羽の先から、霞んでいくように消えていく。しかもそれは先っぽだけではなく、羽を伝わるように霧となる。やがて、羽が全て見えなくなった。

 

「あ、できた。できたよ!お姉さま!」

「よくやったわね。フラン」

「うん!」

 

 柔らかい笑みを浮かべるレミリアと、素直に喜ぶフランドール。

 ルイズは、ふと思う。やっぱり姉妹なのだと。二人の過去の事情は、パチュリーからいくらか聞いている。いろんな事があったかもしれない。それでも姉妹は姉妹なのだと、あらめて感じる。彼女の脳裏に、家族の姿が浮かんでいた。

 

 やがて、全員が場所に乗り込むと、三台の馬車は進み始めた。一路、ヴァリエール家へ向かって。

 

 

 

 

 

 ガリアの街道沿いにある宿場町。その宿の一つに、身を隠すように大き目のフードを被った一団が入って来る。その十数人。徒党を組んだその姿は、どこか怪しげだった。

 

 この一団を率いるのはシェフィールド。彼らは、ラグドリアン湖に向かっていたのだ。目的は『アンドバリの指輪』の奪還。

 今、アルビオンとトリステインは交戦状態。お互い船の行き来ができないので、ガリアから向かっている。それにラグドリアン湖は国境沿い。ガリアから行くのに問題はなかったというのもあった。

 

 宿屋に落ち着くと、傭兵達はさっそく酒を飲みだす。シェフィールドは、一人自室へと戻ろうとする。しかし、呼び止める声がした。

 

「おい。付き合えよ」

 

 メンヌヴィルだ。

 この一団は、メンヌヴィル率いる傭兵団と、シェフィールドがガリア本国から連れてきた部下からなっている。双方、折り合いがそれほどよくないので、彼女はこの集団をまとめるのに苦労していた。だから、せめて宿屋では休みたかったのだが。

 不満を匂わせる顔で、メンヌヴィルを見るシェフィールド。

 

「遠慮します。まだ仕事が残っていますので」

「そうかい。付き合い悪い女だな」

「では、失礼」

 

 白炎の嫌味を気にも留めず、そそくさと自室へ向かう彼女。

 面白くなさそうに彼女を目で追うメンヌヴィルに、部下が話しかけて来る。

 

「なんなんすかね。あの女」

「ムカつく女だ。泣きわめくの見たくなったぜ」

 

 下卑た笑みを浮かべるメンヌヴィル。一気に酒を飲み干す。そして次の酒を注いだ。すると表情が鋭いものに変わっていた。酒の席とは思えない表情に。わずかに部下の方へ顔を向ける。

 

「で、あの女が探してるブツ。なんだか分かったか?」

「いえ、それが、サッパリ。将軍クラスの連中でも、あの女が何しようとしてるか、わかんねぇらしくって」

 

 今回の仕事は、メンヌヴィル達が水の精霊を引き付けている内に、シェフィールド達が目的のものを手に入れるというものだった。ただ、その目的のものをシェフィールドは彼に教えようとしないのだ。何かいいネタになりそうだと、メンヌヴィルは探りを入れているのだが、想像以上にガードは固かった。

 

「裏がありありか。ますます泣かせてぇ」

「それにしてもなんすかね。ラグドリアン湖の次は、すぐに学院に行けでしょ?顎でこき使いやがって。あのアマ」

「フッ、まあいいさ。金はたんまり貰うしな。それに……」

 

 今度の笑いはさっきのものとは違っていた。どこか無邪気で、それでいて殺意がにじみ出てくるような笑い。殺戮者の本性、とでもいうのだろうか。白炎の本来の姿の一旦が、見えるよな笑いだった。

 部下は、思わず身を縛られたような感覚に襲われる。何度見ても、慣れない笑みを目にして。身の毛もよだつとは、こういう事かと実感する。

 

「そ、それに……ってと?」

「何かありそうな予感がするんだよ。おもしれぇヤツに会えそうな……な」

「って……事は、隊長が、会いてぇって言う……あのメイジが?」

「かもな」

 

 酒をわずかに口に含んだ。楽しそうに。そして立ち上がると、ジョッキを高く上げる。

 

「今日は飲み明かすぜ!どうせあの女のおごりだからな!」

「「へい!」」

 

 メンヌヴィルの掛け声に部下たちも、ジョッキを高く上げた。

 いつもの酒の席の顔に戻っていた。機嫌のよさそうに口元が緩む。彼は何故か確信があった。この先に、今までになかった闘争が、待ちに待った闘争があると。

 

 予感は半分当たって、半分はずれるのだが。

 

 

 

 

 

 

 ルイズ一行が最初の宿泊予定地に着いた頃には、もう日が落ちる寸前だった。これは予定通り。だが予定とは違う、というか想定外の光景が目に入っていた。まもなく暗くなるというのに、町は人で溢れていたのだ。

 馬車の中から外を覗くルイズ。

 

「どうなってんの?」

「何かのお祭りでしょうか……」

 

 咲夜も不思議そうに外を見る。

 確かに、人が溢れているだけではなく、かがり火があちこちで焚かれ、音楽すら聞こえる。

 

「この時期、祭りなんてないはずなんだけど……」

 

 首を捻るルイズ。

 するとフランドールが、横から顔を突っ込んできた。

 

「何、何?お祭りなの?行きたい!」

「そうね。庶民の祭りも、たまには悪くないわね。私はどうでもいいんだけど」

 

 などとレミリアは言いながらも、窓の外から目を逸らせずにいた。瞳をキラキラさせながら。

 

「ダメよ」

 

 だが、ルイズ。あっさり却下。顔色が変わる吸血鬼姉妹。

 

「なんでよー!」

「ブーブー!」

 

 分りやすい不平不満。口を膨らませている吸血鬼姉妹。すると咲夜が冷静に訊ねてくる。

 

「ルイズ様。どういう訳ですか?」

「まずは宿屋を手配しないと。正直、これだけ人が集まってると、部屋が空いてるかどうか……。宿屋探すだけで、結構時間取られると思う」

 

 口元に手をやり、考え込むルイズ。しかしレミリアは、そんな彼女の都合などお構いなし。

 

「そんなの後でいいじゃないの。空いてなかったら、夜通し遊べばいいのよ」

 

 吸血鬼からの素晴らしい提案。夜行性の彼女らしいともいう。

 だがルイズは人間。体力無尽蔵の妖怪とは違うのだ。寝ないと明日に響く。まだ旅行は始まったばかりというのに。一方で、せっかくいいタイミングで祭りをやっているのを、見過ごすのもどうかと思った。幻想郷からせっかく来ているのだから、彼女達を案内するのも悪くないと。

 一つうなずくルイズ。

 

「分かったわ。じゃ、明日、祭り見物しましょう。だから、今日は宿屋でゆっくり休むって事で、いいわね」

「ならルイズ、休んでなさいよ。私達は外に出てるから。どうせ夜寝ないし」

「迷子になったら、どうすんのよ。まだ来て日が浅いんだし、ハルケギニアの事良く知らないでしょ?」

「大丈夫よ。咲夜が、なんとかしてくれるわ」

 

 全く憂いなしという態度で、胸を張るお嬢様。それに咲夜、苦笑い。一方のルイズ、渋い顔。いくら咲夜とは言え、この姉妹を一人に任せていいものかと。

 すると瀟洒なメイドは、ポンと手のひらを叩く。

 

「それではこうしましょう。大通りのみ見物という事で」

「えー」

「お嬢様。ほどほどにしておきませんと、翌日見るものがなくなってしまいますよ。ルイズ様との見物も、退屈になってしまいます」

「う~ん……。しようがないわね。それじゃ、夜の出し物限定ってのはどう?」

「それでしたら、かまわないと思います。それでよろしいですか?ルイズ様」

 

 話を振られたルイズは、首を左右に振りながら考え込む。間を置いて返事。

 

「う~ん……、まあ……。それならいいけど」

「ありがとうございます」

 

 メイドは間髪入れずに、ルイズが了承してくれた事に頭を下げる。しかし、ルイズ。念には念を。人差し指をビシッと突き立てて、注意事項。

 

「脇道に入ったりしないでよ。それから、騒ぎはくれぐれも起こさないように。決闘とかバトルとか絶対ダメ!」

「了解しました」

 

 咲夜は、ハッキリと返事。胸を張って、ルイズのいう事は十分理解したと言わんばかりに。

 だが横でそれを聞いていた、レミリアとフランドールは、もはや注意事項は頭にない。気持ちはもう、これから向かう祭りの方に行っていた。お嬢様、颯爽と宣言。

 

「んじゃぁ、宿を決めたら早速町に出るわよ!」

「はい」

 

 少し笑みを浮かべてうなずく咲夜。姉妹は、子供のようにはしゃいでいた。

 

 それから、どれほど時間が経っただろうか。レミリア達は、今はいない。もう祭り会場に行ってしまっていたのだ。というのも、宿屋探しに想像以上に時間がかかったので。思い当たる場所全てが、満室だったのだ。さすがに我慢の限界だった姉妹は、先に祭りへ向かってしまったのである。もちろん従者も付いて。ただそれだと迷子になるので、宿屋が決まったら、パチュリーが屋根に魔法で目印を付ける予定。

 

 それからさらに、時間が経つ。ようやく宿屋を見つけた。場末の安宿を。ルイズは最初こそ論外と思っていたが、結局ここしかなかった。腹をくくって諦める。

 フロントで、手続きをしながら辺りを見回す。外観もボロボロだったが、中も外に負けないくらいボロボロだった。

 

「大丈夫なの?この宿」

「すいやせんね。ご覧の通り安宿なんで。貴族の方々には申し訳ないんすが、少々の不便は我慢してくだせぃ。元々、そういう方々を相手にしてる宿じゃないもんで」

「しようがないわね。これだけ人がいるんだもの。けど、いくら祭りだからって、集まりすぎでしょ」

「この所、戦争だの暗い話が多かったもんすから。みんな憂さを晴らしたいんすよ」

「ふ~ん……。じゃ、部屋、案内して」

「へい」

 

 宿屋の主は、ルイズの荷物を持つと、部屋へと向かった。

 

 借りた部屋は全部で三つ。一部屋四人の相部屋だ。貴族としては、一人一室と行きたいところだが、12部屋どころかわずかしか空いてなかったので。ルイズは、魔理沙、アリス、パチュリーと同室。他は、レミリア、フランドール、咲夜、こあが同室。後は残り、天子、衣玖、文、鈴仙である。

 

 夜も更け、祭りに当てられて騒いでいた宿泊客も静かになった。ルイズと魔理沙は、旅の疲れもあり、もはや夢の住人。一方、レミリア達はまだ戻っていない。遅いとはいえ、他の人外達もまだ起きている時間。だが、レミリア達以外は、どこにも出かけず部屋にいた。

 衣玖が総領の娘に、小声で話かける。祭りから戻り、ベッドにつっぷしている天子に。

 

「戻って来るの早かったですね。レミリアさん達は、まだ戻ってないようですけど」

「夜の祭りは、前にトリスタニアで見たからねー。それと大して変わんなかったから、いいかなって」

 

 遊び周り過ぎて、騒ぎにも慣れてしまったのかと、衣玖の感想。だが、それほど頻繁に主の元を離れて、使い魔がそれでいいのかとも思った。だが以前よりは、人の言うことを聞くようになった、とも感じている。今もこうして、天子が小声で話しているのだ。以前では滅多にない事。衣玖は少しばかり、天子を見直していた。わずかだが。

 隣で座っている鈴仙の目の前は文。人目がないので、翼は出したまま。彼女は目の前のパパラッチに話しかける。時間帯を考えて、小さな声で。

 

「文さんは、お祭り行かないんですか?」

「電池が、乏しくなってきたのよ」

「え?」

「夜間だから、フラッシュ焚かないといけないし」

「あー、カメラって、そういう仕組みがあるんでしたね」

「フィルムも沢山あるって、訳じゃないから」

 

 文は持ってきた、フィルムの本数を数えながら答えた。そろそろ一度、幻想郷に戻らないと、と思いながら。

 

「本番はやっぱり、ヴァリエール家。あなたも病気診るんでしょ?どうやって治すの?」

「治すのは師匠です。薬師の秘術を使うかも、って言ってたんですけど。とにかく患者の家に乗り込むんですから、準備は万全にしてます」

「ふ~ん……。その時は、是非取材させてください」

「私じゃなくて、師匠に聞いてください」

 

 あっという間に新聞記者の顔に切り替わる文。それに少々呆れながら、鈴仙は返す。

 それかしばらくは小声の雑談が続いた。やがて話すネタもなくなり、明日に備えとりあえず横になる事にする。人外達の部屋は、灯りが消え静まり返った。

 

 だがその頃、隣の部屋はやけに慌ただしかった。深夜だというのに、宿屋を出るらしい。文達の部屋の隣には、ルイズ達と同じくやむを得ずここに泊まった貴族がいた。それも大貴族のご令嬢が。そのご令嬢、実は文達の話を盗み聞きしていたのだ。小声で話していた彼女達の声は、断片的にしか聞こえなかったが、彼女にはこう聞こえたと言う。

 

 文:「……やっぱり、ヴァリエール家。……」鈴仙:「……。薬師の秘術を……。……家に乗り込む……」

 ↓

「……《う゛ぁりえーるけ》…………くす《しのひ》じゅつ……いえにのり《こむ》……」

 ↓

「……ヴァリエール家……忍び……込む……」

 

 と。

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 予定通り、祭り見物。ルイズ達は、朝から散々町を周り、祭りを満喫。午後、レミリア達と合流してからは、侯爵の城へ向かった。嫡子誕生祝という事で、城の一部を開放していたのだ。

 ルイズ自身は、頻繁ではないものの、他家の城を訪問した事はある。ここは入った事のない城だが、そこそこ楽しめた程度。しかし、幻想郷の面々は違う。特に魔理沙や文達、ヨーロッパに住んだことない連中。彼女達が見た西洋風の建物なぞ、紅魔館だけ。そんな彼女達が城内を見物する姿は、まさしくお上りさん。ルイズは城内を、それはもう、自慢げに案内するのだった。

 

 やがてほとんど見終わった頃には、もう日が落ちていた。

 町はずれ。道から逸れた林の中。ここに全員がいる。ルイズが魔理沙に一言。

 

「本当に泊まっていかないの?」

「さっさとケリつけたいからな。それに泊まっても、日中は飛んでけないしな。目立つし」

「それもそうね」

 

 うなずくルイズ。

 魔理沙達なら飛んでいけば早いが、さすがに日中は難しい。見られたら、どんな騒ぎになるやら。それを避けるためにも、夜飛んだ方がいいのだ。もちろん、手早く用事を済ましたいものあるが。

 魔理沙は箒に跨ると、軽く手を上げる。

 

「ん、じゃ、行くぜ」

「待ち合わせ、忘れないでよ!期限厳守よ!」

「分かった、分かった」

 

 なんだか投げやり気味な返事をして、魔理沙はフワッと飛んでいった。それにアリスやレミリア達も付いて行く。

 地上では本当に大丈夫かと、不安そうな顔でルイズが彼女達を見送っていた。しかし、すぐに気持ちを入れ替えると、町へ戻ろうとする。

 

「さてと、宿屋に戻るわよ」

 

 すると、文が待ったを掛ける。

 

「ルイズさん。私達も飛んでいきませんか?急ぐ旅ではありませんが、待ち合わせの場所に着くのは、早くてもかまいませんしね」

「なんでよ」

「馬車に揺られるのは、少々飽きました。宿も、ろくでもないですし」

「荷物はどうするのよ」

「なんだったら、持ちますよ」

「う~ん……」

 

 少し考えたが、すぐに答えが出てきた。

 

「ダメよ」

「何故です?」

「お城に入る時、馬車じゃなかったら、妙に思われるでしょ?」

「でしたら、馬車は空のまま行かせましょう。着いた先で、あらためて合流すればいいですし」

「空のままって、変に思われるわよ」

「別にいいじゃないですか?どうせ雇った馬車なんですから」

 

 腕を組んで考え込むルイズ。

 確かに、馬車はヴァリエール家のものではない。旅が終われば、それっきりだ。だいたい何か不思議な事が起こっても、平民は魔法のせいだと思うだろう。魔法に詳しくないので。

 ルイズは顔を上げた。

 

「分かったわ。またボロボロな宿に泊まるのも、嫌だしね」

「では早速」

 

 希望が叶って、露骨な笑顔な文。

 やがて一同は、宿屋に戻り荷物をまとめる。雇った馬車には、空のまま街道を東へ向かうように指示。御者達は当然不思議そうな顔をしたが、予想通り、それを追及する者はいなかった。そしてまた、林に戻って来た。

 ルイズは荷物を置くと、使い魔の方へ向いた。

 

「天子、要石出して。そうね。三つくらい」

「どうするのよ」

「荷物結びつけるの」

「あ~、なるほどね」

 

 天子が軽く、手を泳がすと、1メイルほどの要石が三つ出てきた。ルイズはそれに荷物を、しっかり結びつける。

 

「天子、気を付けて飛んでよ。荷物落とさないように」

「えー、面倒ぉ」

「面倒でもやるの」

「はいはい」

「文も、あんまり速く飛ばないように」

「了解しました」

 

 文、大げさに敬礼。

 やがてルイズが要石の一つに乗ると、全員がフワッと浮き上がる。ルイズ、天子、衣玖、文、鈴仙は、森の上に出た。やがて、街道から少し離れた場所を飛び始める。彼女達にしては、そう速くない速度で。日はすっかり落ちており、空には双月が上がっていた。このままヴァリエール城下まで、一直線である。だいぶ早く着くが、その分トラブルに会う可能性も低くなる。何事もないなら、それに越した事はない。

 

 確かに当人達には、何もなかった。なかったが、そんな空飛ぶ異様な集団を、森のきこり達が見ていた。ルイズ達は、そんな出来事を知らなかったりする。

 

 

 

 

 

 ラグドリアン湖近郊。

 着いたのは、正に深夜。空には満天の星空と双月があった。

 湖への道を進む、魔理沙、アリス、パチュリー、レミリア、フランドール、咲夜、こあ。人の気配がまるでしないので、レミリア、フランドール、こあは羽を隠していない。

 魔理沙が、空を仰ぎながらつぶやいた。

 

「くそ。中途半端な時間に着いたな」

「何がよ。散歩にはいい時間帯じゃないの」

 

 いかにも吸血鬼らしい返事のレミリア。双月の光を、踊るように浴びている。祭りの余韻が残っているのか、気分がいいらしい。一方魔法使いは、ほうきを肩に乗せながら、ぼやくように返す。

 

「あんまり眠れねぇって話だぜ」

「だったら起きてれば?」

「明日に響くだろ」

「人間は不便ねぇ」

「お前だって、昼は寝てるだろうが」

「うっ……。あれは……瞑想してるのよ」

 

 なんとも苦しい言い訳をする、お嬢様。作ったような毅然とした態度で。それを後ろから咲夜が、どこか楽しそうに眺めていた。

 すると、パチュリーの面倒くさそうな声が入って来た。

 

「はいはい、茶番はいいから、さっさと用事を済ませましょ」

「茶番って何よ」

「その話は後。レミィのいう、散歩の時間がなくなるわよ」

「うー……」

 

 いいようにあしらわれて、不満そうなレミリア。ふくれっ面で、足を進める。その横には、茶化すフランドールと、なだめる咲夜がいた。

 

 しばらくして、湖畔にたどり着く一同。彼女達の眼前には、ラグドリアン湖。その穏やかな湖面に双月が映っていた。深夜の湖は人影どころか灯りもなく、静まり返っていた。

 パチュリーが使い魔を呼ぶ。

 

「それじゃ、こあ。お願い」

 

 こあが樽を担いで持って来た。少女が大きな樽を軽々と持っているのには、人間が見たら違和感あるもの。しかしここにいる連中にとっては、なんの不思議もないものだった。

 波打ち際に、ドカッと置かれた中身が満タンの樽。そしてこあは振り向くと、主に尋ねた。

 

「このまま流しちゃっていいんですか?」

「ええ。かまわないわ」

「では」

 

 樽のふたを開け、そのまま倒すこあ。中の水が一斉に、湖へ流れていく。単に流れていくというより、吸い込まれるように。懐かしの故郷に、戻るかのようでもあった。やがて樽の中は一滴もなくなる。

 すると、湖面にさざ波が一つ。やがてそれは、だんだんと大きな波紋を作り出す。ついには伸びる様に、水柱が立ちあがった。それはだんだんと人の形を作っていく。その姿は女性だが、どこかで見たようで見た事ないものだった。いろんな人物を、組み合わせたかのようにも見える。

 魔理沙が笑みを漏らした。

 

「オリジナルデザインか。悪くないぜ」

「…………。また機会があれば、いずれ会おう」

「いいぜ。とは言っても、アジトに分社があるから、いつでも会えるけどな。ま、面白うそうな事がありそうなら、誘うぜ」

「……」

 

 その言葉を聞いても、ラグドは変わった様子がない。だが魔理沙達には、笑みを浮かべたようにも感じた。

 次の瞬間、人の形が崩れる。湖に吸い込まれていく。ラグドが立っていた場所は、ただの湖面となった。再び双月が映っていた。

 アリスが一つ呼吸。

 

「さてと、用も済んだし。どうする?」

「私は寝たいぜ」

「って、言ってもねぇ」

「あ、タバサの家が近いじゃねぇか。泊めさせてもらうか」

「今、何時だと思ってんのよ。それに、あそこは隠れ住んでるようなもんでしょ。気軽に行けるような所じゃないわ。迷惑よ」

「そうか……。しゃーねぇなぁ……。じゃあ……あ!」

 

 魔理沙はそう言って、指差す。その先には何軒かの家が建っていた。ラグドリアン湖が増水したときに、逃げ出したここの住民の家だ。今は水位が元通りなので、住民も戻ってきたらしい気配はする。しかし、それでも全てという訳ではないようだ。

 

「あそこの空いてる家、借りようぜ」

「ああ、なるほど。そうしましょう」

 

 一同は、魔理沙とアリスの後についていく。

 予想通り、全ての住民が戻ってきたという訳ではなかった。空き家を探し、勝手に入り込む魔理沙達。まだまだ家の中は湿気が残っているが、屋根があるだけマシである。やがてそれぞれが、思い々に過ごす。湖畔の時間は、ゆっくりと流れて行った。

 

 翌日。当に正午は過ぎていた。レミリア達に合わせたのだ。魔理沙自身、起きるのが遅かったのもあるが。

 空き家のリビングに集まっていた一同。保存食を口にしている魔理沙が、まずは一言。

 

「で、これからどうする?」

「なんか観光地とか知らないの?この辺りの」

 

 レミリアも、携帯食を口にしながら尋ねてくる。同じものをフランドールも、口の中で転がしている。

 吸血鬼姉妹が口にしているのは、血をブロック状に固めたもの。遠出用の携帯食だ。これを幻想郷から、いくらか持ってきている。

 

 レミリアの質問に、アリスが答えた。

 

「それほど観光って、盛んじゃないのよ。知られてるのは、大きな所ばかりだしね。この辺りじゃ、ラグドリアン湖だけよ」

「じゃ、とりあえず、ここには用はないのね」

 

 そう言って、テーブルに突っ伏した。するとパチュリーが、読んでいる本を閉じて提案。

 

「別に計画立ててた訳じゃないんだから、行き当たりばったりでいいんじゃないの?」

「ま、そうだな。街道周りを適当に見てみるか」

 

 こうして、いい加減な旅行計画が決まった。反対意見はなし。侯爵の祭りを十分堪能したので、皆、後はおまけ程度に考えていたのだ。

 やがて太陽が水平線に沈むと、ラグドリアン湖から離れる一同。人影がなくなると、魔法使いと人外の一団は、北の空へと向かった。

 

 

 

 

 

 魔理沙達が、ラグドリアン湖を離れた丁度その頃。入れ替わるように湖に来た一団がいた。馬車と数頭の馬に乗って。

 彼らは湖の傍まで来ると、馬、馬車から降りる。その内の一人がフードを上げた。出てきたのは、妖艶な女性。シェフィールドである。目的の場所に着いたのだ。その後ろから近づく影が一つ。メンヌヴィルだ。

 

「ここか」

「ええ。では手筈通りに」

「ああ」

 

 白炎は踵を返す。

 

「おい!野郎共!仕事にかかるぞ!」

「へい!」

 

 一斉に動きだすメンヌヴィル手下。シェフィールドの部下も、同じく準備を始めようとした。

 だがその時、湖が突然、波立つ。

 全員が、動きを止め、湖面に視線を釘づけにする。

 

 湖面の一か所が、まるで竜巻でも起こったかのように、水柱を作り出す。その様子から目が離せない、シェフィールド達。

 やがてその柱は一つの形を作り出した。シェフィールドの姿を。月明かりに輝く、水の像がそこにあった。

 

「これは……」

 

 彼女は怪訝な表情で、つぶやく。

 これが水の精霊である事は、シェフィールドにも分かっている。妙に思ったのは、水の精霊の方から姿を現した事だ。水の精霊が自ら姿を現すなど、まずないと聞いていたので。

 予想外の状況に、戸惑う彼女。その脇から、メンヌヴィルが声をかける。

 

「おい。なんだありゃぁ」

「……。水の……精霊です」

「って事は、これがターゲットか。おい!おめぇら!こいつが相手だ!」

 

 部下に向かって戦闘態勢の合図を送る、白炎。しかしシェフィールドは、その合図で落ち着きを取り戻した。

 

「お待ちください」

「なんだよ」

「ここは任せてください」

 

 シェフィールドはメンヌヴィル達を抑えると、前へと出た。水の精霊の視線はまるで動かず、彼女が視界に入ってないかのよう。しかし、どこか意識しているふうでもあった。シェフィールドは、水の像を見上げると、口を開いた。

 

「そっちから出てくるとは思わなかったけど、手間が省けたわ」

「…………」

「私の欲しい物は分かってるわよね。返してもらうわよ。抵抗は無駄だと忠告しておくわ。前回よりも用意はいいから」

 

 彼女は、挑発するように笑みを浮かべる。自信に溢れた表情で。実際、シェフィールドの言っている事は、ハッタリでもなんでもない。前回『アンドバリの指輪』を奪取した時以上の、マジックアイテムを揃えていたのだから。

 しかし、水の精霊は特に動じた様子はない。もっとも、元々感情豊かな存在という訳でもないのだが。

 

 シェフィールドは鼻で笑うと、宣戦布告とばかりに一言告げる。

 

「では、始めさせてもらうわ」

 

 踵を返し、行動開始の合図をしようとした。その時、水の精霊が声を発した。

 

「分かった」

 

 意外に思うシェフィールド。足を止め振り返る。今度は彼女の方に、水の精霊の視線が向いていた。表情は変わらないのだが、どこか笑っているようにも感じた。むしろ小馬鹿にしてるような。

 

「好きなだけ、湖の底をさらうがよい。邪魔はしない」

 

 それだけいうと、水の像は一気に崩れる。あっというまに湖に消え去る。残ったのは、大きな波紋だけだった。

 水の精霊がいた場所を、怪訝に見つめるシェフィールド。

 

「どういう意味?」

 

 予想外の精霊の言動。らしくない。あれは本当に水の精霊なのかと、疑問を持つほどに。眉間にしわを寄せ、なんとか状況を理解しようとする。

 すると後ろからため息一つ。メンヌヴィルだ。

 

「つまり、あんたの欲しがってるブツは、ここにはねぇって事だろ」

「何!?ここ以外の、どこにあるっていうの!?」

「知るか。精霊の態度見りゃ、そう考えるしかねぇって話だ。精霊は、嘘つかねぇらしいしな」

「そんなバカな……。隠す場所なんて、ここの他には……」

 

 ラグドリアン湖の水の精霊は、ここにしかいない。何百年も、そう伝えられている。他にあれば、伝承が残りそうなものだ。だが精霊は、ここに『アンドバリの指輪』がないとでもいうような態度。気位の高い精霊が、他の人間や妖魔に、預けるとも思えない。

 唖然として、視線を泳がすシェフィールド。思いっきり当てが外れ、頭が蒼白の状態。失態を帳消しにできると勇んで来てみれば、まさかの展開。想定外。彼女は湖畔で、石化でも受けたかのように、固まっていた。何もない砂浜に、視線が釘付けになっていた。

 

 ちなみに、『アンドバリの指輪』の在り処だが、もちろんラグドリアン湖ではない。幻想郷の連中のアジト、廃村の寺院にある。リビングにある祠に祀られているラグドが入った水瓶。そこに置いてあるのだ。シェフィールドの記憶を読んだラグドは、指輪を取り返しに来る事を当然予想した。そこで、最も安全な場所に移したのである。盗みに来ると分かっていて、同じ場所に仕舞うマヌケはいなかった。

 

 メンヌヴィルは座り込むと、うんざりしたような表情を浮かべる。

 

「勘弁してくれよ。また無駄足かよ」

 

 皇帝護衛では、結局、賊は来ず、指揮を取った当人はトイレで気絶。そして今回の仕事も、この有様。気分の晴れない、モヤモヤした仕事ばかり。

 

 相変わらず、茫然自失しているシェフィールドの方へ、白炎はわずかに顔を向けた。

 

「お前……、無能だな」

 

 ズバリ、露骨に一言。

 急に我に返った彼女は、思わず怒鳴りつける。

 

「な、何っ!こ、この傭兵風情が!」

「ムカついてんのは、こっちなんだがな。報酬が安かったら、あんた……とうの昔に炭になってるぜ」

「くっ……!」

 

 ただただ、歯ぎしりをするしかないシェフィールド。全てを振り切るように、馬車へと向かった。荒っぽい足取りで。

 

「学院へ向かう」

「今からかよ」

「そういう依頼のはずよ!」

 

 さっきまであった、皇帝秘書の丁寧な態度はもうない。すっかり地が出ている。

 ただの平民司祭を皇帝に祭り上げ、背後から操る間者。奸計に長けた、ガリア王の有能な使い魔。その姿はどこへやら。歯車が一個ずつずれたように、何もかもが上手くいかない。

 

 やがてメンヌヴィルは、しようがないという態度で、立ち上がる。いかにも嫌そうに。

 

「確かにそうだったな。ただなぁ、あんたの仕事ぶりを見てると、不安でしようがねぇんだよ。行っても、学院は休み、生徒は一人もいねぇ、なんて目に遭いそうでよ」

「……!」

 

 足が止まり、思わず振り返る。シェフィールドは、この盲目の傭兵に、殺意すら抱き始めていた。しかし、歯を食いしばり我慢。ここで仲たがいして、全てを台無しにしてしまっては、それこそ恥の上塗りだ。

 屈辱になんとか耐え、そのまま馬車へと入っていった。彼女に続くように一同は、馬車や馬に乗る。そして、重い足取りで北へと向かった。

 

 

 

 




 エレオノールの聞き間違いの所で、やけに苦戦してしまいました。都合のいいセリフが思いつかなくて。


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好機到来

 

 

 

 

「しまった……」

 

 ルイズは真っ暗な宿場町を見て、茫然とする。今から宿に入るのは無理だと。

 彼女達がヴァリエール城下に着いたのは、深夜。比較的ゆっくり飛んだとは言え、やはり飛ぶのは速い。祭りでにぎわっていた町を出た同じ夜に、待ち合わせ場所の宿場町についてしまった。見ての通り真夜中に。

 天子が頭の後ろで腕を組み、あっけらかんと言う。

 

「野宿するしかないわねー」

「…………やっぱり、泊まっておくんだったわ」

「いいじゃないの。野宿初めてじゃないでしょ?」

「何度やっても、野宿よりボロ宿の方が何倍もマシよ!」

 

 憤りをぶつけるように喚くルイズ。しかし天子には通じず。するとルイズ、パンと両手を叩く。何かを思いついた顔で。

 

「あ、そうだわ。駐屯所があるからそこに泊めてもらいましょう」

「そんな所があるんですか。何が駐屯してるんです?」

 

 思わず、メモを取り出す文。

 

「自警団よ。泥棒やら賊やらを取り締まるためのね」

「ほう……。番所みたいなものですね。それは面白そうです」

 

 さっそく、宿場町の屯所に向かう一同。そこには夜番の自警団員がいた。暇そうに、ぼーっとしていた。ルイズが入口に立つ。

 

「ちょっと、いいかしら?」

「ん?なんだお前たち。こんな時間に」

 

 目元をしかめて彼女達を見る団員。こんな深夜にやって来たのだ、不信に思っても仕方がない。しばらくルイズの事を凝視していたが、急に目が見開かれる。慌てふためく。

 

「ル、ルイズお嬢様!?」

「そうよ」

 

 ここは城も近く、ヴァリエールの居城からの出入りで、必ず通る場所。公爵一家が一時的に泊まる事もあり、ヴァリエール一家の姿は、ここの住人ならだいたい分かっていた。知らないのは、唯一、あまり城から出ないカトレア位だ。

 団員は恐縮して膝を折る。

 

「な、なんの御用で、ありましょうか?」

「ここに朝まで、泊めてもらえないかしら?」

「え?このような場所に?」

「ええ。ほら、もうこんな時間でしょ?宿屋に泊まるにも泊まれないし」

「ああ、なるほど。それにしましても、いったい何故こんな時間に……?それに……馬車が見えないようなのですが……、どのようにしていらっしゃったのです?」

「……!」

 

 一瞬顔が青くなるルイズ。飛んできたのだから、馬車なんてある訳ない。とは言っても真相を説明する訳にもいかない。妖魔が化けていると、思われかねない。

 彼女は、なんとか動揺を押さえて説明。どこか視線が泳いでいるが。

 

「え、えっとね……。もちろん馬車よ。馬車は先に進んで、適当な所で休んでおくように言ってるわ」

「そうですか。ですが、ここはご覧の通り、お嬢様が泊まれるような場所ではないのですが」

「別にいいわよ。屋根があるだけマシよ」

 

 その返答にちょっと驚く団員。文句を言いながら泊まるとばかり思っていたので。ルイズのヒステリックと気位の高さは、噂でそれなりに知られていたのだ。それが、まさかの口ぶり。所詮風聞だったのかと、ルイズに対する見方を変える彼だった。

 ちなみに、エレオノールのヒステリックと気位の高さも、知られていたりする。

 

 やがてルイズ達は駐屯所の奥にある、休憩室に滞在。簡単なベッドがあるだけだったが、今のルイズにはそれで十分だった。衣玖や鈴仙もそこで休む事にした。だが、天子はどこかへフラフラと出かけて行って、文は団員にインタビュー攻勢をかけていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 もう日が落ちていた。旅の日程はあと一日。少なくとも明日には全員集合しないといけない。ルイズ達は、魔理沙達が来るのを待つだけである。では魔理沙達の方はというと、未だフラフラと、夜の空を飛んでいた。

 

 ラグドリアン湖を離れてから、街道付近、と言っても結構離れた場所を適当に回っていた。大したものはなかったが、幻想郷とはまた違う自然を見て、彼女達はそれなりに満足していた。

 それからまたあちこち行っていたのだが、気づくと日が落ちていた訳だ。

 

 魔理沙は飛びながら、アリスに話しかける。

 

「どうする?このまま合流場所に行くか?今なら、ギリギリ宿屋に泊まれると思うぜ」

「そうね。もう日にちの余裕もないし。そうしましょうか」

 

 だが、後ろから好奇心のありそうな声が届いた。吸血鬼姉の。

 

「何かしら?あれ?」

 

 指さした方を、魔理沙は凝視する。しかし、よく見えない。暗視スコープでもなければ、さすがに無理。夜目が効く吸血鬼ならでは。同じく夜目が効くこあが答える。

 

「村があるようですね。灯りが見えます。ずいぶん街道から離れた村のようですよ。近くに他の村は……見当たりませんね」

「ふ~ん……、孤立した村か……。面白そうね。行ってみましょう」

 

 向きを変えると、突っ込んでいく。ぎゅんという具合に。それにフランドールも、咲夜も続いた。

 慌てて魔理沙が声をかける

 

「おい!ちょっと待てよ!」

 

 だが、手遅れ。随分先に行ってしまった。

 すると側にパチュリーが寄って来る。

 

「大丈夫よ」

「何がだよ」

「孤立した村だもの。少々騒ぎを起こしても、広まったりしないわ」

「そっちの大丈夫かよ」

「逆に、意外に楽しめるかもしれないわよ」

 

 それだけ言うと、紫魔女も吸血鬼達の後を追う。少々呆れて、頭をかかえる白黒魔法使い。しかし、開き直った。

 

「それもそっか」

 

 箒を握りしめカッ飛んでいった。アリスも同じくついて行った。

 

 皆、とりあえずルイズに迷惑はかからないだろうと、考えていた。騒ぎになっても大したことないだろうと。それだけで小さな村を訪問するには、十分な条件だった。ただ当の村の住人の事は、あまり考えてなかったりする。

 

 村は狭い盆地にあった。畑に囲まれ、一か所に民家が集まっている。中央に小さな広場。それを囲むように民家が建っていた。

 魔理沙達は畑の端に降り立つ。レミリアは、民家を見て腕を組みだす。少々がっかりしたような顔つきで。

 

「何かありそうな所じゃないわね」

「確かにな。幻想郷のと、そんなに違わない感じがするぜ」

「う~ん……」

 

 もっとも、レミリアの言う事も分からなくもなかった。建物の外観、作っている作物は違うが、纏う雰囲気が幻想郷のそれととても似ていた。もちろん農村なんて、そんなものなのだろうが。

 少々後悔しているレミリアの横を走る影があった。夜に目立つキラキラした羽が。フランドールである。思わず声をかける姉。

 

「ちょっとフラン!」

「面白そうだから、行ってみる!」

「面白そう?」

 

 首を傾げるレミリア。すると耳元に従者からの声。

 

「妹様は、外に出てそれほど経っておりませんから、いろいろと新鮮なのではないでしょうか」

「……」

 

 レミリアは、一瞬、村に向かって行くフランドールから、目が離せなかった。楽しそうに走っていく後ろ姿が。

 やがて、目を伏せると、わずかに笑みを浮かべる。

 

「そうね。あの子の言う通り。こんな所でも、面白そうな事があるかもしれないわ。行きましょ、咲夜」

「はい」

 

 主従は、フランドールに合わせるように、少々はしゃいで彼女の後を追って行った。

 

 残された魔理沙達。三人の姿を神妙な顔で見ていた。どうしたものかと。

 

「行っちまったぞ」

「いっそ、あそこに泊めてもらう?」

 

 パチュリーは平然と提案。どこか楽しそうに。彼女自身も、あまり外に出ないタイプ。こんな村でも、多少は面白みを感じているのかもしれない。

 それにアリスの冷めた声。

 

「あんな村に、宿屋なんてある訳ないでしょ」

「別に宿屋じゃなくてもいいでしょ?それに泊めてもらえないなら、出て行くだけ。ま、できたらって程度の話よ」

「ならいいけど」

 

 結局、魔女達は紫寝間着の言い分に賛同する事にする。とことことゆっくり足を進めだした。

 

 村の中央の広場についた。すっかり日の落ちた時間だ。誰もいない。ただ、家々には薄暗い灯りが灯っていた。まだ寝るという程の時間でもないらしい。

 辺りを見回す一同。アリスが一言。

 

「やっぱり宿屋なんてないわね」

「ま、当然だろ」

 

 こうなると泊まるにしても、適当の泊めてくれる所を探すしかない。ただこの人数だ。ちょっと難しいかもしれないと思いながら。

 するとそんな彼女達を他所に、歩き出す姿が一つ。フランドールだ。近くの家に行き、窓から中をのぞき込む。楽しそうに。その後に、レミリアと咲夜もゆっくり続いた。

 

 その時、家の住人は窓の人影に気づいた。女の子が覗いている事に。一家は不信に思ったのか、夫がドアを開ける。

 

「なんだ、お前?こんな時間に」

「フランだよ」

「フラン?どこの子だ?それに……この辺りじゃ見ない顔だな。いったい……」

 

 男はフランドールの事をマジマシと見る。見れば見る程異様な姿。見た事のない服装に、宝石のぶら下がった奇妙な飾り。真っ赤な双眸。背中に冷たいものが走り始めた。おかしな悪寒が。

 するとフランドールは、人懐っこい笑顔を浮かべる。ニッという具合に。一方、男の目は見開いたまま、その笑顔から視線をずらせずにいた。

 何故なら、開いた口の中に牙があったから。

 

「きゅ、きゅ、吸血鬼!?」

「うん。そうだよ」

「う、うわぁーーーー!」

 

 勢いよく扉を閉めると、家の奥へ走り出す。一家は裏口から逃げ出す。

 

 一連の出来事を見ていた魔理沙達。帽子を抱え、目を伏せる。

 

「あちゃぁ」

「やっちゃったわね」

 

 やけに冷静な魔女達。ある程度は、想定していたのだろう。トラブルになる事を。

 

 すると突如、甲高い音。

 見張り櫓の鐘が鳴り響く。悲鳴を上げるように。

 一斉に村がざわめき立つ。村人がドアから次々に外へ顔を出す。

 

「いったいなんだ?」

「火事か?」

 

 全員が注目した見張り櫓。そこで鐘をならしている男が叫ぶ。

 

「吸血鬼だ!吸血鬼が出たぞ!」

 

 顔が青くなる村人。その中でふと気づいた者がいた。広場の中央に見かけない集団がいる事を。しかも何人かには羽が生えている事を。誰もが妖魔と思うしかない姿を。

 

「あ、あ、あそこだ!」

 

 彼が指差した先に、全員が視線を集中。村全体が起こった事を理解した。吸血鬼が、この村を襲おうとしているのだと。

 一斉に家へと戻る村人達。

 

 対する、幻想郷の住人はあまり動揺していない。パチュリーが溜息一つ。

 

「しようがないわね。とっとと出ましょ」

「そうね」

 

 人形遣いも賛成。

 何故こんなに落ち着いているかと言えば、飛んで逃げてしまえばいい事くらい、誰もが分かっていたからだ。

 

 レミリアもこの場はしようがないと思いながら、飛ぼうとした。すると、視界にさっきの村人たちが入って来る。家々から出てきたのだ。手に武器を持ち、人によっては鎧に身を固め。その姿は、恐るべき妖魔に前にして、逃げ出す農民のそれではなかった。むしろ、立ち向かおうとしている。

 

 ここは町や街道から離れた村。妖魔や賊に襲われれば、自分達の身は自分達で守るしかない。それに戦争に徴用される事もある農民たち。彼らの武装はバカできないものだった。そして吸血鬼は正体さえ分かってしまえば、比較的与しやすい相手だ。さらにこの村に限っては、それだけではない。強力な助っ人がいるのだ。

 

 村の端にある家、その助っ人の家に飛び込んでくる若者がいた。

 

「先生!」

 

 先生と呼ばれた少女達が振り返る。黒髪の少女達が。ダルシニとアミアス。メイジの医者と、この村では通っている双子の少女だ。だがその正体は、吸血鬼。しかし、人間を殺したりはしない珍しい吸血鬼で、ここの村人と共存していた。

 ダルシニが若者に近づく。

 

「あの鐘は何?」

「きゅ、きゅ、吸血鬼が現れた!」

「……!」

 

 ダルシニもアミニスも、思わずその身が固まる。自分達の事かと、反射的に思ってしまって。吸血鬼である事は、一部の村人にしか明かしていなかった。だが若者の表情は、吸血鬼を見ているような顔ではない。彼は外を指さす。

 

「広場の中心に、あいつらが集まってるんだ!」

「え!?」

 

 意外な言い分に、二人は窓から顔を出した。

 武装した村人たちが、大きく何かを囲んでいた。その中心にいる数人の少女達。中には羽の生えた者もいる。

 ダルシニは若者の方を振り返った。

 

「翼人じゃないの?」

「違う!牙を見たそうだ。それに自分から吸血鬼って言ってたって」

「……?」

 

 神妙な顔になる二人。自分達が知っている吸血鬼と、何か違う。首を傾げる。ともかく妖魔には違いない。あらためて若者に話かける。

 

「分かったわ。なんとかしてみる。村長さんには逃げる準備もしてもらって。それから、みんな無茶しないようにね」

「おう。分かった。先生が加勢してくれるってなら心強いぜ!」

 

 明るくうなずくと、若者は家から出て行った。アミアスが不安そうに姉に尋ねる。

 

「お姉ちゃん。吸血鬼に見えないんだけど」

「うん。でも妖魔には違いなわよ。羽生えてるんだもん。みんなを守ろう」

「うん。そうだね」

 

 吸血鬼である二人がこうしてここで平和に暮らしているのも、ヴァリエール公爵夫妻、そしてこの村人のおかげだ。その恩に応えないといけない。そう姉妹は心に決めた。

 

 一方、幻想郷メンバー。

 厄介な事からさっさと退散したい、とか思っていた。だが、違う事を考えていたのが二人ほど。

 お嬢様達が。

 ずいっと前に出るレミリア。胸を張って。やけに楽しそう。露骨に不敵な笑みを、浮かべていた。

 

「フッ……。月夜だというのに、吸血鬼に剣を向けるとはね。勇敢な人間は、嫌いじゃないわ」

 

 ニタリとさらに口元を釣り上げると、あえて牙を見せびらかす。真っ赤な双眸を、煽るように村人に向けた。

 

「相手をしてあげる」

 

 と言った瞬間、ギュンと真上へ飛ぶ。そしてピタッと宙に止まった。すると吸血鬼は、ゆっくりと両手を広げる。交響曲でも奏でるかのように。

 弾幕。レミリアを中心に弾幕が広がっていく。

 その量、ルナティッククラス。

 まさに空を覆い尽くす、光弾の嵐。

 

 突如、現れた無数の光の玉。空を赤で染め上げる。村人たちにとっては、空に天井でもできたかのよう。その天井に押しつぶされるような、恐怖が彼らの身を貫く。

 

「な、なんだ!?ありゃぁぁ!?」

「う、うわぁぁぁーーーー!!」

「に、逃げろーー!」

 

 村人たちは、一斉に武器を捨て逃げ出した。まさしく脱兎。脇目も振らず走り出すもの、転びかけながらも四つん這いで逃げる者、全員がレミリア達と反対側に走り出していた。

 

 さて、お嬢様の方はと言うと、高らかに宣言。それは謳うかのよう。

 

「胸に刻みなさい!恐怖と共に、我が名を!このレミ……。あれ?」

 

 だが、眼下には誰もいなかった。いや、先の方に、慌てて逃げてく村人の姿はあったが。

 白けて、ゆっくり降りて来るレミリア。

 

「何よ。逃げるんだったら、かかって来るんじゃないわよ」

 

 少々ご機嫌ななめ。隣にパチュリーが寄ってくる。こっちは呆れ気味。

 

「そりゃ逃げるわよ。弾幕なんて見た事ないんだもの」

「あ~、なんかつまんなくなっちゃったわ。もうルイズの所、行こうかしら」

「それとも、ここで、泊まっていく?家ならより取り見取りよ」

 

 と言って、家々に視線を向けた。

 確かに、ほとんどの住人は逃げ出して今は空き家だらけ。半ば追い出したようなものなのだが。それに、他人の持ち物には違いない。しかし、お構いなしの紫魔女。すると人形遣いが一つ忠告。少々呆れた態度で。

 

「さすがに、勝手に借りるのはマズイでしょ」

「とは言ってもねぇ。許可を貰うにしても持ち主は、どこかへ行ってしまったわ。なんなら色付けて宿泊代置いとけば?」

「けど……」

 

 もう少し言葉を添えようかとしたアリス。しかし、フランドールが一か所を指さして声をかけてきた。一斉に彼女を見る一同。指先はある家を差していた。

 

「あそこに、まだいるみたいだよ」

 

 全員の視線の先にあった家。灯りは消えているが、確かに気配がする。一同、なにやら考えてだす。そして最初に動き出したのが魔理沙。足を進めだす。肩にほうきを担いで。

 

「話付けてみるか」

「結局、泊まるの?」

「悪くないんじゃねぇか?それに、言い訳くらいしておいた方が、いいだろうしな」

「そう。武装してるみたいだから、一応気をつけなさいよ」

「おう」

 

 アリスも彼女について行った。

 一団から離れていく二人。目標の家の5メイルほど手前で、止まった。そして魔理沙が、声を張り上げる。

 

「ちょっといいかぁ?あのなぁ……」

 

 しかし、そこで停止。首を捻る。どう説明したもんだか、思いつかないので。

 

 吸血鬼というのは事実だが、危害を加える気はない、とでも言えばいいのか。しかしハルケギニアでは吸血鬼という時点で、人間の敵なのは当たり前。どうやって危害を加えないと説得するのか。では実は吸血鬼ではないと言うのか。しかし、さっきレミリアが飛んで、弾幕を撃ってしまった。系統魔法では飛びながら、魔法を使う事はできない。先住魔法と説明すれば、それはそれで妖魔確定である。適当な言い訳が思いつかない。

 白黒魔法使いは、腕を組んで悩みだす。口をつぐんでしまった。それはアリスも同じ。

 

 すると突然、後ろから大きな声。

 

「私たちは、吸血鬼と妖魔の集団よ!ちょっとここに泊まらせてもらうわ!代金は一応置いとくから!」

 

 思わず振り返る魔理沙とアリス。彼女達の視線の先にいたのは、こあとパチュリーだった。こあがパチュリーの告げた事を、そのまま大声で言っていたのだ。

 二人は怪訝な顔で、パチュリーを見る。何のつもりだと、言わんばかりに。対する紫魔女は、そんな事は分かっているというふう。

 

「この方が手っ取り早いでしょ?彼らはこっちを恐れて、何もしてこないわよ」

「それはそうだけど……」

「明日には、ヴァリエールの城に行かないといけないから、ここにいるのは一晩だけよ。一晩だけなら、この程度かまわないでしょ。旅の恥は、かき捨てって言うじゃないの」

「使い方、間違ってると思うわ」

 

 アリス、呆れた気味に溜息を漏らす。

 どうにもパチュリーは、この農村の民家に泊まってみたいらしい。何が彼女を引き付けているのか、アリスには今一つ分からないが。まあ、本で知るのと実感するのとでは、また違うという事だろうか。

 

 魔理沙とアリス、パチュリーが前にしている家。実は、ダルシニとアミアスの家である。用心して灯りを消したのだが、何故かいる事がバレてしまったようだ。

 実は、いっしょに逃げるよう村人から言われたのだが、妖魔達が彼らを追った場合防げなくなるので、ここに残ったのだ。

 

 カーテンの隙間から覗く二人。妖魔が四人、家の前に立ち止まっているのがわかる。その向こうには、残りの妖魔たち。

 顔を寄せ合う二人。アミアスが不安そうに聞いてくる。

 

「どうする?おねーちゃん?ちょっと泊まるだけって言ってるよ」

「ちょっとってどのくらい?妖魔のちょっとって、人間のちょっとと違うのよ」

 

 妖魔の寿命は、人間のそれより長い。ちょっとと言っても、意味合いがまるで違う可能性はある。長く居つかれれば、この村にとっては死活問題だ。ダルシニは、さらに不安そうな表情を浮かべる。

 

「それに……今、ヴァリエールって聞こえたわ。もしかして旦那様や奥様達を、襲おうとしてる連中かもしれない。たぶん、ここには準備をするため寄ったのよ」

「でも……」

「さっきの見たでしょ?変な魔法で、みんなを追い出して、勝手に泊まるとか言ってるのよ。あんな乱暴な連中なんて、信用できないわ」

「じゃぁ、どうするの?」

 

 ダルシニは固い表情で、妹の方を向いた。

 

「あいつらを引き付けるの。今に、村長さん達が、助けを呼んでくると思うから」

「旦那様と奥様?」

「うん。軍隊も連れて来ると思うわ。そうすれば勝てる。それまで頑張るの」

「分かった、おねーちゃん。私も手伝う」

 

 力強くうなずくダルシニとアミアス。お互いの手を取り合う。決意を胸に抱え、扉を開けた。

 

 表に出ると、視線の先に四人の妖魔。観れば見る程、奇妙な恰好。まるで祭り帰りかのように、カラフルな衣装なのだ。どうにも妖魔らしくない。妖魔はどちらかというと、粗末な衣装の方が多いのに。しかし、さっきの蝙蝠の羽のある妖魔が、村のみんなを追い立てたのは事実。しかも恩人である、ヴァリエール家を襲おうとしているのだ。

 みんなを守るという覚悟を強くし、妖魔を相対した。ダルシニは、厳しい視線を三人に向けると宣言する。

 

「あ、あなた達の思い通りには、させないわ!」

 

 と言って、家へと戻った。

 

 ダルシニとアミアスは吸血鬼だ。吸血鬼は先住、すなわち精霊魔法が使える。この魔法は、ものによっては系統魔法より強力だ。しかし弱点がある。"場"との契約によって成立する精霊魔法は、防衛戦など拠点を決めた戦いには有効だが、遊撃戦など場所を定めない戦いは苦手なのだ。船や馬車など移動する"場"を伴わない限り。

 さらに、二人はこの村中で戦う事になるなど、思っていなかったので、契約してあるのは自分たちの家だけなのだ。逆に家に引き込めば、かなり有利に戦いができる。そう思って家に戻ったのだった。

 

 だが、魔理沙達は全然違うように受け止めた。なんだか会話が成り立ってない双方。

 

「泊まるのダメ、って言ってるぜ」

「ま、当然ね」

 

 アリスもあっさりと、向こうの言い分を受け入れる。経緯はともかく、村人を追い出したのだ。泊まるのを許すはずもない。それに、トラブル上等でも、泊まりたいという訳でもないので。

 一方、パチュリーは残念そう。アリスは意外に思う。

 

「そんなに泊まりたかったの?」

「別に。たまにはいいかなって思っただけよ」

 

 言葉の割には、なんか不満げ。アリスはわずかに笑顔を浮かべる。こんな顔をするパチュリーも珍しい、とか思っていた。

 

「だったらルイズに頼んでみれば?一応大貴族の娘だし。どっか農家に一泊させてって言えば、なんとかしてくれるでしょ」

「それもそうね」

 

 急に納得顔の紫魔女。もう一度うなずくと、レミリア達の方へ戻っていった。魔理沙もアリスもそれに続く。三人を迎えるお嬢様。

 

「で?なんだって?」

「泊まるのはダメだそうよ」

「そ。んじゃぁ、ルイズの所に行くだけね」

「ええ」

 

 レミリアも、あまり泊まる事にこだわってなかった。幻想郷とそう変わらない農家と知って、すっかり興味をなくしていたのだ。

 ところがここで、咲夜が一言。

 

「あの……お嬢様。少しよろしいでしょうか?」

「何よ」

「家に、まだ火が灯ってるようなのですが」

 

 咲夜の言う通り、辺りを見回すと、家の中に明かりが灯っている。もちろん中に人がいる訳ではない。慌てて逃げ出したので、火をつけっぱなしにしてあったのだ。こあが何が言いたいか分かった、という具合にうなずく。

 

「あ~。これじゃぁ、火事になっちゃうかもしれませんね」

「でしょ?消しておいた方が、いいんじゃないかしら?」

 

 そう言いながら、主の方を向く従者。お嬢様は、腰に手を当て、しようがないという感じの表情。

 

「分かったわよ。好きになさい」

「ありがとうございます」

 

 礼をすると、さっそく明かりのついている家へ向かう咲夜。その後ろから、アリスもついて行く。

 

「手、貸すわ。こんなので火事になったら、いい気分しないしね」

「ありがと。それじゃぁ私は右の方を、アリスは左をお願いできる?」

「ええ」

 

 アリスは了解すると、さっそく人形達を繰り出した。小さな彼女たちが、家々へと向う。さらに魔理沙や、パチュリーから命令されたこあも手伝い始めた。ほとんど村人のいない家々。勝手にお邪魔する人外達であった。

 

 一方、ダルシニとアミアス。家に潜んで、妖魔を迎え撃つ準備をしていたのだが、ドアを開ける者はいない。構えていたダルシニから、緊張感が抜けていく。いい加減妙だと思い始めていた。実は彼女自身は、妖魔達を挑発したつもりだった。妖魔たちは怒って、一斉に向かって来る。それを、この家で迎え撃つ算段だったのだ。だがどういう訳か、近寄って来る気配すらない。

 

 彼女は妹の方を向く。アミアスも、首を何度も傾け、訳が分からないと言ったふう。

 

「来ないわね」

「うん。どうしたんだろ。どっか行っちゃったのかな?」

 

 二人は構えを解き、窓の傍までやってくる。またカーテンの隙間から覗いた。

 

「あ!」

「どうしたの!?」

 

 アミアスも彼女の下に、顔を突っ込む。

 二人に見えたのは、あちこちの家に勝手に入っていく妖魔達だった。

 

「何やってんのかな?」

「もしかして逃げ遅れた人、探してるんじゃない?」

「どうしよう……。やめさせる?けど、結構人数いるよ。それに吸血鬼って言ってたけど、他に翼人に、ガーゴイル使いもいるようだし……」

 

 ダルシニとアミアスは窓から覗きながら、これからどうするか頭をめぐらす。このまま様子を見るか。それとも戦うのか。ただ戦うと言っても、契約してない"場"で、この人数を相手にするのはかなり危険だ。一つハッキリしているのは、逃げるという手段は選べない事。もしも妖魔達が、村人達の方へ向かったら誰がそれを邪魔するのか。少なくとも二人には、その覚悟はあった。

 二人は妖魔たちの様子を眺めながら、胸の内を決めかねていた。

 

 

 

 

 

 ダルシニとアミアスが、村で妖魔達をどうするか悩んでいた少し前。村人が逃げ出して結構時間が経った頃。北上する一団がいた。数台の馬車と数頭の馬に騎乗した十数人の集団。馬車で通るには、少々狭い道を進んでいた。まるで人目を避けるように。

 シェフィールド達一行である。『アンドバリの指輪』奪還に失敗し、第二の任務、トリステイン魔法学院襲撃に向かっていた。

 

 だが、どういう訳か緊迫感が欠けていた。学生とは言え多数のメイジを相手にするという、厄介な仕事に向かうという割には。

 もっとも無理もない。この所、仕事がうまく行ってないからだ。主にシェフィールドのせいで。メンヌヴィル達は、むしろ彼女の下手打ちに、つき合わされているだけなのだが。おかげで彼らも不満を溜めている。一応報酬が出るので、そう大きなイザコザになっていないのが、せめてもの救いだ。

 

 こんな気の抜けた一同の中で、唯一緊張感、いや焦りを感じていたのが一名。シェフィールドである。馬車の中に腰を下ろしながら、いろんな事が頭を巡っていた。これからの任務が上手く行っても、ただの時間稼ぎにしかならない。何も解決しないからだ。

 

 『アンドバリの指輪』がない状態で、どう神聖アルビオン帝国を維持するのか。

 別のマジックアイテムを、皇帝に用意するのか。

 だとしても、クロムウェルの魔法が突然変わった事を、どう重臣達に納得させるのか。

 さらに指輪がない状態で、トリステイン、ゲルマニア連合軍をどう迎え討つのか。

 

 問題山積である。

 ガリア王の使い魔は、眉間に皺をよせ、ブツブツと独り言すら漏らしている。周りの部下達がちょっと引いているのに、彼女は気づきもしなかった。

 

 一方、メンヌヴィルは馬車の中で、気の抜けた態度で酒を口にしていた。それでも気分は今一つのようだ。

 

「チッ、全然酔わねぇ。酒がマズイぜ。あの便所女のせいだ」

「いっそ、仕事投げちまいます?」

 

 部下もうんざりしたような口ぶりで言う。だが隊長は、それにうなずかない。

 

「いや……。妙な予感がまだある」

「あんとき言ってた……」

「ま、今度下手打ちやがったら、あの女、メシのタネにするけどな」

「いい金になりますぜ」

「フッ」

 

 下卑た笑いを浮かべるメンヌヴィル。他の傭兵たちも似たようなもの。彼らは、こんな調子の無駄な話を続ける事で、目的地までの時間を潰していた。

 だがその時、ふと白炎の表情が変わる。茶化していたよう表情が、わずかに緊張感を纏っていた。探る様に外を向く。そんな隊長に、部下が怪訝そうに尋ねた。

 

「どうかしやしたか?」

「森の中から、こっちに向かってくる連中がいる。結構な人数だ」

「盗賊ですか?返り討ちにしちまいましょう。いい気晴らしになりますぜ」

「違うな……。逃げてるって感じだ。それにこりゃぁ……百姓だな」

 

 メンヌヴィルは目が見えない代わりに、耳と鼻、そして温度に敏感だった。森の奥から聞こえて来るわずかな足音から逃げている事を、匂いから相手が農民である事を探り当てた。

 やがてその集団は、部下たちにも見えて来た。

 

「見えやしたぜ。百姓共だ。確かに慌ててやがる。さすが隊長ですぜ」

「へっ……」

 

 わずかに口の端を釣り上げる白炎。

 だが頭の中は別の事が巡っていた。何故こんな裏街道に農民たちが逃げ込んできたのか。そもそも一体何から逃げているのか。

 メンヌヴィルは御者の方を向く。

 

「おい!止めろ!」

「え?へ、へい」

 

 馬車が止まると、彼は降りた。それに部下たちが続く。不思議そうな顔をしながら。

 やがて、農民たちは森から小道に出てきた。白炎はそれに声をかける。

 

「おい!」

「え!?」

 

 振り返った連中の顔は、あきらかに動揺している。今まで気を張っていたのだろう。突然声を掛けられ、戸惑っていた。茫然とメンヌヴィル達を見ていた。やがて一人の老人が前に出て来る。どうやら、村長らしい。

 

「その……これは貴族の方々でしょうか?大変申し訳ありませんが、我々は急いでおりして……」

「逃げてる途中なんだろ」

「は、はぁ……そうなのです……」

「何から逃げてきた?」

「吸血鬼です」

「吸血鬼だぁ?」

 

 メンヌヴィルは顎に手を添えると、考え込む。同時に体中の感覚を張りつめた。

 吸血鬼から逃げたと言っているが、今ここにいる連中の中に潜り込んでいる可能性もある。何と言っても、今は夜なのだから。吸血鬼は自由に動ける。彼は会話を続けながら、探りを入れる事にした。

 

「って事は、今、てめぇ等の村は日干しの死体だらけか」

「そうではありません。いきなり村に現れたのです。自ら吸血鬼と名乗り出て」

「そりゃ、あたまのおかしい人間だろ」

「いえ、魔法を使ったのです!いくつもの光を撒き散らすような魔法を!」

「なんだ……そりゃぁ?」

 

 怪訝な表情になる白炎。それは部下たちも同じ。いくつもの光を撒き散らす魔法など、聞いた事がない。

 だがその時、ふとメンムヴィルの脳裏に一つの光景が浮かんだ。ロンディニウムでの光景が。多数の稲光を操る妖魔が。見覚えのない魔法が。

 彼は村長に向き直る。

 

「一つ聞きてぇ。そいつは魔法を使う時、詠唱していたか?」

「えっと……確か……。いえ、してません。無言でした。杖も持ってません」

「決まりだな」

 

 白炎の笑みが浮ぶ。今までの皮肉じみたものではない、久しぶりの獲物を見つけたような笑みが。

 

 系統魔法にせよ、先住魔法にせよ、詠唱は必ず必要。詠唱を必要としない魔法の使い手には、一度しか会ったことがない。それがあのロンディニウムでの妖魔だ。間違いない。あの連中だと、確信した。もっとも、こんな所で出会うとは予想外だが。しかし、借りを返す絶好の機会。今でも、手玉に取られた屈辱は、忘れていなかった。白炎は、思わず笑い声を漏らす。

 

 するとその時、先の方から、露骨に不満気な女性が近づいて来た。足に文句を込めたかのように大股で。シェフィールドだ。先頭を進んでいた彼女達は、メンヌヴィル達が後ろで止まっているのに気付き、引き返してきたのだった。

 シェフィールドは、文字道理不満をぶつける。

 

「何をやっているの!こんな所で、足を止めてる暇はないのよ!」

「いや、むしろここは足を止める所だぜ」

「お前……!依頼を断る気か!?」

「そうじゃねえよ。まあ聞け」

 

 メンヌヴィルはシェフィールドに近づく。そして耳元で囁いた。

 

「水の精霊の仲間を見つけた」

「え!?どういう事よ?」

「つまりだな……」

 

 驚く彼女に、下卑た笑いで経緯を説明する白炎。

 目の前にいる農民は、突然現れた吸血鬼から逃げてきたこと。その吸血鬼は見た事もない魔法を使った事。しかもその魔法は系統でも先住でもない事。そしてそれに類似したのは、あのロンディニウムの賊しかいない事。

 一通り話を聞き、シェフィールドは腕を組んで考え込む。

 

「その連中を捕えれば……」

「ああ。あんたが探してるブツの在処も、分かるかもしれねぇって訳だ」

 

 確かにメンヌヴィルの言うとこは分かる。しかし大きな問題があった。その水の精霊の仲間だが、ロンディニウムでは300人以上の兵を繰り出して、逃がしたという事実があったからだ。

 

「だが……あれだけの人数を揃えても、逃がしたのよ。そんな相手をどう、捕えるって言うの?」

「逃がしたのは、あの妙な光の魔法のせいだ。人数は関係ねぇ。あれは武器を奪う効果があるらしい。だがそれさえなきゃぁ、なんとでもなる」

「報告書では、稲光と閃光のせいでまるで近づけなかったともあったが……。どうなんとでもなるのかしら?」

「フッ……」

 

 余裕の笑みを浮かべる白炎。何もかも、分かっていると言わんばかりに。

 

「連中には、致命的な弱点がある」

「何よ?」

「人が殺せねぇんだよ。いや、怪我させるのも嫌がってる感じだったな」

「はぁ?」

 

 一瞬意味の分からない、シェフィールド。稲光をいくつも操り、閃光で人を吹き飛ばす魔法を使う連中が、他人の死どころか、怪我すら恐れるとはどういう意味かと。

 メンヌヴィルは、相変わらずの不敵な態度で話を続ける。

 

「宗教なのか信念なのかは知らねぇ。だがマジだ。ロンディニウムじゃぁ、怪我人はいたが、死者はいなかったろ?怪我だって、軽かったはずだぜ」

「確かに……。ドラゴンから落ちたワルド子爵以外は、大した怪我をした者はいなかったわ……」

「だろ?そこがつけ入る隙だ」

「…………」

 

 腕を組んでうつむくシェフィールド。考えを巡らす。だが解答はすぐに出た。そもそも『アンドバリの指輪』がなければ、神聖アルビオン帝国は立ち行かないのだ。その重要アイテムを取り戻す、手がかりが偶然見つかったのだ。こんな機会を逃す手はない。学院襲撃などこれに比べれば、二の次である。

 

「分かったわ。やりましょう」

「そうこなくっちゃな。へへ……」

 

 正に獲物を前にした猛獣の笑い、とでも言うのだろうか。白炎は、やけに楽しそうで凶暴そうな笑みを浮かべていた。それを冷めた目で見る、虚無の使い魔。

 

 やがて、シェフィールドは、態度を突然あらためる。皇帝秘書の態度に。そして村長の方へ、柔らかそうな表情を向けた。

 

「吸血鬼とは、それはお困りでしょう。実は私達は、妖魔退治を生業としているメイジです。その吸血鬼、私達が退治して差し上げましょう」

「それは!ありがたい申し出です。ですが……その……何分貧しい村でして……。お支払が……」

「いえ、お金はいただきません。私達は妖魔の死体を売って、収入としているのです」

「売れるのですか?妖魔の死体が?」

「ええ。高額で」

「はぁ……。でしたら、是非ともお願いいたします」

 

 村長は深々と頭を下げた。

 

「しかし、このような奇特なメイジの方々と偶然出会えるとは、私達は運がいい」

「ええ、お互いに」

 

 シェフィールドの表情は柔らかなままだが、どこか不敵なものを漂わせる。

 

 そして副村長である息子が、村への案内する事となった。森の奥へと進む村長の息子。シェフィールドとメンヌヴィル一向は、今まで溜まった不満を全部爆発させるつもりかのように、勇ましい足取りで彼の後に続いた。

 

 ところで、ロンディニウムの妖魔と称された、衣玖や魔理沙。彼女達が相手を殺さなかったのは、全く個人的な都合だった。衣玖には五戒の縛りがあったし、魔理沙はそもそも、殺しというもの自体に縁遠かった。さて、村にまだいるお嬢様達は、どうだろうか?

 

 

 

 




 最低でも、シェフィールド、メンヌヴィル戦まで書こうと思ったのですが、思った以上に文章が多くなってしまいました。とりあえず、戦闘直前までという事で。


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悪魔顕現

 

 

 

 

 レミリア達一行が、マメに村の火元を消して回っている頃。村の畑の側、100メイルほど離れた森の中に、殺気を帯びた一団がいた。シェフィールドとメンヌヴィル達である。副村長を伴って、彼女たちの近くまで来ていた。

 彼らのいる場所は村落の風下。もちろん、気配を消すためとメンヌヴィルの鼻を生かすため。視線の先には、村の中で何やらウロウロしている一団が見えた。ただすっかり夜となっているので、ハッキリとは見えなかったが。

 

 風系統の使い手が、遠見の魔法で村を伺う。

 

「警戒してる様子はありあせん。ただ、あちこちの家に入っては出てるようですぜ。なんか探してんのか?」

「…………」

 

 顎を抱え考え込む白炎。こんな農村で何を探しているのかと。そもそも何しに来たのか。しかし、それは自分たちに関係ない。後で調べればいい事だ。

 

「で、数は?」

「あー、見えるのは7……ですね」

「どんな連中だ?」

「翼人が2、メイジっぽいのが3、その内一人はガーゴイル使いですぜ。なんか人形を動かしてる。後は、話にあった背中に妙な飾りを下げてる吸血鬼。残りはメイドが一人いやすね。こいつは屍人鬼かもしれねぇ」

「ガーゴイル使いか。あいつも来てるとはな。なおさらビンゴだぜ」

 

 メンヌヴィルはロンディニウムで、人形と少し戦った。水の精霊の仲間に、ガーゴイル使いがいる事は分かっていた。

 だいたい敵の様子は掴めた。白炎わずかに鼻で笑う。そして、副村長の方を向いた。

 

「ちょっと手を貸りてぇ」

「はい!できる事なら、なんでもいたします!」

 

 副村長である中年の男は、このいかにも粗暴な連中が村を助けてくれると信じ込んでいる。本気で、妖魔退治専門のメイジと思っていた。

 メンヌヴィルは、副村長の肩に手をかける。

 

「ありがてぇ話だ。で、やってもらう事だがな。人質になってもらいたい」

「は?人質というと……?」

「そのままだ」

「えっ?えぇー!?いや……、ですが……、私はあの妖魔達と無関係です!信じてください!絶対、仲間じゃありません!」

 

 半ばパニックになったように弁解する副村長。妖魔への人質なれというのだ。当然、連中の仲間と思われている、と考えるのも無理なかった。しかし、盲目のメイジの表情は緩いまま。

 

「そりゃぁ分かってる。人質のフリしてくれれば、いいんだよ」

「フリ?」

「いいな」

「は、はぁ……」

 

 意味が分からない、というふうに首を捻る副村長。結局、メンヌヴィルの押しの強さにも負け、聞き入れた。

 そして、白炎は部下の方を向いた。

 

「おい。手筈通りにな」

「へい」

 

 部下の力強い返事。それを見て隊長は、不敵な笑みを浮かべた。

 

「さてと、はじめるか」

 

 全員は静かにうなずく。やがて、一斉に森の外へ出た。人質として、副村長を抱えたメイジを先頭として。

 敵兵の死すら避けたがる連中だ。例え赤の他人だとしても、十分人質として使えるだろう。そう、メンヌヴィルは考えたのだった。

 

 さて、村の灯りを消し終わったレミリア達。村の広場の中央に集る。魔理沙が、ほうきで肩を叩きながら言う。

 

「んじゃ、ルイズの所にいくか」

「そうね」

 

 アリスが上海達を、鞄に仕舞いながら答えた。だが、そこにつぶやくような声が、入って来る。こあが村の外を指差していた。

 

「あれ……。誰か近づいてきますよ」

 

 一同は、一斉にこあの指差す方を見る。魔理沙、パチュリー、アリスや咲夜には、夜のせいもあって、何か集団がやって来るくらいしかわからなかった。しかし、レミリア、フランドール、こあ、夜目の利く彼女たちにはハッキリと見える。メイジの集団だと。

 

 しばらくして集団の足が止った。その中から、メイジが一人だけ出てくる。左手には首を抑えられた農民らしき男。やがて彼も、30メイルほどの距離になると足を止めた。

 そして大声を上げる。首根っこをおさえている男に杖を向けて。

 

「おい!てめぇら!こいつの命が惜しかったら、おとなしくしてろ!」

 

 夜の農村に響く、脅しの声。

 だが、当の幻想郷メンバーは首を傾げるだけ。何やってんのか、意味不明、という具合。レミリアが魔理沙の方を向く。

 

「知り合い?」

「いや、どっちも知らないぜ」

「あれって、私たちを脅してるつもりなのよね」

「そう見えるな」

「ハルケギニアでは、赤の他人を人質に取ったりするの?」

「聞いたことないぜ。そんな話」

「じゃあ、何やってんのかしら?」

「なんか、勘違いしてるんじゃないのか?私らを、村の住人と思ってとかさ」

「ふ~ん……そうかもね。さて、どうしようかしら」

 

 腕を組んで、どこか楽しそうにメイジを眺めるレミリア。なんかイベントが起こりそうな予感がして。すると、脇からパチュリーが意見を一つ。

 

「黙って見ておく、というのはどうかしら?彼、本気でやってるようだし」

「それはそれで、面白いわね」

 

 お嬢様は小さくうなずく。

 いかにも悪人面した盗賊らしきメイジが、人質を取って脅している。しかもこちらが何者か、全く理解していない。彼女たちにはそう見えた。この的のズレた小芝居がどうなるか、役者が何をしだすのか見るのも、また一興と考える。

 

 一方咲夜は、不安そうな表情を浮かべていた。それは、さっきから殺気を感じていたからだ。それもかなり強い。もちろん、レミリア達も分かっているだろう。ただこの行きつく先は、厄介事には違いない。すでにトラブルを起こしている一同。しかも旅の途中なのだ。これ以上の厄介事は、できれば避けたかった。

 

「お嬢様」

「何よ?」

「あんな連中は無視して、ルイズ様の所へ向かいませんか?お時間の都合もありますし」

「待ち合わせ場所は、ここからそんなに離れてないわよ。行こうと思えば、すぐ行けるわ。それに、今行っても、宿は開いてないんでしょ?いい時間つぶしじゃないの。私はこの寸劇を、見ると決めたのよ」

「そうですか……。分かりました」

 

 主にこう言われてしまっては、従者は黙るしかない。

 幻想郷メンバーはそれぞれに思いを浮かべながら、この微妙な空気の小芝居を眺めていた。

 

 対するシェフィールドとメンヌヴィル。妖魔達が動きを止めたと分かる。思惑通りという考えが浮かぶ。自然と表情が緩んでいた。

 もし今が昼だったら、そうは思わなかったろう。彼女たちの嘲笑が、見えたはずだから。しかし、今は夜。さすがにどんな顔しているかまでは、分からなかった。

 

 メンヌヴィルは吊り上った口元を開ける。

 

「ハッ!実際こうなっても、やっぱ信じられねぇ。赤の他人の命を気にしてるなんてな!」

「想定通りなんでしょ。さっさと仕事を始めなさい」

 

 少々、高揚している彼を抑えるシェフィールド。メンヌヴィルはつまらなそうな顔を彼女に返した。そして、部下の方を向く。もう仕事にかかる傭兵の面構えだ。

 

「おい。一人、引っ捕まえてこい。そうだなぁ……。先頭の翼人にしろ」

「へい」

 

 部下も、少しばかり高揚していた。意気揚々と妖魔達の方へ向かう。もはや勝った気分であった。

 

 だが、

 だんだん彼女たちの表情が見えてくると、違和感が頭に浮かんでくる部下。人質を取られて、手を出せずに焦燥している顔ではないと。おかしいと思いながらも、近づいていく。

 ついに、目の前まで来てしまった。もうハッキリとわかる。全然想定と違う。まるで怖気づいてない。気を揉んでいる様子もない。むしろニヤついて小馬鹿にしていると。額に冷や汗が浮かぶ彼。背筋に寒いものすら走る。しかし、今戻れば、怒る隊長にどんな目に遭わされるか。結局、半ばやけくそに命令を実行した。

 

「お、おい!てめぇら!動くんじゃねぇぞ!こっちには人質があるんだからな!」

「で?」

「そ、そこのお前!こっちに来い!」

「お前じゃないわ。レミリア。レミリア・スカーレットよ」

「どうでもいいから、来いって言ってんだよ!」

 

 部下は先頭の翼人と思われる、レミリアと称する少女を指差した。しかし、彼女は不敵な顔のまま動かず。

 

「嫌だと言ったら?」

「てめぇ……!人質があるって言ってんだよ!」

「同じ事、二度やらないでよ。もっと他の芸を見せなさい」

「げ……芸!?」

 

 頭に血が上った。恐怖がすっ飛ぶ。思わず部下は、レミリアの胸倉を掴んでいた。つまらなそうな表情を浮かべる彼女。

 

「結局、こういうオチなのね」

 

 そう呟いた。

 

 瞬間、男の腕があらぬ方向にへし折れる。

 

「ぎゃぁぁーー!」

 

 夜の畑に響き渡る悲鳴。

 さらに妖魔は、彼を片手で持ち上げると、思いっきりぶん投げた。はるか上空へ、大砲でもぶっ放したような速度ですっ飛んで行く。

 レミリアはすぐさま、人質を取っているメイジの所まで飛んでいった。まさしく風竜が飛んだかのごとく、瞬時に。彼が目の前に妖魔がいたと気づいた時には、彼自身はもう吹っ飛んでいた。男はボールのように、7回くらい飛び跳ねて止まる。かすかなうめき声をあげて、うずくまる。放り投げられた部下も、辛うじてレビテーションで降りたが、歪んだ手を抱えたまま悲鳴を上げていた。

 

 メンヌヴィルとシェフィールド達は、固まったまま動かない。手も足も、顔も視線も。一体何が起こったのかと。一斉に頭に飛び込んできた光景が、うまく整理できない。

 

 茫然としている彼らを前に、レミリアは5メイルほど浮かぶ。そして、大きく手を広げた。月光を十分浴びるかのように。

 

「ほら、化物がお前達の前に現れたわ。戦う準備をなさい。ボーっとしたら全員食べちゃうわよ」

 

 まさしく尊大。彼らが会った今まで妖魔と、何かが違う。

 

 彼女の言葉で我に返った、メンヌヴィル達。顔をゆがませる。脳みその血がたぎってくる。ロンディニウムでいいようにあしらわれ、ここでもコケにされて、黙っているはずもなかった。

 

「ざけんじゃねぇ!やっちまえ!」

「「「おお!」」」

 

 一斉に、詠唱が始まる。風に炎、水に土。さまざまな系統の魔法が、一直線にレミリアに向かった。だが、彼女に焦りはまるでない。むしろ喜んでいた。

 

「人間はそうでなくっちゃ」

 

 笑みと共に、そうつぶやいた。

 

 さて、レミリアと盗賊らしきメイジ達との戦いを、村の広場から眺めている幻想郷メンバー。予想通りの展開となったが、特に動く様子はない。むしろ考え込んでいる。魔理沙がパチュリーの方を向いた。

 

「どうする?私らも行くか?」

「そんな事したら、レミイが怒るわよ」

 

 流れ弾の魔法をさばきなら、パチュリーは抑揚なく答える。

 すると後ろ楽しそうな声が、飛び込んできた。

 

「お姉さまだけずるい~。私もやる」

 

 フランドールが頭の上をかすめ、メイジ達へとかっ飛んでいく。残った魔理沙達、それを半ば呆れ気味に見るだけ。悪魔の姉妹相手では、メイジ達は酷い目に遭うだろうなと想像しながら。

 

 しばらく、観客気分で見ていた彼女たちだが、一人だけ神妙な顔つきをしている者がいた。アリスだ。目を凝らしながら、一点を見ている。しかし、特に夜目が利く訳でもない彼女。よく見えないらしい。やがてあきらめると、魔理沙の方を向いた。

 

「ねぇ、暗視スコープ持って来てる?」

「あるぜ」

「ちょっと貸してよ」

「あんまバッテリーないんだよ。勘弁してくれ」

「少しだけだから」

「……分かったよ。ちょっとだけだぞ」

「ええ」

 

 渋々、暗視スコープを手渡す魔理沙。手に取るアリス。これで夜でもよく見える。魔法使いが文明の利器に頼るというのも、何か妙な感じだが。

 

 アリスはスコープを、頭にかぶった。電源をON。視界に白黒の映像が入る。レミリアとメイジ達が戦っている光景が、まるで昼間のように。アリスはスコープを操作しながら、メイジ達を凝視。すると思わず声を漏らした。

 

「あ」

「なんかあったか?」

「やっぱり……。どこかで見たと思ったのよね」

「だから、なんだよ」

 

 尋ねてくる魔理沙に、アリスはスコープを返しながら答える。

 

「あそこにいるの、シェフィールドよ。それに衣玖と戦ったメイジもいるわ」

「え!?」

 

 魔理沙、驚きの声。彼女自身も、スコープを使って確認しだす。するとパチュリーが口を挟んだ。相も変わらず淡々と。

 

「確か、アルビオンの連中、って言ってたわよね」

「そうよ」

「なんでこんな所に、いるのかしら?」

「さぁね」

「聞いてみましょうか」

 

 紫魔女は次に、メイド長の方を向く。

 

「咲夜。レミィとフランに、連中を殺さないように言って。話を聞きたいから」

「はい。分りました」

 

 咲夜はわずかに頭を下げると、フッと消えた。

 アリスはそれを横目に、ポツリとつぶやく。思案に巡らせているように。

 

「なんだか、妙な事に引っ掛かったみたいね」

「だな」

 

 魔理沙も同じく、難しい顔をしていた。

 

 その頃。この騒ぎから逃げ出した男性が一人。副村長である。民家の側まで近づいていた。一番端にある家の裏口を、静かに叩く。

 

「ダルシニ!アミアス!いるか!?」

 

 小声で、中にいるはずの住民を呼ぶ副村長。すると、ゆっくりと戸が開いた。見えたのは、二人の吸血鬼姉妹。だが、ここの村の大切な仲間だ。二人は副村長の顔をみると、パッと明るい声をかける。

 

「副村長さん!無事だったんだ!」

「ああ。早く逃げよう!」

「でも……」

「妖魔なら、あの人たちがなんとかしてくれる!なんでも、妖魔退治専門のメイジなんだそうだ」

「……。分かったわ。逃げる!」

 

 ダルシニとアミアスは強くうなずくと、副村長と共に家を後にした。

 

 さてアリスが、シェフィールド達に気づく少し前。当の彼女達はどうしていたかというと、半ばパニックに陥っていた。想定とまるで違う状況に。

 メンヌヴィル達、傭兵団は、もはややけくそ気味に戦っている。最初の集中砲火は、レミリアにあっさりかわされた。次の攻撃を当てようにも、その文字通り目にも止まらぬ速さで、狙いが定まらない。さらに、同士討ちすら起こっていた。

 

「くそっ!くそっ!」

 

 メンヌヴィルは悪態をつきながら自慢の炎を放つが、まるで手ごたえがない。避けられているのが分かる。そもそも盲目の彼が頼りにする熱や匂いは、伝わる速度が速くない。素早く動くレミリアを捉えるには、不向きだった。

 しかもそれだけではない。この妖魔は、あり得ない飛び方をしていたのだ。直角に曲がる、急に反転する。ジグザグに飛ぶ。鳥もドラゴンもできない飛び方。ゆっくりならば、フライの魔法でもできるかもしれない。しかしそれを、風竜並の速度でやっていた。例え目が見えても、当てるのは至難だった。

 さらに、また一人の傭兵が、弾き飛ばされる。川に投げた小石のように跳ねていく。その力も尋常ではなかった。あたかも、オークのごとし。

 吹き飛ばした当人は、宙に浮いたまま嘲笑を浮かべている。

 

「ほら、また落ちてしまったわ。残機は後いくつかしら?」

「こ、この……!」

「もっと努力なさい。全滅したら、全員ディナーいきよ」

「ふ、ふざけやがってーーっ!」

 

 罵声を浴びせながら、半ば恐慌状態で魔法を放つメンヌヴィル達。月夜に飛び交う、様々な魔法。だが、状況が良くなるような気配は、まるでなかった。笑う悪魔にかするものは、一つもない。

 

 その様子を、少し後ろから見ていたシェフィールド。部下と共に、戸惑ったまま動かず仕舞い。

 

「なんなの……?あれは……」

 

 そう、つぶやかずには いられない。

 怪我させる事すら嫌がると言っていたのは、いったいなんだったのか。目の前の妖魔はまるで逆。すでに何人も、うずくまって動けずにいるのだ。このまま、いたぶりつくされた上で、殺されかねない。そんな予感が、彼女の背筋に走る。

 そもそもここには、ロンディニウムにいた雷撃を使う妖魔がいない。実は無関係な連中に喧嘩を売ってしまったのではないか、という考えすら浮かぶ。完全に裏目に出たと。

 エルフと共に策に当たるなど、ハルケギニアでは裏の世界にかなり通じている彼女。それでも目の前で起こっている光景は、信じ難かった。

 

 シェフィールドは一つ歯ぎしりをすると、吐き出すように言った。

 

「撤退する!」

「し、しかし、傭兵共は?」

「見捨てる。もうあの連中とは、ここまでよ。行くぞ!」

「は、はい」

 

 部下は慌てて了解。そして、この場から去れると、少しばかり安堵。

 

 すぐに全員が踵を返し、来た道を戻ろうとした時、一人の少女が目に入った。ニコニコして、彼女達の方を向いていた。

 背中に宝石をぶら下げたような、目立つ飾り。真っ赤な双眸、そして開いた口から漏れる牙。村人が言っていた吸血鬼だが、どこか異質。それが楽しそうに笑っていた。

 

 ゾッとした。

 

 シェフィールド達は、氷漬けにでもなったように動かない。かわいらしい少女が、何故か悪魔のように見えた。

 少女は無邪気な笑顔で、話かけてきた。

 

「私はフランって言うの。あなたは?」

「シェ、シェフィールド……」

「うん。じゃあ、決闘しよう」

「え!?」

 

 意味不明。ただただ唖然。

 次の瞬間、隣から叫びが聞こえた。少女のいう事を、理解する間もなく。

 

「ぎゃぁぁー!」

 

 少女、フランが部下の右拳を掴んでいた。杖を握った手を。いや、握り潰すに近かった。手がいびつに歪んでいる。子供に手を掴まれて、大の大人が身動き一つ取れず、悲鳴を上げていた。しかも、瞬時に部下の前に移動したのだ。シェフィールド達は目の前で見ていたのに、まるで動きが掴めなかった。

 

 部下は思わず杖を落とす。するとフランも手を離した。呻きながら倒れる男。そして少女は杖を拾い上げると、高々と上げた。

 

「勝ったぁ!けど、あんまりおもしろくないなぁ。天人、何が楽しかったんだろ?」

 

 ブツブツと独り言をいい、子供らしいしぐさで首を傾げる。

 

 対するシェフィールド達。一連の出来事から目が離せない。瞬きもせず口を半開きにして、茫然と見つめるだけ。異様な腕力と素早さ、対して全くの子供の容姿。そのアンバランスさが、彼女達に恐怖を抱かせた。いったい目の前にいるのは、なんなのかと。彼女達の背に、びっしりと汗が湧き出していた。冷たい汗が。

 その恐怖の主が、くるりと首を彼女達の方へ向ける。

 

「そうだ。弾幕ごっこしよう。あっちの方が面白いよ。私がボスで、あなたが自機ね」

 

 また無邪気に笑うフラン。

 シェフィールドには、一体何を言われたのかさっぱりわからない。状況に付いて行けず、うろたえるだけ。今、妖魔と敵対している事すら、頭から消えていた。

 

 フランはそのまま、スーッと空へと上った。そしてカードを一枚取り出す。

 

「一枚目!禁忌『クランベリートラップ』!」

 

 シェフィールド達の周囲、前後左右に、無数の光弾。しかも、それは彼女達に迫って来た。思考の外の事態に、頭が止まる。光の玉に視線が囚われる。

 だが、すぐ側まで光弾が近づくと、さすがに我に返るシェフィールド達。

 

「と、飛ぶわよ」

「は、はい!」

 

 慌てて、フライを唱える。メイジ達はシェフィールドを抱え、ともかく光弾のない空へと逃げ出した。

 しかし、そうはいかなかった。光弾の群れは、自分が飛んでいる位置と同じ高さを追って来たのだ。元々フライは、高機動に飛べる魔法ではない。しかも人を抱えては。

 迫る光の群れ。額に汗を浮かべながら、無数の光球に見入るしかない。成す術なし。逃げ場なし。まるで壁に押しつぶされるような感覚。それが現実となるのも、後わずかだった。

 

 一方、ご機嫌なお嬢様。スカーレットデビルこと、レミリア・スカーレット。少しばかり、気分を高揚させて飛び回っている。弾幕も使わず、速さと打撃だけでメイジ達を翻弄。

 だがその時、突然、視界からメイジ達が消えた。気付くと、彼女はメイジから離れた場所。さらに隣にはフランドールもいる。遠くに見えるメイジ達は、突然消えた二人に慌てふためいている。

 

 もちろん何が起こったか、レミリアは分かっていた。別に、敵の術に引っ掛かった訳ではない。従者、十六夜咲夜が運んだのだ。時間を止めて。ここまで。

 まずは、不満そうな第一声。

 

「何よ。咲夜。楽しんでるのに」

「そうだよ」

 

 吸血鬼姉妹は、少々不機嫌。側に佇んでいたメイド長は、整然と詫びを入れる。

 

「申し訳ございません。お嬢様方」

「で、何?」

「パチュリー様から、あの者達を殺さないように、とのご伝言です」

「何で?」

「見知った者のようで、話が聞きたいと」

「痛めつけるのはいいの?」

「それは、伺っておりません」

「そう」

 

 つまり、話ができる状態にしておいてくれ、と理解する。がっかりなお嬢様。もっとも、今一つ歯ごたえがないので、少々飽きてきたのだが。フランドールの方は、端から弾幕ごっこをしているつもりなので、命を取る気はなかった。

 

 やがて用件が終わると、また咲夜はスッと消えていなくなる。残されたお嬢様方は、自分達の遊び相手の方へ直行。

 いきなりいなくなったレミリア達が、横から飛んできて、メンヌヴィル、シェフィールド達は動揺を隠せない。どうやったのか、なんのつもりでやったのか、まるで意図が読めないので。戸惑って立ち尽くしていた彼らだが、気づくとレミリアとフランドールに挟まれていた。二人は彼らにお構いなし。事を始める。そして、カード1枚取り出した。

 

「用ができたわ。余興はおしまいよ。天罰『スターオブダビデ』!」

「こっちも行くよー。禁忌『カゴメカゴメ』!」

「「「!?」」」

 

 突如、彼らの周りに無数の弾幕が溢れかえる。しかも前後左右、上からも。もはや避けようがない。さらに、これまでの戦いで、精神力も尽きかけていた。茫然と迫る光の群れを、見つめるしかない彼ら。メイジの一団が、全員確保されるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 森の中を村民の所へ向かっていた、ダルシニ、アミアス、副村長の三人。

 今いる場所は、思ったほど村から離れていない。妖魔達と戦いを避けるため、大回りしたのだ。そのせいで時間が結構かかっていた。だが今の場所から真っ直ぐ行けば、仲間の所にたどり着ける。もう後は、一目散に逃げるだけであった。

 しかし、ダルシニが足を止める。アミアスが不思議そうな顔を向けた。

 

「どうしたの?おねーちゃん」

「あのメイジの人たち……。みんなやられちゃったわ」

「え!?」

 

 思わず、村の方を見るアミアス。

 確かに全員倒れている。立っているのは妖魔達だけ。息を飲む二人。

 逃げている途中、チラチラと村の方を見ていた。十数人のメイジと戦っていたのは、わずか二人。その二人に、みんな倒されてしまったのだ。

 普通の妖魔ではないとは思っていたが、まさかここまでとはと。背筋が寒くなるのを抑えられない。

 

「に、逃げよう!おねーちゃん!」

 

 思わず、アミアスはダルシニの手を引っ張る。しかし、ダルシニは動かない。

 

「どうしたの!?」

「ここに残るわ」

「何で!?」

「あの連中が、みんなを追っかけて来たら、私が防ぐから」

「できっこないよ!あれだけいたメイジが、みんなやられちゃったんだよ!」

「でも時間を稼ぐくらい、できると思う。その間に、旦那様と奥様に知らせて」

「でも……」

「急いで。私は今からここの"場"と契約するから」

「…………。分かったよ。でも、無茶しないでよ!」

「うん」

 

 アミアスは少し涙目になりながらも、走り出した。逃げた村人達の方へ。副村長と共に。それを目にしたダルシニは、少しばかり安心した表情で見つめていた。とりあえずは、妹に危険が及ばないと分かって。だが、すぐに緊張感を身に纏う。気持ちを引き締める。強力で得体のしれない妖魔。彼女は、その相手をする覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 村で一番大きい屋敷。村長の屋敷。その一階のフロアは、かなり大人数が集まっていた。レミリア、フランドール、咲夜、パチュリー、こあ、魔理沙、アリスと、捕まった十数人のメイジ達。

 魔理沙達、三魔女は何やら話し合い中。レミリアは、ついさっきの厄介事の始末のせいで、少々気疲れ。フランドールは、部屋の隅で杖を並べて楽しそうに眺めている。後で天子に、自慢でもするのだろうか。咲夜は主の指示にいつでも対応できるよう、レミリアの側に控えていた。

 

 メイジ達の方は、杖は取り上げられ、結界内に確保されている。一応、怪我の酷いものは、応急手当くらいしていた。話せないと困るので。シェフィールドだけは、別格あつかい。椅子に縛られて、別の結界で拘束されている。彼女の正体を、皆知っているのだ。この集団も、おそらく彼女が率いている、そう考えていた。

 

 しばらくは、何やら話していた三魔女だが。その中からアリス出て来る。

 

「パチュリー、お願い」

 

 パチュリーは本を開くと、わずかに詠唱。シェフィールドの拘束結界を縮め、首から上の結界の外に出した。これで一応、話す事はできるようになった。ただ、意識はないようで、首が下へと向く。

 

 アリスは人形、上海に指示。上海は槍を突き立て、シェフィールドの頬を突く。しばらくして、彼女は呻きながら、瞼を開けた。そして目に入ったのは上海。目を細め、不思議そうに見る。まだ、よく状況が掴めていないらしい。無理もないが。

 人形遣いは、そんな彼女に構わず話かけた。

 

「目が覚めたかしら?シェフィールド」

 

 思わず、アリスの方を向く彼女。その目には当惑と書いてあるかのように、唖然とした表情。

 

「……。お前は……誰だ?」

「さあね。それより聞きたい事があるのよ」

「聞きたい事?」

「アルビオン皇帝の秘書が、何しにトリステインの奥地に来てるのかをね」

「!?」

 

 目を剥いて驚くシェフィールド。いきなり自分の素性が出てくるとは、思いもよらなかったので。そもそも、何故名前を知っていたのか。

 

 だが、少しずつ意識も覚めはじめる。頭がしっかり動きだす。すると辺りの状況が理解できてきた。つまり、妖魔に敗北し捕まったという事だ。さらに目の前の町娘に見える少女、ガーゴイルを使っている所を見るとメイジかもしれない。その彼女が口にした、自分の立場。するとふと思いついた。理由を。彼女を睨みつけ、口にする。

 

「そうか……。やはりお前たち、水の精霊の仲間か。それで、私の素性を知ってる訳か」

「まあね」

「くっ……」

「で、最初の質問に移るけど、何しにこんな所に来たの?」

「…………」

「だんまりか。吐かせる方法は、いくつかあるのだけど」

「拷問でもするつもりか?それで口を割るとは思わん事だ」

「他の方法もあるわよ。例えば、ああいうの」

 

 アリスはそう言って、顎で左を指す。横を見ろと言わんばかりに。

 シェフィールドの目に入ったのは、姿勢を正し、正座する傭兵と部下達だった。その表情はどこか無邪気。彼らの視線の先にあったのは、戦いの相手、レミリア。彼女の前での彼らは、よく調教されたペットのよう。さらに部下だった彼らに、隊長のメンヌヴィルが抑え込まれている。

 彼女の瞼が大きく開いて固定。らしくないを通り過ぎて、もはや喜劇。一体何が起こったのか。あの下品で不遜な傭兵達に。シェフィールドは、アリスに向かって激高する。

 

「な、何をした!?」

「さあね。で、ああなりたい?」

「お、おのれっ……!」

 

 歯ぎしりをするしかないシェフィールド。

 

 実は、傭兵と彼女の部下達にかかっているのはチャーム。吸血鬼の能力の一つである。レミリアが掛けた。あまりに悪態をつく彼らに、彼女がムカついたのだ。その手のものへの対策がないのか、あっさりとかかる。しかもレミリアのものは、こあより強力。彼らは、まるで憧れの舞台女優か、あるいは女神でも見るかのように、レミリアに熱い視線を送っていた。ただし、メンヌヴィルだけはかからなかった。盲目なので。しかし、チャームにかかった彼の部下に押さえられて、身動きすらできない。

 

 アリスは、顔をシェフィールドへ戻す。

 

「あいつらにも聞いたんだけど、ラグドリアン湖訪問とトリステイン魔法学院襲撃については分かったわ。狙いは想像つくけど、その確認をね。それと、そもそもガリア王が何を考えてるのか。むしろ、こっちの方を聞きたいわ」

「何故、妖魔であるお前たちが、人間の国の事を気にする」

「はぁ……質問で質問を返すの。あなたも面倒なのね。分かったわ」

「ちょ、ちょっと待て」

「言う気になった?」

 

 腕を組んで、彼女を見下ろすアリス。別に勝ち誇っているという訳でもないが、淡々したその仕草に、シェフィールドはいらだちを覚えていた。単に事務処理対象のように、自分の事を見ている。どうでもいい存在かのように。

 何にしても、この状況を打開する術はない。いくつかのマジックアイテムを、服のあちこちに仕込んでいるが、今動くのは首から上だけ。なんとか手だけでも、動けば別だが。頭の中で、いろいろと考えを巡らせる。

 

 すると、明るい声が飛び込んできた。

 

「お姉さま。あの人の血、飲みたい」

 

 全員が向かった視線の先にあったのは、楽しそうなフランドール。無邪気な笑顔で、シェフィールドを指さしていた。新しいおもちゃを見つけたような、そんな目をして。

 レミリアが、さっそくうなずく。彼女の方は、厄介事始末からの気分転換のつもり。

 

「それは悪くないわね。こっちの人間の血、飲んでみたいと思ってたし。いいアイディアだわ、フラン。うん。咲夜、お願いするわね」

「畏まりました。お嬢様」

 

 咲夜はさっそく作業に取り掛かる。荷物の中をゴソゴソと漁り始めた。

 だが、それに不満そうな顔。パチュリーだった。

 

「レミィ。全部終わってからにしてくれない?」

「いいじゃないの。今回、一番働いたのは私よ?」

「楽しんで、やってたじゃないの」

「そ、そんな事はどうでもいいの!とにかく、ここにいる連中は全部、私とフランの成果。なら、私達がどうしようと勝手よ!」

 

 椅子の上にスクッと立ち、堂々と胸を張って所有権を主張。魔女達は半ば呆れ気味に、お嬢様の御姿を見ていた。そして紫魔女が、溜息一つ。

 

「はぁ……。分かったわ。好きにして」

「ふふん」

 

 なおさら得意げなレミリアだった。茶番劇はお嬢様の勝利で終わる。

 

 しかし、そのやり取りを聞いていたシェフィールドは。彼女にしてみれば、茶番劇どころではない。いきなり、死刑執行を言い渡された気分。吸血鬼がいるというのを、すっかり忘れていた。しかも抵抗しようにも、首から上しか動かない。顔から血の気が引いていくのが、肌で感じられる。こんな恐怖を味わったのは、いつ以来か。

 

 死ねば、彼女の持つ情報を聞き出せなくなるが、この場合に限っては違う。ハルケギニアの吸血鬼は吸った相手を、屍人鬼にする事ができる。屍人鬼は生前の記憶も持っているので、情報を聞き出すのは造作もないのだ。つまり彼女が死ぬ事に、なんの障害もない。もっとも、レミリアがハルケギニアの吸血鬼だとすればだが。

 

 この所の失敗続きの結末が、これなのかと、シェフィールドは絶望感で一杯だった。主に貢献するどころか、足を引っ張って終わってしまうとは。

 

 やがて、咲夜が小さなケースを持って近づいてくる。その後ろにフランドールが、ワクワクしながら付いていた。

 シェフィールドは最後の抵抗とばかりに、咲夜を睨みつける。

 

「私の肌に、牙など突き立ててみろ!ただでは済まんぞ!」

「そんな事する訳ないでしょ。あなたの汚い肌に口付けて、お嬢様方がご病気になられたらどうするのよ」

 

 メイド長は、そんな事を言っていた。

 

 シェフィールドには意味が分からない。牙を立てないで、どうやって血を吸うと言うのか。そんな吸血鬼は、聞いた事がない。というか、吸血鬼って病気になるのか。

 

 すると不意に、何かが上がって来た。胸の奥から違和感が、異質感が。

 そう。目の前にいる連中は、本当に妖魔なのかと。見れば見る程、違和感は大きくなる。やがてそれは確信に変わっていた。この連中は、自分達の世界の住人ではないと。

 

「お前たち……。いったい何者だ?妖魔ですらないな?」

「…………。パチュリー様。お願いします」

 

 しかし、メイド長。無視。自分の仕事を続ける。紫寝間着の魔女は読んでいた本を閉じ、面倒臭そうに答える。

 

「分かったわ」

 

 パチュリーは閉じた本をまた開いた。そして何やらつぶやくと、わずかに結界陣が光る。

 ふとシェフィールドは、右手、肘先が動くようになったのを感じた。しかし椅子に縛られた状態なので、大して動けないのだが。

 咲夜は注射器を取り出すと、シェフィールドの腕を消毒。

 

「へー、血管の場所は変わらないね」

「どういう意味だ?」

「少し痛いけど、我慢なさい」

 

 相変わらず答えないメイド長。イラつくシェフィールドを無視して、注射器を腕に刺した。手際よく。ほどなくして、血で満たされる。そして注射器を抜くと、簡単な止血。

 

「さて、終わりと」

「終わり?これで?吸血がか?」

「言ったでしょ。血はしばらくしたら止まるわ。じっとしておくことね。ま、それじゃ動けないでしょうけど」

 

 そう言って、咲夜は踵を返す。

 残されたシェフィールドは呆気に取られたまま。あんな吸い方をする吸血鬼など、聞いた事がない。だいたい、血を取るのに使った小さな筒はなんなのかと。ハルケギニアには注射器がないので、彼女には特殊な工芸品にしか見えなかった。益々、違和感を強くするシェフィールド。

 

 さて、お待ちになっているお嬢様方。フランドールなんかは、荷物から勝手にグラスを持ち出し、すでに待ち構えていた。

 

「咲夜。早く早く」

「少々、お待ちを。フランドールお嬢様」

 

 咲夜は、レミリアとフランドールのグラスに、それぞれ均等な量を分ける。レミリアはグラスを手にすると、楽しそうに血を泳がす。

 

「ふ~ん……。色は悪くないわね。そう違わない感じだわ。香りはどうかしら?」

 

 そして彼女は、グラスに鼻を近づけようと……。

 

「ぶーーっ!!」

 

 っと横から不快音、いや、声。一気に興が削がれる。横を見ると、フランドールが血を吐き出していた。

 

「ぺっ!ぺっ!ぺっ!ぺ!」

 

 四つん這いになって、口の中のものを全て吐こうとする。咲夜が慌てて、コップに水を注いできた。

 

「お嬢様、お水です」

 

 咲夜に背中を摩られながら、フランドールは一気に飲み干す。さらに水を要求。それに応えるメイド長。

 そんな二人のやり取りを、機嫌悪そうな顔で見ながら、レミリアはシェフィールドの側まで近づいた。

 

「この期に及んで、やってくれたわね。最後の抵抗……という所かしら?」

「い、いや!何もしてない!だいたい、身動き一つできないのに、どうやるって言うのよ!」

「足掻く人間は、嫌いじゃないわ。でも、代償は高くつくわよ」

「違う!本当よ!何もしてない!」

 

 レミリアの双眸が赤く輝きだす。口元がゆっくり開く。シェフィールドには、ただの少女にしか見えなかった彼女が、まるで違ったものに変貌したように感じた。もはや悪魔。そう呼ぶしかない気を、纏っていた。

 

 だが、その気が打ち破れる。背後の声で。

 振り向いた先にいたのは、フランドール。

 

「よくもやったなぁ!」

 

 久しぶりに見た、怒りの表情の妹だった。彼女は広げた右手を、突き出していた。

 

「きゅっとして」

 

 その言葉に幻想郷のメンバーの全員に、一斉に緊張が走る。頭の中に警報が鳴り出す。フランドールの言葉。何を意味するか、誰もが分かっていた。

 

「フラン!待ちなさい!」

 

 しかし、姉の言葉は届かない。

 

「どかん」

 

 その時、シェフィールドは心臓の裏側から、体が握りつぶされるような感覚に襲われる。しかし、それも一瞬だけだった。

 爆発音。村長の家、一階のフロアの一角が吹き飛ぶ。爆風が吹き荒れる。塵が舞い、視界を遮る。

 

 だが、やがてそれも収まる。爆発は一瞬だけだった。その中心点に残ったもの。粉砕した椅子とボロボロの床だけ。シェフィールドと名乗った女性の姿は、影も形もなかった。

 レミリアは残骸を一瞥すると、フランドールの方へ向き直る。その目は先ほどの悪魔のようなものとは、まるで違っていた。厳しさと、悲しさと、優しさが混ざったような複雑な光。そんな光を漂わせていた。

 

「フランドール・スカーレット」

 

 フルネームで妹の名を呼ぶレミリア。妹の方は今にも泣きそうな顔をしていた。

 実は彼女。この能力のため、長い間閉じ込められていた。その能力は、あらゆるものを破壊するという危険極まりないもの。しかし、以前あったある出来事を切っ掛けに、ようやくこの力を操る事ができるようになった。そして外に出られるようになったのだ。今の彼女は、当時を思い出しているのだろう。

 フランドールは小さくなって、祈るように言う。

 

「ご、ごめんなさい。もうしないから。絶対しないから!」

「…………」

 

 レミリアの表情は変わらない。すると横から、親友の言葉が届く。諭すような響きの言葉が。

 

「いいじゃないの、レミィ。今回は、対象だけしか破壊してないし。十分力を制御してるわよ。動機も、無茶なものじゃないわ」

「怒るつもりはないわよ。悪いのはアイツだしね」

 

 姉は涙目の妹の側までやってきた。何かを言おうとした妹を、ふと抱きしめる。

 

「怒ってるんじゃないって、言ってるでしょ。でも、これだけは覚えておいて。あなたの力は、十分強いという事を」

「うん……」

「ならいいわ」

 

 レミリアはパッとフランドールの体を離すと、明るい笑顔を浮かべた。その場の空気を、入れ替えるように。

 

「さ!もう、この騒ぎはお開きしましょう!メインイベントは、これからなんだから。寄り道なんて……」

 

 だが、その時だった。レミリアの体が揺れた。何かに押された訳ではない。足元が揺れていた。大地が揺れていたのだ。

 

 地震。

 

 この揺れは、まさしくそれ。人が揺れ、家具が揺れ、家々が揺れていた。

 しかし、それもすぐに収まる。揺れの程度も、そう大きくなかった。被害もなし。意表を突かれたが、むしろありがたかった。この場の微妙な空気が、霧散したので。

 

 倒れた椅子を戻しながら、魔理沙がつぶやく。

 

「天人が何かやったか?」

「ここであの揺れじゃぁ、震源地は大地震よ。さすがに、そこまではしないでしょ」

 

 アリスも倒れた小物を直しながら、答える。

 

「じゃあ、ただの地震か」

「それしか、ないじゃないの」

「だな」

 

 すぐに気にしなくなる二人。だが、パチュリーは眉を顰め、顎に手を添える。何かを見出すように。今の地震に、奇妙な不自然さを感じていた。

 

 

 

 

 

 レミリア一行が、シェフィールド、メンヌヴィル達を訊問している最中。新たな一団が、村に近づきつつあった。森を進むその姿、彼女達とは違いまさしく騎士といった風情。甲冑を纏ったメイジの一団。カリーヌ直属の妖魔討伐隊である。

 本来メイジは、甲冑など着込まない。だが、どんな状況でも戦えるようにと、カリーヌの方針でこの姿となっている。このため彼女の部下は、魔法はもちろん、剣術も磨かれていた。杖は皆、剣と兼用。もちろん予備の杖も持つ徹底ぶり。さらに今の彼らは、自分達の使い魔まで連れてきていた。総勢、21人と21匹の使い魔。

 

 そんな勇ましい彼らに、付きそう少女が一人。アミアスだ。カリーヌの側で道案内をしている。だがその表情には、焦りが浮かんでいた。一人残した姉の事で。十数人のメイジを手玉に取る妖魔の前に、残してきた事のだから。彼女の胸は、今にも潰されそうに締め付けられている。

 

 しかし、それも稀有に終わる。アミアスの視界に一人の少女が入った。

 

「おねーちゃん?」

「え?アミアス?」

「おねーちゃん!」

 

 走り出すアミアス。見慣れた姉の顔が、ハッキリ見えて来る。飛び込むように、ダルシニへ抱き着くアミアス。不思議と目元が熱くなっていた。あの頃を思い出したからか。かつて人間に捕まって、ダルシニはアミアスのためにいいように使われていた。ダルシニが外で辛い仕事をこなし、アミアスはただただ牢獄で待つ。あの暗い日々を。

 

 その暗い日々から、助け出した当人が近づいてくる。カリーヌだ。

 

「無事だったようね。ダルシニ」

「奥様!来てくれたんですか!ありがとうございます!」

「掛け替えのない友人だもの。行くなと言われても、助けに来ますよ」

 

 "烈風カリン"とかつて呼ばれていたとは思えない、柔和な笑みを返す。それに引き寄せられるように、ダルシニも自然と顔が緩む。

 だがそれもわずかな間。カリーヌの表情が、スッと厳しくなった。任を負った騎士の顔に戻る。

 

「それで、状況は?」

「あ、はい。妖魔退治のメイジは、全員捕まってしまいました」

「捕まった?殺されたんじゃなくて?」

「はい。一人も死んでません。というか、二人の妖魔はまるで遊んでいるようでした」

「…………。メイジの腕の方は?」

「トライアングルクラスもいました。戦い方も、慣れてる感じがしました」

「それを、たった二人で弄ぶ……」

 

 カリーヌは腕を組んで考え込む。やや重い顔をして。

 ダルシニとアミアスは、カリーヌ達と共に、いろんな戦いを経験している。その経験があるからこそ、戦いを見誤ったりはしない。彼女の目に、カリーヌは全面の信頼を置いていた。そのダルシニが言うのだ。これはさらに気持ちを締めていかなければならないと、強く思う。

 

 しばらくして、顔を上げるカリーヌ。

 

「アミアスは、その連中を吸血鬼ではないと言っていたのだけど」

「あ、それは私も思います」

「詳しく教えてもらえないかしら?」

「はい。あの連中は……」

 

 それからダルシニは事の経緯と、戦いの様子を話だす。それはカリーヌにとって、驚くべきもの。見た目は羽をはやした少女姿。しかし能力は常軌を逸していた。無数の光弾を撃つ詠唱なしの魔法、オークかというような腕力、風竜かというような飛行速度、あり得ない飛行軌道。どれもが、吸血鬼のそれはとは違っていた。では何かと言われると、困る。多くの冒険と言っていい旅を経験したカリーヌだが、記憶の中に当てはまるものが何もなかった。

 

 ますます厳しい表情を浮かべる彼女。眉間の皺が深くなる。

 

「他には何かいた?」

「はい。それと吸血鬼らしい妖魔と似た姿の妖魔が一人。後、メイジらしい人物が三人。他には、吸血鬼のメイドが一人です」

「全部で7人か……。その連中は、戦いに参加しなかったの?」

「遠目に見てただけです」

「十数人のメイジを相手にしても、二人で十分という事ね。その連中の能力、分かるかしら?」

「えっと……メイジの一人はガーゴイル使いです。何体か人形を操ってました。後、信じられないかもしれませんけど、メイドは瞬間移動ができます」

「瞬間移動!?なんですかそれは?」

「パッと消えて、全然違う場所に現れるんです」

「…………」

 

 またも信じがたい話。瞬間移動などというのは、単なる言葉遊びの代物と思っていたが、それが現実に存在するとは。しかも、そんな力を持った者がメイド。だとすると主の方は、どれだけの力を持つのか想像がつかない。悪魔が地上に現れた、とすら思いたくなる。

 

 唇を強く結んだまま、考え込むカリーヌ。そこに副隊長が一つ提案を告げる。

 

「隊長。村人は全て無事ですし、こうしてご友人も無事発見されました。その得体のしれない妖魔と、無理に戦う必要はないのでは?」

「そうはいきません。妖魔の目的が、ハッキリしてない。また、我らが領内で不埒を働く者を、見過ごす訳にもいかない。それに、領民のために体を張ってくれたメイジ達が、捕まっているのよ。見捨てる訳にはいかないでしょう」

「仰る通りです。お耳汚しをしました」

「いえ、あなたの考えは悪くないわ。状況によっては、逃げも一つの手です」

「はい」

 

 副隊長は下がる。

 ただカリーヌはそうは言ったものの、攻める糸口が見つからない。今までの経験から、知恵を絞りだす。そしてふと思いついた。

 

「ダルシニ。メイジ達を相手にしていた、二人の妖魔。連携して戦っていたの?」

「いえ。バラバラに好き勝手に戦ってました」

「……。もう一度確認するけど、他の連中は全く参加する気配はなかったのね」

「はい。野次馬という感じでした」

「なるほど。それともう一つ。人柄はどうだった?」

「え?」

 

 意外な事を聞かれて、ダルシニは首を傾ける。

 

「人柄って言われても……。私、妖魔と話してませんよ。遠目に見てただけですし……」

「その遠目で見て、どんな相手と感じた?」

「う~ん……。あ、そうそう。蝙蝠の翼を持った吸血鬼は、とても偉そうでした。村のみんなが向かって行ったとき、なんか宣言してましたし。この私に向かってくるとは~みたいな」

「そう……。もう一人は?」

「宝石ぶら下げた方は、子供のようでした。無邪気っていうか……」

「残りは?」

「メイドは忠義者って感じでしたよ。背筋もピシッて、してましたし」

 

 ダルシニとアミアスは、貴族の家に居ついていた事もあったので、メイドの質も見分けられた。

 

「後は、ちょっとよく分かりません。何か会話をしてたみたいなんですけど、聞き取れなくって」

「その時、残りの連中は見入ってた?それとも傍観してた?分かりづらいかしら……。そうね、興奮して見てたのかそうでないか、という方がいいかしら」

「ああ、そういう意味でしたら、傍観してましたよ」

「なるほど。ありがとう」

 

 話を聞き終えたカリーヌ。そこには最初のような厳しさが、薄れていた。それにダルシニが気づく。

 

「何か思いつきました?」

「ええ、まあ。上手くいくかは、やってみないと分からないけど」

 

 カリーヌは若い頃、"烈風カリン"と呼ばれだす頃までは、力任せの戦いが多かった。自らの魔法への自信もあった。しかし、個人の力の限界を知ってからは、戦い方が変わった。いや、広がったと言うべきか。王家の近衛であるマンティコア隊を率いる頃には、戦士としても指揮官としても円熟したものを見せていた。今のカリーヌは"烈風カリン"ではなく、むしろマンティコア隊隊長の表情をしている。

 

 その場で、対策を考えるカリーヌ達。やがて仕上がった作戦に、光明を見出す彼女達。

 方針が決まると、カリーヌは後ろを向く。力強い数々の瞳が、彼女の方を向いていた。

 

「各々が自負する力、そして忠義を示すときが来た!敵は想像を超えた存在だが、完全無欠など存在しない。私の策に従い、義務を果たせ!」

「「ハッ!」」

 

 強くうなずく部下達。覚悟を決めた騎士。戦意に満ち溢れた集団が、未知なる戦地に向かおうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 花薫る大地に、一人の女性が倒れていた。長い黒髪のしなやかな女性。その黒髪に隠れた額には、文字らしきものが描かれていた。

 やがて女性は、ゆっくりと瞼が開く。意識を取り戻す。半身を起こし、頭を二,三度振った。だんだんと頭が動きだす。彼女の名はシェフィールド。ガリア王ジョゼフの使い魔。

 

 ぼやけた頭の中から、記憶を掘り起こす。出てきたのは最後の瞬間。妖魔ともなんとも言えない連中に敗北し、捕まった。そしてその内の一人に、妙な術を掛けられ、心臓の裏から鷲掴みにされるような感覚に襲われた。だが、憶えているのはここまでだった。

 

 辺りを見回すと、花壇に花が咲き誇っている。中には見覚えのない物もある。だがどこか心地いい。この香のせいだろうか。

 

 ふと思う。自分は死んだのだろうと。

 それにしても、主のためとは言え、あれだけ人の命を奪ったのだ。地獄に落ちると思っていたが、どうもここはそうではないらしい。意外だが。自嘲気味な笑みが浮かぶ。ただ口惜しいのは、主の助けにならず、世を去った事。それだけは心残りだった。

 

 何気なく見上げた空。真夜中らしい。星々が満天を埋め尽くしていた。そして月が上がっている。

 たった一つの月が。

 

「あ!どろぼう!発見!」

 

 どこからともなく声をかけられた。子供のような声を。

 シェフィールドが思わず振り向いた先にいたのは、青いワンピースを着た少女。背に氷のような飾りを、背負っていた。羽のように。彼女は、天使なのかと思った。

 

 

 

 




 ちょっと長くなってしまいました。ただシェフィールド、幻想入りまで1話にしたかったもので。

 描写少し加筆しました。


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英雄vs妖怪

 

 

 

 

 森の奥から、人影が近づいてきた。二人の少女が。黒い髪に、人間離れした真っ白な肌。ダルシニとアミアスだ。甲冑を着込んだ女性、カリーヌの側まで寄ると報告する。

 

「奥様、準備終わりました」

「お疲れ様。では、向かいましょう」

 

 カリーヌは部下達へと命じた。十数人の甲冑を着込んだメイジ達が、足を進みだす。

 ダルシニとアミアスは、陣を張る場所の"場"と契約していたのだ。もちろんカリーヌの作戦の一環として。部隊はダルシニ達の後に続き、現場へ到着する。

 場所は、村落から畑を挟んで100メイルほど離れた森の中。下草は少なく地上では動きやすいが、木々自体は多い。

 全員が所定の場所まで来ると、今度は副隊長からの報告。

 

「支隊の準備が、完了したとの事です」

「分りました。別命あるまで、そのまま待機」

「ハッ」

 

 カリーヌは部隊を二つに分けた。彼女が率いる本隊と、別働隊の支隊。支隊は、彼女達が乗って来たドラゴンの元へ戻っている。竜騎士として運用するためだ。

 現場で各人を配置につけるカリーヌ。その中にはダルシニ、アミアスも含まれていた。

 

「あなた達は、指示通り後方に下がりなさい」

「はい」

 

 後方と言っても、この場から離れる訳ではない。布陣の中で、最後尾という意味だ。かつての"烈風カリン"の頃、彼女達の役割はもっぱら先住魔法による後方支援だった。なつかしい役割の再現という訳だ。もっとも、部下たちに二人の正体は知らせてないので、魔法を使う所を見せる訳にもいかないというのもあるのだが。

 

 さらに、空から影が一つ近づいて来た。梟が一羽。木々を縫うように抜け、カリーヌの肩に止まる。彼女の使い魔、トゥルーカス。長年の相棒に、労をねぎらう。

 

「ご苦労さま」

「これも務めで、ございます」

 

 梟は答えた。言葉で。そう。トゥルーカスは話せる梟なのだ。知能も、普通の梟の比ではない。しかしそれに驚く者は、ここにはいなかった。彼らにとっては、もう見慣れたもの。ヴァリエール家でのいつもの光景。そんな事より今は、この梟が掴んできた情報の方が注目すべきものだ。

 トゥルーカスは、妖魔の様子を偵察しに行っていた。さらに使い魔と主は、感覚を同調できる。つまり、カリーヌ自身が見てきたようなもの。彼女は、部隊に説明する。全ての妖魔、囚われたメイジ達が、村長の家に集まっていると。すると副隊長が一言。

 

「まずは、出てもらわねば始まりませんな」

「ええ。では、その顔を拝むとするかしら」

 

 一斉にうなずく部下たち。一気に緊張感と士気が上がっていく。全員が杖と兼用の剣の柄を、強く握る。やがて、カリーヌはスッと立ち上がると、森の外に出た。それに四人の部下が続く。

 

「『エア・ハンマー』用意!目標は村長宅の二階!」

 

 力強い命令が飛ばされた。いよいよ戦闘開始。

 風系統のメイジが、森の端へ出ると詠唱。フッと杖を振る。

 風を切る音と共に、空気の魁が飛んでいった。

 

 板が割れる音と共に、100メイルほど先の家の二階に風穴が開く。何やら一階が、騒がしくなっているのが見える。カリーヌは、予想される妖魔の動きに頭を巡らせていた。

 

 一方の幻想郷メンバー。シェフィールドがいなくなってしまったため、ガリアの情報が分からず仕舞い。メンヌヴィル達にあらためて聞いたが、ただの雇われ兵の彼らが知る訳もなかった。シェフィールドの部下も、それは大して変わらない。

 それで、用の済んだ彼らの後始末を、どうするか話し合っていたら、上の階で物が壊れるような大きな音がした。

 一同、上を向いている。アリスがまず口を開いた。

 

「何かしら?地震のせい?」

 

 さっきの地震で何かがバランスを崩し、今頃倒れたのではとか考えている。隣の魔理沙が、箒を肩に乗せながら、歩き出した。

 

「見てみるか」

 

 その時だった。外から声が届いた。宣戦の布告が。

 

「吸血鬼共!よく聞け!」

 

 足を止める魔理沙。いや、ここにいる全員が動きを止めた。外の方へ顔を向ける。

 

「貴様ら不埒な者々を、成敗してくる!」

 

 とりあえず宣言を耳に収めるパチュリー達。相も変らぬ眠そうな目を凝らして、窓の向こうを見ている。

 

「女の声ね。暗くてよく見えないわ。こあ、どんな連中?」

「え~っと……。鎧着てますね。捕まえたメイジとは、全然違います。なんか正規軍って感じですよ」

「村の住民が、領主の助けを呼んだのかしら?数は?」

「見えてるのは5人。真ん中に女性が立ってます。一番派手な鎧ですね。この人が隊長かな?後、森の中に何人か。でも30人はいなさそうです。20人くらい?」

「そう」

 

 パチュリーは本を抱え込んで、そっけない返事。正規の軍隊が向かってきたという割には。まあ、彼女自身、ただただ迷惑だと思っていただけなので。アリスも似たような事を考えていた。

 

「無視して、ルイズの所にいかない?この連中の事は、置手紙でもして残して置けばいいでしょ。正規兵なら、なんとかしてくれるわよ」

「そうね。もうこれ以上の面倒はごめんだわ」

 

 二人の魔女の言い分に、咲夜も賛成。大きく二回頷く。

 だが、やっぱりお嬢様は逆だったりする。

 

「どうも、私を指名してるようね」

「レミィ……。もういいでしょ。散々戦ったじゃないの。我慢なさい」

「だって、こいつら歯ごたえないんだもん」

 

 そう言って、親指でメンヌヴィル達を指さす。確かにさっきの戦いは、彼女の言う通りではあった。一方的過ぎた。さらに一言添える。

 

「それに気分転換よ」

「…………」

 

 パチュリーには何を意味しているか分かっていた。フランドールの爆発騒ぎが、胸に引っ掛かっていたのだろう。昔を思い出して。フランドールの何でも破壊する能力というものは、いろんな意味で二人に影を落としていたのだから。

 吸血鬼の親友の魔女は、結局折れる。肩から力を抜くと、一言だけ告げた。

 

「手早く済ましてよ」

「つまらなかったらね」

 

 レミリアは、わずかに鼻で笑うと、窓から外に飛び出していった。

 

 カリーヌは窓から、蝙蝠羽の妖魔が出て来るのを確認する。しかも一人だけ。

 

「どうやら、上手く行ったようね」

 

 兜の中で、緊張感を伴った笑みを浮かべていた。

 第一段階の予定は、吸血鬼が一人で向ってくる事。二人の吸血鬼が同時にやってこられると、対応が難しくなる。だが二人には、性格の違いがあった。気位が高いと言われた方が、反応すると賭けたのだ。しかも相手を"妖魔共"と呼ばずに、あえて"吸血鬼共"と呼んだ。これも他の連中が出て来るのを、避ける狙いがあった。さらに、連中の集団としての一体感のなさ。好きかってにバラバラに動くと、想定していた。

 とりあえず現状は、カリーヌの読み通りだ。

 

「一旦、森の中へ下がるぞ」

「ハッ」

 

 彼女は部下と共に、森の中へと入っていく。吸血鬼を迎える布陣を済ました狩場の中へ。

 

 レミリアは森の中へと入っていく相手を見て、ポツリとつぶやく。

 

「向かってくると思ったら、逃げ出すなんて。とんだ腰抜け……なんてハズないわよね。何か罠があるって事かしら。フフ……、さっきの連中よりは、楽しめそうだわ」

 

 少し気分転換。そんな程度の気持ちで、向かっていた彼女だが。今の様子を見て、闘争心が沸々と浮き上がるのを感じていた。森の方へ、真っ直ぐ飛んでいく。そして目前で止まった。宙に浮いたまま、高らかに宣言。

 

「いろいろ策を練ってるようだけど、私に通じるかしら?ま、戦いは望む所よ。せいぜい頑張りなさい」

 

 双眸を赤く染め、口元を大きく釣り上げた。その身にまとった気配は、もはや吸血鬼ではない。悪魔のそれだった。

 

 宙に浮いている妖魔を目にし、息を飲むカリーヌの部下たち。

 この妖魔については、ダルシニ、アミアスから話は聞いていた。だが、あまりにハルケギニアのものと違い過ぎて実感がなかったのだ。しかし今なら分かる。二人が言っていた事は、大げさでもなんでもなく、ありのままなのだと。こんな相手に勝てるのか?脳裏に、そんな考えが過る。思わず、隊長の方へ目が向いた。

 視線の先のかつてのマンティコア隊隊長、カリーヌ。彼女に臆するところは、微塵も感じなかった。むしろ彼女自身も、闘争心が湧き立つのを抑えられないかのようだった。まさしく、彼の日の英雄であった。部下達の心から、憂いの影が消えていた。

 

 火蓋が切られる。

 

 レミリア、森へと突っ込む!一斉に対応するカリーヌ達!さすが手練れのメイジ達、詠唱が速い。様々な魔法が、一斉にレミリアに向かう。

 しかし全て当たらず。

 

「工夫が足りないわよ!闇雲に撃ってるだけじゃ、かすりもしないわ」

 

 あざ笑うように、飛び回り、魔法をかわしていくレミリア。

 一見、森の中では、飛ぶのをかなり制限されそうなのだが、彼女にとってこの程度どうという事もなかった。いや、多くの幻想郷の住人も同じだろう。何しろ、無数の動く弾幕を避けるのが、彼女達の戦いの基本なのだから。止まっている木々を避けるなど、造作もない。

 

 対するカリーヌ達。想定通りの状況とは言え、実際にこうしてみると、目の前の妖魔が規格外である事を思い知るしかなかった。確かにダルシニ、アミアスの言う通り、これは吸血鬼なんてものではない。

 さらにこの妖魔の機動力を抑え込むために、森を戦場に選んだのだが、それを意に介さずとでもいうような動き。さすがに、ここまでとは思わなかった。

 早くも最初の策。森に誘い込み動きを封じるという策が破られる……。

 だが、そうではなかった。

 レミリア、突然減速。何かにぶつかった。

 避け損なったのでも、流れ弾の魔法に偶然あたったのでもない。目の前に突如、枝が伸びてきたのだ。先住の魔法の担い手、ダルシニの手によるものだ。先住の魔法は大地や木々、自然のものを利用する事ができる。系統魔法には、できない芸当だ。

 

 顔に直撃し、鼻っ柱を抑えるレミリア。同時に動きが鈍る。

 そこに叩き付けるような衝撃。『エア・ハンマー』だ。風系統の部下が、放ち妖魔を地面へ突き落す。

 大地を拒絶するように、自由に飛び回っていた存在が、地に叩き付けられる。

 

「やってくれたわね!」

 

 吸血鬼は激高して、起き上がった。再び天へ舞おうとする。

 しかし、飛べない。

 足元が、何かに掴まれていたのだ。見ると、地面から生えた手の形をした土が、ガッチリ彼女の両脚を掴んでいる。

 

「チッ!」

 

 土の塊ごときに、動きを制せられるとは。思わず舌打ち。レミリアは力任せに、蹴り飛ばそうとする。

 だが、カリーヌ達の方が素早かった。

 

「錬金!」

「ハッ!」

 

 土の手が、あっという間に鋼へと変わっていく。蹴り飛ばそうした足が止まる。しかしそれでも、この赤い悪魔を抑え込むのは不十分だった。幻想郷の吸血鬼の剛力は、尋常ではない。

 

「鉄の戒めで、この私がどうにかなると思ったのかしら?人間共!」

 

 口元を釣り上げ、牙を露わにする。闘争の気がさらに増す。暴の気配すらするものが。

 

 だが、カリーヌにとって、その悪態こそがチャンスだった。二三言話すだけの、わずかな間が。詠唱するには十分な間が。

 自らの剣を振るカリーヌ。"烈風カリン"。その頃から衰えを見せぬ技が、冴える。

 かすかな、風を切る音。『エア・カッター』の音。真空の刃が放たれた。

 

 時間が止まったかのような瞬間が訪れる。地面に軽い音がした。何かが落ちた音が。

 ここにいる誰もが、その落ちたものに目を向ける。そこにあったのは……。

 首。

 首が落ちていた。あの吸血鬼の首が。

 

「おおーーっ!」

 

 部下達の歓喜の声が上がる。異形とも思える力を見せた妖魔を、十数人のメイジが束になっても倒さなかった妖魔を、こうもあっさり倒してしまうとは。

 思わず副隊長は口にする。噂だけで、世間には秘められていた名を。

 

「さすがです!さすがは"烈風カリン"!」

「「烈風カリン!」」

 

 部下達もそれに続く。喜び溢れた表情で、自らの隊長を称える。しかし、カリーヌは手の平を向けると、それを制止した。

 

「まだ戦いは終わっていません。一人、倒しただけなのよ。しかも、この妖魔と同等の力を持っていると思われるのが、まだいる。気を引き締めなさい」

「ハッ!少々、気持ちを緩めすぎました。申し訳ありません」

 

 すぐに静まる部下たち。一瞬の高揚から目が覚めたように、戦いの顔となる。それに満足気なカリーヌ。

 

「分かったならよい。では全員、配置に……」

 

 その時、耳に轟く爆音。カリーヌは思わず、言葉を止めた。

 音の発信源へ、全員が一斉に顔を向ける。煙に包まれたその場所。そこは、妖魔の胴体のあった場所。あるのは、足を鉄の腕で掴まれ首を落とされた哀れな人外の残骸。のはずだった。

 煙の中から、人影が見えてきた。首を落とされたその体。確かに皆が思っていた通り。しかし、命を失ったハズのそれは、何故か揺るがず立っている。それだけではない。妖魔を捕まえていた、鉄の腕が吹き飛んでいたのだ。

 

 カリーヌ達の脳裏に、不気味な問いが浮かぶ。本当にこの吸血鬼を倒せたのかと。だが、その考えの答えは、すぐに明らかになる。

 首のない体が動きだした。ゆっくりと。腰をかがめ手を伸ばし、落ちた首を拾い上げる。そして帽子をかぶるかのように、元の場所へと収めた。

 

 カリーヌ達は、身動き一つ取れない。視線を鷲掴みにされる。今起こった信じがたい光景が、脳裏に焼き付く。だが、頭の方はそれを受け入れられない。こんな事は、あり得ないと。

 

 やがて吸血鬼は何事もなかったように、首を軽く回す。そして振り向いた。真っ赤な双眸を向けた。カリーヌ達の方へ。

 

「首を落とされたのは、何十年ぶりかしら。いえ、何百年?それにしても見事な魔法ね。綺麗に切断されたわ。おかげで、簡単にくっついちゃったけど」

 

 軽く舌を出す吸血鬼。子供のような仕草。

 だが、対する彼らには、とても子供には見えなかった。あえて言うなら、悪魔。そうとしか、形容のしようがなかった。

 

 ところで、レミリアがこうして何事もなかったように元に戻っているのは、これも吸血鬼の能力である。再生能力。しかも彼女は抜きんでていた。首を飛ばされたくらいでは、死にはしない。また、鉄の腕を吹き飛ばしたのは、足から弾幕を発射したから。さすがに、いつものごっこ用の弾幕ではないが。

 

 カリーヌ達へ一歩、一歩近づいていく悪魔。笑みを湛える口からは、牙が漏れ見えている。瞳は血で染まったかのように赤い。それが全員を捉えて離さない。敵を前にして、身動き取れない敏腕のメイジ達。魔法を操る腕が、まるで上がらなかった。

 しかし……。

 

「第二陣形!配置に着け!」

 

 硬直を振り払うような怒声。カリーヌの声が、彼らの目を覚ます。我に返ると、一斉に動き出した。そして思い出す。自分達は、英雄と共に戦っているのだという事を。消えかえた闘志が、また蘇っていた。

 だが、その英雄もさすがに胸がざわめくのを抑えられない。

 

「貴様……。一体……なんなのだ?」

「吸血鬼よ。もっとも、ただのじゃないわ。彼のヴラド・ツェペシュが末裔。と言っても、分からないでしょうけど」

「ヴラド・ツェペシュ……?悪魔か何かか?しかし……首を落とされても死なぬとは……」

「あら?吸血鬼は不死の代名詞よ。この程度で死ぬ訳ないでしょ?でも久しぶりに、いい敵に出会えたわ。魔法の腕もいいけど、配下も見事に立て直したものね。さすがだわ」

「褒めてもらって、喜ぶべきなのかしら」

「胸を張っていいわよ。そうそう、私はレミリア・スカーレット。あなた、名前は?」

「吸血鬼に家名があるとは、意外ね。だが名乗られた以上、答えるべきでしょう。これが決闘ならば。しかし、これは闘争。名乗るような、場ではない」

「ならば、力づくで聞くしかないわね」

「できるならば」

 

 お互いの不敵な笑みが交わる。

 まず先に、カリーヌが動き出した。サッと左手を上げる。するとレミリアの上から、覆いかぶさるように木の枝が伸びてきた。葉っぱで包み込もうとする。

 しかし、あっさり避ける吸血鬼。次に彼女を襲ったのは、『ウインド』の魔法。しかし森の中では風が拡散し、思うような威力が出ない。その代わり落ち葉を巻き上げ、視界を塞ぐ。

 レミリアは木々の葉や、舞う落ち葉に包まれ、楽しそうにつぶやいた。

 

「まだ、何か考えてるようね。あなた達」

 

 自分を絡め取ろうとする、木の枝を軽くかわしながら、カリーヌ達を眺める。

 

「でもね、頭を潰してしまえば同じことよ!」

 

 フラフラと漂うように飛んでいた吸血鬼が、急に直進。真っ直ぐ、カリーヌの方へ向かった。

 

「隊長!」

 

 部下達の掛け声と共に、カリーヌの前に。数体のゴーレムが立ちはだかる。

 だが、

 レミリア、急停止。

 

「なんてね」

 

 舌を軽く出す。

 予想外の動きに、戸惑うカリーヌの部下たち。そんな彼らを、あざ笑う様に技を繰り出す。

 

「運命『ミゼラブルフェイト』!」

 

 レミリアの周囲に多数の鎖が現れた。その先端には巨大な楔。鎖は大蛇のごとく森の木々を縫うように、地面を這うように進み、左右からカリーヌへ迫る。

 しかしカリーヌ。長年の経験か、体に染みついた動きか、巨大な鎖のうねりを見事にかわす。体を捻り、二本の鎖の狭間を抜けていく。

 だが、それでレミリアの攻撃は終わった訳ではなかった。いや、それはただの布石にすぎなかった。

 突如、カリーヌの背後の地面が湧き上がる。土を撒き散らし出てきたのは、もう一本の鎖。地面を潜らせていたのだ。それが、まだ背を向けているカリーヌを襲う。

 

「チェックメイトね」

 

 レミリアは勝利を口にした。

 ところが、彼女が想像したものと違う光景が目に入った。なんとカリーヌは背を向けたまま、三本目の鎖をかわしたのだ。さすがのレミリアも括目するしかない。

 だが、すぐに口元が緩む。手を叩いて喜んでいた。

 

「すごい!すごい!素晴らしいわ!背中に眼でもあるのかしら?けど、ここまでね」

 

 今度こそ、確信を持って言っていた。何故なら、さすがのカリーヌも、三本目を見事にかわすという訳にはいかなかったからだ。バランスを崩し、倒れ込んでいる。そんなわずかな隙。それを見逃す、お嬢様ではなかった。

 

 レミリアは、カリーヌに向かって突進。

 目の前には、さっきのゴーレム達。だが土人形が、彼女の障害になる訳もない。振り回してくるゴーレムの腕ごと、人形を土塊に戻す。粉砕していく。その先にはもはやカリーヌのみ。まだ立ち上がってない女騎士だけ。

 

 対するカリーヌ。体を起こしつつも、杖と兼用の剣を向けようとする。しかし間に合いそうにない。レミリアの動きが一手速かった。

 瞬きするほどの間ののち、二人が交錯。そして……。

 何も起こらなかった。

 そう、何も。

 

 レミリアは狙いをはずれ、カリーヌの上を通り過ぎたのだ。やがて地面に落ちて二回ほど跳ねると、木にぶつかって止まる。それからピクリとも動かなくなった。

 倒れている吸血鬼を見ながら、ようやく立ち上がるカリーヌ。大きく息をつく。だが、その顔に驚きはない。こんな状況になったというのに。むしろあったのは安堵。うまく行ったという安心感。

 だが、緩んだ気持ちもほんのわずかな間。カリーヌはすぐに緊張を取り戻す。

 

「次に備えよ」

「ハッ!」

 

 部下達も、この光景は想定通りなのか態度に揺らぎがない。やがて、頭に叩き込んである予定通りに動きだした。

 

 対する幻想郷メンバーの方は、まさしく驚きの表情そのもの。夜目の利くこあが、声を震わせていう。

 

「お、お嬢様が……。なんか……やられちゃいましたよ」

「え!?嘘?レミィが?そんな、バカな」

「でも、本当です」

「信じられない……」

 

 いつも淡々としているパチュリーすら、驚きを隠せない。それは魔理沙やアリスも同じ。吸血鬼の力を良く知る彼女達。相手の人数が20人ほどとは言っても、レミリアなら、一人で十分どころかお釣りが出ると考えていたのだ。

 さらにもう一人、驚きを、いや動揺している女性がいた。レミリアの従者、十六夜咲夜だ。落ち着きをなくして、こあに詰め寄る。

 

「お嬢様は!?お嬢様はご無事なの!?」

「え、えっと……ちょっとまってください。あっ!」

「何!?」

「騎士が二人、お嬢様に剣を向けてます」

「……!」

 

 咲夜の動揺の顔が、憤怒に変わる。

 

「ふざけた真似を……!」

 

 次の瞬間。咲夜が消えた。彼女が時を止めた。

 

 人も獣も、草木の揺らぎも、空気も止まった中、ただ一人動く者。十六夜咲夜が真っ直ぐに、主の元へと急ぐ。村の畑を抜け、森へとたどり着く。目に入る敵兵たち。蝋人形のように動かない。だが、そんなものは彼女の頭の隅からすぐに消える。彼女の心を捉える者。それは愛しい主、レミリアだけ。

 

 完全に静止した森の中、レミリアを探す。すると土の塊山が目に入った。その先には地面をえぐったような跡。視線をそのまま流すと、見慣れた服装の小さな姿、蝙蝠の羽。見つけた。目指すものが。

 

「お嬢様!」

 

 思わず咲夜は、声を上げていた。すぐに駆け寄る。レミリアの側には二人の騎士が、彼女に向かって剣を向けていたが、そんなものはまるで視界に入らない。あるのは、倒れている主の姿だけ。

 従者は主の側によると、端々に眼を流す。ざっと見たところ、大した怪我もないようだった。

 

「ご無事でよかった」

 

 思わず、主を抱き寄せた。

 だが。

 ふと頭がぼやけて来る。朦朧としだす。そしてそのまま、咲夜の意識が途切れた。

 やがて時が動き出す。

 

 その直後、思わず声を上げたのは、カリーヌの部下たち。驚愕したまま、わずかに後ずさる。無理もない。突如、目の前にメイドが現れたのだから。しかも、接近に全く気付かなかった。だいたいどころから来たのか。

 

「い、いつの間に?どうやって?」

 

 茫然とつぶやくとメイドを凝視。彼女は、吸血鬼に被さるように倒れていた。よく見ると、ただの人間のようだ。だがそれがどうやって、これだけの兵の目を奪い、こんな所にやってこられたのか。

 部下達が唸っていると、彼らの背後から声が届いた。

 

「おそらく、瞬間移動するメイドでしょう」

 

 カリーヌだった。突如現れたメイドに、視線を送りながらも、その顔に驚きはない。

 

「主の窮地を知って、助けに来たのでしょうね」

「では……。これも隊長の策通りという事ですか」

「ここまでは、と言っておきましょうか」

 

 彼女の口元が少しばかり緩む。

 

 そう彼女の策通り。この二人を落としたのは、『スリープ・クラウド』。レミリアが破壊したゴーレム達。あの中にスリープ・クラウドの雲を潜ませていたのだ。カリーヌがレミリアとの会話を引き延ばしている最中に、部下たちが作り上げた。そしてカリーヌの前、あえて壊される場所に配置した。レミリアは邪魔なゴーレム達を壊したつもりだったが、それは何重もの雲に突っ込む事を意味していた。おかげで、魔法にかかってしまった訳だ。

 さらに倒れたレミリアの周りに、薄いが広範囲の『スリープ・クラウド』をかけた。部下が剣を向けていたのはレミリアを刺すためではなく、魔法をかけていたのだ。忠義者と聞いた咲夜が、真っ先に主を助けに来ると読んで。そしてその読み通りだった。時間を止めても、『スリープ・クラウド』は消えない。彼女はそれがあるとは気づかず、いや目に入らず突っ込んだ。そして意識を失った訳だ。

 ちなみに、カリーヌがレミリアの『ミゼラブルフェイト』をかわしたのも、実は理由がある。使い魔であるトゥルーカスが、離れて見ていたのだ。当然その感覚は、カリーヌにも流れてくる。彼女は自分とトゥルーカスの二重の視点から、状況を把握していた。レミリアは彼女の裏を突いたつもりだったが、カリーヌは全ての鎖がいつ放たれ、どう動いていたか分かっていた。当然、地面を潜っていた事も、背後から出たことも。

 

 カリーヌは首を反対側へ向ける。森と畑の境目に。すっかり指揮官の顔に戻り、もう次の手の事を考えていた。部下たちに声をかける。

 

「準備はどうなっている!」

「すでに完了しております!」

「よろしい」

 

 気持ちを引き締めると、残っている妖魔達との対峙に集中した。

 

 一方、村の方では、さらに唖然とした顔が並んでいる。レミリアだけではなく、咲夜までからめ取られてしまうとは。

 すると、すぐに村長の家から出る姿が一人。フランドールだ。さっきの爆発騒ぎの事もあり、ちょっと引け目があった。それを返上するいいチャンスとばかりに、気負っている。

 

「二人とも、全くもう。私が行って来るよ!」

「ちょっとフラン!待ちなさい!」

 

 しかしパチュリーの声を届かず、吸血鬼の妹は森へ向かってすっ飛んで行った。

 彼女は、森の間際でしばらく動きを見せていたが、またもやレミリアのように失速。地面へと落ちた。そして同じくピクリとも動かなくなる。もちろん、またも『スリープ・クラウド』の策に引っ掛かった。

 

 さすがの七曜の魔女も言葉がない。

 

「…………これは一体?」

「結界……かしら?」

 

 アリスも言葉に緊張感を纏いながら口にする。だが首を振るパチュリー。

 

「系統魔法に、結界に当たる魔法はないわ」

「系統魔法とは、限らないようだぜ」

 

 魔理沙が、暗視スコープを外しながら答えた。

 

「木の枝が伸びたり縮んだりしてた。先住魔法の使い手もいるようだ」

「じゃあ、妖魔がいるって事?妖魔と手を組んでる正規軍なんてありえないでしょ」

「けど、先住魔法があるのは確かだぜ」

「だとしても、一体どんな魔法で…………」

 

 顎を抱えて考え込むパチュリー。アリスが何の気なしに尋ねる。

 

「で、どうするの?」

「言うまでもないでしょ。助けるわ。手を貸して」

「はぁ、益々厄介になってきたわ」

 

 文句は言いながらも、アリスと魔理沙は村長の家を出た。もちろんパチュリーとこあも。だが、すぐには動かず、森の方へ視線を送っているだけ。

 

 その森で陣を張ったままのカリーヌ達。倒れた飾りのついた妖魔を、他の二人と同じ場所へ移す。その三人を眺めるカリーヌ。静かな寝息を立てている。その寝顔は、愛おしくなるほど穏やかなもの。

 すると、側にダルシニとアミアスが寄って来た。二人も妖魔達を覗き込む。

 

「こうしてみると、ただの女の子ですね」

「そうね。ただ、妖魔は見た目と年齢が必ずしも一致しないわ。それに、常軌を逸した力を持っているのも事実」

「でも、それをやっつけちゃうんですから」

「連中の弱点を、突いたまでですよ。確かに一人々は、大きな力を持ってるわ。しかし、それを驕りすぎている。さらに、他者との連携というのもあまり考えていない。あなた達の情報のおかげね」

「それでも、すごいですよ。さすが奥様です」

 

 少しばかり小躍りしながら、アミアスが喜んでいる。ダルシニも、笑みを浮かべ、何度もうずきながら感心していた。

 それは三人の話を小耳に挟んでいた部下たちも同じ。妖魔退治の専門家がまるで歯が立たなかった妖魔を、二人共こうして無力化している。さらに瞬間移動するメイドも。それだけではない、こちらの損害はゼロなのだ。さすがは英雄、さすがは"烈風カリン"と、思わざるを得ない。

 

 ダルシニが妖魔達を見ながら、ふと尋ねる。

 

「それで、この子達どうするんです?」

「このまま眠らせておきます。だいたい、首を落としても死なないのよ。退治する方法が、思いつかないわ。下手な事をして、目を覚まされてはその方が厄介よ」

「それもそうですね。うん、うん。」

 

 かわいらしく二回ほど、うなずくダルシニ。その仕草に、カリーヌは少しばかり昔を思い出していた。

 

 そんな落ち着いた空気の中、部下からの報告が飛び込んでくる。

 

「隊長!メイジと思わしき連中が、家から出てきました!」

 

 カリーヌは、鋭い視線を村の方へ向けた。ダルシニとアミアスも配置に戻る。すぐさま戦闘態勢。三人の呼吸が見事に合うのは、かつてのよう。

 副長と共に、森の端まで進むカリーヌ。トゥルーカスを肩に乗せ、村の方を見つめる。梟の目は、こういう時はありがたい。月明かりでも、十分辺りが見えるのだ。

 村長の家の前に、確かに人影が四つある。しかし動く気配はなかった。仲間がすでに三人、取られたというのに。

 

「慎重なようね。こちらの様子が掴めてないらしい」

「というと?」

「おそらく、連中は仲間がどうして、倒されたか分からないのよ。だから無暗に手を出してこない。逆に言えば、今までの連中程、短絡的ではないという事」

「だとすると、誘いに乗せる手は使えませんな」

「ええ。さらにこちらは、相手の情報をまるで掴んでいない。ガーゴイル使いがいるという事以外はね」

 

 ここからはアドリブで対応するしかない。果たしてどこまでできるか。カリーヌの戦士として、指揮官としての経験と勘、その両方が試される時が来ようとしていた。

 

 

 

 

 

 幻想郷の霧の湖。そのほとりにある真っ赤な屋敷。紅魔館。誰もが知っている吸血鬼の館である。宵の口の月が照らす赤い壁面が、余計にそれを感じさせる。

 ただ実は、今は様子が違っていた。いつもの門番はおらず、平然と出入りする泥棒もいない。そもそも、当の吸血鬼がいなかった。で、代わりに当主の席に座っているのは……。本職門番、現当主代行の紅美鈴。

 

 当主であるレミリアも、怖いメイド長、咲夜もいないのをいい事に、主の御座にふんぞり返っている。

 

「悪くないなぁ。こういうの」

 

 肘掛に身を寄せながら、当主気分をご満悦である。

 そんな彼女の気分をぶち壊す音。いきなりドアが乱暴に開かれた。入って来たのは氷の妖精、チルノ。嬉しそうに駆け寄って来る。

 

「美鈴!美鈴!」

「チルノ門番隊長。呼び方に気を付けなさい。私は当主代行。次から間違えないように」

 

 美鈴、余裕をもって忠告する。当主代行として、威厳を纏っているつもりで。

 ちなみに門番隊長とはなんの事かというと、空席になった門番をチルノに任せたのだ。というか、遊びに来たチルノに門番の話をしたら、喜んで引き受けたのでそのままにしておいただけ。隊長という響きが気に入ったらしい。一応、他の隊員もいる。まあ今は、門番がいてもいなくても同じなので、別に問題ないのだが。

 

 チルノ姿勢を正して敬礼。

 

「あ、うん!代行!チルノ門番隊長、泥棒を捕まえました!」

「そう。泥棒を……。泥棒?」

 

 顔をしかめる。怪訝な表情。さっきまでの、代行の威厳はどこへやら。いつもの美鈴に戻っていた。

 白黒魔法使い以外に、誰が好き好んで吸血鬼の屋敷に泥棒に入るのか。確かに、今レミリア達はいない。しかし、それを知っているのはごく一部。そして魔理沙も今はいない。

 美鈴は首を捻りながら、チルノに聞いてみる。

 

「泥棒って誰?」

「知らないヤツ。花壇に勝手に入ってたよ」

「う~ん……。とにかく、連れてきて」

「うん」

 

 そう答えると、チルノは部屋を出て行った。ほどなくして戻って来る。入って来たのは三人。まずチルノ。そして同じ妖精で、親友の大妖精こと大ちゃん。最後に続いたのは蛍の妖怪、リグル・ナイトバグ。リグルは虫の妖怪らしく、ショートカットの頭から触覚が覗いていた。

 このリグルとチルノ、大ちゃん、そして夜雀のミスティアは遊び仲間。ただミスティアは、店が忙しいので、この所遊んでいないのだが。チルノが門番ごっこもとい、門番隊長を任せられたので、二人を誘ったのだ。そんな訳で、今三人は紅魔館に出入り自由である。

 

 ともかく、三人は捕まえた泥棒を引き連れてきた……のではなく、何か抱えて部屋に入って来た。デカい氷を。

 

 中に一人の女性が、氷漬けになっていた。

 

「うわぁぁーーーっ!」

 

 思わず声を上げる美鈴。目剥いて。氷の側まで瞬時に移動。すかさず崩拳。

 一点を中心に、木端微塵に弾ける氷。同時に女性は床へと落ちる。

 美鈴、チルノにさっそく文句。

 

「死んだらどうすんの!」

「何が?」

「この人!氷漬けにしたら、死ぬでしょ!」

「死なないよ。カエル氷漬けにしても、溶かしたら生きてるし」

「カエルと一緒にするんじゃないの!」

「何、怒ってるんだよ!泥棒見つけたら捕まえろって、美鈴が言ったんじゃないか!」

「そ、それはそうだけど、やり方ってものが……」

 

 そこまで言いかけて、美鈴言葉を止める。チルノに臨機応変なんて事を、期待する方が無理だったと。妖精は基本的にバカなのだ。特にチルノは。

 

「ごめん。私が悪かったわ。うん。チルノはよくやった」

「フフン。私は真面目だからね」

「そ、そうねぇ……。はぁ……」

 

 肩から力が抜ける、当主代行。

 なんてやり取りをやっている横で、リグルが女性を覗き込んでいた。

 

「どうでもいいけどさ。この人、死にそうなんじゃないの?っていうか、死んでるんじゃないのかな。息してないし」

「ええーーっ!」

 

 美鈴は慌てて、女性に脈を診る。気を測る。だんだんと青ざめる彼女。

 

「リグル!人工呼吸!私は、心臓マッサージするから!」

「何それ?」

「あー!もう!」

 

 結局、美鈴が人工呼吸、心臓マッサージをするハメに。

 するとしばらくして、女性はいきを吹き返した。心臓も動き出す。"気"を察する事のできる、美鈴ならではか。額を拭う彼女。

 

「はぁ……。まずは一安心」

 

 それから美鈴は、空いている客間を用意。女性を寝かせた。その時も、使えない妖精メイドが凡ミスしたり。代わりに大ちゃんが、大活躍したりとかあったのだが、それはともかく一段落はついた。

 

 女性の寝ている客間に、美鈴たちは集まっている。息を吹き返したと言っても、予断できるような状態ではない。リグルがベッドの女性を覗きこみながら、美鈴に尋ねる。

 

「なんで、泥棒助けたの?」

「迷い込んだけかもしれないでしょ?」

「でも外来人っぽいよ。死んでも構わないでしょ。この人、人間みたいだし。みんなに、おすそ分けしちゃえば良かったのに」

 

 指先を女性につけ、その指を咥えてみるリグル。味見でもしているような仕草。

 この蛍の妖怪が言っているおすそ分けとは、この女性をバラして、妖怪みんなでご馳走になろうという意味である。さすが、幻想郷の妖怪らしい発想だった。

 だが美鈴、それを渋る。彼女自身も妖怪。人命第一、という訳ではないのだが。

 

「でも助けちゃったし」

 

 腕を組みながら、そんな事を言っていた。清々しい顔で。

 同じく女性を覗きこんでいる大ちゃん。ただ彼女はリグルと違い、不安そうに覗きこんでいた。

 

「だけど……このままじゃ、危ないんじゃないです?」

 

 確かに彼女の言う通り、顔色はよくない。息も荒い。大ちゃんは美鈴の方を向くと、一つ提案。

 

「永遠亭に連れて行った方が、いいんじゃないですか?」

 

 永遠亭。

 幻想郷にある屋敷の一つ。宇宙人の住処とも言われているが、それよりも病院として知られている。なんと言っても治せない病気はない、と言われる薬師がいるのだから。

 すると美鈴がパンと手を叩いた。パッと明るい表情で。

 

「それよ!大ちゃん!その手があった」

「は?」

 

 しかし美鈴、彼女の唖然とした返事に答えず、すぐに部屋を出る。そして廊下をダッシュ。地下へと直行。図書館へ突入すると、パチュリーの実験室へ突撃。到着すると、目の前の扉を思いっきり開けた。

 

「永琳さん!八意大先生!」

 

 入った、真っ白い部屋でそう叫んでいた。するとそれに応える長い銀髪の女性が一人。部屋の中心で、スッと立ち上がると美鈴の方を向いた。彼女に呼ばれたその人。八意永琳である。

 

「何か用?」

 

 作業の手を止め、美鈴の方を向く。

 八意永琳。あらゆる病気を治す薬師とは彼女の事。大抵は永遠亭にいるのだが、今日に限って紅魔館にいる。何故ここにいたかというと、別に問診に来た訳ではない。例のハルケギニアの件についてである。転送陣について、調べていたのだ。

 美鈴は、すぐさま永琳の傍まで寄った。慌てた顔つきで。

 

「急患です!」

「急患?永遠亭から知らせでも来たの?」

「違います!ここにです!」

「誰よそれ。司書の悪魔?まさか、妖精メイドじゃないでしょうね」

「人間です!」

「咲夜、いないじゃないの」

 

 紅魔館の人間と言ったら、咲夜しかいない。だが当の彼女は、レミリアに同行して、今はハルケギニア。もっともだからこそ、永琳がこうして気軽に紅魔館に入りこめているのだが。ともかく、その咲夜がいないのだ。病気の人間がいるはずない。そう永琳が思うのも無理はない。

 もどかしい美鈴。すると永琳の手を引っ張り、出口へ向かおうとする。

 

「えっと……とにかく来てください!」

「はいはい。分かったわよ。とにかく落ち着きなさいって」

 

 薬師はしようがないと言ったふうに荷物を纏めると、美鈴について行った。

 

 二人がついた先。外来人と思わしき人間が寝ている客間。チルノ、大ちゃん、リグルも、そこにいたまま。だが永琳は三人を気にせず、ベッドで寝ている人物を注視。

 

「見かけない顔ね」

「どうも外来人らしいんです」

「ふ~ん。どこで見つけたの?」

「ウチの花壇です」

 

 チルノがそれに合わせるように、大きくうなずいた。自分の成果と言わんばかりに。

 永琳は、女性に近づくと、脈を計る。

 

「……。あまりよくはないわね」

「そうですか……」

「できるだけの事はするけど、手持ちがあまりないのよ。問診のつもりは、なかったからね。だから、いろいろ手借りるわよ」

「はい。分かりました」

 

 美鈴は大きくうなずく。真剣な眼差しで。

 

 それから、パチュリーの実験道具やレミリアの食事道具(主に吸血のための)やらを代行権限で勝手に借りて、応急の医療機器を作ったりと、バタバタと慌ただしい事になった。さらに大ちゃんやリグルも手伝うハメに。一応、チルノも手伝った。氷を作っただけなのだが。

 

 一通り終わり、手を洗う永琳。女性には手持ちの栄養剤やら何やら、体力を回復させる薬を強制給餌した。点滴薬もないので、やむを得ずだが。

 

「とりあえず、こんなものかしら。今から帰って、道具と薬一式持ってくるわ。一応、様子はしっかり見とくようにね」

「はい。いろいろ手間かけさせちゃって、すいません」

 

 美鈴は頭を下げる。申し訳なさそうに。助けた相手は、ただの人間で、知り合いですらない。しかし、それが美鈴という妖怪なのだろう。

 そして永琳が道具を鞄に仕舞い、部屋を出ようと下とき、彼女の後ろから声がかかった。大ちゃんだった。

 

「ねえ、あの人、目覚ましましたよ」

「え?」

 

 一斉に女性の方を向く一同。確かに目を開けて、こちら方を見ていた。しかも顔色がかなりマシになっていた。

 美鈴がさっそく、声を上げる。

 

「さすが八意大先生!すごいですね、もう元気になっちゃいましたよ!」

「ホント。最初は息してなかったのに」

 

 リグルも少しばかり感心している。大ちゃんも、ちょっと喜んでいた。

 だが一方の永琳は、目を細めている。その瞳には、違和感でも覚えたような疑念があった。だがそれもすぐに消える。やがてベッドの側まで寄ると、声をかけた。

 

「はじめまして。私は八意永琳。まあ、医者よ」

「…………」

「言葉通じてる?」

「その……。こ、ここはどこでしょうか?」

「後で説明するわ。まずあなたの状態だけど、実は死にかけてたの。というか死んでたのよ。なんとか蘇生したけどね」

「し、し、死んだ!?それじゃぁ、やっぱりここは、あの世なんですか!?」

「少し落ち着いて。まずは体を診ないと」

 

 女性は、とりあえず静かになる。ともかく任せることにした。このままでは状況がまるで分からないので。

 しばらく脈を取った永琳。だがその間、何故か曇った表情を浮かべるばかり。不安になる女性。

 

「あ、あの……。何か問題でも……」

「ん?いえ。大分よくなったわ。でもまだ、病み上がりだから、しばらくは安静にしておくことね。後でまた診に来るわ。とりあえずは、安心していいわよ」

「は、はぁ。ありがとうございます……」

 

 女性はためらいながら礼をした。

 しばらくして、チルノ、大ちゃん、リグルは、外に出て行った。美鈴から門番に戻るよう言われたのもあるが、永琳達の様子から、長い話が始まりそうだったので逃げ出したのだ。残った美鈴と永琳は、ベッドの側に椅子を寄せると腰かける。まず永琳が口を開いた。

 

「まずは自己紹介といきましょうか。私の事は聞いた通り。で、隣にいるのがあなたの恩人」

 

 月人は、順番を隣の中華娘に振る。

 

「いえ、永琳さんがいなかったら、どうなった事か……。えっと、私は、ここ、"紅魔館"の門番を務めさせていただいています。紅美鈴と申します。当家の主は現在、ご旅行中でして、今は当主代行を務めています」

「はじめまして。シェフィールドです。この度は、助けていただき、本当にありがとうございます」

「いえいえ。当家で亡くなられても、後味が悪いといいますか……なんというか……」

 

 人懐っこい笑顔を浮かべる美鈴。だが永琳はそれをぶった切る。

 

「東洋人には見えないけど、どこの出身?」

「東洋人?」

 

 シェフィールドは聞きなれない言葉に、少し引っ掛かった。だがそれよりも、素性を明らかにするかどうかという方へ頭が回る。名前はつい名乗ってしまったが、得体の知れない連中にどこまで話していいものか。やがて用心をする事を決める。様々な陰謀を張り巡らせていた、彼女らしい決断だった。詮索されにくい経歴を口にする。

 

「出身はゲルマニアです。そこで商家のメイドをしていました」

「ゲルマニア?」

「はい」

「それ国の名前?」

「え?そうですが……」

 

 訝しげな顔になるシェフィールド。眉をひそめる。ゲルマニアを知らないとは、どういう事か。ここが人里離れた山奥だとしても、あり得ない。どうもさっきから、何か違和感を感じる。

 一方の永琳。何故ゲルマニアの名を知らないかというと、天狗のゴシップ新聞なぞ目にしてないから。月の英知には、雑音でしかないので。

 だがここには、彼女の言う事をよく知っている人物がいた。紅美鈴である。彼女はパンと手を叩くと、身を乗り出す。

 

「え!?もしかしてハルケギニアの方なんですか?」

「そう……ですが……」

「へー。これは奇遇です。ハルケギニア人が、二人もこの紅魔館にやってくるなんて!」

 

 嬉しそうな美鈴を他所に、なおさら意味が分からないシェフィールド。

 ハルケギニアじゃなかったら、なんだというのか。もしかしてここはロバ・アル・カリイエやサハラなのだろうか。いや、部屋の感じからロバ・アル・カリイエはまずない。ならばサハラか。しかし目の前の二人は、サハラの住人、エルフにはとても見えなかった。

 するとその時、ふと思い出した。意識が戻った後、まず目に入ったのは花壇の花。だがもう一つ大事なものがあった。その瞬間、目が大きく見開いた。それを思い出して。ハルケギニアではあり得ない光景を。一個だけの月を。

 彼女は、恐る々思いついたものを口にした。

 

「あの……一つ伺いたいのですが……。ここはなんという土地でしょうか?」

「あー、まあ、そうなりますねー。どう説明したものやら」

 

 天を仰ぎながら頭を掻く美鈴。シェフィールドの嫌な予感は益々強くなる。門番は身を正すと、シェフィールドに向き直った。

 

「えっとですね。まずは、落ち着いて聞いてくださいよ。ここはあなたの知っている世界とは違います」

「どういう意味でしょうか?」

「異世界です。ハルケギニアとは地面も空も海も繋がってません」

「えっ!?な、なんですか!それは!?」

「まあ、驚くのも分ります。でもそうなんです。文字通り異世界なんです。ちなみ、ここは幻想郷と呼ばれています」

「げ、幻想郷……!?」

 

 思わず言われたままを口にするシェフィールド。唖然としたままで。

 それにしても思考の外の外。あの世でなかったのは幸いだが、異世界だとは。

 

 美鈴はそれから話を続けた。幻想郷についての説明を。その話を聞きながら、シェフィールドは信じがたい思いに、何度も駆られる。驚きの声を幾度上げた事か。

 つまり彼女の認識からすれば、ここは妖魔が支配する世界という訳だ。人間もいるが、細々と生活していると。ハルケギニアとは真逆である。しかも自分は、その妖魔の屋敷に厄介になっているという事だった。

 ただ一方で、こうも思った。妖魔とは言っても、そう下等な存在ではないと。自分のいる部屋の様子、調度品の数々、貴族の屋敷と言っても申し分ない。さらにこの目の前にいる二人。とても野蛮そうには見えない。これも、彼女がエルフという最強の妖魔と接触して来たからだろうか。妖魔と言っても、一括りにできるものではないと、シェフィールドは知っていた。ついでに、ここでは妖魔とは呼ばず、妖怪という事も知った。

 

 長い話の最後。美鈴はここの屋敷について話す。

 

「あらためて言いますが、ここは紅魔館という屋敷です。主は吸血鬼で、他に妖精のメイドや、悪魔の司書がいます」

「きゅ、吸血鬼に悪魔……」

 

 なんて所に来てしまったのだと、背筋が寒くなるのを抑えられない彼女。こめかみの筋肉が微妙に震えている。顔面神経痛になりそう。美鈴の人懐っこい笑顔が、せめてもの救いである。

 

「でも、安心してください。みんないい人ですよ」

「そ、そうですか……」

「一番怖いのは、人間のメイド長ですけどねー」

 

 当主代行は、笑ってそんな事を言っていた。

 妖魔もとい妖怪を恐れさせるとは、どんな人間なのか。何にしても、とんでもない屋敷である事は確かだ。

 するとまた永琳が話をぶった切る。

 

「話は変わるけど。あなた、どうやって幻想郷に来たの?」

「え?」

「その様子だと、来ようと思ってきた訳じゃなさそうね。でも、知らずにここにいたって訳でもないでしょ?」

「それは……そうですが……」

 

 シェフィールドはわずかに俯くと、考え込む。なんと説明すればいいものか。結局、ありのままを言った。ごまかしようもないので。得体の知れない妖魔の技で、気づいたらこちらに来ていたと。永琳は詳しい内容を求めたが、どうにも要領を得ない説明で、腕を組んで唸るだけ。

 実は、ルイズが幻想郷に来たのが召喚によるものではないらしいという事が分かって、この点は神奈子達の話題の一つになっていたのだ。永琳は、いい手がかりが見つかったと思っていたのだが。

 

 話が一旦途切れると、シェフィールドは一番の希望を口にする。異世界の住人にしては、意外にハルケギニアに通じているのもあって。

 

「ところで、私はハルケギニアに戻れるんでしょうか?」

「はい。戻れますよ。この屋敷の地下に、ハルケギニアに行ける魔法陣がありますから」

 

 美鈴、あっさり答える。シェフィールドの表情が、初めて綻んだ。こんなに簡単に希望が叶うとは。本音を言えば、こんな訳の分からない世界からはすぐにでも去りたいのだ。

 

「では、さっそくお願いできないでしょうか?……その、家族も心配してるでしょうし。主の迷惑にもなりますので」

 

 不幸な事故に巻き込まれた、ゲルマニアの単なる平民メイドといった風に、切実そうに話す。しかし、当主代行はごまかすような苦笑い。

 

「えっとですね。申し訳ないんですけど、今この館に使い方知ってる者がいなくて。分かってる方は、ハルケギニアに旅行中なんですよ」

「え!?」

「ですから、レミリアお嬢様達が……。ああ、レミリアお嬢様というのは、当家の主なんですが。そのレミリアお嬢様達が、お戻りになれたら帰れると思います」

「それは、いつになるんでしょうか?」

「う~ん……。気まぐれな方ですからねぇ。でも、長く屋敷を空けて置くとも思えませんので、そう先ではないと思いますよ」

「そうですか」

 

 シェフィールドは少しばかり気落ちしながらも、胸をなでおろす。この奇妙な体験も、すぐに終わりそうだと。それに魔法陣とやらがマジックアイテムなら、ミョズニトニルンの力を使い自らここを帰る事も可能だ。

 そんな彼女の様子を他所に、美鈴は当主の名前が出たのでついでに、紅魔館の話をし始めた。

 

「そうそう。この屋敷についてですが。紅魔館といいます」

「はぁ……」

 

 シェフィールド。さっきとは違い。興味なさそう。帰れる事が確約されたのだ。長居するつもりのない場所の話をされても、面白くない。それでも、当主代行の話は続く。

 

「さきほど、言いましたが、主はレミリア・スカーレット様と申します」

「はい」

「主の妹様にフランドール・スカーレット様がおります」

「はぁ……」

「さらに同居人にパチュリー・ノーレッジ様。後、雑務全般を統括するメイド長の、十六夜咲夜さんがいます」

「……」

「主だった屋敷の人たちはこんな所でしょうか。他にはメイドの妖精や、司書の悪魔……ん?」

「…………」

 

 何故かシェフィールドの顔色が悪くなっていた。なんか真っ青である。美鈴は覗き込むように、彼女を見る。不安そうに。

 

「あの……。ご気分、悪いんでしょうか?」

「え、ええ……ちょっと」

「すいません。病み上がりだというのに、長々と話をしてしまって」

「いえ。その……一つ、伺いたいのですが……」

「はい?」

「先ほど言われた方々に、愛称とかはあるのでしょうか?」

 

 妙な事を聞いてくると、首を傾げる美鈴。

 

「ありますよ。レミリアお嬢様はレミィ、妹様はフラン、パチュリー様はパチェ、咲夜さんは特にありません。ただこれも、ご友人や家族の間だけですよ。もちろん私達は口にしません」

「そ、そうですよね。従者がそんな事、口できるはずもありませんよね。はは……」

 

 無理に笑顔を作って、答えるシェフィールド。でも青い顔は相変わらず。

 

 そう、彼女は悟ってしまったのだ。ここの屋敷が誰のものか。ハルケギニアで妖魔達に捕まって訊問されていた時、連中はお互いを愛称で呼んでいた。耳に残っているその響き、"レミィ"、"フラン"、"パチェ"、"咲夜"。まさしく、ここの住人ではないか。強大で異質な妖魔とは思っていたが、まさか異世界の妖魔、もとい妖怪だったとは。しかもシェフィールドは、その彼女達と敵対していたのだ。

 今度見つかったら何されるか分からない。しかもここは見知らぬ土地で、あの連中の本拠地。当然、自分には味方はおらず、手元には自慢のマジックアイテムもない。今度こそ死ぬ。いや、死ぬで済むのだろうか?むしろ、いたぶられながら生かされる可能性すらある。命があって助かったと思ったら、また地獄だったである。

 

 暗い表情を浮かべ、沈み込んでいるシェフィールド。だがそれを、口元を緩め意味ありげに見ている薬師がいたなど、彼女は気付きもしなかった。

 

 

 

 




 また長くなってしまいました。本当は、魔理沙達vsカリーヌ一団の決着近くまで出すつもりだったのですが、さすがに長すぎるので。

 描写わずかに修正。


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最後通告

 

 

 

 

 森の端で、村の様子を窺うカリーヌ達。状況に変化はない。とりあえずさっきと同じ布陣を敷き、相手を迎え撃つ準備はしている。

 副隊長がしびれを切らしたように、話かけてきた。

 

「こちらから仕掛けますか?」

「いえ、待つ。無暗に仕掛けて、なんとかなるほど容易い相手ではないでしょうから」

 

 ついさっきまでの戦闘が思い起こされる。見た目こそ子供のようだが、恐るべき力を持った妖魔達が。

 トゥルーカスの目を通し、カリーヌは厳しい目で妖魔達を注視。メイジらしい人物が三人。それに最初の妖魔と同じ、蝙蝠の羽のある妖魔が一人。しかし、とりたてて動く様子がないのが不気味だ。

 

 さて、対する魔理沙達。動かないのは、打つ手がないのではない。というか打つ手は決まっていた。

 七曜の魔女が真正面を向いたまま、策を口に出す。

 

「魔理沙。マスパ。薙いじゃって」

「おう!」

 

 魔理沙は自慢の八卦炉を、懐から取り出した。思いっきり、前へ突き出す。大きな黒い帽子の下に、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「恋符、『マスタァァー、スパーク』!」

 

 響く轟音。

 辺りを眩く照らす光の奔流。

 極太の光の束が、真っ直ぐ森へと向かう。

 森に閃光で溢れかえる。

 魔砲は、右から左へ森を光で塗りつぶすように、薙いでいった。

 

 もしこの時、魔理沙が中心から撃っていたら、カリーヌ達は終わっていただろう。さすがのカリーヌも、突然の極太レーザーを避けるのは無理だ。しかし、右側から薙いだため、カリーヌには伏せるだけの間があった。それはほんのわずかな間であったが、長年の経験に体が反応していた。さらにカリーヌの右側にいた部下も、同じく伏せるのが間に合っていた。カリーヌ自ら選んだだけの事はある。しかし、それでも動揺は隠せない。

 

「な、なんだあれは……」

 

 強張った声が、アチコチから上がって来る。色を失った視線が、茫然と閃光の発信源に向いていた。

 そこに怒号が、響く。

 

「被害報告!」

 

 変わらぬカリーヌの覇気が、落ち着きを失いかけていた部下の気迫を取り戻す。副隊長が、さっそく点呼を取り報告。

 

「左翼は壊滅。ほぼ半分が取られました」

「半分……」

 

 息を飲むカリーヌ。あんな得体の知れない、しかも突然の攻撃だ。半分もと取るべきか、半分で済んだと取るべきか。確実なのは、残った相手も、普通ではないという事。どう対処すればいいのか。さすがのカリーヌも戸惑っていた。

 

 一方、魔理沙達。こあが、目を細めながら森を見ている。

 

「半分くらいでしょうかね。後、8人は残ってますね」

「そんなもの?」

 

 パチュリー、渋い顔。ほぼ壊滅を、予想していたのだが。こあは相変わらず、探るように見ていた。

 

「素早く、伏せたようです。それに、木が結構、盾になっちゃったみたいですよ」

「森ごと吹き飛ばさないと、ダメかしらね」

 

 アリスがのんきにそんな事を言う。それにパチュリー、強めの反論。

 

「それは無しよ。森、吹き飛ばしたら、レミィやフランはともかく咲夜はただじゃ済まないわ」

「…………」

 

 肩をすくめる人形遣い。

 すると魔理沙がまた、八卦炉を前に差し出した。

 

「しゃーねぇ。一人ずつ、狙い撃つしかないな」

 

 そう言って、暗視スコープを被る。電源を入れると、昼間のように、辺りの映像が映し出された。

 だが、すぐに真っ暗になる。

 

「くそ!バッテリー切れやがった!」

 

 残りわずかのバッテリーで、さっきから使っていたのが不味かったらしい。

 アリスが、不満そうにスコープを外す魔理沙に尋ねる。

 

「予備はないの?」

「ロンディニウムとかで結構使ったからな。だいたい旅行に行くだけだったから、予備がいるなんて思わなかったぜ」

「そうよね」

 

 言葉を返すアリス。だが魔理沙と同じく渋い顔。実は彼女も、似たような感情に駆られていたからだ。連れてきた人形が、上海と蓬莱の二体だけなのである。もちろん、魔理沙と同じ、旅行のつもりだったからなのだが。

 しばらく視線を伏せるように考え込んでいたアリス。急に魔理沙の方へ首を向ける。

 

「ちょっと頼んでいい?」

「なんだよ」

「別の手があるんだけど」

「ん?」

 

 彼女が口にした秘策。その策は確実だった。だが聞いていた魔理沙は、顔をしかめる。問題もあったのだ。

 

「いいのか?」

「なんとかなるわよ。でしょ?」

 

 そう言って、パチュリーへ声をかける。ゆっくりと瞼を落とす紫魔女。だが、とりあえずうなずいた。

 

「そっか。分かったぜ」

 

 白黒魔法使いは箒で肩をポンポンと叩くと、しようがないという顔を浮かべる。そして高く上る、双月を見上げた。

 

 魔理沙達が何やら策練っていた頃、カリーヌの元にダルシニ、アミアスがやってきた。最後方だった彼女達も無事だった。ついでに、味方の様子も見てきたらしい。

 ダルシニがカリーヌの側に寄る。ただ半分の味方がやられたというのに、不思議と悲壮感がない。

 

「みなさん。怪我してないみたいですよ」

「怪我してない?生きているの?」

「はい。気を失ってるだけです」

「……手加減した?」

「そうなんでしょうか?よく分からないけど」

「味方をこちらに握られてるからかしら。もしかしたら、あのメイド……人間程度の体かもしれないわね。あれ以上威力を上げると、仲間に被害が出ると……」

 

 カリーヌは、冷静に状況を理解しようとする。

 やがて、倒れた者達はダルシニ達によって、後方に下げられる。この作業、彼らの使い魔が役に立ち、そう手間でもなかった。だが、そうして残った人数は10人。全員そろった状況で、罠を張ってもなお、たった一人の妖魔に苦戦したというのに。これから四人も、相手にしないといけない。

 

 カリーヌは陣形、再構成の命令出す。ダルシニ達も、前線に出てきた。

 指示を送りながらも、彼女の視線はずっと村の方に固定されている。広がる畑の先、村の広場に、メイジらしい妖魔がいた。相変わらず、同じ場所にいる。

 すると烈風の脳裏に、何かが閃いた。

 

「そういう事か!」

 

 すぐに副隊長の方を向いた。

 

「支隊に指示、直ちに出撃。敵後方より攻撃。ただし、かく乱に徹する事」

「ハッ」

 

 使い魔を通し、命令はすぐに支隊に伝わる。支隊は使い魔と感覚を同調させていたので、一種のトランシーバーのような使い方ができたのだ。

 山の裏で待機していた支隊、四騎の竜騎士。すぐに飛び立つと、大きく迂回しながら、魔理沙達の背後へと向かった。

 

 カリーヌは、双子の吸血鬼に尋ねる。

 

「ダルシニ、アミアス。村で契約してる場所は?」

「私達の家だけです」

「そこから牽制できる?」

「なんとか、ギリギリ」

「じゃぁ、お願い」

 

 それにうなずきで答える二人。するとカリーヌは、次の命令を部下に告げた。

 

「二列横隊!突撃準備!」

「ハッ!」

 

 すぐに動きだす残りの部下たち。誰もがその意味を理解していた。これは接近戦をするという事だ。

 カリーヌは、相手を接近戦が苦手と読んだ。巨大閃光の魔法で半分を取られ、彼女達が混乱していたのは、相手からも分かったはず。さらに蝙蝠羽の妖魔が一人残っている。にもかかわらず、突撃してこなかったのは接近戦が不得手だからではないかと。

 さらに森を背にして戦えば、強力な魔法は使えない。連中の仲間を巻き込む可能性があるからだ。人質を取ったようで少々気が引ける作戦だが。

 

 やがて先の方に、四騎の竜騎士が見えてきた。

 

「支隊の攻撃直後に、突入!第一目標は、蝙蝠羽!後は各人の判断で戦え!」

「ハッ!」

 

 横隊に歯切れのいい返答が並んだ。

 

 一方、村の端でじっとしていたパチュリー達だが、アリスの策に従って、ようやく魔理沙が動こうと後ろを向いたとき、ふと何かが目に入った。

 

「なんだ?なんか来たぞ!」

 

 そう思った時には、四つの火の玉が向かってきた。

 

「チッ!」

 

 魔理沙はすぐに箒に飛び乗ると、竜騎士に向かって突撃!火球をかわす。そして、あっという間に、四騎の脇を抜けた。しかし、ただでは通り過ぎない。

 

「魔符『スターダストレヴァリエ』!」

 

 箒の後ろから弾幕が溢れかえった。

 竜騎士達は、空に星がいくつも生まれたかのような、錯覚を覚える。しかも、それらは竜騎士に向かって来ていた。支隊の隊長は慌てて指示。

 

「緊急回避!」

 

 風竜達は大きく、旋回する。そして戻って来るであろう、星をばら撒いた相手に備える。

 しかし、魔法を撒き散らした当人は、そのまま真っ直ぐ飛んでいった。視線だけで追う竜騎士達。

 

「なんだ?逃げたのか?」

 

 わずかに首を傾げる支隊の隊長だった。

 

 一方、残ったパチュリー、アリス、こあ。背後から飛んできた火の玉に対し、障壁を張る。

 着弾。爆音が響く。

 しかし、火の玉は外れていた。彼女達の少し前に着弾。全弾外れた事に、疑問を持つ。だが、その答えを出す暇はない。視界に影が入る。すぐ側まで、甲冑を纏ったメイジ達が近づいてきていた。

 

「お下がりを!」

 

 こあが叫ぶ。盾になろうと、メイジ達とパチュリーの間に入る。真ん中にいるのは、隊長と思しき騎士の姿。

 彼女に突き出される四本の剣。

 全て受け止めようと、こあは構えた。

 

 しかし剣は鼻先で止る。意表を突かれるこあ。だが全ての剣の先から、煙が噴き出した。いや雲が。『スリープクラウド』の重ね掛け。レミリア達に使った同じ手である。こあにとっては、見知らぬ攻撃。あっさりと掛かる。力が抜ける様に倒れて行った。

 

「こあ!」

 

 思わず叫ぶパチュリー。その瞳に珍しく激しいものが浮かんでいた。

 

「!」

 

 カリーヌの眉間に、直感が走る。危機を知らせる警報が、頭に鳴る。

 大きく剣を振るった。唱えるのは『ウインド』の魔法。

 しかしそれは相手ではない、自分達に向けて。相手を吹き飛ばすためではなく、逃げるために使ったのだ。

 

 さすがは烈風と言うべき力で、吹き飛んだカリーヌ達。相手と大きく距離を取った。その直後だった。無数の光の弾が、一人のメイジから発せられていた。

 

「あれが光の魔法か!」

 

 カリーヌは花火のような光景を見ながら、息を飲む。

 ダルシニ達から聞いていた妖魔達の魔法。実際に見るまでは、イメージしづらかったが、確かに彼女の言う通りだ。あのまま、動かずにいたら多数の光を浴び、無事では済まなかったろう。

 だがこれで、接近戦一撃で決める手は失敗だ。

 

 対するパチュリー達。彼女の弾幕で、『スリープクラウド』の雲は散り散りに霧散した。その弾幕に守られ、アリスがこあを引き寄せる。人形達を使って。

 

「ん?眠ってる?」

「あの魔法は『スリープクラウド』よ」

 

 弾幕を放ちながら、答える七曜の魔女。ただ、こあが眠ってるだけと知って安心したのか、声がいつもの響きに戻っている。アリスはこあを起そうと、彼女を揺らしながら答える。

 

「眠らせる魔法だったかしら?」

「ええ。けど、よく分からない魔法なの。系統魔法と学術書には載ってるけど、学院じゃコモンマジックとしても教えてるし。効果としては睡眠ガスじゃないのは確かよ。おそらくは結界の類だと思うわ。煙の形状をした結界陣。結界内の対象を、睡眠状態にするんだと思うわ」

「系統魔法には、結界魔法がないんじゃないの?」

「認識自体はないわ。でも今考えると、結界らしき魔法は他にもあるよ。例えば『サイレント』。特定の音を消す魔法だけど、一定範囲内の全音を消す事もできるそうよ。結界みたいでしょ?」

「それにしても、悪魔にも効くとはね。小悪魔だけど」

「ただのガスなら、効かなかったでしょうね。けど、結界だからそこは虚を突かれたんでしょう。それに数人かかりだったし。たぶんレミィ達も、これに引っ掛かったんじゃないかしら」

 

 パチュリーは森の方に視線を送った。その表情はわずかに穏やか。眠りの魔法というなら、レミリア達はおそらく無事だと。

 と思ったら、無残な叫びが足元から。

 

「ギャー!?」

「あら、やっと起きた」

 

 アリスが笑ってこあを見る。その彼女の尻には、アリスの人形、上海と蓬莱が槍を刺していた。涙目でお尻押さえる悪魔。

 

「なんて事するんですか!」

「だって、起きないんだもん」

「起し方ってもんが、あるでしょ!」

 

 相変わらずお尻を撫でている使い魔に、主が落ち着いた声がかける。

 

「こあ。後になさい。それより、事は始まってしまったわ」

 

 パチュリーの声に冷静さを取り戻す。すぐに、辺りを見るこあ。彼女の顔が、気を引き締まった。

 

「これは……。ではパチュリー様、予定通りという事でいいんですか?」

「ええ。アリスも頼んだわよ」

「分かったわ」

 

 アリスはうなずくと同時に、上海と蓬莱を操りだす。そして宣言した。

 

「白符『白亜の露西亜人形』!」

 

 アリス、上海、蓬莱から弾幕が放出される。さらに、こあも通常弾幕を発射しだす。残ったパチュリーは、逆に弾幕を止めた。そして別のスペルを宣言。

 

「水符『ジェリーフィッシュプリンセス』」

 

 三人は薄い膜のような球体に包まれた。やがて三人は宙へと上がる。弾幕をばら撒きながら。

 

 見た事もない光景を見上げるカリーヌ達。まるで花火のような光景。冷や汗を額に浮かべ、息を飲むしかない。

 次々と得体の知れない魔法を繰り出す、妖魔の仲間達。特に、光の玉の嵐は信じがたいものだ。これほど多数の魔法を放出するとは。しかもそれだけではない。止まらないのだ。まるで、長雨のようにいつまでも辺りに光の玉を撒き続ける。唯一の救いは威力がそれほど強くもない事。石つぶて程度だろうか。カリーヌ達は、甲冑に身を包んでいる。流れ弾程度なら、なんとか防げた。さらに土のメイジが、土壁を作り出し錬金で強化し。盾としていた。

 

 カリーヌに部下から声が飛ぶ。

 

「『エア・シールド』程度では逸らす事もできません。現状では近づくことは難しいかと」

「相手は一か所にとどまっている。近づくまでもない。集中攻撃!一気にカタを付ける!」

「ハッ」

 

 確かに相手は、一か所から動かずにいた。宙に浮いているだけに遮蔽物もない。恰好の的とも言える。確かに今の光景は驚くべきものだが、むしろ攻撃の好機でもあった。カリーヌは全隊に命令を伝えた。総力戦の指示を。

 竜騎士が旋回し、炎を吐く準備に入る。地上では各人の得意な魔法が詠唱される。さらに森から動かず後方にいる、ダルシニ、アミアスも契約してある我が家に対し詠唱を開始。

 そして放たれた。

 

 風竜の炎が、『エア・カッター』が、『フレイム・ボール』が、先住の魔法が。

 一斉に光の玉を放つ、得体の知れない相手に向かった。

 そして直撃。

 

「やったか!」

 

 部下達の声に歓喜が混ざる。だが、驚きに変わった。相手は傷一つ負ってなかったのだ。

 

「なんだ……どういう事だ……?」

 

 思わず言葉を漏らすしかない彼ら。大きく見開いた眼で、相手を見る。まるで堅牢な城でも攻撃したかのような状況に。それはカリーヌも同じ。鋼の兜の中でわずかに開いた口からは、何も出てこない。

 

 パチュリーが発動した水符『ジェリーフィッシュプリンセス』。このスペルは相手の攻撃を全て受け止める。まさしく無敵状態。ただネックなのは、実は耐久力に限界がある事。何度も攻撃を受けては破られる。ごまかしつつ、出来る限り連続発動するしかないのだ。

 しかし、カリーヌ達がそんな弱点を知る由もない。分かっているのは、攻撃がまるで通じない点だけ。しかも、ごり押しを続ける訳にもいかない理由もあった。レミリア戦でかなり魔法を使ってしまい、今は精神力が万全という訳ではないのだ。精神力が枯渇し魔法が使えなくなれば、勝ち目がなくなる。だから一気に方を付けたかったのだが。接近戦を挑んだのも、一斉攻撃もそのためだった。やがてカリーヌ達は、一旦手を止める判断をする。

 

 パチュリー達からの弾幕放出は、相変わらず続いていた。それを土のメイジが作りだした壁で防ぐカリーヌ達。竜騎士は距離を取って、弾幕をかわし続ける。動かない双方。奇妙な緊張と停滞だけが、流れていた。

 

 だが、それこそ、アリス達の狙い通り。

 ほどなくして、それが来た。

 突如、雷が落ちる。

 それが全ての竜騎士に直撃。

 四騎の竜騎士は、全騎が地上へと落ちていく。羽の片方を撃たれたのか、紙ふぶきのように、ヒラヒラとゆっくり落ちていく。

 

「な!?」

 

 思わず声を上げるカリーヌ。土壁から身を、乗り出してしまいそうなほどに。いきなり空中戦力が全滅。まさしく想定外。

 部下達も同じく、驚愕としかいいようがない表情を浮かべ、お互いを見やる。

 

「か、雷だと!?雲一つないぞ!?いや、『ライトニング・クラウド』か!?」

「だが、どこから?あの妖魔達からでないぞ!」

 

 口から出て来るものは、狼狽の声ばかり。

 だがその中で、カリーヌだけは気づいた。事態の真相に。

 

「いかん!後退する!森まで下がれ!」

「え!?ハ、ハッ!」

 

 一斉に踵を返す一同。森へと駆け出そうとした。

 しかし、足が止まる。いや、止められた。誰かに?いや、大地に。

 

 揺れていたのだ。地面が。そう地震。地震がこのタイミングで起こった。しかもかなり大きい。

 

「う、うわ!かなりでかいぞ!」

「なんで、こんな時に!?」

 

 慌てて、四つん這いになる部下たち。しかし、そこにカリーヌの声が飛ぶ。

 

「『フライ』で飛べ!」

「あ、ハッ!」

 

 揺れる大地からなんとか逃げた彼ら。そして森へと向かおうとする。

 だが、爆発が連なるように起こった。火柱が何本も立ち上がる。カリーヌ達を、逃がさないと言わんばかりに、森への道を塞ぐ。

 

 カリーヌはすでに、そして部下たちもようやく悟った。そう、援軍が来たのだ。相手の。妖魔達はここにいるだけではなかったのだ。超絶の力を持った妖魔達が、さらに増える。しかも包囲されている。この状況をどう捉えるべきか。彼らはこの窮地を、強く噛みしめるだけ。

 

 すると、その時。彼らの背後から声がかかる。トドメの宣言ともいうべきものが。

 

「アルビオンの賊共!ウチの領内で、何やってんの!悪事なんて絶体許さないわ!ただじゃ、済まないから覚悟しなさいよ!」

 

 最後通告を聞いたカリーヌ。しかし、なんか微妙な顔。眉をひそめている。異常な妖魔に、囲まれてるにもかかわらず。というのも、何やら聞き覚えのある声なのだ。彼女は、ゆっくりと振り返った。

 見上げた視線の先、相手の白黒メイジが箒に乗って浮いていた。その後ろには、見覚え所か、とても良く知っているピンクブロンドの少女がいたのだった。

 

 

 

 




 前回、前々回と長かったので、今回はここまでで。切りもいいですし。

 ところでゼロ魔の魔法について、ちょっと思いついた事を。
 今回、原作の設定が曖昧だったのをいい事に、『スリープクラウド』の中身を勝手に考えてしまいました。実は、例に出した『サイレント』の魔法もおかしな点がある事が分りました。風系統と説明されてるこの魔法ですが、土塊のフーケことマチルダも使ってるんですよね。それで思ったのですが、クラスの低い魔法はコモンマジックとして誰でも使えるのではと。そもそも1巻で、シュヴルーズの土の授業をみんな受けてましたが、土系統以外のメイジには意味がないような気がしますし。ですが、コモンマジックとして使えるなら、授業を受ける意味はあります。
 まあ、魔法についての曖昧な点が多いのは、こっちにとってはありがたいんですけどね。

 と思ったら、系統魔法は得意不得意はあっても、一応全系統が使えると知りました。大きな勘違いでした。ただ、使えると思っていたのが使えなかった訳でもないので、話の大筋には影響ないかと。全話多少見直さないといけませんけど。

 描写わずかに修正しました。


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歓迎の晩餐

 

 

 

 

 レミリア達が、村で戦いを繰り広げている頃。残りの一行はどうしていたかというと、まるで正反対。健やかな時間を過ごしていた。

 

 ヴァリエール公爵の居城に一番近い宿場町。その町の端に、自警団の駐屯所がある。そこの奥、普段なら休憩所にまずいないであろう人物がいた。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。公爵家の三女である。穏やかな寝息を立てていた。

 公爵家のご息女ともあろうお方が、こんな煩雑とした所に何故いるかと言うと、この町に来た時には、すでに宿屋が閉まっていたから。泊まる所がなかったのだ。

 

 ルイズの帰郷。幻想郷メンバーを連れた、大人数での旅行となった。途中、レミリア一行と別れ、ルイズ達はまっすぐヴァリエール領を目指した。ただ、少しばかり予定が変わってしまい、いつも使う宿場町についたのが深夜。そんな訳で、しようがなく自警団の駐屯所に泊まっている。使い古されたベッドしかない場所だが、旅行疲れもあってぐっすり寝入っていた。

 ともかく、なつかしの我が家まであとわずか。朝になったら、待ち合わせをしているレミリア達と合流、城に向かうだけある。

 その、はずだった。

 

 突如、外から耳を裂く音が連なる。

 しかも爆発音が。

 

 安らかな眠りの時間が、粉砕される。おかげで、ルイズは目を覚ましてしまった。

 

「ん……何なのよ……?いったい……」

 

 身を起すルイズ。寝ぼけた視線を辺りに回す。だが頭も寝ぼけているので、よく状況が分からない。すると……。

 また爆発音がした。先程と同じく三回。

 

「爆発!?なんで?」

 

 さすがにぼやけた頭も完全に起きた。すかさず、ベッドから飛び降りる。服を身に着け、外に飛び出ようとした。だが逆に、入って来る人影。藤色のロングに、良く目立つうさぎ耳。月の妖怪うさぎ、鈴仙だ。

 

「ルイズさん!起きました?」

「何よ、あの爆発音!?事故かなんか?」

「えっと……。とにかく来てください!」

 

 鈴仙はルイズの手を引っ張った。そして駐屯所の外に出る。外には、ルイズに同行した天子、衣玖、文もいた。

 

 宿場町のあちこちからざわめきが聞こえる。外に出ている者、窓から顔を出している者、この町のいる全ての人間が、起きたかのようだ。無理もない。これほど大きい音が、続いているのだ。

 そして彼らは皆同じ方向を見ていた。空を。ルイズも同じく見上げる。

 

 空には星型の光が舞っていた。宿場町の者たちは、思った事を口々に漏らす。

 

「なんだ?花火か?」

「迷惑なヤツだな。こんな夜中に」

「いいかげんにしろ!」

 

 拳を上げ、空に向かって怒鳴る者もいた。一様に浮かぶ不満そうな顔。怒りの顔すらある。だが、違う顔がここに一つ。青い顔が。ルイズである。

 それはそうだろう。見覚えがあったのだ。この光景に。というか知っている。魔理沙が良く使う弾幕だ。爆発音の方はおそらく『グラウンドスターダスト』などで使う爆弾だろう。

 ルイズの青い表情が、真っ赤に変わった。激高せずにはいられない。

 

「何やってんの!魔理沙のヤツ!」

「到着の合図かもねー」

 

 天子が頭の後ろに手を組み、呑気に言う。

 

「意味ないでしょ!」

「あー、でもレミリアさんならやりそうですけどね。派手な演出好きですから。……やっぱ写らないわね。このカメラじゃ無理か」

 

 文がカメラのファインダーを覗きながらつぶやく。こっちも無関係と言いたげな態度。

 すると天子の隣にいた衣玖が、ルイズの方を向いた。

 

「とにかく、止めさせましょう。宿場町の人達の気配が、かなり険悪になってきてますから」

 

 さすがは空気を察する衣玖か。ルイズも、同じ事を考えていた。むしろ、それが当たり前。

 

「そうね」

「では」

 

 と言って、人差し指を天に上げようとした。ルイズ、また顔が青くなる。

 

「ストップ!」

「どうかしました?」

「雷撃で撃ち落とす気!?」

「手っ取り早いと思いまして」

「こんな所で撃ったら、ダメでしょ!」

 

 衣玖は比較的常識人と思っていたのだが、やはり幻想郷の住人だったかと噛みしめた。

 

「あ~もう!私が止めてくるから、あんた達はここでじっとしてなさい。何もするんじゃないわよ!」

 

 これ以上、幻想郷のメンツが何かやり出したら、騒ぎはさらに大きくなる。いや、すでになっているが。とにかくここは、ルイズ自身が出て行かなければならない。彼女はすぐに駐屯所の奥に戻ると、杖を持って戻って来る。そして空へと飛んでいった。

 

 街道上空を往復しながら、弾幕と爆弾をばら撒き続けている魔理沙。その眼前に一つのが影が現れた。ルイズである。さっそく怒号炸裂。

 

「何やってんよ!魔理沙!すぐ止めなさい!」

「あ!やっと見つけたぜ!」

「今、夜中なのよ!常識がないにもほどが……」

「それどころじゃねぇんだよ!手、貸してくれ!」

「え?どういう事よ」

「他の連中は?」

「下にいるわ」

「連れてってくれ」

「え……?うん……」

 

 魔理沙のらしくない慌てように、気圧されるルイズ。一体何が起こったのかと。叱りつけてやろうとした意気込みは、どこかに吹き飛んでいた。

 やがて天子達の元に来た魔理沙。理由を説明しだす。弾幕をばら撒いていたのは、ルイズ達を見つけるためだったと。狭くはない宿場町を、イチイチ探している暇がなかったのだ。

 それからすぐに、一行は飛んでいった。白黒魔法使いに追い立てられるように。

 

 魔理沙に先導され、空を進むルイズ達。ルイズは、魔理沙の箒の後ろに乗っていた。途中、彼女の説明が始まる。それを耳にしてルイズは、思わず大声をあげていた。

 

「レミリアがやられたぁ!?」

「ああ」

「信じらんない……。いったいどうやって?」

「それが分からねぇ」

「そもそも相手は誰?」

「シェフィールド達だぜ。ロンディニウムの時のメイジもいた」

「え!じゃぁ、アルビオンの連中!?」

 

 さらに驚きを増すルイズ。アルビオンの連中が何故こんな所にと。いや、今トリステインはアルビオンと戦争中なのだ。何をしに来ても不思議ではない。ろくでもない事には、違いないだろうが。

 ただそれにしても、相手がシェフィールド達とは言え、レミリアが倒されるとも思えなかった。その答えは、すぐに魔理沙から出る。

 

「けどシェフィールド達にやられた訳じゃないぜ。逆に捕まえた。だがな、その後、別の連中が来た。レミリアはそいつらにやられちまった」

「もしかして、村人が呼んできた軍か何かじゃないの?」

 

 眉をひそめるルイズ。魔理沙の話によると、村に到着した直後に一悶着起したようなので、そう考えたのだ。しかし、魔理沙の厳しい表情は変わらない。

 

「いや。先住魔法の使い手がいたぜ」

「先住魔法!?じゃぁ、まともな軍じゃないわね」

 

 ふとルイズは思い出す。シェフィールドは実はガリア王の使い魔。そしてガリア王はエルフと手を組み、何かを企んでいる事を。

 

「まさか……エルフがいる?シェフィールド達を助けに……とか」

「かもしれねぇ。とにかく急ぐぞ。今、パチュリー達が相手を引きつけてる。あいつらが耐えてる内に、方をつけねぇとならないぜ」

「うん!」

 

 ルイズは、杖を強く握り締める。異界の友人を助けるため、気持ちを引き締めた。そして飛びながら策が練られる。

 

 かなりの高速で飛んだおかげで、それほど経たずに目的の村が見えてきた。村の中心には、飛び交う光が見える。花火のように目立つ。弾幕だ。その光が、周りを飛ぶ竜騎士を露わにしている。さらに畑のなかほどに、何人かの兵も確認できた。

 魔理沙が安堵の声を漏らす。

 

「なんとか間に合ったらしいな」

「そうね」

 

 振り返ると魔理沙は、後に続く連中に声をかけた。

 

「んじゃぁ、頼むぜ!手筈通りにな!」

 

 素直にうなずく者、肩をすくめる者、不敵な笑みを浮かべる者。リアクションはバラバラだが、全員が一斉に散った。

 

 竜騎士を衣玖の雷撃が襲う。

 敵兵の足を、天子の地震が止める。

 レミリアを、鈴仙の魔眼が森の暗闇から探す。

 兵と先住魔法の使い手の両方に備え、文が森と村の間に位置する。

 そして魔理沙とルイズ。『エクスプロージョン』で賊を包囲した。

 

 撃ち落とされた竜騎士。動きを止めた敵兵たち。ルイズは彼らを、空から見下ろした。

 

「アルビオンの賊共!ウチの領内で、何やってんの!悪事なんて絶体許さないわ!ただじゃ、済まないから覚悟しなさいよ!」

 

 祖国の、友人の敵を、撃ち滅ぼさんとばかりに。

 

 だが、

 

 おかしなものが目に入った。どこか見覚えのある甲冑が。急に妙な違和感が浮かんでくる。何やら寒気を伴って。

 ゆっくりとパチュリー達の側に降りて来る魔理沙とルイズ。降下しながら、ルイズの嫌な予感は、益々強くなってきていた。敵兵の中心にいる騎士の姿に。

 

 この額に滲む汗はなんなのか。冷たさを感じる背筋はなんなのか。だが、異様な感覚ながらも、どこか覚えがある気がしていた。それが余計に気味悪い。

 

「そ、そうだわ。きっと、あの中身はエルフよ。うん。虚無の力が、宿敵を感じてるのよ。そ、そうに違いないわ」

 

 なにやら独り言をブツブツいいながら、自分を納得させているルイズ。しかし、肌が逆立つのは止まらない。

 

 箒は大地に着く。降り立つ魔理沙とルイズ。目の前に剣を構えたままの騎士達。まだまだ闘気は失っていない様子。だが、その中で一人だけ、違う態度の者がいた。剣を鞘に納め、戦う姿勢を見せない者が。その騎士こそ、まさしくルイズが悪寒を感じた相手。

 その人物はゆっくり足を進めだした。魔理沙達の、いや、ルイズ個人の方へ。

 

 ルイズ。ぐるんぐるんと視界が回りだす。近づくほどハッキリしてくる、相手の見覚えのある甲冑。そして体を刺すような気配。ルイズの全身が叫んでいた。間違いない。これは……。

 

 やがて騎士は足を止めると、兜を脱いだ。そこに現れたのは、ルイズによく似たピンクブロンドの中年女性だった。

 

「久しぶりね。ルイズ」

「か、か、か、か、か……」

 

 言葉がまともに出ない。口は呼吸困難にでもなったかのように、震えている。瞼がなくなったかのように目は見開き、汗腺という汗腺から冷や汗が湧き出て来る。背筋は固まり、石にでもなったかのよう。

 

「母さま!」

 

 破裂するように出てきたその言葉。肉親を指すその言葉。それに返って来たのは、周りからの一斉の驚愕。

 

「「「えーーーーっっ!?」」」

 

 魔理沙達も、カリーヌの部下達も同じく叫んでいた。

 

「どういう事だよ!ルイズ!」

 

 だがルイズ、石化を喰らったかのように動かず。次に魔理沙、彼女の耳を引っ張って怒鳴る。

 

「返事しろ!」

「え!?ええっ!?」

「かーちゃんなのか!?」

「あ、あの……その……。私の母さまよ……」

「マジか?」

「う、うん」

「……」

 

 魔理沙、停止。さらにパチュリーやアリス、こあも、この状況には誰もが唖然。一体、この状況はなんなのかと。どういう経緯で、こんな事にと。アリスはもちろん、そう感情を露わにしないパチュリーですら、間の抜けた表情を浮かべていた。

 

 一方のカリーヌ達。部下たちがカリーヌに言い寄る。

 

「隊長!やはり……ご息女……。ルイズ様なのですか!?」

「そうですよ。見紛おうはずもありません」

「なんと……」

 

 言葉のない部下たち。実はルイズの姿が見えた時から、なんとなく気付いてはいた。彼らは、ヴァリエール家の選りすぐりのメイジ達。一家の顔は知っていた。だが妖魔と共にいるという点が、彼らを困惑させ、見た物を信じさせずにいた。

 

 カリーヌはルイズの方に向き直る。ルイズが見上げたその顔は、いつもの怒る時とは違う。やけに冷静。だが、それが余計に恐ろしい。

 

「ルイズ」

 

 母親から掛けられた自分の名前。だがそれは、金縛りの呪文かのよう。ピンクブロンドのちびっこは、直立不動の姿勢で動かず。

 

「は、はい!」

「説明してもらおうかしら。何故あなたが、ここにいるのかを」

「そ、それはその……。戦ってるメイジ……アルビオンの間者を懲らしめに、友人と共に……」

「アルビオンの間者?なんですかそれは?」

「えっと……」

 

 見上げる先には母達しかいない。その間者とやらを探そうとした目線は、辺りを舐めるばかり。肝心のシェフィールドを探すが、どこにも見当たらない。もちろんフランドールが吹き飛ばしたので、見つかるはずないのだが。

 カリーヌは相変わらず感情を抑えて語る。

 

「戦ってるメイジとは私達の事かしら?」

「いえ、その……」

「あなたはアルビオンの間者である母達を退治するために、妖魔を率いてやってきたという訳ですね」

「ち、ち、違います!母さまがアルビオンの間者ではありません!そのシェフィールドがいるって、聞いてたんで……。あ、後、か、彼女達は妖魔じゃなくって、妖怪です」

「シェフィールドやら、ヨーカイやら……。一体何を言っているの?」

 

 意味不明な説明に、聞き覚えのない単語の羅列。娘の言葉に、カリーヌの視線は厳しさを増す。

 

「ルイズ。まさか、はぐらかそうとしているのではないでしょうね。母に向かってそのような真似は許しませんよ」

「あ、いえ、その……」

 

 ルイズ、すでに頭の中が沸騰状態。何も思いつかない。整理がつかない。もはや言葉すら思い浮かばない。一方のカリーヌ。娘が大きな過ちを犯してしまったのではという想いが過る。少なくとも、妖魔の集団を伴って来たのだから。

 月夜の中。当人の二人はもちろん、周りの幻想郷メンバーもカリーヌの部下たちも、困惑するばかりだった。

 

 そんな中にふらりと近づいてくる影一つ。七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジ。さっきの驚きはどこへやら。動じた様子はもうなかった。

 

「一つ聞きたいのだけど、そういうあなた達は何しに来たの?」

 

 カリーヌの顔がパチュリーへ向いた。敵意を含んだ視線が、飛んでくる。

 

「お前たちが、村人を襲い、さらに村を救いに来たメイジ達を倒したからだ。土地を収める者として、そのような集団を許す訳にはいかない」

「村を襲ったとは、なんの事かしら?」

「とぼけるつもりか?吸血鬼に襲われたとの証言を得ているぞ」

 

 言い分を耳にしたパチュリー、わずかに眉を伸ぶ。すると雑談でも始めるように口を開いた。

 

「ああ、その事。それは連中が、勘違いしたのよ」

「何?」

「ウチの子が吸血鬼かって聞かれたから、冗談半分にうなずいたの。そうしたら、勝手にパニックになってね。武器持って向かってきたのよ。そこからは、売り言葉に買い言葉。けどそこまでよ。ちょっと脅かしたら、全員逃げちゃったから。死んだり、怪我した村人はいなかったでしょ?」

「…………」

 

 言われてみればその通り。だが、こんな説明で、カリーヌの不信が消えるはずもない。

 

「単に逃げ切っただけの話。取り立てて不思議ではない」

「あなた達、レミリアと遣り合ったんでしょ?逃げ切れると思うの?」

「…………」

 

 確かに、あの尋常ではない速度で飛ぶ妖魔から、ただの村人が逃げられるとは思えない。

 厳しかったカリーヌの表情が変わっていく。何やら、腑に落ちないという顔つきに。そして一つ咳払い。

 

「では、誤解を解こうとしなかったのは何故だ?」

「旅の途中だったからよ。所詮は一見。面倒だもの」

「…………」

 

 筋の通る説明だった。

 それにしても、相も変らぬ紫寝間着のメイジらしき少女。この状況で、緊張感も動揺もまるで感じさせない。ひどく落ち着いた仕草。見た目の年齢とは、かけ離れた態度。

 

 ふとカリーヌ。少々異質なものを感じ始めていた。妖魔かどうかは別にしても、何かおかしい。奥へと目を向けた。後ろにいる妖魔と思われた連中に。よく見れば、かなり変わった格好をしている。ハルケギニアではあまり見ないような。いや人間だけではない。吸血鬼や翼人、服を着ている妖魔達ともまるで違う。"ヨーカイ"。ルイズが言った言葉が、カリーヌの脳裏に浮かんできていた。

 

「お前たち……一体何者だ?」

 

 見定めるような目が、変わった姿をした連中に向かった。

 するとまた一人前に出てくる。赤いカチューシャをした、商家の娘らしき少女が。これまた、かわいらしい容姿らしからぬ落ち着きがある。

 

「魔法使いよ」

「魔法使い?メイジだとでも言うのか」

「似たようなものね。ただしハルケギニアじゃないわ。東方、ロバ・アル・カリイエのね」

「何?ロバ・アル・カリイエ!?」

「それに、こう見えても王家の賓客よ」

「な!?なんだと?」

 

 さすがのカリーヌも、これには驚かずにはいられない。妖魔と思っていた連中が、まさか王家と繋がりがあるとは。

 

 彼女のそんな驚きを他所に、アリスは鞄から書類入れを取り出す。そして広げた。

 アリスと魔理沙はトリスタニアによく行くので、トラブルを避けるため常に携帯していたのだ。

 

「王家の証書よ。なんなら王宮に問い合わせてもいいわ」

「……!」

 

 カリーヌは渡された書面を目にし、言葉がない。

 証書の書式は王家のもの、サインは見覚えのあるアンリエッタのもの、印章も王家のものだった。紛れもない本物である。さらに貴族と同等に扱う事が記されている。やがて部下たちも目にするが、ただただ唖然とするだけ。ペテンにかけられたかのような、惚けた表情が並ぶ。

 

「これは……。では、お前……あなた方は本当に王家の賓客なのですか」

「そうよ」

 

 あっさりうなずくアリス。

 しかしまだ納得いかないカリーヌ達。大きな問題が残っていた。

 

「羽が生えていた者がいました。あれはなんなのですか?まさか、ロバ・アル・カリイエでは、あれも人間と言うのではないでしょうね」

「あれは飾りだぜ」

 

 次に白黒魔法使い、魔理沙が答える。こっちはふてぶてしい表情で。

 

「な、レミリア」

 

 と、魔理沙が声をかけた先、そこにはレミリア、フランドール、咲夜、鈴仙の姿があった。ゆっくり飛びながら、パチュリーの側まで降りてくる。レミリアはパチュリーに声をかけた。

 

「終わったの?」

「だいたいね。それで、ちょっと頼みがあるのよ。レミィ、羽消して見せて」

「何で?」

 

 疑問を口にしたレミリアだが、すぐに得心顔になる。パチュリーの向こうに見えるルイズが、祈るような懇願した表情になっていたので。

 吸血鬼は肩をすくめると、仕方なくうなずいた。するとフッと霞むように、彼女の蝙蝠羽が消えた。

 

「な……!」

 

 またも驚きの声を上げるカリーヌ達。さっきからずっとこの調子。

 しかし、まだまだ疑問は残っている。特に、この目の前の少女には。

 

「彼女は、首を落とされたのに再び繋がりました。それは、どう説明するつもりです?」

「あー、それはだなぁ……。幻術だぜ!」

 

 魔理沙、箒を槍の様に突っ立てて答える。堂々と。自信あり気に。カリーヌ、目を細め眉間に皺。またも受け入れがたい理由。やけくそなこじつけ理由にしか取れない。

 

「幻覚だとでも、いうのですか?」

「そうだぜ。と、言っても信じられないよな。論より証拠だ。鈴仙」

 

 白黒魔法使いは、月うさぎに声をかける。

 

「何?」

「幻覚が見たいんだってさ。なんか適当なのかけてくれ」

「う~ん。何か見たいものがある人!」

 

 うさぎ耳の少女は、手を上げて呼びかける。返事に困るカリーヌ達。お互いの顔をみやって、黙り込む。なかなか話が進まないので、月うさぎは勝手に一人を指さす。

 

「では、あなた!」

「お、俺が!?」

「こんなのは、どうでしょう」

 

 鈴仙の瞳が赤く光る。視線を囚われるカリーヌの部下。すると、突然叫びだした。

 

「な!何故、あなたがこんな所に!?どうしたと言うんです!?いや、待て……。そんな馬鹿な!?」

 

 うろたえる部下。だが周りの者達には訳が分からない。彼の視線の先には、誰もいないからだ。だが、それはすぐに収まる。何かを見失ったかのように、彼は周囲を見回した。

 

「え……?あの人は……?」

「どうでした?初恋の人に出会った感想は?」

「初恋!?では……、今のは……」

「ええ。幻です」

「な……」

 

 茫然とするしかない。カリーヌ達は仲間の様子を見て、幻術の存在を信じるしかなかった。

 

「どうやら、方はついたようですね」

 

 空から軽い声がする。文だ。その脇に二人の少女を抱えていた。ダルシニとアミアスだった。文は地上に降りると、二人を離す。ダルシニとアミアスは立ち上がると、文に頭を下げる。

 

「どうも、ありがとうございます。それじゃ後の事、お願いします」

「任せてください。そちらも取材の件、後でお願いしますよ」

「あ、はい」

 

 いつのまにか、戦っていた相手と懇意になっている文。さすがは新聞記者と言うべきか。

 カリーヌ達の方も、この様子を見て、どうにも全身から力が抜け落ちる感覚に襲われる。今となっては、長らくあった闘気はすっかり抜けていた。カリーヌ側に、死人も重傷者もいなかったのも理由の一つだが。

 

 だがまだ疑問がある。いや、そもそもの話が。カリーヌは、あらためてルイズへ向く。

 

「ルイズ。どうやら多くの誤解があったようね。でもまだ疑問は残ってるわ。あなたの言った、アルビオンの間者とやらは何?」

「詳しい事は後で話しますが、彼女達と戦ったメイジの中にアルビオンの間者がいたのです」

「それでは……妖魔退治の専門家と言っていた者達が、アルビオンの間者?だとしても何故、あの方達と戦う事に?」

「それは……ちょっと分りません」

 

 こう答えたが、ルイズにはなんとなく想像はついていた。おそらくアンドバリの指輪からみではないかと。だが所詮は推測。それにあの件はアルビオン戦に関係する事もあり、極秘事項になっていた。簡単には話せないのだ。

 

「では最後に。そもそもあの方達と、あなたが共にいたのは?」

「えっと、彼女達が、我が家へお招きするお客様だからです」

「それじゃ、あなたがお世話になったという……」

「はい」

 

 うなずくルイズを目に収めると、あらためてカリーヌはパチュリー達を見た。新たな驚きと共に。

 つまり、ここにいる連中は、ロバ・アル・カリイエどころか、さらに遠く異界の住人達なのだと。それが分かると、カリーヌの表情が緩む。ようやく納得がいったと。今まで感じていた異質さに。

 

 やがてパチュリーが口を開く。

 

「後で詳しい事は説明するわ。えっと……」

「カリーヌ・デジレ・ド・マイヤールと申します」

「私はパチュリー・ノーレッジ。それでアルビオンの間者だけど、全員捕えてあるわ」

「そうですか。この国の臣下として、感謝を申し上げておきます」

「とにかく、あの連中を連れて行ってもらいたいのよ。放置しておく訳にもいかないし。たぶん抵抗はしないわ。術を掛けてあるから」

「分りました。いずれにせよ、今回の件については、もう少し落ち着いた場所で、話しましょう」

 

 カリーヌは部下に指示を出す。撤退準備と、メイジ達、捕虜の移送を。部下たちはさっそく動き出す。幻想郷メンバーも動きだした。ただ違う態度の者が一人。こあだった。神妙な顔つきで村長宅を見ている。

 

「あれ?」

「どうかした?こあ」

「あの……メンヌヴィルって人……いなくなってますよ」

「え?」

 

 思わず声を上げるパチュリー。魔理沙が急いで、家の中を覗き込む。振り返ると声を張り上げた。

 

「いねぇ!逃げられた!」

 

 渋い顔の面々。盲目のメンヌヴィルは、一人だけレミリアのチャームが、かからなかったのだ。この騒ぎの中、逃走に成功したらしい。辺りをこあ、レミリアや鈴仙、夜目が利くものが見渡したが、すでに姿はなかった。やむを得ず、彼は手配書で対応する事になる。

 

 準備が終わった頃。カリーヌはルイズに声をかけた。

 

「ルイズ。あなたは日が昇ったら、お客様をご案内しなさい。いいですか、正門から入るのですよ。ヴァリエール家として、正式に迎えなければなりませんからね」

「はい」

 

 つまり、一旦ここで別れて、あらためて顔合わせという訳だ。

 いよいよ出発かと、ルイズは天子達の方へ向かおうとする。するとカリーヌは、最後に一つ。

 

「ルイズ。私はあなたの手紙に、自分がホストとなってお客様をお連れすると書いてあったわね」

「はい」

「今回の騒ぎ。あなたが全員をしっかりお連れすれば、起こらなかったのではないの?」

「えっ……」

 

 すっかり安心していた所に意表。しかも、こればっかりは言い返せない。レミリア達が別行動をとる事は、ルイズ自身も勧めてしまったからだ。アンリエッタの謁見を阻止するため、レミリアのマナー勉強時間を削ろうとして。

 カリーヌは、ルイズのよく知った顔になっていた。怒る時の顔に。

 

「城に帰ったら、その話も聞くとしましょう」

「は、はい……」

 

 厄介事も終わり、ゴタゴタから解放されたと思ったのも、わずかな間だけだった。ルイズ、さっきの気分はもう消え失せていた。

 

 

 

 

 

 日が傾きかけた夕刻。宿場町から、ヴァリエール家の居城へ向かう、数台の馬車。ルイズと幻想郷メンバー御一行様である。城下に入り、しばらく進むと、緋色に染まった城壁と巨大な門が見えてきた。

 フランドールが窓に張り付いて外を見る。

 

「すごいよ!お姉さま。紅魔館よりずっと大きい」

「そ、そう見えるかもしれないわね。ひ、光の加減じゃないかしら?」

 

 レミリア、ほほを引くつかせる。しかも、あえて外を見ない。いや、時々瞼を開けてチラッと見ているが。そのわずかな間に見えるもの。湾曲しているせいもあるが、どこまで続いているのか分からない壁。少なくとも、紅魔館とは比較にならない。レミリアも話には聞いていたが、まさかここまで大きいとは思わなかった。精々一、二回りくらいだろうと。見栄っ張りなお嬢様には、少々ショックな光景である。

 

 すると助け船が出て来る。咲夜だ。笑顔を絶やさず、優しい声で。

 

「お嬢様、これはきっと、城下町を囲む第二の城壁ですよ。そうですよね。ルイズ様」

「…………」

 

 フォローを頼むような咲夜の問いかけ。しかしルイズ無反応。というか、手を組んで神妙な顔をしていた。レミリア達も彼女の方を見る。

 

「ルイズ?」

「え!?な、何?レミリア」

「どうしたのよ、さっきから黙り込んじゃって」

「だ、だって……」

 

 言葉を途切り、外を見る。よく知った正門が目に入る。ついでに、緊張で眉間がかすかにざわめく。

 ますます訳が分からないレミリア達。咲夜が心配そうに尋ねる。

 

「お加減がよろしくないのですか?昨晩は、何かと騒がしかったですし」

「そうじゃないわよ」

 

 ルイズの顔は、相変わらずの余裕がない。レミリアが不思議そうに尋ねる。

 

「じゃぁ、何よ」

「母さまよ」

「それがどうかした?」

「絶対、怒られるわ!母さま、ホント、怒ってたもの!どんなお叱りされるのか……」

「そんなの言い返せばいいじゃないの。そうだわ、決闘で白黒つけましょう。こっちの決闘はまだ見てないし、それも面白そうだわ」

 

 お嬢様、ルイズへの助言がいつのまにやら、自分の希望にすり替わっていた。

 

「出来る訳ないでしょ!あ~、なんであんなしょぼくれた村に、寄ったのよ!」

 

 ルイズ、半ば八つ当たり。しかしレミリア動ぜず。

 

「気が向いたからに、決まってるでしょ」

「う……」

 

 何言い返そうとしたが、やめた。レミリアの相変わらずの態度に気が削げた。それに、ここで喚いた所で状況は変わらないし、彼女が悪いという訳でもない。あえて言うなら、運が悪かったのだ。少なくともルイズに取っては。一応咲夜が、とりなしてみるとは言っていたのがせめてもの救い。

 

 やがて城門をくぐり、居城の正面玄関で馬車は止まる。降りる一行。それを執事のジェロームが迎える。各々は部屋に案内され、これからの晩餐を待つことに。その間、テキパキと動くヴァリエール家の使用人たちを見て、レミリアはちょっと羨ましかったりする。自分所の妖精メイドは、使い物にならないので。もっとも口には出さなかったが。

 

 さて、一方、迎える方のヴァリエール夫妻。妻の無事な帰還に、頬を緩ませる公爵だったが、その後語られた経緯に顔をしかめていた。

 

「皆が無事だったのは何よりだが……。例の異界の者の上に、アルビオンの間者か……」

「間者の方は、牢獄に捕らえ部下に訊問をさせています。ただ間者というには、拍子抜けするほど素直に話してますけど」

「手ごたえのない相手だな。本当に間者なのか?」

「ルイズはそう言ってます。それに、彼らには魔法がかかってるようですよ。そのせいもあるのでしょう」

「異界の客人のか……」

「はい」

 

 ますます難しい顔の公爵。

 異界の住人と直に戦ったカリーヌの話は驚くべきもの。しかもそれが王家の賓客とは。おとぎ話かと思いたくなる。しかし、事実なのだ。仮にも愛妻が体験した事なのだから。

 ヨーカイと呼ばれていた客人、アルビオンの間者、他にもワルドの件などもある。これからの晩餐は、少々気の重いものになりそうだと公爵は頭を抱えた。

 

 晩餐に選ばれた部屋に、一同が集まっている。

 ヴァリエール家からは、公爵、カリーヌ、エレオノール、カトレア、そしてルイズ。一方、幻想郷メンバーは、魔理沙、アリス、レミリア、フランドール、パチュリー、咲夜、こあ、天子、衣玖、文、鈴仙。合わせて16人。さらに執事ジェロームをはじめとした使用人たちが、周りに控えている。相当な人数がこの部屋にいた。

 だがこの部屋、人数にしては少々手狭だった。

 

 ともかく晩餐は始まる。家族構成と名前のみの簡単な自己紹介にはじまり、次々と並べられる料理、他愛ない雑談が続く。母親に怒られるとビクビクしていたルイズも、いたって温和な表情をしているカリーヌに一安心。もちろんカリーヌの笑顔は社交辞令。少なくとも幻想郷の面々は、ヴァリエール家の賓客として迎えているのだから。

 

 ところで、エレオノールとカトレアは、幻想郷メンバーは遠方から来たルイズの恩人で、変わった客としか聞いていない。そのため客を迎える普通の対応をしていた。もっともエレオノールは、いかにも怪しい彼女達に、不信感を抱かずにいられなかったが。カトレアの方はというと、久しぶりに会ったルイズに質問攻めだったりする。

 一方、ヴァリエール夫妻。談笑に交えながらも、観察するように彼女達を見ていた。得体の知れない力を持った異界の者。村人の言った吸血鬼という言葉。だが彼女達は、態度や性格の問題はあるもののいたって普通。吸血鬼と言われたレミリア達も、平然と食事をしている。吸血鬼の友人を持っている二人。この光景を、どう受け止めるべきか正直戸惑っていた。

 

 時間も経ち、一通りコースも終わる。楽しい晩餐もここまで。最後に紅茶が配られた。

 公爵は紅茶を飲み干すと、軽く右手を上げる。それにジェロームが反応。わずかにうなずく。それが合図となって、使用人達のほとんどが、部屋を出て行った。残ったのはジェローム他、わずかなメイド。しかも長年勤めた者ばかり。

 

 部屋の空気が変わっていた。歓迎の空気は霞み、奇妙な緊張感が漂っていた。さっきまで朗らかに会話を進めていた公爵の顔つきも、わずかに引き締まったもとになっている。

 

「ルイズの恩人の方々。父親として、あらためて礼を言わせていただこう」

「気にする事ないわ。私も、ルイズとの付き合いは何かと楽しかったし」

 

 レミリアが代表とばかりに言葉を返す。紅茶を口にしながら。

 

「そう言っていただけると、ありがたい。ただ、一つお聞きしたい事があるのだが、よろしいかな?」

「かまわないわよ」

「ルイズは、どのような恩を受けたのかな?この子は、ハルケギニアに連れ帰ってもらった事は言うのだが、彼の地でどのような恩を受けたのか話さないのでね」

 

 公爵の問いに、思わずルイズは立ち上がった。少し慌て気味に。

 

「と、父さま!えっと……それは……その……!」

「ルイズ。周りをよく見なさい」

「え?」

 

 カリーヌの言われるまま、辺りを見回す。少なくなった使用達。だが誰もが、長年勤めこの家に忠誠を誓ったという者ばかり。すなわち、ここで話した事は外には出ないとい事だ。手狭な部屋を選んだのは、これが理由だった。

 ルイズ。息を飲む。彼女としては、なんとか無難にこの場はやり過ごしたかったのだが。幻想郷では、確かに貴族としてみっともない事もした。しかしそれよりも、彼女達の素性が明らかになる方が不安だった。

 残されたエレオノールやカトレア。こちらは、なんの事情も知らない。彼女達は、余計に混乱していた。

 

 公爵に問われた幻想郷のメンツ。もちろん彼女達も、この部屋の妙な緊張感は感じていた。するとレミリアはカップを置くと、スッと立ち上がる。

 

「回りくどい話し方するのね。それとも、それがこっちのマナーなのかしら?」

「では、話してくれるのかね?」

「と言うより、まずはこれが知りたいんじゃないの?」

 

 言葉が途切れた瞬間。

 少女の背中に羽が現れた。形を成した。赤黒い蝙蝠の翼が。

 

「こあ。あなたも背負ってる物、置きなさい」

「でも……」

「置きなさい」

 

 こあは晩餐の最中でも、なんだかんだと理由をつけてリュックを下してなかった。こあは主の方へ顔を向ける。パチュリーはわずかにうなずいた。

 下されたリュック。そこから出てきたのは、またしても蝙蝠の翼。

 さらにレミリアは文にも注文。

 

「烏天狗。あんたもよ」

「私もですか?まあ、いつもご贔屓にしていただいてるレミリアさんの頼みですから」

 

 今度は現れたのは黒い翼。まさしく烏の羽。

 目を剥く長女と次女。エレオノールは思わず立ち上がる。青い顔をして、レミリア達を指さしていた。

 

「と、父さま!よ、翼人です!こ、この者達は妖魔です!ルイズ!なんてものを招き入れたのよ!」

「ルイズ!これはどういう事なの!?」

 

 猛獣にすら接してきたカトレアも、この異形の存在には不安を抑えきれない。

 しかし動揺している二人に、静かに制止が入る。母親、カリーヌだった。

 

「落ち着きなさい。エレオノール」

「で、でも!」

「席に戻りなさい」

「その……は、はい……」

 

 全く動じない両親。エレオノールは不安げながらも座りなおす。カトレアも気持ちを落ち着かせる。

 カリーヌは、少しばかり口元を緩めると、レミリアの方に視線を送った。

 

「やはり飾りでは、なかったようですね」

「ええ。見えなくできるだけよ」

 

 こうもあっさりレミリア達が正体を明かしたのは、実はルイズから説明を受けていたからだ。ラ・ロシェール戦直後、行軍中の両親に会った時に、つい幻想郷の事を話してしまった事を。実家に招待する以上、その話がおそらく出ると。

 

 カリーヌは娘たちの慌て振りを他所に、落ち着いて問いかける。

 

「ルイズは、あなた方をヨーカイと言いました。それはなんなのです?」

 

 それに答えたのは七曜の魔女。

 

「まずその前に。世界がいくつもある。という概念は分かるかしら?」

「異界ですか」

「分かるなら話は早いわ。私達は、ハルケギニアとは全く繋がりのない幻想郷という土地からやってきたの」

「幻想郷……」

「そこでは、こっちで言う妖魔のようなもの、妖怪から、妖精、神、悪魔、天人……天使のようなもの、そして人間が共存してるの」

「……なんというか、童話のような世界ですね」

 

 そう考えるのは公爵やエレオノール、カトレアも同じ。いや、彼女達の力を直に見てないだけに、余計にそう思った。

 カリーヌの問いにパチュリーが、独り言のように答える。

 

「ま、口で言っても、すぐには理解できないでしょうね」

「ええ」

「実物を見たほうがいいでしょう」

「実物というと……」

「ルイズの言った通りよ。ここにいる私達のほとんどは、人間ではないの」

「……!」

 

 またも妙な緊張感が、この場を包む。それにかまわずパチュリーは話を続けた。わずかに笑みを湛え。

 

「あらためて自己紹介といきましょうか」

 

 彼女達の口から出てきたものは、ルイズを除いた一家には驚くべきもの。吸血鬼に、人外のメイジ、人間のメイジとメイド、悪魔に天使、烏の妖怪、さらに宇宙妖怪。驚きを通り越して、バカバカしいくらい。特にエレオノールは一番奇妙な顔をしていた。驚いているのか呆れているのか表現しづらいもの。顔面神経痛かというように、眉やら頬やらが引くついている。

 一方、それをレミリアは楽しそうに眺めていた。人外と聞いて、ここまで驚く人間を見るのは久しぶりなので。

 

「なんなら余興で、何か見せてもいいわよ」

「うん。それ面白そうじゃないの」

 

 何故かその話に乗る天子。こっちも楽しそう。レミリアは口元を不敵に緩ませた。

 

 ぶわっ。

 

 突如、霧化。姿が見えなくなった。そしてすぐに元へと戻る。

 天子はというと、軽く上を指さした。

 

 どん。

 

 頭の上に2メイルほどの要石が、突然出現。

 

「う、うわっぁ!」

「き、きゃぁぁ!」

 

 さすがの年期の入った使用人達も、いつもの落ち着きはどこへやら。部屋の端へと逃げ出す。だが部屋の中で、一番落ち着きをなくしていたのはエレオノール。椅子からずり落ちると、部屋の端へ脱兎。

 

「と、と、父さま!母さま!あ、あ、あ、あれ!」

 

 叫びなら体を探るが、晩餐なので杖は持ってきていなかった。余計に血の気が引いていく。もっともおかげで、芸を見せたお嬢様と天人は、ますます大喜び。

 動揺と混乱で溢れる晩餐の間。さすがにルイズが立ち上がった。

 

「だ、大丈夫です!姉さま方!レミリア!天子!やめなさいよ!」

 

 彼女の怒声。わがまま人外を放っておいては、収拾がつかなくなる。

 それに合わせるように閃光と轟音。

 天子、電撃で煙を上げて、突っ伏していた。もちろん衣玖の雷。

 

「総領娘様。戯れもほどほどに」

 

 しかし衣玖の電撃は逆効果。余計騒ぎが大きくなっていた。喚くエレオノール、怯えているカトレア、少々引きつり気味な顔の公爵、壁に張り付く使用人達。そして頭をかかえるルイズ。

 幻想郷メンバーの引率者は、喚きたてる。

 

「もう!能力禁止!」

「あら、悪くない余興じゃないの」

「レミリア!」

 

 揺るがぬお嬢様。歯ぎしりするルイズ。状況は余計悪化。

 すると、すかさず咲夜がレミリアに耳打ち。

 

「ホストを不快になさるのは、スカーレット家当主としての品格が疑われますわ」

「うっ……」

 

 お嬢様の表情が急に冷めていく。やがて落ち着いた風情を見せた。席にゆっくり座る。額に汗を浮かべ、ごまかすように紅茶を一口。

 

「ちょ、ちょっとはしゃぎすぎたかしら。失礼したわ」

「…………」

 

 あきれる他の幻想郷の面々。対する、わずかばかりに落ち着きを取り戻すヴァリエール家一同。その中で、最初に公爵が口を開いた。

 

「いや、その……十分伝わったよ。幻想郷とやらは。うむ」

 

 なんとも微妙な笑みを浮かべている。無理矢理、場を和ませるような。

 しかし、それで治まらなかった者が一人いた。落ち着きを取り戻したエレオノールだ。

 

「と、父さま!あのような者たちを、客人として迎えていいのですか!ヨーカイだかなんだか知りませんが、人間でない事は確かです!トリステインの公爵家として……」

「もう決めた事だ」

「でも!」

 

 引かないエレオノール。彼女自身は特に信心深いという訳ではないが、それでも人外を公爵家が迎えるというのには抵抗があった。むしろ一般的なハルケギニアの人間の反応だった。だが、そこに薄ら笑いを浮かべる烏天狗。

 

「おや?こちらでは、人外を迎えないのですか」

「あ、当たり前よ!王家に繋がる我が家が、訳のわからない者たちを迎え入れる訳にはいかないわ!」

「おかしいですねぇ。先ほどまで……」

 

 文がそこまで言いかけたところで、公爵の強い声が届く。

 

「ミス・シャメイマルアヤ」

「何でしょう?」

「ここは控えてもらえないかな」

「……。ま、いいでしょう。借りを一つという事で」

「うむ。娘が失礼した。あなた方は我が家の客人だ。出来うる限りもてなそう」

 

 公爵は両手を大きく広げ、歓迎すると言いたげな態度を取る。不満そうだが、黙り込むエレオノール。当主である父が言うなら、従うしかなかった。

 文が言い出そうとしたのは、ダルシニとアミアス、双子の吸血鬼について。公爵夫妻は、彼女たちについて娘達に話していなかったのだ。弱みを突いてくるのは、さすがはパパラッチか。

 

 今度はレミリアが口を開く。

 

「じゃぁ、非礼の詫びという訳ではないのだけれど、さっそく一つ頼みを聞いてくれないかしら?」

「何かな?」

「血をいただけない?」

「!」

 

 落ち着きかけた空気が一斉に、張りつめる。しかし、それに平然と答える少女が一人。ルイズだ。雑談でも交えるように語る。

 

「なら、私の血あげるわよ」

「ル、ルイズ!あなた何、言い出すの!」

 

 カトレアが慌てて、止めに入る。無理もない。ハルケギニアに住んでいる者なら、吸血鬼が血を貰うという意味は、誰もが分かっていた。だが、ルイズに慌てる様子はまるでない。

 

「大丈夫よ。ちい姉さま。レミリア達は、人に牙立てたりしないし」

「え?」

 

 呆気にとられるカトレア。ヴァリエール一家も皆、同じ。咬みつかずに、どうやって血を吸うというのかと。そんな一家を余所に、レミリアは首を振る。

 

「悪いけど、相手はこっちで指名させてもらうわ」

「何でよ」

「ちょっと、確かめたい事があるのよ」

 

 レミリアに、いつものいたずらっぽい仕草が見えない。ルイズは少し首を傾げた。彼女の知っているレミリアらしくないと。

 当の吸血鬼は、目線を探るように動かす。使用人達やエレオノールやカトレアは少々、怯え気味。そして目当てを口にする。

 

「まずは魔理沙」

「おいおい、なんで私なんだよ」

「いいじゃないの。散々ウチに迷惑かけてきたでしょ。たまには借りを返しなさい」

 

 不満そうにうでを組む魔理沙。パチュリーからも文句を言われ、諦める。一方、一安心のヴァリエール一同。しかしそれで終わりではなかった。

 

「次にカリーヌ」

「私?」

「頼めるかしら?」

 

 一瞬、ルイズの方へ視線を向けるカリーヌ。娘の顔に不安はない。すぐにレミリアの方へ戻した。

 

「いいでしょう」

「か、母さま!」

 

 エレオノールやカトレアが慌てて叫ぶが、それを軽く制止。

 吸血鬼の指名はまだ続いた。

 

「最後にあなた」

 

 指差した先にいたのは、ただの中年メイド。すかさず公爵が声を挟む。

 

「待ってくれ。どういう理由からかな?」

「メイジじゃないからよ」

「メイジじゃない?」

「ええ。ともかく安心していいわ。別にどうかなる訳じゃないから。少なくとも死にはしないわ」

「……。信じよう」

 

 うなずいたものの、公爵には今一つレミリアの意図が見えない。

 しかし、パチュリーやアリスには分かった。シェフィールド達を尋問していた時、彼女の血をフランドールが飲んだ。彼女はそれを吐き出したのだが、その時は毒を仕込まれたと思った。だが、よく考えればそんな隙はなかった。そこで、レミリアは何か別の理由を察したのだろう。彼女はそれを確認しようとしているのだと。

 

 レミリアは、わずかに忠実な従者に顔を向ける。

 

「咲夜。お願い」

「かしこまりました」

 

 紅魔館のメイド長はおごそかに礼をした。すると一瞬姿が消える。次に現れた時には、小さなケースを持っていた。またもや長女と次女、使用人は騒ぎ出す。しかしここまで来ると、もう目の前の存在を受け入れざるを得ない。人間とか妖魔とかいう括りとは、別の存在があるのだと。

 

 そして咲夜は注射器で採血を粛々と進める。まずは魔理沙、そしてカリーヌ、最後にメイド。従者の作業はスムーズに完了。吸血鬼が血を吸うというハルケギニアの住人にとっては恐怖の儀式だというのに、あまりにもあっさり終わってしまい、今度は拍子抜けの一家。

 

 やがて、お嬢様の前に三つのグラスが置かれた。魔理沙、カリーヌ、メイドの血である。レミリアは見極めるように、それぞれのグラスに見つめる。

 

「見た目はそう変わらないわね」

 

 やがてグラスを一つ手に取った。まずは魔理沙の血の入ったものから。一口含むと、すぐにいかにも嫌そうな顔。

 

「魔理沙……、あんたいつも何食ってんのよ。妙なきのこ食べてんでしょ」

「健康になるきのこだぜ」

「健康ねぇ……」

 

 お嬢様、二口ほど飲むと、グラスを置いた。するとすかさず妹が、それを横取り。

 

「お姉さま、もらっていい?」

「いいわよ。口に合わないから」

 

 一気に飲み干すフランドール。そして笑って一言。

 

「魔理沙。不味いね」

「うるせぇ」

 

 憮然と返す白黒魔法使い。

 次にレミリアが手にしたのはカリーヌの血。同じく口に含む。

 

「うっ!?」

 

 さっきよりあきらかに顔をしかめていた。抹茶ジェラードと、わさびの山を間違えたくらいに。

 すぐに手を従者の方へ差し出す。その上に置かれたのはハンカチ。レミリアは、血をすべてハンカチに吐き出した。そして口直しとばかりに、水を飲み干す。

 最後に残ったメイドの血。口にした彼女のリアクションはまたも同じ。水のお代わりをメイド長に要求する。

 

 その様子を見ていた、公爵一家一同は誰もが首を傾げるばかり。訳が分からない。カリーヌが口を開いた。

 

「何をなさっているんです?」

「ちょっと確認をね」

「血に何か問題でも?」

「つまり、あなた達、ハルケギニアの人間の血は飲めたもんじゃないって事よ。そうね、牧草食べさせられてる気分とでもいうのかしら。不味いどころではないわ」

 

 どう受けて止めていいか困る答え。自分達、人間の血がマズイとは。吸血鬼が血を飲めないというのは、ありがたい事なのかもしれないが。

 レミリアは口元をハンカチで拭きながら、話を続ける。

 

「こっちの吸血鬼も私達と大分違うようだし。存外、人間も違うのかもしれないわね」

「…………」

 

 人間が違う。いや、人間すらも違う。異世界とはそういう事なのかと、公爵とカリーヌは息を飲む。

 

 パチュリーはその脇で目を細めていた。同じく人間も違うというキーワードに反応して。

 その時、何故か思い出した事があった。ルイズが幻想郷に現れたのは、召喚されたという訳ではない事を。七曜の魔女は、同時に浮かんできた奇妙な疑問に、戸惑いを覚えていた。

 

 

 

 




描写少し修正しました。


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家族

 

 

 

 

 異界の住人を受け入れたヴァリエール家。翌日、一家は少々気疲れ気味な朝を迎えていた。もちろん前日の晩餐でのヨーカイの件もあるが、さらに続きがあったからだ。

 

 幻想郷の話が終わった後もイベントは盛りだくさん。ルイズの婚約者ワルドの裏切りの報告や、吸血鬼姉妹ダルシニとアミアスとの関わりの告白と、騒ぎは続いたのだった。

 前者についてルイズはショックを受けていたものの、それほど大きくはなかった。婚約者だがワルドとはここ十年まともに会っていない。憧れの人物だったとは言え、どこか物語の人物のような茫漠としたイメージしかなかったせいだろう。もし最近会っていれば、違った印象を持ったかもしれない。だが、会う機会があったアンリエッタの学院訪問時には、ルイズは幻想郷に飛ばされ会えず仕舞い。ルイズが戻って来ても、その時点でワルドはすでにアルビオンにおり、やはり会えなかった。この偶然は結果論だが、彼女にとって悪くはなかった。

 後者については、エレオノールの方がショックを受けていた。無理もない。相手は、異界のヨーカイどころか正真正銘の妖魔だ。しかもよりによって吸血鬼。それと敬愛する両親が長年懇意にあったというのだから。動揺して喚きたてる彼女を落ち着かせるのに、かなり手間がかかった。もっとも幻想郷メンバーは、それを面白がっていたのだが。

 カトレアの方はというと、どちらも意外に冷静に捉えていた。元々籠りがちでもあり世情に疎いためかもしれない。そしてずっと城にいた彼女。まれに両親が深夜に離れに向かう所を見かけていたので、ダルシニ達の事は薄々感づいていたのもあった。

 

 朝食も終わり一段落ついた頃、カトレアのベッドの横に二人の姿があった。ルイズと鈴仙である。カトレアが不安を湛え尋ねてくる。

 

「本当なの?」

「安心して、ちい姉さま。でしょ?鈴仙」

 

 ルイズは胸を張って答えた。

 彼女達がやってきたのは他でもない、カトレアの治療のため。生まれつき体の弱い彼女を、ルイズは治せると言う。しかし、当のカトレアは半ば信じられずにいた。今までも何人もの医者が見たが、全員がお手上げだったのだから。だが、わずかな期待もあった。なんと言っても異界の者。ハルケギニアの医者では無理な事でも、可能かもしれないと。

 

 ルイズに問われたうさぎ耳の宇宙妖怪は、強くうなずく。

 

「はい。ウチの師匠に治せない病気なんてありませんから」

 

 こうは言ったが、鈴仙にとって気にかかる点がなくはない。昨日、レミリアが言った幻想郷とハルケギニアの人間は違うらしいという話。もっとも、妖怪の病気でさえ治す永琳。幻想郷の人間とは違ったとしても、なんとかしてしまうだろうとも考えていた。

 

 ともかく作業に入る鈴仙。ケースから注射器を取り出した。カトレアが透明の筒をしげしげと見つめる。

 

「昨日、吸血鬼……、いえ、あなた方が血を取るために使ったものと同じですか?」

「はい。注射器です」

「血を取るんです?」

「血からは、いろんな事が分かるんですよ」

「そちらでは、そういう診察をするんですか?」

「他にもいろいろありますよ。これは基本的な方法の一つです」

「そうなのですか」

 

 感心しながらうなずくカトレア。少し興味が湧いて来たのか、彼女は物珍しそうに鈴仙の作業を見守る。採血はあっさりと終わった。検体に固定化をかけて収納。師匠からの言付けの一つを完了する。ルイズの表情が自然と緩んでいた。長年気にしていた姉の体がようやく治るのだ。無理もない。

 

 作業が済み、やがてカトレアの部屋を出ようとする鈴仙。ドアの側まで来ると、ふと振り向いた。

 

「え、えっと……ルイズ?」

「ん?何?」

「ちょっと、話があるんだけど……」

「……分かったわ」

 

 ルイズは、姉について何か問題があるのかと、少しばかり不安を抱えつつ部屋を出る。廊下に出た二人。鈴仙は申し訳ないような顔つきだった。息を飲むルイズ。

 

「話って何?ちい姉さまの事なら、正直に話して。隠す事ないわ」

「いえ、カトレアさんの事じゃなくって。実は、『始祖のオルゴール』についてなんだけど……」

「え?」

 

 予想外のキーワードが出てきて、呆気に取られるルイズ。『始祖のオルゴール』については、カトレアはもちろん、鈴仙にも関わりない物品。そんなものの名前が出て来る理由が分からない。戸惑っているルイズを他所に、辺りを気にしながら鈴仙は言葉を続ける。

 

「今、『始祖のオルゴール』って魔理沙が預かってるんだよね?」

「ええ。『風のルビー』とセットで。虚無関連を研究するから、しばらく貸してくれって。本当はすぐに王宮に持っていきたかったんだけど、パチュリーも見たいって言うから許可したけど」

「もしも、もしもの話よ。魔理沙とパチュリーが幻想郷に持って行って、じっくり調べたいって言ったらどうする?」

「ダメに決まってるでしょ!いつ戻って来るか分からないもの。だいたい始祖の秘宝は、世界の秘宝って言っても過言じゃないわ。すぐにでも返してもらいたいのに、幻想郷に持ってくなんて論外よ!」

「で、ですよね~」

 

 歪んだ作り笑いの上、丁寧語で返す鈴仙。どうにも不自然。ルイズ、首を傾げる。

 

「でも、なんであなたがオルゴールの事、気にしてんの?」

「あ、いえ、その……、魔理沙がそんな事言ってたような……いないような……」

「ホント!?全く、あいつは……。ちょっと釘指しておくわ」

「いえ、その!勘違いかも……しれな……」

 

 鈴仙の言葉は届かず。ルイズはずんずんと廊下を進んで行った。おそらく魔理沙の元へと。残ったうさぎ耳は引きつった表情。頬が痙攣おこしている。

 

「しまった……。余計な事、言っちゃった……」

 

 鈍い後悔と共に肩を落とす。

 実は、彼女にはまだ仕事が残っていた。頭の痛くなる仕事が。師匠、八意永琳からの命令、ハルケギニアの宝を入手せよという難題が。そのターゲットが『始祖のオルゴール』という訳だ。どう持って行くか頭を悩ましていたのだが、今の会話で選択肢がなくなった。ルイズが魔理沙を問い詰めても、覚えがないと言い返すだろう。すると逆に、鈴仙が怪しまれるのは確実。何故、『始祖のオルゴール』を話題に出したのかと。もはや後戻りはできない。

 

「こ、こうなったら、やるしかないよね」

 

 決意に口を堅く結ぶ。もっとも泥棒の決意だが。

 やがて、鈴仙はすでに見えなくなったルイズに、手を合わせ深々と詫びを入れた。そして二、三の下準備の後、ヴァリエール家の居城を去る。今は誰もいない幻想郷組のアジトに向かって。

 

 

 

 

 

 日が傾きはじめた頃、ルイズは両親に呼び出される。そして数年来の場所にいた。カリーヌのマンティコアの背中に。母に連れられ、この背に乗ったのはいつ以来か。さらにこうして風竜に乗る父を見たのもいつ以来か。

 だが親子三人、水入らずで遠出、という雰囲気ではなかった。おかしな緊迫感が漂っている。ルイズの体中に走る嫌な予感。冷や汗がじわっと背中に浮いていた。

 

 目的地にほどなくして着く。そこは、ルイズにとって見覚えのある場所。当然である。ここは昨夜、レミリア達とシェフィールド、カリーヌ達が戦った村なのだから。

 公爵が下を見下ろしてポツリ。

 

「これはまた……。随分と派手にやったものだな」

 

 風竜の上から、呆れた声が漏れて来る。その表情は憂いを通り越して、笑うしかないというふう。無理もない。村は散々な有様だったのだから。

 レミリアvsシェフィールド戦での魔法の流れ弾。さらにカリーヌ戦での魔法とパチュリー、アリス達の弾幕。最後のルイズ達の包囲攻撃、特に天子の地震。ここはただの農村だ。民家はそう強い作りはしていない。こんな災難をいくつも受けては、無事で済むはずがなかった。中には被害の大きな家もある。

 ルイズは村を見渡しながら青い顔。益々被害を実感。やはりレミリア達から目を離すべきではなかったと、後悔が頭をぐるぐる回る。

 

 やがて一行は地上に降りる。

 村ではすでに復旧作業が始まっていた。村人はもちろん、公爵も兵をいくらか出しその手伝いをさせている。その中から一人、村長らしき人物が近づいてきた。やがて公爵夫妻と、挨拶がてらの会話をいくつか交わす。その後、夫婦はルイズを連れて、村の外、畑に向かった。そこも戦いの現場であった。

 あちこちえぐられた地面。錬金で作られた土壁。無数の小さな穴。そして大穴。公爵は辺りを見回しながら、眉間に皺を寄せる。

 

「かなり激しい戦いだったのか?」

「というよりは異様と言うべきでしょうか。いろんな戦いを経験しましたが、あのようなものは初めてですわ」

 

 カリーヌは、足を進めながら答える。公爵もそうかと一言返すだけ。昨日の晩餐で、素性を明かした異界のヨーカイ達。力のほんの一端しか見ていないが、その纏う気配だけでも尋常ではない事が感じ取られた。それが発揮されたのだ。この戦いの場では、想像し難い出来事があったのだろう。それだけは彼にも理解できた。

 

 やがて三人は畑の端、森の近くにたどり着いた。大穴の側。ルイズの『エクスプロージョン』の痕だ。それを覗き込む三人。公爵が呆れとも感心とも取れる声をこぼす。

 

「これも彼女達の仕業か……。一体、どんな魔法だったのだ?」

「いえ、これはあの方々ではありません。ルイズの爆発で空いたのです」

「ルイズが?」

 

 思わず愛娘の方を振り向く父親。驚きを匂わせる表情で。それにルイズは小さくうなずく。公爵は聞きづらそうに尋ねた。

 

「これはその……。魔法を失敗したのかな?」

「えっと……」

 

 なんとも答えづらい。ルイズの爆発と言えば、ヴァリエール家では魔法の失敗と同義。公爵の問いかけが、こうなるのも当然だ。だがルイズは、言葉を濁しながら小さくなるだけ。

 すると今度は、カリーヌがルイズの方を向いた。その表情はどこか張りつめている。怒る時とはまた違う緊張感をルイズは感じた。

 カリーヌはゆっくりと話を始める。

 

「ルイズ。確か手紙では、ようやく魔法に目覚めたとあったわね。火の系統だとか。さらに学院長からの手紙では、その腕前はまだまだ、ドットの初歩の初歩だと。ですがそれでは、とてもこのような爆発は起こせません」

「そ、それは……その……」

「それとも実は、まだ魔法に目覚めておらず、相変わらず魔法は爆発ばかりなのかしら?」

「あ、あの……」

「それに今手にしている長い杖。前のものはどうしたの?」

「えっと……」

 

 相変わらず、歯切れの悪いルイズ。

 虚無の件は、アンリエッタから伏せるように言われている。だが、この母を前にして、うまくごまかす方法が思いつかない。今はかつてのように、母に怒られた時と同じ姿。幼い頃のそれ。猫に部屋の隅に追いつめられたネズミのよう。

 だがその時、ふと奇妙な心持ちに包まれる。どこかで味わった感覚が湧き上がる。デジャブとでも言おうか。心に刻まれたものを呼び起こす。脳裏に記憶が蘇る。それは異界、幻想郷での出来事だった。そう、自分はハルケギニアの妖魔とは比較にならない連中と、遣り合っていたのだと。はるかに及ばない力で強大な連中と。今の胸の内にあるものは、あれに似ている。そんな感覚に襲われていた。そして思い出した。あの時どうしたのか。彼女は思い出した。

 ルイズ、開き直る。あの時と同じく。

 

「申し訳ありません!火の系統に目覚めたというのは嘘です!でも理由を言う訳には参りません!」

「父さまや、この母にもですか」

「はい!」

 

 毅然と返す。その態度に両親は少しばかり驚きを覚えていた。カリーヌに責められた時は、いつも萎縮してばかりだったルイズが、こうして真っ直ぐ正面を向いて言い返してくる。しかもその言葉には揺らぎがない。

 カリーヌは表情を変えずに尋ねる。

 

「あの方々達との約束?」

「違います」

「では誰ですか?」

「口にはできません」

「そうですか」

 

 静かに目を閉じるカリーヌ。今の会話で、それを隠すよう頼んだのが誰なのか察しがついた。同時に以前なら、娘はもう少し違う答え方をしていただろうとも思っていた。

 すると、カリーヌのさっきまであった少し張りつめた面持ちが緩む。

 

「ルイズ。あなたはエレオノールがどこに勤めているか知ってる?」

「え?それはもちろん。アカデミーですが……」

「そうね。あ、いえ、やめましょう。ミス・スカーレットに回りくどい言い方がハルケギニアのマナーか、なんて言われていたものね」

「?」

 

 カリーヌは自嘲するような笑みを漏らす。話題が突然変わったり表情を緩めたりと、母親の変わり様に戸惑うルイズ。やがてカリーヌは娘に向き直った。

 

「ルイズ。あなたが目覚めた系統。それは火の系統ではなく、虚無ですね?」

「え?ええ!?そ、それはその……!」

「どうして分かったか教えましょう。大した理由ではないのよ。つまりエレオノールがアカデミーの研究員という事。ガンダールヴのルーンを見て、あの子が気づかないと思ってたの?」

「……!」

 

 ルイズの目が大きく見開かれる。

 実は昨日の晩餐。幻想郷メンバーの紹介の途中で、天子がルイズの使い魔である事も明かした。もちろん証拠となるルーンを見せて。その時、エレオノールが怪訝な顔をしていたのだった。だがその後のワルドの件や、ダルシニ達の件があったせいですっかり忘れていた。

 アカデミーは魔法の研究機関。しかも儀礼的なものに重きが置かれている。始祖ブリミルに関する魔法、虚無については、まさしくし重要テーマの一つだった。エレオノール自身は虚無の専門家という訳ではないが、アカデミー研究員の一般常識としてある程度の事は知っていた。晩餐の時に引っ掛かりを感じた彼女が、自宅に置いてあった資料で調べたのだ。その後、ルーンの正体を両親に伝えたのである。

 

 カリーヌは表情を戻すと、また問いかけて来る。

 

「それにラ・ロシェール戦後の伝令で、あなたは陛下のお側に控えていただけと言ってましたが、実は戦闘に参加しましたね」

「その……はい……」

「それは、陛下の命ですか?」

「いえ、自分から言い出しました。あの時は、それしか勝つ方法はないと考えたからです」

「虚無とは言え、戦った事もないのにも関わらず?」

「そうです。でも、あの時は……みんなもいたので……」

「幻想郷の方々?」

「はい」

「フッ……。やはりそうなのね」

 

 しみじみとうなずくカリーヌ。公爵も納得顔。

 カリーヌへ勲章授与の噂が耳に入った時、公爵夫妻は真相を予想したが、その読み通りだったという訳だ。

 次に尋ねて来たのは父親の方。

 

「ルイズ。一つ聞きたい」

「はい」

「虚無というのは、いろんな意味で大きな力だ。今度それをどう使う?」

「…………。正直、今の私には何かハッキリした目標がある訳ではありません。ただ大切なものを守るためには使います」

「…………」

 

 まじまじと愛娘の顔を見つめる公爵。だがしばらくして、急に表情が崩れた。

 

「フッ。ははは」

「な、何が可笑しいのですか!?」

「いや、すまない。まさか、こんなふうに素直に言うとは思わなかったんでな。もう少しこう、忠義とか貴族の矜持とか堅苦しい言葉が出て来るのかと思ったんだが」

「……」

 

 半ば拗ねたようにルイズは黙り込む。ただ言われてみれば、父親の言う事も当たり前だ。むしろ何故、その言葉が口を突いて出てこなかったのかが不思議だった。以前なら、当たり前に浮かんだ貴族という言葉も、頭の中になかった。だが理由はすぐに思いつく。今日までの異質な経験が自分を変えたのだと。だが今の心持ちは、ルイズにとっては悪くない。

 

 公爵はルイズに近づくと、両肩に手を乗せる。こういう時はいつもあたまを撫でていたのだが、今はそうではなかった。公爵は真っ直ぐに愛娘の方を見る。

 

「ルイズ。お前の考えは悪くはない。悪くはないがそれだけを理由にするには、虚無の力は大きすぎる。やがては確固たる信念を持ってもらいたい。そのために様々な経験をし、学ぶがいい」

「はい」

「もっとも、すでにいろんな所に足を延ばしているらしいな。そのせいで、成績が下がっているのはいただけないが」

「あ、あの……その……、それは……」

 

 言い訳できず、小さくなるルイズ。あながち公爵の指摘は、的外れでもないので。幻想郷の悪友がろくでもない事に巻き込んでくるのは事実だし、それが成績に影響しているのも事実だった。例えば、トリスタニアに遊びに出歩いている機会が増えてしまっているとか。

 

 やがて話も一旦落ち着く。公爵は腕を組み、感服したかのように首を揺らしていた。

 

「それにしても、ルイズがそんな事を言いだすようになるとはな。いったい幻想郷とやらで何があったのだ?今度、話してもらえないか?」

「はい。喜んで!」

 

 大きな笑顔がルイズにあった。この村に来た時はてっきり怒られるのかと思ったが、あったものは予想とは違うもの。むしろ今は気持ちがいい。そして両親にかわいい末娘としてではなく、一人の人間として何かを受け入れられた、そんな気がしていた。

 

 やがて三人は村の方へ顔を向ける。息を一つ吐き、気持ちを切り替える三人。するとカリーヌが口を開いた。

 

「さてと、もう一つの最後の件もさっさと済ましましょう」

「まだ、何かあるのですか?」

 

 明るい声で返すルイズ。カリーヌは変わらぬ表情で一言。

 

「罰ですよ」

「えっ?」

 

 ルイズ、顔が止まる。想定外の言葉に。カリーヌは、ルイズが唖然としているのを無視。

 

「言ったではないですか。あなたがお客様から目を離したから、あのような事が起こったのではと。あの時あなたが居れば、私達も杖を振るわずに済んだでしょうに」

「その……」

「それに成績についても、見過ごす訳にはいきません」

「あの……、は、はい……」

 

 さっきまでの晴れやかな心持ちはどこへやら。すっかり気分は奈落の底。カリーヌは厳しい視線を向ける。

 

「ルイズ。あなたは、この村の復旧を手伝いなさい。少なくともまともに住めるようになるまでは、ここを離れる事は許しません」

「えっ、え~!!か、母さま、ちょっと待ってください!学院に出した休暇願は、そこまで長く取ってません!」

「では、延長すると学院に手紙を書きなさい」

「え!?で、でも……。じ、実は、出席日数がちょっと危ないので……」

 

 慌てふためきながらの言い訳。痙攣でもしたかのように、両手が怪しい動きをしている。

 だがルイズが必死になるのも無理ない。前回の休暇、アンドバリの指輪奪還の時も、一日無断欠席しているのだ。しかもオスマンから、今回の休みには嫌味を言われている。にも拘わらず延長するなんて事をしたらどうなるか。少なくとも生活態度にマイナスポイントが付くのは間違いない。さらに成績も多少落ちている。出席日数が今以上悪化すると、下手をすれば落第。

 しかし両親は意に介さず。

 

「ならばできる限り急ぐしかないわね。ただし、手を抜いてはなりませんよ」

「そ、そんなぁ……」

「工夫をなさい」

「…………」

 

 足元がふらつくルイズ。頭の中はどうする?というキーワードが何度も繰り返される。しかしいい知恵は一つも浮かばない。一方、公爵夫妻は何食わぬ態度で、来た道を戻り始めた。

 

「さてと、帰るとしましょうか」

「そうだな。ルイズ。今度は私の風竜に乗せてやろう」

「…………」

 

 ルイズの耳には、父親の声が届いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 夕食も終わり、各々自由に時間を過ごしていた。パチュリー、魔理沙、アリス、そしてこあの四人は城内にあるちょっとした小部屋でくつろいでいる。ヴァリエール家のメイドが用意した紅茶を味わいつつ。

 アリスがカップを置くと、ポツリとつぶやいた。

 

「鈴仙、ホント帰っちゃったみたいよ。何も言わずに帰る事ないでしょうにね」

「一応、書置きはあったけど」

 

 パチュリーは本から目を離さず答える。

 昼食に鈴仙を呼んだ所、姿が見えなかった。そこで彼女の部屋に訪れると書置きが一枚。治療の都合で、一旦廃村のアジトに戻らないといけないと書かれていた。全員一応それを受け入れたのだが、誰もが違和感を拭えずにいる。

 そこに魔理沙の不満そうな声。

 

「けど、なんで私等が『始祖のオルゴール』を幻想郷に持って行くなんて言ったんだ?」

「そんな話、した事ないのにね」

 

 同意する紫魔女。そこにアリスが疑問を一つ。

 

「なんか彼女らしくないわよね」

「そうね」

 

 鈴仙はルイズに対し、魔理沙やパチュリーのありもしない話を吹き込んだ。だが彼女はどちらかと言うと、常識人で素直な性格と誰もが思っている。永遠亭の妖怪うさぎならともかく。どこか不自然な鈴仙の行動に、様々な考えを巡らせる。

 だが、それを断ち切るように突然扉が開いた。

 

「あ、ここにいたんだ」

 

 ドアの向こうにいたのはルイズ。一斉にピンクブロンドへ視線が集まる。いつもより少しばかり暗い顔。魔理沙がまず声をかけた。

 

「ん?なんか用か?」

「…………」

 

 だがルイズはまごついたように、口を開かず。すごすごと部屋へ入って来る。普段と違う彼女の様子に、魔女達は怪訝な表情。

 

「どうしたんだよ。かーちゃんに怒鳴られたのか?」

「いや、まあ、その……近いと言えば近いんだけど……」

「らしくないな。ハッキリ言えよ」

 

 白黒魔法使いの言葉に、ルイズ、腹を括った。一つ深く息を吸う。

 いきなり勢いよく手を組む。組むというよりは、一拍、手を打ったという方が近いが。そして、祈るような瞳を向けた。

 

「お願い!頼みがあるの!」

「なんだよ。あらたまって」

「実は……」

 

 そこからルイズの話が始まった。レミリア達との戦いがあった村を復興する、という役目、というか罰を受けたと。とてもルイズ一人では無理なので、手を貸してほしいという話だった。

 これがルイズの絞った知恵。一人では無理である以上助けを呼ぶしかない。そしてここには異界の友人達がいる。ただ気にかかっていたのは、彼女達が打算的だという点。しかし取引材料もないルイズは、正面から素直に頼む事にした。彼女達を信じてみた。

 

 しばらく考え込む一同。そして最初に紫魔女が口を開く。

 

「ま、いいわ。事の切っ掛けは私達だし。それにこの城にずっといるのも暇だしね。で、こあは当然として、魔理沙とアリスは?」

「私は別にいいわよ」

「構わないが、手伝うったって、私は何もできねぇぜ。建築は素人だしな」

「何かあるでしょ。人手は多いに越したことはないわ」

 

 ルイズの予想に反して、意外にあっさり話はまとまる。単に暇つぶしなのか、何か得を見つけたのか、それとも……。とにかく今のルイズの胸の奥には、湧き上がるものあった。思わず声を上げていた。

 

「みんな、ありがとう!」

 

 その言葉に、わずかに笑みを浮かべる魔女達。さらにパチュリーが言葉を続ける。

 

「レミィ達はどうするの?」

「やめとくわ。素直に言う事聞いてくれればいいんだけど、レミリアの事だもの。場を仕切ろうとしそうじゃない?混乱するだけな気がするわ」

「かもしれないわね。それにあの子達が参加したら、ルイズ寝る暇ないし」

「え?」

「だってレミィ達は夜行性よ。彼女達、監督しとかないといけないでしょ?昼は昼で、人間達が作業するんでしょうし」

「確かに……。体が持たないわ……」

 

 ルイズ、レミリア達には城で大人しくしてもらおうと決める。その時、魔理沙が何かを思いついたという具合に指を弾いた。

 

「そうだ。文、巻き込もうぜ」

「文?なんでよ。逆に邪魔になるでしょ」

「ああ見えても、建築の腕があるんだよ。元上司は、建築の専門家だったしな」

 

 烏天狗は、個人の差はあるが建築技術を持っている。ちなみに元上司とは鬼。鬼の建築技能は多くの伝承が残るほど、卓越したものだった。

 だがこれを聞いて、腕を組んで黙り込むルイズ。あの厄介な新聞記者に、手伝いをさせるなど可能なのか。弾幕ごっこで決めるという手段もあるが、正直ルイズは勝てる自信がない。側で何度も文の動きを見ていたので。

 

 その時、ふと閃いた。ルイズ、頬を吊り上げる。

 

「いい手があるわ」

「ん?なんだよ」

「任せておいて」

 

 並ぶ魔女たちの不思議そうな顔を置いて、すぐにルイズは文の元へ直行。さっそく依頼する。

 

「は?なんで私が?」

 

 文の予想通りの解答。快諾という具合になる訳もない。ルイズ、すかさず閃きを披露。

 

「あなた、あのダルシニとかいう吸血鬼達とインタビューの約束したでしょ」

「はい」

「でもあの二人は、父さまと母さまの預かりって事になってるわ。まず二人に話を通すのが筋じゃないかしら。手伝いを引き受けてくれたら、私が繋ぎをしてもいいわよ」

「ほぉ……」

 

 薄ら笑いを浮かべている烏天狗。何やら余裕のある顔つき。

 おかしい。読みそこなったのかと。ルイズの脳裏に不安が湧き上がってくる。すると文は、勝ち誇るように話し出した。

 

「実はですね。もうインタビューは済ましてしまったんですよ」

「え!?」

「ですので、ルイズさんの条件は使えませんね」

「そんな……」

 

 ルイズ、力が抜ける。もはや打つ手なしか。しかし、文の顔つきはどこか清々しい。

 

「話は最初に戻りますが、何故私なんです?」

「だって……建築が得意って聞いたから……」

「そういう話ですか。いいですよ。手貸して」

「ええっ!?」

 

 思わず身を乗り出してしまうほどの驚き。条件なしで、この烏天狗が依頼を聞くとは。だがすぐにルイズの表情が曇る。

 

「もしかして……何かやらかした?」

「酷いですね。そこまでケチ臭いと思われてるとは」

「だって、いつもならただで頼み聞きそうにないし」

「基本的にはそうです。でもルイズさんの頼みですしね。それに、あなたに付き合って方々を取材できたのも確かなので、それを返してるとでも思ってください」

「文……。ありがとう!」

 

 ルイズは嬉々として、思わず彼女の手を強く握った。対する文も、実質ただ働きの割には、そう悪い気分ではなかった。

 その後、天子と衣玖の了解も取り付ける。天子の方は半ば命令だったが。廊下を胸をなでおろしながら自室に戻るルイズ。これで万全、と思われた。だが、目の前にトラブルが出現。吸血鬼姉妹とメイドが。

 

「ルイズ!」

「レ、レミリア……」

 

 思わず、引きつった顔で後ずさり気味のルイズ。

 

「な、何かしら?」

「この私に黙って、面白そうな事しようとしてるじゃないの」

「な、何のことかしら?」

「村、作るんでしょ?」

「え……」

 

 幻想郷の他のメンツには、漏らさぬよう言っておいたのに何故かバレていた。微妙に内容はズレていたが。ともかく丸く収まりそうだったのに、新たな問題はなんとしても避けたい。そんなルイズの心中を他所に、お嬢様はまるで遊びに行くかのように言う。

 

「私もやるわ」

「やるって、土仕事よ?あなたのような貴族がやる作業じゃないわ」

「あなたも貴族でしょ」

「う……」

 

 返す言葉のないルイズ。なんとか興味を逸らしたいが、いいアイディアが思いつかない。するとレミリアの視線がわずかに曇る。

 

「もしかして、私を仲間はずれにしたいのかしら?」

「そ、そんな訳ないじゃなの。そ、そうね。いっしょにやってくれるならありがたいわ」

「うん。なら決まりね」

 

 吸血鬼のお嬢様は、楽しそうに口元を緩める。

 一方、そんなレミリアの手を笑顔で握るルイズ。脳裏に浮かぶは、数日間徹夜確定の未来像。胸の内で、がんばれ私と叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 公爵が寝室で本を手に、寝るまでの時間を潰している。すると静かに扉が開いた。入ってきたのは愛妻、カリーヌ。

 

「どうやらルイズは、うまくやったようですよ」

「ほう。結局どうしたのだ?」

「幻想郷の方々に助力を願ったと。全員から了解を取り付けたそうです」

「上々な結果だな」

「ええ」

 

 カリーヌは笑顔でうなずいた。

 実は彼女が、村復興までルイズに残れなどという無茶な罰を与えたのも、これを試すためだった。ルイズは虚無の魔法を使えはするが、さすがに一人では大したことはできない。学院へ一日でも早く帰るには、助けを頼むしかないと。そしてその相手は、異界の住人だけだと。カリーヌですら手に余る連中。その彼女達をルイズが御せるのかどうか。さらにかつてとはだいぶ変わったルイズ。彼女の振る舞いを見るのも目的だった。ちなみにレミリアに、村復興の事を話したのはカリーヌ。

 公爵は本を閉じると、ベッドに入ってくるカリーヌへ話しかけた。

 

「ルイズと彼女達の繋がりは、思ったより強いようだな」

「そのようですわね。敵にすれば非常に厄介ですが、味方ならばあの方々ほど心強いものはありません」

「いざ、ルイズが戦に参加する事になっても、多少は安心できるか」

「はい」

 

 公爵夫妻は、穏やかな笑みでうなずく。だがカリーヌはわずかに声を締める。

 

「ですがそうは言っても、ルイズ自身は将兵としての教育を受けた訳ではありません」

「確かにな」

「そこは、しっかりやっておかなければならないと考えてます」

「言う事は分かる。しかし、どうやるか……」

「しばらく城を空けてもよろしいですか?」

「まさか……お前……」

「はい」

 

 公爵の愛妻に、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 後の話になるが、トリステイン魔法学院に臨時の女性軍事教官が赴任する。マンティコアの刺繍をあしらった覆面をしているという謎の教官。アルビオンとの戦を切っ掛けとして始まった軍事教練は、彼女のために様変わり。その指導姿勢は、生徒達を震え上がらせたという。

 

 

 

 




次はシェフィールドの異世界大冒険になります。


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親切な人たち

 

 

 

 

 紅魔館の朝は遅い。主が吸血鬼なので当然なのだが。もっとも今はその主もいない。それでもこの館に流れる時間は変わっていなかった。

 

 この時間の流れに、ついていけない異邦人が一人。シェフィールドである。

 紅魔館の花壇で気絶していた所をチルノに拾われた。いや、むしろ殺されかけた。しかし、八意永琳のおかげか危篤状態から一気に回復。翌朝には、もう普段通りに体を動かせた。さらにハルケギニアに帰る目途も立っている。問題は全てクリアしたかのようだが、その割には彼女の憂いは抜けていない。というのも、彼女が故郷に帰るには、レミリア達の帰還を待たないといけないからだ。そして彼女達とシェフィールドは戦った仲なのである。レミリア達と顔合わせせずに帰る。この難問をクリアしないといけなかった。

 

 ともかく今の所は穏やかなもの。彼女は今、客間で朝食を取っている。当人にとっては遅めの朝食を。それを口にしながら、当主代行の紅美鈴を質問攻め。というのはここの主、レミリア達がハルケギニアに絡んでいるのを知ったので。もちろん、追求するかのようにではなく、それとなくやっている。哀れな外来人のメイドが、不安を解消したいがためのごとく。

 

「……そうなのですか。ところで、こちらのご方々は、何故ハルケギニアに行かれたんです?」

「それはですね、向うに知人がいるものですから。遊びに行かれただけです」

「知人?昔から行き来があったのですか?」

「そうじゃなくってですね。実は前に、ハルケギニアの人がやってきてたんです。シェフィールドさんと違って、パチュリー様が召喚失敗して呼び出しちゃったんですけどね。もうその子は、帰っちゃいましたけど。行き来できるようになったのは、その後からです」

「そうですか。その……その方のお名前を、よろしかったら教えていただけないでしょうか?」

「あ、はい。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさんです」

 

 一応、これでも元メイド長。美鈴は、ルイズの名前がやたら長い名前をしっかり覚えていた。

 対して、それを聞いたシェフィールド。驚かずにはいられない。思わず顔に出てしまうほどに。ルイズという名は知らないが、ヴァリエールの名なら当然知っている。トリステインの大貴族、公爵家。おそらく幻想郷の連中は、そこに世話になっているのだと推測できる。今まで起こった異質な騒動が、全てトリステイン有利に働いたのも当然だ。だがこれは、かなり厄介な連中を相手にしなければならないという事。今までの計画を、見直さねばならないほどに。

 

 美鈴は表情が一変した彼女に、少し意外な顔をする。

 

「ご存じなんですか?ルイズさんの事」

「あ、いえ、個人的には存じません。ですが、ヴァリエールの名は知っています。大きな貴族ですからね。ハルケギニアの者なら誰でも知っていますわ」

「あー、なんかそんな事言ってましたね」

 

 当主代行は懐かしげに表情を緩める。

 

 談笑は和やかに進む。ただ美鈴は自分の口にしてしまった事が、目の前の女性にとって得難いものであり、ルイズにとっては危険なものであるなどと知りもしなかったが。

 

 一通りの話も食事も終わると、美鈴は一緒に持ってきたカートから一着の服を取り出す。そしてシェフィールドに差し出した。不思議そうな表情の彼女。何故なら、その服はメイド服だったのだ。

 

「あの……これはいったい?」

「えっとですね。シェフィールドさんの服は、今洗濯中なので別の服を用意しました」

「はぁ……。ですけどこれって、メイド服ですよね」

「はい」

 

 相変わらずの人懐っこい表情の中華妖怪。シェフィールドに妙な予感が浮かぶ。すると急に頭を下げだした美鈴。腰の角度は90度。手まで合わせている。

 

「実は、折り入ってお願いがあります!」

「え?その……なんでしょうか?」

「メイドやってくれません?」

 

 上げた顔には、何やら悲壮な瞳があった。一方シェフィールドは、頬が引きつっている。ガリア王の虚無の使い魔、裏の世界に通じ、様々な謀略を指揮する自分を、ただのメイドとして使いたいと。メイドと自己紹介したのは失敗だったかと、頭のなかでつぶやいた。

 

 うなずかない彼女に、美鈴は立て続けに言葉を並べる。

 

「実は、当家のメイドは使える者がほとんどいないので、是非本職だったあなたに手を借りたいんです!」

「ですが、私はハルケギニアのメイドですし、しかもすぐいなくなる身ですよ。」

「それでもかまいません。せめて滞在中だけでも!」

「はぁ……」

「そ、それにこう言っては何ですが……、シェフィールドさんはお客様と迎えた訳ではありませんし……。お世話するにしても、費用がかかりますし……」

 

 なんとも言いづらそうに懐刀を出す当主代行。これを言われてしまうと、シェフィールドも言葉に詰まる。

 

「そ、それもそうですね。分りました、御引受けしましょう」

「ありがとうございます!」

 

 当主代行はシェフィールドの両手を握って、頭をさげていた。その上にあったのは、女性の諦め顔だった。

 

「それから、昼に永琳さんが来るそうですから。なんでもその後の容態を見たいようで」

「はい。分りました」

 

 何の気なしにうなずくシェフィールド。この時点で、永琳の印象は悪くなかった。

 

 それからシェフィールドはメイド服に身を包む。やがて美鈴に連れられ、紅魔館を案内された。当主の部屋に、美鈴の自室、キッチン、風呂など。ただ回った場所は最低限。案内してない場所は危険だと言われ、立ち入り禁止と厳命される。もっとも今はフランドールがいないので、それほど危険でもないのだが。

 そして地下の図書館。大きな扉の前。

 

「ここが、当家の図書館です」

 

 美鈴は、自慢げに両開きの扉を開ける。その先にある光景に、シェフィールドは言葉がなかった。見たものを頭に刻み込むかのように見入っている。はるか奥にまである部屋、聳え立つ本棚の群れ。ガリア王宮の図書館にも負けないくらいの蔵書。館のサイズに不釣り合いなほど、大きいものだった。

 

「ここはパチュリー様の管轄となってます。実質的には、自室みたいなもんですけど」

「メイジの方……でしたよね」

「はい」

「……」

 

 シェフィールドは思い起こす、ハルケギニアでの出来事を。寝間着を来たような少女の姿を。すると急に腹が立ってきた。こんな目に遭っているのが連中のせいだと、頭の中で悪態を付く。

 その時、ふと声がかかった。

 

「なんか用?美鈴」

 

 見上げた先にいたのは翼人。いや、少し違う。蝙蝠の羽がある。またもシェフィールドは、パチュリーに寄り添っていた従者の姿を思い出す。

 そんな彼女を他所に、美鈴がシェフィールドを紹介。ちなみに目の前にいるのは、パチュリーからここあの愛称で呼ばれている小悪魔。

 

「ちょっと、新人さんの案内をしてるの」

「新人?」

 

 ここあ、シェフィールドの鼻先まで近づいて、目を細めて凝視。質屋が質入れ品を品定めするように。

 

「人間じゃないの。大丈夫なの?」

「これでも専門家なのよ」

「ふ~ん……。ま、妖精メイドよりマシかもね。がんばってね」

 

 すぐに背を向け、手をひらひらと振りながら元へ戻っていく。その行先では他の小悪魔たちがお茶して、くっちゃべっていた。

 シェフィールド、なんとも面白くなさそうに連中を見る。

 

「あの方は?」

「ここあと呼んでます。種族は悪魔です」

「あ、悪魔!?」

 

 思わず、美鈴の方に首が急旋回。目が一杯に開いていた。悪魔がいると説明を受けてはいたが、さすがに目の当りにして冷静ではいられなかった。悪そのものと言ってもいい存在を、実際に目にするとは。さすがのシェフィールドも、少々恐怖感を覚えていた。

 一方美鈴は、呑気に話を続ける。

 

「ここにいるのは、みんな悪魔なんです。そしてパチュリー様の使い魔なんですよ」

「あ、悪魔を使い魔に!?しかもあれほどの数を!?」

「はい」

「……」

 

 言葉がない彼女。悪魔という神話の世界の存在を使い魔にするだけではなく、これだけの数を使役するとは。シェフィールドの中で、パチュリーというメイジの見方が改まる。

 美鈴の脇で、緊張した面持ちで口を噤み続けるシェフィールド。すると中華妖怪が、なだめるような笑顔を浮かべていた。

 

「安心してください。悪魔と言っても、そんなに強くはないんで。役割もただの司書ですしね」

「そ、そうですか……」

「身内の恥を晒すようですが……。パチュリー様がいないのもあって、あの有様ですし」

「……」

 

 当主代行の向いた先、そこにはくつろぎを通り越して、だらしのない悪魔たちがいた。昼寝をしている者、菓子を片手に同僚とおしゃべりに浸っている者などなど。シェフィールドも落ち着いてくると、この悪魔たちが躾のなってない平民女の集団に見えてきた。蝙蝠の羽がなかったら、まさしくそれだ。いつのまにやら、さっきの不安感は萎んでいた。

 その時ある重要なキーワードが、彼女の脳裏に浮かぶ。

 

「そう言えば、ここでしたよね。ハルケギニアに帰る魔法陣とやらがあるのは」

「あ、はい。奥の方に大きな扉があるの見えます?」

「はい」

「あそこにあります」

「ほう……」

 

 わずかに頬を吊り上げる虚無の使い魔。

 やがて美鈴は彼女を連れ、外に出る。

 

「まあ、ここには帰る時以外では用はないと思います。図書館は彼女達の管轄なので。そんな訳で、危険という訳ではないですが基本的には入らないでください」

「はい」

 

 その後も、シェフィールドは美鈴の後について行く。案内されながら、館の構造を頭の中で反芻する。その内役に立てるために。だが次に気になったのはこの館の様子。人外である事は置いといて、妖精メイドにしても図書館の悪魔達にしても、あまりいい使用人とは思えない。妖精メイドは、ちょっと見かけただけでもミスがあったし。悪魔たちは主がいないのをいい事に自堕落そのもの。これでは臨時でのメイドが欲しくなるのは無理ない。紅魔館の主はあのレミリアという吸血鬼だが、能力はともかく主としての器を疑ってしまっていた。

 

 そして最後に案内されたのは花壇。さっそく最初の依頼である。

 

「えっとですね、まず庭を掃除してもらっていいですか?花壇周りを中心に。本来は私の管轄なんですけど、今は代行なんでいろいろ忙しくって」

 

 人懐っこい笑顔を浮かべながら、頼み込む美鈴。もっとも実際忙しい。当主代行という立場ながら、実は使えない妖精メイドのフォローに駆け回っていた。できれば暇そうな図書館の小悪魔達に手を借りたいのだが、連中はいろいろ言い訳して拒否。所詮、悪魔だった。

 

「ちょっと広いですけど……。それに、手伝いを呼んでおきます。では、お願いします」

 

 その言葉を残し笑顔で、中華妖怪は去って行った。

 庭に残されたシェフィールド。紅魔館はハルケギニアの貴族からすれば、比較的小さい屋敷だ。小さいと言っても、そこは貴族の屋敷。一人の人間からすれば、広すぎる。当然庭も。

 

「どうしろって言うのよ……」

 

 茫然と、庭を眺めながら零すだけ。とは言っても何もしない訳にはいかない。しようがなく、掃除道具を取り行く虚無の使い魔。

 用具入れの倉庫の側まで来ると、ふとピンクのワンピースを着た子供を見つけた。いや、ただの子供ではないだろう。何故なら頭にうさぎの耳が生えていたから。自然と身構えるシェフィールド。すると子供が彼女に気づいた。

 

「ん?もしかして、あんた?ハルケギニアから来た外来人って」

「え……ええ……。そうですけど」

「名前は?」

「シェフィールドです……」

「人間?」

「……はい」

「人間ウサか……」

 

 顎を抱え考え込むうさぎ子供。曰くありげな顔つきで。ともかく、シェフィールドにすれば目の前の少女は、どう見ても人間ではない。彼女もヨーカイなのだろう。それにしても、どこか無礼だ。シェフィールドは少々不愉快。

 

「そちらは、どなたです?ここにお住まいなのですか?」

「私?私は因幡てゐ。こことは関係ないウサよ。今日は、お師匠様の手伝いに来ただけ」

「師匠とは……?」

「腹黒いエイリアン」

「は?」

 

 意味が分からない。シェフィールドは眉を寄せるだけ。しかしてゐは、そんなものは気にしない。

 

「あんた、何か困ってない?」

「なんですか、唐突に」

「妖怪だらけの館で苦労してると思ったウサよ。で、あんたに幸運を授けようと思ったウサ。」

「それは有難い話ですが……」

 

 困惑している彼女。幸運をさずけるなどと、どこか詐欺紛いな異端宗教にしか思えない。だがここは異世界。ついさっき実在する悪魔に会ったのだ、幸運を授ける天使のような存在がいても不思議ではないかもしれない。

 てゐの方はというと、子供らしい屈託のない表情で話を続ける。

 

「ま、おまじない程度に考えればいいウサ」

「それでしたら……」

「んじゃ、やるウサよ」

 

 そう言うと指先に、光弾を一つ浮かび上がらせた。

 殺気とは違う嫌な予感に襲われるシェフィールド。咄嗟に身構える。そのまま、じりじりと後ろへ下がろうとする。だが自慢のマジックアイテムもなしでは、さすがの『ミョズニトニルン』もただの女性と変わらない。てゐの光弾を防げる訳もなかった。

 光弾が直撃する。しかし、何も起こらなかった。針を刺した程度の痛みが一瞬あっただけ。

 

「え?」

「これであんたは、しばらく運が向くウサよ」

「今ので?」

「うん。んじゃ、私は帰るね」

 

 そう言って、てゐはふわっと空に浮かび、どこへとも飛び立って行った。それを唖然として見つめるシェフィールド。一体あのヨーカイは何しに来たのかと。言葉通り、自分に幸運をさずけに来たのか。どこか腑に落ちないが。

 ただ短い間ではあるが、ふと思う所がある。確かに幻想郷のヨーカイ達はハルケギニアの妖魔に近いものを感じるが、それほど悪意を感じないと。

 

 その時、背中から声がかかった。

 

「お~い。何やってんだ~」

 

 振り向いた先に見えたのは、例の氷精。それと透明な羽の翼人に、触覚のある子。さらに見覚えのない金髪赤リボンの少女。水色ワンピースは露骨に不満を口にする。

 

「手伝いがあるって言われたから来たんだぞ。待ってても来ないし。何モタモタしてるんだよ」

「手伝い……」

 

 シェフィールドは記憶の底を攫いだす。そして思い出した。美鈴が手伝いを寄越すと言っていたのを。

 

「あなた方は?もしかして、ミス・美鈴が言っていた手伝いの方ですか?」

「はい。私は大妖精。みんなからは大ちゃんって呼ばれてます。それで右から、チルノちゃん、リグル、ルーミアです」

「私はシェフィールド。臨時のメイドとして雇われてます」

「ところで、こんな所でどうしたんです?」

「掃除道具を取りに来たら、うさぎの獣人がいたもので。子供のような……」

「てゐかな?」

 

 首を傾げる大ちゃん。他の面子も同じことを考えていた。するとルーミアが一言。

 

「さっき見たよー。屋敷から出て行くの」

「どろぼうだな!捕まえないと!」

 

 さっそくチルノ、門の方へ走り出そうとした。しかし、リグルが彼女の手を掴む。

 

「追っても無駄だよ。もう逃げちゃったんだから。それより言われた事しよ」

「くそ!門番隊長から逃げるとは、生意気なヤツ!」

 

 悔しそうに左手を拳で叩くチルノ。

 彼女達を見ていて、なんとも微妙な表情のシェフィールド。どう見ても子供の集団にしか見えない。これが手伝い。こんな連中を率いてどうしようというのか。しかし、あの広い庭を一人でやるのは無理だ。彼女は項垂れあきらめる。意外に使えるかもしれないという可能性に期待して。

 シェフィールドは四人に向き直った。

 

「では、さっそく掃除に取り掛かりましょう。花壇を中心にお願いします」

「うん。分かった」

 

 リグル達はうなずく。やがて一同は掃除道具を手にし、花壇へ向かった。

 

 ほどなくして到着。シェフィールドは全員を前にして一言。

 

「それでは私は奥の方をやりますので、みなさんは手前の方をよろしくお願いします」

「よーし、やるぞ!」

「おー!」

 

 なんかチルノとルーミアはやけにやる気。一方、少々不安になるシェフィールド。遊びか何かと勘違いしているようで。綺麗になるより、余計散らかるような気がする。ともかくかまわず彼女は奥へと進んで行った。さっそく箒で掃こうすると、籠った空気の抜けるような音がした。後ろから。

 

「うわっ!」

 

 一緒に叫び声も。

 振り向いた先にあったのは、穴から這い出ようとするチルノ。大ちゃんが慌てて近づいている。

 

「大丈夫?チルノちゃ……きゃっ!?」

 

 同じく彼女も、突然現れた穴へ落下。

 その様子を見て、目を細めるシェフィールド。どうも落とし穴が仕掛けられていたらしい。だが何故こんな所に。まさか美鈴が自分を嵌めようとしていると?すぐに謀略か何かと思ってしまうのが、彼女のさが。だがこの考え方は、あながち間違ってはいなかった。

 やがてチルノも大ちゃんも穴から這い出る。その手には、握りつぶされた紙切れ。しかも何やら怒り顔つき。もっとも、落とし穴に引っ掛かったのだから、当然とも言えるが。だが、何故かチルノは指さした。シェフィールドを。

 

「よくもやったな!」

「え!?私が……何か?」

「お前がやったんだろ!」

「は!?何、言ってんですか!」

 

 訳が分からない。少々こめかみに不満が浮き出ている臨時メイド。こんな子供のような連中を連れているのだけでも気疲れするのに、さらになんの根拠もなしに犯人呼ばわりされれば怒るのも無理ない。

 すると、チルノの握っていた紙をリグルが取る。広げて中身を見た。

 

「ふ~ん……そういう事。あのさ、ここにあんたがてゐと組んでやったって書いてあるんだけど」

 

 そう言って、リグルはクシャクシャだった紙を、シェフィールドに差し出した。

 

「はぁ?そんなもの知らないわよ!」

 

 ちょっとばかり地が出始めた虚無の使い魔。

 一方、二人のやり取りなど、まるで耳に入ってないチルノ。宙に浮くとすでに戦闘態勢。チルノの周りに無数の氷の粒が浮かび出す。キレかけていたシェフィールドの頭が、急に冷めていく。代わりに出てきたのが警戒警報。頭の中で鳴り響く。ただちにこの場を逃げろと。しかし遅かった。チルノ、攻撃開始。

 

「これでも喰らえ!」

 

 チルノから発射される弾幕の嵐。シェフィールド、180度反転。頭を抱え、姿勢を低くて走り出す。

 

「ふ、ふざけんじゃないわよ!知らないって言ってるでしょ!」

 

 罵声を叫びながら、ひたすら逃げる。塹壕戦中の歩兵のように。だが、この庭は開けた場所。隠れる所もない。空も飛べない彼女。かわすのには無理がある。さらにただの人間だ。弾幕ごっこ用の弾とは言え、当たればただでは済まない。

 

 しかし、何故かチルノの弾幕は一発も当たらず。無数の弾が、わずかな所で外れていた。ルーミアが横で思いっきり笑っている。

 

「ははは。下手だなー。チルノは」

「うるさい!」

「代わりに当ててあげるよ」

 

 と言って、ルーミアはふわふわとチルノの前に出る。

 だが、 金属音。

 上からたらいが落ちて来た。そしてルーミアの頭頂部に直撃。パタリと地面に落ちる。そしてまたもやメッセージが添えられていた。たらいの底に。シェフィールドとの連携プレイかのような内容の。

 一斉に顔色が変わる妖怪&妖精。空に上がると臨時メイドを追撃。一斉の弾幕。まさしく弾雨。シェフィールド、ますます混乱。なんで怒っているのかまるで身に覚えがない。

 

「なんなのよ、アイツ等は!何がヨーカイよ!所詮は妖魔と同類だわ!下等な連中の考える事なぞ、訳がわからない!」

 

 憎まれ口を叩くが、それがせめてもの彼女の反撃。神の頭脳『ミョズニトニルン』の力も、ここでは役立たず。全くの無力。

 しかし、何故か彼女は無事だった。追って来るチルノ達が撃つ弾幕は全く当たらず。それ所か次々と罠に引っ掛かっていく。落ちてくるたらいに花瓶、壁から飛んでくる泥弾、地面から突然起き上がる竹格子。おかげでシェフィールドは、地面を走っているにも関わらず飛んでいるチルノ達に捕まっていなかった。

 実は、シェフィールドがまるで被害に会わないのは、てゐが掛けた幸運効果のおかげ。意識せずに、巧みに罠を避けていたのだ。だが当のシェフィールドには分かるはずもない。つまり謀略の主は美鈴ではなく、てゐだった。ただ彼女の能力には問題があった。期間限定の代物なのだ。

 

「あえ!?」

 

 いきなり、まぬけな声を上げる臨時メイド。つまり幸運効果が切れた。

 シェフィールドは見事に穴の底。尻を押さえながら穴の底で呻いている。窮地となっているのも知らず。

 

「痛たた……。落とし穴!?」

「自分の罠に引っ掛かるなんて、バカだなぁ」

 

 上の方から声が聞こえる。見上げた先にあったのはリグルのざまあみろと言わんばかりの笑顔。その周りからチルノ、大ちゃん、ルーミアも穴を覗き込む。嫌らしい笑顔が並ぶ。リグルは顔を上げると議題を一つ。獲物の処理について。

 

「ねえ。こいつどうしようか」

「食べる」

 

 ルーミア、即答。当然とばかりに。シェフィールド、血の気が引いていく。顔が蒼くなる。やはり妖怪は妖魔と似たようなものだと、噛みしめる。生簀の鯛状態の虚無の使い魔。

 

「た、食べるって……。ま、待ちなさい!私は関係ないわ!」

「だったらなんで、あんただけ罠に引っ掛かんなかったんだよ」

「し、知らないわよ!偶然よ!」

「そんなの信じると思うの?罠の場所知ってたんでしょ」

「ち、違うわ!私だって分んないのよ!」

 

 しかし妖精&妖怪は鼻で笑うだけ。異界の地で皿に並べられるのが人生の最後かと、そんな想像すら浮かんでくる。だが訴えは無駄ではなかった。来たばかりの外来人を不憫に思ったのか、大ちゃんが助け船を出してくれた。

 

「さすがに、食べるのだけは許してあげない?外から来たばっかりだから、ここの事よく分かってないんだよ」

「だったらこうしよう」

 

 チルノ、すっと立ち上がると両手を上に上げた。シェフィールドには、いったい何をしようとしているのか分からない。だがそれもわずかな間。みるみる内に巨大な氷の塊がチルノの頭上に現れた。直径3メートルほどの氷が。

 

「えい!」

 

 氷の巨魁はそのまま穴の上に落とされた。蓋をされた。つまりシェフィールドは落とし穴の中に密閉。

 

「ちょーえき刑!」

 

 チルノ、高らかに宣言。腰に手を当て、胸を張りながら。いっしょにみんなも大笑い。

 

「人間のくせにいい気になってるからだよ。反省するんだね」

「だねー」

 

 氷の屋根の向こうから、リグルとルーミアの声が聞こえる。だんだん笑い声が遠ざかる。残された虚無の使い魔。

 

「ふ、ふざけんじゃないわよ!私は知らないって言ってるでしょ!これをどけなさい!」

 

 切実に不当を訴えた。必死な形相で。しかし氷が動く様子はない。そしてどかそうにも、人間が動かせるサイズではない。ついに、辺りに人の気配がまるでなくなった。つまり完全に閉じ込められた。

 

「ちょっと、誰かいないの!」

 

 叫びはこの小さな空間にむなしく響くだけ。しかも氷で蓋をされているのだ。冷気が穴に満ちてくる。寒気が肌を刺してくる。彼女の脳裏に、一瞬嫌な予感がよぎった。落とし穴で凍死。思いついたのはミイラのような構図。たちの悪すぎる未来像。

 

「じょ、冗談じゃないわよ!」

 

 すぐにでも脱出しようと、穴の端を手で掘り出した。だが人ひとりが通る穴が簡単にはできるはずもなし。頭の中は怒りと混乱。悔し紛れに喚き散らす。

 

「マジックアイテムさえあればあんな者共!」

 

 そう口にして、ふと思い出す。服は確かに汚れていたかもしれないが、マジックアイテムはそうではない。メイド服を渡された時に、いっしょに返してもらえばよかったと。そして、自分のミスはそのまま、チルノ達への怒りに転化。

 

「アイテムさえ!アイテムさえ戻れば、あのような者共蟻のように始末してくれる!神の頭脳『ミョズニトニルン』の力を思い知らせてやる!虚無の使い魔を舐めるな!」

 

 途切れぬ悪態をつきながらも、土を掘り続ける虚無の使い魔。しかし、地上に近い所は氷の側。氷が直に触れてしまう。手がかじかんでくる。さらに、彼女自身は土仕事に無縁。慣れない作業はなかなか進まない。この土も決して柔らかくはない。

 しかし諦めない。こんな所で終わってたまるかという意地だけが、彼女を支えていた。裏の世界で生きてきた彼女。肝だけは据わっていた。

 

「おのれ!おのれ!妖魔の出来損ないが!」

 

 冷たい穴の中で、闘志だけが燃えていた。

 それにしても振り返れば、ここの連中がハルケギニアに絡んでからがケチの付き始め。トリステインに出兵した大部隊が一夜で壊滅。ロンディニウムでの異質な賊。トイレで溺れ、『アンドバリの指輪』を奪われる。そしてレミリア達との直接戦闘。さらに異世界に飛ばされ、こんな狭い穴に閉じ込められている。

 なおさら怒りの、憤怒の気持ちが頭頂部に溢れかえる。

 

 するとその時、頭の上から破裂するような音。

 思わず頭を抱え、身を縮めるシェフィールド。やがて、ゆっくりと開けた瞳に光が入ってくる。見上げた先には、覗き込むような表情があった。彼女の命を救った薬師、八意永琳。

 

「大丈夫?」

「……」

 

 呆気に取られながら見上げた先。氷の蓋はなく、あったのは伸びてくる手。どこか温かそうな手。

 

「立てる?」

「…………。はい……」

「さ、手出して」

「……ええ」

 

 永琳はシェフィールドの手を掴むと、彼女を穴から引っ張り上げた。メイド服から泥汚れをはたき落す。それを戸惑いつつ眺めているシェフィールド。

 

「あの……ありがとうございます」

「どういたしまして。少し怪我もしてるわね。丁度いいわ。診てみましょう。付いてきて」

「あ、はい」

 

 シェフィールドは言われるまま、永琳と共に館の中へと入って行った。

 

 紅魔館の一室。小部屋に二人はいた。小さなテーブルの側、椅子に座り向き合っている。永琳はシェフィールドに尋ねる。指先や、擦ったらしい傷口を治療しながら。

 

「何?チルノにやられたの?」

「はい。後、他の三人にも」

「ああ、リグル達ね。いつもつるんでる妖怪と妖精よ」

「なんなんですか!あの連中は!」

「いたずら好きな子たちよ。まあ、気にしない事だわ。懲りない子達だし」

「いたずらの限度を超えてます!」

「今回のは確かにやりすぎね。今度会ったら言っておくわ」

「…………」

 

 釈然としないながらも、少しずつ気持ちが落ち着いてくるシェフィールド。さっきの四人のように何を考えているか分からないヨーカイもいるが、永琳のような人物もいるのだとふと思い入る。よく考えれば、美鈴も良識があるように感じる。ハルケギニア同様。人外だからと言って一括りにするものではないと、考えを改める。

 やがて治療は終わった。

 

「怪我は大した事ないわ」

「その……いろいろ、ありがとうございます」

「さてと、今日来たのはあなたの経過を見るためだったんだけど、今いい?すぐに終わるから」

「はい。かまいません」

 

 シェフィールドの返事を受け取ると、永琳はさっそく準備を始める。持ってきた鞄から出て来る様々な道具。その中から一つを手にした。透明の器具を。それを見て、シェフィールドは眉をひそめる。

 

「それは……。血を取るんですか?」

「そうよ。注射器ってハルケギニアにもあるの?」

「いえ、ありませんが。その……そんな気がしたもので……」

「そう」

 

 薬師は淡々と作業を進めた。一方の虚無の使い魔、ハルケギニアでの事が思い出される。咲夜に注射器で血を取られた事を。あれは吸血鬼のための作業だった。不安に襲われる彼女。

 

「その……、もしかして……血を飲まれるのですか?」

「私は、吸血鬼じゃないわよ」

「では一体何故?」

「検査のためよ。ハルケギニアでは、治療のために血を取らないの?」

「そんな事はしません」

 

 ハルケギニアではもっぱら水系統のメイジが治療を行うが、彼らは外から体に流れる血などの液体を感じ取り状態を見極める。直に検体を採取する事はなかった。

 永琳は違いに感心しながらも採血。咲夜の時と同じくあっさり終わる。検体と注射器を仕舞う。

 すると今度は、四種類の袋を取り出した。それをテーブルの上に並べる。

 

「さてと、後は薬ね」

「特に体調に問題はないですが」

「そうじゃないわよ。あなたがここで暮らすのに不便しないようにと思ってね。まあ、プレゼントよ」

「え……。あ、ありがとうございます」

 

 恐縮しつつ、気後れした言葉が漏れる。わずかに頭を下げて。あまり親切にされた経験の少ない彼女。今の状況はどこかこそばゆかった。

 テーブルに並べられた袋の中。中身を永琳は取り出す。それは四種類の色の薬包紙。袋には丸薬が包まれていた。数はそれぞれ数個ずつ。

 

「説明するわね。それぞれ役割が違うわ。まずこの青い袋は治療薬。怪我ならなんでも治すわ」

「なんでもですか?それは、すごいですね」

「大したことないわよ。で、赤いのが身体強化剤」

「え?身体強化剤?」

「ええ。もう経験済みでしょ?妖怪や妖精がどれだけ強いか。連中を人間がまとに相手にするのは無茶だわ。だからこの薬で体を強化するの。力と耐久力が5倍程度になるわ」

「ご、5倍!」

 

 思わず声が上がる。オークレベルではないかと。薬でそれを可能にするとは、目の前の薬師の腕に驚かずにはいられない。しかし永琳は、少し厳しい口調で続けた。

 

「でも基本的には、戦おうと思わない事。そう多くはないけど、強いのはとんでもなく強いから」

「はい。分かりました」

 

 シェフィールドは静かにうなずいた。そして永琳は次に黄色袋を指す。

 

「これは変わり身できる薬」

「変わり身?」

「つまりは変身ね。基本的には相手の目をごまかして、逃げるために使って」

「はい」

「それと持続時間だけど、さっきの薬もこの薬も持続時間が半時ほど。そこは忘れないように」

「はい」

 

 身体強化の次は、なんと変身の薬。薬でそんな事ができるとは。もはや何でもありか。臨時メイドの胸の中に、薬師に対して感服の気持ちすら浮かんでくる。

 最後残った緑の袋を永琳は差し出した。

 

「これは一回だけ、あなたを見逃してもらえるわ。これはまあ、最後の手段。緊急用ね」

「はい。分かりました」

 

 永琳はそれらをまとめると、一つの袋に入れた。そしてシェフィールドに手渡す。彼女はそれを見つめつつ両手で大切そうに受け取った。その手に不思議と熱を感じる。怪我のせいか、それとも……。

 袋を手にしつつ、おずおずと顔を上げた。遠慮しがちな声が出る。

 

「あの……。いろいろと、ありがとうございます。命を救っていただいた上、このような物まで頂いて。ですが、何故ここまでされるのでしょうか?」

 

 シェフィールドの素直な疑問。打算と謀略の中で生きて来た彼女。もちろん主であるジョゼフだけは違う。そうは言っても、主従の契約があるのもまぎれもない事実。しかし、この目の前の人物は違う。何もないのに手を貸してくれる。一方、シェフィールドには彼女に与えるものが何もない。『ミョズニトニルン』の力があると言っても、マジックアイテムがなくては今の彼女は平民と変わらない。そもそもその事自体を伝えていない。目の前の薬師の姿勢、その胸の内、それはシェフィールドには理解しづらいものだった。

 

 永琳はというと、腕を組んでわずかに宙を仰ぐ。そして口を開いた。

 

「そうね。異世界人だから……かしら」

「異世界人?」

「ええ。そんな、滅多に会わない存在と、仲良くなっていても損はないでしょ?」

「それは、そうかもしれませんけど……」

「あえて言えばの話よ。まあ。気にする事ないわ。私が好きでやってる事だから。とにかく、困ったら相談に乗るわ。あなた自身は、そんなに長く幻想郷にはいないでしょうけどね」

「…………。その……あの……。本当にありがとうございます」

 

 シェフィールドは気づくと、頭を下げていた。それを永琳は変わらぬ表情で見つめていた。

 やがて薬師は帰り支度をしようとするが、その手がふと止まる。

 

「そうそう。美鈴はしばらくいないわ。出かけてるから」

「そうですか。分りました」

「少し時間が空くわね。怪我もしてたから、しばらく休んでれば?」

「いえ、お陰様で怪我はすっかり治りました。それに、花壇の掃除を任されているので」

「そう。でも花壇って、穴だらけよ」

「あ……。そう……でしたね」

 

 思い出した。誰の仕業か分からないが、落とし穴やらなにやらで花壇周りは悲惨な事になっているのを。疲れたようにシェフィールドは言葉を返す。

 

「埋め戻します」

「だったら、あの子達にやらせれば?」

「誰です?」

「チルノ達よ。いい償いにもなるでしょ」

「でも、私の言いつけなんて聞かないでしょう」

「でも美鈴のいう事なら、聞くんじゃない?」

「しかし、彼女は……」

 

 そこまで言いかけて言葉を止める。ふと思いついた。シェフィールドはさっき貰った薬を手にしていた。変身の薬を。永琳はわずかに笑みを浮かべた。

 

「それじゃ、そろそろお暇するわ」

 

 永琳は席を立つと、鞄を手にする。シェフィールドは館の出口まで彼女に付き添った。そして門から出て行くまで、天才的な薬師を見送った。

 

 門から姿を消す永琳。その後をずっと見つめながらシェフィールドは再び手にした。黄色の袋、変身の薬を。

 ふと視界をずらすとチルノ達が目に入る。連中は門を離れ、別の所で戯れていた。自分達の仕事もさっき彼女にした事も、すっかり忘れてしまったかのように。頭の隅に燻る怒りが蘇る。借りは必ず返すとの思い。その方法もある。美鈴に成り替わり命令すると。

 だがすぐに、別の考えも浮かんだ。美鈴の姿のままなら、図書館の魔法陣とやらを確かめられる。当主代行なら、咎めもないだろうと。そして魔法陣が『ミョズニトニルン』の力で操れるか、確認しないといけない。少なくとも、レミリア達と顔を合わせる訳にはいかないのだから。彼女達が戻って来る前に、ハルケギニアに帰らないといけないのだ。

 その時、この世界に来て初めて湧き上がるものがあった。間諜として数々の策を編み出した時の気宇が。本来の彼女のそれが。自然と口元が緩んでいた。

 

 紅魔館から伸びる道を、ゆっくりと進む薬師の姿があった。一見、帰路を味わっているようなのんびりとした歩み。だが目の前に突然、影が飛び出した。

 

「お師匠様。随分待ったウサよ」

「悪かったわ。てゐ」

 

 出て来たのはうさぎ耳の小さな子供のような妖獣。因幡てゐである。実は永琳とは住まいを同じくする間柄。というか永遠亭の一員。永琳は予定通りとばかりに足を止める。そして、左手を腰に当て最初の質問。

 

「で?あなたの見立ては?」

「異常あり」

「具体的には?」

「予定より早く、幸運が切れたウサよ」

「そう……」

 

 腕を組み、月人はわずかにうつむく。

 つまりシェフィールドに幸運効果をしかけたのは、彼女の指示だったのだ。数々の罠も。もちろん、てゐがシェフィールドに言った腹黒いエイリアンとは、永琳の事。

 てゐは側の石に座り込むと、怪訝そうに尋ねてきた。

 

「あの女、なんなのウサ?本人は人間って言ってたけど」

「虚無の使い魔だそうよ」

「使い"魔"?それじゃぁ人外?」

「さあね。そこまでは分からないわ。もっとも異世界人だから、人外と言えばそうかも。私達月人も、ここじゃ人外カテゴリーだしね」

「異世界人ねぇ……」

 

 拳で軽く顎を支えつつ、難しい顔をする妖怪うさぎ。

 ちなみに永琳が、シェフィールドが虚無の使い魔と知ったのはついさっき。実は彼女がチルノに閉じ込められた後、穴の側で聞き耳立てていたのだ。救いを求める彼女を、すぐ助けずに。つまりは、シェフィールドをずっと見張っていたのである。

 やがててゐは腕を下すと、永琳の方を向いた。

 

「で、お師匠様の方は?」

「次の試験次第かしら」

「そ。けど、いいウサ?ただじゃ済まない所じゃないかもウサよ」

「無理はしないわよ。せっかくのハルケギニア人だもの。大事にしたいわ」

 

 そう言いつつ、紅魔館の方へ視線を向ける。わずかに不敵な表情で。その視線の先には一人の人物がいた。館に近づく女性が。

 

 さて一方、臨時メイド、もとい虚無の使い魔、ガリア王の片腕は、花壇の側に居た。辺りには誰もいない。口元を手を添え目線を落とし思案に更けていた。

 まずは図書館に行って、魔法陣とやらの確認からだ。チルノに対する意趣返しはその後。どちらにしても美鈴に化ける必要がある。意を決して黄色の袋を開く。中に丸薬が三つ。その一つを口にした。すると……。

 

「あ……これは……」

 

 体に異変は感じない。異変はないが、ふと見た手は自分のそれとは違っていた。いや、それだけではない。服装まで変わっていたのだ。さっきのメイド服はどこへやら。美鈴がいつも着ている、チャイナドレス風の服装となっている。そして窓を覗く。言葉のないシェフィールド。何故なら、映っていた顔は明らかに違っていたのだ。まさしく美鈴そのものに。思わず言葉が漏れる。

 

「本当に……変身してしまうなんて……」

 

 さらに彼女はもしもを考えて、赤い袋の薬も飲む。身体強化剤だ。そして試しに足元の石を握り締めた。

 力を込めると、まるで蒸かしたジャガイモでも潰したかのように簡単に石が砕けた。一瞬、言葉も発せず茫然とするシェフィールド。しかし、次第に顔つきが変わっていく。知らず知らずに笑いがこぼれる。

 

「フッ……ハハ……ハハハハ!全く、冗談のようだわ。でもこれで、手の伸ばし様はいくらでもある。あの薬師には本当に感謝しないと」

 

 今の彼女の顔は、まさしくガリアの間諜、虚無の使い魔、神の頭脳『ミョズニトニルン』シェフィールドそのもの。策謀という策謀が、頭に溢れようとしていた。

 

 ともかく、まずは帰る事が最優先。魔法陣のある図書館に向かわないといけない。帰ることができると確認できれば、後はいくらでもやり様がある。特にここの連中はハルケギニアに手を出している。できれば、可能な限り情報を集めたい。

 様々な考えを巡らせながら、玄関へ向かった。

 

「あら美鈴」

 

 ふと脇から声がかかる。足を止めシェフィールドが向いた先に、女性が一人立っていた。

 

「前言ってた花の種。持ってきてあげたわよ。ついでに、あなたの花壇も見てみようと思ってね」

「…………」

 

 視線の先。門に女性が立っている。日傘をさした女性が。赤を基調としたチェックのベストにスカート。貴族ほど着飾っている訳ではない。あえて言えばマシな恰好をした平民。さらに羽が生えていたり、触覚があったり、鋭い歯があったりという訳でもない。つまりは人間らしい。

 シェフィールドは花屋の娘が、わざわざ品物を届けに来たのかと思った。ここは貴族の屋敷らしいから、平民が足を運ぶのは当然だろうと。

 

 だが何故だろうか。このただの花屋の娘を前にして、体中から警報が発せられている気がする。その映える緑の髪とどこか底が知れない赤い双眸が、シェフィールドの心中を騒めかせていた。

 

 

 

 

 




 てゐは二次準拠のウサてゐです。文章だけだとどうしても、キャラ差付きにくいもんで



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お花の妖怪さんと神の頭脳

 

 

 

 

 廃村の地下。いつもは人妖で賑わっているこの場所も、今はひっそりと静まり返っている。それもそのはず。ここの住人、幻想郷のメンバーはルイズの実家を訪問中なのだから。そんな真っ暗な地下室に、あかりが灯った。ランプの灯りが。それを手に下げた人影が一つ。紫のロングの上にはうさぎ耳。鈴仙・優曇華院・イナバ。月の妖怪うさぎ。左腕に箱を抱え、辺りを警戒しながらゆっくりと進んでいた。

 

 足取りは慎重ながらも、目当てに向かって真っ直ぐ進む。やがてたどり着いたのは魔理沙の部屋の前。ノブに手をかける。カチャっと軽い音を立て扉は開いた。

 

「相変わらず鍵かけてないのね。不用心だなぁ」

 

 魔理沙のいつもの通りのいい加減さに安堵と呆れの気持ちを浮かべ、部屋に入っていく。広がっていたのは、ゴチャゴチャと全く整理されていない部屋。

 

「うわぁ……」

 

 露骨に嫌な顔の鈴仙。魔理沙は興味のあるものに対しては猛烈な熱意を注ぐのだが、そうでないものは無神経を通り過ぎて目に入らないというほど関心がない。その中の一つが生活に関わるものだった。ドアの鍵がかかってないのも、もっぱらそのため。一方鈴仙の住まい、永遠亭は病院という事もあって整理整頓が行き届いている。家事関連も担う鈴仙。そんな彼女にしてみれば、こういう部屋は不快そのもの。

 

「ここから探すのかぁ。ゲンナリするなぁ」

 

 不満をこぼし、項垂れる玉兎。だが気合を入れ直し、ゆっくりと奥へと足を進める。するとふと机の上に、気になったものが一つ。

 

「ん?あ!」

 

 彼女の赤い双眸に映ったのはオルゴール。『始祖のオルゴール』そのもの。ターゲットはあっさり発見される。しかも側には『風のルビー』まである。考えてみれば、魔理沙は今、虚無関連の研究中。始祖の秘宝は一番の好奇心の対象。目立つ場所にあるのも当たり前だった。

 鈴仙はオルゴールに近づく。目的のブツは机に描かれた魔法陣の中央。彼女は机を舐める様に見ていく。慎重に。罠を警戒しているのだ。あの白黒魔女は興味の対象に対しては、手を抜かないだろうと。自慢の波長を掴む能力をフル回転。

 

 ぐるぐるとオルゴールの置かれている机を回る鈴仙。

 

「おい。何やってんだ?」

 

 不意に背後から声がかかった。

 

「きゃっ!」

 

 思わず、飛び退く月うさぎ。

 声の方に、不安そうにランプをかざす。そこには一振りの剣があった。魔法陣の上に、よく知っている剣が。力が急に抜ける鈴仙。

 

「なんだ、デルフリンガーか」

「ああ」

「でも、なんでここにいるのよ。パチュリーの部屋じゃなかった?」

「魔理沙の嬢ちゃんが、なんでも話を聞きたいって言うからな。持ってこられた」

「虚無関連の話?」

「まあな」

「何か思い出したの?」

「いや、相変わらずだ。魔理沙の嬢ちゃんもいろいろやったんだがな。さっぱりだぜ」

「ふ~ん……」

 

 事情が分かると鈴仙はすぐに興味をなくす。それよりも優先すべき仕事がある。彼女は再びオルゴールへ向かおうとするが、何かを思いついたのか足を止める。そしてデルフリンガーに質問を一つ。

 

「そうだ、デルフリンガー。魔理沙の作業ずっと見てたでしょ?」

「ここに置かれてからはな」

「彼女、このオルゴールとか机に、罠とか仕掛けてなかった?」

「そんな事聞かれてもなぁ。俺は幻想郷の魔法知らねぇし。まあ、今の俺じゃぁハルケギニアの魔法も知らねぇけどな」

「だよね。ありがと」

「おう。で、何やってんだ?」

 

 オルゴールに向き直ろうとした鈴仙の姿勢が止まる。錆刀に見せた顔は、無理に作った歪んだ笑顔。

 

「え、えっと……。げ、幻想郷に持っていくの。オルゴールと指輪」

「幻想郷に?」

「その……た、頼まれてたのよ。で、断れなくって……」

 

 ひくつく笑顔の鈴仙。だがデルフリンガーは何故か無言。

 

「…………」

「そ、その……。せ、責任持って返すつもりよ!」

「…………」

「あの……デルフリンガー?」

「…………」

 

 何故か、一言も漏らさなくなったインテリジェンスソードに、月うさぎは戸惑うだけ。神経痛でも起こしたような苦笑いが、顔に張り付いている。

 

「えっと……あの……」

「そうかい」

「え?そ、そう!」

「へぇー……」

 

 急に関心を失ったかのようなデルフリンガーの返事。鈴仙、呆気にとられる。だが、すぐに気持ちを切り替えた。やるべき事は終わっていない。

 

「じゃ、じゃぁ、急がないといけないから」

「ああ」

 

 作業を続ける月うさぎ。妙な居心地の悪さを感じたが、とにかく始祖の秘宝を持ち出すのに、今は絶好のチャンスなのだ。

 鈴仙は改めて、机の周りを調べて回る。罠らしいものは見つからなかった。そして、持ってきた箱を開ける。慎重に『始祖のオルゴール』と『風のルビー』を仕舞っていく。移動中、傷一つ付かないように。

 

「ふぅ……。これで良しと」

 

 蓋を閉めると、大きく息を漏らす。すると懐から手紙を一通。机の上に置いた。そして、再びデルフリンガーの方を向いた。その目はどこか切実。

 

「え、えっと伝言頼める?」

「ん?いいぜ」

「この度は本当に申し訳ありません!ちょっとお借りします!でも、必ずお返しします!」

「あ!?なんだそりゃ?」

 

 間の抜けた返事。だが鈴仙は、デルフリンガーのリアクションを無視して荷物片手にドアに直行。まさしく脱兎。あっという間に魔理沙の部屋からいなくなった。

 

「なんなんだよ……」

 

 残されたなまくら刀は、ただぼやくだけだった。

 

 一方、鈴仙は始祖の秘宝を収納した箱、カトレアとタバサの母親から採血した検体を持ち転送陣へ。懐から小瓶を取り出す。そこには液体が入っていた。転送陣を起動する薬だ。魔法の使えない彼女。転送陣を動かす事はできない。そこで永琳が用意したのが、この薬だった。

 鈴仙は小瓶のふたを開ける。すると、わずかな違和感を覚える。

 

「あれ?」

 

 思わず足元に目が向く。その違和感の発信源に。だがおかしいのは、そこだけではなかった。

 辺りから何かを叩く小刻みな音がしだした。いや、違う。

 揺れていた足元が。地面が。

 地震。

 地震が起こっていた。

 

「なんで、こんな時に!?まさかトラップ!?」

 

 鈴仙の脳裏を掠めたのは、あの魔女三人。何しろ虚無絡みのブツだ。連中が何も仕込んでいないハズはないと。急いで小瓶から液を垂らす。転送陣の上に。すぐに転送陣は発動、青い光を放ちだす。すると鈴仙は、霞むよう消えていった。手に抱えた荷物と共に。

 寺院の地下は再び暗闇の世界。そしていつのまにか、地震も収まっていた。

 

 

 

 

 

 

 紅魔館。入り口の側。館の中に入るつもりだったシェフィールドは、足を止めていた。呼び止められる声がしたので。正確には美鈴の名が呼ばれたのだが。その声の方向、正門へと顔を向けていた。

 

 今の彼女、その姿は誰がどう見ても美鈴そのもの。これも永琳からもらった変身薬のおかげ。その目的は図書館の魔法陣。これが『ミョズニトニルン』の力で動くか確認するためである。

 

 ともかく、他人からすればまさしく美鈴。呼び止められれば、無視する訳にはいかない。しかし難問が一つ。シェフィールドは美鈴そのものに成りきらないといけないのだ。そうは言っても、まだ美鈴と出会って一日も経っていない。人となりを十分わかっていない者のフリをする。かなりハードルの高い作業だった。

 

 間諜としての明晰な頭脳がフル回転。視線の先にあるのは、門から歩いてくる一人の女性。美鈴の名を呼んだ人物。緑の髪にチェック柄の上下。日傘をさし、手にバスケットをぶら下げている。取り立てて変わった所はなく、外見からは人間にしか見えない。彼女は花のタネを渡すと言っていた。花壇についての話も。おそらくは花屋の店員が種を配達に来たのだろう。との解答が算出される。

 さて、それに対する自分の振る舞いはどうするか。美鈴はこの貴族の館の当主代行。すなわち現段階では紅魔館の最高権力者。花屋の店員と貴族の当主。ここは毅然と振る舞い、不審に思われない内に、さっさと帰してしまうのが正解だろう。との解答が出た。

 

 ただ一つだけ気になるものがあった。この身に張り付くような緊張感が。花屋が近づいてくると余計に感じる。しかしシェフィールド、自分の解答を信じ、そんな論理的でないものは頭の隅に追いやった。

 

 やがて女性は、側までやってくる。やはり感じる妙な威圧感。しかしここまで来ては、対応を変える訳にはいかない。

 緑髪の女性は、何の気なしに話しかけてきた。

 

「人里に行く予定もあったから、ついでに寄ったのよ。ほら、鹿の子百合の種。持ってきてあげたわよ。模様替えするんでしょ?花壇」

「……」

 

 花壇を模様替えする。シェフィールドは美鈴からそんな話は聞いていない。もっとも、彼女と話したのは幻想郷と紅魔館の説明ばかり。世間話はほとんどしてない。知らないのも当然だ。とにかく受け取るものだけ受け取って、とっとと帰ってもらう。想定通りに動くだけ。

 

「ご苦労さま。是非使わせてもらうわ」

 

 柔らかめな表情を浮かべ、ごく自然に言葉を返した。貴族らしく。今まで数々の謀略をこなしてきたのだ。この程度の演技など、造作もない。

 しかし、対する女性は何故か無言。いや、表情が、目つきが、気配が変わった。

 

「…………」

 

 何か失敗したのか?単に一言交わしただけで、見破られた?そんなハズはないと思いながらも、嫌な予感が浮かぶのを止められない。

 だが、そんな予感は杞憂だったと言わんばかりに、すぐ女性の表情は戻る。

 

「フッ……。大事に育ててね」

「ええ……」

「あ、そうだわ。大したことじゃないんだけど、そこの野芥子、一輪もらえないかしら?」

「え?」

 

 女性が指差した先、館の壁のすぐ側。そこにはいくつもの小さな可愛らしい花が咲いていた。ただ、ハルケギニア出身のシェフィールドには、野芥子がどれの事だか分かるない。しかも全部雑草にしか見えなかった。

 それでもさすがはガリア王の懐刀か。心の揺らぎなど微塵も感じさせず、何という事はないという具合に返事をする。

 

「自由に摘んでもらって、構わないわ」

 

 そう答えた。先ほどと同じく。ごく自然に。

 自分が間違ったものを摘めば、不信を抱くかもしれない。そこで相手に摘ませる事にした。こんなことで、正体がバレる訳にはいかない。

 不意に、何かの衝撃が横っ腹を刺した。いや叩き付けられた。

 宙に浮く感覚。そして地面に突き落とされた。

 

「……!?」

 

 気付くと、シェフィールドは地面に張り付いている。何が起こったのか理解するのに5秒。出た答えは単純。すなわち蹴り飛ばされた。ただの花屋と思っていた女に。元の場所から5メイルも。

 

 シェフィールドは警戒しつつ体を起こす。何故いきなり蹴られたかは分かるない。ただ一つ分かる事がある。目の前の人間と思っていたものは、ヨーカイらしいと。女の身で、人ひとりを5メイルも蹴り飛ばすのだ。到底人間技とは思えない。

 

 ちなみにシェフィールドの正体はバレている。その理由はというと、彼女の対応は、美鈴とはかけ離れていたから。美鈴は基本的に腰が低い。ましてやこの目の前の女性に対し、タメ口をきくなんて事はまずない。さらに花を摘めと口にするなど、間違ってもありえない。この女性を前にそれを口にする事は、幻想郷では自殺も同然なのだから。

 

 人間を超えた存在、ヨーカイ。その前にありながらも、今のシェフィールドは別の驚きに囚われていた。あれほどの衝撃を受けたのにも関わらず、大して痛くないのだ。肋骨の一本くらい骨折してもいいものが、なんともない。彼女は実感していた。この体に五倍の能力が宿っている事に。この身に充満する力に。自然と笑みが漏れる。そして、こう思ってしまった。この体ならば行けると。やれると。

 

 シェフィールドはわずかな敵意を込めて、視線を送る。ヨーカイの不機嫌そうな顔に。殺気を伴った顔に。しかし神の頭脳は、臆さない。悠然と尋ねる。

 

「いったいどういうつもりなのかしら?いきなり蹴ってくるなんて」

「あなた、なんで美鈴の姿してんの?」

「そういうあなたこそ、一体どういうつもりかしら?」

 

 虚無の使い魔は服についた土埃を落としながら、余裕を持って聞いた。しかし目の前の女は、彼女が何を尋ねているかなど、全く意に介さず。

 

「耳がないのかしら。私の話聞いてなかった?なぜ美鈴の姿してんの?」

 

 自分の要求だけを口にしていた。怒りを目尻に漂わすシェフィールド。

 

「一方的なだけの相手に、答える気はない!」

「……」

 

 女の赤い双眸が、わずかに鋭利なものを輝かせる。

 爆発が起こったかのような衝撃。シェフィールドの腹部に。

 衝撃で、すっ飛ぶミョズニトニルン。その速度、亜音速。

 紅魔館の城壁に激突。一度も地面に触れることなく、一直線。飛んだ距離数十メイル。

 

 一体何が起こったのか。神の頭脳にすら理解できない。

 

「ゲフッ!」

 

 吐血。

 口からリットル単位の血が噴き出す。バケツをひっくり返したように。見えた先は、真っ赤な水溜り。だが別の刺激が脳を突きさす。腹部の強烈な痛みが。いや、痛みなんてものではない。燃えている石炭を飲み込んだかのような、灼熱の衝撃。

 視線を向けた腹は、文字通り潰れていた。筋肉も内臓も骨も。スレッジハンマーを叩きつけられたカボチャのようだ。

 何が起こったのか、まるで分からない。分かるのは、一つの言葉だけ。ハッキリと脳裏に浮かんだそれ。

 死と。

 何もかもの終わりのキーワードが。こんな状態では、生を繋ぐのは不可能だと。

 しかし、またも薬師が告げた台詞が頭をかすめる。

 "この青い袋は治療薬。怪我ならなんでも治すわ"。

 闇の光明のように、彼女は縋った。文字通り救いを願いつつ、脳が焼けるような苦痛の中、なんとか懐から青い袋を取り出す。袋を開き一つ取り出すと、慌てて飲み込んだ。

 

「!?」

 

 信じがたい現象が起こっていた。さっきまでの痛みが嘘かのように、一斉に引いていく。さらに潰れていた腹部が、風船を膨らましたかのように元に戻って行く。吐き出した血までもが、体に吸い込まれるように戻る。

 なんなのかこの現象は。怪我が治るなんてものではない。時間を巻き戻して元に戻したかのよう。数秒もすると、すっかり元のシェフィールド、美鈴の姿に戻っていた。死にかけていたのが幻覚かのように。

 

 だが、なんとか九死に一生を得た彼女に、暴の主から声が届く。

 

「思ったよりタフね。手加減しすぎたかしら」

 

 シェフィールドの視線の先にはさっきの女。ゆっくりと歩いてきている。大した事など起こってないかのような態度で。

 

 体は元に戻った。即死しておかしくない怪我が一瞬で。しかし事態はまるで好転していない。ヨーカイを前にし、息をのむシェフィールド。冷や汗がほほを伝う。

 

 ガリアの間諜を担ってきた冷静な頭が回りだす。まずは状況を、この女が何をしたかを分析。何のことはない。単に殴っただけだ。それだけ。それだけだが、その速度、打撃力は異常のはるか彼方。身体能力が五倍に上がったシェフィールドをここまで破壊するのだ。しかも、当人はこれで手加減したと言っている。今まで滅多な事では浮かばなかった感情。恐怖というものが、体中に湧き始めていた。

 

 女は再びシェフィールドの前に立つ。

 

「これが最後よ。何故、美鈴の姿してるのかしら?」

「…………」

 

 虚無の使い魔、答えず。いや、答えられない。魔法陣を調べ、レミリアに出会わずにハルケギニアに帰ろうとしたなどと。この事実が知られれば、レミリアと敵対した事が分かってしまう。幻想郷の住人の敵だと。

 だいたい、真相を言ったとしても信じるのかどうか。自分は異世界からやってきて、今の姿は薬で化けたなどという話を。何を言っても信じてくれない気がする。

 だからと言って、ここから逃げられるとはとても思えない。目の前の存在は完全に自分を圧倒している。まさしく化物。五倍の身体能力が、焼石に水と言っていいほど。

 絶体絶命。せっかく拾った一生もやはり消えるのか。虚無の使い魔の肌は、鳥肌と冷や汗に溢れていた。

 

 だが、その時。またしても頭に浮かぶ、あの薬師の助言。

 "これは一回だけ、あなたを見逃してもらえるわ。これはまあ、最後の手段。緊急用ね"

 ハッキリと思い起こされる緊急用という言葉。シェフィールドは思わず懐を探り出す。そして取り出した。緑の袋を。あの数々の奇跡とも呼べる薬を作りだした薬師から、最後に手渡された救いの御手。残された希望。最終手段。シェフィールドは迷わず、丸薬を一つ口にした。

 

「!?」

 

 突如、腰の下から力が抜ける。

 崩れるように落ちるその体。

 反射的に体を手で支えようと、前へ突き出す。

 そして地面に手を付き、上半身を支える。

 だが、その両腕からすら力が抜けた。

 下へと落ちていく全身。

 

 シェフィールドのその身は、大地の上に完全に伏せていた。両足は膝とくるぶしを合わせ折り畳まれ、両手は指先をそろえ地面を覆う。そして額を両手の上に乗せていた。

 亀かのように、身をできる限り縮めた姿。だがこの姿。幻想郷ではこう呼ばれている。

 

 土下座。

 

 と。

 やがて、身を伏せたままのポーズで、彼女は口を開いた。

 

「まことに!まことに、申し訳ありません!全くもって愚かな行為でした!あなた様には、大変ご迷惑をお掛けいたしました!」

 

(!!!???)

 

 シェフィールド。訳が分からない。それもそのはず。彼女はこんな事を言うつもりは、微塵もないから。だが口が勝手に開き、次から次へと言葉を連ねている。謝罪の言葉を。

 

「私がいかに未熟者の知恵足らずである事を、思い知りました!深く、深く反省しております!あなた様のお怒りは重々承知しております!ですが、ここはどうか!どうかご容赦を!」

 

 徹頭徹尾、平謝り。だが当の虚無の使い魔は、徹頭徹尾どころか大混乱。

 

(な!?なんなのよこれ!?これが緊急用の手段!?ただ謝ってるだけじゃないの!!)

 

 頭の中に愚痴が次々と並ぶ。どうも最後に渡された永琳の薬は、平謝りするという効果のものだったらしい。

 ともかく、体と口は頭の事などまるで無視。完全に別行動。

 

「私は自らの分を弁えない、まさしく愚か者そのものでありました!愚鈍な無能者、それが私でございます!どのように罵られても、返す言葉もありません!ですが、ですが!お許しいただければ愚か者の身ながらも、いずれ必ずこの償いをさせていただきます!その時は全霊を持って尽力したいと誓います!」

 

 自分を貶める言葉をつらつら並べるシェフィールドの口。一方、頭の中は怒り心頭。プライドが高いだけに我慢ならない。

 

(な、何言ってんのよ!ここまで言う事ないでしょ!いくら逃げられないからって!)

 

 すぐにでも口を縫い付けたい気分だ。自分自身の口を。

 

 だがふと視点を変える。実際、逃げられないのも事実なのだから。今の姿は屈辱そのものだが、悪化の一途だった状況が一旦停止している。現に相手も、この平謝りしているシェフィールドを見て、動きを止めていた。

 

(もしかして、この世界では謝ってる相手に手を出さない……、いや見逃すのかしら?)

 

 永琳が緊急手段と言ったこの薬。これまでの薬と同じように、奇跡の効果を生み出すのか。そんな期待がシェフィールドの中で膨れだす。

 

 だが、そんな事は起こらなかった。

 

 後頭部に強烈な衝撃。

 1000リーブル(≒500kg)を超えるインパクト。ただの人間なら、城壁から落とした梨のように潰れていた。だがこの強化された体のおかげか、なんとか死なずにはすんだ。今の所はだが。

 もっとも、今の打撃で顔は地面に埋没。そして頭には、にじるように踏みつけるヨーカイの足。怒気をはらんだ言葉が、直上から降りてくる。

 

「あんた、舐めてんの?」

「ばごどに、ばごどに、ぼぼじわげありまぜん……」

 

 地面に埋まりながらも、謝罪しか口にしない、できないシェフィールド。絶望、八方ふさがり、万事休す、終わりの言葉がズラリと並ぶ。

 

(な、何が緊急用よ!まるで役立たずじゃないの!)

 

 頭の中で喚き散らす。だが虚無の使い魔に今できる事はこれだけ。打つ手なし。

 

 すると、後頭部の足がふと外れた。同時に届く、ため息交じりの声。

 

「はぁ……。もういいわ。死になさい」

 

 死刑宣言。

 シェフィールドの体中に緊急警報発令!それでもこの身は、全く言うことを聞かない。幻想郷連中に絡まれて以来、もはや何度目か、こうして情けない死に目に遭うのは。泣きそうになる。後わずかで、頭下げて平謝りしながら、馬車に潰された蛙のように死んでしまう。脳裏に描かれる未来像。

 

 だがまだ彼女は見捨てられていなかったのか、それともてゐの幸運効果が残っていたのか。突然、救いの手が届く。

 

「あ、幽香さん」

 

 美鈴の声だった。同時に止まる、幽香と呼ばれたヨーカイ。シェフィールドの後頭部から足が外された。幽香は美鈴に話しかける。

 

「あなた。留守の時くらいは、代わりの門番置いておいた方がいいわよ」

「え?」

「これ」

 

 シェフィールドを指差すような言葉。その後から来る、美鈴の抜けるような驚きの声。

 

「え!?ええ~!?わ、私!?」

「あなたに化けて、忍び込んでたわよ」

「だ、誰ですか!?」

「さあ?聞いても答えないの。面倒だから殺しちゃおうと思ってね」

「あはは……」

 

 美鈴の苦笑い。

 こんな中でも、シェフィールドはずっと謝り続けていた。しかし、心の中では安堵の気持ちで一杯。まだまだ分からないが、今すぐの死は逃れたのだから。

 

 その時、ふと体が軽くなった。いや、それだけではない。言葉が、謝ってばかりだった口が止まった。手に足に力が入りだす。口元も自在に動き出す。自由。この身は自由になっていた。彼女は思わず立ち上がる。そして拝むように叫んでいた。自分を指さして。

 

「あ、あの!私です!シェフィールドです!」

「「!?」」

 

 美鈴も幽香も眉をひそめ怪訝な顔。文字通り何を言っているのだというふう。しかし彼女は続けた。

 

「や、八意先生から頂いた薬を飲んだら、こうなってしまったんです!」

「永琳さん?」

 

 美鈴は、この所出入りしている薬師の名を口にした。確かに今日、永琳が訪問する予定にはなっていた。ただその時間帯、美鈴は出かけており入れ違いになったのだが。

 とりあえずは、目の前の女性言い分を聞いてみる中華妖怪。

 

「永琳さんから何貰ったんです?」

「傷薬や、力の付く薬などです。生活に便利だからと。その内一つを飲んだら、このようになってしまいまして……」

 

 必死に言い訳をするシェフィールド。未だに美鈴の姿のままで。

 話を聞いていた本物の方はというと、左右へ首を傾けている。今一つ納得いかない様子。彼女の言い分を素直に取れば、美鈴に化ける薬を永琳が手渡したという事になる。だが、理由がさっぱり分からない。一方、シェフィールドという名は、紅魔館のそれもごく一部の者しか知らない。なんと言っても昨日来たばかりなのだから。目の前の美鈴に化けている何者かが、実はシェフィールドではないと考えるのも難しい。どちらの考えも収まりが悪かった。

 

 すると隣に立つ幽香が何かを感じたのか、美鈴に疑問を一つ。

 

「美鈴。あなた丁度いいタイミングで来たけど、誰かに何か言われた?」

「えっと……。人里で、てゐに言われたんですよ。幽香さんが館で待ってるって。だから、待たせちゃ悪いと思って、急いで来たんです」

 

 その答えを聞いたシェフィールドが、すかさず声を上げていた。

 

「てゐって、因幡てゐって言ううさぎのヨーカイですか?」

「そうですよ。ってなんで知ってるんです?」

「私も会ったんです!その後、おかしなトラブルに巻き込まれて……酷い目に遭いました」

 

 彼女の話を聞いて、幽香がわずかに笑みを漏らす。美鈴は、不思議そうにそんな彼女を見ていた。

 

「なるほどね……。そういう事」

「幽香さん、なんか知ってるんです?」

「ちょっとね。ここ来た切っ掛けがね」

「切っ掛け?」

「少し前に、美鈴がこれから花壇の模様変えをするって聞いたの。だから来たのよ。模様変えする前に、花のタネ渡した方がいいと思って」

「模様替え考えてますけど、今すぐって訳じゃないですよ」

「やっぱりね」

 

 意を含むように鼻で笑う幽香。

 一方、シェフィールドは目の前のヨーカイ達の会話から、不穏なものを抱く。間諜の彼女だからか。どこか陰謀の匂いがすると。

 

 気付くと幽香から緊張が解けていた。そしてシェフィールドの方へ顔を向ける。ほんの少し前まであった殺気は、欠片もない。

 

「さっきは、悪かったわね」

「は、はぁ……」

 

 悪いの一言で済むのか、殺されかけたのに。表情こそ気にしてないかのようだが、胸の内で毒づく。ただ、彼女自身もハルケギニアで散々似たような事をしていたが。そんなものはどこかの棚の上。

 幽香は言葉を続ける。

 

「まあ、詫びという言う訳でもないんだけど、一つ助言してあげるわ。あなた、たぶんハメられてるわよ。あの薬師に」

「それは、いったい……」

「永琳とてゐは同居人なのよ。きっとグルね」

「な……!」

 

 言葉がない。なんだかんだで感謝し感服していたあの薬師が、実は自分をハメようとしていたとは。裏切られた気分だ。もっとも、裏切り自体も彼女自身は何度もやってきた。しかし、やられると腹が立つ。勝手なものである。

 

 やがて幽香は背を向けた。

 

「それじゃぁ、私、行くわ。あ、そうそう。美鈴、これ。鹿の子百合の種」

「ワザワザ持って来てくれたんですか。ありがとうございます」

「ついでにあなたの花壇見せてもらおうと思ったけど、またにするわ」

「何か予定があるんです?」

「宇宙人を一発殴りにね」

「はぁ……」

 

 またも美鈴苦笑い。幽香らしすぎて。

 

 やがて幽香は日傘をさし、門へと向かう。優雅に進むその姿。ただシェフィールドには、その後ろ姿にまたも凶暴なものを感じずにいられない。本能的に、この女には近づかない方がいいと思ってしまった。

 そして幽香の姿が消えると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。

 

「あの……」

「はい?」

「あの方は何者なんです?」

「風見幽香さんといいます。花の妖怪です」

「花!?花のヨーカイ!?で、でも、全く花って印象ないですよ!確かに優雅な感じはしなくはないですけど……。強いというか、なんというか……」

「はは……。まあ、いいたい事は分りますけどね。実際、とても強いですし、怒らせるとただじゃ済みませんし。普通に接していれば、そう悪い人じゃないんですけどね」

「…………」

 

 その普通に接するのが、無理だと思ったが。それにしても花のヨーカイという、一見可憐そうなイメージからは程遠い凶暴さ。そして強さ。しかも魔法などではなく、単純に腕力が強いのだから。どの辺りが花のヨーカイなのか、よく分からない。

 さらにシェフィールドは質問を追加。

 

「それと、因幡てゐってヨーカイ何ですけど、妙な事を言われました。幸運をあげるとか……」

「へー、そうなんですか。それ、彼女の能力ですよ」

「幸運を与えるのが!?」

 

 シェフィールドの口は半開きのまま止まる。信じがたい。幸運を与えるなどという力が存在するとは。そんな事ができるのは、一つしか思いつかなかった。

 

「その……天使か何かですか?」

「いえいえ。ただの妖怪うさぎです。しかも、その力をロクな事に使いません。いたずらが趣味みたいな妖怪ですからね。しかも妙に頭が回るので、そこらの妖精や妖怪達よりタチが悪いです」

「……」

「あ!そう言えば、トラブルがあったって言ってましたけど、何があったんです?」

「花壇に、落とし穴や罠がたくさんあったんです」

「え!?落とし穴?それじゃ花壇は?」

「酷い有様です。穴だらけですし」

「あ、あいつは……」

 

 一瞬、拳を固く握るが、すぐに肩を落とし項垂れる美鈴。これからの後始末を考えると頭が重い。

 他方、シェフィールドはふと思う。風見幽香という花の印象とはまるで合わない、凶暴な花の妖怪。因幡てゐという、幸運を授ける力を悪事にしか使わない妖怪うさぎ。なんというアンバランスさか。この幻想郷は常識で計ってはいけないと、どこかの風祝のような考えが浮かんでいた。

 

 やがて、二人は館の中へと戻って行く。そして、揃ってシェフィールドに割り当てられた部屋へと入った。そこにはちょっとした客間。まさしく貴族の館にふさわしい整然とした部屋だった。とても人外の住処とは思えない。

 部屋の中央のテーブルには一着の服が、綺麗に畳んでおかれていた。潜ませていたマジックアイテムの方も、なんとか無事。美鈴が話しかけて来る。

 

「えっと、シェフィールドさんの服。一応洗濯が終わりましたので」

「ありがとうございます」

 

 メイドらしく丁寧に礼を返すシェフィールド。すると美鈴は、さっきから気にしている事を口にした。

 

「ところで、その姿。戻るんですか?」

「効果は半時ほどと聞いています。もう、まもなく戻ると思いますが」

「そうですか。ずっとそのままだったら、どうしようかと思っちゃいました」

「それは、私も困ります」

「ですよねぇ。でもなんで永琳さん、そんな事したんでしょうか?」

「さぁ……」

 

 二人は同時に首を傾げる。姿が完全に同じなので、まるで分身の術でも使ったかのようにユニゾンしている。

 しばらくして、美鈴は部屋の入り口へと向かった。

 

「それじゃぁ、シェフィールドさん。とりあえず変身が解けるまで、ここにいてください。外でると、ややこしい事になるかもしれませんので」

「はい」

 

 シェフィールドの素直な返事。トラブルに巻き込まれた哀れなメイド、という雰囲気を最後まで漂わせて。やがて美鈴の姿が消えると、表情が戻る。いつもの彼女に。

 

「この私をハメるとは……。あの薬師め……」

 

 じわじわと怒りが湧いてくる。思い起こせば、美鈴の姿に化けたのも永琳に誘導されたからだった。花壇の落とし穴の始末をチルノ達にやらせるには、当主代行に化ければいいと。しかもその花壇の数々の罠自体が、彼女の仲間のてゐのせい。つまり何もかもが仕組まれていた訳だ。そして手渡されたいくつかの薬。これも何か意図があるのかもしれない。

 ただこの薬。効果があったのも確か。それは自分の身をもって証明した。もしかしたら、薬の人体実験に使われたのではとの考えが浮かぶ。

 

 とにかく、この世界は信用できる者がほとんどいない。あえて言えば美鈴くらい。いや、彼女もどこまで信用できるか分かるない。

 やがて彼女は決断する。もはや付き合っていられない。こんな所にいるのはコリゴリだと。では、どうするか。おもむろに虚無の使い魔は自分の手を見る。未だ美鈴の姿をしている自分の手を。

 答えはすぐに出た。直ちに幻想郷から去ると。ハルケギニアに帰ると。変身が解けない内に。

 

 シェフィールドは決意を固めると、すぐさま部屋を出た。みずからの服を手にして。行先はもちろん図書館。魔法陣のある図書館だった。

 

 

 

 



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二つの脱出作戦

 

 

 

 図書館の大きな扉が開く。開けた人物は紅美鈴。いや、美鈴の姿をしたシェフィールド。

 目の前に広がるのは、悪魔の巣窟となっている図書館。彼女は呼吸を整えると、なるべく自然を心がける。そして、慎重に図書館へと入って行った。扉の先には小悪魔達。相も変わらず自堕落な様子。シェフィールドに一瞥を向ける者もいるが、気にしている様子はない。結局、彼女の不安を余所に、あっさりと奥の部屋へたどり着いた。魔法陣があるという部屋に。シェフィールドはその大きな扉に手をかけた。ハルケギニアに通じるという道を。

 

 あったのは真っ白い広い部屋。

 

「何もないじゃないの……」

 

 出てきた第一声はこれだった。実際、不思議な灯りに照らされた白い部屋はガランと空っぽだった。てっきり仰々しいマジックアイテムがあると思っていたが、本当に何もない。

 だが何もないのも当然だ。『魔法陣』はアイテムではないのだから。だが、ハルケギニアの住人である彼女。魔法に関わるものは、形あるアイテムであると勝手に思い込んでいた。

 

 足を進めるシェフィールド。すると、ふと違和感に足を止める。むしろ、正常になったと言うべきか。

 

「どうやら時間切れのようね」

 

 手の形が変わっているのに気づく。もちろんそれだけではない。足も、体も、顔も、服装も。全て元のメイド姿に戻っていた。変身薬の効果もここまでらしい。すぐにメイド服からいつもの服装に着替える。もちろんマジックアイテムも身に着けて。

 

「やはりこっちの方が落ち着けるわね。さてと……」

 

 すっかり本来の心持ちを取り戻したシェフィールド。じっくりと辺りを見回す。目標の魔法陣を探すために。だが見ての通り、隠すどころか物自体がない。想定外の状況に少し眉をひそめる。もしかして、美鈴が嘘をついたという可能性も考えたが、あの状況では不自然だ。

 

 目に入るものはわずかしかなかった。部屋の四隅の何やら文字らしき図形。そして、部屋の中央にはよく目立つ物が一つ。いや、物ではない。床に描かれた図形があった。ただそれはよく貴族の屋敷の床にある床絵、単なる飾りのようにしか思えない。実はこれこそ魔法陣なのだが、やはり彼女は気づかない。

 

 床絵の側まで来て、もう一度辺りを見回す。だが何度見ても、それらしいものは見当たらない。すると思いついた事が一つ。

 

「もしかして……この部屋全体がマジックアイテムか?」

 

 何せ、異世界に転移するというほどのものなのだ。この部屋自体がマジックアイテムである、という可能性もあり得るかもしれない。

 

「片っ端から試すしかないわね」

 

 虚無の使い魔はポツリとつぶやくと、腰を下した。そして床に触れてみる。しかし『ミョズニトニルン』のルーンは無反応。ただの床だ。少し触る場所を変えてみるが、結果は同じ。再び立ち上がると腕を組む。俯き気味に。

 

「ダメか……。残るはこの床絵だけ……。絵自体にマジックアイテムの効果があるのかしら?しかし……」

 

 膝を付け、床絵を凝視する彼女。ふと、視界の隅に影が入る。何気なく視線を上げた。

 人が佇んでいた。床絵の先に。白いドレスに紫を基調とした奇妙なエプロン。そして赤いリボンを付けたナイトキャップを被った金髪の女性が。怪しげな笑みを湛え、シェフィールドの方を見ていた。

 

「お、お前いつのまに!?」

 

 反射的に後ずさるシェフィールド。部屋に入った時には誰もいなかった。後から部屋に入って来た事に、気づかなかったのか?そんなハズはない。なんと言ってもこの部屋の外は、悪魔だらけの図書館。十分警戒していたつもりだからだ。

 そもそも紅魔館で、目の前の者を見た覚えはない。美鈴から説明を受けた中でも、この女性に思い当たる人物はいなかった。だとすると部外者となる。だがそれは、悪魔の図書館を抜け、ここに入った事を意味する。これだけでも十分不自然。それに纏わりついている奇妙な異質感。あの風見幽香とも違う、むしろさらに異様な感覚。それがあった。

 

 体中が張り詰める。腰のマジックアイテムに、思わず手が向かう。じりじりと下がりながら、戦いの体制を整える。

 そんな彼女に、女性は礼を一つ。

 

「始めまして。ミス・シェフィールド。わたくし、八雲紫と申します」

「…………」

「最初に助言しておきますけど、魔法陣を動かすことは『ミョズニトニルン』と言えどもできませんわよ」

「な!何故……『ミョズニトニルン』の事を……!」

「魔法陣はマジックアイテムと違って、魔力は術者持ち出しですの。あなたがメイジでもない限り、動きませんわ」

「き、貴様!な、何者だ!?」

 

 シェフィールドの叫びが、何もないこの部屋に反響する。彼女の頭の中に、疑問が一斉に湧き立つ。

 ミスという呼称は幻想郷では聞いていない。メイジという言葉も。しかも、自分が何故『ミョズニトニルン』と分かったのか。いや、そもそも何故その言葉を知っているのか。もしかしてここは幻想郷などという異世界ではなく、実はハルケギニアのどこかなのだろうか。そんな考えすら過る。

 

 だがそんな彼女の困惑を他所に、八雲紫は緩やかな笑みを湛えるだけ。

 

「いろいろと疑問はあるでしょう。お答えしますわ。私も伺いたいことがありますから。ともかく、我が家にご招待いたしましょう」

 

 異質な女性はそう告げた。

 シェフィールドに直感が走る。あの風見幽香と同じように。本能が命じていた。すぐに逃げろと。

 気付くと走り出していた。扉に向かって。この扉の向こうは悪魔の群れの真っただ中だというのに、そんなものはもはや頭にはない。ノブに手をかける。思いっきり開ける。そして飛び込んだ。扉の先へ。

 

「え?」

 

 扉から出た場所。そこには、背を向けている八雲紫が佇んでいた。いや、それだけではない。彼女の向うには自分の背中があった。扉の先にいる自分が。真っ白な部屋で突っ立っている自分の背中が。

 

「な!?バ、バカな!?」

 

 すぐに振り返り、慌てて元の部屋に戻るシェフィールド。

 だがそこで見えるのも、こちらを向く八雲紫。そして同じく、奥の扉の向こうで背を見せる自分。いや、それだけではない。さらに、その扉の奥にも、八雲紫と自分が見える。まるで合わせ鏡のように、八雲紫が、自分が、この部屋がどこまでも続いていた。

 

「な……」

 

 シェフィールドの身は、わずかも動けなくなっていた。全ての骨が金属の支柱となったかのよう。頭は脳の代わりに綿でも詰め込まれたように、なんの答えも導き出さない。ここはどこなのか。一体何が起こっているのか。そして目の前の"あれ"は何なのか。怯え、当惑、呆然、全ての画材を混ぜたような感情が、頭を塗り込めていた。

 

 やがて"あれ"は、広げた扇子で口を覆うと流麗に語る。

 

「では、参りましょう」

 

 扇子が閉じられた。全てを断ち切るような音を立てて。

 

 すると、シェフィールドの頭上に一本の線が現れる。それは空に流した一本の糸のよう。だが、それが膨らみだす。いや、面のように広がりだす。違う、それは宙を裂く割れ目となっていた。そして見えた裂け目の向こう。そこには暗闇が広がっていた。無数の眼光が浮いていた。幻想郷では俗に、"隙間"と呼ばれる彼女固有の空間が。

 

「っ……!?」

 

 開いた口からは、言葉とも叫びともつかないものしか出てこない。頭が止まるとはこの事か。思考の外とはこの事か。

 シェフィールドは暗闇の中、無数の目に囲まれていた。目が彼女を見つめていた。そこに浮く金髪の女。口元が、裂け目と同じように開いた。

 

「さあ、我が家へ招待いたしますわ」

 

 シェフィールドが覚えているのは、ここまでだった。

 

 

 

 

 

 幻想郷のとある場所。わずかな者しか知らない隠所に、大妖の屋敷があった。その屋敷の誰もいない居間に、突如、人影が現れる。ここの主、スキマ妖怪、八雲紫である。彼の相手に背を向けたまま、ふとそこにいた。優雅であり、妖艶であり、不気味であり、不可解。そんな空気を纏い、ここにある。

 紫は扇子を広げると、なだめるように言葉を流した。

 

「ようこそ。どうぞお寛ぎになってください」

 

 背を向けたまま、威圧と安堵を織り交ぜたような響きが部屋に満ちる。

 

「はぁ」

 

 しかし、こんな状況にも拘わらず、当の相手の返事は紫の予想と違って緊張感がない。本当に言葉通り寛いでいるなら、たいしたタマだ。だがそんな相手の様子を他所に、妖怪の賢者の仕草は悠然としたもの。

 

「全ては、私にお任せを。安心していただいて結構ですわ」

「そうですか。では、あとの作業は全てお任せします。紫様」

「ええ。……え?紫"様"?」

 

 "様"付けで呼ばれた。連れてきたはずの相手が、絶対口にするはずのない呼び名で。紫は思わず振り返る。

 彼女の目に入ったのは、割烹着を脱いでいる九尾の狐。紫の式神、八雲藍である。九尾の狐という大妖にもかかわらず、紫の式神という立場。八雲紫という妖怪の、底知れなさを物語っているような存在だ。なのだが、時々立場が入れ替わる事もあったりする。もっぱら家事やら作業やら生活全般に絡んで。

 

 ともかく、自分の式神を前にした紫は、目を丸くしていた。どこかヌケた顔で。

 

「あら?藍」

「あら、藍じゃないです!どこ行かれてたんですか?紫様が勝手に出て行ったものですから、あの術式、まだ終わってませんよ。他に家事もしないといけませんでしたし。おかげで、出かけるのがすっかり遅くなってしまいました。もう少し早く、お帰りになってもらいたかったですね!」

 

 藍の語気が荒い。対して、小さくなっている紫。ついさっきまでの威圧感は、どこへやら。

 

「あ、あらそう……。そ、それは悪かったわ」

「では。私は小用がありますので」

 

 憮然としたまま、藍は割烹着を綺麗に畳む。そして、さっさと出て行こうとした。だが、慌てて声をかける紫。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「何でしょうか?」

「誰か来てなかった?」

「いえ。今日はどなたも来られてませんよ。幽々子様もいらしてませんし」

「そうじゃなくって、外来人、来てなかった?」

「外来人なんて、なおさら見てませんよ」

「あら?」

 

 傾げる紫。想定外。そんなバカなという表情。

 紫はその隙間を操る能力により、自由に空間を繋げる事ができる。この能力で紅魔館とここを繋げ、シェフィールドを誘導したのだ。したハズである。だが、当のシェフィールドはいない。ちなみに、魔法陣の部屋でシェフィールドが鏡合わせのように見えたのも、この能力のため。

 

 様子のおかしい紫を見て、藍が足を止めた。

 

「外から誰か連れて来たんですか?」

「外からじゃないんだけど、まあ、連れて来たのは確かね」

「少し屋敷内を見回ってみます」

「私も見てみるわ」

 

 念のためと、屋敷を巡る二人。それからほどなくして、藍と紫は居間に戻っていた。

 

「いませんね」

「いないわね」

 

 同じ答え。眉間を狭め、腕を組み、考え込むスキマ妖怪。一方の九尾は半ば呆れ顔。

 

「つまりは、攫った相手をどこかに落としてきた訳ですか」

「落とす訳ないでしょ」

「でも、いないじゃないですか」

「隙間の中で、無くしたのかしら?」

「もっとマズイでしょ」

「ほほほ、冗談よ」

「はぁ……」

 

 疲れた溜息をもらす従者に、主は苦笑いでごまかす。頬をヒクつかせながら。ともかく藍の言う通り、いないのも事実。どうにも腑に落ちない。すると藍が案を一つ口にした。

 

「なんでしたら、結界点検のついでに探して来たらどうです?」

「え?結界点検してないの?」

「紫様が急にいなくなるもんですから、作業に時間を取られたんです。おかげで点検する暇がありませんでした」

「うっ……」

 

 返す言葉がない紫。今日の藍は何故か辛辣。共同作業を紫が勝手に抜けだしたのだから、怒るのも無理ないのだが。

 

「それに紫様は先ほど、後の事は任せろとおっしゃいました」

「上げ足取らないでよ」

「今回ばかりは、取らせていただきます」

 

 強気の式神。もはや主は完全降伏である。両手を合わせ降参の賢者。

 

「分かった。分かったわ。私が悪かったわ。だから手伝ってよ」

「いえ。ダメです。そもそも術式は紫様から言いだした事なのに、当人がサボってるんですから」

「だ、だって……せっかくのチャンスだったのよ……」

「もう時間がないので、出かけます。ついでに、夕食の買い物もしてきますから。では」

「あ!こら、藍ってば!」

 

 従者は主を放っておいて、とっと飛んで行ってしまった。それを紫は肩を落として見送る。今回ばかりは、さすがのスキマも反省しているのもあって。しかし、彼女にも言い分はあったのだ。二人目のハルケギニア人が来たのである。見逃す手はないと。もっとも、しっかり一言断っておけばいいだけの話だったのだが。

 

 藍の姿が見えなくなると、紫は居間の座布団へ腰を下ろす。疲れたように。そして座卓に肘を立て、頭を支え、菓子鉢から煎餅を一枚。そして思考はまたシェフィールドへ。

 

「私の隙間から逃げ出した?とても、そんな事できるように見えなかったけど……」

 

 一人でつぶやきながら、頭を巡らす。

 ただの人間程度の存在にしか感じなかったシェフィールド。いくら虚無の使い魔『ミョズニトニルン』だと言っても、紫の隙間から抜けだすなど出来る訳がない。そもそも『ミョズニトニルン』はそういう能力ではない。マジックアイテムを使った様子もなかった。だからと言って、何か納得のいく答えが出る訳でもない。妖怪の賢者をもってしても、真相は闇の中。

 

「体を動かせば、何かいい考えが出るかしら?」

 

 そう呟くと、煎餅を口に放り込み立ち上がる。扇子を取り出し、縦に軽く振った。それをなぞるように切り開かれる空間。向こうに見えるは、暗闇の中の無数の目。そんな不気味な空間へと、紫はため息を纏いつつ入る。彼女の仕事、『博麗第結界』の点検に向うために。

 

 それから、点検がてら幻想郷中を回ったが、シェフィールドの姿は全く見当たらなかった。

 

 ところで、紫が何故『ミョズニトニルン』の事を知っていたかと言うと、神奈子達との会合の時、パチュリーの資料を見たから。そして、シェフィールドがその『ミョズニトニルン』である事を知っていたのは、本人の独り言を聞いていたから。シェフィールド出現を知った彼女は、藍との作業を抜け出し、この異世界人をずっと観察していたのだった。

 

 

 

 

 

 シェフィールドは茫然と辺りを見回していた。広い部屋にしゃがみ込んで。ここはどこなのか。いや、よく知っている。知ってはいるが、何故ここにいるのかが分からない。

 

 ゆっくりと立ち上がる彼女。目に入るは巨大な模型。見覚えのよくあるもの。彼女の主が惚れ込んでいる、手のかかった模型だ。ハルケギニア全体を模したもので、山や川の形などまるで空から見たかのように凝った作りになっている。さらに精巧な小さな人形が各地に配置されていた。ここはシェフィールドの主、ガリア王ジョゼフの私室。そしてこの館は、ガリアの中心、ヴェルサルテイル宮殿。ハルケギニアにおける、彼女のもう一つの故郷とでもいうべき場所だった。

 だが今、ここの主の姿は見えない。食事中か、出かけているのか、あるいは寝ているのか、それとも虚無の宿敵と会話を楽しんでいるのかもしれない。何にしても気まぐれな人物だ。どこにいるかを予想するのは、彼女でも難しいだろう。

 

 しかし、確かなものもここにはあった。帰って来たのだ。自分の世界に。シェフィールドの胸の内に、安堵感が溢れる。あの理不尽な世界から解放されたのだから。あれは実は、夢だったのではという気持ちすら浮かぶ。

 すると、頭を過るものが一つ。それはあの薬師からもらった薬。懐を探るとそれはあった。おもむろに手にする四つの袋。身体強化、完全治癒、変身そして土下座の薬。息を飲むシェフィールド。薬は告げている。幻想郷。あの異質な異世界は本当にあったのだと。

 この薬のおかげで散々な目にあった。しかし、この薬が脅威の効果を持つのも事実。もしこれを量産できれば、ガリアは諸国に対し圧倒的な力を持つこととなるだろう。身体強化の薬を全兵に配るだけでも、兵力が五倍になったも同然。シェフィールドの口元がわずかに緩む。

 

 その時だった、ふと視界に入ったものがあった。部屋の隅。小さなテーブルの上に置かれている、古ぼけた骨董品。

 

「な……!?なんで、ここに……?」

 

 思わず声を漏らしていた。目を大きく見開いたまま、動けずにいた。

 信じ難かった。あれがここに何故あるのか。あるハズないものが。

 あれは彼女の手元から失われた。水の精霊にアルビオンのハヴィランド宮殿から奪われ、行方知れずとなった。だがここにある。古びた骨董品、『始祖のオルゴール』が何故か置いてあった。

 

 

 

 

 

 午前の日差しを浴びた学び舎。トリステイン魔法学院。貴族の子息、息女が通う由緒正しき学校。だが今の様子は、とてもそうは見えなかった。

 開いた窓に肘をかけ、キュルケがポツリとつぶやく。

 

「いつからここは、刑務所になったのかしら?」

「…………」

 

 隣に立っているタバサは何も言わないが、小さくうなずいた。

 二人がそう思うのも無理はない。なんと言っても、このトリステイン魔法学院をぐるりと大量の兵達が囲んでいるのだから。しかもこれは全て警備の兵である。

 

 シェフィールド一味が、レミリア達からヴァリエール家へ引き渡されると、直ちにその報は王宮へ伝えられた。一味の目的が、学院の生徒達誘拐というのも知らされた。すると王宮は、ハチの巣をつついたような騒ぎに。もちろん多くの貴族たちの子らが通っているのだ。国としても貴族としても親としても大問題である。すぐさま一部の貴族が、自らの騎士団を学院警護へ派遣。それを切っ掛けに次から次へと、騎士団がやってくる。さらに次の襲撃を警戒し、生徒たちには無期限外出禁止令の発令。おかげで、学院から一歩も出ることができない。

 兵で何重も囲まれ、外に出ることもできない。キュルケがここは刑務所かというのも、言い得て妙だったりする。

 

 一方で学院の教師達は、胃の重い日々を送っていた。特にオールド・オスマンは。彼は学院の最高責任者。各騎士団は警備の名目なので、一応彼の指揮下に入る事にはなっている。しかし、実状はバラバラの集団。その各地の兵達を、トラブルがないようにまとめあげるだけでも一苦労。さらに貴族達から生徒の安全についての、質問やら提案やらが書簡で次々届けられる。これら全部に対応しているのだ。幸い、王家からアニエス達が補佐として遣わされており、かなり助けられてはいるが。

 また他の教師も、程度の差はあれど似たような仕事をやらされている。以前はいい加減だった夜間の見回りも、今では誰もがキッチリこなしていた。

 

 ところでルイズ達は、まだ戻って来ていない。ダルシニ達の村を復旧中。教師達にとっては、これはせめてもの救い。こんな状況に幻想郷の連中まで加わったら、オスマンは過労死していたかもしれない。

 

 何時になく騒がしい学院を、面白くなさそうに外を眺める二人。しかも休日すら外出禁止なので、不満もたまるというもの。キュルケはもちろんだが、タバサもどことなく不満そう。トリスタニアに本を買いに行く事ができなくなったのが、理由かもしれない。

 

 キュルケはぶちまけるように愚痴をこぼす。いろいろと溜まっているのだ。この不自由な状況に関しては。

 

「だいたい夏休みがないって、どういう事!?」

「なくなってはいない」

「秋休みになったって言うんでしょ」

 

 うなずくタバサ。

 

 実は、夏休みもなかった。それどころか、新学期開始の時期もとうに過ぎてしまった。

 軍事教練が授業として入ったため、当初の予定通り学習計画が進まなくなった。おかげで授業は夏休みに割り込み、期日がずれる事に。そして兵力の復旧が急務だった国が、学生の軍事レベルの早急な向上のため、これに便乗。さらに夏休みの期日はずれる。やがて、ずるずると期日は伸び、とうとうこの時期に。新学期になった頃だというのに、未だ"夏休み"は始まっていない。一応大型休日はある事になってはいるが、その休日は"秋休み"と呼ばれていた。

 

 そんなキュルケとタバサに声がかかる。

 

「外、見ても、うんざりするだけじゃないかい?」

「ん?」

 

 振り向いた先には、色男と太っちょがいた。ギーシュとマリコルヌだ。二人にも不満そうな色合いが感じられる。特にマリコルヌには。その彼が話しかけて来た。

 

「いやな噂を聞いたんだよ。秋休み中も、外に出られないかもしれないって」

「何よそれ!?」

 

 思わずキュルケは激高する。夏休みは散々先に延ばされたが、秋休みはもう間もなく。ようやくこんな状況から解放される、と思っていたのだから。休みが来ても、ここから出られないのでは意味がない。

 褐色の美少女は、太っちょの襟首をつかみ上げた。

 

「どういう事よ!」

「ちょ、ちょ、ちょっと……。首、首が……」

 

 首絞められるような状況になっているのに、どこか嬉しそうなマリコルヌ。そんな彼の脇から、気の削げたギーシュの声が漏れて来る。

 

「学院襲撃の話があったろ?」

「ええ」

「いっそこのまま生徒を学院に閉じ込めておけば、護衛が楽なんじゃないかって噂があるらしいよ」

「はぁ!?」

 

 思いっきりの疑問形。不満と文句が顔に張り付いている。

 

「ふざけんじゃないわよ!私は関係ないでしょ!トリステイン人だけ、しっかり守っておけばいいのよ!」

「関係なくはない」

 

 タバサからの平然としたツッコミ。

 

「なんでよ。同じ生徒だから?」

「ゲルマニアはトリステインと同盟中。あなたも標的になる可能性がある」

「うっ……」

 

 返す言葉がないキュルケ。確かにタバサの言う通り。しかもツェルプストー家の家格は高い。標的にされるには十分な理由があった。

 行き場のないストレスが煮立っている。拳を握り、震えながら歯ぎしりしている。もはや微熱ではなく灼熱と、今なら呼ばれていただろう。だが、それが急に収まる。すっきりというか開き直ったような顔を上げた。

 

「ねぇ。ここから抜け出さない?」

「「ぬ、抜け出す?」」

 

 ギーシュとマリコルヌがハモっていた。さらにハモって質問。

 

「「どうやって?」」

 

 姿勢も合わせたように前のめり。期待がちょっとばかり顔に出ている。二人も不満が溜まっていたのだろう。しかし、その答えは提案者ではなく、意外な所から出て来た。隣の雪風から。

 

「抜け穴を作る」

「抜け穴?簡単に言うけど、方法は?」

 

 ギーシュは、抜け穴と聞いて自分の得意分野とすぐに理解。理解はしたが、すぐ思いつく障害だけでも山ほどある。それはマリコルヌも同じ。二人が一斉に疑問を口にしようとした。しかし、キュルケが話を止める。

 

「ま、続きは部屋でしましょ。こんな所、先生方に見つかったら厄介だわ」

「そうだな。それにしてもタバサが、この話に乗って来るなんて」

 

 ギーシュは意外そうに、優秀で小さなメイジを見た。あまりに無口なので、勝手に冷静沈着なよい子のイメージを抱いていたのだが、ある意味彼女を見直していた。それにキュルケが笑みを添えて答える。

 

「あの子も文句アリアリだったもの。今の状況」

「なんか言ってたの?」

「別に。でも、見ればわかるわ」

「そう……なんだ」

「だいたい、今の状況に不満のない生徒なんているのかしら?」

「それもそうだ」

「とにかく、みんなやる気があるなら、話詰めちゃいましょ」

「そうだね」

 

 こうして四人は監獄からの脱出という希望を胸に、作戦会議へと向かった。

 

 

 

 

 

 すっかり双月の上がった夜。

 広場の隅、使い魔のたまり場。昼間は主の授業の終わりを待っている使い魔で賑わっているこの場所だが、夜はシルフィードなどよほど大型の使い魔以外は主と共に部屋にいる。

 

 そのシルフィードは、渋い顔で羽を使って足元を隠していた。というのは、そこに四人の脱走囚人(予定)が潜んでいたから。キュルケ、タバサ、ギーシュ、マリコルヌである。先ほど衛兵の見回りをやりすごしたばかり。これでしばらく誰も来ない。四人は用心深くシルフィードの影から出る。そしてギーシュが物陰に向かって、小声で呼びかける。

 

「ヴェルダンデ」

 

 モソモソと近づいて来たのは大きなモグラ。ギーシュの使い魔、ヴェルダンデ。彼はヴェルダンデの頭を撫でながら話しかけた。

 

「いいかい。ヴェルダンデ。ここから真っ直ぐ東。城壁の向こうの50メイルほど先まで穴を掘るんだよ」

 

 ヴェルダンデは主の言う事にうなずくと、さっそく穴を掘りだした。

 

 つまりは、ここが穴を掘るスタート地点。使い魔のたまり場に生徒がいても、取り立てて問題はない。穴の出入り口を干し草か何かで蓋をしても、幻獣や動物のいる場所だ。不自然な事はない。そして、学院の衛兵もここにはあまり近づきたがらない。またシルフィードをはじめ、多くの使い魔がよくここにいる。彼らに穴を見張らせる事ができる。

 

 ヴェルダンデはあっという間に掘り進んで行った。さすがはモグラの使い魔か。四人はそれを期待一杯で眺めていた。するとギーシュが思い出したように尋ねる。

 

「それで、馬の調達はなんとかなったのかい?」

「ええ。シエスタからうまく行ったって聞いたわ」

 

 自慢の胸を突きだしてうなずくキュルケ。

 外に無事出られたとしても、学院周辺には大きな町はない。それに当然、トリスタニアまで行くことを考えている。だがその距離は、徒歩では厳しい。最低限、馬は必要だ。しかし学院からは、馬や馬車を持ち出すのは不可能。そこで近くの農家に、馬を置かせてもらう事にしたのだ。もちろんお金を渡して。その繋ぎをしたのがシエスタ。平民は一応、通行証と理由があれば出入りする事ができるので。

 ところでキュルケ達とシエスタだが、魔理沙達のアイスクリーム商売を切っ掛けに知り合いになっていた。たまに彼女自身も『魅惑の妖精』に寄る事もあった。

 

 全員が頷く中、キュルケが自慢げな表情を少し崩す。

 

「ただちょっと、予定とは違ったけど」

「違ったって?」

「馬が二頭しか調達できなかったの。それも、あまりよくないのしか」

「う~ん。あの金額じゃしようがないか」

 

 ギーシュは唸る。手元の金をひっかき集めて用意したのだ。無理もない。一同はお互いの顔を見やる。つまりこの内半分は、外に出ても意味がない訳だ。するとタバサがいきなり口を開いた。

 

「私は行かない」

「なんでよ」

「今の時間では本屋は開いてない」

「ああ、確かにね」

 

 空を見上げるキュルケ。双月が目に映る。確かに、この時間に開いている本屋はない。タバサはもうここには用はないとばかりに、寮へ戻りだす。

 残った三人。マリコルヌが、意気込みつつ事を始めた。

 

「じゃあ、さっそく決めよう。この中で一人だけ脱落だ」

「ちょっと待った。僕は外に出る権利があると思うよ」

「何でだよ」

「僕の使い魔が穴を作ったんだからさ」

「う……」

 

 ギーシュの当然とでも言いたげな答えに、マリコルヌ、言葉が返せない。すると次はキュルケ。

 

「ならあたしにも権利があるわ」

「え?何で!?」

「話を持ちだしたのはあたしよ。それに馬の話をまとめたのも私。で、あなた。何かやった?」

「え……。で、でもさ……」

 

 小さくなるしかない太った子。ギーシュとキュルケは勝利の笑みを並べていた。

 

「穴はなくなる訳じゃないし。また次の機会にすればいいじゃないか」

「そういう事」

 

 二人の投げ遣りな慰めを背に、マリコルヌはすごすごと寮へと戻って行くしかなかった。二人は後ろ姿をニヤニヤ見送る。

 

 時間がほどなく経つと、ようやくヴェルダンデが穴から顔を出す。どうやら抜け穴は完成したらしい。キュルケ達の表情が緩む。待ちに待ったという具合に。やがて二人は使い魔と共に、穴へと入って行った。

 

 穴を100メイルほど進むと出口にたどり着いた。使い魔達が顔を出す。キュルケとギーシュは使い魔の視覚を同調させた。辺りを探るフレイムとヴェルダンデ。穴の出口は林の中。木々の切れ目から、かがり火がいくつも見える。城壁の側には何人もの兵が見えるが、どことなく不満そうだ。向こうも向こうで、今の状況は我慢ならないらしい。だがそれだけに、少々緊張感に欠けていた。

 

「なんとかなりそうだね」

 

 穴の中でギーシュはつぶやく。うなずくキュルケ。やがて二人は穴から這い出した。そして側にいる使い魔に、命令一つ。

 

「いいかい?ここで見張りしてること」

 

 ヴェルダンデ達はうなずくと、穴の中へと入って行った。外のキュルケとギーシュは、さらに林の奥へと進んで行く。人目を避けながら。しばらくして林を抜けた。そして目当ての農家へ到着。そこで馬を受け取るとさっそく街道に出た。

 キュルケが声を弾ませていた。

 

「結構あっさりだったわね」

「そうだね。もう少し警備は厳しいかと思ったけど、やる気がなさそうで助かったよ」

「さてと、どうしようかしら。今からじゃトリスタニアに行っても、遅くなりすぎるし」

「そうだね。それじゃぁ、宿場町で成功祝いくらいにしとこうか」

「そうね」

 

 トリステイン魔法学院には日々の生活のため、多くの物品が流れ込んでいる。それらを扱うのは平民だ。だが、平民が泊まる場所など学院にはない。そのため学院から少し離れた場所に、小さな宿場町があった。ちなみに生徒達も、たまにその宿場町の酒場に入る事がある。学院とは空気の違う近場の酒場として、地味な人気があった。

 二人は頷くと、夜の街道を進んで行った。

 

 月明りだけの街道に馬を走らせる。学院の騎士団への伝令と出会うかと、警戒しながら進んでいたが杞憂のようだ。人影一つない。しばらくすると、学院と宿場町との中間辺りまで来た。

 突如、足元に火球。馬は足を撃たれ、そのまま倒れ込む。

 

「きゃっ!?」

「うわっ!」

 

 キュルケとギーシュは、前へと投げ出された。地面に突き落とされる二人。

 

「痛ったぁ」

「つつつ……」

 

 ギーシュ達はうめき声を上げるが、その痛そうな態度の割に怪我はしてしない。速度がそれほどでもなかったおかげだろう。だがその脇では、馬が断末魔を上げていた。わずかな間を置いてこと切れる。二人の目に映ったのは、足のなくなった二頭の馬。その足は、炭となって粉々になっていた。唖然とする色男。

 

「な……!なんだこれは!?」

 

 そこに、キュルケの緊張した響きが入る。

 

「ギーシュ。杖、抜きなさい」

「えっ!?」

「賊よ」

「!」

 

 ようやく気づくギーシュ。いきなり火の玉で馬が焼かれるなど、賊の襲撃以外には考えられない。しかも相手は瞬時に馬の脚を炭にした。かなりのやり手だ。二人は気を張り詰める。緊張感を纏う。お互いの背を合わせ、わずかな変化も見逃さないように、辺りゆっくり見回す。

 しばらくして、道外れから草をかき分ける音がした。そして一人の男が姿を現す。大きな杖を手にした、盗賊風の男が。だがその姿を見て、二人は言葉を失った。見知った顔だからだ。その傷を負った顔は。

 

 男の名はメンヌヴィル。二つ名を白炎という。

 

 学院襲撃最後の賊として手配中の人物。トリステインとゲルマニアには手配書が配られていた。さらに学院では、教師の方から詳しい説明もあった。だがキュルケはそれ以上に彼を知っている。なんと言っても、あのアンドバリの指輪奪還の時、自分たちを捕えようとした一人なのだから。その人となりは、衣玖から聞いていた。その能力と凶暴さも。

 彼女は、体中の細胞がざわめき立つのを感じていた。

 

 メンヌヴィルは杖を肩に乗せ、口元をわずかに緩める。

 

「学院があんなザマだからな。抜け出す悪ガキがいるとは思ったが、まさかお前だとはよ」

「な、何のことよ?」

「水の精霊の仲間だろ。お前」

「!」

 

 キュルケの顔が凍りつく。

 ロンディニウムではお互い対峙した立場だが、顔を合わせてはいない。何故、水の精霊と共にいた事が分かったのか。杖を握る手が汗ばんできているのが分かる。喉が渇いてきているのが分かる。

 メンヌヴィルがキュルケの事を察する事ができたのは、彼女の付けている香水から。ロンディニウムの賊騒動前、町に向かう最中の彼が賊らしい荷馬車一行から微かに感じた香りが、彼女と同じものだったのだ。

 

 身動きできないキュルケの耳に、小声が届く。ギーシュのいつもと違う真剣な声が。

 

「僕がワルキューレを使って、ヤツの意識を分散させる。その間にキュルケが攻撃してくれ」

「……ええ。分かったわ」

 

 キュルケの動揺が静まっていく。余裕がわずかに蘇っていた。それにしてもギーシュの真剣さ。この軽い友人の意外な面に、少しばかり驚く。胸の内で、礼をするキュルケ。そして戦いの覚悟を噛みしめた。

 だが、メンヌヴィルの方が、一手先。

 

 火球が迫る。

 

 だが、キュルケも卓越したメイジ。瞬時同じ規模の火球をぶつける。

 

 火の玉は双方の中間で爆発。辺りを朱で照らす。

 

 その間に、ギーシュはワルキューレを錬金しようとした。しかし……。

 

「キャッ!」

 

 脇からキュルケの悲鳴が上がっていた。首を向けた先には、彼女に乗りかかっているサラマンダーがいた。

 

「フレイム!?何やってんだよ!」

「こいつフレイムじゃないわ!」

「えっ!?じゃ……熱っ!?」

 

 突然、ギーシュの右手に痛みが走る。そして思わず離してしまった。杖を。だが落ちた杖は、もはや役立たず。わずかな炎を上げ、炭となっていたのだ。いつのまにか。気づくと、キュルケの杖も燃えている。

 メンヌヴィルの仕掛けだ。最初の火球は囮。意識が彼に集中している間に背後からの攻撃、そして相手の混乱中にすかさず無力化。キュルケの後ろから襲いかかったサラマンダーは、当然メンヌヴィルの使い魔。それも最近召喚したもの。彼自身は傭兵というのもあって身軽さを好んだ。そのため使い魔を持っていなかったが、今は手下もいなくなった身。やむを得ず召還したのである。

 いくら二人掛りとはいえ、所詮は学生。百戦錬磨の彼とは勝負にならなかった。

 

 戦う術を失った二人。しかもキュルケは身動きが取れない。少しでもおかしなことをすれば、サラマンダーに焼き殺される。背中の火とかげはそんな気配を漂わせていた。隣のギーシュも動けない。逃げる術も戦う術もない。不安と恐怖と悔しさとが、二人の身を固める。そんな二人にメンヌヴィルは悠々と近づいて行った。

 

「おい。小僧」

「な、なんだよ」

「学院に、コルベールって教師がいるだろ。そいつを連れてこい」

「え!?」

「一応、言っとくがな。他に余計なのを連れて来たらこの女は殺す。いいな」

「な……!でもなんでミスタ・コルベールを……」

「いいな」

 

 盲目の傭兵は、言葉に殺気を込めてぶつける。思わず、小刻みに何度もうなずくギーシュ。そして慌てて駈け出した。学院へ向かって。

 その後ろ姿がやがて小さくなると、メンヌヴィルはわずかに笑みを浮かべ、キュルケを見下ろす。

 

「さてと……。てめぇには、落とし前つけてもらわねぇとな」

「…………」

「お前らのせいで、こっちは酷ぇザマだ。仕事は上手く行かねぇ。手下は全員とっつかまる。おかげで、アジトは全部抑えられちまう。溜め込んでた金もパーだ。この白炎様が女も酒も買えねぇなんてな。笑えねぇぜ」

「…………」

「ま、けじめ付けんのは、後の話だ。お前には、聞きたいことが山ほどあるからな」

 

 キュルケは唇を強く噛んでいた。

 

 

 




 初マリコルヌ。後、夏休みの存在をすっかり忘れていました。
これからは、シリアスっぽい話が続きます。



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炎蛇と白炎

 

 

 

 

「で、あいつらは結局何なんだ?」

「…………」

 

 キュルケは、盲目の傭兵を睨み付ける。前で身動きない状態で。今の彼女は手足を縛られ、森の木に結び付けられていた。そんな彼女を、メンヌヴィルの使い魔、サラマンダーが見張っていた。離れた茂みの中で。

 彼が使い魔を手に入れて、一つ前より良くなった点がある。それは見えるようになった事だ。正確には使い魔の視覚に同調し、物を見ることができるようになった。かつては細かな作業を部下にやらせていたが、今はそうはいかない。その意味では、ありがたかった。こうして人質の手足を縛る事ができたのも、そのおかげだ。

 

 白炎は干し肉をかじりながら、つぶやく。

 

「言いたくねぇ……か?それとも、知らねぇのか……」

「…………。言っても信じないって選択肢はないの?」

「ハッ。思ったより元気じゃねぇか。そんな口叩くとはよ」

 

 メンヌヴィルは笑いながら、干し肉を噛み切った。

 

「言ってみろよ。その信じられねぇって話をよ」

「…………。あなたを手玉に取った者達は、異世界から来た人外よ。人間でも妖魔でも精霊でもないわ」

「……」

 

 白炎の干し肉をすり潰していた口が止まる。キュルケは、でたらめにしか聞こえない答えに機嫌を悪くするメンヌヴィルを想像した。しかし、何故か彼はあっけらかんとした顔つきで、わずかに口元を緩めていた。

 

「なるほどな」

「何よ。信じるって言うの?」

「メイジも、妖魔も、精霊もなんかシックリこねぇと思ってたんだよ。それ以外ってのもあるのかってよ」

「……」

「フッ……。しばらく暇なんだ。全部話してみろよ」

「……。おとぎ話のようにしか聞こえないわよ」

「構わないぜ。……いや、後にしろ」

 

 顔つきが急に変わる。いつもの傭兵へと。そしてスッと立ち上がった。

 

「来たようだ。思ったより早いな」

「先生が?」

「お前はここでおとなしくしてろ。余計な真似すりゃぁ殺す」

「どっちにしても、殺すつもりなんじゃないの。けじめ、付けるんでしょ?」

「ハッ。楽しいヤツだな。お前」

 

 それだけ言い残すと、キュルケに猿ぐつわをしてメンヌヴィルは森から出ていった。

 

 コルベールとギーシュはほぼ最速で夜の街道を進んでいた。だがその時、人影が街道に出て来るのが見える。思わず手綱を引き、馬を停止させる二人。月明かりに映し出された姿は、盲目の男。そう、メンヌヴィルだ。二人に緊張感が湧き上がる。コルベールは探るように口を開いた。

 

「メンヌヴィル君……」

「マジで隊長だぜ。教師とはな。似合わねぇ」

 

 両手を広げ、大げさにコルベールを迎えるメンヌヴィル。

 この二人の会話を聞いて、ギーシュは驚きを抱く。コルベールが、この指名手配犯に"隊長"と呼ばれた事に。隊長。すなわち軍人だった事を意味する。二人に、何か関係があるのではと思っていたが、軍関係とは予想外だった。かつて、同じ部隊にでもいたのだろうか。

 

 コルベールは表情を変えず、言葉を続ける。

 

「生徒はどこだね?」

「まずは、馬から降りろ。そっちの小僧もだ」

「…………」

 

 二人は渋々馬を下りる。

 その時、馬の頭がいきなり燃え出した。うめき声も上げる間もなく、倒れる二頭の馬。

 コルベールとギーシュは、足を奪われた。一瞬の出来事に、唖然としているギーシュ。あらためてこの傭兵の凄まじさを噛みしめる。

 しかしコルベールは至って冷静。もう一度言葉を繰り返す。

 

「生徒は無事なのか?」

「ああ、傷一つついてねぇ」

「なんのつもりだね?」

「アンタとサシで勝負がしてぇ」

「何だと?」

 

 予想外の答えに、呆気に取られる教師。てっきり、人質を盾に捕まっている仲間の解放を要求してくるかと思っていたが。

 

「手配中だというのに、ワザワザそのために来たというのかね?あれだけの警備の兵が、いるというのに」

「いや。そんなつもりはなかったぜ。もしかしたら、逃げ出した手下かアルビオンの連中に会えるかもと思ってな。ちょっと寄ってみた。そうしたら、アンタを見つけたって訳だ」

「私と勝負してどうしようというのだ。あの時の意趣返しか?」

「意趣返し?そんなハズないだろ。アンタはおれの憧れだったんだぜ。俺の成長を見てもらいてぇんだよ」

「な、何?」

 

 この盲目のメイジが何を言っているのか、まるで理解できない。コルベールに困惑の表情が浮かぶ。

 

 彼とメンヌヴィルの間には、他人に言えない因縁がある。二人はかつて同じ部隊にいた。軍人として。その時の出来事は、コルベールにとって拭いがたい汚点であり、今でも心に留めている罪だった。その任務の最中、彼はメンヌヴィルと戦ったのだ。結果はコルベールの勝利。メンヌヴィルは再起不能かという大けがを負った。彼が盲目となったのも、その戦いの時だ。

 だが言わば仇であるコルベールに対し、メンヌヴィルは憧れていただの、成長を見てくれなどという。彼は、メンヌヴィルの真意を測り兼ねた。

 しかし一つ確かなものがある。この目の前の傭兵を倒さねば、キュルケを救えないという事だ。コルベールは覚悟を決める。教師となってから、封印し続けた感情を呼び起こす。戦士としての感情を。

 

「…………。いずれにしても、君を倒さねばならないようだ」

「へっ、そういうこった」

「分かった。いいだろう。君の望む通り勝負してやろう」

「そうこなくっちゃな」

 

 メンヌヴィルの口元が大きく緩む。するとギーシュの方を向いた。

 

「おい!小僧。お前は帰っていいぞ。ただし余計な真似はするなよ」

「な、何だとぉ!?」

 

 思わず反論しようとするギーシュ。しかし止める手が伸びて来る。コルベールから。

 

「ミス・ツェルプストーは私がなんとかする。君は戻りなさい。危険な目に遭う必要はない」

「し、しかし……」

「彼女は人質となっている、という事を忘れてはならないよ」

「は、はい……」

 

 渋々うなずくギーシュ。言われるまま彼は、来た道を走って戻り始めた。

 

 だがギーシュ。帰るつもりなどさらさらない。実は逆。もう余計な事をやっていた。なんだかんだで、友人とも言えるキュルケが捕まっているのだ。黙っている訳にはいかない。しかもコルベールは、ラ・ロシェール戦での出兵拒否をして以来、生徒達から臆病者の烙印を押されている。そんな彼に、キュルケを任せられないと考えていた。そこで学院に戻ってから、タバサに声をかけていた。もしルイズが戻っていれば、彼女と幻想郷メンバーの力も借りたかったが、今はいないのでしようがない。親友の危機にタバサはすかさずシルフィードと共に行動開始。一方のギーシュも、使い魔のヴェルダンデを森の中に先行させていた。

 

 帰るふりをしていたギーシュ、二人が見えなくなると森へと入っていく。しばらく進んだ後、ヴェルダンデと合流。そこにはタバサもいた。ギーシュは小声で話す。

 

「あいつミスタ・コルベールと決闘したいんだとさ。どういうつもりなのか分んないけど」

「決闘……?とにかく、予定通りに」

「その前にさ。彼女、誰?」

 

 ギーシュが視線を向けたのはタバサの側にいた女性。髪こそ長いが、青い髪のタバサによく似た人物で、二人は姉妹と言われても納得してしまうほど似た顔つきだった。タバサは、気にすることはないとでもいうふうに答える。

 

「味方」

「味方って……?」

 

 見定めるようにその女性を見るギーシュ。すると慌てて、彼女は口を開いた。

 

「わ、私、イルククゥ、お姉さまの妹なのね」

「妹?」

 

 ますます眉をひそめるギーシュ。姉というならまだ分かるが、妹というには背が高すぎる。だいたい妹というと、ガリアからやって来たとなるのだが。いつの間に来たのだろうか。どうにも腑に落ちない。しかし、タバサの毅然とした声。

 

「味方」

「あ、ああ……まあ、君がそう言うなら……」

「時間がない。急ぐ」

「そ、そうだね。ミスタ・コルベールがどれだけ持つか分からないし」

 

 三人は行動を開始した。

 

 ところでイルククゥと名乗る女性。実は、シルフィードが化けたもの。先住の魔法が使える彼女。人の姿に化けるなど造作もない。ドラゴンの姿ではメンヌヴィルに気づかれると考え、タバサがこの姿になるよう命令したのだった。もっとも彼女自身は、この姿があまり好きではないようだが。

 

 ともかく、メンバーは揃った。まずはギーシュ。キュルケを探すように、ヴェルダンデに命令。モグラであるヴェルダンデは鼻がいい。匂いで探ろうというのだ。この夜の森の中では打ってつけの能力。キュルケは常に香水をつけているのでなおさらだ。

 森の中を進む二人。時々、木々の隙間から赤い光が漏れてくる。コルベールとメンヌヴィルが、炎の魔法を撃ちあっているようだ。たまに爆音が聞こえるほど激しいもの。しかし、コルベールが一方的に押されているという様子もない。これはギーシュにとっては驚きだったが、同時に有難かった。時間が稼げる上に、メンヌヴィルを釘付けにしておけるのだから。

 

 しばらくして、キュルケの場所に見当がついたのか、ヴェルダンデがわずかに唸る。

 

「隠し場所が分かったみたいだよ」

「……。イルククゥ」

 

 タバサは、彼女の妹と称する女性に声をかけた。彼女はうなずくと、キュルケがいると思われる方角へ目を向ける。風韻竜であるシルフィードは夜目が利く。そして見つけた。木に結び付けられ、猿ぐつわを嵌められている彼女を。タバサはギーシュに向かって、無言でうなずいた。

 すると彼は、杖を手にし詠唱開始。30サント程度の小さなワルキューレが現れた。ギーシュはこれにナイフとキュルケの杖を手渡す。やがて、ワルキューレは茂みの中を、キュルケに向かって進みだした。これはメンヌヴィルの聴覚対策のため。盲目である彼は、耳がいいと聞いている。人間が二人も人質に近づいては、気付かれるかもしれない。そこで小さなワルキューレに任せることにした。気付かれても小動物と思われると考えて。

 

 タバサとギーシュが、キュルケ救出に向かっている最中、コルベールとメンヌヴィルの戦いは一進一退の状況を続けていた。白炎はまさしく満天の笑みを浮かべ、高揚した声を上げている。狂っているかのように。

 

「スゲェー。スゲェーよ!隊長!教師なんぞやって腕が落ちてると思ってたんだが、昔と変わんねぇじゃねぇか!」

「…………」

「けど、俺もスゲェな。腕が落ちてねぇアンタと五分で戦えてる」

「そうかね」

「まだまだ、本気じゃねぇってか?そりゃ楽しみだ。実はな、俺も本気じゃねぇ」

 

 メンヌヴィルの吊り上った口は、さらに角度を増していく。

 さらに錯綜する炎と炎。ただこの攻防において、二人の胸の内は対照的だった。まさしく燃え上っているメンヌヴィルに対し、冷ややかなコルベール。

 

 やがて戦いの場は、開けた場所に移っていた。するとコルベールが杖を下ろす。敵意が霞んでいくのを感じたメンヌヴィル。顔をわずかにしかめる。

 

「どういうつもりだよ。隊長。負けたとか言い出すんじゃないだろうな?」

「いや、逆だよ。どうか降参してほしい」

「ハッ!そうかい、そりゃぁいい!」

「降参してくれるのかね。私はできれば人を傷つけたくない。手配されてる君であってもだ。だからこそ、教師になったのだよ」

「ほう……。だから、降参してくれってか」

「そうだ」

「ハハッ!する訳ねぇだろ!」

 

 大笑いしながら白炎は言葉を投げ返した。しかしそれは嘲笑の笑いではなく、むしろ歓喜。体中の興奮を吐き出すかのよう。やがて盲目の傭兵は笑いを静めると、不適に尋ねる。

 

「アンタ、今から必殺技使おうってんだろ?」

「…………」

「いいねぇ、必殺技!実はな、俺にも必殺技があるんだよ。やろうじゃねぇか、必殺技対決をよぉ!」

 

 まさしく狂喜。高揚感に酔っているメンヌヴィル。そんな彼を、コルベールはどこか悲しそうに見ていた。だが、すぐに元の顔つきに戻る。そして呼吸を一つ漏らした。そして杖を真上にかざす。同時に、メンヌヴィルも杖を前へと向ける。お互いの詠唱が始まる。

 

 しかし、まさしく彼が待ち望んでいた時だというのに、急にその表情が曇った。杖があらぬ方向を向きだしていた。そしてぼやく。つまらなそうに。

 

「チッ。余計な真似すんなって言ったろうが」

 

 森の方へ向いた白炎の杖。瞬時にコルベールは、その意味を察する。帰したはずのギーシュが、キュルケを助けに向かったのだと。そして見つかったのだと。

 ギーシュ達は気づかなかったのだ。キュルケの近くにメンヌヴィルの使い魔、サラマンダーが潜んでいた事に。そして、その火とかげに見つかった。キュルケを助けている所を。

 

 コルベールすぐさま魔法を発動。

 轟音と共に、空に火球が現れる。大地を赤く照らし出す。

 『爆炎』。錬金により空気を可燃性ガスに変え、辺り一面を火の海にし、酸素を奪い去る魔法。一気に酸欠状態に陥れ、一面に死をもたらすまさしく必殺の魔法。

 しかし、死んだ者はいなかった。もちろんメンヌヴィルも。

 『爆炎』は、可燃性ガスを十分作り出してこそ効果がある。だが慌てて発動させたため、量が不十分だったのだ。結局、目くらまし程度の効果しかなかった。

 

 メンヌヴィルは一瞬、怯んだがすぐさま態勢を整える。しかし敵意が向かった先は、コルベールではない。キュルケがいると思われる方角だった。

 白炎の杖から炎が放たれる。だが、コルベールがそれを迎撃。同じく炎で撃ち落とす。

 すぐさま、キュルケとメンヌヴィルの間に入るコルベール。その表情はもはや教師。ついさっきまでの戦士の顔つきは、なくなっていた。それを面白くなさそうに見る白炎。杖からまた火の塊が飛び出す。再び迎え撃つコルベール。

 

「うわっ!?」

 

 だが悲鳴を上げたのは、コルベールだけだった。背後から彼を炎が襲っていたのだ。メンヌヴィルの使い魔、サラマンダーからの炎。コルベールは背中に大やけどを負い、思わず倒れこむ。顔には苦悶が浮かんでいた。歯を食いしばり何とか、耐えている教師がいた。

 だが、そのわずかな間にメンヌヴィルは、コルベールの杖を燃やす。これで彼の勝ち目はなくなった。ゆっくりと近づく白炎。

 

「勝負はお預けだ。アンタの怪我が治ったら、またやろうぜ」

「くっ……」

「けどな、あの小僧共はゆるさねぇ。楽しみを台無しにしやがって」

「ま、待ちたまえ!わ、私の命と引き換えに、彼らを許してくないか!」

「アンタの命なんて、どうでもいいんだよ。俺は勝負したかっただけだからな」

「で、では再戦の約束をする!必ずだ!一対一で!」

「……」

 

 盲目のメイジは足を止めた。コルベールの近くで。

 その時、叫びが二人に届く。

 

「ミスタ・コルベールから離れなさい!」

 

 森から出てきた、キュルケだった。杖を真っ直ぐメンヌヴィルに向けていた。憤怒を体中に湛え。赤い髪はまさしく燃えているかのよう。

 タバサとギーシュも少し離れた場所から出てくる。それに続く6体のワルキューレ。二人もまた、怒りに身を包んでいた。さらに空にはシルフィードが舞っている。

 

 だが学生とは言え、三人のメイジに囲まれているにも関わらず、メンヌヴィルは平然としたもの。そしてポツリとつぶやく。

 

「隊長。アンタの必殺技は見せてもらった。さすが隊長らしい魔法だ。なかなか面白かったぜ」

「……」

「けどな。俺の方は見せてねぇ。そりゃぁフェアじゃねぇよな。これじゃ次やる時、つまらなくなっちまう。だからな。今見せてやるよ。俺の必殺技ってのをよ」

 

 凶暴な笑いが白炎に張り付いていた。三人のメイジと使い魔達を相手になおこの顔ができる。コルベールは直観した。このままでは、生徒達は全員死ぬと。彼は残った力を振り絞り、飛びつく。大やけどをしているその身で、この残虐なメイジに。

 

「みんな!逃げるんだ!逃げたまえ!彼は私が抑えている!」

「「ミスタ・コルベール!」」

 

 キュルケとギーシュは思わず叫ぶ。しかも逃げるどころか、ますます闘志を強くしていた。なんとか彼を救い出そうとしていた。

 彼らは分かったのだ。さっきまでのコルベールの戦いを見て。臆病者と罵った教師が、実は凄腕のメイジであると。勇気と仁徳を兼ね備えている素晴らしい人物であると。そう、彼らは償いたかった。今まで、彼を侮蔑した気持ちを。そして何よりも助けたかった。

 キュルケ達は、さらに一歩前へと進む。しかしコルベールは願うように、声を上げた。

 

「いいから逃げなさい!」

「で、でも……!」

 

 キュルケは苦しそうに言葉を返す。コルベールの気持ちは分かる。だからと言って見捨てる事などできる訳もない。

 身動きできないキュルケ達。そんな彼女達を他所に、メンヌヴィルはまとわりつくコルベールを放りなげた。そして、彼に語りかける。

 

「隊長。見てな。これが俺の必殺技だ」

 

 白炎の杖が前を向いた。詠唱はわずかな間。すると、キュルケとタバサ達の側に竜巻が立ち上がる。風の魔法『ストーム』。だがそれはタバサが作る同じものに比べ、細い並程度のもの。

 だが次の瞬間、竜巻が一気に炎を纏った。炎の作り出した上昇気流で、膨れ上がる竜巻。同時に辺りの木々を燃やし、さらに上昇気流を増す。みるみる内に、世界樹かといような太さに膨れ上がる。まさしく火炎旋風。これがメンヌヴィル最大の魔法だった。

 

 ギーシュ達は突如現れた、炎の柱に呆気に取られる。

 

「な!なんだ!?これは?」

 

 だが、タバサだけは冷静さを失っていない。竦んでいるギーシュを引っ張った。

 

「逃げて!」

「え!?」

「早く!」

「あ、ああ!」

 

 慌てて、反対側へ駈け出すギーシュ。そしてもう一つ、声をかけた。

 

「シルフィード!キュルケを!」

「きゅい!」

 

 空を舞っていたシルフィードは、急降下。竜巻の反対側へ向かう。一方のタバサは、全力で逆回転の『ストーム』を唱えた。竜巻を霧散しようというのだ。しかし魔法による炎と、燃える木々の炎が生み出した上昇気流は、彼女の魔法を歯牙にもかけない。霧散したのはタバサの『ストーム』の方。

 

 タバサに竜巻が迫る。その時、後ろから引っ張られた。ワルキューレ達がタバサを掴み、ギーシュの方へ向かって放り投げる。上手くキャッチする色男。タバサを抱えて走り出した。

 

「君こそ、逃げるんだよ!」

「キュルケ!」

「え?」

 

 ギーシュが振り向いた先、竜巻の向こう。そこに、宙に浮いているキュルケの姿が陽炎に揺らいで見えた。

 竜巻は、辺りのものを強力な吸引力で吸い上げる。これだけ巨大な竜巻だ。その吸引力は半端ではない。キュルケは逃げ遅れたのだ。

 

「キュルケ!」

 

 タバサはギーシュの腕の中で、泣きそうな叫びを上げていた。親友の名を呼んでいた。

 

 その時だった。体を何かが突き上げた。足元、真下から。強烈な何かが。

 

 一旦浮いた体は重力に引かれ、また大地に落ちる。しかし、そこにはなかった。あるはずの大地が。彼女は、彼は、いや、ここにいる全員が落ちて行った。得体のしれぬ闇の中に。

 そして夜の街道の外れに、燃える竜巻と使い魔達だけが残された。

 

 

 

 

 

 巨大な竹林の中。木漏れ日に照らされた、侘び寂びに溢れた日本家屋がある。永遠亭。幻想郷で最高の治療が受けられる場所であり、月人の住処。その月人、八意永琳はいつものように、診察室で治療内容をまとめていた。そこに、この所見ていなかったうさぎ耳が入ってくる。鈴仙・優曇華院・イナバである。

 

「師匠。ただ今帰りました」

「あら、うどんげ。お帰りなさい」

 

 いつもと変わらぬ表情で弟子を迎える師匠。一方の弟子、鈴仙の方は、何やら疲れ切った顔をしていた。

 

「師匠、言われた作業。全部こなしました」

「ご苦労様」

「これが言われていた、ハルケギニアの宝です」

 

 そう言って、小荷物程度の箱を差し出す。『始祖のオルゴール』と『風のルビー』を入れた箱を。しかしすぐには手渡さず、厳しい顔を師匠に向ける鈴仙。

 

「一つ、言っておきますが、これは大変貴重なものです!傷一つ付けずに返すと約束しました。何をされるつもりか分かりませんが、本当に、本当に、本当~に!慎重に扱ってくださいよ!」

 

 いつになく、鈴仙の強い口調。真っ赤な目は、鋭さを感じるほど真剣な眼差し。黙って持ってきてしまった事に、かなり後ろめたさを感じているのだ。しかし、当の永琳は涼しい顔。

 

「もちろん、分かってるわ。信用して」

「…………」

 

 どこか信用できない。玉兎は訝しげに師匠を見つめる。だがこれもいつもの事。ため息交じり手渡す。そして残りの物品も取り出した。カトレアとタバサの母から採血した検体だ。

 

「こちらが患者さんの血液です」

「ん?多くない?」

「あの……も、申し訳ありません!実は患者さんが増えてしまいまして。その方も重い症状だったので、治療を引き受けてしまったんですが……」

 

 今度は申し訳なさそうに、頭を下げる鈴仙。だが、それにも永琳は相変わらず。

 

「そう。で、状態は?」

「はい、こちらに」

 

 二人の症状を記した、書類を取り出す。手にした永琳は、流すように、しかし一言一句漏らさず読んでいく。

 

「症状がまるで違うわね。しかも一人は、原因不明と……」

「そうなんです。その……厄介なお願いですが治療の方、引き受けてくれるでしょうか?」

「いいわよ」

「本当ですか!」

「ええ。対象は多い方がいいし」

「対象?」

「助かる人は多い方がいいでしょ?」

「…………」

 

 永琳の対象という言葉が、鈴仙には不穏な響きにしか聞こえない。

 ともかく無二の薬師は、検体と書類をそれぞれ仕舞いこんだ。そして残った物。ハルケギニアの宝の入った箱を手にする。鈴仙は、それを不安そうに眺めていた。

 

「繰り返すようですけど、本当に慎重に扱ってくださいよ」

「分かってるって」

 

 弟子の忠告も半分に、月の英知はゆっくりと箱を開ける。その表情は相も変わらず、淡々としているように見える。だが、実は密かに期待していたのだ。なんと言っても異界の物品なのだから。胸の内には、久しぶりの高揚感があった。

 宝の箱は、ゆっくりと開かれた。しかし……永琳、呆気。

 

「何も入ってないわよ」

「え!?」

 

 思わず鈴仙は、箱を覗きこんだ。赤い双眸が、まん丸く見開いている。

 

「な、ない!えっ!?なんで!」

「どういう事?」

「いえ、その……!い、入れたんです!本当です!」

「でも、見ての通りよ」

 

 永琳の言う通り、箱の中はまさしく空っぽ。二つの秘宝はどちらもない。そんなハズはないと慌てふためく鈴仙。必死になって記憶を探っていく。何か手がかりがないかと。すると一つが引っかかった。パンと手を叩く玉兎。

 

「あ!」

「何?」

 

 椅子に身を預けている師匠に、弟子は必至に語りかけた。身振り手振りで。

 

「実は、転送陣でこちらに戻ってくるときに、地震が起こったんです!」

「地震?」

「はい!あれは、魔女達がしかけたトラップです!それで取り返されちゃったんです!」

「ふ~ん……。そう」

「きっと、そうです!ええ!だと……思います。たぶん……」

 

 か細くなっていく、鈴仙の声。ヘタレてる耳が、余計にしぼむ。こんな事を言ってはいるが、単なる思い付きにすぎないのだから。しかし、彼女には他に心当たりが何もなかった。

 淡々と言い訳を聞いていた永琳。顎に手を添えわずかにうつむく。その英知を収めた頭脳で、何かを導きだそうとしていた。やがて、何事もなかったように顔を上げる。

 

「ないものは、しようがないわね」

「すいません……」

「別にいいわ。異世界だもの。想定外の事も起こるでしょう」

「あの……。代わりに、何か持ってこないといけないんでしょうか?」

「いいわ。この件は一旦保留よ。とりあえず、その二人の治療の方に専念しましょう。だからあなたには、ハルケギニアにもう一度行ってもらうわ」

「治療も私がするんですか?」

「私は行けないもの。あなたにやってもらうしかないわ。安心して、そう厄介な処置にはならないと思うから」

「そうですか。分かりました」

「じゃあ、ご苦労様。しばらくは休んでていいわよ」

「あ、はい。それじゃ、失礼します」

 

 一つ礼をすると鈴仙は、診察室から出て行った。それからほん少し後、永琳の耳に彼女の悲鳴が届く。どうしようと同じセリフを何度も繰り返す。おそらく、ルイズ達へ言い訳しないといけない事に気づいたのだろう。いくら師匠の命令とは言え、盗みだしたのは事実なのだから。しかも治療のため、ルイズ達と顔をもう一度合わせるのは必定。鈴仙、相変わらずの苦労人であった。

 

 頭を悩ましている彼女を余所に、永琳の好奇心はハルケギニアのもう一つの物品に向かっていた。検体の血液に。薬師は顕微鏡を取り出すと、シャーレに一滴、カトレアの血を垂らす。準備が終わると、顕微鏡を覗き込んだ。これもまた彼女が、楽しみにしていたもの。薬師というよりは研究者として、異世界人への興味があったのだ。

 しばらく顕微鏡をのぞいていた彼女だが、ゆっくり目を離す。その表情はわずかに曇っていた。

 

「これは、どういう事かしら……」

 

 月の英知は、そのまま黙り込んだ。

 

 

 

 




 長くなってしまったんで、とりあえずここまで。本当は区切りのいい所まで上げたかったのですが。


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また、失くした

 

 

 

 

 天空唯一の月の下。真っ赤な屋敷の裏。紫のドレスに身を包んだ人外が、宙に空いた割れ目から身を乗り出してコソコソと何やら作業をしていた。

 

「後、三か所……」

 

 幻想郷の管理人、スキマ妖怪、八雲紫である。以前、彼女の式である藍と作った術式を仕掛けている最中。この術式、紅魔館にあるハルケギニアへの転送陣を監視するためのもの。山の神、神奈子と諏訪子から聞いた話から、不穏なものを感じた彼女が、念のためと作り上げたのである。ちなみに彼女より先に、山の神達は監視用の仮の社を立てていた。シェフィールドが見た、転送陣の部屋にあった四隅の図形こそ仮社だった。

 

 ともかく、この場所での作業も終わり、次の場所へと紫は移ろうとした。

 丁度、その時……。

 

「痛っ!」

 

 突然、頭の上から不運が降ってきた。しかも大きくて重い。さらに続けざまにいくつも。間が悪かったのか、日頃の行動の罰が当たったのか。紫に直撃。彼女は後頭部をさすりながらぼやく。

 

「乙女の頭の上に~」

 

 ゆっくり振り向いた先。人が数人ころがっていた。一瞬、当惑する妖怪の賢者。何事かと。だがすぐに彼らの服装に目が止る。幻想郷では、あまり見かけない姿に。そして気づいた。この連中が何者かであるかに。異世界、ハルケギニアの住人である事に。紫の表情は、パッと明るく様変わり。

 

「犬も歩けば棒に当たるって所かしら。やっぱり出歩いた方がいいわねぇ」

 

 日頃のぐ~たらで、藍に散々手間かけさせているのを棚に上げて、そんな事をつぶやく。腹に一物の笑みで。

 

 一方、地面に倒れている人間達。うめき声を上げながら、身を起こす。

 

「ん……。何なのよぉ……」

 

 最初に声を上げたのは、真っ赤な髪と褐色の肌が映える少女、キュルケ。背中を摩りながら、上半身を起こす。いったい何が起こったのか。痛みの中、記憶を手繰っていく。

 

 確かメンヌヴィルの起こした、巨大な炎の竜巻に吸い込まれそうになっていた。慌てて逃げようとしたが、間に合わなかった。ハズである。炎に焼き尽くされるかと絶望に苛まれたのだが、どういう訳かこうして生きている。そう大きな怪我をした様子もない。つまりは無事という訳だ。メンヌヴィルとの戦いが、夢だったかのような気分。

 辺りをゆっくりと見回すキュルケ、するとすぐに気づいた。倒れている人間が他にもいた事に。見知っている彼らに。慌てて近寄る彼女。

 

「タバサ!ギーシュ」

 

 二人の名を呼びながら、体を揺らす。自分を助けに来た友人達を。

 

「う……」

「う~ん……」

 

 うめき声と共に、目を覚ますタバサとギーシュ。

 

「タバサ!」

 

 やはり彼らも無事だった。生きていた。その名を口にし、キュルケは思わず抱き着く。押しつぶされる二人。彼女の腕の中、タバサがポツリとつぶやいた。いつもの彼女と違い、声が潤んでいた。喜びに震えていた。

 

「キュルケ……。生きてる……」

「あなたもね」

 

 答えるキュルケの声も、震えていた。そして安堵で溢れていた。彼女は満点の笑みを湛え、確かめるように小さな親友と頬を何度も合わせる。

 さて片割れのギーシュの方は、いきなり抱き着かれて苦笑い。掴めない状況と豊満なキュルケのバストが、余計に彼を戸惑わせていた。何か言うべきかも、などと頭を巡らせていると、意外なものが目に入る。

 

「ミスタ・コルベール?」

「え?」

 

 釣られるように身を起こすキュルケ達。彼女達の瞳に映ったのは、背中にやけどを負い意識を失っているメイジ。臆病者と小馬鹿にしていたが、実は勇気ある教師。自分たちを助けようと、命を懸けようとした男性だった。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 キュルケは、すぐさま這い寄ろうとした。しかしその進みが止まる。彼の隣に倒れている男を目にして。

 

「メンヌヴィル……」

 

 男の名を漏らすキュルケ。同時にタバサ達も、ついさっきまで敵対していた強大なメイジに視線を囚われる。あの男までいるとは。

 これまでの喜びが急に冷めていく。キュルケは慌てて、コルベールを自分の元に彼を引き寄せた。胸に抱きかかえたその姿は酷いもの。爛れた背中に目が奪われる。

 

「こんなに……なって……」

 

 キュルケの内に湧き上がる熱い感情。それがなんなのか。今の彼女には、まだハッキリとは分からない。

 しかし、その感情があったのもわずかな間。災厄を招いた男が側にいるのだ。キュルケの顔つきが変わる。厳しいものに、灼熱に。彼女はタバサにコルベールを預けた。

 

「タバサ。彼の治療をお願い」

「……分かった」

 

 タバサは強くうなずく。多才な彼女にとって水属性も得意な分野。モンモランシーほどとはいかないが、並メイジ以上であるのは確かだ。タバサは寝かされたコルベールに近づくと、杖を構える。すぐさま彼の治療に入った。

 一方、キュルケは杖を手にする。そしてまだ意識を戻していない盲目の傭兵へと、杖の先を向けようとした。

 しかし……先に傭兵の杖の方が向いていた。メンヌヴィルは横になったままだが、すでに意識を取り戻していたようだ。殺気をはらんだ声が届く。

 

「やろうってのか?今なら、てめぇ等消し炭にするのに、瞬きする間もいらねぇぞ」

「……」

 

 動けないキュルケ。強く唇を噛む。こんな至近距離だ。魔法の威力よりも、発動速度がものを言う。さっきまでのメンヌヴィルの戦いを見ていた彼女は、彼の発動速度が自分よりはるか上である事を分かっていた。今戦えば負ける、いや死ぬのは自分達の方。

 対するメンヌヴィルは警戒を解かないものの、余裕を持って口を開く。

 

「何があった?」

「……。知らないわ」

 

 敵意を持って答える。もちろん今の自分たちでは、勝ち目がないのは分かっている。だがキュルケもタバサもギーシュも、抗う気持ちは失っていない。

 双方の間はほんの数歩の距離。その間に敵意がとぐろを巻いていた。

 

「なんで誰も私に気づかないのかしら?」

 

 突然、頭の上から女性の声がした。ふと見上げる一同。

 

 紫のドレスを纏い、赤いリボンのついたナイトキャップをかぶった女性がいた。

 いや、正確には浮いていた。

 しかも、上半身だけが。

 

「……!?」

「は、半分だけ!?」

「か、下半身がない!?」

 

 全員が一斉に、後ずさる。全く見覚えのない相手、いや何かに。

 メンヌヴィルは思わず立ち上がると、杖を向けながら叫んでいた。

 

「な、なんだ!?て、てめぇは!?」

「八雲紫と申します」

「な、何ぃ!?幽霊か!?」

「幽霊って……。妖怪よ」

「ヨーカイ!?何言ってんだ!?」

 

 さすがの百戦錬磨のメンヌヴィルも動揺が隠せない。目の見えない彼だが、全ての感覚器官が訴えていた、全く異質なものがここにいると。同時に彼は感じていた。胸の内から突き上げるものを。脳から出ている警報を。

 

 対する紫には、緊張感がまるでなかった。

 

「驚くのも無理ないけど、落ち着きなさい。これじゃ、話もできないわ」

 

 扇子で肩を軽くたたきながら言う。どこかとぼけた態度で。

 しかし、メンヌヴィル。ヨーカイの言うことなど耳に入らず。本能が訴える警告に従った。

 

「消え失せろ!」

 

 罵声と共に、杖の先から炎が飛び出る。

 炎の塊はヨーカイを打ち抜く。

 残ったのは、胸から上が全くなくなった元女性。それは焼き尽くしたというよりは、まさしく切り抜かれたとでもいうような様相。それほどの高熱の塊が、彼女を貫いた。

 

「へ……へへ」

 

 汗をぬぐう白炎。あまりいい汗ではない。冷や汗すら混じっている。だがその元凶自体は処分した。とりあえず、この身を包む嫌な感覚とはおさらばだ。

 おさらばしたハズだった。処分したはずだった。しかし、胸から上をなくした女性の上半身は、未だ宙に浮いている。

 

「……。なんなんだよ……いったい……」

 

 居心地の悪い不安が身を襲う。

 

 すると残った体の、その背骨の部分から一本の白い筋が伸びていく。木の種が発芽したように。

 それはどんどんと上へ向かう。向かいながら、枝を伸ばす。枝はやがて骨の形を作り出した。鎖骨になり肋骨になり、上腕骨となる。一方、上へ向かった白い筋は膨らみ始める。ついには頭蓋となっていく。

 骨格ができると、神経や血管が生えてくる。それだけではない、内臓が、眼球が、筋肉が湧き出るように現れる。

 やがて全ては皮膚に包まれた。さらに服すら残った生地から、生えてくる。

 ほどなくして、完全に元に戻っていた。そこにいたのは、先ほどと変わらぬ女性の上半身。八雲紫と名乗ったヨーカイ。それがわずかに笑っていた。

 

 メンヌヴィルはわずかに口を開いたまま、身動きできずにいる。いや彼だけではない。キュルケもタバサもギーシュも、誰もが目の前で起こった事を、受け入れかねていた。理解できなかった。夢と現実がひっくり返ったかのような異質感が全員を包んでいた。奇跡とも怪異とも呼びようのないものが、ここにある。

 

「こ、この化物が!」

 

 多くの妖魔と戦った歴戦の傭兵が、バケモノと叫んでいた。大声で喚いていた。ヤケクソ気味に魔法を放つ。

 炎の塊が次々と紫を襲う。包み込む。今度はかけらも残さないほど焼き尽くした。

 しかし……。

 全く何もない空間から、再び現れた。生えてきた。それが。八雲紫が。これはなんなのか。

 

 メンヌヴィルの手に背に顔に、嫌な汗が噴き出すように流れていく。

 

 ぺち。

 

 いきなり彼の後頭部が叩かれた。軽く。何やら細い棒で。同時に、耳に入るさっき聞いた声。

 

「落ち着きのない子ね。誰彼かまわず、喧嘩を売るのはやめた方がいいわよ」

 

 八雲紫だった。今度は白いドレスに紫のエプロンをしている。

 さらに混乱する盲目の傭兵。さっきの場所にも、そして今、後ろに現れたのと全く同じ相手だ。理解が追いつかない。メンヌヴィルは半ばパニック気味に、魔法を放とうとした。

 

「う、うるせぇ!」

 

 しかし、今度は自慢の杖から何も出ない。

 

「なんだ!?この!おい!」

「面倒だから、その杖、丈にしちゃったわよ。ただの物差し。床の間にでも飾っておくのね」

「な、何……!?」

 

 言っている意味が分からない。いや何もかもが分からない。目に前にいるのが何なのかも。何が起こっているのかも。しかし、一つだけ分かる事があった。どうにかできるものではないと。

 

 メンヌヴィルは瞬時に背を向けた。逃げる。もう、それしか手はない。

 だが……転んだ。

 何もないまっ平らな地面の上で。何かに躓いたわけでもないのに。しかしメンヌヴィル、そんな無様な姿など構わず逃げようとする。四つん這いになって、這って行こうとする。もはや白炎と名を馳せたメイジの姿は欠片もない。ここから離れるしか頭になかった。

 ところがまた転ぶ。いや、滑った。四つん這いでも、まともに進めない。それどころか身を支える事すらできない。初めてスケートリンクに来た、幼稚園児のようにコロコロ転ぶ。

 

「くそ!くそ!くそ!なんなんだよ!こりゃぁ!」

 

 何度も、転がりながら、ヤケクソに喚くメンヌヴィル。そんな彼を、うんざりするような目で見ている紫。

 

「あんまり落ち着きないからよ。あなたと地面の間をちょっといじったわ。今、あなたの摩擦係数は0よ」

「訳わかんねぇ事、ぬかすんじゃねぇ!」

「はぁ……。うるさい子ね。静かになさい」

「……!?」

 

 全く声が出なくなった。もちろん口も動く、息もしている。だが何故か声がでない。何が起こっているのか、何をされたのか、もはや思考の外。残虐さを恐れられた傭兵は、地面の上で駄々をこねる子供のようにバタバタと蠢くだけ。

 

 紫は転がる駄々っ子を放っておくと、残りの相手の方へ向く。

 

「さてと。あなた達は、落ち着いてるようね。助かるわ」

「……」

 

 わずかにうなずく一同。今の理解を超えた状況を目にしながらも、彼女達は混乱していなかった。それには理由があるのだが。

 まずキュルケが口を開く。

 

「ヨーカイって言ったわね」

「ええ」

「つまり……ここは幻想郷?」

「あら?知ってるの?」

「ルイズから聞いたわ」

「まあ。ルイズの知人なの。これは奇遇ね」

 

 スキマ妖怪は楽しそうに表情を緩めた。一方のキュルケ達も、どうもルイズを知っている者らしいと分かると、緊張感をわずかに解く。

 これこそ彼女達が、それほど混乱しなかった訳。ハルケギニアで得体のしれない事をする連中を、すぐ傍で見ていたので慣れていたのだ。もっともそれでも紫のやった事は、彼女達の想像を超えていたが。

 

 キュルケは出てきた名を耳にし、聞き返す。

 

「ルイズを知ってるの?」

「個人的には知らないわ。噂で聞いただけよ。でも、ここじゃそれなりに有名人よ。なんたって、異世界から来たんだもの」

「そう……なの……。それで私たちに何の用?」

「とりあえずは、話をしてみたい……って所かしら」

 

 紫は腕を組みつつ、世間話でもするかのように答える。キュルケはそれに静かにうなずいた。だが、慎重に次の言葉を続けた。

 

「分かったわ。でも一つだけ頼みがあるの。それさえ聞いてくれれば、いくらでも付き合うわ」

「ん?何かしら?」

 

 妖怪の賢者の意外そうな顔。まさか向うから条件を出してくるとは。だが、一方で異世界人が何を言い出すかにも興味があった。

 赤髪の少女は、すぐに後ろの人物を紫に見せる。背中に酷いやけどを負ったコルベールを。

 

「幻想郷には、どんな怪我も病気も治す医者がいるって聞いてるわ。彼を治療してもらいたいの。お願い!」

「そんな話まで聞いてるの。でも私、宇宙人好きじゃないのよねぇ」

 

 扇子を弄びながらそんな事を言う。彼女の言う宇宙人とは当然、八意永琳。実は紫、彼女の故郷、月でひと騒動起こした事があった。結果は、返り討ち。おかげで月人の印象はあまりよくない。

 あまり面白くなさそうな顔をする紫に、キュルケは必死になって頼み込む。

 

「そこをなんとか!お願い!お願いします!」

「……」

 

 キュルケの祈るような姿を、観察するように眺める紫。すると扇子で口を覆う。

 

「分かったわ。でも、その程度の怪我なら私でもなんとかなります」

「え!?ホント!?」

「ええ」

 

 紫はそういうと、扇子を軽くコルベールの方へ向けた。余裕を持って。しかし、何も起こらない。

 

「あら?」

 

 少しばかり苦笑い。わずかに首を傾げる紫。するとキュルケ達の不安そうな眼差しが目に入った。それに余裕そうな笑みを返す妖怪の賢者。でも実は、ごまかしていただけなのだが。やがて一つ咳払い。

 

「だ、だいたい理由は分かったわ」

「理由?」

「ええ。だからこうすればいいのよ」

 

 もう一度扇子を向ける。すると奇妙な事が起こる。火傷の後が、霞むように消えていくのだ。キュルケも治療をしていたタバサも、横にいたギーシュもその様子から目が離せない。瞬きもできず見入っている。怪我が治るなんてものではない。火傷など、なかった事にしてしまったかの現象に。

 一同の様子を見て、少し自慢げな紫。心の内では、胸を撫で下ろしていたのだが。

 

「こんなものかしらね」

 

 キュルケ達は紫に向き直る。神妙な顔つきで。

 

「ありがとう!本当に!その……」

「八雲紫よ」

「ミス・ヤクモユカリ」

「フフ……。さてと、それじゃぁお話と行きましょうか」

「ええ。なんでも聞いて。分かる事なら答えるわ」

「それは有難いわね」

 

 紫満足気に答えた。

 

「あ、そう言えば名前を聞いてなかったわ。あなた達、お名前は?」

「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」

「ギーシュ……・ギーシュ・ド・グラモン」

「タバサ」

 

 三人は三様に答える。特にギーシュは恐れ々に。それぞれに、一つずつうなずく紫。やがて残った者を扇子で指した。

 

「そこの火傷してた男性は?」

「彼は私たちの教師よ。名前は、ジャン・コルベール」

「あっちで喚いてるのは?」

 

 指した先にいたのは、メンヌヴィル。無言でバタついている。するとキュルケが少し厳しい口調で答えた。

 

「メンヌヴィルって名前しか聞いてないわ。でも、あの男は始末した方がいいわ。危険よ」

「ふ~ん……」

 

 紫は扇子を口元に当て、メンヌヴィルを一瞥するだけ。

 

「毛色の違うのもいた方がいいわ。その方がいろいろと面白いもの」

「面白いって……」

 

 だが、キュルケは言葉を切る。スッと納得してしまった。このヨーカイの前では、悪人も善人も人間である限り大差ないのだろうと。これがヨーカイか、幻想郷かと。頭というより体で理解してしまった。

 やがて紫は、扇子で口元を覆いながらつぶやく。

 

「何にしても、こんな吹きさらしの場所じゃ、落ち着けないでしょう。我が家に招待いたしますわ」

 

 そう言って、紫は頭の上に扇子で円を描く。すると一同を包む輪が現れる。その輪は上下へと広がっていく、帯となっていく。その帯の中に見えたのは、闇の中に浮かぶ無数の目。キュルケ達は全身から血の気が引くのが分かる。血管の血の流れを感じるほど。その闇は全員を包むように、広がっていく。やがて周りは闇と目だけの世界となった。ここにいる誰も言葉が無かった。紫を除いて。

 

「さあ、我が家へどうぞ」

 

 扇子で口を覆ったヨーカイが、不敵に笑っていた。

 

 

 

 

 

 とある場所に一筋の線が現れる。それはあっという間に広がり、人ひとりが通れるくらいの大きさとなった。そこからゆっくりと女性が降りてくる。八雲紫である。自宅に戻ってきたのだ。やがて、居間の畳に足を付ける。同時にスキマも閉じた。そして視線を上げた先、正面に見えたものは……。

 化け猫と九尾の狐だった。何やら、お菓子を食べている。

 

「紫さま、お帰りなさい。お邪魔してます」

 

 ペコっと頭を下げる化け猫、子供のような少女。彼女の名は橙。藍の式神。つまり紫からすれば、孫式とでも言おうか。藍に非常にかわいがられていて、よくここにも来る。藍自身が連れて来る事も多い。ともかく紫にとっては、家族も同然な存在だった。

 橙は無邪気に笑みを浮かべながら、袋からお菓子を出しだす。

 

「葛餅ありますよ。人里で買ったんです」

「…………」

「紫様の分も買いましたよ。食べます?」

 

 しかし紫、無言。というか彼女の言葉が耳に入っていない。それも無理もない。本来いるべき存在がいないのだから。影も形も。

 藍は主の様子のおかしさから、すぐに察した。その訳を。

 

「また誰か、攫ったんですか?」

「攫った訳じゃないわよ。招待したのよ」

「でも、見当たらないと。前回と同じく」

「う~ん……、そうね」

「一応、屋敷内探してみます」

「ええ」

 

 そういうと、紫は居間を後にする。藍も葛餅を残したまま、立ち上がった。

 

「橙、屋敷内に見かけない者がいるか探してくれないか?」

「見かけない者?」

「見た目は人間。しかし異世界人だから、変わった格好をしてると思う。魔法を使えるとも聞いてるから、念のため気を付けて」

「はい。分かりました。藍さま」

 

 橙は、気持ちよく返事をすると、さっそく居間から飛び出した。同じく藍も出て行く。

 

 それから三人は、屋敷内はもちろん敷地内も探したが、やはり結果は前回と同じ。誰も他にはいなかった。

 紫は二度も起こった同じ現象に、不穏な気持が湧き上がるのを否定できなかった。この妖怪の賢者を持ってしても、原因が分からないのだから。

 

 

 

 

 

 相も変わらず、兵に囲まれた息苦しいトリステイン魔法学院。しかし、夜だけは安らかだった。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシはベッドの中でまさにその世界に浸っている。静かな寝息を漏らしながら。

 だが、それを断ち切る一撃。彼女の上空から落下物。で、モンモランシーに直撃。

 

「げふっ!」

 

 蛙が潰されたような悲鳴が上がった。

 

「げほ、げほ、げほ」

 

 胸を押さえて、息をなんとか整える。訳も分からない状態で、お腹に向けた視線の先に見えたのは……。

 金髪の色男、愛する想い人ギーシュだった。

 それにしても、これはいったどういう事か。いくつものパターンが、一瞬にモンモランシーの脳裏を通り過ぎる。そして最初に出て来た言葉。

 

「ギ、ギ、ギーシュ。そ、そ、その、そういうのは……その困るのよ!いきなりなんて……!わ……私だって……」

「う……。あれ?モンモランシー?なんでいるの?」

「え?」

 

 モンモランシーの想定とまるで違う色男の解答。赤面していた表情が、別の意味で赤くなっていた。気持ちは逆方向へと。怒髪天の方向へと。

 

「な、な、な!なんでですって!?そ、そ、それはこっちの台詞よ!」

「ええっ?なんの事だい?」

「ふ、ふさけんじゃないわよ!もう!最低!最低だわ!」

 

 急に怒りだしたモンモランシー。対するギーシュは訳が分からない。枕で叩かれるのを何とか耐える。さらに魔法まで放たれ、色男は逃げるように部屋を後にした。

 

 廊下に出て目に入ったものは、寸分たがわずトリステイン魔法学院。あのヨーカイに、自宅に招待されたハズだったのだが、何故か学院にいる。状況は相変わらず掴めず仕舞い。ギーシュは何度も首を捻るだけだった。

 こんな中、ただ一つハッキリしているものがある。モンモランシーが、しばらく彼と口を利いてくれないのは間違いないと。

 

 

 

 

 

「いっ!」

 

 固い廊下に尻もちをついた。青い髪の少女の叫びが、深夜の屋敷に響く。顔を上げたのはタバサ。あのヤクモユカリとか言うヨーカイの屋敷に着いたのかと、観察するように辺りを見る。しかし、そこは見覚えのあるものばかり。どう見ても、母のいる実家だった。

 怪訝な表情で立ち上がる彼女。すると廊下の奥から、一つの灯りが近づいて来た。一瞬警戒し、杖を向けようとしたが、届いた声に手が止まる。

 

「シャルロットお嬢様?」

「ペルスラン?」

 

 近づいて来た灯りの主、ランプを持った老紳士は、まさしく彼女の執事ペルスランだった。彼は不思議そうにタバサに尋ねる。

 

「左様ですが……。それにしましてもこのような時間に、一体どうなされたのです?そもそも、いつのまに居らしてたのですか?」

「……。ここは、ラグドリアン?」

「はい、左様ですが……。どうかされたのですか?」

 

 様子のおかしい主に、眉間に皺を寄せるペルスラン。なんと言っても、タバサはまるでここに初めてきたかのように、周りを確かめているのだから。やがて一応納得が行ったのか、老執事の方へと顔を向けた。

 

「他に誰か見なかった?」

「いえ……。と言いますか……、つい先ほどまで就寝していたものですから」

「そう……」

「本当にどうされたですか?」

「……。これから話す事は他言無用」

「はい」

 

 やがてタバサは、ペルスランへ真実を告げる。幻想郷という異世界の事を。

 

 

 

 

 

「うわっ!」

「きゃっ!」

 

 悲鳴と共に床に落ちる中年男性と少女。さらにその上に、崩れた本の山がさらに覆いかぶさる。舞い上がる埃。それらをなんとか掻き分け二人は、身を起した。

 

「げほげほっ」

「ぺっ、ぺっ」

 

 手を振りながら、埃を払う二人。ようやくお互いの顔を見やった。

 

「ミス・ツェルプストー……」

「ミスタ・コルベール……」

 

 茫然と見つめ合っている二人。ふと何かを悟ったのか、急に目を逸らす。特にキュルケは頬を赤らめ落ち着きなさそうに。そんな彼らの目に次に入ったのは、狭くてゴチャゴチャとして部屋だった。コルベールはゆっくりと立ち上がると、茫然とこぼす。

 

「ここは……私の実験室?」

「そうなんですか?」

 

 キュルケも不思議そうな顔で立ち上がった。彼女にとっては、滅多な事では来るような場所ではない。ただコルベールの私室にいると思うと、妙な気分になっていたが。

 部屋には、秘薬や実験道具など、物珍しいものがいくつも並んでいる。コルベールはそれらを確かめるように、じっくりと見ていった。

 

「間違いない。私の実験室です。しかし……何故、こんな所に……。ん?」

 

 彼はふと思い出した。あのメンヌヴィルとの戦いを。そして自分が大やけどを負ったハズの事を。思わず、首を後ろへ回す。見えた背中は綺麗なもの。もちろん痛みもない。

 

「火傷が……治っている……?いったい……」

「それは、ヨーカイが治してくれたんです」

「ヨーカイ?」

「あ!いえ……その……」

 

 口を塞ぎ、作り笑顔で無理矢理ごまかそうとするキュルケ。明らかに挙動不審な動きで。だが次の瞬間、もっと大切な事を思い出した。顔色が急に青くなる。

 

「そうだわ!タバサとギーシュがいないわ!」

「何?どういう事だね?」

「道すがら、お話ししますわ。とにかく二人を探しましょう!」

「うむ。分かった」

 

 やがて、二人は急いで実験室から出て行く。そして二人を探しに、まずは校舎へと向かった。その間、コルベールは信じがたい話を耳にするのだった。幻想郷という異世界の話を。

 

 

 

 

 

 メンヌヴィルは、意識が戻ると自分が横になっているのに気付いた。おもむろに半身を起す。さっきまでのまるで地に足がつかない状態はなくなり、元に戻ったらしい。寝起きの頭を、軽く振る。

 

「なんだぁ……?ここは……?ん?」

 

 なんとも掴み兼ねているような声を漏らした。だがまず一つの事に気づく。声が出ると。声を封じる術は解けたようだ。

 ゆっくり立ち上がると、鋭い感覚を張りつめ、辺りの様子を探っていく。さっきの、ヤクモユカリが居た場所と、匂いが違うのが分かる。どうも移動させられたらしい。

 

 そこは水の香りがする場所だった。実際、水が湧いているような音もする。だが野外ではない。室内なのは確かだ。手に床の感触がある。ただその床も奇妙だった。木の床だとは分かるのだが、やけに滑らかでニスが塗られている。家具や楽器でなく、床にニスを塗るなど貴族の屋敷かと考える。だがそれにしては、部屋が少々狭いように感じる。貴族ならば使用人の個室程度。そんな場所にニスを塗った床を使うだろうか?違和感がかすかにざわめく。

 

 さらにさっきから感じるおかしな熱。と言うより穏やかな空気。作られたような穏やかさが、体に纏わりついている。聞こえている湧き水の流れが作りだしたものとも違う。風属性の魔法とも違う。なんとも言い難い。さらに漂う、不気味なほどの清潔感があった。

 ここが、ヤクモユカリが招待すると言った、彼女の自宅なのだろうか?

 

「また妙な場所に来ちまったようだな……」

 

 白炎の警戒感が一気に上がる。杖を強く握る。

 辺りは静まり返り、聞こえるのは水の音だけ。部屋の中の空気は穏やかだが、居心地の悪い違和感がある。盲目の傭兵はゆっくり立ち上がると、いつでも魔法が撃てるように構えた。

 すると突然、耳に届くものがある。

 

「お前は……ここに居てもらう」

 

 声が聞こえた。確かに、ハッキリと。だが聞いた事のない声、相手。ヤクモユカリでもない。それどころか、人がいたというのに、今まで全く気配を感じていなかった。この百戦錬磨の傭兵が。

 メンヌヴィルは声の主へと怒鳴りつけた。杖を向けて。

 

「なんだてめぇは!?ヤクモユカリの仲間か!?ここに連れて来たのは、どういうつもりだ!?」

「……」

 

 しかし相手は答えない。するとわずかな足音と共に、ノブを捻る音がした。やや強めに響いた。ドアを閉じる音が。

 慌てて、ドアへと駆け寄るメンヌヴィル。

 

「おい!このやろう!待ちやがれ!」

 

 何度もノブを回すが、鍵でもかかっているのかびくともしない。しかし鍵穴らしきものはなかった。さらに木で出来ているらしいドアに、何度も体当たりをするがビクともしない。

 

「ざけんじゃねぇ!開けろ!開けねぇならなぁ!」

 

 杖を向け、ドアを焼き尽くしてしまおうとする。魔法を瞬時に詠唱。鉄すら溶かしつくす炎が、真っ直ぐ扉へ向かった。あっさりと大穴が空くと思われた。

 だが……。

 

「な……!?」

 

 大穴はおろか焦げ目すらない。というか炎の影響がまるでない。ドアにはもちろん、周りにも。

 それから何度も炎を撃つが、この部屋の中で何か変化が起こった様子はなかった。しかも、この部屋には他に出口がない。盲目の傭兵は、完全に閉じ込められてしまった。途方に暮れ、立ち尽くすメンヌヴィル。穏やかな空気がそよぐ部屋で、湧き水の音だけがやけに響いていた。

 

 それ以来、白炎と恐れられた傭兵、メンヌヴィルの消息はプッツリと途絶える。幻想郷ではもちろん、ハルケギニアでも。

 

 

 

 

 




 前回、上げようと思っていた残りの半分です。もっともこの話だけでも、それなりの長さになってしまいましたが。
 ちなみに最後に出て来た人は、オリキャラじゃないです。


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消えた洪水

 

 

 

「あ~もう、さすがに限界だわ。帰ってまで、こうトラブル続きじゃ」

「ま、結局なんとかなったんだからいいじゃねぇか。それに、寝てもいいって言われたろ?悪い事ばかりじゃないぜ」

「あ~……まぁそうだけど……。んじゃぁ、もう寝るわ」

 

 ルイズは今にも閉じそうな目で話を終えると、部屋へと入って行った。魔理沙はその姿を、手を腰に当てやれやれという具合に見送った。やがて彼女の方も、自分達の休憩室、アジトへの転送陣がある部屋へと足を進める。上がったばかりの朝日に目を細めながら。

 

 ルイズ達一行が学院に帰って来たのは、キュルケ達がメンヌヴィルと遭遇したまさにその日の早朝。こんな時間帯に帰るハメになったのも、ダルシニ達の村の復旧に予想以上に時間がかかったからだった。人妖達が昼夜働いたにも拘わらず、帰路についたのは日付が変わったばかりの深夜。日程もギリギリで、余裕のないルイズは人目も憚らず、学院へと文字通り飛んで帰った。実際飛んだのは幻想郷メンバーで、ルイズは天子の要石に括り付けられていたのだが。放っておくと、寝入って落ちてしまいそうだったので。

 

 しかし、その途中。想定外のイベントに出会う。学院とトリスタニアを結ぶ街道の途中で、燃える竜巻を発見したのだ。もちろんこれはメンヌヴィルが起こした魔法。ただし、その時点ではもう彼らの姿はなかった。

 空で足を止めた彼女達に、すぐ寄って来たのはシルフィード。主が消えてパニックになっていた。ルイズがいるというのに、ベラベラと話しまくる。もっともルイズは、要石の上で爆睡状態。耳に入らず。シルフィードの言う事は支離滅裂だったが、タバサ達が居なくなったというのは分かった。結局、天子が『緋想の剣』を使い、タバサの居場所の見当をつける。シルフィードはその方角へと、スッ飛んで行った。一方、幻想郷メンバーは火炎旋風と森へ広がった延焼を消す。術者のいない火炎旋風を消すなど、造作もない。

 

 一段落した一同は学院へ直行。だがさらに騒動が待っていた。見覚えのない兵達が、学院をぐるりと囲んでいたのだ。彼女達は、学院を騎士団が護衛しているなど知る訳もない。もちろん、そこでまた騒ぎに。一時は一触即発という状態になりかけたが、騒ぎを聞きつけたオスマンが出てきてなんとか収まる。

 

 だがそれでも騒ぎは終わらない。今度はキュルケとギーシュ、そしてコルベールがオスマンの学院長室へ駆け込んだ。その口から出て来たのはメンヌヴィルと幻想郷の事。寝ぼけ頭のルイズは、帰った直後だというのにすぐ呼び出される。だが朦朧としているルイズを見て、オスマンは話を放課後にすると決めた。そしてしっかり寝ておくようルイズに言い渡したのだった。ちなみ今日の午前中の授業だが、課題提出で出席とする事に。それでもこのまま授業に出るよりは、はるかにマシだったろう。

 

 

 

 

 

 さて、ルイズが久しぶりの自分のベッドで爆睡中。幻想郷メンバーも、久しぶりのアジトに戻って来る。そしてリビングで一服。各人は溜まった疲れを癒しに、部屋へと戻っていく。

 だが、彼女達にはまだイベントが残っていた。

 

「よっ!ただいま、デルフリンガー。留守番ご苦労さん」

 

 魔理沙は、自分の部屋の隅に置いてあるインテリジェンスソードに軽く挨拶。旅行の荷物を整理しながら、話かける。

 

「バタバタしてたが、なかなか面白かったぜ。トラブルも結構あったけど、ま、それはそれで悪くなかったぜ」

「そりゃ良かったな」

「悪いが、土産はないぞ」

「別に構わねぇよ。俺に合う土産なんてないだろ?」

「鞘とか欲しくないのか?」

「ずっとこのままだったからな、余計なもんなんてなくていいさ」

 

 置かれた剣は、長旅を労うように答えていた。やがて口調がいつもの調子に戻る。

 

「話は変わるけどな。魔理沙お嬢ちゃんに伝言があるんだ」

「伝言?誰からだ?」

「うさぎ耳のねーちゃんだよ」

「鈴仙?そいやぁ、先に戻ったんだっけか。あいつどこ居るんだ?まだ見てねぇけど」

 

 考えてみればおかしい。鈴仙に何の用があったのか知らないが、先にアジトに戻ったのである。自分達を出迎えるくらいしてもいいだろう。だが姿が見えなかった。魔法陣の中心に置かれた錆刀は、話を続ける。

 

「じゃ、伝言いうぜ。『この度は本当に申し訳ありません!ちょっとお借りします!でも、必ずお返しします!』だとさ」

「なんだ?そりゃぁ?」

「だから借りてったんだよ」

「何を」

「テーブルの上のヤツ」

「え?」

 

 魔理沙は釣られるようにテーブルの上を見る。するとあるハズのものがなかった。『始祖のオルゴール』と『風のルビー』が。

 

「あーーーっ!!」

 

 アジト中に、魔理沙の叫び声が響いた。

 

 それからアジト中を探す。しかし二つの秘宝は影も形もない。それどころか、鈴仙の私物もなくなっていた。つまり幻想郷へ、秘宝を持って帰ってしまったのだ。

 

 リビングでは三魔女が、難しい顔でテーブルを囲む。特に魔理沙は、怒り気味。

 

「アイツ!ただじゃ済まさねぇ!」

「皮肉ね。泥棒が宝を盗まれるなんてね」

 

 紅茶を味わいつつ、茶々を入れるパチュリー。だが、冗談でごまかせる様な事態でないのは分かっている。アリスが面白くなさそうに言う。

 

「笑いごとじゃないわよ。ハルケギニアの秘宝だもの。ルイズから散々扱いにあれこれ言われた代物よ。それ、取られちゃったんだから。どうすんのよ」

「決まってるだろ。幻想郷に戻って、鈴仙の野郎から取り戻す。ついでに落とし前もつけてな!」

 

 間髪入れずに答える魔理沙。半ばキレてる。だがそこにパチュリーの冷静な声が、差し込まれた。

 

「彼女の意思で、秘宝を盗んだとは考えづらいわ。むしろ、指示に従っただけじゃないかしら?」

「確かに、鈴仙らしくないな。だとすると真犯人は、永琳か」

「ええ。あの宇宙人が主犯の可能性が一番高いでしょ?」

 

 パチュリーが紅茶のお代わりを、こあに要求しながら答える。同じくアリスも紅茶のお代わり。さらに会話を続ける。

 

「けど何で、永琳がハルケギニアのもの欲しがるのかしら?」

「カトレアの治療のため必要とか……」

「秘宝が?無関係すぎるでしょ。だいたい、それならそれでルイズに断ればいんだし。カトレアのためなら、貸してくれたかもしれないわ」

 

 わずかに視線を向ける人形遣い。すると七曜の魔女は、次の考えを提示。

 

「実は幻想郷で、結構なトラブルになって、ハルケギニアの事を調べる必要が出て来たとかはどう?」

「神奈子が私達に、ハルケギニアの事調べるように頼んでるのに?」

「それもそうね」

 

 パチュリーは少しうつむく。

 

 カトレアの治療を永琳に頼むとき、神奈子との関わりは話してある。だからハルケギニアの事が知りたければ、まず神奈子の所に行けばいい。仮にハルケギニアの秘宝を調べる必要があるなら、神奈子を経由してパチュリー達に頼めばいい。どうにも理由が掴めなかい。もっとも永琳も幻想郷の住人だ。個人的に調べたくなり、自ら動いたという可能性はあるが。

 

 すると魔理沙が口を開いた。

 

「どっちにしても永遠亭に行ってみりゃ、分かる話だぜ」

「それもそうね。それに、そろそろ幻想郷に一度戻ろうと思ってたから、丁度いいわ」

 

 魔法使い達はうなずくと、さっそく帰り支度のため自室へ向かった。

 実は、全員が今回の旅行が終わり次第、一度幻想郷に帰るつもりだった。パチュリー達は研究成果の持ち帰りと備品の補充のため、レミリア達はさすがに長期に館を空ける訳にはいかないため、文はもちろん新聞の次号発行のため、さらに今回は衣玖も戻るつもりでいた。天子が大分大人しくなったので、目を多少離しても大丈夫だろうという事で。それに『緋想の剣』について、総領への執り成しを頼まれていたのもあったからだ。

 

 ただ、それは今すぐではない。今日はもう一つ要件が残っていた。オスマンから頼まれた事が。

 

 

 

 

 

 授業も終わり日が傾きかけた時間帯。いつもとは違う光景が学院長室にあった。この部屋は結構広めだが、今に限ってはそうとも言えない。大人数がこの部屋に集まっているのだから。

 まずはいつもの席に学院長ことオールド・オスマン。対面には、キュルケ、タバサ、ギーシュにコルベール。さらに左右に幻想郷の面々、魔理沙、アリス、パチュリー、レミリア、フランドール、咲夜、こあ、天子、衣玖、文。それとルイズがいた。計16名。ちなみにタバサは、昼頃、シルフィードに乗って学院へ帰って来ていた。無事戻った彼女の最初の歓迎は、涙目のキュルケの飛びかかるような抱擁アタックだったが。

 

 ここに集まった面々のテーマは二つ。まずは、学院を騒がしている襲撃犯、メンヌヴィル。そしてもう一つは幻想郷である。

 内容が内容だけに話は結構な時間を要した。途中、レミリアが話を脱線させたり、長い話に飽き飽きした天子を落ち着かせたりと、余計なイベントが挟まったせいもあるが。

 結局、長々と時間を使った話合いだったが、ほとんど分からずじまいで話は終わる。どうしてキュルケ達が幻想郷へ行けたのか、帰ってこられたのか。襲撃犯のメンヌヴィルはどこへ行ったのか。幻想郷の面々も、確実な事は何一つ言えなかった。ただ得る物もあった。幻想郷についてより詳しい事が分かったのだから。さらに、コルベールとメンヌヴィルの関係も明らかになった。

 

 実は、オスマンとコルベール。少し前に、彼女達がロバ・アル・カリイエ出身ではないと知っていた。それどころか人間ではないとも。あまりに不自然な行動が多い彼女達に、疑問と不安を持った彼らは、とある人物に訪ねたのだ。そのとある人物とは、ギーシュとモンモランシー。幻想郷メンバーと共に行動したらしい二人に。キュルケとタバサの方が、より詳しいとは思っていたが、一筋縄ではいかない二人。結局、言い方は悪いが一番落としやすい所に向かったのである。

 ギーシュは、約束した手前なんとかはぐらかそうとする。これ以上借りを作るのが、嫌なのもあったのだが。しかし、モンモランシーが真相を漏らしてしまう。オスマン達の言う生徒を守るためという理由に納得していたのもあるが、ギーシュを危険に巻き込んだ連中に、不安感を持っていたのもあったからだ。

 

 話が終わったので、キュルケ達も幻想郷組も部屋へと戻っていく。オスマンとコルベールを残し。もうすでに日が落ちていた。

 

 オスマンは、心痛な面持ちでうつむいているコルベールに声をかけた。

 

「ま、見つからぬものはしようがない。何も君の失態で、見失ったという訳でもなし」

「ですが……。メンヌヴィル君については、もっと早く話しておくべきでした。一番、彼を知っていた私が、私的な理由から口を噤んでしまったのです。教師を目指したと言いながら、こんなあり様では……」

「よい、よい。皆無事だったのじゃ」

「ですが、あの瞬間、幻想郷とやらに飛ばされなかったら、さらにたまたまあの場所にミス・ヤクモユカリがいなければどうなっていたか……。助かったのは、ただの偶然にすぎません!」

「偶然……。まあ、それはそうじゃが……」

 

 ふとオスマンに違和感が浮かぶ。コルベールの偶然という言葉を耳にして。幻想郷という異世界に行ったり来たりしたという現象に心を囚われていたが、よく考えれば奇跡的な偶然がいくつも重なっている点も、奇妙と言えば奇妙だった。

 ただ、考えた所で何かが出る訳でもない。オスマンは髭をいじりつつ、口を開く。

 

「そこはそれ、始祖ブリミルのお慈悲とでも思っておくとしよう。今の状況では、下手の考え休むに似たりじゃ」

「それは確かに……そうですが……」

「ともかく幻想郷の方々とは、とりあえず今まで通り良いようじゃ。幻想郷とやらに入ってしまう件も、ミス・ノーレッジの報告を待つしかないしの」

「はあ……」

 

 コルベールの気分は未だ晴れないようで、言葉に力がない。オスマンはどことなし柔らかい態度を取る。

 

「君も今日は疲れたじゃろう。明日は休暇としよう」

「しかし……」

「生徒を指導する立場として、平静の気持ちを保つのも教師の務めじゃ」

「……はい。お心遣い感謝します」

 

 やがてコルベールは礼をすると部屋を出て行く。

 廊下に出たコルベール。すると一人の女生徒が目に入った。キュルケである。ずっと待っていたようだ。他の者の姿は見えない。ただ様子がおかしい。快活な彼女らしからぬ曇った色合いが、表情に浮かんでいた。

 

「あの……。ミスタ・コルベール……」

「何でしょうか?」

「も、申し訳ありません!」

 

 始祖に祈るかのように俯くキュルケ。コルベールの知っている彼女とあまりに違う態度に、少々面食らう。

 

「その……。いったいなんの事でしょうか?」

「学院を抜け出す話を持ち出したのは……あたしです」

「そうですか。それはいけませんね」

「あたしのせいで……、ミスタ・コルベールを危険に巻き込んでしましました。それに……大やけどまでして……」

「気に病む事ではありませんよ。生徒を守るは教師の務めですし。それにこうして私は、ピンピンしています」

「で、ですが、あのヨーカイがいなかったら、どうなっていたか!」

 

 キュルケの瞳に、潤んだもの見える。半身でも失いかけたかのような震えた声が届く。戸惑うコルベール。キュルケは懺悔でもしているかのように、言葉を綴る。

 

「そ、それだけではありません!あたしはあなたの事を、臆病者と陰で罵ってました!本当は、勇気のある人だなんて全く気付かずに……」

「そう言うのも、無理はありません。実際、兵役を拒否したのですから。ただ、あの時も言いましたが、炎の魔法で人を傷付けたくなかっただけです。攻撃向きと言われる火の系統ですが、人を助ける道もあると伝えたいのです」

「はい。今ならあたしも、あなたの言われる事が分かります」

 

 やけに素直なキュルケ。いつもの妖艶さとしたたかさが微塵もない。コルベールは教師然とした態度は崩さないが、頭の中は益々混乱。

 

「い、いずれにしても、この件は学院長預かりとなりました。原因も幻想郷の方々が、調べると言われていましたし。ともかく、皆無事だったのです。素直に喜びましょう」

「はい……」

「ですが、学院を勝手に抜け出した件だけは、見過す事はできません。罰はキッチリ受けてもらいますよ」

「はい!」

 

 罰を受けるというのに、何故かキュルケの返事は喜んでいるように聞こえる。コルベール、頬がわずかに引きつっている。いったい彼女に何が起こったのか理解不能。苦笑いを浮かべつつも、その場はなんとか収めるのだった。胸の内がざわめくような予感を感じながら。

 

 その後キュルケはどういう訳か、何か用事を見つけてはコルベールを手伝ってくれるようになる。というか、付きまとうと言った方が近い。最初コルベールは、自らの行いを深く反省しているのだろうと思っていたが、そうではないと分かるのは結構後だったりする。

 

 

 

 

 

 オスマンとの話も終わり、幻想郷組の地下アジトに全員戻っていた。今は転送陣の前に、荷物と土産が山盛りにとなっている。いよいよ幻想郷へ帰ろうと言うのだ。今回はレミリア達が来た上、旅行に行ったせいもあり、荷物も人数も盛りだくさん。魔理沙がこの光景を見て、一言。

 

「一度で行けるか?」

「なんとかなるでしょ。何人かには空、浮いてもらわないといけないけど」

 

 アリスが人形達に荷物を運ばせながら、そんな事をつぶやく。

 この転送陣は天井にも魔法陣が描かれており、上下の魔法陣に挟まれた空間にあるものを全て転送する。飛んでいても問題はない。

 

 誰もが慌ただしく、転送陣と自分達の部屋を行ったり来たりしている中、それを椅子に座ってぼーっと眺めている人物がいた。天人、比那名居天子である。彼女だけは留守番だ。ルイズの使い魔なので、一応約束を律儀に守っている訳だ。もっとも一旦帰れば、天界に連れ戻される事、間違いないのもあるが。

 その時、何かを思い出したのか、ふと瞼が大きく開く。立ち上がると、パチュリーに近づいてきた。

 

「ねぇ、パチュリー」

「何よ」

「学院長室で、気づいたんだけどさ。これ」

 

 そう言って、天子はパチュリーに左手の甲を見せた。

 

「えっ!?ええーっ!?」

 

 魔女の叫びが地下に響く。一斉に視線が紫寝間着に向いた。魔理沙がこの忙しい時になんのトラブルだという具合に、近づいてきた。

 

「なんなんだよ」

 

 しかしパチュリーの背中は固まったまま。天子の左手を掴んで動かない。魔理沙がパチュリーの視線の先を覗き込む。

 

「あ?ああっ!?」

「何よ。どうしたのよ」

 

 すると今度はアリス。そして彼女達の目に入ったのは……。

 虫食いだらけのようになってしまった、ガンダールヴのルーンだった。もはや元姿の半分も残っていない。

 魔理沙が天子に尋ねる。

 

「いつから、こんなんなってたんだよ」

「知らないわよ。さっき気づいたんだもん」

「よく今までバレなかったな」

 

 ルーンに視線を戻してつぶやく。ようやく、パチュリーが天子の手を離すと一言。

 

「何か心当たりとかある?前、欠けた時は、デルフリンガー持った時だったけど」

「う~ん……。特にないわね。あの時みたいなのは、あれっきりだし」

 

 天子は宙を仰ぎながら記憶を掘り返すが、取り立てて引っかかる出来事は頭に浮かんでこなかった。脇ではアリスが腕を組みながら、眉をひそめている。

 

「にしてもペースが早いわね。これじゃ、ルイズが卒業する前に完全に消えちゃうわよ。っていうか、だいたい今でも契約成立してるの?」

「さあ」

 

 肩を竦める天人。

 普通の使い魔なら共感覚ができる、知能が上がるなどの効果があるので、仮に契約が切るとすぐに分かる。ところが、天子は共感覚ができない上、知能自体は元々人間以上。さらにガンダールヴにはあらゆる武器を使いこなせる特性があるのだが、天子はそんな能力必要としないので能力が発揮されたためしがない。しかも、ハルケギニアは地球で言えば中世から近世の科学力。現代の知識もそれなりにある天子。少なくとも彼女が目にした武器で、知らないものなどなかった。

 こんな訳で、契約が切れたかどうか気づかないのも無理はない。ただ実のところ、確かめる方法がなくはないのだが。

 

 魔女たちは、この状況をどう捉えるか考えている中、パチュリーが根本的な話を一つ。いつもの澄まし顔で。

 

「天子はどう考えてるの?」

「どうって?」

「確かルイズとの約束では、契約が切れるまででしょ。つまり、契約が切れたと分かったら、帰るのかって話よ」

「そうか。そんな話だったっけ。どうしよっかな……。うん、卒業くらいまでは付き合ってあげてもいいわよ。卒業してからなら使い魔がいなくっても、別に困らないでしょ。使い魔のいないメイジも結構いるし」

 

 あっけらかんと答えを出す天人。

 

「それに、私がいなくなったら、代わりの使い魔呼ばないといけないんでしょ?また何度も失敗するハメになったら、落第するかもしれないしね」

「意外ね。ルイズの事、一応気にかけてたの?」

「ふふふ、仁徳を身に着けたのよ」

 

 天子が起伏の薄い胸を張っている。レベルが一つ上がったと言わんばかりに。だが魔理沙がそれを鼻で笑っていた。

 

「休みを、少し延ばしたいだけじゃねぇのか?」

「うるさいわね!」

 

 面白くなさそうな天子。魔理沙は表情を戻すと、話を変える。

 

「ま、とにかくだ。こんなザマのルーン見られるのはマズイぜ」

 

 アリスはうなずきながら提案。

 

「そうね。手袋でもしとく?」

「手袋じゃ、簡単に破れるんじゃないのか?天子が丁寧に扱うなんて、とても思えねぇぜ」

「それもそうね。けど天人に刺青なんて無理だろうから……、マジックアイテムでも用意する?」

「どんなヤツをだよ」

「手の甲に、ルーンを投影するようなの。どうせ一旦幻想郷に戻るんだし、あっちなら簡単に作れるでしょ」

「だな。それにしようぜ」

 

 魔理沙の返事と共に、パチュリーも賛同の視線を送る。

 ともかく、とりあえずの対策だけは思いついた。最後に魔理沙が天子に向かって一言。

 

「いいか。帰ってくるまで、適当に誤魔化してくれよ」

「うんうん。ま、なんとかなるでしょ」

「……」

 

 天人の投げやりの返事に、一抹の不安を感じる魔女たち。

 

 それからほどなくして帰郷の支度は全て終わる。転送陣の上には荷物の山。そして10人ほどの人妖。その前には天子やルイズやキュルケ達もいた。見送りである。すると魔理沙がルイズに向かって一言。

 

「んじゃぁな。一旦帰るぜ」

「ええ。それと、絶対忘れるんじゃないわよ!」

「任せとけ。キッチリ、落とし前つけてくるぜ」

 

 白黒魔法使いの言葉を、ルイズは渋々うなずく。彼女が言った忘れてはならない事とは、始祖の秘宝について。オスマンとの話の後、魔理沙達から打ち明けられたのだ。『始祖のオルゴール』と『風のルビー』が鈴仙に盗まれたと。激高するルイズをなだめながら、魔法使い達は約束した。必ず、秘宝を持ち帰ると。一方、ルイズには別の気がかりがあった。秘宝を盗む命令を出したのは、鈴仙の上司、永琳だろうという事だ。その稀代の薬師に、カトレアの治療を頼んだルイズ。本当に、治してくれるのか不安になるのも無理はない。

 

 全員が転送陣に入る。アリスが声をかける。

 

「おとなしく留守番してなさいよ。こっち来た途端に、トラブルとかごめんだから」

「任せなさい!」

 

 腕組んで悠然と、答える天子。見た目はとても頼もしげ。やがて荷物の山と、10人近い人妖は霞むように消えていった。

 

 

 

 

 

 白の国、アルビオン。かつては『アルビオン王国』と呼ばれていた。だが現在は『神聖アルビオン帝国』と呼ばれている。ただ首都は今でも変わらず『ロンディニウム』。そして王城も同じく『ハヴィランド宮殿』である。

 誕生して間もないこの国は、今慌ただしい状況にある。戦争状態にあるのだから無理もない。その相手はトリステイン王国と帝政ゲルマニアの連合軍。空軍力ではなんとか五分以上だが、総戦力では劣勢だった。ラ・ロシェールでの大敗が、未だ響いていたのだ。しかしこの宮殿内で、暗い顔している兵は少ない。この国には他にはないものがあるからだ。聖なる存在、虚無の担い手が皇帝自身なのだから。

 

 だが、そんな士気に溢れた宮殿の中。暗い表情を浮かべている女性が一人いた。皇帝クロムウェルの秘書、シェフィールドである。自分の執務室でテーブルの木目でも数えているかのように、視線を落としていた。

 

「どうする……?どうすればいい……?」

 

 他に誰もいない部屋で、ポツリとつぶやく。彼女の頭には難問が溢れかえっていた。

 

 シェフィールドが幻想郷から戻った後、彼女の真の主、ガリア王ジョゼフに謁見。『始祖のオルゴール』を献上しに来たという名目で。予定よりずっと早かったが、ジョゼフはあまり気にしていないようだった。謁見は何事もなく終わる。

 やがて彼女は、二つほどの用をガリア本国で果たした。その二つの用とは、まずは八意永琳からもらった異質な薬の量産を進める事。ガリアの研究機関に依頼したのだ。ただハルケギニアでは、薬の製造はもっぱら水系統のメイジの仕事。薬も水薬や軟膏が多い。だが永琳の薬は丸薬。異世界の薬の上、薬の有り様まで違うので、量産できるかはかなり厳しいと考えている。そしてもう一つの用は、ガリアと協力関係あるエルフ。その知識豊富な彼に一つ質問をする事。『幻想郷』という名について。だが、聞いたこともないと返事。

 結局、彼女は大して得るものもなく、アルビオンに戻る事となる。

 

 戻ってからは、兵力の資料などを見ながら、思案を巡らせていた。現状、神聖アルビオン帝国の堅持が彼女の役目。少なくとも主であるジョゼフは、この国の扱いについてなんの指示もしていない。ならば当初の予定通りに進めるだけだ。

 だが戦力差はいかんともし難い。水際で押しとどめるのが失敗すれば、確実に負ける。切り札となるべき『アンドバリの指輪』は、異界の賊どもに盗まれた上、行方知れず。下手をすればトリステインの手中にある。幻想郷の人外達は、ヴァリエール家と繋がりがあるのだから。逆に、指輪を使ってくるような策に出られたら、なおさら戦争は厳しくなる。

 

 難問は増えるばかりで、解決策は見つからず仕舞い。抱えた頭は、なかなか上がらなかった。

 

「ふぅ……」

 

 大きなため息を漏らす。気分を変えようとかと席を立ち、窓の外を眺めた。

 その時、ノックの音が耳に届いた。同時に衛兵の声が耳に入る。

 

「クロムウェル陛下のお越しにございます」

「分かりました」

 

 シェフィールドは穏やかな声で、そう言って扉を開けた。まさしく忠実なる秘書そのもののように、恭しく礼をしつつ。扉の開いた先には、威厳を整えた皇帝がいた。

 

「お前たちは下がれ。シェフィールドと重要な話がある」

「ハッ」

 

 衛兵たちは、扉を閉じると部屋から出て行った。するとシェフィールドの態度は一変、杜撰なものになる。主君である皇帝を差し置いて、先に自分が椅子に座る。対する皇帝は逆。シェフィールドの机の前で立ちっぱなし。

 彼女はクロムウェルを見上げ、疲れたように問いかけた。

 

「で?なんの用かしら?」

「その……。トリステイン魔法学院襲撃は失敗したとの報告を受けましたが……」

「……。嫌味でも言いに来たのか?」

「い、いいえ、そういう訳ではありません!」

 

 弱腰のクロムウェル。とても皇帝と秘書の会話ではない。だがこの二人に限っては、当然とも言えた。何故なら彼は、彼女が担ぎ上げた元はただの平民司祭なのだから。さらに彼女の正体はガリアの間者。クロムウェルの命脈は、シェフィールドに握られていると言っても過言ではないのだ。

 恐る々々口を開くお飾り皇帝。

 

「と、とにかく、トリステイン、ゲルマニア連合軍への対策をそろそろ提示していただかねば……。将軍達が不信に思いはじめております。未だに本格的な作戦会議がないのは何故かと」

「……」

「あの……以前……アンドバリの指輪が鍵となると伺ったのですが……」

「…………」

「ミス・シェフィールド?」

「見つからなかった」

「見つからなかった……と言いますと?」

「二度も言わせるな!アンドバリの指輪の奪還に、失敗したと言ってるのよ!」

 

 シェフィールドは激高し、立ち上がる。椅子を跳ね飛ばす勢いで。その表情は、いらだちに溢れている。ただただ気圧される皇帝。だがそこには何故か、当惑の表情があった。

 

「そ、その……。何を言われているのか、分からないのですが……?」

「何だと?」

「ア、アンドバリの指輪の奪還とは、何の話でしょうか?」

「き……貴様……私を愚弄するつもりか?」

 

 思わずテーブルを叩くシェフィールド。それに戸惑うだけのクロムウェル。

 

「その……アンドバリの指輪ならありますが……」

「な、何?」

「ですから……いつも通り、私の指に嵌っております……」

「な……!?」

 

 シェフィールドの口は半ば開いたまま。クロムウェルの言葉が信じられない。一方のクロムウェル。シェフィールドを諭すかのように、ゆっくりと手の甲を見せる。

 しかし……。

 

「どこにあると言うのよ!ないではないか!お前の目はどこに付いてる!」

「え!?あ?そ、そんな!?」

 

 クロムウェルの指に、指輪はなかった。あったのは指輪が嵌っていた痕だけである。

 

「ど、どうも、嵌めてくるのを忘れていたようです。た、ただちに持ってまいります!」

 

 そう皇帝は告げると、慌てて部屋を出て行く。苦々しげにシェフィールドは、その後ろ姿を見送った。

 

 それからどれほど時間が経っただろうか。シェフィールドの苛立ちがいよいよ限界に達しようとしていた時、狼狽し皇帝の威厳も何もかも捨て去ったクロムウェルが戻ってくる。

 

「み、み、見つかりません!ア、アンドバリの指輪がどこにも!」

「当たり前よ!奪われたのだから!」

 

 シェフィールドは、元平民司祭のあまりの無様さに思わず罵っていた。当のクロムウェルは、目が泳ぎここに非ずという表情。つぶやくように尋ねる。

 

「そ、そんな……いつの間に……」

「貴様……!浸水の日だ!あれほどの騒ぎになったと言うのに、忘れたというのか!?」

「こ、浸水?それはいつの事でしょうか……?」

「賊が来た、翌日だ!」

「賊?賊とは……?市街での話ですか?」

「お、お前は……!」

 

 手すら上げそうになるシェフィールド。だが、はたと気づく。いくらこの男が無能だと言っても、さすがにこれはおかしいと。あの大捕り物となった賊騒動や、汚物まみれとなった宮殿の浸水を忘れるなどあり得ない。

 すると奇妙な出来事が脳裏に浮かぶ。あの浸水の後、兵達が彼女の陰口が、度々耳に入る事があった。屈辱的なあだ名も。嘲笑するような視線を向けてくる時もあった。だが、再び宮殿に戻って以来、そんな事は一度もない。兵達は何事もなかったように、彼女の隣を通り過ぎていた。

 

 シェフィールドの表情が、怪訝に曇る。態度は、いつもの落ち着いた秘書に戻る。すると、クロムウェルに告げた。

 

「お前の言うことは、分かったわ。もう、戻っていいわ。対連合軍については、後で伝える。今は下がりなさい」

「は、はぁ……。ですが指輪については……」

「それも後の話よ。それより、衛兵隊長を呼びなさい」

「は、はい……」

 

 成り上がり皇帝は首を捻りながら、訳が分からないと言ったふうに、部屋を後にする。

 後から来た衛兵隊長に、彼女は賊と浸水の件について尋ねた。だが彼も、何の話か分からないという具合に答える。

 その後シェフィールドは、地下へと向かう。自らの作業部屋、ガリアで開発した数々のマジックアイテムが秘匿された工房へ。

 

 ゆっくりと扉を開けるシェフィールド。だがすぐに違和感に襲われた。臭いがしないのだ。あの息を止めたくなるような臭いが。

 地下であるこの部屋は、浸水の時、長らく汚水に使っていた部屋の一つ。彼女だけしかこの部屋に入れないのもあって、なかなか掃除が捗らず、臭いが上手くとれなかった。だが、今は部屋の中身をそっくり入れ替えたかのように、臭いが全くしない。

 

 違和感を益々大きくするシェフィールド。やがて書類棚の側に立つ。そして引出しの一つを開けた。

 

「なっ!?これは……いったい?」

 

 目に入ったのは、様々な資料の書類。ただの書類だ。だが明らかにおかしい点があった。何事もなく、無事にそこにあったのである。書類に使っている羊皮紙は、水に強いが、インクは簡単に流れてしまう。このため書類としては濡れる事は致命的なのだが、明らかに濡れた様子がないのだ。

 

「どういう事……?」

 

 狼狽えるシェフィールド。

 重い足取りで階段を上ると、視界にワルドが入った。

 

「これは、ミス・シェフィールド。戻っておられたか」

「え……ええ……」

「結局、あの傭兵共はしくじった訳か。大きいのは口と態度だけだったな」

「ええ……」

 

 どこか上の空の返事に、ワルドは意外そうな表情を浮かべる。この不遜な秘書も、作戦失敗にショックを受けているのかと。するとそのシェフィールドが口を、開いた。どこか弱々しい声色で。

 

「その……ワルド子爵。以前、大けがを負われたのを憶えて……いますか?」

「ああ……まあな……」

 

 いきなり話題が変わり、少々不自然なものを感じるワルド。だが人当りのいい美男の子爵は、笑って返す。

 

「はは、面目ない。竜騎士の隊長ともあろうものが、ドラゴンより落ちるとは」

「落ちた理由をご存じでしょうか?」

「あまり、いじめないでくれたまえ。怪我のショックか、よく覚えていないものでね。次の戦ではぜひ、面目躍如と行きたいものだ」

「憶えていない!?」

「醜態を、何度も指摘されるのは、あまりいい気がしないのだがね」

「これは……失礼いたしました……」

「……?」

 

 やけにしおらしく詫びをする秘書。ますますシェフィールドらしくない。ワルド自身は彼女をあまり快くは思っていないが、さすがに気にかかる。

 

「体の調子でも悪いのか?いつものあなたらしからぬように、感じるのだが……」

「失策が少々応えているのでしょう。ですが、ご心配をおかけするほどではございません」

 

 シェフィールドは軽く礼をすると、その場を去る。逃げるかのように。残されたワルドは、彼女の態度について思案を巡らすが全て憶測の域であった。

 

 次にシェフィールドが向かったのはロンディニウム市街。わずか護衛を連れ、賑わう道を進む。厳しい顔つきのまま一言も漏らさず。だがその脳裏には、いくつもの言葉が出ては消えていた。

 

(どういう訳?賊の事も、浸水の事も誰も覚えていないとは?)

(連合軍の策謀かしら?私がいない間に。しかし、大規模過ぎる。宮殿内の全ての者の記憶を無くすなどと。数人ならいざ知らず……)

(いや、もしかして私の記憶の方が間違いなのかも……。違う。それはない。実際、アンドバリの指輪はないのだから)

(では、幻想郷の連中の仕業なのか?でも、どうにも小賢しすぎる気もするわ)

 

 シェフィールド自身は、風見幽香や八雲紫と言った大妖と対峙した。その力を直に目にした。彼女達なら小手先のような手間をかけずとも、トリステイン有利に事を運ぶのは難しくないと感じている。

 

 結論の出ないまま、シェフィールドの足が止まった。彼女の視線の先にあったのは一軒の宿。一連のロンディニウムでの騒動の出発点。アンドバリの指輪強奪作戦のため、ルイズ達が泊まった宿だった。

 じっと宿を見つめていたシェフィールド。一つ気になる事が目に入る。それを胸に留めながら、宿の入口を潜った。宿屋の主人の迎えの声が届く。

 

「はい。いらっしゃ……」

 

 シェフィールドの後に続く衛兵たちを見て、顔色を変える主。帝国関係者と分かって。急に腰が低くなる。

 

「こ、これは……その何のご用件でしょうか?」

「主人、一つ伺いたい事があります」

 

 皇帝秘書は、あくまで丁寧な物腰で尋ねる。

 

「屋根が片方、新しいようですが、修理でもしたのでしょうか?」

「ええ……まあ。あの大捕り物のせいと言いますか……」

「大捕り物?」

「あれですよ。トリステインの賊がここに泊まって、軍隊がたくさんやって来たヤツですよ」

 

 シェフィールドの目は大きく見開いていた。飛びかかるように、主に寄っていく。

 

「お、憶えているのか!?」

「は、はぁ!?な、何をです?」

「300名ほどの部隊で、ここを取り囲んだ事をよ!」

「いや……、私は……眠らされていたもんで。起きたら、宿がメチャクチャになってて、賊の話は後で聞いたんですよ。事情聞きに来た武官の方に。その時、知ってる事は全部話しましたよ」

「賊の、賊はどんなヤツだった!?」

「だから、全部、話しましたって。もう他に覚えてる事なんて、ありませんよ。学校通っているような女の子と大人が一人か二人、全員メイジっぽかったって」

「……!」

 

 言葉がなかった。その話は、事情徴収の報告書にあった内容そのままだった。やはり、あの出来事はあったのだ。

 

 用が済むとシェフィールドは、宿屋を後にする。最後の目的地に向かう。そこは下水道の入口だった。護衛達は、顔をしかめいかにも嫌そう。無理もない腐臭が辺りに漂っているのだから。だがこの虚無の使い魔だけは、厳しい視線を下水道の奥へと向けていた。彼女は護衛達に、命令する。

 

「あなた達。下水道の中に壁、もしくは壁が崩された跡があるか探しなさい」

「壁……ですか?」

「ええ」

「はい……。分かりました」

 

 訳が分からないという具合に首を捻りながら、護衛達は下水道へと入っていく。

 シェフィールドが探しているのはワルドの報告書にあったもの。あの浸水は人為的に起こされたらしい、と書かれていた。地図も添えられ、下水を堰き止めた壁の場所が記載されていた。だが今日、執務室を探したが、その書類はどこにも見当たらない。宮殿内の者たちの記憶と同じく。

 シェフィールドは頭の中に残っているわずかな記憶を頼りに、その壁を探そうというのだ。

 

 どれほど時間が経っただろうか。ようやく護衛達が戻ってくる。だがその表情は驚きを孕んでいた。

 

「ありました!壁です!いや、壁の痕跡です!壁自体はすでに壊されていましたが、確かにその跡は残されていました」

「やはり、そうですか……」

「しかし、一体なんのために、誰が……」

「それについては、もっか調査中です。あなた達が気にする必要はありません」

「は、はい」

「故に、この事は他言無用。国家の大事に関わります」

「はい」

 

 護衛達は息をのみつつ、了解する。

 そして一同は下水を後にした。宮殿へと足を進める。その間もシェフィールドは思案に暮れていた。

 

(訳が分からない……。あの一件を伏せる工作だとしても、証拠を残しすぎているわ。逆に混乱させるためなら、憶えている者が宮殿内にまだまだ多い方がいい。何もかもが中途半端。一体目的は何?だいたい、どうやればこんな事が……?)

 

 起こった出来事は宮殿内のほとんどの者の記憶はもちろん、物的証拠すら消し去ったという異質で大規模なもの。一方、宮殿外では記憶も物的証拠も残っている。起こった事は奇異、だが手際は杜撰。それ故、逆に全容を掴みかねていた。意図がまるで読めない。

 シェフィールドの背に、嫌な汗が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 キュルケがしおらし過ぎたかなとか思いながらも、そのままにしてしまいました。


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胡散臭い者の会

 

 

 

 

 幻想郷組が故郷に帰り、かなり静かになったトリステイン魔法学院。ルイズもようやく落ち着いた日々を取り戻しつつあった。

 いろいろと騒がしかった帰郷、学院に戻ってからはキュルケ達の一件。さらに、授業出席代わりの課題まで出される始末。

 だがそれも全て終わった。そして今、側にいる幻想郷の住人は天子だけ。トラブルメーカーの一人ではあるが、以前よりマシにはなっているし、他のメンバーがトラブルを起こす心配もなくなって気が休まったというのは正直な所だ。ただ多少さみしくなったものあるのだが。

 

 だが、当の学院自体は一変していた。学院から出られないのは鬱陶しい事この上ない。一体いつまで、こんな状態が続くのやら。

 

「もうちょっと、帰ってた方がよかったかしら」

 

 昼食後の昼休み。窓から学院を囲む兵を眺めつつ、そんな台詞を零す。すると脇に影が入る。何気なく顔を向けると、そこにいたのは褐色の美少女。キュルケだった。

 

「ま、いいじゃないの。これはこれで悪くないわ」

「どこがよって……やけに楽しそうね。なんかあったの?」

「別に。今の所はまだね」

「?」

「ちょっと聞きたい事があるんだけど、パチュリーっていつ戻ってくるか知ってる?」

「は?」

 

 意外な名前がいきなり出てきてルイズは、少しばかり呆気にとられる。

 

「聞いてないわ。久しぶりの里帰りだから、しばらくかかるかもしれないわね」

「そう……。彼女、よくジャンと会ってたらしいから、いろいろ聞こうと思ったんだけど」

「ジャン?」

 

 ルイズ、わずかに首を傾げた。

 ジャンという名前の男子生徒はそれなりにいるが、パチュリーがよく会っているとなると思い当たらない。実はあの無愛想な魔女にも、色恋沙汰が?などと一瞬考えたが、すぐにあり得ないと首を振る。

 

「ジャンって誰よ」

「ミスタ・コルベール」

「ぶっ!?」

 

 思わず前のめりに噴き出すルイズ。目が点になっている。

 

「あ、あんた!教師にまで手出すつもり!?っていうか、あんたの趣味から外れてる気がするんだけど。確かにメイジとしては凄いかもしれないわ。でも、頭の禿かかった中年よ?」

「それがどうかした?」

「……」

 

 ルイズ、絶句。自信ありげに返すキュルケに言葉がない。男好きとは思っていたが、ここまでとはと。男なら誰でもいいのかと、胸の内で呆れていた。もっともルイズは、コルベールとメンヌヴィルの戦いという大イベントでキュルケが何を思ったか聞いていないので、こう思うのも無理もないが。

 やがてキュルケは用が済んだとばかりに、この場を去ろうとする。

 

「とにかく、知らないのね。それじゃぁ、パチュリーが戻ってきたら教えて」

「……まあ、いいけど……」

 

 ルイズは頭の整理のつかないまま、背を向けるロングの赤毛を見送ろうとした。

 

 突如、爆発音、いや衝撃音が窓を揺らす。思わず窓に張り付いて、音の発信源を凝視する二人。兵達が強風に煽られたかのように、宙を舞っていた。

 キュルケは窓を開けると、身を乗り出す。

 

「何!?アルビオンの賊?」

「まさか正面から!?」

 

 ルイズの言う通り、音の発信源は正門からだった。あそこは一番厳重に警備されているにもかかわらず。

 ともかく異常事態。二人は思わず杖を握っていた。そして窓からフライで飛び、現場に向かう。トラブルに対し、逃げるより向かってしまうのは、これまでの経験が二人をトラブル慣れさせてしまったのだろうか。

 

 現場がよく見える距離まで近づいていく。だが、足が止まる二人。その表情は締まりのないもの。口も目も半開き。何故なら彼女達の目に入ったのは、ヴァリエール家の旗だったのだから。

 それだけではない。ヴァリエール家の後から、グラモン家の旗も持った騎士団も。さらにほどなくすると、空に騎士団らしき姿が近づいてくる。竜騎士ではない。マンティコアに跨った一団だ。どう見ても王家の親衛隊、マンティコア隊。そしてそれらの勇ましい集団の先頭を進のは、妙なマスクをした人物だった。

 

 キュルケは状況がまるで呑み込めず、ポツリと零すだけ。

 

「何よこれ……。どういう事?」

「…………」

 

 だがその隣で、ルイズだけはなんとなく事態が掴めてきていた。だが頭に浮かんだのは、あまりよくないものばかり。背中に流れる汗が、やけに冷たかった。

 

 放課後。全学院の生徒がアルヴィーズの食堂に集められる。ここは食事以外にも、全校集会がある時にも使われる。

 全生徒が席に座った先にある上座、いつもなら学院長や教師達がいる場所。そこに異質な人物が何人かいた。まずはヴァリエール家とグラモン家の旗を掲げる騎士が数人。さらに近衛兵マンティコア隊を掲げる騎士も見える。そしてその中心に立つのは、マンティコアの刺繍をあしらったマスクを被る女性と思わしき人物。もっと姿自体は男装だったが。あたかも出兵式典かというような緊張感が、壇上から伝わって来る。生徒達もそれに飲み込まれるように、妙な圧迫感に身を縛られ呼吸の音すら聞こえてこない。

 

 学院長、オールド・オスマンがゆっくりと口を開く。

 

「あー……。君らに集まってもらったのは他でもない。重要な要件を伝えねばならないからじゃ。まず、学院を守ってもらっている騎士団じゃが、全軍撤収する事が決まった」

 

 生徒たちかの歓喜の表情。これで鬱陶しい学院生活とも、おさらばできると思っていた。

 オスマンは話を続ける。

 

「代わりにヴァリエール家とグラモン家の騎士団が、その役目を担当する事となった」

 

 次に漏れてきたのは生徒たちのためいき。やはり状況は変わらないと。

 

「次いで外出禁止令じゃが、これについても一考する事となっている」

 

 生徒たちから、わずかに歓喜の声が漏れてくる。今回の集会は状況の改善の報告かと、生徒達は一様に表情を緩めていた。だが本題はこれからだった。オスマンはメインイベントに入る。

 

「新たな警護任務を指揮するのが、この方じゃ」

 

 そう言って、オスマンは隣に立っている覆面女性を紹介した。

 

「あ~え~……。ミス・マンティコアじゃ」

「「「…………」」」

 

 オスマン達の方を向く、ズラッと並ぶ怪訝な生徒達の顔。なんと反応していいか困る。

 紹介されたマスクウーマンは、いかにも怪しげ。いや見た目だけではない。武門で鳴らしたヴァリエール、グラモン両家を引き連れ、しかも近衛兵のマンティコア隊まで連れてきたのだ。どう考えてもおかしい。だいたい、ミス・マンティコアという呼び名はなんのつもりなのか。

 誰もがよほどの大物なのではと考えた。正体を隠せねばならないほどの。ならばかなりの有名人という事になるが、男性ならともかく女性となると想像がつかない。あえて言うなら近衛銃士隊のアニエス。だが、アニエス自体はすでに学院に駐留中。あえてマスクをする必要はない。

 

 生徒達の疑問がいくつも湧く中、オスマンは最後の通達をした。

 

「加えて、この方は今後の軍事教官として、当学院に赴任する事となった。よいな。よくこの方の言われる事を聞くのじゃぞ」

「「「…………」」」

 

 またも無言の生徒達。ただただ、戸惑った空気だけが漂っている。

 すると、当のマスクウーマン、ミス・マンティコアが一歩前へ踏み出した。ここが最前線かのような雰囲気を漂わせながら。わずかな間の後、スパッと口が開く。

 

「一同、起立!」

 

 体中を貫く声が食堂に轟く。生徒達は一斉に立ちあがっていた。ケツでも蹴り上げられたかのように。彼らも何故自分が何故立ち上がってしまったのか、理解していない。とくかく体が動いていた。彼らを前にミス・マンティコアが口を開いた。よく通る声が耳に届く。

 

「私があなた達を今後指導する。ミス・マンティコアです」

「「「…………」」」

「我が国の状況は言うまでもないでしょう。あなた達が一兵として、戦地へ向かうのは遠い先の話でありません。そこで祖国を守り、無事帰還せねばなりません」

「「「…………」」」

「ですが、今のあなた達はあまりにも非力、貧弱。故に、私が力を授けましょう。技術のないものには技術を、知恵のないものには知恵を、覚悟のないものには覚悟を!」

「「「…………」」」

 

 つらつらと並ぶ物騒な内容。特に最後の覚悟という言葉には、鋭さすら感じられた。生徒たちの体は、何かに縛られたかのように余計に身動きできず。

 

「残された時間はそう多くはありません。しかし必ずあなた達を、一兵へと鍛えあげましょう」

「「「…………」」」

「私からは以上です」

「「「……」」」

 

 無言の返事に、ミス・マンティコアはわずかに眉の端を歪める。

 

「返答!」

「「「よ、よ、よろしくお願いします!」」」

 

 耳を抜くような響きに、全生徒は思わず返答。その顔は、石膏で固められたようになっていた。その中でも一番固まっていたのは、ちびっ子ピンクブロンドだったりする。

 

「よろしい」

 

 穏やかながらも、威圧的な響きが食堂の隅々まで届く。わずかな時間だったが、かのマスクウーマンは生徒たちの胸に刻み込まれた。いろんな意味で。

 

 学院集会も終わり、寮へと戻る生徒達。聞こえて来るのは、ミス・マンティコアの話題ばかり。しかも文句がほとんど。それはギーシュ達も同じ。マリコルヌがさっそく愚痴をたれている。

 

「なんなんだよ。あの人!偉そうだし、文句言うなみたいな態度だし。あんなんじゃ、言う事聞きたくなくなっちゃうよ!」

 

 大きく頷くモンモランシー。金髪縦ロールを不機嫌そうにいじりながら、彼女も文句。

 

「だいたいあのマスクはなんなの?役者か何かのつもり?勘違いしてんじゃないの?」

 

 だが、その横ではギーシュが顎を抱えてこぼす。

 

「でも、なんでウチの騎士団が来たんだろ?」

「実家から何か聞いてないの?」

 

 モンモランシーが尋ねても、ギーシュは首を振るだけ。

 

「全然。騎士団長に聞こうかと思ったけど、なんか聞くに聞けない空気でさ。そうだ、ルイズ。君の家も……」

 

 話かけられたルイズだが、何か考え込んでいるかのように俯いている。目は見る事を忘れているかののように、止まったまま動かない。ここに非ずという雰囲気だ。すると今度はキュルケが話し出す。何か気づいたかのように。

 

「そう言えば、ミス・マンティコアの髪ってピンクブロンドだったわね。あまり見ない色よね」

「!」

 

 反射的にルイズは顔をあげていた。そこにあったのは、隠していた黒歴史ノートが見つかったかのような顔つき。目元が引きつっている。

 

 彼女は分かっていた。ミス・マンティコアの正体を。自分の母、カリーヌである事を。歩く姿を遠目にしただけですぐに分かった。声を聞いて確信した。だが、マスクをしているのだ。正体を知られてはならない理由があるのだろう。ルイズは平静をなんとか維持。取り繕って答える。

 

「そ、そう?珍しいけど、見ない訳じゃないわ」

「いいじゃないの。言いなさいよ。誰だか分かってるんでしょ?黙っとくから」

「全然、わ、分からないわ。い、一体、誰かしらねぇ?」

 

 ルイズは腕を組みながら首を大げさに傾げる。さも見当がつかないと言いたげに。だがそれを見て、相変わらず嘘をつくのが下手だと思うしかないキュルケとタバサ。

 だがそんなルイズの努力を、台無しにする存在が現れた。

 

「ねえ、ルイズ。あんたの母上来てたけど、何しに来たの?」

 

 唯我独尊の天人、天子である。一同の前から近づいてくる。

 ルイズ、すぐさま天子に突撃。口を手で封印。小声ながらも、怒声を耳にねじ込んでくる。

 

「言うんじゃないわよ!」

「なんでよ」

「マスクしてたのよ!隠そうとしてんのが分んないの?」

「あれ隠してるつもり?」

「だいたいなんで、母さまって分かったのよ。緋想の剣、使ったの?」

「いらないわよ。見れば分かるでしょ」

「…………」

 

 ルイズ、返しようがない。

 カリーヌの纏う雰囲気は独特だ。しかも戦っている彼女を、天子は見ている。ルイズと同じく、歩いている姿を見ただけですぐに分かった。

 とにかく、ここはなんとか天人を黙らせないといけない。だが、すでに遅し。微熱の声が後ろから届く。

 

「やっぱり、あなたの家族だったのね」

「え!?」

 

 思わず振り向いた先には、様々なリアクションをする一同。その中で、ギーシュは納得顔で頷いている。

 

「だから、ヴァリエール家とグラモン家の騎士団が来てたのか」

「なんでグラモン家も?」

 

 モンモランシーの問いに答えるギーシュ。

 

「ルイズのご両親と、父上は旧知らしくってさ。手紙のやりとりよくしてるんだよ」

「そうだったの……。知らなかったわ。でも、マンティコア隊は?」

「それは分からないなぁ。ルイズ、知ってるんだろ?」

 

 ルイズ、顔が神経痛でも起こしているかのよう。言うべきか言わざるべきか。だがこれも無駄な迷いであった。またも天人がペラペラ。

 

「ルイズの母上が、元親衛隊長だったからでしょ」

「「「え!?」」」

「烈風カリン?とか呼ばれてたんだって」

「「「えーーーー!?」」」

 

 ギーシュやモンモランシー、マリコルヌは顔を突き出して驚いていた。無理もない。烈風カリンと言えば、演劇の題材となるほどの人物だ。それがまさかルイズの母親とは。すぐに、質問攻めに会うルイズ。その当人は、苦虫を潰しながら天子を睨んでいた。だが天人の方はいたって涼しい顔。

 その脇ではタバサが、あまり驚いた様子のないキュルケに尋ねる。

 

「知ってた?」

「知らなかったわ。けど、ヴァリエール家の当主夫婦の人柄は、ウチの親から聞いてたもの。納得はいくわね」

「そう」

 

 一言返すタバサ。

 やがて観念するルイズ。完全に開き直った。

 

「あーっ、もう!分かったわよ!あなた達の言う通りよ!ミス・マンティコアは私の母さまで、烈風カリンよ!」

「え?でも、烈風カリンて男性じゃなかったっけ?」

 

 誰もが思いつく質問をギーシュがぶつける。実際演劇でもカリンは男優のする役だった。ルイズは渋々、真相を口にする。

 

「えっとね、役職にあった頃は男装してたそうよ。父さまから聞いたわ。女性じゃ騎士になれないからって」

「そうだったのか……。まさか女性だなんて。それじゃぁ引退されてから、行方が知れないのも当然だね」

 

 色男は納得顔で何度もうなずく。

 

「でも、あの英雄が指導教官だよ。すごいじゃないか!役者じゃなくって、本物だぜ!」

 

 マリコルヌが小躍りして喜んでいた。ギーシュも明るい声を上げて同じリアクション。ついさっきまで高圧的で、気に入らないと言っていたのはどこへやら。その前でルイズは、二人を不憫そうに見ていた。

 

「気楽なもんね。今に真逆な気分になるわよ」

 

 不穏なルイズの言葉に、神妙な顔つきの一同。喜びはあっさり冷却。すると全く違う色合いの声が挟まれた。天子だった。不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「へー。カリーヌって教官としてやってきたの」

「……天子、何考えてんのよ」

 

 ルイズは探るように天子を見る。疑念一杯に。当の使い魔の顔は、いかにも楽しそう。だがギーシュ達とは違い無垢な笑顔でなく、腹に一物あるかのような顔つき。

 

「その授業、私も参加するわ。使い魔との連携とか、どうせやるんでしょ」

「あんた……。母さまと、決闘するつもりでしょ!」

「決闘じゃないわよ。訓練よ、訓練」

「あんたってヤツは……!」

 

 歯ぎしりしながら睨みつけるが、相も変らぬ天人は涼しい顔。

 最近大人しくなったと思っていた使い魔が、また暴走しそうになり始めている。衣玖には残ってもらうべきだったかと、後悔が一つ頭を過っていた。

 

 ただ何にしても、教練が始まるのはまだ先の話である。何故なら、生徒達が待ちに待った長期休暇が始まろうとしているのだから。もっとも本来の夏休みに比べれば、ずっと短い。それでも休みは休み。やがて一同の話題は、休みの事へと移っていく。だがルイズだけは、母親の事が頭から離れずにいた。嫌な予感を伴って。

 

 

 

 

 

 うっそうと茂った竹林の中に足を進める四人の姿があった。魔理沙、パチュリー、アリスの魔法使い三人衆と竹林の案内人、藤原妹紅である。妹紅はこの広大な竹林に住んでいて、ここの案内人を担っている。

 彼女の元を訪れる者の目的は大抵同じだ。永遠亭への訪問。ここの竹林は迷いやすい事でも有名だったので、妹紅はありがたい存在だった。一方、彼女は、幻想郷の住人らしく能力持ちだが、その中でも特異な能力を持っている。その意味でも存在感のある人物だった。

 そして今彼女の後ろから付いてきている連中の目的も、やはり永遠亭。ただし、ほとんどの者が医療目的で屋敷を訪れるのに対し、彼女達の目的は違う。それは窃盗物の奪還。だが今、魔理沙達の頭にあるのは別のものだった。

 

 白黒魔法使いが、腕を組んで神妙な顔つきで話だす。

 

「まさか、シェフィールドが来てたなんて信じられないぜ」

「だいたい、どうやって生き残ったの?フランの"どかん"喰らったはずでしょ?」

 

 アリスも納得いかない様子。パチュリーも黙り込んで知恵を巡らすが、現状、答えを出すには情報がなさすぎた。

 

 それはハルケギニアから戻ったばかりの時。片づけを済まし一段落ついたレミリア達の耳に、奇妙な話が入る。話の主は美鈴。彼女は、シェフィールドというハルケギニア人が来ていたと言う。しかも、一日も経たない内にいなくなったとも。それを聞いて一同、目が点。あのガリア王の虚無の使い魔は、フランドールが吹き飛ばしたはずだったからだ。どうやって幻想郷に来られたのか、何故、死ななかったのか、いなくなった理由は何か。疑問は次から次へと湧いてくる。美鈴はシェフィールドから、幻想郷に来た経緯を聞いたのだが、彼女自身も分かっていなかったと言う。

 すでにパチュリー達は、トリステイン学院でキュルケ達が幻想郷に行って戻って来たという話も聞いていた。さらにルイズは召還された訳ではなく、原因不明な現象で幻想郷に来たという事も分かっている。幻想郷に来たハルケギニア人はこれで三組。どれもが謎の現象と言っていいものばかり。魔女達には、嫌な胸騒ぎがあるのを意識せずにはいられなかった。

 

 ともかく今は、ルイズに頼まれた始祖の秘宝奪還が最優先。実行犯は鈴仙と分かっている。だが大きな問題があった。おそらく主犯である永琳に、どう対処するかが決まってない事。荒事になるかもしれない。三人にはそんな覚悟も半ばあった。もっともそれも、幻想郷の日常とも言えるが。

 

 長らく続く曲がりくねった小道を進むと、急に竹林が開ける。差し込む日の光に照らされた大きな館。月人達の住居、永遠亭である。すると妹紅が足を止めた。

 

「着いたよ。それじゃぁ、私はここで待ってるから」

「挨拶しないのか」

「昨日したから、十分」

 

 そう言って、屋敷を囲む壁に寄りかかる妹紅。彼女はここの主で永琳の主人、蓬莱山輝夜といろいろと因縁がある。その意味で魔理沙は口にしたのだが。ちなみにここで言う挨拶とは、別名、殺し合いと言う。じゃれ合いと言う者もいるが。

 

 関心ないという態度の妹紅を残し、三人は屋敷へと入って行った。無言で戸をノック。ほどなくして、戸が開いた。

 

「はいはいは~い。なんの御用で……」

 

 玄関口にいたのは鈴仙。当然である。ここの雑務は彼女が担当。客を迎えるのも当然彼女。だがその玉兎は、顔を引きつらせていた。マズイという言葉が張り付いている。

 そんな彼女の内心を見透かすように、魔理沙が開口一番。

 

「何しに来たかは、分かってるよな」

「いや……その……あの……、ご、ご、ごめんなさい!悪いとは思ってるけど、仕方なくって……」

 

 必至になって頭を下げる月うさぎ。だが三人は意に介すつもりなし。次にパチュリーが口を開いた。

 

「どうせ、永琳の指示なんでしょ?」

「え……まあ……、そうなんだけど……」

「なら、永琳と話をつけるわ」

「えっと……師匠は……」

 

 苦笑いでごまかしつつ、言葉を濁す鈴仙。この怒っている魔法使い達を、永琳に会わせていいものか。どう考えてもトラブルの予感しかしない。そしてとばっちりを受けるのは、おそらく自分とすぐに予想がつく。

 だが……。

 

「うどんげ。上がってもらって」

 

 意外な声が背から届く。当の永琳がそこにいた。何事もないかのように。

 

「客間を用意させておいたわ。案内して」

「客間に……ですか?」

「そうよ」

「はい……」

 

 鈴仙は首を捻りながら、魔理沙達の方を向く。

 

「それじゃぁ、どうぞ」

「「「……」」」

 

 魔法使い達も、この対応に違和感を覚えずにいられない。何しに来たかは、当の永琳も分かっているはず。屋敷の奥に下がった宇宙人が、何を考えているか想像もつかない。だが、どのみち彼女に会うつもりだったのだ。渡りに船とも言う。

 

 鈴仙に案内されつつ客間に到着。支度は、使用人の妖怪うさぎがやったそうだ。

 日本庭園が望める客間に、腰を下ろすアリス達。しばらくすると永琳がやってきた。座卓を挟み魔法使い達の対面に座る。後から、鈴仙がお茶と茶菓子を持ってきた。和室らしい光景だが、客間は妙な緊張感に包まれていた。当然と言えば、当然だが。

 

「んじゃぁ、さっそく『始祖のオルゴール』と『風のルビー』を返してもらうぜ」

 

 単刀直入に要求を口にする魔理沙。やや威圧的な雰囲気を漂わせ。それに永琳は、お茶を飲みつつ相も変らぬ態度で返す。

 

「ぶしつけねぇ」

「それが目当てだからな」

 

 次にアリスが要求をぶつける。こちらも面白くなさそうな表情。

 

「できれば理由も聞かせてもらいたわ。なんで、始祖の秘宝に興味持ったの?」

「別に始祖の秘宝じゃなくても良かったのよ。ハルケギニアの貴重品だったら」

「貴重品?何?宝物収拾にでも目覚めたの?」

「あの転送陣を見た時に、少し違和感があってね。それを調べる切っ掛けにしようと思っただけ」

「違和感?」

 

 アリスは永琳の言葉を繰り返すが、その疑問に当人は答えず。代わりに質問を一つ。

 

「先に聞かせてもらうけど、魔理沙が返せって言うって事は、あなた達は始祖の秘宝を持ってないのね」

「おいおい、盗んどいて何言ってんだよ。持ってりゃ、来る訳ないぜ」

「そうよね。でも、ここにもないわよ。始祖の秘宝」

「あ?どういう意味だ?」

 

 思わず顔をしかめる魔理沙とアリス。パチュリーも細めた疑念の目を向ける。当の月人は、何事もないかのように説明しだした。

 

「うどんげは秘宝を箱の中に入れて持ってきたんだけど、開けてみたら何も入ってなかったのよ。あの子はあなた達のトラップに引っ掛かって、転送の時に奪い返されたと思ったようだけど」

「そんなトラップ、仕掛けてないぜ」

「でも、転送の時に地震が起こったって、言ってたわ」

 

 するとパチュリーの表情が変わる。神妙な顔つきに、研究者のものへと。

 

「地震?」

「そうよ」

「……」

 

 俯いて考え込む紫魔女。ほどなくしてアリス達の方を向いた。

 

「確か、フランがシェフィールドを吹き飛ばした後にも、地震が起こったわよね」

「そう言えば、そうだったわ」

「それにキュルケ達も、幻想郷に来る前に、地面から突き上げられたって言ってたわ」

「言われてみれば……。どういう事かしら?幻想郷、ハルケギニア間を行き来した余波?」

 

 アリスは思いつきを口にするが、魔理沙がそれに疑問を返す。

 

「私らが転送陣使うときは、地震なんて起こらないぜ」

「それに例外もあるのよ。実は天子がデルフリンガーを持った時にも、妙な地震があったんだけど、転送現象は発生してないわ」

 

 パチュリーの話に、アリスは口を閉ざしてしまう。それらを繋ぐ要因が思いつかない。するとそこに永琳が入り込んだ。

 

「ルイズとシェフィールドって子の他にも、ハルケギニアから来てたの?」

「ええ。ルイズの知り合いが五人ほどね。今はハルケギニアにいるわ」

「行き来できた原因は?」

「それがどちらもよく分からないのよ。帰った方には、紫が絡んでるらしいんだけど」

「そう。でもそうなると、始祖の秘宝もハルケギニアにあるんじゃないかしら?」

「……可能性はあるわね」

 

 パチュリーは永琳のいう事に、わずかにうなずく。地震という共通現象が発生している以上、考えられる事だった。だが仮にそうだったとしても、行方不明には違いない。キュルケ達もハルケギニアに戻った時は、元居た場所ではなかった。始祖の秘宝が戻っていたとしても、おそらく同じだろうと。

 

 ともかく、始祖の秘宝奪還は不可能。ブツがないのでは仕方がない。それにしても、少々のトラブルは覚悟していたが、最終的には取り戻せると思っていた。それがまさかの展開。魔理沙は不機嫌そうに憮然として口を開く。

 

「ま、何にしても、失くしちまった落とし前は付けてもらうぜ。あれは預りもんだったからな」

「そうね。それじゃ、お詫びとして薬を進呈する、というのはどうかしら?」

「薬?」

「私は薬師よ。出せる物の中で、一番のものと言ったらやっぱり薬ね」

「それ、ハルケギニアの人間に効くのかよ。まず、侘びを入れる相手はルイズ達だぜ」

「もちろんよ。しかも万能薬。病気から怪我からなんでも治すわ」

「いつのまにそんなもの作ったんだよ。だいたいなんだよ、万能薬って?」

「ほら、ルイズの姉を治してほしいって頼まれてたでしょ?その薬を作ってる最中にできたのよ。効果は確認済みよ」

「確認した?どうやって?」

「それは企業秘密。もし不都合があったら、文句を言いに来ていいわよ。ちゃんと対応するから」

「そう……か」

 

 これほど自信ありげに永琳に返されると、さすがの魔理沙も言葉に詰まる。だが、あの月の英知がここまでいうのだ。それはあるのだろう。企業秘密というキーワードが、少々気にかかるが。

 やがてパチュリーが腹を括ったようにつぶやく。

 

「分かったわ。とりあえず、それで手を打ちましょう」

「そうしてくれると、ありがたいわ。そうそう、今更だけど、一応謝っとくわね。悪かったわ。それと、ルイズにも詫び入れといて。私も一筆したためとくから」

「…………」

 

 パチュリー、無言。永琳が進んで謝罪を口にするとは。何かあるとしか思えない。だがそれを聞いたところで、何も返ってこないのも分かっている。やがて紫魔女は諦めたかのように項垂れると、月人の言い分を受け入れた。

 

 用も終わり、三人の魔法使い達は永遠亭を後にした。一同は、次々浮かぶ疑問について、あれやこれや語り合いながら帰路につく。しかし、結論は出ずじまい。

 消えた始祖の秘宝。地震と転送現象の関係。さらに、あまりに誠実な永琳。どうにも嫌な予感ばかり、浮かぶのだった。

 

 

 

 

 

 二、三日後。

 大きな社を構えた神社の社務所に、幻想郷の大物達が集まっていた。神と大妖と亡霊と宇宙人が。

 ここは守矢神社。集まっているメンツは、八坂神奈子、洩矢諏訪子、八雲紫、西行寺幽々子、八意永琳。それぞれが幻想郷においては、大きな意味のある存在。もっとも一同は、それほど広くない客間でちゃぶ台を囲んでいるという有様だったのだが。見る者によっては、年寄りもとい、年長者の茶飲み会に思えなくもない。

 

 ちゃぶ台の中央には茶菓子、各人の前には湯呑が置かれている。幽々子が煎餅を一枚とってぼやく。

 

「前回も茶菓子、煎餅じゃなかった?次はお饅頭にしましょうよ。おいしいお店知ってるわよ。教えてあげましょうか」

「ここは茶屋じゃないんだがな」

 

 神奈子が憮然と返す。そう顔を合わす事もないメンツが度々、この神社にたむろしているのだ。とりあえず客として迎える手間をかけているのに、文句を言われるのは面白くない。こうまでしてこのメンツが揃うのには、もちろん理由がある。それはハルケギニアに関わる問題だった。

 

 つい先日、紫から一同に、三組目のハルケギニアからの来訪が告げられる。それについての会合だった。

 つまらない雑談の後、最初に諏訪子が話を切り出した。

 

「これで三組目だねぇ」

「それも二組目から、ほんのわずかしか経ってないわ。しかも人数まで増えてる」

 

 紫はぼやくように答えた。ちなみに一組目とはルイズの事、二組目はシェフィールド、そして三組目はキュルケ達である。

 すると神奈子が、腕を組んで宙を仰ぎながら言う。

 

「この調子で続かれると、さすがにマズイな。幻想郷がいくらなんでも受け入れると言っても、限度はあるからな」

「そうね。今までは居なくなったからいいものの、居なくならない可能性も考えておかないと。なのに、来る仕組みも消える仕組みも分からず仕舞い。少なくとも、ここのまま放っておくって訳にはいかないわ」

 

 スキマ妖怪の視線がわずかに厳しくなった。幻想郷を作り上げた彼女。場合によってはそれを揺るがしかねない今の事態は、頭を抱える要件となりつつあった。

 その隣で幽々子が煎餅をかじりながら、つぶやく。紫の胸の内を明かすように。

 

「人間が増えすぎると、バランスの問題が出て来るものね」

「逆よ」

 

 不意に差し込まれた永琳の言葉に、幽々子は不思議そうに返す。

 

「逆?」

「人間じゃなくって、人外の方が増えすぎる事になるわ」

「ああ、そう言えば、ハルケギニアにも妖魔とかいうのがいるんだったわね」

 

 亡霊姫は以前見たハルケギニアの資料の事を思い出す。パチュリーが幻想郷に戻る度に、神奈子達に渡すものだ。今回の分も、もちろん来ている。もっとも届けに来たのはこあだったが。

 だが月人は、お茶を一口飲むとわずかに首を振る。

 

「そうじゃないわ。ハルケギニアから来る者に、人間はいないわ。つまりハルケギニアには人間は、いないという意味よ。もちろん、私達が言う人間という意味でね」

「ほぉ。面白そうな話だね」

 

 神奈子が興味ありげに目を細め、身を乗り出す。永琳は落ち着いた仕草で話を始めた。

 

「シェフィールドって子が来てたでしょ?あの子にいくつか薬を処方したのよ。渡した薬は四種類。怪我を治す薬に、身体能力を上げる薬、姿を変える薬に、緊急回避の薬」

「それで、効いたのかい?」

「ええ。全部ね。致命傷が数秒で完治、身体能力が五倍になり、変身の薬じゃぁ完全に姿を変えたわ。もちろん緊急回避の薬も効果があった」

「さすが蓬莱の薬師って所か。けど、人外の話とは関係ないように聞こえるよ」

 

 風神はやや皮肉気味に尋ねる。しかし月人の表情は変わらず。

 

「四つの薬の内ね、最初の三つは同じものよ。しかも中身はただの栄養剤。にもかかわらず効果があった。すなわち人間じゃないという事よ」

 

 シェフィールドに彼女がやけに気を配っていたのも、これを確認したかったのだ。ハルケギニアの人間というものがなんなのかを。

 その切っ掛けは、シェフィールドを蘇生した時の事。彼女がチルノのおかげで瀕死の状態に陥った時、蘇生後の体力回復のため永琳が使ったのが手持ちの栄養剤。だがシェフィールドはそれで、あっさりと全快してしまう。月の英知ですら、予想しなかった結果。その原因が知りたかったのだ。だからてゐを使い、幽香まで策に巻き込んで、シェフィールドにぶつけたのである。

 

 永琳の言葉に、諏訪子わずかに眉をひそめる。やがて茶化す言葉を一つ入れる。

 

「プラシーボ?」

 

 薬師は呆れ気味に、手のひらを返した。

 

「プラシーボで、致命傷が治ったり、強さが五倍になったりしたら、私は廃業よ」

「でも、ハルケギニアで商売すれば、大繁盛だよ」

 

 相も変わらず茶化す諏訪子。すると今度は紫が口を開く。こちらは神妙そうに。

 

「私もハルケギニアの人間には、違和感があったわ。キュルケって子達が来た時に、大やけどを負った男がいたんだけど、最初上手く治せなかったのよ」

「あら、怪我の治療なんて事もできるのね」

 

 医療の話とあって、永琳は興味ありげ。表情を緩めている。

 

「健康と怪我の境界をいじってね。でもその男は、それで治らなかった。だから通常状態に戻すようにしたの。それで一応治ったわ」

「通常状態……ね」

 

 そこで言葉の意味を租借するように黙り込む永琳。取り立てて思い当たる事があった訳ではないが、謎を解くヒントとなりそうな予感があった。

 その対面で、神奈子が思い出したかのようにつぶやく。

 

「そう言えば、魔法使いが言ってたな。ハルケギニアの人間で、魔法が使えないのはいないんじゃないかって」

「ああ、言ってた、言ってた。貴族と平民の違いは、魔法の有無じゃなくって、杖を作る技術の有無じゃないかって。ハルケギニア人って存外、種族としての魔法使いなのかもね」

 

 諏訪子は相方の言い分にうなずく。すると幽々子が新しい煎餅を手で弄びながら、つぶやく。

 

「ま、人間のいない世界なんて珍しいものじゃないじゃないの。地獄も天界も。ウチの所だって、妖夢くらいしかいないもの。あってもかまわないでしょ」

「なんのトラブルも持ち込まなければね」

 

 紫も煎餅を弄びながら、一言添える。ウンザリしているかのように。そして煎餅を自分の小皿へ置くと、やや締まった顔つきで話し出した。本題へとさし戻す。

 

「ハルケギニア人が人外かはともかく、まずは、あの連中がどうやって来るかを突き止めないと」

「というか、博麗大結界でなんで防げないの」

「あれは、別次元用にできてないもの」

「なら、できるようにすればいいじゃないの」

「相手はどこから来るのか分からないのよ?幻想郷中を結界で包むなら別だけど」

「手はあるじゃない」

「冥界も遮断しちゃっていいなら」

「ああ、それは困るわね。人里に行けなくなっちゃうもの」

 

 冥界の亡霊が、都度々人里に行くほうがおかしいのだが、そんな異常もここでは日常だったりする。やがて神奈子が一つ提案。

 

「ならば、ハルケギニアがどこにあるか確認するのから始めたらどうだ?」

「そうね。けど、あなたがあの転送陣完成させたんでしょ?なんで場所が分からないの?」

 

 ここで紫のいう場所とは、時空的な意味である。

 

「私はルイズって存在に、線を繋いだだけだからね。そうだねぇ……、穴を北に向かって掘っていたら目的地についたけど、具体的な場所は分からないと言った感じかしら」

「頼りにならない神様ね」

「時空は専門じゃないから、しようがない」

 

 手の平を天に向けて、肩をすくめる神奈子。八百万神のそのほとんどは専門職だ。もっともだからと言って、手をこまねいている彼女でもなかった。脇から一冊のノート取り出し、ちゃぶ台に乗せる。

 

「けど手がかりがないって訳じゃぁない。まずはこれだ」

「何よそれ」

「烏天狗の取材ノート。魔法使いとは、また別の視点から書いてあるから、これも参考になると思うよ」

「よくあのパパラッチが貸したわね」

「大天狗殿に頼んだんだよ。文が、泣きそうになりながら渡しに来た」

「組織人は苦労するわねぇ」

 

 紫はお茶をひと口。頭にその時の文の様子を思い浮かべ、薄笑いを浮かべていた。さらに神奈子は言葉を続ける。

 

「それと私自身、転送陣を観察していて気づいたんだが、ハルケギニア人がこっちに来るときには反応が強くなる予兆がある。パチュリー達の時には、それは見られない」

「その反応で、ハルケギニアの在処は掴めそう?」

「もう少し強ければ」

「そう。私も紅魔館周りに術式を仕掛け終わったから、こっちも探ってみるわ。けど次の現象待ちってのも、心もとないわね。それに、強い反応が来るとは限らないし」

「まあ、確かに……それはそうだけど」

 

 神奈子と紫が難しそうな顔でうなずく。するとパチュリーの報告書と、文のノートを読んでいた永琳が口を開いた。英知の頭脳に何かが閃いていた。

 

「まだ手がかりはあるわ」

 

 一同が一斉に月人に注目する。

 

「まずは地震、そして虚無よ」

「地震に虚無?」

 

 永琳の言葉を繰り返す神奈子。

 

「転送が起こる時は、ハルケギニアで地震が起こるそうよ。さらにルイズは虚無の担い手、シェフィールドは虚無の使い魔。それと転送は起こらなかったんだけど、天人が虚無に関わりのあるマジックソードを掴んだら地震が起こったと、魔法使いから聞いたわ。後、ウチのうどんげが始祖の秘宝を盗んだ時にも起こったわ」

「ああ、あの反応はそのせいか。鈴仙が帰って来た時に、いつもと違う反応があったんで不思議に思ってたんだけど」

「それも観察してたのね」

「まあね。だがキュルケってのが来た時には、虚無関連はいなかったんじゃないの?」

「実はいたんだけど、まだ覚醒していなかったとは考えられない?」

「うむ……」

 

 風神はうつむくと考え込む。確かにその可能性はあると。そもそも何が虚無と関わりがあるかは、パチュリー達からの報告で知っただけで、彼女達自身はその判別がつかないのだ。

 次に、その隣にいる諏訪子が尋ねた。

 

「つまり虚無関連を突けば、何か出て来るって訳?」

「おそらく」

「また始祖の秘宝でも取って来る?」

「それならうどんげの時に、ハルケギニアの場所が分かってるはずよ。だから同じ事をしても結果は同じでしょ」

「もっと派手なのが必要と……。けど、何をすれば……」

 

 諏訪子が唸るように零した。他のメンツも永琳の言う事は理解できるが、その方法が思いつかないのか黙り込んでいる。だがここで話を進めたのはやはり永琳。

 

「実は方法も思いついてるのよ」

「何だい?」

「聖戦よ」

 

 月の英知はそうつぶやいた。文のノートに書かれている、その言葉を指しながら。だがカエルの神様は渋い顔。

 

「聖戦ねぇ。そんなもん、肩書でしょ。ただの戦争と変わらない」

「肩書には違いないわ。でも、ただの戦争にはならない。なんと言っても、虚無の担い手が実在してるんだから。しかも二人も。聖戦が実現すれば参加する事になるでしょ?場合によっては、四人揃う可能性もあるわ」

「そうなれば、何かの反応があるかもと」

「揃った時点で、こっちから手を出して反応を起こしてもいいわ」

「それにしても、ハルケギニア人には迷惑な話だね」

「神としては、許しがたいかしら?」

「ハルケギニア人に、ウチの信者がいればね」

 

 祟り神はちゃぶ台によりかかると、鼻で笑っていた。対する永琳も似たような顔つきで、ゆっくり瞼を閉じる。だがそこに、紫の嫌味そうな声。

 

「そう言うあなたも、随分物騒な方法思いつくのね。命を助ける薬師にしては」

「私としては、幻想郷のバランスに関わるような騒動は御免なのよ。ここに身を預けてる店子としてはね。それはあなたも同じでしょ。大家さん」

「……その通りね。ま、だからこそ月人のあなたと、ちゃぶ台囲んでるんだけど」

 

 紫はお茶に手を伸ばすと、言葉を切った。実は紫自身は、月人とそう相性がいい訳ではない。彼女が以前、月で失態をやらかした事が絡んでいるのだが。だが、そんな二人がこうして度々顔を合わせているのだ。それほどハルケギニアの件は、大きなものになりつつあった。

 やがて神奈子が腕を組み、ゆっくりと口を開く。話をまとめるかのように。

 

「で、聖戦を起す方法ってのは何?少なくとも私達は、ハルケギニアに行けないでしょ?お互いそう簡単には、幻想郷を離れられない事情がある」

 

 神奈子、諏訪子の二柱は神として、易々と幻想郷から出る訳にいかない。紫には幻想郷の管理、幽々子は冥界での立場、永琳も永遠亭の実質的な管理者というだけではなく、無二の医者としての存在があった。転送陣があるとは言っても、立場的に行く訳にはいかなかった。

 だが永琳は、どうという事でもないという態度。

 

「わざわざ私達が出向くまでもないわ。それに大した策でもないのよ。少しばかり手を出すだけ」

 

 そう言って、文のノートを指さした。その先にはある人物の名前があった。

 

 

 

 




描写不足を一部書き足しました。


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参戦要請再び

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、なんで、走らないといといけないんだよ!」

「はぁ、はぁ、さ、さっきの話、聞いてなかったのか?」

「だ、だけど、ルイズの言う通りとは限らないじゃないか」

「たぶん、当たりだって」

「け、けど、けど……もうダメだ。限界だぁ」

 

 息切れ混じりの最後の言葉を零すと、マリコルヌは空へと飛んで行った。ギーシュは宙をフラフラと飛ぶ彼を、呆れ気味に見送る。同じく走っていたルイズ達は、太った子の将来像を予想した。きっと酷い目に遭うだろうと。

 

 今、ルイズ達は走っていた。学院の外周を。何故かと言うと、これが秋休み開け最初の軍事教練の課題だからである。

 授業が早めに終わり、カリーヌもといミス・マンティコアの最初の軍事教練を全生徒が受ける事となった。その注目の課題は行軍訓練。内容は、学院の外を周回後、魔法実践をするというもの。当然、周回には制限時間付。

 トリステイン魔法学院は広い。食堂に教室、各種施設、生徒の寮に、学院関係者の寮、さらに広大な広場。それら全て内包しているのだから。その広い学院の外周を回るのである。あいにく馬は生徒個人用がないため、使えない。使い魔の使用も禁止されていた。結果、ほとんどの生徒は魔法を使った。主にフライを。魔法実践を軽く見ていたのもあったが、そもそも日頃運動をしていない貴族のお坊ちゃまやお嬢様が、自らの足で進むなどというものを選ぶ訳がなかった。

 だがルイズは気づいていた。魔法実践は並のものではないだろうと。なんと言っても、あの母親の考える事なのだから。それに、この秋休みに学んだ知識のおかげでもあった。

 

 秋休み。カリーヌの計らいで、生徒達が学院から出られないという最悪の事態にはならなかった。各人の家の護衛の元、生徒たちは帰郷。残ったのはルイズだけ。もっともキュルケとタバサが、早々に戻ってきたのだが。タバサはその複雑な立場のため、実家に長居できずに。キュルケの方は両親との折り合いが悪いので。さらに、コルベールが学院に居たという事もあるのかもしれない。

 ともかくルイズは学院にずっといた。帰郷をすでに済ましていたのもあるが、カリーヌの言いつけだったのだ。その理由は、秋休み中のマンツーマンの教練。その話を聞いたとき、ルイズは死地に向かう覚悟をする。だが実際には座学が中心で、思ったより厳しくなかったのだが。内容は虚無という特殊な能力を持つ娘の事を思い、カリーヌが作り上げた特別メニュー。そこには、かつては無茶をして単独行動する事も多かった彼女自身の経験が生かされていた。しかしそのおかげで、ルイズはカリーヌの教練の方向性をだいたい把握していたのだった。

 

 学院外周を走るルイズ、キュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシー。ルイズの言い分を一応納得して、こんな事をやっている。

 彼女のアドバイスはこうだった。精神力は温存しておいた方がいいと。だが理解はできていても、実際できるかは別の話。というか外周を走り通すという要求を果たせるのは、精々ルイズとタバサくらいだったりする。ルイズは美鈴のトレーニングメニューを日々積み重ねていたため。タバサの方は特務に当たる事が多い立場から、同じく密かに鍛錬を積んでいた。一方、残る三人はかなりへばり気味。

 

 キュルケの途切れ途切れの声が出てくる。

 

「ね、ねぇ、さすがに走り続けるのは無理よ」

「やめた方がいい」

 

 タバサ、すかさず解答。彼女の方はキュルケと違って、疲れを微塵も見せない。だが親友のそんな答えに、うなずかないキュルケ。代わりに別のものを提示。

 

「い、いい手があるのよ。ショートカットするってのはどうかしら?」

 

 重い足取りの中、出てきたのはイカサマだった。すると、色男のかすれた返事が届く。

 

「ど、どうやって?」

「ここはミス・マンティコアから見えないわ。か、壁を越えて学院内を突っ切るのよ」

「な、なるほど。それいいね」

 

 ギーシュも結構キツイのか、不正にあっさり賛同。モンモランシーもうなずいていた。こちらは、さらに一杯一杯。もはや不正なくしては、現状は乗り切るのは無理かのような三人だった。上手く進みそうな具合に、表情を緩める微熱の美少女。

 しかし今度は、ルイズのキッパリとした声。こちらも疲れた様子なし。

 

「タバサの言う通りよ。やめといた方がいいって」

「な、なんでよ」

「だって……」

 

 彼女の言葉を遮る叫び声が、叩きつけるような衝撃音と共に聞こえた。先の方から。

 

「うわっ!」

 

 一斉に音の方を向く一同。目に入ったのは、空から落ちてくる生徒が数人。どうもキュルケと同じことを考え、学院の壁を越えようとしたらしい。だが、阻止されたようだ。何かに撃ち落とされ、落ちてくる。

 すると空から高らかな宣言が届いた。

 

「はっはっは。私の前で、不正をしようなんて1000年早いわ!」

 

 声の主は、仁王立ちで宙に浮いている天人。非想非非想天の娘、比那名居天子。

 ギーシュ達は唖然。何とも言えない微妙な表情で空を見上げていた。すぐにいくつもの疑問が発生。その行く先は主。あの天人の主、ルイズ。

 キュルケが、力の限りの疑問形をぶつけていた。

 

「どういう事よ!?ルイズ!天子、何やってんのよ!?」

「母さまと取引したのよ」

 

 ルイズ、どこか朗らかに答えていた。あっけらかんと。

 

「取引って何よ」

「天子が母さまと決闘したがってたんだけど、それを母さまが了解したの。条件付きで」

「何よ。条件って」

「天子が教練を手伝う事」

「え?」

 

 キュルケだけではない。ギーシュやモンモランシーもあからさまに顔を歪めていた。不吉な予感が浮かんで。ギーシュが、恐る々質問を一つ。

 

「て、手伝うってどういう意味だい?」

「そのままよ。今日はインチキする生徒を、かたっぱしから撃ち落す役目だって」

「撃ち落すって……あの光る弾でかい?」

「そうよ。言っとくけど、結構痛いから」

「…………」

 

 ギーシュ、返す言葉がない。いや、誰もが。

 天子の力はここにいる面子なら知っている。その強さも傍若無人さも。さらに教官は英雄カリン。しかもその憧れの英雄は、実はとんでも鬼教官という事を、身を持って知ってしまった。この二人がタッグを組んで、これからの軍事教練をやるというのだ。ルイズが秋休み前に言っていた、今に真逆な気分になるという意味を、この時理解する。最悪というキーワードが、各人の脳裏に描かれていた。

 キュルケが、半ば八つ当たり気味に文句を並べていた。

 

「ルイズ!使い魔、母さまに取られて、何平然としてんのよ!主のメンツ丸つぶれじゃないの!」

「あの子のわがままに、振り回されたくないの!正直、今の状態は大歓迎だわ!母さまがあの子の相手してくれるんだもん。予定が入ってたら、天子も勝手する暇ないしね。主のメンツなんて、二の次よ!」

「…………」

 

 あまりに的を射たルイズの答えに、さすがのキュルケも黙り込むしかない。ここにいる者はだいたい知っていた。天子だけではない。幻想郷組がハルケギニアに来てから、ルイズがいろいろと振り回されてばかりなのは。秋休み前も、徹夜の土木工事をやらされたとぼやいていた。

 それにしてもあのルイズが、メンツを保つ気がないと言い出すとは。キュルケ達は少しばかり驚いていた。幻想郷に行く前は、意地っ張りと気位の高さが、一番目についたというのに。だが、今ではかつての気位の高さが鳴りを潜めている。様々な騒動に巻き込まれたせいだろうが。もっとも、そんな彼女も悪くないと誰もが思っていた。

 

 結局、企みは断念。それからヘロヘロになりつつも、外周を2/3ほど過ぎる。会話はすでになく、呼吸音と足音だけが耳に届く。そんな時。

 

「「「えーー!」」」

 

 学院内から悲鳴が聞こえた。すでに魔法を使って先行していた連中が、ゴールである広場に着いているはず。おそらくはその連中の悲鳴だろうと誰もが思った。

 次に聞こえたのは、よく通るカリーヌの声。

 

「出発!」

「「「は、はい!」」」

 

 悲壮とも言えるような生徒達の返答が届く。ルイズ一同は息をのんでいた。モンモランシーが疲れた声を枯らしながら、学院の方を見た。

 

「はぁ、何?」

「はぁ、はぁ、ルイズの予想が……当たったんじゃないかしら?」

 

 キュルケも同じく壁の方を向きながらぼやく。

 ルイズの予想は、魔法実践はかなり厳しいというもの。行軍訓練というのだ。その後の戦闘も想定しているだろうと。そして、それはどうも正解だったらしい。

 

 やがて一同は、やっとゴールの広場に到着。悠然と構えているミス・マンティコアが中央に見える。

 

「あなた達が最後です。時間ギリギリでしたが、なんとか間に合ったようですね」

「「「は、はい」」」

 

 結局、最後まで魔法を使わずに来たのはルイズ達だけ。だが体力の続かないキュルケ達に合わせたので、ギリギリになってしまったが。

 疲れ切っている彼女達の姿を気にも留めてないように、ミス・マンティコアは次の指示をあっさり出す。

 

「次の課題に入ります」

「ええっ!?」

「今すぐですか!?」

 

 キュルケ、ギーシュ、モンモランシー、前のめり。確かにずっと走っていたので、精神力は温存している。魔法を使えない事はないが、今の体力では詠唱すら辛い。予想はしていたとは言え、キツイものはキツかった。だがそれに対し、マスクウーマンから鋭い視線が飛んでくる。

 

「敵がこちらの都合に合わせて、戦ってくれるとでも?」

「あ、いえ……はぁ……」

「それが返答のつもりですか」

「「は、はい!分かりました!」」

「よろしい」

 

 穏やかながらも、鋭利な刃物を感じさせる響き。体力空っぽながらも、やるしかない。覚悟を決めるキュルケ達であった。

 一方、ルイズとタバサはまだ余裕がある。様々な騒動の経験と、日頃の鍛錬の積み重ねのおかげだろう。ルイズとしては、幻想郷の連中に振り回されたのが役に立ったようで、なんとも微妙な気分だったが。

 

 ところで他の生徒達はというと、ほとんどが回るのに精神力かなり使ってしまい、魔法実践をこなせなかった。そして罰は、さらに外周を一周してくる事。初日からしてこの訓練。多くの生徒達は、気持ちを入れ替えざるを得なかったという。

 

 翌日。筋肉痛で遅刻する生徒、疲れで居眠りをする生徒が多発。午前中は授業にならなかった。このため教師達の苦情がオスマンへ殺到。ようやく各貴族の騎士団が帰って行って一安心と思ったら、今度は烈風の英雄殿との間を取り持たないといけない。まだまだオスマンの気苦労は続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 今日の最後の授業が進んでいた。しかも残り時間は後わずか。だが生徒達の顔つきは暗い。それを代弁するかのように、モンモランシーがつぶやく。

 

「はぁ、次は軍事教練ね……」

「だね……」

 

 隣に座っているギーシュもぼやき気味。

 

 ミス・マンティコアの教練は、それまでの教官とは段違いの厳しさだった。以前の教官は、生徒達の親の爵位や立場を気にしていたのか手を抜いていた所があったのだが、彼女はそんなものには頓着なし。耐えきれず文句を言った生徒もいたが、説得されてしまう。主に力づくで。さらに天子が訓練補助の時には、調子にのって弾幕をぶっ放す。こちらもあまり容赦がない。しかも早朝の体力訓練が義務化されていた。以前は、朝走っていたのはルイズだけだったが、今は誰もが走っている。こんな中、せめてもの救いは、たまに教練が座学となる事くらいだった。しかし今日は違う。実技訓練な上、天子参加が分かっていた。軍事教練の中ではワーストの組み合わせ。誰もが溜息をもらすしかない。

 

 いよいよ授業が終わりにさしかかろうとしている時、教室の扉が空く。姿を現したのはコルベール。

 

「授業中、申し訳ありません。え~、ミス・ヴァリエール!」

「はい?」

 

 ルイズは呼びかけに立ち上がる。

 

「すぐに来てください。それとミス・ヒナナイも同行させてください」

「天子をですか?」

「そうです。是非」

「はい。分りました」

 

 聞きたい事はいくつもあるが、とりあえず教師の指示なのでルイズは教室から出て行った。一方、残った生徒達は天子が教練に参加しないと分かって、少しばかり胸をなでおろしていたりする。

 

 ルイズと天子が揃って学院長室へ案内される。待っていたのはアニエスだった。

 

「ミス・ヴァリエール。陛下がお待ちだ。ロバ・アル・カリイエの方々と共に来てほしい」

「陛下が?どんな理由でしょうか?」

「それは、王宮で話す。とにかくお急ぎだ。竜騎士を待たせている。準備をして欲しい」

「は、はい」

 

 学院長室を後にすると、慌てて寮へ戻る。戻りながら、ルイズは何度も首を捻っていた。

 普通、王宮に向かうときは馬か馬車で向う。それが竜騎士を用意しているとは。よほどアンリエッタは急いでいるのだろう。ただその緊急な用というのが、思いつかなかった。何にしても、行けば分かる事である。

 

 アニエスは竜騎士に乗り、ルイズは天子の要石に乗って、王宮へと急いだ。馬なら数時間かかる道のりが、わずかな時間で到着する。謁見をあっさり済ますと、アンリエッタの執務室へと向かった。そこは以前、アンドバリの指輪の件を話した場所でもあったが、今執務室にいるのはその時とは違う。アンリエッタ、アニエス、ルイズに天子。女王の真剣そうな眼差しから国に関わる事らしいとルイズは考えるが、何故か宰相のマザリーニがいない。なんともしっくりこない気持のまま、アンリエッタの言葉を待つ。すると彼女が、それを察したかのように口を開いた。

 

「よく来てくれました。ルイズ、ミス・ヒナナイ」

「いえ。陛下のお呼びとあれば、いつでも登城いたしますわ」

「ところで、他のロバ・アル・カリイエ方々は?」

「あ、今、帰郷しています」

「帰郷!?帰ってしまわれたのですか!?」

 

 思わず立ち上がり、身を乗り出すアンリエッタ。ルイズはそこまで驚く事だろうかと思いながら、事情を説明する。

 

「はい。彼女達は、時々帰郷してるんです。でも近々、戻って来ると思いますから。ご用件がありましたら、その時あらためて登城したいと思います」

「え?」

 

 アンリエッタとアニエス、今度は怪訝な顔つき。眉間に皺が寄っている。対してルイズの方は、二人のリアクションの理由がさっぱり分からない。微妙な表情をお互い向け合う。やがて女王は座りなおすと、少し戸惑い気味に尋ねてきた。

 

「ロバ・アル・カリイエは遥かかなたと聞いていますが、そんなに頻繁に行き来していたのですか?というかできるのですか?」

「あ」

 

 ルイズの態度がガラッと豹変。失敗したという具合に。

 実はラ・ロシェール戦直後、アンリエッタに対して、幻想郷メンバーはロバ・アル・カリイエの出身のメイジという説明をしていた。だが久しぶりに会ったのもあって、すっかりそんな設定を忘れていたのだった。

 疑念一杯の声が、上座から届く。あからさまに狼狽えているルイズに対して。いつも通りピンクブロンドの子のごまかしは、あっさりバレていた。

 

「ルイズ……。何か隠していますね」

「え、えっとですね……」

 

 頭がグルグル回りだす。何かいいアイディアはないかと、脳の隅をひっくり返す。しかし無駄な思考だった。隣の椅子の天人が、あっさりネタばらし。

 

「ああ、それね。ルイズの言ってた事、嘘だから」

「ど、どういう意味ですか?」

「だから、私達はロバ・アル・カリイエのメイジなんかじゃないって意味よ」

 

 天子の言葉を聞き、さらに驚きをヒートアップさせるアンリエッタとアニエス。開いた口から、次から次へと質問が飛んでくる。結局、ハルケギニアに来てから何度もあった、幻想郷の説明を開始。当惑する二人をなだめながら、なんとかルイズはあの異質な世界について伝える。ただ何度も経験したせいもあって、ルイズの説明は手際がよかった。こんなものに慣れても仕様がないのだが。そして最後は、深々と詫びを入れていた。

 

「その……申し訳ありません!姫……じゃなかった陛下を、騙すつもりはありませんでした!でも、あの時はまだいろいろ落ち着いてなかったので、あんな説明をしてしまい……」

「いえ……。分かりました。確かに当時は、まだまだ混乱していましたから、その上異世界などという突拍子もない事を言われても益々混乱しただけでしょう。ですが、真相はそうだったのですね。でしたら今の状況を知る上で、助けになるかもしれません」

「今の状況?」

 

 アンリエッタの言葉に、ふと顔を上げるルイズ。そして気づいた。そもそも、王宮に呼ばれた理由を聞いていなかったと。今の状況とは、その話に関係した事かもしれない。すると女王に変わりアニエスが口を開いた。引き締まった表情で。

 

「ミス・ヴァリエール。本題に入る。心して聞いてもらいたい」

「はい」

「あなたには、アルビオン出兵に参加してもらう。もちろん虚無の担い手としてだ」

「えっ!?どういう事ですか!?前にお話しした時は、戦争にすらならないとおっしゃっていたではありませんか!?」

 

 以前、出兵依頼をされた時には、出兵しなくてもいいという話だったはず。アルビオン皇帝クロムウェルが虚無を騙るための鍵、アンドバリの指輪をルイズ達が奪取してしまったという事を知って。彼が偽りの虚無である事を、アルビオン中に知らせれば勝手に瓦解すると。

 さらに質問を続けようとしたルイズに、今度はアンリエッタからの声が届く。どことなく戸惑いを感じさせる声色だった。

 

「ルイズ、それについてはわたくしから説明します。実は先日、奇妙な出来事があったのです」

「奇妙な出来事?」

「…………。マザリーニ枢機卿が、アンドバリの指輪の件を覚えていないと言うのです」

 

 思わず席を立つルイズ。うわずった声を上げていた。

 

「ええっ!?どういう事ですか?だって、あの場に同席してらしたではないですか!」

「はい。わたくしもそう問いただしました。ですがやはり、そんな記憶はないと言われるのです」

「でしたら、ラグド……ラグドリアン湖の精霊に、もう一度確認を取ってください。事実はすぐ分ります」

 

 確実な物証であるアンドバリの指輪をラグドが持っている以上、あの出来事は間違いなくあった事だ。証明するのは簡単である。だがその答えは、すぐに帰って来た。

 

「実はもう水の精霊に使いを出しています。確かに精霊は、アンドバリの指輪は持っていましたし、あなたが話してくれた出来事の証言も得られました」

「では何故私が参加……というか、そもそもアルビオンに攻め込む話になったのです?」

「マザリーニ枢機卿が指輪の事を覚えてないというのを知ったのは、つい先日なのです。その時点ですでにアルビオン対策は、ほぼ決まっていました。我が国だけの問題でしたら、わたくしの勅命で対策を変える事もできます。しかし、アルビオンについては同盟国ゲルマニアも関係する話。わたくしの一存では、どうにもならないのです」

 

 ゲルマニアとの折衝に女王自ら赴く事はまずない。将軍や役人に任せ、要所要所で報告を受けるだけだ。会議の推移を一応確認はしていたが、なんだかんだでマザリーニを信頼していた彼女。こんな事態になるとは、想像していなかったのだ。

 

「ルイズ。本当に、ごめんなさい」

「姫さま……」

 

 重苦しげに語るアンリエッタに、ルイズはつい慣れ親しんだ呼名を口にしてしまう。彼女の気持を察したように。

 マザリーニがどういう理由で、記憶がないなどと言ったのかは分からない。だが、今となってはどうにかなる話ではないようだ。それに、祖国を助くはこの国の貴族としての務め。そして、たった一人の幼馴染からの頼みなのだ。ルイズはすぐさま腹を決めると、すっと胸を張った。

 

「陛下。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。陛下のご要望に応えたいと思います」

「ルイズ……。ありがとう」

 

 アンリエッタはわずかに頭を下げると、唇を噛んだ。戦争にしない手段があったにも関わらず、こんな事態になってしまった自分のふがいなさを悔やんでいた。それはルイズにも伝わっている。しかしだからこそ、さらにルイズは決意を強くした。お互いの思いが一つになったかのような、空気がアンリエッタの執務室を包もうとしていた。

 

 だが、そこに空気を壊すような一言。だらけた天人の声が入ってくる。

 

「あのさー。そういう話なら、私来なくてよかったんじゃないの?ルイズが決めればいい話だし。ハイスコア更新したかったのあきらめて来たってのに、無駄足だったわ」

 

 憮然とルイズが振り向いた先には、退屈そうにしている天人の顔。相も変らぬ使い魔に、気分は台無し。

 

「あんたってヤツは……だいたい何よ、ハイスコア更新って」

 

 少々語気を荒げて尋ねるが、そんなもの天子は意に介さず。あっけらかんと答えた。

 

「撃ち落す生徒の数」

「……。ホント、そういう所は変わらないわね」

 

 この天人にとっては軍事教練もしょせん遊びなのかと、ルイズはあきれるしかない。もっとも、だからこそ幻想郷の住人らしいとも言えるが。

 するとそんな二人に対し、あらたまったような声が届く。アンリエッタだった。

 

「あ、いえ、ミス・ヒナナイに来ていただいたのは、別件についてです」

「ん?そう。で、何?」

「まずは、こちらをご覧ください」

 

 そう言って、アンリエッタは引き出しから一つの指輪を取り出した。そして机に置く。二人は席を立つと、近づいて指輪を覗き込んだ。指輪がはっきりと見えた時、ルイズは目を剥いたまま固まってしまった。

 

「これって……!姫さま……!」

「『風のルビー』です。間違いありません」

「ですが、これは……」

「あなたにしばらく預けていた物です。それが何故か私の宝石箱の奥に入っていました。気づいたのは今日ですが、いつからあったのかは分かりません」

「……」

 

 ルイズ、息を飲む。

 ロンディニウムで手に入れた始祖の秘宝、『風のルビー』と『始祖のオルゴール』。それらは鈴仙が幻想郷へ持って行ってしまった。彼女の書置きに、そう残されていた。それが何故かここにある。では、鈴仙が書置きの内容とは違い、ワザワザここに持ってきたのか。幻術を操る彼女ならそれが可能だと想像はつくが、理由が分からない。そもそもそれならば、何もしなければ良かっただけである。ルイズは頭を巡らすが、答えに繋がるものは何も出てこなかった。

 

 アンリエッタは二人を見上げると、問いかける。

 

「ルイズ、ミス・ヒナナイ。心辺りはありませんか?」

「これって、鈴仙に取られたんじゃなかったっけ」

 

 天子は指輪を舐めるように見ながら、つぶやいた。魔理沙達が騒いでいたのを思い出す。一方のルイズは青い顔。次の瞬間には、頭を下げていた。

 

「その……陛下!大変、申し訳ありません!実は私が預かっていた始祖の秘宝を、取られてしまったのです!」

 

 『風のルビー』は始祖の秘宝というだけではなく、アンリエッタの恋人、ウェールズの唯一の形見というべきもの。それを彼女の好意で借りていた。幻想郷のメンバーには世話になったからと。それを取られたというのは、失態どころではない。ルイズは詫びを入れつつも、それを噛みしめていた。

 アンリエッタの方も、大きく目を見開いていた。

 

「と、取られたとは、どういう事ですか!?」

「……。鈴仙・優曇華院・イナバという妖怪が、幻想郷へ持って行ってしまったのです。本人は、必ず返すと言っていたのですが……」

「何故そんな事を……?」

「分かりません……」

 

 パチュリー達は、鈴仙が師匠である永琳に命じられたのではないかと言っていたが、その永琳が何を考えているかまでは予想もつかない。

 だが今のルイズはそんなものより、ただただ幼馴染の大切なものを手放してしまった事を悔やむだけ。

 

「その……本当に、本当に、申し訳ありません!」

「……」

 

 無言のままアンリエッタは、ルイズを見つめる。ルイズは非難の声を覚悟する。どんな言葉を浴びせられても仕様がない。だが幼馴染から聞こえてきたのは、まるで違うものだった。

 

「ふぅ……。ルイズ」

「は、はい!」

「こうして戻って来たのですから、気に病む必要はありません」

「ですが……」

「わたくしも、あなたに無茶をお願いしてるもの。戦争に行って欲しいって。わたくしがもっとしっかりしていれば、防げたのに……。お互いさまよ」

「姫さま……」

 

 幼馴染の二人は、柔らかい笑みを向け合っていた。喧嘩もしたが許し合える関係でもあった、かつてのような笑みを。

 

 しばらくして、アンリエッタの表情は、女王へと戻っていく。ルイズも気持ちを切り替える。

 

「話を戻しますが、それでは、そのレイセンという方が返しに来たという訳ですか?しかし、何故こんな所に?しかも黙って……。ですが、だとすると『始祖のオルゴール』もどこかに、置かれているのでしょうか?」

「かも……しれませんけど……。ただ彼女が、そういう事をしたとは考えにくいです。黙って返すというのも、鈴仙らしくありませんし……」

 

 鈴仙との付き合いはそれほど長い訳ではないが、ルイズは彼女の人となりはそれなりに分かっていた。天子もルイズの言葉に続く。

 

「だねー。あの子なら、正面切って土下座しながら返しに来るだろうし」

 

 二人の会話を聞き、アンリエッタは難しい顔つきで視線を落とす。すると今度はアニエスからの問いかけ。

 

「では、質問を変えよう。そのゲンソウキョウとやらに、このような事ができる者がいるのか?」

「う~ん……。スキマは当然として……、鈴仙もできるだろうし、私もできるかな。でも、私も妖怪とかそんなに詳しくないからねー。魔女連中なら、結構知ってるだろうけど」

「そう……か。だとすると方法からは絞れそうにないか……」

 

 アニエスも俯いて考え込む。さらに動機の方はと問いかけるが、自由気ままな連中の多い幻想郷。そちらの方がなおさら分からなかった。

 それからいくつかの考えが出たものの、全て憶測。結局、理由は分からずじまい。話はここまでとなる。やがてルイズと天子は、アニエスに見送られ、王宮を後にした。

 

 学院へ帰路の途中。出兵を決めたというのに、ルイズには別の事柄がずっと引っかかっていた。何故マザリーニは『アンドバリの指輪』の事を忘れたのか。何故『風のルビー』が、アンリエッタの手元にあったのか。それは理由が分からないだけではなく、奇妙な違和感と纏って、ルイズの脳裏にこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 鬱蒼とした竹林を歩く女性が一人。左手に手提げを持ち、歩いていた。周りはどこも似たような風景。他の者なら遭難しかねないほどの竹林を、なんの躊躇もなく進んでいる。それも当然。ここは彼女の庭と言ってもいい場所なのだから。この月人の薬師、八意永琳にとっては。

 そんな彼女を見つめる存在があった。永琳も気づいたのか、歩みを止める。彼女はその存在に視線を向けた。面白くなさそうに。だが、永琳の見つめる先には何もない。

 すると空中に一本の線が現れる。やがて宙は割け、広がり、別空間への入口となった。そこから金髪の女性が身を乗り出してくる。そんな彼女に永琳は、疲れたように声をかけた。

 

「何の用かしら?紫」

「確認をね」

 

 姿を現したのは八雲紫。スキマとも称される妖怪で、幻想郷の管理人代表。最近の奇妙な事件のせいで、ハルケギニアをあまり快く思ってない者の一人。

 紫の質問に、永琳は言葉を返す。

 

「確認って何の?」

「例の聖戦のよ。誰を送り込むかは決めたの?」

「まあね。了解も取ったわ」

「大丈夫なの?」

「おそらくね。私の薬も持って行ってもらうし」

「薬って……」

 

 紫は思案を巡らせながら、以前、八坂神社での会合を思い出す。永琳がシェフィールドで試した薬を。

 

「確か、ハルケギニア人にとっては万能薬だったわよね。それじゃぁ、使おうにも効果が予想できないわ。あっても不便なだけでしょ」

「持っていくのはその薬じゃないわ。ちゃんとハルケギニア人にも、想定通りの効果があるように調合したものよ」

「ハルケギニア人に、想定通りの効果が出る?」

「あら?説明しなかったかしら?」

「何の話よ」

「シェフィールドって子に渡した薬よ。四つの内、三つは確かに栄養剤だったけど、最後の薬は違うわ」

 

 再度、会合の事を思い出す紫。確かに永琳はそう言っていた。

 

「ああ、そうだったわね。緊急用の薬だったかしら。でも、それがどういう物かまでは聞いてないわ」

「あの薬はね、実は土下座をする薬なのよ。彼女、幽香に酷い目に遭った時、使ったんだけど、効果も持続時間も想定通りだったわ」

「緊急事態に土下座ってのは、確かに万能薬としての効果とは思えないわね」

 

 スキマ妖怪はうなずきながらも、別の疑問を浮かべていた。薬の効果があまりにも違う点に。もっとも薬については専門外。考えた所で分かる訳もなし。ともかく、この月人に任せておいても問題ないようだ。それを納得すると、紫は隙間に戻ろうとする。だが帰り際、もう一度永琳の方を向いた。

 

「一つ聞いてもいいかしら?」

「何?」

「その土下座の薬って何で作ったのよ」

「あなたに飲ませようと思って」

「……。やっぱり月人の冗談は、笑えないわね」

 

 紫は皮肉交じりの笑みで、そう告げると、隙間の中へと身を沈めた。やがて入口は消え失せ、何もない竹林の小道に戻っていく。永琳はわずかに肩を竦めると、何事もなかったように帰路を進みだした。

 

 

 



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アルビオン動乱

 

 

 

 

 

 ルイズが王宮から帰ってきた日の夜。夕食も終わり、そろそろ明日に備え予習をするような時間帯。だがルイズは机に向かっていなかった。彼女が向いていたのは、使い魔である天人、天子の方。腕を組んで仁王立ち。対する使い魔の方は、ベッドでだらけていたりするのだが。

 

「私は、戦争に行くわ」

「知ってる」

「あんたも行くの」

「なんで?」

「使い魔だからに決まってるでしょ!」

 

 ルイズの怒声が飛んでいく。だが怒鳴りつけた先の相手は、使い魔の事なんて忘れていたかのような顔つき。慣れてはいるものの、主はすぐにため息。通常運転の自由気ままな使い魔に。だが今は、それ所ではない。ルイズは気持ちを切り替えると、天子に向き直った。

 

「で、ここからが本題なんだけど。私は虚無の担い手として、たぶん重要な役目を授かると思うの。そもそも戦争だから、実際に敵と戦う事になるわ」

「そう」

「だからあなたには覚悟決めてもらいたいのよ。その……もしかしたら、相手の命を奪う事にもなるかもしれないから」

「んじゃぁ、私はパスね」

 

 天子、即答。あっさりと、不参加宣言。使い魔なのに。だが、確かに使い魔としては論外だが、天子としてはもっともな答えだった。そしてルイズにとっても予想通りのもの。

 天子は基本的にはいい加減だが、それでも譲れないものもある。特に天人として、五戒を守る気は多少なりともあるのだ。中でも殺生は重い禁忌。ルイズもそれは分かっていた。ハルケギニアに戻ってきた時に、天子がアルビオン軍との戦闘を真っ先に拒否したのを思い出す。その態度は命を尊重しているからというよりも、アイデンティティーだからと言った風。だが、今回の戦争はルイズにとって、祖国を守る事であり、貴族としての矜持であり、大切な人々の命に関わるもの。引き下がる訳にはいかない。

 

「分かってるわ。天人だからってのは」

「なら、この話は終わりでしょ」

「だから!そこを曲げてくれないかって頼んでるのよ!」

「無理ね。こう言っちゃなんだけど、人間の国なんて、天人からすれば出たり消えたりする泡みたいなもんよ。そんなもんの取り合いために、禁忌に手を出す気はないから」

「長生きするあんた達からすればそうかもしれないけど、そんなに生きない私たちにとっては、その泡こそが大切なの!」

 

 ルイズは改めて、自分の使い魔が違う括りの存在だという事を噛みしめる。人間の何倍も生きる幻想郷の人外達。確かにそんなもの達から見れば、人間の国の興亡なんてものは取るに足らないものかもしれない。しかし、ここは譲れない。そんな彼女の気持ちを察したのか、天子は身を起こす。そしてルイズの方へ向き直った。

 

「ま、あんたの命は守ってあげるわ。約束したからねー」

「天子……って、それ、使い魔として最低限の役目でしょ!」

「はは、それもそっか」

 

 ツッコミを入れても、まるで悪びれない。この調子だけは、これからも変わりそうになかった。またもため息一つ。

 

「全く、あんたってのは……。正直時々思うわ。本当に天子が私の使い魔なのかって」

「どうだかねー。ま、コントラクト・サーヴァントも天空の存在までは想定してないだろうから、契約成立してても効果がどこまであるのやら。ま、一応、形式上では契約してる事になってるんだから、それでいいんじゃないの?」

 

 いつまでたってもマイペースな使い魔。他人の使い魔とはあまりにも違う。ルイズにとっては、正直、幻想郷の頃に言っていたパートナーという言葉の方がまだしっくり来ていた。だが、そんな主と使い魔の関係を問い直している暇はない。

 

「そんな事よりも!今は……」

 

 その時だった。部屋に響くノックの音に、二人の会話が止まる。ルイズ、話を切り上げドアへ向かった。入った邪魔を不満そうに。

 

「誰?」

「私です」

 

 声を聴いて、急に身が縛られるルイズ。なんと言ってもその声の主は、鬼教官ことミス・マンティコアなのだから。今では学院中で、最も恐れられている人物である。

 

「あ!は、はい!」

「入って、かまいませんか?」

「はい!」

 

 ルイズは慌てて、ドアを開けた。見えたのは凛としたマスクウーマンの姿。まさしくミス・マンティコアである。ルイズは恐縮したまま答える。

 

「ミ、ミス・マンティコア!こんな夜分に何の御用でしょうか?」

「誰も見てはいませんよ。母さまで構いません」

「え……。あ……その……。はい、母さま……」

 

 恐縮しながらうなずくルイズ。ミス・マンティコアはそれを見届けると、わずかに笑みを浮かべた。そして部屋に入り、マスクを取る。

 

「やはり日中ずっとマスクをしてるのは、鬱陶しいわね」

 

 ルイズにとっては、毎日のように会っている母親だが、素顔を見るのは帰郷以来。ルイズの中に、実家での心持ちが湧き上がる。多少は緊張感がほどけていた。もっとも、軍事教練を受けている時に比べての話だが。

 天子の方はというと、ベッドに座りなおしカリーヌの方へ体を向けている。そんな彼女にカリーヌはわずかに礼。

 

「ミス・ヒナナイ。いつもルイズがお世話になっています」

「大したことじゃないわよ」

 

 明るい笑顔で胸を張る天人。一方のルイズは憮然。世話をしているのはこっちの方だと言いたげ。これまでも後始末を、散々させられてきたのだから。

 

 落ち着いたところで、各人が席に着く。そして最初に話を切り出したのはカリーヌだった。

 

「ルイズ。実は今日、知人から教えてもらったわ。あなたがアルビオン戦に参加すると。しかも虚無の担い手として」

「え!?まだ、公にはなってないはずです。どうやって知ったんです?」

「城勤めが長かったですからね。今でも多くのツテがあるのよ」

「そうなんですか……」

 

 関心しながらうなずくルイズ。烈風カリンの名は、世間はもちろん、城内でも伊達ではないようだ。カリーヌは話をさらに進める。

 

「ルイズ。短い期間でしたが、戦いの基礎は叩き込んだつもりです。身に着けたものを常に意識なさい」

「はい!」

 

 ルイズは思い返していた。いきなり学院にやってきたカリーヌに面食らった時を。秋休み返上で、ずっと軍事教練の厳しい日々。しかもかなり濃密な。その後の休み明けの全校生徒への教練。あまりに厳しい軍事教練の押しつけに、不満を持った時もあったが、今なら分かる。カリーヌはあらゆる事態を想定し、自分達のためにやったのだと。幼い頃はただただ畏怖の対象であったカリーヌが、今ではまるで違って見えていた。

 

 やがて、カリーヌはゆっくりと口を開く。ミス・マンティコアとは違う、母親としての声が届く。

 

「ヴァリエール家の者として、しっかり務めを果たしてくるのですよ」

「はい」

「そして、必ず生きて帰ってきなさい」

「はい!」

 

 力に満ちた言葉を返すルイズ。カリーヌはそんな娘を、瞳を緩めて見つめていた。すると不意に彼女は娘を抱きとめる。それはほんのわずかな間。だがルイズの中にあった不安が濯がれるように消えていった。代わりに注がれる暖かいもの。この参戦を使命とは思っていた、貴族として当然と思ってはいた。だがルイズ自身、不安がないと言えば嘘になる。しかしそれらは今、消えて去っていた。

 その時、何だろうか。もう一つの気持が浮き上がっていた。奇妙な感情が。かつて似たようなものを経験したかのような気がする。戦争の最中、抱き留め慰める。安らぎを求め。何かの演劇のシーンだったか、物語の一シーンだったかと、頭を巡らすがどうにもハッキリしない。だが不思議と、それは確かにあった事のように思えた。

 

 我に返るといつのまにか、カリーヌはルイズから離れていた。もはや、いつもの彼女の表情。カリーヌは天子の方を向く。

 

「ミス・ヒナナイ。この子の事、よろしくお願いします」

「うん、任せてよ。天人は伊達じゃないから。そっちこそ、決闘、忘れるんじゃないわよ」

「ええ、もちろん。落ち着いたら、是非、杖を合わせましょう」

「うん、うん」

 

 楽しげにうなずく天子。これから戦争に行くというのにこの態度。ルイズはこのブレなさに感心すらしてしまう。

 

 やがてカリーヌはマスクを付け直すと、いつもの表情に戻った。ミス・マンティコアに。

 

「ルイズ。誇りを胸に使命を果たしなさい」

「はい!」

 

 強くうなずくルイズ。そして同時に気持を引き締めた。いよいよ始まるのだ。戦争が。

 

 

 

 

 

 そしてとうとう、その日がやって来た。出兵当日が。

 だが、ルイズの態度は落ち着きがない。土壇場になって戦が怖くなったのか。そうではなかった。肝心の人物がいないのだ。いや人ではない。天人が、使い魔、比那名居天子が。

 

「何やってんのよ!天子は!」

 

 甲板を踏みしだいて喚く。ルイズの乗艦、連合軍旗艦『ヴュセンタール』号の上で。

 

 ルイズは出兵数日前から、天子にも何度も声をかけていた。彼女の返事は必ず行くというもの。殺生にかかわることには手を貸す気がないというのは変わらないが、ルイズを守るとも宣言していたので。

 だが当日、用があると言って何故か別行動。出港には間に合うとかなんとか言い訳しながら。納得は行かなかったものの、ルイズ自身も遅れるわけにはいかない。仕様がなく先に出る事に。確かに天子は風竜並で飛べ、ルイズの居場所も『緋想の剣』で分かる。不安は残るものの、なんとかなるだろうと思っていた。だが、この有様である。相変わらず自由な天人。

 

 ルイズは甲板をウロウロしながら、何度も空を見上げていた。学院の方角を。晴れた空には哨戒の竜騎士と、他の艦船しか見えない。

 

「アイツは……!まさか今更になって、五戒がどうこう考えてるんじゃないでしょうね!主を放っぽらかして!」

 

 命は守ってやると言っていたのは、なんなのか。側にいなければ守るも何もない。もはや天子のどの辺り使い魔なのか、益々分からなくなってきていた。

 その時、後ろから声がかかる。

 

「ミス・ヴァリエール」

「あ、はい」

「総司令閣下がおよびです。会議室へどうぞ」

「はい」

 

 案内役の武官に、顔を引き締めながら後に続く。煮えくり返ったはらわたをなんとか落ち着かせつつ。

 

 それから会議室へ案内された。室内にずらっと並んだ遠征軍の将軍達。ルイズは彼らと名を交換する。総司令官のオリビエ・ド・ポワチエ、参謀総長ウィンプフェン、ゲルマニアの武官ハルデンベルグ侯爵等々。そんな偉そうな軍人達の中の、いかにも場違いな少女。だが彼女を小ばかにする者はいなかった。それどころかポワチエなどは、自国の虚無を高らかに自慢。ゲルマニア軍人達に当てつけるように。なんと言っても正真正銘の虚無なのだから。始祖に続く家柄ではないゲルマニアには、欲しくても手に入らない代物。ハルデンベルグ達は面白くなさそうに聞いていた。ルイズの方も居心地の悪い微妙な気分。

 

 やがて話は具体的な侵攻作戦へと進む。

 アルビオンへ上陸するには二つの目的地が想定されている。一つは南のロサイス、もう一つは北のダータルネス。だがそこには、大きな問題が立ちはだかっていた。ラ・ロシェール戦で大敗したとはいえ、まだ強力な力を残しているアルビオン艦隊にどう対処するかである。

 ポワチエが話を進める。

 

「我々としてはなんとしても被害を最小限に抑え、アルビオンへ上陸したい。だが大きな懸念がある。艦船数では我が方が優位にあるものの、操艦技術おいてはアルビオンの方が一日の長がある点だ。戦力的には五分と言っていい。正面から戦えば、勝ったとしても被害が甚大となるのは間違いない。それでは上陸後に支障がでる」

「は、はい」

「そこでだ。虚無殿にはアルビオン艦隊へ対処をしてもらいたい」

「対処といいますと?」

「ラ・ロシェールの時と同じように、アルビオン艦隊を壊滅させてもらいたいのだ」

「え……」

 

 ルイズはすぐに察した。つまりあの時と同じように『エクスプロージョン』で、敵艦隊を壊滅しろと言っているのだ。だが、あんな規模の魔法を今使えるか自信がない。しかも、あれから中規模の『エクスプロージョン』を、ロンディニウムで使ってしまっているのだ。いくらアリスのマギカスーツVol.3を着ているからと言って、ラ・ロシェール戦ほどまでは回復したとは思えない。

 ルイズは落ち着いて答える。

 

「えっと……難しいと思います。虚無の魔法は精神力を多く使うので、そう何度も使えるようなものではないのです。特に威力の大きいものは。今の状態ではラ・ロシェールのような規模のものは、まず不可能かと思います」

「な、何!?」

 

 目算が狂ったと、慌てだす将軍達。アンリエッタから虚無の力の説明を、完全に鵜呑みにし計画を立てていたのだ。だが落ち着いていた武官もいた。ウィンプフェンが問いかける。

 

「では他に、何ができるのかね?」

「……幻が作れます」

「幻とは?」

「間近に見ても判別できないほどのものです」

 

 ルイズの返事に渋い顔の将軍達。

 

「いくら精密だからと言っても、そんなものは今、役に立たん!」

 

 散々自慢された虚無もこの程度かと、ぞんざいな態度を取るハルデンベルグ。だが、ウィンプフェンは質問を続けた。

 

「幻の規模は、どの程度作れるのかな?」

「規模ですか……」

 

 ルイズはうつむいて考え込む。以前何度も練習した『イリュージョン』の幻のサイズ。そして使用する精神力、さらに今ある精神力。それらを瞬時に計算する。やがて虚無の担い手は顔を上げた。

 

「艦隊規模のものを、出現させる事ができると思います」

「「おおーー」」

 

 どよめく会議室。将軍達の表情が幾分緩む。

 やがて作戦の大筋が決まった。ルイズが虚無の魔法による欺瞞艦隊を作り出し、敵をおびき寄せる。その間に本隊は、アルビオンに橋頭保を築くというものだ。そして本隊が目指す先は、ロサイス。そしてルイズが作り出す欺瞞艦隊が向かう先はダータルネス。そして全ては動き出した。

 翌日、全艦隊は出港する。ラ・ロシェールを。だが未だ天子の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 空を覆い隠す大艦隊を照らしていた太陽も、今は地平の下。代わりに双月が照らしていた。ルイズは作戦の書類を手に、あてがわれた自分の部屋へ籠っている。部屋は将校の部屋かというほど立派なもの。今回の戦争での、自分の重要性を噛みしめる。身が引き締まる感覚が走る。そして明日の夜が、いよいよ作戦開始の時間である。

 だが、そんな主の相方である使い魔は、まだいない。

 

「あいつは~!このままじゃ、間に合わないじゃないの!」

 

 正直、このままでは作戦自体に支障が出かねない。なんと言ってもダータルネスまで行く手段を、天子に任せようと思っていたのだから。

 不意にノックが背から届いた。振り向いた先のドアから、もう一度ノックが聞こえた。ズカズカと不満を込めた足でドアに近づき、引きちぎるかのようにドアを開いた。

 

「天子!あんた、今まで何やって……あれ?」

「あ、いえ……その……」

 

 開いたドアの先にいたのは、わがまま天人ではなかった。パッと見、自分と同い年くらいの少年兵。お互い微妙な空気で見つめ合っていたが、少年兵達がすかさず態度をあらためる。直立不動で敬礼。少々面食らうルイズ。

 

「えっと……」

「虚無殿の護衛の命を承りました、第二竜騎士中隊一同であります!」

「え、あ、はい」

 

 思わずルイズも敬礼していた。それに思わず少年騎士達から、笑いがこぼれる。

 

「それにしても虚無殿が、こんなかわいらしい方だとは思いませんでした」

「いえ、そんな……」

 

 出てきたお世辞に、思わずにやけてしまうルイズ。無理もない。自分ではそれなりイケてると思っていたが、学院では魔法が使えなかった手前、小馬鹿にされる事はあってもかわいらしいなんて言われる事はなかったのだから。もっとも、その理由の一つには、意地張ってずっと仏頂面だったのもあったりするのだが。

 

 少年兵達は気合を入れなおした顔つきに戻ると、颯爽と宣言。

 

「虚無殿をお守りする大役、我々の名誉に賭け、必ず達成いたします!」

「ええ、お願いするわ」

 

 ルイズも明るい表情で答えた。だが、ふと気づく。

 

「他の竜騎士は?」

「この任に当たるのは僕たちだけです」

「え?この人数で?」

「はい」

「ちょっと、いくらなんでも少なすぎでしょ!下手したら全滅よ!」

 

 廊下にいる竜騎士達の数は、わずか10人。全員が同年代くらいの少年だ。

 今回の作戦には大きな危険が伴っていた。ルイズは、本隊と離れて隠密活動しなければならない。護衛が少ないのは、もちろん目立たないようにするため。だが、いくらなんでも少なすぎると感じた。見つかればひとたまりもない。しかし、少年達に臆した様子はなかった。

 

「いえ、絶対にあなただけは守ってみせます!これは虚無の担い手を守る名誉の大役。これで国を勝利に導ければ、まさしく貴族の誉。僕たちがどうなるかなど、あなたが気にすることではありません。むしろ盾として使ってください」

「そんな事言われても……」

「とは言っても、無駄死にだけはしたくありません。ですから虚無殿。必ず任務を達成してください!」

「え、ええ」

 

 少年達に気圧されるようにうなずくルイズ。それから、わずかばかりに会話の後、彼らはルイズの部屋を颯爽と離れた。

 

 部屋に戻り、力が抜けたように椅子に座る。どうにも落ち着かないルイズ。なんとも言えない気持の収まりの悪さがあった。同い年くらいの彼らの顔が思い浮かぶ。するとふと思い出した。この艦隊にはギーシュやマリコルヌをはじめ、学院の同級生も数多く乗船している事と。中には女生徒だっている。兵力の乏しいトリステインは、全土に召集をかけていた。だがこれから始まるのは本格的な全面戦争だ。この内何人が、生きて帰って来られるか。

 貴族が戦うは名誉の証。自らの命など何するものぞ。と以前なら考えていたかもしれない。公爵家の娘というだけではなく、英雄である母を持ったルイズにとっては、当然とでも言うべきもののはず。

 だが今では、それに異質感すら覚えていた。戦争に行くという覚悟は、あの時アンリエッタの依頼を受けた時に胸に刻んだ。しかしそれが、揺らいでいる気がする。何故だろうか。やはり幻想郷の連中との付き合いが長いせいか。それとも……。ふと、ある言葉がルイズの脳裏を過った。懐かしい響きを伴って。

 

「誰だったかしら……?守るべきものはもっと他にあるとかなんとか……。魔理沙?違うわね。えっと……」

 

 記憶を手繰るが、その主の名は出てこない。

 その時だった。窓を叩く音が耳に届く。向いた先に見えたのは、なじみの顔。天子である。ようやく、本当に、ギリギリ間に合ったらしい。憮然としながら窓を開けた。だが当の相手は、大遅刻だというのに、悪びれないあっけらかんとした表情。

 

「遅くなっちゃった。ちょっと大事な用事があってねー」

「ルイズさん、ごぶさたしてます」

 

 天子の後ろから、衣玖も姿を現した。しかしルイズは無言で彼女達を迎える。押し黙った厳しい顔で。天界の住人達は、何の反応も示さない彼女を不思議に思いながら、部屋に入る。天子は、てっきりいつものヒステリーを浴びると思っていたのだが。あるいは、それすら出ないほど怒っているのか。どっちにしても、それで臆する天子でもないが。

 しばらくして、ちびっ子ピンクブロンドが第一声を放つ。何故かその声は、落ち着いていた。

 

「衣玖が来てるって事は、みんな戻ってきたの?」

「はい」

「そ。じゃ、帰るわ」

 

 ルイズから出てきた予想外の言葉に、さすがの天子も衣玖も一時停止。だがルイズは構わず準備を始める。すると天人が不思議そうに尋ねた。

 

「帰るって、どこに?」

「学院よ」

「何?戦争、怖くなった?」

 

 天子は茶化すが、ルイズの厳しい表情はまるで変わらず。さすがの天人も、違和感を覚えずにいられない。

 

「どうしたのよ」

「こんなバカバカしい戦争は終わりにするのよ」

「どうやって?」

「戦う相手がなくなれば、戦争できないでしょ。神聖アルビオン帝国なんて、一週間もあれば消せるわ」

「消す?」

 

 やけに意気込み溢れるルイズを、天子と衣玖は遠巻きに見つめるしかない。やがて準備が終わると、窓へと近づいた。そしてふと天子の方へ振り替える。

 

「やっぱり、あんたの言った通りかもしれないわね。神や名誉に命を張るのはバカらしいって」

「何、それ?そんなもん言った事ないけど」

 

 天子、眉を顰める。唐突に出てきた言葉に。だがルイズはそれに構わず。

 

「あれ?あんたじゃなかったっけ?まあ、いいわ。とにかく帰るの。急いで」

「はぁ……。せっかく急いで来たのにー。こんなんなら、来なきゃよかった」

「いいから!」

 

 天子を睨み付けるルイズ。すると衣玖が落ち着いて提案を一つ。

 

「お急ぎなら、なら私が運びましょう。総領娘様よりは早く着きます」

「じゃあ、お願いするわ。なるべく急いで」

「では、最速で向かいます。少々キツイですが我慢してください」

「ええ」

 

 ルイズは力強くうなずく。やがて机の上に書置きを残すと、窓から出ていく。それに天子、衣玖も続いた。そして衣玖に抱きかかえられ、学院へと急いだ。その夜。連合軍艦隊周辺に爆音が響く。一時騒然となったが、結局何事もなかった。その爆音の元は永江衣玖。彼女のソニックブームだった。ルイズは、ハルケギニアで音速を体験した二人目となる。

 

 

 

 

 

 

 トリステイン、ゲルマニア連合軍の大艦隊は、アルビオンから多少離れた場所に位置していた。ここからならロサイス、ダータルネス、どちらにも向かえる。敵に狙いを定めさせないためだ。時々、アルビオン側の偵察と思われる竜騎士が飛んできていたが、艦隊が向かってくる様子はない。敵もまた目標となりうる二都市に、艦隊を分けられるほど余裕がないのだ。できれば総力戦で決着をつけたいと考えているようだ。だからこそ、連合軍の動きを見極めるまで動けずにいる。

 

 その艦内は身を引き締めた兵たちで溢れていた。特に艦橋は。総司令であるポワチエが、日の落ちた空を見つつ不適な笑みを浮かべている。そして、意気込みを抑えきれないのか口を開いた。

 

「いよいよだな」

「はい。虚無殿の進発はもうまもなくです」

「我らは、敵艦隊の動きを確認後、ロサイスに向かう」

「はい作戦通りに行けば、そのようになります」

 

 ウィンプフェンが確認するかのような言葉を返す。一方ゲルマニア軍人のハルデンベルグは、トリステイン主導の作戦を面白くなさそうに見ていた。だが、上陸すれば兵力的にはゲルマニアの方がはるかに上。上げる手柄も、トリステインに遅れを取る事はまずないとも思っていた。

 

 そこに、素っ頓狂な声が飛び込んで来た。

 

「し、失礼します!」

 

 一斉に入口の方を向く将軍達。目に入ったのは、あからさまにうろたえている伝令。ポワチエが不満そうに尋ねた。気分を害されて。

 

「何事だ」

「ミ、ミ、ミ」

「ミ?」

「ミス・ヴァリエールが見当たりません!」

「な、何ぃ!?」

 

 ポワチエも調子の外れた声を上げていた。だが参謀総長のウィンプフェンが冷静に、訪ねてくる。

 

「すでに進発したのではないのか?」

「そ、それが護衛に付くはずの第二竜騎士中隊を、残したままなのです!」

「では一人で出たのか!?いや、待て待て。どうやってこの艦内から出たというのだ!?」

 

 この艦隊は空中艦隊である。ここから出るには、海上の船のように小舟があればという訳にはいかない。さらにフライで飛ぶには、あまりに陸地から離れてしまっている。ドラゴンを使うしか方法がない。

 ウィンプフェンは再度尋ねる。

 

「まだ艦内にいるのではないのか?」

「それがくまなく探しましたが、見つかりません……」

「ドラゴンがいなくなった形跡は?」

「全て揃っており、一匹たりとも不明となっておりません」

「忽然と消えたというのか?そんなバカな……」

 

 言葉のないウィンプフェン。

 彼らは天子達の存在を知らない。ルイズから話も聞いていな上、ギリギリに来たため知るはずもなかった。

 将軍達が混乱してる中、伝令が一枚の紙を差し出した。

 

「じ、実は、これが虚無殿の部屋に残っていました」

「『勝手な行動をお許しください。神聖アルビオン帝国を、消滅させてごらんにいれます。』……。なんだこれは!?」

「そう言われましても……」

「いくら虚無といえども、国を亡ぼせる訳がないだろうが。だいたい艦隊を消滅させる事すらできないと、言ったばかりではないか!何を考えてるのだ!?あの小娘は!」

 

 困惑するポワチエ達に、ハルデンベルグの罵声が飛んでくる。

 

「どうするつもりだ!今回の作戦の鍵は、あの小娘なのだぞ!全ての作戦が台無しだ!どうやって消えたかは知らんが、勝ってな行動をとりおって。これがトリステインの貴族か!」

「いや……その……」

 

 自国の虚無を自慢していただけに、ポワチエには返す言葉がない。

 

 それから、四日間。ルイズがいそうな場所に伝令を出した。トリステイン魔法学院、ヴァリエール領、トリステイン王城などなど。しかし、いい報告は帰ってこない。

 いよいよ作戦の大幅変更をしなければと、将軍達が論議に入ろうとした矢先、会議室に不思議そうな顔をした伝令武官が入ってきた。

 

「閣下……」

「なんだ!」

 

 不機嫌そうなポワチエが、苛立ちをぶつける。だが伝令の表情は魂でも抜かれたかのよう。

 

「その……ロサイスから使者がいらしています」

「使者?何のためだ?」

「その……降伏を申し出ています……」

「な、何?」

 

 一斉に伝令の方を向く将軍達。誰もが呆気に取られ動きを止めていた。一戦も交えてないのに、いきなりの降伏。訳が分からない。

 

 やがて将官の部屋の一室で使者を出迎える、ポワチエ達。対するロサイスの使者は、やたら低姿勢。そして信じがたい言葉を口にした。

 

「我々も是非とも、偽帝討伐に参加させていただきたいのです!ですが、いままでの経緯に思うところもあるでしょう故に道案内、補給などは我らが務めさせていただきたいと考えている次第です。我々だけではありません。アルビオン全土では、偽帝に対する反発が続々と起こっております!」

「その……使者殿……。偽帝……?とは?」

「もちろん、憎っくきオリヴァー・クロムウェルであります!」

「は……何……?」

 

 連合軍の将軍達には言葉がない。いったいアルビオンで何が起こったのか。あれほどアルビオン貴族をまとめ上げていたクロムウェルが、何故、転落してしまったのか。しかもほんの数日で。

 

 結局、その日は返事も出さず、使者をそのまま返す。罠の可能性もあったからだ。ともかくアルビオンの状況も分からぬまま事を決める訳にもいかない。しかも戦争状態から一転、アルビオン貴族と手を結ぶ可能性も出てきた。単なる軍事行動から、政治的な意味合いすら含まれる。軍の司令官では越権行為になりかねない。国に問い合わせる必要もある。もちろんアルビオンの現状も知らねばならない。

 アルビオンを倒すと意気込んで出てきた連合軍だが、今では動きを止めている。砲を一発も撃たず魔法も使わず、相変もわらず同じ場所に停泊し続けていた。働いていたのは、偵察と情報収集に走っている竜騎士くらいなものだ。

 

 それから一週間。

 だいたいアルビオンの様子が分かり始めていた。どうも一時的に内乱状態に入っていると。だが何と何が戦っているのかがハッキリしない。ただそれも収まりつつあるというのも分かった。一方、国からの知らせは、半分を国に戻し残りはこの場に留まり、情報収集に務めるという命令だった。この命令のおかげで新兵である学生は戻る事となる。彼らの親達にとっては、これは僥倖だったかもしれない。

 

 そして翌日。またアルビオンから使者がやってきた。わずか数騎の竜騎士で。だがそこには見慣れぬ旗が翻っていた。どのアルビオン貴族とも違う紋章が、もちろん神聖アルビオン帝国でもない。

 

 やがて下りてきた使者をヴュセンタール号の甲板で迎えるポワチエ。もはや今はただの軍事行動ではない。外交要素も加わっている。気持を引き締めて使者へ相対しようとする総司令官。だが相手の顔がハッキリ見えると、自分の目を疑った。

 

「お、お、お主…………」

「これはこれは、お久しぶりです。オリビエ・ド・ポワチエ将軍」

「な、何故、お主がここにいる……」

 

 ポワチエの目に映ったのは、見知った者であった。さらに顔を知らずとも、トリステイン貴族ならその名を知らぬ者はいないだろう。名声というよりも悪名という意味で。

 髭を生やしたその美男子は、姿勢を正すと厳かに言葉を発する。

 

「私、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド侯爵は、ティファニア・モード陛下の名代として、まかりこしました」

「い、今……なんと……」

「私はアルビオン王国モード朝の外務大臣として、交渉に当たりに来たのですよ。ド・ポワチエ将軍」

 

 ワルドが侯爵?外務大臣?ティファニア・モード?アルビオン王国モード朝?訳の分からない言葉がいくつも並ぶ。いったいこの10日間ほどで、アルビオンに何があったというのか。

 ポワチエは混乱を吐き出すように、激高しだした。

 

「な、何を言い出す!アルビオン王国モード朝だと!?何者だ?ティファニア・モードとは?」

「モード大公の忘れ形見です」

「な、何ぃ!?モード公の一族が生き残っていたなど、聞いた事もないぞ!偽帝の次は、偽王を担ぎ出したか!この汚らわしい裏切り者が!」

「裏切りの汚名は甘んじて受けます。しかし、ティファニア陛下への侮辱は許しません。陛下の血筋は、王家に連なる正当なもの。さらに言えば陛下への侮辱は、始祖ブリミルへの侮辱にもなるのですぞ」

「し、始祖ブリミルだとぉ!?」

「はい。ティファニア陛下は宗教庁より、正式な虚無の担い手として認められております。問い合わせてもらって構いません。ただし、確認が取れた場合、今の発言の謝罪をお願いします」

「きょ、きょ、虚無の担い手!?」

 

 そこでポワチエの言葉は、動きは止まった。氷漬けになったかのように。それにワルドは、ただ不敵な笑みを返すだけだった。

 

 

 

 



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号外!号外!

 

 

 

 

 

 ルイズがラ・ロシェールで、すでに乗船し作戦会議すら終えた頃。彼女の使い魔である比那名居天子は何をしていたかというと、在るべき場所、主の側にはいなかった。それどころかラ・ロシェールに向かってすらいない。いたのは幻想郷連中のアジト。廃村の寺院の地下である。そこの転送陣の前でウロウロとしていた。

 

「いったい、いつまで向こうにいるのよ~。ちょっと長すぎでしょ」

 

 彼女が待っていたのは、パチュリー達。いずれ戻ってくると言っていた、他のメンバー。何故かと言うと、ルイズを守るのに必要なものを受け取るためだ。それは、ガンダールヴのルーンを左手に投影するマジックアイテム。魔女たちが、幻想郷で用意すると言っていたもの。

 

 天子のガンダールヴのルーンは、デルフリンガーを掴んだ時を切っ掛けに徐々に消え始めていた。それは虫食いのようになってしまっており、今ではもう半分も残っていない。これまでは手袋で誤魔化していたのだが、戦闘となればそんなものすぐに千切れてしまう。たとえ鎖帷子で作られていたとしても、天子の膂力の前ではティッシュペーパーも同じである。だからこそ、ルイズ護衛にはマジックアイテムが必須だったのだが。

 

 いつもはいい加減な天子も、さすがに余裕がなくなって来た頃。ふと転送陣が青い光が放ち始める。するとそこに現れるいくつもの影。やがて影は形を持ち、本来の姿を見せる。ようやく戻ってきたのだ。パチュリー達が。さっそく魔理沙が第一声。

 

「ん?天子じゃねぇか。どうしたんだよ。まさか、出迎えか?」

「あんた……。もしかして何かやらかしたの?」

 

 らしくない行動を取っている天子を見て、アリスが不信な視線を向ける。だが今はそんな状況ではないのだ。天子が駆け寄ってきた。必死の形相で。

 

「マジックアイテムは!?」

「マジックアイテム?」

「ガンダールヴのヤツよ!」

「ああ、あれね。パチュリー」

 

 後ろにいた紫寝間着に声をかける人形遣い。するとパチュリーは従者のこあに手をさしだす。こあはたくさんの荷物の中から、対象のものを取り出した。

 

「えっと……これですね」

 

 手渡されたものを確認すると、パチュリーは天子に渡す。

 

「これよ」

「ベルト?」

「腹巻よ」

「腹巻ぃ~?」

「どんなものにするか、いろいろ考えたんだけど、この形が一番壊れにくいと思ってね。柔軟性もあるし、服の下につけとけば隠せるし。ただ、かなり壊れにくくしてはあるけど、それでも完全って訳じゃないわ。直撃は避けてよ」

「分かったわ。で、使い方は?」

「まずは……」

 

 それから魔女達の説明が始まる。ガンダールヴのルーンを左手に寸分たがわず投影するもの。オン、オフすら可能。逆に肌を投影し、ルーンを隠す事すらできる機能付き。なかなか便利なものだった。

 天子は説明をすぐに理解すると、早速身に着けだした。だが不似合な慌て振りに、魔理沙達は呆気に取られる。

 

「ここでやらなくてもいいだろ。部屋でやれよ」

「間に合わないからよ」

「何に?」

「出航に!」

「出航?」

「ルイズが戦争に行くの。もうそろそろ船が出る時間だし。あの子を守るって言っちゃったからね」

「ちょっと待て!ルイズが戦争って、なんだよそれ!?」

「誰かに聞いて。んじゃ!」

 

 そう言って腹巻を付け終わると、とっとと部屋の出口へ向かった。すると衣玖が彼女を追いかける。

 

「お待ちを。総領娘様。私もお供しましょう」

「うん!とにかく急ぐわよ」

「はい」

 

 衣玖は荷物を自分の部屋に放り込むと、天子と共にアジトを出て行った。

 残された、パチュリー、魔理沙、アリス、こあ、文。そして鈴仙。呆然としながら、二人が出て行ったドアを見つめる。アリスがまず口を開いた。

 

「どういう事?戦争って?やっぱり相手はアルビオンかしら?でも、なんでルイズが参加するハメになったの?」

「だいたい『アンドバリの指輪』の件があったから、戦争にはならないって聞いてたけど」

 

 パチュリーも眉をひそめて言葉を返す。すると文が口を挟んできた。

 

「ま、とりあえず聞いて回れば分かるでしょう。オスマンさんか、コルベールさんにでも聞きますか」

 

 来た途端の不穏なイベント。だが、文だけは何やら目を輝かせていた。さっそく取材のネタが来たという具合に。ともかく状況が分からないのは確か。一同は、とりあえず学院に向かう事にした。

 出てきた場所は、幻想郷メンバーに割り当てられているトリステイン魔法学院の寮。すでに日は落ちていた。一同は部屋から、ぞろぞろと出て行く。するとそこをたまたま通りかかった、青髪ちびっ子が目に入った。紫魔女が視線だけ向けて一言。

 

「丁度良かったわ。タバサ。聞きたい事があるのよ」

 

 タバサは久しぶりの顔ぶれを目にしながらも、表情を変えずにわずかにうなずいた。

 

 

 

 

 

 ノックもなしに、いきなり幻想郷組の寮のドアが開く。勢いよく。入ってきたルイズは、遅刻して慌ててきた学生のように興奮気味。その彼女の目に映ったのは幻想郷の面々。魔理沙、アリス、パチュリー、こあ、文、鈴仙。ただしレミリア達はいなかった。今回は来てないようだ。ルイズ、天子、衣玖合わせ総勢9人。ここの寮は広めの部屋だが、この人数ではさすがに手狭。だが今はそんな事より、全員揃っているのがありがたい。

 

「丁度良かったわ!あんた達の、手を借りたいの!」

 

 高いテンションの声が飛び出してくる。だがそんな彼女に届いたのは、なだめる言葉ではなかった。

 

「やっぱ、私らの勝ちだな。賭けときゃよかったぜ」

「ま、理屈で考えればこうなるわよね」

 

 魔理沙とアリスが、なにやら楽しそうにルイズの方を見ている。ルイズ、一気に気分が冷めていく。

 

「なんの話?」

「ルイズが、貴族らしいかって話だぜ」

「何よ。それ」

 

 怪訝として白黒魔法使い見るが、魔法使いのニヤけた表情は変わらない。そんな彼女を他所に、アリスがルイズに声をかける。

 

「その様子だと、戦争行く予定が中止になって、帰って来たって訳じゃないわよね?」

「あ!そ、そうよ!」

「で、何をするつもり?」

「神聖アルビオン帝国を消すのよ!それで戦争を終わらせるの!」

 

 ルイズは両拳を握りながら力説。するとパチュリーが疑問に表情を曇らせながら口を開いた。

 

「ルイズ。その前に事情がよく分からないのだけど、『アンドバリの指輪』の件はどうなったの?戦争にならないって話のハズでしょ?」

「それが私もよく分からないのよ。それは後で話すわ。とにかく今は、戦争を止めるのが最優先よ」

「ふぅ……。仕様がないわね。ま、それ自体はそう難しくないと思うけど」

 

 紫魔女は、戦争を止めるという難事業を、片手間でできるかのように言う。だが彼女達にとっては、それも当然だった。彼女の代弁するように衣玖が口を開く。

 

「アンドバリの指輪の話を、使うという事でしょうか?」

「そう、それよ!アルビオン中に広めれば、あの国は勝手に割れるわ!」

 

 だがそこにアリスが質問一つ。

 

「それはいいけど、具体的な方法はどうするの?」

「えっと……」

 

 そこから先は考えていなかった。とにかく戦争を止める考えが先に立ち、実質的なものは何も思いついていなかった。すると浮いていた烏天狗が、気軽そうにアイディア一つ。

 

「チラシ撒けばいいんじゃないですか」

「チラシ?」

「あの皇帝が、偽虚無だって書いた紙をあちこちにばら撒けばいいんですよ」

 

 号外をばら撒くのは、新聞作っている彼女ならよくやる手。新聞を日頃から扱っているだけに、どうやれば人に情報を知ら占められるか一番分かっていた。だがルイズは、少し考えて首を振る。

 

「簡単に言うけど、まともな紙は数揃えるだけで大変だわ。それに、それだけの紙に指輪の事書くのは、手間がかかり過ぎよ。お店に頼もうにも、今は夜だから開いてないし」

 

 ハルケギニアの紙は高めの羊皮紙か、質がかなり低い植物繊維紙しかなかった。地球の古代以降の東洋や、現代社会で使っている質の高い植物繊維紙は存在しなかった。そのため紙問屋に置いてある紙の量も、たかが知れていた。

 すると意外な所から、解決法が出てきた。タバサである。

 

「全部、ここにある」

 

 ふと部屋の奥から出てきたガリアの留学生に、ルイズは少しばかり意外な表情。

 

「あれ?なんでタバサ、ここにいるの?」

「ミス・鈴仙と母さまについて話をしてた」

「ああ……」

 

 ルイズは思い出す。鈴仙に、正確には彼女の師匠に姉のカトレアと、タバサの母の治療を頼んでいた事を。さらに彼女には、始祖の秘宝を盗んだという、別の大問題を聞かないといけないのだが。だが、今はそれ所ではない。

 ルイズはあらためて、タバサに聞き直す。

 

「でも、ここって?」

「ああ、そういう事」

 

 またも意外な所から声。今度は天子。ルイズは脇の使い魔に、顔を向けた。

 

「何よ。分かったの?」

「あれ?何?分かんないの?あんた」

「え、あ……。そ、そんな事ないわよ!て、天子の言う通りね!」

「うん。で?それは何かなー?」

 

 ルイズを覗き込むような、憎たらしい使い魔の笑顔。だが答えの出ない主。だが遊んでいる場合ではないと言わんばかりに、タバサがあっさり答えを口にした。

 

「学院には印刷機も紙もある」

「そうなの!?」

「授業で使うものは全て、学院で刷られている」

 

 授業などで使う様々な印刷物。それらを用意するために、この学院には活版印刷機と用紙が揃っている。さすがはトリステインの最高学府だけの事はあった。

 ルイズは喜び勇んで手を叩く。

 

「そっか、学院ね!ワザワザどこかに行かなくてもいいじゃないの!じゃ、さっそくはじめないと!」

 

 すぐに動こうとするルイズに、タバサが首を振った。

 

「使い方が分からない」

「う……。そっか……。そうだわ……」

 

 部屋を出ようとしたルイズの足が止まる。手段は分かったが実行できない、そのもどかしさで一杯。少し苛立っているルイズに向けて、パチュリーがふとつぶやいた。

 

「心当たり、あるわよ」

 

 一同は一斉にパチュリーの方を向いていた。その表情はいつも通り、抑揚のない眠そうなもの。だがわずかに口元が緩んでいた。

 

 

 

 

 

 双月が上がる真夜中。学院の者がほとんど眠りについた頃。広場のはずれの小さな小屋に明かりが灯っていた。

 

「ミス・ツェルプストー。そろそろ部屋に戻ってもいいですよ。明日もあるでしょうし。後は私がやりますから」

「そういう、ミスタ・コルベールにも、明日があるじゃないですか」

「それは……そうですが……」

 

 眉を歪め困った表情で、褐色美人を見るコルベール。

 ここはコルベールの実験室。趣味の部屋とも言う。その彼の聖域に、最近助手が入った。いや、押し掛けた。その名はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。何故彼女がこんな所にいるかというと、恋する相手との距離を、何とか縮めようとしていたのだ。なんと言っても、恋愛沙汰では百戦錬磨の彼女が、相手のファーストネームを呼ぶ事すらできていない。想像以上にコルベールの壁は固く高い。自慢のプロポーションも効果なし。ここまで生徒と教師の間は隔絶しているのかと、唖然とするほど。大怪我したコルベールを数日間看病し続けるなんて大イベントでもあれば、大きく前進できそうなのだが。そんなものはまるで起こる気配がなかった。なので、こうして地道な努力を積み重ねているのである。

 もっともコルベールにとっては、単に生徒と教師という理由から彼女の好意を受け入れない訳ではなかった。彼にとって教師である事は、贖罪の意味もあったのだから。キュルケが考えている以上に、生徒と教師という関係は彼にとって重いものだった。

 

 なんとも微妙な空気が漂っている実験室。そこに突如、割り込み発生。キュルケにとっては邪魔な。コルベールにとっては救いの。

 それはノックだった。コルベールは、すぐさまドアへ向かう。この場の雰囲気を変えるような急ぎ足で。そして、ドアを開けた。気分を刷新するような声を上げつつ。

 

「おやおや。どなたでしょうか?こんな夜更け……」

「久しぶりね。コルベール」

「お、お久しぶりです……。ミス・ノーレッジ……」

 

 目の前にいたのは、別の意味で厄介な相手。異世界の魔女だった。気分は刷新された。ただし悪い方に。

 

 少々の騒動の後、全員は小屋の外にいた。ルイズに幻想郷メンバー、コルベール、キュルケ、タバサ。ルイズの話を、コルベールは何度もうなずきながら聞く。

 

「なるほど」

「ミスタ・コルベール!お願いします!」

「もちろん手を貸しましょう。戦争などというくだらないもので、人が血を流す必要はありません。張り紙で戦争が止められるなら、安いものです。この学院の用紙を全て使って構いません!」

 

 コルベールは即断した。彼にとっても戦争は最も忌むべきものだ。それを止められるなら、考えるまでもない。

 

 やがて一同は、印刷室へ。キュルケやタバサも印刷を手伝う事となる。

 そして配る場所だが、さすがにアルビオン全土という訳にはいかないので、主要都市に絞られた。ダータルネス、ロサイス、サウスゴータ、ロンディニウムの四つである。さて、ここで最後の問題が残った。どうやってチラシを配るか。配る場所はアルビオンの北東端、南端、そして中央と、場所がバラけている上かなり距離が離れている。しかもそれを短期間にやらなければならない。主要都市を一斉に混乱にさせ、アルビオン全土を混沌の渦中に巻き込むためだ。だが、向かう先は主要都市。当然、防備もしっかりしているだろう。これら厳しい条件を、全てクリアしないといけない。

 ルイズが、さっそくアイディアを一つ。

 

「みんなで、手分けして配りましょうよ!」

 

 ここで言うみんなとは、もちろん幻想郷組の事。ハルケギニアの人間では風竜に乗るしかないが、それでは敵に見つかった時、振り切るのが難しい。その点、幻想郷メンバーには、風竜の何倍もの速度で飛べる者が揃っていた。

 その第一人者となる烏天狗が、すかさず手を上げる。ルイズ、表情をパッと明るくした。一番厄介と思っていたが、最速の彼女が率先して賛同してくれるなんて、と。しかし……。

 

「今回はパスで」

 

 あっさり協力拒否。ルイズ、表情が逆転。身を乗り出すように慌てて聞く。文の飛行能力は、何者にも代えがたいのもあって。

 

「な、なんでよ!」

「今回の騒動は、広範囲ですからね。取材に徹したいんですよ。それにこの前の村の件で、ルイズさんには十分借りを返したと思いますから」

「そ、それはそうだけど……」

 

 言葉の返せないルイズ。確かに文は、ダルシニ達の村復旧で中心的な役割を担っていた。建築の知識があったからだ。他にも、いろいろと彼女達の力を借りてはいる。もっとも、その彼女達が起こす日常的な後始末をやっているはルイズなのだが。一方で、文の方はというと、ハルケギニアに来てさっそくの大きなネタ。これを確実にモノにしたかった。こんな状況でも自分本位。幻想郷の住人らしい思考である。

 だが文は、言葉を続ける。もどかしそうにしているルイズを前に。

 

「ま、ただ何も手を貸さないというのも、気持的に引っかかるものがありますから。代わりと言ってはなんですが、一つアイディアを差し上げましょう。せっかく鈴仙さんがいますから」

「鈴仙?」

 

 ルイズも、名前を出された鈴仙も、首を傾げていた。しかし当人はすぐにうなずく。

 

「わ、私にできる事なら、なんでも言って!ルイズ!」

 

 始祖の秘宝の件で後ろめたさがあるのか、必死の態度の玉兎。そして文のアイディアは、彼女に任される事となった。

 

 やがて先行してチラシを配るメンバーが決まる。魔理沙、衣玖、鈴仙だ。彼女達の担当はサウスゴータ、ダータルネス、ロサイス。一方で、ルイズと他のメンバーはロンディニウム担当。第一作戦終了後の集合場所は以前、ロンディニウムに洪水を仕掛けた時の待機場所だった林。勝手知ったる場所である。一方で、コルベールは当然来るであろう、ルイズの所在の問い合わせを誤魔化すのに徹する。なんと言ってもルイズは、勝手に軍を抜け出したのだから。キュルケとタバサは、現場で手伝う事がないので居残り。もっともキュルケにとっては、コルベールが残っている方が大きい理由だったろうが。

 そしてチラシが揃った深夜。各人は一斉にアルビオンへと向かった。

 

 

 

 

 

 アルビオン、サウスゴータ上空。魔理沙担当。暗視スコープを通し、辺りを見回す。

 

「思ったほどじゃないぜ」

 

 内陸と言う点もあってか、想像よりは防御は固くなかった。直掩の竜騎士も上がっていない。もっとも、チラシさえ配ってしまえば見つかっても、構わないのだが。彼女には追手を振り切るだけの速力があった。

 

「さてと、さっそくやるか」

 

 魔理沙は箒を握りしめると、サウスゴータ市内へとすっ飛んで行った。

 

 

 

 

 

 アルビオン、ダータルネス上空。衣玖担当。空気の流れから、敵を察する。

 

「ふむ……。やはりしっかり守られてますね」

 

 連合軍の目標候補とされているだけあって、防御は固い。直掩の竜騎士も何騎か上がっている。さらに、フクロウが何匹か飛び交っているのが気になった。動きの不自然さから使い魔と察する。このフクロウ達も見張りの一つだろう。

 

「少しやっかいですが、なんとかなるでしょう」

 

 衣玖はつぶやくと、さらに空気を綿密に探っていく。上空を飛び交うそれらの隙間に狙いを定め、市内へと入っていった。

 

 

 

 

 

 アルビオン、ロサイス近郊。鈴仙担当。こちらも連合軍の目標候補とされているので、防御は当然固い。だが鈴仙は、この町へ地上から近づいていた。しかも堂々と正面から。やがて正門まで来ると、鈴仙は一度大きく深呼吸。気持ちを落ち着かせる。そして声を上げた。

 

「門を開けなさい!」

 

 見張り達は何事かと、声の主を見る。すると慌てたように動きだした。やがて跳ね橋が降り、なんの躊躇もなく門が開く。中から見張りの隊長が出てきた。

 

「このような時間に、何用でしょうか?」

 

 鈴仙を目の前にして兵達は、不思議となんの違和感も覚えていない。玉兎は落ち着いて要件を言う。

 

「これを今晩中に、町中に配りなさい」

 

 そして手渡されたチラシを見て、隊長は動きを止めた。目を見開いたまま。チラシに視線が釘付けになっていた。その内容はとんでもないものなのだから。戸惑った顔つきで鈴仙に尋ねる。

 

「こ、これはまことなのですか!?」

「内容については何も言えません。高度な極秘作戦です。あなた達は指示通りにすればいいのです」

「は、はぁ……」

 

 納得いかないながらも、密命とあれば従うしかない。隊長は部下に命令し、さっそく行動に入った。一方の鈴仙は、来た道を悠々と戻って行く。

 さて何故こんな事ができたかというと、当然彼女の幻術能力の効果である。見張り達には、鈴仙が皇帝直属の特使に見えていたのだ。

 仕事を終えた鈴仙は、脇道に入ると一休み。

 

「はぁ……、緊張した。やっぱ慣れないなぁ。こういうの」

 

 実は荒事がそう得意ではない彼女。愚痴をこぼして、集合地点へ向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 アルビオン、ロンディニウム郊外。以前、野宿した林の外。文が暗視スコープで、市内を見ていた。

 

「思ったほど警備は固くないですね。少なくとも、前、来たときほどじゃないですよ」

「ホント?」

「見てみます?」

 

 烏天狗はそう言って、暗視スコープをルイズに手渡す。使い方を教えてもらいながら、白黒画面に映った先にはロンディウム市内。だが以前のように哨戒の龍騎兵が飛んでいたり、城壁に見張りが多数いたりという様子はない。ルイズは、最前線に力を集中しているせいだろうかと考える。

 一通り見ると二人は、他の連中がいる林へと向かって行った。その時、先に進む文の背中にルイズは声をかける。

 

「その……文」

「はい?」

「えっと……ありがとう?」

「ん?何がでしょうか?」

「だって……今回パスするって言ってたのに、ついて来てくれたから」

 

 ルイズは、まさか文がいっしょに行動するとは思っていなかった。自由行動をすると宣言した、この新聞記者が。すると文は、笑って返す。

 

「騒動が起こるとしても、チラシが配られた後ですからね。それまで学院でじっとしてても暇なので、ついでですよ」

「それでもよ」

「そうですか。じゃぁ、今度、なんかで返してください」

「うん」

 

 大きくうなずくルイズ。

 確かに日々の生活では、幻想郷メンバーに引っ掻き回されてばかりだったが、一方でこんな時には頼りになる。だいたい彼女達がいなければ、あのラ・ロシェール戦で勝てたかどうか。もうそうなっていれば、今は学院生活どころではなかっただろう。領民と所領と家族を守るため、両親と共に戦っていたかもしれない。ルイズは胸の内で、もう一度この異界の友人たちに感謝していた。そして、この奇妙な出会いにも感謝していた。ただその相手は何故か、始祖ブリミルではなかった。ルイズの脳裏に浮かんだのは、どこか見覚えのある人物。とても身近にいたはずの……。

 

 やがて、二人は林の奥まで来る。天子やパチュリー、こあ達が暇を持て余していた。そして、チラシ配り担当のアリスに町の様子を伝える。

 

「警備は前の時ほどじゃないわ」

「ふ~ん、そう。まあ、前と同じでも関係ないけどね」

 

 するとアリスの足元からぞろぞろと人形たちが出てきた。それぞれがチラシの束を持っている。

 

「さ、みんな配達してきて」

 

 アリスの掛け声と共に、人形達はロンディニウムへと向かった。以前、かなり調べた町だ。さらにラグドの話から、ハヴィランド宮殿の構造、下水道の中すら分かっている。しかも役目を担うのは小柄な人形達。市内に入り込むのは造作もなかった。

 

 

 

 

 

 ロンディニウム、ハヴィランド宮殿。神聖アルビオン帝国の中枢である。

 もう日は昇り朝となっていた。そろそろ誰もが職務に入る頃、皇帝執務室では、この所よくある光景が展開されていた。皇帝と秘書の言い争いが。

 

「どうされるおつもりですか!?ミス・シェフィールド!」

「だから、何度も言った通りだ!策はある!」

「ですから、その策をお示しくださいと言っているのです!何も提示されないので、将軍達にも疑念を持つ者が出てきています!今日の会議は如何にするつもりですか!?」

「お前が黙らせればいいでしょ!演技力だけが、お前の特技だろうに!」

「な、なんという言われようか……!」

「私は戻る!こっちは連合軍に当たる準備で、忙しいのよ!こんなつまらない用で、呼び出すな!」

「くっ……!は、はい……。分かりました……」

 

 捨て台詞と共に、皇帝秘書シェフィールドは執務室を後にする。残された皇帝、オリヴァー・クロムウェルは、怒りを肩に溜めシェフィールドが出て行った扉を睨み付けていた。

 

 『アンドバリの指輪』が行方不明となったと分かってから、上手くいっていた皇帝と秘書の関係は、かなり険悪なものに変わっていた。クロムウェルにはあのガリアの密偵に、不信しかなくなっている。確かに以前は、シェフィールドを心底信じていた。彼女の態度は不愉快なものばかりだったが、彼女の後ろ盾であるガリア、そして彼女自身の能力は確かなものだったのだから。だからこそ、ただの平民司祭が皇帝などという分不相応な立場になれている。

 

 だが指輪がなくなった時を境に変わってしまった。そのそもそも指輪がなくなった理由を、シェフィールドはハッキリと言わない。というより、クロムウェルにとっては、デタラメを口にしていたようにしか思えない。そしてなくなった『アンドバリの指輪』の代わりを用意すると言っていた割に、未だそれは用意されていない。さらに、トリステイン魔法学院襲撃失敗の不始末。それ以後の態度の変わりよう。以前は不遜ではあったが落ち着きもあった。しかし学院襲撃以降は、端々に落ち着きのなさが感じられる。今回の戦争についてもだ。何か得体のしれないものを恐れている。クロムウェルは、彼女にそんな雰囲気すら感じる時があった。

 あの女はもう当てにできない。

 彼の脳裏に、そんな言葉が浮かんでいた。

 

「ん?」

 

 ふと、執務室の窓に影を落とすものに気づく。凝視するクロムウェル。窓に一枚の紙が張り付いているのが見えた。

 

「ゴミか?」

 

 風にでも飛ばされたのだろうか?ともかく、ゴミを取り除こうと窓に近づく。だが近づくにつれ、だんだんと目が大きく開きだしていた。そこに書いてある文字が見え始めて。

 クロムウェルは、思わず駆け寄る。すぐさま窓を開けると、その紙を手にした。紙にはこう書いてあった。

 

 『アルビオンの貴族達よ民達よ。今こそ真実を知る時だ!神聖アルビオン帝国皇帝、オリヴァー・クロムウェルは、あなた達を騙していたのだ!彼の者は、虚無の担い手などでは断じてない!指輪のマジックアイテムで、虚無を詐称していたただの平民詐欺師だ!信じぬというなら皇帝に問うがよい!虚無の魔法を見せよと!だがクロムウェルは使えぬ。何故ならマジックアイテムを、失ったからだ!あの男は、魔法を全く使えない!アルビオンに住まう全ての者よ。今こそ目を覚ます時!平民詐欺師に騙されてはならぬ!さもなくば天罰が落ちるだろう。何故なら、これは宗教庁にもすでに露見している。それにも拘わらず、あの偽帝を奉じるというならば、等しく破門となるであろう!』

 

 クロムウェルの顔から、一気に血の気が引いた。意識を失いかねないほどに。

 

 朝日の中、ロンディニウムの正門傍にかなり大きい馬車が何台も並んでいた。中は完全に見えないようになっている。さらにそれらを操るのは、ロンディニウムでは見かけない連中。いかにも怪しげな集団だった。その一団の中に、フードをかぶったシェフィールドが速足で近づいてくる。

 

「状況は?」

「いつでも出発できます」

「そう」

 

 ミョズニトニルンは、落ち着きなさそうに小さくうなずいた。

 

 ここにいる一団は、ガリアでの彼女直属の部下である。アルビオンの危機的状況に対応するため、連れてきたのだ。そして馬車の中身は、特殊装甲を持つゴーレムに、火石など他では見られないものばかり。これを前線に持っていこうというのだ。

 

 だがいくつもの問題があった。まず、これらは全てガリアで実験開発中のもの。これを前線で使えば、存在が明らかになってしまう。例え戦争に勝ったとしても、その後の処理に困る。さらに、トリステインの虚無の存在。ラ・ロシェール戦、そして彼女しか覚えていないロンディニウム襲撃。それらを切っ掛けに、トリステインに虚無の存在を確認した。これへの対処をどうするか。

 しかもそれだけではない。これが虚無以上の問題を生んでいたのだ。その虚無の担い手は『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』なのだ。この名がどんな意味を持つか。それはハルケギニアでの意味ではない。あの幻想郷と、繋がりのある人物だという事だ。最悪である。シェフィールドはハルケギニアではレミリアやフランドールと、幻想郷では風見幽香、八雲紫といった大妖と対峙した。あの得体のしれない連中が戦争に参加してきたら、どうなるか予想もつかない。だいたい幻想郷の連中が、どれだけハルケギニアにいるのかも不明。なんと言っても、行き来可能な状態にあるのだから。加えてヨーカイ自体が謎の存在。これでは作戦の組み立て様がない。正直な話、今すぐアルビオンから撤収したい気分だった。だが、主であるジョゼフからは、未だ方針変更の命令はない。

 

「くっ……!何でこんな事に。あの指輪……!おのれ、幻想郷の者共め!妖魔にも等しいヨーカイ共が!」

 

 愚痴をこぼさずにいられないシェフィールド。

 そんな彼女に直属の部下たちは、不安を覚えずにはいられない。幻想郷とかヨーカイとか、訳の分からない言葉を苛立ちまぎれに吐く上司を見て。どこか精神を病んでいるのかも、とすら感じてしまう。しかし当の本人は、そんな視線にまるで気づかず。

 

 ウロウロと歩きまわりながら、唇を噛みつつ思案に暮れているシェフィールド。すると、足元に一枚の紙きれが引っかかった。何気なく目に入る。紙きれに書かれてあった事が。

 

「な……なんだ……これは……」

 

 その意味が脳に届いたとき、ミョズニトニルンは目を見開き、口を半開きにして、石造のように動かなくなった。

 

 

 

 

 



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幸運の女神

 

 

 

 

 

 その日の朝。アルビオンの各主要都市は騒然としていた。サウスゴータが、ダータルネスが、ロサイスが、ロンディニウムが。だが各都市の内情は微妙に違っていた。

 

 サウスゴータは、ばら撒かれたチラシをトリステイン・ゲルマニア連合軍の謀略と解釈した。魔理沙がポカやったせいで。作業中に見つかったのである。彼女自身はあっさりと逃げたが、サウスゴータの司令部は逃げた彼女を連合軍の工作員と断定。チラシの内容は嘘と解釈した。

 ダータルネスでは、衣玖が能力で巧みに見張りの目をかいくぐったため、無事、配り終わる。そのためダータルネスの軍は、朝に突然チラシが現れたかのように思えた。しかも内容が内容だ。司令部の対応は決まらず、町は混乱の坩堝と化していた。

 ロサイスでは、鈴仙の幻術により、チラシは奇策かのように受け止められていた。町は落ち着きをなくしていたが、混乱とまではいかなかった。

 

 さて、帝都ロンディニウムでは……。

 

「陛下が見当たらない!?」

「はい……。会議の時間となったので、ご出席を願いに行ったのですが、どこにもお姿がありません」

「まさか……逃げ出したのか?」

 

 将軍の一人が、町中にばら撒かれていたチラシを握りしめうめく。すると脇にいた別の将軍が、一言こぼした。

 

「そう言えば……最近陛下は、あの指輪をしておられなかったな」

「あの指輪が、ここに書いてあるマジックアイテムだと?」

「思い起こせば……。指輪を見なくなってから、陛下が虚無の力をお見せになった事は一度もない」

「確かに……」

 

 沈んだ表情で、考えにふける将軍達。

 クロムウェルは皇帝としての求心力を保つため、たまに虚無と称する魔法を見せていた。儀式の名目で。しかし、それがなくなって大分経っている。儀式は不定期だったため気にする臣下はいなかったが、今振り返ると確かに奇妙と言えば奇妙だった。

 チラシを握りしめていた将軍が、苦々しげに零す。

 

「やはり、この話はまことなのか?我らは、平民司祭に一杯喰らわせられていたのか!?」

 

 黙り込む彼ら。やがて、その内一人が衛兵たちに命令を下した。厳しい声で。

 

「ともかく!陛下を探し出せ!それが最優先だ!」

「はっ!」

 

 直ちに衛兵たちは走り去った。しかし残された将軍達は、各々がすでに考え始めていた。これからの身の振り方を。

 

 一方、正門の傍らのシェフィールド。

 

「く……」

 

 顔を歪め、チラシを凝視したまま固まっている。

 手にしたチラシの内容、少なくともクロムウェルに関しては真実。しかも、ごまかす手段が思いつかない。もはや、クロムウェルがただの平民司祭とバレるのは時間の問題だ。やがては、神聖アルビオン帝国の崩壊に繋がるだろう。それはすなわち、アルビオン作戦の全面的な失敗を意味する。この所の失態続き。その中でも最大級の失態だ。ジョゼフにどう弁解すればいいのか。いやそんなものより、ジョゼフの期待を裏切った事自体が、彼女の胸に重くのしかかっていた。

 

 そんな彼女に、馬に乗った衛兵が駆け寄ってきた。かなり慌てた様子で。

 

「ミス・シェフィールド!こちらにおられましたか?」

「……ええ」

「お伺いしたい事があります。陛下はどちらに?」

「何?」

「会議の時間だというのに、陛下がどこにもおられないのです。宮殿内をくまなく探しましたが、見当たりません」

「な……!」

 

 しまった、と思わず口から出そうになる。

 彼女はすぐに察した。クロムウェルは、もう逃げ出してしまったのだと。担ぐ神輿がないのでは、もはや神聖アルビオン帝国は終わりだ。完全に打つ手がなくなった。まさしく進退極まるである。しかもあの飾り物の平民司祭に、先に動かれた事が口惜しい。身を縛るような、絶望感と挫折感が彼女を襲っていた。

 我を忘れている彼女の耳に、衛兵の声が届く。

 

「ミス・シェフィールド?」

「あ……いえ、知らないわ……」

「そうですか。では」

 

 衛兵は、馬首を返すと宮殿へと急いで戻っていった。厳しい目でその後ろ姿を見つめるシェフィールド。

 

「おのれ!おのれ!おのれ!」

 

 チラシを地面に叩きつけ、踏みにじりながら喚く。腹に溜まったものを、吐き捨てずにはいられない。なんと言っても、ここ数年間の努力が無に帰してしまったのだから。しかもその手段は、大戦力による征圧でも、特殊なマジックアイテムでも、強力な魔法でもなんでもない。単なるチラシ。弄ばされている気持ちにすらなる。

 

「覚えてなさいよ!この落とし前は必ずつける!」

 

 最後とばかりに、力の限りチラシを踏み抜いた。

 彼女の憎悪は、ルイズ達に向けられていた。全てのケチの付き始め、アンドバリの指輪の略奪犯と思われる連中に。幻想郷にいた時、美鈴からハルケギニアに行った妖怪の話は聞いていたので、犯人の目星はついている。彼女は、この遺恨を必ず晴らすと心に誓う。

 

 すでに紙吹雪のようにバラバラになったチラシを、睨み続ける彼女。だが、シェフィールド自身は気づいていた。こんな事をしている場合ではないと。さすがはガリアの謀略を担う間諜か。怒りは収まってないが、頭を切り替える。すぐに部下達に振り返った。

 

「お前たちは直ちに宮殿へ戻れ!ガリアに関する資料を全て焼き捨てなさい!研究に関するものも全てよ!部屋ごと焼き尽くしても構わないわ!」

「全て……ですか!?しかし……」

「一刻を争う!考えてる猶予はない!」

「ハ、ハッ!」

 

 部下達は自分たちの馬に飛び乗ると、慌てて宮殿へ急いだ。

 シェフィールドは彼らが動きだしたのと同時に、馬車へ乗る。残った部下に命令。

 

「全てガリアに持って行くわ。もう、ここにはいられない」

「はい」

 

 ここでいう全てとは、今馬車に積んである特殊装甲のゴーレムや火石などの、開発途中の特殊マジックアイテムだ。現状では、何人にもその素性を知られてはならないもの。この窮地であえて幸運を探すなら、一番残してはならないものがすでに運搬準備を終えていた事だろう。

 シェフィールド一向は、正規の手続きで門を出る。最前線へ向かう名目で。しかし、彼女達の一団が向かった先は、最前線とは逆の方角だった。

 

 それからロンディニウムでは、さらに混乱が広がっていた。皇帝専用の馬車が、南門から出て行った事が確認される。しかも一部の宝物と金銀がなくなっていたのだ。クロムウェルの逃亡はほぼ確定となった。追い打ちをかけるように、シェフィールドの執務室と地下の実験室から火災が発生。白の宮殿は喧騒と煙で一杯となっていた。

 

 

 

 

 

 

 密告のチラシが撒かれたその日。すでにクロムウェルは逃げ出し、シェフィールドが去り、さらに炎まで上がったハヴィランド宮殿。その中で、呆然としている男が一人いた。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である。

 

「何故……こんな事に……」

 

 宮殿内の者たちから聞こえてくる話は、絶望的なものばかり。彼が期待を寄せていたオリヴァー・クロムウェルが、実はただの平民司祭で、マジックアイテムを使い虚無を詐称していたと。しかもその当人は逃げ出した上に、背後にいたガリアの使者と思われるシェフィールドまでが、もう城を出たという話。

 神聖アルビオン帝国は、反アルビオン王国テューダー朝という点では一致していたが、それ以外では様々な思惑を持った者の寄合所帯だった。それをまとめていたのがクロムウェルの虚無であり、シェフィールドの背後にあるガリアの影。今、その両方がなくなった。誰もがこの国は終わったと、感じていた。

 

 その時、ワルドは気づく。自分の身の危うさに。

 

「待て……。マズイ!」

 

 慌てて身の回りのものと、手近な金品をかき集めると、自分専用の風竜の所へ走り出した。

 神聖アルビオン帝国が終わるとなると、当然、トリステイン・ゲルマニア連合軍に寝返る者が出てくる。その手土産として、ワルドは最適な人物だ。なんと言ってもトリステインの裏切り者なのだから。ほんの一時まで味方だった相手も、信用はできない。いや、彼にもはや、味方などどこにもいない。

 

 ドラゴンの厩舎へ向かう。宮殿内は騒然としていたが、ここはそうでもなかった。ひと気のない今がチャンス。ワルドは轡や鐙、鞍などを一式持つと、自分の風竜に近づく。

 すると奇妙なものが目に入った。

 自分のドラゴンの背に白兎が乗っていたのだ。平然と。兎などドラゴンのエサと言ってもいい存在。だがその兎はドラゴンを恐れる様子が全くない。しかもドラゴンの方も、兎を全く気にしていない。あり得ない光景がそこにあった。

 だが、今はそんなものを気にかける暇はない。ワルドは近づくと、背に乗る兎を追い払おうとする。

 

「邪魔だ!」

 

 兎を手で払う。しかし兎は、見事にそれをかわしていた。ワルドは少々ムキになって、何度も払おうとする。だが、ことごとくを避けられた。

 

「この獣の分際で、私を愚弄するとは!」

 

 苛立ちが増してくるワルド。だがその時、視界に入るものがあった。目の前の兎の向こう。風竜から少し離れた場所にも白兎がいた事に。いや、それだけではない。その先にもいた。まるで列を作っているかのように。そして全ての真っ赤な双眸が、ワルドを見ていた。

 息をのむワルド。さっきまでの苛立ちが、スッと消える。異質感すら漂わすこの状況に。

 

「まさか……私に用があるのか?」

 

 思わず兎に向かって呟いていた。すると兎はうなずく。ワルドの両目が大きく見開いた。

 何者かの使い魔か?だとするとこれは誘いか?罠に嵌めるための。しかしこの状況で、こんな手の込んだ罠を仕掛ける意味があるのか?今、ワルドには味方がいない。部下すら信用ならない。それ以前に、ここに来ると分かっているなら、厩舎の前で待ち構えていればいいだけだ。

 脳裏に様々な考えが次から次へと浮かぶが、どれも納得いくものではない。やがて、もう一度息を飲んだ。

 

「分かった」

 

 ワルドは頷いていた。鞍や鐙を放り投げ、兎達の列の方へ足を向ける。兎達も彼を導くように、先へと進んで行く。今、彼の置かれている状況はまさしく絶体絶命。そんな非常事態に寄り道とも言える行動をとった理由は、自分でもよく分からなかった。

 

 兎の後に付いて行くとそこは、宮殿の敷地内外れにある物置。使われなくなって久しいのか、かなり壁も屋根も傷んでいる。兎達は、戸にわずかに開いた隙間へと入る。ワルドも後を追おと戸を開けようするが、固くて開かない。なんとか無理に隙間を広げ、体を滑り込ませた。

 

「ふぅ……」

 

 一つ息を吐くワルド。そしてゆっくりと視線を小屋の奥へと向けた。小窓から漏れる明かりの中に、子供が見えた。短めの黒髪で、頭に兎の耳のような飾りを付けた女の子。その子を囲むように、真っ白い兎たちがいた。兎と子供。それだけなら、他愛のない田舎の光景に見えただろう。だが何故か、ここにあるものは異界の入口のように思えた。

 

 やがて子供がゆっくりと顔を上げる。一瞬、緊張に襲われるワルド。何故なら見えた彼女の瞳は、子供のそれに思えなかったから。人を値踏みするかのような瞳。何十年、何百年、それ以上の年期の入った目。何故かそう感じた。彼の直観が告げる。ここにいるのは人ではないと。

 彼女は、身を崩した姿勢のまま尋ねた。

 

「あんたが、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドで間違いないウサ?」

「……そうだ。で、お前はなんだ?」

「さあね」

 

 子供は手のひらを返し鼻で笑う。ワルドは不機嫌そうに、眉間に皺を寄せた。得体が知れない上に、不作法極まりない。すぐに彼は身を翻す。

 

「呼びつけた理由は知らんが、名乗りも上げられない者と話す気はない。帰らせてもらうよ」

 

 すると嘲笑うような声が、背から聞こえた。

 

「帰る?どこに?」

「……!」

 

 少女の問いかけに、ワルドの足が思わず止まる。拳を強く握り歯を食いしばるが、何も返せない。少女は、さらに畳み掛けるように言葉を並べる。

 

「小領主で爵位もそこそこ。けどトリステインの親衛隊隊長まで出世。しかも大貴族のヴァリエール公爵家と婚約まで結んで、順風満々なエリート人生」

「……」

「それをぜ~んぶ放り投げて、こんな訳の分からん国に身を寄せた」

「……」

「その顛末が、詐欺師の平民に騙されて終わり」

「……」

「今のあんたは、全財産を賭けた博打でペテンに引っかかったマヌケなボンボンと同じウサ。そんなあんたに、帰る場所がどこにあるウサ?」

「…………!」

 

 ワルドは、激高しかねない勢いで振り向く。兎耳の子供の方へ。だが何も出てこない。出せない。睨み付ける彼の視線の先には、子供の姿らしからぬ気配を持つ何かがいた。それが呆れたように、彼を見ている。

 不意にワルドは、全てが滑稽に思えた。腹の底から湧き上がるような、笑いを吐き出していた。

 

「フッ……ハハツ。ハハハハハッ!」

 

 この狭いボロ小屋に、投げやりの笑い声が響く。自分自身を小馬鹿にするような笑いが。

 

「で、全財産を詐欺師に賭けた大馬鹿者に、なんの用だ?」

「……」

「そうか。お前、妖魔だな。妖魔は子供を好んで食べると聞いたが、メイジも好むのか?それだけ私を調べたんだ。スクウェアのメイジというのも、分かっているのだろう?お前からすれば、さぞ美味に見えるかもしれんな。当てもなく絶望してる私なら、易々打ち取れると思った訳か」

 

 ワルドは、皮肉を込めた声色で大げさな身振り手振りで告げる。だが少女の方は、わずかに笑みを浮かべると嘲るように答えた。

 

「そう卑下しなくて、いいウサよ」

「な……」

「あんたを呼んだのは、逆ウサ」

「逆?」

「幸運を与えに来たウサよ」

 

 兎耳の子供はあっさりとそう言った。相変わらず緊張感のない態度で。ワルドは呆気に取られ、力が抜けていく。

 

「…………どういう意味だ?」

「一発大逆転。ここから、あんたの本当の人生が始まるってやつウサ」

「なんだそれは?まさか私を助けると言うのか?だが何故だ?」

「さあ?私は上から頼まれただけだから」

「上から?」

 

 意外な答えに、ワルドは戸惑う。ただの妖魔と思っていた相手が、実は使者。つまり何等かの組織が、自分に手を貸すという話だ。しかも妖魔を従えるような組織が。疑念に目を細める。

 

「それは……何者だ?」

「宇宙人」

「宇宙人……か。フッ……。自分達の正体は、わずかも晒す気はないという事か」

「乗り気がしないなら、別に蹴ってもいいウサよ。ただこの話、先着一名様限りウサ。しかも私が最初に話を振ったのは、あんた。ダメなら、他に行くだけウサけどね」

「他にも候補がいるという訳か。だが何故、私を最初に選んだ?」

「リストの一番下に載ってたから」

「リストの一番下?」

「上から行くのは面白くないから、下から行っただけウサ」

「……」

 

 呆気に取られ、言葉を出せないワルド。

 彼には風のスクウェアとして、さらにこれまでの経歴から来る自負があった。だからこそ、神聖アルビオン帝国でも皇帝側に仕える事ができた。この話も、自分だからこそ理由がある。何もかも失った今でも、どこかにそんな想いがあった。しかし彼を選んだ理由は、リストの一番下にあったからと兎耳の子供は言う。

 突然、またも笑いが込み上げてきた。

 

「フッ、ハハハ!リストの一番下だから選んだか!」

「よく笑うウサね」

「いや、気を悪くしたなら謝る。何もお前を笑った訳ではない」

 

 何かが吹っ切れる。彼の中にあった様々な違和感が、どうでもいいものに思えてくる。一頻り笑った後には、開き直った顔つきとなっていた。

 

「で、どんな助力が得られるのかな?」

「その前に、面接させてもらうウサ」

 

 そう言いながら、少女は懐から小箱を取り出した。その中から紙包みを一つ取り出す。

 

「正直になる薬ウサ」

「自白剤か」

「そ」

「何を聞きたい?」

「レコン・キスタなんて言うポッと出に、全てを張った理由ウサよ」

「そうか」

 

 一つ息をのむワルド。背中に伝うものがある。まるで戦地にいるような、緊張と冷や汗が。

 相手は素性の知れない妖魔。しかも組織に仕えているらしい。手助けするというが何の保障もない、理由すら分からない。こんな得体のしれない話を受け入れるのに、自白剤まで使った面接をするという。そもそも、この薬が自白剤である確証もない。ここに確たるものは何もない。分からない事だらけだ。しかし、ワルドはその紙包みを手にした。彼には分かっていた。これを退けた所で、行く当てなどないと。

 

「分かった。いいだろう。もはや私には賭けるものがない。それでもまた一度、賭場に立てるなら、お前の話受けよう」

 

 包まれていた薬を、一気に飲み込む。それを少女は満足そうに見ていた。

 

「んじゃぁ、聞くウサ。まずは、さっきの話。レコン・キスタに何故参加したウサ?」

「それは……」

 

 ワルドはこの得体のしれない兎耳の子供に、全てを話していた。長い時間をかけて。

 

 やがて何もかもが語り終える。するとワルドは気づいた。少女の態度が変わっている事に。さっきまでの緩んだ気配が消えている事に。兎耳の子供は手を組み前のめりに身を傾けると、ワルドを見上げた。その姿はまるでマフィアの幹部かの様。

 

「合格ウサ」

「お目に適ったようで、何よりだ」

「んじゃぁ、合格祝いに面白い話を一つ」

「祝いをくれるとは、ありがたい。聞かせてもらおうか」

 

 冗談交じりに返すワルドだったが、彼女の話には驚愕する他ない。

 かつての婚約者、ルイズ・ヴァリエールが虚無の担い手である事。ガリア王も同じく虚無の担い手である事。さらにシェフィールドがその使い魔である事。そしてガリア王が、エルフと手を組んでいる事。まさしく信じがたい話ばかり。なんの証拠も提示されていないが、シェフィールドについては、頷けるような点がいくつも思い浮かぶ。ワルドも半ば信じざるを得なかった。

 

 やがて少女は、肩をほぐしながら言う。

 

「さてと、約定成立という訳で本番といくウサね」

「ああ。それで、具体的に何をしてくれるんだ?」

「最初に言った通りウサ。幸運を与えるウサよ」

「具体的と言った」

 

 揶揄するような言葉しか告げない少女に、ワルドは気分を悪くする。しかし少女の態度は変わらない。

 

「私の能力は『幸運にする程度の能力』。相手に幸運を与える事ができるウサ」

「ふざけて……」

 

 だがすぐに、ワルドは言葉を切る。この得体の知れない相手は、もはや何もかも失った自分に残されたわずかな道なのだ。迷うなどという選択はない。相手が得体の知れない何かなどというのは、承知の上だ。何もかも受け入れる。ワルドは覚悟を決めた。

 

「分かった。いいだろう」

「なら、やるウサよ」

「ああ」

「ただあんた達には、力がちょっと効きづらいみたいだから、気合を入れるウサ。痛いかもしれないけど、そこは我慢ウサ」

「体は鍛えてるつもりだよ。遠慮しないでやってくれ」

「んじゃぁ、いくウサよ」

 

 兎耳の子供は右手人差し指を突き出した。まるで銃でも撃つかのごとく。

 彼女の指先に強烈な光を放つ玉が現れる。次の瞬間、ワルドは強烈な痛みに襲われた。それと同時に彼の意識は飛び、闇の中に沈み込んでいた。

 

 それからどれほど時間が経っただろうか。彼が意識を取り戻したときには、小屋には誰もいなくなっていた。ゆっくりと身を起こす。

 

「……夢でも見ていた気分だ。だが……」

 

 ワルドにすぐ気づく。確かに誰もいないが、小屋にこのされた多くの足跡に。子供と兎の。それは告げる。あれは夢ではなかったと。だが現実だったと受け止めるのにも、抵抗ないと言えば嘘になる。しかし、もはや事は始まったのだ。

 

「行くところまで、行くしかないな」

 

 そうつぶやくとボロ小屋を後にした。そしてワルドは風竜に飛び乗ると、なんの障害もなくロンディニウムを後にする。当てがないのは相変わらずだが、胸の内だけは定まっていた。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕暮れが、間もなく訪れようとしていた。緋に染まろうとしているアルビオンの空を、一騎の竜騎士が飛んでいる。もはや帰るべき国も、家すらなくなったワルドが。

 ここ数日、身を隠しながらアルビオンを移動していた。一時は、それなりに懇意にしていた、ホーキンスやボーウッドの所へ向かう事も考えたが、情勢がはっきりするまでは下手な動きはしない方がいいと考え直した。だからと言って、他に心当たりがある訳でもない。チラシの内容が真実なら、トリステイン、ゲルマニア、宗教庁を抱えるロマリアは手を組んでいるとなる。残るはガリアだが、シェフィールドが手足となって何かを画策していた国だ。安心とは言えないだろう。文字通り、行く当てがなかった。

 

「さて……どうしたものか……」

 

 今日も、隠れるように山間を低空で飛ぶ彼の風竜。ドラゴンを操りながらも脳裏に過るのは、ロンディニウムでの出来事。クロムウェルの虚無がまがい物であった事。神聖アルビオン帝国を見限り、消え去ったシェフィールド。そして何よりもあの異質な子供。その子供が言う、与えられた幸運。これら全ては数日前の、しかもたかが半日の内に起こった出来事なのだ。今でも信じがたい。

 空を舞いつつ、いろいろと考えを巡らせていると、風竜の速度が落ちてきたのを感じた。

 

「お前も疲れたか。私の方も、少々腹が減ってきた。休憩にするか」

 

 ドラゴンの首を撫で、声をかける。すると眼下にやや大きめな池が見えた。

 

「あそこにしよう」

 

 ワルドは、ドラゴンの頭を池の方へと向けた。

 降りた場所は山中の綺麗な池。少し広めの岸がありドラゴンを休ませるのに丁度よかった。地面に着くと、さっそくドラゴンは池の水を飲み始める。ワルドの方もドラゴンの手綱を木に結びつける。

 

「確か、近くに小さな村があったハズだが……」

 

 降りる時に、森の中に村があったのを見かけていた。

 今の彼が人前に姿を現すのは、危険を伴う。しかし、一方で現在アルビオンは混乱中。自分へ手配している余裕がないのも、分かっている。

 池を囲む森を抜けると小道に出た。そこを真っ直ぐ進むと目的の村が目に入る。森を切り開いた中にある小さな村だった。辺りに畑がない所を見ると、猟師の村だろうか。

 ワルドはその中で一番大きな家に向かう。もっともこの村の中での話で、貴族の彼からすれば多少大きな物置程度だった。戸をノックし、声をかける。

 

「失礼。どなたかおられないか?」

 

 家からは、なんの返事も帰って来ない。中を確かめようと戸を開ける。そこはキッチン兼リビング兼食堂。いかにも猟師や農民の家屋という風情だった。しかし、人影はなし。狩か山菜取りにでも出ているのか……。

 

「旅の者なのだが、食料を売って欲しい」

 

 相変わらず返事はない。彼は悪いと思いながらも、中へと入っていく。

 しばらく奥へと進み、部屋の一つを覗く。やはり誰もいない。だが、その部屋が奇妙な事に気づいた。まるでメイジの書斎かのように本が並び、魔法の実験器具まである。山中の猟師村らしからぬ光景。

 

「どうやら、ただの村ではないらしいな……」

 

 ワルドは腰の杖を抜いていた。

 部屋の見回していると、本棚の中に隠し扉らしきものがあるのに気づいた。しかも、それがわずかに開いている。ワルドは周囲に気を配りながら、その扉を開けた。中は金庫のようになっている。どうも隠し金庫らしい。だが何故だかの金庫の鍵は、かかっていなかった。

 金庫の中を眺めるワルド。入っていたもの自体は少なかい。しかしふと、棚の上にある一つの長い筒が目に付く。金属で出来ている筒に。

 

「これは……!」

 

 記憶の中にある物と一致する。それは研究者の中で、"場違いな工芸品"と呼ばれるもの。以前、一度だけ見た事がある。"トリステイン魔法学院"で。だが何故これがここにあるのか。すぐにワルドは解答を導きだす。当時の騒ぎ、魔法学院の泥棒騒ぎを思い出しつつ。

 

「そうか……ここが……」

 

 その時、外から話し声が届いた。どうやらここの住人が戻ってきたらしい。しかも数人いる。今、家を出れば鉢合わせる。

 

「チッ!間の悪い!」

 

 ワルドは苦い顔を浮かべると、魔法を唱える。『ユビキタス』を。分身を作り出す魔法。風のスクウェアであるワルドが、得意とする魔法の一つだ。

 分身の一人を声の方、入口の方へ向かわせた。だがさらに運悪く、見事なタイミングで鉢合わせる。入ってくる女性と。

 

「誰!?」

「!」

 

 入口に立っていたのは、女神でも現れたかというような、美しい金髪の少女。呆気に取られるワルドの分身。だが次の瞬間には、別の一点に目を奪われていた。彼女の突き出した耳に。

 

「エ、エルフ!?」

 

 思わず杖を向ける。すると少女の方も、釣られる様に杖を抜いていた。しかしワルドの方が杖を先に抜いていた上、彼の魔法詠唱の素早さは抜きんでていた。一瞬で発生した『ウインド』が、少女を吹き飛ばす。

 

「きゃっ!」

 

 倒れ込んだ少女は、思わず杖を落としていた。すかさず杖を蹴り飛ばし、彼女を組み伏せる。

 

「い、痛い!」

 

 身動きできず、悲鳴を上げる少女。しかし相手はエルフ。気を抜くワルドではなかった。

 

「まさかエルフがこんな所に……、ん?」

 

 急にワルドの表情が怪訝に曇る。奇妙な事に気づいて。

 エルフが何故、杖を使おうとしたのか?エルフは先住魔法を使う。先住魔法は、口さえあれば事足りる。杖の必要はない。逆に系統魔法を使う妖魔など、聞いた事もない。そして今、少女は魔法を使うとしていない。口を押えていないにも関わらず。ワルドは、この状況に上手く当てはまる解答を出せずにいた。

 

 この出会い。これが特別な意味を持つなど、今の彼には想像できる訳もなかった。そしてこれを導いたものが、何かという事も。

 

 

 

 

 

 ルイズ達は、チラシをばら撒いて四日ほどアルビオンにいた。帝国崩壊を確認するため。

 集めた話からすると、どうもチラシの内容をアルビオン貴族たちは真実と捉えたようだ。クロムウェルが逃げ出したという話も、広まっている。それらを裏付けるように、次々と貴族たちはロンディニウムを後にしていた。帝国崩壊後の自分たちの所領を守るために。しかも、すでにサウスゴータ辺りで、貴族達の睨み合いが始まっているそうだ。それはロンディニウムでも同じ。皇帝がいなくなり、空白地となったここでは、周辺の貴族達が管轄権を主張し始めていた。

 神聖アルビオン帝国は、あっけないほど消え失せた。戦で大敗した訳でも、クーデターが起こった訳でもなく、指輪泥棒とチラシのばら撒きなんて方法で。その命脈は1年と持たなかった。

 

 ルイズ達は四日目の夜、帰路へと着く。それから二日後。彼女がいたのは学院ではなく、幻想郷組のアジトだった。

 

「どうしよう……」

 

 ルイズは悩んでいた。アルビオンの事ではなく、もっと身近というか自分の事で。神聖アルビオン帝国は滅亡したが、まだ大問題が残っていた。いや迫っていた。

 リビングで頭抱えているルイズに、魔理沙の気安い声がかかる。

 

「まあ、なるようになるぜ。とりあえずメシにしようぜ。もう夜だしな」

「食事ぃ?ここ、ロクなもんないじゃないの」

「人間は私だけだからな。他の連中は、人間の食事はそんな食わないし」

「そう言うあんただって、まともな食事してるとは思えないわよ」

 

 基本的にいい加減な魔理沙は、料理に拘ってない。出るのは、食べられればいいというものばかり。アルビオンで四日間も野宿して、まだ似たような食事。ルイズの忍耐も限界に近づきつつあった。すると魔理沙から次の提案。

 

「んじゃぁ、学院に戻るか」

「戻れる訳ないでしょ。一応私、まだ出兵してる事になってんだから」

「バレねぇようにすれば、いいんだよ。マルトーのおっさんとシエスタだけ話通しておけば、なんとかなるって」

「なんとかなるって……」

「美味いもん、食いたいんだろ?」

「う……」

 

 言葉に詰まるルイズ。難しい顔をしながら心の中のせめぎ合いの末、食欲が勝利した。

 

 魔理沙とルイズは転送陣で学院に戻る。幻想郷組の僚に。魔理沙はさっそくドアへと向かった。

 

「二人分持ってくるぜ」

「あんた一人なのに、二人分頼んだら、変に思われない?」

「何とかするぜ」

「まあ……、そうするしかないんだけど……。ん?魔理沙」

「なんだよ」

「リボン変えた?」

 

 ルイズは指差しながら言う。魔理沙は右サイドから前に下した髪の先を、いつもリボンで結んでいた。それが今までの単色系から、複雑な柄の物になっていた。指摘された魔理沙の方は、何故か答えづらそう。

 

「ん?ああ……。気分転換みたいなもんだ」

「そう」

 

 白黒魔法使いの態度に、少しばかり首を傾げるルイズ。すると魔理沙は誤魔化すように、ドアへと向かう。

 

「んじゃ、行ってくるぜ

「あ、うん。頼んだわよ」

「おう。まかせろ」

 

 親指立てて、ウインクしながら出ていく魔理沙。彼女の態度に違和感を覚えながらも、ルイズは大して気にもせず見送った。むしろ気になるのは、ポカして食事を持って来られなくなる方だが。アルビオンでのチラシ配りの時の、自信満々に向かって結局ポカやったのが脳裏を過る。

 

「はぁ、大丈夫かしら」

 

 ため息一つ漏らし、窓の方へ向かった。外はすっかり星が上がっている。今の時間帯、学院では食事が終わった頃。いつもなら、生徒たちの談笑の声があちこちから聞こえているだろう。だが、こうしているルイズの耳に届く声は少ない。もちろん、ほとんどの生徒が出兵か帰郷してしまっているからだ。だが、彼らが戻るのも時間の問題だ。戦争はもう、終わったも同然なのだから。

 

「みんな無事に帰ってくるんだ……」

 

 ふとこぼした言葉に、ルイズ自身、何やら気恥ずかしいものを感じていた。皆を救ったという想いが胸を掠めて。

 あれ程の大艦隊同士がぶつかり合うのだ、戦闘になればただでは済まなかったろう。生徒だって、何人命を落としたか分からない。だが、もうそんな心配をする必要はなくなった。ルイズはあらためて、自分のやった事に感慨を深めていた。そして今回の作戦は、幻想郷メンバーの助けがなければ達成出来なかった事。何かの形で礼をしたい、なんて考える。

 その時、ノックが聞こえた。どうやら食事が来たらしい。ルイズはドアへと向かう。

 

「えっと……魔理沙?」

「……いえ、シエスタです」

「魔理沙は?」

「賄い所で食事中です」

「相変わらずねぇ」

「は、はぁ……。そ、そうですね」

 

 何やら、濁したようなシエスタの返事が気になるが、魔理沙の行いを見てればそう感じるのも無理もないと思う。ちなみにルイズもまたキュルケ達と同じく『魅惑の妖精』での一件以来、シエスタとそれなりに付き合いがあった。

 ともかく、ほぼ一週間ぶりのまともな食事とあって、ルイズはさっそくドアを開けた。だがそこにあったのは……憤怒のオーラ。もちろんシエスタのではない。その背後の人物の。マスクウーマンの。

 

「ルイズ……」

「か、か、か、母さま……」

「あなたは何故、ここにいるのですか」

「あ、あの……それは……」

「連合軍艦隊から、問い合わせがあったそうです。あなたが行方知れずになったと。まさかとは思っていましたが……」

「いえ……あの……」

 

 カリーヌは本気で怒っている。それがルイズには肌身に分かった。体中を針で刺される感覚に襲われる。阿修羅のような怒号は続いた。

 

「私が何のために道化のような姿までして、学院に来たと思ってるのですか!」

「そ、それは……その……」

「あなたが貴族としてしっかり役目を果し、無事に帰るためです!」

「は、はい」

「それが……役目を放り投げた上に、無断で艦隊から抜け出すとは……」

「…………」

 

 実はこれが、ルイズが悩んでいた大問題であった。

 ルイズは正式に将兵として戦争に参加したのである。当然、軍令に従わなければならない。軍の命令を実行しなければ命令違反、勝手に軍を抜け出せば脱走である。つい勢いで動いてしまったが、全てが終わってから気づいた。自分のやった行為は、重大な軍規違反だと。軍規についてはこの数か月、カリーヌから徹底的に叩き込まれていたので、余計にそれが重く伸し掛かっていた。

 ルイズ、命乞いでもするかのように、カリーヌへ必死の弁解。

 

「か、母さま!そ、その理由があるのです!」

「問答無用!」

 

 烈風の一喝の前に、ルイズ、絶体絶命であった。

 

 ちなみに何故ルイズが戻ってきたのがバレたかというと、外にいたカリーヌの使い魔、トゥルーカスが寮から外を見ていたルイズを見つけたから。

 

 

 

 




 次はティファニア即位の話になります。マチルダの登場も、次になってしまいました。



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奇跡かもしれない

 

 

 

 

 

 居合斬りかのように、カリーヌの杖が抜かれる。何度も見たその杖の先。ルイズに身を縛られる感覚が走る。

 

「か、母さま!話を……」

「問答無用と言いました」

 

 怒りを露わにしたままのマスクウーマン。対してルイズは、部屋へ下がりながらの必死の訴え。一方、シエスタは二人から離れた場所で、食事を抱えたままオロオロするだけ。

 

 聞く耳持たないカリーヌは、ルイズを追い部屋へと足を進める。そして……。

 

 がん。

 

 入れなかった。ドアは開いているのに。

 

「な!?何?これは!?」

 

 見えない壁にぶつかった。そうとしか思えない。実際触ってみると、確かに壁があった。思わぬ邪魔に、カリーヌはますます苛立ちを強くする。まさしく火に油。

 すると後ろのシエスタが、恐る々口を開いた。

 

「あ、あの……、ミス・マンティコア。その部屋はロバ・アル・カリイエの方々が魔法をかけてて、許可された人しか入れないんです……」

「何ですって!?」

 

 勢いよく、ルイズの方へ振り返るマスクウーマン。

 

「ルイズ!廊下へ出てきなさい!」

「ですから、話を……」

「出てこないというのなら……!」

 

 怒りに任せ、杖を振るう。『ウインド』が唱えられた。この結界は人の侵入を防ぐだけなので、他のものは素通り。当然、魔法で起こした風も。

 部屋の中に強風が吹き荒れる。

 

「うぎゃっ!?」

 

 一瞬で、吹き飛ばされるルイズ。部屋全体が洗濯機になったかのように、ちびっ子ピンクブロンドは撹拌され、壁に、天井に、あちこち跳ね飛ばされた。そして最後は床に突っ伏す。さすがは烈風カリンか。一番基礎的な風の魔法でも、この威力。しかも閉鎖空間での使用なので、威力は絶大。

 その様子を、後で見ていたシエスタは目が点。

 

「ミ、ミ、ミス・マンティコア!理由はよく分かりませんが、いくらなんでもやりすぎです!」

「おだまりなさい!」

「は、はい!」

 

 カリーヌの一喝に、シエスタ石化。脂汗垂らして、一歩も動けない。

 だが……、別の叫び声が突如乱入してきた。

 

「あーーーーーっ!なんだこりゃぁ!?」

 

 白黒魔法使い、魔理沙だった。食事から戻ってきたら、部屋がメチャクチャになっているのだ。ガサツな彼女でも、悲鳴を上げるのは無理もない。次に彼女の目に入ったのは二人。良く知ったシエスタと、見慣れぬマスクウーマン。

 

「てめぇか!」

 

 魔理沙、犯人を断定。マスクウーマンを睨み付けた。しかも、すでに八卦炉装備。カリーヌの方はというと、想定外の人物の登場に、一瞬気が逸れる。

 

「え?ミス・キリサメ!?」

「恋符『マスタースパーク』!!」

 

 こちらも問答無用だった。

 

 廊下が閃光で包まれる。光の奔流が、真ッ直線に突き進む。

 

「!」

 

 さすがのカリーヌも、廊下中を埋め尽くす魔砲は避けようがなかった。しかも至近距離での発射。どうしようもない。光の激流に巻き込まれる。ダムの放水口から放流の直撃を受けたかのように吹き飛ばされ、そのまま意識はフェードアウト。

 

 光が消え去った後に残るは、気を失っている二人。もちろん一人はカリーヌ。そして、とばっちりを受けた哀れなシエスタ。

 八卦炉を仕舞い、魔理沙は怒りを抱えたまま犯人に近づく。

 

「この野郎、なんて事しやが……」

 

 だが脚が止まった。犯人の顔を見て。『マスタースパーク』の衝撃のせいで、マスクが取れてしまったのだ。つまり今、魔理沙に見えているのは……カリーヌの素顔。

 

「え!?ルイズのかーちゃん?なんで??」

 

 魔理沙、瞬きできずにカリーヌを凝視。すると後ろから声が上がる。

 

「か、母さま!?」

「ルイズ、どこいたんだよ」

「母さまとシエスタ、大丈夫なの!?」

「気絶してるだけだぜ。弾幕ごっこ用のだからな。けど、何でルイズのかーちゃんがここにいるんだ?」

「あ……えっとね……。それは……」

 

 ルイズは、魔理沙達が幻想郷に帰っている間の出来事を話す。手短に。それから、部屋があの有様となった理由も告げる。やがて魔理沙とルイズは、カリーヌとシエスタを介抱。二人は目を覚ました。

 

「大丈夫ですか?母さま」

「ん……。ルイズ」

 

 状況をなんとか理解しようとするカリーヌ。何かとんでもない魔法に巻き込まれたハズ。そして、魔法の主の顔を思い出した。魔理沙の顔を。するとルイズの後ろから、その主の声が届いた。

 

「悪かったな。マスクしてたから、ルイズのかーちゃんだって分かんなかったぜ。けど、そっちだって悪いんだぜ。私らの部屋、あんなにしちまったんだから」

 

 魔理沙の親指が向いた先、部屋の入口からは荒れ果てた中の様子が垣間見られた。カリーヌはなんとか半身を起こすと、頭をさげる。

 

「それは……その……大変、申し訳ありません。その……気が立っていたもので……つい……」

「ルイズから聞いたぜ。勝手に軍隊抜け出したから、怒ったんだってな」

「ええ……まあ……」

 

 カリーヌらしからぬ歯切れの悪さ。規律違反を咎めようとして、自ら他人に迷惑かけては世話がない。

 もっとも、ここまで彼女が怒ったのは、軍規を破ったという点はもちろんある。だがそれ以上に、ルイズを思い彼女なりに尽くしたにも関わらず、それを無碍にされたような気持になったからだった。

 ただ、カリーヌとルイズの間に齟齬があったとすれば、カリーヌは母として娘を思ったと同時に貴族としての立場からも彼女を思っていた。立場を弁え、誇りを重んじる貴族として。一方のルイズは、カリーヌが単に母として自分を心配してくれたと考えていた。さらに幻想郷との関わりやこれまでの経験からか、貴族の矜持への意識が弱くなっていたのもあるのだろう。だいたいメイジとしても、系統が異質な虚無な上、日ごろから体術を磨いているという、妙な成長の仕方をしているので余計に。

 

 気持の置き場に困っているカリーヌの目に、床に正座して頭を下げたルイズの姿が目に入る。

 

「その……母さま!軍規違反してしまった事は反省しています!ですが理由があったのです。せめて、それだけでもお聞きください!」

「…………。分かりました。いいでしょう」

 

 魔理沙に吹っ飛ばされて頭が冷えたのか、カリーヌの気持に少し余裕が出ていた。やがてルイズ達は、幻想郷組の部屋へ入る。

 さて、無関係なのに散々な目にあったシエスタ。彼女には魔理沙が詫びを入れた上、魔理沙への貸しという事でとりあえず決着。彼女はルイズの代わり食事を取りに、厨房へと戻っていった。

 

 部屋の惨状の中、三人は倒れていた椅子を起こし座る。ルイズは神妙な顔付きで口を開いた。

 

「母さま、まず『サイレント』の魔法をかけていただけないでしょうか?」

「『サイレント』を?」

「はい」

「分かりました」

 

 カリーヌは、軽く杖を振る。風のスクウェアのカリーヌ。『サイレント』も並ではない。だが、同時にそれはルイズが国家機密レベルの話をすると、カリーヌは察した。

 ルイズは落ち着いて口を開く。

 

「神聖アルビオン帝国との戦争は、やる必要のない戦争でした。そのために命が失われるのを、見過ごす気にならなかったのです。しかも私は、戦争を止める方法知っていました」

「ならば、何故その方法を将軍達に提案し、正式な命令を持って動かなかったのですか」

「あ。えっと……その……つい、気持が先走って……」

「全く……。あなたという子は……」

「た、ただ……。説明しても、納得させるのは難しいと思います」

 

 思い起こせば、『アンドバリの指輪』の件について、将軍達を納得させるのは無理だ。女王であるアンリエッタでさえ、できなかったのだから。特にゲルマニア側は、思惑もあって戦争に参加している。彼らの意向を下げさせるのは、厳しかったろう。

 

 カリーヌはルイズの拙速を咎めずに、落ち着いて問いかけた。

 

「納得させられないのは、何故ですか?」

「それは……」

 

 それから『アンドバリの指輪』強奪と、その後の顛末、神聖アルビオン帝国消滅までの経緯についてルイズは説明する。カリーヌは神妙な顔つきで聞き入った。すべてが終わると、問題の根本をルイズは口にする。

 

「実は指輪の件、以前、陛下と枢機卿にもお話ししています。その時には、戦争にならないと伺いました。ですが後日呼び出された時に、枢機卿が覚えてないと言われるのです」

「それは……奇妙な話ですね」

「はい。理由は分かりません。陛下も戸惑っておいででした。その結果、出兵が決まってしまったのです」

「…………」

 

 腕を組み考え込むカリーヌ。ルイズはポツリと尋ねる。

 

「マザリーニ枢機卿が、嘘をついたのでしょうか?」

「確かに策を弄する方ですが、嘘をついてとぼけるというのはらしくありません。稚拙すぎる。それに……今回の戦争はどちらかと言えば、ゲルマニア有利に働いています。そんな手を、枢機卿が打つとは考えられません。あの方の、トリステインへの敬愛は本物ですから」

 

 現役時代、目の上のたんこぶとでもいうべきマザリーニを、よく知っているカリーヌならばの答えだった。

 

「いずれにしても、ここで考えても分かるようなものではないわ。ルイズ」

「はい」

「事情は分かりました。あなたが軍規違反をしたと知って、私も少々落ち着きをなくしていたのかもしれません。そこはごめんなさいね。ルイズ」

「え……は……はい」

 

 ルイズ、硬直。まさかカリーヌから、詫びを入れてくるとは。だがカリーヌの表情はすぐに戻る。

 

「何にしても軍規違反した事は確かです。私からはともかく、軍からの罰は受けねばなりませんよ」

「は、はい」

「艦隊へ急ぎ戻り、出頭なさい」

「はい……」

 

 予想はしていたが、いざ罰を受けるとなると気が重い。ルイズは、沈むようにうなずいた。

 その時、ルイズの背から聞き慣れた声が届く。

 

「なら、艦隊が、神聖アルビオン帝国がなくなったの確認できてからにしたら?」

「パチュリー……」

 

 振り向いた先に見えたのは、魔女二人と悪魔。パチュリーとアリスとこあだ。だが紫寝間着のアドバイスに、ルイズは渋い返答。

 

「でも、先伸ばしにする訳にもいかないわよ」

「手柄がハッキリしてからの方が、相手も罰しづらくなるわよ」

「あ、それもそうね」

 

 ぱんと手を叩き、急に明るくなるルイズ。罰が軽減される方法があると分かって。その様子を横で見ていたカリーヌ。ルイズに貴族の矜持が薄れてきたのは、この連中のせいかと実感していた。

 やがて一連の話は終わり、カリーヌは『サイレント』を解く。そして席を立とうとした時、不機嫌そうな声が耳に入った。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、これはどういう事かしら?」

 

 アリスがこめかみを震わせながら、聞いてきた。辺りの惨状を見まわしつつ。

 ここにはアリス達の私物も当然あった。特によく紅茶を飲むので、一式しっかり揃えてあった。だが全てがもはや破片。他にもいろいろと崩壊していた。犯人であるカリーヌ。顔が青くなる。

 さらに追い打ち。別の悲鳴が廊下から聞こえた。

 

「うわっ!?な、何事ですか!?これは!?」

 

 コルベールの声である。寮内での騒ぎを生徒から聞き、慌てて駆け付けたのだ。彼の眼に入った廊下は、酷い有様になっていた。『マスタースパーク』のせいで。ガラスは全て割れ、窓枠さえ壊れ、廊下を照らしていた魔法ランプも吹き飛んでいた。壁や天井にも被害が出ていた。ルイズ、カリーヌ、魔理沙は三者三様に頭を抱える。

 

 その後、関係者である、ルイズ、魔理沙、カリーヌ、そして巻き込まれたシエスタも学院長室へ呼び出された。ついでにアリス達も学院長室へ。いつも騒ぎを起こしていた魔理沙だけではなく、よりにもよってカリーヌまでが関係者。指導教官の面目丸つぶれである。

 学院長室では、オールド・オスマンの呆れと疲れが混ざったような説教が続く。さらに私物を壊された、アリスやこあからの文句も。そんな中、ルイズはだけは少しばかり面白がっていた。カリーヌが縮こまるように恐縮しているのを、初めて見たので。

 

 

 

 

 

 アルビオンのとある小さな村。そこに元トリステイン王国親衛隊隊長、元神聖アルビオン帝国竜騎士隊隊長、今はなんの肩書きもないジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドがいた。

 彼は今、奇妙な少女を組み伏せていた。女神かというような美しさと、最悪の妖魔、エルフの姿を持った少女を。エルフに見えるのに、杖を使おうとし、先住魔法を使わない少女を。ワルドはこの違和感に溢れた存在に、思案を巡らせるばかりだった。

 その時、頭に痛みが走る。

 

「痛!?」

 

 思わず頭を押さえたワルドの視界に、転がる石が入った。誰かが投げつけたらしい。同時に幼い声が届く。

 

「ティファニア姉ちゃんを放せ!」

 

 石や木の棒を持った子供たちが、彼をぐるりと囲んでいた。頭を抑えつつも、益々状況が掴めないワルド。警戒というよりは、当惑したまま子供たちを見渡す。すると、少女が叫び声をあげた。

 

「み、みんな逃げて!ここは何とかするから!」

「だけど、ティファニア姉ちゃん!」

「いいから!」

 

 声色から必死さがにじみ出ている。だがそれでも子供たちは、逃げようとしない。一方のワルドは、この光景を、唖然として眺めていた。旅芸人の三文芝居でも、見ているかのように。

 しかし、このどこか手ぬるい寸劇もここまで。

 

 突如、ワルドが吹っ飛んだ。背後から殴られて。そのまま3メイルほど吹き飛ばされ、木にぶつかる。

 

「な!?」

 

 子供の力ではなかった。大人、いや、それ以上の力で吹き飛ばされた。彼は、殴られた背を抑えつつ、立ち上がる。視線の先に2メイルほどのゴーレムがいた。ワルドの手を離れた少女は、そのゴーレムの背後に隠れる。子供たちも一斉にこの場から離れだした。ワルドは、どうやら真打が来たと察する。杖を握り直し、構えようとした。

 だが、その杖が叩き落される。振り向いた先に別のゴーレム。いや、それだけではない。足が何者かに掴まれている。視線を落とすと、土から手が生えていた。それが足を離さない。

 ワルドは察する。土系統のメイジが現れたと。しかもかなり手練れ。いくつものゴーレムを瞬時発生させ、巧に動かしている。同時に、確信した。この土系統のメイジの正体を。貴族専門の盗賊、"土くれのフーケ"であると。

 さっきの金庫にあった鉄の筒は、トリステイン魔法学院では"破壊の杖"と呼ばれていたもの。それは半年以上前に、土くれのフーケによって盗まれている。それがここにある。そしてこの数々の土系統の魔法。もはや答えは一つしかない。ここは土くれのフーケの隠れ家なのだと。

 だが、目の前にいる少女だけは、相変わらず謎のままだった。

 

 木陰から女性が現れた。緑かかった長い髪の女性が。明るい表情で、少女が女性に駆け寄る。

 

「マチルダ姉さん!」

「なんとか間に合ったようだね。ティファニア、大丈夫かい?右手、痛くない?」

「ちょっと痛いけど、大丈夫」

「そうかい。そりゃ、良かった。なら、さっそくで悪いけど、魔法かけてくれないかい?」

「え、あ、うん」

 

 ティファニアと呼ばれた少女は、杖を拾うと構えた。

 二人を前に、ワルドは抵抗をあきらめる。代わりに質問を口にした。

 

「待った。降参だ。魔法をかける前に、一つ聞かせてもらえないか?その少女は一体何者だ?」

「知った所で意味ないよ。どうせ、忘れちまうんだ」

「忘れる?」

 

 ワルドは、マチルダという女性の言う意味を理解しかねた。だが、そんな彼を余所に、ティファニアは詠唱を始めていた。それは聞き覚えのないルーンだった。魔法についても知識豊富なワルド。その彼が知らない魔法。益々目の前の少女の正体を、測り兼ねる。だがその時、ふと脳裏を過るものがある。ロンディニウムで聞いた話を。レコン・キスタが発生したそもそも原因を。その顛末を。

 

「ま、まさか……」

 

 ワルドが呟いたとき、ティファニアの魔法が放たれた。

 

 ティファニアの魔法が終わり、力を抜くマチルダ。杖を仕舞うと、頬を緩め少女の方を向く。

 

「お疲れさん。酷い目にあった……」

「マ、マチルダ姉さん……」

 

 だが、ティファニアは前を向いたまま、震えた声を漏らす。混乱した顔つきで。なぜなら、目の前にいた男が霞みのように消えて行ったのだ。同時にマチルダの顔色がゆがむ。

 

「チッ、偏在か!肝心の事を忘れてた。あいつ風のスクウェアだった!」

 

 マチルダは慌てて杖を抜きなおす。すると彼女達の背後、家の方から声がかかった。ワルドである。

 

「その様子だと、私の事は知ってるようだな」

「まあね。あんた、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだろ?」

「いかにも」

「何しに、こんな所に来たんだい?暇潰してる余裕なんてないだろ。とっととアルビオンから離れないと、マズイんじゃないのかい?」

「ほう、もうそんな状況か。この国は。だが、暇ならまだまだあるさ」

 

 男の言いように、マチルダは眉を潜める。しかしそんな彼女を余所に、ワルドはゆっくりと杖を収めた。ますます彼の意図が読めないマチルダ。

 

「どういうつもりだい?」

「話をしようと思ってね。杖を向けたままでは、息が詰まって仕方がない」

「ハッ!遣り合うつもりはない、とでも言いたいのかい?けど、その体も偏在だろうに」

「確かにこの身も偏在だ。だが敵意がないのも本当だよ。さて、さっきの質問だが、君達は何者だ?」

「…………」

 

 ワルドの質問に答えないマチルダ。その横でティファニアは、何が起こっているのか分からずおろおろするばかり。彼は言葉を続ける。

 

「これは私の予想だが、聞いてもらおうか」

「…………」

「ロンディニウムで聞いた話だ。レコン・キスタが起こった原因は、モード大公がエルフの愛妾を匿っていたからと。それを王であるジェームズI世が咎めたのが、全ての始まりと。やがてモード大公の一族は誅殺され、さらに公の重臣であるサウスゴータ卿一族までもが誅殺される」

「…………」

「また別の話も耳にした。モード大公には遺児がおり、サウスゴータ卿がその遺児を守ったために、卿も誅殺されたと」

「…………」

「そしてサウスゴータ卿には娘がいた。その名はマチルダ」

「…………」

「さて私の予想を言わせてもらおうか。君達……あなた方は、モード大公とサウスゴータ卿の遺児ではないのかな?そして、その少女は……虚無の担い手」

 

 ワルドは二人を試すかのような視線を向ける。ロンディニウムで聞いた話、ここで耳にした二人の名。土系統のメイジと、エルフの姿でありつつも杖を使うメイジ。そして見知らぬ魔法。それらを全て繋ぎ合わせる回答は、これしかなかった。

 しかしマチルダは急に笑いだす。小馬鹿にするように。

 

「ハハハッ!子供じみた想像力があるんだね。あんたも。こんな辺鄙な村に、公爵家と大貴族の生き残りが隠れ住んでるだって?しかも虚無の担い手だ?劇作家にでもなるつもりかい、ワルド」

「そうか。言いたくないか。まあいいさ。だがここで、一つだけ確かなものを見つけたよ」

「何が言いたい」

 

 マチルダの問いかけに、親指で部屋の奥を指すワルド。

 

「悪いと思ったが、家の中に入らせてもらった。そこで金庫を見つけてね。鍵も開いていたんで、中身を見たのだよ。そこに見覚えのある物があった。鉄の筒がね」

「……!」

「あの筒が元々あった場所では、ちょっとした騒ぎがあった。騒ぎを起こした張本人は……」

「おだまり!」

 

 杖を勢いよく振るうマチルダ。瞬時に詠唱。地面から土の拳が現れ、ワルドを握りつぶそうとする。しかし、このワルドも霧散していった。

 

「クッ!」

 

 歯ぎしりするしかないマチルダ。すると、また家の奥からワルドが現れる。これも偏在か、あるいは本体か、彼女には判別がつかない。ワルドは余裕を持って口を開いた。

 

「話を続けようか」

「……」

「ところで、この子供たちは何なのかな?見たところ、親の姿がないのだが」

 

 マチルダとティファニアの元に寄り添う子供たち。すると、ティファニアが一人の子の頭を撫でながらつぶやく。

 

「その……この子達はみんな孤児です。戦争で親をなくした。私たちが、この子達の面倒を見ていました」

「しかし、こんな辺鄙な場所で、これほどの子供たちを養うのは難しいのではないか?」

「えっと……それはマチルダ姉さんが、仕送りをしてくれてたんです」

「なるほどな、そういう事か」

 

 わずかに口元を緩める納得気なワルドを、マチルダは睨み付けた。

 彼女は自分のもう一つの顔、盗賊土くれのフーケについて、ティファニア達に明かしていない。それを知られる訳にはいかない。自分の持ってきた金が、実は汚れた金などと。とは言っても、目の前のメイジの口を塞ぐ手立ても見つからなかった。

 だがそんな彼女の考えを余所に、ワルドはまるで違う話をしだす。

 

「ミス・ティファニア。これからさらに、孤児達が増えるとしたらどうする?」

「え?増える?何故です!?」

「神聖アルビオン帝国は、もうすでに崩壊したからだよ。国の体を無くしたアルビオンは、混乱の時代に入る。戦争も起こるだろう。そうなれば、親を亡くす子供も増える一方だ」

「そんな……」

「ただ、あなたにだけは、それを止める術がある」

 

 ワルドはティファニアの顔を真っ直ぐ見ながら、語りかける。そのティファニアは、目を丸くしたまま戸惑っていた。しかしそこにマチルダが、鋭い声を挟む。

 

「ティファニア!こんなヤツの話に耳を貸すんじゃないよ!こいつは、汚い裏切り者なんだからね」

「ほう……。君がそれを口にするか」

「……」

「もっとも、私も君を非難できる立場ではないのは、分かっているよ。だが、あえて言わせてもらうが、君の稼業、これからも続けるつもりか?あんな危ない橋を渡るなど、そういつまでも続くわけでもあるまい。しかも君を失ったら、ミス・ティファニアはどうする?今度は彼女が、表に出ないといけなくなる」

「そ、それは……」

 

 口籠るしかないマチルダ。ワルドの指摘は全て的を射ていた。だが、すぐに鋭い目つきをワルドに向ける。

 

「そう言うアンタの考えも読めてるよ。ティファニアを利用するつもりだろ」

「もちろんその通りだよ。何故なら、私には虚無の力が必要だからだ」

「虚無の力?だから、クロムウェルなんかに引っかかったのかい。見る目がないね」

「返す言葉もないよ。だがそれでも必要だったのだ。虚無の力が」

 

 すると今度は、ティファニアが尋ねてきた。

 

「どうして、そこまで虚無にこだわるんですか?」

「そうだな、あなた方の素性を聞いておいて、こちらの話をしないのもフェアではないな。訳を話そう」

 

 ワルドは理由を打ち明ける。かつてアカデミーに所属していた母が、とある発見を切っ掛けに汚名を着せられ、自殺せざるを得なかった事を。その汚名を返上するためと。

 この話を聞き、ティファニアは感じ入っている。一方のマチルダは、疑いの目を向けたまま。それも当然。ワルドの言い分を証明するものが、何もないのだから。だが彼はそれをまるで気にしない。

 

「信じる信じないは勝手だ。ただ一つ確実なのは、ここアルビオンがまもなく大混乱に陥ると言う事。そしてその混乱を避けるには、しっかりした支柱が必要だと。それができるのは、ミス・ティファニア。あなたしかいないと」

「…………」

「もう一度、尋ねたい。あなた方は何者……いや、今は答えなくていい。返事は後で伺おう」

 

 急にワルドの目つきが変わる。だが向いているのは、二人とはまるで逆方向だった。怪訝に表情を曇らせるティファニアとマチルダ。ワルドは二人に言う。

 

「ここに近づく者がある。どうやら、乗ってきたドラゴンが見つかったらしい」

「何やってんだよ。迷惑な男だね」

「落とし前はつける。話はその後にしよう」

「そうだ。できれば、そいつは連れてきてくれないかい?」

「ん?何故だ?」

「下手に行方不明になると、困るからさ」

「…………。なるほど」

 

 ワルドは先ほど聞いた"忘れる"という言葉を思い出す。どうもティファニアの魔法は、記憶をいじる魔法らしい。それに確かに、マチルダの言う通りだ。もし近づく者が、どこかの軍の偵察だったら、始末して行方不明になった方が厄介な話になる。

 やがてワルドは家から出て、森の方へと向かった。

 

 風竜の側に金髪の少年が立っていた。女性なら、目を離さずにはいられないほどの美形の少年が。だが男でも、目を止めただろう。その左右の違う色合いの瞳に気づけば。彼はワルドのドラゴンに触れる、語りかけるように言う。

 

「君の主は、今どこに居るのかな?」

 

 すると不思議な事に、言葉が分かるのかドラゴンは首を主、ワルドが向かった方へと向けた。

 

「そうかい。ありがとう」

 

 少年は、ドラゴンさ指した方向へと足を進めた。だがその時、衝撃が背を襲う。

 

「うっ!?」

 

 息を詰まらせたような嗚咽と共に、少年は吹っ飛び気を失った。ほどなくして、彼に近づく影があった。ワルドである。ドラゴンが指した方向の逆から出てきた。このワルドは、見張り役の偏在。彼が『エア・ハンマー』で少年をふっ飛ばしたのだ。やがて本体のワルドも現れる。こちらはドラゴンが首で示した方からだった。

 ワルドは気絶している少年の側で、膝を落とすと身に着けているものを探り出した。マントがない上、杖もない。メイジではないらしい。次に服に縫い付けられた腕章を見る。

 

「連合軍の偵察隊か……。殺さなかったのは正解だったようだな」

 

 さらに探ると、別のものが縫い付けられているのに気づいた。さらに首飾りにも。

 

「これは……。ロマリアの神官か?となると……あのチラシはやはり真実なのか……」

 

 アルビオン中にばら撒かれたチラシには、宗教庁も連合軍に加担しているかのように書かれていた。この少年がロマリアの神官ならば、その証左となる。

 さらに探りを入れるワルド。しかしこれ以上は取り立てて探すものがなさそうだと、最後に右手の手袋に手をかけた。だが、急に手の動きが止る。目を大きく見開き、一点を見つめる。手袋から出てきた少年の右手を。

 

「な!?こ、これは……。まさか、この少年は……!」

 

 ワルドが見入っていたのは、少年の右手に刻まれているルーン。異様なルーン。しかし、彼は知っていた。このルーンを。虚無を求めた彼ならば。そのルーンには見覚えがあった。書物の中での話だが。このルーンを刻んだ者の名は『ヴィンダールヴ』。虚無の使い魔である。

 

「もしや……ミス・ティファニアの使い魔か?いや、断定は早計だ。とにかく連れて行こう」

 

 少年を身動きできないように縛り付けると、ワルドは彼を偏在に抱えさせ村へと向かった。

 

 村へ近づく者に対処するためワルドが去った後、ティファニアとマチルダは厳しい顔つきのまま、今起こっている状況を理解しようとしていた。やがてティファニアは、マチルダの方を向く。

 

「マチルダ姉さん……。あの人が言った事……この国の戦争が酷くなるって本当?」

「……」

「本当の事、教えて」

「たぶんね。近い内に、アルビオンはトリステインとゲルマニアに分割統治されるとは思うけど、そのまま治まるとは思えない。トリステインの女王は恋人を殺されたんでアルビオンを恨んでるだろうし、ゲルマニア皇帝は野心家だ。アルビオン貴族も、黙って他国の支配を受け入れるかどうか……」

「そんな……。それともう一つ。マチルダ姉さんは、危ない仕事してるの?」

「…………。安全とは言えないね」

「そう……」

 

 ティファニアは暗くうつむく。そして悔やむ。今までマチルダの苦労など、何も知らずにいた事を。対するマチルダは、口を強くつぐんだままワルドが向かった方を睨み付けていた。あの男さえいなければ、どうにでもごまかしようがあったのに、真実を半ば話すハメになった。だが一方で、彼の言う通り、いつまでもこんな状態が続けられると思えないのも確かだった。

 やがてティファニアは真っ直ぐ顔を上げる。覚悟を決めた顔つきで。

 

「マチルダ姉さん。私、ちょっと姉さんに甘えすぎだったかもしれない。だから、これからは私もがんばる」

「その前に聞きたいんだけどさ。あんた、あいつが何言ってたのか、分かってるのかい?」

「え?その……もっと子供達を助ける……かな?」

「分かってないようだね。あのワルドって男は、ティファニアにアルビオンの王様になれって言ってるんだよ」

「えええーーーーっ!」

 

 目が飛び出るような顔というのはこの事か。顎が外れるほどの驚きとはこの事か。ティファニアは、その女神のような美しさが、吹っ飛ぶほどの驚嘆を浮かべていた。

 

「な、な、なんでよ!?」

「あんたが、唯一の王家の生き残りだからだよ」

「だけど……私のお母さんはエルフよ……。そんな人が王様だなんて……」

「それは大丈夫さ。なんてったって、本物の虚無だからね。で、ここまで聞いて、どうする?ティファニア」

「それは……」

 

 事の大きさにようやく気付いた、ハーフエルフの少女。視線を落とし、黙り込む。体中を石のように固め、立ち尽くす。

 どれほどの時間が経ったろうか。長くも短くもない。そんな微妙な間の後、彼女はスッと顔を上げた。視線の先にあるのはマチルダ。覚悟を決めた瞳が向いていた。

 

「分かったわ。やる。王様。子供たちが、不幸になるのはやだから」

「いいのかい?あんたが考えてる以上に厳しいよ」

「かもしれないけど、もう決めたの」

「分かったよ。けど、私も付き合うよ。あんただけじゃ、とても無理だからね」

「マチルダ姉さん……」

「それに、そろそろ足を洗おうかとも思ってたし。いい切っ掛けかもね」

「足を洗うの?今?なんで?そんなに汚れてるの?」

「ははっ。そういう話じゃないよ」

 

 マチルダは笑って返す。その笑顔はどこか柔らかかった。

 

 やがてワルドが戻ってきた。二人のワルドが。マチルダ達の前に来ると、抱えた少年を下ろす。そして彼は偏在を解いた。

 

「やはり連合軍の偵察隊だったよ。そしてロマリアの神官だ。だが、それだけではない。なんと、虚無の使い魔だった」

「なんだって!?」

 

 マチルダは身を乗り出すように返す。ワルドは言葉を続けた。

 

「その様子だと、ミス・ティファニアの使い魔という訳ではないようだな」

「この子はまだ使い魔を持ってないよ。必要もないしね」

「そうか。さてと、どうする?」

「決まってるさ。全て忘れてもらって、何事もなく帰ってもらう」

 

 納得顔の二人が、そんな会話をしていると、少年が目を覚ました。

 

「う……」

「ん?起きたのか」

「あんたは……確か……。ワルド子爵……」

「その通り。トリステインの裏切り者を見つけて、君は大手柄という訳だ。だが、それを持ち帰る事はできない」

「殺すと言うのかい?」

「いや、忘れてもらう」

「忘れる?」

 

 少年は眉を潜めワルドを見返す。すると別の所から女性の声が聞こえた。

 

「ティファニア。頼むよ」

「うん」

 

 ティファニアは杖を構えた。そしてルーンを口にする。だが、そのルーンを耳にした少年の目が見開く。魔法をかけられる恐怖からではない。追い求めていたものが、ここにあると知って。

 

「ま、待ってくれ!君は虚無の担い手なのか!?」

「え!?なんで、分かったんです?」

 

 魔法を中断し、驚いて聞き返すティファニア。だが、それはマチルダやワルドも同じ。何故、彼女が虚無の担い手と気づいたのか。虚無の使い魔である事が関係しているのか。しかし、そんな彼らの思案を余所に、少年は縛られたまま身を起こす。

 

「僕の名は、ジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だ。そしてトリステイン・ゲルマニア連合軍に参加している」

「それは分かってる。だいたい、そのふざけた名はなんだ?もう少しマシな偽名を考えたまえ」

 

 ぶっきら棒に返すワルド。ジュリオ・チェザーレと言えば、歴史上、最も有名な人物の一人だ。それを平然と口にするとはと。しかしジュリオは、とりたてて気にしない。

 

「いつも自己紹介すると、そう言われるよ。でも本当の名前さ。僕は建前上では、アルビオン王家を滅ぼした連中の討伐に、神官として参加という事になってる。けど、本当の目的は別。虚無の担い手の確認が、僕の使命さ」

「何?」

 

 ワルドの眉間がゆがむ。ジュリオは続けた。

 

「そして見つけた、という訳だよ」

「何故わかった?」

「系統魔法にはないルーンだからね。忘れさせる魔法らしいけど、そんなもの系統魔法にはない。それに……虚無の魔法らしいルーンだ」

「フン。口では何とでも言える」

 

 風のスクウェアは杖を向けたまま、警戒を怠らない。彼が虚無の使い魔ならばなおさら、どんな力を秘めているか分からない。だがジュリオは、臆する事なく不敵に答える。

 

「なら、そこにいるお美しい御嬢さん……ミス・ティファニアが虚無の担い手と証明してみせるよ」

「何だと?」

「彼女と二人きりにしてくれないかな?」

 

 そんなジュリオの問いかけに、マチルダは鼻で笑っていた。

 

「ハッ。そんなもん許す訳ないだろ」

「なら耳元でささやくだけでいい。僕が妙なマネしたら、殺しても構わないさ」

「…………。分かったよ」

 

 マチルダは杖を抜くと、ジュリオに向ける。そしてティファニアへ、彼に近づくように言った。彼女はその長い耳を、ジュリオの口元に近づけた。マチルダとワルドは、杖を構え厳しい目で二人を見つめる。

 そしてジュリオは呟いた。虚無に纏わる詞を紡いだ。虚無の証となる詞を。それを耳にした彼女は、飛び跳ねるように驚く。

 

「そ、それです!その通りです!」

「じゃぁ、この続きを知っているかい?」

「は、はい」

「なら僕に、教えてくれないかな?お美しい御嬢さん」

「え……あ、はい……」

 

 歯の浮くようなセリフを堂々と口にするジュリオに、対して少々苦手そうな顔をするティファニア。ともかく、彼女は彼の耳元で囁いた。詞の続きを。美しい少女の甘い声が、少年の耳元に響いていた。だがジュリオの表情は、そんな甘美なものを受けたものではない。不敵さと任務達成の満足感に溢れていた。

 

「君は、まさしく虚無の担い手だよ」

「は、はぁ……」

 

 この儀式の意味が分からず、ティファニアは肩を縮めてうなずくだけ。ジュリオはマチルダ達の警戒を、まるで気にしてないかのように、二人に向かって言う。

 

「彼女が知っている詞は、虚無の担い手が系統に目覚めたときに聞くものだ」

「だったら、何故あんたが知っていたんだい?」

「僕も虚無に関わりのある者だからさ。僕は虚無の使い魔なんだよ」

 

 ワルドが言っていた通り。さらに今のティファニアとジュリオの会話。全く無関係な二人が、共通の詞を知っている。ジュリオの言う虚無の証明は、真実味を増していた。マチルダ達の表情が固くなる。

 ジュリオは相変わらずの飄々とした態度で、要求を口にした。

 

「さてと、ロープを解いてくれないかな?僕はこの事を宗教庁に伝えないといけない。そうすれば、ミス・ティファニアも宗教庁からの庇護を受けられるよ」

「ロマリアの庇護だって?」

 

 怪訝そうに返すマチルダ。

 

「今のロマリアなんて、なんの力もないじゃないか。そんなもんの庇護が、なんの役に立つんだい?」

「確かに、今のロマリアは中身のない器みたいなもんさ。でもその器の見た目は、まだまだ悪くないよ。使い方しだいさ」

「胡散臭い話だね。だいたい……」

 

 言いかけたマチルダを、制止する声が挟まれる。ワルドだった。

 

「待ってくれ」

「なんだい?」

「その前に、聞きたい事がある。先ほどの話の答えだ」

 

 彼が言っているのはジュリオを捕まえる前の話。二人の素性と、ティファニアがこれからどうするか。その問いの返答である。マチルダは息を飲むと、ティファニアの方を向いた。

 

「ティファニア。考えは変わってないかい?」

「うん」

「そうかい。なら何も言わないよ」

 

 そして女神のように美しい少女は、ワルドの方へ真っ直ぐ向いた。

 

「ワルドさん」

「はい」

「先程の話に答えたいと思います。あなたの言われる通りです。私はモード大公の娘です。マチルダ姉さんもサウスゴータ卿の娘で、私の命の恩人です。そして、そこの……ジュリオさんが言った通り、私は虚無の担い手です」

 

 それを聞き、意を得たりとワルドの目が大きく見開く。体が満足感に溢れ、震え上がる。喜びが体中を駆け巡り、弾けそうになる。

 すぐさまワルドは、落ちるように膝をつくと、頭を下げた。

 

「殿下!是非、私めの杖をお受けください!」

「ええっ!?」

 

 膝をついて杖を差し出すワルドに、ティファニア唖然。何をしているのか、さっぱり分からない。するとマチルダが言葉を添える。

 

「ティファニアの家来にしてくれ、って言ってるんだよ」

「け、家来!?そんな家来なんて、手伝ってくれるなら別に……」

「ダメだよ。ティファニア。これが、あんたが進もうとしてる道なのさ。受け取りな。一応は、使えるヤツだからね」

「……分かったわ」

 

 ティファニアはたどたどしく、ワルドの杖を受け取った。臣従の儀礼の形式をまるで無視したものだったが、アルビオン王国モード朝の最初の臣従の儀式だった。

 儀式の最中、ワルドにはまた別の驚きが渦巻いていた。

 

(なんなのだこれは!?たまたま寄った場所に、モード大公とサウスゴータ卿の遺児がいて、さらにその遺児が虚無の担い手だと?しかも虚無を証明できる神官が、このタイミングで訪れ、それがまた虚無の使い魔などと……。なんという偶然だ……。ありえない……。まさしく奇跡だ)

 

 その時ワルドの脳裏に一つの台詞が浮かぶ。兎耳を持った黒髪の少女、見かけに似合わない不敵な笑みを浮かべていた少女の台詞が。

 

 "幸運を与えに来たウサよ"

 

 という冗談のような台詞が。

 

(本当だ。あの妖魔の言ったことは本当だ。いや、妖魔にこんな真似ができるだろうか?エルフにすら不可能だ……)

 

 すると、妖魔という言葉とはまるで違うものが、浮んでくる。

 

(あの子は妖魔などではない……。そう天使……。天使だ!始祖ブリミルから遣わされた、本物の天使だ!)

 

 さらなる慶びがワルドを包む。

 

(私は始祖の加護を得たのだ!地上唯一の始祖の使徒となったのだ!始祖は望んでおられる。正義を行えと!"聖戦"をと!)

 

 頭を下げたままのワルド。その表情は歓喜に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 さて、ワルドが思い込んでいる始祖の天使は何をしていたかというと……。鬱蒼とした竹林を、だらだらと歩いていた。そして目的地に着く。馴染んだ我が家、永遠亭に。無遠慮に上がると、そのまま躊躇なく診察室へ直行。ドアの先には、いつも通りこの部屋の主がいた。宇宙人、八意永琳が。

 

「あら、お帰りなさい。早かったわね、てゐ」

「ただいまウサよ」

 

 始祖の天使の正体は、因幡てゐ。始祖ブリミルの天使どころか、ハルケギニア自体となんの関係もない妖怪うさぎ。てゐは少々疲れ気味に、患者用の椅子に腰かける。

 

「師匠から頼まれた用件、一応終わったウサよ」

「問題は?」

「なし。今回は少し本気だしたから、下手打ってないウサよ。魔女連中にも見つかってないし」

「仕込みは?」

「もちろん」

 

 てゐはそう言いながら、小箱を診察机に置く。ワルドが飲んだ薬が入った箱だ。月の英知と兎詐欺が仕組んだ手なのだ。この薬が、ただの自白剤な訳がなかった。

 妖怪ウサギは椅子の上で胡坐をかくと、口を開く。

 

「これで聖戦とやらは、必ず起きるウサ」

「聖戦は手段に過ぎないんだけどね」

「ふ~ん……。ま、私には関係ないウサ。ご褒美、頼んだウサよ」

「はいはい」

 

 永琳はわずかに笑みを浮かべていた。相変わらずの打算的な弟子に。その弟子は、やっと解放されたとばかりに背伸びをすると、気の抜けた態度で診察室を後にしようとする。そこに止める声がかかる。

 

「そうそう、てゐ。ハルケギニアに行った感想を、聞きたいんだけど」

「そうウサねぇ。妙な感じはしたウサよ」

「一言でいうと?」

「違和感がなかった」

「違和感がない……。そう。ありがとう」

「んじゃぁ、しばらく休暇って事で」

 

 こう言っても、てゐが永遠亭で定常的な仕事をしている訳でもないのだが。妖怪うさぎは背を向けたまま、ひらひらと手を振り診察室を出て行った。弟子を見送った永琳は、作業の続きを始め出す。そして一言つぶやく。

 

「違和感がないねぇ……。一応、紫と神奈子にも話しておこうかしら」

 

 ほどなくして月人は作業を終えると、診察室を後にした。

 

 

 

 

 




 今回は、丁度いい切りどころがなくって、結構長くなってしまいました。

 原作はで、研究者が知っている虚無の使い魔のルーンは『ガンダールヴ』以外は定かでなかったんですが、本作では『リーヴスラシル』以外は、知られているとしました。


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面白い違和感

 

 

 

 

 

 ティファニアとワルドの臣従の儀式を、後ろから見ていたジュリオ。水を差すような声を挟む。

 

「もしかして……ミス・ティファニアを旗頭に国を作ろうって言うのかい?」

 

 左右の色合いの違う月目が、不敵な光を放っていた。それを耳にしたワルド。ティファニアの方を向く。

 

「殿下」

「はい。もう決めました」

 

 ティファニアは強くうなずく。そしてジュリオへしっかりした言葉で告げた。

 

「あなたの言う通りです。王様になって、この国から戦争をなくします」

「ふ~ん……」

 

 わずかに口元を緩めるジュリオ。渡りに船とばかりに、大仰な笑顔で話しだした。

 

「だったら、なおさら僕の協力が必要なんじゃないかな?確かにミス・ティファニアは本物の虚無の担い手さ。でもね。こういう言い方はしたくないんだけど、パッと見エルフに思えてしまう。それじゃぁ、拒否反応を起こす人も出てくるんじゃないのかい?」

「そ、それは……そうかもしれませんが……、一生懸命説得します!」

「だからさ。僕がそれに手を貸そうって言うんだよ。ロマリアが、君の虚無を保証してあげるよ」

 

 胡散臭そうな飄々とした月目が、ティファニアを見る。だがその視線を遮るためか、マチルダが立ちふさがった。

 

「だいたい虚無を探し回って、ロマリアは何が目的なんだい?」

「妙な事を聞くなぁ。ブリミル信仰の総本山が、虚無を求めるのは当然じゃないか?」

「あんたの言いぐさからは、そうは聞こえないけどね」

「よく言われるよ。真剣味が感じられないって。軽そうに聞こえるのが悪いのかな」

「…………。舐めてんのかい?」

 

 マチルダの目つきがさらに厳しくなる。するとワルドが間に入った。

 

「待った、ミス・マチルダ。確かに、この者、どうにも信用が置けないが、言ってる事はうなずける。確かに殿下のお姿は、相手に警戒感を与えるかもしれない。だがロマリアからの証書なりがあれば、使い方次第で相手の警戒感を解く事もできる」

「…………」

「それに、殿下をここにいるわずかな人数で、王へ即位させようというのだ。力添えは多ければ多いほどいい」

「…………。分かったよ」

 

 憮然と腕を組むと、マチルダは面白くなさそうにうなずいた。そして縛られたままのジュリオを見下ろす。

 

「で、あんたを解放して、その後はどうするんだい?」

「できれば、ミス・ティファニアには、直に宗教庁へ来てもらいたい」

「なんだって?」

「さっき虚無の証明は、仮のものなのさ。正式な判定を受けて欲しい」

「…………」

「信用できないと言うなら、ミス・マチルダ。あなたも同行されてもかまいませんよ」

 

 今度は女性を魅了するような、朗らかな笑顔を向ける月目の少年。しかし、稀代の盗賊だった彼女の表情は緩まない。値踏みするような視線を、ジュリオに向ける。やがて一つため息をつくと同時に、緊張を緩めた。

 

「チッ……。分かったよ。確かに、こっちの手は限られてるからね。ティファニア。それでいいかい?」

「うん」

「じゃあ、私もついて行くよ。ワルドはどうする?」

 

 問いかけられたワルド。ほんのわずかの間考え込むと、顔を上げた。だが向いた先は、ジュリオの方。

 

「ジュリオ・チェザーレ……だったか。殿下には、6日以内にアルビオンへ戻っていただきたい。できるか?」

「6日だって!?」

「そうだ」

「そうだなぁ……。できなくはないよ」

 

 声色は難しさを語っていたが、彼は可能と答える。しかし、話を聞いたマチルダは、思わず上ずった声を張り上げていた。

 

「ちょっと!いくらなんでも6日で往復なんて、できる訳がないよ!だいたいなんで、そんなに急ぐんだい?」

「アルビオンの混乱がまだ小さく、しかも連合軍側が情勢を把握できない内に、王朝を形にしないとけない。これ以上混乱が広がっては、内戦は不可避になる」

 

 ワルドが、マチルダへ厳しい視線を向けていた。渋々うなずくマチルダ。一方のジュリオは相変らずの飄々とした態度で、ティファニアを見上げた。

 

「でもさ、旅はかなり厳しいものになるよ。御嬢さんは大丈夫なのかな?」

 

 その言葉と共に、ワルドやマチルダも彼女の方を見る。

 

「が、がんばります!」

 

 ティファニアは拳を握りしめ、強くうなずいていた。もっとも旅の経験がない彼女。アルビオン、ロマリア間を6日で往復するという意味が、まるで分かっていなかったが。そんな様子を見ていたマチルダ。渋い顔で準備を入念にしておかないと、考えを巡らせる。すると思い出したように、ワルドに問いかけた。

 

「そうだ。結局、あんたはどうすんだい?」

「私は同行しない。君らがロマリアへ向かってる間に、味方を増やす」

「どうやって?あんた、味方を増やす所か、見つかっちゃマズイだろうに」

「大丈夫だ。心当たりがある」

「本当かい?」

「もうサイは投げられたんだ。力を尽くすしかない」

「覚悟はあるようだね。分かった。任せるよ」

「うむ」

 

 やがてジュリオを拘束していた縄が解かれると、一斉に全員が動き出した。ジュリオは連合軍から風竜を一個小隊分、無断で拝借。すぐにウエストウッド村へ戻ると、ティファニア達を乗せ、ロマリアへ旅立った。村は子供たちだけになったが、1週間程度なら留守番できるとの事だった。

 

 一方のワルドは、ホーキンスの元へと向かった。武闘派の重鎮であり、人柄からしてもワルドを連合軍に突き出すような人物ではない。まずは、ここから説得しようというのだ。だが、説得はなかなか上手くいかない。行き詰まりを見せた6日目に、ティファニア達が帰還。彼女の虚無に、宗教庁からのお墨付きが付いた事が明らかに。さらにティファニアは、大変簡素であったが宗教庁ですでに教皇の手による戴冠式を済ませており、建前上ではすでにアルビオンの王となっていた。しかもホーキンスにとっては、見覚えのあるサウスゴータ公の娘、マチルダが伴っている。これらが功を奏し、彼は態度を一変させた。ティファニアへ臣下の礼を取る。

 

 国王ティファニア・モード、宰相マチルダ・オブ・サウスゴータ、国防大臣ホーキンス、そして外務大臣にはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが就いた。わずかな数の閣僚な上、王も宰相も外務大臣にも所領がない。しかし、アルビオン王国モード朝がここに成立する。それは神聖アルビオン帝国崩壊から、9日後の事だった。

 

 

 

 

 

 カリーヌとルイズ達がひと騒動起こした深夜。ルイズは、寮の自分の部屋にはいなかった。というのも、一応ルイズは出兵している事になっているので、寮にいる訳にはいかないからだ。結局、幻想郷のアジトでの寝泊まりとなる。しばらくは。

 部屋は、以前、レミリア達が来たときに作った臨時寝室。実は元々は物置だった。レミリアのいない今は物置に戻っている。多少物を片づけてスペースを作った場所に、簡単なベッドが置かれただけの部屋。ルイズはここで寝泊まりする訳だ。こんな粗末な環境だが、当人はぐっすり寝入っていた。あちこちで、野宿慣れしてしまったせいだろうか。

 

 朝となり、ルイズは魔理沙と共に学院へ出発。と言っても転送陣での移動なので、一瞬である。ただ寮の部屋から先には、当然出られない。少々ストレスの溜まる生活だった。ちなみにこのルイズの状況を知っている学院関係者は、カリーヌ、オスマン、コルベール、キュルケ、タバサ、シエスタ、マルトーだけ。

 

 やがてシエスタが部屋に入ってくる。明るい声と明るい笑顔が、近づいてきた。

 

「おはようございます。魔理沙さん、ミス・ヴァリエール。朝食を持ってきましたよぉ」

「お、悪いな」

 

 魔理沙が読んでいた本を畳み、ソファの上に放る。いつもは魔理沙が、厨房に直接行っているので、食事を持ってきてもらうなんて経験は初めてだった。シエスタは慣れた手つきで、テーブルの上に食事を並べる。

 

「いいんですよ。これもお仕事ですから」

 

 ルイズは並べられた食事を見て、気力が抜けていくような顔つき。

 

「また、こういうのなのね……」

 

 いつもの貴族らしい食事ではなく、昨日と同じ、魔理沙がいつも食べる平民レベルのもの。シエスタが慌てて頭を下げる。

 

「申し訳ありません!ミス・ヴァリエール。その……生徒のみなさんが食べるものは、必要分しか発注してないので……。後で数が合わなくなりますから……」

「私は、戦争行ってる事になってるもんね。いいわよ。隠れてる身じゃ、贅沢いえないから。それにワザワザ、持ってきてもらってるし。手間かけさせるわね」

「ミス・ヴァリエール……?」

「何よ?」

「い、いえいえ。なんでもありません」

 

 シエスタ、ごまかすように首を振る。

 給餌として、1年の頃からルイズを見ている彼女。この食事にルイズがヒステリーを起こすどころか、感謝までしてくるのに驚いていた。ルイズとはそう親交が厚いという訳でもないので、以前の彼女の変わり様を初めて実感したのだった。そんなルイズに、シエスタの表情も緩む。

 

 その時、魔理沙が何かに気づいたのか、ルイズの後に視線をずらす。ルイズも釣られるように振り向いた。部屋の奥に、人影があった。

 

「あら、鈴仙。おはよう」

「…………」

 

 いたのは鈴仙・優曇華院・イナバ。月の妖怪兎である。ルイズはいつものように挨拶したが、口を結んだまま何故か鈴仙答えず。

 すると急に、身を落とす。床に這いつくばっていた。というか……土下座していた。

 

「まこと、申し訳ありません!この度は大変、ご迷惑をおかけしました!」

「え……?」

 

 ルイズ、一瞬、呆気に取られるが、次の瞬間にはその意味を理解した。

 

「あっ!」

「……」

「そうよ!『始祖のオルゴール』と『風のルビー』!」

「は、はい!本当に申し訳なく思っています!」

 

 ひたすら平謝りの鈴仙。ヘタレ耳も詫びているように、床にペッタリ張り付いている。

 その様子を見ていたシエスタ。何やら厄介事が始まりそうだと察し、食器は後で取に来ると言って逃げるように部屋を後にした。

 

 床にキスでもするのかというくらい、文字通り平身低頭な玉兎。覚悟を決めて身を縮めている。だが聞こえてきたのは、ルイズの激高した怒声ではなく落ち着いた声。

 

「訳はパチュリー達から聞いてるわ。師匠に命令されたんだって?」

「あ、はい……まあ……」

「命令じゃぁ、仕方ないわね。とりあえず許してあげるわ。それに『風のルビー』だけは戻ったし」

「え!?」

 

 思わず顔を上げる鈴仙。同時に魔理沙も、訝しげな声を上げていた。

 

「ルイズ。戻ったってなんだよ?」

「あれ?話してなかったっけ」

「ああ」

「アンドバリの指輪の話に関係してるんだけど、その話をした日に、陛下から伺ったのよ。いつのまにか宝石箱に、『風のルビー』があったんだって。いつからあったのかまでは、分からないっておっしゃってたわ」

「何だそりゃぁ?」

「私だって、訳分かんないわよ」

 

 王宮で起こった、二つの奇妙な出来事。アンドバリの指輪奪還を忘れたマザリーニと、消えた風のルビーがアンリエッタの宝石箱にあった件。この所のキュルケ達の転送騒ぎといい、どうもおかしな事が続いている。幻想郷なら異変というべき類のものが。

 

 そんな空気を、ルイズは仕切りなおすかのように言った。

 

「とにかく、そんな訳だから。鈴仙の事情は理解してるわ。だから、もう謝らなくっていいわよ」

「えっと……その……ありがとう」

 

 鈴仙はバツが悪そうに立ち上がる。するとポケットから、ガラスの小瓶を取り出した。そしてテーブルの上に置く。中には小さな黒い球が、いくつかあった。

 

「えっと……これ、師匠からのお詫びの品。ルイズに渡すようにって言われたの」

「何、これ?」

「万能薬……って聞いたわ。瀕死の重傷を一瞬で治したり、身体能力が5倍になったり、変身できたりするんだって」

「変身!?何それ?」

「姿かたち所か、声も服まで変わっちゃうそうよ。全然見分けつかないって。ただ、これもだけど能力が上がるのも、半時ほどしかもたないって言ってたわ」

「けど、変身するって言うだけでもすごいわよ……」

 

 ルイズは感心しながら手にすると、舐めるように小瓶を眺める。入っている丸薬の数はわずか数個。しかし、ハルケギニアでは絶対に手に入らない、貴重なもの。わずかに息をのむルイズ。

 やがて小瓶を置くと、鈴仙の方を向いた。

 

「でも、詫びを入れてくるなんてね。一応悪いと思ってるのね。弟子に物、盗めって言うくらいだから、悪びれない人かと思ったわ」

 

 幻想郷の連中の性格を、身を持って知っているルイズ。鈴仙の師匠、永琳もその手の類かと考えていた。すると同時に、不安が彼女の脳裏を過る。

 

「あ、そう言えば、ちい姉さまの治療。鈴仙の師匠に頼んだけど……大丈夫なの?」

「うん。安心して。そういうの師匠はちゃんとやる人だし。患者に迷惑かけたりしないわ」

 

 もっとも、患者じゃない相手には、何をするか分からないが。

 ルイズとしては少々心もとないものの、他に選択肢がある訳でもなし。目の前の玉兎の言う事を、信じるしかなかった。

 

「分かったわ。まかせる。それで、師匠は後から来るの?」

「ううん。治療は私がやるの。薬も道具も一式、持ってきたから」

「そう。お願いするわね」

 

 引っかかりはあるものの、人柄も知っている鈴仙がやるなら一安心だ。何よりも、長年家族を悩ませていたカトレアの病気が治る。そう思うと、ルイズの気持ちも軽くなっていた。

 一旦話は終わったのだが、鈴仙にはまだ何かありそうな表情を見せる。そして遠慮気に口を開いた。

 

「それで、ちょっとお願いがあるんだけど」

「何?ちい姉さまの治療のためなら、なんでもするわ」

「ああ、カトレアさんの事じゃないの。タバサのお母さんの事なんだけど」

「タバサの?」

「タバサのお母さん、ヴァリエール家で預かれない?」

「何で?」

「できれば、二人同時に治療したいの。容態を見るのに、ヴァリエール領とラグドリアンを往復するのも手間がかかりすぎるし。一方が完全に治ってからってのも、長引いちゃった場合も考えておかないといけないし……」

「うん、分かったわ。丁度、学院に母さまいるし。頼んでみる」

 

 ルイズは心よく返事を返す。家族に病床の者を持つ同士。タバサに共感するものがあったのだ。

 全ての授業が終わった後、ルイズはタバサを伴って、カリーヌもとい、ミス・マンティコアの居室へ向かった。

 

 

 

 

 

「ダメです」

 

 カリーヌから出てきた解答は不許可。思わず身を乗り出し、詰め寄るルイズ。

 

「何でですか!?タバサの母さまは、本当に症状が重いんですよ!タバサもずっと苦しんできたんです!」

「…………」

 

 しかしカリーヌ、答えず。表情を変えないまま、タバサの方を向いた。

 

「ミス・オルレアン」

 

 カリーヌはあえて、タバサの本名で呼ぶ。ちなみに本名はタバサ自身が明かした。事情を明かすために。

 

「話を伺った所、あなた方一家はガリア王家の預かりとなってる様子。違う?」

「…………はい」

「ならば、あなたの母君が移動する場合は、ガリア王家の許可が必要では?」

「……はい」

 

 タバサは小さくなってうなずく。ルイズ、この話が出た意味がよく分からない。彼女が戸惑っているのを察するように、カリーヌが口を開く。

 

「ルイズ。つまり、ガリア王家に黙って我が家に連れて来れば、誘拐となるのです」

「え……」

「しかも、ガリア王家直轄の方々に手を出すのです。最悪の場合、トリステインとガリアの戦争にもなりかねません」

「う……」

 

 口ごもるルイズ。言われてみればそうだった。以前、あまりに簡単にタバサの実家に入れたので、ガリア王家が関わっているという印象があまりなかった。しかしタバサは母親を王家の人質に取られているからこそ、汚れ仕事を負わされていたのだ。しかも、タバサの母親を治す許可を出せるのは、ガリア王ジョゼフのみ。ガリアから離れては、母親が治る見込みがない。だからこそ、見張りがいない状況にも関わらず、タバサは母親を他へ移す事ができなかった。

 

 さらにカリーヌは言葉を続ける。

 

「ミス・オルレアン。話はこれだけでは終わりませんよ。仮にあなたの母君が治ったとして、その後どうするつもり?」

「…………」

「症状が治らないからこそ、見張りのいない状態で済んでいるのよ。もし治ればガリア王家は、おそらく警備の厳しい場所へ母君を移すでしょう。少なくとも、自由に母君に会うという訳にはいかなくなるわ。それに、解毒の原因を探るための厳しい追及もあるでしょうし」

「…………」

 

 ますます俯くタバサ。そう、症状を治した後があるのだ。カリーヌの言う通り、ラグドリアン湖畔の屋敷で、今までと同じように暮らすという訳にはいかない。

 しばらく黙り込んだ後、タバサは厳しい顔つきを上げた。

 

「身分を捨てて、隠れ住む。農民でも行商人でも、なんでもやる」

「タ、タバサ!」

 

 自棄になったかと思い、慌てた声を上げるルイズ。しかしタバサの声は落ち着いていた。

 

「母さまと普通に暮らせるなら、他はどうでもいい」

「…………」

 

 ルイズ、言葉に詰まる。重い表情のタバサを見つめたまま、何も出てこない。思わずカリーヌの方を向くルイズ。懇願するように。しかし母親の態度は、変わらなかった。

 

「そうですか。覚悟はあるようね。ただ悪いのだけど、それでもヴァリエール家があなたに手を貸す事はできないわ」

「…………。理解している。煩わせて申し訳ありませんでした」

 

 タバサは立ち上がり頭を下げると、部屋を出て行った。ルイズは部屋からいなくなるまで彼女を視線で追う。そしてすぐに母親の方へと向いた。強い声を上げつつ。

 

「母さま!」

「ルイズ。貴族は、領民の命と暮らしを担っているのです。私情だけで動いてはなりません」

「……」

 

 ルイズはカリーヌの言葉に、黙り込むしかなかった。

 

 その後、教師や生徒達の眼を盗んで、キュルケに会いに行った。もちろんタバサの母親の件で。たが、キュルケの方は両親との折り合いが悪く、彼女自身が望んでも話がすんなりと進むかどうかは不透明との返答。ただキュルケ自身は、やるだけの事はやってみると言っていたが。

 

 

 

 

 

「あー!もう!なんであそこまで頭が固いのかしら!」

 

 ルイズは喚いていた。幻想郷組のアジトのリビングで。

 

「でもカリーヌの言う事も、分かってるんでしょ?」

 

 アリスが紅茶を味わいながら答える。それに頬を膨らまし、憮然とするしかないルイズ。

 

「分かってるわよ。分かってるけど!」

「苛立ちのやり場に、困ってるって訳ね」

「うー……」

 

 ルイズ、アリスの図星な返答に唸るだけ。ルイズの脇では、鈴仙がため息ついていた。

 

「でもこうなると、治していいのかどうかも、分からなくなっちゃったなぁ」

「治していいに決まってるでしょ!」

「でもその後は?タバサが農民になっても構わないの?」

「え……」

 

 こちらも答えられない。

 

 カリーヌの話は分かる。確かにタバサ一家、オルレアン家にはガリア王家が深く関わっている。そして王家は、未だオルレアン家から目を離していない。もし、どうでもいいと考えていたなら、タバサが汚れ仕事を請け負う事もなくなっていただろう。だが、そうはなっていなかった。そんな立場のオルレアン家に手を出せば、戦争の理由になる可能性もある。ようやくアルビオンとの戦争に目途が立ったのに、また別の戦争の原因を作る訳にはいかない。

 しかし、それでもタバサの実家で聞いた話、あの時のタバサを思い出すと、こうして何もできない事に苛立ちを覚えずにいられなかった。ルイズ自身、気づかない内に彼女に親近感を抱いていた。

 

 やけになって紅茶をガブ飲みしているルイズの所に、近づく人影が二つ。パチュリーとこあだった。

 

「あらルイズ」

「パチュリー」

「やけに荒れてるわね。何かあった?」

 

 やたらとティーポットから何杯も紅茶を注いでいるルイズに、紫魔女の目が止まる。眠そうな目を見開いて。アリスに問いかけるように視線をずらすが、彼女は肩を竦めるだけ。鈴仙も同じくどうしようもないといった感じ。そんな二人を余所に、ルイズは一気にカップに入っている紅茶を飲み干し、ソーサーに戻した。

 

「ちょっと聞いてよ。タバサの母さまなんだけど……」

 

 パチュリーとこあは休憩ついでに、ルイズの愚痴を耳に収める。紫魔女はいつもと同じように表情を変えずに、こあの方は指先をいじりながら悩ましい顔で。

 やがて一通りの話が終わると、魔女は手にしたティーカップを置いた。

 

「なるほどね」

「確かに母さまの言う事分かるわ。分かるけど……なんて言うか……なんとかなのよ!」

「ふ~ん……。でもそれなら、手はない訳ではないわ」

「え」

 

 パチュリーの返事に、ルイズの苛立った表情がパッと消え失せる。期待一杯に、彼女へにじり寄るルイズ。

 

「何、何?なんか方法があるの?」

「要は、タバサの母親が完全に行方知れずになればいいのよ。探すのを諦めるしかないほどに」

「どういう意味?」

 

 ルイズ、訳が分からない。眉を潜めるだけ。すると、アリスの納得したような声が出てきた。

 

「そっか、その手があるわね。オーソドックスな手だけど、ハルケギニアなら悪くないわ」

「それも、ガリア相手ならなおさらよ」

 

 含みを持った表情で、言葉を交わす二人。ルイズの方は、益々何の話をしているのか分からない。

 

「なんなのよ!?教えてくれてもいいじゃない!」

 

 ルイズの不満顔に、二人の魔女は笑みを並べる。そしてパチュリーが楽しそうに口を開いた。

 

「神隠しよ」

 

 その答えに、首を傾げるだけのルイズ。パチュリーは一口だけ紅茶を含むと、話を始めた。

 

「向こうじゃね、完全に行方知れずになった者を、神隠しにあったって言うのよ」

「だから何よ?"神隠し"って」

「文字通りよ。神様に攫われた、隠されたって意味。神様のしでかした事だから探しようがない。そういう行方不明よ」

「え……。幻想郷の神様って、そんな事してんの?」

「そうじゃないわ。そうね。あえて言えば、見つからなかった時の詭弁、言い訳かしら」

「なんだ」

「けど、幻想郷だもの。それを本当にやる妖怪もいるわ。神の仕業じゃないから、単なる誘拐だけど」

「性質悪いわね」

 

 こうは言ってるが、ルイズは幻想郷ならあるかもとか思っていた。すると彼女の意図に気づいたのか、ぱんと両手を叩く。

 

「そっか!タバサの母さまを神隠しにあわせるのね」

「ええ」

 

 パチュリーはカップを置きながら、相変らずの態度で答える。一方のルイズ。方法があると少しばかり喜んだが、次の疑問が浮かんだ。

 

「でもハルケギニアじゃぁ、神隠しなんて考え方ないわよ。どうするのよ?」

「その点は大丈夫。それに、この手はガリア相手だから使えるの」

「なんで?」

「ま、細かい話は後にしましょ。その前に、私としては、タバサの母親を連れて来るのに手を貸してもいいわ。ただし、いくつか条件があるのだけど」

「条件?なんでも言ってよ」

「まずは天子をしばらく借りるわ。あなたのパートナーは……衣玖にでも頼んでおくから」

「うん。別に構わないわ。だいたい、使い魔のくせにどこ行ってんのか分かんないくらいだし。いつもの事だけど」

 

 天子に対する愚痴っぽく返すが、胸の内では少々拍子抜けのルイズ。思ったより大した頼みではないので。しかし話には続きがあった。魔女は表情を変えずに告げる。

 

「後、タバサにも頼みごとが出るかもしれないわ。事前に話を通してくれないかしら」

「タバサに?そっか。確かにいろいろあるかもしれないわね。それで、何頼むの?」

 

 タバサの家族に関する話だ。彼女自身が、いろいろと動かないといけないのは当然だろう。ただパチュリーの勿体ぶった口調が、少し気になったが。そしてその気がかりの通り、目の前の紫魔女はとんでもない事を言い出す。

 

「ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿に忍び込む、手引きをしてもらいたいの」

「ええっ!?」

 

 ルイズは身を少し乗り出したまま、固まっていた。

 

 

 

 

 

 日の高い澄み切った空を、悠々と飛ぶ姿が5つ。だがその速度は尋常ではなく、風竜の最速に近いもの。しかも飛んでいるのは、風竜ではない。その正体は何の事はない。幻想郷の一行である。パチュリー、魔理沙、アリス、天子、そしてパチュリーの使い魔のこあ。青い空、海の上を真っ直線に進む。彼女達が向かっている先は、アルビオンだった。

 解せないという顔つきの天子が口を開く。

 

「ねぇ、なんでアルビオンに向かってんの?ルイズから、ガリア絡みで手伝えって言われたんだけど」

「私は、あなたの手を借りたいって言っただけよ。別にガリアだけじゃないわ」

「はぁ?この天人様を、いいように使おうとか考えてんの?」

 

 今にも帰りそうなほどの、憮然とした表情を浮かべる天子。しかしパチュリー、まるで意に介さない。

 

「あなたには、虚無に関わるものを探知して欲しいの。それだけよ」

「虚無に関わるもの?」

「『緋想の剣』を使えば、虚無関連を見つけられるでしょ?」

「あ~、できるねー。うん」

 

 天子は思い出すようにうなずく。

 以前彼女は、アンドバリの指輪奪還の時、ロンディニウムで風のルビーと始祖のオルゴールの存在を探り当てた。緋想の剣は吸い込んだ気に対応した、天候変化をもたらす事ができる。その応用で、気の判別も可能なのだった。

 大した頼みじゃなさそうだと分かると、天人は機嫌を戻す。

 

「虚無絡みを探しにって、何で?」

「ほら、鈴仙が幻想郷に『風のルビー』と『始祖のオルゴール』持っていこうとして、失くしたでしょ?」

「そんな事あったんだ」

「あったのよ。その内一つ、『風のルビー』はアンリエッタの宝石箱の中にいつのまにかあったそうよ」

「ふ~ん……。それで?」

「残りの『始祖のオルゴール』を探すの」

「ルイズに返すため?」

「それもあるけど、むしろ行方に興味があるのよ。一連の現象を解く、糸口になるかも知れないわ」

 

 ここでいうパチュリーの一連の現象とは、ルイズの幻想郷出現に始まり、シェフィールドの転送などの、幻想郷とハルケギニアで起こっている不可解な出来事の話。元々ハルケギニアを調べるのが、神奈子が転送陣作成を手伝う条件だった。彼女自身もハルケギニアそのものを研究していたので、いい切っ掛けという訳だ。さらに魔理沙は虚無関連を研究していたので、当然参加。アリスの方はガーゴイル研究が行き詰っている上、彼女自身も興味があったので参加している。特に興味のない天人だけは、つまらなそうにうなずくだけ。

 

 次に天子と入れ替わるように、魔理沙の箒がパチュリーの元へ近づいてくる。

 

「けどなんでオルゴールがあるのが、アルビオンって見当つけたんだ?」

「キュルケ達が幻想郷から戻って来た時、元居た場所じゃなかったでしょ?」

「まあな。キュルケとコルベールはコルベールの研究室、タバサは実家、ギーシュはモンモランシーの部屋」

「全て縁のある場所に飛ばされてるわ。そして『風のルビー』も、持ち主の恋人だったアンリエッタの部屋」

「だったら、同じ理屈でオルゴールも、アンリエッタの部屋にあってもよくないか?」

「風のルビーは、彼女の恋人がよく身に着けていたそうよ。でも、さすがにオルゴールはそうはいかないでしょ?ずっと宝物庫に、置かれてたんじゃないかしら」

「風のルビーとは、違うか……」

 

 すると今度はアリス。

 

「確かに……前にロンディニウムに行った時には、地下にあったわね。ただ、あそこにずっと置かれてたか分からないわよ。なんで縁があるって、考えたのよ」

「考えなんてないわよ。ただ元々王宮にあったんだから、また王宮かもと考えただけ」

「当てずっぽって訳ね」

 

 肩を竦める人形遣い。だが七曜の魔女は、取り立てて腹を立てる訳でもなく話を続けた。

 

「それに……メンヌヴィルがいるかもと思ってね」

「メンヌヴィル?」

 

 意外な名前が出てきて、魔理沙もアリスも思わずパチュリーを注視。

 

「キュルケ達が戻ってきたんだから、彼も戻ってると考えるのは当然でしょ?もっとも、その場所が分かる訳もない。ただ彼は、私たちのせいで一文無しになったから、稼がないといけないでしょ?傭兵の彼を雇う国、戦争しているのはアルビオン、トリステイン、ゲルマニアだけ。でもトリステイン、ゲルマニアでは手配されてるから、行けるはずがない。となると残るは、アルビオンだけ」

「なるほどな。けど、会ってどうするんだよ」

「転送の経緯を、聞きたいのよ」

「その後は?」

「どうしようかしら。王宮に引き渡して、アンリエッタにまた借りを作るってのも悪くないわね」

「そりゃぁいい。そうしようぜ」

 

 白炎の名で恐れられた傭兵も、異界の魔女達にとっては単なる調査対象にすぎなかった。彼の能力はほとんど知っていた上、高機動戦闘に弱いという点が、レミリアとの戦いでバレてしまっているからだ。高機動戦闘は、幻想郷の住人には基本中の基本。彼女達の相手になるハズもなかった。

 もっとも当の本人は、ハルケギニアにはいない。影も形もなくなっている。だが彼女たちが、それを知っているハズもなかった。

 

 遮るもののない空を飛ぶ異界の人妖達。気持ちのいい空だが、魔女達は少々難しい顔つき。溜まったモヤモヤを吐き出すように、アリスが口を開く。

 

「一連の現象って、どう考えてる?」

 

 わずかにアリスの方へ視線を寄せる、魔理沙とパチュリー。まずはパチュリーが話を始める。

 

「その前に、その一連の現象って、どこまで含めるの?」

「やっぱり地震がキーだと思うのよ。不可解な現象の前後には、必ず地震が起こってるし。となると、天子とデルフリンガーの件、シェフィールドの件、キュルケ達の件、そして始祖の秘宝の件じゃないかしら」

 

 アリスの答えに魔理沙はうなずく。しかしパチュリーは、表情を変えない。一言あるような様子。するとアリスは、その一言を引き出すかのように尋ねる。

 

「原因の見当は、ついてるの?」

「今のところは、なんとも言えないわね。私は、虚無が絡んでると考えてるのだけど。その虚無の効果が自然発動したのか、虚無に関連した何者かがやったのか判別しようがないわ」

「何者かがやった?どうやって?だいたい、タイミングが絶妙すぎでしょ。シェフィールドの時は吹き飛ぶその瞬間だし、キュルケも殺される寸前、秘宝のときだって、転送されるまさにその時じゃないの。場所もバラバラ。四六時中、ハルケギニア全土を見張ってるっていうの?そんな事できるって、一体どんなヤツよ」

「いくらでも想定できるでしょ?幻想郷なら紫や萃香、守矢の二柱にもできるんじゃないかしら。範囲を限定すれば、レミィにだってできるわよ。本人のやる気は別にして」

「ハルケギニアには、そのレベルの人外はいないわよ」

「いるかもしれないじゃない」

「例えば?」

「始祖ブリミル」

 

 パチュリーの答えに、言葉を詰まらせるアリス。予想外の名が出てきて。だがすぐ、呆れたように返した。

 

「なるほど、神様ね。確かにそれならできそうだわ。居たらの話だけど」

「あら?幻想郷の住人の言い様とは思えないわ」

「ここは、幻想郷じゃないもの」

「研究者なら、あらゆる可能性を考慮すべきよ」

 

 紫魔女の指摘に、人形遣いは渋い顔。だが、そこに白黒魔法使いの声が挟まれる。

 

「待てよ。パチュリー」

「何?」

「その前に、なんで虚無が絡んでるって考えてんだよ。確かに、天子、シェフィールド、秘宝の件は虚無絡みだぜ。けどキュルケだけは違うだろ?しかもタバサとギーシュ、コルベールとメンヌヴィルも飛ばされてる。全員、虚無絡みってのは、さすがにないだろ」

 

 魔理沙の指摘にアリスもうなずいていた。しかしパチュリーは、淡々と言葉を返す。

 

「まず、キュルケ達が虚無に関係していないって言い切れるほど、調べてないわ。それに……」

「それに……なんだよ」

「あの件だけ、場違いな感じしない?あれを一連の現象に含めていいものかどうか、考えるべきだと思うわ」

「けど、地震と幻想郷に飛ばされたって事実はでかいぜ。入れる方が自然だ」

「なら、魔理沙はどう考えてるのよ?」

 

 腕を組み黙り込む魔理沙。やがて、言いづらそうに口を開いた。

 

「ルイズ」

 

 ポツリと漏れてくるその言葉。一瞬、顔をしかめるパチュリーとアリス。アリスが怪訝そうに尋ねた。

 

「何よそれ?どういう意味?」

「無理やり共通項を見つけようとすると、それしかないって話だ」

 

 アリスは口ごもる。確かにその通りではある。天子はルイズの使い魔、シェフィールドとメンヌヴィルはルイズの敵、キュルケ達はルイズの友人で、始祖の秘宝はルイズの大切な預かりもの。だが、それが何を導きだすのかは、見当もつかなかった。

 するとパチュリーが、続いて口を開いた。

 

「それなら、もう一つあるわね」

「何よ」

「私たちよ」

「……」

「起こった現象は、私たちの周りでばかりだわ。もし関係なかったら、ロマリアの神官やサハラのエルフが、幻想郷に転送されてもいいでしょ?でも、そんな事は起こってない。そもそも一連の現象は、私たちがハルケギニアに来た後からだし」

 

 これもまた誰もがうなずける事だった。魔女達は口を閉ざす。わずかな間の後。アリスが話を進める。

 

「私たちだけじゃなくって、幻想郷側にも何かあるかもね」

「今の所は、目立ったものはなさそうだけど。幻想郷側で気にかかる事って言えば、むしろ紫達の方だし。連中が何やらかしそうな気がするわ」

「転送現象を一番嫌がってるのは、紫って聞いたし。彼女達がこっちに手を出したら、ろくでもない騒ぎになりそうだわ」

 

 実はすでにやかしているのだが。永琳がてゐを使って。もっともパチュリー達が、それを知る由もなかった。

 

 いずれにしても、誰もが反論を出せないキーワードは二つだけ。ルイズと幻想郷。その組み合わせが、何を意味するのか。ここで出てくるものは何もない。それに、一連の現象は自然現象なのか、人為的なのか。人為的としたら、手を下した主は何者なのか。もしかしたら……。次々と並ぶ疑問。異質な違和感に襲われるパチュリー達。だが、同時に三人共わずかに笑みを浮かべていた。

 魔理沙が不敵につぶやく。

 

「なんか収まり悪い感じだけどな。気分はそう悪くないぜ」

「そうね。少し楽しいかも」

「むしろ面白いテーマだわ」

 

 魔女たちは三者三様に、心を躍らせる。高揚感を抱えたままアルビオンへと急いだ。

 ちなみに同行していたこあと天子は、それほど楽しそうではなかったが。特に天子は、とても退屈で仕方なかった。

 

 

 

 



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神隠し

 

 

 

 

 『始祖のオルゴール』を探しに、アルビオンに向かったパチュリー達だったが、結局収穫なしで戻ってきていた。廃村のアジトで、疲れを癒す一同。紅茶を飲みつつ、アリスが話を切り出した。

 

「それで、これからどうする?」

「予定通り、ガリアへ探しに行くわ」

 

 パチュリーが、紅茶の味を楽しみながら返す。

 

「タバサに手を借りるって件は?あの子の母親、助けるの条件でしょ?彼女、それでいいって?」

「話はまだ持って行ってないけど、鈴仙から聞いた話だと、やっぱり母親を助けたいそうよ。十中八九、こっちの条件飲むでしょうね」

「平民になっても、かまわないって訳ね」

「そうね」

 

 タバサが身分を捨てる覚悟をしたというのに、ここの連中は大して気にしていない様子。元々身分に興味がない上、個人主義の幻想郷の者たち。本人が選択したなら、他人が口出しすべきではないと考えていた。

 魔理沙が空になったカップを弄びながら、疑問を一つ。

 

「助けるのはいいが、手はどうするんだよ」

「言ったじゃないの。神隠しに合わせるって」

「具体的な方法の話だぜ」

「神隠しって言ったら、決まってるでしょ?」

 

 紫魔女は、相変わらずの落ち着き払った態度だが、口元は緩んでいる。

 

「八雲紫にやらせるのよ」

 

 同時に怪訝な顔つきになる魔理沙とアリス。横に並ぶユニゾン状態。

 紫がそんな頼みを聞く訳がない。だいたい、ハルケギニアに来るはずがない。そのつもりなら、とうに来ている。来る気はないのにハルケギニアが気になるから、神奈子達との会合に顔を出しているのではないか。魔理沙とアリスには、パチュリーの言った意味がよく分からなかった。

 

 

 

 

 

 深夜に差し掛かかろうとしていたガリア王国の王宮、ヴェルサルテイル宮殿。頭を抱えている女性が一人いた。ガリアの虚無、ジョゼフ王の使い魔、シェフィールド。脳裏に浮かんでいるのは、ジョゼフとの謁見の出来事。アルビオンから逃げ帰ったすぐ後の。

 

 

 

 シェフィールドの口から神聖アルビオン帝国崩壊の報告を聞いた時、ジョゼフの反応は薄いものだった。

 

「ほう……。滅んだのか。あの国は」

「誠に申し訳ありません!力及ばず、このような首尾となってしまいました。どのような罰も覚悟しております!」

「まあ良い」

「し、しかし……!」

「欲しかったものは、すでに手の内にある」

 

 ジョゼフはそういいながら、脇に置いてある『始祖のオルゴール』の蓋を、愛おしむように撫でる。

 

「それに、そろそろ潰そうと思っていたしな。もうあの国は飽きた」

「……」

 

 飽きたという主の言葉に、ただうなずくシェフィールド。

 確かに、アルビオンという土地が欲しくて策を仕掛けた訳ではない。だが、数年かけた策をこうも簡単に捨ててしまうとは。もっとも、こんなジョゼフの気まぐれはいつもの事ではある。それに何よりも、今回の大失態を責めるでもないのだ。主には、感謝と謝罪、そして敬愛の気持ち以外などあるはずもない。

 やがてジョゼフはオルゴールから手を離すと、シェフィールドの方を向く。

 

「それにしても、ミューズ」

 

 ジョゼフだけが呼ぶシェフィールドの名、ミューズ。それを口にしながら、興味ありげに彼女を見ていた。今までの気の抜けた声色も、張りのあるものに変わっていた。

 

「どうやってトリステイン、ゲルマニアごときに、落とされたのだ?お前にしては、らしくない」

「申し訳ありません……。実は『アンドバリの指輪』を盗まれてしまったのです……。さらにそれをアルビオン中に知らされてしまい、結果、クロムウェルが逃げ出しました。その後は報告した通りです……」

「ハッ!なるほど、なるほど。確かにあの指輪を奪われては、全て台無しだ。よく気づいたな。目の付け所がいい。連中も中々やるではないか」

 

 笑いを浮かべながら、彼女の言い分を楽しんでいるように見える。あたかも、二転三転するスポーツ試合を見て喜んでいる観戦者。文字通り他人事の態度。

 

「しかしミューズの目を盗んで、指輪を盗むとなるとかなりの手練れだな。なんだ、例のトリステインの虚無か?」

「関係はしているでしょうが、おそらく主犯は虚無ではないかと」

「ほう……。それほどのメイジがいたのか。大したヤツだな」

「いえ、メイジではありません」

「ではなんだ?平民なのか!?いや、妖魔という線もあるな。何にしても、なかなか興味深い」

 

 ガリア王は大げさに喜びながら、膝を叩く。対してシェフィールドは、重い表情のまま。

 

「陛下。メイジでも、平民でも、妖魔でも、精霊でも、ありません」

「ではなんだ?残るは、始祖くらいしかいないではないか。まさかブリミルが現れた、などと言うのか?」

「いえ……そうではなく……」

「なんだ、もったいぶらずに話せ」

「はい。では……主犯と考えているのは……、ヨーカイです」

「ヨーカイ?なんだそれは?」

「陛下。今からする話をお聞きになった後、私の正気を疑うかもしれません。ですが、まぎれもなく私の身に起こった出来事です」

「ふむ。面白そうだな。よし、話せ」

「はい……」

 

 それからシェフィールドは、ヨーカイとの最初の遭遇について話だす。レミリア達との戦いに始まり、そして幻想郷へ飛んだ事、さらに紅魔館での体験、そしてハルケギニアに戻ってくるまで。知っている全てを話した。

 ジョゼフは最初、茶化しながら楽しそうに聞いていたが、やがて神妙な顔つきとなる。話が終わった頃には、黙り込んでいた。シェフィールドは、静かに告げる。

 

「全て、事実です」

「……そうか」

 

 青い髭に手をやると、ジョゼフは黙り込んで考え込む。しばらくして口の端を吊り上げた。

 

「楽しい、楽しい話だ。余は、その異界の者どもを手に入れたくなった」

「え!?ヨーカイをですか?」

「そうだ」

「し、しかし……」

「例のトリステインの虚無とも関係しているというのだろ?なら、一石二鳥ではないか」

「は、はい……。確かに……」

 

 シェフィールドは仕方なさそうに頭を下げる。王の、虚無の主からの命である。断れる訳もない。もっとも、以前から虚無に関しては、担い手を探し出すよう命令が出ていた。当然、トリステインの虚無、ルイズにも手を出さねばならない。ヨーカイ達と再び会いまみえるのは、必然とも言えた。彼女にとっては、避けようのない宿命だった。

 

 

 

 ヴェルサルテイル宮殿は静まり返り、灯りもほとんど消えた。彼女の執務室を除いて。その中でシェフィールドは相変わらず、考え込んでいた。腕を組んで。

 幻想郷ではチルノなどの妖精、風見幽香や八雲紫と言った大妖と対峙し、他にも直に会ったヨーカイもそれなりにいた。さらに美鈴から、幻想郷の人外の説明も受けている。正直な話、手持ちのカードであの連中をなんとかできる自信がない。さらに以前、レミリア達に捕まった時、彼女達はシェフィールドから情報を聞き出そうとしていた。彼女達も、自分を求めているのだ。下手をすれば、ミイラ取りがミイラになりかねない。

 

「チッ……。こうもヨーカイに関わるようになるなんて……。呪いにでもかかっているのかしら?」

 

 愚痴を零しながら、何か手はないかと資料を広げ思案に暮れる。

 

 こん。

 

 その時、窓に何か当たった音がした。小石が投げられたような……。

 つい振り向くシェフィールド。

 

「!?」

 

 何かがいた。

 ……ような気がした。だが何もいない。外は庭園と星空が広がるだけ。窓を開け、周囲を見渡すが人影はなし。聞こえるのはフクロウの鳴き声くらい。首を捻りながら部屋へと戻る。気負いすぎて、過敏になっているのかもしれない。気持ちを落ち着けるように、大きく一呼吸入れ、席に座る。

 すると視界に奇妙なものが入ってきた。一筋の線が。線が宙に浮いていた。

 

「な!?」

 

 その一筋の線はやがて広がり穴となった。その穴の向こうには、暗がりが広がっていた。無数の目に溢れた世界が。

 

「こ、これは……!」

 

 シェフィールドは飛び跳ねるように立ち上がると、その穴の向こうに見入る。彼女はこれと同じものを一度見たことがある。かの幻想郷で。

 するとその穴から、何かが出てきた。降りてきた。それは女性だった。美しい金髪をナイトキャップで覆い、白いドレスに奇妙な図形の描かれたエプロンらしきものをしている。シェフィールドは息を飲むと、その者の名を口にする。

 

「ヤ、ヤ、ヤクモユカリ……」

「あら、憶えていてくれたの。お久しぶりね」

 

 八雲紫。

 幻想郷で、シェフィールドが会ったヨーカイの中でも、最も得体のしれない存在。

 

「な……何しに来た」

「断りを入れておきたくて」

「断り?」

「ええ。オルレアン公の奥方、あなた達が預かってるんでしょ?シェフィールドさん」

「そ……そうだが……。何をするつもりだ!?」

 

 声を絞り出すように、答えるシェフィールド。知らぬうちに、冷や汗が肌から湧き出ている。手を強く握りしめている。一方の紫は、優雅な佇まいのまま言葉を連ねた。

 

「だから断っとこうと思ってね。彼女、いただいていくわ。幻想郷に」

「何!?何のためにだ!?」

「サンプルよ」

「サンプル……だと!?」

「ええ。それじゃぁ、伝えたわ。シェフィールドさん」

「ま、待て……!……ん?」

 

 思わず手を伸ばすシェフィールド。だが、この緊張感の中。妙な違和感がシェフィールドを襲う。ふと、思いついたままつぶやいた。

 

「シェフィールド……”さん”?」

「……!」

 

 突然、顔色の変わる紫。さっきまであった優雅さは、どこへやら。すると突然、ごまかすように急に威嚇しだす大妖。やけに大げさに。

 

「そ、そんなに気になるなら、あなたもいっしょにつれて行こうかしらね!」

「……!」

 

 反射的に後ずさるシェフィールド。脳裏に思い出される、あの訳の分からない世界。顔には狼狽が滲み出ていた。そんな彼女を前に、わずかに笑みを湛え、ゆっくり瞼を閉じる紫。もっとも余裕の態度というよりは、安心したかのようだが。

 

「遠慮するみたいね。まあ、いいわ。それでは、オルレアンの奥さまはいただいていきます。御機嫌よう」

「き、貴様……!」

 

 だが紫はその言葉を最後に、吸い込まれるよう宙に空いた穴へと入っていく。目玉に溢れた世界に。そして、全て吸い込まれると、穴は閉じていく。やがては、全て痕跡もなく消え去った。

 静寂に包まれた深夜に戻った執務室。その中で呆然としているシェフィールド。不意に我に返ると、歯を強く噛みしめ歪んだ形相を浮かべる。

 

「おのれ……おのれ!」

 

 高ぶった感情のままテーブルに拳を叩きつけると、大股でドアへ向かい、廊下に出る。それから、脇目も振り返らず足を急がせた。

 

 さて、誰もいなくなったはずのシェフィールドの執務室。そこに人影が一つあった。シェフィールドでも八雲紫でもない。今までいなかった人物が。その人物は、胸をなでおろしながら、大きく息を吐いた。一仕事終わったとばかりに。

 

 

 

 

 

 シェフィールドが八雲紫と対峙した時間と同じ頃。ラグドリアン湖畔、オルレアン家宅、タバサの実家。この家を取り仕切っている執事ペルスランは、すでに眠りについていた。

 しかし……。

 

「……ん?」

 

 ふと、爆発音らしき音に目を覚ます。薄らと目を開け、ぼやけた頭で聞き耳を立てた。

 

「気のせい……」

 

 首を傾げそうになった彼の耳に、再び爆発音が届く。さすがに飛び起きるペルスラン。

 

「な、何事!?」

 

 布団を跳ね除け、すぐさまガウンを羽織る。火をつけたろうそく立を手にし、廊下へと出て行った。

 静まった深夜の廊下で、耳を澄ます老紳士。すると、何やらかすかな物音がする。しかもそれは、この屋敷で最も尊い人物の部屋の方。

 

「奥様!」

 

 思わず貴人の呼称を口にするペルスラン。その部屋とはタバサの母親、オルレアン公夫人の部屋だった。ガリア王により毒を飲まされ、狂人と化してしまった彼女の。その貴婦人を守るのは、この執事の最も重要な役目だった。

 部屋に飛び込む老紳士。すぐにオルレアン公夫人を探す。視線を向けたベッドには、夫人の姿はない。しかし、すぐに夫人を見つける。窓の側にいた。床に倒れていた。傍らに立つ女性の足元で。

 得体のしれない女性が、そこに佇んでいた。

 

 彼女は笑みを湛え、わずかに頭を下げる。

 

「はじめまして。私、ヤクモユカリと申します」

「……!?」

 

 戸惑うペルスラン。一瞬、賊かと思ったが、それにしては堂々としている。むしろ違和感ばかりが湧いてくる。

 ヤクモユカリと名乗る女性は、奇妙な姿をしていた。金髪をまとめたナイトキャップをかぶり、白いドレスに、奇妙な図形が描かれたエプロン。少なくとも彼は、こんな服装を見た事がない。ペルスランはその異様な外観に、眉間を険しく寄せる。

 

「な、何者ですか!?」

「さっき言ったでしょ?ヤクモユカリよ」

「ヤクモユ……何?」

「しっかり覚えてよ。ヤクモユカリよ。いい?ヤ・ク・モ・ユ・カ・リ」

 

 何故か名前を覚えてもらいたいかのように、念を押すヤクモユカリ。だがペルスランにとっては、名前などはどうでもいい事。彼が守るべき女性に、目を移す。どうやら眠っているようで、危害を加えられた様子は見えない。わずかに胸を撫で下ろす執事。しかしすぐに、表情を厳しくする。

 

「奥様を、どうするつもりです!?」

「預かりに来ましたの。この方に興味があって」

「預かる……。誘拐すると?そのような真似、許しません!」

 

 ペルスランはその老体の身など忘れたように、この得体のしれない女性に飛びかかった。しかしヤクモユカリはわずかに笑みを浮かべると、右手に持った扇子を軽く振る。するとペルスランの目の前から、ヤクモユカリが消えた。

 

「え!?」

 

 何が起こったか分からない。なぜヤクモユカリが消えたのか。いや、消えたのではなかった。すぐに老紳士は理解する。消えたのは自分の方だ。なぜなら彼が今見えているものは、リビングだったからだ。いつの間にか、リビングに来ていた。

 

「いったい……?これは……?」

 

 一瞬で、オルレアン公夫人の寝室からリビングに移動させられた。そう考えるしかなかった。

 だが、まだこれで終わりではない。次の瞬間には、リビングが消えた。そして再び、ヤクモユカリが現れる。そう再び寝室に戻っていた。またもや一瞬で。

 

「!?!?!?!?」

 

 ペルスランには言葉がない。胸に湧く感情を、どう表現していいのか分からない。

 

「分かったでしょ。無駄な抵抗は、おやめなさい」

「……」

 

 理解不能な状況。理解不能な相手。しかしそれでも、老紳士の忠誠と敬愛、そして執事の誇りが揺らぐことはなかった。

 

「あなたが何者か存じません。しかし何者だろうと、奥様を渡すわけには参りません!」

 

 しわがれた体から、全ての力を絞りだすペルスラン。得体のしれない相手に突進する。しかしその時、ヤクモユカリの前に黒いものが現れた。それは突然光り、真っ直ぐ彼に向かってくる。光弾が直進してくる。

 そして直撃。

 

「うっ!」

 

 ペルスランの腰にヒット。老紳士は、弾き飛ばされ倒れこむ。腰に走る痛みに、顔を顰める。激痛というほどではないが、この老体には大きなダメージだ。

 だが、これで諦める訳にはいかない。歯を食いしばり、再び立ち上がろうとする。すると、慌てた声が飛び込んできた。ヤクモユカリの。

 

「だ、大丈夫!?怪我してない!?」

「あ、いえ……。お構いなく。怪我などしておりません」

「よかったぁ……」

「老骨ながらも、まだまだ体に自信は……え?」

 

 ついいつもの調子で、返事してしまう執事。しかし、ハタと我に返る。何故、ヤクモユカリが、自分の怪我を心配してくれているのかと。そして見上げた先の女性から、さっきまであった異質感が吹き飛んでいた。露骨に動揺したように見える。二人の間に、奇妙というか滑稽というか、なんともいえない空気が漂っていた。

 

「……?」

「……あ」

 

 だがすぐに、何かを思い出したのか、元に戻る女性。声を上げて笑いだしていた。

 

「オ……オーホホホホホッ!こ、これで分かったかしら。余計な真似をすると痛い目に合うわよ!」

「……。そ……それでも私は、お嬢様からこの家を預かっている身。下がる訳にはまいりません!」

 

 再び、なんとか立ち上がる老執事。腰の痛みに耐えつつ。それはドラゴンに立ち向かう勇者の様。一方、ヤクモユカリの方は少しばかり焦りが浮かんでいた。ポツリと小声でこぼす。愚痴をもらすように。

 

「……参ったわ。このお爺さん、根性ありすぎでしょ。ここまでしつこいなんて。もう、ここまでかしら」

 

 一つ息をのみ、彼女は手を後ろに回す。すると、彼女の後ろのドアが突然開いた。誰も触れていないのに。

 

「そろそろお暇するわ」

 

 余裕の笑みで、わずかに会釈するヤクモユカリ。奇妙な状況に、足が止まるペルスラン。

 しかし……そこから何も起こらない。ヤクモユカリは余裕のある表情は崩さないが、何故か冷や汗を浮かべだす。またまた小声で愚痴。

 

「ちょっとぉ、何やってんのよぉ……」

 

 目の前の女性が何やら口にしているが、そんなものは老執事の耳には入らない。彼が考えるべきものはただ一つ。夫人を救うだけである。やがて前に進む事を決意するペルスラン。

 

 だがその時、異様なものが現れる。ヤクモユカリの背後に。無数の眼を浮かべた、暗い紫紺のものが。それが彼女を包むように広がっていく。

 

 老紳士の勇気を込めたその身は、石化を食らったかのように動かない。

 

「な……!?」

 

 またも得体のしれない状況。ヤクモユカリの方はというと、すっかり最初の頃の態度に戻っていた。

 

「それでは、御機嫌よう」

「お、お待ちなさい!」

 

 しかし老紳士の声は届かず。一瞬で、ヤクモユカリ、そしてオルレアン公夫人は消え去った。さらに彼女の背後にあった、奇妙な紫紺のものも消え失せる。

 気づくと、全ては元に戻っていた。夜の静寂に包まれた屋敷へと。夫人がいない点を除けば。

 

「な……なんという……」

 

 力なく、膝を落とすペルスラン。

 

「お、お嬢様に……、お嬢様に急ぎお知らせせねば!」

 

 力の抜けた身を奮起し立ち上がると、すぐに部屋に戻る。この事実を伝えねばならないと。トリステインにいる彼の主、タバサこと、シャルロット・エレーヌ・オルレアンに。

 早速、遠出の準備をし始める。だが、はたと手を止めた。

 

「……いや、無理か……」

 

 ここにある馬は年老いており、遠出できるほどの体力がない。もちろん日々の生活には、それで十分なのだが。そもそもペルスランの歳では、昼夜問わず旅など無理だ。だが、泊まりながらでは時間がかかりすぎる。誰かに頼むかも考えたが、他に男の使用人はいないこの家。若い者に頼むという訳にもいかない。近所の者たちも、ほとんどが農民。馬も農作業用のものしか持っていない。もちろんドラゴンなどあるはずもない。

 

「朝一で、手紙を頼むしかないか……」

 

 老紳士は肩を落とす。しかしすぐに気持ちを切り替えると、そんな暇はないとばかりにすぐに机に向かった。そしてペンを走らせる。

 

 手紙を書き終えたが、一睡もできず夜明けを待つペルスラン。ようやく日が昇ろうとした時、激しい音が廊下から聞こえた。扉に拳を打ち付けるような音が。

 

「ん!?何事?」

 

 慌てて廊下へ出る執事。耳を澄ますと、叫んでいる声が聞こえてきた。

 

「すぐにここを開けろ!」

 

 女性の声だが、さっきの得体のしれない者ではないようだ。すぐにペルスランは玄関へと向かう。

 

「どなたでしょうか?」

「ガリア王家直属の使者だ!」

「なんと!?左様ですか」

「いいから開けろ!」

 

 怒声を浴びせる女性。慌てて、執事はドアを開ける。その先には、疲れ切ったような黒髪ロングの女性がいた。どこか慌てた様子で、尋ねてくる。

 

「オルレアン夫人はいるか!?」

「夫人!お、奥様は……奥様は何者かにさらわれました!」

「遅かったか……!賊はどんなヤツだ!?」

「”ヤクモユカリ”と名乗る、得体のしれない女性です!」

「!!」

 

 女性の名を聞いた途端、使者は激しい歯ぎしりとともに、強く拳を握りしめる。怒りの向けどころに困っているように。

 

 それからシェフィールドと名乗る使者は、ペルスランから詳しい話を聞く。話を聞けば聞くほど、絶望感に表情を曇らせる彼女。無理もない。彼の言う人物のしでかした事は、シェフィールドの記憶にあるヤクモユカリそのものなのだから。彼女は竜騎士を乗り継ぎ、夜間、4時間以上も飛んでここに来た。その結果がこれ。全ての疲れが倍になったほどの無力感が、シェフィールドを襲う。

 

 一通り聞き終えたシェフィールドは、リビングで肩を落とし無言のまま。老執事は、おごそかに礼をすると告げた。

 

「それでは夜が明け次第、この件をお嬢様に知らせたいと思います」

 

 そう言ってリビングを出て行こうとしたペルスラン。すると何かを思いついたのか、シェフィールドが彼を呼び止める。さっきの疲れ切った顔つきも、生気を取り戻していた。

 

「その必要はないわ」

「しかし……」

「私が伝令を出します。その方が早いですから」

「お願いできるのですか?」

「ええ」

「それは願ってもない事。よろしくお願いいたします」

 

 ペルスランは深々と礼をする。

 オルレアン家に仕える執事としては、ガリア王家にあまりいい印象は持っていない。しかしこんな人物もいるのだと、多少考えをあらためる。

 

 一方の、シェフィールド。もちろん親切心から伝令を言い出した訳ではない。策を一つ思いついたからだ。全ての懸念を解決できるかもしれない、画期的な策を。その前に、確認しなければならないものがある。タバサとヨーカイの関係だ。

 実は、ジョゼフからヨーカイを手に入れろと命令を受けた時から、ルイズについて多少調べていた。するとまず出てきたのは、ルイズ周辺に何人かの怪しげな人物が存在するという報告。そしてタバサが、ルイズと親交があるというものだった。これはタバサが、ヨーカイを知っている可能性を示唆していた。だがそうではない可能性もある。トリステイン魔法学院では、ルイズ周辺の人物はロバ・アル・カリイエ出身という話になっているからだ。

 それを確かめるために、伝令を受けたのだった。もしタバサが来なければ母親誘拐について知っていた事となり、ヨーカイとの繋がりがある。ヤクモユカリはタバサの依頼で動いたとなる。来れば誘拐は知らないとなり、ヨーカイとの繋がりはない。誘拐はヤクモユカリの独断となる。

 

 やがて空が白みだす。その空へ、シェフィールドに同行した竜騎士が飛び立つ。母親誘拐をタバサに知らせるため、トリステイン魔法学院へと向かった。

 

 それからどれほどの時間がたっただろうか。昼に差し掛かろうとする時間。ドアが激しく開いた音がした。ほどなくして少女の問い詰める声と老執事の返答が、リビングに届く。仮眠をとっていたシェフィールドは、ゆっくりと起きた。

 

「来たか……。ヨーカイと繋がってると思ったけど……違うのかしら?」

 

 やがて、リビングのドアが勢いよく開く。中に入ってきたのはペルスランを伴ったタバサ。いきなり不躾に尋ねてくる。

 

「母さまはどこ!?」

「…………」

 

 シェフィールドは、見定めるようにタバサを凝視。彼女の目に映る姿は、まさしく必死。ほとんどタバサとは面識がないが、人柄は伝え聞いている。無口な人形のようだと。実はガーゴイル、などという噂すら立つほどに。だが今ここにいる少女の姿は、そんな話は全て嘘と思えるほど切実なものだった。動揺で我を忘れているのを、肌で感じる。

 虚無の使い魔は、諭すように言った。

 

「私たちの仕業じゃないわ。賊に攫われたのよ」

「信じられない!」

「フッ……。散々あなたをいいように使った私たちを、信じろというのは無理でしょうね。別にかまわないわ。でも信じなければ、母親は帰ってこない」

「……。どういう意味?」

「フフフ……」

 

 ガリアの陰謀を担った謀略の主が、笑みを浮かべる。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

「ルイズが何?」

「彼女を連れ出しなさい。本人一人だけで」

「何故?」

「言ったでしょ。母親を取り戻すためよ」

「意味が分からない」

「別に分からなくってもいいわ。母親を取り戻したくないなら、断りなさい。ただ成功の暁には、報酬を出すわ。そうね、母親を治す薬を差し上げましょう」

「え……!?」

「さあ、選びなさい」

「…………。分かった……」

「いい子ね」

 

 満足げにほほ笑むシェフィールド。

 これが彼女の策。シェフィールドは気づいたのだった。ヨーカイ全てを相手にする必要はないと。結局、ハルケギニアとヨーカイたちを繋いでいるのはルイズなのだ。ルイズ一人を抑えればいい話。そしてルイズは、虚無の担い手でもある。まさしく一石二鳥だった。

 

 その後、細かい指示は追ってするという話となった。全てが終わり、用は済んだとばかりに立ち去ろうとするタバサ。よほどこの女と居たくないかのような態度。するとシェフィールドは、思い出したかのように声をかける。

 

「そうそう。一つ心に止めてもらいたいものがあるわ」

「……何?」

「”ヨーカイ”、”ヤクモユカリ”という言葉を聞いたら報告なさい」

「……」

「意味は分からないでしょうけど、理解する必要はないわ。じゃぁ、精々頑張りなさい。母親を取り戻すためにね」

「…………」

 

 タバサはいつもの抑揚のない表情になると、余裕の態度を見せるシェフィールドに背を向け、この場を立ち去る。屋敷を出ると、すぐさまシルフィードに飛び乗り飛び立った。晴れた空を北へと向かうタバサ。ラグドリアン湖から大分離れた頃、タバサは使い魔に語り掛ける。

 

「シルフィード、前に行った廃村に向かって」

「きゅい?学校に帰るんじゃないの?」

「学院には行かない」

「でも、廃村って?」

「キュルケ達と宝探しした村」

「え……あそこ!?行きたくない。ヨーカイがたくさんいるの。いやなの」

「だから、行く」

「何故なの?」

「きっと……母さまがいる」

「??」

 

 シルフィードには訳が分からない。確かタバサの母親は攫われたと聞いていたのだが……。しかし主の命令。ぶつくさ言いながら、幻想郷組のアジトのある廃村へと向かう。一方のタバサ。珍しく笑いを零し、頬を緩めていた。

 

 

 

 



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神隠し(裏)

 

 

 

 

 

 それは神隠し騒動が起こる一週間前の事。魔理沙達がガリア行を決めた翌日。

 昼食を終えた学生が二人。広場のベンチに座っていた。タバサとキュルケだった。空はよく晴れ渡っていたが、二人の表情は重い。特にタバサが。キュルケはいつもと様子の違う親友に、顔を曇らせる。

 

「話って何?」

「……母さまの事」

「ルイズから聞いたわ。ヴァリエール家で預かってもらうの、ルイズの母さまに断られたんだって?」

「うん。だから、キュルケに頼みたい。ヴァリエール家からも近いから。図々しい頼みだというのは、分かってる」

「う~ん……。任せて!って言いたいんだけど……。ほら、あたしって親とうまく行ってないでしょ?」

「知ってる」

「だから、こっちの言う事聞いてくれるか、分からないのよね」

 

 キュルケは両親の進めた見合い話から逃げるために、トリステイン魔法学院に入学したのだ。親に頼みごとをするのは、今の彼女には少々厳しい。しかし、キュルケはスクッと立ち上がると、タバサに大きな笑みを見せる。

 

「ま、でも。珍しくあなたが頼ってきたんだもの。動かない訳にはいかないわね。やるだけの事はやってみるわ」

「キュルケ……。ありがとう……」

 

 小さな体を余計に小さくし、打ち震えるようにキュルケを見上げるタバサ。その瞳はどこか潤んでいた。

 するとそこに声がかかる。振り返る二人。見えたのは異界の魔女、紫寝間着、パチュリー。

 

「タバサ。ここに居たのね。探したわ」

「……?」

「聞きたい事があるのよ」

「何?」

「ガリアの王宮、ヴェルサルテイル宮殿の構造と警備の状況を教えて欲しいの」

 

 不穏な事を言い出す紫魔女。思わずキュルケが、ずいっと一歩前へ。

 

「ちょっと、何するつもりよ?」

「『始祖のオルゴール』を探しに行くの」

「え?ガリアにあるの?」

「分からないわ。ただ見当つけた場所を、漁ってみるだけよ」

「そんな目的で、ヴェルサルテイル宮殿に入り込むなんて……。怪我しても知らないわよ」

「そうならならないように、気を付けるわ」

「だといいけど」

 

 ガリアの中枢に行くというのに、市場へ掘り出しものを探しに行くかのように言うパチュリー。幻想郷組の大胆さにはキュルケも慣れてはいるが、さすがに呆れ気味。

 当の魔女の方は、キュルケの視線に構わずタバサの答えを待つ。

 

「それで、お願いできる?」

「ルイズから聞いてる。あなた達には、母さまを治してもらう借りがある。分かった。教える。でも、全て知ってる訳じゃない」

「ええ、できる限りでいいわ。悪いわね。それじゃぁ、後で」

 

 パチュリーはそう言って背を向けた。しかし足を止めると、振り返る。

 

「そうそう、キュルケ。あなたにも用があるんだけど。授業終わってからでいいから、私たちの部屋に来てくれない?」

「あたしに用?」

「ええ。それじゃぁ」

 

 再び足を進める魔女。そのまま、校舎の中へと消えて行った。怪訝な顔の二人を残して。

 

 

 

 

 

 空が緋色に染まった頃。ルイズが疲れた顔で、幻想郷組の部屋に入ってきた。やっと終わったという雰囲気がにじみ出ている。

 

 実は今日、ルイズは王宮へ行っていた。理由はアルビオン出兵の時の脱走についてである。先日ルイズは、アルビオン王国モード朝とトリステイン、ゲルマニア連合軍の間で休戦協定が結ばれたのを確認後、自ら王宮へ出頭。その時、処罰は後日決めるとなる。この処罰を決める日が、今日だったのだ。

 

 女王も含めた査問会が開かれる。ルイズはチラシの件を、幻想郷組の事を話さず説明。証拠も用意。この辺りはパチュリー達と事前の準備をしていた。アンリエッタは『アンドバリの指輪』について知っていたので、彼女の言い分を受け入れる。ただ指輪の件を知らない、正確には覚えていない他の者は違う。特にウィンプフェン将軍達は、ルイズの勝手な行動で作戦を台無しにされたと批難轟轟。しかし一兵も失する事なく、神聖アルビオン帝国を倒したのも事実。それは手柄とも言えた。また多くの貴族が、学生身分の子供を戦争に出していたので、親としてルイズを擁護する者もいた。おかげで、ルイズへの罰はアンリエッタへ一任。結果、学院での一ヶ月の謹慎処分となる。重要任務を担っておきながら独断の脱走、さらに作戦を破綻させた行為の罰としては、かなり軽いものだった。

 

 部屋の奥へと進むルイズ。

 

「疲れた……。ちょっとぉ聞いてよ……って、あれ?誰もいない」

 

 見渡す先には人影がない。だがルイズには、どこにいるか見当がついていた。部屋の一番奥へ向う。そこには、奇妙な図形を描いた絨毯が敷いてあった。実はこれ、幻想郷組のアジトと繋がっている転送陣。一見するとただの絨毯にしか見えない。このため、部屋の掃除を任されているシエスタは、今でもこれが転送陣だと気づいていなかった。

 

 ルイズは絨毯の上に立ち、杖から光弾を発射。転送陣に当てる。これが転送陣の発動キー。ピンクブロンドのちびっ子は、瞬時に姿を消す。

 

 幻想郷組アジトの転送部屋から出て、リビングへ向かった。するとそこで、人妖達が何やらワイワイやっている。その真ん中にいるのは、何故かキュルケ。

 

「あらルイズ。帰って来れたのね。そのまま牢獄かと思ったわ」

「そんな訳ないでしょ!……って何やってんの?」

 

 ルイズ、眉をひそめ人妖達の有様を凝視。キュルケを中心に、何やら作業をやっている。パチュリーと魔理沙は、図面らしきものとにらめっこしながら、話し合っている。こあはその手伝い。アリスはメジャーを持って、何故かキュルケの採寸をしていた。そしてテーブルの上には、化粧道具が並んでいる。

 眉間にしわを寄せつつ、傍まで近づいた。

 

「ちょっと、何が始まるのよ?」

「服を新調してもらうの」

 

 キュルケが楽しそうに答える。聞いたルイズの方は、首をかしげるだけ。

 

「だから、なんでアリスがあんたの服作るのよ?」

 

 すると今度はアリスが返答。

 

「八雲紫の衣装よ」

「は?」

 

 断片的で繋がりのない答えばかりで、余計に混乱するだけ。少しヒステリー気味に喚くルイズ。

 

「だから、どういう意味よ!教えてくれてもいいじゃないの」

「タバサの母さま助けるの」

 

 茶化していたキュルケが、わずかに締まった顔つきを見せる。すると思い出したように、ルイズは息を飲んだ。ほどなくしてパチュリーが作業を止めた。ルイズの方へ顔を向ける。

 

「前に、タバサの母親を神隠しにするって言ったでしょ?」

「うん」

「それをやるのよ」

「どうやって?」

「八雲紫に誘拐してもらうの」

「八雲紫って……。あ!幻想郷の管理者だっけ?そんな人が手伝ってくれるの!?」

 

 驚きに身を躍らせるルイズ。八雲紫本人に会った事のないルイズにとっては、紫はある意味、幻想郷の王のようなイメージだった。その王自ら手を貸してくれるとは。少し興奮するものがある。しかしパチュリー、あっさりルイズの気持ちを粉砕。

 

「手伝ってくれないわよ」

「え?何よそれ?もう、訳分かんない!」

「つまりね……」

 

 それからパチュリーは、神隠しの策について話す。

 

 まず八雲紫を用意。当然、本人ではない偽物。そしてまずシェフィールドに対し、八雲紫が神隠しをすると宣言。シェフィールドは紫と直に会っているので、騙すのに成功すれば、本当に神隠しを信じ込むはず。さらに神隠しの事実を補強するため、証人を用意。証人はタバサの執事、ペルスラン。彼に誘拐現場を見てもらうのだ。紫が誘拐している場面そのものを。この二つの出来事は同時に起こす。シェフィールドが何かの偶然で、オルレアン邸に来たら失敗する可能性もあるので。

 

 このため八雲紫を二人用意する必要がある。前者には鈴仙が向かう。幻術を使いこなす彼女。寸分たがわない八雲紫を出現させる事が可能だ。演技を完璧にすれば、まずバレない。一方、後者。幻は使えないので、変装で用意する事となった。最初は衣玖に頼んだ。背格好がメンツの中では一番近いので。しかし断られる。演技なんてできる気がしない上に、あんな胡乱な人物になるのは嫌だと。そこで次に白羽の矢が立ったのが、キュルケ。理由は背格好と、すでに本人に会っているから。さらに演技も、男たらしの達人なら無難に熟すだろうと。彼女の方も、二つ返事で依頼を了解した。

 ところで、パチュリーと魔理沙が見ていた図面はヴェルサルテイル宮殿。タバサからの警備状況を聞き、どう忍び込むか考えていたのだ。魔理沙のもう一つの本業、泥棒の勘の出番である。

 

 一通りの話をうなずきながら、聞き入るルイズ。

 

「なるほどね。つまりキュルケがヤクモユカリ役をやるって訳ね」

「そ」

 

 パチュリーは一言返すと、再び図面に顔を戻す。そんな彼女たちを呑気に眺めているルイズ。そんな彼女に、キュルケが話しかけてきた。

 

「何、他人事みたいに言ってんのよ。ルイズにも手伝ってもらうわよ」

「私が?何するのよ」

「ヤクモユカリの能力、再現するの手伝うのよ。恰好似せただけじゃ、騙せないでしょ?」

「キュルケ、できないの?」

「できるわけないわよ。あんな真似。あなたヤクモユカリに会った事ないから、分からないだろうけど、妖怪の中で一番訳が分からなかったわ」

 

 キュルケは直に紫の能力を見ている。見てはいたが、理解はできなかった。後から魔理沙達の説明を受けたが、それでも今一つ分かっていない。正直、虚無に匹敵、あるいはそれ以上かもとすら思っていた。一方のルイズ。紫の話は少々伝え聞いただけなので、キュルケ以上に分かる訳がなかった。

 今度は採寸していたアリスが、独り言のように言う。

 

「紫の能力を真似できるなんて、幻想郷にもたぶんいないわよ」

「じゃあどうするのよ?誰にもできないじゃないの」

「そう見えるように、演出するだけよ。種も仕掛けもありありで」

「見えるようにね。ふ~ん……、なんだか演劇みたい」

「そうね。そんな訳だから、人手がいるのよ」

 

 寸法をメモしながら答えるアリス。すると、キュルケがどこか楽しげに一言。

 

「で、その主役が、あたしと言う訳」

「主役ねぇ……。分かった。手伝う。それでいつやる予定なの?」

「遅くても今週中よ」

「え!?」

 

 キュルケの答えに、急に顔色を変えるルイズ。

 

「ちょ、ちょっとそんなに急ぐの?来月とかじゃダメ?」

「何言ってんのよ。あなたの姉さまと一緒に治療するから、急ぐんじゃないの。何?遅くなってもいいの?」

「良くわないわよ。良くわないけど、私は一月間、学院から出れないの!」

「なんでよ」

 

 微熱の質問に、少々むくれ気味に答える元脱走兵もとい虚無の担い手。

 

「脱走の処罰よ。一ヶ月、学院で謹慎だって」

「ずいぶん軽いのね。将軍連中は、かなり怒ってんじゃないの?」

「子供が無事でよかったって言ってくれた人もいたのよ。姫さまも助けてくれたし。そんな訳だから、学院を出る訳にはいかないわ。軍規違反して受けた罰をさらに違反したら、本当にただじゃ済まないし、姫さまにも顔向けできないわ」

 

 ルイズは申し訳なさそうに言う。そこに魔理沙のにやついた口元から、不敵な声が届いた。

 

「つまり、バレなきゃいいって話だな」

「言うと思った。ダメよ」

「いいじゃねぇか。お前は親に無断で借金の保証人にもなったし、無断欠勤もした。天子に逃げられて授業出なかった事もあったな。それに村一つボロボロにしたり、軍から脱走もした。もう一つくらい手汚したって、大して変わらないぜ」

「ほとんどアンタ達が原因じゃないの!何、言ってんのよ!」

「ルイズ。ものは考えようだぜ。やるものが何だって、行く所まで行けば違う世界がみれるぜ。きっと」

「違う世界が、牢獄だったらどうすんのよ!」

 

 両拳を握りしめ、強く反論。しかし魔理沙には通じず。すると今度は、キュルケの不満そうな声が耳に入る。

 

「あなたの立場も分かるけど、タバサだってずっと悩んできたのよ。友達ならここは体の張りどころでしょ?あたしだってあなたピンチになったら、手かしてもいいわ」

「え?友達?」

「そうよ。それが友達ってもんでしょ」

「友達……」

 

 急に気が抜けたように、呆気にとられるルイズ。その言葉を繰り返す。まるで初めて聞いたかのように、噛みしめるように。

 

 友達。アンリエッタから何度も聞いた言葉。だがアンリエッタは、親が引き合わせたものだ。ある意味、必然とも言えるものだった。だがキュルケ達は違う。大人数が集まる学院で、自然と関わっていき、自然にいっしょにいる。こんな形での友人関係は、ルイズにとって初めての経験だった。彼女は町娘とは違う。大貴族の令嬢が、近所の同い年と友達になるという具合にはいかない。学院に来てからも、バカにされるまいと意地を張りすぎていたのもあった。だからこそ、キュルケの友達という言葉に、浮かびあがる暖かいものを感じずにはいられなかった。そしてもう一度、その言葉を脳裏に噛みしめる。

 

 ルイズはじっとキュルケを見ていた。突然、晴れやかな表情で、胸を張って宣言。

 

「そ、そうね。と、友達なら当然ね。うん。体、張ってやろうじゃないの!」

「うん。それでこそ友達ってもん……」

 

 急に言葉を途切るキュルケ。我に返ったかのように顔色を変える。何故か顔を赤らめて。

 

「あ、あたしはあなたの事、ちょっと面白いなぁ、くらいしか思ってないけどね!」

「何よ、それ!」

「別に!」

 

 そこにアリスが笑みを浮かべながら一言。

 

「ふふ……。ルイズ。便利な言葉を一つ教えてあげるわ。そういうのツンデレって言うらしいわよ」

「つんでれ?」

「あなた達みたいなの」

「「は?」」

 

 ルイズとキュルケはハモりながら、アリスへ露骨な不満そうな顔を向ける。彼女の言いように、どこか小馬鹿にしたような空気があったので。小馬鹿というか、からかったのは間違いないだろうが。

 そこに、パチュリーのうんざりした声が入ってくる。

 

「どうでもいいけど、じゃれるの、そこまでにしてくれない?」

「「じゃれてなんて無いわよ!」」

 

 再びハモるレディッシュヘアとピンクブロンド。だがそんな二人に、一同は肩をすくめていた。

 

 それから一旦落ち着くと、アリスはルイズへ質問を一つ。

 

「そうそう。ルイズ。あなた、化粧品どれくらい持ってる?」

「化粧品?一応貴族の嗜み程度には持ってるわ」

「肌用のは?」

「肌用?おしろいとか?」

「やっぱり、おしろいしかないのね……」

「足らないもんでもあるの?」

 

 不思議そうな顔つきのルイズに、アリスはキュルケの手を取って指さす。褐色の肌を。

 

「ちょっとネックがあってね」

「手がどうかした?」

「彼女の肌の色。紫は色白なの。それで、どうやって変装させるかで困ってるのよ」

 

 近世ヨーロッパ以前の文明度のハルケギニア。それほど化粧品は発達していなかった。もっとも、幻想郷でもそう変わらないが。次に魔理沙が言葉を添える。

 

「それだけじゃないぜ。紫は髪が金髪でさ。それも、なんとかしないとならねぇ。かつら使おうと思ってんだが、キュルケの髪ボリュームありすぎだろ?かつらの中に、納まりそうになくってなぁ」

 

 そしてキュルケ。

 

「"フェイス・チェンジ"の魔法を使うって話も出たけど、あれってスクウェアスペルでしょ?あたしにはちょっと無理なのよね」

「そっか……」

 

 ルイズは腕を組んで考え込む。すると突然、脳裏にひらめきが飛び込んできた。パンと手を叩く。

 

「いい手があるわ!そっくりになれるし、衣装も化粧品もいらないわ!」

「何よ。その都合のいいの」

「その通り、都合がいいの!万能なのよ!ちょっと待ってて」

 

 楽しそうに告げるルイズ。すぐさま翻ると、転送陣の部屋へ向かった。しばらくして、戻ってくるルイズ。よほどの自信があるのか、相変わらずの笑み。ルイズは一同が囲むテーブルの上に、小瓶を置く。小さな黒い玉が入ったガラスの瓶を。秘密兵器の登場とばかりに。

 

「これが、解決策よ!」

 

 仁王立ちで、高らかに告げるルイズ。一同は小瓶を凝視。すると魔理沙が舐めるように小瓶に見入る。見覚えのある小瓶を。

 

「おい、これって永琳のか?」

「そ。万能薬」

「なるほどな」

 

 魔理沙は、鈴仙からルイズへこれが手渡されるのを見ていた。さらに永琳から直接効用も聞いている。効用は様々なものがあるが、その中に変身するというものがあるのだ。持続時間が限られるものの、一時的に利用するなら効果は絶大。これで当面のネックはあっという間に解決。

 

 大きな問題がクリアしたので、作戦の詳細が決められた。

 まずヴェルサルテイル宮殿の下調べに、数日かける。決行当日は、三班に分かれる。シェフィールドへ向かうのは、パチュリー、魔理沙、鈴仙、こあ。それに文。文はいてもいなくてもよかったのだが、話を聞きつけた彼女が、せっかくのガリア王宮侵入もとい訪問という事で、付いて行くと言い出した。

 タバサの執事、ペルスランの方には、ルイズ、キュルケ、アリス、天子。キュルケ以外は、八雲紫の隙間能力の演出担当。ぶっちゃけ舞台裏の大道具係。

 そして留守番組。ルイズは謹慎している事になっているので、もしもの事態を考えてである。留守番組は衣玖とモンモランシー。モンモランシーは『精霊の涙』の時の借りをまだ返していないので、無理やり巻き込まれた。もっとも本人としては、タバサの母親の件というのもあって、そう嫌々ではなかったのだが。衣玖は、幻想郷関連に通じるものが、一人は残った方がいいだろうという事で。

 ちなみにルイズは、幻想郷組のアジトから出発。さすがに謹慎の最中、直に学院から出る訳にはいかないので。作戦決行は下調べが終わり次第。時刻は深夜と決まった。

 

 

 

 

 

 深夜のラグドリアン湖畔。オルレアン邸敷地内。木々の陰に隠れる、不審者数名があった。その不審者の集団から、小人のような人影が屋敷へと向かった。いくかの部屋の窓に取り付き、覗き込む。

 ピンクブロンドのちびっ子が、金髪人形遣いに小声で尋ねた。

 

「どう?」

「ん~……。こう暗いと、見にくいわ」

「やっぱりタバサに、来てもらった方がよかったのかしら」

「彼女に話さない、って決めたじゃないの」

「そりゃぁ、そうだけど」

 

 今回の策は、タバサには教えていない。彼女の母がいなくなった後、その出来事がタバサに知らされるのは確実。だがタバサが事情を知っていた場合、騙せる演技ができると誰も考えられなかった。そこからバレる訳にもいかないので、全てが終わるまで策は伏せられる事に。当人にとっては、少々酷な策ではあるが。

 ちなみにタバサが来ていればという話は、彼女の使い魔、シルフィードを当てにしたもの。シルフィードは夜目が利くのだ。

 

 アリスは人形たちで、なんとか部屋の様子を伺う。

 

「…………。一応、全員寝てるみたいね。あ~、暗視スコープ一つくらい、こっちに回してもらうんだったわ」

「暗視スコープって……、ゴツゴツした目隠しみたいなの?」

「そうよ。夜目が利くの、こっちにいないんだもん。鈴仙とこあもいるのに、暗視スコープも魔理沙達が全部持って行っちゃったし」

 

 いつも夜の作戦では大活躍だった暗視スコープ。ルイズ達が何かを仕掛ける時は大抵夜間だった上に、系統魔法には夜目を利かす魔法がない。それだけにありがたかった。しかし今回は、ガリア王宮への侵入という難易度高い場所へのミッションという事で、すべてヴェルサルテイル宮殿班が持って行ってしまった。ここには、その代わりとなる手段がない。もっとも、オルレアン邸は使用人もわずか、ガリア王家からの見張りもいないので、そう警戒する必要がなかったのだが。

 

「でも、なんとかなったんでしょ?さ、舞台を始めましょ!」

 

 アリスとルイズを前に、颯爽と一回転する女性。金髪、色白の身を、白亜と紫紺の衣装に身を纏った女性が月夜に舞う。

 それを目を半開きにしたまま、呆れて見上げるルイズ。視線の先の女性はもちろんキュルケ。の化けた八雲紫。万能薬で変身したのだ。まさしく紫に瓜二つ。声までそっくり。キュルケ自身、自分の容姿に自信はあったが、紫も中々なもの。さらにキュルケをも上回る妖艶さがあった。それを彼女は楽しんでいる。しかも今回はその自分のために、周りの連中がいろいろと動いてくれるのだ。なんとも言えない高揚感。

 やけにテンションの高いキュルケに、ルイズが不満そうに一言。

 

「あんた、何しに来てるか分かってる?」

「もちろん。タバサの母さまを助けによ」

「そうは見えないんだけど」

「これから完璧に演技しないといけないのよ。気持ちを高ぶらせないでどうするのよ」

 

 いかにもな理由を口にするキュルケ。ルイズは黙り込むしかない。そこに面倒くさそうな声が届く。

 

「どうでもいいけどさー、さっさと終わらせて帰ろ」

 

 ルイズの使い魔、天子。ここに居る理由は、使い魔だからだけではなく、一応役目を担っているから。ただ本人は、明らかにやる気なさそう。使い魔なのに。

 しかしルイズは、珍しく天子の言い分にうなずく。

 

「それもそうね。もたもたして、シェフィールドが来ちゃったらシャレにならないもんね」

 

 彼女の言葉を合図に、全員が動き出した。先頭はアリス。人形たちで気配を探りながら進む。まず最初に向かうのは、タバサの母親の寝室。窓に鍵がかかっていたが、キュルケのアンロックであっさり開く。母親の様子を窺う紫、もといキュルケ。小声でつぶやく。

 

「寝てるわね。あれ貸して」

「うん」

 

 ルイズは肩から下げたカバンから小瓶を取り出した。これは睡眠薬。モンモランシーから貰ったもの。騒ぎで起きられては全てが台無しになるので、深い眠りについてもらおうという訳だ。布に湿らせ母親の口元につける。彼女の呼吸が深くなる。うまく行ったようだ。

 次にルイズは、アリスの方へ振り向く。

 

「次、いいわ」

「ええ。さてと……」

 

 アリスは寝室の天井に布を広げ貼り付ける。これは転送陣。学院寮の幻想郷組の部屋で使われているのと同じもの。紫のスキマによる転送を演出するためのものだ。転送先はリビング。そちらもアリスが仕込む。転送陣の扱いは、魔法使いでなくては分からないので。

 

 準備が終わり、全員、寝室の前に集合。配置につく。アリスの人形達は、転送陣をいつでも動かせるように寝室とリビングの天井へ。ルイズ、アリスは天子と共に、寝室のすぐ外、窓の下で身を隠す。そして主役のキュルケが寝室へ入り、窓の傍に立つ。足元にはタバサの母親が寝かされていた。

 キュルケが小声で、外へと話しかける。

 

「さてと、舞台開幕と行きましょうか。あたしの演技、見てなさいよ。完璧に演じてみせるから!」

 

 やけにノッているキュルケに、ルイズは一言いいたげ。ともかく作戦開始である。

 まずルイズが杖を空へと向ける。

 小さな爆発が起こった。しかし屋敷の誰も気づかない。さらにもう一度。今度は気づいた。ペルスランの寝室で、うごめく影がある。アリスが告げる。

 

「彼、起きたわ」

 

 やがてペルスランは、アリスの人形が起こした物音に気付き、タバサの母親の寝室に入って来た。キュルケとペルスランのやり取りが、外に漏れてくる。

 

「な、何者ですか!?」

「さっき言ったでしょ?ヤクモユカリよ」

 

 焦りを露わにしているペルスランに対し、悠然と言葉を返す紫、もといキュルケ。彼女は完全になりきっていた。八雲紫に。というか浸っていた。そして最初の技を披露。扇子をさっと振る。

 これが合図。アリスが指をわずかに動かす。

 

「上海、やって」

 

 寝室の天井に張り付いている人形、上海が転送陣を発動。ペルスランは一瞬で、リビングに移動する。しばらくして、寝室に戻ってきた。何が起こったかまるで理解できてないペルスラン。狼狽えた態度を見せる。

 今の出し物は、紫のスキマによる瞬間移動の演出。仕掛けその1は成功である。

 

「分かったでしょ。無駄な抵抗は、おやめなさい」

 

 悦にいっている紫キュルケの声が、ルイズの耳に届く。本当に楽しそうだ。ルイズ、少々羨ましげ。そこに天子の文句が耳に入る。

 

「あんなもんの恰好して、何、嬉しそうなんだか」

 

 ルイズは小声で答えた。

 

「分かんなくもないわよ」

「スキマの恰好して、楽しい訳ないでしょ」

「なんでよ。こう言っちゃぁなんだけど……。美人だし……スタイルいいし……」

「何言ってんの。ルイズのスタイルも中々なもんじゃん」

「そ、そう?」

「だって、私にそっくりだし。天人様に似てるんだから、いいに決まってるじゃないの」

 

 とか言って、胸を張る天人。穏やかな平原のような胸を。ルイズ、褒められてもあまり嬉しくない。

 その時、アリスの声が飛び込んで来た。一応小声だが、急かすような響きが。

 

「天子、弾幕!」

「え!?もう?」

「急いで!」

 

 天子、慌てて要石を出す。キュルケの少し前に。すぐさま光弾発射。

 だが……。

 

「うっ!」

「だ、大丈夫!?怪我してない!?」

 

 部屋から届いたのは、ペルスランの悶絶と、キュルケの慌てた声。

 

 この出し物、紫の弾幕を演出するためのもの。窓の傍、キュルケの近くに潜んでいる天子が、小さめの要石をキュルケの前に出現させる。そこから弾幕発射。いかにもキュルケ、つまり八雲紫が発射したかのように見せる出し物だ。ただし脅しのためで、本来は当てる予定はなかった。

 

 アリスが頭をかかえ、ため息つきながらつぶやく。

 

「何、直撃させてんのよ」

「え?当たった?」

 

 天子、あっけらかんと返事。凡ミスしたくせに。ルイズが天子を、叱り飛ばす。もちろん小声で。

 

「何やってんのよ!怪我したらどうすんのよ!」

「ごっこ用の弾幕だから、怪我しないわよ。私だって、弾幕山ほど当てられたことあるけど、無傷だったし」

「あんた、基準にしてどうすんの!だいたい脅すだけで、当てるハズじゃなかったでしょ!」

「弘法にも筆の誤りってヤツ?天人様にもたまには、ミスするってねー」

「あんたは~……!」

 

 相も変らぬ使い魔。まるで悪びれない。ブレない天人。ルイズの苛立ちが、腹の底から湧き上がろうとしていた。その時、またアリスの慌てた声。

 

「ルイズ!窓、窓!」

「え?窓?」

 

 首を窓へ向けると、キュルケの後ろの窓が開いていた。

 これ、次の仕掛けの合図。最後の出し物。スキマのそのものの演出である。ルイズが『イリュージョン』で、スキマを出現させる手筈になっていた。

 

 ルイズは慌てて杖を握りしめ、詠唱開始。キュルケの後ろに、多くの目が浮かぶスキマのようなものが現れる。

 

「それでは、御機嫌よう」

 

 寝室から、キュルケの最後の挨拶が聞こえる。同時に彼女の姿は、タバサの母親と共に消え去った。あらかじめキュルケの立っている場所にも、転送陣を用意していたのだ。

 残されたペルスランの、動揺した声が寝室から漏れてくる。

 

「お、お嬢様に……、お嬢様に急ぎお知らせせねば!」

 

 やがて寝室のドアを強く閉じる音が響く。そして寝室から気配が消え去った。アリスの口から気疲れ吐息が出てくる。

 

「はぁ……、なんとかなったわね。さてと、後片付けしましょ」

 

 寝室とリビングに分かれ、仕掛けた転送陣を全て回収。一同は待ち合わせの場所へと集合する。

 そこでは、未だ紫の姿をしたキュルケが待っていた。少々怒り気味に。

 

「ちょっとぉ、何やってんのよ!後半、段取り違ってたじゃないの。冷や汗かいたわ」

「天子がね……」

 

 ルイズは疲れたように、隣にいる使い魔を指さした。それを見てキュルケも脱力。いつもの事かという具体に。だがアリスだけは違う反応。

 

「ルイズも、この子に返事しなければよかったのよ」

「う……」

 

 思い返せばその通り。天子は、文句をこぼしていただけだったのだから。しかしアリスは、それを大して気にしたふうでもなく、片付けを終える。

 

「ま、いいじゃないの。結局、無事終わったんだから。終わり良ければなんとやらよ」

「……そうだけど」

 

 キュルケも仕方なしにうなずく。

 

「じゃぁ、話はこれでお終い。長居は無用だわ。さっさと帰りましょ」

 

 アリスの掛け声を、合図に一同は帰路へと着こうとした。

 その時、小さな悲鳴が上がった。

 

「いっ!?」

 

 全員が、一斉に声の主の方へ振り向く。天子だった。左手を振りながら、痛みを取ろうとしているように見える。キュルケが不思議そうな顔。

 

「何?ひねった?」

「そうじゃないけど……なんだろ?」

「天使でも筋肉痛になるのね」

「なる訳ないでしょ」

 

 そうは言ったものの、痛みがあったのも確か。天子には原因が思いつかない。今度はアリスが聞いてくる。顔つきを妙に固くして。

 

「いったいどうしたのよ?」

「左手が急にチクってね。今は、なんともないけど」

 

 天子はそう答えながら、左手を眺める。怪訝な表情で。するとルイズが楽しそうな笑顔を浮かべ、意気揚々と口を開いた。

 

「罰が当たったのよ。きっとそうに違いないわ」

「はぁ?」

「主を困らせてばかりだから、始祖ブリミルがあんたにお仕置きなされたんだわ」

「私は、ブリミル教徒じゃないないんだけどねー」

「でも、虚無の担い手の使い魔でしょ。ルーンから、小言が聞こえたんじゃないの?」

「んな訳ないでしょ。まあブリミルの仕業だったら、ぶっ飛ばしに行くけど」

 

 平然と罰当たりな事を言う、虚無の使い魔。相変わらずの様子に、別段なんともないと安心するやら、呆れるやらのキュルケとルイズ。

 そんな仕事終わりの緩んだ空気が包む中、アリスも彼女達と同じく天子を見つめていた。しかし彼女達と違い、何かを見極めるかのような厳しいものを浮かべている。その視線の先にあるのは、天人の左手。ガンダールヴが刻まれている手の甲。確かに目に入るルーンには、なんの変化もない。だが実際には、ガンダールヴは消失しかかっている。今は、マジックアイテムでガンダールヴを投影し、ごまかしているだけだ。こうして見えているルーンはまがい物。本物のガンダールヴは、今どうなっているのか。そして何故、今、天子に痛みが走ったのか。彼女の脳裏に過るものがある。天子がデルフリンガーを初めて持った時と、似ていると。

 

 

 

 

 

 オルレアン邸に八雲紫が現れる少し前。寝静まったヴェルサルテイル宮殿内の庭に、姿を忍ばせる影があった。パチュリー達である。

 下調べをしていたとはいえ、ガリアの中枢。侵入するのに少々手間がかかった。鈴仙の幻術、こあのチャーム、パチュリーと魔理沙の魔法を駆使しなんとか成功。文だけは取材に専念していたが。そして今いる場所は、シェフィールドの執務室の外。暗視スコープをつけた魔理沙が、部屋の窓を覗き込む。

 

「まだ、何かやってるぜ」

「それにしても、シェフィールドってよく働くわね」

 

 文も同じく、暗視スコープで部屋を見ていた。彼女の言葉通り、他の部屋の明りは消えたのに彼女の部屋だけまだ灯っていた。

 魔理沙はふと思い出す。

 

「そういやぁ、ロンディニウムでもあいつの部屋、遅くまで明りついてたな」

「案外、根はまじめな人なのかもしれませんね」

 

 ガリアの間者の意外な一面に、感心するこあ。そんな三人の感想をパチュリーが、バッサリ。

 

「彼女がどんな性格だろうと、こっちには関係ないわ」

「そりゃそうだ。逆に利用するだけだな」

 

 続く魔理沙のひどい回答。その様子を見ていた鈴仙は、シェフィールドが少々不憫に思えてきた。散々、彼女の企みを潰しておいてなんなのだが。

 しばらくしてパチュリーが垣根から、わずかに顔を出す。

 

「そろそろ頃合いかしら。こあ、状況は?」

「問題ないです。何もいません」

 

 こあも垣根から顔をだし、周囲を観察。彼女には、辺りが昼間のように見えていた。さすがは悪魔。夜目が効く。他のメンツも周囲を確認。まさしく草木も眠るという状態だ。すると全員が鈴仙の方向く。

 

「では、行ってきます!」

 

 玉兎、全員の期待に応える様に、気合を入れてうなずいた。

 すぐさまシェフィールドの部屋へ、低空で接近。窓のすぐ傍まで近づく。ターゲットの方は仕事に集中しているのか、気づく様子が全くなし。鈴仙は窓を軽くたたいた。さすがに気づくシェフィールド。思わず振り向く。そして鈴仙の目を見てしまった。真っ赤に輝く双眸を。その後、彼女は見た。八雲紫を。何もいない空間に。シェフィールドと鈴仙による小芝居の開幕である。

 

 それからほどほどの時間が経った頃、芝居は終幕。虚無の使い魔は、苛立ったように部屋から出て行った。部屋に残った鈴仙に、まるで気づかずに。少々、不手際があったが、結果は想定通り。鈴仙は魔理沙達の元へ戻る。

 

「はぁ……。緊張したぁ……」

 

 汗をぬぐい、ため息をつくようにこぼす鈴仙。それを迎える魔理沙。

 

「お疲れ」

「そうそう。シェフィールド"さん"って言ったら、怪しまれたんだけど、なんか知ってる?」

「いや。けど、紫の事だからな。カッコ付けて"ミス・シェフィールド"とか呼んでたのかもしれないぜ」

「それでか……」

 

 納得が行ったとばかりに、肩から抜く月兎。次に紫魔女が、淡々と尋ねてくる。

 

「で?上手くいった?」

「うん。たぶん騙せたわ。本気で怒ってたし」

「上々ね」

 

 魔女は、心持口元を緩めた。

 

「さて、残りの作業も、さっさと片付けましょ」

「だな。あまり長居する場所じゃないしな」

 

 魔理沙達は、さっそく移動を開始。ある意味、彼女たちの本当の目的、『始祖のオルゴール』の在り処に向かって。

 

 そこはジョゼフの私室の一つだった。本来ならもっと警備が厳しくてもいいハズなのだが、思ったほど厳重ではなかった。ジョゼフは無能王と呼ばれる人物。実は自分の所有物に、そう拘りがないのかもしれない。何にしてもパチュリー達にとっては、好都合である。

 

 私室の扉が見える所まで来た。パチュリーが合図する。

 

「鈴仙、お願い」

 

 玉兎はうなずくと、衛兵達の元へと向かった。

 

「ん?何者だ!?」

 

 衛兵たちが、槍を構える。しかし、すぐに収めた。

 

「こ、これは失礼いたしました。陛下!」

 

 衛兵が恐縮して身を縮める。彼らの目の前にいるのは、紛う方なしガリア王ジョゼフであった。彼は軽く手を挙げる。

 

「構わぬ」

「しかし、このような時分に、何用でございましょうか?」

「扉を開けよ」

「は?」

「いいから、扉を開けよ」

「は、はい」

 

 命ぜられるまま、扉を開ける衛兵達。大きく開いた扉に、ジョゼフは満足気。そしてまた命令を告げた。

 

「お前たちは下がれ」

「え……?はい、分かりました」

 

 衛兵達は、すぐにこの場を去る。全く違和感を抱いていないように。そしてこの場には人影が一切なくなった。異界の連中を除けば。そう、ここにいるジョゼフは本物ではない。異界の玉兎、鈴仙の幻術だった。

 

 悠々と私室に入る魔理沙達。

 

「ちょろかったな」

「ガリア王は変人だって話は、本当のようね。こんな時間におかしな命令出して、誰も疑わないなんて」

 

 パチュリーが部屋を見渡しながら、つぶやく。部屋にはやけに大きな、模型がおかれていた。陸地に海、森や町を細かく作り上げている。そして兵の人形があちこちに置かれていた。

 

「ほう、模型作りが趣味なんでしょうか?」

 

 カメラを構えようとする文。するとパチュリーが少し強い声を上げる。

 

「ダメよ。文。フラッシュ使うと、バレちゃうでしょ」

「カーテン閉まってるから、大丈夫でしょ」

「全部、終わってからになさい」

 

 文は渋々うなずく。するとその時、こあが先を指さしていた。

 

「あれじゃないですかね?『始祖のオルゴール』」

 

 全員が彼女の示す方角を注視。確かに見覚えのある箱が、玉座の隣の台に置かれていた近づく一同。魔理沙が箱を手にとり、ふたを開けてみる。

 

「間違いないぜ。『始祖のオルゴール』だ」

「やっぱり、ハルケギニアにあったわね。問題は、何故ここにあるのか」

「だな。経緯、聞いてみるか。シェフィールド辺りにとか」

「そうね」

 

 哀れシェフィールド、今度は自分が狙われる立場に。当人には知る由もないが。

 ともかくオルゴールは預かりものだ。持って帰らないといけない。側にいた鈴仙も、自分がなくしてしまったと責任を感じていたので、ずいぶんと胸をなでおろしていた。

 

 その後、文が取材を終え、部屋を出ようとした一同。扉へ足を進める。すると何故か扉の方が、勝手に開いた。その先に、金髪を伸ばした長身の男が立っていた。

 

「精霊がやけに騒がしいと思ったが……。まさか、賊が忍び込んでいるとはな」

「…………」

「手にしているものを戻せ。それは私が約定を交わした者の所有物。それに、他の者に渡っては、我らにとっても都合が悪い」

「あなた誰?」

「私は、ネフテスのビダーシャル」

 

 そう名乗る男の金髪の隙間から、やけに長い耳が突き出ていた。

 

 

 

 



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 出口で立ちふさがるように、金髪長身の男があった。異質な姿にパチュリー達は眉をひそめる。そんな中、何かを思い出したかのように文がビダーシャルを指さした。

 

「あ!もしかして、エルフ!?」

「いかにも」

 

 余裕を漂わせつつも落ち着き払った返事をする、ビダーシャルと名乗る男。

 

 エルフ。ハルケギニアの妖魔の中で、最も強大な存在。そして最も恐れられた存在。まるで魔界の悪魔か何かのように言う者もいる。恐れられる理由の一つは、その優れた魔法。妖魔は程度の差はあれ、先住魔法を使う。その中でもエルフの使う魔法は突出していた。さらに大きな理由があった。エルフの住む土地は、ハルケギニアの西方、サハラと呼ばれる砂漠。実はそこにブリミル教徒にとって、最も重要な聖地がある。だが現在その地を占拠しているのがエルフ。エルフは人間にとって、不倶戴天の敵とも言えた。実際、聖地奪還のための戦争が何度かあった。しかし、優れたエルフの魔法の前に、人間達は惨敗。ブリミル教徒の念願は、未だ叶っていない。

 

 ハルケギニアの人間にとって、怖れの対象であるエルフ。しかし、エルフとは直接なんの関わりもなく、先入観もない幻想郷の人妖。恐怖の存在を目の前にして、気後れする様子はまるでなし。だいたい神すら、ゴロゴロしている幻想郷に住んでいるのだ。怯む訳がなかった。むしろ、何人かは好奇心の方が勝っていたりする。

 

 さっそく文が笑顔を作り出す。いつも記者モードにチェンジ。丁寧に頭を下げた。

 

「初めまして。私、新聞記者の射命丸文と申します。以後お見知りおきを」

「何?」

「それにしましても、エルフが実在していたとは驚きです。話で知ってはいたのですが、見かけたという方に会った事なかったもので。伝説の類かと思っておりました」

「……」

 

 ビダーシャル、微妙に呆気。調子が狂う。黒い羽根の翼人が、やけに親しげに話しかけてくるもんで。しかもエルフである自分を見て、怖がる様子がまるでない。さらに目の前の翼人だけではない。他の連中も、恐るべき妖魔に出会ったというよりは、幻の珍獣に出会ったかのような顔をしている。

 どう対応するか戸惑っている長身エルフ。なんとも言えない顔をしていた。

 

 幻想郷組の方も戸惑っていた。文はともかく。エルフという話でしか知らない存在が、いきなり目の前に現れて。さらに侵入中に見つかってしまった。いや、見つかる可能性は考えてはいたが、エルフに対する策はまるでなかった。知らないものには、対応のしようがないので。

 お互いの微妙な空気の中、次に気持ちを切り替えたのはパチュリー。

 

「文」

「はい?」

「また今度になさい」

「いや、ですけどこんな機会滅多にないですよ」

「手貸すって言うから、来るの許したのよ。目的を忘れないでよ」

「ふむ……まぁ、そうですねぇ。分かりました。今回は無理にお願いしたものでもありますし、引き下がりましょう」

 

 後ろに引っ込む文。ビダーシャルにまた会いましょうとか言いつつ。すると急に幻想郷組の空気が変わる。警戒感が滲みだしてくる。今度は、魔理沙が懐から八卦炉を取り出した。

 

「悪いな。ちょっと寝ててくれ」

 

 その一言と同時に、八卦炉から一筋の光が放たれる。

 直撃コース。距離もわずか。まず外れない。

 しかし、ビダーシャルの手前にまで来た瞬間。何故か、レーザーが反転。八卦炉へ戻ってくる。

 

「え!?」

 

 唖然とする魔理沙達。弾幕ごっこ用のレーザーなので、八卦炉が壊れたりはしなかったが。

 次にパチュリーがこあに指図。

 

「……。こあ、一発撃ってみて」

「あ、はい」

 

 こあはビダーシャルに右手人差し指を向けると、光弾を一つ発射。だがその光弾も、彼の手前で反転、こあへ戻ってきた。指に直撃。

 

「痛っ!」

 

 指を握り、ぼやくこあ。

 

「突き指したかと思いましたよぉ」

「どういう事?」

 

 主は使い魔の様子を無視。探るような視線をエルフへ向ける。当のビダーシャルは、ため息を漏らしながらつぶやいた。

 

「全く……。いきなり攻撃してくるとは、蛮人は文字通り蛮人だな。一つ忠告しておこう。私に手を出すことはできぬ。もし無理にやろうとするならば、自らの技で自らを傷つける事となる。先程のようにな」

「これは、先住魔法なのかしら」

「お前たちは何故そう呼ぶ。大いなる意思の加護の元、精霊による力だ」

「精霊との契約行使か何か?」

「ほう……。意外に理解が早いな」

 

 感心するエルフを余所に、パチュリーは見極めるように目の前の男を凝視。しかし精霊の気配を感じる事はできなかった。パチュリーの魔法もまた精霊に関したもの。だが双方が同じものを指すとは限らない。例えば、ハルケギニアの系統魔法の属性が四系統なのに対し、彼女の使う属性魔法は七系統。ラグドリアンの水の精霊と呼ばれるラグドは、幻想郷基準なら妖精と見られる存在。言葉は同じだが、ハルケギニアと幻想郷では意味合いも違うものも多い。精霊もまた違うのかもしれない。少なくとも今この場で、しかも付け焼刃でどうにかなるような代物ではなかった。

 

 隣の魔理沙が肘で小突いてくる。

 

「おい、精霊だってよ。専門家だろ。何か分からないか?」

「全然。ちゃんと調べれば何か掴めるかもしれないけど、ここですぐって訳にはいかないわね。こんな事になるなら、あの吸血鬼姉妹に先住魔法の話、聞いておけばよかったわ」

 

 パチュリーの言う吸血鬼姉妹とは、当然レミリア、フランドールではない。ヴァリエール領に隠れ住んでいるダルシニ、アミアスの事。

 身構えながらも、手の出ない幻想郷組の中、鈴仙が口を開く。

 

「あのさ。オルゴール手に入ったんだから、戦う必要ないんじゃない?」

「だな。見られちまったのは、仕様がねぇが」

 

 魔理沙はビダーシャルへ向き直る。

 

「こっちは、あんたとやり合う理由はないんだわ。今日は帰らせてもらうぜ」

「手にしたものを、元に戻せば別に構わん」

「おいおい。元々これ、あんた等のもんじゃないだろが。ありえねぇぜ」

「そうか……」

 

 ビダーシャルは静かにつぶやくと、厳しい視線を彼女達に向けた。

 

「古き盟約に基づき命令する。石に潜む精霊よ。この者たちを捕えよ!」

 

 エルフの詠唱が終わると同時に、床や壁から手が出現。岩の質感を纏った手が。真っ直ぐ伸びる手は、指を一杯に広げ彼女達を捕まえようとする。

 驚いて、一斉に飛ぶ一同。

 

「な、何これ!?」

 

 鈴仙が慌てふためいて叫んでいた。しかし、全員が我を失っている訳ではない。数々の異変を経験した彼女達。この状況に平然としている。気分を高揚させている者すらも。異変の只中にいるような感覚が、彼女達に蘇っていた。

 

 宙に舞う人妖を追う、壁や床から伸びた手。ターゲットへと向かって行く。掴もうとする。しかし、ことごとくかわされた。石の手は空気を掴むのみ。賊の巧みな動きに、少々驚かされるビダーシャル。しかし慌てた様子はない。次の手を打つ。

 

「剣に潜む精霊よ。この者たちの動きを止めよ!」

 

 言葉と同時に、壁に飾られていた剣、装飾用鎧の持っていた槍が一斉に動き出した。命を得たように幻想郷組へと向かっていく。

 しかし、魔理沙達はそれすら安々と避けた。さすがのビダーシャルも、動揺を感じざるを得ない。

 

「まさか……全て当たらぬとは……」

 

 宙を踊るように舞う賊に、目が釘付けとなる。

 ハルケギニアのメイジならば、これだけの密度の攻撃をかわすことはほぼ不可能。だいたい空を飛ぶ魔法"フライ"は高機動では飛べない。しかし幻想郷の住人にとっては、溢れる弾幕をかわしていくのは日常茶判事。機動力もフライのはるか上。この程度をかわすなど苦ではない。

 ただし、ビダーシャルへ手を出すどころではないのも確かだった。こんな中、業を煮やした者が一名。普通の魔法使い、霧雨魔理沙。白黒魔女は、イラついて八卦炉を前へ突き出した。

 

「チッ!面倒くせえ!」

「待ちなさい!魔理沙!」

 

 パチュリーが止めに入るが、言葉は届かない。

 

「恋符『マスタースパーク』!」

 

 極太の閃光がビダーシャルへ一直線。部屋が光に包まれる。一瞬でエルフへ届く。飲み込む。耳長の金髪男が、光の奔流に押しつぶされた。誰もがそう思った。しかし……。

 光の束は反転。逆に魔理沙達へと向かってきた。そして……直撃……。

 

 『マスタースパーク』すら跳ね返す、エルフの恐るべき魔法。さっきから彼女達の攻撃を退けるこの魔法は、『カウンター』と呼ばれるもの。ありとあらゆる攻撃を跳ね返す。魔理沙の魔法もまた例外ではなかった。

 

 全くの無傷のビダーシャル。指一本すら動かさず、敵の攻撃を退けた。部屋中を光で満たすほどの魔法を。しかし彼の表情は冴えない。それどころか驚きに支配されていた。脳裏に浮かぶ言葉がいくつもある。

 

(なんだ、今のは!?あのようなもの蛮人の地で見たことがない。いや、我らの地でさえ……)

 

 その時、ふとこの部屋に入った時からの出来事が思い起こされる。彼女達の姿が。

 

(見れば……この者たち、杖を持っていない。蛮人なら杖がなくては、力が使えないはず……。しかも、詠唱すらしていなかった。それに……翼人が二人ほどいたが、蝙蝠羽に黒い翼……。そんな翼人も見たことも聞いたこともない。そしてあの巧みに空を飛ぶ動き……。この者達はいったい……。いや、それは後だ。今は秘宝を取り戻すのが先決。シャイターンのな)

 

 シャイターン。エルフの言葉で悪魔の意。同時にそれは、ハルケギニアでの虚無を意味する。かつてサハラの地は虚無の力によって、崩壊したと伝わっている。エルフにとって虚無の力を持つものは、打ち倒すべき文字通りの悪魔と言えた。

 

 ビダーシャルは、魔理沙が落としたオルゴールに余裕で近づくと、拾い上げた。そして部屋を出ようとする。その時、声がかかった。

 

「あら。どこへ行こうというのかしら」

 

 思わず振り返るビダーシャル。視線の先に、紫寝間着に身を包んだ少女が立っていた。何事もなかったように。

 

「反射したはずだが……。まさか無事だとは……」

「障壁が間に合ったのよ。跳ね返されるのは予想できたもの。それに、なんだかんだで弾幕ごっこ用のだしね」

「弾幕ごっこ?」

「とにかく返してもらおうかしら。預かりものなのよ。それ」

「渡せぬ理由は、最初に話したはず。失礼させてもらう」

 

 踵を返すエルフ。求めるものは手に入った。戦う必要はないし、『カウンター』の効果により彼女達は彼を止める事ができない。そのまま足を出口へと進めた。

 

 がん。

 

 ところが、壁にぶつかったように体が止まる。

 

「な!?」

 

 扉は開いていた。しかし何故か、部屋から出ることができない。手を伸ばすと、壁に触れた感覚がある。見えない壁に。すると後ろから、またあの少女の声がかかる。紫寝間着の。

 

「結界を張らせてもらったわ。もう、この部屋からは出られない。私を倒さない限りね」

「結界だと……?貴様たち……何者だ……?蛮人かと思ったが違う。それに翼のある者共も翼人ではないな」

「魔女に悪魔に烏に宇宙獣よ」

「ふざけた物言いを……」

 

 まともに聞くのもバカバカしい戯言。しかし不気味な違和感が、ビダーシャルの胸にせり上がるのを否定できない。

 彼をそんな気持ちにさせたのは、彼女達の術や動きだけではなかった。気づいたものがある。石や剣の精霊との契約が切れているのだ。壁や床の石は手の形をとったまま止まり、剣は床に落ちている。いや、それだけではない。『カウンター』の障壁の向こう、賊側の精霊との契約が全て切れていた。実はこの部屋に入る前、この部屋の精霊と契約を結んでいる。だからこそ彼は精霊の力を自在に使えていたのだが。今それができない。しかも契約を結びなおそうとしたが、反応がない。あえて表現するなら、精霊達が気絶しているという状態。ビダーシャルには、信じがたい現象だった。

 

 だが幻想郷の人妖を相手にしたならば、これもあり得る話。彼女達の弾幕は、自然の顕現、妖精すら昏倒、一回休みさせる力がある。ハルケギニアでの精霊も、自然に由来するもの。例外ではなかったのだろう。しかもこの部屋全体が、『マスタースパーク』をモロに食らってしまった。もはやこの部屋の精霊は、単なる物質と同じである。

 

 紫魔女以外の幻想郷組は、相変わらず寝ている。まずパチュリーはこあを起こした。弾幕でケツを撃って。

 

「痛っ!」

「起きた?こあ」

「え?あ……。痛ぁ……。パチュリー様ぁ~。どうして起こす時、お尻ばっかりなんです?ゆするとかで、いいじゃないですかぁ」

 

 以前気絶した時も、アリスに槍で突かれた事があったこあ。ふくれっ面の使い魔に、主は笑みを漏らす。

 

「さ、こあ。他の連中も起こして」

「え!?あ、はい」

 

 こあはさっそく魔理沙、文、鈴仙を起こす。ケツに弾幕ではないが。

 

「ん……?あ?くそぉ……。自分のマスパ喰らうなんてなぁ」

「あ~……。マスパ、もらったの久しぶりですねぇ。でも、やっぱ痛い」

「い……。あたたた……」

 

 三人は首を振ったり、肩を動かしたり、腰を擦ったりしながら身を起こす。そして部屋の出口に佇むエルフへ視線を向けた。

 

 部屋は惨状と化していた。『マスタースパーク』のため、窓という窓は吹き飛び、部屋はアチコチが壊れ、ジョゼフ自慢の模型もボロボロ。外からは月明りが差し込み、まだまだ寒い風がわずかに吹き込んでいる。

 お互いが狙うは『始祖のオルゴール』。宝は今、ビダーシャルの手中にある。だが魔理沙達は、エルフの得体の知れない魔法『カウンター』の前に、手をこまねいている。一方のビダーシャルも、精霊との契約がほとんど切れてしまった上、結界とやらのせいで部屋から出られない。お互いにとって未知の存在同士が、対峙していた。緊張が舞っていた。

 

 しかしそれもわずかな間。パチュリーが最初に動きだす。

 

「ウィンターエレメント」

 

 突如、ビダーシャルの足元から、水流が吹き上がる。

 だが、寸前で彼は避けた。足元の精霊の動きに違和感を察し、本能的に動いていた。もはや知的な彼らしくない動きが、その身を守る。だが彼の驚きは収まらない。相手は『カウンター』の壁の内側に、直接、術を放ってきた。系統魔法は杖を起点に魔法を放つ。このため防御の障壁があると、それを打ち破らねばならない。その意味では『カウンター』まさしく無敵の魔法だろう。だが、彼女達の術は、守っている対象へ直に攻撃してくる。これでは『カウンター』の意味がない。焦りの表情がビダーシャルに浮かぶ。

 

 一方、吹き上がった水柱はすぐに四散。はじけ飛んだ。これに表情を曇らすパチュリー。『ウィンターエレメント』は相手を水流で、真上へ吹き飛ばす魔法。だがそれがかわされた上に、途中で破綻した。彼女には何が起こったのか理解できない。疑問を残したまま、続けて魔法を放つ。

 

「ドヨースピア」

 

 今度は、床から槍が飛び出した。またしても、ビダーシャルの足元から。しかし、これも彼はかわす。さらに『ドヨースピア』の槍も、途中で弾けるように霧散する。またも不可解な現象に、目を細めるパチュリー。

 

 彼女の魔法が途中で破綻したのは、ビダーシャルが精霊と契約していたため。『カウンター』の内側は、まだ契約が持続されている。このためパチュリーの魔力による術の構築が終わり、水流や槍が放たれ彼女の魔力の呪縛から離れると、精霊の契約が発動。水流や槍を形作っていた物質の精霊達が、術を崩壊させたのだ。そもそもパチュリーの魔法の多くが、属性を持つ魔法という点も理由の一つだ。つまり彼女の魔法は、この場ではかなり限定される事となる。もっとも今の彼女には、それに気づく術はないが。

 

「いったい……どういう事かしら?」

 

 怪訝に顔を歪め、つぶやく紫魔女。だがそれは、ビダーシャルも同じ。攻撃を避けるのに成功はしたものの、胸騒ぎが胸中から消える事はない。

 

(遠距離に直接、術を発生させるとは……。精霊の力を借りたかのようだが……しかし違う……。何なのだ?この者達は?)

 

 敵対しているのは、理解の及ばない相手。しかも、ほとんどの精霊との契約は切れてしまっている。さらに結界により、部屋から出られない。彼の背中に、冷たいものが伝わり出す。この土地に来て、はじめて不安というものが湧き上がるのを感じていた。

 

 難しい顔で眉間の皺を深くするパチュリーの脇から、声がかかる。白黒魔法使いの。

 

「お前の魔法が破綻したり、マスパが跳ね返されたり、どうなってんだ?」

「一目で分かるような代物じゃないようね。さすがエルフって所なのかしら」

「後な、石の手やら剣やらが止まったのは何故だ?」

「マスパが効いたのかしらねぇ……」

 

 パチュリーは首を傾げつつ、つぶやく。なんとか分析しようと紫魔女は頭を巡らすが、出てくるのは根拠のない思いつきだけ。だがそこに、魔理沙の余裕の声が耳に入る。顔を向けた先に、いつもの不適な笑みが浮かんでいた。

 

「訳がわからねぇが、一つ手を思いついたぜ」

「何よ?」

「ま、見てな。試しだ」

 

 魔理沙、今度はスペルカードを一枚、高々と上げた。

 

「光撃『シュート・ザ・リトルムーン』!ただし後ろだけ」

 

 奇妙なスペルカードの発動の仕方をする魔理沙。パチュリーは何のつもりだと、眉をひそめる。それはビダーシャルも同じ。なぜなら、魔法を使ったらしい白黒少女からは、何も発せられてないからだ。

 

「何をしたのだ?変わった事は……」

 

 突然、ビダーシャルの背中に衝撃が走る。何かが当たった痛みが。

 

「いっ!?」

 

 背中を抑えつつ振り向く。目に映ったのは……。

 無数の光の弾だった。

 

「なんだ?いつのまに!?一体どこから!?」

 

 光弾はデタラメに、襲い掛かってくる。しかも、彼の周辺は未だ精霊との契約が持続中なのに、そんなものはまるで無視。ビダーシャルは光弾の群れ、弾幕を、身を固め防ぐしかない。

 

「な、なんなのだ?これは!?」

 

 体中を叩きつけてくる弾幕に耐える中、なんとか理解しようとするが、手掛かりすら思いつかない。

 

 一方魔理沙の方は、してやったりと満点の笑み。

 

「お!上手くいってるぜ!おい、手伝えよ」

「何するのよ」

 

 鈴仙がキョトンとして反応。魔理沙は術を維持しつつ、楽しげに答える。

 

「ケツから殴るヤツを、出すんだよ」

「ああそういう事。それじゃぁ」

 

 玉兎が高々とスペルカードを振り上げる。そして宣言。

 

「生神停止『アイドリングウェーブ』!こっちも後ろだけ」

 

 するとビダーシャルの正面、『カウンター』の障壁の反対側に、魔法陣らしきものが突然出現する。そこからまたも無数の弾幕。

 スペルカードは基本的に術者から発せられるものが多いが、中には挟み撃ちをするように放たれるものもある。魔理沙と鈴仙が使ったスペルカードは、その挟み込むタイプのものだ。突然相手の背後に弾幕が発生するので、前に障壁を張っても意味がない。しかも魔理沙の弾幕は純粋魔力、鈴仙にいたっては宇宙妖怪由来のもの。属性のついた精霊の影響を受けなかった。

 

 必死に弾幕に耐えるエルフ。二人のスペルカードの重ね掛けなので、高密度。さらに始末が悪いのが、外れた弾幕が『カウンター』の障壁に当たり跳ね返ってくる。障壁の内側は、まさしく弾幕の豪雨。360度配置されたピッチングマシーンから、次々ボールが撃ち込まれているかのよう。サンドバックのビダーシャル。

 

「い、石に潜む精霊よ!壁となれ!」

 

 慌てて壁を作り出そうとするエルフ。ドーム状の壁で身を包もうというのだ。床が盛り上がり出す。しかし……ドームが作られる途中で止まってしまった。

 

「な、何!?どうなっている!?」

 

 だがすぐに気づいた。弾幕の当たった場所の精霊との契約が、片っ端から切れているのだ。さっきの光の魔法と同じく、今、溢れ返っている光弾も、精霊を気絶させる効果があるらしい。エルフには猛毒とも言える術だった。

 

 中途半端な壁で、この弾雨が防げるはずもなく、さすがに倒れこむビダーシャル。

 

「ううっ……」

 

 こらえきれず、『カウンター』を解除。弾幕は部屋中へ放たれた。それを防壁であっさり受け止める、幻想郷の人妖達。弾幕の持続も止める。

 荒い呼吸の中、体を動かせないビダーシャルに、パチュリーがゆっくり近づいてきた。

 

「あまり強情張るからよ。こっちとしては、手荒な事は避けたかったんだけど」

「く……」

 

 見上げる先に、相も変わらず抑揚のない寝間着姿の少女の顔があった。

 

「返してもらうわね」

 

 ビダーシャルの手元に落ちているオルゴールに、手を伸ばす少女。エルフはそれを、口惜しそうに見つめるしかない。

 だが、その時……。

 

 地面から鈍い音が響いた。同時に、床が揺れ出す。地震が起こる。

 バランスを崩すパチュリー。オルゴールに伸ばした手が、思わず引っ込む。だがすぐに宙へと上がり、地震から回避。

 

「全く……そんな体で、まだ抵抗するとはね。それにしても、まさか地震まで起こせるなんて。けど、飛んでれば意味ないわよ」

 

 魔女は余裕をもってエルフを見下ろす。だが視線の先にいるエルフは、最後の抵抗が徒労に終わり、無念を噛みしめているかの様子はまるでなかった。というよりは唖然とした顔つきだった。何故なら彼は何もしていない、命じていないからだ。そう、彼は地震など起こしていない。

 

 パチュリーの方は、彼に構わずオルゴールに手を伸ばす。

 すると突如、叫び声。

 

「パチュリー様!」

 

 振り向いた先に、飛び込んでくるこあ。その向こう、真っ直ぐ向かってくる一振りの剣。こあが、パチュリーと剣の間に入る。

 こあの胸に剣が突き刺さる。わずかな悶絶の後、胸をおさえ前に倒れ込んだ。顔を青くするパチュリー。すかさず抱えようする。

 

「こあ!」

 

 だがこあを刺した剣は、抜き取られるように下がると、再びパチュリーへと向かってきた。魔女の目前に迫る剣。

 しかし、するどい金属音と共に剣は弾かれた。パチュリーの傍に立っていたのは、文だった。

 

「魔法使い。これで、今回の借りは返したわよ」

 

 さすがは幻想郷最速。離れていたにも関わらず、一瞬で接近、剣を蹴り飛ばした。そのわずかな隙に、パチュリーはこあを抱き、剣から離す。

 文は天狗の団扇を取り出し、パチュリー達の前に立った。団扇に風を何重にも纏わせる。鉄のような硬さをもつほどに。

 

 一方の剣、弾き飛ばされ、壁か床にでも打ち付けられたかと思われたが、空中で止まっている。わずかな間の後、薙ぐように彼女達の方へ切っ先を向けた。またもパチュリーを狙いだす。

 

「狙いは引きこもり魔女か……。結界を解こうって訳ね!」

 

 向かってくる剣を、団扇で対応する文。まさしく剣士同士の戦いのよう。

 

 ビダーシャルはその様子を、痛みに耐えながら見ていた。

 

(何故、今頃になって剣が動いた!?だいたい私は命じていない。契約も切れている。それに……この動き……精霊のものを超えている……)

 

 確かに彼の考えていた通り。剣は複雑どころか卓越した動きを見せていた。連続突き、切り返し、薙ぎからの戻し、打ち落し。あたかも透明の剣士が、技を駆使しているかに見える。しかもその剣士はかなりの手練れ、一流と言って差支えないもの。

 だがそんな剣に文も見事に対応していた。幻想郷最速は動体視力も半端ではない。さらに妖怪としての高い身体能力。技としては拙いが、高スペックな地力で剣に相対する。

 

 剣戟を交えながら、文がぼやく。

 

「妖夢と戦ってるみたい。本体が見えないだけで、実はいるのかしらねっ!」

 

 団扇を振るい、暴風を起す。吹き飛ばそうと。効果があったのか、剣が打ちあがった。すかさず剣士の体があると思われる所に蹴り。

 だが……みごとに空振り。やはり透明の剣士などいない。すぐさま剣は、中段の構えの位置へと降りてきた。合わせるように、距離を取る烏天狗。

 

 この二人、いや、剣と文の戦いに目を奪われる一同。その最中、ビダーシャルは自らの体の精霊に命じ、体力を回復させていた。体の中の精霊も気絶しており契約を結べるのはわずかだったが、それでもしないよりマシだ。ある程度回復すると、気づかれないようオルゴールへ近づく。そして手に収めた。そのまま、潜むように部屋の出口へ。しかし相変わらず出られない。あの寝間着の少女を倒さねば、どうにもならないようだ。するとふと気づいた。さっきから剣が、その少女を狙っている事に。

 

(私を逃がそうしている?いや、オルゴールをか?だが、何者の仕業だ?)

 

 頭を探り出て来た答えは、一つしかなかった。

 

(シャイターンの使い魔か……。シェフィールド……とか言ったな。それしか考えられん。だとするとあの剣は、マジックアイテムという訳か。それにしても……まさかこの私が、シャイターンの手の者に助けられるとはな……。全く……エルフの名折れだ……)

 

 苦虫を潰すような表情を浮かべるビダーシャル。

 エルフや『始祖のオルゴール』を守るシャイターン、虚無と言えば、確かにガリアの虚無以外にはありえない。彼はガリア王と盟約を結び、協力体制にあるのだから。筋の通った考えだ。

 だが、ビダーシャルは知らなかった。目星を付けたシェフィールドは、今この宮殿にはいないという事実を。

 

 激しい剣戟の中、ネフテスのエルフは、なんとか精霊との契約を結ぼうとする。わずかずつではあるが、精霊の反応が戻りつつあった。そうやって辺りの精霊の気配を探っていると、思わぬものが目に入る。なんと、先ほど胸に剣を突き刺された蝙蝠羽の翼人が、むっくりと起き上った。完全に心臓を貫かれ死んだと思われた、そうでなくても重傷は間違いないと思われた翼人が。

 

「あ~。服に穴、開いちゃったよぉ」

 

 などと呑気に胸元を見ている。重傷どころか、怪我した様子すら感じさせない態度で。

 

「き、貴様……!?な、何故、生きている!?」

 

 ついビダーシャルは、驚きの声を漏らしてしまう。一斉に振り向く人妖達。目に入ったのは、オルゴールを手にしたエルフ。魔理沙が八卦炉を向けながら、怒声を上げた。

 

「あっ!この野郎!いつのまに!」

 

 すぐさま弾幕発射。またも彼に襲い掛かる無数の光弾。だが『カウンター』を発生させられるほど、精霊は復帰していない。万事休すか……。

 直撃を覚悟したエルフの耳に、鋭い金属音が響く。全ての弾幕が弾き飛ばされていた。あの剣によって。

 

「な……!」

 

 さすがの魔理沙も言葉がない。瞬時にビダーシャルの前にたどり着き、雲霞のごとくの弾幕を巧みな剣捌きで防いでしまった。

 わずかに遅れて、文が来る。魔理沙達も、今までにない厳しい顔つきを剣に向けていた。そして、ビダーシャルを背後に、剣は幻想郷の人妖と対峙。

 

 宙に浮く鋼の剣。ただの剣だ。だがそこに、気迫を感じずにはいられない。妖夢という冥界の剣士と、何度かやりあった事のある彼女達。確かに剣の構えは彼女とは違うが、その整然とした在り様は、一流剣士と言う他ない。彼女達の脳裏には、一つのイメージが浮かんでいた。中段の構えを取る、日本刀を握った剣士の姿が。

 

 魔理沙がぼやき気味に言う。

 

「まいったぜ。こりゃ……。エルフってのは多芸だな」

「下がってた方がいいわよ。魔法使いには、厄介すぎる相手だから」

 

 文が一番前に立ち、臨戦態勢。いつもの彼女らしからぬ態度。それほど、この剣に脅威を感じているのか。

 

「ブチ折るしか、手はないみたいね」

 

 口元を吊り上げる烏天狗。新聞記者ではない、妖怪本来の気性が沸き立ちだす。

 しかし、そこに鈴仙の緊張した声が飛び込んできた。

 

「ちょっと待って!人の声がする。集まってきてるみたい」

 

 釣られるように耳に意識を移す彼女達。確かにざわめきが聞こえた。警戒するような声が。どうもこの騒ぎを聞きつけ、警備の兵達が動きだしたらしい。さすがに派手に暴れすぎた。

 パチュリーがあきらめ混じりにこぼす。

 

「時間切れね。仕方ないわ。引き揚げましょ」

「チッ……。クソッ!」

 

 魔理沙は捨て鉢に吐き捨てると、すぐさま箒に乗り窓へ向かいだした。他のメンバーも同じく窓へと向かう。

 

「そいつはいつか、返してもらうぜ!大事にしてろよ!」

 

 白黒魔法使い達は捨て台詞と共に、窓から出て行った。まるで風のごとくあっという間に。

 溜息を漏らしつつ、その様子を目で追うビダーシャル。

 

「ふぅ……。なんとか……助かったのか……」

 

 ふと、気づくと足の一部が部屋から出ていた。どうも結界は解除されたらしい。そしてもう一つ。彼を守った剣。いつのまにか床に落ちている。

 ビダーシャルは立ち上がると、その剣を手にした。

 

「この剣は一体……」

 

 こうして見えるものは、なんの変哲もない装飾用の剣。マジックアイテムだろうとは考えているが、取り立てて特別な気配はない。

 居心地の悪さを感じるビダーシャル。背筋に不気味な寒気が走るのを、否定できなかった。

 

 

 

 




 神隠しの話に今回でケリをつけたかったんですが、長くなってしまったので一旦ここまでです。


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何かいる?

 

 

 

 

 

 神隠し作戦がなんとか無事終り、オルレアン邸班は幻想郷組アジトに戻ってきていた。空には双月が煌々と輝いており、まさしく深夜。明日休みとは言え、さすがにルイズ、キュルケの二人は眠くてたまらない様子。一服した後、すぐに寮へと帰って行った。さらに天子、衣玖も自室へと戻る。

 残ったアリスは、魔理沙達を待つことに。実は、予定より戻るのが遅れていた。失敗したとは考えていないが、少々気を揉んでいたのも確か。なんと言っても、彼女達が向かった先は、ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿なのだから。

 

 紅茶はすでに飲み干し、茶菓子もなくなりかけた頃。アジトに入ってくるざわめきが耳に入る。ヴェルサルテイル宮殿班が、帰ってきたらしい。胸をなでおろすアリス。そんな彼女に、愚痴がいくつも届く。

 

「チッ!エルフと鉢合わせるなんて、思わなかったぜ」

「警備にまで顔出すなんてね。ラグドの話じゃ、嫌々手貸してるって感じだったのに」

「それはそれとして、二人とも私に感謝しないと。あの剣、魔法使いじゃどうしようもなかったでしょ。私がいなかったら、今頃三枚におろされてたわよ……ね!」

「「う……」」

 

 鼻高々な烏天狗と、魔女達の嫌そうなぼやき。そこに入り込む玉兎の声。

 

「でも……よく考えたら、私が幻術使えばよかったんじゃない?」

「あ、それもそうね。あのエルフの障壁、光は通してたんだから。たぶん通用したわ。文がいなくても、なんとかなったんじゃないかしら」

「確かになそうだぜ!文じゃなくても、なんとかなったな」

「命の恩人に向かって、この人たちは……」

 

 なんだかんだと、にぎやかな声がリビングへ近づいてくる。そして入ってきた一同。パチュリーとこあに、魔理沙、鈴仙、そして文。何やら落ち着きなさそうにおしゃべりしている彼女達を、アリスは変わらぬ態度で迎えた。トラブルが起こったらしいと察しつつも。

 

「お帰りなさい。上手くいったって雰囲気じゃなさそうね。どうしたのよ。まさか失敗したの?」

「神隠しについては成功したわ」

 

 パチュリーは成果を報告するが、今一つ冴えない。疲れたように席に着く。アリスはとりあえず話を聞こうと、各人に紅茶を用意。

 

「でも問題なしって訳じゃなかったんでしょ。オルゴールもないようだし。見つからなかったの?」

「いえ、見つかったわ」

 

 紅茶で喉を潤しつつ、紫魔女が答える。

 

「けど邪魔が入って、取り戻せなかったのよ」

「何よそれ。あれだけ下調べしてたのに。警備の隙を突いたんじゃなかったの?」

「イレギュラーが起こったのよ」

 

 相変わらずの抑揚はない声だが、カップを置く手つきは少々荒い。不満が籠っているように。次に口を開いたのは魔理沙。渋い顔つきで。

 

「ガリアにエルフがいるって話があったろ」

「ラグドが言ってわね」

「見つかったのがそいつでさ。で、やりあった。これがかなり強くってなぁ」

「何人いたのよ」

「一人」

「一人!?五人がかりで、一人にやられたの?」

「やられちゃいねぇぜ。ヤツも結構ボコった。けど最後に、妙な魔法使いやがってな。それが、かなり手ごわいんだよ。結局、タイムオーバーって訳だぜ」

「五人でも手ごわいって、厄介そうな相手ね」

「ああ」

 

 魔理沙が、光景を思い返すようにつぶやく。脳裏にはあの巧みに弾幕を捌く、剣の姿があった。超人的な動きをする剣が。

 このメンツでたった一人を倒せなかった事に、アリスは驚きを覚えずにはいられない。魔理沙は原因も定かでない異変をいくつも解決しているし、他の顔ぶれを見ても実力は確かだ。そんな彼女達が、引き分けに終わるとはと。もちろん、エルフについて知識がまるでなく、対策のしようがなかったのはあるのだが。

 アリスはカップをソーサーに置き、尋ねてくる。憂いを漂わせつつ。

 

「どんな能力持ち?」

「いろいろあったぜ。まず、なんでも反射する障壁。それがスゲェの。マスパすら跳ね返されたんだぜ。そりゃぁ、弾幕ごっこ用ってのはあるけどな」

「なんでも跳ね返すって……何よそれ」

「こっちが聞きたいぜ。他には、壁とか床が変形して手になった。それがしつこく追いかけてきてな。後、剣をたくさん飛ばせる。これも避けても戻ってくる」

「ちょっとした弾幕ね」

「まあな。ただ、こっちの方は密度も動きも大したことないから、かわせないって程じゃないぜ」

「そう」

 

 壁や飛ぶ剣についてはともかく、なんでも跳ね返す障壁というは、幻想郷でも聞いたことがない。顔つきを重くするアリス。さらにパチュリーが付け加える。

 

「それだけじゃないわ。地震、起こせるのよ」

「地震も?」

「ええ。天子のほどじゃなかったけど」

「エルフってのは、手札がかなり多そうね。それとも、当人自体がすごかったのかしら」

「両方かもしれないわ」

 

 パチュリーは再び、カップに口をつけた。そして今度は文。

 

「で、極め付けが、達人剣。と呼んでおきましょうか。あのエルフ、ビダーシャルとか言ってましたが、彼の必殺技かもしれません」

「さっきの飛ぶ剣と違うの?」

「飛ぶのは同じなんですけど、動きが全然違うんです。もう、透明の一流剣士が戦ってるような動き」

「妖夢みたいな?」

「妖夢さんを、一流って言うかは異論があるかもしれませんが、まあそうです。魔理沙さんの至近距離の弾幕、全部弾いちゃったんですから。ホント、私がいなかったら、みなさんどうなってたやら」

 

 再び、恩着せがましく魔女たちに視線を送る烏天狗。魔理沙達はそれに投げやり気味に、感謝の言葉を返していたが。

 

 アリスはその様子を眺めながら、エルフという存在に少なからず脅威を抱く。するとふと、引っかかりが脳裏を過った。違和感とでもいうものが。パチュリーが言った地震、文の言う達人剣。この二つのキーワードに、どういう訳か繋がりを感じていた。そして思い出した。ほぼ同時刻、オルレアン邸で起こった出来事を。次の瞬間、アリスの頭の中に、違和感への答えが浮かびあがる。彼女はハッとしたように、目を見開いた。

 

「ちょっといいかしら」

「何よ」

「実はこっちでも、おかしな事が起こったのよ」

「おかしな事?」

 

 一段落つき落ち着きを取り戻していたパチュリーが、アリスへ視線を向ける。そこに見えたのは、やけに神妙な人形遣い。

 

「仕掛けが終わって帰ろうとした時なんだけど、天子が左手を痛がったのよ」

「左手?」

「そ。手の甲。ガンダールヴのルーンのある場所」

「デルフリンガー握った時と似てるわね。地震か何かあった?」

「なかったわ。それに痛みもすぐ治まったし」

「ルーン自体は、どうだった?」

「まだ確認してないわ」

 

 ガンダールヴのルーンは、今、偽装されているので実際の状態は偽装を解いてみないと分からない。

 次に魔理沙が、気持ちを切り替えるように尋ねてくる。

 

「時間帯的には、ウチらがエルフと戦ってた頃か」

「そう。両方とも同じ時間に仕掛けてたし」

「けどそれが……あ!地震か!」

「ええ。あなた達は地震をエルフの仕業って思ったようだけど、そうじゃないかもしれないわ。例の妙な現象が起こる時は、必ず地震が起こってたし。それにガンダールヴの能力は、確か武器を自在に操る力よね」

「例の剣も、ガンダールヴの仕業だっていうのか?おいおい、それじゃぁ天子がやった事になっちまうだろ。あいつが私等の邪魔する理由がないぜ。それにオルレアン邸とヴェルサルテイル宮殿は、かなり離れてる。そんな距離で遠隔操作できるなんて、考えられないぜ」

「それ以前に、もうかなり消えてしまったガンダールヴが機能してるかの方が怪しいわ。それで、ちょっと思いついたんだけど」

「なんだよ」

「天子のガンダールヴ、誰かに吸い取られてるんじゃないかしら?」

 

 あまりに突拍子もない事を言い出すアリスに、パチュリーと魔理沙は目を剥いていた。半ば固まり気味に。

 

「吸い取る?なんだそりゃ?使い魔を乗っ取るなんて、できんのか?」

「使い魔じゃなくって、この場合は契約自体ね。できるかできないかは、コルベール辺りにでも聞いてみたらいいんじゃないかしら」

「けどなぁ……」

 

 腕を組んで考え込む魔理沙。腑に落ちないという具合に。するとパチュリー、紅茶の最後の一口を飲み干し、落ち着いた声で聞いてくる。

 

「それは後でするとして、ガンダールヴの方はどうするの?機能してるか確認するなんて、方法がないわよ。この世界の武器だったら、天子がそれなりに使えても不思議じゃないし。ガンダールヴのおかげかどうか、判断つかないわ」

「学院の宝物庫に、何かないかしら。場合によっては、幻想郷に一旦帰るってのもあるわ。河童なら、得体のしれない武器とか持ってそうだし」

「手はない訳じゃないって事ね。分かったわ。飛躍しすぎな気もするけど、検証してみる価値はありそうね。とりあえず朝になったら、コルベールに使い魔について聞いてみましょ。まずはそこからね」

「ええ」

 

 話は一旦お開きとなり、各人は自分の部屋で休む事にする。特に人間である魔理沙は、眠くて仕方がなかった。

 朝となり、彼女達はコルベールの元へと向かう。しかし、彼は朝から出張しており不在だった。なんでもタルブの村に災害が起こったそうで、呼び出しがかかったとか。災害のために何故教師が呼ばれたのか、今一つ腑に落ちなかったが、ともかく今はいない。帰ってくる予定も、決まっていないと聞く。あきらめるしかない魔女達。結局、別件を先に進める事にした。タバサの母親の件を。

 

 

 

 

 

「誠に、誠に申し訳ございません!」

 

 シェフィールドがジョゼフの前で跪いている。態度にも表情にも、恐縮したものが窺えた。しかしジョゼフは、気にしたふうもない。

 

「まあ、良い。オルゴールは無事だったのだ。それにお前は、警備担当ではないからな。最も、散々な有様の余の部屋を見た時は、笑うしかなかったが」

 

 私室がボロボロにされ、自慢の模型も壊されたというのに、怒りを浮かべる様子がない。他人事のように茶化している。執着というものが感じられないガリア王。

 

 ここはヴェルサルテイル宮殿の敷地内にある礼拝堂。その地下。ビダーシャルに与えられた研究施設だ。ここでは様々なものが開発されている。アルビオンに持って行った試作段階の特殊ゴーレムや火石も、元々はここで開発したもの。それらを作り上げたのが、エルフのビダーシャル。最強の妖魔の力があってこその、特殊なマジックアイテムだった。

 ジョゼフ、シェフィールド、ビダーシャルはこの部屋で、たまに会合を持つ事がある。ビダーシャルについては、ガリアでも一部の者しか知らないので、堂々と宮殿内で会う訳にいかないからだ。内容は、エルフの秘術に関するものがほとんど。だが、今回は違っていた。話の中心は『始祖のオルゴール』を狙った賊についてだった。

 

 ジョゼフは椅子に身を預けると、雑談をするように尋ねてくる。

 

「まず賊について聞こうか」

「うむ」

 

 ビダーシャルは淡々と話を進めだした。

 

「これは推測だが、この地の者ではない」

「ではなんだ?お前の故郷の者か?いや、ロバ・アル・カリイエの可能性もあるな」

「そのいずれでもない。見たことのない魔法を使っていた」

「どのような魔法だ?」

「部屋中を満たす程の、光を放つ魔法」

「ん?聞き覚えがあるな。確か……トリステインの虚無の使った魔法が、そのようなものだとか」

「いや、それとは違う」

 

 エルフはキッパリと断言。光の魔法は『カウンター』に反射された。もし虚無の魔法ならば、『カウンター』を破綻させたはずだからだ。

 話をビダーシャルは続ける。

 

「さらに言えば、その賊の者ども、得体が知れん。全うな生き物かどうかもな」

「どういう意味だ?それは」

「心臓に剣が突き刺さり、倒れた者がいた。にも関わらず、ほどなくして再び起き上ってきた。文字通り、生き返ったかのように」

「スキルニルの類ではないのか?」

「だがその者、剣が刺さった後、血を流していた。そして倒れて動きを止めた。戦闘中にも関わらずな。人形ならば術者を窮地に落とす行為だ。それに機能を止めた後、元の姿に戻るはず。だが、そんな様子はなかった。さらに言えば、その者を気遣う連中の態度も、人形だとしたら不自然だ」

「ガーゴイルとは考えづらいか……」

 

 ジョゼフは青い髭を弄りつつ、思案に暮れる。不死身の存在がいるかのようなエルフの言いように。しかし、そんなものが実在するのだろうか?一方で、この理知的なエルフが、戯れを口にするというのも考えづらかった。いずれにしても、今ここで考えた所で答えは出そうにない。ガリア王は、話題を変えた。

 

「その話は、後にするか。ミューズ。お前からも報告があるようだな」

「は、はい……」

 

 弱々しく返事をするシェフィールド。これからするのは、またもや失態の話なのだから無理もないが。

 

「その……オルレアン公夫人を……攫われてしまいました」

「何?」

「申し訳ありません!陛下!度重なる失態、いかなる処罰も……」

 

 ミョズニトニルンは深々と頭を下げる。しかしジョゼフは相変わらず、気にしてない様子。

 

「ほう、攫われたとは。あの屋敷は碌に警備もしていなかったからな。なんだ、盗賊共にでも襲われたか?」

「いえ、攫ったのは盗賊などではありません。以前お話しした、ゲンソウキョウの者です」

「何だと?」

「賊はヤクモユカリと名乗るヨーカイ。実験体に必要と言い、連れ去ってしまいました」

「実験体?それにしても、賊がその者だとよく分かったな」

「本人が私の元へ来て、宣言していったのです」

「ハハ!ふてぶてしいヤツだ」

 

 膝を叩きつつ、笑うジョゼフ。だがすぐに表情が元へ戻る。

 

「しかし、お前ともあろう者が、目の前に来た賊を捕えられなかったのか?」

「申し訳ありません。ですが……あえて申し開きさせていただくなら、ヤクモユカリを捕えるなど、何人にも不可能かと……」

「なんだそれは。ヨーカイとはそういうものなのか?」

「いえ、ヨーカイの中でもヤクモユカリは異常でした。ともかく私には理解不能な存在です」

「神の頭脳が理解不能ではな。他の者に分かる訳もないか……」

 

 渋い顔つきのジョゼフ。大きなため息をつきつつ、顎髭をいじる。一方の小さくなったままのシェフィールド。すると二人に、ビダーシャルの怪訝な声が挟まれる。

 

「先程からなんなのだ?ゲンソウキョウだのヨーカイだの」

「おお、お前には言ってなかったか」

「うむ」

「なんとな、異世界なるものが存在しているのだと。その異世界の名が"ゲンソウキョウ"と言うのだそうだ。もっとも、余は未だ半信半疑だがな」

「異世界……」

 

 ビダーシャルの顔がわずかに歪む。なんとも信じがたい響きに。

 

「なんだ?その異世界とやらは」

「余が話すよりミューズに聞いた方がよかろう。なにしろ体験したのだからな」

「体験?」

「なんと、その"ゲンソウキョウ"とやらに行ったと言うのだ」

「まさか……信じられん。だいたいどのように行ったのだ?」

「まあ、ともかく話を聞いてみるがいい。ミューズ。全て話せ」

「御意……」

 

 それからシェフィールドは全てを話した。ヴァリエール領でレミリア達と戦った話に始まり、紅魔館でチルノ達に追い回されたり、幽香にボコボコにされたり、永琳に弄ばれたり、そして最後に紫に得体のしれない術をかけられ、ハルケギニアに帰って来た所まで。過ぎた出来事ではあるが、思い返せばなんて酷い目にあったのだと、噛みしめるシェフィールド。

 

「……と言うのが私の体験した出来事でした」

「…………」

「どうかされましたか?ビダーシャル卿」

「…………間違いない。私が会ったのも、そのヨーカイ共だ。貴様の言う光弾の魔法などは、まさしく私が見たものと同じ。そして確かにいた。彼の者達の中に、悪魔と称するものが。道理で心臓に剣が刺さっても、死なないはずだ。しかし神や悪魔、妖精、ヨーカイがおり、しかもその者達が支配している世界など……。信じがたいが、信じざるを得ないか……」

 

 ペテンにでもかかっているかのような収まりの悪さを覚えつつ、顔を硬くするビダーシャル。

 話を聞けば聞くほど、血の気が引いていくのを感じずにはいられない。彼女達がエルフにとって、大きな脅威である事は身を以て理解したからだ。ハルケギニアの虚無は、確かに精霊の力による術を崩壊させる。だからこそ、シャイターン、悪魔と呼ばれていた。ただ、それが可能なのは最大でも四人。一方のゲンソウキョウの住人は、全員それができる。彼らが放つ光弾は、精霊を行動停止にする力があるのだから。さらに今、ハルケギニアとゲンソキョウは繋がっており、行き来可能だと言う。その上、ゲンソウキョウのヨーカイ共と縁を結んでいるのが、なんとトリステインのシャイターン。エルフにとっては悪夢のような話だった。

 

 ビダーシャルを鎮痛な表情を浮かべたまま、シェフィールドに尋ねる。

 

「だいたい、そのヨーカイ共は何しに来ているのだ?」

「私の聞いた話では、この世界の研究や観光のためだとか」

「研究と観光……か」

 

 急に表情が緩むサハラの住人。声色には、好奇心すら漂っていた。

 異質な能力に意識が奪われていたが、思えば彼女達は彼を殺すような技を出していなかった。さらに、できれば手荒な事はしたくなかった、とも言っていた。ビダーシャルは、意外に話の通じる相手かもしれないと、考えを改める。

 するとふと、思い出した台詞が一つ。

 

「そう言えば、ヨーカイ共……、妙な事を言っていた。オルゴールは預かりものだとか」

「なんだそれは?アルビオン王家とも関わりがあったとでも言うのか?いや、それはおかしかろう」

 

 わずかに首をひねるジョゼフ。

 元々、『始祖のオルゴール』はアルビオン王家のものだ。預かりものとなると、王家から彼女達は借りる約束をしたとなる。しかし、そうなる奇妙な点が出てくる。アルビオン王家が滅ぼされるまで、異界の者たちが助けに入った様子がまるでない。一方のトリステインに関しては、手助けした形跡が見られるのに。

 

「訳が分からんな。どういう意味だ?まあ、よい。捕えてみれば全て分かる」

「捕える?ヨーカイをか?」

「興味が湧いたのでな」

「こう言ってはなんだが、かなり困難だろう。いくらシャイターンの主従と言えどもな」

「ならばお前が、手を貸せ」

「私が加わろうとも、大差ない」

「そこまで、厄介な相手なのか?ヨーカイとやらは」

「うむ」

 

 なんと言っても、精霊の力を無効化する魔法を使う相手。しかも自在に素早く飛び回る。実はビダーシャルとの戦いの後、宮殿から逃げ出すヨーカイ共を竜騎士が追ったのだが、あっと言う間に引き離されたそうだ。風竜すら及ばない速さ。さらに先日会った者だけではなく、他にもヨーカイがいるという。

 しかしそこに、シェフィールドの落ち着いた声が入ってきた。

 

「陛下。確かに直に相手にするには、相当厄介な相手。ならば、直に相手にせねばよいのです。加えて申し上げれば、すでに手を打っております」

「ほぉ。さすがは私のミューズだ」

 

 笑みを浮かべるガリア王。使い魔も主の賛辞を、嬉しげに聞いていた。

 満足そうな主従を前にし、ビダーシャルはまるで違う考えを脳裏に描いていた。ゲンソウキョウのヨーカイとの出会い。エルフにとって、虚無以上の脅威となるかもしれない存在。この凶事とも言える出来事に対し、浮かぶものはまるで逆のもの。凶事が吉事に転じるかもしれないと。

 

 やがて虚無の主従は、礼拝堂の地下を後にしようとする。すると、シェフィールドをビダーシャルが呼び止めた。ジョゼフはかまわず先に進んだが、彼女に残ることを許す。足を止めるシェフィールド。

 

「まだ何か?」

「貴様はシャイターンの僕ではあるが、私は礼節を重んじる。一応、礼を言っておく。昨晩は助かった」

「昨晩……?一体なんの話でしょう?」

 

 シェフィールドは、眉をひそめながら踵を返す。

 基本的に人間を見下し、虚無の主従である彼女達への嫌悪感を隠さない彼が、礼を口にする。滅多にない事だが、彼女には礼を言われる理由が思い当たらない。対するエルフ。やりたくもない礼をしたのに、意図を察せない虚無の使い魔に少々不満。

 

「ヨーカイ共から我が身、いや貴様にとってはオルゴールを守っただけかもしれんが。それでも、助けられたには違いないと言っているのだ」

「……?ビダーシャル卿。何を言われているのか理解できないのですが……。ヨーカイと卿が戦っている頃、私はオルレアン邸に向かっており宮殿にはおりませんでした」

「何!?」

 

 驚きを露わにするビダーシャル。

 

「あの剣を操ったのは、貴様ではないのか?」

「あの剣とは?」

「ジョゼフの部屋に飾ってあった剣だ。マジックアイテムと思っていたのだが……」

「いえ。陛下のお部屋にあったもので、マジックアイテムと呼べるのは『始祖のオルゴール』だけです。確かに装飾品は全て一流の職人が作ったものではありますが、マジックアイテムなどではありません」

「では……あの剣は一体……?まさか、ジョゼフか?」

「陛下が何かなされたなら、先ほどおっしゃっていたかと」

「確かに、そうだな。すると……どういう事だ?」

「何があったのですか?」

「うむ……。昨夜、ヨーカイ共と遭遇して……」

 

 それからビダーシャルは昨晩の出来事、ヨーカイ達との戦いについて話した。聞き入るシェフィールド。固くなる表情と共に、這い上がるような不気味な異質感を覚えずにはいられなかった。なんと言っても、あのヨーカイ共を退けるほどの剣だ。しかもその正体を、相手のヨーカイ共はもちろん、シェフィールド自身、そして最強の妖魔と称されるエルフすら知らない。ではその剣は、なんなのか。マジックアイテムでない事は確かだ。では何者が操ったのか。その何者とは何か。一体この世界に、何が"いる"のか。

 

 ハルケギニアで暗躍し、様々な謀略を動かしたシェフィールド。さらにそれらを、同じく裏で動いて破綻させたゲンソウキョウのヨーカイ共。その上、まだ何かがハルケギニアで蠢いているらしい。ジョゼフの願いを叶えるため、邁進して来た彼女。だがジョゼフが考えているほど、この世界は底が浅くはないようだ。奇妙な悪寒が彼女に走っていた。

 

 

 

 

 

 太陽が地平線に触れ、辺りの森が緋色と青に染まっている。そんな森の上を飛ぶいくつもの姿があった。ルイズ達だ。パチュリーとこあに、アリス、魔理沙、天子、衣玖。ルイズ、キュルケ、そしてタバサ。キュルケとタバサはシルフィードの背中に乗っていた。向かう先は、タバサの母親が治療のためにいる場所。いわば療養所。ちなみに文は留守番。病人の治療など、大した記事にならなそうだと言って。

 

 タバサが、自分の母親が誘拐されたと知った翌日、彼女はさっそく心当たりへと向かう。その心当たりとは幻想郷の人妖達。皮肉な事に、これを思いついたのは、シェフィールドのおかげ。彼女が誘拐の件を口にした時出たキーワード、"ヨーカイ"、"ヤクモユカリ"。この二つですぐに事情を理解する。異界の人妖達が、自分のために動いてくれたのだと。タバサの母親については、ルイズと彼女達に頼んでいたのだから。

 さっそくパチュリー達に尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。全ての仕掛けは、彼女達の仕業だと。ただどういう訳か、母親と会うのはしばらく待ってもらいたいとの話だった。もっとも待つと言っても、ほんの数日だが。

 

 そしてついに、その日がやってきた。タバサは、湧き上がるような高揚感を抑えずにいられない。珍しく表情がコロコロ変わる彼女を見て、キュルケも頬が緩むのを止められなかった。

 

 多少雲はあるものの、よく晴れた空を進む一同。すっかり日も落ち、もはや夜となっている。しばらくして森が開け、広がる畑が見えてきた。その畑の中心に、ちょっとした集落がある。小さな村だ。街道から離れた農村。どこにでもありそうな村に見えた。

 双月の空の下、人妖達は村のはずれに降り立つ。

 

 シルフィードから降りるタバサの表情に、わずかに緊張が覗いていた。その様子は、嬉しさで溢れんばかりだった先ほどまでとは違う。同じくキュルケも若干固い態度。彼女の方も、さっきまでのニヤけっぷり消え失せていた。

 

「まさか……こんな所に、タバサの母さま預けるなんて……」

「ヴァリエール領内だし。ウチもそう遠くないわ。街道からも離れてるから、目立たないし。こんな都合のいい場所って他にないわよ」

 

 二人の態度に対し、ルイズはあっけらかんとしたもの。微熱の少女は勢いよくちびっ子ピンクブロンドの方へ振り向き、一言。

 

「そういう話じゃないわよ!」

「言いたい事は分かるわ。とにかく……」

 

 ルイズの続き言おうとした矢先、馴染みの声が横から入った。

 

「みんな~、いらっしゃい」

 

 やけに明るい声。そして表情。声の主は月の妖怪兎、鈴仙だった。広場の中央で手を振っている。

 

「さあ、こっち、こっち」

 

 気分よさそうに全員を手招きする玉兎。ルイズは話を区切り、彼女に平然とついていった。もちろん魔理沙達も。一方のキュルケ、タバサは少々気後れ気味。

 ほどなくして着いた場所は、村の端にある一軒家。この村の中では大き目の家だ。家の前に立ったタバサは息を飲む。引き締まった顔つきで。様々な感情が、渦巻いている面持ちがあった。

 

「ここに母さまが……」

「ここが……ね……」

 

 隣にいるキュルケも、背筋に強張っているのを否定できない。一方のルイズ達は、鈴仙に案内されるまま気安く家へと入っていく。しかし、足が重い雪風と微熱。すると中から二人の少女が現れた。明るい表情と明るい声が、セットで二人に届く。

 

「どうぞ、入ってください」

「娘さんですね。待ってましたよ」

 

 出迎えてきたのは、やけに色白で鮮やかな黒髪の少女達。ところが歓迎する彼女達に、思わず身構えてしまうタバサとキュルケ。何故なら……少女達の口元から二本の牙が覗いていたから。

 

 タバサの母親が世話になっているこの家。ここの主は、吸血鬼だった。

 

 

 

 

 



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母娘

 

 

 

 

 

 家から出てきた色白の二人の少女。楽しげな笑みを見せる口元には、牙があった。思わず杖に手が伸びてしまう、キュルケとタバサ。

 

「きゅ、吸血鬼……!」

 

 強張った声色の微熱。固い表情の雪風。

 

 ハルケギニアの吸血鬼は、エルフを除けば最も恐ろしい妖魔として知られている。もはや常識の範疇。しかもタバサは以前、北花壇騎士団の仕事として吸血鬼退治をこなした経験がある。吸血鬼というものを肌で知っていた。キュルケにとっては知識だけの存在だ。しかし、こうして直に会った事で、恐怖感をリアルなものにしていた。

 一方の少女達、タバサ達の態度を見て、すぐに察する。態度の理由を。

 

「あ!」

 

 一言漏らすと、牙を引っ込めた。吸血鬼は血を吸うときのみ牙を出す。牙が見えない今の姿は、もう人間と区別がつかない。さらに彼女達は追いうち。

 

「食事をしてたもんで、つい……。驚かせちゃって、ごめんなさい」

 

 失敗をごまかすような人懐っこい笑みを浮かべながら、頭を下げる吸血鬼。当たり前かのように。

 二人は気遣いのつもりだったが、逆にキュルケ達の顔は真っ青。食事をしたという事はすなわち、ついさっきまで血を吸っていたという意味。つまり人間が犠牲になったと同義。

 

「あ……あなた達……!」

 

 キュルケはさらに警戒感を強める。もう杖を抜いていた。すると家の中から出てくる軽い声。ルイズだ。

 

「何やってんのよ。さっさと入りなさいよ」

「だ、だって吸血鬼よ!?」

「あらかじめ、話したじゃないの。タバサの母さま、吸血鬼に預けてるって」

「そ、そうだけど……!」

 

 珍しく余裕のないキュルケ。そんな彼女にルイズは何をモタモタしているのかという、うんざりした顔。

 

「いつまでも扉開けてたら、寒いでしょ。ほら、入るわよ」

「ル、ルイズ!」

 

 ちびっ子ピンクブロンドに、強引に手を引っ張られるキュルケとタバサ。仕方なしに家へと入る。やがて扉が閉じられた。

 中では人妖達が、お茶を飲みながらくつろいでいた。力を抜いているのはルイズも同じ。二人の吸血鬼の横に立つと、いつもと変わらぬ態度で話しだす。

 

「えっと、紹介するわね。ここの主のダルシニとアミアス。あらためて言うけど、彼女達にタバサの母さまのお世話を頼んだの」

「はじめまして。ダルシニです」

「アミアスです。お話はルイズお嬢様より伺ってます。キュルケさん、タバサさん」

 

 ダルシニとアミアスはにこやかに礼をする。さきほどと同じく人懐っこそうに。対する二人。タバサは一応名前を告げたが、キュルケは頬を引きつらせるだけ。

 確かに、今まで幻想郷の人外と付き合ってきた。しかし彼女達は、基本的に人間に危害を加えない。迷惑はかけるが。しかし吸血鬼は違う。命を奪う存在だ。同じように接しろというのが、無理というもの。

 キュルケは急にルイズを引っ張り込むと、耳元でささやいた。

 

「あなた分かってんの!?吸血鬼よ、吸血鬼!」

「だから大丈夫だって。吸血鬼って言っても、いろいろいるのよ。妖怪にもいろいろいたでしょ?それと同じよ」

「だ、だって、食事してたって言ってたわよ!」

「ああ、ちょっと早めに来ちゃったから、邪魔しちゃったわね」

「は!?何、バカ言ってんのよ!食事したって事は……」

「あ~もう、面倒くさいわね!」

 

 ルイズは鬱陶しいと言わんばかりに、彼女を振りほどくとテーブルへ向かった。そして一杯のグラスを手に取る。底には赤い液体が溜まっていた。まさしく血であった。

 

「ル、ルイズ……。血じゃないの!」

「そうよ」

「そ、そ、そうよって……」

 

 キュルケ、唖然。人外と付き合いすぎて、感覚がおかしくなってしまったのかと思うくらい。するとタバサが彼女の袖を引っ張る。

 

「落ち着いて」

「落ち着いてぇ!?タバサ!あなたの母さま、吸血鬼に……」

「グラスに血があるという事は、直接噛みついて血を飲んだ訳ではないという事」

「え?」

 

 さっきまでの余裕のない仕草が、ピタリと止まる。

 肌に牙を立てて血を飲めば、グラスなど使う必要はない。しかしその場合、相手は屍人鬼となってしまう。しかし一旦抜き取った血を飲むなら、そんな事は起こらない。だが気になるのはその方法だ。疑問を解くためルイズの方へ振り返と、颯爽とした声が届いた。

 

「どうやったのか?なんて思ってるでしょ?」

 

 いたのは、余裕の笑みの鈴仙。やけに胸を張って。不思議そうな二人を前に、右手を高々と上げる。その手には、何か掴まれていた。

 

「これが、その答えです!」

 

 そう言って、キュルケとタバサに見せたのは、ガラスの筒。ガラスの筒の先には、細い針がついていた。逆方向には引手があり、小さなポンプに見える。ルイズがまず説明。

 

「注射器って言うそうよ」

「何よそれ?」

「血を体から直接とったり、逆に薬を入れたりする道具なんだって。幻想郷では、そう珍しくないものらしいわ。私も紅魔館で見たことあるし」

「へー……そんな道具があるの」

 

 ガラス管に見入るキュルケ。鈴仙は経緯を話し出す。

 

「二人が食事するの苦労してるって聞いて、思いついたの。レミリア達を思い出してね」

「レミリアって……前に来てた幻想郷の吸血鬼?」

「うん。彼女達の食事も、一旦採血してから飲むそうよ。その血を直接飲んだり、飲み物や食べ物に混ぜたりするんだって」

「へー……」

 

 ただただ感心の声を漏らすだけのキュルケとタバサ。鈴仙の得意げな解説は続く。

 

「それで、私がカリーヌさんに頼んだの。注射器作れないかって。で、ヴァリエール家お抱えの職人が作ったのが、これ。でも、それだけじゃないわ」

「他にも何かあるの?」

「注射器で血を取るのって、手間がかかるの。他の道具も必要だし。消毒用アルコールの作り方や、血管の見つけ方、刺し方、止血、使用後の手入れとかね。今、いろいろ教えてる最中」

「あなた、実はすごい医者?」

「こう見えても、無二の薬師の弟子だからね!」

 

 やけに上機嫌な玉兎。ルイズが付け加える。

 

「そういう訳で、ダルシニ達が、人を噛む事はないわ」

 

 さらにダルシニが加わる。

 

「はい。私たちにとって鈴仙さんは、もう、なんと言っていいか……本当に、恩人なんです。もちろん注射器作っていただいた奥様にも、いっぱい感謝してますよ」

 

 本当に嬉しそうに言うダルシニ。同じく笑顔のアミアス。今まで警戒していたキュルケとタバサも、さすがに緊張を解く。すると今度はアミアス。

 

「ですから、タバサさんのお母さんのお世話は、喜んでやりたいと思ってます。ルイズお嬢様のご友人のお母さんですから」

「……」

 

 タバサ、唖然として優しげな吸血鬼に見入ってしまう。やがて、ぎこちなく頭を下げた。

 

「その……ありがとう……。えっと……、ミス・ダルシニ、ミス・アミアス」

「ミスなんてつけなくっていいですよ。ダルシニ、アミアスって呼んでください」

 

 ダルシニとアミアスは、変わらぬおだやかな表情を浮かべていた。さらに小さくなって、気持ちの置き場に困っているタバサ。口元がつい緩んでいた。ただ一方で別のものが頭を過った。もし、もっと以前に注射器があったのなら、自分は吸血鬼を殺さずに済んだのではないかと。あの子供の姿をした吸血鬼を。

 そんなタバサを余所に、ルイズが鈴仙に尋ねる。

 

「話は変わるんだけど、ちい姉さまの具合はどう?」

「順調よ。会えば分かると思うけど、大分長く動けるようになってきてるから」

「え!?ホント!?」

「うん」

「ありがとう、鈴仙」

「師匠の薬のおかげだけどね。それに私、あんまりあっちに行ってないから」

 

 頭を掻きながら、ごまかすように笑う鈴仙。ルイズ、キョトンとしたまま。

 

「なんでよ?」

「タバサのお母さんの方に、手が一杯で。目覚ますと、いつも大騒ぎだったし。幻術使ったり、ダルシニとアミアスに手伝ってもらったりして。なだめるのに、時間かかっちゃって」

 

 ただでさえタバサの母親は、正気を失っている。そんな彼女が、見知らぬ家で見知らぬ人物に世話されるのだから。しかも人外に。騒ぎになるのも無理はなかった。

 オルレアン家の執事、ペルスランがいればかなり違っただろうが、彼は神隠しの証人という都合上、真相を教える訳にはいかない。未だオルレアン邸で気を揉んでいるだろう。

 もっとも手がかかったと言っても、鈴仙、ダルシニ、アミアスは能力持ち。能力を発揮して治療に当たったので、対応は十分できた。ここは隠棲場所として最適なだけではなく、治療場所としても最適だった。

 その時、申し訳なさそうな声が二人に届く。うつむいたままのタバサだった。

 

「……ごめんなさい……。鈴仙……ルイズ。ダルシニとアミアスも……」

「「あ」」

 

 鈴仙とルイズは気まずい顔つき。つい口を滑らしたと。

 

「あ、えっと……タバサの母さまの病気の方が重いもの、別に私はかまわないわ。ちい姉さまの治療も、上手くいってるみたいだし」

「わ、私も、こう見えても薬師の弟子だから。病人を助けるのは当然だもの。大した手間じゃないわよ」

 

 無理に作った笑顔だが、悪気は感じられない。ダルシニ、アミアスもこの村で医者として働いていたので、病人の治療は苦ではないと笑顔を向けていた。

 タバサは言葉をかける四人を、茫然と見つめる。あからさまな、無防備な表情で。気づくと、瞳が潤んでいた。胸を満たすものがあった。そしてまた礼を口にしていた。何度も、何度も。そんなタバサに、柔らかい視線を送る鈴仙やルイズ達。

 

 やがて月の玉兎は本題に入る。

 

「さてと。それじゃぁタバサ。今からお母さんに会う?」

「……うん」

「分かったわ。じゃぁ、ついて来て」

 

 二人は、母親を療養している部屋へと向かった。ルイズとキュルケも続く。

 さらに吸血鬼姉妹が続こうとする。しかし、止める声が入った。寝間着の魔法使いが、顔を向けている。

 

「ダルシニ、アミアス。ちょっといいかしら。話があるんだけど」

「え?なんです?」

 

 足を止めたダルシニ。パチュリーに言われるまま、彼女の対面に座った。二人の前には、腹に一物ありそうな魔女達の顔が並ぶ。さっきまでの温かみのあった気持はぶっ飛び、嫌な予感が出てくる。背中に冷たいものが走っていた、ダルシニ、アミアスだった。

 

 

 

 

 

 タバサ達は、階段を上がる。二階は狭く二部屋のみ。大き目と言っても、所詮は農村の家だった。鈴仙を先頭に廊下を進み、奥の部屋へ向かう。そして扉の前で、立ち止まった。

 

「ここよ」

「……」

 

 息を飲むタバサ。脳裏に浮かぶのは、今までの光景。母親が毒を飲んだ時からの。実家の母の部屋にあったのは、彼女を敵のようになじる母親。あの出来事以来の日常。

 母親が毒に侵されて以来、仇であるガリア王家の言われるがままに、タバサは多くの任務をこなした。中には、死にかねないものすらあった。それでも、母がいずれ治ると信じて続けた。

 だが、積み重ねた成果が、報われる事はなかった。そこまでしても手に入らなかったものが、この扉の先にある。タバサはゆっくりと、扉に手を伸ばす。そして、開けた。

 

 部屋の中は、淡い光に照らされていた。明かりが一つだけ灯る朧な部屋の中に、ベッドが一つ。そのベッドの上で、身を起こしている女性が一人いた。下を向いて本を読んでいる。タバサの視線が、釘づけになる。体が動くのを忘れたかのように、身が固まる。しかし、口元だけは勝手に動いていた。

 

「母さま……」

 

 女性は、声に釣られるようにタバサ達の方へ視線をずらす。タバサに目の映った彼女の表情。それはもう何年も見なかったもの。思い出の彼方に追いやられたもの。

 

「シャルロット……?」

 

 かすかに聞こえた自分の名前。それは正気を失い、人形を呼ぶときのものではない。確かに自分に向けられたものだと分かる。そう、分かる。タバサの中で、何かがはじけた。何年も押さえつけていたものが。心の底に沈めていたものが。

 

「母さま……。母さま!」

 

 薄藍の短い髪を振り乱し、駆け出す。杖を放り投げ、両手を広げる。そのまま母親の胸へと飛び込んだ。

 

「母さま!母さま!」

 

 むせび泣く声が、質素な農村の家に響く。

 ベッドに顔をうずめるタバサの頭をやさしく撫でながら、女性、オルレアン公夫人は声をかけた。母親の声を。

 

「シャルロット……。シャルロットなのね。すいぶん大きくなったわね」

「うん」

「眼鏡かけるようになったの?」

「うん……。本ばかり読んでたから、目悪くしちゃって……」

「まあ……。いっぱい勉強したのね」

「うん」

「それじゃぁ、母さまにいろいろ教えてくれる?」

「うん!」

「……ずいぶん待たせちゃって……ごめんなさい。シャルロット……ありがとう」

「……!」

 

 母親の胸元で泣き続けるタバサ、シャルロット。それからしばらく、親子の会話は続いた。長い間失っていたものを、取り戻すかのように。

 ルイズ達も皆涙ぐんでいる。特にキュルケは、化粧が崩れるくらい目に涙を浮かべていた。

 

「タバサ……。ホント良かったわ……。ホントに……」

「うん。うん」

 

 ルイズも目元をぬぐいながら、うなずくしかできない。

 

「やっぱこういうの見ると、薬師やってて良かったぁって思うなぁ。うん」

 

 鈴仙も余計に赤くなった潤んだ目で、絵画のように抱き合う親子を見つめている。ここにいる皆が、等しく胸に抱いていた。幸福という言葉を。

 

 

 

 

 

 さて、二階で皆が感涙に胸を満たしている頃。一階では何が起こっていたかというと……吸血鬼姉妹の引きつった顔があった。平然としている魔女を前に。アミアスの慌てた声が飛び出てくる。

 

「え!?決闘!?」

「そ」

「な、な、何でですか!?」

 

 ダルシニが、身を乗り出していた。瞼を文字通り目一杯広げて。

 

 二階へ向かおうとした二人を呼び止めたパチュリー。ダルシニ達はその寝間着魔法使いから、想定外の頼み事をされる。なんと天子と決闘して欲しいという。

 

 比那名居天子。以前、この村の復旧作業の時に、二人は紹介を受けた。ルイズの使い魔と。だが、その素性は天使。使い魔の範疇に収まるものではない。さらに復旧作業中に、彼女の常軌を逸した能力を目にした。実は、この村のはずれの森が、一部、平地となっている。天子とスカーレット姉妹が、木材切り出し競争なるものをはじめ、わずかな時間で真っ平にしてしまった痕跡だった。やりすぎて騒ぎになったのだが。二人はその時の光景を、今でも覚えている。素手で、木材を人参でも切るかのように薙ぎ、切り株をじゃがいも掘り出すかのように引っこ抜く。オークどころではないその有様を。

 

 元々、戦いは不得意な二人。カリーヌ達と共に世界を駆け巡った時も、もっぱら裏方だった。そもそも吸血鬼は妖魔とはいえ、戦闘能力自体はそう高くない。例え二人がかりでも、天子に勝てる自信なんて微塵も湧かなかった。

 

「無理、無理、無理、無理です!」

 

 二人はユニゾンして、首を必死に振る。パチュリーは、そこまで拒否するのかと思いながらも、変わらぬ態度。

 

「誤解させちゃったかしら。本当の決闘じゃなくていいのよ。あえて言えば……決闘ごっこ?」

「決闘ごっこ?」

「ええ。だから怪我したりしないから、安心して」

「はぁ……。ですけど、なんで決闘なんて?」

「先住魔法……精霊の力を、教えてもらいたいのよ」

「精霊の力を?でもなんで決闘?それに、習って身に着くようなもんじゃないですよ」

 

 先住魔法は妖魔だからこそ使える。習えば誰でもできるという類のものではない。しかし紫魔女は、わずかに首を振った。

 

「そういう意味じゃないわ。知識として学びたいという話よ。決闘も、実戦データが取りたいからってだけ」

「ですけど……」

 

 理由は分かるが、やはり天人とやり合うのは無茶すぎる。渋い返事しか出せない二人。そんな彼女達の気持ちを意に介さず、天人がにこやかに誘ってきた。二人の軽く肩を叩きながら。

 

「てな訳だから、後でねー」

「後でって……今日!?」

「だってもう用ないし。私、最近、碌でもない用しか回ってこないから、パーってやりたいのよねー」

 

 やけに楽しそうに、自分の都合だけ言う天人。ダルシニ達の都合の方は、頭の隅にも浮かばなかった。当の双子の吸血鬼に浮かぶのは、冷や汗だけ。悪い展開しか思いつかない。しかしアリスが、淡い笑みでフォロー。

 

「大丈夫よ。私たちが付き添うから、大事にはならないわよ」

「ヤバくなったら私が天子、張り倒すぜ」

 

 魔理沙も、二の腕を叩きながら、頼もしげにフォロー。それが癪に障ったのか、天人が、因縁込めた視線を白黒魔女へ向ける。

 

「へー。あんたが私をねー」

「できねぇとか思ってんのか?」

「思ってる」

「んじゃぁ、証明してやるぜ」

 

 非想非非想天の娘と普通の魔法使いの睨み合い。路上でチンピラ同士が罵り合うような、険悪な空気が漂う。呆れた衣玖が、電撃放とうかという雰囲気も加わって余計に。もっともそれに慌てているのは、ダルシニ、アミアスだけだったが。そのせいか、つい口が開いていた。

 

「わ!分かりました!怪我しないんだったら……その……お引き受けします……」

「わ、私も構いません……」

 

 勢いで、決闘を了解してしまう二人。直後に後悔するが、もう後には下がれない。それにルイズと恩人である鈴仙の知人だ。無碍には断れないのも確か。消沈している彼女達の回答に、パチュリーはそっけなく返した。

 

「そう。ありがとう」

 

 苦笑いで礼を受けるだけの吸血鬼姉妹。

 

 やがて、階段を下りてくるルイズ達が見えてきた。みんな目元が赤くなっている。ただ顔つきは柔らかい。一階の連中も、何があったかを察した。

 一階にルイズ達が来ると、魔理沙が声をかけた。

 

「後は、ルイズのねーちゃんだけだな」

「うん」

 

 すると鈴仙が、勢いよく胸を叩く。

 

「任せて!しっかり治すから」

「鈴仙。頼りにしてるわ」

「へへ……」

 

 照れ笑いを浮かべる玉兎。

 

 ほどなくして少し落ち着いたのか、タバサが一同の前に出た。そして全員を見渡していく。顔、いつもの無表情とも思える顔つきとは違い、喜びが覗いている。そして一呼吸置くと、一言だけ、しかしハッキリと言葉にした。

 

「みんな……ありがとう」

 

 下がった頭はなかなか上がらず、体中で感謝の気持ちを伝えたいかのよう。そんな彼女に、パチュリーが一言。

 

「ま、こっちも要求したものがあったものね。お互いさまよ」

 

 相変わらずの抑揚がない。他のメンツも大した反応はなし。ただ皆、少々顔が緩んでいたが。そんな淡泊な反応は、逆にタバサの気持ちを軽くする。人妖達の恩に気負いを感じていた彼女には、むしろありがたかった。そして気づかない内に、笑みを零していた。おそらくキュルケすら見た事ないであろう、自然な笑みを。

 

 やがて全員は椅子に座り、お茶と茶菓子を囲みくつろいでいた。大イベントが終わったとばかりに。その時、タバサがふと、大事な要件を思い出す。

 

「ルイズ」

「何?」

「みんなにも話がある」

 

 全員を見る顔つきはさっきまでと違い、真剣味を帯びていた。おしゃべりを止めて、タバサの方へ顔を向ける一同。

 

「シェフィールドに、ルイズを一人で連れて来るように言われた。母さまを治す薬を条件に」

「連れて来るって……ガリアまで?」

「分からない。細かい話は後ですると」

 

 ルイズが、唸るように表情を曇らせる。シェフィールドの考える事だ。どうせ、ろくでもない企みには違いないだろうと。だがそれを聞いた異界の人妖達は、逆に喜んでいるかのよう。チャンスが舞い込んできたとばかりに。

 ヴェルサルテイル宮殿に忍び込んだ時に、確認できたものがある。『始祖のオルゴール』の行方だ。だが行方不明になったはずのものが、何故宮殿にあったのか、その理由が分からない。この謎を解くために、シェフィールドには用があった。

 魔理沙が不敵に口を開く。

 

「丁度いいぜ。ふん捕まえようぜ」

 

 そう言いながら、パチュリーとアリスに視線を送る。うなずく二人。

 

「オルゴールの件は、まだ解明してないもんね」

「向こうから来るって言うなら、好都合だわ」

 

 二人の魔女も一も二もなく賛成。そして今度は、パチュリーからルイズ。

 

「ルイズ。あなたには、囮になってもらうけどいいわね」

「うん。いいわよ。私も、訳が知りたいから。一言いってやりたいし」

 

 阿吽呼吸とばかりに、ルイズはすぐさまうなずいていた。シェフィールドに対し囮になるという危険な役目だが、それでもなんとかなる。何度もチームを組んで、いろいろと仕出かした者同士。お互いの力を信頼しきっていた。

 するとキュルケが、ルイズの返事に反応。

 

「何よ。一言って」

「だってアイツが、トリステインに余計な事ばっかするから、私があっちこっち飛び回るハメになったんだもん。おかげでアルビオンじゃぁ危ない目にあったし、無断欠席しちゃうし、家に帰ったら母さまに怒られるし、徹夜で土いじりさせられるし……。もう、鬱陶しいから、おとなしくしてろっての!」

「あら?それ、原因シェフィールドじゃなくない?」

 

 キュルケの言う通り。前者二つはルイズが魔理沙達の保証人になったのが、元々の原因。後者二つは帰郷の時、レミリア達から目を離したのが原因。どちらもルイズ自身の配慮不足から来たもの。図星だったのか、ルイズは声を荒げてごまかしに走った。

 

「と、とにかくよ!トリステインにとっては迷惑なの!」

「はいはい」

 

 投げやりな答えだけの微熱。周りの連中も、二人の茶番を馴染みの光景として流している。

 

 とりあえず用事が全て終わり、しばらくは他愛もない雑談が続いた。やがてルイズが切り出す。

 

「それじゃぁ、そろそろ帰ろうかしら。もうかなり遅いし」

 

 実は今日は平日。明日も授業がある。できればこのまま、実家に帰りカトレアを見舞いたかったが、そうもいかない。ともかく、タバサの母親が治った事を確認できただけでも、十分意義はあった。

 ルイズは双子の吸血鬼の労をねぎらう。

 

「いろいろ手間かけさせて悪いわね。ダルシニ、アミアス」

「いえいえ。人助けはやっぱり気持ちいいですから」

「そう言ってくれると、助かるわ」

 

 ルイズ、自然に礼を口にしている。そんな彼女をキュルケは、眺めるように見ていた。以前の彼女とつくづく変わったと噛みしめる。もっともこれが、迷惑な人妖に振り回されて後始末させられ続けたお蔭と思うと、なんとも微妙な気分だが。

 やがてルイズ、キュルケ、タバサが扉の方へ向かった。ダルシニとアミアスも、扉の傍に立った。ダルシニが見送る。

 

「今日は本当にお疲れ様でした」

「ううん。そんな事ないわよ。それじゃぁまたね」

「はい」

 

 家を出てくルイズ達。さて次とばかりに、残っている異界の来訪者達の方を向くダルシニ達。しかし……人妖は動かず。アミアスが苦笑いを浮かべていた。

 

「あの……みなさんは……?」

 

 まず口を開いたのが天子。しかし出てきたのは、アミアスへの答えではなかった。

 

「衣玖。ルイズ達、送ってやって」

「私が?総領娘様はどうされるのです?」

「まだ、こっちにいる。これから用があるから」

「そうですか。分かりました。一言いっておきますが、自重してくださいよ」

「もちろん。だって、すぐ終わったらつまんないもん」

「……。まあ、そのつもりがあるなら何も言いません。では失礼します」

 

 そう言って、衣玖はダルシニ達に軽く挨拶をすると、家を出て行った。だが他のメンツは、相変わらず。引きつったままの笑みのまま、双子の吸血鬼は一同の方を見る。

 

「あ、あの……お帰りは……」

「何言ってんの。やるって言ったでしょ。決闘」

 

 天人は忘れていなかった。いや、ここにいる誰もが。楽しげで、どこか不穏な笑みがズラッと並ぶ。流れに任せて、有耶無耶にしてしまおうと考えていたダルシニとアミアスだったが、思惑はみごとに砕け散っていた。

 

 それから一時ほど、天子とレミリア達が開墾した空地で、決闘が繰り広げられる。意気揚々の天人、好奇心一杯の三魔女、そして従者の悪魔。対する吸血鬼姉妹は半ば涙目。ダルシニ、アミアスは、異界の人妖の研究とやらにつき合わされながら、心の中で悲鳴を上げていたという。

 

 

 

 



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羽衣

 

 

 

 

 

 翌日の午後。幻想郷組のアジトのリビングで、アリスと魔理沙が紅茶を味わっている。白黒魔女が、茶菓子を一つ口に放り込むと、食べ物をいれたまま話し出した。

 

「とりあえずエルフは、なんとかなりそうだな」

「食べてから話しなさいよ」

 

 アリスの嫌そうな顔。そんな彼女に構わず、続ける魔理沙。人形遣いは、露骨に視線を魔理沙から逸らしながら、ダルシニ達の村での事を思い返す。

 

 ルイズ達が村から離れた後に、一つイベントがあった。双子の吸血鬼、ダルシニ、アミアスと天子の決闘だ。もっとも中身は、決闘というほどのものではなかったが。涙目で必死に立ち向かう吸血鬼と遊び半分の天人の、ちょっとした見世物みたいなものだった。傍から見れば、じゃれ合いとも取れるほどのもの。

 もっともこの面白味のない決闘から、魔女達が見出そうとしていたのは戦いそのものではない。それは先住魔法、精霊の力への対処方法。つまりはエルフ対策だ。このため天子は緋想の剣を使い、精霊の気配を探りながら戦っていた。

 結果分かったことは、自分たちの弾幕が非常に効果的だという点。なんといっても精霊を一回休み、もとい一定時間休止状態に持ち込めるのだから。さらに属性付きの術より、単なる無属性の術の方が効果的なのも分かった。これでビダーシャルが出てきても、何とかなる。魔女達はそう確信していた。

 

 アリスが次の一杯を注ぎながら、もう一つの話題を口にする。

 

「残るはガンダールヴの件ね」

「だな」

 

 魔理沙はつぶやくように返す。

 

「そう言やぁ、天子のルーンはどうだった?」

「残ってたわよ。一応ね。もっとも汚れかルーンか、区別つかないレベルだけど。それからまた"減って"たわ」

 

 ガンダールヴとビダーシャルを守った剣。魔女達その二つに、何か関係があると睨んでいた。アリスの立てた仮説は、何者かが天子のガンダールヴを奪い取り、使っているというもの。この仮説には、いろいろと問題はあるが、とりあえず確かめようという話になっている。

 最初に手を付けたのが、天子のガンダールヴ。確認した所、結果はアリス達の予想通り。また減っていた。ただこれが奪われているのか、単に契約が解除されつつあるのかまでは判断できないが。

 

 二人が減ったルーンについて憶測を並べていると、リビングのドアが開いた。そこにいたのは、パチュリーとこあ。さらに一振りの剣、デルフリンガー。こあに抱えられていた。パチュリーが席にかけながら言う。

 

「参考人、連れてきたわ」

 

 参考人に注目する魔理沙とアリス。参考人とは、もちろん6千年もののサビ剣の事。空いた椅子の上に置かれる。

 

「もう俺に用なんて、なくなったかと思ってたぜ。また妙なネタ、思いついたのか?」

「話を聞きたいだけよ」

 

 パチュリーの淡々とした答え。当のデルフリンガーは、呆れ気味の声を出す。何故ならこのインテリジェンスソードは、ほとんど記憶がない。彼女達には周知の事実。

 

「おいおい。散々試しただろ?何にも出てこなかったじゃねぇか。今さら聞いた所で、変わらないぜ」

「ものは試しってヤツだぜ。話、聞いてて、思い出すかもしれないしな」

 

 今度は魔理沙。デルフリンガーに肩があったら、竦めていただろう。仕様がないとばかりに、口をつぐむ。そしてアリスが本題を告げた。

 

「あなた、ガンダールヴに使われてた、って言ってたでしょ。そのガンダールヴについて知りたいのよ」

「う~ん……。そう言われてもなぁ。あんまし覚えてねぇし。まあいいや。なんか思い出すかもしれねぇ。いいぜ。言ってくれ」

「ガンダールヴは武器を自在に使うそうだけど、その武器、遠隔操作できる?」

「は?そりゃぁどういう意味だ?」

「具体的に言うと、100メイル以上離れた場所から、剣を操れるかって話。レビテーションのようにとりあえず動かすんじゃなくって、剣士が使うようにね」

「さすがにそりゃ無理だろ」

「それって確か?」

「いや、普通そうだろうって思っただけだ」

「はぁ……そう」

 

 うなだれるアリス。つまり、今までと同じ。このサビ剣は、肝心な所は何も覚えていないという訳だ。次はパチュリー。

 

「話を変えるわ。ガンダールヴの契約を他者が解約できる?」

「できねぇんじゃね?」

「それも、一般論?」

「てか、想像かな」

「そう……。分かったわ」

 

 紫寝間着の表情は大して変わらないようだが、こちらもやや落胆気味。やはり何も出てこないと。

 やがて用はなくなったとばかりに、こあがデルフリンガーを部屋へ戻そうとした。すると今度は、サビ剣が話し出す。

 

「そうだ。言いそびれてたんだが、あんたらに教えておこうと思った事があってな」

「なんだよ」

 

 茶菓子に手を伸ばそうとしていた魔理沙が止まる。話を続けるデルフリンガー。

 

「前に、あんた達がアルビオンに行って、ここ留守にした時があったろ?」

「ん~、チラシ配りの時か?」

「そうそう。チラシだ。チラシ。そん時な、見かけないヤツが入ってきた」

「ここに入れた?誰だ?」

 

 魔女達は得るものがなく白けていた気分を、一斉に引き締める。何故ならここは結界で守られており、外から入るのは不可能だからだ。結界を破らない限り。しかしこのアジトに居ついて以来、結界が破られた形跡はない。

 インテリジェンスソードの話は続く。

 

「部屋に入ってきたのは小さな子供だったぜ。ただし、頭に兎の耳がついてた。けど鈴仙のねーちゃんとは大分違う感じだ。ずっと短い」

「子供に短い兎の耳だぁ?そいつ、短い癖っ毛の黒髪のヤツだったか?後、目が赤かったか?」

「おお、そうそう」

「てゐのヤツか……」

 

 顎を抱え、難しい顔をする魔理沙。他の二人も眉をひそめる。

 因幡てゐ。鈴仙と同じ、永遠亭の住人だ。ただし、一癖も二癖もある人物、もとい妖怪で、一筋縄でいかない相手だ。それがハルケギニアに来ていたとなると、何かあると勘ぐるのが当然というもの。

 

 アリスがまず口を開いた。

 

「いたずらしに来た、ってハズないわよね」

「だよな。何も起こってねぇし。いたずらのために、ワザワザ異世界に来るってのも考えにくいぜ」

 

 魔理沙はうなずく。パチュリーも同意。

 

「でも私たちは、彼女を見てないわ。幻想郷へ帰るには、ここを通るしかないのに。つまり、来てから大して間も置かず帰ったって話になるわね。しっかりした目的があって来た、って事かしら」

 

 すると魔理沙が、デルフリンガーに尋ねた。

 

「なぁ。てゐ……うさぎ耳の子供、様子はどうだった?」

「何か探してるようだったかな」

「探し物?けど、何かなくなったって話はないぜ。って事は見つからなかったって訳か?」

 

 白黒魔法使いは、難しい顔のまま。すると椅子に寄りかかり、反るように後ろを向いた。リビングの壁にある祠の方へ。

 

「ラグド。黒髪の兎耳が生えた子供見なかったか?」

 

 祠に祭ってある水瓶から、にゅうっと水で形作られた顔が現れる。ラグドリアン湖の水の精霊こと、ラグドだ。

 

「覚えはない」

「この部屋には入らなかったか……。何でだ?」

 

 ますます顔を顰める魔理沙。それはアリスとパチュリーも同じ。何かを探しに来たなら、全ての部屋を覗くハズ。それが何故か、リビングは外したらしい。今一つ、てゐの意図が読めない。

 考え込んでいる三魔女を余所に、デルフリンガーから場違いな声が出てくる。

 

「話は変わるけどよ、ちょっと聞いていいか?」

「なんだよ」

「あの水瓶の顔はなんだ?」

「ん?ああ、まだ紹介してなかったか。ラグドリアン湖の水の精霊だぜ。私らは、ラグドって呼んでるけどな」

 

 デルフリンガーが抜けた声を上げる。

 

「え!?ラグドリアン湖の水の精霊か?」

「あら?記憶がないって割には、よく知ってるのね」

 

 不思議に思ったパチュリーが、素直に疑問を口にしていた。濁すような声が、デルフリンガーから漏れる。

 

「あ……。まあ……な。最近の話ならな。武器屋にいたとき、おやじやら客やらと結構話したし」

「あらそ」

 

 相も変らぬ素っ気ない態度の紫魔女。

 

「にしても、水の精霊までいるなんてよ。ホントここは、化物屋敷だぜ」

 

 自分も話す剣という、付喪神まがいなくせに、そんな事をつぶやいていた。

 やがてアリスが、仕切り直しとばかりに話を戻す。

 

「とにかく、あの子がハルケギニアに用があるとは思えないから、永琳から何か頼まれた……って考えるのが妥当でしょうね」

「おそらくね。問題はその目的」

 

 パチュリーの返答に、うなずくアリスと魔理沙。

 てゐには厄介な能力がある。それは、他人に幸運を与える力というもの。幸運が訪れるというだけで、具体的に何が起こるか予想ができない。かなり対処のしづらい能力だった。もっとも幻想郷での彼女は、それをいたずらに使う事が多く、何が起きても些細なものでしかなかった。しかし永琳から頼まれたとなると、話は違ってくる。

 

 ぼやく魔理沙。

 

「永琳のヤツ、また何か企んでんのか?」

「というより神奈子達。あの連中がみんなかもね。紫も出てくるかもしれないわね」

 

 パチュリーは紅茶を一口含みながら、つぶやく。

 魔理沙達は、永琳も含めた神奈子達からハルケギニアの調査を依頼されている。転送陣の構築の代償として。しばらく様子見と聞いていたが、事態が変わったらしい。勝手に動きだしたようだ。自分たちに無断で。もちろん魔理沙達は連中とチームを組んでいる訳ではない。神奈子達が連絡する必要はないが、面白くないものは面白くない。

 アリスが何かを思いついたように、うつむいていた視線を上げる。

 

「もしかして……ガンダールヴの件も、てゐの仕業なのかしら?」

「間接的な可能性はあっても、直接的にはないでしょう。あの子の能力は、その手のものとは違うから」

「鈴仙にも妙な命令だしてたし……。何考えてんのかしら?」

「直接聞いてみる?」

「ごまかされるだけでしょ」

「それもそうね」

 

 肩をすくめる動かない大図書館。

 

「てゐが絡んでるとなると、想定外の何かがあるかもしれないわね」

「どっちにしても、事が起きてからじゃねぇと手の打ちようがないぜ」

「まあ、その通りだけど。頭の隅にでも置いときましょ」

 

 そう言って、パチュリーは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。そんな彼女を目で追うアリス。

 

「どこ行くのよ」

「タバサ達とシェフィールドの件、少し詰めておこうと思って。そっちは手が付けられるし」

「ああ、あれね……」

 

 アリス達はうなずくと、後片付け始めた。魔理沙も立ち上がり部屋を出ようとする。しかし足を止めて振り返った。

 

「そうだ、忘れてたぜ。ラグド。頼み事が一つあるんだが、いいか?」

「聞くだけ聞こう」

「実はな……」

 

 魔理沙はラグドから了解を取ると、パチュリーの後を追った。アリスも彼女に続く。そしてデルフリンガーは、こあが魔理沙の部屋へ戻した。

 一人、いや一振りポツンと残される6千年の年代物。

 

「ホント、厄介だよなぁ全く。餅は餅屋ってか?これで、なんとかなるのかねぇ……」

 

 デルフリンガーは、ぼやくように独り言を漏らしていた。

 

 

 

 

 

 三魔女がアジトで頭を悩ましている頃、ルイズは解放感に気持ちを緩めていた。もっともその理由は、今日の授業が終わったというだけだが。

 寮への廊下を進むルイズ。すると後ろから、キュルケの呼ぶ声が聞こえた。振り向くピンクブロンド。タバサがいっしょに目に入る。

 

「ん?何か用?」

「パチュリー達に頼みがあるのよ。で、あなたに間に入ってもらおうと思ってね」

「何よ」

「さっき考えたんだけど、転送陣、あちこちに置けない?」

「なんで?」

「便利だからに決まってるでしょ。一瞬で移動よ?馬も、馬車もいらない。私だって、タバサにシルフィード出してもらわないで済むし。タバサも、母さまに簡単に会えるわ。あなただって、実家に一瞬で移動できれば、姉さまいつでも見舞えるじゃないの」

「そっか……。悪くないわね」

 

 腕を組んで考え込むルイズ。

 幻想郷組は神隠し作戦で、携帯用の転送陣を使っていた。設置も簡単な優れもの。ならば良く行く場所に置いておけば、これほど便利ものはないという訳だ。しかし問題があった。ルイズが口にする。

 

「それはいいけど、転送陣どうやって動かすのよ。あれって、弾幕で発動するのよ。キュルケ、使えないでしょ。弾幕」

「だから出かける時に、ルイズに付き合ってもらうの」

「何、勝手言ってんのよ」

「いいじゃないの。少しくらい」

「だいたい、あんた使う必要そんなにないでしょ」

「あるわよ~。だってトリスタニアにも仕掛けるんだから」

「はぁ!?じゃぁ……遊びに行く度に付き合えって言うの?」

「そうなるかしらねぇ」

「あんたねぇ……」

 

 ルイズの目つきが鋭くなる。タバサに世話をかけたくないと言いつつ、自分にはいいのかと。しかしキュルケは余裕の態度。

 

「あら、いいのかしら。あたし、ヴァリエール家が吸血鬼匿ってるって、知ってんのよ」

「お、脅す気ぃ!?」

 

 トリステインの大貴族、ヴァリエール家が妖魔を匿っているなどがバレたら、スキャンダル所ではない。しかも、教義にうるさいトリステインではなおさらだ。しかしそこに、威圧感を漂わせた声が挟まれた。なんとタバサから。

 

「バラしたら、キュルケを嫌いになる」

 

 タバサがジッとキュルケの方を見ていた。相変わらず乏しい表情だが、眼鏡の奥の視線だけは突き刺すよう。身動きできず、引きつった笑いを浮かべるしかないキュルケ。

 

「じょ、冗談よ……」

「……」

 

 雪風少女はとりあえず、視線に宿らせた矛を収める。ルイズはタバサにとっては、もう大切な人間の一人になっていた。これまでの出来事もあるが、母親を助けてもらったのが何よりも代えがたい。

 その彼女が、ルイズの方へ向く。

 

「だけど、私も出来れば頼みたい」

「え……」

 

 彼女の意外な言葉に、今度はルイズの方が固まってしまう。キュルケと同じ事を言ったからではない。タバサが頼み事をしてきたからだ。母親の治療のような切実なものを除けば、タバサは頼まれる事はあって、誰かへの頼みを口にするなどまずなかった。

 ルイズは思わず、うなずいてしまう。

 

「え……ええ。うん……。パチュリーに聞いてみる……」

「ありがとう」

「……うん」

 

 呆気に取られるルイズ。タバサの無表情ながらも、どこか喜んでいる仕草に。今度はキュルケが、唖然としている。

 

「タバサ……。あなた……なんか変」

「……。そうかもしれない」

 

 口元わずかに緩めると、タバサは先へと進む。颯爽とした雰囲気を漂わせつつ。そんな後ろ姿を、奇妙な目つきで見つめる虚無と微熱。

 

 だがそんな三人の微妙な空気を吹き飛ばすものが、耳に入った。外から。

 

「みなさん、どいてください!危険ですから!とにかく、寮に戻ってください!」

 

 コルベールの叫ぶ声が届く。キュルケの表情が急に明るくなった。なんと言ってもここ数日、彼は出張のため不在だったのだから。

 

「ジャン!帰ってきたのね!」

 

 すぐさま走り出していた。声のした方へ。それをルイズは、生暖かい目で見送る。

 

「相変わらずだわ。あの色ボケは。ミスタ・コルベールのどこがいいんだか。私にはサッパリ」

 

 呆れてはいたが、足の向きはキュルケと同じく声の方へ。何故なら、彼女もやはり興味があったから。実は彼の他に、生徒たちのざわめく声も聞こえていた。騒ぎというほどではないが、イベントがあるのは確からしい。つまりは野次馬である。ルイズはタバサも誘うと、キュルケの後に続いた。

 

 騒ぎの震源地はアウストリの広場。そこでは人垣が、衛兵達によって散らされていた。文句をつぶやきながら、建物へと戻っていく生徒達。開いた人垣の隙間から見えたものは、奇妙な形をした緑の物体だった。風竜ほどの大きさがあるが、どうも、鉄で出来ているように見える。

 

 先に向かったキュルケは、異様な物体などに目もくれず、コルベールに向かった。数日ぶりに見る愛する相手に、愛想を振りまく。もっともコルベールの方は、相変わらず困った仕草をするばかりだったが。

 ルイズとタバサはそんな二人を一瞥すると、物体の方へ目を移す。筒状の本体に薄い板が、計五枚出ている。特に本体の中心辺りから伸びる板はかなり長い。そして本体の太い方の端には、三枚羽の風車がついていた。

 

 タバサは茫然として物体を見つめる。無理もない。今まで見た事もないものだ。それはルイズも同じ。いや同じはずなのだが、どういう訳か、初めて見た感じがしない。異質感を覚えない。この居心地の悪い感覚に戸惑っていると、上から声が届いた。

 

「おいおい、なんだよこれ」

「なんで、こんなのがあるの?」

 

 見上げた先にいたのは三魔女、魔理沙にアリスにパチュリーだった。タバサ達と話をしようと、学院に来た彼女達だが、騒ぎの方が気になりここに飛んできた。

 三人はすぐにコルベールの元に下りる。やけに楽しそうに迎える禿教師。新しく手にしたおもちゃを、見せびらかせる子供のよう。

 

「これはみなさん」

「どうしたんだよ、これ」

「ダルブの村に、あったのですよ。実は先日、村周辺で地震があり、その調査中にたまたま見つかったのです」

「地震?」

 

 地震というキーワードに、顔を顰める魔理沙。それはアリスとパチュリーも同じ。この所の怪現象の共通項だけに。

 コルベールは話を続ける。

 

「はい。ただタルブ周辺は、アルビオン軍が本陣を置いていた場所。領主も神経質になっており、騎士団を派遣したのです。そして、これを発見したという訳です」

「って事は、隠されてたのか?」

「いえ。寺院にありました。村人は、これが何か分からず安置していたようです。確かに寺院に置きたくなるような、変わった形をしていますしね」

「ふ~ん……」

「その場で、これの簡単な分析がされました。村人の話では空を飛べる道具という話でしたが、マジックアイテムではありませんでした。結局、判明したのはせいぜい機械らしいという事だけ。領主は、アカデミーに問い合わせたのですが、あそこは魔法の研究機関。この手の機械については、詳しくありません。そこで、回りまわって、私の所に来たという訳です」

「そっか」

 

 生返事をしながら、機械を眺める魔理沙。見極めるような顔つきで。コルベールはそれに気づかず、意気揚々と話を続ける。

 

「村人はこれを『竜の羽衣』と呼んでいたのですが、そこに鍵があると考えているのですよ。私はこれを、ある種の……」

「これ『竜の羽衣』じゃないぜ」

「え?分かるのですか?」

「本物の『竜の羽衣』なら、衣玖が持ってるぜ。いつも着けてるヒラヒラしたの」

「あれが!?」

「ああ」

 

 衣玖は天界に住む竜宮の使いだ。竜ではないが、竜神に仕える立場。彼女の羽衣はまさしく『竜の羽衣』と言っていいものだった。一応、人が纏うと飛べるらしい。

 

「だいたいこれ、羽衣に見えないだろ?」

「まあ、確かに……。いえいえ、名前はともかく、これの正体こそが重要なのです。私は『竜の羽衣』と呼ばれていた事から、この物体を……」

 

 コルベールは掘り出し物を前にして、高めのテンションのまま続ける。しかし、そんな彼の思案を無駄にする、魔理沙の答え。

 

「これ、『飛行機』だぜ」

「え?なんですって?」

「飛行機。"ひ・こ・う・き"だ」

「なんですか?その"ヒコウキ"とやらは」

「空飛ぶ機械だ。横に伸びてる板が翼だぜ」

「これが飛ぶ?翼で?ですが、羽ばたくように見えませんが……。しかしまさか、これについてご存じだとは……。是非、詳しく教えていただけないでしょうか!ミス・キリサメ!」

 

 何かスイッチが入ったのか、コルベールは子供のような無邪気さで尋ねてくる。いつも彼を翻弄している魔女達だが、彼女達の方が少々引き気味。魔理沙は、頭をさすりながら苦笑いを浮かべる。

 

「いやぁ、悪いけど、よく知らないんだわ。本でチラって見ただけだしな」

「本で?その本、見せていただけませんか?」

「見せろったって……、あれはにとり……幻想郷に行かなきゃ見れないぜ」

「え!?ゲンソウキョウの?というとこれは、ゲンソウキョウのものなのですか?」

「違うぜ。こいつは外の世界のもんだそうだ」

「外の世界?」

「う~ん……。別の異世界、って思ってくれ」

「なんと!ゲンソウキョウの他にも異世界が!?しかし、何故そんな所のものが、ハルケギニアに……?」

 

 好奇心で溢れていた表情に、影が落ちる。どうにも、厄介な曰く付きのものらしい。まさか異世界の機械とは。単に空飛ぶ機械では済まなそうだと、コルベールは神妙に『飛行機』を見つめる。

 そんな彼に、いつのまにかパチュリーが近づいてきていた。『飛行機』を一瞥すると、コルベールに向き直る。

 

「地震があったって言ったわね。何か奇妙な事なかった?」

「奇妙……と言われますと?」

「説明つかない現象よ。例えば、人が消えたとか」

「いえ、特に聞いてません。被害もそう大きくなかったですし」

「そう……。ただの地震だったのかしら……」

 

 独り言を漏らすと、もう一度、飛行機を見るパチュリー。

 魔理沙やパチュリー、アリスは魔法使いだ。機械には、そう興味を持っていない。だがそれでも、さすがに飛行機の存在くらいは知っている。問題は、何故そんなものがハルケギニアにあるのか。そして、これが見つかる切っ掛けが地震。どうにも、引っかかりを覚える魔女達だった。

 

 すると彼女達の後ろから声が届いた。自然と口をついて出たような言葉が。

 

「『ゼロ戦』?」

 

 一斉に振り向く一同。彼女達の視線の先にいたのは、キョトンとした顔つきのピンクブロンド、ルイズだった。

 パチュリーが怪訝そうに尋ねてくる。

 

「ルイズ。何故これの名前知ってるの?」

「えっと……。なんでだろ?なんか、そんな名前のような気がしたのよ」

「……。ルイズの言う通りよ。これは『ゼロ戦』って言うの。戦闘機……空飛ぶ武器よ」

「武器……」

 

 ルイズは、言葉を漏らすようにつぶやく。ふと納得した自分に、違和感を覚えながら。そこにアリスが口を挟んだ。

 

「パチュリーこそ、なんで知ってんの?」

「図書館の本で見たのよ」

「あら、意外ね。機械に興味あったなんて」

「別に興味があった訳じゃないわ。たまたま手にした本に、載ってただけよ。後、別に魔導書ばかり読んでる訳じゃないから」

「ふ~ん……。それじゃぁ、ルイズも紅魔館で知ったんじゃないの?」

 

 アリスはルイズの方へ顔を向ける。首を傾げ思い出そうとする虚無の担い手。

 

「そうかも。図書館で暇つぶししてた時も、結構あったし」

 

 ただそうは言いながらも、どんな本を手にしたかまでは思い出せなかった。

 

 コルベールは『ゼロ戦』が異世界由来のものと聞いて、少々気分を曇らせる。しかし、すぐに開き直った。異質なものではあるが、全く得体のしれないものではない。由来も分かり、この『ゼロ戦』について、多少なりとも知識がある人物がいるのだから。なんだかんだで、好奇心の方が勝っていた。

 さっきのような無邪気な顔が表に出てくる。早速コルベールは、パチュリーに楽しげに尋ねた。

 

「ミス・ノーレッジ!是非お願いしたいのですが、その『ゼロ戦』とやらについて、教えていただけないでしょうか?」

「私は魔法使いよ。機械なんて専門外だわ」

「しかし、先ほど本で読んだと、言われてました」

「暇つぶしに読んでただけよ。まともに理解してないから」

「それでもかまいません!分かっている事だけ十分です!」

「はぁ……分かったわ。まあ、あなたにはなんだかんだで、借りがあるものね」

 

 寝間着魔女の返事に、明るい表情を浮かべるコルベール。頭部のテカリと合わせ、よけいに明るく感じてしまう。それからコルベールは三人の魔法使いを伴って、研究室へ。

 

 その後、コルベールはパチュリー達へいろいろと質問を並べたが、出てきたのはわずかなもの。『ゼロ戦』を動かすのには燃料が必要という点と、内燃機関なるもので動いているという点くらい。だが彼女達は、燃料や内燃機関がなんなのか分かっていなかった。さらに動かし方については、まるで見当もつかないありさま。それでも手掛かりを掴んだとばかりに、コルベールは喜んでいたが。

 一方のパチュリー達も、ガンダールヴについて聞いたが、こちらは得るものがなかった。コルベールは、外部から契約を盗み取るなど不可能という。もっとも一般的な契約に関しての話で、虚無についてはなんとも言えないとの答だった。ましてや、異界の天使との契約では、言わずもがなと。

 

 さて、残されたキュルケ達。

 

「やっと帰って来たのにぃ~」

 

 コルベールが自分を気にせず、魔女と共にとっととこの場を去ったので、ふくれっ面の微熱。そこにタバサの落ち着いた一言が入る。

 

「しばらく『ゼロ戦』に夢中になると思う」

「でしょうねぇ……。あのひと、趣味の事になると周り見えなくなるし」

 

 溜息こぼしつつ、うなだれるしかないキュルケ。しばらくは彼女の事など、目に入らなくなりそうだと。やがて、二人は校舎の方へ戻ろうとする。しかしルイズだけは、この『ゼロ戦』と称する機械に気持ちを奪われていた。そこにキュルケの声がかかる。

 

「ルイズ、帰るわよ」

「え、あ、うん」

 

 二人の後に続くルイズ。だがもう一度彼女は、『ゼロ戦』の方を振り向いた。わずかに首をかしげた後、小走りにキュルケ達の元へ向かった。

 

 

 

 

 



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鍛錬のおかげ

 

 

 

 

 

 『ゼロ戦』騒動の翌日、タバサは幻想郷組の寮にいた。ルイズとキュルケもいっしょにテーブルを囲んでいる。同じくテーブルを囲む魔理沙、パチュリー、アリス。こあはパチュリーの傍らに。そして離れた椅子には、天子と衣玖、文が座っていた。

 

 テーブルの上にタバサが、一枚の手紙を広げる。内容はなんの変哲もない、ただの安否伺い。しかし、これは暗号文。シェフィールドからの指令書だった。

 まずはタバサが説明を始める。

 

「ルイズを連れてくる場所が決まった。ここから10リーグほど離れた場所。森の中の開けた草原。道も辺りにはない」

「ひと気がまるでないって訳ね。いかにも誘拐しますって場所じゃないの」

 

 ルイズの呆れた言いように、タバサは小さくうなずく。

 

「私はなんとかしてルイズを一人にして、シルフィードで連れて行く。草原にルイズを置き去りにして、私はその場を去る手筈」

「私はまるで知らない場所に、一人残されて、シェフィールドの相手をしないといけないのね」

 

 再びうなずくタバサ。いつも以上に引き締まった表情で。ただ当のルイズの方は、自分がターゲットとなっている割には少々余裕。もちろんここにいる人妖達が裏で動くのだから、実際には一人で立ち向かう訳ではないのもある。さらに今までの経験から、少々荒事に慣れてきていたのもあった。

 すると次は、アリスがタバサへ質問を一つ。

 

「シェフィールドは、どんな罠仕掛けるって?」

「書いてなかった」

「さすがにそこまでは書かないか……。タバサを信用してないのかしら?」

「いつもこの調子」

「いいように使ってるだけって訳ね」

「……」

 

 黙り込むタバサを、キュルケとルイズが憂いを漂わせつつ見つめる。

 ともかく、シェフィールドが、正面から来るとは誰も考えていない。彼女からすれば、相手にするのはルイズ一人だけだ。しかしそれでもルイズは虚無の担い手。手を打ってくるのは当然だった。

 

 それから一同は、一旦幻想郷組のアジトへ向かう。作戦を練るために。この流れも慣れてきたのか、作業はスムーズなもの。夕食前には全てが決まる。作戦参加者はルイズ、タバサ、パチュリー、魔理沙、アリス、こあ、文、天子、衣玖。キュルケは、今回、留守番。鈴仙も不参加。彼女はカトレアとオルレアン公夫人の治療に当たっているので、こちらに手を貸す余裕はない。

 そして翌日から、早速作戦は開始される。タバサがルイズを連れていくのはまだ先だが、下準備が必要なので。

 

 

 

 

 

 その日は虚無の曜日の前日、よく晴れた午後だった。青い空に一匹の風竜、いや風韻竜が飛んでいた。シルフィードだ。やがて森の中ほどに開けた場所に降り立つ。

 

 草地の中ほどで立ち尽くす二人。ルイズとタバサだ。ルイズがやけに大きく目を開けて、タバサへ問い詰めるような声を上げる。いかにも驚いたと言わんばかりに。

 

「何もないじゃないのぉ!?どういう事!タバサぁ!」

「……」

 

 やけに芝居かかったルイズの言いように、タバサ、笑いが出てきそうなってしまう。彼女らしからず。しかしここは堪える。

 しばらくして、問い続けるルイズの後ろ、森の境から声がかかった。

 

「静かになさい。大公爵家の令嬢ともあろうものが、みっともないわよ」

 

 思わず振り向くルイズ。

 

「あ、あなたぁ……!誰っ!?」

 

 ルイズの大げさなアクセントの問いかけ。相変わらず仕草が嘘くさい。今度はタバサ、少々冷や汗。演技とバレるのではないかと。やはりルイズに芝居させるなんて無理だった、と胸の内で溜息。

 だが離れているせいか、幸いシェフィールドは気づいていない様子。

 

「はじめまして……かしら。でも、どうせヨーカイ共から聞いてるのでしょ?私がシェフィールドよ」

「あ、あなたが……!」

 

 大げさに驚きながらも、ルイズは頭の中で、初めてじゃないから、とかつぶやいていた。実はシェフィールドをアルビオンで何度も見かけている。もっとも望遠鏡越しではあったが。

 シェフィールドは、視線をタバサの方へ流す。

 

「ご苦労さま」

「約束は?」

「ええ、守るわ。クラスメイト売るような真似させたんだもの。さ、あなたは帰りなさい」

 

 タバサは小さくうなずくと、踵を返しシルフィードの元へ向かった。慌てて後を追うルイズ。

 

「ちょっと、待ってよ!タバサ!いったいどういう……」

 

 駆け出し、彼女を追おうとするルイズ。しかし彼女の前に、突然影が入り込む!足を止めるルイズ。影はルイズの前に立ちふさがった。目にはいったのは、一振りの剣を持った剣士だった。

 ルイズは愛用の長い杖を向け、叫ぶ。

 

「どきなさいよ!」

「……」

 

 剣士は何も答えない。代わりにシェフィールドが口を開いた。

 

「あなたを、ガリアに招待するわ」

「なんでよ?」

「私の主が、あなたをご所望なのよ」

「だから、その理由を聞いてんのよ!」

「それは行ってのお楽しみ」

「なら、行かないわ。だいたいこんな誘拐みたいな事して、ついてくハズないでしょ」

「そう。それじゃぁどうしようと言うのかしら?」

「帰るに決まってるでしょ!」

「そんなマネ、許すと思ってるの?」

「なんとかしてやるわよ!」

「なんとかね……。素晴らしい考えだこと」

 

 シェフィールドは、小バカにするように肩をすくめて笑う。

 ルイズの虚無の力は、確かに強力だ。だがメイジには違いない。しかも学生だ。打つ手ならいくらでもある。そして、主を守る使い魔との引き離しに成功している。さらにヨーカイ共も、近くにはいない。シェフィールドはヨーカイを警戒し、かなり広範囲に見張りの魔法装置を設置していた。それらには、なんの反応もなかった。そしてタバサはすでに去り、ルイズにはここから帰る術すらない。

 

 やがてシェフィールドは勝ち戦とばかりに、余裕をもって開戦を宣言。

 

「それじゃぁ、そのなんとかとやらを、見せてもらおうかしら……ね!」

 

 彼女の掛け声と同時に、剣士がルイズへ襲いかかる。杖を絡めとるように、剣を突き出した。

 しかし、逆に剣が杖に跳ね上げられた。

 同時に、ルイズは身を低くして……掃腿。ルイズの蹴りは、見事に剣士の足を払い、転がした。すかさず、ルイズは剣士の胸に杖を一突き。

 

「な!?」

 

 シェフィールド、目元を大きく開け、口を半開きにして固まっていた。驚きで動きが停止。

 想定外の光景だった。メイジが、虚無を除けばただの学生と思っていた相手が、剣士顔負けの動きをするのだから。いや、それだけではない。ルイズの動き自体が、見た事もないものだった。

 

 不敵な笑みのルイズ。

 

「フン。あんたの部下も、大したことないのね」

 

 すぐに光弾を杖の先から一発。剣士の胸に接射。剣士は動きを止めた。苦虫をつぶしたよう睨みつけるミョズニトニルン。

 

「貴様……いったい……」

「美鈴。あなたも会ったでしょ?紅魔館の門番。私、彼女に弟子入りしてたのよ。彼女って体術の達人なの。帰って来てからも、ずっと修行してたわ。組手も結構やったけど、かなり勝率高いわよ。美鈴の体術みたいのこっちにないから、対応できるのってあまりいなくって。おかげで相手探すのも、苦労したんだけど」

 

 胸張って経歴自慢。どんなものだと言わんばかりに。日々の鍛錬の上、軍事教練の時には、カリーヌから直に鍛えられもした。今までの積み重ねの成果だった。

 ルイズは、マントを襷のように両肩に巻き付けると、長い杖を腰に構える。正中に重心を置き、半身に構えた。まさしく棒術使いの拳法家。その時、気づいた。さっき倒した剣士が、人形になっている事に。

 

「え?これガーゴイル?」

「そうよ。そのガーゴイルの名はスキルニル。血を与えたものと、そっくりになれるわ。能力もね」

「そっくり?」

「ええ。つまり同じ能力の人間を、何人でも揃えられるという訳よ」

 

 今度はシェフィールドが、不敵に笑う番。それと同時に森の中から、四人の剣士が現れる。しかも四人とも、さっきの剣士と同じ顔、同じ姿をしていた。

 

「一応、メイジ殺しと言われる剣士の複製なの。でもそれを、あなたのような小娘が素手で倒すなんて、さすがの私も驚かされたわ。けど、この人数ならどうかしら?」

 

 笑みを湛えたままシェフィールドは合図をする。一斉に駆け出す四人の剣士。

 だがルイズは慌てた様子を見せない。冷静に対応。まず右から二人目の剣士に杖を向けた。

 『エクスプロージョン』で吹き飛ばす。爆発で破片となった二人目。同時に両脇にいた二人は、爆風でバランスを崩した。すかさずルイズは右一人目に突進。杖の端を左手に持ち、槍のように突き出す。

 

 しかし相手もさすがはメイジ殺しの剣士。崩れながらもかわす。

 だがルイズ、もう一歩踏み込む。敵の脇に右掌底。さらに体ごと杖を回し、腹を叩く。同時に小さな爆発。右一人目も人形へと姿を戻した。

 

 だが残った二人がじっとしている訳もなく、すぐさま接近。一方のルイズ、さっき回したまま杖を、爆発の反動で逆回転に振りぬく。杖の先が残りの剣士へ向き、ピタリと止まった。目前で足を止めた二人の剣士。ルイズは、すぐに持ち手を杖の中ほどに変えると、杖を一回転。腰に添える。正中に重心を戻し、隙を見せず姿勢を整えた。

 

 シェフィールドは息を飲む。確かにルイズの動きは見た事もないもの。全身を使った流れるようで、柔軟性の高い技。こんなものが存在していたとは、さすがは異世界か。そうは言っても、相手はメイジの小娘。未知の技ではあるが、本業の剣士が対応しきれないとは。ミョズニトニルンの胸中には、信じがたいものがあった。

 ルイズは、ガンダールヴの主と調べがついている。ガンダールヴは武器を巧みに操ると言われるが、主にもその能力が備わっているのかと思いたくなるほど。

 

 シェフィールドは一旦二人を下がらせる。確かに想定外の状況だが、彼女には諦めの気配など微塵もない。予想より手間がかかりそうだという、煩わしい気分だけだ。ミョズニトニルンは一気に片を付ける事にした。

 

「それだけの動きをするメイジなんて、初めて見たわ」

「フフン、大したもんでしょ」

「ええ。褒めてあげるわ。だけど、これならなおさら主が喜びそうだわ。是が非でも連れて行かないとね」

「行かないって言ってんでしょ!」

「フ……。できれば無傷で捕らえたかったんだけど、こんなにダダこねるんじゃぁ仕様がないわね。少し痛い目に遭ってもらうわ」

 

 シェフィールドの合図と同時に、森の中からまた剣士が現れた。いや剣士だけではない。槍を持つ者、ハルバートを持つ者など、様々な使い手が姿を見せる。その数、数十。ルイズを包囲するように、四方八方から現れた。

 

「ええっ!?な、何よ?これ!?」

 

 ルイズ、唖然として周囲を見回す。部下を何人か連れてくるだろうとは考えていたが、この数は予想を超えていた。一方、余裕の表情のシェフィールド。

 

「何人でも揃えられるって言ったでしょ。五人だけと思ったの?」

「ぐぐぐ……!」

「さあ、今度はどうかしら?魔法で吹き飛ばそうにも、この人数。あなたに近づくまでに全部、破壊できるかしら?あなたの技も、この数相手じゃぁ無理でしょ?だけど、今なら間に合うわ。許しを乞いなさい」

「ふ、ふざけんじゃないわよ!」

「全く……諦めが悪い子。やはり仕置きが必要ね!」

 

 シェフィールドは腕を振るった。一斉にルイズに向かいだす剣士、いや、スキルニルの兵達。これだけの人数、美鈴直伝の体術でも、虚無の魔法でも相手にするのは無理だ。そんな事はルイズには分かっている。

 すると、ルイズ。杖を前へと向けた。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!五つの……」

 

 トリステインの虚無の担い手は、突然、サモン・サーヴァントを唱え始めた。

 

「えっ!?」

 

 呆気にとられるシェフィールド。意味が分からない。ルイズに使い魔がいるのは確認済み。剣を常に腰に差した青髪の少女と、報告を受けている。すでに契約が成立している以上、サモン・サーヴァントは効果がない。魔法学院の生徒が、それを知らないとは考えられない。だが、この窮地でこんなマネをするのだから、何か意味があるかもしれない。

 

 彼女に一つ考えが過る。もしかしたら、単に使い魔を転送するのに使えるのかもしれないと。だとしたら、今回の策は失敗する。どこにでも呼び出せるなら、森の奥地におびき寄せた意味がない。警戒感を上げ、ルイズを凝視するシェフィールド。

 

 しかし……何も起こらず。誰も現れず。当たり前の結果があるだけ。ルイズは歯ぎしりの後、一言二言、文句を言っていた。

 

「天子のヤツ……!何やってんのよ!」

 

 逆に表情を緩め、呆れかえるシェフィールド。

 

「何をするのかと思えば、全く……バカな娘」

 

 やはりサモン・サーヴァントには、転送機能などないようだ。ただ何故こんな状況で、ルイズがそんな行動を取ったのかは、今一つ理解できないが。

 

 虚無の担い手に迫るスキルニルの大群は、数メイルまで迫っていた。ルイズが睨みつける先にいる数十の兵達。構えは取るものの、この数を相手にできる訳もない。戦意は失っていないが、手だてがない。ルイズにできるのは、精々愚痴をぶつけるだけ。

 

「いったいどんだけ揃えたのよ!Lunatic級じゃないの!」

 

 その言葉を口にした瞬間、頭に現れたものがあった。光の群れが。ルイズ、急に気持ちが晴れ上がる。この窮地で。さらに口元を釣り上げていた。必勝の策が、懐にあるのを思い出していた。

 

 対するシェフィールド。ルイズの表情から、焦りが消えているのが分かる。しかし彼女も、変わらぬ余裕の態度。ルイズの手は読めていたからだ。

 この状況で、ルイズができる事があるとすれば、一つだけだ。それは光の魔法。ラ・ロシェールやロンディニウムで使ったものだ。あの規模なら、ここの全員を巻き込める。しかし、大規模な虚無の魔法は詠唱も長くなる。虚無の使い魔である彼女は、それを知っていた。だが、長い詠唱をする暇などある訳がない。腕利きの兵達の足は、それほど速い。

 

「フッ……。最後のあがき、見せてもらおうかしら」

 

 勝利まで後わずか。シェフィールドはそう確信していた。

 

 迫るスキルニルの大群。しかし、ルイズの覇気は増す一方。かかって来いと言い出しかねない程に。

 わずか数メイルまで近づいた兵。その時、ルイズは懐からそれを取り出し、颯爽とそれを高く上げる。天に向かった右手には、一枚のカードが握られていた。図柄が描かれたカードが。

 虚無の担い手は、高らかに叫ぶ。

 

「『爆符、エクスプロージョン』!」

 

 宣言と同時に、独特な響きを伴って巨大な光弾が出現。その数四つ。

 地面を舐めるようにルイズの周囲を回りながら、だんだんと離れていく。さらに小さな光弾が、ルイズから全方位に放たれた。その上、巨大な光弾はある程度進むと爆発。周囲に小さな光弾をばら撒いていく。それは、まさしく地上の花火。

 この術、幻想郷で霊夢相手に使ったルイズのスペルカードだ。密度はもちろんLunatic。初めての者に、とても避けられる代物ではない。これこそルイズの必勝の策。長らく使っていなかったので、すっかり忘れていたが。

 

 シェフィールドの目に無数の光弾が映る。さっきまでの余裕の態度が、霧散していた。

 

「こ、これは!?」

 

 驚きを漏らしながらも、不快な気持ちが蘇るのを否定できない。この光景にデジャヴを感じていた。それも当然だ。幻想郷にいたとき、彼女はチルノやリグル達に弾幕で追い立てられ、紅魔館の庭を逃げ回ったのだから。

 

 ルイズの周囲を満たす光弾の群。兵達はルイズに突進していたため、最も密度の濃い場所に突っ込んだ。

 巨大光弾に巻き込まれる者、小型光弾を何発も受ける者。さらにこれらを何とか避けても、背後から巨大光弾爆発後の光弾に襲われる。空へ飛びでもしなければ、かわすのはまず不可能。それは長篠の戦のように、並ぶ銃の斉射に騎馬で突っ込んでいくようなものだった。

 兵達は、全方位から弾幕でタコ殴り。無数の弾幕に翻弄され、バタバタと倒れていく。次々と本来の姿、人形へと戻っていく。

 

 光の群れの中心にいるルイズが、調子づいている。満点の笑み。余裕ありげにシェフィールドへと杖を向けた。

 

「どう!驚いた?幻想郷で習ったの、体術だけと思ってた?ねぇ?実は、弾幕ごっこもやってたのよ。言っとくけど、スペルカードはまだまだあるわよ!」

 

 いい気になって勝ち誇るルイズ。憎らしいほどにニヤついている。どんなものだと言わんばかり。もっとも残るスペルカードは、『想郷ヴァリエール』の一枚だけだが。

 

 平原に溢れかえる弾幕。何十人もいた兵は、もうほとんど人形に戻っていた。そしてついにシェフィールドにも、光弾が直撃。彼女がもんどりを打って倒れる。

 

「やった!」

 

 ルイズ、杖を強く握って振り上げる。勝利のポーズ。まさしく絶好調。しかし、倒れたシェフィールドは、形を変えながら縮んでいく。そして人形へと戻った。彼女もスキルニルだった。

 

 やがてスペルカード終了。この場にいたスキルニルは、全て人形に戻っていた。見事な大逆転。しかし肝心のシェフィールドが見当たらない。

 

「あいつは……。どこまで卑怯なの?少しは正々堂々と戦おうとか思わないのかしら」

 

 辺りを睨みながら、文句を零すルイズ。もっとも彼女も、裏で動いてシェフィールドの策を散々台無しにしてはいたが。そんなものは思考の外。

 ともかく、敵を見失ったのは確か。逃げたのかまだ策があるのかも分からない。せっかくいい気分だったが、ルイズ、気持ちを引き締める。

 

 本物のシェフィールドが潜んでいたのは、草原からやや離れた森の中。護衛のガーゴイル兵達に守られ、ルイズの方を睨んでいる。実は、身代わりを用意していた。ルイズの周りにはヨーカイ達がいる。万が一を考え、保険をかけた訳だ。もっともそれが、ルイズ一人に破られるとは予想外だったが。

 

「おのれ!まさかあの小娘一人にやられるなんて……!」

 

 怒り任せに、傍の木の枝をへし折る彼女。だが、ここで冷静さを失う訳にはいかない。一呼吸入れ、気持ちを落ち着かせると、小瓶を取り出した。

 

「残るは、この手か……」

 

 小瓶には、赤い液体が入っている。実はこれはタバサの血だ。これでスキルニルをタバサに化けさせ、ルイズを騙し討ちする策だ。ただ、一度彼女を騙したタバサを、ルイズが警戒しないはずない。ここをどうクリアするかという問題があった。しかしルイズは、今ヨーカイ達から離れている。こんなチャンスはそうそう訪れない。やはりここで、始末をつけるしかない。

 そう決意し、小瓶の蓋に手をかけようとした時、後から声がした。

 

「ねぇ。まだやんの?いー加減、終わりにしない?」

 

 驚いて振り向くシェフィールド。目に入ったのは、黒い大きな帽子をかぶった青い髪の少女。やけにカラフルなエプロンをしている。腕を組んで、つまらなそうな顔をしていた。

 

「お前……。どこから……?魔法装置の反応はなかったはず……」

「テレポーテーションしたからねー」

「な、何?」

「だから、テレポーテーションだってば」

 

 少女は面倒臭さそうに、訳の分からない事を言う。一見ただの少女だが、その纏う雰囲気に、シェフィールドは嫌悪感を抱かずにいられない。何故だか分からないが。

 その時、ふと少女の腰の物が目に入る。一振りの剣が。すると、この少女に思い当たるものが浮かんだ。青い髪をした剣を差した少女……。報告を受けていた、ルイズの使い魔だ。

 

「貴様!ガンダールヴ!」

「うん」

 

 あっけらかんと答える少女。その態度は、無邪気そのもの。しかしシェフィールドにとっては、それどころではない。一転、窮地に落ちたのだから。この至近距離で、ガンダールヴとの遭遇。勝利はおろか、逃げるのも至難の業。だが、白旗を上げる訳にはいかない。

 

「やれ!」

 

 瞬時に命令を発する。同時に、護衛のガーゴイル達が一斉に刃を立てた。少女に向けて。

 だが何故かガンダールヴは反応せず、避けようともしない。シェフィールド、窮地を脱したとわずかに口元が緩む。次の瞬間には、ガンダールヴの身を、幾重にも剣が貫くと。

 

 しかし……ガンダールヴは平然としたものだった。何故なら、剣は刺さっていなかったから。避けたのではない。文字通り刺さらなかった。刃が皮膚で止められていた。素肌を、傷つける事もできなかった。あたかも鉄の板に、刃を立てたように。

 

「な!?」

 

 唖然とするシェフィールド。理解不能な状況。

 少女の方はというと、相変わらずつまらなそうにしている。すると、突き立てられた全ての剣を素手で鷲掴み。そして一つにまとめて、捻り潰してしまった。まるで、粘土細工をいじるかのように。

 ガンダールヴは、うんざりしたように言う。

 

「ほらほら。もう、おしまい、おしまい」

 

 しかし彼女の声は、シェフィールドの耳に入らず。訳の分からない状況で、頭にあるのははただ逃げるだけ。しかし無駄な足掻き。直後、少女、非想非非想天の娘の光弾が、シェフィールドを貫いていた。

 

 ちなみに天子が言ったテレポーテーションとは、転送陣の事。あらかじめ魔女達が、この周辺にいくつも配置していた。作戦の下準備とはこれだった。転送陣で瞬間移動されては、魔法装置がいくらあっても察知できる訳がない。

 

 

 

 

 

 

 気が付いたシェフィールドに、見下ろすピンクブロンドが目に入った。

 

「あら、目、覚めた?」

「…………」

「残念、残念。私を捕まえようとして、返り討ちになっちゃったわね。ま、虚無の力の上に、拳法とスペルカード使いこなす私相手だもん。捕まえるには、ちょぉっと手が足らなかったわ」

 

 ルイズ、嬉々として語っていた。目障りなくらいに。一人でシェフィールドの罠を食い破ったものだから、調子に乗りまくっている。挙句に長い杖を操り、演武まで始める始末。

 するとパチュリーの声が、入ってきた。

 

「ルイズ。ちょっと鬱陶しいから」

 

 オブラートもなしにズバリ一言。急に気恥ずかしくなるルイズ。しかし魔理沙のフォロー。

 

「いいじゃねぇか。なんたって完勝だしな。少しくらいいい気になったって、構わないぜ」

「そう思う!?やっぱ今日の私って、すごかった?」

「おう!なかなか良かったぜ」

 

 親指立てて、グッジョブの魔理沙。余計に調子に乗るルイズ。

 今度はアリス。うんざりした声色が届く。

 

「どうでもいいけど、作業始めましょうよ」

 

 しかし、なかなか落ち着かないルイズ。囃し立てる魔理沙。それを抑えようとする、アリスとこあ。ため息つくだけのパチュリー。ついさっきまで、激しい戦闘をしていたとは思えない光景があった。遊びの後のような。

 

 そんな人妖達の様子を、唇を強く結びながら見つめるシェフィールド。今の状況はかつてと同じだ。ゲンソウキョウの吸血鬼姉妹に敗れた時と。違うのは、縛られているのが椅子にではなく、木である事くらい。

 視線の先に並ぶ、見覚えのある顔。パチュリー、魔理沙、アリス、こあとか言う名前が頭に浮かぶ。確かメイジと悪魔だ。そしてルイズと先ほどのガンダールヴ。さらに見覚えのない顔が二つあった。奇妙な衣を纏う女性と、黒い羽根の翼人。いかにもヨーカイの雰囲気を漂わせている。思った以上に、ヨーカイはハルケギニアに入り込んでいたらしい。

 

「…………」

 

 大勢の人外に囲まれ、強い敗北感がシェフィールドを襲う。同時に過る落胆。また失敗したと。

 

 ほどなくして、人妖達のくだらないバカ騒ぎが終わった。ようやく彼女にパチュリーが声をかける。

 

「さてと、久しぶりね。シェフィールド」

「……。あの小娘……裏切っていたのか……」

「タバサの事?」

「そうだ!でなければ、お前達がここにいる訳がない!」

 

 タバサが全てを漏らしたと彼女は考えた。しかし母親が人質となっているのに、裏切るとはシェフィールドにとっては予想外。母親を治すには、ガリア王家を頼るしかないというのに。

 しかし、パチュリーは呆れ気味に返す。

 

「それ以前に、ルイズを一人でここに連れてくれば、私たちが見失うってどうして思ったの?」

「何!?逆にどうやったら、どうやったら見つけられるって言うのよ!?」

「あなた……私たちをちょっと舐めすぎよ」

「な……」

「『アンドバリの指輪』。私たちが奪ったのは、もう分かってるでしょ?」

「やはり……そうか……」

 

 シェフィールドはほぼ確信していたが、あらためて言われると怒りが込み上げてくる。全ての躓きの始まりなのだから。パチュリーは淡々と話を続けた。

 

「どうやって指輪の在り処、特定したと思う?」

「それは……」

 

 言われて初めて気づいた。ロンディニウムにあると、どうやって見出したのか。そもそもクロムウェルが持っていると、何故分かったのか。

 視線を落とし思案に暮れている彼女に、パチュリーが回答を披露。

 

「万物には"気"というものがあってね、常に発しているの。それを感じる事ができるのよ。それで水の精霊に近い気を探したら、ロンディニウムにあったという訳」

「何だそれは?信じられるか!」

「あらそう?ロンディニウムでも使ったのよ。その力。あなた達に、夜襲受けたときにね」

「あの時……!こちらの動きが、分かってたと!?」

「感じたのよ。気を察してね」

「……」

「だから、ルイズを本気で隠したいなら、サハラの端にでも連れて行かないと無理ね」

「な……」

 

 言葉がないシェフィールド。

 事実だとしたら、恐るべき能力だ。常に、相手の動きが丸見えという事を意味する。しかもパチュリーの言う通り、ロンディニウムでの賊の対応は、動きが知られていたと考えなければ説明がつかない。シェフィールドは、この信じがたい能力の存在を、受け入れるしかなかった。

 

 もっともロンディニウムでの真相は、パチュリーの説明とは違う。つまりは嘘。

 アルビオン側の動きを察したのはタバサの機転のおかげで、別に気を読んだ訳ではなかったりする。しかも動きを掴んでいたのは、衣玖の空気を読む力。だいたい気を読める天子も、今語っているパチュリーも現場にいなかった。その上、今回この場に人妖が集まったのも、シェフィールドの読み通り、タバサが裏切っていた。

 だがそんな真相を、彼女が知るはずもない。タバサが疑われないために、ペテンにかけたのだった。

 

 気丈さは失っていないものの、覇気の乏しいガリア王の僕に、紫魔女は悟らせるように話しだした。

 

「そもそも、あなたには勝ち目がないのよ」

「何ぃ!」

「だってあなたは、私たちを調べようがないでしょ?どんな力を持ってるのかも、何人いるのかも。けど、こっちはあなたが『ミョズニトニルン』って知ってるし、マジックアイテムについても調べようがあるわ」

「……」

「つまりあなたは、目隠しして戦ってるようなもんよ。けど、こっちは目が見えてる。これで勝負になると思う?」

「う……」

「後、ルイズの使い魔、ガンダールヴだけど、人間じゃないわよ。天使だから。幻想郷のだけどね」

「て、天使だとぉ!?ふざけるな!」

「あら、悪魔に会ったのに、天使は信じないのかしら」

「……!」

 

 言葉のないシェフィールド。さっき会ったガンダールヴ、黒い大きな帽子をかぶった、青髪の少女に目を向ける。相変わらずの退屈そうな態度の。

 当然シェフィールドは、このだらしのなさそうな使い魔を、自分と同じ人間だと思っていた。しかし、まさか天使だとは、さすがの神の頭脳も予測できる訳がない。だが素手で剣を握りつぶしたのを、この目で見たのも確かだ。

 しかし天使だとすると、ガンダールヴの能力に加え、天使としての能力も兼ね備えているのだろう。合わせた力がどの程度なのか、想像のしようがない。そしてパチュリーの言葉通り、それを調べるなど不可能だった。

 

 パチュリーは忠告とばかりに言う。

 

「これに懲りたら、ルイズ周りには手を出さない事ね。じゃないと死ぬわよ」

「……今までは、手加減していたと?」

「そういう意味じゃないわ。実を言うとね。あなたが寝てる間、呪いかけたのよ。こっちに手を出したら死ぬ呪いを」

「の、呪い!?何をバカな……!」

「こっちには悪魔がいるのよ。ほら、あなたの目の前に」

「……!」

 

 彼女の視線の先に、にこやかに笑う少女がいた。黒い蝙蝠の翼を生やした悪魔が。呪いという普段なら戯言に過ぎない言葉が、真実味を帯びてきていた。血の気が引いていくシェフィールド。

 しかし実は、これもペテン。こあには死に繋がるような、強力な呪いをかける力はなかったりする。腹芸ばかりの幻想郷の住人達。

 

 絶望感に苛まれるシェフィールド。体中から力が抜け、うつむいて地面を見つめるしかない。パチュリーはそんな彼女にかまわず、作業開始とばかりに気持ちを入れ替えた。

 

「さてと、せっかくだから話をしましょう。実を言うとね。こっちもあなたに用があったのよ。聞きたい事がいくつもね」

「聞きたい事……?」

「ええ。前回はあなたが幻想郷に飛ばされたから、できなかったけど。今回はじっくりやれそうだわ。まだまだ日も高いし」

 

 人外達の好奇心を帯びた視線が、シェフィールドに向けられる。そこには不思議と敵意はなかった。ついさっき、ルイズを攫おうとしたと言うのに。逆に不気味なものを感じるミョズニトニルン。

 

 パチュリー達にとっては、誘拐の一件はむしろ彼女を罠に嵌めるための策。むしろルイズ誘拐阻止よりも、シェフィールドと話す方が主目的だったりする。一連の謎を解くカギを、この女が提供してくれるかもしれない。魔女達の期待度が上がってきていた。

 

 

 

 



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二つの会談

 

 

 

 

 

 パチュリーがシェフィールドへの一言から、尋問はスタートした。

 

「さてと、せっかくだから話をしましょう」

 

 紫魔女の意外な言葉に、ミョズニトニルンは思わず顔を上げる。

 だが尋ねてくる内容は、だいたい察しがついた。おそらくはルイズを狙った訳。何も口にするものかと胸に誓う彼女だが、無駄な抵抗。パチュリー達は、ラグド、水の精霊を連れてきていたからだ。魔理沙がラグドに頼んでいたのは、この件。

 水の精霊の心を操る術に、抗うなどできはしない。シェフィールド自身が以前体験したように。これで彼女が口を噤む事など不可能になった。当然、嘘をつく事も。身体も縛られ身動きできず。もはや流れに任せるしかない。

 

 準備も終わり、さっそくパチュリーが第一の質問を口にする。

 

「幻想郷へどうやって行き来したの?」

「え?」

 

 予想外の質問に、呆気にとられるシェフィールド。ルイズ誘拐とは全く関係ない。ただ事情を隠す必要もないので、素直に答える。

 

「行ったのも帰ったのも、方法は分からない。だいたい帰ったのは、ヤクモユカリの仕業ではないのか?」

「違うわ。紫は家に招待するって言ってなかった?」

「確かに、そうだったわ……。だとすると、答えられるものは何もない。行ったときは気づいたらコウマカンにいたし、帰った時もいつのまにか陛下の私室にいた」

「そう……」

 

 パチュリーは抑揚のない言葉を返す。次の質問したのは魔理沙。

 

「『始祖のオルゴール』。どうやって手に入れた?」

「『始祖のオルゴール』?」

 

 これまた予想外の質問。異界の人妖達の意図が、今一つ読めないミョズニトニルン。

 

「別に手に入れた訳ではない。ゲンソウキョウから戻ったら、陛下の私室にあったのよ。持ってきたという報告も、受けてない」

「私らから盗んだ訳じゃねぇって事か」

「盗んだ?」

「ああ」

「やはりオルゴールを持ち去ったのは、お前達だったか……。しかしつまりは、盗人が盗品を、盗まれたという訳ね。無様な」

「よく言うぜ。お前だって、アルビオン王家から盗んだんだろうが。お前も、私らに盗られたんだから、人の事笑えないぜ」

「……」

「それにな。盗まれたのとは、ちょっと違うぜ。幻想郷に持ってこうとしてな。転送……ゲートを潜ったら消えてたって訳だ」

「消えた?」

 

 怪訝な顔つきで聞き返すシェフィールド。だが、魔理沙はふと別のものを思い出し、質問を変える。

 

「そうだ。兎耳の生えた、縮れた黒髪の子供に会わなかったか?目が真っ赤なヤツ」

「まさか……因幡てゐか?」

「知ってんのかよ?」

「ゲンソウキョウで会った。こちらに来てたとは……。一体何しに?」

「それが分かんねぇから、聞いてんだぜ」

 

 さらに魔理沙は話を続けようとしたが、そこにアリスが不満そうに待ったをかける。

 

「魔理沙、ちょっと。何、話してんのよ」

「何って?」

「何って、じゃないでしょ。こっちの情報は、教えないに越したことはないの。余計な話はしない事。いい?」

「へいへい」

 

 魔理沙は肩をすくめて、アリスの言う通り口を噤んだ。すると入れ替わるようにアリスの番。

 

「他に、何か説明不能な現象とか、覚えある?」

「説明不能?」

「そ。小さなことでも、なんでもいいから」

 

 しばらく考え込んだシェフィールドだが、おもむろに口を開いた。

 

「そう言えば……。お前達がロンディニウムで起こした騒ぎ……。後日どういう訳か、宮殿の者は皆忘れていたわ。捕縛の件も、浸水も。それどころか。『アンドバリの指輪』を奪われた事すら忘れていた。だが何故か、宿の主は騒ぎを覚えていたし、下水道の壁も残っていたわ」

「へぇ。下水の壁、気付いてたの」

「宮殿だけが浸水したのは不自然、って言いだした者がいたのよ。その者が突き止めたわ。ただ彼も、全て忘れてたけど」

「ほとんどの人間が忘れて、一部の人間だけが覚えていたのね」

「ええ」

「ふ~ん……」

 

 人形遣いの頭に浮かぶものがある。いや、魔女達全員に。アルビオン出兵の時の現象が。

 『アンドバリの指輪』奪還後、その件はルイズからアンリエッタ、マザリーニ、アニエスに伝えられた。その時は、出兵する必要はなく、内部工作だけでアルビオン対応はできるとの話だった。ところが後日、出兵が決まる。大きな理由の一つが、マザリーニを含めたトリステイン王宮の重臣たちが、指輪奪還を忘れていたからだった。覚えていたのはアンリエッタとアニエスだけ。その原因は、未だ分かっていない。

 

 アリスは質問を続けた。

 

「そうそう、その時地震がなかった?」

「いや。私はガリアからアルビオンに戻って知ったのよ。何かあったとしても、その時にはいないわ」

「そう……」

 

 肘を抱え、黙り込む人形遣い。そして黙っていた七曜の魔女が、また口を開く。

 

「他には?」

「……。お前達がビダーシャルと戦ったとき、彼を守った剣があったと聞いたわ。その剣が何故動いたのか、何故そんな事をしたのかまるで分からない」

「あの剣って、エルフの魔法かなんかじゃないの?」

「彼自身が私に聞いてきたのよ。剣についてね」

「当然、あなたも関わりないって訳ね」

「ええ……」

 

 パチュリーはアリスの仮説を、思い浮かべていた。天子のガンダールヴを奪った何者かが、剣を操ったと。シェフィールドの証言から、人形遣いの説が真実味を帯び始める。

 魔女達はシェフィールドにさらに尋ねるが、これ以上、怪現象についての証言は出てこなかった。それから、シェフィールドを無視して話を始める三人。

 

 すると代わりとばかりに、今度は天子がシェフィールドに話しかけてくる。

 

「あんたさ、なんでルイズ攫おうとしたの?こういうトラブル持って来られると、私も出張るハメなるから正直迷惑。止めてもらいたいんだけどねー」

 

 自分の都合中心に質問を口にする天人。主の危機を、とばっちりを受けたかのように。使い魔なのに。傍で聞いているルイズも、一番に聞くべき事が今更出てきて、ちょっと頬を膨らましている。囮まで引き受けたというのに。それをそのまま、シェフィールドにぶつけた。

 

「そうよ!なんで私、攫おうとしたの!?」

 

 今更、シェフィールドが予想していた質問が出てきた。少々拍子抜け気味に彼女は答える。虚無を集めるため、最強の虚無を見極めるためと。だがそれになんの意味があるのかまでは、彼女自身も分からなかったが。

 

 その後も、人妖達の質問は続いた。

 ガリア王が、何を考えているかについても。直近の作戦などはもちろんだが、それ以上に人柄や考え方そのものについて丹念に。しかし彼の使い魔であるシェフィールドさえも、主の頭の中は図りかねていた。だがそんな中でも重要な情報も得られた。ジョゼフに"加速"の魔法がある点、ジョゼフが最近、『始祖のオルゴール』から『エクスプロージョン』を得た点など。

 

 一通りの質問は終わったが、ルイズにとっては心配の残る結果。ガリア王が虚無をあきらめない以上、今後も狙われる可能性があるのだから。ただシェフィールドが、どの程度呪いのブラフを信じ込むかにもよるが。

 対して、魔女達にとってはかなりの収穫。異常現象が、自分たちの周囲以外でも起こっていたのを、確認できたのだから。

 

 その後、魔女達は再び語り合い始めた。メインの要件が終わったとばかりに、文が出てくる。白々しい笑顔を浮かべて、シェフィールドの前にしゃがみ込んだ。取材のために。文がついてきたのは、これが理由。

 

「はじめまして。えっと……ミス・シェフィールド。私、射命丸文と申します。新聞記者を営んでおります。ああ、まず最初に言っておきますが、種族は烏天狗です。翼人とかいうものではないので、お間違えないように」

「…………」

「それにしましても、散々な目に遭いましたね。私がこう言うのもなんですが、心中お察しいたします」

「……?」

 

 シェフィールド、今までの慇懃無礼な魔女達と態度の違う烏天狗に、少々面食らう。文の方は、ペンと紙を手にするとさっそく取材に入った。

 

「ガリア王の右腕だそうで」

「……」

「それにしましても主の願いを、御一人で叶えるのは、さぞ大変なお仕事でしょう。今回も御一人で、来られていましたし。お互いの立場は別にして、感心せずにはいられません。本当に」

「いや……それは……」

 

 なんとも調子の狂うガリア王の使い魔。目の前の烏天狗の人柄を、掴みかねる。だが、当惑気味なシェフィールドを目の前に、文の方はチャンス、とか思い始めていた。この手のアプローチには慣れてなさそうだと、これはチョロそうだと。

 文は笑顔を変えず、質問を口にした。

 

「申し訳ないのですが、一つ二つ、お話を……」

 

 その時、シェフィールドは腕が軽くなっているのに気づいた。脇を見ると、彼女を結び付けていたロープが切れている。いや、木から伸びた枝が、鋭利な刃物のようになり、ロープを切っていた。誰もが脳裏に共通の言葉を浮かべる。先住魔法だと。エルフが来ていると。

 

 一斉に、宙へと舞う人妖達。逆の方へ走り去るシェフィールド。

 すると彼女の逃げ去ろうとした先、森の奥から一人の男性が現れた。耳の長い金髪の男性が。シェフィールドは、思わず彼の名を口にする。

 

「ビダーシャル卿!」

「ここは私に任せ、逃げるがいい」

「……。恩に着ます」

 

 シェフィールドはエルフの言う通り、この場を急いで去る。このエルフの力が、どの程度ヨーカイ達に通じるか分からないが、ともかくこの場は逃げるしかない。

 

 対する異界の人妖達。ビダーシャルが何かする前に、一斉に弾幕を放つ。それもデタラメに。だが森の際に立つ男には一発も当たらない。またしても反射の障壁を張っていた。しかも今度は、身体を包める最小限のサイズ。以前のように障壁の内側から撃たれないよう、対策をしていた。しかし彼女達の方も、エルフを倒すために弾幕を撃ってはいない。むしろ周辺の精霊達を活動停止にし、先住魔法、精霊の力を使わせないためだ。目論見通り、周辺の精霊は力を失う。これでエルフはほぼ無力化した。

 ところが、全く動揺を見せないビダーシャル。

 

「何度見ても、恐るべき力だ。異界の方々よ」

 

 彼の余裕に警戒を強める人外達。他に切り札が、あるのではないかと。パチュリーが、淡々と、しかし威圧感を漂わせつつ声をかけた。

 

「異界ね……。私たちが何者か聞いてるのかしら?」

「いかにも。使い魔から聞いた」

「使い魔?シェフィールドね……。まあ、いいわ。それで、あなただけで私たちの全員相手をするつもりなの?」

「もちろん」

 

 精霊の力がほぼ使えなくなったというのに、揺らぎのない口ぶり。そこには落ち着きすらあった。怪訝に眉をゆがませる人妖達。するとビダーシャルは、歓迎するかのように両手を広げた。

 

「是非とも、あなた方全員の話の相手をしたい」

「話?」

「ここに来たのは、戦うためではない。話し合いをするためなのだ。異界の来訪者よ」

 

 想定外の言葉を口にするエルフに、人妖達は気勢を削がれる。警戒感は残しているが、ゆっくりと地上へと降りてくる。全員が下りるのを見届けると、ビダーシャルは丁寧に礼をした。

 

「この出会いに感謝を」

「話って、どういう意味?」

「以前は不幸な出会いをしてしまったが、私としてはむしろ好機と捉えている。お互いに」

「お互いに?」

「本題に入る前に、一つ伺いたい。ガリア王の使い魔から聞いた。この地に来たのは、観光と研究のためだとか」

「ええ。サボりとネタ探しに来てるのもいるけど」

 

 パチュリーの答えと同時に、天子が一言ありそうに魔女を睨む、脇の衣玖は大きくうなずく、文はペンで頭を掻いている。そんな彼女達の前で、笑みを浮かべるビダーシャル。

 

「ならばあなた方にとっては、この地が平穏である事が望ましいのでは?」

「そうね」

「できれば私も、そうでありたい」

 

 だがこのエルフの言葉に、すかさずルイズが反応。

 

「ふざけんじゃないわよ!あんた、ガリア王と組んどいて、何言ってんのよ!」

「全ては我が同胞のため。お前のようなシャイターン……虚無の動きを、封じるためだ」

「私が何か企んでるって言うの!?勝手な想像するんじゃないわよ!」

 

 怒声を浴びせるルイズの横で、パチュリーが納得顔を浮かべていた。

 

「つまりは聖戦対策?」

「さすがは、研究を志す方々だけはある。察しがいい。言われる通りだ」

 

 満足そうなビダーシャル。パチュリーと魔理沙は、虚無関連を研究テーマとして選んでいる。もちろん聖戦についても、調べていた。

 二人のやり取りに、ルイズは不思議そうに尋ねる。

 

「パチュリー、どういう意味?」

「この所、虚無の担い手が次々出てるでしょ?ルイズに、ガリア王。後アルビオンの新しい女王も、そうだっけ。こう何人も出てきたら聖戦に繋がるかもって、彼、考えてるのよ」

「だからって……アルビオンで戦争起こして……。あ、ハルケギニアが混乱してたら、聖戦するどころじゃないから?」

 

 ちびっ子ピンクブロンドの言葉に、うなずく紫魔女。ルイズは、すかさずエルフに言い返そうとするが、パチュリーに止められた。

 

「けど私たちのおかげで、それが上手くいかなくなってきた。だから抱き込みに来た訳?」

「そういう訳ではない。だが、蛮族共のいう”聖戦”などというものは、お互いにとって不利益以外の何物でもないのでは?」

「そうね。どんなものだろうが戦争なんて、迷惑なだけだわ」

「我々は、協力し合えると考えている」

「条件しだいね」

「というと?」

「まず手を組むと言うなら、信用の証を見せてもらいたいわ。そうね……。とりあえず、トリステイン周りで騒動はやめてもらえないかしら。足元を落ち着かせたいのよ」

「……よかろう」

 

 うなずくビダーシャル。意外にあっさりと。

 それからお互いの連絡方法まで、決めてしまう。その脇でルイズは、戸惑うしかない。ブリミル教徒の宿敵エルフと、妖怪達が手を結ぶ光景を目にしているのだから。

 確かに幻想郷の住人は、ブリミル教徒でもなんでもない。さらに自己中心的で打算の傾向が強いのも知っている。利益のために、敵と組む事もあるかもしれない。しかしだ。一方でルイズはブリミル教徒であり、虚無の担い手なのも確かだ。

 

「ま、待ってよ。パチュリー」

「何?」

「エルフと組んで、宗教庁と戦うっていうの?」

「逆よ。その戦い自体が、起こらないようにするのよ」

「け、けど……」

「ルイズ。あなたは聖戦起こしたいの?」

「それは……」

 

 言い淀むルイズ。

 以前なら、一も二もなく返事をしていただろう。もちろん起こしたいと。聖地奪還は信者としての務めと。しかし、幻想郷でハルケギニアとは違った考えに触れた。さらにアルビオン戦で戦争の空気を感じ、命令無視までして被害を抑えようとした。そして彼女は、座学で聖戦を学んでいた。さらにそれが、大きな被害だけで、何の成果もなかった事も知っている。

 いくら虚無の担い手とは言え、今では以前の答えを出せなくなっていた。

 

 黙り込んだルイズを他所に、魔理沙がビダーシャルに話かける。

 

「そういやぁ、いいタイミングで出てきな。シェフィールドとの話、聞いてたのか?」

「いかにも。興味があったのでな。だが……あの話からすると……、我々の他にもこの地で活動している者がいるようだな」

「あんたもそう思うか?」

「うむ」

「今の所、大した手がかりはないぜ。ただ現象が起こるとき、一つだけ共通点がある。現象の後、地震が起こる」

「それで地震について聞いたのか」

「まあな。ま、あんたも気に留めてといてくれ」

「うむ。それについて話す事もあるだろう。我らの妨げになるかもしれんからな」

「そうしてくれると、ありがたいぜ」

 

 エルフとざっくばらんに話す魔理沙。ついこの前やり合ったというのに、馴染かのよう。この点の切り替えの早さは、やはり幻想郷の住人か。

 

 やがて話し合いは何事もなく終わり、双方は別れる。文は取材したがっていたが、ビダーシャルはもっともらしい言い訳をして断る。次の機会にはすると約束してしまったが。

 ほどなくして、ビダーシャルは森の奥へ足を進める。残ったパチュリー達は転送陣を片づけると、空へ舞い、帰路へと着いた。

 

 幻想郷組と共に、飛ぶルイズ。シェフィールドもビダーシャルもいなくなった森を見つめながら、複雑な思いが巡っていた。

 無意識の内に彼女達は、トリステインの味方だと思い込んでいたが、あくまでルイズ個人の友人というだけだったと噛みしめる。文にいたっては、それすら怪しい。つまり彼女達は、トリステイン、ましてやブリミル教徒の味方だとは限らない。エルフとなんの抵抗もなしに手を結ぼうとする彼女達を見て、あらためて異界の住人である事を思い知る。

 

 その内この異界の異能者達は、この世界での大きなイレギュラーとなるかもしれない。全てが台無しになるかもしれない。一瞬、そんな奇妙な考えが、ルイズの脳裏を過った。

 

 

 

 

 

 ルイズがシェフィールドと戦っていた頃。王都トリスタニアの王宮では、この国を左右する会談が行われていた。トリステインとアルビオンの会談だ。双方は戦争に終止符を打ちたいと考えてはいたが、思惑は微妙にズレていた。トリステインは戦勝したという形と、実質的な成果を得たかった。一方、アルビオン側は、神聖アルビオン帝国とは無関係な形で、友好条約を結びたかった。

 

 ところで、アルビオンはすでに落ち着きを取り戻している。ティファニアの虚無の威光と武闘派貴族が王家へついたため、モード朝への抵抗はほどなく収められた。抵抗していた旧帝国派の貴族は、所領をかなり減らされる事となった。

 王朝成立の結果、王家は旧帝国直轄地のほとんどを貰い受けた。サウスゴータ家も復活。旧領を取り戻す。さらにレコン・キスタ、神聖アルビオン帝国の興亡と混乱の続いたアルビオンでは、多くの貴族が没落。できた空白地は、モード朝臣下へと下げ渡される。その中でも、多くの所領を得たのがジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド侯爵。モード朝発足の足掛かりを作った事が、大きく評価されたからだ。彼はトリステイン時代の何倍もの所領を得ていた。これも、妖怪兎、因幡てゐの幸運効果のおかげかもしれない。

 

 長机を挟み、向かい合うアルビオンの代表とトリステインの代表。トリステイン側には、女王アンリエッタ、宰相マザリーニ、重臣たちが並ぶ。さらに近衛兵である銃士隊隊長のアニエスの姿も、部屋の隅にあった。

 彼らの対面にあるのは、もちろんアルビオン王国モード朝の面々。その中心にいるのはワルド。トリステインの裏切り者。一度は国を滅ぼしかけた張本人。それが爵位を上げ、所領も増やし、あまつさえ外相として目の前にいる。トリステイン側は、憤りを覚えずにはいられなかった。特にアンリエッタは。彼が恋人、ウェールズ・テューダーを殺し、恋文を奪った当人と知っているのだから、無理もない。

 

 しかし、それが辛うじて抑えられていたのは、上座に座っている人物、金髪月目の少年のため。女王すらいるこの席で、一番若い彼が、一番の上座に座っていた。彼の名は、ジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だ。当然ただの神官ではない。驚くべき事に、この少年は教皇の名代の肩書を持っていた。二国間の仲介役として、この場にいる。

 

 会談は遅々として進んでいなかった。トリステイン側の態度は固く、アルビオン側も同じく譲らず。なかなか態度を緩めないトリステイン側に、ワルドは親しみを込めて語り掛ける。

 

「アンリエッタ陛下。お互い、始祖ブリミルの血統、虚無の担い手を抱く国同士。条約を結んでいただけないでしょうか?」

 

 アルビオンはティファニアが虚無である事を公言していた上に、ルイズが虚無である事もすでに知っていた。ルイズが虚無である事は明らかにされてはいなかったが、連合軍のアルビオン出兵の時にかなりの将校に知られてしまい、ほとんど公然の秘密となっている。

 

 憮然としたままのアンリエッタを前に、ワルドはジュリオの方へ顔を向けた。

 

「教皇聖下も、この二ヶ国がいつまでも仲違いする状況を望んでおられないのでは?」

「はい。ワルド侯爵の言われる通りです。聖下は、虚無同士はお互い手を結ぶべきとお考えです。それそこが、始祖ブリミルへの信仰の証となるでしょう」

 

 ジュリオは神官の態度を崩さず、厳かに告げる。ワルドの調子に合わせるかのように。

 トリステインの方は、信仰と言われてしまうと黙るしかない。元々教義に厳しいだけに。しかも第一の重臣、宰相マザリーニは枢機卿でもある。神官である彼は、ロマリアの使者からの発言に抗しづらいものがあった。トリステイン側で一番有能と言われる彼が、ジュリオのおかげで身動きできずにいた。

 だが女王だけは、黙っていない。

 

「信仰の証を立てる資格があるのですか?外務大臣殿」

「と言われますと?」

「あなた方は、テューダー王家を滅ぼしているのですよ。始祖ブリミルに繋がる家を」

 

 各王家は始祖ブリミルの血統と、捉えられている。その一つ、テューダー王家を滅ぼしたのは、他でもないワルドが所属していたレコン・キスタ、神聖アルビオン帝国だ。そしてモード朝重臣のほとんどが、旧帝国の臣下だった者ばかり。

 

 しかし、女王の嫌味にも聞こえる一言に、どういう訳かワルドは嬉しげに顔を崩す。

 

「はい。仰る通りです。我々は、その行いを誇りに思っております。私もウェールズを討ち、テューダー王家を断絶させた功を名誉に感じています」

「な……!」

 

 思わず立ち上がるアンリエッタ。

 

「ウェールズを手にかけておいて、誇るなどと……!」

「ええ。私にとっては、感無量と言っていいものでした」

「何という、言いようですか!」

 

 さらに前に出ようとするアンリエッタ。それこそ、ワルドに掴みかかりかねない勢いで。だが、さすがにマザリーニから止める声が入る。

 

「陛下!どうか、お気をお静めください」

「……!」

 

 表情を歪ませたまま、席に戻る女王。口を噤んだ彼女の代わりとばかりに、マザリーニが尋ねた。

 

「しかしワルド侯爵。テューダー王家を滅ぼした事を誇るとは、どういうおつもりですか?未だ心は、神聖アルビオン帝国にあるという訳ですかな?」

「おや?ご存知ないのですか?」

 

 ワルドの言いように眉を潜める宰相。それはトリステインの重臣達も同じ。ワルドは落ち着いて口を開く。

 

「テューダー王家は、宗教庁より異端として認定されたのですよ」

「え……!?」

 

 驚きがトリステインの重臣たちを包む。すると上座から声が届いた。若い声が。ジュリオだった。

 

「ワルド侯爵の言われた話は事実です。聖下はテューダー王家を、異端とお認めになられました。枢機卿への連絡が遅くなったのは、こちらの落ち度です。その点につきましては、ロマリアの代表として、お詫びします」

 

 若輩らしからぬ落ち着いた態度で頭を下げる。困惑するトリステイン側。突然の知らされたというものあったが、そもそも理由がまるで想像がつかないと。すると、ワルドが大仰に話しだした。

 

「当然ではないですか。ティファニア陛下は、宗教庁に認められた真の虚無の担い手。その聖なる父母の御命を奪ったのが、テューダー家なのです。彼の者たちを、異端と呼ばずして何と言うのです」

「今、侯爵が言われた点が、異端認定の理由です。我々もワルド侯爵の上奏を受け、決定を下しました」

 

 さらにジュリオが言葉を添える。ワルドがさも自慢げに大きくうなずいた。

 だが、ワルドの上奏という言葉に、アンリエッタの表情が変わる。

 

「ワルド侯爵が上奏?」

「はい」

 

 淡々とうなずくジュリオ。

 上奏。すなわち、異端認定はワルドが提案したという訳だ。アンリエッタは、すぐさま憎悪を込めたような顔をワルドへ向ける。

 

「あ、あなたという人は……!」

「…………」

「ウェールズの命を奪った上に、名誉まで……!」

 

 アンリエッタは飛び掛かるように立ち上がると、手を伸ばしていた。ワルドへ向かって。

 

「へ、陛下!」

 

 重臣達が慌てて、アンリエッタを止める。すぐさま我に返り、手を引っ込める彼女。しかし、ワルドへの視線は鋭いまま。ワルドの方は、怒りを向けられるのはお門違いかのように被害者顔。さらに追い打ちとばかりに、テューダー王家の墓を全て破棄したと言い出す。アンリエッタの反応は、会議を一度中断させる程のものだった。

 

 その後も会談は続く。するとワルドは態度を急に軟化、散々拒否していたトリステインからの賠償請求も、見舞金という形である程度応じると言い出す。さらにクロムウェルを引き渡すとまで言い出した。

 実は神聖アルビオン帝国皇帝、オリヴァー・クロムウェルは、アルビオン王国にすでに捕らえられていた。彼は金品を持ち出して逃走していたが、足手まといとなる宝物を金に換えようとして足がつき、捕まっていた。

 

 様々な譲歩を提示したワルドだったが、頭に血が上ったアンリエッタに悉く拒否される。結局は物別れに終わる。決まった事は精々、今後も話し合いを続けるというものだけだった。

 

 会談が終わり、王宮から離れるアルビオン代表とジュリオ。ワルドとジュリオは同じ馬車に乗り、港へと向かう。ジュリオがいつもの表情へと戻っていた。飄々とした態度に。

 

「あれで良かったのかい?打ち合わせ通り、女王陛下を怒らせたけど。でもさ、美人を怒らせるのは、あまりいい気分がしないよ。ああいう役は、もうごめんだね」

 

 アンリエッタを怒らせたのは二人の策だった。ジュリオが仲介を担いながら、アルビオン側に肩入れしていたのも全てこのため。

 

 実はワルド。すでに教皇、聖エイジス32世ことヴィットーリオ・セレヴァレと会っていた。モード朝成立後、真っ先に向かったのがロマリアだった。もちろん王朝成立に尽力してくれた礼を言うためというのもあったが、ブリミル教の最高位がどのような人物か知りたかったのが真意。そして謁見で教皇は告げた。自分が虚無であり、さらに聖戦を目指していると。ワルドは意を得たりとばかりに、聖戦を自らの手で実現すると決意する。同時に教皇も、彼への支援を惜しまないと約束した。ジュリオが彼と共にいるのは、その一環だった。

 

 進む馬車の中、ワルドは窓の外を漫然と眺めている。しばらくしてジュリオの不満に答えた。

 

「すまなかった。だが必要だったのだ。両国が手を結ぶためにな」

「逆にしか思えないよ」

「私は、トリステイン重臣からウケが悪い。今のままでは、両国を取り持つのは難しいだろう」

「そりゃぁ、裏切り者だからさ。仕方ない」

「その通りだ。だから私の不評を、アンリエッタ陛下との個人的な不仲に、すり替えてしまいたかったのだ。さらに、外交を滞らせる元凶も担っていただく」

「けど最後の決定をするのは女王だよ。その女王から嫌われちゃ、話はまとまらないんじゃないの?」

「そうだ。だから彼女には下りてもらう。女王の座からね」

 

 不敵な笑みを浮かべ、ジュリオへ向く。厳しい面持ちの月目の少年。

 ジュリオにはワルドを支援するのとは、別の役目があった。ワルドを見張れと、教皇から言いつけられている。

 

 ワルドはさらに言葉を付け加えた。

 

「そもそも、アンリエッタ陛下は王の器ではない上、宰相は人望薄い外国人。私の件がなくとも、退場してもらうつもりだった。今のトリステインでは、聖戦の足手まといだ。だいたいロマリアもアルビオンもガリアも、虚無を主として頂いてる。トリステインだけがただの人間だ」

「という事は何かい?トリステインの主となるべき人物は……」

「言うまでもないだろう。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。彼女しかない」

 

 さも当然とばかりに、笑みを浮かべるワルド。ジュリオの方は一言あるような顔つきで、黙っていた。そのオッドアイには、不信の色が浮かんでいる。

 

 やがて二日ほどで、一行は港、ラ・ロシェールにたどり着く。すでに日は落ち、暗くなっていた。だが天候はいい。出港に大きな支障はない。

 二人はこれから、一旦それぞれの国へと戻る。各船はすでに準備を終え、船出を待つばかりだった。桟橋の上で、しばしの別れの挨拶を交わすワルドとジュリオ。

 

「では、次はガリアでだな」

「うん。けど一番、厄介な相手だよ」

「ああ。だが必ず成就させる。何、我々には、始祖ブリミルの加護があるのだ」

 

 子供のように目輝かせ、満ち溢れた笑顔を見せるワルド。ジュリオには、まさしく狂信者の顔に見えたが。

 彼は、白けた口ぶりで返す。

 

「そりゃ、頼もしい」

「いくらでも頼ってくれよ。では、聖下によしなに」

「そっちも、女王様によろしく」

 

 ワルドは軽く手を上げて返事。そしてアルビオンの船に乗り込んだ。ジュリオはその背中が消えるのを見届けると、ロマリアの船へと身を潜ませる。複雑な心中のまま。

 

 出港したアルビオンの船の中で、ワルドは最後の仕事を終えようとしていた。部下に一通の書簡を渡す。

 

「これは会談結果の概要だ。先に宰相や重臣の方々に、お伝えしておきたい。伝令を飛ばしてくれ」

「はい」

 

 部下は書簡を手にすると、すぐさま伝令の竜騎士に命令した。すぐさまロンディニウムへ向かえと。

 

 船の窓から風竜が飛び立つのを、見守るワルド。自然と笑みを零していた。ここまでは全て思惑通り。次は最大の難関ガリアとの交渉だが、始祖ブリミルの使徒である自分に不可能はない。完全に、そう信じ込んでいた。

 

 全てが終わると疲れが出てきたのか、急に眠気が襲ってきた。ワルドはアルビオンまでに着くまでの間、眠りにつくことにする。

 

 それから一時ほどが経った頃。

 

「ん……!?な、何だ?」

 

 地響きのような音に、目を覚ます。

 揺れていた。船が大きく揺れていた。船底から突き上げるように。

 

「一体、何が!?」

 

 ワルドは飛び起き、身構える。

 揺れは激しく、棚や机に置いていたものを跳ね飛ばし、椅子をも倒した。

 

「なんなのだ!?乱気流に突っ込んだか!?」

 

 用心のため身近においている携帯用の杖を、急いで手にするワルド。

 しかし、揺れは次第収まっていく。そして何事もなかったように、静まっていった。

 

「全く……。酷い乱気流だ。嵐が近いのかもしれん」

 

 ワルドはそんな事をつぶやきながら、ベッドに戻る。部屋は荒れたが、今は眠くて片す気分ではなかった。やがてまどろみが襲ってくる。そのせいか、ふと浮かんだ違和感は霧散してしまった。

 乱気流にしては、不思議な揺れ方をしていたと。それはまるで、地震かのようだったと。

 

 

 

 



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またまた奇妙な出来事

 

 

 

 

 

 トリステインとの会談から数日後。ワルドはロンディニムの城門を潜り、ハヴィランド宮殿へ向かっていた。視線の先にあるのは様々な動乱を潜り抜けた白の宮殿。この宮殿は、今、三人目の主を迎えていた。ティファニア・モード女王。彼女が宮殿の主として君臨している。もっとも当の本人は、君臨どころか未だその立場に戸惑ってばかりだが。

 

 ワルドは宮殿に入ると、自分の執務室へ足を向けた。休みをあまり取っていないが、その表情に疲れは見えない。むしろ生気がみなぎっていた。長年の念願へ向かっている実感があった。

 

 廊下を進んでいると見慣れた女性が目に入る。相手もワルドに気付いたようで、笑顔を向けた。ワルドは近づくと、厳かに礼をする。

 

「宰相閣下。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。ただ今、トリステインとの交渉から戻りました」

「ご苦労さん。なんとかなったそうじゃないか」

 

 フランクに返事をする女性は、マチルダ・オブ・サウスゴータ。アルビオン王国モード朝の宰相であり、現女王、ティファニア・モードの後見人でもある。

 ワルドは国のNo.2直々の挨拶に、渋い表情。小声で話しはじめる。

 

「サウスゴータ卿。言葉遣いは立場を考えてなさってください。誰が聞き耳立てているか、分かりません。もう以前とは違うのですよ。だいたい、元々大貴族のご令嬢でしょうに。どうして、そのような物言いをされるのですか」

「一度、落ちちまうと中々抜けないもんだねぇ。ま、前の方が、性に合ってたってのもあるんだけどさ」

 

 実はマチルダ。ほんの少し前まで、平民に身を落として暮らしていた。政変に巻き込まれた結果、やむを得ずだが。しかし問題は、その平民時代の職業だ。それはなんと盗賊。ハルケギニアを騒がせていた、貴族専門の盗賊、"土塊のフーケ"とは彼女の事。そんな過去を知るのは、本人とワルドだけだ。共に暮らしていたティファニアですら知らない。だがそれも昔の話。今はモード朝の宰相として、忙しい日々を送っている。

 

 マチルダは酒場の女亭主のような、ざっくばらんな笑みを浮かべていた。ワルドは呆れ気味に一言。

 

「ですが、今は違います。陛下のためにも、どうか自覚を」

「まるで姑だね。分かってるさ。あ~、ご苦労様でした。ワルド卿」

 

 背筋をスッと伸ばすと、あっさりと宰相としての気品を纏う。この辺りは元々貴族として育った面もあるが、盗賊として様々な立場の人間に化けたという経験が生きているのかもしれない。

 

 宰相と外相という立場となった二人。するとマチルダが、空気を入れ替えるように言う。

 

「それにしても、よく話をまとめましたね。私たちは器と主こそ違えど、ほとんどが旧帝国出身の者ばかり。会談は厳しいものになると思ってましたけど」

「確かに厳しい会談でした。それに、友好条約への道は、まだまだこれからです」

 

 ワルドは言葉に力を込めつつ告げる。成果は出てないが楽観してかまわない。以後も信頼してもらいたいとばかりに。

 しかし何故かマチルダは、不思議そうな顔をしていた。腑に落ちないと言わんばかりに。

 

「友好条約締結に、時間がかかるかのような物言いですね?」

「はい。予断は許しません」

「おかしいですね。残すは、調印の日取りを決めるだけと伺いましたが」

「え!?」

 

 今度はワルドの方が、不思議そうな顔をしていた。こちらは驚愕を伴って。

 

「どういう意味ですか!?」

「あなたの伝令から、そう聞きましたよ。それにトリステインから、日取りについての提案も受けています。昨日、トリステインからの急ぎの使者が来ました。親書を受け取りましたよ」

「な、何っ!?ど、どういう事だ!?」

 

 立場も忘れて、マチルダに詰め寄るワルド。マチルダの方は、眉をひそめ彼の態度に戸惑う。

 

 やがて事情を説明するために、マチルダは自分の執務室へワルドを連れていった。部屋へ入ると、彼女は書類箱から親書を取り出す。そのままワルドに手渡した。個室だからか、その態度はいつのまにやら地のものになっている。

 

「ほら、トリステインからの親書だよ」

「これは……」

 

 ワルドが手にした親書には、トリステイン王国の紋章があった。封蝋の印璽もアンリエッタのものだ。さらに文面に目を通す。だが読み進めるうちに、彼の顔色は青くなっていった。

 

「な……!?い……いったい……これは……?そんな、バカな……!?」

 

 親書は、決定事項の確認とこれからの段取りを問い合わせるものだった。問題はその内容だ。

 

 近々に友好条約を結ぶ。

 条約妥結後、アルビオン王国はトリステイン王国に見舞金を贈呈する。

 さらにオリヴァー・クロムウェルをトリステイン王国へ引き渡す。

 加えて、トリステイン王国はアルビオン王国女王ティファニアI世を、留学生として受け入れる。

 ついては、友好条約を新学期が始まるまでに締結する。

 

 との事だった。それに加え、調印の日取り案がいくつか並んでいた。

 

 ワルドの視線は、親書にくぎ付けになっている。全く瞬きもせずに、なんども読み返す。だが見えるのは、同じ内容。まるで覚えのない条項ばかり。偽書かと、すぐにサインと印章に目を向けた。

 

「ま、まさか……」

 

 だが、本物だった。トリステインにいたワルドだからこそ分かる。間違いなく、王家の印章とアンリエッタのサインだと。しかし書いてある内容は、会談の場で一つとして合意してないのも間違いない。彼自身が、交渉の中心を担っていたのだから。

 様々な考えが、ワルドの頭を巡る。

 

(サインと印章を巧妙に似せた偽物?いや、いくらなんでも似すぎている。だが、我が国が一方的に譲歩したような内容……トリステイン側の工作か?しかしだとしても、アンリエッタが友好条約締結を考えなければ、この工作はできない。あれだけ怒りに我を忘れていた彼女を、誰が説得できたのか?そもそもだ。私の伝令は、何故、会議は上手くいったなどと報告したのだ?)

 

 ワルドは頭を抱え、全身から力が抜けるかの感覚に襲われる。貧血で倒れる寸前かのように。さすがに様子がおかしいと、マチルダが心配そうにのぞき込んだ。

 

「どうしたんだい?大丈夫かい?」

「あ、いや……その……」

 

 ワルドはすぐに平然を繕った。不信を抱かれないよう。

 

「あの……、宰相閣下はよろしいのですか?」

「何がだい?」

「この結果についてです」

「ある程度の譲歩は仕方がないって、最初から決めてたじゃないか」

「それはそうですが、さすがにティファニア陛下を、トリステインに留学させるのはどうかと。建前上はともかく、実質的にはついこの間まで戦争した相手に、預けるのですよ?」

「ん?妙な言い方するねぇ。最後は、あんたが決めたんだろうに」

「あ!いえ……その……。確かにそうですが……。その……確認といいますか……」

 

 動揺を押さえつけながらも、閣僚然として尋ねる。するとマチルダは、懐かしむような表情を浮かべていた。

 

「フッ……。あの子がね、前に言ってたんだよ。学校に行ってみたいって」

「…………」

「ずっと隠れ住んでいて、同い年の子とは付き合った事もなかったしね。できれば、あの子の望みを叶えてあげたいんだよ。本格的に、女王しないといけなくなる前にね」

「我が国の学校では、いけないのですか?」

「あんた、今のこの国がどんな状態だか知ってんだろ?」

「……」

 

 もちろんアルビオンにも、貴族向けの学校はある。しかし、長く続いた混乱のため、アルビオンの学校は十分機能していなかった。

 マチルダは続ける。

 

「それにティファニアは、これから女王として振る舞わないといけないじゃないか。でもあの子に、貴族の情操教育なんてやってないしね。これについちゃぁ、トリステイン魔法学院はうってつけだよ」

 

 マチルダはどこか嬉しそうに話していた。それは、あたかも母親のように。

 一方、ワルドの胸中には、納得しがたいものが渦巻いている。なんと言っても国の主を、敵対していた国に預けるのだ。人質も同然。それをどうして平然と受け入れられるのかと。この点についても尋ねたが、マチルダは、宗教庁の後ろ盾があるティファニアに、教義にうるさいトリステインが手を出せるハズがないと答える。逆に何かあれば、戦争の大義名分になりかねないと。結局、渋々引き下がるワルド。

 

 その後、御前会議が開かれ、会談内容は全閣僚の了承を受ける。ほぼアルビオン側の譲歩とも言える内容にもかかわらず、不満はそれほど出てこなかった。

 もちろん、早々に外患を収めたいというのはあっただろう。それほど今のアルビオンの立て直しは急務だ。加えて、今のティファニアでは、女王として椅子に座っている以上の事はできない。政務としては、いてもいなくても同じなのも確かだ。

 しかしワルドは、違和感を覚えずにはいられない。その時、胸中を巡ったのは、やはり聖戦のキーワード。

 

(もしかして始祖ブリミルの御業だろうか……。確かに聖戦のために、虚無の四か国がなるべく早く手を結ばねばならない。トリステインに工作をかけている暇などないと、お考えなのだろうか。それで、自ら奇跡を起こされたと……。手間が省けたと、捉えるべきかもしれない。しかし……)

 

 腑に落ちないながらも、奇跡とも呼んでもいいこの現象をワルドは受け入れる。むしろ、奇跡だからこそ。それに少なくとも、聖戦への事前準備、四つの虚無が一つになるという目的へ、一歩前進したのは違いないのだから。

 

 

 

 

 

 トリステイン王宮、女王の執務室に、眉間にしわを寄せた美しい女性がいた。トリステイン女王、アンリエッタ・ド・トリステイン、その人が。

 彼女を悩ましているのは数日前の出来事。今、思い返しても奇妙としかいいようのない出来事。

 

 

 

 アルビオンとの会談が終わった翌日の事だった。アンリエッタはマザリーニから予想外の言葉を耳にする。

 

「調印の日取り?」

「はい」

「待ってください。条約を結ぶ目途すら立ってないのに、どうして日取りを決めるなどという話になっているのです?」

「は?昨日の会談で、ほぼ合意できたではありませんか」

「合意?合意も何も、決まった事と言えば、今後も話し合いを続けるというだけではありませんか」

「あの……陛下。何を仰っているのか、理解しかねるのですが……」

「それはわたくしもです」

 

 その後、お互いが会談について述べるが、事実関係の認識が大きく違う事に気付く。アンリエッタは会談の内容について再確認するが、他の重臣達は皆、マザリーニと同じ認識だった。結局、アンリエッタの思い違いという話で落ち着く。もちろん彼女は納得した訳ではない。ただ、このまま重臣達とイザコザを続ける訳にもいかず、さらに会談では感情的になりすぎたと気に病んでいた。そのため、会談が丸く収まったと思われているなら、その方がいいと考えてしまった。

 結局、違和感を覚えつつも、アルビオンへの親書に、彼女はサインする事となる。

 

 

 

 アンリエッタは執務室で、机を凝視したまま口を開く。

 

「アニエス。今回の件、どのように考えています?」

 

 女王は最も近しい近衛兵に尋ねた。執務室の隅に控える彼女は、毅然と答える。

 

「私の記憶は、陛下と同じものです。あの反徒ワルドが、陛下のお心を乱し会談は紛糾。何も決まりませんでした」

「…………ええ。そのハズです。でも、皆が知っているものとはまるで違うわ。それともわたくし達が、どうかしてしまったのでしょうか?」

 

 さらに心痛を深めるアンリエッタ。しかし忠実な近衛は揺るがない。

 

「いえ。違います。さらに付け加えれば、今回の出来事については、心当たりがございます」

「心当たり?」

「はい。『アンドバリの指輪』の件です」

「!」

 

 アンリエッタは、アニエスの言う意味をすぐに悟った。

 かなり前の話だ。まだ神聖アルビオン帝国が存在していた頃。ルイズから、『アンドバリの指輪』を帝国から奪ったという報告を受けた。マザリーニや重臣達も、その話を知る。だがその後、何故か彼らは指輪の件を忘れてしまっていた。しかし帝国崩壊の経緯から、指輪を盗ったのは事実らしいと分かる。何故、指輪の件を皆が忘れていたのか。今でも原因は不明のままだ。

 

 顔を上げ、アニエスの方を見るアンリエッタ。応えるように、力強くうなずくアニエス。女王は活力を取り戻していた。そして、しっかりと言葉を発する。

 

「アニエス」

「はい」

「誰にも知られず会えるような場所を、用意してください」

「と言われますと?」

「ルイズや幻想郷の方々と、今回の件について話し合いたいのです。内密に」

「分かりました。なんとかしてみましょう」

 

 アニエスは、ただちに行動を開始した。

 

 

 

 

 

 授業も終わりみなが寮に戻った頃。ルイズは、広場に一人佇んでいた。視線の先にあるのは、緑の金属の塊。『ゼロ戦』と呼ばれる機械だ。パチュリー達の話だと、"ヒコウキ"と称する種類の機械らしい。なんでも空を飛べるとか。

 

 だが異界の機械を眺めているルイズの胸中にあるのは、好奇心や驚きではなかった。どういう訳か、なつかしさがあった。紅魔館の図書館で見たからだろうか。しかし、肝心の見たという記憶が何故かない。にもかかわらず、この『ゼロ戦』に馴染んだものが自分の中にあった。

 さらにもう一つ引っかかるものがある。シェフィールドと戦ったとき、何故サモン・サーヴァントを唱えたのか。確かに天子が来る手筈にはなっていたが、合図は別にサモン・サーヴァントではなかったハズだ。確かに窮地に追い込まれての咄嗟の行動とはいえ、その理由は自分でも分からない。

 別にこれらのため、何かが起こった訳ではない。だが、奇妙な居心地の悪さだけが、しこりのように残っていた。

 

 ゼロ戦を茫然と眺めていると、ルイズの後ろから声がかかる。

 

「そこにいるのはミス・ヴァリエールかな?」

「はい?」

 

 振り向いた先に見えたのは、変わり者の頭の薄い教師コルベール。コルベールはルイズと分かると、大げさに笑顔を向けた。

 

「丁度よかった。実は君に是非頼みたい事があるのだよ」

「なんでしょうか?」

「その……不届きな頼みかもしれないが、ミス・ヒナナイにガンダールヴの力を使ってほしいのだ」

「ガンダールヴの力?」

「つまりはその……このゼロ戦についてなのだよ」

 

 コルベールの頼みとは、ゼロ戦の使い方を知りたいという事だった。パチュリー達からゼロ戦は武器と聞いている。武器ならばガンダールヴが使いこなせるのではないかと。

 ルイズはすぐに答えた。

 

「はい、構いません」

「すまない。神聖なる虚無の力をこのような事に使って」

「別に、いいですよ。この程度なら、ブリミルもお許しになると思います」

「ありがとう」

 

 嬉しそうに感謝を口にするコルベール。さっそくルイズは、天子を呼びに行く。ほどなくして、ルイズ、天子、コルベールの三人はゼロ戦の前に集まった。天子が緑の機体を眺め、不満そうに一言。

 

「分かる訳ないでしょ」

「なんでよ」

「機械なんて興味ないし。その手の本、あんま読んでないから」

「そういう話してんじゃないわよ。あんたガンダールヴでしょ?ガンダールヴは、あらゆる武器を使いこなすって言うわ。その力で分かんないかって、聞いてんの」

「ガンダールヴの力使うって、どうやんの?」

「え……?」

 

 ルイズ、停止。予想外の質問をされて。

 だが考えてみれば、天子がガンダールヴの力を使った事など一度もなかった。天人としての力と緋想の剣の力は便利で強力だったので、今まで他の力など必要なかったからだ。

 それどころか、天子はルイズと共にいた時、決闘以外では前線で戦った事が一度もない。裏方ばかりやらされていた。前線での戦いは、ルイズの方が多いくらいだ。主と使い魔の在り様としては、間違っているのだろうが。

 

 キョトンとしたまま、続けざまに尋ねる天人。

 

「ルイズみたいに、なんか呪文でも唱えんの?」

「知らないわよ」

「知らないって、あんた虚無の担い手でしょ」

「そりゃそうだけど……。そうだわ、始祖の祈祷書!あれに何か書いてあるかもしれない」

 

 ルイズは急いで寮に戻り、始祖の秘宝の一つ、始祖の祈祷書を持ってくる。ルイズが得た数々の虚無の魔法も、この祈祷書に載っていた。

 さっそく祈祷書を広げるルイズ。しかしどこを見ても、ガンダールヴの使い方など書いていない。

 

「ないわね……」

「こりゃ、どうしようもないわ」

 

 あっさりと諦めムードの天子。露骨にどうでもいいという態度。ゼロ戦なんかに、興味ないのもあって。一方のルイズは、ガンダールヴの力が使えないんじゃ、天子がガンダールヴである意味って何?とか疑問形の表情。もちろん、今の状態でも十分強い事は分かっているが。

 するとコルベールが一つ案を出す。

 

「とりあえず、コックピットに乗ってみてはどうかな?」

「こっくぴっと?」

「ミス・ノーレッジ達から聞いたのだよ。あそこだとか」

 

 そう言いながらガラスのフードを指さす。いかにも人が乗るかのような場所が見える。ルイズはすぐに天子に命令。天人は渋々その場所へ。ガラスのキャノピーをスライドさせると、各種計器と操縦桿が見えた。そして狭苦しい椅子も。

 嫌そうな顔の天子。

 

「すっごい狭いんだけど」

「いいから入りなさいよ。文句言うほど、あんた大きくないでしょ」

「ルイズがそれ言う?」

「どうでもいいから、乗れって言ってんの!」

 

 ブツブツ言いながら座る天子。そして、あちこちを触る。最後に操縦桿を握りしめた。

 するとその瞬間……。

 何も起こらなかった。

 古臭いゴムの感触が、天子の手に伝わるだけ。操縦席で降参の天子。

 

「ダメダメ。な~んにも分かんない」

「こんな事なら、シェフィールドに虚無の使い魔の力の使い方、聞いとくんだったわ」

 

 ルイズ、項垂れる。確かに彼女の言う通りではあったが、あの時、思いつく訳もない。

 傍でやり取りを聞いていたコルベールも、気落ちしていた。

 

「分からないか……。仕様がない。地道に研究する事にするよ。二人とも、手を貸してくれてありがとう」

「いえ、この程度何でもないです。でも動かし方分かったら、これ、動かせるんですか?」

 

 素朴な質問をするルイズ。このゼロ戦は燃料なるものが必要と、魔理沙達から聞いていた。それがなければ、動かないと。

 もっともな問いかけにコルベールは、自信ありげに表情を浮かべる。

 

「心配無用だよ。ミス・ヴァリエール。実は、動力源の燃料の方は、もう作れたのだ。燃料を入れてた場所に、少し残っていたおかげでね。それをなんとか再現できた。なかなかの火力だよ。そうだ!これから見てみるかね?」

「えっと……その……、またの今度という事で……」

 

 コルベールの嬉しそうな笑顔に対し、引き気味のルイズ。

 

 要件が終わりお開きムードの中、ルイズは天子へ視線をずらす。実質的に、ガンダールヴがただの肩書きと分かった天子。このままでいいのかと。

 だがその思考を中断させる声が、飛び込んできた。

 

「ミス・ヴァリエール!ここにいたのですか」

 

 一斉に振り向く三人。見えたのは小走りに駆け寄ってくるふくよかな女性。教師の一人、ミセス・シュヴルーズだ。彼女は近くまで駆け寄って来ると、息を整えながら言う。

 

「はぁ、はぁ……。ミス・ヴァリエールとミス・ヒナナイ。学院長がお呼びです。急いで学院長室へ行ってください」

「あ、はい」

 

 ルイズは素直にうなずくと、すぐに動きだした。また人妖の誰かが何かやらかしたのかと、いやな予感を抱きながら。

 

 学院長室に入ると、他の幻想郷メンバーも揃っていた。てっきりいつもの幻想郷組への苦情が来るかと思っていたが、どうやら違うらしい。それを確信したのは、とある人物が目に入ったから。

 近衛の一つ銃士隊、その隊長のアニエス。彼女がこの場にいた。

 彼女はカリーヌが教官として来る以前、学院警備の事務的な部分を担っていた。会ったのはそれ以来だ。それ以外でも何度か会った事があるので、面識はある方。アニエスは厳しい表情のまま告げる。

 

「急に呼びたててすまない。実は陛下が内々に相談したいとの仰せだ。あなた方には、私に付いてきてもらいたい」

「陛下が!?一体何を?」

「それは陛下のお口から、直に聞いてもらいたい。ともかくお急ぎだ」

「分かりました。ただちに出立します」

 

 アンリエッタの頼みと聞いて、ルイズはすぐさま了解。もっとも、人妖達が文句言い出す前に、事を決めてしまおうとしたのもあったが。しかし意外にも、アニエスの頼みを彼女達はあっさり受け入れる。そして一同は、アニエスと共に密会の場所へ向かった。

 

 

 

 

 

「ここがみなさんのお住まいですか……」

「ああ」

「窓がありませんね」

「灯りはあるからな。問題ないぜ」

「それはそうですが……」

 

 トリステインの女王と、普通の魔法使いが並んで広い廊下を歩いていた。

 ここは幻想郷組のアジト。一旦はアニエスの用意した場所に向かった彼女達だが、内密な話をするという訳でパチュリーが思いついた。自分たちのアジトほど、都合のいい密会場所はないと。ここは基本的に転送陣を使って入る。後のつけようがない場所だ。

 もっともアンリエッタの第一印象は、あまりいいものではなかったが。作りこそしっかりしているものの、窓のないこの空間は、神殿の地下にある墓地のような印象すらあって。ただ人外だらけのこの場所。ハルケギニアの人間からすれば、当たらずとも遠からずかもしれない。

 

 全員が集まったのはアジトのリビング。メンバーは、ルイズ、パチュリー、魔理沙、アリス、こあ、天子、衣玖、文、アンリエッタ、アニエス。そしてここには、ラグドリアン湖の水の精霊、ラグドもいる。さらに鈴仙も、急遽、ヴァリエール家から呼び出された。

 

 こあが一同に紅茶を配る。各々が一口含み、場が落ち着きを見せ始めた。さっそくアンリエッタが第一声。

 

「みなさん。この度は、わたくしの頼みを聞いていただいて、ありがとうございます」

「礼を言われるようなものじゃないわ。むしろ是非話を聞きたいくらいよ」

 

 パチュリーの相変わらずの淡泊な対応。しかし抑揚のない声色に、わずかに好奇心が漂っている。実は事前に話の概要を聞いていた。不可解な現象について相談したいと。魔女達は例の怪現象関係と予想。その時、揃って目元と口元が緩む。それに気付く者はいなかったが。

 

 さっそく話に入る一同。まずアニエスが、現象について説明。

 以前のアンドバリの指輪の一件と同じく、アルビオンの会談の内容を自分たち以外の重臣が覚えていないと言い出したと。三魔女は興味深そうに聞き入る。文もメモを走らせていた。

 シェフィールドの話を入れると、これで三件目だ。人の記憶が、以前と変わったというのは。しかも関係者全員ではなく、一部の者だけが覚えているのも同じ。

 

 まずはアリスが確認の質問を一つ。例の現象の共通点についての。

 

「重臣達が忘れる前、地震が起こらなかった?」

「地震……ですか?」

「そ、地震」

「地震……地震……」

 

 考え込むように、顔を伏せたアンリエッタだが、急に頭を上げる。

 

「あ!ありました!地震!そうだわ……。確かに……。どちらも前日の深夜でした」

「やっぱり……」

「地震が何か関係あるのですか?」

「この所、奇妙な現象がアチコチで起こってるのよ。あなたが言った現象も含めてね。しかも、それがトリステイン以外でも。で、共通する事後現象が地震なの」

「あのようなものが他でも……。何かの予兆でしょうか?」

「さあね。誰かの仕業なのか、それともただの自然現象なのか、吉兆か凶兆か、何もかもがサッパリ」

 

 アリスは腕を組みつつ、肩をすくめる。すると今度はアニエスが尋ねてきた。

 

「相談に乗ってもらって失礼だとは思うが、ゲンソウキョウの者の仕業という可能性はないのか?」

「可能性という意味ではあるわ。実際、私たちの知らない所で動いてるのがいるし」

「知らない所?裏切り者がいるというのか?」

「裏切り者?幻想郷出身だからって、別にみんな仲間って訳じゃないわよ。どこでも、そんなもんでしょ?」

「それは……確かにな……」

 

 異世界という言葉から、アニエスは一括りに捉えていたが、よく考えてみればトリステインの中ですら様々な勢力がいる。一つにまとまるなど、簡単にはいかない。異世界と共通点がそんなものだとは、苦笑いするしかないシュヴァリエ。

 

 すると、ルイズが何の気なしに口を挟む。

 

「来てたのって因幡てゐ……だっけ。私、会った事ないんだけど。どんな妖怪?」

 

 だが彼女の問への返答は、アリスではなく鈴仙の驚き。

 

「え!?てゐ、来てたの!?」

「うん。そうなんだって。でも何しに来たか、分かってないそうよ」

「う~ん……。てゐの事だから、ろくでもない事しに来たと思うけど……。何もなかった?」

「そう聞いたわ。あれ?でも確か鈴仙って、その妖怪といっしょに住んでるんじゃなかったっけ?何か聞いてないの?」

「全然」

 

 首振る玉兎。ただ、その脳裏には、嫌な予感しか浮かばない。幻想郷では、いたずらの一番の被害者は彼女。ネガティブな予想も当然だった。ルイズは鈴仙の重そうな面持ちを、窺うように尋ねる。

 

「なんだか……厄介そうな妖怪みたい」

「その通りよ。いたずら大好き妖怪。人に迷惑かけてばっか。何度もひどい目に遭った事か……。尻ぬぐいさせられたりもあったし……」

「なんか、天子以上に酷そう」

「うん!」

 

 力強く鈴仙はうなずく。正しい認識と言いたげに。一方、てゐとの比較に使われた天子は、ルイズの頭を小突いていた。鋼の手刀チョップで。そこからちょっと茶番が一コマ発生。最後は、衣玖の電撃で収まったが。

 話を戻すように、魔理沙が口を開く。

 

「ただな。今回は、いたずらしに来たってのは考えづらいんだよ。すぐに帰ってるしな。結果見ないで帰るなんて、てゐらしくねぇし。たぶん永琳に、何か命令されたに違いないぜ」

「また永琳って……。始祖のオルゴール盗むように命令したり……。一体何、考えてんのかしら?そりゃぁ、ちい姉さまの事で助けてもらったけど」

 

 実は、カトレアがほぼ完治したと鈴仙からルイズは聞いていた。その意味では、永琳には感謝してもしきれない。しかしそれはそれとして、幻想郷の有力者が、ハルケギニアに何か仕掛けていると思うと不安になるのも無理はない。

 一連の話を聞いていたアニエスが、疑問を口にする。

 

「そのイナバ・テヰとかいう者、一体何ができるのだ?」

「他人に幸運を与える事ができるぜ」

「幸運を与える?なんだそれは!?その者も天使か何かか!?」

 

 アニエスもアンリエッタも、驚きに身を固めていた。信じがたい話だ。つまり、人の運、不運を操る事ができると言っているようなものだ。ハルケギニアからすれば、まさしく奇跡。すでに天子や衣玖が天使と説明を受けているとは言え、そんな事ができる者までいるとは想定外。ゲンソウキョウの住人達への印象を、さらに変える二人。もはや人知の外の存在と思うほどに、二人は息を飲む。

 しかし、そんな二人の心情など全く察しない魔理沙は、茶化すように答えていた。

 

「そんな大したもんじゃねぇよ。ただの妖怪うさぎだぜ」

 

 少しばかり表情を緩める二人。しかし、そこに文から一言。情報通を自慢したげな、颯爽とした顔つきで。

 

「そうとは言い切れませんよ。てゐについては、妙な話を耳にしましたから」

「なんだよ」

「妖怪うさぎではなく神だと」

「は?なんだそりゃ」

「白兎の兎神……。それが彼女の正体だとか」

「ハハッ。あのいたずらうさぎが?ありえねぇぜ」

 

 魔理沙が笑って返す。同居人の鈴仙すら、的外れな冗談だと笑っていた。

 だがこの話を聞いていた、アンリエッタとアニエスの表情は重い。幸運を与える神。天使すら実在する世界なら、ありうるかもと。すると二人の脳裏に、一人の人物の顔が浮き上がっていた。

 トリステイン女王が、憂いを漂わせ話しはじめた。

 

「一人……心当たりがあります」

「「「?」」」

 

 なんの話だと言う具合に、全員がアンリエッタの方を振り向いた。

 

「幸運を与えられた者に」

「誰?」

 

 あまり話していなかったパチュリーが、真っ直ぐにアンリエッタを見ていた。

 

「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。元トリステイングリフォン隊隊長です。ですが祖国を裏切り、レコン・キスタに参加。その後、神聖アルビオン帝国の竜騎士隊を率いていました。そして今では、アルビオン王国モード朝、外務大臣。さらに爵位を上げました。その上、以前より遥かに広大な所領を得ています」

「ワルドって確か……元、ルイズの婚約者よね」

 

 尋ねられたルイズはうなずく。不機嫌そうに。祖国を売り、実家の期待と自分の子供の頃の思い出を汚した人物。悪印象しかないのも当然だ。

 紫魔女は続けた。

 

「その彼が、どうして幸運を受けたと思うの?」

 

 問いに答えたのはアニエス。

 

「ワルドは神聖アルビオン帝国では、よそ者だ。だいたい帝国では竜騎士隊隊長止まり。トリステインでは近衛隊隊長だった男が、裏切りまでしておいて降格してしまっている。さらに帝国崩壊で、完全に拠り所がなくなった。それが今ではアルビオン王国の重臣だ。あまりに不自然な、変わり様とは思わないか?」

「あなた達の知らない後ろ盾が、あったのかもしれないわ」

「だが、あの不届き者はこう言っていた。この立場にあるのは、始祖ブリミルの導きと」

「ブリミルの導き?」

「身を潜めていた、現国王ティファニア陛下と宰相サウスゴータ卿を、偶然見つけたのだと言っていた。さらに教皇聖下と引き合う切っ掛けも、偶然だと。全ては始祖が導いてくれたと。今の立場にあるのも、それらの功績からだそうだ」

「偶然にしては、出来すぎって訳ね」

「ああ」

 

 ワルドの言い分を信じれば、確かに出来すぎだ。ただ、あくまで可能性が高いというだけの話。断定するのは早計と、魔女達は思っていたが。

 

 その後も話し合いは続いた。しかしこの場で結論が出る程、簡単な問題でもなかった。結局はこの件に関しては魔女達が、引き受けるという事となる。

 

 やがてアンリエッタとアニエスは幻想郷組のアジトを後にする。送迎としてルイズと衣玖が付き添った。本来なら使い魔の天子が付き添うべきなのだが、ゼロ戦に続きアンリエッタの相談の件もあり、これ以上の用事はパスと駄々をこねた。おかげで衣玖が尻拭いするハメに。

 

 

 

 

 

 転送陣を使い、一瞬でトリステイン近郊へ。出現した場所は銃士隊練習場。その施設の一つ。実は元々はここが密会の場所だった。アニエスは自分の管轄下なら、機密を守れると考えここを選んだ。結局は使わなかったが。

 アンリエッタは衣玖に礼をすると、この場を去ろうとする。しかし、思い出したように足を止めた。

 

「そうだわ。ルイズ」

「はい?」

 

 転送陣を片していたルイズが、手を止める。アンリエッタと向かい合った。

 

「何でしょう?」

「一つ話しておくのを忘れてました」

「はい」

 

 女王は、真剣味を帯びた目でルイズを見る。

 

「この話はまだ正式に決定していません。内々の話ですから、他言しないようお願いします」

「はい。陛下」

「まもなく、我が国はアルビオン王国と友好条約を結びます」

「先ほどの話ですね」

「はい。条約締結にあたり、いくつかの合意をしたのですが、その一つに、アルビオン女王ティファニア殿が、我が国に留学するという条項があります」

「え?留学ですか?ですけど、トリステインはちょっと前まで戦争してた相手ですよ。しかも女王自らって……。おかしくないです?」

「ええ、奇妙な話ですけど。とにかく、決まった事なのです。さらに言うまでもないですが、相手は一国の女王。何かあれば、外交問題となります。最悪、再び戦争にも」

「……。はい」

 

 息を飲み、引き締まった声色で答えるルイズ。そして女王は伝えるべき内容を口にした。

 

「そこで、学院での彼女の接待役を、あなたにお願いしたいのです」

「ええっ!?私に!?何故ですか!?もっとふさわしい方が、王宮におられると思うんですけど」

「まず、ティファニア殿は身分を隠した形で留学となります。ですので、あまり目立つような事はできません。もちろん内密に護衛はつきますが」

「という事は、私は接待役というより護衛、という話なんでしょうか?生徒ですから、不自然じゃないという訳で」

「確か生徒であるというのは理由の一つです。ですが、ルイズなら務まると考えたのです。あなたは、今まで多くの難事に当たり、解決してきました。その点を考えて、この件をお願いしようと思ったのです」

「陛下……」

「ごめんなさいね。厄介な頼み事で。いつか必ず、今までの貢献に答えたいと思いますから」

「いえ。そのようなお気遣いは無用です。私は陛下の臣下です。なんなりと仰せつけください」

 

 厳かに、臣下らしい礼をするルイズ。見た目こそ小さいが、そこには頼もしさと喜びが窺える。

 幻想郷の者たちやキュルケ達の助けを借りたのは確かだが、それでも身を危険にさらした今までの経験が、彼女にいつのまにか自信を持たせていた。また、これらの行為は内密だったため、その成果にまともな見返りはなかった。だがアンリエッタが、こうして気に留めてくれている。少なくとも今のルイズにとっては、それで十分だった。

 

 さらにアンリエッタは、言葉を付け加えた。

 

「実はあなたを選んだのは、他にも理由があるのです。もちろん、虚無の担い手同士というのはあります。それにね、ルイズ。義理とはいえ、あなたとティファニア殿は遠縁の親戚なのですよ」

「え?そうなんですか?」

 

 ルイズは、少しばかり驚いて顔を上げていた。

 ヴァリエール公爵家はトリステイン王家と血が繋がっている。そのトリステイン王家はテューダー家と親戚関係。ティファニアのモード家はテューダー家ジェームズI世の弟筋に当たる。直接血は繋がっていないが、一応親戚関係にはあった。

 アンリエッタは顔つきを緩めると、ルイズに語りかけた。

 

「ルイズ。そう固く考えないで。お友達になっていただければと考えてるの」

「友達……ですか」

「二人の友情が、二国の将来を明るくするかもしれません。彼女を、いろいろと手助けして欲しいのです」

「はい。お任せを。陛下」

 

 胸を張り、再びよく通る返事をするルイズ。その態度に小さくうなずくアンリエッタ。

 やがて彼女は窓に近づくと、空を見上げる。だんだんと緋の色合いが、濃くなりはじめていた。もう夕暮れだ。

 

「正直言うと、ティファニア殿には複雑な気持ちがあります」

「複雑……と言われますと?」

「だって、彼女のご両親を手にかけたのが、ウェールズの父上なのですから」

「あ……」

 

 ルイズは思わず声を漏らしていた。

 ウェールズはティファニアにとって、仇の一族の一人だ。これはまぎれもない事実。レコン・キスタはクロムウェルなどという偽の虚無によって起こされた不当な戦争だったが、もしティファニア本人が起こしていたらどうだったろう。正当な虚無の起こした、仇討ちの戦争だったら。アンリエッタは、どうしただろうか。そして今、彼の死をどう捉えているのだろうか。

 ルイズに、そんな考えが浮かび上がる。

 

 アンリエッタは背を向けたまま、独り言のように呟く。

 

「いつかティファニア殿とは、いろいろ話してみたいと思ってます」

「話を……ですか」

「はい。何を話すかは、決めてませんけど」

「……」

 

 背を向ける彼女に、ルイズはなんと声をかけていいか戸惑う。窓際に立つ女王の背は、やけに小さかった。ふと思った。目の前にいるのは、この国の主ではなく、幼い頃から知っている女性だと。幼馴染だと。

 気づくと口を開いていた。力強く。

 

「姫さま!私はずっと、姫様のお友達です!」

「え?」

「あ、えっと……その……なんていうか……。ご相談があるなら、いつでも聞きますっていうか……」

「ルイズ……。ふふ……、ありがとう。そうね。こんな抜け道ができたんですもの。隠れて会おうと思えば、いつでもできるわね」

 

 振り向いた彼女の表情から、影が消えていた。ルイズはアンリエッタに次に会う時は、何かイベントを用意しておくと調子のいい事を口にする。それからしばらく二人は、他愛のない話を交わす。笑顔のまま。

 

 もう空は、鮮やかな緋色となっている。やがてアニエスが、区切りをつけるように声をかけた。

 

「陛下。そろそろ、お帰りになりませんと」

「そうですね。では、ルイズ。今日は、いろいろありがとう」

「いえ、この程度なら、いつでもお引き受けしますわ」

 

 悠然と自信ありげに答えるルイズ。もっとも今回の彼女の疑問に答えるのは、実はパチュリー達なのだが。

 次にアンリエッタは衣玖の方を向く。さっきから二人のやり取りを、何の気なしに眺めていた竜宮の使い。アンリエッタの真っ直ぐな視線に、姿勢を整える。女王は丁寧に礼を告げた。

 

「ミス・ナガエ。みなさんに、よろしく言っておいてください。この度は、相談に乗っていただき感謝していると」

「伝えておきましょう」

 

 衣玖は淡々と答える。いつもの彼女らしいが、どこか穏やかなものも感じられた。

 そして双方は別れる。アンリエッタ達は王宮へ、ルイズは衣玖に抱えられ学院へと。

 

 空を風竜並の速度で飛びながら、ルイズは幼馴染の事を思う。共に過ごした幼い頃は、もうかなり昔。今の自分は多くの近い歳の連中に囲まれ、何かとにぎやかな日々を過ごしている。しかし王族であり、ただ一人で王宮にいるアンリエッタは、どうなのだろうかと。

 その時、衣玖がふと話しかけてきた。

 

「ああいう空気は悪くないですね」

「空気?」

「友人同士の密な空気です」

「…………。私と姫様との付き合いは、子供の頃からだもん。今はそう簡単には会えないけど、それでもやっぱ一番の友達だわ」

 

 気持ちよく答えるルイズ。それを聞いた衣玖は一瞬、口元を緩めるが、すぐにいつもの表情に戻った。真っ直ぐに前を見る。

 

「私たちは長く生きます。そのような感覚が一時期あったとしても、やがて薄れていくのを知ってるんですよ。ですから、あのような空気を抱けるのは、羨ましい気持ちもあります」

「そういうものなんだ」

「妖怪の最大の敵は、退屈なんて言う者もいますし」

「長生きは長生きで、考えものなのね」

 

 人間の誰もが望む長寿。だが実際に手に入れてみても、そうありがたいものではないらしいというのは、意外だった。ルイズは彼女達をあまり人外と意識せずに付き合ってきたが、やはり違うのだと思い直す。

 

 しかし少なくとも今のルイズにとっては、異界の人外との日々は悪くない。いろいろと騒動にも巻き込まれるが、この騒がしい連中のおかげ多くのトラブルを潜り抜けられてもいる。少なくとも退屈なんてものとは、無縁なのは確かだ。

 

 二人は地平線に沈む太陽を眺めながら、学院へと帰っていった。

 

 

 

 

 



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考察

 

 

 

 

 

 ロマリア連合皇国。国と名乗ってはいるが、その実態は都市国家群の連合体だ。ロマリアは、その盟主という立場にすぎない。そのため各都市国家は、ロマリアの意向に沿わないのも度々。ロマリアは、この国家群をまとめるのに苦労が絶えなかった。いや、自分たちの領内すら、満足に治めているとは言えないだろう。

 

 ジュリオ・チェザーレは、ロマリア市内を馬で進みながら、何気なく視線を流す。目に入るのは、行く当てもない流民達。群がる先は施しを与える騎士団の詰め所。そんな風景の脇を、豪奢な馬車が寺院へと向かっていた。行先の寺院も、また豪華な作り。ブリミル信者の心の拠り所、この光の土地は、露骨な光と影が混ざり合った混沌とした土地だった。

 

「どうしょうもないな。ここは」

 

 見慣れた光景ではあるが、それでも不快の念は消えない。

 

 ジュリオは、路上でボロを纏ったまま寝ている流民を目にする。ふとその姿に自分が重なった。今の彼は神官。ここでは光の側にいるが、元々は影の側の存在だった。流民にこそならなかったが、貧しい孤児院で、ただ鬱屈した日々を過ごす。それが元々のジュリオだ。しかしある日、始祖の奇跡が舞い降りる。虚無の使い魔に選ばれるという奇跡が。今こうしていい身なりをして、馬に悠々と乗っていられるのも、全ては奇跡があった故。ならばこそ、その始祖の御心に、主の願いを叶えなければという強い使命感が胸にあった。

 

 やがてロマリアの中心、フォルサテ大聖堂の正門を潜る。寺院の中に入り、廊下を進み、最後に行きついた先は雑然とした部屋だった。長いブロンドの若い男性が、忙しそうにペンを動かしていた。

 ジュリオは丁寧に扉を閉じると、厳かに礼をする。

 

「聖下。ジュリオ・チェザーレ、ただいま戻りました」

「ん?ああ、ジュリオ。お帰りなさい。この度は、ご苦労さまでした」

 

 部屋の主は、人が入って来たと今気づいたという具合に顔を上げた。

 この人物こそ、ブリミル教の最高位、聖エイジス32世教皇ことヴィットーリオ・セレヴァレ。その整った顔と姿は、黙って立っていれば、教皇らしい風格を放つだろう。しかし今は、まるで事務員のそれだった。

 

「すぐに仕事を終わらせます。少し待っていてください」

「はい。お気になさらず」

 

 ヴィットーリオはすぐに目の前の仕事を終わせると、机の上を整理しだした。しばらくすると、少しは部屋の見栄えが良くなる。ヴィットーリオは机から離れ、ジュリオの方へ近づいてきた。涼やかに足を進める姿には、もはや事務員の気配はなく、まさしく教皇のそれ。

 

「それでは、さっそくですが話を伺いましょうか」

 

 やがて二人は、部屋の端にあるテーブルを囲む。ジュリオは主の願いに、すぐに答えた。

 

「結論から言いますと、うまくいきました。二国はまもなく友好条約を結びます」

「おや、意外ですね。難航するかと思っていたのですが」

「アルビオン側が大きく譲歩したため、トリステインも条約締結を選ばざるを得なかったようです」

「つまりは、ワルド侯爵は自らの言葉を、早々に一つ叶えた訳ですか」

「はい。これほど早くとは思いませんでしたけど」

 

 虚無四カ国が手を結ぶ。それは聖戦の前提条件だ。その第一歩がスムーズに進んだというのに、ジュリオは煮え切らない表情を浮かべていた。

 ジュリオはふと思い起こす。初めてワルドが教皇、ヴィットーリオに謁見した日の事を。自分は始祖ブリミルの使いに会った、などとのたまった時を。

 

 

 

 アルビオン王国モード朝成立直後の頃。ワルドにとって初めての教皇謁見の時だ。彼はアルビオンの外務大臣として、宗教庁へ礼を言うため、来庁していた。

 最初にヴィットーリオを見た時、ワルドは唖然として戸惑う態度を見せる。仕事に追われる教皇を目にして。この姿の教皇と謁見すると誰でもそうだが、ワルドも例外ではなかったようだ。しかし、教皇と名乗り、さらに虚無の担い手である事を明かしたとき、ワルドは態度を一変させる。すぐさま跪いていた。

 

「聖下!ご尊顔を拝し、大変光栄に思います!」

 

 まさしく神にでも会ったかのようなに、恐縮するワルド。一心に祈るような姿を見せる。

 一方で、ジュリオの方は驚きを隠せずにいた。ワルドがこうも感情を露わにする事に。アルビオンでは、もう少ししたたかな性分と感じていたのだが。

 

 やがて少々の会話の後、ヴィットーリオは告げた。自分たちの目的が聖戦にあると。その時もワルドは、感極まったという態度を見せる。まさしく敬虔な信者に相応しい反応を。さらに彼は、四人の虚無を一つにしてみせるとまで言い出した。ヴィットーリオは、意外そうな顔つきで彼に尋ねる。

 

「今のハルケギニア各国はバラバラです。それ所か、肝心の四つの虚無が存在しているのかすら、分からないのですよ?」

「その点は、ご安心を聖下」

 

 ワルドは自信ありげに答えた。

 

「聖下、そして我が国の主、ティファニア陛下が虚無の担い手と分かっています。さらに残りの二名も、すでに判明しております」

「判明している?」

「はい。まず一人は、トリステインのヴァリエール公爵家の三女、ミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。そしてガリア国王、ジョゼフ陛下です」

「…………」

 

 ヴィットーリオもジュリオも言葉がない。実はその二人が虚無だとすでに掴んでいたが、極秘事項となっており、宗教庁のごく一部の者しか知らない。それを宗教庁とは関わりもない、後ろ盾もしっかりしてないワルドが知っているとはと。

 教皇は表情を変えず、穏やかに尋ねる。疑念をわずかも感じさせずに。

 

「それを……どこでお知りになったのです?」

「聖下を前にして、このような事を口にするのは憚られるのかもしれませんが……」

「かまいません。ここ場でのあなたの罪を全て許します」

「感謝いたします」

 

 ワルドは深く頭を下げた。やがて上がった顔には、喜々としたものが浮かんでいた。彼は弾けるように口にする。

 

「天使が降臨されたのです!」

「!?……今、なんと?」

「始祖ブリミルの御使いが私の元に降臨され、道を示してくださいました!虚無の担い手も、かの天使に教えていただいたのです。そして私は天使より、加護をいただきました。そもそも陛下とお会いできたのも、天使の加護があればこそ。私は、まさしく奇跡を体験いたしました!」

「…………」

 

 ヴィットーリオは表情を変えなかったが、ジュリオの方は不快感を覚えずにいられない。ワルドを食事に入り込んだ虫かのように、嫌そうに見る。

 確かに教皇、神官という立場だ。狂信的な人物など、いくらでも会った。だが、ワルドから感じるものは、それを上回るもの。

 しかし一方で、目の前の人物がアルビオンの重臣であるのも事実。関係を悪化させる訳にはいかない。むしろ狂信的ならば、操りやすいとも言える。

 

 ジュリオのそんな考えを他所に、主、ヴィットーリオは微塵も揺るがず、静かにうなずいた。

 

「なるほど。あなたがティファニア殿と出会えたのは、始祖のお導きだったのでしょう」

「はい!」

「ワルド侯爵。できれば、天使の啓示を受けた経緯など伺いたいものです」

 

 それから喜びに満ちた声で、天使との出会いを話すワルド。対する二人は、変わらぬ表情で静に耳を傾けた。だがジュリオの胸中には、複雑な思いが交錯する。この男を信頼していいのかと。世迷言にしか聞こえない物語を、喜々として話すワルドを。

 話が終わると、教皇はゆっくりとうなずく。

 

「なるほど、お話はよく理解できました。ともかくガリアについては重要な情報を得ました。こちらでも確認してみましょう。それにしても、まさかエルフと手を組んでいるとは……。」

 

 憂いを伴った態度で、視線を落とす。しかしそれもわずかな間。ヴィットーリオはすぐさま穏やかな表情へと戻ると、一言告げた。

 

「では、ワルド侯爵。あなたの手をお借りできますか?」

「全身全霊を持って、お力添えいたします!」

 

 ワルドは歓喜に身を浸したまま、抑えられない口を開いていた。

 

 

 

 ヴィットーリオとジュリオは、小さなテーブルに向かい合って座っている。二人の前には、空になったティーカップがあった。

 ワルドは最初の謁見での言葉通り、アルビオンとトリステインを早くも結ばせた。しかしジュリオの不信感は消えない。

 

「聖下はあのワルドを、お信じになるのですか?」

「結果は出してくれました」

「ですが……」

「確かに事前調査とは、大分違う人物だったのは意外でしたが」

 

 ヴィットーリオはジュリオからティファニアとワルドの報告を聞いた後、彼の調査をした。報告書は、聖戦を目指しているらしいが、一方で決して信仰心が強いとも言えないという内容。それが実際に会ってみると、もはや狂信者の域にあるのだから。

 

 ジュリオの問いは終わらない。

 

「加えてお聞きしたいのですが……。あの者の言う、"天使"をお信じになるのですか?」

「はい」

「せ、聖下!?」

「少なくとも、ワルド侯爵にとっては"天使"だったのですよ」

「……」

 

 ジュリオは納得する。ワルドがそう信じているなら、そうなのだろう。すると問題は別の所にある。ヴィットーリオがそれを口にした。

 

「注目すべきは、その天使が何者かです」

「はい」

「それに、彼については他にも気になる点があります。神聖アルビオン帝国が崩壊してわずか十日あまりの間に、アルビオン王家の生き残りを見つけ出し、しかもその場で虚無の担い手との確認ができた。そして新王朝の大臣に抜擢。少々できすぎています」

「彼の言い分を信じるなら、まさしく天使の御力という話になるのでしょうけど」

「本当に天使ならば、始祖が私たちにも加護を与えてくれている、という話にもなりますね」

 

 だがヴィットーリオは、その台詞を口にした後、絞るように厳しい顔つきとなる。

 

「ですが私たちは知っています。"始祖ブリミル"を」

「はい」

「"天使"が降臨するはずが、ありません」

「……」

 

 主の言葉に、強くうなずくジュリオ。二人は固い表情のまま、この部屋の隣の書斎へ目を向ける。そこにはある秘宝が置かれていた。ロマリアの始祖の秘宝、『始祖の円鏡』が。それは語っていた。大いなる6000年の歴史を。

 

 二人はやがて向き直った。教皇は忠実な僕に言い聞かせる。

 

「彼を操っている何者かがいると、考えなければなりませんね」

「はい」

 

 ヴィンダールヴは強くうなずいた。

 今のハルケギニアでは、ガリアが不穏な動きをしているのは分かっている。さらに他の者がいる可能性も出てきた。もし自分たちの目標の障害となるならば、手を打たなければならない。取り込むのか、あるいは排除するかのいずれかを。

 

 

 

 

 

 アンリエッタ達を送り返した幻想郷組のアジトでは、それぞれが思い々の時間を過ごしていた。パチュリー、魔理沙、アリスの三魔女はリビングに残り、紅茶と茶菓子を囲んでいる。

 魔理沙はクッキーを一つ摘まむと、独り言のようにつぶやいた。

 

「また記憶操作が起こるなんてな」

「記憶"操作"?」

 

 パチュリーはティーカップをソーサーごと手に取ると、何の気なしに、魔理沙の方へ視線を送る。

 

「誰かの仕業って考えてるの?」

「だろ?」

「自然現象って可能性は?」

「そりゃぁ、無理があるぜ。共通項が多すぎる。なんか企んでるヤツがいるんだろ」

「…………」

 

 紅茶を味わいながら、パチュリーは黙って耳を傾けるだけ。やがてカップをテーブルに置くと、ポツリとつぶやいた。

 

「ねぇ、大分情報も集まったようだし、ちょっと整理してみない?」

「例の現象をか?」

「ええ」

 

 三人の魔女は一斉にうなずく。その表情はどこか楽しげ。やはり魔法使い。物事の探求には、心躍らずにはいられないのだろう。

 口火を切ったのはパチュリー。

 

「まずは、大前提から。魔理沙は人為的と思ってるようだけど、それでいい?」

「私もそう思うわよ」

 

 アリスの賛成の声。アンリエッタには何もわかっていないなどと言っていた彼女だが、原因がハッキリとした訳でもないのでごまかしたのだった。

 パチュリーは話を続ける。

 

「現象自体だけど、地震が起こったのは全て含めるわ。いいわね」

「後、シェフィールドの言ってた、『アンドバリの指輪』忘れてたって件も含めていいんじゃない?あれも記憶操作だし」

「じゃぁ、それも」

 

 紫寝間着は小さくうなずいた。次に魔理沙が、身を乗り出して話しだす。少しばかりテンション高めに。

 

「となると最初は、天子とデルフリンガーだな」

「ええ。あの現象のせいで、天子のガンダールヴは解除されはじめたわ」

 

 天子のガンダールヴのルーンは、今ではかなり小さくなってしまっている。全ての始まりは、天子がデルフリンガーを握ったとき走った痛みだ。

 ここでアリスが、この件には思う所があるとばかりに口を開いた。

 

「それだけじゃないわ。あれ以来、天子がデルフリンガーに近寄らなくなったし」

「天子がデルフリンガー使ってたら、何かあったって言うのか?」

「うん。思ったんだけど、デルフリンガーってサビてるでしょ?けど6千年も経ったら、普通の剣なら粉になっちゃうわ。少なくとも、あんなにしっかりと形を残さないわよ。あのサビって、封印じゃないかしら?それでガンダールヴが使うと、封印が解けるとかね。今、いろいろ忘れてるけど、封印解けたら虚無関連の話、思い出すって考えられなくない?」

「ありうるな。そうだ!今から試してみようぜ。天子にデルフリンガー握らせて」

「望み薄だと思うわよ。ルイズから聞いたでしょ?あの子、『ゼロ戦』乗って何も起こらなかったって。実質、ガンダールヴは、もう効果なくなってると思うわ」

「呪文がいるとかなんとか言ってなかったか?」

「普通の使い魔は、そんなものいらないわよ。ガンダールヴも同じでしょ。だいたい契約した時点で、ガンダールヴの力、使えなかったら、使い魔の意味ないわよ」

「そう言やぁ、そうだな」

 

 納得しつつ、腕を組みなおす魔理沙。するとパチュリーが、念を押すように尋ねた。

 

「つまり仕組んだ相手は、虚無の秘密を隠しておきたかったってことかしら?」

「たぶんね。デルフリンガーが実はすごい武器って可能性もなくはないけど、天子の強化を防いでも、意味があるとは思えないし。ハルケギニアじゃぁ、今のままでも十分強いしね」

 

 言い終えると、アリスはカップを手に取り、紅茶を一口含む。

 七曜の魔女は話を進めた。

 

「その次は、シェフィールドが幻想郷に行き来した件」

「だな。あれ、どういう事だ?」

 

 魔理沙、クッキーを割りながら聞いてくる。それにパチュリーの淡々とした答え。

 

「もし転送されなければ、シェフィールドは死んでたわ」

「ああ」

「そうなると、神聖アルビオン帝国の崩壊はもっと早かったでしょうね。それからガリア王も、しばらく身動きできなくなるわ」

「けど、使い魔はまた召喚できるぜ」

「ええ。でもすぐにはしない。シェフィールドが死んだの気づくのに、時間がかかるから。彼女、かなり自由に動けてたようだし。シェフィールドから知らせがなかったら、ガリア王は彼女がどこでどうしてるかも、分かんないんじゃないかしら?しかも次の使い魔を召喚したとしても、それからも時間がかかるわ」

「なんでだよ」

「ミョズニトニルンの力は、マジックアイテムに依存するからよ。ガリアにあるマジックアイテムを、全部把握しないといけないもの」

「新人の修行期間がいるって話か」

「シェフィールドが死んでれば、少なくともハルケギニアの混乱は、結構早く収まったんじゃないかしら。それからは、しばらくは平穏が続くわね」

「けど、そうはならなかった訳だぜ」

 

 魔理沙の言葉に、黙ってうなずくパチュリー。するとアリスが口を開いた。

 

「そうすると仕組んだ相手……まどろっこしいわね。呼び名付けましょ」

「んじゃぁ、黒子ってのはどうだ?」

「なんでよ」

「舞台裏で、こそこそ動いてるみたいだからだぜ」

「まんま……」

「んじゃぁ、他になんかあるのかよ」

「……。それでいいわ。んじゃぁ、黒子で」

「よし、決まりな」

 

 魔理沙が楽しそうにうなずく。すぐにアリスは話の続きを始めた。

 

「話を戻すけど、その黒子はガリア王を助けたって訳?」

「シェフィールド自身かもしれないけど。少なくとも、ガリアの虚無の弱体化を防いだのは確かね。ただ他に気になる事があるんだけど、それはキュルケの件の時話すわ」

 

 パチュリーは淡々と答える。アリスは丁度いいとばかりに、話を進めた。

 

「それじゃぁ、ついでにキュルケの件もしちゃいましょ。彼女も死にそうになった瞬間に転送されたわ。メンヌヴィルに襲われてね。私には、これが一番よく分からないのよ」

「何が引っかかるの?」

「キュルケ自身は、何か特別な存在って訳じゃないし。魔法的にも政治的にも。こう言っちゃなんだけど、いてもいなくてもハルケギニアに大して影響はないわ。キュルケがいなくなって困るのは、ホント、タバサやルイズとかの個人レベルだけ。一連の怪現象の中じゃぁ異質よ」

「そうとも限らないわよ。彼女の実家はゲルマニアの大貴族だし。メンヌヴィルはシェフィールドと関係してたから、彼女が死んでたら、ゲルマニアとガリアの戦争が起きてたかもしれないわよ」

「それじゃぁ、これもガリアを守ったって言うの?ちょっとしっくり来ないわね。メンヌヴィルがキュルケ達襲ったのって、個人的理由でしょ?誤解がいくつも重ならないと、そうはならないと思うわ」

「ま、それは……あるわね」

 

 七曜の魔女も、さすがに口を濁す。目的の分かりづらい現象に。アリスは、逆に聞き返した。

 

「で、パチュリーの方は何が引っかかってんの?」

「私が気にしてんのは、タバサやメンヌヴィル達までが転送された点」

「転送範囲が、広かったんじゃないの?」

「シェフィールドの時には、彼女だけ飛ばされたのに?」

「う~ん……」

 

 腕を組んで考え込む人形遣い。さらに話を続けるパチュリー。

 

「そもそも、何で幻想郷に飛ばすのかしら?助けるつもりなら、ハルケギニア内の方がよっぽどマシだわ。幻想郷じゃぁ、ハルケギニアに帰って来れない可能性もあるのに」

「幻想郷を見せたかった……から?」

「何故?」

「さあ」

 

 アリスは肩をすくめるしかない。そこに魔理沙が言葉を挟む。

 

「けどキュルケの件は、地震もあった、転送もされた。別ものって訳にはいかないぜ。とりあえずこの話は置いとくぞ」

「そうね」

 

 うなずく人形遣い。これにはパチュリーも賛成。そして次の話を、また彼女が切り出す。

 

「この後に起こったのは、記憶操作ね。『アンドバリの指輪』の件。トリステインでもアルビオンでも起こったわ」

「あれって、忘れたから戦争になったんだよな。となると、黒子は戦争を起こしたかったって話になるぜ」

「しかもアルビオンの存続とは関係ない。『アンドバリの指輪』がない以上、クロムウェルの素性がバレるのは時間の問題だし。戦争があろうがなかろうが、神聖アルビオン帝国は崩壊するわ」

「これ、さっきから出てるガリアを守るためってのとは違うよな。となると、何がしたかったんだ?」

 

 アリスが難しい顔で、つぶやくように話し出した。

 

「もし戦争にならなかったら……、少なくとも死人は出なかったわよね」

「実際にも出てないぜ」

「そりゃぁ、私たちが手出したからよ。チラシばらまいて」

「ん?」

 

 魔理沙が何かを思いついたのか、顔を顰める。

 

「記憶操作がなかったら、私ら無関係で済んだんじゃねぇか?」

「そう言えばそうね。ルイズも戦争行かずに済んでたわ」

「それじゃぁ、私らを巻き込むためか?」

「ルイズを戦争に行かせるためかも……」

「ルイズを?」

 

 二人の会話を聞いていたパチュリー。意外なものが脳裏を過る。瞼を大きく開いていた。

 

「もしかして……アルビオンの虚無を見つけるため?」

「何だよ、そりゃ?」

 

 話が飛んで、意味が分からないとばかりに怪訝な魔理沙。アリスも同じく。だが構わず紫魔女は続けた。

 

「今のアルビオンの女王って、本物の虚無よね。ルイズが、彼女が出てくる切っ掛け作りするハズじゃなかったのかしら。ルイズは、アルビオンで虚無の魔法を使う予定だったし。刺激されて、って可能性はない?アルビオン側も指輪の事忘れてるから、動きがスムーズにいかないでしょうし。ルイズは、余計、魔法が使いやすかったんじゃないかしら」

「同じ虚無だからって、無理やりすぎない?」

「けど、実在すら信じられてなかった虚無の担い手が、ここ数年で何人も出てきてるのよ?虚無同士が無関係っていうのも、考えづらいわ。ついでに言うと、ガリアの虚無も、どういう訳か他の虚無に興味持ってるようだし」

「無意識に、引かれ合うって言うの?」

「あるいは、黒子が仕組んでるとか」

「…………」

 

 七曜の魔女の言い分に、今一つ腑に落ちないように黙り込む人形遣い。ほどなくして、白黒魔法使いがおもむろに話を進めた。

 

「とりあえず次に進むぜ。今度は、鈴仙が持ち出そうとした虚無の宝の話だな」

「黒子は、ハルケギニアから持ち出されるのを防いだ事になるわ。これも虚無絡み」

 

 パチュリーが、空になったカップをいじりながら言う。

 さらに話を進める魔理沙。

 

「これの次は、ビダーシャルのヤツだな。アイツを守った剣」

「『始祖のオルゴール』もね」

「後、こいつは今までとパターンが違う。記憶操作でも転送でもないぜ。後、私らに直接手を出してきたのも、違うしな」

「それと、天子のルーンも絡んでるわ。この時、痛がってたもの。この点も違う。剣って武器とガンダールヴってのも、何かありそうな気がするし」

「そういやぁあの剣って、誰かが使ってるみたいだったよな。飛ばして操ってるって感じじゃぁなかったぜ」

「ええ」

 

 ヴェルサルテイル宮殿での光景が、二人の脳裏によみがえる。剣の動きは、まさしく剣士。正面切って戦っていた文は、一時は透明の相手が操っていると思ったほどだった。ただ、その"誰か"に当たるものは、まるで思いつかない。

 次に最新の現象へと話は移った。パチュリーが始める。

 

「最後は、トリステインとアルビオンの条約についてね。これは記憶操作。おかげで、長引きそうだった二国間の交渉が、あっさりまとまったわ。しかもアルビオンの女王は、トリステインに留学」

「これ、さっき言った、虚無が引かれ合うパターンでもあるわよね。二国の和平よりも、そっちが狙いかしら」

 

 アリスが、新しい紅茶を全員のカップに注ぎながら言う。魔理沙はすぐさま、新しい紅茶を一口味わうと、力を抜いて背もたれに身を沈める。

 

「にしてもなぁ。なんで、前の記憶、覚えてるヤツがいるんだ?」

「確かに、そうね」

「全員忘れてんのが、いいに決まってるよなぁ」

「…………」

 

 魔理沙の言葉に、何も返さないパチュリー。代わりにアリスが口を開いていた。

 

「覚えてるのって、誰だっけ?」

「アンリエッタ、アニエス、シェフィールドに、ロンディニウムの宿屋の主……。後は、私らとルイズ達だな」

「つまり……私たち自身も含めて、私たちに直に関わった相手?」

「そうなる」

「つまりこういう事?黒子は私たちに手が出せないって。ビダーシャルの時みたいに、武器を直接操るとかじゃない限り」

「かもな」

 

 つぶやくように答える魔理沙。するとパチュリーが、思いついたように口を開いた。

 

「ちょっと待ってよ……。もしかして、さっきのシェフィールドとキュルケが飛ばされた件の違いも、そのせいかも」

「どういう意味?」

 

 人形遣いが、不思議そうに七曜の魔女へ顔を向ける。白黒魔法使いも、食べていたクッキーを置いて耳を傾けた。パチュリーは話を続ける。

 

「シェフィールドの時、私が彼女、結界内に閉じ込めてたじゃないの。飛ばそうにも、結界の外まで効果出せなかったんじゃないかしら?」

「なるほどな。逆にキュルケの時は、私らがいないんで自由に飛ばせたって訳か。ま、キュルケ以外の連中まで飛ばす必要があった理由は、分かんねぇけど」

「単に、緻密な転送が、できないだけかもしれないわよ」

「それはあるかもな」

 

 魔理沙は食べかけのクッキーを、再び手にしていた。

 

 一通りの話が終わり、一連の現象を各人が租借する。天子とデルフリンガー、飛ばされたシェフィールドとキュルケ達、虚無の秘宝の持ち出し阻止、記憶操作されたトリステインとアルビオン両国、そして剣によるパチュリー達への直の攻撃。

 しばらく考えを整理するために、黙り込んでいた魔女達。しばらくして最初に口を開いたのは、またパチュリー。相変わらずの淡泊な態度で。しかし、どこか力の籠った口調。

 

「一連の現象を見てみると、虚無をどうにかしようとしてるのは間違いないわね。しかも、集めようとしてる素振りもある」

「素直に考えれば、目的は聖戦で、黒子の正体は始祖ブリミルって話になるんだけど……」

 

 アリスが宙を仰ぎながら答えた。しかし、魔理沙が反論。

 

「それにしちゃ、妙なものもあるぜ。キュルケの件は、どう考えても聖戦と関係ないし、ビダーシャルなんかはブリミル教徒の敵だぜ。そいつを守った」

「剣はオルゴールを守ろうとして、結果ビダーシャルも助けちゃったんじゃないの?」

「いや、あいつはあの時、何もできなかった。先にビダーシャル始末しても、オルゴールは守れたと思うぜ。私らは剣だけに、苦戦してたんだからな」

「そっか……」

 

 またも考え込むアリス。するとパチュリーが淡々と口を開いた。

 

「そうね。ただ、私たちは虚無について、完全に分かってるって訳じゃないわ。未知の目的があるかもしれない。ただ最終目的は他にあるとしても、過程として聖戦が組み込まれてる可能性もあるんじゃないかしら」

「どっちにしても聖戦は、絡むって考えてるの?」

「虚無がそろった場合の最大イベントだもの」

 

 パチュリーの言い分を、二人の魔法使いは黙って受け入れる。異論はないという具合に。さらに続ける紫魔女。今度は、警戒の色合いすらある声色だった。

 

「それともう一点。たぶん黒子は、私たちを邪魔だと思ってるわ。剣で直に私たちを狙ってくるくらいだものね」

「あん時、こあが悪魔じゃなかったら、死んでたもんな」

 

 魔理沙が珍しく真面目な顔つき。ハルケギニアに来て、今の所、身の危険を感じたのは指輪奪還騒動と、言われているビダーシャルの件くらいだ。厳しい表情も無理はない。パチュリーも、締まった表情を浮かべていた。

 

「後、天子のガンダールヴが解除されつつあるのも、デルフリンガーがサビ剣のままなのも、始祖の秘宝が幻想郷に持ってかれるの防いだのも、その一環だと思うのよ」

「虚無関連に、私らを関わらせたくないって訳だ」

 

 するとそこに、アリスが言葉を入れてくる。二人とは違い、迷っているような態度で。

 

「黒子が私たちを邪魔って思ってるってのは、私も同じよ。で、ちょっと話は変わるんだけど、これ以上ハルケギニアいる?」

「どういう意味?」

 

 パチュリーは少しばかり呆気に取られる。アリスは姿勢を正すと、話し始めた。

 

「元々ここに来たのは、研究のためでしょ?けど、こんな厄介事に付き合ってまで、ここに居続けるかって話よ」

「そう言えば、あなたの研究はどうなったの?ガーゴイル研究」

「終わったわ。結論から言うと、あまり使える要素はないわね。パチュリー達の虚無研究は?」

「正直言うと、あまり進んでないわ。確かな資料が少なすぎるのもあるし。実験しようにも、虚無の魔法は頻繁に使えるもんじゃないから」

「なら、ほとぼりが冷めるまで幻想郷に戻る、ってのも選択肢の一つと思うわよ。トラブルがなくなれば、虚無の魔法、使いやすくなるでしょ?」

 

 アリスは諭すように言う。だが、そこに魔理沙の不敵な声が挟まれた。

 

「なしだな」

「何でよ」

「トラブルなら最初からあったぜ。こっちに来たら、トリステインとアルビオンが戦争してたじゃねぇか。あん時決めたろ?手に負える内なら、やり合うって。それに厄介事が起こりそうなの知ってて、ルイズ達放っとくってのも後味悪いぜ」

「……。パチュリーは?」

 

 質問を向けられた七曜の魔女は、何故か笑みを浮かべている。

 

「私も魔理沙と同じよ。それにね……」

「それに?」

「実は、黒子の仕掛けを探ってくのも、面白いと思ってるのよ。どこの誰だか知らないけど、勝負するってなら受けてもいいわ」

「…………」

 

 パチュリーの答えに、アリスは何も返さない。やがて肩をすくめて、あきらめ顔を浮かべていた。

 

「分かった。私も付き合う」

「あら?どうして?」

「戻っても暇だしね。それにパチュリーの言うとおり、この謎かけ探るの悪くはないから」

「魔理沙が心配だからじゃないの?」

「なんで、そうなるのよ」

「別に」

 

 無表情だが、どこか皮肉めいた言い草の紫寝間着。そんな彼女を、人形遣いは不満そうに睨んでいた。妙な雰囲気が漂うリビング。

 そこに突然、魔理沙の大声。場の空気を変えたいかのような。

 

「あー!そう言えば、剣って言えば、例のゼロ戦!」

「ゼロ戦?剣となんの関係があるっていうのよ?」

「どっちも武器だろ?それにゼロ戦が見つかったのって、地震が切っ掛けだぜ?」

「そう言えばそっか……」

 

 アリスが腕を組んで考え込む。

 

「気にした方が、いいかもしれないわね」

「なら、あれ結界で囲って、ついでに魔法陣で反応見ないか?何か出てくるかもしれないぜ」

「うん。いいかも」

 

 アリスと魔理沙は、同時にうなずく。阿吽の呼吸の見せる二人に、パチュリーはわずかに肩をすくめていた。その時、ふと思い出したように言う。

 

「そうだわ。この話、ルイズにも言っとく?」

「だな。あいつは虚無だから、巻き込まれる可能性大だぜ。話した方がいいだろな。ただ、天子のガンダールヴは、卒業まで黙ってた方がいいだろ。召喚、またできるか、分からねぇし」

 

 魔理沙の答えに、二人も同意。

 とりあえずは、一連の話を終えた魔女達。やがて一同はリビングから出る。そして転送陣へと向かった。学院への入り口に。転送陣を潜った先にあるのは、見慣れた風景。学院寮の幻想郷組の部屋だ。

 

 三人はさっそくルイズに話を持って行こうと、部屋を出ようとする。すると先にドアの方が開いた。ドアの先にいたのはルイズ。魔理沙がさっそく声をかける。

 

「お!丁度いいぜ。ルイズ、話があるんだよ」

「ここにいた!って話!?」

「実はな……」

「後で聞くわ!ちょっと来て!」

 

 ルイズは慌てた様子で、魔理沙の手を引っ張った。

 

「おいおい!?なんだよ!」

「いいから来て!」

 

 訳も分からず、ルイズに付いていく魔女達。たどり着いた場所は、学院の広場だった。そこに狼狽えているコルベールがいた。辺りを見回したり、空を見たりと様子がおかしい。そんな彼をキュルケがなだめているようだが、効果はなし。すると駆け寄って来るルイズに気付く。

 

「ルイズ!見つかったの!?」

「うん!ほら、急いで」

 

 ルイズは、後ろから歩いて来る魔女三人を急かすが、彼女達の足は早くならない。キュルケは励ますように、コルベールへ声をかけた。

 

「ミスタ・コルベール!彼女達、来ましたわ!」

「えっ!?お!ありがたい!」

 

 なんだかんだで、魔理沙達はコルベールの傍までやってきた。こちらも困惑したまま。コルベールが弱り切った態度で、話かけてきた。

 

「みなさん、突然、お呼び立てして申し訳ありません!」

「何か、トラブったみたいね」

 

 パチュリーの溜息気味の第一声。コルベールの様子から、こう思うのも当然。その時、アリスが気づく。

 

「あれ?ここにあった『ゼロ戦』は?」

 

 彼女の言う通り、ここはゼロ戦が置いてあった広場だった。しかし今は影も形もない。コルベールは察しがいいとばかりに、アリスの方へ身を乗り出す。

 

「そ、そうなんです!ミス・マーガトロイド!」

「な、何がよ……」

 

 思わず引き気味のアリス。ますます訳が分からない。禿教師はパニック気味に話しだした。

 

「ゼ、ゼロ戦が……」

「ゼロ戦が?」

「ゼロ戦が飛んで行ってしまいました!」

「「「飛んでった!?」」」

 

 魔女三人の言葉が重なる。

 それから詳しい話を、コルベールがしだした。

 ゼロ戦の動かし方を調べていた彼だが、いくつか考えはあったものの確実と言える程のものはなかった。そこで実際に試してみる事に。実験のためにまずは、ゼロ戦に燃料を入れた。それから案を全て試してみたのだが、結局どれも失敗。彼はうなだれて、研究室に戻る。それからしばらく籠っていたが、突然、外から轟音が聞こえる。慌てて研究室を出てみると、ゼロ戦が勝手に動いており、飛んで行ってしまったという訳だ。

 

 コルベールの慌てた様子は、収まらず。

 

「燃料を入れた後、何をやっても反応はなかったのです!なのに勝手に動き出して……」

「誰かが乗ってたとかは?」

「いえ、誰も。乗ったとしても、どうやって動かしたというのです!?」

「そうよねぇ。誰も動かし方しらないし……」

 

 アリスが腕を組んで考え込む。その後、魔理沙、ルイズも加わって話始めた。一方、パチュリーは彼らを他所に、ゼロ戦のあった場所を歩き回っている。本を広げつつ。そこには魔法陣が展開されていた。しばらくして戻って来る。

 

「コルベール。ゼロ戦が飛んでった時、地震、起こらなかった?」

「地震?あ!起こりました!おかげで足をすべらせて、何もできませんでした……」

「やっぱりね……」

「やっぱり……とは?」

「……」

 

 パチュリーは彼に答えず、魔理沙達の方を向いた。何を聞きたいか分かっているとばかりに、口を開く魔理沙。厳しい顔つきで。

 

「ゼロ戦に魔法陣仕掛けようって言ったの、ついさっきだぜ」

「そうね。このタイミングで動くだなんて。ゼロ戦がよほど重要なのかしら」

「あれって鉄砲仕込んでるハズだ。あれなら、私らに直に手が出せるぜ」

 

 魔理沙の言葉に、アリスの表情が重くなる。

 

「何にしても、いつも聞き耳は立ててるって訳ね」

「覗き見も、してるかもしれないわよ」

 

 パチュリーは黄昏時の空を、探るように見つていた。ゼロ戦が消えて行った空を。そこには、双月が上がろうとしていた。

 

 

 

 

 



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入学

 

 

 

 

 

 ゼロ戦が勝手に飛んで行った日の翌日。放課後。ルイズは話があると、魔理沙達の部屋へ呼び出されていた。自分だけという事は、アンリエッタが相談していた件かと見当をつける。ゼロ戦の件だったらコルベールも呼び出されているだろうが、彼は来てはいない。そしてその予想は当たっていた。

 

「クロコ?」

 

 ルイズは、三魔女に聞き返す。パチュリーがそれに答えた。

 

「って私たちは呼んでるわ」

「ガリア王みたいなのが、他にもいるの?」

「いいえ、彼とは別物。次元の違う存在を想定してるわ。こそこそ何か企んでるのは同じだけど」

「それじゃぁ、何よ。クロコって」

 

 もったい付けるような言い方に、ルイズは不満げに返す。

 

 この所三人が、何やら変わったものに取り組んでいるのは知っていた。何かは聞いていないが。ただシェフィールドへの尋問や、アンリエッタの話を側で聞いていたルイズ。普通の魔法研究ではないのは、薄々感づいていた。そして今、説明を受けている。一連の現象について。ハルケギニアに潜む何者かについて。そして出てきたのが"黒子"というキーワードだった。

 

 次は魔理沙が話しだす。

 

「まだ憶測なんだがな。ぶっちゃけ私らは、始祖ブリミルみたいなのを考えてる」

「し、始祖ブリミルぅ!?」

 

 ルイズ、思いっきり目を見開き前のめり。無理もない。予想外の名前。それどころか、ハルケギニア世界での信仰の対象が出てきたのだから。

 

「なんなの、それ!?始祖ブリミルが陰謀を!?いえ、いえ、いえ。ちょ、ちょっと待ってよ。だいたい、"いる"の分かったの!?」

「みたいなのって言ってるだろ」

「みたいってどういう意味!?逆に悪魔!?ハルケギニアにも悪魔が実在してたぁ!?」

「落ち着けって」

 

 喚き散らすルイズをなだめる魔理沙。

 確かにルイズは、幻想郷で神やら悪魔やらが形を持って存在すると知った。だがそれは異世界での話。ハルケギニアでは、あくまで信仰上存在を信じられているが、幻想郷のように実感できるほどのものでもなかった。ルイズも信仰心はあるが、ブリミルが神奈子達のように存在するとは考えていない。

 

 しばらくして、落ち着きを取り戻すルイズ。それから魔理沙達の詳しい説明を受け、ようやく理解する。

 

「つまり、始祖と思っちゃうくらい、すごい力を持った誰かがいるって話でいいのかしら?」

「今は、それでいいわ。で、仕掛けた相手とかじゃぁ呼びにくいから、黒子ってあだ名をつけたのよ」

 

 アリスの言葉に、納得顔のルイズ。一呼吸置いた後、カップを手に取り一気に飲み干した。頭を切り替えるように。やがて次の質問を口にする。

 

「それで、クロコは結局、何企んでるの?」

「虚無関連の仕掛けが多い、ってのは言ったわよね」

「うん」

「そこで考えられるのが聖戦」

「聖戦……」

 

 漏らすように神聖な言葉を口にするルイズ。確かに、三人から聞いた話のほとんどが虚無関連だ。これなら、始祖ブリミルの存在を想定するのも無理はない。しかし聖戦とは。

 ルイズは視線を落としつつ、独り言のようにつぶやく。

 

「もしかして……クロコは熱心なブリミル教徒?」

「必ずしもそうは言えないわ。キュルケの件とか、関係なさそうな仕掛けもあるもの。エルフを助けてもいるしね」

 

 パチュリーがカップを手に取りながら、淡々と答えた。ルイズ、それに難しい顔。

 

「それじゃぁ、聖戦を利用しようしてるのかしら……」

「あるいは、聖戦の先に何かあるのかも」

「聖戦の先……?」

「何にしても、虚無が大きく関わってるのは確かよ。だからルイズも気に留めといて。この黒子は、シェフィールドみたいな訳にはいかないから」

「うん……。分かったわ」

 

 ルイズは神妙に返す。これまでの話を噛みしめるように。

 うつむいて厳しい表情のままの彼女に、魔理沙が声をかけた。空気を変えたいのか、軽い調子で。

 

「そういやぁ、ゼロ戦、どうなった?」

「ああ、あれね。キュルケから聞いたんだけど、ミスタ・コルベールが目撃情報集めてるみたいよ。文にお金払ってでも手伝ってもらう、ってのも言ってたわ」

「そこまでするか。必死だな」

「そりゃぁ、そうよ。一応預かり物だもん。無くしたのバレたら、ただじゃ済まないんじゃないかしら。私も天子に"気"で探せないか頼んだんだけど、破片でもいいから元の一部がないとダメだって」

 

 気さえ分かれば、緋想の剣で在り処を探れる。しかし、日頃から使っている道具や会っている相手なら、別に実物がなくてもいいのだが、天子はゼロ戦には一度しか触れていないので無理だった。

 

 ルイズは、物思いにふけるように口を開く。

 

「私、あのゼロ戦。ちょっと、気に入ってたんだけどなぁ」

「そういやぁ、実物初めて見たくせに、すぐ名前が出てきたくらいだもんな。ルイズって、意外に機械好きなのかもな。実はコルベールと気が合うんじゃね?」

「そうかしら……?ピンと来ないけど」

「ま、何にしてもありゃ武器だぜ。それに、黒子が絡んでる可能性大だ。お前も気を付けろよ」

「うん……」

 

 小さくうなずくルイズ。ただ魔理沙の忠告に納得しながらも、どういう訳か引っかかりを覚えていた。

 確かに、ヴェルサルテイル宮殿で魔理沙達は剣で襲われた。武器であるゼロ戦も、同じ目的で使われるかもしれない。しかし不思議と、ルイズはゼロ戦に悪印象を持てなかった。少なくもと、自分たちを攻撃してくるようには。理由はよくわからないが。

 

 それからしばらくは黒子についての会話が続く。語りつくした頃、アリスがおもむろに話し出した。開き直ったように。

 

「やっぱ私、一度幻想郷に戻るわ」

「おいおい、付き合うんじゃなかったのかよ」

 

 驚いて魔理沙が彼女へ顔を向けた。だがアリスは変わらぬ態度。

 

「付き合うわよ。だから戻るの。不確定要素を減らすためにね」

「不確定要素?」

「てゐよ。ガリア王や黒子の他にも、永琳達がなんか仕掛けてんだから。今のままじゃ、どの現象が誰の仕業か分かりにくいでしょ?調べて分かるものなら、知っておきたいわ」

「そっか。てゐのヤツ、たぶんワルドってのに仕掛けたんだろうけど、目的までは知らないしな」

「それとゼロ戦。にとりに詳しく聞いてくる」

「それもあるか。んじゃぁ、頼むぜ」

「ええ。さっさと調べて、すぐ戻って来るから」

 

 アリスはわずかに顔つきを緩めると、頼もしげに笑みをうかべていた。

 

 やがて話は終わり、ルイズは自分の部屋へと戻った。ベッドに横になり思案に暮れる。

 三魔女から聞いた虚無に関わる企み。そしてルイズ自身が虚無である以上、自分にも何か起こるかもしれない。

 

 その時ふと疑問が過る。そもそも何故、自分は虚無なのか。今まであまり深く考えてこなかった。しかもすでに分かっているだけでも、他に二人の虚無がいる。ほんの数年前まで、伝説、おとぎ話のように言われていた虚無が三人も。これは始祖ブリミルの意志の顕現なのだろうか。そして自分は天啓を受けた一人……。

 パチュリー達からブリミルの名を聞いたときは、その実在を信じられなかったが、"いる"のかもしれない。そして、もし本当に聖戦へ向かうとしたら……。今のルイズには、答えを出せそうになかった。

 

 ほどなくして、まどろみが彼女を包む。そして眠りへと入っていった。

 

 

 

 

 

 卒業式も終わり、春休みに入った。ゼロ戦は相変わらず行方不明。霞のように消えてしまった。しかし一方で、予想されたゼロ戦による騒動もなく、日々は平穏そのもの。

 

 ルイズの方はというと、ちょっとしたイベントがあった。彼女は、春休みが始まったとたんに実家へ呼び出される。理由は鈴仙の歓送会。彼女が幻想郷へ帰るからだ。カトレアは、治療もようやく終わりすっかり元気な姿を見せていた。タバサの母親も完治している。これにより、鈴仙の役目は全て終了。ハルケギニアにいる理由はなくなった。さらに帰らないといけない訳もある。彼女のいない永遠亭がどうなっているのか、不安でたまらないので。

 

 そこでヴァリエール家としては、鈴仙へと感謝の気持ちを込めた宴を開こうという訳だ。これには幻想郷の面々も招待を受けていた。しかし、一度行ったから今回はいいと、パチュリー、こあ、文は不参加。アリスは幻想郷に戻っており今はいない。結局、美味しいものが食べたい魔理沙と、カリーヌと決闘の約束がある天子、付き添いの衣玖だけが参加する事に。

 各人バラバラの行動。相変わらずの幻想郷の面々だった。

 

 その後も春休みは何事もなく過ぎ、いよいよ最終日前日。次々と学生が、実家から学院へ戻ってくる。そしてここにも、帰って来た少女が一人。そんな彼女を迎える声がかかる。声の主は、真っ赤な髪と最大クラスの胸を楽しげに揺らしながら、近づいてきた。

 

「タバサ!お帰りなさい」

「キュルケ……。ただいま」

「初めてじゃない?あなたが休日一杯、寮にいないなんて」

「……」

 

 頬を赤らめて、うつむくタバサ。

 彼女にしては初めての長の帰郷だった。と言ってもラグドリアンではなく、アミアス達のいる村にだが。つまり、正気を取り戻した母親の元へと帰っていた。ちなみに執事のペルスランには、最近事情を話している。ガリア王家が、行方不明となったオルレアン公夫人への関心を無くした様子を見計らい。今彼は、いつか母娘が平穏に暮らせる日が来ると信じ、オルレアン家宅の管理に努めている。

 

 そしてこの日、トリステイン魔法学院を訪れたのは在校生ばかりではない。新たな学生、新入生もだ。しかも特別な新入生がいた。今彼女は、学院長室で学院長自らの接待を受けている。

 

 学院長室にいるのは学院長こと、オールド・オスマン。そして彼を補佐する教師コルベール。この二人の前には、二人の女性と、護衛の兵が数人いた。女性の一人は、緑の色合いのロングヘアーの女性。彼女の名は、マチルダ・オブ・サウスゴータ。アルビオン王国の宰相だ。

 そしてもう一人。彼女こそ、特別な新入生。金糸のような金髪と、絹のような肌、そして高名な彫刻家が生み出したかのような容姿。まさしく女神が降臨したかのよう。さらにハーフエルフとしての特徴的な長い耳。これだけ目を引く要素がありながら、特別な肩書きを持っていた。彼女こそ、アルビオン王国現女王であり虚無の担い手、ティファニア・モードその人だった。まだまだこういう場は慣れていないのか、緊張で体中が強張っている。逆にそれが、余計に清楚な雰囲気を醸し出していた。

 

 しかし……。

 どういう訳か、オールド・オスマンとコルベールの二人は、この美しい女王に目もくれず隣の女性、マチルダばかりを見ていた。しかもその両眼にあるのは、クエスチョンマーク。

 オスマンの耳元に、コルベールの動揺した小声が届く。

 

「学院長!どっからどう見ても、ミス・ロングビルですよ!」

「そんなもん、言われんでも分かっとる!」

 

 オスマンも小声で返す。こちらも驚きを隠せないでいた。

 無理もない。ティファニアの隣に立っているアルビオン宰相マチルダは、かつてこの学院にいたロングビルという秘書にそっくりなのだから。

 

 当のマチルダ。自分の事をジロジロと探るように見る二人に、平然とした態度。宰相としての威厳を維持している。もっとも腹の中は、全く違ったが。

 

(チッ!やっぱ気づかれたか……。けど、来ない訳にもいかないしねぇ。ティファニアの事、直に言っておきたいし。女王ってのもあるけど、なんたって初めての学校だからねぇ)

 

 オスマンとコルベールが感じていた通り、実はマチルダ、ロングビル本人だった。かつて偽名を使って、この学院へもぐりこんでいたのだ。盗みのために。

 しかしそれも昔の話。今は宰相として、日々の仕事に励んでいる身。ただこれが逆に彼らが、彼女の正体を察する理由となっていた。平素のマチルダはどちらかと言えば、フランクな女性。しかしロングビルを称していた時は、毅然としたできる秘書を演じていた。この毅然とした態度が、今の宰相としてのあり様にそっくりだったからだ。さらに今日はお忍びの訪問。身分を隠すため、服装も平民かのような地味なもの。なので、余計にロングビルを連想させた。

 

 マチルダは胸の内を微塵も感じさせず、口を開く。

 

「何か私に、お尋ねになりたい事でもあるのでしょうか?」

「あ、いえ……その……。で、では一つだけ」

 

 コルベールが恐る々尋ねてくる。

 

「サウスゴータ卿には、年の近い女性のご親戚などおられますか?」

「我が一族の末路については、知れ渡っていると思いましたが」

「あ!も、申し訳ありません!」

 

 思いっきりの平謝りをする禿教師。

 サウスゴータ家が、テューダー王家の名で誅殺されたのは、有名な話。それを当人に言わせてしまうのだから。言い訳しようのない大失態。

 オスマンも呆れて、小声で叱りつける。

 

「バカもんが。わしに任せておけ」

 

 そう言って、机の一番下の引き出しを開けた。するとそこから小さな顔がのぞく。白いハツカネズミの顔が。このネズミ、オスマンの使い魔、その名をモートソグニルと言う。オスマンは忠実な僕に命を下した。もちろん小声で。

 

「よいか。重要な任務じゃぞ。サウスゴータ卿への強行偵察を命じる」

「チュ!」

 

 モートソグニルはビシッと敬礼すると、さっそく出撃。我が庭とも言えるこの学院長室を、俊足で駆ける。マチルダの死角を通りながら。そして手際よく目標の背後を確保。その時、オスマンの眼光は告げた。GOと。

 

 次の瞬間。まさしく白羽の矢のごとく、モートソグニルは真っ直線に突撃。マチルダの巨大障壁、ロングスカート突破を試みる。そして……。

 

「ギャッ!」

 

 小さな悲鳴が上がった。マチルダの背後で。正確にはスカートの縁で。モートソグニルはものの見事に迎撃された。ヒールで蹴り飛ばされて。恐るべき直感力。任務は失敗に終わる。慌てて撤退する偵察兵。その間、彼女は前を向いたまま。態度にも全く揺らぎなし。もっとも秘書時代に何度も味わった、苦い経験のおかげでもあるが。

 

 マチルダは何事もなかったように、抑揚なく話しだした。

 

「どうもこの部屋には、たちの悪いネズミがいるようですね」

「う~む、なにせ古い建物ですからなぁ。壁に穴の一つや二つ、空いておるやもしれませんのぉ」

 

 こちらも同じく、相変わらずの飄々さ。それにマチルダの眉毛の端が、わずかにざわめく。腹の内はざわめく所ではなく、湧き上がる怒りを抑えるので必死だったが。

 

(このジジィは~っ!)

 

 一方で、禿教師の方は顔が真っ青。思わず語気を荒げる。小声で。

 

「な、何をやっているのですか!学院長!仮にも一国の宰相閣下に……」

「安心せい」

「何がですか!」

「作戦は完遂とはいかなかったが、目的は果たしたぞ。サウスゴータ卿の正体は……」

「そういう話ではありません!」

 

 コルベールは必死の形相で、オスマンに迫る。もっとも、そんなもので動じる髭ジジィではない。

 するとマチルダの不機嫌そうな声が、二人に届いた。

 

「先ほどから、何をお話しになっているのでしょうか?気掛かりな点があるならば、仰ってください。内容によっては、こちらも考えたいと思いますので」

「あ~……。そうですな。実はティファニア陛下をどのように扱うか、話し合っていた所なのですじゃ。それに、こう言っては憚れるかもしれませんが、エルフかのようなお姿はどうしたものかのと」

 

 ごくごく自然に、もっともらしい言葉を連ねるオスマン。コルベールはもちろん、さすがのマチルダすらも、この太々しさに呆れるやら感心するやら。マチルダは溜息を一つ漏らし気持ちを切り替えると、宰相然として答えた。

 

「先ほど申し上げたように、陛下は身分を隠して学院生活を送りたいのとお考えです。基本的に一般の生徒として、対応していただいて結構です。容姿もご覧のとおり、不信を抱かれないようにしています。ともかく、陛下は宗教庁より認められた虚無の担い手なのです。お忘れなきよう」

「左様ですか。うむ、分かりましたぞ」

 

 心得たとばかりに、大きく首を縦に振る学院長。マチルダとコルベールは、白けた視線を向けるだけ。

 ところで、マチルダの言う不信を抱かれない容姿、ハーフエルフであるティファニアの長い耳をどうごまかしたかというと、大き目の帽子をかぶり隠していた。肌が弱いという口実で、常にかぶり続けている事になっている。このため室内でも外さずにいた。素性を知っているオスマン達の前では、さすがに取っていたが。

 

 やがて、オスマンは指示を出す。ここに招待されるべき、最後の一人を呼び出すようにと。すぐさまコルベールは部屋の外へと出て行った。学院長はアルビオンの女王と宰相の方を向く。

 

「これより、ティファニア陛下の学院でのお相手役を紹介いたしますじゃ。お困りの時は、彼女にご相談してくだされ」

「は、はい」

 

 ティファニアは緊張が解けていないのか、こわばったまま。その直後、背後の扉が開く。コルベールに案内され、一人の少女が入って来た。ちびっこピンクブロンド。ルイズだ。コルベールは彼女に挨拶を即す。ルイズは、トリステインの虚無として、ヴァリエール家の者として、毅然とした態度を見せる。

 

「学院でのティファニア陛下のお相手役を、仰せつかり……。えっ!?ミス・ロングビル!?なんで!?」

 

 ルイズの毅然とした態度は早くも粉砕。目に入ったマチルダに。オスマンとコルベールは、思わず顔を手で覆ってしまう。マチルダの方も、こう繰り返されると、さすがに変わらぬ表情とはいかなかった。わずかに顔が引きつっている。

 

「ど、どなたかと、間違えているのではありませんか?私は、アルビオン王国宰相、マチルダ・オブ・サウスゴータです」

「え、あ……。いえ……。し、失礼しました!」

「それで、陛下のお相手役との話ですが」

「あ、はい!私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します!学院でのティファニア陛下のお相手役を、仰せつかりました!」

「では、あなたがトリステインの虚無ですか」

「は、はい」

「ミス・ヴァリエール……と言いましたね。陛下の事、よろしく頼みましたよ」

「はい!」

 

 失敗をなんとかごまかしたと、冷や汗を拭うルイズ。

 一方のマチルダ。ティファニアの相手がルイズと聞いて、少々不安になる。ロングビル時代、ルイズについてはいろいろと目に耳にした。彼女の知っているルイズは、学業に対しては真面目だが、意地っ張りで短気で大貴族としての傲慢な所もある、厄介な小娘という印象。少々押しの弱いティファニアにとって、あまりいい相手とは思えなかった。

 もっとも、そう思うのも無理はない。まさしく、その通りだったのだから。だが今は、幻想郷に飛ばされ、ハルケギニアでも人妖達に振り回され、さらに戦地に出向いたりと、様々な経験のおかげか人柄もかなり丸くなっている。

 

 ともかく一応の顔見せが終わり、ルイズは相手をする当人、ティファニアへ近づいていった。

 

「陛下、ご要望などありましたら、遠慮なくお申し付けください」

「あ、その……あの……。なら……ひ、一つだけいいかな?」

「はい」

「普通にしてくれると……嬉しいんだけど……」

「普通?」

 

 首をかしげるルイズ。するとマチルダが言葉を添える。

 

「陛下は、この学生生活を一般の生徒として送りたいとお望みです。ですから、友人として付き合っていただきたいのです」

「あ、はい」

 

 改めて、ティファニアの方を向き直るルイズ。

 

「えっと……。それじゃぁ、よろしくミス・モード……」

「あ。ウエストウッドって呼んで。ここじゃぁ、私はティファニア・ウエストウッドって言うの。その……モードの名前だしちゃうと……ね」

「……。それもそうね。じゃぁ、名前で呼んでいい?」

「うん。ティファニアでいいわ。呼びにくかったらテファで」

「私はルイズって呼んで」

「うん。ルイズ」

 

 流れるように自然な会話をする二人。オスマンとコルベール、マチルダはこれに少々驚いていた。事前に話を通していたとは言え、こうもあっさりと打ち解けるとはと。しかもティファニアのエルフのような姿を、気にも留めていない様子。

 

 一段落ついた所で、マチルダは指示を出した。部下が一つの箱を、オスマン達の前に持ってくる。すぐにそれが何であるかに気付く学院長。

 

「これは……!『破壊の杖』!?」

「やはり、こちらのものでしたか。トリステイン魔法学院の紋章が、刻まれていたものですから」

「どちらで見つけたのですかな?実を言いますと、盗まれ行方知れずとなっていたのですじゃ」

「『土くれのフーケ』。ご存じでしょうか?貴族専門の盗賊です。この品は、かの賊の隠れ家で見つけたのです」

「土くれのフーケの隠れ家を見つけたと!?」

「はい。捕縛もいたしました」

「なんと……」

 

 オスマンとコルベールは驚きに動きを止める。あの神出鬼没の賊を捕えたとは。

 マチルダは経緯を説明する。元神聖アルビオン帝国皇帝オリヴァー・クロムウェルを捜索中、たまたまフーケのアジトを見つけたとの事だった。『破壊の杖』はそこにあったそうだ。

 

 コルベールは、誰もが気になる疑問を口にした。

 

「その……フーケはどうなりました」

「縛り首となりました」

 

 事務的に答えるマチルダ。自分とは無縁の存在かのように淡々と。フーケは完全に消え失せた、と言いたげに。これでかの盗賊が、世に出ることは二度とない。様々な意味で。

 

 一連の行事が終わり、アルビオン一行は来賓用の客室へと案内される。その後ろ姿を、コルベールは廊下に出て見送った。いや、見送ったというよりは、凝視していると言った方がいい。かつて淡い恋心を抱いていた女性に、そっくりな後ろ姿を。心を囚われているかのように。

 

 ルイズも寮へと戻っていく。ティファニアの相手役兼、護衛役となった彼女。政治絡みの難しい役目だが、アンリエッタからの直の頼みだ。やり遂げなければならない。ここですぐに脳裏を過ったのが、幻想郷メンバー。あの自由気ままな連中。事前に注意しておかなければ。トラブルがあったら、最悪、外交問題にまで発展しかねない。

 あれこれと考えながら、ルイズは足を進めた。その時、鋭い声が届く。

 

「ルイズ!」

「キュルケ!なんでここにいるのよ!」

 

 学院長室周辺はアルビオン王家一行のため、立ち入り禁止となっていた。それを無視して来たらしい。ルイズは慌てて、キュルケを廊下の角へと隠す。

 

「来るなって言われてたでしょ!」

「胸騒ぎがしたのよ!あなたこそ、なんでいるの!」

「え?あ……。し、知り合いが入学したのよ。それで学院長室に行くって言うから、案内したの。うん」

「…………」

 

 信じられないと言わんばかりの視線を向けるキュルケ。対するルイズは、必死に平然の顔を作る。頬が微妙に痙攣していたが。だがキュルケは構わず、質問を続けた。

 

「まあいいわ。それより、学院長室から女が二人でてきたでしょ?」

「え!?見てたの?」

「そうよ。で、ジャンはどっち見てた?」

「は?」

 

 想定外の事を聞かれた。一時停止のルイズ。

 キュルケの言うジャンとは、コルベールの事。だが何故その名前が出るのか、まるで分らない。

 当惑しているルイズに、キュルケは必死の形相で迫って来る。

 

「どっちか言いなさいよ!」

「どっち見てたかなんて、分かんないわよ。学院長室にも、ちょっといただけだし」

「…………そ」

 

 不満そうに一言漏らす褐色美人。ルイズ、眉間を寄せて、ますます怪訝な表情。この微熱はいったいどうしたのか、本当に熱があるのではないかとか思ってしまう。しかしキュルケの質問は、終わっていなかった。

 

「それじゃぁ、教えて。あの二人は誰?」

 

 一番都合の悪い事を聞いてきた。しかし、正体は知られる訳にはいかない。頭をフル回転させるルイズ。

 

「えっと~、りゅ、留学生なの。アルビオン出身の。爵位もそんなに高くないわ。普通って言うか、本当に平凡な貴族よ。キュルケが、気にするようなもんじゃないわ」

「アルビオンから留学?何よそれ。だいたいどうやって、そんな所の貴族と知り合いになったって言うのよ?」

「え!?ほ、ほら、アルビオンにチラシ撒きに行ったでしょ?そ、その時に偶然……ね。うん。偶然知り合ったのよ」

「…………」

 

 しどろもどろのルイズに向いているのは、まるで納得してないという疑惑だらけのキュルケの顔。だが何かを察したのか、追及はここで止まる。

 

「……。分かったわ。自分で調べてみる」

「ちょ、ちょっと!何、調べるってのよ!」

「どっちが、ジャンの目を奪ったのかをよ!」

「???」

 

 ちびっこピンクブロンドには、この赤毛の微熱が何を言っているのか、サッパリ分からない。いや、言いたい事は分かるが、どこからそんな考えが出てきたのか理解不能。ルイズは、踵を返すキュルケを茫然と見送しかなかった。

 

 実はキュルケ、コルベールがティファニアとマチルダを見送っていたのを、覗き見ていたのだった。想い人の、心ここにあらずという姿を。だがルイズの方は彼に背を向けていたので、そんな事が起こっているなどと知るハズもない。

 

 それから一時程後、入学式が始まる。アルヴィーズの食堂の新入生が集められ、オスマンの挨拶が食堂に響く。年度初めの恒例行事。ただ一つ違うのは、ロバ・アル・カリイエからの賓客の紹介があった点だ。もっとも右代表で、文だけだったが。元々は全員が出席する予定だったのだが、皆が挨拶を面倒臭がった。そこでこれからの取材の手前、第一印象をよくしたい文が右代表という形で出た。しかしその挨拶は、ある意味見事なもの。さすがは記者。達者な口で新入生に好印象を与えたという。

 

 ところで、この様子を別室から見ている者がいた。アルビオン宰相、そしてティファニアの親代わりだったマチルダ・オブ・サウスゴータだ。通常、入学式では学院関係者以外は出席できない。しかし、ティファニアの晴れ姿を見たいという彼女の要望により、遠見の鏡を使っての見学となった。その表情は、終始緩んでいたという。

 

 

 

 



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始まった新学期

 

 

 

 

 

 ティファニアの新しい生活が始まった頃、祖国の外務大臣は頭を抱えていた。交渉相手の全くやる気のない態度に。

 アルビオン外相、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド侯爵は、今ガリアに来ていた。ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレと共に。アルビオンとガリアの友好条約締結のためだ。これが達成できれば、虚無を抱えた全ての国が結ばれる事となる。しかしこの交渉は、対トリステイン以上に困難なものだった。条件を詰めるどころか、ガリア王、ジョゼフ一世が全く話を聞こうとしないのだから。交渉の席で上る話は、どうでもいい雑談ばかり。とうとう三日目では会談自体が休止となる。残す滞在日数は二日。話をまとめる目途どころか、方向性すら見えない状況だった。

 

 休日となってしまったこの日。ワルド達は、ガリア王家自慢の庭園を散策していた。気分を変えて思案を巡らせるために。暇つぶしの意味もあるのだが。

 ジュリオが皮肉交じりに言う。

 

「今回は天使の加護は、下りてこないのかな?」

「まだ条約締結には早いのかもしれない。だからこそ、奇跡が起こらないのかもしれん」

「なるほどねぇ」

 

 月目の神官は投げやりに返す。

 ワルドへの不快感は相変わらずだった。交渉の時に見せた理知的な態度と、天使への度が過ぎた心酔との二面性は、ジュリオにとっては生理的に受け入れ難い。しかし、彼はワルドの支援兼見張り役としてここにいる。彼から離れる訳にもいかない。もはや慣れるしかなかった。

 ジュリオはせっかく休日となったのだからと、開き直る。もう交渉の事は考えないようにと。

 

「さすがはガリア王家の庭園だ。大したもんだよ。仕事でいろんな場所にいったけど、これほどの庭園は見た事ないなぁ」

「そうか……」

 

 ワルドの方は生返事。どうやら交渉が頭から離れないらしい。傍から見ても、身を投げうつほどの熱意を感じる。少々異常にも感じられた。もっとも、だからこその狂信者なのだろう。

 ジュリオはワルドを無視する事にした。庭園へ気持ちを集中させる。だがその時、ふと奇妙な考えが過った。もしかして、ワルドの狂信ぶりは、天使を称する何者かが仕組んだのではないかと。

 思わずワルドへと視線を向ける。しかし外相の姿は消えていた。

 

「ん?どこ行ったんだよ、天使大好き男は」

 

 辺りを見回す月目の美少年。すぐに、ワルドを見つける。彼は物思いにふけりながら、あらぬ方向へと歩いていた。庭園の端から林の中へと。目的地があるというよりは、何も見えていない様子で。

 

「ここまで仕事熱心だと、感心するしかないぜ」

 

 ジュリオは呆気に取られながら、ワルドの方へ早足で歩いて行った。

 林の中ほどで、ワルドに追い付こうとしたその時、目の前の人物は根にひっかかり転ぶ。

 

「なっ!?」

「余所見してるからだよ」

 

 呆れ混じりに答え、手を差し伸べるジュリオ。だが、ワルドは何故かすぐに起きない。地面を探るように、指先を動かしていた。

 ジュリオは不思議そうに尋ねる。

 

「何やってんだい?」

「妙なものに触った」

「木の枝か石だよ。どうせ」

「いや、何か変わったものだ」

「変わったもの?」

 

 パートナーの質問には答えず、ワルドは四つん這いになりながら、一心に落ち葉や土を掘り返していた。しばらくして、手が止まる。手には、指輪が握られていた。泥まみれとなっている指輪が。ワルドは正体を確かめようと、庭園の噴水へと向かう。水で洗い流すと指輪の形が露わになった。

 指輪は二つあり、一方のリングが割れていたせいで絡み合っていた。ひとつは小さめの指輪、もうひとつは大き目のものだった。双方とも大き目の台座に宝石が収まっている。だがその宝石よりも、ワルドは別のもの目を奪われた。台座に刻まれた紋章に。

 

「これは……オルレアン家の紋章か?」

「みたいだね。しかも不名誉印がない。いや、不名誉印のある指輪なんて作らないか。もう一方は……ガリア王家の紋章だね」

「ああ」

 

 ガリア王家の紋章とオルレアン家の紋章が刻まれた一対の指輪。ジュリオが双方を見比べながら、つぶやいた。

 

「このリングのサイズ……。ガリア王家の方は子供……少年用のかな?オルレアン家の方は大人用のだ」

「それが二つ一緒に捨てられていた……。どういう事だ?」

「このオルレアン家の方は、王位が決まった直後のものだね。案外、先王からの贈り物かな?」

「何故、そう思う?」

「オルレアン家ってのは、ジョゼフ王が王家を継承するのが決まってから、王弟が臣下に下ってできた家だよ。オルレアン公が誅殺されるのは、それからしばらく後の話。不名誉印のない紋章が使えたのは、ほんのわずかな期間なんだよ。指輪を作る暇は、それほどなかったのさ。でも事前に用意しておいたなら、別だろ?」

「なるほどな……」

 

 指輪に視線を戻し、見つめるワルド。しばらくして、つぶやくように言う。

 

「それにしても……このガリア王家の方は、やけに傷んでるな」

「これって、壊されたんじゃないかな。台座は結構しっかり作られてるし。ワザとやらないと、こうはならないだろう」

 

 のぞき込むように指を見るジュリオ。すると、ワルドは次の疑問を口にする。

 

「だいたい、何故こんな所に捨てられてたのだ?王族の紋章を刻んだ物を捨てるなど、不敬罪に問われても仕方がない」

「オルアン公が誅殺された時に、捨てられたとか?」

「公とガリア王家の指輪が、一緒に捨てられている。それはない」

「そりゃ、そうか。じゃあ何でだろ?」

「…………。オルレアン公自身が、捨てたのかもしれん」

「なんで?」

「オルレアン公は王家を継承できなかったのが、気に食わなかった……というのはどうだ?オルレアン家の紋章は、継承できなかった証でもある。そしてこの小さい方の指輪は、少年時代、ジョゼフ王から譲り受けたものではないだろうか」

「兄貴の思い出の指輪に八つ当たりかい?」

 

 ジュリオは呆れたように、両手を広げた。

 

「ちょっと待てよ。それじゃぁ、オルレアン公は、本心では王様になりたかったって事になるぜ。公は野心なんて持ってない、穏やかな人物って話だよ」

「私もそう聞いてる」

「じゃあ、なんでそう思うのさ」

「それは……単にそう考えると辻褄が合う……」

 

 突然言葉を切るワルド。ふと何かに気付いたのか、彼の表情が緩み始めた。歓喜を帯び始めていた。ジュリオはワルドの答えに、呆れた様子で返す。

 

「けどさ、可能性なら他にもある……」

「そうか……。そうだ!そうに違いない!」

「?」

「交渉が行き詰まってる状況で、見つかったのだ!単なる指輪であるハズがない!」

「何の話だい?」

「またも天使が我らを導いてくれたのだよ!これは聖戦へと繋がる道標だ!奇跡がまた起こったのだ!」

「…………」

「これを聖下にお見せしてくれないか?聖下ならば、天使の御心を理解できると思うのだ」

「いや……だけどさ……。だいたい、交渉の日数は残り二日しかないよ。今から宗教庁に行くのかよ」

「君ならギリギリ最終日に間に合うだろ?」

「まあ、そりゃそうだけど……」

「頼む!」

 

 ワルドは心の底から懇願していた。ジュリオは渋々うなずく。彼を支援しているという立場上、断る理由がない。それに打つ手がないのも確かだ。だが、指輪はたまたま拾ったもの。確かに王家に関わりそうな代物だが、こんなものが交渉を進める切っ掛けになるとはとても信じられない。しかしもし、これが交渉を成功に導きでもしたら、その時は……。天使という言葉が、ジュリオの脳裏で大きくなりつつあった。

 

 

 

 

 

 新学期の授業がいよいよ始まった。もっともルイズにとっては慣れたもの。取り立てて新鮮味はない。教壇のミセス・シュヴルーズを横目に、彼女はふと窓の外へ視線をずらす。広場では大勢の生徒が集まり、儀式に集中していた。

 

「そっか。二年生になったら、最初にやる行事だもんね」

 

 新二年生の使い魔召喚の儀式だ。この時期の恒例行事。今回もコルベールが指導している。

 一喜一憂する生徒達を、わずかに頬を緩めて眺める。去年は彼女自身があそこにいた。しかも失敗の連続の果てに、異世界へ飛ばされてしまうという顛末。今では笑い話のように話せるが、帰れなかったらどうなっていたのか。特にハルケギニアは。

 

 広場での召喚の儀式は順調に進んでいた。ルイズのように失敗する生徒はいない。しかし、ちょっとしたイベントが起こる。召喚を終えた生徒が、コルベールに抗議をしていた。よく耳を澄ますと、どうも召喚獣が気に食わないらしい。やり直しを要求している。どうも、使い魔としてミミズを召喚したらしい。これではやり直しをしたくなるのも分かる。しかし当然、コルベールは不許可。生徒は泣く泣く契約する事となった。

 

「ん?」

 

 ふと奇妙な感覚に襲われる。似たような光景を見たような気がした。いや、経験したといった方が近い。だが召喚の儀式は後にも先にも、去年の一回きり。去年の儀式で、抗議した生徒は覚えがない。少なくとも自分の前の順番では。何とか記憶を絞り出そうとするルイズ。その時……。

 

「今日の授業はここまでとします」

 

 教壇からミセス・シュヴルーズの声が届いた。気づくと授業が終わっていた。

 

「え?終わっちゃった?いけない、いけない」

 

 顔を軽くたたいて自分を引き締めるルイズ。新学期が始まったばかりだというのに、授業に集中していなかった。また成績が落ちたら、今度はカリーヌにどんな目に遭わされるか。反省しきりのルイズ。

 

 それから急いで教室を出て行った。今日の授業は全て終わったが、これからも予定が詰まっている。アンリエッタからの勅命、アルビオン女王ティファニア・モードの相手役としての予定が。

 すぐに一年生の教室へと向かう。こちらも授業が終わり、ぞろぞろと生徒達が出てきた。そしてすぐにティファニアを見つけた。遠くからみてもいろんな意味で目立つ。

 

「ティファニア!」

「あ!ルイズ!」

 

 二人は連れ添うと、寮の方へと進んで行く。ティファニアが尋ねてきた。

 

「どこ行くの?」

「寮よ」

「私の部屋?大丈夫、迷ったりしないから」

「あなたの部屋じゃないわ。ほら、入学式で紹介されたでしょ?ロバ・アル・カリイエの賓客。その連中の部屋」

「え?なんで?」

「彼女達ハルケギニアに連れてきたの、私なのよ。いろいろあってね。で、私があなたの相手役をやる以上、連中とも顔合わせる事になるから、紹介しとこうと思って」

「うん、分かったわ」

「えっと、念のため言っておくけど、結構自分勝手な連中だから。気圧されないように、気合い入れといて」

「え!?」

 

 ティファニア、思わずルイズの方を振り向いた。気弱そうな顔で。入学式での文の気さくな雰囲気のおかげで、ロバ・アル・カリイエの賓客に対しては好印象を持っていた。しかしルイズの言葉は真逆。不安を覚えずにいられない。元々、気が強いわけでもないので余計に。

 

 やがて一つの部屋へたどり着いた。ルイズはノックをして、すぐに扉を開けた。勝手知ったるなんとやら。

 

「さ、入って」

「う、うん。お、お邪魔します……」

 

 緊張した面持ちで、部屋へと入るティファニア。ルイズについて部屋の奥へと進む。人外達の拠点とは知らずに。

 部屋の奥に二人の姿があった。衣玖と鈴仙だ。初顔合わせに、息を飲むティファニア。しかしルイズの方は、少々拍子抜け。

 

「あれ?あなた達だけ?」

「うん」

 

 鈴仙があっさりとうなずく。ちなみ鈴仙は、もう少し滞在する事となった。学院での最初のイベント『フリッグの舞踏会』まではと。思い出作りという訳だ。

 

「他の連中は?」

「魔法使い達は自分の部屋、総領娘様と烏天狗はいません。出かけました」

 

 衣玖も淡々と返答した。

 

 幻想郷メンバーをティファニアに紹介するため、ルイズはこの部屋に放課後集まるよう言っていた。だが見ての通り、守ったのは二人だけ。ルイズの不機嫌度が増加中。

 

「全く……あの連中はぁ~。放課後用があるって言ったのにぃ。だいたい、天子と文はどこ行ったのよ!」

「おそらく、トリスタニアでしょう。最近、よく行ってるようですから。ただ放課後までには戻る、とも言ってましたよ」

「もう放課後じゃないの!」

「そうですね。午前中で授業が終わると知らなかったのでしょう」

「学期始めなんだから……」

 

 言いかけて言葉を止めるルイズ。学期の初日が半日しかないのは常識、なんて人妖達が知っているハズもなかった。歯ぎしりするしかない彼女。伝えていなかった自分のミスではあるのだが。

 しかし、暇があるとすぐにどこかに出かけてしまうとは。少しはジッとできないのかと思う使い魔の主。その上、部屋にいるハズの魔理沙やパチュリー、こあまでいない。実は鈴仙が魔理沙達に声をかけたが、アジトに連れて来くればいいと言い出し部屋を出なかったそうだ。相も変わらずの幻想郷メンバーに、肩を落とすルイズだった。

 すると隣で困っているティファニアが話かけてきた。

 

「えっと……。ルイズ……」

「あ……。とりあえず、二人だけでも紹介しとくわ。えっと、兎の耳の飾りを付けてる彼女は、鈴仙・イナバ・優曇華院。そして隣に座っている彼女は、永江衣玖よ」

 

 紹介された二人は、それぞれ挨拶を返した。鈴仙は気さくに、衣玖は淡泊に。ティファニアの方も、言葉少なく自己紹介をする。ただ胸の内では一安心。二人ともルイズが言うほど、押しが強そうに見えないので。

 すると衣玖が何かに気付いたのか、ティファニアの方へ視線を向ける。

 

「ティファニアさんといいましたか。あなたから妖魔の気配がします。もしかして妖魔ですか?」

「え!?」

 

 驚いて帽子を深くかぶるティファニア。身を縮め、うつむいてしまう。ハーフエルフと知られたら、どんなふうに見られるか。

 しかし、彼女の不安を他所に、誰も気にしていない。さらにルイズが、衣玖の問いにあっさりとうなずいていた。

 

「半分ね。ハーフエルフなの」

「半妖ですか。どうりで。人間と違う空気はそれですか」

「ふ~ん、そういうのも分かるんだ。とにかくそんな訳だから、秘密にしといて」

「分かりました」

 

 衣玖は淡々と答える。鈴仙も同じく。双方のやり取りを見て、不思議そうなティファニア。

 

「あの……驚かないんですか?」

「驚くって?」

 

 鈴仙が首をかしげていた。

 

「ハーフエルフなのに……」

「半妖なんて珍しくないし」

「え?」

 

 ティファニア、唖然。トリステインではそうだったのか、などと考えてしまう。村からほとんど出た事のない彼女、別の国にはこんな世界もあるのだと少しばかり感動していた。しかし、鈴仙が言っているのは、幻想郷での話。今のティファニアには、それを知る由もない。

 

 ルイズは残りのメンツも紹介しようと、アジトに向かう転送陣へ近づいた。すると、転送陣の方が光り出す。姿を現したのは白黒魔法使い、魔理沙。

 

「あ~、肩凝ったぜ」

 

 右肩を大げさに回しながら、ぼやいていた。顔にも疲れが見える。彼女は、すぐに目の前のちびっこピンクブロンドに気付く。

 

「よっ、ルイズ」

「丁度よかった……って、魔理沙、どうしたの?顔色悪いわよ」

「お前の頼み事、やってたんだよ。一応できたぜ」

「え!?もう完成したの?」

「まあな。一晩かかったけどさ」

「徹夜してたの!?」

「面白かったからな。寝るの忘れてたぜ」

 

 ルイズは異界の友人に感謝しながらも、この集中力とのめり込み具合に感心してしまう。魔理沙はさっそく、完成品を前に出した。

 

「で、これがブツだぜ」

 

 差し出されたものは杖だった。普通の杖よりやや太めで長いが、ルイズやタバサほど長くはない。

 実はこれ、ティファニアの杖。しかもルイズと同じ、リリカルステッキ。つまりティファニアが弾幕を使えるようにと、ルイズが魔理沙に頼んだのだった。ティファニアが学院生活を送る上で、必須の品なので。幸い、ルイズ用のスペア杖があり、それをベースにしたため手間はかからなかった。

 

 魔理沙が説明を始める。

 

「使い方は、お前と同じだぜ。ただ、長さは縮めた。ルイズみたいに、棒術使う訳じゃないからな。短い方が持ちやすいだろ」

「けど、なんか中途半端な長さね」

「これ以上縮めんのは無理だ。そこは我慢してくれ」

「うん、わかったわ。ホントありがと。こんな早くできるなんて、思わなかったわ」

「まだ完成って訳じゃないぜ。調整が残ってる。ま、実際使ってみてからの話だな。んで、後ろが持ち主か?」

「あ」

 

 思い出したようにルイズが振り向くと、身の置き場に困っているティファニアがいた。

 

「その通りよ。彼女がティファニア」

「ティファニア・ウエストウッドです。よろしくお願いします……」

 

 ティファニアは、戸惑いつつ挨拶をする。一方の魔理沙は、彼女らしく気さくに返した。

 

「私は普通の魔法使い、霧雨魔理沙。魔理沙でいいぜ。にしても、あんたがアルビオンの女王様か」

「え!?ち、違いますよ!わ、私が女王だなんて!」

 

 慌てて否定する金髪の妖精。正体は隠すようにマチルダから、厳しく言われていたので必死。ただ彼女の対応は、むしろ逆効果。図星に見えてしまう。

 もっとも、二人の態度は変わらない。ルイズがティファニアの肩を叩く。

 

「全部話してあるわ。大丈夫、バラしたりしないから」

「え!?そうなの?バレないなら……。うん……」

 

 よく分からないが、一応うなずくティファニア。

 それから彼女に、杖が手渡された。さらに明日から、放課後に杖の使い方の練習をする事となる。

 

 しばらくの雑談の後、二人は部屋を出た。残りのメンツの紹介は、いずれまたとなった。

 ティファニアの部屋まで付き添うルイズ。その途中、馴染の顔が目に入る。キュルケとタバサだ。

 キュルケ達もルイズに気付いた。

 

「あら、ルイズ」

「ん?二人共、出かけてると思ったわ」

「どこ行くか考え中よ」

 

 軽く言葉を交わす双方。するとキュルケは、ルイズの隣の少女に気づく。そしてティファニアを凝視。

 

「ん?見かけない……いえ、どこかで見たような……」

「前に言ったでしょ。彼女が例の留学生よ」

「留学生……?あ!」

「紹介するわ。ティファニア・ウエストウッド。一年生よ」

「…………そう。私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。二つ名は微熱。一応、ルイズのクラスメイトよ」

 

 タバサもキュルケに釣られるように挨拶をする。

 

「タバサ」

 

 キュルケとタバサの挨拶に、たどたどしく返すティファニア。

 

「ティファニア・ウエストウッドです。よ、よろしくお願いします」

「よろしくね」

 

 新入生を大歓迎するかのごとく、大きな笑顔で返すキュルケ。良き上級生という態度で。しかし、頭の中では全く別のものがあった。

 

 彼女はすぐさま、ティファニアの解析を開始。白い肌に、輝く金髪、可愛らしい顔つき。そしてキュルケに匹敵、いや超えるかもしれないわがままボディ。さらに一言二言しか話していないが、いかにも純情そうな性格。女の魅力をフル装備。さすがのキュルケも、息を飲む。

 男が目を奪われるのも当然と結論。さらに何よりも問題なのは、この少女はコルベールが見つめていた女性の一人だという事だ。

 様々な考えが、彼女の中で巡り出していた。

 

 キュルケはパンと手を叩くと、晴れやかに言い出す。

 

「そうだわ!ミス・ウエストウッドの入学祝いをしましょう」

「え?なんで?」

「上級生が新入生歓迎するの、何か変?それに留学生同士だもの。先輩として、いろいろアドバイスしてあげようと思ってね」

「そ、そう……」

 

 今一つ腑に落ちないルイズ。露骨な笑顔のキュルケが不気味。しかし断る理由もない。ルイズもティファニアも結局うなずく事となる。

 

 一同はタバサも誘い、入学祝いのためトリスタニアへ。手段は転送陣を使って。途中、異世界の人妖もルイズは紹介。合わせて彼女達を歓迎会へ誘った。鈴仙と魔理沙は参加。パチュリーは最初渋ったが、トリスタニアに用があり結局参加。こあも付いていく。衣玖も一人残るのも暇なので、参加する事となった。

 

 そしてキュルケが率先して、ティファニアにトリスタニアを案内する。本当に頼りになる先輩という具合に。そんな彼女、ティファニアにオーダーメイドの服をプレゼントした。二人の様子を見るルイズは、不似合なほどのキュルケの親切さに、違和感を覚えずにはいられなかったが。

 

 ともかく一同は、『魅惑の妖精』へとたどり着く。個室を借り歓迎会となった。ちなみに天子と文は、うろついている途中で捕まえ合流。ティファニアがハーフエルフという事を、全く気にしない彼女達。ティファニアは、本当にトリステインに来てよかったと思っていた。

 

 

 

 

 

 廊下を進む帽子をかぶった金髪の美少女がいた。彼女の周りには、男子生徒がまとわりついている。しかし、中心にいる少女は笑みを浮かべていた。そう悪い気分ではなさそうだ。

 

 そんな彼女を難しい顔で、遠くから見つめる少女が一人。ルイズだ。

 

「なんかマズい気がするわ」

「何が?仲よさげじゃないの。いい事でしょ。だいたい彼女、アルビオンからの留学生よ。それだけでも反発買いそうなのに、入学そうそう歓迎されてんだから、喜んであげなさいよ」

 

 隣にいるキュルケは、嬉しそうに答える。しかし、ルイズの不安は収まらない。

 

「あれって、ティファニアの見た目に寄ってきてるだけでしょ!キュルケがあんな服着せるからよ!」

 

 ルイズの言うあんな服とは、キュルケがトリステインでティファニアにプレゼントしたもの。一応、制服なのだがティファニアのスタイルを強調するかのように、パッツンパッツン気味に仕立てられていた。当のティファニアは、同年代から貰った初めてのプレゼントなので、素直に喜んでいたが。

 

 キュルケが涼しい顔で答える。

 

「別にいいじゃないの。切っ掛けはなんだって」

「変な男に引っかかったら、どうすんのよ!」

「恋の手ほどきくらいしてあげるわ」

「恋の手ほどきぃ?」

「せっかく田舎から出てきたのに、恋の2つや3つしないでどうすんのよ。それに、あたしが言うのもなんだけど。彼女、とても魅力的よ。恋しないなんて、勿体なさすぎだわ。人生、捨てるようなもんよ」

「う……。けど……」

 

 あまりの説得力に、言い返せないルイズ。しかしティファニアは女王なのだ。単なる色恋沙汰では済まない。だが彼女の正体を明かす訳にもいかない。いい知恵が浮かばない、ちびっこピンクブロンド。

 

 一方のキュルケ。口元を緩めてティファニアの方を見ている。計画通りと言いたげに。

 実は彼女、純粋な親切心から、ティファニアの面倒を見ている訳ではなかった。彼女は以前、コルベールが見つめていた二人の内の一人。もう一人は、彼女の父母に当たる人物と聞いた。だがその女性はもうアルビオンに帰っている。ならば残る一人は、ティファニアのみ。そこで手を打ったのだ。何のことはない。ティファニアに恋人ができれば、万が一、コルベールに恋心があったとしても諦めるだろうと。

 

 狙いは的中。今ではティファニアは新入生の中で、最も話題に上る少女になってしまった。そしてそれは、同学年だけではなく上級生も同じ。

 

「いやぁ、なんていうか……。あんな女性が実在したなんて」

「ああ……。彼女を見たら、どんな女性も霞んでしまうよ」

「その通りだ。さましくこの世に現れた妖精だ!金髪の妖精だ!」

 

 昼休み。広場の端にギーシュやマリコルヌ、他数名の男子生徒が集まって雑談していた。話の中心は、やはりティファニア。

 ギーシュが感慨深げにうなずく。

 

「僕もいろんな女性と付き合ったけど、もう別次元の存在だよ。うん」

「よし!今度の『フリッグの舞踏会』、僕は彼女を誘おうと思う」

 

 マリコルヌが拳を強く握りつつ、意を決したようにつぶやいた。しかし周りの連中は、子バカにしたふう。ギーシュが呆れたように言う。

 

「君がかい?それはない」

「な、何がいけないって言うんだ!」

「想像してみなよ。二人が踊っている様子を」

「ぐ……」

 

 女神像のようなティファニアと、タルのようなマリコルヌが並ぶ姿が、彼の脳裏に浮かんだ。自分自身でこれはないと一瞬思ってしまった。すぐさま、思いっきり首を振る太った子。

 

「み、見た目より気持ちだよ!」

「君の場合、気持ちもねぇ。ま、僕が手本を見せてあげよう」

「ちょっと待てよ。ギーシュにはモンモランシーがいるだろ」

「その……ほんのちょっとの間、リードしてあげるだけさ。僕は、純粋に彼女を心配しての事なんだよ!聞けば田舎育ちというじゃないか。ダンスも不慣れに違いない。上級生として、紳士として、不慣れなダンスで困ってる女性を見過ごすなんてできないよ!」

「じゃぁ、モンモランシーに言ってもいいんだな。この話」

「え!?ちょ、ちょっと待ってくれ……」

 

 その時、じゃれ合っている二人に、落ち着いた声が挟まれる。

 

「けど……アルビオンのティファニアって……」

 

 レイナールだった。ギーシュ達と同学年の生徒。アルビオン出兵の際に知り合った。それ以来、ギーシュ達といっしょにいる事が多くなっている。

 彼は言葉を続ける

 

「確か……アルビオンの新女王が、ティファニアって名前だったな……」

「おいおい、出身と名前が同じだからって、無理に関係づけなくってもいいだろ。同名なんて、どこにだっているさ」

「それは……そうだけど……」

 

 何か引っかかりを覚えたが、レイナールは腑に落ちないながらも引っ込んだ。それからは、また『フリッグの舞踏会』の話に戻る。どうやってティファニアを誘うかで、盛り上がる一同だった。

 

 何にしても、上手く行っているキュルケの策。彼女の思惑は別として、少なくともティファニアが学院生活をスムーズに始められたのは確かだった。

 しかし一つ問題があった。彼女の策は、ティファニアへの好意だけを増やした訳ではない。やっかいな妬みも増やしていた。特にある少女の。実は今年、彼女とはまた違った特別な女生徒が入学していた。注目を浴びて当然と思っている少女が。

 

 

 

 



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アルビオンの奇病

 

 

 

 

 

 幻想郷。広大な竹林の奥に、大きい日本家屋があった。永遠亭。誰もが知っている月人の屋敷で、幻想郷の総合医療センター。そこに珍しい訪問者が訪れていた。アリスだ。

 

 彼女は無遠慮に扉を開けると、さっそく中へ入る。すると、ここの住人と鉢合わせた。白い兎耳を生やした黒髪の少女に。

 

「あら、てゐ」

「アリス?珍しいうさね。あんたがここに来るなんて」

 

 妖怪としての魔法使いのアリスは、永遠亭の世話になるなど滅多にない。その彼女がここに来たのは、別件でだ。ここの住人達が関わる話について。

 アリスはてゐを探す手間が省けたと、頬を緩める。

 

「丁度よかったわ。永琳いる?」

「診療室にいるうさよ」

「そ。じゃあ、上がらせてもらうわ。後、てゐもいっしょに来て」

「なんで?指示板に沿って行けば、着くうさよ」

「あなたにも用があるの」

「え~」

 

 強引なアリスに、てゐは露骨に嫌そうな顔。

 ただ妖怪うさぎには、この人形遣いの話とやらはだいたい想像がついていた。おそらくはハルケギニアでの聖戦絡み。てゐの仕掛けが効果を出し、アリス達もとばっちりを受けているのだろうと。もっとも、どうやって彼女の仕掛けと知ったのかは、分からないが。

 ともかく、てゐにとって今回の件は頼まれ事。他人の都合。終わった今となっては無関係。なのに巻き込まれるのは、ごめんだった。

 

 玄関先で、人形遣いと妖怪うさぎの押し問答が続く。すると診療室にも聞こえたのか、永琳がやってきた。

 

「何、騒いでるのよ」

「あ、師匠。アリスがなんか用あるって」

「用?……分かったわ。アリス、上がって。客間を用意させるわ。てゐ、支度お願い」

「なんで私が!?」

「うどんげがいないんだから、しようがないでしょ。手下の兎に、やらせなさいよ」

「う~……」

 

 てゐはトボトボと、屋敷の奥へと進んでいった。その不満そうな背中に、アリスが声をかける

 

「てゐ、さっきも言ったけど、あなたにも用があるんだからね。準備終わっても、客間にいなさいよ」

「だって、てゐ」

 

 永琳も追い打ち。それに妖怪うさぎは、肩を落としながら小さく片手を上げるだけだった。

 

 八畳間ほどの客間の中央にある座卓。そこに三つの湯飲みと、茶菓子が置かれていた。アリス、永琳、てゐのものだ。向かい合う一同。さっそくアリスが話を切り出す。

 

「単刀直入に聞くわ。てゐを使って、ハルケギニアに何を仕掛けたの?」

「…………。ハルケギニアの住人が、幻想郷に突然現れるって現象があったのは知ってるでしょ?」

「ええ。紫やあなた達が、気にしてるのもね」

「その原因を見極めたいのよ。そのために、まずハルケギニアって世界の場所を、確かめたかったの」

「場所?」

「時空的な意味でね。最終的には突然異世界人が出現なんて現象が起こらないようにする、って所かしら」

 

 淡々と答える永琳。それをアリスは、表情を変えず耳に収める。

 

「目的は分かったわ。で、具体的には何をしたの?」

「ハルケギニアへの転送陣の周りに、検知用の術式を仕掛けたのよ。それで分かったのは、どうも虚無に関わる現象がハルケギニアで起こると、反応が大きくなるという事」

「……」

 

 永琳の説明に、アリスには思い当たるものがあった。例の地震を伴う現象だ。あの現象のほとんどが、虚無に関わるものだった。

 月の英知の説明は続く。

 

「ただね。反応がまだ弱くって、ハルケギニアの場所を特定するまでは行ってないの。そこで、もっと大きな反応を起こそうって話になってね。で、目を付けたのが聖戦」

「虚無の最大イベントを起こせば、一番大きな反応が起こるって?」

「おそらくね」

 

 顔をしかめ考えにふけるアリス。確かにその可能性は高い。だが地震現象は必ずしも、虚無絡みとは限らなかった。永琳の思惑通りに進むとも限らない。

 ともかく今は、聖戦のための仕掛けを知るのが肝心だ。人形遣いは、さらに質問を続けた。

 

「聖戦って、どうやって起こすのよ」

「てゐにね、幸運効果を掛けてもらったの。聖戦をやりたがってる人物に」

「その相手って、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド?」

「あら、よく分かったわね。どうして?」

「分かったもなにも、本人が始祖ブリミルのご加護があったって、言い触らしてるそうよ」

「あらあら」

 

 予想通りとは言え、あまりに見事な策のハマり具合に永琳は苦笑い。しかしアリスにとっては、笑うような話ではない。幸運などという、対応の難しい能力をワルドが身に着けているのだから。

 アリスは嫌味混じりに言う。

 

「けど、そう思い通りに行くかしら?もしワルドが心変わりして、聖戦やめるって言い出したらどうすんの?てゐの幸運効果って、目的を限定できないでしょ?」

「そんな下手打たないわよ。彼はね、聖戦実現を最優先に考えるようになってるの」

「なんでよ?」

「薬を飲ませたのよ。特製のね」

 

 組んだ手に顎を乗せる永琳。不敵な笑みを浮かべていた。

 てゐがワルドと会ったとき、彼女がワルドに渡した自白剤。これがその薬だった。単なる自白剤ではなかった。ワルドは行動も心も、すでにこの月の英知の手のひらの上。聖戦を起こすための、自動人形と化している。

 

「そんな訳だから、聖戦を止めるなんてできないわよ」

「なんで、私が聖戦、止めたがってるなんて思うのよ」

「私の仕掛けは聖戦絡みだけだもの。ハルケギニア関連で用があるとしたら、それ以外に理由はないでしょ?」

「少し違うわ」

「違う?」

 

 身を起こし、永琳は少しばかり意外な顔をした。アリスはゆっくりと話し出す。

 

「今、ハルケギニアで妙な現象が起こってるのよ。聖戦絡みとは別にね」

「初耳ね」

「大勢の人が記憶をなくしたり、ガンダールヴと思われる力が、ルイズや天子に関わりなく発動したりね。あなた達が気にしてる転送現象も、一連の現象の一つよ。検知用の術式が反応したのも、たぶんこれね」

「……」

「私たちは、それが意図的に起こされてるって考えてるわ。特定の存在に。その存在を、とりあえず『黒子』って呼んでるのよ」

「……。それで?」

「私たちとしては、この黒子を探し出したいの。ただ、あなた達の仕掛けが現象に混ざり込むと、切り分けに手間がかかるでしょ?だから、細かな話を聞いておきたかったのよ」

「なるほどね……」

 

 小さくうなずく永琳。それからアリスは各現象について、掻い摘んで説明した。月人は、咀嚼するように聞き入る。一通りの説明が終わると、少しばかり面白そうに永琳が話し出す。

 

「黒子か……。でもそれなら、私の仕掛けも役に立つんじゃないかしら。黒子の仕出かしたものは、虚無関連がほとんどなのも確かなんだし」

「かもね。でもベストは、その仕掛けを止める事よ。そうすればこっちも、現象の判別なんてしないで済むし。だいたい戦争なんて、ハルケギニアにとって大迷惑だわ」

「やっぱり聖戦を止めたいのね。フフ……、ハルケギニアに情でも移った?」

「なんと思われても構わないわよ。それで?」

「答えはNOよ」

 

 月人は即答した。考えるまでもないという態度で。

 

「私たちの目的は言ったでしょ?原因不明の転送現象なんて厄介事を止めたいの。そのせいで、異世界に何が起ころうが知ったことじゃないわ」

「……」

「なら、あなた達のやる事は一つだけ。聖戦が起こる前に黒子を見つけ出す。現象の原因が分かれば、幸運効果を止めてあげるわ」

「勝手な言い草ね。自分達の都合が、最優先って訳?」

「幻想郷って、そういう所でしょ?」

 

 永琳は笑みを浮かべながら答えていた。一方のアリスは憮然。こういう場合、幻想郷では弾幕ごっこで決着をつけるのだが、この話に絡んでいるのは永琳だけではない。紫や幽々子、守矢神社の二柱もいる。さすがに全員に勝つのは無理だ。

 アリスは溜息を一つ漏らすと、腹を決めた。

 

「はぁ……。そうするしかないみたいね。ただ、もう一度確認させて。仕掛けは"聖戦を起こす"ってものだけ?」

「ええ。そうよ」

「そう」

 

 アリスの表情が、わずかに緩む。幸運というやっかいな能力に、少しばかり付け入る隙を見出した人形遣い。

 

 今度はてゐの方を向くアリス。呼ばれたのに、まるで話に絡まなかった彼女は退屈そうにしていた。

 

「さてと、てゐ。さっきも言ったけど、あなたにも用があるのよ」

「待ちくたびれたうさよ。で、何?」

「ハルケギニアに来たとき、私たちのアジトで何探してたの?」

「は?何の話うさ?」

 

 てゐは怪訝そうな顔で返す。それは隣に座っている永琳も同じ。しかし、アリスは強気のまま質問を続けた。

 

「とぼけないで。あなたがアジトで、何か探し回ってたのは分かってるんだから」

「何、その難癖」

「目撃者がいるのよ」

「んじゃぁ、その目撃者が嘘ついてるうさよ」

「あなたがそれ言う?」

 

 不機嫌な顔つきを返すアリス。

 てゐは趣味というレベルで、散々人を騙してきた。う詐欺と呼ばれるほどに。その彼女が他人を嘘つき呼ばわりするとは。気に障るやら、呆れるやら。

 だがそこに永琳が入って来る。不思議そうな口ぶりで。

 

「アリス。私がてゐに頼んだのは、ワルドとかいうのに策を仕掛ける事だけよ。何か持って来てなんて頼んでないわよ」

「それじゃぁ、てゐが勝手にやったのね。で、何を盗ろうとしたのかしら?」

 

 あくまで、てゐを窃盗未遂犯扱いのアリス。さすがの妖怪うさぎも、怒りが込み上げてきた。

 

「ちょっと頭に来たうさね。なら、何か無くなったうさか?」

「別に。見つけられなかったんでしょ?」

「そう来るうさか。んじゃぁ、その目撃者とやらは何人いたうさよ」

「一人よ」

「なら、その目撃者だけが、私を泥棒扱いする根拠うさね。で、その目撃者が信用できるって保証は、どこから来たうさ?」

「そりゃぁ……」

 

 突然、アリスの言葉が切れる。ふと奇妙な違和感に襲われて。

 てゐがアジトで何かを探していたと口にしたのは、デルフリンガーだけだ。だが、あのインテリジェンスソードの言い分を裏付けるものは何もない。アジトから何か無くなったり、おかしな現象が発生したなどもないのだから。さらにアジトに同じくずっといたラグドの方は、何も見ていないと言っていた。

 

 思い返せば、あの剣とは研究を通してしか会話していない。行動を共にしたこともなく、実の所、性格もよく分かってない。精々、フランクな口調というくらいだ。そもそも、ほとんど記憶を失ったと言っていたが、何故それが本当だと思ったのか。

 

 アリスはうつむいて腕を組むと、考え始めた。思考を巡らせた。蘇る数々の現象、デルフリンガーの言葉。すると何故か、引っかかるものがある。どこか不自然なものが。

 その時、不意に、一つの考えが浮かび上がった。

 

「あ」

 

 口から声が漏れ、目が大きく見開く。人形遣いは、思わず顔を上げていた。

 今、脳裏にあったのは、黒子が起こした最初の現象。天子がデルフリンガーを持った時に起こったもの。自分たちを虚無から遠ざけるため、と思われていた現象。それが今では、別の意味を持っていた。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院。新学期が始まり数日が経った。この日も午前中の授業が終わり、昼休みとなる。生徒達は思い思いの時間を過ごしていた。いつもの広場の光景。その一角に女生徒の一団がいた。新入生達だ。だがどういう訳か、女生徒達は皆不機嫌そう。

 

「全く、なんて失礼な子なのかしら」

「姫殿下に挨拶もないなんて」

 

 女生徒たちの、吐き捨てるような文句が並ぶ。そんな彼女達の輪の中心に、不満を顔に張り付けている少女がいた。背の低い、金髪ツインテールの女生徒が。

 彼女の名は、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ。クルデンホルフ大公家の息女。小国とは言え、独立国の王女だ。彼女こそ周りの女生徒たちが、姫殿下と呼んでいる当人。さらに裕福な家としても知られていた。おそらくティファニアがいなければ、最も注目を浴びていた新入生だったろう。

 

 広場を歩いていた彼女達。すると目の上のたんこぶを見つけた。ティファニアを。彼女は複数の男子生徒に囲まれている。ギーシュ達だ。

 ベアトリスは、肩を怒らせて早足で近づいていった。そして人垣を引き裂いて進み、ティファニアの前に立つ。威嚇するように。

 

「ごきげんよう。ミス・ウエスト……なんだったかしら……」

「あ、ウエストウッドって言うの。ティファニア・ウエストウッド」

「ティホニィ・ウエストドッド?」

「そうじゃなくって……。ティファニア・ウエストウッドよ」

「すぐ忘れちゃいそうな名前だわ。ごめんなさいね、田舎の家なんて、なかなか覚えられないのよ」

「そ、そう……なんだ。えっと……あの……。こんにちは。ベアトリスさん」

 

 ティファニアは笑みを浮かべ挨拶をした。ぎこちない笑顔を。頭の中は、少々混乱気味。露骨に向けられる嫌悪感に、困惑して。

 だが周りの少年たちは、笑みなど浮かべていない。我らがアイドルをバカにしたなと言わんばかりに。さっそくマリコルヌが、口を開く。

 

「失礼だな、君は!」

「待て!マリコルヌ!」

「なんだよ!ギーシュ!」

「あの紋章を見ろ!」

 

 そう言ってギーシュが指さした先、ベアトリスのシャツには、見せびらかすように編み込まれた紋章があった。クルデンホルフ大公家の紋章が。

 急におとなしくなる太った子。

 

「ク、ク、クルデンホルフ大公家……!」

 

 他の男子も、一気に威勢が失せていく。実は、このクルデンホルフ大公家は、財力に物を言わせ、多くの貴族に資金を貸し付けていた。つまり、家格もだが、それ以上に実利的な理由で頭の上がらない家が多かった。ここにいる少年達の家々も例外ではない。

 ベアトリスは鼻で笑うと、ギーシュの方を向く。

 

「お久しぶりですね。ギーシュ殿」

「これは……その……姫殿下……。お久しぶりです……」

 

 恐縮するギーシュ。下級生相手なのにこの口ぶり。対するベアトリスは、これが当然と言いたげな態度。そして改めて、ティファニアの方へ向き直る。

 

「ミス・ウエストウッド。あなた、挨拶の仕方もしらないのかしら?」

「え!?あ……その……」

「今、ギーシュ殿が手本を見せたのに、気づかなったのかしら。……全く、田舎者はこれだから」

「え……あの……その……。ごめんなさい……」

 

 何が悪いのか、さっぱり分からないティファニア。とにかく間違ったらしいと、頭を下げる。しかしベアトリスは憮然としたまま。むしろ不機嫌そう。

 

「それで謝ったつもり?あなた、謝罪もできないのかしら?人に謝罪する時は、礼儀ってものがあるんじゃないかしら?」

「え?」

「公国姫である私に向かって、帽子をかぶっての謝罪は無礼と言っているのよ!」

「え!?」

 

 今一つ、分かっていないティファニア。ますます混乱している。

 家格については、事前にいろいろとマチルダから教わってはいる。とは言っても、あまり時間がなかったせいで、かなり大雑把にしか覚えられなかった。分かっているのは"王家"である自分の上は、"教皇"しかいないという点。ただ、学院では"王家"ではなく、下級貴族として振る舞うという事となっている。ただ、その下級貴族とやらが、どんな立ち位置なのかよく分かっていない。この二重の立場のせいで、余計に理解が中途半端になっていた。そもそも、長らく平民暮らしをしていたおかげで、貴族という感覚自体が身についていなかった。

 

 何をすればいいか戸惑っている金髪の妖精。するとふと思い出した。ルイズ達との歓迎会を。ハーフエルフである事を、まるで気にしなかった彼女達を。懐の広さを。

 

 ティファニアは、気持ちを入れ替えるように深呼吸すると、あっさりと帽子を取った。心を開けば、相手も迎え入れてくれるだろうと。

 そんな彼女に返って来たものは……。

 

「エ、エルフ!?」

「エ、エルフだわ!」

 

 悲鳴だった。

 

「!?!?」

 

 混乱するティファニア。混乱するベアトリス。混乱するギーシュ達とその他。

 

 蜘蛛の子を散らすように、ティファニアの周りから、一斉に人が逃げ出した。無理もない。エルフと言えば、人間の10倍は強い最強の妖魔と言われている。そもそもブリミル教徒の宿敵だ。

 

「エルフだ~!」

 

 広場に響き渡る悲鳴、校舎へと逃げ惑う生徒達。

 そんな混乱の中。颯爽と現れる者たちがいた。彼らはベアトリス護衛のため、派遣されたクルデンホルフ空中装甲騎士団。ベアトリスと取り巻きの女生徒達を守るように、周りに降り立つ。隊長の声が響いた。

 

「各自!抜杖!」

 

 一斉に杖を抜く騎士団。最強の妖魔を前にして、臨戦態勢。一方、何が起こっているか理解できないティファニア。身を縮め、なんとか声を絞りだそうとする。

 

「あ、あの……」

 

 だが彼女の声など、誰も耳に入らない。ベアトリスも杖を抜き、ティファニアの方へ向ける。

 

「騎士団長!あの妖魔を討ち取りなさい!」

「ハッ!全団員!二列横……」

 

 戦闘指示を出そうとした団長。

 しかし……命令は遮られた。轟音によって。

 何かが落ちてきた。大きな塊が。ティファニアと騎士団の間に。土煙がもうもうと上がる。エルフの攻撃かと、身構える者もいる。さらに緊張感が増していく広場。

 

 やがて掻き消える土煙。その中から、一人の少女が姿を現した。巨大な岩に乗った、カラフルエプロンの少女が。天空の天人、非想非非想天の娘、比那名居天子。

 

「やっとトラブった」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべ、そんな事をのたまっていた。

 緊張感は臨界点。突然現れた、得体のしれない少女。しかもエルフを守るように、立ちふさがっている。

 ベアトリスが叫ぶ。

 

「あ、あなた、誰よ!」

「あんた達、この子に手、出そうとしたでしょ」

「当然でしょ!エルフなのよ!」

「お。やる気十分。うんうん」

「え!?」

「んじゃぁ、あんた達の相手は、この天人様だから」

「エルフを守るって言うの!」

「エルフとかいいから、さっさと始めよ」

 

 微妙に会話がかみ合わない双方。ハッキリしているのは、どちらもやる気だという事だけ。

 

 広場の騒ぎを、ギーシュ達は遠巻きに見守っていた。全員、茫然と突っ立ったまま。マリコルヌがポツリとこぼす。

 

「まさか、金髪の妖精がエルフだったなんて……」

「けどなんで、あの岩壁暴君が、ミス・ウエストウッドを守ってんだ?」

 

 レイナールが眼鏡を直しながら言っていた。ちなみに岩壁暴君とは天子のあだ名。軍事教練でのわがままぶりや、岩を使う技、剣も通さない硬さから呼ばれた。ついでに、スタイルが絶壁という意味も含まれていたりする。

 

 ギーシュも同じ疑問を口にする。首をひねりながら。

 

「そう言えば……なんでだろ?」

「ルイズに命令されたんじゃないか?って事は、ミス・ウエストウッドはエルフじゃない?」

「え?」

「虚無の担い手が、エルフを守るハズないじゃないか」

「なるほど!」

 

 ギーシュ達はレイナールの言い分に、一斉にうなずく。

 ルイズが虚無である事は、将校達に広まっていた。もちろん口外してはならない事項だが、つい口を滑らした者もいる。それが子に伝わり、友人に伝わり、今ではそれなりの数の生徒に知られていた。

 

「よし!僕はミス・ウエストウッドを守って、彼女の英雄になる!」

 

 マリコルヌが杖を握りしめ広場へ向かおうとした。しかし、彼の手を掴む者がいる。ギーシュだ。

 

「落ち着けよ。行ってもロクな目に遭わないぞ。あの岩壁暴君がいるんだぞ」

「う……」

 

 足が止まる太った子。

 天子の強さは、全ての在校生に刻まれていた。並のスクウェアクラスでは、歯が立たないと思わせるほどに。

 

 広場の中央では、二つの力が対峙していた。一方は、ベアトリス率いるクルデンホルフ空中装甲騎士団。もう一方は、カラフルエプロンに大きな帽子を被った、たった一人の少女。しかし威圧していたのは少女の方。

 

「んで、決闘スタイルで行く?それとも模擬戦スタイル?」

「は!?あ、あなた……、一体、何を言ってんの!」

「だから、ルール決めないと始められないでしょ」

「な……!遊びのつもり!?」

「遊びでしょ」

「クルデンホルフの騎士団を、ここまで愚弄するなんて!ただじゃ、済みませんわよ!」

「騎士団か……。って事は、みんなまとめて来るって訳ね。うん、じゃあ模擬戦スタイルで」

 

 天子が大きくうなずくと同時に、乗っている3メイル程の岩が宙に浮き、周囲には湧くように6個程に岩が現れ回り出す。さらに無数の光点が浮き上がった。詠唱もなく、杖もなく全てが発生していた。

 

「な、な、なんなの!?あ、あれは……!?」

 

 ベアトリス、目が点。それは、取り巻きの少女達も、騎士団も同じ。目の前に広がる光景が、なんなのか理解している者はここにはいなかった。メイジはもちろん、吸血鬼などの妖魔を相手にした事のある騎士団すら、言葉が出ない。

 誰もが未知の存在を相手に、思考を停止させていた。身動きできずにいた。

 

 対する天子は、これから始まる闘争に、少しばかりテンションが高い。春休みにカリーヌとやり合った時の高揚感が、まだ残っていたのかもしれない。口端を釣り上げた天人は、どちらかというと魔王の様。というかラスボス。

 

「ほらほら。そっちもさっさと構える。モタモタしてると、こっちから行っちゃうぞー」

 

 無数の弾幕と、大小の要石を浮かせ、すぐさま襲い掛かろうかという天人。

 だが……。

 双方の真上に爆音が響き渡った。鼓膜を引き裂くほどの。

 

「な、何なのだ!?」

「団長!なんとかして!」

「きゃぁぁ!」

 

 続けざまに起こる理解不能の現象に、パニックに陥るベアトリスと騎士団。取り巻き少女達などは、とっとと逃げ出していた。

 

 だが天子の方は、何が起こったかすぐに理解。急にやる気が削げ、下りてくる。弾幕も要石も消えていった。

 

 すると、この集団に近づいてくる少女が一人。ルイズだ。眉間に皺を寄せ、大股で歩いて来る。

 

「天子!大騒ぎにするなって言ったでしょ!」

「騒ぎにしたのは、連中の方なんだけど」

「一体、何が、どうなってんのよ!」

「なんかねー、あのツインテールの子と取り巻きが、ティファニアに因縁付けてたの。それからいろいろあって、ティファニアやっつけろーってなってね。で、この騒ぎって訳」

「……」

 

 ルイズは、混乱したままのベアトリス達に、厳しい目を向ける。しかし、すぐに顔を戻した。

 

「けど、そこまで知ってたって事は、様子は見てたけど、こうなるまで放っといたんでしょ」

「まあねー」

「あんたってヤツは……!」

 

 つまり天子は、騒ぎが大きくなる前に収められた訳だ。だがその場合、戦うような状況にはならなかったろう。それではつまらないので、傍観していたのだった。自分を中心に置く、相変わらずの使い魔。

 ひとこと言っておかねばと、ルイズは天子を睨みつける。だが、背後から声が届いた。

 

「あ、あ、あなた達……、エルフの仲間!?」

「エルフ?」

 

 ルイズが振り向くと、ちびっこ金髪ツインテールがティファニアを指さしていた。一瞬、何を言っているのかと思ったが、すぐに気付く。ティファニアは帽子を取っていたのだ。長い耳が露わになっていた。マズイというという具合に頭を抱える。まずはこっちの方を、なんとかしないといけない。ルイズは一呼吸すると、ベアトリス達の方へ向き直った。

 

「えっと~……。彼女の耳は、病気なのよ」

「え!?」

「長耳病っていう、アルビオンの一部でしか見ない風土病なの。だからティファニアは、エルフじゃないわ。普通の人間よ」

「な、長耳病!?そんな病気聞いた事、ありませんわ!」

「だって、田舎の病気だもん。アルビオンでだって、ほとんど知られてないわ」

「…………」

 

 納得いかないベアトリス。どう聞いても、デタラメとしか思えない。

 

「それで、ごまかしたつもり!?」

「証明できるわよ」

「…………。診断書でも持ってくるって言うの?」

 

 突拍子もない話を聞いたせいか、さっきまでパニックはどこへやら。ベアトリスは、もうすっかり元のクルデンホルフ公国姫の態度に戻っている。しかしルイズの方も、平然としたもの。実は、いつかこうなるとは想定していた。彼女なりに対策を練っていた。

 ルイズは胸を張って言う。

 

「違うわ。魔法を使えばいいのよ」

「魔法を使う?」

「そうよ。妖魔は系統魔法、使えないでしょ?もしティファニアが系統魔法を使えれば、人間って話になるわ」

「え……?」

「そうじゃない?」

「え……まあ……それは……そうなりますわね」

「その時は、詫び入れてもらうわよ。いいわね」

「う……」

 

 ベアトリス、口ごもる。急に立場逆転の状態に陥って。だが反論のしようがない。

 ルイズはティファニアの方を向くと、合図を送るかのように声をかける。

 

「んじゃぁ、ティファニア。あれ、やってみて」

「え?う、うん!」

 

 ティファニアは、緊張した面持ちで杖を取り出した。やや太めで長めの杖。魔理沙が作った、ティファニア用のリリカルステッキだ。使い方の初歩はもう教えてある。

 彼女は杖を両手で握りしめると、なにやらブツブツと小声で言う。すると……ポンという具合に、ホタルの光のような弱々しく小さな光の玉が現れた。光はふらふらと飛ぶと、わずかな時間で消えてしまった。

 これがルイズの考えた、ハーフエルフトラブル対策。ルイズ自身、弾幕を使って火系統のメイジと称し、虚無である事実を隠している。ティファニアにも、同じ事をさせようとした訳だ。

 

「今のは、火の系統魔法"ファイアー・ボール"よ」

 

 ルイズに満足げな笑みが浮かんでいた。自分の策が上手くいった、どんなもんだと言わんばかりに。しかし、ベアトリスは唖然。あれは何だったのかという顔つき。

 

「今のが!?あんなものが、"ファイアー・ボール"の訳ありませんわ!いえ!魔法と呼ぶのも、おこがましい。手本を見せてあげますわ!」

 

 ツインテールの姫殿下は、騎士団員の一人に命じた。彼は見事な火球を発生させる。自慢げなベアトリス。しかしルイズは引き下がらない。

 

「ショボくても魔法は魔法よ!」

「いえ、あれは魔法とは言えません!」

 

 意地をぶつけ合う、ピンクブロンドと金髪のちびっ子。どちらも引き下がる様子はない。すると脇から、声が挟まれた。艶っぽい声が。

 

「だったら、第三者に判定してもらうのはどうかしら?」

「「ん?」」

 

 二人のちびっ子は釣られるように、声の方へ顔を向ける。見えたのは赤毛の褐色美少女、キュルケだった。ルイズは怪訝そうに尋ねた。

 

「どういう意味よ?」

「全校生徒に判定してもらうのよ。ティファニアの今の術が、魔法かどうかをね」

「全校生徒?だいたいどうやって、生徒全員集めるのよ?」

「丁度いいイベントがあるじゃないの」

「?」

「『フリッグの舞踏会』よ。あの場で、判定してもらうの。そうね……支持する方のダンスの相手になる、ってのはどう?」

「はぁ?」

 

 ここで何故ダンスが出てくるのか、今一つ繋がらない。ルイズは眉をひそめるだけ。しかし、すぐにこの考えに脊髄反射した者たちが現れた。駆け寄って来た。ギーシュ達だ。

 

「すばらしいよ!キュルケ!その考えに大賛成だよ!」

「うん!それなら公平に、判定できる!さすがはキュルケだ!」

 

 マリコルヌも続く。他の男連中も。やけに興奮している彼らの勢いに乗り、キュルケは悠然とうなずいた。

 

「それじゃぁ、決まりね」

 

 勝利の笑みを浮かべる微熱。しかし、全く逆、憤怒の少女がいた。もちろんベアトリス。

 

「お待ちなさい!何、勝手に決めてるの!」

「お互い引き下がらないんだから、第三者に決めてもらうのよ。真っ当な話でしょ?」

 

 キュルケは余裕を持って答える。

 だが、収まらないちびっこ金髪ツインテール。クルデンホルフ公国姫である自分を無視して、話が進んでいるのが気に食わない。何よりも、突然割り込んできた二人に、言いくるめられたようで我慢ならない。

 彼女は、紋章を見せびらかすように胸を張ると、高らかに宣言。聞いて驚けと言わんばかりに。

 

「あなた達は、誰に向かってものを言ってるか分かっていないのかしら。私はクルデンホルフ公国姫、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフですわ」

「あら、そう」

「え?そうって……」

 

 想定外のキュルケの淡泊なリアクションに、ベアトリス、停止。こんなハズではないと。名前を聞いて、手のひら返す姿が拝めると思っていたのだが。何故か無反応。しかしお姫様、もはや意地を貫き通すしかない。

 

「そ、そう言えば、まだ聞いていませんでしたわね。あなた達は、一体どこの誰なのかしら?」

「ん?あたし?あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 

 キュルケとルイズが、聞かれるまま簡単に自己紹介をした。今日の日付を聞かれるように淡泊に。だがベアトリスは一変。凍りつく表情。

 

「ヴァ、ヴァリエール家とツェルプストー家って……。まさか……トリステインとゲルマニアの……」

「それ以外に、何があるって言うのよ」

「……!」

 

 言葉のないお姫様。

 ゲルマニアの有力貴族のツェルプストー家、そしてトリステイン王家に連なり、場合によっては王位継承権も発生するヴァリエール家。喧嘩を売る相手を間違えた。というか何故、こんな大貴族が、アルビオンの田舎貴族の娘に肩入れするのか。

 またもパニック気味の、金髪ツインテール。理解不能という言葉が、頭をぐるぐる回りだす。冷や汗が背中に流れ出す。頬が強張り、体中が固まって動かない。

 対するキュルケは、さらなる追撃。

 

「それじゃぁ、今度の『フリッグの舞踏会』で、ケリをつけましょ。決まりね」

「え、ええ……」

 

 訳も分からないまま、うなずいてしまうベアトリス。この返事に後悔するのは、四半時ほど後の事だったという。

 

 ルイズとキュルケ、ティファニア、天子は並んで校舎へ向かう。ルイズがキュルケに聞いてきた。

 

「なんでダンスなのよ。っていうか女生徒はどうすんの。女相手じゃ、ダンスなんてできないわ」

「なら女生徒は、参加しない決まりにしましょ」

「何よそれ」

「でも、そうすれば、ティファニアの勝ちは決まったようなもんでしょ?」

 

 キュルケの勝利宣言。それにルイズは渋い顔。

 確かに彼女の言う通りだが、それは別にティファニアの術が魔法かどうかではなく、単に彼女のわがままボディに引き寄せられているだけ。もっともそれを狙っての、ダンスなのだろうが。ただルイズには、気に食わない。特に身体的特徴を、武器にしている所とか。自分には不可能な手というのが。

 だいたいこの所、キュルケがやけにティファニアに男をくっ付けたがっているのも気になる。

 

 不満げなルイズに、キュルケの落ち着いた声が届く。

 

「もうティファニアの件は、終わったようなもんなんだから、あなたはもう少し自分の事考えなさいよ」

「何よ、私の事って?」

「『フリッグの舞踏会』よ」

「?」

「今まで、あなた恋人いなかったでしょ?」

「そ、それがどうしたって言うのよ!」

「もう私たち、三年生なのよ。最後の学年なの。このままじゃぁ、恋しないで卒業しちゃうわ。そんな学生生活なんて悲しすぎじゃないの。チャンスは生かせって言ってんの」

「う……」

 

 反論できないルイズ。だが確かに言われる通り。このままでは、色気のまるでない学生生活となってしまう。とは言うものの、今、好きな男性がいる訳でもない。またキュルケがやってきた、つまみ食いのような恋をする気もない。ともかく、あまり意識をしていなかった気持ちが、急に膨れ上がっているルイズだった。

 

 

 

 

 

 学院長室では、二人の教師が胸をなでおろしていた。オールド・オスマンとコルベールだ。二人の前には『遠見の鏡』があった。この鏡には、ついさっきまでの出来事が映っていた。広場での騒ぎが。

 コルベールが疲れたように零す。

 

「なんとか大事にならず、済みましたね」

「じゃな。少々、肝が冷えたわい」

 

 同じくオスマンの言葉も、緊張をようやく解いたかのよう。何と言ってもアルビオン女王、ティファニアが騒ぎの中心だったのだから。下手をすれば、外交問題になりかねない代物。しかし一方で、ティファニアを一般学生として扱って欲しいとの要望もある。どの程度で手を出していいものか、さじ加減が難しい。

 

「しかし親衛隊も、よく我慢したものじゃ」

「そうですね。騎士団まで出てきたというのに」

 

 学院長と教師は、しみじみとうなずいた。実は学院の衛兵の中に、アルビオンの親衛隊が紛れ込んでいる。もちろん、ティファニアを守るために。一般生徒のように扱われるとは言っても、彼女は女王なのだから。アルビオンが目を離す訳がない。ただマチルダからは、可能な限り、動かないようにと命令されてもいたが。

 

 ともかく、トラブルは無事に終わった訳だ。そしてルイズが、しっかりとティファニアを守った様子も確認できた。コルベールは話題を変える。

 

「これで『フリッグの舞踏会』の準備に、集中できますな」

「じゃが、そっちも厄介じゃのう」

「確かに言われる通りですが、王宮からの通達では仕方ありません」

「分かっておるわ」

 

 ぼやくオスマン。

 王宮からの通達とは、舞踏会のその日、同時に戦勝祝いをしろというもの。神聖アルビオン帝国との戦争は、建前上では勝利という形で終結した。国家の勝利を知らしめるため、トリステイン全土で戦勝祝いが行われる事となっている。トリスタニアでは、戦勝パレードもあるそうだ。

 

 しかし学院にとっては、これが面倒な話になっていた。大きな行事である『フリッグの舞踏会』の日に戦勝祝いが重なっては、準備が大ごとになるのは明らか。すでにマルトー辺りからは、文句というか要望が出ている。人手が足りないので、何とかして欲しいと。

 だがこれも、ティファニアの件に比べれば些細な問題。所詮は祭だ。トラブルが起きても想定内だろう。二人は、心配そうな口ぶりの割には、明るい表情だった。

 もっとも、トラブルとは想定外の出来事だから、トラブルと言のだが。

 

 

 

 



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舞踏会の朝

 

 

 

 

 

 アルビオンとガリアの交渉はついに最終日となった。にもかかわらず、合意できたものは何もない。ガリア側は、今回は見送ろうという気配が漂う。対するアルビオン外交団には、重い表情が並んでいた。アルビオンを支援しているジュリオも、少々気を揉んでいる様子。外交団代表のワルドだけが、平然としていた。

 今日も開始直後こそ、活発な論議が交わされたが、すぐに行き詰まった。ほどなくして、ジョゼフが大げさな身振りで話し出す。始まって間もない会談を、もう止めだ言わんばかりに。

 

「いや、交渉というのは難しいもんだな。だが、ここまで話が合わないのでは、仕方あるまい。今回は、ここまででいいだろう。何、次にやればよい。いつでも来てくれ。余は君らを歓迎するぞ」

「はぁ……」

 

 アルビオンの外交官は、返事を絞り出すのが精いっぱいだった。このガリア王自身が、会談を引っ掻き回し、まともに進まなかったというのにこの態度。もはや彼らには溜息すら出ない。だがそんな中でも、ワルドは明るく言葉を返す。

 

「陛下のお心づかい、痛み入ります。次の機会では、よりお互いを理解しているでしょう」

「うむ。余も同じに思う」

「最後に、今回の会談に応じて頂いた事に、謝意を示したいと思います」

「構わん、構わん。気にするな」

 

 ガリア王はさっさと終わりにしたいのか、ぞんざいな対応。しかし、髭の外相は嫌なそうな素振りも見せず、贈呈品を献上した。それは手やさしく包み込まれ、ジョゼフの前に差し出される。

 テーブルの上に置かれたのは、二つの指輪だった。大きさの違う、しかも小さな方は壊れていた。ワルドが庭園で見つけた指輪だった。

 

 はじめ、ジョゼフは脇見でもするかのように視線を送るだけ。だが次第に表情が、固くなっていく。常に緩んでいた口元が、引き締まる。今までの会談で全く見せなかった、真剣な眼差しがそこにあった。

 ワルドは思わせぶりに口を開く。

 

「懐かしき思い出の品が、陛下のお心に安らぎを生むと思い、この品を献上いたします」

「…………。貴様……これをどこで手に入れた?」

「ヴェルサルテイル宮殿の庭園にて。散策中に拾いました。二つはこの状態で、絡まって落ちておりました」

「何?」

 

 ジョゼフは二つの指輪を手に取ると、まじまじと見る。少年用の指輪にはガリア王家の紋章、大人用の指輪にはオルレアン家の紋章。どちらも見覚えがある。小さい方は、少年の頃、弟シャルルに贈ったものだ。だがそれは、壊されていた。一方、オルレアン公の紋章のある指輪。ジョゼフが王位継承後、父王から弟シャルルに贈られたもの。こちらは原型のまま。これが一緒に捨てられていた。それが意味するものは何か。諸国より無能王と呼ばれるジョゼフ。だが実は、知能の高い人物だ。いくつもの考えが、彼の頭を過る。その中に、信じがたいものがあった。

 

 その時、タイミングを合わせたかのようにワルドが、おもむろに話し出す。

 

「陛下。この指輪の意味を、私なり考えてみました」

「……申せ」

「はい。陛下の弟君、すなわちオルレアン公は、王位への野心を持っていたのではないでしょうか?しかし王位継承が陛下と決まり、お怒りのあまり指輪を捨ててしまわれたのではないかと」

「何をバカな。シャルルは、お人好しを絵に描いたようなヤツだぞ」

「はい。私もそのように伺っております。ですがそれでは、この指輪の在り様が説明できないのです」

「そんな訳があるか。ありえん!あるハズがない!」

 

 ジョゼフが声を荒げていた。その様子に、アルビオンの外交官達やジュリオはもちろん、ガリア側の外交官達も、いや部屋にいる衛兵すらも驚きを露わにしている。

 このガリアの無能王は、笑おうが怒ろうがどこか演技じみた所があった。本心はそこにはない。誰もが感じていた事だ。しかし、今の声は違う。心の底から出てきたように聞こえた。感情を露わにしているガリア王など、衛兵はもちろん、重臣たちも、シェフィールドですら見た記憶がない。だがガリア王は、それを臣下に初めて見せていた。この二つの指輪を前にして。

 

 すると、ワルドから含みのある声色が届く。

 

「ならば確認してはどうでしょうか?」

「ハッ!確認だと?どのようにするというのだ?シャルルはもうおらんのだぞ」

 

 ジョゼフの吐き捨てるような台詞。だがそこには、戸惑いが混ざり込んでいる。今のジョゼフには、そんなバカなという言葉が、未だに脳裏を巡っていた。

 日ごろとまるで違うジョゼフを目にし、ワルドは確信を得る。顔つきが不敵なものへと変わっていった。

 

「仮に……確かめる手段があるとすれば、どうされます?」

「何ぃ!?」

 

 彼の話に吸い寄せられるかのように、前のめりになるジョゼフ。見知らぬ王の態度に、周りの者たちは茫然とし身を固めるしかない。ジュリオすらも息を飲むだけ。しかし、ワルドだけは変わらない。

 

「御人払いを、していただけないでしょうか?」

「…………」

 

 ジョゼフはしばらく黙り込んだ後、重臣達に顔を向け顎で指図した。すると重臣達や衛兵達は、直ちに部屋の外へと出て行った。アルビオンの外交官達も、ワルドの指示で出て行く。部屋にはジョゼフ、ワルド、ジュリオの三人だけが残った。

 ワルドは一つ息を吐くと、話を始めた。

 

「聖地……未だエルフによって奪われたままの聖地には、扉がございます」

「……。扉……か」

「その扉は異界と繋がっており、そこでは死者と会う事ができるのです」

「…………。異界で……死者にな。つまり扉の先に行けば、死んだシャルルに会えるというのか?」

「はい」

「……」

 

 ガリア王は髭の侯爵を、抜くような眼差しで見つめる。心の底を、探るように。視線の先にあるワルドの目には、一切の揺らぎがなかった。全くの戸惑いが感じられない。

 

「ふぅ……」

 

 ジョゼフは大きくため息をつくと、立ち上がった。

 

「ここで待っておれ」

「はい」

 

 小さくうなずくワルド。ガリア王は、早足で部屋を出て行った。ワルドの脳裏に、確信が現れる。策は成就したと。

 

 ジョゼフは私室で待っていた。忠実な僕が現れるのを。彼女は、そう間を置かず姿を見せる。彼の使い魔、ミョズニトニルンのシェフィールド。

 

「陛下、お呼びだそうで」

「ミューズ。お前にいくつか確認したいものがある」

「はい」

 

 ミューズと呼ばれたシェフィールドは、主の前にかしずいた。僕としての、変わらぬ仕草。だが彼女は、ジョゼフのいつもと違う雰囲気を感じとっていた。使い魔だからこそか、彼女のジョゼフへの想い故か。

 そしてジョゼフから、あまり聞き覚えのない響きが届く。真剣味を帯びた響きが。

 

「お前が行った異界……『ゲンソウキョウ』だったか。確か、死者の世界にも行き来できるそうだな。まことか?」

「そのように聞きました。以前はできなかったのですが、ある異変以来、行き来できるようになったと。ヨーカイ共は、死者の世界を『メイカイ』と呼んでいました」

「ふむ……。では余をゲンソウキョウへ連れて行け」

「陛下を!?」

 

 驚きと共に、顔を上げるシェフィールド。耳を一瞬疑うほど、信じがたい命令。

 確かに、気まぐれな命令が多いのはいつもの事。ただそれらは常に、半ば遊びのように告げられていた。むしろ、真剣味を持って発せられた命令など、覚えがない。しかし、今、こうしている彼には、その遊び半分の気配がまるで感じられない。つまり本気で『ゲンソウキョウ』へ行きたがっている。使い魔のシェフィールドでも、主の真意を理解しかねた。しかし今の彼女は、ただただ問に答えるだけ。

 

「確かに、ゲンソウキョウへ行きましたが、どのようにして行けたのかは分かりません。私では、陛下のお望みを叶えるのは不可能かと……」

「ならば、ヨーカイ共に頼め。かの者達は、ハルケギニアとゲンソウキョウを、行き来しておるのだろ?」

「ですが……。私共は、トリステインの虚無の件で、ヨーカイ共と敵対いたしました。こちらの頼みを受けるとは、思えません」

「力づくでもか」

「ビダーシャル卿ですら、苦戦する者共です。力だけでは、なんともし難いと思われます。それに……」

 

 シェフィールドは言いよどむ。彼女は思い出していた。ルイズをハメようとして返り討ちに会い、逆にヨーカイ達に捕まった時の事を。その時の尋問を。

 ジョゼフは言葉を止めた彼女を急かす。

 

「なんだ。気掛かりがあるなら申せ」

「はい。仮にこちらの頼みを受け入れたとしても、難しいかと」

「どういう意味だ?」

「任の実行中に、ヨーカイ共と相まみえる機会が何度かありました。その際に言葉を交わしました。かの者共は、こう申しておりました……」

 

 シェフィールドはそれから、ヨーカイ達から聞いた内容を口にする。ルイズやシェフィールドが、どうやってゲンソウキョウに行けたか、彼女達自身が分からず調査中であると。ハルケギニアの物品、始祖の秘宝をゲンソウキョウへ持っていこうとしたが、何故か持っていけなかったなど。

 

 一通り説明を受けたガリア王は、大きなため息をつく。

 

「つまりこういう話か?ハルケギニアの者が、ゲンソウキョウへ行けるのは確かだが、その方法はヨーカイ共ですら分かっておらんと」

「はい」

「それではヨーカイ共に頼んでも、意味はないか」

「……」

「……やむを得ん。『シャイターンの門』を使うしかないようだな」

 

 ワルドの言う聖地の扉を、ジョゼフは『シャイターンの門』と受け取った。聖地に何があるかは、専門家と称する連中も分かっていない。しかしジョゼフは、エルフのビダーシャルから何があるか聞いている。さらに異世界と死者の世界。これらはシェフィールドからだ。『ゲンソウキョウ』と『メイカイ』という世界があると。

 この他の者が知りようのない二つの情報を、外部の者から聞かされた。これがワルドの言葉に、真実味を持たせていた。

 黙り込み思案を巡らせるジョゼフ。やがてガリア王は、颯爽と席を立つ。全てを決意した顔つきで。

 

 長らく会議室で待たされているワルドとジュリオ。月目の少年が不安そうにぼやく。

 

「疑われてるんじゃないの?」

「死者に会えるって話がか?」

「突拍子なさすぎでしょ。聖地の扉の向こうに、死者の世界があるとか」

 

 ジュリオは呆れ気味。しかし、ワルドは確信に満ちた表情を崩さない。

 この策はヴィットーリオが、切っ掛けだった。彼は虚無の魔法により、物体に宿った思念を読み取ることができる。ワルドが見つけた指輪から見えたのは、ジョゼフとシャルルの意外な本心だった。その話を元にワルドが策を練ったのだ。もっとも、その策が死者の世界に行くなどというのも、どうかしているとジュリオは思ったが。

 

「まさかこのネタで、本当に勝負するとは思わなかったよ」

「ガリア王が指輪を見た時に、表情が一変したからな。これで行けると思ったのさ」

「つくづくバクチ打ちだねぇ」

「おかげで、一時は無一文になったがね。もっともそれがあればこそ、始祖のご加護と、聖下のご助力を受けられる身となれたんだが」

 

 ジュリオの前に、何度も見た、ワルドの嬉しげな表情がそこにあった。

 しばらくしてジョゼフが戻ってくる。やはり、いつものふざけた態度が見られない。椅子に座ると早速口を開いた。

 

「よかろう。聖戦に手を貸そう」

「陛下!?しかし何故聖戦と……」

 

 ワルドが驚きを浮かべる。ジョゼフは苛立ちまぎれに返した。

 

「ロマリアの神官がお前の傍につき、お前が聖地の話を持ち出すのだ。他に何がある」

「ご慧眼、感服いたします」

「世辞はよい。で、どのような手筈になっておる?」

「はい。まずはハルケギニアの主要五ヶ国で同盟を結びます。名目はハルケギニアの和平のため。聖戦を持ち出しては、戦争からの復興途上の、我が国やトリステインは参加しずらいでしょうから」

「和平のためか。それならば、盟も結びやすいな。しかもゲルマニア以外は、決まったようなものだ」

「はい。残るゲルマニアですが、それについても策は練ってあります」

「…………。いや、ゲルマニアは余に任せよ。いい手がある」

「しかし……」

「安心しろ。聖戦に力を貸すというのは本気だ。すぐさまあの粗野な連中を、盟に引き入れてみせよう」

 

 自信に溢れているガリア王。そこには、今までと違う何かがあった。意志とも呼べるものが。だからこそ、ワルドは彼を信頼する事にした。今まで散々、ハルケギニアを混乱させていたこの無能王を。

 一方のジョゼフ、ワルドにいいように乗せられたのが少しばかり癪だったのか、皮肉を一つ。

 

「そう言えば、お前の所の新女王。ティファニア・モードとか言ったか。王座に座る前は、平民同然の暮らしをしていたとか」

「テューダー王家から身を隠さねばならなかったのですから、致し方ありません」

「だが、右も左も分からん小娘を、いきなり戦地に向かわせる訳だ。大した忠臣だな」

「全ては、聖戦成就のためです」

「フン……」

 

 ワルドの目に宿るあまりに揺らぎのない光に、ジョゼフは益々不快になっていた。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院。ルイズは鏡の前に立っていた。

 

「うん。やっぱりかわいいじゃないの」

 

 鏡に映る自分の顔を見て、何度もうなずく。自分で思うのもなんだが、結構美人だと。

 

 キュルケに恋の話をされ、急に意識しはじめたルイズ。だがやはり、好きな男なんて思いつかない。一方で、逆に何故、告白しようという男が来ないのかなんて考え始めていた。そこで鏡を前に、原因を探している訳だ。

 

 顔はかわいい。肌もシミ一つなくきめ細かい。背は低いが、女性は背が高い方が嫌われるからむしろ美点。他にも、家格は高い、座学も優秀、魔法だって一応は使える。もう、かつてのゼロではない。にもかかわらず、隣に男はいなかった。そばかすモンモランシーですら彼氏がいるのに、なんて考えすら頭を過る。こうなると、モテない理由は一つしか思いつかなかった。

 

「やっぱり、ここになるのね……」

 

 呟きながら視線を下す。寂しすぎる胸元へ。

 何かの呪いか、どういう訳か、ヴァリエール家の女性の胸はみんな残念。カリーヌ、エレオノール、そしてルイズと。カトレアが例外過ぎるのだ。三人分を吸い取ったのかというくらい。

 

「でも!私はちい姉さまの妹なのよ!絶対素質はあるハズだわ!だいたい、まだ大人になり切ってない!」

 

 拳を握り、自分に言い聞かせるぺったんこ少女。まだまだ未来はあると。

 

 気勢を上げていたルイズだが、急に項垂れる。一つの事実が頭を過って。希望の未来が来るとしても、いつかは分からない。しかし学院生活の終りは、いつか分かっている。待ち続ける訳にはいかないのだ。何よりも目前に迫る『フリッグの舞踏会』には、まず間に合わない。

 

 そんな落ち込んでいたルイズの口端が、急に吊り上がる。

 

「けど……、私には秘密兵器がある!」

 

 ルイズは机に大股で近づき、鍵のかかった引き出しを開けた。そして小瓶を取り出す。黒い玉がいくつも入った小瓶を。これこそ彼女の秘策。実はこれ、鈴仙からもらった万能薬。この薬の効果の一つに、姿を変えるというものがある。つまり、これで胸元を増量しようというのだった。

 

「ふっふっふ……」

 

 小瓶を眺め、悪漢のごとくな笑いを零すルイズ。自分の部屋で、やけにテンションを上げたり下げたり。もし他人に見られていたら、頭がどうかしたと思われていただろう。

 ところで、性格のキツさや、すぐ手を上げるなどの内面の欠点については、思考の外だったりする。

 

 ともかく打つ手は決まった。ただこの手には、いくつか問題点がある。それを解決するため、ある人物の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 幻想郷組のアジトに来たルイズ。彼女が向かおうとしているのは、鈴仙の所。万能薬の問題点は、持続時間がそれほど長くないという点。もって半時、つまり一時間。これについて薬師の弟子に、相談しに来たのだった。

 

 廊下に出たルイズ。目に止まるものがある。ある部屋の前に、箱が置かれていた。開いている扉を覗き込むと、文が何やら手持ちのものを整理している。

 

「何やってんの?」

「おや、ルイズさん。帰宅準備ですよ」

「帰宅?また新聞出しに戻るの?」

「いえいえ、そういう意味ではありません。ここでの生活を、終わりにするという意味です」

「え!?」

 

 思わず部屋の中に入るルイズ。

 

「文、幻想郷に帰っちゃうの!?」

「はい。だいたいの取材が終わったので。それに、いくら珍しい異世界と言っても、同じ特集ばかりしてては読者も飽きてしまいますし。『フリッグの舞踏会』を区切りに、一旦、終了しようと思った次第です」

「そうなんだ……。鈴仙も帰るって言ってるし、少し寂しくなるわね」

 

 しみじみとつぶやくルイズ。文は、魔理沙、天子と並んでよく学院で騒動を起こした一人だった。ルイズはよく彼女の後始末をよくやらされたが、今となってはそれも悪くない思い出だ。さらにアルビオン絡みの件などでは、何度も手伝ってもらっている。そんな彼女がいなくなるのは、それはそれで残念だった。

 文は手を止めると、顔を向けてくる。

 

「まあ、別に今生の分かれって訳ではありませんし。ネタに困ればまた来ますよ。その時はよろしくお願いしますね」

「うん。構わないわ。文には、なんだかんだでいろいろ助けてもらったしね」

「こちらこそ、いいネタを結構いただきました」

 

 再び荷物の方へ向き直ると、整理を始める文。ルイズはその背に、これまでの慌ただしい日々を思い起こす。同時に懐かしさも。その時ふと、頭に一つアイデアが浮かぶ。

 

「そうだ!今度の舞踏会、みんなで参加しない?」

 

 振り向いた文には、今一つ意味が掴めていなかった。

 

「えっと……、私は取材するんで、現場には行きますが」

「そういう意味じゃないわよ。着飾ってダンスするの!取材は同時でもいいでしょ?」

「いや、そうは言われましても……。こっちの踊りなんてできませんよ。だいたい衣装がないですし」

「ドレスだったら私が揃えるわ」

「かなりの出費になりますよ」

「大丈夫よ。お金なら結構持ってるから」

 

 胸を張る虚無の担い手。任せろと言わんばかりに。

 実はルイズ、これまでの国への貢献を、報酬という形で受け取っていた。アンリエッタからの個人的な報奨、という形で。ルイズの成果は、ほとんどが極秘にされている。このため、爵位や勲章、表彰状などの表立った報奨を与えられなかった。だがさすがに無償なのは悪いので、せめてもの報いという訳だ。さらにルイズ自身が無駄遣いしていないので、報奨金はほとんど残っていた。

 

 やがて他の幻想郷メンバーにもこの話を伝える。最初、面倒くさがる連中が多かったが、滅多にない機会という訳で、最後は全員が参加を決めた。

 さっそくドレス作りに向かう一同。この人数なので、ヴァリエール家の御用商人に頼む事となる。ちなみに今いないアリスのドレスだが、魔理沙が勝手に彼女の衣服や下着を引っ張りだし、これでなんとか採寸してもらう事となった。

 

 

 

 

 

「う~ん……。やっぱ付け焼刃じゃあ無理だわ。後は、男の甲斐性に期待するしかないわね」

 

 キュルケが肩を落とし、ぼやいていた。そこに魔理沙がうんざりした顔。

 

「こんなもん出来る訳ねぇだろ。手と足がつっちまうぜ」

「だよねぇ」

 

 鈴仙も兎耳を余垂らしながら、疲れ気味に同意。

 

 空いた教室に、キュルケ達と幻想郷組が集まっていた。何をしていたかというと、ダンスの練習。フリッグの舞踏会に出るのだから、一応基礎くらいは覚えておいた方がいいだろうと集まったのだが。結果は時間の無駄だった。

 精々盆踊りくらいの経験しかない幻想郷メンバー。異世界の社交ダンスなど、できる訳がない。特に魔理沙、天子、衣玖、鈴仙、文は全く話にならない。天子などは、端からやる気なしで、練習どころではなかった。

 付き添っているルイズも、あきらめ顔。すると当然とばかりな声が入って来る。

 

「基本を身に付けるだけでも、それなり時間がかかるもの。仕様がないわ」

 

 パチュリーだった。この運動嫌いが、渋々この練習に参加している。しかも他のメンツより、ずっとまともに踊れていた。ルイズは意外そうな顔を向ける。

 

「パチュリーが、踊れるなんて思わなかったわ。ダンスやってたの?」

「昔ね」

「昔?」

 

 ルイズの問へ、主の代わりにこあが答えた。

 

「パチュリー様は、元々ヨーロッパにいたんですよ。その頃、身に着けたそうですよ。100年くらい前……だったとか、なんとか」

「100年……」

 

 苦笑いのルイズ。時間感覚の違いを思い知らされて。すると半ば叫び気味の声が上がる。ティファニアだった。

 

「ひゃ、100年!パチュリーさんって、100歳超えてるの!?」

 

 慌てるちびっこピンクブロンド。

 

「じょ、冗談に決まってるでしょ。だ、だって100歳に見える?」

「見えないけど……。冗談なんだ。そうだよね。びっくりしちゃった」

 

 ルイズの露骨なごまかしを、素直に信じるティファニア。

 一度、彼女達をティファニアに紹介はしたが、異世界の人外という点は伏せたままだった。ちなみに人外と一番バレそうなこあは、リュックを背負って羽を隠している。ティファニアは何故、リュックを背負っているのか尋ねたが、これまた適当な言い訳を信じていた。

 ところで、ここに彼女がいるのは、ルイズが誘ったから。彼女自身もダンスの経験がまるでなかったので、いい機会という訳だ。

 

 パチュリーは、体をほぐしながらつぶやく。

 

「私にとって意外なのは、ここにタバサがいる事ね。ダンスなんてやりそうにないし、結構、頑固だから来ないと思ってたわ」

「頑固とか。お前、人のこと言えねぇぜ」

 

 魔理沙が茶化す。

 

「けど、なんでだ?」

 

 白黒魔法使いに尋ねられたタバサは、頬を赤らめるだけ。代わりにキュルケが、彼女に抱き着きながら答えた。嬉しそうに。

 

「母さまが見に来るのよね~」

「……」

 

 ますます赤くなるタバサ。しかし、衣玖が少々顔を曇らせる。

 

「よろしいんですか?行方不明のはずのタバサさんのお母上が来たら、いろいろとマズイのでは?」

「そこは抜かりないわよ」

 

 ルイズが自慢げに答える。

 

「万能薬使って、化けてもらうの」

「なるほど、宇宙人の薬ですか」

「うん。まあ、そんな長くは化けていられないけどね」

 

 オルレアン公夫人は、もう正気を取り戻している。そして、タバサも最終学年。せっかくだから、晴れの舞台を見てもらったらどうだとキュルケが提案したのだった。もっとも、タバサをダンスに誘う男子が現れるかという難関があるが。

 

 とりあえず全ては順調。一同は、舞踏会に備えるだけである。

 

 

 

 

 

 フリッグの舞踏会、当日の朝。いつもなら今日は平日だが、休みとなっている。さらに舞踏会は夜に開催される。しかし、日中にもイベントがあった。戦勝祝いだ。昼頃に、セレモニーが開かれる予定になっている。

 

 朝の支度が終わると、ルイズは鋭い視線を机へ向けた。

 

「さてと……」

 

 引き出しから、万能薬を取り出す。

 本番に備えた、策の確認開始。特に最大の秘策である、万能薬については念入りに。鈴仙の話だと、持続時間を延ばすのは不可能だとか。だったら効果が切れるタイミングで、薬を使うしかない。ただ貴重な薬だ。できれば多くは使いたくもない。舞踏会に参加するのは、万能薬二個分、せいぜい一時程度と決める。

 さらに増量する胸のボリュームだが、モンモランシーを想定。ルイズの理想像はカトレアだが、いきなり特盛では、絶対に偽物と疑われる。そんな訳で、希望があると思わせる程度に決定。さらに、その希望を強調するように、今回のドレスは胸元が開いたものにした。

 全ての策に抜かりはない。

 

「後は、この薬を隠すだけ」

 

 ルイズは勝利の確信を抱くと。一つ薬を取り出し小さな紙に包んだ。そいて、ドレスに作った隠しポケットに入れた。

 その時、ノックの音が耳に入る。

 

「誰?」

 

 ドアへ向かって尋ねる。すると想像もしなかった、声が返って来た。

 

「私ですよルイズ」

「か、母さま!?」

 

 ルイズは慌てて声の方へ駆け寄り、すぐさま開けた。ドアの先にいたのは久しぶりのマスクウーマン、ミス・マンティコア。つまりカリーヌ。

 疑問と驚き一杯で、見上げるルイズ。

 

「え!?どうして、ここにいらしてるんです!?」

「戦勝祝いに参加するためです。一応は、軍事教官でしたからね」

「でも、手紙では来ないって……」

「ええ。始めはそう考えていたのだけど、ミス・鈴仙が送ると言ってくれたのよ。だから、参加する事にしました。それにしても便利ね。転送陣って。数日かかる距離を、一瞬だもの」

 

 ルイズは小さくうなずく。笑みを作って。その裏には不安が渦巻いていた。急に一つの懸念が、浮かびあがって来たので。

 

「そうですか……。えっと……その……一つお聞きしたいんですが……、舞踏会もお出になるんです?」

「いいえ。戦勝会が終わったら、トリスタニアへ行くわ。用もありますし、エレオノールの顔も見ておこうと思ってますから」

「そうなんですか!エレオノール姉さまも、喜ぶと思いますよ!」

 

 嬉しそうなルイズ。カリーヌが最後までいないと知って。

 舞踏会で増量した胸を見られたら、イカサマを見破られる可能性大。その理由が男の目を気にしてなどと知られたら、何をされるか分からない。しかも貴重な薬を使ってまでの策が、すべて台無しだ。カリーヌには是非とも、学院を離れてもらいたかった。

 

 末娘の大げさな態度に、何かを感じた母だが、今回は無視する。

 

「…………ま、いいわ。ルイズ。学院長室まで付き添いなさい」

「はい!」

 

 露骨に喜んで、カリーヌの忠臣のようについていくルイズ。危機が去ったと、上機嫌。だがこの突発的なイベントのため、とてもとても重要な作業を忘れていたのだった。

 

 

 

 

 

 フリッグの舞踏会兼、戦勝祝いの今日。浮足立った生徒達とは、対照的な人々がいた。この祭典を運営する側の者達だ。運営管理をする教師たちや、現場で働く使用人たち。二つの祭典が重なり、猫の手も借りたい忙しさ。しかも使用人達の日常業務はいつも通りなので、忙しさ三倍増し。そんな使用人たちの中に、一人の少女がいた。シエスタだ。彼女も心中は焦り気味。生徒達の寮の掃除を手早く終え、次の仕事にとりかかろうとしていた。すると同僚が、彼女に慌てた声をかけてくる。

 

「シエスタ!ここにいた!」

「え?何?」

「胡椒どこにやったの?」

「胡椒?」

「ほら、余った分、ビンに入れたでしょ?あなたが片したんじゃなかったっけ?」

「……あ!」

「どこ?」

「えっと……。あ、後で持っていくから」

「急いでよ。今日のマルトーさん、ちょっとイライラしてるから」

「う、うん」

 

 青い顔でうなずくシエスタ。何故なら、その胡椒をどこにやったか記憶がなかったから。だが今日のマルトーは、殺気立っていると言ってもいい程。失くしたなどと言ったら、どれほど怒られるか。シエスタは慌てて探しに行く。まずは、さっき掃除した生徒達の寮へ。

 

 いくつかの部屋を巡り、ルイズの部屋にたどり着く。

 

「でも……生徒さんの部屋に置くかな……。もしかして落としたのかも……」

 

 ブツブツと零しながら、辺りを探す。すると見覚えのある小瓶が目に入った。正確には、見覚えのある小瓶とよく似たものが。ルイズの机の上に。

 

「これ……だったっけ?」

 

 小瓶には黒い粒がいくつも入っていた。一見、すり潰す前の胡椒にも見える。だが考えている暇はなかった。探し始めて結構時間が経っている。他の作業も詰まっている。さらにこれ以上マルトーを待たせる訳にもいかない。シエスタは強くうなずく。

 

「うん!たぶんこれね」

 

 小瓶を手に取ると、彼女は急いで厨房へ向って行った。ルイズが突発イベントのせいで、片すのを忘れた小瓶を持って。

 

 

 

 



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パーティの始まりだぜ

 

 

 

 

 

「どうしたのよこれ」

「ああ、お前のドレスだぜ。ルイズがプレゼントしてくれた」

「何で?」

 

 魔理沙の答えに、アリスは眉をひそめるだけ。

 

 彼女が幻想郷から帰って部屋に戻ると、いきなり目についたのが壁に掛けられていたドレス。まるで覚えがない。尋ねて回ると、さっそく白黒が回答してくれた。相変わらず、前後関係を説明せずにだが。

 人形遣いは埒が明かないとばかりに、いっしょに来た鈴仙に聞く。

 

「実は今日、『フリッグの舞踏会』があるの。それでみんなで参加しようって話になってね。ドレスを作ったの。アリスはいつ戻るか分かんなかったから、念のため用意したのよ」

「『フリッグの舞踏会』?」

「学年最初の行事なんだって。参加する以上は、一応ダンスもする事になってるの。けど、踊れなくっても大丈夫なんだって。相手がなんとかしてくれる、ってキュルケが言ってたわ」

 

 鈴仙の説明に、魔理沙が続く。

 

「てな訳だ。お前も参加しろよ。拒否権はなしだ」

「ええ……」

 

 白黒魔法使いは、文句を封じ込めるつもりで、強気の宣言。しかし、いきなりのイベント参加だと言うのに、どういう訳か人形遣いは生返事。もっとも、説得する手間がかからず済んだのは悪くはない。

 鈴仙も魔理沙も、彼女の態度をあまり気にせず、用は終わったと部屋を出て行こうとする。するとアリスから声がかかった。真剣味を帯びた声が。

 

「魔理沙」

「なんだよ」

「今日が『フリッグの舞踏会』なの?」

「さっき言っただろ」

「つまり、もう新学期は始まってるのよね。私、幻想郷で二泊しかしてないわよ」

「おいおい、ちょっと待てよ。お前が帰ったのって、二週間くらい前だろ」

「こっちだと、そうみたいね」

「また時間のズレか……」

「ええ。そしてこっちの方が早いのも相変わらず」

「……」

 

 さっきまでの浮かれた様子は消え失せ、魔女達の顔つきは重くなる。さらにアリスは続けた。

 

「後、向こうでいろいろと分かったわ。それと思いついた事があるの。今まで見落としてた事をね」

「なんだよ?」

「後で話すわ。今日は祭なんでしょ?終わってからの方がいいわ。じっくりやりたいし」

「分かったぜ。ま、祭の最中に、余計なもん気にするのもやだしな。興ざめだぜ」

 

 気分を取り直すと二人は部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 戦勝祝いのセレモニーが始まる。アルヴィーズの食堂に、全生徒と教師達が集まっていた。まずは王宮から遣わされた女王の名代の祝辞に始まり、オールド・オスマン、学院関係者の話が続く。そして彼らの次には、ミス・マンティコアが壇上に立った。ここで空気が一気に引き締まる。各人に懐かしくも、つらい記憶が蘇っていた。しかし、それは教師たちと二年、三年生だけ。新入生の一年生たちは、この異様な空気に戸惑うばかり。

 

 こんな新入生の中で、一人だけ揺るがぬ少女がいた。というより、周りが見えていなかった。重要事項で頭が一杯で。その少女とはベアトリス。

 

 今日の舞踏会では、ティファニアがエルフかどうかを決めるイベントがある。だがキュルケの策略により、賛否を示せるのは男子生徒だけにされてしまった。これでは、日頃彼女を囲んでいる取り巻き少女達は役に立たない。しかも相手は、破壊力抜群のボディ装備な上、ヴァリエール家やツェルプストー家まで味方に付けている。圧倒的に不利な状況。だがこの程度の苦境で、公国姫の高い鼻は折れなかった。何故なら、彼女には秘策があった。この劣勢を覆す策が。

 

「フン。田舎貴族の分際で……。クルデンホルフ家の力、見せてあげるわ。公国に負けはないのよ!」

 

 ぶつぶつと独り言をこぼしながら、勝利を確信した笑みを浮かべるベアトリス。

 もうティファニアがエルフかどうかより、ベアトリスの中では自分の言い分が通るかどうか、勝つか負けるかにすり替わっていた。

 

 ともかく、やがて戦勝祝いとして、豪華な昼食会が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 昼食会も終わり、学生達は各々の時間を過ごしている。祝典という事で楽団も招き寄せられ、演奏を披露していた。その他イベントも行われている。もはや学院は、どこかの世界の文化祭のような様相。

 

 そんな中、ルイズ、キュルケ、タバサは賑わいとは別の所にいた。学生寮だ。人けのない廊下を進むと、見慣れた幻想郷組の部屋にたどり着く。そして扉を開けた。奥から顔を覗かせたのは、玉兎。

 

「あ、来た来た。こっちこっち」

 

 嬉しそうに手招きする鈴仙。それを合図に、ルイズとキュルケは、一番後ろにいた少女を、前へと送り出す。

 

「ほら、タバサ」

「……うん」

 

 珍しく緊張した面持ちのタバサ。勧められるまま部屋の奥へと進んだ。やがて見えたのは、青い髪をした女性だった。女性は柔らかな笑みを浮かべ、タバサの方を向く。

 

「シャルロット。来ましたよ」

「母さま……」

「さ、こっちに来て、よく顔を見せて」

「……」

 

 気恥ずかしそうに固まっているタバサ。そんな彼女をキュルケが後押し。

 

「あたしたちは、もう出るわ」

「キュルケ……ありがとう……」

「ふふ……。思いっきり、母さまに甘えなさいよ」

 

 さらに顔を赤くするタバサを、キュルケは嬉しそうに見ていた。

 

「ミセス・オルレアン。私たちは、ここで失礼いたします」

「今回のお気遣い、大変感謝しております」

「いえいえ、大したことはしておりませんわ」

 

 いつも尊大なキュルケにしては、丁寧に礼を返していた。同じくルイズも礼をした。ただ注意事項を一つ。

 

「ミセス、この部屋は外から見えませんから、ご安心を。ただ部屋を出るのはご遠慮ください。その……見つかると、いろいろと困った事になりますので」

「分かっています」

「では、失礼します」

 

 やがてタバサを残し、部屋を出て行く一同。虐げられていた母娘の微笑ましい光景を目にして、自然と顔が緩んでいた。それにルイズはほだされたのか、やけに気合いを入れている。

 

「さてと。ミセス・オルレアンの分の万能薬持って来ないと」

「そうだ。タバサのお母さん、何に化けるの?」

 

 鈴仙が尋ねてきた。そこにキュルケがアイデアを一つ。

 

「男子生徒ってどうかしら?男の正体が、実は女性なんて意外でしょ?生徒なら居ても不思議じゃないし」

「モデルはどうするの?」

「モデル?」

「たぶんあの薬、知らない人には化けられないと思うわよ」

「そこは夫人に任せとけばいいんじゃない?さすがに学院の生徒は困るけど」

 

 学院の生徒に化けては、同じ人物が二人いる事になる。ただそれを避けようとすると、在校生以外になるしかない。それはそれで、不信に思われる可能性があった。もっとも化けられる時間は半時。見慣れない生徒がいても、短時間ならごまかせるだろうとも考えていたが。

 

 そうこうしている内に、ルイズの部屋へと着く。キュルケは途中で別れ、催し物を見に行っていた。ルイズと鈴仙は部屋へと入る。二人は奥へと進んだ。

 

「鈴仙。オルレアン公夫人に、あなたが使い方説明しておいて。あなたの方が専門家だし」

「分かった」

「さてと……」

 

 ルイズは鍵を取り出す。万能薬が入った引き出しの鍵だ。そして鍵穴に差し込んだ。

 

「ん?」

 

 違和感がよぎる。何故なら、鍵がかかっていなかったのだ。ルイズは引き出しを勢いよく開けた。目に入ったのは、広がる空間。空っぽの引き出し。大きく目を開いて、一時停止するルイズ。

 

「な、ない!」

 

 怒鳴るように、声を上げていた。何事かと、鈴仙がルイズの肩越しから覗きこむ。

 

「ないって何が?」

「万能薬よ!」

 

 引き出しをあさりながら、答えるルイズ。確かに万能薬を入れたビンが、影も形もない。すぐさま鈴仙は、能力を発動。部屋中をその異能の目で、見回し始めた。

 

「この部屋には……ないみたい」

「え!?ホント?」

「うん。よっぽど奥の方に仕舞われたら、分からないけど。今の所は、見当たらないわ」

 

 鈴仙は様々な波長を見る事ができる。高性能サーモグラフィのように、棚の中にあるものすら探し出せた。そして例の万能薬の波長は、彼女もよく知っている。

 玉兎の回答に、血の気が引くルイズ。今手元にある万能薬は、二個だけ。これでは自分と夫人の、それぞれ一個ずつ分しかない。そもそもあの薬は、特殊な効果のあるものだ。使い方次第では、大ごとになりかねない。

 

「……誰かが盗ってった?」

 

 まず思いついたのは、盗人の異名を持つ魔理沙。彼女ならやりかねない。そして後から、悪気なさそうに謝って来る。あの白黒魔法使いに、ピッタリ収まりそうな行動パターンだ。

 さっそくルイズと鈴仙は、魔理沙を探しに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 いよいよ『フリッグの舞踏会』が始まる。ホールには、着飾った生徒達と教師達がいた。メイド達は、高級ワインの注がれたグラスを配って回っていた。豪華な食事も各テーブルに並べられている。そのテーブルの周りでは、各々が歓談を交わしていた。

 さらに今日は、特別な参加者がいた。幻想郷の人妖達だ。皆、ドレスで着飾っている。あの魔理沙や天子でさえ。人目に無頓着な所がある彼女達だが、今日は文字通り見違えるほど一変。否応なしに注目されていた。

 

 やがてオールド・オスマンの舞踏会開催の挨拶が始まった。続いて、文が幻想郷組を代表して挨拶。達者な口は会場を盛り上げる。ちなみに、今、タバサと鈴仙はいない。オルレアン公夫人を呼びに、部屋へと戻っていった。万能薬を手にして。

 

 さて、各人はしっかり準備をし、参加していたが、ここにも入念な準備をした少女がいる。ルイズだ。この日のために、秘薬で少々胸元をボリュームアップ、新調したドレスも用意した。恋の切っ掛けになればと。

 

 だが、それらは今、頭の中から吹っ飛んでいる。万能薬がなくなったという、重大案件のせいで。

 

 あの後、魔理沙達に聞いて回ったが、万能薬の行方を知っている者はいなかった。嘘をついた可能性もなくはないが、てゐならともかく、今いる人妖達はそこまで悪い性格ではない。むしろ、悪事を開き直るような連中だ。しかしそうなると、どこにあるか見当もつかない。万能薬について知っているのは、ルイズ周辺だけなのだから。

 

 アリスが話しかけてくる。

 

「私たち以外じゃ、仮に盗んだとしても使えないわよ。あれが万能薬って知ってんの、私たちだけなんだから」

「そうじゃないかも、しれないじゃないの」

「だいたい本当に盗まれたの?失くしただけじゃないの?」

「あの引き出し、鍵がかけてあったのよ。それが開いてたんだもん。盗んだんじゃなかったら、開いてる訳ないわ」

「最後に見たのいつ?」

「今日の朝よ。母さまが来たとき」

「その後、ちゃんと仕舞った?」

「うん。あの引き出しに……あれ?」

 

 ルイズの脳裏に、カリーヌが来たときの光景が蘇る。そして気づいた。母親と言葉を交わした後、そのまま彼女について学院長室へ向かった事を。机の上に、万能薬の入った瓶を置いたままにしてしまった事に。

 

「あ~!」

 

 思わず声を上げてしまうルイズ。一斉に、注目がされるが、まるで気づかない。青い顔をして項垂れる。

 

「仕舞ってない……」

「え?それじゃ、どうしたのよ?」

「机に置きっぱなしにしてた……」

 

 机に置いたままの万能薬を、誰かが持って行った可能性が出てきた。理由はともかく。

 ルイズは茫然としたまま顔を上げる。ふと一人のメイドが目に入った。シエスタだ。ワイングラスを生徒達に配っている。

 突然、閃いたちびっ子ピンクブロンド。シエスタは、ルイズの部屋の掃除を担当していたのだ。ダッシュで彼女に駆け寄ると、壁際に引っ張っていく。

 

「な、なんですか!?ミス・ヴァリエール。今、仕事中なんですけど」

「あなた、私の部屋掃除した時、このくらいの小瓶見なかった?黒い小さな玉が、いくつも入ったの」

 

 ルイズは両手で、瓶のサイズを教える。すぐさま、シエスタはうなずいていた。他愛のない失敗をしたという表情で。

 

「あ、ご覧になりました?あれ、私の忘れ物です。実は、ミス・ヴァリエールの部屋に、胡椒の瓶を忘れてしまいまして。取りに戻った時、ミス・ヴァリエールはいらっしゃらなかったので、無断で持って行ったようになってしまいましたが。申し訳ありません」

「持って行った……」

 

 インディゴブルーの顔色のルイズ。シエスタの両肩を鷲掴みすると、必死の問いかけ。

 

「それ、どうしたの!」

「マルトーさんに渡しましたよ。料理に使うんで」

「りょ、料理……」

 

 ゆっくりと会場の方へ顔を向けるちびっ子ピンクブロンド。目に映るは、テーブルに並べられた料理の数々。しかも、皆、もう手をつけていた。

 

「ど、ど、どれ!?」

「え?それはマルトーさんに聞いてみないと……」

「聞いて来て!」

「ええ!?でも、私、これからワインを……」

「大切な事なの!」

「は、はい」

 

 訳も分からず首をひねりながら、シエスタは厨房の方へ向かった。

 一方、ルイズは頭をフル回転。食べるのを止めさせるか。だがもう食べた者がいる。いまさらだ。だいたい理由はどうするのか。毒が入っているとでも言うのか。しかしそれでは、パニックになる。そもそも、どうやって納得させるのか。いい知恵が浮かばない。

 

 すると衣玖が口を開いた。いつものように淡々と。

 

「そんな気に、するものでもないと思いますよ」

「何で!?」

「だいたい量が多くありません。料理に混ざったとしても、それぞれの量はわずかでしょう。その程度では、効果自体が出ないのでは?」

「それでも……宇宙人の薬なのよ!何かの拍子で、効果が出ちゃうかもしれないじゃないの!化けちゃったりとか」

「そうだとしても、効果があるのは精々舞踏会の最中のみ。そう大きな騒ぎには、ならないでしょう」

「け、けど……」

 

 ルイズの不安を他所に、パチュリーやこあもノープロブレムを口にする。不安は残るものの、少しばかり落ち着くルイズ。

 しかし、その脇にいた使い魔は、何やら不穏で楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 舞踏会開催の挨拶の後、オスマンはこの場をコルベールに任せて引っ込んだ。二つの祝典が重なって、少々応えていたので。いつもは歳を感じさせない彼だが、今回ばかりはそうはいかなかった。

 

 壇上では文がそのまま残っていた。さらにそこに魔理沙が加わる。珍しく着飾った彼女に、どよめきが漏れてきた。ガサツな性格と知れ渡っている彼女が、どこかの貴族のお嬢様にしか見えないのだから。それに、さすがの魔理沙も照れ笑い。

 

「いやぁ、さすがに慣れない恰好は落ち着かねぇな。ま、それはそれとしてだ。本番に入る前に、ちょっとしたイベントを用意したぜ。もう知ってるだろうけどな。まずは二人の主役の登場だぜ!」

「さあ、ご紹介しましょう。まずは、かのクルデンホルフ公国の妃殿下、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ嬢!」

 

 文の紹介と共に、ホールの中央にベアトリスが立つ。自信ありありと。

 

「対するは、アルビオンからの留学生。ティファニア・ウエストウッド嬢!」

 

 ティファニアの方は、注目を浴びて気恥ずかしいのか、身を縮めて中央に出てくる。だがそれが胸元の谷間を強調して、余計に男子生徒を喜ばせていたのだが。そんな事に当人は気づいていなかった。

 次に魔理沙がノリよく話を進める。

 

「主役がそろった所で、イベント開始だ。まずは、ティファニア!頼むぜ!見せてくれよ」

「う、うん」

 

 ティファニアはオロオロしながらうなずくと、杖を取り出した。いよいよ、ティファニアの出す光球が魔法かどうか判定される時が来た。

 

 ところで、ホールの中央に全員が注目している最中。イベントには目もくれず、ウロウロと会場を歩き回っている少女がいた。少女は、一人の太った男の子に目を付けると声をかける。

 

「マリコルヌ」

「え?」

 

 ティファニアを一心に見ていた彼は、いきなり声をかけられ、驚いて振り返った。視線の先にいたのは、ちっこいロングヘアの青髪少女。

 

「誰だい?」

「は?天子よ」

「あ……ああ……。その……見違えましたよ。えっと……ドレス、よくお似合いですよ……。ミス・ヒナナイ……」

 

 畏まってビビっている太った子。運動神経の鈍い彼は、軍事教練で何度もこの天人にやり込められたので。天子に対しては、誰よりも岩壁暴君のイメージが強かった。

 だが天子の方は、そんな彼の態度など気にしない。

 

「今回は、他にもちょっとしたイベントが仕込んであるんだって」

「え?」

「食べ物に、何でも化けられる薬が入ってるそうよ」

「何でも化けられる?」

「うん。ただし舞踏会の間だけだってさ」

「本当に?」

「なんなら試してみれば、上手くいかなくても何も起こらないだけだし。んじゃあ、そんだけ」

「う、うん」

 

 天子は何やら楽しげに、この場を去っていった。残されたマリコルヌは、今一つ何の用だったのか理解していないが。

 その時壇上からの声が響く。

 

「さぁてと、支持する側についてくれよ。舞踏会らしくダンスで決めるぜ!」

 

 魔理沙の声に、マリコルヌは慌てて、ティファニアの方へと駆け寄って行った。

 

 ホールの中央では、ティファニアとベアトリスの周りに男子生徒が集まっていた。ティファニア圧勝と思われたが、意外にベアトリスの方にもそれなりの人数が集まっている。

 ティファニア側にいた眼鏡のレイナールは、その中に裏切り者を発見する。

 

「ギーシュ!?なんでそっちにいるんだよ!」

「いや……その……、なんと言うか……」

 

 本当に申し訳なさそうな顔つきで、小さくなっているギーシュ。

 

「こ、心は、ミス・ウエストウッドと共にあるんだよ!で、でも、家の都合というか……、家計の問題というか……」

 

 そこで、すかさず色男の発言をぶった斬るベアトリス。

 

「ホホホホ。ミスタ・グラモンは、私の見方が正しいと思われたのですわ!さすがは賢明な方です、ギーシュ殿」

「は、はぁ……」

 

 これがベアトリスの秘策。要は借金があるという弱みを利用。取り巻き少女達を使って、男子生徒に脅しをかけていたのだった。

 

「な……なんという……」

 

 頭のいいレイナールは、すぐに彼女の策を見破る。それにしても、あまりの露骨な家の力の使いように言葉がない。

 さて、険悪な雰囲気の漂うティファニアファンクラブとベアトリス。そんな中、まるで違う事を考えていた男子生徒が一人。マリコルヌだ。さっき天子に言われた話が気になって仕方がなかった。

 

「何にでも化けられるって?まさかなぁ……。けど、やって損もないか」

 

 ブツブツと漏らしながら上の空。

 

「う~ん……、ティファニア嬢になれ……とか?」

 

 と、太った子はつぶやいていた。

 一瞬、閃光がマリコルヌを包む。次に姿を現したとき、そこにいたのはティファニアだった。まるで鏡写しのような姿、微塵の違いもない金髪の妖精だった。

 

「こ、これは……。本当だ。本当だったんだ!」

 

 叫ぶティファニア(マリコルヌ)に、周りの男子生徒は唖然。何が起こったか理解できない。

 

「な、なんだ?何をしたんだよ!」

「食事に化けられる薬が入ってんだよ!なんでも化けられるだってさ。だけど効果は、舞踏会の間だけだって」

「え!?なんでも化けられる?」

「うん!」

 

 ティファニア(マリコルヌ)の力強い言葉と、その美しく変わった姿に、目も心も捕らわれた男子生徒。一斉にその奇跡に飛びついた。どさくさ紛れにレイナールも。

 

「「「ティファニア嬢になれ!」」」

 

 次々と現れるティファニア(偽)。唖然とするティファニア(本物)とベアトリス。そして会場の全員。だが、一人だけこの様子を見て、ほくそ笑んでいた。天子が。ただ踊るだけのつまらない祭が、面白くなりそうだと。

 

 ティファニア(偽)達の最初の行動は……まず視線をおろす事。胸元に装備された、巨大マンゴーへと。

 

「おお……」

 

 感嘆の声を漏らさずにはいられない。ついつい手が伸び、感触を味わう者すらいる。

 だが、そこに無粋な声。せっかくの享楽に、水を差す不届き者がいた。ベアトリスだ。混乱しているのか、ほとんど叫び声。

 

「な、な、なんのマネよ!」

「ん?」

「じょ、女性に化けるなんて、な、な、なんというハレンチな連中なの!」

 

 ベアトリスの喚き声に、急に冷めていくティファニア(偽)達。彼女、もとい彼らの一人、ティファニア(レイナール)が口を開いた。

 

「君がハレンチとかいうとはね。借金で脅して、支持を集めようとした君が」

「な……」

「だいたい、なんだい君は?家から騎士団なんて連れてきて。ここにはいろんな貴族がいるけど、騎士団連れて入学した生徒は初めて見たよ。君は、何から何までお世話してもらわないと、学院生活もできないのかな?」

 

 すかさず後に続くティファニア(マリコルヌ)。

 

「きっと食事も騎士団頼みだぜ。ベアトリスお嬢ちゃま、ナイフは右手で、フォークは左手でちゅよってね」

 

 大ウケして高笑いする一同。対するベアトリスは怒りで震えている。ティファニア(レイナール)を、鋭く指さした。

 

「わ、私をここまで侮辱するなんて!覚えてらっしゃい!後で、ただでは済まないわよ!」

「ほう、どこの誰がただで済まないのかな?」

「あなたよ!」

「あなたって言うのは、どこのあなたかな?」

「そ、それは……」

 

 ここで口ごもるベアトリス。目の前にいるのは、顔も姿も声までティファニアそっくり。それが何人もいる。誰が誰だか区別がつかない。正体を見破らないと、仕返しも何もない。

 それが分かっているからか、クルデンホルフ公国姫を前に、ティファニア(偽)達は余裕綽々。

 するとティファニア(マリコルヌ)が、また姿を変えた。今度はベアトリスに。またも呆気に取られる一同。

 

「我らがティファニア嬢を討伐しようなんて言語道断!このお嬢ちゃまには、罰が必要だと思うんだ」

 

 ティファニア(偽)達に向かって、演説するベアトリス(マリコルヌ)。

 

「僕は壇上で、"カンカン"を踊る!」

 

 ぐっと拳を握り宣言。一瞬で意味を理解するティファニア(偽)達。さっそく賛成。一斉にベアトリスとなる。

 "カンカン"。要は、足を高く上げてスカートをはためかせながら、パンツを見せる庶民の踊り。それをこの姿でやろうというのだ。正体が分からないのをいい事に、やりたい放題のベアトリス(偽)達。

 

 ベアトリス(本物)の方は、箱入り娘のせいもあってよく意味が分かっていなかった。ふと脇の生徒の声が耳に届く。

 

「パンツ見せんの?」

 

 顔が赤くなるベアトリス(本物)。恥ずかしさで。思わずその生徒に詰め寄る。

 

「カンカンって、なんなのよ!」

 

 それから説明を受けた。さらに赤くなる公国姫。

 

「ま、待ちなさい!そ、そ、そんなマネ、させないわ!」

「へー、君が何かできるのか?自分の力と、家の借り物の区別のつかないお嬢ちゃまが」

「え……」

 

 言われて初めて気づいた。誰もがかしずく中で育ったため、真正面から非難される経験がなかった。しかし、ベアトリス(偽)達に反論ができない。心の中で気づいてしまったのだ。言われている通りだと。自分は単に、家名に胡坐をかいていい気になっていただけだと。急に惨めな気持ちに襲われる。涙で瞳が霞みだす。

 

 そんなベアトリス(本物)に構わず、喜々として壇上へ向かうベアトリス(偽)達。

 しかし……。

 

「痛っ!?」

 

 ベアトリス(マリコルヌ)が後頭部を抑えていた。ムッとして振り返ると、見えたのはティファニア(本物)だった。杖をベアトリス(偽)達の方へ向けていた。

 

「女の子を泣かせちゃダメでしょ!」

 

 怒っている。彼らのアイドルが怒っていた。茫然として、動きを止めるベアトリス(偽)達。

 

「え!?いや、僕らはティファニア嬢の事を思って……。それに、このお嬢ちゃまは、君の事、妖魔呼ばわりして討とうまでしたんだよ?」

「それは、私がちゃんと説明してなかったのが悪いの!とにかく、男の子が、女の子泣かしちゃダメ!」

「や……その……」

 

 あまりのティファニアの剣幕に、黙り込んでしまう一同。

 一方で、ベアトリス(本物)は、彼女から目を離せずにいた。エルフ呼ばわりし討伐までしようとした自分を、毅然と守ろうとするティファニアに。

 

「ティファニアさん……」

 

 胸の内で、今までない感情が芽生えていた。公国姫としての城暮らしの中では、わずかも感じなかったものが。温かなものが。

 

 さて、ベアトリス(偽)の集団は、項垂れたままティファニア(本物)の言い分にうなずく。

 

「分かったよ。ティファニア嬢がそこまで言うなら、止めるよ」

 

 一同は変身を解いていく。そして……

 

 何故かティファニア(偽)になっていた。

 

 てっきり、元の男子生徒の姿に戻ると思っていたティファニア(本物)とベアトリス。この状況がよく飲み込めない。ティファニア(本物)は、苦笑いしながら尋ねる。

 

「えっと……戻り方が分からないの?」

「え?ああ、この姿かい?だって、もったいないじゃないか」

「もったいない?」

「舞踏会の間しか、効果がないんだよ。楽しめるのは今の内だけだからさ。十分楽しんでおかないと」

 

 ティファニア(マリコルヌ)は、あっけらかんと本音を口にしていた。この大胆さも、正体が分からないせいか。すると脇にいたベアトリスが、怒鳴り散らしだした。

 

「楽しむって、何を楽しむのよ!」

「そんなもの、女性の前で言える訳ないじゃないか。でも、安心していいよ。ティファニア嬢に恥はかかせない」

「どういう意味よ?」

「誰にも見られない所でするから」

 

 と、ティファニア(マリコルヌ)は宣っていた。さらに血が上るベアトリス。憤怒で。

 

「な、な……!ティファニアさん!この連中は女性の敵ですわ!」

「ええ!?どういう事?」

「あ、あなたの姿で、何か、よ、よ、よこしまな事をしようとしてるのです!」

「えっ!そんな……。ちょっと、困る。やだ!」

 

 怒りと恥ずかしさで赤くなりながら騒ぐ二人。一方、ティファニア(偽)一行は、すでにここを逃げ出そうとしていた。すかさず追うベアトリス。

 

「お待ちなさい!止めますわよ!ティファニアさん!」

「え、あ、うん!」

 

 二人は杖を取りだすと、すぐさま攻撃開始。

 

「待ちなさい!」

「やめて!やめて!やめて!」

 

 しょぼい光弾と魔法が、ティファニア(偽)達を襲っていた。

 

 さて大騒ぎとなったホール中央。だが、この騒ぎをまんまと抜け出したティファニア(偽)が一人いた。ギーシュだ。ベアトリス側にいながら、どさくさまぎれに彼もティファニアに化け、中央から端へと逃げ出していた。

 

「滅茶苦茶になったけど……助かった……」

 

 彼は家の都合で、ベアトリス側に付かざるを得なかったのだから。騒ぎなったとはいえ、このイベントが潰れたのは僥倖とも言えた。しかも、この体を手に入れた。ティファニアの姿を。

 

「にしても、これは……」

 

 下品な笑いを浮かべつつ、胸元を見ようとするティファニア(ギーシュ)。だがその時、奇妙なものが視界に引っかかった。顔を上げる。黄色い歓声を上げる女性達が、輪を作っている。その中央に、見慣れたものが見えた。あるはずないものが。

 それは、ギーシュだった。

 

「え!?」

 

 凝固するティファニア(ギーシュ)。自分はここにいる。なのに、何故、視線の先にもギーシュがいる。混乱する色男、もとい金髪の妖精(偽)。

 この上、さらに信じがたいものが見えた。ギーシュの隣に、ペリッソンという男子生徒がいたのだ。彼は美形男子として、女生徒の間で噂になっていた生徒だ。だがペリッソンは卒業し、もうこの学院にはいないはず。それが何故かいる。しかも、それだけではない。

 ギーシュとペリッソンは頬を合わせ、抱き合っていた。恋人同士のように。

 

 ティファニア(ギーシュ)の背中に、悪寒が走った。稲妻かのごとく。

 

「な、何をやってるんだ!」

 

 慌てて、女生徒達の輪に突入するティファニア(ギーシュ)。一斉に振り向く彼女達。その中の一人が、彼、もとい彼女に話しかけてきた。

 

「あら、あなた確か……。ミス・ウエストウッド?」

「え!?」

 

 一瞬何のことかと思ったが、今、ギーシュはティファニアに化けている。ここはうなずくしかない。そして気づいた。ここにいるギーシュとペリッソンも、また誰かが化けたのだと。だがここで、彼はもう一つのマズイ事実に気付く。今話しかけてきた少女の名は、ケティという。以前、モンモランシーと二股をかけ、浮気がバレたため振った少女だ。

 ティファニア(ギーシュ)の額に、冷や汗が伝わる。もしかして、自ら業火の中に、飛び込んでしまったのではないかと。

 

 ちなみに、何故ケティ達が化けられたかというと、やはり天子のせい。あのロクでもない天人はマリコルヌだけではなく、そこら中に万能薬の話をしていたのだった。

 

 ケティは彼の思いなど他所に、親しげに話かけてきた。

 

「あなたも興味おありなのかしら?殿方の友情に」

「友情?」

 

 恍惚とした表情で抱き合うギーシュ(偽)とペリッソン(偽)。その二人を、頬を引きつらせながら見るティファニア(ギーシュ)。どう見ても友情なんてものに見えない。もっと別の次元の……何かインモラルなものにしか思えない。

 ティファニア(ギーシュ)は、無理に笑顔を作りながら言う。

 

「僕……私には、いかがわしいものにしか見えないよ……わ。や、やめた方がいいんじゃないかな……かしら?」

「いかがわしい…………」

 

 突然、周囲の空気が凍り付いた。にこやかだった彼女達の視線が、急に冷たくなった。ゆっくりとティファニア(ギーシュ)に向く。まるで彼が、禁忌にでも触れてしまったかのように。ギーシュの脳裏に、警戒警報が響き出す。

 

「え、えっと……」

「ミス・ウエストウッドは、殿方の友情をそんな目で見ていたの?汚らしいものと」

「そ、そいう意味じゃないぜ!たださ、男同士の友情ってのは、そうベタベタしないって思うんだよ!」

「…………」

 

 黙り込む少女達。表情は能面のように、さらに冷え込んでいく。一人の少女がつぶやいた。

 

「その話し方……まるで男の人みたい。あなた……本当にミス・ウエストウッド?」

「え!」

 

 慌てて口を手で塞ぐ。つい、いつもの調子で話してしまった。

 ふと気づくと、ケティが遠くの方を見ていた。ホールの中央を。釣られるように、他の女生徒達も見る。ティファニア(ギーシュ)も。

 ホール中央では相変わらず、多数のティファニア(偽)が、ベアトリス、ティファニア(本物)コンビに追い回されていた。

 女生徒達の視線がティファニア(ギーシュ)に戻る。ケティが口を開いた。冷ややかかな口調で。

 

「あなた……ミス・ウエストウッドじゃ、ありませんわね」

「いや……」

「それにその言い方……。まさかギーシュ様?」

「ええっ!?」

 

 あからさまに動揺するギーシュ。その態度を見逃さない少女達。

 

「まさか、ギーシュ様だなんて!その姿、なんなの!?」

「そんな姿になって、よくもいかがわしいなんて言えたもんだわ!」

 

 さっきまで冷たかった視線は、もう侮蔑に変わっていた。しかしティファニア(ギーシュ)、必死の抗議。

 

「な、何をおっしゃるのかしら!?ぼ、私はギーシュなんてお方でなくてよ!」

 

 言葉遣いが、もうティファニアとはまるで違う。さらに墓穴を掘るギーシュ。

 その時、ケティが手をパンと叩く。一斉に静まる一同。

 

「今度は、少し変わった趣向を試してみましょう」

「ケティ?変った趣向って?」

「ギーシュ様の、次のお相手よ」

 

 ケティの言葉のまま、一同はギーシュ(偽)を見る。一人の女生徒が尋ねた。

 

「誰にするの?」

「こういうのはどうかしら……。ミスタ・マリコルヌ!」

 

 次の瞬間、ケティの射殺すような眼光が、ティファニア(ギーシュ)の方をギュンと向く。全てを察するギーシュ。頭から血の気が抜けていった。

 ケティは変身の言葉を口にする。閃光と同時に現れる、太っちょマリコルヌ。

 

「さあ、ギーシュ。僕と友情を温めよう」

 

 朗らかな表情で手を広げギーシュ(偽)に近づこうとするマリコルヌ(ケティ)。その距離、わずか1メイルもない。

 だがその二人の間に、飛び込む影があった。両手を広げ、立ち塞がる者が。もちろんティファニア(ギーシュ)。

 

「や、や、止めてくれ!マリコルヌだけは許して!お願いだ!」

「あら、何故邪魔するのかしら?ミス・ウエストウッドには関係ないのでは?」

「いや……その……えっと……。すいません……。僕はギーシュです……」

 

 項垂れる金髪の妖精(ギーシュ)。だんだんと腰を下ろし、床に膝をついていた。そんな彼をマリコルヌ(ケティ)は見下ろす。

 

「やっぱりそうだったんですね。それにしても、そんな姿になり果てるなんて……見損ないましたわ!」

「その……好奇心が、勝ってしまいまして……。すいません……」

 

 身体を固定化したかのように、固まっているティファニア(ギーシュ)。しかも、ケティの化けたマリコルヌは、姿はもちろん声までそっくり。あの太っちょに変態行為を見つかって、非難されているようで、余計に落ち込む。

 ケティの攻撃はさらに続く。

 

「こんな姿をミス・モンモランシがお知りになったら、どう思われるでしょうかね」

「その……黙っておいて……くださらないでしょうか……」

 

 ひたすら低姿勢のギーシュ。マリコルヌ(ケティ)は少女達へ、悠然と話し出した。

 

「みなさん、ここはどうしましょう?」

「そうね……。黙っておく代わりに、トリスタニアのカフェで御馳走になるというのはどうかしら?」

「そうしましょう。だいたい、殿方の友情を侮辱したのも許せませんし」

 

 意気投合して喜んでいる女生徒達。そしてマリコルヌ(ケティ)が、勝ち誇ったように問いかける。

 

「どうですか?ギーシュ様」

「はい……。喜んで……御馳走させていただきます……」

 

 今の彼に、Yes以外の回答などある訳がなかった。

 勝ち誇っている少女たちの中で、ギーシュの脳裏にさらなる不幸の予感が浮かぶ。トリスタニアで、彼女達を連れてゾロゾロと歩いている所をモンモランシーに見つかってしまう……とか。もし春休みに占いをしたら、女難の相が出ていただろう、なんて事が頭を過っていた。

 

 さて、もはや舞踏会としての体をなしていない会場。ホールの端に、最も混乱している人達がいた。舞踏会の運営を任された教師達だ。シュヴルーズは戸惑い、ウロウロするだけ。

 

「あらあらあら……、一体どうなってるの!?」

 

 最高責任者のコルベールも、自分を落ち着かせるためか、眼鏡を何度もかけなおしてしまう。

 

「何がなんだか……。もしかして、『真実の鏡』に異常が?」

「どういう事ですの?ミスタ・コルベール」

「あの鏡には、姿を変える効果があります。もしかして、原因はあれかもしれません。ミセス・シュヴルーズ、真実の鏡を見てきてくれませんか?」

「はい!それで、ミスタ・コルベールは?」

「私は学院長から、『眠りの鐘』の使用許可をもらってきます」

「分かりましたわ」

 

 さっそく動きだす二人。シュヴルーズはホールから出て行った。コルベールはそれを確認すると、足を進めようとする。

 この時、コルベールは知らなかった。彼にも災難が、いや人生最大の危機が訪れようとしていた事に。

 

 

 

 




 フリッグの舞踏会編は、今回で終わりにしたかったんですが、長いんで分割する事になりました。
 実は他にも、戦勝祝典のイベントとして、カリーヌvs天子戦を書いたんですけど、結局カットしてしまいました。


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デルフリンガー

 

 

 

 

 

 コルベールの目に映るのは、冗談のような光景。ホールでは、何人ものティファニアが走り回っていた。他にもアンリエッタや、有名演劇俳優、歴史上の人物、童話の英雄やお姫様までもが見える。

 『フリッグの舞踏会』会場のホール。貴族文化を映すはずのこの場は、今や混沌のるつぼと化していた。どちらかというと下品な方向に。貴族の品性とやらは、どこへやら。

 

「やむを得ん!」

 

 責任者として、彼は決意する。最悪、『眠りの鐘』で全員を眠らせ、舞踏会は即時中止という選択肢も考慮にいれて。さっそく踵を返し、出口へと向かおうとした。

 だが、身をひるがえしたその時。

 

「うぐっ!?」

 

 何かを口に押し込まれた。思わず飲み込んでしまう。

 

「な、何をする!?」

 

 口元を拭いながら前を見ると、目に入ったのは、ウエディングドレスのような純白な衣装に身を包んだ褐色美少女。キュルケだった。しかしどういう訳か、飄々とした彼女らしからぬ張り詰めた顔で、彼を見ている。足を止めてしまうコルベール。

 

「ミス・ツェルプストー?」

「ミスタ・コルベール!今こそ、本心を教えてもらいますわ!」

「何を言って……」

「あたしの気持ちは、分かってるはずでしょ!?」

「それは……」

 

 コルベールも男だ。常々手を貸してくれるキュルケが、自分に好意を抱いている事くらい気付いている。それに、ここでこの話を持ち出すのも、分からなくもない。フリッグの舞踏会は、愛の告白の場としても有名なのだから。だがそれは、いつもの舞踏会ならばの話。

 

「待ってくれたまえ。今はそれ所じゃない。会場は、あんな有様なんだよ?私は、ここを急いで収拾しないといけならないんだ。そこを、どいてくれないか」

「だったら、一言だけ仰ってください!」

「…………」

 

 教師は黙り込んだ。目の前にいる荒々しくも美しい少女は、自分の愛情の答えを欲している。まさしく情熱そのものとも言える瞳が、彼へと向いていた。しかし、その答えは決まっている。彼に、彼女への愛情があろうがなかろうが関係なく。

 そしてキュルケは、恋する相手に告げた。

 

「"今一番気にしてる女性になる"って」

 

 と。

 コルベール、一時停止。

 

「は?」

 

 彼の予想が全く外れた。キュルケが何を言っているのか、まるで理解できない。

 

「その……何を言っているんだね?」

「いいですから!それさえ言ってくれれば、ここを去ります!」

「??」

「早く!」

「あ……ああ……。"今一番気にしてる女性になる"……でいいのかな?」

 

 一瞬の閃光。そして次に出てきたのは……キュルケの悲鳴だった。

 

「あーっ!ま、まさか……まさか……。あの女!?もう一年近く前に、いなくなったのよ!それを……まだ想ってただなんて……」

「ちょっと、君。何を言ってるんだ?」

「あ、あたしは負けないわ!絶対、あなたを振り向かせてみせるから!」

「お、おい!ミス・ツェルプストー!」

 

 キュルケは、コルベールの制止も聞かず走り去ってしまった。茫然として見送る中年教師。しかし、すぐに我に返る。

 

「いかん、無駄な時間を費やした。急がねば」

 

 すぐさま彼はホールから出て行った。学院長室へと向かって。この時、コルベールは気づかなかった。あまりに異様な事態の連続で。自分の声のキーがやけに高い事に。

 

 

 

 

 

 

 わずかなノックの後、学院長室に突入するコルベール。疲れを酒で癒しているオールド・オスマンが目に入る。

 

「学院長!一大事です!」

「う、うぉ!?ミス・ロングビル!?ではなく、サウスゴータ卿!?いつ来られたのですじゃ?」

 

 慌てて酒瓶を隠し、席を立つオスマン。急いで身なりを整える。一方の中年教師は、今言った学院長の言葉の意味が分からない。後ろに居るのかと振り返ったが、誰もいない。やがて気を取り直すと、ずかずかとオスマンへ近づいて行った。

 

「酔いを醒ましてください!学院長!今、ホールは大変な状況です!」

「?あの……何を言われておるのですかな?サウスゴータ卿」

「さっきから何なのですか!いい加減、目を覚ましてください!サウスゴータ卿などおりません!」

「???」

 

 オスマンは首をひねりながら、引き出しから手鏡を取り出した。そして相手に向かってかざす。コルベールがそこに見た者は……あのロングビルそっくりなマチルダ・オブ・サウスゴータだった。しかもその姿は、ティファニアを連れてきた時のもの。

 コルベール、思考停止。

 

「な!?」

「ご覧の通りじゃが……」

「なんで……まさか……私にも影響が!?」

「一体、どうされたのですかな?」

 

 オスマンの問に、マチルダ(コルベール)は事情を話し出す。原因は不明だが、『フリッグの舞踏会』会場で、生徒達が次々と姿を変えている事を。騒ぎを収拾するために『眠りの鐘』の使用許可が欲しいと。

 ちなみに、コルベールがマチルダの姿になったのは、ロングビルとあまりにそっくりな事が気になっていたから。キュルケの考えている理由とは違っていた。ストレートに好きな相手と言っていれば、結果は違っていただろう。

 

 オスマンは、コルベールの話の一つ一つにうなずく。だんだんと落ち着きを取り戻す学院長。

 

「つまりじゃ。君は本当は、ミスタ・コルベールな訳じゃな」

「はい!そうです!」

「そうか……」

 

 オスマンはつぶやきながら、マジックアイテムを仕舞っているチェストの鍵を開け、蓋を開く。

 

「うむ。確かに非常事態じゃ。眠りの鐘を持っていくがよい」

「はい」

 

 マチルダ(コルベール)は、すぐにチェストの側に来ると、のぞき込み、体を潜らせ鐘を取ろうとした。その時。

 

「ぎゃぁっ!?」

 

 思わず飛び跳ねるマチルダ(コルベール)。尻を抑えながら。そんな彼、もとい彼女へ、オスマンは目元を歪めながら言う。

 

「どうしたのじゃ?ミスタ・コルベール」

「い、今、な、何をなされたのです!?」

「ん?いや別に……。お!いやいや、すまんすまん。この右手がな、勝手に動きよった。美しい女性を見るとついな」

 

 そう言って、右手を左手で叩くオスマン。だがその様子を見ていたコルベールには、形容し難い寒気が走る。さっき感じた臀部の感触は。すなわち……。

 オスマンは、ゆっくりとマチルダ(コルベール)の方へ近づきながら話す。

 

「だいたい君も悪いんのじゃぞ。そんな魅力的なお尻を突き出して、鐘を取ろうとするからじゃ。だいたい、ほんのちょっと触れただけじゃろうに。大げさじゃのう」

「な、何を……おっしゃっているのですか……?」

「そう言えば……ミス・ロングビルは触らせてくれたもんじゃ。後で、酷い目にあったがな」

「…………」

 

 マチルダ(コルベール)の体中に汗が染み出す。一方、ジジィは遠い目をしていた。

 

「そうそう、知っておるか?ミス・ロングビルは、元々、酒場の給仕やっておったのじゃ。あの時は、尻を触っても怒らんよく出来た女性じゃった。じゃから雇ったんじゃが、学院に来てからは厳しくてのぉ。スカートの中を覗いても怒る始末じゃ」

「…………」

「なつかしいもんじゃて……」

 

 オスマンは中を仰ぎながら、そうつぶやいていた。そして突然、マチルダ(コルベール)の方を向く。眼光を爛々とさせながら。

 

「もう一度、味わいたいもんじゃのぉ」

「……!」

 

 悪寒が走るコルベール。部屋の端へとずるずると下がる。脳裏に鳴り響くは、レッドアラート。

 

「が、学院長……。わ、私はこんな姿ですが、コルベールですよ。ほら、中年禿の」

「そうは見えんが」

「あ、あの……よ、酔っておられるのですか?」

「ああ、そうじゃ。酔っておる。故に、全てはボケ老人の戯れじゃ」

「……!」

 

 酔っていない。このジジィは意識をはっきり持っている。コルベールは確信した。もはや、人間の尊厳を捨て去っていると。

 ボケ老人は、顔をゆがませにじり寄って来ていた。

 

「何、老い先短い老人への慈悲じゃ。うん、施しと思っとくれ」

「な……!こ、これ以上、近づくと、いくら学院長と言えどもただでは済みませんぞ!」

「おお……。なつかしいのう。その厳しい物言い。ミス・ロングビルを思い出すわい」

 

 何を言っても無駄と気づくコルベール。目の前のオスマンは、もう開き直っていた。ならば是非もない。コルベールも覚悟を決める。

 

「わ、私も蛇炎の二つ名を持つ身。簡単には……え?」

 

 マチルダ(コルベール)の顔が、急に青くなった。杖を取り出そうとしていたのだが、何故かみつからない。必死になって体中をまさぐるマチルダ(コルベール)。実は、身に着けていたものは全て化けてしまっている。もちろん杖も例外ではない。このためマチルダの姿では、杖が見つかる訳がなかった。

 その様子にオスマンは、ニタニタと笑みを浮かべる。

 

「そんなに体をくねらせおって、わしを誘っておるのかの?」

「な、何を……ば、バカな……」

「それとも……杖が見つからんのかの?」

「!」

「それは運が悪い。ちなみにわしは持っとる」

 

 そう言って、愛用の杖を手にした、人でなしオスマン。

 マチルダ(コルベール)はドアへ向かって走りだした。しかしドアは開かない。オスマンのいやらしい声が届く。

 

「さっきな、ロックの魔法をかけたのじゃ。残念じゃのう。杖さえあれば、簡単に開くものを」

「…………」

「さてと。観念せい」

「……!」

 

 マチルダ(コルベール)は、壁に張り付くのが精いっぱい。それはあたかも、エイリアンに襲われる直前の海兵隊員のようであった。

 

 

 

 

 

 コルベールが『フリッグの舞踏会』会場から出て行った丁度その頃、遅れてきた参加者がいた。タバサと彼女の母親。そして鈴仙だ。オルレアン公夫人は、カステルモールというシャルルと懇意にしていた騎士の姿をしていた。もちろん、今のではなく若い頃の姿だが。二人は胸を躍らせながら、会場に入る。

 だが、会場は騒然。タバサは唖然として行動停止。表情をそう変えない彼女だが、いつも以上に固まっている。オルレアン公夫人の方は、呑気なまま。

 

「トリステイン魔法学院の舞踏会は、その……かなり変わった趣向なのね」

「母さま。違う。何かが起こった」

「何かって?」

「分からない」

 

 タバサは混乱の坩堝の会場を見渡す。すると壇上で、何やら喚いている人物を見つけた。ルイズだ。一緒に魔理沙達もいる。

 三人はすぐさま、彼女達の元へ向かった。

 

「ルイズ!」

「タバサ!」

「何があったの?」

「えっと……その……、つまり……ね」

 

 気まずそうに説明しだすルイズ。もちろん原因が、例の万能薬だと分かっているので。それをチャンと管理しなかったのは、自分なのだから。

 ただ、滅茶苦茶になったフリッグの舞踏会を前にして、魔理沙達はむしろ楽しげ。

 

「こんな祭もいいじゃねぇか」

「うんうん。踊るだけなんて、つまんないしねー」

 

 騒ぎを広げた張本人の天子は、そんな事は一言も口にせず、この状況を喜んでいた。そして鈴仙が付け加える。彼女も慌てていない。

 

「後、もう四半時もすれば、効果、切れると思うわよ」

 

 つまり放っておいても大丈夫というのが、幻想郷の人妖達の考え。だからこそ、見物に徹しているのだろうが。その中でも一番楽しそうなのがこあ。ちなみにこあの衣装だが、羽に手を加えて派手な装飾のように見せている。おかげで羽だとはバレていない。

 

「浅ましいですねぇ。人間って。煩悩がただ漏れですよ!」

「嬉しそうね、あなた」

 

 パチュリーが呆れ気味にこぼす。それにこあは、喜々として答えた。

 

「一応、サキュバスですから。この状況を見て、楽しまないなんて悪魔の名折れです!」

「ああ、そうだったわ。ま、とにかく、これで舞踏会は台無しね。ダンスもなさそうだから、帰らせてもらおうかしら」

 

 紫魔女は使い魔とは逆につまらなそうに、踵を返す。すると文が声をかけた。

 

「随分余裕だけど、あれ、いいのかしら?」

「何がよ?」

「あそこ」

 

 烏天狗が指さした先を、一同は一斉に目を向ける。ホールのとある一か所に、集団がいた。見慣れた姿の。魔理沙やパチュリー達など、幻想郷の人妖達が。しかも同じ顔が複数。不機嫌そうになるパチュリー。

 

「……」

「あれの正体は男だけど」

「見てたの?」

「うん。化けるところも。私って目はいいから」

「……」

 

 ついさっきまで他人事とばかりに喜んでいた魔理沙達は、急に顔つきを変える。

 

「行くぜ」

 

 魔理沙の低音の一言に、三魔女と鈴仙はその場へと飛んで行った。ついさっきまで、他人が騒ぎに巻きまれるのを楽しげに見ていたのが、今はこの態度。自分の事なると話は違うようだ。勝手なものである。

 文はさらに余計な一言。

 

「それにしても、ルイズさんに化ける人はいませんね」

「え?」

「万能薬まで使って、せっかくめかし込んだというのに、ルイズさんの魅力に気付けないとは。いやはや。目の曇った連中ばかりのようですねぇ。ルイズさん」

「ぐぐ……」

 

 こちらも急に不機嫌になる。

 

「もう、こんなバカ騒ぎは止めよ!」

 

 そう言って、彼女も杖を手にし、飛んで行った。

 文はわずかに笑みを浮かべると、カメラを手にする。その脇から、衣玖が声をかけた。

 

「あなたに化けてる者もいますよ。行かないのですか?」

「あなたにもね」

「目くじら立てる程のものでもないでしょう。無邪気なもんです」

「歳の功ってヤツ?」

「それはお互いさまでしょう」

 

 文と衣玖。こう見えても1000歳を超えている妖怪だった。この程度の戯れで、動ずる訳もなかった。ちなみに天子も動かない。というのも、天子に化けている者はいなかったので。

 

 ホールの一角。そこには魔理沙、アリス、パチュリー、鈴仙などがいた。しかもたくさん。もちろん誰かが化けたものだ。ルイズ達を除くと、生徒達とそれほど接触していなかった彼女達だが、意外に人気があったらしい。しかも今日に限っては、ドレスで着飾っている。日頃とのギャップもあり、余計に彼らの心を鷲掴みにしていた。

 

「やっぱり、かわいいよなぁ」

「うん」

 

 お互いの化けた姿を見ながら、歪んだ笑みを浮かべる彼ら、もとい彼女達。

 すると不意に、とげとげしい声色が飛び込んでくる。

 

「褒めてもらえるってのは、悪い気しないぜ」

「えっ?」

 

 一斉に向いた声の先には、言葉の割に怒っているような魔理沙がいた。鈴仙もいっしょになって、口をとがらしている。側にいるアリスも不機嫌そう。

 

「で、私たちに化けて、どうしようって言うのかしら?」

「えっと……」

 

 アリスの姿をした男子生徒が、顔を引きつらせている。すると突然、アリスに近づき直立不動。

 

「ミ、ミス・マーガトロイド!初めて見た時からお慕いしておりました!お付き合いください!」

「その姿で言うか!」

 

 人形の上海と蓬莱が、アリス(偽)にボディブロー。モロにみぞおちに入る。前のめりにうずくまるアリス(偽)。血の気が引いていく、三魔女(偽)達と鈴仙(偽)。すると彼女達の背後から、鋭い声が届く。憤怒を込めた声が。

 

「面倒だわ。全部、片づけちゃいましょ」

 

 パチュリーだった。紫魔女は手元に本を広げ、戦闘態勢。

 しかし、少年もとい少女(偽)達は、パチュリーの怒気に気付かない。いや、意識できない。彼女のドレス姿に視線を釘づけ。感嘆の声を漏らすほど。日頃の寝間着のような恰好からは想像もできなかったほどの、スタイルの良さに。

 

「おお……!」

 

 この時の彼らには、次の瞬間に何が起こるか、想像もできなかった。

 

 ホールの中央では相変わらず、ティファニア、ベアトリスコンビに偽物たちが追いかけられている。彼女達に対抗しようとした偽物たちだが、何故か杖がなくなっていたので、逃げるしかなかった。

 すると彼らの目前に、舞い降りる影が一つ。ルイズだ。

 

「あんた達!」

「ル、ルイズ……!」

「どいつもこいつもなんで、ティファニアに化けてんのよ!」

「は?」

「他にも魅力的な子はいるでしょ!その……目の前とか……」

「?」

 

 ティファニア(偽物)にはちびっ子ピンクブロンドが何を言っているのか、サッパリ理解できない。そこでついルイズは口にしてしまった。せっかくこの日のために準備してきた思い故に。

 

「わ、私……とか……」

「ルイズに?何で?」

 

 ティファニア(偽)達の返答は無情。選択肢にすら入っていなかった。

 ルイズの中に、何かが湧きだした。溢れかえった。憤怒の色に塗り込められた。

 

「バ、バカばっかだわ!」

 

 虚無の担い手は、懐から勢いよく一枚のカードを取り出す。天へと掲げ、高らかに宣言。

 

「"爆符"!」

 

 時を同じくして、三魔女と玉兎の一角でも、宣言が連なる。

 

「"恋符"!」

「"咒詛"!」

「"赤眼"!」

「"日符"!」

 

 そして全ては放たれた。

 

「"エクスプロージョン"!」

「"マスタースパーク"!」

「"魔彩光の上海人形"!」

「"望見円月《ルナティックブラスト》"!」

「"ロイヤルフレア"!」

 

 『フリッグの舞踏会』会場の大ホール。そこは目もくらむ無数の光で、満たされていた。

 

 こうして今年のフリッグの舞踏会は終了した。正確には中断となった。学院史に刻まれるほどの汚点を残して。

 ところでコルベールだが、ホールでのスペルカード発動の閃光と爆音に気をとらえたオスマンの隙をつき、右フックでジジィをノックアウト。所詮は老人。隙さえあれば、体力で圧倒するのは難しくなかった。

 

 

 

 

 

 舞踏会翌日。昼休み。広場にティファニアとファンクラブ達がいた。ただし今までと様子が違う。ティファニアが怒って彼らを無視するように進んでいるのと、ファンクラブの少年達が必死に平謝りしているのが。舞踏会での事を考えれば、当然だろう。

 するとその前に立ち塞がる影があった。クルデンホルフ公国姫、ベアトリスが。

一斉に足を止める一同。またも険悪な状況になると予想して。しかし、どういう訳か金髪ツインテールの公国姫の方は、赤くなってまごついている。いつもと違う様子に、当惑するティファニア達。するとベアトリス、突然頭をさげる。

 

「その……ティ、ティファニアさん!昨晩は、どうもありがとうございました!」

「え?」

「それと、数々の不快な思いをさせた事、本当にごめんなさい!」

「あの……」

 

 戸惑うしかないティファニア。あれほど尊大に振る舞っていた彼女が、いきなり礼と謝罪をしている。そもそも、ベアトリスが何を言っているのか、今一つ理解できない。

 

「えっと……昨日って?」

「その……、舞踏会で私を守ってくれてた事ですわ。私に恥をかかせようとした連中を、止めてくれて……」

「ああ」

 

 納得がいったとばかりに、パンと手を叩く金髪の妖精。

 

「私って、アルビオンにいた頃は、たくさんの子供たちと暮らしてたの。喧嘩なんてしょっちゅう。男の子が女の子を泣かした時は、いつもああやって怒ってたのよ。だから、それがつい出ちゃっただけ」

「ですけど、私は、それまであなたに散々無礼を働いてました。エルフ呼ばわりまでして……。なのに……私を守ってくれました……。あ、あなた素晴らしい方ですわ!」

「そんな……」

 

 ティファニアは苦笑い。どういう顔をすればいいのか困る。これほど真正面から褒められた経験がなかったので。一方のベアトリス。意気込んで彼女を褒めたたえていた態度が、急にしおらしくなる。またも身をまごつかせている。やがて意を決したように、ティファニアの方を向いた。

 

「ティ、ティファニアさん!」

「は、はい!」

「と、と、と……」

「ととと?」

「友達になってください!」

 

 ベアトリスは深々と頭を下げていた。裁判の判決でも受けるかのような、緊張した面持ちで。そんな彼女に、明るい声が届く。

 

「いいですよ。ベアトリスさん。お友達になりましょう」

「ティファニアさん……」

 

 感極まったように、思わずティファニアの手を掴むベアトリス。それに笑顔を返す金髪の妖精。穏やかなものが二人を包んでいた。ティファニアファンクラブの連中も、釣られるように頬を緩める。

 だが、いきなりベアトリスが彼らの方を向いた。今度は、厳しめの顔つき。怯む彼ら。公国姫はづかづかと近づいていく。

 

「どなたか存じませんが、あなたの言う通りと思います」

「?」

 

 身構えていた少年は、拍子抜け。想像していた彼女の言葉と、まるで違うものを耳にして。構わず続けるベアトリス。ただその態度は、怒っているものではなかった。

 

「確かに私は、家に頼りすぎていたかもしれません。恥を忍んで言いますが、やはり甘えていたのでしょう」

「!」

 

 意外そうな顔をする少年達。まさかこの傲慢お姫様から、こんな言葉が出るとはと。彼らの中でも特に、レイナールが驚いていた。彼自身が彼女に向けて言ったのだから。家に頼り切りのお嬢ちゃまと。

 しかし、そんな素直そうにしていたベアトリス。急に敵意を浮かび上がらす。

 

「ですが、それはそれ!あの時の侮辱は絶対に忘れません!いずれ雪辱を晴らしますわ!私自身の手で!」

「!」

 

 再度、少年達は緊張で身を固める。やっぱり公国姫は怒っていると。だがベアトリス。すぐに態度を和らげると、そんな彼らを無視して、ティファニアの方を向いていた。

 

「さ、ティファニアさん。お詫びと言ってはなんですけど、実はお菓子など用意いたしましたの。さ、あちらで頂きましょ」

「え、あ、うん……」

 

 ティファニアは、ベアトリスに引っ張られ、そのままこの場を去ってしまった。少年達は戸惑ったまま、彼女達を見送るのだった。

 

 この日以来、ベアトリスの傲慢な態度は目につかなくなる。程度の話はあるが。家格を口にする事もなくなった。さらに、クルデンホルフ空中装甲騎士団を追い返してしまう。同時に、取り巻き達も減った。結局彼女達も、ベアトリス自身にではなく、クルデンホルフ家という権威に引き付けられていただけなのだろう。ただベアトリス自身は、今までになく晴れやかな気持ちになったようだった。

 

 

 

 

 

 幻想郷組のアジト。幻想郷への転送陣の前に、荷物がいくつも並んでいる。文と鈴仙の荷物だ。フリッグの舞踏会を最後に、ここでの生活を終えると決めていた彼女達。いよいよ今日が帰る日だった。

 オスマン達への挨拶はすでに済ましている。オスマンとコルベールは名残惜しいと、口では言ってはいたが、騒ぎをよく起こす妖怪の一人、文が帰る事に、正直、胸をなでおろしていた。

 

 文と鈴仙をルイズ達が囲んでいる。人妖一同に、キュルケやタバサもいた。ルイズが烏天狗に声をかける。

 

「最後の思い出だったのに、散々だったわね」

「いえいえ、むしろ幸運でした。あんな舞踏会なんて、見ようと思っても見れないですから」

「皮肉?」

 

 少しムッとするルイズ。あの騒動の原因の一端が、彼女にあるのは確かなのだから。しかし文の笑顔は変わらない。

 

「突発イベントは、新聞記者の好物って話です」

「でしょうね」

 

 ルイズの方も分かっているのか、すぐに態度を和らげる。

 

「でも……文にはいろいろ迷惑かけられたわ。私がどれだけ頭下げたか、分かってる?」

「もちろん。ルイズさんには、大変感謝してますよ」

「全く……。けど、いなくなるのは、それはそれで寂しいわね」

「なら、まだ残りましょうか?」

「いいわよ。帰りなさいよ」

 

 気心が知れた仲のような挨拶が交わされる。ルイズ、次に玉兎の方を向いた。

 

「鈴仙。あなたにはたくさん世話になったわ。ちい姉さまの事、ホントありがとう」

「気にしないで。一応は師匠からの言いつけだったし」

「それでもよ。また、来たら歓迎するから」

「うん、その時はよろしくね」

 

 鈴仙は笑顔を返す。心なしが玉兎の赤い瞳が、さらに赤くなっていた。

 やがて二人は荷物と共に転送陣の中央に立った。

 

「それではみなさん、再びお会いする日を、楽しみにしております」

「それじゃぁ、またね」

 

 文と鈴仙は手を振りながら、霞むように消えて行った。

 余韻を噛みしめる人妖達。それもわずかな間。キュルケが口を開く。

 

「さてと、そろそろ寮に戻りましょ。もう夜だし」

「そうね」

「うん」

 

 ルイズとタバサはうなずくと、寮への転送陣を潜る。残されたのは幻想郷の人妖達。魔理沙がポツリとつぶやいた。

 

「ずいぶんと、減っちまったな」

「そうね」

 

 アリスがうなずく。一時は、11人の人妖で溢れていた頃もあったが、今は6人だけ。すると天子がそれに一言。

 

「何言ってんの。あんた達が里帰りしてた時、ここって私と衣玖だけだったんだから」

「そういやぁ、そうか」

 

 そこに衣玖が付け加える。

 

「しかも総領娘様は、ルイズさんが卒業するまでは、付き合わないといけませんし。最悪一人になるかもしれません」

「あんたも、帰るっての?」

「帰っては困りますか?」

「べ、別に……。きょ、今日は疲れたから、もう寝る!」

 

 不機嫌そうに天人は、大股で部屋へと向かっていった。そんな彼女に竜宮の使いは、わずかに頬を緩ます。やがて衣玖も部屋へと戻っていった。

 さて残った三魔女。白黒魔法使いが口を開く。

 

「さてと、私らも部屋に戻るか?」

「眠るの?」

 

 アリスがポツリと尋ねた。魔理沙は気さくに返す。

 

「いや、部屋でグダグダするだけだぜ」

「なら、ちょっと話したい事があるのよ。時間もらえる?パチュリーも」

 

 聞かれたパチュリー、わずかに視線をアリスへ向ける。彼女が見たアリスの表情は、さっきまでと変わっていた。少し厳しいものが窺える。七曜の魔女はうなずいた。

 

 三魔女とこあが来たのはリビング。テーブルの上には茶菓子とティーカップが並んでいた。それぞれが一口含み、場を落ち着かせる。やがてアリスが話を切り出した。

 

「さてと……じゃあ、例の黒子の話。するわよ」

「だと思ったわ」

 

 パチュリーが当然とばかりに答えた。アリスが幻想郷に戻っていたのは、全てはこのため。その一環として、永琳達の考えを探るために。魔理沙もさっきまでと違い、表情を引き締める。

 

「何が分かった?」

「まず、てゐっていうか、永琳が策を仕込んだのは、やっぱりワルドだったわ。彼には幸運が与えられてるわ」

「予想通りって訳か」

「それだけじゃないのよ。永琳はワルドに、薬を盛ったの」

 

 わずかに曇る二人の顔。あの宇宙人の薬となると、半端な薬ではないだろう。魔理沙が続けて聞く。

 

「効果は?」

「聖戦の事しか、考えられなくなるようにする薬」

「つまりヤツは、聖戦実現マシンって訳か」

「そうね。てゐの幸運だけでもやっかいだけど、永琳の薬もあるとなると、ワルドに手を出すのは至難よ」

 

 次にパチュリーが聞いて来る。

 

「結局、永琳の目的はなんなの?」

「ほら、紅魔館周りで転送現象が起こってたでしょ?キュルケ達とかシェフィールドとか」

「ええ」

「あれの原因究明よ。また、ああいうのが起こると困るから、止めたいそうよ。紫達も絡んでるわ」

「それが何で、聖戦なのよ」

「ハルケギニアで騒ぎを起こして、その反応をさぐりたいそうよ」

「それで一番派手な騒ぎ、聖戦って訳ね」

「ええ」

 

 アリス達は不満そうにこぼす。ジョゼフが起こした、アルビオンの騒乱どころではない。全ハルケギニアを巻き込む騒動を、起こそうとしているのだから。ハルケギニアにいる者達にとっては、迷惑すぎる話だ。

 続けてパチュリーは尋ねる。

 

「黒子の話はした?」

「ええ。それ聞いて、彼女、言ってたわ。黒子を探し出して転送現象を止めれば、ワルドの幸運効果を解除するって」

 

 すると魔理沙。

 

「つまり、聖戦が起こるかどうかは、私たち次第か」

「そうね。それに、ワルド本人に手を出すのは厄介だけど、聖戦自体はなんとかなるかもしれないわ」

「なんでだよ?」

「てゐの幸運効果は、聖戦を起こす事に対してなの。つまりワルド自身が、聖戦が起こったと思えばいいのよ」

「なるほどな」

 

 数々のペテンを仕掛け来た彼女達。同じくワルドに仕掛けるのも、なんとかなるだろう。だが、パチュリーは表情を変えない。カップを手にすると、気掛かりを口にする。

 

「だけど、それでやり過ごしたら、永琳達には結果が手に入らないわ。そうしたら、また何か仕掛けてくるわよ」

「でも、時間は稼げるんじゃない?」

「何にしても、黒子を見つけ出すのが、根本解決でしょうね。私たちも、それがやりたいんだし」

 

 紫魔女は紅茶を飲み干す。同じく魔理沙も一気に飲んだ。

 

「ま、黒子を探しながら、聖戦対策も考えるか。んじゃ、今日はお開きだな」

「ちょっと待って」

 

 二人が立ち上がろうとした所に、アリスの制止が入る。座りなおす魔理沙とパチュリー。

 

「まだ何かあるの?」

「ある意味、もっと重要な話がね」

「何?」

 

 また気持ちを締め直すと、アリスの言葉に聞き入る二人。

 

「てゐがここで、何か探してたって話があったでしょ」

「ああ。デルフリンガーが、言ってたな」

「あの子に聞いたんだけど、そんな事してないそうよ。永琳も命令してないって」

「詐欺師と宇宙人の言い分だぜ?」

「けど、何もなくなってなかったでしょ?」

「探してたんじゃなくって、仕込んでたんじゃないか?トラップを」

「今まで、何も起こってないのに?」

「そりゃ……まだ発動してないんだぜ。たぶん」

 

 白黒の取って付けたような推測に、アリスは溜息。それから彼女は、語り掛けるように言い出した。

 

「てゐの話を聞いて、思いついた事があるのよ」

「何だよ」

 

 魔理沙はアリスの言葉に集中する。人形遣いの表情は、厳しさを増していた。

 

「てゐと永琳の話が本当だった場合、デルフリンガーが嘘を言っていた事になるわ。彼の証言を保証するのは、彼自身だけなんだから」

「おいおい、あいつが嘘ついてるってか?」

「じゃあ聞くけど、何故、あの剣が嘘ついてないって分かるの?」

「……」

 

 うつむいて考え込む魔理沙。アリスの言う通り、信じる理由なんてない。幻想郷の住人である彼女達。デルフリンガーの言葉を信じたのは、インテリジェンスソードという付喪神のような形体に、親近感を覚えてしまったせいかもしれない。

 アリスは 言葉を続けた。

 

「もし、デルフリンガーが嘘をついていたとしたら、最初の現象の意味が変わって来るのよ」

「最初の現象……」

 

 黙っていたパチュリーが、口を開く。

 

「天子がデルフリンガー持った時に、地震が起こって、ガンダールヴが欠けたってヤツ?」

「ええ。あれ、私たちを虚無から引き離すためって考えてたけど、違うかもしれないわ」

「どう考えたの?」

「デルフリンガーの嘘を隠すため」

「……」

 

 七曜の魔女も、白黒魔法使いも、黙り込む。身を縛るような緊張感に襲われる。人形遣いのその言葉に。アリスは語った。

 

「天子には、嘘を見破る力があるわ。正確には緋想の剣にね。でもあの一件で、彼女はデルフリンガーに近づかなくなった。本気で痛がる、なんて目にあったせいでね」

 

 天子の頑丈さは、幻想郷ではよく知られていた。彼女が本心から痛がるなど、滅多にない。それを経験したのだから、本能的に避けるのも無理はなかった。それに緋想の剣を持っている天子。取り立てて、武器が必要という訳でもない。彼女がデルフリンガーに関わろうとしない理由は、十分だった。

 

 やがてパチュリーが、全てを理解したとばかりに話し出す。

 

「つまり、あなたはこう言いたいのね。あのインテリジェンスソードには、裏があるって。そして、実は黒子の配下、あるいは本人……」

「ええ」

 

 鋭い顔つきで、小さくうなずくアリス。すると魔理沙が、急に立ち上がった。

 

「証明するのは簡単だぜ。デルフリンガーを天子の前に連れてきて、聞いてみりゃあいい。お前は黒子の関係者かって」

 

 すかさず、うなずく七曜の魔女と人形遣い。同じく立ち上がる。だが、その時……。大地が揺れた。

 

「な!」

「地震!」

 

 まさしく地震。しかし、この三魔女にとっては、ただの地震とは意味が違う。誰もがすぐに察した。また黒子が仕掛けてきたと。

 

 地震はすぐに収まる。被害としては大したことはない。だが魔女達の緊張感は、むしろ増していた。魔理沙が鋭く叫ぶ。

 

「アジト中、チェックだ!」

「ええ!」

 

 アリスとパチュリー、そしてこあはうなずくと、一斉に動き出した。それから天子、衣玖にも声をかけ、全員で探索を開始する。

 部屋を丹念に調べる一同。ほどなくして、声が上がった。魔理沙の大きな呼び声が。

 

「こっち来てくれ!」

 

 全員が魔理沙の部屋に集まった。相変わらず汚い部屋だが、明らかに変わった点があった。パチュリーとアリスはすぐに気づく。彼女達の考えを代弁するように、魔理沙が口をひらいた。

 

「アリス、ビンゴだぜ」

「みたいね」

「デルフリンガーがいねぇ。逃げられた」

 

 一同が見ている先。デルフリンガーをいつも置いていた場所に、その姿はなかった。霞のように消えていた。自分では、わずかも動けないはずの剣が。

 パチュリーが零すように言う。

 

「灯台下暗しって訳ね。盲点だったわ」

 

 魔理沙とアリスは、その言葉を噛みしめるように耳に収める。二人も、同じ思いに駆られていた。

 

 

 

 



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二度目の契約

 

 

 

 

 

 ルイズは文と鈴仙を見送ると、一旦部屋に戻りすぐに風呂に入った。疲れを癒した彼女は、今、ベッドの上。もう日は落ちているが、就寝時間には少し早い。しかし、眠気が彼女を包み始めていた。無理もない。今日は何かと騒がしかったのだから。

 二人の妖怪のハルケギニア最後の日だったので、放課後から送別会として、いっしょに騒いでいたのだ。その疲れが、一気にでてきていた。

 

 ルイズは布団に潜り込む。すぐにまどろみが訪れた。しかし……。

 揺れた。ベッドが、棚が、床が、大地が。

 地震だ。

 

「地震!?」

 

 飛び起きるルイズ。ベッドの端を掴み、揺れに耐える。しかし、彼女が心配するほど揺れは大きくなく、すぐに収まった。

 

「びっくりした……」

 

 ルイズは辺りを見回す。物が落ちたりと言った様子もない。被害はないようだ。安堵の溜息を漏らす。そして寝直そうと、再び横になった。だが……。

 

「よぉ、娘っ子」

 

 声がした。

 またも飛び起きるルイズ。

 

「誰!?」

「俺だよ」

「俺って誰よ!?」

 

 どことなく聞き覚えのある声なのだが、名前が出てこない。だいたいさっき部屋を見回した時には、誰もいなかった。一体どういう事なのか。

 ルイズは灯りを付けると、杖を手に慎重にベッドから下りる。そして警戒しつつ、もう一度部屋中に目を凝らす。失くしものを探すように。やはり誰もいない。

 

「気のせい……」

「どこ見てんだよ。こっちだって」

「え!?ど、どこよ!」

 

 声はするのだが姿が見えない。以前に、魔理沙が言っていた熱光学迷彩とかいう物なのか、あるいは鈴仙の幻術のようなものか、タバサに聞いた不可視のマントとかいうマジックアイテムか。確かなのは、この部屋に何者かがいるという事だけ。

 

「卑怯よ!姿、見せなさいよ!」

「姿なら最初から見せてるぜ」

「見えないじゃないの!」

「全く……。右見ろ、窓の方だ。そのすぐ隣の壁、下の方」

「え?」

 

 ルイズは言われたまま、顔を向けた。すると見慣れないものが目に入った。やけに大振りな一振りの剣が。サビついてボロボロの。

 

「やっと見つけたな」

「え!?え~!剣がしゃべってる!」

「インテリジェンスソードってのだよ」

「あ、あぁ……。へー。初めて見た。本当にあったのね」

 

 感心するように、まじまじと剣に見入るルイズ。インテリジェンスソード。知性を持ったマジックアイテムが存在するのは知っていたが、見た事がなかった。だが考えるべきはそこではない。ルイズはすぐに気持ちを引き締める。

 

「で、誰がいつ、何のために、ここに置いたの?」

「俺の話、魔理沙とか、アリスとかから聞いてないか?デルフリンガーってんだが」

「デルフリンガー……」

 

 聞き覚えがあるような、ないような。ルイズは記憶の奥を探るが、霧に包まれたように今一つ思い出せない。もっとも、魔理沙達が研究内容をたまに話すが、専門用語もお構いなしに混ぜてくるため覚えてないものも多いのだが。

 ともかく、この剣が彼女達の名を出したのだから、連中関連の品で間違いないだろう。すると安堵したのか、肩から力を抜くルイズ。

 

「魔理沙が何かしようとして置き忘れた……、いえ、天子のヤツがいたずら半分で置いたとか……。とにかく、魔理沙達に知らせればいいのね」

「その前に、ちょっと話しねぇか?」

「何よ」

「『ガンダールヴ』についてさ」

 

 デルフリンガーの言葉を、奇妙に思うルイズ。何故ここで急に、ガンダールヴの話が出てくるのか。訝しげに、デルフリンガーを見る。サビた大剣は、話を始めた。

 

「娘っ子の使い魔、比那名居天子だけどな、もう、使い魔じゃないぜ」

「どういう意味よ」

「契約が切れたって話だよ」

「え!?まさか……死……」

 

 顔を青くし、最悪を脳裏に浮かべるルイズ。使い魔の契約は、主あるいは使い魔のどちらかが死亡しない限り、存在し続ける。だがルイズは生きている。となると相手、天子が死んでしまったと考えるしかない。迷惑極まりない使い魔だったが、それでもこんな別れ方はしたくなかった。

 だが彼女の不安は、あっさりと杞憂に終わる。サビ剣の答えによって。

 

「あいつが、そう簡単に死ぬか?」

「そ、そうよね。ん?じゃあ、契約が切れたってどういう事?」

「パチュリーから聞いてないのか?もうずいぶん前から、契約がだんだん解除されてたんだぜ。コルベールってヤツも知ってるはずだ」

「えっ!?ミスタ・コルベールも?」

「何にしても、『コントラクト・サーヴァント』の効果は、天人相手じゃ限界があったって訳だな」

 

 ルイズ、腕を組んで難しい顔。確かに、心当たりがなくもない。幻想郷で天子と契約する時、普通とは違い、何度もするハメになったのだから。パチュリーも言っていた。コントラクト・サーヴァントが、天人にどこまで効果があるか興味があると。そして結果が出たという訳だ。1年と持たないと。

 だが彼女は知らない。黒子の仕掛けたと思われる最初の現象が、契約解除の切っ掛けなどと。そもそもパチュリー達は、契約が解除されつつある事自体をルイズに教えていなかった。ルイズを無事、卒業させるために。

 

 考え込んでいるルイズに、デルフリンガーは声をかける。

 

「でだ、もう一度、使い魔を召喚したらどうだ?」

「え?」

「じゃないと、娘っ子、落第しちまうぜ。使い魔いないんだからな」

「!」

 

 使い魔を持つのは進級の条件だ。それがいないとなると、確かに落第しかねない。しかも三年生になったばかりというのに、一年生に戻るなど冗談ではない。

 さらにデルフリンガーは煽る。

 

「今なら、使い魔いなくなったってバレねぇぜ。どうせ、またあの天人が召喚されるんだろうしな。契約は、一年は持つんだ。卒業までは大丈夫さ」

「うん。そうね。確かにそうだわ」

 

 使い魔は、主に相応しい者が召喚されるという。ルイズは天子を召喚した。彼女にとっては不本意だが、あのわがまま天人が相応しいのだろう。しかも天子が生きている以上、また召喚しても出てくるのは彼女だ。契約にまた手間がかかるだろうが、そんなもの落第に比べれば些細なもの。

 ルイズはすぐさま杖を構えた。そして詠唱を開始する。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、使い魔を召還せよ!」

 

 杖を振るった。だが一瞬、不安がよぎる。彼女の『サモン・サーヴァント』は、いつも爆発を起こしていた。部屋の中で爆発しては、いろいろとマズイ。しかしルイズの不安を他所に、爆発は起こらなかった。それどころか当然のように、鏡のような召喚ゲートが現れていた。

 

「あれ?成功した……」

 

 思わず顔を綻ばせるルイズ。あれほど召喚に苦労したのが、嘘のようだ。そして現れるハズの、天子を待つ。やがてゲートの中から一つの影が現れた。だがそれは天子ではなかった。

 

 いびつな人魚、あるいは半魚人とも言える何かがいた。

 

 形容しがたい姿。少なくともルイズは、おぞましいという感覚を持つのを押さえられない。この半魚人。妖魔に分類されて当然な見た目をしていた。だが、こんな妖魔は見た事はもちろん、聞いた事も、本で読んだ記憶すらない。さらに幻想郷の妖怪というには、何かが違う。あえて言うなら、聖典に載っている悪魔のよう。

 

 ルイズは引き気味につぶやいた。

 

「何よ……これ?」

「契約したらどうだ?」

 

 デルフリンガーの提案が耳に届く。すぐさま顔をしかめるルイズ。不気味な半魚人を指さして。

 

「これと!?」

「見かけは悪いが、仕様がねぇだろ。今、使い魔いねぇんだから。このままじゃ、落第しちまう」

「う……」

 

 確かに、サビ剣のいう通り。最優先事項は落第しない事だ。ルイズは諦めて覚悟を決める。再び杖を構えた。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。……」

 

 そして契約を行った。この禍々しい存在とのキスを。

 ほんの触れただけで、瞬時に離れるルイズ。すると、不気味な半魚人の左手にルーンが浮き上がる。『ガンダールヴ』のルーンが。

 

「上手くいった?」

「みたいだな」

「一回で、できちゃった……。天子の時は何回もかかったのに」

 

 なんとも複雑な気分だ。上手くいったのは嬉しいが、こんな気持ちの悪いものが使い魔だとは。それにしても、頭の痛い問題の発生だ。この使い魔について、明日、説明しないといけない。いきなり使い魔が変わった事情などを。

 ルイズがいろいろと頭を悩ましていると、このいびつな半魚人は勝手に動き出していた。ルイズは声をかける。

 

「ん?あ、そう言えば、名前聞いてなかったわね。あんた、名前なんていうの?」

「……」

 

 半魚人は答えない。ルイズを無視して、壁へと近づいていく。そして立てかけてあったデルフリンガーを掴んだ。次に側の窓を開ける。ルイズはその様子を、眺めるだけ。妙だと思いつつ。

 

「ちょっと、あんた。何してんのよ」

「…………」

 

 やはり答えない異形の存在。ルイズを無視したままこの化物は、開いた窓を潜り外へと出る。するとふわっと宙に浮いた。異形は空へと舞う。デルフリンガーを掴んだまま。

 呆気に取られるルイズ。だが、我に返ると、慌てて窓へ駆け寄る。

 

「あんた!待ちなさいよ!どこ行くのよ!」

「んじゃぁな、娘っ子。またな」

 

 デルフリンガーの声が届いた。別れの挨拶が。そのままインテリジェンスソードと半魚人は、夜の空へと飛んでいく。二つの存在は、闇の中へと姿を消した。

 

「え?ええ!?えええ~っ!!」

 

 双月が照らす校舎。その一角から、ルイズの叫びが響いていた。

 

 

 

 

 

 幻想郷組のアジトの廊下。そこにドアを激しく叩く音が響く。同時に大きな呼び声も。

 

「ちょっと!パチュリー!いる?」

 

 するとパチュリーが顔を出した。ただし部屋からではなく、リビングからだが。

 

「あら、ルイズ。どうしたのよ」

「良かった、起きてた」

「私は基本的に寝ないわよ」

「そうなの?いえ、いえ、いえ、それより、ちょっと聞いてよ!」

「……?」

 

 ルイズの興奮ぶりに、少しばかり驚いている紫魔女。すると魔理沙やアリスも顔を出す。

 

「何騒いでんだよ」

「ルイズ、悪いんだけど、ちょっと私達も立て込んでるのよ。明日じゃダメ?」

 

 アリスの言っている事は、当然、デルフリンガーについて。おそらくは黒子の関係者と思われる彼が、一体ここで何をしていたのか。そしてこれからどう対応するか。それを話し合っていたのだった。

 しかし、ルイズは止まらない。

 

「えっ?明日!?今じゃダメ!?お願い!」

「……分かったわ。入って」

 

 パチュリーは、あまりのルイズの混乱ぶりに、普通ではないものを感じた。彼女をリビングに迎え入れる。

 

 席に座る一同、落ち着かせるためか、こあがハーブティーを配った。一気にルイズは飲み干すと、ぶちまけるように口を開く。

 

「天子との契約が切れたって言われて、使い魔を召喚しちゃったのよ!そうしたら魚の化物で、勝手にどっか行っちゃったの!」

「「「は?」」」

 

 三魔女、停止。同じ顔をして。意味が分からないという具合の。それからルイズの頭を冷やすための、小芝居が始まる。しばらくして落ち着きを取り戻すちびっこピンクブロンド。そして、ついさっき起こった出来事を話し出した。デルフリンガーの件を。魔理沙達は、表情を曇らせる。

 

「クソッ!デルフリンガーのヤツ、ただじゃ逃げねぇってか。余計なマネしやがって」

「だいたい何なのよ?あのデルフリンガーって」

「インテリジェンスソードだぜ。後、虚無に関係してる。けどな、それ以上が分からねぇ。どうも、嘘ばっかついてたみたいでな」

「…………」

 

 ルイズは厄介そうな顔つき。この三魔女ですら手こずる相手らしい。そんな相手に、何かを仕掛けられた訳だ。頭をかかえる虚無の担い手。やがて気を取り直すと、もう一つの疑問を口にした。

 

「後、天子の契約が切れたって言われたんだけど。実際、召喚できたし」

「…………」

 

 黙り込む魔女達。やがてパチュリーが立ち上がる。

 

「なら自分で確かめたら?」

「え?」

 

 キョトンとしているルイズを置いて、パチュリーはリビングを出て行った。しばらくして、天子を連れてくる。天人は面倒くさそうにしていた。

 

「ルイズ。なんか用?」

「う、うん。天子。ちょっと左手見せて。手の甲」

「ん?ほら」

 

 天子は言われた通り、手を差し出した。ルイズは彼女の手を掴む。そこには確かにあった。しっかりと。ガンダールヴのルーンが。契約は切れていなかった。歯ぎしりするルイズ。

 

「ぐぐぐ……!あのサビ剣に、騙されたぁ!」

 

 床を踏みしだいて、苛立ちを紛らわそうとする。しかし、ふと我に返った。

 

「あれ?だったら、なんで召喚できたのかしら?」

「さあね。虚無の担い手は、普通のメイジと違うから何かあるのかもね」

 

 席に戻ったパチュリーからは、淡々とした答。大した話ではないかのように。

 

「ま、今すぐ、何かが分かる訳でもないし。今日はもう遅いから、あなたは寝なさい。続きは明日にしましょ」

「うん……。分かった」

 

 今日はいろんな事がありすぎて、さすがに疲れているルイズ。七曜の魔女の言葉にうなずくと、寮へと戻っていった。

 

 残った面々。パチュリーに、魔理沙、アリス、こあ、そして天子。まずパチュリーが天子に声をかける。

 

「天子。偽装解いてみて」

「ん」

 

 紫魔女の意図は分かっているとばかりに、天人は腰に手を当てた。するとガンダールヴのルーンが消えていく。このルーン。実はマジックアイテムによって、投影されたもの。実態ではない。現れた実際の天子を左手に見入る一同。アリスが代表するように言う。

 

「ないわね。ほんのちょっとも」

「そうね」

 

 パチュリーもうなずく。天子の左手の甲には、全く何もない。以前は、ルーンがほんのわずか、破片のように残っていたのだが、今はそれすらなかった。つまり、完全に契約は解除されてしまった訳だ。

 全員は席に戻り、考え込む。この意味を。まずは魔理沙が口を開いた。

 

「これでデルフリンガーが黒子の関係者、ってのは確定だな」

「そうね。でないと契約が切れたのが分かる訳がないわ」

 

 アリスは賛同の言葉と共に、残った紅茶を飲み干す。

 デルフリンガーは実際の天子の手を見ないで、契約が切れたとルイズに言ったのだ。黒子の関係者でない限り無理だ。彼女の契約が解除され始めたのは、黒子の仕掛けのせいなのだから。

 こあにアリスはお代わりを要求。待っている間にポツリと一言。

 

「あの子、黒子のスパイだったかもしれないわね。黒子は私たちに出す手が、限られるようだし」

「だろうな……。あ!」

「何よ」

「ゼロ戦も、デルフリンガーの仕業だぜ。たぶん」

「ゼロ戦?」

 

 魔理沙は話を始めた。

 ダルブ村で見つかったゼロ戦は、コルベールに預けられていた。しかしそれは無人のまま飛んでいき、行方不明となっている。問題なのはそのタイミング。魔理沙達が黒子調査のため、ゼロ戦に魔法陣を張ろうと言い出した、正にその直後だったのだから。だが、デルフリンガーが黒子と繋がっており、彼が聞き耳立てていたのなら、全ては説明がつく。さらにそれは、ここで話した全てが、黒子に知られている事も意味する。

 

 魔理沙の説明にうなずくアリス。すると彼女も思い出したように、話しだした。

 

「そうだ。忘れてたわ」

「何だよ」

「ゼロ戦の話。にとりにいろいろ教えてもらったわよ。一応、資料貰ったけど、私にはチンプンカンプン。魔理沙。あなたの方が、機械は慣れてるでしょ?後で資料渡すわ。明日でもいいから説明して」

「ああ、分かったぜ」

 

 一通りの話が終わり、言葉少なめになる彼女達。魔理沙は椅子にもたれかかると、宙を仰いだ。

 

「それにしても、やっぱイマイチ黒子が何考えてんのか分かんねぇぜ」

「ええ。それと、デルフリンガーがその話をしなかったのもね。彼はここに結構長くいたから、私たちがどんな連中かは、十分わかってるでしょうし。目的さえ合えば、エルフとだって手を組むってくらいは」

「って事は、黒子と私らの目的がぶつかるってのか?」

 

 今、幻想郷組はビダーシャルと対聖戦で密約を結んでいる。戦争は迷惑という共通した目的のため。ハルケギニア人の最大の敵でさえ、彼女達はパートナーにしてしまう。にもかかわらず、デルフリンガーは素性を明かさなかった。

 黙っていたパチュリーが、話し始めた。

 

「私たちの目的と言えば、せいぜいこの世界を研究する事くらい。世界をどうこうしようなんて、考えてないわ。対立する点があるとしたら、一つは戦争のようなトラブルは迷惑って所かしら」

「確かに黒子は、虚無集めてるように見えるな。聖戦したがってるのかもしれないぜ。けど、だったら何もしなけりゃいい。ワルドに永琳とてゐが仕掛けたの、デルフリンガーは知ってんだから」

 

 パチュリーは淡々と返す。

 

「ワルドが望む形とは、違う聖戦かしら?」

「だったら、記憶操作でもして黒子の考える状況を作ればいいだけだぜ。ワルドは聖戦が起これば構わねぇし。形はどうでもいいだろ」

「たぶん、ワルドの幸運効果の方が強いのよ。彼の意思を妨害するのは、無理なんでしょうね。もしかしたら黒子は、思ったほど強くはないかもしれないわ。少なくとも、永琳やてゐほどにはね。だからこそデルフリンガーは、てゐの話なんかしちゃったんだろうし」

 

 紫魔女の言い分に、不思議そうな顔をする人形遣い。

 

「どういう意味?」

「バレたのって、てゐの話が切っ掛けよ。あんな話、しなければ、デルフリンガーはずっと正体を隠したままでいられたのよ。にもかかわらず話をした。つまり永琳とてゐの仕掛けが、黒子達にとってかなり邪魔って事。だけど、手に負えない」

「なるほどね。だからこそ、同郷の私たちになんとかしてもらおうとした訳か」

 

 アリスと魔理沙は納得顔。さらにパチュリーは続けた。

 

「もう一つ利害がぶつかる可能性があるとしたら、私たちがやってるそのものかも」

「そのもの?」

 

 魔理沙は一瞬、意味が分からなかった。その答えはすぐ出てくる。

 

「この世界の探求よ。虚無を含めてね」

「それがどうかしたか?」

「世界の在り様について、知られちゃ困るんじゃないかしら。異世界人の私たちに」

「知られるだけで困る?何だよそれ?」

 

 白黒の疑問で一杯の視線が、紫魔女に向く。しかし彼女は、黙って肩をすくめるだけ。さすがに大図書館の主も、その意味する所までは分からないようだ。だが一言だけ付け加えた。

 

「何にしてもデルフリンガーについては、悪い話でもないわ」

 

 意外な言い分に、アリスが疑問を口にする。

 

「黒子のスパイを追い出したから?」

「それもあるけど、もっと根本的な意味で。だいたい黒子については、雲を掴むような話だったのよ?それが、あのサビ剣が手がかりって分かったんだもの。今までからすれば、ずっとマシ。あの剣、捕まえてみれば、いろいろと分かるわ」

「捕まえるとか簡単に言うけど、どうするのよ。妙なもの召喚して、どこかに逃げちゃったのに」

 

 アリスの疑問に、パチュリーはわずかに口元を緩めていた。

 

「ワルドよ」

「ワルド?」

「彼を餌にするの」

「「?」」

 

 アリスも魔理沙も、首をかしげるだけ。すると七曜の魔女は話し出した。

 

「さっきも言ったけど、ワルドは黒子達の邪魔には違いないわ。だから彼に、必ず何かしてくる。そこを捕まえるの」

「おいおい、ワルドが手に負えないから、私らにてゐの話したんだろうが。話が矛盾してるぜ」

「手が出せるようにするのよ」

「どうやって?」

 

 魔理沙の疑問に、アリスもうなずく。しかし、パチュリーの態度は変わらない。

 

「アリスが言ってたじゃないの。ワルドの幸運には打つ手があるって」

「私が?」

「ワルド自身が、聖戦が起こると思えばいいって」

「ああ、言ったわね」

「あの話。デルフリンガーも聞いてるわ。だから一時的にでも、聖戦が事実上成立したと、ワルドに思い込ませればいいのよ」

「なるほどね。で?具体的には」

 

 アリスの問に、パチュリーは紅茶を一口飲んだ後答える。

 

「さすがに即興で、出るもんじゃないわよ。どっちにしても、聖戦実現が近づくのは避けられないんだし。何か手を打たないといけないのは、確かだわ。それが私たちにとって迷惑なのもね」

「まあ……そりゃそうだが。となると、ワルドにペテン仕込む訳なんだが……。幸運持ち相手にどうやるんだ?」

 

 魔理沙は難しい顔で、独り言のようにいう。他の二人も、今は答えられなかった。だが三人は気を取り直す。少なくとも暗中模索ではないのだから。

 それから話が終わり、お開きとなる。それから魔女達は、各々の部屋へと戻っていく。ちなみに天子だが、興味がないのか途中で抜け出していた。誰も気に留めなかったが。

 

 

 

 

 

 翌日の教室、ルイズがいろいろと頭を悩ましていた。授業の内容ではない。デルフリンガーのせいで、気持ちの悪い半魚人を召喚してしまい、しかもそれを奪われた事だ。どう考えても悪い予感しかしない。パチュリー達も何やらいろいろと問題を抱えているようで、あまり相談に乗ってもらえなかったのも気掛かりだ。

 

 そうやって考えていると、隣からブツブツとした声が耳に入る。キュルケだった。鷹揚な彼女らしくなく、文句ありげに何かをつぶやいている。ルイズは珍しいものを見たと、少しばかり驚いていた。

 

「どうしたのよ?」

「え?……ジャンの事よ」

「ミスタ・コルベール?ああ、フリッグの舞踏会が滅茶苦茶になっちゃって、ダンスどころじゃなかったから?」

「そうじゃないわよ!彼の好きな相手が分かったって話よ!」

 

 必死なキュルケ。それから愚痴が並びだす。マズイ時に話しかけてしまったと、後悔するルイズ。だが、最後にコルベールがミス・ロングビルに化けたという話を聞いて、ふと頭に浮かぶものがあった。

 

「それって、もしかしてサウスゴータ卿じゃない?あの方、ミス・ロングビルにそっくりなの。それが気になってたんじゃないかしら」

「サウスゴータ卿って誰よ?」

「ティファニアの……あ」

「ティファニアの?」

「えっと……」

 

 答えに詰まるルイズ。マチルダはティファニアの姉代わりで、さらにアルビオンの宰相などと言ったら、ティファニアが女王である事がバレてしまうかもしれない。だが知られる訳にはいかない。アンリエッタからの密命でもあるのだから。しかし事は、キュルケの想い人に関わる話。彼女の追及が収まる訳がなかった。

 

「ルイズ!言いなさいよ」

「うんとね……」

 

 その時だった。

 窓を叩く音が、教室に響き渡る。一斉に窓の方を向く教師と生徒達。ルイズとキュルケの会話も、一時中断。

 

 全員の視線の先にいたのはドラゴンだった。だが誰も慌てない。このドラゴンが何者なのか、全員が知っていたからだ。教壇のギトーから声がかかる。

 

「ミス・タバサ。使い魔をなんとかしたまえ。授業の邪魔だ」

「……はい」

 

 窓を叩いていたのは、タバサの使い魔、シルフィードだった。タバサは少々ムッとしながら、窓を開ける。叱りつけようとしたが、先にシルフィードの方が口を開いた。一応小声で。

 

「おねえさま!大変なのね!」

「何?」

「シェフィールド!シェフィールドが来てるのね!」

「え!?」

 

 さすが顔色が変わるタバサ。まさか、学院に直接やってくるとは。まず思いつくのは以前の命令だ。ルイズを捕まえろという。だがあれは何とかなったと、ルイズから聞いた。もうシェフィールドは、手を出さないと。だとすると、別の指令を伝えに来たのか。しかし、今まで直接来た事は一度もない。ガリア王の使い魔の意図をはかりかねる。

 タバサは念のための指示を出す。

 

「魔理沙やパチュリー達に伝えておいて」

「分かったわ!きゅい」

 

 シルフィードはうなずくと、すぐに飛び立った。タバサは警戒心を抱きつつ席へと戻る。そしてルイズ達に小声で知らせた。

 

「シェフィールドが来てる」

「「えっ!?」」

 

 思わず声を上げてしまうルイズとキュルケ。直後にギトーに怒られ、黙り込んだが。だがもう授業の内容など、頭に入らない。今まで散々やり合った相手が、自分たちの本拠に直に乗り込ん出来たのだから。

 

 その直後、教室の扉が開いた。顔を出したのはシュヴルーズ。またも同じ方向に視線を向ける生徒達。

 

「失礼します。ミスター・ギトー。ミス・タバサ。あなたにお客様がいらしています。学院長室まで来てください」

「?」

「急いでくださいね」

 

 シュヴルーズの言葉に、緊張感を増すタバサ達。客と言われているのは、おそらくシェフィールドだ。こんな形で来るとは。キュルケが声をかける。

 

「気を付けてよ。何してくるか分かんないわよ」

「先に魔理沙達に、声かけといた方がいいわ」

 

 ルイズも助言を一つ。

 

「それはもうしてある。大丈夫、油断はしない」

 

 タバサは、二人を安心させるように強くうなずく。そして杖をしっかりと掴み、教室を出て行った。

 

 

 

 

 

 シュヴルーズに案内され、タバサは学院長室に入る。そこで意外なものを目にした。驚く雪風。彼女らしからず。

 予想通りシェフィールドがいた。しかしその姿は、予想の外。いつもの妖艶で怪しげなものではなく、地味ながらもどこかの貴族夫人かのような姿。ごく普通に着飾っていたのだ。オールド・オスマンが、タバサへ話しかける。

 

「ミス・タバサ。いや、あえて言わせてもらうが、ミス・オルレアン。ガリア王国から使者が参られておる。ミス・シェフィールドという方じゃ」

 

 紹介された彼女は、笑みを見せる。

 

「御無沙汰しております。シャルロット様」

「…………」

 

 厳かに礼をするシェフィールドには、違和感しかない。以前会った時は、高圧的で王族への敬いなど微塵も感じられなかったものが、全くの逆。もちろん、表向きなものではあるだろうが。だからそこ、裏に隠れているものに、不穏なものを感じずにはいられなかった。タバサはテーブルを挟み、シェフィールドの正面に座る。

 するとシェフィールドが、学院長へ声をかけた。

 

「学院長。実は、内々のお話をしたいので、できればシャルロット様と二人きりになれる場所を用意していただけると、ありがたいのですが」

「左様ですかな。ん~、では、客間を用意させましょう」

「お手数をお掛けします」

 

 丁寧な礼をするシェフィールド。

 やがて準備もでき、二人をシュヴルーズが案内する。そして客間までわずかという場所に、立ち塞がる者がいた。魔理沙とこあだった。魔理沙が不適に口を開く。

 

「よぉ。シェフィールド久しぶりだな」

「…………」

 

 一瞬顔をしかめるミョズニトニルンだが、すぐに笑顔を作った。

 

「ええ。お久しぶりです。お二方」

「余裕ですねぇ。ま、呪いの話を忘れてなければ、別に何してもいいんですけどね!」

 

 こあは腕を組んでふんぞり返った、威圧的な態度。少々、鼻息も荒い。一応は脅し。以前、こあはシェフィールドに死の呪いをかけていた。ルイズ周辺に余計な事をすると死ぬ、という呪いを。実はそういう内容の、ハッタリなのだが。少なくともシェフィールドは、信じ込んでいた。

 だがそんな呪いがあるにも関わらず、ガリア王の使い魔の仕草は変わらない。

 

「私はシャルロット様に、よい話を持ってきただけですわ」

「よい話……ね。ま、いいか。んじゃぁな」

 

 魔理沙とこあは一言残すと、シェフィールド、タバサ一行の脇を通り抜けていく。何かあれば手を貸すとばかりに、タバサに目配せしつつ。彼女の方も魔理沙達に、小さくうなずいた。シュヴルーズは、一連の奇妙な会話に違和感を覚えたが、シェフィールドが上手くはぐらかせてしまった。

 やがて二人はとある客間に案内される。そこには二人以外誰もいない。シュヴルーズもここを去り、護衛も扉の外で警備に当たっている。だがタバサは知っている。遠くから、シルフィードがこの部屋を見張っている事を。さらにアリスの人形達が、部屋のあちこちに潜んでいた。

 

 シェフィールドは周りを見回しながら、一言もらす。

 

「さすがはハルケギニアでも知られるトリステイン魔法学院。客間も悪くない作りですね」

「用件は?」

 

 タバサは隙を見せないとばかりに、鋭い声を発していた。視線も目の前のミョズニトニルンを捉えたまま。シェフィールドは、力を抜くといつもの態度を見せる。

 

「せっかちね。せっかく気を使って、敬ってあげてたのに。もう少し王族気分に浸っていたら?」

「そんなものはない」

「フッ……。でしょうね。あれほどこき使われたんじゃ、自分が王族だなんて思えないものね」

「用件は?」

 

 同じ質問を繰り返す雪風。するとミョズニトニルンの顔つきが変わった。含みのあるいつもの表情に。

 

「さっきも言ったけど、私はあなたにいい話を持ってきたの。ガリア王家の干渉がなくなるほどのね」

「!?」

 

 タバサの表情に戸惑いが現れる。シェフィールドは、タバサをガリア王家の頸木から解き放ってもかまわないと言っている。今までの扱いからは考えられない。ガリアで、何か大きな変化があったと思うしかないのだが。それがなんなのか、想像もつかない。

 なんとかタバサは冷静さを取り戻すと、次の問を口にする。

 

「条件は?」

「話が早くて助かるわ。やっぱりあなた優秀ね」

「それで?」

「フッ……」

 

 鼻で笑うシェフィルード。

 

「条件はたった一つ。ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世の皇后になりなさい」

「!」

 

 思わず目を剥くタバサ。一応は様々な条件を想像していたが、これは予想外だった。どう捉えるべきか、困惑するしかない。そんなタバサを前に、シェフィールドは悠然と話しだした。

 

「ガリアはゲルマニアと手を結びたいのよ。その手土産があなたという訳。あの皇帝が、始祖ブリミルに連なる血を欲しがってるのは知ってるでしょ?以前は、アンリエッタ女王に手を出そうとしてたくらいだし。そしてあなたは、やせても枯れても王族」

「……」

「あなたとっても悪い話じゃない。ゲルマニアに嫁げば、ガリア王家の干渉から逃げられる。イザベラ様からの意地悪も受けずに済むわ。そうそう、婚約が正式に決まれば、オルレアン家の名誉も回復されるわ」

「何故?」

「おかしな話じゃないでしょ?結婚する相手が、不名誉印を押された家じゃマズイもの」

「…………」

 

 次々と並べられる話を、どう捉えていいか戸惑っているタバサ。厳しい条件の下、さらに困難な目的を果たせという話はいくつもあったが、今、言われている事は全く逆なのだ。すると追い打ちとばかりに、シェフィールドは懐から小瓶を取り出す。

 

「そう。これを渡して置くのを忘れていたわ」

「これは?」

「あなたの母親を正気に戻す薬」

「え……!」

「前払いと思ってもらっていい。無条件であげるわよ」

「な……!?」

 

 あれほど厳しい任務をいくつこなしても手に入らなかったものが、こうもあっさりと手渡されるとは。驚愕を通り越して、茫然とするしかない。しばらく黙り込むタバサ。彼女は考えを巡らせる、いや、落ち着きを取り戻そうとしていた。やがて、ゆっくりと口を開く。

 

「母さまは……行方不明」

「そうだったわね。でも、当てはあるわ。さっき廊下で会った連中に、聞いてみなさい」

「母さまの事を?」

「ええ。ヤクモユカリに攫われた、って言えばわかるわ」

「……」

「それから、もしオルレアン公夫人が戻ってきても、いっしょにゲルマニアに連れて行って構わない。これで完全にガリア王家の手を離れるわ」

「……!」

 

 あまりの好条件に、裏があると考えざるを得ない。雪風は視線を鋭くする。

 

「もし断ったら?」

「そうね。まずあなたの地位は全て剥奪。さらに資産も全て没収。地位も収入もないじゃぁ、学院も辞めないといけないわ。後はどこかの使用人でもして、暮らしていくしかないわね。ただし母親の地位はそのまま。仮に彼女が戻ってきても、ガリア王家の預かりとなる。そして幽閉。もしあなたが連れていけば、罪人よ」

「……」

 

 すでに母親はガリアから取り戻している。つまり、この話を断れば、即罪人という訳だ。

 またも口を閉ざしたタバサを前に、シェフィールドは、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「結果は天と地の差。考えるまでもないでしょ?」

「…………。すぐには答えられない」

「何故?」

「考えを整理したい」

「…………。まあ、いいわ。ここには二日居る予定だから、それまでに答えをもらえれば」

「二日居る?」

「ええ。せっかくハルケギニアでも名高い、トリステイン魔法学院に来たんだもの。見学しようと思ってたのよ」

「……」

 

 見学というより、敵情視察と言った方が近いだろうとタバサは考える。なんと言っても、ここは幻想郷組の本拠地と言ってもいいのだから。

 

 その後、わずかな会話の後、全ては終わる。二人は何事もなかったように部屋から出た。そしてタバサは教室の方へ、シェフィールドは学院が用意した来客用の部屋へと案内されていった。だんだんと小さくなる、ガリア王の使い魔を見ながら、タバサは胸の内がざわめくのを感じていた。大きく一変した自分への扱い。地の底で何かが動き出した、というような感覚があった。

 

 

 

 



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決意

 

 

 

 

 

「「「ええっ!?」」」

 

 ここは吸血鬼姉妹、アミアス、ダルシニの自宅。ここのリビングに、驚きの声がハモっていた。タバサの結婚話を聞いた、ルイズとキュルケ、さらにここに住んでいるタバサの母親、オルレアン公夫人の声が。三人が驚くのも無理はない。これはただの結婚話ではない。ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世に嫁ぐという話なのだから。

 ちなみにここで話しているのは、学院には、シェフィールドがいるため。いくら幻想郷の人妖達がいるとは言っても、どこで聞き耳立てられるか分からない。それに、オルレアン公夫人にも聞いてもらわないといけない話でもあったからだ。

 

 キュルケが溜息混じりに、ぼやく。

 

「あなたの事、今度から"陛下"って呼ばないといけないのね……。ルイズ。友達を"陛下"って呼ばないといけなくなるって、どんな気持ち?」

「なんの話よ?」

「だって、あなたアンリエッタ女王と幼馴染でしょ?」

「幼馴染だけど、姫様は最初から姫様だもん。友達が突然、女王になったって訳じゃないわ」

「そっか……そうよね……。なんていうか妙な気分だわ……。親友を陛下って呼ぶって」

 

 やけに落ち込んでいるキュルケ。無理もない。タバサがゲルマニア帝国皇后になるとは、キュルケの主君になるのと同義。もう対等の立場ではなくなる。

 彼女は気を揉んでいる様子で、親友の方を向いた。

 

「それにタバサ。言っとくけど、ウチの皇帝って結婚はしてないけど、愛人が一杯いるのよ。その辺、分かってる?考え直すのも……」

「まだ決めた訳じゃない」

 

 タバサの淡々とした言葉が返って来た。キュルケは意表をつかれたような顔。ふと思い返す。話は決まった訳ではなかったと。ここでオルレアン公夫人が口を開いた。重々しく。

 

「シャルロット。このお話、あまりに条件が良すぎます。わたくしには、何かがあるように思えて仕方ありません」

「はい。母さま」

 

 タバサが素直にうなずく。夫人の言う通り。この話が額面通りだとしても、ガリア内で大きな変化があったのは間違いない。せめて、それだけは知っておきたかった。ガリア王家に非道な扱いを受けた母娘。王家を全く信用していない。今回の話が好条件だからと言って、すぐさま飛びつく二人ではなかった。

 夫人は俯きつつ、つぶやく。

 

「ガリア王の真意が、分かればいいのですが……」

 

 彼女と同じことを誰もが考えていたが、具体的にどうするかが分からない。すると重い空気をぶち壊すような、抜けたような声が出る。ルイズだった。

 

「あ」

「何よ。まぬけな声だして」

 

 キュルケの少し不満そうな顔。真剣な話をしている時に、このちびっ子はという具合に。だが彼女の目に映ったのは、やけに嬉しそうなちびっこピンクブロンド。

 

「簡単よ!」

「簡単って……ガリア王の考え探るのが?」

「そうよ!」

「どうやるのよ?」

「だって、学院にはシェフィールドがいるじゃないの!こっちには天子がいるわ。天子の前じゃ、嘘つけないもの。あいつの考え知るなんて、あっさりできるわ!」

「そっか……それもそうね!そうだわ!さっそく、やっちゃいましょ!」

 

 天子は緋想の剣により、嘘が見破れる。今まで何度もやっており、ルイズはそれを側で見ていた。覚悟を決め隠そうとする相手に、真実を吐かせる。普通なら至難な業が、ルイズにとっては造作もなかった。

 ただそこに、タバサが一つ言葉を差し込む。

 

「ルイズ。その考えには賛成。だけど、一つ頼みがある」

「ん?何?」

「ガリア王家では、私は妖怪を知らないという事になってる。だからこれは、悟られないようにしたい。もしかしたら、後で使えるかもしれないから」

「うん。分かったわ。そうね。何しに来たか聞くって恰好でいきましょ。なんとか自然に、タバサの婚約話の理由聞いてみるわ」

 

 自然に聞くというルイズの言葉に、小バカにしながらキュルケが茶々を入れる。できるのかと。その後、いつものじゃれ合いが少々。ただ三人には、安心した様子がうかがえた。しかしそんな彼女達を前に、一人取り残されたオルレアン公夫人。呆気に取られるだけ。

 

「えっと……どういう事なのです?」

「母さま。安心して。すぐに王家の考えを調べてくるから」

「え……ええ……」

 

 あまりに自信一杯のタバサの態度に、訳も分からないままうなずく夫人。それから三人は、転送陣を使って寮へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 夕食も終わり、そろそろ就寝時間に差し掛かろうかという頃。歩き回っている人物がいた。シェフィールドだ。だが用が終わったのか、自分の部屋へ足を進めている。すると扉の前に人影を見つけた。相手も気づいたのか、顔を向けてくる。ルイズと天子、それと衣玖だった。ルイズは、悠然と尋ねた。

 

「今まで、何してたの?」

「……。客人に対して、挨拶もなしにいきなり質問?ヴァリエール家は、どういう教育してるのかしら?」

「はぁ!?私を罠にハメようとしたヤツに、礼儀なんていらないわよ!」

 

 ルイズは指さして怒声。しかし、シェフィールドは動じない。

 

「それで、何か用?」

「あんたが、何しにここに来たか聞きにきたの。一応言っとくけど、抵抗も嘘も無駄だから」

 

 虚無の担い手は天人と妖怪を背後に、余裕の表情。お前は籠の鳥だと言わんばかりに。だがやはりシェフィールドの態度は変わらない。

 

「……。話があるなら聞くわ。ここでは何だし、部屋に入りましょ」

「え?あ……うん……」

 

 あまりの平然としたリアクションに、拍子抜けのルイズ。シェフィールドに言われるまま、彼女の部屋へと入る。しかもシェフィールドは、紅茶まで出してくれた。ルイズは警戒しつつも、案内されるまま小さなテーブルを挟み座る。少々当惑気味の虚無の担い手。ミョズニトニルンは構わず話しかけた。

 

「聞きたい事って?」

「え……ええ……。えっと……まず何しに来たの?」

「シャルロット様……、ここではタバサって名乗っておられるようだけど、あの方に縁談を持ってきたのよ」

「それは聞いたわ。ゲルマニアと同盟結びたいって話もね。だけどそのまま素直に、信じる訳ないでしょ」

「信用ないわねぇ」

「当り前よ!」

「フッ……」

「全部話してもらうわ。もう一度言うけど、嘘ついても無駄よ」

 

 凄みを見せるルイズ。もっともシェフィールドからすれば、小娘が粋がっているようにしか見えないが。しかし、彼女の傍らにいる二人の人外は別だ。しかもガンダールヴは、天使なんてしろもの。抗う術すら想像がつかない。だが、この埒の外の存在に対し、彼女は対策を練っていた。

 シェフィールドはあっさりと口を割る。

 

「ジョゼフ陛下は、聖戦に参加する事を決めたの」

「ええっ!?」

「ロマリアに提案されたのよ。これだけ虚無の担い手がいるんだから、宗教庁が動くのも当然と言えば当然。で、その話に乗ったという訳。いずれあなたの所にも、話が行くでしょうね。そこで陛下は、ハルケギニアが一丸となるために一役買ったのよ。ゲルマニアに担い手はいないけど、ハルケギニアの有力な国だしね」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!アルビオンを散々引っ掻き回したガリア王が、ハルケギニアを一つにまとめたくなった?何よそれ!」

 

 さすがに信じがたかった。ガリア王はアルビオンで偽者の虚無を担ぎ出し、アルビオンを戦争の坩堝に落としただけではなく、ハルケギニア全土を戦乱に巻き込もうとしていたのだから。それが全くの逆な行動を取るとは。理由がまるで想像がつかない。

 ルイズはシェフィールドを、睨みつけつつ問う。

 

「まさか、ガリア王が突然、始祖ブリミルの信仰に目覚めたとか言うんじゃないでしょうね?」

「いいえ違うわ。用があるのは聖地。もちろん聖地奪還なんて、聖戦のお題目には興味をお持ちではない」

「それじゃぁ、何が目的よ?」

「聖地には扉があるの」

「扉?」

「そう。そしてその扉は、死後の世界と繋がっているの」

「え?」

「陛下はその死後の世界を、訪れたいとお考えなの」

「はぁぁ!?」

 

 身を乗り出して、素っ頓狂な声を上げるちびっ子ピンクブロンド。ガリア王の考えは、彼女の思考の斜め上。思わず天子に確認を取るが、シェフィールドに嘘はないとの答え。ルイズは茫然と席に戻る。

 ジョゼフの頭の中は、どうかしていると思うしかない。無能王と呼ばれるジョゼフ。無能王というより狂人王と呼んだ方がいいのでは、とすら考えてしまう。

 

 この後、ジョゼフの真意について聞いたが、これは前回と同じくシェフィールドすらも知らなかった。さらにタバサに対しての今後の扱いも聞く。しかし、それも彼女から聞いたそのまま。彼女の口から出てくるものには、裏黒いものが一つもない。一方、それ以上の事は知らなかった。結局ルイズには、大した情報が手に入らなかった。

 実はこれこそ、ガリア王の使い魔が考えた手。人外達の本拠地へ訪れるための。ゲンソウキョウのヨーカイ相手に、隠し事ができないのは経験済みだ。だから口を割ってもいいように、必要最低限の情報だけを頭に収め来たのだった。

 

 一通りを聞き終えると、ルイズはこの部屋を去る。悶々としたなんとも収まりの悪い表情で。シェフィールドはその背を、鼻で笑いつつ見送った。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。アミアス達の住まい。ルイズは得た情報を、全てタバサ母娘に話していた。

 

「……って、あの女は言ってたわ」

「…………」

 

 母娘は言葉がない。横で聞いていたキュルケが、呆れた声を出す。

 

「頭おかしいとしか思えないわ。今までの陰謀も、実は考え無しだったんじゃないの?」

「そうよねぇ。無能王とか呼ばれてるけど、ホントは頭いいとか思ってたのに。やっぱ大馬鹿なのかしら」

 

 ピンクブロンドも赤毛の言い分に賛成。しかし、オルレアン公夫人だけは、二人とは正反対の重い表情を浮かべていた。

 

「その……考えづらいのだけど……。もしかしてガリア王は、後悔してるのかもしれません」

「後悔?」

 

 母親にタバサが聞き返す。夫人はゆっくりと娘の方を向いた。

 

「あなたの父さま、オルレアン公を手にかけた事を。だから死後の世界に行って謝りたいのではないかと……。私たちの扱いが大きく変わったのも、償いがしたいからではと……。何が切っ掛けでそうなったのかは、分かりませんけど」

「…………」

 

 タバサは黙ったまま、唇を強く結ぶ。表情が固くなる。

 何が謝りたいだ。今さらだ。自分たち家族を、ここまで滅茶苦茶にしておいて、償いもないものだ。雪風の二つ名を持つ少女に、沸々とした怒りのような感情が湧いて来ていた。

 だが、いくつもの死地を潜り抜けたタバサ。熱くなっても、冷静さは失わない。同時に頭が回り始める。夫人の考えは、一応、辻褄が合う。今までのジョゼフの態度からすると、かなり違和感を覚えるが。いや、だからこそなのかもしれない。ここまでの変化をもたらすものなのだ。尋常な理由のハズがない。さらに実際問題として、ゲルマニアの皇后となれば、ガリア王家の手の内から抜け出す事ができる。母娘揃った穏やかな日々が、取り戻せるかもしれない。

 ジョゼフに対する感情的なものは確かにある。しかし、それだけを理由に拒否するには、手に入らないものが多すぎた。

 

 するとキュルケがふと口を開く。

 

「タバサ。あたしはあなたの考えを尊重するわ。この話、受けるにしても受けないにしてもね。受けないなら、あなた達母娘をあたしが匿う。逆にゲルマニア帝国皇后になったら、第一の忠臣となって、あなたを守ってあげるわ」

「キュルケ……」

 

 タバサは、思わず無防備な表情を晒す。心の奥底を、浮き上がらせたようなものを。それは、純粋な温かみを湛えていた。この小さな少女は、言葉を一つ漏らす。

 

「ありがとう……」

「あたしの心は広いもの。あなたを入れる余裕は、いくらでもあるわよ」

 

 朗らか笑みを浮かべるキュルケ。タバサも、頬を緩める。雪風の二つ名とは縁遠いほどの、穏やかな表情で。

 

 すると急にルイズの方へ向くキュルケ。

 

「そうそう。ルイズが入る分もあるわ」

「な、何言い出すのよ。あんたは……」

 

 文句を言いながらも、顔を赤らめるルイズ。まんざら悪い気分ではないらしい。しかしキュルケ、一言追加。

 

「裏山の雑木林みたいなのがね」

「あ……あんたってヤツは!」

 

 それからよく見る二人のじゃれ合いが始まった。それを楽しげに見ているタバサ。しかし、やがて身を引締める。ルイズとキュルケは察したのか、騒ぐのをやめ、顔つきを固くする。そしてシャルロット・エレーヌ・オルレアンは意を表した。決意を。

 

「私。この話、受ける」

「「「…………」」」

 

 一同は、タバサの言葉を、噛みしめるように耳に収めた。そして強くうなずく。この時、誰もが感じていた。しっかりとした繋がりを。これにより何が起こるか分からないが、何があっても共に立ち向かう。口にした訳ではないが、ルイズ、キュルケ、タバサの三人は、同じ思いを抱いていた。

 

 同日の午後。タバサはシェフィールドに答えを伝える。ミョズニトニルンはこれに、最大限の礼節を持って応えた。そして同じ日、シェフィールドはトリステイン魔法学院を後にする。

 

 

 

 

 

 ガリア王都、リュティス。その郊外にガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿があった。その一室で、ガリア王ジョゼフは、忠実な僕から報告を受けている。機嫌よく。

 

「そうか、そうか。シャルロットは受け入れたか」

「はい」

「重畳、重畳」

「好条件に、受け入れざるを得なかったのでしょう。しかし、よろしいので?オルレアン家は、完全に陛下の手を離れますが」

「シャイターンの門さえ手に入れば、どうでもよい」

「はい」

 

 主の言葉に、静かにうなずく使い魔。思った通りという態度で。

 だいたいジョゼフは、今のオルレアン家に関心があるように見えなかった。オルレアン公夫人を狂わせ、タバサを、娘、イザベラに預けて以来、あの家は彼にとって、どうでもいい存在となったのだろう。それは、ラグドリアンのオルレアン邸宅に、見張りを置いてない点からも窺えた。

 

 ジョゼフは、顎に蓄えた髭に手を伸ばす。さっきまでの機嫌のよさは消えていた。目元がやや厳しい。

 

「次は、ビダーシャルだな」

「はい」

 

 シェフィールドの顔つきも、引き締まったもの。

 ビダーシャル。ガリア王と盟約を結んだエルフ。ガリア国内でも、ほんの一部の人間しか知らない存在だ。だがこの盟約の大前提は、ジョゼフがハルケギニアに混乱をもたらすというもの。エルフにとっては、人間たちがいつまでも一つにまとまらないのが、もっとも望む状況なのだから。しかし、ジョゼフは今からはその逆をやろうとしている。当然、ビダーシャルがネックとなるのは避けられない。

 

「ヤツは今、何をしてる?」

「『ヨルムンガント』の開発はすでに終えています。現在は、火石の製造中です」

「どこまで作れた?」

「陛下がお望みの大きいものは、わずか数個。さすがに容易にはいかないようです。ですが、実験用に作った中小のものは、それなりの数があります」

「そうか……」

 

 椅子にもたれかかると、腕を組むガリア王。青い髭をいじりながら思案に暮れる。そしてポツリとつぶやく。

 

「できれば今後も、ヤツの手を借りたいが……。うなずく訳がないな。ミューズ、何か手はないか?」

「はい……」

 

 シェフィールドは考えを巡らす。最強の妖魔、エルフ。しかも、ビダーシャルはエルフの中で、高い地位にあった人物。腕の方も並ではないだろう。そんな存在を、意のままに操るなど可能なのか。その時、ふと閃いたものがあった。

 

「陛下。やってみなければ分かりませんが、方法がない訳でもありません。しかし、その前に問題があります」

「なんだ?」

「いかにビダーシャル卿を、捕らえるかです」

「ふむ……。確かに、このままという訳にはいかん。余が聖戦に加担するのが知れるのも、時間の問題だろうしな」

「陛下の虚無の御力ならば、可能ではありませんか?」

「殺すのだったらな。だが、捕らえるとなると厄介だ。エルフは話せれば、魔法が使える。かと言って、その後を考えれば喉を潰す訳にもいかん」

 

 ジョゼフの虚無の力は"加速"。文字通り、目にも止まらない速さで動ける。さらにジョゼフは『エクスプロージョン』も使えた。エルフ相手でも戦える。殺すならば、これらの力にナイフ一本あれば事足りた。しかし、捕らえるとなると話は違った。なんと言ってもエルフは口さえあれば、先住魔法が使えるのだから。例え身動きできなくしても、十分ではない。

 その時、ふとシェフィールドの脳裏に、不快な記憶が蘇る。主の言った、話せればという言葉が、呼び水となったかのように。すると不快な記憶は、秘策へと変わっていた。

 

「陛下。その両方を叶える手段があります。喉を潰さずに、エルフを捕らえる手が」

「ほう……。さすがはミューズだ」

 

 ガリア王は楽しげに、青い髭をいじりだしていた。

 

 

 

 

 

「一体、どういう訳なのだ?」

 

 ビダーシャルは目の前に広がる光景に、眉をひそめる。ここは宮殿の端、彼の拠点である礼拝堂に近い空部屋。しかし、煌びやかにしつらえられていた。そして飾られたテーブルの上には、豪華な食事が並んでいる。そしてジョゼフとシェフィールドが、同じく着飾って立っていた。

 エルフは盟約を結んだシャイターン、虚無の担い手に疑問の目を向ける。当のジョゼフの方は手を広げ、大歓迎という仕草。

 

「『ヨルムンガント』が完成したそうではないか。その祝いと、これまでにお前の貢献に感謝を示したくなったのだ」

「感謝だと?」

 

 ビダーシャルの違和感は増すばかり。目の前の男が、感謝など言うのを初めて聞いた。それは彼に対してだけでなく、誰に対しても口にしなかった言葉だ。だがジョゼフは、彼の態度に構わず話し続ける。

 

「ま、我ら三人だけの、寂しい宴ではあるが、存分に舌を楽しませてくれ」

「…………」

 

 どこか腑に落ちないまま席に着くエルフ。並んでいる、食器にグラス、フォークにナイフ。ハルケギニアに来て大分経つ彼からすれば、見慣れたものばかり。しかし一つだけ、奇妙なものに気付いた。食器の一番端に、一振りのナイフが置かれていたのだ。よく見ると、ジョゼフとシェフィールドの席にも置かれていた。

 ビダーシャルは、ナイフを一瞥すると尋ねる。

 

「このナイフはなんのためにある?」

「ん?ああ、それか。実はガリアの田舎料理を、振る舞おうと思ったのだ。その料理は、自分で切り分けるのが醍醐味でな。まあ、お前からすれば蛮族らしい料理と思うかもしれんが、時にマナーを忘れ粗暴に食を楽しむのも悪くないぞ」

「…………」

 

 慎重さが伺えるビダーシャルの態度は変わらない。だが気にせず、ジョゼフは自らワインを振る舞った。

 

「まずは、祝杯といこう」

 

 グラスを手に持つ、虚無の担い手と、彼の使い魔。だがビダーシャルは手にしなかった。その手はグラスではなく、ナイフの方へと向かう。そしてわずかにつぶやいた。急に厳しい顔つきとなるエルフ。ナイフ周辺の精霊から、異様な気配を感じとっていたのだった。

 

「なんだ!?このナイフは!」

「ん?どうかしたか?」

「とぼけるな!ただのナイフではないな?」

「ふぅ……」

 

 ジョゼフはグラスを置くと、大きくため息をつく。そして急に拍手しだした。愉快そうに。

 

「さすがはネフテスのビダーシャル。少々、甘く見過ぎていたわ」

「貴様……」

「まあ、そういきり立つな。まずは謝っておこう」

「!?」

 

 さらに違和感を深めるエルフ。目の前の尊大な王が、今度は謝ると言い出した。またもらしくない言葉。だが今、気にするべきはこれではない。この妙なナイフが、何故、ビダーシャルの席に置かれていたかだ。

 ジョゼフはワインを一口飲んだ後、テーブルの上で手を組む。そして世間話でもするかのように、話を切り出した。

 

「実はな、余は聖戦に組することにした。盟を破ったのは、悪いと思っている」

「な!?どういう事だ……?」

「聖地奪還など興味はないが、シャイターンの門を使いたくてな。そうだ。余に門が使えるよう計らうのなら、聖戦の話、白紙に戻してもいいぞ」

「ふざけるな!」

 

 冷静なビダーシャルにしては珍しく、声を荒げていた。しかし、ジョゼフの振る舞いは変わらない。

 

「では、こうしよう。サハラ攻略に手を貸してくれれば、お前をエルフの王にしてやろう」

「貴様というヤツは……!」

 

 常に落ち着いていたエルフが、激情を放っていた。そもそも彼がハルケギニアに来たのは、聖地にあるシャイターンの門に、虚無の担い手を近づかせないためだ。条件に関わらず、ジョゼフの要求を呑むはずがない。

 ビダーシャルは、すぐさま椅子から立ち上がる。

 

「全てはここまでだな。私はサハラへ帰る」

「それは困る。今の話、エルフ共に知られる訳にはいかん」

 

 ジョゼフは軽く指をならした。同時に、シェフィールドが立った。さらに入り口から兵達が、飛び込んできた。しかし全く動揺を見せないビダーシャル。

 王は命じた。

 

「捕らえよ」

 

 一斉に飛びかかる兵達。しかし、全員、跳ね返される。金髪の妖魔はすでに、『カウンター』の魔法を発動させていた。鉄壁の防御を固めたビダーシャルは、冷静に対応しつつも険しい表情のまま。だがジョゼフとシェフィールドも、当然の結果と揺るぎもしない。長らく結んでいた双方。エルフの手の内など、分かっている。

 ビダーシャルは踵を返す。

 

「では、帰らせてもらう」

「それは困ると言った」

 

 ジョゼフは言葉と同時に杖を振るった。

 軽い爆発が起こる。虚無の魔法『エクスプロージョン』。『カウンター』の障壁が霧散した。虚無の魔法は、エルフが使う先住魔法、彼らの言う精霊魔法の天敵。この程度の魔法でも、効果は十分にあった。

 だがビダーシャルの対応も素早い、ただちに次の魔法を唱えようとする。

 

「ん?」

 

 その時、驚きが彼を包んだ。ジョゼフの姿が消えていたのだ。同時に、口の中に何かが入っているのに気付く。

 

「遅い、遅い」

 

 脇から馴染んだシャイターンの声が届いた。彼の視界の右隅に、青い髪の偉丈夫が入る。ジョゼフの虚無、本来の力、"加速"。それが今、発露した。彼以外には、テレポーテーションしかたのように見えただろう。この狭い部屋だ。ジョゼフの前では、一言、漏らす隙すらない。

 しかし何故か王は攻撃するでもなく、エルフの口に手を入れただけ。ただし指先には、小さな黒い玉が挟まれていた。それがエルフの喉の奥へ落とされる。思わず飲み込んでしまうビダーシャル。

 次の瞬間……。足の力が突然抜けた。床へと這いつくばる。

 

(!?)

 

 ビダーシャルには、まるで状況が理解できない。そして、強大な魔法を唱える口は、訳の分からない事を喚き始めていた。

 

「まことに!まことに!申し訳ありません!」

 

 益々混乱に陥る最強の妖魔。

 

「皆さまに、逆らうなど持っての他!礼節を全くわきまえぬ態度、謝罪しても謝罪しきれません!」

 

 考えてもいない言葉が、次々と口から出てくる。勝手に。さらにその身も自由を奪われていた。両手を床につけ、足を折り、腰を曲げ、顔は下ばかり向いている。異世界で言う土下座の姿勢。

 

(な!?なんだのだこれは!?一体何がおきている!?体がまるで言う事をきかん!)

 

 言葉は頭を巡るだけで、声にならない。すると、脇からジョゼフの大笑いが聞こえた。

 

「ハッハッハッハッ!これは傑作だ!お前の、こんな姿が拝めようとは!」

 

 罵りが長い耳に届く。屈辱が胸に湧き上がる。人間達を、蛮人と見下していただけに、余計に今の有様は我慢がならない。だがビダーシャルは、言い返すどころか、指一本すら動かせなかった。

 

(何をした!?一体何をされた!?)

 

 言葉は、頭の中に響くだけ。口からは、一言も出て行かない。

 ジョゼフはしゃがみ込むと、ビダーシャルの顔を覗き込む。余裕を持って語り掛けた。

 

「種明かしをしてやろう。お前がこんな目にあっているのは、さっき貴様に飲ませた薬のせいだ」

 

(!?)

 

 ほんの少し前の出来事が脳裏に蘇る。ジョゼフが口に手を入れた時、確かに何かを飲み込んだ。だがエルフである自分に、人間たちの薬が効くとは信じがたい。虚無の担い手は話を続けた。

 

「もちろん、ただの薬ではない。あのゲンソウキョウのものだ。しかもそれを作ったのは、天界のさらに上に存在する連中だそうだ。神や天使のいるという天界の上にある存在とは、想像もつかんが。ともかく、我々の世界の者が、どうにかできるものではないようだ。例えそれがエルフでもな」

 

 ジョゼフの言う天界の上にある存在。つまり宇宙人。この薬を作ったのは、月の英知、八意永琳だった。シェフィールドが幻想郷に行った時、彼女から渡された薬の一つだ。永琳は緊急用などと言っていたが、実は土下座して謝り続けるという底意地の悪い薬。シェフィールドはこれを風見幽香の前で使ってしまい、酷い目にあった。

 

 単に辱しめを与えるだけの薬。しかしそれも使い方も次第だ。その結果が目の前の光景だった。シェフィールド自身、これほど有用とは思ってもみなかったが。この薬を飲んでしまうと、土下座しかできず、謝罪しか言えない。つまり口も体も完全に、当人の思い通りにならなくなる。エルフを捕らえるには最適だ。

 

 ガリア王は兵たちに命ずる。

 

「こいつを捕縛せよ。それから轡を忘れるな」

「はっ!」

 

 謝罪し続けるビダーシャルを、身動きできなくする兵士たち。さらに口には特製の轡を取り付けた。これは飲み食いこそできるが、魔法を唱えられなくするもの。最強の妖魔は、全く抵抗できずに捕らえられる。そして特別牢へと、連れていかれた。

 

 残ったジョゼフとシェフィールド。ガリア王はビダーシャルの席へと近づく。そして先ほどのナイフへ視線を落とした。

 

「地下水。上手くいかなかったようだな」

「申し訳ありません。やはりエルフは、一筋縄ではいかないようです」

 

 ナイフが言葉を返していた。だが二人は、わずかの驚きも抱かない。

 このナイフ、実はインテリジェンスナイフ。"地下水"と呼ばれており、通常はジョゼフの娘、イザベラの配下として活動している。

 地下水は特殊な能力を持っていた。持った相手を操るというものだ。つまりこのナイフでビダーシャルを操る。これこそシェフィールドが考えた、ビダーシャルを聖戦に協力させる方法だった。この晩餐も、ビダーシャルが自然と地下水を掴んでしまうように仕組んだ策。失敗したが。

 だがそれが成功しても問題はあった。人間相手ならともかく、エルフに地下水の能力が通用するかどうか。そして今、答えが出た訳だ。簡単ではないと。

 

 ジョゼフは髭をいじりながら唸る。

 

「さて……どうしたものか。始末するしかないのか……」

「一つ考えがあります。いかなる者も抗うのが困難な方法が」

 

 地下水の提案に、王は表情を緩めた。

 

「申せ」

「極限まで弱らせればよいのです。そうすれば、心を乗っとるのも造作もないでしょう」

「なるほどな」

 

 ジョゼフの頬が吊り上がる。楽し気に。すぐにシェフィールドの方を向く。

 

「ミューズ。ビダーシャルに食事を与えるな。水のみだ。ただし、死なすなよ」

「御意」

 

 ミョズニトニルンは厳かに礼をすると、ただちに部屋を出て行った。残ったジョゼフは、一人席に戻ると、ワインをグラスに注いだ。一気に飲み干した口元に、喜びが浮かびだす。そこにはかつてとは違い、どこか冷めたものが窺えない。もはや無軌道で気分任せの王ではなかった。狙いを定め真っ直ぐに進んでいる。腹を決めたハルケギニア最強の国の主がここにいた。

 

 

 

 



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虚無条約

 

 

 

 

 シェフィールドが帰った翌日の放課後。ルイズは幻想郷組の寮にいた。目の前には三魔女がいる。彼女達を前に、ちびっこピンクブロンドは必死に訴えかけていた。デルフリンガーに騙されて召喚してしまった得体のしれない化物について。本来なら昨日話す予定だったのだが、タバサの騒ぎのおかげですっかり忘れていたのだった。

 自分が描いた絵について、言葉を交えながら身振り手振りで説明するルイズ。

 

「……だから、魚に手が生えたようなヤツよ!」

「それはもう聞いたぜ。けどなぁ。なんだよそれ?」

「分かんないから聞きに来たのよ」

「妖魔じゃないのか?」

「違うわ。あんな不気味なの、知らないもん。本でも読んだ事ないし。妖怪で心辺りない?」

「人魚……。いや、さすがにグロすぎるか……。やっぱ、知らないぜ」

 

 魔理沙は、ルイズの描いた下手くそな絵を眺めながら答える。同じく、渋い顔のパチュリーとアリス。ルイズの説明は要領を得ず、抽象的なので理解しかねていた。だいたいルイズ自身が、見た物をよく把握できていない。召喚したのは寝る直前だった上、召喚後すぐに飛び去ってしまったため、ハッキリと覚えていないのだった。

 あれやこれやと、思いつきを次々と口にする一同。その時、ノックの音がドアから届いた。同時に声も。

 

「失礼します。シュヴルーズです。ミス・ヴァリエールはこちらですか?」

「え?はい」

「学院長がお呼びです。お急ぎでしたよ」

「学院長が?はい!分かりました!」

 

 すぐに席を立つルイズ。そこに魔理沙が楽しそうに茶々を一つ。

 

「また、天子が何かしでかしたのか?」

「最近は悪さしてないわよ」

「ま、とにかく行ってこいよ。その化物は、こっちでも考えてみるぜ」

「うん。お願いするわ」

 

 ルイズは一言残すと。すぐに部屋を出た。

 

 その後彼女は、学院長室で想像と違うものを告げられる。王宮からの呼び出しがあり、ただちに登城せよとの事だった。

 

 

 

 

 

 女王の執務室。ルイズ前に、国家の主と宰相、そして近衛兵がいた。アンリエッタとマザリーニ、アニエスだ。ルイズは長机の端に座り、彼らと対面している。儀礼的な挨拶の後、まずマザリーニが口を開いた。

 

「ミス・ヴァリエール。この度、陛下がロマリアへ訪問される事となった。そこで陛下に同行してもらいたいのだ」

「私がですか?何故でしょうか?」

 

 率直な疑問を口にするルイズ。公的にはただの学生である彼女。いくらアンリエッタの幼馴染だからと言って、外交訪問に同行するというのは奇妙だ。彼女の問に枢機卿は答える。

 

「ふむ……。では、最初から話をしよう。実はロマリアから条約締結の話があったのだ。しかもそれは、トリステイン、ロマリア間だけの話ではない。トリステイン、アルビオン、ガリア、ゲルマニア、そしてロマリアとの間で条約調印を目指すものなのだよ」

「ほとんどハルケギニア全部じゃないですか!」

「左様。つまりはハルケギニアに平和をもたらす、画期的な条約となるであろう」

 

 それからマザリーニの説明が続く。タバサとアルブレヒト三世の婚約を切っ掛けに、最近ゲルマニアがガリアと同盟を結んだ。トリステインとゲルマニアはすでに同盟済。アルビオンはトリステイン、ガリアと友好条約を結んでいる。ロマリアはもちろん各国の宗教的中心。これらによりハルケギニア主要国は、間接的ながら全てが繋がった事となる。これを機に、ハルケギニア全土に渡る同盟を結ぼうという話がロマリアから出たという訳だ。

 

 やがてアンリエッタが声をかけた。

 

「こんな外交行事に、あなたが同行するのはおかしいと思うのは分かります。実は宗教庁から、ルイズを帯同するようにと要請があったのです」

「え?私を名指しでですか?」

「はい。わたくしも不思議に思ったのですが、宗教庁の要請では受け入れる他ありません。あなたには手間を取らせて申し訳ないけど」

「いえ……そんな。別にかまいません。分かりました。同行させていただきます」

 

 ルイズは毅然と胸を張って女王の依頼を受ける。しかし、同時に別のものが脳裏を過っていた。シェフィールドの言葉が。ミョズニトニルンはこう言っていた。聖戦をロマリアが考えており、いずれルイズにも声がかかると。それが今回の話だと察する。ただアンリエッタがルイズの呼ばれた理由を分かっていない所を見ると、どうも聖戦については知らないようだ。

 だがこれから外交交渉に行くというのに、相手の真意を知らないのは不味い。どんなペテンに引っかけられるか。彼女も最近、デルフリンガーのペテンにハマったばかりなので、余計に気になった。ルイズは姿勢を正すと、一つ深呼吸をする。おもむろに話しだした。

 

「陛下。ロマリアが和平を目指してるように思われているようですが、真意は違います」

「え?どういう事です?」

「実は……」

 

 ルイズは学院に来たシェフィールドについて話した。天子の力を使って、ガリアの思惑を聞き出したと。その中に聖戦の話があったと。天子の力についてはアンリエッタも経験済みなので、彼女の話を信じる他ない。

 女王はポツリとつぶやく。

 

「聖戦だなんて……」

「ですが、分からなくもないですな。これだけ虚無が確認されれば、宗教庁が聖戦を考えるのも自然と言えます。しかしガリア王までもが虚無だとは……」

 

 マザリーニが髭をいじりつつ唸る。実はガリア王が虚無である事は、以前彼は聞いていた。しかし黒子の仕業により、記憶を消されていたのだった。

 ともかく、単なる和平を目指す条約ではないとなると対応は違ってくる。女王は心痛な面持ちで、話しだした。

 

「我が国は先の戦争で失った空軍の回復のため、かなり国庫に負担をかけています。アルビオンにおいては、それどころではないとか。そんな状況で聖戦などと……」

 

 マザリーニも同じく重い顔つき。近年動乱に巻き込まれていたこの国に、ようやく平穏が手にはいるかと思ったら、じつは新たな戦争が起こるかもしれないとは。彼は枢機卿という神職ではあるが、同時にトリステインの政務を預かる立場。アンリエッタの懸念も理解していた。しかしブリミル教徒が、教皇の命に逆らうのが難しいのも知っていた。

 

「陛下。すぐに聖戦が行われるとは限りませんぞ」

「そう……ですが」

「引き延ばすという手もあります。事前にアルビオンと話をつけては?両国とも内政問題が山積しています。虚無を抱えた二国が意見を出せば聖下も、考慮なさってくれるでしょう」

「……。分かりました、やってみましょう」

 

 女王はうなずいた。

 そしてルイズの女王との謁見は終わる。彼女の胸中には、新たな不安が浮かび上がっていた。聖戦などと。確かに今までも戦争の現場や、敵地へ飛び込んだ事もあったが、おそらくそれらを上回る大戦争になるだろう。やっていけるのか。そしてやるべきなのか。虚無の担い手ならば、問うべきでない疑問が頭をかすめていた。

 

 

 

 

 

 魔理沙がアジトの廊下を歩いていると、珍しいものが目に入った。天子が部屋で何やら整理をしていた。別に魔理沙のように片っ端から物を集めているという訳ではないが、それでも彼女の部屋にはそれなりに物があった。一方で整理をしないという点は、魔理沙と同じだったりする。

 白黒魔法使いは部屋をのぞき込むと、声をかける。

 

「お前でも整理ってするんだな」

 

 自分の事は棚に上げて、こんな事を言っている。天子の方は手を進めながら答えた。

 

「探し物してんのよ。ルイズに付き添わないといけないから、ちょっと持っていきたいものがあってねー」

「ルイズに付き添う?どこ行くんだよ」

「ロマリア。なんか女王に、付いていかないといけないんだって。聖戦絡みの話らしいわよ」

「聖戦……!」

 

 魔理沙はその言葉を耳に収めると、すぐにこの場を去った。

 

 アジトのリビング。いつもの三魔女が集まっている。魔理沙の聖戦という言葉を聞き、アリスが気分よさげに言った。

 

「チャンスじゃないの」

「だな。利用しない手はないぜ。これでワルドに仕込む必要もなくなったしな」

 

 魔理沙も不敵な笑み。

 彼女達がここで言うチャンスとは、デルフリンガーを捕まえるという意味でだ。聖戦成立となるとワルドの目標、正確には永琳達の仕込みが完了したとなる。するとワルドの幸運効果が、今後働かなくなるもしくは弱まる可能性があった。この話を以前アジトでした。それをデルフリンガーは聞いているハズだ。黒子達にとって、邪魔なワルドを排除する絶好の機会。すなわち、姿を隠したデルフリンガーが表に出てくる可能性がある。そこを狙う訳だ。

 やけにテンション高めな二人に対し、一つ釘を刺すパチュリー。

 

「聖戦が成立すればの話よ」

「けど悪くない賭けだろ?」

「それは、そうだけどね」

 

 紫パジャマも一応うなずく。確かに自分たちにとっては、都合のいい展開だ。するとふと、もう一つのアイディアが、パチュリーの脳裏に浮かんだ。七曜の魔女は珍しく、楽しそうに口を開く。

 

「どうせ賭けるなら、もう少し上乗せするのはどうかしら?」

「ん?」

 

 白黒と人形遣いは、不思議そうに彼女の顔を見ていた。

 

 

 

 

 

 アリスはティファニアの部屋の前にいた。ノックの後、ティファニアが顔を出す。

 

「あれ?アリスさん。こんばんわ。どうしたの?」

「夜遅く悪いわね。ちょっと話がしたいのよ」

 

 人形を抱え、柔和な顔つきの人形遣い。ティファニアも明るい表情を返す。そしてドアを大きく開けた。

 

「分かったわ。じゃあ、中に入って」

「お邪魔するわ」

 

 アリスはそのまま部屋へと入っていく。

 部屋の中は一般の生徒の寮と同じ。アルビオンの女王である彼女だが、ここでの扱いは生徒。さらに元々田舎育ちのせいか、質素な佇まいの部屋だった。キュルケとは大違いだ。もっともタバサの部屋が、こんな感じに近いが。

 小さなテーブルを挟み、対面した二人。さっそくアリスが話しだした。

 

「ロマリアに行くって話、聞いてる?」

「え!?なんで、知ってるの?」

「ルイズから聞いたのよ。ここの女王もロマリアに行くってね。ルイズはそれに付き添うそうよ。なんか平和会議に出るとかかんとか」

「……うん。昨日、手紙が来たわ。そう書いてあったわよ。私も行く予定になってる。もう少ししたら迎えが来るって」

「そう」

 

 わずかに頬を緩めるアリス。何やら腹に一物ある表情。ティファニアはまるで気づいていていないが。

 ちなみに幻想郷の面々は、ティファニアが女王である事を知っている。ルイズが教えたのだった。彼女はティファニア護衛を頼まれている。状況によっては人妖達の手を借りるかもしれないと思い、全てを明らかにした。もちろん厳しく口止めして。

 

 アリスはテーブルの上に人形を置くと、手を組んで穏やかに話す。

 

「ちょっとアドバイスがあるんだけど?いいかしら?」

「何?」

「帰りに、アンリエッタ女王を一緒に帰ろうって誘ったらどう?」

「え?何で?」

「ほら、トリステインとアルビオンはいろいろあったでしょ?」

「あ……うん……」

 

 少しうつむくティファニア。神聖アルビオン帝国は今のアルビオン王国とは別ものとは言え、アルビオンとトリステインの間に戦争があったのは事実だ。それにティファニアとマチルダの両親の仇であるテューダー家は、トリステイン王家の親戚でもある。そしてテューダー家王子、ウェールズ・テューダーはアンリエッタの恋人だった。モード王家とトリステイン王家の間には、一言では表しにくい関係があった。

 アリスは言葉を続ける。

 

「だから、女王同士が顔を合わせたら、そういうギクシャクした所が少しは風通しよくなると思ったのよ」

「……。うん。そうね。そうかもしれない。チャンと話せば仲良くなれるわ。きっと」

 

 ティファニアはベアトリスの事を思い出していた。最初は自分に意地悪をしてきた彼女だが、今では大の仲良しだ。少々ベアトリスがべったり気味なのは置いといて。力を尽くせば人と人は分かり合える。彼女は身をもって、それを知っていた。金髪の妖精は力強くうなずいた。

 一方のアリスの方も、柔らかい笑みを浮かべる。ただし考えている事は、ティファニアとはまるで別ものだったが。彼女は最後の仕上げに入る。

 

「後、この話、私がアドバイスしたの黙ってた方がいいわよ」

「なんで?」

「誰かの助言じゃなくって、アルビオン女王が思いついたって方が、アンリエッタ女王も受け入れ安いでしょ?」

「あ、そうね。うん。分かったわ」

 

 金髪の妖精は、素直に助言を受け入れる。そしてアリスに感謝。いいアドバイスを貰ったと。

 

 やがて話は終わり、アリスは部屋を出る。最後にティファニアはドアの側で声をかけた。

 

「アリスさんていい人ね」

「……。国のトラブルは誰にとっても迷惑でしょ?それだけよ」

「それでもよ。いつかお礼するわ」

「別にいらないわよ。それじゃぁ、お休みなさい」

「うん。お休みなさい」

 

 ティファニアは部屋へと引っ込んだ。扉の前で、アリスは少々渋い顔。妙な罪悪感がポツリと浮かんできて。彼女のこの行動。当然、純粋な好意の訳がなかった。

 

 

 

 

 

 その日、ロマリアでは厳戒態勢が引かれていた。いつもは貧民達が目に付く路地も、今日に限っては一人もいない。何故なら、ハルケギニア主要国の主が、一同に介しているのだ。こんな事は、ハルケギニアの歴史上でもほとんど見られない。まさに歴史的瞬間であった。

 

 フォルサテ大聖堂の大会議室に、豪華な作りのテーブルが置かれていた。すでに各国の首席達と重臣達は席についている。上座には教皇ヴィットーリオ。他の席にはガリア王ジョゼフ、トリステイン女王アンリエッタ、アルビオン女王ティファニア、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の姿があった。さらに教皇補佐としてジュリオ、まだまだ政務もおぼつかないティファニアを補佐するため宰相マチルダ、そしてワルドも控えていた。そしてルイズは、臨時の女王補佐官という肩書きでアンリエッタに同席していた。同じくマザリーニ枢機卿も女王を補佐するため、同席している。

 

 一方で、シェフィールドや天子と言った、虚無の使い魔はここにはいなかった。シェフィールドは別室で控えていたが、天子の方はロマリア市内にすら入っていない。ハルケギニアで一番教義にうるさいロマリア。天子を入れてはトラブルになると、ルイズが外で待つように言ったのだった。それに寺院の飾りこそ華やかだが町としては陰鬱としており、天子自身がそう興味を持たなかったのもあった。ちなみにジュリオがここにいるのは、あくまで宗教庁の役職としているだけで、虚無の使い魔だからという訳ではない。

 

 ヴィットーリオは席から立ち上がると、厳かに礼をする。

 

「信徒のみなさん。よく、わたくしの呼びかけに応えてくれました。感謝の気持ちを抱かずにはいられません」

 

 教皇みずからが礼に、アンリエッタやルイズ、アルブレヒト、ワルドなどは、信者として当然とばかりに返礼。ヴィットーリオは各国からの言葉を、穏やかな笑みで受け取る。しかしそれもわずかな間。ほどなくして、姿勢を整えると、表情を引き締まったものへと変えた。そして教皇は静かに告げる。

 

「会談を始めるまえに、みなさんに明らかにせねばならない事実があります」

「「「……」」」

「わたくしは虚無の担い手です」

「「「な!」」」

 

 王達や皇帝が、思わず声を上げ、目を見開いて驚いていた。今回の会議は名目上和平会議。だが複数の虚無の担い手が参加する事から、ロマリア側からも虚無が現れるのではと、各国は予想していた。しかし教皇自身がそうであるなど、思いもよらなかった。さらにその後、ジョゼフ自ら、自分も虚無だと告げる。いきなりの二つの虚無の登場は、各国の重臣達を動揺させ、一時会議を中断させるほどのものだった。

 

 しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した大会議室。最初に口を開いたのはマチルダだった。

 

「教皇聖下。一つ伺ってよろしいでしょうか?」

「なんでしょう?サウスゴータ卿」

「つまり、この場に全ての虚無が揃ったという訳ですね」

「はい。その通りです」

「ならば、誰もが思い浮かべるのは"聖戦"」

「…………」

「この会議は、ハルケギニアの和平のための会議と伺っていたのですが。実は、次の戦争のための会議ですか?」

 

 教皇の前だというのに、率直に聞いてくるマチルダ。事前にトリステインから聖戦について聞いていたとは言え、大胆な物言いだった。

 だいたい彼女にとっては聖戦だろうとなんだろうと、戦争なぞ迷惑なだけだ。そもそもアルビオンに平和をもたらすため、ティファニアを王位につけたのだ。ティファニアがそれを望んだのだから。彼女自身もそのために王となった。それがすぐに次の戦争などと論外。元々信心深い訳でもないので、なおさらだった。

 

 ヴィットーリオは、穏やかに言葉を返す。

 

「アルビオンは長い動乱がようやく収まり、これから国を立て直さねばなりません。宰相の懸念も理解できます」

「では、今回の会議。なんのためのものなのでしょうか?聖下の真意をお聞かせください」

「サウスゴータ卿の言われる事は、両方とも正しいです。すなわち和平と聖戦の会議です」

「和平と聖戦?」

「ジュリオ。例のものを」

 

 教皇はわずかに後ろを向く。するとジュリオが背後の台に乗っている様々な資料を手にし、テーブルへ広げた。各国代表の目に映るのは、様々な場所に印のついたハルケギニア全土の地図に、多くの数字の並んだ添付資料。王や皇帝、重臣達は眉をひそめた。ヴィットーリオの意図がまるで読めないので。アンリエッタが不思議そうに尋ねてくる。

 

「聖下……。これは……なんなのです?」

「現在、ハルケギニア各地で土地の隆起が観測されています。その中でも特に目立つ場所を、この地図に印しています。今なお隆起は続いています。」

「土地の隆起?それと今回の会議に何の関係が?」

「これは地下に溜まった風石によるもの。そのため、やがては大地ごと宙に浮く事となるでしょう。しかもそれが、ハルケギニア全土に及んでいるのです」

「全土……」

「つまりは、ハルケギニアという大地そのものが、崩壊しようとしているのです」

「「「な!?」」」

 

 余りに突拍子もない話に、言葉を失う各国の主たち。さらに教皇は、畳みかける様に話を続ける。

 

「我々が調べた所、このハルケギニア全土における隆起、"大隆起"は過去にもあった事が確認できています。空中大陸であるアルビオンは、その名残なのです」

「「「……!」」」

 

 唖然とした表情の並ぶ大会議場。ほどなくして各国代表は、慎重に教皇の言葉を噛みしめる。すると今度はアルブレヒト三世が尋ねてきた。露骨な疑いの目で。

 

「聖下。今の話、まことですかな?ハルケギニア全土が崩壊するなど、あまりに荒唐無稽すぎてにわかには信じがたい」

「仰りよう、ごもっともです。ならばご自身で確かめるのが一番よろしいでしょう。これらの資料、全て写し取っていただいて構いません。是非、調べてみてください」

「……。そう仰るなら、そうさせていただくが……」

 

 あまりに平然とした教皇の態度に、いつもは不遜な皇帝もうなずかざるを得ない。ここでさっきから黙り込んでいるジョゼフが、口を挟む。姿勢こそ気怠そうだが、その眼光には鋭いものが宿っていた。

 

「で、その大隆起とやらが事実として、聖戦がどう絡む?」

「聖地には扉があります」

「…………」

「その先には、死者の魂が眠っています。別の言い方をするならば、過去の意志の集う場所。その英知により、この未曾有の危機から脱するのです」

「過去の英知なら、書物にあるだろうが」

「どの書物にもないものがあります」

「なんだそれは?」

「始祖ブリミルの真の英知」

「……」

 

 ジョゼフは口を閉ざした。わずかに頬を緩め。今一つ、ロマリアがシャイターンの門を求める理由が分からなかったが、これで合点がいった。死者の世界を求めるのは、自分もヴィットーリオも同じだが、会う相手が違ったかと。

 一方で他の面々は、またも驚きに表情を強張らせる。次から次へと出てくる妄言にすら聞こえる話に。どよめく大会議室。だがそれらを制するように、上段からの透き通った声が発せられた。

 

「大隆起の件。みなさんが受け入れ難いと考えるのも、無理もありません。ですから、まずは各国で確認を取る事を優先したいと思います。この件について話し合うのは、その後としましょう」

「……」

「いずれにしてもハルケギニアが一つになるのは、不可欠です。聖戦の話は一先ずおいて、まずはハルケギニアに平和をもたらしましょう」

 

 ヴィットーリオは全てを包み込むような穏やかな笑顔で、そう告げた。まずは平和と。それを耳に収めた各国代表。胸の内は複雑に渦巻くだけ。むしろ混乱していたと言った方が近い。ジョゼフやワルドを除いて。

 

 それから会議は三日続き、最終的に五カ国で同盟条約が結ばれる。その条約の名は『虚無条約』。あたかも、聖戦が規定ラインになっているかのような名称だった。

 

 

 

 

 

 

 会議も終わり、すでに各国代表は帰路についていた。そしてトリステイン女王アンリエッタもそれは同じ。ただし、今いるのは自国の御座艦ではない。アルビオンの旗艦だった。

 ティファニアはアリスから頼まれた通り、アンリエッタに同行を提案する。それに彼女がうなずいたという訳だ。アンリエッタ自身も、いつかティファニアと話しておきたいと思っていたので、渡りに船でもあった。両国ともロマリアからは同じ方角という点も、彼女達にとっては都合がよかった。

 

 現在、両国の艦隊は並走し北へと向かっている。アルビオン旗艦の会議室で、二人の女王が顔を合わせていた。さらにマチルダも同席している。ちなみにワルドは別の船に乗っており、ここにはいない。もっともいても、同席はできなかっただろうが。政治的というよりは、個人的に親睦を深めるという意味が強いので。アニエスもアンリエッタの護衛として付いてきていたが、同じ理由で今は部屋の外にいた。

 

 両女王は挨拶を交わした。まずアンリエッタから。

 

「この度は、お誘いいただき、本当にありがとうございます」

「あ、そんな、別に。私も一度、話したいと思ってた……思っていました……し」

「ふふ……。普段通りに話されても構わないのですよ。わたくしたちは、同じく王位にありますから」

「そうなの?だったら……」

 

 肩の力を抜こうとしたティファニア。だが横から厳しい声が飛び込んでくる。

 

「陛下。御自重ください」

「マチルダ姉さん……。だってアンリエッタさんが……」

「サウスゴータ卿とお呼びください。それにその言葉遣いはなんですか。アルビオン女王として自覚をお持ちください。これも訓練です」

「はい……」

 

 小さくなる金髪の妖精。その様子を微笑ましくアンリエッタは見ていた。まるで仲のいい姉妹のようだと。

 それから形式的な会話の後、アンリエッタが一つの指輪を取り出しテーブルに置く。ティファニアはしばらく不思議そうに眺めていたが、ふと思い出した。

 

「あ!これ秘宝の指輪!」

「はい。これは『風のルビー』です。わたくしが預かっていました。これをお返しします」

「えっと……いいんですか?」

「ええ。本来はアルビオン王家のものですから」

 

 アンリエッタは笑顔で指輪をティファニアに渡していたが、胸の内には寂しさが滲みだしていた。この指輪は亡くなった恋人、ウェールズの唯一の形見。それを手放すのだから。だが一方で、ティファニア達の両親の命を奪ったのも、ウェールズの家なのだ。彼女にとってこれを返すのは、過去へのケジメでもあった。ウェールズへの想いが消える訳ではないが、これからは前を向くべきと。

 ティファニアは勧められるまま、指輪を嵌める。さらにアンリエッタは、平静を装いながらもう一つの話を始めた。

 

「その……お二方のご家族について……」

 

 しかしここでマチルダの落ち着いた声が挟まれる。

 

「陛下。私共の家に起こった不幸については、陛下が気を病むような話ではありません。全てはテューダー家とモード家の間の事。トリステイン王家は関係ありません。何よりも全ては済んだ事です。私共もこうして、日の当たる場所に出られたのですから」

「そう……ですか。そう言っていただけると。ありがたいです」

 

 テューダー王家を挟んでいるとはいえ、因縁のある双方。だがマチルダは全て水に流す事にした。これ以上、禍根を残しても意味がない。少なくとも、ティファニアのためにはならないのだから。

 それから三人は、他愛のない会話を交えていった。両国の複雑な関係を、解きほぐすかのように。

 

 両女王の直接会談の数日後。トリステインまで後わずかな距離となる。今、アンリエッタは御座艦にいる。もう間もなく両艦隊は別れる。何事もなかった船旅。ルイズも部屋で時間を潰すだけ。ふとティファニアの事を思っていた。会談の後、アンリエッタに会ったが気分がよさげだった。会談はうまくいき、お互い好印象を持ったようだ。とりあえずルイズは胸をなでおろす。二人共、大切な友人には違いないのだから。その後聞いた話では、ティファニアは一旦アルビオンに帰るそうだ。学院に戻るのはその後。次に顔を合わせるのは、結構先になるだろう。

 

 ぼんやりした目で、何の気なしに外を眺めていた。するとごそごそとした音が聞こえてくる。振り向くと天子が何やら、手荷物をまとめていた。大した量ではないが。

 

「天子。何やってんの?」

「ん?帰るの。ちょっと用があってねー」

「はぁ?何言ってんのよ!まだ姫様、城に戻ってないのよ。そこまでが役目でしょ!」

「別にいいじゃないの。だって条約成立しちゃったんでしょ?ガリアだって味方になったんだから、危険なんてないわよ。これだけの艦隊襲う空賊だっていないだろうし」

「役目ってのは、そういうもんじゃないわよ!」

「んじゃねー」

 

 天人は主のいう事など全く聞かず、窓を開けると飛び出していった。

 

「あ!こら!」

 

 慌てて窓から顔を出すルイズ。しかし天人の姿はもはや見えない。

 

「ぐぐぐ……!あいつはぁ!」

 

 相も変わらぬわがまま天人。今回の旅では、やけに素直だったので油断していた。まさか最後の最後でやらかすとは思ってもみなかった。だがもはや手遅れ。連れ戻せる訳もなし。確かに天子の言う通り、危険性はかなり低い。しかしである。アンリエッタ直々の命だというのに、こんな中途半端な形で終えるのは我慢ならない。喚きながら、床を踏みにじるしかないルイズ。

 

 しばらくして気分転換とばかりに、甲板に出る。流れる雲を見ていると、苛立ちも多少は収まってきた。確かに天子のわがままは今に始まった事ではないし、この旅ではルイズの言う事を珍しく素直に聞いていた。今回ばかりは、大目に見るかという気持ちになり始める。

 

「ん?」

 

 急に妙な違和感がルイズの脳裏を過る。あの天子が、素直に言う事を聞いていた?おかしいと。疑問が湧き上がってくる。長らく、あの幻想郷の人妖達と付き合っていたルイズ。何か裏がある。そんな直感が走り出す。

 だが考えを巡らせるルイズに邪魔が入った。奇妙な音が届いたのだ。ブーンという聞き覚えのない音が。単調だが耳障りな音が。しかもそれは、だんだん大きくなっていた。

 

「何?」

 

 艦の縁に駆け寄るルイズ。音の方へ顔を向ける。目に映ったのは見覚えのあるものだった。

 

「ゼ、ゼロ戦!?」

 

 あの『ゼロ戦』だ。コルベールが一時預かっていたが、無人で飛び立ち行方不明となっていた空飛ぶ機械。それが一隻のアルビオン艦へと、真っ直ぐ向かっていた。やがて両翼の銃口が火を噴く。けたたましい断続音と共に。無数の弾丸が、ターゲットを貫く。そのターゲットとは、あのワルドの乗っている艦だった。

 

 同じ頃、ワルドの艦の方は大混乱に陥っていた。見た事もない奇妙なものが、攻撃してきたのだから当然だ。ワルドは艦長室へ飛び込む。

 

「艦長!敵は何者だ!?」

「それがまるで分かりません」

「見張りは何をしてた!」

「報告では、風竜並の速さで飛ぶ得体のしれないものだと……」

「風竜ではないと?」

「はい。鉄か何か、固い物でできているようだとも言ってました」

「鉄?ガーゴイルか?」

 

 顔をしかめ考え込むワルド。その時だった。

 艦長室に、空気を切り裂くような硬質な音がいくつも響く。反射的に身を伏せる船員達。だがその音に誰もが聞き覚えがあった。ワルドがつぶやく。

 

「これは……魔法ではないな。銃か?」

「銃?大砲ならいざしらず、この艦の装甲を打ち抜く銃などありえません」

 

 音は確かに銃弾の音だった。しかも床や壁に、弾痕らしき穴も空いている。だがハルケギニアのマスケット銃の威力では、艦の装甲を貫くなど不可能だ。一体何に攻撃されているのか見当もつかない。ハッキリしているのは、相手に敵意があるという事だけ。

 ワルドは身を翻すと、艦長に告げた。

 

「すぐに竜騎士を出せ。私が指揮する」

「何を言われるのです!外相が自らなどと……。お考え直しを!」

「安心しろ。私には始祖のご加護がついている!」

 

 髭の侯爵は、自信に満ちた顔で艦長室を後にした。

 

 ルイズは指示を仰ごうと、すぐさまアンリエッタの部屋へ向かった。するとアニエスと廊下で鉢合わせする。

 

「丁度よかった。ミス・ヴァリエール。アルビオン艦隊を支援してもらいたい」

「だけど。狙われてるのはあのワルドの艦ですよ?」

「分かっている。だが、今やアルビオンは条約を結んだ友好国だ。その外相を見捨てる訳にはいかないと、陛下はお考えだ」

「……分かりました」

 

 癪に障るが、アンリエッタがそう考えているならしようがない。すぐに甲板に戻るルイズ。もっとも、高速で飛び回るゼロ戦を攻撃する手段は限られていたが。

 

 アルビオン艦隊は、搭乗している全ての竜騎士を出す。ワルドもその中に含まれた。数は決して多くなかったが、相手はわずか一機。簡単に討ち取れると誰もが思っていた。しかし風竜ですらその機動力に振り回され、翻弄されるばかり。ドラゴンに騎乗するワルドが、怒鳴り声を上げていた。

 

「たった一騎に何をしている!」

 

 だがそんなワルドの側を、銃弾が掠めた。振り返るとゼロ戦が真っ直ぐ向かってきていた。

 

「チッ!指揮官が私だと見抜いたのか?だが、お前は始祖ブリミルの名の元に敗れ去るのだ!」

 

 向かってくるゼロ戦に対し、ワルドは逃げるのではなく反転する。

 

 ワルドの乗艦は多数の艦船に囲まれていた。援護をしようと言うのだ。しかし全く手を出せずにいた。それはルイズも同じ。艦の周りでは多数のドラゴンと一機のゼロ戦が飛び回っている。ただドラゴンの方はゼロ戦に引っ掻き回され、混乱の極みにあった。

 『エクスプロージョン』ならゼロ戦を簡単に破壊できるだろう。ただし当たれば。その当てるのが至難。こうもドラゴンと入り乱れては。アンリエッタから支援しろと言われたが、こんな状況では手の出しようがない。

 

「これって……どうすればいいのよ!せめて竜騎士が離れてくれれば、まだ狙い付けやすいんだけど……」

 

 高速で飛び回るゼロ戦を、必死に目で追うルイズ。するとふと奇妙な感覚に襲われる。目に映るは、ゼロ戦と空中戦をしている一騎の竜騎士。お互いが巧みに相手の攻撃をかわしている。だがこの光景。どこかで見たような気がしていた。むしろ経験したと言った方が近い。何かが頭に、現れようとしている。それを引っ張り出すかのように、さらに一騎と一機に集中する。

 だがその時、竜騎士の方が被弾した。

 

「あ!」

 

 ドラゴンが力なく落ちていく。それが目に入った時、夢から覚めたかのように、ルイズの頭にあったものが消え失せていた。

 

 被弾したのはワルドの風竜。彼はすぐさま落ちるドラゴンから離れる。

 

「チィッ!」

 

 舌を打つとフライの魔法を唱えた。そして自分の乗艦へとなんとかたどり着く。落とされはしたが、かすり傷一つ負っていない。ゼロ戦の弾は、全てドラゴンを貫いていた。髭の侯爵は甲板に下りると、水兵へ声を張り上げる。

 

「他にドラゴンはないか!」

「ワルド侯爵!上!」

「上!?」

 

 水兵の言葉に思わず振り向くワルド。するとゼロ戦がすぐそばまで迫っていた。まさしく特攻だった。

 空飛ぶ鉄の塊は甲板に直撃。爆炎が上がる。マストは一本折れ、炎に包まれる。甲板では怒声がうずまいていた。火を消せと。そんな中、笑い声をあげる人物が一人。ワルドだ。

 

「ハハッ……。ハハハハハッ!バカめ。自滅とはな。この私と共倒れなど、出来るものか!」

 

 髭の美青年は汚れを振り払うと立ち上がる。やはり無傷。まさしく幸運と言えるもの。激突直前で避けたワルド。その後ゼロ戦がぶつかった衝撃でめくり上がった甲板の板が、彼をたまたま炎や破片から守ったのだった。

 ワルドは手を組み祈っていた。あれほどの爆発から、この身が助かった事に。

 

「始祖ブリミルよ。この奇跡に感謝いたします」

 

 満足げに顔を上げるワルド。始祖の加護はやはりここにあると。だがその彼に、不思議なものが見えた。甲板中央の炎から、何が出てきたのだ。火をものともせずに。呆気に取られる風のスクウェア。いや、甲板で消火活動を行っていた者は皆、同じく身を固めそれを見つめていた。

 

 それは炎から抜け出すと、姿を見せる。人魚とも半魚人とも区別がつかないような姿が露わになる。大振りな剣を左手に握った化物が。

 

「ワルド……。怪我もしてねぇ。読みそこなったか?」

「き、貴様何者だ!」

 

 すかさず杖を向ける外相。敵意と警戒心を胸に満たす。一瞬、妖魔かと思ったが、こんな妖魔は見た事も聞いた事もない。思い当たるものが何もない。すると化物から声が届いた。疑問の答が。

 

「悪魔だよ」

「何?」

「あ・く・ま。正真正銘の本物の悪魔だ。比喩でもなんでもないぜ」

「何を言って……」

 

 ついさっきまでブリミルの加護に、身を喜ばせていた彼が、不安に駆られていた。醜い人魚は、神の対局の存在と言っている。そんなものが実在するのか。ありえない。ワルドの身体にもう一度、ブリミルへの信仰が浮かびだした。気迫が蘇る。

 

「この妖魔を抹殺しろ!」

 

 甲板の兵達に叫んだ。兵達は一斉に攻撃を始めた。矢や槍、銃弾、魔法までもが化物へと放たれる。全弾命中。当然の結果。何故なら、化物は避けもせず、その大剣で防ごうともしなかったのだから。ともかく倒した。安堵するワルドと兵達。

 しかし、化物は全く揺るがない。倒れる様子もない。やがて半魚人に刺さった矢は、押し出されるように落ち、空いた穴は徐々に塞がり、切り裂かれた傷はすぐに治った。あっという間に元の姿を取り戻していた。そしてまた声が届く。

 

「言ったろ?悪魔だって。矢とか銃とか魔法とか、通じると思ってんのか?」

「な……!?」

 

 信じがたい思いがワルドの胸中を満たす。まさか本当に悪魔なのかと。確かに、ハルケギニアには妖魔がいる。もっとも魔と呼ばれてはいるが、実の所、別種の生物と言うだけの存在。聖典にある神や悪魔などは、信仰の中にあっても実在する訳ではないと、ほとんどの者が考えていた。だがそれがここにある。どう受け止めればいいのか、誰にも分からない。恐怖と戸惑いが、全員の頭に溢れていた。

 

 ワルドはとにかく叫ぶ。自分を激励するように。

 

「惑わされるな!単に頑丈なだけだ。所詮、ただの一匹!続けて攻撃せよ!」

「ハッ!」

 

 兵達も考えるのをやめ、ただ命令に従った。すると化物の方から、面倒臭そうなぼやきが漏れる。

 

「全く……鬱陶しいぜ」

 

 言葉の後、半魚人は右手をかざした。兵達の方へ向かって。

 

「あ、ああ!?」

 

 突然兵達がひざを折る。腹を抑えて倒れ込んだ。口からはよだれが垂れ、視線は泳いでいる。

 

「どうした!何をしている!」

 

 叱責するワルド。しかし彼の言葉に耳を貸す者はいない。その時、一人の兵が、隣の兵に噛みついた。

 

「ぎゃぁぁぁ!」

「た、食べさせてくれ!一口でいい!」

 

 噛みついた兵は正気を失った顔で、鎧ごと相手の腕をかじり取ろうとする。さらに他の兵達が、お互いを食べようともみ合いをしだした。艦の縁に噛みつく者すらいる。茫然とするワルド。戦意は一気に萎んでいた。

 

「な、何が……。なんだこの魔法は!?」

「魔法じゃねぇよ。"魔"に当てられたのさ」

「"魔"?」

「何度も言ってるじゃねぇか。悪魔だって」

「まさか……本物の……」

「天使は信じてんのに、悪魔は信じられねぇか?」

「……!」

「さてと、次はお前の番だ」

 

 そして悪魔は右手をかざした。ワルドの脳に焼けるようなものが走る。強烈な"餓え"が。何かを口に入れなければ、呼吸すらままならいほどの。杖を落とし、膝を落とし、四つん這いになるスクウェアメイジ。

 

「な……な……。が……」

「悪いな。予定と大分違うが、ここで退場してもうらうぜ」

 

 悪魔は左手の剣を構えた。ワルドに真一文字に向かっていく。

 金属がぶつかったような音が響いた。人を貫く音ではない。実際ワルドは無傷だった。そして彼の前に人影が一つ。その人影が、悪魔の一太刀を防いでいたのだ。しかも素手で。

 

「デルフリンガー……だっけ?久しぶり」

 

 非想非非想天の娘、比那名居天子。カラフルエプロンの乱入。鋼鉄の皮膚が、デルフリンガーを止める。苦虫を潰したような声が発せられた。ただし剣の方から。

 

「お前……なんでいるんだよ……」

「さあ?何でかなー」

 

 あざ笑うような天人。用事があって帰ると言っていたのにここにいる。彼女はデルフリンガーに構わず、腰の剣に手を添えた。鞘から抜かれる剣。荘厳な緋色の輝きが辺りを照らす。光の剣が姿を現す。天界の秘宝、『緋想の剣』。すると剣が抜かれたと同時に、ワルドや兵士達が正常に戻った。催眠が解けたかのように。緋想の剣が、魔の気を吸い取ったのだ。ただ天子の方は、何故か眉をひそめていたが。

 

「ん?なんか妙な気ね」

「……」

「ま、そんな事より。借りを返さないとねー」

 

 天人から、楽しそうでやる気いっぱいの戦意が放たれる。以前、デルフリンガーを握った時、痛い目に合わされたのをまだ根に持っていたので。

 天子から飛び跳ねるように下がるデルフリンガーを手にした悪魔。だが今度は背後から声がした。

 

「おいおい、どこ行こうってんだ?」

 

 半魚人が振り向いた先にいたのは、魔理沙だった。いや、パチュリー、アリス、衣玖、こあもいた。幻想郷組勢揃い。戸惑うデルフリンガー。

 

「お前ら……」

「何故ここにいるのかって感じね」

 

 パチュリーは頬を緩め、勝ち誇ったような顔つき。いつも淡々としているだけに、余計に嫌味に見える。

 

「今度は、逃がさないわよ」

 

 アリスは人形たちを、すでに展開していた。衣玖もわずかに電気を帯びつつ、甲板に降りてくる。

 

 完全に包囲された半魚人とインテリジェンスソード。

 

「学院にいるハズじゃ……。隠れてたのか?」

「違うわ。今さっき来たのよ」

「学院からじゃここまで来るのに……転送陣か!」

「当たり」

 

 人形遣いに笑みが浮かぶ。

 

 全てはパチュリー達の策通り。まずはアルビオン、トリステイン両艦隊を同行させた。天子がワルドを見張るために。つまりアリスがティファニアに、アンリエッタとの会談を持ちかけた所からが策。またゼロ戦出現を予想し、デルフリンガーが仕掛けるのはトリステインからそう遠くはないと読む。にとりの資料から、ゼロ戦の能力は分かっていたからだ。しかも、燃料を新たに補給する事ができない。燃料の予想残量から作戦を立てた。

 天子が先に帰るとルイズに言ったのは、幻想郷の人妖が一人もいないという状態を作り出し、デルフリンガーを油断させるため。しかし、実は帰っておらず、天子は艦の別の部屋に身を隠していた。そして、簡易転送陣を用意。やがてゼロ戦の来襲を知ると、転送陣を使って学院のパチュリー達に合図。次に転送陣で一同は艦隊に出現。戦闘に割り込む頃合いを待っていた、という訳だ。ちなみに天子がここまで手を貸したのは、やはりデルフリンガーに借りを返したいから。

 

 魔理沙達は、半魚人とデルフリンガーを中心に囲む。パチュリーは策がハマった事に満足げ。次はこのインテリジェンスソードから、黒子の正体と思惑を聞き出すだけ。だがそんな余裕を湛えていた表情に、急に違和感が浮かびだす。目を細め、デルフリンガーを持つ化物を凝視する。そして気づいた。その正体に。

 

「魔理沙!」

「ん?」

「あの化物!」

「化物が何だよ」

「覚えてないの?」

「覚えてないって?」

 

 覗きこむ様に目を凝らす魔理沙の横で、今度はアリスが声を上げる。

 

「あ!悪魔ダゴン!」

「え?ダゴン?あ!そうだぜ!ダゴンだ。おいおい、どういう事だよ?こりゃ」

 

 デルフリンガーを持つ化物。ルイズが召喚した人魚のような半魚人のような怪物。その正体は、食の悪魔ダゴン。

 ルイズが幻想郷に来る直前。パチュリー達が紅魔館で召喚実験の対象としていたのが、この悪魔ダゴンだ。だが実験は失敗し、代わりに出てきたのがルイズだった。そのダゴンが何故かここにいる。ハルケギニアでルイズに召喚され、デルフリンガーに連れ去られ、ここにいた。

 

 

 

 



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ルイズのために

 

 

 

 

 

 教皇執務室の扉が開く。そこにヴィットーリオの姿があった。礼拝堂から戻って来たのだ。ジュリオは紅茶を用意して彼を迎える。

 

「ずいぶんと長い、礼拝でしたね」

「ええ。今回はいくつも罪を重ねてしまいましたから」

「罪などと……」

「わたくしは多くの嘘をつきました」

「死後の世界……ですか。しかし、このハルケギニアが危機に陥っているのは、紛れもない事実です。さらに始祖の英知に頼るとおっしゃった事も、必ずしも嘘とは言えません」

「それでもですよ。ジュリオ」

 

 教皇は窓際に立つと外を眺めた。整然とした様子のフォルサテ大聖堂の中庭が見える。しかし少し耳を澄ますと、外から漏れ聞こえてくるのは、施しを乞う貧民たちの声、道にあふれ出た彼らを追い払う聖堂騎士の罵声。お世辞にもハルケギニアは楽園とは言い難い。それでも救わねばならない。ヴィットーリオは振り返ると、足を進める。たどり着いた場所には『始祖の円鏡』があった。そしてもう一度、祈りを捧げる。ハルケギニアの全ての民に祝福が下りるよう。

 

 

 

 

 

 トリステイン、アルビオン両艦隊の中央に、アルビオン外相ワルドの乗艦があった。得体のしれない敵に襲撃を受け、炎を上げていた。放っておけば沈みかねない状況にある。だが、甲板にいる水兵達は消火の手を止めていた。茫然とただ一点を見つめていた。得体のしれない敵、悪魔と称した半魚人のような怪物を。そして悪魔を囲む、これまた奇妙な恰好のメイジらしき一団を。

 メイジの中から一人が、一歩前に出る。黒い大きな帽子に白いエプロン、箒を肩にかけた魔法使い。魔理沙だった。

 

「お前には、聞きたい事が山ほどあるんだがな。デルフリンガー」

「……」

 

 黙り込むインテリジェンスソード。

 魔理沙達の視線の先にいる怪物。その正体は悪魔ダゴン。こあよりは上だが二級の悪魔だ。悪魔の左手にはガンダールヴのルーンが見える。デルフリンガーはその左手に握られていた。だが、その姿はもう以前のようなサビだらけのものではない。冴え渡る刃を持つ片刃の大剣となっていた。

 

 デルフリンガーは何も答えない。代わりに、いきなり右手をかざしてきた。魔理沙に向かって。悪魔としての力が放たれる。しかし白黒は全く平然としたもの。水兵やワルドのように、餓えに呑まれたりしなかった。鼻で笑う普通の魔法使い。

 

「そんなもん効くかよ。こっちは毎日、悪魔と顔会わせてんだ。悪魔の対処法くらい分かってるぜ。それに、そんな強い悪魔じゃないからなダゴンは」

「チッ……」

 

 インテリジェンスソードの舌打ちの後、今度はパチュリーが口を開く。

 

「さてと、質問タイムと行きましょうか」

 

 淡々としているが強気を匂わす紫魔女。さっそくとばかりに、ため込んだ疑問を並べ出した。

 

「まずは確認したいんだけど、あなた黒子の関係者?」

「さあな」

「地震を伴う一連の現象だけど、黒子の仕業よね?」

「どうかな?」

「そのダゴン、自我を感じないんだけど。あなたが操ってるの?」

「いや」

「それとも黒子?」

「どうだったかな?」

「虚無の秘宝とか、監視カメラ代わりに使ってない?」

「なんだそりゃ?」

「黒子の仕掛けは虚無絡みが多いんだけど、聖戦やりたいの?」

「知らないぜ」

 

 まともに答えないデルフリンガー。パチュリーは溜息を一つ漏らすと、問いかけを止める。隣のアリスが呆れた声を上げた。

 

「ごまかしてるつもり?天子がいるのよ。無駄だって分かってるでしょ?で、天子、今までの質問どう?」

「え?当たり、当たり、ハズレ、当たり、当たり、当たり」

「ふ~ん。三番目だけがハズレか」

「って言うか、何勝手に話進めてんの!」

「何よ?」

「あんた達の用は私の後!ここまで手貸したんだから。こっちの借り返すのが先!」

 

 天人が緋想の剣をアリスに向けながら、怒鳴っている。珍しくもっともな意見を口にしながら。だが簡単には引き下がらない魔女達。魔理沙がすぐに反論。

 

「ボコって話聞けなくなったら、私らが困るだろうが」

「そっちの都合なんて、知る訳ないでしょ」

 

 まずは自分第一。譲らぬ両者。いかにもな幻想郷の住人達だった。しかし言い争いになりそうな場に、水を差す声が届く。空から。ルイズだった。突然、現れた幻想郷組を目にして、飛んできたのだ。

 

「ちょっと、一体何がどうなってんの!?」

「あら、ルイズ」

「何であんた達がここにいるのよ?」

「後で話すわ」

 

 パチュリーの有無を言わさないような強めの口調。ルイズは少しムッとしたが、とりあえず黙ったまま艦へ下りていく。すると視界に茫然としているワルドが入った。彼もルイズに気付いたようで、顔を向けてくる。不快そうに髭の侯爵を見るルイズ。

 国の裏切り者であり、アンリエッタを悲しませた相手であり、自分の子供の頃の思い出をズタズタにした張本人。恨みごとを上げればきりがないが、今はそれ所ではない。それにこの男は友好国の重臣だ。アンリエッタも自分の感情を殺して、助けろと命令したのだから。

 

 ルイズは甲板に足を付けると、気持ちを切り替えた。まずは天子に一言。

 

「天子。悪いけど、後にしてもらえない?」

「はぁ?なんで?」

「借りを返すのは後でもできるでしょ?手加減するって言うなら、先でもいいけど」

「……。んじゃ、一つ借り!あんた達も!」

 

 天人は不満そうに魔女達を順番に指さした。彼女達は仕方なしに了解。ルイズは疲れたように肩を落とす。天子に借りを作るハメになって。

 

「はぁ……。なんで、使い魔にいう事聞かせるのに、取引しないといけないのかしら。これじゃぁ、主従契約の意味がないわ。それとあんた!」

 

 不満を込めた指先が、デルフリンガーの方を向いた。

 

「よくも引っかけてくれたわね!」

「召喚の事か?」

「そうに決まってんでしょ!」

「あ~まあ、その……悪かった」

「悪かったじゃないわよ!だいたいなんで私と契約したのに、あんたの言う事聞いてんの!?その……えっと……」

 

 半魚人の呼び名に困っているルイズに、こあが名前を披露。

 

「ダゴンさんですよ。悪魔ダゴンさん」

「え!?悪魔ぁ!?」

「そうです。私よりは一応上位の悪魔です」

「……。天人の次は悪魔って……。どうして私の召喚するのって、天国とか地獄みたいなのばっかなのかしら……」

 

 なんとも言い難い気持ちに駆られる。あの世みたいな所に、こうも関わりがあると。ルイズは独り言のように愚痴をこぼした。

 

「しかも、まるで言う事きかないし。主の事なんて全然考えてないし。私の使い魔、ロクなのがいないわ」

「おい」

 

 突然、強く鋭い語気が耳に届く。インテリジェンスソードから。デルフリンガーから。呆気に取られる一同。さっきまでの強気はどこへやら。ルイズはもちろん、デルフリンガーとそれなりに話していた三魔女は特に。

 彼女達の知っているこの剣は、いつも気の抜けたような態度のいい加減な性格。苛立つなんてものから無縁と思っていた。それが何故か怒っている。しかも本気で。

 デルフリンガーは変わらぬ強い口調で話し出した。

 

「使い魔ってのはな、そりゃぁいう事聞かねぇ時もあるぜ。けど、それでも主をいつも想ってるもんなんだよ。自分の事なんて忘れちまうくらいな」

「そんな訳ないでしょ。私が使い魔でどれだけ苦労……」

「そうなんだよ!」

「?」

 

 気圧されるルイズ。さらに茫然とする一同。奇妙な程のデルフリンガーの憤り。何がここまで彼を怒らせているのか、まるで分からない。

 

「だいたい全部お前のため……」

「私の?」

「あ……いや……」

 

 インテリジェンスソードが急に言葉を切った。口が滑ったとばかりに。だがその瞬間、人妖達の態度は一変。刺すような視線を剣に向ける。パチュリーから鋭利な声がでてきた。

 

「ルイズのため……が何かしら?」

「なんでもねぇよ」

「なら話しても構わないでしょ?大した事じゃないんだから」

「……」

 

 デルフリンガーは何も返さない。次にアリスが天子に声をかけた。半ば命令するように。

 

「天子。こいつに借り返しちゃっていいわ。ダゴンの方は私たちが処理するから」

「了解~!」

 

 天子は緋想の剣を鞘に納めると、手を組み、指を鳴らした。ぶちのめす気満々。剛腕の天人を怒らせたのだから、いくら剣と言ってもただでは済まない。一方、アリス達は対魔法陣を構築しようとしだしていた。

 異界の人妖に包囲され、絶体絶命のデルフリンガー。もし人間ならば、冷や汗が体中から滲み出ていただろう。

 

「ちょっと待った!分かった。分かったよ。全部話す!」

 

 大剣から降参の宣言。手を止める魔女達。ただ天子は無視しようとしたので、また少々イザコザがあったのだが。ともかく落ち着く一同。パチュリーが代表するように言った。

 

「それじゃぁ、始めてもらいましょうか」

「最初からするぜ」

「ええ」

「今から6000年前の事だ。まだハルケギニアなんて名前すらなかった頃さ……」

 

 それから長々とした話が始まる。静まり返り、耳を傾ける人妖達。しかし、しばらく聞いていたものの、話はダラダラと続く上に要領得ない。まるで話し下手な大学教授の講義を受けているかのよう。このインテリジェンスソードは何が言いたいのかサッパリ分からなかった。しかも黒子に関連するような話は、まるで出てこなかった。さすがに魔理沙がじれる。

 

「おいおい。黒子と全然関係ない話にしか聞こえないぜ」

「ものには、順序ってのがあるんだよ」

「にしても、余計な話が多すぎだろ。これじゃいつなったら終わるんだよ。時間かかりすぎだぜ」

「そうだな。結構時間が経ったよな」

 

 今までと違う重い声色。デルフリンガーの気配が変わった。瞬時にそれに気づく魔理沙達。緊張感が走る。同時にダゴンの左手のガンダールヴが輝く。

 ダゴンが真っ直ぐ向かってくる魔理沙達に。対する彼女達も、すぐさま障壁を展開。

 だが、悪魔は彼女達の脇を通り過ぎると、そのまま真っ直ぐ艦の縁に向かった。そして飛び降りた。

 

「逃げられると思ってんのか!」

 

 魔理沙は箒に乗るとすぐさま飛び立った。爆発するように急発進する。飛ぶ速度はこのメンツの中で一番速い。さらに魔法使い。悪魔に対応する術も知っている。簡単に捕まえられると考えていた。

 

 彼女は艦から出ると、すぐにダゴンを視界に捉えた。だが次の瞬間、別のものに視線が移る。真下に広がっていた海に。

 

「え?海?」

 

 白黒は思わず舌を打った。何故なら、悪魔ダゴンは元々水属性の悪魔だからだ。海中に逃げ込まれては、打つ手が限られる。だいたいいつのまに海に出たのか。少々当惑気味の魔理沙。

 

 艦隊はロマリアから大陸上空をずっと北上していた。眼下にあったのは大地ばかりだったはず。にもかかわらず海の上にいる。実は、デルフリンガーが襲撃した場所が理由の一つ。襲撃を受けたのは、両艦隊がまもなく別れようとした時。つまり大陸の際まで、あとわずかだったのだ。襲撃後も北上し続けていた両艦隊。いつのまにか海上に出ていた訳だ。デルフリンガーの長話は、その時間を稼ぐためだった。

 

 海面に水柱が出現する。ダゴンとデルフリンガーは減速せずに、そのまま海に突っ込んだ。もはや連中は海の中。魔理沙はすぐさま急反転、甲板に戻った。

 

「衣玖!」

「なんでしょう?」

「海に逃げられた!デルフリンガー追ってくれ!」

「ま、いいでしょう」

 

 衣玖はうなずくと、すぐに艦から飛び降りた。衣玖も水妖。水の中は自分のフィールドだ。それにしても、神の使いが悪魔を追うという構図はどこか皮肉めいていたが。

 竜宮の使いはまっすぐ海へと落ちる。大きな水柱を上げ海中へ突入。だが一歩及ばなかった。辺りにはすでにダゴンとデルフリンガーの姿はない。気配すらも。彼女達は、全ての謎を解く絶好の機会を逃してしまった。

 

 この後、一連の様子を見ていたワルドが、いろいろとルイズに説明を求めてきた。しかし彼を嫌っている彼女。ぶっきら棒に適当な返事をしただけで、トリステイン艦に戻ってしまった。それは幻想郷の人妖も同じ。

 その後、艦の火災は消し止められ沈没は免れた。曳航されならが航海を続ける。やがて両艦隊は別れて行った。それぞれの故国に向かって。

 

 

 

 

 

 ルイズ帰国、翌日の放課後。幻想郷組のアジトのリビング。ルイズと幻想郷の人妖達が皆集まっていた。

 帰国当日は疲れのため、ルイズは夕食後すぐに寝てしまう。そのため一連の騒動の話ができなかった。さらに明日、王宮に登城し事情説明する予定になっている。事前に、詳しい話を人妖達から聞かないといけなかった。それに自分自身も知りたいものがある。あの剣はどういう訳か、全て彼女のためにやっていると言っていたのだから。

 

「結局、何があったの?なんであんた達、あそこにいたの?」

 

 ルイズの問に、魔理沙が答えた。デルフリンガーを捕まえるため、ティファニアもルイズすらもペテンにかけて罠を張ったと。呆れるルイズ。自分まで騙すとはと。一方で、連中らしいとも思ったが。もっともその罠も結局は失敗。ただ全く無意味だった訳ではない。貴重な情報をまた得たのだから。やがてはその話に移る。

 

「あのデルフリンガー……だっけ。私のためって言ってたわよね」

「ええ」

 

 パチュリーがルイズの言葉にうなずく。神妙な顔つきで。いや誰もがそうだ。あの言葉の意味が分からない。アリスが何か思い出したように言った。

 

「そう言えば、前に魔理沙が言ってなかったっけ?」

「何をだよ」

「騒動の中心に、ルイズがいるんじゃないかって。キュルケの件がひっかかるから」

「言った……かな。ああ、言ってたぜ。でもあん時は、記憶操作の話は知らなかったからな」

「でも、それが正解って事になるわね」

「まあ、そうだが……」

 

 しばらく考え込む魔理沙。おもむろにルイズに話しかけた。

 

「そういやぁ、お前の望みってなんだ?」

「いきなり何の話よ?」

「お前のためって言うなら、一番分かりやすいのはルイズの望みを叶えるって話だぜ」

「ああ……。だけどいきなり言われても……。とりあえずは学院を卒業する事かしら」

「そういうじゃなくって、将来なりたいもんとか、知りたいもんとかないのか?」

「う~ん……」

 

 腕を組み、首をひねるルイズ。頭の中をさらってみるが、大したものは出てこなかった。少なくとも、三魔女のように徹夜してでも没頭するようなものは何も。ルイズは仕方なさそうに口を開く。

 

「まあ、姫さまを助けられる程度の人間にはなりたいし、ヴァリエール家の名に恥じない貴族にもなりたいとは思ってるわ」

「望みってのはそんなんじゃないだろ。お前、渇望がたらないぜ!」

 

 大げさな身振りで、望みたるものを表現する白黒魔法使い。好奇心の塊の彼女なら、望みとやらはいくらでも持っていそうだ。だがルイズには、そんなものは思い浮かばなかった。

 ふと思う。キュルケも愛だの恋だのを口にしながら、今でもコルベールへのアタックを続けている。タバサは母親との平穏な暮らしを求めて、ゲルマニア皇后となる事を決意した。ティファニアも求めるものを持っている。だが今の自分にはない。元々魔法が使えなかった彼女。あえて言えば、魔法を使えるようになる事が彼女の望みだった。だがそれはすでに叶っている。しかも伝説の虚無という無二のものによって。しかし、その後は何も考えてなかった。いや、心を掴むものがなかった。結局は、川の流れのような平凡な日々を過ごすのみか……。

 その時、不意に脳裏に浮かぶものがあった。叩き付けるかのように。陽炎のようでいて力強い何かが。望むものと思える何かが。なんとかそれを引っ張り出そうとするが、手が届かない。掴めない。輪郭がはっきりしない。

 

「ルイズ」

「……」

「ルイズってば」

 

 自分を呼ぶ声に、たたき起こされたように意識が戻る。さっきの想いは夢だったかのように霧散していた。視線を上げると、あったのはアリスが怪訝な顔。

 

「どうかしたの?」

「えっと……。ちょっと考えごと……」

「そう。ちょっと聞きたいんだけど、あなたってカリーヌに憧れてる?」

「え?なんでそんな話になってんの?」

「ヴァリエールの名にふさわしい貴族になりたって言ってたでしょ?だから、実は母親に憧れてるのかなって」

「尊敬はしてるわ。けど、憧れてるかって言われるとなんか違う」

「そう?実は、英雄願望があるかと思ったんだけどね」

 

 カリーヌは烈風カリンと云われた英雄だ。その娘であるルイズ。性格もよく似ているので、アリスがそう思うのも無理はない。するとパチュリーが、閃きを覚えたようにつぶやく。

 

「英雄……か」

「どうかした?」

 

 アリスが尋ねる。すると紫魔女は、少し楽しげに話し出した。

 

「一連の現象がルイズを英雄にしたいって話なら、辻褄が合うって思ったの」

「ルイズを英雄に?」

 

 一同は怪訝に眉をひそめる。パチュリーはかまわず続けた。

 

「最初の天子の件は、たぶんデルフリンガーの嘘を隠すためって読みでいいと思う。問題なのはそれ以降」

「シェフィールドが助かったって現象からか?」

 

 白黒の返答にうなずく七曜の魔女。

 

「これまでのルイズの活躍って、神聖アルビオン帝国との絡みが多いでしょ?逆に言うと、神聖アルビオン帝国がないと活躍しようがない」

「そりゃそうだ」

 

 魔理沙はとりあえずうなずく。パチュリーは話を続ける。

 

「神聖アルビオン帝国っていうのは、シェフィールドとアンドバリの指輪があって形を保っていられた国よ。でも前者はフランに殺されかける。後者は私たちに盗られてしまった。けど、シェフィールドは幻想郷に転送されて助かったわ。指輪の方は、帝国家臣全員が盗難事件を忘れたおかげで、最悪の事態にはならなかった」

「黒子は、帝国崩壊をなんとか防いだって訳か」

「さらに帝国があっても、ルイズが戦いに参加しないと意味がない」

「戦わないと、活躍も何もないものね」

 

 アリスは一言いうと、カップを手に紅茶を飲んだ。パチュリーの話は先に進む。

 

「帝国を潰した私たちのチラシ作戦だけど、あれって誰でもできるものよ。実際、ルイズが王宮に指輪の件を話した時は、その方向で進みそうだったし。もし何もなければ、ルイズは学院で帝国敗北を知る事になったんじゃないかしら。ルイズの活躍は、精々知る人ぞ知る止まりだったでしょうね」

「英雄には程遠いわね」

「でも黒子のせいで、トリステインの重臣達が指輪の件を忘れてしまったから、本格的な戦争になってしまう。そしてルイズも参加するハメにもね」

 

 黙って聞いていたルイズがポツリと零した。

 

「あの時は敵地に侵入して敵の大艦隊をかく乱するって任務だったから、もし上手くいけば確かに大手柄だったわ」

「そして将軍達は思うでしょうね。さすがは虚無の担い手って」

「…………」

 

 口元を強く結び、重い顔つきのルイズ。ここでアリスの質問が一つ。

 

「それじゃぁ、ずっと引っかかってたキュルケ達の件はどうなるの?」

「英雄の仲間たち。なんだかんだでキュルケとタバサは、ルイズに付き添ってたじゃないの。実際、助けにもなったし」

「ついでに聞くけど、ビダーシャルの件は?黒子が彼、助けたの何故?」

「次の敵になる予定だったんじゃないかしら。虚無対エルフっていかにもでしょ?」

「英雄には、強大な敵と仲間が付きものか……。まあ、確かに辻褄は合うわね」

 

 腕を組んで、意味を租借する人形遣い。するとルイズが急に怒り出した。

 

「私を英雄にするのが私のため?誰もそんなもん頼んでないわよ!だいたい、そんなインチキみたいなので英雄だなんて、ふざけてるわ!」

「だよな。確かにペテン臭いぜ。ワザとトラブル大きくして、それを解決させて英雄とかな」

 

 魔理沙は、ルイズとは対照的に鼻で笑っていた。するとアリスが根本的な疑問を口にする。

 

「けど何でルイズを英雄にしたいのかしら?」

「黒子が得するからだろ?」

「得ねぇ……。ありえないとは思うけど、実は黒子の正体がルイズの両親で、娘が英雄になった名声を利用して権力を手にしたいとか?」

 

 アリスの答に、すかさず文句を言おうとしたルイズ。だが天子が先に言葉を挟んだ。

 

「それ、ないから」

「なんでよ」

「緋想の剣はね、そういうのも分かるの。ルイズを利用して、どっかの誰かが得するってのが真相だったら、ルイズのためって反応はでないって話」

「だったら、本心からルイズ自身のため?」

「そうなるねー」

 

 天子の言葉に、益々頭を悩ませる一同。

 ただルイズのためと言っても、それがルイズを英雄にするという意味なのかは分からない。勝手に自分達が考えただけだ。しかし次々に起こるトラブルにルイズは巻き込まれ、それを解決する事によって一目置かれつつあるのは間違いない。

 

「ホント、ありがた迷惑だわ」

 

 ルイズは独り言のように零した。だが次の瞬間、飛び起きたようにいきなり顔を上げる。

 

「あ!」

「どうした?」

「聖戦もそうかも!」

「聖戦?」

「聖戦が起こるかもしれないのよ!」

 

 それからルイズは、ロマリアでの会議の内容を話す。ハルケギニア全土が崩壊の危機にあると。そのために『虚無条約』という条約を、ロマリア、トリステイン、アルビオン、ガリア、ゲルマニアの間で結んだと。これも仕組まれたもので、黒子が風石を作ったのではとルイズは言う。そして全ては、聖戦で自分を活躍させるためではと。だが、この話を聞いて、パチュリー達は首を傾げた。

 

「さすがに、それはどうかしら?」

「何でよ?」

「今までの現象からして、黒子がそこまで大きな力を持ってるって考えづらいのよね」

「…………」

「だいたいそれ本当なの?大地を持ち上げるほどの風石があるって」

「分かんないわ。聖下は、まずはそれぞれの国で確認してみて欲しいって仰ってたから。でも自信ありげだったわよ」

「その結果待ちね」

 

 パチュリーは椅子に身をうずめると、紅茶を一口含む。

 それからは言葉少な目になっていった。これ以上は話が進まない。そろそろお開きか。そんな雰囲気の中、衣玖が天子に声をかける。

 

「総領娘様。調べてあげたらどうですか?」

「ん?」

「総領娘様なら分かるのでは?風石の件」

「まあねー」

 

 一斉に天子の方を向く一同。ルイズが身を乗り出すように尋ねた。

 

「分かるの?」

「地面の事は専門だからねー。すぐ分かるわよ」

「今やって、お願い」

「……。ま、いっか」

 

 天子は立ち上がると、緋想の剣を肩にかけリビングを出て行った。人妖達も彼女の後に続く。一同は地上へと向かった。

 

 すでに日は落ち、双月が浮かんでいる。廃墟となった寺院が、月明りに照らし出されていた。ここの地下が幻想郷組のアジトとなっている。

 ここに7人の人影が現れた。ルイズと幻想郷の人妖達だ。彼女達は寺院から離れ廃村の中央に立つ。天子を中心に。彼女は緋想の剣を鞘から抜いた。辺りが緋色の光に照らされる。

 

「んじゃ」

 

 天子は剣を地面に突き立てた。目を閉じ意識を地面に集中している。珍しく真面目そうな顔の天人。他のメンバーは彼女を囲み、答を待つ。しばらくして天子は結果を披露。

 

「あるわね。かなりでかいのが」

「どんぐらい?」

「トリステインの半分くらいが持ち上がりそうなの」

「そんなのが!?」

「あれ?これだけじゃないみたい。アチコチある」

「え!?ええええ~!」

 

 素っ頓狂な声を張り上げるルイズ。まさかヴィットーリオの話が事実だったとは。まさしくハルケギニア全体の危機だ。こうなると聖戦は避けられない。重い表情で考え込むルイズ。ふと視線を異界の人妖達に向けた。もし聖戦になったら、助けてくれるのだろうかと。彼女達が手伝ってくれたら心強い。しかし、戦争はごめんと言い続けている彼女達。状況によっては、幻想郷に帰ってしまう可能性もある。それに、聖戦は完全に自分たちの都合だ。こちらの事情とは関わりない異界の住人に、戦争に参加してくれなど言えるのか。

 ルイズは、遠慮がちに口を開く。

 

「えっと……」

「何が言いたいのかはだいたい分かるわ。でも、今すぐじゃなくてもいいでしょ?事も大きいし、頭冷やしてからにしたら?」

 

 彼女の胸の内を察したのか、パチュリーは穏やかに言った。確かに彼女の言うとおり。ここ数日はいろいろあり過ぎで、少々頭が過熱気味。しばらく時間を置いた方がいいだろう。ルイズはうなずいた。

 

「うん。そうね。私一人の考えで、どうこうなるって話じゃないし。今日はここまでにするわ」

 

 ルイズを先頭に、人妖達はアジトへと戻っていった。しかし天子だけは何故か戻らない。衣玖が足を止める。

 

「どうされたのです?」

「なんかね、変なの」

「何がです?」

「う~ん」

 

 難し顔をして答えない。代わりという訳ではないが、地面に突き立てていた緋想の剣を深く刺す。ずぶずぶと突き進み、ついに柄を残すのみとなった。しゃがみ込んだ天子は、剣を両手で握りしめる。すると緋想の剣の輝きが増した。地面と剣のわずかな隙間から、強い緋色の光が漏れてくる。

 しばらくその状態が続いたが、急に光が弱くなった。そして天子は立ち上がると同時に、緋想の剣を抜いた。だが天人は浮かない顔。腕を組み、何度も首を左右に傾けている。衣玖が不思議そうに尋ねてきた。

 

「何か、分かりましたか?」

「う~ん……。なんだろ?」

「だから、何がです?」

「ちょっと待って。もうちょっと調べてみる」

 

 天人は場所を変えると、また同じことをやり始めた。

 

 

 

 

 

 ルイズが寮に帰った後。魔女達はリビングに集まっていた。こあが全員に紅茶を入れなおす。一口飲んで落ち着いた所で、魔理沙が話し出した。

 

「で、どうする?」

「何の話?」

 

 アリスが不思議そうに返す。魔理沙は渋い顔で答えた。

 

「いやな。黒子がルイズのためって言うなら、この件から手を引くかって話だぜ」

「黒子探しを止めるって?」

「まあな。こっちは単に趣味でやってるだけだしな」

「魔理沙、前に言ってたじゃないの。ルイズ達放っておくの後味悪いって。行ける所まで行くって。けど止めるの?」

「ルイズにメリットあるってんなら話は違うぜ」

「…………。ま、私はあんた達に付き合ってるだけだから。別に反対はしないわ」

 

 人形遣いは任せたとばかりに淡々と紅茶を飲む。だが、ここで七曜の魔女の切るような一言が入った。

 

「意味ないわね」

「何がだよ?」

「てゐの幸運効果がまだあるんだから、黒子の思い通りには絶対にならないって話よ。今回のワルド襲撃も結局失敗したでしょ?てゐには及ばないって、証明したようなもんよ。私たちが手を引いても、結果は変わらないわ」

「そりゃそうだが……」

 

 魔理沙は言葉に詰まる。パチュリーは少々表情を引き締めると話を続けた。

 

「紫達の目的は、幻想郷への転送現象の原因究明と防止よ。てゐの幸運も、そのための仕掛けにすぎない。そして転送現象の犯人が分かってる以上、どの道、黒子にたどり着くわ」

「私らがやんなくても、紫達がやっちまうって訳か」

「ええ。けど、私達なら連中よりはこっちの事情を知ってるわ。ルイズの事もね。黒子がルイズのためって言うなら、事を穏便に収められるは私達の方じゃないかしら」

「……。だな。分かった。んじゃ、今まで通りでいいぜ」

 

 白黒魔法使いは腹をくくったかのように、一気に紅茶を飲み干した。パチュリーの方は、とりあえず肩から力を抜く。そしてお代わりの紅茶をこあに要求した。時間をかけてカップを空けた後、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「私、一度幻想郷に帰るわ」

「なんで?」

 

 アリスが尋ねる。

 

「ダゴンよ。なんか妙に感じたのよ。確かに見た目は、そのものなんだけど」

「あ!私もです!」

 

 こあが声を上げていた。

 

「悪魔にしては、気配が変でした」

 

 主は使い魔に視線を送っただけだったが、やはりという感じの顔つき。パチュリーは続ける。

 

「あのダゴンって自我を感じなかったんだけど、悪魔の自我を消し去るなんて事できるかしら?」

「強力な契約結んでるんじゃ……。いや、ないな。思い通り使役するってならあるぜ。けど、ただの人形みたいにするなんてもんは、知らないぜ」

 

 魔理沙は顎を抱え、頭を巡らせながら答える。アリスもそれにうなずいた。

 

「それで一旦帰って、ダゴンについて調べてみるって訳ね」

「ええ。だいたい、ルイズがダゴンを召喚できたってのも変だし。それに天子の時と違って、ハルケギニアで召喚したのよ?」

「確かに……天子よりはずっと変よね」

 

 人形遣いの納得顔。ここで白黒が、思い出したように言い出す。

 

「そうだ。聖戦あるって言ってたよな」

「うん」

「んじゃ、ビダーシャルのヤツ、どうしてんだ?」

「あ……。そう言えばそうね。ロマリアの会議って新聞に載ってたくらいなんだから、知らないハズないわ。あの顔ぶれじゃ、聖戦、疑ってもおかしくないし」

 

 確かに、新聞には虚無条約も聖戦の文字もなかったが、虚無の担い手がいる国が三つも関わっているのだ。聖戦の会議と推理しても不思議ではない。しかもビダーシャルならなおさらだ。彼は聖戦を防ぐために、ハルケギニアにいるのだから。

 彼女達は、そのビダーシャルとは密約を結んでいる。聖戦を止めるという目的のため。もちろん双方の意図は、まるで違うが。この密約によれば、状況によってはお互い連絡を取り合う事となっていた。だが未だ連絡はない。

 

 アリスの言い分に、魔理沙は身を乗り出す。

 

「だろ?連絡あってもよさそうなもんだぜ」

「どうしたのかしら?まさか始末された?」

「おいおい」

「だって、ガリアも聖戦参加するんでしょ?ビダーシャルはそのままって訳にはいかないじゃないの。もう手を打ったんじゃないの?」

「う~ん……」

 

 うつむいて唸る魔理沙。パチュリーが提案を一つ口にする。

 

「様子見てみる?ガリアの状況確認の意味でも」

「だな。まあ、あいつとはそう関わりがある訳じゃないが、気になるっちゃぁ気になるぜ」

「分かったわ。幻想郷に帰るのは、それからにする」

 

 紫寝間着の意見に、二人は同意。やがて話も終わり、皆、リビングを出ようとする。ここで、入って来る天子とかち合った。

 

「ん?もうお開き?」

「ああ」

「ちょっと戻ってよ。話したい事あるから」

「なんだよ」

「いいから」

 

 強引な天人に、渋々席に戻る三魔女と悪魔。すぐに天子は話を始めた。

 

「さっき風石調べたでしょ」

「ええ」

 

 パチュリーは少々投げやり気味に返事をする。

 

「それが何?」

「あの後、なんか気になったんで、風石の下も調べたの。大本の原因は何かなって」

「で?」

「そうしたら……」

 

 天人の次の言葉に耳を傾ける一同。天子はもったいぶるようにして言葉にした。調査結果を。

 

「何もなかった」

「原因不明って事?」

「そうじゃないって。空っぽって意味」

「え?」

 

 このカラフルエプロンが、何を言っているのか分からない。誰もが理解しかねていた。怪訝な顔つきで、聞き返す魔理沙。

 

「どういう意味だよ。それ?」

「頭悪いわね。そのままの意味だって。何にもないの。ハルケギニアの下の下は、空っぽって話」

「…………」

 

 言葉のない魔理沙。口を半開きのまま停止。どう捉えればいいか戸惑っている。次にアリスが確認するように聞いてきた。

 

「つまり……地底空間、いえ……地下世界があるって言うの?旧地獄みたいな」

「地獄みたいなのがあるかは知らないけど、とにかく何もないのよ」

「……」

 

 またも口をつぐむ一同。天人の言いたい事は分かったが、それの意味する所が分からない。ハルケギニアの下に地下世界がある。風石と何か関係あるのか。そしてこれも黒子と関係あるのか。どうも想像以上にハルケギニアという世界は奇妙なようだと、考えを改める人妖達だった。

 

 

 

 



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エルフの救出

 

 

 

 

 

 ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿。この広大な敷地の外れ、他の建物からは少し離れた場所に礼拝堂が立っていた。そしてこの地下こそが、ビダーシャルのハルケギニアでの拠点。元々騒がしい場所ではないが、今は深夜。さらに主も不在。ここは海の底かというほど静まり返っていた。そこに突然ざわめきが現れる。礼拝堂の地下にいきなり。

 

「アリス。どうだ?」

「まだ始めたばかりよ。こらえ性ないわね」

「…気配がまるでしないんだけど」

 

 魔理沙、アリス、パチュリーの三魔女達。そしてこあだった。ビダーシャルと密約を結んだ後、彼女達は連絡手段として隠し部屋に転送陣を構築していた。当然、ジョゼフ達は知らない。

 

 転送陣から出現した魔女達。この隠し部屋に留まったまま辺りの様子を探る。アリスの人形たちが礼拝堂中を駆け巡っていた。人形遣いは渋い顔。悪い方の予想が当たりそうで。

 

「……やっぱり誰もいないわね」

「そっか。ま、とりあえず入ってみようぜ」

 

 魔理沙は先頭切って、隠し部屋から出て行く。肩書き通り泥棒のごとく慎重に。後に続く三人。部屋に入ると、弾幕を浮かし辺りを照らす。やはり誰もいない。ここでパチュリーが使い魔の方を振り向いた。

 

「こあ。出口の見張り頼むわ」

「はい」

 

 うなずくと同時に、地上の礼拝堂へ向かう小悪魔。夜目の利く彼女。夜間の見張りには打ってつけだ。地上へ上がる彼女を見送ると、主はポツリとこぼした。

 

「あのエルフ…どこ行ったのかしら。やっぱり始末された?」

 

 わずかに顔つき引き締める三人。入念に部屋中を調べはじめた。

 

 

 

 

 

 

 全く同じ時刻。同じヴェルサルテイル宮殿近くの特別牢には、嗚咽のような叫びがいくつも上がっていた。異形の存在を前にして。

 

「う…」

 

 特別牢を守っていた兵達が、苦悶の声を漏らしながら次々と倒れていく。彼らと相対していたのは悪魔ダゴン。その左手には、やはりデルフリンガーが握られていた。その巧みな剣術で、次々と襲い掛かる看守たちをあしらっていく。牢屋に響く余裕の声。

 

「とっとと逃げた方がいいぜ。勝ち目なんてないんだからな」

「ふ、ふざけた事を!こ、この妖魔風情が!」

「面倒臭せぇなぁ」

 

 気怠そうなデルフリンガー。ダゴンはその言葉と同時に、右手をかざす。すると闘志に溢れていた兵やメイジ達は、何もできずにバタバタと倒れていった。餓えに飲み込まれながら。

インテリジェンスソードは邪魔者をあっさりと撃退。悪魔と剣は呻いている看守たちを横目に、目的の場所へと進む。やがて、この建物の一番奥、たった一つの牢屋にたどり着いた。中に見えるのは一人の男。やせ細った男が捕らえられていた。金髪から突き出す長い耳の目立つ男が。

 彼は足に枷をはめられ、両腕は鎖で壁と繋がれていた。さらに口には特殊な轡をかまされている。男の名はビダーシャル。かつてはガリア王ジョゼフに手を貸し、ハルケギニアの混乱を助長しようとしていたエルフだ。だが、全ては同胞のためだった。しかし今は、そのジョゼフに裏切られこの有様。まともに食事をもらえず、かといって殺す訳でもなく、ただ精神を蝕むような責め苦を受けていた。

 さすがのデルフリンガーにも、憐みを抱かずにはいられない。顔をしかめたくなる。できないが。

 

「こりゃぁ酷ぇ。おい、生きてるか?」

 

 格子越しに声をかけるが、言葉は返ってこない。もっとも返事をしようにも、口の轡のため話せないのだが。だがピクリとも動かないのでは、さすがに不安になる。

 ダゴンは鍵を掴むと"魔"を込めた。鍵はボロボロと腐食していき、鉄の破片とパン屑となっていく。さすがは食の悪魔か。いとも簡単に鍵を外す。そして牢に入る。ビダーシャルを繋ぎとめている鎖と枷を解いていった。声をかけつつ。

 

「おい、聞こえてるか?」

「……」

 

 全く動かなかったエルフが、わずかに瞼を開いた。だがすぐに目を閉じる。とりあえずは生きているようだ。しかし、あからさまな化物の姿をしているダゴンを見ても、驚いた様子がない。反応できないほど弱っているのか。デルフリンガーに焦りが走る。

 

「マズいな」

 

 ダゴンはすぐさまビダーシャルを抱えると、牢屋から出た。そして礼拝堂へと向かう。あそこはビダーシャルの生活の場でもあった。エルフの秘薬もおそらくある。その中には体を治す薬もあるハズだと。

 

「意識しっかり持てよ。アンタに死なれると、かなり困った事になるんだからさ」

 

 励ますように声をかけるデルフリンガー。自分の都合もついでに口にしていたが。

悪魔はやせ細ったエルフを抱きかかえ、地面を滑るように進んでいった。

 

 

 

 

 

 こあは礼拝堂を出、屋根の上にいた。礼拝堂にそびえる塔に身を隠しながら、辺りを窺っている。今のところは取り立てて気になるものはない。

 

「ここって意外に不用心ね」

 

 独り言を漏らす悪魔の少女。外れとはいえ、一応は宮殿敷地内。衛兵の姿もない事に少々あきれていた。もっとも元々エルフが使っていたため、ジョゼフが近寄るのを禁じていたのが理由なのだが。

 退屈してきた頃、ふと何かが近づいて来るのが見えた。宮殿の外に通じる道から。一瞬、衛兵かと思ったが、やけに速い。というか低空飛行している。

 

「何?あれ?」

 

 目を凝らすこあ。すると、すぐに正体が分かった。悪魔ダゴンだ。あの特徴的な姿を忘れるはずがない。呆気に取られる。

 

「え?なんで?と、とにかくパチュリー様に知らせないと!」

 

 こあは少々慌て気味に、礼拝堂の中へと向かう。一応は、身を隠すため裏手を経由して。だがこれが裏目に出て、先にダゴンが礼拝堂に入ってしまった。

 

「あ!」

 

 口を大開して、失敗という顔のこあ。入口に向かって急加速。ダゴンの後を追った。

 

 

 

 

 

 礼拝堂の地下の隠し部屋。ビダーシャルの研究室兼住まい。部屋の灯りは消えており、パチュリー達は弾幕をランプのようにして辺りを照らしていた。地下中を見た限り、取り立てて荒らされた様子はない。一同は部屋の一つに集まり、結果を報告。

 

「ネズミ一匹いないぜ」

「こっちもよ。どっか出かけた?」

 

 魔理沙とアリスはお手上げの態度。全ての部屋を探ったが、人影一つなかった。パチュリーもうなずくが、何か違和感を覚える。ふとテーブルの上のコップを手に取った。現れたのは円形の跡。周りには、うっすらと埃が積もっている。紫魔女の目元がわずかに引き締まった。

 

「違うわ。しばらく使ってないようよ」

「となると…始末されたのかしら…」

「それとも逃げ出したか…。どっちにしても、ここにはいないようね」

 

 コップを戻すと踵を返す。ここにいても無駄だと。魔理沙もそれに続こうとした。

 

「何しに来たんですか!」

 

 三人の耳に突然、怒鳴り声が届く!声がした方角、一階に通じる階段へと一斉に向く一同。

 

「上か!?」

 

 魔理沙はその一言と同時に、階段へ走り出していた。残りの二人も彼女に続く。

 上がった三人の魔女の目に入ったのは、異形の存在。だがその姿はよく知っている。魔理沙が鋭く指さした。怒声と共に。

 

「お前!ダゴン!」

「て、てめぇら!なんでいるんだよ!」

 

 ダゴンの方も、デルフリンガーが驚いた声を上げていた。まさしく意表を突かれた。そんな声だ。魔理沙はすかさず八卦炉を取り出すと、ターゲットロックオン。絶対に逃がさないという、狩人の顔をした白黒。

 

「そりゃ、こっちの台詞だぜ!」

「クソッ!間が悪いにも程があるぜ」

 

 舌を打つインテリジェンスソード。すぐさま剣を構える。同じく身構える魔女達。その時彼女達は、ダゴンが抱えている人物に気付いた。パチュリーの視線が厳しくなる。

 

「その男…ビダーシャルよね?彼、かなり弱ってるようだけど、何かやったの?」

「俺じゃねぇよ。やったのはガリア王だ。このザマで、牢屋に捕まってたんだよ」

「そう。じゃあ、助けに来たって訳?何故あなたがビダーシャルを助けるのかしら?だいたいどうやって、監禁されてるって知ったの?」

「……。教える義理はないぜ」

「ふぅ…。結局、力づくなのね」

 

 パチュリーは魔道書を開いた。同じくアリスが人形を展開する。各々、戦闘態勢を整える三魔女。さらに、こあが礼拝堂の出口で構える。すると魔理沙が急発進。ダゴンを越え、こあの側、礼拝堂の出口に陣取る。

 魔女達と悪魔に挟み撃ちにされるデルフリンガー達。さらに右手にはビダーシャルを抱えている。しかも彼はかなり弱っており、この状態で戦えば命に関わる可能性もあった。そして悪魔の力はこの連中には通用しない。ガンダールヴの力のみが頼り。デルフリンガーは、歯ぎしりでもしたくなる気分に襲われていた。

 

 アリスは槍を手にした人形たち前面に押し出し、にじり寄って来る。戦意で溢れる魔女達。

 

「この前のようにはいかないわよ」

「………」

 

 前後に神経を張るデルフリンガー。ダゴンはゆっくり腰を落とすと、ビダーシャルを床に置いた。彼を抱えたまま戦うのは、さすがに無理だ。床に寝かされるエルフ。ダゴンの右手が自由となった。

 ただちに反転!出口の方へダッシュ!だが、こあが無数の弾幕を発射!彼女の方が早い!しかも弾幕ごっこ用のものではない。しかしダゴンもガンダールヴ。見事な剣さばきで、山ほどあった弾幕を消し去ってしまった!ここで、魔理沙が口元を釣り上げていた。引っかかったとばかりに。

 

「魔符『スターダストレヴァリエ』!」

 

 弾幕に対応していたダゴンに、魔理沙がスペルカードを発動!滑空砲のごとく一閃となり突進!ダゴンはさすがに彼女までは対応しきれず、デルフリンガーを盾にして、彼女の突撃を辛うじて防御。衝撃で弾けるようにすっ飛ぶ悪魔。なんとか壁際で堪えた。しかし眼前に迫るは並ぶ十槍!アリスの人形たち!

 

「みんな、行って!」

「チィッ!」

 

 キンキンキン!

 

 金属がぶつかり合う音がいくつも連なる。なんと、ダゴンは全てをさばききった。

 

「え…!?」

 

 言葉がないアリス。驚きで動きが止まる。確かに彼女は槍術の達人という訳ではないが、同時に突き出した十もの槍を全て防ぐとは。さすがはガンダールヴと言うべきなのか。しかし、デルフリンガーも状況が好転した訳ではない。むしろ悪くなった。ビダーシャルと距離を離されてしまった上、やはりこの四人全員相手にするには分が悪すぎる。さらにそれ以上の問題があった。

 ダゴンが突然、剣先を下す。戦意を収めすっと立った。右手を上げ無抵抗の態度で。

 

「ちょっと待った。お互い、こんな事やってる場合じゃないだろ。止めにしねぇか?」

「あなたが無条件降伏するならね」

 

 パチュリーは淡々としながらも、言葉に凄みを漂わせる。彼女の周りには、いくつもの光弾が浮かんでいた。だが剣の方は変わらぬ調子。

 

「分かってねぇな。時間がねぇって言ってんだよ。もう牢屋の看守が報告してるハズだ。エルフが攫われたってな。衛兵達がエルフを探し始めるぜ。しかもここはそいつの住処だ。真っ先に来るだろうな」

「………」

 

 顔色が変わる七曜の魔女。確かにデルフリンガーの言う通りだ。今すぐにでもここを去らないといけない。インテリジェンスソードは続けた。

 

「でだ。そのエルフはあんたらに預ける。ジョゼフに渡すなよ。今度はさすがに殺されちまうからな」

「………」

「後、見ての通りかなり弱ってる。死なすんじゃないぜ」

「どうして、そこまでビダーシャルを助けたいのかしら?」

「ヘッ…。さっき言ったろ。教える義理はないぜ」

「私達が見捨てるかもって、考えないの?」

「あのアジトに無駄に長居してた訳じゃないぜ。あんた達がどんな連中かは、だいたい分かってるさ」

「……」

「んじゃ、任せたぜ」

 

 デルフリンガーはそう言い残すと、側の窓ガラスを破り外へと逃げ出した。だが魔理沙が、ただちに後を追う。残ったパチュリー達。ビダーシャルへ近づくと、見下ろした。淡々とした仕草は相変わらずに。

 

「確かにかなり弱ってるわね。こあ、彼抱えて」

「はい」

 

 こあを他所に、アリスがパチュリーに話しかける。

 

「どうするのよ?連れて帰るの?」

「デルフリンガーが何故、彼を助けようとしたかも気になるし。この状態で放っておくのもね」

 

 パチュリーの言葉に、仕方なさそうにうなずくアリス。こうして四人は、また地下へと戻っていく。魔理沙も後からやってきた。デルフリンガー達にまた逃げられたとぼやきながら。近くに庭園用の用水路があり、そこに逃げ込んだと。どうやら逃走経路はちゃんと準備していたようだ。

 やがて一同は、転送陣を使いアジトへと戻っていった。一応念のため、転送陣は転送後爆破された。

 

 

 

 

 

 清々しい朝日に照らされたガリア王の寝室。だが部屋の主は、清々しさとは真逆の驚くべき報告を受けた。忠実な使い魔から。

 

「何ぃ!?まことか?」

「はい」

 

 その報告とは、ビダーシャルが何者かによって攫われたという知らせ。エルフを監禁するために特別な牢屋を用意し、さらに鍵はジョゼフ自身が管理していた。どうやって、そして誰がやったのか。いずれにしても非常事態には違いない。彼はすぐさま布団を跳ね上げると、シェフィールドを問い詰める。強い口調で。

 

「何者の仕業だ!」

「それが看守共の報告では、魚のような妖魔だと」

「魚のような妖魔?」

 

 青い髭をいじりつつ、眉間にしわを寄せるジョゼフ。魚のような妖魔など聞いた事がない。

 

「エルフの使い魔か?そう言えば、お前はロバ・アル・カリイエ出身だったな。そのようなもの、心当たりはあるか?」

「いえ。エルフ共はドラゴンを使役する事が多く、魚のような妖魔など耳にした覚えがありません」

 

 シェフィールドの出身は、実はロバ・アル・カリイエ。幻想郷の人妖達とは違い、ペテンではない。ロバ・アル・カリイエの者達はエルフと長年敵対していたため、ハルケギニアの人間達よりはるかにエルフについて知っていた。だがそんな彼女でも、魚のような妖魔については聞いた事がなかった。

 ミョズニトニルンの答に対し、ジョゼフは次に思いついたものを口にする。

 

「ヨーカイ共はどうだ?」

「ビダーシャル卿と敵対してたあの者共が、助けに来るとは考えづらいです。それに私が知る限りでは、人の姿をしてないヨーカイはおりませんでした」

 

 シェフィールドは、ビダーシャルが幻想郷組と二度遭遇をし、どちらも戦ったと思っていた。完全に敵対していると。だが真相は違う。確かに一度目の遭遇では戦ったが、二度目は話をした上、逆に手を結んだ。この事実を彼女が知るハズもなかった。また、彼女にとっての幻想郷の妖怪は、ハルケギニアの妖魔とは違い人間に近しいという印象があった。蛍の妖怪リグルですら、人の形をとっていたくらいなのだから。

 

 ジョゼフはうつむき、髭をもてあそびながら黙り込む。つまりは賊については、見当すらつかないという訳だ。ガリア王の表情がさらに厳しくなる。しばらくして、シェフィールドにさらに問う。

 

「攫われる直前のビダーシャルの様子は、どうだった?」

「看守の話では、歩くのはもちろん、体を起こすのも困難かと。餓死寸前と言った所でしょうか」

「となると、体力を回復させるまでは動けんな」

「おそらく」

「……」

 

 また王は黙り込んだ。まだ間に合うかもしれない。しかし、余裕があるとは間違っても言えないだろう。

 さわやかな朝日が差し込む寝室。だが室内には、それとは対照的な重い空気が漂う。ジョゼフはおもむろに、シェフィールドへ顔を向けた。戦地にいるかのような厳しい面持ちを。

 

「ミューズ」

「はい」

「まずはリュティス周辺を徹底的に洗え。昨晩の事だ。そう遠くへは行っていまい。さらに全土に警戒令を発せよ。特に関所、港、ドラゴンの厩舎は厳重にな。そしてエルフを発見次第、ただちに報告させよ」

「はい」

 

 シェフィールドは主の命を一通り耳に収めると、すぐさま部屋を出た。残ったジョゼフはさらに頭を巡らす。一体何者がビダーシャルを助け出したのか。そもそも何故捕まっていると分かったのか。いずれにしても最悪の事態は、彼が故郷にたどり着く事だ。ビダーシャルの持つ情報がエルフに知れ渡れば、聖戦が破綻する可能性すらある。ガリア王は拳を強く握りしめると、虚空を睨みつける。

 

「おのれ…。余を煩わせよって…」

 

 だがその時、ふと我に返ったように顔つきが変わった。晴れやかなものに。ジョゼフは、突然笑い出していた。

 

「フッ…。ハハッ、ハハハハハッ!」

 

 ひとしきり笑うと、さっきまでの険しさは顔から消えている。ベッドから立ち上がり、窓の側に立った。朝日を全身で浴びるかのように。

 

「余が焦っておる。信じられん!いつ以来だ?こんな気分になったのは」

 

 久しく忘れていた心の動きに、ガリア王は再び笑い声を上げていた。

 

 

 

 

 

 アリスが部屋に入ると、一人の男性がベッドで寝ているのが目に入る。やつれた顔をした金髪のエルフ、ビダーシャルが。だが、これでも昨日よりはマシだ。するとエルフはまぶたをゆっくりと開けた。アリスに気付いたのか、目を向ける。人形遣いも同じく気づく。

 

「あら、目が覚めたの?」

「……」

「大分、顔色よくなったようね」

「あ……」

「まだ無理に話さなくっていいわよ」

「……」

 

 ビダーシャルは再び目を閉じ、眠りに入る。

 

 ここは幻想郷組のアジト。空き部屋のベッドに、彼は寝かされていた。実は、一時はかなり危ない状態にもなった。かなり弱っていた上、デルフリンガー達との闘いに巻き込まれたため症状はさらに悪化したからだ。しかし、ここには医療の達人がいた。瀕死でもない限り治してしまえる者が。

 

 アリスがその達人に声をかけた。棚の上にある水瓶に。

 

「ラグド。悪いわね」

「構わん。エルフは精霊との縁が深い。私が手を施すのに、理由はいらぬ」

 

 水瓶から覗く透明な顔は、そう答えた。相変わらずの抑揚のない口調で。ただアリスは、頼もしげにも聞こえたが。

 この水瓶の存在こそが、アリス達が当てにした医療の達人。ラグドリアン湖の水の精霊、ラグドだ。なんと言っても、水系統の魔法が自在に使える。そしてこの世界においては、医療とは水の力をあやつる術と同義と言ってよかった。

 しかしそのラグドの力をもってしても、ビダーシャルの回復は順調、という訳にはいかなかった。病気や怪我ならすぐに治せたが、餓死しかけていたとなるとラグドにも限度がある。自ら食べ物を口にしなければ、体力の戻り様がないからだ。今はまだそれが難しかった。流動食でわずかずつ回復を待つのみだ。ともかく打てる手は打った。後は時間が解決するだろう。

 

 アリスはビダーシャルの部屋から出る。ふとパチュリーが目に入った。彼女の方もアリスへ顔を向ける。リビングに向かう途中のようだ。彼女は何の気なしに口を開いた。

 

「デルフリンガー、なんでビダーシャルを助けたのかしら?」

「パチュリー、言ってたじゃないの。ルイズの次の相手だからでしょ?」

「けど私達に預けたのよ?何か術をかけられるかもって、考えなかったのかしら。例えばこあのチャームとか。そうすれば、ルイズの敵にはならなくなるわ」

「予想が違ってたのかしらね。逆に、敵じゃなくって味方になるとか」

「味方…か。次の敵は他にいるのかしら…。だいたい、ガリア王は彼をあそこまで衰弱させて、どうするつもりだったと思う?」

「情報を聞き出そうとしたんじゃないの?エルフの。だって聖戦するんでしょ?」

「となると、デルフリンガーはジョゼフの聖戦を邪魔するために、彼を助けた話になるわね。確か、黒子も自分なりの聖戦したいんだっけ」

「うん。デルフリンガーはそう考えてたわ」

「一応、辻褄は合うって訳ね…」

「とにかく、彼が回復したら聞いてみるから」

 

 二人はとりあえず納得し口を閉ざす。しかし、何か煮え切らない。パズルのピースを一つ失くしたかのような、モヤモヤしたものがある。ただ今、すぐに分かるようなものでもないのも確かだ。とりあえずは、二人共用事があるのでその場で別れた。

 

 アリスは学院の厨房へ向う。新しい紅茶の葉をもらうために。その帰り、難しい顔をしているピンクブロンドが目に入った。廊下をトボトボと歩いている。憂い顔のルイズも珍しいとなどと思いながら、人形遣いは声をかけた。

 

「ルイズ」

「ん?アリス」

「どうかしたの?」

「え?」

「なんか暗い顔してたから」

「そう?ちょっと考え事があって…」

「何?聖戦の話?」

「ううん。関係ないと思うんだけど、前から気になってた事があるの」

「黒子からみ?」

「分からない。そうかもしれないし…」

 

 歯切れの悪いルイズの言葉に、アリスは一言アドバイス。

 

「私達に相談したいんだったら、早い方がいいわよ。パチュリー、幻想郷に帰っちゃうから」

「え?帰っちゃうの!?」

 

 驚いて目を見開くルイズ。文、鈴仙に続いて、パチュリーまでも帰ってしまうのかと。しかしアリスは、他愛もないように返す。

 

「うん。ダゴンを調べるためにね」

「あ、そういう話なの。じゃあ、また戻って来るのね」

「そうよ。何?帰ったら寂しい?」

「さ、寂しいって言うか…いきなりだったから、びっくりしただけよ」

 

 ごまかすように明後日の方を向くルイズ。それにアリスは口元をほぐす。

 

「パチュリー、まだ帰る準備の最中だから。今なら間に合うわ。どうする?」

「うん。話してみる」

 

 明るい返事の後、二人は揃ってアジトへと向かった。

 ところでビダーシャルについてだが、しばらくはルイズ達に黙っておく事とした。本来なら、ハルケギニアにいるだけで大問題。それを看病しているとなると論外だ。万が一にも、バレる訳にはいかない。

 

 

 

 

 

 アジトのリビングの椅子に座る魔女達とルイズ。最近、よく見る光景だ。あえて違う点を上げるなら、ルイズがらしくない事だろう。悩んでいるらしいのだが、戸惑っている感じもある。なんとも言い難い表情をしていた。パチュリーが、いつも通りの淡々とした口ぶりで話しかける。

 

「で、何かしら?」

「実は結構前からおかしいと思ってた事があるの。あまり気にしてなかったんだけど。けど、ワルドがゼロ戦に襲われた時に、ハッキリしたっていうか、意識しだしたっていうか…」

「何を?」

「あの時、ワルドがドラゴンに乗って、ゼロ戦と戦ってたでしょ?」

「ええ」

「あれ、見た事ある気がするの」

「「「え?」」」

 

 三魔女が一斉に声を上げルイズを見た。今一つ意味が掴めなくて。魔理沙が身を乗り出してくる。

 

「つまり…ゼロ戦が飛んでた所を見た気がするって話か?」

「違うわ。風竜とゼロ戦が戦ってる所よ」

「なんだそりゃ?ありえねぇだろ。ゼロ戦は外の世界のもんだし、風竜はこっちのだろ?戦う所か、いっしょにいる自体がありえないぜ」

「そうなんだけど、そうなのよ」

「……」

 

 腕を組み益々難しい顔をする魔理沙。それはアリスも同じ。するとパチュリーが思い出したように尋ねた。

 

「そう言えば、あなた、ゼロ戦初めて見た時、名前知ってたわよね」

「うん」

「あの時は、大図書館で見たのかもって思ったけど、もしかしてそうじゃなかった?」

「分からない…」

 

 ルイズは沈んだ表情のまま答える。

 

「それにゼロ戦の時だけじゃないの。前にも似たような事があったのよ。どこかで見たっていうか、経験したっていうか。でも記憶がハッキリしなくって。思い出そうと思っても、出てこなくって…」

「デジャヴってヤツか?」

「うん…」

 

 魔理沙の言葉に、小さくうなずくルイズ。ここでアリスが何かを思いついたのか、独り言のように話し出した。

 

「もしかして、ルイズにも黒子の記憶操作の影響が出てるのかしら…」

「え?どういう意味?」

「そういうものを経験したかのように記憶をいじられたか、失敗して副作用が残ったんじゃない?」

「え!?でも今までの事、全部覚えてるわよ!影響ないからじゃないの?」

 

 黒子の記憶操作は、忘れさせるというものが多い。だがルイズは周りの者達が忘れてしまった事を、全て覚えていた。だから、黒子の影響は受けていないと思っていたのだが。さらにパチュリー達は、幻想郷との縁が深い者達ほど黒子の記憶操作を受けないと考えている。その彼女達と一番関わりが深いルイズ。最も影響を受けづらいハズなのだが。

 人形遣いは言葉を続ける。

 

「けど、虚無だもん。黒子が虚無関連ってのは知ってるでしょ?普通の人間より、影響受けやすくなってるかもしれないわ」

「………」

 

 黙り込むルイズ。すると、パチュリーがおもむろに口を開いた。

 

「念のため、お守りでも作っとく?」

「お守り?」

「簡易結界のようなものよ。私達の影響化にあるほど、黒子が手を出しにくいのは確かなんだし。ないよりあった方がいいでしょ?」

「うん!お願いするわ」

 

 少し表情が明るくなるルイズ。対策があると分かって。パチュリーの方は、とりあえずルイズが元気なったので今はこれでいいと思っていた。ただ黒子の影響と言うには、腑に落ちない。引っかかりを覚える。それが何かは分からないが。いずれにしても、彼女はこれから幻想郷に帰らないといけないので、お守り作りはアリスにまかされた。

 

 ルイズはアジトに来たときとは違い、重い雰囲気はもうない。すっかりいつもの彼女に戻り、転送陣の上に立つ。

 

「それじゃ、お守り頼むわ」

「ええ」

「いろいろありがとう」

 

 嬉しげに礼をしつつ、寮への転送陣を発動させた。それを三人は、頬を緩めて見送る。一息つくと、パチュリーが踵を返した。気分を通常運転に戻しつつ一言。

 

「さてと、私も戻らないと」

「幻想郷にか」

 

 魔理沙が確かめるように言う。

 

「ええ」

「例の時間のズレもあるから、さっさと用済ましてこいよ」

「努力はするわ」

 

 紫魔女は背中で答えると、部屋から出て行った。魔理沙とアリスもそれに続く。

パチュリーとこあが幻想郷へ向かったのは、それからしばらく後の事。このアジトにいるのも、ついには四人となってしまった。

 

 

 

 

 

 ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿の外れの礼拝堂。ビダーシャルが拠点として使い、今は主のいなくなった場所だ。

 よく晴れた空の下、衛兵達がここをぐるりと囲んでいた。だが中にはシェフィールドは一人のみ。彼女は探していた。ビダーシャルの行先の手がかりを。

 

 礼拝堂に荒らされた痕跡があると分かったのは今朝だった。ビダーシャル誘拐と関係していると、シェフィールドは読む。さっそく警備の衛兵と調査支援のガーゴイルを一体連れ、礼拝堂へと向かった。

 礼拝堂中央に立つ彼女。探るような視線で、周囲を見回していく。窓が一ヵ所割れており、テーブルや椅子、壁にも壊れた跡がみられる。最初こそ、火石などエルフの秘術により作り出したものを探した痕跡かと思ったが、だがこの荒れようはそうとは思えなかった。むしろ戦いの跡と言った方が近い。ミョズニトニルンはポツリと言葉を漏らす。

 

「戦ったとしても…いったい何と何が…」

 

 あの晩。守衛や衛兵たちはこの場所に来ていない。仮にエルフをさらった賊が、この場所に来たとしても戦う相手がいない。有り得るとしたら、一つしか思いつかなかった。

 

「まさかヨーカイ共が来ていた?でも何故?」

 

 その時ふと思い出す。ヨーカイ達に訊問を受けていた時に、聞いた言葉を。第三勢力がいるらしいという話を。その第三勢力と賊が戦ったのか。だとしても、正体が分からなければ意味がないが。

 思案に暮れながら、足を進める。そのままガーゴイルと共に、地下へと向かった。エルフの元拠点に。

 

 こちらの方は荒らされた様子がない。また、ビダーシャルが捕まる前に来たときとそう変わらなかった。慎重に足を進める彼女。すると何かに気付いたのか足を止める。テーブルの上のコップに目が入った。いや、正確にはコップの置かれている場所に。コップの脇に、円形の跡が覗いている。一度、コップを持ち上げ戻した。ただし位置が微妙にずれた。そう見える。刺すような目つきで跡を見つめるシェフィールド。

 

「これは…。誰かがここにいた?」

 

 ここはジョゼフとシェフィールド。そしてビダーシャルしか知らない場所だ。だがビダーシャル捕縛後、火石等回収してからは、ここに三人は立ち入ってない。だから、ここにあるものが動くはずがない。動いたとするなら、それは何者かが侵入した証。しかも侵入した者は、秘密のハズのこの場所を知っているという事になる。

 

「まさか…」

 

 慎重に辺りを見極めようとする神の頭脳。すると床にいくつもの足跡を見つけた。埃はテーブルの上だけではなく、部屋一面に積もっていた。ここを歩けば、足跡が残ってしまう。シェフィールドの顔つきが、さらに厳しくなる。

 

 足跡を追うミョズニトニルン。それは戸棚前で消えていた。しかも戸棚で半分切れている。つまり、この戸棚も一旦動かされ元に戻されたという訳だ。さっそく戸棚を調べるシェフィールド。しかし何もない。だが彼女の直観が叫んでいた。ここだと。シェフィールドはガーゴイルに、鋭い声を飛ばす。

 

「この戸棚を壊しなさい!」

 

 ガーゴイルは剣を振るうと、戸棚を破壊し始めた。木製の戸棚は一振りする度に、形を崩していく。そして全て木片と化した後には、先への入り口があった。

 

「…隠し部屋?けど…こんな所があるなんて聞いてないわ」

 

 ビダーシャルは、単に自分達の命令を実行していただけ。彼の行動は全て把握していたと思っていた彼女。まさか彼が自分達に隠し事をしていたなどとは、予想もしていなかった。急にビダーシャルへの認識が変わっていく。

 

 隠し部屋に入るシェフィールド。彼女に目に入ったのは破壊の跡。爆薬でも仕掛けたかのように、床が全て木っ端みじんとなっていた。だがそれ以外は何もない。置かれていた家具の破片や道具の痕跡など何も。

 

「何故こんな状態に…。それとも実は作りかけの部屋か?」

 

 一見しただけでは分からない、この部屋の意味。彼女は薄い氷の上でも歩くかのように、慎重に足を進める。目に入るものを全て分析するかのように、頭をフル回転させる。するとある破片に目が止まった。それを拾い上げる。

 

「これは…!?」

 

 破片にあったのは、何かの図形の一部。そのように見える。だが、シェフィールドはこれに見覚えがあった。正確には似たようなものに。それは幻想郷に飛ばされた時の事。紅魔館の大図書館で見たものだ。ハルケギニアへ転移するための魔法陣と呼ばれていた円形の図形。それが今、手にしているものとよく似ていた。そしてあのような魔法を使う者は、ハルケギニアには一つしか思いつかない。

 

「まさか…ヨーカイ共とビダーシャル卿が通じていた?」

 

 またも脳裏に現れるキーワード。ヨーカイ。何度も煮え湯を飲まされた連中だ。しかもその目的が、研究や観光などという遊び半分なもの。それだけに忌々しい連中だ。もちろん手元にある図形が、魔法陣と決まった訳ではない。しかし、その可能性は低くはないと考えている。

 

「もしも読み通りなら…。このままという訳にはいかないわね」

 

 穏やかだが、意志を込めた言葉を漏らすミョズニトニルン。実は、彼女にはルイズ周辺に手を出すと死ぬという呪いを、こあからかけられていた。ならば、もしもの時はするべき事は一つしかない。主のために命をかける。それは当然のように彼女の胸の内にあった。

 そしてこの行動は、自己中心的な幻想郷の人妖達には思考の外。自分以外の者のために、命を捨てるなどというものは。

 

 

 

 

 




描写、手加えました。


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急変

 

 

 

 

 

 ビダーシャル誘拐から数日が過ぎた日の午後。ガリアの虚無の主従は礼拝堂にいた。もちろん祈りを捧げに来た訳ではない。ここの地下、元エルフの拠点に用があったのだ。使い魔であるシェフィールドが先頭となって、主を導いていく。

 

「陛下。こちらです」

 

 礼拝堂の地下を進む主従。しばらくしてある場所で足を止めた。そこには小さめな入り口があった。扉などはなく、そのまま隣の部屋へと通じている。少々不機嫌そうに入り口を見つめるジョゼフ。

 

「まさか、ビダーシャルのヤツが隠し事をしていたとはな」

 

 これは、隠し部屋へ通じる入り口。シェフィールドからこの部屋の存在を聞いたときは実感がなかったが、こうして目にすると受け入れざるを得ない。あのビダーシャルが自分を裏切っていたと。無論、エルフである彼がジョゼフと手を結んだのは、利害の一致からだ。しかしそれでも、不快なものが胸にあるのを否定できない。

 だが今、考えるべきはそれではない。攫われた彼の行方だ。ジョゼフはシェフィールドの方を向く。

 

「それで、これとヤツの行先になんの関係がある?」

「とりあえずは、中をご覧ください」

「うむ」

 

 ミョズニトニルンに言われるまま、隠し部屋へと足を踏み入れるジョゼフ。そこでは数人の石工が働いていた。本来なら、何人も踏み入れる事を禁じられているこの場所で。だがこれも必要な作業のためだ。瓦礫となった床を元に戻すために。

 シェフィールドが初めてこの部屋に入った時、床は木っ端みじんに破壊されていた。あたかも、残してはいけない何かを消し去るかのように。加えてここで見つけた図形の描かれた破片。彼女は全てを復元する事にした。そこでジョゼフに許可をもらい、王宮お抱えの石工に復元作業を指示したのだった。

 

 作業は2/3程終わっている。大分全容が分かるようになっていた。見えるのは、円形の複雑な図形。ガリア王は一旦それを目に収めると、不思議そうな視線を部屋中に流した。

 

「だいたいなんなのだ?この部屋は?」

「私が入った時には、床が完全に破壊されていました。ですが、他に変わった様子はなく、備品も家具も何もありません」

「つまり、目に付くようなものは、この床絵だけか」

「はい」

「なんだこれは?ただの飾り絵にしか思えんが……」

 

 ジョゼフは床絵に近づくと、膝を床につける。そして絵に触った。特になにも起こらない。やはり飾り絵にしか見えない。しかし、ハルケギニアでは近いものを見た覚えがない。もっともエルフの飾り絵だとすると、見覚えがないのも当然だが。そもそも、隠し部屋にワザワザ飾り絵を描く理由が分からない。

 シェフィールドは主の側に寄ると、同じく腰を下ろす。

 

「私はこれと似たようなものを見た事があります。その場所もここと同じく床絵以外、何もありませんでした」

「どこでだ?」

「ゲンソウキョウで」

「何!?どいう事だ!?」

 

 何気なしに床絵を眺めていたジョゼフの表情が、急にシェフィールドの方を向く。険しい顔つきとなる。彼女は主の疑問に、語り掛けるように答えた。

 

「ゲンソウキョウでは、これを『魔法陣』と呼んでいました。一種のマジックアイテムのようなものなのですが、メイジでないと使いこなせないそうです」

「どんな機能がある?」

「物質を瞬時に別の場所へ移動させる能力があります。ヨーカイ共は魔法陣で、ゲンソウキョウとハルケギニアを行き来しているとの話でした」

「まさか……ビダーシャルはゲンソウキョウへ行ったのか!?いや待て、ミューズ。以前、ハルケギニアの者がゲンソウキョウヘ行く方法は分かっておらんと聞いたぞ」

「はい。そのように申しました。私がゲンソウキョウで見た魔法陣は、これとは違います。似てはいますが。陛下、これは私の推測なのですが、魔法陣は作り方によって異世界間を行き来するようにも、単に場所を移動するのにも使えるのではないかと」

「何故そのように思う?」

「そうと考えるしかないヨーカイ共の動きを経験しました。ヨーカイ共は、テレポーテーションと言っておりました」

「……。詳しく申せ」

「はい」

 

 それからシェフィールドは、ルイズ捕縛の時に起こった出来事を話す。ルイズを人里離れた森へ誘い出し、彼女を攫おうとした件だ。罠を張った場所には魔法装置を多数配置し、ヨーカイ共の接近を警戒していたにも関わらず近づかれた。正確には突然現れた。なんの前触れもなしに。魔法陣を使い、瞬時に移動したとするとこれも説明がつく。

 

「となると、牢を破った魚の化物とやらは、やはりヨーカイか」

「おそらく」

「……」

 

 ますます厳しくなるジョゼフの表情。彼女の意味する所を理解する。つまり元々ビダーシャルはヨーカイ共と通じており、これを使ってヨーカイ共がビダーシャルを助け出したという訳だ。

 一方、こうは言ったが、シェフィールドには腑に落ちない点もあった。何かが戦ったように荒らされた礼拝堂だ。やはり戦闘跡などではなく、火石などを探そうとした跡なのだろうか。確かにヨーカイ共は、エルフの秘術によるマジックアイテムの存在を知っている。シェフィールドの記憶を、ラグドリアン湖の精霊によって全て覗き見たのだから。

 

 黙り込んでいたガリア王が、苦々しげに零す。方法が分かったとしても、未知の魔法で移動されたのではビダーシャルの探しようがないだから。

 

「では、もはや手立てはない、という訳か」

「いえ、行方の見当はついております。ビダーシャル卿はかなり弱っていました。まずは治療に専念するでしょう」

「あのヨーカイ共にはその力もあるのか?」

「確かにゲンソウキョウには、その力を持った者がいます。しかし、ハルケギニアには来ておりません」

「何故分かる」

「シャルロット様に縁談の話を伝えた折、トリステイン魔法学院にてヨーカイ共について聞き取りをしました」

「それで?」

「現時点でハルケギニアにいるヨーカイは6人。その中に治療の能力のある者は、おりませんでした」

 

 シェフィールドがトリステイン魔法学院に訪れたのは、何もタバサにゲルマニア皇帝との縁談話を持って行くためだけではない。ヨーカイの本拠とも言える場所に、堂々と入れるのだ。何かと敵対していた彼女達の情報を集めるためでもあった。教師や生徒、使用人達との雑談の最中に、探りを入れていたのだった。そして彼女の言う治療能力のある者とは、もちろん永遠亭の関係者。これは美鈴から説明を受けていたので、知っていた。特に永琳の力は、身をもって経験したくらいだ。

 

 ミョズニトニルンは続けた。

 

「今いるヨーカイ共には、治す力はありません。しかしかの者共は、ラグドリアン湖の水の精霊と手を結んだ過去があります」

「例の『アンドバリの指輪』が奪われた件か」

「はい。あの精霊ならば、ビダーシャル卿の治療に最適かつ唯一の存在です」

「確かにな。人間ならばその力があったとしても、エルフを治そうなどとはしまい。だが精霊ならば、手を貸しても不思議はないな」

 

 ジョゼフは顎髭に手をやると、シェフィールドの話を咀嚼するように考えを巡らす。そしてスッと立ち上がった。シェフィールドも同じく腰を上げる。視線は魔法陣に留めたまま、ジョゼフは口を開いた。

 

「ミューズ」

「はい」

「まずは、ラグドリアン湖周辺を徹底的に洗え」

「はい。見つからなかった場合は、どうされます?」

「そうなると行先は一つしかない。ヨーカイ共の住処だ」

「トリステイン魔法学院ですね」

「うむ」

 

 返事と共にジョゼフは踵を返した。隠し部屋を出て行く。彼に続くミョズニトニルン。

 

 ほどなくして、ガリアの虚無とその僕は、玉座の間にいた。ジョゼフはその玉座に腰を下ろす。重々しく。今、ジョゼフの脳裏には一つの考えがあった。いつになく冷徹な口調で話し出す。

 

「ヨーカイ共……目障りになってきたな」

「はい」

「トリステインの虚無に組する故、聖戦では心強い味方になると考えていたが……エルフを匿うとなると話は違う。だいたい連中が余の邪魔をしたのは何度目だ?」

「片手では収まりません」

 

 シェフィールドは、憤りを纏った声を発する。アンドバリの指輪強奪に始まり、トリステイン魔法学院襲撃頓挫、タバサの母親誘拐、ルイズ捕縛阻止、そしてビダーシャル誘拐。他にも関与が疑わるものがある。実際そうだった。彼女は知らないが、ラ・ロシェール戦敗北、神聖アルビオン帝国崩壊も幻想郷の人妖達の仕業だ。さらにこれらが必ずしも、ジョゼフ達の邪魔をするつもりではなかったのだから、性質が悪い。

 

 ガリア王は、睨みつけるような視線をシェフィールドに向けた。もちろん彼女に不満があるからではない。ここにはいないヨーカイ共に対してだ。

 

「ミューズ。連中を排除……いや、ゲンソウキョウの連中がこの世界に関われないようにできるか?」

「手立てはございます」

「申せ」

「トリステイン魔法学院に、幽霊部屋と噂される部屋がございます。その部屋こそ学院が貸し与えたヨーカイ共の寮の一室。しかし6人以上のヨーカイがいるにも関わらず、ずっと一室のみだそうです」

「手狭すぎるという訳か」

「それだけではありません。部屋に入る事を許されてるのは一部の者のみ。他の者は、魔法によって入る事ができないとか。さらに全く気配がなかった部屋から、突然何人ものヨーカイ共が出てきたり、その逆で何人も入っていったはずなのに、気配が消え去るという事があるそうです」

「まさしく幽霊部屋だな」

「その部屋は隠し部屋と繋がっており、その場所こそヨーカイ共の住処、ゲンソウキョウとハルケギニアを結ぶ魔法陣の在り処と考えております」

「ふむ……。だとして、どうする?その魔法陣とやらを封じる術があるのか?」

「はい。トリステイン魔法学院を、ヨーカイ共の住処ごと吹き飛ばします」

 

 ミョズニトニルンは抑揚なく、だが決意を込めた言葉で主に提言した。学院を魔法陣ごと消し去ると。当然、その中には学院の関係者、教師や生徒、使用人達も含まれる。だがこの案に、ガリア王は渋い表情。

 

「それは不味い。息子や娘を殺されたトリステインの者共が、黙っている訳がない。トリステインとの不要なイザコザは、聖戦に支障が出る。だいたいトリステインの虚無も生徒だ。ヤツまで吹き飛ばしては、本末転倒だ」

「陛下、ご安心を。策が上手くいけば、むしろトリステインは自ら進んで聖戦に参加する事となりましょう。他の学院関係者が死亡しても、ルイズ・ヴァリエールだけは無傷な上、彼女も聖戦に一命を捧げるでしょう」

「ほう……」

 

 口元を釣り上げるジョゼフ。先ほどまでの冷徹さは、歪んだ喜びへと変わっていた。しかしシェフィールドは、引き締めた態度を緩めない。

 

「ですが、策は大がかりなものとなります。また、心苦しいのですが、陛下のお力添えを必要とします」

「かまわん。そんな面白い策なのだ。余も参加させろ」

「お気持ち痛み入ります。では……」

 

 そしてミョズニトニルンは秘策を口にする。自らの命も顧みない策を。

 その後、ラグドリアン湖周辺を捜索したが、ビダーシャルは見つからなかった。この結果により、目指すものが決まる。トリステイン魔法学院に全てはありと。

 

 

 

 

 

 その日、トリスタニアの王宮は騒然となっていた。御前会議では当惑と怒りの声がいくつも上がっている。女王アンリエッタも戸惑いを隠せない。重臣達が喚くように発言した。

 

「ガリアは一体何を考えておるのだ!」

「全くだ!こんなふざけた言いがかりがあるものか!」

 

 彼らの言うガリアからの要求は次のようなものだった。"トリステインにエルフの密偵が忍び込んでいる。ついては、探索のため、ガリア軍によるトリステイン領内での調査許可をもらいたい。"と。

 

 あまりに無礼な要求に、重臣達の剣幕は収まらない。

 

「エルフが忍び込んでいるなど、戯言にも程がある!何の証拠も示されておらんではないか!」

「だいたい事実としても、我が国領内の話だ。我が軍が当たればいいだけの事。何故ガリアが出てくる必要がある!」

 

 一斉に賛同の声を上げる。そして女王へと顔を向ける。同意を促すように。アンリエッタも憤りを露わにしていた。

 

「方々の言われよう、わたくしも考えを同じくするものです。かの国は近年、ハルケギニアを騒がしてばかり。しかも"虚無条約"が結ばれて、舌の根も乾かぬ内にこの要求。何を考えているのか、想像もつきません。この親書を、額面通りに受け取る訳にはいかないでしょう」

 

 いつになく敵愾心の籠った話しぶり。もちろんガリアの要求が、一方的過ぎるという面はあるだろう。だが、それだけとは言えなかった。こうも彼女が憤懣を抑えられないのは、やはりウェールズをレコン・キスタに討たれたというのが、まだ心に影を落としているのだろうか。その裏にいたガリアに対して、感情的なものが湧き上がるのを否定できない。

 女王の言葉に強くうなずく重臣達。さらにこのガリアからの親書、何かのブラフで別の狙いがあるという可能性もある。場合によっては敵対するもやむなしという空気が、この会議室に溢れていた。

 

 ところが、ここで宰相マザリーニからの落ち着いた言葉が挟まれる。他の面々と違い、苛立ちは見えない。むしろ腑に落ちないという態度。

 

「陛下、意外にこのエルフの件、事実かもしれませんぞ」

「このような唐突な話、信じるというのですか!?しかも、あのガリアからの話なのですよ?」

「理由はございます。それは例の巨大風石の件です。我が国でも確認できました。ハルケギニア全土の危機なのです。それはガリアも例外ではありません。侵略などに、うつつを抜かしている場合ではないのでは?」

「それは……確かに……そうかもしれませんが……」

 

 急に気勢が削げていく女王。重臣達も同じく。ハルケギニアが滅んでしまえば、領土も何もない。ただそうは言っても、ガリアの主はあの無能王。何も考えていないかもしれない。

 宰相は言葉を付け加える。

 

「さらに言えば、聖戦後を考えての可能性もあります。聖戦が成功すれば、ハルケギニア自体は救われます。しかし各国とも戦力を大きく減じているでしょう。戦争はしばらく無理でしょうな」

「できる内に、領土を増やそうという訳ですか?」

「そういう考えも、有り得るという話です」

「…………」

 

 口を強く結んで、視線を落とすアンリエッタ。いずれにしてもここで頭を悩ました所で、ガリア王が何を考えているか分かる訳もない。それからしばらくは重臣達の間で話が続いたが、何も決まらなかった。ここでまたマザリーニが発言をする。

 

「陛下。ここはいつでも対応できるよう軍の態勢を整え、国境を強化。さらに同盟国であるゲルマニアにも、もしもの際の支援要請を打診します。また名目上はエルフ、異教徒に関するもの。宗教庁と共に国内を調査するとし、ガリア介入の理由をなくすのはどうでしょう?」

「……。そうですね。いい考えです。みなさん、この案はどうでしょうか?」

 

 女王の問の後、重臣達の短い論議があったが、やがてマザリーニの案が採用される。会議は一旦の結論を見たが、誰もが胸の内にある重いものを抑えられないという顔つきだ。虚無条約により、少なくともハルケギニア内での戦争はなくなったと考えていた矢先の出来事。しかも相手はガリアだ。神聖アルビオン帝国とは訳が違う。最悪の事態が、脳裏に過るのを否定できなかった。

 

 

 

 

 

 トリステイン首脳部が騒然している同じ頃、アルビオン王国の宰相執務室では、呆れた声を上げる部屋の主がいた。マチルダだ。その前に外相、ワルド侯爵がいる。マチルダは、ガリアからの親書をワルドに渡した。

 

「トリステインにエルフが潜んでいるから、備えろだってさ」

「トリステインにエルフが?」

「だそうだよ。向こうの言い分からするとね。しかも、ガリアが自分達で探索するんだとさ。そんなもん、トリステインが許す訳ないだろうに」

「…………」

「しかもご丁寧に、ロマリアからの親書も同封されてたよ。ガリアに協力しろってね」

「……」

「けど、こっちは偽書だね。こんなもんまで用意して、急に戦争したくなったのかね。あの無能王は」

 

 長らく盗賊をやっていた彼女。文書の偽造はお手の物だった。逆に言えば、見破れるという意味でもある。ただトリステイン侵攻が目的だとしても、神聖アルビオン帝国での策に比べかなり雑なのが気になったが。

 マチルダは半ば憤慨しつつ、文句を並べる。彼女にとってガリア王は、アルビオンの混乱を助長した黒幕という悪印象。確かにレコン・キスタは、彼女とティファニアの仇であるテューダー朝を討ったが、それも単に連中の思惑からだ。恩義を感じるものではない。

 

「やっぱりあのジョゼフってヤツは信用できないよ。散々、アルビオンを引っ掻き回しておいて、今度はトリステインに手を出すって?しかも虚無条約結んでから、そう経ってない……」

「……」

「ん?どうかしたかい?」

 

 先ほどから全く返事をしないワルドに、不思議そうに声をかける。当のワルドは、射貫くようなまなざしで、親書を睨みつけていた。怒りを込めたような、苦々しげな様子がうかがえる。ポツリと小声を漏らす髭の侯爵。

 

「ガリア王め……何という失態だ……!」

「え?なんだって?」

 

 眉をひそめ、少々身を乗り出し尋ねるマチルダ。すると急にワルドが、親書を握りしめ迫ってきた。鬼気迫る表情で。

 

「宰相閣下!すぐにでも、ティファニア陛下を帰還させてください!さらに、トリステイン包囲の準備を!」

「ちょっと待ちなよ。まさかこの話、真に受けてんのかい?」

「早急に確認いたしますが、おそらく真実です」

「なんで分かるんだい?」

「ガリアはエルフを飼っていました。そのエルフの力を利用していたのです。かつて神聖アルビオン帝国に、ガリア王の手の者が不可解なマジックアイテムを持ち込んでいたのをこの目で見ました。それこそエルフが作り上げたものかと。加えて申せば、ガリアのエルフついてはロマリアも知っております」

「なんだって!?」

「おそらく、ガリアの聖戦参加が決まり、ガリア王はこのエルフが邪魔になったのでしょう」

「それで始末しようとしたけど、逃げられたって言うのかい?で、行先がトリステインって突き止めたと……」

「だと思われます」

「全く……」

 

 頭をかかえ、椅子に身をうずめるマチルダ。どうも手立てが杜撰だと思ったが、それが理由かと。要は、真相が明らかになる前に、全てガリアの手の内で収めたいという訳だ。確かにガリアからすれば、エルフとの関係がバレるのは非常にマズイ。策が慌てて作ったようなものになるのも、無理はない。しかもこれは、ガリアはすぐにでも動き出すという意味でもある。

 マチルダは、ガリアはなんて事をやらかしたのだと、溜息を漏らすしかない。もっとも、これが真相と決まった訳ではないのも確か。何にしても事が厄介なだけに、間違った判断で下手を打つ訳にはいかない。慎重に進めねばならなかった。しかし、できるだけ早く。

 

 マチルダは姿勢を正すと、宰相の空気を纏う。引き締まった声を発した。

 

「外相。まずは事実の確認してください。分かり次第、対応を決めます」

「はい」

「そして、ホーキンス国防大臣を呼び出してください。早急に」

「はっ!」

 

 宰相からの命を受け取った外相は、ただちに執務室を出た。しばらくしてマチルダの下へ来たホーキンスは、緊急命令を受ける。トリステイン国境ぎりぎりへの偵察艦隊の派遣と、ティファニア警備強化の名目で、トリステイン魔法学院への竜騎士隊一個小隊の派遣。この竜騎士隊は学院では素性を隠し、トリステインの竜騎士として振る舞う。さらにこの竜騎士隊には、状況によってはティファニアを救出、派遣した艦隊へ避難させるよう厳命が下った。

 

 

 

 

 

 残る大国のゲルマニア。こちらでもガリアからの親書への対応が考えられていた。アルブレヒト三世はテーブルに置かれた二つの親書を、頬を緩めて眺めていた。一通はガリアから、もう一通はロマリアから。どちらもトリステインにエルフが潜んでいるので、警戒せよという内容だった。

 重臣から声がかかる。

 

「陛下。いかにいたします?我が国でも、例の巨大風石は確認できました。聖戦を急がねばならぬこの状況。ハルケギニアの混乱は、避けねばならぬかと……」

 

 皇帝は重臣の言葉にうなずく。

 

「その通りだ。無駄に時間を浪費している暇はない」

「では……ガリアを説得するのでしょうか?」

「説得も時間がかかるではないか。手っ取り早いのは、強い方に付く事だ」

「陛下……?」

 

 予想外の答に、重臣は眉をひそめる。アルブレヒト三世は不敵に口元を釣り上げた。

 

「ガリアの同盟国として、我が国もエルフ探索に加わる。そしてトリステイン国内に駐留する。聖戦が終わった後もずっとな」

「陛下……!」

「アルビオンでは軍を右往左往させただけで、一辺の土地も手に入れられなかったのだ。今度は上手くやるぞ」

「……」

 

 重臣の額に冷たい汗が流れる。このハルケギニア全土の危機においても、野心を優先する皇帝に。彼は溜息を一つもらすと、忠告を一つ。

 

「しかし、次期皇后陛下、シャルロット・エレーヌ・オルレアン姫殿下が、トリステインにはおります」

「その通りだ。ようやく手にした至宝の玉だ。失う訳にはいかん。何か理由をつけて、ここヴィンドボナに呼び出せ」

「はい」

 

 淡々と返事をする重臣。さらに皇帝は命令を発した。

 

「全軍に出陣準備をさせろ。状況次第で、トリステイン領内へ兵を進める。先陣はツェルプストーだ。トリステインはよく知っておるだろう」

「はい」

 

 重臣は深く頭を下げ、皇帝の御前を後にした。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院の昼休み。ベアトリスが広場を歩いていると、ティファニアの姿が目に入った。声をかけようとしたが、雰囲気がいつもと違う事に気付く。ティファニアは、数名の衛兵らしき男たちと共にいた。しかも彼女は困っている仕草を見せている。

 憤慨して駆け寄るベアトリス。

 

「こら!そこの者共!ティファニアさんに何したんですの!だいたい、衛兵の分際で、貴族と軽々しく話して……」

 

 身分が口の先から出て行くのは相変わらずだったが、衛兵と思っていた男たちがそうではないと気付く。服に竜騎士の印があったのだ。しかも昨日来た、トリステイン王家からの者達だ。なんでも学院護衛のためだとか。ただトリステインの竜騎士にしては、違和感が少しあったが。

 

 剣幕は凪ぐように収まる。ベアトリスは傍までくると、ティファニアに話しかけた。

 

「あの……困ってたように見えたんですけど……どうされたんですの?ティファニアさん」

「あ、その……なんでもないの!ちょっと話ししてただけで……。え、えっと……む、向こう行きましょ!」

「え?あ、はい……?」

 

 ティファニアがあまりに強引に手を引っ張るので、腑に落ちない気持ちのままベアトリスはここから離れた。彼らの妙な緊張感に気付きもせず。

 

 同じ頃。キュルケは実家の馬車を、一言いいたそうに見送っていた。収まりの悪いものが頭の中にある。実家からの話に、不穏なものを感じたので。いや、それだけではない。ここ数日、妙な来訪が立て続けにあった。昨日来た竜騎士一個小隊もそうだ。そして今日は、ツェルプストーからの使いが来た。しかもタバサへの客も同伴して。

 

 褐色少女は整った顔を歪め、首を捻りながら校舎の中に入る。すると親友と鉢合わせた。

 

「見てたの?」

「……」

 

 うなずくタバサ。二人は並んで、次の授業の教室へと向かう。

 

「実家に帰って来いって言われたわ」

「理由は?」

「それが詳しい話は帰ってからって。しかも、いつ学院に戻れるか分かんないって言うのよ?なんか変でしょ?」

「……」

「で、そっちは?皇帝んとこの使い?」

 

 タバサの客は身分を隠していたが、その仕草やツェルプストー家の馬車に同伴していた点などから、キュルケはすぐに察した。普通の立場の者ではないと。しかもその人物がタバサの客となると、皇帝の使者しか考えられなかった。卒業までは公表されないが、タバサはゲルマニア帝国次期皇后なのだから。

 キュルケは何かを思いついたのか、顔色を変えて急にタバサに迫る。

 

「まさか……もう結婚の日取りが決まったとか!?あの皇帝、卒業待てなかったの!?」

「違う」

 

 雪風は、あっさり否定。

 

「宴に誘われただけ」

「宴?」

「今度、ヴィンドボナで宴を開くので、是非出席して欲しいと」

「ゲルマニアの首都で?あんな遠くに呼び出し!?だいたい、宴ってなんの宴よ」

「親睦を深めるためと言っていた」

「え?親睦?それだけ?そりゃぁ、婚約したって言っても、まだ赤の他人みたいなもんだけど……。それにしたって……」

 

 タバサとアルブレヒト三世が顔を合わせたのは、婚約を決めた時だけ。それ以来、顔を合わせていない。手紙すらない。絵に描いたような政略結婚だった。だから、人としてお互い分かり合いたいというのは、キュルケにも一応納得できる理由。しかし時期が引っかかった。呼び出すなら、国家行事を口実にすればいい。その方が自然だ。なのに何もない今の時期に、何故慌てるように呼び出すのか。

 

 考えを口にしようと、タバサの方を向くキュルケ。すると、窓の向こうに降りてくる風竜が見えた。竜騎士ともう一人後ろに誰か乗っている。その人物に見覚えがあった。銃士隊のアニエスだ。風竜が地に着くと、彼女はすぐさま飛び降りる。そして早足で、校舎へ向かっていった。

 キュルケがポツリと漏らす。

 

「今度はルイズに客かしらね」

「たぶん」

 

 タバサはうなずく。アニエスが学院に来たときに向かう相手と言えば、大抵ルイズ。そして用件は、王家や国に関わるものばかり。二人はまたあのちびっこピンクブロンドが、王家から無理難題を押し付けられるのかと少々不憫に思っていた。

 だが一方で、何とも言えない嫌な予感が二人を包む。奇妙なほどの最近の千客万来ぶりに。タバサはもちろん、キュルケもルイズや幻想郷組に付き合い策謀の最前線にいた。その経験が訴えている。何かの導火線にすでに火が付き、終着点に向かって進み始めているのではないかと。

 

 

 

 

 

 幻想郷。紅魔館の大図書館。パチュリーは本の山に囲まれていた。もちろんハルケギニア関連、つまり黒子の調査のために、これらの本をひっくり返していたのだった。現在は、まずはダゴンに関しての調査中。

 手元には、そもそもの切っ掛けとなったダゴン召喚に関する魔導書『王の天蓋 絹の章』を開かれていた。実はこの魔導書は『王の灯篭 真昼の章』とセットで使わないといけないのだが、パチュリー達は間違って『王の天蓋 絹の章』だけで召喚陣を構築してしまった。結果は失敗。だが本来なら何も起こらないはずなのに、どういう訳かルイズが召喚されてしまった。未だにこれは謎のまま。

 

 開いた『王の天蓋 絹の章』をこあが覗きこむ。そこには挿絵があった。ダゴンの姿を描いた絵が。

 

「やっぱりダゴンさんって、こんな姿でしたね」

「違ってたら、実は召喚成功させた事ありません、って言ってるようなもんじゃないの。見た事あるから、描けたんだもの」

「ああ、そうですね」

 

 一瞬舌を出し、かわいらしい仕草でごまかすこあ。だが魅入られたように挿絵を眺める。あまりにも、出来がいいからだろうか。実物そっくりだ。すると、またも雑談でもするように尋ねてきた。必死に頭を悩ましている主人に構わず。

 

「それにしてもダゴンさんて、神出鬼没でしたよね。なんで、あんなに都合よく出て来たんだろ?」

「ああ、それ?」

「なんでダゴンさん、この場合はデルフリンガーさんかな?虚無条約の話知ったり、ビダーシャルさんが捕まったって分かったのかなって。そうだ。パチュリー様達もワルドさんの時とか、なんで来るって思ったんです?」

「ワルド襲撃の時、デルフリンガーに確認とったでしょ?」

「えっと……何でしたっけ?」

 

 またも笑いでごまかすこあ。デルフリンガー尋問の現場にはいたが、一連の会話は頭に入ってなかった。溜息をつくパチュリー。

 

「虚無関連を、監視カメラ代わりに使ってるのよ。虚無の秘宝とか、担い手や使い魔もね」

「え~!?そんな事できるんですか?」

「たぶん、使い魔契約の感覚共有と似たような効果だと考えてるわ。黒子が虚無関連だから、できるんでしょうね」

「へー……」

 

 感嘆を上げるこあ。しかし、すぐに疑問の表情に様変わり。顎先に人差し指を添え、宙を仰ぐ。

 

「あれ?だったらキュルケさんとタバサさんの転送の時は?虚無関連って何もないハズ……」

「コルベールが『火のルビー』を持ってたのよ」

「えっ!?なんで?だってコルベールさんって、虚無と全然関係ないじゃないですか!」

「経緯は話してくれなかったわ。言いたくないみたいでね。それに、こっちも由来はどうでもよかったもの」

「へー……。そうなんですか……」

 

 またも感心してなんどもうなずく。

 

 実はコルベール。かつては"魔法研究所実験小隊"という特殊部隊に所属していた。特殊部隊と言えば聞こえはいいが、実態は汚れ仕事専門の部隊だった。とある不可解な任務の最中、ある人物より『火のルビー』を託されたのだ。以来、ずっと手元にあり、未だ本来の持ち主に返せずにいる。ちなみにパチュリーがこれを知っているのは、デルフリンガー訊問の後、学院周辺の監視カメラ、もとい虚無関連の所在を確かめるため天子と魔理沙が探したので。二人の異界人に問い詰められ、さすがのコルベールも吐かざるを得なかった訳だ。

 

 さらに質問を続けるこあ。主は忙しいというのに。

 

「それで、ワルドの時どうやってデルフリンガーさん、来るって分かったんです?」

「……。ティファニアとルイズに、嘘教えて誘導したの」

「けど、その時は虚無関連が監視カメラって、分かってなかったんですよね」

「見当はついてたのよ。どうやってデルフリンガーと黒子が、情報集めてたかはね」

「なるほど……。さすがはパチュリー様です。監視カメラを逆手に取るなんて!」

「もう疑問は解けた?なら少し黙っててくれない?目通さないといけない本が山ほど……」

 

 突然、七曜の魔女が言葉を途切る。同時に表情が驚愕へと変わっていた。目を見開き、視点は宙を漂い、口を半ば開いたまま止まっている。まるで石化にあったかのように動かない。あまりの変わりにこあが、不安そうに声をかけた。

 

「えっと……パチュリー様?」

「監視カメラ……」

「は?」

「監視カメラ」

「はい?」

「監視カメラよ!」

 

 紫寝間着は使い魔に掴みかかった。鬼気迫った目つきで。こあの方は、謝ればいいのか、いっしょになって連呼すればいいのか、戸惑うだけ。

 

「え!?あの!?ハハハハ……」

 

 やっぱり笑ってごまかした。眉毛はハの字だが。しかり主は構わず叫ぶ。

 

「そうよ!なんで監視カメラって分かったの!?」

「いやぁ……ご自分で考えたのに、分かんないって……」

「私の話じゃないわよ!デルフリンガーよ!」

「え?」

 

 こあはキョトンとして停止。しかし主の口は止まらない。

 

「あの時、虚無関連を監視カメラにしてるかって聞いたわ。けどデルフリンガーは反応してた」

「えっと……何にです?」

「『緋想の剣』によ!監視カメラって言葉を知らなかったら、反応はなかったハズだわ!」

「じゃぁ、監視カメラって言葉知ってたんですね」

「そうよ!」

「えっと……それがおかしいんでしょうか?」

「近世文明以下のハルケギニアで、なんで"監視カメラ"なんて言葉知ってんの!?」

 

 近世以前。つまり地球でいうと18世紀以前。そんな時代に”監視カメラ”なんて言葉が、あるハズない。一瞬、驚くこあ。確かに、なんとも言い難い奇妙な話だ。しかし、すぐに答を思いつく。

 

「デルフリンガーさんは、ずっとアジトにいましたから。みんなの会話聞いて、覚えただけじゃないですか?」

「…………。そうね。有り得る話だわ」

「そうなんですよ。きっと」

「なら確かめる」

「確かめるって?どうやって」

 

 こあの問にパチュリーは答えない。代わりに要求を口にする。

 

「こあ。几帳面な子、四人五人集めて」

「はぁ……。でも、何するんです?」

「文んとこに行くわ」

「え?何しに?」

「……」

 

 紫魔女は答えない。スッと立ち上がると、宙を仰ぐ。スコープ越しにターゲットを探すような視線が、そこにあった。黒子の尻尾を掴んだ。そんな確信が魔女にはあった。

 

 

 

 




コルベールが『火のルビー』持ってるってのは原作にあるんですが、本作では書くの忘れてました。おかげで今さらに…。


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トリステイン包囲網

 

 

 

 

 ルイズはアンリエッタの執務室にいた。学院に来たアニエスに、緊急の用があると呼び出されたのだ。執務室にいたのはアンリエッタ、アニエス、ルイズの三人だけ。いつもならこの手の時には、マザリーニもいるのだが、彼は今、ロマリアへと旅立っていた。こちらもまた緊急の用件で。

 

 用意された席に座ったルイズは、対面にいる女王へと真っ直ぐに向く。そこにあったのはアンリエッタの張り詰めた面持ち。呼ばれる度にトラブル解決を頼まれるルイズ。おかげで彼女の思い悩んでいる姿は何度も目にしたが、そのどれよりも重々しく見える。今回はよほど大きな問題らしい。気持ちを引き締め、息を飲むとアンリエッタの言葉を待った。そして、女王の口が開く。

 

「ルイズ。今、我が国は危機に瀕しています。それも今までにないほどの」

「はい」

 

 よく通る返事をするルイズ。幼馴染を励ますように。

 

「まずはこれを見てください」

 

 アンリエッタはそう言うと、数枚の書簡をアニエスに手渡した。そして彼女はルイズ前に手渡す。スラスラと読み進める虚無の少女。並んでいる文字に目を流していくが、その目つきはだんだんと険しくなっていく。

 一通り読むと、ルイズは跳ねるように顔を上げた。すぐさま出てきたのは、怒声混じりの問いかけ。

 

「陛下!何なんですか!?これは!」

 

 当然とも言える反応。書簡の内容は、トリステインに潜んでいるエルフを探すためガリア軍を入れさせろ、というものなのだから。アンリエッタは、ルイズ程ではないが憤りを感じつつ返す。

 

「驚くのも無理はありません。わたくしたちも最初はそうでしたから。ルイズ、いろいろ聞きたい事もあるでしょうけど、内容については一旦置いといて。問題なのは、この親書の影響です」

「影響?」

 

 アンリエッタの言葉を、ルイズは疑問形で繰り返す。女王の代わりに説明し始めたのはアニエス。こちらは感情を抑え込んでいるような、固い顔つきだった。

 

「アルビオンからの情報なのだが、同じ内容のものがゲルマニア、アルビオンにも送られたそうだ。しかもロマリアからのガリアへの協力要請付きでだ」

「宗教庁から!?」

 

 信じがたい話だった。宗教庁がガリアの言い分、トリステインにエルフがいるという話を、事実として受け取ったという意味となる。アニエスは続けた。

 

「ただ、アルビオンと言ったが、アルビオン大使館からの話だ。つまりは、あのワルドを通しての話となる。素直に信じる訳にはいかない」

「ワルド!?まったくアイツは!」

 

 かつての憧れの人物も、もはやアイツ呼ばわり。当然だろうが。自分の思い出を木っ端みじんに砕いた上に、トリステインに災難を持ち込んでおきながら、今はアルビオンの重臣としてのうのうとしているのだから。

 思わず立ち上がるルイズ。声を張り上げていた。穴でも空けるかのように、鋭く親書を指さす。

 

「ガリアはなんの根拠があって、こんな言いがかりつけてんです!?だいたい聖戦するんじゃなかったんですか?ハルケギニア全体の危機だってのに、何考えてんですか!あの無能王は!」

「ルイズ、落ち着いて」

「あ、いえ……すいません。姫様……じゃなくて、陛下……」

 

 我に返り、席に戻るちびっ子ピンクブロンド。 一拍置いて、アニエスがルイズの興奮加減とは対照的に、冷静に話を進める。

 

「今、注視すべきは、親書の内容の真偽や聖戦についてではない。トリステイン周辺の現状だ」

「……。そう言えば、さっき陛下は親書の影響とおっしゃいましたが、どういう意味です?」

 

 ルイズが尋ねると、アンリエッタはアニエスの方を向き、うなずく。それを合図に、銃士隊隊長による授業かのような現状解説が始まる。

 

「まずアルビオンだが、ティファニア陛下護衛の名目で竜騎士隊一個小隊が、トリステイン魔法学院に配備された」

「え?昨日来たあれが?トリステインの警護の兵って聞きましたけど」

「アルビオンから要請され、表向きは我が国の竜騎士隊となっている。しかし実態はアルビオンの親衛隊だ」

「親衛隊……」

「さらにアルビオンとトリステイン国境ギリギリに艦隊が派遣されている。もっとも小規模で、偵察を任務としているようだが。常時同じ場所に停泊している」

「……」

 

 ルイズは妙な胸騒ぎを覚える。アルビオンがティファニアを守るというのは分かるが、少々大げさにも思えた。さらに説明は続く。

 

「ゲルマニアについてだが、これはあなたの実家、ヴァリエール公爵から報告があった」

「父さまから?」

「国境の向こう、ゲルマニア側で不穏な動きがみられると。特にツェルプストー家が慌ただしく、どうも出陣準備を整えつつあるらしいとの報告だ」

「ええっ!?」

 

 身を乗り出して声を上げるルイズ。この所のキュルケとの付き合いもあって、ツェルプストー家に対しては、以前のような悪印象が薄くなってきていた。今ではキュルケに対しても、友情のようなものを感じている。それだけに、この話は寝耳に水なだけではなく、かなりショックでもあった。

 虚無の担い手は、肩を落とし席へと戻る。次にアニエスは、ハルケギニア最大の国について話す。

 

「ガリアだが、もう動き始めている。すでにいくつかの隊は、国境に到着している」

「……!」

 

 口元を半ば開け、唖然とするルイズ。ここでさらに、アンリエッタから追い打ちとでもいうべき話が告げられる。

 

「実は昨日、ゲルマニアから同盟破棄の通告を受けました」

「同盟破棄!?なんでです!?」

「"虚無条約"が結ばれた以上、二国間の同盟は不要との名目でした」

「陛下!絶対嘘です!そんなの」

「はい。わたくしも臣下の方々も、そのままに意味には受け取ってはいません」

「きっと、ゲルマニア皇帝はエルフ探しを建前にトリステインに……!」

 

 言いかけた言葉が途切れる。全ての意味を理解して。茫然とした眼差しを、床へ落とすルイズ。頭に溢れる緊急事態の警報。

 つまりは、エルフがいるかどうかはともかく、トリステインは今侵略の危機にあると。実際、ガリアとゲルマニアの動きは、本気と思えるもの。アルビオンはそこまで大規模な動きはないが、あのワルドがいるのだ。いつ豹変するか分からない。何にしても、トリステインが包囲されつつあるのは間違いない。だがトリステインは小国。ガリア、ゲルマニア、アルビオンの全てを相手にするなんて無理だ。それは自分の虚無の力を持ってしても、どうにかなるとは思えなかった。

 しかし、ここで一つの固い意志が胸に浮き上がってきた。しっかりと形を持って。貴族の矜持が。幻想郷の連中との付き合いの影響もあって、霞みかけていたそれが。自分はトリステイン王家に繋がる公爵家の人間。もっとも王家に近しい者。そしてアンリエッタは幼馴染でもある。

 ルイズは毅然と前を向き、覚悟を口にする。

 

「陛下。私の力が必要でしたら、なんなりと申し付けください」

 

 力強い言葉。そこには今までも国を救った自負があった。しかしアンリエッタは、親友のその覚悟に頼もしくも悲痛なものを抱く。またも彼女を、死地に送り出す事になるのかと。女王は、気持ちを落ち着かせるように話しだした。

 

「そう気負わないで、ルイズ。実はすでに手は打っています」

「え?手と言われますと……どうされたのですか?」

「マザリーニ枢機卿を、ロマリアに派遣したのです」

「教皇聖下の勅命で、戦争にならないようにするんです?」

「目的としてはそうです。今回の騒動、エルフが我が国に潜んでいるという話が発端です。異教徒の関する問題なので、宗教庁の管轄の元、我が国とロマリアでエルフ探索を進めるのです」

「えっと……そうなると……」

「各国は、我が国への介入の名目を失います」

「あ、なるほど」

 

 思わず感嘆の声をあげるルイズ。上手い手だと。もし戦争が起これば、あっと言う間にトリステインは蹂躙されてしまうぐらい、簡単に想像がつく。戦争が始まった時点で、何もかもが終りだ。トリステインにとっては、戦争を起こさない事が最善手。

 ルイズの高ぶっていた気持ちが、少し落ち着いていた。しかし、アンリエッタの重い顔つきは変わらない。

 

「ですがルイズ。枢機卿の交渉が、必ずしも順調に進むとは限りません。不測の事態が起こるかもしれません」

「つまり、交渉が成功する前に、戦争が始まってしまうかもと思われているのですね」

「はい。ですから、大変言いづらいのですが、その際にはルイズ……。あなたの力を借りたいと思います」

「陛下。先ほど申しましたように、私は国のために全力を尽くしたいと思ってます」

「ありがとう。ルイズ」

 

 わずかに笑顔を見せる女王。だがルイズには、このアンリエッタの無理をしたような笑顔に、余計に決意を固くする。虚無の少女は、その小さな姿に似合わず力強い姿勢を見せる。同時に、胸の内でさらに自らを鼓舞していた。

 

 やがて竜騎士に送られ、学院へと戻ったルイズ。もう授業は終わっており、皆、思い思いに時間を過ごしていた。当のルイズは、そんな彼らがまるで目に入らず、ブツブツとつぶやきながら自分の部屋へと戻っていく。

 

「最悪、三カ国と戦争?シャレになんないわよ!なんでこんな事になってんの?だいたい何よ!エルフが忍び込んでるって、デタラメにも程が……」

 

 その時、はたと言葉が止まった。足も止まる。予想外の考えが頭を過る。デタラメではないのではと。

 脳裏に蘇るのは、初めてエルフを見た時の光景。シェフィールドが自分を誘拐しようと罠を張ったが、逆にハメ返した時の出来事。窮地に陥った彼女を、逃がしたのはガリアのエルフだった。だがそのエルフ。ルイズ達と戦う所か、交渉を持ちかけてきた。しかも幻想郷の人妖達はその交渉に乗り、最終的には約定を交わしてしまったのだ。

 

「まさか……」

 

 血の気が引いていくルイズ。彼女達がガリアのエルフをトリステインに連れ込み、それがバレたのではないかと。

 彼女はピンクブロンドを大きく揺らし、廊下を駆け出した。幻想郷の人妖達の部屋に向かって。

 

 寮の部屋のドアを勢いよく開け、飛び込むルイズ。中には本を手に、不機嫌そうな顔をしているアリスがいた。

 

「ルイズ。静かに開けてよ」

「……。ちょっと聞きたい事があるの」

 

 アリスの文句に答えず、厳しい表情でズカズカと足を進めるルイズ。人形遣いの方は、いつもと違う様子に少々呆気に取られていた。ルイズはテーブルの側に立つと、尋ねた。彼女らしからぬ、緊張感の籠った声色で。

 

「前に、私とあなた達でシェフィールド、罠にハメた事があったでしょ」

「ええ。彼女の罠、逆利用したヤツね」

「うん。それ。あの時、エルフが後から出てきたでしょ?あなた達、あのエルフと手結んだわよね」

「ええ。それがどうかした?」

「そのエルフ。今どこにいるの?」

 

 ルイズの問に、アリスはわずかに眉の先を揺らす。しかしそれだけ。人形かのように、彼女の態度に大した変化はなかった。何てことはないという仕草で返す。

 

「何よ、藪から棒に。顔、ちょっと怖いわよ」

「え?あ、そう?」

「とりあえず、座ったら?」

「ん?うん……」

「で、一体何があったの?」

「実は……」

 

 ルイズはアリスに勧められるまま席に着くと、説明を始めた。王宮で聞いた話を。今、トリステインが置かれている危機についてを。アリスはそれを淡々と、最近の町の話題でも聞くかのように耳に収めた。

 

「なるほどね」

「それで、どうなの?あのエルフ、どこにいるの?」

「調べてみないと分かんないわ。実は、あまりやり取りないのよ。こっちも彼に頼むような用は、今の所ないから」

「そう……なんだ……。うん。分かった」

 

 エルフを彼女達が連れ込んだ訳ではないと知って、急に顔つきを緩めるルイズ。アリスはそれに笑みを返す。人形遣いは、態度をあらためると一言。

 

「それにしても、大ピンチね。トリステイン」

「うん……。最悪、三カ国との戦争になるかもしれないわ。えっとその……もしもの時は、手借りれる?」

「その"もしも"にならないようにしないとね」

「そうね。それはもちろんだわ」

「ちょっと、私達もいろいろ考えてみるから。形になりそうになったら、声かけるわ」

「うん。こっちは、いつでもいいわよ」

 

 軽快な返事をするルイズ。幻想郷の人妖達が、手を貸してくれると言ってくれた。今までと同じように。それだけでルイズは、気持ちが楽になっていた。これまでのように、今回も想像もつかない策で窮地をひっくり返してしまうだろうと。

 ルイズは気分よさげに、部屋を出て行った。一方、残ったアリス。人形のように変化のなかった顔つきが沈みだす。頭を抱える人形遣い。

 

「マズイわね。かなりマズイわ……」

 

 すぐさま立ち上がると、急いでアジトへの転送陣を潜った。

 

 

 

 

 

 幻想郷。妖怪の山。天狗や河童の住処として知られる場所だ。さらに山頂には守矢神社が建っている。いろんな意味で人外の巣窟だった。

 そこのとある場所に一軒の家があった。ここの住人は、今、頭を悩ましている最中。その人物とは烏天狗の射命丸文。

 

「ネタが思いつかない……」

 

 愚痴が自然と漏れてくる。

 ハルケギニア関連を独占報道し続けたため、この所の新聞ランキングトップを走っていた『文々。新聞』。しかも記事の内容は、ハルケギニアでの日々の生活でも十分注目を集めた。さらにイベントも多かった。つまりは取材が楽だったのだ。記事作りも簡単。取り立て脚色する必要がなかったのだから。そんなものに慣れてしまったため、いざ普段の生活に戻ってみると、ネタ探しの腕がすっかり鈍っていた事に気付いたという訳である。

 

「あ~ダメだ~!」

 

 頭をかきむしり、畳の上に仰向けに倒れる文。胡乱な瞳で天井を見る。

 

「気分転換に、ちょっと散歩してこっか……」

 

 むっくりと起き上がり出口へと向かった。そして戸に手をかけようとした時、戸の方から声がした。

 

「文さん。います?」

 

 聞き慣れた声。白狼天狗の犬走椛だった。一体何しに来たのか。ともかく彼女との会話も、悪くない気分転換になるだろう。文は勢いよく戸を開けた。歓迎の笑顔と共に。

 

「どうしたの!椛!とりあえず入って……。え?」

 

 途切れた言葉の後に、首を傾ける烏天狗。目の前の状況がよく呑み込めなくて。視線の先には弱り顔の白狼天狗と、仏頂面の七曜の魔女がいた。さらにその後ろには、小悪魔達がゾロゾロ。

 文は並ぶ面々を一通り見回すと、椛の方へ顔を戻す。

 

「どういう事?」

「えっとですね……」

 

 困ったという仕草で説明しようとした白狼天狗。しかし邪魔が入る。もちろんパチュリー。

 

「文、用があるのよ」

「用?」

「ここじゃ何だし、ちょっと入っていいかしら?」

「いきなりやってきて、不躾な」

 

 パチュリーの突然の訪問に、露骨に嫌そうな文。日頃の自分の行いは棚の上。しかし魔女は気にしない。

 

「ハルケギニア関連の話よ。私達が黒子探ししてるの、知ってるでしょ?あれの手がかり見つけたのよ」

「あ~……、ハルケギニアに、神様みたいなのがいるかもしれないって話ね」

「ええ。ともかくその正体を探るのに、あなたの取材ノート見せてもらいたいのよ」

「は?何、言ってんの。取材ノートは記者の命よ。見せられる訳ないでしょ」

「協力してくれれば、あなたに黒子の正体を一番に知らせるわ」

「!」

 

 つまりハルケギニア関連の大スクープを、最初に報道できるという訳だ。飽きられ始めていたハルケギニアネタだが、これならまだ行ける。したたかな烏天狗は、ただちに結論を導きだした。

 いきなり営業モードに切り替わる文。

 

「どうぞ、どうぞ、みなさん入ってください」

「それじゃぁ、お邪魔するわね」

 

 無遠慮にズカズカと入っていく、パチュリー達。そんな彼女達を椛は、ただ眺めていた。全員が入り口を潜ったのを見届けると、一言。

 

「それじゃぁ、文さん。私はこれで」

 

 まだ彼女は勤務時間中。すぐに戻らないといけなかった。

 実は椛、警邏中に妖怪の山へ侵入するパチュリー一行を見つけ、職質。すると逆に、ここへの道案内を頼まれてしまった訳だ。もっともパチュリーの方も、そうなるよう目論んでいたのだが。彼女は文の家など知らなかったので、ワザと見つかるようにしたのだった。

 

 踵を返し、仕事に戻ろうとする白狼天狗。すると後ろから声がかかった。紫魔女だ。

 

「椛。人手がいるのよ。手伝ってくれない?」

「何言ってんですか!こっちは勤務中なんですよ。だいたい案内してあげたでしょ。本来ならそんなものする必要ないんですよ」

 

 恩を受けた上に、さらなる要求。図々しい紫寝間着に、さすがにムッとする椛。すると今度は文が、口を挟んでくる。少々威圧気味の笑顔で。

 

「これからあなたは休憩時間」

「休憩時間は自由に取れません!」

「なら、侵入者の監視」

「何を言って……」

「いいから来なさい!」

 

 椛、首根っこ掴まれて、家に連れ込まれた。泣く泣く作業を手伝うハメに。

 

 頭数がそろった所で、文がさっそくパチュリーに質問を一つ。

 

「それで、取材ノート見てどうするんです?」

「言葉を探すの」

「言葉?」

「ええ。説明するわ」

 

 それから七曜の魔女の説明が始まった。作業自体は大したものではなかった。ただし手間が膨大だった。これなら人手が必要になる訳だ。しかもミスも許されない。一同は、作業の要点を飲み込むと、さっそく取り掛かった。

 

 一時ほどが経った頃、結果が出る。しかしその結果に、難しい顔つきのパチュリーと文。烏天狗がつぶやく。

 

「ファッションに、コックピット……。他にもいくつかありますね」

「ええ。けど、考えてたのと違う結果だわ。妙な具合になってきたわね」

「まあでも、このノートはあくまで、私が分かりやすいように書いたもんなんで。事実を完璧に記録してる訳じゃありませんから」

「……」

 

 文に返事をせず、うつむいて黙り込む魔女。作業結果を記した書類を眺め、意味するところを探る。だが答は容易には出てこなかった。やがて一息漏らすと、立ち上がる。

 

「紅魔館に戻るわ。文、ありがとう」

「いえいえ、この程度ならお安い御用です」

 

 最初は不満ありありで拒否していた割に、得があると分かるとこの対応。さすがはパパラッチ。そして、逞しいパパラッチはここで終わらない。パチュリー達の後に、無言でついて行こうとする。彼女が怪訝そうに返した。

 

「何よ。もう用は済んだわよ」

「調査現場にいれば、一番に黒子の正体を知れるじゃないですか。私も手伝いますよ。魔法は素人ですが、新聞記者として情報を扱うのは長年やってきましたからね。パチュリーさんとは違う、意外な発想が出てくるかもしれませんよ」

「……。分かったわ。ついてきて」

 

 七曜の魔女はあっさりと、烏天狗の同行を許した。さて残った椛だが、これ以上巻き込まれるのはごめんだと、一言仕事に戻ると言い、さっさとこの場から去って行った。

 

 

 

 

 

 ハルケギニアにいる人妖達が、全員リビングに集められた。アリス、魔理沙、天子、衣玖の四人が。一時は11人もいたが、今は半分もいない。

 すでにアリスは一同に、ルイズからの話を説明し終わっていた。トリステイン存亡の危機とも言える状況だと。

 

 魔理沙がぼやくように言う。

 

「なんで、ビダーシャルがここにいるって分かったんだ?」

「それは問題じゃないわ。少なくともガリアとゲルマニアは、トリステインに兵隊入れるつもりだって事よ。エルフを探すって大義名分でね」

 

 アリスの落ち着いた返事。つまりビダーシャルがいようがいまいが関係ない、という訳だ。だが、すぐさま天子があっけらかんと解決策を披露。

 

「大した話じゃないでしょ。トリステインに、あのエルフ渡しちゃえばいいだけじゃん。探し物が見つかって、大義名分もなくなるし。全部、丸く収まるってねー」

「ビダーシャルが、そんなもん飲む訳ないだろ」

「話つける必要ないでしょ。抵抗するなら伸しちゃえばいいし」

「おいおい」

「あれ?納得いかない?あのエルフに義理も何もないでしょ。助けたのだって、成り行きだし」

「そりゃそうだが……」

 

 魔理沙は口ごもる。確かに天子の言う通りではある。だが一旦命を救ってやった相手を、またも死の危険に晒すのは気が引けた。この辺りは人間と天人だからか、それとも直に会話をした者の差か。

 ここで衣玖が言葉を挟む。しかし、いつもの事務的な口調ではなく、どことなく厳しめのものだった。

 

「もう潮時ではありませんか?」

「ん?何が?」

 

 天子が不思議そうに返す。言葉を続ける竜宮の使い。

 

「もう幻想郷に帰ってはどうですか、という意味です。そのビダーシャルとやらを渡せば、次は聖戦が始まります。渡さなければ、トリステインを中心とした戦争です。どちらにしても今までのように、平和なハルケギニアを楽しむという訳にはいかないでしょう」

「まぁ、そうかもねー」

「でしたら、もう引き上げては?総領娘様の契約も、切れてしまってますし。ルイズさんの卒業まで付き合うと言ってましたが、どの道、戦争となれば卒業も何もないでしょう」

「う~ん……」

 

 腕を組み唸る天子。答がすぐに出てこない。それに衣玖は少々驚いていた。自己中心的な彼女が、珍しく他人との関わりで悩んでいると。

 すると魔理沙の不敵な視線が、衣玖へ向けられる。

 

「潮時には早すぎねぇか?」

「結果は見えてるでしょうに」

「私は結果が見えるって程、頭使ってないぜ」

 

 椅子に寄りかかり腕を組んだ白黒魔法使いは、悠然と返す。天空の妖怪は黙り込んだ。そして天子の方を向く。

 

「総領娘様。私は『緋想の剣』の監視のためここにいます。ですから、持ち主の総領娘様に従いますよ」

「そう。けど、どうしようかなぁ……」

「……」

 

 衣玖はまたも驚きを隠せない。天子が自分の欲求を、ストレートに出さないとは。ここでの生活のせいか、わがまま天人にも変化があったという事なのだろうか。

 なかなか出てこない天子の答。先にアリスが口を開く。仕切るかのように。

 

「ここで結論を出さないといけない、って訳でもないし。まずは、状況認識してくれればいいわ。一旦、各人で考えましょ。それと、とりあえずパチュリーに知らせるわ」

「知らせるって、どうやってだよ」

「手紙、転送すればいいでしょ」

「ああ、なるほどな」

 

 魔理沙は納得顔を浮かべる。

 今回の話し合いは、ここでお開き。人妖達は自分達の部屋へと戻っていった。様々な考えを巡らせつつ。

 

 

 

 

 

 紅魔館に戻ったパチュリー達。大図書館の扉を開けると、一人の小悪魔が駆け寄ってきた。ここあと呼ばれる司書だ。

 

「パチュリー様」

「何かあったの?」

「はい。こんなものが実験室にありました」

 

 差し出されたのは一通の手紙だった。ここあは説明を付け加える。

 

「転送陣の上にありましたよ」

「ハルケギニアからの手紙……?何かあったのかしら?」

 

 さっそく中身を確かめるパチュリー。文やこあも横から覗きこむ。読み進めていく内に、三人の表情が厳しくなっていく。こあが動揺して言葉を漏らす。

 

「パ、パチュリー様……、これって……」

「エルフを助けたのが、裏目に出たみたいね」

「裏目に出たみたい所じゃないですよ!」

「そうね」

 

 どういう訳かリアクションの薄いパチュリー。そのまま自分の研究室へと早足で進み、部屋へと入る。椅子に座ると、手紙を机に無造作に置いた。

 

「こあ。資料、ここに置いて」

「あ、はい」

 

言われるまま、文の家から持ってきた調査結果などの書類を置く。すぐに作業を進めようとするパチュリー。その様子を見て、驚いてこあが声を上げた。

 

「パ、パチュリー様、心配じゃないんですか!?ルイズさん達とか」

「ルイズ周辺は安心していいわ」

「なんで分かるんです!?」

「黒子はルイズのために動いてるのよ?危険になったら、何か手を打ってくるに違いないわ」

「あ、なるほど」

 

 一先ず安心と、表情を緩めるこあ。しかしパチュリーの方は、そう明るくない。

 

「問題なのは、何をするかね」

「何をするかって?」

 

 こあが首を傾げる。パチュリーは、引き出しから研究ノートを取り出しながら答えた。

 

「黒子が今まで使った方法は三つ。一つは記憶操作、もう一つはデルフリンガー、そして幻想郷への転送」

「えっと……どれかがマズイって事でしょうか?」

「転送よ」

「ああ、確かに面倒な話になりますね。また来た方を、お世話しないといけないなんてなったら……」

「分かってないわね。戦争なのよ。100人、1000人単位で送り込まれる可能性もあるわ」

「ええっ!?そんな事になったら……」

「幻想郷は大騒ぎよ。特に紫はブチ切れるでしょうね」

 

 そもそも紫や守矢の二柱、永琳達がハルケギニアを探っているのは、この転送現象を起こさないためだ。それが大幅に拡大しては、調査をパチュリー達任せにしていた彼女達も黙ってはいないだろう。もっとも、転送現象が意図的なものと知らなかったとは言え、彼女達も聖戦という戦争を発生させようとしてはいたのだが。

 

 パチュリーは並べた研究ノートの中から、目的のものを探しながら話す。

 

「だから最悪の場合、トリステインどころか、ハルケギニア自体が大ごとになるかもしれないわ。紫が何かしてね。黒子を探すのを優先させた方が、いいと思うのよ」

「ですけど、放っておくって言うのも……」

 

 使い魔の一言に、手を止める紫魔女。黒子はルイズ達を助けはするが、それによる影響までは予想がつかない。トリステインもどうなるか。確かに全て黒子任せというのも、マズイかもしれない。

 ここで文が話に混ざる。パチュリー達の後に続き、この部屋に入っていた。棚の本を勝手に手にしている。

 

「紫さんのせいでハルケギニアがどうこうってのは、大げさでは?だいたいハルケギニアが、どこだか分かんないんですし。パチュリーさん達に調査頼んでるのも、そのためですし」

「100人単位で転送したら、さすがに場所は分かるでしょ」

「ああ、なるほど。ですがいくら紫さんでも、ハルケギニアの世界そのもの対しては大した事、できないと思うんですが」

 

 当たり前とも言える意見の烏天狗。紫が大妖怪だとしても、限度があると。それにパチュリーは淡々と返す。

 

「実はあの世界、そんなに大きくないのよ」

「あやや、どういう意味です?」

「ハルケギニアを調査する時、天文観測から入ったの。そして分かったのが、あの世界は天動説の世界って事」

「ほう……。するとハルケギニアがある大地だけの世界ですか」

「そうね」

「面白そうな話です。他に何がありました?」

 

 文は本を棚に戻すと、机の側に来た。新聞記者として、好奇心に溢れた顔つきで。魔女は作業を再開しつつ答える。

 

「四つの月とかね」

「四つ?二つじゃないんですか?」

「鈴仙がハルケギニアに来たときに、彼女に夜空見てもらったのよ。あの子、目いいでしょ?」

「確かに。幻想郷一じゃないでしょうか」

 

 鈴仙はその気になれば、様々な波長を捉える事ができる。目がいい所ではない。パチュリーは続けた。

 

「その時、鈴仙が言ってたの。まず二つの月は、私達も知ってる赤と青の月ね」

「はい」

「後、星が一つもない所を指して、何かあるって言ってたわ」

「それが三つめの月ですか。残り一つは?」

「太陽」

「太陽って……月と違うでしょ」

 

 呆れ気味に言う文。しかし魔女の方は変わらない。

 

「ハルケギニアでは同じよ。実は月も光を発してるのよ。太陽みたいにね」

「え?なんですか、それ?」

「あなた、双月が欠けた所見た事ある?」

「あ……そう言えば……」

 

 こちら世界の月は、太陽の反射で輝く。このため、地球が太陽を遮ると月に影が落ちる。これが月の満ち欠けの仕掛けだ。しかしハルケギニアの双月は、それが全くなかった。さらに双月はお互いを回っているのに、一方が一方へ影を落とす事もない。これが、月自体が光っている証左だ。

 

「そして天動説の世界だから、月も太陽もハルケギニアの周りを回っている。つまり違いは色と光量だけ」

「なるほど」

「ま、だから正しくは、四つの太陽と呼ぶべきかしら。鈴仙は、太陽を黄色い星って言ってたわ」

「太陽が黄色って……寺子屋の授業ですか」

 

 烏天狗は苦笑い。寺子屋の取材で、黒板に黄色のチョークで描かれた太陽を思い出す。だがこちらの太陽の光は本来白だ。とは言うものの、もしかしたらハルケギニアは違い、黄味がかっているのかもしれないが。ただ太陽の光は強烈なので、並の者には見分けるのは難しい。

 

 文は今まで散々取材し、ハルケギニアに関するものでそう新しい情報は手に入らないと思っていた。しかしまさか、こんなすぐ隣にあったと少々気持ちを高揚させる。記者魂が湧き上がる。

 

「パチュリーさん。研究ノート見せてください」

「今、私が読んでたんだけど」

「読んでないので。必要でしたら、すぐにお返ししますよ。それに私も調査に協力するという話でしたし」

「…………分かったわ。それじゃぁ……」

「さっきの四つの月、ってのがいいです」

「…………」

 

 紫魔女は積み上がったノートの中から一冊取り出し、手渡した。文はどこかから持ってきた椅子に座ると、さっそくノートを広げた。子供がクリスマスプレゼントを広げるように。

 

 しばらく静かにノートを読み進める二人。不意に文が眉間の間が縮まる。眉が段違いに歪む。さらにページを行ったり来たりしだした。そしてポツリと一言。

 

「え?これって……まさか……」

 

 顔を近づけ、ノートを覗き込む烏天狗。瞼が思いっきり広がっていた。次の瞬間、ノートを机に置くと、跳ねるように立ち上がる。

 

「パチュリーさん!」

「何?」

「私、取材に行ってきます!」

「え?何よ。いきなり」

「すぐ戻ってまいりますので、それでは!」

「ちょっと、文!」

 

 パチュリーの制止の声も届かず、烏天狗は最速で図書館から出て行った。

 

 とりあえず研究室が落ち着き、しばらく作業は専念していたパチュリー。だが邪魔が入る。乱入者が突入して来て。いきなり開く扉。大きな音を立て、勢いよく。

 

「パチェ!」

 

 姿を現したのは、紅魔館の主、レミリアだった。怒っているようにも見える。ただ大げさなだけで、嘘くさいが。

 

「帰ったなら帰ったって言いなさいよ!」

「忙しくって忘れてたわ。ただいま、レミィ」

「今更言っても遅いわよ!」

「ごめんなさいね」

 

 心の籠ってない謝罪。まるで事務手続きのよう。余計に怒った振りを見せつけるレミリア。

 実の所ここに来たのは、パチュリー帰還を聞きつけた彼女が、暇つぶし目的で来ただけなのだが。嘘くさい不満げな顔で、何かネタはないかと机の傍まで寄るお嬢様。ハルケギニアからの手紙を見つけると、一変。来た甲斐あったと楽しそう。さっそく手にした。

 

「何よこれ」

 

 内容を一気に読むと、今度は逆。顔が青くなっていた。演技ではなく。レミリアは机をたたくと、パチュリーに叫んだ。

 

「トリステイン、大ピンチじゃないの!」

「ええ。でもルイズ達は安全よ」

「なんでよ!」

「それはね……」

 

 さっきのこあへの説明をまたするのかと、うんざりしたような表情をレミリアへ向けるパチュリー。するとまたも来訪者。今度の相手は文だった。予定通り返って来たのだ。しかしパチュリーの方は怪訝そうな顔。何故なら、他に二名ほど連れがいたので。パチュリーはさっそく問いかけた。

 

「何で、その二人がいるのよ」

 

 文が連れ来た二名とは、まずは鈴仙。そしてもう一人。緑の帽子を被り、やけに大き目のリュックを背負った青髪の少女。河城にとりだ。

 彼女は妖怪の山に住む河童。河童と言えばもちろん水の妖怪。しかし幻想郷では、科学の申し子という印象の方が強かった。実際、数々の電化製品やら内燃機関やらを作り上げている。中にはオーパーツじみたものまである。当然にとりも他の河童と同じく、科学技術に詳しい。

 

 にとりは文句を並べる。

 

「それは、こっちの台詞。文に頼まれたから、仕方なく来たんだよ」

「どういう訳かしら。文」

 

 パチュリーは烏天狗の方へ視線を向ける。文は余裕ありげに答えた。

 

「まずは、にとりさんの話を聞いてからにしてください」

「……。分かったわ」

 

 一呼吸すると、全てを文に任せる事に決める。その後、レミリアが茶々を入れてきたが、上手く宥めて一同はにとりの話を待った。

 

「さてと。じゃあ、まずこれを見てよ」

 

 にとりは全員が囲む机の中央に、一冊の本を広げる。そこには、様々な色合いの四角がタイルのように整然と並んでいた。星の数ほどの本を読んだ七曜の魔女だが、そんな彼女にもこの本が何なのか分からない。言葉に詰まる紫寝間着。

 目の前の烏天狗達の意図が、まるで読めなかった。

 

 

 

 



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断絶

 

 

 

 

 

 ヴェルサルテイル宮殿の玉座の間で、苛立ちを漂わせた人物が王と対峙していた。この国の者ではありえない態度だ。もちろんその人物はガリア人ではない。ロマリアからの使者、ジュリオ・チェザーレだった。その側には、アルビオン外相、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド侯爵の姿もあった。

 

 トリステインにエルフが潜んでいる。この報をロマリアが最初に耳にしたのは、トリステインからの使者、マザリーニ枢機卿からだった。その直後、ワルドが到着する。彼からはエルフ探索がロマリア承認の元、ガリアが行うという話が伝えられる。全く覚えのない内容。ヴィットーリオ達は、驚きを通り越して怒りすら浮かんでいた。

 ただちにロマリアからのジュリオが派遣される。ロマリアからの親書と称する偽書を各国に渡したガリアへ。ワルドも、エルフ逃走の実情を知るために同行した。

 

 しかし、二人はガリアに到着はしたものの、すぐにはジョゼフに謁見できず数日待たされた。ようやく今日、謁見が許される。ただでさえ宗教庁からの偽書作成という、大罪と言っていい行為についての問い詰めに来たジュリオ。この上、待たされたため余計に苛立っていた。

 普段は飄々としている彼だが、今のジュリオは感情を押さえきれずにいた。声に鋭さが籠っている。

 

「陛下。一連の行為について、説明していただきたいのですが」

「一連とは、なんだ?」

「御戯れを。トリステインにエルフが潜み、その探索をロマリア承認の元、ガリアが行うという件です」

「ああ、あれか」

 

 ジョゼフは、一昨日の夕食でも思い出すかのように答える。そして先ほどから変わらない、緊張感の欠けた顔つきで話しだした。

 

「トリステインにエルフがいるというのは、偽りではないぞ」

「ロマリアからの親書については?」

「ふむ。偽書を作ったのはマズかったか。うむ、悪かった。以後、気を付けるとしよう」

「な……!」

 

 罪の意識も後悔も感じられず、逆に隠そうともしない。ガリア王の呆れるほどの開き直りぶり。ジュリオには言葉なかった。

 次にワルドが問い掛ける。彼の方は、ジュリオに比べれば幾分落ち着いていた。

 

「陛下。トリステインに潜んでいるというエルフ。元々は、陛下の手元に置かれていたエルフではありませんか?」

「ん?」

「アルビオンもロマリアも、以前よりガリアがエルフと手を組んでいる事、存じ上げております」

「ほう。かなり注意深く、隠しておったつもりだったのだが。侮れんな。いや、大したものだ。うむ、その通りだ」

 

 ガリア王は、他人事のように言う。雑談でも交えるように。罪を暴露されているというのに、この態度。ワルドもジュリオも、ジョゼフという人物が今一つ理解できなかった。苛立ちよりも困惑に包まれる二人。

 

 ふと青髭の偉丈夫は、髭をいじりだした。すると急に、半ば遊びのような気配が消え失せる。ハルケギニア最大戦力を誇る国の主がそこにいた。今までとは違い、威圧するような声が届く。

 

「で、お前達二人は何しに来たのだ?」

「何しにですと!?」

 

 ジュリオは、怒りを抑えきれずに声を上げていた。

 

「先ほど申し上げたではありませんか!偽書作成の件!さらにエルフと手を結び、しかも取り逃がした件!どのような弁明を……」

「お前、バカか?」

「バ……!」

 

 口を半開きにしたまま身動きを止めてしまう、月目の美少年。険しさを増すジュリオの顔つき。だが、そんな彼を前にジョゼフは溜息をつく。ゆっくりと玉座に身を預けた。

 

「トリステインにエルフが潜んでいる。これは紛れもない事実だ。そしてこのエルフがサハラへ逃げおおせれば、聖戦をも危うくするのもな。このような火急の時に、わざわざロマリアへ探索許可を貰いに行き、そしてエルフを取り逃がした責を取れと言うのか?そんな暇があると言うのか?何を優先すべきか、少しは頭を働かせろ」

「し、しかし……!」

「全ては、エルフを捕らえてからではないか?なあ、ロマリアの神官よ」

「ぐ……」

 

 返答は歯ぎしりが精いっぱいだった。ワルドもこのジョゼフの対応に憤りを感じたが、彼がいう事も一理ある。ガリア王の落ち度があったとしても、最優先させるべきはそれではない。それほどエルフの存在は重大だ。アルビオンの外相は一つ深く呼吸をすると、小声で教皇の腹心に話しかけた。

 

「ジュリオ。真の目的は聖戦だ。それを忘れるな」

「…………」

 

 苦虫を潰したようなジュリオの表情が、冷静さを取り戻していく。気持ちを押さえつける。やがて姿勢を正し、ジョゼフへ顔を向けた。

 

「…………陛下のおっしゃりよう、ごもっともです。ですが、いずれにしても今回の件は、エルフ、異教徒に関するもの。エルフ探索は当事国、トリステイン、そして宗教庁の手によって行います。他国の方々は、この件についてお心を煩わせる必要はありません。これは聖下の御心でもあります」

「そうか。ならば、トリステイン探索はロマリアに任せよう」

「…………」

 

 またも戸惑うジュリオとワルド。こうもあっさり引き下がるとは。偽書まで作り上げたのだから、ガリアによるエルフ探索に拘ると考えていたのだが。無能と呼ばれる王の腹が読めない。

 その後、ジョゼフはトリステインでのエルフ探索について、教皇の命がなければ関わらないという書面すら用意する。ジュリオもワルドも、ガリア王に何かあると思いながらも、全て任せると言われては追及する事はできなかった。

 

 二人の使者は去り、静まり返った玉座の間。ジョゼフは、脇のテーブルに置いてある人形を手にした。女性の人形を。その人形に勝ち誇ったような表情で話しかけた。

 

「ミューズ。こちらは適当にあしらってやったぞ。だが、それほど時間は稼げまい。開戦は、ここ一週間以内となろう」

「…………」

「そうか。ならば余も出陣の準備を始めねばな」

 

 ジョゼフは人形を置く。この人形、実は遠隔通信を可能とする魔法人形であり、シェフィールドが操るマジックアイテムの一つだ。つまり今話していた相手は、シェフィールド。

 

 策は順調に進んでいる。満足げに玉座の間から出ようとしたジョゼフ。だが足を止め、もう一度人形を手にした。

 

「ミューズ。一つよい知らせがある。実はな、新しい魔法を手に入れた」

「…………」

「お前の魔法陣の話をヒントにしてな。まさしく瞬間移動の魔法だ。かなりの距離を移動できる。どうも余の力は、移動の傾向が強いらしい。それに聞いて驚け。その魔法の名、『テレポート』だと。異界のヨーカイ共が口にした"テレポーテーション"と似たような響きだ。正直、何かを感じずにはおれん」

「…………」

「ともかく、これで策はかなり楽になった」

「…………」

「ミューズ。では、共に本会場へ向おうではないか。『トリステイン魔法学院』へ」

 

 ガリアの虚無は不敵に口の端を釣り上げると、人形を愛おしそうにテーブルの上に置いた。

 

 

 

 

 

 幻想郷組のアジト。四人の人妖が廊下を歩いていた。目的の部屋に向かって。アリスがポツリと言う。

 

「上手くいけばいいけど」

「まあな。けど成功すれば、トリステインのトラブルも、ハルケギニアが無くなるって話も、聖戦もなんもかんも全部解決だぜ」

「とにかく、やってみましょ」

 

 アリスに気負った様子はないものの、力の籠った返事をしていた。

 そしてたどり着いたのは、ビダーシャルが看病を受けている部屋。ノックの後、扉を開けた先に見えたのは、半身を起こして本を読んでいるエルフだった。暇を潰していたらしい。

 

 ビダーシャルはまだここにいる。身を起こせる程度には回復したが、故郷サハラへの旅に耐えられるかと言われると十分とは言えない。トリステインからサハラまでは、ハルケギニアを横断すると言ってもいい程の距離なのだから。ちなみにこの部屋で彼を診ていたラグドリアン湖の水の精霊、ラグドは、後は自然回復を待つだけとリビングに戻っている。

 

 開いた扉からゾロゾロと、人妖達は入る。

 

「お邪魔するわ」

「調子はどうだ?」

 

 アリスと魔理沙のそれぞれの挨拶。さらに天子、衣玖も姿を見せる。ビダーシャルは本を置くと、顔を向けた。

 

「大分、調子は戻ってきている。もうしばらくすれば完全に回復するだろう。大変世話になった。この礼は必ずする」

「そうか」

 

 白黒魔法使いの、らしくない淡泊な返事。何か含みでもあるかのような。エルフにわずかな違和感が浮かんだ。

 人妖達は椅子を各々持ってきて、ベッドの脇に座る。益々何事かと訝しがるビダーシャル。そして、アリスが話を始めた。

 

「さてと、少し話がしたいのよ」

「世間話の類ではないようだな」

「ええ。大事な話」

 

 アリスの緊張感漂う気配に、ビダーシャルの側も気持ちを引き締める。人形遣いはおもむろに口を開いた。

 

「単刀直入に言うわ。『シャイターンの門』、人間達に使わせてもらえないかしら」

「何をバカな。蛮族を門へ近づける訳にはいかない理由は、以前話したではないか」

 

 ビダーシャル、呆れ混じり答える。

 実はアリス達。聖地にある『シャイターンの門』について彼から聞いていた。食事を持ってきた時などの雑談の中で。エルフがシャイターンの門から出た悪魔によって、半数を失うほどの大惨事にあったという6000年前の話も。ビダーシャルは言う。だからこそ、シャイターンの門に人間を近づける訳にはいかないと。ましてや、虚無の担い手など論外と。

 

 だが人形遣いは、エルフの予想外の事を言い出した。

 

「開かなければいいのね」

「それはそうだが……。ともかく、シャイターンの門を蛮族に渡す訳にはいかん」

「別に渡さなくっていいわ。少し貸すだけだから」

「渡さなくてもいい?」

 

 ビダーシャルは眉をひそめる。人間達はシャイターンの門を聖地と崇め、聖地奪還のため戦争すら辞さないのだ。それが渡す必要はないとは、どういう意味か。

 エルフが理解しかねているのに構わず、アリスは続けた。

 

「開かないまま、中のものを利用できないかしら」

「開かないで利用?そんな事が…………。私には分からん。だいたい、シャイターンの門の全容を知っている者はいない」

「え?分からないのに、開けちゃいけないなんて話になってんの?」

「言わば禁忌なのだ。シャイターンの門は。そして開けた結果は、歴史が物語っている」

「…………。なるほどね。これは厄介だわ」

 

 アリスは弱ったと、溜息一つ。聖戦関連は、どうも大昔の話を根拠にした信仰、思い込みとでも言うべきか、その類のようだ。ならば理屈は通用しない。幻想郷ならばこんな場合は弾幕ごっこで片を付けるのだが、こっちはそうもいかない。

 それにしても恐ろしいからと言って、未知のものに手を出さないとは。愚かとしか思えない。幻想郷の魔法使いは、研究者でもある。未知のものは、恐ろしかろうがなんだろうが、とりあえず手を出してみるのが当たり前。

 

 一方、ビダーシャル。今、門を人間に使わせろとの話を持ってきた理由が分からない。しかも、使わせるのであって渡すのではない。聖戦の完遂を目指すなら、聖地を手にしなければ意味がない。

 異界の者達の話、彼女達の立ち位置、ハルケギニアに来てから知った事、渡す必要のない聖地、シャイターンの存在。それらがビダーシャルの頭の中で繋がり出す。やがて一つの答が出てきた。

 

「もしや……蛮族共は、現在、抜き差しならぬ危機にあるのではないのか?」

「…………」

「単なる信仰ではなく、実質的な意味でシャイターンの門の力に頼らねばならぬと」

「…………」

「答えたくなければそれで構わない。私も追及しない。あなた方には、恩義があるからな。ここで聞いた話も、口外するつもりはない」

 

 アリスはビダーシャルの話を耳に収めると、わずかに天子と衣玖の方を向いた。天人と天空の妖怪は、わずかにうなずく。つまりビダーシャルは嘘を言ってはいないと。実は天子達がいるのはこのため。隙を見せようとしないのは、彼女達なりにルイズ達を思っての事だった。

 一つ息をすると、人形遣いはうなずいた。

 

「その通りよ。で、その解決法が聖地、あなた達が言うシャイターンの門にあるらしいのよ」

「何があると言うのだ?シャイターンの門に」

「死後の世界への入り口だって」

「何!?」

 

 呆気に取られるエルフ。聞き間違いでもしたのかと、その長い耳に届いた言葉を脳裏に呼び起こす。しかしその必要はなく、魔理沙がさらに付け加えた。

 

「教皇が、そう言ってたんだそうだぜ。死んだもんの意識が、行きつく先だって」

「バカな……。死後の世界が、シャイターンの門の向こうにあるだと?世迷言にも程がある」

「けど何があるのか、知らないんだろ?」

「調べるまでもない」

「だって悪魔が出てきたんだろ?魔界に繋がってるかもしれないぜ」

「魔界などと……。確かに悪魔とは言ったが……。いや、そうか。あなた方の世界には悪魔がいるのか」

 

 彼は約定を結んだ時の事を思い出す。パチュリーがこあ、悪魔の眷属を使役していた事を。

 

「しかし、我々の世界には悪魔と呼ばれる者はいても、悪魔そのものはいない。ましてや死後の世界など、行けるはずもない」

「って事はなんだ?教皇は出まかせ言ったのか?」

「嘘には違いないだろうが、自らの窮地に無意味なものを吹聴するとは思えん。おそらくは、聖戦に皆を巻き込むための方便だろう」

 

 死後の世界ではないだろうが、門には彼らが必要とする何かがあるのだろう。つまりいずれにしても、人間達はシャイターンの門を求める。ビダーシャルはこの考えを噛みしめた。

 ここでアリスが彼に再び話を戻す。

 

「ここまで聞いて、だいたい察しはついてると思うけど、あなたに仲介をしてもらいたいのよ。エルフと人間の間をね」

「ありえん」

「なんとかならない?だって門の中身、分かんないんでしょ?」

「確かに門について正確な事は分からないが、危険なものには違いない。ならば、触らぬのが一番よい。ましてや蛮族達のためになど論外だ。あなた方に恩義はあるし、私としても礼はしたい。だが、それとこれとは話が別だ」

「門の解明に、私達が手を貸すって言ったら?」

「…………」

 

 ビダーシャルは黙り込む。異界の人外達の力。実際経験した彼だから分かる。その力をもってすれば、もしかしたら門の実態が分かるかもしれない。そうすれば、開けることなく力を利用する事もあるいは可能かも。人間達に使わせるかどうかは別にして、より緻密な危機管理ができるかもしれない。だがしばらく考えて、首を振るエルフ。解明できるか以前の話だと気付いた。

 

「いや、やはり無理だ」

「なんで?私達の能力、全部知らないでしょ?」

「そういう話ではない。言わば……政治の話なのだ」

「ん?」

 

 首を傾げるアリス。ビダーシャルは続ける。

 

「そもそも私がこの地に来たのは、シャイターンの出現が予想されたからだ。実際、現れた。そして次に行うべきは、聖戦とやらの阻止」

「だから、ガリア王と手を組んだって訳ね」

「その通りだ。シャイターンでありながら、この地を混乱させる気だったからな」

「それで仲介が無理な理由は?」

「実は聖戦を防ぐ別の方法を考えた者達がいる。先にエルフから攻め、人間共を滅ぼしてしまえという連中だ。私がこの地に来たのも、彼らを牽制する意味でもある」

「そうなの」

「その私が、工作に失敗しサハラに逃げ帰るのだ。話を聞く者などいる訳がない。むしろ蛮族の窮地を知った彼らが、今こそ攻め時だと中立派を抱き込みにかかるだろう。戦争を早めるだけだ」

「…………」

 

 黙り込む人形遣い。政治について幻想郷組は皆疎いが、ハルケギニアの生活で、この世界では単に力があれば何でもできる訳でもないのを知っている。少なくとも人間とエルフが手を結ぶには、かなりハードルが高いという事だけは理解できた。

 

 その後、いくつかの案が出たが、ビダーシャルからは心良い返事は出てこなかった。ただ今後とも、戦争回避のために連携は取るという最低限ものだけは確認された。

 やがて一同は部屋を出て行く。廊下を歩きながら、魔理沙が零した。

 

「まいったぜ。必殺技だと思ったんだけどなぁ。ハルケギニアの連中もエルフも、こっちのヤツらは面倒くさいのばかりだぜ」

「で、どうする?手がなくなったわよ」

「パチュリーから何か届いてないか?」

「さっき転送陣見たけど、空っぽよ」

 

 アリスのぼやくような言葉。合わせる様に魔理沙も渋い顔。

 ともかく、最大の決め手がなくなった以上、次を考えないといけない。しかも時間がない。ハルケギニアの危機はともかく、トリステインの危機は、目前まで迫っているのだから。

 

 

 

 

 

 学院の廊下をうつむいて唸りながら歩く少女が一人。心なしかそのピンクブロンドも、色合いが淡い感じがする。ルイズだ。今の所、王宮から知らせもなく、魔理沙達からの全てをひっくり返す奇策も出てこない。かと言って、自分も何か思いつく訳でもない。祖国の危機だというのに、何をすればいいのか分からない。焦る気持ちだけが、積もっていく。

 

 歩いていると、視界の中に影が入ったのに気づいた。前を向くルイズ。視線先にあったのは、キュルケの一言いいたげな顔。ルイズ、頬が引きつっていた。

 

「キュ、キュルケ……。何かしら?」

「何かしらじゃないわよ。あなた、あたしの事避けてない?」

「え?そ、そう?」

 

 無理に笑顔を作るルイズ。むろん彼女がキュルケとギクシャクしているのは、今回の動乱が絡んでいる。気持ちがすぐに態度に出るルイズ。いつもと変わらぬよう接していたつもりだったが、隠し切れなかったようだ。キュルケは大きなため息をつくと、呆れるかのように言った。

 

「ゲルマニアの先陣がウチだから?」

「え!?あんた、知って……あ、いえ……」

 

 なんと答えていいか言葉に困る。以前は不倶戴天の敵だったが、今では友人の一人と言ってもいいキュルケ。だがアンリエッタから、ツェルプストーが出陣準備をしていると聞いてから、彼女にどう接していいか分からない。しかしキュルケの方は、ルイズに構わず話を始めた。こちらは、いつもと変わらず。

 

「ちょっと前にね、あたしとタバサに遣いが来たのよ。ゲルマニアからね」

「ゲルマニアから!?やっぱり……」

「勘違いしないでよ。スパイしろとかじゃないから。あたしには理由も言わずに実家に帰れって話、タバサん所には宴をするからヴィンドボナに来いって話」

「トリステインから離れろって事?」

「そうね。で、おかしいと思って、シルフィードにちょっと遠出をしてもらったのよ。そうしたら、トリステイン周り、軍隊だらけじゃないの」

「…………」

「一体、何が起こってんのよ?」

「…………」

 

 ルイズはキュルケの顔をまっすぐ見た。一年生の時から変わらない、どこか太々しいが、同時に揺るがぬ信念のようなものがある。ゲルマニアのキュルケ以前に、ただのキュルケなのだと、なんとなく分かってしまった。口元がつい緩むルイズ。

 

「うん。いいわ。ここじゃなんだから、私の部屋……いえ、魔理沙達の部屋に行きましょ」

「ええ。後、タバサはどうする?」

「あ、彼女も連れてきた方がいいわね」

 

 やがて 二人はタバサと合流、幻想郷組の部屋へと入って行った。

 

 幻想郷組の部屋は結界で囲まれており、密談するには打ってつけだった。今、人妖達はアジトにおり、ここには誰もいなかった。勝手知ったる他人の部屋とばかりに、三人はテーブルを囲む。

 ルイズは気持ちを整えると、話し始めた。トリステインに潜むエルフについてと、その探索をガリアがすると言い出した事、さらにゲルマニア、アルビオンが動きだしている点も。アリスには、すでに伝えてあるとも話した。そしてトリステインがすでに手を打っている事も。最初、驚きと呆気が撹拌されたような顔の二人だったが、全てが終わった時には重い表情に変わっていた。キュルケが尋ねてくる。

 

「本当にエルフがいるの?」

「分からないわ」

「言いがかりかもしれないって訳ね。にしても、頭のおかしいガリア王はともかく、ウチの皇帝も何やってんだか。本気で戦争するつもりかしら」

 

 キュルケは祖国の主に、全く敬意を払わない口ぶり。キュルケらしいとも言えたが。ここでタバサが、重い顔つきのまま言う。

 

「今は時間を稼ぐのが大事。トリステインが宗教庁との話をまとめるまで、事が大きくならないようにする」

「それしかないわね……」

 

 宙を仰ぎながら、タバサに賛同するキュルケ。ふと、ルイズの方へ顔を戻す。

 

「王宮からはまだ何もないの?」

「うん」

「アリス達からは?」

「そっちも」

「う~ん……。さすがの彼女達も、手に余るのかしら」

「それに今、パチュリーいないのよ。天子はこの手の頭使うのは、やりたがらないし。衣玖はあまり関わろうとしないし。考えてるのは、魔理沙とアリスだけだと思う」

 

 なんだかんだで知識豊富なパチュリーは、作戦を組む時のキーマンの一人ではあった。彼女がいないのは、この意味でも痛かった。

 するとタバサが口を開く。心を決したかのような固い表情で。

 

「なら、ここにいる人間でなんとかするしかない。少なくとも、ゲルマニアは私がなんとかしてみせる」

「え?どうやって?」

「私は、ゲルマニア次期皇后」

「タバサ……」

 

 ルイズは、タバサの覚悟の宿った瞳から目を離せない。異国の留学生、政治の翻弄され続けた彼女が、こんなにもトリステインのため……いや違う。この学院にいる友人たちのために、体を張ろうとしているのだ。ルイズも奮い立つように、胸の内に言い聞かせる。自分も持てる力を、全て尽くすと。

 ここでキュルケが、和ませるような声色が二人の耳に届いた。

 

「タバサ。気合い入れるにはまだ早いわよ。私達もアリス達と話してみましょ。何かまた妙なアイディアが、浮かぶかもしれないわ。なんてたって、私達は10人程度で神聖アルビオン帝国を引っ掻き回して、最後は潰しちゃったんだから。意外にあっさり片が付いちゃうかもしれないわ」

「…………。うん、分かった」

 

 タバサの厳しい表情も多少緩む。ルイズは釣られるように、頬を綻ばせていた。キュルケの言う通り。自分達は、奇策の上に奇策を重ね、神聖アルビオン帝国の大軍も、ガリアのミョズニトニルンも手玉に取ったのだから。きっと今回も何とかなる。そんな気持ちが、湧いてきていた。

 さっそくとばかりに、ルイズは立ち上がる。そして、小気味良く言い出した。

 

「んじゃ、行きましょ!魔理沙達ん所に」

 

 だが、ここでタバサが突然、外を向いた。様子を窺うような姿勢で一言。

 

「王宮の使者が来た。たぶんルイズの客」

 

 彼女の言葉を合図に、ルイズとキュルケは窓の側へと寄っていく。窓の外に、降りてくる伝令の風竜が目に入った。トリステイン王家のものだ。キュルケがつぶやくように言う。

 

「何か進展があったみたいね。いい方か……悪い方か……。とりあえず聞いてからにしましょ」

「うん」

 

 うなずくルイズ。アンリエッタ達の思惑通り事が運んでいればいいが、そうでなかったら……。ルイズは、肌が強張っていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷。紅魔館の大図書館。パチュリーの書斎。動かない大図書館の顔つきが、珍しく動いていた。驚愕と当惑で。

 

「え?え?え?ちょっと待ってよ。何よそれ?どういう事?」

「知らないよ。文に説明してくれって、頼まれただけだから」

 

 魔女の目の前にいる河童は、他人事のように返した。

 

 黒子の謎解きに手を貸すと言った文。パチュリーの研究ノートを読んでいて、何かに気付いた。一旦、外に出た彼女が連れてきたのが、鈴仙とにとり。そのにとりが、見かけない本を広げ説明し終わった結果がこれである。読書の権化である彼女にすら馴染のないキーワードが、にとりからポンポン出てきた。科学技術に関する用語の群れが。おかげで頭の整理がうまくいかない。

 眉間の間に谷を作り、何度も疑問符付の言葉をつぶやくパチュリーに、文が声をかけた。

 

「鈴仙さんが確認したので、ものが確かなのは間違いないです。もっとも、単なる偶然かもしれませんが」

「…………」

 

 パチュリー、黙って聞くだけ。さらにここで鈴仙が、新たなものを差し出す。数枚の資料が机の上におかれた。

 

「これ、師匠が渡してくれって」

「ん?」

 

 軽く目を通す魔女。だが、またも瞼が一杯に広がって固まる。この資料の内容も、考えもよらなかったものだった。その内容とは、以前、カトレア達から採取した血の分析結果だった。

 

「何よこれ!?ルイズ達が人間じゃない?」

「こっちの世界の基準で、って話だったけど」

「そう言えば……。レミィもハルケギニアの人間の血は、飲めたもんじゃないって言ってたわね……」

「でも、異世界人だからルイズ達って。異世界人は人外って、話なだけでしょ?」

「だけど……この分析結果は……」

 

 言葉が途切れ、射貫くような視線を並ぶ資料に落とす。新聞屋に、医者に、科学技術者。魔法使いとは全く違うジャンルに属する連中から出された資料。ジャンルが違うからこそ、彼女には思いもよらなかった見方。

 パチュリーは急に研究ノートを手に取ると、かたっぱしから目を流していく。それは速読でもしているかのような速さ。脳裏を過ぎていく、ハルケギニアで起こった今までの出来事、そして知った知識。全て読み終わると、最後に古びた本を手に取った。それはあの悪魔ダゴンを召喚の元となった資料、『王の天蓋 絹の章』。何百年も前の痛みが目立つ本。そしてまたダゴンのページを開いた。挿絵がそこにあった。こちらもまた、アチコチにしみや痛みが見える。

 

「こあ」

「はい?」

「この絵、ダゴンにそっくりね」

「それ話したじゃないですか。召喚に成功したから、そっくりに描けたんだって。パチュリー様が言ってたんですよ」

「ええ。けど、違うかもしれないわ」

「何がです?」

 

 パチュリーはこあに説明せず、本をゆっくりと閉じた。突然、一枚の紙を取り出すと、ペンを走らせた。一気に書き終えると、封筒に収める。

 

「こあ。これハルケギニアに送って」

「はい」

「それが終わったら、几帳面な子、10人……。いえ、司書全員集合。それと、図書館中央、広場に全員分の机と椅子用意して。後、筆記用具も」

「は!?何始めるんです!?」

「黒子探しに決まってるわ」

「はぁ!?」

 

 こあ、一時停止。意味が分からない。しかし主は何も言わず、颯爽とした軽い足取りで部屋を出て行った。

 

 それからしばらく後。大図書館の中央。ずらっと並んだ机と椅子に、小悪魔達が座っている。そして並ぶ筆記用具に山積みにされた書類の束。こあがパチュリーの元にやってきた。

 

「準備、終わりました」

「そう。ご苦労様」

 

 パチュリーは揃った司書達の前で、軍の指揮官のように悠然と立った。

 

「今からとても大事な作業をするわ。集中して気を抜かない……」

 

 ここで脇から文句乱入。レミリアである。

 

「ちょっと、パチェ!黒子探しなんてもんより、トリステインはどうするのよ!」

「そうね。誰か送った方がいいわね」

「なら、私が行くわ」

 

 胸を張り、勇ましさ披露のお嬢様。どこか、お遊戯のようにも見えるが。パチュリーは自信満々の吸血鬼を見ながら、しばらく思考を巡らせる。そしてうなずいた。

 

「ええ、レミィに行ってもらおうかしら。だけど、お目付け役を付けるわ」

「何?私を信用しないっての?」

「だって、あなたやり過ぎ……」

 

 その時だった。

 奥の方から大きな音がした。何かが倒れたか、落ちてきたかのような音が。一斉に発生源に視線が集中。そこは魔法陣の実験室だった。ハルケギニアに向かう転送陣がある部屋だ。

 パチュリーはすぐさま実験室へと向かう。大きな扉を開くと、真っ白で空っぽの部屋があった。その中に魔法陣が一つ。転送陣だ。だがあるのは、それだけではなかった。転送陣の上に円形の板が乗っていた。正確には、並んだ板が円形を形作っていたものが。

 パチュリーは側まで寄ると、厳しい目つきで板を見つめる。レミリアが不思議そうに覗き込んだ。

 

「何これ?」

「ルイズの部屋の床板よ。つまり転送陣のハルケギニア側の出口」

「え?どういう事?」

「ハルケギニア側の出口は、初めて向こうに行った時からずっとルイズの部屋だったのよ」

「だって、私、アジトに出たわよ」

「あれはルイズの部屋から、転送してたから。出口の周りに転送陣を組んでたのよ。ハルケギニアに出た瞬間に、アジトに飛ぶようにね。実際には流れるように発動するから、ルイズの部屋にはわずかも出現しないわ」

「なんで、そんな面倒なもんにしたのよ。直にアジトに繋げちゃえばいいじゃないの」

「この転送陣。神奈子が絡んでたでしょ?さすがに神が絡んだ魔法陣じゃ、私にはどうにもできなかったのよ。だから、妙な仕組みになった訳」

「ふ~ん……」

 

 レミリアは、単にちょっとしたトリビアでも聞いたかのようにうなずく。鈴仙は丸い床板を見つめながら、ふとつぶやいた。

 

「でも……どうしてこんな物が……」

「黒子の仕業よ。それしか考えられないわ」

「けど、なんで?」

「私の読みが当たったのかもね」

 

 紫魔女はそれ以上言わず、踵を返すと図書館へ戻り始める。お嬢様も後に続く。

 

「で、トリステインに行くメンツはどうすんの?」

「意味がなくなったわ」

「何がよ」

「メンツ決め。トリステイン……ハルケギニアに行けなくなったのよ。向こう側の出口が、なくなったんだから」

「え?」

 

 一瞬、呆気に取られるレミリア。それは他の妖怪達も同じ。すると、文が疑問を一つ口にした。

 

「あれ?ちょっと待ってください。だとすると、ハルケギニアにいる魔理沙さん達はどうなるんです?」

「帰ってこれないわ」

「「「…………」」」

 

 無言の文達。かなりマズイ状況らしいという空気だけが、漂っていた。

 

 

 

 



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嵐の前

 

 

 

 

 ルイズは、帰路につくアニエスが乗った風竜を見送っていた。彼女がここに来たのは、もちろん王宮からの使者として。小さくなる風竜を見ながらルイズは、近衛隊隊長の話をどう受け止めていいか戸惑っていた。

 

 マザリーニ枢機卿の交渉は成功し、宗教庁がエルフ探索を取り仕切るという手筈にはなった。ガリアも、エルフの件には関わらないという。それを裏付けるように、トリステイン周辺のガリア軍の増強がピタリと止まる。ただあまりに素直なガリア王に、不自然なものを感じずにはいられなかったが。さらに、アニエスは伝えた。またも学徒動員があると。

 どちらかと言えば、順調に話は進んでいるように聞こえた。そのまま宗教庁による仲裁が上手く行き、トリステインの危機は去るかもしれない。しかし何故か、そんな気はまるでしなかった。

 

 大きな溜息をつき、校舎に戻るルイズ。自然と不安がこぼれる。

 

「なんだろう。やな感じがするわ」

 

 その時、不意に足を取られた。地面が揺れた。

 

「え!?」

 

 思わず、四つん這いになるルイズ。次の瞬間には、何が起こったか覚る。地震だ。しかも大き目の。

 

「ちょっと、地震!?なんで!?」

 

 なんという間の悪さか。気持ちが揺らいでいる今に地震とは。悪態の一つでもつこうかとした時、一つの言葉が脳裏を過る。魔理沙達から聞いていた、"黒子"という言葉が。つまり、記憶操作か転送か、何かが起こったのではと。

 地震はわずかな時間で収まった。すぐさま立ち上がるルイズ。周囲を見回す。あれほどの地震だったのに、ガラスが割れたり、壁にヒビも入ってもいない。やはりおかしい。普通の地震ではない。

 辺りを睨みつけるルイズ。どこかにいる黒子とやらに、不満をぶつけるように。

 

「全く……ホント!なんで、こんな時によ!」

 

 だが彼女の文句に、何かが返ってくる訳もなく。ルイズは、すぐに気持ちを切り替えると走り出した。状況を確認するために。

 

 それから学院周辺を見て回ったが、取り立てなにもなかった。時々会う生徒や使用人にも話しかけてみたが、記憶を失ったような者はいない。人が消えたという話もなかった。結局ルイズは、なんとも居心地の悪い気分で部屋へ戻る。何かがあればあったで困るが、何もないのも不気味だ。

 やがて自分の部屋に到着。ドアを開けた。

 

「え!?何これ!?」

 

 ようやく、何が起こったのか見つけた。ドアの先に。ルイズの部屋の床。円形にくり抜いたように、床板がなくなっていたのだ。

 

 

 

 

 

 ちびっ子ピンクブロンドは、直ちに幻想郷組のアジトに向かった。魔女達を見つけると、奇妙な現象について話した。対する魔理沙とアリス。嫌な予感に襲われる。話に思い当たるものがあって。すぐさま彼女の部屋に向かう二人。さらにルイズは天子と衣玖にも声をかけ、いっしょに魔女達を追った。

 

 部屋に到着した一同。

 全員の目に入ったのは、ルイズの言葉通りのもの。部屋の中央から入り口寄りに、綺麗な円形の穴が空いていた。一時思考が停止する幻想郷の魔法使い達。最悪の予想が当たってしまった。一方のルイズ。不思議そうに穴を指さす。

 

「これなんだと思う?とても、いたずらには見えないわ。切り口がすっごく綺麗で、なんで切ったのか見当もつかないのよ。それに地震があったの。これって黒子の仕業かもしれないわ」

「あれ?ここって、最初に私達が出てきた所じゃなかったっけ?」

 

 魔女達の代わりに出て来たのは、天子の返事。だがルイズも言われて気付いた。幻想郷から帰って来た時、まさしく円形に切り取られた場所にいた。しかし、その意味が分からないのは相変わらず。ルイズはあらためて魔女達に尋ねる。

 

「ねえってば、なんだか分かる?」

「「…………」」

 

 しかし二人は無言。身を固めて穴を凝視。やがて魔理沙が、絞り出すように言う。苦々しげに。

 

「最悪だぜ……」

「どうするのよ……」

「どうするって……」

 

 ルイズの質問など、全く耳に入っていなかった。呻くように話す魔理沙とアリス。少しムッとして、ちびっ子ピンクブロンドが声を上げた。

 

「ちょっと、聞いてる?」

「ん?ああ……」

「?」

 

 ルイズ、怪訝な顔。いつも余裕を感じる異界の魔法使い達が、どういう訳か上の空。さすがに不安になってきた。

 

「ねえ、どうしちゃったのよ?これってもしかして、大ごとなの?説明してよ?」

「……分かったわ」

 

 アリスは溜息をこぼした後、始めた。この穴についての話を。

 穴のあった場所に幻想郷への転送陣があった。魔法陣自体は神奈子によって幻想郷と接続されたので、目に見える形で存在していなかったが、確かにそこにあったと。そしてこの穴は、その転送陣が消えてしまった証だと。つまりは、魔理沙達は幻想郷に帰れなくなったという訳だ。

 ルイズ、二人と同じく青い顔になっていた。

 

「帰れないって……。どうすんのよ!」

「分かんねぇよ!」

 

 声を張り上げる魔理沙。ルイズ、思わずたじろぐ。勢いに飲まれるように口を閉ざす。こんな彼女を見るのは初めてだ。アルビオンで敵に囲まれた時も、どこか太々しさを感じていたのに。しかし無理もない。気軽に行き来していた故郷に、いきなり帰れなくなったのだから。

 衣玖が口を開く。不機嫌そうに。

 

「だから潮時ではと、言ったではないですか」

「今更、言うな」

「これも付き合う所まで付き合うと言った結果ですから、甘んじて受けては?」

「この野郎……。引っかかる言い方するんじゃねぇよ」

 

 魔理沙が苛立ちを吐き出すように衣玖を睨んだ。しかし衣玖、わずかも表情を変えず。ルイズが慌てて割り込む。

 

「ちょっとちょっと、二人共。そうカッカしないでよ。魔理沙も、ちょっと落ち着いてってば」

「…………。お前に、落ち着けって言われるとは思わなかったぜ」

 

 ふてくされ気味につぶやく白黒。ルイズはそんな彼女が、どういう訳か少し可笑しかったが。そして今度は衣玖へ。

 

「衣玖も、どうしたのよ。滅多に怒んないでしょ。あなたって」

「…………。珍しく、頭に血が上ってしまいました。ですけど、もう大丈夫ですよ」

「うん。んじゃ、これからの話しましょ」

 

 ルイズはやけ冷静に、話を進め出す。

 

「とりあえず……」

「ちょっと待って、ルイズ」

 

 するとここでアリス。

 

「事が事だし、私達も少し頭冷やす時間が欲しいのよ。それと、正確に何が起こったのかも知りたいし」

「…………。うん、分かったわ。それじゃこの話は、後にしましょ」

「ええ」

 

 うなずく一同。部屋に戻ろうとする。その時、天子が不意にルイズに声をかけた。不思議そうな顔つきで。

 

「ルイズ、なんかあった?」

「なんかって?」

「変に冷静だから。いつもは、こういう時って喚いてばっかだったのに」

「別に年中、喚いてる訳じゃないわよ。けど、一番悪さしてる天子には、そう見えたのかもね」

「そう?」

 

 皮肉混じりの返しも、鉄面皮の天人には通用せず。だがアリスも、天子と同じような事を言う。

 

「トラブル慣れしてきたたんじゃないの?いろいろあったし」

「う~ん……。それはあるかも。あんた達の後始末散々やったし、国が関わるような騒動にも巻き込まれたし」

「いい経験になったじゃないの」

「そうかもしれないけど……。なんていうか複雑だわ」

 

 褒められているらしいのだが、ルイズは微妙な気分。人妖達がかけた迷惑のおかげというのが特に。しかし、"なんか"は確かにあった。それも多くの難題が。もしかしたら、そのせいで逆に開き直っているのかもしれない。ルイズは自然に、アリス達へ向き直る。

 

「ただ天子の言う通り、こっちにもいろいろあった事はあったわ」

「何?」

「後で話すわ。私もちょっと考え整理したいから」

「……。やっぱ、なんか落ち着いてるわね」

「そう?」

 

 アリスの言葉に、実感なさそうなルイズ。ともかく、話は一時中断。続きは夜となった。

 

 四人の背中を見送るルイズ。いままで何かと引っ掻き回されたり、助けられたりした彼女達。ただ何をしても、いつも余裕を感じていた。しかし今は一転、故郷に帰れなくなってその余裕が霞んでいる。そして故郷と言えば、立場的にはルイズも似たようなものだ。今、トリステインは存亡の危機にあるのだから。誰も彼もが、追い詰められていた。

 だが何故だろうか。彼女達にさらに近づけた気がする。そして上手く説明できないが、ルイズにはやる気が湧き出していた。高揚感すらあった。皆のために頑張らねばと。

 

 

 

 

 

 魔理沙達とルイズが、突然空いた穴について騒いでいる頃。一人残ったビダーシャルは、相変わらず本を読んでいた。

 聖戦阻止のために、ハルケギニアの社会についての本などは結構読んでいたが、それ以外は手にしていなかった。だが今、手にしているのは小説。蛮族の俗な代物とバカにしていたが、何気に悪くないと読み進めている。もっとも、暇なのが一番の理由だが。

 

「ん?」

 

 ページをめくろうとしたビダーシャルの手が止まる。周囲を見回す。誰かから呼ばれたような気がした。

 

「気のせいか?」

 

 目をつぶり、意識を長い耳に集中した。すると確かに声が聞こえる。だが聞き覚えのない声だ。だいたいここの住人ならば、用があれば直に部屋に入って来るだろう。さらに意識を集中するエルフ。

 

「ビダーシャル~……」

 

 今度はハッキリと聞こえた。間違いなく自分の名だった。しかも聞き覚えのない声。本を脇に置くと、考え込むエルフ。

 

「誰が、私の名を……。だいたい、何故ここにいると分かった?」

 

 自分を呼ぶ者がいる。無視すべきかどうか。結局彼は、せめて相手の確認をしようと考える。少なくとも自分の居場所を知る者が、ヨーカイ以外にいるのは確かなのだから。これは、あまり気持ちのいい話ではない。

 ベッドから降りるビダーシャル。倦怠感はあるが、立てないというほどではない。そのまま廊下に出る。声は上から聞こえる。ここの上は廃墟となった寺院だ。カモフラージュのために、傷むに任せている。

 

 ビダーシャルが一階への階段を上がると、外へ出る扉があった。声はその向こうから聞こえる。すぐ側にいるようだ。

 

「精霊は……大丈夫なようだな」

 

 周囲の精霊の状況を確認する。ヨーカイ達と戦ったとき、いつも精霊達が眠らされていたので、彼女達の住処であるこの場所も同じかと考えていたが違うようだ。

 ビダーシャルは戦えるよう気持ちを引き締めると、『カウンター』を発動させる。防御を固め、扉を開けた。その先に見えたのは、左手に剣を持った魚頭の何か。

 

「な、なんだ"これ"は!?」

 

 思わず一歩引いてしまうエルフ。

 

「おいおい、"これ"はねぇだろ。これは」

 

 見かけに似合わず、相手の方はフランクに返してきた。おかげでビダーシャルの動揺は霧散。冷静さが戻ってくる。

 エルフは、あらためて目の前の存在を観察。魚頭の何かというよりは、魚に腕が生えているという方が近い。そして左手の剣はやけに大振りだ。妖魔に分類するしかない姿だが、さすがの彼でも噂すら聞き覚えがない。

 敵意は感じられないが、警戒を解く訳にはいかないだろう。一つ間を置くと、問い掛ける。この得体のしれないものに対し。

 

「…………私を呼ぶお前は何者だ?」

「覚えてないか?あんたを牢屋から助けたの俺だぜ」

「何?」

 

 顎を抱え、脳裏を探るエルフ。すると、かすかな記憶が蘇る。ガリアの牢獄での朦朧とした意識の中、確かに魚のようなものを目にしたのを。

 

「あれは、あなただったのか」

「まあな」

「一応は礼を言おう。助かった。して、その姿……。もしかして、あなたもヨーカイなのか?」

「ちょっと違う。悪魔だ。異世界出身ってのは同じだけどな。で、俺はデルフリンガー、こいつは悪魔ダゴンってんだ」

「こいつ?」

 

 あたかも二人いるかのような言い様。ビダーシャルは不思議に思ったが、すぐに気付いた。話していたのは左手の剣だと。つまり悪魔は魚の妖魔の方。剣は、口代わりに使役されているインテリジェンスソードらしい。

 素性が知れたところで、本題に入るエルフ。

 

「して、異界の方が私に何の用だ?しかも呼び出すようなマネをして。直に来れば良かったものを」

「ここ、結界が張られてて許可されたヤツしか入れねぇんだよ」

「ゲンソウキョウ出身なのに、入れないのか?」

「連中の仲間って訳じゃないんでな」

「……」

 

 警戒心を強めるビダーシャル。視線が厳しくなる。しかしダゴンの方は、デルフリンガーを背に隠し右手を広げ、無抵抗のポーズ。

 

「おいおい、こっちはやる気はないぜ。話をしに来ただけだ」

「……。恩もある。無碍にする訳にはいくまい。聞かせてもらおう」

「んじゃ、さっそく。あんた、この国の状況知ってるか?」

「蛮族共が窮地にあり、シャイターンの門に頼らねばならぬというのはな」

「人間全体じゃなくって、このトリステインって国がだよ」

「ん?いや、知らぬが……」

「実はな……」

 

 それから話が始まる。トリステインが置かれている危機的政治状況。そしてその原因が、エルフがこの国に潜んでいると伝えられたからだと。

 話が終わり、ビダーシャルは怪訝に表情を曇らせる。

 

「どうやってジョゼフは私がこの国にいると……。いや、それは問題ではない。いつまでもここにいるのは、マズイという訳か」

「ああ、その通り。それに何もガリア王だけが、あんたを狙ってる訳じゃないぜ」

「何?」

「こう言っちゃなんだが、魔理沙達だって結局はトリステイン寄りだ。最後の手段で、あんたを差し出すかもしれないだろ?」

「……」

 

 考えが過る。だからアリス達は、エルフと人間が手を結ぶなどという話を持ってきたのかと。そうすれば一連の騒乱は全て収まる。自分を人間に渡す必要もない。

 

 しかし今までの話、辻褄はあっているが、初対面と言っていいこの魚の悪魔を信用していいものか。しかも魔理沙達の仲間ではないと、断言している。ビダーシャルの警戒は未だ解かれなかった。

 

「一つ聞きたい。私を助ける目的はなんだ?」

「あんたにもう一度、ジョゼフと手を結んでもらいたい。で、元々の役目を果たしてくれ」

「聖戦阻止を?だいたいどうやってジョゼフと再度組むと言うのだ。できる訳がない」

「お膳立ては、こっちでやる。ジョゼフは今までの事、全部忘れてあんたを迎えてくれるさ」

「全部忘れる?そんな事が……」

「できるのさ。期待してくれていいぜ」

 

 自信に溢れた口ぶりだが、魚の化物の表情もインテリジェンスソードの様子も全く変わらない。まるで真意が見えない。エルフの疑念は解けなかった。

 

「そもそも何故、異界の悪魔であるあなたが、この世界の聖戦に関わろうとする?」

「そっから先は言えねぇ。まあ、当面の目的は同じだから手を貸そうって訳だ」

「…………」

 

 ビダーシャルは口を噤む。どうにも、計りかねるこの悪魔。見える悪魔の眼はまさしく魚の目で、何を考えているのかさっぱり分からない。手にしている大剣においては、言わずもがな。エルフは腕を組み黙り込んだ。少なくもと、意を決するには情報が少なすぎだ。やがて口を開くビダーシャル。

 

「すぐには答えられない」

「おいおい。あんた、自分の置かれた状況分かってんのか?」

「確かにあなたの言う事は理解できる。しかし……」

「しかし……なんだよ」

「私はあなたをよく知らない」

「信用できねぇって訳か」

「現時点ではな。故に、少し考えさせてもらいたい」

「……。分かったよ。手遅れにならなきゃいいが。じゃあ、その気になったら北の小川で、水の精霊魔法を使ってくれ。見ての通り水魔なんで、そうすりゃあ分かる」

「分かった」

 

 小さくうなずくエルフ。踵を返しアジトへ帰ろうとした。だが、インテリジェンスソードの声がかかる。

 

「ちょっと待ってくれ。伝言頼んでいいか?」

「伝言?誰にだ?」

「魔理沙達にだよ」

「……。いいだろう」

 

 ビダーシャルは訝しげに思いながらも、デルフリンガーの言葉をその長い耳に収める。そして部屋へと戻って行った。違和感に表情を歪めながら。そもそも何故、そんな話を魔理沙達に伝える必要があるのか。悪魔と大剣への不信感は、増すばかりだった。

 

 

 

 

 

 授業が終わって、自分の部屋に戻ったベアトリス。父からの手紙が届いていたのに気付く。軽い気持ちで封を切り、中身に目を流す。だが、次第にその手が震えるのを抑えられなかった。怒りで。

 

「父さま……な、なんという……」

 

 手紙にこう書いてあった。トリステイン周辺が危機的な状況ある。迎えをよこすので、すぐに帰郷するようにと。娘の安否を心配する親の心遣い。しかし、ベアトリスはふと思った。帰郷する方が、むしろ危険なのではないかと。何故なら、クルデンホルフ公国は独立国と見なされているが、形式上はトリステインに属していた。しかも、ゲルマニアの国境に接している。

 だが、手紙には続きがあった。ベアトリスの不安を払拭する内容が。なんと、ゲルマニアと繋がりを持ったと。つまり状況次第では、トリステインを裏切るという意味。実は元々、クルデンホルフ家はゲルマニア出身。それがトリステイン王家と縁を結んだおかげで、トリステインに属した。それを、元のさやに戻すと言うのだ。

 

 トリステイン王家との繋がりを誇りにしていたベアトリス。親が決めたとは言え、その王家を裏切ると言うのは彼女にとっては許しがたかった。だが、学院中に不穏な噂が流れているのも知っている。戦争が始まると。すでに留学生の大半は、帰郷し始めている。決断しなければならなかった。

 

 公国姫は悩みに気を取られ、虚ろなまま目的もなく広場で足を進めていた。気づくと、厩舎が目の前に。足を止めるベアトリス。すると、どこかで聞き覚えのある声が耳に入る。すぐに思い出した。あの最近来た、学院警固の竜騎兵達だ。誰かを問い詰めているように聞こえる。以前は、その相手がティファニアだったが。あの連中はやはりロクな連中ではないと、気持ちを高ぶらせ現場へ進む。だが近づくほどハッキリと聞こえてくる話は、奇妙なものだった。耳を澄ますベアトリス。

 

「陛下。宰相閣下もお心を大変痛めております」

「だ、だけど……」

「一時的でも、よろしいのです。どうか、陛下!御身についてお考えを!」

 

 耳に入ったキーワードに、ベアトリスは眉をひそめる。

 

「陛下?」

 

 この学院に"陛下"と呼ばれる人物はいない。いるハズがない。聞こえているこれはなんなのか。言葉の意味に考えを巡らせていると、突然押し倒された。右手をねじ上げられる。

 

「痛っ!」

「何者だ!」

「それはこっちの台詞よ!私を誰と思って……」

 

 公国姫として大切に育てられていたベアトリス。こんな無礼を働かれたのは初めてだ。怒りで頭が沸騰。だが、不意に入る馴染の声。

 

「ベアトリスさんを離して!」

「しかし、陛下。この者は今の話を……」

「いいから!」

「……はい」

 

 竜騎士はベアトリスから手を離す。すぐさま起き上がり、竜騎士を力の限り睨みつけるベアトリス。公国姫にこんな仕打ちをしてただで済ますものかと、頭の中に刑罰の目録が並ぶ。

 だがその妄想が、一瞬で消え失せた。一つの疑問が湧いてきて。今さっき、"陛下"と呼ばれていたのは誰かだったかと。彼女はゆっくりと振り返る。視線の先にいたのは、親友のティファニアだった。思考停止の金髪ツインテール。

 

「えっと……、ティファニアさん……?」

「あの……その……」

「陛下って言うのは……その……」

「だ、黙ってて欲しいの!」

「何を……ですの?」

「私が女王って事!」

「え?」

 

 頭が止まるベアトリス。ティファニアが女王?なんの話か?その時、一つのキーワードが繋がった。ティファニアという名前が。じわじわと後ずさる公国姫。おののきながら。

 

「ま、ま、まさか、あなたはティファニア・ウエストウッドじゃなくって……。アルビオンのティファニア・モード女王陛下……」

「……」

 

 小さくうなずく金髪の妖精。

 瞬時に平伏するベアトリス。ツインテールまでもが一緒になって、地面にペタリと張り付いている。

 

「い、今まで、大変なご無礼を働き!誠に申し訳ありません!」

「あ、あの……ベアトリスさん……」

「虚無の担い手であらせられる女王陛下を、異端などと呼び……」

「そ、それはもういいから」

「さらに……」

「ベアトリスさんってば、ちょっと待って!」

「は、はい?」

 

 顔を上げる金髪ツインテール。見えたのは、ティファニアの憂いに滲んだ表情。やはりここにいるのは、自分の知っている同級生のティファニアだ。急に元気が湧きだすベアトリス。女王かどうか以前に、親友が困っている。それには違いない。ここは自分が力にならねばと、思い立つベアトリス。颯爽と立ち上がった。

 

「ティファニ……、いえ、陛下!学友として、お力添えできるなら……」

「ちょ、ちょっと、ベアトリスさん。その陛下っていうのは……やめてもらえないかな?私、まだこの学院にいるし、その間は学生だから。いつも通りでいいの」

「えっと……そうなのですか?でしたら、その……失礼して……。ティファニアさん。何かご相談があるのでしたら、話してください。力になりたいと思いますから。いえ、力になります!」

「…………。それじゃぁ、ちょっといい?」

「はい!」

 

 ティファニアから頼られる。喜々として勇ましげになるベアトリス。『フリッグの舞踏会』の一件以来、こんな事は初めてだったので。

 

 待ったをかけるアルビオン親衛隊をなんとか宥め、二人は広場の中央、辺りに人がいない場所まで来た。金髪の妖精は、全てを打ち明ける。女王や虚無の担い手であるのはもちろんだが、自分がハーフエルフである事も。さらにアルビオンから帰国しろと、せっつかれている事も。特にマチルダから。ベアトリスにとって、彼女がハーフエルフである事実は、少々ショックだったが、それ以上にトリステインで戦争が始まりそうという話が、さらに真実味をもったのがショックだった。

 ティファニアは俯きながら口を開く。

 

「マチルダ姉さんのいう事は分かるけど、ここを見捨てるみたいでいやなの。初めての学校だし、友達ができた所だし……」

「ティファニアさん……」

 

 答に困るベアトリス。自分も同じ事を親から言われているのだから。帰郷すれば安全だろう。しかしベアトリスの周りにいた取り巻き連中は、トリステイン出身。もし戦争が起こったら、再び彼女達と会えるとは限らない。トリステイン王家を裏切った上、自分の身だけ助かる。彼女にとって、受け入れがたいものがあった。それはティファニアも、同じなのだろう。

 

 その時ふと、奇妙なものが脳裏に浮かんだ。どういう訳か、あの『フリッグの舞踏会』のバカ騒ぎが。ある意味、彼女にとっては屈辱的なものだったが、同時にティファニアと自分を結んだ思い出の出来事でもある。その時、思いついた。あのバカ騒ぎの最後。奇妙な魔法が全てを黙らせた事を。その魔法を使った連中についてを。

 

「ティファニアさん!」

「何?」

「あの、ロバ・アル・カリイエの方々に相談してみるのは?」

「天子さん達に?」

「はい!あの方々は留学生ではありませんが、異国の方ですし。立場は似たようなものですわ。頼りになってくれるかもしれません!」

「……。うん!相談してみる!」

 

 二人はさっそくとばかりに立ち上がと、校舎へ向かった。ただ幻想郷組とはそれほど面識はないので、まずはルイズの所へと足を運ぶ事となった。

 

 

 

 

 

 幻想郷組のアジト。学院から戻っていた人妖達に、部屋から出てきたビダーシャルから声がかかった。振り返る魔理沙。

 

「ん?大分、調子よくなってきたじゃねぇか」

「あなた方の看病のおかげだ。感謝している」

「礼してくれるってなら、大歓迎だぜ」

「いつか必ずする。それはともかく、話があるのだ」

「ん?」

 

 珍しい事もあるものだと、魔理沙は不思議そうな顔。彼から話題を振って来るなど、まずなかったので。

 エルフは二人を自分の部屋へ誘う。とりあえずビダーシャルに続く魔理沙とアリス。天子と衣玖は、任せたとばかりに部屋へと戻った。

 

 彼の部屋に入った二人。ベッドの側で聞いた話は、デルフリンガーからの伝言だ。それは奇妙な話だった。トリステイン、ガリア間の戦争を起こすつもりだが、本当の目的は別にあると。戦争を囮にして、トリステイン魔法学院を襲撃するというのだ。その狙いは自分達。幻想郷組であり、幻想郷とハルケギニアの繋がりを断つことにあると。しかも、それが可能な強力なマジックアイテムを、すでに用意していると言う。

 

 魔理沙は聞いたインテリジェンスソードの話を、素直に受け取らなかった。しかも転送陣の騒ぎがあった後なので、なおさら。

 

「仕掛けてきやがったか、あのなまくら。次から次へと、ロクでもないぜ」

「どういうつもりかしらね」

 

 アリスも渋い顔。

 

「単純に考えれば、黒子が連中の話、デルフリンガーに教えたって事になるんだけど。虚無の担い手と使い魔の会話は、黒子に筒抜けだもんね」

「だよな」

 

 これは以前、デルフリンガーを尋問した時に確かめた。虚無関連と黒子には、繋がりがあると。ともかく話を頭に刻み込むと、魔理沙達は部屋を出ようする。するとビダーシャルが声をかけた。

 

「少しいいだろうか」

「なんだよ」

 

 足を止め、振り返る白黒。エルフは尋ねてくる。

 

「あのダゴンとやらから、この国が危機にあると聞いたのだが、本当なのか?しかも私が原因だとか」

「まあな」

「なら何故、私を蛮族共に差し出さない?いや、そもそも何故、私を治療しようなどと思ったのだ?」

「そうだな……。借りを作るのが好きだからか。ま、そんな所だ」

「……。納得がいった」

 

 わずかに頬を緩めるビダーシャル。一つ大きくいきを吐くと、真っ直ぐ二人の方を向く。

 

「以前聞いた話、少し考えてみよう」

「前の話って……。聖地の話か?」

「ああ。蛮族共と手を組むのは厳しいだろうが、門の正体を見極めるという話なら進められるかもしれん」

「お!頼むぜ!」

 

 エルフの意外な言葉に、魔理沙達の表情も少し明るくなっていた。必殺の一手が、復活したとばかりに。

 

 それからリビングでくつろぐ二人。紅茶の一杯でも飲んで、落ち着こうとする。その時、リビングの扉が開く。現れたのは衣玖。

 

「こちらに居たのですか」

「なんだよ。紅茶か?今、お湯沸かすところだぜ」

「いえ、これを届けに来たんですよ」

「「ん?」」

 

 二人は上げた衣玖の手元を見る。そこには一通の手紙があった。

 

「転送陣を覗いたら、これがありました。寸断される直前に、送られて来たんでしょう」

「誰からだ?」

「魔法使いからです」

「お!パチュリーのヤツ、なんか見つけたか?見せてくれ」

「はい」

 

 魔理沙は、瞳を期待に膨らませ手紙を受け取る。アリスと共に、読み進めた。その内容は、黒子を見つける目途が立ち、さらにハルケギニアがどこにあるかも判明するというもの。二人の表情が自然とほころぶ。帰れるのはもちろん、今まで以上に簡単に双方を行き来できる可能性がでてきたのだから。

 ビダーシャルの話といい、急に好転し始めた事態。上手くやればトリステインの危機も、あっさり解決するかもしれない。ただしデルフリンガーの話だけが、どうにも引っかかるが。

 

 

 

 

 

 夕食も終わり夜の帳もすっかり落ちた頃。幻想郷の寮には、この部屋の広さに合わない人数が集まっていた。幻想郷の人妖の四人。ルイズにキュルケ、タバサ。そしてティファニアとベアトリスもいる。ちなみにティファニア達の参加を、魔理沙達は嫌がっていた。これ以上、幻想郷について知る者が増えるのを避けたかったので。だがあまりの熱意に渋々受け入れる。ただし不必要な質問はしない、ここでの話を口外しないという条件で。

 

 アリスが話の口火を切る。

 

「トリステインの現状だけど、どうなってんの?」

「えっとね、王宮から聞いた話だと……」

 

 ルイズは、アニエスからの最新の情報を伝えた。南はガリアの大群がひしめいている。ガリア自慢の両用艦隊も、ラ・ロシェールを狙うように配備。ただし、軍の増強は止まっており、特別な動きもない。むしろ東のゲルマニアの方が活発だった。ツェルプストー家を先陣に、軍が集まりつつある。北のアルビオンは偵察艦隊のみで、とりたてて動きはない。一方トリステインは、グラモン家をはじめ、ほぼ全ての貴族が出陣。艦隊もガリアの両用艦隊と対峙している。ルイズの実家、ヴァリエール家は東の要として、ガリア、ゲルマニア両軍に睨みを利かせている。さらにここの生徒達が、また兵として招集されるという。

 トリステインはガリアの動き自体は収まったが、戦力差は圧倒的。危機的状況は変わっていない。しかし悪い話ばかりではない。吉報もあった。マザリーニのロマリアでの交渉が上手く行ったと。まもなく宗教庁から、使者が訪れる手筈になっている。

 

 現状が分かった所で、今度は幻想郷からの吉報が出てくる。

 

「パチュリーから手紙が来たわ。もしかしたら、全部、丸く収まるかもしれないわよ」

「ホント!?」

 

 ルイズが少し身を乗り出す。期待を滲ませて。だが人形遣いの方は、慎重な口ぶり。

 

「彼女の言い分だとね。でも結果が出るまでは、トラブルを抑えて欲しいそうよ」

「トラブルって?」

「死者を出すなって」

「そりゃ、誰も死なないのがいいに決まってるわよ。けど、最悪戦争になるかもしれないないのに、誰も死なすなって……。だいたいなんで、そんなこと言い出したの?」

「死にそうになった連中が、全部飛ばされたら幻想郷が大騒ぎになるからよ。これまでみたいに、数人って訳にはいかないでしょ?もし何百人も飛ばされたら、紫が一番怒るかもって言ってるわ」

 

 難しい顔で黙り込むルイズ。今までも死にそうになったキュルケ達やシェフィールドが、黒子の仕業で幻想郷に転送された。それは数人単位だったが、戦争ではそんな人数では済まないだろう。大騒ぎになるのも当然だ。しかも、八雲紫とやらが怒ると言っている。キュルケやタバサ、魔理沙達から、紫がどれほど得体の知れない妖怪かは聞いていた。これ以上、ハルケギニアに訳の分からない者が介入して来ては、この世界がどうなるか見当もつかない。

 

 さらにアリスは、もう一つのイベントを持ち出した。

 

「そうそう。デルフリンガーがアジトにやってきたわ。で、妙な事言ってたわよ」

「え!?デルフリンガー?なんで今、出てきたのよ?」

「こっちが聞きたいわよ」

「それもそうね。で、なんて?」

「えっとね……」

 

 人形遣いからの説明は、困惑を呼ぶもの。ガリアはやはり戦争をする気だが、実は囮。それに紛れガリア王が使い魔と共に、たった二人でトリステイン魔法学院を襲撃するというのだ。

 ちなみにキュルケ達はデルフリンガーを知らなかったので、黒子と共に簡単な説明がされた。前者はルイズと魔理沙達を騙した、素性の知れないインテリジェンスソード。後者はその主らしき存在で、キュルケ達を転送した張本人。地震を伴う怪現象を起こすとも教えられる。心当たりのあるキュルケ達。すぐに理解した。ティファニアとベアトリスの方は、全く理解できなかったが。

 

 話は伝言に戻る。このタイミングでの、得体のしれないインテリジェンスソードからの奇妙な警告。どう受け取るべきか、誰もが戸惑っていた。ルイズは記憶を確かめるように言う。

 

「シェフィールドって、私に迷惑かけると呪いで死ぬって話じゃなかった?」

「でもペテンだったからな。バレたんだぜ。たぶん」

 

 魔理沙は肩をすくめる。彼女にはそれしか考えられないので。だが真相は違う。自由気ままな幻想郷の住人には、まさか死すら厭わないほどの強い気持ちがシェフィールドにあるなどと、思いつく訳がなかった。

 

 ここでキュルケが、腑に落ちないという口ぶりで、話しだした。

 

「ガリア王とシェフィールド、二人だけで来るってのも変よね」

「魔理沙達がいるって分かってて、たった二人だもんね。しかもシェフィールドって、何回も負けてるし。私にだって勝てないのよ」

「え?ルイズって、シェフィールドと戦ったの?」

「ほら、私を誘拐するってのがあったでしょ?あの時」

「ああ、タバサが持ってきた話ね」

 

 キュルケは思い出すようにうなずく。誘拐の件は聞いてはいたが、直接絡んでないので忘れていた。次はアリス。彼女も、違和感を抱かずにいられないという態度。

 

「それにしても、返り討ちに合うかもとか考えないのかしらね?だって、ガリアの王様よ?負けたら、ただじゃ済まないわ」

「強力なマジックアイテムがあるって話だったろ?それで、なんとかするつもりじゃねぇの?」

 

 魔理沙は思いつきを口にしたが、本人も納得していない様子。ルイズも彼女の答に、首を傾げる。

 

「でも、そんなマジックアイテムがあるなら、シェフィールドだけでいいんじゃないの?」

「それもそっか……」

 

 訳が分からないと言いたげに、白黒魔法使いは椅子にもたれかかり天井を見上げた。他のメンツも、冴えない表情。少なくとも、デルフリンガーの伝言を額面通り受け取る者はいなかった。ここで天子が、考えるまでもないと毅然と言い出す。

 

「嘘に決まってるでしょ。嘘、嘘」

「嘘……か。かもな」

「だいたいあの剣、信用できないの分かってんじゃないの」

 

 彼女はガンダールヴを通して、直接痛い目にあっているので、デルフリンガーへの印象は最悪。ただ、これが嘘である可能性は、誰もが有り得るとは考えていたが。しかしだとすると、次の疑問が当然出てくる。アリスが腕を組みつつ、つぶやく。

 

「嘘だとして……目的は何かしら?」

 

 その問に、キュルケが何の気なしに答えた。

 

「魔理沙達をここにくぎ付けにしたいとか?幻想郷への転送陣、守んないといけないでしょ?そうなるとあなた達、トリステインのために動けないわ」

「キュルケ、それはないから」

 

 すぐに首を振る人形遣い。

 

「なんでよ」

「転送陣はもう、壊れてるの。というか連中に壊されたのよ」

「えっ!?ちょっと待ってよ!じゃ、帰れなくなったの!?」

「それはパチュリーが、なんとかしてくれるみたいなんだけどね。とにかく、デルフリンガーはそれを知ってるわ。だから転送陣をエサに、私達の動きを止めるってのはないのよ」

「そう……。でもだとすると……」

 

 言葉が続かない微熱。ここでルイズが、うつむいたまま呟くように言い出す。どこか確信めいた響きを纏って。

 

「この話……本当かも」

「おいおい」

 

 魔理沙が呆れた声を上げる。だがルイズは止まらない。

 

「あの剣は、私のためって言ってたわ。それは天子が確かめたもの。もしこの話が本当なら、私のためになる。ガリア王を捕まえるチャンスだし、学院もトリステインも救える。逆に嘘だったら、私は困るわ」

「そりゃぁ……そうだが……」

 

 筋は通るが、不満そうな白黒。天人も同じ。どうにも受け入れ難かった。ここにいる誰よりも、幻想郷のメンツはデルフリンガーを信じていない。

 アリスがルイズに返す。

 

「これが本当なのと、あなたのためってのが同じ意味とは限らないわよ」

「どういう意味よ?」

「例えば、戦争は本当だけど、ガリア王が来るのが嘘とかね。そうすると、あなたは学院を守るためここに残って、最前線に出ない。おかげで危険な目に合わずに済む、とかね。もっともこれだと、トリステインは虚無の力が使えないからピンチになるかもしれないけど」

「トリステインがピンチになったら、意味ないじゃないの!それって、私のためじゃないでしょ!」

「だから、ルイズの考えと、デルフリンガー達の考えが同じじゃないかもって話よ」

「……」

 

 さらにキュルケや魔理沙も、今までの上がった不自然な部分を繰り返す。皆の言い分に、何も返せないルイズ。

 やはり嘘なのか。だとしても、どういうつもりでこんな話を残していったのか。インテリジェンスソードの腹の内が見えない。

 

 その時、タバサがようやく口を開く。いつも通りの淡々とした調子で。だがルイズ達には分かっていた。危険に対する時の緊張感漂う声だ。

 

「両方を考えて対応する」

「あなたもデルフリンガーとかいうの、信じるって言うの?」

 

 キュルケの問いかけに、タバサは首を振った。

 

「そのインテリジェンスソードを信じるだけのものはない。でも、ガリア王も信じられない」

「そっか。剣が嘘言ってるってなると、ガリア王が本当言ってる話になるものね」

「どちらが本当か、決めつけない方がいい。確かなのは二つ。宗教庁のエルフ探索が始まれば、ガリアは手を出せなくなる。パチュリーの成果が出れば、デルフリンガーの目的も分かる。打つ手も増える」

「つまり?」

「最悪なのはデルフリンガーの言う通りになる事。だから、それを防いで時間を稼ぐ。つまり戦争も起こさせない。学院のみんなも守る」

 

 毅然と言うタバサ。しかしキュルケは、納得していない様子。

 

「そりゃぁ、できればいいけど、この人数じゃ無理じゃない?」

 

 もっともな問いかけ。もちろんルイズの虚無、そして幻想郷組の力は十分に知っている。それでも、今回は数が多いのはもちろん、場所もバラバラだ。

 だが雪風は変わらぬ様子で、滔々と話し始めた。

 

「学院自体は守る必要がない。転送陣も壊れている。学院の人たちは別の所に逃げてもらって、ここを空にする」

「ガリア王には手を出さないの?」

「もし来なかったら、無駄になる。人手が限られてる以上、それは避けたい」

「なるほどね。でも学院に人を置かないで済むんだったら、少しは楽になるわ」

 

 キュルケは小さく二度うなずいた。

 次に戦争に対してだが、それにもタバサにはアイデアがあった。それから彼女の案をベースに、手直しが入り、だいたいが決まる。ただこの作戦は、ティファニアの参加が不可欠だった。ルイズが真剣な眼差しを彼女に向けた。

 

「怖いかもしれないけど、あなたが必要なの。お願いできる?」

「その……」

 

 ティファニアの返事はすぐには出てこない。無理もない。今まで隠れ住んでいたとはいえ、平和に暮らしてきた少女が、わずかな人数を伴って大軍へ向かうというのだから。

 その時、ベアトリスが席から立ち上がった。

 

「みなさん本気ですの!?」

「何がよ」

 

 ルイズのキョトンとした顔。構わず金髪ツインテールは、興奮気味に大げさな身振りで言い出す。

 

「話を伺っていましたが、できると思ってるのが信じられません!確かに虚無の担い手や、ロバ・アル・カリイエの方々がいますけど、それでもこの人数です。なのに両用艦隊やゲルマニア軍を止めるとか、ガリア王を迎え撃つとか、絵空事にしか思えませんわ!自殺行為です!」

「だって経験済みだし」

「え?」

 

 一時停止のベアトリス。ティファニアも同じく呆気に取られていた。トリステインの虚無の担い手の言った事が、今一つ理解できない。するとルイズの代わりに、キュルケが真相を明かす。世間話でもするように。

 

「ほら、ラ・ロシェールで神聖アルビオン帝国の大軍が負けたり、最後内紛起こして滅んじゃったりしたでしょ?あれやったの私達なのよ」

「ええっ!?」

「いろいろあって公表されてないけどね。他にも、数百人のアルビオンの軍隊相手に包囲されて、5人で逃げ切った事もあったわ」

「な……。一体何者なんですか……あなた方は……」

「学生よ」

「……」

 

 何も言えない金髪ツインテール。隣にいたティファニアもそれは同じ。だが、何故か自分の中に湧き上がるものがあった。目の前にいるルイズ達を、ゆっくりと見渡す。覚悟をすでに決めている表情が並ぶ。伝わるものがある。胸の内が熱く震えている。田舎育ちのハーフエルフの心に、勇気という言葉が浮かんでいた。

 

「分かったわ。手伝う。私も学院、守りたいから」

 

 ティファニアの力強い声。ルイズも同じく、強くうなずいた。ティファニアが応えると、ベアトリスも急に態度を一変。手を上げて叫んでいた。

 

「あ、あの!私も役に立ってみせます!」

 

 ところが彼女については、どうしたものかという具合のルイズ達。修羅場経験なしの生粋のお嬢様に、何かできるようなものがあるとは思えなかった。だがその時、キュルケが「あ」っと一言。そしてベアトリスの方を向く。

 

「あなた、お金、どれくらい持ってる?」

「え?何の話ですか」

「いい手があるのよ。クルデンホルフ公国って、ゲルマニアのすぐ隣でしょ?」

「そうですけど……。でも、お金となんの関係が?」

「つまりね……」

 

 出てきた彼女のアイデアは、そう大したものでもなかったが、支援という意味では効果のあるものだった。ベアトリスは、この策を受け入れた。そしてティファニアの方を見る。お互い声を掛け合い、励まし合う。

 

 何もかもが決まった後、最後にティファニアが一言。

 

「えっと、一つだけ聞いてもいいかな?ずっと気になってたんだけど、ゲンソウキョウって何?」

 

 ベアトリスも同じ質問をする。それに苦笑いするだけのルイズ達。ここで魔理沙が席を立ち、ティファニアの方へ近づいた。肩を軽くたたく。

 

「この騒ぎが終わった教えてやるぜ。常識変わるかもしれねぇけどな」

「常識変わる?」

「そんなもんがあるから、この人数で大軍相手にできるって話だぜ」

「そう……なんだ……」

 

 何やら煙に巻かれたようで、納得いかないハーフエルフ。ただ一つ確信を持った。少なくともここにいる人たちは、ただ者ではないらしい。再び気持ちを強くするティファニア。

 そして一同は胸の内を決めた。この苦境を切り抜けると。

 

 全てが動きだしていた。

 聖戦を自らの思うがままに進めようとするガリア王、後手に回るトリステイン、ロマリア。翻弄されるアルビオン。尻馬に乗ろうというゲルマニア。異界で活路を見出した魔法使い。急に活発な動きを見せるデルフリンガーと黒子。そしてルイズ達。

 トリステインにという小さな国に、何もかもが集まりつつあった

 

 

 

 




いい切りどころがなくって、やたらと長くなってしまいました…。


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砲弾

 

 

 

 朝食が終わった頃、校舎の出口に馬車が止まっていた。側にはシルフィードもいる。その前に立つのはキュルケとタバサ、そしてルイズ。

 これから二人はゲルマニアに向かうのだ。もちろん作戦の一環として。荷物は馬車に運ばせ、キュルケとタバサは、一足先にシルフィードでゲルマニアに行う手筈になっている。ちなみにベアトリスはすでに発っていた。

 

 キュルケが荷物を馬車に乗せつつ、ルイズに話しかけていた。

 

「ティファニアはどうするって?」

「魔理沙達が任せろって言ってたわ」

「何するの?」

「さあ。一応は大騒ぎにしないって言ってたけど」

「大騒ぎにしないねぇ。基準が私達と違うから、ただで済むかしら」

「それはあるかも」

 

 不安そうな台詞が並ぶが、その口ぶりには楽観した様子が窺える。常識外れの事をする幻想郷の面々だが、結局なんとかしてしまう連中だ。その意味では、彼女達を信頼していた。

 ところでティファニアの件とは、アルビオン親衛隊とどう話をつけるか。帰国するように催促されているので、ルイズ達と行動を共にするにはどうしても彼らをなんとかしないといけなかった。

 

 キュルケが最後の荷物を馬車に乗せ終えた。

 

「さてと、もう出発するわ」

「うん」

 

 ルイズの返事はどこか気弱そう。キュルケは鷹揚な態度で言った。

 

「何よ、暗い顔して。あんたなら上手くやれるわよ」

「私はなんとかなるわ。天子達もいるし。けど……」

「何?私の事心配してんの?」

「ち、違うわよ!」

「ま、こっちも上手くやるわ」

「だけど上手く行っても、その後、どうすんのよ」

「そこも上手くやるわ。それにいろいろやったのに、結局、戦争は起こらなかったなんてのも有り得るし。とにかくそんな先より、目の前を考えなさい」

「……うん!分かった。任せて」

 

 強くうなずくルイズ。自分自身を元気づけるためか、あるいはキュルケを励ますためかもしれない。やがてキュルケとタバサはシルフィードに乗ると旅立った。ゲルマニアに向かって。ルイズは小さくなっていく風韻竜を、見送る。トリステインと、この学院での繋がりを守るという決意を胸に。

 

 

 

 

 

 放課後。廊下で憂鬱そうな顔をした太った子がいた。マリコルヌだ。その理由は今朝の出来事。

 朝食の後の、合同朝礼でオールド・オスマンから重要な報告があった。周辺状況を考え、またも学徒動員があると。生徒達は薄々感づいていたが、嬉しい話ではないのは確か。さらにそのために、明日、指導教官が来るという。噂によるとミス・マンティコアは来ないようだが、彼女推薦の教官が来るらしい。直に指導を受けた二、三年生は同じような教練をされると考え、誰もが沈み込んでいた。

 

 そんな三年生の中で、最も暗い気分の生徒がここにいた。軍事教練では、落ちこぼれとしてしごきまくられたマリコルヌだ。あの日々がまた蘇るとなると、不安でたまらない。

 

「あ~……。また、走らされるのかなぁ……。やだなぁ……。だいたいメイジが、体力つけてどうすんだよ……。腕力じゃなくって、魔法使うのがメイジじゃないか」

 

 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、力なく廊下を歩く太った子。すると人影が前にあるのに気づいた。顔を上げると、そこにいたのは魔理沙。

 

「よっ!マリコルヌ。何、暗い顔してんだよ」

 

 やけに明るく話しかけてくる。あまり彼女とは接触する機会のないマリコルヌ。それが魔理沙の方から声をかけてくるとは。珍しいと思いつつ答える。

 

「ほら、また教官が来るって言うじゃないか。ミス・マンティコア推薦の。それに戦争だろ?暗くもなるよ」

「そっか、いろいろ大変だな」

 

 露骨に同情する白黒魔法使い。かなり白々しいが。

 

「なら、ティファニアの頼みは別のヤツにするか」

「え?ティファニア嬢の頼み?」

「ああ」

「その……まだ教官が来たって訳じゃないから、今なら僕も力になれるとは思うよ」

 

 さっきまでの暗さはどこへやら。急に頼もしげに胸を張る太った子。『フリッグの舞踏会』以降、彼女には近づく事すらできなかったので、これはまたとないチャンスだ。

 対して、魔理沙はしてやったりの悪い笑顔。白黒は懐から、懐から小さな包み紙を取り出した。広げた包みには、お菓子が見える。魔理沙の感謝の気持ちという口ぶり。

 

「そうか、悪いな。ただ話自体は明日だ。これは前払いだぜ。取っといてくれ」

「なんだいこれ?」

「例の変身薬だぜ」

「え!?」

 

 魔理沙の言う意味がすぐに分かった。あの『フリッグの舞踏会』での薬だ。あの時、自在に変身できたのは、食べ物に薬が混ざっていたから。天子からそう聞いた。それが目の前にある。急に目を輝かせる太った子。

 

「い、いいのかい?」

「ああ。その代わり明日は頼むぜ」

「うん!任せてくれよ」

 

 マリコルヌ、内容も言わない上、いきなり前払いという魔理沙の不自然さ気づきもしない。欲望の前に、彼の眼は節穴状態。元々かもしれないが。

 

「そ、それじゃぁ、僕は用事があるから」

 

 薬を手にすると、そそくさと太った子は自分の部屋に戻って行った。悪巧みの笑みで見送る白黒魔法使い。

 実はこの変身薬。もちろんルイズが永琳からもらった万能薬だ。ただほとんどは『フリッグの舞踏会』の騒ぎで失っていた。だが実は、わずかだけ残っていた。『フリッグの舞踏会』の時、ルイズはスタイルを誤魔化そうとこの薬を使った。しかし効果時間の限られるこの薬。長持ちさせようと、予備を持っていたのだ。ただ騒ぎのせいで、使ったのは最初の一個だけだった。もっとも、おかげで全て失わずに済んだのだが。

 

 マリコルヌは部屋に戻ると、窓のカーテンをピッタリを閉める。さらにドアと窓にロックをかける。そして手にした。魔理沙から貰った菓子を。

 

「また、これが……」

 

 息を飲むマリコルヌ。下心に溢れかえった歪んだ顔で。辺りには誰もいない。当然だ。自分の部屋なのだから。マリコルヌは一気に菓子を飲み込んだ。内なる願望を声に出す。

 

「ティファニア嬢になれ!」

 

 一瞬の閃光。ゆっくり開けた目から見えたものは、自分の手ではない。すぐさま鏡に寄る太った子。

 

「おお……」

 

 歓喜の声が漏れてくる。鏡に映っていたのは、まさしくティファニアだった。

 

「ほ、本当に金髪の妖……」

 

 突然、別の閃光が出現。彼の体を貫く。衝撃で意識を失うティファニア(マリコルヌ)。床に倒れ込む。そんな彼女(彼)に近寄る小さな人影があった。上海、アリスの人形。

 さらにドアの鍵を開ける。開いたドアから、入って来る数人の足音。魔理沙にアリス、天子だった。アリスは倒れているティファニア(マリコルヌ)を、呆れて見下ろす。

 

「こうも予想通りだと、何も言えないわ」

 

 そんなアリスを他所に、魔理沙は彼女(彼)に薬を飲ませた。モンモランシーから買った睡眠薬を。次に天子がティファニア(マリコルヌ)を軽々と担ぐ。

 

「で、後は厩舎んとこに行けばいいだけ?」

「そうよ」

 

 三人と人形は、急いでマリコルヌの部屋から出て行った。

 

 アリス達は、ティファニア(マリコルヌ)を抱えながら厩舎の側まで来ていた。そこには彼女達を待っていた者達がいた。アルビオンの親衛隊だ。アリスは彼らに近づくと、声をかける。

 

「待たせたわね」

「これは申し訳ありません。ですが……ミス・ヴァリエールは?」

「今、手を離せないのよ。で、私達が頼まれた訳」

「そうですか……」

 

 腑に落ちないながらもうなずく、アルビオン親衛隊。この奇妙な恰好の彼女達が、ルイズの友人であり、ロバ・アル・カリイエの賓客であるとは知っている。それにガンダールヴも来ているのだ。彼女達がルイズの名代だとしても、不自然ではない。

 アリスはさっさと話を進める。相手に考える間を与えないかのように。

 

「じゃあ、彼女をお願いするわ」

 

 アリスの言うまま、天子は気を失っているティファニア(マリコルヌ)をアルビオン親衛隊達に渡した。彼女(彼)を慎重に受け取る親衛隊。

 

「お任せください。陛下がお気づきになられたら、必ず理由を伝えます。あなた方に、私達の無理を聞いていただいたと」

「頼むわ。それじゃ、私達は戻るから。ルイズにもこの話は伝えておくわ」

「はい。この度は、お手を煩わせ、ありがとうございます」

 

 アリスはただうなずくだけで、すぐに背を向けた。そしてこの場を去った。

 

 彼女達が何をやっていたかというと、要はティファニアの身代わりである。対ガリアの作戦で、ティファニアの協力が必要だったのだが、彼女はアルビオンの女王。無断で姿を消す訳にはいかない。しかも帰国を催促されている。そこで偽者を用意した訳だ。ちなみにティファニア直筆の手紙が、彼女(彼)の身に隠されていた。バレた時に、言い訳するために。

 

 

 

 

 

 同じ頃、ルイズがいたのは学院長室。だが部屋の主であるオールド・オスマンは、唖然とした顔をしていた。彼女の話を聞いて。もう一度聞き直す。

 

「今、なんと言ったかの?」

「ですから、ここから全員避難させてくださいと言ってるんです」

「その……なんじゃったか、妙なインテリジェンスソードの警告を理由にか」

「そうです。信じられないかもしれませんけど」

「う~む……」

 

 長い髭を弄りながら、意味を租借する学院長。彼の聞いた話は、まさしく藪から棒。ガリア王が学院を狙っているので、学院関係者全員を別の場所へ移して欲しいというのだ。しかもその情報源がデルフリンガーとか言う、得体のしれないインテリジェンスソード。

 オスマンは怪訝に、皺をさらに深くしていた。とりあえず浮かんだ疑問を口にする。

 

「避難しろと言われても、急にはできんぞ。だいたいどこに避難すると言うのじゃ?」

「どこでも構いません。ここから出てくれれば。そうです!なんだったら、私の実家に!」

「ヴァリエール家は、ここよりずっと国境に近いんじゃぞ。むしろ危険ではあるまいかの?」

「あ……」

 

 学院長の言う通り。ルイズは言葉に詰まってしまった。さらにオスマンは付け加える。

 

「どこに避難するにせよ、正当な理由が必要じゃ。それが得体のしれないインテリジェンスソードの予言などでは、どこも受け入れてくれんぞ?」

「そうかもしれませんけど……。と、とにかく、ここは危険なんです!」

 

 ルイズはもどかしそうに訴える。なんとしても学院を空にしたかった。

 確かに、デルフリンガーの伝言を魔理沙達は信じていない。今やっている事も、万が一も考えての策。ある意味保険のようなもの。しかしルイズには、どういう訳かあのうさん臭い剣の話が引っかかって仕方がなかった。

 

 当のオスマンには、一応ルイズの必死さが伝わってはいた。だが腑に落ちない点が多すぎる。黙り込み考えを巡らす学院長。しかし考えれば考えるほど、この話を受け入れるには抵抗があった。

 しばらくして、オールド・オスマンは噤んでいた口を開く。

 

「ミス・ヴァリエール。伝言によると、ガリア王の目的は学院自体ではなく、マホウジンとやらなのじゃな。しかも、そのマホウジンを守る必要はないのじゃろ?」

「はい。そうですが……」

「ならば、壊させればいいではあるまいかの?目的を果たせば、帰るじゃろうに」

「でも、それだとガリア王が敷地内に入って来るんですよ?やっぱり危ないです」

「確かにそうじゃが、幸いと言っていいのか、また学徒動員のための教官が来る。彼らに守りを依頼する事もできよう。しかもじゃ、ここは要塞かのように強化されとる。見かけほど軟ではないぞ」

 

 オスマンの言い分に、口ごもるルイズ。実はメンヌヴィルによる学院襲撃計画が知れ渡った結果、学院の防備はかなり強化された。壁はトライングルクラスのメイジでも、傷つけるのが難しい程。特に食堂は金庫かという程固い。他にも各種魔法装置が、未だ有効に働いている。

 学院長は授業でもしているかのように丁寧な口調で言った。

 

「つまり危険なのは寮だけとも言える。ならばしばらく寮は使わず、反対の校舎を寮代わりに使うのはどうじゃ?何、戦時を言い訳にすれば、教師も生徒達も納得せざるをえまい」

「はぁ……」

「それに事と次第によっては、ガリア王自身を捕らえる事ができるかもしれんぞ。もっとも、王ともあろう者が使い魔のみを伴い、たった二人で来るとすればじゃが」

 

 やはりオスマンは、ルイズの言い分、いや、デルフリンガーの話を信じていない。ルイズ自身もオスマンの言葉の前に、自分の直観を信じられなくなっていた。杞憂にすぎないのではと。祖国の危機を前に、神経質になっているだけなのだろうかと。

 結局は、オスマンの考えを受け入れざるを得なくなる。ルイズは彼の案にうなずいた。

 

 

 

 

 

 ベアトリスは居城に帰ると、部屋をひっくり返していた。彼女の側には商人らしき姿が何人もある。驚いた両親が、何事かと尋ねた。出てきたのは、金髪ツインテールの楽しげな答。

 

「儀式をやるのですわ。父上、母上。もちろん私主催で」

 

 対する両親は意味不明という顔つき。そんな彼女達を他所に、商人の方から質問が飛んできた。

 

「お嬢様、本当によろしのですか?これ全て売っていただいて」

「ええ、構いません。買ってください」

 

 ベアトリスは自分の家具やイミテーション、装飾品を、全部売ると言い出していた。娘がどうかしたのではと、慌てふためく両親。しかしベアトリスは笑顔のまま。

 

「ご安心を。私、貴族として一つ成長したのです。何が一番大切か、分かったのですわ」

 

 そうは言うが、両親の方はまるで分からない。ともかく、ベアトリスは当惑する二人をなんとか宥め、部屋へと追い返した。その後出てくるのは、大きなため息。だがすぐに気持ちを強くし、拳を固く握る。

 

「ティファニアさん。私、できる事をしますわ!」

 

 今は彼方にいる親友へ向かって、誓いを口にしていた。

 

 

 

 

 

 キュルケ、実家のツェルプストー家へ到着。共に来たタバサは、次期皇后という事でツェルプストー家当主、つまりキュルケの父親直々の挨拶を受ける。ささやかながらも宴を開こうとした彼だが、タバサは断った。そして直ちに、シルフィードでヴィンドボナへと飛び立つ。戦争が始まるかどうかすら分からないが、時間の余裕はあるに越したことはない。

 

 タバサの見送りが終わると、キュルケは父親の方を向く。彼の方は明らかな不満顔。さっきまでのタバサへ向けていた表情とは逆。すぐに帰って来るように伝えたはずなのに、こんなに遅くなったのはどういう訳かと。そんな様子が見て取れる。しかしキュルケ、毅然とした態度で話し始めた。

 

「父さま。遅くなり大変申し訳ありません。しかし、無為に時間を過ごしていた訳ではありません。トリステインの状況を、確認していたのです。戦争の噂、聞き及んでいましたから。そして各地を見、思う所あります。父さま。あたし……私もこの戦争に、加わりたいと考えております。できれば先陣に」

 

 突然の提案に、目が点になるキュルケの父親。さらにキュルケは続けた。

 

「いい機会です。宿敵ヴァリエール家との決着を、付けてやろうではありませんか!」

 

 唖然とする父親。微熱の二つ名の通り、娘は熱にでも冒されているのではないかと思う程。しかしキュルケの顔つきは、冷静さを欠いているようには見えない。むしろあるのは決意。

 彼の驚きは、次第に歓喜に変わる。あれほど手のかかる娘が、こんな殊勝な事を言い出すとはと。見合いから逃げるためにトリステイン魔法学院入学したが、それは無駄ではなかった。貴族の心得を、しっかりと会得して帰って来たのだから。キュルケの父親は感じ入っていた。

 彼はキュルケの要求を満足げに飲むと、さっそく部隊を用意すると城へと戻って行った。小躍りしているかのように。

 恥しいほど喜んでいる親の背を見送りながら、キュルケの額に冷や汗が一つ流れる。

 

「やっちゃった……。もう先に進むしかないわね」

 

 不安が彼女を包む。喉に渇きを覚えるほどに。だが気を引き締め直すと、ここからが勝負と自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 シルフィードが半ば、不時着するように降りて行った。ゲルマニアの首都のヴィンドボナの宮廷外れへ。

 

「お姉さま……、もう限界なのね……」

「よく、がんばった。ありがとう、シルフィード」

「これも、お姉さまのためなのね。でも、もう……休ませて」

「うん」

 

 タバサが珍しく、頬を緩めている。心から感謝していた。この使い魔に。なんと言っても、学院からほぼぶっ通しでここまで飛び続けてきたのだから。おかげで学院を出発してから、まだ日が変わっていない。

 シルフィードから降りたタバサは、彼女の頭をやさしく撫でる。だがここで入る無粋な声。彼女達の周りを竜騎兵と衛兵達が囲んでいた。

 

「先ほどのお話、確認させていただきます」

「……」

 

 うなずくタバサ。実は宮殿に近づく前に、哨戒の竜騎兵に補足されたのだ。素性を明かしたものの信じてもらえず、連行されるハメになる。当然と言えば当然。次期皇后ともあろう者が、一人でやってくるなど異常と言ってもいいのだから。

 

 やがて身元が確認され、皇帝との謁見を許される。玉座の間で、ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世が驚きつつも歓迎の態度を見せていた。

 

「これは、これは、ミス・オルレアン。さすがの余も驚かされたぞ。いや確かに、ここに来るよう頼みはしたが、単身で飛んでくるとはな」

「単独行動はいつもの事」

「…………。確かに、あなたの経歴は知ってはおる。だがそれは昔の話だ。もうそのような立場ではない。これからは御身を大切にすることだ。我が国と共に、あらねばならぬのだからな」

 

 威圧するような口ぶりの皇帝。タバサはもうゲルマニア、自分のものだと言わんばかりに。しかし数々の修羅場を潜り抜けたタバサが動じる訳もなく、小さくうなずくだけ。彼女のあまりに落ち着きぶりに、少々不満げの皇帝。どうにも手ごわい嫁になりそうだと。

 そんな彼の態度にかまわず、タバサは話し始めた。

 

「なら、さっそく国に尽くしたい」

「ん?」

 

 意外な言葉に呆気に取られるアルブレヒト三世。タバサは続けた。

 

「トリステインに潜むエルフの話。たぶん事実」

「何!?」

「実は元々、ガリアはエルフを匿っていた。その力を利用するために。だけど聖戦参加を決めたため、エルフが邪魔になった。始末しようとしたけど、逃げられた」

「何故そのような事、知っている?」

「私のもう一つの肩書きは、もう知ってるハズ」

「……」

 

 神妙な表情で玉座に戻る皇帝。タバサがただの王族の姫でない事は知っていた。ガリアの裏の仕事をこなしてきた事を。その辛い境遇を。皇后となる少女だ。調べない訳がない。

 皇帝は玉座に身を預けると、タバサを見下ろした。

 

「だがすでに国境は固めている。トリステインから抜け出す術はないぞ」

「ガリアは国内の全関所も、すでに固めている。でもゲルマニアでは、そうは見えない」

「む……」

 

 眉間の皺を深くし、渋そうな声を漏らす。確かに彼女の言う通り。実は彼は、エルフ騒ぎを事実と考えていなかった。単なる戦争の口実に過ぎないと。だからエルフ対策は、ほぼないに等しかった。

 さらに皇帝を追い込むように言う雪風。

 

「虚無同盟の中で、ゲルマニアだけが虚無の担い手がいない。もしエルフがゲルマニアを通って逃げれば、聖戦後の立場が悪くなる」

「…………」

 

 黙り込むアルブレヒト三世。確かにタバサの言う通り。始祖の繋がる家系であるタバサを手に入れても、虚無の担い手がいない以上、他国に引けを取るのは否定できない。

 やがてアルブレヒト三世は答える。

 

「うむ……、全土を警戒すべきだな。それにトリステインごときに、全軍を向けるまでもなかろう」

「……」

 

 雪風は小さくうなずく。胸の内に安堵を湛えながら。なんとか目的を達成できたと。

 それからトリステイン国境へ向かっていたゲルマニア軍のほとんどが、反転する。各関所などの交通の要所を固めるために。これで仮に戦争が起きても、トリステインに向かうゲルマニア軍は限られる事となった。もっともそれでも、少ないとは言い切れないが。

 

 

 

 

 

 アンリエッタは、早朝の執務室で一通の手紙を手にしていた。異界の天使、幻想郷の天人、比那名居天子から受け取ったものだ。深夜に寝室に侵入して、押し付けていった。無礼極まりない行動だが、アンリエッタ自身はあの連中ならしかたないと半ばあきらめていたが。

 だが注目すべきは、手紙そのもの。差出人はルイズだったのだ。そして内容は幻想郷の人妖とルイズ達で考えた、例の作戦。時間を稼いでいる間に、宗教庁によるエルフ探索を進めて欲しいというものだった。

 

 側に仕えていたアニエスが小言のようにぼやく。

 

「しかし、また勝手な事を……」

 

 トリステインを救おうという気持ちは分かるが、国家に関わる大事だというのに勝手に動かれてはかなわないという気持ちがあった。神聖アルビオン帝国崩壊の時も、彼女達は自分達だけで決めてしまい動いていた。上手くいったからいいものの、一部の者の行動で国家が左右されるのは、女王側に仕える者としては気持ちのいい話ではない。

 

「陛下、よろしいのですか?」

「ルイズだけならともかく、異世界の方々や、ゲルマニア次期皇后、ティファニア殿までもが手を貸してくれるというのです。私には彼女達へ命令する権限はありません」

「それはそうですが……。なんの相談もなしに、要求だけしてくるのはいささか不遜では」

「それは些細な事です。むしろ、ありがたいと思っています」

「……。藪蛇にならねば良いのですが」

「わたくしは彼女達を信じています」

「……」

 

 アニエスは不満そうだが、主がそう言うなら仕方がないと黙り込む。だが今回はガリア。ハルケギニア最大の軍隊を持ち、虚無の担い手でもあるジョゼフが相手だ。虚無を詐称していた、平民司祭とは訳が違う。以前と同じく上手くいくかどうか。アニエスの中に、くすぶる不安は消える気配がなかった。

 

 

 

 

 

 キュルケ達が学院を出て数日後の深夜。いや、もう早朝近く。ラ・ロシェールから数リーグ離れた森の中。ルイズと魔理沙、アリス、ティファニアがいた。いよいよ今回の策も仕上げだ。実はすでに他の場所には、仕掛けを施していた。その場所とは、トリステインとガリア国境の東部と南部。それぞれガリア軍が集結している。西部のここは、最後の仕掛け所という訳だ。

 

 この四人の側に、不格好な現代芸術のような巨鳥がいた。正確には鎧でできた鳥のようなものが。その大きさ、数メイル。

 これは魔理沙達がコルベールに頼み、ミセス・シュヴルーズなどの土系統のメイジと共に作り上げた工芸品。ガーゴイルのハリボテともいう。

 腹の部分が開くと、人影が二つ出てきた。涼しい顔の衣玖と、露骨に嫌そうな顔の天子が。

 

「これ、もうちょっとなんとかならなかったの?中、狭いし」

「無茶言って作ってもらったんだから、文句言わない」

「だったらルイズが、中やれば?」

「私じゃ、持ち上がんないでしょ」

 

 相変わらずの二人の言い合いに、ティファニアは戸惑うばかり。

 

「あ、あの……喧嘩してる場合じゃないんじゃない?」

「ん?そうね」

 

 あっさりと止まる喧嘩。状況を理解してというよりは、慣れっこという感じで。

 気持ちを切り替えると、ルイズは見上げた。ターゲットを。視線の遥か先にあるのは、ガリアの両用艦隊。空を埋め尽くさんばかりの数だ。

 アリスがつぶやく。

 

「もし戦争になったら、前の二の舞になりそうね」

「うん」

 

 ガリア艦隊の北方。目に映るトリステイン艦隊は、相手の1/3にも満たない。全く勝負にならない。かつて神聖アルビオン帝国に、トリステイン艦隊は奇襲であっさり全滅したとか。だが今のトリステイン艦隊では、奇襲でなくても全滅しそうだ。

 

 魔理沙が木の天辺まで浮き上がる。そして暗視スコープを装着。しばらくして下へと降りた。

 

「旗艦、見つけたぜ」

 

 白黒魔法使いが、箒で指した先にあったのは、ひときわ大きい戦艦。タバサから説明を受けていた通りの姿だ。その名を『シャルル・オルレアン』という。ジョゼフが謀殺した実の弟の名と同じ。何を考えてこんな名にしたのか。無能王の心中など分かる訳もない。もっとも、今はどうでもいい事。

 

 アリスは、ルイズ達へ声をかけた。

 

「さてと、そろそろ始めましょうか」

「うん。ティファニア。いい?」

 

 ハーフエルフへ、引き締まった声をかけるルイズ。今までの経験のおかげか、鉄火場での余裕が垣間見られる。対するティファニアは、緊張まみれの面持ち。

 

「が、がんばる!」

「三回目になるけど、精神力は持ちそう?」

「大丈夫!」

 

 自分を鼓舞するように力強くうなずくティファニア。あまりのぎこちなさに、皆は思わず笑ってしまったが。ルイズが、落ち着いた口ぶりで話しかける。

 

「もっと力抜いていいわよ。みんなも行くんだから」

「う、うん。その……みなさん、よろしくお願いします!」

 

 深々と頭を下げる金髪の妖精。魔理沙はニヤニヤ、アリスと衣玖は軽く言葉を返しただけ、天子は無関心そう。だが皆に、多少気遣ったような気配はうかがえた。それにまたルイズは頬をほころばせていた。

 

 ともかく、一同は『シャルル・オルレアン』へと出発。天子が要石の上にルイズとティファニアを乗せ、衣玖が空気を感じ取りつつ、哨戒の穴を抜けていく。魔理沙とアリスはその後に続いた。

 六人は無事『シャルル・オルレアン』に到着。船首降り立つ。何人もの見張りがいたが、少々緩み気味。圧倒的に優位なせいだろうか。

 その内一人の見張りが、ルイズ達に気付く。哨戒の隙間を縫って来た彼女達。彼にとってはいきなり現れたように思えた。しかもその姿は、繁華街にいるような町娘姿のよう。あまりに場違い。幽霊でも見ているような感覚に襲われる。

 

「な……何者だ!」

 

 思わず剣を抜くが、どうしていいいか戸惑ったまま。だがその時、彼に理解できない言葉が届く。魔法の詠唱のような。六人を見極めようと、目を凝らす。そして気づいた。一番後ろにいた少女が、杖を抜いていた事に。

 

「メ、メイジ!」

 

 声を上げようとしたが遅かった。ティファニアの詠唱はすでに完了。勢いよく杖を振る。彼の、いや、この『シャルル・オルレアン』を包む全ての空気が歪んだ。次の瞬間には、見張りは今何をしようとしていたのか忘れてしまっていた。

 

「えっと……なんだっけ?あれ?ここは?」

「今日の訓練は終わりよ」

 

 アリスが見張りに言う。当然のように。

 

「え?訓練?」

「ええ。あなた達は訓練に来ていたの。でも、もう終わりよ。全員寝ていいわ。他の連中にも言っといて」

「あ、ああ……」

 

 男は反対側へトボトボと足を進めると、仲間たちに言う。寝ていいと。仲間たちもどこか呆けた様子で、彼の言葉にうなずいていく。しばらくすると甲板の上にいた全員が、ベッドへと向かっていた。

 

 今使った魔法は、ティファニアの虚無の魔法『忘却』だ。相手の記憶を奪うだけではなく、魔法をかけた直後ならある程度の洗脳も可能だった。さらに時間が経過すると、魔法がかかった前後の事を忘れさせる効果もある。なかなか便利な代物。ただ今回は、範囲が巨大戦艦全てという広さが難点だった。しかし、なんとかクリア。もっともおかげで、ティファニアはしばらく魔法が使えないだろうが。

 

 誰もいなくなった甲板に立つ六人。ルイズがティファニアに声をかける。

 

「上手くいったじゃないの」

「うん。はぁ……でも、ちょっと疲れちゃった。こんな大勢に魔法かけた事なかったから」

「だけど、すごいわよ。あなたの魔法」

 

 珍しく人を褒めるルイズ。それに、はにかむティファニア。他人に魔法を褒めてもらったのは、マチルダ以来だ。温かいものが胸を満たす。笑顔を向け合う虚無同士。

 

 そんな二人の空気を無視して、衣玖が図面を広げだした。

 

「さっさと終わらせてしまいましょう。次は会議室の書類です」

 

 うなずく他のメンバー。ほどなくして人影のなくなった船内へと、悠々と降りて行った。そしてタバサから教えてもらった図面を元に、目的を果たしに向かった。

 

 

 

 

 

 

 朝日が『シャルル・オルレアン』の最も豪華な部屋へ差し込む。しばらくして、目覚めの時を迎えるこの部屋の主。ガリア両用艦隊総司令、クラヴィル卿。

 

「ん……朝か……」

 

 数十年を超える艦上生活がその肌を黒く染め、深い皺を刻んでいた。まさしく船の男といった風貌だ。ただ、いつもなら厳めしい気配を漂わせるこの男が、今はどういう訳か冴えない表情。顎を抱え、首を傾げる。

 

「…………。はて?何故、俺はここにいるのだ?いや、ここはどこだ?」

 

 記憶がない。ここが『シャルル・オルレアン』の艦内だというのは分かる。だが現在位置はどこにいるのか、そもそもなんのために乗艦したのかが、全く思い出せない。

 

 朝の支度をしながら、なんとか思い出そうとするがやはりできない。深酒でもしたか。だとしても忘れる訳がない。妙だと思いながらも、朝食の後、会議へと向かう。

 会議室には、副官のリュジニャン子爵をはじめ、士官達が集まっていた。ただ全員、酔いがさめてないような締まりのない顔つき。いや、むしろクラヴィルに近い表情。

 彼は司令官の席に座ると、いつもと変わらない強面で尋ねた。強面で記憶がないのを誤魔化した、と言った方が近いが。

 

「あ~……、状況はどうなっている?」

「その……現在、ラ・ロシェールを望む国境に、艦隊は展開しております」

「ラ・ロシェール?」

「はい」

「うむ、そうか」

 

 威厳をもって、深くうなずく総司令閣下。だが頭の中は疑問で一杯。何故ラ・ロシェールに側まで、来ているのか思い出せない。できれば誰かが話の口火を切り、それを切っ掛けに思い出せればと期待するが、誰も口を開かず。

 実は全員が、同じ事を考えていたので。もちろん記憶をなくしていたから。一方で、命令を忘れたなどと言えるはずもない。メンツに関わる。そんな訳で、全員が切っ掛けとやらを期待して黙り込んでいた。滑稽にも思える、妙な空気が漂う会議室。

 

 その時、部屋にノックが響く。このおかしな空気に耐えかねていた一同は、逃げ出すように素早いリアクション。士官の一人が、自ら扉をあけた。そこにいたのは伝令。クラヴィルは尋ねる。

 

「何事か?」

「その……総司令閣下。甲板へお上がりを。王都からの使者が参られています」

「王都から?」

 

 お互い顔を見合わせる、クラヴィル達。何しに来たのかは分からないが、ともかく、この妙な状況から脱出するには十分な理由だ。彼はうなずくと、さっそく部屋を出て行った。士官達も続く。

 

 甲板で彼らを待っていたのは意外な人物。あのシェフィールドだった。背後には、金属製の巨大な鳥がある。おそらく彼女の操るガーゴイルなのだろうと、誰もが考える。

 

「これは、シェフィールド殿。王都からワザワザ御足労とは。緊急の用件ですかな?」

 

 クラヴィル、敬意を持って対応する。以前なら、嫌悪するような態度だったが。

 虚無条約締結以降、ジョゼフは自らが虚無である事を明らかにした。そしてシェフィールドが、彼の使い魔である事も。もう彼女は、王に纏わりつく得体のしれない女ではなくなっていた。虚無の使い魔、始祖ブリミルの加護を受けた存在と、受け止められている。貴族たちの彼女に対する態度は、一変していた。

 

 シェフィールドは、台本でも読んでいるかのように事務的に話しだす。

 

「命令変更です。ただちに両用艦隊はアーハンブラへ向ってください」

「アーハンブラ?ここから東の果てに?これはまた、いかな理由で?」

「陛下のご命令です」

「……」

 

 答になっていない。確かにジョゼフの命令は、時に理由もないものがある。気まぐれとも思えるようなものが。しかしできる限り、詳細を知っておいた方がいい。改めて聞き直そうとしたクラヴィル。だが先に、シェフィールドの方が口を開いた。

 

「命令変更ですので、以前の命令書を返還してください」

「命令書を?」

「はい。こちらで処分します」

「……」

 

 艦隊総司令閣下、言われるまま艦内へと戻る。しばらくして戻って来た彼は、少々ばつが悪そうな態度。

 

「あ~……。命令書はこちらで処分いたします」

「そうですか。分かりました。では、ただちに艦隊を動かしてください。では」

 

 シェフィールドはそう言い残すと、踵を返し背後の鉄の鳥に乗る。彼女に合図と同時に、鉄の鳥は浮き上がった。羽ばたきもせず。それから、東の彼方へと飛び去っていった。

 

 小さくなったガーゴイルを目に収め、安堵の溜息を漏らすクラヴィル。何故なら、提出しろと言われた命令書を失くしていたので。というか仕舞った場所すら覚えていない。この始末が王に知れたら、どんな処分を受けることか。ともかく命令変更となった以上、もう以前の命令書について考える必要はなくなった。

 クラヴィルは士官達の方を向くと、威勢よく声を上げる。

 

「命令変更だ!東へ舵を取れ。ただちにアーハンブラへ向かう!」

「アーハンブラ?」

「そうだ」

「はっ!」

 

 士官達のハッキリとした返答。一同が新たな命令に集中していた。失態をうやむやにしたいかのように。

 

 

 

 

 

 全ての策が終わった頃。森の中でその様子を窺っていた連中がいた。もちろんルイズ達だ。天子が他人事のように言う。

 

「あ~、終わった、終わった。さっさと帰ろ」

「最後まで様子を見る手筈になってたと思いますが」

 

 衣玖がすかさず釘を刺す。それに不満を返す天人。くだらないやり取りが始まる。ただ天子は文句を口にしている割には、どこか気分よさげだ。やはり全てが順調だからだろうか。怖いくらいに。

 

 彼女達が仕組んだのは、ガリア軍を撤退させる策だ。もちろん、トリステインとガリアの戦争を防ぐため。三つに分かれていたガリア軍のそれぞれの司令部を襲撃。というかペテンにかけた。ティファニアが司令部の士官達の記憶を失わせ、永琳の薬でシェフィールドに化けたルイズが、嘘の命令を伝える。記憶を失って当惑している間に、上手い事誘導した訳だ。ガーゴイルのハリボテは、ルイズの化けたシェフィールドが本物だと強調するための小道具。

 結果、策は全て成功し、両用艦隊も、他の部隊も撤退し始めている。最終的には命令がおかしい事に気付くだろうが、しばらくは時間が稼げる。その間に、エルフ探索は宗教庁がすると決定してしまえば、トリステインは救われる訳だ。

 

 皆の安堵の表情の中、何故かルイズだけはスッキリしない態度。ティファニアが話しかける。

 

「どうしたの?」

「なんか気になるのよ」

「何が?」

「学院よ」

 

 ルイズの言葉にアリスが返す。

 

「デルフリンガーの話じゃ、ガリア王は戦争を囮にして学院を襲うって手筈だったじゃないの。その大前提が崩れたんだから、大丈夫よ」

「そうだけど……」

 

 理屈は分かる。しかし、ルイズの不安は消えない。デルフリンガーというインテリジェンスソードの警告が、頭から離れない。やがて気持ちを決める虚無の担い手。

 

「やっぱり、一旦学院に戻るわ。アリスと天子は予定通り、しばらく様子見といて」

「かまわないけど、ルイズはどうやって帰るの?」

「魔理沙」

 

 ちびっ子ピンクブロンドは白黒に声をかける。魔理沙の方も、言わんとしている事に察しがついた。

 

「学院まで、連れていけってか?」

「うん」

「私は東の連中、見張るって話だったろ」

「悪いけど、後にしてくれない?」

「まあ、いいけどな」

 

 ほぼ作戦は成功したと思っている彼女。あっさりと了解。さらにルイズは衣玖に、ティファニアを送ってもらうように頼む。こちらはアルビオン大使館の方に。衣玖も中央のガリア軍を見張る役目があったのだが、それも後回しとなった。

 

「それじゃぁ、後、頼んだわよ」

「ええ」

 

 アリスはうなずく。ルイズは魔理沙の箒の後に乗り、ティファニアは衣玖に抱えられ、この場から飛び立った。それぞれ最速で。アッと言う間に二人の姿が、空に消える。

 

 残ったアリスと天子。ぼーっと空を眺める。仕掛けは全て上手くいったハズなのだが、艦隊が動く様子がない。さらに時間が経ち、ようやく動きだした。大艦隊というのもあるが、記憶を失ったのは『シャルル・オルレアン』だけ。命令変更に手間がかかったのかもしれない。

 それからしばらくして、全艦の陣形変更が終わる。すると新たに一隻の船が現れた。

 

「ちょっと遅れたけど、間に合ったわね」

 

 アリスが、高くなってきた太陽に照らされる一隻の船を見上げていた。ガリアでもトリステインの船でもない。ロマリアの船だ。つまり今、エルフ探索のための調査団が、トリステインに到着した訳だ。彼らも、撤退しようとしているガリア艦隊を見ているだろう。これでエルフの件はスムーズに進むはず。

 

 取り立てて変わった様子はない。まさしく順調、予定通り。するともうは終わったという具合に、天子がだらけだした。

 

「私達も帰っていいんじゃない?」

「だから、ガリア艦隊が見えなくなるまで見張るって決まりでしょ」

「面倒~」

 

 要石の上で仰向けに倒れる天人。相変わらずの身勝手さに、アリスは溜息を漏らすしかない。もっともこうなるとも半ば思っていたが。天子がどういう性格なのか、誰もが分かっていたので。

 不意に、太鼓を叩くような音が二人の耳に届いた。ふと音の方向を見る。空からだ。

 さらにもう一回鳴った。今度はハッキリと分かった。太鼓の音ではない。大砲の砲撃音だ。まさかとガリアが攻撃?と、両用艦隊の方を見た。すると『シャルル・オルレアン』から、煙が舞い上がっている。だが砲煙には見えない。

 さらに三発目。今度はハッキリと分かった。『シャルル・オルレアン』へ向かって、誰かが大砲を打ち込んでいる。二人は瞬時に、砲弾が飛んできた方角へ顔を向ける。砲煙を上げている艦がそこにあった。

 大砲はトリステイン艦から打ち込まれていた。ガリアの両用艦隊に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の大図書館。中央広場にずらっと並んだテーブル。そこを行き来する大勢の小悪魔達。そのテーブルの群れの先頭に、大きな机があった。ここの主、パチュリーの席だ。彼女は次々提出される書類に目を通していた。

 もう何時間も、ぶっ通しでやり続けているこの作業。瞳が忙しく左右に動き、資料は次から次へと右から左へと送られていく。だが突然、その手が動きを止めた。

 

「こあ」

 

 パチュリーは、助手として側にいた使い魔に声をかける。慌ててティーポットを手にするこあ。もう何杯目のお代わりかと思いつつ。だがティーカップに紅茶を注ごうとした時、パチュリーの手がカップを覆う。

 

「それじゃないわ。シャンパン用意して」

「はい?」

「見つけたわよ。黒子」

「ホントですか!」

「たぶんね」

 

 パチュリーは椅子によりかかり、目元をマッサージしながら言う。さすがの100年の魔女にも、この作業はきつかったのか。長命という事もあり、普段ならマイペースで研究をする彼女。それが突貫工事と言ってもいい程、急いで作業を進めたのだから無理もない。

 書類を手に、こあへ指示を出す。

 

「確認できしだい、今の作業は終わり」

「もし当たりだったら、パチュリー様はどうされるんです?」

「もちろん会いにいくわ。黒子にね」

 

 七曜の魔女は不敵に笑うと、椅子から立ち上がった。

 

 

 

 



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襲来

 

 

 

 

 アルビオン王国の首都、ロンディニウム、ハヴィランド宮殿。その宰相の執務室に、似つかわしくない人物がいた。怯え切った顔をした太った少年が。上半身と両手をロープで縛られ、体格のいい兵達に囲まれている。マリコルヌだ。ティファニアに化けていた彼だが、アルビオン親衛隊がアルビオンに連れて帰る途中、時間切れで元に戻ってしまった訳だ。

 

 宰相であるマチルダが、マリコルヌを睨みつける。射貫くような視線で。対するマリコルヌ。情けないを通り越して哀れな程。言い訳を散々した喉は枯れ果てて声も出ず、目は真っ赤に充血し頬にも涙の跡が残っていた。

 次にマチルダは、その鋭い視線を親衛隊へ向ける。

 

「これは、どういう事だい!」

「面目次第もございません!」

 

 頭を深々と下げる親衛隊に、マチルダの怒声。いつの宰相然とした振る舞いはどこへやら。モロに地が出ていた。神妙にしていた親衛隊の一人が、一通の手紙を差し出す。

 

「その……宰相閣下。この者、このようなものを身に着けておりました」

「よこしな」

 

 奪うように手にした手紙を、苛立ち紛れに広げた。すると急に表情が変わる。今までの怒りが萎んでいく。代わりに頭を抱えるマチルダ。

 

「全く……あの子は、ここまで無茶するとは思わなかったよ」

 

 手紙の内容は、ティファニアからの弁明だった。筆跡ももちろん彼女。長年共に暮らしたマチルダだからこそ分かる。そして内容だが、友人を救うためにトリステインにしばらく残るというものだった。あの大人しいティファニアが、こんな大胆な行動をとるとは。マチルダにとっては、喜ぶべきか怒るべきか困る。

 ただ、一つだけ確かなものがあった。ティファニアが戦争に巻き込まれつつあるという事だ。冷静さを取り戻したマチルダ。指示を出す。

 

「ホーキンス国防大臣とワルド外務大臣をここへ」

「はっ!」

 

 親衛隊はすぐに命令を二人に伝えた。ついでにマリコルヌは、監視付ながらも賓客扱いとなった。ティファニアのために、こんな目にあったのだから。

 

 しばらくして宰相執務室へ訪れたホーキンスとワルド。さっそく命令が下る。ホーキンスへはティファニア救出の指揮を。すぐさま執務室を出る古強者。

 残ったワルド。ティファニアの無茶とガリアとトリステイン間の問題を、マチルダ以上に重く捉えていた。何故なら、彼の最終目的、聖戦が破綻しかねないのだから。

 

「宰相閣下!トリステイン、ガリア間の戦争だけは避けねばなりません」

「その通りだよ。ワルド。だからあんたにはロマリアに飛んでもらう」

「ロマリアに?」

「教皇に、両国の仲裁とエルフ探索をすぐに決断してもらうよう、催促しておくれ」

「分かりました」

 

 ワルドは直ちに行動開始。だが彼らはまだ知らなかった。ガリアとトリステインが、まもなく開戦する事を。

 

 

 

 

 

 ルイズが化けたシェフィールドが両用艦隊から去って、しばらく経った頃。甲板に立つ、トリステイン艦隊総司令オリビエ・ド・ポワチエは、望遠鏡を覗きつつ眉間にしわを寄せていた。困惑気味の表情で。

 

「何が起こったというのだ?」

「トリステインのエルフ探索を、ガリアが受け入れたのでは?」

「う~む……」

 

 レンズの向こうある大艦隊は反転し始め、この場から去ろうとしている。理由が全く分からない。ただ一つだけ気になる点があった。伝令と思われる竜騎兵らしきものが、ガリア旗艦に降り立ったという報告あったのだ。命令変更があったのかもしれない。

 ともかく胸をなでおろすポアチエ。

 

「いずれにせよ。どうやら国家の危機は去ったようだ」

「そのようですな」

 

 副官も肩から力を抜きうなずいた。

 突然の轟音。緊張感が走る。顔色を変える二人。

 

「な、何事だ!」

「発砲音!?ガリアからの攻撃か!?」

 

 慌てて望遠鏡を覗く。しかし両用艦隊からは、砲煙は上がっていなかった。代わりに上がっていたのは、被弾の噴煙。一体、何に攻撃されたのか。

 再び発砲音が耳に響く。今度は分かった。なんと自分達の艦隊が攻撃しているのだ。音の方へ駆け寄ると、一隻の船がガリアへ向かって攻撃をしていたのが見えた。

 青い顔で怒鳴るポアチエ。

 

「何をやっている!すぐやめさせろ!」

「はっ!」

 

 副官はすぐさま命令を伝えた。しかしその間に、三発目が発射される。結局、三発中二発が、ガリア艦隊旗艦『シャルル・オルレアン』に直撃していた。攻撃はそこで停止。だが両用艦隊は怒りに打ち震えるように、船首を戻し始める。戦闘陣形を整えつつ。

 

 ポアチエは、体中から血の気が引いていく感覚に襲われた。血管一本、一本で感じられるほどに。側では副官が動揺した声を上げる。

 

「し、司令!ど、どうされます!?」

「……こ、後退する!」

「後退ですか!?」

「まともにやりあっても勝ち目はない!応戦しつつ、ラ・ロシェールまで下がる!」

「は、はっ!」

 

 トリステイン全艦に慌ただしく信号旗が上がり出す。同時に全艦が射撃準備に入っていった。

 

 開戦の空気に満たされる両艦隊。死地の緊張感が双方の乗組員に溢れる。そんな中、安堵の吐息を漏らす者が地上に一人いた。両艦隊から離れた、放棄された粗末な小屋の中に。ガリア王ジョゼフ。その人だ。

 小屋の窓から両艦隊を眺めつつ、忠実な使い魔に話しかける。

 

「気を揉んだぞ。まさか余の艦隊が、勝手に撤退しはじめるとはな」

「おそらく、トリステインの虚無とヨーカイ共が何か仕掛けたのでしょう」

「だろうな。だがお前の策の方が、一枚上手だったという訳だ。さすがは余のミューズだ」

「恐れいります」

 

 喜びを噛みしめつつ、深々と頭を下げるシェフィールド。

 

 シェフィールドの策とは、トリステイン艦隊に内通者を用意するというもの。正確には人を一時的に操るマジックアイテムを使って、乗員の何人かを操った。トリステイン艦隊は、神聖アルビオン帝国戦から立て直した急造艦隊。このため、素性の定かでない者が多数乗り込んでいた。そこに付け込んだ訳だ。

 その一部の人間達が、ガリアに向かって砲撃。しかも上空にはロマリアの船が来ていた。証人には十分すぎる存在だ。これでトリステイン側の先制攻撃が、戦争の原因として成立。堂々とトリステインに攻め込む事ができる。

 ジョゼフは青髭を弄りつつ、楽しげに両艦隊を眺める。

 

「さてと、後はこの戦を上手く操らねばな」

「はい」

「では、次といくか」

「はい!」

 

 粗末な小屋にいた虚無の主従は、瞬時に姿を消した。虚無の魔法『テレポート』を発動させて。

 

 

 

 

 

 王宮ではアンリエッタが、自分の耳を疑っていた。信じがたい報告を耳にして。トリステイン艦隊がガリアの両用艦隊に、大砲を撃ちかけたというのだから。それを切っ掛けに、ガリア軍が攻めに転じようとしていると。

 

「どういう事ですか!?」

「子細は分かりません。ともかく両用艦隊は戦闘態勢で反転、我らが艦隊はラ・ロシェールに後退しつつあります」

 

 伝令の言葉に、側に控えていたマザリーニがしかめた表情をさらに険しくする。

 

「先ほど、南部と東部でも、ガリア軍が前進しつつあると報告がありましたが……」

「…………」

 

 茫然とし、何も言えないアンリエッタ。

 正直、ルイズ達が動くというので楽観していた所があった。この国家の危機もアルビオンの時のように、結局は無難に収まってしまうだろうと。それが予想外の状況に陥っている。これが余計に彼女を混乱させていた。

 

 その時、執務室のドアの向こうから慌てた声が届く。

 

「へ、陛下!」

「お入りなさい」

 

 飛び込むように入って来たのは、また伝令だった。その顔はまさしく青。

 

「ゲ、ゲルマニアが、宣戦布告を通知してきました!」

「な……!」

 

 一斉に席を立ちあがるアンリエッタ達。言葉の全くでてこない。マザリーニが無理に吐き出すように尋ねる。

 

「り、理由は!?どういう大義で、宣戦布告などと……!?」

「それが……同盟国ガリアを支援するためと……」

「……!」

 

 ある程度予想していたとは言え、いざ現実となるとさすがにショックを隠し切れない。ガリアだけでも手に余るのに、その上ゲルマニアまで来ては、もはやこの国は終わりなのではと。

 アンリエッタは茫然とし席に戻る。未だ戸惑いから抜け出せない女王に代わり、マザリーニが指示を出した。

 

「ともかく情報だ!各地の状況を知らせよ!」

 

 枢機卿の言葉を合図に、王宮が慌ただしく動きだした。それから女王の名で、緊急の会議が招集される事となる。

 

 国境配備済みのトリステイン軍には、堅守が指示される。予備軍として後方にいた部隊も国境へ向かった。一方で幻想郷の人妖達だが、全員、国境に集中していた。彼女達の目的は、戦争で死者を出さない事なのだから。だがこれらは、トリステイン全軍と妖怪達が全て国境に釘づけになっている事を意味する。そしてそれは、ガリア王の思惑通りでもあった。ただ一つを除いて。

 

 

 

 

 

 ルイズが学院に戻ってから半日。王宮から急ぎの伝令がやってきた。その指示は、すぐに予備隊を編成し、ゲルマニア国境へ向かへというもの。つまりそれは、戦争が始まってしまった事を意味する。学院の誰しもが、縛り付けられたかのように、緊張で身が固まるのを感じていた。

 軍事教練をする予定だった教官達は、すぐに指揮官へと役割が変る。そして、カリーヌによってすでに鍛え上げられた二、三年生はただちに出立を指示された。そして残りの一年生も、しばらく教練を受ける事となる。もちろん予備兵として。

 

 こんな状況だが、ルイズの方は少しばかり安心していた。前線への移動とはいえ、生徒達が学院を離れるのだから。それにゲルマニアには、手を打ってある。しばらく戦い起こらないハズ。少なくともガリア国境ほど危険はない。

 ただ、いろいろ手を尽くしたが、デルフリンガーの警告した通り戦争は起こってしまった。それは、もう一つの警告も有り得るという意味でもある。学院へガリア王が来ると。たった二人だとしても虚無の主従。侮れるものではない。ここはある意味、前線によりも危険だとルイズは考えていた。

 ところでルイズは、虚無の力を理由にデタラメを言い、参戦を遅らせてもらった。ジョゼフ達を迎え撃つために、ここに残らないといけないのだから。代わりという訳ではないが、アンリエッタへの手紙を託す。ガリア王が来るかもしれないから、支援が欲しいと。この話を彼女が信じるかどうかは、分からないが。

 

 広場で出発準備を始めている二、三年生達を眺めながらリリカルステッキの手入れをするルイズ。

 

「天子か誰かいれば、大分楽になるんだけど……」

 

 厳しい表情で、ポツリと漏らす。確かに二、三年生達が出発した後も、一部の軍人や教師達は残る。人数という意味では多い。ただ人妖達の力は、それを補って余りあるものだった。しかし、ジョゼフがいつ来るか分からないのに、彼女達を呼びに国境へ向かう訳にもいかない。

 

 ルイズは頬を軽く叩くと、勢いよく背筋を伸ばす。長い杖で床を軽く叩き、気持ちを引き締める。

 

「うん!やってやろうじゃないの!」

 

 これまでの戦いが、彼女に自信を持たせていた。それにある意味、好機だ。上手くガリア王を捕られれば、一発逆転も有り得るのだから。

 

「そう気負っては、思わぬミスに繋がりますよ」

 

 ルイズが振り返った先に、コルベールがいた。落ち着いた様子が見て取れる。戦争をいやがり、アルビオン出兵すら拒否した臆病者というイメージが未だ彼女の中にある。もちろん、キュルケから彼はとんでもない実力者だと聞かされてはいたが、直に見ていない彼女には今一つ信じられなかった。

 しかし、ここにいるコルベール。ガリアの虚無と使い魔が来るかもしれないのに、不安が微塵も感じられない。今はこんな彼の存在は、ありがたかった。他の教師達はあまり当てになりそうもなく、軍人達はルイズの言い分を信じている様子がないので。

 そんな事を考えていると、ふと気になった。どうしてここまで落ち着いているのかと。

 

「えっと……。ミスタ・コルベールは戦争の経験でも、おありなのですか?」

「何故、そのように思ったのかな?」

「いえ、随分と落ち着かれてるもんですから」

「…………。一時期、戦いの場に身を置いていたのは確かだよ。ただこの事は、黙ってくれるとありがたいのだが……。私にも思う所があるのだよ」

「分かりました」

 

 小さくうなずくルイズ。今になって、キュルケの言葉を実感していた。隣にいるパッとしない風貌の教師は、どうもただ者ではないようだ。

 

「ん?なんだ?」

 

 ルイズが感心している横で、コルベールがポツリとつぶやく。眼鏡をかけ直し遠くを見る。釣られるようにルイズも、同じ方角を見た。

 広場に集まっていた二、三年生達が騒いでいる、というか後退っている。さっきまで整然としていた列は、ある一点を中心に輪を描く様に崩れていた。その一点、学院の囲む壁の上に目を凝らすルイズとコルベール。

 

「「え!?」」

 

 同時に声が上がった。驚きに固まった表情で。想像もしなかったものが、そこに見えていた。ルイズは思わず、その言葉を口にする。

 

「エ、エルフ!?」

 

 長い耳、透き通った金髪。ビダーシャルという、本物のエルフを間近で見た事のあるルイズだから分かる。間違いなく男のエルフだ。だが、知らない相手だ。もちろんビダーシャルとも違う。それにしても何故、今、エルフがここに?まさか彼がガリアの言っていた密偵なのか。

 

 ジョゼフとシェフィールドが来るとばかり思っていたルイズ。予想外の相手の出現に少々混乱。しかもそれが最強の妖魔エルフでは、なおさらだった。その時、脇から強い声が上がる。

 

「ミス・ヴァリエール!君の力を借りたい!」

 

 その声に自分を取り戻すルイズ。コルベールだった。すでに冷静さを取り戻している。やはりただ者ではなかった。

 

「虚無の力ならば、エルフに対抗できる!」

「あ、はい!」

 

 ルイズは強くうなずくと、コルベールと共にエルフへと向かって行った。

 

 突然現れたエルフに、騒然とする生徒達。だがカリーヌの特訓の成果か、パニックとまでは行っていない。指揮官の軍人たちもカリーヌが推薦しただけの事はあり、動揺はしているが混乱まではしていない。

 指揮官立は最前面に出て杖を構える。距離を置き、エルフへ相対した。

 

「お前が我が国に忍び込んだエルフか!」

「いかにも。そして貴様らの国が窮地に陥っているのも、私の策によるものだ」

「何!?」

「聖戦などという愚かな考えを持つものは、相食んでいるのがふさわしい」

「おのれ……!だが愚かなのは貴様の方だ!お前を捕らえれば、トリステインの危機は去る。この妖魔を捕縛せよ!」

 

 指揮官も生徒達も一斉に杖を向ける。だがエルフの態度は揺らぎもしない。むしろほくそ笑んでいた。

 その直後、彼の背後から影が現れた。影はさらに伸び、エルフを、指揮官を、生徒達を包み込む。影に飲まれた彼から、さっきまでの強気の態度が消え失せていた。唖然として一点を見つめていた。

 壁の向こうから巨大な姿があった。そびえ立つ巨人が。壁越しに彼らを覗き込んでいる。その大きさは、二十メイル超。鎧を着こんだその姿は、巨大な騎士。ゴーレム、あるいはガーゴイルか。いずれにしても誰も見た事ないもの。異形な存在。広場にいる全員が茫然と立ち尽くしていた。

 

 エルフは巨人の肩に、軽い足取りで飛び乗った。軽業師のごとく。

 

 蛇に睨まれた蛙のように、動きを止めてしまう指揮官と生徒達。瞼を開ききったまま、巨人を見上げるだけ。エルフは宣言した。

 

「愚かな蛮族どもよ。大いなる意志の罰を受けるがよい!」

 

 ゴーレムが塀を越え、彼らに迫り始めた。

 そびえる巨人を前に指揮官立は、動揺する気持ちを意地で抑え込む。

 

「あ、あの姿はコケ脅しだ!あの程度のゴーレム、トライアングルでも作れる!こちらが多勢である事を忘れるな!攻撃開始!」

 

 一斉に魔法が放たれる。しかし……。

 

「ぐあっ!」

 

 悲鳴が上がった。しかもそれは、エルフからではない。すぐ側から。魔法を放ったメイジが倒れていた。一瞬何が起こったか理解できない一同。するとエルフの方から、あざ笑うような声が届く。

 

「無駄だ。私に攻撃をしても、自らを傷つけるだけだ」

「な、何ぃ!?」

 

 疑問に思いながら、さっきの光景を思い出す。エルフへ魔法を放った時、彼をゴーレムの腕が守った。その腕に当たった魔法は全て跳ね返り、自分達に返ってきていたのだ。悲鳴を上げたメイジは、自らの攻撃で傷ついたのだった。エルフの言葉通り。

 エルフの力。それがここにいる全員の脳裏に刻み込まれた。想像を超えていると。この人数でも勝てるのかと。そもそも数の問題なのかと。身動き取れないメイジ達。不敵に見下ろしてくるエルフ。やがて巨人が、その足をさらに進め始めた。

 地響きと共に土埃が舞う。

 次の瞬間、指揮官が声を張り上げた。

 

「た、退避!校舎内に後退せよ!」

 

 命令を合図に一斉に逃げ出す生徒達。もはや半ばパニック。いくらカリーヌが鍛えたと言っても、やはり戦場を経験していない彼らには限界があった。

 

 ほどなくして広場には誰もいなくなった。いや、残っていた。二つの人影が。ルイズとコルベールが。巨人を前に立ち塞がる。ここから先へは進ませないと言わんばかりに。

 彼女はコルベールへ話しかけた。

 

「ミスタ・コルベールは、学院のみんなを守ってください」

「君だけでエルフの相手をするのかい!?あのゴーレムも!?私が援護を……」

「大丈夫です。エルフとの闘い方は、もう知ってますから」

「……。分かった。ここは虚無の君に任せよう。だが無理はするんじゃないよ」

 

 コルベールはそう言うと、急いで校舎へと入って行った。残ったルイズ。杖をエルフへと勢いよく向ける。

 

「こっちは攻略法知ってんのよ!」

 

 そう言って、ルイズは勢いよく宙へと上がった。二十メイル程上空で停止。杖を勢いよく振り上げる。するとルイズが花火になったかのごとく、無数の光弾を周囲に放たれた。

 

 ルイズが放ったのは通常弾幕。闇雲に光弾は飛んでいく。実はこれがエルフ対策の基本。まずは辺りの精霊を弾幕で活動停止にし、先住魔法を使えないようにしようという訳だ。この方法は魔理沙達がビダーシャルに使った手で、ルイズはそれを聞いていた。

 そしてさっき魔法を跳ね返した効果。これも知っている。エルフの"反射"の魔法だ。下手に手を出すのは自殺行為。だが対策はある。"反射"の結界越しに弾幕を発生させればいい。これも人妖達から聞いた話。そしてエルフさえ倒してしまえば、このゴーレムも動きを止めるだろう。

 

 一通り弾幕をばらまき終わり、次に移ろうとするルイズ。しかし動きが止まる。奇妙なものが目に入って。ゴーレムの肩に乗っていたエルフが、唖然とし彼女を見つめていたのだ。その顔つき、まさしく想定外という様子。

 

「な……何故、貴様がここにいる!?」

「は?そんなもん、どうでもいいでしょ。っていうか、なんであんた、私、知ってんのよ」

「……!」

 

 しくじったとでも言いたげな顔で、黙り込むエルフ。しかも、さっきまであったエルフの傲慢さが消えている。ルイズは違和感に眉をひそめた。何かおかしい。

 その時、空に声が響く。

 

「そりゃ、こいつがエルフじゃねぇからさ!」

 

 見上げた先、視界に入ったのは魚姿の悪魔、ダゴンとデルフリンガーだ。悪魔はいきなり、エルフに切りかかった。彼はなんとか避けたが、バランスを崩し地上に降りてしまう。

 

 突然乱入してきた悪魔とインテリジェンスソード。戸惑うばかりのルイズ。

 

「あんた……!えっと……ダゴンとデルフリンガー!何しに来たのよ!」

「とりあえずは、嬢ちゃんを助けにだぜ」

「何よそれ?どいうつもり?ずっと私達、騙してたくせに」

「こっちにも事情があるんだよ」

「事情ぉ!?」

 

 文句を山ほど頭に浮かべつつ、二体の人外を見るルイズ。助け来たとは言っているが、彼女としては信用が置けないのも無理はない。デルフリンガーの方は、そんなルイズを他所に話を進める。

 

「で、他の連中はどうした?」

「みんな国境よ。あんたの言う事なんて、誰も信じる訳ないでしょ」

「せっかく警告してやったのに、無視かよ」

「当たり前でしょ!」

「けど、嬢ちゃんは信じてくれた訳だ。ここにいるんだもんな」

「…………。か、勘よ!」

 

 気恥ずかしそうに答えるルイズ。もしデルフリンガーに身体があったら、にやけつつ肩をすくめていただろう。ルイズは、この妙な空気を断ち切るように質問を口にした。

 

「そ、それで、エルフじゃないってどういう意味!?」

「ああ。こいつな、シェフィールドだぜ」

「ええっ!?」

 

 ルイズはまたも戸惑う。予想外の答に。そして地上にいるエルフを凝視。どう見てもエルフにしか見えない。しかも男性だ。彼を指さすルイズ。

 

「シェフィールドって……え!?化けるマジックアイテムでも使ってんの?」

「八意永琳の薬さ。シェフィールドが幻想郷行ったの知ってんだろ?そん時、貰ったのさ。こっちに、いくつか持って来てたんだよ」

 

 永琳の薬。ルイズも使った万能薬。急に表情が厳しくなる虚無の担い手。あの宇宙人の薬とすると、どんな能力を身に着けているのか想像もつかない。

 次にゴーレムを指さすルイズ。

 

「じゃあ、あのゴーレムは何?シェフィールドって言ったけど、"反射"の魔法使ってたわよ。どういう訳?万能薬で、エルフの力でも手に入れたの?」

「そうじゃねぇ。あのゴーレム、『ヨルムンガント』ってんだが、鎧にエルフの"反射"、『カウンター』の魔法がかかってんのさ」

 

 結界ではなく鎧に魔法がかかっているとなると、考えていた対策は使えないかもしれない。動くゴーレムの鎧越に弾幕を発生させるなど、ルイズの技量では至難の業だ。愚痴をこぼしてしまう虚無の担い手。

 

「厄介なもん持って来て……。だいたい、どうやって持ってきたの?」

「瞬間移動の魔法、虚無の『テレポート』を使ったのさ」

「虚無の魔法で……って事は、ガリア王も近くにいるって訳?」

「まあな」

 

 警戒心を上げつつ、ゆっくりと降りる。悪魔とインテリジェンスソードも彼女の隣に下りた。対するエルフ、いやシェフィールド。彼女もさっきまでの余裕はもうなく、張り詰めた緊張感を纏っていた。

 

「貴様……。その姿……ビダーシャル卿を攫ったヤツね。やはり、お前はゲンソウキョウの連中の仲間なのか?」

「違うぜ。あんたの同業者さ。虚無の使い魔、ガンダールヴだよ」

「な!?」

 

 呆気に取られるシェフィールド。ルイズから、ガンダールヴは異界の天使と聞いていた。彼女自身も直に見た。にも拘らず、この魚の妖魔は自分がガンダールヴと言う。使い魔は一人一体しか持てない。それは虚無でも例外ではない。ではあの天使は死んで、新たなガンダールヴでも召喚したのか?それにガンダールヴならば、ルイズの使い魔だ。それならばヨーカイ達の仲間と言っていい。だがこの魚頭は、それを否定している。どこか腑に落ちない。

 何にしても、一つだけ確かなものがある。ここで自分の正体が知れ渡っては、全ては水の泡という事だ。

 

 一方のルイズ。疑問が一つ浮かんでいた。インテリジェンスソードに尋ねる。

 

「ねぇ、デルフリンガー。だいたい何で、あんなもの持ってきたの?転送陣潰すだけにしては、大げさでしょ」

「もちろんそれも目的だ。だがな、それだけでは足らんのだ」

 

 答が返って来た。しかしその声はデルフリンガーのものではなかった。シェフィールドでもない。ルイズが知っている誰のものでもなかった。

 目の前に男がいた。豪勢な狩装束に身を包み、青い髭を蓄えた偉丈夫が。彼が答えていた。

 

 頭が完全に止まるルイズ、男に視線が釘付けになる。青髭の男はいきなり現れた。なんの予兆もなく突然に。転送陣ですら、出現前に前兆がある。しかし、今は何もなかった。

 

 放心しているルイズを前に、男は淡々と話しかけた。

 

「初めて見たな。お前がトリステインの虚無か」

「だ……誰よ?あんた!?」

「ん?余か?ガリア王、ジョゼフ一世だ」

「ええっ!?」

 

 思わぬ人物の出現に、上ずった声を出してしまうルイズ。いや、いるのは分かっていたハズだ。しかしそれでも、この意表をついた出現は、冷静さを吹き飛ばすには十分だった。

 対して、彼女に構わず話を続けるジョゼフ。

 

「ヨーカイ共が散々余の邪魔をするのでな、目障りになってきたのだ。そこで、ゲンソウキョウとの線を切ろうと思ってな」

「……」

「その後、ゲンソウキョウとハルケギニアを繋ぐのが、ここだとは分かった。ただな、ここを潰すとトリステインもガリアを快く思うまい。それでは聖戦に支障が出る。そこで一計を案じた訳だ。ここを潰した上、トリステインに聖戦で奮起してもらおうとな」

「はぁ!?学院を潰されて、トリステインが聖戦にやる気だす!?何、バカ言ってんのよ!」

 

 ジョゼフの自分勝手な言い分に、ルイズも気丈さを取り戻す。いや、怒で頭が一杯になっていた。しかしジョゼフは動ぜず。

 

「だが全てがエルフの仕業で、そのエルフに自分達の子供が殺されたとしたらどうだ?」

「!?」

「あの『ヨルムンガント』には『火石』が仕込まれててな、一瞬で学院諸共この辺りを吹き飛ばせる。もちろん、生徒もテンソウジンとやらもまとめてな」

「!」

 

 瞬時に意味を理解するルイズ。

 

 つまり、シェフィールドがエルフ姿でヨルムンガントと共に現れたのは、全てはエルフの仕業と印象付けるためだった。実際、エルフ出現を報告するため王宮へ伝令がすでに飛んでいた。

 『火石』により転送陣ごと学院が消滅し、多数の生徒達が犠牲になっても、王宮は全てエルフの仕業と受け取るだろう。親である貴族たちの怒はエルフへ向く。そのタイミングで、ガリアが停戦に乗り出す。自分達もエルフに騙されたと言い訳し。やがては、スムーズに聖戦へと向かうという訳だ。

 

 ジョゼフは軽く首を振り、白々しく気落ちした仕草を見せる。

 

「だがトリステインの虚無も生徒だ。お前まで死んでしまっては、本末転倒。だから戦争を起こし、お前を最前線に釘づけにする手筈だったのだ。アルビオンの騒ぎでもお前はかの地に向かったそうだし、今回も当然向かうと踏んだのだが……。それがまさか国家の危機に、こんな所で油を売ってるとは思わなかったぞ。やれやれ、困った娘だ」

「……」

 

 ルイズは何も答えない。代わりに憤怒の色に染まった視線を、貫くようにジョゼフに向ける。

 

「ふざけんじゃないわよ!もう、あんたはただじゃ済まさないわ!」

「ふむ。やはりそうなるか。やむを得まい。ではお前は、『地下水』に任せるとするか」

「?」

 

 言っている意味が分からない。『地下水』とはなんの事か。ルイズが一瞬戸惑い、意識が削げる。その時、スッとジョゼフの手が伸びた。彼女を掴もうとする手が。

 だが、二人の間を漆黒の大剣が遮った。地面に突き刺さり、土を舞い上げる。デルフリンガーだ。ルイズを守るように、彼女の前に立ちふさがる。

 瞬時に『テレポート』の魔法で、10メイルほど後に下がるジョゼフ。ルイズは驚くと同時に理解した。この能力で、自分を連れ去ろうとしていると。その後、学院を吹き飛ばすつもりだと。

 

 ダゴンは、デルフリンガーをジョゼフの方へ向ける。

 

「お嬢ちゃんを連れて行こうってのは、なしだぜ。とっとと住処に帰りな」

「全く……。トリステインの虚無の周りには、余の邪魔する者ばかり集まるな。どうも相性が悪いようだ。まあいい」

 

 ガリア王は忠実な使い魔の方へ向いた。

 

「ミューズ」

「はい」

「お前はガンダールヴを始末せよ。トリステインの虚無の相手は、余がやる」

「御意」

 

 エルフ姿のシェフィールドは、強くうなずく。ジョゼフはルイズへと向き直ると、口元を楽しげに緩めた。対するルイズ達。身構え、戦闘態勢に入る。

 その時、ふと背中に寒気が走った。すぐさましゃがみ込み、長い杖を後ろへ突き出す。前を向いたまま。

 

「うっ!」

 

 抑えた声が聞こえた。杖を受けたのはジョゼフだった。驚いた表情を浮かべつつ。

 

「なんだ貴様。背中に目でもついておるのか?」

「そんなもんよ」

 

 腰に杖を添え構え直すルイズ。厳しい表情を崩さない。

 どうやら『テレポート』で、ジョゼフがルイズの背後に現れたらしい。気配を察した彼女がガリア王を打った。だが、直撃したものの、ジョゼフの方もダメージを負った様子がない。苦虫を潰したように、口を強く結ぶルイズ。

 

 対するジョゼフ。かわされたというのに余裕の態度。

 

「お前が特殊な体術を身に着けているというのは聞いてはいたが、驚くべきものだ。いやはや大したものだ」

「あんたに褒められたって、嬉しくないわよ」

「フッ……。だが、何度避けようが、余はお前に一度触れればいいだけだがな」

「!」

 

 ルイズの額に冷や汗が流れる。

 ジョゼフはルイズを攫おうとしている。洗脳するために。彼女を連れ去るのは簡単だ。手でも掴み、『テレポート』で瞬間移動すればいいのだから。しかもそれは、たった一度でいい。

 対するルイズ。瞬間移動する相手に、全く触らせないという芸当をこなさないといけない。しかもその間に、『ヨルムンガント』の『火石』をなんとかしないといけない。圧倒的に不利な勝利条件だ。 

 

 するとデルフリンガーが、ルイズの前に出る。

 

「お嬢ちゃん。ここは俺に任せな」

「え!?一人で相手するっていうの?無茶言わないでよ!私もやるわ」

「虚無の担い手を守るのは、ガンダールヴの役目だぜ」

「ガンダールヴって、あんたじゃなくってダゴンの方でしょ」

「そうなんだけどな。ま、見てな。一発で終わらしてやる」

「やけに自信ありげじゃないの。分かったわ。見せてもらうわよ」

 

 デルフリンガーの言葉にルイズはうなずくと、一歩下がる。

 ダゴンはデルフリンガーを肩へと乗せる。表情は変わらないが、どこか余裕を感じられた。『ヨルムンガント』を操るシェフィールドと、虚無の担い手ジョゼフを前にして。二人に悠然と語り掛ける大剣。

 

「そう言やぁ、まだちゃんと自己紹介してなかったな。俺はデルフリンガー。インテリジェンスソードだ。ガンダールヴはこっちの魚頭さ。名前はダゴン。で、正真正銘、本物の悪魔だぜ。ハルケギニアのじゃねぇけどな」

「な!?」

 

 目を見開くシェフィールド。さすがのジョゼフも驚きを隠せない。幻想郷に悪魔が存在するのを二人共知っている。だから大剣の言葉を、戯言とは受け取らなかった。

 

「つまりだ。ただの虚無の使い魔と違うんだよ。ガンダールヴだけじゃねぇ、悪魔の力が使えるのさ。悪魔だから当然だけどな。ビダーシャルを助けた時に使った力も、この"魔"の力だぜ」

「魔の力……だと……!?」

「ああ。系統魔法でも先住魔法でも、虚無の魔法ですら防げねぇ。ついでに言うと見えもしねぇ。避けようがねぇのさ」

「!」

 

 シェフィールドには言葉がない。どう反応すべきか分からない。それはジョゼフも同じ。ハルケギニアでは、神官が説教の時に宣う悪魔の力。二人にとっては聞く耳すら持たない代物が、ここにあり、それが自分達に向けられる。

対処の術など、思いつく訳がなかった。

 

 ダゴンは何かを放つように、ゆっくりと右手を広げた。

 

「さてと、悪いがしばらく悶絶してもらおうか」

「!!」

 

 悪魔の気迫に、身構える他ない二人。そして……。

 

 何も起こらなかった。

 

「?」

 

 様子の変わらないジョゼフとシェフィールドを前に、怪訝に眉をひそめるルイズ。デルフリンガーへ声をかける。

 

「ちょっと、早くしなさいよ!何、余裕してんのよ!悪魔っぽいとか、どうでもいいから!」

「いや……その……な。もうやってんだが……」

「え!?だって、連中、何ともないじゃないの!」

 

 ルイズは以前、デルフリンガーとダゴンを罠にハメた時、ダゴンが悪魔の力を使い兵達を苦しめていたのを見た。しかしそんな様子は、ガリアの虚無の主従に全く見られない。デルフリンガーの方も妙に思いだす。

 

「おかしいな?」

 

 力を込めるが、やはり何も起こらない。ジョゼフの表情が緩んでいた。

 

「フフ……。ハッハッハッハ……。いや、少しばかり悪魔の力とやらを楽しみにしておったのだが、どうも期待外れのようだな」

「どうなってやがる……?まさか虚無の力?そんなハズはねぇ」

「余は何もしておらんぞ。あえて言うなら……」

「何だよ」

「薬を飲んだからかな。天界のさらに上の者が作った薬をな」

「……!」

 

 デルフリンガーもルイズもすぐに察する。幻想郷の有力者の一人である彼女の作る薬。どうも、悪魔の力を跳ね除ける効果もあるらしい。

 ガリア王は悠然と腕を組むと語り出した。

 

「なんでも、能力が5倍になるのだそうだ。しかも、悪魔の力すらも退けるとはな」

「……」

「さて、この能力……。まだ試しておらん。少し楽しむとするか」

「!」

 

 ルイズとデルフリンガーは神経を尖らせる。5倍の能力とはどの程度なのか、頭を巡らせる。対策を考える。だがその答が出るより先に、ジョゼフがルイズの前に現れた。咄嗟に杖で防御しようとするルイズ。しかし、二人の間に影が入った。

 直後に衝撃音。同時に土埃を上げ吹っ飛ぶものが一つ。ダゴンだった。軽く10メイルほど。蹴り飛ばされていた。悪魔が人間に。

 ルイズは思わず振り返る。

 

「デルフリンガー!」

「他人を心配する暇があるのか?」

 

 ジョゼフの手が伸びてきていた。ルイズ、思いっきりのけ反ると、低空で急加速。文字通り、飛んで下がっていった。そしてダゴンの側まで来る。

 

「大丈夫!?」

「お、心配してくれるのか?」

「う、うるさいわね!一人であいつら相手にするの、大変だからよ!」

「そりゃそうだ。で、こっちはなんともないぜ。悪魔だからな。焼かれたって死なねぇよ」

「そ、よかった」

 

 一先ず胸を撫で下ろすルイズ。しかし状況は悪化したまま。ゆっくりと立ち上がる悪魔。

 

「けど、どうするよ。悪魔としてはもう役立たずだ。それにダゴンは陸地は苦手なんだわ。いくらガンダールヴって言っても、限度がある」

 

 元々水魔であるダゴンは、地上で戦うには分が悪かった。

 視線の先にあるのは、余裕に溢れた敵二人。『カウンター』の魔法を身に着けたゴーレムを操るシェフィールドに、瞬間移動ができるジョゼフ。しかも二人共、永琳の薬を飲んでいる。

 ルイズの背に、冷たいものが這いあがってきていた。しかし考えるのを止めない。その時ふと一つ手が浮かんだ。つぶやくように話し出すルイズ。

 

「使い魔の仕事は、主を守る事でしょ」

「ん?なんだよ藪から棒に」

「守ってもらうわよ」

「どうしようってんだ?」

「『エクスプロージョン』でケリつけるわ」

 

 驚いてルイズの方を向くダゴン。ルイズは続ける。

 

「『エクスプロージョン』は破壊するだけじゃない。消滅させる力もあるわ。『火石』と『ヨルムンガント』、それに連中の身体にある永琳の薬を消すのよ」

「おいおい、そんな事できんのかよ?それに詠唱は?その間、連中が手ださないハズがねぇ」

「だから守ってって言ってんの。陸地が苦手とか、言い訳はなしよ」

「…………。いいぜ。確かにガンダールヴの仕事は、虚無の担い手を守る事だったな」

「任せたわよ」

 

 ルイズは扱う腰に構えた杖を持ち直す。棒術使いからメイジへと雰囲気が変わった。

 虚無の詠唱は長い。この作戦を成功するために、使い魔が主を守り切らなければならない。しかしルイズとデルフリンガーは、騙し合った仲な上、今こうして手を組んでいるのはやむを得ずだ。そんな信頼関係も怪しい急造ペアだが、どういう訳かルイズは収まりがいいものを感じていた。この黒い大剣を構える使い魔の背を見つつ魔法を紡ぐ姿が、あるべきもののように思えていた。

 

 

 

 



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黒子

 

 

 

 

 ゲルマニア、トリステイン国境。布陣していたゲルマニア軍が動き出していた。皇帝の命が下ったのだ。ガリアがトリステインと交戦を開始した。同盟国としてガリアを支援すると。

 司令官の号令の元、前進する北部ゲルマニア軍。まずは街道進み、クルデンホルフ公国へ向かう。クルデンホルフ公国は、形式上はトリステインに所属する。しかし密約を結んでおり、ゲルマニアに組する事となっていた。何事もなく素通りできる手筈になっている。ハズだった。

 だが国境を越えしばらく進むと、ゲルマニア軍は奇妙なものを目にした。足を止まる全軍。司令官が、副官に尋ねた。

 

「なんだあれは?一体何をしておるのだ?」

「はて……。祭のようにも見えますが」

「そんなものは、見れば分かる」

 

 司令官の言う通り。街道を埋め尽くすように出し物や、出店が出ており、人に溢れていた。まさしく祭の様相。やがてこの人の群の中から、一人、軍へ近づく姿があった。金髪ツインテールの少女。司令官の前に来ると、厳かに礼をする。

 

「これは、これはようこそいらっしゃました。聖ティンプナツの生誕祭へ」

「聖ティンプナツ?」

 

 首を傾げる司令官。聞いた事もない名前だ。それはそうだろう。そんな聖人などいないのだから。これはベアトリスが私財を全部使って作り出した、偽の祭典。ゲルマニア軍を足止めするための。

 

 ともかくゲルマニア軍にとっては、迷惑極まりない祭。露骨に不機嫌そうな司令官。

 

「聖ティンプナツだかなんだか知らんが、ただちに連中をどかせよ!だいたいなんだお前は、小娘」

「私、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフと申します」

「クルデンホルフ大公のご息女……」

「はい」

 

 堂々と答えるベアトリス。公国姫と知って、態度を改める司令官。

 

「あ~……。お父上から聞いておらんのですかな?」

「聞き及んでおります。しかしブリミル教徒として、聖人をないがしろする訳に参りません。そうですわ!皆さまも生誕を祝ってはいかがでしょうか!」

「何を言っておる!我々はこれから重要な任に……」

 

 司令官が言い終える前に、酒が振る舞われ始めた。余りの歓迎ぶりに、つい手を出してしまう兵も出てくる。軍は乱れ始めていた。

 このくだらない騒ぎのせいで、北方ゲルマニア軍はしばらく足止めを食らってしまうのだった。

 

 一方、南方のゲルマニア軍。ツェルプストー家。こちらにも進軍命令が出ていた。実はこちらがゲルマニアの主力。その先陣には、キュルケがいた。高台から全軍を見下ろしている。側には初陣となる彼女を補佐するために、副官がついていた。彼がキュルケに伝える。

 

「お嬢様。進軍の命が下りましたぞ」

「……そう」

「いよいよです。ここで戦果を上げれば、お父上のお嬢様への見方も変わるでしょう。存分にお力をお示しなさいませ」

 

 励ます副官の言葉に、キュルケは何の反応もしない。軍の方へ顔を向けたまま。すると、ふと思い出したように言い出す。

 

「そう言えば、あたし、軍隊指揮するの初めてなのよね」

「左様ですな。ですが些事は私にお任せください。お嬢様は、大局を俯瞰し指示を出していただければいいのです」

「そうはいかないわ。これでも武門の家、ツェルプストー家の者なのよ」

「存じております。ですから……」

 

 副官の言葉を無視し、キュルケは声を張り上げていた。

 

「全軍!ただちに方陣!」

 

 動揺する声があちこちから上がる。何故なら方陣とは防御の陣形だ。これから進軍しようというのに、何故防御陣形を取るのか。ともかく主家のお嬢様も命令なので、訳も分からず陣形を変える全軍。

 しばらくして陣が整うと、すぐにキュルケは次の命令を出す。

 

「全軍!二列横隊!」

 

 またもざわめく全軍。意味が分からない。これまた進軍する陣形ではない。やはり渋々命令に従う全軍。側にいた副官が慌ててふためく。

 

「一体何をされているのですか!?」

「兵隊の動きを感じたいのよ。肌でね。それくらいじゃないと、軍隊なんて自在に動かせないわ」

「ですが今はそのような時では……」

「ここの指揮官は誰?あたしよ!」

 

 突然、怒鳴り散らすキュルケ。あまりの剣幕に、副官は黙り込んでしまう。

 それから軍事訓練のような、奇妙な動きが繰り返された。しかもここは最前線で、進軍命令も出ているというのに。ともかくゲルマニア軍主力の先陣、ツェルプストー家が全く前進しないので、後続も動く事ができなかった。

 

 

 

 

 

 ガリア軍迫る国境から遥か奥地のトリステイン魔法学院。そこでは別の戦いが始まっていた。ある意味、トリステイン王国を左右する戦いが。

 

 突如現れたエルフと特殊ゴーレムの前に、教官と生徒達は一時校舎内奥へと退避。だがこのエルフの正体はシェフィールドだった。さらにガリア王ジョゼフまでもが現れた。彼らの目的は、『火石』により学院ごと幻想郷への転送陣を吹き飛ばす事。その前に立ちふさがったのがルイズ。そして突然乱入してきたダゴンとデルフリンガーだった。

 

 ルイズとデルフリンガー達は、一旦、ジョゼフ達と距離を離す。ダゴンとデルフリンガーが前に、その後にルイズという位置を取った。そしてすぐさま、ルイズは詠唱を始める。『エクスプロージョン』で『火石』を消し去るために。

 

 ジョゼフ、すぐに彼女達の狙いに気付く。

 

「なんとも面白味のない手を考えたものだ。最初の光の弾といい、先ほどの体術といい、お前は多芸なのではなかったのか?だと言うのに、メイジらしく魔法に頼るとは。では、もう楽しみはここまでだな。ミューズ。やるぞ」

「御意」

 

 突然走り出した『ヨルムンガント』。地響きを立て、ルイズ達に迫る。それはゴーレムである事を忘れさせるほど、素早い動き。

 巨人は腰に差した剣を抜き、剣の腹で地面を薙いだ。まるで部屋の埃を履くように。だがルイズ達にとっては、山崩れが迫ってきているかのごとく。デルフリンガーが舌を打つ。

 

「チッ!」

 

 ルイズを抱えると、真上にジャンプ。彼の足元を巨大な剣が通り過ぎる。ギリギリ回避成功。ただ抱きかかえられた少女はこんな状況でも、一心不乱に詠唱を続けていた。もはや腹を括っているルイズ。

 とりあえず安堵のデルフリンガー。その時、背後から声がした。

 

「陸の上の魚にしては、素早いな」

 

 ダゴンの胸から剣が飛び出す。ジョゼフの剣が、悪魔の体を貫く。

 

「クソッ!」

 

 すかさず前に跳ね、剣を抜くダゴン。そのまま振り返る。だがジョゼフの姿は、影も形もなかった。『テレポート』で瞬時に移動していた。

 刺された場所は胸の中央。人間なら即死だ。しかし悪魔に苦しんでいる様子はない。傷もあっという間に塞がった。ガリア王は、その様子を楽しげに眺める。

 

「ほう、あの傷で死なんとは。さすがは本物の悪魔だ」

「串刺しにしても焼いても死なないぜ。ミンチにでもするかい?」

「ではそうしよう」

 

 彼女達を巨大な影が覆う。ルイズとデルフリンガーが見上げた先、ヨルムンガントの拳が下りてきていた。悪魔はルイズを放り投げる。

 拳が地につく。土煙を舞い上げる。

 

「デルフリンガー!」

 

 宙へと放り出されつつも叫ぶルイズ。拳は正確にダゴンを狙っていた。彼の咄嗟の判断のおかげで彼女は無傷だが、残されたダゴンとデルフリンガーは大丈夫なのか。しかし、そんな彼女の不安を他所に、土煙の中から軽い口調が出てくる。

 

「あんなもん当たるかよ。いいから、呪文続けろ!」

「え、あ、うん!」

 

 強くうなずくルイズ。その声はどこか嬉しげ。

 

 ガンダールヴは武器を使いこなすだけではなく、身体能力も上がる。水魔のダゴンでも、地上でかなり素早い動きができた。ヨルムンガントが速いと言っても、あくまでゴーレムとしてだ。ダゴンにとってかわすのは、苦ではない。

 しかし、ジョゼフ達は止まらない。離れてしまった二人を襲う。ジョゼフがルイズを、シェフィールドがダゴンとデルフリンガーを。常にルイズの死角へ出現するジョゼフ。なんとか彼女を守ろうとするダゴンを、シェフィールドが叩き潰そうとする。

 しばらくして、二人は壁際へと追い詰められていた。

 

 ダゴンはルイズを背に、ジョゼフ達へとデルフリンガーを構える。インテリジェンスソードは少し焦り気味に、ルイズに聞いてきた。

 

「呪文は?」

「終わってないわ。しつこいもんだから、途切れ途切れになっちゃって」

「なら、まだまだ踏ん張らねぇと……。あ!そっか!」

「何よ」

「いい手があるぜ」

 

 不敵に答えるデルフリンガー。空を見ながら。

 

 一方のジョゼフ達。優位に戦ってはいるが、決めきれない。しかも時間が経つほど、彼らの方が不利になる。ルイズの詠唱は、確実に刻まれているのだから。ガリア王の顔つきが厳しくなる。

 

「そろそろ終わりにするぞ」

「はい」

 

 シェフィールドがうなずくと同時に、二人は動きだした。しかし、攻撃を見事に避けるルイズ達。そして避けた先は……空中だった。晴れ渡った空から、デルフリンガーの勝ち誇った声が響く。

 

「あんたら飛べなかったよな。ここなら手出しできねぇだろ?」

 

 50メイル程上空にいる虚無の担い手と使い魔。ダゴンはルイズを抱え飛んだのだ。この悪魔は幻想郷の人妖ほど巧みではないが、飛ぶ事ができる。対するジョゼフ達は、飛べず、飛び道具もない。いくらヨルムンガントが大きいと言っても、20メイル。ジャンプしてもかすりもしない高さだ。

 

 安全地帯で余裕を見せるルイズ達。シェフィールドが歯ぎしりをしながら睨みつける。だがジョゼフの方は、何故か呆れていた。

 

「バカな連中だ」

 

 短い詠唱の後、杖を軽く振う。

 

 空で爆発が起こった。『エクスプロージョン』のものが。だがそれは小さな爆発。せいぜいネズミに怪我させるのが、精いっぱいの爆発。しかし、ルイズ達には致命傷だった。

 

「あ……!」

「な……!」

 

 折れていた。ルイズの杖が。

 系統魔法も虚無の魔法も、杖がなければ発動しない。ジョゼフは、ルイズ達が動きを止めた隙を逃さなかった。彼の『エクスプロージョン』はルイズのものに遠く及ばないが、杖を折る程度なら造作もない。

 

 茫然と身を固め、棒きれとなった杖を見つめるルイズとデルフリンガー。最大で最後の決め手がなくなった。『エクスプロージョン』を唱えることが。もはやジョゼフ達の思惑を止める術がない。

 その時、背後に気配。

 

「!?」

「胸を貫かれても死なぬなら、これはどうだ!」

 

 またもジョゼフ。しかも空中への瞬間移動。彼はすかさず、剣を振り下ろす。今度は悪魔の頭頂部へと。重力に任せ、剣は尾の先へと到達する。文字通り真っ二つ、二枚に下ろされるダゴン。青髭の偉丈夫は薄笑いを浮かべ、フッと消えた。

 

 ダゴンはこんな状態でも生きている。さすがは悪魔。しかし生きてはいるが、大きくバランスを崩した。そしてルイズを放してしまった。

 

「しまった!」

「えっ!?」

 

 空を飛んでいた二人。放り出されたルイズは、大地へと落下。しかし慌てない虚無の少女。何故なら空を飛ぶなど、今の彼女には日常と言ってもいいのだから。杖を強く握りしめ、浮こうとする。

 だが、何故か飛べない。落ちる。

 

「えっ!?なんで!?」

 

 ルイズは気付いた。杖が折れていたのだと。今までルイズが自在に飛べていたのは、リリカルステッキのおかげだ。この杖が虚無の力を変換し、弾幕を撃ったり空を飛べる力を与えていたのだ。今の彼女は、ただの無力な少女にすぎなかった。急に血の気が引いていく。

 

「ちょ、ちょっと、待ってよ!」

 

 精いっぱい手を伸ばすルイズ。だがその先にいるダゴンは、体を再生している最中。動くことすらできない。もはや全ては終わりか。

 

 落ちるルイズの下では、ジョゼフが待ち構えていた。余裕の笑みを浮かべ。

 

「全く、手間をかけさせよって」

 

 これで策は完遂される。ジョゼフもシェフィールドもそう確信していた。

 

 だが……不意に消えた。ルイズが。いや、正確には何かにかすめ取られた。そう見えた。確かに、高速の何かが通り過ぎた。二人の前を。

 

「何!?」

 

 唖然としたまま身動きできない二人。その何かを目で追う。それはロケットのように天高く上がっていく。やがて反転し止まるそれ。ジョゼフとシェフィールドの目に映ったのは、箒に乗っている黒い大きな帽子を被った少女だった。

 

「ヤバかったな」

 

 普通の魔法使い、霧雨魔理沙。ルイズが見上げた先に、馴染の顔があった。

 

「魔理沙……」

「ちょっと、後ろ乗ってくれ。邪魔なんだよ」

「え?あ?うん……。その……ありがとう。助かったわ。魔理沙……来てくれたんだ……」

「来たの私だけじゃないぜ」

「え?」

 

 ちびっこピンクブロンドはふと辺りを見回した。いつもの顔ぶれが目に入る。アリスに天子に衣玖。思わず顔を綻ばせるルイズ。だがふと、大きな心配事が脳裏を過る。慌てて振り返る。

 

「そうだ!ガリア軍は?みんなここに来て大丈夫なの!?」

「もちろん、仕事はこなしたぜ」

 

 白黒の自信ありげな表情がそこにあった。ルイズが何度も見た顔が。

 

 

 

 ラ・ロシェール近郊。ガリア、トリステイン国境。両用艦隊とトリステイン艦隊が会戦しようとしていた現場。そこに季節外れどころか、ハルケギニアではまず見ない嵐が現れていた。台風が。天子の仕業だ。

 すさまじい暴風雨が、ふたつの艦隊を濁流に押し流される木の葉のように、引っ掻き回す。帆は破れ、艦によってはマストも折れ、とても戦争どころではない。両艦隊はこの嵐から逃げ出すだけで精一杯だった。

 

 トリステイン南部。ガリア本陣に担架が並んでいた。寝ていたのは総司令官も含む将軍たち。晴れた空に突然の落雷が落ちたのだ。それがどういう訳か、ピンポントで将軍達を直撃。指揮官不在となったガリア軍は前進できなくなり、留まる他なかった。衣玖の仕事である。

 

 トリステイン東部。ヴァリエール家が配属された国境。そこでヴァリエール公爵とカリーヌは呆気に取られていた。目の前の現状に。実は前進し始めたガリア軍を極太な閃光が襲い、一気に薙いでしまったのだ。得体のしれない攻撃で、出鼻をくじかれたガリア軍は後退。彼らはこれを虚無の魔法と勘違い。そのまま戦線はにらみ合いに戻る。一方、カリーヌ達は魔理沙の仕業と分かっていた。感謝しつつも、なんとも収まりの悪いものがあるのを否定できなかった。

 

 ゲルマニア軍の足も止まっている現在。トリステインは一瞬の空白が生まれたかのように、戦の気配が消えていた。ここ、トリステイン魔法学院を除いて。

 

 

 

 ルイズの側に他のメンツ、アリス、天子、衣玖が寄ってきた。さっそく人形遣いが話を始める。

 

「戦争が始まっちゃったから、ガリア王が学院に来るって話も、もしかしたらと思ってね。もしそうなら、こっちでケリ付けた方が、手間がかからないと思ったのよ」

「手間がかからないって……。あんた達らしいわ」

 

 トリステイン存亡を決めるかもしれないこの場で、ルイズ、少々呆れ、笑いが自然と零れてくる。ここに来た理由が、学院が心配になったからではなく、手間がかからないからとは。この連中といると、決戦と言える戦いもいつものバカ騒ぎのような気になる。

 ルイズの様子に、アリスも少しばかり表情を緩めていた。だが、すぐに引き締め直す。

 

「戦争は止まってるけど、長くは持たないわ。さっさとケリをつけましょ」

「うん!」

 

 強くうなずいたルイズ。そこにまた近づく影。ダゴンとデルフリンガーだ。ようやく再生が終わったらしい。

 

「やる前に、忠告だ」

「お前、来てたのかよ」

 

 魔理沙が不機嫌そうな返事が出てくる。するとダゴンは宥めるように手を広げた。デルフリンガーも抑えた口ぶり。

 

「そうイライラすんな。今は一応味方だぜ。でだ、あいつらだがな……」

 

 インテリジェンスソードはジョゼフとシェフィールドについて話し出す。シェフィールドがエルフに化けている事、ヨルムンガントが反射の魔法の鎧を身に着けている事。永琳の薬を飲んでいる事。そして火石。一通りの話を聞いた魔理沙達は、少々難しい顔つき。

 

「永琳の薬に火石だ?厄介なもん持ってきやがって。って言うか、警告した時に何で言わなかったんだよ」

「後で分かったんだよ。お前ら、俺達を捕まえようとしてたろ?気軽に会えねぇじゃねぇか」

「なんかあったろ」

 

 納得しながらも文句を止めない白黒。力を合わせて戦おうというのに、つまらないゴタゴタを始める二人。ルイズはうんざりして一言いおうしたが、不意に天子が口を開いた。緊張感のない態度で。

 

「簡単じゃないの。要はガリアの王とかいうのを、ふん縛っちゃえばいいだけでしょ」

「…………。そりゃぁ、そうなんだが」

 

 デルフリンガー絶句気味。あまりにストレートな答に。最終目的を果たせば、全て解決という訳だ。当たり前だが。衣玖も淡々と同意。

 

「総領娘様の言われる通りですね。では、さっさと始末を付けてしまいましょう」

「そうね。この騒ぎも終わりにしましょ」

 

 アリスもうなずいた。魔理沙もすぐに気持ちを切り替える。そしてルイズを指さした。

 

「アリス、ルイズ頼むぜ。デルフリンガーもな。一応、使い魔なんだろ?」

「まあな」

「んじゃ、行くぜ」

 

 魔理沙はルイズをアリス達に預け、軽く出発の挨拶。すると魔法使いは箒を握り直し、ジョゼフ達へとすっ飛んで行った。

 

 人妖達の初手は衣玖から。

 響く、轟音。上空に停止したまま雷撃を放つ。ターゲットはもちろんジョゼフ。瞬間移動ができる彼でも、避けられるものではない。しかし直撃せず。彼の上には、ヨルムンガントの腕が伸びていた。衣玖の能力を知っているシェフィールドが察し、動いたのだ。

 雷撃は『カウンター』の魔法で反転。衣玖に直撃するが、全く効果なし。雷の申し子でもある竜宮の使いには、むしろご褒美。

 

 なんとか攻撃をかわしたジョゼフ。だが、彼を狙う別の影。魔理沙が超低空飛行で接近。

 

「もらった!恋符『マスタースパーク』!」

 

 八卦炉から極太レーザー発射。

 しかしジョゼフ。近づいて来る魔理沙を、先に発見。瞬間移動し、マスタースパークをかわす。しかも彼女の背後へ現れた。だが、高速で飛び回っている白黒。ガリア王が剣を向けた時には、もう届かない場所にいた。

 

「おのれ」

「おのれはいいから」

 

 突然、脇から声が聞こえた。振り向いた先にいたのは非想非非想天の娘。ジョゼフは咄嗟に、剣を振るう。強化された能力一杯の力で。

 だが剣は、あっさりと天子に防がれた。いや、素手で掴まれていた。そして握りつぶす。ぐにゃりとひしゃげる剣。

 

「なっ!」

 

 シェフィールドから話は聞いていたが、それでも驚きは隠せない。これが天使かと。これで止まる訳ない天子。拳を振り下ろす。

 地面が弾け飛ぶ。直撃すれば、並の人間なら風穴があくほどの膂力。だがジョゼフは咄嗟に瞬間移動し、ヨルムンガントの影に隠れた。

 

「陛下に手出しはさせない!」

 

 シェフィールドは怒りの形相で叫ぶ。ヨルムンガントで、天子を蹴り飛ばした。

 大砲から打ち出されたかのようにすっ飛び、壁へ直撃。確かに手ごたえはあった。だが、慎重に見極めようとするミョズニトニルン。

 

「やったか?」

「こっちでふっ飛ばされたの初めてだわ。なかなかやるじゃないの」

 

 舞い上がる土埃の中から、姿を現す天人。明らかにノーダーメージ。憎らしい程の余裕を感じる。十分わかっているハズだが、あらためて異界の存在なのだと噛みしめるシェフィールド。

 

「化物め……」

 

 突如、シェフィールドの背後で轟音。振り返ると、ジョゼフが膝をついていた。

 

「陛下!」

 

 衣玖の雷撃が直撃。慌てて、主の守りへと入る使い魔。ジョゼフは苦しそうにしているが、大きな怪我はないようだ。永琳の薬のおかげか。使い魔は胸を撫で下ろすと同時に、攻撃した相手を強く睨みつける。もっとも当の衣玖の方は、意に介さず。厄介そうに唸るだけ。

 

「これで意識があるとは。なかなか加減が難しいですね」

 

 ジョゼフを捕まえるには気絶させるのが一番。つまりは殺さず生かさずの状態。しかし普通の人間とは違い、彼は強化されているため力の調整が必要。その程度が分からなかった。

 再び魔理沙が、ジョゼフに急接近。

 

「何度も試せばいいだけだぜ!」

「させるか!」

 

 ヨルムンガントの巨大な腕が、箒の魔法使いに向かっていく。しかし、あざ笑うような魔理沙の動き。腕を舐めるように避けていく。

 

「こんなもん当たるかよ!芸がなさすぎだぜ!」

「くっ!」

 

 避ける事に関しては、ハルケギニアでは並ぶ者のない幻想郷の人妖達。力はあるが動きが単調なヨルムンガントでは、捕らえるのはかなり厳しい。

 魔理沙はジョゼフに迫る。彼はまたも瞬間移動。だが今度は魔理沙の背後ではない。真正面だった。突撃してくる魔理沙へ、体当たりを狙う。強化された体にものを言わせた、強引な手。

 

「鬱陶しいハエめ!」

 

 だが白黒。これを読んでいた。

 

「ビンゴだぜ!魔空『アステロイドベルト』!」

 

 スペルカード発動。

 魔理沙の周囲に星形弾幕が一斉に発生。至近距離にいたジョゼフを、弾幕の群が襲う。それはクレイモア地雷を、至近距離で受けたかのよう。

 

「ぐおっ!」

 

 ガリア王は『テレポート』を使う余裕もなく、落ちていく。

 ジョゼフの瞬間移動は脅威の能力だが、一つ問題があった。彼自身は、接近しないと攻撃ができないのだ。だが幻想郷の人妖が使う弾幕は、系統魔法などと違い、周囲360度に一斉に発生させられる。至近距離ではかわす隙間もない。

 

「陛下!」

 

 落ちる主を、使い魔が助けなんとか地面への直撃は避けた。しかし、ダメージは少なくない。いくら強化された体と言っても。

 

 ジョゼフを支え、シェフィールドは飛び回るヨーカイ達は睨みつける。しかし、ハエのごとくに飛び回る連中の前では、自慢のヨルムンガントも木偶の坊。エルフですら圧倒された能力、数も相手の方が多い。明らかに分が悪い。焦りが湧き上る。退却するしかないのか。そんな考えすらも浮かんでいた。

 

 一方、ガリアの虚無の担い手は使い魔に支えられながら、じっと空を見上げていた。彼はまだあきらめていない。こんな状況下でも。何事もどこか身の入っていない王に、執念のようなものがあった。この先に、弟シャルルへと繋がる道が開けるからだろうか。

 ルイズを凝視するジョゼフ。彼女はダゴンに抱えられ、その周りにはアリスと人形たちが槍襖のように立ちふさがっている。はやり周囲には入り込むような隙間はない。『テレポート』を使っても、彼女を捕らえるのは無理だ。さらに弾幕が放たれる可能性を考えるとなおさらだ。

 青髭の偉丈夫の口元が、不機嫌そうに歪む。

 

「ミューズ。忌々しいが、賭けに出るぞ」

「……分かりました」

 

 うなずく使い魔。

 主従はわずかな言葉を交わした後、シェフィールドが何故かジョゼフに抱き着いた。そして二人はヨルムンガントの肩に飛び乗る。

 それを見た魔理沙は急旋回。ヨルムンガントの肩にポツンと立つ二人は、まるで射的の的のごとく。白黒は照準を定める。

 

「狙ってくれってか?」

 

 口の端を吊り上げ、八卦炉を構えた。同じく衣玖も、雷撃発射準備に入る。

 

「もう一発!恋符『マスタースパーク』!」

「雷符『エレキテルの龍宮』」

 

 極太レーザーと多重雷撃の合わせ技が炸裂。

 だが……攻撃は当たらなかった。消えていた。的が。突然。しかも二人だけではない。ヨルムンガントごと。一瞬、逃げたかと思う彼女達。しかし、そんな彼女達の視界に黒いものが入る。影が。上を見上げる一同。

 

 ヨルムンガントが飛んでいた。いや、落ちてきていた。ジョゼフは『テレポート』で、巨大ゴーレムごと移動したのだ。その行先は、ルイズ達の直上。しかもわずか2、3メイル上。

 

 真上を見上げ、目を一杯に開くルイズ達。青い顔で。

 

「ちょ!?」

「何考えて……」

「おい!」

 

 気づいたときには遅かった。避ける余裕などない。アリスとダゴンは落ちてくるヨルムンガントを、なんとか止めようとする。アリスの人形たちが槍を突き立て、ダゴンはデルフリンガーでゴーレムを押し上げようとする。

 だが通用せず。『カウンター』の魔法がかかっている鎧は、全てを反射した。落ちるヨルムンガントを防ぐ手立てはない。そして同時に、ルイズを守っていた妖怪と悪魔が、彼女から離れてしまっていた。

 

「かかった!」

 

 ジョゼフは思わず口に出す。これが彼の狙い。全ては、ルイズからヨーカイと悪魔を切り離すために。後は、『テレポート』でルイズの側まで飛び、彼女の手を掴めば決着はつく。

 

「ミューズ。離すなよ。連続で飛ぶぞ」

「はい!」

 

 シェフィールドは歓喜の声で答える。勝利が間近な事、そして何よりも、主と共にある事に。

 だが……。

 

「ぐふっ!」

「がっ!」

 

 ジョゼフとシェフィールドの口から飛び出したのは、勝利の凱歌ではなく嗚咽。腹部に強烈な痛みが走る。スレッジハンマーで殴られたかのような。実際そうだった。二人を巨大な柱が突き上げていた。もし永琳の薬を飲んでいなければ、そのままミンチになっていただろう。

 しかもそれだけではない。落ちていたヨルムンガントが宙で止まっていた。止められていた。こちらも巨大な柱によって。

 一方、落ちていたルイズは抱き留められていた。使い魔に。

 

「全く、役に立たないんだから。魚モドキは。あんなんじゃ、使い魔とか言えないでしょ」

「天子……」

 

 ルイズを助けたのは、もう一人の使い魔、比那名居天子。天子の自慢げな顔がある。癪に障るが、ルイズは一応礼。

 

「あ、ありがとう。その……珍しく、使い魔らしい事したわね」

「ま、やる気になれば、こんなもんよ。やっぱり天人様と悪魔じゃ、格が違うからねー」

「あんたってヤツは、全く……」

 

 苦笑いのルイズ。使い魔の立場を嫌がっていたくせに、こんな所でダゴンに対抗心を出すとは。

 

 ルイズと天子は地面の上に下りると、上を見上げる。巨大な数本の柱がヨルムンガントを支え、ジョゼフとシェフィールドはその内の一本で、ヨルムンガントに押し付けられていた。全く動かない所を見ると、どうも二人は気絶したらしい。この柱、天子のスペルカード、乾坤『荒々しくも母なる大地よ』だ。

 ルイズがふと尋ねてきた。

 

「あの柱、跳ね返されてないけど、"反射"の魔法効かない術なの?」

「さあ?なんでかな?」

 

 肩をすくめる天子。よく分からないで能力を使ったのかと、呆れる主。代わりに答えたのはデルフリンガー。

 

「さすがの『カウンター』の魔法も、大地は跳ね返せねぇのさ。この柱は地面から生えてるからな」

「なるほどね」

「それはそうと、連中が目覚ます前に方付けちまおうぜ」

「うん」

 

 強くうなずくと同時に、ルイズは確信を持った。全て終わったと。これで学院もトリステインも救われると。ここにいる皆のおかげだ。自分を散々騙したデルフリンガーにすら、感謝の気持ちで一杯だった。

 

 だが、ジョゼフは意識を戻していた。わずかに開いた瞼から見えるのは、身動き一つしないヨルムンガントと気絶したままのシェフィールド。地面にいるヨーカイ達。しかも連中は、最後の仕上げに入ろうとしていた。

 このままでは何もかもが終わりだ。だが分かってはいても、彼にもはやこれ以上の戦闘は不可能だった。身体が思うように動かない。5倍の能力を持った体が。それほどの衝撃を受けていた。

 ガリアの虚無の担い手はポツリと言う。

 

「やむを得ん……」

 

 杖を残った力で強く握る。そして詠唱を開始。やがて辛うじて動く手で杖を振った。最後の切り札を発動させるために。

 

 光が現れた。

 

 目を潰さんばかりの強烈な光が。ヨルムンガントから。

 

 『火石』。

 

 それが秘めた力を解放した。

 

 「え!?」

 

 見上げるルイズの目に映るのは、すさまじい勢いで大きくなる光。全てを破壊する光。彼女の頭にある全てが走り出す。

 

(いけない!)

(いけない!)

(いけない!)

(みんな死んじゃう!)

(みんなを守らないと!)

 

 迫る光球を前に、虚無の担い手は何故か手に力を込めていた。折れた杖を持ったままの右手に。

 

「!」

 

 脳裏に一つの光が灯る。それに気づいた。杖は折れていないと。リリカルステッキは、元々ルイズの杖を内蔵して使うものだ。折れたのはリリカルステッキだけで、杖そのものではない。つまり魔法はまだ使える。そして思いつく。『エクスプロージョン』をぶつけ、『火石』の爆発を消滅させられないかと。詠唱は完全ではないが途中までは終わっている。虚無の魔法が使えない訳ではない。十分かどうかは分からないが、今はそれに賭けるしかない。

 ルイズは掛け声と共に杖を振った。

 

「エクスプロージョン!」

 

 トリステイン魔法学院に、巨大な二つの光の球が現れた。二つの球はやがて一つとなり、学院を全て包み込んだ。

 

 

 

 

 

 学院から離れた林の中に、二人の人物の姿があった。ジョゼフとシェフィールドだ。火石を破裂させた直後に、『テレポート』で瞬間移動したのだった。ジョゼフは学院の方をじっと見つめる。手ごたえはあったが、確認まではしていない。戻って確かめようにも、万が一に失敗していた場合、戦う術がない。

 するとシェフィールドが意識を取り戻す。

 

「陛下……。ここは……?戦いはどうなったのです?」

「火石を使った。他に手がなかったのでな」

「……そうですか」

「一旦、戻るぞ。後の事はそれからだ」

「はい……」

 

 やがて二人は、この場から姿を消す。『テレポート』を使い。

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 ルイズはふと目を覚ました。気づくと、やけに固いものの上に寝ている。どうも木の床らしい。そしてかすかに匂う水の香り。耳に入る水の音。

 やけに体が重い。突き落とされたような感覚が体中にある。だがなんとか身を起こす。四つん這いで見下ろした先に床がある。ただ変だ。木の床には違いないが、継ぎ目に隙間が全くない。しかも大理石かのように、表面がすべすべしている。一方で木の香りはしない。こんな床は見たことがない。王宮ですら。得体のしれない居心地の悪さに襲われる。

 だがそんな事よりも、だいたい何故こんな所に寝ていたのか。『火石』の爆発はどうなったのか。学院は天子達はどうなったのか。何も出てこない。覚えていない。

 ルイズは困惑したまま、ゆっくりと立ち上がる。そして辺りを見回した。

 

「何これ……?」

 

 目に入ったのはいくつもの水槽。さっき水の音はこれかと理解する。さらに視線を流すルイズ。どうもここは部屋らしいが、何かおかしい。見たこともないものがいくつもある。だがそれ以前に、ここから感じる雰囲気。それが違う。決定的に。平民の家とも、貴族の家とも、寺院とも、そして幻想郷のものとも。

 

「どこよ……ここ……?」

 

 茫然と立ち尽くし、ただただ部屋中を眺めていく。するとふと気づいた。一つの椅子に。そこに誰かが背を向け座っている事に。ルイズはためらいつつも、話しかけようとした。だが先に声が届いた。座っている主から。

 

「ごめん。ダメかもしれねぇ。けど最後やってみるよ。もしかしたら……」

「えっ!?あんた……!」

 

 その言葉がルイズの口先から出ようとしていた。だが何故か、それが出てくる事はなかった。

 

 

 

 

 

 穴が空いていた。学び舎があった場所に。トリステイン魔法学院と呼ばれていたそれがあった場所に。今は全ては消え失せていた。その痕跡は欠片も残っていない。あるのは穴だけだった。

 だがその穴は奇妙だった。地面をえぐったような穴ではなく、床が抜けたような穴だった。あえて言えば、二階の床に穴が空き、一階が見えている。そんな穴だった。だが一階に見えていたものは、それ以上に奇妙だった。全長数百メイルはあろうかという水槽が、いくつもあったのだ。

 そんななんとも言い難い光景を、空から見下ろしている姿が一つ。悪魔とインテリジェンスソード、ダゴンとデルフリンガーだ。

 

「おいおいちょっと待てよ……。どうすんだよこれ……。マズイだろ」

 

 彼の声には、見えているものへの違和感が微塵もない。むしろあるのは、見えてしまっている事への動揺。インテリジェンスソードは、明らかに戸惑っていた。

 

「あら。こっちから向こうは、こんなふうに見えるのね」

 

 不意に声がした、デルフリンガー達の後から。弾けるように振り返るダゴン。そこにあったのは見知った顔。

 

「久しぶりね。デルフリンガー」

「……。パチュリー・ノーレッジ……」

 

 七曜の魔女。パチュリーがそこいた。相変わらずの眠そうな表情で。ただその瞳は、好奇心に輝いていたが。彼女は探るように穴を覗き込む。

 デルフリンガーは無理に吐き出すように、問いかけた。

 

「お前……どうやって……。転送陣はなくなったハズじゃぁ……」

「必要ないわよ。もう自由にここと幻想郷行き来できるわ」

「なんだって?」

「つまり、ハルケギニアがどこだか分かったって事よ」

「……」

 

 言葉を返せないデルフリンガー。パチュリーは向き直ると、インテリジェンスソードに構わず話を進める。

 

「さてと、頼みがあるのよ」

「……なんだよ」

「紹介して欲しい相手がいるの」

「……」

「あなたの相方、黒子……。いえ、もうこの呼び方しなくてもいいわね」

「……」

 

 デルフリンガーの脳裏に、最悪の予感が湧き上がってきた。そして魔女はそれを言葉にする。

 

「平賀才人。あなたの相棒に会わせてもらえないかしら」

 

 パチュリーは変わらぬ淡々とした口調で、そう言った。

 

 

 

 



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「うわっ!?」

 

 ロマリア市内。ワルドは人通りの多い往来で、らしくない大声を張り上げ馬から転げ落ちた。幸い、大した怪我はしてない。ただせっかくの礼服が少々汚れてしまったが。しかし今、ワルドの頭にあるのはそんなものではない。彼が馬から落ちた理由だった。

 

「凄まじい地震だったが……」

 

 言葉通り地震があった。それも、大地をひっくり返すのではという程の。その地震によって彼は、馬ごと放り投げられたのだ。しかしほぼ無傷。これも始祖ブリミルのご加護と、彼は信じて疑わなかった。

 

 ワルドは汚れを軽く落とすと、再び馬に乗ろうとする。その時、奇妙なものが目に入った。

 

「ん?どういう事だ?」

 

 見えていたのはロマリアの町の風景。いつもと変わりない。そう、変わりなかった。あれほどの大地震が起こったというのに、家が崩れるどころか、窓ガラスも割れていない。騒ぐ者すらいない。

 

「バカな……」

 

 馬の鞍に手を添えたまま、身を固めるワルド。見えるものが信じられない。確かに大地震があったはずだ。だがその痕跡は、欠片もない。では自分の錯覚だったのか。珍しく落馬したので、地震と勘違いしたのか。

 髭を弄りつつ考え込む。だがすぐに答えは出た。

 

「まあいい」

 

 地震が錯覚だろうがなんだろうが、なかったならそれでいい。今は彼は重要な任務を帯びているのだから。最優先するべきはそれだ。気を取り直すワルド。馬に乗り、先に進む。

 

 彼の重要な任務とは、トリステイン、ガリアの戦争をなんとしても止める事。主君ティファニア・モードを守るために。彼女は友人のためと言い、トリステインにいる。このままでは戦火に巻き込まれかねない。この緊急事態に、アルビオンは教皇へ戦争の仲裁を依頼する事とした。そこで宗教庁とは関係の深いワルドが、遣わされた訳だ。

 

 ワルドはフォルサテ大聖堂の正門まで来る。何度も潜ったこの門。聖戦実現のため、ジュリオと共にハルケギニア中を駆け回った記憶が蘇る。

 アルビオン外相として、姿勢を正し馬を進めるワルド。毅然と門を潜ろうとする。もはや顔なじみの門番達に、軽く挨拶をしつつ。

 だが彼の行く手を阻むものがあった。門番の槍が、目の前で交差されていた。門番が厳しい声で、問いかける。

 

「おい!お前!何を平然と通ろうとしている。この不届き者めが」

「!?」

 

 唖然とするワルド。

 今の彼は、ほぼ顔パスと言っていい程の存在のはずだ。それがどういう訳か、行く手を遮られた。しかもこの問い詰めている門番は、良く知っている相手。

 ワルドは、そのまま怒りを口にする。

 

「それはこっちの台詞だ!貴様こそなんのつもりだ。私を見忘れたか!」

「お前など知らん!」

「な……!?貴様……。私は、アルビオン外相、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド侯爵だぞ!」

「アルビオン外相?」

 

 不思議そうに同じ言葉を返す門番。しばらくして大笑い出した。彼だけではない、他の門番達も。ワルドには訳が分からない。何か笑われるような事を言っただろうか。

 門番は呆れつつ話す。

 

「いやぁ、もしかして詐欺師か何かか?お前は。それにしてもアルビオン外相はないぞ。いくら化けるにしてもな」

 

 再び笑い出す門番達。さすがにここまでバカにされ、黙っているワルドではない。杖を抜く。

 

「貴様!この私を愚弄するか!」

「!」

 

 門番達の目の色が変わった。当然だ。相手が戦闘態勢に入ったのだから。しかし、一人の門番が双方の間に入る。

 

「待て待て。そういきり立つな」

 

 双方は渋々戦意を収める。そして仲介に入った門番が、ワルドに話し出した。

 

「あなたが何者かは知らんが、いずれにしても正式な手続きなしではここを通す訳にはいかない」

「だが私は……」

「正式な書類を揃え、また来る事だ」

「ぐ……。分かった。だが覚悟しておくがいい!貴様ら全員、後に厳しい叱責があるとな!」

 

 捨て台詞を吐くワルド。すぐに馬首を返すと、来た道を戻っていく。愚痴をこぼしながら。

 

 町中を進みアルビオン大使館を目指す。大使館はテューダー朝時代のものと同じだった。テューダー朝滅亡後、一時閉鎖されていたが、モード朝成立後にあらためて開設されたのだった。

 やがて大使館の裏に到着する。あれからほどほど時間が経ったが、それでも怒りは収まらない。ヴィットーリオに謁見したら、真っ先に門番について言わずにはおれないという気分だった。

 

 厩舎へと向かうワルド。だが違和感が彼を襲う。どこか大使館の様子がおかしい。眉をひそめる髭の侯爵。

 そして厩舎の入り口のまで来た。

 

「どういう事だ?」

 

 中に入れなかった。何故か厩舎の門は閉じられ、鍵がかかっていた。それだけではない。出てくる時には、忙しく馬の世話をしていた馬丁達が、気配すらない。

 ワルドは馬から降りると、声を上げる。

 

「おい!門を開けろ!何故閉じた!」

 

 しかし、返事は戻ってこなかった。

 

「一体なんなのだ!」

 

 苛立ち紛れに門を一発叩く。ワルドは一旦、馬の手近な場所に結び付け、大使館入り口へと向かった。それにしてもこうも不快な事が続くと、八つ当たりしたい気分だ。おそらく厩舎を閉じた、馬丁達が餌食になるだろうが。

 やがて大使館入り口へとたどり着く。だがワルドはそこで動かなくなった。顔を凍り付かせて。

 

「な……!?」

 

 彼に見えていたのは、鎖が巻きつけられ閉ざされた大使館の入り口。しかもそれだけではない。鎖には木札がぶら下がっていた。そこにはこう書かれている。

(宗教庁管轄につき、許可なく立ち入りを禁ずる)

 

「なんだこれは!?」

 

 訳が分からない。溜まった苛立ちを吐き出すように、木札を引きちぎる。そして『ブレイド』の魔法で、鎖を断ち切った。強引に大使館に入るワルド。

 

「……!」

 

 何の言葉も出てこなかった。大使館内の有様を目にして。

 中の様子を一言で表すなら空き家。そうとしか思えない。もう長らく使っていなかったかのように、床には埃が積もっている。

 ここを出た時には、自分へ敬意を持って見送った職員達がいた。確かに。あれは夢などではない。だが今それらは影も形もない。

 

「バ、バカな……」

 

 ワルドは追い立てられるように、階段を駆け上がる。外務大臣の執務室、自分の仕事場へ向かう。その閉じていた扉を勢いよく開けた。先に見えたのは、何もない部屋だった。

 

「な……」

 

 部屋の中に入り、力なく壁に寄りかかるワルド。頭が真っ白になる。

 忙しくペンを走らせていた机も、使いごこちの良かった椅子も、書類で一杯だった棚も、少々散らかり気味の部屋を和ませる花を添えた花瓶も。何もかもが消え失せていた。

 

 それからどれほどの時間が経っただろう。動かなかった髭の侯爵は、足を進めだす。項垂れ肩を落としながら。

 

 どこをどう歩いたか分からない。夢遊病者のように町中を進む。どこを目指すと言う訳でもなく。その時、ふと声が耳に入る。

 

「ちょっと、そんな所にいたのかい」

「……」

「何、無視してんだよ」

「……」

「ワルド!」

 

 ようやくワルドは足を止める。自分に話しかけていたのかと気づき。振り返った先に見えたのは、良く知る人物だった。

 

「ミス・サウスゴータ……」

「ん?なんだい?畏まった呼び方して」

 

 マチルダは何故か意表をつかれたかのよう。だが特に気にせず、すぐに元に戻るとワルドの背を押し先へと進ませる。

 

「こんな所いつまでも油売ってんじゃないよ。暇って訳じゃないだろ?」

「あ、ええ……。その通りです……」

「なんだい。その話し方。あんた様子がおかしいよ」

「様子がおかしい……確かに……」

 

 おかしい。ワルドの脳裏にその言葉が繰り返される。そして気づいたマチルダの奇妙な姿に。ただの平民の服装に。彼は何気なく尋ねる。

 

「宰相閣下は何故、ロマリアに?それにその姿……お忍びですか?」

「は?」

 

 マチルダ、口を半開きにして首を傾げる。

 

「宰相って言ったかい?なんだいそれ?」

「ですから、あなたの事ですよ。ミス・マチルダ・オブ・サウスゴータ」

「……」

 

 怪訝に目を細め、探るようにワルドを見る妙齢の女性。

 

「えっと……。酒を飲み過ぎ……ってふうには見えないね。どうしたんだい?」

「なんの話ですか?」

「まず、その話し方やめてくれないかい?調子狂っちまうよ」

「?」

 

 ワルドにはマチルダが何を言いたいのかさっぱりわからない。だいたいこの大戦乱が始まるかもしれない時期に、宰相がこんな所にいていいのか。彼は問い直す。

 

「ともかく、アルビオンを留守にして良いのですか?この大事な時期に」

「いや……、だからさ……」

「ティファニア陛下の御命がかかっているのですよ」

「……!」

 

 急に表情が変わるマチルダ。

 

「どうしてあんたが、ティファニアの事知ってんだい?話した覚えはないけどね」

「何を言われているのです?我らが主を、知らぬはずないではありませんか」

「え?主?ちょっと待っとくれ。何言ってんだい?」

「ですから、ティファニア・モード陛下は我らが主、アルビオンの女王ではありませんか」

「……」

 

 マチルダ、呆気に取られたまま停止。どんな反応をするべきか戸惑ったまま。しばらくして、ワルドの手を引き脇道へと連れていった。暗い道で眉間に手を添え、難しい顔の彼女。

 

「あんた、私をからかってるのかい?……ってこんな間抜けな話でからかうも何もないか。一体どうしたってんだよ」

「それはこっちの話だ」

「ん?ようやく口ぶりが普通になってきたね。で?」

 

 それからワルドは事情を伝えた。トリステインに残ったアルビオン女王ティファニアを助けるため、自分はアルビオン外相として、トリステインとガリアの戦争を止めにロマリアに来たと。そしてその命令を出したのが、アルビオン宰相であるマチルダ自身だと。

 

 話を聞いていたマチルダは、だんだんと身体中から力が抜けていくかのよう。もはや呆れを通り越して絶句。ワルドを、薬でもやっているかのように見る。一通り話が終わると、彼女は大きく深呼吸。そして、子供に教えるように語り出した。

 

「いいかいワルド。まずね。アルビオンなんて国はないよ」

「な、何!?」

「神聖アルビオン帝国が滅んだ後、トリステインとゲルマニアに分割統治されたままさ。だからその国の王がいるハズないんだよ。もちろん宰相も外相もね」

「バ、バカな!」

「それとトリステインとガリアの戦争なんて、起こる気配もないよ」

「そ、そんなハズは……!」

「疑うんだったら、そこらの連中に聞いてみな」

 

 そう言って、マチルダは大通りを指さした。するとワルドは、急き立てられたかのように走り出す。その様子を彼女は唖然と見送った。本当におかしいと言いたげに。

 

 ワルドは歩いていた神官を捕まえると、問いかける。鬼気迫る態度で。

 

「な、なんですか!?」

「済まない。一つ聞きたい事がある」

「はい?」

「アルビオン王国はどうなっている?」

「え?とうの昔に滅亡しましたが」

「その後は?再興したのではないのか?」

「いえ。トリステインとゲルマニアの統治になってますよ」

「な……!」

 

 茫然と動かない彼から神官は離れて行った。一体何なのだという様子で。さらにワルドは尋ねて回る。商人に、騎士団の兵に、巡礼に来た旅人に。だが答は皆同じだった。アルビオン王国モード朝など存在しない。トリステインとガリアの戦争など聞いた事もないと。

 

 大通りの真ん中で立ち尽くす髭の侯爵。何が起こったのか。特殊な魔法でもかけられ、記憶を弄られたのか。見知った世界が、全て消え失せていた。ありえない。こんなバカげた、常軌を逸した現象はありえない。

 苦悶に淀んだ瞳で地面をただ見つめる彼。だがその時、ふと一つの言葉が浮かんでくる。奇跡というキーワードが。

 

「ま、まさか……始祖が奇跡を起こされたのでは……。だが、だとすると……」

 

 始祖の奇跡なら、この奇怪な現象も有り得るかもしれない。だが問題なのは、自分がその奇跡から外されている事だった。

 ワルドは急に、天を仰ぎ大声を張り上げる。

 

「始祖よ!始祖ブリミルよ!もう私は必要なくなったというのでしょうか!何か至らぬ点があったと言うのでしょうか!」

 

 大通りの中央で喚くその姿は、狂人かのよう。

 

「今一度、今一度機会を!今度こそ、その御心にお答えします!お約束します!ですから、もう一度、あの兎の天使をお遣わしください!始祖よ!」

 

 空を見上げ、膝をつき、一心不乱に祈りをささげるワルド。そんな彼を、道を行く人々は遠巻きに避けていく。これまで付き添っていたマチルダも、まるで同名の別人を見ているかのような気持ちに襲われていた。

 

 

 

 

 

 混乱している者達はワルドだけではなかった。ここガリアにもいた。ガリアの虚無の主従が。

 彼らがトリステイン魔法学院を『火石』で吹き飛ばしてから、数日が経っていた。精神力をかなり消耗したジョゼフは『テレポート』の使用を控え、空軍を使いヴェルサルテイル宮殿に帰ってきた。それからしばらく休み、ようやく玉座の間に姿を見せた訳だ。だが最初に謁見した者からの話は、奇妙なものだった。

 

「何だ、それは?」

 

 ガリア王ジョゼフは、使者へ疑問をぶつける。少々不快そうな視線を向け。聞かれた使者の方も困惑気味。何故そんな質問が出てくるのか分からない。

 

 使者は両用艦隊からの密使だった。両用艦隊はガリア軍正式艦隊だ。その使者だというのに、何故か密使だと言う。ジョゼフは違和感を覚えた。だがそれ以上に奇妙なのは、彼が口にした内容だ。

 両用艦隊は、ロマリアを攻めろという命令を受けたという。しかも反乱軍という肩書きの元。ただしその作戦は、ある人物が先陣を切る事となっていた。そのある人物とはシェフィールド。彼女が『ヨルムンガルド』を使い、ロマリアに攻め込む手筈となっていた。だがロマリア国境付近まで近づいても、当人がいつまで経ってもやって来ない。両用艦隊は航行を停止。密かに問い合わせに来た訳だ。

 

 全く思い当たりのない話を聞き、困惑するジョゼフにシェフィールド。そもそもトリステイン国境に両用艦隊はいたはず。ジョゼフは不機嫌そうに言う。

 

「余はそんな命は出しておらん。そんな話をしたのはどこのどいつだ?」

「その……艦隊司令であるクラヴィル卿ですが……」

「クラヴィルを連れて来い」

「御意……」

 

 使者は恐縮して頭を下げる。ただ当の使者の方は、ますます混乱するばかり。一体何がどうなっているのかと。だが王の命令とあれば従うしかない。使者はそのまま両用艦隊へと戻っていく。

 ガリア王の機嫌は直らない。

 

「クラヴィルめ……。どういうつもりだ?」

「…………」

 

 使者の奇妙な話に、シェフィールドは黙り込んだまま。主とは違い不機嫌さはない。それよりも嫌な予感が走り始めていた。似たような経験が脳裏に蘇る。実は彼女達もまた、ここリュティスで大きな地震を経験していた。そして今耳にした、自分達の記憶と違う現状。これは以前体験した、アルビオンでの奇妙な出来事と似通っていた。

 従者は王へ提案を一つする。

 

「各軍の状況を確かめてはどうでしょうか。トリステイン魔法学院での成果も気になりますし」

「そうだな」

 

 現状確認の指示が出される。その日の夜。全ての軍の情報がジョゼフの元に集まって来た。だがそれは驚きを通り越し、茫然とするしかないものであった。軍はトリステイン国境に展開などしておらず、ずっと任地にいたというのだから。すなわち、ガリアとトリステインの戦争などなかったと、全ての報告は示していた。

 

 

 

 

 

 ルイズが目を覚ますと、いつもの風景が見えた。寮の自分の部屋だ。

 

「ん?朝……?」

 

 身体を起こし、いつものように背伸びを一つ。そしてベッドから降りようとした。その時、ふと気づく。ネグリジェではなく制服を着ていた事に。

 

「あれ?着替えないで寝ちゃったのかしら」

 

 腕を組み、寝る前の事を思い出す。じわじわと滲むように蘇る記憶。そして思い出した。目を見開くルイズ。

 

「そうだ!学院は!?」

 

 ベッドから飛び出ると、すぐに窓を開けた。

 日差しの中、見えたのは馴染の光景。いつものトリステイン魔法学院の広場だ。特に変わった所はない。

 

「ふぅ……。『エクスプロージョン』効いたんだ……」

 

 ルイズは安心で、緊張が解けていくのを感じていた。頬もつい綻ぶ。

 もちろん全て解決という訳ではない。問題は残っている。ガリア王とシェフィールドだ。あの後どうなったのか。トリステイン王国はどうなったのか。だが今は、みんなが無事だった事を、噛みしめたい。顔が見たい。ルイズの頭はそれで一杯だった。

 

 部屋から廊下に出る。やはりここも変わらない。いつもの廊下だ。だが、異質感が脳裏を過る。物音が全くしないのだ。授業中でも、使用人の作業の音は聞こえてくるし、授業の音や声が漏れてくる。学院が静まり返る事があるとしたら、深夜くらいだ。いやそれ以前に、人の気配がまるでないもの気になる。

 

「どうしたのかしら?もしかして、まだ食堂に避難してる?」

 

 緊急時には、全員アルヴィーズの食堂に籠る事になっていた。もしまだそこにいるなら、人けがないのも納得だ。

 ルイズは食堂へと向かう。そして閉じられた大きな扉を開けた。

 

「あれ?」

 

 見えた先には誰もいなかった。ネズミ一匹。

 

「ちょっと……どうなってんのよ……」

 

 なんとも言い難い悪寒が彼女の背筋に走る。それから厨房や教室、職員室に向かったが、やはり誰もいなかった。

 

 とぼとぼと自分の部屋へ戻るルイズ。悪寒はますます大きくなっていた。しかも気になる事が増えている。生徒や教師達だけではない。魔理沙達もデルフリンガーもいないのだ。世界に自分たった一人だけしかいない。そう思ってしまうほど、全く気配というものがなかった。

 

 沈んだ顔で廊下を進むと、自分の部屋が見えてきた。その時、ふと廊下の先に人影が見える。二人ほど。誰もいない訳ではなかった。急に明るくなって走り出すルイズ。

 

「ねえ!そこのあなた!あなたってば!」

 

 力の限りの声を張り上げる。相手の方も気づいたのか、彼女の方を向いた。さらに駆け寄って来た。だんだんと大きくなる二人の姿。そして分かった。その二人が。

 

「キュルケ!タバサ!」

「ルイズじゃない!」

 

 三人は、はしゃぐように喜ぶ。まるで10年振りに出会ったかのように。さっそくキュルケが尋ねてきた。

 

「今、来たの?」

「え?来たって?」

「だって、昨日あなたの部屋行ったけど、誰もいなかったわよ」

「昨日?」

 

 褐色の美少女の言葉に、口ごもるちびっこピンクブロンド。何故なら彼女は、ずっと寝ていたのだから。だがよく考えれば、いつのまに部屋に戻り寝たのかが思い出せない。だいたい『エクスプロージョン』を発動させた後、どうしていたのか。一つ覚えているとすれば、妙な夢だ。水槽のあった部屋の。だが夢は所詮夢。思い出した所で意味などない。

 ふと袖を引っ張られるのに気付く。タバサだった。

 

「状況を整理したい」

「そうね。じゃあ、いつもの部屋に行きましょ」

 

 うなずくタバサとキュルケ。

 いつもの部屋とは幻想郷組の寮の部屋。密談をする時はいつもあそこだ。もっとも今は誰もいない以上、どこで話しても同じなのだが。もはや癖と言ってもいいものになっていた。

 三人は部屋に入ると、慣れた様子で椅子に座る。まず話を切り出したのはタバサ。

 

「ルイズは今の状況を、どこまで知ってる?」

「どこまでも何も、さっき起きたばっかりだもん」

「寝てた?」

「そうよ。私の部屋でね。けど、おかしいのよ。寝る前何したか、覚えてないの」

「何も?」

「あ、ちょっと違うわね。えっとね……」

 

 それから、ルイズは知っている事を全て語り出す。ガリア王とシェフィールドが学院に攻めてきて、それを幻想郷の人妖達と、ダゴンとデルフリンガー、そして自分が相手したと。最後に『エクスプロージョン』を使ったと。だがそこから後は分からず、気づいたら寝ていたと。

 雪風は小さくうなずきながら、耳に収める。そして今度は自分の話をしだした。

 

「私の方は作戦通り、ゲルマニア軍を国中に散らした。ゲルマニア皇帝をそそのかして」

「そっちは上手くいったのね」

「その後は、次期皇后として厚遇されていた」

 

 ここでタバサの表情がわずかに引き締まる。

 

「だけど、ある日大地震が起きた」

「大地震?」

「身体が吹き飛ばされそうな程の地震」

「どんだけよ……。よく助かったわね。でもそれじゃぁ、ヴィンドボナも酷い事になったんじゃないの?」

 

 ヴィンドボナにある宮殿がそれほどの揺れなら、町全体も影響受けて当然だ。だがルイズの問いかけに、タバサは首を振った。

 

「何もなかった」

「何もないって……。もしかして、町から離れてたの?宮殿って」

「違う。被害は全くなかった。ガラス一つ割れていない。棚の物が落ちたりもしてない」

「ちょ、ちょっと。そんなハズないでしょ。本当に地震あったの?」

「……」

 

 タバサは口を閉ざす。だがすぐに続きを始めた。

 

「宮殿自体には何もなかったけど、宮殿の人たちは変わっていた」

「変わった?」

「誰も私を覚えていなかった」

「え?何よそれ?」

「私が次期皇后という事も、素性も。それどころか侵入者と思われて、捕まえに来た」

「え!?じゃぁ、どうしたの?」

「何とか逃げられた」

「そっか……。ここにいるんだもん。そうよね」

 

 ルイズはうなずきながらも、理解し難い状況に難しい顔。次にキュルケが話し始めた。

 

「あたしの方も作戦自体はうまく行ったわ。自分の軍隊を、散々引っ掻き回してね」

「それで、なんとか誤魔化せた?」

「誤魔化せる訳ないでしょ。命令無視してたんだし。裏切ったかと思われたわ。最後は父さまがやってきて、ふん捕まえられたのよ。もう酷い目に遭ったわ。で、城に連れ行かれそうになってね」

「そうしたら?」

「その時、地震があったのよ。タバサと同じ。とんでもないのが」

「地震……」

 

 またも出てきた言葉に、ルイズは息を飲む。さらにキュルケは続けた。

 

「で、地震が収まったら消えてたわ」

「消えてた?何が?」

「何もかも。一杯いた兵隊達も、将軍も、父さまも。原っぱに、あたし一人残されてたのよ」

「何よ、それ?」

「知らないわよ。それで実家に帰るものマズイ気がしたから、学院に戻って来たの」

 

 キュルケは文字通りお手上げの態度。

 

「だけど、こっちもこっちで誰もいないんだもん。正直、途方に暮れたわ。でも、しばらくしたらタバサが来てくれたんで、一安心って訳」

「そう……」

「あ、そうそう。魔理沙達だけど、彼女達もいなかったわ」

「アジトの方じゃない?」

「そっちにも行ったの。けど、誰もいないのよ」

「それじゃぁ……どこに?」

 

 ここでタバサがポツリとつぶやく。

 

「この現象、たぶん例のクロコが絡んでる」

「でしょうね」

 

 ルイズもキュルケも小さくうなずいた。地震はクロコの術の事前現象。その可能性はかなり高い。だが一体何が起こったのかまでは分からない。記憶を消された人は、どの程度のいるのか。消えた人たちは、どこへ行ったのか。今までのように幻想郷に飛ばされたのか。

 

 キュルケがふと立ち上がった。

 

「考えたって答が出る訳じゃないわ。ちょっとアチコチ回って情報集めましょ」

「そうね」

 

 ルイズとタバサも賛成。

 だがその時、声が耳に入った。それは外で誰かが大声を上げているかのよう。何事かと思い、三人は窓を開け身を乗り出す。すると見えたのは、知っている顔。キュルケがおもむろに言う。

 

「あれ?彼女、女王の伝令によく来る親衛隊じゃない?えっと……」

「ミス・アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランよ」

 

 ルイズは答えた。すると相手も、彼女達に気付いたのか駆け寄って来た。ハッキリ見えてきたその姿は、確かにアニエスだった。銃士隊隊長は、息を切らせながら近くまで来る。

 

「良かった、いたのか。人っ子一人いないので、少々焦ったぞ」

「えっと、なんでしょうか?」

「ミス・ヴァリエール。急ぎ、王宮に登城してもらいたい。陛下がお呼びだ」

「……。分かりました。すぐに向かいます」

 

 ルイズ達には何となく察しがついていた。アンリエッタが何を聞きたいのかが。そしてルイズはキュルケ、タバサを伴って王宮へ向かった。

 

 王宮の執務室。そこに沈んだ表情の女王がいた。アンリエッタだ。何かを憂いているというよりは、混乱の極みにあって何を信じれば分からないという様子。彼女の脇にはアニエスが控え、対面にはルイズ達が座っていた。

 アンリエッタは弱々しい声で言う。

 

「アニエスお願いします」

「はい」

 

 アニエスはルイズ達へ向き直る。あらたまった表情で。

 

「なんと説明していいか困るのだが、異常事態が発生している。ともかく分かっている事について話そう」

 

 うなずくルイズ達。近衛兵長は始めた。

 

「ガリアとの戦争だが、なかった事になっている」

「どういう意味です?」

 

 ルイズが不思議そう言葉を返した。すると大きく息を漏らした後、話し出すアニエス。

 

「いつのまにかガリア軍が、全て国境から消え失せていたのだ」

「撤退したって事ですか?」

「そうではない。そもそも国境にガリア軍がいたという事自体が、なかった話になっている」

「は?」

 

 言葉の出ないルイズ。アニエスは続ける。

 

「しかも我が軍も、国境に配備された事実はないそうだ。つまりトリステイン、ガリア間にはなんの問題も発生してないという訳だ」

「……」

「さらも奇妙な出来事はこれだけではない。驚くべき事に、アルビオン王国モード朝がなくなってしまったのだ」

「え!?また反乱か何かが起こったんですか!?」

「違う。文字通り消え失せたのだ。今、アルビオンは我が国とゲルマニアに分割統治されているという話だ。しかもそれは神聖アルビオン帝国が滅んでから、ずっとだそうだ」

「そんな……」

 

 アニエスの言葉通りなら、アルビオン王国モード朝は最初からなかった事となる。もちろんルイズ達は、全て例のクロコとやらの仕業だろうと見当はついていた。だがそれにしても、規模が大きすぎる。桁外れだ。

 当たり前のようにあった世界が消え失せ、そっくり入れ替わってしまった。足元が突然無くなり暗闇に落ちていくような、なんとも言い難い不安が全員を包んでいた。

 

 

 

 

 

 床に放り出される人妖が四人。

 

「痛ってぇ」

 

 尻をさすりながら起き上がるのは、普通の魔法使い、霧雨魔理沙だった。そんな彼女を、少しばかり面白そうに見る魔女がいる。パチュリーだ。

 

「お帰りなさい」

「ん?パチュリー?なんでいるんだよ」

「ここは私の住処だもの。いるのは当然でしょ?」

「え?」

 

 辺りを見回す魔理沙。目に入ったのはそびえ立つ本棚だった。馴染の風景。紅魔館の大図書館だ。確かにパチュリーの住処ではある。

 ふと脇から、これまたよく知る声が耳に入る。アリスだ

 

「どうなってんのよ……。なんで私達ここに来ちゃったの?」

 

 アリスの方も尻を打ったのか、さすっている。さらに天子、衣玖の姿もあった。魔理沙はなんとなく察しがついた。どうも『火石』の爆発の直後に、こっちに飛ばされたらしいと。あの爆発が原因なのか、それとも他に原因があるのかまでは分からないが。

 

 気付くと人形遣いが、戸惑った様子で何かを指さしていた。

 

「何よ?あれ……」

「ん?」

 

 白黒は釣られるように、彼女の指す方を見る。目に映ったのは黒い球体。それが宙に浮いていた。滑らかな表面は黒い水で覆われているようで、黒いシャボン玉のようにも見える。だが不思議と重量感があるような気がする。禍々しさと奇妙な美しさが混在した、なんとも言い難いものがそこにあった。

 黒球の周りには本棚はない。その代わりという訳ではないが、いくつもの魔法陣が取り囲んでいた。さらに一番外側には紙垂のぶら下がった注連縄が囲っており、結界が張られている。しかも霊夢の姿もあった。何やら術を構築中。

 アリスも天子も衣玖も困惑気味。もちろんそれは魔理沙も同じ。彼女はポツリとつぶやく。

 

「何がどうなってんだよ……。だいたい、ありゃぁ何だ?」

 

 彼女の問に、七曜の魔女は淡々と答えた。

 

「あれは『ハルケギニア』よ」

 

 魔理沙達には、パチュリーの言葉の意味がよく分からなかった。

 

 

 

 

 



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ゼロの使い魔

 

 

 

 

 

 吸血鬼とメイド長の主従が、唖然とした顔を並べていた。目の前の大量の人間達を前に。主のレミリアは植木のように佇むだけ。

 

「何なのよ。これ……」

「さあ……」

 

 咲夜も一言返すのが精いっぱい。彼女達の反応も無理もない。何故なら突然現れたのだから。紅魔館の庭に何百人という人間達が。もちろん彼等にとっても、理解しがたい状況。気付くと、見知らぬ場所に放り出されていたのだから。一時は半ばパニックになっていた程。

 しかし、今は落ち着いている。美鈴と咲夜がなんとか騒ぎを沈めたのもあるが、何よりも彼等の中に見知った者がいたのが大きい。その人物が、レミリア達の方へ近づいてきた。長い髭の白髪の老人が。オールド・オスマンが。

 

「申し訳ありませんな。お騒がせしてしまいまして」

「本当に、お騒がせよ」

 

 吸血鬼はわざとらしく怒ってみせる。咲夜はメイド長らしく丁寧な挨拶。それからオスマンは紅魔館を見上げ、感心したかのように髭を弄り出す。

 

「しかし赤いお屋敷とは、なかなかのご趣味ですなぁ」

「大したもんでしょ。私のセンスは」

「誠に言われる通りですな。威風堂々たるお屋敷です」

「当然よ。幻想郷のスカーレット家と言えば王家も同然だもの」

「なるほど、なるほど」

 

 大きくうなずくオスマン。咲夜の方は、なんとか笑うのをこらえていたが。白々しいほどのオスマンの褒めっぷりと、あっさり乗せられるお嬢様の見栄張りに。ともかく、持ち上げられたレミリアの気分は悪くない。颯爽とメイドに指図。

 

「咲夜、トリステイン魔法学院の方々を今から客人として迎えるわ。部屋に案内しなさい」

「ええっ!?」

 

 メイド長、態度一変。素っ頓狂な声を上げていた。

 

「お嬢様!この人数は、さすがに無理です」

「なんとかなさい」

「なんかと言われましても……。そうですね……、相部屋でしたらなんとか。一部屋当たり、かなりの人数になってしまいますが」

「ダメよ。お客様なのよ。快適に過ごしてもらわないといけないわ」

「お嬢様……」

 

 咲夜、頭を抱えたくなる。レミリアのわがままはいつもの事だが、こればかりはどうしようもない。咲夜には空間を広げる能力があるが、空間を広げても家具や調度品が増える訳ではない。何もない部屋へ客を案内する訳にもいかないだろう。

 ここでオスマンが助け船。

 

「私共は、それでかまいませんがの」

「そうはいかないわ。お客様を十分持て成すのは私の矜持よ」

 

 器の大きさを見せたいのか、やけに拘るレミリア。しかし学院長として、王宮のお偉方ともやり合った事もあるオスマン。折衝の仕方は心得ていた。

 

「さすがは、貴族が何たるか心得ておられる方ですな」

「当然よ」

「ですが、実を申しますとな。ただ今本校は軍事教練中なのですじゃ」

「軍事教練?」

「左様です。ですので、むしろ厳しい環境の方がありがたいのですよ」

「あら、そうなの」

「是非、お願いします」

 

 結局、オスマンの言う通りとなる。その後、全員を導くように悠然と先を進むレミリアの背後で、咲夜はオスマンに礼を言っていた。やがてトリステイン魔法学院関係者は、屋敷内に案内される。中には妖精メイドが大勢いたので、これまた少々騒ぎが起こったのだが。

 

 

 

 

 

 レミリア達が学院関係者の対応で慌ただしくしていた頃、紅魔館の大図書館には、頭の中が混線状態の四人がいた。魔理沙達だ。彼女達の視線の先には、奇妙なものが浮いている。黒球が。その表面は水が流れるように蠢いていた。内側に膨大な何かを秘めているように。

 

 魔理沙、アリス、天子、衣玖は、少し前までハルケギニアにいた。だが、どういう訳かここにいる。その直前まで、ジョゼフやシェフィールドと戦っていたはのだが。ただ最後に膨大な光に包まれた事だけは、誰もが覚えていた。

 白黒魔法使いが、当惑したままの様子でパチュリーの方を向く。

 

「説明してくれよ。あの黒いのとか、私らがここにいるのとか」

「ちょっと待って。先にオスマン達をなんとかするから」

「オスマン達?なんだよそれ?」

「今、来てんのよ。ここにね」

「じゃあ、みんな飛ばされたのか。こっちに」

「ええ」

「そっか」

 

 そっけない返事ながらも、安堵に頬が綻んでいる魔理沙。自分達はこうして助かったが、学院の教師や生徒がどうなったかは気がかりではあった。それがここ、紅魔館にいるという事は無事だったようだ。おそらくはあの黒子の仕業だろうが。彼女にとっては得体の知れない相手ながらも、とりあえずは感謝していた。

 

 パチュリーは魔理沙達を他所に、黒球を囲む結界を張っている巫女へ声をかける。

 

「霊夢。準備は?」

「いつでもいいわよ」

「なら、始めちゃって」

 

 小さくうなずく霊夢。祓い串を勢いよく振る。すると結界の注連縄が、淡く光り出した。次の瞬間、黒球を囲むように四方に青白い光の壁がそびえ立つ。

 アリス、この光景を茫然と眺めるだけ。状況が今一つ飲み込めない。

 

「霊夢、何やってんのよ?っていうか何しに来たの?」

「仕事よ」

 

 パチュリー、役人かのような抑揚のない返事。だが半端な答に、アリスは聞き直す。

 

「仕事って……異変?もしかしてあの黒球が?でもパチュリー、あれの事『ハルケギニア』って言ってたわよね」

「ハルケギニア関連は、紫達が異変の可能性を考えてたもの。霊夢に関わりないとも言えないわ。もっとも彼女には、別の頼みもあって呼んだんだけどね」

「何よ?」

「そうね。保険って所かしら」

「……」

 

 紫寝間着の核心をあえて外しているような言い様に、人形遣いは不満そう。もちろん、白黒もそれは同じ。

 

「勿体ぶらないで、説明してくれよ」

「もうちょっと待って。そろそろ来るはずだから」

「誰がだよ?」

 

 魔理沙が苛立ちを吐き出そうとした時、図書館に飛び込んでくる声があった。ドアを豪快にブチ開けて。

 

「パチェ!」

「パチュリー様!」

 

 レミリアと咲夜だった。二人は、宇宙人に出会った農民のような慌てぶり。すぐさまパチュリーの傍まで駆け寄って来る。そしてレミリア、開口一番。

 

「き、き、消えちゃった!」

「そう」

「"そう"じゃないわよ!オスマンが!っていうかみんな!一人残らず!パッて!」

 

 主の側で、咲夜も何度もうなずく。それは餅をつく杵のよう。

 二人の話によると、トリステイン魔法学院関係者を部屋へ案内し終わった後、代表であるオスマンと今後の話をしていたら、目の前から突然いなくなったそうだ。その後屋敷中を探し回ったが、オスマンどころか何百人もいた学院関係者も一人残らず消えていた、という訳だ。

 まさしく異変と言ってもいい現象。だが七曜の魔女は落ち着いたもの。わずかに笑みを浮かべる。

 

「うまくいったのね。良かったわ」

「何がよ!」

「ハルケギニアに帰ったのよ。みんなね」

「え?」

 

 吸血鬼とメイド長が、同時に口を半開きにして停止。意味が分からないというふうに。しかし魔女は無回答。代わりに出てきたのは、頼みが一つ。

 

「咲夜。フランと美鈴を呼んできて」

「え?構いませんが……。ですがなんの御用でしょう?」

「これからハルケギニアについて話すの。二人にも聞いてもらいたいのよ」

「はぁ……」

 

 メイド長は、モヤモヤとした気持ちのまま姿を消す。ほどなくして二人を連れてきた。ちなみに門番がいなくなったので、一旦門は閉じられている。

 

「さてと」

 

 パチュリーはそうつぶやくと、全員を自分の書斎へと案内した。部屋に入ってまず目に入ったのは、烏天狗と玉兎。

 

「みなさん揃ったようですね。待ちくたびれましたよ」

「お前達も呼ばれたのかよ」

 

 魔理沙は思い出したかのように言う。文も鈴仙もハルケギニアと深く関わっていたと。しかし首振る文。

 

「いえ。私は取材です。ハルケギニアの真相はもう聞いてますから。そうそう、神奈子さん達も知ってますよ」

「私も事情は知ってるわ。えっと、師匠の代役かな。そうそう、てゐの幸運、解除したって。用が済んだから」

 

 鈴仙は素直に言う。聞いた魔理沙は面白くなさそうに「そうかよ」と一言。一番関係が深い自分達が、最後に話を聞くハメになったのが気に食わないらしい。

 

 部屋の中央に置かれた、丸いテーブルを全員が囲む。今、ここにいるのは、魔理沙、アリス、天子、衣玖、レミリア、フランドール、咲夜、美鈴。そして取材しに来た文に、永琳の代役の鈴仙、解説役のパチュリーと助手のこあ。総勢12人。皆ハルケギニアへ一度は行った者達だ。

 視線を流し、並ぶ面々を確かめる七曜の魔女。そして使い魔へ指示を出す。

 

「こあ。用意して」

「はい」

 

 こあはパチュリーの机の上にあった、資料をテーブル中央に並べた。一斉に覗き込む人妖達。そこにあったのは、魔導書『王の天蓋 絹の章』、パチュリーによる『ハルケギニア天文観測結果まとめ』、永琳による『カトレア、オルレアン公夫人の血液分析報告書』、文の『取材ノート写し』。魔理沙とアリスにはこれらが何なのか分かっていたが、それ以外の者には意味不明の代物。

 皆、ゆっくり顔を上げ、解説役に注目。それを待っていたかのように七曜の魔女は話を始めた。まずは魔導書『王の天蓋 絹の章』のあるページを開く。そこには魔法陣が描かれていた。

 

「これがルイズを召喚した魔法陣よ。本来はダゴンという悪魔を呼び出すためのものなんだけど、出てきたのはルイズだったという訳」

「へー、そうだったんだ」

 

 天子は、初めて聞いたという具合に感心していた。あれだけルイズといっしょにいたのに、幻想郷に来た経緯を全く聞いていなかったようだ。興味のないものには、徹底的に無関心の天人。

 続くパチュリーの説明。

 

「だけど本来はこれ、魔法陣として機能しないハズなのよ。後で分かったんだけど、もう一冊の魔導書、『王の灯篭 真昼の章』が必要だったの。二冊あってようやく魔法陣として機能するの。片方だけじゃ、ただの床絵よ」

「では、どうやってルイズさんは召喚されたのですか?」

 

 衣玖から当然の質問が出てくる。

 

「つまりルイズは、召喚されたんじゃないのよ。誰かに送り出されたか、自ら出てきたかのどちらかという訳」

「え?それは一体どういう事です?」

「この時点で、少しは疑ってみるべきだったわ」

 

 パチュリーは衣玖に答えず、魔導書に視線を下ろしつぶやいた。半端な解説に、一同は余計に混乱するだけ。だが場の空気を無視して、パチュリーは引っ込んだ。次に出てきたのは、パパラッチこと射命丸文。

 烏天狗は、次に『取材ノートの写し』を広げた。ただしこれは必要部分を書き写したもので、全てではない。そこにあったのは羅列された言葉。監視カメラやファッション、デジャヴ、コックピットなどなど。レミリア達には、これらが何を意味しているのか見当もつかない。

 ちびっこ当主が不機嫌そうに尋ねる。話の方向性がまるで見えないので。

 

「何よこれ?」

「ハルケギニアで通じた言葉を調べ上げ、書き記したのですよ」

「話しできてたんだから、通じたに決まってるでしょ。何言ってんのよ。これ、なんか意味あんの?」

「もちろん意味はありますよ。ここにある言葉には、共通点があるのです。では問題です。それはなんでしょう?」

 

 クイズ番組の司会者のように、大げさに振る舞う文。回答者達は、もう一度言葉をよく見る。眉間にしわを寄せ、首をかしげ。だがやはり分からない。フランドールが、一番に根を上げた。

 

「全然わかんない!教えてよ」

「やれやれ、もうギブアップですか。まあ、引っ張っても仕方ありませんので。それでは答え合わせです。共通点は、全部現代語という事です!」

 

 人妖達、一瞬停止。そして呆れる。そんな他愛のないものが答とはと。レミリアがさっそく文句。

 

「いかにもなフリして、そんなのが答?」

「はい。でも大事なことなんですよ」

 

 するとここで美鈴が何かが引っかかったのか、ふと尋ねてきた。

 

「あれ?監視カメラってハルケギニアにあるんですか?ルイズさんから聞いた話だと、なんか昔のヨーロッパっぽい世界って感じだったんですけど」

「お!いい所にお気づきになりましたね。その通りです。基本的にハルケギニアは、近世以前の文明レベル。だからここの言葉は、彼らには理解できないはずなんですよ。でも意味が通じたという訳です」

「なんで通じたんだろ?」

 

 顎を抱え考え込む中華妖怪。しかし答が出るハズもない。それは他の人妖達も同じだった。だが文も中途半端にしか話さず、鈴仙にバトンタッチ。

 今度開かれたのは、永琳の『カトレア、オルレアン公夫人の血液分析報告書』。鈴仙が持って帰ったカトレアとタバサの母親の血を検査したものだった。玉兎は自分の出番とばかりに、さも教師かのように語りだす。

 

「さてさて、次は私の番です。ここにある資料は、ハルケギニアの人たちの分析結果よ。私が採血して、師匠が分析したの」

「で?」

 

 レミリア、もう訳が分からないので半ば投げやり。でも玉兎は気にしない。宝の在り処でも見つけたかのように、高らかに告げた。

 

「なんと驚いた事に、ハルケギニアの人たちは人間じゃなかったのよ!」

「それって向こうで血飲んだ時、分かってたわよ。今更でしょ」

 

 レミリア一行がヴァリエール邸に訪問した時、レミリアは、カリーヌ達の血を飲んだ。だが彼女達の血は、とても不味く飲めたものではなかった。すなわち、幻想郷とハルケギニアの人間は違うと明らかになったのだ。しかもその時、ここにいるメンツは美鈴を除いて、その場にいた。お嬢様の言う通り、皆にとっては今更の話。

 だが鈴仙の余裕ありげな仕草は相変わらず。

 

「確かにそうよ。でも師匠はもっと深い所まで分析したの。そしてその結果は……」

「結果は?」

「ハルケギニアの人間は、あなた達に近かったの!」

「え?」

 

 一瞬、何を言われたか理解できない一同。魔理沙がすかさず問いかける。

 

「おいおい、そりゃどういう意味だよ。ルイズ達が実は妖怪だって言うのか?」

「うん。それほど遠くない存在だって師匠は言ってたわ」

 

 だがここでアリスの反論。

 

「けど、ハルケギニアは異世界なのよ。偶然似ただけって可能性もあるんじゃないかしら?」

 

 これに答えたのは鈴仙ではなく、パチュリーだった。

 

「それは違うわ」

「じゃあ、何よ?そろそろ全部教えてよ」

「そうね」

 

 わずかにうなずくパチュリー。そして残った一冊を開く。『ハルケギニア天文観測結果まとめ』を。

 

「ハルケギニアの正体が分かった決め手というか、切っ掛けとなったのがこの資料。まあ、それを思いついたのが文ってのが、しゃくに障るんだけど」

 

 少々不満げな魔法使いに対し、烏天狗は胸を張り嫌味なほど自慢げ。

 ともかくパチュリーは、観測結果まとめのあるページを皆に見せた。そこにはハルケギニアの月について書かれていた。

 

「ハルケギニアの月……本当は月じゃないんだけど、今は月と言っておくわ。その月に赤いのと青いのがあるのは知ってるでしょ?その他に二つあるのよ。つまりハルケギニアには、月が四つあるのよ」

「ああ、前に言ってたな。赤と青の他は、黒と黄色だっけ?黒は鈴仙が見つけたヤツで、黄色のヤツは太陽だったよな」

 

 白黒は記憶を掘り起こしながら言う。魔女達は各々テーマこそ違うものの、時々研究成果を見せあっていたのだった。話のネタ的にではあったが。

 魔理沙のいう事に、小さくうなずくパチュリー。

 

「そうね。ただ正確には違ったのよ。あの赤と青の双月、実は赤と青じゃなかったのよ」

「そうなのか?」

「マゼンタとシアン。それが双月の正確な色よ」

「それがどうしたんだよ?」

 

 白黒魔法使いには、紫寝間着が何を言いたいのかさっぱり。それは、アリスやレミリア達も同じだった。

 パチュリーは、使い魔に再び命じる。

 

「こあ、あれ持って来て」

「はい」

 

 テーブルの上にまた新たな本。薄く大き目の。これは以前、文に連れて来られたにとりが置いていったものだ。本のタイトルは『印刷見本色一覧』。

 なおさら訳が分からない。混乱するだけ。眉をひそめた顔が並ぶ。だがかわまず紫魔女は話を進めた。

 

「シアンとマゼンタと黄色、そして黒。すなわちCMYK。印刷の基本色よ」

「ちょっと待て、なんだそりゃ?っていうか、それがハルケギニアとなんの関係があるんだよ」

 

 魔理沙は少々混乱気味に言い放つ。だがパチュリーの方は至って冷静。

 

「つまりこれがハルケギニア、あの異世界の正体」

 

 七曜の魔女は一冊の本をテーブル中央に置いた。それにはこう書かれていた。

 

 『ゼロの使い魔』と。

 

 一斉に本に注目する人妖達。誰も言葉を発しない、何も言えない。何故なら、その本の表紙には、彼女達が良く知った人物が描かれていたからだ。ピンクブロンドの小柄な少女。純白のシャツに黒のミニスカート、マント羽織った馴染の姿。

 アリスがポツリとその名を口にした。

 

「ルイズ……」

 

 誰もが同じ名前を脳裏に浮かべていた。

 魔理沙が、パチュリーを半ば睨むように尋ねてくる。

 

「どういう事だよ?」

「見ての通り、それは小説よ。もちろん幻想郷のものじゃないわ。その本自体は、紫に持って来てもらったものなのだけど」

 

 またパチュリーは、こあに指示を出す。すると何冊もの本がテーブルに並べられた。どれにも『ゼロの使い魔』というタイトルが書かれ、表紙絵も見知った人物ばかり。全員、黙り込んだまま、石像のように動かない。

 七曜の魔女の話は続く。

 

「その小説は結構人気があったものなの。派生作品が作られるほどね。もちろん本編も長く続いたわ」

「…………」

「でも物語にはやがて終わりが来る。話も残り僅かとなったの」

「…………」

「だけど突然、続きが発表されなくなった」

「なんでよ?」

 

 アリスの素朴に問いかけに、パチュリーはあっさりと答えた。

 

「作者がね、亡くなったの」

「…………。それじゃ話は……」

「終わる事はできなかったわ。つまり、作者の手で完結した『ゼロの使い魔』は、幻、幻想となったのよ」

「それが幻想郷に顕現した……?」

「この図書館でね。ハルケギニア、異世界と思っていたあの世界は、幻想郷に顕現した小説『ゼロの使い魔』を依代とした付喪神。つまりハルケギニアは異世界じゃなかったのよ。一連の騒動は、この図書館の片隅での出来事だったという訳」

 

 人妖達は息を飲む。魔女の言葉をどう捉えるべきか、上手く頭に収まらない。黙り込んでいる彼女達を他所に、パチュリーの説明は続いた。

 

「だから現代語が通じたのも当然。ハルケギニアの世界観は近世だったけど、この本自体は現代のものなんだから」

「……」

「そうそう。時間のズレもこれで説明できるわ」

 

 ここでようやく言葉を返したのはアリス。

 

「なんだったの?あれ」

「小説って、全ての出来事を書いてる訳じゃないでしょ?普段の生活とか、何もない日常とか」

「当たり前よ。ダラダラするだけで、テンポも悪くなるもの」

「ええ。だから幻想郷とハルケギニアを比べると、どうしてもハルケギニアの方が時間経過は早くなってしまうのよ」

「なるほどね……」

 

 次に口を開いたのは魔理沙だった。眉間にしわを寄せつつ。置かれた本の一冊を手に取り、ページを進めながら尋ねてくる。

 

「パチュリー。一ついいか?」

「何かしら?」

「どうも平賀才人ってのが主人公らしいんだが、こいつに会ってないぜ。お前の話だと、私等は『ゼロの使い魔』って小説世界に入り込んだって事になるんだが、肝心の主人公に会えないってのはどういう訳だ?」

「もう会ってるわ。さっき見たあの黒い球よ」

「え!?あれがか?」

「そう。あれが平賀才人」

「ちょっと待て。お前、あれ、ハルケギニアって言ってたろ?」

「同じ事よ」

「…………説明しろよ」

 

 憮然とする魔理沙。だがパチュリーは変わらない。相変わらずの淡々とした様子。

 

「言葉は言霊、名は呪よ。その本のタイトルが『ゼロの使い魔』、すなわちルイズの使い魔である以上、この世界の器となるのは平賀才人しかいないわ。だってルイズの本当の使い魔は、彼なんだから。そして平賀才人が、例の黒子よ」

「……」

 

 魔理沙からは何も返ってこなかった。レミリア達も黙り込んだまま。驚きが彼女達を鷲掴みにする。

 やがてアリスがつぶやくように尋ねた。

 

「それじゃ黒子、いえ、平賀才人ね。彼の言ってたルイズのためってのは?」

「…………」

 

 パチュリーはテーブルに置かれた一冊の本を手にとる。『ゼロの使い魔 20巻 古深淵の聖地』を。

 

「付喪神は、依代にその在り様を左右されるわ」

「……」

「そもそも『ゼロの使い魔』はルイズと平賀才人の物語なの。最初こそ二人はギクシャクしてたんだけど、この巻の頃にはすっかりお互いを恋人として受け入れてたわ」

「……」

「そして物語も最終章。だけどその冒頭、平賀才人がエルフに攫われてしまうの。そしてルイズは、彼を助けにエルフの首都に向かうわ」

「……」

「そしてこの巻で、ついにエルフの首都へ突入」

「それで?」

「それでおしまい。続きはないわ。これが作者の手による最後の巻なの」

「それじゃぁ……」

「ルイズと平賀才人、愛し合う恋人同士は、別れ別れのまま物語は終わってしまったのよ」

「…………」

 

 アリスも何も言えなかった。パチュリーはどこを見るともなしに宙へ視線を向ける。

 

「会いたがってるんじゃないかしらね。やっぱり」

「……」

 

 静寂が、魔法使いの書斎を包んでいた。幻想郷に顕現してそう経ってはいない『ゼロの使い魔』。それが付喪神となったのだ。どれほどの無念があったのだろうか。想像できるものではなかった。

 

 

 

 

 

 水槽の並んだ部屋に、一つの座り心地のいい椅子があった。そこに少年が座っていた。目の前にはモニターが、手元にはキーボードとマウスがある。スピーカーから聞き慣れた声が届いた。インテリジェンスソードの声が。

 

「おい、相棒。これでいいのかよ?」

「続けるしかないだろ」

「けど、今までと同じパターンになりそうな気がするんだけどな」

「今までとは違う」

「そりゃ、妖怪達巻き込んだのは違うさ。けど、連中はもういないんだぜ?追い出しちまったし」

 

 インテリジェンスソードはぼやくように言う。実際、彼にはあまりいい未来像は浮かばなかった。剣は諭すかのように話す。

 

「いっそ手借りたらどうだ?結構長く見てたから分かるんだが、連中、そう悪いヤツじゃないぜ。自分勝手だけどよ」

「俺が、アイツらに近づく訳にいかないの知ってるだろ?」

「まあ、そりゃそうだか……」

 

 長年の相棒の言葉にも、少年の気持ちは変わらない。

 

「やるしかないんだよ。違うのも確かなんだ。何か……何かあるかもしれない」

「何か……か」

 

 すがるような相棒の声に、インテリジェンスソードは口を閉ざすしかない。上手くいく訳がない。そんな予感は確かにある。だからと言って、彼等を救う考えなど一つも浮かばない。出せそうなのは、せいぜい気休めの言葉くらいしかなかった。

 

 

 

 

 




メタオチです。実はアンドバリの指輪奪還の辺りまでは、どんなオチにするか決めてなかったのですが、その時点で考えていたオチの一つではあります。ただその後、21巻の発売が決まったのでどうしようかと思いましたが。まあ所詮SSなんでそのまま続ける事にした次第です。


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魔女の解説

 

 

 

 

 

 意外な真相に騒めくパチュリーの書斎。とりあえず落ち着こうと、紅茶がくばられる。頭を冷やすためか、中身はアイスティー。だが一人だけ、カップに手をつけない者がいた。魔理沙だ。一心不乱に、『ゼロの使い魔』の一巻を読む。しばらくすると本を閉じた。だが眉間にしわを寄せ、腕を組み、腑に落ちないというふう。そして解説役へ顔を向けた。

 

「パチュリー。根本的な事、聞きたいんだけどな」

「何よ」

「ルイズ達はいるのか?」

 

 誰もが魔理沙の言う意味が分からない。

 

「さっきお前、顕現した小説を依代にした付喪神って言ったよな。付喪神ってのは一つの依代に、一つの本体だ。つまりこの小説を元にした付喪神は、平賀才人っていうヤツだけのハズだぜ」

「……」

「って事は、他の連中、ルイズやキュルケ達がいる訳ないだろ?ルイズ達は、平賀才人の妄想か?私等は妄想相手にしてたのか?」

 

 白黒魔法使いの当然の問いかけ。ハルケギニア、ゼロの使い魔の世界が付喪神ならば、あの世界の住人は実は存在しない事になる。

 その答は意外な所から出てきた。非想非非想天の娘から。

 

「ルイズ達はいるわよ」

「何で分かるんだよ」

「そりゃぁ、『緋想の剣』が気を感じ取ったからに決まってるでしょ。もしルイズ達がその平賀才人っての妄想だったら、気は同じハズよ。でもそうじゃなかった」

「ちょっと待て。そりゃおかしいだろ。だって依代は一つなんだぜ?」

 

 ここで解説役、パチュリーが入る。

 

「魔理沙。あなた"鶯浄土"って話知ってる?」

「いや。なんだよそれ?」

「伝承……おとぎ話みたいなもんなんだけど。その中に不思議な箪笥が出てくるのよ。小人の住む箪笥がね」

「小人が住む箪笥……」

「その中で小人達は、人間のように暮らしてるの。田植えをしたり、祭で騒いだりね。おそらく『ゼロの使い魔』って付喪神も、その類のものだと思うわ」

「世界の妖怪……いや、世界が妖怪か?そんなもんがいるなんてな。知らなかったぜ」

 

 疑問が解けたのか白黒は力を抜き、ようやくカップを手にした。次に咲夜が手を上げていた。生徒が質問するように。

 

「パチュリー様。では、先ほどオスマン様達が突然消えてしまったのは?ハルケギニアに帰ったとは、どういう意味なんです?」

「ああ、あれね。彼ら自身が存在してると言っても、本体である『ゼロの使い魔』と完全に独立して存在できる訳じゃないのよ。だから『ゼロの使い魔』を結界で囲って、繋がりを切断すると消えてしまうの」

「え?でもそうしたら、消滅しまうのでは……」

「『ゼロの使い魔』自体は無傷だから、消滅はしないわ。そうなると、行先は『ゼロの使い魔』の中しかないという訳。前に紫のスキマで、キュルケ達やシェフィールドがハルケギニアに帰った件があったでしょ?あれも同じ仕組みよ」

「そう……なんですか……」

 

 咲夜はとりあえずうなずく。今一つ分かってないようだが。ここで何かを思いついたのか、天子が急に独り言のように言い出した。腕組んで首を傾げつつ。

 

「あれ?平賀才人って、ハルケギニアの器なんだから、あの世界じゃ神様みたいなもんなんでしょ?ルイズと会うなんて、簡単にできんじゃないの?」

「できるなら、ハルケギニア騒ぎ自体が起こらなかったわよ。ルイズも現れなかったでしょうし」

 

 パチュリーはあっさり天子の意見を否定。

 

「何で、神様なのにできないのよ」

「神様というより、管理人に近いんじゃないかしら。万能とはいかないんでしょうね。あくまで付喪神。依代を無視して自在になんでもって訳にはいかないのよ」

「え?依代に縛られてんの?それじゃ、どうやってルイズと会うってのよ。21巻より先はないんでしょ?何やっても無駄じゃん」

「縛られるとは言っても、何もできないって訳じゃないのよ。例えば、ロンディニウム。実は小説の中じゃ、あの町ほとんど描写がないの。でも私達が見たのはちゃんとした町だったでしょ?」

「ああ、確かに」

「ここなら資料も山ほどあるものね。新しい設定作るのに、不自由はしないでしょう。曰くありげな魔導書もゴロゴロしてるから、その魔力の影響も受けてるかもしれないわ。すでに付喪神としてある以上、小説『ゼロの使い魔』と付喪神『ゼロの使い魔』が全く同じって訳もないでしょうし」

「ふ~ん」

「そうそう。後、ダゴンも彼が作り出したものよ」

 

 その名に反応する人形遣い。

 

「なるほどね。あれも作り物という訳。だから悪魔にしては、気配がおかしかったのね」

「ええ。あれは『王の天蓋 絹の章』の挿絵を実態化させたものよ」

 

 そう言って魔導書を開く。そこにあるダゴンの挿絵は、アリス達が知っているガンダールヴとしてのダゴンそのものだった。すると、さっきから『ゼロの使い魔』を読んでいた衣玖が、ついでとばかりに聞いてきた。

 

「一連の記憶操作ですが、あれも平賀才人の仕業という事になります。どうも小説の筋に合わせようとしたように思うのですが、目的はなんなのです?」

「もちろんルイズに会うため」

「つまり、その平賀才人とやらとルイズさんが会うために、小説の筋書通りに話が進む必要があると?」

「21巻より先に話を進める糸口を掴みたかったんじゃないかしら。あまりに話が変わり過ぎたんじゃ、仮に先に進む糸口が掴めても意味がないし」

「ですが、総領娘様が使い魔だったのですよ?糸口が掴めた所で、どうしようというのです?」

「糸口が掴めたら、もう一度話をやり直すつもりだったと思うのよ。今度は平賀才人が使い魔となってね」

 

 やり直すという言葉に、アリスが反応。

 

「あ!ルイズが前に見た事あるって言ってたの、実はそれ?」

 

 うなずくパチュリー。すると事情を知らない美鈴が入って来る。

 

「パチュリー様。それ何です?見た事あるって」

「ルイズが、時々デジャヴのようなものを感じるって相談しにきたの。それも見覚えがあるっていうよりは、もっとリアルで経験したって感じのね」

「もしかして、物語を何度も繰り返していたとか?」

「たぶん。平賀才人が、いろんな手を試してたんでしょう。依代を元にすれば、全てを最初に戻すのは難しくないでしょうし。ただ完全とはいかなかったんでしょうね。だからわずかに記憶が残ってしまった」

「そうだったんですか……」

「でも、何度も試したけど、どれも失敗。21巻より先に進めなかった。ついに外の私達を巻き込む事にした」

「そのためにルイズさんを、図書館に出現させたと……」

「ええ」

 

 七曜の魔女の説明に、渋い表情の面々。納得はできるが、あまりスッキリとした結論ではないのだから。

 

 アリスが椅子にもたれ掛かり、アイスティーを飲み干す。一つ息を漏らすと、七曜の魔女に話しかけた。

 

「で、平賀才人の考えがあなたの読み通りだとして、今回は上手くいきそうなの?」

「上手くいかないわ。絶対にね。何度やろうが、誰を『ゼロの使い魔』に呼び込もうが失敗するわ」

「なんで分かるのよ」

 

 パチュリーは手にしたカップを、ゆっくりとソーサーに戻す。一拍の間を置き、解説を始めた。

 

「そうね……。例えて言うなら、あの世界は『ゼロの使い魔』という演劇。平賀才人は楽屋にいる演劇監督。ルイズは主演女優といった所かしら」

「それで?」

「演劇監督と主演女優が、公演中に舞台の上で会いたがってるのよ」

「そんな事したら、進行が止まっちゃうじゃないの。舞台が台無しでしょ」

「その通り。逆に、主演女優が舞台から降りたっきり、監督といっしょに楽屋に引きこもっても同じよ」

「そんな無茶しないで、幕が降りた後、楽屋で会えばいいじゃないの」

「二人は舞台の上で会いたいのよ。楽屋なんてしろものは、舞台の物語からすれば、存在しないもの。そんな所で会っても意味はないわ。だって二人は元々、ハルケギニアで生きていたんだもの。それが本来の彼等のありようなんだから」

「それじゃぁ……」

「つまり、あの世界の構造上の問題で二人は会う事ができないのよ。世界の器である平賀才人は、そこから離れられない。表舞台の軸であるルイズは、一連の物語が終わるまで同じく離れられない。21巻より先に進めるかどうかは関係ないの。物語の内側にいる彼等じゃ、気づけなかったんでしょうね」

「…………」

 

 返す言葉のないアリス。いや誰もが何も言えずにいた。彼等の全ての想いも努力も無駄だったとは。

 

 とりあえず事情は全て分かったが、誰もが冴えない様子。なんとも言えない顔が魔女の書斎に並ぶ。再び注がれたアイスティーに、チビチビと口を浸すだけ。やがて七曜の魔女は姿勢を正し、あらためて全員に向きなおった。

 

「さてと、これで一旦説明は終わり。それで、あの『ゼロの使い魔』をどうするか決めたいのだけど。皆、大なり小なりハルケギニアに絡んだから、意見を聞いておきたいのよ」

「決まってる。物語ってのはハッピーエンドがいいぜ」

 

 出てきた魔理沙の言葉に、誰もがうなずいていた。だが望むのと実現するのは話が違う。アリスからさっそくの一言。

 

「どうやってやるのよ。話の展開じゃなくって構造上の問題なのよ?『ゼロの使い魔』の身体改造でもするの?付喪神改造する魔法なんて知らないわよ」

「紫とか永琳辺りができねぇか?」

「できるかもしれないけど、頼み聞くハズないでしょ。彼女達も面倒かけられたから、いい気分じゃないだろうし。しかも紅魔館の中だけの話って、オチだったんだから。よっぽどの貸しでもないと無理よ」

「だよなぁ……」

 

 腕組んでうつむく普通の魔法使い。ここでレミリアが颯爽と立ち上がった。任せろと言わんばかりに親指で自分の胸を指し。

 

「私が運命を変えてやるわ!任せなさい!」

「さすがは、お嬢様です!」

 

 咲夜が手を叩き、主を持ち上げる。日頃はお子様チックな所のあるお嬢様だが、やるときはやると。レミリアには運命を変える能力がある。この吸血鬼ならば、厄介な問題もあっさり解決するかもしれない。

 だが、お嬢様の決意をふいにする親友の忠告。

 

「止めた方がいいわ」

「なんでよ!」

「てゐの幸運の時もそうだったけど、運命に対する力は他にどんな影響がでるか予想がつきにくいのよ。それにレミィの力は大きすぎるわ。今の『ゼロの使い魔』にとってはね。よほど気配りしながら能力使うってなら別だけど、あなたってそういうタイプじゃないでしょ?」

「う……」

 

 図星で黙り込んでしまうレミリア。

 

 それからいくつかのアイディアは出るが、どれも実現性の怪しいものばかり。この場はひとまずお開きか、そうなりそうになった時、黙り込んでいた魔理沙が不敵な表情を浮かべていた。秘策を思いついたときのあの顔を。

 

「一ついい手、あるんだけどな」

「何よ?」

「神様だぜ」

「は?」

 

 アリス、意味不明と言わんばかり。一瞬、神奈子達に頼むのかと考えたが、彼女達の能力は今回役に立つとは思えない。あるいは竜神か。だが同じく、一付喪神に手を差し伸べるとも思えない。この太々しい顔つきの魔女が何を考えているのか、ここにいる誰も分からなかった。

 そんな彼女達を無視し、立ち上がり箒を手に取る魔理沙。

 

「ま、けど、私も専門外だからな。ちょっと専門家に聞いて来るぜ」

「誰よそれ?って言うか、先に説明……」

 

 だが、アリスの言葉が届く前に、魔理沙は書斎から飛び出して行った。

 

「全く……落ち着きないんだから」

 

 ぼやきながら、空きっぱなしのドアを締める人形遣い。一方、解決法があるならそれに越したことはないと、他のメンツは慌ただしい魔女に期待を抱いていた。それなりに。

 

 場が落ち着いた所で、パチュリーも席を立った。自分の机へと戻って行く。

 

「とりあえずは魔理沙が何か思いついたらしいから、それを待ちましょ」

「パチュリー様。『ゼロの使い魔』の件ですが、何か私がお手伝いする事はありますか?」

 

 咲夜がカップを片づけながら聞く。それに首を振るパチュリー。手が必要になったら頼むからと言うだけ。ここでせっかくだからと、文が質問を一つ。メモ帳を広げながら。

 

「そう言えば『ゼロの使い魔』ですが、何故真っ黒い球になってるんです?それについては聞いてないんですが。そもそも平賀才人とやらが『ゼロの使い魔』なら、人か本の姿になるものでは?」

「ああ、あれね。最初、見つけた時は本の形だったのよ」

 

 確かに彼女の言う通りだった。

 文がCMYKに気付いたのを切っ掛けに、パチュリーはハルケギニアが異世界ではなく本に関わる人外ではないかと見当をつける。そしてすぐさま司書である小悪魔達を総動員して、図書館中の本をチェック。ついには『ゼロの使い魔』を発見する。その時は、まさしく本の姿をしていた。しかし現在は御覧の有様。

 魔女は資料を整理しながら、経緯を話す。

 

「その後、ハルケギニアに行って、平賀才人に会うためにアポ取ったの。デルフリンガーにね。そうしてこっちに戻ってきたら、あんなになってたって訳」

「なんでまた?あれって、警戒しているようにしか見えないんですけど」

「私もそう思うわ。霊夢を呼んだのもそれが理由」

「パチュリーさん、ハルケギニアで何やらかしたんです?」

「別に。私は会わせて欲しいって言っただけよ」

 

 全く非はないという態度の紫魔女。当然、誰もがその理由とやらが気になった。アリスが腕を組みつつこぼす。

 

「会いたくない理由があるのかしら……」

「当人に聞くしかないんじゃないかしら。どの道、一度はハルケギニアには行かないといけないし。その時に確かめてみましょ」

「けど、あんな状態で行けるの?」

「問題ないわ。そのために霊夢がいるんだから」

 

 区切りがついた所で、レミリア、咲夜、フランドール、美鈴は書斎から出て行った。

 

 やがて一時ほど時間が過ぎた。すると落ち着きを取り戻していた図書館に、突然、騒がしい音が乱入。だが慌てる者はいない。むしろ待ち望んでいた。彼女が戻って来るのを。普通の魔法使いを。

 魔理沙はさっそく書斎に突入。そこにあったのは、自信ありげな顔つきと突き立てられた親指だった。まさしく行けると言いたげな仕草が。書斎にいる人外達は、一斉に立ち上がった。

 

 

 

 

 

 ロマリア。宗教庁の施設。そろそろ就寝時間だというのに、ルイズはあてがわれた部屋で苛立ちをまき散らしていた。

 

「一体、何がどうなってんのよ!」

「いや、俺に言われてもな」

 

 被害を受けているのは悪魔とインテリジェンスソード。つまり、ダゴンとデルフリンガー。

 

 ガリア、ゲルマニア連合とトリステインの戦争は、クロコの仕業と思われる現象で回避された。いや回避というより、消滅したと言った方がいい。ほとんどの人間が、その動乱を覚えていないのだから。また、行方知れずとなっていた学院関係者も、ルイズが学院に戻ってから数日後にいきなり出現する。彼等は、ついさっきまで幻想郷にいたと言う。この現象は、キュルケ達が体験したものによく似ていた。ルイズは、これもまたクロコの仕業に違いないと考える。

 ともかく祖国の危機は去り、教師も生徒も無事だった。クロコがなんのつもりでやったのかは分からないが、彼女はこの謎の存在に感謝の気持ちを抱かずにいられなかった。そして以前聞いた、ルイズのためという言葉を信じる気になっていた。

 

 それから数日。平和な日常は戻ったが、まだ気になる事はいくつも残っている。まずは、アルビオン王国モード朝が消え去ってしまった事。さらにマチルダも行方知れず。おかげでティファニアは故郷を失ったも同然。やむを得ず、ティファニアはトリステイン王家預かりの身となる。アンリエッタと親戚関係にあるのは違いないのだから。

 そしてもう一つ。幻想郷の面々が一向に姿を見せない事。ただこちらに関しては、それほど不安には思っていなかった。オスマン達が幻想郷に飛ばされていたので、同じように向こうにいるのだろうと考えていたので。

 

 そんなある日。ルイズに王宮から呼び出しがかかる。アンリエッタから出てきた話は意外なものだった。ロマリアからの緊急の召喚を受けたと。しかもルイズ、ティファニアを伴ってとの事。宗教庁の命令なら仕方がないと、ルイズは了承。ティファニアと共にアンリエッタのロマリア訪問へ同行する。さらに航海の途中、デルフリンガー達が出現。クロコと繋がっているインテリジェンスソードだが、学院の件でクロコへの悪印象はもう消え失せていたので、ルイズは彼等を受け入れる。

 

 やがてロマリアへ到着。アンリエッタ、ティファニア、デルフリンガー達と共に、ルイズは聖エイジス32世ことヴィットーリオ・セレヴァレに謁見。だがここで彼から予想外の話をされた。聖地奪還を実現すると。まずはそのための障害となるガリア王を屈服させると。つまり教皇はルイズ達に、ガリアとの争いに手を貸せと言い出した。

 

 宗教庁の宿舎で、ルイズの文句は続いていた。宙に向かってぶちまけていた。

 

「せっかく戦争が無くなったと思ったら、次の争い事とか。しかもまたガリアと。これは何?」

 

 ちびっこピンクブロンドは、視線を急降下させ、魚悪魔と片刃の大剣を睨みつける。

 

「これもクロコのせいじゃないでしょうね!」

「違げぇよ」

「じゃあ、何なのよ!」

「だいたいだな。あのガリア王が、ずっと大人しくしてる訳ねぇだろ?」

「それはそうだけど……」

「だったら、どの道、やり合う事になったんじゃねぇのか?早いか遅いかだけの話だろ」

「……」

 

 黙り込むルイズ。確かにデルフリンガーの言う通りだ。今までも散々騒乱を引き起こしてきた無能王が、このまま何もしなくなる理由など一つもなかった。確かにトリステン、ガリア間の戦争はなくなったが、ジョゼフが消えた訳ではないのだから。

 とりあえず納得するルイズ。興奮も冷めていく。彼女は気が抜けたように、ベッドに倒れ込んだ。うつぶせになり顔だけを横に向ける。そしてポツリとこぼした。

 

「あ~……。パチュリー達がいたら、いろいろ相談できたのに」

「あいつらなら、なんとかしちまったかもな。姑息な手段考えて」

「相手の裏かいたり、足元すくうのが好きだったもんね」

「絶対、正攻法選らばなかったしよ」

「ひねくれてるから。みんな」

「ああ、性格悪いわ」

「自分勝手だしね。散々、迷惑かけられたわ。何度、オールド・オスマンに呼び出されたか」

 

 ルイズとデルフリンガーは悪態を並べながらも、大昔の出来事を懐かしむように話す。その声は心なしか弾んでいた。ルイズは寝返ると、おぼろげに天井を見る。

 

「でも……本当に困ったときは、助けてくれたわ。たくさん。それに……なんだかんだで楽しかったし」

「……」

「もしかして……このまま会えないのかな……」

 

 寂しげな響きがふと零れる。それっきり、お互いの言葉が止まった。ルイズは、何気なく窓の外を見た。目に映るは赤と青の双月。そう言えば幻想郷の月は一つだった、なんて言葉が頭を過る。

 しばらくして、デルフリンガーが仕切り直すかのように言い出した。

 

「今は目の前の事考えようぜ」

「それもそうね。私、もう寝るわ。明日もいろいろあるし」

「ああ」

「んじゃ、お休み」

 

 灯りを消し、ルイズはベッドへ潜り込んだ。ほどなくして、寝息が聞こえてきた。眠りについた相棒の想い人を眺めるインテリジェンスソード。彼はこれから何が起こるか知っている。それは今までと変わらない。だがその先はどうなるのか。それが分かる者はここにはいない。彼も彼の相棒すらも。

 

 

 

 

 

 翌日、ダゴンとデルフリンガーはジュリオの訪問を受けた。まだ寝ていたルイズを残して、彼の後についていく。なんでも見せたいものがあると言う。もちろん何を見せたいか、デルフリンガーは分かっていたが。

 大聖堂の地下へと続くらせん階段を下りていく。着いた先には鉄の扉があった。ジュリオは開けようするが、錆びついていて中々開かない。月目の少年が声をかけてくる。

 

「手伝ってくれないかい?」

「いいぜ」

 

 デルフリンガーが答えると、ダゴンが取ってに手をかけた。そして片手でいとも簡単に開けてしまった。唸るジュリオ。

 

「すごいな。君は。妖魔、いや悪魔だっけ?それだけの事はあるぜ」

「ま、人間相手なら武器なしで勝てる程度の力はあるぜ。このダゴンはな」

「ますます仲間になって欲しいよ」

「お嬢ちゃんが決めてくれねぇとどうにもならねぇが、俺は悪くない話とは思ってるぜ」

 

 どこか親しげに答えるデルフリンガー。

 

 一同は部屋の奥へと進んでいく。そしてヴィンダールヴは足を止め、部屋の灯りをともした。現れたのは数々の武器。それもハルケギニアのものではない。地球のものだ。剣に拳銃に小銃、戦闘機の一部なんてものもある。

 

「これはみんな聖地の近くで見つかったものさ。片っ端から固定化をかけて、ここに集めたんだ。中には壊れてるらしいのもあるけど」

「……。武器だなこりゃ」

「分かるかい?」

「一応な」

「さすが、ガンダールヴだよ」

 

 それからデルフリンガーは武器の説明をしだす。さらに部屋の奥には戦車まであった。話を聞いて感嘆の声を何度も上げる月目の少年。一通りの説明が終わると、今度は彼の話が始まった。虚無の使い魔と聖地ついての話が。もっともデルフリンガーは、話半分で聞き流していたが。彼にとっては、分かり切った内容なので。

 全ての予定が終わり、ジュリオ達は出口へと向かっていく。

 

「えっと……ダゴンだっけ。君、酒は飲めるのかい?」

「飲めるが酔わないぜ」

「そりゃ残念だ」

「なんでだよ」

「こう言っちゃなんだけど、やっぱりそのなりだとどうして構えちゃうんだよ。もう少し、気軽に付き合えるようになれたらってね」

「なるほどな」

「奢らせてくれよ。酒がダメなら食事でもいいから」

「ま、いいさ。付き合うぜ」

 

 ジュリオは軽い足取りで先に進んでいった。そして部屋を出て行く。後についていくダゴンとデルフリンガー。しかし出口の側まで来て、足を止めた。そして振り返る。視界に入る数々の武器。その中でもひときわ目立つ重戦車。インテリジェンスソードは、一人つぶやいた。

 

「この次は、タイガー戦車を使って、ドカンか……」

 

 来週のスケジュールでも確認するかのような言い様。

 

「けど、俺はただの剣だ。使い手がやるってなら、最後まで付き合うさ」

 

 彼自身はこの先、上手く進む予感があまりしない。だが長年の相棒が、あんな所に誰とも会えずに閉じこもっている相棒がやるというのだ。自分くらいは付き合ってやらないと可哀想だ。

 デルフリンガーは気持ちを引き締め直すと、元来た道を戻ろうとする。

 

 突然、扉が閉まった。

 慌てて扉の方を向くデルフリンガー。一瞬、ジュリオの仕業かと思ったが、彼は扉を動かす事すらできなかったはず。しかも自然に閉まるはずもない。理由が分からない。ともかく開けようと、ダゴンが扉に手を伸ばそうとする。

 

「また会ったわね、デルフリンガー」

 

 後から声が届いた。部屋の中央から。ゆっくりと振り返る悪魔とインテリジェンスソード。

 

「お前ら……」

「あなたとっては、久しぶりになるのかしら?こっちは1日も経ってないけど」

 

 七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジがいた。彼女だけではない。その両脇には、普通の魔法使い、霧雨魔理沙。人形遣い、アリス・マーガトロイド。さらに天人、比那名居天子。竜宮の使い、永江衣玖。烏天狗、射命丸文。月うさぎ、鈴仙・優曇華院・イナバ。そしてパチュリーの使い魔のこあ。

 異世界、いや、外の世界の人妖達が、不敵な態度で悪魔の模造品とインテリジェンスソードに対峙していた。

 

 

 

 



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リミット

 

 

 

 

 

 大聖堂の地下。場違いの工芸品と呼ばれる品々が所狭ましと並んでいるこの場所で、人妖達とインテリジェンスソードが対峙していた。デルフリンガーの前にいるのは、パチュリー、魔理沙、アリス、天子、衣玖、文、鈴仙、こあ。長くハルケギニアにいた連中だ。

 かつては同じ屋根の下、いや床の下で暮らした者同士ではあるが、今は敵同士かのよう。デルフリンガーは警戒しつつ、探るように話かけてくる。

 

「どうやってこっちに来たんだ?」

「あら?知らないのかしら?」

 

 パチュリーは意外そう。隣のアリスが一つ理解したという具合に小さくうなずくと、目線だけを向けた。

 

「どうもあなた、外の様子が見えないみたいね。外が直に見れるのは、やっぱり平賀才人だけ?」

「…………。何やらかしたんだよ」

 

 デルフリンガーの声に、動揺が混ざり込む。サイトから、妖怪達を中に入れないために防御を固めたと聞いていた。外の黒球形態はそれだ。しかし、それがこうもあっさりと入られている。

 魔理沙が不敵な笑みで答を披露。

 

「幻想郷にはトラブルバスターの巫女がいてな。そいつが結界でがんじがらめにしちまった。外じゃ、何にもできないぜ」

「…………」

 

 実はパチュリー達がハルケギニアへ行こうした時、『ゼロの使い魔』の抵抗を受ける。黒球から戦車を繰り出したりしてきたのだ。しかしこれを、楽園の巫女はいとも簡単に撃退。さらに彼女は結界で、『ゼロの使い魔』をぐるぐる巻きにしてしまう。生まれてそう経ってない付喪神。しかもハルケギニアの管理をしつつ、霊夢の相手までするのは無理があった。

 

 今度は自分達の番とばかりに、七曜の魔女は質問を開始。

 

「さてと。答合わせと行きましょうか」

「答合わせ?」

「ええ。私の読みが正しいかどうかをね」

「……」

 

 それからパチュリーは自説を並べた。『ゼロの使い魔』の真相と平賀才人の思惑について。デルフリンガーは何一つ答えなかったが、『緋想の剣』を持った天子がいるのだ。黙った所で意味はない。そして結果はほぼ正解。パチュリーの読みは、概ね当たっていた。もしデルフリンガーが人の姿をしていたら、悔しげに拳を強く握りしめ顔を顰めていただろう。

 

 状況が把握できた所で、パチュリーは一呼吸。本題に入る。

 

「じゃあ、この前の返事を貰いましょうか」

「返事?なんのだよ?」

「平賀才人に会わせてって話よ」

「外の様子見て、察しがつかねぇのか?」

「つまり会う気はないって?」

「まあな」

「何故?」

「……」

 

 相手はまともに答えないが、七曜の魔女は揺るがない。対するインテリジェンスソードもそれは同じ。彼の方もすでに腹は括っていた。

 やがてデルフリンガーから溜息一つ。剣ではあるが。そして開き直ったような口ぶりで言う。

 

「つまりなんだ、もういろいろとバレちまってる訳だ」

「そうよ。で?」

「なら、何やってもかまわないな」

 

 デルフリンガーはパチュリーを無視。不穏な気配を纏いだす。緊張を走らせる人妖達。

 突然の地震が発生。同時に、ダゴンの足元に穴があいた。真っ暗で何も見えない穴が。

 その穴にスッポリと落ちていく悪魔の模造品とインテリジェンスソード。次の瞬間には穴は閉じ、元の床となる。一瞬で、ダゴンとデルフリンガーは消え去ってしまった。

 呆気に取られる人妖達。穴のあった場所へ、魔理沙が真っ先に駆け寄る。膝をついて床に触れた。慎重に探っていくが、穴があったのが嘘のようにわずかな痕跡もない。

 

「なんだ?転送魔法か?」

「たぶん違うわ」

 

 アリスが肩越しに覗きこんでいた。

 

「舞台の迫みたいなもんじゃないかしら。ここって、平賀才人が管理してる世界なんだし」

「そっか。舞台装置、使い放題って訳だ。デルフリンガーだけが舞台監督と繋がってんだもんな」

「でも、これであの剣が神出鬼没なのも分かったわね。居場所が分からなかったのも」

「楽屋に隠れてんじゃ、分かる訳ないぜ」

 

 腕を組んで、厄介そうに立ち上がる白黒。簡単に事は進まなそうだと、一様に渋い表情が並ぶ。だがここで、あっけらかんとした態度の者が一人。非想非非想天の娘、比那名居天子だ。

 

「向こうがあんな態度なら、やるしかないねー。押しかけちゃお」

 

 訝しげに彼女を見る人妖達。誰もカラフルエプロンの言う意味が分からない。衣玖が代表して尋ねた。

 

「総領娘様。押しかけると言いますが、どうやるんですか?」

「地面に穴空けちゃえばいいのよ」

「何故それで、平賀才人と会えるんです?」

「ほら、前に風石の下、調べた事があったじゃないの。あの時、地面の底の底って空っぽっだったでしょ?そこに行けばいいのよ」

 

 今の世界改変が起こる前。ロマリアが各国首脳を集めた会議で、ハルケギニアの地下に巨大風石があると伝えた。それを確認しようと、天子が『緋想の剣』で地下を調べたのだ。確かに巨大風石はあった。だが彼女はさらにその地下を調べた。結果は驚くべきもので、何もないというものだった。当時は大きな謎だったが、今なら理由は想像がつく。

 何もないという地下空間とは、設定がない世界。つまりは設定の外。平賀才人が、世界を管理している現場という訳だ。

 

 文が相槌を一つ。

 

「なるほど。舞台に穴開けて、舞台下、つまり奈落から楽屋に行こうって訳ですね」

「そうそう」

 

 天子、自慢そうに大きくうなずく。他の連中が思いもよらなかった、いいアイデアを出した。さすが自分と言いたげに。だが痛快な気分を、無粋な一言が粉砕。

 

「却下よ」

 

 紫寝間着のダメ出し。途端に不機嫌になるカラフルエプロン。

 

「何で!?」

「物語をハッピーエンドにするために、私達はここに来てるのよ。なのに当の舞台を壊したら本末転倒でしょ?」

「別に地面全部引っ剥がすんじゃないわよ。小さい穴空けるだけだから」

「小さいとか大きいとかじゃないの。むりやり穴を空ける事自体がマズイのよ。この世界を歪めかねないわ」

「歪むって決まった訳じゃないでしょ!」

 

 わがまま天人、食い下がる。自慢のアイデアが潰されたのが、気に食わなかったのか。対するパチュリーも頑として許可しない。

 以前彼女は、この舞台に穴が空いたのを一度見た事があった。トリステイン魔法学院をジョゼフ達が襲った時に。学院を包み込むほどの穴ではあったが、ハルケギニア全体からすれば小さなものだ。しかしそれでもあの飄々としたインテリジェンスソードが、珍しく動揺していた。彼等にとって舞台の上と楽屋が繋がる事は、大きな問題なのだろう。それがなんなのか分からない以上、天子の案を許可する訳にはかなかった。

 

 結局最後は、衣玖の電撃が天子を静かにして収まる。ただ他に手立てが出ていないのも、また事実。アリスがため息混じりに腕をかかえる。

 

「強行突破がアウトだっていうなら、やっぱデルフリンガーに話付けてもらわないといけないわ。けど、彼ってあんな調子よ。どうすんの?」

「だいたいなんで、平賀才人って私達と会いたがらないのかしら?」

 

 鈴仙が頬に指を添え、首を傾げていた。耳も釣られるように傾く。それにアリスは、分かる訳もないと肩をすくめるだけ。ふと魔理沙が、仕方なさげに口を開いた。

 

「やっぱ、ルイズ張るか?話の都合上、デルフリンガーはルイズの側にいないといけないぜ。で、出てきたところをふん捕まえて、無理やり話聞くってのはどうだ?」

 

 『ゼロの使い魔』の裏事情を知っているのは、唯一デルフリンガーのみ。やはりあの剣に頼るしかないのか。だがこの魔理沙のアイデアも、またパチュリーが却下。

 

「ダメよ。決めたでしょ。ルイズは巻き込まないって」

 

 紫魔女の回答に、黙り込んでしまう白黒。不満そうだが、あっさり引き下がる。

 この話は、来る前に決めた事だった。自分達は、いわば世界の裏側に仕込みをしようとしているのだ。だからルイズ達を関わらせたくないと。彼女達は、世界の表側で生きるのが本来の在り様なのだから。

 

 それからいくつか案が出たが、これというものはない。閉塞感漂う地下室。すでに立ち直っていた天子が、投げやりに言い放つ。

 

「あれもダメ、これもダメじゃどうすんの?」

「次善の策」

 

 天子、パチュリーの方針に不満そうに口をへの字。自分の出した決定打の代案が、次善の策なのが納得いかないのか。魔理沙とアリスも、素直にうなずけない様子。しかしそれでも今はやむを得ない。白黒は箒を肩で担ぐと、腹を決めた。

 

「しゃーねぇか」

「そうね。じゃ、さっそく」

 

 アリスも同じく気持ちを切り替える。そしてすぐさま作業に取り掛かった。タイガー戦車へ近づく人形遣い。人形達が一斉に戦車を囲む。人形達が手のひらを向けると、戦車が淡い光を放ちだした。ただそれはわずかな間だけ。しばらくして元に戻る。取り立てて戦車に変わった様子はない。しかしこれが何を意味するか、魔女達には分かっていた。

 

 ここでの仕掛けはこれで終わり。落ち着いた所で、白黒が紫寝間着へ話しかける。だが、その表情は珍しく真剣味を帯びていた。

 

「パチュリー。次善の策はいいけどな、何か決め手を考えねぇと。リミットまで余裕があるって訳じゃないぜ」

「分かってるわ。最悪、『ゼロの使い魔』の世界を丸ごと滅するなんてのも有り得るものね」

 

 パチュリーもいつになく厳しい口ぶり。同じく他のメンツも、表情を固くする。

 

 実はこの世界の行く末に、あまりよくない結末が予想されていた。それは最終的に『ゼロの使い魔』が、本物の異変と化す事。

 平賀才人は、21巻より先に進めば未来が開けると思っている。しかし、そんな事はありえないと幻想郷の人妖達は知っていた。彼の秘策は必ず失敗すると。問題は失敗が明らかになった後だ。絶望の果てに『ゼロの使い魔』が陰の気を纏い、異変となる可能性が考えられていた。そうなった場合、ハルケギニアがどうなるか想像もつかない。

 さらに別の問題もあった。霊夢が動きだすかもしれないのだ。今、彼女は異変解決の名目で大図書館にいる。異変解決が仕事の巫女が、異変を前にして黙っているだろうか。そして彼女は、やると決めたら必ずやり遂げてしまうというのを皆が知っていた。

 

 

 

 

 

 ヴェルサルテイル宮殿、王の謁見の間では、ガリア両用艦隊司令クラヴィルが額に冷や汗を溜めていた。氷が解けだすかのように。

 

「なんだ、その子供のような戯言は。両用艦隊の司令ともあろう者が、ここまで無能だとは思わなかったぞ」

「……」

 

 ガリア王ジョゼフの侮辱に、ただ耐えるだけのクラヴィル。一方で脳裏は混乱で溢れかえっている。何がなんだか訳が分からない。

 

 クラヴィルは、反乱軍の肩書きでロマリアに攻め込めと命令を受けた。奇妙な命令ではあるが、王命は王命。仕方なしに了解する。だがロマリア国境に迫った辺りで、ジョゼフから呼び出しを受ける。急遽、王都リュティスへ向かうクラヴィル。そして謁見した王から出てきた質問は、何故勝手にロマリアへ向かったかであった。もちろん彼は命に従っただけと言ったが、ジョゼフの方はそんな命令は出していないという。当惑するしかない艦隊司令。もしかして、何かの謀略に引っかかったのではないかと思うほど。

 

 ジョゼフの厳しい態度は変わらない。ついには反乱の咎で、逮捕、処刑されるかもしれない。クラヴィルの脳裏にそんな悪夢が過る。するとその時、王の間に伝令が訪れた。入室を許すガリア王。その伝令は、宗教庁からの返事を携えていた。

 魔法学院襲撃後、ヴェルサルテイル宮殿に帰還してから入る腑に落ちない報告の数々。今一つ状況が把握できないジョゼフは、できる限り情報を集める事とした。宗教庁に問い合わせたのも、その一環だ。

 

 縮こまっているクラヴィルの横で、伝令は厳かに膝を落とす。

 

「陛下。宗教庁よりの返答、貰い受けました」

「なんと言っていた」

「その……"虚無同盟"など知らぬと……」

「何!?どういうつもりだ。ヴィットーリオめ……」

 

 青い髭を苛立たしそうにいじるガリア王。さらに伝令は言葉を続ける。

 

「陛下。今回の件とは別に、宗教庁より伝言を授かっております」

「申せ」

「近々、聖エイジス32世聖下の即位三周年記念が開かれるとのことです」

「それがどうした」

「式典はアクイレイアで行われ、陛下もご招待したいとの事でした。その……全軍がすでに揃っており警備は万全。是非、安心して出席していただきたいと申しておりまして……」

「何ぃ?」

 

 ガリア王の視線に鋭さが増す。

 アクイレイアはガリアとロマリアの国境の町。そこで式典を開くと言う。本来ならば宗教庁のおひざ元、ロマリア市で行うのが自然だ。だいたい場所もおかしいが、いくら教皇の警備とはいえ、全軍揃えるというのもおかしい。しかもその中でガリア王迎えるという。あたかも喧嘩を売っているようにも聞こえる内容。

 

 ジョゼフがゆっくりと玉座から立ち上がった。いつもの気持ちが抜けているような様子とどこか違う。何か決意のようなものがそこにあった。

 

「クラヴィル」

「は、はい」

「お前の受けた命令とやらの通りにしろ」

「え?よろしいのですか?」

「構わん。それと追加の命令だ」

「ハッ!」

 

 罪を問われずに済んだと分かり、艦隊司令の態度は一変。威勢のいい返事が出る。しかし、晴れ上がった気持ちを引きずり落とす王命が下された。

 

「ヴィットーリオを捕らえ、余の下に連れて来い」

「せ、聖下を!?」

「そうだ」

「し、しかし……」

「艦隊に戻れ」

「は、はぁ……」

 

 クラヴィルは来たとき以上に冷や汗を浮かべ、玉座の間を下がっていく。そんな彼など全く頓着せず、側に仕えているシェフィールドへ視線を向けるジョゼフ。

 

「ミューズ。聞いた通りだ。お前が先陣だ。クラヴィルの露払いをしてやれ。『ヨルムンガント』を出せ。好きに使え」

「御意」

 

 シェフィールドはすぐに下がると、準備のために自室へ向かった。

 

 

 

 

 

 大聖堂の地下、場違いの工芸品が並んでいた地下倉庫。ここで、困惑としか言えない声がいくつも上がっていた。騒ぎ声が地下室に響き渡る。

 

「ダメです!全く動きません!」

「そんなバカな……。でもそれじゃ、どうやってこれ、ここに持ってきたんだい?」

「もちろん動かして……、というかできたハズです!できたはずなのですが……」

 

 ジュリオと数十人ものメイジが騒然としていた。ある物を前にして。そのある物とはタイガー戦車。彼等はこの戦車を、聖エイジス32世の即位三周年記念の場であるアクイレイアに運ぼうとした。対ガリアへの決め手として。

 だが地下から地上へ出す所、つまり最初でつまずいた。何故か全く動かないのだ。もちろん相当の重量のあるものだ。簡単に動くハズがないのは確か。しかし、これは聖地付近から持って来たのだから、全く動かせないという訳でもない。

 ところがビクともしなかった。まるでこの空間に、嵌め込まれているかのように。

 

 

 

 ロマリア北部。ガリア国境近くに虎街道と呼ばれる道があった。渓谷にあるこの街道は、ガリアにすれば攻めづらく、ロマリアにすれば守りやすい。そのロマリア側出口に、ティボーリ混成連隊が布陣していた。

 もうまもなく、式典がアクイレイアで開催される。その警固のために布陣していたのだ。だがその警戒すべき相手とはガリア。なんとガリアがロマリアに攻め込んでくると可能性があると言う。連隊の誰もが、半信半疑だった。

 

 半ば軍事教練気分だった連隊長の前に、一人の兵が駆け寄って来る。先行していた偵察隊の一人だ。

 

「連隊長!」

「なんだ?」

「りょ、両用艦隊です!両用艦隊が現れました!」

「何!?」

 

 まさかという言葉が連隊長の脳裏に湧き上がる。すぐさま望遠鏡を手にし、遠見の魔法も併用してはるか先を探った。目に映ったのは、まさしく大艦隊。さらに何やら巨大ゴーレムらしきものをぶら下げている。しかも、それを投下したのが見えた。

 連隊長は一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返る。すると口を強く結び、眉間に皺を寄せ黙り込んだ。思案を巡らす。両用艦隊が相手では、厳しい戦いが予想される。しかしこの連隊には強力な部隊がいた。大砲を積んだ巨大亀を擁する砲亀兵だ。いわば動く砲台である。さらに上空にはロマリア艦隊も展開している。いかな両用艦隊でも十分対応できるだろう。

 意を決すると、連隊長は顔を上げた。

 

「進軍せよ。両用艦隊を迎え撃つ」

「ハッ!」

 

 副官から威勢のいい返事が出る。ティボーリ混成連隊は連隊長の号令一下、虎街道に向かって前進を始めた。

 

 そしていよいよ虎街道に入ろうとした時、ふと視界に何かが入った。上の方に。

 

「なんだ?」

 

 見上げる兵達。空から何かが落ちてきていた。岩が。それもかなり大きい。

 

「なっ!?」

 

 誰もが口を開いたまま、石像のように硬直。突然の異様な事態に。

 

 視線の先にある岩は、すさまじい勢いで落ちてきていた。近づけば近づく程その大きさが分かって来る。かなり大きい。いや、大きいなんてものではない。まさしく巨大隕石。このまま地表に落ちれば、大爆発は必至。この周辺、数リーグは何も残るまい。被害は数十リーグにも及ぶだろう。少なくとも、この連隊は一人として残るまい。

 

 ところが突然急減速しだす巨大隕石。速度を徐々に落としていく。やがて地上に着地。静かに、穏やかに、何事もなく。

 

「……」

 

 完全に思考停止の連隊の兵達。夢かと思えるほど、目の前の光景は常軌を逸していた。何かの芸かのように、唖然とした顔がずらりと並ぶ。

 

 彼等の目に映るそれは、奇妙姿をしていた。巨大さは小山と言ってもいいほど。しかし山はひっくり返ったような形をしており、上の方が太い。しかもそこには、巨大な縄が巻きつけられていた。その縄には、これまた巨大な紙がぶら下がっていた。

 

「な……なんなのだ……?これは……?」

 

 連隊長が絞り出すように言葉を口にする。しかし、この問に答えられる者はどこにもいない。何か新手の攻撃なのか。そもそも攻撃なのか、それとも自然現象なのか。

 ただ、誰もが分かった事が二つある。一つは、この巨石によって虎街道の入り口は塞がれ、先に進めなくなった事。もう一つは、逆にガリアの巨大ゴーレムもこちらに向かってこられなくなった事。つまり、ガリアとの戦闘が不可能になったのだ。

 

 

 

 

 

 アクイレイア郊外。空き家に怪しげな人影多数あった。幻想郷の人妖達だ。その空き家の扉が開くと、二つの人影が入って来た。

 

「用事、済んだわよ」

 

 天人と竜宮の使い。魔理沙が、椅子にもたれ掛かりながら顔を扉の方へ向ける。

 

「んで?」

「問題ありません」

 

 衣玖のあっさりした返事。天子の方は、今一つ煮え切れない様子。皿に乗った菓子を奪い取るように一つ手に取り、食いちぎる天人。そんな彼女を横目で見ながら、衣玖はわずかに頬を緩めていた。見るからに不機嫌そうな天子だが、なんだかんだで素直に役目をこなしている。彼女なりに、ルイズ達を気にかけてはいるのだろうと。

 

 落ち着いた所で、アリスが話を始めた。

 

「これで時間は作れたわね」

 

 これがパチュリーの言っていた次善の策。つまりはストーリーの進行を止めてしまえば、21巻までたどり着かないという訳だ。今回打った手は、戦いの舞台である虎街道への侵入の阻止と、決め手となるタイガー戦車を使えなくする事。前者は街道入り口を天子の要石で塞いでしまう。後者はアリスの結界で戦車を空間に固定して動かせなくする。これで、ガリア戦初戦の見せ場、タイガー戦車vsヨルムンガンド戦は始められなくなった。

 

 魔理沙が椅子を抱え込むように座り直す。作戦が上手くいった割には、冴えない様子。

 

「ここまではいいが、これからどうすんだよ」

「一度、図書館に戻るわ」

 

 パチュリーが、手元にある本をパタンと閉じる。魔理沙、不思議そうに同じ言葉を繰り返す。

 

「図書館に戻る?」

「もう一度、外からアプローチしてみるのよ」

 

 ハルケギニアに来る前。彼女達が最初に考えたのは、平賀才人に外から会おうというものだった。黒球状態の『ゼロの使い魔』に直に話かけようとしたのだ。しかし先に向こうから手を出されてしまい、霊夢が結界で包み込んでしまう。これでは直に話すのは無理。だから中に入ってみたのだが、こちらでも平賀才人との接触に失敗してしまった訳だ。

 

「一旦は諦めたけど、やっぱり外から平賀才人のいる楽屋に行ければ、一番この世界に影響が出ないわ」

「……だな。やってみるか」

 

 うなずく魔理沙。すかさず立ち上がる。次にパチュリーは文の方を向いた。

 

「ちょっと頼みがあるんだけど」

「何?」

「文達には残ってもらいたいのよ」

「ふむ……。全部終わった後、今回の件の記事作りに協力してくれるなら」

「構わないわ」

「ありがとうございます。いいですよ。残りましょう。ですがまた何故?」

「念のためよ。一応手は打ったけど、こっちで何が起こるか分からないもの」

「ほう、見張り役ですか。分かりました」

 

 部屋の中央ではすでに、アリスが転送陣を描き始めている。その後、パチュリー、魔理沙、アリス、こあの四人は外の世界、大図書館へと飛んで行った。

 

 図書館に戻ると、クッキー片手に本を読んでいる霊夢が目に入る。魔理沙が手を振りながら声をかける。

 

「よぉ。どんな具合だ?」

「暇よ。美味しいものが、ただで飲み食いできるのはいいけどね」

「お前じゃねぇよ。『ゼロの使い魔』の方だぜ」

「見ての通り」

 

 霊夢は『ゼロの使い魔』を顎で指す。魔理沙の目に映る黒球は、相変わらず身動き一つできない様子。状況は可もなく不可もなく。

 ともかくゆっくりしている余裕はない。さっそく動き出す魔女達。それから調査を開始。二時ほどの時間が経つ。いくつかのアイデアが失敗し頭を悩ませている所に、意外な声が飛び込んできた。

 

「大変!大変!」

 

 一斉に振り向く三魔女とこあ。声の主は鈴仙だった。見るからに慌てている。すぐ側まで駆け寄って来た鈴仙に、パチュリーが尋ねる。悪い予感が走り始めていた。

 

「ハルケギニアで何かあった?」

「始まっちゃった!」

「何が?」

「戦争よ!」

「……」

 

 黙り込むパチュリー。次に魔理沙が戸惑い気味き迫って来た。

 

「どういう事だよ!?」

「文から聞いたんだけど、なんとか連隊が全滅しちゃったんだって!」

「ちょっと待てよ。虎街道には入れないはずだぜ。まさかヨルムンガンドが要石越えてきたのか?」

「それが全滅したのは虎街道の中って話よ」

「はぁ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げる白黒。さらに玉兎の話は続く。

 

「それと戦車。戦車も戦争に行ったって」

「な!?どうやって?結界張ったはずよ!?」

 

 今度はアリスが慌てだしていた。

 

 ありえない話の内容。想定外の事態。天子の要石は、砕くのはおろか削る事すらできない。当然動かすなんて不可能。また虎街道へ入る脇道がない以上、ティボーリ混成連隊が街道に入れるはずもない。さらにタイガー戦車。あの戦車は、結界で空間に固定されていた。例え床を削り取っても宙に浮くだけ。どちらもハルケギニアの住人には、対応不可能な代物だ。にも拘らず、どちらも全く効果がなかったかのような状況となっている。

 

 三魔女の表情に厳しさが増す。パチュリーはしばらく考え混んでいたが、意を決したように立ち上がった。

 

「ハルケギニアに行くわ。実際見てみないと、何も分からないし」

 

 他の二人も強くうなずく。すぐに動き出す三人とこあ。鈴仙も慌てて後を追っかけた。霊夢の方は、そんな彼女達を文字通り他人事のように見送るだけだったが。

 

 異常事態に、頭をフル回転させる人妖達。一体何があったのか。ともかく、話が進んでしまったのは確かだ。そしてそれは、リミットが近づいてしまったという意味でもある。『ゼロの使い魔』の世界が、破綻に一歩近づいたと。

 

 

 

 



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合流

 

 

 

 

 

 ロマリア、大聖堂地下、場違いな工芸品が保管されている地下室に、幻想郷の人妖達がいた。並ぶ顔はどれも訳が分からないと言いたいかのよう。それも無理はない。考えていたのとはまるで違う光景が、そこにあったのだから。

 

 パチュリー達は、『ゼロの使い魔』の話が進まないように手を打った。一つは虎街道の封鎖、もう一つはタイガー戦車を使用不能にする。これにより対ガリア戦争の初戦。ヨルムンガンド戦を阻んだのだ。

 ところがどういう訳か、虎街道に軍隊が入り、タイガー戦車も平然と動いていると言う。その原因を探りに、まずは戦車のあった場所、大聖堂地下室に来た。転送魔法を使って。

 そして彼女達の目に入ったものは……タイガー戦車だった。アリスにペテンにでもかかったかの様な唖然とした表情が浮かぶ。だが、じわじわと不機嫌になっていく。露骨に不満そうな視線をターゲットへ向けた。全ての状況を報告した文に。

 

「あるじゃないの!文、話が違うわよ。どういう事?」

「あれ?おかしいですね。でも確かに見ましたよ。動いてる戦車」

「じゃあ、あれは何?」

 

 アリスが勢いよく指さした方向にあるのも、正しくタイガー戦車だ。結界も異常なし。この戦車は1mmも動いていない。首を傾げるしかない文。だが自分が間違えたなどと欠片も考えないのは、さすがは太々しい烏天狗。

 

 ここで鈴仙が何かに気付いたのか、戦車の脇を覗き込んだ。

 

「あれ?ちょっと、ちょっと。こっち来て」

「ん?なんだよ」

 

 魔理沙達は言われるまま、鈴仙の側まで近づく。そして彼女の横から、同じ方向を見た。そこに見えたのは何もない広いスペース。さらに魔理沙の背後から、こあが記憶を探るように空間をぐるりと見る。

 

「こんな所、ありましたっけ?」

 

 一同は、宙を仰いだり首を捻ったり腕を組んで考え込んだのだが、答を出せる者はいなかった。埒が開かないので、皆で戦車の脇を抜け問題のスペースに入って行く。

 この地下室には、数々の物品が置き場所に困っているかのように詰め込まれていたが、ここだけは不自然なほど空いていた。何か意味があると考えるしかない。

 魔理沙がスペースの脇でひざをつく。探るように床を撫でていく。そして見つけた。奇妙な痕跡を。

 

「おい、これ」

「何よ」

 

 アリスは未だ不機嫌。ぶっきら棒な口ぶり。だが魔理沙の指さしたものを見て、顔色が変わった。

 

「これって……」

「履帯の跡に見えるぜ」

「え?戦車って二台あったの?」

「って話になるな。跡があるし」

 

 何か引っかかりがあるが、納得するしかない魔理沙。

 つまりタイガー戦車は二台あり、一台は結界で動かせないようにしたが、もう一台の方が外へと運ばれて行ったという訳だ。

 しかしアリスはまた腑に落ちないというふうに、頬に指を添え眉間に皺を寄せる。

 

「え?でも……あんな大きいのが他にあったの気付かないなんて……。変じゃない?」

「だよなぁ」

 

 白黒も人形遣いと同じく、眉をひそめ顎を弄りながら不思議そうにしていた。誰一人、もう一台の戦車に気づかなかったという話になるのだから。

 喉の奥に異物感があるような居心地の悪い空気の中、パチュリーがポツリを口を開いた。仕切り直すかのように。

 

「一旦、ここは置いといて、とりあえず虎街道の方にも行ってみましょう」

 

 全員がうなずく。ここでいくら頭を捻っても、答が出そうにないので。やがて人妖達は、地下室から瞬時に消えた。

 

 次に現れたのは虎街道のロマリア側入り口。ここでも巨大要石に変わった様子なかった。一方で明らかな問題があった。一目で分かるものが。魔理沙から露骨な文句が飛んでくる。

 

「おい、天子。いい加減な仕事すんじゃねぇよ」

「はぁ!?やったわよ!ちゃんと!」

「んじゃ、なんだよあれは!」

 

 白黒が鋭く指さす先。そこに隙間があった。

 虎街道の入り口には、確かに巨大要石がある。入り口をその要石で塞いでいたハズなのだが、実は完全ではなかった。向って左側に隙間が空いていたのだ。いや、隙間と言うには大きすぎる。砲亀兵隊が通れるほどの"道"があった。つまり虎街道は以前と変わらず、通れたのだ。

 しかしこの状況でも、天子は役目を果たしたと言い張る。それはもう自信一杯に。失敗をごまかそうなんて素振りは微塵もない。

 それから魔理沙と天子の罵り合いが始まった。弾幕ごっこしかねない程の権幕で。とりあえずアリスが魔理沙を、衣玖が天子をなんとか収めたが。

 そんな騒ぎを他所に、要石の脇の"道"まで行っていたパチュリー。喧嘩が収まった頃に、丁度戻って来た。二人の喧嘩などまるで気にしてない。

 

「なるほどね」

「「ん?」」

 

 腕を羽交い絞めにされていた魔理沙と天子、アリス達も一斉にパチュリーの方を向く。

 

「天子はしっかり仕事をやったわ。それと戦車についても見落としはなかった」

「どういう意味だよ。実際、隙間空いてるぜ。戦車も出払ってたじゃねぇか」

 

 魔理沙、苛立ち吐き出すように聞いてくる。しかし七曜の魔女は、相変わらず淡々としたもの。

 

「つまりね。戦車の数も、虎街道の入り口の幅も決まってる訳じゃないの」

「なんだそりゃ?」

「原作には、そんな事書いてないって話よ」

「……!」

 

 パチュリーの言う意味を瞬時に理解したのか、言葉につまる魔理沙。隣のアリスも一時停止。そして人形遣いの表情が、厳しくなっていく。

 

「平賀才人が設定を変えた?いえ、加えた?」

「でしょうね。私達の仕掛けに手を出せないけど、それ以外、少なくともない設定はいくらでも作れるって事なんでしょう。戦車をもう一台増やしたり、虎街道の入り口の幅を広げたりね」

「大道具を作ったり動かしたりは自由って訳ね」

「だって舞台監督だもの」

 

 パチュリーは他愛もない話のように言う。しかし、これは彼女達の予想外の手段。どうもこの世界の管理人は、想像以上に手が多いようだ。

 魔理沙が後頭部を掻きながらぼやく。

 

「おいおい。それじゃ、なんでもアリじゃねぇか。ハードル上がりまくりだぜ」

「そうね。かと言って、こちらも派手にいくって訳にはいかないし。強引な手は、できれば使いたくないもの」

 

 平賀才人に会えなかった上に、次善策すら上手くいかなかった。手詰まり感の漂う人妖達。ここで入って来る衣玖の落ち着いた声。雰囲気が少しだけ落ち着きを取り戻す。

 

「とりえず、現状確認してはどうでしょうか?話が進んだにせよ、どこまでか分かりませんし」

「それもそうね」

 

 七曜の魔女はうなずいた。そして使い魔へ手を差し出して指示。

 

「こあ、13巻と14巻出して」

「はい」

 

 こあは肩に掛けたカバンから本を出した。小説『ゼロの使い魔』を。パラパラとページをめくっていくパチュリー。そして手を止めた。

 

「ここね……。えっとこの後は……」

 

 鈴仙が脇から覗き込んでいた。彼女の胸に、なんともいえない奇妙な感覚が湧き上がる。

 

「変な感じ……。小説の世界の中で、その小説読んでるなんて」

「そうかしら?」

 

 横から人形遣いの一言。他の巻を手にしながら。

 

「予言書みたいなもんでしょ。未来の話、書いてあるんだから」

「あ、なるほど。そういう考え方もあるか」

 

 思わず相槌の玉兎。

 

 とりあえず先の展開を頭に詰め込む人妖達。当面の行先を決める。そして彼女達は宙へと浮くと、次の瞬間には目的地へとかっ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 ロマリア国境から50リーグほどガリアに入った所に、カルカソンヌという町がある。リネン川沿いにあるこの町は、ガリアの南の要とも言えた。それを証明するかのように、大軍同士が足を止め睨み合いが続いていた。

 

 ガリアとロマリアの戦端が切られ、ヨルムンガンド数体がロマリアへと攻め込んだが、ガンダールヴ、すなわちダゴンとデルフリンガーの働きにより撃退。直後に聖戦が布告される。ロマリア軍は異教徒エルフと手を結ぶジョゼフの討伐を名目に、ガリアへと侵攻を開始する。同時期にガリアで反乱が発生。ロマリア軍は反乱軍と合流する。おかげで両軍はスムーズにガリア領内を進んでいった。しかしそれもここカルカソンヌまで。ジョゼフに忠誠を誓う者は少なくはなく、リネン川を挟み両軍は対峙する事となった。

 

 そしてこの町には、ルイズもいた。虚無の担い手である彼女。ロマリアに聖戦の象徴、アクイレイアの聖女として担ぎ上げられてしまったのだ。さらにキュルケやタバサ、ギーシュ達もこの町にいた。一応は軍務として。さらにティファニアもいた。彼女の方は虚無の担い手という立場から、教皇の巫女という肩書きで。

 

 ルイズは双月に照らされたリンネ川を見下ろしていた。高台の上から。ただその焦点の合ってないかのよう。聖女という立場だというのに、どこか呆けたような姿。そんな彼女の背後から声が届いた。

 

「何?聖女様は恋煩いでもしてんの?」

「やめてよ!その聖女様っての」

 

 ルイズが振り向いた先にいたのは、キュルケとタバサ。妖艶な赤髪少女から出てきた、からかい半分の言葉。だが悪意が籠っているようには聞こえない。言われたち当人も、怒っているという様子は見られなかった。このやり取りをあえて言うなら、挨拶のようなものだろうか。

 キュルケはルイズの隣に立つと、同じく川を眺める。

 

「で、どうしたのよ?アンリエッタ女王の心配?」

「それもあるけど……」

 

 アンリエッタは今、この聖戦を止める方法を実行するため帰国していた。だがなんと言っても、あのジョゼフを相手にするのだ。生半可な手段で、どうにかなる訳もない。ルイズが一番に気を揉むのは当然だろう。しかしそれにしては、彼女が心配で気持ちが落ち着かないという感じもはない。むしろ心ここにあらずという様子。眉をひそませるキュルケ。

 

「なんか変よ、あなた。どうしちゃったのよ?」

「ん……。本当に戦争してんのかなって」

「何よそれ?もしかしていきなり聖戦が始まっちゃって、ちょっとショック受けてんの?実感できないって?」

「そうじゃないわよ。今、軍隊が一杯いるけど、明日になったら全部いなくなってたりなんてねって」

「ああ、クロコね……」

「そ」

 

 ちびっ子ピンクブロンドは小さくうなずいた。キュルケやタバサの表情もわずかに陰る。

 

 クロコ。幻想郷の人妖達から聞かされた、この世界に潜む謎の存在。その力は、どんな魔法をも超えていた。いや魔法どころではない。まさしく奇跡と言っていいもの。世界の在り様を揺るがす程のものなのだから。何しろ、あのトリステインの大包囲網をなかった事にしてしまったくらいだ。おまけにハルケギニアの大同盟、虚無条約も消え失せている。そんな力があるのだ。クロコとやらの思惑で、この聖戦だってある日突然消えてしまうかもしれない。

 

 視線を定めず辺りを眺めていたルイズだが、急に不満そうにぼやき始めた。今のモヤモヤとした居心地の悪さを、逸らしたいかのように。

 

「話変わるけど、天子達なんで会いに来ないの?」

「あたしが知る訳ないでしょ」

 

 肩を竦めるキュルケ。

 

 ヨルムンガンドがダゴン操るタイガー戦車によって撃退された時、虎街道の入り口に巨大な岩があったのをルイズ達は見た。他の者達にはそれがなんなのか理解できなかったが、彼女達にはすぐわかった。天子の要石だと。異界の人妖達は、再びハルケギニアを訪れていたのだと。学院の戦闘の後、どうなったか気にしていたが無事だったようだ。一先ず安心するルイズ達。

 しかしどういう訳か、未だに彼女達に会いに来ない。もし学院に行ったのならすれ違いとなるのだが、ルイズ達の行先ならオールド・オスマンが知っている。会う気があるなら、彼に行先を聞けばいいだけ。

 

 タバサは空を見上げる。双月へ視線を合わせる。

 

「たぶん、今回来ているのは今までと理由が違う気がする。やるべき事があるのだと思う」

「けど、挨拶くらいしに来てもいいんじゃないの?そんな時間かかんないでしょ。飛ぶの速いし、転送陣もあるし」

「会う訳にいかない事情あるのかも。本来、彼女達は異界の存在。何か二つの世界に関わる大問題が、起こったならそれも有り得るかもしれない。何にしても私達には待つしかない。私達は幻想郷へは行けないのだから」

「それはそうだけど……」

 

 タバサの言葉の前に黙り込んでしまうルイズ。確かに彼女の言う通りかもしれない。だが今のルイズにとっては、こんな不確かな世界で確かと思えるのは、あの異界の住人達だけのような気がしていた。いろんな意味で揺るぎのないないあの人妖達が。

 

 ルイズは窓枠の腕に頬を乗せ、独り言のようにつぶやいた。

 

「……。学院で大騒ぎしてた頃の方が、良かったなぁ……」

「あら?ルイズって、いっつも連中の文句言ってたじゃないの」

 

 キュルケのツッコミに、ルイズはかつてを思い出すように返す。

 

「そりゃぁ、彼女達が悪さしたら、学院長に呼び出されるの私だもん。文句だって言いたくなるわよ」

「けど、その割には、あっさり許してたわよね」

「なんか口が上手いのよね。あの子達って。その場でしのぎっていうか、誤魔化されちゃうのよ。特に魔理沙とか。けど、代わりに貸しはたくさん作ったわよ」

「その、貸しとか借りってのも方便で使ってただけなんじゃないの?だいたい貸しは返って来たの?」

「う……。いいの!いつか全部返してもらうんだから」

「いつか……ね」

 

 呆れるというよりは、一抹の寂しさを漂わせるキュルケ。いつか貸しを全て返してもらう。だがそんな日が訪れるのだろうかと。彼女達が、これから自分達の前に現れる日があるのだろうかと。ルイズもキュルケと同じ事を考えていたのか、自然と下向きだす。

 そしてまた三人は、双月に照らされた川に視線を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 ガリアとロマリアとの闘いは、未だ膠着状態が続いていた。しかし、それが一変する事態が起こる。ロマリアの秘策によって。その秘策とは、タバサをガリア王として即位させてしまう事。

 この発表を受け、ジョゼフ軍に動揺が走る。いや、もはや混乱と言った方がいい。すでに絶たれたと思われていた王弟家の血統が、実は生きていたのだから。やがて一部の軍が寝返り始める。これを切っ掛けに堰を切ったかのように、次々と白旗が上がる。ついにはほとんどの軍がロマリア、いや新王であるタバサの側についていた。

 

 だがそれでも、抵抗を続ける部隊も残っていた。しかし彼等の頑強な意志も、ついには揺らぎ始める。地平線から現れた大艦隊を目にして。なんと両用艦隊が現れたのだ。しかもロマリア艦隊を伴って。ガリアの力の象徴が、反ジョゼフの意志を鮮明にしていた。ジョゼフ軍の士気をへし折るには、十分な演出だ。

 

 もはや全ては決した。誰もがそう思っていた。ジョゼフの軍と言えるものは、王都リュティスにいる近衛兵とジョゼフ自身のみなのだから。

 

 トリステイン軍の陣では、兵達が興奮気味に語らっていた。勝ったも同然という言葉が口々に出てくる。彼等もまた、もうこの戦争は終わったと考えていた。その中には、近衛隊として招集されたトリステイン魔法学院生徒達も含まれていた。

 マリコルヌが遠見の魔法で、大艦隊を眺める。その余分な脂肪を揺らしながら何度も飛び跳ねつつ。

 

「来たよ!来た来た!いや、信じられないよ。あの両用艦隊が味方だなんて」

「全くだね」

 

 ギーシュの方は望遠鏡で同じ方角を見ていた。マリコルヌと同じく声が弾んでいる。ハルケギニアにその名を轟かせたガリアの両用艦隊。それが味方なのだ。喜ぶのも無理はないだろう。

 

 だがそれを面白くなさそうに見るピンクブロンドが一人。

 

「なんでタバサ、王様になるなんて話になってんの?そりゃ、一応王族だけど」

「たぶん母さまのためよ」

 

 横のキュルケへ、意外そうに顔を向けるルイズ。

 

「母さま?」

「あの子の母さま、すっかり元気になったけど、今でも隠れ住んでるでしょ?タバサって、母さまを日の下に出すために、ゲルマニアの皇后にまでなろうとしたのよ?ガリアの王様になるくらい、なんでもないでしょ」

「そっか……。そうよね。あの子の母さま、まだ吸血鬼の所にいるんだもんね」

 

 ルイズはふと思い出す。エルフの毒に冒されたタバサの母親は、永琳の薬で治した事を。だが本来彼女は、ガリア王家によるタバサへの人質。毒に冒されたまま放置されていたのもそのためだ。全快した事実をガリア王家が知れば、ただでは済まない。結局彼女は、住み慣れた家を離れるしかなかった。そして彼女を匿っているのが、ヴァリエール家と縁のあるダルシニ、アミアス吸血鬼姉妹。彼女達の所なら一応は安心できる。だからと言って、いつまでもこのままという訳にもいかないのも確かだった。

 

 ここで突然、項垂れるキュルケ。

 

「あ~……でも、もう滅多に会えなくなっちゃうのね……」

「タバサと?」

「だってガリア王よ。ゲルマニアの皇后だったらお忍びで会えるだろうけど、さすがにガリアの王様じゃ無理よ。外国の王様だし……」

「そりゃそっか……」

 

 同じ国で、しかも幼馴染であるアンリエッタにすら、ルイズは簡単には会えない。いくらキュルケがゲルマニアの有力貴族の娘と言っても、ガリア王と会うのはかなり難しいだろう。

 

 ただ戦場にいながらも、友人との今後に頭を悩ませているのは、二人にもどこかこの戦争はもう終わるという楽観した気持ちがあるからだろうか。

 二人は再び空を見上げた。少しずつ大きくなっていく大艦隊を。ぼやけていた輪郭がハッキリしだす。つくづく巨大な艦隊だと噛みしめる。トリステイン包囲網の時はこの艦隊をやり合う気でいたのだから、思い返してみると背筋が寒くなってきた。

 だが全ては終わった事だ。二人は流れる雲でも見るかのように艦隊を眺める。

 

 突然、艦隊が光った。いや、巨大な火球が現れた。艦隊の中央に。

 思わず目を覆う二人。

 

 次の瞬間には、耳を引き裂くような爆音と、猛烈な風が吹き付ける。

 混乱する兵、馬のいななき、吠えるドラゴン。悲鳴とも怒号とも言えるような叫びが次々と上がる。

 ルイズとキュルケはゆっくりと瞼を開けた。その目に映ったのは、もうもうと煙を上げながら落ちていく戦艦だった。しかもその数は尋常ではない。あの大艦隊の半分近くにも上る。

 

 赤髪の少女が茫然と身を固めたまま、言葉を漏らす。

 

「何が起こったのよ……」

 

 ルイズの方も我を忘れていたが、次の瞬間には似たような光景が頭に浮かんでいだ。視線が鋭くなる。あれだけの爆発だ。彼女が今脳裏に描いているものは、一つしかない。自分の持つ虚無の力。

 

「『エクスプロージョン』!?」

「え?あれって虚無の魔法!?」

「それしか考えられないわ!だってガリア王は虚無の担い手よ!」

「そうだったわね……。え?ちょっと待ってよ。だったら、ここに来てんの?ガリア王って」

「!」

 

 思わず向き合う二人。ルイズの予想通りならそうなる。すると突然二人の背後から声がかかった。

 

「おい!」

 

 警告するような鋭い響き。振り返った先にいたのは魚の化物、もといダゴンとデルフリンガーだった。ルイズは悪魔の使い魔とインテリジェンスソードを叱りつける。

 

「あんた達、今までどこ行ってたのよ!」

「それは後だ!それよりあの爆発」

「そうそう。『エクスプロージョン』でしょ。ガリア王近くに来てんの?」

「ありゃ、魔法じゃねぇよ。『火石』だ」

「『火石』?って……あっ!学院で使ったヤツ!?」

「それだ。そのでっかいヤツだぜ」

 

 学院での出来事を思い出すルイズ。必死だったのでよく覚えていないが、あの爆発の全てを飲み込むほどの力だけは忘れようがない。

 デルフリンガーは、急かすように畳みかける。

 

「けどよ、ガリア王が近くに来てんのは確かだぜ。『火石』はヤツにしか使えないからな」

「どこよ!」

「あれだ」

 

 ダゴンはデルフリンガーで指し示す。空を。リネン川の向こう。今は少なくなったジョゼフ軍のさらに先。何かが浮かんでいた。どうも船に見える。しかも軍艦に。

 ルイズは目を凝らし、なんとか艦を確認しようとする。遥か先にある船を。だがだんだんと首を捻りだす。そこに見えるのはわずか一隻。しかもそれほど大きくない。ガリア王ともあろうものが護衛もつけず、一隻でくるとは。本当にあれにジョゼフが乗っているのだろうか。

 

「止めにいくぜ!」

 

 デルフリンガーの言葉に思わず振り返るルイズ。インテリジェンスソードの声には確信が籠っていた。絶対にあそこにジョゼフがいると。ルイズは強くうなずいた。もうこれ以上、好きにさせる訳にはいかない。

 

「分かったわ。けど、どうやって止めるのよ」

「お嬢ちゃんの『エクスプロージョン』で消しちまうのさ」

「消す?あっ!」

 

 『エクスプロージョン』には爆発を起こす効果ともう一つ、対象を消し去る効果があった。それで『火石』を消し去ってしまおうというのだ。杖を強く握るルイズ。

 

「行きましょ!」

「それはいいけど、どうやって行くのよ?あなた、もう飛べないのよ」

 

 キュルケに言われて思い出した。もうリリカルステッキはない。かつてのように、自在に飛ぶ事ができなくなっていた。

 するとその時、大きな影が三人を覆う。見上げた先にいたのはタバサの使い魔、シルフィードだった。デルフリンガーから不敵な声が出てくる。

 

「乗合馬車なら頼んでおいたぜ」

「誰が馬車なのね!」

 

 思わず文句を言ってしまうシルフィード。だがルイズとキュルケは、この話す竜を前にしても当然のようにしていた。実は以前、魔理沙達がつい口を滑らせてシルフィードが風韻竜であると知られてしまったのだ。もちろんタバサによって、厳重に秘密にしておくように言われているが。

 しかし今はそんなものは些末な事。二人はシルフィードに飛び乗った。すぐさま飛び立つ風韻竜。同じく空を飛べるダゴンが続く。

 

 彼方に見える一隻のフリゲート艦。だが、そこから何かが飛び出してきた。目のいいシルフィードが叫ぶ。

 

「ドラゴンのおもちゃがこっちに来てるのね!いっぱい!」

「おもちゃって……ガーゴイル!?」

 

 キュルケが慌てた声を上げた。

 

「ちょっと、どうすんのよ!これじゃ艦に近づけないわよ!」

 

 姿がハッキリしだすガーゴイル。たしかにドラゴンのような形状をしていた。数もかなりのものだ。ルイズは唇を強く噛む。おそらくシェフィールドが操っているのだろう。ジョゼフがいるのだから、彼女がいるのは当たり前だ。

 ルイズは並んで飛んでいるダゴン達へ叫ぶ。

 

「デルフリンガー!ダゴンの悪魔の力でなんとかならない?」

「簡単にはいかねぇな。こいつは生き物には強いが、ああいう機械みたいなのは苦手なんだよ」

「……!」

 

 歯ぎしりをするしかないルイズ。打つ手が思いつかない。リリカルステッキがないので弾幕も撃てない。いっそ『エクスプロージョン』で全て破壊してしまうか。だがここで使っては、『火石』に使う精神力が足らなくなるかもしれない。それでは本末転倒だ。

 しかし考えを巡らせている暇はもうなかった、ガーゴイルたちはもうそこまで迫っている。攻撃を開始する竜のガーゴイル達。なんとかシルフィードは攻撃をかわす。キュルケは魔法で、ダゴンはガンダールヴとしての機敏な動きで対抗する。とりあえずは対応できているものの、この状況ではガーゴイルの群を突破し、ジョゼフに近づくなど無理だ。

 その時、ふと一体のガーゴイルがルイズの目に映る。それは何故か自分達の方ではなく、艦隊の方へ向っていた。真っ直ぐに。デルフリンガーが、鋭く叫んだ。

 

「マズイ!あいつ『火石』持ってやがる!」

「えっ!」

 

 ルイズは慌てて杖を向けるが、かなり速い。しかも詠唱している暇がない。もう防げない。みんなを守れない。あの大爆発が、大惨事が再び起こるのか。

 

 いきなり強烈な光が放たれた。あのガーゴイルがいた場所で。『火石』が爆発したのだ。

 だがそれは艦隊のいる場所ではない。はるか手前。逆にルイズ達の方が巻き込まれかねない。いや確実に巻き込まれる。高熱の光は一瞬で、文字通り破裂するように広がっていた。逃げるなど不可能。このまま焼き尽くされるのか。灰となって砕け散るのか。

 

 だが……何も起こらなかった。火傷どころか熱さも感じない。閉じた瞼を開け、目を細めて爆発の方角を見る。見えたのはどんどん小さくなっていく光の球。あの強烈な爆発が抑え込まれている。何かに吸い込まれている。やがてはランプの灯りほどに小さくなり消え失せた。何事もなかったように。

 いや何もなくはない。何かがあった。いた。光の中心だった場所に。人影が。

 

「天子……」

 

 ルイズはその名をつぶやいていた。

 

「天子じゃないの!」

 

 口を一杯に開け、大声を上げるピンクブロンドの少女。無意識に手も振っていた。自分はここにいると言わんばかりに。迷惑ばかりかけられていたが、懐かしの顔におもわず頬もほころぶ。

 しかし当の天人は、ルイズ達に気付く素振りも見せず、真っ直ぐカッ飛んでいった。ジョゼフの艦に向かって。呆気に取られるしかないルイズ達。

 

 一方、呆気に取られている人物達は他にもいた。現在のガリア軍唯一の艦の甲板の上に。ジョゼフ達だ。両用艦隊とロマリア艦隊を全滅させるために、大型の『火石』を放ったのだが、何もしていないにも関わらず突然爆発した。しかも爆発は想定したものと比較にならないほど小さく、さらに何かに吸い込まれるように消え失せたのだ。

 茫然とし、動くという事を忘れたかのようなガリア王。

 

「何が……起こった?」

「…………」

 

 隣にいるシェフィールドも、同じく固まったまま。ただもう一人は、祈りながら震えた声をもらしていた。

 

「良かった……」

 

 アンリエッタだ。平和交渉のため自らジョゼフの元に乗り込んだのだが、逆に捕らえられ無理やり乗艦させられていた。隣には護衛でついてきたアニエスも、同じく身動きできない状態にあった。

 

 不満そうに歯ぎしりをするジョゼフ。すぐさま吐き出すように命令を放つ。

 

「ミューズ!次の『火石』を用意しろ。一番大きいヤツだ」

「……」

 

 だが何故か忠実な使い魔から返事がない。苛立ちを放つかのように、勢いよく振り返るジョゼフ。再度命令を出そうとする。だが命令は出なかった。代わりに出てきたのは驚き。

 

「貴様ら……」

「私は初めましてかしら。ガリアの王様」

 

 寝間着姿をしたような紫色の髪をした少女がいた。異界のヨーカイが。いや、彼女だけではない。あのトリステイン魔法学院を襲撃した時に見た、明らかにハルケギニアの住人ではない者達が揃っていた。しかもあの時より数が多い。

 さらにジョゼフ達の背後からまた声がした。気安い響きが。

 

「よっと」

 

 振り向いた先にいたのは、黒い大きな帽子、カラフルなエプロン、さらに腰に剣を添えた少女だった。パチュリー、魔理沙、アリス、こあ、文、鈴仙、衣玖、天子。計7人の人妖が甲板上に揃う。

 

 周囲をヨーカイ達に囲まれ、身構えるジョゼフとシェフィールド。ミョズニトニルンは警戒感を体中に満たし、異世界の者達を睨みつける。

 

「貴様らどこから入った。周囲はガーゴイルが見張っていたはず……」

「どこからでもよ。見張りなんて意味ないわ」

「何?」

 

 人形を周囲に漂わせている少女の言葉に、シェフィールドは一つ思い出した。このヨーカイ達は瞬間移動する魔法が使えると。侵入を物理的に防ぐのは不可能だと。

 ともかく彼女達が主の邪魔をしたのは事実。すぐさま動くミョズニトニルン。

 

「やってしまいな!」

 

 一斉に護衛のガーゴイルたちが動き出した。槍を突き出し、剣を振り下ろす。まるで対応できないヨーカイ達。しかし……。

 

「な……!?」

 

 シェフィールドの表が驚きに包まれる。何故なら、ガーゴイル達の攻撃は武器が刺さるどころかヨーカイ達にかすり傷一つつけられなかったのだから。すると魔理沙が一体のガーゴイルの剣を掴んだ。彼女は大して力も込めず、剣を握りつぶしてしまう。そして口端を釣り上げ、不敵な視線を二人に向けてきた。

 

「悪いな。あんたらからすると、かなりインチキしてるんだわ。こんなもん紙人形と同じだぜ。その自慢の『火石』も、今の私らにはロウソクの火以下だぜ」

「……!?」

 

 シェフィールドには、この白黒魔女の言っている意味がまるで分からない。すると紫魔女が答を披露。

 

「そうね。劇に没入してたのだけど、もう冷めたって所かしら。今の私達は観客。そして観客は台本の設定には縛られないって話よ」

「??」

 

 益々混乱するしかないミョズニトニルン。やはり理解できない。

 するとガリア王が一歩前に出る。人妖達と対峙。

 

「それで、貴様たちは何しに来た?あの時の意趣返しか?それとも、お前達もあの教皇の口車に乗せられたのか?」

「教皇の口車?ああ、虚無条約がなくなった話ね。あれ、ヴィットーリオのせいじゃないわよ。後、両用艦隊が向こう側に付いたのもね」

「どういう意味だ?」

 

 怪訝に顔を歪めるジョゼフ。彼にとってのこの戦争は、虚無条約をふいにしたヴィットーリオへの制裁でもあった。それが、原因は彼にないとヨーカイは言う。

 しかしジョゼフの疑問など、パチュリー達にとっては大して重要ではない。

 

「とりあえず、その話は後にしましょ。まずはハッキリさせておくわ。今の私達はあなた達の味方よ」

「何を言っている!?」

「あなた達を守ってあげるわ」

「……!?」

 

 戸惑いと疑念の混ざったような、なんとも言い難い表情のガリア王。先ほどは彼の邪魔をしておいて、今度は逆の言葉を口にする。ヨーカイ達の意図がまるで読めない。

 だが別の所から慌てた声が上がっていた。アンリエッタだ。

 

「ど、どういうつもりですか!?この方は『火石』で、ロマリアを蹂躙しようとしているのですよ!」

「らしいわね」

「知ってて、ガリア王を守ると言っているのですか!」

「ええ」

 

 パチュリーのこの一言には、当然とでも言いたげな揺るがないものが籠っていた。

 アンリエッタの表情から血の気が引いていく。同時に困惑が渦となって頭をかき乱す。今までルイズと力を合わせ、トリステインを救ってくれた彼女達。それが今は何故か、ジョゼフ側につくと言う。しかも彼女達の力は以前目の前で見た。その強大な力が相手となるのだ。もはや世界は終わりか。大きく項垂れ、絶望がトリステイン女王から涙を流させる。

 彼女の従者であるアニエスも、敵意を人妖達に向けた。激しい怒りを込め。

 

「貴様達!何をやろうとしてるのか、分かっているのか!?」

「もちろん」

「裏切るというのか!私達を!私は、私はお前達を信じていた。信じていたのだぞ!一体何故……」

 

 だがその言葉が突如途切れた。後ろからの強引に力によって。投げ飛ばされたのだ。アニエスとアンリエッタが。二人は艦の外へと吹っ飛んで行く。

 

 いきなりの出来事に、またもガリアの虚無の主従は驚きを隠せない。しかしこんな突発イベントに、人妖達は平然としたもの。むしろ想定通りと言ったふう。船外へと落ちた二人が助かるのも知っているかのように。

 

 そして、トリステイン女王と近衛隊隊長を投げ飛ばした当人へと視線を送った。パチュリーが珍しく不敵な表情を向けていた。悪魔とインテリジェンスソードに。

 

「あら、デルフリンガー。一足遅かったわね」

「つくづく面倒臭え連中だな」

 

 外の世界の人妖と、中の世界の監督助手がまたも対峙していた。

 アリスが人形達を宙に漂わせながら、勝ち誇ったように話しかける。

 

「もう、ジョゼフとシェフィールドに手は出させないわ。お話はここで一旦中断。幕間に入って休憩タイムよ」

「戦いのラスト直前で幕間に入ったら、観客からブーイングの嵐だぜ」

「観客は私達だけよ。ブーイングはしないから安心して」

「それでも進行を止める訳にはいかねぇな」

 

 ダゴンはデルフリンガーを握りしめると、アリス達の方へ向ける。対する人妖達は、ジョゼフとシェフィールドを囲った。まさしくジョゼフ達を守るかのよう。ガリアの虚無の主従はこの状況に当惑するだけ。双方の会話もまるで意味不明だ。

 

 パチュリー達は余裕を持って、ダゴンとデルフリンガーに対峙する。彼等が自分達を倒すなど万に一つもありえない。いや、この世界の誰であろうともそれは不可能だ。今となっては、紅魔館の妖精メイドすら彼等にとってはエルフ以上の難敵だろう。なぜならもう彼女達は、『ゼロの使い魔』の外の存在なのだから。

 

 しかしどういう訳か、デルフリンガーから全く焦りが感じられなかった。するとダゴンはデルフリンガーを両手で振り上げ。そして勢いよく床へと突き刺した。人妖達は身構える。自分達に歯が立たつ訳がないと分かってはいるが。

 

 するとまた起こった。例のものが。地震が。

 

「まさか……!」

 

 パチュリーが叫んだ時には遅かった。七曜の魔女が振り返ると、ジョゼフとシェフィールドの足元に穴が開いていた。底の見えない真っ暗な穴が。

 

「なっ!?」

「えっ!?」

 

 ガリア王とミョズニトニルンは、その一言だけを残して穴へとストンと落ちていく。人妖達が二人手を伸ばそうとした時には、何もかも手遅れ。ジョゼフとシェフィールドは、この世界から消え去った。ハルケギニアを混乱させ続けたガリアの虚無の主従の、呆気ない最後だった。

 

「チッ!」

 

 魔理沙が舌を打つ。そしてデルフリンガーへゆっくりと振り返った。鋭い視線を向ける。

 

「おいおい、原作と筋書が違うぜ」

「『リコード』の魔法を受けたジョゼフが、シェフィールドと自爆して幕のハズってか?」

「ああ」

「その通りさ。筋書は変わらねぇ」

「あ?何言ってんだ?もうジョゼフもシェフィールドも、退場させちまっただろうが」

 

 もういない二人が『リコード』の魔法にかかり、自爆するなどありえない。だが何故かデルフリンガーから余裕は消えない。インテリジェンスソードは、ペテンの種明かしでもするように話しはじめた。

 

「『リコード』を知ってんのは、使ったヴィットーリオと、かかったジョゼフだけだ。けどもうジョゼフはいねぇ。ヴィットーリオが使ったと思ってれば、筋書に変更はないのさ」

「ヴィットーリオの記憶を弄った?」

 

 思わず身を乗り出すアリス。その手があったと言わんばかりに。多くの人間の記憶を弄るのは、平賀才人が散々やってきた事だ。完全に見落としていた。

 ダゴンはうなずく。デルフリンガーの代わりに。そして上を指し示した。

 

「さてと、この艦も筋書通り上昇して爆発する。あんたらはどうする?」

「……」

 

 一発殴ってやろうかというような、不満が人妖に溜まり始めていた。一度ならずも二度までも、『ゼロの使い魔』の監督と助手にしてやられて。しかしそんな中、七曜の魔女だけは落ち着きを忘れていない。調停官かのように話しだす。

 

「デルフリンガー。こんな妙な具合になってんのはどういう訳かしら?」

「妙な具合?何の話だよ」

「私達の目的は同じはずじゃない?ルイズと平賀才人の物語をハッピーエンドにする。違う?」

「…………」

 

 急に黙り込むインテリジェンスソード。そして言葉を押し出すように問い掛けた。

 

「あんたらに手があるってのか?」

「まあな」

 

 この剣へ不満は収まってないがここは抑える。気分を切り替えるかのように、勢いよく箒を回転させ肩にかける魔理沙。そして斜めに構えた普通の魔法使いは、秘策を口にした。彼女達がやろうとしている事を。

 

「平賀才人を神様にするんだぜ」

「は?何だそりゃぁ?」

「そのままだぜ」

「だいたいそんな事できんのか?」

「できなきゃ、やるなんて言わねぇよ」

「……」

 

 あまりの突拍子もない内容に、デルフリンガーの頭も止まる。才人を神にすると言う。どうしてそんな結論になったのか、まるで分からない。もちろん方法なんて思いつく訳もない。しかし目的の方は、なんとなく想像がついた。神様、つまりはデウスエクスマキナという訳だ。

 いきなり鼻で笑いだすデルフリンガー。

 

「ハッ!なるほどな。なんでもありな神様なら、楽屋に引きこもらなくって済むかもな。それに全能の力で、大活躍って訳だ」

「無双大暴れだぜ」

 

 魔理沙が両手を芝居かかったように広げる。だがそんな彼女に返って来たのは、沈んだインテリジェンスソードの声。

 

「ダメだな。分かっちゃねぇよ」

「何がだよ?」

「やっぱ任せらんねぇ。あんたらにはな」

 

 デルフリンガーの答には怒りすら感じられた。だが同時に、どこか悔しげな気配も混ざり込んでいる。

 ダゴンは人妖達を無視し、急にデルフリンガーを振り上げ真っ直ぐ床に突き立てた。苛立ちをぶつけるかのように。すると足元に穴が開く。また真っ黒な穴が。

 

「あばよ」

 

 その一言だけ残し、監督助手は楽屋へと落ちて行った。

 

「おい!」

 

 魔理沙が足を踏み出したときには、すでに穴は消え去っていた。

 

「なんなんだよ。あいつは」

 

 白黒にはデルフリンガーの怒りの理由が分からない。

 ただし他の人外達の反応はバラバラ。パチュリーは肩をすくめ、こあと鈴仙は苦笑い。文は楽しげで、天子と衣玖は感心なさげ。そしてアリスは頭を抱えていた。

 腕を軽く組んだアリスが、少々呆れ気味に魔理沙に近づいて来る。

 

「あのね。魔理沙……」

 

 しかし、彼女の言葉が突然中断。馴染の響きの前に。

 

「あっ!あんた達!」

 

 一斉に声の方を向く人妖達。彼女達の目に映ったのは、忘れようもない人物。ちびっ子ピンクブロンド。あのルイズだった。

 それまでの空気も態度も一変。焦る人妖達。かなり困った人物に出会ってしまったと。元々、ルイズ達を巻き込まない形で、事を終わらせようとしていたのだから。

 

 鈴仙が露骨に慌てふためいていた。

 

「ど、どうしよう。一旦幻想郷に戻る?」

「しゃーねぇか。ずらかるぜ」

 

 魔理沙はうなずくと、転送陣を展開しようと八卦炉を取り出す。しかしそれを遮るものがあった。パチュリーの手が魔理沙の懐に添えられていた。

 

「待って。魔理沙」

「何だよ。邪魔すんな」

「予定、ちょっと変えるわ」

「変える?」

「ルイズに手伝ってもらうのよ」

「おいおい、そりゃちょっと所じゃねぇだろ!どうすんだよ!?」

 

 怒鳴るかのように問いかけてくる魔理沙に対し、パチュリーはいつもと同じ眠たげな視線を向けるだけ。しかしその目の奥には、何か思案が巡っているのが窺えた。大きな溜息の後、黙り込んでしまう白黒。肩にかけた箒に両手を預け背を向けた。勝手にしろと言いたげに。

 

 そんな人妖達の思惑など露知らず、ルイズが駆け寄って来た。

 

「もう!一体、今まで何やってたのよ!」

 

 大きな笑顔でピンクブロンドが揺らしならがら、飛び跳ねるかのように近づいて来る。体中から嬉しさがあふれ出ているかのようだ。パチュリー達も自然と顔が緩む。

 

 いずれにしても、これで予定していた計画は大きく変更するしかなくなった。だがこんなルイズが見られるなら、それでも構わないかと思ってしまう幻想郷の人妖達だった。

 

 

 

 

 



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最後の仕掛け

 

 

 

 ガリアでの戦争は、反ジョゼフ側の勝利で一応の終結を見る。その後、タバサ、すなわちシャルロット・エレーヌ・オルレアンが新王として即位。溢れんばかりの歓声を持って迎えられた。

 だが、称えられるタバサ自身の胸中は、見える光景とは違い複雑なものに満たされていた。王位は別に望んでいた訳ではない。そして、ジョゼフが何故自分達を貶めるような凶行に走ったのか知る事もできなかった。欲しくないものを得、欲しいものを得られなかった。しかしそれでも素直に喜べるものはある。たった一人の肉親を守れたのだから。彼女の母親を。

 

 一方、ヴィットーリオは各国へハルケギニアが置かれている危機について伝えた。すなわち地下に眠っている巨大風石についてだ。このままではハルケギニア全土が崩壊すると。かつての記憶のあるアンリエッタ達には、いまさらの話ではあったが、それでもあらためて危機を再認識したには違いない。

 

 それからタバサはガリアに残る。治世が変わったのだ。やらねばならない事が山のようにある。一方、ルイズ達は学院へ戻っていた。幻想郷の人妖達は言うと、タバサの戴冠式までは同行したが、その後少し遅れて学院へ向かう事になった。少々厄介な状況が発生したので。

 ところでアンリエッタ達だが、パチュリー達が裏切ったと思った彼女達を、人妖達は策略だなんだと適当な説明をして丸め込んでしまう。ともかくトリステイン王家からの信頼は一応回復できた。

 

 ようやく日常を取り戻したトリステイン魔法学院。ただ終戦から間もないという事もあって、しばらく授業は休講となる。何にしても生徒達にとっては、久しぶりの連休だ。そんな学院の廊下を目立つ集団が歩いていた。ピンクブロンドの少女が先頭に立って。もちろんルイズと人妖達だ。向かう先は馴染の部屋。彼女達に割り当てられた寮の部屋だ。進むルイズの足取りはどこか軽い。大げさに両手を広げ、弾んだ声で言う。

 

「すごい爆発だったけど、学院、なんともなかったのよ。あんた達何かした?」

「結界張ってたから、その影響かもね」

 

 パチュリーは世間話かのように答えた。ルイズは腕を組んで唸る。

 

「へー、やっぱ凄いのね。パチュリーって。『火石』の爆発よ?あれ防いじゃうなんて」

「……」

 

 とりたてて自慢する訳でもなく当然とでも言いたげに、悠然としている紫魔女。

 だが真相は違う。一度学院は消え失せた。しかしその直後、平賀才人が原作に近づけるためにハルケギニア全てを大改編。その時に、学院も再構築したのだ。唯一以前と同じと言えるのは、これから向かう先。結界で守られていた幻想郷の人妖達の部屋だけだ。そこだけは、火石の爆発でも消えなかった。

 

 一行は目的地へとたどり着く。ドアを颯爽と開け、先に入るルイズ。

 

「どう?前と全然変わってないでしょ」

「ふ~ん……。そうみたいね」

 

 アリスが部屋中をなぞる様に眺める。調度品などはもちろん、アジトへの転送陣もそのままだ。全員が部屋へと入ると、各々はいつも変わらぬ様子でくつろぎだした。そしてパチュリーがルイズへ声をかける。

 

「ルイズ。いろいろ話したい事はあるでしょうけど、とりあえず後にしましょ。こっちも一旦落ち着きたいし」

「それもそうね。うん。分かったわ」

 

 ルイズは踵を返すと、出口へと向かった。だがノブに手をかけようとして、足を止めた。そして振り返る。気恥ずかしそうに。

 

「えっと……。その……お帰り」

「……。ええ、ただいま」

「んじゃ、後でね」

 

 ピンクブロンドの少女は一層頬を緩めると、落ち着きなくドアを閉め自分の部屋へと向かった。

 ただ彼女を見送ったパチュリーの方は、少々複雑な心持ち。ルイズからすれば、二ヶ月近く経った久しぶりの顔合わせだ。嬉しさが込み上げてくるのも分からなくもない。しかしパチュリー達にとっては、1日と少々しか経過していなかった。久しぶりとは言い難い。

 一つ息を挟むと、今度は人妖達へ向き直る七曜の魔女。

 

「とりあえず、アジトに行きましょうか」

「だな」

 

 魔理沙が答えた。その直後、彼女達はその場からすぐに消え去る。この部屋の転送陣を使わずに。『ゼロの使い魔』自体を魔法陣で囲んでいる今。ハルケギニア内はもちろんサハラへでさえも、自在な移動が可能となっていた。

 

 

 

 

 

 一同がアジトに到着すると、まずはリビングへ直行。部屋へ入ると、さっそく魔理沙が片手を軽く上げ、部屋の主に声をかけた。

 

「よっ!留守番ご苦労さまだぜ」

「別に苦労などしていない」

「挨拶だ。挨拶」

 

 魔理沙へ言葉を返したのは、リビングの祠にある水瓶。すなわちラグドリアン湖の水の精霊、通称ラグド。

 ここは幻想郷組がハルケギニアで、ずっと使っていた廃村のアジト。結界を張っていたのもあって、こちらもなんの変わりもない。

 

 全員がリビングに揃うと、さっそくアリスが紅茶を入れ始めた。こあと人形達がカップを配っていく。置かれたカップにさっそく手を付ける魔理沙。だが気になる事が過ったのか、カップを戻す。紫魔女へ早速質問。

 

「そういやぁ、パチュリー。お前、ルイズに手伝ってもらうって言ってたよな。あれって、どういう意味だ?」

 

 紫魔女は紅茶を一口だけ味わった後、溜息を一つ挟んでから答えた。

 

「あなたが余計なこと言ったせいで、デルフリンガーの信用、完全になくしたからよ」

「なんか言ったか?」

「平賀才人を神様にするって言ったでしょ」

「おいおい、何も間違ってねぇだろうが」

「その後。万能の存在にするとかも言ったでしょ」

「そりゃ、アイツの方だ。私は悪くないって言っただけだぜ」

「それがダメなのよ」

「何がだよ?」

 

 少々不機嫌そうに、眉を歪める魔理沙。今一つ分かっていない。そんな彼女にアリスは呆れ気味。

 

「あのね魔理沙。『ゼロの使い魔』は冒険譚でもあるのよ。主人公が万能じゃ冒険譚にならないでしょ?」

「そっかぁ?」

「そうなの。それにコンプレックス持ちのルイズが、自分の使い魔が万能じゃ余計にこじらせちゃうわ」

「それは……ありそうだな」

 

 ようやく理解する白黒。バツが悪そうに黙り込む。ここでパチュリーがようやく彼女の質問の答を披露。ルイズを巻き込んだ目的を。

 

「今のままじゃ仮に平賀才人と会えても門前払い受けそうなのよ。だから、ルイズに仲介してもらおうって考えてるの。さすがに彼女の話なら聞くでしょ?」

「え?じゃぁ、ルイズに全部話すの?」

 

 鈴仙が驚いて身を乗り出していた。だがパチュリーの方は、大騒ぎする程のものでもないというふう。

 

「必要な部分だけよ。それに全部話しても、受け入れられるか怪しいもの。混乱させるだけだと思うわ」

「そうよねぇ。実はあなたは小説の登場人物だったのよ!とか言われても、ピンとこないだろうし」

 

 小さくうなずく玉兎。

 棚に身を預けていた衣玖がカップを口元から離すと、話に入ってきた。

 

「ルイズさんと話した後はどうします?とりあえず幻想郷に戻りますか?」

 

 パチュリーは首を振る。

 

「いえ、ここに残るわ。また『ゼロの使い魔』の話を進められたら、こっちの手は狭まる一方よ。それにハルケギニアの方が取れる時間は多いし」

「ですが、平賀才人の手の内ですよ」

「結界があるから大丈夫。私達の結界に手を出せないのは証明済みだもの。それでも心配なら、結界をもっと強化すればいいわ」

 

 確かに前回、幻想郷でわずか一日と少し過ごしただけで、ハルケギニアでは二ヶ月近くの時間が経っていた。外に出るのは得策とは言えないだろう。

 皆の話をメモに取っている文。話が一旦途切れたので紅茶を一口飲む。するとラグドへ近づいていった。

 

「そうそう、ラグドさん。私達がいない間、何か変わった事はありませんでしたか?」

「特にない。ただ、あのエルフは出て行ったぞ」

「エルフ……。えっと、ビダーシャルさんでしたっけ」

 

 文は宙を仰ぎながら記憶を探り、その名を引っ張り出す。ビダーシャルには一度しか会ってないので、すっかり忘れていた。

 ジョゼフによって捕らわれていたビダーシャルは、パチュリー達に助けられここで匿われていた。もっともそれは、行きがかり上そうなったのであって、彼女達の思惑とは違っていたのだが。

 メモに鉛筆を走らせる烏天狗は納得顔。

 

「仕方ないと言えば、仕方ありませんね。二ヶ月近く、姿は見せない音沙汰はないじゃ」

「ですが、どこへ行ったのでしょう?」

 

 衣玖の何気ない問いかけ。その答えもラグドから。

 

「サハラへ帰ると伝言を残していった」

「なるほど。ハルケギニアにもう寄る辺がないとなると、それしかありませんか」

 

 鈴仙がクッキーを手にしつつ、ポツリと言う。

 

「それって、原作通りよね」

「確かにですね」

 

 うなずく文。多少中身は違うが、ビダーシャルがガリア戦後にサハラへ向かうのは原作の筋書だ。すると玉兎は何かに気付いたのか、頬に指を添え、首を傾げていた。

 

「けど、これからメインの筋書、どうするつもりなのかな?」

「どうって、なんだよ?」

 

 力を抜いてソファーに沈み込んでいる魔理沙が、鈴仙へ視線だけ向ける。

 

「この後って、平賀才人は領地を貰ってルイズと同居始めるんでしょ?それからタバサの双子の妹ジョゼットが登場して、元素の兄弟と戦うって」

「だな」

「だけどルイズが平賀才人と同居するって決めたのは、要は恋人と暮らしたいからでしょ?」

「けど今の使い魔は、天子とダゴンだ。恋人なんてもんじゃないぜ」

「そうなのよねぇ。このままじゃ、話が先に進まないんじゃない?」

「だよなぁ。ん?待てよ。それって、もしかして邪魔して時間稼ぎする必要ない事か?話が進まないんだし」

 

 話が進まないのなら、『ゼロの使い魔』への対策をじっくりと考えられる。しかしパチュリーの呆れた声が入って来た。

 

「そんな訳ないでしょ。平賀才人は絶対止まらないわ」

「けど、どうやるんだよ。ダゴンがルイズに惚れるとか、無茶な展開でもするのか?」

「それを私達が考えても意味ないわ。少々いびつでも話を強引に進めるでしょうね。それにあの舞台監督の手が多いのは、経験済みでしょ?」

「そりゃそうか。ってなると、やっぱ邪魔するしかないか」

「ええ」

 

 淡々としたパチュリーの一言。だがここでアリスが口を挟む。こちらは何故か神妙な面持ち。

 

「本当に、平賀才人は止まらないのかしら?」

「分かり切ってるでしょ」

 

 断言する紫魔女。しかしアリスの表情は冴えない。彼女には以前から、腑に落ちないものがあった。自分達が考えている平賀才人の狙いに、違和感を抱いていた。カップをソーサーに置くと、話を始める人形遣い。

 

「ほら、私って人形劇やってるじゃないの。それで話作ってる立場として考えたんだけど、彼が止まる可能性もあるかもって思ったのよ」

「何故?」

「人形劇にするのは、作った話全部って訳じゃないわ。ボツになったものも結構あるのよ。思ったほどの話にならなかったり、一から作り直した方が早いって思ったのはね」

「つまり、あなたはこう言いたいの?平賀才人が最後まで行っても無駄って判断したら、終わる前に話をやめるかもって」

「有り得ると思うわ。だから、話の邪魔も控えた方がいいと思うのよ。作り手側としては、話作り邪魔されるのって一番イラつくもの。何かの拍子で、進めるの諦めるかもしれないわ」

「…………」

 

 全ては分かり切っていたつもりの紫魔女が、揺らぎ始める。アリスは話を続けた。

 

「もう一つ気になってるのがあるんだけど。全く原作通りに進んだら意味ないんじゃないかしら。じゃないと私達をハルケギニアに呼び込んだ意味がないわ」

「今まで、十分原作とかけ離れてたわよ」

「ええ。けど肝心なのはこれからでしょ?21巻へ繋がる展開。だけど今の所、原作通り」

「平賀才人がそうしたんだから当然でしょ」

「それって結果論だと思うのよ。話が大きくズレないように、肝心な所だけ抑えておくつもりじゃないのかしら。章の始まりと終わりとだけとか。だけど、間は自由にさせる」

「自由させて何が目的?」

「平賀才人が舞台上に出られる鍵を見つける事。しかも私達が直接関わらない形でね。そもそも、私達は登場しないんだから」

「…………」

 

 人形遣いの言葉に、七曜の魔女は返さない。腕を組むと彼女の考えを租借する。やがて大きく一呼吸。

 

「何にしても、私達が想定してるよりタイムリミットは近くなるかもって訳ね」

「ええ。そう考えた方がいいと思う」

 

 アリスは真剣な眼差しを向けていた。

 話が最後まで至らずに終わる。しかもただの終わりではない。この世界の終末と同義でもあった。話をやめた瞬間に平賀才人が絶望に満たされ、陰の気を纏い、異変となる可能性があったからだ。

 

 半ばヤケ気味に声を上げるのは魔理沙。お手上げのポーズで。

 

「なんだよそりゃぁ。邪魔はできねぇ、平賀才人に気回さねぇといけないとか。向こうの手は多いってのに、こっちは手がほとんどだせねぇって」

「ルイズと何話すか、しっかり考えておいた方がいいわね」

 

 パチュリーは厳しい顔付でスッと立つ。そして空のカップをこあへ渡した。それを合図に、一同は一斉に席を立ちリビングを出る。各々の行先へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 夜の帳もすっかり降り、空には双月が浮かんでいる。廃村の寺院の屋根の上に天人がいた。彼女が胡坐をかいて座り込んでいるのは観測台。とは言っても簡素なバルコニーのようなものだが。ここは以前こあが、天文観測に使っていた場所だ。

 天子は力を抜いて、どこを見るともなしに空を眺めていた。そんな彼女に、近づく影が一つ。天空の妖怪、永江衣玖だ。

 

「総領娘様は部屋へは戻られないのですか?」

「月って、なんで四つも用意したのかな?しかも印刷基本色。別の色にしとけば、バレなかったかもしれないのにねー」

 

 衣玖の質問にはまるで答えず、双月を指さす。いたってマイペースの天子。だがいつもの事なのか、竜宮の使いは気にしない。同じく空へ視線を流す。

 

「なんでもあの光を投影する事で、この世界を作り上げているのではないかと言ってましたよ。魔女達は」

「何それ?」

「魔女の話によると、原色を投影する事で映像を作り出すプロジェクターなるものが外の世界にはあるそうです。それと似たようなものなのではないかと」

「ふ~ん……。あれって灯りみたいなものなんだ。基本色なのもそのせいか」

「パチュリー・ノーレッジが言ってましたが、まさしく四つの太陽という訳ですね」

 

 衣玖はようかくこの世界を理解したというふうに、双月を見つめる。この世界は三原色もとい、四原色で色づいているのだと。

 天子は月の話はもう飽きたのか、視線を落としていた。その先にあるのは広がる森。

 

「ここって小説の中だってのに、よく出来てるわよね」

「正確には、小説を元にした世界と言った方が正しいでしょう。足らない部分は、平賀才人が自分で学んで補ったんでしょうね。図書館にはいくらでも本がありますから」

 

 平賀才人がこの世界を構築するために、どれだけの情報を集めたのか。しかも、大図書館に住んでいるパチュリーや小悪魔達の目を盗んで。その想いがどれほどのものだったのか。理解できる者はいないかもしれない。少なくとも天子には、あまり関心なさそうだ。むしろ、気になっているもの、というか引っかかっているものがあった。

 

「よく出来た世界だけど、ちょっとおかしな事なかった?タバサの戴冠式の時」

「総領娘様も気づきました?」

「『緋想の剣』が変な気、感じてね。なんて言うのかなぁ……。味噌汁に砂糖が入ってきたみたいな、ズレてるっていうか的外れみたいなの」

「私もです。場違いな空気が入り込んだ感じがしました。それも、いつも平賀才人が起こしていた地震の類とは違うものでした。もっとも一瞬でしたけど」

「やっぱあったんだ」

 

 小さくうなずく天子。突然、颯爽と観測台から飛び降りた。地面に着地するとアジトへと向かう。何かを思いついたらしい。思い立ったが吉日の天人に、相変わらずだと思いながら、衣玖の方も後を追った。のんびりとだが。

 

 いきなりパチュリーの部屋のドアが、大きな音を立てて開く。ノックもなしに。露骨に不快そうな顔を入り口へ向ける紫寝間着。目に映ったのは、わがまま天人。

 

「ドア壊す気?ノックくらいしたらどうなのよ」

「話があるの」

 

 相変わらず、自分優先のカラフルエプロン。パチュリーは不満で一杯だったが、珍しく天子の方から話を持ってきたのだ。何かあるという直感が走る。一旦気持ちを落ち着かせると、仕方なさそうに天子を部屋へ迎えた。表情は憮然としたままだったが。

 天子は部屋に入ると、その辺りにある適当な椅子に座る。さらに後から来た衣玖も、部屋へと入れてもらう。二人と対面する七曜の魔女。それから天人と竜宮の使いは話し始めた。タバサの戴冠式の後の違和感について。パチュリーは冷静に話を耳に収める。戴冠式での出来事は彼女自身も違和感を持ってはいた。しかし彼女達とは違い、さほど重要視はしていなかった。

 

「妙に感じるのも無理ないわ。式典終わったら全員消えちゃって、いつのまにか皆学院にいたんだから」

 

 実はタバサの戴冠式終了後、幻想郷なら異変と呼ばれて当然の現象が起こっていた。その場にいる全員が消え失せたのだ。全ての軍人、王族、宗教関係者。もちろんルイズ達も。人妖達を除いて。すぐさま『緋想の剣』でルイズ達を捜索。そして反応があった場所は、なんとトリステイン魔法学院だった。一瞬で、あれほどの大人数が移動したのだ。

 だがこんな怪現象も理由は単純なもの。パチュリーは他愛もない事のように言う。

 

「だって15巻はタバサの即位で終わり。16巻はオスマンの魔法学院での演説から始まるんだもの」

 

 つまりは各巻が直結したかのような流れになってしまっていた。もはや『ゼロの使い魔』の外の存在である、幻想郷の人妖達には、その間の部分が抜け落ちてしまったという訳だ。

 しかし天子は引き下がらない。

 

「それじゃなくって、異物感っていうか変なもん入り込んだみたいなヤツがあったんだけど」

「入り込んだ?それってあなたが感じたの?」

「『緋想の剣』がね」

「衣玖も?」

「はい」

「……」

 

 顎を抱え考え込む紫魔女。天子の直感なら世迷言と片付けてもいいが、『緋想の剣』となると話は別だ。さらに衣玖までもが感じたという。だがパチュリーには、彼女達のように言い切れるほどのものを感じていない。15巻から16巻への変化に気を取られ、何かを見落としていたのだろうか。七曜の魔女の脳裏に様々なものが巡っていく。タバサの戴冠式……、突然消えた人間達……、平賀才人の思惑……、そして『ゼロの使い魔』……。

 突然、魔女の目が大きく見開いた。

 

「あ!」

「ん?何か分かった?」

 

 天子の質問に、今度はパチュリーが答えない。机へ向かうと資料をひっくり返し始めた。それから天子はしつこく聞いてきたが、魔女の耳には一切入らず。しかたなく、こあが対応。

 

「あの~、今はちょっと帰ってもらえないでしょうか?こうなっちゃうとパチュリー様、自分の世界から戻ってこないんで」

「……。ま、いいか。後で教えてもらうからねー」

 

 天人は無視された割にはあまり気にしてない様子。いずれ答が分かるからか、それとも彼女にとってはそう重要なものでもないからか。やがて天子は、衣玖と共に部屋を出て行った。

 二人を見送った後、こあは熱心に資料を覗き込んでいるパチュリーを見て、息を飲む。何度も見た何か決定的なものを思いついた時の姿だ。全てを解決する術が、見つかるのではないかという予感があった。何冊もの本がひっくり返された後、やがてそれは見つかる。この時、パチュリーは珍しく不敵な笑みを浮かべていた。魔理沙とアリスが彼女の部屋に呼ばれたのは、それからしばらく経ってからだった。

 

 

 

 

 

 ルイズは珍しい相手と学院の廊下を歩いていた。大きなリュックを背負った少女と。

 

「こあが学院来るって、あんまりないわよね」

「羽があるんで仕方ないですよ」

「レミリアみたいに堂々としてれば?」

 

 以前、レミリアが学院に訪れた時、彼女は羽を隠さず平然と歩き回っていた。飾りだと称して。ただ言われたこあの方は苦笑い。

 

「いやぁ……さすがにお嬢様ほど、無神経になれないんで」

 

 何気に当主に向かって毒舌を混ぜるこあ。しかしルイズの方も、口元を緩めている。

 

「それもそうね。彼女のマネできそうなのは天子くらいだわ」

 

 考えてみれば、よく自分はあんな傍若無人な天人を使い魔にしたもんだとしみじみ思う。使い魔としてのありようを悉く破っていたのだから。ただそれでも、頼りになったのも間違いない。天子とのなんとも奇妙な関係に、ふと笑いが零れる。

 

 二人が雑談を交えながら廊下を進んでいくと、いつもの部屋へとたどり着いた。幻想郷の人妖達の部屋に。ただ部屋の中には誰もいなかった。本当に向かう先は、彼女達のアジトだ。転送陣の上に二人は乗ると、一瞬で姿を消した。

 

 見慣れたアジトの廊下を進むと、案内されたのはパチュリーの部屋。いつもはリビングへ向かう事が多いのだが、今回は特別な用なのだろうか。部屋へと入ると、待っていたのはパチュリー、魔理沙、アリスの三魔女。他のメンツはいない。七曜の魔女がルイズを迎える。

 

「適当に座って」

「うん」

 

 部屋の中央にある円卓の椅子の一つに座るルイズ。魔女達もその円卓に囲む。ルイズにとってこの三人と話すのはもはや馴染の光景なのだが、今回は何故か違和感がある。彼女達から、らしくない張り詰めた空気を感じて。もちろん、これまでだって戦争に関わる時など真剣味のある話し合いはあった。だが今の三人は、そのどれとも違う印象があった。

 パチュリーが重々しく口を開く。

 

「さてと、今日呼んだのは大事な話があるからよ」

「うん。それで何?」

「クロコの話をしたいの」

 

 単刀直入に本題に入る七曜の魔女。ルイズは息を飲む。彼女自身にとっても、ずっと気にはなっていたものだ。その力の大きさと、あまりの得たいの知れなさに。

 

「もしかして……正体が分かったの?」

「ええ」

 

 抑揚なく返すパチュリー。

 

「なんだったの?」

「結論から言うと、神に近いものだったわ。しかも虚無と関わりのある存在」

「それって……!やっぱり……始祖ブリミル?」

「そこまでの断定はできなかったわ。そもそも何をもってブリミルと断定するのか、私達には分からないもの」

「そっか……。それもそうね」

 

 ブリミルはその名と逸話だけが伝わっている。そもそもどんな存在かも分からない。ハルケギニアの人間にすら分からないのだ。異世界の人外に分かる訳もない。

 だがそれでも神が存在するという話は、ルイズにとっては驚かざるを得ないものだ。もちろんブリミル教徒として、日々祈りは捧げている。ただ神という存在をハッキリ認識していた訳ではなかった。

 魔女の話は続く。

 

「とりあえず、今までと同じように黒子って呼んでおくわ」

「うん」

「で、その黒子だけど、この世界を良くしようとしてるのよ」

「やっぱり神様なんだ……」

「ただね。それが問題なのよ」

「なんで?世界が良くなるのはいい事じゃないの」

「その神様、バカなの」

「は?」

 

 神という存在が確認できた事に、驚きを抱かずにいられなかったルイズは一変、唖然として思考停止した。神と言えば万能の代名詞。それがバカとはどういう事か。

 するとアリスが皮肉気味に一言。

 

「そのバカに散々してやられたの誰かしら?」

 

 人形遣いへ目線だけ送ると、面白くなさそうに口を閉ざす紫寝間着。だが彼女の言う通り、悉く策を破られているのは事実。

 今度アリスはルイズへと向く。

 

「バカっていうか、その神様、ちょっと余裕がないの」

「なんで?」

「今まで世界を良くしようといろいろ努力してたんだけど、どれも失敗。それでもう今度は失敗できないって、焦ってんのよ」

「え……。神様なのに失敗するの?」

「そりゃそうよ。守矢神社の二柱なんて、結構失敗してるわ」

 

 守矢神社の二柱、神奈子と諏訪子の失敗は、他人に迷惑をかける企みなので失敗してくれた方がありがたいのだが。ただあの二柱は、ルイズにとっては異世界の神。ハルケギニアのものではない。神のイメージが崩れていくピンクブロンドの子。

 気付くと、魔理沙がルイズを指さしていた。

 

「で、ここから話はお前に繋がるんだぜ」

「何がどうなったら繋がるのよ。全然、話が見えないんだけど」

「そりゃぁ、お前が虚無の担い手だからだぜ」

「え?それはそうだけど……。あ……!」

 

 突然、一つの台詞がルイズの脳裏を過った。デルフリンガーの「全部お前のため」という言葉。クロコと関わりのあるインテリジェンスソードは。その彼が何故、あんな事を言い出したのか。今まで深く考えていなかったが、奇妙な話だ。世界を一変させるほどの力の持ち主が、どうして自分に拘るのか。

 視線をテーブルに落としルイズは考える。ほどなくして顔を上げた。そこにあったのは張り詰めたような表情。

 

「もしかして……その……私って、クロコと特別な関わりある?」

「…………」

 

 三魔女はすぐには答えない。やがてパチュリーが探るように口を開く。

 

「何故、そう思ったのかしら?」

「だって、デルフリンガーが私のためって言ってたわ。これって変でしょ?アルビオンのモード朝なくしちゃったり、トリステインとガリアの戦争なくしちゃったりするような神様が、私のためって……」

 

 考えれば考えるほどおかしな話ではある。だがルイズの答に七曜の魔女は、相変わらずのポーカーフェイス。一息漏らすと、他愛のない事かのように話し出した。

 

「…………。そうね。ある意味、あなたのためって言ったのは間違ってないわ。でも、あなたのためだけじゃないのよ。正確には虚無の担い手全員と言うべきかしら」

「どういう事?」

「今、風石によるハルケギニア崩壊が起ころうとしてるわ。それを防ぐ手立ての一つとして、虚無の担い手を犠牲とする魔法があるの」

「そんなものがあるの!?」

「ええ。そしてもう一つが聖戦って訳」

「……!」

 

 言葉のないルイズ。まさか虚無を担う事が、そこまで重大な意味を持っていたとは。パチュリーは話を続ける。

 

「ただね。黒子のやろうとしてる事は、実は逆効果なのよ」

「逆効果?」

「ええ。むしろハルケギニア、いえ、この全世界に破滅に繋がるの」

「どういう意味よ」

「最悪、何もかも消え失せるわ。ハルケギニアもサハラもロバ・アル・カリイエも関係なし。大地も海も空も何も残らない。巨大風石とか、聖戦どころじゃないのよ」

「な!なんでそんなバカな話になるのよ!っていうか神様なのに気づかないの!?」

「アリスが言ってたでしょ。焦ってて、まともに前が見えてないのよ」

「……!」

「そこで、私達は忠告兼、解決案の提案をしようとしてるの。その仲介をあなたに頼みたい訳」

「……」

 

 いきなり出てきた世界の危機。真の意味での世界の消滅だ。こんな話は本や演劇でも見た事がない。そんなものが現実になるかもしれないとは。ルイズの頭の中に上手く入りきらない。どう反応すればいいのか困る。

 

 しかし突然、ルイズは妙な引っかかりを覚えた。突拍子もない話に圧倒されていたが、よく考えてみると変だ。クロコのハルケギニア危機回避の一つが聖戦と言っていたが、世界の大改変の前と後で内容が違っていた。それに、虚無の担い手が平等に大切だとするならば、何故ジョゼフは死ぬような結果になったのだろうか。ティファニアも故郷を失っている。それに何故、デルフリンガーはあの時「お前のため」ではなく「お前達のため」と言わなかったのだろうか。

 気になった点を並べてみると、三魔女からは一応もっともらしい理由が出てきた。しかし、ルイズにとっては今一つスッキリしない。

 もしかしたら、この三人は何か隠しているのかもしれない。しかし彼女は、この異界の友人たちをよく知っていた。長く付き合って分かっている。いろいろと迷惑かけられたり裏でコソコソやらかしたり、一方でたくさん助けられたりもした。本当は根の悪くない連中だ。真相は今話しているものと違うのかもしれないが、それでも自分達の事を考えてくれているのは間違いないだろう。ルイズは彼女達のいう事を、全て受け入れると決めた。

 

「分かったわ。とにかくクロコとの仲介をすればいいのね」

「お願い」

 

 パチュリーは相変わらず淡々とした様子だが、どこか安心した雰囲気を感じるルイズ。

 

「具体的に、私は何をすればいいの?」

「段取りはこっちで整えるわ。その時になったら、私達に同行してくれればいいの」

「うん。分かったわ」

 

 ルイズのサッパリとした返事。ここで話はアリスへとバトンタッチ。

 

「ルイズ。それともう一つ頼みがあるの。というか今は、こっちの方が大事よ」

「何?」

「もうすぐエルフが仕掛けてくるわ」

「え!?あ……!聖戦やるから?」

「ええ。あれだけ大っぴらに宣言したんだもん。エルフに伝わらないハズないわ」

「それもそうね。でもやっぱり戦争になるんだ……。いろいろと覚悟を決めないといけないって訳ね」

 

 世界の消滅という最悪の危機を頭の隅においといて、当面の危機に意識を移すルイズ。人形遣いは真剣そうな面持ちで言う。

 

「エルフの狙いはたぶん虚無と使い魔よ。彼等にとっては全員が揃うのが最悪だし、できればその前に手を打っておきたいでしょうから」

「でもガリアの虚無はもういなくなっちゃったわよ。聖戦自体、もうできないんじゃない?」

「虚無はいなくなっても、次の虚無が現れるそうよ。どうも虚無は、環境が揃うと発現するらしいわ。今の環境はその条件が揃ってるの。だから教皇は本気になってるのよ」

「そうなんだ……。だけど、そうなると確かにエルフは動くでしょうね」

「ええ。まだ全員揃ってないもんね。で、今一番狙われそうなのがティファニア、って私達は考えてるの」

 

 ヴィットーリオはロマリアの中枢におり、警備も万全だ。ガリアの虚無は、出現すらしていない。ルイズは虚無の魔法を使い慣れているし、使い魔もいる。ティファニアだけが、戦いに使える魔法もなく使い魔もいない。

 人形遣いは念を押すように言う。

 

「だからあなたはティファニアを守ってあげて。絶対に離れないでよ」

「うん」

 

 強くうなずくルイズ。その時ふと思いついた。

 

「あ、そうだ!リリカルステッキ!あれ壊されちゃったのよ。また作ってもらえない?そうすれば、ティファニア守りやすくなるし」

「悪りぃ。忙しくって作ってる暇なかったんだわ。こっちには材料もねぇし」

 

 魔理沙が申し訳なさそうに手を合わせていた。諦めるしかないルイズ。だが強力な助っ人を思い出す。

 

「そうそう、天子は?」

「幻想郷に帰っちまったぞ」

「なんでよ!使い魔でしょうが!肝心な時にあの子は!」

「まだいるだろうが」

「ダゴンとデルフリンガー?」

「ああ」

「でも、たくさんいた方がいいでしょ?それになんだかんだで天子って、頼りになるのよね」

 

 当人の前では絶対口にしない事をいうルイズ。実際、あの天人の力には何度も助けられた。

 確かにダゴンは生き物相手には強力な上、空も飛べ剣の腕もさすがガンダールヴと言えるものだ。だがそれでも総合力という意味では、天子には及ばない。弾幕を使いこなし頑丈で腕力もあり大地と天候すらも操れる。少々性格に難があるが、付き合いも長い分、なんとかなるだろうとも思っている。

 

 だが魔理沙は肩をすくめて返すだけ。

 

「そんなこと言ってなぁ。いないんだからどう仕様もないぜ」

「う~ん……。仕方ないか。あの二人に頑張ってもらうしかないわね」

 

 何気に、食の悪魔とインテリジェンスソードも頼りにしているルイズだった。

 一旦話が落ち着いた所で、せっかっくだからとルイズは別の話題を口にし始めた。

 

「そうそう。私、領地もらっちゃったのよ」

「領地?お前が?」

 

 魔理沙が意外そうな顔を浮かべる。

 

「オルニエールって所。本当は将来の話なんだけど。今は王家預りになってて、時期が来たら私に下げ渡されるそうよ」

「なんで、領地もらえたんだよ」

「ガリアとの戦争とか、今までの褒美としてだって、姫様が気を使ってくださったのよ。それとあなた達にもって意味もあるわ」

「私ら?」

「うん。これまで助けてもらったからだって。だけどあなた達って、表向きはロバ・アル・カリイエの客人でしょ?領地を上げる訳にはいかないから、建前では私への話だけど、実際には私とあなた達を含めてのご褒美って所かしら」

「つまりなんだ。その領地で、工房作ったりしてかまわねぇって話か」

「そうね。ただ元々、放棄されてた場所なの。元当主の屋敷も見たけど酷いもんよ。今、いろいろと手をかけてる最中。使えるのは夏休みくらいからかしら」

 

 話を聞いていた三人は、使える土地が増えるならありがたいと雑談のように受け答えする。だが頭の中では全く別のものが巡っていた。

 オルニエールは原作で平賀才人に下げ渡される土地。どんな展開になるかと考えていたが、こう来たかと。少々強引だが、原作の流れは変わっていないようだ。

 さらに、コルベールの作り上げた特殊艦オストラント号の母港が、オルニエール内に作られると言う。その意味でも、オルニエールの館は、重要な意味を持つ事になるそうだ。

 オストラント号。本来はゼロ戦の技術を元に、コルベールがツェルプストー家協力の元、対ガリア戦で活躍する半機械艦だ。だがそれは原作の話。

 だがこちらで切っ掛けとなったのは魔理沙だった。アリスが持ち帰った、にとりから借りた航空機の資料。それを白黒が見せてしまったのだ。コルベールに。それは実物と同等なほど重要な資料であった。さらにキュルケが、彼の気を引くために実家に話を通してしまう。ツェルプストー家も新技術に興味があったのか、資金援助をしたという訳だ。

 

 粛々と話は進んでいるようだ。やはり平賀才人は止まらない。三魔女はそれを噛みしめる。

 

 それから多少の雑談の後、話は終わる。ルイズは席を立った。

 

「そろそろ帰るわ」

「ええ。念を押すようだけど、ティファニアの事頼んだわよ」

「うん。任せて」

 

 胸を張るルイズ。そしてこあがルイズを送っていく。残った三魔女。ルイズの出て行ったドアを見ながら、アリスがポツリと言う。

 

「やっぱり筋書通りに進むのね」

「無理やりだけどな」

「どっちにしても、想定の内ではあるわ」

 

 ここで突然リビングのドアが開いた。そこに立っていたのは非想非非想天の娘、比那名居天子。

 

「ただいま~」

「お、どうだった?」

「フフン」

 

 何も言わず胸を張るだけ。だが自信ありありの態度がそこにあった。

 天子はルイズに言ったように、確かに幻想郷に帰っていた。しかしそれはわずかな間だけ。ある事を確かめにいったのだった。そしてこれからはこの天人は、ルイズと行動を共にする事はもうない。これも策の一環。

 アリスは一連の策を、確かめるように脳裏に並べた。

 

「これで残るはティファニアだけね」

「そっちは明日にでもやるぜ。後は、こっちの仕掛けに平賀才人が引っかかるかだな」

「平賀才人というよりは、ルイズ達だわ。彼女達が、読み通りに動くかどうかでしょ」

 

 二人の会話を聞いていたパチュリーが、口元を緩めていた。

 

「ルイズの根性と、彼女達の友情を信じましょ」

 

 七曜の魔女と同じく、白黒と人形遣いも笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 




今頃オストラント号登場…。書くのすっかり忘れてたもんで。

一部編集しました。大筋は変わってませんけど。


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開き直り

 

 

 

 

 パソコンの前の椅子に、一人の少年が座っていた。青いパーカーを着込んだ黒髪の少年が。手はキーボードとマウスに添えられていたが、身動き一つせず思いつめたような顔付きでモニタを見つめ続けていた。しかし、何かを決したのか慣れた手つきでキーを打ち始める。そして最後にENTERキーを押した。

 するとスピーカーからいつもの声が届く。インテリジェンスソードの声が。

 

「おいおい。ちょっと強引じゃねぇか?」

「結局は同じだろ?」

「そうだけどよ……。なんか焦ってねぇか?」

「邪魔されるのは、もういやなんだよ」

「……分かったよ。なんとかしてみるぜ」

「悪いな。デルフ。お前ばっかに任せて……」

「いいって事さ。長い付き合いじゃねぇか。相棒」

 

 スピーカーの声はそこで途切れた。そしてまた少年は動きを止めた。焦点の合わない目でモニタを見続ける。ふと一言つぶやいた。いつも胸の内にあったその名を。

 

「ルイズ……」

 

 水が流れる音だけが部屋に響いていた。

 

 

 

 

 

 平和が戻ったトリステイン魔法学院の放課後。ヴィットーリオによる聖戦の発動から一ヶ月以上経つが、これと言った動きは見られない。四人揃っていたはずの虚無が、ジョゼフの死により欠けてしまったのだから進みようがないのもある。そのせいもあるのかもしれないが、聖戦が宣言されたというのに今の生徒達は浮かれ気分を抑えられずにいた。何故なら、もう間もなく夏休みなのだから。

 その中でも特に喜々としている生徒がいた。微熱の美少女、キュルケだ。そんな彼女に迫られ、弱り果てている中年が自身の研究室に一人。コルベールである。

 夏休み中、オストラント号の整備と研究をする予定だった彼に、キュルケが付き添うと言い出したのだ。だがそれは二人っきりの状況が多数発生するという意味でもある。キュルケがこれを機に、関係を深めようとしているのは間違いない。だが生徒と教師。コルベールとしては、その一線を超える訳にはいかない。彼にとって教師であるとは、その肩書き以上の意味があるのだから。ただそうは言っても、オストラント号は名目上ツェルプストー家のもの。持ち主のお嬢様の申し出を断りにくいのも確かだった。

 

 そんな不祥事一歩手前の気配が漂う研究室に、ノックが響く。コルベールはこの空気から逃げるチャンスとばかりに、わざとらしい大声を上げていた。

 

「開いてますよ。どうぞ入ってください」

 

 話の腰を折られたキュルケは、一瞬扉を睨むと空いている椅子に投げやりに座り込んだ。苛立ちを隠さず。開いた扉の先にいたのはルイズ。

 

「失礼します。あ、やっぱここにいた。キュルケ、ちょっと頼みたい事があるのよ」

「何よ」

 

 そっぽを向いて、露骨に口をとがらせている赤毛褐色の美少女。ルイズ、すぐに察する。どうせコルベールに無理に迫って、拒否されたのだろうと。構わずルイズは続ける。

 

「あなた夏休み、ミスタ・コルベールと過ごすって言ってたでしょ」

「もちろんよ」

 

 相手から了解がでていないのに、当然とばかりのキュルケ。するとルイズはコルベールの方を向く。

 

「えっと、ミスタ・コルベールは、オス……空中艦を整備するんですよね」

「ああ、そのつもりだが」

「でしたら、是非、オルニエールの屋敷を使っていただけないでしょうか?」

「それはまた、何故?」

「屋敷は一応住めるようにはなったんですが、ただしばらく使う予定がないんです。このまま空き家にしておくのも物騒なので、使ってもらえる相手を探してたんです」

「なるほど。確かにオストラント号の母港もオルニエールにありますから、渡りに船ですね」

 

 顎を抱えうなずくコルベール。次の瞬間、キュルケ一変。目を輝かせていた。

 

「ルイズ!いい考えだわ!あたしは構わないわよ!」

「あ、そう?うんじゃあ、お願いするわね」

 

 それからキュルケとコルベールが共に過ごすのが、決定事項のように話が進む。屋敷を使わせてもらうのはありがたいが、この流れ自体は変わりそうにない。もちろん整備拠点として最適なのも確かだ。キュルケとの同居に覚悟を決めるコルベール。だが起死回生の一手を思いついた。

 

「そうだ!ミス・タバサも同行させてはどうでしょう?」

「タバサ……ですか?」

 

 ここで彼女の名前がいきなり出てきた理由が、キュルケには分からなかった。メガネ禿教師は慈悲深そうな態度で語る。

 

「今、彼女は難しい立場にあります。友人であるミス・ツェルプストーの側にいれば、少しは心穏やかに過ごせるのではないでしょうか。どうです?ミス・ツェルプストー」

「え……、あ、ええ。もちろん構いませんわ。親友ですから」

 

 思いっきり胸を張り、任せろという態度のキュルケだが、眉の先は引きつっていた。そんな彼女を、ルイズは胸の内でほくそ笑んでいた。目尻と頬が緩むのをなんとか抑えつつ。

 せっかくコルベールと二人っきりになろうとしたのに、これで台無し。いつもキュルケなら、なんとしても邪魔者が入るのを阻止するだろうが、相手がタバサではどうしようもない。もちろん、タバサを気にかけているのもあるのだろう。絶妙な板挟みになってしまった微熱の少女。いずれにしても、コルベールはキュルケの企みを挫いたのだった。

 

 ところで、そのタバサだが、今は学院にいる。王冠を被ったはずの彼女が何故ここにいるかというと、王位を簒奪されたからだ。ロマリアの策謀によって。今、王位についているのは彼女の双子の妹、ジョゼット。尼寺に預けられ、タバサすらその存在を知らなかった少女。瓜二つの彼女は、そっくりそのままタバサと立場を入れ替わっていた。

 ただ王位を奪われはしたが、タバサ自身はそれほどこだわっていない。そのため、禅譲したかのようにスムーズに王位は移る。その代わりという訳か、ガリアとロマリアも彼女を拘束しない事となる。さらにタバサが王位にいたのはわずかな期間。その上、学生時の素性を明らかにしていなかったため、彼女が突然学院に復帰しても世間的には奇妙に思われないのも理由の一つだった。

 

 用事は終わったと、ルイズは部屋を後にしようとする。すると背中からキュルケの声。

 

「ルイズ。あなたはどうするのよ。夏休み」

「ティファニアと一緒に孤児院行くわ。ダゴンとデルフリンガーといっしょにね」

「孤児院?」

「うん。ティファニア、夏休み中は孤児院で過ごすんだって」

 

 元々ティファニアと暮らしていた孤児たちは、アルビオン王国モード朝の時は、アルビオンの孤児院で暮らしていた。しかし世界の大改編の後は、トリステインの孤児院で暮らしている。せっかくの夏休みなので、久しぶりに孤児達と過ごそうという訳だ。

 キュルケは首を傾げる。ルイズと孤児院というのが上手く繋がらなくて。

 

「どうしたのよ。聖女呼ばわりされたから、善行積まないととか考えた?」

「違うわよ。ティファニアを守るためよ」

「ティファニアを?なんで?」

「ほら、聖戦を宣言しちゃったでしょ。もしかしたらエルフが密偵送り込んでくるかもしれないじゃない。ティファニアは使い魔もいないし、戦い慣れもしてないから、私が守るの」

「でも彼女って、虚無の担い手でしょ?宗教庁の護衛がついてんじゃないの?」

「相手はエルフよ。用心に越したことはないわ。それにパチュリー達が、エルフはたぶんティファニア狙いに来るって読んでるのよ。念を押されたわ」

「彼女達が……。ふ~ん……、なるほどね。だから杖も新調した訳」

 

 ルイズが手に持つ長い杖に、視線を送るキュルケ。ジョゼフ軍との戦いでは普通の短い杖を使っていたが、今手にあるのは以前のリリカルステッキのような長い杖。ティファニア護衛の話を切っ掛けに、杖を使い慣れたものに変えた訳だ。

 

「うん。やっぱ魔法だけじゃなくって、体術もいるかもしれないもんね」

 

 ルイズは長い杖を、見せびらかすように巧みに操る。スムーズな動きはまさしく棒術使い。実際、ルイズが身に着けた体術は、彼女自身を何度も救っている。もっとも本来主を守るべき使い魔が、頻繁にいなくなるという別の理由もあったのだが。

 キュルケは、ちびっ子ピンクブロンドの技を興味のない大道芸のように眺めていた。

 

「それじゃぁ、また弾幕使えるようになったのね」

「使えないわよ。これ普通の杖だもん。魔理沙にリリカルステッキ頼んだんだけど、材料がないから作れないって」

「そうなの。あ!ティファニアの借りたら?あの子の杖も弾幕使えたじゃない」

「ダメよ。あれないとティファニアが困るもの。それにこの前、魔理沙が完全にあの子用に調整しちゃったし」

「調整?なんで?」

「知らないわよ。この前、ティファニアに弾幕教えようとしたら杖がなかったのよ。で、聞いたら魔理沙が調整するって言って、持っていっちゃったんだって。今は戻ってきてるけど」

 

 もしかしたら魔理沙達がリリカルステッキを持って行ったのは、ティファニアの戦う能力を強化するためかもとルイズは考えていた。

 するとキュルケの横からコルベールが顔をだす。その表情はわずかに憂いを匂わせている。

 

「エルフが来るかも……とは。しかし聖戦は本当に起こるのかね?虚無の担い手は、三人しかいないというのに」

「その内、四人目が出てくるらしいですよ。虚無の担い手ってものはそういうもので、条件が揃うと現れるそうです」

「なんと!となると聖戦はやはり避けられないのか……」

 

 うつむくコルベール。おそらく多数の生徒、最低でもルイズとティファニアは戦争に参加せざるを得ないだろう。教師としては、なんとしてでも避けたいのが本音だ。しかし情勢がそれを許さない。ハルケギニアに危機が迫っているのも、事実なのだから。

 ルイズも口を強く結んで、固い面持ち。だが考えているものは彼とは違っていた。今ハルケギニアに迫っている危機は、巨大風石による大地の崩壊どころではない。文字通りの世界の消滅が、近づきつつあるのだから。

 

 突然、キュルケが明るい声を上げていた。

 

「さてと、さっそくメイドの手配をしないと」

 

 コルベール、唐突なキーワードに口を半開き。

 

「メイドを手配してどうするのかな?」

「だって、二人で生活するんですよ。二ヶ月間。使用人がいるでしょ?」

「え…………」

 

 言葉のない中年教師。これから新婚生活でも始めるかのようなキュルケに、何も返せない。たださっきまでの重苦しい雰囲気は、どこかへ吹き飛んでいた。

 そんな相変わらずの二人を、ルイズはどこか楽しげに眺める。その時ふと、奇妙な違和感が過った。デジャヴと呼ぶべきか。この光景をどこかで見たような、むしろ自分が今のキュルケ達の立場にいたような感覚がある。ふと胸の奥に、締め付けるような妙なものが浮かんでくる。とても大切と思えるようなものが。

 

 気づくと彼女に向いているのはキュルケの視線。邪魔者は出て行けと言わんばかりの。その手は野良ネコでも払うよう。

 

「ほら、ルイズ。用が済んだなら帰りなさいよ」

「え、あ、うん」

 

 ルイズは言われるまま、この場から退散する。表現しがたい不可解なものを抱えつつ。

 

 

 

 

 

 今学期最後の夜。いよいよ明日から夏休みが始まろうとしていた。多くの生徒は、もう終業式直後に学院を後にしている。だがここにいるハーフエルフの少女の出発予定は明日。

 準備をすでに終えたティファニア。孤児達の顔を見るのも久しぶりだ。だが今は、浮かれ気分で一杯という訳ではない。頭は全く別の事に集中していた。

 

「えいっ!」

 

 強く握りしめた杖を手に叫ぶ。すると小さな光がポッと現れた。それはふらふらと飛び、そして壁に当たると消えてしまう。

 

「上手くいかないなぁ」

 

 最近、ルイズから教えられた弾幕の練習だ。彼女からエルフが来るかもしれないと少々脅し気味に言われので、出来る限り早く身に着けようと頑張っている訳だ。

 だが今の所、弾幕どころか一つの光弾を狙った場所に飛ばすのも難しいという有様。魔理沙が調整したと言った割には、以前より性能が良くなったようには思えない。ただそれは、自分が未熟だからとティファニアは考えていたが。

 

 首を捻りながら、何度も挑戦するティファニアの長い耳にノックが届く。ドアの方を見るハーフエルフの少女。

 

「はい。どなたです?」

「俺だ。デルフリンガーとダゴンのコンビさ」

「ああ、ちょっと待って」

 

 ティファニアは入り口と進む。デルフリンガーとダゴン。巫女として参加した対ガリア戦の時、突然現れたルイズの使い魔。その時に紹介された。あまりの異形なダゴンの姿に、恐怖を抱かなかったと言えば嘘になる。ただ、今では大分慣れてきていた。それにルイズと共に自分を守ると言ってくれているのだ。彼等の気持ちに答えないといけない。

 彼女はドアを開け、二人というか一体と一本を部屋へ迎え入れる。

 

「どうしたの?」

「ちょっと、話があってな」

「何」

「ん?あの杖どうした?」

 

 ダゴンは、ティファニア越しにテーブルに置いてある杖を指さした。釣られるように振り返るティファニア。

 

「ああ、あれね。さっきまで弾幕の練習を……」

 

 そこで言葉が途切れる。デルフリンガーの柄が彼女の首筋に当たっていた。倒れ込むティファニアを支えるダゴン。

 

「……悪いな。しばらく寝ててもらうぜ」

 

 デルフリンガーはそう一言告げた後、ダゴンが見事な剣さばきで壁に傷をつける。やがて気を失った彼女を抱え、悪魔とインテリジェンスソードは部屋から去る。

 

 翌朝。孤児院へ出発するため、ティファニアの向かったルイズ。部屋入ったとたんに驚きで身を固めた。彼女の姿が影も形ないのだ。そして壁に言葉が残されていた。剣先で書いたような、引っかき傷のような文字が。そこにはこうあった。"エルフが来た"と。

 エルフにティファニアが攫われた。そしてデルフリンガーとダゴンは、彼女を助けに向かったのだ。この文字を見て、ルイズはそう直感していた。

 

 

 

 

 

 どこまでも続くような砂漠、サハラ。この何もないかに思われる土地に、砂漠とは思えない場所があった。海沿いにあるアディールという町だ。ハルケギニアのどの町とも様相が違う。それもそのはず。ここはエルフの国、ネフテスの首都なのだから。その町の中心に、ひと際目立つ建物があった。そびえ立つ塔のような建物が。いや塔というには高すぎる。あえて言うなら外の世界にある高層ビルと言った方が近い。この建物は政務を行う施設だった。そこから一匹の風竜が飛び立とうとしていた。その背には男女二人のエルフの姿。風竜は男の掛け声を合図に空へと舞う。

 

 風竜の背の上、男がさっそく愚痴をこぼし始めた。

 

「ビダーシャル様は、何をお考えになってるんだ?」

「あら、何かおかしかった?アリィー」

「ルクシャナ、君は何とも思わなかったのか?」

 

 アリィーと呼ばれた男のエルフは、不満そうに尋ねる。対する、前に座っている女性のエルフ、ルクシャナの方は逆に楽しげ。

 

「思ったわ。だって異世界よ!興奮しない方が変よ」

「本当に信じてるのかい?異世界の……えっと……ヨーカイだったっけ?そんなのがいるなんて話」

「叔父さまが、滅多に冗談言う人じゃないって知ってるでしょ?」

「それはそうだが……」

 

 ルクシャナの言う叔父とは、ビダーシャルの事。つまりルクシャナは彼の姪だった。ちなみにアリィーは彼女の婚約者だ。

 

 この二人は先ほどまでビダーシャルの執務室にいた。別に親戚への挨拶という訳ではない。仕事としてだ。アリィーは騎士、ファーリスの称号を得た優秀な兵士であり、またルクシャナはハルケギニアに明るい学者だったからだ。

 彼等はビダーシャルに呼び出され、依頼を受ける。一個小隊を率い、虚無の担い手、エルフの言うシャイターンを一人攫って来るようにと。これはエルフの最高権力者、統領の意志でもあった。

 ここまではアリィーにも納得できる。蛮族、人間達は聖戦を宣言した。いずれはサハラへ攻め込んで来るだろう。だからその決め手となるシャイターンを攫い、人間達の企みを挫こうという訳だ。

 しかしさらにビダーシャルから、個人的な依頼が付け加えられる。それが彼には納得できない。というか理解し難かった。シャイターンの一人の側に、異世界からの来訪者、ヨーカイなる者達がいるというのだ。しかも彼女達は、敵にするにはシャイターン以上に厄介な存在という。だが一方で、平和を愛する者でもあると言う。だからその者達と今後を話し合うため、客人として招えてもらえないかと言うのだ。

 それを聞いた二人の反応は真反対。ルクシャナは目を輝かせて承諾し、アリィーは不満一杯に断る。だが結局ルクシャナに押されて、彼も承諾してしまう。惚れた弱み故か。ただ唯一彼に救いがあるとすれば、そのヨーカイとやらの消息が最近プッツリと途絶えた事だろう。いなければ連れて来ようがない。

 

 二人を乗せた風竜はアディールを離れ、砂漠地帯へと飛び出した。照り付ける強烈な太陽も、彼等の使う精霊魔法の前では十分力を発揮できない。砂漠の上だというのに、あまり暑さを意識する事なく空を飛ぶ。

 やがて一つの屋敷が見えてきた。ルクシャナの自宅だ。ほどなくして到着する。二人は風竜から降りると、屋敷の中へと入って行った。

 

 リビングへ向かう途中、ルクシャナが楽しげに話しかけてきた。

 

「さてと、一休みしたらあなた達に蛮族の衣装を見繕わないとね」

「蛮人の恰好なんてできるか」

「エルフの恰好で、蛮地を歩く気?あっという間にバレちゃうわよ。任務だって事忘れてない?」

「う……」

 

 返す言葉もないアリィー。確かに、今回は潜入任務だ。正体を知られる訳にはいかない。彼は少々やけ気味に、勝手にしてくれと言い放つ。やがてリビングへとたどり着く二人。ここで彼等の足が急に止まる。

 

「何あれ?」

 

 ルクシャナの目に奇妙なものが映っていた。リビングの中央に。それはなんとも形容し難かった。あえて言えば半魚人のようなもの。それが倒れていた。動く気配が全くない。死んでいるのかもしれない。

 アリィーが呆れて肩をすくめる。

 

「また得体のしれないものを持ち込んだのか。君の好奇心には感心するしかないよ」

「私じゃないわよ!」

「え?じゃあ、誰かが持ってきたのか?だいたいあれはなんだい?」

「幻獣……かしら?」

「学者の君でも知らないのか?」

「ええ」

 

 二人は怪訝そうに、魚の化物を見る。恐る恐る近づく男女のエルフ。するとアリィーの視界に別のものが入る。

 

「ルクシャナ。あれ」

「何?あっ!」

 

 アリィーが指さした先に、もう一人倒れていた。こちらは普通のエルフの少女に見える。だが知らない顔だ。こちらは意識を失っているだけのようだ。その彼女の側には、少々太めの杖が落ちていた。

 

 顔を見合わせる二人。まるで状況が分からない。やがてアリィーが意を決する。経緯は分からないが、警戒するに越したことはない。アリィーが詠唱すると空気がロープ状となり、エルフの少女と魚の化物を縛り付ける。とりあえずファーリスと学者は、この二人を観察する事にした。

 しばらくしてルクシャナが突然、慌てた声を上げる。

 

「アリィー!ちょっとこれ!」

「何だい?」

 

 彼女が指さす先に集中するアリィー。魚の化物の左手に。そこには奇妙な模様があった。どこかで見たような気がするのだが思い出せない。だがその答は、隣のルクシャナから出てきた。

 

「これ、シャイターンの使い魔の印よ」

「え!?なんだって?」

 

 思わず声を上げてしまうアリィー。だがシャイターンという言葉に、彼の脳裏に不吉なものが過った。慌ててビダーシャルから貰った資料をあさり出す。任務のために彼から手渡されたシャイターン関連の資料だ。何枚か捲っていたが、やがて手が止まる。

 

「ルクシャナ!来てくれ!」

「何?」

 

 彼女は、アリィーの目が釘付けになっている資料に目を通す。そこにはシャイターンの名前と、似顔絵が描かれていた。この資料を作ったのはビダーシャル。彼にはハルケギニアが平賀才人により大改編を受ける前の記憶があった。その時点では、ロマリアを除いた三人の虚無は判明していた。その一人に二人の視線が集まる。ティファニア・モードと書かれた少女の絵に。

 

 シャイターンの似顔絵そっくりな少女が目の前にいる。再び顔を見合わせる二人。

 

「どういう事だ?エルフがシャイターン?そんなバカな」

「だけどだとすると、この二人はシャイターンの主と使い魔って事になるわね。あの転がってる杖も説明つくわ。シャイターンは杖がないと魔法使えないそうだし。少し状況が見えてきたわね」

「何を言ってるんだ!他人の空似に決まってるだろ!」

 

 アリィーは語気を強める。よりにもよって、シャイターンの一人がエルフなどありえない。彼の常識を根底から覆すような話だ。彼は話を逸らしたいのか、宣言するかのように言い出した。

 

「とにかくだ。君がこの連中を知らない以上、不法侵入には違いない。僕はファーリスとして、この者達を捕縛する」

「ちょっとぉ、話聞いてからでいいじゃないの」

「ダメだ。少なくともこの魚の化物は、シャイターンの使い魔である事には違いないんだから」

 

 ここは頑として譲らないアリィー。ついにはビダーシャルの名を口にする。結局はルクシャナが珍しく折れた。ただし、条件を付けるのを忘れなかったが。最初の尋問は自分がすると。

 その後、ティファニアとダゴンはエルフの国ネフテスの首都、アディールへと連行されていく。ティファニアはその間、ずっと意識がなかった。ダゴンもまるで動かない。

 ただこの様子を、捕まった二人ともエルフ達と違う存在が伺っていた。デルフリンガーだ。少女とガンダールヴが共にアディールへと連れて行かれる様子を眺めていた。まるで今までと変わらない流れ。何度も見たこの光景に、インテリジェンスソードは嫌な予感が浮かぶのを否定できなかった。この先も何も変わらないのではという予感が。

 

 

 

 

 

 同じ頃、ティファニアの部屋に緊迫した表情の数人が向っていた。ルイズを先頭に。後ろに続くのは三魔女とこあ。それにキュルケとタバサ、コルベールまでいた。部屋に入った一同が一点に視線を集中させる。壁に書かれた文字に。

 

「こりゃぁ……」

 

 魔理沙から一言漏れてくる。壁に刻まれた"エルフが来た"という言葉を見て。

 

 今朝ルイズは、孤児院に出発するためティファニアを迎えにいった。すると彼女の姿が影も形もなくなっていたのだ。そして残されていたのがこの文字である。さっそく幻想郷の人妖達のアジトに、タバサと共に向かったルイズ。彼女達の話を聞いた魔女達は、すぐさまここに来たという訳だ。

 

 パチュリーは壁を、貫くかのように凝視していた。

 

「鋭いもので傷つけたような文字ね」

「たぶんデルフリンガーが付けたのよ。ティファニアを助けようとしたんだわ。だけど攫われちゃって、これだけ残したんでしょうね。今でもエルフを追ってると思う」

「…………」

 

 口を噤んだままの紫魔女。代わりという訳ではないが、魔理沙達へ視線を送る。そして踵を返すと部屋を出て行った。意図を察したのかパチュリーに付いていく魔理沙達。アリスが一言残していく。

 

「ルイズ。ちょっとここで、待ってて」

「え、あ、うん……」

 

 魔女達が行きついた先は、人妖達の部屋。パチュリーがこあへ指示を出す。

 

「水晶玉」

「はい」

 

 リュックから水晶玉を出すこあ。何をしようとしているのかというと、ティファニアの居場所を探ろうとしているのだ。実は魔理沙がティファニアの杖を預かったのはこのため。杖に発信機のような仕掛けが組み込まれている。彼女達の策には、ティファニアの居場所が重要な意味を持っていたからだ。

 

「どこにいる?」

「アディール近くのオアシス。ルクシャナとかいうエルフの娘の家ね」

「おいおい」

 

 出てきた予想外の名に、白黒は眉をひそめ、人形遣いは渋い顔で腕を組む。

 

「オルニエールの戦いを全部すっ飛ばして、そこまで話を進めるなんてね」

「私達からなるべく早く、ティファニアを離しておきたかったんじゃない?邪魔されにくいように」

 

 パチュリーは水晶玉をこあに預けながら答える。アリスは顎をかかえ考え込む。

 

「じゃなかったら……話をとっとと進めたくなったのかも……。あ!」

 

 急に顔を上げる人形遣い。慌てた様子で。

 

「これってマズイんじゃない?」

「そっか?仕掛けにかかるんなら、早いも遅いも関係ないだろ」

 

 魔理沙はアリスの言う意味を、今一つ理解してない。人形遣いは少々苛立ち気味に言う。

 

「違うわよ。飛ばされるかもって事」

「何が?」

「仕掛ける場所よ!」

「場所?」

 

 白黒が頭を巡らせている最中に、紫魔女が口を開いていた。

 

「有り得るかもね。あそこは道中だもの。あまり重要じゃないわ」

「あ!」

 

 ようやく気付く魔理沙。

 彼女達が決定的な策を仕掛ける場所とは、ティファニア達がアディールから脱出した直後、小舟で逃走中の時。ただの移動シーンだ。飛ばされる可能性を否定できない。仕掛ける場所がなくなれば、策自体が意味をなくす。

 魔女達は黙り込む。一方、頭はフル回転。そんな中、真っ先に声を上げたのは魔理沙。頭を乱暴に掻きながら。

 

「あ~、やめだ。もう面倒くせえ。向こうが手段選らばねぇんだ。こっちも遠慮なしで、やっちまおうぜ」

「何言ってんのよ。前に言ったでしょ?無茶しすぎると、この世界の破綻が早くなるかもしれないって」

 

 アリスの忠告が入る。しかし白黒の不敵な表情を浮かべていた。

 

「お前が言ったんだぜ。平賀才人は肝心な所だけ抑えて話を進めるってな」

「それは、そうだけど……」

「ならこっちも同じ事が出来るだろ?」

「どうするつもりよ?」

「予定通りにするだけだぜ。けど手段は選ばねぇ。それにどうも相手に気使いながらやるってのは、やっぱ性に合わないって思ってたんだよな」

「あんたねぇ……」

 

 魔理沙の答にアリスは溜息を漏らすしかない。だがパチュリーの方は、吹っ切れたような顔つきになっていた。どうもこちらの魔女もまどろっこしいやり方に、鬱陶しいものを感じていたようだ。魔理沙への賛同を口にする。二人に挟まれた人形遣いは、最後はうなずくしかなかった。

 

 ティファニアの部屋に戻って来た魔女達。さっそくルイズが駆け寄る。彼女も自分なりの結論を出していた。

 

「パチュリー。私、ティファニアを助けに行くわ。正確な場所は分かんないけど、エルフに攫われたのは分かってるもの。なんとか……」

「そうね。あなたに助けてもらいましょうか」

「手伝ってくれる?」

「ええ」

「ありがとう!」

 

 思わずパチュリーの手を掴み、大きな笑顔を向けてくるピンクブロンドの少女。対するパチュリーは、淡々と告げた。

 

「ただし助けに行くのは、あなた一人よ」

「え?」

 

 止まるルイズ。てっきり今までと同じように、彼女達と共に向かうと思っていたのだが。しかしパチュリーは頬を緩める。

 

「安心して。今回私達は裏方に回るって話よ。前にシェフィールドに仕掛けたのと同じ」

「ああ、なるほどね」

 

 以前、シェフィールドがタバサを使ってルイズを孤立させ、連れ去ろうとした時があった。だがそれを逆利用し、シェフィールドを捕まえた。その時、表立って動いたのはルイズだけで、人妖達はずっと裏方に徹していた。今回も似たような策なのだろう。二度目という訳で、ルイズは慣れたものという様子。

 

「あなた達の事だから、もしかしてティファニアの居場所、もう分かってる?」

「ええ。サハラ、エルフの国にいるわ」

「サハラ……。もうそんな所まで連れて行かれたの?でも……かなり遠くね。ねぇ、私一人で助けに行けっていうけど、どうやって行くのよ」

「ルイズは気にしなくていいわ。あなたはエルフに攫われるんだから」

「は?」

 

 間の抜けた声を出すしかないルイズ。この紫寝間着が何を考えているのかさっぱり分からない。構わず続けるパチュリー。

 

「そして今、ルイズはティファニアといっしょに囚われの身という訳」

「何言ってんの?全然、分かんない!」

「という話になるの」

「はぁ!?」

 

 口を一杯に開けて、益々混乱するルイズ。だが目の前の魔女の態度は変わらない。

 

「段取りは私たちがやるわ。裏方って言ったでしょ。とにかく、あなたはティファニアの所に行くのよ。向こうに着いたらあの子を助け出して、町から脱出して」

「……。ああもう、分かったわ!やるわよ!やってやるわ!だから後は任せたわよ!」

 

 ルイズは鋭くパチュリーを指さすと、半ば開き直った。次にアリスがコルベールへ話しかけた。

 

「コルベール、オストラント号って、すぐ動かせる?」

「ボイラーを温めないといけないので、すぐという訳には……。ですが準備は始められます」

「なら頼んだわ。準備できしだい、出発してもらうから」

 

 ここでキュルケが入って来る。

 

「どこ行こうってのよ?」

「サハラよ。ルイズ達を迎えにね」

「え!?もしかして、エルフの町に突入しろっての?そんなの無茶よ!」

「そんな必要ないわ。転送陣でルイズ達を回収するから。弾幕使えないルイズじゃ、転送陣を発動できないもの。遠隔操作で動かすの。ただ距離の問題があるのよ」

「なるほどね」

 

 うなずくキュルケとコルベールの横で、ルイズもそういう事かと納得顔。やはり魔女達はこれまでと同じように、しっかり作戦を組んでいるようだ。やはりこの異世界の友人たちは頼りになる。今まで何度も思った事を噛みしめるルイズ。そして全員は動きだした。

 

 

 

 

 




今回はかなり長くなってしまったので、ちょっと中途半端ですがここ一旦区切りです。


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 ネフテスの首都アディール。ティファニアとダゴンは、評議会本部の地下の一室にいた。広めの悪くない部屋で、生活に不自由しない程度に物は揃っていた。しかし外には出られない。実はこの部屋は、彼等のために用意された牢獄だ。

 ティファニアが意識を戻したとき、瞳の色の違いに気付いたルクシャナがエルフと人間のハーフと判断。共にいたアリィーもそれで納得。彼女がシャイターンである事に。すぐさま彼等は収監された。シャイターン対策ため、頑丈で各種魔法のかかった特別牢に。

 

 ベッドで膝を抱え込むティファニアがダゴンに話しかける。

 

「ごめんなさいね」

「…………」

 

 ルクシャナの家からずっと動かないダゴンは、隣のベッドに転がされていた。今もティファニアの言葉に答えない。だが彼女は話を続ける。自分自身を落ち着かせるためかのように。

 

「エルフから私を守るために、あなた達がいっしょに孤児院に来るって言ったの……私、とてもうれしかったの」

「…………」

「いっしょに友達とどこかにお泊りするなんて、初めてだったから」

「…………」

「だから私……エルフの事なんてあまり考えてなかったわ。本当は気にしないといけなかったのにね。虚無の担い手なんだから」

「…………」

「私がこんなだから捕まっちゃったんだよね。あなたも巻き込んで、ごめんなさい」

 

 ティファニアは膝を強く抱き込むと、口を強く結ぶ。自らを責めるかのごとく。

 

「まあ、なんだ……。気にすることないぜ。守れなかったのはこっちの責任だしな」

 

 突然、彼女の長い耳に言葉が入って来た。驚いて部屋中を見渡すティファニア。ダゴンと自分以外には、人影などない。金髪の妖精はベッドの隅に逃げるように寄り、辺りを見回す。

 

「だ、誰?」

「俺だよ」

 

 ゆっくりとダゴンが立ち上がった。目を一杯に見開くティファニア。

 

「あ、あなたしゃべれたの!?」

「違うぜ」

 

 ダゴンは左手を口の中に入れた。奥へと入って行く左手。ほどなくして左手を抜き出す。するとその拳には剣の柄が握られていた。やがて全てが現れる。インテリジェンスソードの大剣、デルフリンガーが。実はこのインテリジェンスソードはダゴンの体に潜み、ルクシャナの家からずっとティファニアと共にいたのだ。

 ティファニアはベッドの隅から飛び出してくる。四つん這いで、剣を見つめる。

 

「……そんな所に隠れてたなんて……。けど、大丈夫なの?」

「ん?ダゴンがか?そりゃ、大丈夫に決まってる。なんたって腹割いたって死なない悪魔だからな。剣の一本や二本飲み込んでも平気さ」

「そうなんだ」

 

 ティファニアから明るい声が出てくる。自然と目尻に涙が溜まっていた。ダゴンが肩をすくめ、デルフリンガーが話しかける。

 

「おいおい、泣くほどのもんじゃねぇだろ。牢屋から出られるって訳でもねぇし」

「でも、なんか安心しちゃった。知ってる人がいると、やっぱり違うね」

「……」

 

 黙り込むインテリジェンスソード。彼にもし顔があったら、そこには気まずい表情が浮かんでいただろう。何故ならティファニアをルクシャナの家へ連れてきたのは、他ならぬデルフリンガー自身なのだから。しかも動けたにも関わらず、この牢獄まで全くの無抵抗だった。思わず彼女に答えてしまったのも、そんな負い目のせいかもしれない。

 

 ふと、ティファニアの雰囲気が変わった。警戒するかのように、入り口の方へ意識を集中している。ダゴンも同じ方向を見る。二人の視線の先の扉が、ゆっくりと開いた。現れたのは男女のエルフ。ついに尋問が始まるらしい。ただそれにしては、エルフ達は緊張感に乏しかった。特に女性のエルフが。

 

「私が最初に訊問するって話のはずよ」

「お前の次に訊問しようと思ったのだよ。別に側で待っても構わないだろ?」

「叔父さま、ずるい」

 

 前にいるのは不機嫌そうなルクシャナ。その後ろからビダーシャルが平然とついてきていた。しかし彼等の表情が一変する。牢屋の中の様子を見て。全く動かなかった魚の化物が立っており、しかも部屋に入れたはずもない大剣を左手に握っている。当惑が二人を包む。

 だが、ビダーシャルはすぐに警戒を解いた。目の前の存在が、記憶の中にあったからだ。

 

「あなたは確か……、ダゴンとデルフリンガー……だったか」

「憶えてたのかよ」

「物覚えはいい方でね。恩人ならばなおさらだ」

 

 ビダーシャルは二度、ダゴンとデルフリンガーと会っている。一度目はジョゼフから救出された時、二度目は人妖達のアジトで療養していた時に。そして彼は、記憶の改変を受けていなかった。

 デルフリンガーの方は、都合悪そうに黙り込む。原作なら単なる敵対者なのが、思惑があったとはいえ、助けた相手なのだから。

 

 意外な繋がりに、ルクシャナは驚きの声を上げていた。

 

「叔父さま、これ知ってんの!?」

 

 それからビダーシャルは簡単な説明をした。デルフリンガーはインテリジェンスソードで、ダゴンは彼の言ったヨーカイに近いものであると。ルクシャナは祝い品でも見るかのように、視線はダゴンに釘づけ。なんと言っても初めて見る異界の存在だ。無理もない。彼女の様子に、ビダーシャルは苦笑い。やがて彼は仕切り直しとばかりに、ダゴンに向き直った。

 

「ヨーカイ達は今、どうしているのかな?ジョゼフが戦争を仕掛けてきたと聞いてから、姿を見ていないのだが。できれば私は会いたいと考えている。彼女達と協力すれば、戦争など起こさず済むかもしれない。知っている事があれば、教えて欲しい」

 

 デルフリンガーの答を待っていたビダーシャルだが、そこに妨害が入った。隣の姪だ。腰に手を当て眉毛を釣り上げている。

 

「待ってよ!尋問するのは私が先って、言ったでしょ」

「…………。分かった。さっさと済ましてくれ」

 

 渋い顔で黙り込む年長のエルフ。ルクシャナは急に機嫌が良くなると、さっそくティファニアへ話しかける。

 

「あなたハーフエルフよね」

「えっと……うん」

「名前は、ティファニア・モードで合ってる?」

「……。ティファニア・ウエストウッドよ」

「叔父さま、資料、間違ってんじゃないの」

 

 再びビダーシャルへ文句を一つ。叔父はあしらうかのように、一言詫びを入れるだけ。もっとも資料は間違ってない。ティファニアがウエストウッドの名を口にしたのは、背負っていたはずの王家は消え去り、学院の一生徒という立場だけが彼女に残っていたものだったからだ。

 

 相手の素性が分かった所で、女性学者は思い出したように言い出す。

 

「あ、そうそう。私はルクシャナ。一応、学者よ。叔父さまは、ビダーシャル。評議会議員をやってるの」

 

 ルクシャナの明るい声が牢獄に響く。隣のビダーシャルにも敵対心が見られない。エルフと虚無。本来ならば不穏な空気が流れてもおかしくない場だが、ここには穏やかさすらあった。

 

 しかし突然、この空気を壊すかのように扉が勢いよく開く。入って来たのは固い面持ちのアリィー。

 

「ビダーシャル様、こちらでしたか」

「どうした?」

「統領様からの承認が下りました」

「何?もうか!?」

「はい」

 

 事務的な態度のアリィーに対し、ビダーシャルは驚きに包まれていた。一人蚊帳の外のルクシャナには、何の事かさっぱり分からない。不満げな視線をアリィーに向けた。

 

「なんの話よ?」

「このシャイターン共の心を奪うって話だよ」

「なんですって!?」

 

 女性学者は声を張り上げる。

 

「ふざけないでよ!まだ尋問始めたばかりよ!心を奪ったら、何もできなくなっちゃうじゃないの!」

「君にだって分かるだろ?これは研究なんて範疇の話じゃないんだ。エルフ全体にかかわる問題なんだよ」

 

 アリィーは宥めるように言った。まさしく正論だが、それで収まらないルクシャナである事も彼は知っていた。

 

 彼等の話を聞いていたティファニアが、不安そうに尋ねてくる。

 

「心を奪う……って?」

 

 会話を止めるエルフ達。アリィーが目を細め、見下すような視線を向けてくる。

 

「要は、お前達を人形にしてしまおうという話だ。何も考えない人形にな。シャイターンは殺す訳にいかない。しかし生かしておく訳にもいかない。だからこその手段だ」

「……」

 

 心をなくす。命を奪われる訳ではないが、殺されるも同然だ。こんな話をいきなり宣告され、ティファニアの身が固まり、恐怖に表情が凍り付いた。

 

 だが彼女の横にいるインテリジェンスソードの心情は、全く違っていた。胸の内には、いくつもの疑問が浮んでいた。自らに問いかけていた。

 細かくは違うが、展開自体は原作とそう変わらない。このままでいいのかと。これでは最終的には、今までと同じ結末になるのではと。全ては徒労に終わり、ルイズと才人が共に歩む世界は出現しないのではないかと。

 今のガンダールヴであるダゴンは不死身の悪魔だ。エルフと互角以上に渡り合える。ティファニアを助け出すのは可能だろう。もちろんこれは原作の流れからの逸脱を意味する。だからこそ違う結果が見られるかもしれない。ルイズと才人の道が開くかもしれない。しかし散々、妖怪達の企みを阻止しておいて、今更何を考えているのかと別の問い掛けも現れる。デルフリンガーを握るダゴンの手に、力が入り始めていた。

 

 突然、そんな彼を青白い光が照らす!見上げた先に、輝く文様で描かれた円形の図柄!ティファニアもエルフ達も、一斉に上を向く。驚きに身を固めたまま。だがさらに驚くべき現象が起こる。図柄の中央に人型が出現したのだ。その人物が降りてきた。鮮やかなピンクブロンドを揺らす少女が。

 

「ティファニア、無事!?」

「ル、ルイズ!」

 

 ついさっきまで凍えたかのようなティファニアが、雲間の陽ざしのように明るくなる。ルイズの方は、彼女の顔を見て安心の吐息を一つ。しかし、すぐにもう一つの姿に気付いた。

 

「デルフリンガー!?あんた達も捕まってたの!?何やってんのよ!」

「あ、え……。面目ねぇ……。っていうか、何で嬢ちゃんが来たんだよ!?」

「話は後!逃げるわ!」

 

 ルイズは三人のエルフへ意識を集中。敵意を向ける。対するエルフ達。こんな理解し難い状況だが、男性二人は動揺を抑え込む。アリィーは、ファーリスとして血を湧き上がらせた。少なくとも敵が現れたのは確かだと。

 

「逃げるだと!?出来るものならやってみろ!ここには何重もの魔法が……」

 

 突然の爆発。舞い上がる粉塵と共に、入り口の側の壁が全て崩れ去る。それだけはない。牢獄にかかっていた各種魔法も消え去っていた。虚無の魔法『エクスプロージョン』の効果だ。

 

「な!」

 

 アリィーは瞼と口を大きく開けたまま、崩れた壁の方に視線を奪われる。その隙を逃すルイズではない。しかしアリィーもファーリスの称号を持つエルフ。気配に気づいた。勢いよく振り返ると、すかさず魔法を唱えようとする。しかし……。

 

「ぐぅっ!?」

 

 詠唱が止まった。槍のように突き出したルイズの長い杖が、彼のみぞおちに叩き込まれた。息が止まる。詠唱ができない。思わず前にかがむファーリス。その視界に、舞うピンクブロンドが入って来た。ルイズの左掌底。アリィーの顎先を抜く。意識が飛ぶファーリス。

 ルクシャナが叫び、彼に駆け寄った。

 

「アリィー!」

 

 だが横にいる叔父の方は、冷静さを失わない。

 

「おのれ!石に潜む精霊……」

 

 しかし、詠唱を中断するビダーシャル。彼にも打撃が打ち込まれた訳ではない。彼の目にありえないものが映っていたから。茫然とするしかない長身のエルフ。ルクシャナも、アリィーへ手を伸ばした姿勢のまま身動きできず。

 火竜がいた。目の前に。いきなり現れた。この広めの部屋すら窮屈に見えるほどの火竜が。ここは牢屋だ。竜が入れる入り口などどこにもない。にも拘らずここにいた。その火竜の口元からは、今にも炎が溢れようとしていた。

 ビダーシャルは、瞬きもせず虚ろな言葉を絞り出すだけ。

 

「バ、バカな……!?」

「え?え?え?」

 

 ルクシャナは、小鳥のように声を刻む。しかし次の瞬間、二人は意識を失った。ルイズがルクシャナを当身で、ビダーシャルを転身脚で、アリィーと同じく脳を揺らしてダウンさせた。

 

 棒術武道家な虚無の担い手は、二人を床に寝かす。火竜も同時に消え失せた。これも虚無の魔法。『イリュージョン』だ。幻を出すだけの魔法も、使い方次第という訳だ。幻想郷の妖怪達と共に、多くの難事を潜り抜けてきたルイズ。自然と彼女達の柔軟な考えた方が、身についていた。

 

「ふぅ……」

 

 力を抜き、ようやく一息つくルイズ。振り返ると声をかけた。

 

「逃げるわよ!」

「え?あ!うん!」

 

 ティファニアは表情を引き締め、ルイズの側に寄る。二人は廊下へと飛び出した。

 残されたダゴンとデルフリンガーは、呆気に取られるだけ。それは、ルイズの突然の出現と活躍に驚いたからではない。

 

「なんだよ……これ……」

「原作と展開が違う、ですか?」

 

 いきなり脇から聞き覚えのある声がした。振り向いた先にいたのは妖怪の山の烏天狗、射命丸文。そしてもう一人、月の妖怪うさぎ、鈴仙・優曇華院・イナバ。インテリジェンスソードは憮然として尋ねる。

 

「なんのつもりだ?」

 

 デルフリンガーはもちろん、ルイズが現れたのは彼女達の仕業と分かっていた。転送陣など何度も見たのだから。ここで聞いているのは、彼女達の狙いだ。今まで話の進行を阻止するような行動ばかりとっていたのが、一転、話を進めようとしているかに見える。20巻の内容だが、ルイズが才人とティファニアを助けに来る展開というは確かにあるのだから。だが一方で、牢屋にいきなり登場させるというのは強引過ぎる。

 

 文は口端を上げ、はすに構えると、号外チラシを撒くときのように大仰に語りだした。

 

「オルニエールで、睦まじい日々を送っていたルイズさんと使い魔さん。しかしそんな幸せな日々を、突如エルフが襲撃。健闘むなしくティファニアさんと使い魔さん共々、ルイズさんはエルフに攫われてしまいました。そしてアディールの特別牢に閉じ込められてしまったのです」

「お前、何言ってんだ?」

 

 デルフリンガーには文が何のつもりでこんな話をしているのか、まるで理解できない。烏天狗は普段の新聞記者然とした態度に戻ると、解説者然として話す。

 

「ビダーシャルさんの命令は悪魔を攫って来いです。本来なら、ルイズさんの方を攫うべきなんですよ」

「…………」

「それが紆余曲折あって、平賀才人さんが攫われてしまった訳なのですが。しかし、ルイズさんも攫われたらどうでしょう?二人は、別れ別れにならずに済むのでは?そして、ルイズさんと使い魔さんは力を合わせ、エルフの手から逃げ出す。という筋書です」

「筋書ってなんだよ。攫われてねぇじゃねぇか」

「そうですよ。あなた達がオルニエールでの話をすっ飛ばしてしまったおかげで、そんな展開できなくなってしまいましたから」

「それでお前らも間すっ飛ばして、牢屋に直に転送して攫われてた事にしたのかよ。無茶しやがる」

「無茶はお互いさまで」

 

 憎らしいほどの白々しい笑みを浮かべる烏天狗。しかしデルフリンガーには、一つ引っかかるものがあった。彼女達の筋書には、抜けているものがある。

 

「けどな、これじゃぁ……」

「ええ、何をおっしゃりたいのかは分かってますよ。この展開が、全てを叶えるものではないのは承知の上です。ですが、"今"のあなた達の最優先事項は、ルイズさんと使い魔さんが別れ別れにならない事ではありませんか?」

「そりゃぁ……」

「でしたら、この展開もありなのでは?」

「……」

 

 黙ったままのデルフリンガー。ただ少なくとも今起こっている光景は、全く経験した事のないものだ。その時、何故か胸の内に奇妙な笑いが浮かんでいた。気持ちいいくらいの。

 

「……悪くねぇかもな。こういうのも」

「結末を見たくありませんか?」

「ああ」

 

 ダゴンはゆっくりと足を進めだした。その足取りは不思議と軽い。そして牢屋を出ようかとした時、ルイズとかち合う。なかなか来ない悪魔とインテリジェンスソードを迎えに来たようだ。だがすぐに、彼女の意識は牢屋の中へ。

 

「文、鈴仙!?なんでいるのよ!?」

 

 手元を弄りながら苦笑いの鈴仙。

 

「えっと、ルイズを手伝いに……」

「私、一人で行くって話じゃなかったの!?」

「ルイズが一人で行ったちょっと後に、行く予定だったの。町から出る段取りも私達がやるって」

「はぁ!?何それ?なら、最初からいっしょに行けばよかったじゃないの!」

「パチュリー達に、そうしろって言われたの!」

 

 自分のせいじゃないと鈴仙は主張。ルイズが二人を助けるという展開にするために、鈴仙達が出る訳にはいかなかったからなのだが。

 ルイズは、またあの魔女達はなにやら小賢しい事を考えているらしいと項垂れる。そういう連中だと、分かってはいるが。彼女は溜息一つこぼすと、開き直った。

 

「まあいいわ。人手は多い方がいいから。後、ダゴン。その女エルフ抱えて」

「なんでだよ」

「人質よ」

「ああ……」

 

 ルクシャナをゆっくり抱えながら、ぼやくデルフリンガー。

 

「あの嬢ちゃんが人質取れとか。お前達と付き合ったせいで、随分ゲスくなったもんだぜ」

「逞しくなったって言ってくださいよ」

 

 文は茶化すように返す。もちろんこの脱走にルクシャナが付き合うのは原作の流れではあるのだが、こういう展開だとインテリジェンスソードも苦笑いしたくなる。

 するとルイズの叱咤が飛ぶ。この状況下で、緊張感のない人外達に。

 

「ちょっと何余裕してんのよ!脱走するのよ!私達!」

「悪りぃ」

 

 さすがに気持ちを引き締め直すインテリジェンスソード。ルイズは踵を返し、先に進もうとした。だが、ここで烏天狗が引き留める。

 

「ルイズさん」

「何よ!後にして!」

「これです」

「ん?」

 

 文から差し出されたのは一通の手紙。

 

「パチュリーさんからの言伝です」

「パチュリーから?」

「この町を脱出したら、読むようにと」

「?」

 

 受け取りながら、怪訝に目を細めるピンクブロンド。だが理由を考えている暇はない。とにかく、この場から逃げなければ。読むとしても脱出の後だ。どの道同じ。ルイズは手紙をポケットに収めると、先を急いだ。

 

 反対側から、衛兵らしいエルフ達が迫ってくるのが見える。口を尖らすルイズ。

 

「もう!もたもたしてるから」

「ここは鈴仙さんに全部任せましょう」

 

 文が他愛のない事のように言った。

 

「私一人!?」

 

 自分を指さして素っ頓狂な声を上げる鈴仙。

 

「むしろあなたが適任と言わせていただきましょう」

「え?そう?」

「はい。あなたにしかできません」

「そっかな。うん。分かったわ」

 

 玉兎はすっかりその気になっていた。颯爽と背を向けると、エルフ達へと睨みを利かす。

 

「ここは私に任せて、あなた達は先に行って!」

 

 鈴仙の張り切った声。滑稽なほど演技くさい。もしかしてこんな英雄っぽい事をやりたかったのだろうか、などとルイズは思ってしまう。それにしてもこんな緊急時だというのに、相変わらず遊び半分に見える妖怪達。ルイズの緊張感は呆れに変わっていた。ともかく頼りになるには違いない。任せると一言残すと、走り出す。

 一同を見送る鈴仙。

 

「なんか、こういうのも悪くないかも」

 

 永遠亭での下働きとしてゐの後始末に駆けずり回るのが日常の鈴仙としては、こんな立場は新鮮。今度異変が起こったら、解決しに行くのもいいかもしれない。なんて考えが頭に浮かぶ。

 

 気づくと、エルフ達との距離が大分縮まっていた。目のいい彼女には、彼等の怒りの形相がよく見える。

 

「いっぱい来たなぁ。でも、こんな通路じゃ、いい的になるだけよ」

 

 玉兎の双眸が、赤く輝き始めていた。

 

「イリュージョナリィブラスト!」

 

 赤い閃光が走る。廊下を満たす。一瞬の出来事、しかも逃げ場のない廊下では、エルフ達に成すすべはない。この場にいる全エルフが朱の奔流に飲まれていく。

 魔理沙の『恋符、マスタースパーク』ほどではないものの、鈴仙もそれなりに太いレーザーを撃てる。廊下などという狭い場所なら、非常に効果的だ。文の彼女が適任という見立ては、間違いではなかった。

 赤い閃光が消え去ると、鈴仙の視線の先にあったのはノックダウンされたエルフ達の列。

 

「うん。やっぱ悪くないわね」

 

 玉兎は腰に手を当て満足げにうなずくと、ルイズ達を追った。

 

 

 

 

 

 揺れるダゴンの肩の上で目覚めたエルフが一人。ルクシャナだ。

 

「え?どこ?ここ?」

「お、目、覚ましたか」

 

 声のする方を向くと、そこには魚の頭があった。

 

「ぎゃぁ!?」

 

 暴れるルクシャナに宥める声が届く。

 

「落ち着けって」

「え?」

 

 よく聞くと、話していたのは魚頭ではなかった。左手の方から声がする。見えたのは大剣。ビダーシャルの話を思い出す彼女。確かこの剣は、インテリジェンスソードと説明を受けた。次第に落ち着きを取り戻す女性学者。辺りを見回すと、シャイターン一味が揃って廊下を進んでいた。だいたい状況が見えてくる。

 

「脱走したの?けど無駄な足掻きよ。ここをどこだと思ってんの?アディールよ。逃げ出すなんてまず無理」

「そうでもないぜ」

「私を人質に取ってるから?」

「いや、妖怪達がいるからさ。元々はあんたが俺たちを逃がしてくれるハズだったんだが、まあ結果は同じだ」

「はぁ?私があなた達を逃がす?何言ってんの?」

「気にするな。独り言だ」

「……」

 

 意味不明な返答に、不満一杯のルクシャナ。だが楽観的な性格な彼女。逆に状況を楽しむことにした。

 

「ま、いいわ。せっかく蛮人も異世界のヨーカイとかもといっしょにいるんだし、いろいろ聞かせてもらおう……誰?」

 

 視線をダゴンから脇に移すと、見知らぬ人物が視界に入る。というか人ではなかった。何故ならその背に黒い翼が生えているのだから。目の合ったその人物は、いかにもな営業スマイルを向けてくる。それにルクシャナの方も笑顔を返す。いい根性の女性学者であった。

 

「あなた翼人?さっきいなかったわよね」

「その言葉聞くのも久しぶりです。私は翼人とやらではありませんよ。烏天狗です」

「カラステング?もしかして、あなたも異世界のヨーカイ?」

「はい」

 

 捕まっている立場だというのに、瞳を輝かせるルクシャナ。

 

「へー……。そんな姿なのもいるのね。後で、いろいろ聞いていい?」

「かまいませんよ。その代わり、こちらも……。あ、いえ、いつかまた会う機会がありましたら、お話聞かせてください」

「いつかまた?お互い情報交換すればいいじゃないの」

「いえ、"今"やっても意味ないので」

「?」

 

 ヨーカイの言葉に、エルフは少々戸惑う。

 文はパチュリー達と同じく、『ゼロの使い魔』の全てに目を通している。多少付加された設定があるものの、ここに何があるかもう分かっていた。インタビューしても意味がない。もっとも、"今"は意味がないものの、将来は分からないが。

 

 ルクシャナがカラステングの意味深な言葉に思案を巡らせていると、さらにまた変わった者が近づいてきたのが見えた。兎耳の少女が。

 

「まだこんな所にいたの!?」

 

 鈴仙だ。ルイズ達に追いつこうと急いで廊下を飛んできたのだが、彼女の予想に反して思ったより進んでいなかった。デルフリンガーの文句が飛ぶ。

 

「嬢ちゃん達は、そこまで足速くねぇんだ。無理言うな」

 

 彼が言っているのは後に続くルイズとティファニア。ルイズは美鈴に言われた日々のトレーニングを欠かさなかったので並の騎士以上の体力を持つが、所詮人間の足だ。ティファニアの方は、特別トレーニングなどしていないのでなおさら。鈴仙は仕様がないと足を地に着けると、いっしょに走り出した。

 

 未だ抱えられたままのルクシャナ。一行の一糸乱れぬ動きに疑問が浮かぶ。脱出口が分かっているかのような行動だ。彼等はここが初めてのはずなのに。そもそもこの先に、地上へ出る道などない。

 

「どこ行ってんの?出口、そっちにないわよ?なんなら私が案内してあげようか?」

「おや、脱走の手助けをしてくれるのですか。さすがルクシャナさんです」

「さすがって何よ。私は人質だから、脅されてしかたなくやるのよ」

「なるほど。ですが、心配無用です。もうそろそろ目的地なので」

 

 文はそう言うと、制止の合図。一斉に止まる一同。鈴仙が先頭に出てくる。

 

「もう少し下がった方がいいかな」

 

 玉兎は上を見つつ、皆を後ろへ下げた。そして3歩ほど下がった時だった。

 いきなり目の前の天井が崩る。廊下の幅を超えるほどの巨大な岩が、上から落ちてきていた。ポッカリと開いた穴から地上が見える。その岩の上には、これまた馴染の顔がいた。ルイズが思わずその名を口にする。

 

「天子!」

「天人様が助けに来てやったわよー」

 

 腕を組んで威風堂々の比那名居天子。まるで変わらない。いつもの天子だ。この岩は天子がいつも使う要石。よく見ると注連縄が巻かれている。さらに開いた穴から、もう一人下りてくる。纏った衣をはためかせた永江衣玖が。

 

「衣玖!」

「ルイズさん、ティファニアさん、お久しぶりです」

 

 天空の妖怪は、親しみを漂わせつつ地に足をつけた。天子達にルイズが駆け寄る。顔を綻ばせながら。

 

「幻想郷に、帰ったんじゃなかったの!?」

「帰ったわよ。用が済んだら、すぐ戻ってきたけどねー」

「何よ、またそれ?全く……あの魔女達は……」

 

 文、鈴仙のパターンと同じらしい。呆れるルイズ。ただそうは思っても、久しぶりに会えたのはやはりうれしい。だがここで水を差すように、デルフリンガーの急かす声が入って来る。

 

「急ごうぜ。もたもたしてたら、面倒な事になる」

「あ。それもそうね」

 

 ルイズは気持ちを引き締め直す。衣玖がツアーガイドのように話し始めた。

 

「皆さん、要石の上に乗ってください」

 

 それなりの人数だが、廊下の幅を超える大きさ。全員が乗る事ができた。準備完了という具合に、衣玖が天子へ声をかける。

 

「総領娘様。ゆっくりお願いします」

「ん」

 

 要石はエレベーターかのようにゆっくりと上がり、やがて地上に到着。地上は騒然としていた。なんと言っても、ここは評議会本部の正面広場なのだから。エルフの兵はいたが混乱しているのか、慌てふためいているばかりでルイズ達へ向かってくる者はいない。

 

 一方のルイズ、初めて見るエルフの建物に目を奪われる。一目でハルケギニアのどの町よりも進んでいるのが分かる。

 

「これが……エルフの町……」

「すごいね……」

 

 ティファニアから零れる言葉も、心ここにあらず。そんな二人の後頭部が突かれた。デルフリンガーの柄で。

 

「だから、暇ねぇって」

「ああ、ごめん」

 

 ルイズ達は再び、先へと進み始めた。

 

 

 

 




今回も長くなってしまったので、一旦切ります。


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秘密の扉

 

 

 

 エルフ国、ネフテスの首都アディールを駆ける脱走犯一行。ルイズ達だ。彼女達の目的地は運河。ただ追手を避けるため、ルクシャナの案内で狭い路地を進む事になり、意外に時間がかかってしまう。ようやくそれも終わり、目の前が開けた。運河に到着したようだ。

 しかし目に映ったのは運河だけではない。兵の一団がいた。しかも水竜の姿まである。先回りされたようだ。その先頭にいるのはアリィー。射殺すような視線を向け、敵意を露わにしている。シャイターンを前にしたからというだけではなく、ファーリスにも関わらず何もできずに倒されてしまったのだから。雪辱を晴らさねばという決意が窺えた。

 

「追いかけっこもここまでだ!」

「あら、アリィー」

「ルクシャナ!?」

「なんでここに来るって分かったの?」

「砂漠に逃げる訳にはいかない。空も目立つ。だとしたら、海しかないという訳さ。というか、君、敵に捕まったのに、なんでそんなに落ち着てるんだ!?」

「あ、そうだったわ。助けて、アリィー!」

「……」

 

 ファーリスは苦虫を潰したような表情。またこの婚約者は、ロクでもない事を考えていたのだろうと呆れる他ない。後でしっかり説教しておかねばと誓う。

 

 立ち塞がったエルフ達はかなりの数。だがこんな状況下で、動揺しているのはティファニアだけ。ルイズを含め他のメンツは、まるで怯んだ様子がない。スケジュールを確認するかのように、鈴仙が言う。

 

「えっと、ここは私達が足止めするでいいんだよね?」

「そうですよ」

 

 文がメモ帳を確認しながら答える。ルイズがすかさず疑問を一つ。

 

「足止めしてくれるのはありがたいけど、私達は予定通りでいいの?それとも、もうオストラント号来てんの?」

「まさか。そこまで速い船じゃないですよ」

 

 するとデルフリンガーが、意外そうな声を上げた。

 

「オストラント号?こっち来てんのかよ?」

「はい。キュルケさんやタバサさん達を乗せて」

「意味あんのか?」

「原作通りですよ」

「そりゃそうだが……分かったよ。で、実際の所どうすんだ?」

「小舟を調達して逃げてください」

「その辺りも同じかよ」

 

 今にも襲い掛かろうとするエルフ達を前に、まずは鈴仙が勇ましげに先頭に出る。先ほどの殿役が気に入ったのか、またも芝居がかった仕草で。

 

「ここは私が突破口を作るわ!」

「……プッ」

 

 ルイズが思わず噴き出す。急に赤くなる玉兎。

 

「な、何よ!」

「ああ、ごめん。なんか思い出しちゃって」

「何を?」

「あんた達って、いっつもこんな感じだったなぁって。誰が相手だろうが、どこか遊び半分で」

「ひど~い。私は真面目にやってたわ」

 

 鈴仙はほほを膨らませていた。もっともこんな大根役者の三文芝居を見せられた後では、言いたくなるのも無理はない。後ろにいた衣玖も、納得げに大きくうなずく。

 

「そうでしたね。特に総領娘様なんかは」

「だってこの手のヤツの時って、私、裏方ばっかじゃん。雨降らしたり、嵐起こしたり。やる気なんて出る訳ないでしょ。決闘の方が、よっぽど楽しいし」

 

 身が入っていなかったことは否定しない天人。ルイズは次に烏天狗の方へ一言。

 

「文も、自分の都合が最優先だったしね」

「当然です。そうでなければ、厳しい新聞業界を生き残れはしません」

 

 胸を張って、自分本位を宣言する烏天狗。あいかわらずの妖怪達。しかし彼女達はここにいる。この自分第一主義の異界の人外達が。ルイズはおもむろに尋ねた。

 

「でも、今回は何故手伝う気になったの?」

「そうですねぇ……。ま、今までの借りを返そうと思ったからでしょうか。部数も稼がせてもらいましたし」

「借り?そうねぇ、学院じゃ散々迷惑かけられたもんね」

「それ込みですよ」

 

 どこか感慨深けに言う文。この似つかわしくない態度の烏天狗に、ルイズは少々面食らう。本当に文らしくない。

 もっとも貸し借りと言うなら彼女の方も、随分と異界の人妖達に助けられた。特に国家の存亡のような大きな出来事では。自然と笑みを湛えるちびっこピンクブロンド。あえて説明するまでもないのかもしれない。お互いが手を貸すのは。温かな充実感がルイズの中にあった。

 

 多数のエルフ兵に囲まれているにも関わらず、別世界のように和やかな気配を漂わせているルイズ達。そこに怒号が飛び込んで来る。アリィーだ。

 

「貴様ら!舐めるのもいい加減にしろ!」

「連中、焦れてきたみたいだぜ。そろそろ始めた方がいいんじゃないのか?」

 

 デルフリンガーの言葉に、一同はうなずいた。気持ちを切り替える。

 

「えっと……。んじゃ、行くから」

 

 茶化されたせいか、英雄気分が冷めてしまった鈴仙。仕方なさそうに飛ぶ。そして一枚のカードを、高々とかざした。スペルカードを。

 

「幻波『赤眼催眠《マインドブローイング》』!」

 

 一斉に玉兎の周囲に発生する無数の弾丸!いや、弾丸のような弾幕。その数は尋常ではない。文字通り弾雨となって、エルフ達に降り注ぐ。さらにこのスペルカードは、弾幕が幻覚化と実態化を繰り返すといういやらしいもの。エルフ達にとっては、ただでさえ弾幕は初めてだというのに、こんな癖のあるものでは対応できる訳がない。大混乱となるエルフ兵達。しかもそれだけではない。被弾した場所の精霊が、次々と動きを止める。精霊魔法が使えなくなっていく。何が起こっているのか理解できるエルフは一人もいなかった。

 

 デルフリンガーが二人の虚無に声をかける。この機を逃す訳にはいかない。

 

「嬢ちゃん達!行くぜ!」

「うん!」

 

 先頭を切ってダゴンが走り出した。その後ろからルイズとティファニアが続く。エルフ達は、脇を彼女達が走り抜けたというのに気づきもしない。だが、ただ一人は違った。ファーリスのアリィーだけは。

 

「き、貴様ら!待て!」

 

 もちろん止まる訳がない。アリィーは、怒りの形相で稲妻の魔法を詠唱。

 

「喰らえ!」

 

 ファーリスの手から、電撃が放たれる。直撃。しかしその相手はルイズ達ではなかった。竜宮の使い、永江衣玖。彼女が立ち塞がっていた。しかも直撃したにも関わらず、衣玖は眉ひとつ動かさない。雷の申し子に稲妻など無意味だ。天空の妖怪は宙に浮くと、こちらもスペルカードを翳す。

 

「雷符『エレキテルの竜宮』」

 

 衣玖の直上から四方八方に稲妻が走る。それはアリィーのものなど比べものにならない。雷の雨とでもいうべきものが。多数のエルフが巻き込まれ、もはや壊滅状態。だがシャイターン脱走という一大事に、動いていたのは彼等だけではない。空中からは、風竜に乗った別の一団が近づいてきていた。

 

「あやや!?風竜が出てくるなんて展開あったかしら?」

 

 すぐさま文は、ロケットのように空中へと飛び立つ。そして風竜の群と同じ高度で停止。こちらもスペルカードを掲げる。

 

「『無双風神』!」

 

 文字通り目にもとまらぬ速さで、文が風竜の一団の周囲を飛ぶ。それだけでもエルフ達は混乱したが、さらに飛んだ軌道には無数の弾幕がばら撒かれていた。あっという間に、空は弾幕で溢れかえる。風竜の収まるスペースなどないほどに。被弾した風竜が次々に落ちていく。

 

 弾幕で溢れかえる現場。何とか残ったエルフ達はわずかに使える魔法を駆使し、光弾を防御しようとする。しかし全く通用しない。彼等にとっては全く未知なものなのだから、効果のある魔法などあるはずもなかった。もっとも、本質的にはそれ以前なのだが。妖怪達は、この世界の外の住人なのだから。

 

 エルフの混乱に紛れ、小舟になんとかたどり着いたルイズ達。ルクシャナが口笛を吹くと、イルカに引かれた小舟がやってきた。彼女はダゴンから降り、さっそく乗り込む。

 

「早く乗って!私が操るから」

「任せたぜ」

 

 一緒に逃げる気満々のルクシャナに、デルフリンガーからの軽快な声がかかる。この先に期待しているかのような声色で。そんな彼の気分などお構いなしに、ルイズから命令が飛んでくる。

 

「ダゴンも手伝いなさいよ」

「えっ!?ダゴンにやらせるのか?」

「水魔じゃない。イルカよりよっぽど速いでしょ」

「そりゃそうだが……。へいへい、分かったよ」

 

 無表情なままダゴンは、デルフリンガーを置いて運河に飛び込んだ。そして小舟の後ろに着く。出発準備完了。ようやくエルフの手から逃げられると思われたその時、突如、ティファニアの悲鳴が上がった。

 

「ルイズ!後ろ!」

「え!?」

 

 振り向いた先には、巨大な影が迫ってきていた。火竜、風竜をもはるかに上回るほどの大きさのドラゴンが。そのドラゴンの背に、アリィーの姿があった。目を点にして動かないルイズとティファニア。ただ一人ルクシャナだけは、相変わらず平然としていた。

 

「シャッラールまで連れてくるなんて。アリィー、余裕がないのかしら」

「シャッラール?」

 

 ティファニアは聞き慣れない響きに、思わず聞き返した。

 

「アリィーが飼ってる水竜の名前よ」

「水竜?」

「知らないの?最大最強の竜よ」

「……!」

 

 息を飲むティファニア。確かに最大最強と言うだけの事はある。進んでいるだけで、起きる波に小舟は飲み込まれてしまいそうだ。水竜に乗っているアリィーから、怒声が届いた。

 

「もう、遠慮はしない!ここまでだ!ルクシャナも、すぐに運河に飛び込むんだ!」

 

 アリィーの忠告にルクシャナは抗議をするが、今度ばかりは譲らない。それほど本気なのだろう。一亥の猶予もない。ルイズはダゴンへすぐさま命令。

 

「出発して!」

 

 だが水竜はもう攻撃寸前。鎌首を上げ、狙いを定めている。ここは幅の限られた運河。いくら水魔のダゴンといえども、縦横無尽に動かすという訳にはいかない。避ける場所が限られる。

 水竜の口が今にも開こうとする。ブレスを放とうと。しかし……。

 鈍い音と共に、水竜の方が吹き飛ばされた。空へと。並の船ほどもあるドラゴンが、空中で一回転。そして運河に墜落。巨大な水しぶきを上げる。

 

「な……!?」

「!?」

 

 口を半開きにして一時停止のルクシャナとティファニア。しかしルイズだけは、何が起こったか分かっていた。何故なら、運河の中央に巨大な柱が立っていたのだから。この柱が水竜を打ち上げたのだ。

 

「天子!」

「どうよ」

 

 堤防の上に、腰に手を当て勝利の笑みを向けてくる天人がいた。彼女のスペルカード『乾坤、荒々しくも母なる大地よ』だ。さらに天子は、鞘に入ったままの緋想の剣を突き立てる。次々と中央の柱の両脇に同じサイズの柱が立ち上がった。ついに柱の列は、運河をせき止めてしまう。これで水竜は向ってこられない。

 

「ま、こんなもんか」

 

 担当作業は終わりとばかりに、緋想の剣で肩を軽く叩く天人。そしてルイズ達へ、手で払うような仕草。

 

「ほら、さっさと行く」

「あんたも来なさいよ。一応、私の使い魔でしょ。使い魔の役目の一つは、主を守る事よ」

 

 ルイズは天子とは逆に、こっちに来いと招きよせる。しかし天人は動かない。いつもと同じように言う事を聞こうとしない彼女に、ルイズはこれまたいつもと同じく怒鳴ろうとする。すると天子は、返事の代わりに左手の甲を見せた。ルイズの開きかけた口が止まる。向けられた左手を見て。そこには使い魔の証であるルーンがなかった。わずかも。

 

「え!?」

「もう、ルイズの使い魔じゃないから」

「ルーンが……、何で……?」

「やっぱ天人相手じゃ、長持ちしなかったんでしょ」

「……」

 

 戸惑うルイズ。ハルケギニアでは、主と使い魔は正しく死が互いを分かつまでと言える存在だ。どちらかの死でしか契約は解除されない。しかも人間より遥かに長く生きる天人。死の床まで共にいると思っていたものが、二年と経たずに消え去ってしまうとは。この事実をどう受け止めればいいのか。ルイズは茫然と、天子を見つめていた。

 そんな彼女に、天子は冷やかすかのように言う。

 

「お?なんか残念そう。ま、天人様を使い魔にできるなんてホント奇跡だから。契約解除になったら、そりゃ落ち込むわよねー。うん、分かる分かる」

「な、何言ってんのよ!せ、清々したわ!もう学院長に謝らなくって済むし!」

 

 反射的に言い返してしまうちびっ子ピンクブロンド。いつもの調子で。ところが何故だか当の天人は、普段と違い、サッパリとした顔付きで天を仰いでいた。こんな場面では、自分の都合ばかり並べていた我がままの権化が。

 

「思ったより短かったけど、結構楽しめたかな」

「……?」

「私がいなくなっても、他に使い魔いるからいいでしょ」

 

 慰めの言葉にも聞こえる天子の一言。ルイズは先ほどとは別の意味で当惑する。

 

「……どうしたのよ、天子。らしくないわよ」

「うん。自分でもそう思う」

「……」

 

 ますます嫌な予感が、胸の内に湧き上がる。だが、それを断ち切るようにルクシャナの声が挟まれた。

 

「どうすんのよ。逃げるの?逃げないの?」

「あ!逃げる、逃げるわ!」

「分かったわ」

 

 ルクシャナはすぐにイルカたちを操る。小舟は急発進。ダゴンもスピードを合わせるように押す。ルイズ達を乗せた小舟は、運河を滑るように進んでいった。海に向かって。

 

 堤防の上でルイズ達を見送る天子。その側に、竜宮の使いが下りてきた。

 

「本当にらしくないですね。総領娘様にしては」

「なんだろねー」

「使い魔という立場に、名残でもあるのですか?」

「それはないから。あるとすれば……。ま、いっか」

 

 天子は言葉を切って、肩を竦める。衣玖もそれ以上は追及しなかった。お互い、口にするまでもないというふう。そんな気持ちを仕切り直すように、二人は振り返った。見えたのは、エルフ兵や風竜が買ったばかりのポップコーンをばらまいたように倒れている光景。水竜などは、痙攣を起こした池のフナのよう。シャイターン捕縛のために繰り出した全兵力は、幻想郷の人外四人にまるで歯が立たなかった。当然と言えば、当然の結果だが。

 気付くと文と鈴仙が、天子達の側にゆっくりと下りてきた。

 

「うわー。結構派手になっちゃったなぁ」

 

 口にした言葉の割に、玉兎は満足げ。彼女も幻術を使った裏方が多く、こちらではまともに戦った事は少ない。役割を熟しただけだが、それなりに楽しめたようだ。だがここで、文が目を細めながら言う。

 

「また来てますよ」

 

 文の視線の先に、何隻かの戦艦が浮上中。エルフは艦隊まで繰り出してきた。彼等にとってシャイターン脱走は、それほどの一大事ということなのだろう。

 しかし、これ以上付き合う必要も暇もない。彼女達には、まだ最後の仕事が残っていた。特に天子には。ほどなくすると、人外達を転送陣が包む。そして文字通り、この世界から姿を消した。

 

 

 

 

 

 海上を進んでいく小舟が一隻。櫂も帆もないのに、かなりの速度で進んでいる。海の上を飛ぶかのように。これもダゴンが後ろから押しているからだ。小舟を引っ張っているイルカ達も、そのおかげか随分楽に進んでいるのが分かる。さすがは水魔だけの事はあった。

 ルイズは振り返る。さっきまでいたエルフの町は、もう水平線の下。脱出に成功した。もっともこれほどスムーズに行ったのも、天子を始めとした人外達のおかげだ。

 

「これからどうするの?」

 

 不意にルイズの耳へ、ティファニアの疑問が届く。それに答えたのはルクシャナ。

 

「知り合いの所に行くわ」

「何言ってんのよ。このままハルケギニアに行くわ。迎えが来てんだから」

 

 ルイズはすぐさま振り返ると反論。予定ではオストラント号が向って来ているはずだ。できる限り近づく必要がある。しかしルクシャナは譲らない。

 

「蛮地までこのまま行こうってんの?バカ?」

「はぁ!?」

 

 頭に血が上り出すルイズ。思わず杖を掴む。対するルクシャナも全く怯む様子がない。シャイターンである上に、アリィーすらもあっさり倒した彼女を前にして。エルフは毅然として言う。

 

「サハラの端に行くまで、何日かかると思ってんのよ。その間の水は?食料は?この船、何にも積んでないのよ」

「あ……」

 

 ルイズ、返す言葉もない。優位に立ったとばかりに女性学者は、余裕の表情を見せた。

 

「悪いようにしないわ。あんた達を評議会に突き出すんだったら、とっくにそうしてるしね」

「……分かったわよ。好きにして」

 

 そっぽを向くルイズ。船縁に肘をつく。そんな二人に、苦笑いしながら交互に視線を送るティファニア。一つ思う所があった。口には出さなかったが。だがそれをデルフリンガーが言ってしまった。

 

「お前ら、似た者同士だよな」

「「どこが!」」

 

 同じ響きで責められるインテリジェンスソード。恐縮するように黙り込んだ。

 ただこのちょっと騒ぎのおかげか、ルイズは落ち着きを取り戻していく。何せ最強の妖魔と謂われたエルフ達に追われ、全く知らない町を逃げ回ったのだ。いくら妖怪達の助けがあったと言っても、気を張らずになどできる訳もない。

 ルイズの脳裏にこれまでの様々な出来事が過る。日々の生活では何かと迷惑もかけられた連中だが、いざとなった時は手を貸してくれる。いつも当人達は、なんだかんだと理由を付けてはいたが。そして事が無事終わった後は、他愛もない事だったかのように普段の様子に戻る。もっとも、貸しについて言うのは忘れないが。ただ今のルイズは、そんな所にも微笑ましさを感じていた。

 

「でもなんか……」

 

 ただ今回に限っては、引っかかりも覚えた。どこか今までと違うと。普段と違い、やけに感慨深かげだった文や天子。それにこれまでの作戦では、パチュリー達は全てを教えてくれた。しかし今回は教えらえていない部分が結構ある。後から現れた文に鈴仙。天子や衣玖もそうだ。脱走の手筈の変更も聞いていない。

 考えを巡らせていると、不意に思い出した。文から貰った手紙を。脱走が成功した後に読めと言われたパチュリーからの伝言を。

 

「なんだろ?」

 

 ポケットから手紙を取り出す。内容はこれまた奇妙なものだった。眉間にしわを寄せ、怪訝に首を傾げる。

 

「デルフリンガーに6000年前の事を聞け?何これ?」

 

 この状況でなんの脈絡もないもの。魔女達の意図が分からない。デルフリンガーへ手紙を差し出す。

 

「パチュリーからの伝言なんだけど、あんた意味分かる?」

「……」

 

 もちろん、このインテリジェンスソードには分かっていた。

 アディールから脱出後、彼は6000年前の話を告白する。原作での筋書きだ。もっともそれは平賀才人が夢の中で、6000年前の出来事を追体験した後だから意味があった。一方、今は話しても突拍子なさすぎるだけだ。しかし、すでに妖怪達の話に乗ると決めたデルフリンガー。躊躇なく話し出す。

 

「6000年前、ブリミルがいた時代の話か」

「…………。そう言えば前にも6000年前の話してたっけ?続きでもあるの?」

「あるぜ。それも、ブリミル本人と最初のガンダールヴの話さ」

「え!?」

 

 ルイズとルクシャナは驚きに染まり、インテリジェンスソードを注視。宗教庁もエルフ達ですら知らない話だ。あえて知っている者を上げれば、ヴィットーリオとジュリオだけ。

 そしてインテリジェンスソードは語り出した。最初の虚無の主従の結末を。

 

「ブリミルを殺したのは、最初のガンダールヴだ」

 

 信じがたい話を耳にした虚無の担い手とハーフエルフとエルフ。絞り出されるのはわずかな言葉のみ。今の話の意味が、上手く整理できない。俯いて身を固める。

 一方、デルフリンガーには全く別の疑問が浮かんでいた。小声で零す。

 

「にしても……、こんな話してどうすんだ?意味あんのか?」

 

 これがどう結末と関係するのか。魔女達の思惑がまるで読めない。

 

 不意に違和感が過った。三人の少女達に不自然なものを感じる。驚愕の話だったとは言え、全く会話がなくなっていたのだ。それ所かよく見ると三人共、身動きを止めている。

 

「え?」

 

 抜けた声を上げるデルフリンガー。動きを止めるなんてものではない。彼女達は石化したかのように、微塵も動かない。進んでいる小舟の上だというのに、その髪はそよぎもしないのだから。

 強烈な悪寒が走った。急いでダゴンを招きよせると、自分を高く掲げさせる。そして小舟の周囲を見渡す。信じがたいものが見えていた。何もかもが止まっていた。海の波も、飛沫も、雲の流れも。さらにダゴンがさっきまで海の中にいた場所も、型を抜いたかのようにスッポリと穴が空いていた。海水すらも動きを止めていた。

 

「何が……どうなってやがる……」

 

 時間が止まっている。そう表現するしかない。混乱に溢れかえるデルフリンガーの脳裏。その時、宙に浮いている奇妙なものに気付いた。剣の柄だ。それが横向きに浮いていた。

 

「こりゃぁ……確か……、緋想の剣のヤツか?」

 

 まともに見たのは一度しかないが、確かに『緋想の剣』の柄だった。しかもよく見ると、緋色に輝く刀身がわずかに覗いている。あえて言うなら空間に、緋想の剣が刺さっている。そう思えた。

 

「今回は上手くいったわね」

 

 突然、この場にいない者の声が届いた。だがデルフリンガーに動揺はない。むしろ冷静さを取り戻す。彼にとっては、もはや馴染と言ってもいいほど聞き慣れた声なのだから。

 

「やっと魔女のお出ましかい。姿がないんで、裏で何かやらかしてんだろうなって思ってたがよ」

「あなたからすれば、久しぶりになるのかしらね。それとも私達と同じ時間の中かしら。デルフリンガー」

 

 空中に青白い円形の図形が現れる。転送陣だ。そして中央に人外が二人、七曜の魔女パチュリー・ノーレッジと使い魔のこあ。さらに二つの転送陣が出現する。普通の魔法使い霧雨魔理沙と、人形遣いアリス・マーガトロイド。魔女三人が小舟を囲んでいた。

 デルフリンガーが不機嫌そうな声を上げる。

 

「何しやがった?」

「そうね。しおりを挟んだと言った所かしら」

 

 パチュリーは普段と変わらず、淡々と言葉を返す。

 

「分かるように言えよ」

「しおりを挟む。つまり話を止めたって事よ。しかも今までとは違うわ。見ての通り、何もかも止めたのよ」

「烏天狗からは結末を見せるって聞いてたんだがな。全部止めちまうってのは、かなり話が違うんじゃねぇか?俺をハメたのか?」

「半分正解、半分はずれね」

 

 次に話はじめたのはアリス。

 

「結末を見せるってのは本当よ。なかなかちゃんと話せなかったから言ってないけど、あなた達が考えてる方法じゃ結末なんて来ないの。永遠にね」

「あ!?どういう意味だ?」

「つまりは、こういう事」

 

 それからアリスは説明する。この『ゼロの使い魔』という世界の構造について。平賀才人は永遠の裏方であると。ルイズと平賀才人が、ハルケギニアで共に生きるなどありえないと。

 無念をにじませ絞り出すように返すデルフリンガー。彼に顔があったら、どれほどの苦悶が浮かんでいただろうか。

 

「なんだそりゃ!?これまで俺たちがやっていたのは、全部無駄だったってのか?」

「けど、失敗を繰り替えさなかったら、外の私たちを巻き込もうなんて考えなかったんじゃない?」

「…………」

 

 確かにアリスの言う通りだ。幻想郷の人妖を巻き込もうと考えたのも、他に手が思い浮かばなかったからこそだ。しかし、気持ちとしてはすぐには受け入れがたい。今の彼には、舌を打つのが精いっぱい。

 そんなインテリジェンスソードを他所に、魔理沙がパチュリーに声をかける。

 

「おい、そろそろ始めようぜ」

「そうね」

 

 うなずく七曜の魔女。

 

「こあ」

「はい」

 

 こあは水晶玉を取り出すと一言話しかけた。するといくつも転送陣が現れる。次々と姿を見せる文、鈴仙、衣玖。そして緋想の剣の柄の側には、天子が現れた。

 デルフリンガーが慌てた声を上げる。

 

「おい!何するつもりだ!」

「ん?平賀才人に会うんだぜ」

 

 魔理沙の気軽そうな返事。まるで遊びに行くかのよう。

 

「ちょっと待て。どうやって会うつもりだ?」

 

 険悪な雰囲気を漂わせはじめたデルフリンガーに、パチュリーが制するように言う。

 

「デルフリンガー。何故、ここで話を止めたと思う?」

「あ?」

 

 唐突な質問に、気を削がれるインテリジェンスソード。紫魔女は続けた。

 

「小説にはもちろん物語が書いてあるのだけど、一か所だけそうではない部分があるわ」

「……」

「あとがきよ。そして6000年前の話をあなたが告白するここは、19巻のラストシーン。次のページにあるのは、その後の展開ではなく作者のコメント」

「烏天狗がこのままいけば結末が見れるなんて言ったのも、俺に6000年前の話をさせたのも、そのためか」

「ええ、このシーンにたどり着くためにね」

 

 淡々と言葉を連ねるパチュリー。デルフリンガーは黙って聞くしかない。

 

「しかも19巻のあとがきは他と少し違うのよ。元々、この作者はあとがきにプライベートな話を書く人じゃないのだけど、この巻は違う。プライベートな話を書いてたの。それこそが楽屋、物語の舞台裏へ入り込む隙間と私達は読んだわ」

「……」

「やる事は単純。場面転換のために暗転している最中に、話を止めてしまう。その間に、舞台袖から楽屋に降りようという訳」

 

 これこそが魔女達の最後の策。

 あとがきは言わば作者の世界、物語の舞台裏。これは付喪神『ゼロの使い魔』の世界では、平賀才人のいる舞台下を意味した。ここが19巻のラストシーンである以上、次のシーンは20巻冒頭。その場面転換の間隙を突いて、舞台下に潜り込もうとしているのだ。しかもプライベート要素は、作者の生活空間の気配を濃くする。舞台下が最も露わになる。

 こんな策を思いついたのも、天子と衣玖のおかげ。彼女達はロマリアとジョゼフの戦いの後、奇妙な異物感に気付いていた。そこは15巻と16巻のつなぎ。その異物感こそが、あとがきだった。

 

 説明終了とばかりに、七曜の魔女は天子へ声をかける。事務作業のごとく。

 

「さてと。天子、頼むわ」

「ん」

 

 天子は空間に刺さっている緋想の剣の柄を握った。慌ててデルフリンガーが叫ぶ。

 

「お、おい!ちょっと待て!」

 

 だが彼女の手元に剣が突き出された。もちろんデルフリンガーだ。天子に何もさせないと言わんばかりに、立ちふさがる。

 項垂れて、ため息を漏らすアリス。

 

「けどさっきも言ったけど、このまま話を進めても上手くはいかないし、こっちの話に乗ればあなた達の望みも叶うわ。邪魔してもいい事ないわよ」

「そんなんじゃねぇよ。相棒にあんた等を会わせる訳にはいかねぇんだ。世界が壊れちまうかもしれねぇからさ」

 

 突然の不穏な言葉。幻想郷の人妖達の眉がわずかに動く。黙り込む。デルフリンガーの言葉の意味を理解できた者は、一人もいなかった。

 淡泊だったパチュリーが、鋭さを漂わせる。

 

「別に手出そうってんじゃないわ。術にかけるとかもね。話をするだけ。提案と言うべきかしら」

「提案だ?前に聞いた、あいつを神にするって話か」

「あれね。魔理沙が余計な事言ったから誤解させたかもしれないけど、それは手段。手続きと言った方がいいかしら。最終的には平賀才人は人間という立場で、ハルケギニアに顕現するわ」

「そりゃぁ……」

「人としてルイズと共に、ハルケギニアで生きていけるようになるという事よ」

「……」

 

 次に黙り込んだのは、インテリジェンスソード。自分たちがついに見つけられなかった道を、この外の住人達は見出しているという。ならば、やるべきことは一つしかないのではないか。相手は知らぬ者達という訳でもない。デルフリンガーは胸の内を決めた。ほどなくして、ゆっくりと剣は下される。

 

「話をするだけなんだな……。分かったよ。腹括ったぜ。あんた達に賭ける。ただしもう一度言うが、相棒に直に会うのだけはやめてくれよ」

「ええ」

 

 紫魔女の口元がわずかに緩んだ。一方の天子は、双方のやり取りを面倒な通過儀礼程度に感じていなかったのか、うんざりした表情を浮かべている。

 

「で、どうすんの?やっていいの?」

「やって」

 

 合図と同時に、天子は真っ直ぐに剣を引き下ろした。空間が避けた。それは八雲紫がスキマを開けるかのよう。だが彼女達の目に映っていたものは、まるで違うもの。避けた空間の先にあったのは、フローリングの部屋。ハルケギニアにも幻想郷にも似つかわしくない、一般住宅の一室。そこには模型が並んでいた。魔女達の口元がわずかに緩む。とりあえずここまでは読み通りと。

 19巻のあとがきには、ジオラマの事が書かれていた。まさしく今見えるのはその光景。こここそが舞台裏、楽屋と呼んでいた空間だった。

 やがて一同は足を進める。この世界の裏側へと。

 

 

 

 

 




 ミス(誤字とか脱字の類じゃないです)をやらかしてしまいまして、一部修正です。


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ラストスタート

 

 

 

 

 幻想郷の人妖達とデルフリンガーの目の前にあったのは、空間に開いた入り口。その先にあるのはフローリングの一室。この世界『ゼロの使い魔』の裏側だ。彼女達は今からそこへ向かおうとしていた。本当の意味で、ルイズ達がこの世界で生きるために。その大きな鍵となるのが、この世界の管理人とでも言うべき平賀才人。これから彼との交渉に向かおうという訳だ。ただこれには一つ条件があった。幻想郷の人妖達は、直接、平賀才人と会ってはならないと。

 

 パチュリーが使い魔へ、視線だけ向けてきた。

 

「こあ、ルイズ、連れてきて」

「え?ルイズさんをですか?」

「平賀才人と直に会えないんだもの。仲介人を立てないとね。まあ、元々、彼を説得してもらうつもりでもあったから、ちょっと役割が増えただけよ」

「はい」

 

 こあは彫像のように動かないルイズを抱える。

 

 全員が空間に開いた裂け目の前に集合。魔理沙が不敵な笑みを浮かべ出す。それはもう楽しげに。

 

「いよいよ、宝の部屋に突入だぜ」

「宝なんてある訳ないでしょ」

 

 脇からアリスの冷ややかなツッコミ。

 

「例えだ、例え。やっと見つけた入り口だぜ?ワクワクしねぇか?」

「一応、ルイズ達の将来がかかってんのよ」

「分かってるって」

 

 そう言いながらも、高揚感を抑えられない魔理沙。空間の裂け目へ先頭を切って進む。その後にアリスが続いた。それから他のメンバーが次々と入って行く。ダゴンとデルフリンガーも入り、最後は天子。同時に緋想の剣を、空間から抜く。その直後、裂け目は表の世界から消え去った。

 

 ジオラマのあるフローリングの部屋に入り、興味津々に周囲を見回す一同。そんな中、突然ダゴンが倒れた。鈴仙が咄嗟に手を差し伸べる。これも薬師の弟子の性ゆえか。

 

「ど、どうしたの!?」

「なんでもねぇよ」

 

 デルフリンガーの平然とした返事。

 

「こいつはただの操り人形、ハリボテだ。楽屋に入れば動かない。それだけさ」

「そうなんだ……」

 

 納得しながらも、収まりどころの悪そうな玉兎。分かってはいたが、無言ながらもついさっきまで普通に動いていた悪魔が、実は中身空っぽな存在と思い知らされて。

 だがそんなものは、すぐに吹き飛ばされた。

 

「始祖ブリミルが……。え……?あ!?ここ……!何で!?」

 

 マネキンのように動かなかったルイズが声を上げていた。悲痛な響きを伴って。

 

「デルフリンガー!またダメ……」

「落ち着いて。ルイズ」

「パ、パチュリー!?みんな!?ど、どうやってここに?」

「簡単に言えば、黒子を探してたらこの世界の全てを解明してしまったのよ。ここにどうやって入るのかもね。あなたの方も、全部思い出したようね」

「え……うん……」

 

 気まずそうにうなずくルイズ。パチュリーの方はルイズの様子を気にするそぶりも見せず、普段通り。あたかもここが、いつも雑談をしていた学院の寮かのように。

 

「さてと。前にも言ったけど、黒子の説得をお願いするわ」

「黒子って……その……」

「正体はもう分かってるわ。平賀才人でしょ?」

「うん……」

「そしてあなた達は、中断してしまったこの世界を、なんとか先に進めようとしている」

「うん……」

「私達はその方法を見つけてるのよ」

「え!?本当!」

 

 小さくなっていたルイズが、弾けるように顔を上げた。そこには驚きと共に、溢れてきた期待があった。

 七曜の魔女は、落ち着き払ったまま続ける。

 

「でもデルフリンガーの話だと、私達が直に会う訳にはいかないらしいのよ。だから仲介役が必要なの」

「……。分かったわ」

 

 ルイズは真っ直ぐパチュリーを見ると、強くうなずいた。ついに自分達が追い求めたものに手が届くのだ。断る理由などない。何よりもルイズは信じていた。目の前の友人たちを。幻想郷で、ハルケギニアで彼女達と過ごした日々。あれは確かに存在し、そしてルイズを確実に変えていた。

 意を決した顔付きで、ルイズはデルフリンガーを掴む。この世界を進めようと、今まで共に力を合わせた仲間を手にする。デルフリンガーは黙ったままだが、不思議と彼にも決意のようなものを感じられた。

 

 やがて部屋を出る一同。見えたものは、外の世界の一般住宅の廊下。いくつものドアが並んでいる。部屋数は多そうだ。廊下の両端はどちらも曲がり角になっており、先は分からない。

 天子が何の気なしに、隣部屋のドアを開けた。

 

「どうなってんの?」

「総領娘様!」

 

 衣玖の叱責が飛ぶが、意に介さず。『ゼロの使い魔』の世界の裏側というデリケートな空間にいるにもかかわらず、相変わらずマイペースの天人。

 開いた扉から覗き込む。横から魔理沙も首を突っ込んでいた。目に映ったのは、いくつもの水槽が置いてある部屋。

 

「なんだこりゃ?金魚屋か?」

 

 部屋に入った魔理沙が、真っ先に思いついたのはそれ。パチュリーも部屋に入り、分析するように視線を部屋中に流した。

 

「なるほどね」

「何がなるほどなんだよ」

「作者はアクアリストって聞いてたのよ」

「アクアリスト?」

「分かりやすくいうと、魚を飼うのが趣味」

「初めからそう言え」

「こういう水槽を、仕事場にたくさん置いてたそうよ」

 

 アリスもいくつもの水槽を眺めながら、納得げに言う。

 

「つまりここは、『ゼロの使い魔』が生まれた場所の再現って訳ね」

「中断したこの世界を進めようとしてる場所なんだから、ある意味相応しいかもね」

 

 思う所があるのか、感慨深げに部屋を眺める一同。

 

「ちょっと来て!」

 

 突然、鈴仙の呼ぶ声。招き寄せる仕草をしながら。釣られるように全員が彼女の側に寄る。すると何故鈴仙が騒いだがすぐわかった。見知った人物がいたのだ。眠りこけている男が。

 衣玖が記憶の底から名前を掘り起こす。

 

「確か……メンヌヴィルでしたっけ?」

「だな」

 

 うなずく魔理沙。アリスもすっかり忘れていた彼の顔を思い出していた。

 

「パッタリ姿を見なくなったと思ったら、こんな所にいたなんてね」

 

 意外そうに彼を見ていた人妖達の耳に、デルフリンガーの言葉が届く。

 

「こいつはコルベールとの闘いで、退場するハズだったからな。けど、トラブルが起こって外に出ちまった。こっちに戻って来たのはいいが、ハルケギニアにまた出す訳にもいかないって事で、ここに押し込められたって訳さ」

「出番終了だから、控室で待ってろって?」

「そんな所だ」

 

 この世界は付喪神。表舞台であるハルケギニアで死んでも、それは本当の死ではない。そのため退場した者は、ここ、世界の裏に戻された。人妖達が楽屋と呼んでいたその名の通り、控室的な意味があった。

 

 インテリジェンスソードのコメントをメモに取っていた文。何かを思いついたのか、記者然として尋ねてくる。

 

「デルフリンガーさん。メンヌヴィルさんには、私達は会っても構わないんですか?」

「もう散々会っちまったからな。今更だ」

「では、平賀才人さんに会ってはいけない理由はなんです?」

「何度か記憶の改変とかがあったろ?」

「はい」

「あれは相棒が、表の世界に直に手を加えてたんだ」

 

 明かされた真相自体は人妖達の予想通りだが、一つ気になるものがあった。アリスがそれを口にする。

 

「そうそう。いっつも起こってた地震。あれ何?」

「相棒はこの世界の支柱みたいなもんさ。柱が動きゃ、支えてる舞台も揺れる」

「なるほどね。いろいろ出来る割に、仕掛けた回数が少ないのそのせいなのね」

 

 記憶の改変など、不可解な現象が起こる度に発生していた地震。平賀才人自身が動いた証であると同時に、彼がおいそれと動けない事も意味していた。柱が常に動いていては、舞台上に何が起こるか分からない。やはり平賀才人は、この世界では神というより管理人に近い立場だった。

 

「あ!」

 

 不意に、声を上げる者が一人。天子だ。デルフリンガーを鋭く指さす。これから文句を百個並べてやろうかという態度で。

 

「ガンダールヴのルーン!チクチクさせてたヤツ!何あれ?地味にムカついたんだけど」

 

 天子のガンダールヴのルーンはだんだんと削れていき、最後は完全に消滅した。その間、たまに痛みを伴って削れる事があった。頑丈で知られる天子。打撃などの痛みはなんとも思わないが、この時のかさぶたが取れるような痛みは、あまり味わいたくないものだった。

 デルフリンガーが、申し訳なさそうに答える。

 

「あれな。相棒も、ああなるなんて思ってなかったんだよ。ルイズと契約した時、実はあんたにガンダールヴの力を与えようとしたんだ。虚無の担い手とガンダールヴが、世界を救うんだからな」

「ガンダールヴの力なんて、感じた事なかったけど」

「上手くいかなかったのさ。精々、ルーンを貼り付けるのが精いっぱい」

「当然ね。天人さまに干渉しようなんて、1000年早いわ」

 

 出るもののない胸を張って勝利宣言の天子。こんなものに勝ち誇っている彼女の背へ、衣玖から呆れ気味な視線が刺さる。ハルケギニアの経験で多少変わったと思っていたが、この辺りは相変わらずと思いながら。

 インテリジェンスソードの方は、気にせず進めた。

 

「なんとか貼り付けてたルーンだが、相棒が力を使う度に安定感を失って削れてった。特にガンダールヴに関わる力を使ったときには。本来、ガンダールヴは相棒だからな」

「ふ~ん……。それでか」

「そんな訳だ。相棒の代わりに、謝っとく。すまなかったな」

「え……。ま、まあいいけどねー。あの程度、なんともないし」

 

 いきなり謝罪を口にされ、虚を突かれたのか。狼狽え気味の天人。気にするなと言わんばかりに、天子は大げさに頑丈さをアピール。彼女の後ろでは、全く変わってない訳でもないかと衣玖が表情を緩めていた。

 

 場が落ち着くのを待ち、デルフリンガーは話を戻す。

 

「とまあ、相棒は表舞台にいろいろと手出してたのさ。ところが、どうにもならないもんがあった」

「記憶が残った人達ですね」

 

 文がペンを走らせながら一言。

 

「あれは、あんたらの妖気に当てられたせいだ。何度か会ってる内に、まるで結界に包まれたみたいになっちまった。おかげで、まるで手が出せなくなった」

 

 デルフリンガーは神妙な口ぶりで言う。ここで、納得いかないと前に出てくる魔理沙。

 

「おいおい。術かけた訳でもねぇのに、会っただけで妖気に当てられるなんてあるか?」

 

 幻想郷ではまず考えらえない現象だ。会っただけで、相手がどうかなるなどとは。妖精ですら、そんな事はない。すると脇からパチュリーの解説が入る。

 

「この世界には、人間や妖魔、精霊、動物や木々とかいろいろいるけど、その数は膨大よ。けど、元は生まれたばかりの一つの付喪神。だから、個々の気が小さすぎるのよ」

「へー、それでって訳か」

 

 腕を組みながら白黒は納得する。すると鈴仙が顎に指を添えつつ、一つ考えを口にした。

 

「もしかして平賀才人に会わせたくないのも、彼も同じように気に当てられるからって話?」

「ああ。そうならないかもしれねぇが、あいつはこの世界の柱だ。万が一にも、トラブルを起こす訳にはいかないのさ」

「だからなのね。私達を邪魔してたのって」

「それもあるが、他にも不都合があったんだ。あんた等が動けば動くほど、気に当てられる範囲が広がってく。しかもあんたら、かなり自由に動き回ってたから余計にな。あのままじゃ、ハルケギニア全体に影響が広がる可能性があった。そんな状態じゃぁ、結末にたどり着けるのかも怪しくなった。だから、なんとか話の筋を外さないようにしながら、あんた達をハルケギニアからおっぽり出そうと考えた」

 

 すぐパチュリーの脳裏に、思い当たるものが浮かぶ。

 

「転送陣壊したのは、それが理由?」

「ああ。あの時点で、かなり人数が減ってたからな。とりあえず増えるのを防いだ訳さ。最終的には、ジョゼフとの戦闘で全員追い出せた。まあ、ありゃぁ結果的にだけどさ」

「あなた、あの時、慌ててたものね」

「世界を壊さないように、いろいろ手打ってたんだ。けど、穴が空いちまった。そりゃ慌てるさ」

 

 デルフリンガーに肩があったら、竦めているかのような言いよう。

 

「なるほどね。その後、やけに話が早く進んでたのは、それでって訳」

「あんた達の影響が広がる前に、出来るだけ早く結末にたどり着きたかったんだよ」

「随分と雑なやり方だったけど」

 

 皮肉交じりに一言挟む七曜の魔女。インテリジェンスソードは渋そうに黙り込む。すると水槽を覗きこんでいた天子が、鼻で笑っていた。

 

「会っただけで気に当てられるかもとか、世界背負ってるくせに弱すぎでしょ」

「仕様がないでしょ!それでも、サイトは頑張ってきたのよ!」

 

 ルイズの叫びにも似た声が出てくる。本気で怒っている彼女を前に、天子は気まずそうに視線を逸らした。そんな天人の肩を、魔理沙が軽く叩く。

 

「天子、そう言うなって。逆に言やぁ、なおさら私等の手に乗った方がいいって話になるぜ」

「そうよね」

 

 アリスは小さくうなずいた。魔女達の言葉に、困惑気味に眉間を狭めるルイズ。デルフリンガーにも今一つ分からない。彼女達の真意が。

 やがてパチュリーがルイズの方を向いた。真っ直ぐに。いつもどこか冷めた様子の彼女。だが今は、珍しく瞳に力が籠っていた。

 

「さてと、だいたい事情は分かった所で本題に入るわ。ルイズ。あなたには平賀才人に、私達の提案を受け入れるように説得してもらうわ」

「分かったわ。それで提案って何?」

「それは……」

 

 七曜の魔女の長い話が始まった。

 

 

 

 

 

 扉が開いた。ルイズとデルフリンガーの目に映ったものは、他の部屋にもあったたくさんの水槽。だがこの部屋は一つだけ違うものがあった。パソコンだ。その前にある椅子にパーカーを着た黒髪の人物が座っていた。二人がよく知っている少年が。

 ルイズは息を飲むと、気持ちを引き締める。

 

「サイト」

 

 ずっとその名を口にしたかった。それほど彼女にとっては、掛け替えのない名だ。しかし、今、出たそれは、とても恋い焦がれた相手の名を呼んだ響きではなかった。そこには緊張感すら漂っていた。自分達、この世界の全てがこれで決まる。そんな覚悟が籠っていた。

 ルイズは大きく深呼吸すると、言葉を続けようとする。だがそれを遮るように、脇から軽い調子の声が挟まれた。

 

「相棒。あ~、なんだ。先に謝っとく。悪かったぜ」

 

 デルフリンガーだった。遊びの待ち合わせに5分ほど遅刻してきたかのような、気軽なもの。

 

「いや~。お前に、最後まで付き合うって言っておきながら、途中で降りちまった。だけどよ~、こっちにもいろいろあったんだぜ」

 

 思いっきり場違いなデルフリンガーの話しぶりに、覚悟が吹き飛んでしまうルイズ。何をしに来たのか、一瞬忘れてしまうほど。そんな彼女へ、インテリジェンスソードが小声で一言。

 

「何、固くなってんだよ。王様に謁見しに来たんじゃねぇぞ。相手はヒラガ・サイトだぜ」

「……。そうね、そうだったわ」

 

 背中を押されたのか、ルイズから固さが抜けていく。身を縛っていた緊張がほどけていく。才人といっしょにいた時。それがどんなものが思いだしたかのように。普段と変わらない、気が強いが、少し寂しがり屋のちびっこピンクブロンドがそこにいた。

 

「サイト。ちょっと、こっち向きなさいよ。話があるのよ」

 

 すると少年が座っている椅子が、ゆっくりと回り始めた。そして正面を向いた。二人と顔を合わる。何年も会っていなかったような高まりが、胸に湧き上がる。

 わずかな間、二人は見つめ合っていたが、才人が気まずそうに視線をずらし、頭を掻きだした。やがて意を決したのか、口を開こうとする。だがこっちが先だと言わんばかりに、ルイズが話し始めていた。腰に手を当て、いかにも怒っているという態度で。

 

「もう、こっちは散々引っ掻き回されたわ」

「えっと……ルイズ?」

「パチュリー達の話を素直に聞けば、こんな面倒な話にならなかったのに。あんたって、強情な時はホント強情よね。世界の管理人なんて立場になっても、そこん所は全然変わんないわ」

「ちょ、ちょっと待てよ。俺にだって事情があるんだよ」

 

 必至になって言い訳しようとする才人。それをルイズは懐かしげに眺めていた。他の女の子に言い寄られた時や、自ら危険に飛び込もうとする時、何度もルイズはこの顔を見た。

 フローリングの床、部屋の隅の置かれた空気洗浄機、いくつも並ぶ水槽、天井にある照明、そしてパソコン。どれもハルケギニアにはないものだが、ルイズには何故かここが、あの自分の寮の部屋にも思えていた。

 

 才人は手振り身振りで、いろいろと理由を並べていた。

 

「……。だから、妖怪達の妖気があそこまで強いなんて、思ってなかったんだよ。あそこまでフリーダムとも思わなかったしさ……。けど、他に方法も思い付かなかったしよ……」

「うん。そうね。その通りだわ」

「え?ルイズ?」

「サイトはがんばったわ。がんばった」

 

 平賀才人は、本来は頭より体が先に動いてしまうような性格だ。それが世界の管理などという厄介な立場になってしまったのだから。しかも、守るべき世界の大地を踏む事ができない。彼にしか分からない苦悩があった。それだけは、ルイズもデルフリンガーも分かち合えない。

 

 彼女の言葉を耳に収めた才人は、口を強く結び堪えるように俯いていく。強く組んだ手には爪の後が刻まれる。心なしか、その瞳は潤んでいるようにも見えた。

 この世界をたった一人で維持し続けていた、ある意味神とも言えるような彼。だが今ルイズ達の目に映る彼は、見た目相応な少年に思えた。

 

 才人はポツリポツリと話し始める。溜まっていたものが、隙間から零れていくように。

 

「気付いたら俺はここにいた。リーヴスラシルになって、これからどうなるのかって思ってたら、パソコンの前に座ってた」

「……」

「最初は、地球に戻れたのかと思ったよ。正直、ちょっとほっとした。けど、不意に思った。ルイズはどうしたのかなって。お前、突っ走る所があるから、俺たちを助けにサハラに向かってるかもって」

「それはこっちの台詞よ。あんただって、どんだけ先走ってたと思ってんのよ。アルビオンから撤退する時とか、タバサをガリアから助ける時とか」

「お前だって、フーケ捕まえる時とか、修道院行っちまった時とかあっただろ」

「……」

 

 ふたりしばらく黙り込んでいたが、同時に笑い声を上げていた。デルフリンガーはそんな二人を、穏やかな気持ちで眺める。

 

「似た者同士だな、お前ら」

 

 懐かしい温かさが三人を包んでいた。だがそれを断ち切るように、デルフリンガーからの落ち着き払った言葉が出てくる。

 

「けどよ。水を差すようで悪いが、そりゃぁ"今"の俺たちじゃないぜ」

「分かってるよ。今ならさ。小説の俺たちと、ここにいる俺たちは別ものだ。あの出来事の先に、今の俺たちがいる訳じゃない。ここにいる、いや、ここに生まれちまったのはまるで違う理由からだ」

「ああ」

「でも、記憶はあるんだよ。やっぱり。いろいろ大変だったけど、楽しかったって。ルイズとデルフ、シエスタやタバサ達やギーシュ達といっしょにいたのは」

「……」

「だから思った。生まれたばかりなら、また始めればいいって。付喪神の俺が人生って言うのは変だけど、人生をやり直せばいいって。話が途中で止まったなら、先に進めればいいだけだって」

 

 それから才人は黙り込む。ルイズは前に足を進めた。そして、うつむいたままの才人の頭を抱きかかえる。

 

「私もよ。私も、そう思った」

 

 彼女の言葉は力強かった。気持ちは才人といつも同じ。そう言いたいかのごとく。そして才人もルイズの背へ手を回す。時間が止まったかのように、二人は抱き合ったまま動かなかった。やがてルイズから離れた。才人の肩に手を置く。真っ直ぐ彼を見つめたまま。

 

「だからこれから始めましょ。"今"の私達の人生を」

「……そうだな。そうだ」

「みんなから聞いた話、全部話すわ。しっかり聞いてよ」

「ああ」

 

 才人はしっかりとうなずいた。それからルイズは話し始めた。この世界の構造について。彼がどうしてハルケギニアに出現できなかったのかを。やがて本題に入る。二人が共にハルケギニアで生きる方法を話しはじめた。才人は黙ったまま耳を傾けていた。

 心地いい水の音が流れる部屋で、語られる人妖達が考えた手段。それは、かなり手間のかかる方法な上、才人には一つの決断が必要だった。だが彼はそれを受け入れる。そして全てが始まった。

 

 

 

 

 

 長い時間が経ったような気がする。全く異質な世界で鍛錬に励んでいたような気がする。だが、それがどんなものか思い出せなかった。脳裏にあるのは、どれも朧でハッキリしない。だからそれを確認しようと、瞼を開いた。

 ヒラガ・サイトの目に青い空が映っていた。土の香りが鼻を突く。手には触れる草の感触。そして胸元に押し付けるような重みがあった。

 視線を下ろす。見えたのはピンクブロンドの少女だった。倒れているサイトに乗りかかっていた。いや、抱き付いていたと言った方が近い。彼は何故か、それが嬉しくて仕方がなかった。求めていたものをついに手に入れた。そんな気持ちが込み上げてきていた。そして自然と、手で彼女を包み込もうとしていた。

 よく通る音が響く。木霊がするほどに。

 

「え?」

 

 少年の頬に焼けるような痛みが走っていた。少女は立ち上がると、顔を真っ赤にして喚き始める。

 

「な、何抱き付いてんのよ!」

「??」

 

 頬を抑えながら、唖然とするサイト。言っている意味が分からない。

 

「何、言ってんだ!抱き付いてきたのはそっちだろうが!」

「私がそんな事するはずないでしょ!」

 

 ちびっ子ピンクブロンドは、まさしく頭に血を上らせていた。だがサイトも言いがかりを付けられて、黙っている訳にはいかない。さらに反論を並べようとした。だがここで、別の方向からの声が耳に入る。

 

「ルイズが平民、呼び出したぞ!」

「さすがゼロのルイズ」

 

 サイトは声の方へ顔を向ける。見慣れないものが目に映った。マントを羽織った少年少女達が、ずらりと並んでいる。自分達を囲むように。しかもどう見ても日本人ではない。そして次に見えたのは城らしき建物。すると、根本的な疑問が脳裏に浮かぶ。ここはどこだと。そして、どうしてこんな所にいるのかと。

 腕を組み、瞼を閉じ、頭の底を攫う。何か手がかりらしきものがあるような気がするのだが、どうしても出てこない。霧の壁に阻まれているようで届かない。

 

「!?」

 

 突然、妙な感覚に襲われた。気づくと目の前にさっきの少女の顔があった。それだけではない。唇に触れるものがあった。柔らかな感触が。それがキスだと気付くのは、一瞬後の事だった。慌てて後退りするサイト。

 

「な、何しやがる!」

「うるさいわね!私だって好きでやったんじゃないんだから!」

 

 もはや彼には何が何やら訳が分からない。いきなり抱き付いてきたり、引っぱたいたり、キスされたり。だが次の瞬間、そんな混乱は全て吹き飛んだ。強烈な痛みが左手を襲っていた。

 

「い、痛ってぇぇぇぇっ!!」

 

 左手を抑え、歯を食いしばり、なんとか耐えるサイト。しばらくして、痛みは消え失せた。ふと左手を見る。一体何が起こったのかと。すると奇妙なものが手の甲にあった。文字のようなものが。擦ったが消えない。入れ墨でも刻んだかのよう。

 

「なんだよこれ!?」

「ほう……。珍しいルーンだね」

「え?」

 

 顔を上げると、目の前にメガネの中年男性が腰を落としていた。左手の文字を凝視している。サイトは思わず睨みつけていた。全く説明がない上、好き勝手やられ、痛い目にあわされて入れ墨まで刻まれた。さすがに怒るなという方が無理だ。

 

「一体何なんだよ!お前ら何者だ!俺に何しやがった!」

「ああ、混乱するのも無理はない。まずは落ち着てくれ」

「落ち着けるかって!」

 

 中年男性はサイトを宥めるように話し出す。

 

「まずは自己紹介をしよう。私はジャン・コルベール。この学院で教師をしている」

「学院?教師?」

「それで君は?」

「ヒラガ・サイト。高校生だよ」

「コウコウセイ?」

 

 聞き慣れない響きに、コルベールは顎を抱え首を捻る。

 とりあえず、今の会話で多少は落ち着いてきたサイト。そんな彼の側に、さっきのちびっこピンクブロンドが近づいてきた。今頃気づいたが、よく見ると結構な美少女。ただ背が低く、中学一年生くらいにも思える。それともう一つ目に付くものがあった。彼女が手にしていた棒だ。全く飾り気がなく文字通りの棒。しかし彼女の背丈ほどの長さがある。さっと見ただけでも、かなり使いこまれているのが分かる。

 

 サイトが頭の中を整理している最中、彼女は小バカにするように話し始めた。

 

「ああもう、うるさい平民ね。ここはトリステイン魔法学院。そして、あんたは私の使い魔になったのよ」

「魔法学院?使い魔?何言ってんだ?」

「はぁ?トリステイン魔法学院を知らないの?いったいどこの田舎者よ」

「田舎者じゃねぇよ!」

 

 またも興奮し始めたサイトを、コルベールがなんとか宥める。詳しい事を後で話すといい。

 ともかく事を収めるまで時間がかかりそうなので、彼は周囲にいた生徒達を解散させた。その時、サイトは信じがたいものを目にする。生徒が全員空に飛んだのだ。唖然として身を固めたまま、震える手で指さしてしまう。

 

「と、と、飛んでる!?」

「メイジが飛ぶのは当たり前でしょ」

 

 またもちびっこピンクブロンドの、突っかかるような口ぶりの一言。一々癪に障る。サイトは少女を睨みつけた。少女の方も負けじと睨み返してくる。間に挟まれたコルベールは、ただただ苦笑い。

 

「ミス・ヴァリエール。貴族の淑女として、そう気色ばむのはあまり褒められたものではないよ」

「は、はぁ……」

 

 我に返ると、顔を赤くしてしおらしくなっていく少女。さらにコルベールは続けた。

 

「本来、使い魔の一切は主に任されるが、彼については私も関わってもいいかな?」

「え?どうしてです?」

「人間が使い魔として召喚された例などないからだよ。まあ、個人的にも人間の使い魔というのに興味があってね」

「はい……。ミスタ・コルベールがそう言われるなら、構いませんが」

 

 仕方がないという様子で、うなずくちびっこピンクブロンド。全員が落ち着きを取り戻した所で、校舎へ帰ろうとし始めた。すると少女が思い出したかのように声を上げる。

 

「あ。そう言えば名前、言ってなかったわ。私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。主の名前くらいしっかり覚えときなさいよ」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……?」

「もう覚えたの?早いじゃない」

「ルイズ?ルイズ……、ルイズ……」

 

 サイトはその名を繰り返す。首を左右に傾げながら。何か引っかかるものが彼の胸の内にあった。一方、ルイズの方も、彼が自分の名を口にする度に、不可解な胸騒ぎに襲われていた。

 彼女は全てを誤魔化すように、鋭く指さす。

 

「な、なんなのよ!人の名前、繰り返さないで!」

「え?」

「使い魔の分際で失礼なヤツね!」

「俺に好き勝手した、お前が言うか!」

 

 またも興奮しだす二人。さすがに温厚なコルベールも、叱責を口にするしかない。ようやく落ち着くと、一同は校舎へ向う。三人共、さっきの生徒達とは違い歩いて。サイトはコルベール、ルイズの後ろに続いた。

 未だにまるで状況がつかめない。魔法だの使い魔だのとファンタジーらしきキーワードが出てはいるが、それから想像できるものはろくでもないものばかり。だが不思議な事に、サイトの気分はやけに晴れやかだった。本当にやっと始まった。説明し難い、そんな気持ちで満たされていた。

 

 

 

 

 




次かその次くらいが最終回になると思います。
サイトがハルケギニアに顕現する方法については、今回にするか後にするかかなり迷ったんですが、後にする事にしました。結構ややこしくゴチャゴチャした説明を入れるのは、流れが悪くなるかなと思ったもので。

新生サイトの話ですが、もう少しだけ続きます。


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シン・主と使い魔

 

 

 

 地球から突然、ハルケギニアと呼ばれている世界にやってきてしまったヒラガ・サイト。しかも使い魔という、いわば奴隷のような立場になってしまった。サイトは地球へ戻せと訴えたが、これへの回答は不可能というもの。さらに使い魔という立場も拒否したが、これへの回答はならば学院から出て一人で生きるしかないというもの。サイトは苦渋の決断をせざるを得なかった。現状を受け入れると。

 

 夕食後のルイズの寮の部屋でふて腐れているサイトを前に、彼女は質問を並ならべていた。

 

「異世界から来た?」

「ああ」

 

 これまでの会話の中で、サイトから出てきたキーワード。地球、日本、パソコン、インターネット等々、ルイズには聞き覚えのないものばかり。中でも驚かされたのが、月が一つしかないという話だった。何故ならここハルケギニアでは、青と赤の二つの月があるのだから。

 

「何、デタラメ言ってんのよ」

「んじゃ、信じさせてやるよ」

 

 そう言ってサイトは、いっしょにこっちに持ってきた少々厚みのある重なった板を手にした。それは本のように開かれる。すると一方に、光が灯り、絵やら文字らしきもが出てきた。しかも動いている。しばらくすると鮮やかな絵が写し出された。いや、絵などというレベルではない。まるで風景を切り取ったかのようだ。その左側には、アクセサリーのような小さな絵が並んでいた。

 

「な……何よこれ?」

「パソコンだよ。俺の世界にはこれが普通にあるんだよ。お前んとこにあるか?」

「……」

 

 見えているものは、今まで見てきた油絵やモザイク画、版画などのどれとも違う。そもそもこれらが、どうやって表示されているのか見当もつかない。

 

「これ、その異世界とかの魔法?」

「科学だよ」

「カガク?」

 

 またも聞き覚えのないキーワード。ルイズは難しい顔つきで、パソコンと少年の双方を交互に見やる。彼の話は信じがたいものばかりだが、目の前のパソコンとやらがあるのもまた事実。しかもよく見れば着ている服、これも初めて見るもの。

 ただの平民かと思っていた少年は、何やら曰く付きの存在らしい。ルイズの口元が緩みだしていた。そして舞い上がるように立ち上がると、満点の笑みを彼に向けてくる。

 

「あんた!やっぱり、ただの平民じゃなかったのね!」

「は?」

 

 サイトはルイズの喜びようが分からない。唖然とし、はしゃぐちびっ子ピンクブロンドを眺める。

 

「異世界のカガクとかいう魔法を使うメイジを召喚したわ!やったわ!始祖ブリミルはちゃんと、私を見守ってくださったんだわ!」

 

 テンション高い少女。楽しげに言葉を連ねていた。

 

「異世界のメイジなら、こっちの魔法が分かるはずないわね。だったら……そう!カガクの力、見せて!」

「科学の力って言われてもさ……」

「そのパソコンとかいうマジックアイテムで、何かできるんでしょ?」

「できるけど……。こっちは電気がないだろ?バッテリー無駄使いする訳にもいかないし。だいたい、これ作ったの俺じゃないぜ」

「え?どういう事?」

「科学を使える人が作ったパソコンを、使ってるだけなんだよ」

「つまり何?あんたはカガクが使えないの?」

「そうなるかな」

「……」

 

 ルイズが急にしおれていく。さっきまでの喜びようが嘘のよう。落ちるように椅子に座った。途端に最初の横柄な態度に戻る。

 

「んじゃ、何ができるのよ?っていうか、向こうで何やってたのよ?」

「何って……普通の学生だよ」

「え?学生?」

 

 目の色が変わるルイズ。サイトには、学生と聞いてどうして驚くのかが分からない。

 ハルケギニアでは学校に行ける者は限られた。もちろん多額の費用がかかるからだ。紹介がないと入れない所もある。貴族や豪商でない一般の平民が通おうとすると、多くの難関が待ち受けていた。つまり学校に行っているというだけで、ある程度のステイタスとなっていた。

 ルイズは、彼を観察するかのように見る。そしておもむろに尋ねた。

 

「何、勉強してたの?」

「う~ん……。外国語とか、歴史とか、数学とか……」

「外国語?あんたの世界って、国によって言葉が違うの?」

「当たり前だろ。え?こっちって、言葉は同じなのか?」

「どこだって言葉はいっしょよ。あ、でも、もしかしたらサハラの向こうは、違うかもしれないわ」

 

 確かにハルケギニアの各国は、ほぼ同じ言語を使っている。ただ世界は広い。ハルケギニアの外にも国はある。西にあるサハラ、さらにその先のロバ・アル・カリイエ。ほとんどの人々にとって、おとぎ話にすら思える世界。それら国々の言葉が、自分達と同じとは限らない。しかし人間は逞しく、そんな場所に行く者達もいる。商人達だ。

 もしかして少年が通っていた学校は、商人の学校なのかもしれない。ならば、外国語という授業があっても不思議ではない。ただ商人の学校などというものは聞いた事もないが、彼は異世界の住人なのだ。ハルケギニアの常識は通用しない。

 ここでルイズは、はたと思う。何故、商人の卵が使い魔として召喚されたのかと。使い魔は主に相応しい者が選ばれるという。では、この出会いの意味はなんなのか。

 

「まさか……私って将来、お金に振り回されるんじゃ……」

 

 朝から晩まで机に座り、書類の数字に使い魔と共に格闘する光景が一瞬過った。

 

「冗談じゃないわ!私は母さまみたいな、すごいメイジになりたいのよ!部屋に籠って書類作業なんて、やってらんないわ!だいたいお金と魔法なんて、関係ないじゃないの!魔法学院通ってる意味がないわ!」

「どうどう、落ち着けって」

 

 こうもコロコロとテンションが変わるのを見ていると、なんだか子犬を相手にしている気分になるサイト。

 一頻り喚いて気が済んだのか、ルイズは静かになる。ゆっくりとサイトの方へ顔が向いていく。その視線に何やら思う所があるように窺える。彼の脳裏に嫌な予感が走った。

 

「あんたには使い魔の商人じゃなくって、メイジに相応しい使い魔になってもらうんだからね!」

「何の話だよ?」

「そうだ!剣術とか勉強してた?」

 

 方々を旅する行商人には、常に危険が付きまとうという。しかも世界中を巡る商売となると、危険度は跳ね上がる。冒険譚に事欠かない両親から、その手の話を何度か聞いた。使い魔の彼は、世界の果てに行くような商人を目指していたのだ。ルイズは、最低限、身を守る術を学んでいるだろうと考えた。

 

 一方、サイトからすると、ピンクブロンド少女の話には一貫性がまるで見えない。面倒臭そうに答える。

 

「えっと、剣道はやってないけど、柔道は授業でやってたかな」

「ジュードー?何それ?」

「武道だよ。体を使う技」

「へー、体術やってんの」

 

 異世界の体術というものに、俄然興味が湧いてきたルイズ。使い魔の役割の一つに、主の護衛というものがある。意外に目の前の少年は、役に立つかもしれない。彼女は満足そうにうなずいた。

 

「それなりに腕はあるみたいね。あんたを試すわ」

「試すって何すんだよ?」

「組手よ」

「俺とお前が?」

「そうよ」

「いや、さすがに女の子に手上げんのは、ちょっとなぁ……」

「言うじゃないの。なら、私が一発でも貰ったら、あんたの勝ちにしてあげる。やられても怒んないわよ。それに、勝ったらあんたに貴族の食事を用意させるわ」

「え!?マジ!?あっ。魔法使う気だな」

「はぁ!?あんた程度に、魔法なんて使う必要なんてある訳ないでしょ!」

 

 急に激高しだすルイズ。サイトは呆気に取られる。何が彼女を怒らせたのか分からない。貴族としての気位の高さだろうか。ただそれにしては、大げさすぎる気もする。

 ともかく一発入れればいいだけだ。怪我をさせる訳ではない。それに、今は美味しいものが食べたかった。今日の夕食が、散々だったので。使い魔の食事だからと、災害非常食のような味もそっけもないものだったのだ。貴族の食事というキーワードは、やる気を出すには十分な理由だった。

 サイトはうなずく。

 

「いいぜ。やってやるよ」

 

 広場を月が照らしていた。サイトからすれば、異質感しかない青と赤の双月が。そこに二人の少年と少女が立っていた。

 

 サイトは視線を落とす。地面にはむき出しの土と、短い草が生えていた。畳ではない。こんな所に投げつけたら、怪我をするかもしれない。しかもルイズは見るからに軽そうだ。加減が上手くいかないかもしれない。やはりいくら食事に釣られたとはいえ、受けるべきじゃなかったかと思い始める。

 ふとルイズの方へ視線を移す。何やら体を動かしていた。準備運動といったふう。さらに髪をポニーテールにまとめ、服装も部屋の時とはまるで違っていた。シャツはジャージなようなものに着替えており、スカートはスパッツのようなものに変えている。マントも外していた。さっきの服装は制服らしいから、汚す訳にはいかないので着替えたのだろう、などとサイトは思っていたが。

 

 準備が終わったのか。ルイズがサイトの方へ向き直る。

 

「さてと、始めましょうか。あんたから先に動いていいわよ」

「いいのかよ」

「うん」

 

 舐められているかのような返答。少し癪に障った。さっきまでどう手を抜くか考えていたが、少々痛い目に合わせた方がいいようだ。サイトは両腕を軽く広げ構える。

 

「泣かせちまったらごめんな!」

 

 すかさず走り出した。

 

「いっ!?」

 

 次の瞬間、強烈な痛みに襲われる。腹を抱えて転げる。腹部に一撃貰ったと分かったのは、すぐ後。

 呆れているルイズが見下ろしていた。

 

「何やってんのよ。そんなに手広げたら、お腹の防御できないじゃないの。殴ってくださいって言ってるようなもんでしょ」

「え!?」

 

 ルイズの言葉の意味が分からない。

 

「もう、ちゃんとやってよ」

「う、うん……」

 

 なんとか立ち上がるサイト。痛みの方は我慢できる程度に収まってきたが、頭の中は混乱中。ルイズは構わず元の位置に戻る。

 

「仕切り直しよ」

「あ、ああ……」

 

 再び構えを取ろうとするサイト。その時気付いた。ルイズの違和感だらけの様子に。半身に構え、全身から力を抜いた自然体、重心は正中、隙らしきものが見当たらない。映画で見た中国拳法の使い手のようだ。

 何故、異世界で中国拳法?という疑問がサイトの頭に並ぶ。だが答なぞ出るはずもない。ただ一つだけハッキリ分かるものがあった。目の前の少女は格闘技の達人で、自分は素人同然だという事だ。血の気が引いていくサイト。

 

「あ、あのさ。ルイズ……」

「次は、私から行くわ」

「ちょ……」

 

 サイトには、拳法家な少女の動きが追えなかった。

 掃腿、掌底、崩拳、転身脚、頂肘……。何度か組手をした結果、全部サイトが貰った技である。そして最後は立ち上がれなかった。ルイズはその無様な姿を、落胆と共に眺めていた。期待した異世界からの使い魔は、何もできないらしいと理解しつつ。

 

 

 

 

 

 翌日。サイトは今、学院の教室にいる。ルイズと二人っきりで。もちろん逢引でもなんでもない。罰掃除をやらされていたのだった。目の前に広がる瓦礫を片付けるために。

 

 昨晩、サイトはルイズに散々にやられ、広場に放置された。しかし、たまたま趣味の部屋である研究小屋に向かう途中のコルベールに助けられる。彼は同僚教師に頼んで、魔法でサイトを応急処置してもらった。その後、シエスタという黒髪ボブカットのメイドに預けられる。以降の治療は彼女がした。結構かわいく優しい少女と知り合えて、サイトは災い転じて福となすということわざを思い浮かべていたが。

 

 大分回復したので、今日のルイズの授業に付き合う事となる。その時、どういう訳か周りの生徒から、ルイズはゼロと何度か呼ばれていた。その度、彼女が睨みを利かせ黙らせていたのだが。サイトはゼロと呼ばれて、何故ルイズが怒っているのか分からない。しかし、しばらくして理解できた。授業でルイズが魔法の実践をして。

 その結果が目に映る光景である。彼女の魔法は失敗し、教室中央を吹き飛ばしたのだった。生徒達のヤジからすると、どうもルイズの魔法は成功した試しがないらしい。つまり成功率ゼロ。サイトはルイズの二つ名に、なるほどと納得せざるを得なかった。

 

 ルイズは黙々と掃除をしていた。見るからに手慣れた様子。これまでも、魔法の失敗で何度も教室を爆発させていたのだろう。その度、片付けを命令されていたに違いない。慣れるのも、当然と言えば当然だった。

 

 それでも失敗が堪えているのか、一言も話さない。そんな小さな少女の背を眺めながら、サイトは困っていた。確かにいきなり異世界に連れて来られ、使い魔なんてものにされた。あげくに昨日はボコボコにされて、夜の広場に放りっぱなし。食事の方はシエスタの計らいで、なんとか賄い程度のものを食べられるようになったが、日本で食べていたものに比べればやはり落ちる。

 ルイズは、こんな境遇に自分を落とし込んだ張本人だ。それでも、こうも寂しげな背中を見ていると、つい慰めたくなる。サイトは無い知恵を絞り出した。

 

「えっと……。そのさ……人の価値って、魔法だけで決まるもんじゃないと思うぜ。俺は。だから魔法使えなくても……」

「はぁ!?」

 

 音がしそうな程、勢いよく振り返るルイズ。眉を吊り上げて、箒を槍のように向けてきた。

 

「私は母さまみたいなメイジになりたいのよ!魔法使えなかったら、なれないじゃないの!だいたい貴族が魔法使えないで、どうすんのよ!」

「魔法が使えなくったって、貴族の家に生まれたら貴族だろ?」

「何言ってんのよ!貴族は魔法を使えるからこそ貴族なのよ!」

「そうなのか?」

「そんな事も知らないの!?」

「俺はこっち来たばっかだぜ。知る訳ないだろ」

 

 慰めようと思ったが、地雷を踏んだのか逆効果だった。適当な気休めは藪蛇だったようだ。しかし理不尽な目にあってもなお気を使ったにもかかわらず、そのお返しが罵声では腹が立つ。サイトは鬱憤をばらまいてやろうかと、口を開きかけた。だが急にルイズが視線を逸らし、しおらしくなっていた。

 

「だいたい魔法、使えない訳じゃないわ。あんたがいるじゃない」

「え?」

 

 サイトの開きかけた口が止まる。昨日は自分の事を期待外れという目で見ていたのに、今は必要な存在かのような様子だ。彼女は独り言のようにこぼし始めた。

 

「あんたを呼び出した『サモン・サーヴァント』も、契約した『コントラクト・サーヴァント』も魔法よ。どっちも成功したわ。あんたは……その……私が成功した初めての魔法なのよ」

「……」

 

 なんとも微妙な気持ちになってしまう。人としてというより、魔法の成果として必要とされているのかと。

 ルイズは、自分に語り掛けるかのように言う。

 

「これは切っ掛けなんだから。今に他の魔法もどんどん使えるようになるわ。がんばってれば、願いは叶うもんなの。私、知ってんだから」

「……」

 

 少しばかり感心してしまうサイト。この小さな女の子は、失敗しても罵声を浴びても、めげるような性質ではないようだ。しかも、期待ではなく確信があるかのような口ぶり。以前、努力の末に成功した体験でもあったのだろうか。そんなものを思わせる雰囲気が、今のルイズにはあった。

 サイトの胸の内から、さっきまであった鬱憤が収まっていく。

 

「あのさ」

「何よ」

「その"あんた"ってのやめてくれねぇか?俺にはヒラガ・サイトって名前があるんだからさ」

「……」

「それともなんだよ。貴族の誇りとかで、呼びたくないのか?」

「……」

 

 やがて、ルイズは真っ直ぐサイトの方を向いた。何故か急に顔が赤くなっている。しかし、怒っているようにも見えない。彼はまたも当惑してしまう。さっきと違った意味で。名目上主様が、今一つ分からない。

 ルイズは覚悟でも決めたかのように口にした。少年の名を。

 

「サ、サ、サイト!」

「えっと……、そんな気合い入れて言わなくてもいいんだけど」

「あ、あんたの名前が呼びにくいだけよ!」

 

 訳の分からない理由で、キレられた。やはり地雷を踏んでいたのだろうか。本当に地雷を踏んだのかすらも、分からない。何もかもサッパリ分からない。ともかく、名前を呼んでくれたのは一つの進展と言ってもいいだろう。それで良しとしようと、サイトは考え直した。

 一方のルイズ。彼女の方も、実は困惑していた。何故この名を口にするのに、こんなに気持ちが揺れ動くのかと。気付くと二人は、お互いの瞳を見つめ合っていた。

 

 突然、我に返ったように、いきなり大声を張り上げるルイズ。

 

「サ、サイト!わ、私より、自分の事考えなさいよ!あんたは私以上に、努力しないといけないんだからね!」

「なんだよ、いきなり」

「あんた何にもできないじゃないの!」

「あ……」

 

 言葉に詰まる。確かにルイズの使い魔としては、ほとんど役立たず。とは言うものの、別に使い魔になりたくてなった訳でもない。だがそれでも、このがんばり屋を少しは手助けしてやろうか、という気持ちくらいは芽生えていた。サイトはぶっきら棒に返す。

 

「けど、何すればいいんだよ。俺、魔法使えないし、火が吐ける訳でもないぜ」

「ふっふっふ……、そこは心配しなくていいわ。サイトの訓練内容用意するから」

「え……?」

「掃除しながら、考えてたのよ」

 

 黙り込んで掃除していたのは、落ち込んでいたからではなく、訓練メニューを考えていたからなのかとサイトは項垂れる。さっきの気使いを返せと言いたくなった。

 ルイズは、使い魔の落ち込み様に構わず続けた。

 

「まずは魔法の知識よ。私の一年の時の教材貸してあげるわ。必死に覚えなさい」

「ちょっと待てよ。さっき言っただろ。俺、魔法使えねぇって」

「何、バカ言ってんのよ。主が使う魔法知らなかったら、連携取れないじゃないの。あんたはメイジの使い魔なのよ」

「……」

 

 一理あるので黙り込んでしまう。しかも訓練メニューは、これで終わりではなかった。

 

「それと体鍛えるわ。あんた弱すぎだから。明日から起床は日の出直後。いいわね」

「日の出!早すぎだろ!」

「私は毎日そうしてるわよ」

「ええっ!?マジ!?」

「朝はいつも鍛錬してんの」

「……」

 

 その時、サイトはふと今朝の事を思い出す。用意されて干し草ベッドで寝ていたら、ルイズにたたき起こされた。その時のルイズは、運動着らしきものに着替えていたのだ。しかも朝風呂で汗を流してきたかのよう。あれは鍛錬を終え、部屋に戻って来た姿だった。

 しかしこれで分かった。昨日、まるで拳法の達人のような動きをしていたのが。日々の努力のたまものという訳だ。その時、気になったものが浮かぶ。

 

「ルイズさ。お前の拳法、どこで身に着けたんだよ」

「昔読んだ本で。たくさん読んだわ。種類もいろいろあってね。入門編から実践編まで一通り」

「それ読んでから、ずっと練習してたのか!?」

「うん。何年もね」

「すげぇな……。そうだ!俺にもその本読ませてくれ。体鍛えるんなら読んだ方がいいだろ?」

 

 映画で見た拳法使いの動きは、かっこよかった。正直憧れる。習得できるなら、是非ともしたい。それに訳の分からない魔法の勉強より、よほど楽しみだ。

 しかし、ルイズは肩を竦めていた。

 

「それが、無くなっちゃったのよ。いっぱいあったのに一冊も。たぶんエレオノール姉さまが、黙って捨てちゃったんだわ。姉さま、なんでも、私のやろうとする事に口出しするし」

「勝手に捨てるとか酷いな。でも新しいの買えばいいじゃんか」

「売ってないわよ。ハルケギニアじゃ、剣術はあっても体術なんてないもの。そのための本なんて、ある訳ないわ」

「それじゃ、どこで手に入れたんだ?」

「分かんない。家に初めからあったような気もするし……。昔の事だし、覚えてないわ」

「そっか……」

 

 ルイズは大貴族の娘だそうだから、家に遠い異国の本があっても不思議ではない。たまたま彼女はその本を見つけたのだろう。サイトはそんなふうに考えた。

 

「ま、体術は私が直に教えてあげるわ。でも、基礎体力がないと話ならないわよ。明日っから、ずっと朝は鍛錬の時間。いいわね!」

 

 主様の箒が鋭くサイトを指していた。凛と構えた態度と共に。やけに元気になっているルイズを見て、自然とサイトの頬は綻んでいた。

 

 

 

 

 

 昼飯時、サイトはアルヴィーズの食堂にいた。給仕の手伝いをしていたのだった。昨晩、シエスタに世話になったお礼である。

 だがここでまたもトラブル発生。ギーシュ・ド・グラモンという生徒が落とした小瓶をサイトが拾った。それを切っ掛けに彼が二股をかけていた事実が、モンモランシーという恋人に発覚。ギーシュの必死の弁明もむなしく、二股かけていた双方から三下り半を出されてしまう。

 ともかく、サイトにとっては他人事。仕事に戻ろうとしたが、そのギーシュに難癖をつけられた。全ての原因は、小瓶を拾ったサイトが気を回さなかったのが悪いと。そんな事を言われて、黙っているサイトではなかった。結果、二人は決闘の約束をしてしまう。

 

 余裕のサイトに、シエスタが怯えた表情を向けてくる。

 

「な、なんで決闘なんて受けたんです!」

「大丈夫だよ。あんなヒョロいのに負けねぇって」

「何言ってるんですか!」

 

 シエスタはサイトの手を引っ張ると、ルイズの所へ駆け寄った。

 

「ミ、ミス・ヴァリエール、サ、サイトさんが貴族と、け、決闘を!」

「決闘ぉ!?」

 

 フォークを止め、跳ねるように立ち上がるルイズ。サイトの方を睨みつけた。

 

「どういう事よ!?」

「だってよ……」

 

 それから先ほどの経緯が話される。一通り聞いたルイズは、腕を組んで黙り込む。側のシエスタは、慌てふためていて言葉を並べていた。

 

「ミス・ヴァリエール!決闘を止めてください!このままじゃサイトさん、死んじゃいます!」

「死ぬとか、大げさだな」

 

 サイトは笑いながら返す。だがシエスタはサイトの手を両手で包むと、必至に訴えてきた。

 

「貴族の方々は魔法使えるんですよ!でも平民は、魔法使えないんです!あなたもそうでしょ!?」

「そりゃぁ……。俺も魔法使えないけどさ……」

「魔法使えないのに、どうやって勝つんです!魔法使える方には、絶対かなわないんですよ!」

「けどさ……」

 

 あまりに必死なシエスタに、少し怖気づくサイト。そんなに魔法は強いのかと。だがそんな二人に、突然、怒声が割り込んできた。

 

「あんた!それ、私に当てつけてんの!」

 

 ルイズが、シエスタを鋭く指さしていた。刺すような視線で睨みつつ。

 

「え?」

 

 シエスタ、怯えた表情のまま思考停止。サイトの方も、一瞬ルイズが何を怒っているのか分からなかった。しかしすぐに気づく。ルイズもまた、ほとんど魔法が使えないのだ。シエスタの言い様では、ルイズはギーシュ達より下だと言われているようなもの。

 ルイズはすぐにサイトの方を向く。毅然とした態度で。

 

「サイト!勝つわよ!」

「お、おう!勝つぜ!」

 

 やけに頼もしい主様であった。ルイズは次にシエスタに声をかける。

 

「あんた!えっと……」

「シ、シエスタです。その……申し訳ありま……」

「シエスタ。協力してもらうわよ」

「は?私が!?決闘なんですよ!?できる事なんて、何にもありません!」

「あるわ」

「ですが……」

 

 黒髪メイドは、必至に抵抗したが無駄だった。強引に食堂から連れ出される。そして三人は、決闘への準備に入るのだった。

 

 

 

 

 

 中年教師のコルベールが、薄い頭を熱くしながら学院長室に飛び込む。目に映ったのは、高齢の老人と妙齢の女性。学院長オールド・オスマンと秘書のロングビル。両者はいつもと変わらぬ様子を繕っていたが、何やら微妙な緊張感が窺えた。

 だが今はそれ所ではない。コルベールは声を張り上げる。

 

「学院長!これを見てください!」

 

 オスマンの元に駆け寄ると、手にしていた本を広げた。それをオスマンは、笑顔で迎えた。丁度よかったと言わんばかりに。実はロングビルにセクハラしようとして返り討ちに会い、学院長室が気まずい空気で溢れていたからだ。

 しかし、開かれたページを見て顔色を変える。責任ある学院長の気配を纏う。そしておもむろに、ロングビルへ声をかけた。

 

「ミス・ロングビル。席をはずしてくれんかな」

「はい」

 

 彼女はすぐさま席を立ち、部屋から出て行った。

 学院長の席へと腰かけるオスマン。机に置かれた本は、彼等が信仰するブリミル教に関する古い文献だった。開かれたページには一つのルーンが描かれている。解説にはこうあった。『ガンダールヴ』と呼ばれる始祖ブリミルの使い魔の一人が、このルーンを持っていたと。

 コルベールは気持ちを抑えきれずに、言葉を連ねる。

 

「昨日召喚されたミス・ヴァリエールの使い魔、ヒラガ・サイトの左手にこのルーンがあったのです!」

「間違いないのかね?」

「はい!」

 

 オールド・オスマンは文献に視線を下ろしながら、長い髭の先を弄っていた。

 

「そうは言うが、必ずしも伝説のガンダールヴであると証明された訳ではあるまい。ただの偶然の一致かもしれん」

「そうかもしれませんが……」

「何にせよ、しばらくは観察した方がよかろう。注意深くな」

「はい」

 

 コルベールは強くうなずいた。

 その時、ノックが部屋に響く。オスマンが入室を許可すると、入って来たのは先ほど出て行ったロングビルだった。

 

「ヴェストリの広場で騒ぎが起こっています。なんでも決闘が行われるとか」

「決闘?ただの喧嘩じゃろう。放っておけ」

「それが、貴族と平民の決闘だそうです。貴族はミスタ・ギーシュ・ド・グラモン。平民の方は、ヒラガ・サイトと言う者だそうです」

「ヒラガ・サイトじゃと?」

 

 オスマンはコルベールと顔を見合わせる。中年教師が先に口を開いた。

 

「どうされます?『眠りの鐘』を使用して、止めますか?」

「……。いや、いい機会じゃ。様子を見るとしよう」

「分かりました」

 

 コルベールは杖を取り出すと、学院長室にある遠見の鏡に向かって一振り。鏡にヴェストリの広場の様子が映し出された。

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場に人が集まっていた。もちろんギーシュとサイトの決闘を見るためにである。

 金髪の色男が、悠然と佇んでいた。愛用のバラの花を模した杖を、優雅にいじりながら。ギーシュだった。勝ったも同然という様子が窺える。

しばらくしてサイト達が広場にやって来た。先頭を進むサイト、その後ろにルイズとメイド、シエスタが続く。

 

 胸の内でほくそ笑むギーシュ。彼には一つ気掛かりがあった。サイトがここに来ず、逃げてしまう事だ。そうなると憂さ晴らしと、どこかで見ているはずの恋人へのカッコよさアピールができなくなる。しかしこれでその心配はなくなった。ギーシュは余裕を持って、哀れな平民へ声をかけようとする。

 

 しかし、その表情が怪訝に歪んだ。対するサイト一行の雰囲気が妙なので。まず決闘相手であるサイトは、気が進まなそうな顔付き。貴族との決闘に恐れをなしてというよりは、嫌な課題を押し付けられたかのよう。一番後ろにいるメイドは、見るからに呆れている。そして一人、ルイズだけがやけに勇ましげ。何も知らずに双方を見たら、ギーシュとルイズが決闘すると勘違いしそうなくらい。

 ギーシュは少々困惑。だが少なくとも、相手は平民であり、決闘するのは自分と彼であるのは間違いない。それを思い直すと、余裕を蘇らせた。

 

「よく逃げずにきたね。それは褒めてやろう」

「ああ……」

 

 生返事のサイト。ギーシュはこの身の入っていない様はなんなんのかと、言葉に詰まる。しかし一つ呼吸を挟み、気持ちを切り替えた。

 あらためてサイトを見る。左手に木刀がある。ちなみにこの木刀は、ルイズの部屋から調達。鍛錬のためか、ナイフ、剣、槍に模したものがたくさん置いてあったので、一本借りたのだ。

 

「木の剣で僕に勝つつもりかい?本物の剣を使っても、かまわないよ」

「いや、これの方が動きやすいからさ」

「動きやすい……か」

 

 鼻で笑うギーシュ。つまり剣術も満足に習得していないので、木刀の方がまだマシという訳だ。色男は勝ちを確信。どの程度この平民を痛めつけるかを、考え始めていた。

 ギーシュは高らかに宣言。

 

「諸君!決闘だ!」

 

 囲むやじ馬たちから、歓声が上がる。金髪色男は、全ての歓声を受け止めるかのように笑みを湛えつつ手を上げる。ここにいる全員が、自分に期待していると感じていた。彼は颯爽と、サイトに向かって語り出す。

 

「僕の名はギーシュ・ド・グラモン。二つ名は"青銅"。青銅のギーシュだ。その名の意味を、存分に君に教えてあげよう」

 

 うぬぼれにも思えるほどの、自己陶酔ぶり。しかし、そうとは言い切れない実力が彼にはあった。ギーシュは四段階に分かれるメイジの中で最低レベルのドット。それでも、一度の6体のワルキューレと呼ぶゴーレムを操れる、優秀な土系統使いのメイジであった。

 

「さてと、では始めるとするか」

 

 ギーシュは手にしたバラの花のような杖を軽く振る。花びらが一枚落ちた。落ちた場所の、土が盛り上がり彫像を形作り始める。

 

「サイト!」

 

 せっかくの見せ場を、ルイズがぶった切る。サイトは嫌々ながら、腰につけた袋に手を突っ込んだ。

 

「あー!もう、こうなったらヤケだ!」

 

 何かを掴み、ギーシュに向かって投げつける。同時に走り出した。

 

「えっ!?ワ、ワルキューレ!」

 

 ギーシュはいきなり向かってくるとは予想してなかったのか、慌てて対応。投げられた何かを、まだ上半身しか出来ていないワルキューレの剣で叩き落とそうとする。確かに彼は、6体のゴーレムを動かせた。だが精度の方は今一つ。飛ぶものを落とせるほどの腕はなかった。

 ところが奇跡が起こった。見事に剣が投げられたものに命中、砕け散る。砕けたそれは、ワルキューレの後にいたギーシュにまき散らされた。しかし全くダメージなし。サイトの目論見は、あっさり潰えたか。

 

「こんな小賢しいマネで、僕を……ん?」

 

 妙な不快感がギーシュの鼻を突いた。体のアチコチにへばり付いた、砕いた"それ"の匂いと気づいた。これの正体は何なのか。ギーシュに"それ"に覚えがあった。最悪の予感がする。おもむろに腕についたそれを、鼻に近づける。

 

「ば、ば、ば、馬糞!?」

 

 乗馬は貴族のたしなみ。馬の厩舎に常に漂っている匂いがなんなのか、貴族の彼が知らない訳がなかった。

 

「う、うわっ!?」

 

 うろたえて、体のあちこちについている馬糞を払い落とす。傍から見ると、前衛ダンスを踊っているかのよう。

 

「ギーシュ。あんたの負けよ」

「えっ?」

 

 ルイズの声に我に返る色男。

 

「な、何を言ってるんだ!」

「あんたの杖、見てみなさい」

「え?」

 

 ふと気づいた。自分の手に杖がない事に。馬糞を払い落している時に、放り投げてしまっていたのだ。その杖は、サイトの足の下にあった。青くなる金髪の少年。

 

「あ……!ひ、卑怯だぞ!こんな戦い方があるか!」

「平民相手に魔法で決闘しようなんて方が、よっぽど卑怯よ!」

 

 ルイズは長い杖を鋭く向けてくる。その後も、決闘の在り様についての応酬が続いた。子供の喧嘩のような言い争いが。

 

 二人の貴族のいがみ合いの側で、微妙な顔で佇んでいる少年が一人。サイトである。決闘の当事者だというのに蚊帳の外。

 そもそも当初の作戦は、気位の高いギーシュに馬糞を投げつけ動揺させ、その隙に接近して杖を木刀で弾き飛ばしてしまおうというものだった。武器が木刀だったのも、狙いが杖だけだったので、素早く正確に動かせた方がいいからだ。しかし結局は、馬糞を投げて走っただけで勝負がついてしまった。

 

 相変わらず言い争っているギーシュとルイズに、サイトが割り込んでいく。

 

「ルイズ。やっぱり、このやり方かっこ悪いよ。決闘ってのは、なんていうか意地と意地のぶつかり合いっていうかさ。魂賭けるっていうか……。そういうもんだろ?」

「そ、そうだよ!その通りだよ!君、分かってるじゃないか!」

 

 決闘相手というのを忘れているのか、サイトの言い分に喜んでいるギーシュ。すると、ルイズの杖がターゲット変更。サイトの方へ向く。

 

「誰のおかげで、勝てたと思ってんのよ!」

「そりゃぁ、ルイズの作戦のおかげだけどさ」

「……。分かったわ。シエスタ!」

 

 ルイズは長い杖を、勢いよく地面に突き立てる。そしてマントをひも状にして、襷のようにして両肩に巻きつけた。さらにシエスタから、スパッツのようなものを受け取ると、スカートの下に履く。準備完了とばかりに、杖を抜き巧みに操る。その動きがピタリと止まった。完全に臨戦態勢である。

 

「白黒つけましょ。あんた達が正しいか、私が正しいか」

「ええっ!?ちょっと待て!"達"ってなんだよ!?俺も入ってんのかよ!?」

 

 サイト、自分を指さす。すると隣のギーシュが両手を挙げていた。降参のポーズで。

 

「分かった!分かったよ!僕の負けだ。ルイズ!君が正しい!」

「ふん!」

 

 勇ましい小さな拳法家は、マントを元に戻すと校舎に戻り始める。その背中は、いかにも不機嫌そうだった。シエスタは戸惑ったまま、彼女の後に続く。残されたサイト達。茫然とその背を見送るだけだった。

 

 ギーシュが思い出したように、突然サイトの方を向く。気まずそうに。

 

「え、えっと、つまりなんだ。今のはルイズとの間の話であって、君と僕との間では、この決闘は認められないって訳だね。つまり僕は負けてない!」

「ふざけんな!こっちは素手で糞、掴んでまで……」

「「あ!」」

 

 声がユニゾン起こしていた。その身に馬糞を付けていたのを思いだす。サイトは右手に、ギーシュは体中に。慌てて走り出す二人。もちろんこの匂いから、すぐに別れるために。

 ところが、それを止める声がかかる。

 

「ヒラガ・サイト。……だったかしら」

 

 足を止め、振り向いた先に、燃えるような赤い髪の褐色美少女が一人。スタイルもルイズと真反対。凹凸がはっきりしたもの。

 サイトは思い出す。朝会った、ルイズと言い合っていた相手だ。確かキュルケと言う名前だった。ルイズは後で敵かのように話していたが、サイトにはただのじゃれ合いにも見えた。二人の関係が、今一つ分からない。

 ともかく、今は彼女の相手をしている場合ではない。

 

「何?俺、すぐ手を……」

「タバサが聞きたい事があるって言うのよ」

「え?」

 

 キュルケが視線を向けた先、ルイズと同じくらいか、わずかに小さい青髪ショートの少女がいた。表情のない顔で、サイトを見ている。タバサという名らしい。彼女もまた長い杖を持っていた。ただし、いかにも魔法使いとでもいいたげな、先が歪んだ形をしている。サイトは、背の低いメイジは長い杖を持たないといけないのだろうか、などと思ってしまう。

 タバサは探るような目で尋ねてきた。

 

「ルイズの体術について聞きたい。使い魔のあなたなら、何か分かる?」

「昨日、ボコられた」

「それで?」

「まさかこっちで、拳法見るなんて思わなかったよ。一回しか組手してないけど、上手いなんてもんじゃないぜ」

「ケンポウ……」

 

 彼女は引っかかりを覚える。その名に。むしろ、これこそが彼女の知りたい事だった。ルイズの他では見ない体術に、どういう訳か違和感がなかったからだ。その訳が知りたかった。

 サイトは彼女の考えを他所に、話を続けていた。

 

「俺の前居た場所で、あれと似たようなのがあるんだよ」

「……。詳しく」

 

 さらに突っ込んだ話をしようとした少女に、制止が入る。隣にいるキュルケだ。

 

「ちょっと話が違うわよ。長くなりそうじゃないの。またにすれば?」

「そうしてくれ。こっちも急いでんだ」

「ほら。彼もこう言ってるわ」

 

 この場から離れたがっているキュルケ。馬糞の匂いをさせた男の側なんかに、いたくはないのも当然だ。タバサは仕方なさそうにつぶやいた。

 

「……。分かった。この話はいずれ」

 

 素っ気なく告げると、タバサはすぐに校舎へ向い始める。サイトも踵を返し、同じ方角へ進もうとした。その時、ふと疑問が脳裏を過った。

 

「あ!ちょっと一つだけ聞いていいか?」

「何よ」

 

 返事はキュルケ。振り返る。

 

「授業の時も思ったんだけどさ。ルイズって魔法が使えないだろ?なんで皆、あんなにビビッてんのかなって」

「ああ、それね」

 

 わずかに肩を竦めるキュルケ。

 

「あの子、魔法使えないけど、意外に強いのよ」

「けど、ここの生徒って、皆、魔法使うんだぜ?そんなの相手に、勝てんのか?」

「確かに魔法は使えるわ。でも、使いこなせてるのはほとんどいないの。剣術もまともにやってないのが多いから、ルイズに近づかれたら勝負にならないのよ。ルイズのパターンは、失敗魔法の爆発で目くらまし。そして接近ってのが多いわね。さっきみたいに、せこいのもあるけど」

「そっか」

 

 納得のサイト。素手ですらあれだけ強いのだ。いつも手にしている、あの棒術の棒としかいえない長い杖を使われたら、どれほど強いのか。だから皆、ルイズが睨みつけると渋々黙り込んだのかと。一方で陰口が止まないのも分かった。魔法が使えない相手に歯が立たないのは、我慢ならない連中がいるのだろう。

 キュルケは過去のいざこざを、いくつも思い出していた。

 

「入学したての頃は、喧嘩ばかり。学院一の問題児だったわ」

「そんなキレやすいのかよ……」

「っていうか、公爵家の娘のくせに魔法使えないじゃないの。優越感に浸るのには、丁度いい相手だったのよ。いろんな連中が、ルイズをバカにしてたわ」

「それじゃぁ、バカにされる度に喧嘩売ってたのか」

 

 サイトはその気の強さに、感心するしかない。

 キュルケは校舎の方を向きながら、感慨深げに言う。何かを思い出しているかのように。

 

「ま、あたしは嫌いじゃないけどね。いろんな相手に挑んでくルイズは」

「あれ?君って、もしかしてルイズの友達?」

 

 どこか楽しげに語るキュルケの横顔に、サイトはそんな事を口にしていた。授業風景からして、友達は一人もいないと思っていたが、やはり普通の学生生活を送っていたのかと思いつつ。

 しかし何故か、赤毛の美少女は急に怒りだす。

 

「はぁ!?何言ってんのよ!あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー!ツェルプストー家のあたしが、ヴァリエール家の者と友達なんてありえないわ!」

「そ、そうなんだ……」

 

 気圧されるサイト。

 半ば怒ったまま、大股でキュルケはこの場を後にした。残された使い魔の少年。どうも、また地雷を踏んだらしい。ハルケギニアの連中は、どこに地雷を埋めているのかよく分からない。

 

 ともかく今回の騒動は、無事に収まった。やり方はいろんな意味で汚かったが、勝ちは勝ち。これもルイズのおかげだ。さっきは怒らせてしまったが、一応は感謝しておこうと思う使い魔だった。

 

 

 

 

 

 学院長室では、遠見の鏡の前で二人の教師が黙り込んでいた。先に口を開いたのはコルベール。

 

「学院長……。勝ってしまいましたよ。平民がメイジに。やはり、さすが伝説のガンダールヴ……」

「待て、待て、待て。違うじゃろ。ありゃ、作戦勝ちじゃろうが」

「ははは……。ですね……」

 

 苦笑いのコルベール。伝説を実際に見られると期待していたが、それが三文小芝居のようなものを見るハメになってしまった。

 二人は遠見の鏡から離れると、元の位置に戻る。席に腰かけたオールド・オスマンは。コルベールに告げた。

 

「今回の件ではなんとも言えん。君には、引き続き彼を観察してもらおう。こういう機会がまたあるやもしれんしの。伝説の存在かどうかを、見極めてもらいたい」

「分かりました」

 

 彼はしっかりとうなずくと、部屋を後にした。

 

「本物の伝説だとしたら、どうしたもんかのう」

 

 学院長は渋い顔で髭をいじりつつ、もう一度、遠見の鏡を見る。そして、映っていた光景を思い出していた。

 

 

 

 

 

 そんな彼等の一部始終を、眺めている者達がいた。ハルケギニアとは全く違う空間に。巨大な図書館にいた彼女達は、オスマン達と違って大笑いしていたが。

 

 

 

 



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始まりの仕掛け

 

 

 

 

 紅魔館、大図書館。これまでハルケギニアで、長らく顔を突き合わせていた連中が中央広場のテーブルを囲んでいた。パチュリー・ノーレッジ、霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイド、比那名居天子、永江衣玖、射命丸文、鈴仙・優曇華院・イナバ。さらに関わりのあったレミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、十六夜咲夜、紅美鈴もいる。

 彼女達の視線の先にはスクリーンが広げられており、テーブルの上の水晶玉から映像が映し出されていた。トリステイン魔法学院の光景が。

 

 魔理沙がひとしきり笑った後、茶菓子を摘まみながら話し出す。

 

「ルイズ、ひでぇな。馬糞使うとか」

「あれって、あなたの影響じゃないの?ロンディニウムで下水使ったヤツ。あれのせいでしょ」

「クソ繋がりってか?けど、あれ、タバサが考えたんだぜ。私じゃねぇ」

「あれ?そうだったかしら」

 

 アリスは間違ったにもかかわらず、涼しい顔で紅茶を口に含んだ。次に文が解説者のように語り出す。メモ帳を仕舞いながら。

 

「それにしても、私達の時の影響が意外に残ってましたね。ルイズさんは拳法使ってましたし、キュルケさんもルイズさんに好印象持ってたようですし」

「そうでしたね!特に私の拳法が!」

 

 美鈴は颯爽と文を指さし、いい事言ったという仕草。しかもかなり嬉しそう。

 確かに、先ほど見たルイズは、拳法家と言っても遜色ないもの。もちろん幻想郷の人妖と過ごしてきたときに、日々鍛錬は積んでいた。しかし、再スタートとなった今のハルケギニアでここまで影響が残るとは、誰にとっても予想外だった。

 天子が頬張ったクッキーを、一気に紅茶で流し込む。

 

「別にいいんじゃないの?ルイズ達といろいろあったのが、綺麗サッパリなくなるよりは」

「おや?意外にハルケギニアに思い入れがあったのですね。総領娘様は」

「ん~、悪くはなかったわ。いい時間潰しだったし」

「そうですか」

 

 衣玖の返事は、いつもと変わらぬそっけないもの。ただ、感慨深げな様子を覗かせる天子を見ていると、口元が自然と緩んでいた。そんな竜宮の使いの隣では、鈴仙が口元を少し歪める。

 

「でもこれじゃ、ヒラガ・サイトは立つ瀬ないんじゃないかしら?ルイズがあんなに強いんじゃ」

「いいじゃない。強いってのは、それだけで素晴らしいのよ」

 

 レミリアは満足げ。強者こそ真理と言わんばかりに。彼女の脇からは、空になったカップに咲夜が紅茶を注いでいた。隣のフランドールの方は、茶菓子のお代わりを要求。そんな同居人を他所に、パチュリーがつぶやく。

 

「遠からず、ヒラガ・サイトもガンダールヴの力を意識するようになるだろうし、つり合い、取れるんじゃないの?」

「それでも原作みたいに、ヒロインを守るナイト、って訳にいかないんじゃない?」

 

 玉兎の問に、意外な所から答が出てきた。この中で唯一の男性の声で。

 

「こういうのも嫌いじゃないぜ。なんか背中を預けられる同士って感じでさ」

「デルフリンガーは、それでいいんだ」

 

 鈴仙がその名で呼んだ大剣が、テーブルの端の椅子に置かれていた。平賀才人の相棒、インテリジェンスソードのデルフリンガーだ。本来、『ゼロの使い魔』の世界の中の住人である彼がこの場にいた。だがそれを一同の誰もが、気にしていない。むしろ当然という様子が窺える。

 そんな彼に魔理沙が疑問を一つ。

 

「お前さ。なんで人型取らねぇんだ?付喪神ならなれるだろ」

「ポリシーだ。ポリシー。俺は剣だからな」

 

 白黒に続くのは人形遣い。

 

「その割には、ふわふわ飛ぶのね」

「そうじゃねぇと、移動できねぇだろ。こっちじゃ。俺を運んでくれる健気なヤツは、一人もいねぇし」

 

 なんとも中途半端なポリシーにアリスは、呆れ気味に鼻で笑う。剣を自認している割には、妖怪の力である飛行能力は構わず使っているのだから。

 

 しばらくして場が落ちつきを見せると、パチュリーがカップをソーサーに置く。そしてデルフリンガーへと視線を向けた。普段通り眠そうに見えるが、その瞳にはいつもの淡泊さが消え失せていた。

 

「一つ聞きたい事があったのだけど」

「なんだよ?」

「なんであなたは、記憶を残すよう"彼"に頼んだの?」

「……」

 

 ここでパチュリーが言っている記憶とは、原作での6千年前の記憶ではない。付喪神として生まれてから、今までの記憶だ。すなわち、付喪神『ゼロの使い魔』や幻想郷の人妖達と過ごした日々だ。今のハルケギニアで生活している彼等は、完全とはいかなかったが、一様に以前の記憶を失くしている。新な"人生"を始めている。しかしデルフリンガーだけは違った。

 

 間を置くために、紅茶を飲みたい気分に襲われるインテリジェンスソード。しかし剣の姿では飲める訳もなく、一呼吸挟む。

 

「そうだな……。あんたらの言う楽屋。あっちに残ったもう一人の相棒の相手をしてやるためかな」

「平賀才人……『ゼロの使い魔』の?」

「ハルケギニア、あの世界を一人で管理してんだ。しかも今度は、物語は繰り返さねぇ。つまり、ルイズの嬢ちゃんとは二度と会えないんだ。話し相手が一人くらい居ないと、なんだ、寂しいだろ」

 

 デルフリンガーに脳裏に、あの日の光景が呼び起こされる。ルイズと共に、世界の裏側にいた平賀才人と話し合った光景が。

 

 

 

 あの日。幻想郷の人妖達が楽屋と呼んでいた、世界の裏側に入った日。一般住宅の一室に見えるその部屋。水槽がいくつもある中、パソコンの前に彼は座っていた。平賀才人が。付喪神『ゼロの使い魔』の核というべき存在が。ルイズはデルフリンガーと共に、彼と向かい合っていた。自分達のこれからのために。

 才人が答を求める。先ほどのルイズの言葉。"今の私達の人生を始める"という意味を。

 

「それで、どうすんだよ」

「まず、サイトには"神"になってもらうわ」

「それはデルフから前に聞いたけどさ。こう言っちゃなんだけど、今と違うのか?今でも、ハルケギニアにある程度干渉できるぜ」

「それは重要じゃないの。神になると身体がいくつも持てるのよ」

「いくつも?」

「"分霊"よ」

 

 日本の神々は、神霊を分離する事が可能だ。そうやって分社を持つことができる。これが一つの神が、複数同時に存在できる理由だ。実際、神奈子や諏訪子は、守矢神社の本社と博麗神社の分社に同時に存在できる。そしてこの『ゼロの使い魔』の世界は、幻想郷に存在し、幻想郷は日本にあった。

 

 才人は予想外の方法に感嘆を漏らす。しかし、すぐに渋い表情を浮かべた。

 

「気安く神になるなんて言うけど、どうやるんだよ。新興宗教でも開くのか?」

「一つ設定を加えて欲しいのよ」

「なんだよ?」

「実は平賀才人は、ブリミルの生まれ変わりだって」

「え?」

「すでに始祖ブリミルへの信仰はあるわ。この設定で、信仰はあなたにも集まる。信仰は神の証よ」

「分かるけど……、なんか抵抗あるな」

 

 ここでデルフリンガーが言葉を付け加える。

 

「ものは考えようだ。これはアリスの受け売りなんだがな。お前もブリミルもイレギュラーな存在だ。虚無の使い手や使い魔は何人もいるが、異世界から来たってのはお前だけ。その異世界への扉を開いたのはブリミルだ。関係あるってのは、それほど不自然ってもんじゃないだろ?それにブリミルは最終的には失敗して、将来に禍根を残した。来世で、自分の咎を償うってのはありそうじゃねぇか?」

「……」

 

 しばらく黙り込む才人。やがてうなずいた。選択肢は他にないのだから。

 

「分かったよ。それで神になって二つの体を持って、一体はハルケギニアへ、もう一体はここで世界を管理し続けるって訳か」

「まだよ。そのままだと、まさしく現人神としてサイトはハルケギニアに立つ事になるわ。でも私は、人としてのサイトと居たいの」

「……。確かにそうだ。そうだよな」

 

 噛みしめるように才人はつぶやく。ルイズは慎重に話を続けた。

 

「サイトを二人にするわ」

「分霊と違うのか?」

「違うわ。双子になるって言った方がいいかしら。なんか変に思うかもしれないけど」

「十分変だぜ。でも、できるんだな」

「私はそう聞いてる」

 

 ルイズは、パチュリーからの説明を一つ一つ思い出しながら語る。

 

「分霊して、二体になったあんたの内一人は、守矢神社で修行してもらうわ。世界を支えるには弱すぎるからって」

「あ~……。それは……あるかも……」

 

 妖怪達の妖気に当てられて、世界が操作不能になっていったのを思い出す。

 彼女の話は続いた。

 

「もう一人は、寺に入ってもらうわ。命蓮寺とかいうお寺だって」

「寺?なんで?」

 

 答はデルフリンガーから。

 

「そっちのヤツは、地蔵になってもらうんだわ」

「お地蔵さま!?なんで?てか、できんのか?」

「その辺りも、日本だからこそだそうだ。いろいろと神やら仏が混ざる国なんだと。七福神の大黒様も、密教の大黒天とオオクニヌシノミコトが混ざっちまったもんなんだそうだ 」

「そう……なのか……」

「んで、なんで地蔵になるかなんだが。地蔵はよく道祖神としても祀られてた。このせいか、人に化けて村人を助けるって逸話が多くてな。しかも奇跡めいたもんじゃなくって、臨時アルバイトみたいな事しかできねぇんだわ」

「それで人になるって訳か」

「正確には、人に限りなく近いものだけどな」

 

 これが以前、魔理沙が考えた策だった。ただ、アイデアレベルだったので、専門家に確認を取ったのだった。その専門家とは神と僧。行く先は守矢神社と命蓮寺だった。

 

 最後にルイズが告げる。

 

「そして守矢神社に行ったあんたは、そのまま神として世界を管理する事になるわ。命蓮寺に行ったあんたは人の姿の地蔵として、ハルケギニアに立つ事になる。その時点で、二人の繋がりは切れるの。つまりヒラガ・サイトの名を持つものが二人になる」

「双子になるってのは、そういう意味か……」

「ええ。ただ一つだけ考えてもらいたいものがあるのよ」

「なんだよ?」

「世界を管理する方は、もう二度と私達と会えないわ」

「お前と俺が、ハルケギニアで暮せるようになるんだからな。物語を中断して、また最初から繰り返す理由はない……か」

「うん。だから私は、この場所に戻って来る事はないわ。その……つまり、覚悟を決めてもらいたいの。二度と会えないって」

 

 戸惑ったまま、後頭部を軽く掻く才人。言われている意味は分かるが、実感が湧かない。

 

「そう言われてもなぁ。今の俺は一人だし」

「変な事聞いてるのは分かってるけど……。でも、知っててもらいたいのよ」

「分かったよ。俺はルイズと普通に暮らしたいし。その二人は、どっちも俺なんだから。俺が覚悟を持ったら、二人になったってそれは変わんないさ。って言っても、やっぱ変な感じだよなぁ」

 

 才人は笑いながら言う。それに釣られるように、ルイズも笑みを浮かべていた。しかし彼女には分かっていた。他愛のないかのような仕草を見せる才人が、もう覚悟を決めた事に。

 

 すると付喪神『ゼロの使い魔』は、スムーズに椅子を半回転させる。パソコンに向う。そしてキーボードとマウスに手を置いた。

 

「んじゃ、さっそく始めるか。妖怪達は外で待ってんだろ?」

「ええ、後はサイトが外に出るだけよ」

「分かった」

 

 そして彼は入力する。新たな設定を。この世界が、本当の意味で世界として始まるために、ルイズと共に生きるために。

 

 

 

 紅魔館の大図書館。剣の名を呼ぶ声が繰り返されていた。

 

「デルフリンガー、デルフリンガー」

「ん?」

「何、考え事?」

「ん……まあな。で、なんだ?」

 

 我に返ったインテリジェンスソードは、紫寝間着に聞き返す。魔女は相変わらずの、覇気のない表情だが、わずかに頬がゆるんでいた。

 

「彼は誰にも会えないって訳じゃないわよ」

「え?だって、楽屋から出る訳にいかないだろうが」

「出る必要なんてないわ。そのまま自分から、会いに行けばいいのよ」

「ちょっと待て。どうやるんだよ?」

「だって神なんだもの。分霊はいくつも持てるわ」

「あ」

 

 デルフリンガーは思い出す。持てる分霊は一つではないと。つまりハルケギニアを管理しながら、幻想郷を歩き回るのは可能だ。

 魔理沙が楽しげに口を開いた。

 

「実はな。もう守矢神社に、『ゼロの使い魔』の分社がもうあるんだわ」

「そうなのか……。けどいいのか?一応、ブリミル教の寺院って事になるんだろ?」

「あそこには最初から神が三柱もいるぜ。もう一柱くらい増えても構わないんだろ。早苗なんか後輩ができたって、喜んでたぜ」

「後輩かよ……。まさか、ハルケギニアに守矢神社の分社建てようってんじゃないだろうな」

「さあな。けど神奈子達なら、やりかねないぜ」

「冗談じゃねぇ。宗教戦争なんて勘弁してくれ」

 

 呆れた声を漏らすデルフリンガー。もっとも人妖達も、話半分にしか聞いていない。

 

 インテリジェンスソードは、ふと尋ねてくる。

 

「あんたらはこれからどうすんだ?」

「ん?せっかくダゴン呼び出す魔導書が揃ったから、召喚実験する予定よ」

 

 返事をしたのはアリス。もう意識の方は、次のものへ移っていた。あの『ゼロの使い魔』の件も、日々起こるちょっとした騒ぎだったかのように。

 

「ダゴンか……」

 

 懐かしい響きに、デルフリンガーは感慨深げに漏らす。全ての始まりは、悪魔ダゴンの召喚実験からだった。ただ彼が聞きたかったのは、それではない。

 

「そうじゃなくって、こっちに来るのかって話だ」

「行かないわ。時間ないし。精々、暇つぶしにハルケギニアを覗くくらいかしら」

「そっか」

「来てもらいたいの?」

「やめてくれ。今、来られちゃ面倒になる」

 

 デルフリンガーは即答。だが天子が、胸を張りながら不敵な視線を向けてきた。

 

「ま、気が向いたら行くから」

「今の話、聞いてなかったのかよ」

「そんなもん、私が気にすると思ってんの?」

 

 首があったら、項垂れるしかないインテリジェンスソード。少しは人の話に耳を貸すようになったと思っていた天人は、相変わらずだったと。

 するとパチュリーから、少しばかり楽しげな声色が漏れてくる。

 

「そうね。でもそうだとしても、かなり先になるとは思うわ」

「かなり先か……」

 

 デルフリンガーは一言漏らすだけ。かなり先なら、それも悪くはないという気持ちが言葉から漂ってくる。

 

 ほどなくして、インテリジェンスソードが宙へと浮き始めた。

 

「そんじゃ、そろそろ帰るわ。俺も連中と合流しないといけねぇし」

 

 剣は高く飛ぶと、本棚へと向かう。それを見送る一同。

 

「ルイズ達によろしくな」

「飛べないフリふりくらいは、しときなさいよ」

「……」

「たまには、取材させてもらいますから」

「あんたの相棒に、ガンダールヴでチクチクさせた借りがまだあるから、覚えとけって言っといて」

「総領娘様には、説法をサボった罰があるのでしばらくは安心できますよ」

「ルイズに恥をかかせないように、気合いを入れる事ね」

「んじゃね」

「ルイズ様達の事を、お願いします」

「鍛錬は続けてこそと、ルイズさんに伝えといてください」

「もし薬がいるんだったら、用意はしとくから」

 

 各々は勝手な事を言いながら、デルフリンガーを見送った。彼等の新たな生涯に、様々な意味で期待しながら。

 

 

 

 



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パートナー

 

 

 

 

 ギーシュとの決闘で勝利したサイト。だが方法が方法だったので、むしろ生徒達からは白い眼で見られるようになってしまった。一方で、方法はともかく貴族の鼻を明かしたという事で、使用人達の評判は妙にいい。なんとも複雑な気分の日々を送る、異世界からの使い魔だった。

 

 あの決闘から数日後。彼の日常は、早朝のルイズとの鍛錬から始まる。彼女が考えた訓練メニューをこなしていく。訓練は想像以上に厳しいものだった。だがルイズの鍛錬内容は彼のものを超えていた。サイトは呆れるやら感心するやら。

 そして今朝の鍛錬も終わり、寮へ戻っている途中の事だった。

 

「あんた、手抜いたでしょ」

 

 不意にルイズから文句が飛び出す。サイトは疲れていたせいもあって、ぶっきら棒に返した。

 

「これでも一生懸命なんだよ。お前から見たら、なっちゃないかもしれないけどさ」

「そうじゃないわよ。最初に私と組手した時」

「え?召喚された日のヤツ?」

「そうよ」

「本気だぜ。あれでもな」

「嘘」

「?」

 

 彼には何故、疑われているのかサッパリ分からない。ルイズの方は、不満いっぱいのまま。

 

「ギーシュと決闘した時。あんたの踏み込み、ものすごく速かったわ。あんな動きができるのに、組手の時は遅かった」

「速い?」

 

 そうは言うものの、決闘の時の動きが特別速かった覚えはない。というより意識していなかった。

 しかし、ルイズは確信していた。サイトの動きの速さを。あの決闘では、一番近くで見ていたのだ。さらに体術に通じている彼女。ただ走っただけでも、彼の動きが異常である事くらいすぐに分かる。オールド・オスマン、コルベールを含め、他の者は一人も気づいていなかったが。

 だが、当人は首を傾げるだけ。

 

「う~ん……。もしかしたら、火事場の馬鹿力かもな。勝たないとって思ってたし」

「火事場の馬鹿力?あんた、そんな魔法使えんの!?」

「魔法じゃないって。火事の時に、助かろうとしてものすごい力が出るって、俺のいた世界の言葉だよ」

「……。本当にそれ?」

「だって、他に思いつかないし」

「……」

 

 腕を組むと、黙り込むちびっこピンクブロンド。一見すると、この平民使い魔が何か隠しているようには見えない。それにここで問答しても、何も分からない気がした。

 

「ん~……。一旦、その話は置いとくわ。話は変わるけど、あんたの剣買うわ。体術だけじゃやっていけないし、剣術の教本なら手に入るから」

「任せるよ。俺はそういうの素人だからさ」

 

 まだまだこの世界を勉強し始めたばかりだが、日本などよりもずっと危険だというのは分かった。警察は一応あるが、日本と比べれば論外の代物だ。おかげで強盗などの荒っぽい犯罪も多いらしい。さらに猛獣はもちろん、妖魔や幻獣と呼ばれるモンスターまでもいる。使い魔かどうかは関係なく、身を守る術は必要だった。

 

 寮へ向かう主の背を見ながら、ふと、サイトは少し意外に思っていた。彼女の事を。考えていたよりも面倒見がいい。もちろん、相変わらず使用人かのような扱いをされてはいる。しかし、こうして彼をなんとか成長させようとしているのも事実だった。

 もっとも、これもまた使い魔という立場のせいかもしれないが。使い魔としては今の所、最低レベルの能力しかないのだから。主としては、一刻も強くしたいと思うのは当然と言えば当然だろう。ただそれにしては、心なしか、楽しげに見えるのは気のせいなのだかろうか。もしかして育成ゲームでもやっているつもりなのか、などと思ってしまうサイトだった。

 

 ともかく、週末にこの国、トリステイン王国最大の町、トリスタニアへ買い物に行く事となった。この学院の外への、初めてのお出かけだ。

 

 

 

 

 

 トリスタニアの大通り。サイトの目に、ヨーロッパの古都のような光景が映っていた。

 学院からここまでの道のりは、彼にとっては厳しいものだった。なんと言っても慣れない馬に、数時間も揺られて来たのだから。

 だが、その疲れはどこかへ飛んでいる。むしろあるのは高揚感。ヨーロッパなど行った事のない彼にしてみれば、目の前の景色は、なかなかに興味をそそらされるもの。こちらに来てから、楽しみの乏しい生活を送っていたのだ。なおさら今回の買い物に、期待していたものがあった。

 

 サイトは商店に珍しいものを見つけると、足を止める。そして尋ねるのだった。隣のちっちゃな主様に。

 

「なあルイズ!あれなんだ?」

「もたもたすんじゃないわよ!」

 

 返答の代わりに急かすルイズ。別に急いでいる訳ではないのだが、答えるのが面倒なので。だがサイトの方も、引き下がらない。悠然と返す。さも正当行為だと言いたげに。

 

「使い魔としては、この世界を知らないといけないだろう?何にも知らないままじゃ、主の役に立てないからなぁ。世の中を勉強しろって言ってたのは、誰だっけ?」

「ぐぐぐ……」

 

 歯ぎしりするしかない主様。嫌々ながらも、教えるハメとなる。かなり雑にだが。

 

 そうこうしている内に、目的の店まであとわずかとなった。何気なしにサイトは尋ねる。

 

「ルイズって、貴族とか平民とかあんまり気にしないのか?」

「何よ。いきなり」

「他の生徒って、学院の衛兵に挨拶とかしないじゃん。けど、お前はしてるだろ?だから、身分とか気にしないのかなって」

「……」

 

 ルイズは思う所でもあるのか、間を置いて答えた。

 

「いつも組手の相手やってもらってんのよ。挨拶くらいは、しとかないとね」

「え?衛兵と組手してんの?」

「体術は、一人で練習しても強くなれないわ」

「そりゃそっか」

「けど、ウチの生徒も教師も、剣術もまともにやってないから練習相手にならないのよ。でも衛兵は違うわ。逆に剣術やってないと衛兵なんてできないし」

「なるほどな」

「それに……」

 

 何故かルイズの頬が綻ぶ。楽しい思い出が、一瞬過ったかのように。そんな彼女の始めて見る表情を、サイトは不思議そうに眺めていた。

 

「それに?」

「なんでもない」

「なんだよ。教えろよ」

「着いたわ」

 

 ルイズが指さした先に、看板があった。いかにも武器屋と言いたげな。使い魔を置いて、先へ進むルイズ。サイトは、彼女が何を言い淀んだのかが気にはなったが、もはや興味は武器屋の方へ。慌ててピンクブロンド少女の後を追う。

 

 武器屋に入り、サイトは店内をぐるりと見回す。目立つ場所に、店の目玉商品なのかフルメイルが飾られていた。しかしそれ以外は、まるで倉庫かのように雑多に武器が置かれている。こんな所に、まとも武器などあるのかという気になってしまう。

しばらくすると店の奥から、五十前後の親父が出てきた。

 

「入る店をお間違いじゃありませんか?貴族様。ここは武器屋ですぜ」

「間違ってないわ。これに見合う武器が欲しいのよ」

 

 そう言って、ルイズはサイトを指さす。指された当人は"これ"呼ばわりはないだろうと、不満げ。

 店主はサイトを値踏みでもするかのように、頭の天辺からつま先まで視線を流す。そして鼻で笑うと、背を向けた。サイトは親父の背を睨みつけると、胸の内でこのやろうと文句をこぼす。もっとも、剣士の体にはとても見えないので、店主の反応も無理はないが。

 

 彼は一本の剣を差し出す。それは一見、まともな剣に見えた。シンプルなデザインだが、だからこそ実用性十分に見える。

 

「さ、手にしてみな」

「ああ」

 

 サイトは店主に言われるまま剣を握り、鞘から剣を抜いた。そしてポーズを取る。伝説の勇者のごとく。悪くない気分だ。彼はあっさりと決定。さっそくルイズへお願い。

 

「ルイズ。これにし……」

「ちょっとあんた!粗悪品、売りつけるつもり!?」

 

 ちびっこピンクブロンドは店主に食ってかかっていた。親父の方は、言いがかりだといわんばかりに肩を竦める。露骨に作った笑みを浮かべ。

 

「おやおや、何を言いなさる。これは当店のお勧めの業物の一つで……」

「貴族が全員、剣に疎いと思ったら、大間違いよ!」

 

 ルイズはいつもの強気で、長い杖を店主に向かって突きつけた。

 サイトには、どの辺りが粗悪品なのかさっぱりわからない。だがさっきの会話を思い出す。彼女は、よく衛兵と組手をやっていたと。ならば、実際に使っている剣をいくつも見てきたのだろう。だからこそ、剣の良し悪しが分かるのかもしれない。普通の貴族とやらとは違って。

 それにしても、このちびっこは気に障ったら誰彼構わず喧嘩を売らないと気が済まないのかとも思ってしまう。商品を断るにしても、言い方というものがあるだろうと。

 

「おい、ルイズ。ちょっと待てよ」

「何がよ!」

 

 なんとか彼女を宥めようとする才人。ここには剣を買いに来たのである。こんな態度では、店主がへそを曲げ、法外な値段で売りつけられたり、何も買えなくなるかもしれない。

 険悪な雰囲気で満たされる店内。だがここに、場違いで楽しげな声が飛び込んで来た。

 

「やっと、来たか」

 

 この場にいる三人ではない。ルイズとサイトは辺りを見回すが、他に人影はない。眉をひそめる二人。ただ店主だけは、声の在り処が分かっているのか棚の方を見ていた。そこには、山のように積まれている剣しかなかったが。

 

「商売の最中だ。お前は黙ってろ」

「いや、上手い話があるんだよ。親父にとってもな」

「あ!?」

 

 店主が話している方を二人は見る。彼の視線の先には、一振りの剣があった。錆の浮かぶ大剣が。

 

「「剣が話してる!?」」

 

 重なる声が店内に響いた。店主は仕方なさそうに、その剣を取り出した。

 

「こりゃ、インテリジェンスソードなんでさぁ。珍しいんで仕入れたはいいんだが、見ての通り錆だらけ。その上口が悪い。そんで買い手がつかないもんで」

「そう……」

 

 ルイズは何故か、この錆だらけの大剣から目が離せない。どう見ても、実用性の欠片もない剣から。インテリジェンスソードは構わず話し始める。

 

「そこの坊主。俺を握ってみな。左手でな」

「え?」

「いいからよ」

 

 言われるまま、サイトはテーブルの上に置かれた剣に手を伸ばした。店主が肩で笑っている。

 

「止めときな。お前じゃ、持ち上げるのも……。え?」

 

 サイトは、錆びた大剣を左手一本でなんなく持ち上げ、構えていた。

 

「なんかしっくりくる。悪くないぜ」

「だろ?」

 

 インテリジェンスソードが親しげに話しかけてくる。剣を手にした当人も満足げ。

 

「ルイズ。これにしようぜ」

「……。うん。これにするわ」

 

 ルイズの返事に驚く店主。さっきの彼女の喧嘩腰など、すっかり忘れるほどに。

 

「いいんですかい?この坊主には大きすぎる。しかも見ての通り、サビだらけですぜ。でかいから研ぎ代も馬鹿にならねぇ」

「なんとかするわ」

「そうですかい……。買うってなら、止めやせんけどね。こっちも厄介払いができて、大歓迎だ」

「うん。売って」

 

 こうして、錆だらけの話す大剣はサイトのものとなる。剣の名はデルフリンガー。自称、6千歳のインテリジェンスソードである。ただ6千年前から存在していると言いつつも、ほとんど記憶がないと付け加えるのも、忘れていなかったが。

 

 

 

 

 

 双月が大地を照らしている。本来ならルイズは、勉強に励んでいる時間だ。しかしここ、学院の広場にいた。使い魔と共に。

 

「今度こそ、本気出してもらうわよ」

 

 長い杖がまっすぐサイトに向いていた。杖の先にいる当人の方は、疲れた態度で同じ言葉を繰り返だけ。

 

「だから、あれが本気だって」

「火事場の馬鹿力とかを出せばいいでしょ」

「お前、勘違いしてないか?火事場の馬鹿力は、魔法とかじゃないんだぞ。出そうと思って出るようなもんじゃねぇよ」

 

 ルイズから何度聞かれても、出てくるのは以前と同じ返事。手にした木刀も、彼の気持ちを表すように垂れたまま。

 それにしてもとサイトは思う。どうしてこうも拘るのかと。もちろん主としては、使い魔の力を知っておきたいというのは分からなくもない。しかし、しつこい気もする。もしかして、彼女はバトルフェチなのかもという考えが過った。喧嘩っ早い所もあるのでなおさらだ。一体、誰の影響なのかと思ってしまう。昔の知り合いに、バトルフェチでもいたのだろうか。

 

 だが、そんなサイトの考えを他所に、ルイズは苛立ちを高めていた。どうも火事場の馬鹿力を、勘違いしたままらしい。

 

「力づくよ!」

 

 ルイズが、宣言と共に杖を振る。

 横の壁辺りが爆発した。土煙が舞い上がる。何も見えない。その時、キュルケから聞いた話が脳裏に浮かんだ。爆発を目くらましに使う戦い方が。ルイズは本気だ。冗談ではない。今のルイズは、長い杖を手にしている。このままでは、最初の組手以上に悲惨な結果になるのは間違いない。サイトは一瞬で行動方針を導きだした。逃げると。

 

「シャレになってねぇ!」

 

 土煙から離れようと、壁の反対側へ脱兎。しかし、急停止。視界が開けた先に、ピンクブロンドが舞っていた。動きを読まれていた。サイトはすぐさま両手を、真っ直ぐ上げる。

 

「ま、ま、待った!降参だ!お前の勝ち!」

「簡単に諦めんじゃないわよ!」

「だって魔法まで使われちゃ、敵わねぇよ」

「はぁ?」

 

 動きを止めるルイズ。魔法など使っていない。と言うか使えない。一応、爆発させたのは魔法と言えば魔法だが、失敗魔法だ。あれを魔法と言われるのは、バカにされているような気がする。

 だが目の前の使い魔が、咄嗟に口車を考え出したようにも思えない。そして彼は手を上げたまま、何故か顎先で上の方を指していた。怪訝そうに眉間を狭めるルイズ。構えを解く。

 

 すると突然、サイトに飛びかかられた。そして押し倒される。バトルモードの頭が、急にピンク色に。

 

「ど、ど、どさくさに紛れて何やってんの!」

「バカ!助けてやったんだよ!」

「何言って……え!?」

 

 頭上に巨大な石柱らしきものが見えた。石柱は壁に向かって倒れ込んでいる。サイトが押し倒してくれなかったら、壁と柱に挟まれ押しつぶされていたかもしれない。

 しかし何故こんな所に、石柱があるのだろうか。この広場にはこれほど巨大な柱などない。ふと柱の先、壁とは反対側へ視線を向ける。柱は巨大な影から伸びていた。

 

「ゴ、ゴーレム!?」

 

 石柱と思っていたのは、巨大ゴーレムの腕だった。それがルイズ達に振り下ろされ、辛うじてかわしたのだった。慌てて立ち上がる二人。

 

「お前の魔法かと思ったけど、そうじゃないみたいだな」

「当たり前でしょ!だって私は……」

 

 言葉を切るルイズ。分かってはいても、自分から魔法が使えないなどと口にはできない。だが、そんな悠長な会話をしている暇などなかった。ゴーレムがまた動き出す。今度は膝を落として始めていた。二人に向かって。

 

「クソッ!」

 

 サイトは吐き捨てるように言うと、ルイズを抱えて横っ跳び。この攻撃もかわした。だが、これで終わりという訳でもないだろう。すぐさま振り返る。そして気付いた。双月を背負った黒い影に。フードを被った人物が、ゴーレムの肩にいた。

 

「ルイズ!逃げろ!」

「言われなくても……。こら!どこ行ってんのよ!」

「ヤツを止める!」

 

 魔法も使えない、体術も剣術もできないただの少年が、どういう訳かゴーレムに向かっていく。しかもそれは、狙いを定めた鷹のごとくとてつもなく素早く迷いのないもの。ルイズは呆気に取られつつも、彼の背から目が離せずにいた。どこか温かく懐かしい気持ちと共に。

 

 しかしそれもほんの数刻。すぐにサイトが向かった先へ意識は移る。彼はゴーレムの腕に飛び移ると、肩へ向かって走り出していた。人間離れした速さで。その先にあるのは、この巨大ゴーレムを作り出したメイジらしき人影。その人影の手が動き始めていた。杖を持った手が。

 

「サイト!そのまま突っ込んで!」

 

 叫ぶと同時に、彼女も杖を振る。ゴーレムの肩口に爆発が発生。しかし巨大ゴーレム相手では、大した効果はない。だが当のメイジには効果があった。爆発は視界を奪っていた。

 

「チッ!」

 

 メイジは舌を打つ。見失ったターゲットを探す。だが相手はすでに至近。土埃の中にいた。

 

「うぉっ!」

 

 思いっきり木刀を振るサイト。メイジの脇腹に直撃。

 

「ぐぅっ!」

 

 悶絶の声を漏らすフードの人物。だが殴られるに任せ、ゴーレムの肩から飛ぶ。上手くダメージを逃した。しかしここは、地上から10メートル以上ある場所。

 

「お、おい!」

 

 まさか、飛び降りると思っていなかったのか、サイトは驚いて手を伸ばす。しかし相手はメイジだ。『フライ』の魔法で、反対側の肩へとなんなくたどり着いた。

 苦悶の表情で右脇腹を押さえる。歯を食いしばる。飛んだはいいが、無傷とはいかなかった。最低でも肋骨にヒビが入っているのが分かる。すぐに顔つきは怒りの形相へ変わり、サイトへと向いた。メイジはゴーレムに指示。サイトを振り払おうとする。

 

「げっ!」

 

 慌ててゴーレムの腕を駆け下りるサイト。辛うじて地上に辿り着けた。

 

「サイト!こっち!」

 

 ルイズの声の方へと、力の限り走る。背後では爆音がいくつも上がっていた。おそらく彼を狙って振り下ろされたゴーレムの拳が、地面を弾き飛ばしているのだろう。しかし、それを確認する余裕などない。

 彼女と合流すると、全力で逃げる。だがゴーレムの追撃は止まらない。ゴーレムが歩くたびに、背に地響きが届く。

 

「どうすんのよ!」

「どうするって……」

 

 ゆっくりに見えるゴーレムの動きだが、その巨大さ故か、意外に速かった。このままでは、メイジの精神力と二人の体力の持久力勝負となる。しかし、ルイズ達の方が先に底を尽きそうだ。

 

 だが突然様子が変わる。足音が離れ始めているのだ。足を止め、振り返る二人。ゴーレムが敷地外へ向かって歩いていた。同時に気付く。校舎のあちこちから騒めきが聞こえるのが。この騒ぎに、動き出した者がいるらしい。時間切れはゴーレムの方だった。

 大きな息と共に、肩から力を抜く二人。

 

「助かった……」

 

 サイトが落ちる様に座り込む。疲れ切ったと言いたげに、深い呼吸を繰り返しながら。ルイズも隣に腰を下ろした。ただしこちらは、かなり不機嫌、というより怒っている。

 

「ねぇ、サイト」

「何だよ」

「何で、ゴーレムに向かってったの?」

「……。なんでだろ?」

「死んじゃったかもしれないのよ!」

 

 ルイズは怒鳴りつけてきた。今にも殴りかかってきそうな勢いで。唖然とするサイト。

 

「えっと……その……なんていうか、なんとなくだよ」

「なんとなくで、あんな大きなゴーレムと戦おうなんて考える訳ないでしょ!普通、逃げるわよ!」

「そうだよな……。そうなんだけど……」

 

 思えば、何故逃げるという考えが出てこなかったのか。あの時、頭に浮かんだのはなんだったのか。

 気付くと、隣の少女が今までと違うものに見えた。その整った顔から眼を離せずにいた。吸い寄せられるように。ふと、サイトはああそうかと思ってしまった。何故逃げなかったか分かってしまった。この気の強い小さな女の子を、守りたかったのだと。

 サイトがじっとルイズを見ている。彼女の方も、溶けるように表情から険しさが消えていく。頬が染まっていく。

 

「な、何よ……」

「いや……えっと……」

 

 言葉に詰まるサイト。胸に不思議な高まりが湧き上がる。ルイズも奇妙な気持ちに襲われていた。体中を駆ける熱いものに。

 突然、ごまかすように急に声を張り上げるちびっこピンクブロンド。

 

「あ!サイト!またよ!」

「え?」

「火事場の馬鹿力!」

「いきなりなんの話だよ」

「気付いてないの?あんたがゴーレムに突っ込んでいった時。ものすごい速さだったわ」

「そうだったか?やっぱ必死だったから……。いや……」

 

 顎を抱え考え込むサイト。メイジがゴーレムを動かす隙も与えず、アッと言う間にゴーレムの肩まで駆け上がり、一撃を加え、同じくあっという間に駆け下りた。10メートル以上の落差を、わずかな時間で上り下り。あんなに自分の運動能力は高かっただろうか。いくら必死だったとは言え、それだけで説明がつかない気がする。

 ふと左手にあるルーンに目が行った。使い魔になるとは、ただの主従契約だけではないのかもしれない。そんな考えが浮かんでいた。

 

 

 

 

 



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進む世界

 

 

 

 

 褐色の肌と燃えるような赤い髪をした妖艶さを漂わせた美少女が、廊下を早足で進んでいた。少女の名は、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。もっとも今は、妖艶さの欠片もなかったが。身振り手振りで大げさに話していた。

 

「信じられる?あの平民、フーケを追い返したんですって」

「方法は?」

 

 隣にいる寒々しい青い髪の小さな少女が、見かけに似合わず少しばかり興奮の混じった口調で尋ねてくる。この少女の名はタバサ。二人共、この学院ではかなり上位の生徒だ。そんな二人が話題にしているのは昨晩の事だった。すなわち、巨大ゴーレムによる学院襲撃である。その犯人はフーケという盗賊と目されている。

 "土くれのフーケ"。貴族相手を専門とする稀代の盗賊だ。巨大ゴーレムが現れたという証言から、学院は犯人をそう断定した。フーケは土系統の魔法を使いこなし、その魔法の腕は一流とも言われている。さらにここトリステイン魔法学院の宝物庫には、貴重なマジックアイテムが多数保管されている。狙われても不思議ではない。

 

 キュルケは答える。ルイズから直に聞いた話を。

 

「ゴーレムの肩にいたフーケを、直に殴ったそうよ」

「実は魔法が使えた?」

「違うわ。腕を伝って、肩に駆け上がっただけだって。ああ、一応、ルイズが失敗魔法でフォローはしたって言ってたけど」

「……」

 

 黙り込むタバサ。考えを巡らす。フーケのゴーレムは、30メイルはあると伝わっている。そんな高さまで、魔法も使わず上がれるものなのか。ゴーレムも、じっと動かなかった訳でもないだろうし。ルイズとただの平民の使い魔のペアでは、とても可能とは思えない。あの二人は、自分の知らない能力でも持っているのか。サイトとギーシュの決闘を見ておけばよかったと、後悔するタバサだった。

 

 やがて二人は目的地に到着する。昨晩のゴーレム襲撃現場だ。野次馬が現場をぐるりと囲っている。キュルケはタバサの手を掴むと、小走りで人垣へと突入する。そして最前列へ向かっていった。

 

 巨大ゴーレムが暴れた現場の中心。そこには学院長であるオールド・オスマンをはじめ教師達がいた。側には、直にゴーレムと遭遇したルイズとサイトもいる。

 ルイズ達から昨晩の経緯を聞いた後、オスマンは壁に空いた穴を長いひげをいじりながら見つめている。飄々としながらも、その目には厳しいものが宿っていた。何故なら空いた場所が問題だったからだ。ここは学院宝物庫。その壁は固定化の魔法が何重にもかけられ、大砲の直撃ですらヒビも入れられないもののはずだった。それが見ての通り穴が開いている。

 隣にいるコルベールが、眉間にしわを寄せながらつぶやく。

 

「この壁に穴を空けるとは……。さすがは土くれのフーケと言うべきでしょうか」

 

 教師達の会話を側で聞いていたルイズ。昨晩の出来事に考えを巡らせていた。穴が空いた場所は、確か魔法で爆発させた場所ではなかったか。ルイズは記憶の底を攫いなんとか思い出そうとするが、朧でハッキリとしない。

 そもそも何故あの時、フーケは自分達を襲ったのか。目撃者を消すため?あんな大きなゴーレムを使って目撃者も何もないものだ。もしかしたら、単に穴を空ける壁の側に、たまたま自分たちがいただけかもしれない。あれほど巨大なゴーレムだ。動いたら足元の蟻を踏みそうになった。その程度の話。だがその後は、反撃して怒らせてしまったから、追って来たのだろうが。

 さらに、根本的な疑問が浮かんできた。これほどの腕のあるメイジが、何故盗賊なんてものをやっているのかと。兵になれば栄光を手に入れるのも容易いだろう、商売に生かせば巨万の富を得られそうだ。考えれば考えるほど、気になってくる。

 

 穴に入っていた教師が出てきた。

 

「盗まれたものはありません。すべて無事です」

「そうか。それは重畳。盗まれておったら、言い訳に困るところじゃった」

 

 オスマンは一つ大きな息を漏らす。他の教師も胸を撫で下ろす。だがコルベールは、厳しい顔つきのまま。

 

「しかし、土くれのフーケに狙われてると分かったのです。警備を考え直しませんと。これほどの固定化を破る相手なのですから」

「安心したまえ、ミスタ・コルベール。その方法は考えてある」

「と言われますと?」

「フーケを捕えてしまえばよいのじゃ」

「なんと!しかし、どのようにして?」

 

 貴族相手にも関わらず見事に逃げ続けているからこそ、その名が鳴り響いているのだ。それをこの学院長は捕まえるという。中年禿教師には、信じがたいものがあった。オスマンは余裕の笑みを浮かべると、視線を横へと流す。

 

「ふむ、待っておったもんが来たようじゃな」

 

 釣られるように全員が、学院長の視線の先を見る。そこには野次馬をかき分ける一人の女性がいた。ミス・ロングビル。オスマンの秘書だ。側まで来ると眼鏡をかけ直す。そして淡々と話し始めた。

 

「フーケの隠れ家を見つけました」

 

 驚く教師達。コルベールが身を乗り出すように尋ねる。

 

「いったいどうのようにして!?」

「実は昨晩、あの騒ぎに私も外に出たのです。その時、偶然、ローブを纏った男を見かけたのです。その人物は逃げるように、森の中へと入っていきました。私はその後を付けたのです」

「なんと……そんな危険な事を……」

「この学院に籍を置く者として、やらねばならないと思ったもので」

「そうですか……」

 

 感慨深げに小さくうなずくコルベール。正義感と勇気に溢れた行動。しかもその成果を自慢する訳でもない。目の前の女性に感じ入る他ない。

 

「隠れ家はこちらに書き記しました。捕縛隊を編成し、向かわせてください」

 

 ロングビルは一枚の紙を手にし、教師達の輪の中央へ足を進める。全員がその紙に注目しつつ、誰が捕まえに行く事になるのかと思案していた。

 

 そんな中、一人の生徒が彼女に近づこうとしていた。ルイズだ。平然とした様子のまま、ロングビルの右側から近づく。あたかも、紙に何が描かれているか知りたいだけかのように。そしてすぐ脇まで近づいた。

 射程圏内。ルイズの眼光が鋭くなる。

 左頂肘。ロングビルの右脇に直撃。

 

「ぐぅっ!」

 

 秘書は右脇を押さえつつ悶絶。思わず膝を落としてしまう。そんな彼女に、ルイズはさらに一歩踏み出した。そして手にした長い杖を反転、彼女の顎先を狙う。しかし、ロングビルは後方へ宙返り。見事にかわした。ただの秘書とは思えない動きで。

 

 周りを囲む連中には、何が起こっているのかまるで理解できない。慌てて、サイトが飛び出してくる。

 

「ルイズ!何やってんだよ!」

「こいつがフーケよ!」

「ええっ!?」

 

 ルイズの言葉に、誰もが唖然と口を開けたまま。一方のロングビルは、秘書然とした態度を崩さない。ただ痛みのせいか、汗だけは止められなかった。ルイズはそんな彼女に告げる。

 

「前から、怪しいって思ってたのよ。あんた、姿勢が良過ぎよ。軽業師みたいにね」

 

 体術に通じているルイズは、バランス感覚が異常にいいロングビルに、以前から違和感を抱いていた。とてもただの事務仕事をする人間には思えないと。まるで、不安定な高所での仕事に長く就いていたかのようだと。例えば、巨大ゴーレムの肩の上のような。

 

「今の押さえた所。サイトがフーケを殴った場所と同じだわ。骨折してるでしょ」

「とんだ言いがかりです。数日前に怪我をしたのですよ。それがたまたま同じ所だっただけですわ」

 

 ロングビルの様子は変わらないまま。しかし、彼女の言葉をルイズは余裕を持って返す。

 

「それでごまかしたつもり?」

「……」

「骨折するとね、どんなに堪えてても動きに出ちゃうもんなの。あんたの今日の姿勢、昨日とまるで違うわよ」

「……」

 

 苦々しげに、歯ぎしりを始めるロングビル。

 

「フッ……。フフッ……。ハハハ!」

 

 右脇を押さえながら、急に高笑い。すっと背筋を伸ばす。同時に杖を振った。まるで切り払うように。すると彼女の足元が盛り上がる。見る見る内に高くなっていく。もはやロングビルには、秘書の雰囲気など消え失せていた。

 

「大したもんだよ!まさか小娘に見破られるとはね!」

 

 盛り上がった土は人型を形作っていく。巨大ゴーレムへと形を変えていく。茫然と身を固めるオールド・オスマン。あの気真面目そうに見えて、愛嬌のあった秘書がまさか盗賊だったとは。

 

「な、なんと……、まさかミス・ロングビルが……!?」

「学院長!こちらです!」

 

 オスマンは他の教師に引っ張られ、校舎へと逃れる。同じく野次馬たちも蜘蛛の子を散らすように、この場から退散していった。残ったのはルイズ、サイト。それにコルベール、キュルケ、タバサだけだった。

 すでに完全に巨大ゴーレムは形作られていた。その肩の上にロングビル、いやフーケがいた。右脇腹を抑えながら。

 

「小娘!あんたのせいで全部台無しさ。借りを返させてもらうよ!」

 

 真っ直ぐルイズを睨みつけるフーケ。しかしルイズも負けてはいない。マントを襷の様に巻き上げると構えを取る。だがそんな彼女の肩を、サイトが掴んだ。

 

「おい!何やってんだよ!逃げるぞ!」

「いやよ」

「お前なぁ、昨日は何で逃げなかったとか言ってたじゃねぇか!」

「今は違うわ」

「何、言ってんだよ!」

 

 サイトにはどうしてここまで、拘っているのか分からない。意地とも違うように感じる。何か考えがあるのかもしれない。だがそうだとしても、自信をもって言い切れる理由が分からない。

 ルイズはフーケから目を離さないまま、隣にいる使い魔に声をかける。

 

「サイト。手伝って」

「えっ!?」

「やっぱ、あんた普通じゃないわ。火事場の馬鹿力、使ってもらうわよ。だいたいあんた、私の使い魔でしょ」

「いや……けど、あ~、分かったよ!やってやるよ!」

 

 パーカーの黒髪少年は覚悟を決めた。しかしすぐに気づく。なんの武器も手にしていない事に。昨晩は木刀を持っていたが、今は本当に何もない。辺りを見回すが、武器など落ちていなかった。舌を打つサイト。

 

「チッ!素手でかよ。あ……、デルフリンガー!」

 

 デルフリンガー。先日トリステインで買ったインテリジェンスソードだ。錆だらけで切れ味は期待できないが、この巨大ゴーレム相手ならそれで構わない。むしろ重量があるだけに、打って付け。だがあの剣は部屋に置いたまま。今から取りに戻る暇はない。

 歯ぎしりをするしかないサイト。その時だった。サイトに向かって何かが飛んできた。凄まじい勢いで。

 

「えっ!?」

 

 慌てて飛び退くサイト。その直後、飛んできたものは、さっき彼がいた場所の隣に突き刺さった。錆だらけの大剣が、地面に立っていた。

 

「よぉ。相棒。呼んだかい?」

「デルフリンガー!お前飛べたのかよ!」

「俺も訳分かんねぇんだわ。突然、引っ張られたみたいに飛んでな。もしかして、お前が呼んだのかもと思ったんだが。違うのか?」

「違わねぇ!お前の出番だぜ!」

「そりゃ、良かった」

 

 サイトは地面に突き刺さった大剣を掴む。左手で。その時、刻まれたルーンが光った。すると軽くなっていくような感覚が、全身を突き抜ける。異世界からの使い魔は、口元を緩める。

 

「これが火事場の馬鹿力の種か」

 

 ルイズへ、力強い声をかけた。

 

「こっちは準備完了だぜ!で、どすんだ?」

「ゴーレムを転ばせる」

 

 別の声が脇から届いた。向いた先に見えるのは、青髪ショートの無表情な少女。確かタバサという名だ。彼女は振り返ると淡々と言う。当たり前かのように。

 

「キュルケ、手伝って」

「仕様がないわねぇ」

 

 赤髪褐色の美少女は不敵に口端を釣り上げると、颯爽と杖を抜いた。そこに慌てて駆け寄るコルベール。

 

「君たち!何を言ってるんだ!すぐに逃げなさい!」

「フーケはルイズに、借りを返すって言ったんですよ。逃げても追ってくるだけですわ」

 

 キュルケは平然と返す。

 

「それは……そうだが……」

「なら手伝ってください。ミスタ・コルベール」

「え?私が?しかし戦いは……」

「教師は生徒を守るもんじゃなくて?」

「……。そうだな。その通りだ」

 

 急に目元が勇ましくなるコルベール。いつもの、どこか頼りなさげな様子がここにはない。歴戦の戦士のような気配を漂わせる。

 

 サイトは不思議そうに彼等を見ていた。自然にルイズに協力しようとする三人。それはかつて、一つのチームでも組んでいたかのような、ピッタリとした呼吸を感じた。

 

 30メイルはあろうかという巨大ゴーレムを前に、ルイズはどういう訳か高揚感が湧き上がるのを抑えられずにいた。同時に奇妙ななつかしさも。策を編み出し、役割を分担し、強大な相手に向かう。そして目的を果たす。その達成感を自分は知っている。何故かそう思った。

 

 キュルケがルイズに叫ぶ。

 

「ルイズ!あんた達が先方やって!」

「それで行けんの!?」

「あんた達がフーケに届くなら、ってタバサは言ってるわ」

「分かった!」

 

 ルイズは躊躇なく答えていた。危険な役割だというのに。

 

「代わりにフォロー頼むわよ!」

「ま、いいわ」

 

 さっさと行けとばかりに、手を振るキュルケ。ピンクブロンドの拳法家は、次に使い魔に命令。

 

「サイト!やる事は昨日と同じよ!」

「おう!」

 

 二人は並んで駆けだした。巨大ゴーレムに向かって。

 

 対するフーケ。自分に向かってくる二人に、驚きを隠せずにいた。ルイズの事は知っている。魔法の使えない学生だと。それが何を考えているのか、戦う気満々だ。

 

「一体、なんのマネだい?」

 

 だが好都合なのは間違いない。巨大ゴーレムは振りかぶると、拳を落とす。それは砲弾でも打ち出すかのように。

 地面が弾け飛んだ。しかしそこに相手の姿はない。探すフーケ。だが、わずかに遅かった。

 

「そらよっ!」

 

 サイトがデルフリンガーを振り下ろす。大剣はゴーレムの手首を切断。

 少し離れた場所では、ルイズが構えを取っている。二人とも、ゴーレムの攻撃をかわしていたのだった。大きなモーションの攻撃だ。彼女にとって動きを読むのは造作もない。またサイトも、人間離れした素早さでかわし、さらに攻撃まで加えていた。

 

 ただこの攻撃は、ゴーレムにとっては効果などないも同然。地面の土を吸収し、すぐに手首を再生し始める。しかしこれが裏目に出る。再生のため手を地面から離せずにいたのだ。止まった腕の上をサイトは昨晩と同じように、一気に駆けあがる。そして、あっという間にフーケへ接近。同時に肩口で爆発が発生。これもまた昨晩と同じ。

 

「バカの一つ覚えだね!」

 

 フーケは爆発する前に、『フライ』で飛んでいた。希代の盗賊だ。二度も同じ手にかかる訳がない。そして余裕を持って、反対の肩へと降りようとする。ところが、降りる場所がなくなっていた。というか、巨大ゴーレムは倒れている途中だった。

 

「な!?」

 

 盗賊には何が起こっているのか、理解できない。しかし、次の瞬間には気づく。巨大ゴーレムの足がなくなっていたのだ。タバサの『エア・カッター』で切り刻まれ、キュルケとコルベールの『ファイヤー・ボール』で溶けてしまっていた。通常ならそれでもすぐにゴーレムは再生し、ダメージを無効にする事ができるのだが、今、フーケは『フライ』の魔法で飛んでいた。他の魔法が使えない。系統魔法は、同時に二つ発動する事はできないのだから。その隙を突いた、と言うよりは隙を作らされた。

 

「チッ!」

 

 舌を打つ盗賊。降りようとするが、地上ではルイズとサイトがすでに待ち構えている。『フライ』を解いて下りれば確実に狙われる。だが魔法を解かなければ、ゴーレムは操れない。

 

 フーケは決断した。『フライ』を解く。落下し始める盗賊。着地地点に、ルイズ達が殺到。しかし目標の場所に、突然壁が生えてくる。着地地点を壁がぐるりと囲む。フーケは着地を狙われないように、先に魔法で手を打った。

 だがルイズは諦めない。

 

「サイト!」

 

 主を見る使い魔。すると彼女はどういう訳か投げる仕草。一瞬、サイトは何の事かと思ったが、すぐに察する。同時に呆れていたが。

 

「滅茶苦茶だぜ。けど、やってやるよ!」

 

 彼はデルフリンガーを地面につけ、剣の腹を見せる。そこに、ルイズが走り込んで来た。力を込めるサイト。左手のルーンが輝きを増す。

 

「そら!行け!」

 

 デルフリンガーに乗ったルイズを、力技でぶん投げる。宙へと舞うルイズ。まだ空中にいるフーケに突撃。

 

「これで終わりよ!」

 

 ルイズ、旋風脚!見事直撃。しかもまたも右脇腹。

 

「かはっ!」

 

 フーケは、雷にでも当たったかのような衝撃を受け、そのまま気を失った。

 

 落ちる二人を、タバサとコルベールが『レビテーション』の魔法でなんとか着地させた。気を失って泡吹いているフーケに近づく一同。タバサがフーケに触れ、ポツリと言う。

 

「肋骨が数本、完全に折れてる。重症」

「ええっ!?」

 

 慌てるコルベール。タバサに応急処置を頼むと、校舎へと駆け出す。医者を呼ぶために。

 側ではキュルケがルイズを横目に一言。

 

「あんたがしつこく、同じ所ばっか攻撃するからよ」

「弱点突くのは戦いの基本よ」

「容赦なさすぎでしょ」

「だって相手は盗賊だもん。油断は禁物」

 

 乏しい胸を張る、勇ましい小さな美少女。そんな彼女にキュルケは肩を竦めていた。だが、どことなしに楽しそう。

 

 ルイズはその場から少し離れ、一息付こうと腰を下ろした。その彼女の側にサイトも座る。彼女は、頬を緩めていた。嬉げに。

 

「よく私の考え分かったじゃないの」

「お前、ぶん投げたヤツ?」

「うん」

「直接殴るの好きそうだから、一発ぶん殴りたかったのかなって」

「はぁ!?何よ!暴力バカみたいに言うんじゃないわよ!」

「だって、すぐ喧嘩売るじゃんか」

「ち、力づくじゃないと守れないもんもあるの!」

 

 苦笑いのサイト。一体誰の影響で、こんなふうに育ってしまったのかと思ってしまう。もしかしたら、彼女はとんでもないトラブルメーカーかもしれないと不安が過る。これから苦労しそうだと。ただ一方で、真っ直ぐな性格をしているのも感じていた。いろんな意味で素直なのだろう。隣に座っている女の子は。

 異世界の少年は、不思議と満たされた気持ちが胸の内にあるのを感じていた。その時ふと自分の左手が目に入る。刻まれているルーンが。

 

「ルイズ。火事場の馬鹿力だけどさ。あれ、どうも自由に使えるみたいなんだ」

「え!?やっぱそうじゃないの!隠してたのね!」

 

 隣の少女は、露骨に文句。サイトは宥めながら答えた。

 

「知らなかったんだよ。っていうか契約した時に、身に付いた能力らしいんだ」

「どういう事?」

 

 ちびっこピンクブロンドは首を傾げる。彼女の疑問に答えたのは、使い魔ではなく、その脇に置かれた大剣だった。

 

「そりゃ『ガンダールヴ』だからさ」

「『ガンダールヴ』……。それってなんだ?」

 

 サイトはその名に、強く惹かれるものが何故かあった。デルフリンガーは雑談でもするように言う。

 

「そうだなぁ……。伝説の勇者の称号って所か」

「真面目に答えろよ」

「特殊な使い魔って事だ。ただそれ以上はなぁ……ちょっと記憶が曖昧で。正直言うと、よく覚えてないんだわ。けど、一つだけハッキリ覚えてるもんがあるぜ」

「なんだよ」

「『ガンダールヴ』は、あらゆる武器を使いこなせる。身体能力も上がる。だから俺を掴んだ時、お前の動きが素早くなったんだよ。俺も武器だからな」

「あらゆる武器……」

 

 武器を使いこなす能力。何故そんなものが、自分に授けられたのか。サイトはもう一度ルーンを見つめる。すると、そのルーンを影が覆った。目線を上げるサイト。そこにはルイズの顔があった。しかも何故か目を輝かせている。

 

「すごいじゃないの!」

「何が」

「何聞いてたのよ!伝説の勇者よ!」

「あんな話、信じてんのか?」

「けど、火事場の馬鹿力、自由に使えるんでしょ」

「そりゃそうだけど……」

「やっぱあんたは、並の使い魔じゃなかったんだわ!」

 

 満足げに大きくうなずくルイズ。そしてすくっと立ち上がると、自分に宣言するように言う。

 

「私も、とっとと魔法使えるようにならないとね」

 

 まるで夢に一歩近づいたかのような、満足げな態度。その様子から、サイトはふと思い出した。召喚された日の彼女の話を。

 

「そう言えば、すごいメイジになりたいんだったよな。出世でもしたいのか?」

「出世なんてしたくないわよ。動き辛くなるから」

「んじゃぁ、どうしてすごいメイジになりたいんだよ」

「いろんな所行きたいから」

「は?」

 

 言っているキーワードが今一つ、頭の中で繋がらない。

 

「旅行が趣味なのか?」

「そうじゃなくって。世界中を見ていろいろ知りたいの。フーケ捕まえようと思ったのも、あれほど腕があるのに、なんで盗賊やってんのか知りたくなったから」

「悪人捕まえようじゃなくって、それが理由かよ」

「うん」

 

 悠然と立つピンクブロンドの少女を、意外そうに見上げる異世界の少年。そこに見えるのは好奇心に溢れた表情。その桜色の瞳に、吸い込まれそうな気持ちになる。

 ルイズはもう一度腰を下ろすと、空を見上げながら話し始めた。楽しげに。

 

「昔、変な知り合いがいてね」

「幼馴染?」

「違うわ。ハッキリとは覚えていないんだけど。お客様だったかも。それにたぶん、皆、ハルケギニアの人間じゃなかったと思う」

「皆って大勢いたのか。どんなヤツ?」

「かなり変わった連中よ。恰好も変だったし。スクウェアクラスなんて、相手にならないってほど強かったし」

「そんなに強いのが大勢!?」

「うん。だけど、それを自慢する訳でもなくってね。偉そうって感じもなかったわ。だいたい相手が、平民だろうが貴族だろうが妖魔だろうが、全部同じって態度だったし」

「へー……」

 

 もしかしてルイズが、衛兵へ挨拶するなど身分の意識が他の貴族より薄いのは、その連中の影響のせいだろうかなどとサイトは考えてしまう。

 

「そいつら、客って言うけど、何しに来たんだ?」

「なんか、研究だったか観光だったかそんな感じだったと思う」

「研究と観光?」

「うん。しかも自分の興味のあるもの以外は、眼中にないって感じなのよ」

「なんか、かなり自己中な連中に聞こえるな」

「う~ん……。確かにそんな印象あるわね。しかも強いから始末に負えないわ」

「よく相手できてたな。しかも客なんだろ?接待するだけでも、気疲れしそうだぜ」

「うん。大変だったような気がする。よく覚えてないけど」

 

 そんな客を迎えるのが自分だったら、全力で拒否したいと思うサイト。ただ同時に不思議に思う所がある。それほど厄介な連中と付き合っていたというのに、ルイズの顔付きはさっきから緩んだまま。大切な宝箱を覗き込んでいるかのよう。

 

「私、その時思ったのよ。こんな連中もいるほど世界は広いんだって。スクウェア以上の力を、自分の趣味にしか使わないのよ。ハルケギニアじゃ考えられないわ。でも悪くない気はしたわ」

「もしかしてお前さ、そのすごいメイジの力が手に入ったら、やりたい目標でもあるのか?」

「分かんない。だから、いろいろ見てみたいのよ。何か見つかるかもってね。そのための力でもあるの」

 

 それが世界の果てを見るための旅だとしても、真理を見極める研究だとしても、力は必要とルイズは理解した。その変わった連中を前にして。

 

 異世界の使い魔は、主に魅入っていた。その穏やかな横顔に。

 

「その見つけるもんの中に、俺が元の世界に帰る方法も入れてくれ」

「いいわよ。私も、あんたの世界、行ってみたいし」

「マジかよ」

「いろいろ見て回りたいって言ったでしょ」

「……。分かった。なら、手伝ってやるよ。お前の夢……ってのかな?それを」

 

 サイトはすっと立ち上がると、ルイズへと柔らかな笑顔を見せる。しかし当の本人は何を言っていると、呆れた声を返すだけ。

 

「あんたは私の使い魔なのよ。手伝うのは当たり前でしょ」

「でした、でした」

 

 溜息をこぼしつつ、肩を落とす。もう少し、かわいげのある返事が返って来るとか期待したのだが、やはり使い魔としか見ていないらしい。

 それにしても、あまり身分を気にしない割には、主と使い魔という立場には拘っている。なんともアンバランスだ。その時ふと閃きが、頭の中に灯った。サイトは余裕の態度を見せると、ルイズへ流し目。

 

「もしかして、お前さ……。俺を誰にも渡したくないから、私の使い魔って何度も言ってんの?」

「はぁ?何言い出すのよ」

「つまりさ。お前が、俺を好きとか……」

「バ、バ……!この!」

 

 溶鉱炉の鉄のように真っ赤になったちびっこピンクブロンドは、破裂するように立ち上がる。すぐさま一閃。サイトの顎先を、右掌底で抜いた。

 

「え?」

 

 身体中が溶けるように倒れるサイト。見上げる先に、地獄の業火のような憤怒の主様がいた。長い杖を鬼の棍棒のように、地面に突き立てて。

 

「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!調子に乗り過ぎました!」

 

 必死に手を合わせ、謝罪を並べる使い魔だった。

 

 

 

 

 

 その後、ある意味彼等の願いは叶う事になる。

 なぜなら、ハルケギニアは動乱の時代へと向かったからだ。

 同時にルイズは、虚無という伝説の系統に目覚める。

 だが逆にそれは、彼等がこの動乱の中心に位置してしまうという意味でもあった。

 彼等は世界中を飛び回った。伝説の力で、厄災から皆を救うために。

 様々な人々の助けや、彼等自身の必死の働きの甲斐もあって、厄災は最終的には収まった。

 平穏が再びハルケギニアに訪れた。

 そして結果的にはだが、一応、彼らは世界各地を見られた訳だ。望んだ形とは程遠いものだったが。

 やがてルイズは無事、トリステイン魔法学院を卒業する。

 サイトも動乱での活躍もあり、貴族の称号と所領を手に入れる。

 そして二人は結ばれたのだった。

 

 

 

 

 

 鬱蒼とした森の中、人通りの途絶えた雑草まみれの道を、二頭の馬で進む男女の姿があった。

 

「だんだん、ひと気が無くなって来てる気がすんだけど」

「そう?」

「村に吸血鬼が出たって話だったよな。本当にこの先に村があるのか?」

「あるわよ。嘘ついてないわ」

 

 上機嫌で先を進むのはピンクブロンドの少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。訝しげに後に続くのは、黒髪の少年、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール。

 二人の男女が、森の奥へと躊躇なく進んでいた。先を進むルイズは楽しそうだが、後ろのサイトは少々当惑気味。吸血鬼が出たので、なんとかしないといけないとルイズに言われ、こうして出てきた訳だ。装備を固めて。

 マントはあるものの、今でも平民のようななりのサイト。これでも領主様だ。その所領がここオルニエール。領民が困っているなら手を差し伸べるのは当然と出てきたはいいが、問題の目的地をルイズが何故か言わなかった。

 だいたい領民の訴えなら、領主に話を通すのが筋。しかしルイズの命令なのか、使用人の誰も自分に言おうとしなかった。

 

「いい加減教えろよ。どんな訴えがあったんだよ」

 

 苛立ちを増しているサイトに構わず、ルイズは辺りを見回す。見える景色は相変わらず深い森。さらに道の方は最初よりも雑草が多くなり、分かりづらくなってきている。

 

「う~ん……。そろそろいいかしら。吸血鬼が出たってのは嘘」

「ちょっと待て。さっき嘘ついてないって言ったろうが」

「村があるのだけは本当よ」

「んじゃ、他は嘘か。なんでそんな嘘ついたんだよ?」

「だって、そうでも言わないと、あんた外に出ないでしょ?」

「出てるぜ」

「領内視察じゃなくって」

 

 オルニエールはそう広くはないが、額面上はそこそこの領地という事になっている。だが実態は、耕作放棄地だらけ。額面上の評価には程遠い土地だった。サイトは領主としてこの状況を好転させようと、日々精力的に働いていたのだった。おかげで、あまりルイズの相手をしてやれていない。ようやく落ち着いて二人で暮らし始めたというのに、甘い生活には程遠い状況。もちろんルイズは理解していたが。

 

 彼女は気分よさげに話す。

 

「だから、骨休みのためのちょっとした小旅行……違うわね、小冒険よ」

「冒険?」

 

 不穏な言葉が耳に入った。ますます顔を顰めるサイト。ルイズは構わず続ける。

 

「ほら、昔、キュルケ達と宝探ししたの覚えてる?」

「宝探し?あ!なんか胡散臭い宝の地図手に入れたとかで、廃村に行ったヤツ?」

「そうそう」

「あそこ、実はオルニエール領内だったのよ」

「へー、そうだったんだ……って、行先ってそこか?」

「そうよ。だから村に向かってるのは間違いないって言ったでしょ」

「村って……、廃村じゃん……」

 

 ルイズの学生時代。キュルケが古物商屋から手に入れた宝の地図を元に、宝探しをする事となった。結局、宝は見つからなかったのだが。だがそれを切っ掛けに、サイトはゼロ戦を手に入れる。今となっては、懐かしい思い出だ。

 その時の記憶が過ったのか、ルイズは急にサイトの方を向く。

 

「あ!そう言えば、あの時、あんた散々邪魔したでしょ」

「なんかしたっけ?」

「オーク殺させなかったの」

「ああ……あれか……。だってさ、俺たちは宝を探しに来たんだぜ。追っ払えばいいだけだろ。だいたいお前だって、オーク殺さず倒してたじゃん」

「あんたが、うるさいからよ。それに見た目は違うけど、中身は人間とそんなに変わらないもん。頭揺らせば一発よ。動きが大げさで、ただ腕力あるだけの相手を倒すなんて、そう難しくないわ」

 

 ルイズの拳法の腕はさらに冴えを増していた。オークすらも倒してしまう程。今の彼女に接近戦に持ち込まれたら、スクウェアクラスのメイジですら勝つのは難しいだろう。

 

「結局、サイト、戦争でも誰も殺さなかったもんね」

「悪いのは、上の方のヤツだけだからな」

「でも度が過ぎてたわよ。馬とかドラゴンの命まで心配するとか」

「いいじゃねぇか。なんとかなったんだから」

 

 少しふて腐れているサイトを横目に、ルイズは今でも不思議に思う。何故こうも命に拘るのか。自分の命が危険にさらされている時ですら、この不殺を貫こうとするのだから。命を大切にすると言っても、度が過ぎている。まるで禁忌、戒律のようにすら思えた。

 ただ、それを破らなかったおかげか、サイトにはある時期から不思議な力が宿っていた。いずれの魔法とも違う謎の力が。虚無に関わる力は、ハルケギニアを救った時に失ったが、その力だけは今でもある。本人にもそれがなんだか、今でも分からない。

 一方でルイズの方も変わった事がある。虚無の魔法を失ったのだ。しかし魔法が使えなくなった訳ではない。ただ、虚無の魔法をベースに組み立てていた戦い方がまるでできなくなったので、本人は不便に感じていたが。現在、新たな戦い方を構築中。

 

 戦争という言葉が呼び水になったのか、ルイズは最後の戦いを思い起こす。その後に起こった事を。独り言のように、彼の名を口にするルイズ。

 

「サイト」

「ん?」

「なんで地球に帰らなかったの?」

「あん時、話したろ」

 

 全てが終わった後、ほんのわずかな間、サイトには地球へ帰るチャンスがあった。だがそれを目の前にして、サイトは地球に帰るのを拒否する。そしてハルケギニアに残ると決断した。

 彼は舞台俳優かのように、大げさに言う。

 

「男は、いつか独り立ちするもんさ。その場所が異世界ってだけの話だぜ」

「ごまかさないでよ」

 

 いつになくまじめなルイズに、サイトも態度をあらためる。そして、つぶやくように語り始めた。

 

「……。俺も、こっちに居場所ができたしな。ルイズだって、そうだろ?昔みたいに、一人で意地張る必要もなくなったし。友達もできたしさ。キュルケとも結構連絡とってるんだろ?」

「キュルケは……腐れ縁で仕方なくよ!」

「そっか?なんか一番気が合うように見えるぜ」

「あんたの目がどうかしてんの!」

 

 頬をふくらますルイズ。だがサイトはそんな彼女に、微笑ましさすら感じていた。

 

「ま、結局はさ。お前がこっちにいたからだよ」

「……!な、何、恥ずかしい事、さらりと言ってんのよ!全く……」

 

 ルイズはその桜色の双眸以上に顔を赤くして、背を向ける。ただ頬が緩んでいくのを止められなかった。

 やがてピンクブロンドの魔法拳法家は、嬉さを解き放つように叫ぶ。

 

「さあ!この先に冒険が待ってるわ!」

「冒険たって、行った事ある場所じゃん。旅行みたいなもんだろ」

「いいのよ。サイトがいっしょなんだから」

「……。お、おう」

 

 サイトも言葉に詰まる。こそばゆいものが体中を駆け巡っていた。

 

 二頭の馬は、しばらく並んで進む。雑草で曖昧になった道を。すると突然、深い森が切れた。目に映るのはかつて訪れた廃村。だが、それまでピンク色に包まれていたかのような二人の様子が、がらりと変わった。一転、緊張感が芽生えてくる。

 サイトがポツリと漏らした。

 

「妙だな」

「ええ」

「あんだけいたオークが、一匹もいない」

 

 オークを殺した訳ではない以上、住処は変わってないハズ。にもかかわらず、痕跡すらない。ルイズがおもむろに話しだす。

 

「ちょっと前に、この近くの村の住人が来たの。行商人から変な話を聞いたって」

「どんな話だ?」

「この廃村の方から、出てくる人影を見たって」

「オークの見間違いじゃないのか?」

「それはないって。確かに人だったそうよ。それに……来てみて分かったけど、やっぱりここ変だわ」

「確かにな」

 

 あらためて村を見回す二人。人が出てきたと言うが、オークはもちろん、人が住んでいる気配もなかった。

 

「とりあえず調べてみようぜ。これじゃ何にも分からねぇ」

「うん」

 

 二人は馬を木に結び付けると、廃村へと入って行く。周囲を警戒しながら先へ進んだ。

 

 村はそれほど大きくなく、短時間でだいたい見終わってしまった。その間、人っ子一人、もちろんオークも見なかった。それどころか、鼠や虫すらもあまり見かけなかった。草木も長らく見放されていたにしては、あまり伸びていない。

 

「なんだよここ。おかしすぎるぞ。ルイズ、気抜くなよ。やっぱ、なんかあるぜ」

「そうね。だけど一体何が……」

 

 ハルケギニアの動乱で、方々を飛び回った二人。想像を超える強敵にも、何度も巡り合った。しかしここにある異様な気配は、そのどれとも違った。今では歴戦の勇者と言ってもいい二人が、背に冷たいものを感じていた。

 

 二人は神経を尖らせると、最後の場所に向かう。この村の寺院に。

 寺院は以前来たときと、ほとんど変わっていなかった。相変わらず朽ちた様子で、幽霊でもでそうなくらい不気味な佇まいだ。

 息を飲むルイズ。

 

「サイト、行くわよ」

「おう」

 

 寺院の中は薄暗く、まるで夜の墓地かのよう。だが一か所だけ光っていた。ステンドグラスの割れた窓から差し込む陽ざしが、その場所を照らしていた。そこに人影があった。奇妙な姿の少女が。

 昼間だというのに、ナイトキャップを被り、服装は寝間着のよう。紫がかった長い髪の先にリボンが結ばれている。その少女は椅子に腰かけ、淡々と本のページをめくっていた。

 ルイズはその姿を目にすると、まるで彫像になったかのように身が固まってしまう。体中に電流でも走ったかのような感覚に襲われる。

 サイトはルイズの前に出ると、得物を手にした。

 

「おい!誰だ、お前!」

 

 敵意を覗かせる少年に対し、少女はわずかに首を向けるだけ。しかしその瞼は大きく開いていた。驚きに囚われたように。

 彼はさらに語気を荒げた。

 

「誰だって聞いてんだよ!」

「誰……ね。ま、こんな所で立ち話もなんだから、お茶に招待するわ」

 

 少女は本を閉じ、すっと立ち上がると祭壇の方へ向かった。慌てて声をかけるサイト。

 

「ちょ、ちょっと待て。答え……」

 

 その時、軽く肩を叩かれた。ルイズだった。

 

「お茶に招待してくれるって言うんだから、御相伴に預かりましょ」

「え?ええっ!?どうしたんだよ、ルイズ!どう見たって怪しいだろうが!」

 

 サイトの叫びを無視して、ルイズは少女の後に悠々とついていった。訳も分からず続くしかない少年。

 

 祭壇の脇の隠し戸から、地下へ続く階段があった。そこを下ると、広い空間があった。中央の廊下は広く長い。左右にはいくつもの扉があり、部屋数は多そうだ。ちょっとした屋敷の規模。そして突き当りには両開きの扉が見える。

 その廊下を、ナイトキャップを被った紫髪の少女が、先頭になって進む。やがて突き当りの部屋の前まできた。そして両開きの扉を空ける紫寝間着。

 扉の先から、紅茶の香りを伴って、ルイズの目に、異質でありながらもどこか懐かしい光景が飛び込んで来る。そこは子供の頃に読んだ、楽しい絵本の中のよう。

 おとぎ話から出てきたようなメイジに、大商人の娘らしき少女、カラフルなエプロンを付けている青髪の少女、フルリのついた大きな羽衣を纏った女性、黒い羽根の翼人に、兎の耳が生えている少女、蝙蝠羽の翼人もいる。

 ルイズの胸の内に、湧き上がるものがある。言葉にしがたいものが。それはとても温かかった。

 

 隣にいたナイトキャップの少女が話しかけてくる。

 

「自己紹介がまだだったわね。私はパチュリー・ノーレッジ」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。それで、彼は夫のサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール」

 

 堂々と夫と紹介されて、気恥ずかしさが浮かぶサイト。警戒心が解けてしまう。そんな二人を見るパチュリーは、わずかに頬を緩めていた。嬉しさが滲んでいるかのように。

 

「フフ……。夫……ね。あなた、随分功徳を積んだようね。法力が上がってるわ」

「え?法力?」

 

 法力。これそこサイトが今、手にしている謎の力だった。地蔵としての力だ。だがそれをパチュリーは説明する事もなく、ルイズの方へ視線を戻す。

 

「歓迎するわ」

「ありがとう」

 

 ルイズは、いっぱいの笑顔が自然と浮べていた。パチュリーはふと思い出したように一言。

 

「あ、言うのを忘れていたわ。はじめまして、ルイズ」

「うん。はじめまして、パチュリー」

 

 二人の「はじめまして」には、長年の友人だったかのような気安さが籠っていた。

 

 

 

 

 

 




あとがき

 ここまで読んでくれた方、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
 正直、こんなに長くなるとは思っていませんでした。始めた時は、期間的にもボリューム的にも多くても今の半分いかないだろうと思っていたんですが。話としてはルイズ達の物語を始める話となりました。東方って設定を生かそうと思い、こうなりました。
 実は他にも理由がありまして、書いている途中で東方とゼロ魔って相性悪いんじゃなかろうか思ったもので。特に今回選んだメンバーは。
 東方キャラって、自分本位な所が強く、善悪には無頓着な印象があります。白蓮とか例外もいますけど。ですがゼロ魔は王道。しかし東方キャラで王道は難しいと思い、世界の謎を解くというような展開をベースにしました。その謎に選んだのがメタ展開です。他にも案はあって、小宇宙的な何かをその謎にするとか、途中から才人をダゴンと入れ替えるとかもあったんですが、いろいろ考えた末、東方っぽい方を選びました。別の案を選んでいたら、ゼロ魔の世界として本作なりの終わりがあったと思いますが。
 後、いろいろ反省としては、東方側のレギュラーメンバー多すぎました。立場が被ったり、空気にならないように無理にシーンやら展開やらを作るハメに。尺が増えたのもこの点が大きいです。今考えると、半分で良かったかもしれません。また伏線のいくつかは、中途半端な回収になったものもありました。長く書いている内に、想定していた展開に思いついたアイデア加えたら、結局想定と違う展開になってしまったとかもあったもので。
 個人的には、キャラやら世界を組み立てるのは、中々楽しかったです。
 あらためて、お読みいただきありがとうございました。


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