ゼロの使い魔S (りおんざーど)
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使い魔召喚

「――は、はじめまして」

 気持ちがよいほどに綺麗な青空を背にし、眼前で俺へと視線を向け話しかけて来ている少女へと視線を返す。

 今の自分が持つ仮初の身体――肉体年齢とほぼ同じ、いや、俺より少しばかり下であろう年齢の少女へと一瞥をし、軽く観察してみる。

 黒いマントを羽織り、その下には白いブラウス、グレーのプリーツスカートを着ている。彼女が着用しているそれらは恐らく学校かなにかの制服だろう。黄金色に近い綺麗な金色の髪が腰近くまで伸びており、きめ細やかな肌、吸い込まれそうになるほどに透き通った綺麗な碧い眼をしているのがわかる。

 彼女の手へと目を向けると、小さく細い木の枝でできている“杖”が握られているのが見えた。

 そして、それだけではなく、彼女の名前や身長、体重、性格、年齢、家族構成、体調、思考……秘密にしたいだろう情報までもが一瞬で頭の中になだれこんで来るのがわかる。

 周囲には、眼前の少女と同様の服装をした少女たち、そしてどこか似通った服を着用している少年たちがいる。

 彼ら彼女らからは、奇異や興味等を含んだ物珍しそうな視線や感情が向けられて来ているのがわかる。

 そんな少年少女から目を離して少し遠くを見ると、石造りであろう大きな城が見えた。

 そして、俺は外から内へと――自身の肉体と精神へと意識を向けて現状を確認する。

 生前のそれと比べてまったく違う身体ではあるが、元からそうであるかのように思えるほどに自然かつ健全な状態にあることが理解できる。知識、力……生前には持ちえるはずがなかった特殊なそれらもまた自身の手足のように使用することができるということも理解できる。なによりも、今行使しているこれもそうなのだから。

「――あ、あの……」

 こちらが反応を一切返さないでいることに対して、言葉が通じていないのかなどといった不安に感じ始めてきたのだろう。少女は、ワタワタとしながらも恐る恐るといった風にして言葉を紡ぎ、こちらへと顔を覗き込ませて来る。

 俺はそんな少女に対してしっかりと面を向け、意識を切り替えて口を開く。

「失礼。言葉はしっかりと通じていますよ」

「良かった……」

「では改めて――“サーヴァント”、セイヴァー。“召喚”に応じ、参上した。問おう、貴女が私の“マスター”か?」

「は、はい! えっと……」

 反射的に返事をしてしまったといった様子を見せる少女に対し、思わず俺の頬が緩んでしまう。が、キッと強く結ぶ。

「“平民”? いや、にしては……」

「いや違うだろう、あの格好はどう見ても」

「おいおい“サモン・サーヴァント”でヒトが呼び出されるなんてないだろう? いや、“ゼロ”にしかできないことだろうにどうして彼女が……」

 周囲からは、眼前の少女と俺を交互に見やり困惑の声を上げる少年たち。周囲の少女たちもまた、声には出してはいないが、酷く困惑をしている様子だ。

「ミスタ・コルベール」

 少年少女たちが生み出していた人垣が割れ、そこから中年の男性が姿を現した。

 彼の服装や手にしているモノを見る。

 彼は、真っ黒なローブを纏い、大きな木の枝で作られた"杖"を持っている。

 この場にいる少年少女たちの様子からすると、彼は上の立場にいる存在――教師であろうことがわかる。

「えっと、その……コルベール先生……」

 戸惑い小さな声を出す少女に対し、コルベールと呼ばれた中年の男性はゆっくりとこちらへと歩み寄って来る。

 彼ら彼女らからすると得体の知れない相手がこの場に突然現れたということもあって警戒をしているのであろう。かなり慎重にこちらの様子を伺って来ていることがわかる。

 そして、彼――ミスタ・コルベール(以降コルベールと呼称)の歩き方、そして発せられている雰囲気。それらから少しの違和感を覚え、直ぐにその正体に気が付いた。

 ただ生きているだけでは身に付かないであろう歩法、そして発することができないであろう雰囲気と意思の強さ。相当に厳しい環境や状態などに置かれ、体験して来たであろう人物だということがわかる。

「失礼ですが、ミスタ。今、貴方は、“召喚に応じた”、とおっしゃいましたか?」

「ええ、確かに。彼女の呼ぶ声に応え、私は今ここにいます」

 コルベールからの質問に対し、できる限り落ち着いた雰囲気で、敵意などを抱かせないように返答する。

 コルベールとのやりとりを目にし、眼前の少女は安心をしたのかホッと息を吐きだし、そっと胸を撫で下ろした。

「2年生に進級する際に行われる“使い魔召喚の儀”……その“サモン・サーヴァント”をおこない、“使い魔”を“召喚”して“契約”することで、今後の“属性”を固定し、それにより専門課程へと進むはずなんだが……先ほどのミス・ヴァリエールといい、今年はどうなっているんだ?」

 ミス・ヴァリエール。

 ミスということからも女性であるとうことは直ぐにわかる。

 そして、ヴァリエールという名前。

 そのことや先ほどから出て来ている“サモン・サーヴァント” という言葉、ミスタ・コルベールと呼ばれた男性、周囲の彼ら彼女らの容姿から、今自分がいる場所――世界に対して強く確信を抱く。

 どうやら自分は、“サーヴァント”として“ゼロの使い魔”シリーズの世界へと“転生”することに成功したようである。

「ですが、貴方はその……」

「なにか?」

「服装からの判断で申し訳ないのですが、“貴族”――いや、それに等しい立場の――」

「あ、ああ………そういうことか……」

 コルベールからの恐る恐るといった具合の質問に、最初はどうしたのだろうと思ったが、直ぐに合点が行く。

 改めて自身の姿を、着用している服をチラリと見る。

 今俺が着ている服は、この世界のこの時代に於いてはかなり高価な、そして稀少な素材を使用して作られるモノなのである。それらで編まれたモノを今着用しているのだから。ここにいる少年少女たちやコルベールが着ている服よりも遥かに上質な素材でできているのが一目でわかるだろう。それも、この世界の文化や文明レベル的には“貴族”や“王族”でさえも着ることができないであろうほどの上質のモノを、だ。

 もう少し正確に言うのであれば、|“貴族”や“王族”が着ているだろう服に使用されているモノよりも明らかに良い材質《見たこともないが、上質であろう素材》を使用して作られた服装であるということが一目で判る。

 そういったことからも、どこかの指導者や“王族”など、またはそれ以上の立場に就いているとそう判断したのであろう。

「なに、気にする必要はない。先ほども言ったが、私は彼女の求める声に応えただけ……“召喚”に応じたのだから」

「で、では――ミス・エルディー。“儀式”の続きを」

「は、はい……」

 コルベールの緊張した様子に影響を受けてしまったのか、眼前の少女――ミス・エルディーもまた強い緊張感を覚えている様子だ。

「わ、我が名はシオン・アフェット・エルディー……“5つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ”……そ、その……失礼、します!」

 上ずった声を出しながらも途切れさせることなく、聞き覚えのある“呪文”を彼女は唱え始めた。

 手にしている“杖”を俺の額へと向け、恐る恐るといった具合に軽く、コツンと当てる。

 そして、ゆっくりと唇を近付けて来た。

 だが、その唇は直ぐに俺の唇に当たることはなく、途中で止まっている。そして、彼女はプルプルと身体を震わせている。

「そんなに緊張する必要はない。肩の力を抜いて……深呼吸を」

「は、はい……」

 俺の言葉に対し、シオン・アフェット・エルディー(以降シオンと呼称)は深く息を吸い吐き出す。

 そして彼女は再び、俺の唇へと自身の唇を付け、重ねられる。

 柔らかい唇の感触が感じられ、それと同時にふと生前の国で聞いたことのある知識――キスはレモンの味ということを思い出す。

(まあそんな味、必ずする訳ではないがな)

 口づけをしているが、そんな時でもシオンがまだ緊張をしているということがわかる――伝わってくる。

 彼女のファーストキスを奪う――生前からの時間も含めて俺自身のファーストキスを奪われてしまったことに対し、少なからず俺もまた同様にショックを受ける が、今それをより強く感じているのは少女――眼の前の少女(シオン)の方だろう。

 俺は、彼女の小さな身体と小さな唇へと軽く触れるのと同時に、童貞であるということが理由ないし原因か、即座に離れるべきか少し深くするべきか悩んでしまう。

 が、そうしていると、どうやらキス――必要な工程は終了したのか彼女の唇は離れて行く。

「大丈夫かな?」

 顔を真赤にして照れている彼女に対し、俺は平静を装いながら質問をする。

「だ、大丈夫れす……」

 当然、大丈夫だと返して来るのだが、その様子――言動からは平時のそれではないだろうことは力を使わずともわかる。

「流石ミス・エルディーだ。“サモン・サーヴァント”も“コントラクト・サーヴァント”も1度で成功させてしまうとは」

 コルベールは自身のことであるかのように、とても嬉しそうにしている。

「ま、“ゼロ”とは違うし当然だな」

 などと外野からの言葉が聞こえて来るが、その“ゼロ”と呼ばれている人物――“ゼロのルイズ”――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだろう少女は顔を俯向かせ、悔しそうに身体を小さく震わせているのが遠目に見える。

 そして、その足元にはふてくされれているような様子を見せ、座っている平賀才人だろう少年がいるのも見える。

 彼女と彼の姿を目にし、彼女が“ゼロの使い魔”シリーズのヒロインであるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール(以降ルイズと呼称)だということを、そして彼が平賀才人(以降才人と呼称)だという事を確信する。

「“ゼロ”は、相手がただの“平民”だから“契約” できたんだよ」

「そいつが高位の“幻獣” だったら、“契約”なんてできないって」

 何人かの生徒が嘲笑いながら、桃色がかったブロンドの髪をした少女――ルイズと才人へと視線を向ける。

 そんな生徒たちに対し、ブロンドの少女はキッと強く睨み返し、反論をする。

「馬鹿にしないで! わたしだってたまには上手く行くわよ!」

「ホントにたまによね。“ゼロのルイズ”」

 巻き髪とそばかすが特徴な魅力的な少女は、そんなルイズを嘲笑う。

「ミスタ・コルベール! 洪水のモンモランシーがわたしを侮辱しました!」

「誰が洪水ですって!? 私は“香水のモンモランシー” よ!」

「あんた小さい頃、洪水みたいなオネショしたって話じゃない。洪水の方がお似合いよ!」

「よくも言ってくれたわね! “ゼロのルイズ” ! “ゼロ” のくせになによ!」

 売り言葉に買い言葉といった具合に、互いに強く睨み付け鋭い刃物のような言葉を口にして行く少女たち。

 モンモランシーと呼ばれた少女は恐らく、最初こそ単にうるさいと言うだけのつもりだったであろうが、タイミングや言葉選びなどを色々と間違えてしまったのだろう。

 だがそれ以上に、俺はそれよりも前の幾人かの生徒たちがルイズへと向けた言葉と視線が気になった。いや、気に喰わなかったと言うべきだろうか。

 あれは明らかに見下したモノ、相手を馬鹿にしたモノだということは自明の理であろう。

「こらこら。“貴族”はお互いを尊重し合うモノだ」

 コルベールはそんな言い争いをする2人の少女の仲介に入ろうとする。

 少女たちよりも経験していることが多く濃いということもあって、その言葉にはかなりのモノが込められているだろう。

 そうしていると、身体の底から少しばかり熱を感じ始める。呻き叫ぶほどの熱や痛みではないが、それでも少しは気になる程度だ。

 その熱と痛みは身体全体に広がっており、自身の身体に“使い魔”の“ルーン”が刻まれているだろうことがわかる。

「失礼ながらルーンの確認をさせて頂きたいのですが、どの辺りに熱を感じましたか?」

「全体だ」

 コルベールからの質問に対し、俺は答え、臆面もなく上半身の服を脱ぐ。

 周囲の少女たちからは黄色い悲鳴が飛び、少年たちからは羨望の眼差しが向けられて来ているのが判る。

 そして、眼の前のシオン・アフェット・エルディーはまたも顔を真赤にし、両手で顔を隠す。が、指の隙間からチラチラとこちらの様子を伺うかのようにして覗き込んで来ているのがわかる。

「これは凄い……」

 俺の身体に刻まれている“使い魔”の“ルーン”を目にし、コルベールはありきたりな驚嘆の言葉を口にする。

 コルベールはそんな言葉を口にしながら、手にしているノートにペンで模様を見ながら書き記している。

 俺の身体全体に刻まれた“使い魔”の“ルーン”は、赤い模様であり、幾何学模様を描いているらしい。

 意識を体内と精神に向けて確認をするが、この世界に呼び出された直後と比べても特にこれといった変化は見当たらない。

「痛ッ、なに、これ……?」

 そうしていると、シオンの左手の甲に、赤い模様が現れ始めた。

 だが直ぐに発生する際に出る痛みもなくなったのか、浮かべる表情は困惑のそれになる。

「ほほう、これもまた変わった」

「あの、これは一体……?」

 ミスタ・コルベールは興味津々といった風であり、対するシオンはひどく困惑し、戸惑っている。

「“令呪”だ」

「――え?」

「詳しいことはまた後で話したいと思う。それよりも」

 俺の呟きに対して訊き返すシオンとコルベール。

「ああ、すまない。じゃあ皆教室に戻るぞ」

 皆からの無言の催促に気付いたコルベールは、名残惜しそうに踵を返し、“フライ”の“魔法”を使用したのかフワリといった風に宙に浮かぶ。

 才人は、その光景を目にして口を大きくあんぐりと開け、その様子を見詰めている。

 科学が世の理であり、常識であった世界から来た彼からすると、今眼の前で起きているそれはまさしくファンタジーのモノだろう。

 種や仕掛けなど当然ありはするのだが、ワイヤー等を使用しての浮遊ではないということをしっかりと理解してしまったのだろう才人は言葉も出せないでいる様子を見せている。

 そうして、コルベールに続いて他の生徒たちも宙へと浮かぶ。

 コルベールや宙に浮かんでいる生徒たちは、先ほど確認した石造りの城へと向かい飛んで行く。

「ルイズ、お前は歩いて来いよ!」

「こいつ“フライ”は疎か、“レビテーション”さえまともにできないんだぜ」

「その“平民”、あんたの“使い魔”にお似合いよ!」

 口々にルイズへとそう言って嘲笑いながら飛んでいく生徒たち。

 後に残されたのは、“ゼロのルイズ”と呼ばれた小さくも気が強い少女、呼び出され突然法則や常識の違いに戸惑うだけの少年、そして俺と俺を喚んだ少女だけになった。

 そうしてルイズは大きく溜息を吐き、我慢の限界が来たといった風に才人の方へと向いて大声で怒鳴った。

「あんた、なんなのよ!?」

 そんな少女に対して少年の方もまた怒りで大声を上げ、対抗する。

「お前こそなんなんだ!? ここはどこだ!? お前たちはなんなんだ!? なんで飛ぶ!? 俺の体になにをした!?」

「ったく、どこの田舎から来たか知らないけど、説明して上げる」

「田舎? 田舎はここだろうが! “東京”はこんなド田舎じゃねえぞ!」

「トーキョー? なにそれ? どこの国?」

「“日本”」

「なにそれ。そんな国、聞いたことない」

「ふざけんな! ちゅうかなんであいつら飛んでんの? お前も見ただろ? 飛んだよ! あの人たち!」

 大きく動揺し、不安や疑問を口にすることしかできないでいる才人。

 しかし、ルイズはというと当然全く動じていない。

「そりゃ飛ぶわよ。“メイジ”が飛ばなくてどうすんの」

「“メイジ”? いったいここはどこだ!?」

 などなど我慢できなくなったのだろう、才人はルイズの肩を掴み怒鳴ってしまう。

「“トリステイン”よ! そしてここは斯の有名な“トリステイン魔法学院”!」

「“魔法学院”……?」

 ルイズからのやや雑な、そして乱暴な口調での説明を耳にし、理解はできたが、それでもやはりにわかには信じられないといった様子を見せる才人。

「私は2年生のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。今日からあんたのご主人さまよ。覚えておきなさい!」

 ようやく理解と実感を一緒に覚えられたのだろう、少年の身体から力が抜けたのかヘナヘナと座り込んでしまう。

「あの……ルイズさんよ」

「なによ」

「ホントに、俺、“召喚”されたの?」

「そう言ってるじゃない。何度も。口が酸っぱくなるほど。もう、諦めなさい。わたしも諦めるから。はぁ、なんでわたしの“使い魔”、こんな冴えない生き物なのかしら……? もっと格好良いのが良かったのに。“ドラゴン”とか、“グリフォン”とか、“マンティコア”とか。せめてワシとかフクロウとか」

「“ドラゴン”とか、“グリフォン”とかって、どういうこと?」

「いや、それが“使い魔”だったら良いなぁって。そういうことよ」

「そんなのホントにいるのかよ!?」

「いるわよ。なんで?」

「……嘘だろ?」

 どうやら少しは落ち着いたのだろう少女と少年は、まだ言葉に棘はあるモノのどうにか会話をすることができている。

 ファンタジーな世界に来てしまったということを理解はしただろうが、それでもやはり夢見心地なのか、才人は“ドラゴン”や“グリフォン”などの存在を信じられずにいる様子である。

「まあ、あんたは見たことないかもしんないけど」

 呆れた声で、ルイズは言った。

 当然彼女からすると冗談ではなく、当然のこと――常識である。

「飛ぶからもしや……と思ったんだけど。マジでお前ら“魔法使い”?」

「そうよ。わかったら、肩に置いた手を離しなさい! 本来なら、あんたなんか口が利ける身分じゃないんだからね!」

 どうにか立ち上がり、ルイズへと弱々しく質問を投げかける才人。

 だが、1度立ち上がりはしたが、彼は直ぐにヘナヘナと地面に膝を付いてしまう。

 そんな少女と少年の様子を見て、俺、そして俺を喚んだ少女――シオンは温かい目になってしまう。

「ルイズ」

「呼び捨てにしないで」

「殴ってくれ」

「――え?」

 才人からの突然な頼み事に対し、ルイズとシオンは鳩が豆鉄砲を食らったような反応を見せる。

 先の展開を既に識っている――理解している俺ではあるが、それでも少しばかり彼女たちと同様に面食らってしまった。

「思いっ切り、俺の頭を殴ってくれ」

「なんで?」

「そろそろ夢から覚めたい。夢から覚めて、“インターネット”するんだ。今日の夕飯は“ハンバーグ”だ。今朝、母さんが言ってた」

 周囲の反応に気付いていないのか、才人は現実逃避を始めてしまう。

 あまりにも自身の常識から外れた出来事や情報に対し、才人の脳はパンクでもしてしまったかもしれない。

「いんたーねっと?」

「いや、良い。お前は所詮、俺の夢の住人なんだから。気にしなくて良い。とにかく俺を夢から覚めさせてくれ」

 気になっただろう単語をオウム返しで訊き返すルイズだが、そんな彼女の言動に対してもどこ吹く風で、才人は話を続ける。

「なんだか良くわからないけど、殴れば良いのね?」

 そんな才人の頼みを受けて、ルイズはそう確認して小さな握り拳を作り出した。

 他者を殴ることに対しての恐怖や不安、そして眼の前で話続けている彼に対する怒りなどからなのか、その小さな手はワナワナと震えている。

「お願いします」

 そして、才人からの言葉を受けて、ルイズは握り締めたその拳を振り上げる。

「……なんであんたはのこのこ“召喚”されたの?」

「知るか」

「このヴァリエール家の三女が……由緒正しき旧い家柄を誇る“貴族”のわたしが、なんであんたみたいなのを“使い魔”にしなくちゃなんないの?」

「知るか」

 拳を振り下ろすことなく、ルイズは沸々と湧き上がる怒りなどの負の感情と共に感じているだろう疑問を口にする。

 が、対する才人はというと素知らぬ顔で応える。いや、当然知る訳がないので仕方がないのだが。

「ル、ルイズ。その辺りで、ね?」

 不味いと感じたのだろうシオンは、ルイズへと落ち着くように声をかけた。

 が、効果はない様子である。

「……“契約”の方法が、キスなんて誰が決めたの?」

 そして、そのルイズの口から出た言葉に、シオンは先ほどのそれを思い出してしまったのか、また顔をゆでダコのように真っ赤にする。

「知るか。良いから早くしろ。俺は悪夢は嫌いだ」

「悪夢? こっちの台詞よ!」

「君たち、そろそろやめたま――」

 これ以上はと思い、俺は中断するようにと声をかけたが、既に遅かったのか。ルイズはついに怒りを爆発させ、才人の頭を思い切り強くぶん殴った。

 そんな彼女の手の甲にある赤い痣がチラリと見える。

「――ファーストキスだったんだからね!」

 少しばかり威力があったのであろう、平賀才人は怒りに肩を震わせている少女に殴られ気を失ってしまう。

 そんなファーストキスから始まった2人の恋のヒストリーを、俺は特等席から観ることができるということに口元を思わず緩ませてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では改めて自己紹介を。“サーヴァント”、セイヴァーだ。よろしく頼むよ、“マスター”」

「うん、よろしくね。えっと、私はシオン・アフェット・エルディーって言うの。シオンで良いよ。セイ、ヴァーで良い、のかな?」

「ああ、それで構わない」

「えっと訊きたいことがあるんだけれど……」

「なんなりと」

「昼の“使い魔召喚の儀”の時、“令呪”って言ってたけど……」

「そうだな。“令呪”というのはいわゆる“サーヴァントへの絶対命令権”だ。3回限りのだがな。君の場合だと、左手の甲に赤い痣があるだろう? それが“令呪”だ」

「これが……」

「使用するのには意識を強く向けるだとか、個人差はあるが……基本的には、1回使うごとにその痣を構成する3つのうち1つが消え、形が変わる。君自身の身体能力強化や魔法の使用時のブースト等に使用もできるだろう。まあ、3回分しかないから使い所は慎重に考え、見極めるべきだがね。まあ、君であれば絶対服従などといった命令に使うことはないだろうが……」

 夜。

 正確な時間を知ろうと思えば知ことができるが、そういった気にはなれず、曖昧で大雑把な時間の感覚を楽しんでいる。

 そして、昼頃に俺を“召喚”したことで“マスター”となったシオンの部屋におり、そこで改めての自己紹介と簡単な質疑応答といったコミュニケーションを取っているところである。

 彼女は、俺の回答を聴いて自身の左手にある“令呪”へと目を向けている。

「えっと、まだいくつか訊きたいことがあるけど」

「ああ構わない。君の疑問が解消され、晴れるのであればなにも問題はない」

「それじゃあ、その……“サーヴァント”って、なに?」

「そうだな。簡単に言えば、“過去に存在した英雄たちが霊となった英霊を使い魔という枠へと無理矢理に落とし込み、人が使役できるようにしたモノ”っていったところか……」

「えっ!? それじゃあ、セイヴァーはどこかの“英雄”? でも、過去って言ったし……まさか、幽霊!?」

「ハハッ、原則にのっとった“サーヴァント”であればそうだろうな。だが、俺は違う」

 大袈裟とは言えないが、それでも大きなリアクションを取ってくれるシオンに対し、俺の頬が少し緩んだ。

「まず俺は“転生者”という存在だ」

「“転生者”?」

「“輪廻転生”と言ってな。色々と省いて大雑把に説明するが、死ぬと次の段階に入り、また別の人生を歩むために生まれ変わる――新しい命を貰い、誕生するんだ」

「……“輪廻転生”」

「そう。だが、本来の“輪廻転生”とは違い、俺は“神様転生”というモノを行っている。伝説や伝承、想像上の道具や能力を貰い、死ぬまでに生きていた世界とはまた“違う世界へと転生をする者”。簡単に言えばだが、それが“転生者”だ」

 やはり厳密には違うだろう。

 だが、できる限り噛み砕き、できる限りやさしく説明をするとするならば、このような感じで良いだろうか。

「“転生者”のことはわかったわ。でも――」

「――わかっている。“サーヴァント”についての説明だったな。まず、例外のないルールなどという存在などないということを理解しておいて欲しい。俺の場合その例外の1つ――1人で、強い“サーヴァント”になるという特殊な力や道具を貰って“転生”したんだ」

「そして、私に“召喚”された、と」

「そうだ。理解が速くて助かる」

 俺の雑な説明を聴きながらも、それをしっかりとシオンが理解したということに驚きを感じ素直に賞賛の言葉を送る。

 すると、シオンは笑顔を浮かべる。

 幼い顔立ちをした少女であるということもあるだろうが、整った顔立ちなどの容姿で笑顔を浮かべるということもあって、その破壊力は凄まじいモノがある。

「“サーヴァント”って基本的には過去の“英雄”なんだよね? それじゃあ、やっぱり幽霊……身体はどうなってるの?」

「そうだな……“エーテル”でできた仮初の身体を持っていると言っても上手く理解できないだろうな。ふむ……前提として理解し覚えておいて欲しいのだが、この世界、俺の元いた世界もそうだが、世界はとても小さな粒――素粒子というモノ、またはそれよりも小さな粒で構成されている」

「うんうん、それで?」

「その素粒子が集まり引っ付き、陽子や電子などといったモノになり、そして原子や分子といったモノになる。そして、それらが更に集まり、複雑に引っ付き相互作用して細胞というモノになり、またその細胞が更にいくつも集まり、君たち人を始めとした生き物を生き物たらしめているんだ」

「うーん、なんだかとても難しい話ね。それに、なにかわからないモノがいくつも集まって私という存在があるなんてにわかには信じられないし、信じることができたとしても少し気持ちが悪いわ」

「そうだろうな。まあ、話を続けるぞ。ヒトの場合は、その細胞を構成するのはいくつもの種類と数の分子だが、“サーヴァント”の場合は“エーテル”という”魔力”――素粒子の1つとでも想って欲しい。それらがいくつも集まり、緻密に精密に、複雑に引っ付き相互作用を起こすことで、私たち“サーヴァント”の身体は構成されているんだ」

 できる得る限り、簡単な説明を。

 そう努力をしているが、そうそう簡単なことではないだろう。

 上手くできているという確信はあり、理解はしているのだが、それでも不安を覚えずにはいられない。

「そして、私たち“サーヴァント”の肉体は2種類に分けることができて、今のこの状態である血肉を備えた状態の実体。そして、不可視かつ物理的に縛られず影響を受けることがない“霊体”の2つがあるんだ」

「実体、ね。私たちの身体となにも変わらないと思うんだけどなぁ……“霊体”はどんな感じなの?」

『これがそうだ』

 俺の身体へと指でツンツンと突いて来るシオンは、やはり信じられないといった様子を見せている。

 そして、俺はそんな彼女の質問に対して、実際に“霊体”になる――“霊体化”することで実証し、見せてみせる。

「どこにいるの? と言うか、頭に……」

『これが“霊体”だ。そして今こうしているのは、頭に直接語りかける技術――思念通話とでも言ったところか。もちろん、これは実体を持っている時にもできるし、貴方にもできますよ』

「そ、そうかな……」

 できるという確信はありはしたのだが、それでも実際にして見せて確認するのとでは大きな違いがそこにはある。

 自分でも少しばかり驚いたが、直ぐに平時と変わらない感情や気分になる。

 そして、俺の思念による通話に対し、シオンは困惑している。が、ただ困惑しているのではなく、“魔法”を使用するのと同じように、使用しようとしているのがわかる。

『こ、こんな感じかな……?』

『そうです。呑み込みが速いですね』

『えへへ』

 俺からの素直な賞賛に対し、やはり嬉しそうな言動を取るシオン。

 俺は再び実体へと戻り、彼女へと向き直る。

「あなたのこと、もっと知りたいな」

「わかりました。ですが、時間も遅い。夜更かしは美容の大敵などと言いますし、そろそろ就寝するべきだと私は思います」

「そうね。なんだか眠くなって来たし、そろそろ寝ます。でも、あなたは?」

「お気遣いありがとうございます。ですが、お気になさらず。“霊体”になれば良いだけですから」

「……なるほど」

 部屋の中にあるベッドは1つだけであり、彼女はどのようにして就寝するのか悩んでしまったのであろう。

 だが、“サーヴァント”には“霊体化”というかなり便利な能力や技術がある。

 それを使用すればまったく問題はないだろう。

「では睡眠前に1つ。改めて」

「なにかしら? セイヴァー」

「“サーヴァント”、セイヴァー。“召喚に応じ、参上した。これよりこの剣は貴女と共にあり、貴女の運命は私と共にある。ここに契約は完了した”。これからよろしく頼む、“マスター”。シオン」

「ええ。よろしくね、セイヴァー」

 台詞の順番は間違っているかもしれないが、それでも言いたいこと、やってみたいことはできたということに満足する。

 するとしないでは、モチベーションにかなりの差が出るのだから。

「おやすみなさい、セイヴァー」

「ええ。お休みなさい、シオン。よき夢を」

 夜空には2つの月が浮かび上がっており、その月から優しい光が“トリステイン魔法学院”を照らしている。

 寝息を立て始めたシオンを前に、俺は“霊体化”した。

 



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ゼロ

 シオンが寝息を立てぐっすりと睡眠を始めて少し。

 彼女へと目を向け、少しばかり思考の海を泳ぐ。

(彼女は“原作”である“ゼロの使い魔”には出て来なかった、いや、いたのかもしれないが、それでも表には出て来なかったのは確かだ。これは、やはり俺がこの世界に“転生”したことによる影響か……)

 “神様転生”をしたことによる影響やバタフライエフェクトなどが原因と否定することはできないだろう。俺が原因となって彼女が生まれたか、それとも表舞台に出ることはなかったはずが出る羽目になってしまったのか。

 だが、前世での知識では、そういったキャラクターの設定すらなかった。

 いや、そもそもの話、ここは“ゼロの使い魔”がベースとなっているだけの別の世界であるのだ。

 そうすると、|過去や未来の出来事で変化が起きているモノがあるかもしれない《俺の知らない展開があるかもしれない》、と考えることができるだろう。

 目を閉じ、意識を遠くへと飛ばす。

 今この時間の世界全体を、そして時間を超え過去や未来へと。

 目を閉じているにも関わらず、開いているのと同じように景色らしきモノが次々と目粉るしく変化して行く。ビデオなどを早送りをしているように、だ。

(まあ、今のところは特にこれといった変化はなし、か……)

 少しばかり安堵し、息を吐き出す。

 未来とは不安定なモノであり、いつどんな理由や要因、原因などで分岐し変化してもなにも可怪しくはない……ただそれでも、この世界は"剪定"される(未来がない)ということに変わりはないのだが。

 気持ちを切り替え、俺は身体を“霊体化”させた後、シオンの部屋から出て周囲を散策する。

「……月が2つ。本当に“転生”することに成功したようだな……そして、“地球”とは違う星、世界……ありえないコト、ではないな……」

 先ほどからずっと“神様転生”をしたということを理解はしてはいたが、それでも実感を覚えてはいなかった。

 “魔法”で生徒たちが浮かび上がり飛んでいたのを目にしてもまだ、だ。

 だが、眼の前――真っ黒な空に浮かぶ2つの月を目にして……流れる風や空気、“魔力”などを感じ取ることでようやく実感を抱く。

(これでは、才人を笑えないな。にしても、あいつもかなり動揺しているだろうな……)

 あらかじめ知識として知っており覚悟をしていた自分とは違い、彼はいきなり拉致同然に連れ出され異世界――“ハルケギニア”へと“召喚”されてしまったのだから。

「さて――」

 “霊体化”を解き、実体へと変化させる。

 大地に脚を着け、踏み締める。

 土の柔らかな感触、草木の青々とした匂いなどを感じ取ることができる。

 気持ちを切り替え、先にするべきことを熟すために周囲へと感覚を広げて行く。

 流れる"魔力"の奔流、とまでは行かなくとも流出している箇所を探し出す。

 目で見ることは難しいそれを感じ取り、俺はそのいくつかある場所の1つへとユックリとした足取りで向かう。

 そんな場所や“魔力”へと少しばかり干渉――自身の“魔力”を注ぎ込み方向性や指向性などを与える。

「まあ、こんなところか……――!」

 後ろから近付いて来る“魔力”を感じ取る。

 その“魔力”はここに存在する他の“魔力”のうち、その上位に喰い込むほどに澄み強いモノだと感じられる。

 だが俺は後を振り返ることはせず、静かに接近して来る存在へと意識を向け、言葉をかける。

「“韻竜”……イルククゥ、か……」

「どうして貴方のような方が人間の側に……力を貸しているのね?」

「なぜ、と問いますか。そうですね……元々ヒトだったから。そしてなにより頑張っている誰かの応援や後押しをしてやりたい、と思っているからといった理由かな」

「…………」

「不服、不満かな?」

「…………」

 “韻竜”は高い知性を持っている“ドラゴン”とされている。人語を操るといったところから見ても、それを理解することは簡単であろう。

 そして、“韻竜”に関して、人間たちの間では、彼女ら“韻竜”は絶滅した、と思われている。

 先の、高い知性を持つといったところからだろうか。ヒトを見下している“韻竜”が多いと感じられる。

 ゆえに、だろうか。“なぜヒトに力を貸すのか”という質問、俺の返答に対するその様子からもあまり好ましい感情を抱いてはいない様子に見えた。

「そのうち、お前もまた理解できるだろう……自身を“召喚”した者がどういった存在かを……そして――」

 “原作”である“ゼロの使い魔”のいくつかのシーンを思い出す。

 そして、そこで笑顔を見せる彼と彼女、そして彼女たち。

「ではな、イルククゥ。また朝にでも」

 俺はそう言葉を口にして、自身の身体を"霊体化"させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お早うマスター、実によい朝だぞ」

 窓のカーテンを開き、朝の陽の光を部屋の中へと招き入れ、シオンへと言葉をかける。

「ううん……お早う、セイヴァー……」

 寝惚け眼をこすり、ユックリと身を起こすシオン。

 寝起きということもあって、今の彼女はとても無防備な状態であると言えるだろう。

 そう。今彼女は、薄い寝間着を着用し、そしてその服も纏っているだけと言ってもいい状態である。

 鎖骨をはじめ色々と見え、一定層のニッチな人物たちの目を釘付けにするであろう状態の彼女に対して、俺は後を向きながら口を開く。

「まずは着替えると良い。だが、すまないが自分の力で着替えて欲しい」

「……どうして?」

「そうだな。下僕や“使い魔”という点を差し引いてもだが、男性が女性の身体に触れるということには少し敏感になるべきだと思うが、どうだろうか?」

「そう……かもしれないわね。でもそれって、貴男がいた世界での常識的なモノ?」

「そうだ。いえ、そうです」

「言葉遣いなんてそんなに気にしなくても良いよ、セイヴァー」

 自身が生きていた前世での世界。そこで中途半端に植え付けられた――学んだ良識や常識といったモノからの自身の考えを簡単に述べて行く。

 だがハタと途中で口を閉じ、口調を改める。

 すると、シオンはそれに対して小さく、そして可愛らしく笑うのであった。

 そう笑いながら彼女は慣れた様子で服を着替えて行くのがわかる。

「準備できたよ。じゃあ行こうか、セイヴァー」

「ああ。ところで、どこに行くんだい?」

 今から行く場所なんていうモノは推測や予想、そして理解することなどは簡単にできてしまう。が、敢えて俺は彼女へと質問を投げかける。

「食堂だよ、セイヴァー」

 

 

 

 シオンと共に部屋から出ると、まず最初に目に入って来るのは、同種の樹木を加工して作ったモノであろう壁。そして先ほどまでいた部屋の横の方へと目を向けると、同様に壁といくつかのドア。

 そしてそんな部屋のドアの1つ、その前で2人の少女が会話をし、その横に1人の少年がいる。

 1人は昨日少しばかり会話もした少女。ルイズ。“原作(ゼロの使い魔)”の主人公兼メインヒロインであるルイズだ。

 1人は、燃えるような赤い長髪を持つ少女。恐らくはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー(以降キュルケと呼称)であろう。彼女は、ルイズよりも背が高く、才人と同じ程度だろうか。褐色の肌、出るところは出ており、健康そうでプリミティブな色気を振り撒いている様子からも、男性の目を強く惹くだろうことは一目でわかる。

「貴女の“使い魔”って、それ?」

「……そうよ」

「あっはっは! ホントに人間なのね! すごいじゃない!」

 キュルケからの質問に対し、ルイズはうんざりとした様子で答え、それに対して質問を投げかけた当の彼女はとても愉快そうに笑う。

 そして、才人はそんな彼女たちを横で、(人間で悪かったな。そういうお前はなんだ? ただのおっぱい星人じゃないか。おおお、おっぱい星人じゃないか)といった具合にとても切なそうな様子で立っているのが見える。また、一部分を注視していることが遠目でもすぐにわかった。その表情は男性のそれとしては仕方がないモノとはいえ、それでもフォローの仕様のないほどである。

「“サモン・サーヴァント”で“平民”を喚んじゃうなんて、貴女らしいわ。流石は“ゼロのルイズ” 」

 ルイズの白い頬に、サッと朱が差した。

「うるさいわね。でも、その考えはどうなのかしら? “平民”ではないけれど、人間を喚んだのはわたしだけじゃないわ。シオンも喚んだのよ」

「そう言えばそう、ね……」

 だがそこで直ぐにルイズは反撃といった具合に反論を口にし、キュルケは少し圧倒されたのか、たじろいだ。

「噂をすれば、と言ったところかしら。お早う、シオン」

「ええ。お早う、キュルケ」

 キュルケがこちらに気付いたのか、シオンと俺の方へと目を向け、挨拶をして来る。

 そんな朝の挨拶に対してシオンはお淑やかに返す。

「お早う、ルイズ」

「お早う、シオン」

 少しばかり不機嫌そうだったルイズは、シオンを目にして挨拶を返す。そして、気が紛れたのだろうか、表情が柔らかいモノになる。いや、2人のその様子から気を許すことができる間柄だろう(とても仲が良い)ということがわかる。

 ルイズは、シオンへと挨拶を済ませた後、少しばかり申し訳なさそうな様子を見せた。

「そちらは、シオンが喚んだ“使い魔”?」

「ええ」

 キュルケからの確認の質問に、シオンは首肯く。

「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ、キュルケで良いわ」

「セイヴァー、だ。よろしく頼む。君たちのことはどう呼べば良いのかな?」

「セイヴァー……変わったお名前ですわね。私のことはキュルケで構いませんわ」

「ルイズ、で構いませんわ」

「平賀、才人――ッ痛ぅ~」

 俺からの質問に対し、キュルケとルイズはお淑やかに、そして柔らかく返事をする。

 そして、才人もまた同様に返事をするのだが、ルイズから小突かれてしまった。

「話を戻すけど、あたしも昨日“使い魔”を“召喚”したのよ。誰かさんと違って、一発で“呪文”成功よ」

「あっそ」

「どうせ“使い魔”にするなら、こういうのがいいわよねぇ~。フレイム!」

 キュルケはルイズに対して挑発するように話すが、ルイズは外方を向く。

 それに対して追い打ちをかけ、更に追い込むようにキュルケは自身の“使い魔”を勝ち誇った声で呼んだ。

 すると、キュルケの部屋だろう場所のドアからのっそりと、虎程度の大きさをした真っ赤なトカゲが現れた。

 この場にいる全員に対し、ムンとした熱気が襲いかかって来る。

「うわぁ! 真っ赤ななにか!」

 それに対して、才人は驚いたのだろう大きな声を上げ、慌てて後ずさった。彼にとってここは異世界であり、出て来るモノはゲームのモンスターを始めとしたファンタジー要素の強いモノばかりであろうことからも、仕方がないだろうと思える。

 そして、そんな才人を目にしてキュルケは笑う。

「おっほっほ! もしかして、貴男、この“火トカゲ”を見るのは初めて?」

「鎖に繋いどけよ! 危ないじゃなないか! って言うかなにこれ!?」

「平気よ。あたしが命令しない限り、襲ったりしないから。臆病ちゃんね」

 キュルケは手を顎に添え、色っぽく首を傾げる。

 “火トカゲ”の大きさは“地球”に現存する虎と同程度であり、尻尾が燃え盛る炎でできており、チロチロと口から迸る火炎が見える。

「側にいて、熱くないの?」

 才人は、改めて“火トカゲ”を見つめ、キュルケへと尋ね、彼女は事も無げに答える。

「あたしにとっては、涼しいくらいね」

「これって、“サラマンダー”?」

 ルイズは、“火トカゲ”を目にして悔しそうにキュルケに尋ねる。

「そうよー。“サラマンダー”よー。見て? ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんか点かないわよ?」

 そんな自信満々かつ自慢げなキュルケに対して、ルイズは「そりゃ良かったわね」といった風に苦々しい声で応える。

「素敵でしょ。あたしの“属性”ぴったり」

「あんた“火属性”だもんね」

「ええ。“微熱のキュルケ”ですもの。細やかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわ。貴女と違ってね?」

 挑発じみた、かつ得意げに話をして胸を張るキュルケに対して、ルイズもまた負けじと胸を張り返すのだが、哀しいことにボリュームが違い過ぎる。

 それでもと、ルイズはグッとキュルケを睨み付ける。

 そんな様子からも、彼女はかなりの負けず嫌いであるということが一目でわかるだろう。

「あんたみたいにいちいち色気振り撒くほど、暇じゃないだけよ」

 そんなルイズに対して、キュルケはニッコリと笑顔を浮かべる。

 それは余裕を表した態度だろうか。

 そんな2人を見ていると、俺の足元へと“サラマンダー”――フレイムが近寄り、身体を擦り付けて来た。

 そうして、それに気付いた俺が視線を向けると、フレイムはチロチロと下を出しながら俺へと瞑らな瞳を向けて来る。次いで、フレイムはお腹を見せるように、引っ繰り返った。

 そんなフレイムの身体を撫でてやると、フレイムは気持ち好さそうに目を細め、チロチロと舌を出し入れするのである。

「フレイムが、懐いてる……?」

「あははは……」

 懐いていると言うより服従した様子であるそれに対してキュルケは驚きを隠せないでいる様子を見せた。それから、自身よりもフレイムにそんな行動を取らせた俺へと興味深そうに視線を向けて来た。

 俺は気にせず、フレイムを撫で続ける。

 そして、シオンはそれを目にして苦笑いを浮かべる。

「そう言えば、貴男のお名前、ヒラガサイトだったかしら?」

 取り敢えずと気持ちを切り替え、話題を変えるようにして才人へと目を向け、キュルケは確認の質問を投げた。

「あ、ええっと。平賀才人だ」

「ヘンな名前」

 それに対して才人は戸惑いながら答えるが、質問を投げたキュルケはというとやはり見下した様子を見せる。

 この時代の、“平民”に対して見せる“貴族”の態度としてはごく当たり前のモノなのであろうが、俺は少し嫌な感情を抱いた。

 だがそれ以上に、この先の出来事で才人へと好感を抱くことになるだろうこと、そしてその更に先のこともあって愉しみでもある。

「やかまし」

「じゃあ、お先に失礼」

 そう言うと、炎のような赤髪を掻き上げ、颯爽とキュルケは去って行く。

 ちょこちょこと可愛らしい動きをしながら、フレイムはその後を追いかけた。

 そうしてキュルケがいなくなると、我慢していたのだろうルイズは強く握り拳を作り、感情を爆発させた。

「くやしー! なんなのあの女! 自分が“火竜山脈”の“サラマンダー”を“召喚”したからって! ああもう!」

「良いじゃねえかよ。“召喚”なんかなんだって」

「良くないわよ! “メイジの実力を測るには使い魔を見ろ”って言われているくらいよ! なんであのバカ女が“サラマンダー”で、わたしがあんたなのよ!」

「悪かったな。人間様で。でも、お前らだって人間じゃないかよ」

「“メイジ”と“平民”じゃ、狼と犬ほどの違いがあるのよ」

 そんなルイズを他所にして、才人はというとやはり良く理解することができていないのだろう、彼女の言葉を軽い口調で否定する。

 それに対してルイズは癇癪を起こすかのようにして返答し、才人もまたふてくされたかのような態度を取った。

「まあまあ、落ち着いて2人とも」

「そうだぞ。まずは才人、ここの世界について今はまだ知らないだろうから仕方ないとは言え、それでもその言葉は少しばかり、いや、駄目だな。“メイジ”にとって“使い魔”はとても大事なモノなんだ。そして、ルイズ。君も君だ。昨日の今日で直ぐにというのは難しいだろうけど、まだにここのことや“メイジ”のことなどについて少ししか説明していないんじゃないのか? 才人はまだ知らなことが多い様子だ」

「なんで会って1日ちょっとしか経ってない貴男に説教されなきゃならないのよ!」

「それは申し訳ない。口が過ぎた」

 2人を落ち着かせようとするシオンの言葉に次いで、俺もまた自身の意見を忌憚なく口にする。

 ルイズは少しばかり不機嫌な様子で返事をする。が、口調がキツいだけであり、彼女自身もまた理解しているのであろう。

「……はいはい。ところで、あいつ、“ゼロのルイズ”って言ってだけど、“ゼロ”ってなに? 苗字?」

「違うわよ! わたしの名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。“ゼロ”はただの渾名よ」

「渾名か。あいつが“微熱”ってのはなんとなく理解ったけど。お前はどうして“ゼロ”なの?」

「知らなくて良いことよ」

 才人はと言うと、聞き流しているようでありながらもちゃんと理解はしている様子である。

 そして才人は話題を変えるというよりも、思い出したようにしてルイズへと質問を投げかけた。

 少しの返事と質問を繰り返すといった風に問答をするのだが、ルイズはしっかりと答えるつもりはないように見える。

 この中で、彼女が“ゼロ”と呼ばれる理由を知っているのは、ルイズ本人とシオン、そして俺だけである。

 それの由来、原因や理由など、そしてこれからどういった意味で呼ばれるようになるのかを理解しているからこそ、俺は少しばかり笑みを浮かべそうになった。

 そうして問答を繰り返している中で、ルイズはバツが悪そうに返事をした。

「胸?」

 そうして、才人はルイズの胸を見つめて言った。

 どうやってそういった結論へと辿り着いたのかは理解すること自体はできはするるのだが、それでもそれを口にするといったことに対して俺はやはり驚きを隠せない。

 経験はもちろんのこと、女性に対してのデリカシーがまだまだ足りていないのだろう。

「かわすな!」

「殴んな!」

 そんな才人に対して、ルイズは迷うことはせず平手を飛ばす。

 が、才人はそれを躱してみせた。

 

 

 

 そうこうしながらも俺たちは一緒に移動し、“トリステイン魔法学院”唯一の食堂へと移動する。

 食堂は、学園の敷地内で一番背の高い、真ん中の本塔の中にある。

 そして、食堂の中にはやたらと長いテーブルが3つほど並んでいるのが見える。100人は優に座れるであろう長さと数であり、食堂に避難をした場合はもっと沢山入ることができるであろう広さを誇っている。

 そうして、全てのテーブルには豪華な飾り付けがなされているのがわかる。

 2年生であるシオンとルイズたちのテーブルはというと、やはり真ん中であった。

 そうして少しばかり観察しているとわかることだが、どうやらマントの色は学年で決まっているようである。

 食堂の正面に向かって左隣のテーブルに並んだ、シオンやルイズと比べて少し大人びた感じの“メイジ”たちは、全員紫色のマントを着用している。おそらくは3年生だろう。

 右隣のテーブルの“メイジ”たちは、茶色のマントを身に着けており、おそらく1年生だろう。

 朝食、昼食、夕食と、生徒も先生も引っくるめた全員――学院の中にいる全ての“メイジ”たちは基本的にここで食事を摂るのである。

 1階の上にロフトの中階があり、そこで教師だろう“メイジ”たちが歓談に興じているのが見える。

 いくつもの蝋燭が立てられ、花が飾られ、フルーツが盛られた籠が乗っている。

 才人が食堂の豪華絢爛さに驚いて口がポカンと開けていることに気付いたのだろう、ルイズは得意げに指を立てながら簡単な説明をしてくれる。

 ルイズの鳶色の目が、悪戯っぽく輝いているように見える。

「“トリステイン魔法学院”で教えるのは、“魔法”だけじゃないのよ」

「はぁ……」

「“メイジ”はほぼ全員が“貴族”なの。“貴族は魔法をもってしてその精神と為す”のモットーの元、“貴族”たるべき教育を、存分に受けるのよ。だから食堂も、“貴族”の食卓に相応しいモノでなければならないのよ」

「……はぁ」

「理解った? ホントなら、セイヴァーはともかくとしてあんたみたいな“平民”はこの“アルヴィーズ食堂”には一生入れないのよ。感謝してよね」

 そんなルイズの説明に、才人は圧倒されていた様子は消え失せ、うんざりとした様子を見せ始める。「セイヴァーはともかく」という言葉に反応を返すこともできないほどに、だ。

 俺もまた、“原作”の知識や“聖杯”から与えられた知識は持ってはいるのだが、それでも少しばかり驚かざるをえないというのが本音である。

 昨夜に確認は済ませはしたが、実際に人が沢山入っているのを見るのと見ないのでは印象などはまったく違う。

「はぁ。“アルヴィーズ”ってなに?」

「小人の名前よ。周りに像がたくさん並んでいるでしょう?」

 才人の質問に、悪い気はしていないのであろう返答するルイズ。

 ルイズの言葉を聞いて、才人はその件の像に気付き、目を向ける。

 それらは壁際に並んでおり、精巧な造りをした彫像と言えるだろう。

「良く出来てるな。あれ、夜中に動いたりしないよな?」

「良く知ってるわね」

「動くのかよ!」

 そんな彫像を目にして、ポツリと呟いた才人のその疑問に対し、ルイズは事も無げに答えた。

 そして、そんなルイズの言葉に対して才人は驚いた。

 そうこう言いながら歩き、2年生のテーブルで空いている場所へと向かう。

「って言うか踊ってるわ。良いから、椅子を引いてちょうだい。気の利かない“使い魔”ね」

 到着したのと同時に、ルイズは腕を組みながら才人へと指示を出す。

 首をクイッと傾げると、桃色がかったブロンドの長い髪が揺れる。

「ではお嬢様、席へとどうぞ」

「ありがとう。でも、お嬢様はやめて、セイヴァー」

 俺はというと、ルイズの言葉を聞くと同時に思い出し、椅子を引いてシオンへと座るように促す。

 シオンは笑いながら否定をして来るが、そのまま椅子へと座り、自身の手で調節する。

 ルイズは礼を言うことはせずに腰かけ、才人もまた自分が座るための椅子を引き出して腰を下ろす。

「すげえ料理だな!」

 才人は大声を上げた。

 確かに才人の感想はもっともである。

 朝から豪華であり、大きな鳥のロースト、ワイン、マスの形をしたパイなどが並んでいるのだから。

「こんなに食べられないよ。俺! 参ったな! ええおい! お嬢様」

 そんな料理の数々を前にして感想を述べながらポンポンとルイズの肩を叩く才人だが、少ししてルイズがジッと睨んでいることに気付いたのだろう。動きが止まる。

「な、なにか?」

 ルイズの視線や無言に対し、才人は怪訝に思ったのだろう。質問を投げる。

 しかし、ルイズは才人を睨んだままの状態である。

「ああ、はしゃぎ過ぎだな、俺。“貴族”らしくないとな! “貴族”じゃないけどな!」

 どうにか反応を返して貰おうとする才人だが、そんな彼に対してルイズは床を指さした。

 そこには1枚の皿が置かれてある。

「皿があるね」

「あるわね」

「なにか貧しいモノが入ってるね」

 ただただ眼の前のそれに対する感想を述べる才人に対し、ルイズは頬杖を突いて言った。

「あのね? ホントは“使い魔”は、外。あんたはわたしの特別な計らいで、床」

 才人はボケっと床に座り込み、眼の前に置かれている皿を見詰めた。

 そこには申し訳程度に小さな肉の欠片が浮いたスープあり、肉片が揺れている。皿の隅っこに硬そうなパンが2切れ、ポツンと置いてあるだけの質素なモノだ。

 そうして、才人はテーブルの上を、首を伸ばして覗き込む。

 先ほど眺めただけの豪華な料理が並んでいる。

 見比べて見ると、段々と切ない気分になってしまう。

 そうして才人は俺へと目を向けて来る。

「この身は“サーヴァント”だ。“使い魔召喚の儀”では原則ヒト以外の動物が喚ばれる。俺たちが例外なだけだ。だから、そう……少しでも貰えるだけ感謝しないとな」

「そんな……」

 助け舟が欲しかったのだろうが、手を差し伸べることはできず、俺は彼へと少しばかり残酷な現実を突き付けてしまう。

 才人は眼の前が真っ暗にでもなったかのように、ガックリと項垂れた。

「“偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝も細やかな糧を我に与え給うたことを感謝いたします”」

 “メイジ”が全員揃ったのだろう。

 祈りの声が、唱和され、シオンもルイズもそれに加わる。

 才人はテーブルの上に並んだ料理を見て思ったであろう。「どこが“細やかな糧”だ。豪華なくせしやがって、細やかな糧はこっちじゃないか。俺の眼の前に置かれた皿はなんだよ。これではペット以下じゃないか。“日本”のペットは、もう少しマシなモノを食べてますよー」と、今直ぐにでも抗議したいといった視線をルイズへと向けている。

 自分への待遇が赦せないのだろう、才人はソッとテーブルの上に手を伸ばす。が、すぐに、ルイズが気付き、叩かれる。

 才人は恨めしそうにルイズを見上げる。

「なにしてんのよ」

「鳥よこせ。少しで良いから」

「まったく……」

 そんな才人の言葉を聞いて、ルイズはブツクサと言いながら鳥の皮を剥ぐと、床にある彼の皿へと落とす。

「肉は?」

「癖になるから駄目よ」

 ルイズは旨そうに豪華な料理を口に運び、頬張りはじめる。

「あの、良ければ、少し」

 対する才人があまりにも不憫に感じたのだろう、シオンが言葉をかける。

「甘やかさないで。家は家、他所は他所。わたしにはわたしのやり方があるの」

 シオンの提案をバッサリと切り捨て、ルイズはまた料理へと手を伸ばす。

 シオンは優しい性格をしているのだろう、心から申し訳なさそうにしながら食事を再開した。

「ああ、美味い。美味い。泣けそうだ」

 皮肉だろうか。それとも今の待遇的にそう感じざるをえないのか。

 才人は硬いパンを齧りながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 “魔法学院”の教室は、大学の講義室のようにとても広いモノだ。

 更にはそれが、石でできているとい言えば簡単にイメージできるだろうか。頭に浮かんだのであれば、おそらくそれ正解であり、大体合っているだろう。

 講義を行うだろう“メイジ”の教師が1番下の段に位置し、階段のように席が続いている。

 俺とシオン、才人とルイズが中に入って行くと、先に教室にやって来ていた生徒たちが一斉に振り向き、視線が集中して向けられる。そしてクスクスと嘲笑い始めるのであった。

 その中には、食事前に顔を合わせたキュルケもいる。囲うように幾人かの男子生徒が彼女の周りにいるのが見える。

 そうして周囲へと目を向けると、皆様々な“使い魔”を連れているのがわかる。

 キュルケのフレイムは椅子の下で眠り込んでいる。肩にフクロウを乗せている生徒がいる。外にいるのだろう、窓から巨大な蛇がこちらを覗き込み様子を伺っている。男子の1人が口笛を吹くと、その蛇は頭を隠した。カラスや猫などもいる。

 だが、そんな中でも目を引くのは、キュルケの“サラマンダー”であるフレイム同様、やはり今の“地球”では架空の生物扱いをされている生き物たちだ。

 そんな“使い魔”たちを目にして、才人は当然驚きを隠せないでいる様子である。

(流石に“幻想種”はそうそういはしないか……いてもあのイルククゥ、そして準“精霊”とでも言える“サラマンダー”などくらいだな……)

 ファンタジーな印象を与える世界とは言え、“神代”ではびこっていた生物ほど強いモノではない。

 そうこうして色々と観察していると、横の方から次々と質問をルイズへと投げ掛ける才人の声が聞こえてきた。

「あの目の玉のお化けはなに?」

「“バグベアー”」

「あの、蛸人魚は?」

「“スキュア”」

 ルイズは不機嫌そうな声で答えながら、席の1つへと腰かける。

 ルイズに次いで、彼女の横である奥側へとシオンが座る。

 才人もまた同様に席へと腰を下ろすのだが、やはりルイズが彼を睨む。

「なんだよ?」

「ここはね、“メイジ”の席。“使い魔”は座っちゃ駄目」

 ルイズの返答に対し、才人は憮然とした様子を見せながら床に座る。が、やはり不満があるのだろう、床に座り続けることに我慢ができず、立ち上がり、再び椅子に座った。

 そんな才人に対して、ルイズはチラッと彼へと視線を向けたが、2度目はなにも言わなかった。

 扉が開き、教師だろう“メイジ”が1人入って来る。

 中年の女性だろう。彼女は紫色のローブに身を包み、帽子を冠っている。膨よかな頬が、優しく穏和そうな雰囲気を漂わせている。

「皆さん。春の“使い魔召喚”は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な“使い魔”たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 教師は口を開き、話を始める。が、そんな教師の言葉に対してルイズは俯いてしまう。

「おやおや。変わった“使い魔”を“召喚”したものですね。ミス・ヴァリエール、ミス・エルディー」

 シュヴルーズ(以降シュヴルーズと呼称)と名乗った教師が、俺と才人を見て惚けた声で言うと、教室中がドッと笑いに包まれた。

「“ゼロのルイズ”! “召喚”できないからって、その辺歩いていた“平民”を連れて来るなよな!」

 生徒の1人からの心ない言葉を耳にして、ルイズは勢い良く立ち上がった。長いブロンドの髪を揺らし、可愛らしく澄んだ声で怒鳴った。

「違うわ! きちんと“召喚”したもの! こいつが来ちゃっただけよ!」

「嘘つくな! “サモン・サーヴァント”ができなかったんだろう?」

 ゲラゲラと下品な、そして彼女と“平民”を見下した嘲笑う声が教室の中で響く。

「ならシオンはどうなのよ!? 彼女だって人間を“召喚”したのよ!」

 思わず、といったところであろう。ルイズは、シオンと俺のことを引き合いに出してしまう。

 直ぐに罪悪感を覚えたといった具合に表情を浮かべるルイズだが、シオンはというとどこ吹く風といった様子だ。いや、それ以上に、自身の友人が馬鹿にされ、貶されていることに対して、かなりご立腹な様子を見せている。

 だがそれでも教室内での笑い声やルイズを嘲笑う声は断える様子はない。

「“サモン・サーヴァント”ができないからって、“平民”を連れて来るなんて」

「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! 風邪っ引きのマリコルヌがわたしを侮辱したわ!」

 膨よかな体型をした男子生徒からの言葉を受けて、ルイズは教師であるシュヴルーズへと抗議する。

 そして、そこでハタと思い出した。

 マリコルヌ・ド・グランドプレ(以降マリコルヌと呼称)。モブではないがサブじみた立ち位置のキャラクターだったか。最初期の頃は色々といけ好かない、まさしく“貴族”の坊っちゃんといった風だったが、最終的には精神的に成長し、認めるところは認める、そして勝ち組となった少年の1人だ。ただ、特殊な趣味――性癖を持っているのだが。とまあ、俺からの彼に対するイメージは、そんな風である。

「風邪っ引きだと? 俺は“風上のマリコルヌ”だ! 風邪なんか引いてないぞ!」

「あんたのガラガラ声は、まるで風邪を引いているみたいなのよ!」

 マリコルヌは立ち上がり、ルイズを睨み付ける。

 売り言葉に買い言葉といった具合だろう。互いに挑発し合い、放っておくと引くに引けないところまで行ってしまうだろう。

 だがそこで、シュヴルーズが手に持った小振りな“杖”を振るった。

 すると、彼女の中の“魔力”の流れは変化し、それに影響を受けたようにして周囲の“魔力”の流れもまた変化する。

 そして、先ほどまで熱り立っていたルイズとマリコルヌの2人は糸の切れた操り人形であるかのように、ストンと席にもたれかかるかのように落ちる。

「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。見っともない口論はおやめなさい」

 ルイズはしょぼんと項垂れており、先ほどまで見せていた態度が吹っ飛んでしまっている。

「お友達を“ゼロ”だの風邪っ引きだの呼んではいけません。わかりましたか?」

「ミセス・シュヴルーズ。僕の風邪っ引きはただの中傷ですが、ルイズの“ゼロ”は事実です」

 シュヴルーズからの注意を受けてもなお、マリコルヌは毅然とした様子で口を開く。

 そして、周囲からはクスクスと嘲笑い声が聞こえてくる。

 そういった様子から受ける印象はとても悪いモノであり、“貴族たるべき教育を受けていいる”とはとてもではないが思えない。

 そんな中、シュヴルーズは厳しい顔付きで教室内を見回し、“杖”を小さく振るった。

 すると、クスクス笑いをする生徒たちの口に、ピタッと赤土の粘土が押し付けられる。

「貴方たちは、その格好で授業を受けなさい」

 教室内のクスクス笑いは収まりはしたが、そこには赤土の粘土で口を押さえ付けられた生徒たちの姿があり、とてもシュールな様子を見せている。

「では、授業を始めますよ」

 シュヴルーズは、コホンと空気を換えるように重々しく咳をした。

 そして、彼女は小振りの“杖”を振るう。すると、“魔力”を乗せたそれに影響を受けたのか、机の上にいくつかの石ころが現れる。

「私の“二つ名”は“赤土”。“赤土のシュヴルーズ”です。“土系統”の“魔法”を、これから1年、皆さんに講義します。“魔法”の“四大系統”はご存知ですよね? ミスタ・マリコルヌ」

「は、はい。ミセス・シュヴルーズ。“火”、“水”、“土”、“風”の4つです!」

 先ほどのこともあって目を付けられていたのだろう、マリコルヌが指名され、彼は慌てながらも答えてみせた。

 基本的なことであるということもあって、問題もなかったのであろう。シュヴルーズは頷いた。

「今は失われた“系統魔法”ではある“虚無”を合わせて、全部で5つの“系統”があることは、皆さんも知っての通りです。その5つの“系統”の中で“土”は最も重要なポジションを占めていると私は考えます。それは、私が“土系統”だから、という訳ではありませんよ。私は単なる身贔屓ではありませんよ」

 シュヴルーズは再び、重々しく咳をする。

「“土系統”の“魔法”は、万物の組成を司る、重要な“魔法”であるのです。この“魔法”がなければ、重要な金属を作り出すこともできないし、加工することもできません。大きな石を切り出して建物を建てることもできなければ、農作物の収穫も、今よりもっと手間取ることでしょう。このように“土系統”の“魔法”は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 なるほどと思い、首肯いた。

 どうやら才人もまた、同様に関心しているのだろう様子を見せている。

 科学技術などの代わりに存在するそれは、かなり発展している様子である。“魔法使い”である“メイジ”だというだけで大きく威張るという理由や要因、原因などもまたこれが1つだろうことが理解る。それほどに凄いことであるのだから。

 だが、関心するのと同時に笑い飛ばしてやりたい気持ちにもなった。

 彼らや彼女らはまだ知らないだけなのである。選ばれた者たちだけしか使えない力などではなく、万人がほぼ等しく使用できるようになる力や技術、技能。“平民”ですらも練習などをすることで行使できるようになる力や技術、技能。“魔法”とほぼ同じ、それ以上の力を発揮させることができるそれを。

 こちらはこちらで、相当の練習や修練、ある程度の理解などが必要ではあるが、それでもここの“魔法”よりも遥かに優れていると思ってしまうのは、現代から中世を見下しているのと同じモノであるのか、少しばかり不安になる。

(……だが、“四大系統”と“虚無”か……“地球”で秘匿されながらも存続している“魔術”はやはり違うな。あっちでの“系統”は“根源から流れ出た事象の川”であり、種類だしな。こっちの“系統”と意味合いが似ているのは、“属性”か……基本的には同じ、“火”“水”“土”“風”、そして“エーテル”を始めとした“空”、それら全てを併せ持つ“アベレージワン”。合わせて“五大元素”。そして……“虚”と“無”の“架空元素”……)

「今から皆さんには“土系統”の“魔法”の基本である“錬金”の“魔法”を覚えて貰います。1年生の時にできるようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう1度、おさらいすることにいたします」

 そう思考していると、シュヴルーズはどんどんと話を進め、壇上にある石ころに向かって、手に持った小振りの“杖”を振り上げる。そうして彼女が短く“ルーン魔術”だろう“呪文”を呟くと、石ころが光り始めた。

 光は一瞬だけのモノであり、収まると、そこにはただの石ころだったそれがピカピカと光り輝く金属へと変化していた。

「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!?」

 その石ころの変わりようを目の当たりにして、キュルケが思わず身を乗り出して質問をした。

「違います。ただの真鍮です。ゴールドを“錬金”できるのは“スクウェアクラス”の“メイジ”だけです。私はただの……」

 キュルケの質問に答えはするが、コホンともったいぶった咳をして、シュヴルーズは言う。

「“トライアングル”ですから……」

「ルイズ」

 シュヴルーズの講義最中だが、才人はルイズを突く。

「なによ? 授業中よ」

「“スクウェア”とか、“トライアングル”とかって、どういうこと?」

「“系統”を足せる数のことよ。それで“メイジ”のレベルが決まるの」

「はい?」

 授業中であることもあってルイズの声はとても小さなモノだ。連られて才人の声も小さくなる。

 ルイズは簡単な説明をするが、才人は直ぐに理解することはできなかったのだろう、彼は訊き返し、彼女がもう少し、短めに説明を加える。

「例えばね? “土系統”の“魔法”はそれ単体でも使えるけど、“火”の“系統”を足せば、更に強力な“呪文”になるの」

「なるほど」

「“火”と“土”のように、二“系統”を足せるのが“ラインメイジ”。シュヴルーズ先生みたいに、“土”、“土”、“火”といったふうに3つ足せるのが“トライアングルメイジ”」

「同じ2つ足してどうすんの?」

「その“系統”がより強力になるわ」

「なるほど。詰まり、あそこでくっちゃべってる先生“メイジ”は“トライアングル”だから、強力な“メイジ”という訳だね?」

「その通りよ」

 先生と生徒といった風に説明や質問を繰り返すルイズと才人の様子はとても微笑ましいモノだ。

 だが、授業中だということもあり、当然私語扱いになるだろう。

(今度、念話を教えてやろうかな……)

「ルイズはいくつ足せるの?」

 そうして質問と説明を繰り返す中で、才人からのとある質問に、ルイズは黙り込んでしまう。

 “ゼロのルイズ”という渾名の理由などを知る者たちからすると、目に見えている地雷だ。

 その地雷を才人は触れてしまったのだ。

 だが幸い踏み抜くことも爆発させることもしてはいない。

 そんな風に喋っていると、2人はシュヴルーズに見咎められてしまった。

「ミス・ヴァリエール!」

「――ッは、はい!」

「授業中の私語は慎みなさい」

「すいません……」

 シュヴルーズからの注意を受け、シュンと項垂れるルイズ。

 彼女からすると、教養のない“平民”からの質問に答えていただけで怒られてしまったのだから、堪ったものではないだろう。

「お喋りをする暇があるのなら、貴女にやって貰いましょう」

「え? わたし?」

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」

 シュヴルーズからの指名を受け、ルイズは驚きを隠せないでいる様子を見せる。

 指名を受けはしたが、それでもルイズは立ち上がらない。困ったようにモジモジとしているだけである。

「ご指名だろ? 行って来いよ」

 そんなルイズを見て、才人は促す。

「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」

 動かないでいるルイズに対し、訝しげにシュヴルーズが再び呼びかけた。

 が、そこに、キュルケが困った声で言葉を挟んだ。

「先生」

「なんです?」

「やめといた方が良いと思いますけど……」

「どうしてですか?」

「危険です」

 そんなシュヴルーズに対して、キュルケはキッパリと端的に理由を述べ、撤回をして貰うために教室内のほとんど全員が首肯いた。

「危険? どうしてですか?」

 キュルケからの言葉に対し、シュヴルーズはやはり理由が理解っていないのだろう、不思議そうな表情を浮かべている。

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

「ええ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、なにもできませんよ?」

 疑問を覚えながらも、シュヴルーズはルイズへと催促をする。

 今の彼女にとってルイズは、ただの一生徒であり、大切な生徒の1人であり、そしてなにより失敗を恐れて踏み出せずにいる少女なのである。

 なにも知らないからこそ出る言葉ではありはするだろうが、それでもなにか踏み出させることや行動を促すには良い立場や良い言葉、きっかけでもあるだろう。

 だが、今回は――彼女のそれに関しては……。

「ルイズ。やめて」

 蒼白な顔で、懇願するように、頼み込むようにして言葉を口にして視線を向けるキュルケ。

 だが、それが契機となったのだろう、それともシュヴルーズの言葉のおかげでもあるのか、ルイズは意を決した様子を見せ、立ち上がった。

「やります」

 そして、緊張した顔で、ツカツカと教室の前へ、教壇の直ぐ側へと歩いて行った。

 安心させる、そして程よく脱力させるためか、隣に立つシュヴルーズはニッコリとルイズに笑いかける。

「ミス・ヴァリエール。“錬金”したい金属を、強く心に想い浮かべるのです」

 そう言いながら、シュヴルーズは机の上に石ころを出現させる。

 ルイズは緊張をしながらもコクリと可愛らしく首肯いて、手に持った小さな“杖”を振り上げた。

 唇を軽くへの字に曲げ、真剣な顔でシュヴルーズと同様の“呪文”を唱えようとするルイズはこの世のモノとは思えないほどに“愛”らしいモノに思わせるだろう。“使い魔”となった才人からすると、なおさらであろう。

 窓から射し込む朝の光に、ルイズの桃色がかったブロンドが光っている。宝石のような鳶色の瞳。抜けるような白い肌。高貴さを感じさせる作りの良い鼻……。

 それと同じくらい……それ以上だと感じさせる少女が1人俺の隣にいる。

 そんなシオンもまた自分のことであるかのように真剣な面持ちであり、祈りを捧げている。友人の“魔法”の成功を祈っているのである。

 ルイズは目を瞑り、シュヴルーズのそれと同じ“ルーン魔術”の“呪文”を唱え、“杖”を振り下ろす。

 その瞬間、周囲の“魔力”は嵐のように吹き荒れた。

(――! 魔力障壁、その他諸々を展開っと……)

 そして、机ごと石ころが爆発をする。

 爆風をモロに受け、ルイズとシュヴルーズは黒板に叩き付けられそうになる。

 至る所から悲鳴が上がる。

 驚いた“使い魔”たちが暴れ出す。

 キュルケのフレイムがいきなり叩き起こされたことに腹を立て、炎を口から吐き出す。“マンティコア”が飛び上がり、窓ガラスを叩き割り、外へと飛び出す。その穴から先ほど顔を覗かせていた大蛇が教室へと侵入し、誰かの“使い魔”である鴉を呑み込む。

 地獄絵図とまではいかないだろうが、教室は既に阿鼻叫喚といった大騒ぎを呈してしまっている。

 そんな中、逸早く立ち直ったキュルケが立ち上がり、ルイズを指さし強く批判した。

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

 そうして、他の生徒たちも騒ぎ始める。

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」

「俺のラッキーが蛇に喰われた! ラッキーが!」

 シュヴルーズは倒れたまま動く様子を見せない。爆発の直撃や黒板への強打などは避けることはできはしたが、それでも爆発した石ころの直ぐ側にいたためか、気絶をしてしまっている。たまに痙攣をしていることからも、死んではいないということはわかるだろう。

 煤で真っ黒になったルイズが、ムクリと立ち上がる。彼女もまた、爆発の直撃を辛うじて回避、黒板への強打などもどうにか避けることに成功しはしたが、見るも無残な格好であった。ブラウスが破れ、華奢な肩が覗いている。スカートが裂け、パンツが見えてしまっている。

 そんな大騒ぎの教室の中、ルイズは意に介した風もなく……顔に付いた煤を、取り出したハンカチで拭きながら、淡々とした声で言った。

「ちょっと失敗みたいね」

 そのルイズの姿を目にして、シオンは安堵の溜息を零す。

 が、当然他の生徒たちからは猛然と反撃を喰らう。

「ちょっとじゃないだろ! “ゼロのルイズ”!」

「いつだって成功の確率、ほとんど“ゼロ”じゃないかよ!」

 そんなクラスメートからの反論や反撃を喰らいながらもケロッとした様子を見せているルイズだが、彼女の口元からは血が出ており、握られた拳が小さく震えているのが見えた。

 



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決闘

 ルイズの“魔法”によって滅茶苦茶になってしまった教室内の片付けが終了したのは、昼休みになる前である。

 罰としてなのだろう、“魔法”を使用しての修理や修繕を禁じられてしまったため、それなりの時間がかかってしまったのである。とは言っても、ルイズはほとんど“魔法”を使用することができないことからも、その罰もあまり意味をなしていないのだが。

 そんな罰を与えたミセス・シュヴルーズはというと、あの爆発に巻き込まれ爆風に吹き飛ばされたその2時間程度後に目を覚まし、授業に復帰し事態の収束を図っただけで、その日1日の間“錬金”に関する講義は行われなかった。いや、行うことができなかったのである。

「…………」

「…………」

 片付けを終了させたルイズと才人、そしてその手伝いを自主的に買って出たシオンと俺は、掃除道具の片付けも終了した後に、食堂へと向かっている。もちろんそれは昼食を摂るためだ。

 みちすがらではあるが、才人は何度もルイズをからかった。

 ルイズの失敗が原因で、授業中でのパニックや先ほどの重労働だったのだから仕方がないといえば仕方がないであろう。新しい窓ガラスや重たい机などを運んだのはもちろん俺と才人である。煤だらけになってしまっていた教室を、雑巾で磨いたのもまた才人と俺である。シオンも手伝いはしてくれていたが、当のルイズは渋々と机などを拭いている様子であった。

 おそらくではあるが、才人はそういったことや寝床、食事などについての不遇な扱い(他の待遇)などからの不満を打つけているのだろう。失敗してしまったというルイズの弱点を目にし、ここぞとばかりにからかいに出てしまっているのだろう。

 そのたびに、シオンはハラハラとしながらも仲介に入り、俺もまたたしなめなだめを繰り返していた。

「“ゼロのルイズ”、なるほどねえ。言い得て妙ですねえ。成功の可能性“ゼロ”。そんでも“貴族”。素晴らしい」

 それであっても、才人はからかうということをやめずにはいられないでいた。本当は、駄目だと理解しているにも関わらず、このままでは目も当てられない結果になってしまうと予想も予測もできているというのに。

 だが、ルイズの方はというと無言を貫いている。どうにか堪えているのが傍目から見ても簡単に理解できる様子である。

「“錬金”! あ! ボカーン!  “錬金”! あ! ボカーン! 失敗です! “ゼロ”だけに失敗であります!」

 ルイズの周りを、そんな風におどけながらグルグルと回る才人。ボカーンと言う時には両腕を上げて、爆発を表現している。

「そ、その辺にしておい――」

「――ルイズお嬢様。この“使い魔”、唄を作りました」

 シオンからの制止の言葉をスルーして、才人は恭しく頭を下げて言った。だがそれは明らかに相手を馬鹿にした言動であるモノだということは明白である。

「歌ってごらんなさい?」

 ルイズの眉が、ヒクヒクと動いている。

 彼女は爆発寸前であるが、対して才人はもう止まることはできない様子だ。

 ルイズの身体も眉と同様に小さく震えている。

「ルイズルイズルイズは駄目ルイズ。“魔法”ができない“魔法使い”。でも平気! 女の子だもん……」

 

 

 

 食堂へと到着すると、才人はルイズが座る椅子を引く。

「はいお嬢様。料理に“魔法”をかけてはいけませんよ。爆発したら、大変ですからね」

 そんな才人からの言葉に対し、ルイズはまだどうにか我慢を続けることができているのだろう。無言で席へと着く。

「さてと、始祖ナントカ。女王さま。ホントに細やかで粗末な食事を今畜生。頂きます」

 そんな才人の食事の際の挨拶が終わり、彼が手を伸ばした瞬間、その皿がヒョイッと取り上げられた。

「なにすんだよ!?」

「こここ……」

「こここ?」

 ルイズの肩も声もが怒りで大きく震え始める。

「こここ、この“使い魔”ったら、ごごご、ご主人さまに、ななな、なんてこと言うのかしら?」

 とうとう爆発をしようとするルイズを前に、才人は申し訳なさそうな様子であり、シオンはというと駄目だったかと天を仰ぎ見ている。

「ごめん。もう言わないから、俺の餌返して」

「駄目! ぜぇーったい! 駄目!」

 かなりの勢いで謝罪の言葉を口にし平身低頭といった様子を見せる才人だが、対するルイズは可愛らしい顔を怒りで歪ませて大きく叫ぶだけである。

「“ゼロ”って言った数だけ、ご飯抜き! これ絶対! 例外なし!」

 

 

 

 才人がどう嘆願しても、やはりルイズはそれを赦さず、「駄目」の一点張りであった。

 シオンの提案も跳ね除けるルイズを前に、才人は結局昼食抜きのままに食堂を出ざるをえないことになった。

「はぁ、腹が減った……くそ……」

「これでも食うか?」

「あんだ、それ?」

 才人と共に、俺は食堂から外へと出てブラリと気の向くままに歩いている。

 が、横の方から腹の虫の鳴き声から聞こえて来て、俺は思わずそちらの方へと目を向けた。

「ヨモギだ」

「なんだよそれ……食えんのかよ……?」

「もちろんだ……天ぷらにするのも良いし、ご飯に混ぜるのも味噌汁の具にするのも良い……常食すると貧血が起き難いようになるぞ」

「ホントかよ……」

 そんな話をしながらも、それでも「そんなモノで腹は膨れねえ」と拒否し、歩き続ける才人。

 グゥグゥと腹の虫が強く主張を始め、少しして誰かがこちらへと近付いて来ることに気付く。

 身長や体重、歩き方や歩行時の空気などの流れからすると、恐らくではあるが接近して来ているのは少女だろうと推測できる。

「どうなさいました?」

 対象は接近して来て、俺と才人の後ろへと着くのと同時に声をかけて来た。

 声などから判断すると、予想通り少女だろう。

 振り向いて見ると、メイドの格好をした素朴な感じの少女がそこにはいた。

 カチューシャで纏めた黒髪とソバカスが可愛らしいと思える。大きい銀のトレイを持ちながら、才人の方と俺とを見比べる。そして、心配そうに見つめて来ている。

(ふむ……シエスタかな……?)

 その特徴と合致するだろう“原作”に出て来たキャラクターを想い浮かべる。身体的特徴、服装、シチュエーション……大体は合っているだろう。

「し、失礼しました! “貴族”の方ですよね?」

 俺の着ている服や容姿、雰囲気などから判断したのだろう、メイド服を着た少女は慌てて姿勢を正し、言葉遣いなどを改めようとする。

「ああ、いや。気にする必要はない。俺は“貴族”じゃないから、楽にすると良い」

 が、そこで俺は、シオンやコルベールと始めて逢った時のことを思い出し、否定した。

 対する才人はというと、一連のやりとりの意味に気付かず頭の上に?マークを浮かべた様子を見せながら、少女へと「なんでもないよ……」と左手を振るいながら応えた。

「貴男は、もしかしてミス・ヴァリエールの“使い魔”になったっていう……」

 そんな才人が振り上げた左手を目にし、彼女は彼の左手甲にある“ルーン”に気付いたのか問いかける。

「知ってるの?」

「ええ。なんでも、“召喚”の“魔法”で“平民”を喚んでしまったって。噂になってますわ」

 才人の質問に、少女はニッコリと笑って答えた。屈託など一切ない純真かつ純粋なモノだ。

 噂になっているというのは本当だろう。これほど話題性のあるモノは他にはないほどである。他に候補を上げるとすれば、俺のことも含むだろう……。そして何より、女性というのは噂など影での言葉に敏感なところがあるらしい。才人のことを間接的に知っているのはそういう理由などからだろうか。

 そんな彼女に対して、特に話題というモノが思い付かないからか「君も“魔法使い”?」と才人は質問をした。

「いえ、わたしは違います。貴男と同じ“平民”です。“貴族”の方々をお世話するために、ここでご奉公させて頂いているんです」

 この世界の住人ではない才人からすると「“平民”じゃなくて“地球人”なんだけど」と訂正を入れたいところであろう。

 が、いざ説明をするとなるとかなり面倒なことになるだろうことと、信じて貰うことが難しいだろうということは明白である。

 こことは違う世界――異世界という概念がこちらの住人たちは持っているのか、“魔法”のない世界などをイメージすることができるかなど。決してできない訳でもなく、話してみると簡単なことだろうが、それでも色々と面倒な部分や箇所が多すぎるのもまた事実であろう。

「そっか……俺は平賀才人。よろしく」

「変わったお名前ですね……わたしはシエスタって言います」

 説明することを諦めたのか、才人は大人しく挨拶をする。

 対するシエスタもまた、挨拶を返す。

「俺のことは、セイヴァー、とでも呼んで貰えると助かる。君のことはすまないが、シエスタと呼び捨てにさせて貰うが構わないかな?」

「セイヴァー、さん……ですか……2人共変わったお名前をしているんですね……呼び捨ての方は構いませんよ」

 この世界の住人からすると、やはり平賀才人もセイヴァーもどちらも聞き慣れないイントネーションや発音、言葉といった理由から変わった名前と思ってしまうのも仕方がないだろう。そも、セイヴァーなどという名前をした人間などそうそういるはずもないのだが。

 また、“日本”人であった俺からすると、平賀才人という名前は全く違和感を覚えないのだが。

 そんな自己紹介などをしたその時、才人のお腹が鳴り、限界を報せて来た。

「お腹が空いているんですね」

「うん……」

 その音は周囲に居るとハッキリ聞こえる程度の大きさであり、否定すると逆に上塗りしてしまうだろう。そういったこともあってか、才人は顔を紅くしながらも首肯いた。

「こちらに入らしてください」

 そう言って、シエスタは歩き出した。

 

 

 

 シエスタの後に着いて行き、才人と俺が連れて行かれたのは、食堂の裏にある厨房であった。

 大きな鍋やオーブンらしきモノがいくつも並んでいるのが見える。コックや、シエスタのようなメイドたちが忙しげに料理を作っているのもまた見える。

「ちょっと待っててくださいね」

 そう言って、シエスタは小走りで厨房の奥の方へと向かい、姿が消える。

 厨房の片隅にあった椅子へ才人は座り、俺はその側で待機する。

 そして直ぐに彼女は2枚の皿を持ち、戻って来た。

 彼女が持っている皿からは湯気が昇っており、匂いから予想するにシチューだろう。

「“貴族”の方々にお出しする料理のあまりモノで作ったシチューです。良かったら食べてください」

「良いの?」

「ええ。賄い食ですけど……」

 差し出された皿は2枚であり、それぞれ才人と俺へと手渡され、彼女はその料理についての簡単な説明をしてくれた。

 その料理や彼女に対して、才人は再度確認の質問をするが、シエスタはニコリと微笑み促した。

 とても優しい娘だ。

 才人はシエスタからの言葉を受けた直後、スプーンで一口掬い上げ、口へと運ぶ。

「ありがとう、シエスタ。頂くよ」

「ええ。どうぞ」

 俺もまた、才人同様に一口ずつ味わって行く。

 “サーヴァント”であるこの身に食事は必要ないとはいえ、それでも娯楽として摂ること自体はなにも問題はない。むしろ、良いことであると言えるだろう。

 一口一口が温かく、それを呑み込むのと同時に身体がポカポカとして来るのがわかる。

「美味しいよ、これ」

「良かった。お代りもありますから。ごゆっくり」

 簡素ながらも心からの感想だろう言葉を述べる才人。

 俺もまた同様の感想の言葉しか述べることはできない。食レポのように色々と表現することはできるだろうが、今はただ「美味しい」の言葉だけで十分だろう。

 感想を述べて直ぐに才人は夢中にでもなったかのようにシチューを食べる。

 シエスタはニコニコとしながら、そんな才人と俺の様子を見詰めて来ている。

「ご飯、貰えなかったんですか?」

「“ゼロのルイズ”って言ったら、怒って皿を取り上げやがった」

「まあ! “貴族”にそんなこと言ったら大変ですわ!」

「あれは、お前が悪い。それは理解してるだろう?」

「なーにが“貴族”だよ。たかが“魔法”が使えるくらいで威張りやがって」

「勇気がありますわね……」

 シエスタからの質問に対して、才人は少しばかりはしょって一部始終を説明した。その説明をする才人を、俺は軽くたしなめる。

 才人のその言動に対して、シエスタは唖然とした表情を浮かべ、彼を見つめている。

 そんな話をしながら食事をしていると、皿の中身はあっという間に空になってしまった。

 俺と才人は空になった皿をシエスタへと手渡し、返した。

「美味しかったよ。ありがとう」

「ご馳走様でした。ありがとうシエスタ」

「良かった。お腹が空いたら、いつでも来てくださいな。わたし達が食べているモノで良かったら、お出ししますから」

 才人と俺は、思ったそのままの感想と感謝の言葉を口にする。そして、そんな俺たちに対して、シエスタもまた微笑みを浮かべ返してくれた。

「ありがと……」

 そして、そんなシエスタを前にして、才人は思わずホロホロと泣き出してしまい、彼女は驚き声を上げた。

「ど、どうしたんですか?」

「いや……俺、こっちに来てから優しくされたの初めてで……思わず感極まりました……」

 涙を流しながら今の心境を口にする才人からは、やはり不安や不満といった負の感情などが感じられる。

 “見知らぬ世界(ハルケギニア)”へと拉致紛いのそれで強制的に喚び出され、“召喚”主であるルイズからは“使い魔”や下僕として対応されているのだから。

「そ、そんな、大袈裟な……」

「大袈裟じゃないよ。俺に何かできることがあったら言ってくれ。手伝うよ」

 感謝の気持ちを表すには、行動からが一番であろう。

 そういった理由などからか、自ら手伝いを買って出る才人。

「私もなにか、手伝おう」

 こうなっては、俺も手伝いをするべきだろう。いや、元からするつもりではあったのだが……。

「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」

 シエスタは微笑んでそう言った。

「うん」

「了解した」

 才人は大きく頷き、俺もまた首肯いた。

 

 

 

 大きな銀のトレイに、デザートのケーキが並んでいる。

 少しばかり離れた場所で、才人がそのトレイを持ち、シエスタが鋏でケーキを摘み、1つずつ生徒たちに配っているのが見える。

 俺はというと、1人でそれを行っている。片手でトレイを支え、片手でハサミを使い、生徒たちへと配っているのだ。

「食後のデザートなどはいかがですかな、お嬢様方?」

 俺が着用している服は“魔力”で編まれている。そういったこともあり、少しばかり弄ることで変化させることは簡単にできる。

 そして、少し弄ったことで、今俺が着用しているのは黒い燕尾服。いわゆる執事服といえるモノだ。

 言葉遣いや動きを始め言動はできる限り気を遣い、生徒たちへとケーキを配って行く。

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!?」

 遠くから生徒たちが話をしているのが聞こえて来る。

 その声、内容、人物名など聞き覚えのあるモノだ。

 そんな会話が聞こえて来る方向へチラリと目を向けると、そこの中心には予想した通りの少年がいた。

 その少年は金色の巻き髪に、フリルの付いたシャツを着ている、少しばかり気障ったらしい印象を受ける。更には、薔薇をシャツのポケットに挿しているのが見える。

 どうやら彼は、友人間で冷やかされている様子だ。

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 友人から呼ばれた少年の名前はギーシュ。

 当然記憶の中にある原作の“ゼロの使い魔”に出て来る人物だ。

 ギーシュ・ド・グラモン(以降ギーシュと呼称)。彼もまた、マリコルヌと同様に物語の中で成長を続けた登場人物。才人とは良き友人となる人物である。

 彼は、スッと唇の前に指を立てて口を開く。

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだよ君たち。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 自身を薔薇に例えた表現だろう。

 そう口にしたその瞬間、彼のポケットから何かが落ちた。

 それはガラスでできた小瓶であった。中には紫色の液体があり、揺れているのが見える。

 その落とし物を目にしたのか、会話を聞いていたのか、才人はギーシュへと言葉をかけた。

「おい、ポケットから瓶が落ちたぞ」

 しかし、ギーシュは振り向かない。

 才人はトレイをシエスタに預け、しゃがみ込み、その小瓶を拾い上げる。

「落とし物だよ。色男」

 そして、それをテーブルの上に置き、才人はギーシュへともう一度声をかける。

 ギーシュ・ド・グラモは苦々しげに才人を見詰めると、その小瓶を押しやった。

「これは僕のじゃない。君はなにを言っているんだね?」

 そして、一連のやりとりを目にし、その小瓶の出所に気付いたであろうギーシュの友人たちが大声で騒ぎ始める。

「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちて来ったってことは、つまりお前は今、モンモランシーと付き合っている。そうだな?」

「違う。良いかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」

 友人たちからの囃し立てる言葉に対してギーシュがなにかを言いかけたその時、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が勢い良く立ち上がり、ギーシュの席に向かって、コツコツと歩いて行った。

「ギーシュさま……」

 そして、茶色のマントを羽織っている少女はボロボロと泣き始めた。

「やはり、ミス・モンモランシーと……」

「彼らは誤解しているんだ。ケティ。良いかい? 僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」

 弁解をしようとするギーシュだが、しかし、悲しいかなケティと呼ばれた少女は、涙を流しながら思いっきり彼の頬を引っ叩いた。

「その香水が貴男のポケットから出て来たのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 そう言って後ろを向き、そそくさと離れて行くケティと呼ばれた少女。

 打たれた頬をこするギーシュ。

 すると、遠くの席で、見事としか言えないほどに綺麗に纏まった巻き髪の少女が立ち上がる。金髪縦ロールと言える髪型であり、後頭部には赤いリボンを着けている。

 彼女の髪型はとても特徴的であり、記憶に印象付いている。

 才人や俺が“召喚”されて直ぐ、ルイズと口論していた少女、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ(以降モンモランシーと呼称)である。

 彼女は厳しい顔付きで、カツカツと音を立てながらギーシュの席の方へと向かって行く。

「モンモランシー。誤解だ。彼女とただ一緒に、“ラ・ロシェールの森”へ遠乗りをしただけで……」

 ギーシュは首を振りながら言う。第三者から見ても聞いても苦しい言い訳であることに変わりはなく、彼自身それを十分に理解しているのだろう。冷静な態度を装ってはいるが、冷や汗が一滴額を伝わっているだろう様子が遠目から見えた。

「やっぱり、あの1年生に、手を出していたのね?」

「お願いだよ。“香水のモンモランシー”。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 モンモランシーは、テーブルに置かれているワインの瓶を掴むと、中身をドボドボとギーシュの頭の上からかけてしまう。

 そして……。

「嘘つき!」

 と怒鳴って、彼女は去って行った。

 彼女の後ろ姿からは、怒りや失望などゴチャ混ぜになっているであろうことがわかる。

 彼女の姿が完全に見えなくなるのと同時に、沈黙がその場を流れた。

 ギーシュはハンカチを取り出すと、ユックリと顔を拭いた。

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 取り繕うためか、それとも別の理由があるからか。ギーシュは首を横に振りながら芝居がかった仕草で言った。

 そして、解決したと判断したのだろう。才人はその場から離れようとする。

 が、そこでギーシュが才人を呼び止めた。

 問題はここからであろう。

「待ちたまえ」

「なんだよ?」

 ギーシュは、椅子の上で身体を回転させると、スサッ! と脚を組み、言葉を続ける。

「君が軽率に、香水の瓶なんかを拾い上げたおかげで、2人のレディの名誉が傷付いた。どうしてくれるんだね?」

 これには、周囲の者たちも呆れ返り、言葉を出せないでいる。

 いや、原因である彼自身が1番それを理解しているだろう。皆呆れ返ってしまうだろう、と。だが、口を開き、他者へ感情を打つけるしか今の彼には術がないもまた事実である。

「二股かけてるお前が悪い」

 才人からの正論を受けて、ギーシュの友人たちがドッと笑い出す。

「その通りだギーシュ! お前が悪い!」

 1番それを理解しているだろう本人――ギーシュの顔に、サッと紅みが刺す。

「良いかい? 給仕君。僕は君が香水の塊をテーブルに置いた時、知らないふりをしたじゃないか。話を合わせるくらいの機転があっても良いだろう?」

「どっちにしろ、二股なんかそのうちバレるっつの。あと、俺は給仕じゃない」

 機転を利かせるというのは、生きて行くために確かに必要なことであろう。だがそれは、先ほどの出来事の間で別に行う必要などはまったくないことだと俺は思った。

「ふん……ああ、君は……」

 少しは冷静さを取り戻したのだろう。ギーシュは、才人の顔を改めて見て、何かを思い出し、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「確か、あの“ゼロのルイズ”が喚び出した、“平民”だったな。“平民”に“貴族”の機転を期待した僕が間違っていた。行きたまえ」

 だが、その人を小馬鹿にしているかのような態度、言動。

 そんなギーシュの言動を前に、才人は我慢ができず、口を開いてしまった。

「うるせえ気障野郎。一生薔薇でもしゃぶってろ」

 その言葉に反応して、ギーシュの目が強く光る。

(そろそろ不味いな……)

 ユックリと、空になったトレイを持ちながら、俺は彼らの方向へと足を向ける。

「どうやら、君は“貴族”に対する礼と云うモノを知らないようだな」

「生憎、“貴族”なんか1人もいない世界から来たんでね」

 才人はギーシュの物腰を真似しているのか、似たように右手を上げ、気障ったらしい仕草で言う。

 だが、それは明らかに挑発めいたモノだ。

「良かろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうど良い腹熟しだ」

 そう言い、ギーシュは立ち上がる。

「おもしれえ」

 才人は歯を剥き出して、唸るように応える。

 挑発に対して挑発を繰り返し、売り言葉に買い言葉だ。

「まあ、待ちたまえ君たち。ケーキでも食べて落ち着くと良い」

「あんたは黙っていてくれ、セイヴァー」

「君は確か……シオンの“使い魔”の……」

「私のことはセイヴァー、とでも呼んで欲しい」

 どうにか辿り着き、仲介に入ろうと2人へと声をかけることに成功する。

「変わった名前だな……そうか、君たちは辺境から喚び出されたといったところか……」

「辺境、か……君たちからすると確かにそうかもしれないな……さて、話を戻すが、考え直してはくれないだろうか。“貴族”であるのなら“貴族”らしい立ち振舞いなどを――」

「――そんなことはどうでも良い。ここでやんのか?」

 名前に対する感想を述べるギーシュに、俺はできる限り交渉をしようと試みる。

 だが、才人は挑発を受け続け、そしてギーシュの一連の言動を受け、また、“召喚”主である少女に対しての一宿一飯などの恩などもあることから、俺の言葉を遮り彼の挑発に応えてしまう。

 それを受けて、ギーシュはクルリと身体を翻した。

「逃げんのかよ!」

「ふざけるな。“貴族”の食卓を“平民”の血で汚せるか。“ヴェストリの広場”で待っている。ケーキを配り終わったら、来たまえ」

 そう言いながら立ち去ろうとするギーシュだが、途中で立ち止まり、挑発じみた口調でまた言葉を続ける。

「なんなら2人がかりでも構わないよ。ああ、そうだ。2人でも足りないだろうね」

「生憎だが、君の相手は彼1人だ。いや、才人1人で十分と言えるだろうね」

 ギーシュからの言葉に対し、俺は思うままを口にする。

 “原作”通りであるのなら、この先どうなるのか、どう転ぶのかは決まり切っている。俺が介入する必要はないのである。そもそも、仲介に入ろうとしたが失敗してしまった時点でズレは出ているだろう。いや、“原作”とは既に違う世界なのだ。これは現実である。が、それでもきっと大まかな歴史の流れは変わらないだろうが。

「逃げるのかい?」

 そう、ギーシュが言葉をかけて来る。

「そうだろうそうだろう。君は懸命だ。“平民”が“貴族”に敵う訳がないからな。だがきっとこの先、君の主はこう言われ続けるだろう。臆病な“使い魔”の主だと。負け犬の主だと」

 挑発だということは理解している。

 ありきたりな挑発文句だ。

「……良かろう。その決闘受けて立とう」

 だが、それでもやはり、自身の“マスター”(彼女)に対してのその発言を許すことも、赦すことは到底できるはずもなかった。例えそれが、“使い魔契約”の際に刻み込まれた刷り込みなどによるモノだとしても、だ。

 そう言いながら、近場のテーブルの上に置いてある手袋へと手を伸ばす。

「失礼……」

 そう短く呟き、俺は手袋を掴み取り、そして――ギーシュの足元へと投げる。

「拾うと良い。それで正式なモノになるだろう? まあ、命の奪い合いにまではならないから安心すると良い」

「い、良いだろう……臨むところ、だ……」

 そう言って、ギーシュ・ド・グラモンは足元の手袋を拾い上げ、テーブルの上へと戻す。そして、身体を震わせながら食堂から出て行った。

 ギーシュ・ド・グラモンの友人たちは、ワクワクとした表情を浮かべながら立ち上がり、彼の後を追いかける。

 だが、その中で1人は残っている。恐らくだが、俺と才人を逃さないための見張り役だろう。

 シエスタが、ブルブルと震えながら、俺たち2人を見つめていることに気付く。

 俺と才人は、彼女を安心させるために笑顔を浮かべた。

「大丈夫。あんなひょろスケに負けるかっての。なにが“貴族”だっつの」

 才人は自信満々にそう口にするが、やはりどういったモノか、ここがどういった世界なのかをまだ理解し切れていない様子だ。

「あ、貴男たち、殺されちゃう……」

「はぁ?」

 そんな才人や俺に対して、シエスタは自分のことであるかのように怯え、震えてしまっている。

 シエスタは、ダーッと疾走って逃げてしまった。

「あんたたち! なにしてんのよ! 見てたわよ!」

「よおルイズ」

 そうして、シエスタを見送るのと同時に、後ろの方からシオンとルイズが走り寄って来るのを感じ取る。

 そして、ルイズが俺たちへと話しかけて来た。

「よお、じゃないわよ! なに勝手に決闘なんか約束してんのよ! 特にあんた!」

 ルイズは怒り口調で俺と才人へと非難の言葉を口にする。

「だって、あいつが、あんまりにも、ムカつくから……」

 才人はどこかバツが悪そうな様子で、ルイズからの言葉に答えた。

 俺は俺で、どこ吹く風といったとこである。

 そんな俺たちに対し、ルイズは大きく溜息を吐いて、やれやれと肩を竦めた。

「謝っちゃいなさいよ」

「なんで?」

「怪我したくなかったら、謝って来なさい。今なら赦してくれるかもしれないわ」

「ふざけんな! なんで俺たちが謝んなくちゃならないんだよ! 先に馬鹿にして来たのは向こうの方だ。だいたい、俺は親切に……」

 心根は優しい少女である。俺たちを心配してのことであろう。ルイズの言葉からは、そういったモノが紛れているのが感じられる。

 が、それでもやはり謝る気持ちにはなれない。俺も才人もだ。

「良いから」

 ルイズは、強い調子で俺たちを見詰める。

「嫌だね」

「分からず屋ね……あのね? 絶対に勝てないし、あんたたちは怪我するわ。いや、怪我で済んだら運が良いわよ!」

 ルイズからの強い催促と提案を受けてもなお、才人も俺も拒否をする。

「そんなの、やってみなくちゃわかんねえだろ」

「聞いて? “メイジ”に“平民”は絶対に勝てないの!」

 ルイズからの言葉を受けても、強気の姿勢を見せる才人。

 だが、傍から見ると、今の俺と才人は自ら望んで死地へと向かう狂った存在だろう。

 特に、才人だ。この世界のこと、“魔法”のこと、“メイジ”のこと、“貴族”と“平民”のこと……まだまだ知らないことが多すぎる。いや、知識として知っていたとしても、それを理解しているのかどうかはまったくの別物だ。今の彼は、怒りなどから動いてはいるが、“勇気”からのそれでは決してない。無謀、無策、蛮勇といったところであろう。

 だが俺は識っている。彼が、例えそういったモノをちゃんと知っていても、喰ってかかっただろうことを。その性根を。

「シオン、貴女からもなにか言って上げて」

 誰もが先を予想できるだろうモノ。

 心配してくれている生徒たちの視線がある。同情してくれている生徒たちの視線を感じる。中には奇異の眼差しを向けて来ている生徒たちや明らかに見下したようなな視線もまた感じられる。

 だが、そんな中で、絶対の信頼と信用を込めた視線を向けてくれている者もいる。

「やり過ぎないようにね」

「ああ、理解している。了解したよ、“マスター”」

 ルイズからの催促の言葉に、シオンは満面の笑みで、そして俺を窘めるように口にする。

 俺は、恭しく一礼をし、彼女の言葉に首肯く。

「シオン!?」

 シオンのその言動に対し、ルイズは大きく目を見開き、驚愕した。

「“ヴェストリの広場”ってどこだ?」

 目的の場所――決闘の場所である広場へと向かうため、才人と俺は脚を踏み出す。

 そんな俺たちに対し、先ほどまでのやりとりを見て居た見張り役をしているギーシュの友人が顎をしゃくった。

「こっちだ、“平民”」

「あああもう! ホントに! “使い魔”のくせに勝手なことばっかりするんだから!」

 ルイズはそう怒りを爆発させながら、シオンと共に俺と才人の後を追いかけた。

 

 

 

 “ヴェストリの広場”は、“魔法学院”の敷地内の“風”と“火”の塔の真ん中辺りにある、中庭だ。西側にある広場なので、そこは日中でも日があまり射さないという決闘には打って付けだといえる場所であろう。

 だというのに……噂を聞き付けただろう生徒たちで、広場は溢れ返っているのが見える。

「諸君! 決闘だ!」

 ギーシュ・ド・グラモンが薔薇の造花を掲げた。

 それを合図に、うおーッ! と歓声が巻き起こる。

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの“使い魔”、そしてシオンの“使い魔”だ!」

 ギーシュが名前で呼ばれるのに対し、俺と才人は“使い魔”と呼ばれている。

 当然だろう。この場にいる生徒たちは俺たちの名前など知りもしないのだから。いや、そもそも、俺たちは“使い魔”という立場であるため、人としての扱いすら受けていないのである。

 それらを十分に理解しているつもりではあるのだが、やはり良い気分ではないため、俺は苦笑いを浮かべてしまう。

 そんな中、ギーシュ・ド・グラモンは腕を振って歓声に応えている。

 それから、ようやくこちらの存在に気付いたといった風に、俺たちへと目を向けて来る。

 互いに歩み寄り、そして広場の真ん中に立ち、ギーシュは俺と才人の2人を、才人は彼をグッと強く睨んだ。

「取り敢えず、逃げずに来たことは、褒めてやろうじゃないか」

 ギーシュは、薔薇の花弁を弄りながら、歌うようにといった表現が合いそうな口調で話す。

「誰が逃げるか」

 そんなギーシュからの挑発に、強気な姿勢で応える才人。

「もう一度だけ言っておく。君相手であればこいつ1人だけで十分だ」

「……ほう?」

「……え?」

 俺からの言葉に、ギーシュはマジマジと観察するように才人へと視線を集中させる。

 対する才人は、俺の言葉に驚き、抗議の視線を向けて来る。

「なに言ってるんですか!? セイヴァーさん! 確かにこんな奴1人で十分ですけど」

「ならば問題あるまい。さて、ギーシュ・ド・グラモンと言ったかな? どうだろう? 彼と1対1でやり合ってみては」

「そう言って逃げるのかい?」

 俺は才人の言葉を確認して首肯き、ギーシュへと提案をしている。

 が、やはり彼はこちらを訝しみ、勘違いをしている様子を見せている。

「ここまで来たんだぞ? 逃げる気があるように見えるか? そうだな……こいつとの決闘の後に余裕があるなら次に私と、ないなら後日。または、代理人を立てるとかはどうだろう?」

 俺の提案を耳にして、「なるほど」と首肯いてみせるギーシュ。

「良いだろう! 先にこの礼儀知らずと戦い、その次は君だ。首を洗って待っていると良い」

 そう言って、ギーシュは俺から視線を外した。

 才人は俺の方へと視線を向けているが、俺が立ち去ろうとすることで、諦めたのか下を向く。そして、覚悟を決めたのだろう、ギーシュへと視線を向けた。

 そして――。

「さてと、では始めるか」

 言うが早いか、才人が駆け出す。喧嘩は先手必勝ということであろうか。

 相対するギーシュとグラモンまでの距離は10歩程度といったところである。少し踏み込めば懐へと潜り込むことは簡単だろう。ただし、喧嘩慣れしているのであれば、だが。

 ただ、これは喧嘩などではなく決闘だ。

 ギーシュは、そんな才人を余裕の笑みで見詰め、薔薇の花を振った。

 花弁が1枚、宙に舞ったかと思うと……。

 甲冑を着た女戦士の形をした人形がそこにはいた。いや、造られたのである。

 大きさはヒトと同程度だろうが、硬い金属製の鎧を纏っているように見える。その鎧は、淡い陽光を受けて、その肌――装甲が煌く。

 それが、才人の前に立ち塞がったのだ。

「――な、なんだこりゃ!」

「僕は“メイジ”だ。だから“魔法”で戦う。よもや文句はあるまいね? それと……言い忘れたな。僕の“二つ名”は“青銅”。“青銅のギーシュ”だ。よって、青銅の“ゴーレム”――“ワルキューレ”がお相手するよ」

「――えッ!?」

 女戦士の形をした青銅製の“ゴーレム”が、才人に向かって突進して行く。

 その速度は、喧嘩慣れした程度では追い付けないだろう。

 その右拳が、才人の腹へと減り込む。

「――ゲフッ!」

 才人は呻いて、地面を転がってしまう。

 無理もないことであろう。青銅製の拳が、腹に減り込んだのだから。鍛えた者であれ、あれを耐えることができるのは化け物じみた存在。すぐに浮かぶのは、“英雄”や“英霊”になる素質を持つ者、そして“サーヴァント”くらいであろう。

「卑怯とは言うまい。そこの君、手を貸さなくても良いのかい? 今なら参加することを認めるが」

「その必要はないと言ったはずだが? これは、そいつとお前の決闘だ」

 ギーシュ・ド・グラモンからの提案を、俺は蹴る。

 それを聞いた才人は、絶望的状況だということ、そして“魔法”やそれを使う“メイジ”がどういった存在なのかをここでようやく理解した。実感を抱いたのだ。

「ギーシュ!」

「おおルイズ! シオン! 悪いな。君たちの“使い魔”をちょっとお借りしているよ!」

 人混み、いや、野次馬の中からルイズとシオンが飛び出して来る。

 長いブロンドの髪を揺らし、良く通る声でルイズはギーシュを怒鳴り付けた。

「いい加減にして! だいたいねえ。決闘は禁止じゃない!」

「禁止されているのは、“貴族”同士の決闘のみだよ。“平民”と“貴族”の間での決闘なんか、誰も禁止していない。それに……」

 ルイズの制止に対するギーシュの返答に、彼女は言葉を詰まらせてしまう。

 ギーシュの視線が俺へと向かって来る。

「そ、それは、そんなこと今までなかったから……」

「ルイズ、君はそこの“平民”が好きなのかい?」

 ギーシュからのその言葉に、ルイズの顔が怒りで真っ赤に染まる。

「誰がよ!? やめてよね! 自分の“使い魔”が、みすみす怪我するのを、黙って見ていられる訳ないじゃない!」

「……だ、誰が怪我するって? 俺はまだ平気だっつの」

 強く否定する彼女の言葉が届いてしまったのか、才人は顔を上げてルイズの存在を確かめる。

 そして、それが原因か理由か。先ほどまで絶望などを知ったとは思えない表情を浮かべ、声を震わせながらも才人は力強く立ち上がった。

「サイト!」

 立ち上がった才人を目にして、ルイズが悲鳴のような声で彼の名前を呼んだ。

「……へへへ、お前、やっと俺を名前で呼んだな」

 そんな才人の様子を目にして、ルイズの身体は震え出す。

「理解ったでしょう? “平民”は、絶対に“メイジ”に勝てないのよ!」

「……ちょ、ちょっと油断した。いいからどいてろ」

 近付いて来て、止めに入ろうとするルイズを押しやる才人。

「おやおや、立ち上がるとは思わなかったな……手加減が過ぎたかな?」

 ギーシュは、才人を強く挑発する。

 才人は、ユックリと、ギーシュへと向かい歩き出す。が、そこに、ルイズがその後を追いかけながら才人の肩を掴んだ。

「寝てなさいよ! 馬鹿! どうして立つのよ!?」

 才人は自身の相手へと視線を向けながら、肩に乗せられたルイズの手を振り払った。

「ムカつくから」

「ムカつく? “メイジ”に負けたって恥でもなんでもないのよ!」

 才人はヨロヨロと歩きながら、呟いた。遠くからでも判るほどに、彼が負っているダメージは相当なモノだ。

 それでも、歩く。大地を踏み締める。

 ルイズの言う通り、この世界では、この世界に於いて、この世界の常識ではただの“平民”は“メイジ”には勝つことなどできるはずもない。

 だが、そうではない、のだ。

「うるせえ」

「え?」

「いい加減、ムカつくんだよね……“メイジ”だか“貴族”だか知んねえけどよ。お前ら揃いも揃って威張りやがって。“魔法”がそんなに偉いのかよ。アホが」

 ポツポツと心情を吐露し呟く才人を、ギーシュは薄く笑みを浮かべながら見つめている。

「やるだけ無駄だと思うがね」

 才人は、そんなギーシュの言葉に対して、持ち前の負けん気を発揮し、短く唸った。

「全然効いてねえよ。お前の銅像、弱過ぎ」

 ギーシュの表情から笑みが消えた。

 挑発には挑発で返すことで、その効果が発揮されてしまったのである。

 彼の意志が反映されているかのように、“ゴーレム”の右手が飛ぶように動き、才人の顔面を襲う。

 攻撃はモロに入り、頬に直撃を受け、才人は大きく吹っ飛んでしまう。

「……ッ……」

 才人の身体はボロボロだ。

 鼻が折れ、鼻血が吹き出てしまっている。

 それでもなお、意志の力で立ち上がる才人。ここまで来ると、意地を超えたなにか――執念に近いモノかもしれない。

 そんな、ヨロヨロと立ち上がった彼を、ギーシュの“ゴーレム”――“ワルキューレ”は容赦など一切なく殴り飛ばす。

 立ち上がると同時に殴られる。際限などないかのように繰り返される。

 8回目だろうパンチにより、右腕から鈍い音が鳴り渡る。

 左目は腫れ、視界などとっくに塞がって、右目頼りな状態だろう。

 “ワルキューレ”の脚が、立ち上がったばかりの才人を蹴り、顔を踏み付ける。

 満身創痍だと誰もがいえるだろう状態だ。

 そんな才人へと駆け寄るルイズ。

 彼女の鳶色の瞳は潤んでいる。

 才人は声を出そうとしているのだろうが、殴られ蹴られ続けたことにより、上手く発っすることができ来ず、呻き声のそれに近い。

「……泣いてるのか、お前?」

「泣いてないわよ。誰が泣くもんですか。もう良いじゃない。あんたは良くやったわ。こんな“平民”、見たことないわよ」

 瞳を潤わせ、涙を溜めているルイズ。

 それに気付いたのだろう才人は、ポツリと小さな声でルイズへと言葉をかけるが、彼女は否定し気丈に振る舞う。

 強く当たってはいるが、それでも彼女の根幹にはどこか相手を完全に否定することはできないなにかがある。優しい気持ちがあるのだ。いや、“貴族”などとしての常識に囚われ、不器用であるために言動こそキツイモノが多いだけで、本当は優しい少女であるのである。

「いてえ」

「痛いに決まってるじゃないの。当たり前じゃないの。なに考えてるのよ?」

 ついには、ルイズの目から涙が零れ、才人の頬に当たる。

「あんたはわたしの“使い魔”なんだから。これ以上、勝手な真似は許さないからね」

 そんな2人に対し、ギーシュは敢えて空気を読まず、確認の質問を投げかける。

「終わりかい?」

「……ちょっと待ってろ。休憩だ」

「サイト!」

 ギーシュは微笑んだ。才人のその強い意志、覚悟などに対する敬意として。それを表すために。薔薇の花を振った。すると、1枚の花弁が、1本の剣へと変化する。

 ギーシュはそれを掴むと、才人へと向かって投げ、地面を仰向けに横たわっている才人の隣へと突き刺さる。

「君。これ以上続ける気概があるなら、その剣を取りたまえ。そうじゃなかったら、一言こう言いたまえ。ごめんなさい、とな。それで手打ちにしようじゃないか」

「ふざけないで!」

 ルイズが立ち上がって、怒鳴る。

 然し、ギーシュは気にしたふうもなく、言葉を続ける。

「理解るか? 剣だ。詰まり“武器”だ。“平民”どもが、せめて“メイジ”に一矢報いようと磨いた牙さ。まだ噛み付く気概があるのなら、その剣を取りたまえ」

 答など、眼の前で横たわっている少年がどうするかなど、ギーシュは既にどこかで理解してしまっていた。だからこそ、剣を生み出し、貸すのだ。だからこそ、敢えて挑発をするのだ。

 才人はその剣へと、ソロソロと右手を伸ばす。

 だが、腕が折れてしまっているということもあって、上手く指先に力が入らない様子である。

 そして、その右手が、ルイズによって止められる。

「駄目! ぜったい駄目なんだから! それを握ったら、ギーシュは容赦しないわ!」

 ルイズの言葉通り、ギーシュは、才人が剣を握ることで容赦というモノを捨て去るだろう。“武器”を握った者がいかに厄介か、強い存在かをどこかで理解しているからこそ。才人の強い意志と覚悟を感じ取っているからこそ。

「俺は元の世界にゃ、帰れねえ。ここで暮らすしかないんだろ」

 そんなルイズの制止の言葉を聞きながらも、才人独り言を呟くように、言った。声は聞こえているだろうが、既にその眼はルイズを見ていない。

「そうよ。それがどうしたの!? 今は関係ないじゃない!」

 ルイズがグッと、才人の右手を握り締める。

 そんなルイズの行動に力を受けたかのように、才人は力強い声で、言い放った。

「“使い魔”で良い。寝るのは床でも良い。飯は不味くたって良い。下着だって、洗ってやるよ。生きるためだ。しょうがねえ」

 才人はそこで言葉を切った後、左の拳を握り締める。

「でも……」

「でも、なによ……?」

「下げたくない頭は、下げられねえ」

 才人は最後の気力までをも振り絞り立ち上がる。制止するルイズを撥ね退け、左手で地面に突き刺さっている剣を握った。

 その時……。

 彼の左手に刻まれた“ルーン文字”が、彼の意志に応えるように強く光り出した。

 



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感情の爆発と上から目線の教育

 時間は巻き戻り、場所もまた移る。

 コルベールは“トリステイン魔法学院”に奉職してかれこれ20年くらい、中堅の教師であり、“二つ名”は“炎蛇”。“炎蛇のコルベール”と呼ばれ、“火系統魔法”を得意とする“メイジ”である。

 先日おこなった“春の使い魔召喚”の際に、ルイズが呼び出した“平民”と思しき少年、そしてシオンが呼び出した得体の知れない存在である俺の事が気にかかっていたのである。正確に言うと、“平民”と思しき少年(平賀才人)の左手に現れた“ルーン”、俺、そしてシオンの手に現れた“令呪”と言う“ルーン”に酷似した別のなにか(令呪)が気になって仕方がないのであった。

 それでコルベールは、昨夜から徹夜で図書館に引き篭もり、今の今まで書物を調べている最中なのである。

 “トリステイン魔法学院”の図書館は、食堂のある本塔の中にある。本棚は驚くほどに巨大であり、30“メイル”程度の本棚が壁際に並んでいる様は壮観だろう。それになにより、ここには“始祖ブリミル”が“ハルケギニア”に新天地を築いて以来の歴史が詰め込まれている。

 彼がいるのは、図書館の中の1区画、教師のみが閲覧を許される“フェニアのライブラリー”の中である。

 生徒たちも自由に閲覧できる一般の本棚には、彼の満足行く回答は見付からなかったのである。

 空中浮遊である“レビテーション”の“呪文”を唱え、手の届かない書棚まで浮かび上がり、彼は夜も縋ら一心不乱に本を探っていたのだ。

 そして、その努力はついに報われた。1冊の本の記述に目を留めたのだ。

 それは“始祖ブリミル”が使用した“使い魔”たちが記述された古書であった。

 その中に記された1節に彼は目を奪われてしまった。じっくりとその部分を読み耽るうちに、彼の目は見開かれる。

 古書の1節と、少年の左手に現れた“ルーン”のスケッチを見比べて見た。

 すると、彼は「あっ」と声にならない呻きを上げ、一瞬ではあるが“レビテーション”のための集中力が途切れ、床へと落ちそうになる。

 彼は本を抱えると、慌てて床へと下りて疾走り出す。

 彼が向かった先は、学院長室であった。

 

 

 

 学院長室は、本塔の最上階に存在している。

 “トリステイン魔法学院”の今代の学院長を務めているオスマン氏(以降オスマンと呼称)は、白い口髭と髪を揺らし、重厚な造りのセコイアのテーブルに肘を突いて、退屈を持てあましていた。ぼんやりと鼻毛を抜いていたのだが、おもむろに「うむ」と呟いて引き出しを引き、中から水煙管を取り出す。

 すると、部屋の端に置かれている机に座って書き物をしている女性秘書ミス・ロングビル(以降ロングビルと呼称)が羽ペンを軽く振った。

 水煙管が宙を飛び、ロングビルの手元までやって来た。

 それに対して、つまらなさそうにオスマンが呟く。

「年寄りの愉しみを取り上げて、愉しいかね? ミス……」

「オールド・オスマン。貴男の健康を管理するのも、私の仕事なのですわ」

 オスマンは椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しいロングビルに近付いた。そして、椅子に座るロングビルの後ろに立つと、重々しく目を瞑った。

「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というモノが、なにより重要な問題になって来るのじゃよ」

 オスマンの顔に刻まれた皺が、彼が過ごして来ただろう歴史を物語っていると言えるだろう。100歳とも300歳とも言われているオスマンだが、本当の年齢がいくつなのかを、ここ“トリステイン魔法学院”にいる俺以外の誰も知らない。当の本人さえも把握できていないかもしれないのだから。

「オールド・オスマン」

 ロングビルは、羊皮紙の上を走らせる羽ペンから目を離さずに言った。

「なんじゃ? ミス……」

「暇だからと言って、私のお尻を撫でるのはやめてください」

 オスマンは口を半開きにすると、ヨチヨチと歩き始める。

「都合が悪くなると、呆けたふりをするのもやめてください」

 どこまでも冷静な声で、ロングビルが言い放った。

 それを受けて、オスマンは深く溜息を吐いた。深く、苦悩が刻まれた溜息である。

「真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」

「少なくとも、私のスカートの中にはありませんので、机の下にネズミを忍ばせるのはやめてください」

 オスマンは、顔を伏せた。悲しそうな表情を浮かべ、呟く。

「モートソグニル」

 ロングビルの机の下から、小さなハツカネズミが現れる。そのハツカネズミ、オスマンの足を登り、肩にチョコンと乗っかって、首を可愛らしく傾げる。

 オスマンは、ポケットからナッツを取り出し、自身の“使い魔”であるハツカネズミ――モートソグニルの顔の先で振った。

 それに対し、モートソグニルは、チュウチュウ、と喜び鳴き声を上げる。

「気を許せる友達はお前だけじゃ。モートソグニル」

 モートソグニルはナッツを齧り始めた。齧り終えると同時に、再びチュウチュウと鳴いた。

「そうかそうか。もっと欲しいか。よろしい。くれてやろう。だが、その前に報告じゃ。モートソグニル」

 モートソグニルはオスマンの言葉を受け、チュウチュウと再び鳴く。

「そうか、白か。純白か。うむ。しかし、ミス・ロングビルは黒に限る。そう思わんかね? 可愛いモートソグニルや」

 そんなオスマンの言葉を聞き逃すはずもなく、ロングビルの眉がピクリと動く。

「オールド・オスマン」

「なんじゃね?」

「今度やったら、“王室”に報告します」

「カーッ! “王室”が怖くて“魔法学院”学院長が務まるかーッ!」

 ヨボヨボの年寄りとは思えないほどの迫力を出して、オスマンは目を剥いて怒鳴る。

「下着を覗かれたくらいでカッカしなさんな! そんな風だから婚期を逃すのじゃ。はぁ~~~~~、若返るのう~~~~~、ミス……」

 オスマンはロングビルのお尻を堂々と撫で回し始めた。

 すると、ロングビルは立ち上がり、しかる後に無言で回し蹴りを実行した。上司を、老人を蹴り回す。

「ごめん、やめて。痛い。もうしない。ホントに」

 オスマンは、頭を抱えて蹲る。

 そんな彼を見て、ロングビルは荒い息になりながらも蹴り続ける。

「あだっ! 年寄りを、君、そんな風に、こら! あいだっ!」

 そんな比較的平和な時間は、突然の闖入者によって破られてしまった。

 ドアがガタン! と勢い良く開けられ、部屋の中へとコルベールが飛び込んで来たのである。

「オールド・オスマン!」

「なんじゃね?」

 ロングビルは何事もなかったかのようにして、既に机に向かい椅子に座っている。

 オスマンは、腕を後ろに組んで、重々しく闖入者を迎え入れた。

 もはや早業を超えて、神業の域にあるだろう身の熟しだといえるだろう。

「たた、大変です!」

「大変なことなど、あるモノか。全は小事じゃ」

「ここ、これを見てください!」

 コルベールは、オスマンに先ほどまで読んでいた書物を手渡す。

「これは“始祖ブリミルの使い魔たち”ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるのなら、たるんだ“貴族”たちから学費を徴収する上手い手をもっと考えるんじゃよ。ミスター……なんだっけ?」

 そこで、眼の前の人物の名前を想い出せない素振りを見せ、オスマンは首を傾げた。

「コルベールです! お忘れですか!?」

「そうそう。そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君。この書物がどうかしたのかね?」

「これも見てください!」

 コルベールは、才人の左手に現れた“ルーン”のスケッチをオスマンへと手渡す。

 それを見た瞬間、オスマンの目が光り、厳しい色になり、表情は一変した。

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 オスマンからの指示に対して特になにを言うでもなく、ロングビルは立ち上がる。そして、静かに、一礼をした後に部屋を出て行った。

 彼女の退室を見届け、オスマンはようやく、本題に入るために口を開いた。

「詳しく説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

 そして時間は戻り、現在の少し前。

 学園内とは言え、違う場所ではとある問題が起きそうになっている時。

 コルベールは、泡を飛ばすようにしてオスマンへと説明をしていた。

 “春の使い魔召喚”の際の出来事。“ゼロ”と呼ばれている少女ルイズが“平民”と思しき少年を“召喚”し、“契約”した証明として現れた“ルーン文字”が気になること。シオンが得体の知れない存在を“召喚”し、“使い魔”の方ではなく彼女の手に“ルーン”と似て非なる模様を持つ“令呪”と呼ばれるまったく別の何かが刻まれ浮き上がったことを。

 それを調べていたら……。

「“始祖ブリミル”の“使い魔”である“ガンダールヴ”に行き着いた、と言う訳じゃね?」

 オスマンは、コルベールが描いた平賀才人と言う少年の手に現れた“ルーン”文字のスケッチをジッと見つめる。

「そうです! あの少年の左手に刻まれた“ルーン”は、伝説の“使い魔”である“ガンダールヴ”に刻まれていたモノとまったく同じであります!」

「で、君の結論は?」

「あの少年は、“ガンダールヴ”です! これが大事じゃなくて、なんなんですか!? オールド・オスマン!」

 コルベールは、物悲しく光を放ち続けている頭を、ハンカチで拭きながら捲し立てた。

「ふむ……確かに、“ルーン”が同じじゃ。“ルーン”が同じということは、ただの“平民”だったその少年は、“ガンダールヴ”になった、ということになるんじゃろうな」

「どうしましょう?」

「しかし、それだけで、そう決め付けるのは早計かもしれん」

「それもそうですな。では、別の問題を――」

 取り敢えずどうするかを決めるべきということもあって相談に来たコルベールだが、やはり様子見が良いのだろうという結論になり、そうだと判断する。

 そして、別の話題――また別に気になったこと――シオン・エルディと彼女が“召喚”した“使い魔”などについてを話そうとしたその瞬間、ドアがノックされる。

「誰じゃ?」

 扉の向こうから、ロングビルの声が聞こえて来た。

「私です。オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「“ヴェストリの広場”で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「まったく、暇を持て余した“貴族”ほど、性質(たち)の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「1人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、息子も輪を掛けて女好きじゃ。大方女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」

「……それが、“メイジ”ではありません。ミス・ヴァリエールの“使い魔”の少年とミス・エルディの“使い魔”の青年のようです」

 扉を挟んでの、ロングビルからの報告とその確認をするオスマンだが、そこで予想していなかった答が彼女の口から飛び出し、彼とコルベールは驚き、顔を見合わせた。

「教師たちは、決闘を止めるために“眠りの鐘”の使用許可を求めております」

 オスマンの目が、鷹のように鋭くなり、光る。

「阿呆か。たかが子供の喧嘩を止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

「理解りました」

 そうして報告と確認は終了し、ロングビルが去って行く足音が聞こえ、遠ざかって行くのがわかる。

 コルベールは、唾を呑み込んで、オスマンを促した。

「オールド・オスマン」

「うむ」

 オスマンは、“杖”を掴み取り、振った。

 すると、壁にかかっている大きな鏡に、“ヴェストリの広場”の様子が映し出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わり、“ヴェストリの広場”。

 才人は驚いていた。剣を握ったその瞬間、身体の痛みが消え失せてしまったのだから。

 そして、自身の左手にある痣――“ルーン”が光り輝いていることに、才人は気付いた。

 そして……。

 身体が、あれほど鉛よりも重く感じていたそれが嘘であるかのように、才人には軽く感じられたのである。いや、普段以上であり、羽のように軽い。まるで、飛べそうなほどに、だ。

 その上、左手に握った剣が自身の身体の延長のようにしっくりと馴染んでいるということに気付き、才人はやはり驚きを隠せないでいた。

 剣を握った才人を見て、ギーシュが冷たく微笑んだ。

「まずは、褒めよう。ここまで“メイジ”に楯突く“平民”がいることに、素直に感激しよう」

 その言葉を言い終えるのと同時に、ギーシュは手に持った薔薇を振った。

 自身の身体がボロボロであるのにも関わらず、冷静に状況判断などができることにも才人は驚いた。一体全体自分になにが起きているのか、と。

 だが、そんなことを考えている余裕などありはしない。

 先ほどのギーシュによる薔薇の形をした“杖”の動きに従ったモノだろう、“ゴーレム”が動き、才人へと襲いかかる。

 青銅の塊――戦乙女“ワルキューレ”の姿を模した像が、ユックリとした動きで、才人へと向かう。

 いや、実際は“ワルキューレ”の速度は変わってなどはいない。才人の感覚と身体能力が強化されただけなのである。

 が、それに思い当たるということもなく、才人は“青銅の戦乙女”の攻撃から身を守り迎撃するために跳んだ。

 

 

 

 自分の“ゴーレム”が、粘土のように斬り裂かれるのを目にして、ギーシュは声にならない呻きを上げてしまう。

 グシャリと音を立て、真っ二つになった“ゴーレム”が地面へと落ちる。

 同時に、剣を握った“平民”がギーシュ目掛けて旋風にでもなったかのように突っ込んで来るのだ。

 慌てて応じるように薔薇を振る。それに従い、花弁が舞い、新たな“ゴーレム”を6体ほど生成する。

 合計で7体の“ゴーレム”が、今の彼の武器である。1体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたためであった。慢心か、それとも油断か。

 そして、生成した7体の“ゴーレム”が“平民”を取り囲み、一斉に躍りかかる。そして、一気に揉み潰す。

 かに見えたその瞬間、7体のうち5体の“ゴーレム”が、バラバラに斬り裂かれてしまう。

 ギーシュには、振るわれているはずの剣を目視で捉えることができなかった。残像すらも視認することができないのである。

 見事な腕前。「あんな風に剣を振れる人間がいるなんて」と信じることが難しいほどのモノである。

 驚きも関心もする余裕もなく、咄嗟に無事な残り1体の“ゴーレム”を、ギーシュは自分の盾として扱うために全面に配置した。

 が、次の瞬間、その“ゴーレム”は難なく斬り裂かれてしまった。

「――ひッ!」

 ギーシュは、顔面に蹴りを喰らって吹き飛び、地面を情けなく転がってしまう。

 “平民”が彼目掛けて跳躍する、跳躍したその瞬間が見えた。

 ギーシュは(殺られる!)と想って、考えるよりも速く頭を抱えてしまった。

 ザシュッと音がして……。

 ギーシュが恐る恐る目を開けると……。

 “平民”が、剣をギーシュの右横の地面に突き立てているのが見えた。

「続けるか?」

 “平民”から、呟くような確認の言葉が聞こえて来る。もはやそれも近くからとは言え、今のギーシュにとって、遠くから聞こえて来ているかのように感じられるほどであった。

 ギーシュは首を横に勢い良く振る。既に、完全に戦意を喪失してしまったと言って良いだろう。

 震えた声で、ギーシュ・ド・グラモンはどうにか言葉を紡ぎ、言った。

「ま、まいった」

 

 

 

 才人は、剣から手を離すと、歩き出した。

 すると、「あの“平民”、やるじゃないか!」とか、「ギーシュが負けたぞ!」とか、見物をしていた連中からの歓声が届く。

 だが、どのようにして勝ったのか、それを今の才人は想い出すことはできなかった。ただひたすらに無我夢中に、ボロボロにやられ、なりながらも動いていただけなのだから。剣を握ったその瞬間、世界が変わったかのように感じたが、文字通りの一瞬の出来事。気が付けば、“ゴーレム”を全て斬り裂いていたのである。

 そして、ここでようやく才人は自身の身体に起きた不可思議な現象に対する疑問を抱いた。剣など使えるはずのない自分が剣を振るい勝利を掴んだという事に。

 彼の目にはルイズが駆け寄って来るのが見えていた。

 ルイズに対して、「おーい、勝ったぞ」といったことを言おうとしたのだろうが、膝から始まり身体全体から力が抜け始める。身体から先に、次に意識が急速を求めようとしているのである。

 才人の視界は次第に狭くなり、そして重い疲労感が彼の身体を襲う。意識は遠のき、才人は前のめりに倒れた。

『もしかしてこうなることを知ってたの? セイヴァー』

『ああ、まあな。ちょっとしたズルで、あらかじめ、だいたいの展開は識っていたからな……』

 念話でシオンと俺は事の顛末などについてアイコンタクトなどを取りながら会話をする。

 そして、俺は才人たちのいる中央へと向かいながら、この広場へと覗きを行っている人物たちへと目を向ける。

 

 

 

 いきなり倒れ掛けた才人の身体を、ルイズは駆け寄り支えようとしたが、上手くいかなかった。ドタッと、才人は地面に倒れてしまう。

「サイト!」

 ルイズはその身体を揺さぶった。しかし、反応はない。

 だが、意識を失っただけであり、もちろん死んでなどはいない。

「ぐー……」

「寝てるし……」

 いや、いびきが聞こえて来ることから、寝ていることがわかる。相当に疲かれたのであろう。

 ルイズはホッとした表情で、溜息を吐いた。

「ルイズ。彼は何者なんだ? この僕の“ワルキューレ”を倒すなんて!」

「ただの“平民”でしょ」

「ただの“平民”に、僕の“ゴーレム”が負けるなんて想えない」

「ふんだ。あんたが弱かっただけじゃないの?」

 ギーシュからの質問に対し、ルイズは素っ気なく応えた。

「ああもう! 重いのよ! 馬鹿!」

 観戦をしていたであろう生徒の1人が、才人へと“レビテーション”の“魔法”をかけた。今の才人は、“平民”ではなく、決闘に於ける勝者として扱われているのである。

 ルイズは「ありがとう」と礼の言葉を口にして、浮かんだ才人の身体を、自身の部屋へと運び、そこで治療するために押した。

 そして、押しながら、片手でゴシゴシと目を擦った。

 痛そうで、可哀想で、泣けてしまったのだろう。剣を握ることでいきなり強くなりはしたけど、あのままでは死んでしまっていたかもしれないのだから。

 彼が勝ったことよりもそのことの方が、今のルイズにとっては重要であった。

 死んでも良いなんてことを想っていたのか、それとも……“平民”に相当する立場の人間だろうが、妙なプライドを振りかざす。

 ルイズは、(立場は違うけど、どこかわたしと似たところがあるかもしれないわね)と考えた。

「“使い魔”のくせに、勝手なことばっかりして!」

 ルイズは寝ている才人に対し、怒鳴ってしまった。安心したことによるモノか、一連の事が頭に来たのである。

 

 

 

「で、どうする? 続けてやるかい?」

「いや、とんでもない……もう疲れたよ。にしても、君の言葉は正しかった。彼は凄い“平民”だ……名前は……」

「食堂でも言っただろうに……まあ、良いか。あいつの名前は、平賀才人。サイトとでも呼んでやると良いだろう」

「そうか、サイトか……では、君の名前は?」

「俺に名前はない。だから、セイヴァーとでも呼んで欲しい」

「そうか……では、セイヴァー。僕の完p――」

「――なに言っているんだよギーシュ! そんな生意気な奴と握手をしようとするなんて、遂にどうにかなっちまったのか?」

 観戦をしていた野次馬たちの中から、かなり大きな声がギーシュへとかけられ、彼の言葉が遮られる。

「別に良いじゃないかね? これは、僕と彼らの決闘。君が口を挟むことではないよ」

「それでも、だ。1人の“貴族”として放置する訳にはいかないんだよ」

 ギーシュの言葉を真っ向から否定してみせる、男子生徒。

 人混みの中から出て来たのは、膨よかな身体を持った男子生徒であった。

「で、君はどうしたいんだい?」

「そうだな……決闘だ。徹底的な躾けを。貴様も、あの“平民”も、ここで働いている“平民”たちも。どっちが偉いか、上に立つ者がを教えてやる必要があるな」

「……そうか」

 俺の質問に対し、下卑た笑みを浮かべながら応える膨よかな男子生徒。

 どこまでも典型的なタイプなのか、他者を見下しているように見えてしまう。自身の優位性を全く疑っていないように見えるのである。

 他人は鏡……まるで自分の影を見ているようだと感じ、俺はとても気分が悪くなった。

 同時に、ここから先は、自分というモノ――己の醜い我というモノを抑えることに自信がなくなってしまった。

 俺はただ短く、彼の言葉に応えた。

「では、君に質問を……いや、この場にいる皆に、諸君らに問いたい。君たちは“平民”をどう思っているのか? 権力に関してどう考えているのか? “貴族”とは?」

「そんなの決まっている。“平民”は“貴族”に従うモノだ。俺たちがいるからこそ、お前たちは日々を暮らすことができているんだ」

「……愚かな」

 俺の中でなにかがプツンと切れてしまった。

『駄目だよ、セイヴァー。穏便に、言葉も選んでね?』

『重々理解しているよ“マスター”。私は平和主義者だ。出来る限り平和的に物事を解決したい。だが、時には力尽くな方法が必要な事もある……』

 シオンからの制止の念話を振り切り、俺は質問に応えた膨よかな男子生徒を見る。

「権力とは、決して目には見え無い力だ。其れは物理的なモノでは無いからこそ力が在るのと同時に、力の無いモノだ」

「い、いきなりなにを言い出すんだお前は?」

「周囲の者が認めて初めて効力を持ち発揮する特異なモノ。其れこそが権力だ。貴様の其れは唯の横暴で在るだけだ。権力では決して無い。近い内と迄は言わ無いが、其の侭では(いず)れ“平民”達からの反逆を受けるだろう」

「ハッ! そんなことある訳がないだろう。これまでの歴史でそういったこともありはしたが、それでも直ぐに治まった」

「力に依る鎮圧か……? 其れが“貴族”の為る事だと? ノブレス・オブリージュ……財産や権力、地位の保持には責任が伴う。貴様には其れが欠如して居る様だな」

 次々と言葉が俺の口から突いて出て来た。そして、抑え切ることができず、眼の前の膨よかな男子生徒へと打つけてしまう。

 彼はただの被害者だ。この世界の、この時代の、この社会の、教育の。

 だが、俺の口からは次々と現体制などへの批判が、眼の前の彼を否定するという形で出て来てしまう。

「貴様は言ったな? 俺達が居るからこそ“平民”達は暮らす事が出来るのだ、と。否、断じて否だ。“平民”達が居るからこそお前達は日々の暮らしを約束されて居る。して貰って居るんだ。お前達の先祖は、普段楽をして居られる様に、普段の生活を支えてくれて居る“平民”達の為に、戦争の時に最前線に立つ時に備えて頑張って来たからだ。今のお前は、先祖の努力の上で胡座を掻いて居るだけだ。先祖の努力を水泡に帰させて居る。さて、此処で確認だが、“平民”の力無しで生きて行けるか?」

「と、当然だ。生きて行ける!」

 売り言葉に買い言葉ではないが、俺の言葉に眼の前の膨よかな男子生徒は震え声ながらもどうにかして答えた。

 そもそもの話、今の俺の口から出ているのは、前世の俺の言動にまるっきり刺さるモノである。

 俺は、自身に言い聞かせながら、“貴族”たちへと問い掛け、言い放つ。

「そうか……では、試して見よう。悪いが貴様は見せ締めだ。運が悪かったと諦めるんだな」

 俺はそう言って、少しばかり“魔力”を解放する。

 それにより、彼が着ている服は弾け飛んだ。

「――!? な、なにをしたんだ!?」

 当の男子生徒はもちろん、他の生徒たち、俺の横にいたギーシュも驚きを隠せないでいる。シオンは(まさかここまでするとは想わなかった)といった具合な表情を浮かべている。

 この場にいるシオンと俺を除いた生徒たちは、なにが起きたのか理解できないまま、ただ、俺が“魔法”に似たモノを“杖”を使わずに放ったことに驚き、そして恐れている様子を見せる。

 それは当然だろう。

 “杖”を使用せずに“魔法”を行使することができるのは――。

「其の服は誰が作った? 今後食事を摂る際、1から行うのだな。勿論、1と言うのは狩猟や農作業の事だ。まあ、頑張れよ“貴族”さん」

 今の俺は、ルイズを“ゼロ”だと馬鹿にしていた才人よりも性質(たち)の悪い存在になってしまっているだろう。

「ふ、ふざけるな!」

 ここまで来ると、彼らは確かに「ふざけるな」と言いたい、そして言っても良い立場に在るだろう。

 そう叫びながら、膨よかな男子生徒は、自身が持つ“杖”を振るい、“魔法”の行使を行う。

 どうやら彼は優秀な部類であるようで、“ラインメイジ”なのか“火”と“風”の2つの系統を合わせ、それぞれの“ルーン”を唱え、火球を生成してこちらへと飛ばして来る。

 が、今の俺は“サーヴァント”であり、この程度であれば直撃しても少し温かい程度で済むだろう。

「……ヌルい」

 実際に、直撃はしたが、それでもかすり傷1つ、火傷など負うことはない。

「良いか? “魔法”とはこう使うモノだ」

 俺は同様の“魔法”をそっくりそのままおこない、彼へと放つ。

 だが、威力は段違いだ。

 直撃してしまえば、ただでは済まないだろうことは明白である。

「“令呪”をもって命じ――」

「その必要はない、“マスター”。直ぐに消すから」

 俺はそう言って、自身が生成した火球の“魔力”結合などを解除させて消し去る。真っ裸になってしまっている膨よかな男子生徒に火傷を負わしてしまう直前に、だ。

 そしてここでふと、俺は考えた。

 この少年やここにいる皆もまた、“平民”と呼ばれる者たち同様に被害者に過ぎないのだと。“貴族”と呼ばれる者たちの先祖は、統率者の必要性をはじめ資源の不足や教育の未熟さなどが噛み合って自然発生したようなモノであり、彼らは最初こそ守るべき存在を守るために命を懸けていた。が、その必要がなくなる、そこまでする必要がなくなったことで形骸化し、それらが当たり前となってしまった。上に立つことが当たり前だ、と。

 

――“お父さまはなにも言わなかった……! お母さまは初めからいなかった……!”“爺やも執事も、誰も彼も、私に教えてくれなかった!”、“それが悪いことだったなんて、誰も、私に教えてくれなかったくせにぃぃぃぃぃいい……!”。

 

 といったところだろうか。

 そんなとある少女の叫びが、俺の頭の中に響いた。

「すまない。やり過ぎてしまったよ……大丈夫かな?」

 俺はそう謝罪の言葉を口にして、呆然としている少年へと歩みよる。

 だがその少年は、立ったままその意識を手放し、気絶してしまっていた。

「……少し頭を冷やして来るよ、マスター」

 やり過ぎた、というよりも自制が利かせられなかったことを自省するため、俺は自身の身体を“霊体化”させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところ戻って、“学院長室”。

 オスマンとコルベールは、“遠見の鏡”で一部始終を見終えると、顔を見合わせてしまう。

 コルベールは震えながらオスマンの名前を呼んだ。

「オールド・オスマン」

「う、うむ……」

「あの“平民”、勝ってしまいましたが……」

「うむ……」

「ギーシュは1番レベルの低い“ドットメイジ”ですが、それでもただの“平民”に遅れを取るとは想えません。そしてあの動き! あんな“平民”見たことがない! やはり彼は“ガンダールヴ”!」

「うむむ……」

「そして、ミス・エルディが喚び出した彼……恐ろしい。ただその言葉しか出て来ません」

「うむ……その通りじゃな」

「ミス・エルディがこちらにいる限りは、我々に直接的な危害はなさそうですが……」

「うむむ……」

 唸るオールド・オスマンに対し、ミスタ・コルベールは促す。

「オールド・オスマン。早速“王室”に報告して、指示を仰がないことには……」

「それには及ばん」

 オールド・オスマンは、重々しく頷いた。それにより、白い髭が激しく揺れる。

「どうしてですか? 現代に蘇った“ガンダールヴ”! そして喚び出された謎の青年! これは世紀の大発見であり、危険に対する対処を未然に行うために必要なことなのですよ!」

「ミスタ・コルベール、“ガンダールヴ”はただの“使い魔”ではない」

「その通りです。“始祖ブリミル”の用いた“ガンダールヴ”。その姿形は記述がありませんが、主人の“呪文詠唱”の時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」

「そうじゃ。“始祖ブリミル”は、“呪文”を唱える時間が長かった……その強力な“呪文”ゆえに知っての通り、“詠唱”時間中の“メイジ”は無力じゃ。そんな無力な間、己の身体を守るためには“始祖ブリミル”が用いた“使い魔”が“ガンダールヴ”じゃ。その強さは……」

 その後を、コルベールが興奮した調子で引き取る。

「1,000人もの軍隊を1人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並の“メイジ”ではまったく歯が立たなかったとか!」

「で、ミスタ・コルベール」

「はい」

「その少年は、本当にただの人間だったのかね?」

「はい、どこからどう見ても、ただの“平民”の少年でした。ミス・ヴァリエールが喚び出した際に、念のため“ディクト・マジック”で確かめたのですが、正真正銘、ただの“平民”の少年でした」

「そんなただの少年を、現代の“ガンダールヴ”にしたのは、誰なんじゃね?」

「ミス・ヴァリエールですが……」

「彼女は、優秀な“メイジ”なのかね?」

「いえ、と言うか、むしろ無能と言うか……」

「さて、その2つが謎じゃ」

「ですね」

「無能な“メイジ”と“契約”したただの少年が、なぜ“ガンダールヴ”になったのか。まったく、謎じゃ。理由が見えん」

「そうですね……」

「とにかく、“王室”のボンクラ共に“ガンダー~ルヴ”とその主人を渡す訳には行くまい。そんな玩具を与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」

「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」

「ミス・エルディが“召喚”した青年の方はただの青年だったかの?」

「いえ、それを確認する前に“召喚の儀”は終わりましたのでわかりかねます……」

「ふむ……この件は私が預かる。……他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」

「は、はい! 畏まりました」

 オスマンは“杖”を握り、窓際へと向かった。

 遠い歴史の彼方へと想いを馳せる。

「伝説の“使い魔”である“ガンダールヴ”か……いったい、どのような姿をしておったのだろうなあ?」

 ミスタ・コルベールは夢見るように呟いた。

「“ガンダールヴ”は“汎ゆる武器を使い熟し、敵と対峙した”とありますから……」

「ふむ……」

「取り敢えず、腕と手はあったでしょうなあ」

 “腕、そして手があっただろう”、また、“汎ゆる武器を自在に使用した”ということから、それらはかなり発達したモノだっただろうと推測でき、ヒトや“亜人種”であった可能性があると考えられている。

「そして、あの謎の青年、その主であるシオン、と言った少女の件についても同様じゃ。ミスタ・コルベール。あの青年は、“遠見の鏡”を使用していた我々の存在に気付いていたみたいじゃしのう」

 そして、あの生徒に対して使用した“魔法”。

 警戒して損はないであろう存在だろう、とオスマンは判断した。

「はい、学園長」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の陽光で、才人は目を覚ました。と、同時に、自身の身体に包帯が巻かれていることに気付く。そして、ギーシュとの決闘でのことを想い出した。

 そしてここは、彼にとって見覚えがある場所――ルイズの部屋である。

 部屋の主であるルイズはというと、なぜか椅子に座り机に突っ伏して寝ている。

 彼は左手の“ルーン”へと目を向ける。そして、剣を握った際の出来事――身体が軽くなり、自身の手足の延長のようになった剣を自由自在に使用したことを思い出した。

 あの戦闘では、不思議なことがたくさん起きたと考える。

 そんな風に彼が左手を見詰めているとノック音が鳴り、ドアが開いた。

 ドアが開かれ、そこから姿を現したのはシエスタだった。あの、才人たちに対し厨房でシチューを振る舞ってくれた、“平民”の少女だ。相変わらずのメイド姿をしており、カチューシャで髪を纏めている。

 彼女は、銀のトレイを抱えており、その上にパンと水が置かれているのが見える。

「シエスタ……?」

 彼女は才人を見ると微笑んだ。

「お目覚めですか、サイトさん?」

「うん……俺……」

「あれから、ミス・ヴァリエールが、ここまで貴男を運んで寝かせたんだですよ。先生を呼んで“治癒”の“呪文”を掛けて貰いました。大変だったんですよ」

「“治癒呪文”?」

「そうです。怪我や病気を治す“魔法”ですわ。ご存知でしょう?」

「いや……」

 シエスタの言葉に、才人は首を横に振った。ここでの常識が才人に通用すると思われては困るが、言っても始まらない。たがそれは、逆もまた然りだろう。

「治療の“呪文”のための秘薬の代金は、ミス・ヴァリエールが出してました。だから心配しなくても良いですわ」

 黙っているからだろう。どうやらお金の心配をしているのだろうと思われたらしい。

「そんなにかかるの、秘薬のお金って?」

「まあ、“平民”に出せる金額ではありません」

 才人は立ち上がろうするが、呻いてしまう。

「――あいだっ!」

「あ、動いちゃ駄目ですわ! あれだけの大怪我では、“治癒”の“呪文”でも完璧には治せません! ちゃんと寝てなきゃ!」

 シエスタの言葉に、才人は首肯き、ベッドへと身体を戻す。

「お食事をお持ちしました。食べてください」

 シエスタはそう言って、抱えていたトレイを才人の枕元に置いた。

「ありがとう……俺、どのくらい寝続けてたの?」

「三日三晩、ずっと寝続けてました。目が覚めないんじゃないかって、皆で心配してました」

「皆って?」

「厨房の皆、そしてミス・ヴァリエール、ミス・エルディです……セイヴァーさんは“大丈夫だ”って言ってましたけど……」

 シエスタは、それからはにかんだように顔を伏せた。

「どうしたの?」

「あの……すいません。あの時、逃げ出してしまって」

 食堂で、ギーシュ・ド・グラモンを怒らせた時、彼女は逃げ出してしまった。彼女はそれを悔いているのだろうか。

「良いよ。謝ることじゃないよ」

「ホントに、“貴族”は怖いんです。わたしみたいな、“魔法”を使えないただの“平民”にとっては……」

 シエスタはそう言いながら身体を震わせている。

 そして、彼女は顔をグッと上げた。なぜか、その目はキラキラと輝いていた。

「でも、もう、そんなに怖くないです! わたし、サイトさんを見て感激したんです。“平民”でも、“貴族”に勝つことができるんだって……」

「そう……ハハ」

 シエスタからの視線を受けて、才人は笑うことしかできなかった。まだ、自分がどのようにしてギーシュ・ド・グラモンに勝利することができたのか理解らず、不思議に想っているのだから。

 そして、照れ臭さもあって、才人は頭を掻いた。折れていたはずの右腕で掻いたということに気付く。もう、なんともない。動かすと多少の痛みはあるが、骨はしっかりとくっ付いているようである。

 そして、自身のその状態から見て、「これが“魔法”か」と才人は妙に感心をしてしまった。(これだけの力があるんだ、威張るのも仕方がないかもしれないな)と。

「もしかして、ずっと看病してくれてたの?」

 才人は身体に巻かれた包帯を見て、シエスタへと尋ねる。

「違います。わたしじゃなくて、そこのミス・ヴァリエールが……」

「ルイズが?」

「ええ。サイトさんの包帯を取り替えたり、顔を拭いて上げたり……ずっと寝ないでいてたから、お疲れになったみたいですね」

 ルイズは、柔らかい寝息を立てながらグッスリと寝ている。

 そして、よくよく見て見ると、長い睫の下には大きな隈ができているのが判る。

 そう遣って見て居ると、ルイズは目を覚ました。

「ふぁああああああああ」

 大きな欠伸をして、伸びをする。それから、ベッドの上で目をパチクリさせている才人に気が付いた。

「あら。起きたの、あんた」

「う、うん……」

 才人は顔を伏せた。お礼を言おうと思い、意を決する。

「その、ルイズ」

「なによ?」

「ありがとう。あと、心配をかけてごめん」

 ルイズは立ち上がった。

 そして、才人に近寄る。

 その一連の行動に対し、才人はドキドキとする。そして、思春期の男子の性か(“頑張ったね!”、“格好良かったね!”などと言ってキスでもしてくれるのか?)、などと考えてしまった。

 しかし、やはりというかそんなことはなかった。

 ルイズは才人の毛布を引っ剥がすと、首根っこを掴んだ。

「治ったら、さっさとベッドから出なさいよ!」

 首根っこを掴んだまま、ルイズは才人を引っ張り出した。

「は!? あぐ!」

 才人は床に転がってしまう。

「お、お前、怪我人だぞ!」

「それだけ話せりゃ十分よ」

 才人は抗議するために立ち上がった。まだ痛みは感じるが、決して動くことができない訳じゃないのである。

「そ、それじゃ、ごゆっくり……」

 とばっちりを恐れたのだろうシエスタが苦笑いを浮かべて、部屋から出て行く。正しい判断だと言えるだろう。

 ルイズは、才人に服や下着の山を投げ付けた。

「はぐッ!」

「あんたが寝ている間に溜まった洗濯物よ。あと、部屋の掃除。早くして」

「お前なあ……」

 1枚1枚はそれほど重量がないために痛みはないが、それでも才人は防御態勢を取ろうとして、その際に痛みが身体を奔った。

 ルイズはジロッと才人を睨んだ。

「なによ? ギーシュを倒したくらいで待遇が変わると想ったの? おめでたいんじゃないの? 馬鹿じゃないの? 忘れないで! あんたはわたしの“使い魔”なんだからね!」

 素直に感謝や心配の言葉を述べることができないルイズを前に、才人は彼女を恨めしげに見つめた。

 

 

 

「ふむ……」

 “千里眼”を用いて、事の顛末を見届け、息を吐き出す。

 どうやら無事目を覚ましたらしい。

 問題なく目を覚ますということは理解していたが、いざ眼の前で彼が倒れ意識を失ってしまうといった出来事が起きてしまうと、本当に目覚めるか不安になってしまったのである。どこか悪い所でも打つけてしまったのか、なにか小さなことで大きく分岐して直ぐさま“剪定”されてしまうのでは、と。

「どう、セイヴァー?」

「無事目覚めたようだ。彼女とイチャイチャしているよ」

 シオンからの確認の質問に、俺は首肯き答える。

 覗きといったことをしてしまっていることに後ろめたさを感じはするが、それでも心配だったということもあり、見続けていたのである。

 心配は杞憂に終わり、彼は無事に目覚めた。

 なにも可怪しいところはない。なにも問題はないのだ。

「ねえ、セイヴァー。あの時のことだけど……」

「あれか……」

 “あの時のこと”、それは恐らく、などと不確かなモノではなく、これだと断言することができる。

 膨よかな男子生徒に対して行った一連の言動のことだろう。使用した“魔法”は“アーマーパージ”や“ドレスブレイク”に酷似したモノ、この世界の“魔法”である“火”と“風”を組み合わせて生み出した火球。そして――。

 あれから、他の生徒たちからシオンに対しての言動は基本的には変わりはしないが、それでも少しばかり伺いを立てているかのようなモノが多い。そして、俺が近くにいることで彼ら、もしくは彼女らはそそくさと去って行くのだ。

 それは当然のことであろう。あれだけのことをしてしまったのだから。

「何度も言うけど、どうしてあんなことを?」

「すまない。何度も同じ返答になるが、あの時は暴走とでもいったようなモノだ。感情を理性で抑えるのが難しかった。セイヴァーと名乗っているのにあの為体(ていたらく)とは、恥ずかしいし情けないモノだ……」

 自身の感情を制御することができないというのは、未熟さの表れでもあるだろう。

 “救世主(セイヴァー)”を名乗ることに不安や申し訳なさなどを強く感じてしまう。

「このままでは、また同じようなことをしでかしてしまうかもしれないな……」

「そうだね。それじゃあ、こういうのはどうかな?」

 シオンはそう言い悪戯っ娘のような笑みを浮かべなあら、自身の手の甲に刻まれた赤い模様――“令呪”を見せる。

「それもありかもしれないが、それでもそれは3回分しかない。大事な場所や時に使うべきだろう。だから――」

「でも、いざとなれば使うからね」

「理解しているよ、マスター」

 シオンからの言葉に、俺はそう返しながらこの先のことを考える。

 



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使い魔としての1日

 俺が“神様転生”をして“サーヴァント”としての能力を獲得し、“トリステイン魔法学院”でシオンに“使い魔”として“召喚”されてから既に1週間が経過している。

 そんな俺の1日はというと、基本的な流れはなにも変わることはない一律としたモノと言えるだろうか。

 

 まず、“サーヴァント”という存在の身体は基本的には“エーテル”で構成されている。“エーテル”とは、本来“地”、“水”、“火”、“風”の“四大要素”に溶け合いどれかになるモノであり、“形をなすために必要な媒介”であり、“天体を構成する第五の元素”であり、“人工的に作られたマナ(魔力)”である。そんな“エーテル”による仮初の肉体を得し、受肉じみたことをしている幽霊に似ながらもまったく別の存在。そういったこともあり、朝も昼も夜もまったく関係がなく、常に目が覚めている状態である。睡眠など必要ない。いや、他の“サーヴァント”は違うかもしれないが、俺はそういった“サーヴァント(サーヴァント)”である。

 

 

 

 太陽が昇ることで朝が来ると、ベッドで無防備に寝ているシオンに言葉をかけて優しく起床を促す。

 彼女は、寝惚けることもなく、常にスッキリとした風に起床をしてくれる。

 

 そして、目覚めた後、彼女は着替えに入る。当然、俺は“霊体化”し、部屋の外へと出る。

 生前であれば、サービスシーンなどと考えただろうが、決して覗き見ることはない。見てなにか問題を起こしてしまう訳ではないのだが、そういったことをしようという考えがなかなか起きないのである。

 そして、もう1つ。周囲への警戒だ。今この時期にはないだろうが、無防備な状態の彼女に対してなにかを仕掛けて来る存在がいるかもしれないのだから。

 

 黒いマントと白のブラウス、グレーのプリーツスカートといった制服に身を包んだ彼女は洗顔をし、歯を磨く。

 当然この世界、この時代には水道だのという便利かつ気の利いたモノは個室に引かれているはずもない。そのため、本来であれば水汲み場までわざわざ行って、バケツに汲んで持って戻って来なければならない。が、俺は自身の“魔力”を使用し、この世界――“ハルケギニア”で使われている“水系統”の“魔法”と“地球”で秘匿されながらも使用されている“水属性”の“魔術”を組み合わせ、バケツの中に洗顔用の水を生成するのだ。いやまあ、“錬金”で水蒸気を水へと変化させるだけで良いのだが。

 

 そして、朝食だ。

 食堂で、「頂きます」といった食事の際の言葉に当たる「“偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝も細やかな糧を我に与え給うたことを感謝いたします”」を皆で斉唱し、食事を摂るのだ。

 

 朝食の後、彼女が講義を受けている間だが、掃除洗濯をする。

 “使い魔”であり、“サーヴァント”である自分だが、決して下僕という訳ではない。のだが、別段文句が出て来ることなどはない。むしろ、前世での母親に対しての感謝が湧き出て来るほどであった。

 掃き掃除、拭き掃除……洗濯機という便利な道具はありはしたが、それでもかなりの苦労をしただろう掃除洗濯などなど……“風系統”と“風属性”を組み合わせ、“水系統”のと “水属性”を組み合わせ、それぞれ掃除洗濯をする。

 

 そしてその後、“アルヴィーズの食堂”の裏にある厨房へと赴くのだ。“サーヴァント”であることから食事は一切必要とはしないが、娯楽として愉しむのという点では大いに意味があるといえるだろう。

 厨房へと赴き顔を覗かせるとシエスタを始め、厨房で仕事をしている皆がシチューや骨付きの肉などを寄越してくれるのである。

 

 

 

 

 

 そして、今日もまた一連のするべきことを済ませた後に、俺は才人と共に厨房へと向かう。

「“我らの剣”と“救世主”殿が来たぞ!」

 そう叫んで、俺たちを歓迎したのは、コック長であるマルトーという男性だ。40過ぎの太った男性である。もちろん、“貴族”ではなく、“平民”であるのだが、“魔法学院”のコック長ともなれば、収入は身分の低い“貴族”なんかは及びも着かなく、羽振りは良いだろう。

 そんな彼だが、丸々としたその身体に、立派な誂えの服を着込み、常に厨房を一手に切り盛りしている。

 マルトーは、羽振りの良い“平民”の例に漏れず、“魔法学院”のコック長であり、一部の例外はありはするが“貴族”と“魔法”というモノを基本的に毛嫌いしている。

 彼は“メイジ”のギーシュを剣で倒した才人を“我らの剣”、“セイヴァー”と名乗ったことからか俺を“救世主”殿と呼び、まるで王様でも扱うかのようにして俺たちを饗してくれるのだ。

 そういったことからも、専用の椅子というモノを用意してくれており、俺たちがそこへと座ると、シエスタがサッと寄って来てニッコリと笑いかけ、温かいシチューの入った皿とフカフカの白パンを出してくれるのである。

「ありがとう」

「今日のシチューは特別ですわ」

「それは愉しみだな」

 用意してくらたことに対し、才人は礼の言葉を口にする。

 シエスタは嬉しそうに微笑み、促す。

 俺は反応を返し、俺と才人はほぼ同時のタイミングで一口シチューを口に含み、顔を輝かせる。

「美味い、美味いよ! あのスープとは大違いだ!」

「ああ、確かに美味い。甘く蕩ける……素晴らしいぞ、マルトー」

「そりゃそうだ。そのシチューは、“貴族”連中に出しているモノと同じもんさ」

 才人と俺が感激し、感想を述べると、包丁を持ったマルトーがやって来る。

「こんな美味いモノ、毎日食いやがって……」

「お前も自宅ではそれ以上のモノを食べていただろうに……」

 才人が愚痴り、俺がたしなめると、マルトーは得意げに鼻を鳴らす。

「ふん! あいつらは、なに、確かに“魔法”はできる。土から鍋や城を造ったり、とんでもない炎の玉を吐き出したり、果ては“ドラゴン”を操ったり、大したもんだ! でも、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、言うなら1つの魔法さ。そう想うだろ、2人とも?」

 この世界に於ける“ドラゴン”は基本的に、“地球”に於ける“ワイバーン”に相当する存在だ。

 だが、一々そういったことに反応を返すことはせず、俺は才人と共にマルトーの言葉に対して首肯いた。

「まったくその通りだ」

「良い奴だな! お前たちは全く好い奴だ!」

 そう言いながらマルトーは、才人の首根っこに、少し太い腕を巻き付ける。

「なあ、“我らの剣”! “救世主”殿! 俺はお前たちの額に接吻するぞ! こら! 良いな!?」

「その呼び方と接吻はやめてくれ」

「右に同じくだ」

「どうしてだ?」

「どっちもむず痒い」

「……」

 マルトーからの言葉に、才人と俺は拒否する。

 そしてマルトーは、才人から身体を離すと、両腕を広げて見せた。

「お前は“メイジ”の“ゴーレム”を斬り裂いたんだぞ! そして、お前は“貴族”へと注言し、素っ裸にしてみせた! 理解ってるのか!?」

「ああ」

「十分に理解しているとも」

「なあ、お前はどこで剣を習った? どこで剣を習ったら、あんな風に振れるのか、俺にも教えてくれよ」

 マルトーは、才人の顔を覗き込んだ。

 マルトーは、目覚めた翌日から毎日飯を食いに来た才人に、毎回こうやって尋ねるのであった。そのたびに才人もまた同じ答を繰り返す。

「知らないよ。剣なんか握ったことがないもん。知らずに身体が動いてた」

 そう。彼はまだ自分がどういった存在になってしまったのかを知らない。どうして“武器を自在に扱える”のかを知らないのである。

「お前たち! 聞いたか!?」

 マルトーは、厨房全体に響くように大声で言う。

 若いコックや見習いたちが、返事を寄越す。

「聞いてますよ! 親方!」

「本当の達人というのは、こういうモノだ! 決して己の腕前を誇ったりはしないモノだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」

 コックたちが嬉しげに唱和する。

「達人は誇らない!」

 そんなマルトーやコックたち、見習いたちの反応に対し、俺は「なるほど」と感想を抱く。才人のことを謙虚な人物だと受け取ったようである。いや、これもまた、いつものことなのだが。

「で、次はお前についてだ“救世主”殿。お前さん、元“貴族”か、その血を引いているのか?」

「そんな大したモノじゃないさ……」

 俺は小さく否定する。だが、実際には“貴族”どころではないのだが。

 すると、マルトーはもう1度俺たちを見つめる。

「やい、“我らの剣”、“救世主”殿。俺はそんなお前たちがますます好きになったぞ。どうしてくれる?」

「どうしてくれると言われても……」

 マルトーからの言葉に対し、反応に困りながら自身の左手の甲にある“ルーン”を見つめる才人。

「では、嫌われないように気を付け、その好意に応えるだけだ」

「言うじゃないか、“救世主”殿!」

 俺の言葉に、より一層気でも良くしたのか大きく笑うマルトー。

 そして、彼はシエスタの方へと顔を向ける。

「シエスタ!」

「はい!」

 そんな俺たちの様子を、ニコニコとした微笑みを浮かべながら見守っていた気の良いシエスタが、元気良く返す。

「我らの勇者たちに、“アルビオン”の古いのを注いでやれ」

 シエスタは満面の笑みになると、ぶどう酒の棚から言われた通りのヴィンテージモノを取り出して来て、才人と俺のグラスへとなみなみに注いでくれた。

 真っ赤な顔をしてぶどう酒を呑み干す才人、そして顔色1つ変えることも酔うこともなく呑み干す俺。そんな俺たちを、シエスタはうっとりとした面持ちで見つめるのだ。

 こんなことが毎回繰り返されている。

 俺たちが厨房を訪れるたびに、マルトーはますます俺たちへの好感度を上昇させ、シエスタは更に俺たちのことを尊敬してくれるのであった。

 

 

 

 そして、厨房での食事と談話を終了した後は、主であるシオンが参加している講義の御伴を務める。

 俺は、教室の後ろの方で、講義内容へと耳を傾け、傾聴している生徒たちの様子を見ている。

 対して才人は、最初こそ床に座らされていたのだが、彼が他の女子生徒のスカートの中を熱心に見学でもしていたのだろう。そのことに気付いたルイズの渋々といった風の言葉で、彼は椅子に座ることができるようになった。が、まあ、黒板以外の場所を見学した場合は昼ご飯抜きといった注意点があるらしいのだが。

 そんな講義だが、中々に興味深いモノから欠伸が出るほどにつまらないモノまで幅広い。水からワインを精造する。秘薬を調合して特殊な“ポーション”を作り出す。眼の前に現れる火球。空中に箱や棒やボールを自在に浮かべ、窓の外へと飛ばし、それを“使い魔”に取りに行かせる。そういった内容などなど……。

 そんな講義の内容だが、“原作”である“ゼロの使い魔”の内容にあったモノとほとんど変化はない。講義内で説明があった“系統”などについても同様だ。この世界の“地球”にある“魔術”や“魔法”とは違うくらいである。

 そして、つまらないとでも感じたのだろう。いくつかの講義を経験した後に、才人は講義最中に居眠りを始めてしまった。

 教師とルイズは、ぐーすかと寝ている才人を睨むのだが、講義中における“使い魔”の居眠りを禁じる校則などはあるはずもない。起こすということは、彼を“使い魔”ではなく、1人の人間として、一生徒として認めることになるのだ。そういったこともあって、ルイズは彼を起こすことができずにいた。唇をギリギリと噛むほどに文句を言いたいだろうが、自分が決めた彼の立場を否定することになるために、ルイズは言えず、我慢していた。

 そして、そんな彼と彼女の様子を見て、シオンはハラハラしながらも楽しそうに見つめる。

 そんな講義の時間であった。

 

 そして、この日の講義中も、才人はポカポカとした陽気に当てられ、ぐっすりと寝ている。今朝方、シエスタに注いで貰ったワインが利いているのだろう。

 才人は、夢を見ていた。

 内容としては、とんでもないモノだといえるだろう。

 “千里眼”を用いて読心をせずとも内容が理解る。それは、彼が寝言を口にしているからであった。

「ルイズ、どうしたんだよ……?」

 ルイズはいきなり自分の名前が飛び出したので、キッと、才人を睨み付ける。

「眠れないだって? 仕方ないなあ……むにゃ……」

 そんな才人の様子を見て、「なんだ、寝言か」と思って再び黒板と教師の方へと顔を向ける。

「……むにゃ、な、なんだよ。抱き着いてくるなよ」

 ルイズの目が再び才人へと注がれる。

 授業を受けている他の生徒たちも、講義から意識が離れ一斉に聞き耳を立て始める。

「……おいおい。昼間は威張ってるくせに、寝床の中じゃ甘えん坊さんだな」

 才人は涎を垂らしながら、うっとりと夢に興じてしまっていた。

 このままでは他の生徒たちに勘違いされてしまう可能性があるだろうこともあり、ルイズは「いい加減にしろ」とばかりに才人を強く揺り動かす。

「ちょっと! なんちゅう夢見てんのよ!?」

 慌てふためき才人を起こすルイズを見て、彼女と彼に対しほとんどのクラスメイトが爆笑する。

 そんな中、マリコルヌが驚いた声を上げた。

「おいおいルイズ! お前、そんなことをしてるのか!? “使い魔”相手に! 驚いた!」

 女生徒たちは、ヒソヒソと囁き合っている。

「待ってよ! この馬鹿の夢の話よ! ああもう! 起きなさいってば!」

「ルイズ、ルイズ、そんなところ猫みたいに舐めるなよ……」

 教室内の爆笑が最高潮にたちする。

 もし、“千里眼”を応用して、才人の夢の中を擬似的に映像化して確認でもしていたらどうなってしまっていただろうか。

 ルイズは、ついに我慢の限界が来たのだろう、才人を蹴飛ばす。

 そうして、ようやく才人は柔らかい夢の世界から叩き起こされ、現実のルイズに出逢うことになった。

「ば、なにすんだよ!」

「いつ、わたしがあんたのわら束に忍び込んだの?」

 可愛らしい顔を怒りで真っ赤にしているルイズは、腕を組み、鬼の形相で才人を見下ろしている。

 才人は首を横に振った。が、クラスメイトたちの爆笑はまだ続いている。

『これで“貴族”というのだから、大したモノだな……』

『ごめんなさい。“貴族”を代表して謝るわ……』

 思わず、シオンに向けて念話で愚痴じみた感想を述べてしまう。

 シオン自身も彼らや彼女らの行動に想うところがあるのだろう。謝罪の言葉を口にした。

「サイト。笑ってる無礼な人たちに説明して。わたしは、夜中自分のベッドから一歩も外に出ないって」

「えっと、皆さん。今のは俺の夢の話です。ルイズは忍び込みません」

 生徒たちは「なあんだ」とつまらなさそうにして見せ、鼻を鳴らした。

「当たり前じゃないの! わたしがねえ、そんなはしたないことするもんですか!  しかもこんな奴の!  しかもこんな奴の! こんな下品な“使い魔”の寝床に潜り込むなんて冗談にしても度が過ぎるわ!」

 ルイズがつんと上を向いて、澄ました顔になる。

「でも、俺の夢は当たります」

 だが、そんなルイズの言動が気に障ったのだろうか、才人は事もあろうか話を膨らませようと言葉を続ける。

 教室の誰かが「確かに! 夢は未来を占うモノだからな!」と首肯いた。

「私めのご主人さまは、あんな性格をしてらっしゃるので、恋人などできようはずもありません」

 教室内のほとんどの生徒たちが首肯く。

 ルイズがカッとして才人を睨むが、そんなモノは今さら意に介さずに言葉を続ける才人。

「可哀想なご主人さまは欲求不満が高じます。そのうち“使い魔”のわら束に忍び込んで来るはずです」

 ルイズは両手に腰を当て、才人に強い口調で命令する。

「良いこと? その汚らわしい口を今すぐ閉じなさい」

「そうだぞ、才人。そろそろやめておくべきだ。ルイズも、そんな口調では逆効果、と言うより、一向に変化しないことになるぞ」

 ルイズと、笑いをこらえている俺の言葉に、才人は気にすることもなく、言葉を続ける。

「そしたら、俺はルイズを叩いて……」

 どうやら才人は調子に乗って来てしまったようである。ルイズの肩が怒りで大きく震え出す。

「お前の寝床はここじゃない、と言ってやります」

 教室内が喝采に包まれてしまう。

 そんな喝采の中、才人は優雅に一礼をして、腰かけようとするのだが。

 そんな彼に対し、ルイズは勢い良く蹴飛ばし、才人は床を転がってしまう。

「蹴るなよ!」

 蹴られた才人は抗議の言葉を彼女へと向ける。

「ルイズ、落ち着いて。ね?」

 そして、シオンがルイズへと言葉をかけるのだが。

 しかし、ルイズはお構いなしである。真っ直ぐ前を見て、相変わらず怒りで肩を震わせている。

 俺とシオンは、そんな2人と教室内の様子を前に、「やれやれ」と天を仰ぐか仲裁をするのであった。

 

 

 

 

 

 とある教室内で主人と“使い魔”が問題を起こし、それをクラスメイトたちが囃し立てている頃……。

 学院長室で、秘書のロングビルは書き物をしていた。

 ロングビルは手を止めるオスマンの方を見つめる。彼は、セコイアの机に伏せて居眠りをしているのだ。

 ロングビルは薄く笑った。誰にも見せたことがないだろう笑みである。それから、スッと静かに立ち上がる。

 そして、ロングビルは小さく低い声で“サイレント”の“呪文”を唱えた。オスマンを起こさないようにと、自分の足音を消すために使用し、学園長室を出た。

 ロングビルが向かった先は、学院長室の1階下にある、宝物庫がある階である。

 階段を降りて、鉄の巨大な扉を見上げる。扉には、太く頑丈そうな閂がかかってある。そして、閂はこれまた巨大な錠前で守られている。かなり厳重な様子だ。

 それもそのはず。ここには、“魔法学院”成立以来の秘宝が収められているのだから。

 ロングビルは、慎重に辺りを見渡すと、ポケットから“杖”を取り出した。鉛筆くらいの長さだが、クイッとロングビルが持った手首を振ると、スルスルと“杖”は伸びて、オーケストラの指揮者が振っている指揮棒くらいの長さへと変化する。

 ロングビルは、低く小さく“呪文”を唱えた。

 “詠唱”が完成した後、“杖”を錠前に向けて振った。が、錠前からは何の音もしない。

「まあ、ここの錠前に“アン・ロック”が通用するとは思えないけどね」

 クスッと妖艶に笑うと、ロングビルは、得意な“呪文”を唱え始めた。

 それは“錬金”の“呪文”であり、彼女は朗々とそれを唱え、分厚い鉄のドアへと向けて“杖”を振るう。

 “魔法”は扉に届きはするのだが、しばらく待っても変わったところは見受けられない。

「“スクウェアクラス”の“メイジ”が、“固定化”の“呪文”をかけているみたいね」

 この様子から、ロングビルは自身の推測を呟いた。

 “固定化”の“呪文”は、物質の酸化や腐敗を防ぐ“呪文”である。これをかけられた物質は、汎ゆる化学反応から保護され、そのままの姿を半永久的に保ち続ける。詰まりは、“固定化”を掛けられた物質には“錬金”の“呪文”も効力を失うのである。だが、“呪文”をかけた“メイジ”が、“固定化”を掛けた“メイジ”の実力を上回れば、その限りではないのだが。

 しかし、この鉄の扉に“固定化”の呪文を掛けた“メイジ”は、相当の実力者だろうことが判る。何せ、“土系統”のエキスパートである、ロングビルの“錬金”を受け付けないのだから。

 ロングビルは、かけた眼鏡を持ち上げ、扉を見詰めた。その時、階段を上って来る足音に気付く。

 ロングビルは“杖”を折り畳み、ポケットへとしまい込んだ。

「おや、ミス・ロングビル。ここでなにを?」

 現れたのはジャン・コルベールであった。

 彼は、間の抜けた声でロングビルへと尋ねる。それに対し、彼女は愛想の良い笑みを浮かべて返す。

「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」

「はぁ。それは大変だ。1つ1つ見て回るだけで、1日がかりですよ。なにせここにはお宝ガラクタ引っくるめて、所狭しと並んでいますからな」

「でしょうね」

「オールド・オスマンに鍵を借りれば良いじゃないですか?」

「それが……ご就寝中なのです。まあ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」

「なるほど。ご就寝中ですか。あの爺、じゃなかったオールド・オスマンは、寝ると起きませんからな。では、僕も後で伺うことにしよう」

 コルベールは歩き出す。が、なにかを思い出したのか、立ち止まり、振り向く。

「その……ミス・ロングビル」

「なんでしょう?」

 照れ臭そうに、コルベールは口を開く。

「もし、よろしかったら、なんですが……昼食をご一緒にいかがですかな?」

 ロングビルは、少し考えた後、ニッコリと微笑みを浮かべ、申し出を受け入れる。

「ええ、喜んで」

 2人は並んで歩き出した。

「ねえ、ミスタ・コルベール」

 ちょっとばかし砕けた風な言葉遣いにして、ロングビルはコルベールへと話しかけた。

「は、はい? なんでしょう?」

 自分の誘いが、アッサリ受け入れられたことに気を良くしたのだろうコルベールは、跳ねるような調子で応えた。

「宝物庫の中に、入ったことはありまして?」

「ありますとも」

「では、“破壊の杖”をご存知?」

「ああ、あれは、奇妙な形をしておりましたなあ」

 想い出すかのようなコルベールの言葉に、ロングビルの目が光る。

「と、申されますと?」

「説明の仕様がありません。奇妙としか。はい。それより、なにをお召し上がりになります? 本日のメニューは、平日の香草包みですが……なに、僕はコック長のマルトー親父に顔が利きましてね。僕が一言言えば、世界の珍味、美味を……」

「ミスタ」

 ロングビルは、コルベールのお喋りを遮る。

「は、はい?」

「しかし、宝物庫は、立派な造りですわね。あれでは、どんな“メイジ”を連れて来ても、開けるのは不可能でしょうね」

「そのようですな。“メイジ”には、開けるのは不可能と思います。なんでも、“スクウェアクラス”の“メイジ”が何人も集まって、汎ゆる“呪文”に対抗できるような設計をしたそうですから」

 あからさまな話題の戻し方に対して気にした素振りを見せないコルベール。

 そんな・コルベールから出た言葉に、ロングビルは自身の推測などが的中していたことを確信した。

「ホントに感心しますわ。ミスタ・コルベールは物知りでいらっしゃる」

 ロングビルは、コルベールを頼もしげに見つめ、おだてた。

「え? いや……はは、暇に飽かせて書物に目を通すことが多いモノで……研究一筋と申しましょうか。はは、おかげでこの年になっても独身でして……はい」

「ミスタ・コルベールのお側にいられる女性は、幸せでしょうね。だって、誰も知らないようなことを、沢山教えてくださるんですから……」

 ロングビルは、うっとりとした目で、コルベールを見詰め、褒めそやす。

「いや! もう! からかってはいけません! はい!」

 コルベールは緊張してカチコチに硬くなりながら、額の汗を拭く。

 それから、ロングビルは真顔になってコルベールの顔を覗き込んだ。

「ミスタ・コルベール。“ユル(第二)”の曜日に開かれる“フリッグの舞踏会”はご存知ですかな?」

「なんですの、それは?」

「ははぁ、貴女は、ここに来てまだ2ヶ月ほどでしたな。その、なんてことはない、ただのパーティです。ただ、ここで一緒に踊ったカップルは、結ばれるとかなんとか! そんな伝説がありましてな! はい!」

「で?」

 ロングビルは、ニッコリと笑みを浮かべ先を促す。

「その……もしよろしければ、僕と踊りませんかと。そう言う。はい」

「喜んで。舞踏会も素敵ですが、それよりも、もっと宝物庫のことについて知りたいわ。私、“魔法”の品々にとても興味がありますわ」

 コルベールはロングビルの気を引きたい一身で、頭の中を探る。宝物庫のことについて。

 どうにか興味を惹けそうな話題を見付けたコルベールは、もったいぶって話し始めた。

「では、ちょっとご披露いたしましょう。たいした話ではないのですが……」

「是非とも、伺いたいわ」

「宝物庫は確かに“魔法”に関して無敵ですが、1つだけ弱点があると思うのですよ」

「はあ、興味深いお話ですわ」

「それは……物理的な力です」

「物理的な力?」

「そうですとも! 例えば、まあ、そんなことはありえないだろうと思うのですが、巨大な“ゴーレム”が……」

「巨大な“ゴーレム”が?」

 コルベールは、得意げに、ロングビルへと自説を語る。

 聞き終えた後、ロングビルは満足げに微笑んだ。

「大変興味深いお話でしたわ。ミスタ・コルベール」

 この、今のもしもの話である自説が、問題を起こしてしまうとは、コルベールはこの時もその出来事の後も、しばらくの間、気付かないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 講義最中、夢の話で才人が散々ルイズをからかったその日の夜……。

「今日は散々……いや、いつものことだったか」

 就寝前の準備を完了し、少しばかり談話する俺とシオン。

 今日の講義最中の才人の言動を前に、俺は少し「自制しろ」といった感想を抱いた。だが、他人は鏡ということもあり、当然自身にもそれは当て嵌まる。いや、あの時のことのあれこそがそうなのだろうと反省点を省みた。

 あれから少し日数が経過し、最初こそ俺のことを恐れた風だった生徒たちだが、恐れながらの会話や遠目からの観察だけでも人と成りや性格というモノを少しは理解してもらえたのだろう、前ほどあからさまなモノではなくなり、打ち解けるのも後少しといったところだと想われる。

「そうだね。あの娘も、もうちょっと素直になれたら良いんだけどねえ」

 シオンは、今日の出来事を始め普段のルイズの言動を想い出し、笑みを浮かべる。その笑みは、決して馬鹿にしたようなモノではなく、できの悪い妹に対する姉が浮かべるそれに近いモノかもしれない。

「なにすんだよ!?」

「わたしが忍び込んだら、困るでしょう?」

 少し離れた場所――部屋の外から聞き覚えのある少年と少女の声が聞こえて来る。

 どうやら、彼女はまだ講義中のあれを根に持っている――気にしている様子だ。

 対する才人は反省はしているのだろう、何度も謝罪の言葉を口にしているのだが、ルイズの方は意地でも張っているのだろう、一向に扉を開けて部屋へと入れようとしないようである。

 そんなルイズの行動に対し、才人は腹を立てたのか扉や壁を何度か蹴り付けた。

「まったく、どうしてこう……少し様子を見て来るよ」

「うん。お願いね、セイヴァー」

 

 

 

 扉を開き、部屋の外へと出ると、やはりふてくされたかのように毛布に包まり寝ようとしている才人が廊下にいた。

「やあ、才人」

「ああ、セイヴァー。聞いてくれよ、ルイズの奴が……」

 クドクドと彼が彼女に対して抱えている不満などを話し始め、俺は黙ってそれを聞く。誰かに話をするだけ、愚痴るだけでも大分と変わるのである。

 だが、それは関係者がいない離れた場所で行うべきことなのだが。

(これはまた、ルイズの方もケアが必要だな……)

 ケアなどという大それたことはできないが、愚痴を聞く程度のことは今の俺にはできるだろう。

 首肯くべきだろうところは首肯き、「こういった考えや受け止め方はどうだろう?」などと意見を言うべきだと想えるところは言うといった感じだ。

 そうしていると、キュルケの部屋だろうそこの扉がガチャリと音を立て開いた。

 出て来たのは、“サラマンダー”のフレイムだった。燃える尻尾がとても暖かそうで、才人は彼を見て目を丸くする。

 フレイムはチョコチョコと可愛らしく才人と俺の方へと近付いて来る。が、思わず才人は後ずさった。

「な、なんだよお前?」

「そう怖がることはないだろ、才人?」

 後ずさる才人をたしなめ、俺はフレイムの身体を優しく撫でてやる。

 フレイムは、キュルキュルと人懐こい感じで鳴いた。

 害意などは一切ない。いや、あるはずもない。

 フレイムは、才人の上着の袖を咥え、そして次に俺の上着の袖を、といった具合に順番に行い、「着いて来い」というように首を振った。

「おい、よせ。毛布が燃えるだろ」

「そんなことでは燃えないさ」

 才人のその言葉に、俺は思わず苦笑を浮かべ、フレイムの代わりに答える。

 そして、対するフレイムはというと、グイグイと強い力で、才人の服を引っ張るのだ。

 キュルケの部屋の扉は開けっ放しだ。どうやら、本当に「着いて来い」といったことだろう。“動物会話”を使用するまでもないかもしれない。

 が、念のためだ。

「さて、フレイム。一応の確認だが……彼女、君の主は俺たち2人に用がある。“呼んで来い”と言われた。そんなところか?」

 俺の質問に対し、フレイムは相変わらずキュルキュルと鳴くだけだ。が、「あたぼうよ」とでも「そうだよ」とでも言っている様子を見せる。

 俺と才人は互いに頷き合い、キュルケの部屋へと訪れ、入ることにした。

 

 

 

 彼女――キュルケの部屋へと入ると、そこは真っ暗であった。灯りというモノはなく、強いて言うのであれば、フレイムの身体から出ている炎による光くらいで、ぼんやりと明るく光っている。

 そして、そんな暗がりから、キュルケの声がした。

「扉を閉めて?」

 才人は、取り敢えず言われた通り、扉を閉めた。

「ようこそ。こちらにいらっしゃい」

「真っ暗だよ」

 キュルケからの誘いの言葉に、才人は想ったことをそのまま口にした。

 そんな彼の言葉に、彼女は指を弾き、それに従うように部屋の中に立てられているロウソクが、1つずつ灯って行く。

 才人の近くに置かれているロウソクから順に火が灯り、キュルケの側のロウソクがゴールだった。道程を照らす街灯のように、ロウソクの灯りが浮かんでいるかのように見える。

 ぼんやりとではあるが、淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰掛けているキュルケの悩ましい姿があった。ベビードールというモノだろう、誘惑でもするための下着、それだけを着けているのである。

「そんなところに突っ立ってないで、いらっしゃいな」

 キュルケは、誘惑するかのように色っぽい声で言った。

 才人はフラフラと、夢遊病者であるかのような足取りで、彼女の元へと向かう。どうやら、この場の空気、灯り、彼女の服、言葉、息遣いなどに当てられたようである。ここは、まるで一種の結界。異性を虜にでもするための場所であるとも言えるだろう。そんな魔力じみたモノが充満しているのが判る。

「貴男も」

(仕方ないか。乗りかかった船だ。“原作”と同じような理由からの行動だろうが、まあ、彼女の真意を確かめようか……)

 彼女の催促の言葉に、俺は静かにしっかりとした足取りで近付いて行く。

「座って」

 言われた通り、キュルケの隣へと、俺と才人で挟むかのように両隣に座る。

「な、何の用?」

 才人は緊張した声で、訊いた。

 燃えるような赤い髪を優雅に掻き上げ、キュルケは彼を見つめる。ぼんやりとしたロウソクの灯りに照らされたキュルケの褐色の肌は、野性的な魅力を放ち、彼女の魅力を一層に掻き立てる。それが、才人をどうにかしそうになる。

 キュルケは大きく溜め息を吐く。そして、悩ましげに首を横に振った。

「貴男たちは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

 そんなキュルケの言葉に、俺は思わず肯定しそうになるが、堪える。

「キュルケ?」

「思われても、仕方がないの。理解る? あたしの“二つ名”は“微熱”」

「知ってる。うん」

 キュルケと才人のそのやりとりを聞きながら、どうしたものかと考える。

 受け答えは才人がしてくれていることもあり、思考することに集中することができる。

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの、だから、いきなりこんな風にお呼び出したりしてしまうの。理解ってる。いけないことよ」

「いけないことだね」

 才人は相槌を打つ。その口調からは、緊張と困惑が感じられる。

「でもね、貴男たちはきっとお許しくださると想うわ」

 キュルケは潤んだ瞳で、才人を見詰める。

 大抵の男であれば、彼女にこのように見つめられでもすれば、原始的本能を呼び起こされてしまうだろう威力に満ちている。

「なな、なにを許すの?」

 キュルケは、すっと才人と俺の手を握って来た。とても温かい、人の温もりだ。そして、1本1本、それぞれの指でも確かめるかのようになぞりはじめる。

「恋してるのよ。あたし。貴男たちに。2人同時になんてはしたない、駄目なことだと理解ってるのに。恋はまったく、突然に、仕方がないモノね」

 才人は混乱しているのだろう、どうにか「まったくだ」と応えるので精一杯な様子だ。そろそろ俺も受け答えなどを行うべきなのだろう。

「貴男がギーシュを倒した時の姿、貴男が自身の意見をハッキリと言って見せた時間の姿……格好良かったわ。まるで伝説の“イーヴァルディの勇者”みたいだったわ! あたしね、それを見て、聞いて、痺れたのよ。信じられる!? 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!」

「じょ、情熱か、うん」

「なるほど。で? 続けて」

「“二つ名”の“微熱”は詰まり情熱なのよ! その日から、あたしはぼんやりとしてマドリガルを綴ったわ。マドリガル。恋歌よ。貴男たちの所為なのよ。サイト、セイヴァー。貴男たちが毎晩あたしの夢に出て来るものだから、フレイムを使って様子を探らせたり……ホントに、あたしってば、みっともない女だわ。そう思うでしょう? でも、全部貴男たちのせいなのよ」

 俺と才人はなんと応えれば良いのか判らず、ジッと座っている。

 キュルケは、そんな俺たちの沈黙を、Yesとでも受け取ったのか、ユックリと目を瞑り、まず才人へと唇を近付ける。

 良く良く見て見ると、才人はそんなキュルケに対し「どうしよう」と慌てるが、どうにか踏み留まり、彼女の肩を押し戻した。

「とと、とにかく、今までの話を要約すると……」

「ええ」

「君は惚れっぽい」

 才人はキッパリと言った。それは図星だろう、キュルケは顔を赤らめた。

 そんな2人を見て、俺は思わず笑いそうになる。

 自分も“前世”では異性との付き合いなんてことはなかったが、それでもこれはあからさま過ぎることは理解る。2人とも、結局のところ、思春期であり、俺を含め初心なのだろう。

 そして、“宝具”や“千里眼”を使用しての確認ではないが、キュルケのそれはおそらく、恋に恋してるといったところであろうか。などと、そんなズレた印象を個人的に受けてしまう。

「そうね……他人(ひと)より、ちょっと恋っ気は多いのかもしれなわ。でも仕方ないじゃない。恋は突然だし、直ぐにあたしの身体を炎のように燃やしてしまうんだもの」

 キュルケがそう言い出した時、窓の外が叩かれた。

 そこには、恨めしげに部屋の中を覗く、顔立ちの良い1人の男子生徒の姿があった。

「キュルケ……待ち合わせの時間に君が来ないから来て見れば……」

「ペリッソン! ええと、2時間後に」

「話が違う!」

 ここは3階だ。ペリッソンと呼ばれた男子生徒は“レビテーション”でも使っているのだろう。

 キュルケはうるさそうに、胸の谷間に差した派手な!“魔法”の“杖”を取り上げると、彼の方を見向きもしないで“杖”を振った。

 すると、ロウソクの火から、炎が大蛇のように伸び、窓ごと彼を吹き飛ばす。

「まったく、無粋なフクロウね」

 才人は唖然として、その様子を見つめる。

「でね? 聞いてる?」

「今の誰?」

「彼はただのお友達よ。とにかく今、あたしが1番恋してるのは貴男たちよ。サイト、セイヴァー」

 1番と言いながらも2人いることを気にした様子もなく、キュルケは才人に再び唇を近付ける。

 すると……今度は窓枠が叩かれる。

 見ると、悲しそうな顔で部屋の中を覗き込む、精悍な顔立ちの男子生徒が1人。

「キュルケ! その男たちは誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!?」

「スティックス! ええと、4時間後に」

「そいつらは誰だ!? キュルケ!」

 怒り狂いながら、スティックスと呼ばれた男子生徒は部屋に入って来ようとする。が、キュルケは再び、うるさそうに“杖”を振った。

 再びロウソクの火から太い炎が伸び、それが大蛇へと変化してスティックスは炙られた後に地面へと落ちてしまう。

「……今のも友達?」

「彼は、友達と言うよりはただの知り合いね。とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜が長いなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に、太陽はやって来るじゃないの!」

 キュルケは、才人へと再び唇を近付ける。

 が、“地球”の“日本”の諺には、“2度あることは3度ある”というモノがある。

 窓だった壁の穴から、悲鳴が聞こえた。そして、才人はうんざりとした様子で振り向く。

 窓際で、3人の男子生徒が押し合い圧し合いしているのが見えるのである。

 そして3人は同時に、同じ台詞を吐いた。

「キュルケ! そいつらは誰なんだ!? 恋人はいないって言ってたじゃないか!」

「マニカン! エイジャックス! ギムリ!」

 今まで出て来た男子生徒が全員違うので、才人は逆に感心したかのような表情を浮かべている。

「ええと……6時間後に」

 キュルケはというと、とても面倒臭そうに対応した。

「朝だよ!」

 そんな彼女の言葉に、仲良く唱和した。

 そんな3人に対し、キュルケはうんざりとした声で、フレイムへと命令を下す。

「フレイム!」

 キュルキュルと部屋の隅で寝ていたフレイムが起き上がり、3人が押し合っている窓だった穴に向かって、炎を吐き出す。そして、3人は仲良く地面へと落下してしまった。

「今のは?」

 才人は、震える声で尋ねた。

 最早、これ以上なにも言えることはないだろう。

「さあ? 知り合いでもなんでもないわ。とにかく! 愛してる!」

 キュルケは才人の顔を両手で挟むと、真っ直ぐに唇を奪った。

「む、むぐ……」

 その時……。

 今度は部屋のドアの方が物凄い勢いで開けられた。

 今度も男、という訳ではなく、そこにいたのはネグリジェ姿をしたルイズであった。

 キュルケはチラリと横目でルイズを見やるが、才人の唇から自身のそれを離そうとはしない。

 艶やかに部屋を照らすロウソクを、ルイズは1本1本忌々しそうに蹴り飛ばしながら、才人とキュルケに近付いた。

 ルイズは起こると口より先に動き、更に怒ると手より足が先に動くのだった。

「キュルケ!」

 ルイズはキュルケの方へと向いて怒鳴った。そこで「やっと気付いた」と言わんばかりの態度でキュルケは才人から身体を離し、振り返った。

「取り込み中よ。ヴァリエール」

「ツェルプストー! 誰の“使い魔”に手を出してんのよ!?」

 才人はオロオロとしている。

 ルイズの鳶色の瞳は爛々と輝き、火のような怒りを表しているのだから。

「仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだもん」

 キュルケは両手を上げる。

 才人は2人の間に挟まれ、より一層オロオロとしてしまっている様子を見せる。

「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で灼かれるなら、あたしの家系は本望なのよ。貴女が1番ご存知でしょう?」

 キュルケは両手を竦めて見せる。

 ルイズの手が、怒りなどからだろうワナワナと震えているのが判る。

「貴男も貴男よ、セイヴァー。シオンがいながら、貴男は」

「ああ、すまない。少しばかり話をするだけのつもりだったのだがね。気が付けば、というやつだ。まったく、女の子というモノは恐ろしいな。後で、ちゃんと謝罪しないとな」

 ルイズからの説教じみた言葉に、俺は素直に謝罪の意を示す。いや、本当であれば、シオンに対して行うべきだろうことだ。

 部屋へと戻った後、彼女へと謝罪をするとしよう。

「来なさい、サイト」

 ルイズは才人をジロリと睨む。

 そこに、キュルケが「ねえルイズ。彼は確かに貴女の“使い魔”かもしれないけど、意思だってあるのよ。そこを尊重して上げないと」と言い、助け船を出した。

「そ、そうだ。誰と付き合おうが俺の勝手だ」

 助け船と言うのか、そんなキュルケの言葉に、才人は乗っかり、ルイズへと抗義する。

 それに対し、ルイズは硬い声で言った。

「あんた、明日になったら10人以上の“貴族”たちに、“魔法”で串刺しにされるわよ。それでも良いの?」

「平気よ。貴女だって“ヴェストリ広場”で、彼の活躍を見たでしょう?」

 ルイズからの質問に、代わりにキュルケが応え、それを呆れたように右手を振りながら言葉を返すルイズ。

「ふん。ちょっとはチャンバラがお上手かもしれないけど。後ろから“ファイアーボール”を撃たれたり、“ウインド・ブレイク”で吹き飛ばされたりしたら、剣の腕前なんて関係ないわね」

「大丈夫! あたしが守るわ!」

 キュルケは顎の下に手を置くと、才人に対し熱っぽい流し目を送る。

 しかし……ルイズの言葉で、才人は我に返ったのかハッとした表情を浮かべる。

 キュルケは「あたしが守るわ」と言ってくれ、それはとても心強いことではあるだろう。だが、四六時中守ることができる訳ではないのである。そに、これは、先ほどのやりとりから見るとやはりキュルケの気紛れかもしれないのだから。

 そう考えながら、才人は名残惜しそうな風に立ち上がる。

「あら。お戻りになるの?」

 キュルケは悲しそうに才人を見詰める。キラキラとした瞳が、悲しそうに潤む。

 後ろ髪を引かれているかのような表情を、才人は浮かべた。

「いつもの手なのよ! 引っかかっちゃ駄目!」

 ルイズは才人の手を握ると、サッサと歩き出した。

 

 

 

「で、貴男はどうなのかしら、セイヴァー?」

 ルイズが、そして彼女に引っ張られるように出て行った才人。

 後に残ったのは、ベッドに座るキュルケと俺、部屋の隅で睡眠を取っているフレイムだけだ。

 そして、キュルケからの確認の質問に、俺は自身の今の思いをそのまま口にする。

「そうだな。申し訳ないが、君とは友人として接することしかできない」

「ハッキリ言うのね」

 彼女のその様子からは、大体予想はしていたように見える。

「そう、だな……そろそろ戻るとするよ。彼女には才人の様子を見ると言っただけだったからな」

「そう……また朝に、セイヴァー」

「ああ。そうそう、言う機会を逸してしまっていたから今言うが、君は恋をしているのではない、と思う。君は、恋に恋をしている……恋をしているという自分に恋をしていると思うんだ」

「…………」

「まあ、近いうちに君は本当に恋をするようになるだろう。それじゃあ……後味を悪くしてすまなかったな。そして、お休みなさい。よい夢を」

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまない。今戻った」

「遅かったね、セイヴァー」

 シオンの部屋の前へと到着し、中の物の動きを確認する。

 シオンはまだ起きている様子であり、どうやら俺が戻って来るのを待ってくれていた様子である。

 そして、意を決して扉を開き、彼女へと言葉をかける。

 シオンは、まったく気にした素振りを見せることなく、俺へと応じてくれた。

「サイト君はどうだった?」

「いつものことだ。ルイズと喧嘩。翌朝になれば、また普段通りになるだろうさ」

 普段通り。

 前日の出来事を忘れたかのように互いに振る舞い、そしてまた別のことで喧嘩をする。そんな日常を。

「そう……で、少し訊きたいことがあるんだけど?」

「ああ、俺からも言わなければと想っていることがあるが、先にどうぞ」

「ありがとう。それじゃあ……香水の匂いがするけど、これってキュルケのだよね? キュルケとなにかったの?」

「俺から言おうとしていたのもそのことだ。才人と一緒に、キュルケから呼び出されてな。誘われた」

「誘われた?」

「そう。少し大人な方で」

「そっか……で、どうしたの?」

「もちろん断った。彼女には悪いけどね」

 シオンからの質問に、俺は自分が報告すべきだと思っていたことと同じことだと知り、安堵する。いや、謝罪するべきなのに、報告だけで済ませてしまった。

 そして、掻い摘んでだが、彼女へとことの顛末を話す。

「……そっか……」

 シオンの態度は、どこか悲しげで、寂しげで、そしてどこか安心しているかのように見受けられる。

「そう、だね。キュルケには悪いけど、私、少し安心してるかも……」

「…………」

「私って、独占欲が強いのかな?」

「強いかどうかは置いておいて、独占欲は持っていて当然のモノだと想う。それをどう御するかどうかなどが大事なだけで」

「ありがとう、セイヴァー」

 少しばかり、沈黙が場を支配する。

 気不味いという訳ではないのだが、ここから先、なにをどう切り出すべきか少しばかり考え込んでしまいそうになる。

「キュルケはね、ここで言う外国の人、隣国“ゲルマニア”の“貴族”なの。そして、彼女の家とルイズの家は」

「国境沿いにあって、なおかつ仲が悪い」

「やっぱり知ってるよね。でね、ツェルプストーは代々、色恋といった感情を大事にしているらしいの。そして、ヴァリエールの一族の1人が“愛”した者を同じように“愛”して、その“愛”された人はツェルプストーの方へと行ったりして」

 寝取られなんて言うモノだろう。

 だが実際には、そんな一言で済ませることができるモノではないだろう。歴代ずっと続く、恋愛などにおいての敵。

「そういったこともあるのか、2人は事あるごとに喧嘩して……」

 今現在、そしてこの世界に於いては仲介役であるシオン、そして他の生徒たちや教師たちからの目などがあるといった理由で大きなモノになってはいないが、いつ大問題に発展しても可怪しくはないかもしれない。

だが――。

(“原作”ではそんなことはなかった。むしろ――)

「でも、2人はね……認めるところはしっかり認めることができるちゃんとした娘たちなの。ああいった言動を取ってるけど、とても強くて優しい」

 シオンの目はとても優しいモノだと言えるだろう。

 人の良い箇所も悪い箇所も両方目を向け、そして……。

「話は変わるけど、私もねキュルケと同じで外国から留学して来たんだ」

「ほう、どこから来たんだ?」

「それはね――」

 



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武器店とインテリジェンスソード

「ねえ、セイヴァー。セイヴァーってどういう風に身を守ったり、戦ったりするの?」

 何気ない、ふと湧いて出た疑問を口にするシオン。

 彼女が俺を“使い魔”として喚び、共に暮らすようになってから、それなりの日数が経過している。

 シオンは、俺が“サーヴァント”であり、“メイジ”同様、もしくはそれ以上に“魔法”の扱いに長け、圧倒することができるというのは目にしたこともあって、既に知っている。が、それだけではなく、他に何か隠している事があるかもしれないと感じたのだろう。

「そうだな……基本的には、この前決闘の件で見せた“魔法”、そして“魔術”……」

「“魔術”……?」

 説明をしようとすると、そこで気になったのだろう、オウム返しのようにして質問をするシオン。

「“魔術”って言うのは、“その時代の技術や技能だけで再現可能な現象を魔力で再現したモノ”の総称といったところかな。ここでの“魔法”は4つの“系統魔法”で、“精神力”を“魔力”として消耗するけど、“魔術”にも似たようなモノ――“属性”があるんだ。“火”、“地”、“水”、“風”、“空”……」

 シオンの疑問に対し、できる限り簡単に、できる限り理解りやすいように努めながら説明する。

 こうやって改めて説明をしようと、自身の頭の中で想い出し、考えて行くと、不思議なくらいに共通点らしきモノがあることが思い出される。

「他のはなんとなくわかるけど、“空”って?」

「“空”は“エーテル”。“第五元素”だ」

「“エーテル”って確か、“サーヴァント”の身体を構成してるっていう……」

「そうだ。“魔術”における“属性”はそれらをまとめて“五大元素”。その5つを全部扱うことができる者や“魔術”を“アベレージ・ワン”なんて呼ぶことがある」

 俺の説明に対し、シオンは興味津々といった風であり、目を輝かせている。どうやら彼女は、知的好奇心というモノが旺盛らしい。

 理解はできても記憶はできなかったり、理解できていないが、記憶はできているなどといった人が多いだろうに、彼女は理解力も記憶力も両方十二分にあることがわかる。

 彼女は、優秀な生徒といったところだろう。

「そして、“架空元素”というモノがあってね……“魔術”において“ありえるが、物質界にないモノ”を“虚”、“魔術”に於いて“ありえないが、物質化するモノ”を“無”なんてモノも存在するんだ」

「“虚無”……」

「そうだな。もしかすると関係しているかもしれない」

 シオンの呟きに、俺はとぼけて首肯いた。

「どういったことができるの?」

「メジャー……いや、秘匿されてるからマイナーと言うべきかもしれないが、そうだな。まずは“強化”。“投影”、“ガンド、“転換“、“置換“、“支配“、“魅了“、“ルーン“、“魔眼“、“結界“などなど……」

「言葉の意味でだいたいは予想できるけど、う~ん……」

「まあ、また気になることがあるなら答えるよ」

「うん、ありがとうセイヴァー」

 そう応えながら、シオンは身嗜みを整える。

 洗顔を済ませ、制服を着用し、朝食を摂り、掃除洗濯も済ませている。

 だが、今日はこれ以上特にするべきことはないといって良いだろう。

 それは、今日“虚無の曜日”であり、講義がないからである。日本で言うところの日曜日だ。

「話は変わるけど、武器とかって使わいないの?」

「そうだな。基本的には必要ないかもしれないな。“メイジ”や傭兵辺りが相手だと“魔法”や“魔術”でこと足りる。それに、“投影魔術”で武器を生み出すことなどは可能だし、現状なにも問題はない。“サーヴァント”が相手になるというのも今のところはない……」

 シオンからの言葉に、俺は今この現状から判断したことを告げる。

 だが、可愛らしい顔をプクッとあからさまに膨らませているといったモノではないが、それでも彼女はどこか不服ないし不満そうな様子を見せる。

(ふむ……せっかくのシオンからの誘いなんだ。断るのも、な……)

 そうして少しばかり間を置いてから、俺はもう1度口を開く。

「だが……この世界の武器に興味がある」

「そっか。なら、武器を見に行こうよ。その“投影”する武器にもバリエーションを持たせることとかできるかもしれないし、この世界にしかないモノがあるかもしれないよ」

「ああ、そうだな」

 俺の返答に、綻んだ顔を見せるシオン。

 言葉の端々からも喜んでいるということが簡単に見て取れる。

 2人だけで1日を過ごすというモノは今までなかったが、2人で行動することは常だった。

 部屋の中で過ごすというのも味気がない。(せっかくの“虚無の曜日”なのだから、普段とは違うことがしてみたい)といった想いからの行動だろう。

 

 

 

「あら、シオンとセイヴァーじゃない。お早う」

「お早う、セイヴァー、シオン」

「お早う、2人とも」

「お早う」

 武器を見に行くために馬を借りようと向かった先には、先客がいた。

 ルイズと才人は近付く俺たちに気付いたのだろう、振り向き挨拶をして寄越してくれる。

 そして、俺たちも同様に挨拶を返し、馬を借りるための手続きをする。

「貴女たちも街に?」

「うん。そう言うルイズたちも?」

 女子2人がいるということもあって、少しばかり姦しくなる。別段うるさいという訳ではなく、楽しそうに話しているので、むしろ微笑ましいモノだ。

 そうして手続きが完了する頃には、お互いの街への目的も話したのか、一緒に街へと向かうことになった。

「それじゃあ、行きましょうか」

「うわっとと」

 シオンとルイズは慣れた様子で、対する才人はどうにかバランスを保ち落ちないように気を付けている。

 先を進むルイズとシオン。

 俺は才人に、乗馬時のアドバイスなどをしながら目的の場所である“トリステイン”の城下町を目指した。

 

 

 

 “トリステイン”の城下町を、ルイズと才人、シオンと俺の4人組は歩く。“魔法学院”からここまで乗って来た4頭の馬は町の門の側にある駅に預けている。

 歩きながらだが、才人は腰が痛いのだろう、ボヤきながら患部を擦り、ヒョコヒョコと歩いている。

 ルイズはしかっめ面を浮かべ、そんな才人を見つめた。

「情けない。馬にも乗ったことないなんて。これだから“平民”は……」

「うっせ。そんな奴を3時間も馬に乗せるな」

「まさか歩く訳にはいかないでしょ」

 ルイズの言葉に対し、才人は少しの抗義するが、理由あってのことのためにそれほど強いモノではない。

「まあ、仕方ないだろう。今の“地球”ではそうそう馬に乗る機会なんてない。お金を払って乗馬体験するくらいだろうさ」

「ちきゅう? そう言えば、セイヴァーってサイトと同じ世界から来たの? そこのところどうなのよ、サイト?」

「う~ん、どうなんだろう? どうなんです?」

「ハハッ、そうだな。厳密には違うが……似て非なる世界と言ったところか」

 フォローする俺の言葉に、ルイズはやはり反応をして才人へと質問をする。が、才人も当然理解できる訳もない。

 俺はそんな2人に、笑いながら曖昧な回答をする。

「似て非なるってどういう……?」

「並行世界や異世界、なんて言葉、わかる?」

 才人はなんとなく理解できるのだろう首肯いているが、ルイズは頭の上に? を浮かべる。

「まあ、可能性の数だけ分岐し存在する、似た別の世界としか言えないな……」

 そう俺は答えながら歩く。

 才人は、物珍しそうに辺りを見渡す。

 白い石造りの街は、小さなテーマパークのようであるが、当然“魔法学院”のそれと比べると、質素な成りの人が多く見受けられる。

 道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠などを売る商人たちの姿が見える。

「狭いな」

「狭いって、これでも大通りなんだけど」

「これで?」

 才人の感想に、驚きの言葉を口にするルイズ。

 だが、彼からするとやはりこの道はとても狭く感じるだろう。

 道幅は5メートルもなく、そこを大勢の人々が行き来するモノだから、歩くのも一苦労である。

 対して、才人がいた“地球”、そして俺が“前世”で過ごした“地球”はいろいろと整備がなされているとうこともあって、広くそして綺麗であると言えるだろう。

 いや、この世界のこの時代にしては、今歩いているこの道は十分に広いのだが。

「“ブルドンネ街”。“トリステイン”で1番大きい通りよ。この先に“トリステイン”の宮殿があるわ」

「宮殿に行くの?」

「“女王陛下”に拝謁してどうするのよ?」

「是非ともスープの量を増やしてもらう」

 ルイズの説明に、才人は少しお道化たふうに答える。そして、そんな彼の言動に、ルイズとシオンは笑った。

 道端には露店が溢れている。好奇心が強い才人は、1つ1つじっくりと眺めずにはいられなかった。

「ほら、寄り道しない。スリが多いんだから! あんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね?」

 ルイズは、「財布は下僕が持つモノだ」と言ったらしく、財布をそっくり才人に持たせているのである。結構な量の金貨が詰まっている財布を。

「あるよ、ちゃんと。こんな重いモノ、スラれるかっての」

「“魔法”を使われたら、一発でしょ」

 ルイズからの確認の言葉に、答える才人。

 例外もあるだろうが、“メイジ”は基本的にマントを着ており、それが目印になる。そして、歩き方がもったいぶっている人物が多い。そういったことなどから、“メイジ”である“貴族”と“平民”を見極めることができるだろうこともあって、才人は自信満々に答えた。

 俺とシオンはと言うと、それぞれ分けて金貨を持っている。どちらが失くしても、盗まれてもある程度は大丈夫なように。それでも盗まれることは避けるべきではあるが、分けてもそれなりの重量を持つそれを失くすことも盗まれることもないだろう。才人の言う通り、そうなった時に、いや、そうなる前に気付くのだから。

「普通の人しかいないじゃん」

「だって、“貴族”は全体の人口の1割いないのよ。後、こんな下賤なところ滅多に歩かないわ」

「“貴族”がスリなんかすんのかよ」

「“貴族”は全員が“メイジ”だけど、“メイジ”の全てが“貴族”って訳じゃないわ。色々な事情で勘当されたり家を捨てたりした“貴族”の次男や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり犯罪者になったり……って聞いてる?」

 もう既に才人は話を聞いておらず、今度は看板に夢中になってしまっている。

「あのバッテンの印の看板は?」

「衛士の詰め所」

 興味を惹かれる看板を見付けるたびに、才人は立ち止まり、ルイズへと質問をする。そして、そのたびにルイズは、彼の質問に答えながら、彼の腕を掴んで引っ張るのであった。

 そんな2人の様子を見て、笑いながら歩くシオンと俺。

「理解ったよ。急かすなよ。ちゅうか剣屋はどこだよ?」

「こっちよ。剣だけ売ってる訳じゃないけど」

 ルイズは、さらに狭い路地裏に入て行く。才人とシオン、俺の3人は後を追いかける。

 が、そこへと入った瞬間、悪臭が鼻を突いた。ゴミをはじめとした汚物が、道端に転がっており、不衛生な状態だ。

「きたねえ」

「だからあんまり来たくないのよ」

 そう言って、ルイズと才人、シオンは四辻へと出る。

 俺は、それを追いかける前に、少しばかり“魔力”を解放し、周囲へと放つ。そして、彼女たちの後を追いかけた。

 ルイズは、立ち止まると、辺りをキョロキョロと見回した。

「“ピエモンの秘薬屋”の近くだったから、この辺なんだけど……」

「あれじゃないかな?」

 シオンの指す方向へと目を向ける。

 そこには、1枚の銅の看板があり、ルイズは嬉しそうに呟いた。

「あ、あった。あれだ。ありがとう、シオン」

「どういたしまして」

 見ると、剣の形をした看板が下がっている。そこがどうやら、目的の場所である武器屋らしい。

 ルイズと才人、シオンと俺は石段を登り、羽扉を開け、店の中へと入った。

 

 

 

 店の中は昼間であるにも関わらず薄暗く、ランプの灯りが灯っている。壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、立派な甲冑が飾ってあるのが見える。

 店の奥から、パイプを咥えた50代だろう男性が、入って来た俺たちを胡散臭げに見つめて来る。そして、パイプを離し、ドスの利いた声を出して話しかけて来た。

「旦那。“貴族”の旦那。家は真っ当な商売してまさあ。御上に目を付けられるようなことなんか、これっぽちもありませんや」

 その店主だろう男性の言葉に、「なるほど」と俺は聞こえない程度の大きさで呟く。

 上質な服から“貴族”だと判断したのだろう。上等な服を着た4人組が突然入店して来たのだから、警戒するのは当たり前だろう。

 だが、彼のその言葉は墓穴を掘っているのと同じではないだろうか、などと考えてしまう。

 そんなことに気にしたふうもなく、ルイズは「客よ」と腕を組んで言った。

「こりゃおったまげた。“貴族”が剣を! おったまげた!」

「どうして?」

「いえ、若奥さま。“坊主は聖具を振る、兵隊は剣を振る、貴族は杖を振る、そして陛下はバルコニーから御手をお振りになる”、と相場は決まっておりますんで」

「使うのはわたし達じゃないわ。“使い魔”よ」

 そんな店主の言葉に、興味も無くつまらなそうにして口を開くルイズ。

「忘れておりました。昨今は“貴族”の“使い魔”も剣を振るようで」

 今仕方知ったことだろうに、主人は商売っ気たっぷりに御愛想を口にする。そして、才人と俺とをジロジロと観察するように眺め、見比べる。

「剣をお使いになるのは、この方たちで?」

 ルイズとシオンは、店主のその確認の言葉に首肯く。

 対して才人はすっかり、この店の中に並んでいる武器に夢中になってしまっており、剣に見入っている様子だ。

 そんな才人を無視して、ルイズは店主を促す。

「わたし達は剣のことなんかわからないから。適当に選んでちょうだい」

 ルイズの言葉を受けて、主人はいそいそと店の奥にあるだろう倉庫へと消える。そして、彼は聞こえないようにだろう小声で呟いた。

「……こりゃ、鴨がネギしょってやって来たわい。せいぜい、高く売り付けるとしよう」

 当然俺には聞こえているが、主人に文句を言いはしない。何を持って来るのか興味があるからだ。

 すると、主人は、1“メイル”ほどの長さをした細身の剣を持って現れた。

 随分と華奢な剣だといった第一印象を受けさせる。片手で扱うモノらしく、短めの柄にハンドガードが付いている。

 そんな剣を持って来ると、主人は思い出したように口を開いた。

「そういや、昨今は宮廷の“貴族”の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさあ」

「綺麗ね」

 そのレイピアには綺羅びやかな模様などが付いており、なるほど“貴族”に似合いそうな装飾がなされている。

 シオンは見た目を褒めた。

「“貴族”の間で、下僕に剣を持たすのが流行ってる?」

 ルイズの質問に、主人はもっともらしく首肯いて見せる。

「へえ、なんでも、最近この“トリステイン”の城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」

「盗賊?」

「そうでさ。なんでも“土くれのフーケ”とか言う、“メイジ”の盗賊が、“貴族”の御宝を散々盗みまくってるって噂で。“貴族”の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で、へえ」

 ルイズは盗賊には興味がなかったので、ジロジロと剣を眺めた。対して、シオンは件の盗賊について少しばかり興味があるのか、少し考え事をしている様子だ。

 眼の前にある、主人が持って来た剣は、直ぐに折れてしまいそうなほどに細い。

「もっと大きくて太いのが良いわ」

「お言葉ですが、剣とには相性ってもんがございます。男と女のように。見たところ、若奥さま方の“使い魔”とやらには、この程度が無難のようで」

「大きくて太いのが良いと、言ったのよ」

 傍から聞いていると勘違いしそうなルイズのその言葉に、主人はペコリと頭を下げ奥へと消える。

「これなんかいかがです?」

 今度はパッと見立派な剣を油布で拭きながら、主人は現れる。

 見た目は見事と言えるだろう。1.5“メイル”はあろうかという大剣だ。柄は両手で扱えるように長く、立派な拵えがなされている。所々に宝石が鏤められ、鏡のように両刃の刀身が光っている。

「店1番の業物でさ。“貴族”の御伴をさせるなら、このくらいは腰から提げて欲しいモノですな。と言っても、こいつを腰から提げるのは、よほどの大男でないと無理でさあ。やっこさんなら、背中にしょわんといかんですな」

主人はそう言って、才人をチラリと見た。

 才人も近寄って来て、その剣を見つめる。

「すげえ。この剣すげえ」

 ルイズもシオンも、大剣を見つめている。

 才人が気に入ったこともあってか、ルイズは「おいくら?」と主人へ尋ねる。理由としては、才人が気にいったというのもあるが、店1番と主人が太鼓判を押したのだ。“貴族”はとにかく、何でも1番でないと気が済まないという点がある。

「なんせこいつを鍛えたのは、かの高名な“ゲルマニア”の“錬金術師シュペー卿”で。“魔法”がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう? お安すかあ、ありませんぜ」

 主人はもったいぶって柄に刻まれた文字を指さした。

 ルイズも「わたしは“貴族”よ」と胸を晒せて応える。

 そして、主人は淡々と値段を告げた。

「“エキュー金貨”で2,000。“新金貨”なら3,000」

「立派な家と、森付きの庭が買えるじゃないの」

 ルイズは呆れて言った。

 かなりの値段であることは確かだが、相場や貨幣価値なんてモノをまだ理解らない才人はボケっと突っ立っていることしかできない。

「名剣は城に匹敵しますぜ。屋敷で済んだら安いもんでさ」

 ルイズとシオンは“貴族”ということもあって、買い物の駆け引きが下手糞な部類に入るといっても良いだろう。ゆえに、呆気なく財布の中身をバラしてしまうだろう。

 主人は「話にならない」と言うように手を横に振った。

「マトモな大剣なら、どんなに安くても相場は200でさ」

 剣の値段の相場を知らいということもあって、ルイズとシオンは顔を赤くしてしまう。

「なんだよ。これ、買えないの?」

 才人はつまらなさそうに言った。

「そうよ。買えるモノにしましょう」

「“貴族”だなんだって威張ってる割には……」

 才人がそう呟くと、ルイズはキッと彼を睨む。

「誰かさんの大怪我の所為で、“秘薬”の代金がいくらかかったと思ってるの?」

 才人は、それに対して恩義を感じていることもあり、素直に頭を下げた。

「ごめん」

 それでも、才人は名残惜そうに剣を撫で回す。

「これ、気に入ったんだけどな……」

 その時……乱雑に積み上げられた剣の中から、声がした。低い、男性の声だ。

「生意気言うんじゃね。坊主」

 ルイズと才人、シオンは声のした方へと顔を向ける。そして、主人が頭を抱えた。

「お前、自分を見たことがあるのか? その身体で剣を振る? おでれーた! 冗談じゃねえ! お前にゃ棒っ切れがお似合いさ!」

「なんだと!?」

 その男性の声から出た言葉に、俺は思わず笑いそうになる。いや、満面の笑みを浮かべてしまっているだろう。

 対して、本人である才人はいきなり悪口を言われたこともあり、腹が立ったのだろう、声を荒げて言葉を返す。

「理解ったら、サッサと家に帰りな! お前たちもだよ! “貴族”の娘っ子2人!」

「失礼ね!」

 男性の声から出た言葉に、ルイズもまた声を荒げて反応を返し、シオンはどうにか2人をなだめようとしている。

 才人はツカツカと声のする方へと近付いた。

「なんだよ。誰もいないじゃん」

「お前の目は節穴か!」

 才人は思わず後退ってしまう。それは、声の主が1本の剣だったためである。錆の浮いたボロボロの剣から、声が発されているのだ。

「剣が喋ってる!」

 才人が驚きの反応を返すと、店の主人が怒鳴り声を上げた。

「やい!  デル公! お客さまに失礼なことを言うんじゃねえ!」

「デル公?」

 才人は、その喋る剣をマジマジと見詰めた。

 先ほどの大剣と比べて長さは変わらないが、刀身が細い、薄手の長剣だ。ただ、表面には錆が浮き、お世辞にも見栄えが良いとは決して言えやしない。

「お客さま? 剣もまともに振れねえような小僧っ子がお客さま? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょん切ってやらあ! 顔を出せ!」

「それって、“インテリジェンスソード”?」

 ルイズが、当惑した声を上げる。

「そうでさ、若奥さま。意思を持つ魔剣、“インテリジェンスソード”でさ。一体、どこのどいつが始めたんでしょうかねえ、剣を喋らせるなんて……とにかく、こいつはやたらと口は悪いわ、客に喧嘩を売るわで閉口してまして……やいデル公! これ以上失礼があったら、“貴族”に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」

「おもしれ! やってみろ! どうせこの世にゃもう、飽き飽きしてたところさ! 溶かしてくれるんなら、上等だ!」

「やってやらあ!」

 売り言葉に買い言葉で、主人が“インテリジェンスソード”へと向けて歩き出した。

「いやはや、実に面白い。喋る剣……かの“英雄王”の宝物庫にもこの類モノはないやもしれんな」

「もったいないよ。喋る剣なんて面白いじゃないか」

 そんな主人に対して、俺と才人はそれを遮る。

「お前、デル公って言うのか?」

「ちがうわ! デルフリンガー様だ! 覚えておきやがれ!」

「名前だけは、一人前でさ」

 才人からの質問に、デルフリンガーは自身の名前を告げ、主人が茶々を入れる。

「俺は平賀才人だ。よろしくな」

 デルフリンガーは黙った。じっと、才人を観察でもするかのように黙りこくった。

 それからしばらくして、デルフリンガーは小さな声で喋り始めた。

「おでれーた。見損なってた。てめ、“使い手”か」

「“使い手”?」

「ふん、自分の実力も識らんのか。まあ良い。てめ、俺を買え」

「買うよ」

 才人の奥底にあるモノを感じ取っただろうデルフリンガーは、彼へと自身を勧める。

 そして、才人もまた即決であり、デルフリンガーは黙りこくった。

「ルイズ。これにする」

 ルイズは嫌そうな声を上げた。

「え~~~~~~、そんなのにするの? もっと綺麗で喋らないのにしなさいよ。例えば、これとか」

 ルイズに提案する才人だが、彼女はやはり嫌そうな様子だ。

 そして、ルイズは主人が持って来た大剣を指さす。

「あれは駄目だな。見栄えばかりで、中身がない。簡単に折れてしまうだろうな」

「ほう、理解るのか?」

 ルイズの言葉に、俺は原作の知識もあるが、目にしただけでわかったことを口にする。ただ、なんの知識もなければ俺もまた彼女らと同じように業物と言ってみせた店主の言葉を信じ込み、騙されていたことだろう。

 そんな俺の言葉に、デルフリンガーは感心した様子を見せた。

 対して、主人は不満げであり、他3人は信じられないといった様子を見せている。

「なら、試してみるか? 他の剣とその大剣を打つけてみるんだ……」

 その言葉に、3人は気付いていないが、主人は少し焦りを見せた。

「ということから、そのデルフリンガーを買うことを勧める」

「まあ、良いじゃんかよ。喋る剣なんて面白い。な?」

 俺の言葉を信じることはできていないが、それでも才人はデルフリンガーのことを気に入ったのだろう、その想いや感想を述べて、ルイズへとねだる。

「それだけじゃないの」

 ルイズはぶつくさ文句を言いはするが、他に買えそうな剣もないだろうこともあり、主人へと尋ねる。

「あれ、おいくら?」

「あれなら、100で結構でさ」

「安いじゃない」

「こっちにしてみりゃ、厄介払いみたいなもんでさ」

 主人は手をヒラヒラと振りながら言った。

 喋る剣である“インテリジェンスソード”のデルフリンガーは、この性格から、毎度かはわかりかねるが客に茶々を入れたり、喧嘩を売ったりと色々問題を起こして来たのだろう。

 才人は上着のポケットからルイズの財布を取り出し、中身をカウンターの上に打ち撒けた。金貨がジャラジャラと落ちる。

 そして、主人はそれらの枚数を慎重に数え確かめると、首肯いた。

 主人は「毎度」と言い、デルフリンガーを鞘に収め才人へと手渡す。

「どうしても煩いと思ったら、こうやって鞘に入れれば大人しくなりまさあ」

 才人は首肯いて、デルフリンガーを受け取った。

 

 

 

 武器店から出て来た才人とルイズ、シオンと俺を、見つめる2つの影があった。キュルケとタバサという少女だ。

 タバサは、青みがかった髪と、ブルーの瞳を持ち、眼鏡をかけている。実際の年齢よりも4つから5つほど若く見られるほどに幼い容姿、小柄なルイズより5“サント”ほど低い身長の少女だ。

 彼女たち2人は、俺たちの後を、いや、才人とルイズを追いかけて来たのである。

 俺たちが離れるのと同時に、彼女たちは武器店へと入る。

 目的は、ルイズへと対抗するため、そして才人の気を惹くために剣を買うといったところだろうと簡単に推測できる。

 だが、俺は共に行動している3人にそれを話はせず、スルーする。

 事は問題なく進んでいるのだから。

 それよりも、俺は先ほど見た武器や鎧などを想い出していた。

(ほとんどが至ってなんの変哲もない武器ばかり……目を惹いたのはやはりデルフリンガーぐらいか)

 やはり、そうそう変わった箇所などはない。安心するべき、安堵するべきことだ。

 なのだが……。

 この先のことを考え、準備をして置いても問題も損はない、いや、必要かもしれないだろう。

 そう考えながら、眼の前を歩く3人の姿を見やる。

 手甲に“ルーン”が刻まれた少年と、同じように手甲に“令呪”が刻まれ浮かんでいる2人の少女を見て。

 



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土くれのフーケ

 “土くれ”の“二つ名”で呼ばれ、“トリステイン”中の“貴族”たちを恐怖に陥れている“メイジ”の盗賊がいる。そう、“土くれのフーケ”である。

 フーケは北の“貴族”の屋敷に宝石が鏤められたティアラがあると聞けば早速赴きそれを頂戴し、南の“貴族”の別荘に先帝から撓まりし家宝の“杖”があると聞けば別荘を破壊してそれを頂戴し、東の“貴族”の豪邸に“アルビオン”の細工師が腕に撚りをかけて作った真珠の指輪があると聞けば1も2もなく頂戴し、西の“貴族”のワイン蔵に値千金百年もののヴィンテージがあると聞けば喜び勇んで頂戴するといったふうである。

 まさに神出鬼没の大怪盗。“メイジ”の大怪盗。それが“土くれのフーケ”なのである。

 そしてフーケの盗み方は、繊細に屋敷へと忍び込んだかと思えば別荘を粉々に破壊して大胆に盗み出したり、白昼堂々“王立銀行”を襲ったかと思えば、夜影に乗じて邸宅に侵入するなど。行動パターンが中々読めず、“トリステイン”の治安を預かる“王立衛士隊”たちも、振り回されているのだった。

 しかし、盗みの方法には共通する点がある。フーケは狙った獲物が隠された所に忍び込む時は、主に“錬金”の“魔法”を使うのだ。“錬金”の“呪文”で扉や壁を粘土や砂に変え、穴を開けて潜り込むのである。

 “貴族”だって馬鹿ではないから当然対策は練っている。屋敷の壁やドアは、強力な“メイジ”に頼んでかけられた“固定化”の“魔法”で“錬金”の“魔法”から守られている。しかし、フーケの“錬金”は強力であった。大抵の場合、“固定化”の“呪文”など物ともせず、壁や扉をただの土塊に変えてしまうのである。

 “土くれ”は、そんな盗みの技などから付けられた、“二つ名”である。

 忍び込むばかりではなく、力任せに屋敷を破壊する時は、フーケは巨大な土“ゴーレム”を使う。その身の丈は凡そ30“メイル”はあるだろうほどの大きさだ。城でも壊せるかと思わせる巨大な“ゴーレム”である。集まった“魔法衛士”たちを蹴散らし、白昼堂々と御宝を盗み出したことさえもある。

 そんな“土くれのフーケ”だが、正体を見た者はまだ誰もいない。男か、女かもわかっていない。ただわかっていることは……。

 おそらく“トライアングルクラス”の“土系統”の“メイジ”であるということだけである。

 そして、犯行現場の壁に「秘蔵の○○、確かに領収致しました。“土くれのフーケ”」と、ふざけているのかと思わせるサインを残して行くこと。

 そして……いわゆる“マジックアイテム”……強力な“魔法”が付与された数々の高名なお宝を何より好み、盗み出すということくらいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な2つの月が、5階に宝物庫が在る“魔法学院”の本塔の外壁を照らしている。

 2つの月光が、壁に垂直に立った人影を浮かび上がらせていた。

 “土くれのフーケ”であった。

 長い、青い髪を夜風になびかせ悠然と佇む様に、国中の“貴族”たちを恐怖に陥れている怪盗の風格が漂っている。

 フーケは足から伝わって来る、壁の感触に舌打ちをした。

「流石は“魔法学院”本塔の壁ね……物理衝撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」

 足の裏で、壁の厚さを測っている“土系統”のエキスパートであるフーケにとって、そんなことは造作もないのであった。

「確かに、“固定化”の“魔法”以外はかかっていないみたいだけど……これじゃ私の“ゴーレム”の力でも、壊せそうにないわね……」

 フーケは腕を組み、頭を悩ませる。

 強力な“固定化”の“呪文”が掛かっているために、“錬金”の“呪文”で壁に穴を開ける訳にもいかない。

「やっとここまで来たってのに……」

 そんな状況などを前にして、フーケは歯噛みした。

「かと言って、“破壊の杖”を諦める訳にゃあ、いかないね……」

 フーケの目がキラリと光る。そして、腕組みをしたまま、ジッと考えはじめた。

 見られていることも気付かれていることなども気付くことはなく。

 

 

 

 同時刻。

 ルイズの部屋では騒動が持ち上がっていた。

 ルイズとキュルケの2人は互いを睨み合っている。才人は自分にあてがわれた寝床である鶏の巣の上で、キュルケが持って来た名剣に夢中になっている。タバサはベッドの上に座り、本を広げ読書をしている。そして、シオンと俺はそんな4人を前に、苦笑を浮かべるだけだ。

「どういう意味、ツェルプストー?」

 腰に両手を当てて、グッと不倶戴天の敵を睨んでいるのは、ルイズである。

 対するキュルケは悠然と、恋の相手の主人の視線を受け流す。

「だから、サイトが欲しがってる剣を手に入れたから、そっち使いなさいって言ってるのよ」

「お生憎様。“使い魔”の使う道具なら間に合てるの。ねえ、サイト?」

 しかし、才人はそんなルイズの言葉とは裏腹に、キュルケが手に入れ持って来た大剣に夢中になってしまっており、鞘から取り出し、ジッと魅入ってしまっている。

 それもそのはず、その大剣は街の武器店で購入を検討したあの大剣なのである。見た目だけは確かに素晴らしいと言えるだろう。

「呼ばれているぞ、才人」

 俺からの言葉もまた届いていないのだろ、剣に夢中になっており、才人は返事を返さない。

 彼が剣を握ることで、案の定、彼の左手の“ルーン”が光り出す。それと同時に、彼の身体能力が上昇する。

 今彼が理解できていることは、剣を握ることで“ルーン”と呼ばれる痣のようなモノが光ること、自身の身体能力が上昇するということだけである。

 しかし……そんな事よりも今は、見栄えの良い剣に夢中であった。

「すげえ……やっぱこれ、すげえ……ピカピカ光ってるよ! ホントに、見た目だけなのか?」

 ルイズはそんな彼を蹴飛ばす。

「なにすんだよ!?」

「返しなさい。あんたには、あの喋るのがあるじゃない」

「いや、確かに、あれは喋っておもしろいけど……」

 あの剣――デルフリンガーは人語を解し喋りはするが、見た目が良くない。錆び錆びのボロボロなのである。

 見た目の良い大剣の方に惹かれるのも無理のないことであろう。

「嫉妬はみっともないわよ? ヴァリエール」

 キュルケは、勝ち誇った調子で言う。

「嫉妬? 誰が嫉妬してるのよ!?」

「そうじゃない。サイトが欲しがってた剣を、あたしが難なく手に入れてプレゼントしたもんだから、嫉妬してるんじゃなくって?」

「誰がよ! やめてよね! ツェルプストーの者からは豆の一粒だって恵んで貰いたくない! そんだけよ!」

 キュルケとルイズの言い合いに、シオンは苦笑いを浮かべるだけだ。

 そして、タバサは我関せずといった様子で読書に耽っている。

 キュルケは才人を見た。才人はルイズが取り上げた大剣を名残惜しそうに見つめている。

「見てごらんなさい? サイトはこの剣に夢中じゃないの。知ってる? この剣を鍛えたのは“ゲルマニア”の“錬金魔術士シュペー卿”だそうよ?」

「ふん! でもその剣、セイヴァーが言うには見た目だけ、らしいわよ」

「あらそうなの?」

 夢中になっている才人の様子と大剣をルイズへと見せ付けるキュルケだが、ルイズは想い出したかのように大剣の駄目出しを「見た目だけ」といった箇所を強調したようにして言った。

 そんなルイズの言葉に、キュルケは目をパチクリとさせて俺へと確認の言葉を投げかけて来る。

「ああ、見た目は良い……見た目は、な……」

 俺は彼女の質問に答えはするが、やはりシオンを除き、まだ皆信じることができていない様子だ。

 それからキュルケは、俺の言葉を気にしたふうもなく、熱っぽい流し目を才人に送った。

「ねえ、貴男。良くって? 剣も女も、生まれた“ゲルマニア”に限るわよ? “トリステイン”の女と来たら、このルイズみたいに嫉妬深くって、気が短くって、ヒステリーで、ブライドばかり高くって、どうしようもないんだから」

 ルイズはキュルケをグッと睨み付ける。

「なによ。ホントのことじゃないの」

「へ、へんだ。あんたなんかただの色惚けじゃない! なあに? “ゲルマニア”で男を漁り過ぎて相手にされなくなったから、“トリステイン”まで留学して来たんでしょ?」

 ルイズは冷たい笑みを浮かべて、キュルケを挑発した。声が震えており、相当頭に来ていることがわかるだろう。

「言ってくれるわね。ヴァリエール……」

 キュルケの顔色が変わる。そんな彼女を見て、ルイズが勝ち誇ったように言う。

「なによ? ホントのことでしょう?」

 2人は同時に自分の“杖”に手をかける。

 それまで、ジッと本を読んでいたタバサ、そして苦笑いを浮かべていたシオンの2人が同時に、ルイズとキュルケの2人より早く自分の“杖”を振る。

「室内」

「駄目だよ2人とも」

 タバサは淡々と、シオンは笑顔を浮かべながら静かに2人を言って止める。

「なにこの娘。さっきからいるけど」

 ルイズが、タバサを見ながら忌々しげに呟いた。

 そんなルイズに対して、キュルケが答える。

「あたしの友達よ」

「なんで、あんたの友達がわたしの部屋にいるのよ?」

「良いじゃない?」

 キュルケは、グッとルイズを睨んだ。

「よ、よお」

 才人は、ジッと本を読んでいるタバサに声をかけた。が、返事はない。本のページを黙々と捲っている。

「何を読んでるんだ?」

「本……」

「タイトルは?」

「“イーヴァルディの勇者”……」

「面白い?」

「うん……」

 俺もまた彼女とコミュニケーションを取ろうと話しかけるのだが、淡々とした調子で返して来るタバサ。やはりまだ口数は少ない。

 そんな中、ルイズとキュルケはグッと睨み合ったままである。

 そして、キュルケが視線を逸して言った。

「じゃあ、サイトに決めてもらいましょうか」

「俺が? 俺?」

 いきなり話を振られたということもあってか、才人は戸惑う。

「そうよ。あんたの剣で揉めてんだから」

 ルイズは彼をグッと睨んだ。

 才人は悩んでいる様子だ。

「どっち?」

 キュルケが、そしてルイズが睨む。

 どちらを選んでも、彼にとって悪い結果になってしまうだろうことは明白であった。が、逃げる訳にはいかないだろう。

「その、2本とも、って駄目?」

 才人は頭を掻きながら2人へと問いかける。そんな彼をルイズとキュルケの2人は同時に蹴り、彼は床を転がってしまう。

「ねえ」

 キュルケはルイズに向き直る。

「なによ?」

「そろそろ、決着を着けませんこと?」

「そうね」

「あたしね、あんたのこと、大っ嫌いなのよ」

「私もよ」

「気が合うわね」

 キュルケが微笑んだ後、眼を吊り上げた。

 ルイズも、負けじと胸を張った。

 2人は同時に怒鳴るように宣言を、宣戦布告をする。

「決闘よ!」

「決闘よ!」

「やめとけよ」

 才人は呆れて言った。

 しかし、ルイズもキュルケも、お互い怒りを剥き出しにして睨み合っていることもあって、彼の制止の言葉など聞いてはいない。

 シオンは「またか……」といった様子であり、タバサはまだ読書を続けている。

「もちろん、“魔法”でよ?」

 キュルケが、勝ち誇ったように言った。

 ルイズは唇を噛み締めたが、直ぐに首肯いた。

「ええ、臨むところよ」

「良いの? “ゼロのルイズ”。“魔法”での決闘で、大丈夫なの?」

 小馬鹿にでもした調子で、キュルケが確認をする。そして、ルイズは首肯いた。

「もちろんよ! 誰が負けるもんですか!」

 

 

 

 本塔の外壁に張り付き考え事をしていたフーケは、誰かが近付いて来る気配を感じ取った。

 トンッと壁を蹴り、直ぐに地面へと飛び降りる。地面に打つかる瞬間、最小限の力とコントロールで“レビテーション”を唱え、回転して勢いを殺し、羽毛のように着地を成功させる。それから直ぐに中庭の植え込みへと姿を隠した。

 

 

 

 中庭に現れたのは、ルイズとキュルケ、タバサ、才人、シオン、そして――。

「じゃあ、始めましょうか」

 キュルケが言った。

 才人が心配そうに言った。

「ホントにお前ら、決闘なんかするんかよ?」

「そうよ」

 ルイズもキュルケもやる気満々といった様子である。

「危ないからやめろよ……」

 呆れた声で、才人は言った。

「確かに、怪我するのも馬鹿らしいわね」

 才人の言葉に対し、キュルケがそう言い、ルイズもまた「そうね」と首肯く。

 タバサがキュルケへと近付き、自身の考えを呟き、提案する。そして、タバサは才人を指さした。

「あ、それ良いわね!」

 キュルケが微笑む。

 そしてキュルケは、ルイズにもタバサから聞いたモノと同じ内容を呟いた。

「あ、それは良いわ」

 ルイズも首肯いた。

 そして、次にルイズはシオンへと内容を呟き伝える。

「それは、やめておいた方が……」

 制止するシオンの言葉をなかったことにして、ルイズ、キュルケ、タバサの3人は才人の方を向く。

「おーい、本気か、お前ら?」

 才人は情けない声で言ったが、返事を返す者は一部を除いて誰もいない。

「骨は拾ってやるから、安心しろ」

「なに1つ安心できないんだけど!」

 俺の言葉を聞いて、才人は身体を大きく揺らす。

 今の彼は、本塔の上からロープで縛られ、吊るされ、空中にぶら下がっている状態である。

 遥か地面の下には、小さく俺たちの姿が見えているだろう。夜とはいえ、2つの月のおかげでかなり視界は明るい。塔の屋上には、“使い魔”の“ウィンドドラゴン”(化)に跨ったタバサの姿が見えているだろう。“ウィンドドラゴン”(化)は、2本の剣を咥えている。

 2つの月だけが、優しく才人を照らしている。

 キュルケとルイズは、地面に立って才人を見上げている。ロープに縛られ、上から吊るされた彼が、小さく揺れているのが地上から見える。

 キュルケが腕を組んで、ルイズへと確認の言葉を口にする。

「良いこと、ヴァリエール? あのロープを切って、サイトを地面に落とした方が勝ちよ。勝った方の剣をサイトは使う。良いわね?」

 キュルケからの言葉に、ルイズは「わかったわ」と硬い表情で首肯き、返す。

「使う“魔法”は自由。ただし、あたしは後攻。そのくらいはハンデよ」

「良いわ」

「じゃあ、どうぞ」

 ルイズは“杖”を構えた。

 屋上のタバサが、才人を吊るしたロープを振り始めた。それにより、才人が左右に揺れる。

 “ファイアーボール”などの“魔法”の命中率は高く、動かない的であれば簡単にロープへと命中させることができるだろう。

 しかし……命中するかしないかを気にする前に、ルイズには問題があった。“魔法”が成功するかしないか、である。いや、そもそもの話、“魔法”自体は成功してはいるのだが……。

 そんな問題を抱えながらも、ルイズは短く“ルーン呪文”を呟き、完成させる。そして気合を入れて、“杖”を振った。

 “呪文”が成功すれば、火の玉がその“杖”の先から飛び出すはずであった。

 しかし、“杖”の先からはなにも出ない。そして、一瞬遅れて、才人の後ろの壁が爆発した。

 爆風で、才人の身体が揺れる。

 爆風に煽られている才人からの「殺す気か!?」といった怒鳴り声が地上にいても聞こえて来る。

 彼を縛り吊るしているロープはなんともない。対して、本塔の壁には罅が入っているのが遠目から見える。

 そして、キュルケは……腹を抱えて笑っていた。

「“ゼロ”! “ゼロのルイズ”! ロープじゃなくて壁を爆発させてどうするの!? 器用ね!」

 ルイズは憮然とした。

「貴女って、どんな“魔法”を使っても爆発させるんだから! あっはっは!」

 ルイズは悔しそうに拳を握り締めると、膝を着いた。そんな彼女へと駆け寄るシオン。

「さて、私の番ね……」

 キュルケは、狩人の目で才人を吊るしているロープを見据える。タバサがロープを揺らしているということもあって、狙いが付け辛い。

 それでもキュルケは余裕の笑みを浮かべ、“ルーン呪文”を短く呟き、手慣れた仕草で“杖”を突き出す。“ファイアーボール”だ。そして、それは彼女の十八番、得意な“魔法”である。

 “杖”の先から、メロンほどの大きさをした火球が現れ、才人のロープ目掛けて飛んだ。火球は狙い違わずロープに打つかり、一瞬で直撃した箇所を燃やし尽くした。

 それにより、ロープは切れ、才人は地面へと向かい落ちる。屋上にいたタバサが“杖”を振り、才人に“レビテーション”を加減してかけたのだろう、彼の身体はゆっくりと地面へと降下する。

 キュルケは勝ち誇って、笑い声を上げる。

「あたしの勝ちね!ヴァリエール!」

 ルイズはしょんぼりとして座り込み、地面の草を毟り始めた。

 

 

 

 フーケは、中庭の植え込みの中から一部始終を見守っていた。ルイズの“魔法”で、宝物庫の辺りの壁に罅が入ったのを見届ける。

 ルイズが唱えた“呪文”は確かに“ファイアーボール”だ。だが、“杖”の先から火球は飛び出さず、代わりに、壁が爆発して破損してみせたのである。

 あんな風にモノが爆発する“呪文”を、フーケは当然聞いたことも見たこともなかった。

 ルイズという少女は尽く“魔法”を失敗させ、それら全てを爆発させてしまう。そんな話を他の教師から聞いたことはあるが、実際に見たのは初めてのことであり、フーケは今目にしたのにも関わらず信じることが難しい様子である。

 フーケは頭を振って、考えと意識を切り替える。「このチャンスを逃す訳にはいかない」と。

 フーケは“呪文”を“詠唱”し始める。長い“詠唱”だ。

 完成すると、地面へと向けて“杖”を振る。

 そして、彼女は薄く笑った。

 音を立て、地面が盛り上がる。

 “土くれのフーケ”が、その本領を発揮したのである。

 

 

 

「残念ね! ヴァリエール!」

 勝ち誇ったキュルケは、大声で笑った。

 ルイズは勝負に負けたのが悔しいのか、膝を着いたまましょぼんと肩を落としている。

 才人は複雑な気分で、ルイズを見つめた。それから、低い声で言った。

「……まずは、ロープを解いてくれ」

 キッチリとロープで身体をぐるぐる巻きにされており、身動き1つ取ることができない。いや、できるとしても、転がることや跳ねることくらいしかできない状態である。

 キュルケは微笑んで、彼の言葉に首肯く。

「ええ、喜んで――!? な、なにこれ!?」

 その時である。

 背後に巨大ななにかの気配を感じて、キュルケは振り返った。そして、口を大きく開けてしまう。

 巨大な土“ゴーレム”がこちらへと向かい歩いて来るのが見える。

(来たか……)

 “ゴーレム”を見て、俺は周囲を確認する。予想していた通り、いや、“原作”通りのタイミングで来たこと、そして近くに彼女がいることを感じ取る。

「――きゃああああああああ!」

 キュルケは悲鳴を上げて逃げ出した。才人はその背中に向かって叫んだ。

「おい! 置いて行くなよ!」

「退くぞ、シオン!」

 俺はそう言ってシオンをお姫様抱っこして後へと跳躍し、後退する。が、1歩で10“メイル”ほど離れた直後に才人を放置してしまったことに気が付いた。

 迫り来る巨大な“ゴーレム”が見え、才人はパニックに陥ってしまう。

「な、なんだこりゃ!? でけえ!」

 才人は逃げようともがくのだが、ロープで身体をぐるぐる巻きにされているために逃げようとしても逃げることができない。

 我に返ったルイズが才人へと駆け寄る。

「な、なんで縛られてんのよ!? あんたってば!」

「お前らが縛ったんだろうが!」

 そんな2人の頭上で“ゴーレム”の足が持ち上がる。

 動けないこともあって、才人は観念してしまう。そして「ルイズ! 逃げろ!」と彼女へと怒鳴った。

「く、このロープ……」

 だがルイズは、一生懸命にロープを外そうともがいている。

 “ゴーレム”の足が落ちて来る。それを前に、才人は目を瞑った。

 が、間一髪のところで、タバサの“使い魔”である“ウィンドドラゴン”(化)が滑り込み、才人とルイズを両脚でガッシリ掴み、“ゴーレム”の足と地面の間を摺り抜た。

 そして、先ほどまで2人がいた場所に、ズシン! と音を立てて、“ゴーレム”の足が減り込んだ。

 “ウィンドドラゴン”(化)の脚にぶら下がった状態の2人は、上空から“ゴーレム”を見下ろした。

 才人が震える声で呟く。

「な、なんなんだよ、あれ……?」

「わかんないけど……巨大な土“ゴーレム”ね」

「あんなデカイの、いいのかよ!?」

「……あんな大きい土“ゴーレム”を操れるなんて、“トライアングルクラス”の“メイジ”に違いないわ」

「良いけどよ……お前、なんで逃げなかったんだよ?」

 地上にいる巨大な土“ゴーレム”を見下ろしながら、才人はルイズへと先ほどのこと――自身の危険を顧みずにロープを一生懸命に外そうとしてくれたことについて尋ねる。

 それに対し、ルイズはキッパリと答えて見せた。

「“使い魔”を見捨てる“メイジ”は“メイジ”じゃないわ」

 

 

 

 フーケは、巨大な土“ゴーレム”の肩の上で、薄ら笑いを浮かべていた。

 逃げ惑うキュルケや、上空を舞う“ウィンドドラゴン”(化)の姿が見えたが気にしない。

 フーケは頭からスッポリと黒いローブに身を包んでいる。その下の自分の顔さえ見られなければ、なにも問題はないのだから。

 そう想い、安心して土“ゴーレム”へと命令を下そうとした瞬間、大きな衝撃が奔った。

 

 

 

「命中……次いで、2撃目」

 “投影魔術”を使い、物質化させた弓矢で30“メイル”はするだろう大きさの土“ゴーレム”を射抜いたのである。

 あれだけ巨大で脅威に感じられる土“ゴーレム”の身体、腹の真ん中部分には大きな穴が空いており、一時的なモノだろうが動きが止まっている。

 その隙を突いて、2発目の矢を番え放つ。

 それにより、土“ゴーレム”の右足に相当する部分が一瞬で抉れ、消え去り、“ゴーレム”は体勢を崩して前のめりに倒れかかる。

 だが――。

 

 

 

「どこから!? これだけの威力の“魔法”を!?」

 フーケは再び驚愕に目を見開き、動揺を隠すということがいよいよとなって難しくなる。

 彼女が生み出す土“ゴーレム”は大抵の攻撃に、“ラインクラス”までの“メイジ”からの“魔法”による干渉を耐え切るだろうという自信があった。だが、まったく姿が見えない存在からの攻撃を受け、自身の土“ゴーレム”が損傷したのだ。その自信は簡単に崩れ去ろうとしていた。

「だけど、遅かったね」

 驚愕を感じ、覚えならも、どうにか平静さを取り戻し、フーケは土“ゴーレム”と地面の両方へと向けて“魔法”を使用する。

 1撃目で腹の部分を、2撃目で右足を持って行かれたが、それらはすぐに修復され、体勢を整える。

 そして――。

 罅が入った壁へと向けて、土“ゴーレム”の拳が打ち下ろされた。そして、インパクトのその瞬間、フーケは“ゴーレム”の拳を鉄へと変えた。

 それにより、壁に拳が減り込む。バカッと鈍い音が鳴り、あれだけ難攻不落かつ金剛不壊かと想えた壁が崩れ去る。

 それを見て、フーケは思わず黒いローブの下で微笑んだ。

 そしてフーケは土“ゴーレム”の腕を伝い、壁に開いた穴から、宝物庫の中へと入り込む。

 宝物庫の中には様々な宝物があった。しかし、彼女の狙いはただ1つ、“破壊の杖”だけである。

 少しばかり奥へと進むと、様々な杖が壁にかかった一画に到着する。そしてその中には、どう見ても“魔法”の“杖”には見えない品があった。全長は1“メイル”ほどの長さで、見たことのない金属で出来ている。

 とても奇妙な見た目をした物体だ。

 フーケはその下にかけられた鉄製のプレートを見つめた。そこには「“破壊の杖”。持ち出し不可」と記載されており、彼女の笑みはますます深くなる。

 フーケは迷うことなく、その“破壊の杖”を掴み取る。

 そして、その軽さに驚いた。が、直ぐに“ゴーレム”の肩に戻り、“杖”を振る。

 それにより、「“破壊の杖”、確かに領収いたしました。“土くれのフーケ”」という文字が壁に刻まれた。

 

 

 

 再び黒ローブの“メイジ”を肩に乗せ、“ゴーレム”は歩き出す。そしてその“ゴーレム”は、“魔法学院”の城壁を一跨ぎで乗り越え、ズシンズシンと地響きを立てて草原を歩いて行く。

 そのゴーレムの頭上である上空を、“ウィンドドラゴン”(化)が旋回する。

 その背中に跨っているタバサが自身の身長よりも長い“杖”を振る。すると、“レビテーション”だろう“魔法”の効果で、才人とルイズの身体が、足から“ウィンドドラゴン”(化)の背に宙を浮かび移動する。

 もう1度、タバサは自身の身長より長い“杖”を振る。

 それに従うように、かまいたちのように空気が震え出し、才人の身を包んでいるロープが切れた。

「ありがとう」

 才人は、タバサに対して、彼女が言い出しっぺである事を忘れ、感謝の言葉を口にする。

 対して、タバサは無表情に頷いた。

 才人は、巨大な“ゴーレム”を見つめながらルイズへと尋ねる。

「あいつ、壁を打ち壊してたけど……なにしたんだ?」

 その疑問に対し、ルイズの代わりにタバサが端的に「宝物庫」と答える。

「あの黒ローブの“メイジ”、壁の穴から出て来た時に、何かを握っていたわ」

「泥棒か。しかし、随分派手に盗んだもんだな……」

 月光に照らされたその姿と動きを視認していたのかルイズはそれを口にし、才人もまた感想を述べる。

 草原の真ん中を歩いていた巨大な“ゴーレム”は、突然グシャッと崩れ落ちた。かけられていた“魔法”が解かれたのか、巨大な“ゴーレム”は大きな土の山になったのだ。

 3人と1匹は地面へと降下した。

 月明かりに照らされた、こんもりと小山のように盛り上がった土山以外、そこには何もない。

 肩に乗っていただろう、黒ローブの“メイジ”の姿は、とうに消え失せていた。

 



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破壊の杖

 翌朝……。

 “トリステイン魔法学院”では、昨夜から蜂の巣を突いたかのような大騒ぎが続いていた。

 なにせ、秘宝の“破壊の杖”が盗まれたのだから当然であろう。それも、巨大な“ゴーレム”が、壁を破壊するといった大胆な方法で、だ。

 宝物庫には、“学院”中の教師たちが集まり、壁に空いた大きな穴を見て、口をあんぐりと開けてしまっている。

 壁には“土くれのフーケ”の犯行声明が刻まれていた。「“破壊の杖”、確かに領収致しました。“土くれのフーケ”」、と。

 それらを目にし、教師たちは口々に好き勝手なことを喚いていた。

「“土くれのフーケ”! “貴族”たちの財宝を荒らし捲くっているという盗賊か! “魔法学院”にまで手を出しおって! 随分と舐められたもんじゃないか」

「衛兵はいったいなにをしていたんだね?」

「衛兵など当てにならん! 所詮は“平民”ではないか! それより当直の“貴族”は誰だったんだね?」

 シュヴルーズは震え上がった。昨晩の当直は、彼女であったのだから。まさか、“魔法学院”を襲う盗賊がいるなどと夢にも思わず、当直をサボり、ぐうぐう自室で寝ていたのである。夜通し門の詰め所に待機していなければならないというのに、だ。

「ミセス・シュヴルーズ! 当直は貴女なのではりませんか!?」

 教師の1人が、早速彼女に対して追求をし始めた。オスマンが来る前に責任の所在を明らかにしておこうということだろう。

 それを受けて、シュヴルーズはボロボロと泣き出してしまった。

「も、申し訳ありません……」

「泣いたって、御宝は戻ってこないのですぞ! それとも貴女、“破壊の杖”の弁償でもできるのですかな!?」

「私、家を建てたばかりで……」

 追求される彼女は、よよよと床に崩れ落ちてしまう。

 そこへ、オスマンが到着した。

「これこれ、女性を虐めるものではない」

 彼女を問い詰めていた教師が、オスマンへと訴える。

「しかしですな! オールド・オスマン!  ミセス・シュヴルーズは当直なのに、ぐうぐう自室で寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」

 オスマンは長い口髭を擦りながら、口から唾を飛ばして興奮するその教師を見つめた。

「ミスター……なんだっけ?」

「ギトーです! お忘れですか!?」

「そうそう。ギトー君。そんな名前じゃったな。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 オスマンは、確認と同時に辺りを見回した。

 教師たちはお互い、顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せた。誰も名乗り出る者はいない。

 当然ギトーも名乗り出ない。そもそも、シュヴルーズは謝罪をするだけで「ぐうぐう自室で寝ていた」とは事実であろうと一言も口にしていないのである。そういった発想が出て来た時点で察することができるであろう。

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが……もちろん儂も含めてじゃが……まさかこの“魔法学院”が襲われるなど、夢にも思わなかった。なにせ、ここにいるのは、ほとんどが“メイジ”じゃからな。誰が好き好んで、虎穴に入るのかっちゅう訳じゃ。しかし、それは間違いじゃった」

 オールド・オスマンは、壁にぽっかり開いた穴を見つめた。

「この通り、賊は大胆にも忍び込み、“破壊の杖”を奪うって行きおった。詰まり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとするなら、我ら全員にあると言わねばなるまい」

 シュヴルーズは、感激してオスマンに抱き着いた。

「おお、オールド・オスマン、貴男の慈悲の心に感謝いたします。私は貴男をこれから父と呼ぶことにいたします!」

 オスマンはそんな彼女の尻を撫でる。

「ええのじゃ。ええのよ。ミセス……」

「私のお尻で良かったら! そりゃもう! いくらでも! はい!」

 オスマンはコホンと咳をする。誰も突っ込みはしない、場を和ませるつもりで尻を撫でたのにも関わらず、だ。

 皆、一様に真剣な目で彼の言葉を待っている。

「で、犯行の現場を見ていたのは誰だね?」

 オスマンは尋ねる。

「この3人です」

 コルベールがサッと進み出て、後ろに控えさせていた3人を指さした。

 ルイズにキュルケにタバサの3人である。才人と俺も側にいたが、“使い魔”であるということもあって数には入っていない。

「ふむ……君たちか」

 オスマンは目を細め、興味深そうに才人を、そして俺を見つめて来る。

「詳しく説明したまえ」

 ルイズが進み出て、見たままを述べた。

「あの、大きな“ゴーレム”が現れて、ここの壁を壊したんです。肩に乗っていた黒い“メイジ”がこの宝物庫の中からなにかを……その“破壊の杖”だと思いますけど……盗み出した後、また“ゴーレム”の肩に乗りました。“ゴーレム”は 城壁を越えて歩きだして……最後には崩れて土になっちゃいました」

「それで?」

「後には、土しかありませんでした。肩に乗ってた黒いローブを着た“メイジ”は、影も形もなくなってました」

「ふむ……」

 オスマンは髭を撫でる。

「後を追うにも、手掛かりなしと言う訳か……」

 それから彼は、今気付いたというようにコルベールへと尋ねる。

「時に、ミス・ロングビルはどうしたね?」

「それがその……朝から姿が見えませんで」

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」

「どこなんでしょう?」

 噂をすればなどとは良く言ったモノだろう。そんな風に噂をしていると、彼女が姿を現す。

「ミス・ロングビル! どこに行っていたんですか!? 大変ですぞ! 事件です!」

 興奮した調子で、コルベールが捲し立てる。しかし、彼女は落ち着き払った態度で、オスマンへと告げる。

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

「調査?」

「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこの通り。直ぐに壁のフーケのサインを見付けたので、これが国中の“貴族”を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、直ぐに調査をいたしました」

「仕事が早いの。ミス・ロングビル」

 コルベールが慌てた調子で促した。

「で、結果は?」

「はい。フーケの居所がわかりました」

「な、なんですと?」

 彼女の言葉に、コルベールが、素っ頓狂な声を上げた。

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

「はい。近在の農民に聴き込んだところ、近くの森の廃屋に入って行った黒尽くめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 その彼女の報告に、誰も疑問を抱くことはない。

 ルイズが叫ぶように同調する。

「黒尽くめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」

 オスマンは、目を細くして、ロングビルに尋ねた。

「そこは近いのかね?」

「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」

「直ぐに“王室”に報告しましょう! “王室衛士隊”に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 コルベールが叫ぶように提案する。

 だが、オスマンは首を横に振り、目を剥いて年寄りとは思えないほどの迫力を出して怒鳴る。

「馬鹿者! “王室”なんぞに報せている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……身にかかる火の粉を己で払えぬようで、なにが“貴族”じゃ! “魔法学院”の宝が盗まれた! これは“魔法学院”の問題じゃ! 当然我らで解決する!」

 この答を待っていたといった風に、ロングビルは微笑んだ。

 オスマンは咳払いをすると、有志を募った。

「では、探索隊を編成する。我と思う者は、“杖”を掲げよ」

 だが、誰も“杖”を掲げない。ただ困ったように、顔を見合わせるだけだ。

「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕まえて、名を上げようと思う“貴族”はおらんのか!?」

 ルイズとシオンは俯いていたが、それから彼女たちはほぼ同時のタイミングで“杖”を顔の前に掲げた。

「ミス・ヴァリエール!? ミス・エルディ!?」

 シュヴルーズが驚いた声を上げる。

「なにをしているのです! 貴女たちは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて――」

「――誰も挙げないじゃないですか」

 ルイズはキッと唇を強く結んで言い放つ。

 唇を軽くへの字に曲げ、真剣な目をしている彼女たちはとても凛々しく、そしてとても美しい。

 シュヴルーズは、ルイズのそんな言葉を受けて俯いた。

 そんな彼女たちがそのように“杖”を掲げているのを見て、渋々といったふうにキュルケもまた“杖”を掲げる。

 コルベールもまた、驚いた声を上げる。

「ツェルプストー! 君も生徒じゃないか!」

 彼女はつまらなさそうに言った。

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 キュルケが“杖”を掲げるのを見て、タバサもまた自身の“杖”を掲げる。

「タバサ。あんたは良いのよ。関係ないんだから」

 キュルケがそう言ったら、タバサは短く応えた。

「心配」

 キュルケは感動した面持ちで、タバサを見つめた。ルイズとシオンもまた唇を噛み締めて、お礼の言葉を口にする。

「ありがとう……タバサ……」

「ありがとう」

 そんな4人の様子を見て、オスマンは笑った。

「そうか、では、頼むとしようか」

「オールド・オスマン! 私は反対です! 生徒たちをそんな危険に晒す訳には!」

「では、君が行くかね、ミセス・シュヴルーズ?」

「い、いえ……私は体調が優れませんので……」

「彼女たちは、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くして“シュヴァリエ”の称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 タバサは返事もせずに、ボケっと突っ立っている。

 教師たちは驚いたように彼女を見つめた。

「本当なの?」

 キュルケも驚いている。“王室”から与えられる爵位としては、最下級の“シュバヴァリエ”の称号ではあるが、タバサの年でそれを与えられるというのは驚きに値するモノだ。男爵や子爵の爵位であれば、領地を貰うことで手に入れることも可能である。が、“シュヴァリエ”だけは違う。純粋に業績に対して与えられる爵位……実力あるという証拠を持つ称号なのである。

 宝物庫の中がざわめいた。

 オスマンは、それからキュルケを見つめた。

「ミス・ツェルプストーは、“ゲルマニア”の優秀な軍事を数多く輩出した家系で、彼女自身炎の“魔法”も、かなり強力と聞いておるが?」

 キュルケは得意げに、髪を掻き上げた。

「ミス・エルディは、優秀な生徒であり、どの“魔法”も卒なくといった範疇に収まらず、“ラインクラス”から“トライアングルクラス”の力を発揮させることができると聞いておるが? まあいわゆるオールラウンダーというやつじゃな」

 オスマンの言葉に、シオンは照れているのか下を向いている。

 それから、ルイズが自分の番だとばかりに可愛らしく胸を張る。

 が、オスマンは困った表情を浮かべる。そして、コホンと咳をすると、目を逸らしながら言葉を選ぶように続けた。

「その……ミス・ヴァリエールは数々の優秀な“メイジ”を輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、将来有望な“メイジ”と聞いておるが? しかもその“使い魔”は!」

 それから才人を熱っぽい目で見詰めた。

「“平民”ながらあの元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」

 コルベールが興奮した調子で、後を引き取った。

「そうですぞ! なんせ、彼はガンダー――」

 オスマンは慌ててコルベールの口を押さえる。

「むぐ! はぁ! いえ、なんでもありません! はい!」

 教師たちはすっかり黙ってしまった。

 そして、オスマンは威厳のある声で言った。

「この4人に勝てるという者がいるのなら、前に一歩出たまえ」

 誰もいなかった。

 オスマンは、才人と俺を含む6人に向き直る。

「“魔法学院”は、諸君らの努力と“貴族”の義務に期待する」

 ルイズとタバサとキュルケとシオンは、真顔になって直立し「“杖”に賭けて!」と同時に唱和した。それからスカートの裾を摘み、恭しく礼をする。俺と才人は、それを“杖”の部分とスカートの一連の動きを除いた礼だけを真似て動く。

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。“魔法”は目的地に着くまで温存したまえ。ミス・ロングビル!」

「はい。オールド・オスマン」

「彼女たちを手伝ってやってくれ」

 ロングビルは頭を下げて応えた。

「元よりそのつもりですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たち6人はロングビルを案内役に、早速出発する。

 馬車とは言うが、屋根などない荷車のような馬車だ。襲われた時に、直ぐに外に飛び出せる方が良いだろうということで、このような馬車になったのである。

 ロングビルが御者を買って出た。

 キュルケが、黙々と手綱を握る彼女に話しかける。

「ミス・ロングビル……手綱なんて付き人にやらせれば良いじゃないですか?」

 ロングビルは、ニッコリと笑みを浮かべ返す。

「良いのです。私は、“貴族”の名を失くした者ですから」

 そんなロングビルの答に、キュルケはキョトンとして、質問を続ける。

「だって、貴女はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

「ええ、でも、オスマン氏は“貴族”や“平民”だということに、あまりこだわらないお方です」

「差し支えなかったら、事情をお訊かせ願いたいわ」

 ロングビルは優しい微笑みを浮かべる。そんな表情から、言いたくないということを察することができる。

「良いじゃないの。教えてくださいな」

 キュルケは興味津々といった顔で、御者台に座ったロングビルに躙り寄る。「差し支えなかったら」などと言ってないと言わんばかりの様子である。

 そんなキュルケの肩を、ルイズが掴み止めに入る。

 キュルケは振り返ると、ルイズを睨み付けた。

「なによ、ヴァリエール?」

「よしなさいよ。昔のことを根掘り葉掘り訊くなんて」

 キュルケはふんと呟いて、荷台の柵に寄りかかって頭の後ろで腕を組んだ。

「暇だからお喋りしようと思っただけじゃないの」

「あんたのお国じゃどうか知りませんけど、訊かれたくないことを、無理矢理訊き出そうとするのは“トリステイン”じゃ恥ずべきことなのよ」

 キュルケはそれに答えず、脚を組んだ。そして、厭味な調子で言い放った。

「ったく……あんたが格好つけたおかげで、とばっちりよ。なにが悲しくて、泥棒退治なんか……」

 ルイズはキュルケをジロリと睨んだ。

「とばっちり? あんたが自分で志願したんじゃないの」

「あんたが1人じゃ、サイトとシオン、セイヴァーの3人が危険じゃないの。ねえ? “ゼロのルイズ”」

「どうしてよ?」

「いざ、あの大きな“ゴーレム”が現れたら、あんたはどうせ逃げ出して後ろから見てるだけでしょ? シオンとサイト、セイヴァーを戦わせて自分は高みの見物。そうでしょう?」

「誰が逃げるもんですか。わたしの“魔法”でなんとかして見せるわ」

「“魔法”? 誰が? 笑わせないで!」

 2人は再び火花を散らし始めた。

 対して、タバサは相変わらず本を読んでいる。

「喧嘩すんなよ! もう!」

 シオンと俺が苦笑を浮かべて見守る中、才人が間に入って執りをなした。

「ま、良いけどね。せいぜい、怪我しないことね」

 キュルケはそう言うと、手をヒラヒラと振って見せた。

 ルイズはぐっと唇を噛んでいる。

「じゃあダーリン。これ使ってね?」

 キュルケは色気たっぷりに流し目を才人に送ると、自分が買って来た名剣を手渡した。

「あ、ああ……」

 才人はそれを受け取った。

「勝負に勝ったのはあたし。文句はないわよね? “ゼロのルイズ”?」

 ルイズは、チラッと2人の様子を見たが、それだけでなにも言わなかった。

 

 

 

 馬車は深い森に入って行った。

 鬱蒼とした森が、5人の畏怖を煽っているだろう。昼間だというのに薄暗く、気味が悪いゆえか。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 ロングビルがそう言って、全員が馬車から降りる。

 森を通る道から、小道が続いている。

「なんか、暗くて怖いわ……嫌だ……」

 ここぞとばかりに、キュルケが才人の腕に手を回す。

「あんまりくっつくなよ」

「だってー、すごくー、怖いんだものー」

 キュルケはすごく嘘臭い調子で言った。

 才人はルイズが気になっているのか、斜め後ろを振り向いた。対して、ルイズはフンっと顔を背けた。

 

 

 

 一行は開けた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。おおよそ、“魔法学院”の中庭くらいの広さだ。真ん中に、確かに廃屋があるのが見える。元は木こり小屋だったのだろう、朽ち果てた炭焼き用らしき釜と、壁板が外れた物置が隣に並んでいるのが見えている。

 俺を含めた7人は小屋の中から見えないように、森の茂みへと身を隠し廃屋を見つめた。

「私の聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 ロングビルが廃屋を指さして言った。

 ヒトが住んでいる気配はまったくしない。

 才人たちは俺を交じえ、ユックリと相談をし始める。兎に角、あの中にいるのなら奇襲が1番だろうという結論に辿り着く。

 そして、奇襲をするにも色々と考える必要があるだろう。

 タバサは、チョコンと地面に正座すると、皆に自分の立てた作戦を説明するために、近くにあった枝を使って地面に絵を描き始めた。

 まず、偵察兼囮が小屋の側に赴き、中の様子を確認する。

 そして、中にフーケがいれば、これを挑発し、外に出す。

 小屋の中に、“ゴーレム”を作り出すほどの土はない。

 外に出ない限り、得意の“ゴーレム”は使えないのである。

 そして、フーケが外に出たところを、“魔法”で一気に攻撃する。土“ゴーレム”を作り出す暇を与えずに、集中砲火でフーケを沈めるのである。

「で、偵察兼囮は誰がやるの?」

 才人が尋ね、タバサが短く応える。

「すばしっこいの」

 皆が一斉に、才人と俺とを見詰める。

 そして、才人は溜息を吐いて言った。

「俺たちかよ。まあ、良いよ、俺がやる」

 才人はキュルケから貰った名剣を、鞘から抜いた。

 彼の左手が光り出す。それと同時に、彼の身体能力が上昇する。

 スッと一足跳びで小屋の側へと近付く。窓へと近付き、恐る恐る中を覗き込む才人。

 小屋の中は、一部屋しかない。部屋の真ん中に埃のつもったテーブル、そして転がっている椅子がある。崩れた暖炉もあり、テーブルの上には酒瓶が転がっている。

 そして、部屋の隅には、薪が積み上げられており、炭焼き小屋だという主張をしている。

 そして、薪の隣にはチェストがある。木で出来た大きい箱だ。

 中には人の気配はなく、どこにも人が隠れることができそうな場所は見当たらない。

 才人はしばらく考えた後、皆を呼ぶことにした。

 才人は頭の上で、腕を交差させた。誰もいなかった時の場合のサインである。

 隠れていた5人が恐る恐るといったふうに、俺は堂々と近寄る。

「誰もいないよ」

 才人は窓を指して言った。

 タバサがドアに向けて“杖”を振り、確認が終了したのだろう「罠はないみたい」と呟き、ドアを開け、中へと入る。

 キュルケと才人が後に続く。

 ルイズとシオン、俺は外で見張りをするために後に残った。

 ロングビルは「辺りを偵察して来ます」と言って、森の中へと消えた。

 俺はそれに対して見逃し、首肯く。

 

 

 

「なにもなければ良いんだけど……」

 シオンが呟き、ルイズが頷く。

 だが、それがフラグだったのか、いや起こるべくして起こるモノだ。

 少しばかり離れた場所の地面が膨れ上がり、ヒトの形を取り始める。

 そうして、見る見るうちにそれは土“ゴーレム”へと変化をした。

「きゃぁああああああ!?」

 

 

 

 小屋に入った才人たちは、フーケが残した手掛かりがないかを調べ始めた。

 そして、タバサがチェストの中から“破壊の杖”を見付け出した。

「“破壊の杖”……」

 タバサは無造作にそれを持ち上げると、皆へと見せる。

「呆気ないわね!」

 キュルケが叫ぶように感想を述べる。

 そして、才人はその“破壊の杖”を目にした瞬間に目を丸くし、俺はニヤリと笑みを浮かべる。

「お、おい。それ、本当に“破壊の杖”なのか?」

 才人は驚いて言った。

「そうよ。あたし、見たことあるもん。宝物庫を見学した時」

 キュルケが首肯く。

 才人が近寄り、“破壊の杖”をマジマジと見つめる。

 その時、外で見張りをしているルイズが悲鳴を上げた。

「きゃぁああああああ!?」

「どうした!? ルイズ!」

 一斉にドアのある方へと振り向いた時……。

 バコォーンと良い音を立てて、小屋の屋根が吹っ飛んだ。

 屋根がなくなったおかげで、空が良く見えるだろう。

 そして、青空をバックにして、フーケの巨大な土“ゴーレム”の姿を確認できるだろう。

「“ゴーレム”!」

 キュルケが叫ぶ。

 タバサが真っ先に反応し、動き出す。

 自身の身長より大きな“杖”を振り、“呪文”を唱えた。

 巨大な竜巻が舞い上がり、“ゴーレム”に打つかって行く。

 しかし、“ゴーレム”はビクともしない。

 次いでキュルケが胸に挿した“杖”を引き抜き、“呪文”を唱える。

 “杖”から炎が伸び、“ゴーレム”を火炎で包み込む。が、炎に包まれようが、“ゴーレム”はまったく意に介さない。

「無理よこんなの!」

 キュルケが弱音を吐き出し叫ぶ。

「退却」

 タバサが呟く。

 キュルケとタバサは一目散に逃げ出し始めた。

 才人はルイズの姿を探し、見付ける。

 ルイズは“ゴーレム”の背後に立っており、“ルーン呪文”を呟き、“杖”を振りかざす。“ゴーレム”の表面に当たりはするが、当然のように爆発を起こす。だが、それだけであり、“ゴーレム”には傷1つない。

 小屋の入り口に立っている才人は20“メイル”ほど離れたルイズに向かって怒鳴る。

「逃げろ! ルイズ! シオン! セイヴァー!」

 ルイズは唇を噛み締めて、叫ぶように応える。

「嫌よ! あいつを捕まえれば、誰ももう、わたしを“ゼロのルイズ”とは呼ばないでしょ!」

 シオンも“杖”を構える。

 2人とも、目が真剣だ。

 “ゴーレム”は近くに立っているルイズとシオンからの攻撃に対して迎撃をするか、逃げ出しているキュルケたちを追いかけるかどうか迷っているかのように首を傾げるといった動作を取る。

「あのな! “ゴーレム”の大きさを見ろ! あんな奴に勝てる訳ねえだろ!」

「やってみなくちゃ、わかんないじゃない!」

「無理だっつうの!」

 才人がそう言うと、ルイズはグッと彼を睨み付ける。

「あんた、言ったじゃない」

「え?」

「ギーシュにボコボコにされた時、何度も立ち上がって、言ったじゃない。下げたくない頭は、下げられないって!」

「そりゃ、言ったけど!」

「わたしだってそうよ。細やかだけど、プライドってもんがあるのよ。ここで逃げたら、“ゼロのルイズ”だから逃げたって言われるわ!」

「いいじゃねえかよ! 言わせとけよ!」

「わたしは“貴族”よ。“魔法”が使える者を、“貴族”と呼ぶんじゃないわ」

 ルイズは、俺へと一瞬だが目を向けてそう言った後、“杖”を握り締め直した。

 “ゴーレム”はやはり近くにいるこちらへの攻撃をするように命令を受けているのであろう。“ゴーレム”の巨大な足が、持ち上がり、俺たちを踏み潰そうとする。

 ルイズは“魔法”の“呪文”を“詠唱”し、“杖”を振る。シオンも同様に、“杖”を振るう。

 しかし、やはり“ゴーレム”にはまったく通用しない。

 “ファイアーボール”を唱えたのだろう。シオンの方からは火球が飛び出すが、ルイズの方からは出ない。

 “ゴーレム”の腕が小さく爆発、そして“ファイアーボール”が直撃するのが見えたが、それだけだ。

 “ゴーレム”はビクともしない。わずかばかりに、土が溢れるだけだ。が、それにより、“ゴーレム”は一時的に動きを止める。

 才人は剣を構えると同時に飛び出す。

 ルイズとシオン、そして俺の視界には、“ゴーレム”の足が広がっている。

 その時……烈風の如く疾走り込んだ才人が、ルイズの身体を抱き抱え、地面に転がる。俺もまた、シオンをお姫様抱っこして、才人とルイズの横へと移動する。

「死ぬ気か!? お前!」

 才人は思わず、ルイズの頬を叩く。バッシィーン、と乾いた音が響いた。

 ルイズは呆気に取られ、才人を見詰める。シオンもまた、彼と彼女を見詰める。

「“貴族”のプライドがどうした! 死んだら終わりじゃねえか! 馬鹿!」

 ルイズの目から、ポロポロと涙が溢れた。端正な顔立ちをグシャグシャに歪めて、幼子みたいに、だ。

「泣くなよ!」

「だって、悔しくて……わたし……いっつも馬鹿にされて……」

 眼の前で泣かれてしまい、才人は困った様子を見せる。

 だが当然、巨大“ゴーレム”はこちらを待つということはなく、その大きな拳を振り上げ、こちらに対して攻撃の体勢に入る。

「少しはしんみりさせろよ!」

 才人はルイズを抱え上げ、疾走り出した。

 だが――。

「セイヴァー……」

「なにかな? マスター」

「貴男の実力が知りたいわ。見せて」

「……了解した」

 シオンからの言葉に首肯いた。

「ルイズ」

「なによ?」

「その心意気、見事だと思う。その念いも、そして才人の言い分通り、命もまたそれと同じくらいに大事にしておくと良い」

 ルイズは俺の呼びかけに、涙を混じえながら応えた。

 俺は自身の考えを口にし、そして、俺は自身の“魔力”を少しばかり解放させる。

 “魔力放出”によって発生した風を受けて、30“メイル”ほどの巨大な土“ゴーレム”の身体が吹き飛び、尻餅を突く。

「――え?」

 ルイズと才人、キュルケとタバサの4人は驚きから大きく目を見開く。

 そして、驚愕から冷静さを取り戻したタバサに呼ばれたのだろう、“ウィンドドラゴン”(化)がルイズと才人、シオンと俺を救うためだろう飛んで来た。

 “ウィンドドラゴン”(化)に跨っているタバサが「乗って!」とタバサが叫び、才人は“ウィンドドラゴン”(化)の上にルイズを押し上げる。俺もまた、シオンを上に乗せる。

「貴男たちも早く」

 タバサが珍しく、焦った調子で俺と才人に言った。

 しかし才人と俺は、“ウインドドラゴン”(化)に乗らず、迫り来る土“ゴーレム”へと向き直る。

 “ウィンドドラゴン”(化)に跨ったルイズが「サイト!」と怒鳴る。

「早く行け!」

「こっちは大丈夫だ。撤退すると良い」

 タバサは無表情に俺たちを見つめていたが、追い付いて来た“ゴーレム”が拳を振り上げるのを見て、やむなくタバサは支持を出し、“ウィンドドラゴン”(化)を飛び上がらせる。

 ブンッ! と間一髪のところで、風圧と共に、才人がいた地面に“ゴーレム”の拳が減り込む。才人と俺は飛びさすって、拳から逃れる。

 “ゴーレム”が拳を持ち上げる。ズボッと地面からゴーレムの拳が抜けると、直径1“メイル”ほどの大穴ができていた。

 才人は小さく呟く。

「悔しいからって泣くなよ馬鹿。なんとかしてやりたくなるじゃねえかよ」

 巨大な土“ゴーレム”を、真っ向から睨み付ける。

「舐めやがって。たかが土っ塊じゃねえか」

 才人は剣をグッと握り締める。

「こちとら、“ゼロのルイズ”の“使い魔”だっつうの」

「では……始めようか」

 

 

 

「サイト!」

 ルイズは上昇する“ウィンドドラゴン”(化)の上から飛び降りようとする。が、タバサがその身体を抱き抱え、止めに入る。

「サイトを助けて!」

 ルイズは怒鳴る。が、タバサは首を横に振る。

「近寄れない」

 近寄ろうとすると、やたらと“ゴーレム”が拳を握り回すので、タバサは“使い魔”である“ウィンドドラゴン”(化)を近付けることができないのである。

「大丈夫だよ、ルイズ。大丈夫」

「シオン?」

 だが、隣にいるシオンもまたルイズを止めに入る。

 振り向くルイズに見えたのは、穏やかかつ自信満々な笑みを浮かべるシオンの姿だった。

 疑問を持ちながらも、地上を見下ろすルイズ。

 そこでは、剣を構える才人、そして俺が、“ゴーレム”に対峙しているのが見えた。

 

 

 

 “ゴーレム”の拳が唸りを上げて飛んで来て、拳は途中で鋼鉄の塊へと変化する。

 それを、才人は剣で受け止める。

 が、受け止めるのと同時にガキーンと鈍い音がして、剣が根本から折れてしまった。

 才人は呆然とした様子で、「なにが“ゲルマニア”の“錬金術師シュペー卿”が鍛えし業物だよ! セイヴァーの言った通り、鈍らじゃねえか!」と呟いた。

 “ゴーレム”の拳がまた唸る。

 それを俺が、“無毀なる湖光(アロンダイト)”を“投影”し、それを斬り払う。

 その“無毀なる湖光(アロンダイト)”は太陽の陽光を反射してキラリと白銀に光り輝き、俺はその剣で土“ゴーレム”の腕をバッサリと斬り捨てる。

「す、すげえ……」

 そんな俺の一連の動きと剣を目にし、才人は小さく感想を呟く。

「ぼーっとするな。まだ終わりじゃないぞ」

 俺のその言葉と同時に、斬り捨てられた土“ゴーレム”の残骸は伸び、元の居場所――土“ゴーレム”の斬り口へと戻り、引っ付く。

「ただの一刀ではこんなものか……」

 土“ゴーレム”は再び、拳を振りかざし攻撃を仕掛けて来る。

 俺と才人は後ろへと一退りし、俺は体勢を整えながら弓と“虹霓剣(カラドボルグ)”を“投影”し、“虹霓剣(カラドボルグ)”を矢である“偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)”へと変形させ、番え放つ。

「――“偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)”ッ!」

 捻じれた刀身を持つ一風変わった剣はその形を細く矢へと変化させ、土“ゴーレム”に向かう。

 土“ゴーレム”へと直撃すると、その巨大な身体には大きな穴が開く。

 だが、土“ゴーレム”はその傷も瞬時に再生させてみせた。

 

 

 

 “ウィンドドラゴン”(化)の背に跨り、上空から見下ろしているシオンとルイズ。

 今のシオンの目には、苦戦をする才人、苦戦どころか赤子扱いして遊んでいる俺の姿が見えている。そして、俺のステータス情報もまた見えている。

 今のシオンには、俺の、“サーヴァント”の代名詞や人生などを表すモノ――“人間の幻想を骨子に作り上げられた武装”など――“宝具”、使用した“スキル”、“ステータス”が見えているのである。

 “宝具”がEXランク、“幸運”がBランク、それを除いたステータスのパラメータ全てがEランク。“クラススキル”は、“代替者”、“対英雄”、“陣地作成”、“道具作成”。“保有スキル”は“転生者”、“専科総般”、“千里眼”、“特典”、“投影魔術”が見えているのだ。

 まだ他にも見えていない部分があるが、それらは全て真っ黒に塗り潰されたようになっている。“宝具”の内容と説明、各“スキル”の説明が確認できない状態である。

 そんな俺のステータスだが、Eランクの身体能力がどれほどのモノか。実際に見て見ると、自分たちとは違う――人間離れ、目で追うのがやっとといったレベルに、シオンは目を剥いて驚いた。

 ルイズは苦戦する才人を、ハラハラとしながら見つめている。それから、「なんとか自分が手伝える方法はないかしら?」と周囲を見渡した。

 その時、タバサが抱えている“破壊の杖”に気付く。

「タバサ! それを!」

 タバサは首肯いて、ルイズに“破壊の杖”を手渡す。

 杖にしては奇妙な形をしており、彼女たちはこんな“マジックアイテム”を見たことがなかった。

 ルイズは深呼吸をし、それから目を見開く。

「タバサ! わたしに“レビテーション”をお願い!」

 そう怒鳴って、ルイズは“ウィンドドラゴン”(化)の上から地面に身を躍らせ、タバサは慌てて彼女へと注文通りの“呪文”を唱え、かける。

 “レビテーション”の“呪文”で、地面にユックリと降り立つルイズは、才人と俺が戦っている巨大な“ゴーレム”目掛けて、“破壊の杖”を振った。

 しかし、当然のことだが何も起こらない。“破壊の杖”は沈黙したままである。

 ルイズは、「ホントに“魔法”の“杖”なの!? これ!?」と怒鳴った。

 

 

 

 才人はルイズが地面に降り立つのを見て舌打ちをし、俺はチラリと見るだけだ。

 しかし、才人は、ルイズが持っている“破壊の杖”に目を持って行かれた。

 どうやら、ルイズはそれの使い方がわからないらしく、モタモタとしてしまっている。

 才人はルイズ目掛けて駆け出した。

 アレであれば、“ゴーレム”を倒せるだろう。

「サイト!」

 駆け寄った才人にルイズが叫ぶ。

 才人はルイズの手から、“破壊の杖”を奪い取る。

「使い方が、わかんない!」

「これはな……こう使うんだ」

 才人は“破壊の杖”を掴むと、安全ピンを引き抜き、リアカバーを引き出し、インナーチューブをスライドさせる。

 それと同時に、彼の中で大きな疑問が頭を過る。(どうして俺はこんなモノを扱えるんだ?)といった疑問だ。

 が、すぐにそれを振り払い、チューブに立てられた照尺を立てる。

 そんな様子を、ルイズは唖然として見つめている。

 才人は“破壊の杖”を肩にかけると、フロントサイトを“ゴーレム”にほぼ直接照準で合わせる。が、標的が近すぎるために、もしかすると安全装置が働いて、命中しても爆発しないかもしれないだろう。

「後ろに立つな。噴射ガスが行く」

 ルイズへと怒鳴って退けさせ、彼女は慌てて身体を逸す。

「セイヴァー!」

「了解した」

 才人からの叫ぶかのような言葉に、俺は首肯き、彼らの元へと一跳躍し、合流する。

 “ゴーレム”が、ズシンスジンと地響きを立てて、俺たちへと迫りくる。

 才人が、安全装置を解き、トリガーを押した。

 シュポッと栓抜きのような音がして、白煙を引きながら羽を付けたロケット状のモノが“ゴーレム”に吸い込まれる。

 そして、狙い違わず“ゴーレム”に命中――直撃した。

 吸い込まれた弾頭が、“ゴーレム”の身体に減り込み、そこで上手く信管を作動させたのだろう爆発した。

 才人とルイズは思わず目を瞑る。

 耳を劈くような爆音が響き、“ゴーレム”の上半身がバラバラに砕け散る。

 土の塊が雨のように辺りへと降り注いで来る。

 そして、俺は自身の“魔力”で障壁を眼の前に生み出し、2人を爆煙や爆発で吹き飛んで来る破片や砂などから守る。

 才人とルイズは、ユックリと目を開いた。

 白煙の中、“ゴーレム”の下半身だけが立っているのが見える。

 下半身だけになってしまった“ゴーレム”は一歩前に踏み出そうとするのだが……ガクッと膝が折れ、そのまま動かなくなった。

 そして、滝のように腰の部分から崩れ落ち……ただの土の塊へと環って行く。

 昨夜と同じように、後には土の小山が残された。

 ルイズ、そして上空にいるタバサとシオン、木陰に隠れているキュルケの4人はその様子を呆然と見つめる。

 ルイズは腰が抜けたかのようにヘナヘナと地面に崩れ落ちた。

 木陰に身を隠していたキュルケが駆け寄って来るのが見える。

 才人は溜息を吐いて、立ち尽くしている。

 

 

 

 キュルケが才人へと抱き着く。

「サイト! セイヴァーも! すごいわ! やっぱりダーリンね! 」

 “ウィンドドラゴン”(化)から降りたタバサが、崩れ落ちたフーケの“ゴーレム”を見つめながら、呟いた。

「フーケはどこ?」

 そんな彼女の言葉に、俺を除く全員はハッとする。

 辺りを偵察に行っていたロングビルが茂みの中から現れた。

「ミス・ロングビル! フーケはどこからあの“ゴーレム”を――?」

 キュルケがそうロングビルへと尋ねようとするが、俺は手を差し出してその言葉を止める。

「さて、ミス……そろそろ芝居はやめたらどうだ?」

「どういう意味かしら、ミスタ?」

「言葉通りの意味だ。“土くれのフーケ”」

 俺の言葉に訊き返すロングビルだが、俺の2度目の言葉に対し、ロングビルを除く全員が驚きの声を上げる。

「どうしてそう思うのかしら?」

「ふむ、そうだな。いくつかあるのだが……まず1つ、宝物庫の側には俺たちがずっといた。にも関わらず、君はどうして“土くれのフーケ”が来た、と、壁に書かれた犯行声明についてを知っている? 2つ目、なぜ君は、近隣の住民が“黒尽くめの者が男”だと言ったことにした? そいつはただ、黒い服を着ているだけで、遠目では男か女かもわからないというのに……あとまあ、そうだな……タイミングが良すぎる」

 その言葉に、皆が一斉にロングビルへと目を向ける。

 そして――。

 返答ではなく、その代わりにロングビル――“土くれのフーケ”は、小さく最小限の動きで自身の“杖”を懐から取り出し、素早く振った。

 そして、全員の後ろの土塊――土“ゴーレム”だった土の小山の一部から何箇所かが盛り上がり、ギーシュが生み出す“ワルキューレ”に酷似した兵隊のような形へと変化する。

「クソッ!」

 才人たちがそれに対し、“杖”と剣を構える。

 そして、土の兵隊の一体が“破壊の杖”を持ち、“土くれのフーケ”へと持って行く。

「そう。さっきの“ゴーレム”を操っていたのは私。昨夜のもそう……流石は“破壊の杖”ね。私の“ゴーレム”がバラバラじゃないの! それに貴男、セイヴァー……だったかしら?」

 フーケは、あまりにも稚拙な俺の指摘を受け入れ、とぼけるといったこともせずに肯定してみせた。それから、自身が生み出した土の兵士から“破壊の杖”を受取り、構える。

「…………」

「貴男だったのね。昨夜、私の“ゴーレム”に穴を開けたのは」

 フーケはそう言いながら、先ほど才人がしたように“破壊の杖”を肩にかけ、俺たちへと狙いを付ける。

 タバサが“杖”を振ろうとする。

「おっと。動かないで? “破壊の杖”は、ぴったり貴方たちを狙っているわ。全員、“杖”を遠くに投げなさい」

 仕方なく、ルイズたちは“杖”を放り投げた。

 これにより、“メイジ”であるルイズやシオンたちは“コモン・マジック”を除いた“魔法”を唱えることができないようになった。

「そこのすばしっこい“使い魔”君たちは、その折れた剣を投げなさい。あんたは“武器”を握ってると、どうやらすばしっこくなるみたいだから」

 才人は言われた通りにし、俺もまた“投影”した“武器”を放り投げた。

「どうして!?」

 ルイズがそう怒鳴るとフーケは、「そうね、ちゃんと説明しなくちゃ死に切れないでしょうから……説明して上げる」と口にし、妖艶な笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「私ね、この“破壊の杖”を奪ったのは良いけれど、使い方がわからなかったのよ」

「使い方?」

「ええ。どうやら、握っても、“魔法”をかけても、この杖はうんともすんとも言わないだもの。困ったわ。持っていても、使い方がわからないんじゃ、宝の持ち腐れ。そうでしょ?」

 そんなフーケの言葉を受けて、ルイズが飛び出そうとする。が、才人はその肩に手を置いて彼女を止める。

「サイト!」

「言わせてやれ」

「随分と物理解りの良い、“使い魔”だこと。じゃあ、続けさせて貰うわね。使い方がわからなかった私は、貴方たちに、これを使わせて、使い方を知ろうと考えたのよ」

「それで、あたしたちをここまで連れて来た訳ね」

 そんな才人とルイズを前に、フーケは不敵に笑いながら説明を続ける。

 そして、そんなフーケに対して確認をするキュルケ。

「そうよ。“魔法学院”の者だったら、知ってても可怪しくはないでしょう?」

「私たちの誰も、知らなかったらどうするつもりだったの?」、

「その時は、全員“ゴーレム”で踏み潰して、次の連中を連れて来るわよ。でも、その手間は省けたみたいね。こうやってきちんと使い方を教えてくれたじゃない」

 フーケは笑う。

「じゃあ、お礼を言うわ。短い間だけど、楽しかった。さよなら」

 そんなフーケの言葉に、キュルケは観念して目を瞑る、タバサも、ルイズも、シオンも同じようにだ。

 が、才人と俺は、目を瞑らなかった。

「勇気があるのね」

「いや、ちょっと違う」

 才人はそう言って剣を拾い上げ、俺は “勝利すべき黄金の剣(カリバーン)”を“投影”する。

 選定の剣。持つ者の年齢の上昇――老化を止める剣。“所持者が王として正しく、そして完成された時、その威力は聖剣に相応しいモノになる”という聖剣。斯の“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”や、先ほど使用した“無毀なる湖光(アロンダイト)“などと同じ“神造兵装”の1つだ。

 光り輝くその剣は、武器として扱うことができるが、それ以上に“王としての資格”などを表し、“神秘”を持ちながら、周囲を自然と圧倒しながらも惹き付ける。

 フーケは咄嗟に、才人がしたように“破壊の杖”のスイッチを押した。

 が、先ほどと同じように羽を付けたロケット状のモノが飛び出す、ということは当然起こるはずもなかった。

「な、どうして!?」

 フーケはもう1度、スイッチを押す。が――。

「それは単発なんだよ。“魔法”なんか出やしない」

 俺と才人は不敵に笑う。

「た、単発? どういう意味よ!?」

 才人の言葉に、フーケは怒鳴るように確認する。

「使い切りのアイテムだという事だよ、マチルダ」

「言っても理解らんだろうが、そいつはこっちの世界の“魔法”の“杖”なんかじゃない」

「なんですって!?」

 才人の言葉に、ルイズとシオン、キュルケとタバサ、フーケの5人は驚く。

 そして、フーケは怒鳴り、“破壊の杖”を放り投げ、“自身の杖”を握ろうとする。

 才人は電光石火の速さで駆け寄り、フーケの腹に剣の柄を減り込ませた。

 フーケは、地面へと崩れ落ちてしまう。

 才人は“破壊の杖”を拾い上げる。

 俺は使うことがなかった……ただ、フーケを威圧し、正義はこちらにあると見せるために“投影”した“勝利すべき黄金の剣(カリバーン)”を消す。

「サイト? セイヴァー?」

 ルイズたちは目を丸くして、才人と俺とを見つめる。

 才人は言った。

「フーケを捕まえて、“破壊の杖”を取り戻したぜ」

 ルイズ、キュルケ、タバサ、シオンは顔を見合わせると、俺たちの方へと駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “学院長室”で、オスマンは戻った俺たち6人の報告を聴いていた。

「ふむ……ミス・ロングビルが“土くれのフーケ”じゃったとはな……美人だったもので、なんの疑いもせず秘書に採用してしまった」

「いったい、どこで採用されたんですか?」

 隣に控えたコルベールが尋ねた。

「街の居酒屋じゃ。儂は客で、彼女は給仕をしておったのじゃが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」

「で?」

 コルベールが先を促す。

 そして、オスマンは照れたように告白した。

「おほん。それでも怒らないので、“秘書にならないか?”と、言ってしまった」

「なんで?」

 ホントに理解できないといった口調でコルベールが尋ねた。

「カァーッ!」

 オスマンは、年寄りとは思えないほどの迫力を出して、目を剥いて怒鳴った。

 それからオスマンは、コホンと咳をして、真顔になる。

「おまけに“魔法”も使えると言うもんでな」

「死んだ方が良いのでは?」

 コルベールがボソッと言った。

 オスマンは、軽く咳払いをすると、彼に向き直り重々しい口調で言った。

「今思えば、あれも“魔法学院”に潜り込むためのフーケの手じゃったにちがいない。居酒屋で寛ぐ儂の前に何度もやって来て、愛想好く酒を勧める。“魔法学院学院長は男前で痺れます”、などと何度も媚を売り売り言いおって……しまいにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 コルベールは、ついうっかりフーケのその手にやられ、宝物庫の弱点について語ってしまったことを思い出した。

 それを誤魔化すかのように、コルベールに合わせて同調した態度を取る。

「そ、そうですな! 美人はただそれだけで、いけない魔法使いですな!」

「その通りじゃ! 君は上手いことを言うな! コルベール君!」

 才人とルイズ、そしてキュルケとタバサ、シオンと俺の6人は呆れて、そんな2人の様子を見つめる。

 生徒たちと“使い魔”である俺たちのそんな冷たい視線に気付いたのだろう、オスマンは照れたように咳払いをし、厳しい顔付きをして見せる。

「さてと、君たちはよくぞフーケを捕まえ、“破壊の杖”を取り戻して来た」

 オスマンからの言葉を受けて、誇らしげに、才人と俺を除いた4人が礼をした。

「フーケは、城の衛士に引き渡した。そして“破壊の杖”は、無事に宝物庫に収まった。一件落着じゃ」

 オスマンは、1人ずつ頭を撫でる。

「君たちの、“シュヴァリエ”の爵位申請を、“宮廷”に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。と言っても、ミス・タバサは既に“シュヴァリエ”の爵位を持っておるから、“精霊勲章”の授与を申請しておいた」

 そのオスマンの言葉に、4人の顔がパアッと輝いた。

「本当ですか?」

 キュルケが、驚いた声で言った。

「ホントじゃ。良いのじゃ、君たちは、そのくらいのことをしたんじゃから」

 ルイズとシオンは、先ほどから元気がなさそうに立っている才人を見つめた。

「……オールド・オスマン。サイトとセイヴァーにはなにもないんですか?」

「残念ながら、彼らは“貴族”ではない」

 ルイズからの質問に、オスマンもまた沈んだ表情で答えた。

 が、才人は言い、俺もそれに続く。

「なにも要らないですよ」

「右に同じく、だ」

 オスマンは、ポンポンと手を打った。

「さてと、今日の夜は“フリッグの舞踏会”じゃ。この通り、“破壊の杖”も戻って来たし、予定通り執り行う」

 キュルケの顔がパッと輝く。

「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」

「今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をして来たまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 4人は、礼をするとドアへと向かった。

 が、ルイズとシオンは、才人と俺とをチラッと見つめ、立ち止まる。

「先に行って良いよ」

「そうだな。先に行って準備をしておくと良い」

 才人と俺の言葉に、ルイズとシオンは心配そうに見つめていたが、2人同時に首肯いて部屋を出て行った。

 彼女たち全員が“学院長室”から外に出て、離れるのを確認すると、オスマンは才人と俺の2人へと向き直った。

「なにか、儂に訊きたいことがおありのようじゃな」

 才人と俺は首肯く。

「言ってごらんなさい。できるだけ力になろう。君たちに爵位を授けることはできんが、せめてものお礼じゃ」

 それからオスマンは、コルベールに退室を促した。

 ワクワクしながら俺たちの話を待っていたコルベールは、渋々といった様子で部屋を出て行った。

 コルベールが出て行った後、才人は俺へと一瞥をし、俺が首肯くのを見ると口を開いた。

「あの“破壊の杖”は、俺たちが元いた世界の武器です」

 オスマンの目が光った。

「ふむ。元いた世界とは?」

「俺たちは、“ハルケギニア(こっちの世界)”の人間じゃない」

「本当かね?」

「本当です。俺たちは、あのルイズとシオンの“召喚”で、“ハルケギニア(こっちの世界)”に喚ばれたんです」

「概ね合っている」

 オールド・オスマンの確認の質問に、才人が簡単な補足をし、俺は曖昧な回答とフォローをする――首肯く。

「なるほど。そうじゃったか……」

 オスマンは目を細める。

「あの“破壊の杖”は、俺たちの世界の武器だ。あれをここに持って来たのは、誰なんですか?」

 オールド・オスマンは溜息を吐いて、思い出したように口を開く。

「あれを儂にくれたのは、儂の命の恩人じゃ」

「その人は、どうしたんですか? その人は、俺たちと同じ世界の人間です。間違いない」

「死んでしまった。今から、30年も昔の話じゃ」

「なんですって?」

 オスマンの言葉に、才人は目を見開き驚きの声を上げる。

「30年前、森を散策していた儂は、“ワイバーン”に襲われた。そこ救ってくれたのが、あの“破壊の杖”の持ち主じゃ。彼は、もう1本の“破壊の杖”で、“ワイバーン”を吹き飛ばすと、バッタリと倒れおった。怪我をしていたのじゃ。儂は彼を“学院”に運び込み、手厚く看護した。しかし、看護の甲斐なく……」

「死んでしまったんですか?」

 才人からの質問に、オスマンは首肯いた。

「儂は、彼が使った1本を彼の墓に埋め、もう1本を“破壊の杖”と名付け、宝物庫に仕舞い込んだ。恩人の形見としてな……」

 オスマンは遠い目になっている。

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわ言のように繰り返しておった。“ここはどこだ? 元の世界に帰りたい”とな。きっと、彼は君たちと同じ世界から来たんじゃろうな」

「いったい、誰がこっちにその人を喚んだんですか?」

「それはわからん。どんな方法で彼がこっちの世界にやって来たのか、最後までわからんかった」

「くそ! せっかく手掛かりを見付けたと思ったのに!」

 質問に対するオスマンのその返答に、才人は嘆いた。見付けた手掛かりは、あっと言う間に消えてしまったのだから無理もないだろう。

 オスマンは、次に才人の左手を掴んだ。

「お主のこの“ルーン”……」

「ええ。こいつについても訊きたかった。この文字が光ると、なぜか“武器”が自在に使えるようになるんです。剣だけじゃなく、俺の世界の“武器”まで……」

 オスマンは離すべきかどうかを悩んで居るのだろう。口をつぐんでいる。

 が、しばし悩んだ後、彼は口を開いた。

「……これなら知っておるよ。“ガンダールヴ”の印じゃ。“伝説の使い魔”の印じゃよ」

「“伝説の使い魔”の印?」

「そうじゃ。その“伝説の使い魔”は“ありとあらゆる武器を使い熟した”そうじゃ。“破壊の杖”を使えたのも、そのおかげじゃろう」

 才人は首を傾げた。

「……どうして、俺がその“伝説の使い魔”なんかに?」

 オスマンは、キッパリと「わからん」と言った。

「わからんことばっかりだ。すまんの。ただ、もしかしたら、お主がこっちの世界にやって来たことに、その“ガンダールヴ”の印は、なにか関係しているのかもしれん」

 才人は「はぁ……」と大きく溜息を吐いた。

「力になれんですまんの。ただ、これだけは言っておく。儂はお主の味方じゃ。“ガンダールヴ”よ」

 オスマンはそう言うと、才人を抱き締めた。

「良くぞ、恩人の杖を取り戻してくれた。改めて礼を言うぞ」

 才人は疲れた声で「いえ……」と返事をした。

「お主たちがどういう理屈で、こっちの世界にやって来たのか、儂なりに調べるつもりじゃ。でも……」

「でも、なんです?」

「なにもわからなくても、恨まんでくれよ。なあに。こっちの世界も住めば都じゃ。嫁さんだって探してやる」

 オスマンからの言葉に感謝の念は抱いているだろうが、それでも帰れる手掛かりを見付けたと思ったと同時に簡単に指の間を摺り抜けてしまったこともあって、才人は再び溜息を吐いた。

 

 

 

 才人が退出し、残ったのはオスマンと俺だけだ。

「で、まだなにか用がおありかの?」

「惚ける必要はない。訊きたいことがあるのはそちらだろう?」

「はて、なんのことやら?」

 まだ惚けた風を装うオスマンに対し、俺は思わず溜息を吐く。

「では、こちらから話そうか。お前たちは俺のことを警戒している」

「…………」

「見たことのない“ルーン”と似たモノを主に刻み込んだ存在……得体の知れない存在だからな、当然だ。そして、才人とギーシュの決闘の後のあれを見て、より強く警戒をした。そして、今回の件で確認といったところか」

「ふむ……面白い見解じゃの」

「まあ良い。一応言っておくが、俺はあんたたちと事を構えるつもりりはまったくない。が、“マスター”である彼女に危害を加えない限り、といった条件が付くがな」

「あくまでも、“使い魔”であり、主を守る、と?」

「そうだ。安心したか?」

「なら、こっちからはなんもせんよ。むしろ、彼女をしっかりと守ってやって欲しいくらいじゃ。そして、すまんかったの。疑ったりして」

「良いさ。それは当然のことだからな」

 互いに笑みを浮かべ、これ以上彼女を待たせる訳には行かないので俺は退出をする。

 彼の眼の前で、わざわざ“霊体化”して、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルヴィーズの食堂”の上の階が、大きなホールになっている。舞踏会はそこで行われていた。

 中では着飾った生徒たちや教師たちが、豪華な料理が飾られたテーブルの周りで歓談している。

 才人はバルコニーの枠にもたれかかりながら、料理のお溢れにありつき、ワインを呑んだりしながらぼんやりと中を眺めている。

 キュルケは沢山の男子生徒たちに囲まれ、笑っている。

 黒いパーティドレスを着たタバサは、一生懸命にテーブルの上にある料理と格闘をしている。

 俺は、シオンのエスコートを中断し、そこからかなり離れた場所で夜風に当たっている。

「ここにいたんだ……」

「パーティーには参加しないのか、“マスター”?」

「ちょっと疲れちゃって……」

「そうか。なら仕方ないな」

 ここからでも、パーティーによる音楽や楽しそうな喧騒などが聞こえて来る。

「本当に、別の世界から来たんだね」

「なんだ、藪から棒に……信じていなかったのか?」

「ううん。実感がなかっただけ」

 そう言いながら、シオンは軽くドレスの裾を摘み、一礼をする。

 そして、ニッコリと優しい笑みを浮かべてこう言った。

「1曲、一緒に踊ってくださらない?」

 真っ暗な空に浮かぶ2つの月の明を浴びて、彼女の長く整った金髪や白くきめ細やかな肌はより一層綺麗に輝いて見える。

「ああ。是非、喜んで」

 俺はそんな彼女の手を取り、遠くから聞こえて来る曲に合わせて2人流麗に身体を動かした。

 



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暗躍する影

 シオンは自分のベッドの上で、夢を見ていた。もちろん、睡眠時に見る方の夢だ。

 見たこともない綺麗な形をした道具が並ぶ、部屋。薄暗い部屋の中で、1人の男性だろう人物が板のようなモノが引っ付いた何かを必死な様子で見詰めているのが見える。

 その板のようななにかは一枚が下で、もう1枚は垂直に引っ付いている。そして、その垂直に立って引っ付いている方には絵のようなモノが描かれており、それが目まぐるしく変化し、まるでその中でなにかが活きており、動いているかのような印象を受けた。

 視界は変わり、先ほどの男性が同じようなことをしている。が、先ほどとは違い、見ているだけでは無い。

 下にある板のようなモノを一生懸命に叩いているのだ。それと同じタイミングで、垂直に立ち繋がっている板の方には何やら見たことのない文字らしきモノが出現し、消える。その繰り返しだ。

そして――。

 そこで夢から覚める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、皆が寝静まっている真夜中。

 遠く離れた“トリステイン”の城下町の一角にある“チェルノボーグの監獄”では、“土くれのフーケ”はベッドに寝転んでぼんやりと壁を見詰めていた。

 彼女は先日、“破壊の杖”の一件で、“学院”の生徒たちとその“使い魔”たちに捕らえられた“土系統”の“呪文”を得意とする“メイジ”だ。

 さんざん“貴族”のお宝を荒らし回った名うての怪盗だということもあって、“魔法衛士隊”に引き渡されるかたちになり、直ぐに城下町1番監視と防備が厳重なここ、“チェルノボーグの監獄”に打ち込まれてしまったのであった。

 裁判は来週中にも行われるとのことであったが……あれだけ国中の“貴族”のプライドを傷付けまくったのだから、軽い刑で治まるとは思えない。恐らく、縛り首、良くて島流しであろう。どちらにせよ、この“ハルケギニア”の大地に2度と立つことはまずできないと言っても良いだろう。

 脱獄を考えるが、それが不可能であるということも理解しており、彼女は直ぐに諦めた。

 監獄の中には粗末なベッドと、木の机以外目に付くモノはない。ご丁寧に、食器まで全て木精であった。例え、金属のスプーン1個あったところで、この監獄をどうこうできる訳ではないのだが。

 得意の“錬金”の“魔法”で壁や鉄格子を土に変えて脱獄しようにも、“杖”を取り上げられてしまったのでそれらの“魔法”を使うことができない。そういったこともあって、“杖”を持たない“メイジ”はまったくの無力だと言えるだろう。おまけに壁や鉄格子には“魔法”の障壁が張り巡らされている。そのことからも、例え“杖”が手元にあり、“錬金”が使えようとも、ここから脱獄するのは不可能に近いといえるだろう。

「まったく、か弱い女1人閉じ込めるのにこの物々しさはどうなのかしらね?」

 苦々しげに、彼女は小さく呟いた。

 それからフーケは、自分を捕まえた少年と青年のことを思い出す。

「大したもんじゃないの! あいつらは!」

 ただの人間とは思えない、やたらとすばっしこい動きでフーケの“ゴーレム”を翻弄し、見たこともない剣や弓矢を使い、あまつさえ“破壊の杖”を使い熟し、倒してのけたのだから。

 今の彼女の中には、悔しさなどよりも、(いったい、あの少年と青年は何者なんだろう?)といった疑問で頭がいっぱいであった。

 そんな考えを振り払い、寝ようと目を瞑るのだが、直ぐにパチリと開く。

 フーケが投獄された監獄が並んだ階の上から、誰かが下りて来る足音が聞こえて来たのである。カツカツ、という音の中に、ガシャガシャと拍車の音が混じっているのがわかる。

 階上に控える牢番であれば足音に拍車の音が混じる訳がないことから、疑問を覚え、彼女はベッドから身を起こす。

 鉄格子の向こうに、長身の黒マントを纏った人物が現れた。白い仮面に覆われて顔が見えないが、マントの中から長い魔法の“杖”が突き出ているのが見えることからも“メイジ”であるということがわかるだろう。

 フーケは鼻を鳴らした。

「おや! こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

 マントの人物は、鉄格子の向こうに立ったまま、フーケを値踏みでもするかのように黙りこくり、彼女を見つめている。

 フーケは直ぐに、おそらく自分を殺しに来た刺客だろうと当たりを付けた。さんざん国中の“貴族”をコケにしてきたのだ。裁判という方法が面倒になり、始末するのかもしれない。盗んだ“貴族”の宝の中には、“王室”に無許可で手に入れた禁断の品や、他人に知られたくないモノなども混じっていたのである。それが明るみに出たら不味い“貴族”の手の者かもしれないのだ。

 そう、いわゆる口封じという奴だ。

「お生憎。見ての通り、ここには客人をもてなすような気の利いたモノはございませんの。でもまあ、茶飲み話をしに来ったって顔じゃありませんわね」

 フーケは身構えた。

 囚われたとはいえ、彼女はむざむざとやられるつもりはなかった。彼女には“魔法”だけでなく、体術にもいささかの心得があるのだ。しかし、鉄格子越しに“魔法”をかけられたら手の打ちようはないであろう。なんとか油断させて、中に引き込むことが勝機を掴む第一歩となるだろう。

 そういった風にフーケが身構えていると、黒マントの男が口を開く。

 年若く、力強い声だった。

「“土くれ”だな?」

「誰が付けたか知らないけど、確かにそう呼ばれているわ」

 男は両手を広げて、敵意がないということを示した。

「話をしに来た」

「話?」

 怪訝な声で、フーケが尋ねる。

「弁護でもしてくれるって言うの? 物好きね」

「なんなら弁護してやっても構わんが。マチルダ・オブ・サウスコーダ」

 フーケの顔が蒼白になる。それは、かつて捨てた、いや、捨てることをしいられた“貴族”の名前なのである。その名を知る者は、一部の者たちを除いて、もうこの世にはいないはずなのだから。

「あんた、何者?」

 フーケは平静を装っている。が、無理があるだろう。震える声で、彼女は男へと尋ねた。

 男はその問いに応えはせず、笑って言った。

「再び“アルビオン”に仕える気はないかね? マチルダ」

「まさか! 父を殺し、家名を奪った“アルビオン”の“王家”に仕える気なんかサラサラないわ!」

 フーケは、いつもの冷たい態度をかなぐり捨てて、怒鳴り拒否する。

「勘違いするな。なにも“アルビオン”の“王家”に仕えろとは言っている訳ではない。“アルビオン”の“王家”は斃れる。近いうちにね」

「どう言うこと?」

「革命さ。無能な“王家”は潰れる。そして、我々有能な“貴族”が政をおこなうのだ」

「でも、あんたは“トリステイン”の“貴族”じゃないの。“アルビオン”の革命とやらと、なんの関係があるって言うの?」

「我々は“ハルケギニア”の将来を憂い、“国境を超えて繋がった貴族の連盟”さ。我々には国境はない。“ハルケギニア”は我々の手で1つになり、“始祖ブリミル”の降臨せし“聖地”を取り戻すのだ」

「馬鹿言っちゃいけないわ」

 フーケは、男の言葉を聞いて、薄ら笑いを浮かべた。

「で、その国境を超えた“貴族”の連盟とやらが、このこそ泥になんの用?」

「我々は優秀な“メイジ”が1人でも多く欲しい。協力してくれないかね? “土くれ”よ」

「夢の絵は、寝てから描くモノよ」

 フーケは手を横に振り、拒否を示す。

 “トリステイン王国”、“帝政ゲルマニア”、“アルビオン王国”、“ガリア王国”……未だに小競合いが絶え無い国同士が1つになるというのは夢物語だと言えるだろう。

 さらには、“聖地”を取り戻すというのもまた、あの強力な“エルフ”がいるということもあって不可能だと言えるだろう。“ハルケギニア”から東に離れた地に住まう“エルフ”たちによって、“聖地”から離れざるをえない状況になって幾100年。それから何度も、数多の国が“聖地”を目指して兵を送ったが、そのたびに無残な敗北と撤退を喫して来たのだから。

 長命と独特の尖った耳と文化を持つ“エルフ”たちは、その全てが強力な魔法使いであり、優秀な戦士なのである。同じ数で戦えば、人間たちに勝利の機会がないということを、この幾100年で各国の王たちは学んで来たはずである。

「私は“貴族”が嫌いだし、“ハルケギニア”の統一なんかにゃ興味がないわ。おまけに“聖地”を取り戻すだって? “エルフ”共があそこにいたいって言うんなら、好きにさせれば良いじゃない」

 黒マントの男は腰に下げた長柄の“杖”に手を掛けた。

「“土くれ”よ。お前は選択することができる」

「言ってごらん」

「我々の同志となるか……」

 後をフーケが引き取る。

「ここで死ぬか、でしょ?」

「その通りだ。我々のことを知ったからには、生かしてはおけんからな」

「ホントに、あんたら“貴族”って奴は、困った連中だわ。他人の都合なんか考えないんだからね」

 フーケは笑った。笑うしかなかった。

「つまり、選択じゃない。強制でしょ?」

 男も笑った。

「そうだ」

「だったらハッキリ、“味方になれ”って言いなさいな。命令もできない男は嫌いだわ」

「我々と一緒に来い」

 フーケは腕を組み、尋ねる。

「あんたらの“貴族”の連盟とやらは、なんて言うのかしら?」

「味方になるのか? ならないのか? どっちなんだ?」

「これから旗を振る組織の名前は、先に聞いておきたいのよ」

 男はポケットから鍵を取り出し、鉄格子に付いた錠前に刺し込んで言った。

「“レコン・キスタ”」

 



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王女の憂鬱

 朝。

 教室に現れたルイズを見て、クラスメイトたちは目を丸くした。なにやら、ボロ布のようなモノを、鎖に繋いで引きずって入って来たからである。

 ルイズの表情は随分と険しいモノだ。形の良い眉を、思いっ切りひん曲げ、ドスンと席に着いた。

「ねえ、ルイズ。貴女、何を引きずっているの?」

 “香水のモンモランシー”ことモンモランシーが、口をポカンと開けた状態から閉じた後に、ルイズへと尋ねた。

「“使い魔”よ」

「良く見ると……そうね」

 モンモランシーは、首肯いて言った。

 大きく腫れ上がった顔と、こびり付いた血で原型を留めていないが、確かにそれはかつて平賀才人と呼ばれた人間だった物体であった。首と両手首に鎖が巻き付き、まるでゴミ袋のようにしてルイズに引きずられているのである。

「なにしたの、彼?」

「わたしのベッドに忍び込んだのよ」

「まあ!」

 モンモランシーは驚いた顔をすると、見事な巻き毛を振り乱し、大袈裟に仰け反った。

「はしたない! まあ、そんなベッドに忍び込むなんて! まあ! 汚らわしい! 不潔! 不潔よ!」

 そして、「オウ」とか、「ヨヨ」などと口にしながら、ハンカチを取り出すと、それを噛み締めた。

 そこに、颯爽と赤い髪を掻き上げて教室に入って来たキュルケが、ルイズを睨んだ。

「貴女が誘ったんでしょ? ルイズ。エロのルイズ。娼婦のようにいやらしい流し目でも送ったんじゃないこと?」

「誰がエロのルイズよ! それはあんたでしょーが! わたしは誘っていないいわよ!」

「もう、こんなふうになっちゃって……可哀想……あたしが治してあげるわ」

 そう言ってキュルケが、才人の頭を抱き締めた。巨大な胸で窒息しそうになる才人だが、彼は降って湧いたオアシスに身を委ねて鼻の下を伸ばす。

「アウアウアー」

「大丈夫? どこが痛いの? あたしが“治癒”で治してあげるわ」

「テキトウなこと言わないで。あんたに“水系統”の“治癒”が使える訳ないじゃないの。あんたの“二つ名”お熱でしょ。病気、熱病。少しは水で冷しなさいよ」

 ルイズが忌々しそうに言った。

 “メイジ”にはそれぞれ得意とする“系統魔法”が存在する。他の“系統魔法”が使えないという訳ではない。が、今のキュルケは、“水系統魔法”の練度が低いために、“水系統魔法”の“治癒”を思うように使うことができるだけの実力がないというだけのことであるのだが。

「“微熱”よ。び。ね・つ。貴女って、記憶力まで“ゼロ”なのね」

 キュルケはルイズの胸を突いて言った。

「“ゼロ”は胸と“魔法”だけにしときなさいよね」

 ルイズの顔が赤く染まる

 それでもルイズは唇を歪め、できるだけの冷笑を浮かべ、言葉を返す。

「なんであんたみたいに胸だけ大きい女って、女性の価値を胸の大きさだけで決めようとするのかしら? それって、すっごく頭の悪い考えだと思うわ。ま、きっと空っぽなのよね。むむむ、胸に栄養取られて、頭がカカカ、空っぽなのよね」

 冷静を装っていたのだが、かなり頭に来ているのだろう声が震えている。

「声が震えているわよ。ヴァリエール」

 それからキュルケは、ボロボロの才人を優しく抱き締め、頬に胸を押し付けた。

「ねえダーリン。貴男は、こんなに胸の大きい私を馬鹿だと思う?」

「……す、素晴らしいと思います」

 才人は、うっとりとした顔で、キュルケの胸に顔を埋めている。

 それを見て、ルイズの眉が吊り上がった。そして、彼女は手に持った鎖を、グイッと引っ張った。

「おごげげげげ」

 首と手首と胴体を鎖に繋がれている才人は、床に転がった。

 ルイズは、転がった才人の背中に足を乗せ、冷たく言い放った。

「誰があんたに人間の言葉を許可したの? “わん”、でしょ、犬」

 才人は弱々しい声で応える。

「わ、わんです。はい」

「バカ犬。もう1度おさらいするわね。“はい”、の時はどうすんだっけ?」

「わん」

「そうよね。“わん”、が1回。“畏まりました、ご主人さま”、は?」

「わんわん」

「そうよね。“わん”、が2回。“トイレに行きたいです”、は?」

「わんわんわん」

「そうよね。“わん”、が3回。バカ犬はそれだけ言えれば上等だから。余計なこと言ったらお仕置よね」

「……わん」

「わんわん言ってるダーリンも可愛いわ!」

 キュルケが才人の顎の下を撫でた。

「ねえ、今晩はあたしのベッドに忍んで入らっしゃいな。ね? いっぱい、ワンちゃんに好きなところ舐めさせて、あ・げ・る」

 才人はピョコンと膝で立つと、箒で作られた尻尾を振った。ルイズが昨晩、才人の尻にくっ付けた代物だ。良く良く見て見ると、頭にもボロ布で作られた犬耳が付いているのがわかるだろう。

「わん! わん! わんわん!」

 ルイズは無言でグイッと鎖を引っ張る。

「ぐえ」

 ルイズは、それから才人をガシガシと踏み付けた。

「ちゃんと“わん”って言ってるだろうが!」

 才人は流石に頭に来たのか、ガオーと立ち上がり、ルイズへと飛びかかろうとする。が、彼女に呆気なく足を引っかけられ、床に転がってしまう。

 ルイズは例によって才人の頭を踏ん付ける。彼女の目は吊り上がり、鳶色の瞳が怒りで燃え上がっており、可愛い顔をまさにブレスを吐かんとする“火竜”のように歪めた。

「発情期のバカ犬は見境ないわね。ツェルプストーの女に尻尾は振るわ、ご主人さまに襲いかかるわで、まあ大変。ままま、まあ大変」

 ルイズは鞄の中から、鞭を取り出すとそれで才人を叩き始めた。

「いだいっ! やめっ! やめてっ! やーめーてッ!」

 才人は身体に鎖を付けたまま、床をのた打ち回る。

「痛い?  “わん”でしょ!  “わん”でしょーがッ! 犬は“わん”でしょうッ!」

 ビシッ、ビシッと乾いた鞭の音が教室に木霊する。

 ルイズは髪を振り乱し、這い蹲って逃げようとする才人を追いかけ回し、鞭で叩いた。

 才人は鞭で叩かれるたびに、心底情けない犬声を上げる。“伝説の使い魔”とは到底思えない、大した逃げっぷりだろう。

 クラスメイトたちはその情けない様を見て、「ほんとにこの“平民”はあの“青銅のギーシュ”をやっつけ、“土くれのフーケ”を捕まえたんだろうか?」と激しく疑問に思った。

「きゃん! きゃん!」

 クラスの“メイジ”たちが唖然とした顔で才人を鞭で叩き捲くるルイズを見つめる。

 夢中になっていたルイズはハッとそんな様子に気付き、顔を赤らめた。誤魔化すように鞭を仕舞い、腕を組む。

「し、躾はここまで!」

 躾にしては酷い騒ぎだったが、クラスメイトたちはとばっちりを恐れ、顔を背けた。

 キュルケが呆れた声で言った。

「熱があるのは貴女じゃないの、ヴァリエール?」

 ルイズはキッとキュルケを睨んだ。

 才人は蓄積したダメージで気絶してしまい、床の上にぐったりと伸びている。

「これってどういう状況?」

 そこにようやく到着したシオンと俺。

 シオンは唖然、呆然として呟き、よろしくないことだが俺は腹を抱えて笑いそうになった。

 そこに、教室の扉がガラッと開き、ミスタ・ギトーが現れた。

 

 

 

 生徒たちは一斉に席に着いた。

 ミスタ・ギトー(以降ギトーと呼称)は、フーケの一件の際に、当直を放っぽり出してしまっていたシュヴルーズを責め、オスマンから「君は怒りっぽくて良かん」とたしなめられた教師である。長い黒髪に、漆黒のマントを纏ったその姿は、なんだか不気味だといった印象を与えてくる。“地球”で言う魔法使いといったイメージとほぼ合致する出で立ちをしている。まだ彼は若いのだが、その不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒たちから人気がない。

「では授業を始める。知っての通り、私の“二つ名”は“疾風”。“疾風のギトー”だ」

 教室中が、シーンとした雰囲気に包まれた。その様子を満足げに見つめ、ギトーは言葉を続ける。

「最強の“系統”を知っているかね、ミス・ツェルプストー?」

「“虚無”じゃないんですか?」

「伝説の話をしている訳ではない。現実的な答を訊いているんだ」

「“火”に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 いちいち引っかかる言い方をするギトーに、キュルケはちょっとばかりカチンと来てしまった様子で、彼女は不敵な笑みを浮かべて言い放った。

「ほほう。どうしてそう思うね?」

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」

「残念ながらそうではない」

 ギトーは腰に提した“杖”を引き抜くと、言い放った。

「試しに、この私に君の得意な“火”の魔法を撃つけて来たまえ」

 キュルケはギョッとした。

「どうしたね? 君は確か、“火系統”が得意なのではなかったかな?」

 挑発でもするかのような、ギトーの言葉。

「火傷じゃ済みませんわよ?」

 キュルケは、目を細めて言った。

「構わん。本気で来たまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 キュルケの顔からいつもの小馬鹿にしたような笑みが消える。

 胸の谷間から“杖”を抜くと、炎のような赤毛が、ブワッと熱したようにざわめき、逆立った。

 彼女が“杖”を振る。眼の前に差し出した右手の上に、小さな炎の玉が現れる。彼女はさらに“呪文”を“詠唱”すると、その玉は次第に膨れ上がり、直径1“メイル”はあるだろうほどの大きさへと膨張した。

 それを目にして、クラスメイトたちは慌てて机の下へと隠れる。が、シオンは隠れない。どうやら、俺を信じてくれている様子だ。

 キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元に引き付け、炎の玉を押し出した。

 唸りを上げて自分目がけて飛んで来る炎の玉を避ける仕草も見せずに、ギトーは腰に提した“杖”を引き抜く。そして、そのまま剣でも振るかのようにして薙ぎ払ってみせた。

 烈風が舞い上がる。

 一瞬にして炎の玉は掻き消え、その向こうにいたキュルケを吹っ飛ばした。

 悠然として、ギトーは言い放った。

「諸君、“風”が最強たる所以を教えよう。簡単だ。“風”は全てを薙ぎ払う。“火”も、“水”も、“土”も、“風”の前では立つことすらできない。残念ながら試したことはないが、“虚無”さえも吹き飛ばすだろう。それが“風”だ」

 キュルケは立ち上がると、不満そうに両手を広げた。

 気にした風もなく、ギトーは続ける。

「目に見えぬ“風”は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう1つ、“風”が最強たる所以は……」

『ねえ、セイヴァー』

『ああ。彼はどうやら“風系統”に強い自信と自惚れがあるみたいだな。まあ、俺もあまり、と言うより決して他人のことを強く言えない立場にあるが……良いか? シオン。どの“系統”も最強足りえる。状況次第、使い手次第でどうとでもなるんだ。如何な状況や状態であろうと、例外はある。ゆえに、これが“最強”と言えることも無敵と言えることもあるが、言えないこともある。そもそも、実力差がある状態で、自分より下のモノを下して自慢げにするなど――おっと、誰か来るみたいだな』

『本当?』

「“ユビキタス・デル・ウィンデ”……」

 低く、“呪文”を“詠唱”するギトー。

 しかしその時……教室の扉がガラッと開き、緊張した顔のコルベールが現れた。

 彼は珍妙ななりをしていた。頭に馬鹿でかい、ロールした金髪の鬘を乗っけている。見ると、ローブの胸部分にはレースの飾りやら、刺繍やらが踊っているのが見える。

『なあ、シオン……彼はいつから、教師を辞めて道化になったんだ?』

『さ、さあ……?』

「ミスタ?」

 ギトーが眉を顰めた。

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

「授業中です」

 コルベールを睨んで、ギトーが短く言った。

「おっほん。今日の授業は全て中止であります!」

 コルベールが重々しい調子で告げ、教室中から歓声が上がる。その歓声を抑えるように両手を振りながら、コルベールは言葉を続けた。

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。

 仰け反った拍子に、頭に乗っけていただけだろう馬鹿でかい鬘が取れて、床へと落ちる。

 重苦しかった教室内の雰囲気が一気に解れる。

 そして、教室中がクスクス笑いに包まれる。

 1番前に座っているタバサが、コルベールのツルツルに禿げ上がった頭を指さして、ポツンと呟いた。

「滑りやすい」

 教室内を爆笑が包み込む。

 キュルケが笑いながらタバサの肩をポンポンと叩いて言った。

「貴女、たまに口を開くと、言うわね」

(笑うのは良いが、あまり好い笑いではないな……)

 自身がネタにするのは別として、ヒトの失敗や身体的特徴などを笑いの種とするといったことに俺は少なからず抵抗があった。争いなどの原因や要因、理由となることが多いゆえに。

 コルベールは顔を真赤にさせると、大きな声で怒鳴った。

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童どもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく“貴族”にあるまじき行い! “貴族”は可笑しい時は下を向いてコッソリ笑うモノですぞ! これでは“王室”に教官の成果が疑われる!」

 取り敢えずその剣幕に、教室中が大人しくなった。

「えーおほん。皆さん、本日は“トリステイン魔法学院”にとって、佳き日であります。“始祖ブリミル”の“降臨祭”に並ぶ、めでたい日であります」

 コルベールは横を向くと、後ろ手に手を組んだ。

「恐れ多くも、先の“陛下”の忘れ形見、我が“トリステイン”が“ハルケギニア”に誇る可憐な1輪の華、アンリエッタ姫殿下が、本日“ゲルマニア”御訪問からのお帰りに、この“魔法学院”に行幸なされます」

 コルベールのその言葉に教室内がざわめき始める。

「従って、粗相があってはいけません、急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 生徒たちは、緊張した面持ちになると一斉に首肯いた。

 コルベールはうんうんと重々し気に首肯くと、目を見張って怒鳴った。

「諸君が立派な“貴族”に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! お覚えがよろしくなるように、しっかりと“杖”を磨いておきなさい! よろしいですかな!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “魔法学院”に続く街道を、金の冠を御者台の隣に付けた4頭立ての馬車が、静々と歩んでいた。馬車の所々には金と銀とプラチナでできたレリーフが象られている。“王家”の紋章である。そのうちの1つ、“聖獣ユニコーン”と水晶の“杖”が組み合わさった紋章は、この馬車が王女の馬車であることを示している。

 良く見ると、馬車を引いているのはただの馬ではない。紋章と同じ、頭に1本の角を生やした、“聖獣ユニコーン”である。無垢なる乙女しかその背に乗せないと言われる“ユニコーン”は、王女の馬車を引くのに相応しいとされているのである。

 馬車の窓には、綺麗なレースのカーテンが下ろされ、中の様子を伺うことができないようになっている。

 王女の馬車の後ろには、先帝亡き今、“トリステイン”の政治を一手に握る、マザリーニ枢機卿の馬車が続いている。その馬車も王女の馬車に負けず劣らず立派だと言えるだろう。いや、王女の馬車よりも立派だ。その馬車の風格の差が、今現在の“トリステイン”の権力を誰が握っているのか、雄弁に物語っていると言っても過言ではないだろう。

 さて、2台の馬車の四方を固めるのは、“王室”直属の近衛隊、“魔法衛士隊”の面々だ。名門“貴族”の子弟で構成された“魔法衛士隊”は、国中の“貴族”の憧れの対象だ。男の“貴族”は誰もが“魔法衛士隊”の漆黒のマントを纏いたがるし、女の“貴族”はその花嫁になることを望んでいるのである。“トリステイン”の華やかさの象徴とも言えるだろう存在であるのだから。

 街道は花々が咲き乱れ、街道に並んだ“平民”たちが、口々に歓声の声を投げかける。

 馬車が自分たちの前を通るたびに、「“トリステイン”万歳! アンリエッタ姫殿下万歳!」と歓声が沸き上がる。

 時たま「マザリーニ枢機卿万歳!」との声も上がったが、姫殿下への万歳に比べれば、かなりの少数である。“平民”の血が混じっているとの噂があるマザリーニ枢機卿は、妬みからかだろう民衆に人気がないのである。

 馬車の窓のカーテンがソッと開き、未若い王女が顔を見せると、街道の観衆たちの歓声が一段と高くなる。

 王女は優雅に微笑を観衆に投げかけるのであった。

 

 

 

 アンリエッタ王女はカーテンを下ろし、深い溜息を吐いた。

 そこには先ほど観衆たちに見せた薔薇のような笑顔はない。あるのは、年に似合わない苦悩と、深い憂いの色であった。

 王女は当年取って御年17歳。すらりとした気品ある顔立ちに、薄いブルーの瞳、高い鼻が目を引く瑞々しい美女だ。細い指の中で、水晶の付いた“杖”を弄っている。“王族”である彼女もまた、言うまでもなく“メイジ”である。

 街道の観衆たちの歓声も、咲き乱れる綺麗な花々も、彼女の心を明るくはしない、彼女は深い深い、恋と政治の悩みを抱えているのだから。

 隣に座っているマザリーニ枢機卿が、口髭を弄りながらそんな王女の顔を見つめた。坊主が冠るような丸い帽子を冠り、灰色のローブに身を包んだ痩せぎすの40代男性だ。髪も髭も、既に真っ白、伸びた指は骨ばっており、実年齢よりも10ほど老けて見えてしまう。先帝亡き後、一手に外交と内政を引き受けた激務が、彼を老人にしてしまったのであった。

 彼は先ほど自分の馬車から降り、王女の馬車に乗り込んでいた。

 政治の話をするためである。しかし、当の王女は溜息を吐くばかりでまったく要領えない。

「これで本日13回目ですぞ、殿下」

 困った声でマザリーニ枢機卿が言う。

「なにがですの?」

「溜息です。“王族”たる者、無闇に臣下の前で溜息など吐くモノではありませぬ」

「“王族”ですって! まあ!」

 アンリエッタは驚いた声で言った。

「この“トリステイン”の王さまは、貴男でしょう? 枢機卿。今、街で流行っている小唄はご存知かしら?」

「存じませんな」

 マザリーニ枢機卿はつまらなさそうに応えた。だがそれは嘘である。彼は“トリステイン”、いや、“ハルケギニア”のことであれば、火山に棲む“ドラゴン”――“ワイバーン”の鱗の数まで知っている、と例えて言っても良いだろうほどである。都合が悪いので、知らぬ存ぜぬといったふりをしているだけなのだ。

「それなら、聞かせて差し上げますわ。“トリステインの王家には、美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨”……」

 マザリーニ枢機卿は目を細めた。“鳥の骨”などと王女の口から自分の悪口が飛び出したので、気分を害してしまったのである。

「街女が歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」

「良いじゃないの。小唄くらい。私は貴男の言い付け通りに、“ゲルマニア”の皇帝に嫁ぐのですから」

「仕方がありませぬ。目下、“ゲルマニア”との同盟は、“トリステイン”にとって急務なのです」

 マザリーニ枢機卿は口をへの字に曲げて、言い放った。

「そのくらい、私だって知ってますわ」

「殿下もご存知でしょう? 斯の“白の国”――“アルビオン”の阿呆共が行っている“革命”とやらを。きゃつらは、“ハルケギニア”に王権というモノが存在するのがどうにも我慢ならないらしい」

 アンリエッタ王女は眉を顰めて言い放った。

「礼儀知らず! 礼儀知らずのあの人たち! 可哀想な王さまを捕まえて、縛り首にしようというのですよ! 私は想います。この世の全ての人々が、あの愚かな行為を赦しても、私と“始祖ブリミル”は赦しませんわ。ええ、赦しませんとも!」

「はい、しかしながら“アルビオン”の“貴族”共は強力です。“アルビオン王家”は、明日にでも斃れてしまうでしょう。“始祖ブリミル”が授けし、3本の王権の内、1本がこれで潰える訳ですな。ま、内憂を払えもせぬ“王家”に、存在の価値があるとも思えませぬが」

「“アルビオン”の“王家”の人々は、“ゲルマニア”の成り上がりと違って、私たちの親戚なのですよ? いくら貴男が枢機卿とは言えど、そのような言い草は許しません」

「これは失礼しました。私は本日寝る前に、“始祖ブリミル”の御前にて懺悔することにいたします。しかしながら、全部ホントのことですぞ、殿下」

 アンリエッタ王女は悲しそうに首を傾げる。

「伝え聞いたところによるとあの馬鹿げた“貴族”どもは、“ハルケギニア”を統一するとかなんとか夢物語を吹いているそうです。となると、自分たちの王を亡き者にした後、あやつらはこの“トリステイン”に矛先を向けるでしょう。そうなってからでは遅いのです」

 重々しい表情で、マザリーニ枢機卿はアンリエッタ王女に告げた。

 彼女はつまらなそうに窓の外を見詰めている。

「先を読み、先に手を打つのが政治なのです、殿下。“ゲルマニア”と同盟を結び、近いうちに成立するであろう、“アルビオン”の新政府に対抗せねば、この小国“トリステイン”は生き残れませぬ」

 しかし、アンリエッタ王女は溜息を吐くばかりである。

 マザリーニ枢機卿は、窓のカーテンをズラして外を見た。そこには腹心の部下の姿があった。

 羽根帽子に長い口髭が凛々しい、精悍な顔立ちの若い“貴族”だ。黒いマントの胸部分には“グリフォン”を象った刺繍が施されている。その理由は、彼の騎乗する“幻獣”を見れば、一目瞭然だろう。彼が跨っているのは、鷲の頭と翼と前脚、そして獅子の胴体と後ろ脚を持った、“グリフォン”その物なのだから。

 3つの“魔法衛士隊”の1つ、“グリフォン隊”隊長のワルド子爵だ。彼の率いる“グリフォン隊”は、“魔法衛士隊”の中でも、特に枢機卿の覚えが良い隊である。

 選り優りの“貴族”で構成された“魔法衛士隊”は、それぞれが隊の名前を冠する“幻獣”に騎乗し、強力な“魔法”を操る畏怖と憧れの象徴である。

「お呼びでございますか? 猊下?」

 ワルド子爵は目をキラッと光らせて、馬車の窓へと騎乗した“グリフォン”を近付ける。

 窓が心持ち開かれ、マザリーニ枢機卿が顔を出す。

「ワルド君。殿下のご機嫌が麗しゅうない。何かお気晴らしになるモノを見付けてくれないかね?」

「かしこまりました」

 ワルド子爵は首肯くと、街道を鷹のような目で見回した。

 才気煥発な彼は、直ぐに目当てのモノを街道の片隅にあるのを見付けると、“グリフォン”を疾走らせた。

 腰に提した、レイピアのような長い“杖”を引き抜くと、短く“ルーン”の“呪文”を唱え、それを軽い仕草で振った。旋風が舞い上がり、ピン、ピン、と街道に咲いた花が摘まれ、彼の手元までやって来る。

 ワルド子爵はそれを持って馬車へと近付くと、スッと窓からマザリーニ枢機卿に手渡そうとした。

 マザリーニ枢機卿は口髭を撚りながら呟いた。

「隊長、御手ずから殿下が受け取ってくださるそうだ」

「光栄でございます」

 ワルド子爵は一礼をすると、馬車の反対側に回る。スルスルと窓が開き、アンリエッタ王女が手を伸ばした。そして、花を受け取ると、今度は彼女の左手が差し出された。

 ワルド子爵は感動した面持ちで、王女の手を取って、そこに口吻をする。

 物憂い声で、王女がワルド子爵に問うた。

「お名前は?」

「殿下を守りする“魔法衛士隊”、“グリフォン隊”隊長、ワルド子爵でございます」

 ワルド子爵は恭しく頭を下げて名乗った。

「貴男は“貴族”の鑑のように、立派でございますわね」

「殿下の卑しき下僕に過ぎませぬ」

「最近はそのような物言いをする“貴族”も減りました。祖父が生きていた頃は……ああ、あの偉大なる“フィリップ3世”の治下には、“貴族”は押し並べてそのような態度を示したモノですわ!」

「悲しい時代になったモノです。殿下」

「貴男の忠誠には期待してよろしいのでしょうか? もし、私が困った時には……」

「そのような際には、戦の最中であろうが、空の上だろうが、何を置いてでも駆け付ける所存でございます」

 アンリエッタ王女は首肯いた。

 ワルド子爵は再び一礼をすると、馬車から離れて行く。

「あの“貴族”は、使えるのですか?」

 アンリエッタ王女は、マザリーニ枢機卿へと尋ねる。

「ワルド子爵。“二つ名”は“閃光”。斯の者に匹敵する使い手は、“白の国”――“アルビオン”にもそうそうおりますまい」

「ワルド……聞いたことのある地名ですわ」

「確か、ラ・ヴァリエール公爵領の近くだったと存じます」

「ラ・ヴァリエール?」

 アンリエッタ王女は記憶の底を手繰った。

 これから向かう“魔法学院”には……

「枢機卿、“土くれのフーケ”を捕まえた、“貴族”の名はご存知?」

「覚えておりませんな」

「その者たちに、これから爵位を授けるのでは?」

 アンリエッタ王女は、怪訝な表情を浮かべ問うた。

 対するマザリーニ枢機卿は、興味なさそうに返事をする。

「“シュヴァリエ”授与の条件が変わりましてな。従軍が必須になりました。盗賊を捕まえたくらいで、授与する訳には参りませぬ。“ゲルマニア”との同盟がなってもならなくとも、いずれ“アルビオン”とは戦になるでしょう。軍務に服する“貴族”たちの忠誠を、要らぬ嫉妬で失たくはありませぬ」

「私たちの知らないところで、色んなことが決まって行くのね」

 マザリーニ枢機卿は答えない。

 そう呟きながら、アンリエッタ王女は確か、盗賊を捕まえた“貴族”たちの中に、ラ・ヴァリエールの名前とアフェット・エルディの名前があったことを思い出し、(なんとかなるかもしれない)と思い、彼女は少しばかり安心をした。

 マザリーニ枢機卿は、そんな王女をマジマジと見つめた。

「殿下。最近、宮廷と一部の“貴族”の間で、不穏な動きが確認されております」

 アンリエッタ王女はピクリと身体を震わせた。

「殿下のめでたきご婚礼を蔑ろにして、“トリステイン”と“ゲルマニア”の同盟を阻止しようとする、“アルビオン”の“貴族”どもの暗躍があるとか……」

 アンリエッタ王女の額から、汗が一筋伝う。

「そのような者に、付け込まれるような隙はありませんな、殿下?」

 しばしの沈黙が流れる。

 そして、アンリエッタ王女は苦しそうに口を開いた。

「……ありませんわ」

「そのお言葉、信じますぞ」

「私は王女です。嘘は吐きません」

 それから、アンリエッタ王女は溜め息を吐いた。

「……14回目ですぞ、殿下」

「心配事があるものですから。致し方ありませんわ」

「“王族”たる者は、御心の平穏より、国の平穏を考えるモノですぞ」

 アンリエッタ王女はつまらなさそうに言った。

「私は、常にそうしております」

 アンリエッタ王女は、手に持った花をジッと見つめ、寂しそうに呟いた。

「……花は街道に咲くのが、幸せなのではなくって、枢機卿?」

「人の手によって摘み取られるのも、また花の幸せと存じます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “魔法学院”の正門を潜って、王女の一行が現れると、整列した生徒たちは一斉に“杖”を掲げ、シャン! と小気味良く“杖”の音が重なり鳴った。

 正門を潜った先に、本塔の玄関があった。そこに立ち、王女一行を迎えるのは、学院長のオスマンだ。

 馬車が停まると、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで毛毛氈の絨毯を敷き詰める。

 呼び出しの衛士が、緊張した声で、王女の登場を告げる。

「“トリステイン王国”王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーーーーりーーーーーーーッ!」

 しかし、ガチャリと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニであった。

 生徒たちは一斉に鼻を鳴らした。が、マザリーニ枢機卿は意に介した様子も見せず、馬車の横に立つと、続いて降りて来る王女の手を取った。

 すると、生徒たちの間から歓声が沸き上がる。

 王女はニッコリと薔薇のような微笑を浮かべると、優雅に手を降った。

「あれが“トリステイン”の王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」

 キュルケがつまらなさそうに呟く。

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

 鎖に繋がれたまま、地面に転がっている才人へとキュルケは尋ねる。

「わん」

「わんじゃわかんないわよ。ねえ、どっち?」

 才人はルイズの方を見る。

 ルイズは真面目な顔をして王女を見つめている。そうして、彼女の横顔が、ハッとした顔になる。それから顔を赤らめた。

 そんな彼女の視線の先には、鷲の頭と獅子の胴体を持つ見事な“幻獣”に跨っている、見事な羽根帽子を冠った、凛々しい“貴族”の姿があった。

 ルイズは、彼をぼんやりと見つめているのである。

 そして、キュルケもまたルイズと同様に、凛々しい“貴族”に目を奪われてしまっている様子だ。

 そんな2人の様子を見て、才人は項垂れ、そのまま地面へとへたり込んだ。

 隣ではタバサが、王女とその一行が現れた騒ぎなどまったく気にも留めずに、座って本を広げ読んでいる。

 シオンは、王女に対し懐かしそうな、そして優しい表情を浮かべながら見守っている。

「お前は相変わらずだな」

 才人はタバサにそう言った。

 タバサは顔を上げて、キュルケとルイズの方を確かめ、最後に才人の方を向いた。

 それから才人を指さして「三日天下」と呟いた。

 俺は思わず、そのタバサの呟きに、笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその日の夜……。

 才人は藁束の上に座り込んで、ルイズを見つめている。

 俺とシオンは、ルイズの部屋へとお邪魔し、静かに座っていた。

 そして、部屋の主であるルイズはというと、激しく落ち着きがない様子を見せている。立ち上がったかと思うと、再びベッドに腰かけ、枕を抱いてぼんやりとしたりしている。昼間、あの羽根帽子の“貴族”を見てからこの調子であった。あれから彼女はなにも喋らず、フラフラと幽霊のように歩き出し、部屋に篭もるなり、ベッドにこうやって腰かけるなどを繰り返しているのである。

 これが、そしてこの行動の理由で俺とシオンがルイズの部屋にいる訳でもある。

「おまえ、変だぞ」

 才人は、ハッキリと言った。が、それでもルイズは応えない。

 才人は藁束から立ち上がって、手を眼の前で振って見た。それでも、彼女は動かない。

「変だぞ!」

 それから才人は、ルイズの髪を、女性の命と言えるそれを引っ張った。が、それでも彼女はぼやーっとして、反応がない。

 才人は、彼女の頬を抓る。が、これも駄目。

 そうしていると、ドアがノックされる。

 そのノックは規則正しく、リズムでも刻むかのように叩かれる。初めに長く2回、それから短く3回……。

 ルイズの顔がハッとしたモノになる。

 シオンも部屋の外にいる者の正体に気付き、頬を緩めた。

 ルイズは急いでブラウスを身に着け、立ち上がる。そして、ドアを開いた。

 そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をスッポリと冠った少女だ。

 辺りを伺うかのように首を回すと、そそくさと部屋に入って来て、後ろ手に扉を閉めた。

「……貴女は?」

 ルイズは、驚いたような声で確認の質問を投げかける。

 頭巾を冠った少女は、シッと言わんばかりに口元に指を立てた。それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、“魔法”の“杖”を取り出すと軽く振り、短く“ルーン”の“呪文”を唱えた。

 光の粉が、部屋に舞う。

「……“ディクトマジック(探知)”?」

 ルイズが尋ね、頭巾の少女が首肯く。

「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

 部屋のどこにも、聞き耳を立てる魔法の耳や、どこかに通じる覗き穴がないことを確かめ終えると、少女は頭巾を取った。

 現れたのは、アンリエッタ王女であった。

 才人は、ウッと息を呑み、どうして良いのかわからないのだろう、ボケッと突っ立ってしまっている。

「姫殿下!」

 ルイズがそう口にし、慌てて膝を突く。

 シオンは慌てた様子は見せず、アンリエッタ王女が頭巾を取り、彼女が顔を見せたと同時に膝を突いた。

 そうして、アンリエッタ王女は涼しげな、心地好い声で言った。

「お久し振りね、ルイズ・フランソワーズ、シオン・アフェット」

 



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幼馴染の依頼と決意

 ルイズの部屋へと訪れたアンリエッタ王女(以降アンリエッタと呼称)は、感極まった表情を浮かべて、膝を突いたシオンとルイズを抱き締める。

「ああ、ルイズ、シオン、懐かしいわ!」

「姫殿下。いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」

 ルイズが畏まった声で言う。が、彼女の表情には喜びなどが混じっているのがわかる。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! シオン・エルディ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! 貴女たちと私はお友達! お友達じゃないの!」

「もったいないお言葉でございます! 姫殿下」

 ルイズは硬い緊張した声で言う。

 シオンは言葉こそ出してはいないが、膝を突き、下を向いたままの状態だ。

 対する才人はボケッと、3人の美少女が抱き合っている様を見つめている。

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をして寄って来る欲の皮の突っ張った宮廷“貴族”たちもいないのですよ! ああ、もう、私には心を許せるお友達はいないのかしら。昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、 シオン・エルディ、貴女たちにまで、そんな余所余所しい態度を取られたら、私死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 ルイズは顔を持ち上げた。

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 はにかんだ顔で、ルイズが応えた。

「……ええ、お召物を汚してしまって、侍従のラ・ボルト様に叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、掴み合いになったこともあるわ! そのたびにシオンは止めに入ってくれるけど、とめることができなくて。喧嘩になると、いつも私が負かされたわね。貴女に髪の毛を掴まれて、よく泣いたモノよ」

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、1度ならずございました」

「思い出したわ! 私たちがほら、“アミアンの包囲戦”と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合った時ですね」

「そうよ、宮廷ごっこの最中、どっちがお姫さま役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! シオンがオロオロしている中、私の1発が上手い具合にルイズ・フランソワーズ、貴女のお腹に決まって」

「姫さまの御前でわたし、気絶いたしました」

「そう言えば、シオン。どうしてお話してくれないのかしら? 貴女はいつもそう、自分の意見と言うモノをハッキリと口にしないわ」

「えっと、こう見えてしっかりと意見を出す時は出していますよ」

 そこでようやく、アンリエッタからシオンへと話が振られ、シオンもまた笑顔で返す。

 それから3人はあはは、と顔を見合わせて笑う。

 先ほどから聞いていると、彼女たち3人ともかなりのお転婆娘であると言えるだろう。

 そういったこともあってか、そんな3人を前に才人は呆れた様子で見つめている。

「その調子よ。ルイズ、シオン。ああ嫌だ。懐かしくて、私、涙が出てしまうわ」

「どんな知り合いなの?」

 才人が尋ねると、ルイズは懐かしむように目を瞑って答えた。

「姫さまがご幼少の砌、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」

 それからルイズはアンリエッタへと向き直る。

「でも、感激です。姫さまが、そんな昔のことを覚えてくださってるなんて……わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」

「私もそう思ってたよ」

 アンリエッタは深い溜め息を吐き、ベッドへと腰かける。

「忘れる訳ないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくなって」

 アンリエッタは、深い、憂いを含んだ声を出す。

「姫さま?」

 ルイズは心配になったのだろう、アンリエッタの顔を覗き込んだ。

「貴女たちが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ、シオン・エルディ」

「なにをおっしゃいます。貴女はお姫さまじゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に買われた鳥も同然。飼い主の機嫌1つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 ルイズの言葉に対し、アンリエッタは窓の外の月を眺め、寂しそうに返す。

 シオンもまた思うところがあるのだろう、目を瞑り物悲しそうな表情と雰囲気を醸し出す。

 それからアンリエッタは、ルイズの手を取って、ニッコリと笑みを浮かべて言った。

「結婚するのよ。私」

「……おめでとうございます」

「…………」

 アンリエッタのその声の調子に、なんだか悲しいモノを感じただろう、ルイズは沈んだ声で返し、シオンは目を伏せた。

 そこでアンリエッタは、藁束の上に座った才人、そして端の方で立っている俺に気付いたのか声をかけて来る。

「あら、ごめんなさい、もしかして、お邪魔だったかしら?」

「お邪魔? どうして?」

「だって、そこの彼ら2人、どちらがどっちのかまではわからないけど恋人なのでしょう? 嫌だわ。私ったら、つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」

「はい? 恋人? あの生き物が?」

「生き物って言うな」

 才人は憮然とした声で言った。

「姫さま! あれはただの“使い魔”です! 恋人だなんて冗談じゃないわ!」

 ルイズは思い切り首をブンブンと横に振って、アンリエッタの言葉を否定する。

「えっと、私たちの方も主人と“使い魔”の関係です」

 シオンは、ルイズと才人の普段と変わらない様子を前に微笑みを浮かべながら、アンリエッタの言葉をやんわりと否定した。

 そんなルイズとシオンの言葉に、アンリエッタはキョトンとした面持ちで、才人と俺とを見つめる。

「ヒトにしか見えませんが……」

「ヒトです。姫さま」

 才人はわざとらしく、そして俺は恭しく礼をする。

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、シオン・エルディ。貴女たちって方向性などは違っていながらも昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

「好きでアレを“使い魔”にした訳じゃありません」

 ルイズは憮然とし、対してシオンは笑顔を浮かべる。

 そして、アンリエッタは再び溜息を吐いた。

「姫さま、どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……嫌だわ、自分が恥ずかしいわ。貴女たちに話せるようなことじゃないのに……私ってば……」

「仰って下さい。あんなに明るかった姫さまが、そんなふうに溜息を吐くってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ、シオン」

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたし達をお友達と呼んでくださったのは姫さまです。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

「私たちで良ければ力になるよ。それに、話をするだけでも大分と違うモノだよ」

 ルイズが、そしてシオンがそう言うと、アンリエッタは少しして嬉しそうに微笑んだ。

「私をお友達と呼んでくれるのね。ルイズ・フランソワーズ、シオン・エルディ。とても嬉しいわ」

 アンリエッタは決心したように頷くと、語り始めた。

「今から話す事は、誰にも話してはいけません」

 それから才人と俺の方をチラッと見た。

「席、外そうか?」

 才人の言葉に、アンリエッタは首を横に振る。

「いえ、“メイジ”にって“使い魔”は一心同体。席を外す理由がありません」

 そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語り出した。

「私は、“ゲルマニア”の皇帝に嫁ぐことになったのですが……」

「“ゲルマニア”ですって!?」

 “ゲルマニア”が嫌いなルイズは、驚いた声を上げた。

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

「そうよ。でも、仕方がないの。同盟を結ぶためなのですから」

 アンリエッタは、“ハルケギニア”の政治情勢を簡単にだが説明してくれる。

 “アルビオン”の“貴族”たちが反乱を起こし、今にも“王室”が斃れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次に“トリステイン”に侵攻して来るだろうこと、を。

 それに対抗する為に、“トリステイン”は“ゲルマニア”と同盟を結ぶことになったということ。

 同盟の為に、アンリエッタが“ゲルマニア”皇帝に嫁ぐ事になったということ……。

「そうだったんですか……」

 ルイズは沈んだ声で言った。

 アンリエッタが、その結婚を望んでいないことは、口調からだけでも明白なことだった。

 そして、それらを聞いていたシオンの様子もまた、普段とは違う……我が事であるかのように、それらに落ち込み、怯え、心配をしている様子を見せる。

「良いのよ。ルイズ、シオン。好きな相手と結婚するなんて、物心付いた時から諦めていますわ」

 シオンへ、そしてルイズと視線を送りながら、アンリエッタはそう言った。

「礼儀知らずの“アルビオン”の“貴族”たちは、“トリステイン”と“ゲルマニア”の同盟を望んでいません。2本の矢も、束ねずに1本ずつなら楽に折れますからね」

 アンリエッタは、呟いた。

「……従って、私の婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのようなモノが見付かったら……で、もしかして、姫さまの婚姻を妨げるような材料が?」

 ルイズが顔を蒼白にして尋ねると、アンリエッタは悲しそうに呟いた。

「おお、“始祖ブリミル”よ……この不幸な姫をお救いください……」

 アンリエッタは顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。

「言って! 姫さま! いったい、姫さまのご婚姻を妨げる材料ってなんなのですか?」

 ルイズも連られたのか、興奮した様子で捲し立てる。

 両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

「……私が以前にしたためた1通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それが“アルビオン”の“貴族”たちの手に渡ったら……彼らは直ぐに“ゲルマニア”の皇帝にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだら、“ゲルマニア”の皇帝は……この私を赦さないでしょう。ああ、婚姻は潰れ、“トリステイン”との同盟は反故。となると、“トリステイン”は1国にてあの強力な“アルビオン”に立ち向かわねばならないでしょうね」

 ルイズの確認と質問に、アンリエッタは首を横に振りながら拒否をする。

 そんなアンリエッタに対し、ルイズは息急って、アンリエッタの手を握った。

「いったい、その手紙はどこにあるのですか? “トリステイン”に危険をもたらす、その手紙とやらは!?」

 アンリエッタは、首を横に振った。

「それが、手元にはないのです。実は、“アルビオン”にあるのです」

「“アルビオン”ですって!? では! 既に敵の手中に?」

「いえ……その手紙を持っているのは、“アルビオン”の反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、“王家”のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの、凛々しき王子さまが?」

 ルイズが疑問の言葉を口にする。

 そして、シオンの様子は先のそれよりわかりやすいモノになる。眼の前の友人と、その彼を心配する気持ち、不安など。そして、同時に鬼気迫るモノもまた。

 アンリエッタは仰け反ると、ベッドに身体を横たえた。

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、“トリステイン”は1国で“アルビオン”と対峙せねばならなくなります!」

 ルイズとシオンは息を呑む。

「では、姫さま! わたし達に頼みたいことと言のは……」

「無理よ! 無理よルイズ、シオン! 私ったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! “貴族”と“王党派”が争いを繰り広げている“アルビオン”に赴くなんて危険なこと、頼める訳がありませんわ!」

「なにをおっしゃいます! 例え地獄の窯の中だろうが、“竜”の顎門(アギト)の中だろうが、姫さまのお頼みとあらば、どこへなりと向かいますわ! 姫さまと“トリステイン”の危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごす訳には参りません!」

 ルイズはそう口にした後、膝を着いて、恭しく頭を下げる。

 そして、シオンもまた言葉には出さないが、ルイズ同様に膝を突き、頭を下げた。

「“土くれのフーケ”を捕まえた、このわたし達に、その一件、是非ともお任せくださいますよう」

「この私の力になってくれると言うの? ルイズ・フランソワーズ! シオン・エルディ! 懐かしいお友達!」

「もちろんですわ! 姫さま!」

 ルイズがアンリエッタの手を握る。そして、ルイズが熱した口調でそう言うと、アンリエッタはボロボロと泣き始めた。

「姫さま! このルイズ、いつまでも姫さまのお友達であり、良き理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。私、貴女たちの友情、貴女の忠誠と友情を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ! シオン・エルディ!」

 自分の言葉に酔っているかのような、そんなルイズとアンリエッタ2人のやりとりが眼の前でおこなわれている。

 それを前にして、才人はポカンと口を開けて、半分ほど呆れた気持ちを抱いた様子で見つめていた。

「ルイズ。友情を確認し合ってるところ、誠に恐縮なんだが」

「あによ?」

 そんな抱き合い、演技がかったやりとりをしている2人へと、俺と才人は口を挟む。

 すると、ルイズは不機嫌そうに応えた。

「戦争やってる“アルビオン”とやらに行くのは良いけど、どうせ色々やるのは俺たちなんだろ?」

「あんたに剣買って上げたでしょ。そんくらいしなさいよね」

「はい、頑張ります……」

 ルイズの返答に、才人は切なそうな様子で頭を下げた。

「“アルビオン”に赴きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくれば良いのですね、姫さま?」

「ええ。その通りです。“土くれのフーケ”を捕まえた貴女たちなら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると思います」

「一命に賭けても。急ぎの任務なのですか?」

「“アルビオン”の“貴族”たちは、“王党派”を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」

 ルイズとシオンは真顔になると、アンリエッタに首肯いた。

 それから、シオンに、ますます焦りの様子を見え隠れさせるのである。

「早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」

 アンリエッタはそれから、才人と俺の方を見つめた。

 アンリエッタの、肩の上で切り揃えられた栗色の髪が、優しく泳いでいる。ブルーの瞳は、まるで南の海のように鮮やかに光っている。白く、透明感漂う肌、高く形の良い彫刻のような鼻……。

 チラリと目を向けると、才人はうっとりとしてアンリエッタを見つめているのがわかる。そして、ルイズが彼へと冷たい視線を送り、見詰めている。

 ルイズはフンッと才人から目を逸らし、彼もまた逸した。

そんな2人のやりとりに気付かず、アンリエッタは明るい声で言った。

「頼もしい“使い魔”さん」

「はい? 俺?」

 まずは、才人だ。

「いやぁ、それほどでも。犬扱いだし」

「私の大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

 そして、アンリエッタはすっと左手を、手の甲を上に向けて差し出した。

 それに対し、ルイズが驚きの声を上げる。

「いけません! 姫さま! そんな、“使い魔”に御手を許すなんて!」

「良いのですよ。この方たちは私のために働いてくださるのです。忠誠には、報いるところがなければなりません」

「はぁ……」

「御手を許すって、御手? 犬がする奴? そこまで犬扱い?」

 才人は項垂れる。

「違うわよ。もう、これだから犬は……犬平民はなにも知らないんだから。御手を許すってことは、キスして良いってことよ。砕けた言い方するならね」

「そんな、豪気な……」

 才人はあんぐりと口を開ける。

 アンリエッタはニッコリと才人に笑って見せた。民衆に見せる営業スマイルだろう。

 そして、才人はアンリエッタの手を取ると、そのままグッと自分の元へと引き寄せ――。

「――え?」

 アンリエッタ女の口が、驚きでポカンと開く。

 才人は間髪入れずに、アンリエッタの唇に自分のそれを押し付けた。

「むぐ……」

 アンリエッタは、目をまん丸に見開く。その目が白目に変わる。彼女の身体から力が抜け、才人の手を摺り抜け、そのままベッドに崩れ落ちた。

「気絶? ど、どうして?」

「姫殿下になにしてんのよッ! いいいいい、犬ーーーーーーーーーーーーッ!」

「わん?」

 才人が振り向くと、ルイズの靴の裏が彼へと向けて飛んだ。

 顔面にルイズの跳び蹴りを喰らい、才人は床に転がる。

「なにすんだよッ!?」

 そう言った才人の顔を、ルイズは怒りに任せて踏み付けた。

「御手を許すってのは、手の甲にすんのよッ! 手の甲にキスすんのッ! 思いっ切り唇にキスしてどーすんのょッ!」

 ルイズは火が点いたように怒り狂った。

「そんなこと言われてもね。お前らのルールなんか知らないもん」

 顔を踏まれたまま、才人は手を広げて淡々と言った。

「こここ、この、この犬ってば……」

 それからルイズの声が、激しく震え出す。

 そんな一連の出来事を前に、シオンは目を丸くしていた。

 そして、俺は、アンリエッタには悪いが、大声で笑うのを必死で抑えるのに必死だった。

「まったくお前は……時代劇や、中世を舞台にしたアニメとかで見たことはないのか?」

 俺は小さく笑いながら、才人へと言う。

そうしているとアンリエッタが、頭を振りながら、ベッドから起き上がった。

 ルイズが慌てて膝を突き、才人の顔を掴んで床に押し付けた。

「も、申し訳ありません。“使い魔”の不始末は、わたしの不始末です! って言うかあんたもほら! 謝りなさいよ!」

「すいません。でも、キスして良いって言うから」

「唇にする奴がどこにいんのよッ!?」

「ここ」

 ルイズは才人をグーで殴った。

「忘れてた。誰があんたに人間の言葉を許可したの? わんだろコラ。犬。ねえ、わんって言え。ほら、犬この。バカ犬」

 そして、才人の頭を踏ん付け、グリグリと床に押し付ける。

「い、良いのです。忠誠には報いるところがなければなりませんから」

 努めて平静を装いながら、アンリエッタが首肯いた。

 その時、ドアがバターンと開いて、誰かがと飛び込んで来た。

「貴様ーッ! 姫殿下にーッ! なにをしてるかーッ!」

 飛び込んで来たのは、ギーシュである。相変わらず、薔薇の造花を手に持っている。

『気付いてた?』

『ああ、もちろん。実害はないから放っておいたが……』

「なんだお前」

 才人は床に転がって、ルイズに顔を踏まれたまま言った。

「ギーシュ! あんた! 立ち聞きしてたの? 今の話を!」

 しかし、ギーシュは2人の問いには答えず、夢中になって捲し立てる。

「薔薇のように見目麗しい姫さまの跡を着けるけて見ればこんな所へ……それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子を伺えば……“平民”の馬鹿がキス……」

 ギーシュは薔薇の造花を振り回して叫んだ。

「決闘だ! 馬鹿珍がぁあああああ!」

 才人は跳ね起きると、ギーシュの顔に拳を叩き込んだ。

「あがッ!」

「決闘だぁ? 呆けが! てめえが俺の腕折ったの忘れてねえぞ! こちとらぁ!」

 才人は倒れたギーシュを散々に蹴り回し、馬乗りになって首を締め上げた。

「ひ、卑怯だぞ! こら! 痛だだ!」

「で、どうします? こいつ、お姫さまの話を立ち聞きしやがりましたけど、取り敢えず縛り首にしますか?」

「その変にでもしておけ、才人」

 俺の制止の言葉に渋々といった様子でギーシュから離れる才人。

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう」

「え? 貴男が?」

「お前は寝てろ」

 そんなギーシュに対し、才人はまたしても彼へとちょっかいを出し、彼の足を引っかける。

 そうしてギーシュは派手に転ぶ。

「僕も仲間に入れてくれ!」

 倒れたまま、ギーシュは喚く。

「どうしてだよ?」

 才人からの質問に、ギーシュはポッと顔を赤らめて答える。

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 才人はそんなギーシュの様子で、勘付いたのだろう、ニヤニヤとした表情を浮かべて口を開く。

「お前、もしかして惚れやがったな? お姫さまに!」

「失礼なことを言うんじゃない。僕は、ただただ、姫殿下のお役に立ちたいだけだ」

 だが、そう言いながらもギーシュは激しく顔を赤らめており、アンリエッタを見つめる表情もまた熱っぽい。

「お前、彼女がいただろうが。なんだっけ? あの、モンモンだか……」

「モンモランシーだ」

「どうしたんだよ?」

 しかし、ギーシュは無言である。

「お前、ふられたな? さては、完璧にふられやがったな?」

「う、うるさい! 君の所為だぞ!」

 食堂での香水の一件が原因だろうか。アレで二股がバレてしまい、彼はモンモランシーにワインを頭からかけられてしまったのだ。

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

 アンリエッタが、キョトンとした顔でギーシュを見つめ問いかける。

「息子でございます。姫殿下」

 ギーシュは立ち上がると恭しく一礼した。

「貴男も、私の力になってくれると言うの?」

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」

 熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

「ありがとう。お父さまも立派で勇敢な“貴族”ですが、貴男もその血を受け継いているようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」

「姫殿下が僕の名前を呼んでくださった! 姫殿下が! “トリステイン”の可憐な花、薔薇の微笑みの君がこの僕に微笑んでくださった」

 ギーシュは感動のあまり、後ろに仰け反って失神してしまった。

「大丈夫か、こいつ?」

 才人はギーシュを突く。

 ルイズはそんな騒ぎに目もくれず、真剣な声で言った。

「では、明日の朝、“アルビオン”に向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、“アルビオン”の”ニューカッスル”付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉たちと“アルビオン”を旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「大丈夫ですよ、ルイズ。地理に関しては彼女の方が」

 そう言いながら、アンリエッタはシオンの方へと一瞥をする。そうして、彼女は言葉を続けた。

「旅は危険に満ちています。“アルビオン”の“貴族”たちは、貴方方の目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 アンリエッタは椅子に座ると、机の上でルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、サラサラと手紙をしたためた。

 アンリエッタは、ジッと自分が書いた手紙を見つめていたが、そのうちに悲しげに首を振った。

「姫さま? どうなさいました?」

 怪訝に思ったルイズが声をかける。

「な、なんでもありません」

 アンリエッタは顔を赤らめると、決心したように首肯き、末尾に一行付け加えた。それから小さい声で呟く。

「“始祖ブリミル”よ……この自分勝手な姫をお赦しください。でも、国を憂いても、私はやはり、この一文を書かざるをえないのです……自分の気持ちに、嘘を吐くことはできないのです……」

 密書だというのに、恋文でもしたためた表情を浮かべるアンリエッタ。

 アンリエッタは書いた手紙を巻き、“杖”を振る。すると、どこから現れたモノか、巻いた手紙にロウソクがなされ、花押が押された。彼女は、その手紙をルイズへと手渡す。

「ウェールズ皇太子にお逢いしたら、この手紙を渡してください。直ぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引抜くと、ルイズに手渡す。

「母君から頂いた“水のルビー”です。せめてもの御守です。お金が心配なら、売り払って資金に当ててください」

 ルイズとシオンは深々と頭を下げ、俺もそれに続く。

「この任務には“トリステイン”の未来が賭かっています。母君の指輪が、“アルビオン”に吹く猛き風から、貴方方を守りますように」

 そうして目を伏せ、顔を上げて俺の方へと向き直るアンリエッタ。

「貴男にも。どうか彼女たちを、私の大事なお友達をよろしくお願いいたします」

 そう言って、アンリエッタはもう1度自身の手の甲を上にして差し出す。

 俺は、ユックリと膝を突き、その手の甲へと軽く、ほんの一瞬だけ唇を触れさせた。

 見上げた先にある彼女の顔は、これから俺たちが向かう先にいるだろう男性への恋慕、友人への心配と信用と信頼、戦場という生命を失いかねない場所へ友人を送り出すという罪悪感、そして揺るぎようのない確固とした決意だった

「もちろんです。この身は“サーヴァント”。主であるシオンの剣であり、盾だ。任務を全うし、全員無事に帰りますよ」

 



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港町ラ・ロシェール

 朝靄の中、俺とシオン、才人とルイズ、そしてギーシュの5人は、馬に鞍を付けていた。

 才人は、デルフリンガーを背負っている。かなりの長剣であることもあって、腰に提げる訳にはいかないのである。

 シオンとルイズはいつもの制服姿だったが、長期間乗馬するだろうということもあって、乗馬用のブーツを履いている。

 そんな風に出発の用意をしていると、ギーシュが困ったように言った。

「お願いがあるんだが……」

「あんだよ?」

 才人は、馬の鞍に荷物を括り付けながら、ギロッとギーシュを睨み付ける。どうやらまだ、自分を痛め付けた彼のことを赦している訳ではない様子だ。

「僕の“使い魔”を連れて行きたいんだ」

「“使い魔”なんかいたのか?」

「いるさ。当たり前だろ?」

 中々に辛辣な言葉を口にし、才人はルイズと顔を見合わせる。それからギーシュの方へと向いた。

「連れてきゃいいじゃねえか。って言うかどこにいるんだよ?」

「ここ」

 そんな才人の質問に、ギーシュは地面を指さした。

「いないじゃないの」

 ルイズが、乗馬鞭を片手に、澄ました顔で言った。

 ギーシュはニヤッと笑うと、足で地面を叩いた。すると、モコモコと地面が盛り上がり、茶色の大きな生き物が、顔を出した。

 ギーシュはスサッ! と膝を突くと、その生き物を抱き締めた。

「ヴェルダンデ! ああ! 僕の可愛いヴェルダンデ!」

 才人は心底呆れた声で言った。

「なにそれ?」

「なにそれ、などと言って貰っては困る。大いに困る。僕の可愛い“使い魔”のヴェルダンデだ」

「あんたの“使い魔”って“ジャイアントモール”だったの?」

 それは、巨大モグラだった。大きさは小さい熊程度ほどはあるだろう。

 そんな“ジャイアントモール”――ヴェルダンデへと、シオンは近付き撫で、ヴェルダンデは目を細める。

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ。君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。“ドバドバミミズ”は一杯食べて来たかい?」

 モグモグモグと、嬉しそうに鼻を引く付かせるヴェルダンデ。

「そうか! そりゃ良かった!」

 ギーシュはヴェルダンデに頬を擦り寄せる。

「お前って、実は言うほどモテないだろ?」

 才人は呆れた声で言った。

「ねえ、ギーシュ。駄目よ。その生き物、地面の中を進んで行くんでしょう?」

「そうだ。ヴェルダンデはなにせ、モグラだからな」

「そんなの連れて行けないわよ。わたし達、馬で行くのよ」

 ルイズは困ったように言った。

「結構、地面を掘って進むのは速いんだぜ? なあ、ヴェルダンデ」

 ヴェルダンデは、うんうんといった風に首肯く。

「わたし達、これから“アルビオン”に行くのよ? 地面を掘って進む生き物を連れて行くなんて、駄目よ。と言うか無理よ」

 ルイズがそう言うと、ギーシュは地面に膝を突いた。

「お別れなんて、辛い、辛すぎるよ……ヴェルダンデ……」

 そう言って悲しげな表情を浮かべるギーシュ。

 その時、ヴェルダンデがクンカクンカといった風に鼻を引く付かせた、ルイズへと擦り寄る。

「な、なによこのモグラ?」

 そんなヴェルダンデを見て、才人は「主人に似て、女好きなんかな?」と言った。

「ちょ、ちょっと!」

 巨大モグラはいきなりルイズを押し倒すと、鼻で彼女の身体を弄り始めた。

「や! ちょっとどこ触ってるのよ!?」

 ルイズは身体をモグラの鼻で突き回され、地面をのた打ち回り、スカートが乱れ、派手にパンツを曝け出し、暴れる。

 才人はなんだかその光景を、眩しいモノを見るように見守った。

「いやぁ、巨大モグラと戯れる美少女ってのは、ある意味官能的だな」

「その通りだな」

 才人とギーシュは、腕を組んで首肯き合った。

「馬鹿なこと言ってないで助けなさいよ! きゃあ!」

 巨大モグラは、ルイズの右手の薬指に光るルビーを見付けると、そこに鼻を摺り寄せた。

「この! 無礼なモグラね! 姫さまに頂いた指輪に鼻をくっ付けないで!」

 ギーシュが首肯きながら呟いた。

「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」

「嫌なモグラだな」

「嫌とか言わないでくれたまえ。ヴェルダンデは貴重な鉱石や宝石を僕の為に見付けて来てくれるんだ。“土系統”の“メイジ”の僕にとって、この上もない、素敵な協力者さ」

「そのへんにしておくと良いぞ、ヴェルダンデ」

 そんな風に説明をするギーシュ。

 足音、空気の流れ、“魔力”の流れなどから、誰かが近付いて来るのがわかる。

 そして、止めに入る俺の言葉に対し、それでもヴェルダンデは夢中になっているのだろう、ルイズが指に嵌めている指輪に鼻を擦り寄せ続けており、彼女は抵抗しようと暴れる。

 そんな風にルイズが暴れていると……。

 一陣の風が舞い上がり、ルイズに抱き着いているヴェルダンデを吹き飛ばした。

「誰だッ!?」

 ギーシュは激昂して喚いた。

 朝靄の中から、羽帽子を冠っている1人の長身の“貴族”が現れた。

「貴様、僕のヴェルダンデになにをするんだ!?」

 ギーシュはスッと薔薇の造花を掲げた。対して、羽根帽子の“貴族”が一瞬速く“杖”を引き抜き、バラの造花を吹き飛ばす。

 それによって、造花の花弁が宙を舞う。

「僕は敵じゃない。姫殿下より、君たちに同行することに命じられてね。君たちだけではやはり心許ないらしい。しかし、お忍び任務であるゆえ、一部隊付ける訳にもいかぬ。そこで僕が指名されたって訳だ」

 長身の“貴族”は、帽子を取ると一礼した。

「女王陛下の“魔法衛士隊”、“グリフォン隊”隊長、ワルド子爵だ」

 文句を言おうと口を開きかけたギーシュは相手が悪いと知って項垂れた。

 “魔法衛士隊”は全“貴族”の憧れの存在だ。ギーシュもまた、その例外ではなく、彼らに憧れを抱いている。

 ワルド子爵(以降ワルドと呼称)はそんなギーシュの様子を見て、首を振った。

「すまない。婚約者が、モグラに襲われているのを見て見ぬふりはできなくてね」

 そんなワルドの言葉に、才人はあんぐりと口を開き、身体が固まる。

「ワルド様……」

 立ち上がったルイズが、震える声で言った。

「久し振りだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱え上げた。

「お久し振りでございます」

 ルイズは頬を染めて、ワルドに抱き抱えられている。

「相変わらず軽いな君は! まるで羽のようだね!」

「……お恥ずかしいですわ」

「ああ、シオンも久し振りだね」

「ええ、お久し振りです。ワルド様」

 ルイズを地面に下ろし、振り向くと同時にワルドはシオンへと挨拶をし、彼女もまた挨拶の言葉を返す。

「彼らを、紹介してくれたまえ」

 そうして、ワルドは再び帽子を目深に冠って言った。

「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、“使い魔”のサイトです」

「私の“使い魔”のセイヴァーです」

 ルイズは交互に指さして言い、ギーシュは深々と頭を下げ、才人はつまらなさそうに頭を下げた。

 そして、シオンは俺の側へと駆け寄り、紹介をしてくれる。

「君がルイズの“使い魔”、そして君がシオンの“使い魔”かい? ヒトとは想わなかったな」

 ワルドは気さくな感じで、俺たちへと近寄る。

 改めて、ワルドを見て見る。目付きは鋭く鷹のように光り、形の良い口髭が男らしさを強調している。“メイジ”にしては逞しい身体付きをしており、“魔法”なしでもそれなりに戦うことができるだろう。

「僕の婚約者がお世話になっているよ」

「そりゃどうも」

 ワルドの言葉に、才人は溜息を吐いて応えた。

 そんな才人の様子を見て、ワルドはニッコリと笑うと、ポンポンと肩を叩いた。

「どうした? もしかして、“アルビオン”に行くのが怖いのかい? なあに! なにも怖いことなんかあるもんか。君はあの“土くれのフーケ”を捕まえんたんだろう? その勇気があれば、なんだってできるさ!」

 そう言って、アッハッハ、とワルドは豪傑笑いをした。

「君も、だ。彼女がお世話になっているみたいだね」

「いやいや、逆に色々と世話を焼いて貰っている。なにぶん俺たちはここの出身ではないからな。短い間だろうが宜しくお願いするよ、ワルド子爵」

 それから、ワルドは俺へと向き直り、挨拶をくれた。

 馴れ馴れしいだろうが、言葉遣いに気を配ることはせず彼へと簡単な挨拶をする。

 対して、彼はまったく気にした素振りを見せることなく、爽やかな笑みを浮かべてくれている。

 そうして簡単な自己紹介などを済ませ、ワルドが口笛を吹く。

 すると、朝靄の中から“グリフォン”が現れた。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身が付き、立派な翼が生えている“幻獣”である。

 現れた“グリフォン”はギロリと、待ち続けている数頭の馬を睨み付ける。

 ワルドはヒラリと“グリフォン”に跨ると、ルイズに手招きをした。

「おいで、ルイズ」

 ルイズは少しばかりためらうようにして、俯いた。その仕草はまさに、恋する少女と言えるモノだろう。

 ルイズはしばらくモジモジとしていたが、ワルドに抱き抱えられ、“グリフォン”に跨った。

 そうして、俺たちもそれぞれに宛行われた馬へと跨る。

「では諸君! 出撃だ!」

 “グリフォン”が駆け出し、ギーシュもまた感動した面持ちで後に続き、才人もガックリと肩を落として後に続いた。もちろん、シオンと俺も後へと続く。

 

 

 

 

 

 アンリエッタは出発する一行を学院長室の窓から見つめていた。

 目を閉じて、手を組んで祈る。

「彼女たちに、加護をお与えください。“始祖ブリミル”よ……」

 隣では、オスマンが鼻毛を抜いている。

 アンリエッタは、振り向くと、オスマンに向き直った。

「見送らないのですか、オールド・オスマン?」

「ほほ、姫、見ての通り、この老耄は鼻毛を抜いておりますのでな」

 アンリエッタは首を振った。

 その時、扉がドンドンと叩かれた。

 オスマンが「入りなさい」と呟くと、慌てた様子のコルベールが飛び込んで来た。

「いいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」

「君はいつでも一大事ではないか。どうも君は慌てん坊でいかん!」

「慌てますよ! 私だってたまには慌てます! 城からの報せです! なんと! “チェルノボーグの牢獄”から、フーケが脱獄したそうです!」

「ふむ……」

 オスマンは、口髭を撚りながら唸った。

「門番の話では、さる“貴族”を名乗る怪しい人物に“風”の“魔法”で気絶させられたそうです!  “魔法衛士隊”が、王女の御伴で出払っている隙に、何者かが脱獄の手引をしたのですぞ! つまり、城下に裏切り者がいるということです! これが大事でなくてなんなのですか!」

 アンリエッタの顔が蒼白になった。

 オスマンは手を振ると、ミスタ・コルベールに退室を促した。

「わかったわかった。その件については、後で聴こうではないか」

 ミスタ・コルベールがいなくなると、アンリエッタは、机に手を付いて、溜息を吐いた。

「城下に裏切り者が! 間違いありません。“アルビオン貴族”の暗躍ですわ!」

「そうかもしれませんな。あいたッ!」

 オスマンは、鼻毛を抜きながら言った。

 その様子を、アンリエッタは呆れ顔で見つめた。

「“トリステイン”の未来が賭かっているのですよ。なぜ、そのような余裕の態度を……」

「既に“賽は投げられた(杖は振られた)”のですぞ。我々にできることは、待つことだけ。違いますかな?」

「そうですが……」

「なあに、彼らならば、道中どんな困難があろうとも、やってくれますでな」

「彼らとは? あのグラモン元帥の息子さんが? それとも、ワルドが?」

 オスマンは首を横に振った。

「ならば、あのルイズの“使い魔”の少年かシオンの“使い魔”の青年が? まさか! 彼らはただの“平民”ではありませんか!」

「姫さまは“始祖ブリミルの伝説”をご存知かな?」

「通り一遍のことなら知っていますが……」

 オスマンはニッコリと笑った。

「では“ガンダールヴ”の件はご存知か?」

「“始祖ブリミル”が用いた、最強の“使い魔”のこと? まさか彼らのどちらかが?」

 オスマンは喋り過ぎたことに気が付いた。

 “ガンダールヴ”のことは彼自身自分の胸1つに収めているのである。(アンリエッタ王女のことを信用できない訳ではないが、まだ“王室”の者に話すのは不味いじゃろうて)とそう思っていたのだ。

「えーおほん、とにかく彼らは“ガンダールヴ”並みに使えると、そういうことですな。ただ、彼らは異世界から来た少年たちなのです」

「異世界?」

「そうですじゃ。“ハルケギニア”ではない、どこか。ここではない、どこか。そこからやって来た彼らならばやってくれると、この老耄は信じておりますでな。余裕の態度もその所為ですじゃ」

「そのような世界があるのですか……」

 アンリエッタは、遠くを見るような目になった。

「ならば祈りましょう。異世界から吹く風に」

 アンリエッタは、唇を指でなぞって目を瞑ると微笑んだ。

(見極めさせて貰うぞ、セイヴァーとやら……)

 オスマンも微笑みを見せ、目を瞑り、再び鼻毛を抜く作業へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “港町ラ・ロシェール”は、“トリステイン”から離れること早馬で2日、“アルビオン”への玄関口である。港町でありながら、狭い峡谷の間の山道に設けられた、小さな街である。人口はおおよそ300ほどだが、“アルビオン”と行き来する人々で、常に10倍以上の人たちが街を闊歩している。

 狭い山道を挟むようにして唆り立つ掛けの一枚岩を穿って、旅籠やら焦点が並んでいた。建物の形をしているが、並ぶ建物の1軒1軒が、同じ岩から削り出されたモノであるということが近付くとわかる。“土系統”の“スクウェアクラス”の“メイジ”たちの匠の技だと言えるだろう。

 峡谷に挟まれた街だということもあり、昼間でも薄暗い。狭い裏通りの奥深く、更に狭い路地裏の一角に、跳ね扉の付いた扉があった。

 酒樽の形をした看板には“金の酒樽亭”と書かれている。金どころか、一見するとただの廃屋にしか見えないほどに小汚い、壊れた木製の椅子が、扉の隣に積み上げられている。

 中で酒を呑んでいるのは、傭兵や、一見してならず者と思われる風体の者たちだった。彼らは酔いが回って来ると、些細なことで直ぐに口論をおっ始める。理由は下らないおとばかりであった。俺の杯を受けなかった、とか、目付きが気に入らないとか、そんなことで肩を怒らせ、相手に突っ掛かって行くのである。

 喧嘩騒ぎが起こるたびに、傭兵たちは武器を抜くので、死人や怪我人が続出する。見かねた主人は、店に張り紙をした。

 

――“人を殴る時はせめて椅子をお使いください”。

 

 店の客たちは、主人の悲鳴のようなこの張り紙に感じ入り、喧嘩の時には椅子を使うようになった。それでも怪我人は出たが、死人が出るということはなくなっただけマシだというモノである。それから、喧嘩のたびに壊れた椅子が扉の隣に積み上げられるようになったのだ。

 さて、本日の“金の酒樽亭”は満員御礼であった。内戦状態の“アルビオン”から帰って来た傭兵たちで店は溢れているのである。

「“アルビオン”の王さまはもう終わりだね!」

「いやはや! “共和制”ってやつの始まりなのか!」

「では“共和制”に乾杯!」

 そう言って乾杯し合って、ガハハと笑っているのは、“アルビオン”の“王党派”に付いていた傭兵たちである。彼らは、雇い主の敗北がほぼ決定的になった会戦の折、逃げ帰って来たのであった。別段、恥じる行為ではない。敗軍に最後まで付き合う傭兵などほとんどいはしないのだから。職業意識より、命の方が惜しい、ただそれだけの話なのである。

 そして、一通り乾杯が済んだ時、跳ね扉がガタンと開き、長身の女性が1人、酒場に現れた。女は目深にフードを冠っているので、顔の下半分しか見えなかったが、それだけでもかなりの美人に見える。このような汚い酒場に、こんな綺麗な女が1人でやって来るなどというのは珍しい。結果、店中の注目が、彼女に注がれる。

 しかし、女はそんな視線を意に介したふうもなく、ワインと肉料理を注文すると、隅っこに腰かけた。酒と料理が運ばれて来ると、女は給仕に金貨を渡した。

「こ、こんなに? よろしいんで?」

「泊まり賃も入ってるのよ。部屋は空いてる?」

 上品な声であった。“貴族”のようなイントネーションだったが、街の垢が付いた物言いであった。

 主人は首肯いて、去って行った。

 幾人かの男たちが、目配せをしながら立ち上がり、女の席に近付いた。

「お嬢さん。1人でこんな店に入っちゃいけねえよ」

「そそ。危ねえ連中が多いからな、でも、安心しな。俺たちが守ってやるからよ」

 そして、下卑た笑いを浮かべながら、男の1人が女のフードを持ち上げた。ひょお、と口笛が漏れる。女が、かなりの美人だったからだ。切れ長の目に、細く、高い鼻筋。

 女は“土くれのフーケ”であった。

「こりゃ、上玉だ。見ろよ。肌が象牙みてえじゃねえか」

 男の1人がフーケの顎を持ち上げるが、その手がピシャリと撥ねられた。

 フーケは、薄ら笑いを浮かべる。

 そして、男が立ち上がり、彼女の頬にナイフを当てた。

「ここじゃ刃物の代わりに、椅子を使うんじゃなかったかしら?」

「脅すだけさ。椅子じゃ脅しにならねえだろ? ま、格好つけんな、男を漁りに来たんだろ? 俺たちが相手してやるから」

 ナイフに物怖じした様子も見せず、フーケは身体を捻り“杖”を引き抜いた。

 一瞬、“呪文”を唱える。

 男の持っているナイフが、ただの土塊に変わり、ボトボトとテーブルの上に落っこちた。

「き、“貴族”!」

 男たちは、ようやく彼女が“メイジ”であることに気付き、後ずさった。マントを羽織っていなかったというもあり、気付かなかったのである。

「私は“メイジ”だけど、“貴族”じゃないよ」

 フーケは嘯くように言った。

「あんたたち、傭兵なんでしょ?」

 男たちは呆気に取られて、顔を見合わせた。(“貴族”でないんなら、取り敢えず命を落とす心配はなさそうだな)と。今仕方のようなことを“貴族”にしてしまうと、それはもう、殺されたって文句は言えないのだから。

「そ、そうだが。あんたは?」

 年嵩の男が口を開いた。

「誰だって良いじゃない。とにかく、あんたたちを雇いに来たのよ」

「俺たちを雇う?」

 男たちは、当惑した顔でフーケを見詰めた。

「なんて顔してるの。傭兵を雇うのが、可怪しいの?」

「そ、そうじゃねえけど。金はあるんだろうな?」

 フーケは金貨の詰まった袋をテーブルの上に置いた。

 中を確かめて、男の1人が呟いた。

「おほ、“エキュー金貨” じゃねえか」

 バタンと跳ね扉を開いて、白い仮面にマントの男が現れた。フーケを脱獄させた“貴族”だ。

「おや、早かったね」

 フーケが男を見て呟く。

 傭兵たちは、男の妙な成りを見て、息を呑んだ。

 仮面の男は短く、「連中が出発した」とフーケに言った。

「こっちもあんたに言われた通り、人を雇ったよ」

 白仮面の男は、フーケに雇われた傭兵たちを見回した。

「ところで貴様ら、“アルビオン”の“王党派”に雇われていたのか?」

 傭兵たちは薄ら笑いを浮かべて応えた。

「先月まではね」

「でも、負けるような奴ぁ、主人じゃねえや」

 傭兵たちは笑った。そして、白仮面の男も笑った。

「金はいい値を払う。でも、俺は甘っちょろい王さまじゃない。逃げたら殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 “魔法学院”を出発して以来、ワルドは“グリフォン”を疾駆させっ放しであった。

 才人たちは途中の駅で2回、馬を交換したが、ワルドの“グリフォン”は疲れを見せずに疾走り続ける。

「ちょっと、ペースが速くない?」

 抱かれるような格好で、ワルドの前に跨ったルイズが言った。

 雑談を交わすうちに、ルイズの喋り方は昔の丁寧な言い方から、今の口調に変わっていた。ワルドがそうしてくれ、と頼んだという理由もあるのだが。

「ギーシュも才人も、へばってるわ」

 ワルドは後ろを向いた。

 確かに、2人は半ば倒れるような格好で馬にしがみ付いており、今度は馬よりも先に2人が参ってしまいそうな様子である。

「“ラ・ロシェールの港町”まで、止まらずに行きたいんだが……」

「無理よ。普通は馬で2日かかる距離なのよ」

「へばったら、置いて行けば良い」

「そういう訳には行かないわ」

 冗談を言うワルドに、ルイズは小さくそれを否定した。

「どうして?」

 ワルドからの質問に、ルイズは困ったように後ろへと――先ずシオン、次いで俺、ギーシュ、才人へと目を向けながら答えた。

「だって、仲間じゃない。それに……“使い魔”を置いて行くなんて、“メイジ”のすることじゃないわ」

「やけにあの3人の肩を持つね。ギーシュ君と才人君、どちらかが君の恋人かい?」

 ワルドはからかうように笑いながら言った。

「こ、恋人なんかじゃないわ」

 ルイズは顔を赤らめた。

「そうか。なら良かった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」

 そう言いながらも、ワルドの顔は笑っている。

「お、親が決めたことじゃない」

「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」

 昔と同じように、戯けた口調でワルドは言った。

「もう、小さくないもの。失礼ね」

 ルイズは頬を膨らませた。

「僕にとってはまだ小さな女の子だよ」

「嫌いな訳じゃない」

 ルイズは、ちょっと照れたように答えた。

「良かった。じゃあ、好きなんだね!」

 ワルドは、手綱を握った手で、ルイズの肩を抱いた。

「僕はずっと君のことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? 僕の父が“ランスの戦”で戦死して……」

 ルイズは首肯いた。

 ワルドは、想い出すようにして、ユックリと語り始めた。

「母もとうに死んでいたから、爵位と領地を相続して直ぐ、僕は街に出た。立派な“貴族”になりたくてね。陛下は戦死した父のことを良く覚えていてくれた。だから直ぐに“魔法衛士隊”に入隊できた。最初は見習いでね、苦労したよ」

「ほとんど、ワルドの領地には帰って来なかったモノね」

 ルイズもまた思い出すように、目を瞑った。

「軍務が忙しくてね、未だに屋敷と領地は執事のジャン爺に任せ放なしさ。僕は一生懸命、奉公したよ。おかげで出世した。なにせ、家を出る時に決めたからね」

「なにを?」

「立派な“貴族”になって、君を迎えに行くってね」

 ワルドは笑いながら、そう口にした。

「冗談でしょ。ワルド、貴男、モテるでしょう? なにも、わたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」

 ワルドは、「旅は良い機会だ」と落ち着いた声で言った。

「一緒に旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになるさ」

 

 

 

「もう半日以上、走りっ放なしだ。どうなってるんだ。“魔法衛士隊”の連中は化け物か」

 グッタリと馬に身体を預けた才人に、隣を行くギーシュが声をかけた。才人と同様に馬の首にグッタリと上半身を預けている。

「知るか」

 才人は疲れた声で短く返した。

 ギーシュは、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、才人をからかうように口を開いた。

「ぷ、ぷぷ。もしかして、君……焼き餅を妬いているのかい?」

「あ? どーゆー意味だ!?」

 才人はガバッと馬から身を起こした。

「あれ、当たった? もしかして図星?」

 そんな才人を前に、ギーシュは更にニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「黙ってろ。モグラ野郎」

「ぷ、ぷぷぷ。ご主人さまに、適わぬ恋を抱いたのかい? いやはや! 悪いことは言わないよ。身分の違う恋は不幸の元だぜ! しっかし、君も哀れだな!」

「うるせえ。あんな奴、好きでもなんでもねえや。ま、確かに顔はちょっと可愛いけど、性格最悪」

 ギーシュは前を向くと、驚いた声で言った。

「あ、キスしてる」

 才人はギョッとして、前を見た。

 そして、ギーシュの方は口を抑えて笑いを堪えていた。

「ぬお」

 才人は唸り声を上げてギーシュへと飛び掛かる。

 2人は馬から転げ落ち、取っ組み合いを開始した。

 そんな2人に、「こら、置いてくぞ!」とワルドが怒鳴る。

 ギーシュが慌てて馬に跨る。

 才人は、ルイズと目が合いはしたが、直ぐに顔を背けた。

 

 

 

 “専科総般スキル”で獲得したA+++ランクの“騎乗スキル”を活用し、馬を疾走らせながら、俺は“千里眼”でこの先起こるであろう出来事を確認する。

 特に問題という問題は見当たらず、俺はそのまま馬を疾走らせる。

 周囲からは、空気や“魔力”などの流れ、疾走ることによる蹄や空気の音、主に才人とギーシュに因る喧騒、ルイズとワルドの雑談などが聞こえて来る。

「ねえ、セイヴァー。あの時、フーケの“ゴーレム”を倒した時のことなんだけど……」

「なにかな?」

「あの時持っていた剣って、セイヴァーの“宝具”?」

「ああ、そうだ。厳密には違うが、俺の“宝具”で生み出し取り出した疑似“宝具”、“投影宝具”とでも言うべきか。“英雄”たちが “英霊”となり、時空間の離れた異空間である“英霊の座”におり、“サーヴァント”として“召喚”される際に持つ彼ら彼女らの人生や逸話の表れである“宝具”……それを無断でコピーし、再現し、使用したモノだ」

 “英雄”たちの人生などの表れであるそれらを無断でポンポンと使用するその様を、彼ら彼女ら本人が、本人でなくとも“サーヴァント”として喚ばれた彼ら彼女らや彼ら彼女らに憧れている者からすると、「ふざけるな!」と怒るだろうモノだ。

「そうなんだ」

「厳密には、“スキル”と“宝具”の両方を組み合わせることで使うことができているんだ」

「この前も訊いたと思うんだけど……セイヴァーほどじゃないだろうけど、私にも“魔術”は使えるのかな?」

「ああ、要練習だが使えるだろうな」

 こちらの世界――“ハルケギニア”の住人たちは、おそらくだが“魔術”を扱うことができるだろう。

 “魔術”を扱う、使用するために必要な“魔術回路”を、本数や質などはピンきりだろうが持っているはずなのである。

 “魔術回路”。“魔術師”が体内に持つ疑似神経であり、“生命力を魔力へと変換する炉”、“基盤となる大魔術式と繋がる路”だ。最初は眠るように止まっているが、修練によって起こす――開くことで、自由自在にオンオフによる使用ができるようになるだろう。そして、生きている間は肉体にあるそれだが、本来は“魂”に付属するモノであり、誰か1人でも先祖が持っていたのであれば、どこかで失ってなどいない限り、受け継いで来ているはずの代物である。

 この世界のヒトの先祖たちは“魔術回路”に良く似たモノを所有していたため、“魔法”を使用でき、それゆえ、“魔術”もまた使用できる。

「簡単なモノからだと、やはり“強化”だな。今度、教えるよ」

「うん、期待してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬を何度も替え、飛ばして来たので、その日の夜に“ラ・ロシェール”の入り口に到着することができた。

 そして、才人は怪訝そうに辺りを見回した。港町だというのに、ここはどう見ても山道なのである。彼の常識からすると、まだここは途中という認識なのだろう。

 月夜に浮かぶ、険しい岩山の中を縫うようにして進むと、峡谷に挟まれるようにして街が見えた。街道沿いに、岩を穿って造られた建物が並んでいるのが見える。

「なんで港町なのに山なんだよ?」

 才人がそう言うと、ギーシュが呆れたように言葉を返した。

「君は、“アルビオン”を知らないのか?」

 既に才人もギーシュも、体力の限界であったが、これで一息吐けるという安心感からだろう饒舌になっていた。

「知るか」

「まさか!」

 ギーシュは笑ったが、才人は笑わない。それに対して口を挟まず聞いている俺もまた、笑いはしない。

「ここの常識を、俺の常識と思って貰っちゃ困る」

 その時だ。

 不意に、俺たちが跨っている馬目掛けて、崖の上から松明が何本も投げ込まれた。

 松明は赤々と燃え、俺たちが馬を進める峡谷を照らす。

 ギーシュが「な、なんだ!?」と怒鳴るように驚きの声を上げる。

 いきなり飛んで来た松明の炎に、戦の訓練を受けていない馬が驚き、前脚を高々と上げたので、シオン、才人とギーシュの3人は馬から放り出されてしまう。

 そこを狙って、何本もの矢が夜風を裂いて彼女らへと向かい飛んで来た。

 だが、それらを俺は。“騎乗”で驚く馬を制御し、紅槍“破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)”と黄槍“必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)”を“投影”し、場上から弾き飛ばす。

 スカッ、そしてカンッと軽い音を立てて、矢は地面に突き刺さる。

 それでよやく事態を呑み込んだギーシュは「奇襲だ!」と喚く。

 才人は慌てて、背中に背負っているデルフリンガーを握ろうとする。が、ヒュンヒュンと次の矢が飛んで来る。

 幾本もの矢が、才人とギーシュ目掛けて殺到する。

「――わっ!」

 最早これまでと、2人が目を瞑った。その時……。

 一陣の風が舞い起こり、彼ら2人の前の空気が歪み、小型の竜巻が現れる。

 竜巻は飛んで来た矢を巻き込むと、明後日の方に弾き飛ばした。

 目を向けると、“グリフォン”に跨ったワルドが、“杖”を掲げているのが見える。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……」

 ワルドの質問に、どうにか答える才人。

 才人は、背中のデルフリンガーを引き抜き、左手甲の“ルーン”が光る。

「相棒、寂しかったぜ……鞘に入れっ放なしはひでえや」

 才人は崖の方を見つめたが、今度は矢は飛んで来ない。

「野盗か山賊の類か?」

 ワルドが呟いた。

 ルイズが、ハッとした声で言った。

「もしかしたら、“アルビオン”の“貴族”かも……」

「“貴族”なら、弓は使わんだろう」

 その時……バッサバッサと、羽音が聞こえた。

 その音に、俺たちは顔を見合わせる。

 どこかで聞いたことのある羽音である。

 崖の上から男たちの悲鳴が聞こえて来る。どうやら、いきなり自分たちの頭上に現れたモノに、恐れ、慄いている声であった。

 男たちは夜空に向けて矢を放ち始めた。が、その矢は“風”の“魔法”で逸らされてしまう。

 次に小型の竜巻が舞い起こり、崖の上の男たちを吹き飛ばした。

「おや、“風”の“呪文”じゃないか」

 ワルドが小さく呟いた。

 ガランガランと、弓を射っていた男たちが崖の上から転がり落ちて来る。

 男たちは、硬い地面に体を強かに打ち付け、呻き声を上げた。

 月をバックに見慣れた“幻獣”が姿を見せ、ルイズが驚きの声を上げた。

「シルフィード!」

 確かにそれはタバサの“ウィンドドラゴン”(化)であった。

 地面に降りて来ると、赤い髪の少女が“ウィンドドラゴン”(化)――シルフィードからピョンと跳び降りて、髪を掻き上げた。

「お待たせ」

 そう言ったキュルケに対し、ルイズが“グリフォン”から跳り降りて、彼女に怒鳴った。

「お待たせじゃないわよッ! なにしに来たのよ!?」

「助けに来て上げたんじゃないの。朝方、窓から見てたらあんたたちが馬に乗って出かけようとしてるもんだから、急いでタバサを叩き起こして跡を着けたのよ」

 キュルケはシルフィードの上にいるタバサを指さした。

 寝込みを叩き起こされたらしく、タバサはパジャマ姿をしている。

 それでもタバサは気にした風もなく、本のページを捲っている。

「ツェルプストー。あのねえ、これはお忍びなのよ?」

「お忍び? だったら、そう言いなさいよ。言ってくれなきゃ理解らないじゃない。とにかく、感謝しなさいよね。貴方たちを襲った連中を、捕まえたんだから」

 お忍びなのだから口にするもなにもないのだが……とシオンは苦笑した。

 キュルケは倒れた男たちを指さした。

 怪我をして動けないでいる男たちは、口々に罵声を俺たちへと浴びせかけている。

 ギーシュが近付いて、尋問を始めた。

 ルイズは腕を組むと、キュルケを睨み付ける。

「勘違いしないで。貴女を助けに来た訳じゃないの。ねえ?」

 キュルケはしなを作ると、“グリフォン”に跨っているワルドに躙り寄った。

「お髭が素敵よ。貴男、情熱はご存知?」

 ワルドは、チラッとキュルケを見つめて、左手で押しやった。

「あらん?」

「助けは嬉しいが、これ以上近付かないでくれたまえ」

「なんで? どうして? あたしが好きって言ってるのに!?」

 取り付く島のないといったワルドの態度に、キュルケは口をあんぐりと開けて、彼を見つめた。

「婚約者が誤解するといけないのでね」

 そう言って、ルイズを見つめるワルド。

 その視線を受けて、ルイズの頬が染まる。

「なあに? あんたの婚約者だったの?」

 キュルケはつまらなさそうに言った。

 ワルドは首肯き、ルイズは困ったようにモジモジとし始めた。

 そして、もう1度キュルケはワルドを見つめた。

 そして彼女は次に、デルフリンガーと会話をしている才人を見つめ、抱き着いた。

「ホントはね。ダーリンが心配だったからよ!」

 才人は驚いた顔をしたが、直ぐにキュルケから顔を背けた。

「嘘吐け」

 唇を尖らせ、才人は言った。

「可愛い。可愛いわ! 貴男、焼き餅妬いてるのね?」

「別に……」

「ごめんなさいね! あたしが冷たくしたもんだから、怒ってるんでしょう?」

 キュルケはそう言ってきゃあきゃあ騒ぎながら、才人の額に、自分のメロンのような胸を押し付ける。

「赦してちょうだい! ちょっと余所見はしたけれど、あたしはなんたって貴男が1番好きなのよ!」

 ルイズは唇を噛んだ後、怒鳴ろうとする。

 が、ソッとワルドが彼女の肩に手を置き、彼女へとニッコリ微笑みかける。

 そこに男たちを尋問していたギーシュが戻って来た。

「子爵、あいつらはただの物取りだ、と言ってます」

「ふむ……なら捨て置こう」

 ヒラリと身を翻して“グリフォン”に跨ると、ワルドは颯爽とルイズを抱き抱えた。

「今日は“ラ・ロシェール”に一泊して、朝1番の便で“アルビオン”に渡ろう」

 ワルドは、俺たち一行へと提案をする。

 拒否する理由も、代案もないのだから、俺を含め皆当然首肯く。

 そして、キュルケは才人の馬の後ろに跨って、楽しそうにきゃあきゃあ騒ぐ。

 ギーシュも馬に跨る。

  “ウィンドドラゴン”(化)に跨っているタバサは、相変わらず本を読んでいる。

 道の向こうに、両脇を峡谷で挟まれた、“ラ・ロシェール”の街の灯りが怪しく輝いているのが見えた。

 



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出港迄の休みと魔術の基礎講座

 “ラ・ロシェール”で1番上等な宿である“女神の杵亭”に泊まることにした俺たちは、1階の酒場で、くつろいでいた。いや、1日中馬や“グリフォン”に乗っていたということもあって、ほとんどがクタクタになってしまっている様子である。

 “女神の杵亭”は、“貴族”を相手にするということだけあって、豪華な造りをしている。テーブルには、床と同じ一枚岩からの削り出しで、顔が映るくらいにピカピカに磨き上げられているのである。

 そこに、“桟橋”へ乗船の交渉に行っていたワルドとルイズが帰って来た。

 ワルドは席に着くと、困ったように言った。

「“アルビオン”に渡る“フネ”は明後日にならないと、出ないそうだ」

「急ぎの任務なのに……」

 ルイズは口を尖らせている。

 それを聞いて、シオンを除き、才人たちはホッとした様子を見せた。

「あたしは“アルビオン”に行ったことないからわかんないけど、どうして明日は“フネ”が出ないの?」

 キュルケの方を向いて、ワルドが答えた。

「明日の夜は月が重なるだろう? “スヴェルの月夜”だ。その翌日の朝、“アルビオン”が最も、“ラ・ロシェール”に近付く」

 そう簡単な説明をして、ワルドは話題を変えた。

「さて、じゃあ今日はもう寝よう。部屋を取った」

 ワルドは鍵束を机の上に置いた。

「シオンとセイヴァー、キュルケとタバサ、ギーシュとサイトがそれぞれ相部屋だ」

 ギーシュと才人は睨み合う。

「僕とルイズは同室だ」

 才人はギョッとして、ワルドの方を向いた。

「婚約者だからな。当然だろう?」

 ルイズがハッとして、ワルドの方を見る。

「そんな、駄目よ! わたし達、まだ結婚してる訳じゃないじゃない!」

 ルイズのその言葉に、才人は首肯く。

 が、ワルドは首を横に振って、ルイズを見つめて言った。

「大事な話があるんだ。2人切りで話したい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、早速だが、“魔術”について簡単にではあるけど教授しようか。まずは座学からだ」

「待ってたよ」

 宛行われた部屋はとても綺麗なモノであり、「流石は“貴族”御用達の宿」と素直に賞賛の言葉を送ることができるほどである。

 防寒、防音などもほぼ完璧といった具合であり、“魔力”などで聴力などを強化するか、何かしらの“魔法”を使用してわざわざ聞き耳を立てるなどをしない限り、中での話などは漏れることはまずないだろう。まあそれでも、“サーヴァント”となった俺の聴力は常人のそれではないこともあって、他所の部屋の物音や話し声が聞こえるのだが。

 そうして今、この宿に到着するまでの間、馬上で話していた“魔術”についての講義を始めようとしているところである。

「そうだな。まずは、“魔術”とは、“魔力を用いて人為的に神秘や奇跡などを再現する術の総称”だということを理解して欲しい」

「“神秘”?」

「そうだ。だが、これはこの世界に於いてはあまり意味をなさないから気にする必要はないかもしれないがな」

 この世界――“ハルケギニア”には“魔法”が存在し、一般大衆にも知れ渡っており、“平民”と比べ数は少ないだろうがそれでもかなりの数の“魔法使い”――“メイジ”たちがそれを使用している。対して、“地球”に於ける“魔術”は、その稀少性や知る人が少ないということから“今の時代の一般常識から外れた、巷に流布してはいない、秘匿された知識とその成果”――“神秘”性などを保有し、効果を発するモノが多い。

 そういったことからも、今この段階――この世界のこの時代に於いてはあまり気にする必要はないかもしれない、と言っても良いだろう。

「簡単な原理や仕組みなどの説明だけど、こちらの“魔法”とほぼ同じだな。違う点を上げるとすれば……使用するのは“精神力”ではなく“魔力”。“魔術回路”から生み出される“魔力(オド)”だ」

「“魔力(オド)”に、“魔術回路”って?」

「“魔術”を始めとしたある現象を起こすのに必要なエネルギー、生命が生み出すそのエネルギーが“魔力”だ。そして、“魔力”には基本的に2種類存在する」

 質問をするシオンに、俺は脳内で情報を整理しながら説明をする。

 既に知っていることではあるが、改めて考え直すこと、整理し他者に教えるということは勉強のし直しであり、これまで気付かなかったことに気付くことや新たな疑問点を抱き、それについて考えることなどができる。

「まず、この世界は生きているという前提を持っての考えだが、世界が生み出し保有する“魔力”を“マナ”、ヒトを始め個々人の生命力として生み出される“魔力”を“オド”と呼ぶ」

「なるほど……“魔術回路”って?」

「“生命力を魔力へと変換する炉”、“基盤となる大魔術式と繋がる路”だ。これの本数によって、大体の実力などが決まってしまう可能性がある」

 そうして簡単にではあるが“魔術”に関しての座学を、“魔術師”たちからすると触り程度どころかスタートラインにすら立っていないいと言われてしまうかもしれないだろう内容を、シオンへと教える。

「ねえ、そろそろ“魔術”を使ってみたいんだけど」

「……君は呑み込みが早い分、扱いが難しいな」

「……?」

「“魔術”を使う者、であり、“魔術”を探求する者……“魔術使い”の一歩としてまず教えて置くべきことがある」

 彼女は“魔術師”として生きて行くことはない。

 “総ての始まりであり、終わり”――“0と1”、“物質、概念、法則、空間、時間、位相、並行世界、星、多元宇宙、宇宙の外の世界、無、生命、死などの汎ゆるモノがここより生まれ、存在しているとされる場所”に到達する為に“魔術”を扱う者ではないのだから。

 彼女に対し、最初に教えることは“お前がこれから学ぶことは、全てが無駄なことなのだ”といったモノではない。

 人の道を外れさせる訳にはいかないのである。

 例え、この世界の人たちが、“神や先祖から一族が途絶えるまでその使命に殉じさせる呪いじみた絶対遵守の始まりの命令や命題”――“冠位指定(グランドオーダー)”があろうとも。

「まず、最初に必要なこと、するべき覚悟は、“死を容認する”ことだ……」

「“死を容認”……?」

「“魔術”を扱う際、“魔術回路”を使用する――躍起させるのだが、それ行う際かなりの痛みが身体を奔る。最悪の場合は死に至るだろう」

「そう、なんだ……」

「だが、その心配は君には不必要だろう」

「どうして?」

「君は、私を、“サーヴァント”を“召喚”してみせたのだから……“サーヴァント”の“召喚”も“魔術”の1つに含まれている。ゆえに、問題はないと俺は思うよ」

 それは、彼女の身体と“魂”に“魔術回路”があり、“魔術回路”を開いている――オンオフ自由にできているということなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、シオンが自身の部屋ほどではないにしろ、疲れからもあってグッスリと眠っている中、扉がノックされる。

 もちろん、彼女をわざわざ起こすことはせず、俺は扉の方へと向かい、開けた。

 そこには、羽帽子を冠ったワルド、そして不機嫌そうな才人の姿があった。

「お早う、もう1人の“使い魔”君」

「ええ、お早うございます。どうしたんだ? こんな朝早くに」

「実は、あの“土くれ”を捕まえた君たちの腕がどのくらいのモノだか、知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

 そう口にしたワルドの後ろにいる才人は、デルフリンガーを握っている。

 どうやら、口車に乗せられたかなにかあったのだろう。

「構いませんよ。少し、待っていてください」

 俺はそう言って、部屋の中にある羊皮紙に「用事があり少し出る」と書き置きをし、眠るシオンに一瞥をする。

 そして、外で待っているワルドと才人に合流をした。

 

 

 

 才人とワルド、そして俺はかつて“貴族”たちが集まり、陛下の閲兵を受けたという練兵場に到着した。

 才人とワルドは、20歩ほど離れて向かい合っている。

 練兵場は、今ではただの物置となってしまっており、樽や空き箱が積まれ、かつての栄華を懐かしむかのように、石で出来た旗立台が、苔生して佇んでいるのみである。

「昔……と言っても君たちにはわからんだろうが、斯の“フィリップ3世”の治下には、ここでよく“貴族”が決闘したモノさ」

「はぁ」

 才人は、背負ったデルフリンガーの柄を握った。そして左手の“ルーン”が光り出す。

「旧き良き時代、王がまだ力を持ち、“貴族”たちがそれに従った時代……“貴族”が“貴族”らしかった時代……名誉と、誇りを賭けて僕たち“貴族”は“魔法”を唱え合った。でも、実際はくだらないことで“杖”を抜き合ったものさ。そう、例えば女を取り合ったりね」

 才人は真顔になり、剣を引き抜く。が、ワルドが手で制する。

「どうした?」

「立ち会いには、それなりの作法というモノがある。介添人がいなくてはね」

「介添人?」

「安心したまえ。もう、呼んである」

 才人の質問に、ワルドがそう答えると、物陰からルイズとシオンが現れた。

 ルイズは2人と俺との3人を見ると、ハッとした顔になった。

 対するシオンは、俺たち3人を目にし、「もしかして」といった表情を浮かべる。彼女は、どうやらルイズに呼ばれた様子であり、そして剣を抜いている才人を見て察したのだろう。

「ワルド、“来い”って言うから、来て見れば、なにをする気なの?」

「彼らの実力を、ちょっと試したくなってね」

「もう、そんな馬鹿なことはやめて。今は、そんなことをしている時じゃないでしょう?」

「そうだね。でも、“貴族”という奴は厄介でね。強いか弱いか、それが気になるともう、どうにもならなくなるのさ」

 ルイズは才人を見る。

「やめなさい。これは、命令よ?」

 才人は答えず、返答代わりにワルドを見詰める。

「まあ、待てルイズ。一緒に行動するのに互いの実力を知っておいて損はない。なにせ、問題が起きた時に連携を取る必要があるだろ? 互いの実力が理解できていないと、それはかなり難しくなる」

「なんなのよ! もう!」

 ルイズは憤慨した様子を見せるが、俺の言葉に理解はしたのかこれ以上はなにも言わなかった。

「では、介添人たちも来たことだし、始めるか」

 ワルドは腰から、“杖”を引き抜いた。フェンシングの構えのように、それを前方に突き出す。

「俺は不器用だから、手加減できませんよ?」

 才人がそう言うと、ワルドは薄く笑った。

「構わぬ。全力で来い」

 才人はデルフリンガーを引き抜き、一足跳びに跳んで、斬りかかる。

 対するワルドは“杖”で、才人の剣を受け止めた。細身の“杖”であるにも関わらず、ガッチリとデルフリンガーを受け止め、ガキーンと、火花が飛び散る。

 ワルドはそのまま後ろに退がったかと思うと、シュシュと風切り音と共に、才人へと向かって“杖”を突き出す。

 才人はワルドの突きを、斬り上げた剣で払った。

 “魔法衛士隊”の黒いマントを翻らせて、ワルドは優雅に飛びすさり、構えを整える。

「なんでぇ、あいつ、“魔法”を使わないのか?」

 デルフリンガーは惚けた声で言った。

「お前が錆び錆びだから、ナメられてんだよ」

 才人は唸った。

 ワルドは、“ガンダールヴ”としての力を少しばかり解放させ“ルーン”を光らせている才人とほぼ同程度の速度を出している。いくらか前に決闘をした、ギーシュとは格が違うことは明白であった。

 そして、恐ろしいことなのか、ワルドはまだ全力ではない。

「“魔法衛士隊”の“メイジ”は、ただ“魔法”を唱える訳じゃないんだ」

 ワルドは羽帽子に手をかけて言った。

「“詠唱”さえ、戦いに特化されている。“杖”を構える仕草、突き出す動作……“杖”を剣のように使いつつ“詠唱”を完成させる。軍人の基本中の基本さ」

 才人は低く身構えると、風車のようにして長剣であるデルフリンガーを振り回した。

 ワルドは才人の攻撃を、難なく躱して見せる。見切り、“杖”で受け流し、それでいて息1つ乱さない。

「君は確かに素早い。ただの“平民”とは思えない。流石は“伝説の使い魔”だ」

 ワルドは才人の突きを躱し、後頭部に“杖”の一撃を叩き込む。

 それにより、ズシン! と音を立て、才人はドサッ! と地面に崩れ落ちてしまう。

「しかし、隙だらけだ。速いだけで、動きは素人だ。それでは本物の“メイジ”には勝てない」

 才人はバネが弾けるように立ち上がり、斬り上げ、薙ぎ払った。

 しかしステップ、ジャンプと云ったふうに、ワルドは風のように攻撃を躱す。

「つまり、君ではルイズを守れない」

 初めてワルドは攻撃に転じた。レイピアのように構えた“杖”で以て、突きを繰り出して行く。常人では目で追うことすら難しいほどのスピードである。

 才人は、それをどうにか受け流す。

「“デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ”……」

 閃光のような突きを何度も繰り出しながら、ワルドは低く小さく呟いている。

 よくよく観察していると、ワルドの突きが一定のリズムと動きを持っているということに気付くだろう。

「相棒! いけねえ! “魔法”が来るぜ!」

 デルフリンガーが叫んだ。

 才人がワルドの呟きに気付き、それが“呪文”の“詠唱”だと悟った時……。

 ボンッ! と空気が撥ねた。

 目に見えない巨大な空気のハンマーだろうモノが、横殴りに才人を吹き飛ばしたのである。10“メイル”以上も吹き飛ばされ、才人は積み上げられた樽に激突し、樽はガラガラと崩れ落ちた。

 樽に打つかった拍子に、才人はデルフリンガーを落としてしまった。

 拾い上げようとする才人だが、ワルドがガシッとデルフリンガーを踏み付け、彼へと“杖”を突き付けた。

 踏まれているデルフリンガーが「足をどけやがれ!」と喚いているが、ワルドは気にした風もなく口を開いた。

「勝負あり、だ」

 立ち上がろうとする才人だが、痛みで痺れてしまっているのだろう上手く立ち上がることができないでおり、額から血が流れ出ているのが見える。

 ルイズが恐る恐るといった顔で彼へと近付く。

「わかっただろう? ルイズ。彼では君を守れない」

 ワルドが、しんみりとした声で言った。

「……だって、だって貴男はあの“魔法衛士隊”の隊長じゃない! 陛下を守る護衛隊。強くて当たり前じゃないの!」

「そうだよ。でも、“アルビオン”に行っても敵を選ぶつもりかい? 強力な敵に囲まれた時、君はこう言うつもりかい? “私たちは弱いです! だから、杖を収めてください”って」

 ルイズは黙ってしまった。それから、才人をジッと見つめる。

「ルイズ、少し考える時間を上げよう」

 そう言ったワルドの言葉に、ルイズは少しためらうように唇を噛んだが、ユックリとこの場を離れて行く。

 そんな彼女を、シオンは追いかけて行った。

「君もだ、“使い魔”君。少し気持ちの整理でもして来ると良い」

 ワルドにそう言われた才人は、半ば放心状態といった様子で、トボトボと足取り覚束ない状態で歩いて行く。

「次は君の番だ。謎の“使い魔”君」

 そう言うワルドは笑顔こそ浮かべてはいるが、雰囲気は穏やかなそれではなく、険呑……それでいて警戒心を剥き出しにしたモノになっている。

 才人や介添人であるルイズとシオンがいなくなったこともあって、ワルドは手にした“杖”を構え、あからさまに敵意を剥き出しにして向けて来る。

「君の存在は不安要素でしかない。試させて貰うよ」

 こちらの実力を信じ、そして知る為だろう。そう言って、こちらが構えを取ってもいないのにワルドは問答無用と言わんばかりに向かって来る。

「おいおい、連戦で大丈夫か?」

「むろん、軟な鍛え方はしていないつもりだよ」

 俺の問いかけに、ワルドは笑みを浮かべて答えた。

 俺はバックステップし、朱色をした魔槍“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を“投影”して、“杖”で刺突しにかかって来たワルドの攻撃を往なす。

「それは……!?」

 ワルド子爵の顔が驚愕に大きく歪む。

 どこからともなく、槍が出て来たのだから驚くのは当然のことだろう。

 さらに、この朱い魔槍からは膨大かつ高密度な“魔力”が発せられており、周囲の空気や空間を震わせ、歪めているといっても良いだろうか。

 それが間近にあるということもあって、肌で感じ取ることができるほどであり、“宝具”を知らない彼からすると未知の脅威その物であると言えるだろう。

「まあ、安心すると良い、ワルド子爵。俺は“マスター”さえ守ることができれば特にちょっかいを出しはしない。ついでに言えば、ルイズたちもだ。彼女らに手を出すのなら」

「ど、どうすると言うのかな?」

「この槍が、貴様の心臓を貫くだろうさ」

 俺の言葉に、ワルドは冷や汗を流す。

 そして――。

「ハハッ、嫌だな。別になにもしないよ。僕はただ、ルイズの婚約者として……」

「なら良い。で、続けるか?」

「いや、止めておくよ」

 乾いた笑い声を上げるワルド。

 彼の身体は大きく、恐怖などから震えてしまっているのがわかる。

 失禁しないだけでも、彼は十分に強い存在だと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその夜……。

 2つの月が重なる晩の翌日、“アルビオン”が“ラ・ロシェール”に1番近い場所に来るという理由から“フネ”が出港する。

 次の日の朝は早いということもあり、シオンはベッドに横たわっているが、流石に時間が早い訳で、眠れずにいる様子だ。いや、それだけではないのだろう。

 寝よう寝ようとしているのだろう、先ほどから「うんうん」と唸り続けている彼女だが、やはり眠ることができないでいる。

「無理に寝る必要はない。そのうち、気付いた時には寝てしまっていたなんて状態になるだろうさ」

「そう、なのかな……?」

 俺の言葉に、小さな声で反応を返すシオン。

 やはり、単純に時間が早いから眠れないというだけでなく、他にもなにか気がかりなことがある為に眠ることができない様子を見せているのがわかる。

「ルイズと才人、そして“アルビオン”にいる彼らのことか?」

「うん……」

 そうして話を聞こうとするのだが、そこで周囲の“魔力”などの流れが変化する――何者かが近付き、そして“魔法”を使用したことを感じ取る。

「シオン」

「どうしたの?」

「何者かが……いや、見知った顔の、お呼びでないお客さんが来たようだ。準備をしろ」

 俺の言葉に、首肯き服を着替え、シオンは“杖”を握った。

 そうして少しばかり経つと、「うわ!?」といった才人の驚く声が聞こえて来た。

 俺とシオンは窓の外へと目を向けると、月明かりをバックに、動いている巨大ななにかを目にする。

 30“メイル”ほどはあるだろう巨大な土“ゴーレム”であり、それだけ大きな“ゴーレム”を操ることができる“メイジ”はそうそういはしない。そして、そんな“メイジ”を俺たちは知っている。

 巨大“ゴーレム”の肩の上に、長い髪を風にたなびかせながら誰かが座っているのが見えた。

 そして、才人とルイズのほぼ同時の「フーケ!」といった叫び声が聞こえて来た。

 俺は空間を“置き換え”、俺とシオンは宿屋の外――フーケの“ゴーレム”の前へと転移をする。

「感激だわ。覚えててくれたのね」

「お前、牢屋に入っていたんじゃあ……」

 “ゴーレム”の肩の上に座った人物――フーケが嬉しそうな声で言い、才人はデルフリンガーを握りながら言った。

「脱獄か……」

「――!? いつのまに……貴男たちも久し振りね。そう。親切な人がいてね。私みたいな美人はもっと世の中の為に役に立たなくてはいけないと言って、出してくれたのよ」

 フーケは俺とシオンが現れた事に驚きはしたものの、即座に気持ちを切り替え嘯いて言った。

 フーケの隣に黒マントを纏った“貴族”らしき男性がいる。状況などからすると、彼がフーケを脱獄させたのだろう。

「……お節介な奴がいるもんだな。で、なにしに来やがった」

 才人は左手でデルフリンガーの柄を握り、彼女らへと問いかけた。

「素敵なバカンスをありがとうって、お礼を言いに来たんじゃないの!」

 フーケの目が吊り上がり、狂的な笑みを浮かばせる。

 それと同時に、フーケの巨大な“ゴーレム”の拳が唸り、才人とルイズがいるだろう部屋にあるベランダの手摺を粉々に破壊した。

 硬い岩でできた手摺だが、岩でできた“ゴーレム”から繰り出される拳の威力の方が高く強い。どうやら、以前のそれより強化されているようである。

「ここらは岩しかないからね。土がないからって、安心しちゃ駄目よ!」

「誰も安心してねえよ!」

 才人はルイズの手を掴むと、駆け出す。部屋を抜け、1階へと階段を駆け下りた。

 それをただ見送るということは当然なく、フーケの岩“ゴーレム”はもう1度彼らのいる部屋へと拳を向ける。

 が、俺は即座に“破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)”と“必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)”を“投影”し、それと同時にその両方に“風王結界(インビジブル・エア)”を纏わせ、不可視の槍へと変化させ、一跳躍し、“ゴーレム”の拳を弾く。

 “ゴーレム”の、“破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)”に触れた部分は元の岩の塊へと戻り、ゴロゴロボロボロと地面へと落ちた。

「な、なに!? いったいどういう?」

 その様子を前に、フーケは驚きの声を上げ、動揺を隠せずにいる。彼女の隣にいる男性“メイジ”も同様だ。

 

 

 

 才人とルイズが下りた先の1階もまた、修羅場と言える状況になっていた。いきなり玄関から現れた傭兵の一隊が、1階の酒場で呑んでいたワルドたちを襲ったようである。

 ギーシュ、キュルケ、タバサにワルドが“魔法”で応戦しているが、やはり多勢に無勢であり、どうやら“ラ・ロシェール”中の傭兵が束になってかかって来ているらしく、手に負えない様子である。

 キュルケたちは床と一体化したテーブルの足を折り、それを立てて盾にして、傭兵たちに応戦している。

 歴戦の傭兵たちは、“メイジ”との戦いに慣れているのだろ、初戦でキュルケたちの“魔法”の射程を見極めると、まず、“魔法”の射程外から矢を射掛けて来たのである。暗闇を背にした傭兵たちに、地の利があり、屋内の一行は分が悪いと言えるだろう。

 “魔法”を唱えようと立ち上がろうものなら、矢が雨のように飛び降って来る。

 才人とルイズはテーブルを盾にしたキュルケたちの下に、姿勢を低くして駆け寄って、上にフーケがおり、シオンたちが応戦していることを伝えた。しかし、巨大“ゴーレム”の脚が、吹き晒しの向こうに見えており、伝える必要はなかったのだが。

 他の“貴族”の客たちは、カウンターの下で震えてしまっている。

「参ったね」

 ワルドの言葉に、キュルケが首肯く。

「やっぱり、この前の連中は、ただの物取りじゃなかったわね」

「あのフーケがいるってことは、“アルビオン貴族”が後ろにいるということだな」

 キュルケが、“杖”を弄りながら呟いた。

「……奴らはチビチビとこっちに“魔法”を使わせて、“精神力”が切れたところを見計らって一斉に突撃して来るわよ。そしたらどうすんの?」

「僕の“ゴーレム”で防いでやる」

 ギーシュが少し青褪めながら言うが、キュルケは淡々と戦力を分析して言った。

「ギーシュ、あんたの“ワルキューレ”じゃあ、1個小隊くらいが関の山ね。相手は手練の傭兵たちよ?」

「やってみなくちゃわからない」

「あのねギーシュ。あたしは戦のことなら、貴男よりちょっとばっか専門家なの」

「僕はグラモン元帥の息子だぞ。卑しき傭兵如きに遅れを取ってなるものか」

「ったく、“トリステイン”の“貴族”は口だけは勇ましいんだから。だから戦に弱いのよ」

 ギーシュは立ち上がって、“呪文”を唱えようとした。が、ワルドがシャツの裾を引っ張って、それを制した。

「良いか諸君」

 ワルドは低い声で言い、才人たちは黙って彼の声に首肯く。

「このような任務は、半数が目的地に辿り着ければ、成功とされる」

 この時でも優雅に本を広げていたタバサが本を閉じ、ワルドの方を向き、自分とキュルケと、ギーシュを“杖”で指して「囮」と呟いた。それからタバサは、ワルドとルイズと才人を指して、「シオンとセイヴァーと共に、桟橋へ」と呟く。

「時間は?」

「今直ぐ」

 ワルドがタバサに尋ね、彼女は即答をする。

「聞いての通りだ。裏口に回るぞ」

「え? え? ええ!?」

 ルイズと才人は驚いた声を上げた。

「今からここで彼女たちが敵を惹き付ける。せいぜい派手に暴れて、目立って貰う。その隙に、僕らは裏口から出てシオンとセイヴァーと合流し、桟橋に向かう。以上だ」

「で、でも……」

 才人はキュルケたちを見た。

 キュルケが魅力的な赤髪を掻き上げ、つまらなさそうに、唇を尖らせて言った。

「ま、仕方ないかなって。あたしたち、貴方たちがなにしに“アルビオン”に行くのかすら知らないもんね」

 ギーシュは薔薇の造花を確かめ始めた。

「うむむ、ここで死ぬのかな。どうなのかな。死んだら、姫殿下とモンモランシーには逢えなくなってしまうな……」

 タバサは才人とルイズに向かって首肯いた。

「行って」

「でも……」

「良いから早くから行きなさいな。帰って来たら……キスでもして貰おうかしら」

 キュルケは才人を促し、ルイズへと向き直る。

「ねえ、ヴァリエール。勘違いしないでね? あんたの為に囮になるんじゃないんだからね」

「わ、理解ってるわよ」

 ルイズはそれでも、キュルケたちにペコリと頭を下げた。

 才人たちは低い姿勢で、歩き出した。

 矢がヒュンヒュンと飛んで来るが、タバサが“杖”を振り、風の防御壁を張って防ぐ。

 

 

 

 酒場から厨房に出て、才人たちが通用口に辿り着くと、酒場の方から派手な爆発音が聞こえて来た。

「……始まったみたいね」

 ルイズが言った。

 ワルドはピタリとドアに身を寄せ、向こうの様子を探った。

「誰もいないようだ」

 ドアを開け、3人は夜の“ラ・ロシェール”の街へと躍り出た。

「桟橋はこっちだ」

 ワルドは先頭を行く。ルイズが続き、才人が殿を受け持つ。

 月が照らす中、3人の影法師が、遠く、低く伸び、そのしばらく後に2つの影が追った。



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白の国――浮遊大陸アルビオン

 裏口の方へと才人たちが向かったことを確かめると、キュルケがギーシュに命じた。

「じゃあおっ始めますわよ。ねえギーシュ、厨房に油の入った鍋があるでしょ?」

「揚げ物鍋のことかい?」

「そうよ。それを貴男の“ゴーレム”で取って来てちょうだい」

「お安い御用だ」

 ギーシュは、テーブルの陰で薔薇の造花を振った。

 花弁が舞い、“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”が現れ、それはピョコピョコと厨房に走った。

“ワルキューレ”目がけて矢が放たれるが、柔らかい青銅の鎧に何本もの鋼鉄の鏃が減り込み、よろめく。が、なんとかカウンターの裏の厨房に辿り着き、油の鍋を掴んだ。

「それを、入口に向かって投げて?」

 キュルケは、手鏡を覗き込んで、化粧を直しながら呟いた。

「こんな時に化粧をするのか。君は」

 ギーシュが呆れた声で言いながら、“ワルキューレ”を操り、言われた通りに鍋を入口に向かって投げ入れさせる。

 それと同時に、キュルケは“杖”を掴んで立ち上がる。

「だって歌劇の始まりよ? 主演女優が素っぴんじゃ……」

 油を撒き散らしながら空中を跳ぶ鍋に向かって、キュルケは“杖”を振る。

「締まらないじゃないの!」

 キュルケの“魔法”で鍋の中の油が引火して、“女神の杵亭”の入り口の辺りに炎を振り撒いた。

 それにより、どよめきが起こる。今仕方、突撃を敢行しようとした傭兵の一隊が、突然現れた燃え盛る炎にたじろいだ。

 キュルケは色気たっぷりの仕草で“呪文”を“詠唱”し、再び“杖”を振る。

 すると炎はますます燃え盛り、入り口でたたらを踏んだ傭兵たちに燃え移る。炎に巻かれて、傭兵たちはのた打ち回った。

 立ち上がったキュルケは、優雅に髪を掻き上げ、“杖”を掲げた。

 そんな彼女目がけて矢が何本も飛ぶが、タバサの“風”の“魔法”が、その矢を逸す。

「名もなき傭兵方。貴方方がどうして、あたしたちを襲うのか、まったくこちとら存じませんけども」

 降りしきる矢嵐の中、キュルケは微笑を浮かべて一礼した。

「この“微熱のキュルケ”、謹んでお相手仕りますわ」

 

 

 

 巨大“ゴーレム”の肩の上で、フーケは舌打ちをした。

 眼の前の青年とその主である少女による足止め、突撃を命じた一隊が炎に巻かれて大騒ぎになっているのである。

 隣に立った仮面に黒マントの“貴族”に、フーケは呟いた。

「ったく、やっぱり金で動く連中は使えないわね。あれだけの炎で大騒ぎじゃないの」

「あれで良い」

「あれじゃあ、あいつらをやっ付けることなんかできないじゃないの!」

「倒さずとも、構わぬ。分散すれば、それで良い」

 仮面に黒マントの“貴族”は俺を見ながら、そう口にした。

「あんたはそうでも、私はそうはいかないね。あいつらのおかげで、恥を掻いたからね」

 フーケの言葉に、マントの男は応え無い。

 そして、男は耳を澄ますようにして立ち上がると、フーケに告げた。

「良し、俺はラ・ヴァリエールの娘を追う」

「私はどうすんのよ?」

 フーケは呆れた声で言った。

「好きにしろ。そいつらを相手にするのも、残った連中を煮ようが焼こうが、お前の勝手だ。合流は例の酒場で」

 男はヒラリと“ゴーレム”の方から飛び降りると、暗闇の中に消えるようにして離れて行く。まsない、闇夜に吹く夜風のように、柔らかく、それでいてヒヤッとさせるような動きだと言えるだろう。

「ったく、勝手な男だよ。なに考えてんだが、ちっとも教えてくれないんだからね」

 フーケは苦々しげに呟き、俺たちを警戒している。

『さて、どうする“マスター”?』

『当然――』

「ええいもう! 頼りにならない連中ね!」

 フーケはそう怒鳴り、“杖”を振る。

 それに従い、岩で出来た“ゴーレム”がもう一体出現し、それが酒場の入り口へと近付く。そして、拳を振り上げて、入り口にそれを叩き付けようとした。

 

 

 

 酒場の中から、キュルケとタバサは炎を操り、外の傭兵たちを散々に苦しめた――撃退した。矢を射掛けて来た連中も、タバサの風が炎を運び始めると、弓を放り出して逃げて行くのだ。

「おっほっほ! おほ! おっほっほ!」

 キュルケは勝ち誇って、笑い声を上げた。

「見た? わかった? あたしの炎の威力を! 火傷したくなかったらお家に帰りなさいよね! あっはっは!」

「良し、僕の出番だ」

 良いところがまったくなかったと言えるギーシュだが、炎の隙間から浮足立った敵目がけて“ワルキューレ”を突っ込ませようと立ち上がった時……。

 轟音と共に、建物の入口がなくなった。

「――え?」

 モウモウと立ち込める土埃の中に、巨大“ゴーレム”2体の姿が浮かび上がった。1体は倒れており、もう1体は奥の方にいる。

 倒れていた“ゴーレム”の躰はボロボロと崩れ去り、元の岩どころか無数の砂粒へと変わる。

「あちゃあ。忘れてたわ。あの業突く張りのお姉さんがいたんだっけ」

 キュルケが舌を出して呟いた。

「すまない。加減を間違えた」

「大丈夫」

 店の中にいるだろう皆へと、俺は聞こえるだろう程度の大きさの声で謝罪の言葉を投げる。

 それに返事をするタバサの声、そして感じ取れる情報から本当に問題はないのだろう。

「調子に乗るんじゃないよッ! 小僧どもがッ! 纏めて潰してやるよッ!」

 “ゴーレム”の肩の上に立っているフーケが、目を吊り上げて怒鳴る。

「行って」

「良いのか?」

「大丈夫」

 タバサは短く、俺とシオンに、先に行った3人と合流するように促した。

 確認の言葉にも。短く応えるタバサに俺は首肯き、空間を“置換”し、シオンと共にこの場を離れる。

 

 

 

「どうする?」

 キュルケは、タバサの方を見た。が、彼女は両手を広げ、首を横に振る。

 ギーシュは、巨大“ゴーレム”を見て、激しくパニックに陥ったのだろう、喚き出した。

「諸君! 突撃だ! 突撃! “トリステイン貴族”の意地を今こそ見せる時である! 父上! 見ててください! ギーシュは今から男になります!」

 “ゴーレム”に向かって駆け出したギーシュの足を、タバサが“杖”で引っかけ、彼は派手にすっ転んだ。

「なにをするんだね!? 僕を男にさせてくれ! 姫殿下の名誉の為に、薔薇と散らせてくれ!」

「良いから逃げるわよ」

「逃げない! 僕は逃げません!」

「……貴男って、戦場で真っ先に死ぬタイプなのね」

 タバサは近付く“ゴーレム”を見て、なにか閃いたのか、ギーシュの裾を引っ張る。

「なんだね?」

「薔薇」

 ギーシュが持った薔薇の造花を指さすタバサ。そして、彼女はそれを振る仕草をして見せた。

「花弁。沢山」

「花弁がどーしたね!?」

 ギーシュは怒鳴ったが、直ぐにキュルケに耳を引っ張られる。

「良いからタバサの言う通りにして!」

 その剣幕に、ギーシュは造花の薔薇を振った。

 大量の花弁が宙を舞い、タバサが“魔法”の“呪文”を唱え、舞った花弁が彼女の風の“魔法”に乗り、“ゴーレム”に絡み付く。

「花弁を“ゴーレム”にまぶしてどーするんだね? ああ綺麗だね!」

 ギーシュが怒鳴るが、気にした風もなくタバサはポツリと呟き彼に命じた。

「“錬金”」

 “ゴーレム”の肩の上に乗っているフーケは鼻を鳴らし、「なによ。贈り物? 花弁で着飾らせてくれたって、手加減なんかしないからね!」と叫び、“ゴーレム”に拳による攻撃を命じる。一撃でキュルケたちが盾代わりにしているテーブルごと彼女らを潰すつもりであった。

 その時、纏わり付いている花弁が、ヌラッとなにかの液体に変化し、油の匂いが立ち込める。

 即座に状況を見抜き、「やばい」とフーケは思ったが、手遅れであった。

 キュルケの唱えた“炎球”が、フーケの“ゴーレム”目がけて飛ぶ。

 そして、一瞬で巨大“ゴーレム”はブワッと炎に包まれた。燃え盛る炎に耐え切れず、“ゴーレム”が膝を突く。暫くためらうようにして暴れる“ゴーレム”だが、そのうちに地面へと崩れ落ちた。

 自分の雇い主が敗北したのを見届けると、蜘蛛の子を散らすように傭兵たちは逃げ散って行く。

 キュルケたちは手を取り合って喜ぶ。

「やったわ! 勝ったわ! あたしたち!」

「ぼ、僕の“錬金”で勝ちました! 父上! 姫殿下! ギーシュは勝ちましたよ!」

「タバサの作戦で勝ったんじゃないの!」

 キュルケが、ギーシュの頭を小突く。

 轟々と燃え尽きようとする“ゴーレム”をバックに、物凄い形相のフーケが立ち上がった。

「よ、よくもあんたら、2度までもこのフーケに土を付けたわね……」

 見るも無残な格好と言えるだろう。長く、美しかった髪はチリヂリに焼け焦げ、ローブは炎でボロボロになっている。顔は煤で真っ黒になり、美人が台なしといった体であった。

「あら、素敵な化粧じゃない。おばさん。貴女には、そのくらい派手な化粧が似合ってよ? なにせ年だしね」

 キュルケは、とどめとばかりにフーケへと目がけて“杖”を振った。が、先ほどまでの戦いで、“魔法”を唱える“精神力”は消耗し切っているのだろう、ボッと小さな炎が飛び出て直ぐに消えたるだけである。

 キュルケは、頭を掻いて「あら、打ち止め?」と呟く。

 それはタバサもギーシュも同じようであり、フーケも同様であった。“魔法”を唱えずに、真っ直ぐに向かって歩いて来るのだから。

「年ですって? 小娘が! 私はまだ23よッ!」

 フーケは拳を握り締め、キュルケに殴りかかる。そして、キュルケもまた思い切り殴り返す。

 2人はあられもない格好で殴り合いを始めた。

 タバサは座り込むと、「もう興味はない」といった風に本を読み始める。

 ギーシュは、美人同士の殴り合いを、ほんのりと顔を赤らめて見守った。

 遠巻きにその様子を見ていた傭兵たちは、早速どちらが勝つかで賭けを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キュルケがフーケと殴り合いをしている頃、桟橋へと才人たちは走っていた。

 月明かりで道は明るい。

 とある建物の間の階段にワルドは駆け込むと、そこを上り始める。

「桟橋なのに、山を登るんですか?」

 才人は質問するが、ワルドは答えない。

 長い、長い階段を上ると、丘の上に出る。

 現れた光景を見て、才人は息を呑んだ。

 巨大な樹が、四方八方に枝を伸ばしているのだ。大きさは山程あるだろう。夜空に隠れて、頂上を見ることはできない。

 そして……目を凝らすと樹の枝にはそれぞれ、大きななにかがぶら下がっているのが判る。“フネ”である。飛行船のような形状で、枝にぶら下がっているのであった。

「これが桟橋? そしてあれが船?」

 才人が驚いた声で言うと、ルイズが怪訝な顔で訊き返した。

「そうよ、あんたの世界じゃ違うの?」

「桟橋も船も、海にある」

「海に浮かぶ船もあれば、空に浮かぶ“フネ”もあるわ」

 ルイズは事もなげに言った。

 ワルドは、樹の根本へと駆け寄る。

 樹の根本は、巨大なビルの吹き抜けのホールのように空洞になっている。そのことから、枯れた大樹の幹を穿って造ったモノらしいことがわかる。

 夜ということもあって、人影はない。

 各枝に通じる階段には、鉄で出来たプレートが張られている。駅のホームを知らせるプレートのようなモノだろう。

 ワルドは、目当ての階段を見付けると、駆け上り始めた。

 木で出来た階段は、一段ごとに撓り、手摺が付いてはいるものの、老朽化しており心許ない。

 階段の隙間、闇夜の眼下に、“ラ・ロシェール”の街の灯りが見える。

 途中の踊り場で、後ろから追い縋る足音に才人は気付いた。

 才人が振り向くのと同時に、黒い影がサッと翻って彼の頭上を跳び越し、影はルイズの背後に立った。

 才人はデルフリンガーを引き抜くと同時に、ルイズに怒鳴る。

「ルイズ!」

 ルイズが振り向く。が、一瞬で影――男はルイズを抱え上げた。

「きゃあ!?」

 ルイズは悲鳴を上げた。

 才人はデルフリンガーを振り被ったが、このまま振り下ろしてしまえばルイズを叩き斬ってしまうために躊躇した。

 その隙を見逃すことなく、男は軽業師のようにルイズを抱えたまま後ろへと、そのまま地面へと落下するような動きでジャンプする。

 才人は動くことができず、そのまま立ち竦む。

 その横でワルドが、引き抜いた“杖”を振る。

 仮面の男は、以前才人が吹き飛ばされたのと同じ風の槌に強かに打ち据えられ、ルイズから手を離した。

 男はそのまま階段の手摺を掴んだが、ルイズは地面に真っ直ぐ落下して行ってしまう。

 間髪入れずにワルドは階段の上から飛び降りると、ルイズ目がけて急降下した。それから、落下中のルイズを抱き留め、空中に浮かんでみせる。

 白仮面の男は、再び階段の上に身体を撚って飛び乗り、才人と対峙した。

 背格好はワルドと同程度であり、彼は腰から黒塗りの“杖”を引き抜く。

 才人はルイズの無事を確かめると、デルフリンガーを構える。

 男は“杖”を振り、彼の頭上の空気が冷え始め、ヒンヤリとした空気が才人の肌を刺す。

 男はなおもくぐもった声で“呪文”を唱えた。

「“ライトニング・クラウド”!」

 才人はデルフリンガーを振り被ったが、それと同時にデルフリンガーが叫んだ。

「相棒! 構えろ!」

 “呪文”の正体に気付いたデルフリンガーが叫ぶ。

 が、才人が身構えたその瞬間、空気が震えた。バチン! と弾け、男の周辺から、稲妻が伸びて、才人の身体に直撃する。したたかに身体に通電し、才人は階段に崩れ落ちてしまう。

「ぐぁああああああああ!」

 才人は呻いた。電撃の痕だろう、彼が着ている服の左腕部分が焦がされ大火傷をしており、痛みと驚きで彼は失神した。

 ルイズを抱き抱えたワルドが“フライ”の“呪文”を唱えつつ、階段の上に降り立つ。

「サイト!」

 倒れた才人を見て、ルイズが叫ぶ。

 ワルドは舌打ちすると、仮面の男に向かって、“杖”を振った。風の槌――“エア・ハンマー”の“呪文”である。

 空気が目に見えぬ塊となり、仮面の男を吹き飛ばす。が、彼は宙でクルリと身体を回転させ、見事に着地をした。

「――!?」

 が、そこに俺が射った“魔力”の矢が、仮面の男に命中し、彼は意識外からの攻撃に対処できず吹き飛ぶ。そして、階段への着地に失敗し、足を踏み外して今度こそ地面へと落下した。

 ワルドの腕から離れ、ルイズは倒れた才人へと駆け寄り、慌てて彼の胸に耳を当てる。

 しっかりと鼓動は聞こえて来ており、命に別状はないことがわかる。

 才人は「う、うーん」と呻くと同時に目を開き、苦しそうに立ち上がる。

「な、なんだあいつ……しかし、痛てぇ……くッ!」

「無事でなによりだ」

「大丈夫?」

 俺とシオンが彼へと近寄る。

 五体は満足ではあるが、火傷やそれによる痛み、一時的な気絶などからのフラつきなどもあって、まだハッキリ大丈夫とは言い切れないだろう。

「あ、ありがとう2人とも……」

 苦しそうにしながらも、才人は俺たちに礼の言葉を述べた。

「今の“呪文”は“ライトニング・クラウド”。“風系統”の強力な“呪文”だ。あいつ、相当の使い手のようだな」

「くッ! つぅ……」

 デルフリンガーが心配そうに言い、才人は苦痛で顔を歪める。

 ワルドが才人の様子を確かめる。

「しかし、腕で済んで良かった。本来なら、命を奪うほどの“呪文”だぞ。ふむ……この剣が、電撃を和らげたようだな。良く理解らんが、金属ではないのか?」

「知らん、忘れた」

 ワルド子爵の質問に、デルフリンガーが答えた。

「“インテリジェンスソード”か。珍しい代物だな」

 才人は唇をギリッと噛んだ。

 

 

 

 少し休憩して、階段を駆け上がった先は、1本の枝が伸びていた。

 その枝に沿って、1艘の“フネ”……が停泊している。空中で浮かぶためだろう、舷側に羽が突き出ている。上からロープが何本も伸び、上に伸びた枝に吊るされているのが見える。

 俺たちが乗った枝からタラップが甲板に伸びている。

 俺たちが船上に現れると、甲板で寝込んでいた船員が起き上がった。

「な、なんでぇ? おめぇら?」

「船長はいるか?」

「寝てるぜ。用があるなら、明日の朝、改めて来るんだな」

 男はラム酒の壜をラッパ飲みにしながら、酔って濁った目でワルドの質問に答えた。

 ワルドは応えずに、スラリと“杖”を引き抜いた。

「“貴族”に2度同じことを言わせる気か? 僕は船長を呼べと言ったんだ」

「き、“貴族”!」

 船員は立ち上がると、船長室にすっ飛んで行く。しばらくして、寝惚け眼の初老の男を連れて戻って来た。

「なんの御用ですかな?」

 船長は胡散臭げにワルド子爵を見詰め、質問する。

「女王陛下の“魔法衛士隊”隊長、ワルド子爵だ」

 船長の目が丸くなり、相手が身分の高い“貴族”と知り、急に丁寧な言葉遣いへと変えて言った。

「これはこれは。して、当船へどういった御用向きで……?」

「“アルビオン”へ。今直ぐ出港して貰いたい」

「無茶を!」

「勅命だ。“王室”に逆らうつもりか?」

「貴男方がなにしに“アルビオン”に行くのかこっちは知ったこっちゃありませんが、朝にならないと出港できませんよ!」

「どうしてだ?」

「“アルビオン”が最もここ、“ラ・ロシェール”に近付くのは朝です! その前に出港したんでは、“風石”が足りませんや!」

「“風石”って?」

 才人が尋ね、船長が「“風石”も知らんのか?」といった顔付きになって答えた。

「“風”の“魔法力”を蓄えた石のことさ。それで“フネ”は宙に浮かぶんだ」

 それから船長は、ワルドに向き直った。

「子爵さま。当船が積んだ“風石”は、“アルビオン”への最短距離分しかありません。それ以上積んだら足が出ちまいますゆえ。従って、今は出港できません。途中で地面に落っこちてしまいまさあ」

「“風石”が足りぬ分は、僕が補う。僕は“風”の“スクウェア”だ」

「私も手伝います。“風系統”に関しては“ラインクラス”ですが……」

 ワルドとシオンの言葉を受けて船長と船員は顔を見合わせ、船長はワルドへと向き直り首肯いた。

「ならば結構で。料金は弾んで貰いますよ」

「積荷はなんだ?」

「硫黄で。“アルビオン”では、今や黄金並みの値段が付きますんで。新しい秩序を建設なさっている“貴族”の方々は、高値を付けてくださいます。秩序の建設には火薬と火の秘薬は必需品ですのでね」

「その運賃と同額を出そう」

 船長は小狡そうな笑みを浮かべて首肯いた。

 商談が成立したので、船長は矢継ぎ早に命令を下す。

「出港だ! 催合を放て! 帆を打て!」

 ブツブツと文句を言いながらも、良く訓練された船員たちは船長の命令に従い、“フネ”を枝に吊るした催合網を解き放ち、横静索に攀じ登り、帆を張った。

 戒めが解かれた“フネ”は、一瞬、空中に沈んだが、発動した“風石”の力で宙に浮かぶ。

 帆と羽が風を受け、ブワッと張り詰め、“フネ”が動き出す。

 ワルドが「“アルビオン”にはいつ着く?」と尋ねると、船長は「明日の昼過ぎには、“スカボローの港”に到着しまさあ」と答えた。

 才人は舷側に乗り出し、地面を見た。

 大樹の枝の隙間に見える“ラ・ロシェール”の灯りが、グングンと遠くなって行くことからも、結構なスピードを出していることが理解る。

 ルイズが才人に近寄り、彼の肩に手を置く。

「ねえサイト、傷は大丈夫?」

 ルイズが心配そうに覗き込む。

「触るな」

 が、才人はその手を跳ね除けた。

「なによ! 心配して上げてるのに!」

 ルイズは顔色を変え、声を荒げる。

 そんな2人の元へ、ワルドが寄って行く。

「船長の話では、“ニューカッスル”付近に陣を配置した王軍は、攻撃囲されて苦戦中のようだ」

 そんなワルド子爵の言葉に、ルイズはハッとした顔になり、シオンは自分の眼の前でそれが起きて危機に直面でもしているかのような表情を浮かべた。

「ウェールズ皇太子は?」

 ルイズからの質問に、ワルドは首を横に振った。

「わからん。生きてはいるようだが……」

 ワルドのその言葉に、シオンはどうにか胸を撫で下ろした。

「どうせ、港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう?」

「そうだね」

「どうやって、“王党派”と連絡を取れば良いのかしら?」

「陣中突破しかあるまいな。“スカボロー”から、“ニューカッスル”までは馬で1日だ」

「反乱軍の間を摺り抜けて?」

「そうだ。それしかないだろう。まあ、反乱軍も公然と“トリステイン”の“貴族”に手出しはできんだろう。隙を見て、包囲戦を突破し、“ニューカッスル”の陣へと向かう。ただ、夜の闇には気を付けないといけないがな」

 ルイズは緊張した顔で首肯き、そして尋ねる。

「そう言えば、ワルド、貴男の“グリフォン”はどうしたの?」

 ワルドは微笑み、舷側から身を乗り出し口笛を吹く。

 すると、下から“グリフォン”の羽音が聞こえて来た。そして、そのまま甲板に着陸し、船員たちを驚かせた。

 才人は「“フネ”じゃなくって、あの“グリフォン”で行けば良いじゃねえか」と言うが、「“竜”じゃあるまいし、そんなに長い距離は、飛べないわ」とルイズが答えた。

 才人は舷側に座り込み、深く目を閉じた。

 俺は、ワルドの“使い魔”である“グリフォン”を撫でながら、これから起こるであろう出来事に関する記憶や知識などを整理する。

(今のところは、問題ない……)

 次いで、自身の身体の状態を確認する。

 “マスター”であるシオンとの繋がり問題にない。“サーヴァント”である自身の身体を構成している“架空第五元素”である“エーテル”もまた問題なし。疑似神経である“魔術回路”にも問題ない。全“スキル”の使用問題なし。“宝具”の使用問題なし。

 詰まり、“マスター”であるシオンの“使い魔”としての能力に問題などないということである。

 異常という異常は無い。

 そうしていると、“フネ”を動かす船員たちを除いた皆は就寝し始める。当然、シオンやワルド、ルイズも、だ。

 俺は、自身の身体を“霊体化”させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽の眩しい光が発せられ、“千里眼”を使わずに視認するのであれば、遠くにボンヤリとだが何かが浮かんでいるのが見える。

「“アルビオン”が見えたぞ!」

 船員たちが声を上げ、その声でようやく目を覚ましたのだろう才人が舷側から下を覗き込んで白い雲を見ている。そうして、寝惚け眼を擦った後にルイズを起こし始めた。

「どこにも陸地なんてないじゃないかよ」

 才人がそう呟くと。ルイズが「あそこよ」と俺が見ている方向へと指さした。

「はぁ?」

 ルイズが指さす方へと振り仰ぐ才人だが、彼は圧倒されたのだろう息を呑んだ。

 そこに浮かんでいるのは、巨大としか言えないモノだ。雲の切れ間から、黒々と大陸が覗いているのである。視界の続く限り伸びており、地表には山が聳え、川が流れているのが見える。

「驚いた?」

 ルイズが才人に言った。

「ああ、こんなの、見たことねえや」

 才人は口をポカンと開けて、間抜けのように立ち尽くした。

 無理もないことだろう。“地球”では、空を飛ぶモノは幾つもありはするが、島が、況してや大陸が浮かんでいるなどということはない――物理的な理由などからしてありえないのだから。

 だが、この世界――“ハルケギニア”は“地球”と比べて“魔力”が、“地球”の“神代”の時のモノほどではないにしろ多く、濃い。これくらいはあってもなんら可怪しくはないだろう。

「“浮遊大陸アルビオン”。ああやって、空中を浮遊して、主に大洋の上を彷徨っているわ。でも、月に何度か、“ハルケギニア”の上にやって来る。大きさは“トリステイン”の国土ほどもあるわ。通称“白の国”」

 才人の疑問に、ルイズは大陸を指さして言った。

 そこでは、大河から溢れた水が、空に落ち込んでいるのが判る。その際に、白い霧となって、大陸の下半分を包んでいたのである。霧は雲となり、大雨を広範囲にわたって“ハルケギニア”の大陸に降らすのである。そう簡単にルイズは説明をした。

「地上から約3,000メイル、“始祖ブリミル”が子息が興された国……首都“ロンディニウム”、王城“ハヴィランド宮殿”……」

 そんなシオンの呟きに、才人は驚いた表情を浮かべ、彼女へと振り向いた。

 その時、鐘楼に上っている見張りの船員が、大声を上げた。

「右舷上方より、“フネ”が接近して来ます!」

 才人を始め、ルイズとシオンを含めた3人は言われた通りの方向を見る。

 そこから、“フネ”が一隻近付いて来ており、その大きさはこの“フネ”と比べ一回り大きい。舷側に空いた穴からは、大砲が突き出ているのが見える。

「へえ、大砲なんかあるんか」

 才人は惚けた声で感想を漏らした。

 が、ルイズとシオンは眉を潜める。

「嫌だわ。反乱勢……“貴族派”の軍艦かしら」

「…………」

 

 

 

 後甲板で、ワルドと並んで操船の指揮を執っていた船長は、見張りが指さした方向を見上げた。

 黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う艦を想起させて来る。こちらにピタリと20数個ほどもある並んだ砲門を向けて来ているのが見えるだろう。

「“アルビオン”の“貴族派”か? お前たちの為に荷を運んでいる“フネ”だと、教えてやれ」

 見張員は、船長の指示通りに手旗を振った。がしかし、黒い“フネ”からはなんの返信もない。

 副長が駆け寄って来て、青褪めた顔で船長に告げた。

「あの“フネ”は旗を掲げておりません!」

 その言葉を聞いた船長の顔もまた、見る見るうちに青褪めて行く。

「して見ると、く、空賊か?」

「間違いありません! 内乱の混乱に乗じて、活動が活発になっていると聞き及びますから……」

「逃げろ! 取舵一杯!」

 船長は“フネ”を空賊と思しき“フネ”から遠避けようと命令を下す。が、時既に遅しというモノであり、黒船は併走をし始めている。

 脅しだろう1発を、こちらの“フネ”の針路目がけて放ったのだろう。ボゴン! と鈍い音がして、砲弾が雲の彼方へ消えて行く。

 黒船のマストに、四方の旗旒信号がスルスルと登る。

「停船命令です、船長」

 船長は苦渋の決断を強いられた。

 この“フネ”だって武装がない訳ではない。が、移動式の大砲が、3問ばかり甲板に置いてある程度に過ぎないのである。

 20数問も片舷側にズラリと大砲を並べたあの“フネ”の火力からすれば、役に立たない飾りのようなモノであると言える。

 助けを求めるように、隣に立ったワルド子爵を見つめる。

「“魔法”は、この“フネ”を浮かべるために打ち止めだよ。恐らく彼女もそうだろうね。あの“フネ”に従うんだな」

 ワルドは、落ち着き払った声で言った。

 船長は口の中で「これで破産だ」と呟くと、命令をした。

「裏帆を打て。停船だ」

 

 

 

 いきなり現れて大砲を撃っ放した黒船と、行き足を弱め停船した自船の様子に怯えて、ルイズは思わず才人に、シオンは俺に寄り添った。

 彼女たちは不安そうに、後ろから黒船を見つめている。

「空賊だ! 抵抗するな!」

 黒船から、メガホンらしきモノを持った男が怒鳴った。

「空賊ですって?」

 ルイズが驚きと恐怖を混ぜた声で言った。

 対するシオンは、男性の声に懐かしさを覚えているといった表情を浮かべる。

 黒船の舷側に弓やフリントロック・ピストルを持った男たちが並び、こちらに狙いを定めた。鈎の付いたロープが放たれ、俺たちの乗っている“フネ”の舷側に引っかかる。手に斧や曲刀などの獲物を持った屈強な男たちが、“フネ”の間に張られたロープを伝ってやって来る。その数凡そ数十人だ。

 才人はデルフリンガーを握ったが、昨晩の戦いで怪我した腕が痛むのだろう、力が入らないでいる様子だ。

「サイト……」

 ルイズが呟く。

 才人はその声で、なんとか剣を握り締め、左手の“ルーン”が光る。が、こちらに来たワルドが、彼の肩を叩き制止する。

「やめておけ。敵は武器を持った水兵だけじゃない。あれだけの門数の大砲が、こっちに狙いを付けているんだぞ。戦場で生き残りたかったら、相手と己の力量を良く天秤にかけ弁えることだな。おまけに、向こうには“メイジ”がいるかもしれない」

 前甲板に繋ぎ留められていたワルドの“グリフォン”が、乗り移ろうとする空賊たちに驚き、ギャンギャンと喚き始めた。その瞬間、“グリフォン”の頭が青白い雲で覆われた。それにより、“グリフォン”は甲板に倒れ、寝息を立て始める。

「眠りの雲……確実に“メイジ”がいるようだな」

 ドスンと、音を立て、甲板に空賊たちが降り立った。

 その中には、派手な格好をした空賊が1人いる。元は白かったようだが、汗とグリース油によるモノか汚れて真っ黒になったシャツの胸を開けさせ、そこから赤銅色に日焼けした逞しい胸が覗いている。ボサボサの長い黒髪は、赤い布で乱暴に纏められ、無精髭が顔中に生えており、丁寧に左目に眼帯が巻いてある。

 周囲の空賊たちの様子から、彼が頭らしい。

 そして、その男性を目にしてシオンは、シオンを見た彼は、互いに表情を大きく驚愕に染めるが、それは一瞬だけのことであった。

「船長はどこでえ?」

 空賊(?)の男は荒っぽい仕草と言葉遣いで、辺りを見回す。

「私だが」

 震えながら、それでも精一杯の威厳を保とうと努力をしながら、船長が手を挙げる。空賊(?)の頭は大股で船長に近付き、顔をピタピタと抜いた曲刀で叩いた。

「“フネ”の名前と、積荷は?」

「“トリステイン”の“マリー・ガラント号”。積荷は硫黄だ」

 空賊(?)たちの間から、溜め息が漏れた。

 空賊(?)の頭の男はニヤッと笑うと、船長の帽子を取り上げ、自分が冠った。

「“フネ”ごと全部買った。料金は……てめえらの命だ」

 船長が屈辱で震える。

 それから空賊(?)の頭の男は、今仕方甲板に佇むシオンとルイズ、ワルド、才人と俺に気付いたかのような態度を取り、近付いて来る。

「おや、“貴族”の客まで乗せてるのか」

 ルイズに近付き、顎を手で持ち上げ、彼女とシオンへと問いかける。

「こりゃあ別嬪だ。お前ら、俺の“フネ”で皿洗いをやらねえか?」

 空賊(?)の男たちは下卑た笑い声を上げた。

 ルイズはその手をピシャリと撥ね付け、燃えるような怒りを込めて、空賊(?)の頭の男を睨み付ける。

「下がりなさい。下郎」

「驚いた! 下郎と来たもんだ!」

 空賊(?)の頭の男は大声で笑った。

 才人がデルフリンガーを抜こうとするが、ワルド子爵がソッと止め、耳元で囁いた。

「なあ、“使い魔”君。君はどうにも冷静になれないようだな」

「で、でも……ルイズが……シオンが……」

「ここで暴れてもどうにかなるか? ルイズも、シオンも、君も、ここにいる全員が“魔法”と大砲と矢弾で蜂の巣だ」

 才人はハッとした様子を見せる。

「君はルイズたちの安全を願わないのか?」

 才人の心を深い後悔が包んだのか、俯く。

 空賊(?)の頭の男が、ルイズとシオン、ワルド、そして俺たちを指さして言った。

「てめえら。こいつらを運びな。身代金がたんまり貰えるだろうぜ」

 



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決戦前夜

 空賊を名乗る者たちに捕らえられた俺たちは、船倉に連行され閉じ込められてしまった。

 “マリー・ガラント号”の乗組員たちは、自分たちのモノだった“フネ”の曳航を手伝わされているようである。

 才人はデルフリンガーを取り上げられ、シオンとルイズ、ワルドは“杖”を取り上げられ、船倉のドアの鍵もかけられている。“武器”のない“ガンダールヴ”、“杖”のない“メイジ”は“平民”と変わらず、ただのヒトに等しい。そういった状況から、傍から見ると“手も足も出ない”といった状況だろう。

 周りには、酒樽やら穀物の詰まった袋や、火薬樽が雑然と置かれており、砲弾もまた隅の方に積まれている。

 ワルドは興味深そうに、それらを見て回っている。

 才人は、腰を下ろそうとした時に痛みを感じたのだろう、顔を顰めた。

 そんな彼の様子を目にし、ルイズが不安げかつ心配気な表情を浮かべ、彼に言葉をかける。

「……なによ。やっぱり、怪我が痛むんじゃないの」

「なんでもねえよ」

 才人は、まだ意地を張っているのだろうぶっきら棒に応える。

「なんでもないってことないでしょ。見せてごらんなさいよ」

 ルイズは彼の腕を掴むと、服を強制的に託し上げた。

「きゃ!?」

 患部である彼の左腕、その手首から肩までにかけて巨大なミミズ腫れができてしまっており、肩はピクピクと痙攣させているのである。

「酷い火傷じゃないの! どうして放っとくのよ!」

 ルイズが叫び、立ち上がってドアを叩いた。

「誰か! 誰か来て!」

 看守の男が、ムクリと立ち上がり、こちらを覗き込んで来る。

「なんだ?」

「水を! 後、“メイジ”はいないの? “水系統”の“メイジ”はいないの!? 怪我人がいるのよ! 治してちょうだい!」

「いねえよ。そんなもん」

「嘘! いるんでしょう!」

 ワルドは呆気に取られた様子で、取り乱しているルイズを見つめている。

 才人は、そんな彼女の肩を掴んだ。

「大人しくしてろ。俺たちは捕まったんだぜ」

「嫌よ! だって、あんた、怪我してるじゃないの!」

「良いって言ってんだろ!」

 才人は怒鳴った。

 彼のその剣幕に、ルイズの顔がフニャッと崩れ、彼女の瞳が涙を深く湛える。が、彼女はウッと唾を呑み込んで、涙が溢れるのを耐えた。

「な、泣くなよ」

「泣いてなんかないもん。“使い魔”の前で泣く主人なんかいないいもん」

 才人は顔を背ける。

「わかったよ」

「……あんたの前でなんか、絶対泣かないもん」

 ルイズは、壁際まで歩くと、そこにしゃがみ込み、顔を抑えてうずくまった。

 才人は、ワルドの方へと向かうと、肩を叩いた。

「慰めてやってください」

「どうして?」

「貴男は、ルイズの婚約者でしょう?」

 ワルドは頷くと、彼女の元へと向かって、肩を抱いて慰め始めた。

 才人はその場でコテッと崩れ、顔を2人から逸した。

「罰にしちゃ、痛すぎるな。あう」

 そこで、今の今まで黙っていたシオンが口を開いた。

「……セイヴァー」

「了解した」

 それだけで十分だった。

 俺は“マスター”であるシオンの言葉に首肯き、崩れ落ちている才人へと近付き、彼の左腕へと軽く触れる。そうして、自身の“魔力”を使い、“治療魔術”を使用し、施す。

「これは……!?」

「え!?」

 すると、彼の左腕のミミズ腫れは時間を逆再生にでもしているかのようにして治って行く。

 それを目の当たりにした、才人とルイズは驚きの声を上げ、ワルドはやはり彼らに気付かれない程度の警戒心などを向けて来る。

「ここにいる皆だけの秘密で頼む……」

 俺の言葉に、首肯く才人とルイズ。そして、ワルドも続いて小さく首肯いた。

 “自分の魔術刻印の機能を用いて術者本人にかける強制の呪いは、如何なる手段用いても解除不可能な呪術契約”、そんな“自己強制証明(セルフギアス・スクロール)”の下位互換であるモノを使用する必要もないだろう。

 才人の傷を治療したその時、扉が開いた。

 太った男が、スープの入った皿を人数分持ってやって来た。

「飯だ」

 扉の近くにいた才人が、受け取ろうとするが、男はその皿をヒョイと持ち上げた。

「質問に答えてからだ」

「言ってごらんなさい」

 目を真っ赤にしたルイズが、泣きやみ立ち上がる。

「お前たち、“アルビオン”になんの用だ?」

「旅行よ」

 ルイズは、腰に手を当てて、毅然とした声で答えた。

「“トリステイン貴族”が、今時の“アルビオン”に旅行? いったいなにを見物するつもりだい?」

「そんなこと、貴男に言う必要はないわ」

「怖くて泣いてたくせに、随分と強がるじゃねえか」

 ルイズは顔を背けた。

 空賊(?)は笑うと、皿と水の入ったコップを寄越した。

 才人はそれをルイズの元へ持って行った。

「ほら」

「あんな連中の寄越したスープなんか飲めないわ」

 ルイズはそう言ってそっぽを向いた。

「食べないと、身体が保たないぞ」

 ワルドがそう言うと、ルイズは渋々といった様子を見せながらも、スープの皿を手に取った。

 4人は5つの皿から、同じスープを飲んだ。飲んでしまうと、することがなくなってしまう。

 ワルドは壁に背を付けて、なにやら物思いに耽っている様子だ。

 才人はキョロキョロと辺りを見回し、火薬の樽を見つめる。

「こんなとこで油売ってて良いのかよ? 脱出すんぞ」

「え?」

 ルイズは怪訝そうに、才人のすることを見ている。

 彼は火薬の樽を開けると、皿を使ってザラッと火薬を掬った。

 ワルドがポツリと呟いた。

「どこに脱出するつもりだね? ここは空の上だよ」

 才人は、ドスンと座り込んだ。

「でも、黙って座ってるだけじゃあ……セイヴァー、なにか案はないか?」

「ふむ、そうだな……いや、その必要はなさそうだ」

 その時、再びドアがバチンと開き、今度は、空賊の格好をした痩せすぎた男が現れた。

 男は、ジロリと俺たちを見回すと、楽しそうに言った。

「お前ら、もしかして“アルビオン”の“貴族派”かい?」

 ルイズたちは答えない。もちろん、俺も答えず口を噤む。

「おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは、“貴族派”の皆さんのおかげで、商売させてもらってるんだ。“王党派”の味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びてるのさ」

「じゃあ、この“フネ”はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね?」

「いやいや、俺たちは雇われている訳じゃあねえ。あくまで対等な関係で協力し合ってるのさ。まあ、お前らには関係ねえことだがな。で、どうなんだ? “貴族派”なのか? そうだったら、キチンと港まで送ってやるよ」

 ここでルイズたちが「自分たちは“貴族派”だ」と答えることで、何事もなく丸くことが収まるかもしれない。

 だが当然そんなことはせず、ルイズは首を縦に振らず、真っ向からその空賊(?)を見据えた。

「誰が薄汚い“アルビオン”の反乱軍なモノですか。馬鹿言っちゃいけないわ。わたしは“王党派”への遣いよ。まだ、あんたたちが勝った訳じゃないんだから、“アルビオン”は王国だし、正統となる政府は、“アルビオン”の“王室”ね。わたし達は“トリステイン”を代表してそこに向かう“貴族”なのだから、つまりは大使ね。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ」

 そんなルイズの言葉に、シオンは笑顔を見せる。

 才人は口をあんぐりと開けて、呟いた。

「お前、馬鹿か?」

「誰が馬鹿なのよ? 馬鹿はあんたでしょー! 怪我をそんなになるまで放っといて!」

 ルイズは才人の方へとキッと向いて、怒鳴った。

「あのなあ! 真っ正直なのは良いけど、時と場合を選べよ!」

「うるさいわね! あんたは黙ってわたしの言うことに従ってれば良いのよ!」

 そんな様子を見て、賊の格好をした痩せすぎた男は笑った。

「正直なのは確かに美徳だが、お前たち、ただじゃ済まないぞ」

「あんたたちに嘘を吐いて頭を下げるくらいなら、死んた方がマシよ」

 ルイズはそう言い切ってみせた。

「俺も?」

 才人は呆れた声で言った。

「あんたはわたしの“使い魔”でしょ。こうなったら、覚悟しなさいよね」

「頭に報告して来る。その間にユックリ考えるんだな」

 空賊の格好をした痩せすぎた男はそう言って去って行く。

 空賊の格好をした痩せすぎた男が立ち去るのと同時に、ルイズは毅然として言った。

「最後の最後まで、わたしは諦めないわ。地面に叩き付けられる瞬間まで、ロープが伸びると信じるわ」

「……それなら、嘘くらい吐けよ」

「それとこれは別。嘘なんか吐けるもんですか。あんな連中に! 」

 才人は呆れて、溜息を吐いた。

「……ごめんなさい、シオン、セイヴァー、ワルド。勝手に決めちゃって」

 だが直ぐにルイズは、しゅんと項垂れて謝った。

 ワルドが彼女へと寄り、肩を叩いた。

「良いぞルイズ。流石は僕の花嫁だ」

 才人は憮然とし、ルイズは複雑な表情を浮かべて俯いた。

 だがそこで、シオンは怪訝な表情を一瞬だけだがワルドへと向けた。

 再び扉が開き、先程の空賊の格好をした痩せすぎた男が顔を覗かせた。

「頭がお呼びだ」

 

 

 

 狭い通路を通り、細い階段を登り、俺たちが連れて行かれた先は、立派な部屋であった。後甲板の上に設けられたそこが、頭と呼ばれた空賊船(?)の船長室らしい。

 ガチャリと扉を開けると、豪華なディナーテーブルがまず視界に入り、1番上座に先ほどの派手な格好をした空賊(?)の男が腰かけている。

 彼は“メイジ”なのだろう、大きな水晶の付いた“杖”を弄っている。

 彼の周りでは、ガラの悪い格好をした男たちがニヤニヤとした笑みをわざわざ浮かべて、入室して来た俺たちを見つめて来ている。

「おい。お前たち、頭の前だ。挨拶しろ」

 しかし、ルイズはキッと頭と呼ばれた男を睨むばかりであり、彼はニヤッと笑った。

「気の強い女は好きだぜ。子供でもな。さてと、名乗りな」

「大使としての扱いを要求するわ」

 ルイズは、空賊の頭を名乗る男の言葉を無視して、先ほどと同じ言葉を繰り返した。

「そうじゃなかったら、一言だってあんたたちになんか口を利くもんですか」

 しかし、空賊の頭を名乗る男はルイズの言葉をまったく無視して、言った。

「“王党派”と言ったな?」

「ええ、言ったわ」

「なにしに行くんだ? あいつらは、明日にでも消えちまうよ」

「あんたたちに言うことじゃないわ」

 空賊の頭を名乗る男は、歌うかのように楽しげな声で、ルイズに言った。

「“貴族派”に着く気はないかね? あいつらは、“メイジ”を欲しがっている。たんまり礼金も弾んでくれるだろうさ」

「死んでも嫌よ」

 ルイズは震えながらも毅然と胸を張り、空賊の頭を名乗る男を真っ直ぐに見つめて答えた。

 今の彼女は、心の中に大事なモノを抱え、それを打ち壊そうとする存在と戦っているのである。

「もう1度言う。“貴族派”に着く気はないかね?」

 ルイズはキッと顔を上げ、腕を腰に当て、胸を張った。

 口を開こうとしたルイズよりも先に、才人が後を引き取った。

「つかねえって言ってんだろ」

「貴様はなんだ?」

 空賊の頭を名乗る男はジロリと、人を射竦めるのに慣れた眼光をもって彼を睨む。

 だがそれでも、才人もまたルイズと同様に空賊の頭を名乗る男を睨み付けてみせた。

「“使い魔”さ」

「“使い魔”?」

「で、君たちは?」

 空賊の頭を名乗る男は、ワルド、そしてシオンへと確認の言葉を投げかける。

「彼女と同じです。私は“貴族派”には着きません」

 空賊の頭を名乗る男は、次いで俺へと確認の為の質問をして来る。

「“マスター”が拒否したのだ。私も拒否させて貰おう」

「“マスター”?」

「そうだ。彼女は私の“マスター”だ。今の俺、この身は彼女の“サーヴァント”であり、“使い魔”だからな」

 空賊の頭を名乗る男は大声で笑った。

「“トリステイン”の“貴族”は、気ばかり強くって、どうしようもないな。まあ、どこぞの国の恥知らず共より、何百倍もマシだがね」

 空賊の頭を名乗る男はそう言って、ワッハッハと笑いながら立ち上がった。次いで、シオンも連られたかのようにクスリと笑った。

 才人とルイズ、ワルドの3人は、彼の豹変ぶりとシオンの笑みに戸惑い顔を見合わせる。

「失礼した。“貴族”に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」

 周りに控えた空賊の格好をした男たちが、ニヤニヤ笑いを収め、一斉に直立した。

 空賊の頭を名乗る男は、鬘だろう縮れた黒髪を剥いだ。そして、眼帯を取り外し、作り物である髭をビリッと剥がす。

 そこに現れたのは、凛々しい金髪の若者だ。

「私は“アルビオン王立軍大将”、“本国艦隊司令長官”……本国艦隊と言っても、既に本艦“イーグル号”しか存在しない、無力な艦隊だがね。まあ、その肩書よりこっちの方が通りが良いだろう」

 彼は居住まいを正し、威風堂々、名乗った。

「“アルビオン”王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 その自己紹介を受けて、ルイズは口をあんぐりと開け、才人もボケッとした様子で彼を見つめ、ワルドは興味深そうに彼を見つめた。

 ウェールズ・テューダー(以降ウェールズと呼称)は、ニッコリと魅力的な笑みを浮かべると、俺たちに席を勧める。

「“アルビオン王国”にようこそ、大使殿。さて、御用の向きを伺おうか」

 が、ルイズたちは余りの驚愕などからだろう、口を利けない様子を見せている。

「では私から……どうして空賊に身を窶していたのですか?」

「そうだね。金持ちの反乱軍には続々と補給物資が送り込まれる。敵の補給路を断つのは戦の基本。しかしながら、堂々と王軍の軍艦旗を掲げたのでは、あっと言う間に反乱軍の“フネ”に囲まれてしまう。まあ、空賊を装うのも、致仕方ない」

 シオンからの質問に、ウェールズは悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

「いや、大使殿には、誠に失礼を致した。しかしながら、君たちが“王党派”ということが、中々信じられなくてね。シオンがいるからもしかすると、とは考えたけど……外国に我々の味方の“貴族”がいるなどとは、夢にも想わなかったんだ。君たちを試すような真似をしてすまない」

「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」

 ワルドが、逸早く平静さを取り戻し、優雅に頭を下げて言った。

「ふむ、姫殿下とな。君は?」

「“トリステイン王国魔法衛士隊”、“グリフォン隊”隊長、ワルド子爵」

 それからワルドは、俺たちを紹介しようとする。

「そしてこちらが姫殿下より大使の大任を仰せ仕ったラ・ヴァリエール穣とその“使い魔”の少年、そして――」

「――ああ、必要はないよ」

 ワルドの言葉を遮り、ウェールズはシオンへと目を向ける。その目はとても優しいモノであり、親密さなどすら感じさせるモノであった。

「久し振りだね、シオン」

「はい。お久し振りです、お兄さま」

 その2人の言葉に、ルイズと才人、ワルドは驚き、あまりの驚愕からか絶句する。

「あ、貴女、今……」

「うん、黙っててごめんね、ルイズ」

 ルイズに謝罪するシオン。

「では改めて、自己紹介を。私の名前は、シオン・アフェット・エルディ・アルビオン、と言います」

 ウェールズ、彼の配下だろう男たち、そして俺を除いた皆――3人は言葉に詰まっている。

 ウェールズの血縁者。彼の言葉とシオン自身の言葉からして、彼女は妹だということがわかる。すなわち、彼女は“王族”だということである。

 ルイズは、アンリエッタ同様にシオンと幼馴染のようにして育って来たのだが、この事実――“アルビオン”の“王族”であるということを知らされていなかったようである。

 そして、3人はシオンへと態度を改めようと慌てふためく。

「普段通りでお願いね。アンもそう言ってたでしょ?」

 そんなシオンの言葉に、ルイズ、そして才人は首肯き、ワルドもまた首肯く。

「にしても、なるほど! 君たちのように立派な“貴族”が、私の親衛隊にあと10人ばかりいたら、このような惨めな今日を迎えることもなかったろうに!」

「お兄さま、いったい何が?」

「その話は後にしよう。して、件の密書は?」

 ウェールズの言葉に、ルイズが慌てて胸のポケットからアンリエッタから預かっている手紙を取り出した。

 彼女は恭しく彼に近付いたが、途中で立ち止まる。それから、少しばかりためらうように、口を開いた。

「あ、あの……」

「なんだね?」

「その、失礼ですが、ホントに皇太子さま?」

 最終確認。念のためといったところだろう。ルイズが質問をする。

 それに対し、ウェールズとシオンは笑い、彼は応えた。

「まあ、さっきまでの顔を見れば、無理もない。僕はウェールズ・テューダーだよ、正真正銘の皇太子さ。なんなら、シオンの証言以外の証拠をお見せしよう」

 彼は、ルイズの指で光っている“水のルビー”を確認して言った。

 ウェールズは自身の薬指に光る指輪を外すと、ルイズの手を取り、“水のルビー”に近付けた。

 そして、2つの指輪にある宝石は共鳴し合い、虹色の光を振り撒く。

「この指輪は、“アルビオン王家”に伝わる、“風のルビー”だ。君が嵌めているのは、アンリエッタが嵌めていた、“水のルビー”だ。そうだね?」

 その彼の言葉に、ルイズは首肯く。

「水と風は、虹を作る。“王家”の間にかかる虹さ」

「大変、失礼をばいたしました」

 ルイズは一礼をして、手紙を彼へと手渡す。

 ウェールズは、“愛”おしそうにその手紙を見つめると、花押に接吻する。そして、それから慎重に封を開き、中の便箋を取り出し、読み始めた。

 彼は真剣な顔で、手紙を読んでいたが、その間に顔を上げた。

「姫は結婚するのか? あの、“愛”らしいアンリエッタが。私の可愛い……従妹は」

 シオンとワルド子爵は無言で頭を下げ、肯定の意を表した。

 再び、ウェールズは手紙へと視線を落とし、最後の一行まで読むと、微笑んだ。

「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、妹であるシオンと同じくらいに大切な姫から貰った手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」

 その彼の言葉に、ルイズの顔が輝いた。

「しかしながら、今、手元にはない。“ニューカッスルの城”にあるんだ。姫の手紙を、空賊船に連れて来る訳にはいかぬのでね」

 ウェールズは笑って言った。

「多少、面倒だが、“ニューカッスルの城”まで足労願いたい」

 笑顔を見せてそう言うウェールズだが、対するシオンは親愛なる兄に再逢することができたというのに、浮かない表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちを乗せた軍艦――“イーグル号”は、“浮遊大陸アルビオン”のジグザグした海岸線を、雲に隠れるようにして航海しており、3時間ばかり進むと、大陸から突き出た岬が見えた。

 岬の突端には、高い城が聳えているのが見える。

 ウェールズは、後甲板に立っている才人とルイズ、ワルドに、「あれが“ニューカッスルの城”だ」と説明をした。

 しかし、“ニューカッスル”は真っ直ぐにそこへと向かわずに、大陸の下側に潜り込むように進路を取る。

「なぜ、下に潜るのですか?」

 才人の質問に対し、ウェールズは城の遥か上空を指さす。

 遠く離れた岬の突端の上から、巨大な“フネ”が、降下して来る途中であった。慎重に雲中を航海して来たこともあって、向こうからは“イーグル号”は雲に隠れて見えないようである、

「叛徒どもの、艦だ」

 禍々しさを感じさせる巨艦であり、長さが恐らく“イーグル号”の優に2倍ほどはあるだろうか。帆を何枚もはためかせ、ユルユルと降下したかと想うと、“ニューカッスルの城”目掛けて並んだ砲門を一斉に開き、ドコドコドッコーン、と斉射する。

 その震動が、“イーグル号”まで伝わって来た。

 砲弾は城に直弾し、城壁を砕き、小さな火炎を発生させる。

「“ロイヤル・ソヴリン号”……」

「そう。あれはかつての“本国艦隊旗艦”、“ロイヤル・ソヴリン号”だ。叛徒どもが手中に収めてからは、“レキシントン”と名前を変えている。奴らが初めて我々から勝利を捥ぎ取った戦地の名だ。よほど名誉に感じているらしいな」

 シオンの口から零れ出た名称を、微笑を浮かべながら肯定して説明をするウェールズ。

「あの忌々しい艦は、空から“ニューカッスル”を封鎖しているんだ。あのようして、偶に嫌がらせのように城に大砲を撃っ放して行くんだよ」

 結構な数の大砲が舷側から突き出て、艦上には“竜”――“ワイバーン”が舞っているのが、雲の切れ間から見える。

「備砲は両舷合わせ、108門。おまけに“竜騎兵”まで積んでいる。あの艦の反乱から、全てが始まった。因縁のある艦さ。さて、我々の“フネ”はあんな化け物を相手にできる訳もないので、雲中を通り、大陸の下から“ニューカッスルの城”に近付く。そこに我々しか知らない秘密の港があるのさ」

 

 

 

 雲中を通り、大陸の下に出ると、陽の光が遮られたことで辺りは真っ暗になった。

 ウェールズは配下である男たちに指示を出す片手間、「雲の中ということもあり、視界はゼロに等しく、簡単に頭上の大陸に座礁してしまう危険性があるため、反乱軍の軍艦は大陸の下には決して近付かないのだ」と簡単な説明をしてくれる。

 ヒンヤリとした、湿気を含んだ冷たい空気が、俺たちの頬をなぞる。

「地形図を頼りに、測量と“魔法”の灯りだけで航海することは、“王立空軍”の航海士にとっては、なに、造作もないことなんだが……“貴族派”、あいつらは、しょせん、空を知らぬ無粋者さ」

 ウェールズは、笑いながらそう言った。

 しばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている部分に出た。マストに灯した“魔法”の灯りの中、直径300“メイル”ほどだろう穴が、ポッカリと空いているといった、壮観と言えるだろう光景がそこにはあった。

「一時停止」

「一時停止、アイ・サー」

 掌帆手が命令を復唱する。

 その後、ウェールズの命令で、“イーグル号”は裏帆を打ち、暗闇の中でもキビキビとした動作を失わない水兵たちによって帆を畳み、ピタリと穴の真下で停船した。

「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」

 ユルユルと、“イーグル号”は穴に向かって上昇して行き、“イーグル号”の航海士が乗り込んだ“マリー・ガラント号”が後に続く。

「まるで空賊ですな。殿下」

「まさに空賊なのだよ。子爵」

 ワルドが、そんな船員たちの手腕を前に首肯き、ウェールズは笑って返した。

 

 

 

 穴に沿って上昇すると、頭上に明かりが見えた。そこへと吸い込まれるかのように、“イーグル号”と“マリー・ガラント号”は昇って行く。

 眩い光の先に晒され、“フネ”は“ニューカッスル”の秘密の港に到着した。

 そこは、真っ白い発行性の苔に覆われた、巨大な鍾乳の中であった。岸壁の上に、大勢の人が待ち構えているのが見える。

 “イーグル号”が鍾乳洞の岸壁に近付くと、一斉に催合の縄が飛んだ。水兵たちは、その縄を“イーグル号”に結わえ付ける。“フネ”は岸壁に引き寄せられ、車輪の付いた木のタラップがゴロゴロと近付いて来て、“フネ”にピッタリと取り付けられた。

 ウェールズは、俺たちを促し、タラップを降りる。

 背の高い、年老いた“メイジ”が近寄って来て、彼の労を労った。

「ほほ、これはまた、大した戦果ですな。殿下」

 老“メイジ”は、“イーグル号”に続いて鍾乳洞の中に現れた“マリー・ガラント号”を見て、顔を綻ばせた。

「喜べ、バリー。硫黄だ、硫黄!」

 ウェールズがそう叫ぶと、集まった兵隊たちが、ウオォーッと歓声を上げた。

「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬では御座らぬか! これで我々の名誉も、守られるというモノですな!」

 老“メイジ”は、おいおいと泣き始めた。

「先の陛下より御支えして60年……こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下。反乱が起こってからは、苦汁を舐めっぱなしでありましたが、なに、これだけの硫黄があれば……」

 ニッコリとウェールズは笑った。

「“王家”の誇りと名誉を、叛徒どもに示しつつ、敗北することができるだろう」

「栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告なのですが、叛徒どもは“明日の正午に、攻城を開始す”との旨、伝えて参りました。まったく、殿下が間に合って、良かったですわい」

「して見ると間一髪とはまさにこの事! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!」

 ウェールズたちは、心底楽しそうに笑い合っている。

 シオンとルイズは、やはり敗北という言葉に一瞬だけではあるが顔色を変えた。

「して、その方たちは?」

 バリーと呼ばれた老“メイジ”が、俺たちを見て、ウェールズに尋ねる。

「“トリステイン”からの大使殿だ。重要な用件で、“王国”に参られたのだ。そして……」

 バリーは一瞬、「滅び行く“王政府”に大使が一体なんの用なのだ?」といった顔付きになるが、ウェールズが指した先にいる少女を目にし、口をパクパクとさせた。

「ひ、姫殿下……」

「久し振りだね、バリー」

 シオンを目にして顔色を変えるバリー。周りにいる兵士たちもまた、彼女を見て驚きと喜びに大きな歓声を上げた。

「お、お久し振りです」

 言葉にならないといった様子を見せるバリー。

 だが、大使として彼女、そして俺たちを迎えるために、彼は気持ちを切り替え、改めて微笑んだ。

「大使殿、殿下の侍従を仰せ仕っておりまする、バリーでございます。遠路遥々ようこそこの“アルビオン王国”へ入らっしゃった。大したもてなしはできませぬが、今夜は細やかな祝宴が催されます。是非とも出席くださいませ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちは、ウェールズに付き従うように、城内にある彼の居室へと向かった。城の1番高い天守の一角にあるウェールズ・テューダーの居室は、王子の部屋とは思えない、質素な部屋であった。

「お兄さま……」

「すまないね、シオン。お前の部屋もまたここと同様に質素なモノになっているだろう」

「仕方ありませんわ。状況が状況ですもの」

 ウェールズは椅子に腰かけると、机の引き出しを開いた。そこには宝石が鏤められた小箱が入っている。

 彼は首からネックレスを外し、その先に付いている鍵を、小箱の鍵穴へと挿し込み、箱を開けた。

 蓋の内側には、アンリエッタ姫殿下の肖像が描かれている。

 ルイズたちがその箱を覗き込んでいることに気付いたウェールズは、はにかんで言った。

「宝箱でね」

 中には1通の、手紙が入っていた。それは、もしかしなくとも、王女からの手紙だろう。

 ウェールズはそれを取り出し、“愛”おしそうに口吻をした後、開いてユックリと読み始めた。

 何度もそうやって読まれたらしい手紙は、既にボロボロだと言える状態だ。

 読み返すと、ウェールズは再びそれを丁寧に折り畳み、封筒に入れ直すと、ルイズへと手渡す。

「これが姫から頂いた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。

「明日の朝、非戦闘員を乗せた“イーグル号”が、ここを出港する。それに乗って、“トリステイン”に帰りなさい」

「お兄さま……」

「シオン、お前もだ。彼女たちと一緒に“トリステイン”に行きなさい」

「…………」

 ルイズは、その手紙をジッと見詰めていたが、そのうちに決心したように口を開く。

「あの、殿下……先ほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 ルイズはためらうように問うた。

 対して、ウェールズは至極アッサリと答える。

「ないよ。我が軍は300、敵軍は50,000。万に1つの可能性もありえない。我々にできることは、果てさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」

 そんな彼の言葉に、シオンは息を呑んだ。理解はしていても、やはり辛いだろう。

「殿下の、討ち死になる様も、その中には含まれるのですか?」

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 傍でやりとりを見ている才人は溜息を吐く。

 そして、シオンは身体を震わせ始めた。

 ルイズは、深々と頭を垂れ、ウェールズへと一礼をし。口を開く。

「殿下……失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」

「なんなりと、申してみよ」

「この、只今お預かりした手紙の内容、これは……」

「ルイズ」

 才人がたしなめる。が、彼女は、キッと顔を上げ、ウェールズへと尋ねる。

「この任務をわたし達に仰せ付けられた際の姫さまの御様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで、恋人を案じるような……それに、先ほどの小箱の内蓋には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げな御顔といい、もしや、姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は……」

 ウェールズは、ルイズが言いたいことを察し、微笑んだ。

「君は、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」

 ルイズは首肯く。

「そう想像いたしました。とんだ御無礼を、御赦しください。して見ると、この手紙の内容とやらは……」

 ウェールズは、額に手を当て、言おうか言うまいか少し悩んだ仕草をした後、口を開いた。

「恋文だよ。君が想像している通りのモノさ。確かにアンリエッタが手紙で報せたように、この恋文が“ゲルマニア”の皇室に渡っては、不味いことになる。なにせ、彼女は“始祖ブリミル”の名に於いて、“ラグドリアン”で永久の“愛”を私に誓ってくれたのだからね。知っての通り、“始祖ブリミル”に誓う“愛”は、婚姻の際の誓いでなければならぬ。この手紙が白日の下に晒されたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうであろう。そうなれば、なるほど同盟相ならず、“トリステイン”は一国にて、あの恐るべき“貴族派”に立ち向かわねばなるまい」

「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね?」

「昔の話だ」

 ルイズは、熱っぽい口調で、ウェールズに言った。

「殿下、亡命なされませ! “トリステイン”に亡命なされませ!」

 ワルドが寄って来て、スッと彼女の肩に手を置いた。

「ルイズ、それは……」

 ワルドに続き、シオンもまたルイズを止めようと口を開く。

 が、ルイズの剣幕は治まらない。

「お願いでございます! わたし達と共に、シオンと共に“トリステイン”に入らしてくださいませ!」

「それはできんよ」

 ウェールズは笑いながら言った。

「殿下、これはわたしの願いでは御座いませぬ! 姫さまと、そしてシオンの願いで御座います! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたしは幼き頃、恐れ多くも姫さまとシオンのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまとシオンの気性は大変良く存じております! あの姫さまが御自分の“愛”した人を見捨てる訳が御座いません! おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、多分手紙の末尾で貴男に亡命を御勧めになっているはずですわ!」

 ウェールズ・テューダーは首を横に振った。

「そのようなことは、一行も書かれていない」

「殿下!」

 ルイズはウェールズに詰め寄った。

「私は“王族”だ。嘘は吐かぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」

 ウェールズ・テューダーは苦しそうに言った。

「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させる訳がない」

「でも、それでも、それであるなら、シオンは」

「私は、大丈夫だよ。ありがとう、ルイズ」

 ルイズの、心からウェールズを慮っての言葉に、シオンは涙を流すことなく口にし、彼女を宥める。だが、シオンの声と身体は確かに震えており、その心情は簡単に見て取れる。

 ルイズは、ウェールズ・テューダーとシオンの意志が果てしなく硬いモノを見て取ったのだろう、口を閉じた。この場で、1番止めに入りたいであろうシオンからの言葉を受けたのだから。

 ウェールズは、アンリエッタを庇おうとしている。そして、臣下の者に、アンリエッタが情に流された女と思われることを避けようとしているのである。

 ウェールズは、ルイズの方を向いた。

「君は、正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、好い目をしている」

 ルイズは、寂しそうに俯いた。

「忠告しよう。そのように正直では大使は務まらぬよ、しっかりしなさい」

 ウェールズは微笑んで言った。

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰より正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るモノが他にないのだから」

 それから、ウェールズは机の上に置かれた時計だろうモノ――水が張られた盆の上に載った、針を見つめた。

「そろそろ、パーティの時間だ。君たちは、我らが“王国”が迎える最後の客だ。是非とも出席して欲しい」

 俺たちは部屋の外へと出る。が、ワルドは居残って、ウェールズに一礼をした。

「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」

「恐れながら、殿下にお願いした議がございます」

「なんなりと伺おう」

 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせ、それを聞いたウェールズはニッコリと笑みを浮かべた。

「なんともめでたい話ではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」

 

 

 

 パーティは、城のホールで行われた。

 簡易の玉座が置かれ、その玉座には“アルビオン”の王、年老いたジェームズ1世が腰かけ、集まった“貴族”や臣下を目を細めて見守っている。

 明日で自分たちは滅びるというのにも関わらず、随分と華やかなパーティだと言えるだろう。いや、これはまさに“最後の晩餐”とでも言えるかもしれない。“王党派”の“貴族”たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のために取って置かれていいたのだろう様々なご馳走が並んでいる。

 才人たちは会場の隅に立ってパーティを見詰め、シオンと俺の2人は真ん中にいた。

 シオンの姿を目にし、この“最後の晩餐”に来るとは思わなかったのだろう驚く会場の王と“貴族”たち。

 彼女は、まだ残ってあった――残してもらっていたドレスを着用に及び、優雅に上品に振る舞い、皆へと挨拶をしている。俺は、そんな彼女の後ろにボディガードであるかのようにして控える。いや、“使い魔”であり、“サーヴァント”であることからも、ボディガード以上の存在なのだが。

 ウェールズ・テューダーが現れると、貴婦人たちの間から、歓声が飛んだ。

 彼は玉座に近付くと、父王に耳打ちした。

 ジェームズ1世は、スックと立ち上がろうとするのだが、かなりの年であることもあって、よろけて倒れそうになった。

 そこへ、ホールのあちこちから、屈託のない失笑が漏れる。

「陛下! お斃れになるのはまだ早いですぞ!」

「そうですとも! せめて明日までは、お立ちになって貰わねば我々が困る!」

 ジェームズ1世は、そんな軽口に気分を害した風もなく、ニカッと人懐こい笑みを浮かべた。

「あいや各々方。座っていてちと、足が痺れただけじゃ」

 ウェールズが、父王に寄り添うようにして立ち、その身体を支える。

 陛下がコホンと軽く咳をすると、ホールの“貴族”や貴婦人たちが、そしてシオンもまた一斉に直立をする。

「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、この“ニューカッスルの城”に立て籠もった我ら王軍に反乱軍“レコン・キスタ”の総攻撃が行われる。この無能な王に、諸君らはよく従い、良く戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷付き、斃れるのを見るに偲びない」

 老いたる王は、ゴホゴホと咳をすると、再び言葉を続けた。

「従って、朕は諸君等に暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、“巡洋艦イーグル号”が、女子供を乗せてここから離れる。諸君らも、この艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるが良い」

 しかし、誰も返事をしない、

 1人の“貴族”が、大声で王に告げた。

「陛下! 我らはただ1つの命令をお待ちしております! “全軍前へ!  全軍前へ!  全軍前へ!”。今宵、旨い酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! 果て、それ以外の命令が、耳に届きませぬ!」

 その勇ましい言葉に、集まった“貴族”たち、貴婦人たち全員が首肯いた。

「おやおや! 今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」

「耄碌するには早いですぞ! 陛下!」

 老王は、目頭を拭い、「馬鹿者どもめ……」と短く呟くと、“杖”を掲げた。

「良かろう! しからば、この王に続くが良い! さて、諸君! 今宵は佳き日である! 重なりし月は、“始祖”からの祝福の調べである! 良く、呑み、食べ、踊り、愉しもうではないか!」

 辺りは喧騒に包まれた。

「姫さま! 大使殿! このワインを試されなされ! 御国のモノより上等と思いますぞ!」

「なに! いかん! そのようなモノをお出ししたのでは、“アルビオン”の恥と申すもの! この蜂蜜が塗られた鶏を食してごらんなさい! 美味くて、頬が落ちますぞ!」

 こんな時にやって来た“トリステイン”からの客が珍しいために、“王党派”の“貴族”たちが、代わる代わるにルイズたちやシオンの元へと向かって来る。彼ら彼女らは、悲嘆に暮れたようなことは一切言わず、皆に明るく料理を勧め、酒を勧め、冗談を言うのだ。そして、最後に「“アルビオン”万歳!」と怒鳴って去って行く。

 だが、死を前にしてなお明るく振る舞う人たちを前に、悲しみなどを感じたのだろうルイズは、頭を振り、外に出て行ってしまった。

 才人は、ワルドへと視線を向け、ワルドはそれを受けて首肯き、ルイズの後を追いかけた。才人はそれを寂しそうに見つめ、溜息を吐いて、床に蹲った。

 シオンと俺は、老王であり、彼女の親であるジェームズ1世の方へと向かう。

 ジェームズ1世は近付くこちらに気付いたのだろう、ゆっくりと俺たちに振り向いた。

「御帰りなさい、シオン」

「只今戻りました、お父さま」

 親子の再会の挨拶をし、少しばかり沈黙があった。

 先に口を開いたのは、ジェームズ1世だった。

「死ぬ前にお前と逢う事ができるとはな……だが、すまないね。帰って来たばかりだというのに、直ぐに、また“トリステイン”へ」

「わかって、おります」

 シオンの声と身体は震えている。その小さな身体に重すぎる現実。だが、彼女はしっかりとそれを受け止めているのである。

 本来であれば、いや、“地球”の同年代の子供たちのほとんどが親に甘えているだろう年齢であるにも関わらず、“王族”などに生まれたというだけで、それを甘受することができず、縛られ生きる。それ相応の権力や権利などがありはするだろうが、不自由さの方が多いかもしれないなどと思ってしまうのは、もしかすると――。

 ジェームズ1世は目を細める。

「シオン、隣の彼を紹介してくれないか?」

「はい、私の“使い魔”のセイヴァーです」

「セイヴァーと申します」

「“使い魔”か……ヒトが“使い魔”というのもまた珍しい。娘が世話になっている」

「いえ」

 ジェームズ1世の言葉に、俺は短く返答する。

 そんな彼だが、ヒトが“使い魔”になっていることに驚きは感じてはいるだろうが、それほど表情には出ていない。

「ヒトが“使い魔”になることもあるとはのう……逆に考えると、これは佳い事かも知れん。他の“使い魔”とは違い、人語を話し、コミュニケーションを取る事が出来るんじゃから」

 ジェームズの瞳はまっすぐに俺を見据えてきている。

 総てを見て知ることができる眼を持っている俺ではあるが、今この時だけは逆に俺の総てを見抜かれてしまっているのではと感じてしまった。

 ジェームズ1世はそう言って、何かを考えた後、シオンと俺とへと優しい眼差しを向けた。

「お父さま……」

「留学させて正解じゃったか……心遺りがあるとすれば、孫の顔が見れない事かのう」

 そう口にするジェームズ1世の顔はとても優しいモノであり、まるで戦争など起きてはおらず、今日この日をはじめ明日も明後日も平和な日であるかのような錯覚を与えて来る。

「…………」

 シオンはチラリと俺の方へと視線を向けて来る。が、直ぐに父親であるジェームズ1世へと戻した。

 おそらく、俺に何かを頼もうとしたのだろう。だが、彼女はそれを堪えた。

「娘を、よろしく頼む。“使い魔”殿」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラ・ヴァリエール嬢の“使い魔”の少年だね。しかし、ヒトが“使い魔”とは珍しい。“トリステイン”は変わった国だな」

 少しばかり離れた場所――部屋の隅の方で、蹲る才人へとウェールズが近付き、シオンの“使い魔”のことも思い出し、笑いながら話しかけた。

「“トリステイン”でも珍しいですよ」

 才人は疲れた声でそう返した。

「気分でも悪いのかな?」

 心配そうに、ウェールズは才人の顔を覗き込む。

 才人は立ち上がると、ウェールズに尋ねた。

「失礼ですけど……その、怖くないんですか?」

「怖い?」

 ウェールズはキョトンとした顔をして、才人を見詰めた。

「死ぬのが、怖くないんですか?」

 才人がそう言うと、ウェールズは笑った

「案じてくれてるのか! 私たちを! 君は優しい少年だな」

「いや、だって、俺だったら怖いです。明日、死ななくちゃならない戦いに出かける前の日に、そんな風に笑えるなんて思えません」

「そりゃあ、怖いさ。死ぬのが怖くない人間なんている訳がない。“王族”も、“貴族”も、“平民”もそれは同じだろう」

「じゃあ、どうして?」

「守るべきモノがあるからだ。守るべきモノの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれるんだ」

「なにを守るんですか? 名誉? 誇り? そんなモノのために死ぬなんて馬鹿げてる」

 才人は語気を強めて言った。

 対して、ウェールズは遠くを見るような目をして語り始めた。

「我々の敵である“貴族派”、“レコン・キスタ”は、“ハルケギニア”を統一しようとしている。“聖地”を取り戻すという、理想を掲げてな。理想を掲げるのは良い。しかし、あやつらはそのため流されるであろう民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう、国土のことを考えぬ」

「でももう、既に勝ち目はないんでしょう? だったら、生き残ったって、良いじゃないですか。勝ち目があるなら、話は別ですけど……」

「いや、我らは勝てずとも、せめて勇気と名誉の片鱗を“貴族派”に見せ付け、“ハルケギニア”の“王家”たちは弱敵ではないことを示さねばならぬ。奴らがそれで統一と“聖地の回復”などと言う野望を捨てると思えぬが、それでも我らは勇気を示さなければならぬ」

「どうしてですか?」

 才人には、現代“地球”の“日本”で育って来た者には、この状況に於いて“どうして、そこまでして、勇気などを示す必要があるのか”などを理解することは難しいだろう。

 ウェールズは、毅然として言い放った

「なぜか? 簡単だ。それは我らの義務なのだよ。“王家”に生まれた者の義務なのだ。内憂を払えなかった“王家”に、最後に課せられた義務なのだ」

「“トリステイン”のお姫さまは、貴男を“愛”しているんですよ。手紙にだって、亡命してって書いてあったでしょう?」

 才人がそう言うと、ウェールズは何かを思い出すように、微笑んで言った。

「“愛するがゆえに、知らぬふりをせねばならぬ時がある。愛するがゆえに、身を引かねばならぬ時がある”。私が“トリステイン”へ亡命したならば、“貴族派”が攻め入る格好の口実を与えるだけだ」

「それじゃあ、シオンは? 彼女も“王族”なんでしょう?」

「あの娘には、無責任なことかもしれないけど、“アルビオン”の復興を託すつもりだ。シオンにも、その覚悟はあるだろう」

「でも、でも……」

 才人は口籠った。

 ウェールズの決意は硬く、何があろうとここで死ぬつもりのようである。

 ウェールズは、才人の肩を掴んで、真っ直ぐに見つめた。

「先ほど言ったことは、アンリエッタとシオンには告げないでくれたまえ。要らぬ心労は、美貌を害するからな。彼女は可憐な華のようだ。君もそう思うだろう?」

 才人は首肯いた。

 ウェールズは目を瞑って言った。

「ただ、こう伝えてくれたまえ。“ウェールズ・テューダーは、勇敢に戦い、勇敢に死んで行った”と。それで十分だ」

 それだけ言うと、ウェールズは再び座の中心に入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シオンと俺は、ジェームズ1世との話を中断し、才人の元へと向かう。

 そして、シオンには部屋があるから問題はないのだが、俺たちはどこで寝れば良いのか判らず、近くにいた給仕へと尋ねる。

 そうして、部屋の場所を教えてもらっていると、才人の肩を後ろからワルドが叩き、俺たちをジッと見つめて来た。

「君たちに言っておかねばならぬことがある」

 ワルドは、冷たい声で言った。

「なんでしょう?」

「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」

 才人の言葉に返したワルドの返答を耳にし、才人の身体が固まる。

「こ、こんな時に? こんなとこで?」

「是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。皇太子も、快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」

 ワルド子爵の言葉に、才人は黙って首肯いた。

「君たちも出席するかね?」

 ワルドがそう尋ねるが、才人は首を横に振った。

「そうか。では、君たちは?」

「出席しよう、かな……?」

「“マスター”が出席するのであれば、俺も出席することになるな」

 ワルドからの質問に、シオンは頷き応え、俺もまたそれに続く。

「では“使い魔”君。明日の朝、直ぐに出発したまえ。私とルイズは“グリフォン”で……いや、君たちはどう帰るつもりだ?」

「問題はない。気にする必要はないよ、ワルド子爵」

 ワルドは途中で言葉を切って俺とシオンへと尋ねるが、俺はそれに対して答える。“宝具”を使用することで、解決できる問題だ。

「長い距離は、飛べないんじゃなかったでしたっけ?」

 そして、才人はぼんやりとしながら、小さな疑問を口にする。

「滑空するだけなら、話は別だ。問題ない」

 才人の疑問に、応えるワルド。

「では、君とはここでお別れだな」

「そ、そうですね」

 才人はガックリと肩を落とした。

 

 

 

 才人は真っ暗な廊下を、ロウソクの燭台を持って歩いている。

 廊下の途中に、窓が空いていて、そこから2つの月が見える。

 そして、そこで、1人、双月を見ながら涙ぐんでいる少女がいた。長い、桃色がかったブロンドの髪……白い頬に伝う涙は、まるで真珠の粒のようである。

 ツイと、ルイズは振り向き、才人に気付き、目頭をゴシゴシと拭う。が、やはり彼女の顔は再びフニャッと崩れる。

 才人が近付くと、彼女は力が抜けたかのように、彼へともたれかかる。

「なんで泣いてんだよ……?」

 ルイズは才人の胸に顔を押し当てると、ゴシゴシと顔を押し付け、ギュッと彼の身体を抱き締める。

 才人は何も言わず、ぎこちない手つきでルイズの頭を撫でた。

 泣きながら、ルイズは言った。

「嫌だわ……あの人たち……どうして、どうして死を選ぶの? 訳理解んない。姫さまが逃げてって言ってるのに……恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」

「大事なモノを守るためだって、言ってた」

「なによそれ。“愛”する人より、大事なモノがこの世にあるって言うの?」

「そんなの、俺にわかるもんか。王子さまが考えることなんて、俺にはわかんねえよ」

「シオンもシオンよ。どうして何も言わないの?」

「…………」

「わたし、説得する。もう1度説得してみるわ」

「駄目だ」

「どうしてよ?」

「だって、お前は手紙を姫さまに届けなくちゃいけないだろがよ。それがお前の仕事だろ。それに、姫さまと同じくらいシオンだって止めたいはずだ。でも、してない」

 ルイズは、涙をポロリと頬に伝わせながら、ポツリと呟くように言った。

「……早く帰りたい。“トリステイン”に帰りたいわ。この国嫌い。嫌な人たちと、お馬鹿さんでいっぱい。誰も彼も、自分の事しか考えてない。あの王子さまもそうよ。遺される人たちのことなんて、どうでもいいんだわ」

 才人は、今まで見たことのないルイズの無防備な表情を見て、硬い表情を浮かべた。

 才人のそんな顔を見て、ルイズは唇を噛んだ。

「……どうして、そんな顔するのよ。なにかいけないことした?」

「別に」

「理解ってるわよ。帰ったら、ちゃんと探して上げる。あんたが、元の世界に帰れる方法」

 ルイズは口籠りながら言った。

「……良いよ。手伝ってもらわなくても」

「どうしてよ?」

「お前、結婚すんだろ? 俺の帰る手がかりを探してる場合じゃねえだろ」

「呆れた。まだ気にしてるの? “ラ・ロシェール”の宿で言ったことね? 確かに、あの時は“結婚するわ”なんて言ったけど……でも、でも、本気じゃないわ」

 ルイズは才人から顔を背けた。

「まだ結婚なんかできないわよ。立派な“メイジ”にはなれてないし……あんたの帰る方法だって、見付けてないし……」

「良いよ。帰る方法は1人で探す。だからお前は結婚しろ」

「なによ! あんたは私の“使い魔”なんだから勝手なこと言わないで! きちんと、帰れる方法を見付けるまでは、わたしを守ってもらいますからね!」

 ルイズは、キッと才人を睨んで言った。

「俺じゃあ、お前を守れない」

 才人は肩を落とし、寂しそうに言った。

「旅をしてて、それが良くわかった。俺は、あの子爵やセイヴァーみたいに強くない。“伝説の使い魔”だ、“ガンダールヴ”だ、なんて言われたって、結局は普通の人間だ。戦い方も知らない。ただ、闇雲に剣を振り回すのが関の山だ。それじゃお前は守れない」

 ルイズは才人の頬をバチーンと叩いた。

「意気地なし!」

 才人は表情を変えずに言った。

「ルイズ、ここでお別れだ。お前は、子爵と“グリフォン”で帰れ。俺は“イーグル号”で帰る。帰ったら、元の世界に戻る方法を探す。今まで世話になったな」

「本気で言ってるの?」

「ああ」

「馬鹿!」

 ルイズは、目からポロポロ涙を零しながら怒鳴った。

 それでも才人は答えず、ルイズが震える様をジッと見つめるだけだ。

「あんたなんか嫌い。大っ嫌い!」

 才人は、目を伏せたまま呟いた。

「知ってるよ」

 ルイズはクルリと踵を返すと、そのまま暗い廊下を駆け出して行た。

 才人は頬を撫でた。

「さよならルイズ」

 小さい声で、才人は言った。

「さよなら、優しくて可愛い、俺のご主人さま」

 才人は、涙を溢れさせながら小さな声で言った。

 

 

 

 もう1人涙を湛える少女が1人いる。シオンだ。

「お兄さま……お父さま……」

 シオンは俺と2人切りになったと同時に、その華奢な身体を震わせて、両手で顔を覆っている。親兄弟、親友、“貴族”や貴婦人たちがいないということもあって、感情が爆発でもしたのだろう。

「ねえ、セイヴァー……あの時は言わなかったけど、貴男なら、“レコン・キスタ”に勝てるよね?」

「勝てる、だろうな。相手が“サーヴァント”や“幻想種”の上位に存在する“竜種”ではなくヒトであるのなら可能性がある、と言ったところだが」

「…………」

 質問をしたシオンだが、俺の回答に対して無言になる。

「ごめん、セイヴァー。今のは忘れて……」

「了解した」

 シオンの碧い目に大粒の涙を湛えて、皆が決めた事を、皆の想いを否定しないようにしようと努めている。彼ら彼女らを止めたい気持ちを抑えているのだ。

 家族が、友人が自ら死に行くのを黙って見ていることしかできない悲しみや無力感などが彼女へと襲いかかって来ているのであろう。

「……もしかしたら、この戦いの後、私はこの国を……」

 そう言いながら、シオンはベッドに横たわる。

 そして、感情によるモノと疲労によるモノからだろう。彼女はユックリと目を細め、寝息を立て始めた。

 



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決戦

 翌朝……。

 鍾乳洞に造られた港の中、“ニューカッスル”から疎開する人々に混じって、才人は“イーグル号”に乗り込む為に列に並んでいた。先日拿捕した“マリー・ガラント号”にも、脱出する人々が乗り込んでいる。

「“愛しているからこそ、引かねばならない時もある”、か……」

 背負ったデルフリンガーが、コソッと呟いた。喋れるように、鞘は払って紐で背中に吊るしているのである。

「言うな」

「どうしてだね?」

「お前に言われるとムカつく」

「“愛するがゆえに、知らぬふリをしなくてはならない時がある”……ねえ」

「だから言うなっつってんだろ?」

「わかったよ。相棒が言うな言うならもう言わねえ。でも、これからどーすんだね? あの娘っ子に暇を貰たのは良いが、行く宛があるのかね?」

 デルフリンガーが、惚けた声で尋ねる。

「行く宛なんかあるかっつの」

「じゃあ、相棒の元いた世界に戻る方法とやらを、探すかね?」

「探して、見付かるかよ。俺はこっちの世界に知り合い1人いないんだぜ?」

 才人は憮然として言った。

「ならば傭兵でもやるかね?」

「傭兵?」

「そうさ。剣1本、肩に担いで今日はこっちの戦場、明日はあっちの戦場と諸国を渡り歩くのさ。実入りは悪くねえし、暴れるのは愉しいぜ?」

 才人は呟いた。

「それも悪くねえかもな」

「なあに、俺と相棒なら、並大抵の奴には遅れを取るめえよ」

「錆び錆びのくせに、威勢だけは良いだからよ」

「ひでえ。でも許す。お前は相棒だかんね。ところで相棒、この前、ちょっと思い出したことなんだが……」

「なんだよ?」

「相棒、“ガンダールヴ”とか呼ばれてたよな?」

「ああ、“伝説の使い魔”だってよ。ま、伝説が聞いて呆れる弱さだけどな。俺ってば」

「んなことねえよ。この前は相手が悪かっただけさ。して、その名前なんだが……」

「どうした?」

「いやぁ、随分昔のことでな……なんかこう、頭の隅に引っかかってるんだが……」

 デルフリンガーは、ふむ、とか、ああ、とか、何度も呟いた。

「どうせなにかの勘違いだろ? つうかお前、剣じゃねえか。どの部分が頭なんだよ?」

 デルフリンガーはしばらく考え込んだ後、「たぶん、柄」と言って、才人を笑わせた。

 艦に乗り込む順番が、やっと才人に回って来た。

 タラップを登ると、そこは流石難民船といったふうであり、ギュウギュウにヒトが詰め込まれている鮨詰め状態といえ、甲板に座り込むこともできない。

 才人は舷縁に乗り出し、鍾乳洞を眺めた。

 次々に乗り込んで来る人々で、船上は込み始め、才人はグイグイと押される格好になった。

 

 

 

 

 

 その頃、“始祖ブリミル”の像が置かれた礼拝堂で、ウェールズは司祭として新郎と新婦の登場を待っている。

 周りには俺とシオンの2人が席に座って彼同様に待っているだけで、他の人間はいない。皆、戦の準備で忙しいのだ。ウェールズもまた、式が終了すると、直ぐに戦の準備に駆け付けるつもりをしている。

 そんなウェールズだが、今は礼装に身を包んでいる。明るい紫のマントは“王族”の象徴、そして冠った帽子には“アルビオン王家”の象徴である7色の羽が付いている。

 扉が開き、ルイズとジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが現れた。

 ルイズは戸惑いや自暴自棄などからか呆然と立っており、ワルドに促され、ウェールズの前に歩み寄った。

 ワルドは、そんなルイズに今朝方「今から結婚式をするんだ」と言って、“アルビオン王家”から借り受けた新婦の冠を彼女の頭に冠せた。その新婦の冠は、“魔法”の力で半永久的に枯れることがない花が配われ、なんとも美しく、清楚な造りをしている。彼女の黒いマントを外し、“アルビオン王家”から借り受けた純白のマントを纏わせた。新婦しか身に着けることを許されぬ、乙女のマントだ。ワルドの手によって着飾られても無反応を示すルイズに、彼は肯定の意思表示として受け取り、今こうしてここにいるのである。

 “始祖ブリミル”の像の前に立ったウェールズの前で、ルイズと並び、ワルドは一礼した。彼の格好は、いつもの“魔法衛士隊”の制服だ。

「では、式を始める」

 ウェールズの声が、ルイズの耳に届く。

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は“始祖ブリミル”の名に於いて、この者を敬い、“愛”し、そして妻とすることを誓いますか?」

 ワルドは重々しく頷いて、“杖”を握った左手を胸の前に置いた。

「誓います」

 ウェールズはニコリと笑って首肯き、今度はルイズに視線を移した。

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 朗々と、ウェールズが誓いの為の詔を読み上げる。

 だが、ルイズは自身の結婚式だというのに、それに相応しくない表情を浮かべていた。

 

 

 

 同時刻……“イーグル号”の艦上。

 舷縁に寄りかかっている才人の視界が一瞬、曇った。

「ん?」

「どうした? 相棒」

 才人の視界が、真夏の陽炎のようにボヤけ、左目の視界が揺らぐ。

「目が変だ」

「疲れてんだよ」

 デルフリンガーが、惚けた声で言った。

 

 

 

 

 

「新婦?」

 ウェールズがルイズを見詰め、彼女は慌てて顔を上げた。

 彼女は周囲を見回すと、先に座って見守っているシオンと俺とを見付けたのか視線を向けて来た。彼女の瞳は困惑や不安、寂しさなどが混じったモノになっており、そして同時に彼に助けを求めているようにも感じられる。

「緊張しているのかい? 仕方がない。初めての時は、事がなんであれ、緊張するモノだからね」

 ニッコリと笑って、ウェールズは続けた。

「まあ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は“始祖ブリミル”の名に於いて、この者を敬い、“愛”し、そして夫と……」

 だが、ルイズは深く深呼吸して、ウェールズの言葉の途中、首を横に振った。

「新婦?」

「ルイズ?」

 ウェールズとワルドの2人が怪訝な顔で、ルイズの顔を覗き込む。

 ルイズは、ワルドに向き直る。そして、哀しい表情を浮かべ、再び首を横に振った。

「どうしたね、ルイズ? 気分でも悪いのかい?」

「違うの。ごめんなさい……」

「日が悪いなら、改めて……」

「そうじゃない。そうじゃない。ごめんなさい、ワルド、わたし、貴男とは結婚できない」

 いきなりの展開に、ウェールズは首を傾げた。

「新婦は、この結婚を望まぬのか?」

「その通りでございます。御二方、そして参列してくれている2人には、大変失礼をいたすことになりますが、わたしはこの結婚を望みません」

 ワルドの顔に、サッと朱が差した。

 ウェールズは困ったように、首を傾げ、残念そうにワルドへと告げる。

「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続ける訳には行かぬ」

 しかし、ワルドはウェールズを見向きもせず、ルイズの手を取った。

「……緊張してるんだ。そうだろルイズ。君が、僕との結婚を拒む訳がない」

「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うわ」

 するとワルドは、今度はルイズの肩を掴んだ。そして、その目が吊り上がる。その表情は、普段の優しいモノなどではなく、冷たさを感じさせ、爬虫類を思わせるモノに変わった。

 そして彼は、熱っぽい口調で叫んだ。

「世界だ、ルイズ。僕は世界を手に入れる! その為に君が必要なんだ!」

 豹変した彼に怯えながら、ルイズは首を横に振る。

「……わたし、世界なんか要らないもの」

 ワルドは両手を広げると、ルイズに詰め寄った。

「僕には君が必要なんだ! 君の能力が! 君の力が!」

 そのワルドの剣幕に、ルイズは恐れをなした。

 そして、その言葉が決定的に、ワルドが彼女をどう思っているのかを理解させたのである。

「ルイズ、いつか言ったことを忘れたか!? 君は“始祖ブリミル”に劣らぬ、優秀な“メイジ”に成長するだろう! 君は自分で気付いていないだけだ! その才能に!」

「ワルド、貴男……」

 ルイズの声が、恐怖で震えた。

 

 

 

 “イーグル号”の艦上、才人は再び目を擦った。

「なんだよ相棒?」

「ホントに左目が変だ」

「だから疲れてんだよ」

 しかし、彼の左目の視界はますます歪んでいく。

 そうこうするうちに、左目は像を結んだ。

「――うわ!? なにか見える!」

 才人は叫んだ。

 果たしてそれは、誰かの視界だったのだから。

 左目と右目が別々のモノを見ていると言って良い、異常な状況や状態に置かれているのである。

「見える……」

「なにが見えるんだ? 相棒」

「これは、たぶん、ルイズの視界だ」

 才人は、いつかルイズが「“使い魔”は、主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」と言っていたことを思い出した。

 そして、彼の左手甲に刻まれた“ルーン”が、“武器”を握っている訳ではなにというのに、光り輝いている。

 そう、これもまた“伝説の使い魔”である“ガンダールヴ”の能力の1つなのである。

 

 

 

 ルイズに対するワルドの剣幕を見かねたウェールズが、間に入って執りなそうとする。

「子爵……君はふられたのだ。潔く……」

 が、ワルドはその手を撥ね退ける。

「黙っておれ!」

 ウェールズは、彼の言葉に驚き、立ち尽くした。

 ワルドはルイズの手を握った。

「ルイズ! 君の才能が僕には必要なんだ!」

「わたしは、そんな、才能のある“メイジ”じゃないわ」

「だから何度も言っている! 自分で気付いていないだけなんだよルイズ!」

 ルイズは彼の手を振り解こうとするが、物凄い力で握っているのだろう、振り解くことができず、彼女は苦痛に顔を歪める。

「そんな結婚、死んでも嫌よ。貴男、わたしをチッとも“愛”していないじゃない。わかったわ、貴男が愛しているのは、貴男がわたしにあると言う、ありもしない“魔法”の才能だけ。ひどいわ。そんな理由で結婚しようだなんて。こんな侮辱はないわ!」

 ルイズは暴れた。

 ウェールズが、ワルドの肩に手を置いて、引き離そうとする。が、彼に突き飛ばされてしまう。

 突き飛ばされたウェールズの顔に、赤みが奔り、立ち上がり“杖”を抜く。

 シオンもまた、友人の危機に、そして兄が突き飛ばされたのを目にして、“杖”を引き抜き、ワルドへと向ける。

「うぬ、なんたる無礼! なんたる侮辱! 子爵、今直ぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ! さもなくば、我が“魔法”の刃が君を切り裂くぞ!」

「ルイズを離して」

 ワルドは、そこでやっとルイズから手を離した。そしてどこまでも優しい笑顔を浮かべる。が、その笑みは嘘に塗り固められたモノだ。

「こうまで言っても駄目かい? ルイズ、僕のルイズ」

 ルイズは怒りで震えながら言った。

「嫌よ、誰が貴男と結婚なんかするもんですか」

 ワルドは天を仰ぐ。

「この旅で、君の気持ちを掴む為に、随分努力したんだが……」

 両手を広げて、ワルドは首を振った。

「こうなっては仕方ない。ならば目的の1つは諦めよう」

「目的?」

 ルイズは首を傾げた。

 ワルドは唇の端を吊り上げ、禍々しい笑みを浮かべる。

「そうだ。この旅に於ける僕の目的は4つあった。その2つは達成できたけどでも、良しとしなければな」

「達成? 2つ? どういうこと?」

 ルイズ不安に慄きながら、尋ねた。

 そして、シオンは“杖”を構え、彼へと向けながらジリジリと躙り寄る。彼が動いた瞬間に対応できるように。

 ワルドは、右手を掲げると、人差し指を立てて見せた。

「まず1つは君だ、ルイズ。君を手に入れることだ。しかし、これは果たせないようだ」

「当たり前じゃないの!」

 次にワルドは中指を立てる。

「2つ目の目的は、ルイズ、君のポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」

 ルイズとシオンはハッとする。

「ワルド、貴男……」

「そして3つ目……」

 ワルドの「アンリエッタの手紙」という言葉で、全てを察したウェールズが、“杖”を構え、シオンもまた同時に2人が“呪文”を“詠唱”する。

 が、ワルドは“二つ名”の“閃光”のように素早く“杖”を引き抜き、“呪文”の“詠唱”を完成させた。

 俺も3人の動きと同時に、駆け出してワルドから“杖”を奪おうと思った。

 が――。

 ワルドは、風のように身を翻らせ、ウェールズの胸を青白く光るその“杖”で貫いた。

「き、きさま……“レコン・キスタ”……」

 ウェールズの口から、ドッと鮮血が溢れる。ルイズ、そしてシオンは悲鳴を上げた。

 ワルドはウェールズの胸を光る“杖”で深々と抉りながら呟いた。

「3つ目……貴様の命だ。ウェールズ」

 どう、とウェールズは床に崩れ落ち、シオンはそんな兄の元へと疾走り寄る。

「“貴族派”! 貴男、“アルビオン”の“貴族派”だったのね! ワルド!」

 ルイズは、喚きながら怒鳴った。

 そう、彼は裏切り者なのである。

「そうとも。いかにも僕は、“アルビオン”の“貴族派”――“レコン・キスタ”の一員さ」

 ワルドは冷たい、感情が篭っていない声で応えた。

「どうして!? “トリステイン”の“貴族”である貴男がどうして!?」

「我々は“ハルケギニア”の将来を憂い、国境を超えて繋がった“貴族”の連盟さ。我々に国境はない」

 そう言って、ワルドは再び“杖”を掲げる。

「“ハルケギニア”は我々の手で1つになり、“始祖ブリミル”の光臨させし、“聖地”を取り戻すのだ」

「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。なにが貴男を変えたの? ワルド……」

「月日と、数奇な“運命”の巡り合わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今ここで語る気にはならぬ。話せば長くなるからな」

 ルイズは思い出したように“杖”を握ると、彼目がけて振ろうとする。

 が、ワルドは難なく弾き飛ばし、彼女の“杖”は床を転がる。

「そして、4つ目……」

 そう言って、ワルドは青白く光り輝く“杖”をシオンへと向け、振るう。

「流石に、これ以上は見過ごせないな……ワルド」

「君たち、異分子――“サーヴァント”とその“マスター”を殺すことだ……が、これも駄目そうだな」

 一瞬で、俺はウェールズの元で泣き崩れているシオンの前へと移動し、間に立ち塞がる。

「救けて……」

 ルイズは蒼白な顔になって、後退り、腰を落とす。

 ワルドは首を横に振った。

「だから! だから共に、世界を手に入れようと言ったではないか!」

 風の“魔法”の1つである“ウィンド・ブレイク”が飛ぶ。

 俺は、シオンとルイズ、遺体となったウェールズを“転移”で離れさせる。ただし、短距離転移――少し、場所がズレた、横に移動して回避しただけだ。

「やはり君たちは厄介な存在だ」

「俺たちの事を知っているのか……誰に聞いたのか、それとも調べたのか……」

 もう1度、ワルドは“ウィンド・ブレイク”を唱え、俺へと向けて放つ。

「嫌だ……救けて……お願い……」

 ルイズは呪文のように、繰り返し言葉を続ける。

 シオンの慟哭が礼拝堂に響く。

 それに対し、ワルドは俺とシオン、ルイズの3人へと向けて“ライトニング・クラウド”の“呪文”を唱え、放つ。才人の左腕を焦がした、あの電撃の“呪文”である。ヒトがまともに受けてしまうと、無事では済まないだろう威力を持っている。

 俺の身体は1つしかなく、思わずシオンに向けられたモノを防ぐ。

 ルイズを守ることができず、彼女にそれは直撃してしまった。

 痛みと衝撃、痺れなどから、ルイズは一瞬だが息を止めてしまう。彼女は幼子のように怯え、涙を流した。

「サイト! 救けて!」

 もう1度ワルドは、同じ“呪文”を“詠唱”する。再び、ターゲットは3つ、いや、4つだ。泣きじゃくるシオン、怯え叫ぶルイズ、息を引き取ったウェールズ、そして俺。

 “呪文”が完成し、ワルドが“杖”を振り下ろそうとしたその瞬間……。

 礼拝堂の壁が轟音と共に崩れ、外から烈風が飛び込んで来た。

 

 

 

「貴様……」

 ワルドが呟く。

 壁を打ち破り、間一髪飛び込んで来た才人が、ワルドの“杖”をはっしとデルフリンガーで受け止めた。

 才人はデルフリンガーを横殴りに払い、ワルドは飛びすさり回避する。

 才人はルイズとシオン、ウェールズ、そして俺をチラッと横目で見た。

 ルイズは失神したのか、絶叫と共に床に倒れ、ピクリとも動かない。シオンは未だウェールズに抱き着き、慟哭し、天へ咆哮するかのように泣いている。

 それだけで、十分過ぎるくらいに状況などを理解したのだろう。

 才人は、火のような怒りを含んだ目をして、眼光だけで殺すことができるような勢いでワルドを睨み付ける。

 唇をギリッと強く噛み締め、才人は唸った。

「赦さねえ」

「なぜここがわかった? “ガンダールヴ”」

 残忍な笑みを浮かべ、ワルドが嘯く。

 才人は答えずに、怒りに任せてデルフリンガーを叩き付ける。が、デルフリンガーは床を砕いただけであり、ワルドは高く跳び上がって難なく回避してみせている。

「そうか、なるほど、主人の危機が眼に映ったか」

 ワルドは“始祖ブリミル”の像の横に立つと、余裕の態度を見せるように腕を組んだ。

「よくもルイズを騙しやがって……シオンを……ウェールズさんを……」

 才人は叫んで、剣を腰溜めにして突っ込む。が、ワルドはそれを跳んで躱し、優雅に着地した。

「目的の為には、手段を選んでおれぬのでね」

「ルイズはてめえを信じていたんだぞ! 婚約者のてめえを……幼い頃の憧れだったてめえを……」

「信じるのはそちらの勝手だ」

 ワルドのその言葉には、気の所為か罪悪感などが紛れているように感じられる。だが、謝罪をすることも必要性も感じていないのか、彼は“杖”を振り、“呪文”を発した。

 才人はデルフリンガーで受け止めようとするが、“ウィンド・ブレイク”が彼を吹き飛ばし、壁に打ち当たってしまい、呻きを上げた。

「どうした? “ガンダールヴ”。動きが鈍いではないか。せいぜい、僕を愉しませるんだな」

 残忍な笑みを浮かべ、ワルドが嘯く。

 そんな彼へと才人がまた突撃しようとする。

「待て才人。闇雲に突っ込むのは自殺行為だ」

「シオンが泣いてるんだぞ! 赦せるのかよ!?」

「当然だがそれはない。が、覚悟も策もなしに自ら死にに行くような奴を放っておくことができる訳もないだろう。まあ、そもそも識っていながらもなにもしなかった俺が悪いのだがな……」

「なら、どうするんだよ!?」

 その時、デルフリンガーが叫んだ。

「思い出した!」

「なんだよてめえ、こんな時に!」

「そうか……“ガンダールヴ”か!」

「なんだよ!?」

「いやぁ、俺は昔、お前に握られてたぜ。“ガンダールヴ”。でも忘れてた。なんせ、今から6,000年も昔の話だ」

「寝言言ってんじゃねえ!」

 デルフリンガーの言葉に、叫び、返す才人。

 だが、当然会話終了を待つことはなく、ワルドは“ウィンド・ブレイク”を唱え、放つ。

 俺はそれを防ぎ、才人は回避しようとするが、彼はそれを喰らって派手に吹き飛んでしまう。

「懐かしいねえ。泣けるねえ。そうかぁ、いやぁ、なんか懐かしい気がしてたが、そうか。相棒、あの“ガンダールヴ”か!」

「いい加減にしろ!」

「嬉しいねえ! そう来なくっちゃいけねえ! 俺もこんな格好してる場合じゃねえ!」

 叫ぶ成り、デルフリンガーの刀身が光りだす。

 才人は一瞬、呆気に取られてデルフリンガーを見詰めた。

「デルフ? はい?」

 再びワルドは“ウィンド・ブレイク”を唱えた。

 猛る風が、俺と才人目かけて吹き荒ぶ。

 俺はユックリと手を前に向け、“魔力”を放出して防ぐ。

 そして、才人は、咄嗟に光り出したデルフリンガーを構えた。

 それを見て、ワルドは「無駄だ! 剣では避けられないと理解っただろうが!」と叫ぶ。

 が、しかし、才人を吹き飛ばすかのように思えた風が、デルフリンガーの刀身に吸い込まれて行った。

 そして……。

 デルフリンガーは今まさに研がれたかのように、光り輝いていた。

「デルフ? お前……」

「これがホントの俺の姿さ! 相棒! いやぁ、てんで忘れてた! そういや、飽き飽きしてた時に、てめえの身体を変えたんだった! なにせ、面白いことはありゃしねえし、つまらん連中ばっかりだったからな!」

「早く言いやがれ!」

「仕方ねえだろ。忘れたんだから。でも、安心しな相棒。ちゃちな“魔法”は全部、俺が吸い込んでやるよ! この“ガンダールヴ”の左腕、デルフリンガー様がな!」

 興味深そうに、ワルドは才人が握っている剣――デルフリンガーを見詰めた。

「なるほど……やはりただの剣ではなかったようだ。この私の“ライトニング・クラウド”を軽減させた時に、気付くべきだったな」

 それでも、ワルドは余裕の態度を失わない。

 “杖”を構えると、薄く笑った。

「さて、ではこちらも本気を出そう。なぜ、“風”の“魔法”が最強と呼ばれるのか、その所以を教育いたそう」

 俺と才人は互いに見つめ合い、首肯き合った。

 そして、才人は飛びかかったが、ワルドは軽業師のように剣戟を躱しながら“呪文”を唱える。

「“ユビキタス・デル”――」

 だが、そこに俺は“隕鉄の鞴”――“遥かな過去に地上に落ちた霊石”で生み出された剣――“regnum caelorum et gehenna(レグナム・カエロラム・エト・ジェヘナ)――天国と地獄”と銘が掘られた剣――“原初の火(アエストゥス エストゥス))”を“投影”し、ワルドへと振り被る。

 が、それをワルドは高く跳躍し、回避してみせ、残りの“詠唱”である「“ウィンデ”」を口にした。

 すると、ワルドの身体はいきなり分身した。

 1つ……2つ……3つ……4つ……本体と合わせて、5人のワルドが俺たちを取り囲む。

「分身かよ!」

「ただの分身ではない。“風のユビキタス”――“偏在”……風は偏在する。風の吹く所、どことなく彷徨い現れ、その距離は意志の力に比例する」

 ワルドの分身の1体が、スッと懐から真っ白の仮面を取り出し、顔に着けた。

 才人の身体が、怒りと恐怖で震える。桟橋で、彼に攻撃し、電撃を喰らわせたのは他ならぬワルドであったのだ。

「仮面の男……てめえだったのかよ……じゃあ、あのフーケを脱獄させたのも、てめえだったんだな。分身の術とは、また器用だな。おまけにどこにでも現れるってか?」

「いかにも。しかも1つ1つが意思と力を持っている。言ったろう? “風”は偏在する!」

 5人のワルドが、“呪文”を唱えながら俺たちへと躍りかかる。

 その“杖”が青白く光り輝く。ウェールズの胸を貫いた“呪文”――“エア・ニードル”だ。

「“杖”自体が“魔法”の渦の中心だ。その剣で吸い込むことはできぬ!」

 ワルドが持つ“杖”が細かく震動している。

 回転する空気の渦が、鋭利な切っ先となり、俺と才人の身体へと向かって来る。が、俺と才人はそれぞれ“原初の火(アエストゥス エストゥス)”とデルフリンガーで受け、流す。

 だが、相手は5人である為、捌き切れなかった才人は、腕に一撃を受け、転んでしまう。

 ワルドは愉しそうに嘲笑った。

「“平民”にしてはやるではないか。流石は“伝説の使い魔”といったところか、しかし、やはりただの骨董品であるようだな。“風”の“偏在”に手も足も出ぬようではな!」

 そう言って、次に俺へと目を向けるワルド。

「そして、貴様だ。“サーヴァント”……やはり貴様は今後邪魔になるだろう。今のうちに、退場して貰おうか」

「ふむ……先ほどからのその言動、“聖杯戦争”を知っているようだな」

「ふん! もちろん知っている。“始祖ブリミル”が遺されし、“水のルビー”と“炎のルビー”、“土のルビー”、“風のルビー”、“始祖の祈祷書”、“始祖の円鏡”、“始祖の香炉”、“始祖のオルゴール”……そして、万能の、願いを叶えるとされる“聖杯”。その“聖杯”を巡って、過去に何度も殺し合いがあった。“魔法研究所(アカデミー)”が造ろうとしているような紛い物とは別の!」

「ふむ……」

 そのワルドの言葉を聞いて、俺は首肯く。

 この世界、この世界線においてはそうなっているのである。

「7人の“メイジ”が“使い魔”をそれぞれ“召喚”して殺し合い、生き残った1人が手にすることができると聞いていたが、まさかその“使い魔”がヒトとは思わなかったよ」

「それで? お前も“聖杯”を欲しているのか?」

「まさか、そんな訳ないだろう。だが、そうだな。僕は世界を手に入れる。その為に手にするのも悪くないだろうな」

 そう言って笑うワルド。

 会話は終了といった風に、ワルドは“杖”を振り、もう1度“エア・ニードル”を使用し、向かって来る。

「おい、伝説の剣! お前、初代“ガンダールヴ”が使ってた剣なんだろ! デルフ!」

「いかにもその通り。で、なんだね?」

「伝説っぽいこと、もっとやってくれ。このままじゃ殺される」

「光ったし、敵の“魔法”を吸い込んでやったじゃねえか」

「いや、こう、なんて言うの? 必殺技? 相手を一撃で吹っ飛ばすような……」

「んなもんねえよ。おりゃあ、剣だってのよ」

「使えねえ! なにが伝説だよ! セイヴァーが使ってる剣の方が凄いじゃねえか!」

「いやまあ、そんなこと言われてもなあ……伝説つってもその程度だって。セイヴァーのアレが可怪しいだけ」

 そう才人とデルフリンガーは会話をしながら、どうにか2人のワルドからの刺突攻撃を往なしている。

 ワルドたちは激しく打ち込んで来る。

「このままじゃ負けるよ! 殺されるよ!」

「ったく、情けねえ奴だなぁ!」

「どうにかできないのかよ、セイヴァー!?」

「できることはできるが、ここは狭過ぎる。派手なのは使えないし、殺すことに特化したモノばかりだしな」

 そこで俺に振られ、俺は残り3人のワルドからの攻撃を往なす。

(“偏在”――“風のユビキタス”か……それが“魔力”で構成されてるなら、あれが効くか……)

 その時……俺たちが戦っている15“メイル”ほど離れた所で、失神していたルイズが目を覚ました。俺たちが剣戟を行っているのを目にすると、ハッとした顔になる。

 同時に、シオンは未だ嗚咽混じりではあるが泣き止み、俺たちへと目を向ける。

 そして、2人同時に“杖”を掲げた。

「良いから逃げろ! 馬鹿!」

 才人が叫ぶが、2人はやめない。

 “ファイア・ボール”の“呪文”を“詠唱”し、“杖”を振る。

 その“呪文”が、1人のワルドに打つかり、表面が爆発する。ボゴンッ! と激しい音を立て、分身のワルドが1人消滅した。

 それを目にして、ルイズとシオンが呆気に取られ見つめる。

「え? 消えた? わたしの“魔法”で?」

 だが、残ったワルドの1人が、呆けているルイズ、そしてシオンへと躍りかかろうとする。

 才人が「逃げろ!」と叫ぶが、ルイズとシオンは迎撃しようとしているのか再び“呪文”を唱えようとする。

 そんな彼女たちを、ワルドの“杖”が吹き飛ばした。

 才人の目が広がり、怒りが彼の身体を震わせ、獣のような咆哮を漏らす。

「よくもルイズを……」

「馬鹿、感情に振り回されるな、才人」

 シオンとルイズを吹き飛ばしたワルドが再び加わり、剣戟を加えて来る。

 しかしながら、才人の動きは次第に速さを増して行く。

 そんな才人からの猛烈な攻撃を受け、往なしている2人のワルドだが、彼らは少しばかり息を荒くする。

 往なし、剣戟を加えながら、ワルドが才人へと問う。

「どうして死地に帰って来た? お前を蔑むルイズの為、どうして命を捨てる? “平民”の思考は理解できぬな!」

 才人はデルフリンガーを振り回しながら、怒鳴った。

「じゃあなんで貴様はルイズを殺そうとした!? 婚約者だろうがよ!」

「ほほう、やはりお前、ルイズに恋していたのか? 適わぬ恋を主人に抱いたか! 滑稽なことだ! あの高慢なルイズが、貴様に振り向くことなどありえまいに! 細やかな同情を恋と勘違いしたか! 愚か者め!」

「恋なんかしてねえよ!」

 才人は唇をギリッと噛んで怒鳴った。

「ただ……」

「ただ、なんだね?」

「ドキドキすんだよ!」

「なんだと?」

 ワルドが戸惑った表情を浮かべた。

「ああ! 顔見てると、ドキドキすんだよね! 理由なんかどうだって良い! だからルイズは俺が守る!」

 才人は絶叫した。

「良く言った才人! それでこそだ!」

 俺の口角が自然と吊り上がり、3人のワルドからの剣戟を往なしながら、ニヤリとした表情を浮かべてしまう。

 才人の左手甲にある“ルーン”が光る。その輝きを受け、デルフリンガーが光る。

「良いぞ! 良いぞ相棒! そう! その調子だ! 思い出したぜ! 俺の知ってる“ガンダールヴ”もそうやって力を溜めてた! 良いか相棒!」

 才人の剣――デルフリンガーが、ついに1人のワルドを斬り裂き、倒す。

「なぬ?」

 残ったワルドたちが、顔を歪めて呻いた。

「“ガンダールヴ”の強さは心の震えで決まる! 怒り! 悲しみ! “愛”! 喜び! なんだって良い! とにかく心を震わせな、俺の“ガンダールヴ”!」

 才人はデルフリンガーを斬り上げた。

 かなりのスピードが出たこともあり、間合いを読み切れなかったワルドが斬り上げられ、消滅する。

「き、貴様……」

「忘れるな! 戦うのは俺じゃねえ! 俺はただの道具に過ぎねえ!」

 分身であるワルドが1人、才人へと向かう。

 才人は空中高く跳び上がると、デルフリンガーを振り被る。

 分身であるワルドもまた跳躍する。

「空は“風”の領域……貰ったぞ! “ガンダールヴ”!」

 ワルドの“杖”が、才人の身体に伸びる。が、才人は風車のようにデルフリンガーを振り回す。

 デルフリンガーが叫ぶ。

「戦うのはお前だ、“ガンダールヴ”! お前の心の震えが、俺を振る!」

 次の瞬間、跳躍をして“杖”を突き出した分身のワルドが斬り裂かれた。

 才人は着地をするが、疲労からだろう、よろけて、膝を突いた。

「ああ、相棒。無茶をすればそれだけ“ガンダールヴ”として動ける時間は減るぜ。なんせ、お前さんは “主人の呪文詠唱を守るだけに生み出された使い魔”だからな」

 デルフリンガーが説明した。

「ほう……これは負けていられないな」

 そう言って、俺は“原初の火(アエストゥス エストゥス)”を消し、“神造兵装”である“乖離剣エア”を“投影”する。

 赤い円柱状の石版を3つ組み合わせた刀身と金色の大きな柄を持つ、黒い模様が入った突撃槍や杖に酷似した剣。3つの石版はそれぞれ“天”、“地”、“冥”を表し、それぞれが別方向に回転し、“世界”――“宇宙”を表している。世界を文字通り、斬り裂いた、天と地を分け世界を生み出した剣。

 本来“投影”などできるはずもない、剣。

「そ、その、剣は……いや、杖? 剣、なのか、それは……!?」

 見た目、発せられている“魔力”などなど……それら総ては場を圧倒し、支配するだけの力がある“乖離剣”を前にして、ワルドは息を呑んだ。

 当然、才人とデルフリンガーもだ。

 もし、これを目にすることがあれば、どの“英霊”であっても平静さを保つことは難しいだろう。

「お、おでれーた……」

「この剣はな、“世界”を、文字通り“天と地を斬り分けた”剣……かつて、剣という概念が生まれる前に生み出されたモノだ。わかるな? これは、お前たちの言う“(最強)”を容易く斬り裂く、上位の存在だ」

 回転をしている刀身、その速度を加速させる。

 周囲は吹き荒び、それはワルドが生み出したどの“風”よりも強く、荒々しく、そして威厳と“神秘”に満ちたモノだ。

 周りの瓦礫が浮き上がる。

「まあ、目的の1つが果たせただけで良しとしよう。どの道ここには、直ぐに我が“レコン・キスタ”の大群が押し寄せる。ほら! 馬の蹄と竜の羽音が聞こえるだろう!?」

 逃げ腰になりながら、ワルドがそう叫ぶ。

 確かに、外から大砲の音や、“火”の“魔法”による爆発音などが遠くから聞こえる。そして、戦う“貴族”や兵士の怒号や断末魔の声がそれら轟音に入り混じっているのがわかる。

「愚かな主人共々に灰になるが良い! “ガンダールヴ”! “サーヴァント”!」

 そう捨て台詞を残し、ワルドは壁に開いた穴から、飛び去った。

 残された才人は、デルフリンガーを杖代わりにヨタヨタと這うように歩き、ルイズに近寄った。

 俺もまた、“乖離剣エア”に申し訳無さを覚えながら消し、シオンの元へと向かう。

 

 

 

「ルイズ!」

 才人はルイズを抱え起こす。が、彼女は目を覚まさない。

 それはシオンも同様だ。

「気を失っているだけだ……」

 俺の言葉を聞いて、才人はルイズの胸に耳を押し当て鼓動を確認した後に、首肯く。そして、ホッと胸を撫で下ろした。

 ルイズは、シオンも、才人も、3人共ボロボロだった。彼女たち“メイジ”のマントは所々が破れ、膝と頬を擦り剥いている。

 ルイズは胸の辺りで、手を硬く握っている。その下の胸ポケットのボタンが外れ、中からアンリエッタ姫殿下の手紙が顔を覗かせている。どうやら彼女は、意識を失ってもなお、この手紙だけは守るつもりでいるようである。

 シオンもまた、ボロボロの状態だ。泣き疲れて眠ってしまっているのだろう。

「しかし、相棒、セイヴァー……どうするね? “イーグル号”はとっくに出港しちまったし……」

「ん?」

「ん? じゃねえよ。ほら、外の喚きが聞こえるだろう? 皇太子のいねえ王軍は、あっと言う間に負けちまったみてえだぜ? 直ぐに敵はここまでやって来るだろうよ」

 才人にデルフリンガーが言う通り、怒号、爆発音は既に城の内部まで迫っている。ここに敵が押し寄せるのも、時間の問題であると言えるだろう。

 才人は、ルイズをソッと椅子の上に寝かせた。

 そして、守るように彼女の前に立ち塞がる。

「なにをする気だ?」

「ルイズを守る」

 デルフリンガーの質問に、才人は答える。すると、デルフリンガーは、ピクピクと震えた。

「ま、それより他にすることはあるめえな。相棒は“ガンダールヴ”で、この“貴族”の娘っ子は相棒の主人だしたなあ。ま、短い付き合いだったが、楽しかったぜ。相棒」

「ふざけたこと言うんじゃねえ」

「あん?」

「俺も、ルイズも、お前も、シオンもセイヴァーも生き残る」

「王さまの演説を聞いただろうが。敵は50,000だってよ」

「関係ねえ」

 才人は力を振り絞って、デルフリンガーを握り締めた。

「ふむ。たかだか50,000……相手がヒトであるのなら、“サーヴァント”である俺にはなんの問題もない。“国を相手取っても恐れはせん”」

 才人と俺の言葉に、デルフリンガーの震えがますます酷くなる。

「気に入ったぜ! そうこなくっちゃいけねえ。そうだな、たかが50,000だ。散歩に出かけるみてえなもんだ!」

 そうして、才人はデルフリンガーを構え、礼拝堂を睨む。いずれ現れる、敵を待ち構えて……。

 だが当然、敵が来ることはなく、その時……。

 ポコッと、シオンが横たわっている隣の地面が盛り上がる。

「なんだ?」

 才人は地面を見詰めた。

「敵か? 下から来やがったか?」

「いや、待て才人」

 デルフリンガーを振り下ろそうとする才人を、手と言葉をもって制する。

 それと同時に、ボコッと床石が割れ、茶色の生き物が顔を出した。

 その茶色の生き物は、隣のシオンと、椅子の上で横たわっているルイズを見付けると、モグモグと嬉しそうな様子を見せる。

「お前……巨大モグラのヴェルダンデじゃねえか! 確かギーシュの“使い魔”の!」

 才人がそう怒鳴った時、ヴェルダンデが出て来た穴から、ヒョコッとギーシュが顔を出す。

「こら! ヴェルダンデ! お前はどこまで穴を掘る気なんだね!? 良いけど! って……」

 土に塗れたギーシュは、そこで呆けたように佇む才人と、ヴェルダンデを見つめる俺、椅子に横たわったルイズ、地面に横たわっているシオンに気付き、惚けた声で言った。

「おや! 君たち! ここにいたのかね!」

「な、なんでお前がここにいるんだよ!?」

 才人は怒鳴った。

「いやなに。“土くれのフーケ”との一戦に勝利した僕たちは、寝る間も惜しんで君たちの跡を追いかけたんだ。なにせこの任務には、姫殿下の名誉が賭かっているからね」

「ここは雲の上だぞ! どうやって!?」

 そう才人が問いかけた時、ギーシュの傍らから、キュルケが顔を出して答えた。

「タバサのシルフィードよ」

「キュルケ!」

 才人が驚いた声を上げる。

「“アルビオン”に着いたは良いが、なにせ勝手がわからぬ異国だからね。このヴェルダンデがいきなり穴を掘り始めたんだよ。後をくっ着いて行ったら、ここに出たって訳」

 ヴェルダンデはフガフガとルイズの指に光る“水のルビー”に鼻を押し付けており、ギーシュはうんうんと首肯いた。

「なるほど。“水のルビー”の匂いを追いかけて、ここまで穴を掘ったのか。僕の可愛いヴェルダンデは、なにせ、飛びっ切りの宝石が大好きだからね。“ラ・ロシェール”まで、穴を掘ってやって来たんだよ、彼は」

 才人は呆れて口を開けた。

「ほう、それは凄いな。帰ったら、褒美を与えてやると良い」

「もちろんそのつもりだよ」

 俺の言葉に、ギーシュは首肯いた。

「ねえ聞いて? あたし、もうちょっとであのフーケを捕まえるとこだったんだけど、逃げられちゃった。あの女ってば、“メイジ”のくせに終いにゃ走って逃げたわ。ところでダーリン、ここでなにをしているの?」

 キュルケが顔に付いた土をハンカチで拭いながら、才人へと問いかける。

 才人は震える声で言った。

「は、は、はは……」

「葉っぱ? 葉っぱがどうしたの?」

「話は後だ! 敵が直ぐそこまで来てるんだ! 逃げるぞ!」

「逃げるって、任務は? ワルド子爵は?」

「手紙は手に入れた! ワルドは裏切り者だった! 後は帰るだけだ!」

 ギーシュの疑問に、才人は叫ぶように答える。

「なぁんだ。良くわかんないけど、もう、終わっちゃったの」

 キュルケはつまらなさそうに言った、

 才人は、ルイズを抱えて穴に潜ろうとする時、事切れているウェールズに目を向ける。

 才人は目を閉じて、軽く黙祷した。

「おーい! なにをしてるんだね!? 早くしたまえ!」

「少しだけ待ってくれ」

 ギーシュの呼びかけに、才人の代わりに俺が応える。そして、俺もまた目を閉じて黙祷をする。

「セイヴァー……」

「理解している。さっさと済ませるぞ」

 才人は首肯き、アンリエッタに渡すことができそうな形見の品はないかと、ウェールズの身体を探った。

 そして、“アルビオン王家”に伝わっている、“始祖ブリミル”が遺したモノの1つ――彼が指に嵌めた大粒のルビー――“風のルビー”に目が止まる。

 才人は急いで、それを彼の指から外し、ポケットに収めた。

「勇敢な王子さま……貴男のことは忘れません」

 才人は呟いた。

「俺は、俺が信じるモノを守り抜くことを、貴男に誓います」

 才人はそう言って一礼し、穴に駆け戻った。

「勇敢な戦士、王子よ。そして、優しく強い王よ。お前たちの家族を守り抜くことを、ここに誓う……だから――」

 ギーシュとキュルケに託し、先に穴の中に入ったシオンの事を想う。

 俺もまた才人に続き、穴に潜る。

 その直後、礼拝堂に王軍を打ち破った“貴族派”の兵士や“メイジ”が飛び込んで来た。

 

 

 

 ヴェルダンデが掘った穴は、“アルビオン大陸”の真下に通じていた。

 俺たちが穴から出ると、既にそこは雲の中だ。

 そこに、落下する俺たち6人とヴェルダンデを、シルフィードが受け止める。が、ヴェルダンデは口に咥えられたので、彼は抗議の鳴き声を上げた。

「我慢しておくれ、可愛いヴェルダンデ。“トリステイン”に降りるまでの辛抱だからね」

 シルフィードは、緩やかに降下して雲を抜けると、“魔法学院”を目指し、力強く羽撃いた。

 才人はルイズを抱えたまま、“アルビオン大陸”を見上げた。

 俺もまた、シオンを抱えたまま、見上げる。

 雲と空の青の中、“アルビオン大陸”――“白の国”が遠ざかる。彼女の故郷が遠ざかって行く。

 意識を失っているシオンだが、彼女の白い頬は血と土で汚れ、涙の跡が残っている。

 俺はそれを拭い、目を閉じた。

 



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零番目の系統

 “トリステイン”の“王宮”は、“ブルドンネ街”の突き当りにあった。“王宮”の門の前には、当直の“魔法衛士隊”の隊員たちが、“幻獣”に跨り闊歩、警備している。戦争が近いという噂が、ここ2~3日前から街に流れ始めているのである。隣国“アルビオン”を制圧した“貴族派”――“レコン・キスタ”が、“トリステイン”に侵攻して来るという噂であった。

 従って、周りを守る“衛士隊”の空気は、自然ピリピリとしたモノになっている。“王宮”の上空は、“幻獣”、“フネ”を問わず飛行禁止令が出され、門を潜る人物のチェックも激しく厳しいモノになる。

 いつもであればなんなく通される仕立て屋や、出入りの菓子屋の主人までもが門の前で呼び止められ、身体検査を受け、“ディテクトマジック”で“メイジ”が化けていないか、“魅了”の“魔法”などで何者かに操られていないか、などの検査を厳重に受けるのである。

 そんな時だったから、“王宮”の上に1匹の“ウィンドドラゴン”(化)が現れた時、当然警備の“魔法衛士隊”の隊員たちは色めき立った。

 “魔法衛士隊”は三隊からなっている。三隊はローテーションを組んで、王宮の警護を司るのである。一隊が詰めている日は、他の隊は非番か訓練を行っているという風である。

 今日の警備は“マンティコア隊”であった。“マンティコア”に騎乗した“メイジ”達は、“王宮”の上空に現れた“ウィンドドラゴン”(化)目がけて一斉に飛び上がる。“ウィンドドラゴン”(化)の上には7人の人影がある。しかも、“ウィンドドラゴン”(化)は“ジャイアントモール”を咥えている。

 “魔法衛士隊”は、ここが現在飛行禁止であるということを大声で告げたが、警告を無視して“ウィンドドラゴン”(化)は“王宮”の中庭へと着陸した。

 黄金の長髪を持つ美少女、桃色がかったブロンドの美少女、燃える赤毛の長身の美少女、眼鏡をかけた碧い髪の美少女、金髪の青年、金髪の少年、そして黒髪の少年が“ウィンドドラゴン”(化)に跨っている。さらに、黒髪の少年は、身長ほどもある長剣を背負っている。

 “マンティコア”に跨った隊員たちは、着陸した“ウィンドドラゴン”(化)、そして彼女たちを取り囲んだ。腰からレイピアのような形状をした“杖”を引き抜き、一斉に掲げる。いつでも“呪文”が“詠唱”できるような態勢を取ると、ゴツい身体に厳しい髭面の隊長が、大声で侵入者たちに勧告と命令をした。

「“杖”と剣を捨てろ!」

 一瞬、侵入者たちのほぼ全員はムッとした表情を浮かべたが、彼らに対して、眼鏡をかけた青い髪の小柄な美少女が首を振って言った。

「宮廷」

 一行は仕方ないとばかりにその言葉に首肯き、命令された通りに、“杖”と剣を地面に置く。

「今現在、“王宮”の上空は飛行禁止だ。触れを知らんのか?」

 1人の、桃色がかったブロンドの髪の少女が、トンッと“ウィンドドラゴン”(化)から飛び降りて、毅然とした声で名乗った。

「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです、怪しい者じゃありません。姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」

 

 

 

 

 ルイズの名乗りに、“マンティコア隊”の隊長は口髭を捻って、彼女を見つめる。ラ・ヴァリエール公爵夫妻は有名かつ高名なこともあり、彼は掲げた“杖”を下ろした。それに倣うように、隊の面々も“杖”を下ろす。

「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな?」

「いかにも」

 ルイズは、胸を張って隊長の目を真っ直ぐに見つめ返す。

「なるほど、見れば目元が母君そっくりだ。して、要件を伺おうか?」

「それは言えません。密命なのです」

「では殿下に取り次ぐ訳にはいかぬ。要件も尋ねずに取り付いた日にはこちらの首が飛ぶからな」

 困った声で、隊長が言った。

「密命だもの。言えないのは仕方がないでしょう」

 “ウィンドドラゴン”(化)の上から、才人は飛び降り、そう言った。

 隊長は、口を挟んで来た才人の容姿を見て、苦い顔付きになった。それから、(見たこともない服装、鼻は低く、肌も黄色い、そして背中には大きな剣を背負っている、か……どこの国の者かはわからないが、少なくとも“貴族”でないことは確かだな)と考えた。

「無礼な“平民”だな。従者風情が“貴族”に話しかけるという法はない。黙っていろ」

 才人は目を細めて、ルイズに向き直る。どうやら、いかにも見下した態度で従者と言われたことに腹を立てたらしい、

 才人は地面に置いたデルフリンガーをいつでも掴み、取り抜いて構えることができる態勢を取りながら、ルイズに訊いた。

「なあルイズ、こいつ、やっちゃって良い?」

「なに強がってるのよ。ワルドに勝ったくらいで良い気にならないで」

 才人とルイズのやりとりを聞いて、隊長は目を丸くした。彼が知っているワルドという人物は、“グリフォン隊”の隊長のワルド子爵しかいないのである。

 そのようなこともあって、隊長は再び“杖”を構え直した。

「貴様ら、何者だ!? とにかく、殿下に取り次ぐ訳にはいかぬ」

 硬い調子で隊長は言った。

 そんな彼の様子を前に、ルイズは才人を睨んだ。

「な、なんだよ?」

「あんたが余計なことを言うから疑われたじゃないの!」

「だって、あの髭親父が生意気なんだもの」

「良いから、あんたは黙ってなさいよね!」

「いやいや、今のはルイズが……」

 と、シオンは皆に聞こえない程度に小さな声で呟いた。

 その妙なやりとりを見て、隊長が目配せをする。それに従い、一行を取り囲んだ“魔法衛士隊”の面々は、再び“杖”を構えた。

「連中を捕縛せよ!」

 隊長の命令で、隊員たちが一斉に“呪文”を唱えようとした時……。

 宮殿の入口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物が、ヒョッコリと顔を出した。その人物は、中庭の真ん中で“魔法衛士隊”に囲まれたルイズとシオン達の姿を見て、慌てて駆け寄って来る。

「ルイズ! シオン!」

 駆け寄るアンリエッタの姿を見て、ルイズとシオンの顔が、薔薇を撒き散らしたようにパアッと輝いた。

「姫さま!」

「アンリエッタ!」

 3人は、一行と“魔法衛士隊”が見守る中、ひっしと抱き合った。

「ああ、無事に帰って来たのね。嬉しいわ。ルイズ・フランソワーズ。シオン・エルディ……」

「姫さま……」

 そう言いながら、ルイズの目からポロリと涙が溢れる。シオンも同様だ。

「件の手紙は、無事、この通りでございます」

 ルイズはシャツの胸ポケットから、ソッと手紙を見せた。

 アンリエッタは大きく首肯いて、ルイズとシオンの手を硬く握り締めた。

「やはり、貴女たちは私の1番のお友達ですわ」

「もったいないお言葉です。姫さま」

「わたしも同じ気持ちよ、アン、ルイズ」

 しかし、一行の中にウェールズとワルドの姿がないことに気付いたアンリエッタは、顔を曇らせる。

「……ウェールズ様は、やはり父王に殉じたのですね」

 ルイズは目を瞑って神妙に首肯き、シオンが答える、

「はい。お兄さまは……」

「……して、ワルド子爵は? 姿が見えませんが、別行動を取っているのかしら? それとも……まさか、敵の手にかかって? そんな、あの子爵に限って、そんなはずは……」

 シオンとルイズの表情が曇る。

 そして、才人が、とても言い難そうにアンリエッタに告げた。

「ワルドは裏切り者だったんです。お姫さま」

「裏切り者?」

 アンリエッタの顔に、影が差した。そして、興味深そうにそんな彼女たちのやりとりを、“魔法衛士隊”の面々が見つめていることに気付き、アンリエッタは簡単にだが説明した。

「彼らは私の客人ですわ。隊長殿」

「然様ですか」

 アンリエッタの言葉で隊長は納得すると呆気なく“杖”を収め、隊員たちを促し、再び持ち場へと去って行く。

 アンリエッタは、俺たち全員に向き直る。

「道中、なにがあったのですか? ……ルイズ、シオン。とにかく、私の部屋でお話しましょう。他の方々は別室を用意します。そこでお休みになってください」

 キュルケとタバサ、そしてギーシュを謁見待合室に残し、アンリエッタはルイズとシオン、才人と俺とを自分の居室に招き入れる。才人と俺は“使い魔”ということもあって、特例なのであろう。

 小さいながらも、精巧なレリーフが象られた椅子に座り、アンリエッタは机に肘を突いた。

 シオンとルイズは、アンリエッタにことの次第を説明した。道中、キュルケ達が合流したこと。“アルビオン”へ向かう“フネ”に乗ったら、空賊に襲われたこと。その空賊が、ウェールズであったこと。ウェールズに亡命を勧めたが、断られたこと。そして……ルイズはワルドと結婚式を挙げる為に、“フネ”に乗らなかったこと。結婚式の最中、ワルドが豹変し……ウェールズを殺害し、ルイズが預かった手紙を奪い取ろうとしたこと……しかし、このように手紙は取り戻した。“レコン・キスタ”の野望――“ハルケギニア”を統一し、“エルフ”から“聖地”を取り戻そうと大した野望を抱いているが、つまずいたこと。そういったことを、才人と俺も補足などを加えながら説明した。

 しかし……無事、“トリステイン”の命綱である“ゲルマニア”との同盟が守られたというのに、アンリエッタは悲嘆に暮れた。

「あお……子爵が裏切り者だったなんて……まさか、“魔法衛士隊”に裏切り者がいるなんて……」

 アンリエッタは、かつて自分がウェールズに認めた手紙を見つめながら、ハラハラと涙を零した。

「姫さま……」

 ルイズが、ソッとアンリエッタの手を握った。

「私が、ウェールズ様のお命を奪ったようなモノだわ。裏切り者を、使者に選ぶなんて、私はなんということを……」

 才人は首を横に振り、アンリエッタの言葉を否定する。

「王子さまは、元よりあの国に残るつもりでした。お姫さまの所為じゃないよ」

「あの方は、私の手紙をキチンと最後まで読んでくれましたか? ねえ、ルイズ? シオン?」

 ルイズとシオンは首肯いた。

「はい、姫さま。ウェールズ皇太子は、姫殿下の手紙をお読みになりました」

「ならば、ウェールズ様は私を“愛”しておられなかったのね」

「そんなことはない!」

 哀しげに首を振ったアンリエッタに、シオンは珍しく大きな声で否定の言葉を口にした。

 そんな彼女を前に、ルイズとアンリエッタ、才人は大きく目を見開き驚く。

「お兄さまは……」

 だが、それ以上シオンの口から言葉が出ることはない。

「やはり……皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」

 ルイズは確認の質問をし、アンリエッタは手紙を見つめたまま首肯いた。

「ええ。死んで欲しくなかったんだもの。“愛”していたのよ、私」

「あの王子さまは、姫さまや、この“トリステイン”に迷惑をかけない為に、あの国に残ったんです。俺、そう聞きました」

 才人の言葉に、アンリエッタはボンヤリと彼へと顔を向ける。

「私に迷惑をかけない為に?」

「“自分が亡命したら、反乱軍が攻め入る格好の口実を与えるだけだ”って王子さまは言ってました」

「ウェールズ様が亡命しようがしまいが、攻めて来る時は攻め寄せて来るでしょう。攻めぬ時には沈黙を保つでしょう。個人の存在だけで、戦は発生するモノではありませんわ」

「……それでも、迷惑をかけたくなかったんですよ。きっと」

 アンリエッタは、深い溜息を吐くと、窓の外を見やった。

 才人は、ユックリと思い出すようにして言った。

「“勇敢に戦い、勇敢に死んで逝ったと、それだけ伝えてくれ”って、王子さまは言ってました」

 才人の言葉に、アンリエッタは寂しそうに微笑む。そして彼女は、美しい彫刻が施された大理石削り出しのテーブルに肘を突き、悲しげに問うた。

「勇敢に戦い、勇敢に死んで逝く。殿方の特権ですわね。遺された女は、どうすれば良いのでしょうか?」

 才人は返す言葉が見付からないのだろう、下を向いて、バツが悪そうに爪先で床を突いた。

「姫さま……シオン……わたしがもっと強く、ウェールズ皇太子を説得していれば……」

 アンリエッタは立ち上がり、申し訳なさそうにそう呟くルイズの手を取った。

「良いのよ、ルイズ。貴女は立派にお役目通り、手紙を取り戻して来たのです。貴女が気にする必要はどこにもないのよ。それに私は、亡命を勧めて欲しいなんて、貴女に言った訳ではないのですから」

 それからアンリエッタは、ニッコリと笑った。

「私の婚姻を妨げようとする暗躍は未然に防がれたのです。我が国は“ゲルマニア”と無事同盟を結ぶことができるでしょう。そうすれば、簡単に“アルビオン”も攻めて来る訳にはいきません。危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」

「そうだよ、ルイズ。お兄さまはきっと、わたしが強く言っても残って戦ったと思うわ。貴女たちが悪い訳でも、“愛”していなかった訳でもない……それだけは確かなの。大切なのは、死者を偲び、前を向き、これからのことに備えることよ」

 アンリエッタとシオンは努めて明るい声を出して言った。

「それに、シオンと貴男の言葉で、ウェールズ様が私を思ってくれていたことも十分に理解できました」

 アンリエッタは、悲しげに、そして嬉しそうに、複雑な感情を表情に表わして、シオンと才人へと言った。

 ルイズはポケットから、アンリエッタに貰った“水のルビー”を取り出した。

「姫さま、これ、お返しします」

 アンリエッタは首を横に振った。

「それは貴女が持っていなさいな。せめてもの御礼です」

「こんな高価な品を頂く訳には良きませんわ」

 ルイズは、シオンを見て、アンリエッタへと返そうとする。

「忠誠には、報いるところがなければなりません。良いから、取っておきなさいな。シオンにもお礼を――」

「――アン」

 アンリエッタの言葉を遮るように、シオンは口を開く。

「私へのお礼は気にしなくて良いよ。でも、“それでも”と言うのなら、代わりに、後で訊きたいことがあるんだけど良いかな?」

「え、ええ。構わないわ。シオン。貴女が、それで良いと言うのなら」

 その様子を見て、才人も、王子の指から抜き取った指輪のことを思い出した。彼は、ジーンズの後ろポケットに入ったそれを取り出すと、アンリエッタに手渡した。

「お姫さま、これ、ウェールズ皇太子から預かったモノです」

 アンリエッタは、その指輪を受け取ると、目を大きく見開いた。

「これは、“風のルビー”ではありませんか。ウェールズ皇太子から、預かって来たのですか?」

「そうです。王子さまは、最後にこれを託したんです。お姫さまかシオンのどちらかに渡してくれって」

「では、シオン。これはあな――」

「いいえ、アンリエッタ。先ほども言った通り、私には特にこれといったモノは要りません。お兄さまの想い人は貴女です。だから」

「でも、シオン」

「…………」

 無言を貫くシオン。

 彼女のその様子に、アンリエッタは思うところがあったのか、首肯いた。

「理解りました。ありがとう、シオン」

 アンリエッタは“風のルビー”を指に通した。ウェールズが嵌めていたモノということもあり、アンリエッタの指にはユルユルといった状態であったが……小さくアンリエッタが“呪文”を呟くと、指輪のリングの部分がすぼまり、薬指にピタリと収まった。

 アンリエッタは、“風のルビー”を“愛”おしそうに撫でた。それから才人の方を向いて、はにかんだような笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。優しい“使い魔”さん」

 寂しく、悲しい笑みであった。が、確かな感謝の念が込められたモノでもある。

「あの人は、勇敢に死んで逝ったと、そう言われましたね?」

 才人は首肯いた。

「はい。そうです」

 アンリエッタは、指に光る“風のルビー”を見つめながら言った。

「ならば、私は……勇敢に生きてみようと思います」

 

 

 

 ルイズと才人が退出し、今この部屋には部屋の主であるアンリエッタ、シオン、そして俺の3人だけとなった。

 これから、先ほどシオンが要求したお礼――質疑応答が始まるのである。

「訊きたいことがあるのでしたよね?」

「はい、アン……いえ、アンリエッタ。では単刀直入にいきますが、貴女は“聖杯戦争”や“サーヴァント”という言葉を聞いたことはあますか?」

 その質問だけで十分だった。

 アンリエッタの表情には、驚愕と困惑などが混ざっている。

「どこでその言葉を?」

「私は直接聞いていませんが、セイヴァーが」

「貴男が?」

 アンリエッタの視線が俺の方へと向けられれる。

「ワルドが言っていた。どうやら彼は、俺がどういった存在か理解っていたようだしな」

「正体?」

 疑問を呈するアンリエッタ。その驚きは、かなりのモノなのだろう。

「では、自己紹介を。此度の“聖杯戦争”で“マスター”シオンに“召喚”され、応えた、“サーヴァント”、セイヴァー。以後御見知り置きを」

「そう、ですか……」

 そんな俺の自己紹介に、アンリエッタは驚きはしたが、直ぐに「なるほど」といったように首肯いた。

「で、なにを訊きたいのですか、シオン? セイヴァーさん?」

「この世界――“ハルケギニア”での“聖杯戦争”について。過去に何があったのかなど」

 俺の質問に、アンリエッタは「この世界」という単語に引っかかりを覚えた様子を見せ、次に思い出すような仕草を取り、少しばかり黙り込む。

「本来であれば、玉座に就くことで知ることになるものですが、良いでしょう……“始祖ブリミル”が光臨なされた時から、少し経った後のことらしいのですが…………一定の期間ごとに7人の“メイジ”が何者かによって選出され、それぞれ“使い魔”、いえ、“サーヴァント”を“召喚”し、“始祖ブリミル”が遺されし秘宝の1つである“万能の願望器”――“聖杯”を求めて勝利者1人が残るまで殺し合う、そういったことが繰り返されていると……それが“聖杯戦争”だったと記憶していますわ」

 おおむね、“地球”での“聖杯戦争”、知識内のそれと大きな違いはないようである。“千里眼”で既に確認済みではありはするが、それでも他人から伝え聞くことで確認することも悪くはないだろう。

 “地球”のそれとの違いを1つ挙げるとするのであれば、“魔術師”ではなく“メイジ”が“サーヴァント”を“召喚”して行う、“監督者”などが存在しないといったところだろうか。

「過去何度もおこなわれたのですが、勝利者は出ず、最終的には同士討ちになったそうです……」

「そうか。過去、どのような“サーヴァント”が“召喚”されたかなどはわかるかね?」

「いえ、まったく……“聖杯戦争”がどのようなモノかということくらいしか伝え聞いておりません」

 気が付けば、質問をしているのは俺だけで、シオンは静かに耳を傾けているだけだ。いや、俺が一方的に質問をしているだけになっている。

「では最後だ。“聖杯”の場所はわかるか?」

「いえそれも……勝利者の元に現れると聞いていますが」

 アンリエッタの言葉に、俺は静かに首肯く。

 こちらからすると収穫はないが、それでも互いに、シオンとアンリエッタに“聖杯戦争”がどういったモノか、今まさにおこなわれようとしていることなどを理解させることができた。

「俺が訊きたいことは以上だが、シオン、君はないかね?」

「私も特にないよ」

「では、一応念の為だが……俺が“召喚”されたことからも理解ると思うが、近いうちに“聖杯戦争”が行われるだろう。もしかすると、“レコン・キスタ”との戦争時かもしれない、その後かもしれない。覚悟を決めておいてくれ」

 俺のその言葉に、部屋を重い沈黙が支配した。

 

 

 

 “王宮”から、“魔法学院”に向かう空の上、シオンとルイズは黙りっぱなしであった。

 キュルケが、「いったいウェールズ皇太子から取り返して来ら手紙になにが書いてあったの?」と、シオンとルイズ、そして才人と俺から訊き出そうと、なんやかんや話しかけてきているのだが、俺たちは喋らないようにしているのであった。

「なあに? あれだけ手伝わせて、どんな任務だったか教えてくれないの? おまけにあの子爵は裏切り者だっていうし、訳わかんないわ」

 キュルケは才人を、熱っぽい視線で見つめた。

「でも、ダーリン達がやっつけたのよね?」

 才人は、ルイズの顔をチラッと見てから、首肯いた。

「う、うん。でも、逃げられたし……」

「それでも凄いわ! ねえ、いったいどんな任務だったの?」

 才人は頭を掻いた。ルイズとシオン、そして俺が黙っている以上、話す訳にはいかない、と判断したのであろう。

 キュルケは眉を顰め、それからギーシュの方を向いた。

「ねえギーシュ」

「なんだね?」

 薔薇の造花を咥えて、ボケッと物思いに耽っていたギーシュが振り向いた。

「貴男、アンリエッタ姫殿下が、あたし達に取り戻せと命じた手紙の内容を知ってるんでしょ?」

 ギーシュは目を瞑って言った。

「そこまでは僕も知らないよ。知ってるのはルイズとシオン達だけだ」

「“ゼロのルイズ”! シオン! なんであたしに教えてくれないの!? ねえタバサ! 貴女どう思う? 馬鹿にされてる気がするわ!」

 キュルケは、本を読んでいるタバサを揺さぶった。

 タバサはされるがままに、ガクガクと首を振った。

 そんな風にキュルケが暴れたことが原因か、バランスを崩したシルフィードは、ガクンと高度を落としてしまう。

 その時の揺れでバランスを崩し、ギーシュはシルフィードの背中から落っこちた。「ぎぃやぁああああああああ」と絶叫を残し、彼は落下したが、ギーシュだったということもあるのかシオンを除き誰も気に留めない様子である。途中で“杖”を振って“レピテーション”を唱え、浮かぶことができたのだろう、危うく命を落とすことは免れたようである。

 ルイズもバランスを崩したが、才人がソッと手を伸ばして腰を抱き、身体を支えた。ルイズは、腰に回された手を見て、顔を赤らめた。

 キュルケとタバサもバランスを崩しはしたが、シルフィードにしっかり掴まっていたことで、落ちることはなかった。

 シオンもバランスを崩したが、才人同様に俺は彼女を抱き留める。

「ありがとう、セイヴァー」

「どういたしまして」

 シオンが照れながら感謝の念を言葉にし、俺はそれに応える。

 対して、ルイズと才人だが。

「き、気安く触ったら、怒るんだから」

「お前、落ちそうだったんだぜ。ギーシュみたいに」

 才人も、顔を赤らめて言った。

「良いのよ。ギーシュは落ちたって、ギーシュだし」

 ルイズは、戸惑いから何やらとち狂ったかのようなことを言い出した。

「そ、そりゃ、あいつは落ちたって良いけどよ。お前が落ちたら困るだろ。“魔法”が使えないんだから」

「“使い魔”の癖に、ご主人さまを侮辱するの?」

 ルイズはフンッと顔を背けた。が、彼女はそれほど怒りを覚えてはいない様子である。

「おまけになんだか馴れ馴れしいし。失礼しちゃうわ。ほんとに、ふんとに」

 ルイズはブツブツと文句を言ったが、才人の手を振り解こうとはしない。それどころか、心も身体も預けるようにして、顔を背けたままに彼へと寄り添った。

 キュルケが振り向いて、「まぁ」と呟いた。

「いつの間にデキてたの? 貴方たち」

 ルイズは、気付いたようにハッ! と顔を赤らめ、思いっ切り才人を突き飛ばした。

「出来てなんかいないわよ! 馬鹿じゃないかしら!」

 才人は、絶叫をたなびかせて、地面へと落ちて行く。

 本を読んでいたタバサが、面倒臭そうに“杖”を振り、才人に“レビテーション”をかけた。

 才人が地面にフンワリと降り立つと、先ほど落下したギーシュが、恨めしげな顔で歩いているのを、才人は見付けた。そこは草原の中を走る、街道であった。

「君も落ちたのかね?」

 才人は、疲れた声で答えた。

「落とされた」

「彼女たちは、迎えに来てはくれんのかね?」

 才人は空を見上げた。青空の中、シルフィードはグングン遠ざかって行く。

「……そうみたいだな」

「なるほど。では歩こう。まあ、半日も歩けば着くさ」

 あまり気にした風もなく、ギーシュは歩き出した。

 

 

 

「やれやれ。シオン。すまないが、私も地上に向かうよ」

「うん。いってらっしゃい」

 シルフィードの上で、俺はシオンへと告げ、彼女からの了承を得るのと同時に飛び降りる。

 かなりの速度を出して落下するが、もちろん“風系統”の“魔法”などを駆使して速度を調節して緩やかに着地する。

 そして、先を歩く才人とギーシュを追い掛けた。

「セイヴァー……お前も落とされたのか?」

「いいや、自分から降りた」

 俺のその言葉に、才人とギーシュは目をパチクリとさせる。

「まあ、良い。そうだ。チャリオットに乗らないか? 徒歩より遥かに早く着くぞ」

「そんなモノ、どこにあるっていうんだい?」

 俺の提案に、「なにを言ってるんだこいつは」といった視線を向けて来るギーシュと才人。

 そこで俺は、“征服王(イスカンダル)”が持っていた“|豪壮な拵えの宝剣で柄の部分に獅子の意匠が施されている剣”――“キュプリオト族”の王から献上された剣《スパタ》――“キュプリオトの剣”を“投影”し、空間を斬り裂くようにして振り下ろす。

 すると、遥か上空から突然雷が発生し、地面へと堕ちる。そして、“ゴルディアス王がゼウス神に捧げた供物で、その轅の綱を断って征服王イスカンダルが手に入れた戦車(チャリオット)”――“神獣である2頭の飛蹄雷牛(ゴッド・ブル)が牽引する戦車(チャリオット)”――“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”が出現し、紫電を発生させながら駆け下りて来た。

「こ、これは……」

「う、牛が空を飛ぶなんて……」

 驚くギーシュと才人に、俺は思わずニヤッとした笑みを浮かべてしまう。自分のモノではないにも関わらず、自分が持っており、自在に扱えるということに対する嬉しさや、皆に対しての自慢や優劣感などといったモノを覚えてしまうのであった。

「“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”。“ウィンドドラゴン”なんて目じゃない速度を出すことができるが……さてどうする? 乗るか?」

 才人とギーシュは物凄い勢いで、首を縦に振る。

「乗ったな? それじゃ、行くぞ。アララララーイ!」

 俺は雄叫びを上げながら、“騎乗スキル”を発揮させて“|神威の車輪《ゴルディアス・ホイール)”を疾走させる。

 かなり先を行くシルフィードだが、追い付くのも時間の問題だろう。

「ところで、君たち、その、なんだ、訊きたいことがあるんだ。答えたまえ」

 物凄い速度を出す“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”だが、どうにか平静さを保ったギーシュは、薔薇の造花を弄りながら才人と俺へと尋ね、才人が反応を返した。

「あんだよ?」

「姫殿下、その、僕のことをなにか噂しなかったかね? 頼もしいとか、やるではないですかとか、追って恩賞の沙汰があるとか、その、密会の約束をしたためた手紙を君たちに託したとか……」

 残念なことに、アンリエッタはギーシュのギの文字も話題に上がらせなかった。いや、そもそもの話、アンリエッタの心中は深く傷付いており、俺たちを労うだけで精一杯だった為、ギーシュに何も言うことができなかったのである。

「…………」

 才人は聞こえなかった振りをした。

「その、なにか噂しなかったかね? なあ君、姫殿下は、僕のことを……」

 ポカポカと太陽が照らす中、2頭の“飛蹄雷牛(ゴッド・ブル)”と俺は雄叫びと咆哮を上げながら、“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”は疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつては名城と謳われた“ニューカッスルの城”は、惨状を呈していた。生き残った者には絶望を感じさせ、死者に鞭打つ惨状である。城壁は度重なる砲撃と“魔法”攻撃で、瓦礫の山となり、無残に焼け焦げた死体が転がっている。

 攻城に要した時間はわずかであったが、反乱軍……いや、今や“アルビオン”に王さまは存在しないのだから、“反乱軍(レコン・キスタ)”は、既に“アルビオン”の新政府である……その新政府の損害は想像の範囲を超えていた。300の王軍に対して、損害は2,000。怪我人も合わせれば、4,000。戦死傷者の数だけ見れば、どちらが勝ったかのかわからないくらいであった。

 浮遊大陸の岬の突端に位置した城は、一方向からしか攻めることができない。密集して押し寄せた“レコン・キスタ”の先陣は、“魔法”と大砲の斉射を何度も喰らい、大損害を受けたという訳である。

 しかし、しょせんは多勢に無勢。一端、城壁の内側へと侵入された堅城は、脆かった、王軍は、そのほとんどが“メイジ”で護衛の兵を持たなかった。王軍の“メイジ”達は、群がる蟻のような名もなき“レコン・キスタ”の兵士たちに1人、また1人と討ち取られ、散って逝ったのだ。

 敵に与えた損害は大きかったが……その代償として、王軍は全滅した。文字通りの全滅であった。最後の一兵に至るまで、王軍は戦い、斃れたのだ。

 詰まり、“アルビオン”の革命戦争の最終決戦、“ニューカッスルの攻城戦”は、100倍以上の敵軍に対して、自軍の10倍にも上る損害を与えた戦い……伝説となったのであった。

 

 

 

 戦が終わった2日後、照り付ける太陽の下、死体と瓦礫が入り混じる中、長身の“貴族”が戦跡を検分していた。羽の付いた帽子に、“アルビオン”では珍しい”トリステイン“の”魔法衛士隊“の制服。ワルドだ。

 彼の隣には、フードを目深に冠った女の“メイジ”――“土くれのフーケ”がいる。彼女は、“ラ・ロシェール”から“フネ”に乗り、“アルビオン”に渡って来たのである。昨晩、“アルビオン”の首都、“ロンディニウム”の酒場でワルドと合流して、この“ニューカッスル”の戦場跡へとやって来たのだ。

 周りでは、“レコン・キスタ”の兵士たちが、財宝漁りに勤しんでいる。宝物庫と思しき辺りでは、金貨探しの一団が歓声を上げていた。

 長槍を担いだ傭兵の1団が、元は綺麗な中庭だった瓦礫の山に転がる死体から装飾品や武器を奪い取り、“魔法の杖”を見付けて大声ではしゃいでいる。

 フーケは、その様子を苦々しげに見詰めて、舌打ちを鳴らした。

 そんなフーケの表情に気付き、ワルドは薄ら笑いを浮かべた。

「どうした? “土くれ”よ。貴様もあの連中のように、宝石を漁らんのか? “貴族”から財宝を奪い取るのは、貴様の仕事じゃなかったのか?」

「私とあんな連中を一緒にしないで欲しいわね。死体から宝石を剥ぎ取るのは、趣味じゃないわ」

「盗賊には、盗賊の美学があるということか」

 ワルドは笑った。

「据え膳に興味はないわ。私は、大切なお宝を盗まれて、あたふたする“貴族”の顔を見るのが好きだったのよ。こいつらは……」

 フーケは、チラッと王軍の“メイジ”の死体を横目で眺めた。

「もう、慌てることもできないわね」

「“アルビオン”の“王党派”は貴様の仇だろうが。“王家”の名の下に、貴様の家名は辱められたのではなかったか?」

 ワルドが嘯くように言うと、フーケは冷たい、感情を抑えた声で首肯いた。

「そうね。そうなんだけどね……」

 それから、ワルドの方を向いた。

「あんたも随分と苦戦したようね」

 ワルドは、変わらぬ調子の声で答えた。

「まあな」

「大した奴だね。“ガンダールヴ”とあの男」

「油断したよ」

「だから言ったじゃない。あいつらは私の“ゴーレム”だってやっつけたんだ。でもまあ、この城にいたんじゃあ、生き残れなかっただろうけどね」

 フーケがそう言うと、ワルドは冷たい微笑を浮かべた。

「“ガンダールヴ”といえど、しょせんはヒトだ。攻城の隊から、それらしき人物に苦戦したという報告は届いていない。奴は俺と戦って、力を消耗していた。おそらく、ただの“平民”に成り果てていただろうな。だが、あいつ、“サーヴァント”がいたということは……」

 ワルドはその先の言葉を続けることはせず、口を閉じる。

「で、その手紙とやらはどこにあるんだい?」

「この辺りにあるはずだ」

 ワルドは、“杖”で地面を指した。そこは2日前まで礼拝堂であった場所である。ワルドとルイズが結婚式を挙げようとした場所であり、ウェールズが命を失った場所である。

 しかし、今ではただの瓦礫の山となっていた。

「ふーん、あのラ・ヴァリエールの小娘……あんたの元婚約者のポケットに、その手紙は入ってるんでしょう?」

「そうだ」

「見殺し? 愛してなかったの?」

「“愛”するとか、“愛”さないとか、そういった感情は忘れたよ」

 抑揚の変わらぬ声で、ワルドはそう言った。

 それからワルドは“呪文”を“詠唱”し、“杖”を振った。小型の竜巻が発生し、辺りの瓦礫が飛び散る。

 徐々に、礼拝堂の床が見えて来た。

 “始祖ブリミル”の像と、椅子に挟まれた間に、ウェールズの亡骸があった、椅子と像に挟まれていたおかげだろう、亡骸は潰れていなかった。

「あらら。懐かしのウェールズ様じゃない」

 フーケが驚いた声を上げた。元は“アルビオン”の“貴族”だったフーケは、ウェールズの顔を覚えていた。

 ワルドは、自分が殺したウェールズの亡骸に目もくれず、ルイズと才人、シオンの死体を探した。

 しかし……どこにも死体はなく、見付からない。

「ホントにここで、あいつ等は死んたの?」

 ワルドは中々見付からないことに、「もしかすると」といった考えが頭を過ることに気付く。

「ふーん……あら、これって“ジョルジュ・ド・ラ・トゥール”の“始祖ブリミルの光臨”じゃないの」

 フーケが。床に転がった絵画を手に取った。

「と、思ったら複製か。ま、そうよね、こんな田舎の城の礼拝堂に……って、ん?」

 フーケは、絵画が転がっていた床の上に、ポッコリと空いた直径1“メイル”ほどの穴を見付け、ワルドを呼んだ。

「ねえワルド、この穴、なにかしら?」

 ワルドは眉を顰めると、しゃがんでフーケが指差した穴を覗き込む。彼の頬を、穴の奥から吹く冷たい風が嬲る。

「もしかして、この穴を掘って、ラ・ヴァリエールの娘と“ガンダールヴ”達は逃げたんじゃないの?」

 フーケが言った。

 そうに違いないと、ワルドの顔が怒りなどで歪む。

「中に入って、追いかけてみる?」

「無駄だろう。風が入って来るということは、空に通じているはずだ」

 ワルドは苦々しい声で言った。

 そんな様子を見て、フーケがニッコリと微笑んだ。

「あんたも、そんな顔するのね。“ガーゴイル”みたいに感情のない男だと思ったけど……どうしてどうして、気持ちが顔に出るタイプ?」

 ワルドは、「からかうな」と言って立ち上がる。

 遠くから、そんな2人に声がかけられる。

 快活な、澄んだ声だ、

「子爵! ワルド君! 件の手紙は見付かったかね? アンリエッタが、ウェールズにしたためたという、その、なんだ、ラヴレターは……“ゲルマニア”と“トリステイン”の婚姻を阻む救世主は見付かったかね?」

 ワルドは首を振って、現れた男に応えた。

 やって来た男は、30代の半ばくらいの年齢だろうか。丸い球帽を冠り、緑色のローブとマントを身に着けている。一見すると聖職者のような格好に見える。しかしながら、物腰は軽く、軍人のようである。高い鷲鼻に、理知的な色を湛えた碧眼。帽子の裾から、カールした金髪が覗いている。

「閣下。どうやら、手紙は穴から摺り抜けたようです。私のミスです。申し訳ありません。なんなりと罰を御与えください」

 ワルドは、地面に膝を突き、頭を垂れた。

 閣下と呼ばれた男は、ニカッと人懐こそうな笑みを浮かべ、ワルドに近寄るとその肩を叩いた。

「なにを言うか! 子爵! 君は目覚ましい働きをしたのだよ。敵軍の勇将を1人で討ち取る働きをして見せたのだ! ほら、そこに眠っているのは、あの親愛なるウェールズ皇太子じゃないかね? 誇りたまえ! 君が斃したのだ! 彼は、随分と余を嫌っていたが……こうして見ると不思議だ、妙な友情さえ感じるよ。ああ、そうだった。死んでしまえば、誰もが友達だったな」

 ワルドは、台詞の最後に込められた皮肉に気付き、わずかに頬を歪めた。それから直ぐに真顔に戻り、自分の上官に再び謝罪を繰り返した。

「ですが、閣下が欲しがっておられた、アンリエッタの手紙を手に入れる任務に失敗いたしました。私は閣下のご期待に添うことができませんでした」

「気にするな、同盟阻止より、確実にウェールズを仕留めることの方が大事だ。理想は、1歩ずつ、着実に進むことにより達成される」

 それから緑のローブの男は、フーケの方を向いた。

「子爵、そこの綺麗な女性を余に紹介してくれたまえ。まだ僧籍に身を置く余からは、女性に声をかけ辛い」

 フーケは、男を見詰めた。

 ワルドは立ち上がると、男にフーケを紹介した。

「彼女が、かつて“トリステイン”の“貴族”たちを震え上がらせた“土くれのフーケ”にございます、閣下」

「おお! 噂はかねがね存じているよ! お逢いできて光栄だ。ミス・サウスゴータ」

 かつて捨てた“貴族”としての名前を口にされたフーケは微笑んだ。

「ワルドに、私のその名前を教えたのは、貴男なのね?」

「そうとも。余は“アルビオン”の全ての“貴族”を知っている。系図、紋章、土地の所有権……管区を預かる司教時代に全てそらんじた。おお、ご挨拶が遅れたね」

 男は、目を丸く見開いて、胸に手を添えた。

「“レコン・キスタ”総司令官を務めさせて戴いている。オリヴァー・クロムウェルだ。元はこの通り、一介の司教に過ぎぬ。しかしながら、“貴族議会”の投票により、総司令官に任じられたからには、微力を尽くさねばならぬ。“始祖ブリミル”に仕える聖職者でありながら、余などという言葉を使うのを許してくれたまえよ? 微力の行使には信用と権威が必要なのだ」

「閣下はすでに、ただの総司令官ではありません。今では“アルビオン”の……」

「皇帝だ、子爵」

 クロムウェルは笑った、しかし、目の色は変わらない。

「確かに“トリステイン”と“ゲルマニア”の同盟阻止は、余の願うところだ。しかし、それよりももっと大事なことがある。なんだかわかるかね? 子爵」

「閣下の深いお考えは、凡人の私には測りかねます」

 クロムウェルは、カッと目を見開いた。それから、両手を振り上げると、大袈裟な身振りで演説を開始した。

「結束だ! 鉄の結束だ! “ハルケギニア”は我々、選ばれた“貴族”たちによって結束し、“聖地”をあの忌まわしき“エルフ”どもから取り返す! それが“始祖ブリミル”により余に与えられし使命なのだ! 結束には、何より信用が第一だ。だから余は子爵、君を信用する。些細な失敗を責めはしない」

 ワルドは深々と頭を下げた。

「その偉大なる使命の為に、“始祖ブリミル”は余に力を授けたのだ」

 フーケの眉が、ピクンと撥ねた。

「閣下、“始祖”が閣下に御与えになった力とはなんでございましょう? 良ければ、お聴かせ願えませんか?」

 自分の演説に酔うような口調で、クロムウェルは続けた。

「“魔法”の“四大系統”はご存知かね? ミス・サウスゴータ」

 フーケは首肯いた。そんなことは、子供でも知っているのだから。

「その“四大系統”に加え、“魔法”にはもう1つの“系統”が存在する。“始祖ブリミル”が用いし、 “零番目の系統”だ、真実、“根源”、万物の祖となる“系統”だ」

「“零番目の系統”……“虚無”?」

 フーケは青褪めた。

 今は失われた“系統”であり、どのような“魔法”であったかすら、伝説の闇の向こうに消えているのだから。

「余はその力を、“始祖ブリミル”より授かったのだ。だからこそ、“貴族議会”の諸君は、余を“ハルケギニア”の皇帝にすることを決めたのだ」

 クロムウェルは、ウェールズの死体を指さした。

「ワルド君。ウェールズ皇太子を、ぜひとも余の友人に加えたいのだが、彼はなるほど。余の最大の敵であったが、だからこそ死して後は良き友人になれると思う。異存はあるかね?」

 ワルドは首を横に振った。

「閣下の決定に異論が挟めようはずもございません」

 クロムウェルは、ニッコリと笑った。

「では、ミス・サウスゴータ。貴女に、“虚無の系統”をお見せしよう」

 フーケは、息を呑んでクロムウェルの挙動を見詰めた。

 クロムウェルは腰に挿した“杖”を引き抜いた。

 低い、小さな“詠唱”がクロムウェルの口から漏れる。フーケがかつて聞いたことのない言葉であった。

 “詠唱”が完成すると、クロムウェルは優しくウェールズの死体に、“杖”を振り下ろす。

 すると……なんということであろうか、冷たい躯であったウェールズの瞳が、パチリと開いた。

 それを目にした、フーケの背筋が凍り付く。

 ウェールズは、ユックリと身を起こした。青白かった顔が、見る見るうちに生前の面影を取り戻して行く。まるで萎れた花が水を吸うように、ウェールズの身体に生気が漲っていくのである。

「お早う、皇太子」

 クロムウェルが呟く。

 蘇ったウェールズは、クロムウェルに微笑み返した。

「久し振りだね、大司教」

「失礼ながら、今では皇帝なのだ。親愛なる皇太子」

「そうだった。これは失礼した。閣下」

 ウェールズは膝を突くと、臣下の礼を取った。

「君を余の親衛隊の1人に加えようと思うのだが。ウェールズ君」

「喜んで」

「なら、友人たちに引き合わせて上げよう」

 クロムウェルは歩き出した。その後を、ウェールズが生前と変わらぬ仕草で歩いて行く。

 フーケは呆然として、その様子を見つめていた。

 クロムウェルが思い出したように立ち止まり、振り向いて言った。

「ワルド君、安心したまえ。同盟は結ばれても構わない。どの道“トリステイン”は裸だ。余の計画に変更はない」

 ワルドは会釈した。

「外交には2種類あってな、杖とパンだ。取り敢えず“トリステイン”と“ゲルマニア”には温かいパンをくれてやる」

「御意」

「“トリステイン”は、なんとしてでも余の版図に加えねばならぬ。あの“王室”には“始祖の祈祷書”が眠っているからな。“聖地”に赴く際には、ぜひとも携えたいものだ」

 そう言って満足げに頷くと、クロムウェルは去って行った。

 

 

 

 クロムウェルとウェールズが視界の外に去った後、フーケはやっとの思ういで口を開いた。

「あれが、“虚無”……? 死者が蘇った。そんな馬鹿な」

 ワルドが呟いた。

「“虚無”は“生命を操る系統”……閣下が言うには、そういうことらしい。俺にも信じられんが、目の当たりにすると、信じざるをえまい」

 フーケは震える声で、ワルドに尋ねた。

「もしかして、あんたもさっきみたいに、“虚無”の“魔法”で動いてるんじゃないだろうね?」

 ワルドは笑った。

「俺か? 俺は違うよ。幸か不幸か、この命は生まれ付きのモノさ」

 それからワルドは、空を仰いだ。

「しかしながら……数多の命が“聖地”に光臨せし“始祖”によって与えられたとするならば……全ての人間は“虚無”の“系統”で動いているとは言えないかな?」

 フーケはギョッとした顔になって、胸を押さえ、心臓の鼓動を確かめた。

「そんな顔をするな。これは俺の想像だ。妄想と言っても良い」

 ホッとフーケは溜息を吐いた。それからワルドを恨めしげに見つめる。

「驚かせないでよ」

 ワルドは右手で、左腕を撫でながら言った。

「でもな、俺はそれを確かめたいのだ。妄想に過ぎぬのか、それとも現実なのか、きっと“聖地”のにその答が眠っていると、僕は思うのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちが、“魔法学院”に帰還してから3日後に、正式に“トリステイン王国”王女アンリエッタと“帝政ゲルマニア”皇帝アルブレヒト3世との婚姻が発表された。式は1ヶ月後に行われる運びとなり、それに先立ち、軍事同盟が締結されることとなった。

 同盟の締結式は、“ゲルマニア”の首都“ヴィンドボナ”で行われ、“トリステイン”からは宰相のマザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名した。

 “アルビオン”の新政府樹立の公布がなされたのは、同盟締結式の翌日。両国の間には、直ぐに緊張が奔ったが、“アルビオン帝国初代皇帝”クロムウェルは直ぐに特使を“トリステイン”と“ゲルマニア”に派遣し、不可侵条約の締結を打診して来た。

 両国は、協議の結果、これを受けた。両国の空軍力を合わせても、“アルビオン”の艦隊には対抗し切ることはできないだろう。喉元に短剣を突き付けられたような状態での不可侵条約であったが、まだ軍備が整わぬ両国にとって、この申し出は願ったりであった。

 そして……“ハルケギニア”に表面上は平和が訪れた。政治家たちにとっては、夜も眠れない日々が続くことになったが、他の“貴族”や、“平民”にとってはいつもと変わらぬ日々が待っていた。

 それは、“トリステイン”の“魔法学院”でも例外ではなかった。

 



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愉快なへび君

 “アルビオン”から帰って来た翌日。

 教室に入ると、直ぐにシオン達のクラスメイト達が俺たちを取り囲んだ。そして、俺たちへと矢継ぎ早に質問をして来るのだ。

 どうやら、俺たちが“学院”を数日空けていた――欠席をしていた間に、“なにやら危険な冒険をして、とんでもない手柄を立てらしい”などといった噂があるらしい。

 事実、“魔法衛士隊” の隊長であるワルドと出発するところを何人かの生徒たちに目撃されている。見られないように準備をして出かけるなんていうことは、あの状況などでは不可能に近かったのだから。

 キュルケとタバサとギーシュは、既に席に着いている様子である。その周りにも、やはり何人かのクラスメイト達一団が取り囲んでいた。

「ねえシオン、授業を休んでいったいどこに行ってたの?」

 1人の女生徒が質問を投げかける。それに対し、シオンはやはり困った様子を見せるばかりである。答えるに答えられないのだ。密命、特命……。他言無用の任務の為に出かけていたのだから。

 チラリと既に席に着いている3人へと目を向ける。

 キュルケは優雅に化粧を直している。タバサはジッと本を読んでいる。何も知らないクラスメイト達に話すような性格ではないし、お調子者でもない。口は軽くないのだ。

 クラスメイト達は、そんな押しても引いても自分のペースを崩さずなかなか口を割らない2人に業を煮やしたのだろう。ギーシュ、シオンと俺、そして今仕方入って来たルイズと才人へと矛先を変えたて来た。

 ギーシュは、取り囲まれてチヤホヤされるのが大好きだということもあって、少しばかり調子に乗ってしまっている様子である。「君たち、僕に訊きたいかね? 僕が経験した秘密を知りたいかね? 困った兎ちゃんだな! あっはっは!」と呟くなり脚を組み、人差し指を立てたため、彼は人壁を掻き分けて近付いたルイズに頭を引っ叩かれてしまう。

「なにをするんだね!?」

「口が軽いと、姫さまに嫌われるわよ。ギーシュ」

 アンリエッタを引き合いに出されたこともあり、ギーシュは黙ってしまう。

 2人のそんな様子を目にし、クラスメイト達はますます「なにかある」と勘繰った様子である。

 再び、ルイズとシオンを取り囲み、やいのやいのとやり始めた。

 俺たちを囲んでいたクラスメイト達もまた、同様に質問などを再開して来る。

「シオン、ねえ?」

「ルイズ! ルイズ! いったい何があったんだよ!?」

 口々飛んでくる質問に、ルイズは目を逸しながら返答する。

「なんでもないわ。ちょっとオスマン氏に頼まれて、“王宮”までお遣いに行ってただけよ。ねえギーシュ、キュルケ、タバサ、シオン、そうよね?」

 キュルケは意味深な微笑を浮かべて、磨いた爪のカスをフッと吹き飛ばした。

 ギーシュは首肯いた。

 タバサはジッと本を読んでいる。

 シオンもまた、首肯く。

 隠し事をしているということもあり、皆頭にきたのだろう、口々にルイズに対して負け惜しみを並べ始めた。

「どうせ、大したことじゃないよ」

「そうよね、“ゼロのルイズ”だもんね、“魔法”のできないあの娘になにか大きな手柄が立てられるなんて思えないわ! フーケを捕まえたのだって、きっと偶然なんでしょう? あの“使い魔”が、たまたま“破壊の杖”の力を引き出して……」

 見事な巻き毛を揺らして、モンモランシーが厭味ったらしく口にする。

 ルイズは悔しそうに唇をぎゅっと噛み締めたが、なにも言わない。

 澄ました顔で去って行くモンモランシーの足に向かって、才人はさり気なく自身の足を差し出した。彼女はツンと済まして上を向いていたこともあって、足元に気付かず、彼の足に引っかかり転んでしまう。

「きゃあ!?」

 ビターンと床に真正面から転んだ彼女は、鼻を真っ赤にして怒り狂った。

「なにをするのよ! “平民”のくせに“貴族”を転ばせるなんてどういうこと!?」

 ルイズが横から口を出した。

「あんたがよそ見をしてるのが悪いんでしょう?」

「なによ! “平民”の肩を持つ訳? ルイズ! “ゼロのルイズ”!」

 モンモランシーがそう騒ぐと、ルイズは言い放った。

「サイトは“平民”かもしれないけど、わたしの“使い魔”よ。洪水のモンモランシー。彼を侮辱するのは、わたしを侮辱することと同じよ。文句があるならわたしに言いなさい」

 ルイズがそう言うと、モンモランシーはフンッ! とつまらなさそうに唸り、去って行った。

 才人は、思わず目を細め、うっとりとルイズを生暖かく見つめている。

「で、シオン。ホントのところはどうなのよ?」

 それでもまだ、シオンと俺の周りには人集りがあり、矢継ぎ早に質問を投げかけて来る。

「ええっと、ルイズが言った通り、オスマン学院長からの頼みで“王宮”に行ったのは本当だよ? それで、その内容の方だけど……」

 そんなシオンの言葉に、ルイズ達は一斉に俺たち2人へと振り向く。

 一拍ほど置いた後、シオンは口を再び開く。

「在学中はまだ大丈夫だけど、卒業後どうするのかって話をね……ルイズ達はお伴みたいなもの、かな……」

 その言葉に、皆は「そういうことか」とそれぞれ首肯いた。

 シオンが“アルビオン”の“王族”ということは秘密ではあるが、そこから留学して来ているということは周知の事実なのである。

 “アルビオン”で内乱が起こり、そこで新政府が樹立し、戦争になる可能性があるというのは皆知っており、予想もしている。そういったことからの話なのだろうということを皆理解した。

「でも、シオン達が出た後に新政府ができたんだろ? なら」

「内乱はその前から起きてたの。だから」

 一生徒からの質問に、シオンは苦い笑みを浮かべながら答える。

 そうしていると、教室にミスタ・コルベールが入って来た。

 

 

 

「さてと、皆さん」

 コルベールは淋しげな頭を、ポンッと叩いた。

 彼は昨日まで、“土くれのフーケ”が脱獄した一件で、「城下に裏切り者が! すわ“トリステイン”の一大事!」と怯えていた。が、今朝になってオスマンに呼び出され、「とにかくもう大丈夫じゃ」と言われたので安心して、いつもの暢気な彼に戻っていた。もともと彼は政治や事件にはあまり興味がないのである。

 彼が興味があるのは、学問と歴史と……研究だ。だから彼は授業が好きだった。自分の研究の成果を、存分に開陳できるのだから。

 そして本日、彼は嬉しそうに、デンッ! と机の上に妙なモノを置いた。

「それはなんですか? ミスタ・コルベール」

 生徒の1人が質問した。

 それは、妙としか表現ができない物体であった。長い円筒状の金属の筒に、これまた金属のパイプが延びている。パイプには鞴らしきモノに繋がり、円筒の頂上にはクランクが付いている。そしてクランクは円筒の脇に立てられた車輪に繋がっている。さらに、車輪は、扉の付いた箱に、ギアを介してくっ付いている。

 それらの構造を一目見ただけで、俺はそれがいったいなんなのか、どういったモノで、どういった風に使用するのか理解することができた。

 生徒たちは「いったいなんの授業を始める気だろう?」と興味深そうにその装置を見守っている。

 コルベールはおほん、ともったいぶった咳をすると、語り始めた。

「えー、“火系統”の特徴を、誰かこの私に開帳してくれないかね?」

 そう言うと、教室を見回す。

 教室中の視線が集まった。“ハルケギニア”で“火系統”と言えば、“ゲルマニア貴族”である。その中でもツェルプストー家は名門だ。そして彼女、“二つ名”の“微熱”の通り、その例に漏れず、“火”の“系統”が得意なのである。

 キュルケは授業中であるのにも関わらず、爪の手入れを続けていた。鑢で磨く爪から視線を外さず、気怠げに答えた。

「情熱と破壊が“火”の本領ですわ」

「そうとも!」

 自身も“炎蛇”の“二つ名”を持つ、“火”の“トライアングルメイジ”であるコルベールは、ニッコリと笑って言った。

「だがしかし、情熱はともかく、“火”が司るモノが破壊だけでは寂しいと、このコルベールは考えます。諸君、“火”は使いようですぞ。使いようによっては、色んな楽しいことができるのです。良いかねミス・ツェルプストー。破壊するだけじゃない。“戦いだけが火の見せ場ではない”」

「“トリステイン”の“貴族”に、“火”の講釈を承る道理がございませんわ」

 キュルケは自信たっぷりに言い放つ。

 コルベールは、彼女の厭味にも動じず、ニコニコとしている。

「でも、その妙な絡繰りはなんですの?」

 キュルケは、キョトンとした顔で、机の上の装置を指さす。

「うふ、うふふ。よくぞ訊いてくれました。これは私が発明した装置ですぞ。油と、“火”の“魔法”を使って、動力を得る装置です」

 ルイズやシオン、キュルケを始め生徒達はポカンと口を開けて、その妙な装置に見入っている。才人もまた、ジッと見入っている。

 コルベールは続けた。

「まず、この鞴で油を気化させる」

 コルベールはシュコッ、と足で鞴を踏んだ。

「すると、この円筒の中に、気化した油が放り込まれるのですぞ」

 慎重な顔で、コルベールは円筒の横に開いた小さな穴に、“杖”の先端を差し込んだ。彼は、“呪文”を唱える。すると、断続的な発火音が聞こえ、発火音は続いて気化した油に引火し、爆発音に変わった。

「ほら! 見てごらんなさい! この金属の円筒の中では、気化した油が爆発する力で上下にピストンが動いている!」

 すると円筒の上にくっ付いたクランクが動き出し。車輪を回転させた。回転した車輪は箱に付いた扉を開く。するとギアを介して、ピョコッピョコッと中から蛇の人形が顔を出した。

「動力はクランクに伝わり車輪を回す! ほら! するとヘビくんが! 顔を出してピョコピョコご挨拶! 面白いですぞ!」

 “ヘビくん”というのは、彼の“二つ名”である“炎蛇”から取って来たのであろう。

 生徒たちは、ボケッと反応薄気にその様子を見守っている。熱心にその様子を見ているのはシオンと、才人、そして俺だけだった。

 誰かが恍けた声で感想を述べた。

「で? それがどうしたっていうんですか?」

 コルベールは自慢の発明品が、ほとんど無視されているので悲しくなった様子を見せる。彼は、おほんと咳をすると、説明を始めた。

「えー、今は“愉快なヘビくん”が顔を出すだけですが、例えばこの装置を荷物に載せて車輪を回せる。すると馬がいなくても荷車は動くのですぞ! 例えば海に浮かんだ“船”の脇に大きな水車を付けて、この装置を使って回す! すると帆が要りませんぞ!」

「そんなの、“魔法”で動かせば良いじゃないですか。なにもそんな妙ちくりんな装置を使わなくても」

 生徒の1人がそう言うと、ほとんどの生徒たちが「そうだそうだ」と言わんばかりに首肯き合った。

「諸君! 良く見てみなさい! もっともっと改良すれば、なんとこの装置は“魔法”がなくても動かすことが可能になるのですぞ! ほれ、今はこのように点火を“火”の“魔法”に頼っているが、例えば火打ち石を利用して、断続的に点火できる方法が見付かれば……」

 コルベールは興奮した調子で捲し立てるたが、生徒たちのほとんどは「いったいそれがどうしたって言うんだ?」と言わんばかりの表情を浮かべている。コルベールの発明の凄さに気付いているのはやはり、俺とシオン、そして才人の3人だけである。

「先生! それ、素晴らしいですよ! それは“エンジン”です!」

 才人は思わず立ち上がって、叫んだ。

 教室中の視線が彼へと一斉に注がれ、シオンと俺はうんうんと首肯いている。

「えんじん?」

 コルベールはキョトンとして、才人を見つめた。

「そうです。俺たちの世界じゃ、それを使って、さっき先生が言った通りのことをしてるんです」

「なんと! やはり、気付く人は気付いている! おお、君はミス・ヴァリエールの“使い魔”の少年だったな」

 コルベールが開発したのは、“エンジン”の雛形、原型と言えるモノだろう。これを改良し発展させることで、彼が言った通り、「馬を必要としないで済む」ようになるだろう。そして、その技術などの進歩次第では、馬以上の速度を出すモノ、果てには“ウィンドドラゴン”すらをも超越する速度を出すモノを生み出すことすらできるだろう。実際に、今この時代の“地球”では出来ているのだから。

 だが、ここ“ハルケギニア”が“地球”と同等のレベルの技術や技能を持っていたとしても、ほとんどの技術などは“魔法”に取って代わることはできないと言えるだろう。それほどに、この世界の“魔法”は利便性が高いのである。例えばそう、“錬金”や“固定化”だ。もし、“地球”にここ“ハルケギニア”の“魔法”が存在し使用できるのであれば、レアアースを始め金属資源問題は簡単に解決され、ウランと非ウランなどを“錬金”しエネルギー問題を解決、気体を“錬金”することでCO2を始め大気汚染問題すらも解決、資源遺産の修繕を必要としなくなるなどといった芸当が可能になるのだから。

 そういった理由を理解してはいないだろう生徒たちをよそにして、才人は自身の知識内にある“エンジン”についてを思い出しながら言った。

 コルベールは、彼が“伝説の使い魔”――“ガンダールヴ”の“ルーン”を手の甲に浮かび上がらせた少年であることを思い出した。あの件はオスマンが「儂に任せなさい」と言ったこともあってしばらく忘れていたが……先ほどの発言と合わせ、才人に改めて興味を抱いた様子を見せる。

「君はいったい、どこの国の生まれだね?」

 身を乗り出して、コルベールは才人に訊ねる。

 ルイズがそんな才人の裾を引っ張り、軽く睨んで見せた。

「……余計なこと言うんじゃないの。怪しまれるわよ」

 才人は「それもそうだ」と思ったのだろう、再び席に着いた。

「君は、いったい、どこの生まれなのだね? うん?」

 だが、コルベールは目を輝かせて才人に近付いた。彼も彼で、気になったことに対して一直線という質である。

 そんな目を輝かせて乗り出してくるコルベールに対し、才人とルイズは慌ててしまう。

「失礼、ミスタ・コルベール。俺たちは、ここから東方にある……貴方方が言うところの、“ロバ・アル・カリイエ”の方から来たのです」

 “召喚”時に“聖杯”から与えられたこの世界――“ハルケギニア”の“知識”から単語を引き出し、2人の代わりに俺がそう答える。

 それを聞いて、コルベールや他の生徒たちは驚いた表情を浮かべた。

「なんと! あの恐るべき“エルフ”の住まう地を通って! いや、“召喚”されたのだから、通らなくても“ハルケギニア”へはやって来れるか。なるほど……“エルフ”達の治める東方の地では、学問、研究が盛んだと聞く。君たちはそこの生まれだったのか。なるほど」

 コルベールは納得したように頷いた。

 才人は「なにそれ?」といった顔でルイズの方を向き、彼女は「彼に合わせなさい」と言うように、才人の足を踏ん付けた。

「そ、そうです。俺たちはその、ロバなんとかからやって来たんです」

 コルベールはうんうんと頷くと、装置の方へと戻った。そして、再び教壇に立ち、教室を見回す。

「さて! では皆さん! 誰かこの装置を動かしてみないかね? なあに! 簡単ですぞ! 円筒に開いたこの穴に、“杖”を差し込んで“発火”の“呪文”を断続的に唱えるだけですぞ! ただ、ちょっとタイミングにコツが要るが、慣れればこのように、ほれ」

 コルベールは鞴を足で踏み、再び装置を動かした。

 爆発音が響き、クランクと歯車が動き出す。そして蛇の人形がピョコピョコと顔を出す。

「“愉快なヘビくん”がご挨拶! このように! ご挨拶!」

 しかし、誰も手を挙げようとしない。

 シオンは行きたそうにしているが、周りの皆がそうではないこともあって、下手に空気を読んでしまい、挙手できないでいる様子だ。いや、より正確に言えば、ただ、“愉快なヘビくん”の構造を知りたい、といった様子である。

 コルベールはなんとか自分の装置に対する生徒の興味を惹こうと、“愉快なへび君”を採用したのだが、まったくウケなかった様子である。

 コルベールはがっかりして、肩を落とした。

 すると、モンモランシーが、ルイズを指さした。

「ルイズ、貴女、やってごらんなさいよ」

 コルベールの顔が輝いた。

「なんと! ミス・ヴァリエール! この装置に興味があるのかね?」

 ルイズが困ったように、首を傾げた。

「“土くれのフーケ”を捕まえ、なにか秘密の手柄を立てた貴女なら、あんなこと造作もないはずでしょう?」

 疑うといった非道い考えなのかもしれないが、どうやらモンモランシーはルイズに失敗させて恥を掻かせようとしている、もしくは、確かめようとしているのだろう。

 なおも、モンモランシーは挑発を続ける。

「やってごらんなさい? ほら、ルイズ。“ゼロのルイズ”」

 “ゼロ”と呼ばれ、ルイズは頭に来た様子だ。

 ルイズは立ち上がると、無言でツカツカと教壇に歩み寄った。

 才人はルイズのそんな様子を見て、モンモランシーを睨み付けた。

「おいモンモン」

「モンモンですって!? 私はモンモランシーよ!」

「ルイズを挑発すんなよ! “爆発”すんだろうが!」

 言ってから、才人は「しまった」といった様子を見せる。

 教壇の上からルイズの才人の台詞を聞き付け、目尻を吊り上げた。

 前列の生徒たちが、コソコソと椅子の下に隠れる。

 ただ、シオンは椅子に座り、ルイズを真っ直ぐに見つめている。

 才人の台詞で、ルイズの実力と結果と“二つ名”の由来を思い出したのだろうコルベールは、その決心を翻させようと、オロオロと説得を試みた。

「あ、いや、ミス・ヴァリエール。その、なんだ、うむ。また今度にしないかね?」

 冷たい声で、ルイズは「わたし、洪水のモンモランシーに侮辱されました」と言った。彼女の鳶色の瞳が、怒りで燃えている。

「ミス・モンモランシーには、私からよく注意をしておくよ。だから、その、“杖”を収めてくれんかね? いやなに、君の実力を疑う訳ではないが、“魔法”はいつも成功するという訳ではない。ほら、言うではないか。“ドラゴンも火事で死ぬ”、と」

 だが、その言葉自体が、逆に挑発じみたモノになってしまっている。

 ルイズはキッ! とコルベールを睨んだ。

「やらせてください! わたしだって、いつも失敗している訳ではありません。たまに、成功、します。たまに、成功する時が、あります」

 ルイズは自分に言い聞かせるように、区切って言った。声が震えている。ルイズの怒りが頂点に近くなると、声が震えるのだ。

 こうなっては、誰も彼女を止めることはできない。いや、難しいだろう。例え、シオンであったとしてもだ。

 コルベールは天井を見上げ、嘆息した。

 ルイズはコルベールがしたように、足で鞴を踏んだ。

 気化した油が、円筒の中に送り込まれる。

 それから、目を瞑り、大きく深呼吸をすると、おもむろに円筒に“杖”を差し込んだ。

「ミス・ヴァリエール……おお……」

 コルベールが、祈るように呟いた。

 ルイズは朗々と、可愛らしい鈴の音のような声で、“呪文”を“詠唱”した。

 教室中の俺を除いた全員がピキーンと緊張する。シオンは、友人の“魔法”が成功するように祈っている。

 俺は静かに、“風系統”の“魔法”と“風属性”の“魔術”の使用、そして自身とシオン、そして友人たちの前に“魔力障壁”を展開する。

 期待通りかそうではないのか、順当に円筒の装置ごと爆発を起こし、ルイズとコルベールは黒板へと吹き飛ばされる。が、直撃は回避される。

 生徒たちから悲鳴が上がる。

 爆発は油に引火して、辺りに炎を振り撒いた。

 生徒たちは逃げ惑った。

 椅子や机が燃える中、ルイズはムックリと立ち上がった。見るも無残な格好である。制服は焼け焦げ、可愛らしい清楚な顔は煤だらけ。そして、大騒ぎの教室意に介した風もなく、腕を組んで呟いた。

「ミスタ・コルベール。この装置、壊れやすいです」

 コルベールは気絶していたので、答えることができないでいる。代わりに生徒たちが口々に喚いた。

「お前が壊したんだろ! “ゼロ”! “ゼロのルイズ”! いい加減にしてくれよ!」

「と言うか燃えてるよ! 消せよ!」

 シオンとモンモランシーが立ち上がり、“水系統”の“魔法”の“呪文”の1つである“ウォーター・シールド”を唱えた。俺もまた、彼女たちと同様に “ウォーター・シールド”を使用する。

 現れた水の壁が、炎を消し止めた。

 それからモンモランシーは勝ち誇ったように、ルイズへと言った。

「あら、もしかして、余計なお世話だったかしら? なにせ貴女は優秀な“メイジ”だもんね。あのくらいの火、どうってことないモノね」

 ルイズは悔しそうに、キッと唇を噛み締めた。

「駄目だよ、モンモランシー。そんなこと言っちゃ。ルイズ、気にしないでね。まだ、貴女だけの“魔法”の使い方がわかっていないだけなんだよ。だから、練習を重ねてそれを知れば良いだけだし。それにね、セイヴァーから聞いたんだけど、“ロバ・アル・カリイエ”には“失敗は成功の母”っていう諺があるらしいわ」

 シオンのそのフォローにならないフォローに、ルイズは小さく首肯いた。

 

 

 

 その夜……。

 教室の後片付けが終わったのは夜だった。

 ルイズと才人はもちろんだろうが、シオンと俺はその手伝いをしていたのだ。

 “魔法”を使用しなかったこともあって、燃えた教室の机を取り替え、水浸しになった床を吹き上げる作業は大変と言えるモノだった、

 3人とも、クタクタになっている様子を見せていた。

 シオンは着替えを済ませ、そして彼女と俺はルイズの部屋を訪れる。ドアをノックすると、ルイズから「どうぞ」といった旨の言葉が返って来る。

 入室をすると、ルイズは着替えを済ませており、彼女はベッドの上に、才人は藁束の上にいるのが見えた。

「ちょうど、サイトが帰る方法のことを話してたの」

「帰る方法?」

 ルイズのその言葉に、シオンはこちらを見遣る。

「でも、どうすれば良いのか、判んないの。異世界なんて、聞いたことないし。あんた達の世界って……“魔法使い”がいないのよね?」

「いない」

「月が1つしかないのよね?」

「ない」

「変なの」

 ルイズの確認に、才人が答え、彼女は小さく呟いた。

「変じゃねえよ。こっちの方が変だ。大体、“魔法使い”って、ナメてる」

「なによそれ。まあ良いわ。で、あんたって向こうでなにしてたの?」

「高校生」

「高校生って、なに?」

「まあ、お前らがやってることとあんまり変わらねえよ。勉強するのが仕事だ。良くわかんねえけど。そんな感じ」

 ルイズの質問に、才人は思い出すように口にする。

 だが、やはりルイズやシオンには理解できないのだろう。 ? を頭に出している。

 補足する才人だが、彼自身も実際には良く理解はできていない様子であった。だが、それも仕方がないだろう。その全てを完全に理解できているのであれば大したモノだ。

「それで、大きくなったらなにになるの?」

「サラリーマンかな? 普通だったら」

「サラリーマンってなに?」

「働いて、給料を貰うんだ」

 面倒臭くなって来たのだろう、才人はテキトウに答えた。

「ここで言う、ギルド、それに似た集団に入り、働き、30日ほどに1回にその働いた分だけ給金を貰う。そんなモノだ」

 そこに、俺は自己解釈し、出来る限り噛み砕いた説明をルイズとシオンへとする。

「ふぅん。良く、理解んないけど。あんたはそれになりたいの?」

 才人はルイズの質問に、黙ってしまっている。

 高校生で将来なにになりたいかなど、明確なそれをイメージし、抱いている者など少ないだろう。

「わかんね。あんまりそういうこと、考えたことなかったし」

「セイヴァーは?」

 そこで、才人が答えた後、シオンは俺へと同様の質問をして来る。

 だが、俺はそこで言葉に窮してしまった。前世での俺は、家に引き篭もっていただけのいわゆるニートというモノであった。していたことと言えば、飯食って寝る、パソコンを触るくらいのモノだったのだから。家事手伝いすらもしていなかったのだから。

「そうだな……自宅警備、といったところか……」

 その言葉に、才人は駄目人間を見る目で俺を見てきた。

「あのワルドが言ってたわ。あんたは“伝説の使い魔”だって。あんたの手の甲に現れたのは“ガンダールヴ”の印だって」

「うん。みたいだな。ま、俺には良くわかんないけど。あの剣……デルフリンガーも、その“ガンダールヴ”が持ってた剣らしいぜ」

「それって、ホントなのかしら?」

「まあ、ホントなんだろうな。じゃなけりゃ、あんな風に“武器を使いこなせる”ことなんてできないよ」

「だったら、どうしてわたしは“魔法”ができないの? あんたが“伝説の使い魔”なのに、どうしてわたしは“ゼロのルイズ”なのかしら? 嫌だわ」

「そんなの俺にはわかる訳ないだろ」

 ルイズと才人は会話を続け、そして彼女はしばらく黙っていたが……少しばかり真面目な声で口を開いた。

「あのね、わたしね、立派な“メイジ”になりたいの。別に、そんな強力な“メイジ”になれなくても良い。ただ、“呪文”をきちんと使いこなせるようになりたい。得意な“系統”もわからない。どんな“呪文”を唱えても失敗なんて嫌」

 シオンと俺、才人は黙って彼女の言葉を聞き続ける。

「小さい頃から、わたし、駄目だって言われてた。お父さまも、お母さまも、わたしにはなんにも期待してない。クラスメイトにも馬鹿にされて。“ゼロ”、“ゼロ”って言われて……わたし、ホントに才能ないんだわ。得意な“系統”なんて、存在しないんだわ。“魔法”唱えても、なんだがぎこちないの。自分でも理解ってるの。先生や、お母さまや、お姉さまが言ってた。得意な“系統”の“呪文”を唱えると、身体の中になにかが生まれて、それが身体の中を循環する感じがするんだって、それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、“呪文”は完成するんだって。そんなこと、1度もないもの」

 ルイズの声が、小さくなる。

「でもわたし、せめて、皆ができることを普通にできるようになりたい。じゃないと、自分が好きになれないような、そんな気がするの」

 ルイズは落ち込んでいるようで、だが、なんと言って慰めれば良いのかわからないのだろう、困っている様子を才人とシオンは見せた。

 しばらく時間が経って、才人はやっとのことで口を開く。

「別に……“魔法”ができなくたって、お前は普通だろ。いや、その……普通どころじゃなくて。可愛いし。それに最近は優しいところもあるし。立派なところだってあるし。別に、“魔法”ができなくたって、大した人物だと……」

 しどろもどろになって才人はそう言った。

 ルイズの表情は少しばかりマシなモノになる。

「口を挟んですまないが、少し良いだろうか?」

 俺の言葉に、ルイズと才人、シオンの3人がこちらへと振り向き、ルイズは「どうぞ」と許可してくれる。

「確認だが、“魔法”は失敗するとどうなる?」

 シオンは「なにも起きないわ」と答える。

「フフッ、なるほどな……」

 そこで俺は思わず嘲笑ってしまう。だが、それは“原作”などの事前知識がある(カンニングをしている)からこそなのだが。

 そして、突然に笑い出した俺に、3人が注目する。

「いや失礼……ルイズ、君は“魔法”が使えない訳ではない。実際に使えているではないか」

「なにを言ってるのよ。今日だって失敗したじゃない!」

 俺の言葉に対し、ルイズは夜であることもあって小さな声で叫ぶという器用な真似をしてみせた。

「先ほど確認した通り、失敗すれば何も起きない。ということは成功しているんだ。詰まり、それら唱えた“呪文”の“魔法”の結果が“爆発”へとすり替わる――変化してしまっているだけだ」

 その俺の言葉――ごく当たり前の指摘に、3人はハッとした表情を浮かべる。

「なら、どうして爆発するの?」

「それは、いずれ理解るだろうさ。いずれ、な……」

 そこで会話は終了し、シオンと俺はしばらくした後に退出する。

 シオンは自身の部屋へと戻ると直ぐに、自身のベッドで眠りに就く。

 静かな空間に、彼女の小さく可愛らしい吐息と寝息が控えめに響く。彼女の華奢な身体は小気味良く呼吸によって上下に動いている。

 俺はそんな彼女へと1度目を向けた後、“霊体化”した。

 



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始祖の祈祷書

 オスマンは“王宮”から届けられた一冊の本を見つめながら、ボンヤリと髭をよっていた。

 古びた皮革の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうな本である。色褪せた羊皮紙のページは、色褪せて茶色くくすんでいる。

 オスマンは「ふむ」と呟きながら、ページをめくる。そこには何も書かれていない。おおよそ300ページほどあるだろうその本は、どこまで捲っても、白紙なのである。

「これが“トリステイン王家”に伝わる、“始祖の祈祷書”か……」

 6,000年前、“始祖ブリミル”が神に祈りを捧げた際に詠み上げた“呪文”が記されていると伝承には遺っているのだが、それにしては“呪文”の“ルーン”どころか、文字さえも記載されていないのである。

「紛い物じゃないのかの?」

 オスマンは、胡散臭げにその本を眺める。

 偽物……この手の伝説の品にはよくあることだといえるだろ。それが証拠に、1冊しかないはずの“始祖の祈祷書”は、各地に存在している。金持ちの“貴族”、寺院の司祭、各国の“王室”……どれも自分“始祖の祈祷書”が本物だと主張しているのである。本物か偽物かわからぬ、それらを集めただけで図書館ができるといわれているくらいであるのだから。

「しかし、紛い物にしても、酷い出来じゃ。文字さえ書かれておらぬではないか」

 オスマンは、各地で何度か“始祖の祈祷書”を見たことがあった。“ルーン文字”が踊り、祈祷書の体裁を整えていた。しかし、この本には文字1つ見当たらない。これではいくらなんでも、詐欺ではないかと思えてしまうほどである。

 その時ノックの音が鳴る。

 オスマンは、(秘書を雇わねばならぬな)と思いながら、来室を促した。

「鍵はかかっておらぬ。入って来なさい」

 扉が開いて、1人のスレンダーな少女が入って来た。桃色がかったブロンドの髪に、大粒の鳶色の瞳の少女ルイズである。

「わたしをお呼びと聞いたものですから……」

 ルイズは言った。

 オスマンは両手を広げて立ち上がり、この小さな来訪者を歓迎した。そして、改めて、先日のルイズの労を労った。

「おお、ミス・ヴァリエール。旅の疲れは癒せたかな? 思い返すだけで、辛かろう。だがしかし、お主たちの活躍で同盟が無事締結され、“トリステイン”の危機は去ったのじゃ」

 優しい声で、オスマンは言った。

「そして、来月には“ゲルマニア”で、無事王女と、“ゲルマニア”皇帝との結婚式が執り行われることが決定した。君たちのおかげじゃ。胸を張りなさい」

 それを聞いて、ルイズは少しばかり悲しそうな表情を浮かべる。

 幼馴染のアンリエッタは、政治の道具として、好きでもない皇帝と結婚するのである。同盟のためには仕方がないとはいえ、ルイズはアンリエッタの悲しそうな笑みを思い出すと、胸が締め付けられるような錯覚を覚えるのであった。

 ルイズは黙って頭を下げた。

 オスマンは、しばらくジッと黙ってルイズを見詰めたが、思い出したように手に持った“始祖の祈祷書”をルイズに差し出した。

「これは?」

 ルイズは、怪訝な表情を浮かべその本を見つめた。

「“始祖の祈祷書”じゃ」

「“始祖の祈祷書”? これが?」

 “王室”に伝わる、伝説の書物。国宝のはずのそれをオスマンが持っていることに、ルイズは疑問を覚えた。

「“トリステイン王室”の伝統で、“王族”の結婚式の際には“貴族”より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。選ばれた巫女は、この“始祖の祈祷書”を手に、四季の詔を詠み上げる慣わしになっておる」

「は、はぁ」

 ルイズは、そこまで宮中の作法に詳しくはなかったので、気のない返事をした。

「そして姫は、その女に、ミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ」

「姫さまが?」

「その通りじゃ。巫女は、式の前より、この“始祖の祈祷書”を肌身離さず持ち歩き、読み上げる詔を考えねばならぬ」

「えええ!? 詔をわたしが考えるんですか?」

「そうじゃ。もちろん、草案は宮中の連中が推敲するじゃろうが……伝統というのは、面倒なもんじゃのう。だがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。これは大変に名誉なことじゃぞ。“王族”の式に立ち会い、詔を 読み上げるなど、一生に1度あるかないかじゃからな」

 ルイズはキッと顔を上げた。

「理解りました。謹んで拝命いたします」

 ルイズはオスマンの手から、“始祖の祈祷書”を受け取った。

 オスマンは目を細めて、ルイズを見つめた。

「快く引き受けてくれるか。良かった良かった。姫も喜ぶじゃろうて」

 

 

 

 その日の夕方。

 才人は風呂の用意をしていた。

 “トリステイン魔法学院”に、風呂はある。大理石で出来た、“ローマ”式の風呂のような造りをした風呂である。プールのように広く大きく、香水が混じった湯が張られ、天国気分との話であったが、もちろん俺たちは入ることはできない。そこには“貴族”しか入ることが許されていないのだから。

 “学院”内で働く“平民”用の風呂もあるにはあるのだが、“貴族”のそれに比べると、かなり見劣りするモノなのである。“平民”用の共同風呂は、掘っ立て小屋のような造りをしたサウナ風呂である。焼いた石が詰められた暖炉の隣に腰かけ、汗を流し、十分に身体が温まったら、外に出て水を浴び、汗を流す。そういう風呂なのだから。

 そんな風呂だということもあって、俺たちは1日入っただけで嫌になってしまった。“日本”で育ったということもあって、やはり風呂釜にたっぷりと湯を張り、そこに浸かるのが1番だろうと思うのである。

 そう思い困った才人が、コック長のマルトーに頼み込み、古い大釜を1つ貰い、今に至るのである。

 五右衛門風呂の要領で、釜の下に薪を焚べ、蓋を沈めて底板にして入るのだ。

 その五右衛門風呂は、“ヴェストリの広場”の隅っこに設えていた。この広場は、人があまり来ないということもあって、都合が良いのであった。

 日が陰り、2つの月が薄っすらと姿を見せて来た。

 湯が湧いたので、バッと服を脱ぎ捨て、才人は蓋を踏みながら大釜に浸かった。

「あー、好い湯だな、こりゃ」

 才人はタオルを頭に乗せ、鼻歌を歌う。

 大釜の横の壁に立てかけたデルフリンガーが、才人に声を掛けた。

「良い気分みてえだね」

「ああ、良い気分だ。セイヴァーも誘えば良かったかな……」

「ところで相棒、この前のなんてあの娘っ子を手篭めにしなかったんだね?」

 才人は、生暖かい視線で、デルフリンガーを見つめた。

「その目はやめてくれ。気味悪いよ相棒」

「なあ“伝説の剣”」

「如何にも俺は“伝説の剣”だが、どうしたね?」

「お前は6,000年も生きて来て、誰かを守ろうとか、大事に思ったことは、なかったのか?」

 デルフリンガーは軽く震えた。

「守るのは俺じゃねえ。俺を握った奴が、誰かを守るのさ」

「可哀想な奴だなあ……」

 才人は心底同情する声で言った。

「可哀想なもんかね。逆に気楽で良いや」

「そっか。ところでお前は、なんか覚えていないのか? その“ガンダールヴ”のこと。どんな格好してたのとか、いったい、どんなことをしてたのかとか……」

 才人は持ち前の好奇心を発揮させて、デルフリンガーに尋ねた。

「覚えてね」

「あらま」

「なにぶん大昔のことでな。まあ、セイヴァーが一緒にいたことだけは覚えてるが……それより、相棒、誰か来たみてえだぜ」

 月に照らされ、人影が現れた。

「誰?」

 才人が声を掛けると、人影はビクッ! として、持っていたなにかを取り落とした。ガチャーン! と月夜に陶器の何かが割れる音が響き渡る。

「わわわ、やっちゃった……また、怒られちゃう……くすん」

 その声で、才人は暗がりから現れた人物に気が付いた。

「シエスタ!?」

 月明かりに照らされて姿を見せたのは、“アルヴィーズの食堂”で働く、メイドのシエスタだった。

 仕事が終わったばかりなのであろう、いつものメイド服であったが、頭のカチューシャを外している。肩の上で切り揃えられた黒髪が、艶やかに光っている。

 シエスタはしゃがむと、落っこちた何かを一生懸命に拾っていた。

「な、なにやってるの?」

 才人が声をかけると、シエスタは振り向いた。

「あ! あのっ! その! あれです! とても珍しい品が手に入ったので、サイトさん達にご馳走しようと思って! 今日、厨房で飲ませて上げようと思ったんですけどおいでにならないから! わあ!」

 慌てた様子で、シエスタは言った。

 シエスタの隣にはお盆がある。そこにはティーポットとカップが載っていた。

 どうやら彼女は声を掛けられた拍子に驚いて、カップ1個を落として割ってしまったらしい。

「ご馳走さま?」

 風呂釜に浸かりながら、才人は言った。

 シエスタは、才人が素っ裸であることに気付いたらしい。少し恥ずかし気に目を逸らした。

「そうです。東方、“ロバ・アル・カリイエ”から選ばれた珍しい品物とか。お茶っていうんです」

「お茶ぁ?」

 才人にとってそんなモノ、珍しくもなんともない代物であった。

 シエスタは、ティーポットから、割れなかったカップに注ぐと彼に差し出した。

「ありがとう」

 才人はそれを口に運んだ。

 お茶の良い香りが鼻孔を擽る。“日本”で飲むことができる緑茶とさほど変わらない味がしたが、少し違う。だが、上手く言葉にすることができなかった。

 才人は、思わず目頭を拭った。

「ど、どうなさいました!? 大丈夫ですか!?」

 シエスタが、風呂釜に身を乗り出す。

「い、いや、ちょっと懐かしかっただけだから。平気だよ。うん」

 才人はそう言って再び、カップを口に運ぶ。お風呂でお茶なんて妙な組み合わせだろうが、どちらも才人を郷愁に浸らせるには十分なモノであった。

「懐かしい? そっか、サイトさんは、東方のご出身なんですね」

 シエスタははにかんだ笑みを見せる。

「ま、まあそんな感じかな。でも、よく俺がここにいるのがわかったね」

 才人がそう言うと、シエスタは顔を赤らめた。

「え、えと、その。たまにここで、こうやってお湯に浸かっているのを見てたもんですから……」

「覗いてたの?」

 才人がキョトンとした声で言うと、シエスタは慌てて首を横に振った。

「いえ、その、そういう訳じゃ!」

 釜の周りには溢れたお湯でぬかるんでいたので、慌てた拍子にシエスタは足を滑らせ、わっ、と驚きの声を上げて釜の中に滑り落ちた。

 シエスタの悲鳴が、ドボーンと釜の中に飛び込む音で掻き消された。

「大丈夫?」

 才人は呆然として尋ねた。

「だ、大丈夫ですけど……わーん、ビショビショだぁ……」

 ビショ濡れのシエスタが、お湯から顔を出した。

 メイド服が濡れて、悲惨なことになってしまっている。

 シエスタは、顔を赤らめて下を向いた。

 才人は慌てた。

「ご、ごめん! つってもこれお風呂だし!」

「い、いえ、その、すいませんっ!」

 謝りつつも、シエスタは風呂から出ようとしない。

 才人も、こうなったらと開き直ることにした様子を見せる。

「うふふ」

 メイド服のまま、大釜に浸かってシエスタは笑った。笑う状況ではないのだが、笑った。

「ど、どうしたの?」

 才人は水面下を見つめたが、暗いのでお湯の中は見えないのだった。

「いえ、でも、気持ち好いですね。これがサイトさん達の国のお風呂なんですか?」

 才人は安心した様子を見せながら答えた。

「そうだよ。普通は服を着ながら入ったりはしないけど」

「あら? そうなんですか? でも、考えてみればそうですよね。じゃあ、脱ぎます」

「はい?」

 才人は目を丸くしてシエスタに尋ねた。

「今、なんとおっしゃいました?」

 シエスタは、しばらく恥ずかしそうにモジモジしていたが、なぜか開き直ったらしい。唇を軽く噛んだ後、決心したように才人を見詰めた。

「脱ぎます、と言ったんです」

「あの、シエスタさん? 僕、男なんですけど……?」

 才人は唖然として、尋ねた。

「大丈夫です。サイトさんが、襲ったりするような人じゃないこと、知ってますから」

 才人は首肯いた。

「いや、まあ、そりゃそんなことはしないけど……」

「ですよね。わたしもこのお風呂にちゃんと入ってみたいんです。気持ち好いし」

 そして、え? と才人が見守る中、シエスタはお湯から出ると服を脱ぎ始めた。

 才人は慌てて目を逸らした。

「ま。まずいよ! シエスタ! ちょっと! やっぱまずいって!」

 と言いつつも、「やめて」とは言えないのが、才人の、男としての弱いところであり、本音であった。

「で、でも、ビショビショだし……このまま帰ったら部屋長に怒られちゃう。火で乾かせばすぐに乾くと思うし」

 大人しそうではあるのだが、どうやら彼女は一旦決めると大胆になるタイプのようである。

 彼女は、ポンポンブラウスのボタンやスカートのホックを外して行く。実に、気持ちの良い脱ぎっぷりだといえるだろう。

 シエスタは脱いだメイド服や下着を、薪を使って火の側に干した。それから、再びお湯の中へと入る。

「うわあ! 気持ち好い! あの共同のサウナ風呂も良いけど、こうやってお湯に浸かるのも気持ち好いですね! “貴族”の人たちが入っているお風呂みたい。そうですね、羨ましいならこうやって自分で造れば良いんだわ。サイトさんは頭が良いですね」

「そ、そんなことないけど」

 才人は顔を背けながら答えた。

 横に裸の女の子がいるというだけで、才人はのぼせて倒れそうになってしまいそうになった。

 シエスタは、はにかんだ笑みを浮かべて言った。

「そんなに照れないでください。わたしも照れるじゃないですか。こっち向いても大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと胸は腕で隠してますから……それに、水の中は暗くて見えないから平気ですよ」

 才人は喜び半分、戸惑い半分の気持ちで前を向いた。

 シエスタは、才人の前にチョコンと座ってお湯に浸かっている。

 暗いおかげだろうか、確かに水面の下の肢体は見えない。

 だが、才人は彼女を見て息を呑んだ。 なにせ、暗がりの中のシエスタは、黒髪が濡れ、艶やかに光っているのである。

 彼女には、ルイズやアンリエッタとは違う、野に咲く可憐な花のような魅力があり、大きな黒い瞳は親しみやすさを演出しており、低めの鼻も愛嬌があって可愛らしいといえるだろう。

「ねえ、サイトさん達の国ってどんなところなんですか?」

「俺の国?」

「うん。聞かせてくださいな」

 シエスタが身を乗り出して、無邪気に訊いて来る。

「え、えっと! 月が1つで、魔法使いがいなくって、そんでもって、電気はスイッチで消して、空を飛ぶ時は飛行機が飛んで……」

 才人がしどろもどろにそう言うと、シエスタは頬を膨らませた。

「嫌だわ。月が2つだの、魔法使いがいないだの、わたしをからかってるんでしょう? 村娘だと思って、馬鹿にしてるんですね」

「からかってなんかないよ!」

 才人は、(ホントのことを言ったら混乱させるだけだろうな。なにせ、異世界からやって来たことを知ってるのは、今のところルイズとシオン、セイヴァー、オスマン氏と、姫さまだけだし)と思った。

「じゃあ、ちゃんとホントのこと言ってくださいな」

 シエスタは、才人を上目遣いで見つめた。

 そんなシエスタの黒い髪と瞳は、才人に懐かしい“日本”の女子を思い出させた。もちろん、顔の造りは“日本人”のそれとは違う。だが、素朴で懐かしい感じの魅力を放っている、と彼に感じさせた。

「そ、そうだな……食生活が違うかな」

 才人は当たり障りのないだろう範囲で、“日本”のことを話した。

 シエスタは目を輝かせて、その話に聞き入った。

 しばらく経つと、シエスタは胸を押さえて立ち上がった。

 才人は慌てて目を逸らす。

 横を向いている才人の側で、シエスタは乾いた服を身に着け、彼へとペコリと礼をした。

「ありがとうございます。とても楽しかったです。このお風呂も素敵だし、サイトさんの話も素敵でしたわ」

 シエスタは嬉しそうに言った。

「また聞かせてくれますか?」

 才人は首肯いた。

 シエスタはそれから、頬を染めて俯くと、はにかんだように指を弄りながら言った。

「えっとね? お話も、お風呂も素敵だけど、1番素敵なのは……」

「シエスタ?」

「貴男、かも……」

「な、なんですとッ!?」

 シエスタは小走りに駆けて行った。

 才人はその異国の少女らしい本気か冗談かわからないベタな台詞と、長湯の所為でグッと上せて、大釜にグッタリと寄り添った。

 

 

 

 湯から上がって、才人がルイズの部屋に戻ると、ルイズはベッドの上でなにかをやっていた。

 才人の姿を見ると、慌ててそれを本で隠した。その隠されたそれは。古ぼけたボロボロの大きい本であった。

 才人は雑念を振り払いながら、洗濯に向かうために洗濯物の入った籠に近寄った。お風呂の残り湯を利用して洗濯すると、指が冷たくないというのが理由である。

 しかし、そこは空っぽであった。

「ルイズ、洗濯物はどうした?」

 才人が尋ねると、ルイズは首を振った。

「もう、洗った」

「洗ったってお前……」

 そして才人はルイズを見て、ウッ! とびっくりした。

 なんとルイズは、才人がお風呂に行く前に部屋に脱いで行った彼のナイロンパーカーを着用しているのである。

 才人は、ここ最近五右衛門風呂を造ってからは、そこに行く際には、お風呂に入ると身体が熱くなるといった理由から、そのナイロンパーカーを脱いで、Tシャツだけになって行くのである。

 ルイズは、恐らく下着の上に直に着ているのだろう。袖も丈もブカブカなので、見様によっては妙なワンピース姿にも見える。

「お前、なんで俺の一張羅着てんだよ!?」

 才人がそう訊ねると、ルイズは口元をナイロンパーカーの中に埋めた。

 ルイズは、頬を染めて言った。

「だって……洗濯したら、着るのなくなちゃったんだもん」

「あるじゃん! いっぱい!」

 才人はクローゼットを開けた。

 そこには、ルイズは“貴族”だということもあって、高価そうなドレスやらを始めとした服が沢山入っており、並んでいる。

「だって、それは余所行きの服だもん」

 ルイズはベッドに正座して、拗ねたような口調で言った。

「普段着あるじゃん」

 才人は地味目のワンピースを手に取った。

「そんなの着たくないもん」

「でも、俺それしかないのよ。返してよ」

 しかし、ルイズは脱ごうとしない。それどころか、立てた指でシーツを捏ね繰り回している。

「これって、軽くて着心地が好いわね。なにでできてるの?」

 どうやら彼女は、着心地が好いという理由で着ているらしい。

「ナイロン」

「ないろん?」

「俺の世界にはそういう生地があるんだよ。石油から作るんだ」

「せきゆ?」

「海の底にプランクトンが溜まって、長年かけて、油になるんだ。その油で作るんだ」

「ぷらんくとん?」

 ルイズはキョトンとした目付きで、子供みたいに才人の言葉をオウム返しした。

 パーカーに顔の下半分が隠れているということもあって、どのような表情を浮かべているのかわかり難い。

 才人は、(ちょっと可愛いじゃねえかこいつ)と思い、そして、今までのルイズからは、考えられない行為ということもあって自分で洗濯したことに対して感心と同時に恐怖を覚えた。

 才人は「頬も赤いし、流石に熱があるんじゃねえか? 病気じゃないだろうな?」と心配をし、それを確かめるためにルイズへと近付く。

 才人が近寄ると、ルイズはビクッ! と震えた。そして、う……と唸った。

 才人は(そんなに嫌うなよ)と思いながらルイズの肩を捕まえ、額を近付けると、ルイズは身体を強張らせつつも、大人しく目を瞑った。

「熱はないみたいだな」

 才人がそう言ってくっ付けた額を離すと、ルイズは拳をギュッと握り締めた。

 才人が「どうした?」と尋ねると、ルイズはプイッと後ろを向いて、ゴソゴソと布団に潜り込んだ。

 才人が「おい」と突くと、ルイズは「寝る」と言って、黙ってしまう。

 才人は(まあ、熱はないみたいだし、放っとくか)と思って藁束の中に潜り込んだ。

 そのままジッとしていると、彼へと向けて枕が飛んで行く。

「なんなんですか?」

 才人が尋ねると、「今投げた枕持って来なさい。ベッドで寝て良いって言ってるじゃない。馬鹿」と拗ねた声でルイズは答えた。

 才人は「どしたんだろう?」と思いながら、彼女のベッドに潜り込んだ。

 ルイズはモゾモゾと布団の中で動いていたが、その内部に大人しくなった。

 

 

 

 ルイズの部屋の窓の外ではタバサのシルフィードがプカプカと浮いていた。その上には、例によってキュルケとタバサの姿がある。

 タバサは月明かりを頼りに本を読んでおり、キュルケは窓の隙間からルイズの部屋の様子をジッと見つめていた。

 キュルケはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「なによー、ホントに仲良くなってるじゃないの」

 キュルケの頭には、“アルビオン”から帰るシルフィードの上で頬を染めて才人に寄り添っていたルイズの顔が浮かび上がった。その時のルイズは、満更でもなさそうであったのである。

「まったく、あたしだって、そりゃ、本気じゃないわよ? でもねー、あそこまであたしのアプローチ拒まれると、ついつい気になっちゃうのよね」

 ついこの前まで、彼女の求愛を拒んだ男はいなかったのである。それがキュルケの自慢であった。いや、本当はそんなこともないのだが、キュルケは良くも悪くも、自分に都合の悪いことは直ぐに忘れてしまう(たち)である。

 キュルケはいらついているのであった。

 才人が、先ほど“平民”の娘と一緒にお風呂に入っていたのを見ていたのである。

 彼女のプライドがガサガサと揺らぐ。ルイズに負け、“平民”の娘にまで負けたのでは、“微熱”の二文字が揺らいでしまうと感じているのであった。

 それに、ルイズが才人になびいているのであれば是が非でも奪い取らねばならないと、彼女のプライドと血がそう思わせた。ラ・ヴァリエールから恋人を奪うのは、これフォン・ツェルプストーの伝統なのであるからして。

「うーん、陰謀策謀は得意じゃないけど、少しは作戦練ろうかしら? ねえタバサ」

 タバサは本を閉じて、キュルケを指さして言った。

「嫉妬」

 キュルケは頬を染めた。

 それから、キュルケはタバサの首を絞めてガシガシと振った。

「い、言ってくれるじゃないの! 嫉妬じゃないわよ! あたしが嫉妬なんかする訳ないじゃない! ゲーム! これは恋のゲームなのよ!」

 それでもタバサは堪えず、同じ台詞を繰り返した。

「嫉妬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は遡り、才人が五右衛門風呂に入り始めた頃。

 シオンと俺は、彼女の自室の中で“魔術”や“聖杯戦争”などについてのことを話していた。

「良いか? “聖杯戦争”には7体の“サーヴァント”が“召喚”される」

「うん。それは何度も聞いたから覚えてるよ」

「それは結構。その“サーヴァント”には“クラス”という役割があてがわれる」

「“クラス”?」

「そうだ。基本的には、“セイバー”、“ランサー”、“アーチャー”、“ライダー”、“アサシン”、“キャスター”、“バーサーカー”の7つ」

「なんとなくだけど、どういった“クラス”かわかるよ。“セイバー”は剣士、“ランサー”は槍兵、“アーチャー”は弓兵、“ライダー”は騎乗兵、“アサシン”は暗殺者、“キャスター”は“メイジ”、“バーサーカー”は狂戦士だね?」

「正解だ。“クラス”はそれぞれの生前の行いや逸話などから、適正が判断されあてがわれる。“セイバー”であれば剣を扱うのが得意だった、といった具合にね」

 シオンはうんうんと相槌を打った。

「“ランサー”は槍兵、基本的に槍を扱うことに長けた、なおかつ俊敏性などが高い存在があてがわれる。“アーチャー”は弓の扱いが上手い存在で、中には何かを撃つことや投げることが得意だったりする存在が選ばれることもある。“ライダー”は何かに乗る逸話がある存在だな。“アサシン”は基本的に暗殺者が、成功失敗問わず、なる。“キャスター”は“メイジ”を始めとした“魔法”や“魔術”の扱いに長けた者。“バーサーカー”は過去に狂ったことのある存在や狂うような振る舞いなどをした存在がなる。大半の“バーサーカー”は理性を失っているけど、一部理性的な“バーサーカー”もいるがね」

 首肯いていた彼女だが、そこで疑問符を頭の上に浮かべ、首を傾げて訊いて来た。

「なら、セイヴァーは? セイヴァーはどうなの?」

「そうだな。先ほど言った通り、7つは基本的な“クラス”だ。そして、他にも“エクストラクラス”が存在する」

 シオンは興味津々といった風な視線を向けて来る。

「“アヴェンジャー”、“セイヴァー”、“ルーラー”、“シールダー”、“ウォッチャー”、“フェイカー”、“アルターエゴ”、“ムーンキャンサー”、“ゲートキーパー”、“ガンナー”、“ファニーヴァンプ”……」

 つらつらと俺は存在するだろう“サーヴァント”の“クラス”を述べて行く。

「それって一体どんな逸話とかでその“クラス”になるの?」

「簡単に説明できる限りのモノだけだが……“アヴェンジャー”は復讐者。生前に何かを恨むだけの理由がある存在、恨む資格があると思われている存在、何かを恨んでいた存在が適正を持つといった具合にだな……」

 俺の説明を真面目に聴くシオンの目は爛々と輝いているのがわかる。

「“セイヴァー”は、その……まあ、例外中の例外と言って良い“クラス”だから、なあ……説明し辛いな。まあ、簡単に言えば、過去に世界を救ったことのある存在、とかかな」

「なら、セイヴァーは世界を救ったの!?」

 驚きの声を上げて目を輝かせるシオンに、俺は申し訳ない気持ちになってしまう。なにせ、過去――前世では仕事などまったくせず、引き篭もり、親の脛を齧っているだけだったのだから。

「いや、なに……その……俺は、例外中の例外という奴だな……」

 俺は頬をポリポリと掻きながら、途切れ途切れ口にした。なにせ、今の俺はまったく別の“エクストラクラス”であり、“クラススキル”や“宝具”などの効果で“セイヴァー”の“クラス”を名乗っているだけなのだから。

 シオンは疑う様子を見せず、俺の言葉に首肯いてくれた。

「アンリエッタ姫殿下の前でも言ったが、近いうちに“聖杯戦争”が起こる可能性が多いにありうる」

「うん」

「詰まり、殺し合いが始まるんだ。もしかすると、戦争に紛れて、“サーヴァント”とその主がお前を殺しにかかって来るかもしれない」

 その言葉に、ただシオンは静かに首肯くだけである。

 覚悟は既に出来ている。そんな表情を彼女は浮かべている。

「でも、できるなら殺し合わずに話し合いでどうにかしたいな……」

「そうだな。出来るならそれが1番だ。俺の持つ“宝具”を使用して運が良ければ、どうにかなるかもしれない。が、それはとても難しいだろうな……」

 俺のその言葉に、シオンはハッとした顔で俺へと尋ねる。

「そう言えば、セイヴァーの“宝具”ってどんなモノなの?」

「それはまだ言えないな。“宝具”とは“サーヴァント”の代名詞とでも言って良いモノだ。俺の場合は、知られていないから問題はなに1つないだろうが、それでも今教えることはできない」

「もしかして、ケチ?」

「そうじゃない。今言ったが、“サーヴァント”の代名詞だ。それを元に弱点を見出される可能性は多いにありえるからな……それに、シオン。もし、お前が“魅了”などを使われて訊かれたら答えてしまうかもしれない」

「そんなことないよ」

「いや、その可能性は十分にありえるのが“聖杯戦争”だ。場合によっては、直接“マスター”を殺しにかかる者もいるくらいだしな」

 その言葉に、シオンはなにかを考える仕草を取り、言った。

「でも、セイヴァーが守ってくれるでしょ?」

 俺は、そんなシオンの言葉に思わず苦笑し、強く首肯いた。

「むろん、そうするつもりだとも。“サーヴァント”は“マスター”が戦う剣であり、それと同時に“マスター”を守る盾でもあるからな」

 互いに笑い合う。大いに笑った。

「で、だ。確認なんだが……」

「なに、セイヴァー?」

「“聖杯戦争”は“万能の願望器”である“聖杯”を奪い合うモノだ。それで、君の願いを確認しておこうと思ってね」

「私の、願い……」

 俺の言葉を聞いて、シオンは深々と考え始めた。うーんと唸りただひたすらに思考を続けるシオンだが、答えは出ない様子である。

「わからない……今浮かぶとすれば、世界平和、そして皆が平穏に暮らせるようにってくらいかな……」

 どうにか捻り出しただろう願いは、あまりにも単純なモノで、ごく一般的なモノであった。そして、とても難しいモノでもあった。

「ふむ、そうか……」

 俺はそう反応を返す。

 今の彼女の言葉には嘘偽りなどは一切ないだろう。が、深層心理などではなにか別の願いというモノを持ってもいるだろう。

 そもそも“聖杯”というモノは、“強い願いを持つ存在”、“魔力を持ち、扱える存在”といった2つ以上の条件に見合った存在に“令呪”を与え、“サーヴァント”を“召喚”する資格を与えるのだから。

 そういったこともあり、彼女の奥底にはなにかがあるはずだろう。いや、その願いは本心から来るモノであることは、俺には手に取るように理解できた。

 だが、彼女が“マスター”として選ばれた理由は、“聖杯”によるモノだけではない。

「“聖杯戦争”が始まれば、この日常は簡単に崩れてしまうだろうな」

「うん。それでも」

「もしかすると、彼女たちと敵対する可能性だって大いにありえる」

「そんなこと……」

 シオンの日常の中にいる友人。幼馴染である彼女にもまた、“令呪”が宿っている。

 “聖杯戦争”が始まれば、どうなってしまうかは明白だが、一応シオンには覚悟をして貰う必要があった。

「ルイズに限ってそんなことはないよ。だって、あの娘、とても優しいから」

「そうだな。彼女たちはとても優しく強い。まるで物語のヒーローやヒロインのようにね」

「それって、セイヴァーがこの前言ってた“原作”って奴に関係してる?」

「さて、どうだろうな?」

 俺はティーポットからカップへと、お茶を注ぎ、シオンへと差し出す。

 シオンは「ありがとう」と言って、それをチビチビと飲み、一息吐いた。

「あのね、セイヴァー」

「ん?」

「あの時、お兄さまを救けられなかった時、ホントは貴男に対して好くない思いを持ってたかもしれない……どうして救けてくれないの? って」

「それは当たり前だ、思って当然のことだ……」

「でもね、救けたくても救けられないんじゃ? とも思ったの」

「それまたどうして?」

「貴男はこの世界に似た世界のことを識っている。この世界の行く末を識っている。識りすぎている。だから、下手に手を出して滅茶苦茶にしたくないんじゃないかって……手を出してもまた別の問題が起きるかもしれないから、とか……?」

 今の俺には、シオンの言う通りこの世界の、この先に起きるであろうことは手に取るようにわかる。識っている。同時に、どう動けばどうなるのか、どうなってしまうのかもまた理解できていた。

 俺という存在がいる所為もあり、この世界は常に危うい状態におかれているのである。少し強い風が吹けば細いロープから落ちてしまう、軽く息を吹きかけるだけで消えてしまうような酷く弱々しい火。

 だが、“英霊”ないし人間問わず、見ようとしても、視界に入っていようとも、まったく気付かないことだってある。総てを知りながらも、総てを識り理解出来ているかどうかは別であり、無意識下で見ないようにしていることだってあるのだから。

「…………」

 俺とシオンは目を瞑った。



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三つ巴の探り合いと碌で無し共

 “魔法学院”の東の広場、通称“アウストリの広場”のベンチに腰かけ、ルイズは一生懸命な様子で何かを編んでいる。春の陽気が、いつしか初夏の陽射しに変わりつつある今日だが、ルイズの格好は春の装いとあまり変わらない。この辺は夏でも乾燥しているのである。

 “アルビオン”から帰って来て、10日ばかりが過ぎていた。

 今はちょうど昼休みであり、食事を終えたルイズは、デザートも食べずに広場にやって来て、こうやって編み物をしているのであった。時折、手を休めては“始祖の祈祷書”を手に取り、白紙のページを眺めて、姫の式に相応しい詔を考えるのである。友人であり幼馴染であるシオンには相談することはしないようで、(姫さまがわたしを指名したんだもの)といった様子で、だ。

 周りでは、他の生徒が明々に楽しんでいる。ボールで遊んでいる一団がいる。“魔法”を使い、ボールに手を触れずに気に吊り下げた籠に入れて、得点を競う遊びである。“地球”で言うところの、バスケットボールに近い遊びだといえるだろうか。

 ルイズは、その一団をチラッと眺めた後、切なげな溜息を吐き、作りかけの自分の作品を見詰めた。

 傍から見るとその様は、一幅の絵画のようであると言えるだろう。

 ルイズの趣味は編み物である。小さい頃、「“魔法”が駄目ならせめて器用になるように」と母親に仕込まれたのであった。

 しかし、天はルイズに編み物の才能は与えなかったようである。

 ルイズは一応、セーターを編んでいるつもりであるのだが、出来上がりつつあるのはどう贔屓目に見ても捻じれたマフラーであった。というか複雑に毛糸が絡まりあったオブジェにしか見えないであろう。

 ルイズはそのオブジェとしか言いようのないモノを眺めて、再び溜息を吐いた。

 あの、厨房で働くメイド――シエスタの顔が、ルイズの頭に浮かび上がる。彼女が、才人にご飯を食べさせていることをルイズは知っているのだ。厨房でその施しを、才人はルイズに知られていないと思っているようではあったが、ルイズの目だって節穴ではないのである。

 ルイズは(あの娘はご飯が作れる。キュルケには美貌がある。じゃあ、わたしにはなにがあるのかしら?)と思って、趣味の編み物に手を出して見たのであるのだが……あまり良い選択ではなかった様子であった。

 そんな風に作品を眺めて軽い鬱に入っているルイズだが、彼女の肩を誰かが叩いた。

 ルイズが振り向くと、そこにはキュルケがいた。

 ルイズは慌てて、傍らに置いた“始祖の祈祷書”で作品を隠した。

「ルイズ、なにをしてるの?」

 キュルケはいつもの小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、ルイズの隣に座った。

「み、見れば理解るでしょ。読書よ、読書」

「でも、その本真っ白じゃないの」

「これは“始祖の祈祷書”っていう国宝の本なのよ」

 ルイズは説明した。

「なんでそんな国宝を貴女が持ってるの?」

 ルイズはキュルケに説明した。アンリエッタの結婚式で、自分が詔を読み上げること。その際、この“始祖の祈祷書”を用いること……などなどを。

「なるほど。その王女の結婚式と、この前の“アルビオン”行きって関係しているんでしょ?」

 ルイズは少しばかり考えたが。キュルケが一応、自分たちを先に行かせるために囮になってくれたことを思い出し、首肯いた。

「あたし達は、王女の結婚が無事行われる為に、危険を冒したって訳なのねぇ。名誉な任務じゃないの。詰まり、それってこないだ発表された“トリステイン”と“ゲルマニア”の同盟が絡んでいるんでしょ?」

 中々鋭いキュルケである。

 ルイズは、憮然とした表情で言った。

「誰にも言っちゃ駄目なんだからね」

「言う訳ないじゃない。あたしはギーシュみたいにお喋りじゃないもの。ところで、2人の祖国は同盟国になったのよ? あたし達もこれからは仲良くしなくっちゃ。ねえ、ラ・ヴァリエール」

 キュルケは、ルイズの肩に手を回した。そして、わざとらしい微笑を浮かべてみせるのである。

「聞いた? “アルビオン”の新政府は、不可侵条約を持ちかけて来たそうよ? あたし達がもたらした、平和に乾杯」

 ルイズは気のない様子で相槌を打った。

 その平和のために、アンリエッタは好きでもない皇帝の元へ嫁ぐのである。仕方のないこととは言え、やはりルイズは明るい気分にはなることはできなかった。

「ところで、さっきまで何を編んでいたの?」

 ルイズは、頬を薔薇色に染めた。

「な、なにも編んでなんかないわ」

「編んでた。ほら、ここでしょ?」

 キュルケは、サッと“始祖の祈祷書”の下から、ルイズの作品を取り上げた。

「か、返しなさいよ!」

 ルイズは取り返そうともがいたが、キュルケに身体を押さえられてしまった。

「こ、これなに?」

 キュルケはポカンと口を開けて、ルイズの編んだオブジェを見つめた。

「セ、セーターよ?」

「ヒトデの縫い包みにしか見えないわ。それも新種の」

「そんなの編む訳ないじゃないの!」

 ルイズはキュルケの手から、やっとの思いで編み物を取り返すと、恥ずかしそうにうつむいた。

「貴女、セーターなんか編んでどうする気?」

「あんたに関係ないじゃない」

「いいのよルイズ。あたしはわかってるわ」

 キュルケは、再びルイズの肩に手を回すと、顔を近付けた。

「“使い魔”さんのためになにか編んでいるんでしょう?」

 ルイズは、「あ、編んでないわよ! 馬鹿ね!」と顔を真赤にして怒鳴った。

「貴女ってホントにわかりやすいのね。好きになっちゃったの? どうして?」

 ルイズの目を覗き込むようにして、キュルケは尋ねた。

「す、好きなんかじゃないわ。好きなのはあんたでしょ。あんな馬鹿のどこが良いのか知んないけど」

「あのねルイズ。貴女って嘘吐く時、耳たぶが震えるの。知ってた?」

 ルイズは、ハッとして自身の耳たぶを摘んだ。直ぐに、キュルケの嘘に気付き、慌てて手を膝の上に戻す。

「と、とにかく、あんたなんかに上げないんだから。サイトはわたしの“使い魔”なんだからね」

 キュルケはニヤッと笑って言った。

「独占欲が強いのは良いけれど、貴女が心配するのは、あたしじゃなくってよ?」

「どういう意味よ?」

「ほら……なんだっけ? あの、厨房のメイド」

 キュルケの言葉に、ルイズの目が吊り上がった。

「あら? 心当たりがあるの?」

「べ、別に……」

「今、部屋に行ったら、面白いモノが見られるかもよ?」

 ルイズはすっくと立ち上がった。

「好きでもなんでもないんじゃないの?」

 楽しげな声で、キュルケが言うとルイズは、「忘れ物取りに行くだけよ!」と怒鳴って駆け出した。

 

 

 

 才人は部屋の掃除をしていた。箒で床を掃き、机を雑巾で磨く。最近、ルイズが洗濯や身の回りの世話を自分でやるようになったので、仕事と言えば掃除くらいであるといった状況になっていた。

 掃除はあっと言う間に終わってしまった。元々ルイズの部屋にはあまり物がないのである。クローゼットの隣には引き出しの付いた小机があるのみといった具合だ。

 水差しの載った丸い小さな木のテーブルに椅子が二脚、そしてベッド、本棚くらいなモノだ。

 ルイズは勉強家なので、本棚にはズッシリと分厚い本が並んでいる。

 才人は、そのうちの1冊を手に取った。

 そこには、才人が見たことのない文字が並んでいる。

 だがそこで、才人の頭に疑問が過ぎった。(使ってる言葉が違うのに、言葉が通じてるよな。どうして、俺とルイズ達は会話を交わせるんだ?)といった疑問である。

 部屋の壁に立てかけられたデルフリンガーが、呆然と立ちすくむ才人に尋ねた。

「どうしたね、相棒?」

「デルフ! どうしてお前の言葉が俺たちに理解るんだ?」

 才人はデルフリンガーに駆け寄った。

「そりゃ、通じなかったら、困るだろうが」

「俺とセイヴァーは異世界から来たんだぜ? それなのに、お前たちの言葉がわかるんだよ! 意味わかんねえよ!」

 才人は、30年ほど前にオスマンを救けたという人物のことを思い出す。“地球”の人間である彼もまた、オスマンと言葉を交していたのである。

「相棒は、どこを通ってこの“ハルケギニア”にやって来たね?」

「どこって、変な光の“ゲート”を潜って……」

「だとしたら、その“ゲート”とやらにその答が隠されてるんだろうさ」

 デルフリンガーは事も無げに言った。

「じゃあ、あの“ゲート”なんなの?」

「知らね」

 才人は呆れて言った。

「お前って、伝説のくせになにも知らないんだからよ。伝説ならちょっとは知ってても良さそうなもんだ。俺たちが帰れる方法とか……」

 恨めしげに才人は言った。

「おりゃあ、忘れっぽいし、どうでも良いことには興味がねえんだ。ま、伝説にあんまり期待しちゃいけねえよ」

 デルフリンガーがそう言った時、扉がノックされた。

 ルイズであればノックせずに入って来るということもあって、才人は「誰だろう?」と思い、キュルケやギーシュだろうかと予想した。

 才人が「開いてるよ」と言うと、扉がガチャリと開いて、シエスタがひょっこり顔を見せた。

「シ、シエスタ?」

「あ、あの……」

 才人は、(いつものメイド服ではあるけど、どこか違う点があるな)と感じた。

 カチューシャで纏めた黒髪が、サラサラと額の上を泳いでいる。そばかすの浮いた頬が、親しみのある魅力を放っている。

 シエスタは大きな銀のお盆を持っており、その上に料理が沢山載せられ並んでいる。

「あのですね、その、セイヴァーさんは来てくれるんですが、最近サイトさんは厨房に来ないじゃないですか」

 才人は首肯いた。

 ルイズが、好きなだけ食べさせてくれるようになったということもあり、自然と厨房への足が遠退いてしまっているのである。

「だから、お腹が空いてないかなって、ちょっと、心配になって、それで……」

 シエスタはお盆を持ったままモジモジとする。

「あ、ありがとう。でも、最近は食糧事情が改善されて、そんなにお腹が空かなくなったんだよ。ルイズが“席で食べて良い”って言うから」

「そうだったんですか? 最近わたし、先生方のテーブルの給仕ばっかりしてたから、気付きませんでした。じゃあ、余計なお世話だったかしら……?」

 シエスタは、シュンとうなだれた。

「そ、そんなことないよ! 持って来てくれたの、とても嬉しいよ! それに、ちょうどお腹が空いてたし!」

 先ほど、“アルヴィーズの食堂”で、お腹一杯食べたばかりではあったのだが、才人はそう口にした。

「ホントですか?」

 シエスタの顔が輝く。

「じゃあ、お腹一杯食べてくださいな」

 

 

 

 小さなテーブルの上に、所狭しと料理が並べられている。

 シエスタが、ニコニコしながら隣に座っている。

 才人はお腹を撫で、覚悟を決め、料理の1つへと手を付け、口に運び始めた。

 シエスタが「美味しいですか?」と尋ね、「美味しいよ。うん、すごく美味い」と正直に才人は答える。

「えへへ、たくさん食べてくださいね」

 シエスタはガツガツと食べる才人を、うっとりとした目で見つめている。

「く、食い方汚いかな?」

 才人は、心配になって尋ねた。

「そ、そんなことないです! 逆です。好いなあって思って! そんな風に、一生懸命に食べて貰ったら、お料理も、作った人も幸せだなぁって……」

 シエスタは顔を真っ赤にしながら、目を大きく見開いて手を振った。

「そ、そっか……」

「それ、わたしが作ったんです……」

 シエスタは、はにかんだ表情で言った。

「そ、そうなの?」

「ええ。無理言って、厨房に立たせて貰ったんです。でも、こうやってサイトさんが食べてくれるから、お願いした甲斐がありました」

 才人はグッと胸に詰まった。

 微妙な空気が、2人の間に流れた。

 シエスタが、慌てた調子で言った。

「サ、サイトさんっ!」

「は、はいっ!」

「あ、あのっ!」

 それからシエスタは、言葉を選ぶようにして口を開いた。

「この前の、その、お話とっても楽しかったです! 特にあれ! なんでしたっけ! ひこうき!」

 才人は首肯いた。

 お風呂の中で、才人は“地球”の、“日本”のは話をシエスタにしたのであった。シエスタはあまり世間に詳しくない村娘だということもあって、才人の話を異国の話として捉えているのである。だからこそ、異世界の話だと断りを入れなくとも、信じているのであった。

「ああ、“飛行機”、ね」

「そうです! “魔法”ができなくても空が飛べるって素晴らしいわ! 詰まり、わたし達“平民”でも、鳥みたいに自由に空を飛べるってことでしょう?」

「空飛ぶ“フネ”があるじゃん」

「あれは浮いているだけです」

 キッパリと言い切った後に、シエスタは身を乗り出した。

「あのね? わたしの故郷も素晴らしいんです。“タルブ”の村って言うんです。ここから、そうね、馬で3日くらいかな……“ラ・ロシェール”の向こうです」

 才人は料理を口に運びながら、相槌を打った。

「へえ」

「なにもない、辺鄙な村ですけど……とっても広い、綺麗な草原があるんです。春になると、春の花が咲くの。夏は、夏のお花が咲くんです。ずっとね、遠くまで、地平線の向こうまでお花の海が続くの。今頃、とても綺麗だろうな……」

 シエスタは思い出に浸るように、目を瞑って言った。

「わたし、1度で良いから、そのひこうきとやらで、あのお花の海の上を飛んでみたいな」

「へええ」

「そうだ!」

 シエスタは、胸の前で、手を合わせて叫んだ。

 才人は驚いて後ろに倒れそうになる。

「な、なんだよいきなり?」

「サイトさん、わたしの村に来ませんか?」

「え? ええええ?」

「あのね、今度お姫さまが結婚なさるでしょう? それで、特別にわたし達にお休みが出ることになったんです。でもって、久し振りに帰郷するんですけど……良かったら、遊びに来てください。サイトさん達に見せたいんです。あの草原、とっても綺麗な草原」

「う、うん」

「あとね? わたしの村にはとっても美味しいシチュー料理があるの。“ヨシェナヴェ”って言うんです! 普通の人が見向きもしない山菜で作るんだけど、とっても美味しいの! ぜひ、サイトさんにも食べて欲しいわ」

「ど、どうして俺に見せたいの? 食べさせたいの?」

 シエスタは、恥ずかしそうに俯いた。

「……サイトさん、わたしに可能性を見せてくれたから」

「可能性?」

「そうです。“平民”でも、“貴族”に勝てるんだって。わたし達、なんのかんの言って、“貴族”の人たちに怯えて暮らしてる。でも、そうじゃない人がいるってこと、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。わたしだけじゃなくって、厨房の皆もそう言ってて」

 シエスタは、「そんな人に、わたしの故郷を見て欲しいんです」と言った。

「そ、そっか……」

 才人も照れてしまった。

「もちろん、あの、それだけじゃなくて。ただ、サイトさんに見せたくって……でも、いきなり男の人なんかを連れて行ったら、家族の皆が驚いてしまうわ。どうしよう……」

 シエスタは、ポンと膝を叩いた。それから、激しく顔を赤らめて呟いた。

「そうだ。だ、“旦那さまよ”って、言えば良いんだわ」

「は、はい?」

「け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。皆。母さまも、父さまも、妹や弟たちも……皆、きっと、喜ぶわ」

「シエスタ?」

 シエスタは、才人が呆然として自分を見つめているのを見て、ハッと我に返り、首を振った。

「ご、ごめんなさい! そ、そんなの迷惑ですよね! って言うか! サイトさんが遊びに来るって決まった訳じゃないのに! あは!」

 才人も照れて、しどろもどろになりながら言った。

「シ、シエスタって、たまに大胆な時があるよね。お、お風呂の時とか」

 シエスタは再び頬を染めた。

「だ、誰の前でも大胆になる訳じゃありません」

「え?」

「家を出る時、母さまに言われました。”シエスタや、これと決めた男の人以外に、肌を見せてはいけませんよ”って」

 シエスタはソッと手を伸ばして、才人の手を握り締めた。

 才人の心臓が、大きな音を立てて激しく鳴り始めた。

「み、見たいっておっしゃってくだされば、かか、隠さなかったのに」

「じょ、冗談、だよ、ね?」

 才人はやっとの思いで、それだけを口にすることができた。

「冗談なんかじゃありません。今だって……」

 シエスタは、顔を上げると、真っ直ぐに才人を見詰めた。

「わたしって、魅力ないですか?」

「そ、そんなことは、ない」

「ほんと?」

 シエスタは、上目遣いで才人を見つめる。

「じゃあどうして、お風呂の時はなにもしてくださらなかったの?」

 シエスタは、悲しそうに目を伏せた。

「……わたし、魅力ないんだわ。そうよね。貴男の側には、あんなに可愛らしい、ミス・ヴァリエールが……“貴族”の女の子がいるんだもの。わたしなんか所詮、村娘だもの」

 シエスタは自身を失くしたように、溜息を吐いた。

「そ、そんなことない!」

「サイトさん」

「君は十分、魅力的です。保証する。何故って、脱いだら凄いから」

 9割近くの女性であれば殴るであろう煮えた才人の言葉だが、シエスタも十分に煮え切っていたということもあって、感動した様子を見せる。

 シエスタは目を瞑ると、決心したように立ち上がった。そして、大きく深呼吸をすると、エプロンに手をかけ、それをついと肩から外す。

 才人は驚いて、大声を上げた。

 しかし、シエスタは大人しそうに見えて、一旦決めるととことん大胆になる性格をしているのである。

 彼女は、後ろのリボンを解き、エプロンを床に落とした。今度はブラウスのボタンを1個ずつ外して行く。

「シエスタ! まずい! まずいですって!」

 才人は首を振って叫んだ。

「あ、安心してください。責任取れなんて言いませんから」

 ブラウスのボタンが真ん中辺りまで外された。

 シエスタの、白い膨よかな谷間が、才人の目に飛び込んで来る。

 首を振りながら、才人は怒鳴った。

「ま、待った! やっぱりちょっと待った! 考えなきゃ! そーゆーことは!」

「きゃ」

 才人に肩を掴まれたシエスタはバランスを崩した。

 2人の後ろにはルイズのベッドがある。

 シエスタは、才人に押し倒されるような格好で、ベッドに倒れ込んだ。

「ご、ごめん……」

 才人の真下に、ブラウスを開けさせたシエスタがいる。

 シエスタは、胸の前で手を組むと、ユックリと目を瞑った。

 そして――。

 絶妙なタイミングで、ルイズがドアを開けて入って来た。

 

 

 

 それから、10秒の間に、実に様々なことが起こった。

 ルイズは、シエスタをベッドの上に押し倒している才人を発見した。してしまった。これが1秒。

 ルイズは、シエスタのブラウスが開けけているのを確認した。これが2秒。

 シエスタと才人は慌てて立ち上がった。これが3秒。

 シエスタは顔を真っ赤にして、ボタンを付け始めた。シエスタはこれに3秒を費やした。

 そして、ルイズにペコリと頭を下げて部屋を飛び出して行った。ここまでが7秒。

 才人が、「シ、シエスタ、ちょっと待って!」と怒鳴った。これで8秒。

 やっとの思いで、ルイズが硬直から解けた。これで9秒。

 才人が「取り敢えず説明させてくれ」とルイズに言ったのと、ルイズの鋭いハイキックが彼のこめかみに炸裂したのが同時で、10秒。

 という訳で、ルイズがドアを開けた10秒後には、才人は床に転がっていたのである。

 

 

 

 例によって、ルイズは才人の顔を踏み付けた。

 彼女の身体と声は震えている。

「なにしてんの、あんた?」

「違う。その、違うの。ルイズ、違うんです」

「人のベッドの上で、なにしてたの?」

「話せば長くなって。その、シエスタがお風呂にお茶を持って来てくれて……」

「言い訳は良いのよ。とにかく、“使い魔”のくせに、ご主人さまのベッドの上であんなことをしてたってのが、わたしはどうにも赦せないわ」

「だから、違うんだってばさ。そんなつもりじゃ」

「今度という今度は頭に来たわ」

 ルイズの目から、涙がポロッと落ちた。

 才人は立ち上がると、ルイズの肩を掴んだ。

「俺の話を聴けよ。誤解だっつの」

「もう良い」

 ルイズはキッと才人を睨んだ。

「なにが良いんだよ?」

 才人は、どうしてルイズがこれほどまでに怒るのか理解らなかった。

「出てって」

「あのなあ、さっきのは不可抗力で……」

「良いの! 出てって! あんたなんか首よ!」

「首?」

「そうよ! 首よ! 首よ首! あんたなんかその辺で野垂れ死んじゃえば良いのよ! “貴族”の部屋をなんだと思ってるのよ!?」

「理解ったよ」

 才人は憮然とした声で言った。

「理解ったら早く出てって。あんたの顔なんか見たくもない」

 無言で才人はデルフリンガーを掴むと、部屋から出て行った。

 

 

 

 1人、部屋に残されたルイズはベッドの上に倒れ込んだ。

 毛布を引っ掴み、頭から冠った。

「今日だけじゃないわ。わたしが授業を受けてる間にあの娘を連れ込んで、いっつもあんなことしてたんだわ。知らないのは、わたしだけだったのね。非道い。赦せない」

 ルイズは唇を噛んだ。

 涙がポロッと溢れて、彼女の頬を伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ヴェストリの広場”の片隅に、見慣れないテントのようなモノを見付けたのは、ヴェルダンデを捜していたギーシュだった。

 テントのようなモノの隣には、大きな釜が置かれてある。

 ギーシュは、(このテントと大釜はいったい何だろう?)と思った。

 棒と、ぼろ布で作られている粗末なテントの周りには、食べかすらしい骨や果物の皮が散らっていることから、人が住んでいるということがわかる。

 ギーシュが、「いったい誰が住んでいるんだ?」と首を傾げて見ていると、そのテントの入り口から彼が“愛”する“使い魔”がヒョコヒョコ出て来た。

「ヴェルダンデ! ここにいたのか!」

 ギーシュはスサッ! と立膝になり、ヴェルダンデに頬擦りをした。

 モグモグとヴェルダンデは嬉しそうに鼻を引く付かせる。

「ヴェルダンデ、いったい、こんな所でなにをしているんだね?」

 テントの中から、誰かが這い擦って出て来てヴェルダンデを呼んだ。

「もぐら、おいで。俺とお前はお友達だろう?」

 それはヨレヨレとなった才人であった。彼の手にはワインの瓶が握られており、目は酔で濁っている。

「なにをしているんだね君は?」

 ギーシュは呆れた声で言った。

 才人はワインを一口含むと、ギーシュを無視してヴェルダンデを呼んだ。

「おいで、モグラっち。俺にはお前しか心許せる友達がいないんだよ」

 ヴェルダンデは、困ったように才人とギーシュを見比べた。

「ヴェルダンデ、馬鹿が感染るから、そこに行ってはいけないよ、ところで、なんでヴェルダンデが、君の友達なんだね?」

 ギーシュが尋ねると、才人はグタっと地面に横たわり、死にそうな声で言った。

「俺はもぐらだからだ。情けない、しがない、惨めなモグラだからだ」

 ギーシュはテントの中を覗き込んだ。

 そこにはデルフリンガーと、なぜかキュルケの“サラマンダー”――フレイムがいた。

「キュルキュル」

「なんだよてめえ?」

 フレイムはデルフリンガーが、ギーシュを見て唸った。

 藁束が床に敷き詰められて居る。カップが1個転がっている。それで、テントの中は全てだった。

 ギーシュは入り口の布を無言で戻すと、才人に向き直った。

「ルイズに部屋から追い出されたのかね?」

 才人は地面に横たわったまま、首肯いた。

「それでこのテントを作ったのかね?」

 才人は再び首肯いた。

「寂しくなって、人の“使い魔”を集めて酔っ払っていたのかね?」

 才人は大きく首肯いた。

 ギーシュは目を瞑ると、首肯いた。

「んー、君はあれだな、碌でなしだな」

「じゃあ俺にどうしろと? 出てけと言われても、行くとこねえし。帰る宛もねえし。呑むしかねえし」

 才人は瓶から直接ワインを呷った。

 その場にシエスタが小走りでやって来る。

「わ! 遅くなってすいません! はい、お昼御飯です!」

 どうやら才人の世話は、この厨房のメイドである彼女が焼いている様子だ。

 彼女は、パンやハムの入った籠をテントの前に置いた。そして、才人が握ったワインの瓶を取り上げた。

「まあ! もうこんなに呑んじゃったんですか!? 1日1本って言ってるのに!」

 シエスタは、腕を組んで怒った。

「ご、ごめんなしゃい……」

 才人は、シュンとなって俯いた。

 シエスタは、テントに顔を突っ込むと、中の連中に向かって怒鳴った。

「貴方たち、呑み過ぎないように注意して上げてねって言ったじゃない!」

「キュルキュル」

「すまねえ」

 中から申し訳なさそうな、デルフリンガーとフレイムの鳴き声が聞こえて来る。

 それからシエスタは、ギーシュがポカンと口を開けている前で、そそくさとテントの周りを掃除すると、地面に横たわっている才人を立たせた。

「じゃあ、また夕方になったら来ますからね! 呑み過ぎちゃ駄目ですよ!」

 才人が「ふぁい」と冴えない返事をする。

 そして来た時と同じように、忙しげな小走りでシエスタは去って行った。

 ギーシュはそんな様子を見ていたが、造花の薔薇を咥えたまま、悩ましげで言った。

「そりゃ、二股かけたらルイズも怒るだろうさ」

「二股もなにも! なんにもねえよ! ルイズとも! あのシエスタとも!」

「まあ、どうでも良いが、君はここで暮らすつもりかね?」

「悪いか?」

「“学院”の美観を著しく損ねているのだが」

「うるせえ」

「先生たちに見付かったら、すぐに出て行けと言われてしまうよ」

「ふむ、まだここにいたのか……」

 そこに、俺はシエスタと行き違いでテントへと近付き、才人へと声をかける。

「悪いかよ?」

「いやなに、私は被害を被ってはいないので問題は何もないのだがね。ただ、そろそろ仲直りをしたらどうかと思ってね」

「あいつが話を聞いてくれねえんだ。仕方ねえだろ……」

 才人はそう言った後、でワインを呷ると、ヴェルダンデを抱き捕まえてテントの中に引き返して行った。

 困った目で、ヴェルダンデはギーシュを見詰めた。

「こら、だからヴェルダンデを離したまえ!」

 

 

 

 さて一方、こちらはルイズの部屋だ。

 才人を放り出してから、3日が過ぎていた。

 その間ルイズは、「気分が悪い」と言って授業を休んでベッドに潜り込み、悶々としていた。

 考えているのは追い出した“使い魔”――才人のことである。「キスしたくせに、キスしたくせに」と彼女は布団の中で何度も思っているのであった。

 部屋の片隅を見やると、才人が使っていた藁束が散らばっている。それを見ていると、ルイズは悲しくなった。彼女は、それを捨てようかと思いはするのだが、捨てることができないでいるのであった。

 そんな風にしていると、ドアがノックされた。

 ルイズは、(サイトが戻って来た)と思い、悲しみが喜びへと変わるが、その喜びに対して怒りを覚える。(なんで喜んでるのよ、わたし。なに、今更戻って来たって入れて上げないんだから)と。

 了承を得ることもなく、部屋の外の誰かにってドアがガチャリと開けられる。

 ルイズはガバッと跳ね起きて、怒鳴った。

「馬鹿! 今さら……え?」

 入って来たのは、シオンとキュルケだ。

 キュルケは燃えるような赤毛を揺らし、彼女はニヤッと笑った。

 シオンは、黄金色の髪を揺らしながら申し訳なさそうに入室をする。

「あたし達で、ごめんなさいね」

「えっと、ごめん、ね?」

「な、なにしに来たのよ!?」

 ルイズは再びベッドに潜り込んだ。

 キュルケとシオンは、ツカツカとルイズへと近寄り、キュルケはベッドに座り込み、シオンは椅子へと座る。

 キュルケは、ガバッと毛布を剥いだ。

 ルイズは、ネグリジェ姿のまま、拗ねたように丸まっている。

「貴女が3日も休んでいるから、見に来て上げたんじゃないの」

 キュルケは呆れたような、溜息を吐いた。

「で、どーすんの? “使い魔”追い出しちゃって」

「あんた達には関係ないじゃない」

 キュルケは冷たい目で、シオンは優しげな目で、ルイズを見詰めた。

 ルイズの、薔薇のような頬に、涙の筋が残っていることから。何度も泣いていたということがわかる。

「貴女って、馬鹿で嫉妬深くて、高慢ちきなのは知ってたけど、そこまで冷たいとは思わなかったわ。仲良く食事してたくらい、良いじゃないの」

「それだけじゃないもん。よりにもよってって、わたしのベッドで……」

 キュルケの言葉に対し、ルイズはポツリと言った。

「あらま。抱き合ってたの?」

 キュルケの言葉にルイズは首肯く。

 ルイズの返答に、シオンは大きく目を見開き驚く。

「まあ、好きな男が他の女と自分のベッドの上で抱き合ってたら、ショックよねー」

「好きなんかじゃないわ! あんなの! ただ、“貴族”のベッドを……」

「そんなの言い訳でしょ。好きだから、追い出すほど怒ったんでしょ」

 キュルケの言葉は図星なのであろう。だが、それでもルイズは認めずに唇を尖らせた。

「しょうがないじゃないの。貴女、どうせなにもさせて上げなかったんでしょ。そりゃ、他の娘といちゃつきたくもなるってモノよ」

 ルイズは黙ってしまった。

「ラ・ヴァリエール、貴女って、変な娘ね。キスもさせて上げない男のことで、泣いたり怒ったり。そんな相手とじゃ、勝負にもなんにもならないわ」

 つまらなさそうにそう言うと、キュルケは立ち上がった。

「サイトは、あたしがなんとかして上げる。初めは、貴女から取り上げるのが愉しくってちょっかいかけてたけど……殴られたり蹴られたり追い出されたり、なんだか今は彼が可哀想。彼は、貴女の玩具じゃないのよ?」

 ルイズはキュッと唇を噛んだ。

「“使い魔”は“メイジ”にとってパートナーよ。それを大事にできない貴女は、“メイジ”失格ね。まあ、“ゼロ”だし仕方ないかもね」

 そう言った後、キュルケは去って行った。

 ルイズは悔しくて、切なくて、ベッドに潜り込んだ。そして、幼い頃のように、うずくまって泣いた。

 それを目にして、我がことのようにシオンの瞳も潤み出す。

「ねえ、ルイズ。貴女は聡いもの、キュルケが言ったこと理解はできているわよね? 彼女、ああ言った口調だったけど、とても心配してたのよ?」

 それでも。ルイズは泣きじゃくるだけだ。

「貴女は決して“メイジ”失格なんかじゃないわ。ただ、恋心の方が勝っただけ。だから素直になれず、動揺してしまっただけ。そう思うの。だって、この前のサイト君に対しての言動を見ればわかるわ」

 そう言って、シオンはルイズの頭を優しく撫でる。

 そういった風に、彼女は自身の考えや思いをルイズへと伝える。

 そして、ルイズはシオンに抱き着くようにして、彼女の胸の中でさめざめと、わんわんと泣いた。

 シオンは、そんな彼女を抱き締め、なだめるように彼女の背中を擦り、優しく叩いた。

 

 

 

 才人のテントの前に、キュルケがやって来たのは夜も更けた頃であった。

 ぼろテントの中からは、酔っ払いの声が聞こえて来る。キュルキュルと、彼女の“使い魔”である“サラマンダー”のフレイムの鳴き声も混じっているのがわかるだろう。

 キュルケがテントの入口の布をガバッと開けると、中は惨状を呈していた。

 ギーシュはヴェルダンデに突っ伏して泣いている。才人はフレイムの頭を抱き締め、ワインの瓶を片手に管を巻いている。そして、唯一平常なのは、俺とデルフリンガー、ヴェルダンデとフレイムだけであった。

「そうらぁ! おまぇのいうとおりら! おんにゃはばかばっかりら!」

 才人が大声で怒鳴った。しこたま酔っているのだろう、呂律が回っていない。

「ぼくはねー、モンモランシーにはって、あのケティにだってなにもしてないんだ。ケティはてをにぎっただけだし、モンモランシーだってかるくキスしただけさ! それなのに……それなのに……ぼくわねー!」

 ギーシュは泣き上戸なのだろう、さめざめと泣いていた。

 そんな光景を目にし、キュルケは溜息を吐いた。

「おんにゃはばか!」

「ぼくわねー!」

 そしてそんな中、俺は彼らを気にせず、手にしたコップでワインを呑み、その味と香を愉しんでいる。ワインなど生前はあまり呑まなかったことからわかり辛いのだが、どうやら“サーヴァント”になったことで酔いが回るということはない様子である。

 デルフリンガーが、入って来たキュルケに気付き声を上げた。

「ジェントルメン、客だぜ」

「きゃくぅ?」

 才人は酔って濁った目で、キュルケを見つめた。

 キュルケは、微笑を浮かべて言った。

「愉しそうね。あたしも混ぜてくれない?」

 才人はこれ以上ないほど酔っていて、女を見ただけで怒りを覚えてしまった様子をみせる。彼は、すっくと立ち上がると、キュルケに向き直った。

「そのデッカイおっぱい、見せてくれたら、入れて上げても良い」

 ギーシュが立ち上がり、拍手をした。

「断然同意だ! “トリステイン貴族”の名に賭けて! 断然! 同意であります!」

 俺はそんな2人の言葉に、思わず溜息を吐いてしまう。

 キュルケは返事をする代わりに“杖”を抜くと、“呪文”を“詠唱”した。

「酔いは冷めて?」

 キュルケがそう言うと、正座をした才人とギーシュは首肯いた。

「なぜ俺まで……?」

「ごめんなさいね、セイヴァー」

 周りは焼け焦げている。才人とギーシュは焼け焦げていた。才人の髪と、ギーシュの自慢のシャツは、キュルケの炎の“魔法”でボロボロになっている。

 だが、俺は“サーヴァント”だということもあって彼女の“魔法”の影響を受けていない。基本的に、“サーヴァント”は、同じ“サーヴァント”を始め、“神秘性”を持った攻撃や干渉しか受け付けないのである。ただ、巻き込まれたことに納得がいかなかったのである。

「じゃあさっさと出かける用意して」

「出かける用意?」

 ギーシュと才人、そして俺は顔を見合わせた。

「そうよ、ねえサイト」

 キュルケは、ダーリンと呼ばずに、名前を呼んだ。

「な、なに?」

「貴男、一生こんなと所でテントを張ってくすぶる気?」

「だって……追い出されちゃったし、帰る方法も見付からないし……」

 キュルケとギーシュは、「帰る方法?」と顔を見合わせた。

 才人は首を横に振った。

「い、いやその……なんだっけ、その、東方のロバなんとかに」

「ああ、そうよね、貴男たちはそこの生まれなのよね」

 納得した様子でキュルケが首肯いたことで、才人はホッと胸を撫で下ろした。

 キュルケは、才人の頬を撫でながら言った。

「“貴族”になりたくない?」

「きき、“貴族”?」

 ギーシュが、呆れた声で言った。

「キュルケ、彼は“平民”だぞ? “メイジ”じゃない彼が“貴族”になれる訳ないじゃないか」

「“トリステイン”はそうよね。法律で、キッチリ“平民”の領地の購入と公職に就く事の禁止が謳われているわ」

「その通りだ」

「でも、“ゲルマニア”だったら話は別よ? お金さえあれば、“平民”だろうがなんだろうが土地を買って“貴族”の姓を名乗れるし、公職の権利を買って、中隊長や徴税官になることだってできるのよ」

「だから“ゲルマニア”は野蛮だっていうんだ」

 ギーシュが、吐き捨てるように言った。

「あら、“メイジでなければ貴族にあらず”なんつって、伝統や仕来りにこだわって、どんどん国力を弱めているお国の人に言われたくない台詞だわ。おかげで“トリステイン”は、一国じゃまるっきし“アルビオン”に対抗できなくて、“ゲルマニア”に同盟を持ちかけたって話じゃないの」

 才人はポカンと口を開けて、キュルケの話を聞いていたが、やっとのことで口を開いた。

「あー、なんだキュルケ。詰まり、その、俺にお金の力で“貴族”になれ、と。お前の国で」

「その通りよ」

「そんな金、ねえよ、俺は文なしだぜ?」

「だから、探すんじゃないの」

 キュルケは手に持った羊皮紙の束を、才人の顔に叩き付ける。

「なにこれ?」

 ギーシュと才人、そして俺は、その束を見つめる。それには、地図らしきモノが描いてある。

「宝の地図よ」

「宝ぁ?」

 ギーシュと才人のキョトンとした声が重なった。

「そうよ! あたし達は宝探しに行くのよ! そんで見付けた宝を売ってお金にする! サイト、貴男……なんでも好きなことができるわよ?」

 才人はゴクンと唾を呑んだ。

 キュルケは才人を抱き締め、自分の胸に押し付ける。

「ねえ、“貴族”になれたら……きちんと手順を踏んで、あたしにプロポーズしてね? あたし、そういう男の人が好きよ。“平民”でも“貴族”でも、なんだって良いの。困難を乗り越えて、ありえないなんかを手にしちゃう男の人……そういう人が好き」

 キュルケは色っぽく笑った。

 地図を見つめていたギーシュが、胡散臭げに呟いた。

「なあキュルケ、この沢山の地図、どう見ても胡散臭いんだけど……」

「そりゃ、魔法屋、情報屋、雑貨屋、露天商……いろいろ回って掻き集めて来たんだもの」

「どうせ紛い物に決まってるよ。こうやって宝の地図と称して、テキトウな地図を売り付ける商人を何人も知ってるぜ? 騙されて破産した“貴族”だっているんだ」

「そんなんじゃ駄目よ!」

 キュルケは、拳を握り締めて叫んだ。

「そりゃ、ほとんどはクズかもしれないけど、中には本物が混じってるかもしれないじゃないの!」

 ギーシュは顎に手をやって、うむむむと唸った。キュルケの力説に、「言われて見ればそうかもしれない」と思い始めているのである。

「サイト、行きましょ! こんなとこに寝てたって仕方がないでしょ? お宝見付けて、追い出したルイズを見返して……あたしにプロポーズしてね?」

 才人は、「ルイズを見返す」という言葉に、甘い響きを伴ったような感覚や感情を覚えた。

「よし来た。その話、乗った」

「そう来なくっちゃ!」

 キュルケが才人をギュウッと強く抱き締める。

 そこに誰かが飛び込んで来た。

「駄目です駄目です駄目ですッ!」

「シエスタ?」

 メイド服を着たシエスタである。

 彼女が入って来るのを見て、才人は驚き顔を上げる。

「サイトさんが結婚するなんて駄目ですっ!」

 シエスタは、才人を引っ張った。

「貴女、好きな男の幸せを願わないの?」

 キュルケにそう言われ、シエスタは、ハッ! とした表情を浮かべ、才人を見つめ。それから首を振る。

「“貴族”になるだけが幸せじゃないわ。わたしの村にいらして、そのお金で葡萄畑を買いましょう!」

「葡萄畑?」

「わたしの村では、良質の葡萄が沢山採れるんです! 素敵なワインを2人で造りましょう! 銘柄はサイトシエスタ! 2人の名よ!」

 キュルケとシエスタは、グイグイと才人を引っ張る。

 才人は、2人の女子の間でこうやって引っ張られるというのが生まれて初めてだということもあって、うっとりと頬を染めた。

 ギーシュがつまらなさそうに言った。

「ふん、宝なんか見付かるもんか」

「あらギーシュ。素敵なお宝を見付けてプレゼントしたら、姫さまも見直すかもよ?」

 キュルケの言葉に、ギーシュは立ち上がった。

「諸君、行くぞ」

 シエスタは、「自分が着いて行かなかったら、キュルケは才人を派手に誘惑するに違いない」と考えたのだろう、「わ、わたしも連れてってください!」と叫んだ。

「駄目よ、“平民”なんか連れてったら、足手纏じゃない」

「馬鹿にしないでください! わ、わたし、こう見えても……」

 シエスタは、拳を握り締めて、ワナワナと震えた。

「こう見えても?」

 キュルケは、マジマジとシエスタを見詰める。

「料理ができるんです!」

「知ってるよ!」

 俺を除くその場の全員が、シエスタに突っ込んだ。

「でも! でもでも! 食事は大事ですよ? 宝探しって、野宿したりするんでしょう? 保存食料だけじゃ、ものたりないに決まってます。わたしがいれば、どこでもいつでも美味しいお料理が提供できますわ」

 確かにその通りだと言えるだろう。

 ギーシュもキュルケも“貴族”だということもあって、不味い食事には耐えることができないだろうことは簡単に想像できてしまう。才人もまた、自分で料理をするなんてことは、学校の家庭科などの授業でしかやったことがないのだから。

「でも、貴女お仕事があるでしょう? 勝手に休めるの?」

「コック長に“サイトさんとセイヴァーさんのお手伝いをする”って言えば、いつでもお暇は頂けますわ」

 厨房を切り盛りするコック長のマルトーは、俺と才人のことを大層気に入ってくれているのである。

 おそらく、シエスタが言った通りになるだろうと、簡単に想像することができてしまった。

「わかったわ。勝手にしなさい。でも、言っとくけど、今から向かう廃墟や、遺跡や森や洞窟には、危険が一杯よ? 怪物や魔物がわんさかいるのよ?」

「へ、平気です! サイトさんとセイヴァーさんが守ってくれるもの!」

 そう言ってシエスタは、才人と俺の腕を掴む。

 キュルケは首肯くと、一同を見回す。

「じゃあ準備して。そうと決まったら出発よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルビオン”空軍工廠の街“ロンディニウム”の郊外に位置している、“革命戦争”(と、“レコン・キスタ”では先ほど終結した内戦のことをそう呼んでいる)の前からここは、“王立空軍”の工廠であった。その為、様々な建物が並んでいる。巨大な煙突が何本も立っている建物は、製鉄所である。その隣には、“フネ”の建造や修理に使う、木材が山と積まれた空き地が続いている。

 赤煉瓦の大きな建物は、空軍の発令所だ。そこには誇らしげに“レコン・キスタ”の3色の旗が翻っている。

 そして、一際目立つのは、天を仰ぐばかりの巨艦であった。

 雨除けのための布が、巨大なテントのように、停泊した“アルビオン空軍本国艦隊旗艦レキシントン号”の上を覆っている。全長200“メイル”にも及ぶ巨大搬送戦艦がこれまた巨大な盤木に載せられ、突貫工事で改装が行われている最中であった。

 “アルビオン”皇帝、オリヴァー・クロムウェルは、伴の者を引き連れ、その工事を視察していた。

「なんとも大きく、頼もしい艦ではないか。このような艦を与えられたら、世界を自由にできるような、そんな気分にならんかね? 艤装主任?」

「我が身にはあまりある光栄ですな」

 気のない声で、そう答えたのは、“レキシントン号”の艤装主任に任じられた、サー・ヘンリー・ボーウッドであった。彼は“革命戦争”の折、“レコン・キスタ”側の巡洋艦の艦長であった。その際、敵艦を2隻撃破する功績を認められ、“レキシントン号”の改装艤装主任を任されることになったのである。艤装主任は、艤装終了後、そのまま艦長へと就任する。王立であった頃からの“アルビオン空軍”の伝統であった。

「見たまえ。あの大砲!」

 クロムウェルは、舷側に突き出た大砲を指さした。

「余の君への信頼を象徴する、新兵器だ。“アルビオン”中の“錬金魔術師”を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ! 設計士の計算では……」

 クロムウェルの側に控えた、長髪の女性が答えた。

「“トリステイン”や“ゲルマニア”の戦列艦が装備するカノン砲の射程の、おおよそ1.5倍の射程を有します」

「そうだな、ミス・シェフィールド」

 ボーウッドは、シェフィールドと呼ばれた女性を見詰めた。

 冷たい妙な雰囲気のする、20代半ばくらいの女性である。細い、ピッタリとした黒いコートを身に纏っている。彼が見たことのない、奇妙な成りをしている。マントも着けていない。そのことから、彼女は“メイジ”ではないのかもしれないと予測することができる。

 クロムウェルは満足げに首肯くと、ボーウッドの肩を叩いた。

「彼女は、東方の“ロバ・アル・カリイエ”からやって来たのだ。“エルフ”より学んだ技術で、この大砲を設計した。彼女は、未知の技術を……我々の“魔法”の体系に沿わない、新技術をたくさん知っている。君も友達になるが良い、艤装主任」

 ボーウッドはつまらなさそうに頷く。彼は心情的には、実のところ“王党派”であった。しかし彼は、「軍人は政治に関与すべからず」との意思を強く持つ生粋の武人でもあった。上官であった艦隊司令が反乱軍側に着いたため、仕方なく“レコン・キスタ”側の艦長として“革命戦争”に参加したのであった。“アルビオン”伝統の“ノブレッス・オブリージュ”……高貴な者の義務を体現するべき努力する彼にとって、未だ“アルビオン”は王国であるのだ。彼にとって、クロムウェルは忌むべき王権の簒奪者であるといえるだろう。

「これで、“ロイヤル・ソヴリン号”に敵う艦は、“ハルケギニア”のどこを探しても存在しないでしょうな」

 ボーウッドは、間違えたふりをして、この艦の旧名を口にした。

 その皮肉に気付き、クロムウェルは微笑んだ。

「ミスタ・ボーウッド。“アルビオン”にはもう“王権ロイヤル・ソヴリン”は存在しないのだ」

「そうでしたな。しかしながら、たかが結婚式の出席に新型の大砲を積んで行くとは、下品な恣意行為と取られますぞ」

 “トリステイン”王女と“ゲルマニア”皇帝の結婚式に、国賓として“初代神聖皇帝”兼“貴族議会議長”のクロムウェルや、“神聖アルビオン共和国”(新しい“アルビオン”の国名)の官僚は出席するのである。その際の御召艦が、この“レキシントン号”なのである。

 親善訪問に新型の武器を積んで行くなど、砲艦外交ここに極まれリ、である。

 クロムウェルは、何気ない風を装って、呟いた。

「ああ、君には親善訪問の概要を説明していなかったな」

「概要?」

 また陰謀か? とボーウッドは頭が痛くなるのを感じた。

 クロムウェルは、ソッとボーウッドの耳に口を寄せると、2言、3言口にした。

 ボーウッドの顔色が変わった。目に見えて、彼は青褪めた。そのくらい、クロムウェルが口にした言葉は、ボーウッドにとって常識を逸していたのである。

「馬鹿な!? そのような破廉恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ!」

「軍事行動の一環だ」

 事もなげに、クロムウェルは呟いた。

「“トリステイン”とは、不可侵条約を結んだばかりではありませんか! この“アルビオン”の長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史はない!」

 激昂して、ボーウッドは喚いた。

「ミスタ・ボーウッド。それ以上の政治批判は許さぬ。これは、議会が決定し、余が承認した事項なのだ。君は余と議会の決定に逆らうつもりかな? いつから君は政治家になった?」

 それを言われると、ボーウッドはもう、なにも言えなくなってしまうのであった。彼にとっての軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬であるのだから。誇りある番犬であるのだ。それが政府の……指揮系統の上位に存在する存在の決定であるのであれば、黙って従うより他はないだろう。

「……“アルビオン”は、“ハルケギニア”中に恥を晒すことになります。卑劣な条約破りの国として、悪名を轟かすことになりますぞ」

 ボーウッドは苦しげに、そう言った。

「悪名? “ハルケギニア”は我々“レコン・キスタ”の旗の下で、1つに纏まるのだ。“聖地”を“エルフ”共より取り返した暁には、そんな些細な外交上の経緯など、誰も気に留めまい」

 ボーウッドは、クロムウェルに詰め寄った。

「条約破りが些細な外交上の経緯ですと? 貴男は祖国をも裏切るつもりか?」

 クロムウェルの傍らに控えた1人の男が、スッと杖を突き出して、ボーウッドを制した。フードに隠れたその顔に、ボーウッドは見覚えがあった。

 驚いた声で、ボーウッドは呟いた。

「で、殿下?」

 それは、討ち死にしたと伝えられる、ウェールズ皇太子の顔であった。

「艦長、かつての上官にも、同じ台詞が言えるかな?」

 ボーウッドは咄嗟に膝を突いた。

 ウェールズは、手を差し出した。

 その手に、ボーウッドは接吻した。刹那、青褪める。その手は氷のように冷たいのだから。

 それからクロムウェルは、伴の者達を促し、歩き出した。ウェールズも従順にその後に続く。

 その場に取り残されたボーウッドは、呆然と立ち尽くした。

 あの戦いで死んだはずのウェールズが、活きて動いている。ボーウッドは、“水系統”の“トライアングルメイジ”であった。“生物の組成を司る”、“水系統”のエキスパートの彼でさえ、死人を蘇らせる“魔法”の存在など、聞いたことがなかった。

 ボーウッドは、「“ゴーレム”だろうか? いや、あの身体には生気が流れていた」などと頭を悩ませる。“水系統”の使い手だからこそ、あのクロムウェルの体内の水の流れがわかるのだ。だが――。

 ウェールズが動いている、蘇ったのは、未知の“魔法”によるモノだとしか考えられない。そして、あのクロムウェルは、それを操ることができるのである。

 彼は、まことしやかに流れている噂を思い出し、身震いした。

 神聖皇帝クロムウェルは、“虚無”を操る。と……。

 ……伝説の零の系統。

 ボーウッドは、震える声で呟いた。

「……あいつは、“ハルケギニア”をどうしようと言うのだ?」

 

 

 

 クロムウェルは、傍らを歩く“貴族”に話しかける。

「子爵、君は“竜騎兵”の隊長として、“レキシントン”に乗り込みたまえ」

 羽帽子の下の、ワルドの目が光った。

「目付け、という訳ですか?」

 首を振って、クロムウェルはワルドの憶測を否定した。

「あの男は、決して裏切ったりはしない。頑固で融通が利かないが、だからこそ信用できる。余は“魔法衛士隊”を率いていた、君の能力を買っているだけだ。“竜”に乗ったことはあるかね?」

「ありませぬ。しかし、私には乗り熟せぬ“幻獣”は“ハルケギニア”には存在しないと存じます」

 クロムウェルは、「だろうな」と言って微笑んだ。

 それから、不意にクロムウェルはワルドの方を向いた。

「子爵、君は何故余に付き従う?」

「私の忠誠をお疑いになりますか?」

「そうではない。ただ、君はあれだけの功績を上げながら、なに1つ余に要求しようとはしない」

 ワルドはニッコリと笑った。そして、自身の左手を振って答える。

「私は、閣下が私に見せて下さるモノを、見たいだけです」

「“聖地”か?」

 ワルドは首肯いた。

「私が探すモノは、そこにあると思います故」

「信仰か? 欲がないのだな」

 元聖職者でありながら、信仰心など欠片も持たぬクロムウェルはそう言った。

 ワルドは、首から提げられたペンダントを弄った。それは古ぼけた銀細工のロケットであり、パチリと開く。

 その中には、綺麗な女性の肖像が描かれている。小さな肖像だ。

 それを見ていると、ワルドの心が……冷え切っていると他人に思わせる胸の奥が、熱く騒いだ。

 しばし極小の肖像を見つめた後、ワルドは呟いた。

「いえ、閣下。私は世界で1番、欲深い男です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、こちらは“トリステイン”の王宮、アンリエッタの居室では、女官や召使が、式に花嫁が纏うドレスの仮縫いでおおわらわであった。大后マリアンヌの姿も見える。彼女は、純白のドレスに身を包んだ娘――アンリエッタを、目を細めて見守っている。

 しかし、当のアンリエッタの表情は、まるで氷のようであった。仮縫いのための縫い子たちが、袖の具合や腰の位置などを尋ねても、曖昧に首肯くばかりである。

 そんな娘の様子を見かねた大后は、縫い子たちを退がらせた。

「“愛”しい娘や、元気がないようね」

「母さま」

 アンリエッタは、母后の膝に頬を埋めた。

「望まぬ結婚なのは、理解っていますよ」

「そのようなことはありません。私は、幸せ者ですわ。生きて、結婚することができます。結婚は女の幸せと、母さまは申されたではありませんか」

 その台詞とは裏腹に、アンリエッタは美しい顔を曇らせて、さめざめと泣いた。

 マリアンヌは、優しく娘の頭を撫でた。

「恋人がいるのですね?」

「いた、と申すべきですわ。速い、速い川の流れに、アンリエッタは流されているような気分ですわ。総てが私の横を通り過ぎて行く。“愛”も、優しい言葉も、なにも残りませぬ」

 マリアンヌは首を横に振った。

「恋は麻疹のようなモノ、熱が冷めれば、直ぐに忘れますよ」

「忘れることなど、できましょうか?」

「貴女は王女なのです。忘れねばならぬことは、忘れねばなりませんよ。貴女がそんな顔をしていたら、民は不安になるでしょう?」

 諭すような口調で、マリアンヌは言った。

「私は、なんの為に嫁ぐのですか?」

 苦しそうな声で、アンリエッタは問うた。

「未来の為ですよ」

「民と国の、未来の為ですか?」

 マリアンヌは首を振った。

「貴女の未来の為でもあるのです。“アルビオン”を支配する、“レコン・キスタ”のクロムウェルは野心豊かな男。聞くところによると、彼の者は“虚無”を操るとか」

「“伝説の系統”ではありませぬか」

「そうです。それが真なら、恐ろしいことですよ。アンリエッタ。過ぎたる力は人を狂わせます。不可侵条約を結んだとはいえ、そのような男が、空の上から大人しく“ハルケギニア”の大地を見下ろしているとは思えません。軍事 強国の“ゲルマニア”にいた方が、貴女のためなのです」

 アンリエッタは、母を抱き締めた。

「……申し訳ありません。我儘を言いました」

「良いのですよ。年頃の貴女にとって、恋は総てでありましょう。母も知らぬ訳ではありませんよ」

 母娘はしっかりと抱き合った。

 



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宝探しと竜の羽衣

 タバサは息を潜めて、木の側に隠れている。

 彼女の眼の前には、廃墟となった寺院がある。かつては壮麗を誇ったであろう門柱は崩れ、鉄の柵は錆びて朽ちてしまっている。明かり窓のステンドグラスは割れており、庭には雑草が生いしげっているのがわかるだろう。

 ここは数十年前に打ち棄てられた開拓村の寺院である。荒れ果て、今では近付く者は誰もいない。しかし、明るい陽光に照らされたそこは、牧歌的な雰囲気を漂わせている。旅する者がここを訪れたのであれば、昼飯の席をここに設けようなどと思うかもしれない。

 そんな牧歌的な雰囲気が、突然の爆発音で吹き飛んでしまった。

 キュルケの炎の“魔法”が、門柱の隣に立つ木を、発火させたのである。

 木陰にいるタバサは“杖”を握り締めた。

 中から、この開拓村が打ち棄てられた理由が飛び出てくる。

 それは、“オーク鬼”であった。

 身の丈は20“メイル”ほどもある巨躯をしており、体重は恐らくヒトの優に5倍はあるだろう。醜く太った身体を、他の獣から剥ぎ取ったであろう皮に包み纏っている。突き出た鼻を持つ顔は、豚のそれにソックリだと言えるだろう。2本足で立った豚、という形容がしっくりと来てしまう身体を怒らせている。

 その数はおおよそ20数匹程度。

 ヒトの子供が大好物といった、人間達の側にすると困った嗜好を持つこの“オーク鬼”の群れに襲われた所為で、開拓民たちは村を放棄して逃げ出してしまったのであった。村人たちは、当然領主に訴えたのだが、森の中に兵を出すことを嫌った領主は、その要請を無視して放置した。そのような村は、“ハルケギニア”には吐いて捨てるほどにあるというのが現状である。

 “オーク鬼”は、ぶひ、ぶひ、と豚の鳴き声で会話を交わし、門柱の辺りで燃える炎を指さした。それから明々に怒りの咆哮を上げ始める。「ふぎぃ! ぴぎっ! あぎっ! んぐぃいいいいいッ!」といった具合にである。

 “オーク鬼”たちは、手に持った棍棒を振り回し、熱り立つ。火があるということ。詰まり、近くにヒトを始め、敵がいる、もしくは餌があるという証拠であるためだ。

 そんな“オーク鬼”の様子を見つめながら、タバサは使う“呪文”を検討した。

 敵の数は予想していたよりも多いのである。そうそう“呪文”は連発することができない為、慎重に事を運ばないと、簡単に奇襲の優位は崩れてしまう可能性がありえるのだから。

 その時、“オーク鬼”の前に、フラリと陽炎が立ったかと思うと、“青銅の戦乙女”が7体、姿を表した。ギーシュの“ゴーレム”――“ワルキューレ”である。

 打ち合わせと違うそれを目にしたタバサは、眉を顰めてしまう。

 どうやら、ギーシュが先走ってしまったようである。

 ギーシュの7体の“ワルキューレ”は、先頭の“オーク鬼”に向かって突進する。手に持った短槍を突き立てた。それの穂先が、“オーク鬼”の腹に減り込んだ。

 7体の“ワルキューレ”に襲いかかられた“オーク鬼”たちは、地面に倒れた。しかし、傷は浅い。どうやら厚い皮と脂肪が鎧となって、穂先は内蔵まで達していなかったようである。倒れた“オーク鬼”は直ぐに立ち上がり、些細な傷などものともしない生命力を駆使して棍棒を振り回す。

 仲間であろう他の“オーク鬼”たちも直ぐに駆け寄り、槍を身体に減り込ませようともがく“ワルキューレ”目がけて棍棒を振るった。“オーク鬼”の振り回す棍棒は、大きさがヒトの大人の身体と同程度であり、一撃を受けた華奢な“ワルキューレ”達は、吹っ飛んで地面に打ち付けられ、バラバラに砕け散ってしまう。

 タバサは、隙かさず“呪文”を“詠唱”し、“杖”を振る。“水”、“風”、“風”といった風に“水”が1つ、そして“風”の2乗。2つの“系統”が絡み合い、“呪文”が完成する。

 空気中の水蒸気が氷付き、何十本もの氷柱矢と成り、四方八方から手負いの“オーク鬼”を串刺しにした。

 タバサの得意な攻撃“呪文”、“ウィンディ・アイシクル”である。

 手負いの“オーク鬼”たちは、一瞬で絶命し、斃れた。

 タバサが隠れた場所から離れた木の上で状況を観察していたキュルケは、“杖”を振った。“火”、“火”と“火”の2乗。“炎球”の“呪文”に依り一回りも大きい炎の塊――“フレイム・ボール”が、“オーク鬼”を襲う。

 狙われた“オーク鬼”は大柄な身体に似合わない敏捷な動きで、その“フレイム・ボール”を躱そうとする。が、“フレイム・ボール”は、糸に繋がれてでもいるかのようにして、“オーク鬼”をホーミングする。咆哮を上げる口の中に飛び込み、一瞬で逃げる“オーク鬼”の頭を燃やし尽くした。

 しかしタバサ達の効果的な攻撃はそこまでであった。強力な“呪文”は、“精神力”を消耗するために、続け様に使うことはできないのである。

 

 

 仲間を斃れされた“オーク鬼”たちは怯んだが、直ぐに自分達を襲っているヒトが、数人の“メイジ”のみであるということに気が付いた。“メイジ”達との戦いは一瞬で決まることを、“オーク鬼”たちは長いこと繰り返して来たヒトとの戦いを通じて、覚えていたのである。負ける時は、ほんの一瞬で全滅してしまうはずである。“魔法”攻撃で、自分たちの仲間は2匹斃れされただけに過ぎない。

 詰まり、ヒト共の攻撃は失敗してしまった、と“オーク鬼”たちはそう解釈した。

 怒りが直ぐに恐怖を押し潰す。

 “オーク鬼”たちは、嗅覚鋭い鼻を引く付かせ、“メイジ”達が隠れている場所を探り当てた。

 寺院の庭の外から、彼らにとって美味そうな若いヒトの匂いが漂って来る。そこへ、十数匹の“オーク鬼”たちは走り出した。

 すると、スッと門の前に、剣を背負った1人の若いヒトの男、手に巨大で無骨な剣を持った若いヒトの男と2人が現れる。その隣には、“サラマンダー”の姿も見える。

 ためらわずに“オーク鬼”たちは突進を続けた。“オーク鬼”たちは、「サラマンダーは強敵ではあるが、これだけの数でかかれば問題はなに1つない」と、そう考えたのである。

 ヒトの戦士など問題外だ。“オーク鬼”1匹には、ヒトの戦士5人に匹敵するといわれている。きちんと訓練を受けた手練れの戦士でさえもそれなのだから、あのような子供たちなど、棍棒の一振りで片が付く。

 そのはずであった。

 

 

 才人はかたわらの“サラマンダー”――フレイムに呟いた。

「俺は右から殺る。フレイム、お前はキュルケの方に向かう化け物どもを喰い止めろ。セイヴァー」

 キュルキュルとフレイムは、口の端から炎をちらつかせ、返事をし、主人の元へと向かう。

「ああ。では、才人。私は左を受け持とう」

 フレイムの返事と同時に、俺もまた才人の言葉に首肯き、答える。

 “オーク鬼”が、群れをなして襲いかかって来る。

 才人に、生理的な恐怖が襲いかかり、パニックに陥ろうとしているのだろう、彼の身体は少しばかり震えている。彼の手もまた大きく震えていた。

 襲いかかって来ている“オーク鬼”の首には、なにやら首飾りが提げられている。その組飾りは、荒縄で繋がったヒトの頭蓋骨で作られているのがわかるだろう。

 “オーク鬼”が近付くに連れ、彼らから、むんと獣特有の嫌な悪臭が鼻を突く。

「どうした才人? 怖いのであれば、退がっても良いぞ?」

「ば、馬鹿! そんな訳ないだろ!」

 才人は声を震わせ、震える左手で。背負ったデルフリンガーを掴む。彼の手の甲の“ルーン”が光る。怒りと、身体の中から沸き起こる興奮が、彼の身体を熱くさせる。彼は、人指し指でリズムを取るように柄を叩いて、心を落ち着かせるのと同時に跳躍のタイミングを測る。とん、とん、とん……と鼓動が刻み続けているリズムに合わせるかのように。

 才人は目を見開いて、咆哮を上げて襲いかかって来る“オーク鬼”たちを見据えた。

 

 

  “オーク鬼”の1匹は、2人のヒトの子供と青年へと向かって棍棒を振り下ろす。

 グシャッと、手応えを感じる……はずであった。がしかし、棍棒が叩いたのは地面である。

 首を上げて辺りを伺としたのだが、視界がずれ下がる。

 首が動かないのである。慌てて頭を支えようとするのだが、そこにあったはずの頭がないことに、ようやく気が付いた。

 

 

 才人は棍棒が振り下ろされるよりも速く跳び上がり、眼の前の“オーク鬼”の首を斬り落とした。

 どう! と音を立て、首を失った“オーク鬼”だったモノは地面に崩れ落ちる。

 才人は着地した後、手近な“オーク鬼”に向かって再び跳躍した。そして。一瞬、なにが起こっているのかを理解できずに固まってしまっている1匹の“オーク鬼”の胴を薙ぎ払う。剣の勢いを利用して斬り上げ、止めを刺した。

 才人が、チラリと少しばかり離れた場所へと目を向けると、フレイムは炎を振り撒きなら1匹の“オーク鬼”と格闘しているのが見える。

 フレイムは、その力で“オーク鬼”を押さえ付け、頭に炎を吐き掛けた。

 

 

 俺も才人と同時に、“投影”した身の丈以上の大きさをした斧剣を無造作に構え振るう。

「――“射殺す百頭(ナインライブズ)”……」

 “ギリシャ神話”の大英雄“ヘラクレス”が“サーヴァント”として持つ対人用の絶技と言える“宝具”のその“真名解放”を行う。

 眼の前の彼ら“オーク鬼”にはとてももったいないモノかもしれないが、周囲に酷い被害を与えることなく彼らを一掃するにはちょうど良いだろうかと考えた結果である。いや、ハイスピードの対人用攻撃であるために、比較的マシだといえるだけであるのだが。

 機関銃以上の速度から繰り出される7回の剣戟は、同時とでも言えるほどのモノ。それらが総て重なり、周りにいる数匹の“オーク鬼”たちの躰をバラバラにする。皮膚を斬り裂き、内蔵を斬り裂き、骨を砕き、脳髄などをもまた粉砕する。

「ふむ、あっちの方が良かったか……」

 その後に出来た惨状を目に、俺は“光の御子”の“宝具”を思い浮かべながら呟いた。

 

 

 一瞬で10匹の味方が斃れされた“オーク鬼”たちは、警戒したのだろう俺と才人を少し離れた場所から取り囲む。

 才人は剣を構えたまま、そして俺もまた斧剣を手にしたまま、ジロリと“オーク鬼”たちを冷たい視線で見据える。

 ゾクッと、“オーク鬼”たちは、“ドラゴン”にでも睨まれたかのような錯覚を覚えた。本能が、「奴らは危険だ」と訴えかけて来ているのであろう。「自分たちでは勝てない」、そう教えているのである。

 “オーク鬼”たちは顔を見合わせる。

 が、「だが、どう見ても奴らはヒトだ。自分達が負けることなどありえない。さっきのは……なにかの間違いだ」といった風に、本能の訴えを、今までの経験と常識から押さえ込み、「ぶぎぃ! びぎぃ!」と咆哮を上げながら襲いかかろうとする。

 だがそれが、彼らのミスであり、命取りになった。

 彼らヒト2人自身の実力もあり、“メイジ”達からの“魔法”の援護も加わり、“オーク鬼”たちは1匹を除いてたったの1分で全滅に近い状態になってしまったのであった。

 

 

「こ、こいつ、しぶといぞ」

 才人が、慢心状態となりながらなおも立ち続ける“オーク鬼”に対して吐き捨てた。

 その“オーク鬼”は斃れた他の“オーク鬼”たちの誰よりも大きく、ガッシリとした身体付きをしている。手にしている金棒もまた、凶悪そうなモノだ。どうやら、彼がボスのような立場にいたのであろう。

 だが、満身創痍という表現は確かであり、今直ぐにでも倒れ伏しそうなほどである。身体中から血を流しているのが判るだろう。

 それでも、残った“オーク鬼”は大きく咆哮を上げる。

「ふむ。大した根性だ。だが、もう疲れたであろう。そろそろ休むと良い……」

 俺はそう言って、斧剣を大きく振りかざし、大きな“オーク鬼”の首を跳ね飛ばした。

 

 

 バッサバッサと、タバサの“使い魔”であるシルフィードが地面に降り立つ。

 彼女が傷付いてしまうと、徒歩で帰る必要に迫られるだろうといった理由で、戦闘には参加させない取り決めになっていたのである。

 木から降りて来たキュルケは、取り敢えずギーシュを小突いた。

「あいたぁ! なにをするんだね!?」

「あんたの所為で、危ないところだったじゃないの!」

 ヴェルダンデが掘った落とし穴がある場所まで誘い込み、穴に落として中に用意した油を引火させ、一斉に燃やし尽くす作戦だったのだが……。

「そんな調子良く、穴に落ちてくれるもんかね? 戦は先手必勝。僕はそれを実践しただけだ」

 ギーシュはブツブツと文句を言った。

「あんたのモグラが掘ったんでしょ! 穴を信じなさいよ!」

「まあまあ、結果オーライで良いじゃん」

 才人がフォローを入れる。

 そんな感じに反省会をしていると、物陰で震えていたシエスタが駆け寄って来て、感極まったように才人へと抱き着いた。

「すごい! すごいです! あの凶暴な“オーク鬼”たちを一瞬で! サイトさん、セイヴァーさん、すごいですっ!」

 シエスタはそれから恐々と、“オーク鬼”の死骸を見つめた。

「しっかし、あんなのがいるんじゃ、おちおち森に茸採りにも行けねえな」

 才人は、デルフリンガーにこびり付いた“オーク鬼”たちの血と油を、むしった木葉で拭った。

 やはりまだ戦い――殺し合いには慣れていないのであろう、彼の手が震えているのがわかる。いや、慣れてしまうのは駄目なのだが。殺した相手は生き物である。戦いなどとサラッと言いはするが、要は生き物と生き物の殺し合い。勝利したところで、気分が良いモノではないのは当然のことである。“伝説の使い魔”である“ガンダールヴ” であるとはいえ、生身の身体だ。足を滑らせて棍棒の一撃を受けでもしたら……あそこに転がっていたのは彼自身だったかもしれないのである。

 シエスタが、才人の手が震えていることに気付き、ソッと握った。

 彼は微笑んで首肯いた。

「すごいけど……やっぱり、危ないことは、良くないですね」

 シエスタは呟いた。

 一方、キュルケはケロッとした様子を見せており、地図を眺めながら口を開いた。

「えっとね、この寺院の中には、祭壇があって……その祭壇の下にはチェストが隠されているらしいの」

「そしてその中に……」

 ギーシュがゴクリと唾を呑み込む。

「ここの司祭が、寺院を放棄して逃げ出す時に隠した、金銀財宝と伝説の秘宝“プリーシンガメル”があるって話よ?」

 キュルケは、得意げに髪を掻き上げて言った。

「えっとね、黄金で出来た首飾りみたいね。“炎の黄金”で造られているらしいの! 聞くだけでわくわくする名前ね! それを身に着けた者は、あらゆる災厄から身を守護ることが……」

 

 

 

 

 

 その夜……一行は寺院の中庭で、焚き火をして取り囲んでいた。

 俺を除いた皆、誰も彼もが疲れ切った様子を見せている。

 ギーシュが恨めしそうに言った。

「で、その秘宝とやらがこれかね?」

 ギーシュが指さしたのは、色褪せた装飾品と、汚れた銅貨が数枚であった。祭壇の下は、なるほど確かにチェストはあった。がしかし、中から出て来たのは、持ち帰る気にもならないガラクタばかりであったのだ。

「この真鍮でできた、安物のネックレスや耳飾りが、まさかその“プリーシンガメル”と言う訳じゃあるまいね?」

 キュルケは答えない。ただ、つまらなさそうに爪の手入れをしているだけである。

 タバサは相変わらず本を読んでいる。

 才人は寝転がって月を眺めている。

 ギーシュは喚いた。

「なあキュルケ、これで7件目だ! 地図を当てにお宝が眠るという場所に苦労して行ってみても、見付かるのは金貨どころかせいぜい銅貨が数枚! 地図の注釈に書かれた秘宝なんか欠片もないじゃないか! インチキ地図ばっかりじゃないか!」

「うるさいわね。だから言ったじゃない。中には本物があるかもしれないって」

「いくらなんでも酷過ぎる! 廃墟や洞窟は化け物や猛獣の住処になってるし! 苦労してそいつ等をやっつけて、得られた報酬がこれじゃあ、割に合わんことはなはだしい」

 ギーシュは薔薇の造花を咥えて、敷いた毛布の上に転がった。

「そりゃそうよ。化け物を退治したくらいで、ほいほいお宝が入ったら、誰も苦労しないわ」

 険悪な雰囲気が漂い始める。

 が、そこでシエスタの明るい声が、その雰囲気を払ってみせた。

「皆さーん! お食事ができましたよー!」

 シエスタは、焚き火に焼べた鍋からシチューを装って、銘々に配り始める。

 好い匂いが鼻を刺激する。

「こりゃ美味そうだ! と思ったらホントに美味いじゃないかね! いったいなんの肉だい?」

 ギーシュがシチューを頬張りながら呟いた。

 皆も、口にシチューを運んで、「美味い!」と騒ぎ始め、シエスタは微笑んで言った。

「“オーク鬼”の肉ですわ」

 ブホッとギーシュがシチューを吐き出し、俺を除いた皆が唖然としてシエスタを見つめた。

「ふむ。ゲテモノほど美味いとは言うが、これは、また……」

 俺が意地の悪い笑みを浮かべながらそう言いったのに対し、シエスタは苦笑を浮かべて、「じょ、冗談です! ホントは野兎です! 罠を仕かけて捕まえたんです。皆さんが宝探しに夢中になっている間に、兎やシャコを罠で捕まえ、ハーブや山菜を集め、シチューを作ったんです」と説明をした。

 皆、ホッとした口調で、キュルケが言った。

「シエスタもセイヴァーも、驚かせないでよね。にしても、貴女器用ね、こうやって森にあるモノで、美味しいモノを作っちゃうんだから」

「田舎育ちですから」

 シエスタははにかんで言った。

「これはなんて言うシチューなの? ハーブの使い方が独特ね。あと、なんだか見たこともない野菜がたくさん入ってるわ」

 キュルケは、フォークで食べ慣れない野菜を突き回しながら言った。

「わたしの村に伝わるシチューで、“ヨシェナヴェ”って言うんです」

 シエスタは、鍋を掻き混ぜながら、説明した。

「父から作り方を教わったんです。食べられる山菜や、木の根っこや……父は、曽祖父(ひいおじい)ちゃんから教わったそうです、今ではわたしの村の名物です」

 美味しい食事のおかげで、座はなごんだ。

 “学院”を出発してから、10日ばかりが過ぎている。

 今頃、シオンはルイズと共に行動をしており、彼女を慰め支えているだろう。いや、もしかすると、ルイズは既に立ち直っているかもしれない。などと、俺は既に識りながらもそう思ってみた。

「サイトさん、セイヴァーさん、美味しい?」

 隣では、シエスタが才人と俺へと微笑みを見せて来てくれている。

 才人は、シチューを頬張りながら、笑みを作った。

 俺もまた、才人と同じように笑みを浮かべ、答えた。

「ああ、とても美味しい。懐かしい味がするよ」

「にしても、セイヴァーはすごいよな。剣を生み出したり、それを自在に使うんだから」

 才人は思い出したように、俺へと話しかける。どうやら、今日の戦闘やこの前を始めとしたそれらについて思うところがあるのだろう。

「確かにそうだね。君も、どこかで剣を習ったりしたのかい? いや、だが、我々以上に“魔法”も使えるし……」

 そこで、ギーシュもまた話に乗っかかり、俺へと質問を投げかけて来る。

 キュルケとシエスタも、そしてタバサも本を読むのを中断して、俺へと視線を向けて来ている。

「そうだな。俺は少しばかり、ズルをしているからな……この話は、また今度だ」

 

 食事の後、キュルケは再び地図を広げた。

「もう諦めて“学院”に帰ろう」

 ギーシュがそう促すのだが、キュルケは首を縦に振らない。

「あと1件だけ。1件だけよ」

 キュルケは、なにかに取り憑かれでもしたかのように、目を輝かせて地図を覗き込んでいる。そして、1枚の地図を選んで、地面に叩き付けた。

「これ! これよ! これで駄目だったら“学院”に帰ろうじゃないの!」

「なんと言うお宝だね?」

 キュルケは、腕を組んで呟いた。

「“竜の羽衣”」

 皆が食事を終えた後、シチューを食べていたシエスタが驚きからだろう、ブホッ、吐き出した。

「そ、それホントですか?」

「なによ貴女、知ってるの? 場所は、“タルブの村”の近くね。“タルブ”ってどこら辺なの?」

 キュルケがそう尋ねると、シエスタは焦った声で呟いた。

「“ラ・ロシェール”の向こうです。広い草原があって……わたしの故郷なんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、俺達はシルフィードの上で、シエスタの説明を受けていた。

 シエスタの説明は、余り要領を得るモノではなかったが、とにかく、村の近くに寺院があること。そこの寺院に“竜の羽衣”と呼ばれるモノが存在しているということを、4人と1匹は聴いていた。

 もちろん俺は原作知識として、そして“千里眼”などを用いたこともあって既に知っており、彼女の話を復習がてらに聞いていた。

「どうして、“竜の羽衣”って呼ばれてるの?」

「それを纏った者は、空を飛べるそうです」

 シエスタは、言い難そうに言った。

「空? “風系統”の“マジックアイテム”かしら?」

「そんな……大したモノじゃありません」

 シエスタは、困ったように呟いた。

「どうして?」

「インチキなんです。どこにでもある、名ばかりの秘宝。ただ、地元の皆はそれでもありがたがって……寺院に飾ってあるし、拝んでるお婆ちゃんとかいますけど」

「へぇええ」

 それからシエスタは、恥ずかしそうな口調で言った。

「実は……それの持ち主、わたしの曽祖父(ひいおじい)ちゃんだったんです。ある日、フラリとわたしの村に、曽祖父(ひいおじいちゃん)は現れたそうです。そして、その“竜の羽衣”で、東の地から、わたしの村にやって来たって、皆に言ったそうです」

「凄いじゃないの」

「でも、誰も信じなかったんです。曽祖父(ひいおじい)ちゃんは、頭が可怪しかったんだって、皆言ってます」

「どうして?」

「誰かが言ったんです。 “じゃあその竜の羽衣で飛んでみろ”と。でも、曽祖父(ひいおじい)ちゃん、飛べなくって、なんか色々言い訳したらしいですけど、皆が信じる訳もなくて。おまけに“もう飛べない”と言ってわたしの村に住み着いちゃって。一生懸命働いてお金を稼いで、そのお金で“貴族”にお願いして、“竜の羽衣”に“固定化”の“呪文”までかけてもらって、大事に大事にしてました」

「変わり者だったのね。さぞかし家族は苦労したでしょうね」

「いや、“竜の羽衣”の件以外では、働き者の良い人だったんで、皆に好かれたそうです」

 才人が「それって要は村の名物なんだろ? さっきの“ヨシェナヴェ”みたいな。そんなの、持って来たら駄目じゃん」と言うと、「でも……わたしの家の私物みたいなモノだし……サイトさんとセイヴァーさんがもし、欲しいって言うなら、父にかけあってみます」とシエスタは悩んだ声で呟いた。

「まあ、インチキならインチキなりの売り方があるわよね。世の中に馬鹿と好事家は吐いて捨てるほどいるのよ」

 キュルケが打ち出した解決策の言葉に、ギーシュが呆れた声で言った。

「君は非道い女だな」

「ところで、セイヴァー。なんでニヤついてるんだよ?」

「いやなに、別に大したことじゃないさ。まあ、行けば理解る、行けばな」

 と、俺は、俺の笑みに対して不思議そうにしている才人へと答える。そんな俺を、他の皆もまた同様に首を傾げた。

 俺たちを乗せて、シルフィードは一路“タルブの村”へと羽撃いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて一方、ここは“魔法学院”。

 ルイズは授業を休み、ベッドの中に閉じこもり、食堂に食事に行く時と、入浴の時だけ部屋を出るだけの日々を繰り返していた。

 救いといえば、シオンが頻繁に顔を見せに、部屋へと訪れることくらいだろか。

 ルイズは、“ヴェストリの広場”に才人がテントを張って生活していることは知っていたので、先日様子を見に行ったのだが、そこは既にもぬけの殻であった。

 ルイズが通り過がったモンモランシーに尋ねると、彼女は「才人とギーシュ、キュルケとタバサは授業をサボり、セイヴァーとシルフィード、メイドと共に宝探しに出かけた」と言う。先生たちはカンカンで、帰って来たら彼等は講堂の全掃除を命じられるだろう。

 ルイズは、自分だけが仲間外れにされたように感じ、悲しみと寂しさを覚えた。

 そして今日もまた、ルイズは、空っぽの藁束を見ては、ベッドの中で泣いていたのである。シオンの側で泣いている。

 部屋がノックされた。

 ルイズが「開いてますよ」と言ったら、ガチャリと扉が開いた。ルイズは驚いた。

 現れたのが、学院長のオスマンであったためである。

 ルイズは慌ててガウンを纏うと、シオンと一緒にベッドから下りた。

「身体の具合はどうじゃね?」

 ルイズは気不味そうに、呟いた。

「ご、ご心配をおかけしてすいません。でも、大したことはありません、ちょっと、気分が優れないだけで……」

 オスマンは椅子を引き出すと、腰掛けた。

「随分長く休んでいると、聞いたモノでな。ちと心配になったが、顔色は悪くなさそうじゃの」

 ルイズは「ええ」と首肯いて椅子に腰かけ、シオンもまた残ったもう1つの椅子へと腰かける。

「詔はできたかの?」

 ハッとして、ルイズは俯いた。それから、申し訳なさそうに首を横に振った。

「その顔を見ると、まだのようじゃの」

「申し訳ありません」

「まだ式までは、2週間ほどある。ユックリ考えるが良い。そなたの大事な友達の式じゃ。念入りに、言葉を選び、祝福して上げなさい」

 ルイズは首肯いた。そして、自分のことばかりを考えて、詔を考えることを忘れていたことを恥じる。

 オスマンは立ち上がった。

「ところで、“使い魔”の少年たちはどうしたね?」

 ルイズは長い睫毛を伏せて、黙ってしまった。

 オスマンは、微笑を浮かべる。

「喧嘩でもしたんじゃろう?」

 キュッとルイズは唇を噛んだ。

「若い時分は、些細なことで喧嘩になるモノじゃ。歩み寄ることを若者はそうそう知りはしないからな。時として、その亀裂は修復ができないほどに開いてしまう。せいぜいそうならないように、気を遣うのじゃな」

 そう笑うと、オスマンは去って行った。

 ドアが閉まった後、ルイズは呟いた。

「些細なことじゃないもん」

 シオンはそれに、苦笑を浮かべる。

 それからルイズは、机に向かった。ここしばらく放って置いた、“始祖の祈祷書”を開く。

「それが“始祖の祈祷書”?」

「ええ、そうよ」

 シオン質問に答えた後、ルイズは雑念を払うために目を閉じた。詔を考えるために、精神を集中させた。

 しばらくして、ルイズは目を開いた。すると、彼女の視界がボヤけ、そして白紙のはずのそのページに一瞬ではあったが、彼女の目に文字のようなモノが映り、ん? とルイズは目を凝らす。

「どうしたの?」

 しかし次の瞬間、それは霞のようにページの上から消えていた。

 ルイズは、(今のはなにかしら?)と思って、ページを見つめる。がしかし、もう、そこにはなにも見えない。

「なんでも、ないわ……気の所為、よ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才人たちは目を丸くして、件の“竜の羽衣”を見つめている。特に、才人が驚いている様子である。

 ここは、シエスタの故郷である“タルブの村”。その近くに建てられた寺院である。そこで、この“竜の羽衣”は安置されているのだ。と言うよりも、“竜の羽衣”を包み込むといった風に、寺院が建てられていると表現した方が良いだろうか。

 シエスタの曽祖父が建てさせたというその寺院の形は、才人と俺に懐かしさを覚えさせるモノであった。寺院は、草原の片隅に建てられている。丸木が組み合わされた門の形、石の代わりに板と漆喰で造られた壁。木の柱……白い紙と、縄で造られた紐飾り……そして、板敷きの床の上に、くすんだ濃緑の塗装が施された“竜の羽衣”と呼ばれるモノが鎮座しているのである。

 “固定化”のおかげだろう……どこにも錆は浮いていない。造られたそのままの姿であるといえる状態を、“竜の羽衣”は見せている。

 キュルケやギーシュは、気のなさそうにその“竜の羽衣”を見つめている。好奇心を刺激されたのだろうか、珍しくタバサは興味深そうに見つめていた。

 俺はそれを目にした瞬間思わず、いや、やはりどうしても小さく笑みを浮かべてしまった。

 才人があまりにも、呆けたように“竜の羽衣”を見ていることもあって、シエスタは心配そうに言った。

「サイトさん、どうしたんですか? わたし、なにか不味いモノを見せてしまったんじゃ……」

 才人は答えない。ただ、感動した様子を見せながら、彼はただ“竜の羽衣”を見つめるばかりである。

「まったく、こんなモノが飛ぶ訳ないじゃないの」

 キュルケがそう言い、ギーシュも同意し首肯いた。

「これはカヌーかなにかだろう? それに鳥のおもちゃのように、こんな翼をくっ付けたインチキさ。だいたい見ろ、この翼を。どう見たって羽撃けるようにはできていない。この大きさ、小型の“ドラゴン”ほどもあるじゃないか。“ドラゴン”だって、“ワイバーン”だって、羽撃くからこそ空に浮かぶことができるんだ。なにが“竜の羽衣”だ」

 ギーシュは“竜の羽衣”を指さして、もっともらしく首肯いた。

「サイトさん、ホントに……大丈夫?」

 心配そうに才人の顔を覗き込むシエスタの肩を掴んで、才人は熱っぽい口調で言った。

「シエスタ」

「は、はい?」

 シエスタは頬を染めて、才人の目を見つめ返す。

「お前の曽祖父(ひいおじい)ちゃんが遺したモノは、他にないのか?」

「えっと……後は大したモノは……お墓と、遺品が少しですけど」

「それを見せてくれ」

 

 

 

 シエスタの曽祖父のお墓は、村の共同墓地の一画にあった。

 白い石で出来た、幅広の墓石の中、1個だけ違う形の墓がある。黒い石で造られたその墓は、他の墓石と趣を異にしている。

 その墓石には、墓碑銘が刻まれていた。

曽祖父(ひいおじい)ちゃんが、死ぬ前に自分で造った墓石だそうです。異国の文字で書いてあるので、誰も銘が読めなくって。なんて書いてあるんでしょうね?」

 シエスタが呟いた。

 そして、才人はその字を読み上げる。

「……“海軍少尉佐々木武雄、異界ニ眠ル”」

「はい?」

 スラスラと才人が読み上げたので、シエスタは目を丸くした。

 才人はシエスタを見詰めた。

 シエスタは熱っぽく見つめられたこともあり、またまた頬を染めた。

「い、いやですわ……そんな目で見られたら……」

 黒い髪、黒い瞳……懐かしい雰囲気……才人がそう感じた理由がそこにはあり、彼はそれに気付いたのである。

「なあシエスタ、その髪と目、曽祖父(ひいおじい)ちゃん似だって言われただろ?」

「は、はい! どうしてそれを?」

 才人の質問に、シエスタは驚いた声を上げた。

 

 

 再び才人が寺院に戻って来る。

 才人は“竜の羽衣”に触れて見た。すると左手の甲の“ルーン”が光出す。「これもまた“武器”なのだ」、と主張をしているように。

 中の構造、操縦法、装備などなど、才人の頭の中に鮮明なシステムとして流れ込んで来る。そして、才人は、(俺は、これを飛ばせるんだ)と確信した。

 才人は燃料タンクを探し当て、そこのコックを開いて見た。空っぽだったのだが、才人は予想していたのだろうそれほど落ち込んだ様子は見せない。

 どれだけ原型を留めていても、ガス欠では飛ばすことはできない。だからこそ、シエスタの曽祖父は「もう飛べない」と言ったのである。

 才人は、(シエスタの曽祖父(ひいおじい)ちゃんは、どうやってこの“ハルケギニア”に迷い込んでしまったんだ?)と考えた。その手がかりを求めて、頭を悩ませる。

 そこに生家に帰っていたシエスタが戻って来た。

「ふわ、予定より、2週間も早く帰って来てしまったから、皆に驚かれました」

 シエスタは急々と手に持った品物を、才人に手渡した。

 それは、海軍少尉だったシエスタの曽祖父が使用していただろう古ぼけたゴーグルであった。

曽祖父(ひいおじい)ちゃんの形見、これだけでそうです。日記も、なにも残さなかったみたいで、ただ父が言ってたんですけど、遺言を遣したそうです」

「遺言?」

「そうです。なんでも、“あの墓石の銘を読める者が現れたら、その者に“竜の羽衣”を渡すように”って」

「となると、俺とセイヴァーにはその権利があるって訳か」

「そうですね。そのことを話したら、お渡ししても良いって言ってました。管理も面倒だし……大きいし、拝んでる人もいますけど、今じゃ村のお荷物だそうです」

 シエスタの言葉を聞いて、俺は才人に言った。

「君が貰いたまえ。俺には必要のないモノだ」

「じゃあ、ありがたく貰っておくよ。セイヴァー」

 俺のその言葉に、才人は首肯いた。

「それで、その人物にこう告げて欲しいと言ったそうです」

「なんて言ったの?」

「“なんとしてでもこのぜろしきかんじょうせんとうきを陛下にお返しして欲しい”、だそうです。陛下ってどこの陛下でしょう? 曽祖父(ひいおじい)ちゃんは、どこの国の人だったんでしょうね?」

 シエスタの言葉に、才人は呟き、答えた。

「俺たちと同じ国だよ」

「ホントですか? なるほど、だからお墓の文字が読めたんですね。うわぁ、なんか感激です。わたしの曽祖父(ひいおじい)ちゃんと、サイトさんとセイヴァーさんが同じ国の人だなんて。なんだか、“運命”を感じます」

 シエスタはうっとりとした顔で、才人にそう言った。

「じゃあ、ホントに曽祖父(ひいおじい)ちゃんは、“竜の羽衣”で“タルブ”の村へやって来たんですね……」

「これは“竜の羽衣”って名前じゃないよ」

「じゃあ、サイトさん達の国では、なんて言うんですか?」

 “竜の羽衣”と呼ばれるモノのその姿を見詰めながら、才人は幼い頃にプラモデルで作ったモノを思い出した。

 才人は、“竜の羽衣”の翼と胴体に描かれた、赤い丸の国旗標識を見つめた。

 元は白い縁取りがなされていたらしいが、その部分が機体の塗料と同じ、濃翠に塗り潰されているのがわかる。そして、黒い艶消しのカウリングに白抜きで書かれた辰の文字。部隊のパーソナルマークだろう。

 “地球”のモノだということもあって、かなりの懐かしさを才人と俺は覚えてしまう。

 60年以上も前の戦闘兵器。物言わぬ機械。天翔ける翼……“竜の羽衣”。

 才人は言った。

「“ゼロ戦”。俺たちの国の、昔の“戦闘機”」

「ぜろせん?」

「詰まり“、飛行機”だよ」

「こないだ、才人さんが言っていた、ひこうき?」

 才人は首肯いた。

「“零式艦上戦闘機”。斯の“三菱”と言う会社、集団が造った戦闘用の飛行機械だ。制式採用された1,940年は“皇紀”2,600年に当たり、その下2桁が00であることから、名付けられたらしい」

「す、すげえ……良く知ってるな、セイヴァー」

「なに、ただの雑学……間違った知識かもしれないがな」

 

 

 

 

 

 その日、俺たちはシエスタの生家に泊まらさせてもらうことになった。

 “貴族”の客をお泊めするということもあり、村長までもが挨拶に来る騒ぎになったのであった。

 才人はシエスタの家族に紹介されていた。彼女の父母に兄弟姉妹たち。シエスタは、8人姉弟の長女だったのである。

 父母は、怪訝な顔で才人を見たのだが、「わたしが奉公先でお世話になっている人よ」とシエスタが紹介すると、直ぐに相好を崩し、いつまでも滞在してくれるようにと言っていた。

 久し振りに家族に囲まれたということもあり、シエスタはとても幸せそうで、楽しそうに見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方、才人は村の側に広がる草原を見詰めていた。

 夕日が草原の向こうの山の間に沈んで行く。辺りは本当にただっ広い草原だ。シエスタが言っていた通り、所々には花が咲いているのが見える。とても綺麗な草原だ。

 “ゼロ戦”に乗っていたパイロットは……おそらく帰える方法を探して空を飛ぶんでいたのであろう。だが、途中で燃料が尽きてしまった。それでもって、この草原に着陸した。といった具合だろう。

 ここは、広くて平らで、着陸がしやすそうである。

 草原を見つめ、遠くの故郷へと想いを馳せている才人の元へ、シエスタがやって来た。

 シエスタは、普段のメイド服とは違い、茶色のスカートに、木の靴、そして草色の木綿のシャツを着用している。広がる草原のような、陽の香のする格好だ。

「ここにいたんですか。お食事の用意ができましたよ。父が、“ぜひご一緒に”って」

 シエスタは、恥ずかしそうに言った。

「遊びに来てくださいって言ってたら、ホントに来ることになっちゃいましたね」

 眼の前に広がる草原に向かって突き出すように、シエスタは両手を広げた。

 沈む夕日が、辺りを幻想的に染め上げている。

「この草原、とっても綺麗でしょう? これをサイトさん達に見せたかった、見てもらいたかったんです」

「うん」

 それからシエスタは、俯いて、手の指を弄りながら言った。

「父が言ってました。“曽祖父(ひいおじい)ちゃんと、同じ国の人と出逢ったのもなにかの運命だろう”って。“良ければ、この村に住んでくれないか”って。“そしたら、わたしも……その、ご奉公を辞めて、一緒に帰ってくれば良い”って」

 才人は答えない。ただ、空の向こうをジッと見つめているのみである。

 ジッと空を見て答えない、そんな才人を見て、シエスタは微笑んだ。

「でも、良いです、やっぱり、無理みたいね。サイトさん、まるで鳥の羽みたい、きっと、どこかに飛んで行ってしまうんだわ」

 才人はシエスタにほんとのことを話そうと決心する。

「東から、飛んで来たって、曽祖父(ひいおじい)ちゃん言ってたんだよな?」

「え? そ、そうですけど……」

 シエスタは心配そうな表情を浮かべる。

「シエスタの曽祖父(ひいおじい)ちゃんも、俺も、セイヴァーも、この世界の生まれじゃないんだ」

「東の、“ロバ・アル・カリイエ”の方から、入らしたんですよね」

「そうじゃない。ホントは、もっと遠くなんだ」

 才人は真面目な声で言った。

「ここじゃない、違う世界だ。俺は、そこの世界の人間なんだよ」

「からかってるのね。嫌なら……わたしが嫌いなら、そうハッキリ言えば良いのに」

 シエスタは口を尖らせた。

「そうじゃない、からかってなんかいない」

「そこに待たせている人でもいるの?」

「いない。でも、家族が待っている。俺は、いずれそこに帰らなくちゃいけない人間だ」

 才人は、シエスタに向き直った。そして、言い難そうに言った。

「だから、シエスタの言う通りには、できないんだ」

 才人の顔はどこまでも真面目であった。

 冗談を言っている訳ではないんだと、シエスタは悟る。

「ここにいる間、俺の力で誰かを守ることはできる。でも、それだけだ。誰かと過ごす資格は俺にはない。きっとない」

「でも、曽祖父(ひいおじい)ちゃんは……そうしたんでしょう?」

 才人は左手の“ルーン”を見つめて言った。

曽祖父(ひいおじい)ちゃんには、“ガンダールヴ”の力はなかった。俺にはある。いままで、色んな敵がいたけど、こいつの力がそいつらを破ってくれた。だからきっと、この力が導いてくれるような、そんな気がする」

「じゃ、じゃあ、待ってても良いですか? わたしはただの、なんの取り柄もない女の子だけど、待つことくらいはできる。もし、サイトさんが頑張って、帰る方法とやらを探して……それでも見付からなかったら……」

 それから、シエスタは黙ってしまった。

 才人は、(もし、そうなったら、どうなるんだろう?)と考えた。そして、(先のわからない約束はできない)とも思った。

 気を取り直すように、シエスタは微笑んだ。

「さっき、伝書フクロウが“学院”から届いたんです。サボりまくったモノだから、先生方はカンカンだそうですよ? ミス・ツェルプストーや、ミスタ・グラモンは、顔を真っ青にしてました。あと、わたしのことも書いてありました。“学院には戻らず、そのまま休暇を取って良いです”って。そろそろ、姫さまの結婚式ですから。だから、休暇が終わるまで、わたしはここにいます」

 才人は首肯いた。

「あの……“竜の羽衣”、飛ばせるんですか?」

「わからない。でも、相談できそうな人物がいるんだ。セイヴァーやその人に相談してみるよ。あれが飛ぶようになったら、東の地に行ってみたい。シエスタの曽祖父(ひいおじい)ちゃんは、そこから飛んで来たんだろう? なにかヒントがあるかもしれない」

 才人は、草原の向こうに沈もうとする夕日を見詰めながら言った。

「そうですか、飛んだら、素敵だな。ねえ、あの“竜の羽衣”……ゼロセンでしたっけ? それが飛んだら、1度で良いからわたしも乗せてくださいね」

 才人は首肯いた。

「そ、そんなの、何度だって乗せるよ、あれは、シエスタの家族のモノなんだから」

 

 

 

 

 

 夕食後、そして夜に俺は静かにシエスタのヒッソリと出る。

 そして、俺は、“メソポタミア神話”や“シュメール神話” 、“バビロニア神話”などで有名かつ偉大な“英雄”の中の“英雄”――“英雄王”である“ギルガメッシュ”が持つ“宝具”の1つである “王律鍵バヴ=イル”を“投影”する。

 “王律鍵バヴ=イル”は鍵の形をした剣のようなモノであり、その刀身部分である鍵としての金型は絶え間なく変化している。故に、宝物庫の鍵を開くためには、絶え間なく変化し続ける“王律鍵バヴ=イル”の金型と増え続ける宝物庫の中身、それらを読み解く智慧が必要になってくる。

 俺は、自身の“スキル”と“宝具”を振るい、的確にそれを使用する。“根源”、そして“英霊の座”へと限定的ながらもアクセスし、“バビロニアの宝物庫”へと空間を繋げる。そしてそこから酒と金色の杯を取り出し、それをチビチビと呑む。

 神代でも、それを巡って争いが起きたほどの代物であり、その酒はとても旨いと感じられる。生前――前世では、酒など全く手を付ける気分にはなれなかったのだが、なぜか今はそういう気分なのである。

「家族、か……」

 ここは“タルブの村”であり、シエスタの故郷でもある。そして、ここには彼女の家族がいる。

 少し前には、“アルビオン”へと向かい、シオンの家族とも逢った。

 それが原因だろうか、生前――前世での家族のことを想い出してしまうのである。

 いわゆるホームシックにでもなってしまっているのだろうかなどと、自嘲しながら、月を仰ぎ、酒を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、才人たちは“ゼロ戦”を、ロープで作った巨大な網に載せた。

 ギーシュの父のコネで、“竜騎士隊”と“ドラゴン”を借り受け、それで“学院”まで“ゼロ戦”を運ぶことになったのである。

 ギーシュ達は、「どうしてこんなモノを運ぶんだ?」と怪訝な表情を浮かべているが、才人が「どうしても」、と頼んだこともあり、彼ら2人は仕方なくといった風に折れたのである。

 “竜騎士隊”を呼んだり、大きな網を作ったりしたこともあって、運送代は馬鹿みたいにかかった。

 才人はもちろんそんなモノを払うことができない為に非常に困ってしまっていた。

 が、“学院”の中庭にでんっ! と現れた“ゼロ戦”を見て、快く運送代を立て替えた人物が1人いた。

 ミスタ・コルベールである。

 



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コルベールの研究室

 ジャン・コルベールは、当年とって42歳、“トリステイン魔法学院”に奉職して20年、“炎蛇”の“二つ名”を持つ“メイジ”である。彼の趣味……というよりも生き甲斐という方が正しいだろうそれは研究と発明である。

 彼は、“ドラゴン”に吊られて“魔法学院”の広場に現れたモノを、研究室の窓から見付けて慌てて駆け寄ったのである。それは、激しくコルベールの知的好奇心を刺激したのであった。

「君たち! こ、これはなんだね? 良ければ私に説明してくれないかね?」

 地面に下ろす作業を見守っている俺たちは、特に才人が、コルベールを見て輝かせた。

「良かった。先生に相談したことがあるんです」

「私に?」

 才人の言葉に、コルベールはキョトンとした。(この“平民”の少年とミス・エルディに“召喚”されたこの青年は何者なんだろう? あの日、ミス・ヴァリエールに“召喚”された、“伝説の使い魔”――“ガンダールヴ”……2人は、東方の“ロバ・アル・カリイエ”の生まれで私の発明品を素晴らしいと評価してくれた人物たち……)、と常に考えていたのである。

 彼は、謎の多いに俺たちに訊き返した。

「これは“飛行機”って言うんです。俺たちの世界じゃ、普通に飛んでる」

「これが飛ぶのか!? はぁ! 素晴らしい!」

 コルベールは、才人の言葉を耳にすると同時に、“ゼロ戦”のあちこちを興味深そうに見て回った。

「ほう! もしかしてこれが翼かね!? 羽撃くようには出来ておらんな! さて、この風車はなんだね?」

「プロペラです。これを回転させて、前に進むんです」

 いろいろと省いた才人の説明に、コルベールは眼を真ん丸にして、彼へと詰め寄った。

「なるほど! これを回転させて、風の力を発生させる訳か! なるほど良く出来ている! では、早速飛ばせて見せてくれんかね!? ほれ! もう好奇心で手が震えている!」

 そんなコルベールの言葉と様子に、才人と俺は顔を見合わせ、困ってしまった。

 才人は、頭を掻いて説明する。

「えっとですね……そのプロペラを回すためには、“ガソリン”が必要なんです」

「がそりん、とは、なんだね?」

「その、それを今から先生に相談しようと思ってたんです。ほらこの前、先生が授業でやっていた、発明品」

「“愉快なヘビくん”のことかね?」

「そうです! あれを動かすために油を気化させていたでしょう?」

「あの油が必要なのか! なんの! お安い御用だ!」

「いや、あれじゃ、駄目だと思うんです。“ガソリン”じゃなきゃ」

「がそりん? ふむ……油にもいろいろあるからなあ」

 それから才人は、俺たちをニヤニヤと見つめている“竜騎士隊”の連中に気付いた。

 ギーシュが近寄って来て、俺たちへと告げた。

「取り込み中のところ、悪いのだが、あの方たちに運び賃を払わないと……」

「あいつらだって、“貴族”だろうが。金々ってうるせえな」

「君。軍人は、貧乏なんだよ」

 才人はニッコリとコルベールに笑いかけた。

「先生、その前に、運び賃を立て替えてくれませんか?」

 コルベールは人の良いことに、才人の言葉に快く首肯いた。

 

 

 

 コルベールの研究室は、本塔と“火の塔”に挟まれた一画にある。

 他の建物と比べると見劣りする、ハッキリと言ってしまうとボロい掘っ立て小屋だ。

「初めは、自分の居室で研究をしておったのだが、なに、研究に騒音と異臭は付き物でな。直ぐに隣室の連中から苦情が入った」

 コルベールはドアを開けながら、才人と俺に説明をした。

 木で出来た棚に、薬品の瓶やら、試験管やら、秘薬を掻き混ぜる壺やらが雑然と並んでいるのが見える。その隣には壁一面の本棚がある。ギッシリと、書物が詰まっている。羊皮紙を球形のモノに貼り付けた天体儀、地図などもある。檻に入った蛇や蜥蜴、珍しい鳥までもがいる。埃ともかびともわかり辛い、妙な鼻を突く異臭が漂っている。

 才人は思わずといった風に鼻を摘んだ。

「なあに、臭いは直ぐに慣れる。しかし、御婦人方には慣れるということはないらしく、この通り私は独身である」

 聞いてもないことをコルベールは呟きながら、椅子に座った。そして、“ゼロ戦”の燃料タンクの底にこびり付いていた“ガソリン”を入れた壺の臭いを嗅いだ。

 “固定化”の“呪文”がかけられた“ゼロ戦”の中にあった“ガソリン”だということもあって、化学変化は起こしていないのである。

「ふむ……嗅いだことのない臭いだ。温めなくてもこのような臭いを発するとは……随分と気化しやすいのだな。これは、爆発した時の力は相当なモノだろう」

 コルベールはそう呟くと、手近な羊皮紙を取り、サラサラとメモを取り始めた。

「これと同じ油を作れば、あのひこうきとやらは飛ぶのだな?」

 才人と俺は首肯いた。

「たぶん……あと、壊れてなければですけど」

「面白い! 調合は大変だが、やってみよう!」

 コルベールはそれから、ブツブツと呟きながら、「ああでもない、こうでもない」と騒ぎながら、秘薬を取り出したり、アルコールランプに火を点けたりし始めた。

「君はサイト君、そしてセイヴァー君と言ったかね?」

 俺たちはおのおの首肯く。

「君たちの故郷では、あれが普通に飛んでいると言ったな? “エルフ”の治める東方の地は、なるほど全ての技術が“ハルケギニア”のそれを上回っているようだな」

 才人は、快くガソリンの調合を引き受け、運賃まで払ってくれたコルベールに嘘を吐くことに罪悪感を覚えている様子を見せる。

「構わないと思うがね」

 俺の言葉の意味を理解したのだろう、才人はユックリと口を開き、身の上話を始めた。

「先生、実は、俺たちは……この世界の人間じゃないんです。俺たちも、その“飛行機”も、いつだかフーケの“ゴーレム”を倒した“破壊の杖”も……ここじゃない、別の世界からやって来たんです」

 コルベールの手が、ピタリと止まった。

「なんと言ったね?」

「別の世界から来たと言ったんです」

 マジマジとコルベールは、俺たちを見つめる。それから、感じ入ったように首肯き、「なるほど」と呟いた。

「驚かないんですか?」

「そりゃあ、驚いたさ。でも、そうかもしれぬ、君たちの言動、行動、総てが“ハルケギニア”の常識とはかけ離れている。ふむ、ますます面白い」

「先生は、変わった人ですね」

 確認をする才人の言葉に、コルベールは落ち着いた風に答え、才人はそれに対する感想を述べた。

「私は、変わり者だ、変人だ、などと呼ばれることが多くてな、未だに嫁さえ来ない、しかし、私には信念があるのだ」

「信念ですか?」

「そうだ。“ハルケギニア”の“貴族”は、“魔法”をただの道具……なにも考えずに使っている箒のような、使い勝手の良い道具くらいにしか捉えておらぬ。私はそうは思わない。“魔法”は使いようで顔色を変える。従って伝統に拘らず、様々な使い方を試みるべきだ」

 コルベールはそう自身の言葉に首肯きながら、言葉を続けた。

「君たちを見ていると、ますますその信念が固く、強くなるぞ。ふむ、異世界とな! “ハルケギニア”の理だけが総てではないのだ! 面白い! なんとも興味深いことではないか! 私はそれを見たい! 新たな発見があるだろう! 私の“魔法”の研究に、新たな1ページを付け加えてくれるだろう! だからサイト君、セイヴァー君。困ったことがあったら、なんでも私に相談したまえ。この“炎蛇のコルベール”、いつでも力になるぞ」

 この世界線での“地球”には“魔術”などが存在し、それらは秘匿されている。もし、彼が“地球”で“ハルケギニア”の“魔法”を使用した場合、命を奪われるか、“封印指定”を受けるかなどと碌なことにはならないだろう。

 だがそれでも、彼の情熱、熱意は本物であり、決して邪なモノではない。

 俺はそんなコルベールの言葉と様子を前に、笑みを浮かべることしかできなかった。

 

 

 

 “アウストリの広場”に置かれた“ゼロ戦”の操縦席に座って、才人は各部を点検している。操縦桿を握ったり、スイッチに触れるたびに左手の甲の“ルーン”が光る。そのたびに、彼の頭の中に流れ込んで来る情報が、各部の状況を教えてくれるのだ。

 操縦桿を動かすと、ワイヤーで繋がった翼のエルロンや尾翼の昇降舵が、ギッコン、バッタン、と動いた。フットバーを踏むと、垂直尾翼の舵がギコギコと動く。

 計器板の上の照準器のスイッチを入れると、ブンと音がして、ガラス板に円環と従事の光像を描いた。機体の左右に2個付いているらしい発電機に活きているようである。光った“ガンダールヴ”の印が、使い方を、構造を彼へと教える。

 才人は笑顔を浮かべた。

 かたわらに置かれたデルフリンガーが、恍けた声で言った。

「相棒、これは飛ぶんかね?」

「飛ぶ」

「これが飛ぶなんて、相棒たちの元いた世界とやらは、ホントに変わった世界だね」

 周りでは生徒の何人かが、物珍しそうにそんな才人と“ゼロ戦”を見詰めている。しかし、直ぐに興味を失い、去って行く。コルベールみたいに、これを見て興味を惹かれる“貴族”は珍しいのである。

 そこに1人の、長い桃色のブロンドを誇らし気に揺らした少女が現れた。

 ルイズは、才人と乗っているモノを、交互にジロッと見つめた。それから、怒ったように指を突き出して「なにこれ?」と呟いた。

 才人は操縦席から顔を上げ、「“飛行機”」と答えた。

 まだ仲直りをしているという訳ではないこともあって、互いにそっぽを向いて言った。

「じゃあそのひこうきとやらから、あんたは降りて来なさい」

 ルイズは、グッと翼の端を握って、ぶら下がって“ゼロ戦”を振り始めた。

「降りて来なさいって言ってるでしょー!」

 才人は、「理解ったよ」と呟いて、“ゼロ戦”から降りてルイズの前に行った。

「どこ行ってたのよ?」

「宝探し」

「ご主人さまに無断で行くてなんて、どういうつもり?」

 ルイズは腕を組むと、才人を睨み付けた。

 ルイズの目の下には隈が出来ている。

「首じゃなかったのかよ?」

 才人がそう言うと、ルイズは下を向いた。それから、彼女は泣きそうな声で言った。

「べ、弁解する機会を与えないのは、ひ、卑怯よね。だから、言いたいことがあるんなら、今のうちに言いなさい」

「弁解もなにも、だから、あの時は、なにもしてないよ。シエスタのことだろ? あれは、シエスタが倒れそうになったから、支えてやろうとしたら、俺まで転んだんだ。それで、押し倒すように倒れちゃっただけだ」

「じゃあ、なんにもないのね?」

「そうだよ。お前、どうかしてるよ。だいたい、部屋に来たのだってあの時が初めてだったんだ。そのくらいで、その、お前の考えてるようなことになるかよ。でも、なんでそんなに怒るんだよ? シエスタとどうなろうが、お前には関係ないだろ?」

 才人は、(ルイズは俺のことをただの“使い魔”としか思ってないはずだろ? 優しくなったのだって、生類憐れみの令みたいなもんだ)と思い、言った。

「関係ないけど、あるわよ」

「どっちなんだよ?」

 ルイズは、才人を睨んで、う~~~~~~~~~~~と唸った。

 才人の袖をルイズは引っ張る。「謝りなさいよ」とか、「心配かけたくせに」などと呟くのだが、才人はルイズを見ておらず、“ゼロ戦”に夢中になってしまっている。

 ルイズは、自分の早とちりだったことに気付いたのである。そのおかげで、部屋に篭り切り、外にも出ず、いじいじとして、友人たちに心配や迷惑などをかけたことに対して申し訳なさと情けなさを感じた。

 ルイズは、泣き出した。目頭から、真珠の粒のような、大粒の涙がポロッと流れた。それがきっかけて、ルイズはポロポロと涙を流し、泣き始めたのである。

「1週間以上も、どこ行ってたのよ? もう、ばか、きらい」

 ずるっ、えぐっ、ひっぐ、とルイズは、目頭を手の甲でゴシゴシ拭いながら泣いた。

「な、泣くなよ」

 才人は慌てて、ルイズの肩に手を置いた。

 そうすると、ルイズはますます強く泣き始める。

「きらい。だいっきらい」

 そこにキュルケ達が現れた。手にモップや雑巾を持っている。どうやら、サボっていた罰で、“魔法学院”の窓拭きを命じられたらしい。

 才人と俺は“貴族”でも生徒でもないので、関係がない。

 ギーシュは、泣いているルイズと、それを慰めている才人を見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。

「君、ご主人さまを泣かせたら、いかんのじゃないのかね?」

 キュルケがつまらなさそうに、「あら、もう仲直り? 面白くないの」と呟く。

 タバサは2人を指さして、「雨降って地固まる」と言った。

 シオンと俺も、ルイズと才人の様子を見て、思わず頬が緩んだ。

 

 

 

 その夜……ルイズは枕をキュッと掴んで、ベッドの上に寝そべっていた。才人がパーカーを脱ぐと、服を脱いでそれを当然とばかりに着込んだ。ルイズは一生懸命に、なにか書物を読んでいる。

 才人は、ほぼ1週間ぶりのルイズの部屋を見回した。

 食器がいくつも転がっている。

「お前、授業休んでたんだってな」

 先ほど、寮の廊下ですれ違ったモンモランシーが言っていたのである。「あんた授業休み過ぎよ」と言ったモンモランシーを無視して、ルイズは歩き去ったのであった。

 才人がそう言うと、ルイズはキッ! と彼を睨み付ける。

「良いじゃないの」

「どこか身体の調子が悪いんか?」

 心配そうに才人は言った。

 いったい誰の所為で授業を休んだと思ってるの? と言おうとしたが、やはりプライドが邪魔して言えないルイズであった。毛布を頭から冠り、ベッドに潜り込む。

 才人は頭を掻いて、藁束を見詰めた。(これを捨てなかったんだな)と思い、そして、ルイズを“愛”しく感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから3日が過ぎた。

 鶏の鳴き声で、コルベールは目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたようである。

 この3日間というモノ、授業を休み、研究室に篭もり放しだったのである。

 彼の眼の前には、アルコールランプの上に置かれたフラスコがあった。ガラス管が伸び、左に置かれたビーカーの中に、熱せられた触媒が冷えて凝固している。

 最後の仕上げといった状況と状態だ。

 コルベールは、才人たちから貰った“ガソリン”の臭いを嗅ぎ、慎重に“錬金”の“呪文”を唱えた。臭いを強くイメージし、冷やされたビーカーの中に向かって唱える。

 ボンッ、と煙を上げ、ビーカーの中の平荒れた液体が茶褐色の液体へと変化する。

 コルベールは、その匂いを嗅ぐ。つん、と鼻を突く“ガソリン”の刺激臭が漂う。

 コルベールはバタンとドアを開けると、外に飛び出して行った。

 

 

「サイト君! セイヴァー君! 出来たぞ! 出来た! 調合出来たぞ!」

 コルベールは息急き切って、“ゼロ戦”の点検をしている才人、そしてそれを見守る俺へと近寄った。

 突き出したワインの瓶の中に、茶褐色の液体が入っている。

 才人は風防の前にある、丸い燃料コックの蓋を開こうとした。が、鍵がかかっていることもあり、コルベールに“アンロック”をかけてもらった。そして、開いた燃料弁にワインの瓶2本分のガソリンを入れる。

「まず、私は君たちに貰った油の成分を調べたのだ」

 コルベールが得意げに言った。

「微生物の化石から作られているようだった。それに近いモノを探した。木の化石……石炭だ。それを特別な触媒に浸し、近い成分を抽出し、何日間もかけて“錬金”の“呪文”をかけた。それでできあがったのが……」

「“ガソリン”ですね」

 才人の言葉に、コルベールは首肯いて、彼を促す。

「早く、その風車を回してくれたまえ、ワクワクして、眠気も吹っ飛んだぞ」

 “ガソリン”を入れてしまうと、才人は再び操縦席に座り込む。

 “エンジン”の始動方法、飛ばし方などが、彼の頭に鮮明な情報として流れ込む。“エンジン”をかけるには、プロペラを回す必要がある。

 才人は、風防から顔を出した。

「先生、“魔法”でこのプロペラを回せますか?」

「これかね? これは、あの油が燃える力で回るのとは違うのかね?」

「待て、才人。あれっぽっちの量の“ガソリン”では……」

「始めは……“エンジン”をかけるために、中のクランクを手動で回す必要があるんです。回すための道具がないから、“魔法”でプロペラを直接お願いします」

 俺の言葉が聞こえていないといった風に、才人はコルベールへと頼み込む。コルベールは首肯いて、才人は各部の操作を行った。どうやら、彼らは夢中になって周りが見えていない様子である。

 才人はまず、燃料コックを、今“ガソリン”を入れたばかりの胴体のメインタンクに切り替える。混合比レバー、プロペラピッチ・レバー、それらを最適な位置に合わす。“ガンダールヴ”の力で、手が独りでに動き、それらの操作を行った。

 才人は、カウル・フラップを開いた。滑油冷却器の蓋を閉じる。

 コルベールの“魔法”で、プロペラがゴロゴロと重そうに回り出す。

 才人は、目をしっかり開いてタイミングを見計らい、右手で点火スイッチを押した。左手で握ったスロットルレバーを、心持ち前に倒して開く。

 バスバス、と燻る音が聞こえた後、プラグの点火でエンジンが始動し、バババババッ! とプロペラが回り始め、機体が振動を始めた。車輪ブレーキをかけていなかったら、一瞬だけでも走り出してしまうところであったかもしれない。

 コルベールは、感動した面持ちで、それを見つめている。

 才人は、油圧計を確認する。順調に全ての“エンジン”関係の計器が動いていることを確認し、しばらく“エンジン”を動かした後、点火スイッチをオフにした。

 そして、才人は操縦席から跳び下りて、コルベールと抱き合った。

「やった! 先生! “エンジン”がかかりましたよ!」

「おおお! やったなぁ! しかし、なぜ飛ばんのかね?」

「セイヴァーの言った通り、ガソリンが足りません! 飛ばすなら、せめて、樽で5本分はないと」

 どうやら、俺の言葉をしっかりと聞いて、確認も済ませた様子だ。

「そんなに造らねばならんのかね! まあ乗りかかった船だ! やろうじゃないか!」

 コルベールが研究室に戻った後、才人は付きっ切りで整備を行い始める。俺もまた、それを手伝う。と言っても、工具がないために、各部を磨いたりするだけなのだが。

 そんなことをしていると、シオンとルイズがやって来て、ルイズが才人へと声を掛けた。

「夕飯の時間よ。真っ暗になるまで、なにをやってるの?」

「“エンジン”がかかったんだ!」

 才人は嬉しそうに叫ぶ。

 がしかし、ルイズはつまらなさそうにしている。

「そう。良かったわね。で、そのえんじんがかかったら、どうなるの?」

「飛べるんだ! 飛べるんだよ!」

「飛べたら、どうするの?」

 ルイズは、察しているのか寂しそうに問うた。

 才人は、この2~3日、ずっと考えていたことを彼女へと告げた。

「東に向かって、飛んでみたい」

「東? 呆れた。“ロバ・アル・カリイエ”に向かおうと言うの? 呆れたわ!」

「どうしてだよ? この“飛行機”の持ち主は、そこから飛んで来たんだ。そこに、俺たちが元いた世界に帰える方法の手がかりがあるのかもしれない」

 オ人は熱っぽい口調で言った、

 がしかし、ルイズはあまり興味がなさそうな様子を見せ、そして寂しそうに言った。

「あんたはわたしの“使い魔”でしょ。勝手なことしちゃ駄目。あと5日で姫さまの結婚式が行われるの。わたし、その時にも詔を詠み上げなくちゃいけないの。でもね、良い言葉を思い付かなくて困ってるの」

 才人もまた、彼女の話に興味がないといった風に「ふーん」と首肯いたきり、“ゼロ戦”へと目を向ける。これが飛ぶとわかったことで、彼はもう、それからは離れたくないくらいに夢中になってしまっている様子である。

 ルイズは才人の耳を引っ張った。才人は帰えって来るなり、全く彼女自身の相手をせず、この飛行機に夢中なので、つまらないといった様子だ。

 ルイズもルイズで、才人の境遇についてをしっかりと考えることができず、詔についてしか考えられない、といった様子である。

「わたしの話、ちゃんと聞いて!」

「聞いてるよ」

「聞いてないじゃない。上の空じゃない、主人の話をよそ見しながら聞く“使い魔”なんていないんだからね!」

 それからルイズは、ズルズルと才人を部屋まで引っ張って行った。

 

 

 

 ルイズは、才人を前にして、“始祖の祈祷書”を開けていた。

「じゃあ、取り敢えず考え付いた詔とやらを詠み上げてみろ」

 こほんと可愛らしく咳をして、ルイズは自分の考えた詔を詠み始める。

「“この麗しき日に、始祖の調べの光臨を願いつつ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、畏れ多くも祝福の勅を詠み上げ奉る”……」

 それからルイズは、黙ってしまう。

「続けろよ」

「これから、“火”に対する感謝、“水”に対する感謝……順に“4大系統”に対する感謝の辞を、詩的な言葉で韻を踏みつつ詠み上げなくちゃいけないんだけど……」

「踏みつつ詠み上げれば良いじゃねえか」

 ルイズは拗ねたように唇を尖らせて言った。

「なにも思い付かない。詩的なんて言われても、困っちゃうわ。わたし、詩人なんかじゃないし」

「良いから思い付いたこと、言ってみ」

 ルイズは困ったように、頑張って考えたらしい詩的な文句を呟いた。

「えっと、炎は熱いので、気を付ける事」

「事、は詩的じゃねえだろ。注意だろそれ」

「煩いわね。“風が吹いたら、樽屋が儲かる”」

「諺言ってどうすんだよ」

 まったく詩の才能がないらしいルイズは不貞腐れると、ボテッとベッドに横になって、「今日はもう寝る」と呟いた。ゴソゴソと例によってシーツで身体を隠して着替え、ランプの灯りを消した後、藁束に潜った才人を呼んだ。

「だから、ベッドで寝て良いって言ってるじゃない」

 才人の心臓が、例によって跳ね上がった。「良いの?」と訊いても返事がなかったが、(言った以上、入らないと怒るだろうし)と思った才人は、ベッドの隅っこに潜り込んだ。

「ねえ、ホントに東の地に行くの?」

 ルイズが尋ねる。

「ああ」

「危険なんだから。“エルフ”は、人間を嫌ってるし……」

「でも、その先には人間が住んでる土地もあるんだろ? ほら、ロバ、なんとかって」

「でも、ここの人間とは気性も違うわ。危ないわよ」

 ルイズは、才人を行かせるのが心配なのである。

「それでも行くの?」

 才人はしばらく考えた後、答えた。

「だって……帰れる手がかりがあるかもしれないし」

 ルイズはゴソゴソと動き、才人の胸に頭を乗せた

 才二が「な……!?」と呟いたら、「枕の代わりよ」と怒ったような、拗ねたような声でルイズが答える。

 ルイズは、才人の胸に手を置いた。軽く指が、才人の胸をなぞる。

 才人の背筋に電流が疾走った。

 照れた声で、ルイズが言った。

「勘違いしないで。こ、こんなことしたって、別に好きでもなんでもないんだから」

 それから、ルイズはいつもの怒ったような声で言った。

「わたしが、行っちゃ駄目って命令しても、行くの?」

 才人は黙ってしまう、

 ルイズは、「そうよね」と呟いた。

「ここは……あんたの世界じゃないもんね。そりゃ、帰りたいわよね」

 しばらく、2人は黙っていた。

 ルイズは、ギュッと才人の胸を抱き締めた。抱き締めて、消え入る鈴の音のように呟く。

「嫌ね。あんたが側にいると、わたしってばなんだか安心して眠れるみたい。それって頭に来ちゃう」

 ルイズの目の下の隈は、眠れなかった所為である。

 ルイズはそう呟くと、才人の腕の中で、直ぐに幼子のような寝息を立て始めた。

 ルイズの寝息を耳にしながら、才人は考えた。この異世界で出逢った人たちのこと……たった数ヶ月の滞在に過ぎないが、色々な人たちに出遭った。意地悪だった奴もいた。でも。優しくしてくれた人もいた。

 本当に帰れる時が来た時……笑って別れることができるのかどうかな、と。

 だが、(優しくしてくれた人達に、できる限りのことをして上げたい)と、(嬉しかった分だけ、親切にしてくれた人たちのために……せめてこの世界にいる間は、俺にできることをして上げたい)と、そう才人は思った。思うことができた。

 才人はルイズの顔を抱き締めた。

 寝惚けたルイズは、むぎゅ、と唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「タバサの言った通り、まさに“雨降って地固まる”だね」

 そうシオンは、笑顔を浮かべて口にした。

 俺は首肯き、窓から外を見遣る。

 2つの月が、優しく照らしてくれている。

「さて、シオン。君は“聖杯戦争”についてのある程度の知識を得、覚悟を決めた」

「うん」

「それは良いだろう。だが」

「いつ、話すか。だね?」

「そうだ」

 幸い、まだ“聖杯戦争”は本格的には始まってはいない。

 が、最悪の場合、彼女がなにも知らずに巻き込まれ、彼ともども死んでしまう可能性があるのだから。

 もしそうなってしまったら。

 “原作”という大樹の幹から外れ離れた小枝の1つでありながらもしっかりとした世界――“剪定世界”の1つであり、特異な世界である“ここ”はどうなってしまうのであろうか。

 



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虚無

 “ゲルマニア”皇帝、アルブレヒト3世と、“トリステイン”王女アンリエッタの結婚式は、“ゲルマニア”の首都、“ヴィンドボナ”で行われる運びであった。式の日取りは、来月……詰まり、3日後の“ニューイ(6)の月”の1日に行われる。

 そして本日、“トリステイン”艦隊旗艦の“メルカトール号”は“新生アルビオ政府”の客を迎えるために、艦隊を率いて“ラ・ロシェール”の上空に停泊していた。

 後甲板では、艦隊司令官のラ・ラメー伯爵が、国賓を迎える為に正装して居住まいを正している。その隣には、艦長のフェヴィスが口髭をいじっていた。

 “アルビオン艦隊”は、約束の刻限をとうに過ぎている。

「奴らは遅いではないか、艦長」

 イライラとしたような口調で、ラ・ラメーは呟いた。

「自らの王を手に掛けた“アルビオン”の狗どもは、狗共なりに着飾っているのでしょうな」

 そう“アルビオン”嫌いの艦長が呟くと、檣楼に登った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。

「左前方より、艦隊!」

 なるほどそちらを見やると、雲と見紛うばかりの巨艦を先頭に、“アルビオン”艦隊が静々と降下して来るところであった。

「ふむ、あれが“アルビオン”の“ロイヤル・ソヴリン級”か……」

 感極まった声で、ラ・ラメーが呟いた。

 あの艦隊が、姫と皇帝の結婚式に出席する大使を乗せているはずである。

「しかし……あの先頭艦は巨大ですな。後続の戦列艦が、まるで小さなスループ船のように見えますぞ」

 艦長が鼻を鳴らしつつ、巨大な艦を見つめて言った。

 降下して来た“アルビオン”艦隊は、“トリステイン”艦隊に併走するかたちになると、旗旒信号をマストに掲げた。

「“貴艦隊ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン艦隊旗艦レキシントン号、艦長”」

 艦長は“トリステイン”艦隊の貧弱な陣容を見守りつつ自虐的に、「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、これまた虚仮にされたモノですな」に呟いた。

「あのような艦を与えられたら、世界を我が手にしたなどと勘違いしてしまうのであろう。良い。返信だ。“貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎ス”。“トリステイン”艦隊司令長官」

 ラ・ラメーの言葉を控えた士官が復唱し、それをさらにマストに張り付いた水兵が復唱する。

 スルスルとマストに、命令通りの旗艦信号が昇る。

 どん! どん! どん! と、礼砲だろう“アルビオン”艦隊の大砲から放たれた。弾は込められていない。大砲に詰められた火薬を爆発させるだけの空砲である。

 しかし、巨艦“レキシントン号”が空砲を撃っただけで、辺りの空気が震える。その迫力、ラ・ラメーは一瞬後退ってしまった。

 よしんば砲弾が込めてあったとしても、この距離まで届くことはないだろう。それを理解していながらも、実戦経験もある提督すらをも後退らせるほど、禍々しい迫力を秘めた“レキシントン号”の射撃であった。

「良し、答砲だ」

「何発撃ちますか? 最上級の“貴族”なら、11発と決められております」

 礼砲の数は、相手の格式と位で決まる。艦長はそれをラ・ラメーに尋ねているのであった。

 ラ・ラメー伯爵は、「7発で良い」と応える。

 艦長は、子供のような意地を張るラ・ラメーをニヤリと笑って見つめ、部下へと命令した。

「答砲準備! 順に7発! 準備でき次第撃ち方始め!」

 

 

 “アルビオン”艦隊旗艦“レキシントン号”の後甲板で、艦長のボーウッドは、左舷の向こうの“トリステイン”艦隊を見つめていた。

 隣では、艦隊司令長官及び、“トリステイン侵攻軍”の全般指揮を執り行う、サー・ジョンストンの姿が見える。記憶議会議員でもある彼は、クロムウェルの信任厚いことで知られている。しかし、実戦の指揮は執ったことがない。サー・ジョンストンは政治家なのである。

「艦長……」

 心配そうな声で、ジョンストンは傍らのボーウッドに話しかけた。

「サー?」

「こんなに近付いて、大丈夫かね? 長射程の新型の大砲を積んでいるんだろう? もっと離れたまえ。私は、閣下より大事な兵を預かっているのだ」

 ボーウッドは、「クロムウェルの腰巾着め」と口の中だけで呟き、冷たい声で言った。

「サー、新型の大砲と言えど、射程一杯で撃ったのでは当たるモノではありません」

「しかしだな、なにせ、私は閣下から預かった兵を、無事に“トリステイン”に下ろす任務を担っている。兵が怖がってはいかん。士気が下がる」

 ボーウッドは、(怖がっているのは兵ではないだろう)と思いながらジョンストンの言葉を無視して命令を下した。空では彼が法律なのである。

「左砲準備! アイ・サー!」

 砲甲板の水兵たちによって大砲に装薬が詰められ、砲弾が押し込まれる。

 空の向こうの“トリステイン”艦隊から、轟音が轟いて来た。“トリステイン”艦隊旗艦が、答砲を発射したのだ。

 作戦開始となる。

 その瞬間、ボーウッドは軍人へと変化した。政治上の経緯も、人間らしい情も、卑怯な騙し討ちであるこの作戦への批評も、全て吹き飛ばす。

 “神聖アルビオン共和国艦隊旗艦レキシントン号”艦長、サー・ヘンリー・ボーウッドは矢継ぎ早に命令を下しはじめた。

 艦隊の最後尾の旧型艦“ホバート号”の乗組員たちが準備を終え、“フライ”の“呪文”で浮かんだビートで脱出するのがボーウッドの視界の端に映った。

 

 

 答砲を発射し続ける“メルカトール”艦上のラ・ラメーは、驚くべき光景を目の当たりにした。

 “アルビオン”艦隊最後尾の……1番旧型らしい小さな艦から、火炎が発生したのである。

「なんだ? 火事か? 事故か?」

 フェヴィスが呟く。

 次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。火災を発生させた艦に見る間に炎が回り、空中爆発を起こしたのである。

 残骸となったその“アルビオン”の艦は、燃え盛る炎と共に、ユルユルと地面に向かって墜落して行く。

「な、何事だ? 火災が火薬庫に回ったのか?」

 “メルカトール号”の艦上が、騒然となる。

「落ち着け! 落ち着くんだ!」

 艦長のフェヴィスが水兵たちを叱咤する。

 “レキシントン号”の艦上から、朱旗手が、信号を送って寄越す。それを望遠鏡で見守る水兵が、困惑した様子で信号の内容を読み上げた。

「“レキシントン号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦”。“ホバート号ヲを撃沈セシ、貴艦上の砲撃ノ意図を説明セヨ”」

「撃沈? なにを言ってるんだ! 勝手に爆発したんじゃないか!」

 ラ・ラメーは慌てた。

「返信しろ! “本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ”」

 直ぐに“レキシントン号”から返信が届く。

「“タダイマノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス”」

「馬鹿な!? ふざけたことを!」

 しかし、ラ・ラメーの絶叫は、“レキシントン号”の一斉射撃の轟音で掻き消されてしまう。

 着弾。

 “メルカトール号”のマストが折れ、甲板に幾つもの大穴が開いてしまった。

「この距離で大砲が届くのか!?」

 揺れる甲板の上で、フェヴィスが驚愕の声を上げる。

 ラ・ラメーは怒鳴った。

「送れ! “砲撃ヲ中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ”」

 しかし、“レキシントン号”はさらなる砲撃で、返事を寄越して来るだけである。

 着弾。

 艦が震え、あちこちから火災が発生する。

 “メルカトール号”から、悲鳴のような信号が何度も送られる。

「繰り返す! “砲撃ヲ中止セヨ! 我ニ交戦ノ意思アラズ!”」

 しかし、“レキシントン号”の砲弾は一向にやむ気配がない。

 着弾。

 砲弾の破片で、ラ・ラメーの身体が吹っ飛び、フェヴィスの視界から消える。同時に、着弾の食でフェヴィスは甲板に叩き付けられてしまった。

 フェヴィスは悟った。(これは計画された攻撃行動だ! 奴らは初めから、親善訪問のつもりなどないんだ)、(我々は“アルビオン”に嵌められたのだ……)ということを。

 艦上では火災が発生している。

 周りでは負傷した水兵たちが、苦痛の呻きを上げている。

 頭を振りながら立ち上がり、フェヴィスは叫んだ。

「艦隊司令長官戦死! これより旗艦艦長が指揮を執る! 各部被害状況報せ! 艦隊全速! 右砲戦用意!」

 

 

「奴らは、やっと気付いたようですな」

 ゆるゆると動き出した“トリステイン”艦隊を眺めつつ、ボーウッドのかたわらでワルドが呟いた。

 ワルドも、名ばかりの司令長官であるジョンストンに如何ほどのことができるとも思ってもいない。上陸作戦全般の実際の指揮は、ワルドが行うことになっていた。

「の、ようだな、子爵。しかし、既に勝敗は決した」

 行き足の付いていた“アルビオン”艦隊は、全速で動き出した“トリステイン”艦隊の頭を抑えるような機動で、既に動いていた。

 “アルビオン”艦隊は一定の距離を取りつつ、冷静に射撃を加えて行く。総数で2倍、それに加え、こちらには新型の大砲を装備した巨艦“レキシントン号”がいる。砲力は比べモノにならないのは明白だろう。

 “トリステイン”艦隊をいたぶるように、砲撃は続けられた。十数分後、火災を発生させていた“メルカトール号”の甲板が捲れ上がる。瞬間、轟音と共に“メルカトール号”は空中から消えた。爆沈である。

 他の“トリステイン”艦も、無傷のモノは1艦たりともない。旗艦を失った艦隊は混乱し、バラバラの機動で動き始めた。

 全滅は時間の問題であった。既に白旗を揚げている艦も見える。

 “レキシントン号”の艦上のあちこちから、「“アルビオン”万歳! 神聖皇帝クロムウェル万歳!」の叫びが届く。

 ボーウッドは眉をひそめた。かつて空軍が王立だった頃は、戦闘行動中に「万歳」を唱える輩などいなかったのだから。見ると、司令長官のジョンストンまでもが「万歳」の連呼に加わっているのである。

 ワルドが言った。

「艦長、新たな歴史の1ページが始まりましたな」

 苦痛の叫びを上げる間もなく潰えた敵を悼むような声で、ボーウッドは呟いた。

「なに、戦争が始まっただけさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン”の王宮に、国賓歓迎のため、“ラ・ロシェール”上空に平宅していた艦隊全滅の報がもたらされたのは、それから直ぐのことであった。ほぼ同時に、“アルビオン”政府から宣戦布告分が急便によって届いたのである。不可侵条約を無視するような、親善艦隊への理由なき攻撃に対する非難がそこには記かれ、最後に「“自衛ノ為神聖アルビオン共和国”ハ、トリステイン国政府に対シ宣戦ヲ布告ス”」と締められていた。

 “ゲルマニア”へのアンリエッタの出発で大わらわであった“王宮”は、突然のことに騒然となった。

 直ぐに将軍や大臣たちが集められ、会議が開かれた。しかし、会議は紛糾するばかりである。「まずは“アルビオン”へ事の次第を問い合わせるべき」だ、との意見や、「“ゲルマニア”に急便を派遣し、同盟に基づいた軍の派遣を要請すべし」との意見などが飛び交った。

 会議室の上座には、呆然とした表情のアンリエッタの姿も見えた。本縫いが終わったばかりの、眩いウェディングドレスに身を包んでいる。これから馬車に乗り込み、“ゲルマニア”へと向かう予定であったのだ。

 会議室に咲いた、大輪の華のようなその姿ではあったが、今は誰も気に留める者はいない。

「“アルビオン”は“我が艦隊が先に攻撃した”と言い張っている! しかしながら、我が方は礼砲を発射しただけだというではないか!」

「偶然の事故が、誤解を生んだようですな」

「“アルビオン”に会議の開催を打診しましょう! 今ならまだ、誤解は解けるかもしれない!」

 各有力“貴族”たちの意見を聴いていた枢機卿のマザリーニは首肯いた。

「良し、“アルビオン”に特使を派遣する。事は慎重を期する。この双方の誤解が生んだ遺憾なる交戦が、全面戦争へと発展しないうちに……」

 その時、急報が届いた。

 伝書フクロウによってもたらされた書筒を手にした伝令が、息せききって会議室に飛び込んで来る。

「急報です! “アルビオン”艦隊は、降下して占領行動に移りました!」

「場所はどこだ!?」

「“ラ・ロシェール”の近郊! “タルブ”の草原のようです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生家の庭で、シエスタは兄弟たちを抱き締め、不安げな表情で空を見つめていた。

 先ほど、“ラ・ロシェール”の方から爆発音が聞こえて来たからである。

 驚いて庭に出て、空を見上げると、恐るべき光景が広がっていた。空から何隻もの燃え上がる“フネ”が墜ちて来て、山肌に打つかり、森の中に落ちて行ったのだ。

 村は騒然とし始めた。

 しばらくすると、空から巨大な“フネ”が降りて来た。雲と見紛うばかりの巨大なその“フネ”は、村人たちが見守る中、草原に鎖の付いた錨を下ろし、上空に停泊したのである。

 その上から、何匹もの“ドラゴン”が飛び上がった。

「なにが起こってるの? お姉ちゃん?」

 幼い弟や妹たちが、シエスタにしがみ付いて尋ねる。

「家に入りましょう」

 シエスタは不安を隠して兄弟たちを促し、家の中に入った。中では両親が、不安げな表情で窓から様子を伺っている。

「あれは、“アルビオン”の艦隊じゃないか」

 父が草原に停泊した“フネ”を見て言った。

「嫌だ……戦争かい?」

 母がそう言うと、父が否定した。

「まさか。“アルビオン”とは不可侵条約を結んでいるはずだ。の前領主さまのお触れがあったばかりじゃないか」

 艦上から飛び上がった“ドラゴン”が、村目がけて飛んで来た。

 父は母を抱えて窓から遠退かる。

 ブオン! と唸りを上げて、騎士を乗せた“ドラゴン”は村の中まで飛んで来て、辺りの家々に火を吐きかけた。

「きゃあ!」

 母が悲鳴を上げた。

 家に炎を吐きかけられ、窓ガラスが割れて室内に飛び散ったのである。

 村が燃える盛る炎と怒号と悲鳴に彩られて行く。

 父は気を失った母を抱いたまま、震えるシエスタに告げた。

「シエスタ! 弟たちを連れて南の森に逃げるんだ!」

 

 

 

 大きな“ウィンドドラゴン”に跨ったワルドは、薄い笑みを浮かべながら、かつての祖国を蹂躙した。

 近くを、直接指揮の“竜騎士隊”の“火竜”が飛び交っている。

 ワルドが跨る“ウィンドドラゴン”は、ブレスの火力では“火竜”に劣るが、スピードでは勝っている。指揮を執るならと敢えて選んだのだ。

 本体部の上陸前の露払いのため、ワルドは容赦なく村に火をかけた。後方を見ると、“レキシントン号”の甲板からロープが吊るされ、兵が次々と草原に降り立つのが見える。

 広いこの草原は、侵攻軍が拠点とするには最適の場所でるといえるだろう。

 草原の向こうから、近在の領主のモノらしい、数十人の軍勢が上陸部隊へと突撃して来る。が、上陸した部隊に突っ込まれたのでは、面倒なことになるだろう。

 ワルドは“竜騎士”たちに合図をし、その小部隊を蹴散らす為に、急行した。

 ワルドの率いる“竜騎士隊”目がけて、炎の“魔法”が飛んで来る。しかし、まったく物怖じせずに、ワルド達とその“騎乗竜”は突っ込む。そして無謀な連中に向けてさんざんに“竜”のブレスの洗礼を浴びせかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼を過ぎた。

 “王宮”の会議室には次々と報告が飛び込んで来る。

「“タルブ領主”、アストン拍戦死!」

「偵察に向かった“竜騎士隊”、帰還せず!」

「未だ“アルビオン”より、問い合わせの返答ありません!」

 それでも会議室では、まだ不毛な議論が繰り返されていた。

「やはり“ゲルマニア”に軍の派遣を要請しましょう!」

「そのように事を荒立てては……」

「“竜騎士隊”全騎をもって、上空から攻撃させては?」

「残りの艦を掻き集めろ! 全部! 全部だ! 小さかろうが古かろうがなんでも良い!」

「特使を派遣しましょう! 攻撃したら、それこそ“アルビオン”に全面戦争の口実を与えるだけですぞ!」

 一向に会議は進まず、纏まらない。

 マザリーニも、結論を出しかねていた。まだ彼は、外交での解決を望んでいるのである。

 怒号飛び交う中、アンリエッタは、薬指に嵌めた“風のルビー”を見詰めた。ウェールズの形見の品である、それを自分に託した少年の顔を思い出した。(あの時、私はこの指輪に誓ったのではないの……“愛”するウェールズ様が、勇敢に死んで行ったと言うなら……自分は、勇敢に生きてみようと)、とそんな決心を思い出す。

「“タルブ”の村、炎上中!」

 その急便の声で、呆然としていたアンリエッタは我に返った。大きく深呼吸をして立ち上がる。

 一斉に視線が王女へと注がれた。

 アンリエッタは、戦慄く声で言い放った。

「貴方方は、恥ずかしくないのですか?」

「姫殿下?」

「国土が敵に侵されているのですよ? 同盟だなんだ、特使がなんだ、と騒ぐ前にすることがあるでしょう?」

「しかし……姫殿下……誤解から発生した小競り合いですぞ」

「誤解? どこに誤解の余地があるというのですか? 礼砲で艦が撃沈されたなど、言いがかりも甚だしいではありませんか」

「我らは、不可侵条約を結んでいたのですぞ。事故です」

「条約は紙より容易く破られたようですわね。元より守るつもりなどなかったのでしょう。時を稼ぎ、虚を突くための口実に過ぎません。“アルビオン”には明確に戦争の意思があって、全てを行っていたのです」

「しかし……」

 アンリエッタはテーブルを叩き、大声で叫んだ。

「私たちがこうしている間に、民の血が流されているのです! 彼らを守るのが“貴族”の務めなのではありませぬか? 我らは、なんの為に“王族”を、“貴族”を名乗っているのですか? このような危急の際に、彼らを守るからこそ、君臨を許されているのではないですか?」

 誰も、何も言わなくなってしまった。

 アンリエッタは冷ややかな声で言った。

「貴方方は、怖いのでしょう。なるほど、“アルビオン”は大国。反撃を加えたとして、勝ち目は薄い。敗戦後、責任を取らされるであろう、反撃の計画者にはなりたくないという訳ですね? ならば、このまま恭順して命を永らえようという訳ですね?」

「姫殿下」

 マザリーニがたしなめた。が、アンリエッタは言葉を続ける。

「ならば私が率いましょう。貴方方は、ここで会議を続けなさい」

 アンリエッタはそのまま会議室を飛び出して行った。

 マザリーニや、何人もの“貴族”が、それを押し留めようとした。

「姫殿下! 御輿入れ前の大事な御身体ですぞ!」

「ええい! 走りにくい!」

 アンリエッタは、ウェデイングドレスのすそを、膝上まで引き千切った。引き千切ったそれを、マザリーニの顔に投げ付ける。

「貴男が結婚なさればよろしいわ!」

 宮廷の中庭に出ると、アンリエッタは大声で叫んだ。

「私の馬車を! 近衛! 参りなさい!」

 “聖獣ユニコーン”が繋がれた、王女の馬車が引かれて来た。

 中庭に控えた近衛の“魔法衛士隊”が、アンリエッタの声に応じて集まって来る。

 アンリエッタは馬車から“ユニコーン”を一頭外すと、ヒラリとその上に跨った。

「これより全軍の指揮を私が執ります! 各連隊を集めなさい!」

 状況を知っていた“魔法衛士隊”の面々が、一斉に敬礼する。

 アンリエッタは、“ユニコーン”の腹を叩いた。

 “ユニコーン”は、額から突き出た角を誇らしげに陽光に煌めかせ、高々と前脚を上げて、疾走り出した。

 その後に、“幻獣”に騎乗した“魔法衛士隊”が口々に叫びながら続く。

「姫殿下に続け!」

「続け! 遅れを取っては家名が泣くぞ!」

 次々に中庭の“貴族”たちは駆け出して行く。

 城下に散らばった各連隊に連絡が飛んだ。

 その様子をぼんやりと見つめていたマザリーニは、天を仰いた。

 彼はどのように努力を払おうとも、いずれ“アルビオン”とは戦になると思ってはいたが……まだ、国内の準備は整っていないのである。彼とて、命を惜しんだ訳ではない。彼なりに国を憂い、民を想ってこその判断であったのである。小を切っても、負ける戦はしたくないのであった。

 しかし、姫の言う通りでもあった。彼が傾注した外交努力は既に泡と消えていた。しがみ付いてなんになろう。騒ぐ前に、なすべきことがあったのだ。

 1人の高級“貴族”が、マザリーニに近付いて耳打ちをした。

「枢機卿、特使の派遣の件ですが……」

 マザリーニは冠った球帽をその“貴族”の顔に叩き付け、アンリエッタが自分に投げ付けたドレスの裾を拾い、頭に巻いた。

「各々方! 馬へ! 姫殿下1人を行かせたとあっては、我ら末代までの恥ですぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン魔法学院”に、“アルビオン”の宣戦布告の報が入ったのは、翌朝のことであった。“王宮”は混乱を極めたということもあって、連絡が遅れたのである。

 ルイズは才人を連れて、シオンは俺を連れて、“魔法学院”の玄関先で、“王宮”からの馬車を待っているところである。

 “ゲルマニア”へ俺たちを運ぶ馬車だ。しかし、朝靄の中、“魔法学院”にやって来たのは息急き切った1人の使者であった。

 彼はオスマンの居室を俺たちへと尋ねると、足早に駆け去って行った。

 ルイズと才人、シオンの3人は、彼が見せたその尋常ならざるを目にして、顔を見合わせた。「いったい、“王宮”でなにがあったのだろう?」と気になった3人は、その使者の後を追うことにし、予想というより既に識ってはいるのだが俺もまた3人の後に続く。

 

 

 オスマンは、式に出席する為の用意で忙しかった。1週間ほど“学院”を留守にする為、様々な書類を片付け、荷物を纏める必要があるからだ。

 そんな中、猛烈な勢いで扉が叩かれた。

「誰じゃね?」

 返事をするよりも早く、“王宮”からの使者は飛び込んで来て、そして大声で口上を述べた。

「“王宮”からです! 申し上げます! “アルビオン”が“トリステイン”に宣戦布告! 姫殿下の式は無期延期になりました! 王軍は、現在“ラ・ロシェール”に展開中! 従って、学院に於かれましては、安全の為、生徒及び職員の禁足令を願います!」

 オスマンは顔色を変えた。

「宣戦布告とな? 戦争かね?」

「如何にも! “タルブ”の草原に、敵軍は陣を張り、“ラ・ロシェール”付近に展開した我軍と睨み合っております!」

「“アルビオン”軍は、強大だろうて」

 使者は、悲しげな声で言った。

「敵軍は、巨艦“レキシントン号”を筆頭に、戦列艦が十数隻。上陸せし総兵力は9,000と見積もられます。我が軍の艦隊主力は既に全滅、掻き集めた兵力はわずか2,000。未だ国内は戦の準備が整わず、緊急に配備できる兵はそれで精一杯のようです。しかしながらそれより、完全に制空権を奪われたのが致命的です。敵軍は空から砲撃を加え、我が軍を難なく蹴散らすでしょう」

「現在の戦況は?」

「敵の“竜騎兵”によって、“タルブ”の村は炎で焼かれているそうです……同盟に基づき、“ゲルマニア”へ軍の派遣を要請しましたが、先陣が到着するのは3週間後とか……」

 オスマンは溜め息を吐いて言った。

「……見捨てる気じゃな。敵はその間に、“トリステイン”の城下町をアッサリ落とすじゃろうて」

 

 

 “学院長室”の扉に張り付き、聞き耳を立てていた3人は顔を見合わせた。

 戦争と聞いてルイズとシオンの顔が、そして才人の顔は“タルブの村”と聞いて、それぞれ蒼白になった。

 思わず才人は駆け出し、ルイズとシオン、そして俺はその後を追いかける。

 

 

 才人は中庭に向かうと、“ゼロ戦”に取り付いた。

 後ろから、ルイズが才人の腰に抱き着いた、

「どこに行くのよ!?」

「“タルブ”の村だ!」

「な、なにしに行くのよ!?」

「決まってるだろ! シエスタ達を救けに行くんだよ!」

 ルイズは才人の腕にしがみ付いた、

 才人は振り解こうとするのだが、ガッシリしがみ付いているのだろう離れない。

「駄目よ! 戦争してるのよ! あんたが1人行ったって、どうにもならないわ!」

「こいつがある。敵はあの空に浮かんだでっかい戦艦なんだろ? これだって空を飛べる。なんとかなるかもしれない」

「こんなおもちゃでなにしようっていうのよ!?」

「これはおもちゃじゃねえよ」

 才人は、左手で“ゼロ戦”の翼を握った。彼の左手甲の“ルーン”が光る。

「俺の世界の“武器”だ。人殺しの道具だ。おもちゃなんかじゃない」

 ルイズは首を振った。

「いくらこれがあんたの世界の“武器”でも、あんな大きな戦艦相手に勝てる訳ないじゃないの! わかんないの? あんた1人行ったって、どうにもならないの! 王軍に任せておきなさいよ!」

 ルイズは、才人の顔を真っ直ぐ見つめて言った。

 ルイズは、(こいっつてば……サイトは、戦争を知らないのよ)と思った。

 この前の“アルビオン”での冒険とは訳が違うといえるだろう。戦争は冒険とは違うのだ。そこでは死と破壊が常識なのである。素人が行っても、死ぬだけである。

「“トリステイン”の艦隊は全滅だって言ってたじゃねえか」

 才人はゆっくりとルイズの頭を撫でながら、低い声で答えた。

「確かに、どうにもならないかもしれない。あの戦艦をやっ付けられるとは思えない。でも……」

「でも、なによ?」

「俺はなんだか知らねえけど、“伝説の使い魔”なんていう、力を貰っちまった。俺がもし、普通の、なんでもないただの人間だったら、救けに行こうなんて思わなかった。震えて、見てただけさ。でも、今は違う。俺には“ガンダールヴ”の力がある。俺ならできるかもしれない。俺なら、シエスタを……あの村の人たちを救けることができるかもしれない」

「そんな可能性、ほとんどないわよ」

「わかってる。でも、可能性はゼロじゃない。だったら、俺はやる」

 ルイズは呆れた声で言った。

「馬鹿じゃないの? あんた元の世界に帰るんでしょう? こんなとこで死んだらどうすんのよ?」

「シエスタは俺に優しくしてくれた。お前もだ。ルイズ」

 ルイズの頬が、赤く染まった。

「俺はこの世界の人間じゃない。どうなろうと知ったこっちゃない。でも、せめて優しくしてくれた人は守りたい」

 ルイズは才人の手が震えていることに気付き、顔を上げて言い放った。

「怖くないの? 馬鹿。怖いくせに無理して格好つけないで、“しゃい”とか言ってたくせに、格好つけないで!」

「怖いよ。ああ、無理してる。でも、あの王子さまが言ってた。“守るべきモノの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれる”って。ホントだと思った。あの時、“アルビオン”で50,000の軍勢が向かって来た時……俺は怖くなかった。お前を守ろうと、そんな風に思ったら、怖くなかったんだ。嘘じゃねえ」

「なに言ってるのよ。あんたはただの“平民”じゃない、勇敢な王子さまでもなんでもないのよ」

「知ってるよ。でも、王子さまも“平民”も、関係ねえ。生まれた国も時代も……“世界”だって関係ねえ。それはきっと……男なら、誰だってそう思うに違いないんだ。そうだよな?」

「然り」

 才人の言葉に俺は強く首肯く。

 過去の、生前――前世の俺にはなかった、持っていなかったそれらを持つ、“この世界”の住人たち、そして眼の前の少年に対し、俺は今憧れと眩しさを同時に感じながら。

 ルイズの顔が、フニャッと崩れた。

「死んだら、どうすんのよ……? 嫌よ、わたし、そんなの……」

 シオンの顔もまた崩れてしまっている。

 才人はルイズを引き寄せ、抱き締めた。

「死なねえよ。絶対帰って来る。死んだらお前を守れないだろ」

「わたしも行く」

「駄目だ、お前は残れ」

「やだ」

「駄目だ」

 才人はそう言って、ルイズから離れ、翼から操縦席によじ登る。そこで、才人は、“ガソリン”が入っていないことに気付いたのだろう、「あっ!」と声を上げた。

 才人はルイズを残して、コルベールの研究室へと駆け出した。

 後に残されたルイズは、拳を握り締めて、唸った。ルイズは泣きそうになったが、唇を噛んで。堪えた。泣いたって始まらないのだから。

 そして、ルイズはそれから、“ゼロ戦”を見つめ、「こんなんで、“アルビオン”軍に勝てる訳ないじゃないの!」と言った。

 

 

 才人は寝ていたコルベールを叩き起こした。

「ふにゃ? なんだね?」

「先生! “ガソリン”は出来てますか!?」

「あん? それなら、君の言った通りの量が出来ているよ。ほれ、そこに」

「じゃあ、それを運んでください! 直ぐに!」

 才人は、コルベールにガソリンを運んで貰った。寝惚けているコルベールは、まだ戦争が始まったことをしらない。

 才人は、面倒だという理由、そして急いでいるという理由から説明をしなかった。

「こんな朝っぱらから、飛ぶのかね? せめて私の目が覚めてからにしてくれんかね?」

「それじゃあ間に合わないんです」

 才人が戻ると、そこにはルイズの姿はなかった。残っているのは俺とシオンの2人だけである。

 才人は、ルイズに「行くな」ともう1度言われると決心が鈍りそうだったのか、ホッとした様子を見せた。やはり、怖くない訳がないのである。「守るべきモノの大きさが恐怖を忘れさせる」とウェールズは言っていたが、それは違うのだろう。実際には、彼もまた恐怖を覚えながらも、それを自分自身に言い聞かせるかのようにして、才人に言っていたのだから。

 才人は操縦席に座ると、“エンジン”始動前の操作を行った。そして、この前のようにコルベールに頼み、“エンジン”を始動させる。

 バルルルルルッ! とエンジンが始動し、プロペラが回り始める。

 才人は、各部計器を確認する。彼の左手甲の“ルーン”が、各部が正常に作動しているということを教える。眼の前の機銃を確認する。弾はしっかり入っており、翼の機関砲にもきっちり弾は入っている。

「セイヴァー、お前はどうするんだ?」

 エンジンが鳴らす爆音の中、才人は俺へと大きな声で尋ねて来る。

「むろん行くさ。それとは別の方法で、シオンと共にな」

 その言葉に、才人は目を大きく見開いてシオンへと目を向ける。

 シオンは彼の視線を受けて、強い意志を見せるように首肯いた。

「ああそれと、お前にプレゼントだ。その“ゼロ戦”に少し細工させて貰ったよ」

 俺は、才人がコルベールの元へと向かった直後、“ゼロ戦”へとある“魔術”を、“エンチャント”と“概念強化”などをかけたのだ。

「今のお前ならわかるだろうが、それはもう既にただの“ゼロ戦”ではない。それ以上のモノ、“地球”の現行機に並ぶだろうさ」

 俺の言葉に、才人は驚き目を大きく見開くが、“ルーン”からの情報を受けて確認したのだろう。首肯く。

 才人は、ブレーキをリリースする。

 ゴトゴトと、“ゼロ戦”が動き出す。最適の離陸点に向かって移動を始めた。

 才人は前を見た。“アウストリの広場”は決して狭くはないのだが、離陸する滑走距離には少しばかり足りないことを、“ガンダールヴ”の印が彼へと教えた。

「相棒、あの“貴族”に頼んで、前から風を吹かせてもらいな」

「風?」

「そうだ。そうすりゃ、こいつはこの距離でも空に浮くだろうさ」

「なんでお前にそんなことがわかんだよ? 飛行機のことなんかなにも知らんくせに」

「こいつは“武器”なんだろ? 引っ付いてりゃ、大概のことはわかるよ。忘れたか? 俺は一応、伝説なんだぜ?」

 才人は風防から顔を出し、コルベールと俺、そしてシオンへと叫んだ。しかし、声が届かない。ジェスチャーで、「“魔法”をかけて前から風をビュービュー吹かせてくれ」と頼んで見た。

 飲み込みの早いコルベールとシオン、そして俺は、彼のジェスチャーを見て状況を理解し、首肯く。

 “呪文”の“詠唱”、完成。そして前から烈風が吹く。

 才人は、シエスタから預かったゴーグルを着ける。才人はブレーキを踏み締める。次いで、来るラップを全開し、プロペラのピッチレバーを離陸上昇に合わせ、ブレーキを弱め、左手で握ったスロットルレバーを開いた。

 弾かれたようにして、“ゼロ戦”は勢い良く加速を開始する。

 才人は、操縦桿を軽く前方に押してやる。

 尾輪が地面から離れ、そのまま滑走し、“魔法学院”の壁が近付く。

 才人は唾を呑み込んだ。

「相棒! 今だ!」

 デルフリンガーの叫びで、才人は壁に打ち当たるギリギリのところで操縦桿を引いた。

 ブワッと、“ゼロ戦”が浮き上がり、壁を掠め、才人を乗せた“ゼロ戦”は空に飛び上がった。脚を収納し、計測器の左下に付いた脚表示灯が青から、赤色へと変わり、そのまま、上昇を続ける。

 才人はホッとした面持ちで、左手甲の“ルーン”を見つめた。

「うおー、飛びやがった! 面白れえな!」

 デルフリンガーが興奮したように騒ぐ。

「飛ぶさ。飛ぶように出来てんだからよ」

 “ゼロ戦”は翼を陽光に煌めかせ、風を裂き、異世界の空を駆け昇った。

 

 

「おおー! 凄い! ホントに飛んだぞ! 流石は異世界の道具だ!」

 興奮した様子を見せるコルベールを横に、俺はシオンへと目を向け、アイコンタクトをし、彼女もまた首肯く。

「では、我々もそろそろ行かせて貰おうと思います」

「どうやって行く気かね? あのぜろせんとやらはないし、“ドラゴン”もいない。“フネ”も当然ないし」

 そう言ったコルベールの言葉に、俺はニヤリとした笑みを浮かべ、“王律鍵バヴ=イル”を“投影”し、“バビロニアの宝物庫”と繋げる。

 そして、そこから“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を取り出した。

 “古代インド”の二大叙事詩である“ラーマーヤナ”や“マハーバーラタ”に登場する、黄金とエメラルドで形成された空飛ぶ飛行船装置。

 “輝舟”――“黄金帆船からは荘厳さや神秘性、圧倒感、重圧感……そういったモノを感じさせて来るだろう。

 コルベールとシオンはそれを目にし、身体を震わせ、言葉に詰まっている様子を見せている。

「さて、行くぞ、シオン。なに、シートベルトは要らん。搭乗者を磁石のようにくっ付けるからな」

 そう言って俺は“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”へと跳び乗り、シオンもまた戸惑いながらも首肯き乗る。

 そして、コルベールが反応を返す前に、俺は“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “タルブの村”の火災は治まってはいたが、そこは無惨な戦場へと変わり果ててしまっていた。草原には大部隊が集結、“港町ラ・ロシェール”に立て籠もった“トリステイン”軍との決戦の火蓋が切られるのを待ち構えていた。

 その上には、部隊を空から守る為、“レキシントン号”から発艦した“竜騎士隊”が飛び交っている。散発的に“トリステイン”軍の“竜騎士隊”が攻撃を仕かけるのだが、どれも難なく“アルビオン”側の“竜騎士隊”は撃退に成功している。

 決戦に先立ち、“トリステイン”軍に対し、艦砲射撃が実施されることになっていた。そのため、“レキシントン号”を中心とした“アルビオン”艦隊は“タルブ”の草原の上空で、砲撃の準備を進めていた。

 “タルブの村”の上空を警戒していた“竜騎士隊”の1人が、自分の上空、2,500“メイル”ほどの一点に、近付く1騎の“竜騎兵”(?)を見付けた。

 “竜”に跨った騎士は“竜”を鳴かせて、味方に敵の接近を告げた。

 

 

 才人は風防から顔を出して、眼下の“タルブの村”を見つめた。この前見た、素朴で、美しい村は跡形もなかった。家々は黒く焼け焦げ、ドス黒い煙が立ち昇っているのが見える。

 才人は、ギリリ、と奥歯を噛み締めた。

 才人は草原を見る。そこには、“アルビオン”の軍勢が埋まっているのが見える。才人は、この前、シエスタと2人で草原を見詰めていた時のことを思い出す。そして、シエスタの「この草原、とても綺麗でしょう? これをサイトさんに見せたかったんですよ」といった言葉が頭の中に蘇るようにして浮かび上がった。

 美しかった村の外れの森に向かって、1騎の“竜騎兵”が、炎を吐きかけるのが見える。ブワッと、森は燃え上がる。

 才人は、唇を強く噛み、血の味が滲む。

「叩き墜としてやる」

 才人は、低く唸ると同時に操縦桿を左斜め前に倒し、スロットルを絞った。

 機体を捻らせ、“タルブの村”目がけて“ゼロ戦”が急降下を開始した。

 

 

「1騎とは、ナメられたモノだな」

 急降下して来る“竜騎兵”(?)を迎え撃つ為、“竜”を上昇させた騎士が呟く。

 しかし、彼にとって随分と見慣れない姿をしている。真っ直ぐ伸びた翼は、まるで固定されたように羽撃きを見せない。しかも彼にとって随分と聞き慣れない轟音を立てているのだ。

 彼は、(あんな“竜”、“ハルケギニア”に存在していただろうか?)といった疑問を抱いた。(しかし……どんな“竜”だろうが、“アルビオン”に棲息する“火竜”のブレスの一撃を喰らったら、羽を焼かれ、地面に叩き付けられるだろう)とも考えた。

 実際に、彼はそのようして、既に2騎、“トリステイン”の“竜騎兵”を撃墜しているのだから。

「3匹目だ」

 彼は、唇の端を歪めて、急降下して来る“竜騎兵”(?)を待ち受ける。が、そして驚く。

 速い。“竜”とは思えない速度を出しているのである。

 慌てて、ブレスを吐くために“火竜”が口を開けた。

 その瞬間、急降下して来る敵の“竜”(?)の翼が光った。白く光るなにかが、無数に彼らへと目がけて飛んで行く。

 バシッ! バシッ! と、彼が騎乗する“竜”の翼に、胴体に、大穴が開いた。1発が開いた“火竜”の口の中に飛び込む。

 “火竜”の喉にはブレスの為の、燃焼性の高い油が入った袋がある。喉の奥で機関砲弾が炸裂し、その袋に引火し、“火竜”は爆発した。

 

 

 空中爆発した“竜騎兵”の横をすり抜け、才人は“ゼロ戦”の急降下を続けた。“ドラゴンブレス”より、“ゼロ戦”が装備している機関砲の射程は何十倍も長い。才人は怒りに任せて、正面から“20ミリ機関砲弾”と“7.7ミリ機銃”を、“竜騎兵”目がけて叩き込んだのであった。

 村の上空には、さらに何匹もの“竜騎兵”が舞っているのが見える。

 彼らは味方の“竜騎兵”が、突然現れた敵の攻撃によっていきなり爆発したのを確認した。彼らは(ブレスではない。して見ると、“魔法”攻撃だろうか。どちらにしろ、1騎では如何ほどのこともできまい)と考え、3騎が重なって、迎え討とうと上昇する。

 

 

「続いて3騎、右下から上がって来る」

 デルフリンガーが、いつもと変わらぬ調子で言った。

 デルフリンガーの言葉に、才人は、3騎の“竜騎兵”が横に広がって上がって来るのを確認する。

「あいつらのブレスを浴びるなよ。一瞬だけならセイヴァーのおかげで耐えられるだろうが、すぐに燃えちまうぜ」

 才人は首肯き、3騎の上空で、180度の水平旋回を行った。壜に刺した上戸の縁を回り、壜の中に流れ込むような軌道を描いて、“竜騎兵”たちの背後に回る。そのスピードに、“竜騎兵”たちは追随できない。“竜騎兵”が跨る“火竜”の速度は、才人たちの世界――“地球”の速度に換算して、おおよそ時速150km。“ゼロ戦”は時速400km近い速度で飛行を行っているのだ。才人にとって、止まった的を撃つようなモノである。

 慌てて“火竜”は後ろを向こうとするのだが、その時には既に、ピッタリと狙いを付けられている。

 才人は十字の光像を描いた照準器のガラスから、“火竜”の姿が食み出でるくらいまで機体を近付け、スロットルレバーの発射把柄を握り込んだ。

 ドンドンドンッ! と鈍い音と共に機体が震え、両翼の“20ミリ機関砲”が火を噴いた。命中した機関砲弾で、狙われた“火竜”は翼をもぎ取られ、クルクルと回転しながら落ちて行く、

 才人は間髪入れずに右のフットバーを踏み込み、機体を滑らせ次の“火竜”に狙いを付け、発射する。

 胴体に何発も機関砲弾を喰らった“火竜”は、苦しそうに一声鳴くと、地面目がけて墜ちて行く。

 3匹目は急降下して逃げようとしたところを、機首装備の“7.7ミリ機銃”で穴だらけにされた。“火竜”は絶命し、垂直に墜ちて行った。

 才人は直ぐに機体を上昇に移らせた。速度エネルギーを高度に変換させる。自然と、機体をそんな風に操っていた。

 “幻獣ドラゴン”に対する、レシプロ機“ゼロ戦”の1番の優位はその速度であるといえるだろう。そして機体は、落下することによって加速する。

 まずは敵の上空に占位すること、光った左手甲の“ルーン”によって、才人はベテランパイロットの機動を“ゼロ戦”に行わせていたのである。

 辺りに気を配ったデルフリンガーが、次の目標を教える。

 才人がそっちに機体を向けようとした時、後ろから聞き慣れた声が聞こえて来た。

「すすす、すごいじゃないの! 天下無双と謳われた“アルビオン”の“竜騎兵”が、まるで虫みたいに墜ちて行くわ!」

 才人はギョッとして振り向いた。

 座席と機体の隙間から、ルイズがヒョッコリと顔を出していたのである。

 本来馬鹿デカイ無線機が積んであったのだが、この世界には無線で連絡を取る必要がないため、整備の時に取り外していたのであった。それを取ってしまえば、後は各舵を繋ぐワイヤーしか機体の胴体内には存在しない。

 ルイズはそこに潜り込んでいたのであった。

「お前! 乗ってたのかよ! 降りろよ!」

「今、降りられる訳ないじゃない」

 ルイズの手には“始祖の祈祷書”が握られている。あの後どこにも行かずに機体に潜り込んだのである。

「危ねえだろ! 馬鹿!」

 ルイズは、グッと才人の首を絞めた。

「忘れないで! あんたは! わたしの! “使い魔”なんだからねっ! だから! 勝手なことは! 許さないの! わかった!?」

 “エンジン”音で声が良く聞き取ることができないので、ルイズは才人の耳元で思い切り怒鳴った。

「わたしはあんたのご主人さまよ! ご主人さまが先頭切らなかったら、“使い魔”は言うこと利かないでしょうが! そんなのヤなのーっ!」

 才人はやれやれと、切なくなった。「危ねえから来るな」と言うことは……ルイズに言っても仕方のない言葉であったのだから。

「死んだらどーすんだよッ!」

「だったら頑張りなさぁあああいッ! あんたが死んでも、わたしが死んでも、あんたを殺すからねぇえええッ!」

「相棒、取り込み中のとこ悪いが……」

「あんだよ?」

「右から10ばかり来やがったぜ」

 ブオッッと、“火竜”のブレスが飛んで来た。

 瞬間、才人は操縦桿を左に倒す。機体がクルリと回転して、ブレスを回避する。

 ルイズが「きゃあ!?」と叫んで機体の中を転げ回る。

「もっと丁寧に操りなさいよ!」

 才人は「無茶を言うな!」と叫んで、回転させた機体を急降下させた。それでも、“竜騎兵”は追随できない、その勢いで機体を上昇させ、頂点で失速反転。太陽を背にして降下する。

 追いかけて来た“竜騎兵”たち目がけて、才人は散々に機関砲弾と機銃弾を叩き込んだ。

 そして、それと同時に別方向から、別の“竜騎兵”たちを一方的に攻撃し墜とす存在が接近して来た。

「相棒、また何かが近付いて来るぞ。こいつは……」

「なによ、あれ!?」

「あれは、なんだ!? すげえぇ……ん?」

 才人は、左手甲の“ルーン”の力もあり、今は“ゼロ戦”をベテランパイロット以上の腕で操ることができ。だがそれには、それに応じた動体視力などもまた必要である。そしてそれもまた、“ルーン”の力で上昇しているのであった。

 そういったこともあり、才人は、先ほど自分たちが来た方向――“学院”がある方向から飛んで来た存在に乗っている2人を視認することができたのである。

 

 

 

 

 

「これが、戦場……」

「そうだ。シオン、今から速度を上げる。舌を噛まないように口を閉じていろ」

 眼下の戦場を目の当たりにし、シオンはただただ呆然とし呟く。

 俺も驚き呆然としそうになるが、“サーヴァント”である為か戦場でなお平静さを失うということは余ほどのことがない限り決してないらしい。

 俺は、シオンへと注意を促し、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の速度を上昇させる。

 叙事詩に於ける“ヴィマーナ”は“思考と同等の速度で天を駆ける”と謳われている。それはもちろん、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”も例外ではなく、両翼を展開させ、“ゼロ戦”以上の速度――光の速度に匹敵する速さを出す。

 “天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”は物理法則の範疇外とも言える挙動を取り、レーザー光線などを発射して周囲の“竜騎兵”を次々と墜として行く。

 

 

 

 

 

 機体の中で転がるルイズは、怖くて泣きそうになった。(やっぱり、来なきゃ良かったかしら?)と恐怖が彼女の心を掴もうとする。が、ルイズは唇をぎゅっと噛み、“始祖の祈祷書”を握り締めた。(サイトを1人死なせはしないわ)、とそう思ったからこそ、飛び乗ったのではないか。ルイズは才人の顔を見て、(自分1人が戦ってるような顔しないでよ。わたしだって、戦ってるんだから!)といった心情になる。

 とはいうのだが、今の彼女には全くすることがないのが現実であった。

 いつも大体そうではあるのだが、(なんだか悔しい)とルイズは感じていた。とにかく恐怖に負けては始まらない。

 ルイズはポケットを探り、アンリエッタから貰い受けた“水のルビー”を指輪に嵌め、その指を握り締め、「姫さま、サイトとわたしを、シオンとセイヴァーお守りください……」と呟いた。

 結局、詔は完成しなかった。自分の詩心のなさをルイズは呪った。彼女は、ギリギリまで、馬車の中で詔を考えようと、手に持っていたのであった。アンリエッタの結婚式に出席するために、ルイズ達は“魔法学院”の玄関先で馬車を待っていたのである。それなのに、いつの間にか戦争をしている。

 ルイズは、「“運命”とは皮肉なモノだわ」と呟きながら“始祖の祈祷書”を開いた。(ついでだから、“始祖”にもわたし達の無事をお祈りしておこう)と思ったのである。

 ルイズは何気なくページを開いた。ホントに、他意なく開いた。

 だからその瞬間、“水のルビー”と“始祖の祈祷書”が光り出した時、心底驚いた。

 

 

 

 

 

「全滅……だと? わずか12分の戦闘で全滅だと?」

 艦砲射撃実施のため、“タルブ”の草原の上空3,000メイルに遊弋していた“レキシントン号”の後甲板で、“トリステイン”侵攻軍総司令官サー・ションストンは伝令からの報告を聞いて顔色を変えた。

「敵は何騎なんだ? 100騎か? “トリステイン”にはそんなに“竜騎兵”が残っていたのか?」

「サー。そ、それが……報告では、敵は2騎であります」

「2騎、だと……?」

 ジョンストンは、呆然と立ち尽くした。直後、冠った帽子を甲板に叩き付ける。

「ふざけるなッ! 60騎もの“竜騎兵”がたった2騎に全滅!? 冗談も休み休み言えッ!」

 伝令が、総司令官の剣幕に怯えて後ずさる。

「敵の“竜騎兵”は、ありえぬスピードで敏捷に飛び回り、射程の長い強力な“魔法攻撃”で、我が方の“竜騎士”を次々討ち取ったとか……」

 ジョンストンは伝令に掴みかかろうとした。

「ワルドはどうした!? “竜騎士隊”を預けたワルドは!? あの生意気な“トリステイン”人はどうした!? 奴も討ち取られたのか!?」

「損害に子爵殿の“風竜”は含まれておりません。しかし……姿が見えぬとか……」

「裏切りおったな! それとも臆したか! どうにも信用ならぬと……」

 スッと手を出して、ボーウッドが咎める。

「兵の前でそのように取り乱しては、士気に関わりますぞ。司令長官殿」

 激昂したジョンストンは、矛先をボーウッドへと変えた。

「なにを申すか! “竜騎士隊”が全滅したのは、艦長、貴様の所為だぞ! 貴様の稚拙な指揮が貴重な“竜騎士隊”の全滅を招いたのだ! このことはクロムウェル殿下に報告する! 報告するぞ!」

 ジョンストンは喚きながら掴みかかる。

 ボーウッドは“杖”を引き抜き、ジョンストンの腹目がけて叩き込んだ。

 白目を剥いて、ジョンストンが倒れる。

 ボーウッドは、気絶したジョンストンを運ぶように、従兵に命じた。

 ボーウッドは「初めから眠っていてもらえば良かったな」、と思った。

 砲撃と爆発以外の雑音は、神経を逆撫でするのだ。一瞬の判断が明暗を分ける、戦闘行動中は特に、そうだと言えるだろう。

 心配そうに自分を見つめる伝令に向かって、ボーウッドは落ち着き払った声で言った。

「“竜騎士隊”が全滅したとて、本艦“レキシントン号”を筆頭に、艦隊はまだ無傷だ。そして、ワルド子爵には何か策があるのだろう。諸君らは安心して、勤務に励むが良い」

 ボーウッドは、「2騎で60騎を討ち果たして退けたか。ふむ、“英雄”だな」と呟いた。(しかし、たかが“英雄”だ。所詮は、個人に過ぎない。如何ほどの力を持っていようと、個人には、変えられる流れと、変えられぬ流れがある。この艦は後者に当て嵌まる)と、彼は同時に考え、呟き、それから命令を告げた。

「艦隊全速前進。左砲戦準備」

 しばらくすると遥か眼下に、“タルブ”の草原の橋向こう、周りを岩石で囲まれた天然の要塞、“ラ・ロシェール”の港町に布陣した“トリステイン”軍の陣容が浮かび上がった。

「艦隊微速。面舵」

 艦隊は“トリステイン”軍を左下に眺めるかたちで、回頭した。

「左砲戦開始。以後は別名あるまで射撃を続けよ」

 それから付け加えるように、ボーウッドは命令を追加した。

「上方、下方、右砲戦準備。弾種散弾」

 

 

 

 

 

 “ラ・ロシェール”の街に立て籠もった“トリステイン”軍の前方500“メイル”、“タルブ”の草原に敵の軍勢が見える。“アルビオン”軍だ。3色の“レコン・キスタ”の旗を掲げ、静々と行進して来る。

 生まれて初めて見る敵に、“ユニコーン”に跨ったアンリエッタは震えた。その震えを周りに悟られないように、アンリエッタは目を瞑って軽く祈りを捧げた。しかし……当然だが、恐怖はそれだけに留まらない。アンリエッタは敵軍の上空に段艦隊を見付けて、顔色を変えた。

 “アルビオン”艦隊だ。

 その舷側が光る。艦砲射撃だ。重力の後押しを受けた砲弾が、自軍目がけて飛んで来る。

 着弾。

 何百発もの砲弾が、“ラ・ロシェール”に立て籠もった“トリステイン”軍を襲った。

 岩や馬やヒトが一緒くたになって舞い上がる。圧倒的な力を前にして、味方の兵が浮足立つ。

 辺りを轟音が包む。

 恐怖に駆られ、アンリエッタは叫んだ。

「落ち着きなさい! 落ち着いて!」

 近くに寄ったマザリーニが、アンリエッタに耳打ちした。

「まずは殿下が落ち着きなされ。将が取り乱しては、軍は瞬く間に潰走しますぞ」

 マザリーニは近くの将軍たちと素早く打ち合わせた。

 “トリステイン”は小国ながら、歴史ある国である。由緒正しい“貴族”が揃っている。兵力比に於ける“メイジ”の数は、各国の中でも1番多いくらいであった。

 マザリーニの号令で、“貴族”たちは岩山の隙間の空にいくつもの空気の壁を作り上げた。

 砲弾がそこに打ち当たり、砕け散った。しかし、何割かはやはり飛び込んで来る。

 そのたびにあちこちで悲鳴が上がり、砕けた岩と血が舞った。

 マザリーニは呟いた、

「この砲撃が終わり次第、敵は一斉に突撃して来るでしょう。とにかく迎え討つしかありませんな」

「勝ち目はありますか?」

 マザリーニは、砲撃によって兵の間に動揺が奔りつつあるのを見届けた。

 勢い余って出撃したが……人間の勇気には限界があるのだ。

 しかし、マザリーニは、忘れていたなにかを思い出させてくれた姫に現実を突き付ける気にはなれなかった。

「五分五分、といったところでしょうな」

 着弾。辺りが地震でも起こっているかのように揺れた。

 マザリーニは、痛いくらいに状況を理解していた。

 敵は空からの絶大な支援を受けた6,000。対するこちらの軍は、砲弾で崩壊しつつある2,000。

 当然、奇跡じみたことが起きない限り、勝ち目は、無い。

 

 

 

 

 

 ルイズは光の中に文字を見付けた。

 それは……古代の“ルーン”文字で書かれていた。

 ルイズは真面目に授業を受けていたということもあり、その古代語を読むことができた。

 ルイズは光の中の文字を追った。

 

――“序文”。

 

――“之従り我が識りし真理を此の書に記す。此の世の総ての物質は、小さな粒依り成る。4の系統は其の小さな粒子に干渉し、影響を与え、且つ変化占める呪文也。其の4つの系統は、火、水、風、土と成す”。

 

 こんな時であるのに、ルイズの中で知的好奇心が膨れ上がった。もどかしい気持ちで、ルイズはページを捲った。

 

――“神は我に更なる力を与えられた。4の系統が影響を与えし小さな粒は、更に小さな粒依り成る。神が我に与えし其の系統は、4の何れにも属せず。我が系統は更なる小さき粒に干渉し、影響を与え、且つ変化占める呪文なり。4に非ざれば零。零即ち之虚無。我は神が我に与えし零を虚無の系統と名付けん” 。

 

「“虚無の系統”……伝説じゃないの。伝説じゃないの!」

 ルイズは思わず呟いて、ページを捲る。彼女の鼓動が鳴った。

 “竜騎士隊”を全滅させた才人は、空の彼方……草原の遥か上空の雲の隙間に、いつか“アルビオン”へ渡る“フネ”の上で見かけた、巨大戦艦を見付けた。その“フネ”の下には、かつて1泊した“ラ・ロシェール”の港町がある。

 デルフリンガーが呟く。

「相棒、親玉だ。雑魚をいくら殺っても、あいつをやっ付けなきゃ……お話にならねえが……」

「わかってるよ」

「ま、無理だあね」

 才人は無言で、“ゼロ戦”のスロットルを開いた。フルブーストだ。“ゼロ戦”が巨大戦艦目がけて上昇する。

 その一瞬だけではあるもののかなりの速度が出たため、才人とルイズの身体にはそれだけの重力がかかるはずであった。が、特にこれといって影響はない。

「無理だよ相棒。逆立ちしても無理だ。あのセイヴァー達が乗ってるあれならできるかもしれねえが、それでも無理だ」

 “ゼロ戦”は、フルブースト――マッハ2ほどの速度を一瞬だけとはいえ、パイロット達に影響を与えず出して飛行した。

 一瞬で彼我の戦力を分析したデルフリンガーがいつもと変わらぬ調子で告げる。

 しかし、才人は答えない。

「わかっちゃいたけど……相棒は阿呆だね」

 才人は“ゼロ戦”を近付けた。

 艦砲射撃を続ける艦隊の右舷側がピカッと光る。一瞬後、才人の“ゼロ戦”目がけて、何かが飛んで来る。無数の小さな鉛の弾であった。機体のあちこちに小さな穴が穿たれ、震えた。風防が割れ、破片が才人の頬を掠め、血が一筋、彼の頬を伝う。

 デルフリンガーが叫んだ。

「近付くな! 散弾だ!」

 才人は“ゼロ戦”を咄嗟に下降させ、2撃目を逃れた。

「畜生、あいつら小さな弾を大砲に込めて、撃っ放しやがった!」

 才人は唇を噛んだ。

 このままでは、撃沈は疎か、近付くことさえできやしない。

 

 

 

「セイヴァー……」

「いや、俺たちの出番はこれで終了だ。あとは、あいつ等がするだろうさ」

「でも……」

 “レキシントン号”よりも遥か上空に位置する“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の上で、シオンが俺へと言葉をかけて来る。

 が、それを拒否する。

「まあ、見ていろ。面白いモノ……いや、ついに彼女が自身の力に気付く時だ」

 

 

 

 座席の後ろの隙間で、“始祖の祈祷書”を読み耽るルイズの耳にはもう、辺りの轟音は届かない。ただ、己の鼓動だけがやたらと大きく聞こえるだけである。

 

――“之を読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者也。又其の為の力を担いし者也。虚無を扱う者は心せよ。志半ばで倒れし我と其の同胞の為、異教に奪われし聖地を取り戻す可く努力せよ。虚無は強力也。又、其の詠唱は永きに渡り、多大な精神力を消耗する。詠唱者は注意せよ。時として虚無は其の強力に因り命を削る。従って我は此の書の詠み手を選ぶ。例え資格無き者が指輪を嵌めても、此の書は開かれぬ、選ばれし詠み手は4の系統の指輪を嵌めよ。然れば、此の書は開かれん” 。

 

――“ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ”。

 

――“以下に、我が扱いし虚無の呪文を記す”。

 

――“初歩の初歩、エクスプロージョン(爆発)”。

 

 

 その後に古代語の“呪文”が続いている。

 ルイズは呆然として呟いた。

「ねえ、“始祖ブリミル”。あんた抜けてんじゃないの? この指輪がなくっちゃ“始祖の祈祷書”は読めないんでしょ? その詠み手とやらも……注意書きの意味がないじゃないの……」

 そして、ルイズははたと気付く。“詠み手を選びし”、と文句にある。ということは……(わたしは詠み手なの?)、(良くわからないけど……文字は読める。読めるなら、ここに記かれた“呪文”も効果を発するかもしれないわ)、と。ルイズは、いつも自分が“呪文”を唱えると、爆発していたこと、そしてそれを、深く考えてこなかったのである。(するとわたしは、やっぱり、詠み手なのかもしれないわ。信じられないけど、そうなのかも。だったら試してみる価値は、あるのかもしれない。だって……今のところ、他に頼れるモノはないんだもの)とルイズは考え、決心した。

 頭の中が、スゥッと冷静に、冷ややかに、冷めて行くのがルイズにはわかった。先ほど眺めた“呪文”の“ルーン”が、まるで何度も交わした挨拶であるかのように、彼女の口に滑らかに吐いた。

 昔、聞いた子守唄のように、その“呪文”の調を、ルイズは妙に懐かしく感じたのである。

 ルイズは腰を上げ、ゴソゴソと座席の後ろから、隙間を潜って前に出た。

「なんだよ!? 大人しくしてろよ! うわ! 前が見えねえ! おいってば!」

 ルイズは蛇のように細い身体を器用にクネらせ、座席と機体の隙間から身を出すと、操縦席に座った才人の前まで移動した。

 開いた才人の足の間に小さなお尻を割り込ませ、チョコンと座り込む。

 ルイズはポツンと言った。

「いや……信じられないんだけど……上手く言えないけど、わたし、選ばれちゃったかもしれない。いや、なにかの間違いかもしれないけど」

「はぁ?」

「良いから、このひこうきとやらを、あの巨大戦艦に近付けて。ペテンかもしれないけど……なにもしないよりは試した方がマシだし、他にあの戦艦をやっ付ける方法はなさそうだし……ま、やるしかないのよね。わかった。取り敢えずやって見るわ。やってみましょう」

 ルイズのその独り言のような言葉に、才人は唖然とした。

「お前、大丈夫か? とうとう怖くて可怪しくなったか?」

 ルイズは才人を怒鳴り付けた。

「近付けなさいって言ってるでしょうが! わたしはあんたのご主人さまよ! “使い魔”は! 黙って! 主人の言うことに従うッ!」

 逆らうだけ無駄ないつものルイズの剣幕だということもあって、才人は仕方なく“ゼロ戦”を巨大戦艦へと向かわせた。

 砲撃。

 散弾が飛んで来る。

 左舷に回っても、結果は同じだろうということは簡単にわかる。

 “フネ”の真下にも砲身は突き出ていた。“レキシントン号”は、まるで針鼠のように大砲を装備している。

「なにしてるのよ!?」

「無理だ! 近付けねえんだよ!」

「それをなんとかするのがあんたの仕事でしょうが!」

 デルフリンガーが、なにかを思い付いたように声を上げた。

「相棒、こいつをあの“フネ”の真上に持ってきな」

「え?」

「そこに死角がある。大砲を向けられねえ、死角がな」

 才人は言われた通りに上昇して、“レキシントン号”の上空に占位した。

 ルイズは才人の方に跨がり、風防を開けた。

 猛烈な風が2人の顔に当たる。

「お、おい!? なにしてんだよ!? 閉めろよ!?」

「わたしが、合図するまで、ここでグルグル回ってて」

 ルイズは息を吸い込み、眼を閉じた。それからカッと見開き、“始祖の祈祷書”に記載されている“ルーン”文字を詠み始める。

 “エンジン”の轟音に、朗々と“呪文”を詠み上げるルイズの声が混じる。

 才人は言われたように、“ゼロ戦”を“レキシントン号”の上空で旋回させた。

 その時である。

「相棒! 後ろだ!」

 才人がハッとして後ろを見ると、1騎の“竜騎士”が烈風のように向かって来るのが見えた。

 ワルドだった。

 

 

 ワルドは“風竜”の上で、ニヤッと嘲笑った。

 彼はこの時を、“レキシントン号”の上空の雲に隠れ、ずっと待っていたのであった。(次々にこちらの“火竜”を撃墜した、謎の2騎の“竜騎兵”。俺の“風竜”がまともに打つかったのでは勝ち目は薄い。ならば虚を突かねばならないな)、(作戦遂行のために何より必要なのは、この巨艦だ。ならば敵が目標とするのも、この巨艦に違いない。そして優秀な敵なら、必ずこの巨艦の死角を探り当ててくるはずだ。よって俺はそこで待ち構えれば良い)と考えた結果であった。

 そして、その読みは当たっていた。

 敵であるワルドの目標は、急降下を開始した。

 ワルドは謎の“竜騎兵”を前に、(なるほど、“火竜”相手にはそれで躱したか。しかし、俺の“風竜”の速度は“火竜”のそれとは違う)と思考し、グングンと謎の“竜騎兵”――“ゼロ戦”との距離を縮めるために、“風竜”へと命じ、実行させる。

 ワルドは興味深そうに、“ゼロ戦”を見詰め、(“竜”じゃない。これは……“ハルケギニア”の倫理で作られたモノではない。やはり……“聖地”か)と考えた。

 そして彼は、風防の中に、見慣れたルイズの桃色がかったブロンドを見付け、(ならばあの妙な“竜”モドキを操っているのは……)と予想する。

 “風竜”のブレスは役に立たぬが、ワルドには強力な“呪文”がある。左手で手綱を握り、ワルドは、固めた空気の槍で目標を串刺しにするために“エア・スピアー”の“呪文”を“詠唱”した。

 そして、それと同時に周囲への警戒を怠ることは決してない。

 そして、(もう1騎の謎の“竜騎兵”、恐らく眼前のそれと同じく“竜”モドキだろうそれの姿がないのだから)ともワルドは考えた。

 

 

 後ろにピッタリと“風竜”は張り付いて、離れない。

 肩にルイズを乗せたまま、才人は焦った。

 しかし……(ここで死んだら、ルイズも、シエスタも守れねえ)とそう思った瞬間、才人の左手甲の“ルーン”が、一段と力強く輝いた。

 スロットル最小。フルラップ。“ゼロ戦”は後ろからなにかに掴まれたように減速した。

 才人は操縦桿を左下に倒す。同時にフットバーを蹴り込んだ。

 そして、鮮やかに天地が回転した。

 

 

 “呪文”を完成させたワルドの視界から、いきなり“ゼロ戦”が消えた。

 彼は辺りをキョロキョロと見回すのだが、どこにもいないといった風に見付からない。

 後ろから殺気を感じ、ワルドは振り返る。

 “ゼロ戦”は滑らかに、壜の内側をなぞるような軌道を描いて、ワルドの“風竜”の背後に躍り出たのである。

 機首に光が奔る。

 機銃弾が“火竜”に比べ薄い“風竜”の身体を切り裂いた。

 ワルドは肩に、背中に弾を喰らい、苦痛に顔を歪めた。

 “風竜”が悲鳴を上げ、ユックリと、滑空するようなかたちで、ワルドを乗せたまま墜落して行った。

 その際、顔を歪めたワルドの視界に、“ゼロ戦”が、そしてそのさらに上に浮かんでいるモノを見た。

「……サー、ヴァント……」

 そう呟き、目を閉じる。

 上空に浮かぶそれは、あまりにも眩しすぎた。ただでさえ眩しいだろうその謎の影は金色に光り輝いており、陽の陽光も浴びていたのだから。

 目を閉じても見えるそれを前に、自身を墜とした“ガンダールヴ(才人)”のこととペンダントの中のモノについてを考えながら、その意識を失い、ブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 才人は再び、“ゼロ戦”を上昇させた。

 あんな機動を行ったというのに、ルイズはしっかりと才人の肩に跨っている。

 ルイズの口からは、低い“詠唱”の声が漏れ続けている。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”」

 ルイズの中を、リズムが巡っていた。一種の懐かしさに似た感情を沸き立てるリズムである。“呪文”を“詠唱”するたび、古代の“ルーン”を呟くたびに、彼女の中のリズムは強くうねって行く。彼女の神経は研ぎ澄まされ、辺りの雑音は既に一切耳に入らなかった。

 彼女の身体の中で何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転して行くのを彼女自身が感じ取った。

 誰かが言っていたそんな台詞を、ルイズは思い出した。

 自分の“系統”を唱える者は、そんな感じがするという。

 ルイズの中で、(いつも、“ゼロ”と蔑まれていたわたし……、“魔法”の才能がない、両親に、姉たちに、先生に叱られていたわたし……そんなわたしの、これが本当の姿なのかしら?)といった疑問や不思議な感覚などが奔り抜けて行く。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”」

 彼女の身体の中に、波が生まれ、更に大きく唸って行く。

「“ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 彼女の身体の中の波が、行き先を求めて暴れ出す。

 ルイズは足で才人に合図を送った。

 才人は首肯き、操縦桿を倒す。

 “ゼロ戦”が、真下の“レキシントン号”目がけて急降下を開始した。

 しっかりと開いた眼で、ルイズはタイミングを伺い計る。

 “虚無”。

 “伝説の系統”。

 ルイズの中で(どれほどの威力があるというのかしら?)といった当然の疑問が浮かび上がり、過って行く。

 この世界のほとんどが知らない。もちろん彼女自身もまだ知らない。

 それは伝説の彼方のはずであった。

「“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……」

 永い“詠唱”の後、“呪文”が完成した。

 その瞬間、ルイズは己の“呪文”の威力を、理解した。巻き込む。全ての人を。自分の視界に映る、全ての人を、己の“呪文”は巻き込む。

 選択は2つ。殺すか。殺さぬか。

 破壊すべきはなにか。

 烈風が顔嬲る中、真っ逆様に降下する。

 眼の前に広がる光景は巨艦――戦艦“レキシントン号”。

 ルイズは己の衝動に準じ、宙の一点目掛けて、“杖”を振り下ろした。

 

 

 アンリエッタは、信じられない光景を目の当たりにした。

 今まで散々自分たちに砲撃を浴びせかけていた巨艦の……上空に陽光の球が現れたのである。まるで小型の太陽のような光を放つ、その球は膨れ上がる。

 そして……包んだ。

 空を遊弋する艦隊を包んだ。

 更に光は膨れ上がり、視界全てを覆い尽くした。

 音はない。

 アンリエッタは咄嗟に目を瞑った。

 目が灼けると、錯覚してしまうほどの光の球であった。

 そして……光が晴れた後、艦隊は炎上していた。巨艦“レキシントン号”を筆頭に、全ての艦の帆が、甲板が燃えていたのである。

 まるで嘘のように、あれだけ“トリステイン”軍を苦しめた艦隊が、ガクリ艦首を落とし、地面に向かって墜落して行く。

 地響きを立てて、艦隊は地面に滑り落ちた。

 アンリエッタは、しばし呆然とした。

 辺りは、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。誰も彼も、己の目にしたモノが信じられなかったのだ。

 1番初めに我に返ったのは、枢機卿のマザリーニであった。彼は、戦艦が遊弋していた空に、煌く銀翼を見付けた。

 才人たちが乗っている“ゼロ戦”である。

 マザリーニは大声で叫んだ。

「諸君! 見よ! 敵の艦隊は滅んだ! 伝説の“フェニックス”によって!」

「“フェニックス”? “不死鳥”だって?」

 動揺が奔る。

「然様! あの空飛ぶ翼を見よ! あれは“トリステイン”が危機に陥った時に現れるという、“伝説の不死鳥”、“フェニックス”ですぞ! 各々方! “始祖”の祝福我らにあり!」

 するとあちこちから歓声が漏れ、直ぐに大きなうねりとなった。

「うおおおおおおおぃーッ! “トリステイン”万歳! “フェニックス”万歳!」

 アンリエッタは、マザリーニにソッと尋ねた。

「枢機卿、“フェニックス”とは……真ですか? “伝説のフェニックス”など、私は聞いたことがありませんが」

 マザリーニは、悪戯っぽく笑った。

「真っ赤な嘘ですよ。しかし、今は誰もが判断力失っている。目の当たりにした光景が信じられんのです。この私とて同じです。しかし、現実に敵艦隊は墜落し、あのように見慣れぬ鳳が舞っているではござらぬか。ならばそれを利用せぬという法はない」

「はぁ……」

「なあに、今は私の言葉が嘘か真かなど、誰も気にしませんわい。気にしているのは、生きるか死ぬか、ですぞ。詰まり、勝ち負けですな」

 マザリーニは王女の目を覗き込んだ。

「使えるモノは、なんでも使う。政治と戦の基本ですぞ。覚えておきなさい殿下。今日から貴女はこの“トリステイン”の王なのだから」

 アンリエッタは、(枢機卿の言う通りだわ。考えるのは……後で良い)と思い、首肯いた。

「敵は我々以上に動揺し、浮足立っているに違いありません。なにせ、頼みの艦隊が消えてしまったのだから。今をおいて好機はありませぬ」

「はい」

「殿下。では、勝ちに行きますか」

 マザリーニが言った。

 アンリエッタは再び強く首肯くと、水晶光る“杖”を掲げた。

「全軍突撃ッ! 王軍ッ! 我に続けッ!」

 

 

 

 

 

 

 ルイズはグッタリとして、才人に寄り添っていた。

「なあルイズ」

「ん?」

 ルイズはボンヤリとした様子で返事をした。

 彼女の身体中を、気怠い疲労感が包んでいるのだ。しかし、それは心地好い疲れであった。何事かをやり遂げた後の……満足感が伴う、疲労感であった。

「1つ、訊いて良いか?」

「良いわよ」

「さっきのなに?」

「“伝説”よ」

「“伝説”?」

「説明は後でさせて。疲れたわ」

 才人は首肯いた。それから、微笑み、ルイズの頭を優しく撫でた。

 眼下では、“タルブ”の草原に布陣した“アルビオン”軍に、“トリステイン”軍が突撃を敢行したところである。

 “トリステイン”軍の勢いは、素人目にも明らかであり、数で勝る敵軍を、逆に押し潰してしまいそうな勢いであった。

「そうだな。後で良いよな」

 黒く焼け焦げた村を見て、(シエスタは無事だろうか?)と才人は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方……。

 シエスタは弟たちを連れて、恐る恐る森から出た。

 “トリステイン”軍が、草原に集結した“アルビオン”軍をやっつけたとの噂が、森に避難していた村人の間に伝わったのである。

 “アルビオン”軍は“トリステイン”軍の突撃によって潰走し、多くの兵が投降したらしい。

 確かに、昼間中、村を闊歩していた“アルビオン”兵の姿はない。先ほどまで続いていた怒号や、剣戟や、爆発音は治まっていた。

 草原には、黒煙が立ち昇っていはするが……取り敢えずは本当に戦は終わったのである。

 空から爆音が聞こえ得て来る。

 シエスタは、そして他の村人たちも同時に見上げた。

 彼女ら彼らにとってとても見慣れたモノが空を舞っていた。

 “竜の羽衣”である。

 それを目にしたシエスタの顔が輝いた。

 

 

 “ゼロ戦”を“タルブ”の草原に着陸させた才人は風防を開いた。

 村の南の森の方から、誰かが駆けて来るのが見えた。シエスタだ。

 才人は“ゼロ戦”から飛び出して、駆け出した。

 ルイズは駆け出した才人を見て、溜息を吐いた。そして、(ま、あの娘が生きてて良かったけど。もっとわたしを労ってくれても良いんじゃない?)と思った。

 先ほどの“呪文”……“虚無の系統”、“エクスプロージョン”。(実感はないわね。“虚無”だけに、唱えた実感がないのかもしれないけど……わたしって本当に“虚無の使い手”なのかしら? なにかの間違いなんじゃないの?)といった疑問や猜疑心が過る。「でもサイトが“伝説の使い魔ガンダールヴ”の力を与えられたということも、これで首肯けるわ。“伝説”が沢山ね」とルイズは呟いた。

 これから忙しくなるだろう。

 あまりにも実感がなくって……自分が“伝説の担い手”ということが、信じられないということもあり……ルイズはボンヤリと溜息を吐いた。そして、(これが夢だったらどれだけ楽な気分かわからないわね)などと思いつつ、彼女はあまり深く考えないことにした。

 ルイズは、(サイトは“伝説の使い魔”ではあるのだが、まったく気負ったところがないわね。そのくらいで良いのかもしれないわ。とにかく、わたしには荷が重過ぎるのもの。“伝説”なんてモノは)と考えた。

 操縦席に立て掛けられているデルフリンガーが、そんなルイズに話しかける。

「よう、“伝説の魔法使い”」

「なによ、“伝説の剣”?」

 デルフリンガーは、からかうような調子で、ルイズに言った。

「意地張るのも良いけど……追いかけねえと、あの村娘に取られちまうぜ?」

 ルイズは頬を膨らませた。

「いいわよあんなの」

「本気?」

 デルフリンガーが呟く。

 ルイズは「あーもお!」と叫んで、操縦席から飛び出し、駆け出し、才人の背中を追う。

 デルフリンガーは、そんなルイズの後ろ姿を眺めて、大声で笑った。

「“伝説の担い手”だってことがわかったのに……色恋の方が大事かね。年頃の人間って奴ぁ、どうにもこうにも、救えねぇね」

 

 

 疾走りながら、ルイズは(サイトの背中を見詰めていると、鼓動が速くなるわ。頭の中が白くなるの。変なの。なによ馬鹿。キスした癖に。そんなにあの娘が好い訳? そりゃ可愛いかもしれないわ。お料理も得意だし、男の子はそういう娘が好いんだってことも知ってるわ。でも、わたしだって。わたしだって……)、と思った。

 “始祖の祈祷書”も、“虚無の系統”も……この瞬間はルイズの頭の中から飛んでいた。

 そして、ルイズは(しっかり目を見開いて、駆け出さないと、置いて行かれてしまう。でも、それなら……わたしは追いかけ続けてやるわ。どこまでも追いかけて……振り向いた瞬間、殴ってやるんだから)、と思った。

 

 

 

 音もなく降下する“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の上で、シオンは既に地上にいるルイズのこと、そして彼女が行った、唱えた“魔法”のことについてを考えていた。

 彼女が知る中で、どの“系統魔法”でも出しえない威力を誇る“魔法”。恐らく、“サーヴァント”の攻撃用の“宝具”に近しいだろう威力を持つ“魔法”を、彼女の友人は唱え、放ったのである。帆と甲板にだけ命中するように。

 シオンは、ワルド同様に、(ルイズにはなにか大きな力があり、それを自覚していないだけ。覚醒めていないだけ)だと考えていた。事実、ルイズは“使い魔召喚”で才人を“ガンダールヴ”としての能力を与えて“召喚”し、彼はギーシュとの戦闘で勝利、ワルドとの戦闘でも死なず、先ほどの“ゼロ戦”での戦闘も見事なモノであった。

 そして、シオンや“レキシントン号”などの故郷である“アルビオン”の、元艦隊――“レコン・キスタ”によって建った“神聖アルビオン共和国”の艦隊の尽くを発火させ、撃墜してみせたのである。

「やっぱり、ルイズは凄いなぁ」

「そうだな。君同様に彼女は、他にはない凄い力を持っている」

「“伝説”が一杯だね」

「ああ、そうだな」

 シオンは、俺の方へと顔を向けて、我がことであるかのように嬉しそうな表情と声色で言った。だが、その直後に、沈鬱な表情と沈んだ声を出す。

「これから本格的な戦争……だよね」

「ああ。君はこの戦争で生き残る必要がある。そして」

「わかってるよ、セイヴァー。わかってる」

 ユックリと降下する“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”だが、夜風が俺たちの肌を刺すように吹く。

 地上に降り立つのと同時に見たモノは、ルイズと才人、シエスタの3人がなにやら色々とまた騒いでいる様子であった。

 



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聖女

 “トリステイン王国”と“ガリア王国”に挟まれた内陸部に位置する“ラグドリアン湖”は、“ハルケギニア”随一の名勝である。その広さは、おおよそ600平方キロ“メイル”。差し渡しは、“トリステイン”の首都“トリスタニア”から“魔法学院”までの距離にも匹敵する大きな湖である。

 比較的高地に位置したその湖は、まるで絵画のように美しい。緑鮮やかな森と、澄んだ湖水が織りなすコントラストは、神がザックリと斧を振るって世界を形創ったとは思えないほどの芸術品といえるほどである。

 しかし、この湖は人間たちのモノではない。

 ヒトならざる“ハルケギニア”の先住民……“水の精霊”が棲まう場所。

 “水の精霊”たちは湖の底に城と街を造り、独自の文化と王国を築いているのである。

 その姿を見た者は、その美しさに心打たれ、どのような悪人でも心を入れ替えるといわれている。

 そんな“水の精霊”は“誓約の精霊”とも呼ばれ、その御許においてなされた誓約は、決して破られることがないと伝えられている。

 しかしながら……森と空と湖面の蒼が織りなす美しさにも勝るといわれる“水の精霊”たちは、その姿をほとんど人前には見せない。数十年に1度、“トリステイン王家”との盟約の更新を行う以外、湖底より出でることはないのであった。

 そういったこともあって、“誓いが破れることはない”といわれても、それを確かめるのは極めて困難なことであった。

 

 

 

 アンリエッタとウェールズが初めて出逢ったのは、その“ラグドリアン”の湖畔である。

 今を去ること、3年前……“トリステイン王国”は“ラグドリアン湖”で太后マリアンヌの誕生日を祝う、各国から客を招いての大規模な園遊会を開催していた。

 “アルビオン王国”、“ガリア王国”、そして“帝政ゲルマニア”……“ハルケギニア”中より招かれた“貴族”や“王族”たちは挙って着飾り、湖畔に設けられた会場で社交と贅の限りを尽くしたのであった。

 湖面には“魔法”の花火が打ち上がり、星空と大きな天幕の下、夜通し舞踏会が催された。階上には世界中の美味珍味が並べられ、ワインと共に“貴族”たちの胃袋へと消えて行ったのである。

 2週間にも及ぶ、大園遊会も半ばが過ぎた頃のとある夜、14才のアンリエッタは自分の天幕を抜け出し、伴や護衛の者も連れずに1人で湖畔を歩いていた。

 アンリエッタは何日も続くお祭騒ぎにホトホト嫌気が差していたのであった。

 一昨日も昨日も今日も、そして明日も次から次へと、行事は目白押しであった。晩餐会、舞踏会、詩吟の調べの会……挨拶や追従やオベッカに、少女のアンリエッタはうんざりしていたのである。1人になって、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで見たくなったのである。

 アンリエッタは天幕や建物が並んだ一角を、深くフードで顔を隠して通り抜け、静かな岸辺までやって来た。そこは月が照らして幻想的な雰囲気を作り上げている。キラキラと月明かりが湖面に反射して、アンリエッタはうっとりとその光景に見惚れてしまった。

 見惚れるだけでは飽きたらなくなっってしまったアンリエッタは辺りをキョロキョロと見回し始めた。

 誰もいないということを確かめると、思い切って、彼女はスルリとドレスを脱ぎ捨てる。少女の悪戯っぽい笑みを、眩い美貌を主張し始めた顔に浮かべ、静々と水に入って行った。

 ヒンヤリとした冷たい水の感触が、彼女の身体を包んで行く。しかし季節は初夏であり、その冷たさが生温い夜に温められた身体に心地好さを与えてくれた。

 こんな所を侍従のラ・ボルトに見付かってしまえば怒られてしまうだろうが、アンリエッタは、「ずっと窮屈な園遊会を過ごして来たのだから、これくらいの愉しみ、赦されるはずですわ」と呟いて泳ぎ始めた。

 しばらく泳いでいると、不意に岸辺に人の気配をアンリエッタは感じた。

 アンリエッタは顔を赤らめ、両手で身体を隠す。

「誰?」

 しかし、人影は答えない。

 アンリエッタは、(誰かしら? 口煩い侍従のラ・ボルトかしら? 学友兼お遊び相手としてアンリエッタに着けられた、1つ下のルイズ・フランソワーズ? それとも、“アルビオン”から来たシオン?)と疑問を抱きながらも、その人影の様子を伺う。

 しかし、それらの誰にも見付からぬよう、アンリエッタはコッソリと、細心の注意を払いながら己の天幕を抜け出して来たのである。不安になって、アンリエッタは更に誰何した。

「無礼者。名乗りなさい」

 慌てたような声が、岸辺から届いた。

「怪しい者じゃない。散歩をしているだけだ。君こそこんな夜更けにどうして水遊びなんかをしているんだ?」

 チッとも悪びれた様子のない物言いに、アンリエッタは(なによ、ジッと私が水浴びをしているのを覗いていたくせに)といった風にカチンと頭に来た。

「だから、名乗りなさいと申しているではありませんか。私はこれでも然る国の王女です。面倒なことになる前に、名乗って立ち去りなさい」

 アンリエッタがそう言うと、人影は呆気に取られた声を上げた。

「王女? まさか、アンリエッタ?」

 呼び捨てにされて。アンリエッタは驚いた。

 彼女を呼び捨てすることができる人間は、この“ラグドリアン湖”に集まった人間の中、5人とはいない。そうじゃなければとんでもない無礼者であろう。

「誰?」

 アンリエッタは王女の仮面を脱ぎ捨て、少女らしい怯えた声で問うた。

 あっはっは、と高笑いが彼女に届く。

 笑われて、アンリエッタは更に顔を赤らめてしまった。

「僕だよアンリエッタ! ウェールズだ。“アルビオン”のウェールズだ。君の従兄だよ!」

「ウェールズ? もしや、ウェールズ様?」

 プリンス・オブ・ウェールズ。“アルビオン”の皇太子ではないか。逢ったことはなかったが、アンリエッタは当然名前は知っていた。今は亡き父王の兄君“アルビオン”王の長男。つまり、彼女とは従兄妹の関係にあたる。

 アンリエッタの顔の赤みが更に激しくなる。

「今日の夜、父上と一緒に到着したんだ。音に聞こえた“ラグドリアン湖”を一目見ようと、散歩していたんだ。驚かせてすまない」

「嫌ですわ。もう……」

 

 

 浜に上がったアンリエッタは、服を身に着けるとウェールズに向き直った。

「こっちを向いても構いませんわ」

 アンリエッタが服を身に着けている間中、当然ウェールズは後ろを向いていたのである。

 長身の影が振り返る。

 その瞬間、アンリエッタの背筋に生まれて初めて感じる何かが流れた。一瞬で、冷たい水で冷やされた身体がまるで炎に炙られたかのように熱くなったのである。

 凛々しい顔立ちに、はにかんだ笑顔。

 そんな風にアンリエッタが感じたなにかは、ウェールズも等しく感じたようであった。

 飄々と掴み所のない王子の口から、「驚いた。綺麗になったね、アンリエッタ……」と動揺させるような台詞が引き出された。

「そ、そんなことはありませんわ」

 アンリエッタは顔を上げることができなくなってしまい、俯いた。

「驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、散歩をしていたら、水音がして……行って見れば、誰かが水浴をしているじゃないか。ごめん。ジッと魅入ってしまった」

「どうして、魅入ってしまったの?」

「いや……この“ラグドリアン湖”に棲む“水の精霊”が、月明かりに惹かれて湖面に姿を現したんじゃないかって思ったんだ。1度見てみたいと願ってた。なんでも、“水の精霊”の美しさは、2つの月も恥じ入るほどだ、なんて言われているくらいだから」

 アンリエッタは微笑んだ。

「私で、残念でしたわね」

 ウェールズは頬を気恥ずかしげに掻きながら、真摯な声で言った。

「そんなことはないよ。“水の精霊”を見たことはないけれど……」

「ないけれど?」

「君は、もっと美しい。“水の精霊”より美しい」

 はにかんで、アンリエッタは顔を伏せた。

「“アルビオン”の御方は、冗談がお上手ですわね」

「じょ、冗談なんかじゃない! 君、僕は王子だよ。嘘を吐いたことは、1度もない! ホントにそう思ったんだ!」

 ウェールズは慌てて言った。

 アンリエッタの胸の鼓動が、魔法をかけられたみたいに速くなる。眼の前の従兄……名前しか知らなかった異国の皇太子。

 アンリエッタは、退屈だった園遊会が、急にこのキラキラ光る“ラグドリアン”の湖面のように、美しく彩られて行くように感じた。

 

 

 恋に堕ちた2人が親密になって行くのに、さほど時間はかからなかった。お互いの気持ちは目を見れば直ぐにわかったし、ここにいられる時間が限られているということの意味を2人とも良く理解していた。

 ウェールズとアンリエッタは園遊会の間中、夜になると湖畔に出て密会を繰り返した。

 アンリエッタは深くフードを冠って顔を隠し、ウェールズは仮面舞踏会で使うファントムマスクを着けて水辺へと急ぐのである。

 待ち合わせの合図は、湖水に投げ込んだ小石の音。

 その音で、先に着いている隠れた片方は茂みから姿を現し、周りに誰もいないことを確かめた後、恋人に合言葉を投げかけるのであった。

「“風吹く夜に”」

 そうウェールズが口にすれば、「“水の誓いを”」と、アンリエッタが答えるのであった。

「遅かったね、アンリエッタ。待ちくたびれたよ」

「ごめんなさい。晩餐会が長引いたの。もう、酔っ払いの長話にはウンザリ」

「でも……こんな風に毎夜抜け出して大丈夫なのかい?」

 ウェールズが心配そうに尋ねると、アンリエッタは悪戯っぽく笑って言った。

「平気です。影武者を使っておりますもの」

「影武者とは! 穏やかじゃないね」

「確かに、そんな大層なモノじゃありませんわね。ウェールズ様も、先日の昼食会の折、御覧になった私のお友達……」

「あの、長い髪の痩せっぽちの女の子かい?」

 ウェールズは首を傾げた。

 チョコチョコとアンリエッタの後ろを付いて回っていたお遊び相手の少女。

 ウェールズは、アンリエッタと彼の妹とその少女が一緒にいるところを見ていたのである。

 ウェールズは、アンリエッタに夢中になっていたこととシオンのことを気にかけていたとうこともあり、その少女の顔や格好が良く思い出せないのである。ただ、ボンヤリと髪の色だけは覚えていた。

「そうですわ。彼女が、私の格好をして、私のベッドに入ってくれてますの。布団をスッポリ被っておりますので、誰かがベッドの側に立っても、顔は見えませんわ」

「でも、彼女と君じゃ髪の色が全然違うじゃないか! 確か彼女は桃色がかったブロンドだし、君はこの通り……」

 ウェールズは、アンリエッタの髪を弄りながら言った。

「綺麗な栗色だ。とんだ影武者だね!」

「髪を染める、特殊な“魔法”染料を調合いたしましたの。でも、ちょっと良心が痛みますわ。彼女には……その、ウェールズ様にはお逢いするとは申してません。てっきり、私が気晴らしに1人で散歩しているものと思っていますわ」

「随分と悪知恵が働くじゃないか!」

 ウェールズが大声で笑った。

「しっ! そのような大声で笑ってはいけません。どこに耳があるかわかりませんわ」

「なあに、こんな夜更けに水辺で聞き耳を立てているのは、“水の精霊”くらいなモノだよ。ああ、1度で良いから見て見たいモノだね。月が嫉妬する美しさと言うのは、どのようなモノなんだろう?」

 アンリエッタは唇を尖らせて、恋人を困らせるような口調で言った。

「なぁんだ。そうでしたのね。私に逢いたい訳じゃありませんのね。“水の精霊を”見たくって、私を付き合わせているだけですのね」

 不意に、ウェールズは立ち止まる。そして、アンリエッタの顔を両手で優しく挟むと、唇を近付けた。

 アンリエッタは少し戸惑うような素振りを見せたが、直ぐに目を瞑った。

 ウェールズとアンリエッタは、唇を重ねた。

 しばらくしてウェールズは、顔を離した。

「君が好きだ。アンリエッタ」

 アンリエッタは、顔を真っ赤にしながら……それでも勇気を振り絞って、“愛”の言葉を呟いた。

「私だって、御慕いしております」

 それからウェールズは、少し淋しげに目を瞑った。

 恋の熱に浮かされながらも、どこか冷静な頭の一部で、この恋の結末を想像していたのである。

 2人共、好きな相手と結ばれることが許される身分ではない。2人のことを誰かが知ってしまえば……2人は公式の場でも顔を合わすことは不可能になるであろう。王子と王女とは、そうしたモノなのだから。

 無理して作った明るい声で、ウェールズは言った。

「ははは……お互い面倒な星の下に生まれたモノだね。こうやって……ただしばしの時間を共に過ごす時ですら、夜を選び、変装せねばならないとは! 1度で良いから……たった1度で良いから、アンリエッタ、君と太陽の下…… 誰の目もはばからずに、この湖畔を歩いてみたいモノだ」

 アンリエッタも目を瞑った。目を瞑って、ゆっくりとウェールズの胸に寄り添う。

「ならば、誓ってくださいまし」

「誓い?」

「そうですわ。この“ラグドリアン湖”に棲む“水の精霊”のまたの名は“誓約の精霊”。その姿の前でなされた誓約は、違えられることがないとか」

「迷信だよ。ただの言い伝えさ」

「迷信でも、私は信じます。信じて、それが叶うのなら、いつまでも信じますわ。そう、いつまでも……」

 14歳のアンリエッタは、そう呟くと顔を伏せた。睫毛の先から涙が1滴垂れて、頬を伝う。

 ウェールズは優しくアンリエッタの顔を撫でた。

「僕は君が大好きだ。アンリエッタ。だって、こんなにも僕のことを好いていてくれるのだから。だから、そんな風に泣くのはおやめ。湖が君の涙で溢れてしまうよ。そうしたら、ここに集まった皆が溺れてしまうじゃないか」

「私がどれだけ貴男のことを好いているのか、貴男には理解らないのでしょうね。いっつも冗談めかして……私が本気になればなるほど、意地悪なことを言うんですから」

 ウェールズは悲しそうな声で呟いた。

「機嫌直してくれよアンリエッタ」

 アンリエッタはドレスの裾を摘むと、ジャブジャブと水の中に入って行った。

「“トリステイン王国”王女アンリエッタは“水の精霊”の御許で誓約いたします。ウェールズ様を、永久に“愛”することを」

 それからアンリエッタはウェールズを呼んだ。

「次はウェールズ様の番ですわ。さあ、私と同じように誓ってくださいまし」

 ウェールズは水の中へと入って行った。そして、アンリエッタを抱き抱える。

 アンリエッタはウェールズの肩にしがみ付いた。

「ウェールズ様?」

「足が冷えてしまうよ」

「構いませんわ。それより、ほら、私は永久に変わらぬ“愛”を誓いました。ウェールズ様も誓ってくださいまし」

「誓約が違えられることはないなんて、ただの迷信だよ」

「心変わりをすると仰るの?」

 ウェールズはしばし黙祷するように考え込んだ後、神妙な面持ちになって、湖の沖へと、「“アルビオン王国”皇太子ウェールズは、“水の精霊”の御許で誓う。いつしか、“トリステイン王国”王女アンリエッタと、この“ラグドリアン湖”の湖畔で太陽の下、誰の目もはばかることなく、手を取り歩くことを」といった誓約の言葉を投げかけた。

「誓ったよ」

 アンリエッタはウェールズの胸に顔を埋めた。そして、ウェールズに聞こ得ぬように呟く。

「……“愛”を誓ってはくださらないの?」

 湖面は光で瞬いた。

 しばし瞬いて、再び度静寂が湖面を包む。

 2人は顔を見合わせる。

 月の光なのか、それとも“水の精霊”がその誓約を受け入れた印であるのか、2人には理解らなかったが……ウェールズとアンリエッタはいつまでも寄り添って、“ラグドリアン”の美しい湖面を見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン”の城下町、“ブルドンネ街”では派手に戦勝記念のパレードが行われていた。

 “聖獣ユニコーン”に引かれた王女アンリエッタの馬車を先頭に、高名な“貴族”たちの馬車が後に続く。その周りを“魔法衛士隊”が警護を務めている。

 狭い街路には一杯の観衆が詰めかけており、通り沿いの建物の窓や、屋上や、屋根から人々はパレードを見つめ、口々に歓声を投げかけた。

「アンリエッタ王女万歳!」

「“トリステイン”万歳!」

 観衆たちの熱狂も、もっともであるといえるだろう。なにせ、王女アンリエッタが率いた“トリステイン”軍は先日、不可侵条約を無視して侵攻して来た“アルビオン”軍を“タルブ”の草原で打ち破ったばかり。数で勝る敵軍を破った王女アンリエッタは、聖女と崇められ、今やその人気は絶頂であった。

 この戦勝記念のパレードが終わり次第、アンリエッタには戴冠式が待っている。母である太后マリアンヌから、王冠を受け渡される運びとなっている。これには枢機卿マザリーニを筆頭に、ほとんどの宮廷“貴族”や大臣たちが賛同していた。

 隣国の“ゲルマニア”は渋い顔をしたが、皇帝とアンリエッタの婚約解消を受け入れた。一国にて“アルビオン”の侵攻軍を打ち破った“トリステイン”に、強硬な態度が示せるはずもないのである。

 ましてや同盟の解消などは論外であった。“アルビオン”の脅威に怯える“ゲルマニア”にとって、“トリステイン”は今やなくてはならぬ強国であるといえるのだから。

 つまり、アンリエッタは己の手で自由を掴んだのであった。

 

 

 賑々しい凱旋の一行を、中央広場の片隅でボンヤリと見つめる敗軍の1団がいた。

 捕虜となった“アルビオン”軍の“貴族”たちであった。捕虜といえど、“貴族”にはそれなりの待遇が与えられる。“杖”こそ取り上げられたモノの、縛られることもなく、思い思いに突っ立っている。周りには見張りの兵が置かれたが、逃げ出そうなどと考える者は誰一人としていなかった。

 “貴族”は捕虜となる際に、捕虜宣誓を行うのである。その宣誓を破って逃げ出そうモノなら、名誉と家名は地に墜ちる。何より名誉を重んずる“貴族”たちにとって、それは死に等しい行為なのであった。

 その一団の中、日焼けした浅黒い肌が目立つ精悍な顔立ちの男の姿があった。

 ルイズの“虚無”で炎上沈没した巨艦“レキシントン号”の艦長、サー・ヘンリー・ボーウッドである。彼はやはり同じく捕虜となった傍らの“貴族”たちを突いて言った。

「見ろよホレイショ。僕たちを負かした聖女のお通りだぜ」

 ホレイショと呼ばれた“貴族”は、でっぷりと肥えた身体を揺らしながら答えた。

「ふむ……女王の即位は“ハルケギニア”では例がない。いくら我々に勝利したとは言え、まだ戦争が終わった訳ではない。大丈夫なのかね? しかも年若いという話ではないか」

「ホレイショ、君は歴史を勉強すべきだよ。かつて“ガリア”で一例、“トリステイン”では二例、女王の即位があったはずだ」

 ボーウッドにそう言われて、ホレイショは頭を掻いた。

「歴史か。して見ると、我々はあの聖女アンリエッタの輝かしい歴史の1ページを飾るに過ぎない、リボンの1つと言うべきかな? あの光! 僕の艦だけじゃなく、君が率いた我々の艦隊を殲滅したあの光! 驚いたね!」

 ボーウッドは首肯いた。

 “レキシントン号”の上空に輝いた光の玉は、見る間に巨大に膨れ上がり……艦隊を炎上させたのみならず、積んでいた“風石”を消滅させ、進路を地面へと向けさせたのである。

 そしてなにより驚くべきことは……その光は誰1人として殺さなかったということである。光は艦を破壊したものの、人体にはなんの影響も与えなかったのであった。

 そういったこともあり、なんとか操艦の自由が残った艦隊は地面に滑り落ちることができたのである。火災で怪我人は何人も出はしたものの、不時着での死者は発生していないのである。まったく、1人も。

「奇跡の光だね。まったく……あんな“魔法”は見たことも聞いたこともない。いやはや、我が祖国は恐ろしい敵を相手にしたものだ!」

 ボーウッドは呟いた。

 その後近くに控えた、大きな斧槍(ハルバード)を掲げた“トリステイン”の兵士に声をかける。

「君。そうだ、君」

 兵士は怪訝な表情を浮かべたが、直ぐにボーウッドに近寄る。

「お呼びでしょうか? 閣下」

 敵味方を問わず、“貴族”には礼が尽くされる。至極丁寧な物腰で兵士はボーウッドの言葉を待った。

「僕の部下たちは不自由ししていないかね? 食わせるモノは食わせてくれているかね?」

「兵の捕虜は一箇所に集められ、“トリステイン”軍への志願者を募っている最中です。そうでない者については、強制労働が課されますが……ほとんど、我が軍へと志願するでしょう。あれだけの大勝利ですからな。まあ、胃袋の心配はなされなくても結構です。捕虜に食わせるモノに困るほど、“トリステイン”は貧乏ではありませぬ」

 胸を張って兵士は答えた。

 ボーウッドは苦笑を浮かべるとポケットから金貨を取り出し、兵士に握らせた。

「これで聖女の勝利を祝して、一杯やりたまえ」

 兵士は直立すると、ニヤッと笑った。

「恐れながら閣下のご健康のために、一杯頂くことにいたしましょう」

 立ち去って行く兵士を見詰めながら、オーウッドはどこか晴れ晴れとした気持ちで呟いた。

「もし、この忌々しい戦が終わって、国に帰れたらどうする? ホレイショ」

「もう軍人は廃業するよ。なんなら“杖”を捨てたって構わない。あんな光を見てしまった後ではね」

 ボーウッドは大声で笑った。

「気が合うな! 僕も同じ気持ちだよ!」

 

 

 枢機卿マザリーニはアンリエッタの隣で、にこやかな笑顔を浮かべていた。ここ10年は見せたことのない、屈託のない笑みである。

 馬車の窓を開け放ち、街路を埋め尽くす観衆の声援に、手を振って応えている。彼は自分の左右の肩に乗った2つの重石が、軽くなったことを素直に喜んでいるのである。内政と外交、2つの重石である。その2つをアンリエッタに任せ、自分は相談役として退こうと考えているのである。

 かたわらに腰かけた新たなる自分の主君が沈んだ表情をしていることにマザリーニは気付いた。口髭を弄った後、彼は彼女へと問うた。

「御気分が優れぬようですな。まったくこのマザリーニ、殿下の晴れ晴れとした御顔をこの馬車の中で拝見したことがございませんわい」

「何故、私が即位せねばならぬのですか? 母様がいるではありませぬか」

「あの御方は、我々が女王陛下とお呼びしても御返事をくださいませぬ。“妾は、王ではありませぬ、王の妻、王女の母に過ぎませぬ”、と仰って、決して御自分の即位を御認めになりませぬ」

「何故、母様は女王になるのを拒んだのでしょうか?」

 マザリーニは、珍しくチョコッと淋しげな憂いを浮かべて言った。

「太后陛下は喪に服しているのですよ。亡き陛下を未だに偲んでらっしゃるのです」

 アンリエッタは溜息を吐いた。

「ならば私も、母も見倣うことにいたしましょう。王座は空位のままでよろしいわ。戴冠など、いたしませぬ」

「また我儘を申される! 殿下の戴冠は、御母君も望んだことですぞ。“トリステイン”は今や弱国では許されませぬ。国中の“貴族”や民、そして同盟国も、あの強大な“アルビオン”を破った強い王を……女王の即位を望んでいるのです」

 アンリエッタは溜息を吐いた。それから……左の薬指に嵌めた“風のルビー”を見詰める。才人たちが“アルビオン”から持ち帰った、ウェールズの形見の品である。

 自分を玉座へと持ち上げることになった勝利は……ある意味ウェールズのモノであるといえるだろう。この指輪が、アンリエッタに敵へ立ち向かう勇気を与えてくれたのであった。

 アンリエッタは、(母が、亡き父を偲んで玉座を空位のままにして置いたと言うのなら……私もそれに倣いたい。女王になど、なりたくはないわ)と思っていた。

 しかし窓の外からは歓呼の声が聞こえて来る。

 マザリーニが、諭すように呟いた。

「民が、全てが望んだ戴冠ですぞ。殿下の御身体はもう、殿下御自身のモノではありませぬ」

 こほんと咳をして、マザリーニは言葉を続けた。

「では、戴冠の儀式の手順をおさらいいたしますぞ。御間違えなど、なさらぬように」

「まったく。たかが王冠を冠るのに大層なことね」

「そのようなことを申されてはなりませぬ。神聖なる儀式ですぞ。“始祖”が与えし“王権”を担うことを、世界に向けて表明する儀式なのです。多少の面倒は伝統の彩と申すもの」

 マザリーニは、もったいぶった調子でアンリエッタに儀式の手順を説明した。

「……さて、一通り儀式が進みましたら、殿下は祭壇の元に控えた太后陛下の御前に御進みください。“始祖”と“神”に対する誓約の辞を殿下が述べると、御母君が殿下に王冠を冠せてくださいます。その時よりこの私を含め、“ハルケギニア”中の全ての人間が、殿下を陛下と御呼びすることになるのです」

 誓約……。

 アンリエッタは(心に思っていないことを誓約するのは冒涜ではないのかしら?)、(自分に女王が務まるなどとはとても思えないわ。あの勝利は……私を玉座に押し上げることになった“タルブ”での勝利は己の指導力ではなく、経験豊かな将軍やマザリーニの機知のおかげだもの。私はただ、率いていた、それだけに過ぎないもの)、(ウェールズ様がもし生きていらしたら、今の私を見てなんと言うのかしら? 女王になろうとしている私。権力の高みに昇りつめることを義務付けられてしまった私を見たら……)、(ウェールズ。“愛”しい皇太子。私が“愛”した、 ただ1人の人間……後にも先にも、心よりの想いが溢れ、誓約の言葉を口にしたのは……あの“ラグドリアンの湖畔”で、口にした誓いだけですわ)と思った。

 そんな風に考え始めると……偉大なる勝利も戴冠の華やかさも、アンリエッタの心を明るくはしてくれないのであった。

 アンリエッタはぼんやりと手元の羊皮紙を見詰めた。

 先日、アンリエッタの元に届いた報告書である、それを記したのは、捕虜たちの尋問に当たった一衛士である。才人の“ゼロ戦”に撃墜された“竜騎士”の話が書いてあった。

 捕虜となった“竜騎士”は、「2騎の“竜騎兵”は、敏捷に飛び回り強力な“魔法”攻撃を用いて、その“竜騎兵”は味方の“竜騎士”を次々撃墜した」と語ったらしい。しかしながら、そんな“竜騎兵”は“トリステイン”軍には存在しない。

 疑問に思った衛士は調査を続けたらしい。その後に、“タルブ”の村での報告が記かれてあった。

 その“竜騎兵”が操っていたモノの一方は、“タルブの村”に伝わる“竜の羽衣”と呼ばれる“マジックアイテム”であるということがわかった、と書いてあるのであった。しかし、どうやらそれは“マジックアイテム”ではなく、未知の飛行機械であったこと。

 そしてそれらを操っていたのは……アンリエッタと旧知の間柄であるラ・ヴァリエール嬢の“使い魔”の少年であること。

 そして……あの敵艦隊を吹き飛ばした光との関連も示唆されていた。あの光りは、その飛行機械が飛んでいた辺りで発生した。衛士は大胆な仮説を立てていた。ラ・ヴァリエール嬢か、その“使い魔”の少年が、あの光を発生させたのでは? というモノである。

 しかし、事が事だけに、衛士は直接の接触をその2人にしても良いモノかどうか迷ったらしい。報告書はアンリエッタの裁可を待つかたちで締められている。

 対して、もう1騎の“竜騎兵”の方だが、こちらも旧知の間柄であるシオン・エルディとその“使い魔”である青年が操っていたとうことが記されている。それもまた、未知の飛行機械であるとのこと。

 自分に勝利をもたらした、あの光。まるで太陽が現れたかのような、眩い光。

 あの光を思い出すと、アンリエッタの胸は熱くなるのであった。

「貴女たちなの? ルイズ、シオン」

 アンリエッタは小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて一方、こちらは“魔法学院”。戦勝で湧く城下町とは別に、いつもと変わらぬ雰囲京の日常が続いていた。“タルブ”での王軍の勝利を祝う辞が朝食の際に学院長のオスマンの口から出たものの、他に取り立てて特別なことも行われなかった。

 やはり学び舎であるからして、一応政治とは無縁なのであった。戦時中にも関わらず、生徒たちもどこかのんびりとしている。“ハルケギニア”の“貴族”にとって戦争はある意味年中行事であるといえるだろう。いつもどこかとどこかが小競り合いを行っているのである。始まれば騒ぎもするはで、戦況が落ち着いたらいつもの如くである。

 そんな中、あまり人が来ない“ヴェストリの広場”では小さな戦いが行われていた。

 

 

 

 陽光香るベンチに腰かけた才人は手に持った包みを開き、パアッと顔を輝かせる。

「すごい! マフラーだ!」

 隣に座ったシエスタは、ポッと頬を染めた。

「あのね? ほら、あのひこうきでしたっけ? あれに乗る時、寒そうでしょ?」

 時間は午後の3時過ぎ。

 シエスタは渡したいモノがあるから、とこの“ヴェストリの広場”まで才人を呼び出したのである。

 そのプレゼントとはマフラーであった。真っ白なマフラー。シエスタのやんわりとした肌のような、暖かそうなマフラーである。

「うん! 確かに風防を開けていると寒いんだよな」

 才人は試しにそれを首に巻いて見た。

 今は初夏である。しかし、空の上は当然寒い。風防を開けている時は尚更である。離着陸の時は頭を風防から顔を出して下を覗き込む必要があった。現代の飛行機と違って閉めっぱなしという訳には行かないのである。

 白地に、黒い毛糸で大きい文字が編まれている。アルファベットに似ているのだが、大分雰囲気が違う。“ハルケギニア”の文字である。

「これ、なんて書いてあるの?」

「え? ああ、サイトさんは異世界から入らしたから文字が読めないんでしたね。それはですね、ええとですね……サイトさんの名前が書いてあるの」

「へえ」

 才人は感動した。「ああ、自分の名前は、異世界の文字でこう書くのか……」とマジマジと見入ってしまった。4つの文字が組み合わさっている。その字を並べて読むとサイトと発音されるのであろう。

 才人は、その4文字から少し離れた所には6文字書いてあることに気付く。

「これは?」

 そう尋ねると、シエスタははにかんだ笑みを見せた。

「えへ……わたしの名前です。ごめんなさい。書いちゃいました。迷惑だったかしら?」

「そ、そんな迷惑なんかじゃないよ!」

 才人はブンブンと首を横に振った。

「すっごく嬉しいよ! だって、シエスタが俺のためにマフラーを編んでくれたんだぜ?」

 才人にっとって、女の子からプレゼンとを貰うなど生まれて初めての経験であった。彼は、悲惨だった年中行事を思い出した。

 誕生日。祝日だったこともあって、毎年学校が休みであった。届けに来てくれるようなガールフレンドは1人もいなかった。1度だけ、母親が腕時計をプレゼントしてくれた。が、なぜか翌日に壊れてしまった。

 バレンタインデー。いつだか隣の男の子と間違えられて、机の中に1個チョコが入っていた時があった。小躍りして喜び、「誰よ!? 誰!? 俺のこと愛してますかーーーーーーー!? 俺も愛してしまうかもーーーーーーーー!」などと叫んだら、1人の地味めな女子がやって来て、「机間違えた。ごめん」と言ったのである。自分のはしゃぎっぎぷりが呪わしく、才人はトイレで泣いたのであった。

 そんな才人だったからこそ、女の子からのプレゼントを貰っただけで泣きそうになってしまったのであった。また、手作りであったということもあり、彼から見たシエスタの魅力値がグンッと上昇する。

「でも、良いの? ホントに貰っちゃって……大変だったんじゃない? これ編むの」

 才人がそう呟くと、シエスタは頬を染めた。

「良いの。あのね? わたし、“アルビオン”軍が攻めて来た時、すっごく怖かったの。でもね、戦が終わったって聞いて、森から出て来た時……サイトさんがひこうきで降りて来たでしょう?」

 才人は首肯いた。

「あの時、すっごく、すっごく嬉しかったの。ホントよ! だからわたし……いきなりあんなことを……」

 才人も頬を染めた。

 シエスタは、なんと才人に抱き着くと頬にキスをしたのである。

 それから森から村人たちが出て来た。彼らの何人かは、才人が“ゼロ戦”で“竜騎兵”を叩き墜すところをきちんと見ていたのである。

 ルイズと才人たち、そして俺とシオンは“アルビオン”軍をやっ付けた“英雄”として村人たちに崇められ、3日3晩続いた村の祝宴では、まるで“王侯貴族”のような扱いを受けたのであった。事実、シオンは“王族”であり、ルイズは“貴族”なのだが。同時にシエスタの曽祖父の名誉も回復された。なにせ、“ゼロ戦”はきちんと飛んだのであるからして。

 シエスタは宴会の間中、ジッと才人に寄り添って、片時も離れず甲斐甲斐しく給仕を務めた。そう、今のようにに軽く身体を寄りかからせて……。

 才人はドギマギしながら、首に巻いたマフラーを弄った。そこで、「あれ?」と気付く。

「シエスタ、このマフラー随分と長いんだけど……」

「えへへ。それはね、こうするの」

 シエスタはマフラーの端を取ると、なんと自分の首に巻いた。そうすると、マフラーはちょうど良い長さになるのであった。

「ふ、2人用?」

「そうよ。嫌?」

 そう言ってグッと才人の目を覗き込んで来るシエスタは、なんとも素朴な魅力を放っている。まるで無邪気に懐いて来る子犬のような目である。

 才人の頭の中で、(2人用のマフラーなんて、なんてベタなメイドなんだ。シエスタはなんていけないベタメイドなんだ。“日本”だったら死刑だぞこの野郎、こ、ここ、この野郎)などと頭の中で訳の理解らない思考がグルグルと回った。しかし、ベタということは言い換えてしまうのであれば、王道であるということであり、それだけに才人の脳髄を直撃していた。

 シエスタは更に攻撃を繰り出す。なんと、目を瞑って唇を突き出したのだ。ツイッと、なんの脈絡もなく。

 才人はゴクリと唾を呑んだ。反射的に唇を重ねてしまいそうになる。しかし……宴会での彼女の父親の言葉が、不意に蘇った。

 彼はシエスタが席を外した隙を突いて、才人の元にやって来たのである。そして、“アルビオン”の“竜騎士”をやっ付けた才人の労を労い、村の“英雄”だと褒め称えたのであった。ニコヤカに笑っていたが、急に真顔になると才人の顔を恐ろしい形相で睨み付けたのである。

「君は村を救った“英雄”で、“アルビオン”から“トリステイン”を守った類稀なる勇者だ。わたしはそんな君が大好きだ。でも……娘を泣かせたら殺すよ?」

 事もなげにそう言ったシエスタの父親の顔を、才人は忘れることができなかった。宝探しの時に対峙した“オーク鬼”よりも、“竜騎士”よりも、ルイズの“魔法”で吹き飛んだ巨大戦艦よりも恐怖を感じたのである。

 そして、(軽々しく、シエスタに手を出すことはできない。いずれ俺は帰らなくちゃいけない人間だし……ここでキスなんかしたら、シエスタを悲しませることになってしまう。そんなことになったら、シエスタの父は俺を“地球”まで追いかけて来るかもしれない。そんなことありえねえよな?)と才人は考えたが、笑い飛ばせない迫力があの顔にはあったのであった。

 だが、シエスタが唇を更に近付けて来た時、そういったためらいはどこかへと飛んで行きそうになった。

 シエスタは才人が唇を近付けて来ないので、自分で距離を縮めるつもりになったらしい。才人の頭をグッと掴むと、大胆にも引き寄せた。シエスタは、大胆になる時はトコトン大胆になれる少女なのである。

 才人は抵抗できないでいた。「あ、いけない、でもキスくらいなら……」と身体を硬直させていると……頭にボゴンッ! と大きな石が打つかって、才人は気絶した。

 

 

 

 シエスタと才人が腰かけたベンチの後ろ、15“メイル”ほどの地面に、ポッカリと空いた穴があった。そこの中で、荒い息を吐く少女がいた。ルイズである。

 ルイズは穴の中で地団駄を踏んだ。その隣には、この穴を掘った“ジャイアントモール”であるヴェルダンデと“インテリジェンスソード”のデルフリンガーがいた。

 ルイズはギーシュの“使い魔”であるヴェルダンデに穴を掘らせ、中に潜んでコッソリ顔を出して、ズッと才人とシエスタのやりとりを見張っていたのである。デルフリンガーには色々と訊きたいことがあったので、持って来たのであった。

「なによう! あの“使い魔”!」

 ルイズは穴の壁を拳で叩きながら、う~~~~~~~~~! と唸った。

 穴から離れたベンチでは、シエスタが「サイトさんしっかぃ!」と半泣きで喚きながら才人を介抱している。

 先ほど才人の頭を直撃した石は、(わたしの“使い魔”のくせに、他の女の子とキスするなんて許せない)と思ったルイズが穴の中から打ん投げたモノである。

 デルフリンガー、恍けた声で言った。

「なあ、“貴族”の娘っ子」

「あによ? ところであんた、いい加減わたしの名前覚えなさいよ」

「呼び方なんかどうだって良いじゃねえかよ。さて、最近は穴を掘って“使い魔”を見張るのが流行りかね?」

「流行りな訳ないじゃないの」

「だったら、なぜ穴を掘って隠れて覗くんだね?」

「見付かったら、格好悪いじゃないの」

 ルイズは、デルフリンガーを掴んで言った。

「だったら端っから覗かんきゃ良いじゃねえか。“使い魔”のすることなんか、放っときゃ良いじゃねえか」

「そういう訳にはいかないわ。あいつってば、あの馬鹿“使い魔”、わたしの相談に乗りもしないで1日中イチャイチャイチャイチャ……」

 イチャイチャと言う時、ルイズの声が震える。どうやら、相当に頭にきている様子であった。

「わたしってば伝説の“虚無の系統使い”かもしれないのに、相談できるのは他にシオンとセヴァ―くらいだし、仕方なく無能で気の利かない愚図な“使い魔”相手に相談しようと言うのに、どこぞのメイドといつまでもイチャイチャイチャイチャ……」

「いちゃいちゃいちゃ」

「真似しないでよッ!」

「こわ。でも、石まで投げるなんてやり過ぎとは違うかね? 相棒かわいそうに、死んだかもしらんね」

 ルイズは穴の中、腕を組んだ。

「“使い魔”の義務も果たさずに、イチャイチャなんて10年早いのよ」

「焼き餅」

「違うわ。絶対違うんだから」

 頬を染め、顔を背けてルイズが呟くと、デルフリンガーがルイズの口調を真似て言った。

「どうしてこのご主人さまには、キスしようとしないのよ」

「お黙り」

「寝たふりしてるのに……泣いちゃうかラネ」

「今度それ言ったら、“虚無”で溶かすわ。誓ってあんたを溶かすわよ」

 デルフリンガーはブルブルと震えた。どうやら笑っているらしい。

 ルイズは、(ホントに嫌な剣ね)、と思いながらデルフリンガーへと尋ねた。

「ねえ、あんたに仕方なく尋ねて上げる。由緒正しい“貴族”のわたしが、あんたみたいなボロ剣に尋ねるのよ。感謝してね」

「なんだね?」

 ルイズはコホンと可愛らしく咳をした。それから顔を真っ赤にしながら、精いっぱいに威厳を保とうとする声で、デルフリンガーに尋ねた。

「わたしより、あのメイドが魅力で勝る点を述べなさい。簡潔に、要点を踏まえ、理解りやすく述べなさい」

「聞いてどうするんだね?」

「あんたに関係ないじゃない。良いから尋ねたことに答えなさい」

「焼き餅」

「だから違うって言ってるじゃない」

「いつだか夢中で襲って来たくせに……泣いちゃうからネ」

「やっぱ溶かすわ」

 ルイズが“杖”を構えて“呪文”を“詠唱”し始めたので、デルフリンガーは慌てて答えた。

 この前爆発した“魔法”の光“エクスプロージョン”、“虚無”を使われては溜まらない。デルフリンガー自体ただでは済まないだろうし、最悪“学院”が更地になってしまう可能性だってあるのだから。

「わ、理解ったよ! ったく、しょうがねえ娘っ子だな! まず、あの村娘は料理ができる」

「みたいね。でも、それがどうしたっていうのよ? 料理なんか、注文すれば良いじゃない」

「男はそういう女が好きなんだよ。後な、裁縫も得意そうだな」

「わたしだってできるわ。母さまに仕込まれたのよ」

「お前さんとあの村娘で腕前を比べたら、“ドラゴン”とトカゲほども違うよ」

「次」

「顔はまぁ、好み次第だあね。お前さんもまあまあ整っているし、あの村娘には愛嬌がある。しかし、あの村娘はお前さんにない武器がある」

「言ってごらんなさい」

「胸」

「人間は成長するわ」

 ルイズは胸を張って言った。そこは見事にペッタンコであった。

「お前さん、いくつだね?」

「16」

「ありゃあ。もう成長、無理」

 ルイズは“呪文”を唱え始めた。

「待った! やめろ! こら! でも、人間の男は胸の大きい女が好きなんだろ? この前あのメイドと一緒に風呂に入った時なんか、相棒、夢中だったぜ?」

 デルフリンガーがそう言った時、ルイズの目が吊り上がった。

「なんですって? 今、なんて言ったの? あんた」

「え? その、一緒に風呂に入った時……」

 デルフリンガーはこの前才人とシエスタが一緒に五右衛門風呂に入った一件を、ルイズに説明した。

 そこまで聞いたルイズは深く深呼吸をした。彼女の身体はピリピリと危険なくらい、震えている。とにかくもう、怒っているのであった。

 デルフリンガーは、この剣にしては珍しくゾクッと恐怖を感じ、黙ってしまった。

 その時かたわらのヴェルダンデが、ガバッと穴から顔を出した。嬉しい人影を見付けたのである。自分を捜していたギーシュである。

 ギーシュはスサッと地面に立て膝を突くと、“愛”する“使い魔”を抱き締め、頬擦りをした。

「ああ! 捜したよヴェルダンデ! 僕の可愛い毛むくじゃら! こんな所に穴を掘って、一体なにをしているんだい? ん? おや、ルイズ」

 ギーシュは穴の中にルイズの姿を発見して、怪訝な表情を浮かべた。

 ヴェルダンデは困ったような目で、ギーシュとルイズを交互に見比べた。

 ギーシュは「うむ」と首を縦に振って、分別臭い口調で言った。

「わかったぞルイズ。君はヴェルダンデに穴を掘らせて、“どばどばミミズ”を探していたな? なんだ、美容の秘薬でも調合する気だね。なるほど君の“使い魔”は、どうやら食堂のメイドに夢中のようだし……」

 ギーシュはチラッと、ベンチの所で才人を介抱するシエスタを見詰めて言った。

 相変わらず才人は気絶したままである。

 シエスタは才人の胸にすがって、わざわざ騒いでいる。

「あっはっは! せいぜい美容に気を使って取り返さないとな! “平民”の娘に男を取られたとあっては、“貴族”の名誉が、ガタ落ちだからな!」

 デルフリンガーが、「いけね」と呟いた。

 ルイズは“トタテグモ”のように足首を掴んでギーシュを穴の中に引き摺り込むと、2秒でギタギタにした。

 ヴェルダンデが心配そうに、気絶したギーシュの顔を鼻先で突いた。

 ルイズは拳をギュッと握って、低い、唸るような声で呟いた。

「次はあいつだかんね」

 デルフリンガーが、切ない声で呟いた。

「いやぁ、今度の“虚無(ゼロ)”は“ブリミル・ヴェルトリ”の100倍怖ええやね」

 

 

 

 痛む頭を擦って才人が部屋にやって来ると、ルイズはベッドの上に正座して窓の方をジッと見詰めていた。

 部屋の中は薄暗い。

 もう夕方であるというのに、ルイズは灯りも灯けていないのである。

 才人は、本能からか、なにか嫌ぁな空気を感じ取り、ゾクッと震えた。

「どうしたルイズ? 部屋が暗いじゃねえか」

 才人がそう言っても、ルイズは返事をしない。才人に背中を見せたままである。どうやらご機嫌斜めらしい。

 才人は、(いったい、なにを怒ってるんだ?)と訝しんだ。

「遅かったじゃない。今まででなにをしていたの?」

 正座をしたまま、ルイズが尋ねた。

 才人は、(声の調子は冷たいけど、怒ってる訳じゃないようだな)と判断し、ホッと安心して、答えた。

「“ヴェストリの広場”でシエスタと会ってたんだ。プレゼントをくれるって言うから。そしたら頭に石が飛んで来て……痛かったよ。なんなんだあの石?」

「そう。きっと天罰ね。ところで話があるから……ちょっと床に座りなさい」

「え? 床?」

「犬」

 才人は、「久々の犬かぁ~~~」と呟いて、触らぬ神に祟りなしといった風にソッと部屋から抜け出そうとした。というよりも、今のルイズは神よりも恐怖を感じさせて来る怒りっぷりであった。ルイズは、途轍もない“呪文”を唱えて、“トリステイン”に攻めて来た戦艦を吹っ飛ばしたのである。

 才人がドアを開けようとしたら、ルイズが“杖”を振った。

 ガチャガチャ、と音を立てるだけで、ノブは回らない。

 ルイズは背中を見せたまま、「不思議ね……簡単な“コモン・マジック”はキチンと成功するようになったわ」と言った。

「ル、ルイズ?」

 恐怖から、震える声で才人は尋ねた。

 今のルイズの声と言葉の調子が普段通りだということもあって、それが余計に才人の中にある恐怖を駆り立てていた。

「まだ、“四大系統”は失敗するけど……やっぱりわたしは“虚無の使い手”なのかしら。そして日々わたしは成長しているのかしら? ねえ、犬」

 才人は必死になってノブを回そうとする、しかし、やはり回らない。

「無駄よ。“ロック”がかかってるモノ。ところで犬、ご主人さまはね、不安なの。そんな風に“虚無の使い手”かもしれないのに、相談できるのは3人だけだし。今のところ、3人を除いて誰もわたしが“虚無”を使えるようになったなんて知らないわ。わたしが唱えた“エクスプロージョン”は城下や王軍の間では奇跡で片が付いてる見たいだし……でも、そのうちにお城にバレると思うわ。そしたらわたしどうなっちゃうのかなあ? そんな非常時なのに、どこかの恩知らずの馬鹿“使い魔”ときたら、メイドと逢引を重ねているわ」

 ルイズは、「キキキ、キスしたくせに逢引」と危うく口に出しそうになってしまい、慌てて唇を閉じた。そして、深呼吸して、次の言葉を選ぶ。

 才人は顔色を変えて、ノブを回そうとする。しかしどんなに力を込めてもノブは回らない。

 “ロック”の“魔法”はどうやら、本当にしっかりと、強力にかかっているようである。

「逢引ならまだ良いわ。でもお風呂。これは良くないわ。不味いなんてもんじゃないわ。ご主人さまを放り出してメイドとお風呂。どういうこと? 世が世ならこりゃ死罪モノだわ。わたしが優しくて、あんたは幸せね」

 ルイズの全身が震え始め、「キキキキキ、キスしたくせに、お風呂。メイドとお風呂」といった言葉などが彼女の頭の中をグルグルとしている。

 その時、窓の外から何かが飛んで来た。それは1羽のペリカンであった。

「あら。早かったじゃないの」

 ルイズはペリカンの足に縛られた包を外すと、ベッドの上に置いた。それから嘴の中に金貨を入れた。

 どうやらこのペリカンは、才人たちの世界――“地球”でいう宅配便かなにからしい。

「な、なにを買ったんだ? お前……」

「わたしね、犬は鞭だけじゃ理解しないことを学んだの」

 才人は顔を強張らせ、狂ったようにノブを回そうとする。

「た、救けてッ! 救けてッ!」

「だから無駄だって言ってるじゃない」

 才人が後ろを振り向くと、いつの間にか近付いて来たルイズが背後に立っていた。才人は、その顔を見て、悲鳴を上げた。

「ひっ」

 ルイズの目は吊り上がり、唇をギュッと強く噛み締めている。シエスタの父親のそれよりも恐怖を覚えさせる表情を浮かべているのである

 取り敢えずルイズは、例によって才人の股間を蹴り上げた。

 才人は床に崩れ落ちる。

「あ、ああああああ……あ、い、お、お前はいっつも俺の切ない部分を邪見に扱いやがって……」

 ガシッとルイズは才人の首根っこを踏ん着けた。

「犬。あんたに足りないのは、どうやら節操みたいね。あっちで尻尾を振り振り、こっちで尻尾を振り振り、種蒔きに余年がないみたい。だからこんなモノを買う羽目になっちゃったわ」

 ルイズは才人の身体に、革で出来た紐のようなモノを取り付けた。パチンと、胸の前の錠前に鍵を掛ける。身体を縛るサスペンダーのような代物であった。

「な、なんすかこれ?」

「猛獣を飼い馴らすための、“魔法”の拘束具よ」

 才人は、「ざっけんな!」と叫んで立ち上がろうとすると、ルイズが短く“呪文”を呟いた。

「“ヴァスラ”」

 すると才人は、「ぎゃっ!」と喚いて床に転んでしまった。

「“水”と“風”の呪文が付与されているわ。主人の合図に応じて、込められた電撃の“魔法”が発動するのよ」

 ルイズが説明したが、才人はショックで気絶してしまっていたので答えることができなかった。

 ルイズはそれから、才人を引き摺って藁束の中に放り込んだ。

「わたしの“使い魔”のくせに、女の子とお風呂なんて100年早いのよッ!」

 

 

 

「……ッ」

 俺は思わず、才人の股間をルイズが蹴り上げた所で“眼”を閉じてしまった。

「どうしたの?」

 椅子に座り、机に向かって日記を付けているシオンが、俺へと問うた。

 どうやら俺は、可怪しな表情を浮かべているのだろう。

「いやなに、いつものことさ」

「あぁ、ルイズとサイト君ね……」

 シオンの目が遠くなる。

 “使い魔”として“召喚”されてから、ずっと見聞きし続けている日常の風景である。

 シオンは、自身の友人であり幼馴染の彼女の言動に苦笑を浮かべる。

「で、どう? 大丈夫そう?」

「そうだな。まだ様子見と言ったところか」

 俺は、シオンに“召喚”されてからすぐ、シオンはもちろん、ルイズにも“令呪”があることに気付いていた。そして、それを“マスター”である彼女に相談し、“召喚”されて少ししてから“千里眼”で常にルイズと才人の様子を観ているのであった。

 覗きが趣味という訳ではなく、これにはしっかりとした理由がある。いや、実際に行っている時点で、言い訳のしようがないのだが。

 それには“聖杯戦争”が大きく関係しているといっても良いであろう。

 “聖杯戦争”では、“聖杯”が“マスター”を選出し、“令呪”を与え、“マスター”となった者が“サーヴァント”を喚び出すことで始まるのが基本である。

 だが、“サーヴァント”を喚び出していない“マスター”がいようと、その者が“令呪”を持っているのであれば、いつなんどき“聖杯戦争”は開始されても可怪しくはないのである。実際に、“原作”の1つである“stay/night”ではそうだったのだから。

 “召喚”された才人は、 “サーヴァント”ではない。そして、“サーヴァント”に対しダメージを与えるには“神秘性”のあるモノであるという条件がある。それ以外では原則、ダメージは与えられないのだ。つまり、今の才人ではルイズを守ることが難しいのが現状であるといえるだろう。

 もし、今“サーヴァント”が彼女を狙って行動に移したとしたならば、彼女と彼はなにもできずに殺されてしまうだろう。実際に、“アサシン”の“クラス”の“サーヴァント”であれば可能であるといえる。彼ら彼女らには、基本的に“気配遮断スキル”があるのだから。

 今現在、“学院”には“サーヴァント”は俺以外はいない。だが、外部から入って来る可能性があるのである。

 だからこそ、俺は“マスター”であるシオンを直接守り、ルイズ達に対してはいつでも救けに行けるようにしているというのが現状、そして理由であった。

 まあ、今のところはそういった心配など要らないということを理解しているが、念のためである。

「いつ話すべききかな?」

「今日はやめておくべきだな、いや、今日も、か……」

 毎夜続く、ルイズと才人の自覚なき嫉妬や焼き餅、天然誑しなどからのやり取りを前に、俺とシオンは深い溜息を吐いた。

(そう言ったことは天地が引っ繰り返ろうとも決してないだろうが、もし、彼女がルイズと同じようなことをして来たら、俺はどうするべきか……? 考えるだけで背筋が……)

 “千里眼”で観たルイズの行動を、シオンに置き換えて想像し、俺は思わず身震いをした。

 眼の前の彼女は決してそういったことをしないが、やはり信頼関係などは大事だということもあって、俺は出来える限りのことをしようと改めて強く思った。



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買い物

 ワルドが目を覚ました。起き上がろうとして、顔を顰める。身体に巻かれた包帯を見詰めて、訝しんだ。(ここは一体どこだ? 俺は確か……“ガンダールヴ”の操る飛行機械が繰り出した“魔法”によって傷を受け、意識を失ったはずだ)と思い、辺りを見回した。

 板張りの壁の、粗末な部屋である。ベッドと机が1個。机の上には、自分が首から提げていたペンダントが置いてあることに、ワルドは気付いた。

 ワルドは水差しを見付け、手を伸ばしたが……やはり身体が痛み、手が届かない。そうしていると、扉が開いて見知った顔が姿を見せた。

「おや、意識が戻ったみたいじゃないか」

「“土くれ”? 貴様か」

 フーケは机の上にスープの入った皿を置いた。

 ワルドは再び起き上がろうとして、顔を顰めた。

「つッ……」

「まだ、動いちゃいけないよ。弾に何箇所も身体を射抜かれてたのさ。“水系統”の“メイジ”を何人も集めて、三日三晩“治癒”の“呪文”を唱えさせたんだ」

「弾?」

 ワルドは怪訝な表情を浮かべた。

「俺は銃で撃たれたのか? あんな強力な銃があるのか?」

 この世界――“ハルケギニア”における銃といえば、“平民”が使う“武器”である。火打ち石の火花で点火した火薬の圧力で、丸い弾を撃ち出す“武器”。弓より近距離の威力は勝るが、いちいち弾と火薬を込めねばならないため、速射性に劣る。弓に比べると命中精度も良くない。弓より大きな利点があるとすれば、使用に際し、弓ほどの訓練を必要としないということくらいであろうか。“メイジ”にとっては大した“武器”ではないといえるだろう。

「そうだよ? 自分を倒した“武器”も知らないで戦ってたのかい? 暢気な男だね」

 フーケはそう言うと、スープをスプーンですくって、ワルドの口元に運んでやった。

 ワルドは、(あの“ガンダールヴ”が操っていた奇妙な飛行機……あのように機敏に素早く飛び回れるだけでなく、連発式の銃も装備しているとは。そして、意識が途切れる瞬間に見た光の渦……見る間に“アルビオン”の艦隊を炎上させた、あの光……俺が見たモノは一体何だったんだ? やはり、この“ハルケギニア”には、“聖杯戦争”はもちろんだが、何かが起こっている。俺を変えるきっかけになった、あの事件と繋がりがある何か……手に入れたいと願ったルイズの才能。そして、クロムウェルが操る、奇妙な“魔法”……“聖地”に行けば、なにか手掛かりがあるやもしれぬ、とクロムウェルに着いて来たが、奴の計画は初手から躓いたようだな)と考え、燃え上がる戦艦を思い出して独り言ちた。

「ほら、スープが冷めちまうよ」

 フーケはジッと考え事をしているワルドに業を煮やしたような声で言った。

「ここはどこだ?」

 スープに目もくれず、ワルドは尋ねる。

「“アルビオン”さ。“ロンディニウム”郊外の寺院だよ。昔世話になったことがある所でね。無事に帰れて良かったね。わたしにせいぜい感謝するんだね」

「“アルビオン”? 侵攻作戦はどうなった?」

「ああ、あんたは気を失っていたから知らないだろうけど、大失敗だよ。艦隊全滅で“アルビオン”軍は総崩れ。まったく、なにが“勝利はこれ疑いなし”だよ。数で劣る“トリステイン”軍に負けてちゃ、“聖地”の奪回なんて覚束ないんじゃないの?」

「お前も、侵攻軍に加わっていたとはな。俺に報せておけ」

 フーケは呆れたといった表情を浮かべる。

「しっかりあんたに伝えたじゃない? 異国の地理に不案内な“アルビオン”軍のために、斥候隊に派遣されるって! あんたはどうやら自分の興味のないことは直ぐに忘れる(たち)なのね!」

「そうか? ああ、そうかもしれん。すまんな」

 ワルドはそう呟くと、「スープをくれ。腹が減った」とフーケを促した。

 フーケが苦しげに顔を歪めたが、それでもワルドの口にスープを運んでやった。

「あんたが空から落ちて来るのが見えたからね。急いで駆け付けて介抱してやったんだよ。とりあえずわたしの“水”で応急処置してさ。それから盗賊時代の闇ルートを使って、“アルビオン”行きの“フネ”をなんとか手配して、必死に落ち延びたんだ。まったくこんな恩知らずを救けるんじゃなかったよ!」

 ワルドはテーブルの上を指さした。

「そこのペンダントを取ってくれ」

 銀で出来たロケットが付いたペンダント。

 フーケがそれを取ってやると、ワルドは首に付けた。

「1番大事な宝物って訳?」

「ただ、ないと落ち着かぬだけだ」

「随分と綺麗な人ね」

 フーケが、ニヤッと笑みを浮かべてワルドを見詰めると、ワルドの顔に赤みが差した。

「見たのか?」

「つい、ね。だってあんたってば、意識がなくてもギュッとそれを握り締めてるんだもの。気になるじゃない」

「流石は盗賊だな」

「ねえ、それ、誰? 恋人?」

 フーケが身を乗り出して、ワルドに尋ねる。

 苦々しい声で、ワルドは答えた。

「母だ」

「母親ぁ? あんた、そんな顔して乳離れをしてなかったの?」

「今はもういない。どちらにしろ、貴様に関係あるまい」

「あのさ、貴様貴様って、何様よ?」

 その時、部屋の扉がガチャリと開いた。

 シェフィールドを従えたクロムウェルであった。

 彼はワルドを見ると、ニコッと笑った。いつもと変わらぬ笑みである。

 そんなクロムウェルを見てワルドは、(まるで人形のようだな)と思った。

 あれだけの敗戦である。“アルビオン”の野望は初手からつまずいたのである。それなのに、クロムウェルには動揺したところは見受けられない。

 ホントの大物なのか、それともただの楽天家なのか、ワルドは判断が付きかねた。

「意識が戻ったようだな、子爵」

「申し訳ありません、閣下。1度ならず、2度までも失敗いたしました」

「君の失敗が原因ではないだろう」

 かたわらに控えたシェフィールドが首肯いた。報告書らしき羊皮紙の巻物を見つめ、呟く。

「なにやら空に現れた光の玉が膨れ上がり、我が艦隊を吹き飛ばしたとか」

「つまり、敵に未知の“魔法”を使われたのだ。これは計算違いだ。誰の責任でもない。しいて挙げるなら……敵の戦力の分析を行った我ら指導部の問題だ。一兵士の君たちの責任を問うつもりはない。ユックリと傷を癒やしたまえ、子爵」

 クロムウェルはワルドに手を差し出した。

 ワルドはそこに口を吻ける。

「閣下の慈悲の御心に感謝します」

 ワルドは、ルイズの長い桃色がかったブロンドの髪を思い出していた。あの飛行機械にルイズは乗っていた。ワルドは、ルイズに才能があると見抜いていたのである。だからこそ己の片腕に置いておきたいと望んだのであった。

 ……“始祖ブリミル”が用いし、失われし“系統虚無”。

 ワルドは首を横に振った。

 クロムウェルが言うには、「“虚無”は生命を操る系統」である。

 ワルドの中には今、(あのような光を発して、艦隊をやっつけることなどができるのか?)といった疑問が渦巻いている。(それに、あれほど強力な“魔力”……ルイズはおろか、“サーヴァント”レベルでもない限り、個人に操れるとは思えない)とワルドは思った。

「あれは“虚無”の光なのでありましょうか? しかしながら、閣下の仰る“虚無”とあの光はまったく相容れませぬ」

「余とて、“虚無”の総てを理解しているとは言い切れぬ。“虚無”には謎が多すぎるのだ」

 シェフィールドが、後を引き取る。

「長い、歴史の闇の彼方に包まれておりますゆえ」

「歴史。そう、余は歴史に深い興味を抱いている。たまに書を紐解くのだ。“始祖の盾”、と呼ばれた“聖者エイジス”の伝記の一章に、次のような言葉がある。数少ない“虚無”に関する記述だ」

 クロムウェルは詩を吟じるような口調で、次の言葉を口にした。

「“始祖は太陽を創り出し、遍く地を照らした”」

「なるほど。あの光は小型の太陽と言えなくもない」

「謎が謎のままでは、気分が悪い。目覚めも悪い。そうだな、子爵」

「仰る通りです」

「“トリステイン”軍は、アンリエッタが率いていたという話ではないか。ただの世間知らずのお姫さまと思っていたが、どうしてどうして、やるではなか。あの姫君は、“始祖の祈祷書”を用い、“王室”に眠る秘宝を嗅ぎ当てたのかもしれぬ」

「“王室”に眠りし秘宝とは?」

「“アルビオン王家”、“トリステイン王家”、そして“ガリア王家”……元は1本の矢だ。そして、それぞれに“始祖”の秘密は分けられた。そうだな? ミス・シェフィールド」

 クロムウェルはかたわらの女性を促した。

「閣下の仰る通りですわ。“アルビオン王家”の遺した秘宝は“風のルビー”ともう1つ……しかしどこに消えたのか、“風のルビー”は見付からず終い。もう1つはまだ調査が済んでおりません」

 ワルドは、地味な感じのその女性を見詰めた。

 深いローブで顔を隠しているため、表情が伺えない。クロムウェルの秘書だというのは確かだろうが……どうして、ただの秘書ではない様子である。しかし、ここまでクロムウェルに重用されているからには、何かしら特殊な能力や秀でた能力などを持っているのだろう。

「今やアンリエッタは、聖女と崇められ、なんと女王に即位するとか」

 クロムウェルが呟き、シェフィールドが答えた。

「“王国”にとって“王”は“国”。女王を手に入れれば、国も、“王家の秘密”も手に入るでしょう」

 クロムウェルは笑みを浮かべた。

「ウェールズ君」

 廊下から、クロムウェルによって蘇ったウェールズが、部屋に入って来た。

「御呼びですか? 閣下」

「余は君の恋人……聖女殿に戴冠の御祝いを言上したいと思う。我が“ロンディニウム”の城まで御越し願ってな。なに、道中が退屈だろうが、君がいれば退屈も紛れるだろう」

 ウェールズは抑揚のない声で、「畏まりました」とだけ呟いた。

「ではワルド君。ゆっくりと養生したまえ。聖女をこのウェールズ君の手引きで無事晩餐会に招待することができたら、君にも出席願おう」

 ワルドは頭を下げた。

 クロムウェル達は、部屋から退出して行った。

 フーケがぼんやりと呟く。

「いけ好かない男だね。死んだ恋人を餌に遺された恋人を釣り上げるなんて、“貴族”のやり方じゃないよ」

 フーケは、「ま、わたしは“貴族”は嫌いだけどさ」と言い訳をするかのように言葉を加えた。

「あの男は“貴族”ではない、聞いたろう? 元は一介の司教だ」

 それからワルドは忌々しげに鼻を鳴らした。

「どうしたのよ?」

「ジッとしておられん(たち)でね。傷さえ癒えていれば……死人なんぞに仕事を取られずに済んだものを……」

 それからワルドは、口惜しげに腕に顔を埋めた。

「くそ! 俺は……俺は無能なのか? また“聖地”が遠ざかったではないか……」

 フーケはニッコリと笑うと、そんなワルドの肩に手を回した。

「弱い男だね……まあ、初めから知ってたけどさ」

 それからフーケは、ワルドの唇に自分のそれを近付け、重ねた。

 ゆっくりと唇を離し、フーケは呟いた。

「今はゆっくり休むんだね。あんたが抱えたモノがなんなのか、わたしは知らないけれど……たまにゃ休息も必要だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン”の王宮で、アンリエッタは客を待っていた。女王とはいえ、いつも玉座に腰かけている訳ではない。王の仕事は、主に接待である。

 戴冠式を終えて女王となってからは、国内外の客と会うことが格段に増えた。何かしらの訴えや要求、ただの御機嫌伺い、アンリエッタは朝から晩まで、誰かと会わねばならない羽目になったのである。その上戦時だということもあり、普段より客は多い。

 また、それなりに威厳を見せねばならぬのということもあり、大変に気疲れがするのである。マザリーニが補佐してくれているとはいえ、けっして受け答えにも揺るぎがあってはならないのである。既にもうアンリエッタは、何も知らないお姫様でいることを許されないのである。

 しかし……今度の客は、そのような作った表情と態度を見せないでも済む相手であった。

 部屋の外に控えた呼び出しの声が、アンリエッタに客の到着を告げる。

 アンリエッタが、「通して」と告げると扉が開いた。

 ルイズとシオンが立って、恭しく頭を下げた。その隣には俺と才人もおり、俺は彼女たちと同じように恭しく頭を下げる。

 才人の身体には未だ、切なく猛獣用の拘束具が取り付けられている。

「ルイズ! シオン! ああ!」

 アンリエッタは駆け寄り、シオンとルイズを抱き締めた。

 顔を上げず、ルイズは呟いた。

「姫さま……いえ、もう陛下と御呼びせねばいけませんね」

「そのような他人行儀を申したら、承知しませんよ。ルイズ・フランソワーズ。貴女は私から、最“愛”のお友達を取り上げてしまうつもりなの?」

「ならばいつものように、姫さまとお呼びいたしますわ」

「そうして頂戴。嗚呼ルイズ、シオン。女王になんてなるんじゃなかったわ。退屈は2倍。窮屈は3倍。そして気苦労は10倍よ」

 アンリエッタはつまらなさそうに呟いた。

 彼女の言葉を聞いて、シオンの表情が硬くなる。この先、待ち受けるだろう出来事、この先自分がするべきことを考えて。

 それからシオンとルイズは、黙ってアンリエッタの言葉を待った。

 アンリエッタからの使者が“魔法学院”にやって来たのは今朝のことである。俺達は授業を休んで、アンリエッタが用意した馬車に乗り込んでここまでやって来たのであった。

 ルイズは、(わざわざわたし達を呼び寄せた理由は何かしら? やっぱり“虚無”のことなのかしら?)と不安そうな表情を浮かべているが、自分から質問することは憚られるのだろう黙っている。

 アンリエッタはシオンとルイズの眼を覗き込んだまま、話さないでいる。

 仕方なくルイズは、「このたびの戦勝の御祝いを、言上させてくださいまし」と言ってみた。当たり障りのない話題のつもりであったのだろうが、アンリエッタは思うところがあったらしく、ルイズの手を握った。

「あの勝利は貴女たちのおかげだモノね。ルイズ、シオン」

 ルイズとシオンは、アンリエッタの顔を、ハッとした表情を浮かべ見詰めた。

「私に隠し事はしなくても結構よ。ルイズ、シオン」

「わたし、なんのことだか……」

 それでもルイズは恍けようとしており、シオンは黙り込んでいる。どちらも、とてもわかりやすいといえるだろう。

 アンリエッタは微笑んで、シオンとルイズに羊皮紙を差し出した。

 それを読んだ後、シオンとルイズは溜息を吐いた。

「そっか」

「ここまで御調べなんですか?」

「あれだけ派手な戦果を上げておいて、隠し通せる訳ないじゃないの」

 それからアンリエッタは今まで蚊帳の外であった俺と才人の方を向いた。

 道中、アンリエッタが女王になったことを彼女達から聞いていたこともあり、才人は緊張からだろうカチコチに固まってしまっている。

「異国の飛行機械を操り、敵の“竜騎士隊”を撃滅したとか。厚く御礼を申し上げますわ」

「いえ……大したことじゃないです」

「なに、“マスター”の指示に従っただけだ。“サーヴァント”としては特別、褒められるべきことではなく、当然のことだろうさ」

「貴男たちは救国の“英雄”ですわ。できたら貴男たちを“貴族”にして差し上げたいくらいだけど……」

「いけませんわ! セイヴァーは問題ありませんが、犬を“貴族”にするなんて!」

「犬?」

 ルイズの喰い気味な言葉に、そこでようやくアンリエッタは、才人の姿と様子に気付いた。

 対してルイズは頬を染めて、「い、いえ……なんでもありませんわ」と呟くように言った。

「貴男たちに、爵位を授ける訳には参りませんわ」

 アンリエッタにそう言われ、才人は「はぁ」と呟いた。

 元より“トリステイン”では、“メイジ”でないモノが“貴族”になることはできないのである。

 どちらにしろ、今現在は爵位など必要ではない。

 もちろん、才人にとっても、そうだろう。“日本”に帰ったら英検や算盤ほどの資格にもならないのだから。

「多大な……本当に大きな戦果ですわ。ルイズ・フランソワーズ、シオン・エルディ。貴女たちと、その“使い魔”が成し遂げた戦果は、この“トリステイン”は疎か、“ハルケギニア”の歴史の中でも類を見ないほどのモノです。本来ならルイズ、シオン、貴女たちには領地どころか小国を与え、大公の位を与えても良いくらい。そして“使い魔”さんにも特例で爵位を授けることくらいできましょう」

 そうなのである。

 今のシオンは、“アルビオン”の人間ではない。“アルビオン王国”の“王権”は斃れ、今の“アルビオン”を支配しているのは“レコン・キスタ”、そしてクロムウェルであり、今現在は“神聖アルビオン共和国”なのであるからして。彼女は、難民扱いとなり、その後に“トリステイン”の保護下にあるのだ。そして、“王族”ということとアンリエッタの従姉妹ということもあってり、VIPと言える立場なのであった。

「わ、わたしはなにも……手柄を立てたのは“使い魔”で……」

 ルイズはボソボソと言い難そうに呟き、シオンはそれに同調するかのように首肯く。

「あの光は貴女たちなのでしょう? ルイズ。城下では“奇跡の光”だ、などと噂されておりますが、私は奇跡など信じませぬ。あの光が膨れ上がった場所に、貴女たちが乗った飛行機械は飛んでいた。あれは貴女たちなのでしょ?」

 ルイズはアンリエッタに見詰められ、それ以上隠し通すことができなくなった様子である。

 才人が「良いのか?」といった風な表情でルイズの服の裾を引っ張ったが、ルイズは「実は……」と切り出すと、“始祖の祈祷書”の事を語り始めた。

 彼女は、そのことを相談できる人物はとても少ない。才人、シオン、オスマン、そして俺といった風にとても限られていたのだから。

 ユックリと……ルイズはアンリエッタに語った。アンリエッタから貰い受けた“水のルビー”を嵌めたら。“始祖の祈祷書”のページに古代文字が浮かび上がったこと。そこに記された“呪文”を詠み上げると……あの光が発生したとうこと。

「“始祖の祈祷書”には、“虚無の系統”と書かれておりました。姫さま、それは本当なのでしょうか?」

 アンリエッタは目を瞑った後、ルイズの肩に手を置いた。

「ご存知、ルイズ? “始祖ブリミル”は、その3人の子に“王家”を作らせ、それぞれに“指輪”と“秘宝”を遺したのです。“トリステイン”に伝わるのが貴女の嵌めている“水のルビー”と“始祖の祈祷書”」

「そして、我が“王家”に伝わる“風のルビー”と“始祖のオルゴール”」

「ええ……」

「“王家”の間では、このように言い伝えられて来ました。“始祖”の力を受け継ぐ者は、“王家”に現れるのよ」

「わたしは“王族”ではありませんわ」

「ルイズ、なにを仰るの。ラ・ヴァリエール公爵家の祖は、“王”の庶子。なればこそ公爵家なのではありませんか」

 ルイズはハッとした表情を浮かべる。

「貴女も、この“トリステイン王家”の血を引いているのですよ。資格は十分にあるのです」

 それからアンリエッタは、才人の手を取り、彼の左手甲の“ルーン”見て首肯いた。

「この印は、“ガンダールヴ”の印ですね? “始祖ブリミル”が用いし、“呪文詠唱の時間を確保するためだけに生まれた使い魔”の印」

 才人は首肯いた。

 オスマンもまた、同様のことを言っていたのを、才人は思い出した。

「では……間違いなくわたしは“虚無の担い手”ですか?」

「そう考えるのが、正しいようね」

「なら、シオンは? シオンも“王家”の人間よね?」

「私にもその資格はあるかもしれない。でも……その力、私はまだ持っていないわ。そもそも、“虚無”は私ではなく……」

 シオンはそう言って、遠い場所を見るかのような様子である。

 ルイズは溜息を吐いた。

「これで貴女たちに、勲章や恩賞を授けることができなくなった理由は理解るわね? ルイズ、シオン」

 才人はどうしてだか理解できていない様子であり、彼は尋ねた。

「どうしてですか?」

 アンリエッタは顔を曇らせて、答えた。

「私が恩賞を与えたら、ルイズとシオンの功績を白日の元に曝してしまうことになるでしょう。それは危険です。2人の持つ力は大き過ぎるのです。一国でさえ、持て余すほどの力なのです。2人の秘密を敵が知ったら……彼らはなんとしてでも貴女たちを手に入れようと躍起になるでしょう。敵の的になるのは私だけで十分」

 それからアンリエッタは、溜息を吐いた。

「敵は空の上だけとは限りません。城の中にも……貴方たちのその力を知ったら、私欲のために利用しようとする者や恐怖などから排斥しようとする者が必ず現れるでしょう」

 ルイズは強張った表情で首肯いた。

「だからルイズ。誰にもその力のことは話してはなりません。これは私と、シオンと、貴女との秘密よ」

 それからルイズはしばらく考え込んでいたが……やおら決心したように、口を開いた。

「恐れながら姫さまに、わたしの“虚無”を捧げたいと思います」

「いえ……良いのです。貴女はその力のことを一刻も早く忘れなさい。2度と使ってはなりませぬ」

「神は……姫さまをお助けするために、わたしにこの力を授けたに違いありません!」

 しかし、アンリエッタは首を横に振る。

「母が申しておりました。“過ぎたる力は人を狂わせる”と。“虚無”の協力を手にした私がそうならぬと、誰が言い切れるでしょうか?」

 ルイズは昂然と顔を持ち上げた。自分の使命に気付いたような、そんな表情をしている。しかし、その顔は、様子はやはりどこか危ういと言えるだろう。

「わたしは、姫さまとシオン、祖国のために、この力と身体を捧げたいと常々考えておりました。そう躾られ、そう信じて育って参りました。しかしながら、わたしの“魔法”は常に失敗しておりました。ご存知のように、付いた“二つ名”は“ゼロ”。嘲りと侮蔑の中、いつも口惜しさに身体を震わせておりました」

 ルイズはキッパリと言い切った。

「しかし、そんなわたしに神は力を与えてくださいました。わたしは自分が信じるモノのために、この力を使いとう存じます。それでも陛下が要らぬと仰るなら、“杖”を陛下に御返しせねばなりません」

 アンリエッタは、ルイズのその口上に心打たれたといった様子を見せる。

「理解ったわルイズ。貴女は今でも……1番の私のお友達。“ラグドリアンの湖畔”でも、貴女は私を助けてくれたわね。私の身代わりに、ベッドに入ってくださって……」

「姫さま」

 ルイズとアンリエッタは、ひし、と抱き合った。シオンは、そんな2人を温かく見守っている。

 才人は相変わらず蚊帳の外で、(ルイズの奴、安請け合いしやがって…姫さまの力になるのは良いけど……俺はどーすんだよ。帰る方法の手がかりを探しに東へと旅してみたいのに……姫さまの手伝いをするんじゃ、そうもいかないだろうが)といった表情を浮かべながらボンヤリと頭を掻いた。

「これからも、私の力になってくれると言うのねルイズ」

「当然ですわ、姫さま」

「ならば、あの“始祖の祈祷書”は貴女に授けましょう。しかしルイズ、これだけは約束して。決して“虚無の使い手”ということを、口外しませんように。また、みだりに使用してはなりません」

「畏まりました」

「これから、貴女たちは私直属の女官ということにいたします」

 アンリエッタは羽ペンを取ると、サラサラと羊皮紙になにかをしたためる。それから羽ペンを振ると、書面に花押が付いた。

「これをお持ちなさい。私が発行する正式な許可証です。“王宮”を含む、国外への汎ゆる場所への通行と、警察権を含む公的機関の使用を認めた許可証です。自由がなければ、仕事もし難いでしょうから」

 シオンとルイズは恭しく礼をすると、その許可証を受け取った。

 アンリエッタのお墨付であり、2人はある意味、女王の権利を行使する許可を与えられたのである。

「貴女たちにしか解決できない事件が持ち上がったら、必ず相談いたします。表向きは、これまで通り“魔法学院”の生徒として振る舞って頂戴。まあ言わずとも貴女たちなら、きっと上手くやってくれるわね」

 それからアンリエッタは、憮然としている才人、そして俺へと向き直る。そして、思い付いたように、身体中のポケットを探り、そこにあった宝石や金貨を取り出すと、それを同じ数に分けて、それぞれ俺と才人に手渡す。

「これからもルイズを、シオンを……私の大事なお友達をよろしく御願いしますわね。優しい“使い魔”さん」

「そ、そんな……こんなに沢山受け取れませんよ」

 才人は手に持った金銀宝石を見て、呆気に取られた。

「是非、受け取ってくださいな。本当なら貴男たちを“シュヴァリエ”に叙さねばならぬのに、それが適わぬ無力な女王のせめてもの感謝の気持ちです。貴男たちは私と祖国に忠誠を示してくださいました。報いるところがなければなりませぬ」

 アンリエッタは真摯な眼でそう告げた。

 才人は、(これを受け取ったら、ルイズの手伝いをこれからもしなくちゃいかんだろう……こっちの世界の人間じゃないし、姫様の臣下でもないのだから、そこまで責任を感じなくても良いんだろけど……どうしよう? ああ、これも“運命”なのかもしれないな。いや、“運命”と言うよりは性格だな。俺は姫さまみたいな美人に、お願いしますと言われて断れるような性格じゃない。ウキウキしてしまう俺がいる。はあ……モテなかった“日本”時代が、こんなところで尾を引くとは。帰る手掛かりを探すのはしばらく先になりそうだな)と思っている様子を見せる。

 才人は、金貨と宝石を受け取り、自身のポケットに突っ込んだ。

「ふむ。謝礼を貰うようなことではないが、ありがたく、貰い受けよう。さて……こちらからもいくつか話すべきことがある」

 俺の言葉に、シオンとアンリエッタは首肯き、ルイズと才人の2人は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才人とルイズ、シオンと俺の4人は、並んで“王宮”を出た。

「まったく……お前ってば安請け合いしやがって……」

「どういう意味よ?」

 ルイズは、才人を見上げて睨んだ。

「お前が姫さまの手伝いをするなんて言うから、東に行けなくなったじゃねえか」

 憮然とした声で、才人は言った。

「勝手に行けば良いじゃない。誰も残ってなんて頼んでないわ」

 ルイズはプイッと顔を逸らすと、俺たちを置いて歩き出し、才人とシオンは追いかける。

「そういう言い方はないんじゃねえのか? だったらこんな!」

 才人は自分の身体に付けられた、猛獣用の拘束具を指さした。

「もん付けんじゃねえよッ!」

「“使い魔”が勝手なことしないように、鎖を付けるのは飼い主の義務でしょ。“令呪”と同じように。そうでしょ?」

 澄ました顔して、ルイズは自身が持つ“令呪”を見せながら言った。

 才人は、はたと気付いてルイズの肩を掴んだ。

 そこはもう、“王宮”前の“ブルドンネ街”。大通りである。通行人が「何事?」といった目でジロジロと見詰めて来ているのである。

「もう! 人が見てるじゃない! 離してよ!」

 低い声で才人は言った。

「お前……俺が帰らない方が良いとか、思ってるんだろ?」

 ルイズはその言葉に、うっ! と顔色を変えた。

「やっぱりそうだ。そうなんだな? 俺がいないと困るんだろ? 姫さまの手伝いがし難くなるからな」

 ルイズは、「違うわ」と言いそうになるが口を噤んだ。

 才人を元の世界に返したくない訳ではないのは確かだろう。だが、それを口にしてしまえば、才人に対するもやもやした気持ちを告げることになってしまう。それは、ルイズのプライドが許さないのであろう。

 そんな訳で、ルイズは仕方なく首肯いた。首肯いてしまった。

「そ、そうよっ! あなたみたいなへぼ“使い魔”でも、いなくちゃそれなりに困るからね!」

「可愛くねぇ。なんだよそれ」

 才人はそう呟くと、再び歩き出す。

 才人は、(なんだよ。好きだから、とは言わねえよ。せめて寂しくなるからとか、側にいて欲しいとか、そのくらいのこと言ってくれれば、こっちも気持ち良く手伝うことだってできるのに。宛にならない帰る方法探しは、そしたら後でも構わねえよ。さっき姫さまに頼まれた時だって、面倒臭えなあ、と思う反面、ちょっと嬉しくもあったんだ。“日本”にいた時は、誰も俺を必要としてくれなかった。いてもいなくても、きっと“地球”は回るだろうさ。でも、こっちの世界は違う。シエスタや姫さま……何人かの人たちが俺を必要としてくれてるのは素直に嬉しい。ルイズにもっと俺を必要に感じて欲しい。でも、さっきの言い方はまるで“ガンダールヴ”の力だけに用があるみたいじゃねえか)と思ったのだろう、唇を尖らせ、拗ねた様子を見せる。

 ツカツカと人混みを掻き分け、歩く。

 街は戦勝祝いで未だに賑わっている。酔っ払った一団が、ワインやエールの入った杯を掲げ、口々に「乾杯!」と叫んでは空にしている。

 ルイズは才人に「可愛くねぇ」と言われたショックで、しばし立ち竦んでしまった。下を向いて、下唇を噛んで、しばらくして顔を上げると、シオンと俺はまだ近くにいるが、才人はもう人混みに紛れて姿が見えなかった。

 ルイズは慌てて駆け出した。

「痛ぇな!」

 勢いあまって、ルイズは1人の男に打つかってしまった。

 その男は、その服装などからどうやら傭兵崩れらしいことが判る。手に酒の瓶を持って、それをグビグビ喇叭呑みしている。相当に出来上がっている様子だ。

 ルイズはその男の脇を通り抜けようとしたが、腕を掴まれてしまった。

「待ちなよ、お嬢さん。人に打つかって謝りもしねえで通り抜けるって法はねえ」

 かたわらの傭兵仲間らしき男たちが、ルイズの羽織ったマントに気付き、「“貴族”じゃねえか」と呟いた。

 しかし、ルイズの腕を握った男は、酔いの所為もあるのか動じない。

「今日は“タルブ”の戦勝祝いのお祭りさ。無礼講だ。“貴族”も兵隊も町人もねえよ。ほら、“貴族”のお嬢さん、打つかった詫びに、俺に一杯注いでくれ」

 男はそう言って、ワインの瓶を突き出した。

「離しなさい! 無礼者!」

 ルイズが叫ぶ。

 途端に男の顔が凶悪に歪んだ。

「なんでぇ、俺には注げねえってか。おい! 誰が“タルブ”で“アルビオン”軍を殺っつけたと思ってるんでぇ! 聖女でもてめえら“貴族”でもねえ、俺たち兵隊さ!」

 男はルイズの髪を掴もうとする。

 俺たちが止めようと向かったが、それより速くその手が第三者によって遮られる。

 いつの間にか現れた、戻って来た才人が、男の手をがっしりと掴んでいたのである。

「なんだてめえ。ガキは引っ込んでろ!」

「離せよ」

 才人は、(昔なら……こんな怖い顔をした男にこんな風に凄まれたら、足が震えただろうな。だけど、今では相応の修羅場をくぐって来たんだ。それなりの度胸が付いた。それにいざとなれば背中のデルフを握れば良い。抜かずとも、握るだけでここにいる兵隊全員を、セイヴァーの手を借りずとも叩き退めすことだってできるだろうし)といった表情を浮かべ、静かな声で言った。

 酔っ払った男は、才人が背負った剣と、その表情を交互に眺めた。長年戦場を生き抜いて来たであろう経験が、才人の態度がただのハッタリではないということを教えてくれている様子である。男はつまらなさそうに唾を吐くと、仲間を促し 去って行った。

 才人は無言でルイズの手を取り、歩き出した。

 ルイズは才人になにかを言おうとした。が、気が動転しているのであろう、上手く言葉にならない様子である。

 才人はズンズンと人混みを掻き分けて歩く。

 シオンと俺は、一瞬互いに笑顔で顔を合わせ、その後を追いかける。

 ルイズは、「怒ってるの?」と小さな声で尋ねた。

 才人は、ぶっきら棒な声で「別に」と答えた。

 手を握られて、ルイズは少しばかりドギマギとした様子を見せている。

 引き摺られるようにして、ルイズは歩く。

 冷たくされた分だけ気持ちは弾んだが、それを悟られたくないと思ってしまうルイズであった。

 

 

 

 ルイズは才人に手を繋がれて歩くうちに、ウキウキし始めた。街はお祭騒ぎで華やかであるし、楽しそうな見世物や、珍しい品々を取り揃えた屋台や露店が通りを埋めているのである。

 地方領主の娘であるルイズは、こんな風に賑やかな街を歩いたことがなかった。そして異性と手を繋いで街を歩くなどということもまた、したことがなかったのである。そういったことから、その両方が、重かったルイズの心を軽くさせた。

 才人が「しっかし、すごい騒ぎだな」と言うと、「ほんとね」とルイズもつい楽しそうに呟く。

「俺たちの世界のお祭りもこんな感じなんだぜ」

「そうなの?」

「うん。こんな風に、派手な露店が並んでさ……金魚すくいや、ヨーヨー釣りや、お好み焼きや、べっこうあめの屋台が並んで……」

 そう言って才人は、遠い目になった。

 ルイズは、才人が急にどこかに行ってしまうような不安な気持ちになったのだろう、キュッとそんな才人の手を強く握る。

 ルイズは、(いつか……サイトが帰る日は確実にやって来るのは理解ってる。でも。こうやって並んで歩いている時くらい、わたしの方を見て欲しいわ)といった風なことを思った。そして同時に、そんな風に思ってしまう自分に腹が立つといった表情を浮かべ始める。「好きだから? 違うもん。なんて言うか、そう、プライドの問題ね」と、自分に言い聞かせた後、ルイズは辺りを見回す。

 そして、わぁっ、と叫んで立ち止まる。

「なんだよ?」

 才人が振り返る。

 ルイズは、宝石商に目を留めたらしい。

 立てられた“ラシャの布”に、指輪やネックレスなんかが並べられている。

 才人が「見たいのか?」と尋ねると、ルイズは頬を染めて首肯いた。

 シオンもまた気になったのか、2人と一緒にそのの露店へと近付く。

 俺たちが近付くと、頭にターバンを巻いた商人が揉み手をした。

「おや!? 入らっしゃい! 見てください“貴族”のお嬢さん方。珍しい石を取り揃えました。“錬金”で造られた紛い物じゃございませんよ」

 並んだ宝石は、“貴族”が身に着けるにしては装飾がゴテゴテしており、お世辞にも趣味が良いとは言い難い代物だと言えるだろう。

 ルイズはペンダントを手に取った。貝殻を彫って造られた、真っ白なペンダント。周りには大きな宝石がたくさん嵌め込まれている。しかし、良く見ると小さな造りであった。宝石にしたって、安い水晶であろう。

 だが、ルイズはそのキラキラと光るペンダントが気に入った様子だ。騒がしいお祭りの雰囲気の中では、高級品よりも、こういった下賤で派手なモノの方が目を引くのであろう。

「欲しいのか?」

 才人の言葉に、ルイズは困ったように首を振った。

「お金がないもの」

「それでしたらお安くしますよ。4“エキュー”にしときます」

 商人はニッコリと微笑んだ。

「高いわ!」

 ルイズは叫んだ。

「お前、そんくらい持ってないのか?」

 才人が呆れたように言うと、ルイズはつまらなさそうに唇を尖らせた。

「この前、生意気に剣を買ったじゃない。あれで今季のお小遣いはなくなっちゃったわ」

 才人は仕方なく、ポケットを探った。ジャラジャラと先ほどアンリエッタに下賜された金貨を掴む。

 掌に、1円玉くらいの大きさの金貨を山盛りにして、才人は尋ねた。

「これで何枚なんだ?」

 商人は、才人がそんなにお金を持っているとは当然思わなかたのであろう、驚いている。

「こ、こんなに要りませんよ! ひい、ふう、みい……これで結構です」

 先々王の肖像が彫られた金貨を4枚取り上げると、商人はルイズへとペンダントを渡す。

 ルイズはしばし呆気に取られた様子を見せるが、思わず頬を緩めてしまう。才人は、アンリエッタに下賜されたお金で、まずルイズのための買い物をしたのである。それが凄く嬉しかったのであろう。手でしばし弄り回した後、ウキウキ気分でペンダントを首に巻いて見る。

 商人が、「お似合いですよ」とお愛想を言った。

 才人に見て欲しいのだろう、ルイズは彼の服の袖を引っ張る。

 しかし才人はジッと隣の露店と一画を見て、動かない。

 才人がジッと見詰めているのは、地面に並べられた“アルビオン”軍からの分捕品であった。おそらく捕虜を管理する兵隊が、商人に流したモノであろう。敵兵から奪った品々……剣や鎧、そして服や時計などがある。

 才人は一着の服を手に取った。

 自分を見てくれないので、ルイズはつまらなさそうに唇を尖らせた。

 だが、よくよく考えて見ると、才人は着た切り雀だと言えるだろう。ルイズは、(新しい服が欲しくなるのは無理からぬことね)と思った。

「なによ、服が欲しいの? どうせ着るんならそんな敵が着ていた中古じゃなくて、もっと良いの着なさいよ」

 しかし、才人は答えず、一着の服を手に取り、プルプルと震えている。

「お客さん、お目が高けえ。それは“アルビオン”の水兵服でさ。安い造りだが、便利にできてる。こうやって膝を立てれば、風を見ることだってできる」

 その商人の言葉に、才人は(水兵服? なるほど! で、でもこれは俺たちの国では、水兵が着るモノというより……サイズは大きいけど、例えばシエスタ辺りに仕立て直して貰って……シエスタが、これを着ると? イケる。楽しみが増える。いや、そうじゃない。個人的な楽しみではない。お礼だ。マフラーのお礼ダヨ! やましいことなんか、ここ、これっぽちもないんだからな。そうだ冴えてるぞ。お金は、こういうことに使うべきなのだ)といった表情を浮かべる。

 才人は、「いくら?」と感極まった声で、才人は尋ねた。

「3着で、1“エキュー”で結構でさ」

 ルイズは、中古を貰ったて要らないこともあって呆れた様子を見せた。

 しかし才人はそれを、言い値で買い込んだ。

「店主、これら宝石全てを、これで買えるか?」

 俺は宝石店に並ぶ本物の宝石を見繕い、アンリエッタから下賜された金貨をいくつか出し、宝石店の店主へと見せる。

 選び取り、買ったのは、そのどれもが長い年月をかけて宝石となった確かなものである。

「へ、へえ……十分でさあ」

「感謝する」

「ねえ、これだけの宝石、どうするつもりなの? セイヴァー」

「“宝石魔術”だ。宝石はな、持ち主の念を込めやすく、“魔力”を込めやすい。長い時間が経っていると、それ相応の“魔力”と“神秘”などがあるからな」

 

 

 

 

 

 部屋に帰って来たルイズは、ベッドの上に横たわると、鼻歌交じりで“始祖の祈祷書”を開いた。どうやらご機嫌な様子である。

 才人はコッソリと部屋を抜け出して、今日買った品をシエスタに届けに行こうとしたが、“杖”を振って“ロック”をかけたルイズに鍵を閉められてしまった。

「こんな夜中に、どこに行くのよ?」

「え? いや……」

 今日買って来た水兵服を、シエスタに届けに行くとは言えない才人は言葉を詰まらせるが、どうにか口を開く。

「よ、夜風に当たりたくなって! わは! わっはっは!」

 ルイズはジロッと才人を睨んだ。それからツカツカと才人の所にやって来ると、ガバッと、パーカーを脱がせにかかった。

「な、なにすんだよ!?」

「脱いで」

「脱げねえよ! 猛獣の拘束具とやらが邪魔で!」

 才人がそう怒鳴ると、ルイズは少し俯いて拘束具の鍵を外した。今日、街でペンダントを買って貰ったこともあり、(お風呂の全部という訳ではないけど、ちょっと赦してやろうかしら)と思ったのであろう。

 ルイズは拘束具を外すと才人のパーカーをキュッと抱き締めて、「あっち向いてなさいよ」と言った。

 服を全部脱ぎ捨て、才人のパーカーを羽織っただけの姿になったルイズは唇を尖らせる。

「その格好で散歩に行く気?」

 Tシャツ姿になってしまったった才人は、(とりあえずシエスタに届けに行くのは明日の夜にしよう)と思った。

 初夏とはいえ、“ハルケギニア”の気候は“日本”とは全然違う。この格好だと、少し冷えるだろう。この格好で行ったら、ルイズは訝しむに違いない。

「夜風より、あんたには大事なことがあるでしょー。ご主人さまのお相手を務めなきゃ、駄目でしょー」

 ベッドに寝転がり、足をバタバタさせてルイズは言った。

 仕方なくといった風に、才人はベッドに腰かけた。

「理解ったよ」

 ルイズはベッドに寝そべったまま、“始祖の祈祷書”を読み始めた。

「真っ白じゃねえか」

「わたしには詠めるのよ」

 ルイズは指に嵌めた“水のルビー”を才人に見せ、“始祖の祈祷書”との関係を才人に説明した。

「へえ、“虚無の系統”ねえ……」

 才人は、あの日、艦隊を吹き飛ばした“魔法”の光を思い出した。

 “虚無”。それは“始祖ブリミル”が用いし“伝説の系統”……そしてその“始祖ブリミル”が使ったといわれる“使い魔ガンダールヴ”。“汎ゆる武器を使い熟す能力でもって、始祖の呪文詠唱の時間を守った伝説の使い魔”……それが自分だと才人は思った。

「じゃあお前は、この世界で最強の“魔法”使いなのか? 良かったな! ビリから一気に1番じゃねえか」

「そうとも言い切れないの。ガッカリさせたくなくて、姫さまとシオンに言わなかったけど……」

 ルイズは溜め息混じりに、“杖”を取り上げた。

「な、なんだよ?」

 それからルイズは、ゆっくりと“呪文”を唱え始めた。

「“エオルー・スーヌ・フィル”……」

「や、やめろ! 馬鹿!」

 こんな所で、あれだけの規模の爆発を起こされては、堪まったモノではない。

 才人はルイズを止めようとするが、彼女は“詠唱”を止めようとしない。

「“ヤルンサクサ”」

 そこまで唱えて、耐え切れなかったようで、ルイズは“杖”を振った。

 才人の藁束が、ボーンと爆発して飛び散った。

 そしてルイズは白目を剥いて、バタッとベッドに崩れ落ちた。

「ルルル、ルイズ? ルイズッ!?」

 才人は慌てて、ルイズを揺さぶった。

 しばらく揺さぶると、ルイズはパッチリと目を開けた。

「あううう……」

「な、なんだよ!? どうした!?」

 頭を振りながら、ルイズはムックリと起き上がった。

「そんな大騒ぎしないでよ。ちょっと気絶しただけよ」

「え? えええ!?」

「最後まで“エクスプロージョン”を唱えれたのは、あの時こっきり……それから何度唱えようとしても、途中で気絶しちゃうの。一応爆発はするんだけど」

「どういうことだよ?」

「たぶん、“精神力”が足りないんだと思うの」

「“精神力”ぅ?」

「そうよ。“魔法”は“精神力”を消費して唱えるのよ。知らなかったの?」

「そんなの、知るかっつの」

 ルイズはチョコンと正座すると、指を立てて得意げに説明を始めた。

「いつかあんたに、“メイジ”にはその足せる“系統”の数で、クラスが決まるって説明したわよね? 1つの“系統”しか使えない“メイジ”は“ドット”。2つ足せるようになると“ライン”。3つ足せるのが“トライアングル”。クラスは“呪文”に適用されるわ。クラスは“呪文”に適用されるわ。3つの“系統”を足した“呪文”は、“トライアングル・スペル”って呼ばれるの。おおよそ“呪文”のクラスが1個あるごとに、“精神力”の消費は倍になるの」

「はぁ」

「例えば、“精神力”8の“ライン・メイジ”がいて、その“メイジ”は“ドット”の“呪文”を使用する時4の“精神力”を消費すると仮定するわね。個人差があるから、一概には言えないけど」

「はぁ」

「その“メイジ”は、まあ大体、1日2回、“ドット”の“呪文”を唱えることができるわ。8割る4は2だからね。だから、2回使ったら打ち止めね。そして“ライン”の“呪文”を唱える時は、倍“精神力”を消費するから、8割る8は1で、1回だけ」

「はぁ」

「この“ライン・メイジ”が“トライアングル・メイジ”に成長すると、“ドット”の“呪文”を使用する際の“精神力”の消費はおおよそ半分になるの。だから8割る2は4で、“ドット”の“呪文”が4回使えるようになるわ。“ライン”の“呪文”は2回使える。“トライアングル”の“呪文”は1回。そんな感じで“メイジ”は成長するの」

「はぁ。詰まり、低いクラスの“呪文”は何度も唱えることができるけど、高いクラスの“呪文”は、そう何度も唱えることができないいって訳か?」

「そうよ。“呪文”と“精神力”の関係は理解した?」

「なんとなく。じゃあ、さっきお前が気絶したのは……」

「そう。“精神力”が切れちゃったの。無理するとさっきみたいに気絶しちゃうわ。“呪文”が強力過ぎて、わたしの“精神力”が足りないんだわ」

「じゃあどうして、この前は唱えられたんだよ?」

「そうね……どうしてなのかしら……それが疑問なのよね……」

「“精神力”とやらは、どうやったら回復するの?」

「大体、睡眠を取れば回復するわ」

 才人は腕を組んで考え込んだ。

「うむむ……えっと、今までお前は、まともに“呪文”を唱えられなかったんだろ?」

「そうね」

「だから“精神力”とやらが溜まりに溜まってたんじゃねえのか? それを、あの1回で使い切ってしまったと」

 ルイズはハッとした顔になった。

「例えば、お前の“精神力”が100だとする。あの“エクスプロージョン”は、1回で100を消費しちまう。普通だったら、1晩寝れば“精神力”は回復するけど、お前の場合は必要な量が多過ぎて……なにせ100だからな……一晩寝たくらいでは中々溜まらない」

 才人は思い付いた仮定を淡々と述べた。

「なんてな! 俺に、お前らの“魔法”のことなんか理解る訳ないけどな」

 しかし、ルイズは真剣な表情を浮かべている。

「そうかもしれないわ……」

「え? ええ?」

「4つの“土”を足して唱えられる“スクウェア・クラス”の“錬金”は、黄金を生み出すことができるわ。でも、どうしてこの世が贋金だらけにならないかわかる?」

「ふぇ?」

「“スクウェア・メイジ”と言えど、“スクウェア・スペル”はそう何度も唱えられない。下手すると、1週間に1度、1月に1度だったりするの。それでも、“錬金”できる黄金はホントに微量。だから黄金はお金として通用するのよ」

「ふむむ……」

「つまり、強力な“呪文”を使うための“精神力”が溜まるのには、時間がかかるってことなの。わたしの場合も、そうなのかもしれないわ」

「とすると……次、最後まで唱えられるようになるのは……」

「わかんないわ。自分でも……1月なのか、もしかしたら、1年なのか……」

 ルイズは考え込んでしまった。

「10年とか」

「怖いこと言わないで」

「でも、成功することは成功するんだよな?」

「そうね。“虚無”はホントにわからないことばかり。なにせ、“呪文詠唱”が途中でも、効力を発揮するんだもの。そんな“呪文”聞いたことがないわ」

「規模は小さいけどな。うう、俺の藁束……」

 才人は粉々に飛び散った藁束を見詰めた。

「良いじゃないのよ。藁束なんかなくたって」

 ルイズは、頬を染めて呟く。

 はぁ、と溜息を吐いて才人は気付いた。説明に夢中になって、ルイズの様子に気付かなかったが、パーカーの裾が捲れて、寝転がったルイズの御尻が、ほんの少し、顔を覗かせているのである。

 才人は気付くと同時に思わず鼻を押さえた。

 才人のその仕草で、ルイズもパーカーが捲れていることに気付いたのであろう。ガバッと跳ね起き、パーカーの裾を押さえて顔を真っ赤にした。

「な!? 見た!? 見た見た!? 見たーーーーーーーーーーッ!」

「お、お前がパンツを履かないのが悪いんだろうが!」

 才人も怒鳴った。

「寝る時は履かないんだもん! 決まってるもん!」

「決まってねえよ!」

 ルイズは唇を噛んだ後、ゴソゴソと布団の中に潜り込んだ。

「寝る」

 才人も仕方なく毛布の端っこに潜り込んだ。

 拗ねたようなルイズの声が、布団の中から聞こえてくる。

「覗きをする“使い魔”は、藁束で寝てなさい」

「お前が爆発させたんだけど」

 しばらくルイズは布団の中で唸っていたが、そのうちに大人しくなった。

 才人も、(ああ、明日の夜こそシエスタに水兵服を届けなくちゃ)と思いながら、眠りに就いた。



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才人式セーラー服とルイズの嫉妬

 陽光眩しい“アウストリの広場”で、才人は地面いっぱいに這いつくばり激しく身震いした。それから顔を上げ。自分がプロデュースした芸術品を見詰めた後、再び感動した様子で悶狂った。

 はぁはぁはぁ……と、彼の呼吸は荒く熱い。

 胸の高鳴りは何度も絶頂を数え、才人を魂のユートピアへと運んで行く。

 才人は、「震えろ、鼓動のビート。高鳴れ、望郷のハート。もっともっと熱く震えて、俺の天才を祝福してくれ……天使はいた。ここにいた。生きてて良かった……」と小さく呟き、地面に生えた草を握り締め、高らかに咆哮した。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおオオオオッ! 俺ッ、サイッコォオオオッ!」

 それから、彼にとっての眼の前の天使を指さした。

「シエスタも最高ぉおおおおォォォォッ!」

 シエスタは唖然として、才人が悶狂う様を見つめている。

 思わず彼女は、「サイトさん、ヘン……」と呟く。

 そのくらい、才人の様子は尋常ではなかったのである。

 俺もまた思わず少し引いてしまった。同時に、前世での――生前での俺もまた、今の彼とベクトルは違えど似たようなモノだっただろうと自嘲する。

「で、でも、この服……」

「な、なにッ? どうしたの? どこか不具合でもッ!?」

 シエスタの言葉に、才人はガバッと跳ね起き、彼女に詰め寄った。

「い、いえ……だってこれ、軍服なんでしょう? わたしなんかが着ても、様にならないんじゃ……」

「馬鹿言うなッ!」

 才人の剣幕に、ひっ、とシエスタは後退った。

「こっちのぉおおォォッ! せせ、世界ではぁッ! 確かにそれは水兵服かもしれまセンッ! でむぅぉおオッ! 僕たちの世界でぇはァアッ! シエスタくらいの年の女の子はそれ着て学校に通うッ! 現在進行系で通っているぅううウウウウウッ!」

「は、はい……」

 シエスタは圧倒され、「ああ、サイトさん、ヘンを超えてる……」と呟く。

 それから才人は半泣きで絶叫した。

「それは僕たちの世界でセーラー服と呼ばれてますッ! 生まれてすいましぇえエエンッ!」

「そ、そうなんですか? セイヴァーさん」

「ああ、厳密には違うがね。正確にかつ噛み砕いて言うのであれば……そうだな、俺たちの世界にあるセーラー服と呼ばれる服は、元軍服。俺たちの国の“日本”とは違う、異国の水兵が着ていたモノを輸入し、改造及び改良し、流れ、発展したモノだ。とにかくお前は、自重しろ、才人……」

 シエスタは、(そうだったのね。これはサイトさん達の故郷の格好なんだわ……)と思った。

 昨晩、才人がシエスタの元を訪ね、表情で件の水兵服をシエスタへと強張った表情で手渡し、「シエスタが着られるように仕立て直してくれ」と言ったのだ。その時間、シエスタは、(正直サイトさんの頭が沸いてしまった)と思った。それでもシエスタは、才人が自分の服を買って来たことが素直に嬉しく感じられたのである。

 そして今、故郷の装いをさせて悦ぶ才人を“愛”おしく感じてしまっている。今の才人は普通であればドン引きする以外はありえないだろうほどの様子であるのだが、シエスタはそんな理由で頬を染めているのである。

「最初はサイトさんが可怪しくなったと思ったけど、そんな理由があったのね……」

 シエスタは、「理解りました!」と首肯いて、真顔で才人に向き直った。

「どうすれば、もっと喜んで貰えるんですか?」

 才人は上から下までシエスタの格好を見詰め直した。

 まず上着。“アルビオン”の水兵服を仕立て直した逸品である。白地の長袖に、黒い袖の折り返し。襟とスカーフは濃い紺色である。襟には白い3本線が走っている。

 そして、才人はその天才性を丈に凝縮させた。彼は、極力、胴の丈を短くするようにシエスタへと指示したのである。上着の丈は短く詰められ、スカートの上位までしかない。スタがって、シエスタが身を捩るたびに、ヘソが見えるのだ。

 そしてスカート。いけないことなのだが、ルイズの替えの制服を無断で借用しているのである。元々プリーツが付いていたこともあって応用が利いている。これもまた極力、丈を詰めさせたらしい。結果、“異世界(ハルケギニア)”初かもしれない、膝上15cmが実現している。

 そして靴下。才人の趣味と現実が鬩ぎ合うところであった。才人は慎重に紺色の靴下を選び出し、あてがったのだ。

 靴。いつもシエスタが履いている編み上げのブーツである。輝く芸術の唯一の傷であると言えるだろう。ここはやはりローファーが欲しいところだろうか。しかし悲しいかな、この世界にはローファーは存在しなかったのである。

 とにかく全て才人が吟味し、あらゆる部分に口を出し、コーディネイトした品々であった。

 いつもはエプロンに隠れて存在がわからない、いけない胸が、その手製のセーラー服を持ち上げている。羚羊のように健康そうな脚はスラリと伸びて、膝上15cmのスカートに吸い込まれているのだ。シエスタは普段短いスカートを履かなないので、俺と才人は懐かしさと新鮮さが入り混ざった感情を覚え、その感動は一入であると言えるだろう。

「言って! サイトさん! どうすればわたし、もっとサイトさんの故郷に近付けるの!? セイヴァーさんも!」

 才人も、俺も考えた。特に、才人は真剣に、命懸けといった様子で。

 色々なパターンが頭の中に蘇る。高性能の計算機の如く、才人の頭が回転している。

 才人の心の声が、「サイト、アレシカナイヨ」と呟き、「そうだよ。それしかねえ……ねえンだ……」、と泣き出しそうな声を絞り出した。

「回ってくれ」

「え?」

「クルリと、回転してくれ。そしてその後、“お待たせッ!”って元気良く俺に言ってくれ」

 幼い頃、「近付いちゃイケませんよ」と母に教えられたタイプの男性と才人がダブり、シエスタは引いた。

「嫌なら断っても良いんだぞ」

 だが、それ以上に、シエスタは才人を喜ばせたかった。決心したように、俺の言葉ではなく才人の言葉に対して「は、はい……」と首肯いて、シエスタは回転した。

 スカーフとスカートが軽やかに舞い上がる。

「お、お待たせっ」

「ちがーうッ!」

「ひっ!?」

「最後は指立てて、ネ。元気良く。もう1回」

 シエスタは首肯くと、言われた通りに繰り返した。

 見ると、才人は泣いていた。

「きき、き、君の勇気にありがとう」

 シエスタは、(良いのシエスタ? この人で、本当に良いの?)といったそんな思いが冷静な部分からちょっぴり湧いて来たが、彼女はそんな考えを抑え込んだ。そして、(誰にだって、人に言えない趣味嗜好があるわ。サイトさんだって例外じゃない。そうよ、それだけよ……そう、それだけっ!)と自分に明るく言い聞かせ、ニッコリ微笑む。シエスタは強いのである。

「次はどうするの?」

「えっと、次は……」

 才人が腕を組んで考え込むと、ギクシャクとした足取りの2人組がこちらへと歩いて来た。

 ギーシュとマリコルヌだ。今この時期では、珍しい取り合わせであるといえるだろう。

 2人は、ジッとシエスタのことを物陰から覗いていたのだ。

 おほん、とギーシュがもったいぶった咳をする。

「それは、なんだね? その服はなんだねッ!?」

 ギーシュは何故か泣きそうな顔で怒ったような、興奮した様子で口にした。マリコルヌも、ワナワナと震えながらシエスタを指さした。

「けけ、けしからん! まったくもってけしからんッ! そうだなッ! ギーシュッ!」

「ああ、こんなッ! こんなけしからん衣装は見たことがないぞッ! のののッ!」

「ののの脳髄をッ! 直撃するじゃないかッ!」

 2人の目は爛々と輝き、シエスタを食い入るように見つめているのだ。

 シエスタは、「わーん頭痛いの増えたー」と切なくなったが、相手は“貴族”である、仕方なく愛想笑いを浮かべて上げた。

 マリコルヌとギーシュは、その笑顔とセーラー服に完全にやられたらしく、フラフラと夢遊病者のような足取りで近付いて来る。

 シエスタは見の危険を感じ、「じゃ、仕事に戻りますッ!」と一声告げて疾走り去った。

 その後ろ姿を見守りながら、ギーシュは「可憐だ……」と夢見るような口調で呟いた。

 マリコルヌもまた、「まったくだ……」とうっとりした声で呟いた。

「なんなんだよ!? お前ら!?」

 才人が怒鳴ると、2人は我に返った様子を見せる。

 それから、ギーシュは才人の肩を抱いた。

「な、なあ君。あの衣装をどこで買ったんだ?」

「訊いてどうする?」

 ギーシュは、はにかんだ笑みを浮かべて言った。

「あ、あの可憐な装いを、プレゼントしたい人物がいるんだ」

「姫さま?」

「馬鹿者! 恐れ多い! 恐れ多いぞ! 姫殿下は、今や女王陛下だ! ああ、手の届かない、高い場所に行ってしまわれた……姫殿下ならまだしも、女王陛下では……」

 高いも何も、はなから全然相手にされてなかったのだが、才人と俺はそれを黙る。

「それでやっと、僕は思い出したんだ。いつも側にいて、僕を見つめ続けてくれていた可憐な眼差しを……あの麗しい金髪を、芳しい、香水のような微笑を……」

 そこでようやく才人は、「ああ元カノか」と気付いた様子を見せる。

「モンモン?」

「モンモンじゃない! モンモランシーだ!」

「なるほど、よりを戻したくなったのか。お前って本当に節操ねえのな」

「君に言われたくない。さてと、では教えたまえ。どこで売ってた?」

「ふん。お前なんかに芸術が理解るかっつの」

 才人は、(故郷の想い出を、お前なんかに汚されたくはない)といった表情を浮かべ、吐き出すように言った。

「仕方ない。今の出来事をキチンと報告した上で、ルイズに尋ねて見よう」

 ギーシュは、俺へと質問することなく、才人をねだるための言葉を口にする。それは、まったく魔法の言葉であると言えるだろう。

「あと2着ある。好きに使ってくれ」

 才人から最大限の譲歩を、瞬間的に引き出したのだから。

「しっかし、あの装いはなんなんだ? どっかで見たことあるような……確か水兵が着ている服じゃないのか? それが、うーむ。女の子が着るだけで、あんなに魅力を放つとは! 不思議だ」

 腕を組んで、才人は胸を反らせて言った。

「当然だ。俺たちの故郷の、魅力の魔法がかかってる」

 

 

 

 

 

 さて、その日の夜。

 長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳が自慢のモンモランシーは、寮の自分の部屋で“ポーション”を調合していた。どちらかというと痩せぎすで背の高い身体を椅子に預け、夢中になって、ルツボの中の秘薬をすりこ木で捏ね回している。

 “水系統メイジ”である、“香水のモンモランシー”の趣味は“魔法の薬”……“ポーション”作りである。そして“二つ名”の通り、香水造りを得意としているのだ。彼女の造る香水は、独特の素敵な香りを醸し出す逸品と騒がれ、貴婦人や街女たちに大人気なのである。

 この日モンモランシーは、とある“ポーション”造りに熱中していた。

 ただの“ポーション”ではない。いけないことにそれは禁断の“ポーション”。国の触れで、作成と使用を禁じられている代物であった。

 モンモランシーは造った香水を、街で売ってコツコツお金を貯めた。そして今日この日、その貯めたお金を使い、闇の魔法屋で禁断の“ポーション”のレシピと、その調合に必要な高価な秘薬を手に入れたのである。趣味は道徳に勝る。普通の“ポーション”を作り飽きたモンモランシーは、見付かったらただでは済まず、大変な罰金が科せられると知りつつも、禁断とやらを造ってみたくなってしまったのであった。

 滑らかに磨り潰した香水や“竜硫黄”や“マンドラゴラ”などの中に、いよいよ肝心要の秘薬……大枚叩いて手に入れたその液体を入れようと、かたわらの小瓶を手に取った。

 ほんの少量……香水の瓶に収められた、わずかのこの液体のために、モンモランシーは貯めたお金のほとんどを使ってしまったのである。“エキュー金貨”にして700枚。“平民”が、5~6年は暮らせるだろうだけの額であった。

 零さぬように細心の注意を払いながら、小瓶をルツボの中へと傾けていると……扉がノックされて、モンモランシーは跳び上がった。

「だ、誰よ……こんな時に……」

 机の上の材料や器具を引き出しの中に仕舞う。それから、髪を掻き上げながら扉へと向かった、

「どなた?」

「僕だ。ギーシュだ! 君への永久の奉仕者だよ! この扉を開けておくれよ!」

 モンモランシーは、「だーれーがー永久の奉仕者よ」と呟いた。ギーシュの浮気性にはホトホト愛想が尽きていたのだ。並んで街を歩けばキョロキョロと美人に目移りするし、酒場でワインを呑んでいれば、自分が少し席を立った隙に給仕の娘を口説く。終いにはデートの約束を忘れてよその女の子のために花を摘みに行ってしまう。

 流石にこれでは、永久が聞いて呆れるだろう。

 モンモランシーは、イライラした声で言った。

「なにしに来たのよ? もう、貴男とは別れたはずよ」

「僕はちっともそんな風に思っていないよ。でも、君がそう思うのなら、それは僕の責任だね……なにせ、僕はほら、綺麗なモノが大好きだ。つまり僕は美への奉仕者……君も知っての通り、芸術、そう芸術! 綺麗なモノに目がないのでね……」

 モンモランシーは、(芸術が大好き? 趣味が悪いくせに良く言うわ。デートの時に着て来るシャツの色はギンギラの紫だし、赤と緑色スカーフを巻いて来た時間なんか頭痛がしたわよ)と思った。

「でも、僕はもう、君以外を芸術とは認めないことにした。だって、君はなんだか1番芸術してるからね。えっと、金髪とか」

「帰って。わたし、忙しいの」

 モンモランシーが冷たくそう言うと、しばらく沈黙が走った。

 その後、「おいおいおい」と廊下でギーシュが泣き崩れる声が聞こえて来た。

「理解った……そんな風に言われては、僕はこの場で果てるしかない。“愛”する君に、そこまで嫌われたら、僕の生きる価値なんて、これぽっちもないからね」

「勝手にすれば」

 モンモランシーは、(ギーシュみたいな男が、フラれたくらいで死ぬ訳がない)といった考えから釣れない態度を崩さずにいる。

「さて、ではここに……せめて、君が暮らす部屋の扉に僕が生きた証を、君を“愛”した証拠を刻み付けようと思う」

「ま、なにするのよ!? やめてよ!」

 ガリガリガリと掻いたなにかで扉を引っ掻く音が聞こえてくる。

「“愛”に殉じた男、ギーシュ・ド・グラモン。永久の“愛”に破れ、ここに果てる……と」

「と、じゃないわよッ! もう!」

 モンモランシーは扉を開けた。

 ギーシュは満面の笑みを浮かべて立っていた。

「モンモランシー! “愛”してる! 大好きだよ! “愛”してる! “愛”してる!」

 そして、ギーシュはモンモランシーをギュッと抱き締める。

 一瞬、モンモランシーはうっとりとしてしまった。

 ギーシュはとにかく「“愛”してる」という言葉を連発する。ボキャブラリーが貧困な所為ではあるのだが、その台詞を何度も言われることで、モンモランシーは(悪い気はしない)と感じ始めたのである。

 それからギーシュは、持っていた包みをモンモランシーに手渡した。

「……なにこれ?」

「開けてごらん。君へのプレゼントだよ」

 モンモランシーは包みを解いた。

 それは例の水兵服であった。才人経由でシエスタに頼んで、モンモランシーの身体に合うように仕立て直してあるモノだ。

 ギーシュは、仲良くなった女の子のサイズを欠かさず暗記しているのである。

「変な服……」

 モンモランシーは眉を顰めた。

「着てごらん? 似合うはずだよ。君の清純が何倍にも増幅されるから。ほら。早く。なに、僕はあっちを向いているさ」

 ギーシュは後ろを向くと、忙しげに爪を噛み始めた。

 モンモランシーは仕方なさから、シャツを脱いでその上着を着てみた。

「良いわよ」

 振り向いたギーシュの顔が、パァッと華やいだ。

「ああ、モンモランシー……やっぱり君は清純だよ……僕の可愛いモンモランシー……」

 呟きながら、ギーシュはキスをしようとした。

 すっと、その唇をモンモランシーは遮る。

「モンモン……」

 悲しげに、ギーシュの顔が歪む。

「勘違いしないで。部屋の扉は開けたけど、こっちの扉は開けてなにの。まだ、貴男とやり直すって決めた訳じゃないんだから。あと誰がモンモンよ」

 ギーシュはもう、それだけで嬉しくなった。それは脈があるということなのだから。

「僕のモンモランシー! 考えてくれる気になったんだね!」

「理解ったら、出てって! 用事の途中だったんだから!」

 ギーシュは、「はいはい出て行くとも、君がそう言うならいつでも出るさ」、とピョンピョン跳ねながら部屋を出て行った。

 モンモランシーは、鏡に自分の姿を映して見た。

「なによこれ……こんな丈の短い上着、恥ずかしくって着られる訳ないじゃない!」

 だが、良く見ると結構可愛らしいデザインである。

 思わず顔を赤らめるモンモランシー。(ギーシュはわざわざ、これを私のために誂えてくれたんだ。うむむむ……あんな風に好き好きだ言われて……そりゃまあ気分は悪くないわ。元々付き合ってたんだし、嫌いではないんだから)といった様子を見せ始める。

「どうする? 赦しちゃう?」

 だが、かつてのギーシュの浮気っぷりを思い出した。(再び付き合ったって、同じことの繰り返しじゃないのかしら。もう浮気で焼き餅するのは懲り懲りだし。どうしようかなー?)、と考えているうちに、調合していた“ポーション”のことを思い出した。

 引き出しを開ける。先ほど隠した、香水の小瓶に入った秘薬が見えた。

 モンモランシーは首を傾げて、考え込んだ。

 それから、モンモランシーは(うーん、良い機会だし……効果のほども試せるし……この“ポーション”が完成したら、ちょっと使ってみようかしら)、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、教室中が入って来たモンモランシーに一斉に注目した。

 果たして、彼女はセーラー服姿で現れたのである。

 男子生徒たちが逸速く反応を示した。水兵服と女の子の、今まで想像もしなかった絶妙な組み合わせに新鮮な清楚さを感じ、夢中でモンモランシーに魅入ってしまっているのだ。

 女子生徒たちは、そんな風に男子たちが反応したことに対して急速に嫉妬と羨望を覚え、モンモランシーを睨み付けた。

 モンモランシーは教室中の視線を独り占めにしたということまおり、気分が良かった。腰に手をやり、得意そうにツンと澄まして上を向いて、自分の席へと向かった

 ルイズもあんぐりと口を開けて、モンモランシーを見つめた。そして、(あれは確か、サイトが街で買った“アルビオン”軍の水兵服じゃないの?)と勘付く。

 ルイズは隣でなぜかガタガタと震えている才人を突いた。

「ねえ、あれってあんたが買った服でしょ? どうしてモンモランシーが着てるのよ?」

「あ、ああ……その、えへ、あ、ギーシュがくれって言うから……」

 そう言えばギーシュとモンモランシーが付き合っていたことを、ルイズは思い出した。

 ルイズからの「なんでギーシュに上げたの?」といった質問に、才人の身体がさらに震えた。

「え? だって、欲しいって言うから……」

 ルイズは、才人の態度に怪しいモノを感じ、「ねえ、なにを私に隠してるの?」と詰め寄り、ジロッと睨む。

「え? ええ? なにも隠してないよ! 嫌だなあ……」

 才人はジットリと冷や汗が流れるのを感じた。(まさか、モンモランシーが教室に着て来るとは思うわなかった。あれをシエスタにプレゼンとしたことがルイズにバレたら……ルイズ、怒り狂うに違いない。こいつってば、“使い魔”の俺が女の子と仲良くすることがつまらんらしいし。別に俺のこと好きでもなんでもないくせに、許せないらしい。きっと、いつもルイズが言っているに“ご主人さまを蔑ろにする、他の女の子と仲良くする”のが癪に障るんだろうな。なんちゅうの? とにかく“使い魔”に対する独占欲の一種みたいな)、と才人は解釈していた。飼い犬が自分より他人に懐いているとムカつくアレである。ルイズが自分に好意を抱いているとは夢にも思っていない。才人らしい、随分と遠回りな勘違いであった。

 才人は、(嗚呼、この前、シエスタと風呂に入ったことがバレた時なんかひどかった)と恨めしげに、今朝再び取り付けられた拘束具を見詰めた。(あの一件が……シエスタにセーラー服を着せて、クルクル回転スカートをフワッ愉しんだことがルイズにバレたら……天井に吊られ、連続で電気を流されて……しまいにゃ、“虚無”の一撃を喰らって……あの藁束みたいにバラバラに……俺、死ぬかも)、と考え、恐怖で顔が強張らせ、ガタガタガタガタ、と身体を激しく震わせた。(震えるな、怪しまれる!)、と思えば思うほど、身体は震え上がる様子だ。(やっぱり初めからルイズにあのセーラー、プレゼントした方が良かっただろうか? いや、プライドの高いルイズが着る訳がない。それにシエスタの方がセーラーは嵌まる。髪は黒髪だし、8分の1、日本人じゃねえか。ルイズの桃色がかったブロンドは、セーラー服には似合わない。身体も小さいし、すっごいブカブカになってしまう。なに? そ、そうだった! くそ、それはそれで。そ、それはそれで。くそ! 計算ミスだ! 俺としたことが……)、といった風に才人は ブルブルと頭を振って妄想を頭から追い出す。(とにかく、俺はただ故郷の雰囲気を愉しみたかっただけだ。やましい気持ちはない。嘘だけど、ない)、と顔を真っ青にして、激しく震え、ブツブツと呟く。

 そういったこともあって、才人の様子は、ルイズじゃなくとも怪しいと感じさせる。

「ねえ。なに隠してるの? 私に隠し事したら、赦さないかんね」

 ルイズの目が吊り上がった。

「ね、なにも隠してましぇん」

 ルイズは才人を問い詰めようとしたが、教室に先生が入って来たので諦めねばならなかった。

 才人は放課後になると、「鳩に餌をやらなくちゃ」と如何にも取って付けたような、ありえない理由を言い残して逃げ去るようにして教室から消えた。

「いつ鳩なんか飼ったのよ」

 ルイズは思いっ切り不機嫌な顔で呟いた。

 

 

 

 

 

 才人は厨房へと駆け付けた。昼食の時はシエスタも忙しそうではあったし、ルイズの監視が激しくて話しかけることができなかったのである。

 息急き切って現れた才人を見て、厨房で洗い物をしていたシエスタは顔を輝かせた。

「わあ! サイトさん!」

 コック長のマルトーも才人へと近付き、才人の首に太い腕を巻き付ける。

「おい! “我らの剣”! 久し振りだな!」

「ど、ども……」

「やい! 最近、ここに顔を見せないじゃないか! シエスタがいっつも寂しがっているぞ!」

 厨房のあちこちから、わははといった笑い声が飛ぶ。

 シエスタは顔を真っ赤にして、皿を握り締めた。

 才人は素早く、シエスタの耳元に口を寄せた。

「シエスタ」

「は、はい……」

「あの例の服を、仕事が終わったら、持って来てくれないか?」

「え?」

「そうだな……人目に付かない所が良いな……“ヴェストリの広場”に、塔に上がる階段の踊り場があるだろ? あそこに持って来てくれ」

「は、はい……」

 シエスタはうっとりと顔を赤らめた。

 それから才人は小走りで消えた。

「ああ……私……」

「どうしたシエスタ? 逢引の約束か?」

 野次が飛んだがシエスタの耳には既に入ってはいない。シエスタは顔を思いっ切り赤らめ、うっとりとした声で呟いた。

「どうしよう。ああ、わたし、奪われちゃうんだわ……」

 

 

 

 さて一方、ルイズは学園中を歩き回って“使い魔”を捜していた。鳩に餌をやる、などと言った切り、姿を見せない才人を。

 “火の塔”を回り、コルベールの研究室を覗いて見る。研究室といっても、ボロい掘っ立て小屋である。コルベールは暇な時はほとんどここに入り浸っているのである。

 しかし、そこには才人はいなかった。コルベールが1人、研究室の前に置かれた“竜の羽衣”――“ゼロ戦”に取り付いてカンコンカンコンと何かをやっているところであった。

 ルイズはコルベールに尋ねた。

「ミスタ・コルベール。サイトを見ませんでしたか?」

「さぁ……ここ2、3日姿を見せんなぁ……」

 ルイズは“ゼロ戦”を見て驚いた。機首の“エンジン”部分が機体から外されて地面に下ろされ。無惨に分解されているのだから。

「おお、これかね!? なぁに、構造に興味を抱いてな。サイト君には無断だが軽く分解させてもらった。複雑だが、理論的には私の設計した“愉快なヘビくん”と対して変わらぬ。しかし、これがなかなか脆い代物でな。1回飛んだら、キッチリ分解して部品の摺り合わせをおこなわぬといかんようだ。そうしないと、所定の性能を発揮できぬばかりか、壊れてしまう可能性もあるようだな……」

 コルベールは、とうとう“エンジン”の構造と整備について語り始めた。

「は、はぁ。では失礼します」

 ルイズは、そんな話にはあまり興味がなかったので、ペコリと頭を下げると再び走り出した。

 その背中に向かってコルベールが叫んだ。

「ミス! サイト君に会ったら伝えてくれたまえ! この“竜の羽衣”に、あっと驚く新兵器を取り付けてやったぞと!」

 

 

 

 次にルイズがやって来たのは、“風の塔”である。“魔法学院”は、本塔を中心にして、五芒星の形に塔が配置されているのだ。風の塔はそのうちの1つだ。ほとんど授業にしか使われない塔である。入り口は1つしかない。

 ルイズは入り口の扉に、怪しい人影が消えるのを目撃した。白っぽい衣装……大きな襟。明らかに、モンモランシーが先ほど着ていた水兵服――セーラー服だ。

 モンモランシーであれば金髪ではあるが……先ほど入って行った人物は黒い髪をしていた。

 ルイズはコッソリと跡を着けた。

 “風の塔”は扉を開けると、真っ直ぐに廊下が走り、左右に半円形の部屋が配置されている。そして、入って左側に螺旋状の階段が付いているのだ。

 ユックリと扉を押し開くと、コツコツと階段を登る足音が聞こえて来る。

 ルイズはしばらく1階で息を潜めた後、跡を追いかける。2階から扉が開き、そして閉まる音が聞こえてきた。

 足音を立てないように注意して扉の前までやって来たルイズは、そこにピタリと小さな身体を寄せた。

 その扉がある部屋は、倉庫である。

 ルイズは桃色がかったブロンドを掻き上げ、耳を扉に付けた。中からは、妙な声が聞こえて来る。途切れ途切れの……。

「はぁ、ん、はぁはぁ……」

 そんな声だったので、ルイズの眉がへの字に曲がる。小さいため、誰の声かまではわからない。がしかし、男の声であるということはわかる。

 こんな所に、あの服装の人物を呼び寄せて……そういった声を上げる人物……ルイズの頭の中で、良くない妄想が膨らんだ。

「はぁ! かか、可愛いよ……」

 ばぁーん! と扉を開けて中に躍り込むルイズ。

「なにしてんのッ! あんたッ!」

「ひぃいいいっ!」

 そこにいた人物が振り向く。例の水兵服を身に包み、下にはなんとスカートを履いている。果たしてそれは膨よかなマリコルヌであった。

「ママ、マリコルヌ?」

 マリコルヌは走って逃げ出そうとするのだが、慣れないスカートに足を縺れさせ、床にすっ転んだ。

「あ!? んあ! あ! ふぁ! ああ!」

 マリコルヌは絶叫しながら床をのた打ち回る。

 ルイズは鬼の形相で、マリコルヌの背中を踏ん付けた。

 倉庫には古ぼけた確認鏡があった。“嘘つきの鏡”である。醜いモノは美しく映し、美しいモノを醜く映し出す“魔法”の鏡であったが、いろいろな理由で直ぐに割られそうになることもあって、しまってあるのだった。

 どうやらマリコルヌはその鏡に己を映して悦に入っていた様子だ。

 とんだお愉しみであるといえるだろう。

「なんであんたがその服着てるの?」

「いや、あんまり可憐過ぎて……で、でも僕には着てくれる人がいなくって……」

「そんで自分で着てたって訳?」

「そ、そうだよッ! 悪いかッ!? じ、自分で着るしかないじゃないかッ! ギーシュにはモンモランシーがいるし、君の“使い魔”の“平民”にはあの厨房のメイドがいる! でも、僕にはガールフレンドがいないんだぁあああッ!」

 それは心の叫びである。

「なんですって? サイトとあのメイドがどうしたの?」

 がしかし、それとは別に、とあるキーワードを耳にしてルイズの目が吊り上がった。

「え? だって、あいつとセイヴァーがメイドにこの服を着せて、クルクル回らせて……嗚呼、感動だなあ! 思い返すだけで、僕のハートは可憐な堪能で焦げてしまいそうさ! だからその想いの縁に、せめて鏡にこの服を着た自分の姿を映して……嗚呼、僕は……僕はなんて可憐な妖精さんなんだ……あぁあああああッ!」

 マリコルヌは絶叫した。

 ルイズがその顔を足で踏ん付けたのだ。

「お黙り」

「あ! ああ! あ! ルイズッ! あ! ルイズ! 君みたいな美少女に踏まれて、我を忘れそうさ! 僕の罪を清めてくれッ! こんなとこで可憐な妖精さんを気取って、我を忘れた僕の罪を踏み潰してくれっ! 僕はどうかしてるッ! あ! あ! んぁああああああああああッ!」

 そのままルイズはマリコルヌの顔をグシャッと踏み付け、気絶させた。

「ええ、どうかしてるわよ。あんた」

 はぁ、はぁ、はぁ、と怒りで肩を上下させ、ルイズは呟いた。

「そう……そういうことだったの……あのメイドがそんなに好いのね……可憐な装いをプレゼントするほど、好いって訳ね。おまけにクルクル回転させて、お愉しみ? 冗談じゃないわ」

 拳をギュッと握り締め、ルイズは唸った。

 マリコルヌからの説明のほとんどの内容を聞き、怒りで震えるルイズだが、一部だけ抜け落ちてしまっていることに彼女自身は気付かない。いや、気付いたところで大した影響はないのだが。

「っの、“使い魔”ってば。キキ、キスしたくせに」

 

 

 

 

 待ち合わせの“ヴェストリの広場”に面した、“火の塔”の階段にシエスタがやって来たのは、とっぷりと日が落ちた頃であった。仕事を終わらせた後風呂で身体を清め、身支度を整えてやって来たということもあって時間がかかってしまったのである。

 シエスタは階段の踊り場へと向かったが、そこには才人はいない。樽が2つばかり置いてあるだけである。辺りは薄暗い。シエスタは心配そうにキョロキョロと見回した。

「サイトさん……」

 そんな風に心細気に呟くと、がたん! と音がして、樽の蓋が開いた。

 シエスタが思わず後退ると、中から才人が顔を出した。

「シエスタ」

「わ! サイトさん! どうしてそんなとこに!?」

「いや、いろいろと事情があって……って、え?」

 才人はシエスタの格好を見て、目を丸くした。

 シエスタは、例の手製のセーラー服を着用におよんでいるのだ。

「き、着て来ちゃったの?」

「え、ええ……だって、こっちの格好の方がサイトさん喜ぶと思ったから」

 才人が(しまった。持って来て、じゃなくって、返してくれと言えば良かった。まさかここで脱げと言う訳にもいかないし)といった風にあたふたしていると、シエスタはクルリと回転して、顔の前で指を立てた。

 スカートが軽やかに舞い上がる。

「えっと、その……お、お待たせっ」

 そしてシエスタは朗らかに、可愛らしく笑う。

 才人は思わず顔を赤らめた。

 その時、がたん! と背後で樽が揺れる音がした。

 シエスタがきゃっ! と叫んで才人に抱き着いた。

 にゃあにゃあ、と猫の鳴き声が聞こえてくる。

 才人はホッと胸を撫で下ろした。

「なんだ、猫か……」

 しかし、猫どころの騒ぎではないと言える状況だろう。才人へと、シエスタの胸がギュウギュウと押し付けられているのだ、むにゅ、むにゅ、と才人の胸で押し潰され、自在に手製のセーラー服が形を変える。

 その感触に、才人の顔が青くなる。

「シ、シエスタって、その……」

「なんでしょう?」

「ブラジャー、着けてないの?」

 シエスタはキョトンとした顔になった。

「ブラジャーってなんですか?」

「え? ええええええ? その、胸をですね、こう、保護する……」

 しかし、シエスタはキョトンとした顔のままである。

 この世界には、まだブラジャーはないらしい。

「メイド服の時はシャツの下にドロワーズとコルセットなら着けますけど……」

 それから、シエスタは顔を赤らめる。

「でも、今はなにも着けてません。短いスカートにドロワーズを履くとはみ出でちゃうので……」

「ドロワーズってなに?」

「え? その、下穿きです」

 “貴族”の娘はレースでできた下着も着けるが、“平民”の女の子はそうもいかないのだろう。

 才人は、(はぁ、コルセットを着けてないのでこう胸がむにむにするのかー)と茹で上がった頭で思いながら、鼻血が出ないようにと天を仰ぐ。

 シエスタは顔を真っ赤にした。

「サイトさんは意地悪だわ……わたし、“貴族”の方みたいにレースの小さな下着なんて持ってませんもの……それなのに、こんな、こんな短いスカートを穿かせて……」

 詰まり、今の彼女は穿いていないのである。

 才人の頭の中で、ファンファーレが鳴り響いた。

 シエスタは、ぎゅっと身体を才人に預けて来た。そして、その肩を抱く。ユックリと穿いてないシエスタが唇を才人へと近付ける。

「あ、あの……こ、ここで、ですかっ?」

「え?」

「わたし、そりゃ、村娘ですから、その、場所なんか気にしませんけど、でも、その……」

「シエスタ?」

「もう、ちょっと、その、人が来なさそうで、綺麗な場所が好いなぁ。あ、でも! これ願望でして! サイトさんがここが良いって言うんなら、ここでも平気よ。嗚呼、わたし怖いです。だって初めてなんだもの。母さま赦して。私ここでとうとう奪われちゃうのね」

 なんだか激しく勘違いをしているシエスタ。

 才人はここで、そのセーラー服を返した欲しかっただけだ。(なんとか説明しないと)、と考えを巡らせたその瞬間……背後で、もう1個の樽の蓋が垂直に跳ね上がった。

「な、なんだぁ!?」

 才人が振り返ると、落ちて来た樽の蓋が頭を直撃した。

「ぎゃッ!」

 そして樽の中から、ゴゴゴゴゴと地響きと共に人影が立ち上がった。実際、揺れているのは樽だけではあるが、地面全体が揺れているような錯覚を覚えさせるほどの迫力がそこにはあったのだ。そのくらい、樽の中の人物の怒りが伝染しているのである

「ル、ルイズ?」

 才人は戦慄く声で呟いた。

 シエスタが、樽の中から頭を出しているルイズに怯えて才人の陰に隠れた。

「ど、どうして樽の中なんかに……?」

「あんたの跡を着けたら樽の中にコッソリ隠れたから、真似して隣の樽の中に隠れただけよ。音を立てないように、そりゃもう注意してね。でも、ちょっと怒りで樽を叩いてしまったわ。にゃあにゃあってね」

 全部、バッチリ、今の、先ほどまでの会話を聞かれていたのである。

 ルイズの顔は怒りで青褪めている。目は吊り上がり、全身が地震のように戦慄いている。思いっ切り震えた声で、ルイズは呟いた。

「随分と素敵な鳩を飼ってるのね。へぇ、可憐な装いをプレゼントね。まあ良いわ。わたしは優しいから、そのくらいのことなら許して上げる。ご主人さまを蔑ろにして、鳩にプレゼントを贈ろうが、別に構わないわ」

「ルイズ、あのね?」

「しかし、その鳩はこう言ったわ。“こんな短いスカートを穿かせて”。下着も着けさえずに、“こんな短いスカートを穿かせて”。最高。高世紀最高の冗談ね」

「ルイズ! 聞いて! お願い!」

「安心して。痛くしないから。わたしの“虚無”で、塵1つ残さないようにして上げる」

 ルイズは“始祖の祈祷書”を構えると、“呪文”を“詠唱”し始めた、

 命の危険を感じて、才人は思わず背中に吊ったデルフリンガーを握り締めた。

 シエスタは怖くなったのだろう、物陰に身体を隠した。

「なによあんた。ご主人さまに逆らおうというの? 面白いじゃないの」

 そう呟くルイズからは、かなりの恐怖を感じさせる。

 戦艦より、“竜騎兵”より、“オーク鬼”より、ワルドより……今まで戦ったその全てより、才人は今恐怖を感じている。

 才人の身体がガチガチと震えた。

「相棒、やめとけ」

 デルフリンガーがつまらなさそうに呟いたが、才人は理由を説明するよりも、蛮勇を発揮して剣を引き抜いた。引き抜いてしまった。

「きょきょきょ“虚無”がなんぼのもんじゃあッ! かかって来いやぁッ!」

 才人の左手甲の“ルーン”が輝いた……途中“詠唱”のまま、ルイズは“杖”を振り下ろす。

 ボンッ! と音がして、才人の眼の前の空間が爆発した。

 閃光に彩られる中、才人は踊り場から吹き飛び、下の地面へと叩き付けられる。

 地面に叩き付けられた才人は恐怖で顔を歪め、立ち上がるなり逃げ出した。

 踊り場から顔を出してルイズが怒鳴る。

「待ちなさいよッ!」

 原始の恐怖が、本能が、才人の脳裏を支配した。

 才人は転びながら、必死になって駆けた。

 ルイズはその跡を追いかけた。

 

 

 

 

 ギーシュはモンモランシーの部屋で一生懸命に恋人を口説いていた。

 モンモランシーの容姿を薔薇のようだ野薔薇のようだ白薔薇のようだ瞳なんか青い薔薇だと、とにかく薔薇を並べて褒め、それから“水の精霊”を引き合いに出して盛んに褒め千切った。

 モンモランシーは“トリステイン貴族”の例に漏れず、高慢と自尊心の塊であると言える。そういったことからも、おべんちゃらは嫌いではない。しかし、ギーシュに背中を向けて、物憂げに窓の外を見つめるふりをする。そう、「もっと褒めろ」のサインである。

 ギーシュは仕方なく、さらに頭を捻って、気を惹くための言葉を繰り出す。

「君の前では、“水の精霊”も裸足で逃げ出すんじゃないかな。ほら、この髪……まるで金色の草原だ。キラキラ光って星の海だ。ああ、僕は君以外の女性がもう、目に入らない」

 ギーシュは部屋の中を行ったり来たりしつつ、既に歌劇1本くらいの台詞を吐き出していた。

 モンモランシーは、(そろそろ良いかしら)と思った。

 すっと、後ろを向いたままギーシュに左手を差し出す。

 ギーシュは、嗚呼、と感嘆の呻きを漏らし、その手に口吻る。

「ああ、僕のモンモランシー……」

 ギーシュは唇を近付けようとしたが、すっと指で制された。

「その前に、ワインで乾杯しましょうよ。せっかく持って来たんだから」

「そ、そうだね!」

 テーブルの上には、花瓶に入った花とワインの瓶と陶器のグラスが2つ置いてある。ギーシュはそれ等を携えて、モンモランシーの部屋を訪れたのである。

 ギーシュは慌てて、ワインをグラスに注いだ。

 すると、モンモランシーはいきなり窓の外を指さした。

「あら? 裸のお姫さまが空飛んでる」

「え? どこ!? どこどこ!?」

 ギーシュは目を丸くして、窓の外を食い入るように見詰めている。

 そんなギーシュに対して、モンモランシーは(なーにーがー“君以外の女性は目に入らない”よ、やっぱりこれを使わなきゃ駄目ね)、と思いながら、袖に隠した小瓶の中身を、ギーシュの杯にソッと垂らした。透明な液体がワインに溶けて行く。

 モンモランシーはニッコリと笑った。

「嘘よ。じゃあ、乾杯しましょ」

 ギーシュが「嫌だなあ、びっくりさせないでれ……」とそう言った瞬間、扉がばぁーん! と開かれ、旋風が飛び込んで来た。

 ギーシュは跳ね飛ばされ、床に転がった。

 それは才人であった。

「はぁ、はぁ、はぁ……かかか」

「なんだ!? 君はぁ!?」

「匿ってくれ!」

 そう言うなり、才人はモンモランシーのベッドに飛び込んだ。

「おい! モンモランシーのベッドに飛び込む奴がいるか! 出て行きたまえ! この!」

「ちょっと、なんなのよ! あんた! 勝手に人の部屋に……」

 モンモランシーが腕を組んで、才人を怒鳴り付けよとした時、再び部屋に旋風が飛び込んで来た。

 モンモランシーは突き飛ばされ、強かに鼻を打ち付けてしまった。

「ルイズ!?」

 ギーシュが叫んだ。

 果たして、それは怒りに我を忘れたルイズであった。

「なななん、なんなのよ!? あんた達ぃ!?」

「っさいわねッ! サイトはどこッ!?」

 ギーシュとモンモランシーは、ルイズの剣幕に圧され、顔を見合わせるとベッドを指さした。

 布団がこんもりと盛り上がって、小刻みに震えている。

 ルイズは低い声で、ベッドの向かって命令した。

「サイト、出て来なさい」

 強張った声が、布団から聞こえて来た。

「才人はいません」

 ルイズはテーブルの上のワインのグラスを取り上げた。

 モンモランシーが「あっ!?」と低い声を上げたが、もう遅い。ルイズはそれを一気に呑み干してしまった。

「ぷはー! 走ったら喉が渇いちゃった。それもこれもあんたの所為ね。良いわ、こっちから迎えに行って上げる」

 ベッドの上の布団を、ルイズは引き剥した。

 ガタガタと震えている才人がそこにいた。

「覚悟しなさい……んあ?」

 才人を見詰め、そう言った瞬間……ルイズの感情が一瞬で変化した。

 ルイズは自分にキスしたくせに、他の女の子にプレゼントした才人が赦せなくって追いかけ回していたのである。ルイズみたいな女の子にキスなんかしたら、そりゃもう大変なのである。

 つまり、どちらと言うとプライドの問題であったのだ。

 しかし今才人を見た瞬間、ルイズの中の才人への好意が膨れ上がった。それまでだって、それは微量に好きだという自覚は彼女にはあったのは確かである。だからこそこれほど嫉妬したのであるのだから……。

 この瞬間、ルイズは才人のことを半端なしに、好きになっていたのである。当のルイズ自身が困惑するくらい、その感情は大きかった。ルイズは思わず頬を両手で覆った。

 ルイズの目から、(嫌だ……わたし、こんなに好きだったの? こんなに、大好きだったの?)といった様子で、ポロポロと涙が溢れて来た。怒りより、悲しみの感情が大きくなったのである。(わたしはこんなにも好きなのに、どうしてサイトはわたしを見てくれないの?)、かと。それが悲しくて、哀しくて、ルイズはポロポロと泣き始めたのだ。

「ルイズ?」

 才人は、コロッと態度を変えたルイズを訝しんで、立ち上がった。

 ギーシュも、驚いた顔で、いきなり泣き出したルイズを見守っている。

 対して、モンモランシーは「しまったあ~~~~~」、といった風に頭を抱えている。ギーシュに呑ませるつもりの薬を、ルイズが呑んでしまったのだから。

「ぉい、ルイズ……?」

 ルイズは才人を見上げ。その胸に取り縋った。

「馬鹿!」

「え?」

「馬鹿馬鹿! どうして!? どうしてよ!?」

 ポカポカとルイズは才人を殴り付けた。

「ルイズ、お前、いった、い……?」

 今まで火のように怒っていたのに、まるっきり、正反対の態度を取るルイズに、才人は慌てた。

「どうしてわたしを見てくれないのよ! 非道いじゃない! うえ~~~~~~~~~ん!」

 ルイズは才人の胸に顔を埋めて大泣きした。

 

 

 

 

 

 さて時間を遡り、ルイズと才人が追い駆けっこをした日の昼前のこと……。

 キュルケとタバサは馬車に揺られて、“魔法学院”から延びた街道を南東へと下っていた。キュルケは窓から顔を出して、きゃあきゃあと騒いでいる。

「タバサ、ほら見て! 凄い! 牛よ! 牛! ほら! あんなに沢山!」

 街道の側には牧場があり、牛たちが草を食んでいるのが馬車から見える。

「草を食べてる! もー、もーもー」

 しかしタバサはそちらの方を見向きすらもしない。相変わらず本を読んだままであった

 キュルケはつまらなさそうに、両手を広げた。

「ねえタバサ。せっかく学校をサボって、帰省するんだからもっとはしゃいだ顔をしなさいよ」

 ルイズと才人、シオンと俺の4人が“王宮”に呼ばれている日、キュルケはタバサの部屋に遊びに行ったのだ。驚いたことに、タバサは荷物を纏めているところであった。「旅行に行くの?」とキュルケが尋ねると、タバサは「実家に帰る」と答えたのだ。いつも無口なタバサではあったが、そのようになにか感じるモノがあったキュルケは自分も授業をサボり、くっ付いて来たのであった。

 タバサの実家から馬車が派遣されて来たので、いつものようにシルフィードに跨る必要はなかった。シルフィードはキュルケのフレイム背中に乗せ、馬車の上をユックリと旋回しながら飛んでいる。

「きちんと署名入りの休暇届があれば、サボりじゃないわよね。あたしも付き添いってことで届けが通ったし……塔の掃除の心配しないで、ユックリと羽を伸ばせるわね」

 タバサは答えずに、ジッと本を見つめている。

 このキュルケから見て3つばかりの年下の娘は、本当に何を考えているのかわかり難いのだ。

 キュルケは、少しばかり探るような口調で続けた。

「貴女の御国が“トリステイン”じゃなくって、“ガリア”だって初めて知ったわ。貴女も留学生だったのね」

 それはタバサがキュルケに、国境を超えるための通行手形の発行をオスマンに頼むように指示したことで判明した。

 キュルケは“タバサ”が偽名であることを薄々とは勘付いてはいたが、今までその理由を尋ねることは控えていたのである。

 “タバサ”。随分とふざけた名前だと言えるだろう。“平民”だって、もう少し立派な名前を付けて貰うだろう。まるで、そう、飼い猫にでも付けるようなそんな名前なのだから。

 

 

 タバサは恐らく世を忍ぶ“トリステイン名門貴族”の出だろうと、キュルケは当たりを付けていたが……それは外れていた。“トリステイン”、“ゲルマニア”と国境を接する旧い王国……“ガリア王国”の出だったのである。

 “ハルケギニア”は大洋に突き出た緩やかに弧を描く巨大な半島だ。才人達の世界でいう“オランダ”と“ベルギー”を合わせたくらいの大きさの“トリステイン”を挟むように、キュルケの母国、北東の“ゲルマニア”と、南東の“ガリア”が位置している。それぞれ国土の面積は、“トリステイン”の10倍ほどはあるだろう。“トリステイン”人が自嘲気味に小国と母国を呼ぶのはそういった理由があるのだ。

 さらに南の海に面した小さな半島群には、かつての“ゲルマニア”のような都市国家が犇めき覇権を争っている。そのような都市国家の1つに、“宗教国家ロマリア”もある。“法王庁”があるそこは、“始祖ブリミル”と神に対する信仰の要だ。ちなみに枢機卿マザリーニは“ロマリア”の出身である。

 “ハルケギニア”を東に進むと、蛮族や魔物が棲まう未開の地が横たわる。

 その先には広い砂漠が広がり、その不毛な土地を切り開く能力を持った“エルフ”達が“聖地”を守っている。さらに東へ向かえば、“ロバ・アル・カリイエ”……東方と一括りにされた地がどこまでも続いているのだ。

 大洋と“ハルケギニア”の上を行ったり来たりしている“浮遊大陸アルビオン”、シオンの故郷はまた別だ。あれはあくまで“アルビオン”であって、厳密には“ハルケギニア”であって“ハルケギニア”はないという扱い、曖昧なボーダーの上にある国家である。

 キュルケはタバサに尋ねた。

「なんでまた、“トリステイン”に留学して来たの?」

 しかし、タバサは答えない。ジッと本を見つめたままである。

 その時キュルケは気付いた。本のページが、出発した時と変わらないことに。捲りもしない本を、タバサはジッと見つめ続けているのだ。

 キュルケはそれ以上、尋ねることをやめた。(留学とこの帰省になにか事情があるにせよ、話したくなった時に自分から口を開くでしょうしね)と思ったからである。

 タバサが荷物を纏めていた時に感じた、少しばかりただならぬ雰囲気の理由はその時理解るだろう。

 性格も年齢も違う2人が友達になれたのは、妙に馬が合うからという訳だけではない。聞かれたくないことを、お互い無理矢理訊き出したりしないからこそ友達になれたのである。タバサはそのあまり開かれることのない口によって。キュルケは年長の気配りで。

 国境を超えて“トリステインにやって来たことに関して、2人共それなりの理由があるのだった。

 キュルケは現在各国の政情を思い出した。政治に興味はなかったが、昨今のきな臭い“ハルケギニア”に住んでいれば、嫌でも耳に入って来るモノだ。

 今から向かう“ガリア王国”は、“アルビオン”の“トリステイン”侵攻に関して中立と沈黙を保っていた。“アルビオン”の政変と新政府に脅威は感じているだろうが、なんらの声明さえ発していないのである。“トリステイン”から同盟参加への申し入れが あっただろうが、これもまた拒絶している。自国の国土が侵されぬ限り、中立を保つだろうというのが大方の予想であった。噂によると“ガリア”は内乱の危険を孕んでいるとのことであった。外憂より、内患で頭が一杯なのであろう、と。

 タバサの帰省の付き添いは、そんな“ガリア王国”への訪問である。

 観光気分だったのだが、何だか忙しいことになりそうな予感をキュルケは覚えた。

 キュルケはしばらくそんなことに想いを馳せながら、窓の外をぼんやりと眺めている。

 前から、馬車に乗った一行が現れた。深くフードを冠った10人にも満たない一行であったが、妙にキュルケの注意を引いた。マントの裾から“杖”が突き出ているのだ。“貴族”であろう。

 その“杖”の造りからいって一行は軍人であるだろうことがわかるだろう。今は戦時であるのでなんら珍しくもない。何かの密命を帯びているのだろうか、静々と馬を進めている。

 先頭を行く“貴族”の顔が、フードの隙間からチラッと覗いた。

 キュルケは声にならぬ叫びを上げた。

 涼しげな目元の好い男である。美男子に目がないキュルケは、溜息を漏らしながらその横顔を見送った。

「好い男って、いる所にはいるのよね~~~~~~~~」

 キュルケは、腕を組んでうんうんと呟く。

 それからはたと気付く。

 見覚えがある気がしたのであった。

「一体どこで見たのかしら……? というか誰だっけ……?」

 キュルケは熱し易く冷めやすい。好い男! と燃え上がるのも早いのだが、忘れるのもまた同様に早いのである。

 キュルケは、「ま、良っか」と呟き、再び視線をタバサへと移した。

 相変わらず、タバサは同じページをジッと見詰め続けている。眼鏡の奥の澄んた青い瞳からは感情を伺い辛い。

 キュルケは優しくタバサの方を抱いて、いつもの楽天的な声で言った。

「大丈夫よ。なにが起こったって、あたしが着いているんだから」

 

 

 

 

 国境まで2泊して、緩々と2人は旅を続けた。関所で“トリステイン”の衛士に通行手形を石の門を潜ると、そこは“ガリア”であった。“ガリア”と“トリステイン”は、言葉も文化も似通っている。“双子の王冠”と並んで称されることも多いのだ。

 石門を挟んで、“ガリア”の関所があった。そこから出て来た“ガリア”の衛士に交通手形を見せる。大きな槍を掲げた衛士は、開いた馬車の扉に顔を突っ込み、タバサとキュルケの通行手形を確かめ、「ああ、この先の街道は通れないから、迂回してください」と言い難そうに告げた。

「どういうこと?」

「“ラグドリアン湖”から溢れた水で街道が水没しちまったんです」

 “ラグドリアン湖”は“ガリア”と“トリステイン”の国境沿いに広がる、“ハルケギニア”随一の名勝とその名も高い大きな湖だ。

 街道をしばらく進むと開けた場所に出た。街道の側を緩やかに丘が下り、“ラグドリアン湖”へと続いている。湖の向こう岸は“トリステイン”だ。

 衛士の言う通り、確かに“ラグドリアン湖”はの水位は上がっているようである。浜は見えず、湖水は丘の縁を侵食している。花や草が、水に呑まれている様が良く見えた。

 タバサは本を閉じ、窓から外を覗いている。

「貴女のご実家、この辺なの?」

「もう直ぐ」

 タバサは馬車に乗り込んでから、初めて口を開いた。しかし、直ぐにまた黙り込んだ。

 街道を山側へと折れ、馬車は一路タバサの実家へと進む。

 その目を留めたキュルケ内森の中へと馬車は進み、大きな樫の木が茂っている所に出た。木陰の空き地では農民たちが休んでいるのが見える。林檎の籠には、馬車を止めさせ、農民を呼んだ。

「美味しそうな林檎ね。いくつか売って頂戴」

 農民は籠から林檎を取り出し、銅貨と引き換えにキュルケに渡した。

「こんなに貰ったら、籠一分になっちまいます」

「2個で良いわ」

 キュルケは1個を齧り、もう1個をタバサに渡しながら言った。

「美味しい林檎ね。ここはなんていう土地なの?」

「へぇ、この辺りは“ラグドリアン”の直轄領でさ」

「え? 直轄領?」

 王様が直接保有、管理する土地のことである。

「ええ。陛下の所領でさ。儂らも陛下の御家来様ってことでさあ」

 農民たちは笑った。

 確かに土地の手入れが良く行き届いた、風光明媚な場所である。王さまが欲しがるのも無理はないほどである。

 キュルケは目を丸くして、タバサを見つめた。

「直轄領が実家って……貴女ってもしかして……」

 

 

 

 

 それから10分ほどで、タバサの実家の御屋敷が見えて来た。

 旧い、立派な造りの大名邸である。

 門に刻まれた紋章を見て、キュルケは、「う!」と息を呑んだ。

 交差した2本の“杖”、そして“さらに先へ”と書かれた銘。紛う事なき“ガリア王家”の紋章である。

 しかし、近付くとその紋章にはバッテンに傷が付いていた。不名誉印である。この家の者は、“王族”でありながらその権利を剥奪されていることを意味している証だ。

 玄関前の馬周りに着くと、1人の老僕が近付いて来て馬車の扉を開けた。恭しくタバサに頭を下げる。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

 他に出迎えの者はいない。

 キュルケは、(随分寂しいお出迎えね)と思いながら続いて馬車を降りた。

 2人は老僕に連れられ、屋敷の客間へと案内された。

 手入れが行き届いた綺麗な邸内ではあるのだが、しーんと静まり返っており、まるで葬式が行われている寺院とそっくりな印象を与えて来る。

 ホールのソファに座ったキュルケは、タバサに言った。

「まずはお父上にご挨拶したいわ」

 しかしタバサは首を横に振る。それから「ここで待ってて」と言い残して客間を出て行った。

 取り残されたキュルケがポカンとしていると、先ほどの老僕が入って来てキュルケの前にワインとお菓子を置いた。

 それは手を付けず、キュルケは老僕に尋ねた。

「このお屋敷、随分と由緒正しい見たいだけど、なんだか貴男以外、人がいない見たいね」

 老僕は恭しく礼をした。

「この“オルレアン家”の執事を務めておりまするペルスランでございます。畏れながら、シャルロットお嬢様のお友達でございますか?」

 キュルケは首肯いた。

 “オルレアン家”のシャルロット。それが“タバサ”の本名らしい。

 キュルケは、「“オルレアン”、“オルレアン”……」とそこまで思考を巡らせて、(“オルレアン家”と言えば“ガリア王”の弟、王弟家ではないの)といった風にはたと気付く。

「どうして王弟家の紋章を掲げずに、不名誉な印なんか門に飾っておくのかしら?」

「お見受けしたところ、外国のお方と存じますが……お許しが頂ければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「“ゲルマニア”のフォン・ツェルプストー。ところで一体、この家はどんな家なの? タバサはなぜ“偽名”を使かって留学して来たの? あの娘、なにも話してくれないのよ」

 キュルケがそう言うと、老僕は切なげに溜息を漏らした。

「お嬢様は“タバサ”と名乗ってらっしゃるのですか……理解りました。お嬢様が、お友達をこの屋敷に連れて来るなど、絶えてないこと。お嬢様が心赦す方なら、構いますまい。ツェルプストー様を信用してお話しましょう」

 それからペルスランは、深く一礼すると語り出した。

「この屋敷は牢獄なのです」

 

 

 

 タバサは屋敷の1番奥の部屋の扉をノックした。

 返事はない、いつもの事である。

 この部屋の主がノックに対する返事を行わなくなってから、5年が経っている。その時タバサはまだ15歳であった。

 タバサは扉を開けた。

 大きく、殺風景な部屋だった。ベッドと椅子とテーブル以外、他には何もない。開けっぱなした窓からは爽やかな風が吹いてカーテンを戦がせている。

 この何もない部屋の主は自分の世界への闖入者に気付いた。乳飲み子のように抱えた人形をギュッと抱き締める。

 それは痩身の女性だった。元は美しかっただろう顔が病のため、見る影もなく窶れている。彼女はまだ30代後半であるのだが、そこから20も老けて見えてしまう。

 伸ばし放題の髪から覗く目が、まるで子供のように怯えている様子を伺わせる。戦慄く声で女性は問うた。

「誰?」

 タバサはその女性に近付くと、深々と頭を下げた。

「ただいま帰りました、母さま」

 しかし、その人物はタバサを娘と認めない。そればかりか、目を爛々と光らせて冷たく言い放つ、

「退がりなさい無礼者。“王家”の回し者ね? 私からシャルロットを奪おうと言うのね? 誰が貴方方に、可愛いシャルロットを渡すモノですか」

 タバサは身動ぎもしないで、母の前で頭を垂れ続けた。

「恐ろしや……この娘がいずれ王位を狙うなどと……誰が申したのでありましょうか。薄汚い宮廷の雀達にはもうウンザリ! 私たちは静かに暮らしたいだけなのに……退がりなさい! 退がりなさい!」

 母はタバサに、テーブルの上のグラスを投げ付けた。

 タバサはそれを避けなかった。頭に当たり、床に転がる。

 母は抱き締めた人形に頬擦りした。何度も何度もそのように頬を擦り付けられた所為だろうか、人形の顔は擦り切れて綿がはみ出でている。

 タバサは悲しい笑みを浮かべた。

 それは母の前でのみ見せる、たった1つの表情だった。

「貴女の夫を殺し、貴女をこのようにした者共の首を、いずれここに並べに戻って参ります。その日まで、貴女が娘に与えた人形が仇共を欺けるようお祈りください」

 開けた窓から風が吹き込んでカーテンを揺らす。

 初夏だというのに、湖から吹いて来る風は肌寒かった。

 

 

 

「継承争いの犠牲者?」

 キュルケがそう問い返すと、ペルスランは首肯いた。

「そうでございます。今を去ること5年前……先王が崩御されました。先王は2人の王子を遺されました。現在、王座に就いておられるご長男のジョゼフ様、そしてシャルロットお嬢様のお父上であられたご次男オルレアン公のお二人です」

「あの娘は、“王族”だったのね?」

「しかし、ご長男のジョゼフ様はお世辞にも王の器とは言い難い暗愚なお方でありました。オルレアン公は“王家”の次男としてはご不幸なことに、才能と神保に溢れていた。従って、オルレアン公を擁して王座へ、と言う動きが持ち上がったのです。宮廷は2つに分かれての醜い争いになり、結果オルレアン公は謀殺されました。狩猟会の最中、毒矢で腕を射抜かれたのでございます。この国の誰より高潔なお方が“魔法”ではなく、下賤な毒矢によってお命を奪われたのです。その無念たるや、私などには想像も尽き兼ねます。しかし、ご不幸はそれに留まらなかったのです」

 ペルスランは胸を詰まらせるような声で続けた。

「ジョゼフ様を王座に就けた連中はお嬢様と奥様を宮廷に呼び付け、酒肴を振る舞いました。しかし、お嬢様の料理には毒が盛られていた。奥様はそれを知り、お嬢様を庇いその料理を口にされたのです。それは御心を狂わせる“水魔法”の毒でございました。以来、奥様は心を病まれたままでございます」

 キュルケは言葉を失い、呆然と老僕の告白に耳を傾けた。

「お嬢様は……その日より、言葉と表情を失われました。快活で明るかったシャルロット御嬢様はまるで別人のようになってしまわれた。しかしそれも無理からぬこと。目の前で母が狂えば、誰でもそのようになってしまうでしょう。そんなお嬢様は、ご自分の身を守るため、進んで“王家”の命に従いました。困難な……生還不能と思われた任務に志願し、これを見事果たして“王家”への忠誠を知ら占め、ご自分をお守りになられたのです。“王家”はそんなシャルロット御嬢様を、それでも冷たく配われました。本来なら領地を下賜されてしかるべき功績にも関わらず、“シュヴァリエ”の称号のみを与え、外国に留学させたのです。そして心を病まれた奥様を、この屋敷に閉じ込めました。体の良い、厄介払いと言う訳です」

 口惜しそうにペルスランは唇を噛んだ。

「そして! 未だに宮廷に解決困難な汚れ仕事が持ち上がると、今日のようにホイホイ呼び付ける! 父を殺され、母を狂わされた娘が、自分の仇にまるで牛馬のように扱き使われる! 私はこれほどの悲劇を知りませぬ。どこまで人は人に残酷になれるのでありましょうか?」

 キュルケは、タバサが口を開かぬ理由を知った。

 決してマントに縫い付けぬ、“シュヴァリエ”の称号の理由を知った。

 ジッと馬車の中で、ページを捲りもしない本を眺め続けていた理由も……。

 “雪風”……彼女の“二つ名”だ。

 彼女の心には冷たい雪風が吹き荒れ、今もやむことがなのだろう。

 その冷たさはキュルケには想像できなかった。

「お嬢様は、“タバサ”と名乗っておられる。そう仰いましたね?」

「ええ」

「奥様は、お忙しい方でありました。幼い頃のお嬢様はそれでも明るさを失いませんでしたが……随分と寂しい想いをされたことでありましょう。しかし、そんな奥様が、ある日、お嬢様に人形をプレゼントされなさったのです。お忙しい中、ご自分で街に出でて、下々の者に交じり、手ずからお選びになった人形でした。その時のお嬢様の喜びようと言ったら! その人形に名前を付けて、まるで妹のように可愛がっておられました。今現在、その人形は奥様の腕の中でございます。心を病まれた奥様は、その人形をシャルロットお嬢様と想い込んでおられます」

 キュルケはハッとした。

「“タバサ”。それはお嬢様が、その人形にお付けになった名前でございます」

 扉が開いて、タバサが現れた。

 ペルスランは一礼すると、苦しそうな表情を浮かべ、懐から一通の手紙を取り出した。

「“王家”よりの指令でございます」

 タバサはそれを受け取ると、無造作に封を開いて読み始めた。読み終えると、軽く首肯いた。

「いつ頃取りかかられますか?」

 まるで散歩の予定を答えるように、タバサは言った。

「明日」

「畏まりました。そのように使者に取り次ぎます。ご武運をお祈りいたします」

 そう言い残すと、ペルスランは厳かに一礼して部屋を出て行った。

 タバサはキュルケの方を向いた。

「ここで待ってて」

 これ以上は着いて来るなと言いたいのだろう。

 しかしキュルケは首を横に振った。

「ごめんね。さっきの人に全部聴いちゃったの。だからあたしも着いて行くわ」

「危険」

「余計に、貴女1人で行かせる訳には行かないわね」

 タバサは答えない。ただ、軽く下を向いた。

 

 

 

 その夜、2人は同じ部屋で床に就いた。

 気を張り詰めていたことで疲れが出たのだろうか、タバサは直ぐにベッドに入って寝てしまった。

 キュルケは眠れずに、ソファの上で肩肘を突いていた。先ほどタバサから聞いた任務のことで頭が一杯になってしまったのである。

「安請け合いしちゃったけど……こりゃ大事だわ」

 もしかすると、命を落とすかもしれない。

 しかし“ゲルマニア貴族”にって、死の危険はそんなに遠い世界のことではない。

 それより、この小さな友人の方が心配であるのだ。いったい、どのような寂しさに耐えて来たのだろうか。

 タバサは寝返りを打った。眼鏡を外した寝顔は、どこまでもあどけない少女のそれである。年に似合わぬ不幸を背負わされ、“シュヴァリエ”に叙される功績を上げ、今また困難な任務に立ち向かおうとしている掃討者にはとても見えない。

「母さま」

 タバサは手事を呟いた。

 キュルケの肩が、その言葉にピクンと反応した。

「母さま、それを食べちゃ駄目。母さま」

 寝言で、タバサは何度も母を呼んだ。額にはジットリと汗が浮かんでいる。

 キュルケはソッと立ち上がるとベッドに入り込み、タバサを抱き締めた。

 タバサはキュルケの胸に顔を埋めた。その豊かな胸に母性を感じたのだろう。しばらくすると、安心した様子で再び寝息を立て始めた。

 キュルケはタバサが自分を友人として扱う理由が、なんとなくわかった気がした。

 彼女の心は凍て付いてなどいない。芯には熱いモノが渦巻いている。ただそれが……雪風のベールに覆われているだけなのだ。

 それを払ってくれる火を、キュルケに感じたのかもしれない。

 子供をあやすような声で、キュルケは優しくタバサに呟いた。

「ねえ、シャルロット。この“微熱”が全部暖めて溶かして上げる。だから安心してユックリお休みなさい」



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惚れ薬の力と水の精霊

 朝起きると、才人のかたわらでルイズが寝ている。昨晩、さんざん泣き腫らしたルイズは疲れたらしく、自身の部屋へと移動するやいなや直ぐに寝付いてしまったのである。あどけない顔で、くーくーと寝息を立てている。

 目覚めたらしいルイズは、むっくりと起き上がると、才人の顔を見て唇を噛んだ。それから絞り出すような声で、「お早う」と呟く。

 それからルイズは顔を赤らめた。いつもは顔を赤らめる時でも、ムッとした目付きをしているルイズではあるのだが、今回のそれは違った。才人を見上げると、フニャッと唇を歪めたのだ。それから何か言いたそうにモジモジとし始めた。

「な、なんだよ?」

「あのね」

 泣きそうな声で、ルイズが口を開いた。

「あのねあのねあのね、あのね?」

 やはり今日のルイズは変だと言えるだろう。子犬のような、頼り切った、それでいて様子を伺うかのような目付きで才人をジッと見つめているのである。いつもはこのような目で才人を見ることはない。ルイズの目付きは普段だいたいは見下すか、睨んでいるか、外方を向いているかのどれかが多いのだから。

「見たの」

「え?」

「……昨日、夢見たの」

「な、なんの夢?」

「サイトの夢」

「ど、どんな夢?」

「サイトが夢の中で意地悪するの。わたしが一生懸命に話しかけてるのに、他の女の子と話してる」

 そう言うとルイズは才人の手をガブッと噛んだ。だが痛さはなく、ルイズは甘噛みをしているだけだ。それから上目遣いに才人の顔を見上げる。

「昨日だってそうよ。他の女の子にプレゼントを買わないで。他の女の子見ないで。あんたには、ご主人さまがいるでしょう?」

 才人は唾を呑み込みながら、ルイズを見詰めた。才人は、(そんなに俺のことが好きだったなんて……気付かなかった)と感じた。

 だが、同時に何かが彼の中で引っかかっている。

 そう、まるで別人だと言えるほどの態度なのである。ルイズは自分が蔑ろにされたら、こんな風に汐らしくなったりしないのだから。まず怒る。そして彼女は怒ったら掌を甘噛なんてことはしない。思いっ切り齧り付く。そして殴るのだ。こんな風に媚びを売って来るのはルイズではないと言えるほどの様子だ。

 そう思ったのだが、もともと才人はルイズのことが好きなこともあって、こんな風にラヴ光線じみたものを向けられ当てられると、頭がボーッとしてしまうのであった。

「理解ったら、はいって言って」

「は、はい」

「だ、誰が世界で1番好きなの? ハッキリ言いなさい」

 胸に顔を埋めて、泣きそうな声でルイズが呟く。

 才人も熱に浮かされたような顔で、しどろもどろになりながら答えた。

「ご、ご主人さまです。はい」

「嘘」

 嘘ではないだろう。側にいるだけで、今の才人の胸はとてもドキドキと強く鼓動を打っているのだから。そういった風になるのは、彼にとってルイズだけなのだ。

 だが、今のルイズは……。

「ほんと?」

「うん……」

 するとルイズは立ち上がり、ととと、とベッドの向こうに駆け出した。ベッドの壁の隙間に隠してあったらしい何かを掴むと、それを持って再び才人の側に駆け寄って行く。

「ん。ん、んっ」

 そして才人に持ったモノを突き出した。

「なにこれ?」

「着て」

 それは毛糸が複雑に絡まったオブジェであった。どう見ても、着られるような代物ではない。才人は受け取ると、果て「きて」というのはどういう意味だろうと頭を撚らせた。そして、「着ろ」という意味だろうということを推測し、理解した。が、どこに身体を通せば良いのか、さっぱりわからないのである。

 ルイズは才人をジッと……泣きそうな潤んだ眼で見つめたままである。

 才人は、(嗚呼、そんな目で見ないでくれ。すっごくすまない気分になってくる。ルイズの気持ちに応えなきゃ。一体どうすれば良いのかわからないけど、どうにかしなきゃ!)と思った。そして、(一体これはなんだ? 才人考えろ。考えろ! うーん、贔屓目に見て、クラゲの縫い包みだな。古代の“地球”の海を支配した、バージェス動物群の一種にも思える。そんな不可思議な生き物にしか見えないけど、ルイズがこれを俺に手渡すからにはなにかに使い途があるに違いない。あ! そうだ!)と思い、テンパった才人は、それをおもむろにに頭に冠った。それが、たぶん、1番近い使い途だと思った結果の行動であった。

「良いなあ! これ! 素敵な頭物だな! 気分はクラゲ! 最高!」

 ルイズの顔がフニャッと崩れた。

「違うもん……そうじゃないもん……それはセーターだもん……」

 才人は、慌ててそれを着ようとした。がしかし、どうやったら着られるのだろう? と入り口を探し、見付け、それを頭から通してみた。しかし、腕を通す口がない。顔も半分、埋もれたままである。まるでピッチピチのタコのような格好になって、才人は立ち尽くした。

 ルイズはそんな才人をギュッと抱き締めると、ベッドに押し倒した。

「ル、ルイズ……」

 腕がセーター(?)の外に出ていないので、才人は身動きを取ることができない。

 ルイズは、「ぎゅーってして」と才人にねだる。

 才人は、「堅くきつぅく、ぎゅーってしたい」のだが、だがしかし、腕がセーター(?)の中から出せないので、ぎゅーっとすることができないでいる。

 才人が「できません」と正直に答えると、ルイズは「じゃあ、じっとしてて」と言った。

 ルイズは、お気に入りの縫い包みを抱える少女のように才人を抱きすくめた。

「じゅ、授業に行かなくて良いのか?」

「良いの。サボる。こうしてたいの」

 才人は(むはー!)と思ったのだが、ますます彼の中でルイズに対しての疑惑が大きく、そして高まる。基本的に、真面目なルイズは、簡単に授業をサボったりはしないのだから。

「ずっと今日はこうしてる。だって、あんたを外に出したら他の女の子と仲良くしちゃうもの。それが嫌なの」

 どうやら、才人をこうやって縛っておきたい様子だ。

 プライドの高いルイズが、そんなことを言うとは基本的に、よしんばそう思ったとしても、口に出すなんてことは彼女に限ってありえないといえるだろう。

「なにかお話して」

 甘えた口調でルイズが呟く。

 才人は、(ルイズ、一体どうしたんだろう?)と頭の中を ? と心配で一杯にしながら、当たり障りのない話をし始めた。

 

 

 

 

 昼過ぎになると、ルイズは寝入ってしまった。本当にグーグーと良く寝る娘である。

 才人はそっとベッドから抜け出すと、飯を調達しに食堂へと出かけた。ルイズの分も運ぶつもりであるのだ。

 厨房でいそいそと昼食の準備をしていたシエスタに事の次第を説明すると、彼女はニッコリと微笑んた。

「モテモテですね」

「いや、違うよ。いつものルイズじゃねえんだ。なにか可怪しくなっちゃって。仕方ないからご飯を持って行かなくちゃならないんだけど……」

 才人が困ったようにそう言うと、シエスタは笑みを崩さずに才人の足を踏ん付けた。

「それは大変ですね」

「シ、シエスタ?」

 どうやら怒っている様子だ。笑みを浮かべたままなのが、彼女の冷えた怒りを強調している。

「へええ。いきなりベタベタして来ると。あの“貴族”でプライドの高いミス・ヴァリエールがサイトさんに。いったい、サイトさんはどうやって気を惹いたのかなあ。気になるなあ」

 ニコニコと笑いながら、シエスタはギリッと力を込めて、才人の足を押し潰そうとする。

 才人は悲鳴を上げた。

「そこまでにしておくと良いシエスタ。才人、確認だが、なにもないんだな?」

 ちょうど、食事を摂る為に厨房へと来ていた俺は、才人へと確認する。

「ど、どうもしてねえよ! ホントにいきなり可怪しくなっちゃたんだ」

「ほんと?」

 悲鳴混じりの言葉に、シエスタは訝しむ。

「うん……まるで人が変わった見たいになっちゃって」

 シエスタは、「そうなんですか」、と真顔になると考え込み始めた。

「恐らくだが、それは惚れ薬的なやつじゃないか?」

「惚れ薬?」

「あ! そうかもしれません! 心をどうにかしてしまう“魔法”の薬があるって聞いたことがあります」

「“魔法”の薬?」

「そうです。わたしは“メイジ”じゃないから良く理解りませんけど、もしかしたらそれなんじゃ……でも、ミス・ヴァリエールがそんなの呑む訳がないし……」

 才人は、俺とシエスタの言葉で、昨晩のことを思い出した。そして、(ルイズの態度がガラッと変わったのは、モンモランシーの部屋に入って……ベッドに隠れた俺から布団を引っ剥がした時だ。あの時、見る見るうちにルイズの態度が変わって……あの前、ルイズはなにかしなかっただろうか?)と考え始める。

 そして、(そう言や、“ぷはー! 走ったら喉が渇いっちゃったわ!”、と一気に何かを呑み干していたな。テーブルの上にあったワインだ! あれか? あれなのか?)と気付いた様子を見せる。

 才人の中で、モンモランシーの部屋にあったワインに対しての疑念が膨れ上がった。

 

 

 

 食堂から出て来たモンモランシーの腕を、待ち構えていた才人はギュッと掴んだ。

 彼女の隣にいたギーシュが喚く。

「な!? 僕のモンモランシーになにをするんだ君は!?」

 しかし、モンモランシーは文句を言うどころか、サッと青ざめた顔になった。普段のモンモランシーであれば、こういった顔にはならないだろう。「なによ!? “貴族”の腕を掴むなんてどういうつもり!?」、とルイズに輪をかけて高慢なモンモランシーは騒ぎわめくだろう。つまり、何か、やましい事――才人に対して負い目があるということだろう。そして、才人はあの豹変したルイズに関係しているに違いないと思った。

「なあモンモン」

 才人はギロッとモンモランシーを睨んだ。

「な、なによ……?」

 モンモランシーは、気まずそうに目を逸らす。“モンモン”と呼ばれて怒らない。そんな彼女の様子からして、ますます怪しさは膨れ上がる。

「お前、ルイズに何を呑ませた?」

 ギーシュが、え? と怪訝な顔になった。

「モンモランシー、ルイズになにかご馳走したのかい?」

「なあギーシュ。ルイズの変わりようを見ただろ? 怒った奴が、あんな風に掌を返した見たいに汐らしくなる訳ねえだろ。足りないお前だって、流石に怪しいと思うだろ」

 ギーシュは腕を組んで考え込む。思い出すのに時間がかかるらしい。やっとのことで昨晩の様子を思い出したギーシュは、「うむ」とうなずいた。

「確かに君の言う通りだ。あんな風にルイズがしおらしくなるなんてありえないな。で?」

「で、じゃねえよ! やいモンモン! ルイズはお前の部屋にあったワインを飲んだらおかしくなったんだ! どーゆーことだ!?」

「あれは僕が持って来たワインだ! 怪しいモノはなんにも入ってないぞ!」

 そこまで言って、ギーシュはモンモランシーの様子が尋常ではないということに気付いた。

 彼女は唇を真っ直ぐに噛み締め、額からたらりと冷や汗を流しているのだ。

「モンモランシー! まさか、あのワインに……」

「あの娘が勝手に呑んだのよ!」

 モンモランシーはいたたまれなくなって、大声で叫んだ。

「だいたいねえ! 貴男が悪いのよ!」

 モンモランシーは、そう言って逆ギレでもしたかのようにギーシュを指さすと、その指をグイグイとギーシュの鼻に押し付ける。

 才人とギーシュは、唖然としてモンモランシーを見詰めた。

「あんたがいっつも浮気するから、しょーがないでしょー!」

「お前! ワインに何を入れた!?」

 才人は、そんな彼女の言動で理解した。

 モンモランシーは、ギーシュに呑ませようとしてワインの中に何かを入れたのである。それを部屋に飛び込んで来たルイズが呑み干しててしまったということだった。

 モンモランシーは、しばらくモジモジと困ったように身体をクネラせていたが、ギーシュと才人の2人に睨まれ、静かに見つめる俺に観念したらしい。それでも彼女は悪怯れないといった風な声音で、つまらなさそうに言った。

「……“惚れ薬”よ」

「ほれぐすりぃ!?」

 ギーシュと才人は、大声で叫んだ。

 その口をモンモランシーが慌てて両手で塞ぐ。

「馬鹿! 大声出さないで! ……禁制の品なんだから」

 才人はモンモランシーの腕を掴み、口から手を離して叫んだ。

「だったらそんなもん入れんな! ルイズをなんとかしろッ!」

 

 

 

 モンモランシーと才人、そしてシオンは、モンモランシーの部屋で頭を悩ませていた。シオンには先ほど、ルイズの様子などを説明し、今モンモランシーの部屋に来たばかりだ。

 モンモランシーは、俺たちにしぶしぶといった様子で説明した。ギーシュに浮気をさせないために“惚れ薬”を造った事。それを呑ませようとギーシュのグラスに入れたら才人とルイズが部屋に飛び込んで来た事……その後は才人の想像の通りであった。ルイズはそれを思いっ切り呑み干してしまったのである。

 才人はそれを聴いて、悲鳴を上げた。

「なんとかしろよぉ!」

「……良いじゃない。惚れられて、困るもんじゃないでしょ?」

 それまで黙っていたギーシュが、頬を染めてモンモランシーの手を握った。

「モンモランシー、そんなに僕のことを……」

「ふんっ! 別に貴男じゃなくっても構わないのよ? お付き合いなんて暇潰しじゃない。ただ浮気されるのが嫌なだけ!」

 モンモランシーは頬を染めて、プイッと横を向いた。流石はプライドの高い“トリステイン”の女“貴族”であると言えるだろう。大した高慢振りである。

「僕が浮気なんかする訳無いじゃないか! 永久の奉仕者なんだから!」

 ギーシュはガバッとモンモランシーを抱き締めた。そして強引に頬を持ち、キスしようとした。

 モンモランシーも満更ではないのだろう、目を瞑る。

 そんな2人を俺とシオン、才人は冷めた目で見つめる。

「後にしろ」

 才人は、そう言ってそんな2人をグイッと引き離した。

「野暮天だな君は!」

「良いから! ルイズをどうにかしろ!」

「そのうち治るわよ」

「そのうちっていつだよ!?」

 モンモランシーは、首を傾げた。

「個人差があるから、そうね、1ヶ月後か、それとも1年後か……」

「君はそんな代物を僕に呑ませようとしたのか」

 流石のギーシュも、それを聞いて青くなった。

「そんなに待てるか。直ぐに! なんとか! しやがれ!」

 才人は、グイッとモンモランシーに顔を近付けた。

「理解ったわよ! 解除薬を調合するから、待っててよ!」

「早く造れ。さあ造れ。今造れ」

「でも、解除薬を造るには、とある高価な秘薬が必要なんだけど、“惚れ薬”を造る時に全部使っちゃったの。買うにしてももうお金がないし。さあどうしましょう」

「それは参ったね。自慢じゃないが、金なら僕もない」

「金がない? お前ら“貴族”だろうか!」

 才人がそう怒鳴ると、ギーシュとモンモランシーは顔を見合わせた。

「“貴族”と言っても、わたし達まだ書生の身分だし」

「領地やお金を持ってるのは実家の両親だしな」

「じゃあ実家に言って金を送ってもらえ」

 才人は2人を睨んで言った。

 するとギーシュがもっともらしく人差し指を立て、語り出した。

「良いかね君。世の中には2種類の“貴族”がいる。お金に縁のない“貴族”と、お金と仲良しの“貴族”だ。例えばモンモランシーのご実家のド・モンモランシ家のように、干拓に失敗して領地の経営が苦しかったり……」

 モンモランシーが後を引き取る。

「ギーシュの実家のド・グラモン家みたいに、出征の際に見栄を張りまくってお金を使い果たしたりしちゃうと……」

「このように、お金とは縁のない“貴族”が出来上がるのだ。自慢じゃないが、世の中の半分の“貴族”は屋敷と領地を維持するだけで精一杯なのだ。“平民”の君には理解らん事だろうが、“貴族”の誇りと名誉を守るのも、これでなかなか大変なのだよ」

 才人は、「こいつら使えねえー」とガックリと膝を突いた。

「えっと、その秘薬っていくらほどの値段なの?」

 シオンがモンモランシーへと尋ねる。

「そうね。小遣い程度では買えない代物としか言えないわね」

 実際に、モンモランシーは自身が造った秘薬を長期間の間売買することで貯蓄した金のほとんどをはたいて買ったのである。そうそう簡単に買えるモノではないのは確かだ。

 才人は、仕方なくといった風に、パーカーやジーンズのポケットを探る。中にはアンリエッタから下賜された金貨がジャジャラと入っている。半分はルイズの部屋に置いており、半分は彼自身で持っているのだ。

「これでなんとかなるか?」

 才人は、それをテーブルの上に打ち撒けた。

「うおっ!? なんでこんなに金を持ってるんだね!? 君は!?」

 テーブルの上に山盛りになった金貨を見て、モンモランシーは溜息を吐いた。

「すごい。500“エキュー”はあるじゃないの」

「出所は訊くな。良いか、これで高価な秘薬とやらを買って、明日中になんとかしろ」

 モンモランシーは渋々といった調子で、首肯いた。

 

 

 

 

 才人は軽くなったポケットと共に戻り、シオンと俺はその後に着く。

 だが、入室すると同時に、その部屋の様子とその主の様子が尋常ではないことに才人とシオンは気付いた。

 そして、シオンは直ぐに退出し、俺も彼女に続く。どうやら、部屋の外から様子を伺うつもりらしい。

 煙草でも吸ったかのように、モクモクと煙くて、甘い香りがしている。

 ルイズが部屋の真ん中にペタリと座って、お香を焚いているのだった。

「おい、どうした? なんだこのお香は?」

 才人がそう言うと、ルイズは泣きそうな声で才人を見詰めた。

「どこに行ってたのよ……?」

 才人はルイズの格好に気付いた。スカートを穿いてないのである。

「1人にしちゃやだ……」

 拗ねて、泣きそうな声で才人を見上げる。どうやら寂しくなって、なぜか香を焚いていたらしい。

「ご、ごめん……」

 才人は「なんでスカート穿いてないんですか!?」と訊きたい気持ちを押さえ、思わず目を逸らして、さらにとんでもない事実に気付いた。

 ルイズは、スカートだけではなく、パンツすらも穿いてないのだ。シャツの隙間から覗く、腰のライン。どこにも下着らしき布っぱちが見当たらないのであった。

 才人がガクガクガクと震え出した。

「お、おまえ、パパパパ、パンツ穿けよッ!」

「は、穿かないもんッ」

「なんで!? 良かったら理由を教えてくださいッ!」

「わたし、色気ないんだもん。知ってるもん。だから、横で寝ててもサイトはなにもしないんだもん。そんなの許せないんだもん」

 ルイズは泣きそうな声で捲し立てた。

「そ、それはつまり、俺がその、お前をいきなりガバッと押し倒してあーんな事やこーんな事をしても、いいいいい、良いって、事なのか?」

「そ、それは、駄目……」

「だよね。そうだよね」

「でも、でもちょっとなら目を瞑ってるもん。1時間くらいなら、目を瞑ってて知らないフリするもん」

 こうやって言ってしまったら知らないフリも何もないと思うのだが……ルイズはかなりキテしまっている様子だ。

 ルイズはシャツの裾を引っ張って、前を隠して立ち上がった。

 細いルイズの生足が、才人の目に飛び込んで来る。才人の胸の中で、ベルのような音が鳴り響く。そんな錯覚、感覚を、彼は感じた。

 ルイズは才人の胸の中に飛び込んだ。

 彼女の髪からは部屋に漂う甘い香りがする。いつもは付けない香水まで、身体に振りかけているらしい。

 才人のパーカーに顔を埋めて、ルイズはひくひくと震えた。

「すっごく寂しかったんだから……ばかぁ……」

 才人の両手が、ルイズの身体に伸び、思わず抱き締めてしまいそうになる。

 才人は唇を噛んだ。ギリッと、強く噛み締める。その痛さと、(今のルイズは……俺の知ってるルイズじゃない。“惚れ薬”で、自分を失ってる状態だ。俺はルイズの事を、ずっと守ってやりたいくらいに好きだけど……だからこそ、こんな時のルイズを抱き締めてはいけないよな。そうしたら、歯止めは利かなくなってしまうだろうし。獣みたいに、ルイズを貪ってしまうに違いない。好きだからこそ、赦されないんだ)といった思考で冷静な部分を蘇らせた。

 才人は震える手で、ルイズの肩を掴んだ。そして、ルイズの目を覗き込み、努めて優しい声を絞り出した。

「ルイズ……」

「サイト……」

「あ、あのな? 今のお前は薬で可怪しくなってるんだ」

「くすり……?」

 潤んだ瞳で、ルイズは才人を見上げる。

「そうだよ。だから、今のお前はお前じゃねえんだ。でも、なんとかするから、待ってろ。な?」

「薬の所為なんかじゃないもん」

 ルイズは真っ直ぐに才人を見つめた。

「この気持ち、薬の所為なんかじゃない。だって、サイトをジッと見てると、すっごくドキドキするもん。ドキドキするだけじゃなくて……すっごく息苦しくて、どうしようもなくなっちゃうの。知ってる。これが……」

「ち、違うんだよ。俺もその、そうだったら良いなぁーとか、思うけど、やっぱり、それは違うんだ。“惚れ薬”なんだよ。明日の夜には解除薬が出来るっていうから、それまで待ってろ。とにかく今日はもう寝ろ。な?」

 ルイズは首を横に振った。

「理解んない。そんなのどうでも良い。とにかくギュッとして。じゃないと寝ない」

「ギュッとしてたら、寝るか?」

 ルイズは首肯いた。

 才人はルイズをベッドに運んでやった。それから、寄り添うように、隣に寝転ぶ。

 ルイズはいつものようにギュッとしがみ付く。

「どこにも行かないで、他の女の子見ないで。わたしだけ見てて」

 呪文のように、ルイズはそう繰り返した。

 才人は首肯いた。

「どこにも行かないよ。ずっとここにいるから」

「ほんと?」

「ああ。だから寝ろ。理解ったか?」

「うん……サイトが寝ろって言うんなら寝る。だって、嫌われたくないもん」

 だがルイズは眠らない。モゾモゾと顔を真っ赤にしながら、才人の首筋に額を近付ける。そして、才人の首筋にキスをし始めた。

 才人の背筋に電流が奔る。

「ほ、ほぁああああああ……!?」

 才人はビクビクと痙攣した。

 そのうちに、ルイズは強く才人の肌を吸い始めた。

「ルイズ! ルイズ!」

 上記した頬で、ルイズは自分が強くキスしたところを見つめる。そして、夢中になって才人の肌の印を付け始めた。

「ルイズ、やめてくれ! 俺はもう! 俺は! 嗚呼!」

 ルイズは唇を離すと、怒ったように呟いた。

「駄目。やめないもん。サイトはわたしのモノだもん。だから、こうやって他の女の子に取られないように、わたしのモノだっていう印をいっぱい付けとくんだもん」

 それから、才人にとってはある意味拷問のような時間が続いた。

 ルイズが付け初めたキスマークは、首筋のみならず胸にまで及んだ。その数、数十個。

 才人が身体をピクピクと痙攣させて、気絶一歩手前で震えていると、ルイズは唇を才人の胸から離し、自分の首筋を才人に見せるようにして、顎を傾けた。

「わたしにも付けて」

「で、でも……」

 ルイズの真っ白で、細い首が才人の目に飛び込む。

「付けてくれないと、眠らない」

 才人は目を瞑ると、ルイズの首筋に唇を近付け、触れた。

 ルイズの唇から溜息が漏れる。

 思いっ切り緊張しながら、青磁のようなルイズの肌を吸い上げた。

「んっ……!」

 ルイズもよほど緊張をしていたのか、そんな一声を上げるとぐったりとし、気絶してしまった。そしてルイズはしばらくすると寝息を立て始めた。

 才人は自分が付けた、ルイズの首筋の赤に眩しさを感じる。白い雪に、苺の欠片を落としたように、そこだけが赤いのだ。

 才人は荒い息を吐きながら、「ルイズは薬で可怪しくなってるだけだ! 解除薬を呑めば、いつもの生意気で可愛くないルイズに戻るさ!」と何度も自分に言い聞かせた。そうしないと、隣で寝ているルイズに襲いかかってしまいそうだったからだ。

 そこで才人はルイズが何かをギュッと握り締めていることに気付いた。才人が街で買ったペンダントだ。大事そうに、ギュッと握り締めているのだ。

 才人は、それを見ていたら、さらに“愛”しさが募ってどうしようもなくなってしまった。

 才人の手が、思わずルイズへと伸びる。が、(今のルイズをどうにかする権利は、俺にはない。ないんだ才人。我慢しろ。なんてったって、シエスタにあのセーラー服を着せたのが原因で、ルイズはこうなっちゃったんだよな……だから俺の所為だ。俺は駄目な奴だなあ。女の子の気を惹くようなことばっかりして……)といった風にその手を自分でバチンと叩く。

 そして才人は、(シエスタ。そうだシエスタ。嗚呼、側にいると安心するシエスタ。彼女も素敵だ。そして、側にいるとドキドキするルイズ。ああ、俺、どっちが好きなんだろ? なんて贅沢な悩みだろう。“地球”にいた時は想像すらできなかった悩みだ)とも思った。

 そんな事を考えながら、こうやってルイズの顔を見ていると……才人の中で、(元の世界に帰らないで、このままここにいても良いか)と気になった考えが浮かび上がる。ルイズがアンリエッタの直属の女官になってしまい、東に飛んで行き辛くなった時……がっかりしたけど、同時に嬉しくもあったのだから。それは、ルイズの側にいることができるからである。“地球”とシエスタとルイズ、その3つが才人の頭の中をグルグルと回り、彼を悩ませた。

 才人は、(俺は一体どうしたいんだろう? いつかは決めなくちゃいけない。たぶん、近い未来に)、とそう感じながら頭を悩ませた。

 

 

 

 ルイズの部屋から退出して直ぐ、彼女と才人のやり取りが聞こえてきた。

 そして、程なくして、彼女の行動が才人の言葉と声のトーン、喋り方などから大体を予想することやイメージすることができた。

 そして、それゆえか、シオンが想像力豊かなためか、彼女は顔を真っ赤にして両手で自身の顔を覆い始め、身体をプルプルと震え出させた。

 シオンの顔は、耳まで真っ赤であり、部屋から声が聞こえる度に彼女はビクンと身体を震わせる。

 そして、彼女はついに我慢ができなくなったのだろう、自身の部屋へと逃げ出すようにして疾走り出した。

 俺もまた、直で聞く必要もない、というよりも彼らの今のやり取りを覗き見するような趣味を持ち合わせていないので、“霊体化”して、この場を離れる。

 ただ、この部屋の周囲に近付いた誰かが、侵入しないように見張りながらだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夕方、才人とシオンはモンモランシーの部屋で頭を抱えていた。

 才人は、愚図るルイズをなんとか部屋に残し、部屋までやって来たのだが……。

「解除薬が造れないだと?」

 顔を持ち上げ、才人を睨んで言った。

 隣ではギーシュが、顎に手をやって、しかめっ面をしている。

 モンモランシーとギーシュは本日街に出て闇屋に向かい、解除薬の調合に必要な秘薬を探したのだが……。

「しょうがないじゃない! 売り切れだったんだもん!」

「いつになったら手に入るんだよ?」

「それが……どうやらもう、入荷が絶望的なようね」

「なんだよそれ?」

「その秘薬ってのは、“ガリア”との国境にある“ラグドリアン湖”に棲んでる、“水の精霊の涙”なんだけど……その“水の精霊”たちと、最近連絡が取れなくなっちゃったらしいの」

「なんだとぉー」

「つまり、秘薬を手に入れることはできない訳」

「じゃあルイズはどーすんだよ!」

「良いじゃないか。惚れられて困る訳でもあるまいに。君はルイズが好きだったんじゃないのかね?」

 ギーシュがそう言ったが、才人は納得しない。するはずもない。

「あんな薬で好かれても嬉しかねえや。あれはルイズの本当の気持ちじゃねえ。俺は早くルイズを元通りにしたいんだよ」

 モンモランシーは唇を尖らせた。

 ギーシュも仕方ない、とばかりに首を横に振る。

『ねえ、セイヴァー』

『なにかな?』

『セイヴァーなら、どうにかできるんじゃない?』

『できる、だろうな』

『でも、これって、やっぱりその“原作”っていうものの展開と同じなの? だとしたら、傍観するしかないのかな?』

『いいや、別にその必要はないと思うがね。難しい話になるが、大きな変化が起きない限り、世界の歴史はそれほどズレることはまずない。世界の修正力ってやつの1つだ。最終的に、似たような結果に辿り着く。今回のそれは、恐らくだが、それほど世界に影響は与えない。近いうちに、薬の効果は切れるだろうさ』

 そうやって俺は、思念通話でもってシオンの問に答える。が、俺自身がそれを1番危惧している為、どうしても自身に言い聞かせるように答えてしまう。

 しばらくジッと考え込んでいた才人が決心したように拳を握り締めた。

「その“水の精霊”とやらは、どこにいんだよ?」

「言ったでしょ。“ラグドリアン湖”よ」

「連絡が取れねえなら、こっちから行けば良いじゃねえか」

「えええええ!? 学校どーすんのよ!? それに、“水の精霊”は滅多に人前に姿を現さないし、ものすご―く強いのよ! 怒らせでもしたら大変よ!」

「知るか。行くぞ」

「わたしは絶対に行きませんからね!」

 才人は腕を組んだ。

「じゃあしょうがねえ。“惚れ薬”の事を姫さまに、いや今は女王さまだっけ? どっちでも良いや、とにかく相談して良い案を出してもらう。確かアレって禁制なんだっけ? 造っちゃいけない代物なんだろ。さて、女王さまにご注進したらどうなるのかな?」

 モンモランシーの顔が見る見るうちに青くなって行く。

「臭い飯食うか? モンモン?」

「理解ったわよ! 行けば良いんでしょ! 行けば! もう!」

「ふーむ、確かにルイズをあのままにしておく訳にも行かないな。あの態度を見たら、“惚れ薬”の事がバレてしまうかもしれん」

 ギーシュが首を大きく振った。

「安心してくれ恋人よ。僕が着いているじゃないか」

 そう言って肩に回したギーシュの手から、モンモランシーはすり抜けた。

「気休めにもならないわ。貴男、弱っちいし」

 それから俺たちは出発の打ち合わせをした。

 早い方が良いということもあり、出発は早速明日の早朝ということになった、独りぼっちにしておくとなにをするかわからないだろうということもあり、ルイズも連れて行くことになった。

 モンモランシーが、「はぁ、サボりなんて初めてだわ」、と溜息を吐く。

 対するギーシュは、「なあに、僕なんか今学年は半分も授業に出てないぞ? サイトとセイヴァーが来てからというモノ、なぜか毎日冒険だ! あっはっは」と満更でもなさそうに大笑いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘から見下ろす“ラグドリアン湖”の青は眩しいと言えるだろう。陽光を受けて、湖面がキラキラとガラスの粉を蒔いたように瞬いているのだから。

 俺達は、馬を使ってここまでやって来た。

 ルイズは1人で馬に乗ることを嫌がったため、才人の前に跨っている。才人と一時足りとも離れるのが嫌なようである。

 モンモランシーとギーシュは立派な葦毛の馬に跨っている。

 シオンが跨り、操っている馬も相当なモノだと言えるだろう。

 俺が跨っている馬もまた、他に比べて並ぶほどのモノである。さらには、俺が持つ高ランクの“騎乗スキル”、“魔力放出スキル”などを駆使して、“騎乗兵”を超える腕前で操っていると自負できる。自惚れだろうが、“ヴィンダールヴ”すらをも超えているかもしれない。

「これが音に聞こえた“ラグドリアン湖”か! いやぁ、なんとも綺麗な湖だな! ここに“水の精霊”がいるのか! 感激だ! ヤッホー! ホホホホ!」

 1人旅行気分のギーシュが馬に拍車を入れ、喚きながら丘を駆け下りた。

 馬は水を怖がり、波打ち際で急停止した。慣性の法則が働き、ギーシュは場上から投げ出されて湖に頭から飛び込む形で飛んでしまう。

「背が立たない! 背が! 背ぇええええええがぁあああああああッ!」

 バシャバシャとギーシュは必死の形相で助けを求めている。どうやら泳げないらしい。

「やっぱり付き合いを考えた方が良いかしら?」

 モンモランシーが呟く。

「そうした方が良いな」

 才人が相槌を打った。

 なぜかルイズが心配そうな顔で才人を見上げる。

「モンモランシーが好いの?」

「そ、そういう訳じゃねえよ。待ってろ。直ぐに元のお前に戻してやるから」

 俺達も波打ち際まで馬を近付けた。

 必死の犬掻きで、岸辺に辿り着いたギーシュが、恨めしげに俺たちを見つめる。

「おいおい、放っとかないでくれよ! 泳げない僕を見捨てないでくれよ!」

 しかし、モンモランシーはびしょ濡れのギーシュをそっち退けで、ジッと湖面を見つめたまま、首を捻った。

 才人が「どうした?」と尋ね、モンモランシーは「変よ」と答えた。

「どこが変なんだ?」

「水位が上がってるわ。昔、“ラグドリアン湖”の岸辺は、ずっと向こうだったはずよ」

「ほんと?」

「ええ。ほら見て。あそこに屋根が出てる。村が呑まれてしまったみたいね」

 モンモランシーが指さした先に、藁葺の屋根が見えた。

 才人とシオンは、澄んだ水面の下に黒々と家が沈んでいることに気付いた。

 モンモランシーは波打ち際に近付くと、水に指を翳して目を瞑った。

 モンモランシーはしばらくしてから立ち上がり、困ったように首を傾げた。

「“水の精霊”はどうやら怒っているようね」

「そんなんでわかるのか?」

「わたしは“水”の使い手。“香水のモンモランシー”よ。この“ラグドリアン湖”に棲む“水の精霊”と、“トリステイン王家”は旧い盟約で結ばれているの。その際の交渉役を、“水”のモンモランシ家は何代も務めてきたわ」

 才人の質問に、胸を張って答えるモンモランシー。

「今は?」

「今は、色々あって、他の“貴族”が務めているわ」

「じゃあお前は、その“水の精霊”とやらに逢ったことはあるのか?」

 才人は好奇心を発揮して、尋ねた。

「小さい頃に1度だけ。領地の干拓を行う時に、“水の精霊”の協力を仰いだのよ。大きなガラスの容器を用意して、その中に入ってもらって領地まで来てもらったわ。“水の精霊”はプライドが高いから、機嫌を損ねたら大変なのよ。実際機嫌を損ねて、実家の干拓は失敗したわ。父上ってば、“水の精霊”に向かって“歩くな。床が濡れる”なんて言ったもんだから……」

「僕も見たことがないぞ」

 シャツを脱いで扇いで乾かしていたギーシュも相槌を打った。

 ルイズは話には興味がないのだろう、才人の後ろに隠れて、パーカーの裾をついついと摘んでいる。

「ものすご―く、綺麗だったわ! まるで、そう……」

 その時、木陰に隠れていたらしい老農夫が1人、俺たちの元へとやって来た。

「もし、旦那さま。“貴族”の旦那さま」

 初老の農夫は、困ったような顔で俺たちを見つめて来ている。

 モンモランシーが、「どうしたの?」と尋ねた。

「旦那さま方は、“水の精霊”との交渉に参られた方々で? でしたら、助かった! 早いとこ、この水をなんとかして欲しいもんで」

 俺とルイズを除いた面々は、顔を見合わせた。

 どうやらこの農夫は、湖に沈んでしまった村の住人らしい。

「わたし達は、ただ、その……湖を見に来ただけよ」

 “水の精霊の涙を”取りに来た、などと言うこともできるはずもなく、モンモランシーは当たり障りのない台詞を口にした。

「然様ですか……全く、領主様も女王様も、今は“アルビオン”との戦争に掛かりっ切りで、こんな辺境の村など相手にもしてくれませんわい。畑を取られた儂らが、どんなに苦しいのか想像も付かんのでしょうな……」

 はぁ、と農夫は深い溜息を漏らした。

 そんな農夫の言葉に、シオンは申し訳なさそうに顔を伏せた。

「一体、“ラグドリアン湖”になにがあったの?」

「増水が始まったのは、2年ほど前でさ。ユックリと水は増え、まずは船着場が沈み、寺院が沈み、畑が沈み……ごらんなせえ。今ではお付き合いに夢中で儂らの頼みなど聞かずじまい」

 よよよ、老農夫は泣き崩れた。

「長年この土地に住む儂らには理解ります。違えねえ、“水の精霊”が悪さをしよったんですわ。まったく、湖の底に大人しく沈んでいれば良いモノを……どうして今になって陸に興味を示すのか訊いてみたいもんでさ。水辺からこっちは人間様の土地だってのに。しかし、“水の精霊”と話せるのは“貴族”だけ。いった何をそんなに怒っているのか訊きたくても、しがない農民風情にはどうしようもありませんわい」

 才人たちは困ったように頭を掻いた。

 

 

 

 農夫が愚痴を言いたいだけ言って去って行った後、モンモランシーは腰に提げた袋から何かを取り出した。

 それは1匹の小さな蛙だ。鮮やかな黄色に、黒い斑点がいくつも散っている。もし、“地球”にいるとすれば、毒を持っているだろう見た目をした蛙である。

 そんな蛙は、モンモランシーの掌の上にちょこんと乗っかって、忠実な下僕のように、真っ直ぐにモンモランシーを見つめている。

「蛙!?」

 蛙が嫌いなルイズが悲鳴を上げて、才人に寄り添った。

「なんだよその毒々しい色の蛙は?」

「毒々しいなんて言わないで! わたしの大事な“使い魔”なんだから!」

 どうやらその小さな蛙が、モンモランシーの“使い魔”らしい。

 モンモランシーは指を立て、“使い魔”である蛙に命令をした。

「良いこと? ロビン。貴方たちの旧いお友達と、連絡が取りたいの」

 モンモランシーはポケットから針を取り出すと、それで指の先を突いた。赤い血の玉が膨れ上がる。その血を蛙――ロビンに一滴垂らした。

 それから直ぐに、モンモランシーは“魔法”を唱え、指先の傷を治療する。ペロッと舐めると、再びロビンに顔を近付ける。

「これで相手はわたしの事がわかるわ。覚えていればの話だけど。じゃあロビンお願いね。偉い“精霊”、旧き“水の精霊”を見付けて、“盟約の持ち主の1人が話をしたい”と告げてちょうだい。理解った?」

 ロビンはピョコンと首肯いた。それからピョンと跳ねて、水の中へと消えて行く。

「今、ロビンが“水の精霊”を呼びに行ったわ。見付かったら、連れて来くれるでしょう」

 才人は、ふーんと首を傾げた。

「やって来たら、悲しい話でもすれば良いのかな。主人想いの犬の話でもしようかな。かなり古いけど、かけ蕎麦のやつが良いかな……」

「悲しい話? なんでそんなのするのよ?」

「だって、“水の精霊の涙”が必要なんだろ? 泣いてくれなきゃ困るだろうが」

「ホントに無知ね。まあ、“水系統”の“メイジ”でもなきゃ知らないことだから、“平民”の貴男が知らないのも無理はないと思うけど。“水の精霊の涙”ってのは、通称よ。涙そのものの事じゃないわ」

 才人とギーシュは顔を見合わせた。

 ルイズは才人が自分の相手をしてくれないので、寂しそうに顔を才人の背中にスリスリと擦り付けてる。平時であれば、才人はむはー! と死にそうになってしまうだろくらいの可愛らしいルイズの態度であるのだが、今はモンモランシーの話に夢中である。

 ギーシュは、「だったら“水の精霊の涙”ってのはなんなんだい?」と尋ねる。

「“水の精霊”は……わたし達人間より、ずっと、ずっと長く生きている存在よ。6,000年前に“始祖ブリミル”が“ハルケギニア”に光臨した際には、既に存在していたと言うわ。その身体は、まるで水のように自在に形を変え……陽光を受けるとキラキラと7色に……」

 そこまでモンモランシーが口にした瞬間、離れた水面が光り出した。

 “水の精霊”が姿を現したのである。

 

 

 

 俺たちが立っている岸辺から、30“メイル”ほど離れた水面の下が、眩いばかりに輝いた。

 まるでそれ自体が意思を持つかのように、水面がウネウネと蠢いた。それから餅が膨らむようにして、水面が盛り上がる。

 俺とモンモランシー以外の皆は呆気に取られ、その様子を見つめた。

 まるで見えない手に捏ねられるようにして、盛り上がった水が様々に形を変える。巨大なアメーバのようなその姿であった。確かにキラキラと光って綺麗だが……どちらかというと気持ちが悪いと言えるだろう。

 湖からモンモランシーの“使い魔”のロビンが上がって来て、ピョンピョン跳ねながら主人の元に戻って来た。

 モンモランシーはしゃがんで手を翳してロビンを迎えた。指でロビンの頭を撫でる。

「ありがとう。きちんと連れて来てくれたのね」

 モンモランシーは立ち上がると、“水の精霊”に向けて両手を広げ、口を開いた。

「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。“水”の使い手で、旧き盟約の一員の家計よ。蛙に付けた血に覚えはお有りかしら? 覚えていたら、私たちにわかるやり方と言葉で返事をしてちょうだい」

 “水の精霊”……盛り上がった水面が……見えない手によって粘土が捏ねられるようにして、グネグネと形を取り始める。

 その様子をジッと見ていた才人達は、驚きのあまり目を丸くした。

 水の塊が、モンモランシーそっくりと形になって、ニッコリと微笑んだからだ。

 しかしサイズは一回りも大きく、服を身に着けていない。透明な裸のモンモランシーの姿を取ったのだ。水の彫像を想像と理解りやすいかもしれないだろうか。

 “水の精霊”は、表情を様々に変えた。笑顔の次は怒り、その次は泣き顔。まるで表情の1つ1つを試すように、水の塊の顔らしき部分は動く。

 なるほど、その姿は美しいと言えるだろう。まるで宝石の塊が動いているようであった。

 それから無表情になって、“水の精霊”はモンモランシーの問いかけに応えた。

「覚えて居る。単成る者よ。貴様の身体を流れる液体を、我は覚えて居る。貴様に最後に会ってから、月が52回交差した」

「良かった。“水の精霊”よ、お願いがあるの。厚かましいとは思うけど、貴方の一部を分けて欲しいの」

 才人は、一部? といった風に首を捻った。彼は、どういうこと? とモンモランシーを突くと、彼女は煩そうに振り返った。

「涙と言っても“精霊”が泣く訳ないでしょ。わたし達とは全然違う生き物……と言うか生き物なのかすらわかんないんだから。“水の精霊の涙”ってのは、“精霊”の一部よ」

「身体を切り取るのか!」

 才人は驚いた声を上げた。

「しっ! 大声出さないで! “精霊”が怒るじゃないの! だから滅多なことじゃ手に入らないの! 街の闇屋に仕入れている連中は、どんな手を使って手に入れているのか……まったく想像も付かないわ」

 “水の精霊”は、ニコッと笑った。

「お、笑った! OKみたいだぜ!」

 しかし、その口から……というか、どこから声が出ているのかわかり辛いが、出て来た台詞はまったく逆のモノであった。

「断る。単成る者よ」

「そりゃそうよね。残念でしたー。さ、帰ろ」

 モンモランシーがアッサリと諦めたので、才人とシオンは呆れた。

「おいおい! ちょっと待てよ! ルイズはどーすんだよ! なあ“水の精霊”さん!」

 才人はモンモランシーを押しのけて、“水の精霊”と対峙した。

「ちょっと!? あんた! やめなさいよ! 怒らせたらどーすんのよ!?」

 モンモランシーは才人を押し退けようとしたが、才人は怯まない。

 ギーシュとシオンはどーしたもんか、首を捻っている。

 ルイズは無言で才人に寄り添っていた。今の状態だけを見たら、どちらが“使い魔”なのかわかりにくいほどである。

「“水の精霊”さんよ! お願いだよ! なんでも言うこと利くから、“水の精霊の涙”を分けてくれよ! ちょっとだけ! ほんのちょっとだけ!」

 モンモランシーの姿の“水の精霊”は、何も返事をしなかった。

 才人がガバッと膝を付くと、地面に頭を擦り付けた。いわゆる土下座である。

「お願いです! 俺の大事な人が大変なんです! 貴方にだって、大事なモノがあるでしょう? それと同じくらい俺にとって大事な人が大変なことになってて……貴方の身体の一部が必要なんだ! だからお願い! この通り!」

 才人の剣幕にモンモランシーは止める気が失せたのか、溜息を吐いた。

 何気に涙脆いギーシュはその姿に感動したらしく、うんうんと首肯いている。

 ルイズは不安そうに、才人に抱き着いたままだ。

 シオンは、俺と“水の精霊”とを見比べて来ている。

 “水の精霊”は、フルフルと震えて、姿形を何度も変えている、どうやら考えている様子だ。

「俺からも頼もう。“水の精霊”よ。この少年の望みを聞き届けてやって欲しい」

 俺はそう言って、“水の精霊”がいる“ラグドリアン湖”の中へと足を踏み入れる。

 そんな俺の行動に、シオンとルイズ以外の皆が大きく目を見開き、驚く。

 そして、モンモランシーは、「流石に、それはっ!?」といった風に俺を止めようと手を伸ばす。

 だが、その手は俺には届かず、俺は自身の両脚を湖に浸ける。

 “水の精霊”の身体の震えが大きくなる。

「単成る者よ、貴様は何者か?」

「そうさな、俺は“サーヴァント”だ。特殊な例によって生まれた、特殊な“サーヴァント”だ、“水の精霊”よ。貴様の望みを対価に、貴様の身体の一部を……“水の精霊の涙”を頂戴したい」

 そして、“水の精霊”は自身の身体の形を、再びモンモランシーの姿へと戻す。そして、才人に問うた。

「良かろう」

「ええ!? ホント!?」

「しかし、条件が有る。世の理を知らぬ単成る者、そして“抑止拠り外れし者”よ。貴様等は何でも為ると申したな?」

「はい! 言いました!」

「ああ」

「成らば、我に仇為す貴様等の同胞を、退治して見せよ」

 俺を除いた皆が顔を見合わせた。

「退治?」

「然様。我は今、水を増やす事で精一杯で、襲撃者の対処に迄手が回らぬ。其の者共を退治為れば、望み通り我の一部を進呈為よう」

「いやーよ、わたし、喧嘩なんて」

 才人はそんなモンモランシーの肩を叩いた。

「臭い飯食うか? モンモン?」

 暗に禁断の秘薬を調合した事をバラすと才人は脅しているのである。

 モンモランシーはこの前と同じように、折れざるをえなかった。

「理解ったわよ! もう! 好きにしなさいよ!」

 こうして俺たちは、“水の精霊”を襲う連中をやっ付けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “水の精霊”が棲む場所は、遥か湖底の奥深くである。

 襲撃者は夜になると、“魔法”を使い、水の中に入って来て湖底にいる“水の精霊”を襲うと言う。

 俺たちは、“水の精霊”が示した“ガリア”側の岸辺の木陰に隠れ、ジッと襲撃者の一行が来るのを待ち受けていた。

 ギーシュは、戦いの前の景気付けなのか、才人と俺の隣で持って来たワインを呷っている。そのうちに歌い出しそうなくらいにテンションが上がって来たので、才人に頭を小突かれた。

 ルイズといえば、才人がモンモランシーとばっかり話していることもあり、相当ご機嫌斜めな様子だった。「わたしよりモンモランシーが好いのね、好きなのね、良いわよ勝手にすれば、でも嫌いにならないでうわーん!」、といった風にわあわあ泣いたり怒ったり、喚いたりと忙しく、才人は寝かし就けるためにほっぺに何度もキスしてやらなくてはならなかった。その甲斐あって今はモーフに包まり、くーくーと隣で寝息を立てている。まるで幼子のようである。薬の所為ではあるだろうが、どうやらひどく恋に落ちると誰でもそんな風になってしまうものなのかもしれない。

 俺はまた、この後起こるであろう展開に、思わず笑いそうになる。が、どうにか堪え、皆に悟られないように努める。

「一体どうやって、“水の精霊”を襲ってる連中は湖の底までやって来るんだ? 水の中じゃ息ができねえだろ」

 才人はモンモランシーに尋ねた。

 しばらくモンモランシーは考え込んで、「たぶん、“風”の使い手ね。空気の球を作って、その中に入るって湖底を歩いて来るんじゃないかしら? “水”の使い手だったら水中で呼吸ができる、“魔法”を使うだろうけど、“水の精霊”を相手にするって言うのに、水に触れて行ったら、自殺行為だわ。だから、“風”ね。空気を操り、水に触れずにやって来るに違いないわ」

 “水の精霊”の話では、襲撃は毎夜行われ、その度に“水の精霊”は身体を削られて行くらしい。

「あんなプヨプヨした奴が、どうしたら傷付くんだ?」

「“水の精霊”は、動きが鈍いし……それに“メイジ”だったら、ただの水と“精霊”の見分けが付くわ。“水の精霊”は“魔力”を帯びてるからね。近付いて、強力な炎で身体を炙る、徐々に蒸発して……気体になったら再び液体として繋がることができなくなっちゃうわ」

「繋がることができなくなる?」

「“水の精霊”は、まるで苔のような存在なのよ。千切れても、繋がってても、その意思は1つ。個にして全。全にして個。わたし達とはまったく違う生き物よ」

「ふーん……」

 才人は相槌を打った。

「そして相手が水に触れていなければ、“水の精霊”の攻撃は相手に届かない」

「なんだよ、全然強くねえじゃねえかよ」

「まったく……“水の精霊”の怖さを知らないのね……少しでも精神の集中が乱れて、空気の球が破れ、一瞬でも水に触れたら心を奪われるわよ。他の生物の生命と精神を操ることなんて、あの“水の精霊”にとっちゃ呼吸するのと同じくくらい、なんでもないことなんだから。いくら空気の球に入っているからって、“水の精霊”のテリトリーである水中に入り込むなんて、よっぽどの命知らずじゃんきゃできないことだわ。聴いてる? そこの“使い魔”?」

 才人は溜息を吐いた。

 そして、俺へと話が振られる。どうやら、湖中へと足を入れた事に対して、言って来ているようである。

「ふむ、理解した。どうやら、俺はそのよっぽどの命知らずの馬鹿だった見たいだな。“水の精霊”は優しかったから救かったが、今度からは気を付けよう」

 などと俺はテキトウにモンモランシーの言葉に相槌を打ち、口にする。

 実際、ヒトを始めこの世界や他の世界での生命であれば、この世界の“水の精霊”相手にああいった行動は命取りなのだろう。だが、この身は“サーヴァント”だ。ましてや、俺には“精神干渉系に対する高い耐性を持つスキル”を所持しているのである。まったく影響はないと言えるだろう。

 2つの月が、天の頂点を挟むようにして光っている。詰まり、深夜だ。

 才人を始め皆、口を噤んだ。

 才人は、背中に吊ったデルフリンガーの柄に、手を近付ける。

 モンモランシーは、その緊張が怖くなったのだろうか、震える声で呟いた。

「とにかく、わたしは戦いなんて野蛮なことは大っ嫌いだから、貴男たちに任せたわよ」

「安心してくれモンモランシー。僕がいる。僕の勇敢な“戦乙女(ワルキューレ)”達が、ならず共を成敗してくれる」

 ワインでヘベレケに酔っ払ったギーシュが、モンモランシーにしなだれかかった。

「良いから寝てて。お酒臭いし」

「ギーシュ、お前は陽動を頼む」

 才人の言葉に、ギーシュが赤い顔で首肯く。

 才人は深呼吸をした。それなりに戦いの経験を積んで来た才人の勘が、斬った張ったが近いことを彼へと教える。ジットリと、才人の口の中に唾が溢れる。(敵は何人だろう? でも、なんてことはねえ。俺はなんせ、“伝説のガンダールヴ” だからな。“メイジ”だろうがなんだろうが、遅れを取ることはねえ。なにこないだは、あれだけの数の“竜騎兵”をやっ付けたんだ)と自身の慢心に気付かないでいる様子を見せる。

 才人は、ルイズの寝顔を見つめる。そして、「待ってろ、元に戻してやるからな」と小さく呟いた。

 シオンは、“杖”を握っている。が、臨戦態勢を取っているというよりも、空気を読んで皆に合わせているだけといった様子だ。そして、俺を一瞥する。どうやら、この先の展開を俺の様子を見て、察したらしい。

 

 

 

 

 それから1時間も経った頃だろうか。

 岸辺に人影が現れた。人数は2人だ。漆黒のローブを身に纏い、深くフードを冠っているので男か女かもわかりにくいだろう。

 才人はデルフリンガーの柄を握った。左手甲の“ルーン”が光り始める。しかし、まだ飛び出さない。現れた人物たちが、“水の精霊”を襲っている連中であると、決まった訳ではないのだから。

 しかし、その2人組は、水辺に立つと“杖”を掲げた。

 どうやら“呪文”を唱えたらしい。

 才人は、(間違いねえな)と思ったのだろう、立ち上がると、木陰の間から2人組の背後へと向かった。「2人だけなら楽勝だ。なにせ俺は……ワルドを倒し、十数匹の“オーク鬼”をやっつけたんだ。あんな2人組、なんてことない。ほら、まるでこっちに気付いて無い。楽勝楽勝」と口笛でも吹きかねない勢いである。

 才人は2人組の後ろの木に隠れ、しゃがみ込んだのを確認すると、ギーシュは“呪文”を“詠唱”した。2人組の立った地面が盛り上がり、大きな手のような触手となって、襲撃者(?)の足に絡み付いた。

 才人は、今だ! といった風に、そして弾かれたように木陰から飛び出す。距離は、大凡30“メイル”。“ガンダールヴ”の力を発揮した才人にとっては、3秒足らずの距離だ。

 しかし、2人組の反応は素早かった。背の高い方の襲撃者(?)は、地面が盛り上がると同時に“呪文”を“詠唱”したらしい。“杖”の先から溢れた炎が、2人の足を掴む土の戒めを焼き払う。

 背の低い方の人影は、才人とギーシュの予想外の驚くべき行動に出た。なんと、“呪文”を“詠唱”したギーシュではなく、虚を突いたはずの才人の方へと身体を向けたのである。そして、素早く身体をひねり、“杖”を振った。

 以前、ワルドが使用した“エア・ハンマー”――巨大な空気の塊が、才人の身体を弾き飛ばす。

 まさか自分の奇襲が気付かれるなどと予想していなかった才人は、真正面から喰らい、思いっ切り後ろに吹っ飛んだ。

 間髪入れずに、氷の矢が才人へと向かって飛んで行く。

 才人は身体を撚ってジャンプしてそれを躱す。がしかし、背の高い方の“メイジ”が、才人の着地点目掛けて巨大な炎の球を放った。横に転がって躱そうとする才人だが、それは正確にホーミングする。

 襲撃者(?)はまるで詰将棋の達人であるかのように才人の動きを予想して、攻撃を繰り出しているのである。

「相棒! 俺を構えろ!」

 デルフリンガーが叫ぶ。

 才人は思いっ切ってその炎球をデルフリンガーで受け止めた。なんとか炎の球は、デルフリンガーへと吸込まれたが、爆発して炎の欠片を撒き散らす。

 眩しさで目をやられたのだろう、才人は立ちすくんでしまった。

 必死に目を擦って視界を確保しようとするのだが、火の粉が目に入ったのか、激痛が奔っている様子を見せる才人。才人の焦りが急速に膨れ上がる。

 才人は注意をギーシュに引き付けたと思って油断していたのだ。

 間違いなく襲撃者(?)は戦闘のエキスパートだと言えるだろう。初撃の瞬間、違う方向からの襲撃を難なく予想して、奇襲を迎撃してみせた。その上連携が巧みだった。一方が“呪文”を唱えている間に、もう片方は“呪文”を完成させて放つ。それを単純に繰り返しているだけであったが、結果は強力だ。なにせ、ほぼ隙がないと言えるのだから。

 吹き荒ぶ烈風が、立ち竦む才人の手からデルフリンガーを捥ぎ取った。

 才人の身体が急に重くなり、薄っすらと開いた右目の視界の端に、巨大な火の玉が映った。才人は、それを見て、(ちょっと慢心しただけで、まさか、こんなに呆気なく殺られてしまうなんてな)と観念した。(ああ、やっぱり俺はまだ素人だったんだ。“ガンダールヴ”の力が、自分の実力以上の自信を与えてくれてたんだろうな。真っ直ぐ突っ込むだけじゃ、通用しない敵が沢山いるんだ! 嗚呼ルイズごめん! ルイズ!)、と攻撃を喰らうだろう直前に目を瞑り、思った。

 がしかし、“運命”の女神は、まだ才人を見放してはいなかった。

 才人に打つかる瞬間、才人の眼の前の空間が爆発して、火の玉と才人を吹き飛ばした。

 この“魔法”は……ルイズの“虚無”だ。

「サイトを虐めないでーーーーーーーーーーーッ!」

 ルイズの絶叫が月夜に響く。

 才人は泣きそうになった。間一髪で、ルイズは救けてくれたのだから。寝ていたのだろうが……どうやらこの騒ぎで目を覚ましたのだろう。

 才人は、(待ってろルイズ。もう油断しねえ。あいつらをやっ付けてやる。そしてお前を元に戻してやるからな)といった風に、なんとか右目を抉じ開け、デルフリンガーを拾い上げた。そして、バネが弾けるように跳びかかろうとしたその瞬間……。

「そこまでにしておくんだな。敵対するつもりはない」

 俺が言葉を大きく放ち、2人組はピタリと動きを止めていた。俺の言葉、そしてなによりルイズの絶叫で、気付いたらしい。

 顔を見合わせるように2人組の影が動く。それからガバッと冠ったフードを取り払った。

 月明かりに現れた顔は……。

「キュルケ!? タバサ!?」

 俺同様にほとんど見ていただけのギーシュが叫んだ。

「なんだよ! おまえらだったのかよ!」

 ホッとした感情と、疲労が押し寄せ、才人は地面に膝を着いた。

「貴方たちなの? どうしてこんなとこにいるのよ!?」

 キュルケも驚いたように叫んだ。



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アンドバリの指輪と偽りの再逢

 モンモランシーの“水”の“魔法”で目の怪我を治した才人は、キュルケ達に事情を訊くことにした。

 キュルケとタバサは、焚き火の周りで肉を焼いている。

 ワイン片手のギーシュが、その隣で楽しそうに騒いでいる。彼はまだ旅行気分らしい。

 時刻は深夜の1時くらいだろう。湖面に2つの月が映り、美しい光景が広がっている。

 近付く才人にキュルケが「怪我治った?」と聞いて来た。

 才人は負けた事が少しばかり口惜しかっただろう。だが、そんな感情よりも素直に2人のコンビネーションに感嘆して、褒めた。

「お前ら、強いかったんだな! 殺られるかと思った」

「まあね。そりゃ弱くないわ。でも、勝負は時の運。セイヴァーが加わったり、貴男たちの息が合ってたら逃げ出すしかなかったかもね。だって戦ってたのは貴男だけ。ギーシュはオロオロしてただけのようだし、セイヴァーとシオン、モンモランシーは静観していただけみたいだし。ルイズは最後の一撃だけじゃない」

 キュルケは得意げに言って髪を掻き上げた。

「しっかし、なんでお前らは“水の精霊”を襲ってたんだよ?」

 才人が焚き火の側に腰かけて尋ねると、「なんで貴方たちは“水の精霊”を守っていたの?」とキュルケが逆に尋ねる。

 才人の背中に、ずっとぴったりくっ付いていたルイズが悲しそうに、才人のパーカーの袖を引っ張る。

「キュルケが好いの?」

「えー! もう! 違うよ! 事情を訊くだけ! お前はとりあえず寝てろ! な?」

「やだ。寝ない。今日、サイトまだわたしとあんまり口利いてくれてないもん。32回しか、言葉のやりとりしてくれないもん」

 ルイズはどうやら、言葉のキャッチボールを数えていたらしい。

 才人は、優しく肩に手を置いて、子供をあやすような口調で言った。

「後でもっと話すから、今は寝ててくれ。さっき“魔法”を使って疲れただろう?」

 才人がそう言うと、ルイズはモジモジと才人の胸を立てた指で捏ね回した。

「じゃあ……キスして」

「え?」

「一杯して。じゃないと寝ない」

 キュルケがポカンと口を開けて、2人を見つめている。

 事情を知っているギーシュとモンモランシー、そしてシオンは顔を見合わせてクスクスと笑っている。

 才人は仕方なくといった風に、ルイズの頬にキスをしてやった。

「ほっぺじゃやだ」

 ルイズは頬を膨らませて、ブスッと呟いた。

 才人は困ってしまった。皆がニヤニヤしながら見ていることもあって、恥ずかしくて唇にキスなんかにできやしないとった様子だ。

 悩んだ挙句に、才人はルイズの額にキスをした。

 ルイズはそれでなんとか満足したのだろう、あぐらを描いている才人の膝の間にちょこんと座り込み、胸に身体を預けて目を瞑った。そして、しばらくするとピンクの唇の隙間から寝息が漏れ出す。

 キュルケが感心した声で言った。

「貴男って実はとんでもなく女の扱いが上手かったのね。いつの間にルイズを手懐けたの? この娘、メロメロじゃないの」

「いや、そうじゃねえから。モンモランシーが“惚れ薬”造って、それを間違ってルイズが呑んじゃったんだよ。で、1番初めに視界に飛び込んで来たのが俺って訳。“惚れ薬”で惚れてるだけだから」

「“惚れ薬”? なんでそんなの造ったの?」

 キュルケは、肉を齧っていたモンモランシーに尋ねた。

「つ、造ってみたくなっただけよ」

 つまらなさそうにモンモランシーは答える。

「まったく、自分の魅力に自信のない女って、最悪ね」

「うっさいわね! 仕方ないじゃない! このギーシュったら浮気ばっかりするんだから! “惚れ薬”でも呑まなきゃ病気が治んないの!」

「元を辿れば、僕の所為なのか? うーむ」

 才人はキュルケに事の次第を説明した。

 “惚れ薬”の解除薬を造るためには、“水の精霊の涙”が必要な事。それを貰う代わりに、襲撃者退治を頼まれた事……。

「なるほど。そういう訳で貴方たちは“水の精霊”を守ってたって訳なのね!」

 キュルケは困ったように、隣のタバサを見つめる。

 彼女は無表情に、焚き火の炎をジッと見つめていた。

「参っちゃったわねー。貴男たちとやり合う訳にもいかないし、“水の精霊”を退治しないとタバサの立つ瀬がないし……」

「どうして退治しなきゃならないんだ?」

 才人にそう尋ねられて、キュルケは困ってしまった。まさか、正直にタバサの家の事情を話す訳にもいかない為である。

「そ、その、タバサの御実家に頼まれたのよ。ほら、“水の精霊”のせいで、水嵩が上がってるじゃない? おかげでタバサの実家の領地が被害に合っているらしいの。それであたし達が退治を頼まれたって訳」

 才人はしばらく考え込んで、結論を出した。

「良し。こうしよう。“水の精霊”を襲うのは中止してくれ。その代わり、“水の精霊”に、どうして水嵩を増やすのか理由を訊いてみようじゃねえか。その上で頼んでみよう。水嵩を増やすのは止めてくれって」

「“水の精霊”が、聞く耳なんか持ってるかしら?」

「持ってるよ。俺たちは、昼間ちゃんと交渉したんだぜ? 襲撃者をやっ付けるのと引き換えに、身体の一部を貰うって約束したんだ」

 キュルケは少し考えて、タバサに問うてみた。

「結局は、水浸しになった土地が、元に戻れば良い訳なのでしょ?」

 タバサは首肯いた。

「良し決まり! じゃ、明日になったら交渉してみましょ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝……。

 モンモランシーは昨日と同じように、ロビンを水に放して“水の精霊”を呼んだ。

 朝靄の中、水面が盛り上がり“水の精霊”が姿を現した。

「“水の精霊”よ。もう貴方を襲う者はいなくなったわ。約束通り、貴方の一部を頂戴」

 モンモランシーがそう言うと、“水の精霊”は細かく震えた。びっ、と水滴のようにその身体の一部が弾け、俺たちの元へと飛んで来る。

 ギーシュが、うわ! うわ! と叫んで、持っている瓶で“水の精霊の涙”を受け止めた。

 すると“水の精霊”はゴボゴボと再び水底に戻って行きそうになったので、才人が呼び止めた。

「待ってくれ! 1つ訊きたい事があるんだ!」

 すると“水の精霊”は、再び水面に盛り上がり、グネグネと動き始め、昨日と同じようにモンモランシーの姿になった。

 モンモランシーは、「改めて見ると、恥ずかしいわね」と呟く。

「何だ? 単成る者よ」

「どうして水嵩を増やすんだ? 良かったら止めて欲しいんだけど、なにか理由があるなら訊かせてくれ。俺たちにできることなら、なんでもするから」

「“御前達に、任せても良いモノか、我は悩む。然し、“守護者”が居り、御前達は我との約束を守った。成らば信用して話しても良い事と思う」

 才人は、(もったいぶんじゃねえよ)と思った風な様子を見せる。が、黙って“水の精霊”の言葉を待った。

 何度か形を変えた後、再びモンモランシーの似姿に戻り、“水の精霊”は語り始めた。

「数える程も愚かしい程月が交差する時の間、我が守りし秘宝を、御前達の同胞が盗んだのだ」

「秘宝?」

「そうだ。我が暮らす最も濃き水の底から、其の秘宝が盗まれたのは、月が30程交差する前の晩の事」

 モンモランシーは、「おおよそ2年前ね」と呟く。

「じゃあお前は、人間に復讐するために、水嵩を増やして村々を呑み込んじまったのか?」

「復讐? 我は其の様な目的は持た無い。唯、秘宝を取り返したいと願うだけ。ユックリと水が侵食すれば、何れ秘宝に届くだろう。水が全てを覆い尽くす其の暁には、我が身体が秘宝の在り処を知るだろう」

「な、なんだそりゃ」

 なんとも気が長い話であると言えるだろう。

 “水の精霊”は、その秘宝を取り返すために“ハルケギニア”を水没させるつもりだったのである。この程度の速度であれば、何百年、いや、何千年経かるだろうかわかりづらい、計算が面倒になるほどである。

「気が長い奴だな」

「我と御前達では、時に対する概念が違う。我にとって全は個。時も又然り。今も未来も過去も、我に違いは無い。何れも我が存在する時間故」

 その言葉からも、“水の精霊”に死という概念がない、死ぬことがないということ理解できるだろう。気が遠くなるだろうほどの昔から、この湖で暮らして来たのだから。

「待て、“水の精霊”。貴様は見落としている点がある」

「其れは何か?  “抑止拠り外れし者”よ」

「それは、空だ。この“ハルケギニア”には浮遊大陸が存在する。そこに貴様が求めるモノがあればどうしようもあるまいて」

 そんな俺の言葉に、“水の精霊”含め皆が黙り込んでしまう。

「ようし、そんなら俺たちがその秘宝を取り返して来てやる。なんて言う秘宝なんだ?」

 そんな空気を切り裂き、転換させるように、一際大きく元気な声で、才人が言った。

「“アンドバリの指輪”。我が共に、時を過ごした指輪」

「なんか聞いたことがあるわ」

 “水の精霊”の言葉を聞いて、モンモランシーが呟く。

「“水系統”の伝説の“マジックアイテム”。確か、偽りの生命を死者に与えるという……」

「其の通り。誰が造ったモノかは判らぬが、単成る者よ。御前の仲間かも知れぬ。唯御前達が此の地に遣って来た時には、既に存在為た。死は我には無い概念故理解出来ぬが、死を免れぬ御前達には成る程命を与える力は魅力と想えるのかも知れぬ。然し乍ら、“アンドバリの指輪”が齎すのは偽りの命。旧き“水”の力に過ぎぬ。所詮益には成らぬ」

「そんな代物を、誰が盗ったんだ?」

「“風”の力を行使して、我の住処に遣って来たのは数個体。眠る我には手を触れず、秘宝のみを持ち去って行った」

「名前とかわからないの?」

「確か個体の1人が、こう呼ばれていた。クロムウェル、と」

 キュルケがポツンと呟いた。

「聞き間違いじゃなければ、“アルビオン”の新皇帝の名前ね」

 そのキュルケの言葉に、シオンの表情が硬くなる。

 才人たちは顔を見合わせた。

「人違いと言う可能性もあるんじゃねえのか? 同じ名前の奴なんか、一杯いるだろう? で、偽りの命とやらを与えられたら、どうなっちまうんだ?」

「指輪を使った者に従う様に成る。個々に意思が有ると言うのは、不便なモノだな」

「とんでもない指輪ね。死者を動かすなんて、趣味が悪いわね」

 キュルケが呟く。彼女はその瞬間、なにか引っ掛かるモノを感じた。だが、上手く思い出せず、(ま、ここしばらく色んなことがあって忙しかったからねー)と頭を掻きながら独り言ちた。

 才人は決心したように首肯くと、“水の精霊”に向かって大声で言った。

「理解った! 約束する! その指輪をなんとしてでも取り返して来るから、水嵩を増やすのをやめてくれ!」

 “水の精霊”はフルフルと震えた。

「理解った。御前達を信用為よう。指輪が戻るの成ら、水を増やす必要も無い。況してや、空の上では我には同仕様も無いのだから」

「いつまでに取り返して来れば良いんだ?」

 すると“水の精霊”はフルフルと震えた。

「御前達の寿命が尽きる迄で構わぬ」

「そんなに長くて良いのかよ?」

「構わぬ。我にとって、明日も未来も余り変わらぬ」

 そう言って、“水の精霊”がまたフルフルと震える。そしてゴボゴボと姿を消そうとした。

 その瞬間、タバサが呼び止めた。

「待って」

 俺以外の、その場の全員が驚いて、タバサを見詰めた。タバサが他人を……呼び止めるところなど初めて見たからだ。

「“水の精霊”。貴方に1つ訊きたい」

「何だ?」

「貴方はわたし達の間で、“誓約の精霊”と呼ばれている。その理由が訊きたい」

「単成る者よ。我と御前達では存在の根底が違う。故に御前達の考えは我には深く理解出来ぬ。然し察するに、我の存在自体がそう呼ばれる理由と想う。我に決まった形は無い。然し、我は変わらぬ。御前達が目粉しく世代を入れ替える間、我はずっと此の水と共に在った」

 “水の精霊”は震えながら、俺たちの耳元で鳴らしているかのようにして言葉を発した。

「変わらぬ我の前故、御前達は変わらぬ何かを祈りたく成るのだろう」

 タバサは首肯いた。それから目を瞑って手を合わせた。

 キュルケがその肩に優しく手を置いた。

「なんだね?」

「あんたも誓約しなさいよ。ほら」

「なにを?」

 ホントに理解らない、といった顔でギーシュが聞き返したので、モンモランシーは思いっ切り殴り付けた。

「なんのためにわたしが“惚れ薬”を調合したと思ってるの!?」

「あ、ああ。ギーシュ・ド・グラモンは誓います。これから先、モンモランシーを1番目に“愛”することを……」

 再びモンモランシーは、ギーシュを小突いた。

「なんだねっ!? もう! ちゃんと誓約したじゃないか!」

「1番じゃないのよ。わたしだけ! わたしだけ“愛”すると誓いなさい。1番じゃ不安だわ。どうせ2番3番が直ぐに出来るに決まってるもの」

 ギーシュは悲しそうに誓約の言葉を口にした。どうにも守られそうにない口調であったが、モンモランシーを1番に“愛”しているということだけは本当の事なのだから。

 ルイズはついついと才人の袖を引っ張り、不安そうな顔で、才人を見つめた。

「誓って」

 才人はルイズの顔を見つめた。

 今日でこんなルイズともお別れである。才人は、なんとなく寂しいと感じているのだろう。そういった表情を浮かべている。いくら薬の所為とはいえ……好きな女の子に「大好き好き好きだぁいすき」と、言われまくっていたのだから。

 才人は、(でも、やっぱり元のルイズの方が好いな)と思った。やはり、ルイズらしいルイズが、才人は好きなのである。殴ったり蹴られたり、果ては犬扱いされようとも、才人は結局のところ、元のルイズの方が好み、好きなのだ。

「祈ってくれないの? わたしに、“愛”を誓ってくれないの?」

 目に涙を湛え、ルイズが尋ねる。

「ごめんな。今のお前には、約束できない」

 才人がそう言うと、ルイズは泣きじゃくった。

 そんなルイズの頭を、才人は優しく撫でた。

 そして――。

「で、あんたはどうなのよ?」

 と、キュルケが俺へと振って来る。

「そうさな。俺、セイヴァーは、第2の生を全力で活き、そしてシオンを“愛”することを誓おう」

 そんな俺の言葉を聞いて、シオンは顔を真っ赤にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタは裸に近い格好でベッドに横たわっていた。身に着けているのは、薄い肌着のみである。女王になってから使い始めた亡き父王の居室であった。

 巨大な天蓋付きのベッドの隣には、アンリエッタの父が愛用していたテーブルがある。

 彼女は、スッと手を伸ばして、ワインの瓶を取り、杯に注いで、一気に呑み干した。昔は酒など食事の時に軽く呑むくらいではあったのだが……女王になってからは量が増えたといえるだろう。

 政治の飾りの花に過ぎなかったアンリエッタにとって、決断を求められる、ということはかなりの心労であるのだ。決議はほぼ決まった状態で彼女のところに持ち込まれるのだが、それでもそれらに承認を与えるのは彼女である。その上、小康状態を保っているとはいえ、今は戦時であるのだから。

 飾りの王に過ぎぬとはいえ、飾りなりの責任は既に発生しているのであった。

 その重圧をアンリエッタはまだ扱い兼ねているのだ。呑まずには眠れない。今の格好を御付けの女官や侍従に見られる訳にもいかないので、アンリエッタはこっそり隠したワインを、夜中にこうして開けているのであった。

 再びワインを杯に注いだ。呑み過ぎかもと、アンリエッタはトロンと濁った頭で考える。彼女は、小さく“ルーン”を唱え、ワインを注いだ“杖”に振り下ろす。

 “杖”の先から水が溢れ、杯に注がれた。空気中の水蒸気などを、液体に戻す“呪文”だ。“水系統”の初歩の“呪文”である。状態を変えるということなのだから、“土系統”の“錬金”にも通じるところがあるだろう。

 水が溢れ、杯から溢れた。酔いの所為だろうか加減が狂っているのだ。

 アンリエッタはそれを呑み干す。

 頬を桃色に染めたアンリエッタは、再びベッドに倒れ込んだ。

 アンリエッタが酔うと決まって想い出すのは……楽しかった日々だ。輝いていた日々。ほんのわずかの、活きていると実感できていたあの頃。14歳の夏の、短い時間。

 1度で良いから聞きたかった言葉……。

「どうして貴男はあの時仰ってくれなかったの?」

 顔を手で隠し、アンリエッタは問うた。

 しかし、そ答えを言ってくれる人物はもう、いない。この世のどこにもいないのだ。

 アンリエッタは、勝利が悲しみを癒やすかもしれないと思った。

 アンリエッタは、女王の激務が忘れさせてくれるかもと考えた。

 しかし、彼女は忘れられない。華やかな勝利も、賞賛の言葉も聖女と自分を敬愛する民の連呼も……たった1つの言葉には敵わないのである。

 涙がツイッと流れた。アンリエッタは、(いやだわ)と思った。

 明日の朝も早い。“ゲルマニア”の大使との折衝が控えているのだ。一刻も早くこの馬鹿げた戦争を終わらせたい。“トリステイン”とアンリエッタにとって、大事な折衝である。

 涙に濡れた顔を見せる訳にはいかないのである。もう弱いところは誰にも見せることができないのだから。

 アンリエッタは涙を拭う。そして再びワインの杯に手を伸ばしたその時……。

 扉がノックされた。

 アンリエッタは、(こんな夜更けに誰かしら? また面倒な事が持ち上がったのかしら? 億劫だけど、無視する訳にもいかないわね。“アルビオン”が再び艦隊を繰り出して来たのかもしれないし)と思い、物憂げな仕草でガウンを羽織ると、ベッドの上から誰何した。

「ラ・ボルト? それとも枢機卿かしら? こんな夜中にどうしたの?」

 しかし、返事はない。代わりに、再びノックがされた。

「誰? 名乗りなさい。夜更けに女王の部屋を尋ねる者が、名乗らないという法はありませんよ。さあ、おっしゃいな。さもなければ人を呼びますよ」

「僕だ」

 その言葉を耳にした瞬間、アンリエッタの顔から表情が消えた。

「呑みすぎた見たいね。嫌だわ、こんなハッキリと幻聴が聞こえるなんて……」

 そう呟いて、アンリエッタは胸に手をやった。しかし、激しい動悸は治まらない。

「僕だよアンリエッタ。この扉を開けておくれ」

 アンリエッタは扉へ駆け寄った。

「ウェールズ様? 嘘。貴男は裏切り者の手にかかったはずじゃ……?」

 アンリエッタが震える声でそう口にすると、「それは間違いだ。こうして僕は、生きている」と声の主が言葉を返した。

「嘘よ。嘘。どうして?」

「僕は落ち延びたんだ。死んたのは……僕の影武者さ」

「そんな……こうして、“風のルビー”だって……」

 アンリエッタは、自分の指に嵌めたウェールズの形見である指輪を確かめた。

「敵を欺くには、まず味方からと言うだろう?」

「シオンが間違うはずないわ……」

「まあ、信じられないのも無理はない。では僕が僕だという証拠を聞かせよう」

 アンリエッタは震えながら、ウェールズの言葉を待った。

「“風吹く夜に”」

 “ラグドリアンの湖畔”で、何度も聞いた合言葉。

 アンリエッタは返事をするのも忘れて、ドアを開け放った。

 何度も夢見た笑顔が、そこに立っていた。

「おお、ウェールズ様……よくぞ御無事で……」

 その先は言葉にならなかった。

 アンリエッタは、しっかりとウェールズの胸を抱き締め、そこに顔を寄せて咽び泣いた。

 ウェールズはその顔を優しく撫でた。

「相変わらずだねアンリエッタ。なんて泣き虫なんだ」

「だって、てっきり貴男は死んだものと……どうしてもっと早くに入らしてくださらなかったの?」

「敗戦の後、巡洋艦に乗って落ち延びたんだ。ずっと“トリステイン”の森に隠れていたんだよ。敵に居場所を知られてはいけないから、何度も場所を変えた。君の住む城下にやって来たのは2日前だが……君が1人でいる時間を調べるために時間が経かかってしまった。まさか昼間に、謁見待合室に並ぶ訳にはいかないだろう?」

 そう言うと、悪戯っぽくウェールズは笑った。

「相変わらず、意地悪ね。どんなに私が悲しんだか……寂しい想いをしたか、貴男には理解らないのでしょうね」

「理解るとも。だからこそこうやって迎えに来たんじゃないか」

 しばらくアンリエッタとウェールズは抱き合った。

「遠慮なさらずに、この城に入らしてくださいな。今の“アルビオン”に、“トリステイン”に攻め込む力はありません。なにせ、頼みの艦隊が失くなってしまったのですから。この城は“ハルケギニア”のどこよりも安全です。敵はウェールズ様に指一本触れることはできませんわ。そうだわ! シオンにも伝えなきゃ! あの娘、きっと――」

「――そういう訳にはいかないんだ」

 アンリエッタの言葉を遮り、ウェールズはニッコリと笑って言った。だが、其の顔は表情こそ笑顔だが、目の方は違った。

「どうなさるつもりなの?」

「僕は、“アルビオン”に帰らなくちゃいけない」

「馬鹿なことを! せっかく拾った御命を、むざむざ捨てに行くようなモノですわ!」

「それでも、僕は戻らなくてはいけない。“アルビオン”を、“レコン・キスタ”の手から解放しなくちゃいけないんだ」

「ご冗談を!」

「冗談なんかじゃない。そのために、今日は意味を迎えに来たんだ」

「私を?」

「そうだ。“アルビオン”を解放する為には君の力が必要なんだ。国内には僕の協力者もいるが……信頼できる人がもっと必要なんだ。一緒に来てくれるね?」

「そんな……お言葉は嬉しいですが、無理ですわ。王女時代ならそのような冒険も出来ましょうが、私はもう女王なのです。好むと好まざるとに関わらず、国と民がこの肩の上に乗っております。無理を仰らないでくださいまし」

 しかし、ウェールズは諦めない。さらに熱心な言葉で、アンリエッタを説き伏せにかかる。

「無理は承知の上だ。でも、勝利には君が必要なんだ、負け戦の中で、僕は気付いた。どれだけ僕が、君を必要としていたかって。“アルビオン”と僕には勝利をもたらしてくれる、聖女が必要なんだ」

 アンリエッタは、身体の底から熱いモノが込み上げて来るのを感じた。“愛”しい人に必要とされているということが、酔いと寂しさが、内から込み上げる衝動を加速させるのである。

 しかし、必死にアンリエッタは答えた。

「これ以上、私を困らせないでくださいまし。お待ちくださいな、今、人をやってお部屋を用意いたしますわ。この事は、明日また、シオンを交えてゆっくり……」

 ウェールズは首を横に振る。

「明日じゃ間に合わない」

 それから、ウェールズはアンリエッタがずっと聞きたがっていた言葉をアッサリと口にした。

「“愛”している。アンリエッタ。だから僕と一緒に来てくれ」

 それはウェールズが抱える、まったくの本心であった。

 アンリエッタの心が、“ラグドリアンの湖畔”でウェールズと逢引を重ねた頃と同じ鼓動のリズムを弾き出す。

 ゆっくりと、ウェールズはアンリエッタに唇を近付けた。

 何か言おうとしたアンリエッタの唇が、ウェールズのそれで塞がれた。

 アンリエッタの脳裏に、甘い記憶がいくつも蘇る。

 そのために、アンリエッタは己にかけられた“眠りの魔法”に気付かなかった。

 幸せな気分のまま、アンリエッタは眠りの世界へと堕ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて一方その頃……。

 “トリステイン魔法学院”の女子寮の一室で俺たちが見守る中、モンモランシーが一生懸命に調合に勤しんでいた。

「出来たわ! ふう! しっかし、やたらと苦労したわねー!」

 モンモランシーは額の汗を拭いながら、椅子の背もたれにドッカと身体を預けた。

 テーブルの上のルツボには、調合したばかりの解除薬が入っている。

「これ、そのまま呑めば良いのか?」

「ええ」

 才人はそのルツボを取ると、ルイズの鼻先に近付けた。

 が、当然その臭いでルイズが顔を顰める。

「じゃあルイズ。これ呑め」

「嫌だ。すっごい臭いがする」

 ルイズは首を横に振った。

 才人は、子供に人参を食べさせる時は刻んでハンバーグに混ぜるモノなどといった方法を思い出し、(しまった、なにかに混ぜてこっそり呑ませれば良かった)と思った。

「お願いだ。呑んでくれ」

「呑んだら、キスしてくれる?」

 才人は、仕方なくといった風に首肯いた。

「うん。呑んだら、キスしてやるぞ」

 ルイズは「理解った」と答えると、ルツボを受け取った。

 ルイズは、しばらく中身を苦々しげな表情で見詰めていたが、思い切ったように目を瞑ると、クイッと呑み干した。

 様子を見ていたモンモランシーが才人を突く。

「とりあえず逃げた方が良いんじゃないの?」

「どうして?」

「だって、“惚れ薬”を呑んでメロメロになってた時の記憶は、失くなる訳じゃないのよ。全部覚えてるのよ。あのルイズがあんたにした事、された事、全部覚えてるのよ」

 才人はギクッとして、ルイズを見つめた。

 ぷはー! と飲み干したルイズは、ひっくと1つ、しゃっくりをした。

「ふにゃ」

 それから、憑き物が取れたように、ケロッといつもの表情に戻る。そして、眼の前の才人に気付き、見る間にその顔が赤くなって行く。唇を噛み締め、ワナワナと震え出した。

 才人は、やばい、と呟いて、忍び足でその場から逃げ出そうとした。

「待ちなさい」

「いや、鳩に餌を……」

「あんた、鳩なんか飼ってないでしょうがぁあああああああああああッ!」

 ルイズの絶叫が響き渡った。

 才人はドアをバタンと開けて、階段を転げ落ちるようにして駆け下りる。

 しかし、今のルイズは電光石火と言える速度を出している。彼女は、階段の踊り場からジャンプすると、階下の才人の背中に向かって跳び蹴りを噛ました。

 才人はもんどり打って、一階まで転がり落ち、強かに身体を打ち付けた。

 ちょうど女子寮の玄関である。

 才人は這って逃げようとするのだが、例によって首根っこを足でガッシリと踏まれてしまう。

「お、俺は悪くないって! 仕方ないじゃん! 薬のせいなんだモノ! お互い不幸だったんだよ!」

 ルイズは答えずに、才人のパーカーを託し上げた。Tシャツも捲り上げる。沢山のキスマークを見付けて、さらに顔を赤くした。これは、ルイズ自身が付けたのである。

 ルイズは自分の首筋を指でなぞる。そこには才人に着けられた、同じマークが付いている。

 羞恥と自分に対する怒りが入り交じり、ルイズの中でばっちーんと理性が弾けた。

 結局その理不尽な怒りを受け止めたのは才人の肉体であった。

 才人の絶叫が響き渡った。

 

 

 

 “アウストリの広場”のベンチに、グッタリと才人は横たわっていた。死にそうなくらいに痛め付けられ、半分死んでいると言っても良い状態になってしまっているのだ。たまにビクンビクンと痙攣するから、死んではいないということだけはかろうじてわかる。

 隣ではようやく落ち着いたのだろうルイズが端の方に腰かけており、頬を染めて怒ったように唇を突き出して考え事をしているのだ。

 2つの月が昇り、2人を、そしてそんな2人を見守るシオンと俺の4人、そして他にも隠れている人たちを優しく照らしている。

 しかし、ルイズと才人の2人の間に流れる空気は、優しいというにはほど遠い、ぎこちなくって、熱くて、そしてピリピリしたモノである。つまり、いつもの空気に戻っているのであった。

「……気が済んだか?」

 才人が呟く。

「ふ、普通だったら絶対あんなことしないんだから。もう嫌だ! もう!」

「理解ってるよ」

 ぐったりした声で、才人が呟く。

 その時になってやっと、ルイズは才人にまったく非が無かったことに気付いた。それであるのに、さっきはルイズからされるがままに、暴虐を受け止めていたのである。

 才人の頬が腫れ上がて居る。

 ルイズは、「大丈夫?」、と自分でやってしまっておきながらも、介抱して上げたい気持ちに駆られた。だが……恥ずかしさや、“惚れ薬”を呑んだことによってしてしまったことに関する記憶が、才人に近付けさせないのであった。

「あんたもあんたよ。そんなになるまで、大人しくやられることないじゃない。もう! 少しは抵抗しなさいよ! ちょっとやり過ぎちゃったじゃない!」

「……良いよ」

 グッタリした声で、才人が呟く。

「なんでよ?」

「……だって、こうでもしなきゃお前の気が済まないだろ? 気持ちはわかる。好きでもない男に、ベタベタと纏わり付いて、あーんな事や、こーんな事までしちゃったんだもんな。プライドの高いお前に赦せる事じゃねえだろ。それにまあ、元を糾せばお前を 怒らせた俺にもちょっと責任があると思うし……ま、とにかく気にすんな」

 なんと最早、優しい言葉ではないだろうか。

 ルイズは、(わたしってばあんなに痛め付けたのに)と思い、グッと来てしまった様子だ。

 だが、正直になることが困難な彼女の口から出て来る言葉は、そんな気持ちとは裏腹なモノである。

「き、気になんかしないわ。早く忘れたいくらいよっ!」

 ルイズは、(はぁ、なんでわたしってば素直になれないんだろ?)と自嘲した。それから、1つ気になっていたことを尋ねた。

「ねえ、訊いて良い?」

「なんだ?」

「どうして、あんたってば、わたしがその、あの、忌々しい薬のおかげであたしじゃいられなくなってた時……えっと、その、なな、なんにもしなかったの?」

 才人はキッパリと答えた。

「だって、あれはお前じゃないだろ。お前じゃないお前に、そんな事はできない。欲望に任せて、大事な人を汚すなんてことは俺にはできない」

 大事と言われて、ルイズの頬が染まった。だが、そんな顔を見せることができないのだろうルイズは、顔を背けた。

「どど、どうして大事なの?」

 ルイズは、震える声で尋ねた。

「そりゃ、飯と寝るところ用意してもらってるし」

 はぁ、とルイズから気が抜け、彼女は、(ま、そんなとこよね。一瞬でもドキドキした自分が恥ずかしいわ)と思った。

 ルイズは才人から顔を背けていたので、才人が顔を赤らめながら、わざとぶっきら棒にそう言ったことに気が付かなかった。

 ルイズは、あんなに痛め付けられても自分の事を大事と言ってくれた“使い魔”である才人に向かって、少しばかり素直になって、拗ねたように謝った。

「……ごめんなさい。もう、わたし怒んない。そんな資格ないもん。あんたは、あんたで自由にやる権利があるし」

 ルイズは、“惚れ薬”が効いていた頃の事を思い出し、(ホントはこんなこと言いたくないわ。でもあれはもしかしたら、自分の本音だったのかもしれないもの)と少しばかり思った。

「良いよ。怒らないお前はお前じゃない。好きにしろ」

 それから2人は黙ってしまった。

 その空気に耐えられなくなって、結局ルイズは誤魔化すように話題を変えた。

「あはぁ、でも、懐かしかったな……あの“ラグドリアン湖”」

「行ったことあるのか?」

「ええ。13歳の頃。姫さまの御伴で行ったことがあるわ。とっても盛大な園遊会が開かれて……すごく賑やかで、華やかだった。楽しかったな」

 ルイズは記憶の底を手繰るようにして、語り始めた。

「あの“ラグドリアン湖”はね、ウェールズ皇太子と姫さまが出逢った場所なのよ。夜中に“散歩に行きたいからベッドを抜け出したいの。ルイズ、申し訳ないけど私の代わりにベッドに入っていてちょうだい”なんて姫さまに言われて、身代わりを務めていたわ。今考えると、2人はその時、逢引をしてたのかもしれないわね」

 ルイズがそう言った時、ベンチの後ろから大声が響いた。

 いつかルイズが、シエスタと才人を見張るためにヴェルダンデに掘らせた穴から、キュルケの赤髪が覗いている。隣にはタバサの姿もあった。

「そうよ! 思い出したわ! そのウェールズ皇太子よ!」

「な、なんだよ!?」

「なによ!? あんた達、立ち聞きしてたの?」

 えっへっへ、とキュルケはニヤニヤしながら穴から這い出た。

「いやぁ、あんた達が仲直りするところが見たくって……あんなに殴り付けた後でメロドラマ。ウキウキするじゃないの。ねえ、シオン、セイヴァー?」

「シオンとセイヴァーもいるの?」

「ごめん、ね?」

 そう言われて、シオンと俺は渋々、いや、様子を伺うようにして、そして申し訳ない気持ちで姿を彼女たちへと見せる。

 驚くルイズに、シオンは謝罪をした。

 才人とルイズは頬を染めた。

 キュルケは頷きながらベンチに近付く。

「そうそう。どっかで見た顔ねー、なんてお思ってたのよ。いやー、そうだった。あれは“アルビオン”の色男、ウェールズ皇太子さまじゃないの」

 キュルケはその顔を、“ゲルマニア”の皇帝就任式の時に見たことがあったのである。

 彼はその時国賓席に座り、高貴で魅力的な笑みを辺りに振り撒いていたのだった。

 今やっと思い出したこともあり、キュルケは満足した様子を見せる。

「“あれはウェールズ皇太子さまじゃないの”って、どういう事だ?」

 だがそんなキュルケとは相対的に、彼女の言葉を聞いたシオン、ルイズ、才人の表情がガラリと大きく変わる。

 兄の名前が出たこともあり、特に顕著、わかりやすいのがシオンだ。それから、俺を少しばかり睨んで来た。

 キュルケは才人の質問に対して、俺たちへと説明をした。“ラグドリアン湖”に向かう途中、馬に乗った一行と擦れ違った事。その時見た顔になにやら見覚えがあったが、上手く思い出すことができなかった事。

「でも、今思い出したわ。あれはウェールズ皇太子ね。敗戦で死んたって公布があったけど、生きてたのね!」

「そんな馬鹿な! あの王子さまは死んだはずだ! 俺たちはその場を見てたんだ!」

 キュルケはウェールズ皇太子が死ぬところを見てないので、その死が実感できていなかった。そのため、恍けた調子で才人に尋ねた。

「あら? そうだったの? じゃあ、あたしが見たのはなんだったの?」

「人違いじゃねえのか?」

「あんな色男を、あたしが見間違える訳ないじゃないの」

 そんな才人とキュルケのやり取りを聞いているシオンの顔は真っ青になった。もはや土気色、死人のそれに近しいモノになってしまっている。そして小さく、「“アンドバリの指輪”……」と呟いた。

 その瞬間、才人とルイズの頭の中で何かが結び付いたのだろう、2人は顔を見合わせた。

 “水の精霊”が言っていた言葉……そして、今仕方シオンが口にした言葉……“アンドバリの指輪”を盗んだ一味の中に、クロムウェルと呼ばれる男がいた事。

「“アンドバリの指輪”……やっぱり“レコン・キスタ”の連中が……」

「ねえキュルケ、その一行はどっちに向かってたの?」

 才人が呟き、ルイズが息急き切って尋ねる。

 2人の剣幕に押され、また、シオンの尋常ではない様子を目にしたキュルケは、答えた。

「あたし達と擦れ違いだったから、そうね、首都“トリスタニア”の方角よ」

 ルイズとシオンは駆け出した。才人もそ後を追いかける。

「待って! どういう事!?」

 キュルケが慌てて尋ねる。

「姫さまが危ない!」

「なんでよーーーーー!?」

 キュルケはルイズの言葉に? を頭の上に浮かべる。

 キュルケとタバサはアンリエッタとウェールズの秘密の関係を知らなかったこともあり、その言葉が意味するところが理解らなかった。しかし、3人のその尋常ではない様子が気になり、後に続いた。



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悲しみの戦いとラグドリアン湖

 タバサの“使い魔”であるシルフィードに跨り、俺たちが“王宮”に着いたのは、“魔法学院”を出発して2時間後のことであった。深夜の1時を過ぎた頃である。

 中庭は大騒ぎになっており、ルイズと才人、そしてシオンは、自分たちの嫌な予想が現実になった事を悟った。

 シルフィードが中庭に降り立つと同時に、一斉に“魔法衛士隊”が取り囲んで来る。

 “マンティコア隊”の隊長が大声で誰何する。

「何奴!? 現在王宮は立ち入り禁止だ! 退がれ!」

 しかし、“マンティコア隊”の隊長は、俺たちの事を覚えていたのだろう、眉を顰めた。

「またお前たちか! 面倒な時に限って姿を現しおって!」

 ルイズはシルフィードの上から飛び降り、“魔法衛士隊”の隊長と問答をしている暇はない、といった様子で息急き切った様子で尋ねる。

「姫さまは!? いえ、女王陛下は御無事ですか!?」

 中庭は蜂の巣を突いたかのような騒ぎになっている。

 “杖”の先に“魔法”による灯りを灯した“貴族”たちや、松明を持った兵隊たちが大童で何か――誰かを捜索しているのだ。“王宮”に何かが起こった事は明白である。

「貴様らに話す事ではない。直ちに去りなさい」

 ルイズはかぁーっと顔を怒りで赤くし、ポケットの中から、アンリエッタが手渡した許可証を取り出した。

「わたしは女王陛下直属の女官です! この通り陛下直筆の許可証も持っているわ! わたしには陛下の権利を行使する権利があります! 直ちに事情の説明を求めるわ!」

 隊長は呆気に取られてルイズの許可証を手に取った。

 それは確かに、言葉の通り本物のアンリエッタによる許可証である。“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。右の者にこれを提示された公的機関の者は、汎ゆる要求に応える事”、といった風に但し書きが付いている。

 隊長は目を丸くして、「こんなただの少女が……女王陛下からこんなお墨付きを貰っているなんて……」といった風にルイズを見つめた。

 だが彼は軍人である。相手がどのような姿をしていようが、上官は上官である。直ぐに直立すると、陛下の名代に事の次第を報告した。

「今から2時間ほど前、女王陛下が何者かによって勾引かされたのです。警備の者たちを蹴散らし、馬で駆け去りました。現在は“ヒポグリフ隊”がその行方を追っています。我々は何か証拠がないかと、この辺りを捜索しておりました」

 シオンとルイズの顔色が変わった。

「どっちに向かったの?」

「賊は街道を南下しております。どうやら“ラ・ロシェール”の方面に向かっているようです。間違いなく“アルビオン”の手の者と思われます。直ちに近隣の警戒と港を封鎖する命令を出しましたが……先の戦で“竜騎士隊”がほぼ全滅しております。“ヒポグリフ”と馬の足で賊に追い付ければ良いのですが……」

 “ウィンドドラゴン”に次いで足の速い、“ヒポグリフ”の隊が追跡を開始しているようだが……追い付けるかどうか怪しいようである。

 ルイズは再びシルフィードに飛び乗った。

「急いで! 姫さまを攫った賊は、“ラ・ロシェール”に向かっているわ! 夜が明けるまでに追い付かないと大変な事になる!」

 事情を聞いた一行は、緊張した面持ちで首肯いた。

 ルイズが叫ぶ。

「低く飛んで! 敵は馬に跨っているわ!」

 あっと言う間に“トリスタニア”の城下町を抜け、シルフィードは街道に沿って低空飛行を開始し、続けた。

 夜の闇が濃い。

 暗闇で一歩先もわかり辛い状況ではあるが、シルフィードはその鋭敏な鼻先で空気の流れを感じ、木々や建物の障害物を巧み避けて低く飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 “グリフォン”と馬を足して2で割ったような姿の“ヒポグリフ”の一隊は、飛ぶように街道を突き進んでいた。馬の身体に取りの前脚、嘴を持つ“ヒポグリフ”は3隊の“幻獣”の中で1番足が速い。おまけに夜目も利く。従って追跡隊に選ばれたのである。十数名ほどの一隊は、怒りで燃えていた。敵は大胆にも、夜陰に乗じて宮廷を襲ったのである。まさか首都、それも宮廷が襲われるとは夢にも思っていなかった彼らは激昂したのだ。しかも攫われたのは即位間もない未若き女王アンリエッタである。宮廷と“像奥”の警備を司る近衛の“魔法衛士隊”にとって、これほどの屈辱なないと言えるだろう。

 鳥のような前脚と、馬の後ろ脚を駆使して、飛び跳ねるように“ヒポグリフ”は突き進む。混乱で出発が遅れたが、敵は馬を使っている。“ヒポグリフ”の足は馬の倍速い。追い付けぬ道理はないだろう。

 隊長は激しく部下たちを叱咤した。

「疾走れ! 一刻も早く陛下に追い付くのだ!」

 一塊になって“ヒポグリフ”隊は疾走する。

 先頭を行く騎士の“ヒポグリフ”が、大きく戦慄いた。

 何かを見付けたに違いない、と思った隊長の合図で、“炎”の使い手が炎球を前方に向けて発射した。その明かりに照らされ、前方100“メイル”ほどの街道に、疾駆する馬の一隊が確認できた。その数おおよそ10騎ほど。

 隊長は、「この屈辱は、何倍にもして返してやる」といった風に凶暴な笑みを浮かべた。

「まずは馬を狙え! 陛下に当てては取り返しが着かぬ!」

 “ヒポグリフ”隊は一気に距離を詰め、次々に“魔法”を発射した。

 騎士が唱えた土の壁の“魔法”が、敵の進路を塞いだ後、間髪入れずに攻撃の嵐が始まった。

 炎の球が、風の刃が、氷の槍が、敵の騎乗する馬目がけて飛んだ。どう! と地響きを立てて馬が次々に斃れて行く。

 隊長は先頭の馬の後ろに、白いガウン姿の女王アンリエッタを確認した。一瞬ためらったが今は非常時だという事もあり、(怪我で済めば幸いとしなけれればいけないだろうな。お叱りなら後で何度でも受けてやる)と考え、神妙に詫びを口の中で呟いた後、“風”の“魔法”で、戦闘の馬の足を切り裂いた。騎乗した騎士と女王が地面に投げ出される。

 歴戦の“ヒポグリフ”隊は、容赦なく倒れた敵の騎士たちに止めの“魔法”を撃ち込んだ。風の刃でもって憎い誘拐者の首を裂き、氷の槍がその胸を貫いた。隊長自らも、倒れて動かない、先頭を走っていた騎士に一際大きな嵐の刃を見舞った。その首が切り裂かれる。致命傷だ。

 勝負は一瞬で決した。

 隊長は満足げに首肯くと、隊を停止させる。そして、“ヒポグリフ”から飛び降り、叢に倒れた女王に近付こうとしたその瞬間……。

 倒したはずの騎士たちが、次々に立ち上がったのだ。

 驚く間もなく“魔法”が飛び、敵を全滅させたと思い込み油断していた部下と“ヒポグリフ”達が斃されて行く。

 あ、と呻きを漏らし、“杖”を振ろうとした隊長の身体を、巨大な竜巻が包み込んだ。

 竜巻に四肢を切断され、一瞬にして薄れ行く意識の中、隊長は止めを刺したはずの騎士が立ち上がり、切り裂かれた喉を剥き出しにして微笑んでいるのをハッキリと見た。

 

 

 

 ウェールズは“杖”を下ろすと、叢に近付き、倒れたアンリエッタに近付いた。

 アンリエッタは叢に投げ出されたショックで、目を覚ましたらしい。近付くウェールズを、信じられない、といった目で見つめた。

「ウェールズ様、貴男……一体なんてことを……」

「驚かせてしまったようだね」

 アンリエッタは、どんな時も肌身離さず持ち歩いている、腰に提げた水晶が光る“杖”を握った。それをウェールズに突き付ける。

「貴男は誰なの?」

「僕はウェールズだよ」

「嘘! よくも“魔法衛士隊”の隊員たちを……」

「仇を取りたいのかい? 良いとも。僕を君の“魔法”で抉ってくれたまえ。君の“魔法”でこの胸を貫かれるなら本望だ」

 ウェールズは自分の胸を指し示した。

 “杖”を握るアンリエッタの手が震え始めた。その口から“魔法”の“詠唱”は漏れない。代わりに漏れたのは、小さな嗚咽の言葉だった。

「なんでこんな事になってしまったの?」

「僕を信じてくれるねアンリエッタ?」

「でも……でも、こんな……」

「訳は後で話すよ。様々な事情があるんだ。君は黙って僕に着いて来れば良い」

「私、理解らないわ。どうして貴男がこんな事をするのか……何をしようとしているのか……」

 どこまでも優しい言葉で、ウェールズが告げた。

「理解らなくても良いよ。ただ、君はあの誓いの言葉通り、行動すれば良いんだ。覚えているかい? ほら、“ラグドリアンの湖畔”で、君が口にした誓約の言葉。“水の精霊”の前で、君が口にした言葉」

「忘れる訳がありませんわ。それだけを頼りに、今日まで生きて参りましたもの」

「言ってくれ、アンリエッタ」

 アンリエッタは、一言一句、正確にかつて発した誓約の言葉を口にした。

「……“トリステイン王国王女アンリエッタは水の精霊の御許で誓約いたします。ウェールズ様を、永久に愛する事を”」

「その誓約の中で以前と変わった事があるとすればただ1つ。君は今では女王という事さ。でも、他の全ては変わらないだろう? 変わる訳がないだろう?」

 アンリエッタは首肯いた。こうやってウェールズの腕の中抱かれる日のみを夢見て、今まで生きて来た自分だったのだから。

「どんな事があろうとも、“水の精霊”の前でなされた誓約が違えられる事はない。君は己のその言葉だけを信じれいれば良いのさ。後は全部僕に任せてくれ」

 優しいウェールズの言葉の1つ1つが、アンリエッタを何も知らない少女へと戻して行く。アンリエッタは幼子のように何度も首肯いた。まるで自分に言い聞かせるかのように。

 それからウェールズは立ち上がる。良く見ると、その胸や喉には致命傷と思える傷がついていた。しかし……彼らはそれを気にした風もなく、生者と変わらぬ動きを見せていた。彼らは斃れた馬を確かめ始めた。しかし、全て事切れている。すると次に彼らは叢の中へと、1人、また1人と一定の距離を取って、消えて行った。待ち伏せの陣形だ。何らの意思の疎通の素振りをさえないままに、ウェールズを含む一行は統一の取れた動きを見せているのである。まるでそれ自体が1個の生命であるかのように、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフィードに跨り飛ぶ俺たちは、街道上、無惨に人の死体が転がる光景を見付けた。

 シルフィードを止め、その上から降りる。

 タバサは降りずに、油断なく辺りを見張っている。

「ひでえ」

 才人は呟いた。

 焼け焦げた死体やら、手足がバラバラに捥がれた死体やらが沢山転がっているのだ。血を吐いて斃れた馬と“ヒポグリフ”が、何頭も斃れている。先行していたはずの“ヒポグリフ隊”だろう。

「生きている人がいるわ!」

 キュルケの声で、才人とルイズ、シオンが駆け付ける。

 腕に深い怪我を負っているが、なんとか生き永らえている様子だ。

「大丈夫?」

 モンモランシーを連れて来れば良かった、とルイズは後悔した。このくらいの傷であれば、彼女の“水”の“魔法”でなんとかなるかもしれないのだから。

「大丈夫だ……あんた達は?」

「わたし達も、貴方たちと同じ、女王陛下を誘拐した一味を追って来たのよ。いったい、何があったの?」

 震える声で、騎士は告げた。

「あいつ等、致命傷を負わせたはずなのに……」

「なんですって?」

 しかし、それだけ告げると騎士は首を傾げた。救けが来たという安心感からだろうか、気絶してしまったようである。

 その瞬間、四方八方から、“魔法”による攻撃が飛んで来た。

 逸早く、俺とタバサが反応し、タバサは頭上に空気の壁を創り上げ、“魔法”による攻撃を弾き飛ばす。俺もまた、“魔力”で周囲に障壁を生み出し、左右から飛来する攻撃から皆を守る。

 叢から、ゆらりと影が立ち上がる。

 1度死んで、“アンドバリの指輪”で蘇っただろう“アルビオン”の“貴族”たちであった。

 そんな彼らを目にして、シオンの顔は蒼白になる。当然、シオンは彼らと面識があるのだから。

 キュルケとタバサが身構える。しかし、敵はそれ以上の攻撃を放って来ない。

 緊張が奔る。

 その中に、懐かしい人影を見付け、シオンと才人、ルイズは驚愕した。

「ウェールズ皇太子!?」

「お兄さま……」

 クロムウェルは、“水の精霊”の元から盗み出した“アンドバリの指輪”で、死んだウェールズに偽りの生命を与え、アンリエッタを攫おうとしたのである。

 その卑怯と言える遣り口に、才人は怒りを覚えた様子を見せ、背負ったデルフリンガーを掴み、左手甲の“ルーン”を光らせる。

「姫さまを返せ」

 しかし、ウェールズは微笑を崩さない。

「可怪しな事を言うね。返せも何も、彼女は彼女の意思で、僕に付き従っているんだ」

「なんだって?」

 ウェールズの後ろから、ガウン姿のアンリエッタが現れた。

「姫さま!」

 ルイズが叫ぶ。

「こちらに入らしてくださいな! そのウェールズ皇太子は、ウェールズ様ではありません! クロムウェルの手によって“アンドバリの指輪”で蘇った皇太子の亡霊です!」

 しかし、アンリエッタは足を踏み出さない。戦慄くように、唇を噛み締めている。

「……姫さま?」

「見ての通りだ。さて、取引と行こうじゃないか」

「取引だって?」

「そうだ。ここで君たちと殺り合っても良いが、僕たちは馬を失ってしまった。朝まで馬を調達しなくてはいけないし、道中危険もあるだろう。“魔法”はなるべく温存したい」

 タバサが、得意な“ウィンディ・アイシクル”の“呪文”を“詠唱”した。

 何本もの氷の矢がウェールズの身体を貫いた。

 しかし……やはりというか、ウェールズは倒れない。そして、見る間に傷口は塞がって行く。

 それを目にしたシオンは、ショックを隠せないでいる様子だ。そして、何かを決心した、覚悟を決めたような表情を浮かべ、雰囲気を醸し出す。

「無駄だよ。君たちの攻撃では、セイヴァー君以外の攻撃では僕を傷付ける事はできない」

 その様子を見て、アンリエッタの表情が変わった。

「見たでしょう!? それは王子じゃないわ! 別の何かなのよ! 姫さま!」

 しかし、アンリエッタは信じたくない、とでも言うように首を左右に振った。それから、苦しそうな声で告げた。

「お願いよ、ルイズ。“杖”を収めてちょうだい。私たちを、行かせてちょうだい」

「姫さま? 何を仰るの!? 姫さま! それはウェールズ皇太子じゃないのですよ! 姫さまは騙されているんだわ!」

 アンリエッタはニッコリと笑った。鬼気迫るような笑みだ。

「そんな事は知ってるわ。私の居室で、唇を合わせた時から、そんな事は百も承知。でも、それでも私は構わない。ルイズ、貴女は人を好きになったことがないのね。本気で好きになったら、何もかも捨てても、着いて行きたいと思うものよ。嘘かもしれなくても、信じざるをえないモノよ。私は誓ったのよルイズ。“水の精霊”の前で、誓約の言葉を口にしたの。“ウェールズ様に変わらぬ愛を誓います”と。世の全てに嘘を吐いても、自分の気持ちにだけは嘘は吐けないわ。だから行かせてルイズ」

「姫さま!」

「これは命令よ。ルイズ・フランソワーズ。私の貴女に対する、最後の命令よ。道を開けてちょうだい」

 “杖”を掲げたルイズの手が、ダランと下がった。アンリエッタの決心の堅さを知り、どうにもならなくなってしまったのだ。それほどまでに“愛”していると言われて、どうして止めることができようか、といった風に。

「シオン、お前も一緒に来ないか? 悪いようにはしない」

「……お兄さま……」

 ウェールズの言葉に、シオンは返事をしない。ただ、静かに見つめ返すだけだ。

 諦めたといった風に、ウェールズは首を横に振った。

 1人の生者を含む、死者の一行はルイズ達が呆然と見送る中、先へ進もうとした。

 しかし、その前に……。

 デルフリンガーを構えた才人、シオン、そして俺が立ち塞がる。

 アンリエッタの気持ちはわかる。理解できるのだが。

 だがしかし、才人の心が赦せないと叫んでいるのだ。そんな事は認められないと、心のどこかが悲鳴を上げているのだ。怒りと、悲しみを含んだ声で才人は言った。

「姫さま。言わせて貰うよ。寝言は寝てから言いな」

 才人のその肩が、全身が、震えている。

「恋も、愛も知らねえ、女とまともに付き合った事のない俺にだってこのぐれえは理解る。そんなのは“愛”でも何でもねえ。ただの盲目だ。頭に血が昇って理解らなくなってるだけだ」

「どきなさい。これは命令よ」

 精一杯の威厳を振り絞って、アンリエッタが叫ぶ。

「生憎、俺はあんたの部下でもなんでもねえ。命令なんか利けねえよ。どうしても行くって言うなら……仕方ねえ。俺はあんたを叩っ斬る」

「ごめんなさい。お兄さま、アンリエッタ。これ以上は行かせられないわ。家族だからこそ、兄妹だからこそ」

 1番初めに動いたのはウェールズだった。実の妹がいるにも関わらず、攻撃性の高い“呪文”を唱えようとした。

 が、才人が飛びかかる、しかし、水の壁が才人を吹き飛ばした。

 “杖”を握ったアンリエッタが、震えながら立ち竦んでいる。

「ウェールズ様には、指1本触れさせないわ」

 水の壁は才人を押し潰すかのように動く。しかし、次の瞬間アンリエッタの前の空間が爆発し、彼女は吹き飛んだ。

 “エクスプロージョン”。ルイズが“呪文”を“詠唱”したのだ。

「姫さまと言えども、わたしの“使い魔”には指1本足りとも触れさせませんわ」

 髪の毛を逆立てて、ピリピリと震える声でルイズが呟いた。

 その爆発で、呆然と成り行きを見守っていたタバサとキュルケが“呪文”を“詠唱”した。

 戦いが始まったのである。

 

 

 

 “魔法”が飛び交う中、才人はルイズの前でデルフリンガーを振り続けた。

 辺りは派手な攻撃“魔法”が飛び交っているが、お互いに致命傷を与える事ができないでいる、いや、この中で俺だけが余裕を示し、自身が“投影”した“原初の火(アエストゥス エストゥス)”を振るい、斃して行く。

 敵の連携は巧みではあった。が、“サーヴァント”に対しては有効的な攻撃はないと言えるのだから。

「炎が利くわ! 燃やせば良いのよ!」

 キュルケは、俺が振るう“原初の火(アエストゥス エストゥス)”、そして自身が放つ炎でそれに気付き、叫ぶ。

 キュルケの炎が立て続けに繰り出される。

 タバサは直ぐに攻撃をキュルケの援護に切り替え、斬ったところで対象は直ぐに回復してしまい無意味であるということもあって才人も支援に回った。

 キュルケ目掛けて飛ぶ“魔法”を、才人はデルフリンガーで吸い込ませる。

 しかし、キュルケの炎で3体ほど斃した時……敵は“魔法”の射程から一気に離れた。態勢を立て直すつもりであろう。

「このまま、少しずつ炎で燃やして行けば……勝てるかもね」

 キュルケが呟いた。

 しかし、天は才人たちに味方しなかったらしい。

 ポツポツと、頬に当たるモノに一番先に気が付いたのはタバサだった。珍しく焦った表情を浮かべ、空を見上げた。

 巨大な雨雲が、いつの間にか発生していたのだ。

 

 

 

 降り出した雨は、一気に本降りへと変わる。

 アンリエッタが叫んだ。

「“杖”と剣を捨てて! 貴方たちを殺したくない!」

「姫さまこそ目を覚まして! お願いです!」

 ルイズの叫びが、激しく降り出した雨粒で掻き消される。

「見てごらんなさい! 雨よ! 雨! 雨の中で“水”に勝てると思っているの!? この雨のおかげで、私たちの勝利は動かなくなったわ!」

「そうなんか?」

 才人が不安げに叫んだ、

 キュルケがやれやれと言わんばかりに首肯いた。

 俺が持つ“原初の火(アエストゥス エストゥス)”には大して影響はないが、空気を読み、周りに合わせているかのようにその炎を弱らせている。

「とにかく、これであの姫さまは水の壁を全員に張れるわね。あたし達の炎も役立たず、タバサの風と、貴男たちの剣では相手を傷付けることすらできないだろうし……えっと、打ち止め。負け!」

 ルイズは苦しそうな声で呟いた。

「仕方ないわ。逃げましょう。ここであんた達を死なす訳には行かないわ」

「でも、逃げられるのかな? 囲まれてるじゃん」

 シオンと俺を除いた皆が黙ってしまう。

 その時デルフリンガーが、恍けた声を上げた。

「あ!」

「どうした?」

「思い出した。あいつら、随分懐かしい“魔法”で動いてやがんなあ……」

「はい?」

「“水の精霊”を見た時、こうなんか背中の辺りがムズムズしたが……いや相棒、忘れっぽくてごめん。でも安心しな。俺が思い出した」

 デルフリンガーのその言動に、俺は思わずニヤリとしてしまう。

 対して、シオンを除いた皆はやはり何が何だか理解できていない様子を見せる。

「なにをだよ!?」

「あいつ等と俺は、根っこは同じ“魔法”で動いてんのさ。とにかくお前らの“4大系統”や“魔術”とは根本から違う、“先住”の“魔法”さ。ブリミルもあれにゃあ苦労したもんだ」

「なによ!? 伝説の剣! 言いたい事があるんならさっさと言いなさいよ! 役立たずね!」

「役立たずはお前さんだ。折角の“虚無の担い手”なのに、見てりゃあ馬鹿の1つ覚えみてえに“エクスプロージョン”の連発じゃねえか。確かにそいつは強力だが、知っての通り“精神力”を激しく消耗する。今のお前さんじゃ、この前みてえにでっかいのは1年に1度撃てるか撃てねえかだ。今のまんまじゃ花火と変わんね」

「じゃあどーすんのよ!?」

「“祈祷書”のページを捲りな。ブリミルはいやはや、大した奴だぜ。きちんと対策は練ってるはずさ」

 ルイズは言われた通りにページを捲った。

 しかし、“エクスプロージョン”の次は相変わらず真っ白である。

「何も書いてないわよ! 真っ白よ!」

「もっと捲りな。必要があれば読める」

 ルイズは文字が書かれたページを見詰めた。

 そこに書かれた古代語の“ルーン”を読み上げる。

「……“ディスペル・マジック”?」

「そいつだ。“解除”さ。さっきお前さんが呑んだ薬と、理屈は一緒だ」

 

 

 

 アンリエッタは悲しげに首を振った。このままルイズとシオン達は逃げ出すかと思ったのだが、逃げない。おまけに、ルイズを中心に据えてさらにお互い近付き、緊密な円陣を組み始めたのだから。

 顔を上げ、アンリエッタは“呪文”を唱え始める。(できることなら殺したくはない。でもこれ以上、行く手を阻むと言うのなら……)、と、“呪文”の“詠唱”と共に、決意を堅め、雨粒を固めて行く。

 味方の“メイジ”の1人1人に、水の鎧が纏わり付いて行く。

 これで“炎”による攻撃は封じたと言えるだろう。

 さらにアンリエッタは“呪文”を唱える。

 その“詠唱”にウェールズの“詠唱”が加わる。ウェールズはアンリエッタを見つめて、冷たい笑みを浮かべた。その温度に気付きながらも、アンリエッタの心は熱く潤んだ。

 水の竜巻が、2人の周りをうねり始めた。

 “水”、“水”、“水”、そして“風”、“風”、“風”。“水”と“風”の6乗。

 “トライアングル”同士といえど、このように息が合う事は珍しい。ほとんどない、と言っても過言ではない。しかし選ばれし――“始祖ブリミル”の血をよ良り濃く受け継いでいる“王家の血”がそれを可能にさせるのである。

 “王家”のみに許された、“ヘクサゴン・スペル”。

 “詠唱”は干渉し合い、巨大に膨れ上がる。2つの“トライアングル”が絡み合い、巨大な六芒星を竜巻に描かせる。津波のような竜巻だ。この一撃を受ければ、城でさえ一撃で吹き飛ぶだろうと思わせるほどの。

 

 

 

 謳うようなルイズの“詠唱”が雨音に混じる。

 才人の背中に、ルイズの“詠唱”は心地好く染み込んで行く。

 今のルイズには、もう何も届いていない。己の中でうねる“精神力”を練り込む。古代の“ルーン”を次から次へと口から吐き出させ続けている。

「この娘、どうしたの?」

 キュルケが笑みを浮かべて尋ねる。

「ああ、ちょっと伝説の真似事をしてるだけさ」

 才人はデルフリンガーを握り締め、やはり笑うような声で答える。

 ルイズの“虚無”の“詠唱”を聞いていると、彼の中で勇気が漲って来るのだった。笑ってしまうくらいに陳腐な勇気ではあるのだが、死を前にしてさえ、冗談を言わせてしまう、そんな勇気だ。

「そう。そりゃ良かったわ。せめて伝説くらい持って来ないと、あの竜巻には勝てそうにないからね」

 ウェールズとアンリエッタの周りを巡る巨大な水の竜巻は、どんどん大きくなって行っている。

 ルイズの小さな“詠唱”はまだ続いている。“虚無”の“詠唱”は、やはり基本的にとても長いのだ、

「やべえなあ。やっぱり向こうが先みてえだなあ」

 デルフリンガーが呟く。

「どうしよう?」

「どうしようもこうしようもねえだろが。あの竜巻を止めるのがお前さんの仕事だよ。“ガンダールヴ”」

「俺かぁ」

 才人はフニャッと顔を歪めた。だが、恐怖は感じていない様子だ。どうやら、暴虐なまでの勇気が全身を揺さ振っているらしい。

「いや、不思議だな」

「どうした?」

「あんなにでっかい竜巻だってのに、ちっとも怖くねえ」

「そりゃそうさ。勘違いすんなよ“ガンダールヴ”。お前さんの仕事は、敵を殺っ付ける事でも、ひこうきとやらを飛ばす事でもねえ。“呪文詠唱中の主人を守護る”。お前さんの仕事はそれだけだ」

「簡単で好いな」

「主人の“詠唱”を聞いて勇気が漲るのは、赤ん坊の笑い声を聞いて母親が顔を綻ばすのと理屈は一緒さ。そういう風に出来てんのさ」

「任せたわよ」

 キュルケが呟く。

 タバサとシオンが才人の顔を見詰める。

 そして、俺は才人と見合い、首肯き合った。

「楽勝だ」

 才人は呟いた。

「俺は、“虚無(ゼロ)の使い魔”だぜ」

 

 

 

 ウェールズとアンリエッタの“呪文”が完成した。

 うねる巨大な水の竜巻が俺たちに向かって飛んで来る。大きさも十分であり、そして同時に驚くほどに速い。

 水の城、といった印象を与えて来る。

 その城が激しく回転して、俺たちを呑み込もうと激しくうねっている。

 才人は一気にステップを踏んで竜巻の前に飛び出ると、デルフリンガーでそれを受け止めた。

 デルフリンガーを中心にして、水の竜巻が回転する。

 呑み込まれそうになったが、才人は堅く両脚を踏ん張った。

 才人の身体を痛みが襲う。呼吸ができなさそうな様子であり、水流が彼の身体を激しく嬲り、皮膚を引き剥がそうとしているかのように荒れ狂っている。

 しかし、才人はそれを耐える。

 彼の爪が剥がれる。彼の耳が千切れる。彼の瞼が切れて、眼球に激痛が奔る。

 才人の右腕からデルフリンガーが離れ、関節が悲鳴を上げ、折れてしまう。

 デルフリンガーが一気に水の中の“魔力”を吸い込んで行く。

 才人が倒れそうになったその瞬間、ルイズが“詠唱”していた“魔法”、“ディスペル・マジック”の“呪文”が完成した。

 音でも、光でもなく、背中から伝わる感覚が、才人にそれを教える。

 才人は、「遅せよ、馬鹿」と呟いて、意識を手放した。

 

 

 

 “呪文”を完成させたルイズの眼の前では、巨大な竜巻が荒れ狂っていた。

 しかし、こちらへは近付いて来ない。

 中で才人が竜巻に揉まれながら、必死に耐えている姿が彼女には見えた。

 徐々に竜巻はその回転力を失い、そのうちに巨大な滝のように、地面にばっしゃーんと崩れ落ちた。才人も一緒くたになって地面に倒れ落ちそうになるが、タバサが“呪文”を唱え、ゆっくりと地面に横たわる。

 ルイズは唇を噛んだ。そして、崩れ落ちる水の隙間から、敵であるウェールズ達目がけて“ディスペル・マジック”を叩き込んだ。

 

 

 

 アンリエッタの周りに、眩い光が輝いた。

 すうっと、隣に立っているウェールズが地面に崩れ落ちそうになる。

 そんな彼の元へと駆け寄ろうとするアンリエッタだが、消耗し切っていた“精神力”の所為か、意識を失い、地面に倒れた。

 そして、辺りは一気に、静寂に包まれた。

 

 

 

 

 ルイズの唱えた“ディスペル・マジック”が完全に利かなかったのか、ウェールズは立ち上がり、こちらを睨んで来る。

「まったく、やってくれたね」

 そう言って微笑を崩さないウェールズだが、やはりそれには冷たさを感じさせる。それが、彼が既に死んでおり、人形のようになっている事を理解させてしまう。

 だが同時に、温さもそこにはあった。それはきっと――。

「君の事はワルド君から聞いているよ、“サーヴァント”、セイヴァー」

「そうか」

「君と僕とではどう違うのかな?」

「そうだな。的外れだが……例えば、この世界への喚び出され方、とかだろうな。他にも挙げるのであれば……いや、星の数ほどあるだろうが」

 俺は少しばかりとぼけて言った。

「いや、良い。僕は、君みたいに“サーヴァント”になれる、かな?」

「難しいだろうな。お前は、何か大きな事をなした訳ではない。俺みたいに、“転生”をして“特典”を手にするか、“世界と契約”するかでもしない限り、無理だろうな。せいぜい、“幻霊”程度だろうさ」

 俺の言葉に、ウェールズは柔らかな、温かさを感じさせる弱々しい笑みを浮かべる。

 立ち上がり、言葉を交わしたのはほんの一瞬だけであり、やはり“ディスペル・マジック”が利いていたのだろう。ウェールズは、地面へと崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく気を失っていたアンリエッタは、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。

 ルイズが心配そうに、アンリエッタを覗き込んでいるのだ。

 雨は止んでいた。辺りの草は濡れ。ヒンヤリとした空気に包まれている。

 アンリエッタは、先ほどの激しい戦闘が嘘のようだわ、と想った。

 しかしそれは嘘でも幻でもなかった。

 アンリエッタの隣には、冷たい躯となったウェールズの身体が横たわっているのだから。

 そして他にも、そこかしこに、冷たくなった死体が転がっている。“アンドバリの指輪”で、偽りの生命を与えらえていた者の成れの果てだ。ルイズの“ディスペル・マジック”によって、偽りの生命を掻き消され。元の姿へと戻る――魂は身体から抜け、輪廻転生の輪へと戻り、そして“根源”へと向かったのだ。

 アンリエッタにはその理由は理解らない。ただ、あるべき所にあるべきモノが戻って行った事を感じた。そして、今はそれだけで十分であった。

 アンリエッタは、(夢だと思いたかった。でも、全ては悪夢のような現実だったのね。そして私は、全てを捨ててその悪夢に身を任せようとしていたのね)と思い、顔を両手で覆った。(今の私に、ウェールズ様の躯に縋り付く権利はないわ。ましてや、幼い頃より私を慕ってくれた、眼の前のルイズとシオンに合わせる顔がないもの)といった風に。

「私、なんて事をしてしまったのかしら」

「目が醒めましたか?」

 ルイズは、悲しいような、冷たいような声でアンリエッタに問うた。怒りの色はない。色々と想うと所はあるだろうが、普段通りの彼女である。

 アンリエッタは首肯いた。

「何と言って貴女たちに謝れば良いの? 私の為に傷付いた人々に、何と言って赦しを乞えば良いの? 教えてちょうだい。ルイズ、シオン」

「それより、姫さまのお力が必要なんです」

 ルイズは斃れた才人を指さした。

「ひどい怪我」

「あの竜巻に巻き込まれたんです。姫さまの“水”で治してくださいな」

 アンリエッタは首肯くと、“ルーン”と唱えた。“水”の力を蓄えた、“王家”の“杖”の力を行使する。

 がしかし、彼女自身の“精神力”が底を尽いている状態に近いこともあり、効果は芳しくない。

 俺は、静かに彼女たちに気づかれることがないように、ソッと微量の力で“治癒魔法”と“治癒魔術”を行使する。彼女自身の力だけで発揮されているかのように思える程度に。

 才人の身体の傷が塞がって行く。

 才人は目を覚ますと同時に、自分の怪我を治しているのがアンリエッタであるという事に気付き、目を丸くした。

「お詫びの言葉もありませんわ。他に怪我をされた方はおられるの?」

 “ヒポグリフ隊”の生き残りの“貴族”が何人かいることを、伝える。

 アンリエッタは、彼らの傷も治療しようと、“魔法”を使おうとし、俺が影から悟られないようにサポートする。

 それから……俺たちは敵味方問わず、死体を木陰に運んだ。後で埋葬するにしても、このまま放置して置く訳には行かないのである。特にシオンは、しっかりと供養をしたい、といった様子を見せている。

 俺たちは……ルイズも、才人も、キュルケも、タバサも、シオンも、当然俺もだが、アンリエッタを責めはしなかった。彼女は悪夢を見ていたも同然なのだから。甘い、誘惑の悪夢だ。憎むとすれば、このようにアンリエッタの心に付け入り、ウェールズに偽りの生命を与えた人物――クロムウェル一行であろう。いや、そんなクロムウェル達を、そういった行動に奔らせた、動機や理由、原因などだろう。

 アンリエッタに罪はないとは言えないが、その罪に引き合う何かが存在するのも、また事実である。

 

 

 

 アンリエッタはシオンと共に、最後にウェールズを運ぼうとした。

 その時……。

 アンリエッタとシオンの2人は心底信じられないモノを目にした。

 もしかすると、アンリエッタの悲しい“愛”が、シオンの“愛”が、どこかに届いていたのかもしれない。誰かがソッと、その罪を癒やし、赦すために命の天秤をソッと揺らしたのかもしれない。

 アンリエッタがウェールズの頬に触れると、その瞼が、弱々しく開いたのだ。

「……アンリエッタ? シオン? 君たちか?」

 弱々しく、消え入りそうな声であったが、紛れもなくウェールズの声であった。

 アンリエッタとシオンの肩が震えた。

 奇跡が“ハルケギニア”に存在するとしたら、まさにこの時がそうであったと言えよう。消えていたはずの生命の灯火に、わずかの輝きが与えられた理由は、誰にも説明できやしないのだから。ルイズの“ディスペル・マジック”が偽りの命を吹き飛ばした時に、わずかに残っていたウェールズの生命の息吹に火を灯したのかもしれない。

 アンリエッタのウェールズを想う気持ち、そしてシオンのウェールズを想う気持ちが、かすかに神――人の“抑止力”――“アラヤ”などに働きかけたのかもしれない。

 ただ、ウェールズは目を開けた、それは紛れもない事実であった。

 どちらにせよ、“聖杯”などを用いたモノではなく、真実、文字通りの奇跡だ。

「ウェールズ様……」

「お兄さま……」

 アンリエッタは恋人の名を、シオンは兄を呼んだ。

 彼女たちは、今度のウェールズは本物――偽りの生命によるモノではなく、彼自身が持つ本来の“魂”と感情によるモノだと、理解した。理解することができた。

 アンリエッタとシオンの目から、涙が流れた。

「なんという事でしょう。おお、どれだけこの時を待ち望んた事か……」

 驚いた顔の一行が、3人へと駆け寄る。目を開いたウェールズを見て、皆は目を丸くした。

 アンリエッタとシオンはその時になって、赤い染みがウェールズの白いシャツに広がるのを見付けた。偽りの生命によって閉じられていた、ワルドに突かれた傷が開いたのである。

 2人は慌ててその傷を塞ごうとして、“呪文”を唱えた。

 がしかし……残酷なことに、その傷には彼女たちの“魔法”は通用しない。適用されない。傷口は塞がらず、血の滲みは大きくなるばかりだ。

「ウェールズ様、そんな……嫌だ、どうして……?」

「お兄さま……」

「無駄だよ……2人とも。この傷はもう、塞がらない。1度死んだ肉体は、2度と蘇りはしない。僕はちょっと、ほんのちょっと帰って来ただけなんだろう。もしかしたら“水の精霊”が気紛れを起こしてくれたのかもしれないね」

「ウェールズ様、嫌、嫌ですわ……また私を1人にするの?」

「アンリエッタ。最期のお願いがあるんだ」

「最後だなんて、仰らないで」

「君と初めて出逢った、あの“ラグドリアンの湖畔”に行きたい。そこで君に約束して欲しい事があるんだ。シオン、お前にもだ」

 タバサがシルフィードを連れて来た。

 才人と俺、キュルケが3人で、ウェールズをその背に乗せる。続いてシルフィードに跨ったアンリエッタは、ウェールズの頭を膝の上に乗せ、落ちないように身体を支えてやった。

 シオンはその後ろに乗り、俺たちを乗せて、シルフィードは舞い上がった。

 一路、“ラグドリアン湖”を目指して、シルフィードは飛んた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ラグドリアン”の湖畔、ウェールズはアンリエッタの肩とシオンの肩に身体を預ける格好で、浜辺を歩いていた。

 薄っすらと空が白み始めている。どうやら、朝が近いようだ。

「懐かしいね」

「ええ」

「初めて逢った時、君はまるで妖精のように見えたよ。ほら、この辺りで水浴びをしていた」

 ウェールズは一画を指さした。

 既に目も見えなくなっているのだろう。そこはアンリエッタの記憶とは全く違った場所であった。が、アンリエッタは首肯いた。泣きそうになる気持ちを必死に押さえて、「もう、相変わらずお上手ですわね」と応えた。

「あの時、僕はこう想ったモノだ。このまま2人で、全てを、いや、シオンと君以外の全てを、“愛”する皆以外を捨てられたらと。どこでも良いんだ。場所なんか気にしない。庭付きの、小さな家があれば良い。ああ、花壇が必要だな。君たちが花を植える花壇だ」

 ウェールズの足は、一歩歩く度に力が抜けて行くようだ。

「ねえ、ずっと訊きたいと思っていたの。どうしてあの時は、そんな優しいことを仰ってくださらなかったの? どうして“愛”していると、仰ってくれなかったの? 私、ずっとその言葉を待っていたのよ?」

 ウェールズは力無く微笑んだ。

「君を不幸にすると知って、その言葉を口にする事は僕にはできなかった」

「何を仰るの、貴男に“愛”される事が、私の幸せだったのよ」

 ウェールズは黙ってしまった。

 “愛”するウェールズの身体から、生気が少しずつ、失せて行くのをアンリエッタとシオンは感じた。

 ここまで永らえたのが、奇跡というべきなのだろう。

 彼女たちは、(泣く訳にはいかない。残された時間、少しでも良いから会話を交わしていたい)と思った。それでも声が震えてしまう。

『ねえ、セイヴァー……』

『どうした?』

『どうにかならないの? できないの?』

『できることはできるが……』

 実際、“原作”である“stay/night”でもあったように、“魂”を物質化させ、人形の中へとその魂を入れ直すことでどうにかできることはできるだろう。だがそれは――。

『ううん。やっぱり良い。気にしないで』

 念話であっても、シオンの声、言葉は震えていた。

 彼女は、感情、欲を押さえ込もうとしている。生者が抱く、死者に対する生者側の望みなどを。

「ああ、そう言えば……さっきここに来る前、夢を見たよ」

「どんな夢なの? お兄さま」

 弱々しい声で言ったウェールズの言葉に、シオンは反応を返す。

「なんて事はない、良くある夢だよ。そこには、シオンがいて、アンリエッタがいて、父上がいて……“貴族派”も“王党派”もない。皆が笑顔で暮らし、幸せな生活を送る……」

 ウェールズはしばらく間を置いた後、再び口を開いた。

「シオン、頼み事がある」

「なに、お兄さま?」

「“アルビオン”を、頼む……」

 その一言だけで十分だった。

 シオンは、何度も首肯いた。

「嗚呼、安心した。次に、誓ってくれ、アンリエッタ」

「なんなりと誓いますわ。何を言えば良いの? 仰ってくださいな」

「僕を忘れると。忘れて、他の男を“愛”すると誓ってくれ。その言葉が聞いたい。この“ラグドリアンの湖畔”で、“水の精霊”を前にして、君のその誓約が聞きたい」

「無理を言わないで。そんな事を誓えないわ。嘘を誓える訳がないじゃにあ」

 アンリエッタは、その肩を震わせて立ち尽くした。

「お願いだアンリエッタ。じゃないと、僕の“魂”は永劫に彷徨うだろう。君は僕を不幸にしたいのかい?」

 アンリエッタは首を横に振った。

「嫌。絶対に嫌ですわ」

「時間がないんだ。もう、もう時間がない。僕はもう……だから、お願いだ……」

「だったら、だったら誓ってくださいまし。私を“愛”すると誓ってくださいまし。今なら誓ってくださいますわね? それを誓ってくだされば、私も誓いますわ」

「誓うよ」

 アンリエッタは、悲しげな顔で、誓いの言葉を口にした。

 ウェールズは満足そうに、「ありがとう」、と消え入りそうな震える声で呟いた。

「次は、貴男の番よ。お願いですわ」

「誓うとも。僕を水辺へ運んでくれ」

 アンリエッタとシオンは、ウェールズを水辺へと運んだ。

 朝日が木々の間から顔を出し、この世のモノとも思えぬほどの美しさで、“ラグドリアンの湖畔”が輝いた。

 水に足が浸かる。

 アンリエッタとシオンは、ウェールズの肩を握り締めた。

 しかし、ウェールズは答えない。

「ウェールズ様?」

 アンリエッタがその肩を揺さ振る。

 隣では、シオンは大粒の涙をポロポロと湖へと落としている。

 既に、ウェールズは事切れてしまっていたのだ。

 この場所で、初めてウェールズに逢った日々を、アンリエッタはゆっくりと想い出した。想い出の1つ1つを、宝石箱の中から取り出すようにして、確かめて行く。楽しく、輝いていた日々はもう来ない。

 この湖畔で交わした誓約の言葉が守られる事はもう、無い。

「意地悪な人」

 真っ直ぐに前を見たまま、アンリエッタは呟いた。

「最期まで、誓いの言葉を口にしないんだから」

 ユックリとアンリエッタは目を閉じた。

 閉じた瞼から、涙が一筋垂れて、頬を伝った。

 

 

 

 

 木陰からそんな2人の様子を見守る才人はルイズの肩を叩いた。

 ルイズはジッとそんなアンリエッタとシオンの様子を見詰めて、声を殺すようにして泣いていた。

 ルイズの肩を抱きながら、才人は(俺は正しかったのか? あの時、姫さまを行かせてやった方が、姫さまが言ったように……幸せだったんじゃ? 偽りの生命でも、偽りの愛でも……本人が真実と信じられるなら、それで良かったんじゃ?)、と、幼子のように泣きじゃくるルイズの肩を抱きながら、ズッとそんな事を考え続けた。それから才人は、(何が正しくて、何が正しくないのか……これからも自分を悩ませる事があるだろうな)とボンヤリと思った。

 これからもこのような決断を迫られる時が来るだろう事は確かである。

 才人は強くルイズを抱き締めた。

 せめてその時……己が迷わぬように、と祈りを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタとシオンは、ウェールズの亡骸を水に横たえた。それから2人して小さく“杖”を振り、“ルーン”を唱える。

 湖水が動き、ウェールズの身体はユックリと水に運ばれ、沖へと沈んで行く。

 水はどこまでも深く透明で……沈んで行くウェールズの亡骸がハッキリと見えた。

 アンリエッタとシオンは、ウェールズの姿が見えなくなっても、そこに立ち尽くした。

「見ているのですか? お兄さま。夢の続きを……」

 沈んで行ったウェールズの顔は、偽りの生命を与えられ人形として使われたのにも関わらず、“愛”する2人と再逢できた事、そしてアンリエッタとの出逢いの場所である“ラグドリアンの湖”に来ることができた事、約束をし、誓約を聞き届けた事によるモノか、満足したような、そして楽しい夢を見ているような表情を浮かべていた。

 湖面が太陽の陽光を反射させ、7色の光を辺りに振りまき始めても……アンリエッタとシオンはジッと、いつまでも見続けた。



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魅惑の妖精亭

「さて、明日から夏季休暇なんだけど」

 ルイズは“使い魔”である才人を見下ろして言った。

「そうですね」

 才人は地面に転がったまま、ご主人さまであるルイズに向かって相槌を打った。

「1週間ほどお暇を頂きたいって、どーゆーこと?」

 ここは“アウストリ広場”。いつも通り……才人はルイズに、踏まれている。

 俺とシオンはそんな2人を生暖かい目で見守っている。当然、普段となんら変わらぬ光景と化してしまっており、感覚が鈍ってしまっているのだろうか。いや、彼女と彼の2人は別段、この前のように大きく強い喧嘩などをしていないのだからこれといった問題はないといえるだろう。

 才人は、ルイズに踏まれることになった理由を、もう1度噛んで含めるようにして説明を開始した。

「いや……シエスタが、“タルブの村”に遊びに来ないかって言うもんだから。しばらく滞在したら……直ぐにお前の領地に行くから良いじゃん。たまにゃ家族と水入らずってのも悪くないんじゃないの?」

 ガシッとルイズの顔に、才人が踏まれる。再度の提案は却下されてしまったのである。

 そして、同時に才人とルイズの2人ははたと気付いたかの様子を見せ、シオンへと申し訳なさそうな表情を見せた。

「大丈夫。気にしないで」

 シオンは柔らかな笑みを浮かべ、2人を見て応える。どうやら、ウェールズとの別れなどから、ある程度の気持ちの整理は着いたようだ。そして、彼女は、それよりも前に話していた事に対する決心を強く抱いている。

 広場から向こうに見える正門には、帰郷する生徒たちで溢れている。久々の帰郷だという事もあって浮かれている生徒たちが、迎えに来た馬車に乗り込んで行くのだ。彼ら彼女らはこれから故郷の領地や、両親が勤務に励んでいる首都“トリスタニア”へと向かうのである。“トリステイン魔法学院”は明日から夏季休暇――いわゆる夏休みなのだ。2ヶ月半にも及ぶ、長い休暇である。

 そんな生徒たちを見て、俺は前世での生活を思い出した。前世――生前の俺は、自堕落だといえる生活を送り、毎日が休みのようだった、と自嘲してしまう。

「あ、あのですね。ミス・ヴァリエール。わたし、サイトさんにもお休みが必要だと思うんです」

 オロオロしたシエスタが、才人を踏み付けているルイズを執り為成すようにして口を開く。シエスタは、帰郷に備え、いつものメイド服ではなく、草色とのシャツにブラウンのスカートといった普段着を着ている。

 ルイズはジロッとシエスタを睨み付けた。しかし……シエスタもさる者である。恋する女の負けん気からだろうか、逆にルイズを睨み返した。

「お、お休みだって必要じゃないですか! い、いつもご自分の好きなように扱き使って……非道いです!」

 実際、“メイジ”にとって“使い魔”は一心一体といえるだろう仲である。そして、基本的に“使い魔”は身体に刻まれた“ルーン”による“主人(メイジ)”との繋がりで、ある程度の意思は尊重されるが、絶対服従じみた状態になる。だが、才人と俺は違った。才人はこれまでブリミルが使役した“使い魔”と似た条件でのそれであり、通来の“使い魔”の法則は適用されない。俺は曲りなりにも、紛い物の“サーヴァント”ではあるが、“サーヴァント”は“英雄”が“英霊”となり、“英霊の座”からその“魂”を分割コピーし、“クラス”という役割(ロール)の中に無理矢理に収め、人間が辛うじて使役することができるようにした存在なのだから。

「良いのよこいつは。わたしの“使い魔”なんだから」

 そして、そんなルイズの態度に、シエスタは何かを勘付いた様子を見せる。

「“使い魔”? へぇ、ホントにそれだけなのかなぁ……?」

 ボロっとシエスタが呟く。その目が、兎を捕まえる罠を仕掛ける時のように、キラッと光ったのだ。恋する女はライバルに敏感なのである。

「え? どーゆー意味よ?」

「べ、べーつーにー?」

 恍けた声で、シエスタはわざわざ間延びさせて呟いた。

「言ってごらんなさいよ」

「最近、ミス・ヴァリエールがサイトさんを見る目、ちょっと怪しいなと。そんな風に思っただけです」

 ツン、と澄ましてシエスタは言った。

 ルイズがギリッと彼女を睨んだ。ルイズは噂を聞いたこともあったので、(わたしってば、メイドにまでナメられてる。サイトの所為ね。サイトが“平民”の癖に妙な活躍ばっかりするから、“学院”の“平民”まで、なんだか調子に乗り始めているんだわ)と思った。そして、(これがそうなのね? “王国”の権威が。“貴族”の権威が。ま、そっちはともかくわたしの権威が!)とも思った。そして、ルイズはピクピクと震えた。

 そんな恋する2人のやりとりを、シオンと俺はまだ優しい目付きで見守る。下手に手を出すと、藪蛇かもしれないのだから。いや、ここにいると何かの拍子で巻き込まれてしまう可能性も多いにありえるのだが。

 サンサンと照り付ける陽射しに目を細めたシエスタは、ふぅ、と溜息を吐く。それから、わざと胸元を開けさせ、ハンカチで汗を拭い始めた。アピールだ。

「ほんと……暑いですわね。夏って」

 野に咲く花のような、健康的な色気がそこから溢れ出している。

 脱いだら凄いだろう、例の2つの丘の谷間が、才人と俺の目に飛び込んで来る。

 ルイズは、ハッ! と気付いたのか、才人の顔を見て睨み付ける。才人はルイズの足の下から、横目でシエスタの開けたシャツの隙間を必死に観察しているのである。キレそうになったが、ルイズはどうにか耐えた。

 俺はというと、既に目を閉じている。別に、シオンは、俺が誰かに目移りをしていようとも怒ることも嫉妬をすることもない。ただ、(最終的に、私を見てくれる、側にい続けてくれる)といった信用と信頼を向けてくれている。それが、俺には“千里眼”などによる読心をせずとも十分に理解することができた。

 ルイズは、(負けて堪るもんですか、ええ、こっちは“貴族”よ。黙ってても、高貴がシャツの隙間から溢れてしまうんですのよ)といった風に、「ふぅ暑い」と呟き、対抗してシャツのボタンを外した。それからハンカチで汗を拭う。しかし……そこにあるのは谷間ではなく、どこまでも広がる爽な平原であった。

 需要は十分にあるだろう。だが、才人はどちらかというと起伏がある地形が好みらしく、視線は動かない。

 そんな様子を見てシエスタが口を抑え、ぷ、とやらかしたのでルイズはついにキレてしまった。

「な、なによ!? 今、笑ったわね!?」

「そんな……笑う訳ないじゃないですか。そんな、ねえ、わたしが“貴族”の方を見て笑うなんて……ねえ?」

 シエスタは顔を輝かせてルイズをなだめる。それから背け、ポロッと呟いた。

「……子供みたいな身体して、“貴族”? ……へぇ?」

 ルイズの口から「かは」と呼吸が漏れた。

「なんつったの!? ねえ!?」

「……さあ、なんにも、なにせ暑いものですから、暑い暑い。ああ暑い」

「2人とも、その辺りで、ね?」

 仲を執り持とうと、見兼ねたシオンが優しく声をかける。

 ワナワナとルイズが震えており、そこへ才人が呟いた。

「なあ、ご主人さまよ?」

「あによ?」

「“タルブ”に、ちょっと行って良い?」

 ルイズは「かうわ」と、切なげに溜息を漏らし、(何回あんたは同じこと聞くのよ)、と全身を撓らせて全力で才人を痛め付け始めた。シエスタが「落ち着いて! ミス・ヴァリエール! 落ち着いてください!」とその背に齧り付く。

 シオンが、「落ち着いて、ルイズ。それじゃあ、提案だけど、先に“タルブの村”へとセイヴァーの“宝具”で行って、その後に“ラ・ヴァリエール”の領地に行きましょう?」と折衷案を口にする。

 そんな風に、いつもと同じような騒ぎやらかし始めた時……。

 バッサバッサと一羽のフクロウが現れた。

「ん?」

 そのフクロウはルイズの肩に止まると、羽でペシペシと彼女の頭を叩いた。

「なによこのフクロウ?」

 フクロウは書簡を咥えている。

 ルイズはそれを取り上げた。それに押された花押に気付き、真顔に戻る。

「なんですか? そのフクロウ?」

 シエスタが覗き込む。

 ルイズは真面目な顔になり、真面目な声で才人に立ち上がるように促した。そして、シオンと俺へと顔を向ける。

「なんだよ?」

 才人の質問に、中を改めて1枚目の紙にルイズは目を通した。

 それからルイズが呟いた。

「帰郷は中止よ」

 

 

 

「中止ってどういうことだよ? シエスタがせっかく誘ってくれたのに……すっごくガッカリしてたぞ」

 ルイズの自室に戻り、帰郷の為に一度纏めていただろう荷物を、ルイズが再び改め始めたのを見て、才人が尋ねた。

 ルイズは才人に、先ほどのフクロウが運んで来た手紙を見せた。

「いや、俺、こっちの文字読めないから」

 ピョコンとルイズはベッドに正座すると、語り出した。

「この前の事件の後……姫さまが落ち込んでたの、知ってるわよね?」

 才人は首肯く。

 そして、シオンはまた一瞬だけではあるが沈鬱な表情を浮かべる。どうやらやはり、まだ完全に吹っ切れたという訳ではないらしい。

 悲しい事件であったのだ。なにせ、死んだアンリエッタの恋人――シオンの実の兄が……敵の手によって蘇させられ、人形のように扱われ、アンリエッタを攫おうとし、また、実の妹であるシオンを殺そうと仕向けられたのだから。

 落ち込むどころの話ではないだろう。

「お可哀そうに……でも、いつまでも悲しみの淵には沈んでいられないようだわ」

「ええ」

「で、どういうこと?」

 才人は理解できていないのだろう、ルイズは手紙に記載されている内容を説明した。

 “アルビオン”は艦隊が再建されるまでマトモな侵攻を諦め、不正規な戦闘を仕掛けて来るだろう事……枢機卿であるマザリーニを筆頭にして、大臣たちはそう予想したらしい事。街中の暴動や反乱を扇動するような、卑怯といえるやり方で“トリステイン”を中から攻める……そんなことをされては堪らないという事。そのような敵の陰謀に怯えたアンリエッタたちは治安の維持を強化することにした事……。

「治安の強化は良いけど、で、お前たちになにをしろって?」

「身分を隠しての情報収集よ。“なにか不穏な活動が行われていないか?”、“平民たちの間では、どんな噂が流れているのか?”」

 才人の質問に、ルイズは簡単に説明をした。

「わ、スパイかよ!?」

「スパイって?」

「いや、そういう情報を集める仕事を、俺たちの世界ではそう言うの。な?」

「ふむ。概ね合っている。まあ、いわゆる工作員や諜報員、密偵、間諜とかだな」

「ふーん……そういうモノなのね」

 才人と俺の説明に、ルイズは不満そうな様子を見せる。

「どうした?」

「だって……地味じゃない。こんなの」

「いや、情報は大事なんじゃねえのか? 情報を軽視したバッカリに昔“日本”は戦争に負けたって、爺ちゃんが言ってた」

「はい?」

 才人が、不満げなルイズをなだめるようにして口を開き、“地球”の歴史の一部を口にした。

 だが、やはりルイズは理解はできていない様子を見せている。

 対して、シオンは目を輝かせている、どうやら興味があるらいしい。この点は、コルベールと似通ったところがあるかもしれない。

「そうさな、俺たちの世界、“地球”ではここ“ハルケギニア”と同様に何度も何度も戦争が起きている」

「そりゃそうよね。人と人、国と国だもの」

 俺が始めた補足説明に、ルイズは相槌を打つ。

「だが、こことは違って、“地球”では過去に2度ほど、全世界を巻き込む規模の戦争が行われたんだ」

「全世界を?」

「それって、“第一次世界大戦”と“第二次世界大戦”だろ?」

「そうだ」

「かつての“第一次世界大戦”では、30以上もの国同士が手を取り合う事や殺し合う事なんてしていたな」

「そんな数の!?」

「ああ。“第二次世界大戦”では、例えだが、“ハルケギニア”の首都をまるごと焦土や更地、不毛な大地へと変えてしまうほどの威力を持つ機械兵器なんてモノも使われたくらいだ」

 そんな俺と才人の説明に、シオンとルイズは開けた口が閉じないといった様子を見せる。

「で、でも、そのちきゅうは、今平和なんだよね?」

「ああ。もちろん、と簡単に断言することはできないが、比較的平和な部類だろうさ」

 俺の言葉に、重苦しい雰囲気が場を支配してしまう。

「さて、話題を戻そうか」

 重い空気にした本人である俺が、パンッと手を打ち、3人へと話を促す。

 アンリエッタからの手紙には、“トリスタニアで宿を見付けて下宿し、身分を隠して花売りなどを行い、“平民”たちの間に流れるありとあらゆる情報を集めるよう”、と指示が書かれている。

 任務に必要とされるだろう経費を払い戻す為の手形もまた、一緒に同封されていた。

「そういう訳で、荷物を纏め直してるの。こんなに服持って行けないし。シオンも急いでね」

 ルイズは鞄1個に軽く纏めた荷物を指さした。

「夏休みだってのに働かされるって訳か……」

 切なさそうに、才人は呟いた。

「ボヤいてないで! ほら、シオンが準備できたらさっさと出発するわよ」

 そんなルイズの言葉で、シオンは自分の部屋へと飛んで行き、軽く準備を始める。

 そんなこんなといった様子で、俺たち4人は“トリスタニア”へと出発した。身分を隠す必要がある為に、馬車は使えない。“学院”にある馬は、“学院”のモノなので使えない。そう、結局のところ、徒歩であるのだ。

 ジリジリと太陽が照り付ける街道を、俺たちは“トリスタニア”目指して歩いている。“トリスタニア”まで、徒歩であれば2日は必要だろうか。

 太陽を恨めしげに見上げ、才人は呟いた。

「くそ……今頃はシエスタの家で冷たい水でも飲んでたっていうのに……」

「ボヤかないの! ほら! 歩く!」

 荷物を全部“使い魔”である才人に持たせたルイズが怒鳴る。

「ほら、これでも飲んで、元気出せ」

「これは水か?」

「そう、スポーツドリンクだ」

 俺は、グテリと倒れそうになっている才人へと飲料水の入ったコップを渡す。もちろんこれは、“専科総般”を駆使して手にした“スキル”を使用して作ったモノだ。

「プハーッ! うめぇええええええッ!? なんだよこれ? これまで飲んだことねえ。すげえ爽やかな気分になるぜ!」

「それはそうだろう」

「わたしにもちょうだい」

「もちろんだとも、さあ」

 ルイズとシオンへも手渡し、彼女ら2人はそれをグビグビと飲む。

 体力が全回復しただろう3人は、元気良く歩き出した。

 

 

 

 

 

 街に到着した俺たちは、、まず債務庁を訪ね、手形を金貨へと換えた。“新金貨”で600枚、400“エキュー”である。

 才人はベルトに結わえられた腰鞄(ポーチ)の中に入った、アンリエッタから貰ったお金を思い出した。“新金貨”が400枚ほど残っているのだ。270“エキュー”といったところだろう。

 才人と俺はまず、仕立て屋に入り、ルイズとシオンの為に地味な服を買い求めた。ルイズは嫌がっているのだが……マントに五芒星では“貴族”と触れ回っているのと同じものである。平民“”に交じっての情報収集なんかは無理である。

 しかし、地味な服を着せられたルイズはやはりというか、不満そうな様子を見せる。

 対して、シオンは不満どころかとても満足そうにしている。いや、親友であるアンリエッタからの頼みにしっかりと応えようと想っているのだろう。

「どうした?」

「足りないわ」

「なにが?」

「この頂いた活動費よ。400“エキュー”じゃ、馬を買ったらなくなっちゃうじゃないの」

 不満そうな様子を見せるルイズに、才人が尋ねる。すると、ルイズはその不満を口にした。

「馬なんかいいだろ。身分を隠してって書いてあったんだろ? つまり“平民”のフリしろってことだろ。歩け。足あんだから」

「“平民”のフリしようがしまいが、馬がなくっちゃ満足な御奉公はできないわ」

「安い馬で良いだろ。妥協しろよ」

「そんな馬じゃ、いざって時に役に立たないじゃないの! 馬具だって必要よ。それに……宿だって変な所には泊まれないわ。このお金じゃ、2ヶ月泊まっただけでなくなっちゃうわ!」

 金貨が600枚も吹っ飛ぶ宿とは、相当に待遇や設備の良い宿なのだろう。そしてそれは、“貴族”御用達の宿である事は間違ないだろう。

「安い宿で良いだろ」

「駄目よ! 安物の部屋じゃ良く眠れないじゃない! ねえ? シオン」

 どうやらルイズは、根本から前提を履き違えてしまっている様子だ。“平民”に交じっての情報収集であるにも関わらず、高級な宿に泊まるつもりの様子なのだから。

 話を振られたシオンは、苦笑いする。

「あのね? ルイズ。これは秘密裏に行う事なのよ。だから、馬は必要ないし、“貴族”御用達の宿に泊まっては元も子もないと思うけど?」

「俺も持ってるから、貸しても良いけど」

 そこで、才人はルイズへと言った。

「……そんでも足りないわ。御奉公にはお金がかかるモノよ」

 ルイズは、シオンの言葉が耳に入っていないのか、それとも御奉公のイメージが凝り固まってしまっている所為か、変わらない様子である。

「じゃあどうすんの?」

「なんとか増やす方法はないものかしら?」

 そんなこんなで金を増やすのをどうするのか、やはり安い宿にしようだの、やいのやいの2人が言い合いながら入った居酒屋で、俺たちは店の一角に設えられた賭博場を見付けた。

 そこでは酔っ払った男や、如何わしい成りの女たちが、チップを取ったり取られたりの一種の戦いを繰り広げている。

 才人はルイズが眉を顰めるのも気にせず、博打に見入った。

「あんた、なに見てるのよ?」

「いや、これで増やすってのは、どう?」

「博打じゃないの! 呆れた!」

「ま、見てろよ。昔ゲームで散々やったんだ」

 そう言って、呆れているルイズとシオンを背に、才人は金貨30枚――20“エキュー”ばかりをチップに換えると、クルクル回る円盤が付いたテーブルへと向かう。

 円盤の円周部分は、赤と黒に色分けされた37個のポケットに分かれ、それぞれに数字が振られている。

 その円盤の中を小さな鉄球が回る。そして、円盤の周りには目の色を変えた男女がその様子を喰いいるように見詰めている。

 そう。ルーレットだ。

 才人は張っている客たちを眺めた。そして、まずは運試しである、といった風に、勝ってる客と同様に、赤に10“エキュー”ほどのチップを張ってみた。

 球は、見事に赤のポケットに入り込んだ。

「ほら見ろ。増えた! 俺偉い!」

 才人は割とケチな部類に入るのか、慎重なのかチビチビと張り、30“エキュー”ほどチップを増やしてみせた。

「ほら見ろ! 任務遂行の金が増えたぞ! いやぁ、文句ばっかり言ってる誰かさんとは大違いじゃないですか」

 胸を反らして才人はそう言った。

 そして、ルイズの目がキラリと光った。

「わたしに貸してごらんなさい」

「やめとけ。お前じゃ無理だよ」

「なによ。“使い魔”が勝てるなら、主人がやればその10倍勝つわ」

 ルイズは才人が勝った分、そっくり黒に置いた。がしかし……外した。才人が増やした分が一瞬で溶けてしまったのだ。

「なにしてんだよ!? お前は!? せっかく俺が増やしたのに!」

「う、うっさいわね」

「まったく……お前、いっつも威張ってる割には、まともに金増やすこと1つできないんだから。少しはシエスタでも見倣って、料理の1つでも覚えろ。そんでレストランでコックのバイトでもしろ。稼ぐってな、そういう事だ」

 そんな才人の言葉が、俺の胸に深く突き刺さった。

 そして、“シエスタを見倣って”、というその言葉が、ルイズの何かに火を点けてしまった。

「み、み、見てなさいよ。誰が負けるもんですか」

「ルイズ?」

 その様子に、才人とシオンは震えた。

 

 

 

 30分後……。

 ルイズはガックリと肩を落とし、恨めしげに盤面を見詰めた。彼女が先ほど置いたチップが、バンカーの手でゴッソリと消えて行く。ブロンドの美少女はしばらくシットリと肩を落としていたが、やおら昂然と頭を上げ、眼の前のチップを洗い浚い盤面の一点に置こうとした。

 そんなルイズの肩を後ろから見ていた才人が掴む。

「ルイズ」

「あによ?」

 思いっ切り不機嫌な声で、ルイズが返答する。

 才人はキッパリと言った。

「もうやめろ」

「次は勝つわ。絶対勝つ」

「お前、そのセリフ何回言ったと思ってるんだよ!?」

 才人の絶叫が響き渡る。

 チップを張ろうとしていた客たちが振り向いて苦笑を浮かべる。博打場では日常茶飯事の光景なのだから。

「お前、一片も勝ってねえじゃんかよ!」

 才人はルイズの鼻先に、指を突き立てた。

「そうだよ。ルイズ、ここが退き時だよ?」

 ここまで博打をしてはいけない人を、才人とシオンは初めて見たという様子だ。

 ルイズは既に400“エキュー”……任務に必要な経費をほとんど擦ってしまっているのだ。ルイズに残されたチップは、換金したら、もう30“エキュー”ほどにしかならない。これを失ったら文無しになってしまうのだ。

「だいじょうぶ。次はわたしが編み出した必勝法、炸裂するから」

「言ってみろ」

「今までわたしってば、赤と黒、どっちかに賭けてたわよね?」

「ああ。15回連続で赤黒外すなんて、お前死んだ方が良いぞ」

「っさいわね。いいこと? それじゃ勝っても倍よ。どゆこと?」

「普通そうだろ」

「でね、わたし気付いたの。赤か黒か、当ててもしょせん2倍。でもね……」

「でも、なんだよ?」

 ルイズとのやり取りをしていた才人、それを聞いていたシオンは震え出した。ルイズのその様子は、何かに取り憑かれでもしたかのようだったのだから。

「数字を当てれば、35倍よ。今までの負けを取り返して、お釣りが来るじゃない。なぁんだ、最初からこうすれば良かった!」

 ルイズは大きく首肯いた。

 無言で才人はルイズの腕を掴んで引っ張る。

「なにすんのよ!?」

「当たる確率は37分の1だっつの!」

「それがどうしたのよ!? わたしってば、15回負けたわ。どう考えても次は勝つわ。じゃないと可怪しいモノ。どうせ勝つなら、大きく勝った方が好いじゃないのよ!」

 ルイズの鳶色の瞳がギラギラと光っている。

 才人は、株で失敗して夜逃げした叔父がしていた目を思い出した。そんな才人と、その叔父が最後に出会ったある日、その叔父は「ガチで上がる」と言っていた株が、見事に暴落したのだ。

 そして、俺はソシャゲで借金までしてガチャを回し続ける者たちのことを思い出した。

「落ち着け。そのチップを換金して、その金で泊まれるとこ探そ? な?」

「そうだよ、ルイズ。これ以上は」

「嫌よ。負けたまま引き下がったら、ラ・ヴァリエールの名が泣くわ」

「んなもん泣かせとけ!」

 そう叫んだ瞬間、才人は順当にルイズによって股間を蹴り上げられ、床に転がる。

「ほぁああああああ……お、お前は俺の切ない場所に恨みでもあんのかよ……?」

 邪魔な“使い魔”である才人を排除したルイズは、再びルーレットの盤面に向き直る。折しも、シューターがホイールに球を放り込んだところであった。まだベットは間に合うだろうタイミングだ。ルイズは先ほど頭に浮かんだ数字の場所に、残りのチップを余さず置いた。そして、回転するホイールと球を、これ以上ないほどに真剣な目で睨み付ける。

 カラコロと音を立て、運命の球はポケットに入った。

 ルイズの表情が一瞬希望に輝き、瞬間絶望に取って代わる。そこは、ルイズが賭けた数字の隣であったのだから。

 痛む股間を擦りながら、才人は立ち上がろり、ルイズを引っ張る。

「行くぞ」

「あに言ってるの?」

「へ?」

「お隣さんのポケットよ。次は我が家へご訪問よ」

「もう賭ける金がねえだろが!」

「あんたのポッケに入ってるお金が手付かずじゃない」

「馬鹿! これは俺の金!」

 才人が腰鞄(ポーチ)を押さえた。これを賭けで使う訳にはいかないのである。そうすると、才人まで文無しになってしまうからして。

「あのね? “使い魔”のモノは、主人のモノ。決まってるの」

「ざっけんな!」

 しかし、シエスタと比べられたことで、脳髄の奥まで博打の熱でチリチリに焼かれたルイズの耳には届かない。電光石火の早業で、才人の股間を蹴り上げようとした。

 しかし、才人もさる者。ガッチリ両脚を閉じてガードをしたのだ。そして、振り上げられたルイズの足首を掴む。

「2度も蹴られるかっつの!」

 ルイズが冷たい声で呟く。

「“ヴァスラ”」

 才人の身体を包んでいる“魔法”の拘束具が電流を流す。

 激しく痙攣しながら、才人は再び床に転がった。

「……そっかぁ、これまだ着けられてたんだっけ」

 弱々しく呟きながら、(嗚呼、俺が賭博場なんかに興味を持たなきゃ、こんなことには……)と才人は己の好奇心を恨んだ。

 ルイズは才人の腰鞄(ポーチ)の中を探り、残さず金貨を巻き上げると、そっくりそれをチップに換えた。

 才人は少しホッとした。(いくら博打の才能ゼロのルイズでも、才人の身体の痺れが取れるまでにそれだけのチップを全部擦ってしまうなんてことはないな。痺れが治まったら、ルイズの口を押さえ、有無を言わさずここから出よう)と、そう決心した。

「一点賭けは駄目ね。基本に戻るわ」

「そうだ……赤黒。チマチマと赤黒。せめてそうしてくれ……」

「忠実な“使い魔”に敬意を表して、その髪と目の色に賭けるわ」

「黒?」

 ルイズは「そうよ」と首肯いて、チップを黒に張った。

 全額……270“エキュー”のチップ、全額である。

 才人は漏らしそうになった。

「や! め! て!」

 ルイズは才人にニッコリと微笑んだ。

「馬鹿ねえ。払い戻しが2倍でも金額が金額よ? 勝ったら、今までの負けを取り返してお釣りが来るじゃない。しかも、たった1回。1回勝つだけでよ」

「お! ね! が! い!」

「最初からこうすれば良かったわ」

 嗚呼無情。

 残酷なことに、シューターがルーレットを回転させた。主人と“使い魔”の大きな運命を乗せて、小さな球が回り始めたのだ。

 カララララ……と乾いた音を立てて、球がホイールの上を回る。回転は徐々に勢いを失い、運命を振り分けるべく、入るべきポケットを目指した。

 ルイズが大金を黒に賭けた為、周りの客は赤に張った。黒はルイズだけである。

 赤に入って、跳ねて、今度は黒に入って、跳ねて……ルイズは熱に浮かされたような口調で呟く。

「わたしは伝説よ。こんなとこで、ねえ、負けるもんですか」

 そして球は、1つのポケットに入り……止まった。

 ルイズは思わず目を閉じる。

 辺りから、悲しみの溜息が漏れた。

「……え?」

 ルイズ以外は赤に張っている。その連中の溜息。

「やっぱわたしは“虚無(ゼロ)”の担い手よ!」

 絶叫して、ルイズはパッチリと目を開く。直後、あんぐりと口を開いた。

 球は……黒でも赤でもない、1個だけ設けられた縁のポケットに入っていたのだ。親の総取りのそのポケットには……ルイズを祝福するように“0”の数字が光っていた。

 

 

 

 才人とルイズ、シオン達は、暮れ行く街の中央広場の片隅にぼんやりと座り込み、俺は3人の側で静かに立っていた。

 ごぉんごぉんと、“サン・レミの聖堂”が夕方6時の鐘を打つ。

 シオン、ルイズ、才人の3人はお腹が空いて疲れているのだろうが、俺たちにはどこにも行く宛がない。あるはずもない。。

 ルイズは才人が先ほど買ってやった、地味めな造りのブラウンのワンピースを身に着けている。足には粗末な木の靴。

 シオンも同様に、ルイズとほぼお揃いだといえる服装をしている。

 マントと“杖”は、才人が持っている鞄に入れて貰っている。

 格好だけ見ると、どこぞの田舎娘のようであったが、やたらと高貴な顔の造りと、ルイズの桃色がかったブロンド、シオンの黄金色をしたそれぞれの髪のおかげだろうか、お芝居の中の貧乏っ娘のようにチグハグな印象を与えて来る。

 才人はいつもの格好だったが、街中を抜き身の段平提げて歩く訳にもいかないので、デルフリンガーを布でぐるぐる巻き、背中に背負っている。

 俺はというと、俺が普段着ている服は、“魔力”で編んだモノである為、それを少しばかり弄ることで田舎から上京して来た青年といった風に見えるように変装している。

 ぼそりと、ルイズがやっとのことの大変さに気付いたような口調で呟いた。

「ど、どうしよう?」

 才人はジロッとルイズを睨むと、「もう2度と、お前に金は持たせねえからな」と言った。

「う~~~~」

 膝を抱えて、ルイズが悲しげに唸る。

「で、どーすんだ? 金。宿を借りることもできなきゃ、飯も食えねえ。任務どーすんすか? お偉いお偉い陛下直属の女官さま。しがない“使い魔”にご教授くださいよ、ねえ?」

 厭味たっぷりに才人は言った。自分の金まで使われたのだから、「いつかきっちり弁償して貰う」といった様子を見せている。

「今、考えてる」

 ムッとした顔で、ルイズが言った。

「俺は別に野宿でも構わんよ。俺の“宝具”を使用すれば、解決するだろうし」

「でも、かなりの“魔力”を消費するでしょ?」

「そうだな。まあ、別に問題はないがな」

 俺はこの先の展開のことを識りながら、悲嘆に暮れた様子を見せてみた。それから、才人とルイズに対して、俺は提案をする。が、シオンのその確認の言葉で、やはり却下される形になった。

(こんなことなら、“黄金律”と“コレクター”を獲得しておくべきだったか……? いや、どうせ直ぐに解決するんだから、必要ないか)

「大人しく姫さまに頭下げてまた金貰おうぜ」

「無理よ。姫さまはご自分だけの裁量で、わたし達に秘密の任務をお預けになってるの。お金だって、大臣たちを通さない、姫さまのご事由になる分しか使えないはずだわ。たぶん、あれで精一杯」

「その金を、お前は30分で擦ったんだっての。なに考えてんの?」

「だって、400“エキュー”じゃ満足行く御奉公ができないじゃない!」

「お前が贅沢ばっか言うからだろ!」

「必要なんだもの!」

「とにかく、じゃああれだ。実家に連絡しろ。ええおい、公爵さま」

「無理よ。お忍びの任務なのよ。家族にだって話せないわ」

 ルイズは膝を抱えて、その上に顎を乗せた。

 やはりルイズは、世間知らずのお嬢さまであるといえるだろう。いや、“貴族”の娘であるからこそ、仕方がないといえる。異世界である“地球”から来た才人の方が駆け引きが上手な事に、やはり“原作”を知っていながらも、すこしばかり驚きと称賛を覚えた。

 対するシオンの方が、可怪しいのかもしれない。“王族”であるにも関わらず、まったく文句の1つも言わず、それどころかルイズをたしなめたり、止めようとしたりするのだから。

 ボヤッと広場の噴水なんかを眺めていたが……。

 路行く人々が、ほほう、と感心したようにシオンとルイズを見詰めていることに気付いた。

 どうやら彼女らの可憐さや高貴さなどが目を惹いている様子だ。それが村娘みたいな格好で膝を抱えているのだから尚更であろう。どこぞのお芝居小屋から逃げ出してきたのだろう、といった風な目で人々はチラチラとこちらを盗み見して来ている。

 才人は閃いたのだろう、スッと立ち上がり、両手を広げた。

 シオンとルイズはキョトンとしている。

「どうしたの?」

 ルイズの言葉を無視して、才人は路行く人々に向かって口上を述べた。

「えー、紳士淑女の皆さん」

 なんだなんだ、と路行く人々が立ち止まる。

「えー、ここな娘は、サーカスから逃げ出して来た狼少女」

「はい?」

「なにせ狼に育てられたものですから、吠えるわ鳴くわ、大変です。しかし、1番すごいのは、首まで足で掻くところ! さてお立ち会い! 今から首を足で掻きます!」

 才人はルイズに、小さく呟いた。

「じゃ、足で首掻いて。ほら」

 才人が顎をしゃくった。

 その顔にルイズの足の裏が激突する。

 才人は地面に転がった。

「あに考えてるのよ!? わわ、わたし達に獣の真似しろですっってぇ!?」

 才人も立ち上がるとルイズの腕を引っ掴んで怒鳴り付ける。

「芸でもしなきゃしょうがねえだろ! 他に稼ぐ方法あんのか!? ああん!?」

 ルイズは髪を振り乱し、才人と取っ組み合いを開始してしまった。

 それを見て、シオンはオロオロとし、客たちは「確かに狼少女だ」と妙な納得をした様子を見せる。

 がしかし、ただの取っ組み合いをしているだけであるということもあって直ぐに飽きられ、客たちは去って行き始める。

 一文にもならない結果を迎え、才人はグッタリと力が抜けたかのように地面に横たわり、ルイズも疲れからだろう体力を失ってその背に座り込み、シオンは元いた噴水の近くへと座り込む。

「お腹空いた……」

「俺もだ……」

「そうだね……」

 そんな風に座り込む3人、そして俺へと1人の街人が銅貨を投げ、チャリーンと音が鳴った。

 才人が飛び付いて拾い上げ、ルイズが憤った声で立ち上がる。

「誰!? 出て来なさいよ!」

 すると人混みの中から、奇妙な成りの男が現れた。

「あら……物乞いだと思ったんだけれど……」

 妙な女言葉だった。

 それで俺は、察してしまった。いや、ようやくか、とも思った。

「はぁ? あんたそこに直りなさい! わたしはねえ! 恐れ多くも公爵家――」

 そこまで言おうとした時、才人が立ち上がり、ルイズの口を塞ぎ、事なきを得た。

 だが、しっかりと聞こえていたのだろう、妙な女言葉を口にする男は怪訝そうな表情を浮かべる。

「こーしゃくけ?」

「な、なんでもないです! はい! こいつちょっと脳がアレで、はい」

 ムゴゴゴ、とルイズは暴れたが、才人は構わずに押さえ付ける。これ以上目立つとお忍びどころではないからだ。

 男は興味深そうに、才人とルイズ、そしてシオンと俺を見詰めて来ている。

 男は、随分と派手な格好をしている。ギーシュも格好は派手だが、ベクトルが違うといえるだろう。黒髪をオイルで撫で付け、ピカピカに輝かせ、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツからモジャモジャした胸毛を覗かせている。鼻の下と見事に割れた顎に、小粋な髭を生やしている。強い香水の香が、俺たちの鼻を突く。

「じゃあ、なんで地面に寝てるの?」

「いやぁ、行くとこも食うモノもなくって……」

「でも物乞いじゃないわ」

 ルイズがキッパリと言った。

 男は興味深そうにルイズの顔を見詰めた。

「そう。なら、家に入らっしゃい。わたしの名前はスカロン。宿を営んでいるの。お部屋を提供するわ」

 ニコッと微笑んで、男――スカロンが言った。

 妙な格好をし口調もどこかズレてはいるのだが、とても親切な人物である。それはもちろん、記憶と知識から既に識っているのだが。

 才人の顔が輝いた。

「ほんとですかー?」

「ええ。でも、条件が1つだけ」

「なんなりと」

「1階でお店も経営してるの。そのお店を、そこの娘さんたちが手伝う。これが条件。宜しくて?」

 ルイズが渋った顔をしているが、才人に睨まれ、大人しく首肯く。

 シオンは特にそういった様子を見せることもなく、ただ、スカロンの言葉に了承し、首肯いた。

「トレビアン」

 スカロンは両手を組んで頬に寄せ、唇を細めてニンマリと笑った。いわゆる“地球”でいうところのオカマじみた言動を取っているのだ。

「じゃ決まり。着いてらっしゃい」

 リズムを取るように、クイックイッと腰を動かしながらスカロンは歩き出した。

 才人は気乗りしなさそうなルイズの手を握って、後に続く。シオンと俺もまた、3人の後に続いた。

「なんか嫌だわ。あいつ変」

 才人は怒りに燃えた目で、ルイズの顔を覗き込んだ。

「お前、選り好み出来る立場だと思ってんのか?」

 

 

 

 

 

「良いこと!? 妖精さんたち!」

 スカロンが、腰をキュッとひねって店内を見回した。

「はい! スカロン店長!」

 色取り取りの派手な衣装に身を包んだ女の子たちが、一斉に唱和した。

「違うでしょおおおおお!」

 スカロンは腰を激しく左右に振りながら、女の子たちの唱和を否定した。

「店内では、“ミ・マドモワゼル”と呼びなさいって言ってるでしょお!」

「はい!  ミ・マドモワゼル!」

「トレビアン」

 腰をカクカクと振りながら、スカロンは嬉しそうに身震いをした。

 自分たちを連れて来た中年男性のその様子を目にした才人は、嘔吐感を覚えているような様子を見せる。

 しかし店の女の子たちは慣れっこなのだろう、表情1つ変えないでいる。

「さて、まずはミ・マドモワゼルから悲しいお知らせ。この“魅惑の妖精亭”は、最近売上が落ちてます。ご存知の通り、最近東方から輸入され始めた“御茶”を出す“カッフェ”なる下賤な御店の一群が、わたし達のお客を奪いつつあるの……グスン……」

「泣かないで!  ミ・マドモワゼル!」

「そうね! “御茶”なんぞに負けたら、“魅惑の妖精”の文字が泣いちゃうわ!」

「はい!  ミ・マドモワゼル!」

 スカロンはテーブルの上に飛び乗り、激しくポージングを取った。

「魅惑の妖精たちのお約束! ア~~~ンッ!」

「ニコニコ笑顔のご接待!」

「魅惑の妖精たちのお約束! ドゥア~~~ッ!」

「ピカピカ店内清潔に!」

「魅惑の妖精たちのお約束! トロワア~~~ッ!」

「ドサドサチップをもらうべし!」

「トレビアン」

 満足した様子で、スカロンは微笑んだ。それから、腰をクネラせてポーズを取る。

「さて、妖精さんたちに素敵お知らせ。今日はなんと新しいお仲間が出来ます」

 女の子たちが拍手した。

「じゃ、紹介するわね! ルイズちゃん! シオンちゃん! 入らっしゃい!」

 拍手に包まれ、羞恥と怒りで顔を真っ赤にさせたルイズ、そして歓迎されていることに対して嬉しいといった様子の笑顔を浮かべるシオンが姿を女の子たちの前へと現した。

 才人は、う! と息を呑んだ。

 ルイズは店の髪結師に、桃色がかったブロンドを結われ、横に髪を小さな三つ編みにしているのだ。そして際どく短い、ホワイトのキャミソールに身を包んでいる。上着はコルセットのように身体に密着をし、その身体のラインを浮かび上がらせている。背中はザックリと開いて、熟し切らない色気を放っている。なんとも可憐な妖精のような、その姿であった。

 シオンも、また文字通り妖精だといえる格好をしている。赤と黒の一風変わったメイド服のようなモノ、それを弄った服を着ており、同色の赤をしたブリムを着けている。他の女の子たちとも違う服であることから、かなり異色を放ち、目立っている。

「ルイズちゃんは、お父さんの博打の借金のかたにサーカスに売り飛ばされそうになったんだけど、間一髪お兄ちゃんと逃げて来たの。シオンちゃんは、ルイズちゃんの従姉妹で、同様に両親にルイズちゃんの叔父さんに預けられていたところを」

 と、スカロンが俺達の事を簡単に説明して行く。

 同情の溜息が漏れる。それはみちすがら、才人と俺がでっち上げた嘘である。苦し紛れに、才人はルイズの兄だと、俺はシオンの兄だと、ルイズとシオン、俺と才人の4人は従兄弟であるという設定にして説明したのだ。

 どう見ても、そうは見えないだろう俺たちの容姿ではあるのだが、スカロンは其辺の事には余り拘らない人物だ。いや、察し、理解してくれているのだろう。

「ルイズちゃん、シオンちゃん。じゃ、お仲間になる妖精さんたちにご挨拶して」

 ワナワナとルイズは震えている。怒っているのだ。激しく。強く。プライドの高い“貴族”のルイズが、あんな格好をさせられて、“平民”に頭を下げろと言われているのだから。

 才人は、(たぶん、今にも暴れ出して、“エクスプロージョン”でも連発するんじゃないだろうな?)と思い、恐怖を覚えている様子を見せている。

 しかし……任務を果たさなくては、という責任感がルイズの怒りを抑えていた。

 考えて見れば、酒場という場所は噂が特に集まりやすい。情報収集には打って付けなのだから。これも任務、と自分に言い聞かせ、引き攣った笑顔を浮かべると、ルイズは一礼した。

「ルルル、ルイズです。よよよ、よろしくおねがいなのです」

「シオンです。よろしくお願いします」

 シオンはニコヤカな笑みを浮かべ、恭しく綺麗な気品ある動作で一礼をした。この少女、意外とノリノリである。

「はい拍手!」

 スカロンが促す。

 一段と大きな拍手が店内に響く。

 スカロンは壁にかけられた大きな時計を見詰めた。どうやら、いよいよ開店の時間らしい。

 スカロンは指をパチンと弾いた。

 その音に反応して、店の隅に設えられた“魔法”細工の印形たちが、派手な音楽を演奏し始めた。行進曲のリズムである。

 スカロンは興奮した声で捲し立てた。

「さあ! 開店よ!」

 バタン! と羽扉が開き、待ち兼ねていた客たちがドッと店内に雪崩れ込んで来た。

 

 

 

 俺たちがやって来たここ“魅惑の妖精亭”は一見ただの居酒屋だが、可愛い女の子たちが際どい格好で飲み物を運んでくれるということもあって人気のお店である。

 スカロンはルイズとシオンの美貌と可憐さに目を付け、給仕として連れ込んで来たのであった。

 店の刺繍の入ったエプロンを手渡された俺と才人は、皿洗いの仕事を与えられた。俺たち2人も宿を提供してもらう以上、働く必要がある。働かざる者食うべからずというやつだ。

 店は繁盛していることもあり、山のように食器が運ばれて来る。

 皿洗いは異世界である“ハルケギニア”であろうがどこだろうが、新入りの仕事であるようだ。誰も手伝ってくれないのだ。

 才人は、コツが掴めていないのだろう必死に皿と格闘している。しかし、物事には限界というモノがある。そのうちに疲れて手が動かなくなった。しかし、グッタリしていても洗うべき皿はなくならない。むしろ、ドンドン積まれて行く。

 俺は、才人が洗うべき分の皿も、少しずつ手に取り、洗う。俺は“サーヴァント”であり、“特典”として所有する“専科総般”のおかげもあって、即座にコツを掴み、流れるように皿洗いを行うことができていた。

 呆けッとそんな皿の山を見詰める才人だが、流し場の前でグッタリとしてしまっている。

 そんな俺たちの元へと、派手な格好の女の子が近付いて来る。長い、ストレートの黒髪の持ち主の可愛らしい女の子である。太い眉が、活発な雰囲気を漂わせ、感じさせて来る。年の頃は才人と余り変わらないように見える。胸元の開いた緑のワンピース、胸の谷間が目に飛び込んで来て才人は急激に目が覚めたような様子を見せる。

「ちょっと!お皿がないじゃないのよ!」

 腕を腰にやって、才人と俺を怒鳴り付ける。

「す、すいませんっ! ただいま!」

「申し訳ない。これが先ほど洗い終わった分の皿だ」

 可愛らしい女の子に命令されることに慣れ切ってしまっている才人は、跳び上がって反射的に皿を洗い始めた。

 その慣れない手付きを目にし、黒髪の女の子が首を傾げる。

「貸してごらん」

 そう言って才人の手から皿洗い用の布を取り上げると、ゴシゴシと手慣れた調子で洗い始めた。無駄のない、スムーズな動きで、ドンドン皿を片付けて行く。

 才人は、そんな彼女の様子を驚いた様子で見詰めている。

「片面ずつ磨いていたら時間がかかるでしょ? こうやって布で両面を挟むようにして、グイグイ磨くのよ。あんたもあんたよ。できるんなら、教えてやりなさいよ」

「面目ない」

 才人は素直に賞賛の念を抱いたのだろう、「すごい」と言った。

 いかにも感心した様子を見せたこともあって、女の子は微笑んだ。

「あったしー、ジェシカ。あんたたち、新入りの娘たちのお兄さん達なんでしょ? 名前は?」

「才人。平賀才人」

「セイヴァーだ」

「ヘンな名前」

「ほっとけ」

 才人は黒髪の女の子の反応に、唇を尖らせた。

 才人はジェシカと並んで、俺と彼女を挟むようにして、3人で皿を洗い始めた。

 ジェイカはキョロキョロと辺を見渡すと、小さな声で俺たちへと呟いた。

「ねえねえ、彼女たちと兄妹って嘘でしょ?」

「いや、正真正銘、兄、妹、なんだけど」

 ぎこちない声で才人は言った。

「髪の色も、目の色も、顔の形も、まったく違うじゃない。信じる人なんていないわよ」

 才人は言葉に詰まった。

「なに、義理の兄妹、腹違いというだけだ。いろいろあるからな」

 俺のフォローに、ジェシカは訝しみながらも首肯き、口を開いた。

「そっか。でも、別に良いんだよ。ここにいるる娘は皆訳ありだから。他人の過去を詮索する奴なんかいないよ。安心して」

「そ、そっか……」

 才人はジェシカの言葉に、首肯く。

 ジェシカはグイッと才人と俺の目をそれぞれ見比べるように、覗き込んだ。

「ねえねえ、でもあたしにだけ、コッソリ教えて? ホントはどういう関係なの? どっから来たの?」

 ジェシカは才人やシオンのように好奇心の塊であるらしい。彼女は、ワクワクとした表情を浮かべ、俺たちを見詰めて来る。

 才人は、ジェシカの派手な衣装を眺め、(給仕の妖精さんの1人か……)、と思うと同時に、余計な詮索が煩わしいといった様子で、「あっち行け」というように手を振った。

「こんなとこで油売って良いのかよ? 君には君の仕事があるだろ? ちゃんとワインやらエール酒やら運んで来い。スカロン店長に怒られるぞ」

「良いのよあたしは」

「なんで?」

「スカロンの娘だもん」

 才人は、驚きから皿を落っことしてしまう。ガチャーン、と音を立て、皿は粉々になってしまった。

「あー!? なに割ってるのよ! お給料から差っ引くからね!」

「娘?」

「そうよ」

 スカロンからこんな可愛らしい娘が生まれたということを聞いて、才人は(遺伝子なにやってんの?)と思っているような表情を浮かべる。

「ほら! お喋りだけじゃなくって手を動かす! お店が忙しくなるのはこれからだからね!」

 

 

 

 才人もひーこら苦労していたが、ルイズにはもっと激しい受難が待っていた。

「……ご注文の品、お持ちしました」

 引き攣った笑顔を、必死に浮かべ……ルイズはワインの瓶と陶器のグラスをテーブルに置いた。

 ルイズの目の前では、下卑た笑みを浮かべた男が、ニヤニヤとルイズを見ている。

「姉ちゃん。じゃ、注げよ」

 ルイズの頭の中で、(“平民”に“平民”に“平民”に酌? “貴族”のわたしが? “貴族”のわたしが? “貴族”のわたしが?)といった彼女にとって屈辱的といえる想いがグルグルと回る。

「あん? どうした? 良いから注げって言ってんだろ?」

 ぶは! とルイズは息を吐き、気持ちを落ち着かせた。「これは任務。これは任務。“平民”に化けて情報収集。じょうほうしゅうしゅう……」と呪文のように口の中でブツブツと呟き、なんとかして笑顔を作り浮かべる。

「で、ではお注ぎさせて頂きますわ」

「ふん……」

 ルイズは瓶を持ち、男のグラスにゆっくりと注ぎ始めた。がしかし……怒りで震えていることもあって、狙いが外れ、ワインが溢れて男のシャツにかかってしまう。

「うわ!? 零しやがった!」

「す、すいませ……ん」

「すいませんで済むか!」

 それから男はジロジロとルイズを見詰めた。

「お前……胸はねえけど割りと別嬪だな」

 ルイズの顔から、さあーっと血の気が引いた。

「気に入った。じゃ、ワインを口移しで飲ませて貰おうかな! それで赦してやるよ! がっはっは!」

 ルイズはワインの瓶を持ち上げると、思いっ切り口に含み、中身を男の顔に吹きかける。

「なにすんだ!? このガキ!」

 ドン! とルイズは片足をテーブルの上に乗せ、座った男を見下ろした。

「え?」

 一瞬、ルイズから放たれる迫力に対して男はたじろいだ。

「げげげ、下郎。あああ、あんたわたしを誰だと思ってんの?」

「は、はい?」

「おおお、恐れ多くも、こここ……こうしゃ……」

 公爵家、と言おうとしたその瞬間、ドン! と後ろからルイズは跳ね飛ばされた。

「ご~~~めんなさぁ~~~~~~い!」

 スカロンであった。

 スカロンは、男の隣にドッカと腰かけると、手に持った布巾で男のシャツを拭き始めた。

「な、なんだよオカマ野郎……てめえに用は……」

「いけない! ワインで濡れちゃたわね! ほらルイズちゃん! 新しいワインをお持ちして! その間、ミ・マドモワゼルがお相手を務めちゃいま~~~~~す!」

 スカロンは男にしなだれかかる。

 男は泣きそうな顔になったが、スカロンの怪力に締め付けられて、動けないでいる。

 は、はいっ! と我に返ったルイズは、厨房にすっ飛んで行った。

 

 

 

 一方、こちらはシオン。

 シオンは赤と黒のドレス、いや、ゴシックじみた服を妖精風にアレンジしたモノを着用し、店に来た客の相手をしていた。

「見ない顔だね、お嬢ちゃん。新入りかい?」

「ええ、お客さま。わたし、今日からここで働き始めることになりました、シオンといいます。以後お見知り置き頂ければ、と思いますわ」

「そうかいそうかい。じゃ、早速だけど、注いで貰おうかな」

「畏まりました」

 他の妖精さんたちが媚を売る中、ルイズが怒りに震え客に粗相をしてしまっている中、シオンはできる限り丁寧な言動を選択し、自分に宛行われた客と対峙し、相手をしている。

 ユックリと、テーブルの上に置かれたコップへとワインを注いで行く。

「嬢ちゃん、いや、シオンちゃんも座りなよ。ほら」

 そう言って、客である男は、少しばかり詰め、シオンを席に座るように促した。

「宜しいので?」

「構わんさ。一緒に呑もうじゃないか。いや、口移しでもして貰おうかな?」

 今仕方、別の場所でルイズがやらかしてしまったのを目撃しただろう男は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、シオンを挑発する。

「申し訳ございません。口移しの方は少し……」

「そりゃあ、残念」

 そう言って、男は肩を竦めた。

「では、失礼いたします」

 シオンは、ユックリと男の隣へと座る。

 その上品な仕草に、客はシオンの一挙一投足に釘付けになった。

 テーブルの上には、もう1つコップが置かれている。

 それへ、シオンは自分の分のワインを注ぎ、客である男と向き合った。

 そして、互いにコップを軽く打つけ乾杯し、呑み、シオンは情報収集を開始した。

 

 

 

「えー、では、お疲れさま!」

 店が閉店したのは、空が白み始めた朝方であった。

 ルイズと才人の2人はフラフラした様子で立っている。眠くて疲れて死にそうだといった様子である。慣れない仕事だということもあり、2人ともグダグダになってしまっているのだ。

「皆、一生懸命働いてくれたわね。今月は色を着けといたわ」

 歓声が上がり、店で働く女の子や厨房のコックたちに、スカロンは給金を配り始めた。どうやら今日は給金日らしい。

「はい、ルイズちゃん、サイト君」

 わたし達にも貰えるの!? といった風に2人の顔が一瞬輝いた。がしかし……そこに入っていたのは1枚の紙切れだった。

「なんですか、これ?」

 才人が尋ねる。

 スカロンの顔から笑みが消えた

「請求書よ。サイト君、何枚お皿割ったの? ルイズちゃん、何人のお客さんを怒らせたの?」

 ルイズと才人は顔を見合わせ、溜息を吐いた。

「良いのよ。初めては誰でも失敗するわ。これから一生懸命働いて返してね!」

 

 

 

 そして……2人の溜息はそれだけでは収まらなかった。

 ルイズと才人に与えられた部屋は、2階の客室のドアが並んだ廊下の突き当りの……梯を使って登がる屋根裏部屋であった。

 どう見ても人が暮らす為の部屋ではない。埃っぽくて薄暗いそこは物置として使われているようだ。壊れたタンス、椅子、そして酒瓶の入った木製のケース、樽……雑多にモノが積み上げられている。粗末な木のベッドが1個、置いてある。

 ルイズが座ると、足が折れて、ドスンと傾いてしまった。

「なによこれ!?」

「ベッドだろ」

 蜘蛛の巣を払いながら、才人は小さな窓を開けた。すると、この屋根裏部屋の先住民らしいコウモリたちがキィキィ鳴きながら飛び込んで来て、梁にぶら下がった。

「なによそれ!?」

「同居人だろ」

 才人は動じてないといった声で言った。

 ルイズは、「“貴族”のわたしをこんなとこに寝させる気!?」と怒鳴った。

 才人は無言でベッドの上の毛布を取り上げ、埃を払う。そして、その毛布を引っ被り、ベッドへと横になった。

「ほら寝るぞ。スカロンさんが言ってたろ。俺は昼には起きて、お店の仕込み。お前は、お店の掃除」

「なんであんたは順応してんのよ!?」

「誰かさんの扱いと大して変わんね」

 才人はそう言うと、疲れていたのだろう直ぐに寝息を立て始めた。

 ルイズは、う~~~~、とか、む~~~~~、など唸っていたが、そのうちに諦めたのか才人の隣に潜り込んだ。ゴソゴソと動いて、才人の腕に頭を乗せる。

 環境は最悪だといえるだろう。

 だが、ルイズにとって、1つだけ嬉しいことがあった。ここにはあのメイド――シエスタがいないということである。

「まったく、この、馬鹿“使い魔”の、どこが好いのか、知んないけど! 才人を好いてるメイドがいないのは素直に喜ばしいわ。わたしはー、別に、こんなのー、好きじゃないんだけど……」

 などと呟きながら、ルイズは少し幸せな気分で才人の腕に頬を擦り寄せて目を瞑った。頬を染め、「どうせならこの夏季休暇の間は優しく扱ってもらうんだから」とも呟いた。ルイズは、(それと……街の噂とやらを逐一拾って姫さまに報告しなきゃね。忙しいことになりそうだわ)と思った。

 隣から、才人の寝息が聞こえて来る。

 ルイズは、それを聞きながら、(それにしても、やっぱりシオンはすごいなぁ。直ぐに順応したし、あんな客たちとも上手くできてるし……あの娘は、昔からそうだったわね……大抵のことは卒なく熟して……)と思い出す。

 そして、そんなことを考えながら、ルイズはユックリと微睡みの中へと落ちて行った。

 

 

 

 同時刻。

 シオンと俺に宛行われた部屋は、客用の部屋であった。

「ホントに良いのですか? ルイズと才人と交代しても良いんだけど……」

「駄目よ。働きに応じた報酬みたいなモノ、と思ってちょうだい」

 そう、シオンの言葉に答えたスカロンは、背を向ける。

「それじゃあ、お昼にね。お休みなさい」

 と、スカロンはそう言って、離れて行った。

 シオンと俺は部屋の中を見渡す。

 そこは、ごく平凡とでもいえるだろう部屋だった。シンプルに、ベッドがあり、テーブルと椅子があり、タンスがあり、といった風に、だ。清潔さが保たれており、いつ、どのような客にでも心地好く使って貰えるようにきちんと掃除がされ行き届いているのが一目で理解できる。

「さて、シオン。早速だが、寝ると良い。スカロンさん、いや、ミ・マドモワゼルが言ってた通り、早く起床して掃除をしなくちゃならないだろう?」

「ええ、そうさせて貰うわね。少し疲れちゃった。お休みなさい、セイヴァー……」

「ああ。お休み、シオン。好い夢を」

 シオンが倒れ込むようにして、ベッドへと横たわり、眠りに就く。

 俺は、彼女にかけ布団らしきモノをかけてやり、“霊体化”した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 ルイズの細やかな幸せは、見事に打ち砕かれてしまっていた。それが判明したのは、今日の夜のことである。

 その日も“魅惑の妖精亭”は繁盛していた。ミ・マドモワゼルが言っていた、“客を取られている”、といった様子を見せないほどに。

 ルイズはゲンナリとしながら、先日のようにワインやら料理やらを運んでいた。

 ルイズを見た酔っ払いの男たちの反応は2種類だといえるだろう。

 まず、この店はガキを働かせているのか、と色々な部分が控えめなルイズを見て怒る客たちである。こういうお客様には、ルイズはワインをたっぷりとサービスすることにしたらしい。瓶ごと呑んで頂くのだ。

 もう片方は、特殊な性癖などの持ち主であるお客様だ。ルイズの容姿はとても可愛らしいということもあり、その筋の人たちにとっては逆に喜ばしいことなのだ。そういったお客様たちは、黙っていると大人しそうに見えるルイズをナメ、決まって小さなお尻や太腿を撫でようと手を伸ばす。ルイズはそういうお客様には、平手をサービスする事にしたらしい。両の頬と、時には鼻で受けて頂くのである。

 そんな調子でお愛想の1つを言うことすらできないでいるルイズはチップ1枚すらも貰うことができず、スカロンに呼ばれて「ここで他の女の子のやり方を見学しなさい」と店の端っこに立たされてしまっているのであった。

 そして、実際に見学していると、なるほど、シオンを含め他の女の子たちはとても巧みであるといえるだろう。ニコニコと微笑み、なにを言われても、されても怒らない。スイスイと上手に躱し、会話を進め、男たちを褒め……しかし触ろうとする手を優しく握って触らせないのである。すると男たちは、そんな娘たちの気を惹こうとしてチップを奮発するという具合だ。

 あんな事ができる訳ないじゃない、とルイズは唇を歪めた。

 “メイジ”は“貴族”のこの世界、生まれた御家はヴァリエール。恐れ多くも公爵家! 領地に帰れば御姫(おひい)さま! のルイズである。明日世界が終わると言われても、ああいった、目の前で繰り広げられているお手本じみたお愛想は噛ませないのだ。さらに、格好が格好でもある為に、余計である。

 その時ルイズははたと、気付いた。(わたしは昨日と同じキャミソール姿をしているわ。中身は確かに可愛くないって自覚してるけど、外見はかなりの線、行ってるんじゃないかしら?)、と。

 ルイズは、チラッと店に置かれた鏡に気付き、その前で何度かポーズを取って見る。親指などを咥えて、少し上目遣いにモジモジなど、をして見た。

 ルイズは、(うん。恥ずかしい格好だけど、わたし可愛い。腐っても“貴族”。溢れ出る高貴さには、シオンを除けばここにいる女の子の誰だって敵わない。わよね? きっと。たぶん)と考えた。(サイトは、このわたしの格好に見惚れてるんじゃないかしら?)、とも思い、ルイズは嬉しくなったといった様子を見せる。(なによ馬鹿。今頃わたしの魅力に気付いたって遅いんだから! きっと、“嗚呼、ルイズ可愛いな、凄いな、嗚呼、俺の側にあんな可愛い娘がいたんだ……気付かなかった……それなのに俺ってばメイドなんかに夢中で……水兵服なんか着せてクルクル回らせて……後悔だよ……この馬鹿犬、後悔だよう”なんて思ってるんじゃないかしら? ふん。馬鹿じゃないの。今頃ご主人さまの魅力に気付いたって遅いの。と言うかあんたはただの“使い魔”なんだからほらご主人さまを無礼にジロジロ見てないで、靴でも磨きなさいよね! なによ。駄目よ。ご主人さまに触ったら駄目。犬の癖に、どこ触ってるの? でもー、一生わたしに仕えるって約束するんなら、ちょっとだけ許して上げる。ちょっとだかんね、でもその代わり土下座。ね? 今までご主人さまを蔑ろにして、すいませんって、土下座。ね?)、といった具合に、そこまで想像もとい妄想を巡らせ、ルイズはぷぷ、と口元を押さえた。そして横目で……今頃わたしに夢中なんだからと思いながら厨房を盗み見る。

 そこには当然、才人がいる。馬鹿面を下げて皿を洗っている様子が、ルイズには見えた。

 だが――。

 確かに才人は、ルイズがいるフロアを熱心に見学しながら上の空で皿を洗っている。がしかし……その視線はルイズに向いていない。

 ルイズはツイッと視線の先を追って見た。

 そこには、長い黒髪の女の子が客相手に笑い転げていた。スカロンの娘、ジェシカである。

 ルイズの桃色がかったブロンドが、(また貴様はあれか? 黒髪か?)といった風にザワッと逆巻いた。

 ルイズは、さらにジェシカを観察する。才人の視線が追っている場所を、ミリ単位で追跡する。ジェシカは大きく胸の空いた清楚なワンピースを身に着けている。才人の視線は、ワンピースから覗いているその谷間を正確にホーミングしているのであった。(胸か? 貴様はそんなにリンゴみたいなのが好きか? 犬はどうしてこう、胸が好きなのかしら、ね!?)、と肩を震わせ始める。

 才人はホウ、と切無げに溜息を吐いた。それからうっとりとした顔で、ジェシカの胸の円周を測るように、両手で円を描いた。

 ルイズの頭の中で何かが切れ、取り敢えず手近なグラスを才人へと思いっ切り投げ付けた。

 こめかみの辺りに直撃し、才人は流しの前に崩れ落ちる。

「なにすんでぃ!?」

 自分のグラスを放り投げられた男が立ち上がり、ルイズの肩を掴もうとした。

 ルイズはテーブルを掴んで身体を跳ね上げ、男の顔に両方の靴の裏をサービスした。当社比二倍の特別サービスだ。

 ルイズちゃん! と駆け寄るスカロンを尻目に、ルイズは身震いをしながら拳を握り締めた。

「あんの“使い魔”……見てらっしゃい。キッチリサービスして上げるから!」

 

 

 

 才人が目覚めると……そこにはジェシカの大きい目の胸があった。何事!? と思い、取り敢えず口をポカンと開けた。

「わ、やっと気付いた」

 才人は、辺りを見回し、自分がベッドに横になっている事に気付く。

「ここどこ?」

「あたしの部屋」

 背凭れを抱えるようにして椅子に腰かけ、ジェシカは微笑んだ。

「どうして?」

「あんた、グラスを頭に打つけて気絶したのよ」

「そっか……なんなんだあのグラス……?」

 しかし、ジェシカはグラスには興味がない様子だ。

「ねえねえ、あったしー、判っちゃった」

「なにが?」

「ルイズ。そして、シオン。あの娘たち、“貴族”でしょ?」

 才人は激しく咳き込んでしまった。

「恍けなくたって良いの、あたしはね、パパにお店の女の子の管理も任されてるのよ。女の子を見る目は人一倍だと自負してるわ。ルイズ、あの娘ってばお皿の運び方も知らなかったのよ。おまけに妙にプライドが高い。そしてあの物腰……たぶん“貴族”ね」

 才人は頭を抱えた。粗末なワンピースまで着せたのにも関わらず、バレバレであるということに。全く身分を隠すことができていない。

「ハン! あいつが“貴族”? あんな乱暴で、粗野で、淑やかさの欠片もなくって……」

「良いのよ。誰にも言わないから。なにか事情があるんでしょ? それに、ルイズのことは否定するけど、シオンのことは否定しないってことは……」

 才人が黙っているのを見て、ジェシカは微笑んだ。

 やはり、ジェシカは、それが訊きたいが為に、わざわざ才人をここまで連れて来たのだろう。

「首突っ込まない方が良いぞ」

 才人は、低い声で言った。怖がらせて、これ以上詮索されないようにしようと考えたのだ。

 しかし、ジェシカには通用しない。

「えー!? なにそれ!? やっぱり橋渡ってるの? 面白そうじゃない!」

 ジェシカかますます身を乗り出して、才人に顔と……胸を近付ける。

 才人は、(なんでそんなに、谷間強調するかなあ? シエスタに較べて大胆な格好なのは街娘だからなのかなあ?)とボンヤリと考えて、顔を赤らめるていると、ジェシカがニヤッと意味深な笑みを浮かべた。

「ねえ」

「なんだよ?」

「あんた。女の子と付き合ったことないでしょ?」

「は、はい? そんな、お前、ナメてもらっちゃ……」

 図星であり、才人の背中に冷や汗が流れる。

「わっかるの。こちとら鋭い“タニアっ娘”よ。田舎者の頭の中なんて直ぐにわかっちゃうんだから」

 田舎者と言われて才人はカチンと来た。(ったく、お前な、“東京”はな、こんな“トリスタニア”だかなんだか知んねえけど、ちっぽけな石造りじゃねえぞ。“東京タワー”見たら泣くぞ)などと思い、言い返した。

「誰が田舎者だよ。オカマの娘に言われたくない」

「非道いわね。あれで優しいパパなのよ。お母さんが死んじゃった時に、“じゃあパパがママの代わりも務めて上げる”って言い出して……」

「トレビアンか?」

 ジェシカは首肯いた。

「で、パパのことは良いの。ねえ、あんたたち、“貴族”の娘たちと一緒に何を企んでるの? あんたは“貴族”じゃないでしょ? 従者?」

「従者じゃねえ」

 ムッとして才人が言うと、ジェシカはニンマリと笑って、才人の手を握った。

「な、なに?」

「女の子のこと、教えて上げよっか?」

「はい?」

 一瞬で身体が硬直し、才人はマジマジとジェシカを見詰めた。

 自分の魅力の使い方を存分に弁えた酒場の娘は、そんな一瞬の才人の変化を見逃さない。

「でも、そん代わり、ちゃーんと教えてね? 一体、あんた達が何を企んでるのか……」

 ジェシカは握った才人の手を、自分の胸の谷間に運んだ。

 才人は閃いた。(酒場の娘と仲良くなる。これも立派な情報収集の一貫ではないか? 酒場には色んな客がやって来る。噂も集まって来る。なにか良からぬ事を企む連中も、女の子には気を許して秘密を喋ってしまうかもしれない。ここでジェシカを味方に着けることは、これからの活動にプラスになるだろう)と思った。

 そんな風に想いを巡らせ、温かい皮膚の感触が指から伝わったその時……。

 ジェシカの部屋のドアが吹っ飛んだ。

「なにしてんの? あんた」

 才人は自分の手を見詰め、慌てて引っ込めた。

「じょ、情報収集」

「誰の、どこの情報を集めてたの?」

 そのまま慌てていると、ルイズはツカツカと部屋に入り、才人の股間を前蹴りで仕留めた。

 才人が転がる。

 そして、足首を掴まれて、そのまま才人が引き摺られようとした時……。

 ジェシカがルイズを呼び止めた。

「ちょっと、ルイズ」

「あによ?」

「あんた、接客はどーしたのよ? まだ、仕事の途中でしょ?」

 街娘に呼び捨てにされたことに対して、ルイズはワナワナと震えたが、今は仕方がないと怒りを押さえる。

「うっさいわね! こ、この……馬鹿兄を調教したら、直ぐに戻るわよ!」

 ここでの才人はルイズの兄ということになっているのである。

 ルイズは、“使い魔”、という言葉を出さないように努めた。

「そんなことしてる暇あるの? チップ1つ満足に貰えない癖して……」

「か、関係ないでしょ!」

「大ありだわよ。わたし、女の子の管理を任されてるんだから。あんたみたいな娘、迷惑なの。常連のお客さんは怒らせるし、注文は取って来ないし。グラスは投げるし。喧嘩するし」

 ルイズは唇を尖らせた。

「ま、しょうがないか。あんたみたいなガキに酒場の妖精は務まらないわよね?」

 つまらなさそうにジェシカが言った。

「ガキじゃないわ! 16だもん!」

「え? あたしと同い歳だったの?」

 ジェシカはホントに驚いた、といった表情を浮かべてルイズを見詰める。それからルイズの胸を見て、自分の胸を見詰める。そして、ぷ、と口を押さえた。

「ま、頑張って。期待してないけど。でも、これ以上やらかしたら、首だからね?」

 ジェシカのその仕草で、ルイズは切れてしまった。

「な、なによ……馬鹿女ってば揃いも揃って胸が大きいくらいで……人をガキだの子供だのミジンコだの……」

 床に転がった才人が執り為した。

「や、誰もミジンコとまでは……」

 ルイズはその顔をぐしゃっと踏み潰す。

 才人はぐえ、と呻いて大人しくなった。

「チップくらい、城が建つほど集めてやるわよ!」

「え~~~~ほんと? 嬉しいな!」

「わたしが本気出したら、凄いんだから! 男なんか皆んな振り向くんだから!」

「言ったわね?」

「言ったわ。あんたなんかに誰が負けるもんですか」

 ルイズは、(馬鹿犬ここ見てた。馬鹿犬ここに手、突っ込んでた!)といった風に、ジェシカの胸の谷間を憎らしげに見詰めて言い放った。

「ちょうど良いわ。来週、チップレースがあるの」

「チップレース?」

「そうよ。お店の女の子たちが、いくらチップを貰ったか競争するの。優勝者にはキチンと商品も用意されるわ」

「面白そうじゃないの」

「せいぜい、頑張ってね? チップレースであたしに勝ったら、あんたのことガキなんて2度と呼ばないわ」

 

 

 

 

 

 今日の分の仕事が終了し、妖精さんたち――女の子たちは思い思いに身体を休め、それぞれ片付けや帰宅準備を始める。

 そんな中、シオンと俺はジェシカと他愛もない会話をしていた。

「で、貴女たちも“貴族”なんでしょう?」

 皆がフロアから消えていなくなったのを確認したジェシカは、唐突に切り出して来た。

「なんのことかな?」

 当然、直ぐに認める訳にも行かず、シオンはやんわりと否定する。強く否定をすると、逆に怪しまれる、肯定しているのと同じことになってしまうこともあるのだからだ。

 だが、やはりジェシカはそんなこちらの言葉を信じる事はなく、才人やルイズにしたモノと同じように質問などを続けて来る。

「隠さなくても良いんだよ? ここの女の子の管理は任されてるし、女の子を見る目に関してはそれなりだと自負してるわ。だから」

 そう言って、グイグイとシオンに身を寄せ、質問をするジェシカ。

「貴女たちの動きや言葉遣い、あたしたち“平民”のそれとは違うわ。事情があるのは理解ってるけど、別に構わないじゃない。事情は話さなくても良いわ。ただ、“貴族”かどうかを答えてくれたら良いだけよ」

「話は変わるが、君、ルイズを挑発しただろ?」

「もしかして盗み聞き? 駄目だよ、そう言うのは。シオンちゃんに嫌われちゃうよ?」

 俺が話題を変えると同時に、やはりからかうように俺へとそう言った後に、シオンへと顔を向けるジェシカ、

「ルイズにも言ったけど、来週、チップレースがあるの」

「チップレース?」

 シオンがオウム返しのように訊き返す。

「そうよ。お店の女の子たちが、いくらチップを貰ったか競争するの。優勝者にはキチンと商品も用意されるわ」

「面白そうね」

「せいぜい、頑張ってね?」



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チップレースと魅惑の妖精のビスチェ

「妖精さんたち! いよいよ、お待ちかねのこの週がやって来たわ!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

「張り切りチップレースの始まりよ!」

 拍手と歓声が、店内に響き渡る。

「さて、皆さんも知っての通り……この“魅惑の妖精亭”が創立したのは去ること400年前、“トリステインの魅了王”と呼ばれた、“アンリ3世陛下”の治世の折、絶世の美男子と謳われた“アンリ3世”陛下は、妖精さんの生まれ変わりと呼ばれたわ」

 スカロンは、うっとりとした口調で語り始めた。

「その王さまは、ある日お忍びで街にやって来たの。そして、恐れ多くも、開店間もないこの酒場に足をお運びになったわ。その頃このお店は“鰻の寝床亭”という、色気もへったくれもない名前でした。そこで王さまはなんと! 出逢った給仕の娘に恋をしてしまいました!」

 それから悲しげに、スカロンは首を振った。

「しかし……王さまが酒場の娘に恋など、あってはならぬ事……結局、王さまは恋を諦めたの、そして……王さまはビスチェを1つお仕立てになってその娘に贈り、せめてもの恋のよすがとしたのよ。私のご先祖さまはその恋に激しく感じ入り、そのビスチェにちなんでこのお店の名前を変えたの。美しい話ね……」

「美しい話ね! ミ・マドモワゼル!」

「それがこの“魅惑の妖精のビスチェ”!」

 ガバッとスカロンは上着とズボンを脱ぎ捨てた。

 遠目に見ていた才人は、今度ばかりは、おぅえ、と流し台に胃液を吐いた。

 俺もまた、スカロンに対して失礼なことではあるだろうが、喉元近くまで胃液のようなモノが込み上げる感覚を覚えた。

 スカロンは身体にピッタリとフィットする、丈の短い色っぽい、黒く染められたビスチェを着用に及んでいたからだ。

「今を去ること400年前、王さまが恋した娘に贈ったこの“魅惑の妖精のビスチェ”は我が家の家宝! このビスチェには着用者の体格に合わせて大きさを変えピッタリフィットする“魔法”と、“魅了”の“魔法”がかけられているわ!」

「素敵ね! ミ・マドモワゼル!」

「んんんん~~~~~! トレビアン!」

 感極まった声で、スカロンがポージングを取る。

 その時……驚いたことに、才人の表情が(まあまあじゃねえの? スカロンさんに対する好意と言うかそんな気持ち、あんなに気持ち悪い姿なのに、あれはあれで、ありなんでは?)といったモノになった。そしてその直後に、「ハッ!?」と表情を変え、(これが“魅了”の“魔法”の正体なのか!?)といった風に考え始める。

 スカロンの姿はやはり、どうにもマイナスなので、目を背けてしまうほどではない程度の評価だ。だが、相手がスカロンだからそういった評価になる可能性は十分にあり得る。例えば平均的容姿の少女が着たら……絶世の美女に見えるだろうことは確かである。

 スカロンはポージングを取ったまま、演説を続ける。

「今週から始まるチップレースに優勝した妖精さんには、この“魅惑の妖精のビスチェ”を1日着用する権利が与えられちゃいまーす! もう! これ着た日にゃ、チップいくら貰えちゃうのかしら!? 想像するだけでドキドキね! そんな訳だからみんな頑張るのよ!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

「宜しい! では皆さん! グラスを持って!」

 女の子たちが一斉にグラスを掲げる。

「チップレースの成功と商売繁盛と……」

 スカロンはそこで言葉を切り、コホンと咳をすると真顔になって直立する。いつものオネエ言葉ではなく、そこだけまともな中年男性の声で口を開いた。

「女王陛下の健康を祈って、乾杯」

 そう言って、杯を開けた。

 さて、こうして始まったチップレースだったが……。

 流石に今のままではチップを貰うことができないと思ったのだろう、ルイズはまず、喋るのを止めた。口を開くと、お客さまを怒らせてしまうということにルイズは気付いたのである。そこでなるべく黙っていることにしたらしい。

 そう決心してとある客にワインを注いでいると、ルイズは話しかけられた。

「なあ君、ちょっと良いかな? 手を見せてくれ」

 ルイズは手を差し出した。

「僕は占いに凝っていてね、君を占って上げよう」

 客はルイズの掌を見詰め、こう切り出した。

「占いによると、君は……粉挽き屋の生まれだ。そうだろう?」

 客からのその言葉に、ルイズは(“貴族”の自分を捕まえて、粉挽風情とはどういうことかしら? なんてことかしら?)と顔を引き攣らせる。

 さらに男は占いを続けた。

「む!? 君はあれだな!? 好きな異性がいるね?」

 ルイズの頭に、“使い魔”である才人の顔が浮かび上がる。そして、浮かび上がらせた自分が赦せないのか、(いないわ。そんなもんいないわ)といった風に首を横に振った。

「いや! いるだろう! じゃあ彼との相性を占おう……わ!? 驚いた!」

 男は悲しげに首を振った。

「最悪」

 とにかくムッとして、つい、ルイズは足で占いのお礼を申し上げてしまった。ルイズにとって、1番身近な異性は才人である。つい、その才人を扱う癖が出てしまったのだ。癖というモノはとても怖いモノである。

「な、なんだお前は!? このガキ!」

 言い返そうとして、ルイズは、グッと黙る。

「なんとか言え! このチビ!」

 成長が遅いだけであり、非道い言われようだといえるだろう。

 キチンとお客様に年齢を告げねばと思い、ルイズは客の顔を16回蹴り上げてしまう。そして、客は伸びてしまった。

 まあ、ずっとこういった風であったこともあり、その日ルイズは当然チップを貰えなかった。

 黙っていようと決めた結果、悪態の言葉の代わりに足の裏が飛ぶ回数が増えたことに、ルイズは戦慄した。口で発散できない分、足の裏がモノを言いたがるようであるのだった。

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 ルイズは才人にどうすれば良いのかを相談した。

 才人はルイズに、足の裏が飛ばないようにパンツを脱いで仕事をしてみたらどうかと進言し、殴られた。

 

 

 

 

 

 2日目。

 ルイズは足の裏が飛ばないように注意をした。

 何を言われても笑っていられるように、針金を口の中に入れ、笑顔の形に固定したのである。準備万端給仕に務めたルイズは笑顔を絶やすことはなかった。がしかし……チップを貰うことはできなかった。

 足の裏も我慢して飛ばさなかった。笑顔は固定されている。そうであるにも関わらず、である。

 その理由はなんと、手だ。問題は手から発生してしまったのだ。

 給仕に向かったルイズは、客に気に入られた。どうやら顔が好みだったらしい。

「おや、お前……ちょっと可愛いじゃねえか、酌しろ」

 男はルイズの顔に満足したのだろうが、直ぐにとある箇所に気付いた。胸である。そして、つい、からかいの言葉を口にしてしまった。

「なんだお前? もしかして男なんじぇねえのか? ま、顔はまあまあだが……良いかお前、俺がコツを教えてやる。せめてそこに布を丸めて放り込んどきな。そうすりゃ、お前さんここで1番になれるぜ! がっはっは! じゃあ注いでくれ!」

 そんな男の言葉にルイズの顔の筋肉が引き攣ったが、無事に笑顔は針金で固定された。針金のおかげで、このまま上手に行くはずであった。だがしかし、そうは行かなかった。

 ルイズは男の頭に、ドボドボとワインを注いでしまったのである。

 顔の筋肉は上手いこと言う事を利かせたが……手の筋肉が言うことを利かなかったのであった。

「なにすんでぇ!?」

 男は立ち上がった。

 ルイズは身の危険を感じ、ワインの瓶で頭を殴り付けた。

 バッタリと男は倒れたので、これ以上酌をしなくても良くなったのだが、チップは当然貰うことができなかった。

 こういった風に、ルイズは胸の大きさをからかわれる度に、手が勝手に動いてお客様の頭にワインを呑ませてしまうことに驚愕した。

 ルイズは女性だ。男性のそういった言葉はセクハラであり、もしこれが“地球”であれば、男性側が罪に問われることだろう。だが、ここは“ハルケギニア”であり、客である男性は“貴族”だ。そして、今のルイズは“平民”を演じている、そういったこともあり、対処の仕様がないのが現状であり、現実であった。ルイズはとてもプライドが高い。他の“貴族”に負けず劣らず、いや、それ以上だといえるほどに、だ。そんな彼女が、手や足を出すだけでどうにかなっているのは、アンリエッタからの頼みであるということ、負けず嫌いであることなどからによるモノだろう。

 

 

 

 

 

 翌日の朝、詰まり3日目だ。

 ルイズは才人に相談した。

 才人はルイズに、ワインを客の頭に呑ませないよう、胸の谷間にワインの瓶を挟んで注いでみてはどうかと進言した。

 注ぎ手の胸の位置からお客様の頭には、物理的にワインの瓶は届かない。しかもお客さまとしては、そんなポーズ、喜ばしいはずである、と。

 しかしルイズは、胸の大きさに対し厭味を言われたと思い、才人を殴った。

 そして、ルイズは手が動かないように、注意した。ワインをテーブルの上置いて後手に手を組み、ニコニコと笑っているのである。「注げ」と言われても、ルイズは微笑むばかりである。

「注げよ」

 ルイズは、ニコニコと笑っている。

「注げったら」

 だが、ルイズはニコニコと笑っている。

「注げって言ってんだろ!」

 それでも、ルイズはニコニコと笑っている。

「なんだお前!?」

 チップが貰えるはずもなく、才人に相談をすると、口で咥えて注いではどうか? と提案を受ける。

 ルイズの口は小さい。ワインの瓶など入らない。

 見ると才人は眠たそうな顔をしている。

 眠いからってテキトウなことを言うんじゃないの、とルイズは才人を殴った。

 

 

 

 

 

 4日目。

 いよいよ勝負も中盤といえるだろ。これまでチップはゼロだという事もあり、流石のルイズも必死になった。足の裏と、ワインを注ぐ位置と、言葉に注意し、ルイズは給仕に務めたのだ。

「君は不器用そうだが、物腰が妙に上品だね。これを取っておきなさい」

 その甲斐あってか、ルイズは初めて“貴族”と思しきお客様に、金貨のチップを貰うことができた。

「ほ、ホントですか? 貰って良いんですか?」

「ああ。取っておきたまえ」

「わあい!」

 ルイズは、嬉しくて跳び上がり、その拍子に皿を引っ繰り返し、料理をお客さまのシャツに溢してしまった。

「ご、ごめんなさい……」

 ルイズは謝ったが、“貴族”というのはプライドが高いこともあり、そのお客さまは赦さないといった様子を見せる。

「君……このシャツは、君の給金なんかじゃとても賄えない、シルクの逸品だよ? どうしてくくれるんだね?」

「ほんとにすいません……あう……」

「さて、どうしてくれるんだね?」

「べ、弁償します……」

「ふむ、ならこうしよう。君にできることで弁償して貰おう」

「どうするんですか?」

「なに、夜中に私の部屋に来ればそれで良い」

「それで?」

「後はわかるだろう? 君も子供じゃないんだろ? 子供じゃ」

「ど、どういう意味?」

「たっぷりと、身体で弁償して貰おうかと。そういうことだよ。むっほっほ!」

 ルイズの頭に血が上った。

 公爵家の3女は、(き、きき、“貴族”の癖になんたること)と激昂した。

 ルイズの眼の前のお客様は、“貴族”の風上にも置けない、好色ぶりである。

 こんな“貴族”の面汚しは陛下の名代として断固、成敗しなくてはいけないだろう。

「面汚しが! あんたみたいなのがいるからぁ! “王国”の権威が!  権威が! ついでにわたしの権威が!ッ!」

「な、なにをする!? うわ!? やめろ! やめたまえ!」

 足の裏と、ワインと、言葉が一遍に飛んだ。

「お返しするわ!」

 ルイズは、せっかく貰ったチップもその顔に叩き付けた。

 ルイズはスカロンに呼び出され、「明日は謹慎してずっと皿を洗いなさい」、と申し付けられてしまった。

 ルイズはムシャクシャしたので、取り敢えずといった風に才人を殴った。

 

 

 

 

 

 5日目……才人と俺と並んで、ルイズは皿洗いをしている。そこへ、ジェシカがやって来た。

「調子はどう? お嬢さま。あったしー、120“エキュー”もチップ貯まっちゃった」

「凄いじゃない」

 ムッとした顔で、ルイズは答える。

「皿洗ってちゃ、チップは貯まらないわよ?」

「知ってるわ」

 ルイズは慣れない手付きで、皿を洗いながら言った。

「まったく。皿1つ満足に洗えないの?」

 ジェシカは、ルイズが洗った皿を見詰めて文句を付けた。

「……ちゃんと洗ってるじゃない」

「ほら、油がまだ残ってるじゃないの。これね、洗ったって言わないの」

 ジェシカはルイズの手から皿を取り上げると、素早い手付きで片付けをして行く。

 ルイズはムスッとして、その様子を見詰めていた。

「ねえ?」

 ジェシカがルイズを睨む。

「あによ?」

「人が教えてるのに、その態度はないでしょ?」

「……う」

 才人が驚いた顔で、ルイズとジェシカのやりとりを見守っている。

 俺はそんな3人を横目に、自身に宛行われている皿を次々とピカピカに洗って行く。

「人に教えて貰ったら、ありがとう、でしょ? 基本よ基本」

「……あ、ありがとう」

「まったく、そんな顔してるからチップ1枚貰えないのよ。明日で最後だからね。しっかりしてよね、お嬢さま」

 そう言い残すと、ジェシカはフロアへと消えて行く。

 ルイズはショボンとして、項垂れた。

 何か想うところがあったのだろう、ルイズは黙々と教えて貰った手順通りに皿洗いを開始した。なんだかんだで、ルイズは認めるところは認めることができるのである。指摘されたことに対して、納得をしたのだろう。

 ジェシカもジェシカで、ああいった言動を取ってはいたが、ルイズのことを想ってのことであろうということは傍目からでも簡単にわかった。

 

 

 

 その日の朝方……。

 一晩中皿を洗い続けたルイズは己の手を見詰めて、溜息を吐いた。今まで洗い物などした事のないルイズの指は、慣れない水仕事で荒れて真っ赤になってしまっている。冷たい水と石鹸のお蔭でヒリヒリとした痛みを発している。

 ルイズは、(なんでわたしがこんなことしなくちゃいけないのよ。“貴族”のわたしが、皿洗いまでさせられて……“平民”どもに酌などさせられて……おまけに、酒場の娘にまで生意気な口を利かれて……)と思った。そして、「もうやだ」と呟いた。(情報収取だかなんだか知んないけど、こんなのわたしの仕事じゃないわ。わたしは伝説よ。“虚無の担い手”なのよ? それがどうして、酒場で給仕なんかしなきゃいけないのよ? もっと、こう、派手な任務が待っているはずじゃないの?)とも思った。

 そんな風にしていると、我慢の限界が近いからだろうか、ルイズは悲しくて涙が溢れそうになった。

 床の板が開いて、才人が階下から顔を見せたこともあり、ルイズはベッドに潜り込んだ。泣きそうな顔を見られたくなかったからだ。

「ほら、飯だぞ」

 才人はシチューの入った皿を、テーブルの上に置いてルイズを呼んだ。

 しかし、ルイズはベッドの中から疲れたような返事を寄越すばかりである。

「要らない」

「要らないじゃねえだろ。食べなきゃ保たねえぞ」

「美味しくないんだもん」

「美味しくなくたって、他に食うもんないんだからしょうがないだろうが」

 それでもルイズは毛布を引っ被り、ベッドから出て来ない。

 才人はベッドに近付き、毛布を剥いだ。

 寝間着姿のルイズが布団の中にうずくまっている。

「食べろよ。身体壊すぞ」

「手が痛いの。スプーン持てない」

 幼子のように、ルイズは駄々を捏ねる。

 仕方なく才人は、ルイズの口元にスプーンで掬ったシチューを運んでやった。

「だったら、ほら、食わせてやるから。食べろ。な?」

 ルイズはやっと、一口啜った。そして、その目から、ポロッと涙が溢れた。

「もうやだ。“学院”に帰る」

「任務どーすんだよ?」

「知らない。こんなの、わたしの任務じゃないもん。シオンがやってくれるもん」

 才人はスプーンを引っ込めて、ルイズを見詰めた。

「あのな」

「なによ?」

「お前、やる気あんのか?」

「あるわよ」

「姫さまは、お前を信用して、このお仕事を任せたんだろ? “平民”に交じって情報収集。宮廷の連中を使ったら、たぶん面が割れてるから……誰にも頼めなくってお前たちに頼んだんだろ?」

「そうよ」

「それなのに、お前なによ? 賭博場じゃムキになって金全部擦っちまうし、ここじゃ“貴族”のプライド振り回してチップ1つ貰えない。おまけに客は怒らせまくり。情報収集どころじゃないだろが」

「うっさいわね。でも、その任務と、くだらない皿洗いや酌になんの関係があるのよ? わたしはもっと大きな仕事がしたいの。もう嫌だ。なんで“貴族”のわたしが……」

 才人はルイズの肩を掴んで、自身へと振り向かせた。

「なによ!?」

「あのねお嬢さま。皆ね、働いてるの。一生懸命、お前の言うくだらない仕事しておまんま食べてるの。お前ら“貴族”くらいなの。遊んで誰かが飯を食わせてくれるのは」

 真面目な声で才人は言った。

 ルイズは、その目の冷えた怒りに怯え、そしてギーシュとの決闘後のシオンの“使い魔”である俺ととある男子生徒とのやり取りを想い出し、思わず俯いてしまった。

「俺だって、お前みたいにして育って来たんだから偉そうなこと言えないけどな、こっち来て色々苦労して理解ったよ。生きるって、結構それだけで大変なの」

 ルイズはなんだか言い返せなくて、黙ってしまった。

 俺もまた、才人の言い分に返す言葉などあるはずもなく、聴き入る。それから、やはり、この前にやらかしてしまった件の決闘騒ぎでのことを恥じた。

 才人は言葉を続ける。

「良く理解んないけど、くだらないプライドに拘る奴には、大きな仕事はできないんじゃないの? 俺はそう想うけどね。ま、お前がもう止めるって言うんなら、止めるさ。シオンとセイヴァーには悪いけど、俺はどっちでも良いよ。別に俺の仕事じゃないからな」

 ムスッとして、ルイズは口を閉じた。

「もう要らないのか?」

 スプーンを突き出した才人が問う。

 ルイズはガバッとベッドから跳ね起きると、才人からスプーンを取り上げ、シチューをがっつき始めた。

 才人は両手を広げて首を傾げると、ポケットから小さな陶器のケースを取り出した。

「……なによそれ?」

「水荒れに効くクリームだって。ジェシカがくれた」

 そして、才人は「手を出せ」、とルイズに言った。

 大人しく、ルイズは手を差し出した。

 クリームを塗る才人の顔を、ルイズは拗ねたように見詰めていたが……そのうちに小さく呟いた。

「ねえ?」

「なんだ?」

「酌もするわ。皿も洗う。それで良いんでしょ?」

 才人は、「うん、そだな」、とホッとしたような声で言った。

「でも、あんた良いの?」

「なにが?」

「それで良いの?」

 ルイズは頬染めて、不機嫌な顔で言った。

「酌なら良いわ。お愛想の1つも言ったげる。でも……」

「でも、なんだよ?」

「ご、ご主人さまが、お客にベタベタ触られても良いの?」

 才人は、グッと黙ってしまった。

「ねえ? どうなのよ? 偉そうなことばっか言ってないで、良いのか悪いのか、ちゃんと答えなさいよね」

 黙々と才人はシチューを食べ始める。

「ねえってば。どっちなのよ? 言いなさいよ」

 ルイズはグイグイと才人の耳を引っ張りながら問い詰める。

 シチューの皿を重々しく見詰め、才人はポソリと呟いた。

「……そ、そんな風にお触りを許したら、ひ、引っ叩く」

「誰を?」

「……お前」

 ルイズはグイッと才人の目を覗き込んだ。

「どうして? ご主人さまを“使い魔”が引っ叩くんだから、ちゃんと理由言ってよね」

 沈黙が流れた。

 横を向いて、才人はつまらなさそうに、「手、手を握るくらいなら許す」と言った。

「なによそれ!?」

 ルイズは才人を突き飛ばした。

「手くらいなら許すってなによ!? 引っ叩く理由訊いてんのよ! 馬鹿!」

「だ、だって……」

「大体、許すってどゆこと!? 偉そうに、手を握らせるかどうか決めるのはあんたじゃないわ。わたしよわたし。ふんだ!」

 ルイズは桃色がかったブロンドを掻き上げ、澄まし顔になり、腕を組んだ。

「良いわ。あの“魅惑の妖精のビスチェ”だっけ? あれ着て客全員誘惑するわ。ええ、チップの為ね。わたし、許すわ。手だけじゃなく……」

 才人は跳ね起きて、ルイズを怒鳴り付けた。

「ふざけんな!」

 ルイズはプイッと外方を向いて、ベッドに潜り込んだ。

 才人はそこで我に返り、首を振った。

「ま、“魅惑の妖精のビスチェ”はありえないよな。優勝賞品だっつの。お前、今のとこたぶんチップ額最下位だしな」

 ルイズは答えない。

 心配になって、才人は尋ねた。

「……ホントに許すの? チップレース優勝はともかく、そこまで決心しちゃったの? それはあまりにも極端から極端すぎませんか? ねえ?」

 ルイズの返事はない。

「ねえ、ほんとに?」

 才人は泣きそうな声でしつこくルイズに喰い下がる。

 しかし、「うるさい! 寝るの!」と怒鳴られ……才人はショボンとベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよチップレース最終日の日がやって来た。

 スカロンはその日の夕方、今までの途中経過を発表した。

「それでは現在トップの3人を発表するわ! まず第3位! マレーネちゃん! 84“エキュー”52“スゥ”、6“ドニエ”!」

 拍手が鳴り響く。

 マレーネと呼ばれた金髪の女の子が優雅に一礼する。

「第2位! ジャンヌちゃん! 98“エキュー”65“スゥ”、3“ドニエ”!」

 再び拍手。

 ジャンヌと呼ばれた栗毛の女の子が微笑んで会釈した。

「そして……第1位!」

 スカロンはユックリと女の子たちを見回し、重々しく首肯いた。

「なんと2人いるわ! 不肖、私の娘! ジェシカ! そして、新入りの妖精さん、シオンちゃん! それぞれ、160“エキュー”78“スゥ”、8“ドニエ”!」

 わぁああああっ、と歓声が湧いた。

 この日の為に用意したであろう、深いスリットの入った際どいドレスでジェシカは一礼した。

 同じくシオンもまた一礼をする。

「さあ! 泣いても笑っても、今日で最終日! でも今日は、“ティワズの週”の“ダエグの曜日”! 月末だから、お客様が沢山入らっしゃるわ! 頑張ればチップ沢山貰えちゃうかも! まだまだ上位は射程距離よ!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 才人は真剣な表情をしているルイズを突いた。

 どうやら、ルイズは何事かを決心した様な、そういった表情を浮かべている。

「お前はいくらなんだ?」

 才人の質問にルイズは答えずに、握り拳を開いて見せる。そこには……銅貨が数枚光っているだけであった。

 才人は胸を撫で下ろした。

 このままの調子で言ってしまえばルイズがどれだけ張り切っても、優勝なんかはありえないだろう。“魅惑の妖精のビスチェを手に入れたら、客を誘惑しまくって全部許す”なんて言ったルイズの言葉を才人はまだ気にしているのであった。

 頑張って欲しいけど、そこまでとは、という都合の良い感情で才人の心はざわめく。

 スカロンは大声で怒鳴った。

「それじゃ張り切って行くわよ!」

 いろいろな想いが渦巻いた歓声が店に響き渡る。

 

 

 

 さて……その日のルイズは、少しばかり様子が違っていた。口の中の笑顔を固定する針金を取り除き、天然の笑みを披露して見せている。

 ニコッと笑って、それから恥ずかしそうにモジモジとするのだ。すると客が尋ねるのであった。

「どうかしたのかね?」

 ルイズは、親指を噛んでさらにモジモジとした動作を続ける。そうして、言い難そうに、「いえ、お客さま、とっても素敵だから……」と頑張って呟くのだ。

 しかし客だって、そのくらいのお世辞には慣れっこだといえるだろう。動じず、杯を差し出す。

 そこでルイズはここぞとばかりに必殺技を繰り出すのであった。

 キャミソールの裾を摘み、優雅に一礼をするのだ。すると流石は公爵家。まるで“王侯”に対するようなその一礼には“貴族”の魂が込もっている。その辺の女の子には真似することなどできやしないだろう、そんな物腰である。

 すると客はルイズの容姿や動作、そういったモノから、素性が気になり出してしまう。

「君は、上流階級の生まれじゃないかね?」

 そこでもルイズははにかみを絶やさない。それから悲しそうに、物憂げに外を見詰めてみせるのだ。

 ルイズのその気品ある仕草に、男は段々と夢中になって行き始める。

 客である男は、身を乗り出して、予想を立てる。

「とある“貴族”のお屋敷にご奉公していたとか? そこで行儀作法を仕込まれたんだろ?」

 ルイズはニッコリと微笑んでみせる。

 そして、勝手に客の中で妄想が膨らんで行く。

「君みたいな可愛くて大人しい娘が奉公していたら、ただじゃ済まんだろ。行儀作法だけでなく、あんなことや、こんなことまで……仕込まれそうになったりしたんじゃないのかね?」

 ルイズは優雅に一礼する。今のルイズの武器は、ニッコリ笑顔、そしてこのお辞儀だけである。

 だが、それだけで十分過ぎた。

「くーっ! 非道い話だね! 君みたいな可愛い娘に……でも、どうして奉公していた君がこんな店で……そうだ! わかったぞ! あんなことやこんなことを仕込もうとする無体な旦那に嫌気がさしてお屋敷を飛び出したんだな? でも、両親が残した借金が残ってる。それを返す為に必死で働いてる。そんなとこだろ!?」

 ルイズはニッコリと微笑んで客を見詰める。

 ルイズの宝石のような鳶色の瞳、そんな風に見詰められると、客は“魔法”にかけられたかのように財布の紐を緩めたくなってしまうのであった。

「なんて可哀想な娘なんだ。ふむ、じゃあこれをその借金の返済に当てなさい。ところで、その、あんなことやこんなことって、どんなことだね? 話してみなさい。良いね?」

 ルイズの物腰から妄想した自分の話を信じ切った客は勝手に同情し、ルイズに金貨や銀貨をチップとして差し出すのだ。

 貰った瞬間ルイズは一目散に厨房に駆け戻り、しゃがんでぷはぁ! と荒い息を吐く。愛想を噛ます自分と、同情を惹くような芝居が癪に障り、ルイズは取り敢えず皿を洗っている才人を殴る。すると、少しばかりスッキリとでもした様子を見せ、そしてまたテーブルへと急ぐのだ。

 それからは仕事の時間である。

 アンリエッタから頼まれた情報収集。

 ルイズとしては、チップレースに負けたくはないが、こちらの方が大事な仕事である。

 客の隣に腰かけ、尋ねるのだ。

「まったく、戦争だって。嫌になりますわよね……」

「そうだねえ。まったく聖女などと持ち上げられているが、政治の方はどうなのかねえ!?」

「と、申しますと?」

「あんな世間知らずのお姫さまに、国を治めるなんてできっこないって言ってるのさ!」

 アンリエッタへの悪口ではあるが、ルイズはジッと堪える。色々と話を訊かなくてはならないのだから。

「あの“タルブ”の戦だって、たまたま勝てたようなもんだ! 次はどうなることやら!?」

「そうですか……」

 ルイズはそんな風にして、少しずつ街の噂を拾って行った。

 酔っ払いは、天下国家を論じるのが大好きな様子であった。ルイズが水を向けると、まるで待ってましたと言わんばかりに政治批判が始まるのだ。酔っ払いたちは、まるで自分たちが大臣にでもなったかのように、政治の話をするのであった。

「どうせなら“アルビオン”に治めて貰った方が、この国は良くなるんじゃないのかねえ?」といったとんでもない意見が出る事もあれば、「さっさと“アルビオン”へと攻め込めって言うんだ!」と蛮勇じみた勇ましい意見も飛び出る。誰かが「軍隊を強化するって噂だよ! 税金がまた上がる! 冗談じゃない!」と言えば、「今の軍備で国を守れるか? 早いとこ艦隊を整備して欲しいもんだ!」とまったく逆の意見が出る。

 とにかく……纏めてみると、“タルブ”の戦で“アルビオン”を打ち破ったアンリエッタの人気は、陰りが見え始めている様子であるのだった。

 戦争は終わらず……不況は続きそうである。アンリエッタは若い、これからの国の舵取りが上手くできるのか? と一様に皆心配をしている様子であるのだ。

 アンリエッタには耳が痛い話だろうが、キチンと報告しなきゃ……とルイズは想った。

 

 

 

 そんな風にルイズは少しづつチップと情報を集め始めたが……。

 ジェシカのチップの集めっぷりには、当然とてもではないが敵わなかった。

 とにかくジェシカは、客に自分に惚れてると想わせる小芝居が上手いのである。

 ルイズは、ジェシカのやり方を観察し始めた。敵を知らねば、戦いには勝てないのであるからして。

 ジェシカはこれと決めた客にまず、冷たくするのだ。怒ったような顔で溶離を客の前に置き、そんな彼女の態度に客は当然驚く。

「おいおいなんだジェシカ。機嫌が悪いじゃないか!」

 ジェシカは冷たい目で客を睨んだ。

「さっき誰と話してたの?」

 その嫉妬がもう、巧みというか神がかっているといえるだろう。なにしろ、本気で嫉妬しているように見えるのであるのだから。いや、実際に――。

 その瞬間、客はジェシカが自分に惚れていて、今激しく焼き餅を妬いている、と勘違いするようである。

「な、なんだよ……? 機嫌直せよ」

「別に……あの娘のことが好きなんでしょ?」

「馬鹿! 1番好きなのはお前だよ! ほら……」

 と言って、男はチップを渡そうとするのだ。

 がしかし、ジェシカはその金を払った。

「お金じゃないの! 私が欲しいのは、優しい言葉よ。この前言ってくれたこと、あれ嘘なの? 私、すっごく本気にしたんだから! なによ! もう知らない!」

「嘘な訳ないだろ?」

 男は必死になってジェシカをなだめ始めた。

「機嫌直してくれよ……俺はお前だけだて。なあ?」

「皆に言ってるんだわ。ちょっと女にモテるからってなによ?」

 ハッキリといってしまえば、男はどう見てもモテそうな容姿ではないといえるだろう。男はいつもであればそんなお世辞は信じないだろう。

 だがしかし、ジェシカの口からは責める言葉となって飛び出ている。つい、言ってしまったという口調で。

 そして、その言葉に、男はすっかり騙されてしまうのである。

「モテないって! ホントだよ!」

「そうよね。その唇にキスしたいなんて思うの、あたしくらいよね」

「そうだよ! そうだとも!」

「はう……でも疲れちゃったな」

「どうしたんだ?」

「今ね、チップレースだなんて、馬鹿げたレースをやってるの。あたし、チップなんかどうでも良いんだけど……少ないと怒られちゃうのよね」

「チップなら俺がやるって」

「良いの! 貴男は私に優しい言葉くれるから、それで良いの。その代わり、他の娘に同じこと言ったら怒るからね?」

 そして、ジェシカは客に対して上目遣いに見上げる。

 これで男はもうイチコロである。

「はぁ……でも、チップの為にオベッカ言うのも疲れちゃうな……好きな人に、正直に気持ちを打ち明けるのと、オベッカは別だからね……」

「わかった。これやるから、他の客にオベッカなんか使うなよ。良いな?」

「良いって! 要らないわ!」

「気持ちだよ。気持ち」

 拒むジェシカに男はチップを握らせるのだ。

 ありがとう、とはにかんで呟いて、ジェシカは男の手を握る。

 男はそんなジェシカから、デートの約束を取り付けようとする。

「で、今日、店が開けたらなんだけど……」

「あー! いけない! 料理が焦げちゃう!」

 貰うモノを貰ってしまえば、用はない。そういった風に、ジェシカは立ち上がる。

「あ、おい……」

「後でまた話かけてね! 他の女の子に色目使っちゃ駄目だよ!」

 男に背を向けると、ジェシカはベロッと舌を出す。そう。全部演技なのであった。

 ジェシカが去った後、客は仲間に、「いやぁ、焼き餅妬かれちゃって……」などと頭を掻いているのだ。

 ルイズはすっかり感心し切ってしまっていた。

 ジェシカの前では、キュルケのあの態度や言動は子供のそれに思えてしまうだろう。街娘の恐ろしい(わざ)であった。

 ジェシカは嫉妬を見せるパターンを何通り知ってるんだ? と思うような、手練手管っぷりで、チップを箒で掃き掃くように集めって行く。

 ジェシカの容姿は、飛び抜けて綺麗という訳ではないといえるだろう。ただ男に……このくらいなら俺でもなんとかなるかも? と想わせてしまうギリギリのラインを行ったり来たりしているのだ。絶世の美人より、そんなタイプの方が世の中ではモテやすいのである。

 ジッと観察していたルイズは、ジェシカと目が合った。

 ジェシカはニヤッと笑うと、谷間にチップを挟んで見せた。

 ルイズは、(たぶんわたしが博打で擦らなくても、サイトは文無しになったわね。サイトが金を持ってると知ったら、あの街娘はどういった手を使うか知れたモノではないわ。そしてあの馬鹿“使い魔”は……あっと言う間に巻き上げられ、日干しにされるに違いないわね)と思った。

 ルイズの頭の中に、シエスタの顔が浮かぶ、ジェシカの顔が浮かぶ、2人の谷間に視線を伸ばす才人の顔が浮かび上がる。そして、(なによ、負けるもんですか)といった風にグッと拳を握り締め……平べったい胸を張って、昂然と顔を持ち上げるのであった。

 

 

 

 そんな風に女の子たちがチップの枚数を競い合っているところに……羽扉が開き、新たな客の一群が現れた。先頭は、“貴族”と思しきマントを身に着けた中年の男性。デップリと肥え太り、ノッペリと額には薄くなった髪が張り付いているように生えている。伴の者も下級の“貴族”らしく、腰にレイピアのような“杖”を提げた軍人らしき風体の“貴族” も交じっている。

 その“貴族”が入って来ると、店内は静まり返ってしまった。

 スカロンが揉み手をせんばかりの勢いで、新来の客に駆け寄った。

「これはこれは、チュレンヌ様。ようこそ“魅惑の妖精亭”へ……」

 チュレンヌと呼ばれた“貴族”は、鯰のような口髭を撚り上げると後ろに仰け反った。

 それを見て、俺は直ぐに跳び出ることができるように、フロアへと意識を向ける。

「ふむ。おっほん! 店は流行っているようだな? 店長」

「いえいえ、とんでもない! 今日はたまたまと申すモノで。いつもは閑古鳥が鳴くばかり。明日にでも首を吊る許可を頂きに、寺院へ参ろうかと娘と相談していた次第でして。はい」

「なに、今日は仕事ではない。客で参ったのだ。そのような言い訳などせんでも良い」

 申し訳なそうに、スカロンが言葉を続けた。

「お言葉ですが、チュレンヌ様、本日はほれこのように、満席となっておりまして……」

「私にはそのようには見えないが?」

 チュレンヌがそう嘯くと、取り巻きの“貴族”が“杖”を引き抜いた。ピカピカと光る“貴族”の“杖”に怯えた客たちは酔いが覚めて立ち上がり、一目散に、蜘蛛の子を散らすようにして、入り口から消えて行った。

 店は一気にガランとしてしまった。

「どうやら、閑古鳥というのはホントのようだな」

 ふぉふぉふぉ、と腹を揺らしてチュレンヌの一行は真ん中の席に着いた。

 才人が気付くと、ジェシカが静かに俺たちの隣にやって来て、悔しそうにチュレンヌを見詰めているのが横目でわかる。

「あいつ何者?

 才人が尋ねると、ジェシカが忌々しそうに説明した。

「この辺の徴税官を務めてるチュレンヌよ。ああやって管轄区域のお店にやって来ては、私たちにたかるの。嫌な奴! 銅貨1枚払ったことないんだから!」

「そうなのか……」

「“貴族”だからって威張っちゃって! あいつの機嫌を損ねたら、とんでもない税金かけられてお店が潰れちゃうから、皆言うこと利いてるの」

 どこの世界でも、己の権威を笠に着て庶民にたかる連中はいるようである。

 誰も酌にやって来ないこともあり、チュレンヌはイラついた様子を見せ、そのうちに難癖を付け始めた。

「おや!? 大分この店は儲かっているようだな! このワインは、“ゴーニュ”の古酒じゃないかね? そこの娘の着ている服は、“ガリア”の仕立てだ! どうやら今年の課税率を見直さねばならないようだな!」

 取り巻きの“貴族”たちも、「そうですな!」、とか、「ふむ!」、とか首肯きながら、チュレンヌの言葉に同意した。

「女王陛下の徴税官に酌する娘はおらんのか!? この店はそれが売りなんじゃないのかね!?」

 チュレンヌが喚く。

 しかし、店の女の子は誰も近寄らない。

「触るだけ触ってチップ1枚寄越さないあんたに、誰が酌なんかするもんですか」

 ジェシカが憎々しげに呟いたその時……。

 白いキャミソールに身を包んだ、小さな影がワインが乗ったお盆を掲げて近付いた。

 ルイズである。

 彼女は欠点が多いが……その1つに空気が読めないというモノがあったようである。どうやら今の彼女は、頑張って給仕を務める事で頭が一杯になってしまっているようであり、客と店の雰囲気にまで気が回らない様子だ。

「なんだ? お前は?」

 チュレンヌは胡散臭げにルイズを見詰める。

 ルイズはニッコリと微笑むと、ワインをチュレンヌの前に置いた。

 その様子を心配そうに見詰め、「あ、あの馬鹿……」と才人は呆れ声で呟く。

 シオンもハラハラと、どうなってしまうのか不安であり、心配であるといった様子を見せている。

「お客さまは……素敵ですわね」

 まるでマニュアル通りの動きで、空気を読めないルイズはお愛想を言った。

 しかし、ルイズはチュレンヌの好みではないようだった。

「なんだ!? この店は子供を使ってるのか!?」

 ルイズは動じずに、キャミソールを持って一礼する。ルイズのお愛想はそれしかないのである。

「ほら、行った行った! 子供に用はない! 去ね!」

 ルイズのこめかみがピクつくのを、シオンと才人、俺は見逃さなかった。

 やはり怒っている様子だ。

 才人は、(ルイズ、切れないで! そいつヤバイ人だから!)と祈った。

「なんだ、良く見ると子供ではないな……ただの胸の小さい娘か」

 ルイズの顔が蒼白になる。足が小刻みに震え始めた。

 チュレンヌの顔が、好色そうに歪んだ。それから……ルイズの控えめな胸に手を伸ばす。

「どれ……このチュレンヌさまが大きさを確かめてやろうじゃないか」

 その瞬間……。

 チュレンヌの顔に、足の裏が炸裂した。椅子を引っ繰り返して、チュレンヌは後ろに転がった。

 シオンと才人は、「やってしまった……」といった風に天を仰ぎ見る。

「な、貴様!?」

 一斉に周りの“貴族”が“杖”を引き抜く。

 その前に……怒りで肩を震わせた少年、同様に肩を震わせている幼馴染の少女の姿があった。

「サイト、シオン……」

 ルイズは自分を守るように立っている才人の背を見詰めた。その背を見詰めていると……怒りに震える胸に何か熱いモノが満ちて行くのが、ルイズには理解った。

 才人とシオンは流石に我慢できなくなってしまったのだ。

 才人は、(ルイズ、頑張ってるじゃないか。俺のご主人さま胸はないけど、可愛いじゃないか。そんなルイズが頑張ってお愛想売ってるのに、お前はなんだ? さんざん文句付けやがって! いや文句は良い。俺もたまに言う。相手がルイズじゃしょうがない。でも、でも……1つだけ許せないことがある)といった様子を見せている。

「……おいおっさん、良い加減にしろ」

「き、貴様……よくも“貴族”の顔に……」

 才人は、(“貴族”だろうが、王子さまだろうが、神さまだろうが……他の男にこればっかりは許せない。それは俺だけの特権なんだ)といった様子を見せている。

「“貴族”がどうした!? ルイズに触って良いのは俺だけだ!」

 才人は怒鳴った。

 ルイズの頬が思わず染まる。「使い魔”の癖に生意気言ってんのよ!? あんたにだってそんな権利ないんだから!」と言おうとしたが……なぜか言葉に出なかった。頭が沸騰したかのようにボーッとなって行く。こんな時であるにも関わらず、ルイズはボケーッとふやけてしまったのだ。

「良く言った才人。さて……チュレンヌと言ったな」

「なんだ貴様?」

「お前は“貴族”などではない」

「なんだと!?」

 いきなりの俺の断定する言葉に、激昂した様子を見せるチュレンヌ。

 店内の女の子たちやスカロンは呆然としてしまっている。

「取り巻きのお前たちもだ。貴様らには、責任というモノがまるで見当たらない。感じられない。権利を振り翳すだけ振り翳す“貴族”を名乗っているだけの存在だ。権利とは、それを認める者がいるからこそ成り立つ。大いなる力には、それ相応の責任などが生まれる。ノブレス・オブリージュ」

 俺はまた、自身に対してブーメランのように返って来る言葉を、眼の前の彼らへと打つけてしまった。

「この者たちを捕らえろ! 縛り首にしてやる!」

 チュレンヌは我慢の限界が来た、といった様子で、手下の“貴族”たちへと命令をする。

 命令を受けた“貴族”たちは、俺たちの周りを取り囲む。

 才人はユックリと周りを見回した。

「誰が誰を捕まえるって? あいにく俺は……」

「あいにく、なんだ?」

「幸か不幸か、伝説の力なんていうもんを貰っちまった……」

 才人は、そう嘯き、背中に手を回す。そして……そこにあるはずのデルフリンガーがないことにようやく気が付いた様子を見せる。

「え?」

 才人は困ったように、頭を掻いた。

「そうでした……伝説、屋根裏部屋に置いて来たんだっけ……? なにせ皿洗いすんのに邪魔だから……」

「まったく、締まらんな」

「こいつらと、洗濯板娘を捕まえろ!」

 俺の言葉と同時に、チュレンヌは喚くように命令を下し、取り巻きの“貴族”たちが“杖”を振り被る。

「タ、タンマ!」

 才人は中断するようにと叫ぶが、しかし、タンマなどはない。

 激昂した“貴族”たちは“呪文”を唱え始めた。

 もちろん、“サーヴァント”である俺にとって、その速度はあまりにもゆったりとしたモノだ。一瞬で、黙らせ、気絶させることなど造作もないことだろう。

 小型のロープが竜巻のように現れ、俺たちを包み込もうとした瞬間……。

 真っ白の閃光が、店内に瞬き、“杖”を引き抜いた“貴族”たちを入口付近まで吹き飛ばす。

 ユックリと閃光が途切れた時……テーブルの上に仁王立ちになったルイズが現れた。ルイズの“虚無”の“呪文”、“エクスプロージョン”が炸裂したのである。

 ルイズの全身が怒りに震え、手には先祖伝来だろう愛用の“杖”が光っている。ルイズはそれを万一に備え、太腿に結び付けて隠していたのだった。

 訳が判らないといった様子を見せながらも、“貴族”たちは慌てふためく。

 ルイズは小さな声で、だが確かに聞こえる低い声で呟いた。

「……洗濯板はないんじゃないの?」

 ルイズの中にあった折角の幸せ気分が、その一言で吹き飛んでしまったのだ。今までの黒い過去の数々が、洗濯板、その言葉で蘇ってしまったのである。ジェシカの、そしてシエスタの谷間が、ルイズの脳裏に浮かんだ。

「ひっ! ひぃいいいいっ!」

 伝説の迫力が……“虚無”の迫力がそこには確かに存在し、“貴族”たちをビビらせている。

「なんでそこまで言われなくちゃならないの? このわたしが御酌して上げたのに、洗濯板はあんまりじゃなあいの? 覚悟しなさいよね!」

  “貴族”たちは、我先といった風に逃げ出した。

 ルイズはその場から動かずに“杖”を振る。

 入口前の地面が“エクスプロージョン”で消滅し、大きな穴が出来た。

 “貴族”たちは、仲良くそこに落っこちてしまう。

 穴に落っこちた“貴族”たちは、折り重なって上を見上げた。のそりとルイズが顔を見せたこともあり、さらに震え上がった。

「な、何者? 貴女さまは何者で!? どこの高名な使い手の御武家さまで!?」

 チュレンヌはガタガタと震えながら、ルイズに尋ねた。自分たちを吹き飛ばしたあんな閃光を、見たことも聞いたこともないのだから。

 ルイズは答えずに、ポケットからアンリエッタから貰い受けた許可証を取り出してチュレンヌの顔に突き付けた。

「……へへ、陛下の許可証!?」

「私は女王陛下の女官で、由緒正しい家柄を誇るやんごとない家系の3女よ。あんたみたいなどこぞの木っ端役人に名乗る名前はないわ」

「し、し、失礼しました!」

 チュレンヌは肥え太った身体を器用に折り曲げて、穴の中で無理矢理平伏をした。

 押された他の“貴族”が呻きを上げる。

 ルイズは立ち上がった。

「赦して! 命だけは!」

 それからチュレンヌは慌てたように身体を漁り、財布をそっくりルイズに放って寄越した。彼は周りの“貴族”たちを促し、同じように財布をルイズに差し出させる。

「どうかそれで! お目をお瞑りくださいませ! お願いでございます!」

 ルイズはその財布を見もせずに言い放った。

「今日見たこと、聞いたこと、全部忘れなさい。じゃないと命がいくつあっても足りないわよ」

「はいっ! 誓って! 陛下と“始祖”の御前に誓いまして、今日のことは誰にも口外いたしません!」

 そう喚きながら、穴から転がるようにして抜け出し、チュレンヌたちは夜の闇へと消えて行った。

 颯爽とルイズは店内に戻った。と同時に、割れんばかりの拍手がルイズを始め俺たちを襲った。

「凄いわ! ルイズちゃん!」

「あのチュレンヌの顔ったらなかったわ!」

「胸がスッとしたわ! 最高!」

 スカロンが、ジェシカが、店の女の子たちが……俺たちを一斉に取り巻く。

 ルイズはそこで我に返り、「やっちゃったわ」と恥ずかしげに俯いた。洗濯板と言われて切れてしまったのだ。そして、才人たちが捕まりそうになったこともあり、思わず“呪文”を唱えてしまったのだか。

 才人がルイズへと寄り、呟く。

「……馬鹿! “魔法”使っちゃ駄目だろが!」

「う……だって……」

「もう……はぁ、まったく……1からやり直しじゃねえか……」

 スカロンが、ルイズと才人の肩を叩く。

「良いのよ」

「へ?」

「ルイズちゃんが“貴族”なんて、前からわかってたわ」

 才人はジェシカを睨んだ。

 ジェシカは慌てて、「あたし言ってないよ!」と手を顔の前でブンブンと振る。

「ど、どうして?」

 ルイズが呆然として尋ねる。

 そんなルイズの様子を見て、シオンは生暖かい視線を彼女へと向けた。

「だって、ねえ、そんなの……」

 スカロンの言葉を、店の女の子たちが引き取る。

「態度や仕草を見ればバレバレじゃない!」

 ルイズは、「う、そうだったんだ……」としょぼ暮れる。

 シオンは、うんうん、と首肯く。

「こちとら、何年酒場やってると思ってるの? 人を見る目だけは一流よ。でも、なにか事情があるんでしょ? 安心しなさい。ここには仲間の過去の秘密をバラす娘なんていないんだから」

 女の子たちは一斉に首肯く。

 才人はなるほど、と思ったようを見せる。

「ここにいる娘は、それなりに訳あり。だから安心して……これからもチップ稼いでね?」

 ルイズは首肯く。

 才人もホッとした様子を見せる。

 手をパチンと叩いて、スカロンは楽しげな声で、「はい! お客さんも全員帰っちゃったので、チップレースの結果を発表しまーす!」と言った。

 歓声が沸く。

「ま、数えるまでもないわよね!」

 スカロンは床に転がったチュレンヌたちの財布を見て言った。

 ルイズは、ハッとしたようにその財布を見詰めた。

 中にはずっしりと……金貨が詰まっている。

「え? これ……」

「チップでしょ?」

 スカロン片目を瞑って言った。それからルイズの手を握って掲げる。

「優勝! ルイズちゃん!」

 店内に拍手が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夕方……。

 ルイズはベッドから出て来なかった。

「おい、仕事行くぞ」

「今日は休む」

「へ?」

 才人はキョトンとした。それから、(ま、昨日は久々に“魔法”を使ったんだから、疲れたんだろう。今日くらいは休んでも良いだろ)といった風に思い直した。

「理解った。気分が悪い時は言えよ」

 壁には、優勝賞品である“魅惑の妖精のビスチェ”がかけられている。賞品とはいっても……これを着ることができるのは家宝だということもあって今日だけだが。

 

 

 

 才人が階下に下りると、スカロンが寄って来た。

「あら? ルイズちゃんはどうしたの?」

「今日は休む、だそうです」

「あらん……そんな、もったいない……」

「だって、“魅惑の妖精のビスチェ”を着れるのは、今日だけよ? 明日には返して貰わよ?」

「そうなんですよね」

「あれ着たら、チップなんか貰い放題なのに……もったいないもったいない」

 そう呟きながらスカロンは喧騒が始まろうとしている店内へと消えて行く。

 才人も、なんだか腑に落ちない気分で皿洗いの仕事に就いた。

 

 

 

 ひーこら苦労して、仕事を終えた才人は屋根裏部屋へと戻った。

 廊下から上を見上げると……部屋の床板から明かりが漏れているのが見える。どうやらルイズは起きているようである

 才人は、(なんだよあいつ……疲れて休むとか言う割に、寝てねえじゃねえかよ。どうせならビスチェ着て稼げっつの)と思いながら屋根裏部屋の床板を跳ね上げ。顔を出した。瞬間、驚く。

 部屋は綺麗に掃き清められ、雑巾までかけたらしく埃1つ舞ってない。積まれていたガラクタどもは一箇所に纏められ、なんとか人が住める体裁を整えていたのだ。

「これ……どうした?」

「わたしがやったのよ。あんな汚いトコでいつまでも暮らすなんてゾッとするわ」

 声の方を見ると、才人は更に驚いた。

 テーブルの上に料理とワインが並んで……それを蝋燭の光が照らしているのだ。

 そしてその灯りは……美しく身成りを整えた才人のご主人さまを照らしているのだった。

 才人は、ごくりと唾を呑み込んだ。中に溜まっていた、1日の疲れが吹き飛んで行くのが理解るだろう。

 ルイズはテーブルの隣の椅子に腰かけていた。足を組み、髪をいつかのようにバレッタで纏めている。そして……その神々しいまでの姿を、“魅惑の妖精のビスチェ”に包んでいるのだ。黒いビスチェが、ルイズの美しさを際立たせている。

 才人はポカンと口を開け、そんなルイズの姿を見守った。

「いつまで馬鹿面下げてんの。ほら、ご飯にしましょ」

 照れた口調で、ルイズが言う。

 テーブルの上にはご馳走が並んでいる。

「なんだこれ!?」

「わたしが作ったのよ」

 才人ははにかんだ顔のルイズを見詰めた。

「マジで?」

「ジェシカに教えて貰ったの」

 そう言って頬を染めるルイズが、才人の動悸を激しくさせる。

 上半身の真ん中のラインは、網の目になって白い肌を覗かせる。黒いビスチェはピッタリと張り付き、身体のラインを露わにしていた。思いっ切り丈の短いバニエの部分は、申し訳程度に腰の回りを覆っているに過ぎない。裸よりも、より色っぽく見えてしまう。

 才人は思わず目を逸らした。見ていると、どうにかなりそうになるからである。元からルイズに惚れているからどうにかなってしまいそうになるのか、それともビスチェにかけられた“魅了”の“魔法”によるモノなのか、才人にはわからなかったが……正しいことが1つだけあった。

 魅力的なのである。

 でもそんなことは当然言えるはずもなく、才人は怒ったような声で言うのであった。

「……それ着て、思いっ切り客にサービスするんじゃなかったのかよ?」

「触らせたら、引っ叩くんでしょ?」

 拗ねた口調でルイズが応える。

「さ、食べましょ」

 才人は首肯いて、ルイズの作った料理を食べ始めた。しかし……頭に血が上っている為か、味がわからない。たぶん不味いのだろう。だが、今の才人にとってはどちらでも良かった。ルイズが作ったのだから。

「味はどう?」

 ルイズが聞く。

「う、美味いんじゃないかな?」

 要領をえない声で、才人が答える。

「部屋を片付けたわ。どう?」

「やあ、大したもんだ」

「でもって、わたしは、どう?」

 肩肘を突いて、コケットにルイズは才人の顔を覗き込んだ。

 朝の明かりが、天窓から飛び込んで来る。爽やかに屋根裏べを、朝の陽光が覆い尽くして行く。

 グッと言葉に詰まったが、才人はやっとのことで言葉を撚り出した。

「トレビアン」

「……せめて他の言葉で褒めてよね」

 ルイズは、(ほんとに“魅了”の“魔法”かかってるのかしら? なによ。せいぜい優しくして貰おうと思ったのに)といった風に溜息を吐いた。

 才人の態度は普段のそれと大して変わらないといえる。怒っているような、困ってしまったかのような、そんな態度である。

 ルイズは、(つまんない。これ着たら馬鹿みたいにわたしに求愛すると思ったわ。そしたら思いっ切り冷たくして上げたのに。今更ご主人さまの魅力に気付いても、遅いんだから! なによ馬鹿。触んないで。でも、そうね、“ルイズに触って良いのは俺だけだ!”なんて言った時、この私ってば何故かちょっと嬉しかったから、少しは許して上げる。でも、少し。ほんの少しだかんね)と思いながら1日かけて用意をしたのに、才人は余所見をするばかりで、ルイズは「つまんないの」と唇を尖らせる。

 結局のところ、ルイズは気付いていなかったのである。

 才人はルイズにとっくに参っていたので……今更“魅了”の“魔法”も意味をなさないのだということを。



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微熱の出逢いと雪風の友情

 ここは“トリステイン魔法学院”。

 夏季休暇が始まったばかりの寮塔では、2人の“貴族”が退屈を持て余していた。“微熱のキュルケ”と、“雪風のタバサ”である。

 キュルケはあられもない格好をしており、タバサの部屋のベッドを占領してグッタリと横たわっている。シャツのボタンを全て外し、手で凸凹のハッキリした身体を扇いでいる。キュルケは熱さを好んではいるが、暑さは苦手としているのである。夏の容赦のない陽射しに熱せられた部屋の中で、自分を茹で上げようとするその暑さを扱いかねているのだ。

「ねえタバサ。お願いよ。さっきみたいに風を吹かせてちょうだい」

 タバサは本から目を離さずに、“杖”を振る。

「冷たいのが好いわ。キンキンに冷えたのが。貴女の渾名みたいに」

 そんなことは百も承知であったのだろう、タバサが唱えた“風”の“呪文”は氷の粒が混じっている。そんな雪風が、キュルケの身体を冷やして行く。

「あー、気持ち好い……」

 キュルケはついにシャツを脱ぎ捨ててしまう。1ダースもある、キュルケを女神と崇める男友達には決して見せられないような仕草で胡座を掻き、タバサの風に酔う。そして、ジッと本を読み耽るタバサを見つめる。

 タバサはこの暑さにも汗1つ掻かずに、本に夢中な様子を見せている。“雪風”の“二つ名”は、心だけでなく身体も冷やすのだろうか? などと疑問を抱かせるほどである。

 キュルケは呟く。

「ねえ“雪風”。貴女ってば、まるで“新教徒”みたいに本が好きなのね、。それってもしかして“新教徒”の連中が夢中になって唱えてる“実践教義”ってやつ?」

 “実践教義”とは――“始祖ブリミル”の偉業とその教えを記したとされる書物である“始祖の祈祷書”の解釈を忠実に行うべしと唱える一派が行っている一連の行動を指す。

 しかし、“始祖の祈祷書”は各所にオリジナルが存在し、書かれている内容も微妙に違う。そればかりか、それらの“始祖の祈祷書”の本文は、“始祖ブリミル”が没してから何百年も後に書かれたモノであるとの説もあるのだ。“トリステイン王家”に伝わる“始祖の祈祷書”には見た限りでは文字すらも記載されもいない。従って今までの神学者たちは様々に大雑把な解釈を導き、それを“ハルケギニア”の寺院や“貴族”は己の都合の良いように捉えて、治世に利用するのだ。

 “宗教国家ロマリア”の一司教から始まった“実践教義”運動は、“平民”たちから搾取するばかりの、腐敗した寺院の改革を目指している。それは国境を超えたうねりへと発展した。市民や農村部に広まり、特権を振りかざす坊さんたちからその権力や荘園を取り上げつつあるのだ。しかし、その解釈が妥当であり、的確であるかは誰にも理解らないとされている。おそらくではあるが、“始祖ブリミル”やその関係者、そして文字通りの神などの極一部の存在にしかその答えは出せないであろう。

 タバサは本を閉じた。そして、タイトルをキュルケへと見せる。それは宗教書などではなく、古代の“魔法”の研究書であった。

「読んでるだけ」

 タバサは言った。

「そうよね。貴女が、“新教徒”の訳ないわよね。ところで今日は暑いわね。ほんとに暑いわ。だから言ったじゃない、あたしと一緒に“ゲルマニア”へ行きましょうって。ここよりは涼しいはずだわ」

 タバサは再び本を読み始める。

 タバサの家の事情を知ったキュルケは、「今年の夏、ツェルプストーの領地へ一緒に帰郷しましょう」とタバサを誘ったのだった。しかし、タバサは首肯かない。仕方なくキュルケもタバサに付き合って、“魔法学院”に残っているのである。タバサを1人切りにするのは、どうしても彼女の気を咎めたのであった。

「ホントにもう、こんな蒸し風呂みたいな寮に残ってるのなんて、あたし達くらいね」

 キュルケは、(中庭で水でも浴びようかしら?)と思った。教師も、生徒たちも、そのほとんども既に実家に帰えっているはずなのだ。誰にも覗かれる心配はないといって良いだろう。

 しかしその時……。

 階下から悲鳴が聞こえて来た。

 一瞬、キュルケとタバサは顔を見合わせた。キュルケはガバッとシャツを羽織ると、“杖”を握って部屋から飛び出した。タバサもその後を追う。

 

 

 

 階下の部屋では、もう一組の居残り組が諍いの真っ最中であった。

「なに考えてんの!? よ!?」

「いや、僕は……暑いだろうと思ったんだ! 君が暑いといけないなーと思って!」

 騒いでいるのはどうやらギーシュとモンモランシーのようである。

「そうだったのね。結局それが目的だったのね! なにが “一緒にポーションを造ろう”よ!  “夏季休暇の間は学院に誰もいないから禁断でもなんでも造り放題だよ”、なんて口車に乗るじゃなかった! 貴男なにを造る気なのよ!?」

「元よりそのつもりだ! 嘘じゃないよ!」

「誰もいないからって、変なことばっかり考えてたんでしょ。ごめんあそばせ! 結婚するまでは指1本、許しませんからね!」

 ギーシュは首を振る。

「近寄らないで!」

「誓う。誓うから」

 ギーシュは胸の前に手を置いた。

「“始祖”と神御前に、僕、ギーシュ・ド・グラモンは誓う。疲れて寝てしまったモンモランシーのシャツのボタンを外したのは、疚しい気持ちからではないと。ホントに暑そうに見えたからだと。酷い汗を掻いていたから、蒸されて死んでしまうと心配になったからだと」

「ほんと?」

 疑わし気な表情を浮かべ、モンモランシーがギーシュへと詰め寄る。

「神賭けて」

 ギーシュが真剣な様子で答える。

「……変なことしない?」

「しない。考えたことすらない」

 モンモランシーはしばらく考えた後、ピラッとスカートを持ち上げ、下着をチラッと見せた。

 瞬間ギーシュがモンモランシーへと跳び掛かり、彼女は悲鳴を上げた。

「神さま! 嘘吐き! 嘘吐きがいます!」

「白! 白かった! 白かったであります!」

「嫌! 嫌だ! やめて! やめてってばぁ!」

 そんな風に2人が暴れていると……ドアが、バターン! と開かれ、キュルケとタバサが顔を見せた。

 そして、ベッドに押し倒されてしまっているモンモランシーと、ドアから顔を見せた2人との3人の目が合う。

「……なんだ。取り込み中だったの」

 溜息混じりにキュルケが言う。

 真顔になったギーシュが立ち上がり、優雅な仕草で取り繕う。

「いや、モンモランシーのシャツの乱れを……直しておりまして」

「押し倒して?」

 呆れた表情を浮かべ、キュルケが問う。

「直しておりまして」

 ギーシュは繰り返し言う。

 モンモランシーが冷たい声で言った。

「もう! いい加減にしてよ! 頭の中はそればっかりじゃない!」

 ギーシュの顔が赤らむ。

 やれやれといった調子でキュルケが口を開く。

「貴方たち、随分とやっすい恋人ね……なにもこんな暑っ苦しい寮なんかでしなくても」

「なにもしてないわよ! って言うかあんたたちこそなにしてんのよ? 今は夏季休暇よ」

「あたし達は、帰るの面倒だからいただけよ。休暇だからってわざわざ国境越えるの大変だしね。貴方たちは、じゃあなにしてたの?」

「わたし達は、その……」

 言い難そうにモンモランシーはモジモジとする。少し前の問題のこともある為、“禁断のポーション”をこっそり造ってましたなどとは言えるはずもないのである。

「ま、“魔法”の研究よ」

「ったく。なんの研究してんだか。ねえ?」

「変な研究したがったのはギーシュよ! まったく、暑さで頭がやられちゃったの? 少しは冷やしてよね!」

 そう言われて、ギーシュはショボンと項垂れる。

 キュルケが、「そうね」と短く呟く。

「なにが、そうね、なのよ?」

「出かけましょ。こんな暑い所にいたら、頭が可怪しくなっちゃうのも無理ないわ」

「へ? どこに?」

「街にでも出かけましょ。居残り同士、ま、仲良くやりましょ。休暇は長いんだし」

「言われてみれば、冷たいモノが飲みたいな……」

 ギーシュも首肯く。

 モンモランシーも、ギーシュと2人っ切りで寮にいたら何をされるかわかったものではない為、出かけることに同意の意思を示す。

「呑んだら頭、たっぷり冷やしてよね」

「冷やす。神賭けて」

「で、そこのおチビさんはどうするの?」

 モンモランシーが、本を読んでいるタバサを指さした。

 キュルケが首肯く。

「行くって」

「……そんなチラッと見ただけで、わかるの?」

「わかるわよ」

 キュルケは、当然でしょ、と言わんばかりの顔で言った。

 タバサはそれから本を閉じると、ツカツカと窓から口笛を吹いた。

 すると、バッサバッサと羽音がし、あっと言う間もなく、タバサは窓から飛び降り、キュルケが続く。

 モンモランシーが窓の外を覗くと、下にタバサの“使い魔”であるシルフィードが浮遊しているのが見える。

 キュルケがその背中に乗って、手を振っている。

「早く入らっしゃいよ! 置いて行くわよ!」

 ギーシュとモンモランシーも、後に続いて飛び降りる。先に乗ったギーシュがモンモランシーを受け止める。

 するとモンモランシーは、「触らないで!」、とか、「厭らしい目で見ないで!」、などと言って、せっかく受け止めてくれたギーシュを苛めるのであった。

「そんな……受け止めたじゃないか」

「どこ触ってんのよ!?」

「あんた達、恋人同士なんじゃないの?」

 呆れた調子で、キュルケが呟いた。

 

 

 

 “トリスタニア”の城下町にやって来たキュルケとタバサとギーシュとモンモランシーの計4人の一行は、“ブルドンネ街”から1本入った通りを歩く。

 時刻は夕方に差しかかったばかりだ。

 薄っすらと暮れ行く街に、“魔法”による灯りを灯した街灯が彩りを添えて行く。幻想的な――そしてウキウキと楽しくなってくるような、そんな雰囲気と、夏の熱気が通りを包んで行く。

 “ブルドンネ街”が“トリスタニア”の表の顔であれば、この“チクトンネ街”は裏の顔である。如何わしい酒場や賭博場などが並んでいる街通りだ。

 モンモランシーは眉を顰めたが、キュルケは気にした風もなく歩き続ける。「どの店にしようか?」、などと一行は相談しながら歩く。キュルケが、「知ってる店はないの?」とギーシュに尋ねる。

 ギーシュはニヤッと笑って、答える。

「そういや、噂の店があってね。1度、行ってみたいと思ってたんだが……」

「変な店じゃないでしょうね?」

 その声の調子に、色っぽい何かを嗅ぎ付けたモンモランシーが釘を刺す。

 ギーシュは首を横に振った。

「ぜんぜん変な店じゃないよ!」

「どういう店なの?」

 ギーシュは黙ってしまった。

「やっぱり変な店じゃないのよぉ~~~! 言ってごらんなさいよぉ~~~!」

 モンモランシーがその首を絞める。

「ち、違うんだ! 女の子が、その、可愛らしい格好でお酒を運んで……ぐえ!」

「変じゃない! どこが違うのよ!?」

「面白そうじゃない。そこ」

 キュルケが興味を惹かれたらしく、ギーシュを促した。

「そこに行ってみましょうよ。ありきたりの店じゃつまんないし」

「なんですってぇ!?」

 モンモランシーが喚く。

「まったくどうして“トリステイン”の女はこう、揃いも揃って自分に自信がないのかしら? 嫌になっちゃう」

 キュルケが小馬鹿にするかの様な声で言った為、モンモランシーは熱り立った。

「ふん! 下々の女に酌なんかれたらお酒が不味くなるじゃないの!」

 しかし、キュルケに促されたギーシュが跳ねるような調子で歩き出した為、仕方なくモンモランシーは跡を追いかける。

「ちょっと! 待ちなさいよ! こんなとこに置いて行かないで!」

 

 

 

「入らっしゃいませ~~~!」

 キュルケとタバサ、ギーシュとモンモランシーの計4人の一行が店に入ると、背が高くピッタリとした革の胴着を身に着けた男が出迎えた。

「あら!? こちらお初? しかも“貴族”のお嬢さん! まあ綺麗! なんてトレビアン! 店の女の子が霞んじゃうわ! 私は店長のスカロン。今日は是非とも楽しんでってくださいまし!」

 そう言ってスカロンは、身をクネラせて一礼をする。

 そんな言動を取るスカロンではあるが、取り敢えず「綺麗」だと褒められたということもあってモンモランシーは機嫌を良くした。髪を掻き上げ、「お店で1晩綺麗な席に案内してちょうだい」と澄ましって言った。

「当店はどのお席も、陛下の別荘並みにピカピカにしておりますわ」

 スカロンは一行を席へと案内する。

 店は繁盛をしている。際どい格好の女の子たちが酒や料理を運んでいる。

 ギーシュは既に夢中になってキョロキョロとし始め、モンモランシーに耳を引っ張られてしまう始末だ。

 一行が席に着くと、桃色がかったブロンドの少女が注文を取りに行く。が、慌てた調子で、咄嗟にお盆で顔を隠し、全身を小刻みに震わせ始める。

「なんで君は顔を隠すんだね?」

 ギーシュが不満げに問いかけた。

 その少女はもちろん答えず、身振り手振りで「ご注文をお願いします」と示す。

 その少女の髪の色と身長で、キュルケが直ぐに気付いた様子を見せ、この夏初めて見せる特大の笑みを浮かべた。

「このお店のお勧めはなに?」

 お盆で顔を隠した少女は、隣のテーブルを指さす。

 そこには、蜂蜜を塗って炙った雛鳥をパイ皮に包んだ料理が並んでいる。

「じゃあ、このお店のお勧めのお酒は?」

 お盆で顔を隠した少女は、側のテーブルで給仕をしている女の子が持っている“ゴーニュ”の古酒を指さす。

 そこでキュルケは、驚いた声で言った。

「あ、“使い魔”さんが女の子口説いてる」

 少女は思わずといった様子でお盆から顔を出し、キッ! とした目付きでキョロキョロと辺りを見回す。

 キュルケを除く一行は現れた顔を目にし、大声を上げた。

「ルイズ!?」

 キュルケがニヤニヤと笑っていることに気付いたルイズは、自分が騙されたことに気付き、再びお盆で顔を隠した。

「手遅れよ。ラ・ヴァリエール」

「わたし、ルイズじゃないわ」

 震える声でルイズが言う。

 キュルケはその手を引っ張り、テーブルの上にルイズを横たえさせる。キュルケは右手を、ギーシュが左手を掴む。タバサが右足を、モンモランシーが左足を掴んだ。

 動くことができないルイズは横を向いて、ワナワナと震えて言った。

「ルイズじゃないわ。離して」

「なにしてるの?」

 ルイズは答えない。

 パチン! とキュルケが指を弾くと、タバサが“呪文”を唱えた。

 風の力で空気がルイズの身体に絡み付き、操った。

 ルイズはテーブルの上に、ピョコン! と正座させられた。

「な、なにすんのよ!?」

 再びキュルケは指を弾く。

 無言でタバサが“杖”を振った。

 ルイズを操る空気の塊は、見えない指となってルイズの身体をくすぐり始めた。

「あはははは! やめて! くすぐったい! やめてってば!」

「どんな事情があって、ここで給仕なんかしてるの?」

「言うもんですか! あはははは!」

 空気の指が散々にルイズをくすぐりまくる。

 それでもルイズは決して口を割らない。そのうちにグッタリとしてしまった。

「どうしたの? ルイズ……って!?」

 そこに、シオンが近寄り、キュルケたちを見て驚いた様子を見せた。

「あら? シオンもいるのね。ってことはやっぱり、ダーリンやセイヴァーもいるのかしら?」

「う、うん。まあね」

 キュルケの言葉に、シオンは固い動きで首肯く。

「ねえ、シオン?」

「な、なに?」

「ここで、どんな事情があって給仕なんかしてるの?」

「え、えっと……社会勉強?」

 シオンは冷や汗を流しながら、それを悟られないように気を配り、言ってみせた。が、視線が明後日の方を向いている為に、隠し事をしていることは簡単にわかってしまう。

「ちぇ、そこの娘は口が堅いし。貴女まで誤魔化すし……最近貴女たちって、隠し事がホントに多いわね」

「わかったら……放って置きなさいよね……」

 ルイズは息も絶え絶えにそう言った。

「そうするわ」

 キュルケはつまらなそうに、メニューを取り上げた。

「早く注文言いなさいよね」

「これ」

 メニューを指さして、キュルケが言った。

「これじゃわかんないわよ」

「ここに書いてあるの、取り敢えず全部」

「は?」

 キョトンとして、ルイズはキュルケを見つめる。

「いいから全部持って来なさいな」

「お金持ちね……はぁ、羨ましいわ」

 溜息まり時に呟くルイズに、キュルケが言った。

「あら? 貴女のツケに決まってるじゃないの。ご好意はありがたくお受けしますわ。ラ・ヴァリエールさん」

「はぁ? 寝言言わないでよ! なんであんたに奢んなくちゃならないのよ!」

「“学院”の皆に、ここで給仕やってること言うわよ」

 ルイズの口が、あんぐりと開いた。

「言ったら……こここ、殺すわよ」

「あら嫌だ。あたし殺されたくないから、早いとこ全部持って来てね」

 ルイズはショボンと肩を落とすと、色々なモノに打つかりながらヨタヨタと厨房へと消えて行った。

 シオンは、そんなルイズに、「私も払うから」と言って、一緒に厨房へと向かった。

 ギーシュが首を振りながら口を開く。

「君はホントに意地の悪い女だな」

 すると、キュルケは嬉しそうに応えた。

「勘違いしないで頂きたいわ。あたしあの娘嫌いなの。基本的には敵よ敵」

 キュルケはそこで言葉を切ると、タバサのマントが乱れていることに気付き、チョイチョイと直してやった。

「ほら貴女。“呪文”を使うと、髪とマントが乱れる癖をどうにかなさいな。女は見栄え。頭の中身は二の次よ?」

 姉が妹を、母が娘を気遣うように、キュルケはタバサの髪などを弄る。

 ギーシュはタバサの方を見た。(なんでこんなに底意地の悪い“ゲルアニア”の女が、このタバサにだけは心を許すのだろう?)と疑問に思ったからであった。

 夏季休暇であるというにも関わらず、2人とも帰郷などをせずに行動を共にしている。その上、先ほどから見ていれば2人はまさに以心伝心といった様子だ。タバサが無口である為もあるだろうが、目配せ1つで意思を通じ合わせ、まるで姉妹のように仲が良い。

 でも……とギーシュは頭を撚った。

 入学当初、2人はこれほどまでには仲が良くなかったはずであった。

 ギーシュは、他の女の子たちに夢中であまり良く覚えていないのだが、(確か決闘騒ぎまで引き起こさなかったか?)と疑問を覚え、その事を尋ねようとしたその時に、店に新たな客が現れた。

 見目麗しい“貴族”たちである。広い鍔の羽根付き帽子を小粋に冠り、マントの裾から剣状の“杖”が顔を覗かせている。どうやら、“王軍”の士官たちであるようだ。

 焦臭い昨今、軍事訓練に明け暮れていたのだろう。陽気に騒ぎながら入店して来ると、席に着いて辺りを眺め始めた。口々に、店の女の子についての品評を始める。色々な女の子たちが入れ替わり立ち代わり酌をしたが、どうにも御気に召さない様子である。

 1人の士官がキュルケに気付き、目配せをした。

「あそこに“貴族”の娘がいるじゃないか! 僕たちと釣り合いが取れる女性は、やはり“杖”を提げていないとな!」

「そうとも! 王軍の士官さまがやっと陛下に頂いた非番だぜ? “平民”の酌では慰めにならぬというモノだ。君」

 口々にそんなことを言いながら、キュルケたちに聞こえるような声で誰が声を掛けに行くのかを相談し始める。

 キュルケはやはりこういうことに慣れっこなのだろう、平然とワインを口にしている。

 しかし、ギーシュなどは既に気が気ではない様子を見せる。

 ギーシュは、一応彼は男で連れの女性をエスコートする立場なのだが、連隊長か親衛隊の隊員を務めているだろう“貴族”相手に、強くになれようはずもない。叩き退めされてしまうといったオチを彼は幻視した。

 そのうちに声をかける人物が決まったらしい。1人の“貴族”が立ち上がる。20歳を少し超えたばかりの、中々の男前である。

 その男が自信たっぷりといった風に口髭を弄りながら、キュルケに近付き、典雅な仕草で一礼をする。

「我々は“ナヴァール連隊”所属の士官です。おそれながら美の化身と思しき貴女を我らの食卓へと案内したいのですが」

 キュルケはそちらの方を眺めもせずに、答える。

「失礼、友人たちと楽しい時間を過ごしているところですの」

 “貴族”の仲間たちから野次が飛ぶ。

 ここで断られては面子が保たないと思ったのだろう、熱心な言葉で“貴族”は、キュルケを口説きにかかる。

「そこをなんとか。曲げてお願い申し上げる。いずれは死地へと赴く我ら、一時の幸福を分け与えてくださるまいか?」

 しかし、キュルケはにべもなく手を振った。

 “貴族”は、残念そうな表情を浮かべ、仲間たちの元へと戻って行った。その“貴族”は、仲間から「お前はモテない」、と言われたが、首を振る。

「あの言葉の訛を聞いたかい? “ゲルマニア”の女だ。“貴族”と言っても、怪しいモノだ!」

「“ゲルマニア”の女は好色と聞いたぞ? 身持ちが固いなんて、珍しいな!」

「おそらく“新教徒”なのであろうよ!」

 酔も手伝っているのだろう、悔し紛れに“貴族”たちは聞こえ良がしに悪口を言い始めてしまう。

 ギーシュとモンモランシーは顔を見合わせ、「店を出ようか?」とキュルケに訊いた。

「先に来たのはあたしたちじゃない」

 そう呟くと、キュルケは立ち上がった。その長い赤髪が燃える炎のように騒めく。

 横目で事の成り行きを見守っていた他の客や店の女の子たちが、一斉に静まり返る。

「おや、我らのお相手してくれる気になったのかね?」

「ええ。でも、杯じゃなく……こっちでね?」

 スラリとキュルケは“杖”を引き抜いた。

 “貴族”の男たちは笑い転げた。

「お止しなさい! お嬢さん! 女相手に“杖”は抜けぬ! 我らは“貴族”ですぞ!」

「怖いの? “ゲルマニア”の女が?」

「まさか!」

 カラカラと“貴族”の男たちはカラカラと笑い続ける。

「では、“杖”を抜けるようにして差し上げますわ」

 キュルケは“杖”を振った。

 人数分の火の玉が“杖”の先端から飛び出し、“貴族”たちが冠った帽子へ飛び、一瞬でその羽飾りを燃やし尽くした。

 店内がドッと沸いた。

 観客に向かって、キュルケは一礼をした。

 笑い者にされてしまった“貴族”たちは、一斉に立ち上がる。

「お嬢さん、冗談にしては過ぎますぞ」

「あら? あたしはいつだって本気よ。それに……最初に誘ったのはそちらじゃございませんこと?」

「我らは、酒を誘ったのです。“杖”ではない」

「フラれたからって負け惜しみを言う殿方とお酒を付き合うだなんて! 侮辱を焼き払う、“杖”なら付き合えますが?」

 店内の空気が、ピキーンと固まる。

 1人の士官が、決心した様子で口を開く。

「外国のお嬢さん、決闘禁止令はご存知か? 我らは陛下の禁令により、私闘を禁じられている。しかしながら貴女は外国人。ここで煮ようが焼こうが、“貴族”同士の合意なら誰にも裁けぬ。承知の上でのお言葉か?」

「“トリステイン”の“貴族” は口上が長いのね。“ゲルマニア”だったらとっくに勝負が着いてる時間よ」

 ここまでナメられたような態度を取られては流石に引き退がることはできないだろう、士官たちは目配せし合った。それから帽子の鍔を掴み、1人の“貴族”が言い放った。

「お相手をお選びください。貴女にはその権利がある」

 キュルケはそれでも顔色を変えない。しかし、その中では炎のような怒りが渦巻いている。キュルケは怒れば怒るほど、言葉が余裕を奏で、態度が冷静になって行く(たち)なのであった。

「“ゲルマニア”の女は貴男方が仰る通り、好色ですの。ですから全員一遍に。それでよろしいわ」

 キュルケのこの勇ましい言葉で、店内が拍手に沸いた。

 士官たちは、この侮辱的な現状などに顔を真っ赤にして怒り狂った。

「我らは“貴族”であるが、軍人でもあるのです。掛かる侮辱、掛かる挑戦、女とて容赦はしませんぞ。参られい」

 表へと、士官たちは顎を杓った。

 ギーシュは、事の成り行きに震えてしまっている。

 モンモランシーは、我関せずといった顔でワインを呑んでいる。

 ルイズは、(あの馬鹿女ってばホントに余計な火種ばっか作るんだから)といたった風に厨房で頭を抱えている。

 才人は例によって先ほどムシャクシャしたルイズの怒りの捌け口にされてしまい、理不尽にも散々に痛め付けられて気絶してしまっており、介入できずにいる。

 シオンは、厨房から事の成り行きを見守り、いつでも出られるように伺っている。

 そんな訳で、立ち上がったのはタバサであった。

「貴女は良いのよ。座ってて。直ぐ終わるから」

 しかし、タバサは首を横に振る。

「なによ貴女? あたしじゃ無理だって言うの?」

「違う。でも、わたしが行く」

「貴女には関係ないじゃない」

 キュルケがそう言うと、タバサは再び首を横に振った。

「借りがある」

「この前の“ラグドリアン”の一件? あれは良いのよ。あたしが好きでしたことなんだから」

「違う」

「え?」

 タバサはそれから、ハッキリと呟いた。

「“1個借り”」

 キュルケは、その言葉で想い出した。

「また、随分昔の話ね」

 キュルケは微笑んだ。それから少しばかり考え込む。そして結局、この親友に任せることにした。

「どうした!? 怖じ気付かれたか!? 今なら謝れば、平に容赦しても構わぬぞ」

「その代わり、たっぷり酌をしてもらうがな!」

「酌で済めば良いが!」

 士官たちは笑った。

 キュルケは、タバサを指さした。

「ごめんあそばせ。この娘がお相手をして上げますわ」

「子供ではないか!? そこまで我らを愚弄するか!?」

「勘違いしないで頂きたいわ。この娘、あたし以上の使い手なのよ。なにせ彼女、“シュヴァリエ”の称号まで持ってるんだから」

 士官たちは、まさか、といった顔付きになった。

 タバサは何も喋らる事もなく、店の入り口へと向かった。

「貴男方の中に、“シュヴァリエ”の称号をお持ちになっている方はおられるの?」

 士官たちは首を傾げた。

「なら相手にとって不足はないはず」

 キュルケは、そう言うと、自分の役目は終わったと言わんばかりに椅子に腰かける。

 引っ込みが付かなくなってしまった士官たちは、タバサに続いて表に出る。

「大丈夫なのかい?」

 ギーシュが心配そうな表情と声色で、キュルケへと尋ねる。

 対して、キュルケは優雅にワインなどを呑んでいる。

「あの娘ってば、つまらない約束を一々覚えてるんだから」

 キュルケは、入り口を見遣り、嬉しそうに呟く。

 

 

 

 外では、ほぼ10“メイル”の距離を隔て、タバサと士官たちが対峙している。

 遠巻きに近所の住民がワクワクした面持ちで眺めている。

 実際のところ、決闘禁止令が敷かれたといって、“貴族”たちが“杖”を抜くのを止めた訳ではない。このような決闘騒ぎは日常茶飯事である。

 しかし……王軍の士官と思しき3人組の前に立っているのは、年端も行かぬ少女であるということが、そういった組み合わせが野次馬たちの興味を惹いた。

「諸君。相手は子供だ。これでは弱い者虐めと言われてしまうであろうな。勝っても負けても、我らの名誉は消え失せる。なんとしたモノか?」

 キュルケに声をかけた“貴族”がそう言えば、「なれば、先に手を出させるが良かろう」と1番年嵩の“貴族”がそう答える。

 それまで黙っていた男は、(“シュヴァリエ”? 冗談じゃない。あんな子供が“シュヴァリエ”の称号を得るなどと、そのようなことがある訳がない。子供と言えど“貴族”。詐称は放って置けない。詐称のみならず、王軍の士官に侮辱を加えるなど以ての外だ。沽券に関わるではないか)といった風に楽しげな調子で言った。

「ふん、子供に教育を行うのは、大人の役目であろう」

「お嬢さん、先に“杖”を抜きなさい」

 年嵩の“貴族”が言った。

 野次馬たちは固唾を呑んで見守る。

 タバサはまるで、キュルケに身体を冷やす為の風を送るような、取留めもない日常的な動きで……“杖”を振った。

 勝負は一瞬で決した。

 

 

 

 戻って来たタバサを見て、店の客たちは驚きの呻きを漏らした。

 外では大騒ぎになっていた。巨大な空気の槌――“エア・ハンマー”の一撃で、士官達が通り向こうまで吹き飛ばされ、気絶しているのだから。

 1人の客が恐る恐るといった風に外を覗く。

 1人の士官が息を吹き返し、残りの2人を抱え上げ、這々の体で逃げ出して行くところであった。

「あんた、小さいのに凄いな!」

 店内が拍手に包まれたが、タバサは気にした風もなく本のページを捲る。

 キュルケは満足そうにタバサの杯に、ワインを注ぐ。

「じゃあ、乾杯しましょ」

 ギーシュが首を捻りながら、ギーシュに尋ねる。

「なあ、キュルケ……」

「なあに?」

「君たちは、一体どうしてそんなに仲が良いんだ? まるで姉妹のようじゃないか」

「気が合うのよ」

 まるで正反対の2人である。

 ギーシュは、(この2人は、入学早々さっきみたいな決闘騒ぎまで起こしたんだぞ?)と先ほど想い出したことを反芻する。

「君らってそんなに仲が良かったけか? いったい何があったんだい? 教えてくれよ」

 モンモランシーも興味を惹かれたのだろう、身を乗り出す。

「なにがあったのよ? 教えなさいよ」

 キュルケは、タバサの方を見る。

 タバサは無言である。

 がしかし、キュルケは首肯いた。

「この娘が話して良いって言うから、お話するわ。大した話じゃないけどね」

 キュルケはワインが注がれた杯を手に取った。

 クイッと呑み干し、トロンとした目でキュルケは語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン魔法学院”にキュルケが入学して来たのは、春の香りが漂う4番目の月である“フェオ”の月は第2週、“ヘイムダル”の週の半ばであった。

 式は“アルヴィーズの食堂”で行われる。そこで、毎年90人ほどの入学者たちは3つのクラスに分けられるのであった。様々な地方から集まった“貴族”の子弟たちは、ちょっとした緊張の色を浮かべ、学院長のオスマンが現れるのを待っていた。

 オスマンは教師たちを引き連れて中二階に現れ、生徒たちを睥睨した。

「生徒諸君、諸君らは、“トリステイン”……いやさ!」

 オスマンは大仰な身振りで、とう! と中二階の柵から飛び降り、1階のテーブルに降り立とうとした。途中で“杖”を振り、“レビテーション”で華麗に着地しようとしたが思い切り失敗をした。年ゆえか、“詠唱”が間に合わず、見事テーブルに激突してみせたのである。

 辺りは騒然となり、教師たちが駆け下り介抱した。

 オスマンは、ヤバイと思わせる痙攣を起こしてしまっていたが、誰かが掛けた“水”の“魔法”でどうにかこうにか回復した。

 オスマンは、悪怯れた様子も見せず立ち上がり、口を開いた。

「諸君! “ハルケギニア”の将来を担う有望な“貴族”たれ!」

 立派な言葉であった。先ほどの出来事がなければ、だが。

 その為、平静を装うオスマンを想い、皆拍手をした。

 そんな中……居並ぶ“貴族”の中でも一際目立つ容姿を誇る赤髪の女の子がいた。“微熱”、の“二つ名”を持つキュルケである。彼女は大きな欠伸を1つ、噛ました。間抜けな学院長を見て、(留学は間違いだったかしら?)と思い始めていた。

 しかし、“ゲルマニア”の首都“ヴィンドボナ”にある“魔法学院”を止めた彼女にとって……外国に留学をするしか、他に選択肢はなかったのである。“ツェルプストー”の領地に住む両親は、学校を辞めて家でブラブラしていたキュルケを、然る老公爵と結婚させようとしたのだ。結婚などはまだしたくなったキュルケは、逃げるようにして祖国を飛び出して来たのである。

 彼女は己の情熱が赴くままに行動した。子供の頃から欲しいモノがあれば力尽くで奪って来たし、他人に文句を言われようモノなら、得意の“炎”で黙らせた。退学の原因となった、“ゲルマニア”で起こした事件も、そんな彼女の性格ゆえであったのだが……。持って生まれた性質はそう簡単に変わるモノでは当然なく、“トリステイン”でもその傍若無人さは遺憾なく発揮されているらしい。

 さて、そんなキュルケの隣には、碧い髪の小さな女の子が座っていた。まるで美の女神のように完璧なプロポーションを誇るキュルケとは正反対の、子供のような身体付きをしている。というか実際未だ子供である。眼鏡の奥の碧眼にはあどけなさが残っている。その目を光らせて、入学式であるにも関わらず、熱心に本を読んでいる。

 キュルケはなんとなく、その態度が癪に障ってしまった。勉強熱心な子供というのは、キュルケにとっては虐めの対象以外の何者でもないのだ。「なに読んでるの?」、と呟いて、ヒョイッと本を取り上げる。

 本を取られた少女は感情の込もってない目で、キュルケを見つめた。

 書いてある内容は、キュルケには難しくてサッパリのモノであった。

「なにこれ……“風の力が気象に与える影響とその効果”ですって? わっけ理解んない。貴女、こんな高度な“魔法”使えるの?」

 青髪の少女は答えずに手を伸ばす。

「ねえ? 人にモノを頼む時は、名乗るのが礼儀よ。ご両親からそんなことも習わなかったの?」

 モノを頼むも何も、取られた本を返せと意思表示をしているだけなのだが……その少女はしばし考えた後、「“タバサ”」と名乗った。

「なにそれ? “トリステイン”では変な名前を付けるのね!」

 キュルケは笑い転げる。

 クラス分けの説明を行っていた教師が、そんなキュルケを睨む。

 全然気にした風もなく、キュルケは笑い続ける。

 タバサは冷たい目でキュルケを見つめた。両親と……己が自分に課した“運命”の鎖ともいうべき名前を馬鹿にされたのである。

 今現ならいざ知らず、その頃のキュルケには、タバサの目の色が変化したことに気付かなかった。

 流石に見兼ねたのだろう、1人の桃色がかったブロンドの少女が立ち上がった。

「そこの貴女! 今、先生方が大事なお話されてるのよ! おだまりなさい!」

 先ほどから、キュルケの傍若無人な態度に腹を据え兼ねていたのだろう。

「貴女誰?」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あんたみたいな娘がいるなんて驚いちゃうわ!」

「ラ・ヴァリエール?」

 嬉しそうにキュルケは、ルイズの顔を見つめた。

「よろしく。ちなみにあたしはキュルケ・フォン・ツェルプストー。お隣さんとお逢いできるなんて光栄だわ」

 ルイズは、その言葉を聞くと震え出した。

「な、な、なんですってぇ?」

「よろしくね」

 ニッコリとキュルケは微笑んだ。

 そんな様子を震えながら見ていた1人の先生が、ツカツカと寄って来て、3人に怒鳴る。

「静かにしたまえ!」

 キュルケは、「理解りました」と言って席に着く。

 タバサは、ヒョイ、とキュルケの手から本をもぎ取るように取り返した。それから横目で、キュルケを見据える。そして、唇をギュッと噛み締めた。

 

 

 

 1学年のクラスは3つに分かれている。“ソーン”、“イル”、“シゲル”、とそれぞれ伝説の聖者の名が振られた3つのクラスである。

 キュルケとタバサは“ソーン”のクラス、ルイズとシオンは“イル”のクラスである。ギーシュとモンモランシーは“シゲル”のクラスに所属することになった。

 さて……入学式早々騒いで目立ったキュルケは、クラスの女子から散々に嫌われてしまった。“ゲルマニア”女の特徴である野性的な魅力と、その大きな胸は如何ともしがたいフェロモンを発し、クラスの男の視線を独り占めにしてしまい、嫉妬深いことで有名な“トリステイン”の少女たちを、ヤキモキさせたのだ。

 その性格もまた一因であった。“火の国”――“ゲルアニア”でさえ嫌われたキュルケの傍若無人っぷりは、慎み深い事が美徳とされる“トリステイン”人の神経を思いっ切り逆撫でしてしまったのである。

 キュルケは入学早々に、3人の男子生徒に色仕掛けを使った。理由は2つあった。まず、その3人の男子生徒たちは、彼女の好み的にクラスの中では比較的マシな方だったこと。そして次の理由は、こちらの方が彼女的には重要だったのだが……そう。暇だったからだ。

 1人目は、廊下で擦れ違い様に流し目を送った。

 2人目は、転んだフリをして胸を押し付けた。

 3人目は、わざと眼の前で足を組んだ。

 これだけで3人はキュルケに交際を申し込んで来たのだ。

 まるで役所の書記官が、運ばれて来た書類を整理するような感覚でキュルケはその交際の申込みを受けた。キュルケは何のフォローを入れる事もなく三股を掛けたこともあり、直ぐに3人の男子生徒たちの間で決闘騒ぎが持ち上がった。

 怪我をしたり、火傷をしたりといった決闘の結果、3人目が勝利をした。

 キュルケと付き合う権利を得た! と喜び勇んで勝利の報告を齎しに彼がやって来た時には……キュルケは、既に4人目を作っていた。

 それぞれの男子生徒を慕う女子たちは、当然怒り狂った。恋人を奪われた女連合が結成され、キュルケの元に談判を行った。

 その時5人目と6人目と、新たな三股を展開していたキュルケは、捨てられた女たちを見て鼻で笑った。

「貴女、いい加減にしなさいよね。何人恋人を作れば気が済む訳?」

「さあ? わからないわ」

 机に腰かけたキュルケは、堂々とした態度で爪を磨きながら言った。

「ふざけないで!」

「だって、あたし何もしてないもの。勝手にあの人たちが、あたしに言いに来るのよ。“キュルケ、部屋でワインを呑まないか?”、“キュルケ、詩を作ったんだ、聞いてくれるかい?”」

 キュルケは男の声音を真似して嘯いた。

「その度にあたし面倒だから答えるの。貴男たちのお国の言い方で“ウィ”ってね。綴りは合ってるかしら?」

 そんなキュルケの態度に、当然女子生徒たちの嫉妬は最高潮に達してしまう。

「良いこと? ここは慎みと伝統が尊ばれる“トリステイン”よ。蛮族が治める貴女のお国とは違いますの。恋をするにもやり方と言うモノがございますわ。それが理解らぬ田舎者は、直ぐにお国に帰って頂きたいわ」

「そんなに自分の恋人が心配なら、部屋に閉じ込めて置けば良いじゃないの」

「なんですって?」

「あたし、不思議でしょうがないの。そんなに嫉妬の炎を燃やすなら、どうして恋人を引き留める努力をなさらないの? 好きなら褒めて上げなさいな。貴女たちってば、ツンと澄ましてばっかりで、殿方が喜ぶ言葉を1つもかけて上げないらしいじゃない」

「それは殿方のお仕事ですわ!」

「あたしは違うわ。欲しいモノは、キチンと褒めるわ。じゃないと自分が惨めになるモノ」

「馬鹿にしないで!」

「ま、安心して頂戴。あたし、欲しいモノは何だって奪う主義だけど、その人にとって1番大事なモノだけは避けて奪いませんの」

「嘘ばっかり! 私たちの恋人に汚い手を伸ばした癖に!」

 キュルケは、ユックリと女たちを見回した

「だって1番じゃないのでしょ?」

「なんですって?」

「1番大事なモノだったら、こんな風に談判に来るなんて考えられませんもの。今頃あたしの首はこの肩の上に乗ってませんわね。違うかしら?」

 嫉妬する女子生徒たちは、思わずといった風に黙ってしまう。

「……く」

「あたしもまだ死にたくないから、1番は奪いませんわ」

 女子生徒たちはキュルケの迫力に圧され、顔を見合わせ始める。

「1番を奪う時は、こっちも命懸け。あたしの“系統”は“火”。“火”の本領は破壊と情熱。どうせなら命を燃やす情熱で、総てを壊してしまうような恋をしてみたいものね」

 さて、そんな風に恋人を量産することはできても、友達1人作ることができないキュルケであったが、タバサの方もまた負けず劣らずであった。

 なにせタバサは喋らないのだ。休み時間にも食事の時間にも、授業中も放課後も、寮の社交場でも、誰とも口を利こうとしないのだ。とにかく取り憑かれでもしたかのように黙々と……本を読み続けるのだ。誰かが話しかけても、タバサは基本無視をしてしまうのである。無視というよりかは、存在すら気付いていないんじゃないか? と相手に思わせてしまうほどである。

 そんな訳なので、タバサはからかいの対象になった。なぜか本名さえ黙して言わない為に、どこぞの私生児だ、という噂までが流れてしまう始末だ。

 そして決定的に反感を買われたのは、授業の時であった。

 

 

 

 それまでただの本の虫であると思われていたタバサが、見事な“風”の使い手だという事を、生徒たちが初めて知ったのは、“風”の授業の初回であった。

 “風”の講義を務める、教師のギトーは、開口一番、冷たい声でこう言った。

「今年の新入生は、不作だ」

 中庭に集まった生徒達は、当然この言葉に不満の色を見せた。

「入学書類を見たら、ほとんどが“ドット・メイジ”ではないか。“ライン”がやっと数名。“トライアングル”に至っては皆無だ。どういうことだね?」

 “ドット”や“ライン”というモノは足せる“系統”の数と実力を示す。“ドット”は1つの“系統”、“ライン”は2つの“系統”。同じ“系統”でも複数足せばより強力な“呪文”になる。

 ギトーは、「君らにはなにも期待しないがこれも仕事だ」、と呟いて授業を開始した。内容は、“風”の基本といえる、“フライ”と“レビテーション”である。

 しかし……ここでタバサが活躍をしてみせた。

 タバサは誰よりも早く、高く“フライ”の“呪文”で飛んだのだ。それでも目立たぬようにと、大分と力をセーブしていたのだが、ギトーは首を捻った。

「“ドット”にしては中々やるではないか」

 彼はタバサの実力を知らなかったこともあり、この発言も致仕方なかった。

 諸事情あって、タバサの本名と実力を知る者は、ここ“トリステイン魔法学院”に於いては学院長のオスマン以外にはいない。その上、ギトーは留学生の書類には目も通していなかったのである。

 とにかく、「クラスの1番若い少女に負けて悔しくないのかね?」、とギトーに言われ、生徒たちは憤慨した。

 その結果、昼食後の球形の時間、1人の“貴族”の少年がタバサに試合を申し込んだのだ。

 この場合の試合というのは、ほぼ決闘と同じモノであるといえるだろう。決闘とはいっても、この時代ほとんど人死などは出ない。止めを刺すのが“貴族”の作法、などと言われた頃もあったが、そのような豪傑英雄の時代は歴史の彼方に消えていたのだ。お互い致死性の低い“呪文”を唱え合い、傷の1つでも付いたらそこで勝負が決する。たまに腕の1本くらいは折れることもあるが、命のやり取りよりはマシである。相手の“杖”を手から落とさせるのが、優雅な勝ち方と言われていた。

 タバサに決闘を申し込んだ少年は、ド・ロレーヌと言った。“風系統”の名門の家系である彼はわずか学年数名のエリート、“ライン・メイジ”であった。

 そんな彼は、身元不明のタバサに。“フライ”の“呪文”で負けたことがどうにも我慢がならなかったらしい。日頃、“風”で自分の右に出る者はいない、と豪語していた所為もあり、なんとしてでもタバサをやり込めたかったのだ。

 そして、ド・ロレーヌは中庭で本を読むタバサに近寄り、「ミス、貴女に“風”をご教授願いたいのだが」と試合を申し込んだ、という訳である。

 タバサは、当然答えない。

 そんなタバサの態度を前にして、ド・ロレーヌはカチンと来てしまった様子を見せる。

「人がモノを頼んでいるのだ。本を読みながら聞くとは、無礼ではないかね?」

 タバサはそれでも答えない。頬に当たる微風のように、ド・ロレーヌの言葉を聞き流している。

「なるほど、やはり試合となるとどうにも勝手が違うようだ! そうだな、試合となれば、これはもう命のやりとりだからな! 授業で飛んだり跳ねたりするのとは訳が違う!」

 タバサは本のページを捲った。ド・ロレーヌの侮辱の言葉など、この碧眼の少女には届いていない様子である。

「ふん!」

 ド・ロレーヌは鼻を鳴らした。それから、唇の端に酷薄そうな笑みを浮かべ、口を開く。

「なるほど、君がどうやら私生児と言うのは本当のようだ。おそらく母の顔さえ知らんのだろう。そのような家柄の者に嫉妬すれば、僕の家名に傷が付く!」

 そう言い残して立ち去ろうとした時、タバサはやっと立ち上がった。

 今のキュルケが見れば気付くだろう。その感情の窺い難い碧眼の中……吹き荒ぶ冷たい雪風に。

「やる気になったのかね?」

 タバサは本をベンチに置くと、つい、と開けた場所に向かった。

 10“メイル”ほどの距離を置いて、タバサとド・ロレーヌは対峙した。

「君のような庶子に名乗る謂れはないのだが、これも作法だ。ヴィリエ・ド・ロレーヌ、謹んでお相手仕る」

 しかし、タバサは名らない。

「この期に及んで名乗る名前がないとは憐れだね! 手心は加えんよ! いざ!」

 そう怒鳴って、ド・ロレーヌは“ウィンド・ブレイク”の“呪文”を唱えた。一気に向こうまででタバサを吹き飛ばすつもりであろう。

 タバサは身構えもせずに、自分を吹き飛ばそうとする烈風を待ち受ける。

 ド・ロレーヌは、(なんだあれは?)、と“呪文”を唱える素振りすら見せぬ、タバサを見遣る。

 彼が唱えた“ウィンド・ブレイク”は強力な“呪文”であり、対抗する“呪文”を唱える為にはそれなりの時間が必要となる。それであるにも関わらず……タバサは、己の身長より長い“杖”をお右手に握り締め、まるで呆けたように待ち受けるのみである。

 ド・ロレーヌが、(試合などしたことがないゆえに戦いの駆け引きを知らぬのか、それとも一瞬で怖気付いたか……どっちにしろもう間に合わない。貰った!)と思い、勝ちを確信したその瞬間……。

 タバサが、ツイッ、と、眼の前の蜘蛛の巣でも払うかのような何気ない仕草で“杖”を振る。たったの一言、“呪文”の“ルーン”を唱える。ただそれだけの動きと“ルーン”で、タバサは辺り一帯の空気の流れを支配してみせた。

 最小限の空気の流れに従って、ド・ロレーヌの放った“ウィンド・ブレイク”は行き先を変え、その詠唱者を襲う。

 ド・ロレーヌは己の放った烈風によって壁に叩き付けられてしまった。間髪入れずに、タバサは“呪文”を唱えた。

 空気中の水蒸気が氷結し、無数の氷の矢となり、ド・ロレーヌを襲う。

「ひっ!?」

 カンカンカンカンカンカンカンカン! と乾いた音がして、ド・ロレーヌのマントと服が壁に縫い付けられてしまう。

 ド・ロレーヌは恐怖した。生まれて初めて圧倒的な“風”の力に恐怖したのだ。(“風”の“系統”は、これほどに強力だったのか!?)といった具合に。

 身動きのできぬド・ロレーヌの前に、一際大きな氷の矢が飛んで行く。

「死ぬ! 救けて!」

 ド・ロレーヌは思わず絶叫した。己の腕ほどもあろう太さの氷の矢は、ド・ロレーヌの眼前でピタリと停止した。そしてユックリと溶け出し……彼の眼の前に水溜りを作り上げる。

 同時に、身体を壁に縫い付けていた氷の矢も溶け出した。

 戒めの解けたド・ロレーヌは、ガタガタと震えた。足元に、氷の矢が作ったものではない別の水溜りが出来上がってしまう。己の股間から溢れた液体が作り上げた生暖かいその水溜りに、ド・ロレーヌは膝を突いてしまった。

 “杖”を放り出し、「赦してくれ!」と、ド・ロレーヌは這い蹲って逃げ出した。眼の前に小さな足が見え、ひぃいいい! と喚いて後退る。

 表情の変わらぬタバサが立って、ド・ロレーヌを見下ろしている。

「赦してくれ! 命だけは! し、試合なんてただの遊びじゃないか! 命のやり取りなんてそんな、大昔の事じゃないか!」

 先ほど自分が言った言葉を否定するような台詞を、ド・ロレーヌは吐き出した。

 タバサは、そんな彼に、グッ、と“杖”を突き出した。

「後生だ! なんでも言うことを利くから命だけは!」

 タバサは手に持った小さな“杖”を指さして、短く言った。

「忘れ物」

 それは、ド・ロレーヌが先ほど放り投げてしまった彼の“杖”であった。

 

 さて、そんな風にクラスメイト達にさんざん恥を掻かせたキュルケとタバサであったが……どうにも収まりの着かなかったのは、キュルケに恋人を奪われた女子たちと、タバサにコテンパンにやられてしまったド・ロレーヌであった。

 彼と彼女らは、コッソリと計画を練った。自分たちに恥を掻かせた2人を、赦すことができないのであった。

 ド・ロレーヌは、女子生徒たちにとある作戦を提示してみせた。

 彼の計画を聞いた女子たちは、「それは好いわ」と首肯いた。

 自分たちが犯人であると気付かれずに、憎っくき2人を纏めて掃除できるかもしれないだろう計画であったからだ。

 

 

 

 新入生歓迎の舞踏会が行われたのは、“ウル(5)”の月の第2週、“ヘイムダル”の週の週未であった。今日の主役は新入生である為、上級生たちがホールの会場を飾り付け、ホストとして振る舞うのだ。

 テーブルの上には新入生たちの胃袋を歓迎する為の美味珍味が並び、着飾った上級生たちが、下級生の誰にタンスの申し込みをするのかを相談し合っている。

 この日の人気は、なんといっても“ゲルマニア”からの留学生、キュルケであった。社交に慣れぬ新入生は、ドレスの着熟しもダンスも未だ下手であり、上級生の相手を務めるには問題があったが、“ゲルマニア”の社交界をいろいろな意味で賑わしていたこの新入生は一味違うのである。ふんだんに色気を発し、匂い立つ花のような美貌を誇っている。上級生たちの話題は誰がこの新入生をダンスに誘うのか、それで持ち切りになっていた。

 そういった事もあり、キュルケが胸の大きさを殊更に強調する黒の際どいパーティドレスに身に包み、髪を街で流行りの形に結い上げ、情熱の赤いルビーのネックレスを首に巻いて現れた時、会合上の紳士たちから感嘆の溜息が漏れた。溜息はうねりのように響き、一瞬でキュルケは会場の注目を一身に集めたのだ。

 会場の女子生徒たちは、そんなキュルケの姿を見て思わずといった風に目を逸らしてしまう。そして、口々にドレスや髪型に難癖を付け始めるのだ。外国の女に注目を奪われたのが、物凄く悔しかったのである。

 キュルケの周りには上級生の男子生徒たちが群がり、盛んにダンスを申し込んだ。

 キュルケは満足そうに目を細め、まるで女王のように振る舞ってみせた。

 キュルケが杯を握れば、誰かが隙かさずワインを注ぎ足す。キュルケがチーズを頬張れば、誰かが肉の乗った皿を運んで来る。キュルケが何か冗談を言えば、隙かさず全員が笑い転げるのだ。キュルケの一挙一投足に、会場は注目した。

 音楽が奏でられ始め、キュルケは1人の“貴族”をダンスの相手に選んだ。長身の、美形の2年生である。まるで彫刻のような笑みを浮かべるその美男子は、キュルケの差し出した手の甲に唇を押し付けた。

 この2人が本日の主役であることは、誰の目にも明らかであった。

 その様子を遠くのテーブルから一段と冷ややかな目付きで眺めるグループがあった。例の復讐グループの少女たちである。その2年生に憧れていた1人の女子が、ハンカチを噛み締めて悔しげに髪を揺らす。

「まぁ~~~なんなのかしら!? ペリッソン様にあんなに近付いちゃって……」

 復讐グループのリーダー格、トネー・シャラントが、灰色の髪を掻き上げながら呟く。

「見てらっしゃいな。今、赤っ恥を掻かせて上げるから……」

 そして彼女は、カーテンの陰に隠れたド・ロレーヌに合図を送った。

 彼はホールの隅っこのカーテンの裏に隠れ、ずっとこの時を待っていたのであった。

 打ち合わせ通りに“呪文”を唱え、スッとキュルケに向かって“杖”を突き出した。

 

 

 

 美形の2年生に腕を添え、ホールの中心へと向かうキュルケの身体に、小さな旋風が纏わり付いた。

「なにかしら?」

 呟く間もなく、旋風は唸りを上げキュルケのドレスに絡み付き始めた。

「ん? ありゃ?」

 小さな無数の風の刃、キュルケのドレスも下着も全て一緒くたに切り裂いてみせた。

「きゃあああああ!?」

 そう悲鳴を上げたのは、キュルケではなく近くにいた女子生徒であった。

 キュルケは靴以外、生まれたままの姿になって、会場のど真ん中に立ち尽くしてしまう。

 キュルケをエスコートしていた2年生は鼻血を噴出させて倒れてしまう。

 会場にいた紳士たちは、教師も含めてキュルケを喰い入るように見つめた。

 キュルケに対して良い印象を持ってなかった淑女たちのほとんどは、この突然めいたハプニングに悲しげな溜息をも漏らしたが、(好い様だわ!)と内心微笑んだ。

 しかし……キュルケはこの不幸な出来事に取り乱したところも見せる事なく、大した女王っぷりを発揮して見せた。

 浅黒い、野性的な魅力を放つ身体を隠そうともせずに堂々と壁際に向かい、そこに置かれているソファへと腰掛ける。

 そして遠巻きに生徒たちが見守る中、脚を組み、「涼しくなったわね」と感想を呟く。

 そこに犯人であるド・ロレーヌが悪怯れた様子を見せずに近付き、「災難だったね」と言いながら、自分の上着をキュルケに掛けてやった。

「いったい誰が、こ、こんなことを……?」

 キュルケの見事な肢体から顔を逸して、ド・ロレーヌは言った。思わず、彼の頬が染まる。

「だいたい見当は付くわ」

 顔を見合わせ、クスクスと嘲笑いながらキュルケを見やる女子の一団を、彼女は見つめた。

 ド・ロレーヌはキュルケの耳に口を近付けた。

「あの……カーテンの陰に犯人らしき影を見かけたんだが……」

 キュルケは疑わしげにド・ロレーヌを見つめる。

「ふーん。ほんと?」

「ああ。それを言ったら、僕とデートをしてくれるかい?」

 ド・ロレーヌは、打ち合わせ通りの言葉を口にした。「そう言えば、キュルケは疑わずに信じるはずだ」、とトネー・シャラントに言い含められていたのだった。

 キュルケはド・ロレーヌの顔を見つめた。

 ド・ロレーヌの顔は、生真面目そうな顔をしている。勉強や“魔法”には自信があるが、色事にはからっきしといった手合である。さらには、密かにキュルケに憧れている、と彼女に認識させた。キュルケは、ニヤッと笑った。(なぁんだ、こいつもただのあたしの信奉者なのね)、とナメた。自惚れの激しい者は、真実を見る眼が曇ってしまうことが多いのだ。

「良いわ。言ってごらんなさい」

 ド・ロレーヌは、小さな声で言った。

「……小さな女の子だった。君の方を見て、“杖”を振ったから間違いないと思う」

「誰だったの?」

「顔が良く見えなかった」

 ド・ロレーヌは恥ずかしそうに付け加えた。

「ほら、その後、ドレスが布切れになってしまった君に注意が逸れたもんだから。あいつの仕業か? と思って振り向いたら、もうその場にはいなかった」

「ふーん。なにか証拠でもおありになるの?」

 ド・ロレーヌはポケットから1本の髪の毛を取り出した。青みがかった色をしている。

「珍しい髪の色ね」

「こんな色した髪の持ち主、そうそういるって訳じゃないよね?」

 ド・ロレーヌは首肯いた。

「ありがとう。なんとなく心当たりがあるわ」

 キュルケはそう呟いて、会場を見回す。そして……眼鏡を掛けた小さな少女に目を留め、(あの娘、確か、“タバサ”といったかしら?)と思い出し、同時に(隣に立っているド・ロレーヌは、彼女と決闘騒ぎを起こさなかったか?)と疑問を抱く。だが、そういう事には興味が持てないので、小耳に挟んだだけではあるのだが。

「貴男、あの娘と決闘しなかった?」

 ド・ロレーヌは、「ああ」、と首肯く。

「恥ずかしいけど、コテンパンにやられたよ」

「みたいね。決闘の理由は?」

「僕に無礼な態度を取ったもんだから、母親の顔が見たい、言ってやったんだ。ほらあいつ、変な名前をしてるだろ? きっと、卑しい生まれを隠してるのさ」

 ド・ロレーヌは、「そう言ったら逆上したよ。不意を突かれてしまってね」と嘘を吐いた。

 キュルケは、首を傾げる。そして、(入学式の時散々からかったけど、理由はそれかしらね? 自分もあの娘の名をからかったっけ)と思った。

 キュルケは目を細めて冷酷な笑みを浮かべ、タバサを見つめた

 ド・ロレーヌは、自分の計画が上手く行きそうなのを見て取り、心の中で北叟笑んだ。

 名前を馬鹿にされたことでタバサは恨みを抱き、それで自分に復讐したと、キュルケはキッチリ思い込んだのである。

 ド・ロレーヌにこの案を授けたトネー・シャラントは、タバサとキュルケの入学式でのやり取りを覚えていて、今回の計画に利用したのであった。

 

 

 

 翌日の朝……。

 キュルケは教室に入ると、タバサの隣に腰かけた。

 タバサはジッと、本を読んでいた。

 キュルケはその本を取り上げる。

「貴女……割と粋な復讐を考えるのね」

 タバサは答えない。

「そんなに、名前を馬鹿にされたことが赦せなかったの?」

 タバサは首を傾げ、キュルケを見つめる。

 キュルケはドレスの切れっ端を、タバサに放った。

「高かったのよ」

 タバサはその布を指で摘み、見つめる。

「あたし、貴女にも同じように恥を掻いて頂きたいのだけど、よろしくて?」

 訳が理解らない、というようにタバサは首を振る。

「恍けないでちょうだい。貴女、“風”が得意なんでしょう? あたし、“風”って嫌いだったけど、ますます嫌いになったわ。貴女みたいに、コッソリ陰から飛ばす旋風の厭らしさったら、ないわね」

「わたしじゃない」

 タバサはそこでようやく、口を開いた。

「この期に及んで恍ける気?」

 キュルケの赤髪がざわめく。余裕の笑みを浮かべ、落ち着き払った声でキュルケは言った。

「なら覚えてらっしゃい。そのうちキチンと思い出させて上げるから」

 そして立ち上がり、キュルケは自分の席へと向かう。

 そんな様子を、コッソリと教室の隅で盗み聞きしていたトネー・シャラントとド・ロレーヌは顔を見合わせ、コッソリと微笑んだ。

 直ぐに第二次の計画が実行に移された。

 その日の放課後、タバサが自室に戻ると、そこは惨状を呈していたのだ。焦げ臭い臭が立ち籠め、タバサの唯一の友といって良い書籍が並んだ本棚が無残に焼け焦げていたのだ。

 タバサは焼け残った本を手に取る。パラパラと灰に成ったページが舞い落ちる。

 タバサはキュッと唇を噛み締めた。感情の窺い辛い瞳が、辺りを見回す。ベッドの上に落ちている、1本の長い髪の毛に気付く。拾い上げ、部屋に置かれたカンテラの灯りに透かす。

 赤く髪の毛は光った。

 タバサの紺碧の瞳の中、雪風が、冷たく強く吹き始めた。

 

 

 

 夜更けに、キュルケの部屋の扉がノックされた。

 “学院”中の生徒や教師にただで肢体の鑑賞を提供した事について、激しい怒りを燃やしていたキュルケはドアの向こうの人物に向かって尋ねた。

「誰?」

「わたし」

 タバサの声であった。

 キュルケの唇の端っこが、猛烈な勢いで吊り上がった。外では決して見せることのない残酷な笑みを浮かべた後、キュルケはドアを開けた。

 大きな“杖”を握ったタバサが立っている。

「やる気になったのかしら?」

 自分の胸ほどの高さしかない身長の少女を見下ろして、キュルケは尋ねた。

 タバサは答えない。ただ、ジッ、とキュルケを冷たい目で見据えた。その目の光がキュルケの問いを静かに肯定している。

 キュルケは再び口を開き、「場所は?」と尋ねる。

「どこでも」

「時間は?」

「今直ぐ」

「大変結構」

 キュルケは“杖”を握ると、先に立って歩き出した。

 

 

 

 昼間でもあまり人の来ない“ヴェストリの広場”の中、キュルケとタバサは向き直った。

 月明かりだけが、2人を見守る観客のようである。

 しかし……他にもこっそり茂みや塔の陰に観客が忍んでいた。ド・ロレーヌや、昼間こっそりとタバサの部屋に忍び込み本棚を燃やし尽くしたトネー・シャラントを代表とする復讐グループの女子たちである。

 彼と彼女らは、自分たちの計画が成功したことを喜び、最後の詰めを見届けるべく、こっそりとタバサの跡を着けたのであった。

 闇がシットリ春の夜気分を包む。

 キュルケは“杖”を眼の前に掲げた。

「取り敢えず謝罪を申し上げるわ。貴女の名前をからかったこと……悪気はなかったの。ほらあたし、こんな性格じゃない? ついつい人の神経逆撫でしてしまうようで」

 タバサはいつでも“呪文”を“詠唱”できるよう、大きな“杖”をスッと下げた。

「でも、あそこまで恥を掻かされるとは思わなかったわ。だから遠慮はしませんことよ」

 しかしキュルケは、タバサの小ささに気付く。(怒りに震えたとはいえ、こんな年端の行かない少女を嬲り者にして良いものだろうか?)といった疑問が少しばかり彼女の中に浮かび上がる。

「貴女、あたしをただの色惚けと思って、腕前を勘違いしてないでしょうね? あたしは“ゲルマニア”のフォン・ツェルプストー。ご存知?」

 タバサは首肯いた。

「なら、その戦場での噂を知ってるわね。あたしの家系は炎のように陽気だけど、それだけじゃなくってよ。あたしたち、陽気に焼き尽くすの。敵だけじゃなくって……時には聞き分けの悪い味方もね」

 タバサは、ジッ、とキュルケを見つめた。「それがどうした?」、と言わんばかりの態度だ。

「あたしの1番の自慢はこの身体に流れるそのツェルプストーの炎。だから眼の前に立ちはだかるモノはなんでも燃やし尽くすわ。例え王さまだろうが、子供だろうが、ね」

 タバサは“呪文”を“詠唱”し始めた。キュルケの脅しの言葉は、何の効果もタバサには与えなかったようである。

「警告したわよ」

 キュルケは“杖”を振った。軍人としての教育も存分に受けている。本気になった時の“詠唱”は、誰よりも速いといった自負が彼女にはあった。

 “杖”の先端から、遠慮のない大きさと威力の炎の球が現れ、タバサへと向かって飛ぶ。

 タバサは咄嗟に“呪文”を変え、氷の壁を眼の前に作り上げた。

 分厚い氷の壁は、キュルケの炎球を受け止め……溶け落ちる。しかし、完璧には止められずにタバサの髪を焦がした。

 後ろに跳び退り、タバサは攻撃に転じた。空気中の水を氷結させ、四方八方から氷の矢を飛ばす。

 ド・ロレーヌを壁に縫い付けた時の3倍にも及ぶ矢数がキュルケを襲う。

 キュルケは“杖”を振った。

 炎が、キュルケの身体の周りを回転し、氷の刃に巻き付き、溶かし尽くす。しかし、溶かし切れなかった1本が頬を掠めた。

 ツイッ、とキュルケの頬に血が流れる。

 しかし……攻撃はそこまでであった。キュルケも、タバサも。

 2人は“杖”を下ろした。そして、お互いを見つめ合う。

 キュルケは頬を垂れる血を、ペロッと舌で舐め上げる。

 タバサも、焼け焦げた髪を手で確かめる。

 茂みの中に隠れたド・ロレーヌが、隣で息を潜めるトネー・シャラントに尋ねる。

「……どうしたんだ? もう終わりか?」

「……私にわかる訳ないじゃない、ったく、早いとこ再開しなさいよ。勝負はまだ着いてないじゃない」

 ド・ロレーヌとトネー・シャラントには、どうして1回ずつ攻撃を繰り出しただけで、タバサとキュルケが戦いを止めたのか、理由が理解らなかった。

 キュルケは、唇をへの字に曲げて言った。

「参っちゃったな……勘違いみたいね」

 その恍けた台詞に、ド・ロレーヌたちは、(今はそんな暢気な事を言ってる場合じゃないだろう? 命のやり取りをしていたはずじゃないのか?)とますます混乱する

 タバサもキュルケと同意見だったらしく、首肯いた。

 それからキュルケに近付き、焼け焦げた本を差し出した。

 キュルケはそれを確かめ、首を横に振った。

「あたしじゃないわよ」

 タバサはキュルケを見上げた。

 キュルケはニッコリと笑うと、その肩を叩いた。

「嫌ね、あたしは欲しいモノは奪うけど、その人にとって1番大事なモノは奪わない主義よ」

 タバサが口を開いた。

「どうして?」

「だって、命のやり取りになるじゃない。そんなの、面倒じゃない」

 陽気にキュルケは笑った。

 連られた様子で、タバサも軽く微笑んだ。

 気付いたように、キュルケが言った。

「貴女、そうしてた方が可愛いわ」

 キュルケは“杖”を掲げる。彼女の“杖”の先端から花火のように小さな炎の球が何個も打ち上がり、辺りを真昼のように照らした。

 その明かりの中に、暗がりに潜んでいるド・ロレーヌ達たちの姿が浮かび上がる。

「ひ!? ひぃいいいいいいい!?」

「なにしてんの? あんた達?」

「い、いや! ちょっと散歩などを!」

「散歩は後にして、そうね。恥を掻かせてくれたお礼をさせて頂きたいわ」

 逃げ出そうとする女子たちやド・ロレーヌの足に、タバサの風のロープが絡み付く。

 倒れたド・ロレーヌに、キュルケは近付いた。

「ど、ど、ど、どど、どうして!?」

「どうしてバレたのかって、仰りたいの?」

 ド・ロレーヌは痙攣するようにして首肯いた。

「あのね? “強者は強者を知る”って言葉はご存知? あたしたち“トライアングル・クラス”になれば、自分に掛けられた“呪文”の程度はわかっちゃうの。ホールであたしのドレスを切り裂いてくれた旋風と、さっきのこの娘の氷の矢、同じ“風”でも纏う オーラが違ってよ?」

「ひ! ひ! ひぃいいい!」

 “トライアングル”と聞いて、転ばされた全員が震え上がる。

「お互い“トライアングル”ってことにあたしもタバサも気付いたから、“杖”を収めたって訳。あたしの炎で燃やしたら、原型を留めた本なんか残る訳ないじゃないの。覚えて置いてね? あたしの“火”は、全てを燃やし尽くすのよ」

 ド・ロレーヌたちは立ち上がると逃げ出した。

 タバサが“呪文”を唱えようとするのを、キュルケは押し留めた。

「あたしに任せて」

 タバサは首を振る。

「本くらいなによ。あたしが本の代わりに友達になったげるわよ。でもあたしが掻いた恥は……代わりになるモノが見付からないわ。貴女の仇も、纏めて討って上げるから、見てなさい」

 タバサの心の中に、温かい何かが生まれた。「友達になって上げる」。そんな風に言われたのは……名前を捨ててから、初めてのことであったのだ。その言葉が……“タバサ”の、自分の心に吹き荒ぶ雪風をわずかに溶かしたような、そんな気にさせたのだ。

 タバサは首肯いた。

「“1個借り”」

 小さくはにかんだ調子で、タバサは呟く。どことなく嬉しい響きが混じる。何かを借りられる関係の人間が出来た、その事が、なぜかとても嬉しかったのである。

「ええ、賃しとくわ。そのうちに返してね」

 キュルケは落ち着いた声で、余裕の態度で“呪文”を“詠唱”し始めた。

 逃げ惑うド・ロレーヌたちに向かって、炎の球が飛ぶ。

 踊るような仕草で、楽しげに歌うような声で、炎の女王は次々と火炎を飛ばす。

 キュルケは怒れば怒るほど、声が落ち着き、態度は余裕を奏でるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話を聞き終わったモンモランシーが呆れたように言った。

「ド・ロレーヌや、トネー・シャラントたちが、髪と服を燃やされて塔から逆さ吊りになってたあの事件はあんたの仕業だったのね」

「そうよ」

 キュルケは愉しそうに首肯いた。

 翌日の朝、救出された時、ド・ロレーヌたちは、「自分たちが勝手にぶら下がった」と言い張った。そういったこともあり、その事件の真相は誰も知らなかった。余程、キュルケに脅迫でもされたのだろう。

 ギーシュは大きく首肯いた。

「つまり、さっきタバサが“1個借り”と言って引き受けたのは……そん時君がタバサの分の仇も、纏めて討ったからなんだな?」

「そうよ」

 給仕をしていたルイズとシオンや、眼が覚めた後に皿を洗っていた才人もいつの間にやらテーブルの輪に加わり、話に聞き入っていた。

 キャミソール姿のルイズが呆れた声で言った。

「でも、そん時あんたは、自分がド・ロレーヌたちを痛め付けたくって、勝手にタバサの分まで横取りしたんでしょ? そんなの賃しでもなんでもないじゃないの」

「そうとも言うわね」

「君は非道い女だな」

 ギーシュがせつない声で言った。

「あたしってばきっと……」

「きっと、なんだね?」

「すっごい我儘なのかも、しれないわね」

 首を振って、悩ましげにキュルケが呟く。

 一同は、(こいつ、気付いてなかったのか?)と深い溜息を吐いた。

「あんた、こんな女の代わりに決闘なんかする事ないじゃない。話聞くと、それってルイズの言う通り。借りでなんでもないわよ」

 モンモランシーが、本を読んでいるタバサに言った。

 タバサは、違う、と心の中で首を振る。あの時キュルケが討った自分の分の仇が、キュルケが自分に賃したモノではないのだから。「あたしが友達になったげる」、といったタバサがキュルケに借りたのはその言葉だ。自分が代わりに立ち上がったのである。友情の証明として。借りたモノは、返さなくてはいけないのだから。

 だが、タバサはそんな説明を一々しない。ただ、短く首肯いた。

「ふぁあああああああ」

 キュルケは大きく欠伸をした。

「呑んで喋ったら、眠くなっちゃったわ」

「そう。なら、帰りなさい」

 冷たい声でルイズが言う。

「面倒だから泊まるわ」

「お金は?」

「ご馳走さま」

「ふざけないで! あんたどれだけ飲み食いしたと思ってるのよ!?」

「“学院”の皆にバラすわよ」

 そんなキュルケの言葉に、ルイズは黙って俯いてしまう。

「私が、代わりに支払うわ」

 シオンの言葉に満足した様子を見せたキュルケは、タバサを促すと、立ち上がり、2階へと消えて行く。

 テーブルにはモンモランシーとギーシュと才人とルイズとシオンが残された。

「あああ、あの女。いいい、いつか絶対殺してやるんだから……」

 ワナワナとルイズが震えており、それをシオンがなだめようと試みる。

 ギーシュはモンモランシーの服の裾を摘んだ。

「なによ?」

「きょ、今日はここに泊まろうか?」

「……良いけど、ベッドは2つよ」

「あんた達は払いなさいよね」

 ギロッ、とルイズが睨む。

「いや、金がなくて……ま、あの2人のついでじゃないか」

「ふざけないで!」

 そうルイズが怒鳴った時、才人は以前、この2人に金を貸してそれっ切りであったことを思い出した。“惚れ薬”の解除薬を造るのに必要であった為に、確か500“エキュー”ほど渡したはずであった。その金はまだ、返済されていない。

「おいギーシュ」

「なんだね?」

「お前たちに金渡したよな? あれ返せ」

 ギーシュとモンモランシーは困ったように顔を見合わせた。

 才人の背中に、冷や汗が流れる。

「おい……まさか使ったとか言わないよな?」

「いや……違うんだ。その……」

「なにが違うんだ?」

「あのね? ちょっとね、“ポーション”を造るのに必要に駆られて……」

 モンモランシーが、愛想笑いを浮かべた。

「使っちまったのかよ!?」

「そのうち返すわよ!」

「そのうちっていつだよ!? この貧乏“貴族”が!」

「誰が貧乏よ!」

 さて、そんな風に醜く掴み合いになろうとした時……。

 店の中に、先ほどタバサに吹っ飛ばされた“貴族”たちが顔を見せた。

 ギーシュとモンモランシーに気付き、近寄って来る。

「なんだあんたたち?」

 才人が言った。

 ギーシュとモンモランシーは、ギョッ、として震え始めた。

 年嵩の“貴族”が口を開いた。

「先ほどのレディたちはどこに行かれた?」

「う、上で寝てます」

 モンモランシーが震えながら答えた。

 士官たちは顔を見合わせた。

「逃げられたか」

「そのようだね」

「な、なんの用ですか?」

 ギーシュが尋ねる。

 ニッコリと“貴族”は笑みを浮かべた。

「いやなに、是非とも我ら、先ほどのお礼を申し上げたいと思ってな。しかし、我らだけでは十分なお礼ができそうにないので、ほら、このように1個中隊引っ張って来た」

 ギョッ、として、一同は外を見つめる。何百人もの兵隊が並んでいる為、椅子から転げ落ちそうになる。

「かしらぁ~~~~~~~~! 右!」

 先頭に立った士官が大声で号令を掛けると、ガシャン! と響きを立てて武器を持った兵隊たちが整列する。

「ただいま、あいつらを呼んで来ます!」

 ギーシュが立ち上がり、2階へと消えようとする。

「いやいや、逃げられては困りますぞ。なに、お礼を述べるのはお仲間でも構いません。仇を討ち、討たれるのはこれ、友人の権利であり、義務ですからな」

 シオン達は慌てて逃げ出そうとした。しかし、呆気なく士官たちに捕まり、ズルズルと5人は外にやっぱり出される。

「貴方たちには相当な使い手なのでしょうな! なにせあのレディのご友人なのだから! ご遠慮なさらずに、せいぜい暴れて頂きたい!」

「助けて! 友人じゃないから!」

「お客さま、申し訳ございませんが、これ以上問題を起こすようでありましたら、今後、ご店来の方をお断りさせて頂くことになりますが?」

 見兼ねた俺はスカロンに顔を向ける。

「なんだね君は?」

「セイヴァー?」

 スカロンが首肯いてくれた為、俺は外へと出て、1個中隊で来た“貴族”たちへと声を掛けた。

 地獄に仏といった様子で、5人が俺へと期待の目を向けて来る。

「彼らの様子を見る限り、君もあのレディのご友人かな?」

「ええ、そうなりますかね」

 1人の士官の確認に、俺は首肯く。

 すると、“貴族”たちは好戦的な視線を向けて来る。

「では、君にも参加して頂こうか」

「それは構いませんが、先ほどの言葉に嘘偽りはございませんよ。それに」

「それに、なんだね?」

「“負けたことが悔しい、貴族としてのプライドが、陛下に申し訳が立たない”などと思っているのでしょうが、それは違うと思いますがね」

「ふむ、それはどういう意味かな? 言ってみたまえ」

「では、僭越ながら……大人気ない、実に大人気ない。この行為自体が陛下の評価を下げる事になぜ気付かない?」

「よろしい、結構だ。では、始めよう」

 俺の言葉が、どうやら気に障ったらしく、“ナヴァール連隊”は“魔法”による攻撃を開始して来た。

 

 

 

 2時間後……。

 結局呑み足りなくて店に下りて来たキュルケは、ボロボロになってテーブルに突っ伏しているルイズとシオンとモンモランシーとギーシュと才人を見付けた。

 一同は兵隊にボコられ、半分死んでいるといっても良い状態だ。

 ルイズは先日“エクスプロージョン”を使いまくったこともあって、既に“精神力”が切れていた。

 才人は例によって、デルフリンガーを屋根裏部屋に置きっ放しにしていた為に、何もできなかった。

 ギーシュは何もできず、2秒でやられてしまった。

 モンモランシーは戦いが嫌いだったので中立宣言をしたが、認められずにやられてしまった。

 キュルケは何があったのか理解らずに、頭を掻いた。

「貴方たち、なにがあったの?」

 外からまだ爆音が響き聞こえる中で、テーブルに突っ伏した一同が恨めしげな声で答えた。

「“1個賃し”」



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トリスタニアの休日と狐鼠狩り

 “サン・レミ”の寺院の鐘が、11時を打った。

 俺と才人はやや駆け足といった具合で、“チクトン街”を中央広場へと向かっているところである。

 なぜ走っているのかというと……待ち合わせをした時間を少しばかり過ぎてしまい、遅れてしまいそうになっているからである。

 人混みを掻き分け、どうにかこうにかやっとの想いで中央広場へと到着すると、そこでは待ち人の2人、特にその1人が不満を隠すこともなくそれを表情に出して唇を尖らせていた。

「よ、よお」

 噴水に腰かけていたルイズは、才人を見ると頬を膨らませた。

「なにやってるのよ!? 遅いじゃないのよ!」

「まあまあ、ルイズ。なにか事情があったんでしょ? だから、落ち着いて。まだ間に合うから、ね?」

 シオンの言葉を聞いてどうにか落ち着いた様子を見せるが、やはりまだ不満そうな様子を見せるルイズ。

「いや……出かけにスカロンさんに捕まっちゃって」

「放っておきなさいよ」

「いや、一応、雇い主だし……」

 ルイズに事の事情を説明する才人だが、ルイズはそれでも待たされたことに対して不満を少しばかり抱えているのだろう。彼女は才人をガミガミと責め立てる。

 才人は、(嗚呼、こんなに怒られるんなら、待ち合わせなんかするんじゃなかった)、と思い、頭痛を感じているといった様子を見せた。

「まあ、落ち着きたまえ、ルイズ。スカロンは雇い主であり、俺たちは宿泊もさせて貰っている立場だ。無碍に扱う訳にもいくまいて」

 シオンの言葉、俺の言葉、そして才人の謝罪とその理由などから、どうにかルイズは落ち着きを取り戻す。

 ルイズは、一応、いや、出かけるということもあり、最低限ではあるがお粧しをしていた。“貴族”とバレては困る為に、豪華な格好ではなかったのだが……最近街娘の間で流行りだといわれている、胸の開いた黒いワンピースに黒いベレー帽だ。そして、才人が上げたペンダントを首に巻いている。そうしていると、生粋の“タニア”っ娘に見えるだろう。流石は年頃の女の子だろうか、街の着熟しを凄い勢いで身に着けつつあるルイズである。

 腕を組み、ツイッ、と顎を傾げる仕草に敵う女の子は……この街にはそうそういやしないだろう。

 桃色のブロンドは陽を受けるとキラキラと輝き、鮮やかに光るのだ。クリクリと動く鳶色の瞳は、まるで別世界にでも通じているのかと思わせる扉のようであるといえるだろう。

 才人は、(嗚呼、黙ってればやっぱ可愛いのにな。あー、ご主人さま、一応可愛いなー)と思い、ポカンとした様子を見せる。

 そうしていると、才人はルイズに足を蹴っ飛ばされてしまう。

「なかなか似合っているぞ。ふむ。こうして見ると……やはり何を着ても似合うモノだな。流石は“マスター”だ」

「ありがとう、セイヴァー」

 俺は、聞いているだけで、自分でも口にするだけで恥ずかしい気持ちになる言葉を、思ったままに感想を述べる。いや、なにも、称賛やお世辞にもなっていない言葉なのだが……。

 が、シオンはそういったことを気にした風もなく、素直に俺の賞賛の感想と言葉へとお礼を口にしてくれる。

 シオンは、ルイズほどお粧しをしているという訳ではない。この世界のこの時代のごく一般的な街娘だといえるだろう服装をしている。それを見事に着熟してみせていた。だが、サラサラとした金色の長髪など、そして立ち振舞いなどから、やんごとなき――高貴な身分の者がその身分を隠して行動しているのではとバレてしまいそうな具合だ。

 俺はどうにか、そんな彼女へと、ルイズと才人を除く周囲からの認識を誤魔化す為の“魔術”と“魔法”をかけている。その為に、バレることや悟られることなどは決してない。

「ほら、行くわよ。お芝居が始まっちゃうじゃない」

 なんだか照れたような声で、ルイズが言う。

 才人が首肯き、それに次いでシオンも首肯いて、4人で歩き出そうとする。がしかし、ルイズは立ち止まったままだ。

「なんだよ?」

「もう! エスコートしなさいよ!」

「えすこーとぉ?」

「そうよ。ほら」

 ルイズは、素っ頓狂な声を上げた才人の腕を引っ張った。

 才人は、「へ?」と呆けッとしていると、そこにルイズの腕が通される。(腕を組むのか!?)、と才人は妙に照れた様子を見せる。「普段、と言うよりもいつもは腕枕をして寝ているだろうにも関わらずに、今さら腕を組んだくらいでなに?」、という意見もあるだろうが、やはり街中を腕を組んで歩くというのは新鮮さがあるだろう。

 才人はとても緊張した様子を見せている。

 すると、今度はルイズは才人の足を踏んだ。

「な、なんだよ!?」

「“レディこちらです、ご案内します”、くらいの事言えないの?」

 ルイズは、う~~~、と唸って言った。

「え、えと、レィでぃ、こちらです。ご案内します。って、劇場どこ?」

 ルイズは溜息を吐いて首を横に振ると、グイグイと才人の腕を引っ張って歩き出した。

「もう! エスコート1つできないんだから! こっちよ! こっち!」

 どちらがエスココートをしているのかわからない勢いで、2人は先に歩き出す。

「相変わらずだね」

「そのようだな。では、“マスター”、いや、レディ。お手をどうぞ。ここから先は、彼らを見倣い、エスコートさせて頂きましょう」

「ええ、喜んで。ありがとう、セイヴァー」

 軽く腕を組み、2人の後に続く。

 身長差がある為に、まるで歳の離れた兄妹のようだり、また、親娘のようでもあるだろう。

 そうこうして、俺たち4人は夏の陽射しが射し込む“トリスタニア”を、劇場目指して歩き出した。

 

 

 さて、なぜこの4人がわざわざ待ち合わせをして芝居などを観に行くことになったのかというと……。

 本日は週半ばの“ラーグ”の曜日であり、お店は休みとなっている。

 ルイズが「芝居を観に行きたい」と言い出したのはこの日の早朝、才人と屋根裏部屋で朝食(寝る前に食べるのだから、実際には朝食という名の夕食であるのだが)を食べている時であった。

「芝居?」

「そうよ」

 ルイズはなんだか気恥ずかしそうに呟いた。

「お前、芝居なんか好きなんか?」

「別に好きじゃないわ。でも、観てみたいの」

「観たことないの?」

 ルイズはコクリと首肯いた。

 ルイズは地方育ちである。厳しく躾けられたらしいこともあり、街くらいにしか劇場はないだろうこともあって、行ったりすることはできなかったのだろう。

 才人は、そう考えてみると、急に不憫に感じたのだろう、(ま、いっか)となったのだ。

「いいけど、どうしてまた芝居なんだ?」

「ジェシカが言ってた。今、そのお芝居がとっても流行ってるんだって」

 ルイズは女の子だ。女の子というモノは、例外はあるだろうが、男性も含めて、そのほとんどが流行りモノには弱いようである。

 そして……ルイズはそこで、なぜか待ち合わせを主張した。

「一緒に行ったら気分台なしじゃない。こういうのは気分が大事なの! だから待ち合わせするの!」

「待ち合わせ?」

「いいこと? 中央広場の、噴水の前でわたしを迎えて来てちょうだい」

「めんどくせえな」

「めんどくさいじゃないの。そこから、“タニアリージュ・ロワイヤル座”は直ぐなんだから」

「ふーん」

 そういったこともあって、待ち合わせることになったのであった。

 そして、先にフロアにいたシオンと俺が、下りて来たルイズを見て、質問をし、一緒に行くことになったのである。

 シオンもまた、ルイズ同様に芝居というモノを劇場で見ることはあまりなかったらしい。“王族”である為に、そういった機会はいくつもあっただろうが、「立場に関係なく観たい」とのことらしい。

 いや、よくよく考えてみると、シオンはここ“ハルケギニア”に幼少期の頃からアンリエッタとルイズの幼馴染として共に過ごして来た。そして、立場も立場である。そういったこともあって、観ることなどできる機会などあるはずもなかったのである。

 

 

 “タニアリージュ・ロワイヤル座”は、なるほど確かに直ぐだった。

 豪華な石造りの立派だといえる劇場である。円柱が立ち並び、どこかの神殿を思させるような造りをしているのだ。

 お粧しをしている紳士淑女が階段を上り、劇場の中へと吸い込まれて行くように入場して行くのが見える。

 俺たちもまた、彼ら彼女らの後へと続く。

 切符売り場で意外に安い切符を買い求め、俺たちは客席へと向かった。

 舞台には緞帳が下りて、辺りは薄暗く……なるほど神秘的な雰囲気でルイズと才人、そしてシオンはワクワクとした様子を見せている。

 実際に、俺も前世――生前でこういった劇場での芝居というモノを観る機会はほとんどなかったといえる。そういったこともあって、やはり少なからず期待はしている。

 席には番号が振られており、切符に記載されている番号と同じ席に座るようである。これは、“地球”の映画館を始めとした施設などと同じだろう。

 俺とシオンは当然その番号通りの席へと向かい、座る。

 だが、浮かれてしまっている才人とルイズは気付かずに、俺たちから離れ、違う番号が振られている席へと座ってしまった。

 才人がそうして座り、ルイズと並んで開幕を待っていると、銀髪が美しい“貴族”だろう1人の初老の男性に肩を叩かれる。

「もし、君」

「は、はい」

「その席は私がずっと予約をしている席でね。君の席は別じゃないのかな?」

 そう言われたこともあり、才人は慌てた様子で切符の番号を確かめる。男性の言う通りであり、才人は慌て、申し訳なさそうな様子で、ルイズを促し立ち上がる。

「すみません。確かに、違う番号のようです」

「いや、なに。気にしてはいないよ。もしかして、君たちは初めてなのかな?」

「はい」

「そうか。では今度から気を付けることだ。いや、ここで間違いに気付き、改める事ができるのだから問題はないだろうな」

 そう言って初老の“貴族”の男性は、笑いながら予約をしていた席へと座る。彼は、どうやら、他の“貴族”とは違い、とても温厚であり、懐が深いのだろう、と思わせる。

「もう! 恥掻いたじゃない!」

 ブチブチとルイズは文句を、才人へと言った。

 席を探し、俺たちを見付けたのか、2人はシオンの横へとそれぞれ座る。

「なんていう劇なの?」

 才人はルイズへと尋ねた。

「……“トリスタニアの休日”」

「どんな話なの?」

「とある国のお姫さまと、とある国の王子さまが、身分を隠してこの“トリスタニア”にやって来るの。2人は身分を隠したまま出逢い、恋に堕ちるんだけど……お互い身分が判ると、離れ離れになっちゃうの。悲しいお話よ」

 そういったこともあって、若い女の子たちには人気の題材の劇らしい。

 なるほど、確かに周囲の客席には若い女性が溢れているのがわかるだろう。

 そして、才人に説明をするルイズの言葉を聞いて、シオンの顔に少し陰りが差す。

 “とある国のお姫さまと、とある国の王子さまが、恋に堕ちて、離れ離れになる”。その内容は、やはり、この前の出来事であるあの一件を想い出させるのだろう。アンリエッタとウェールズの恋、そして悲しい死別……実の兄と従姉妹のことを想い出してしまったのだろう。

 そうこうしていると、幕が上がり、音楽が奏でられ始める。どうやら開演のようである。

 美しい劇場内に、音楽が響き渡る。

「すごいな」

 ルイズは、と見ると、夢中になって舞台を見つめている。

 シオンもまた、どうやらルイズと同じようであり、先ほどの沈鬱な表情は消え失せ、舞台劇に夢中になっている。

 才人も初めて観る“ハルケギニア”での芝居というモノに、最初は夢中になって観入っていだのだが、しかし……直ぐに飽きてしまった様子を見せる。

 正直、俺もまた同様だ。

 脚本自体は悪くないといえるだろう……。だがしかし、どうにも役者が未まだ演じるということに慣れていないのか。有り体にいってしまえば下手なのである。

 俺と才人は別に、芝居マニアやヲタクなどという訳ではない。だが、“地球”にいる頃はそれなりに色々な映画を観たり、学校の劇とかを観て来た。それらに比べて見ると……どうにもやはり役者が大根であるのだ。たまに声が裏返ることもあれば、歌う場面では大きく音が外れてしまう時もあって音痴といえるだろう。ハッキリ言ってしまえば酷いオペラだ。

 しかしシオンとルイズはそれでも感動をしている様子を見せている。笑ったり、ハッ! としたり、ボロボロと泣いたりしているのだ。そういったことからも、感受性が高いのか、それともやはり芝居を観る機会というのがなかったのだろうと思わせる。

 まあ、そもそも“地球”では科学技術などが進歩していることもあって、娯楽に溢れ、観る機会が多いだけなのだが……それゆえに要求水準が高いのである。そういったことから、俺と才人はあまり良い印象を受けていないのだが。

 だがしかし……やはりこの芝居はあまり受けが良くないことが一目でわかってしまう。見回してみると、欠伸をしたり、つまらなさそうにしている客ばかりが見える。(評判聞いてやって来たのになによ?)、といった風な様子である。

 ただ、若い女性の客だけは……贔屓の役者でもいるのだろうか、夢中になって観入っている。その辺の客の匙加減はやはり、“地球”とあまり変わらないようである。

 そうして、退屈を感じていたのだろう、才人は眠気を感じ始め、我慢ができなくなってしまったのか、次第にウツウツとし始め、寝息を立て始めてしまう。

 ルイズは寝てしまった才人に気付き、(な、なによ!? こいつ……せっかくのお芝居なのに! わたしが誘ったのに!)といった風に、カッカ、としてしまう。

 ルイズにとって、これはデートである。ダブルデートだ。記念すべき生まれて初めてのデートであるのだ。だからこそ、待ち合わせなど細部に拘ったのにも関わらず、この“使い魔”である才人はそれに気付かないでいるのだ。そもそも、「初めてのデートなのだから、ダブルデートをするのはなにか違わないか?」といった疑問を抱きはするるが、追求はしない方が懸命だろう。

 ルイズは、(おまけにエスコートをしない。劇場の場所さえ調べなかった! 切符をわたしに買わせた! しかも席間違えて恥掻かせた! その上寝てる! せ、せ、せっかく人が初めてのデートのお相手に選んで上げたのに、ご主人さま相手いないからしかたなく! しかたなくあんた選んで上げたのに! どーゆーこと!?)と怒鳴り出したい気持ちを抑え、夢の世界へと旅立った才人を睨んだ。

 だが……芝居は長く……そのうちにルイズも飽きてしまったらしい。すると直ぐに睡魔が彼女へと襲いかかる。彼女の瞼がユックリと下りて行く。

 結局我慢をする事ができず……才人の肩に頭をもたれかからせるようにして……夢の世界で別のお芝居を観る為に……ルイズは船を漕ぎ始めてしまった。

 

 

 

 さてもう一組、芝居を観ていない客がいた。

 先ほど、才人に席の間違いを指摘した、初老の“貴族”の男性である。彼は商人風の男と並んで腰掛け、密談に精を出していた。

 その内容は……“トリステイン”の将軍たちが聞いたら引っ繰り返ってしまうだろうような内容である。そこでは、非常に行動な“トリステイン”の軍事機密が、まるで世間話のように交されているのだ。

「で、艦隊の建設状況は?」

 と、商人風の男が問いかける。

「少なくとも後、半年はかかるでしょう」

 と“貴族”の男が答えた。

 小声で何度かそういったやりとりが……“王軍”の機密に関する情報が交された後、商人風の男は“貴族”の男に小さな袋を手渡す。

 “貴族”の男は中を覗いた。

 中にはギッシリと金貨が詰めまっている。

 商人風の男が囁いた。

「しかし……劇場での接触とは考えましたな」

「なに、密談をするには人混みの中に限ります。ましてやここではヒソヒソ話をするのが当たり前。芝居小屋ですからな。どこぞの小部屋などで行えば、そこで良からぬ企みが行われていると、公言しているようなモノ」

「はは。我らが親愛なる皇帝陛下は、卿の情報に甚く感心を寄せられています。雲の上までお越しくだされば、勲章を授与するとの仰せです」

「“アルビオン”の御方は、豪気ですな」

「なに、いずれこの国もその名前で呼ばれることになりましょう。貴男の協力のおかげで」

 そう言うと、商人風の男は立ち上がろうとした。

 “貴族”の男は、それを引き止める。

「まだ、なにか?」

「なに、カーテンコール(終劇)はそろそろです。どうせなら最後まで観て行きませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン王宮”の通路の石床を、カツコツと長靴の響きを鳴らして歩く1人の女騎士の姿があった。短く切った金髪の下、澄み切った青い目が泳ぐ。ところどころ板金で保護された鎖帷子に身を包み、百合の紋章が描かれたサーコートをその上に羽織っている。その腰に提げられているのは……“杖”ではなく、細く長い剣であった。

 行き交う“貴族”や親衛隊の“メイジ”たちは擦れ違い様に立ち止まり、“王宮”で見かけることは珍しいこの剣士の出で立ちに目を丸くした。

 “メイジ”達はそんな彼女の提げた剣や、着込んだ鎖帷子を見て囁き合う。

「ふん! “平民”の女風情が!」

「あのような下賤な成りで宮廷を歩く許可を与えるなどとは……いやはや時代は変わったモノですな!」

「しかもあの粉挽き屋の女は“新教徒”という話ではないか! そんな害虫に“シュヴァリエ”の称号を与えるなどと……御若い陛下にも困ったモノだ!」

 彼女は自分の身体に投げかけられるそんな無遠慮な視線や聞こえよがしの中傷などには一瞥もくれず、ただただ真っ直ぐに歩く。通路の突き当り……アンリエッタの執務室を目指して。“魔法衛士隊”隊員の取り次ぎに、陛下への目通りの許可を伺う。

「陛下は今、会議中だ。改めて参られい」

 女騎士を見下した態度を隠そうともせずに、“魔法衛士隊”の隊員は冷たく言い放った。

「“アニエスが参った”とお伝えください。私は、いついかなる時でもご機嫌を伺える許可を陛下より頂いております」

 隊員は苦い顔をした。そしてドアを開け、執務室へと消える。それから再びやって来て入室の許可を女騎士――アニエスに与えた。

 アニエスが執務室に入ると、アンリエッタは“高等法院”のリッシュモンと会議を行っている最中であった。

 “高等法院”とは、“王国”の司法を司る機関である。ここには特権階級の揉め事……裁判が持ち込まれるのだ。劇場で行われる歌劇や文学作品などの検閲、“平民”たちの生活を賄う市場などの取締まりをも行うのだ。その政策を巡り、行政を担う王政府と対立する事もまたしばしばあるといえるだろう。

 アニエスに気付いたアンリエッタは、唇の端に微笑を浮かべ、リッシュモンに会議の打ち切りを伝えた。

「しかしですな、陛下……これ以上税率を上げては、“平民”どもから怨嗟の声が上がりますぞ。乱など起こっては、外国との戦どころの話ではないでしょう」

「今は非常時です。国民には窮乏を強いる事になりましょうが……」

「戦列艦50隻の建造費! 20,000の傭兵! 数十もの諸侯に配る15,000の国軍兵の武装費! それらと同盟軍の将兵達を食わせる為の糧食費! どこから掻き集めれば、このような金を暢達できるのですかな? 遠征軍の建設など、お諦めくだされ」

「“アルビオン”打倒は今や“トリステイン”の国是」

「しかしですな、陛下。かつて“ハルケギニア”の王たちは、幾度となく連合して“アルビオン”を攻めましたが……その度に敗北を喫しております。空を超えて遠征する事は、ご想像以上に難事なのですぞ」

 リッシュモンは身振りを加えて大仰に言い放つ。

 確かにそれは事実であろう。それはもちろん、アンリエッタ本人も十分に理解している。

「知っておりますわ。しかし、これは我らがなさねばならぬ事。財務卿からは“これらの戦費の暢達は不可能ではない”との報告が届いております。貴方方は以前のような贅沢ができなくなるからって、ご不満なのでしょう? 私のように、率先して倹約に努めてはいかがかしら?」

 アンリエッタは、リッシュモンが身に着けた豪華な衣装を見て皮肉な調子で言った。

「私は近衛の騎士に、“杖”を彩る銀の鎖飾りを禁止しました。上に立つ者が模範を示さねばなりませぬ。“貴族”も“平民”も“王家”もありませぬ。今は団結の時なのです、リッシュモン殿」

 アンリエッタはリッシュモンを見つめた。

 リッシュモンは頭を掻いた。

「これは1本取られましたな。理解りました、陛下。しかしながら“高等法院”の参事官たちの大勢は、遠征軍の編成には賛成できかねる、と言う方向で纏まりつつあります。そこは現実としてご了承頂きたい」

「意見の調整は、枢機卿と私の仕事ですわ。私たちには。“法院”の参事官たちを説得できる自信があるのです」

 そう言い放つアンリエッタを、リッシュモンは眩しいモノを見る目で見つめた。

「……なにか?」

「いえ……感心しておりました」

「感心?」

「そうです。このリッシュモン、先々代のあの偉大なる“フィリップ”様よりお仕えして早30年。お生まれになった時から、陛下以上に陛下の事を存じておりますれば」

「そうね」

「覚えてらっしゃらないと存じますが、陛下がお産まれになった時の先王両陛下のお喜びといったら! おそれながら、その小さなお身体を抱き上げ、憤る陛下をあやす公営に浴したことも、1度や2度ではありませぬ」

「貴男は良く、仕えてくださいました。母もそのように申しておりましたわ」

 アンリエッタは微笑を浮かべて、そう言った。

「もったいないお言葉です。先ほどの言葉とて、祖国を想えばこその苦言でございます」

「貴男が真の愛国者ということは、とても良く存じて上げております」

「なればもう、なにも申しますまい。あの泣き虫だった陛下が、このように立派になられた。それだけでもう、私には想い遺す事がありませぬ」

「今でも私は……ただの泣き虫ですわ。これからも祖国の為にお力をお貸しください。リッシュモン殿」

 頭を下げて、リッシュモンは退室の意向を告げた。

 アンリエッタは首肯く。

 リッシュモンは、扉の横に立つアニエスを一顧だにせず、退出して行った。

 ようやく順番が回って来たアニエスたは椅子に腰掛けたアンリエッタの御前へ罷り出ると、膝を突いて一礼をする。

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参上仕りました」

 顔を上げるように、アンリエッタが促した。

「調査はお済みになりまして?」

「はい」

 アニエスは懐から書簡を取り出すと、アンリエッタへと捧げた。

 それを取り、アンリエッタは中を確かめた。

 それは……アンリエッタがこの女騎士――アニエスに命じた、あの忌まわしき夜の調査の報告であった。

 そこにはあの夜、“アルビオン”からの誘拐者……偽りの命を与えられ、人形として蘇ったウェールズが誰の手引きで“王宮”へと忍び込んだかといった内容が記載されている。

「手引きをした者がいると……そう読めますわね」

「正確には、“王宮”を出る際に“直ぐに戻るゆえ門閂を閉めるな”と申して外に出られた方が1名」

「そして入れ違いに、私を拐かした一味が入って来たと」

 アンリエッタは苦しそうな顔をして、言った。

「ええ。わずか5分後です。陛下」

「それだけなら、偶然と言い張ることもできましょう。しかし、貴女の調査書に書かれたこのお金は……どうにも説明できないわね」

 そこに記載されているのは、その件の男が己の地位を確かなモノとする為に、最近ばらまいた裏金の合計記録であった。

「おおよそ7,0000“エキュー”……このような大金は、彼の年金で賄える額ではありませんわ」

「御意」

 膝を突いたまま、アニエスが同意の意を示す。

「屋敷に奉公する使用人に金を掴ませた情報ですが……“アルビオン”訛りを色濃く残す客が最近増えたとか」

「その使用人をここへ」

「昨日より連絡が取れませぬ。恐らく勘付かれ、消されたものかと」

 アンリエッタは溜息を吐いた。

「獅子身中の虫、とはこのことね」

「“レコン・キスタ”は国境を超えたる“貴族”の連盟と聞き及びます」

「お金でしょう。彼は理想より、黄金が好きな男。彼はお金で国を……私を売ろうとしたのです」

 アニエスは押し黙った。

 アンリエッタは、優しくその肩に手を置いた。

「貴女は良くやってくれたわ。お礼を申し上げます」

 アニエスは、身に着けたサーコートの紋章を見つめた。そこには百合を配った紋章――“王家”の印が象られている。

「私は、陛下にこの一身捧げております。陛下は卑しき身分の私に、姓と地位を御与えくださりました」

「私はもう、“魔法”を使う人が信用できないのです。一部の古御友たちを除いて……」

 悲しそうな声でアンリエッタは言った。

「貴女は“タルブ”で、“貴族”に劣らぬ戦果を上げました。従って貴女を“貴族”にする事に、なんの異議が挟めましょうか」

「もったいない御言葉でございます」

 アンリエッタは、その首を優しく掻き抱く。

「貴女は……この宮廷で苦労なさっているようね。アニエス」

「生まれが生まれですから。未だに粉挽屋(ラ・ミラン)と嘲笑されるのも、無理からぬことと存じます」

「生まれと、その魂の高潔さにはなんの関係もないのに、馬鹿な人たちね」

 呟くように、アニエスは問うた。

「例の男……御裁きになりますか?」

「証拠が足りません。犯罪を立件することは難しいでしょう」

 アニエスは、「なれば……」と低い言葉で続けた。

「陛下が新設なされた……この私めが率いる“銃士隊”に御任せてくださいますよう」

 “グリフォン隊”隊長のワルドの裏切り、“タルブ”の戦、そしてこの前の誘拐事件での“ヒポグリフ隊”の全滅により、王国を護るべき“魔法衛士隊”はボロボロになってしまっている。“グリフォン隊”は“マンティコア隊”の指揮下に入り、現在“魔法衛士隊”はその2隊のみで任務に就いているのが現状だ。

 護衛の不足を補う為に、アンリエッタは新設したのが……このアニエスが率いる“銃士隊”であった。その名の通り、“魔法”の代わりに新式のマスケット銃と剣を装備する部隊である。隊員は“メイジ”不足ゆえに“平民”のみ……それも女であるアンリエッタの身辺を警護するという名目で、女性のみで構成されている。

 隊長が“貴族”でなくては他の隊との折衝や任務に支障を来す為、アニエスは特例で“貴族”の称号である“シュヴァリエ”と姓を名乗る権利が与えられたのであった。

 しかし、アンリエッタがこれを特例にするつもりなどはなかった。有能なれば“平民”であろうがなかろうがどんどんと登用し、国力を高めるつもりであるのだ。当然、“貴族”たちからは反発の声が上がったのだが、アンリエッタはこれを見事に抑えてみせた。

 同盟国“ゲルマニア”のやり方に似てはいるが、その内心は違うといえるだろう。先ほど言葉にした通り、アンリエッタは己の心を深く傷付けた誘拐事件のおかげで、“魔法”を使う者……詰まりは“メイジ”がどうにも信用できなくなってしまっていたのである。

「私どもは、宮廷の方々が申すように、品位とは無縁の卑しき生まれでございます。所詮“貴族”にはなれませぬ。なればこそ、闇から闇へと葬る術は心得ておりますれば……」

 アンリエッタは首を横に振った。

「貴女が“貴族”ではないと、誰がそのように申したのです? 貴女は私が認めた“近衛騎士隊”の隊長。近衛の隊長といえば、規模は違えど、格としては元帥にさえ匹敵する地位なのですよ」

 アニエスは深く頭を垂れた。

「誇りをお持ちなさい。胸を張って歩きなさい。“自分は貴族なのだ”と、鏡の前で己に言い聞かせなさい。そうすれば、自ずから品位など身に着きましょう」

「御意」

「貴女はただ事前の計画通り、男の行動を追ってくだされば良いのです。私の見立てが正しければ、明日、犯人であれば必ずや尻尾を出すでしょう。その場所を突き止め、フクロウで報せなさい」

「泳がすおつもりですか?」

「まさか。私は、あの夜起こった事に関係する者を全て強請しませぬ。国も……人も……全てです。ええ、決して」

 アニエスは深く一礼すると、退室をした。

 彼女は心の中で、アンリエッタに感謝をしていた。アンリエッタは彼女に地位と苗字だけなく……先ほど言葉にしなかった、復讐のチャンスも与えてくれたのだから。

 

 

 

 才人は、グタッ、といて床に伸びていた。

 隣では荒い息を吐くルイズが、才人を見下ろしている。

 ここは“魅惑の妖精亭”の厨房。店は始まったばかりであり、店内の喧騒がここまで届いている。

 ルイズは腕を組んで、才人を見下ろした。

「質問するわ。お兄さま」

 ルイズは、「お兄さま」と言い放った。一応ここでは、才人はルイズの兄ということで通しているのである。ここで働く誰もが信じてはいないし、今やルイズが“貴族”であるということは店の者たちにはとうにバレバレではあるのだが、店内では未だに才人の事を当初の計画通り「お兄さま」と呼んでいる。そう。融通の利かない性格であるのだ。

「なんでしょう、妹さま?」

 才人は息も絶え絶えの声で言った。ルイズに散々にボコられたこともあり、半死半生といった状態に近い様子である。

「わたしが呼びかけた時、なにをしていたの?」

「皿を洗ってました」

「嘘仰っい。余所見をしてたじゃない」

「少しです」

「少しじゃないわ」

 ルイズは店内を指さした。

「シオンはまだ良いわ……でも、あの娘の太ももと、あの娘の胸と、あの娘のお尻と……」

 それからルイズは苦々しげな様子で、ジェシカを指さした。

「ジェシカの胸の谷間を見ていたわ」

「ちょっとです」

 俺は、そんな2人の様子を前にして苦笑を浮かべてしまう。

 普段となんら変わらない光景、言動、やりとりである。実に、平和であるという証拠だと言えるだろう。まだ、平和だという証拠なのである。

「ねえ、お兄さま」

 ルイズは才人の顔に、足を踏み付けるかたちで乗せる

「はい」

「あんた、わたしを見てなきゃ駄目でしょ? ご主人さま、情報収集の為に酔っ払いを相手してるのよ? 可愛いご主人さまが万一危険な目に晒された時、飛び出してわたしの盾になるのがあんたの仕事でしょーが」

「すいません」

「すいませんじゃないの。あんたわたしを2回しか見なかったわ。それなのに、わたしが数えただけで、あの娘とあの娘を4回見た。そしてジェシカの谷間は12回見たわね。ご主人さまを蔑ろにして余所見。わたしには、そゆ事、どどどどど、どうにも赦せないわ」

「もう、見ません」

 才人は、(勘弁して欲しい)といった様子を見せる。実際、才人はルイズの事を毎日しっかりと見て気にかけている。寝顔も見ている。(嗚呼、ご主人さま可愛い。でも、他の娘を見るくらい許して欲しい。男の性である。余所見したって守れる、はず、だ。だからそんなに怒らなくても良いのに……心配性な奴だな)などとも思い、勘違いをしている様子である。

 だが、そういった言い訳などは一切せずに言いたいだけ言わせる。才人が学んだルイズへの対処法がそれであった。

「あんたが余所見してたおかげで、わたしが変な男に襲われたらどうするの? 理解ってるの? あんな際どい格好してるのよ? 危険だと思わないの?」

「いや……大丈夫かな? と」

「どうして?」

「いや、ご主人さまはほら、色気あんまりないし。ごく一部には人気あるけど、そういう人少ないし」

 言ってから才人は、(しまった)といった表情を浮かべた。

 ルイズは両手を広げると、ふぅ、と溜息を吐いて、後ろを向いて体操を始めた。準備体操だろう。

「良いこと? そこに寝てなさいね。犬は、身体に、教えないとねー。んーしょっと」

 ルイズは、これからまた散々暴れる予定をしている為に、身体を解す必要があるのだった。

「まあ、待てルイズ。確かに余所見をするのも、先ほどの言動も非道いモノではあるが、こいつはしっかりとお前の事を気にかけている。そら、想い出してみろ。おまえが“貴族”だとバレた時の事だ。どこぞの“貴族”どもを吹き飛ばしたその日の事。こいつは、お前を守る為に、前に出ただろう?」

 俺がそう言って、ルイズが準備運動を中断しようか悩みながらも身体を動かしている間に、才人はコッソリと抜け出し、裏口へと向かった。才人は、先ほども既に結構なお仕置きをされたばかりだったのだ。そして、逃げるついでに休憩をするつもりでもある様子だ。

 才人は布でグルグル巻にしたデルフリンガーを握っている。ここ最近、立て続けにデルフリンガーを持っていないが為に痛い目に遭ってしまうことが多いのだ。そういうこともあって、しかたなく、邪魔とは知りつつも持ち歩くことにした様子だ。

 裏口を開け、路地に出た瞬間、フードを冠った少女が才人の方へと向かって小走りに駆け抜けて来る。ドン! と裏口のドアを開けた才人に打つかってしまう。

 少女は思いっ切り倒れてしまい、才人は慌てて引き起こした。

「わ、すいません……大丈夫ですか?」

 少女はフードで顔を隠したまま、慌てた調子の声で尋ねた。

「……あの、この辺りに“魅惑の妖精亭”というお店はありますか?」

「え? それならここですけど……」

 才人はそう呟きながら、少女の声に聞き覚えがあることに気付いた。

 その女性もまた、同時に同じ事に気付いた様子を見せ、ソッと、フードの裾を持ち上げ、才人の顔を盗み見る。

「姫さま!?」

 才人は、アンリエッタに「しっ!」と言われ、口を塞がれる。

 灰色のフード付きのローブに身を包んだアンリエッタは才人の後ろに身を隠し、表通りから自分の姿が見られないようにと息を潜めた。

「あっちを捜せ!」

「“ブルドンネ街”に向かったかもしれぬ!」

 表通りの方からは、息急切った様子の兵士たちの声が聞こえて来る。

 アンリエッタは再びフードを深く冠った。

「……隠れることのできる場所はありますか?」

 アンリエッタは小さく、才人にしか聞こえないだろうほどの声で尋ねた。

「俺たちが暮らしているここの屋根裏部屋がありますけど……」

「そこに案内してください」

 

 

 

 才人はアンリエッタをコッソリと屋根裏部屋まで連れて来た。

 アンリエッタはベッドに腰かけると、大きく息を吐く。

「……取り敢えず一安心ですわ」

「俺は安心じゃないですよ。いったい、なにがあったんですか?」

「ちょっと、抜け出して来たのだけど……騒ぎになってしまったようね」

「はぁ? この前誘拐されたばっかりだってのに? そりゃ大騒ぎになりますよ!」

 アンリエッタは黙ってしまった。

「姫さま、今じゃ王さまなんでしょ? そんな勝手なことして良いんですか?」

「しかたないの。大事な用事があったのだから……ルイズたちがここにいることは報告で聴いておりましたけど……直ぐに貴男に逢えて良かった」

「ま。とにかくルイズとシオンを呼んで来ます」

 ルイズは才人が消えたことに気付いて、相当御冠だろうかもしれない。が、取り敢えずは気を取り直して給仕の仕事をしている。ルイズの行動は、才人には大体予想することができるのである。

「いけません」

 アンリエッタは、才人を引き止めた。

「ど、どうしてですか?」

「……ルイズたちには、話さないで頂きたいの」

「なんで?」

「あの娘たちを、ガッカリさせたくありませんから」

 才人は椅子に腰かけて、アンリエッタを睨むように見つめた。

「だったら尚更でしょう? 勝手にお城を抜け出したりしちゃ、駄目じゃないですか」

 それから才人は何かに気付いた様子を見せる。

「でも、ルイズたちに逢いに来たんじゃないんなら、ここにいったい何をしに来たんですか?」

「ふむ、それは俺も興味があるな」

「セイヴァー?」

 ノックによる確認などをせずに、静かに屋根裏部屋へと入った俺の言葉を聞いて、才人とアンリエッタは驚いた表情を浮かべる。

「どうして、お前がここに? 皿洗いは?」

「なに、お前たちがコソコソと屋根裏部屋へ向かうのが見えたのでな。暇を貰った。さて、姫殿下、いや、陛下よ。もしかして、この国の不穏分子、“レコン・キスタ”関係ですかな?」

 俺の言葉に、アンリエッタは静かに首肯き、口を開いた。

「仰る通りですわ。才人さんの力をお借りしようかと参ったのですが、貴男の御力もお借りしてよろしいかしら?」

「お、俺?」

「ええ、構いませんとも。先ほども述べた通り、暇を貰ったばかりなので」

「明日までで良いのです。私を護衛してくださいまし」

「な、なんで俺たちなんすか? 貴女女王さまでしょう? 護衛なら魔法使いや兵隊がいっぱい……」

「今日明日、私は“平民”に今交じらねばなりません。また、宮廷の誰にも知られてはなりません。そうなると……」

「なると?」

「貴男たちくらいしか、思いつきませんでした」

「そんな……ホントに他にいないんですか?」

 才人の質問などに、悩んでいるといった様子で答えるアンリエッタ。

 やはり、才人が考えているように、簡単な事ではないのだろう。

「ええ。貴男たちはご存知ないかもしれませんが、私はほとんど宮廷で独りぼっちなのです。若くして女王に即位した私を好まぬ者も大勢おりますし……」

「だろうな」

 アンリエッタの言葉に、俺は同意し、一瞬だけ重い空気が流れる。

 それから、アンリエッタは言い難そうな様子で付け加えた。

「……裏切り者も、おりますゆえ」

「それが、“レコン・キスタ”と繋がっている可能性があると?」

「ええ」

 才人はワルドの事を想い出した。

 お忍びの護衛であればやはり親友と呼べるルイズとシオンに頼む方が1番良いのかもしれないが、アンリエッタには2人に話せない事情などがある様子を見せる。

「理解りました。他ならない姫さまの頼みですから、引け受けますけど……」

 それから才人は、アンリエッタの顔を見つめた。

「危ないことじゃないでしょうね?」

 アンリエッタは、当然目を伏せる。

「ええ」

「ホントですか? 姫さまを危ない目に合わせたら、後でルイズになにを言われるかわかったもんじゃない。そこは約束して貰いますよ」

「大丈夫です」

 アンリエッタは首肯いた。

「なに、気にする必要はない。この俺がお前たちを護ってやる。なにせ、この身は“サーヴァント”。この時代の“メイジ”では傷1つ付けることなど一切できやしないのだからな」

「だったら良いんですけど……」

 アンリエッタの様子と、俺の言葉に、渋々といった風に納得した様子を見せる才人。

「では、出発いたしましょう。いつまでもこの辺りにはいられませんわ」

「どこに行くんです?」

「街を出る訳ではありません。安心なさってください。取り敢えず、着替えたいのですが……」

 才人の質問に答え、アンリエッタはローブの下のドレスを見つめた。白い、清楚で上品な造りをしたドレスだが、ローブに隠れているとはいえ、いかんせん目立つ。高貴の者がそこにいると訴えているのと同じようなモノである。

「ルイズの服がありますけど……“平民”に見えるように買った服が」

「それを貸してくださいな」

 才人はベッドの側の箱を漁り、ルイズのその服を取り出した。

 アンリエッタは後ろを向くと、俺と才人の目を気にするという素振りも見せずに、ガバッ! とドレスを脱ぎ捨てた。

 その為に、才人は慌てて横を向いた。才人は、チラッと背中越しに見えるアンリエッタの胸に驚いた様子を見せる。キュルケほどではないが、シエスタより大きいといえるだろう。

 もちろん、俺は目を閉じる。

 だがそこで、俺と才人の頭の中に、1つの疑問が浮かび上がった。ルイズのシャツを着ることができるのかどうか、だ。

 だがそれは、やはり難しいようであった。

「シャツが……ちょっと小さいですわね」

 ちょっとではない。ルイズのサイズに合わせて買ったシャツだということもあり、どうにもアンリエッタの胸は収まらない様子だ。ボタンが飛んでしまいそうなほどに、ピチピチに張り詰めてしまっているのである。

「まずいっすね。非常に」

 才人は鼻を押さえて言った。

「シオンの服を借りようか?」

「いいえ。これで構いませんわ」

 アンリエッタはそう言って、それほど気にした風もない。「こうすれば逆に目立たないかも」、などと呟き、上のボタンを2つほど外した。

 すると谷間が強調されるような、そういったデザインに見えなくもないシャツになる。隣を歩く人からすると、目のやり場に困ってしまうだろうが、なるほど女王とは到底思えないだろうラフで夜の女っぽい雰囲気を出している。

 そうしてアンリエッタは、「行きましょう」と俺たちを促した。

「それじゃまだバレバレですよ」

「え? そうなのですか?」

「せめて髪型くらいは変えないと」

「では、変えてくださいまし」

 やはりアンリエッタはルイズと同様に、上流階級の人間であるといえるだろう。悪くいえば世間知らずであり、どうやら着替えをしただけで変装をした気になってしまっていた様子だ。

 取り敢えずルイズがたまにするのと同じように、才人は、アンリエッタの髪を後ろでポニーテールの形に纏め上げた。

 そうすると、また随分と雰囲気が変わった。

 それから才人は、今さらではあるがルイズの化粧品を無断で使用して、アンリエッタに軽く化粧を施した。「店に出る時くらいは化粧した方が良いんじゃないのか?」、と才人が言って買って来た代物であったが……結局ルイズは使わなかった為、放って置かれていたのである。

「ふふ、これなら、街女に見えますわね」

 胸の開いたシャツを着て軽く化粧を施すと……なるほど確かに、陽気な街女に見えないこともないだろう。

 才人は、(屋根裏部屋を出る時、ルイズになにも知らせなくても良いモノだろうか?)と少しばかり気にした素振りを見せる。だが、後で話せば良いだろうといった考えに辿り着いた様子も見せる。

 裏口から路地へと出て回る。

 辺りは女王の失踪の所為でどうやら厳戒態勢が敷かれているようであり、“チクトンネ街”の出口には、衛兵が通りを行く人々を改めているのが見える。

「非常線張られてますよ」

 才人は、“地球”の刑事ドラマの中の登場人物でも演じているかのように告げた。

 意味は通じたようであり、アンリエッタも首肯く。

「どうします? 顔、隠さないで大丈夫ですか?」

「私の肩に手を回して」

 才人は言われた通りにアンリエッタの方を抱いた。

「いや、そんなことしなくても大丈夫だから」

 俺の言葉をスルーして、2人は衛兵がいる場所に近付き、俺もそれを追う。

 才人とアンリエッタは緊張が昂まったのか、2人の鼓動が激しいモノにnる。

 アンリエッタが硬い口調で、才人へと呟いた。

「私に戯れ付いてくださいまし。恋人のように」

 え? と思う間もなく、アンリエッタは肩を抱いた才人の手を握り、開いたシャツの隙間に導いた。

 アンリエッタの滑らかで柔らかい丘の感触が、才人の指を伝う。

 俺は、一瞬だけだが“霊体化”する。

「そのまま」

 アンリエッタは、睦言を呟くように才人の耳に顔を寄せ、作った微笑を浮かべた。

 衛兵の横を通り抜ける。

 衛兵は、まったく気付いていない様子であり、周囲を警戒している。

 大通りに出たアンリエッタは、一瞬俺に対して驚きはしたものの、直ぐにクスッと笑った。

「姫さま?」

「いえ……すいません。ちょっと可笑しかったものですから。でも、愉快なモノですわね」

「……え?」

「こうして、粗末な服を着て、髪型を変え……軽く化粧を施しただけで、誰も気付かないのですから」

「でも、勘の強い人や、姫さまの顔をちゃんと知ってる人に見られたら気付かれますよ」

「しっ!」

「え? ええ?」

「人目のある場所では姫様などと呼んではいけません。そうね、短く縮めてアンとでも呼んでくださいまし」

「アンですか?」

「ええ。セイヴァーさんも」

「了解した、アン」

 そう言うと、アンリエッタは首を傾げる。

「貴男の名前を仰って」

「才人」

「サイト。セイヴァーさん同様変わった名前ですわね」

 一瞬で身に着けたらしい、街女の仕草でアンリエッタは呟く。

「え、ええ。アン。変わってます」

「もっと乱暴に」

「理解った。アン」

 微笑んで、アンリエッタは才人と俺の間に入り、それぞれの腕に自分の腕を絡ませた、

 

 

 

 夜も遅かったこともあり、俺たちは宿を取ることにした。

 粗末な木賃宿である。

 案内された1階の部屋は“魅惑の妖精亭”の屋根裏部屋が天国に見えるほどにボロボロな状態だ。ベッドの布団は何日も干されたことがないのだろうか妙に湿っており、部屋の隅には小さな茸が生えてしまっている。ランプは煤を払っていないのだろう、真っ黒である。

「ここ、金取って良い場所じゃないっすね」

 部屋の状態と才人の言葉を、アンリエッタは気にした風もなくベッドに腰かけた。

「素敵な部屋じゃない」

「そうかなあ……?」

「ええ。少なくともここには……寝首を掻こうとする毒蛇はいないでしょう」

「ふむ、確かにそうだな」

「変な虫ならいっぱいいそうですけどね」

「そうですわね」

 アンリエッタは、俺の同意する言葉と、才人の感想に、微笑んだ。

 才人は部屋に置かれた椅子に腰かけた。

 ガタガタのその椅子は、ギシッ! と変な音を立てて軋む。

 才人は、いつも敬語を使っている相手が前にいるということもあって、どういう距離を保てば良いのかわからないでおり、気さくに振る舞うというのも結構大変な様子だ。

「ホントにこんな部屋で良いんですか?」

「ええ。ちょっとワクワクするわ。市民にとっては、これが普通なのだから不謹慎かもしれないけど……」

 そう言って、アンリエッタは可愛らしい仕草で足をぶらぶらさせる。

 そんな仕草を目にして、才人は親近感を覚えた。

 取り敢えず部屋がどうにも暗いということもあり、才人はランプの煤を払い、灯りを灯そうとする。だが、マッチを探したのだが、見当たらない。

「マッチもないのか……下に行って取って来ます」

 アンリエッタは首を振ると、鞄から水晶の付いた“杖”を取り出した。それを振ると、パッ、とランプの芯に火種が点いた。

 才人は、突然灯りが灯ったことで、眩しさを感じたのだろう目を逸らす。

 そんな風に寛ぐアンリエッタは……親近感を覚えても、やはり王女だと改めて思わせてくる。だがそれでも、まだやはり、女王というには若い。王女という言葉が似合う年齢だ。威厳よりもまず嫋やかな清楚さが勝っている。ルイズと似た雰囲気ではあるのだが……跳ねるようなルイズの勘気が彼女を子供っぽく見せてしまうのに比べ、アンリエッタにはやはり落ち着きがある。シオンもそうなのだが、立派な年上の大人たちから傅かれ、その中で育って来た者特有の犯し難い雰囲気を身に纏っているのである。それは夜の女のようにシャツを開けても、その間から香って来るのであった。その香は高貴さと威厳さが混じり、得も言われぬ魅力を放っている。

「どうかなさったの?」

 無邪気な声で、アンリエッタは才人へと問う。

 才人は、(こんなお姫さまに、正直に綺麗だと思った)などといったことを言えないのだろう、口籠ってしまった。

「ルイズとシオンは元気?」

 ランプの灯りの向こうで、アンリエッタが尋ねて来る。

 不思議と、アンリエッタがそこにそうしているだけで、ボロい部屋がまるで“王宮”の寝場だと錯覚を覚えてしまう。そのように周りの空気を変えてしまうだけの力をアンリエッタは持っているのである。これがもし、夜ではなく、昼であれば、誤魔化すのは難しいだろう。

「ええ。でも、あいつ、その、姫さまに言われた仕事をキチンとやってるのかどうか、怪しくて……」

 才人は、情報収集より難癖付けて折檻することに夢中になってしまっているのではと思っているのだ。

「その点なら大丈夫よ」

「え?」

「あの娘たちは、きちんと毎日私に、伝書フクロウを使って報告書を送って来てくださいますわ」

「そうだったんですか」

 才人は、(いつの間に?)と思った。実際に彼女は真面目であり、才人が寝ている間に書いているのだから。

「ええ……ちゃんと、その日聴いた事、噂になってる事……1つ1つ、細やかに、愚痴1つ書かずに、良くやってくれています。きっと“平民”に交じって、気苦労も絶えないでしょうに。あの娘たちは高貴な生まれですから……だから、身体など壊してないかと心配になって」

 アンリエッタは、才人の質問に笑顔を浮かべ、優しい、大切な友人を想うように話す。

「大丈夫ですよ。元気でやってますから」

 才人は首肯き、俺もまた首肯いて肯定する。

「良かった」

「でも、ルイズが集めた情報なんか、ホントに役立ってるんですか?」

「ええ。役に立ってますわ」

 ニッコリと、アンリエッタは微笑んだ。

「私は、市民たちの本音が聞いたいのです。私が行う政治への、生の声が聞いたいのです。私の元へ運ばれて来る情報には、誰かが付けた色が付いてます。私の耳に心地好いように……それか、誰かにとって都合が良いように。私は本当の事が知りたいのです。例えそれが、どんなつまらぬ事であっても」

 アンリエッタは、そこで淋しげな笑みを浮かべた。

「姫さま?」

「いえ……でも真実を知るという事は、時に辛い事でありますわ。聖女などと言われても、実際聞こえて来るのは手厳しい言葉ばかり。“アルビオン”を下からただ眺めるだけの無能な若輩と罵られ、遠征軍を編成する為に軍備を増強いしようとすればきちんと指揮できるのかと罵られ、果ては“ゲルマニア”の操り人形なのではないかと勘繰られ……まったく、女王なんかなるんじゃなかったわ」

「大変ですね」

「貴男たちの世界も、同じ?」

「え?」

 アンリエッタの質問に、才人は驚いた様子を見せる。

「失礼。“魔法学院”のオスマン氏に伺いましたの。貴男たちは異世界から入らしたって。驚きましたわ。そのような世界があるなんて事、想像すらした事がありませんでしたから。貴男たちの世界でも、人は争い……そして施政者を罵るのですか?」

 才人は、連日ニュースで流れていた政治家の汚職や戦争などのことを、思い出した様子を見せる。

「あんまり変わりませんよ」

「そうだな。どこの世界でも、どんな時代でも、人間と言うモノは大抵は争い、認められないモノがあれば否定し、罵る傾向にある」

「どこも同じなんですね」

「だが、それをしない者も、なくそうとする者たちがいるのもまた事実だ」

「そうですか」

 俺の言葉を聞いて、ホッとしたように、アンリエッタは呟いた。

「戦争……するんですか?」

「するもなにも、我が国は今、真っ最中ですわ。いえ、貴男たちも、今のこの戦争とは違う戦争、“聖杯戦争”に参加するのではなくて?」

「いや、その……って言うか、あの空に浮かんだ大陸を攻めるんですか?」

「どうしてそんなことを仰るの?」

 才人の質問に、アンリエッタはやはり訊き返す。

「さっき、遠征軍って言ったから。遠征て、こっちから行って、攻めることでしょう?」

「そうね。じゃないと、この戦争は終わりませんもの……それに、あの娘の祖国を取り戻して上げたいし……口が過ぎました。貴男たちに話して良い事ではありませんでしたわね。お忘れください」

 それでも才人と俺が黙っている為に、アンリエッタは尋ねた。

「戦争はお嫌い?」

「好きな人なんかいないでしょう」

「でも、貴男たちは“タルブ”で王軍を救ってくださったわ」

「大事な人を守る為です」

「それから、あの夜、この私も……」

 アンリエッタは、顔を伏せて言い難そうに呟いた。

 才人はあの……忌まわしい夜の事を想い出した。死んだはずのウェールズが人形としての偽りの命を与えられることで蘇り、アンリエッタを連れ去ろうとした夜。いっぱい、死体が転がっていたのを目にしたのだ。

「申し訳ありません」

 アンリエッタは、小さな声で言った。

 その時……。

 ポツリポツリと雨が降り始めた。小さな雨粒が窓を叩く。通りを行く人たちの「ち! 雨だ!」、「降って来やがった!」などといった悪態が聞こえて来る。

 アンリエッタは震え出した。

「姫さま?」

 小さな声でアンリエッタは呟いた。消えてどこかに行ってしまいそうな、そんな声だ。

「……お願いがあります」

「な、なんですか?」

「どちらでも構いません。肩を抱いてくださいまし」

 震えるアンリエッタの手から、握った“杖”が落ちる。“杖”は床に当たって、乾いた音を立てた。

「どうしたんですか?」

「雨が怖いのです」

 その言葉で……あの夜も、雨が降り出した事を俺と才人は想い出した。

 アンリエッタはその雨を利用し、蘇ったウェールズと巨大な竜巻を作り出し……それで俺達を呑み込もうとしたのだった。

 アンリエッタの側にいた才人は黙って俺へと目配せをし、俺が首肯くと、彼は彼女の隣に腰かけ、肩を抱いてやった。

 アンリエッタは、ガタガタと震え続けている。

「姫さま……」

「私の為に……何人も死にました……私が殺したようなモノ。理解らない。私には理解りませんわ。一体どうすれば赦しが請えるのか」

 才人は考え込んだ後、言った。

「誰も赦してはくれませんよ。きっと……」

「そうですわね。私は……自分と、私にそうさせた人たちが、どうにも赦せないのです……雨音を聞くと、そんなことばかり考えてしまいます」

「そうさな。誰も赦さないだろうことは確かだが。いや、少し違うかと思うがね。ウェールズは満足して逝った。ゆえに、赦しているだろう。そして、俺もそうだ。“罪を憎んで人を憎まず”、と言うのとはまた違うだろうが、お前のした事を俺は赦そう」

 アンリエッタは目を瞑ると、才人の胸に頬を寄せた。手がしっかりと、才人の手を握り締めている。雨音に連れ、震えが一段と激しくなる。王女でも、女王でもない……か弱い1人の少女がそこにはいた。ただ異国の王子に恋をした、それだけの少女。この少女はたぶん、誰よりも弱い。今、誰かが側にいてやらないと、立つことさえできぬほどに、だ。

 それであるのに、冠を冠らされている。戦争を指揮する“杖”を握らされているのだ。

 実に、不幸で、不憫で、当たり前で、当然の事であった。

 

 

 

 

 

 少しばかり時間は遡る。

 ルイズは降って来た雨を見つめ、唇を尖らせた。(この雨の中、サイトはセイヴァーと一緒にどこに消えたのかしら?)、と考える。

 先ほど準備運動を終えたルイズが、俺の言葉を聞きながら落ち着きを取り戻そうとしていたその時、“使い魔”である才人の姿は掻き消えていたのである。

 ルイズはしばらく店内を捜し回ったのだが、才人はどこにもいなかった。屋根裏部屋に隠れた可能性もあるので戻り確認をしたのだが、そこも蛻の殻であった。ただ……カモフラージュの為に買った“平民”の服が消えているのだ。

 なんだか胸騒ぎを覚えたルイズは屋根裏部屋を飛び出した。

 店内であるフロアへと戻ると、シオンとジェシカ、スカロンたちが首を傾げていた。

「嫌ねぇ、雨よ……この雨じゃお客さんの足もバッタリ止まっちゃうわね」

「なんかさっきから外が騒がしいけど、なにかあったのかしら?」

 スカロンに続き、店で働く女の子――妖精さんの1人の言葉を聞いて、ルイズは改めて外を見やり、耳を澄ませる。

 なるほど言う通り、外からは雨音に混じり、駆け擦り回る衛兵たちの怒号が聞こえて来る。

「ルイズ、やっぱり様子が可怪しいわ。セイヴァーもいないし、念話での返事もしてくれない。なにかあったのかも」

 シオンの言葉に首肯き、ルイズは羽扉を開け、2人で外に出る。

 剣を提げた1人の兵士に近寄り、ルイズは呼び止めた。

「ねえ、なにが起こったの?」

 兵士はキャミソール姿のルイズとゴスロリ姿のシオンに一瞥をくれるだけで、煩そうに言い放つ。

「ええい! 煩い! 酒場女風情には関係ない! 店に戻っておれ!」

「おまちなさい」

 ルイズとシオンはなおも呼び止め、懐からアンリエッタによるお墨付の証明書を取り出す。

「わたし達はこのような成りをしていますが、陛下の女官です」

 目を丸くして、兵士はルイズとシオン、そして提示されているお墨付の証明書を交互に見つめた後に、直立した。

「し、し、失礼いたしましたぁ!」

「良いから話してちょうだい」

「そうだよ。楽にして良いから、落ち着いて、状況を説明して」

 兵士は小さな声で、ルイズとシオンに説明をした。

「……“シャン・ド・マルス練兵場”の視察を終え、“王宮”にお帰りになる際、陛下がお消えになられたのです」

「まさか、また“レコン・キスタ”が?」

「犯人の目星は着いておりません。しかし、どのような手を使かったモノか……馬車の中から、まるで霞のように忽然と……」

「その時警護を務めていたのは?」

「新設の“銃士隊”でございます」

「理解ったわ。ありがとう。馬はないの?」

 兵士は首を横に振った。

 ルイズとシオンは雨の中、“王宮”を目指して疾走り出した。

 ルイズは、(こんな時なのに、サイトはなにをやってるのかしら? まったく、肝心な時にいないんだから!)といった風に舌打ちをする。

「ルイズが訊いてくれて助かったわ。ありがとう」

「いいえ。それより、急ぎましょう」

 

 

 

 騎乗したアニエスは、とある大きな屋敷の前で馬を止めた。

 そこは昼間……女王アンリエッタと会談をしていたリッシュモンの屋敷である。

 錚々たる殿様方の屋敷が並ぶ高級住宅街の一角、2階建ての広く巨大な屋敷を見つめ、アニエスは唇を歪めた。

 彼女はリッシュモンが20年ほど前、どのような方法を用いて、こんな屋敷を建てられるほどの財を成したのか、痛いほどに知っているのだから。

 アニエスは門を叩き、大声で来訪を告げる。

 門に付いた窓が開き、カンテラを持った小姓が顔を出した。

「どなたでしょう?」

「女王陛下の“銃士隊”、アニエスが参ったとリッシュモン殿にお伝えください」

 怪訝な声で小姓が言う。

 なるほど深夜の零時を過ぎようとしている時間なのだから当然だろう。

「急報です。是非とも取り次ぎを願いたい」

 小姓は首をひねりながら奥へと消え、しばらくすると戻って来て門の閂を外した。

 アニエスは手綱を小姓に預け、ツカツカと屋敷の中へと向かった。

 暖炉のある居場に通されてしばらくすると、寝間着姿のリッシュモンが現れた。

「急報とな? “高等法院”長を叩き起こすからには、余程の事件なのだろうな?」

 剣を提げたアニエスを見下した態度も隠す事もせず、リッシュモンは呟いた。

「女王陛下が、お消えになりました」

 リッシュモンの眉がビクン! と跳ねた。

「拐かされたのか?」

「調査中です」

 リッシュモンは首を傾げた。

「なるほど大事件だ。しかし、この前も似たような誘拐騒ぎがあったばかりではないか。またぞろ“アルビオン”の陰謀かね?」

「調査中です」

「君たち軍人や警察は、その言葉が大好きだな。調査中! 調査中! しかし何も解決できん。揉め事はいつも法院に持ち込むのだから。当直の護衛は、どの隊だね?」

「我ら、“銃士隊”でございます」

 苦々しげに、リッシュモンはアニエスを睨んだ。

「君たちは無能を証明する為に、新設されたのかね?」

 皮肉たっぷりといった風にリッシュモンは言い放った。

「汚名を注ぐべく、目下全力を上げての捜査の最中であります」

「だから申し上げたのだ! 剣や銃など、“杖”の前では子供の玩具に過ぎぬと! “平民”ばかり数だけ揃えても、1人の“メイジ”の代わりにもならぬわ!」

 アニエスは、ジッ、とリッシュモンを見つめた。

「戒厳令の許可を……街道と港の封鎖許可を頂きたく存じます」

 リッシュモンは“杖”を振る。手元に丼で来たペンを取り、羊皮紙に何事かを書き留めるとアニエスに手渡す。

「全力を上げて陛下を捜し出せ。見付からぬ場合は、貴様ら“銃士隊”全員、“法院”の名に賭けて縛り首だ。そう思え」

 アニエスは退出しようとして、ドアの前で立ち止まる。

「なんだ? まだなにか用があるのか?」

「閣下は……」

 低い、怒りを押し殺すような声でアニエスは言葉を絞り出す。

「なんだ?」

「20年前の、あの事件に関わっておいでと仄聞いたしました」

 記憶の糸を辿るかのようにして、リッシュモンは目を細めた。20年前……国を騒がした反乱と、その弾圧に思い当たったといった様子を見せる。

「ああ、それがどうした?」

「“ダングルテールの虐殺”は、閣下が立件なさったとか」

「虐殺? 人聞きの悪いことを言うな。“アングル地方”の“平民”どもは国家を転覆させる企てを行っていたのだぞ? あれは正当な鎮圧任務だ。ともかく、昔話など後にしろ」

 アニエスは退出した。

 リッシュモンはしばらく、閉まった扉を見つめていたが……それから羊皮紙とペンを再び取ると、目の色を変え、猛烈な勢いで何かを認め始めた。

 

 

 

 屋敷の外に出たアニエスは、小姓から預けていた馬を受け取った。

 鞍嚢の中を探り、中から黒いローブを取り出すと、鎖帷子の上に羽織り、フードを頭から冠った。それから拳銃を2丁取り出し、改める。雨で火薬が濡れぬ様注意をしながら、拳銃に火薬と弾を込めた。火皿の上の火蓋と、撃鉄の動きを確認し、火蓋を閉じてベルトに手挟む。火打式の新型挙銃である。

 剣の鯉口を切り、戦支度が完全に整うと、アニエスは馬に跨った。

 その時……雨の中から少女が2人駆けて来るのが、アニエスには見えた。

 “チクトンネ街”の方から現れたその少女たちは、馬に跨ったアニエスに気付いたようであり、駆け寄って来る。2人は、雨の中を駆け来たということもあって、酷い成りである。元は白いキャミソール、そして真紅だったはずのゴシックロリータの服は泥と雨で汚れ、走り難い靴を脱ぎ捨てて来たのだろう裸足である。

「待って! 待った! おまちなさい!」

 アニエスは、(何事?)と思い振り向く。

「馬を賃してちょうだい! 急ぐのよ!」

「断る」

 ルイズの言葉に対して、そう言って駆け出そうとしたアニエスの前に、ルイズとシオンは立ち塞がる。

「退け」

 アニエスはそう言ったが、2人は利かない。

 そして、1枚の羊皮紙――アンリエッタの直属の女官である証明書を取り出すと、アニエスの前に突き付けた。

「わたし達は陛下の女官よ! 警察権を行使する権利を与えられているわ! 貴女の馬を陛下の名に於いて接収します! 直ちに下馬なさい!」

「陛下の女官?」

 アニエスは首を傾げた。

 シオンとルイズの2人は、見たところ、酒場の女のような成りをしている。しかし、雨に汚れてはいただ、その顔立ちは高貴さが見て取れる。

 アニエスはどうしたものか、と一瞬迷った。

 ルイズはアニエスが馬から下りないので業を煮やしたらしい。ついに“杖”を引き抜いた。

 ルイズのその仕草に、シオンはそれを止めようとするも、対するアニエスの方も咄嗟に拳銃を引き抜いた。

 ルイズは低い震える声で逝った。

「……わたしに“魔法”を使わせないで。まだ、慣れてないのよ、加減ができないかも」

 拳銃の撃鉄に指を掛け、アニエスも告げた。

「……この距離なら、銃の方が正確ですぞ」

 沈黙が流れる。

「名乗られい。“杖”は持たぬが、こちらも“貴族”だ」

 アニエスが言った。

「陛下直属の女官。ド・ラ・ヴァリエール」

「アフェット・エルディ」

 アニエスは、ラ・ヴァリエールとエルディというその名に聞き覚えがあった。アンリエッタとの会話の中で、幾度となく聞いた名なのである。

「では、貴女たちが……?」

 アニエスは、(眼の前で“杖”を構えて震えているこの少女、そしてそれを止めようとしている少女が……噂の陛下の親友という訳か。桃色がかった髪をした、綺麗な長い金髪をした、こんな年端もいかぬ少女2人が……)と思いながら拳銃を引っ込めた。

「わたし達を知ってるの?」

 ルイズも“杖”を下ろし、シオンとほぼ同時にキョトンとした顔になった。

「お噂はかねがね。お逢いできて光栄至極。馬を賃す訳には参らぬが、事情は説明致そう。貴女たちを撃ったら陛下に恨まれるからな」

 アニエスはルイズとシオンに手を差し伸べた。そして、順番に、軽々と、華奢な女性とは思えぬ鍛え切った力でルイズとシオンを馬の後ろに引き上げ乗せる。

「貴女は何者?」

 アニエスの後ろに跨ったルイズは尋ねた。

「陛下の“銃士隊”。隊長アニエス」

 ルイズとシオンは先ほど1人の兵士から聞いた“銃士隊”という言葉が飛び出た為、ルイズは激昂した。

「貴女たちはいったい何をしていたの!? 護衛を忘れて、寝てんじゃないの!? おめおめと陛下を攫われて!」

「落ち着いてルイズ」

「だから事情を説明すると言っている。とにかく陛下は無事だ」

「なんですって!?」

 アニエスは馬に拍車を入れた。

 馬は駆け出した。

 降り頻る雨の中、3人は夜の闇へと消えて行った。

 

 

 

 木賃宿のベッドの上に腰かけているアンリエッタは、才人の腕の中で目を瞑り、震え続けている。

 才人は何も言うことができないでいるようであり、ただアンリエッタの肩を叩くばかりだ。

 雨が小雨に変わる頃、アンリエッタはどうにか落ち着いたらしく、無理に笑顔を作った。

「申し訳ありません」

「いや……」

「不甲斐ないところを、見せてしまいましたね。でも、また貴男たちに助けられた」

「また?」

「そうです。あの夜私が……自分を抑え切れずに、操られていたウェールズ様と行こうとした時……貴男たちは止めてくださいましたね」

「ええ」

「貴男たちは、あの時仰ってくださった。“行ったら、斬る”と、“嘘は赦せない”と。愛に狂った私に、そう仰ってくださいました」

「い、言いましたね」

 恥ずかしくなったのだろう、才人は顔を伏せた。

「それでも愚かな私は目が醒めませんでした。貴男方を殺そうとした。でも、貴男たちはその私が放った愚かな竜巻をも止めてくださいました」

 アンリエッタは目を瞑った

「あの時実は……ホッとしたんです」

「ホッとした?」

 ポツリポツリといった具合に会話を続けるアンリエッタと才人。

 そんなアンリエッタの言葉に、才人は怪訝そうな表情を浮かべる。

「そうです。自分でも気付いていました。あれは私の“愛”したウェールズ様じゃないって。ホントは違うって。私はきっと……心の底で、誰かにそれを言って欲しかった。そして、そんな愚かな私を誰かに止めて欲しかったに違いありません」

 切ない溜息を漏らすと、アンリエッタは言葉を続けた。諦め切ったような、そんな声であった。

「だからお願いしますわ。“使い魔”さん。また私が……なにか愚かな行いをしそうになったら……貴男たちの剣で止めてくださいますか?」

「なんですって?」

 アンリエッタの願いに、才人は目を大きく見開き、丸くする。

「その時は私を、遠慮なく斬ってくださいまし。ルイズとシオンに頼もうかと思いましたが、あの娘たちは優しいから、そんな事はできないでしょう。ですから……」

 才人は驚いた声で言った。

「できませんよそんな事! 全く……そんな弱くてどうするんですか。貴女は女王さまなんだ。自分の意志で、皆を守らなくちゃ。姫さま言ったじゃないですか。これからは、勇敢に活きてみようって。あれ、嘘だったんですか?」

 アンリエッタは俯いた。

「了解した。君が何か困った事があれば……間違った事を行おうとするのであれば」

「セイヴァー!? お前!」

「その悩みや間違いを斬って捨てよう。実際に、君を斬るのではなく、殴ってでも止めてやろうということだ。例えそれが、無礼な行為だとしてもな。何より、俺はお前のその弱さは悪い事ではないと想うがね。いや、弱さではなく、強み。“愛”しいとさえ想うよ」

 そんな時……。

 ドンドンドンドン! と、扉が激しく叩かれた。

「開けろ! ドアを開けるんだ! 王軍の巡邏の者だ! 犯罪者が逃げてな、順繰りに全ての宿を当たってるんだ! ここを開けろ!」

 才人とアンリエッタ、そして俺は顔を見合わせた。

「私を捜しているに違いありません」

「……やり過ごしましょう。黙って」

 コクリと、アンリエッタは首肯いたが……。

 そのうちに、ノブが回され始めた。しかし……鍵が掛かっている為に開けられない。ガチャガチャ! とノブが激しく揺らされる。

「ここを開けろ! 非常時ゆえ、無理矢理にでも抉じ開けるぞ!」

 バキッ! と剣の柄か何かで、ドアノブを壊そうとする音が聞こえて来る。

「いけませんわね」

 アンリエッタは決心したような顔で、シャツのボタンを開けさせた。

「姫さま?」

 アンリエッタのその言動、そして彼女の目を見て、俺は彼女に対して首肯く。

 驚く声もあらばこそ、アンリエッタは才人の唇び自分のそれを押し付けた。いきなりの激しいキスである。

 何が何やら動揺し切ってしまっている才人の首に腕を絡ませると、アンリエッタはそのままベッドへと押し倒した。続いてアンリエッタは目を瞑ると、熱いと息と舌を、才人の口に押し込む。いわゆるディープキス。もしくはそれ以上のモノだろう。

 アンリエッタが才人をベッドに押し倒すのと、兵士がドアノブを叩き壊し、ドアを蹴破ったのは同時であった。

 2人組の兵士が目にしたモノは……男の身体に伸し掛かり、激しく唇を吸っている女の姿、そして、その横に裸になって立っている男性の姿であった。

 アンリエッタは、兵士が入って来た事に注意を払いながらもそういった素振りを見せることなく、夢中になっている風を装おう。情愛の吐息が、2つの唇の隙間から漏れ続けている。

「……ったく、こっちは雨の中捕り物だってのに、お愉しみかよ」

「ボヤくなピエール。終わったら一杯やろうぜ」

「なんだ、情事の最中に乱入とは穏やかじゃないな。どうだ? 良ければ、5Pなんていうのは?」

 そんな裸の姿で、下品な誂いの言葉を口にする俺に対し、兵士2人は退がる。

「馬鹿言うな。こっちは仕事中だ」

 1人がそう言って、バタン! とドアを閉じ、階下部へと消えて行った。

 ドアノブの壊されたドアが軋んでわずかに開く。

 俺は、“魔力”で服を再構成する。

 アンリエッタは唇を離したが……兵士たちが宿の外に出て行っても、ジッと潤んだ目で才人を見つめ続ける。

 咄嗟のアンリエッタと俺の行動に才人はすっかり驚いてしまっているようである。

 今夜の行動はいざとなれば己の身体をも犠牲にできるような、そんな想いが秘められていることを、才人は強く感じた。

 上気した頬で、アンリエッタはジッと才人を見つめ続けている。

「……姫さま」

 アンリエッタは苦しそうな声で言った。

「アンとお呼びください、とそのように申し上げたはずですわ」

 才人が「でも……」と言ったが、アンリエッタは再び唇を押し付ける。今度は、優しく……情を込もった口吻である。

 ランプの灯りの中……才人の目に、アンリエッタの開けた白い肩が飛び込む。才人は激しく混乱したまま、アンリエッタの唇が自分の顔の形をなぞるのに任せていた。

「恋人は……いらっしゃるの?」

 熱い声で、アンリエッタが才人の耳元で囁く。蕩けてしまいそうになるだろう、そんな響きだ。

 才人の頭の中にルイズの顔が浮かび上がる。だが……違う。

「いません、けど……」

 アンリエッタは才人の耳朶を噛んだ。

「ならば、恋人のように扱ってくださいまし」

「な、なにを……!?」

「今宵だけで良いのです。恋人になれと申している訳ではありません。ただ、抱き締めて……口吻をくださいまし……」

 時間が止まったかのような……そんな気にさせる、気が遠くなるような数分が才人の中で過ぎて行く。

 部屋の中は雨のおかげか湿気に満ち、布団からは他人の体臭と、据えた匂いが漂っている。

 才人はアンリエッタの瞳を見つめた。これほどまでに汚い部屋にいてもなお……アンリエッタの美貌は眩いといえるだろう。いや、こういった部屋だからこそ、なお、逆に、更に輝くのかもしれないのだろう。

 その魅力に、つい溺れてしまいそうになった才人だが、もしアンリエッタとこれ以上キスを重ねてしまえば……ルイズは決して才人を赦さないだろう。赦さないだけでなく、とても悲しむだろう。ルイズが1番敬“愛”している人物であるのだから。だからこそ、(そんなことはできない。大事な人が、大事に想っている人に……恋人のフリをしてキスなんかできやしない。姫さまは寂しいだけだ。慰める方法は、きっと他にもあるはずだ)と才人はそう思った。だからこそ、才人は、アンリエッタの淡い栗色の髪を撫でた。

「俺は王子さまにはなれませんよ」

「誰もそのようなことは、申しておりませんわ」

「知ってるでしょう? 俺はこっちの世界の人間じゃない。こっちの世界の……誰かの代わりになるなんてこと、できません」

 アンリエッタは目を瞑ると、才人の胸に頬を寄せた。

 そうしていると……徐々に熱が引いていった様子で……アンリエッタは恥ずかしそうに呟いた。

「……はしたない女だと、お思いにならないでね。女王などと呼ばれても……女でございます。誰かの温もりが恋しい夜もありますわ」

 しばらく……アンリエッタはそうやって頬を才人の胸に押し付けた。

 都で1番安いんじゃないかと思われる木賃宿の中、国で1番高貴な少女が自分の腕の中で子供のように震えている、といったなんだかその皮肉な組み合わせに、才人は苦笑した。

「コホン。さて、そろそろ本題に入るべきだと思うのですがね? ご両人」

 俺のわざとらしい咳と言葉に、アンリエッタと才人は驚いた顔で俺を見やる。どうやら、本当に自分たちだけの世界へと入り込んでしまっていた様子だ。

「姫さま」

「なんでしょう?」

「そろそろ教えてください。いったい、どうしてここまでするんです? 姿なんか晦まして……皆して一生懸命に貴女のことを捜してる。そして……貴女は身を隠す為に身体まで張っている。気紛れなんかで飛び出して来た訳じゃないでしょう? セイヴァーが言ってた“レコン・キスタ”と関係が?」

「……そうね。きちんとお話しなければならないわね」

 アンリエッタは普段と変わらぬ威厳を取り戻したような声を出す。

「狐狩りをしておりますの」

「狐狩り?」

「なるほど、狐ですか」

「ええ、狐は利口な動物という事はご存知? 犬を嗾けても、勢子が追い立てても、容易には尻尾を掴ませません。ですから……罠を仕掛けましたの」

「罠ですか」

「ええ。そして、罠の餌は私という訳。明日になれば……狐は巣穴から出て来ますわ」

 才人は尋ねた。

「狐というのは、何者なんですか?」

「“アルビオン”への内通者です」

「ふむ。内通者か。アン、その内通者の事だが、今朝方、とある劇場で取引をしていたよ」

 俺の言葉に、アンリエッタと才人の2人は驚いた表情を浮かべた。

 

 

 

 アニエスとルイズとシオンの3人は、馬に跨ったまま、リッシュモンの家の側の路地で息を潜めていた。

 雨は小雨に変わりはしたが……どうしても身体は冷えるモノだ。

 アニエスはルイズとシオンに、自分が着ていた大きめのマントを羽織らせた。ちょうど、2人が羽織ることができるほどの大きさをしている。気持ち的には、大分とマシにはなった。が、それでもやはり飛び出てしまう箇所は当然あり、濡れてしまう。

「で、事情ってなによ?」

「鼠捕りだ」

「鼠捕り?」

「ああ、“王国”の穀倉を荒らすばかりか……主人の喉笛を噛み切ろうとする不遜な鼠を狩っている最中なのだ」

 シオンは、察した様子を見せる。

 が、訳が理解らないといった様子のルイズは、アニエスへと尋ねた。

「もっと詳しく説明して」

「今はこれ以上説明する暇がない。しっ! ……来たぞ」

 リッシュモンの屋敷の扉が開き、先ほどアニエスの馬の轡を取った年若い小姓が姿を見せた。12~13歳ほどの赤いホッペの少年である、カンテラを掲げ、キョロキョロと辺りを心配そうに見回した後、再び引っ込み馬を引いて現れた。

 小姓は緊張した顔でそれに飛び乗ると、カンテラを持ったまま馬を疾走り出させた。

 アニエスは薄い笑みを浮かべると、カンテラの灯りを目印にその馬を追い始めた。

「……何事?」

「始まった」

 アニエスは、ルイズの問いに短く答える。

 夜気の中を、小姓を乗せた馬は早駆けで抜ける。主人に言い含められでもしたのだろう、余ほど急いでいる様子である。少年は辺りを見回す余裕さえなく、必死な様子で馬の背にしがみ付いている。

 小姓の馬は高級住宅街を抜け、如何わしい繁華街へと馬を進めて行く。辺りはまだ女王の捜索隊と、夜を愉しむ酔っ払いたちなどで溢れている。

 “チクトンネ街”を抜け、さらに奥まった路地へと馬は消えた。

 厩に馬を預け、小姓が宿に入った事を確認すると、アニエスも宿へと向かった。馬を放り出し、追いかけながらルイズが問う。

「いったい、なにが起こってるのよ?」

 アニエスはもう答えない。

 宿に入り、1階の酒場の人混みを掻き分け、2階へと続く階段を上る小姓の姿を見付け、アニエスは後を追う。

 階段の踊り場から、アニエスは小姓が入て行ったドアを確認する。

 しばらくそこで3人は待ち人になった。

 アニエスはルイズとシオンに、耳打ちでもするように小声で言った。

「マントを脱げ、酒場女のように、私にしなだれかかれ」

 訳が理解らぬままにルイズはマントを脱ぎ捨て、シオンもマントを脱ぎ捨て、アニエスの言う通りにした。そうすると、情人とイチャつく騎士の姿が出来上がる。酒場の喧騒に、その姿は良く溶け込んでいる。

「似合うぞ」

 アニエスは視線を2階から逸らさずにルイズとシオンに言った。声はやはり女だが、黙っていると短髪の所為か凛々しい騎士の出で立ちに見える。

 その為に、ルイズはつい、頬を染めてしまう。

 小姓は直ぐに部屋から出て来た。

 するとアニエスは2人を引き寄せた。あ、と言う間もなく、2人は順番に唇を奪われてしまう。

 ジタバタと暴れようとするルイズだが、アニエスは強い力で彼女を押さえ付けている為に、身動きを取る事はできない。

 小姓は唇を合わせるアニエスとルイズ、そしてシオンへとチラッと一瞥をくれはしたが、直ぐに目を逸らす。騎士と愛人の酒場女たち2人との接吻。屋敷の壁にかかった絵画のように、この世界、この時代に於いては有り触れた光景だ。

 小姓は出口から出て行くと、来た時間と同じように馬に跨り、夜の街へと消えて行った。

 やっとそこでアニエスはルイズとシオンを解放した。

「な、なにすんのよ!?」

 顔を真っ赤にしてルイズが怒鳴る。相手が男であれば、今頃は“杖”を引き抜いて吹き飛ばしているところであっただろう。

 シオンもまた顔を真っ赤にしてはいるが、それだけである。

「安心しろ。私にそのような趣味はない。これも任務だ」

「わたしだってそうよ!」

「私も、だよ」

 それからルイズは去って行った小姓を思い出した。

「跡を着けなくて良いの?」

「もう用はない。あの少年はなにも知らぬ。ただ手紙を運ぶだけの役割だ」

 アニエスは、小姓が入って行った客室のドアの前に、足音を立てないように注意をしながら近付く。そして、小さな声で、ルイズとシオンへと問うた。

「……お前たちは“メイジ”だろう? この扉を吹き飛ばせぬか?」

「……随分荒っぽいことするのね」

「……鍵が掛かっているはずだ。止むを得ん。ガチャガチャやってる間に、逃げられてしまうからな」

 吹き飛ばすという点については、ルイズが優れているだろう。

 ルイズは太腿のベルトに提した“杖”を引き抜くと呼吸を整え、短く一言“虚無”の“ルーン”を口遊み、“杖”をドアへと振り下ろした。“エクスプロージョン”だ。

 ドアが爆発し、部屋の中へと吹き飛ぶ。

 間髪入れずに、剣を引き抜き、アニエスは中に飛び込んだ。

 中では商人風の男が、驚いた顔でベッドから立ち上がるところであった。手には“杖”が握られており、“メイジ”であることがわかる。

 男は相当の使い手らしく、飛び込んで来たアニエスに動じることもなく、“杖”を突き付け短く“ルーン”を呟く。

 だがそれ以上の速度で、シオンが“魔法”と“魔術”を組み合わせ風を起こし、商人風の男が持つ“杖”を吹き飛ばす。

 それでも、男が唱えた“魔法”は完成していた事もあり、空気の塊がアニエスを吹き飛ばす。

 男が、壁に叩き付けられたアニエスにトドメの“呪文”を撃ち込もうとした時……ルイズが続いて入る。

 ルイズの“エクスプロージョン”が男を襲う。

 男は眼の前で発生した爆発により、顔を押さえて転倒した。

 立ち上がったアニエスが、床に転がっている男の“杖”を拾い上げ、男の喉元に剣を突き付ける。

 男は中年だろう。商人のような成りをしてはいるのだが、目の光りは違う。商人になった“貴族”ではなく、身分などを隠し行動をしている“貴族”だろうということがわかる。

「動くな!」

 アニエスは剣を突き付けたまま、腰に付けた捕縛用の縄を掴み、鉄の輪の付いたそれで男の手首を縛り上げた。破ったシーツによる即席の猿轡を噛ませる。その頃になると、何事? と宿の者や客が集まり、部屋を覗き込み始める。

「騒ぐな! 手配中のこそ泥を捕縛しただけだ!」

 宿の者や客たちはトバッチリを恐れたのだろう、顔を引っ込めた。

 アニエスは小姓がこの男に届けた思しき手紙を見付け、中を改める。微笑を浮かべ、それから机の中や、男のポケットなどを洗い浚い確かめ始める。見付かった書類や手紙を纏めにした後、1枚ずつユックリと読み始めた。

 そんなアニエスへと、ルイズが問い掛ける。

「この男は何者なの?」

「“アルビオン”の鼠だ。商人のような成りをして“トリスタニア”に潜み、情報を“アルビオン”へと運んでいたのだ」

「じゃあ、こいつが……敵の間諜なのね。凄いじゃない。お手柄だわ!」

「まだ解決していない」

「どうして?」

「親鼠が残っている」

 アニエスは1枚の紙を見付けると、ジッと見入った。それは、建物の見取り図であり、いくつかの場所に印が記いている。

「なるほど……貴様らは劇場で接触していたのだな? 先ほど貴様の元に届いた手紙には、“明日例の場所で”、と書かれている。例の場所とは、この見取り図の劇場に間違いないか? どうなのだ?」

 男は答えない。ジッと黙って外方を向いている。

「答えぬか……“貴族”の誇りという訳か」

 アニエスは冷たい笑みを浮かべると、床に転がった男の足の甲に剣を突き立てようとする。

 だが、そこで……。

「もしかして、シオン姫殿下でございますか?」

 その男は、シオンの姿を見て、目を丸くし、大きく驚く。

「ご無事でなによりです。姫殿下」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けて、昼。

 中央広場、“サン・レミ”の聖堂が11時である事を告げる鐘を打つ。

 “タニアリージュ・ロワイヤル座”の前に、一台の馬車が止まった。

 中から降りて来たのは、リッシュモンである。彼は堂々とした態度で劇場を見上げた。御者台に座った小姓が駆け下り、その鞄を持とうとする。

「良い。馬車で待っておれ」

 リッシュモンは首を横に振ると、劇場の中へと入って行った。

 切符売の男は、リッシュモンの姿を認めると一礼した。

 切符を買わずに、リッシュモンは突き進む。

 芝居の検閲もその一職務の“高等法院”長の彼にとって、ここは別荘に近しい場所のようなモノなのであった。

 客席には若い女性の客ばかりであり、六分ほど埋まっているのが見える。

 開演当初は人気のあった演目ではあるが、役者の演技が酷い為に評判はガタ落ちし、酷評された。その結果客足が遠退いたのだろう。

 リッシュモンは彼専用の座席に腰かけると、ジッと幕が開くのを待った。

 続いて劇場の前にやって来たのはアニエスとルイズとシオンであった。

 ルイズは何が何やら理解らないままに、この毛机上の近くの路地にアニエスとシオンと共に張り込んでいたのである。先ほどの馬車が姿を見せると、アニエスが動いたこともあり、シオンと一緒に出て来たのである。

 ルイズは疲れてクタクタであった。なにせ、昨晩は一睡もしていないのである。それに、アニエスは何の説明もしない。鼠退治は良いのだが、誰が鼠であるのかも教えず、アニエスは黙して語らないのである。察しているシオンもまた語らない。

 シオンもまた、ルイズ同様に疲労が溜まっていた。

 劇場の前でジッとっているルイズ達の前に、懐かしい――見覚えがあり、見飽きた顔触れが姿を見せた。

 才人と、そして俺にエスコートされたアンリエッタである。

 才人もまた寝ていないが為に、目の下に隈が出来てしまっている。

 アンリエッタがルイズが買い求めた“平民”の服の上にローブを纏い、街女のように髪結い上げていたが……ルイズが見間違えるはずもない。

 俺たちは、アニエスが先ほど放った伝書フクロウからの報告で、ここを目指してやって来たのである。

「……姫さま。セイヴァー。サイト!」

 ルイズは小さく呟き、続いて大きく怒鳴って俺たちへと駆け寄って来る。

 シオンは、やはり大体の事を察し、理解をしているのだろう。落ち着いた様子でユックリと近付いて来る。

「ルイズ……」

 アンリエッタは、ルイズのその小さな身体を抱き締めた。

「心配しましたわ! いったい、どこに消えておられたのです?」

「優しい“使い魔”さんたちをお借りして……街に隠れておりました。黙っていたは、赦してちょうだい。貴女たちには知られたくない任務だったのです。でも、アニエスと貴女たちが行動を共にしているとの報告を今朝聞いて、驚きました。やはり貴女たちは私の1番のお友達。どこにいても駆け付けてしまう“運命”にあるのですね」

 アンリエッタはそう言って、ルイズとシオンを見つめた。

 それから側に控えたアニエスへと目を向ける。

 アニエスは膝を突いた。

「用意万端、整いましてございます」

「ありがとうございます。貴女はホントに、良くしてくださいました」

 そして最後に劇場の前にやって来た観客は……。

 “マンティコア隊”を中核とする、“魔法衛士隊”であった。

 獅子の頭に蛇の尾を持つ“幻獣”に跨った苦労性の隊長は、その場にいた全員を見つめて目を丸くした。

「おや!? これはどうした事だアニエス殿! 貴殿の報告により飛んで参ってみれば、陛下までおられるではないか!」

 慌てた調子で隊長は“マンティコア”から下りると、アンリエッタの元へと駆け寄った。

「陛下! 心配しましたぞ! どこにおられたのです!? 我ら一晩中、捜索しておりましたぞ!」

 泣かんばかりの勢いで、人の良い隊長は声を張り上げた。

 とうとう“魔法衛士隊”まで勢揃いだということもあって、何事? と見物人が集まって来る。

 騒ぎになりそうなので、アンリエッタはローブのフードを深く冠った。

「心配をかけて申し訳ありません。説明は後でいたしますわ。それより隊列長殿。命令です」

「なんなりと」

「貴下の隊で、この“タニアリージュ・ロワイヤル座”を包囲してください。蟻1匹、外に出してはなりませぬ」

 隊長は一瞬怪訝な表情を浮かべはしたが、直ぐに頭を下げた。

「御意」

「それでは、私は参ります」

「御伴いたしますわ」

 ルイズが叫んだ。

 しかし、アンリエッタは首を横に振った。

「いえ、貴女たちはここでお待ちなさい。これは私が決着を着けねばならぬ事」

「しかし」

「これは命令です」

 毅然と言われ、ルイズは渋々と頭を下げた。

 アンリエッタはたった1人、劇場へと消える。

 アニエスは馬に跨り、どこへと駆けて行った、他に何か密命でもあるのか、それとも――。

 そして……後には才人とルイズ、シオン、そして俺の4人が残された。

 ルイズは、なんだか頬を染めてアンリエッタの後ろ姿を見守っている才人の裾を引っ張った。

「ねえ?」

「なんだ?」

「いったい、何がどうなってるの?」

「狐狩りって言ってたな」

「鼠捕りって聞いたわ」

「どっちが正解なんだろ?」

「どっちも正解だよ。この国にいる不穏分子や“アルビオン”との繋がりがある、内通者たちを炙り出し、裁くの」

 首を傾げるルイズと才人に、シオンは静かに、そして沈鬱な様子で答えた。

 それからルイズと才人の2人は、ポカンとした表情を浮かべ、顔を見合わせる。

「なんだか今回の任務は……」

「うん」

「わたし達、脇役みたいね」

 ルイズの言葉に、才人は首肯く。

 そしてその直後に、ルイズはとある香りに気付き、才人の身体に鼻を近付けた。

「な、なんだよ?」

 ルイズは険悪な表情を浮かべると、クンクン、と鼻を鳴らして才人の身体の香りを嗅ぎ始めた。

「お、おいってば。なんだっつの?」

「この香り……姫さまの香水の香りだわ」

「え?」

 才人は、ギクッとした様子を見せる。

「あんたまさか……姫さまに変なことしたんじゃないでしょうね?」

 ギロッと、ルイズは才人を睨む。

 才人は、(まさか……いや、もちろん、キスをしたとは言えない。しかも、姫さまの方からして来たんだとは言えない。姫さまの名誉の為に、そんなこと言えない。そして言ってもルイズは信じないだろうしな)と思い、焦った。

「馬鹿! する訳ないだろ!」

「ホント?」

 ルイズは才人を睨み続ける。

「さっきエスコートにしている時に付いたんだろ」

 ルイズは才人の耳を摘むと、グイッと引き寄せた。そして、首筋に鼻を近付ける。

「くんくん。くんくん。じゃあなんでこんな所からも香るのよ? エスコートして、首筋に香水付くの? へえ? どんな香水よ!?」

「いや、それは……なんか寝てる時に寝返り打って。顔近付いて。以上、みたいな?」

「ねえセイヴァー、それってほんと?」

「さて、どうだったか」

 明らかな言い訳を口にする才人を前に、ルイズは俺へと確認をして来て、俺は恍けてみせる。

「良いわ。身体に訊くから」

 そうしてルイズは才人の耳を摘んだまま、路地へと引っ張って行った。

 才人の悲鳴が路地に響いた。

 

 

 

 幕が上がり……芝居が始まった。

 女性向けの芝居だということもあり、観客は若い女性ばかりだ。キャアキャアと黄色い歓声があちらこちらから沸く。

 舞台では、綺羅びやかに着飾った役者たちが悲しい恋の物語を演じ始める。

 以前俺たちが観劇した、“トリスタニアの休日”である。

 リッシュモンは眉を顰めた。役者が笑う度に、見得を切る度に、無遠慮に飛ぶ若い女性の声援が耳障りという訳ではない。約束の刻限になったのにも関わらず、待ち人が来ないという事が気掛かりなのであった。

 彼の今の頭の中には、質問せねばならないことがグルグル回っている。(今回の女王の失踪は、私を通さずに行った“アルビオン”の陰謀なのか? もしそうなら、その理由は? そうでないのなら、早急に“トリスタニア”に内在する第3の勢力を疑わねばなるまい。どちらせよ面倒な事に成なった)と独り言ちた。

 その時……彼の隣にとある客が腰を掛けた。

 リッシュモンは、(待ち人だろうか?)と横目で眺めたが、違った。

 深くフードを冠った若い女性である。

 リッシュモンは小声で窘めた。

「失礼。連れが参りますので、他所にお座りください」

 しかし、少女は立ち上がろうとはしない。

 これだから若い女は……といった風にリッシュモンは苦々しげな顔で横を向く。

「聞こえませんでしたか? マドモワゼル」

「観劇のお伴をさせてくださいまし、リッシュモン殿」

 フードの中の顔に気付き、リッシュモンは目を丸くした。それは失踪したはずの……アンリエッタその人だったのだから。

 アンリエッタは真っ直ぐに舞台を見つめたまま、リッシュモンに問うた。

「これは女が見る芝居ですわ。御覧になって楽しいかしら?」

 リッシュモンは落ち着き払った態度を取り戻し、深く座席に腰かけ直す。

「つまらない芝居に目を通すのも、仕事ですから。そんなことより陛下、お隠れになったとの噂でしたが……ご無事で何より」

「劇場での接触とは……考えたモノですわね。貴男は“高等法院”長。芝居の検閲も職務の内。誰も貴男が劇場にいても、不思議には思いませんわ」

「然様で。しかし、接触とは穏やかではありませんな。この私が、愛人とここで密逢しているとでも?」

 リッシュモンは笑った。

 しかし、アンリエッタは笑らない。そして彼女は、狩人のように目を細めた。

「お連れの方なら、お待ちになっても無駄ですわ。切符を改めさせて頂きましたの。偽造の切符で癌劇など、法に悖る行為。是非とも“法院”で裁いて頂きたいわ」

「ほう。いつから切符売りは“王室”の管轄になったのですかな?」

 アンリエッタは緊張の糸が途切れたように、溜息を吐いた。

「さあ、お互いもう戯言は止めましょう。貴男と今日ここで接触するはずだった“アルビオン”の密使は作者逮捕いたしました。彼は全てを喋りました。今頃“チェルノボーグの監獄”です」

 アンリエッタは一気にリッシュモンを追い込んだ。

 しかし、そのように全てを知られていながらも、リッシュモンは余裕の態度を崩さず、不敵に、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ほほう! お姿をお隠しになられたのは、この私を燻り出す為の作戦だったと言う訳ですな!」

「その通りです。“高等法院”長」

「私は陛下の掌の上で踊らされたと言う訳か!」

「私にとっても不本意ですが……そのようですわね」

 リッシュモンはいつも見せぬ、邪気の込もった笑みを浮かべてみせた。

 ちっとも悪怯れないその態度に、アンリエッタは強い不快感を覚えた。

「私が消えれば、貴男は慌てて密使と接触すると思いました。“女王が、自分たち以外の何者かの手によって拐かされる”。貴男たちにとって、これ以上の事件はありませんからね。慌てれば、慎重さは欠けますわ。注意深い狐も、その尻尾を見せてしまう……」

「さて、いつから御疑いになられた?」

「確信はありませんでした。貴男も、大勢いる容疑者の内の1人だった。でも、私に注進してくれた者がおりますの。あの夜、手引きをした犯人は貴男だと」

 疲れた、悲しい声でアンリエッタは続けた。

「信じたくはなかった。貴男がこんな……“王国”の権威と品位を守るべき“高等法院”長が、このような売国の陰謀に荷担するとは、幼い頃より、私を可愛がってくれた貴男が……私を敵に売る手引きをするとは」

「陛下は私にとって、まだなにも知らぬ少女なのです。そのように無知な少女を王座に抱くくらいなら、“アルビオン”に支配された方が、まだマシというモノ」

「私を可愛がってくれた貴男は嘘なのですか? 貴男は優しい御方でした。あの姿は、偽りだったのですか?」

「主君の娘に、愛想を売らぬ家臣はおりますまい。そんなことも理解らぬのか? だから貴女は子供だというのですよ」

 アンリエッタは、(私は何を信じれば良いの? 信じていた人間に裏切られる、これほど辛い事があるかしら? いいえ……裏切られた訳ではないわね。この男は出世の為に、私を騙していただけだもの。そんな事も理解らぬ私は、やはりリッシュモンの言う通り、子供なのかもしれないわね。だけどもう子供ではいられない。真実を見抜く目を……磨かなくてはいけない、そして真実を目にした時、動かぬ心を持たねばならないわ)と思い目を瞑った。

「貴男を、女王の名に於いて罷免します、“高等法院”長。大人しく、逮捕されなさい」

 リッシュモンはまるで動じた様子を見せない。そればかりか、舞台を指さして、さらにアンリエッタを小馬鹿にした口調で言い放つ。

「野暮を申されるな。まだ芝居は続いておりますぞ。始まったばかりではありませんか。中座するなど、役者に失礼と言うモノ」

 アンリエッタは首を横に振った。

「外はもう、“魔法衛士隊”が包囲しております。さあ、“貴族”らしい潔さを見せて、“杖”を渡してください」

「まったく……小娘が粋がりおって……誰を逮捕するだって?」

「なんですって?」

「私に罠を仕掛けるなどと、100年早い。そう言ってるだけですよ」

 リッシュモンは、ポン! と手を打った。

 すると、今まで芝居を演じていた役者たちが……男女6名ほどではあったが、上着の裾やズボンに隠した“杖”を引き抜く。そしてアンリエッタ目掛けて突き付けた。

 若い女の客たちは、突然の事に震えて喚き始めた。

「黙れッ! 芝居は黙って見ろッ!」

 激昂したリッシュモンの……本性を現した声が劇場内に響く。

「騒ぐ奴は殺す。これは芝居じゃないぞ」

 辺りは一気に静寂に包まれてしまう。

「陛下自ら入らしたのが、御不幸でしたな」

 アンリエッタは……静かに呟いた。

「役者たちは……貴男のお友達でしたのね」

「ええ。ハッタリではありませんぞ。一流の使い手揃いです」

 リッシュモンはアンリエッタの手を握った。

 その手の感触の悍ましさに、アンリエッタは鳥肌が立つのを覚えた。

「私の脚本はこうです。陛下、貴女を人質に取る。“アルビオン”行きの“フネ”を手配して貰う。貴女の身柄を手土産に、“アルビオン”へと亡命。大円団ですよ」

「なるほど。この芝居、脚本は貴男。舞台は“トリステイン”、役者は“アルビオン”……」

「そして貴女がヒロインと。こういう訳なのです。是非ともこの喜劇に御付き合いくださいますよう」

「生憎と、悲劇の方が好みですの。こんな猿芝居には付き合い切れません」

「命が惜しければ、私の脚本通りに振る舞うことですな」

 アンリエッタは首を横に振った。そして、その目が確信に光る。

「いえ、今日の芝居は、私の脚本なんですの」

「貴女の施政と同じように人気はないようですな。残念ですが、座長としては、没にせざるを得ませんな」

 役者に扮した“メイジ”たちに“杖”を突き付けられているというにも関わらず……アンリエッタは落ち着き払った態度を崩さずに言い放つ。

「人気がないのは役者の方ですわ。大根役者も良いところ。見られたモノじゃありませんことよ」

「贅沢を申されるな。いずれ劣らぬ“アルビオン”の名優たちですぞ」

「さて、舞台を下りて頂かないと」

 それまでざわめき、怯えていたはずの若い女の客たちが……。

 アンリエッタのその言葉で目付きを変え、一斉に隠し持った拳銃を抜いた。

 アンリエッタに“杖”を突き付けていたリッシュモンの配下の“メイジ”達はその光景に驚き、動きが遅れた。

 ドーン! という、何十丁の拳銃の音が、1つに聞こえる激しい射撃音が響く。

 モウモウと立ち篭める黒煙が晴れると……役者に扮していた“アルビオン”の“メイジ”たちは各々何発もの弾丸を喰らい、“呪文”を唱える間もなく全員が舞台の上に撃ち倒されてしまっていた。

 劇場の客全員が……“銃士隊”の隊員たちであったのだ。なるほど、リッシュモンが怪しいと見抜けなかったのも無理はないだろう。“銃士隊”は全員が若い“平民”……それも女性で構成されていたからである。

 アンリエッタはどこまでも冷たい声で隣の観客に告げた。

「お立ちください。カーテンコール(終劇)ですわ。リッシュモン殿」

 

 

 

 リッシュモンはやっとの事で立ち上がった。

 そして高らかに笑った。

 “銃士”たちが一斉に短剣を引き抜いた。

 気が触れたかのような高笑いを続けながら、突き付けられた剣に臆した風もなくリッシュモンはユックリと舞台に上る。

 彼の周りを“銃士隊”が囲む。何か怪しい動きを為れば、一気に串刺しにする態勢であった。

「往生際が悪いですよ! リッシュモン!」

「ご成長を嬉しく想いますぞ! 陛下は立派な脚本家になれますな! この私をこれほど感動させる芝居を御書きになるとは……」

 リッシュモンは大仰な身振りで、周りを囲む“銃士隊”を見つめた。

「陛下……陛下がお産まれになる前よりお仕えした私から、最後の助言です」

「仰い」

「昔からそうでしたが、陛下は……」

 リッシュモンは舞台の一角に立つと……足で、ドン! と床を叩く。すると、落とし穴の要領で、ガバッと床が開いた。

「詰めが甘い」

 リッシュモンは真っ直ぐに落ちて行った。

 慌てて“銃士隊”が駆け寄るが……再び床は閉まり、押しても引いても開かない。どうやら“魔法”がかかった仕掛けのようである。

「陛下……」

 隊員の1人が、心配そうにアンリエッタを見つめる。

 悔しそうに、アンリエッタは爪を噛んだ後、顔を上げ大声で怒鳴った。

「出口と思しき場所を捜索して! 早く!」

 

 

 

 穴は地下通路に通じていた。いざという時の為に、リッシュモンが造らせた抜け道である。

 “レビテーション”を使い、穏やかに落下した後、リッシュモンは“杖”の先に“魔法”による灯りを灯し、足元を照らしながら地下通路を歩き始めた。

 この通路は、リッシュモンの屋敷へも通じている。彼は、(そこに戻れば後はなんとでもなる)と思い、集めた金を持って、“アルビオン”に亡命するつもりであった。

「しかし……あの姫にも参ったモノよ……」

 リッシュモンが、(亡命した暁には、クロムウェルに願い出て、1個連隊預けて貰おう。それで再びこの“トリステイン”に戻り、アンリエッタを捕まえて、今日掻いた何倍もの恥を掻かせた後、辱めて殺してやる)と想像をしながら歩いていると……灯りの中に人影が映った。

 リッシュモンは一瞬、後退る。

 ボゥっと、暗がりの中に浮かんだその顔は……“銃士隊”のアニエスの顔であった。

「おやおやリッシュモン殿。変わった帰り道をお使いですな」

 アニエスは笑みを浮かべて言った。

 狭い、暗く湿った通路にアニエスの声が響く。

「貴様か……」

 ホッとした笑みを浮かべ、リッシュモンは答えた。

 リッシュモンは、(なるほど。この秘密の通路を知っているということは、劇場の設計図を見たのだろうが……“メイジ”ではない、ただの剣士如きに待ち伏せされたとて、痛くも痒くもない)といった様子を見せる。彼も他の“メイジ”同様、剣士という存在を軽く見ているのである。

「退け。貴様と遊んでいる暇はない。この場で殺してやっても良いが、面倒だ」

 リッシュモンの言葉に、アニエスは銃を抜いた。

「止せ。私は既に“呪文”を唱えている。後はお前に向かって解放するだけだ。20“メイル”も離れば銃弾など当たらぬ。命を捨ててまでアンリエッタに忠誠を誓う義理などあるまい、貴様は“平民”なのだから」

 面倒そうにリッシュモンは言葉を続けた。

「たかが虫を払うのに“貴族”のスペルはもったいない。去ねい」

 アニエスは絞り出すように、言葉を切り出した。

「私が貴様を殺すのは、陛下への忠誠からではない。私怨だ」

「私怨?」

「“ダングルテール(アングル地方)”」

 リッシュモンは、(そう言えば、この前私の屋敷を去る時に……こいつはわざわざ私に尋ねて来ていたな。あれはそういうことだったのか)と嘲笑った。ようやくその理由に得心の行ったリッシュモンは声を上げて嘲笑った。

「なるほど! 貴様はあの村の生き残りか!?」

 アニエスは、ギリッと唇を噛み締めて言い放った。唇が切れて血が流れる。

「“ロマリア”の異端審問。“新教徒”狩り。貴様は我が故郷が“新教徒”というだけで反乱をでっち上げ、踏み潰した。その見返りに“ロマリア”の“宗教庁”から幾ら貰った? リッシュモン」

 リッシュモンは唇を吊り上げた。

「金額を訊いてどうする? 気が晴れるのか? 教えてやりたいが、賄賂の額などいちいち覚えておらぬわ」

「金しか信じておらぬのか。浅ましい男よな」

「お前が神を信じることと、私が金を愛すること、如何ほどの違いがあると言うのだ? お前が死んだ両親を未練たっぷりに慕うことと、私が金を慕うこと、どれだけの違いがあるというのだ? 良ければ講義してくれ。私には理解できぬ事ゆえな」

「殺してやる。貯めた金は、地獄で使え」

「お前ごときに“貴族”の技を使うのはもったいないが……これも運命かね」

 リッシュモンは呟き、“呪文”を解放させた。

 “杖”の先から巨大な火の球が膨れ上がり、アニエスへと飛んだ。

 アニエスは手に握った拳銃を撃つかと思わせたが、それを投げ捨てた。

「なに?」

 身体に纏ったマントを翻し、それで火の球を受ける。一気にマントは燃え上がるが……中に仕込まれた水袋が一気に蒸発して火の球の威力を削いた。が、消滅した訳ではない。アニエスの身体に打つかり、鎖帷子を熱く焼いた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 しかし、アニエスは倒れずに耐えた。恐ろしいまでの精神力。転げ回ってしまうような全身が焼け付く痛みに耐えながら、剣を抜き放りリッシュモンに向かって突進した。

 その反撃に慌ててリッシュモンは次の“呪文”を放つ。

 風の刃がアニエスを襲う。散々に切り裂くが、鎖帷子と板金の鎧に阻まれ、致命傷とならない。身体に無数の切り傷を負いながら、なおもアニエスは突進する。

「うお……」

 リッシュモンの口から溢れたのは“ルーン”ではなく……真っ赤な鮮血であった。

 アニエスは柄も通れとばかりに深く、リッシュモンの胸に剣を突き立てていた。

「メ……“メイジ”が“平民”如きに……この“貴族”の私が……お前のような剣士風情に……」

「……剣や銃は玩具と吐かしたな?」

 全身に火傷と切り傷を負いながら、アニエスはゆっくりと突き立てた剣を回転させ、リッシュモンの胸を抉った。

「玩具ではないぞ。これは武器だ。我らが貴様ら“貴族”にせめて一噛みと、磨いた牙だ。その牙で死ね。リッシュモン」

 ごぼ、と一際大きくリッシュモンは血を吐いた。そしてユックリと崩れ落ちる。

 辺りには静寂が戻った。

 地面に落ちたカンテラを拾い上げ、アニエスは壁に肩を突いてヨロヨロと歩き始めた。火傷の上に負った切り傷が、今にも倒れてしまいそうなほどの激痛をアニエスに与えているのである。

 それでもアニエスは歩いた。

「……ここで、死んで溜まるか。まだ、まだ……斃さねばならぬ」

 剣を杖のように突き、血を流しながらゆっくりと一歩ずつ、アニエスは出口を目指して歩いた。

 “トリスタニア”の地下に掘られた、この秘密の通路の1番近い出口は……“チクトンネ街”の排水溝であった。

 そこから這いずるようにアニエスが身を出すと、街行く人の悲鳴が上がる。

 太陽を眩しく見上げて……生を実感し、幸運に感謝しながらアニエスは気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日後……。

 “魅惑の妖精亭”の厨房で、俺と才人は皿を洗っている。

 そんな才人の背中に、ドン! とルイズが打つかった。

 皿を落としそうになり、才人は文句を言う。

「気を付けろ! 皿を割っちまうとこだったぞ!」

 ギロリ、とルイズを睨む才人。だが、その後直ぐに、やれやれと頭を掻いた。

 あの日から……先日の件から、ルイズは才人とまともに口を利いていないのである。

 才人は結局、ルイズに取っ締められて、アンリエッタと隠れた木賃宿で起こった事を話してしまったのである。ただ……キスの事だけは当然除いて。

 それだけでこれだけ不機嫌になるのだから、キスの事がバレてしまえばそれはもう目も当てられない事になるだろう事は明白であった。ルイズはなにせ独占欲が強いのである。“使い魔”の才人が他の女の子に目移りをしただけで怒り狂うのだから、ましてやそれが敬“愛”するアンリエッタとのキスであれば尚更だろう。

 才人はそういった事もあって、それだけは知られないように、と警戒をしていた。

「……そ、そんなに怒るなよ」

「怒ってないわよ」

「だから言ったろ? 姫さまとやむなく抱き合っただけだって。バレそうだったからしかたなく……セイヴァーが証人だ」

「……あんた、それ以上のことしてないでしょうね?」

「す、するかよ!」

 才人は口笛を吹きながら、皿洗いを再開した。

 傍から見たら恋人の痴話喧嘩そのものたであるのだが……2人ともそうは思ってはいない。とにかく才人はルイズの嫉妬を、“使い魔”に対するただの独占欲が原因と解釈している。ルイズはルイズで、己の気持ちをどうにも認めようとしないでいるのだ。そんなこんなで、2人の関係は依然平行線のままである。このままずっとそうなんじゃないか? と思わせるような平行線である。まあ、そうではないのだが。

 さて、ここ最近、いや、普段となんら変わらないそんな2人が拗れた様子を見せていると、羽扉が開き、2人の客が姿を見せた。

 その2人の客は、深くフードを冠っている。

「入らっしゃいませ」

 ルイズが注文を取りに行くと、客はソッとフードを持ち上げ、ルイズに顔を見せた。

「アニエス!?」

 アニエスはルイズに囁く。

「2階の部屋を用意してくれ」

「貴女がいるってことは……もう1人は……」

「……私ですわ」

 アンリエッタの声だ。

 ルイズは首肯いて、シオンに目配せをし、伝える。

 そして、スカロンに頼み、2階で空いている客室を1つ用意した。

 

 

 

 

「さてと……ルイズ、シオン。まずは貴女たちにお礼を……」

 アンリエッタはテーブルを囲んだ面々を見回して言った。

 ルイズ、シオン、才人、アニエス……そして俺だ。

 酷く負傷したアニエスだったが、アンリエッタと宮廷の“水”の使い手による“治癒”によって、ほとんど回復をしていた。ただ、まだ鎧を着けられるほどではないようである。従って今日は胴着にタイツ、そしてブーツといった簡素な出で立ちをしている。

「貴女たちが集めてくれた情報は、本当に役に立ってますわ」

「あ、あんなのでよろしいのでしょうか?」

 政治についての話題であったが、ただの噂に過ぎない。後は、市民たちの意見や批判。本来であれば、アンリエッタの役に立つとは到底思えないだろう情報ばかりだったのだ。

 驚くルイズに、アンリエッタは微笑み、言った。

「貴女たちは何の色も着けずに、そのまま私の所に運んでくださいます。私が欲しいのは、そう言った本当の声なのです。耳に痛い言葉ばかりですが……」

 とにかくアンリエッタへの批判は多かったといえるだろう。

 ルイズはどうしたものかと思ったが、そのまま報告していたのである。シオンもまた、同様だ。だが、それが善かったようである。

「まだ若輩の身、批判はキチンと受け止め、今後の糧としなければいけませんからね」

 ルイズは頭を下げた。

「で、次はお詫びを申し上げねばなりませんね。なんら事情を説明せずに、勝手に貴女たちの“使い魔”さん達をお借りして申し訳ありませんでした」

「そうですわ。わたし達を除け者になんて、非道いですわ」

 ルイズはつまらなさそうに言い、シオンは苦笑を浮かべる。

「貴女たちには、あまりさせたくなかったのです。裏切り者に……罠を仕掛けるような汚い任務を……」

「“高等法院”長が裏切り者だったんですよね……?」

 アンリエッタは内密に処理をしようとしたのだが……そういう秘密はやはりどこかから漏れてしまうモノだ

 リッシュモンが“アルビオン”、いや、“レコン・キスタ”の間諜であったという事は、既に街の噂となっている。

 ルイズは、キッパリと頭を上げた。

「でも、わたしはもう子供じゃありません。姫さまに隠し事をされる方が辛いですわ。これからは、全てわたし達にお話しくださいますよう」

 アンリエッタは首肯いた。

「理解りました。そのようにいたしましょう。なにせ、私が心の底より信用できるのは……ここにいる方々だけなんですもの」

「“使い魔”も?」

 ルイズがそう尋ねた。

 アンリエッタと才人の目が一瞬だけだが、合う。それから2人は頬を軽く染め、お互い俯いた。

「え、ええ……当然ですわ。あ、そう言えば! 正式な紹介がまだでしたわね!」

 アンリエッタは何か誤魔化すような調子で、アニエスに手を差し伸べる。

「私が信頼する“銃士隊”の隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン殿です。女性ですが、剣も銃も男勝りの頼もしいお方ですわ。1度は逃げた裏切り者を、見事成敗なさいました。“メイジ”相手に剣で臆することもなく……“英雄”ですわ」

「“英雄”などではありませぬ」

 アニエスは暫し目を瞑った後、再び快活な表情へと戻る。それから気を取り直すような声で言った。

「陛下、ご紹介には及びませぬ。既にラ・ヴァリエール殿とエルディ殿とは、一晩過ごした間柄です」

 ルイズとシオンは、踊り場でのキスを思い出し、頬を染めた。

「そ、そうだったわね」

「忘れられぬ一夜でしたね。ラ・ヴァリエール殿、エルディ殿」

 アンリエッタが、「忘れられぬ一夜?」と尋ねた。

「いやなに、敵の目を欺く為に恋人および愛人を装ったのです。我ら、唇まで合わせて! あれは愉快でした! あっはっは!」

 楽しそうにアニエスは笑った。

 ルイズとシオンはますます顔を真っ赤にさせた。

 ルイズは、(良いわよ、笑いモノにしなさいよ、女同士でキスまでしちゃったのよ)と思いながら才人の顔を見る。

 がしかし、才人の顔は笑っていない。なにやら気不味そうに、余所見などをしているのである。

 ルイズは続いてアンリエッタへと視線を移す。

 こちらも、何か居心地が悪そうに指を絡ませてモジモジとしている。

 この2人は先ほど視線を合わせて顔を伏せたということもあり、ルイズの中で疑念が……妙な疑問や猜疑心などが、膨れ上がって行く。

「で、では、お仕事もあるでしょうし、おするといたしましょうか。アニエス殿」

 アンリエッタが立ち上がる。

「え? 今宵はゆっくり祝杯を上げる予定では?」

「貴女の傷のことも心配だし……それではルイズ、シオン。引き続きお願いしますわ」

 アンリエッタはそそくさと、部屋を出て行った。

 解せぬ様子のアニエスが続く。

 才人も立ち上がると、外に出ようとした。

「そんな急がなくても良いじゃないの」

 ルイズが、才人を引き止めた。

 才人は、すごく嫌な予感を覚えたのだろう、青褪めた顔をしている。

「いや、ほら、皿を洗わないと」

 真っ直ぐ前を見て、才人は言った。が、声が震えている。

 しかし、ルイズはニッコリと笑った。

「ま、座って。良いのよ。朝までここ、貸し切りなんだから」

 ルイズが、ベッドを指し示す。

 才人は、(なんだこいつ、気付いたんじゃないだろうな? 姫さまとのキス……いや、まさか……そんな、ね? そんなに鋭くないよね? そ、そうだよな。気付いたら、ルイズがこんな態度を取る訳ない。ムスッとした顔で、踏み付けてこう言うだろう。“あんた姫さまとキスしたんじゃないでしょうね?”)などと思い、おっかなびっくりといった風にユックリと腰掛ける。

 それであるのに、ルイズは笑っているのだ。ホントに他意などはなく、才人の労を労いたいのかもしれないといった様子だ。

「な、なんだよ。妙に優しいな」

「いいえ、今回はお疲れさまって。お礼を言いたいだけ。ほんとよ?」

 ルイズは杯を才人に持たせ、そこにワインを注いでやった。

「あ、ありがとう」

「ほらわたし……てっきり姫さまに必要とされてないんじゃないかって。この2~3日、ちょっと機嫌が悪かったけど……そんなことなかったから。機嫌直った! もう平気!」

 その様子を見て、才人は(あ、ああ、思い過ごしか……良かった……ほんとに機嫌を直したようだな)といった風にホッとした様子を見せる。

「姫さまの護衛、大変だったんじゃない?」

 ルイズは才人の手を握り締めた。

「そ、それほどでも」

 才人は、(なんだよルイズ、ホントに優しいな。嗚呼、いつもこうだったら良いのに)と思った。

「でも、流石はわたしの“使い魔”ね! わたしも鼻が高いわ!」

 才人は思わず照れた。

「そ、そんなお前……簡単だよ。ただ、一緒にいるだけだったし、セイヴァーもいてくれたし……」

「それでも凄いわ。誰にもバレないように、追って手を撒いたんでしょう?」

「ま、まあね」

「さ、呑んで呑んで。今日はきっちり任務を果たした貴男がご主人さまよ。わたしが給仕」

 そう言ってルイズはワインを勧める。

 ルイズにそんな風に煽てられ、才人は段々と気分が大きくなって行く。

「サイト凄いわ! 部屋に踏み込まれた時、咄嗟に機転を利かせて恋人のフリして誤魔化したんでしょう? 貴男、役者になれるわ! “タニアリージュ・ロワイヤル座”の看板俳優になれるわ!」

「まあな! 楽勝だよ!」

 同じ調子で、ルイズは続けた。

「サイト凄いわ! 姫さまとキスしたんでしょう?」

「まあな!」

 瞬間、空気が固まった。

 自分が見事に嵌められたということに才人は、この時点で流石に気付いた。

 相手から何かを引き出す時は、まずは安心させる。ルイズがこの酒場で磨いたテクニックであるのだ。ルイズは、日々日々、何気に成長しているのである。

「ル、ルイズ、その……あ、あれは……その……」

 ピリピリピリと、部屋の中の緊張が高まって行く。

 才人は俺へと助けを乞う視線を向けて来るが、俺とシオンは即座に部屋から退出する。

 ルイズは立ち上がると、ドアの鍵を閉めた。

 後ろを向いたまま、ルイズが言った。どこまでも明るい声だ。

「ねえ犬」

 犬と来た。

 才人の中にあったワインによる酔いが、一気に覚めて行く。そして、(ルイズの肩から立ち上がるオーラなに? あのドス黒いオーラなに?)と戦々恐々の体でガタガタと震え始めた。

「犬、どうしたの? 返事は?」

「わ、わん!」

 今夜の犬は、きっと違うだろう。一味違う。そんな痺れるような予感が、才人の身体を突き抜けるのを覚える。苦い絶望の味が、彼の口の中に広がって行った。

「あのね。“魔法”と足、どっちが良い?」

「ど、どっちも痛そうだなぁ~~~~」

「痛いじゃ済まないの。良いから、早く決めてよね」

 恐らく、才人にとって今日の夜は長く感じるだろう。

 才人は、(もし、今宵生き残ることができたら……女の子の酌には注意しよう)と思った。



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帰省

「旅ってワクワクしますわね!」

 シエスタは、そう叫んで才人の腕に大きめの胸を押し付けた。

「ワクワクと言うより、ムニムニ、ですね」

 激しく湯だった頭で、才人が相槌を打った。

 さて、ここは馬車の中である。小さな座席に才人とシエスタは並んで座っていた。

 シエスタの格好は草色のワンピースに編み上げのブーツ。そして小さな麦藁帽子といった、ちょっとしたよそ行きの格好である。黒髪清楚のシエスタがそういった格好でいると、正味の話可愛らしいという印象を覚える。

 それは当然、才人も感じており、(て、てめこの)、とそんな具合な様子を見せている。

 更にシエスタは、清楚な雰囲気を撒き散らしている上に大胆であるのだ。才人と並んで座れば、腕を絡ませて激しく胸を彼へと押し付けていくのである。

 才人が「シシシ、シエスタ、そんなに引っ付いたら、たら、腕に胸とか、とか、当たってるんですけど、むにって、当たって、るんですけど」と半泣きになって言えば、「あ、わざとですから」とまったく屈託のない笑顔でシエスタは答えるのである。

「そ、そんな、わざとって、その……人がいる所でそんな、ねえ、君……」

 止めてとは言えない才人は、自分の良心を宥める為に、形ばかりの抗議をした。

「御者さんなら大丈夫です。あれ“ゴーレム”ですって」

 御者台に腰掛けている若い男は、“魔法”の力で動く“操り人形(ゴーレム)”である。

 言われて見れば目がガラス玉のような光を放っているのだ。従ってシエスタは更に大胆さを加速させた。

 才人の肩に頬を乗せて耳を口に近付け、吐息混じりに声を送った。

「……こうやって2人っ切りになるのなんて、久し振りですね」

「そ、そうだね」

「いつか訊こうと思ってたんですけど、夏休みの間、ミス・ヴァリエールさんとミス・エルディさん、セイヴァーさんと何をしていたの?」

 シエスタからのその質問に、才人は答える事ができなかった。アンリエッタに頼まれら御忍びの任務であるだなどとは、当然言える筈もない。ほとんど皿洗いをしていただけではあるのだが、秘密であるのだから。

「え、えっと、その……俺とセイヴァーは酒場で働いてた。ルイズとシオンは、御城に務めてたから……何をしてたかはわかんないけど」

 と、才人はルイズとシオンに関しては嘘を吐いた。いや、誤魔化しが入ってはいるが嘘ではない為、言っても大丈夫だと判断したのだ。

「まあ! 酒場で! 才人さんとセイヴァーさんが! また、どうして?」

「い、いやその、お金がなくって……」

「そんな、お金のことならわたしに言って下されば良かったのに!」

「シエスタが?」

「はい、そんなには有りませんけど、コツコツとお金を貯めてますから」

 流石は堅実な村娘だといえるだろう。無駄遣いなどをせずに、キッチリと倹約をしているようである。

 才人はそんなシエスタの嬉しい申し出に嬉しくなった様子を見せた。

「大丈夫だよ! なんとかなったから!」

「ホントですか? でも、入用な時には遠慮なさらずに言って下さいね」

 これほどまでに健気な少女が、爪に火を灯すようにして貯めたわずかなお金を借りる事ができるはずもない。

「シエスタからお金なんか借りられねえよ!」

「まあどうして!? わたし、サイトさんの為なら、お金なんか全然平気ですわ!」

 シエスタは、ガックリと肩を落とした。

「あ、そっか。わたしのお金なんか使う気になれないと仰るんですね……」

「なんでそうなんだよ!?」

「きっと、わたしのこと嫌いなんだわ」

「そ、そんなことないよ!」

「ほんと? だってサイトさん冷たいんですもの」

「俺が? どうして?」

「だって、隣にいるのに、何もしてこないんだもの」

「えっと、お金の事だけど、やっぱり俺は男だし、自分でしっかり稼いで貯めたいって言うか」

 才人がそういった風にあたふたとする内に、シエスタは、ん……と呟き彼の首筋に唇を押し付けた。

 柔らかい蕩けてしまいそうな感触に、才人は驚愕した。

 シエスタの唇は項を伝い、耳朶を噛む。

 脳髄がチリチリに焼き付くかのような感覚を味わい、空気が固く冷えていくように感じ、席図に焼け火箸を突っ込まれたようにして、びん! と背筋を伸ばし、震える声で、「シ、シ、シエスタ……」、と才人が呟いたその瞬間―――――。

 2人が乗っている馬車の屋根が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ、というより、中に爆薬を仕込まれでもしていたかのようにして粉々に爆発をした、といった感じであった。とにかく、才人とシエスタの2人が乗る馬車は屋根付きから、オープントップへと変貌してしまったのである。

 才人はガタガタと震えながら、後ろを振り返える。

 そこには、才人たちが乗ったモノより一回り大きい、2頭立ての立派なブルームスタイルの馬車が疾走っていた。

 その馬車から、なにやらドス黒いオーラが立ち上っているかのように感じ、才人は怯えた。激しく怯えた。(たぶん目的地に到着したら、俺は死んでしまうんじゃないか)、と死の恐怖を覚えさせるほどのオーラを立派な馬車は発しているのだ。

 シエスタは、「わあわあ!? 天井がぁ~~~~~~~~!?」、と絶叫しながら才人へと抱き着く。

「シ、シエスタ……」

「なな、なんでしょう!?」

「死にたくなかったら、離れた方が良い」

 才人がそう言ったら、シエスタは妙な覚悟を決めた様子を見せた。そして、ガバッと才人へと抱き着いて「事情は良くわかりませんけど! 本望です!」、と喚いて彼を押し倒す。

 そんな熱情に感動する一方で、(ああ、これで人生終わった。想えば短かった。最期にせめて日本の土を踏みたかった)、などと才人の脳裏に走馬灯のように色々な想いが渦巻いた。

 

 

 

 さて、才人たちの後ろを疾走する、そんな立派な馬車の窓からは……。

 ルイズが首を突き出して茶色の年代モノの“杖”を構え、呼吸を荒くしてワナワナと震えていた。

 才人たちが乗っている馬車の屋根は、ルイズが“虚無”の“魔法”の1つである“エクスプロージョン”で吹き飛ばしたのであった。

 後ろの窓から、中の様子は丸見えであったのだ。

 シエスタと才人が馬車の中で抱き合ったり、顔を近付け合ったり、首筋にキスしたりなどをしている間、ルイズは馬車の中で震えながら見守っていたのである。だがやはりと言うか、遂にと言うか、“使い魔”である才人の耳朶にメイドであるシエスタの唇が及ぶに当たって、怒りが爆発してしまったのであった。自分の“使い魔”であり、無自覚ではあるが想い人である才人に、他の女の子とキスをするという事がどうしても許せないのだ。やはり、彼女は独占欲が強かった。

 屋根を吹き飛ばしてなお、シエスタが抱き着いている事に気付き、ルイズの目が吊り上がる。ルイズは更に“呪文”を“詠唱”しようとすると、足を引っ張られた。

「きゃん!?」

 と叫んだ次に、ルイズは頬を抓り上げられてしまった。

「いだい! やん! あう! ふにゃ! じゃ! ふぁいだっ!」

 あの高慢の塊のようであるといえるルイズが、文句の1つすらも言う事ができずに、頬を抓り上げられてしまっている光景を才人やシエスタが見たら、目を丸くしたに違いないだろう。

 そんな風にルイズの頬を抓り上げたのは……見事なブロンドの髪をした女性であった。歳の頃は20代後半だろうか。どことなく、顔立ちがルイズに似ていた。ルイズの気の強い部分を煮詰めて、成長させたらこんな顔になるのではないか? といったような割とキツめの美女であった。

「チビルイズ。私の話は、終わってなくってよ?」

「あびぃ~~~~~ずいばぜん~~~~~あでざばずいばぜん~~~~~~」

 頬を抓られたまま、半泣きでルイズが喚く。

 ルイズには絶対に頭の上がらない存在が4人いたのだ。アンリエッタと、両親と、この長姉であるエレオノールであった。

 ルイズより11歳年上の、このラ・ヴァリエール家の長女は、男勝りの気性と“王立魔法研究所アカデミー”の優秀な研究員として知られているのだ。

「せっかく私が話をしているというのに、キョロキョロと余所見をするのはどういう訳? あまつさえ、従者の馬車の屋根を吹き飛ばすし……」

「そ、それはその……“使い魔”がメイドと、その、くっ付いたり離れたりしてたから……」

 とすごく言い難そうにモジモジとしながら、ルイズは姉に告げた。

 エレオノールは髪をブワッと逆巻かせると、ルイズを睨み付ける。

 蛇に睨まれた蛙のようにして、ルイズは縮こまってしまった。

「従者のする事なんかは、放って置きなさい! 相変わらず落ち着きのない娘ね! 貴女はラ・ヴァリエール家の娘なのよ! もっと自覚を持ちなさい」

「は、はい……」

 ショボンとして、ルイズは項垂れた。

「で、でも……なにも“学院”のメイドまで連れて来なくても……」

「おチビ。良い事? ラ・ヴァリエール家は、“トリステイン”でも名門中の名門の御家よ。貴女だってそれはわかっているでしょう?」

「はい、姉さま」

「従者が貴女の“使い魔”だけでは示しが着かないでしょう? ルイズ、貴婦人というモノはね、どんな時でも身の回りの世話をさせる侍女を最低1人は連れ歩くものよ」

 “トリスタニア”の“アカデミー”に勤めているエレオノールが、ルイズを連れて帰省する為に“魔法学院”にまでやって来たのは今朝の事であった。

 エレオノールは、洗濯物の籠を抱えて通りがかったシエスタを捕まえ、「道中の侍女はこの娘で良いわ」と呟き、その場にいた“貴族”に有無を言わせずに承諾させ、世話をさせる為に連れて来たのである。

 従者用の馬車を、“学院”の者に無理矢理に用意させて、シエスタと才人を乗り込ませた。そして、もう1台馬車を用意させ、シオンと、恐らく格好だけは一丁前な為に“貴族”と判断したのかシオンと共にいる俺を乗せた。最後に、ルイズと共に“学院”まで乗って来た自分の馬車に乗り込んだのである。

 侍女とはいえ、道中の世話といってもほとんどさせることはない。飾りのようなモノである。がしかし、“貴族”にとってその飾りというモノは、何より大切なのであった。

 

 

 さて、そんなルイズの内心は穏やかではなかった。

 この帰省が、一筋縄では行かないモノであったからである。

 “アルビオン”への侵攻作戦が“魔法学院”に発布されたのは、夏休みが終わって2ヶ月が過ぎた頃……先月は“ケン(10)”の月の事。

 何十年か振りに遠征軍が編成される事になった為、王軍は士官不足を喫してしまったのである。その為、“貴族”学生を士官として登用することになった。“地球”の“日本”でいうところの、いわゆる赤紙というモノに似ているだろうか。

 もちろん、一部の教師や、学院長のオスマンなどはこれに反対したのだが、アンリエッタに枢機卿、王軍の将軍たちはこの反対を抑えたのだ。勉学は戦争が終わってからだ、とまで言い切ってみせたのであった。

 アンリエッタ直属の女官であり、“虚無の担い手”であるルイズには、侵攻作戦に当たり、シオンと共に特別の任務が与えられた。

 しかし……ルイズが実感に「祖国の為に、王軍の一員として“アルビオン”侵攻に加わります」と報告した為に大騒ぎになってしまった訳である。

 従軍は罷り成らぬ、と手紙が届き、無視したらエレオノールがやってきた、ということである。

 当然ルイズは、(従軍罷り成らぬなんて何事かしら?)、と機嫌を損ねた。

 今や国中の練兵場や駐屯地では、即席の士官教育を受けている学生たちで一杯である。ほとんどの男子学生は戦争に参加し行くことを選んだのである。

 ルイズは女子であるが、女王陛下の名誉である女官でもある。しかも今回の侵攻作戦では、“使い魔”の飛行機械――“ゼロ戦”を提げて任官するのであるのだ。ルイズの“虚無”に賭ける期待が高いことがわかるだろう。アンリエッタと枢機卿は、彼女たちを王軍の切り札として考えているのであろう。

 “トリステイン貴族”として、これ以上の名誉はないだろうとさえ想えるほどの事だろう。

 ルイズは馬車の中、姉であるエレオノールの隣で、(そりゃあ、戦は確かに好きじゃないわ。でも、わたしは祖国と姫様の為に微力を尽くしたいの。“虚無”の力を与えられたわたしには、祖国に忠勤を励む義務があるもの。祖国への忠義は、名門ラ・ヴァリエール家が誇るべきところではなかったかしら? それなのに実家は自分の従軍に断固反対の様子ね)、とそう考えた。

「まったく貴女は勝手な事をして! 戦争? 貴女が行ってどうするの!? 良い事? しっかりお母様とお父様にも叱って貰いますからね!」

「で、でも……」

 ルイズは言い返そうとするのだが、ほっぺたを抓られてしまう。

 エレオノールは昔のように、完全にルイズを子供扱いしているのであった。昔そう呼び慣わしたように、おチビ、と連発する。

「でも? はい、でしょ、おチビ! チビルイズ!」

 流石は姉妹だといえるだろう。

 いつもルイズが“使い魔”である才人を調教でもするかのように接している時と同じような口調であった。

 ルイズはまったく逆らうことなどできずに、「ふえ、うぇ、あだ、あねさま、ほっぺあいだだ……あう……」、と情けない声を上げることしかできない。

 俺とシオンは、そんな2人の様子を更に後ろの馬車から遠巻きに見つつ、苦笑するしかなかった。

 

 

 

 いつになっても“呪文”が飛んで来ないこともあって、才人は安堵の溜息を吐いた。

 後ろの馬車の中では、何らかの理由によりルイズの“呪文”が発動しなくなったようであることに、才人は気付いた。。

 才人にくっ着いている内に、楽しくなって来てしまったらしいシエスタは、屋根がないことも忘れた様子で、再び嬉しそうに才人の腕に身体を擦り寄せた。

「ねえねえサイトさん」

「ん? な、なに?」

「旅行って楽しいですわね!」

「そ、そうだね……」

 相槌を打ったが、才人はそこまで能天気になることは出来なかった。これからの事を考えると、問題が山積みなのだから。

 アンリエッタ達は戦争を計画している。いや、今正しくその戦争の真っ最中――ただ、冷戦状態なだけなのだが、こちらから行って、攻める戦争が計画されているのである。

 ルイズももちろん参加する。流されるままに、才人も参加しなければならない羽目になった。拾った“ゼロ戦”提げての従軍である。おそらく、ではなく、ほぼ確実に危険な事をやらされることになるだろう。

 そういった事もあって、才人は明るい気分になることなどできるはずもなかった。

 才人は、(ったく、この戦争が終わったら今度こそ元の世界に戻る手掛かりを探しに東に行くぞ)、と改めて決意をした。それまでは、なにがなんでも死ぬ訳にはいかないだろう。

 才人がそんな風に想い詰めた顔をしているのを見て、シエスタが曇った顔になった。

「嫌だわ」

「え?」

「サイトさん達も、“アルビオン”に行くんでしょう?」

「う、うん……」

 どうやら、今までのシエスタの明るい態度は才人を元気付ける為の演技だったようである。

「わたし、“貴族”の人たちが嫌いです。もちろん、例外はいますけど……」

「シエスタ……」

「自分たちだけで殺し合いをすれば良いのに……わたし達平民も巻き込んで……」

「戦争を終わらせる為だって、言ってたけどな」

 アンリエッタの言葉を想い出して、才人は呟いた。

「終わらせる為だろうが、戦は戦です」

 シエスタの言葉に、才人は黙り込み、(だけど、今回の“アルビオン”の侵攻には、どんな理由があるんだろう? 俺が戦わなくちゃならない、どんな理由があると言うんだ?)と考え始めた。

 この前の“タルブ”での戦では、戦うだけの理由があった。 “シエスタを始め、タルブの村の人たちを救う”という、そんな大義名分だ。

 ルイズは張り切っているが……才人は乗り気になることはできなかった。ただ、アンリエッタの脆さに触れた時に感じた、“この可哀想なお姫さまの手助けをしてやりたい”といった気持ちが、そして、女友達であるシオンの故郷に関する事もである、という事が才人を後押ししていた。

「なんでサイトさん達が行かなきゃならないんですか? 関係ないじゃないですか」

「ま、そうなんだけどな……いや、シオン達の為って言うのも勝手が過ぎる、自己満足の為か?」

 と、才人は呟きながら、肘を突いた。

 シエスタが、才人の胸に顔を埋めた。

「死んじゃ嫌です……絶対に、死んじゃ嫌ですからね……」

 そんなシエスタを、才人は愛しく感じた。

 こんな可愛いメイドさんに、こんな風に泣かれたら、もうそれだけで生きている意味はある……とまで才人は想ってしまった。

 才人は、(しっかし、ルイズの実家かぁ……さっき会ったルイズのお姉さんは美人だけどキッツイ顔してたなー)、などと思った。

 エレオノールは見事に、才人たちをチラリとも見なかったのである。出逢った頃のルイズなんか目ではないほどにお高く留まった態度をしていたのである。ルイズも順当に成長をしたらあのような感じになってしまうのであろうか? と想わせた。しかも何か雲行きが怪しい感じを漂わせていたのである。どうやらルイズとその実家の家族を始めとした皆さんには、相当の温度差があるようだと想わせた。

 今回は、そんなルイズの実家への帰郷である。

 才人は空を見上げて、(はぁ、これからどうなるんだろう?)、と微妙に暢気ないつもの態度で、考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルビオン”の首都“ロンディニウム”の南側に、“ハヴィランド宮殿”は建っていた。

 そこに白ホールまさに、“白の国――アルビオン”の要に相応しい、白一色に塗り潰された荘厳な場所であった。16本の円柱がホールの周りを取り囲み、天井を支えている。白い壁には傷1つなく、光の加減で顔を映し出すほどに輝いて見えるのだ。

 そんなホールの中心に設えられた巨大な一枚岩板の“円卓”には、“神聖アルビオン共和国”のか閣僚や将軍たちが集まり、会議の開催を待ちかねていた。

 おおよそ2年前には、大臣たちが王を取り囲み国の舵取りを行っていた場所であったが、今では主を替えていた。

 “王政府”から国を取り上げた革命者たちは、自分たちが祭り上げた冠の登場を待ちかねていた。

 2年前には、地方の一司教に過ぎなかった男を……。

 ここに集まった誰よりも……扉に控えた衛士よりも身分の低かった男を……。

 ホールの扉が、2人の衛士によって開けられた。

「“神聖アルビオン共和国政府貴族会議長”、サー、オリヴァー……」

 呼び出しの声を、クロムウェルは手で遮った。

「サ、サー?」

「無駄な慣習は省こうではないか。ここに集まった諸君で、余のことを知らぬ者居などいないはずなのだから」

 クロムウェルの背後には、いつもの通り秘書であるシェフィールドと、傷の療えたワルド子爵、そして“土くれのフーケ”の姿が見える。

 クロムウェルは上座へと座り、その背後にはシェフィールドが影のように寄り添った。フーケとワルドは空いている席へと腰かける。

 議長剣初代皇帝が席に着いたことにより、会議が始まった。1人の男が挙手をした。ホーキンス将軍である。白髪と白髭が眩い歴戦の将軍は、キツい目で司教だった皇帝を見詰めた。

 クロムウェルに促され、彼は立ち上がった。

「閣下に御尋ねしたい」

「何なりと質問したまえ」

「“タルブ”の地で一敗地に塗れた我が軍は、艦隊再編の必要に迫れれました。艦隊がなければ、軍を運ぶことも、国土を守ることもできませんからな」

 うむ、とクロムウェルは首肯いた。

「その時間を稼ぐため、と称して行われた隠密裏の女王誘拐作戦も失敗に終わりました」

「そうだ」

「それらが招いた結果を閣下の御耳に入れても宜しいでしょうか?」

「勿論だ。余は全ての出来事を耳に入れねばならぬ」

「敵軍は……ああ。“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍は、突貫作業で艦隊を整備し終え、2国合わせて60隻もの戦列艦を空に浮かべました。未だ再編にもたつく我軍の保有する戦列艦の数に匹敵する隻数です。しかも向こうは艦齢の新しいモノばかりです」

 1人の将軍が、侮蔑を含んだ口調で呟く。

「張りぼての艦隊だ。奴らの練度は、我らに劣る」

「それは昔の話です。閣下。我らも練度の点では褒められたモノではありませぬ。革命時に優秀な将官士官を多数処刑した結果、著しい練度の低下を来しました。残ったベテランは、“タルブ”の敗戦で失いました」

 クロムウェルは黙りこくってしまった。

「彼らは現在、“フネ”の徴収を盛んに行っております。なお、諸侯の軍に召集をかけた模様です」

「ふむ、針鼠のようだな。これでは攻め難い」

 1人の肥えた将軍が、暢気な声で呟いた。

 ホーキンスはその男を睨み付けた。

「攻め難い? これだけの材料が有って、敵軍が企図するところも読めぬのか?」

 ホーキンスは、どん! とテーブルを強く叩いた。

「彼らはこの“大陸(アルビオン)”に攻めて来るつもりですぞ。で、質問です。閣下の有効な防衛計画を御聴かせ頂きたい。もし艦隊決戦で敗北したら、我らは裸です。敵軍を上陸させたら……泥沼です。革命戦争で疲弊した我が軍が、持ち堪えられるかどうか……」

「それは敗北主義者の思想だ!」

 血走った目の若い将軍が、ホーキンスを非難した。

 クロムウェルは片手で制しながら、ニッコリと笑った。

「彼らがこの“アルビオン”を攻める為には、全軍を動員する必要がある」

「然様です。しかし、彼らには国に兵を残す理由がありませぬ」

「何故かな?」

「彼らには、我が国以外の敵がおりませぬ」

「“ガリア”は中立声明を発表しました。それを見越しての侵攻なのでありましょう」

 クロムウェルは背後を振り返り、シェフィールドと顔を見合わせた。

 彼女は小さく首肯いた。

「その中立が、偽りだとしたら?」

 ホーキンスの顔色が変わった。

「……真ですか? それは。“ガリア”が我が方に立って参戦すると?」

「そこまでは申しておらぬ。なに、事は高度な外交機密であるのだ」

 会議の席がざわついた。

「“ガリア”が参戦とな?」

「いったいどのような条件を取り付けたのだ?」

「“ガリア”さえ味方に付けば、怖いモノなどないぞ」

 などと、一斉に喚き始める。

 ホーキンスは、未だ信じられぬといった顔で、クロムウェルを見詰める。

 しかしクロムウェルは口髭を、物憂げに弄るばかりだ。

「だから、高度な外交機密だと申している」

 ホーキンスは考えを巡らせた。

 “ガリア”軍は“トリステイン”、“ゲルマニア”連合軍を直接攻めずとも良いのだ。もし、“アルビオン”が艦隊戦で敗北を喫し、連合軍に上陸を許したとしても……“ガリア”が軍を動かして2国の背後を脅かすだけで、彼らは徴兵を余儀なくされるだろう。

 だが、そんな沸き立つ会議室の中で、楽観視することなく思考している人物が2人いた。ワルドとフーケだ。2人は、“サーヴァント”という脅威を知っているのだから。

「それが真とすれば、この上もなく明るい報せですな」

「案ずることなく諸君は軍務に励みたまえ。攻めようが、守ろうが、我らの勝利は動かない」

 将軍たちは起立すると、一斉に敬礼した。

 その後に、己達が指揮する軍や隊の元へと散って行った。

 

 

 

 クロムウェルはシェフィールドとワルド達を連れて、執務室に遣って来た。そして、かつて王が腰かけた椅子に座り、部下たちを見回した。

「傷は療えたかな? 子爵」

 ワルドは一礼した。

 クロムウェルはニッコリと笑って、ワルドに問いかけた。

「さて、どう読むね?」

「あの将軍の見立通り、“トリステイン”と“ゲルマニア”が、確実に攻めて来るでしょうな」

「うむ。では、勝ち目は?」

「5分5分……いや、我らの方が幾分有利ですかな。兵数では劣るが、地の利と……」

「閣下の“虚無”がありますわね」

 フーケが、思い付いたかのように告げた。

 ワルドとフーケは、敢えて“サーヴァント”については触れない。

 そうしてフーケが告げた後、クロムウェルは、コホン、と気不味そうに咳をした。

「如何なさいましたの?」

「いやなに。諸君らも知っての通り、強力な“呪文”はそう何度も使えるという訳ではない。余が与えられる命には限りがある故、な。そう当てにされては困るのだ」

 どうやらクロムウェルの口振りだと、彼が使える“呪文”には限りがあるだということが理解できる。

「当てにする訳ではありませぬ。ただ、切り札のありなしは、士気にも関わりますから」

 とワルドが言うと、クロムウェルは首肯いた。

「切り札は、余の“虚無”ではない」

「では、やはり“ガリア”が参戦するのですね」

 当初の予定では、“ガリア”は“アルビオン”軍の侵攻に呼応して、“トリステイン”、次いで“ゲルマニア”を攻める予定ではあったが……“タルブ”で“アルビオン”軍が敗北した為に計画変更を余儀なくされてしまったのだった。“ガリア”からの次の提案は、“アルビオン大陸に敵を吸引して、その隙にトリステインとゲルマニアの本土を突く”、というモノであった。

 その計画を聴いたワルドは、クロムウェルに尋ねた。

「閣下。1つだけ腑に落ちない点が御座います」

「申してみよ」

「“ハルケギニア”の“王制”に反旗を翻した我らに、“ガリア”の“王政府”が味方する。そのような事がありえるのですか? もし、そのような事があるとすれば、如何様な理由で?」

 クロムウェルは、冷たい目でワルドを見据えた。

「子爵、それは君の考える事ではない。政治は我らに任せて、君たちは与えられた任務に邁進すれば良いのだ」

 ワルドは目を瞑り、頭を下げた。

「御意」

「君に任務を与える。やってくれるな?」

「なんなりと」

「メンヌヴィル君」

 クロムウェルがそう呼ぶと、執務室の扉が開き1人の男が現れた。白髪と顔の皺で歳は40の頃に見えたが、鍛え抜かれた肉体が年齢を感じさせない。一瞬、剣士かと想わせる様なラフな出で立ちをしているが、“杖”を提げている事からも、“メイジ”である事が窺えた。

 彼の顔には随分と目立つ特徴が有った。額の真ん中から、左眼を包み、頬に掛けて火傷の痕があるのだ。

 クロムウェルは、彼にワルドを紹介した。

「ワルド子爵だ」

 メンヌヴィルと呼ばれた男は鉄のような顔をピクリとも動かさずに、ワルドを見詰めた。

「ワルド君、君も名前くらいは聞いた事があるだろう? 彼が“白炎のメンヌヴィル”だ」

 ワルドの目が光った。その“二つ名”には聞き覚えがあったのだ。伝説とさえいわれている“メイジ”の傭兵。白髪の“炎”使い。卑怯な決闘を行い、結果、“貴族”の名を取り上げられてしまい傭兵に身を窶したとか、家族全員を焼き殺して家を捨てて来たとか、彼が焼き殺した人間の数は彼がこれまでの人生の中で焼いて食べた鳥の数より多いとか、様々な噂が流されているのだ。

 そんな噂の中で、確かな事が1つだけあった。

 戦場ではトコトン冷酷に炎を操るという事である。その炎は相手を選ばない。

 彼は老若男女を問わず、平等に燃やし尽くせる男なのであった。放つ炎に人としての温かみを奪われた男……それがこの、“白炎のメンヌヴィル”なのであった。

「どうだね子爵? 伝説を目の当たりにして」

「ここが戦場でなくて、良かったと想いますよ」

 ワルドは正直に感想を述べた。

「さてワルド君。君には、彼が率いる小部隊を運んで欲しいのだ」

 ワルドの顔に、不満の影が過る。(俺に運び屋をやれと言うのか?)、とその目が語っているのが簡単にわかるだろう。

「そう怖い顔をしないで欲しい。余は万全を尽くしたいのだ。小部隊とは言え、隠密裏に“フネ”で運ぶのには“風”のエキスパートが必要だ。詰まり、君だ」

「……御意」

 確かに、クロムウェルの言葉には一理があるだろう。

 ワルドは“閃光”の“二つ名”を持つ“風系統”のエキスパート、“スクウェア・クラス”の“メイジ”であるのだ。

 そういった事もあり、ワルドは渋々と、不満を抑えた。

「“ガリア”軍が全てを占領したとあっては、何も発言できなくなってしまうから、余はせめてそこを押さえて置きたいのだ。仕事をしたのだという既成事実を多少なりとも作っておかねばならん」

 焦りが含まれた声で、クロムウェルが呟く。

「そことは、どこなのでしょうか?」

「先ず、防備が薄く占領し易い場所である事。詰まり、首都“トリスタニア”から近過ぎては良かん。次に、政治的なカードとして、重要な場所である事。という事は、逆に遠過ぎても良かん」

「政治的なカード?」

「“貴族”の子弟を人質に取る事は、政治的なカードとしての効果を高めてくれるだろう」

 ワルドとフーケの唇が歪んだ。

 クロムウェルは、大仰な身振りで目的地を告げた。

「“魔法学院”だ、子爵。君はメンヌヴィル君を隊長とする一隊を、夜陰に乗じてそこに送り込みたまえ」

 そこは、かつてフーケがロングビルとして働いていた場所であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、“魔法学院”――――。

 キュルケとタバサは、ガランとしてしまっている“アウストリの広場”を歩いていた。

 今は休み時間である。いつもであれば生徒たちで賑わっているはずなのだが……。

 いるのは女子生徒ばかりであった。下品かつ上品に、ギャアギャアと騒いでいる男子生徒たちの姿は見当らない。

「いやいや、ホントに戦争って感じねえ」

 キュルケは両手を広げて首を横に振った。

 男子生徒のほとんどは、士官不足に悩む王軍へと志願をしたのである。ギーシュに、あの臆病者の代表格であるマリコルヌも志願をしたというから驚きであった。

 彼らは今頃“トリステイン”各地の練兵場で、即席の士官教育を受けている真っ最中であろう。

 “学院”が閑散としてしまうのも無理はない。

 もちろんタバサも居残り組である。表向きは“ガリア”の叔父王に忠誠を誓ったように振る舞い、密かに復讐を狙うタバサが他所の国の戦争に首を突っ込むという訳にもいかない。

 キュルケは祖国の軍に志願をしたのだが、女子であるという事で認められなかったのである。せいぜい暴れようと想っていたキュルケであったが……そう告げられた彼女は、残念だといった様子を見せた。

 さて、ほとんどの男性教師もまた出征した為に、授業も半減した。

 暇を持て余してしまった女子生徒たちは、淋し気に固まり、恋人や友人たちが無事でやっているのかを噂し合っているのだ。

 ベンチに座って物憂気に肘を突いていたモンモランシーの姿を見付け、キュルケは近付いた。

「あらら、恋人がいなくって退屈なようね」

 モンモランシーは真っ直ぐ前を見たまま、他人事のように呟いた。

「いなくなって清々するわ。やきもきしなくて良いもの」

「でも、寂しそうじゃないの」

「あのお調子者ってば、臆病な癖に無理しちゃってさ。はーあ、あんなのでもいないとちょっとは寂しいモノね」

 キュルケはモンモランシーの肩を叩いた。

「ま、“始祖ブリミルの降臨祭”までには帰って来るわよ。親愛なる貴女の御国の女王陛下や偉大なる我が国の皇帝陛下は、簡単な勝ち戦だって言ってたじゃない」

 親愛と偉大に皮肉な調子を込めて、キュルケが呟く。元より“ゲルマニア貴族”は、忠誠心に薄いのである。所詮は諸侯が利害で寄り集まって出来た国、というモノだろう。

「だと良いんだけどね」

 モンモランシーは、そして溜息を吐いた。

 なんだかそんなモンモランシーを見ていると、キュルケまで切ない気分になって来てしまう。「嫌ねぇ、戦争ってほんとに嫌ぁねぇ」、といつも自分が繰り広げている暴れっ振りを棚に上げ、呟いた。

 

 

 

 キュルケとタバサはブラブラと歩き、“火の塔”の隣にあるコルベールの研究室の前までやって来た。

 そこではコルベールが、一生懸命に“ゼロ戦”に取り付いて整備を行っている。

 男の教師のほとんどは出征したというのに……このコルベールを始め幾人かの男性教師はマイペースな様子を見せている。戦争なぞどこ吹く風といった具合に、研究などに没頭しているようであった。

「御忙しそうですわね」

 キュルケは、そんなコルベールに厭味の混じった声で言った。

 コルベールは、「ん?」、といった風に顔を上げ、ニッコリと笑った。

「おお、ミス。ミス・ツェルプストー。君にいつか、火の使い方について講義を受けた事があったな」

 いつかの授業中の事を、コルベールは言った。

「ええ」

 キュルケは不快感を顔に浮かべて相槌を打った。

「どうしたね? ミス……」

「ミスタ。貴男は王軍に志願なさいませんでしたのね」

 “学院”の男たちのほとんどは、戦に赴くというのに……。

「ん? ああ……戦は嫌いでね」

 コルベールはキュルケから顔を背けた。

 キュルケは軽蔑の色を顔に浮かべて、鼻を鳴らす。男らしくない、と想ったのである。キュルケからは、コルベールがどうしても眼の前の戦から逃げ出しているようにしか見えないのだ。

 どの“系統”よりも戦に向く“火”の使い手でありながら、“炎蛇”という“二つ名”を持ちながら、この教師は戦が嫌いだと言い放ったのだ。

「同じ“火”の使い手として、恥ずかしいですわ」

 コルベールはしばらく顔を伏せていたが、その内に持ち上げた。

「ミス……良いかね? 火の見せ場は……」

「戦だけではない、と仰りたいのでしょう? 聞き飽きましたわ」

「そうだ。使い方次第だ。破壊するだけが……」

「臆病者の戯言にしか聞こえませんわ」

 プイッと顔を逸し、キュルケはタバサを促すと、歩き去って行く。

 コルベールはその背を見守りながら、寂しそうな溜息を漏らした。

 

 

 

 コルベールは、研究室に戻り、椅子に座る。

 コルベールはしばらく考え事をしていたが……色々なモノが雑多に積み上げられた机の引き出したを、首に提げた鍵を使って開けた。

 その引き出しの中には小さな箱があった。それを取り上げ、蓋を開いた。

 そこには、炎のように赤く光るルビーの指輪があった。目を凝らすと、揺らめく炎がルビーの中に見えるだろう。

 その炎を見ていると、20年前の出来事がありありと、コルベールの中で蘇って来るのだ。脳裏に映る光景は、未だ色褪せるという事なく鮮やかな様子を見せている。その鮮やかに光る炎が……コルベールを責め苛む。

 一瞬足りとも、忘れる事のなかった光景……。

 それからコルベールは、研究室内を見回した。

 外観は見すぼらしい掘っ立て小屋であるが、ここには彼が先祖伝来の屋敷や財産を売り払って手に入れた、様々な道具や“秘薬”で溢れているのが見える。

 それらを見詰めながら、コルベールは苦しそうに呟いた。

「破壊だけが……火の見せ場ではないのだ」



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カトレア

 “魔法学院”を出て2日目の昼―――――――。

 ラ・ヴァリエールの領地に、俺たちは到着をした。が、しかし、屋敷に着くのは夜遅くとのことである。

 それを聞いた才人の顔は青くなった。

 領地ということは庭のようなモノだといえるだろう。だが、その庭に入って、屋敷に着くのが半日後という事、そんな感覚が直ぐには理解できないでいる様子を才人は見せている。

 ルイズの家の領地は、日本でいえば大きめの市くらいの大きさをしている。

 当然才人は、それほどの土地持ちを聞いたことなどはないだろう。あるとしても、漠然なイメージとしては、“王族”くらいなモノだと考えていたのであろう。才人は、(大“貴族”というモノは恐ろしい)、と思った。

 ルイズの“貴族”っ振りは、領地に入ると直ぐ、たっぷりと見せ付けられることになった。

 とある旅籠で俺たちは、小休止することになったのであるのだが……。

 俺たち一行の馬車が止まったと同時に、先に着いていた才人とシエスタが馬車から降りて、シエスタはたたた、とルイズ達の馬車の方へと駆け寄った。きちんと召使としての教育を受けていたシエスタは、次いでルイズ達の馬車のドアを開けた。

 才人は、(うわぁ、シエスタにやらせちゃった。でも、あいつらの馬車のドアなんか開けるの癪だなー)、と思いながらルイズとエレオノールが乗る馬車に駆け寄ろうとしたのだが、どどどどどどどどどどどどどど! と旅籠から飛び出て来た村人たちに突き飛ばされてしまい、地面を転がってしまった。

 村人たちは馬車から降りて来たルイズとエレオノールの前で帽子を取ると、「エレオノール様! ルイズ様!」、と口々に喚いてペコペコと頭を下げ始めたのである。

 転がった才人も、いずれ名のある御方に違いないと村人たちは考えたらしい。手を取って起こすと、「大変失礼をば致しました」、と頭を下げた。

 才人はそれに対して、「いや、俺は“貴族”じゃないんですけど……」、と恐縮した様子を見せる。

「とは言っても、エレオノール様かルイズ様の御家来さまには変わるめえ、どちらにしろ、粗相があってはならぬ」

 と言って、素朴な顔をした農民たちは首肯き合った。

 そんなこんなで、「背中の剣をお持ちしますだ」、だの、「長旅でお疲れでしょう」、などと騒いで、才人の世話を焼こうとするのである。

「ありがとう」

 馬車から降りたシオンと俺もまた、手厚い歓迎を受け、シオンは感謝の言葉を口に述べた。

 “貴族”というモノは基本上に立つ存在だ。その為、平民に対して感謝の言葉などはあまり口にすることはない。

 そういった事もあって、旅籠たちは、シオンの言動に驚いた様子を見せた。

 そこで、エレオノールが口を開いた。

「ここで少し休むわ。父さまに私たちが到着したと報せてちょうだい」

 その声で1人の少年が馬に跨り、疾駆けで擦っ飛んで行った。

 俺たちは旅籠の中に案内された。

 ルイズとエレオノール、そしてシオンがテーブルに近付くと、椅子が引かれる。

 ルイズとエレオノールはさも当然のことであるといった様子でそこへと腰かけ、シオンは会釈と感謝を述べた後に腰かけた。

 才人もそのテーブルの椅子へと座ろうとするのだが、エレオノールに怪訝な顔で睨み付けられてしまった。

 シエスタに、「サイトさんサイトさん」、と呼びかけられ、才人は振り向く。

「……“貴族”の方と同席する訳にはいきませんよ」

 シエスタにそう言われた事で、才人は気付き、思い出し、(そういや最近は、ルイズが“一緒の席で良い”とか言うことやシオンを始め他の生徒たちも特に言及する事がなかったから気にせずに座ってたけど。でも、それってやっぱりこの世界では可怪しいことなんだろうな)、と思った。ルイズも初め、そしてしばらくの間は、床に座らせていたのだから。

 そんなルイズは、何かを言おうとしたのだが、エレオノールに睨まれて再び小さく縮こまる。

 それを目にして、才人は(こんなルイズ初めて見た)といった風に驚いた様子を見せた。

 やはりルイズは、この姉にはまったく頭が上がらないらしい。

 村人たちは口々に、「いやー、ルイズ様も大きくなられただ」、だの、「お綺麗になられて」、だの褒めそした。「そういや、エレオノール様は御婚約なされたんだっけか?」、と誰かが呟いて、一同に、「しッ! そんだこと言うんじゃねえ!」、と叱咤される。

 エレオノールの眉が、ピクン! と動き、旅籠中が緊迫感に包まれてしまった。

 どうやら、エレオノールの婚約話はタブーであるらしい。

 機嫌を損ねたエレオノールに恐れをなして、誰も、何も喋らなくなってしまった。

 才人はシエスタと顔を見合わせた。

 するとシエスタは、ソッと才人に寄り添い手を握った。怖がっているのだろう。

 ルイズがそんな姉の気をどうにか解そうとしてだろう、口を開いた。

「ね、姉さま。エレオノール姉さま」

「なに?」

「御婚約、おめでとうございますます」

 村人たちから、あちゃあ、と溜息が漏れた。

 ここでもやはり、空気の読めない娘――ルイズの本領が発揮されることになった。

 その瞬間、エレオノールじゃ眉を吊り上げてルイズの頬を抓り上げた。

「あいだ!? ほわだ!? でえざば!? どぼじで!? あいだだだっだ!」

「貴女、知らないの? って言うか知ってて言ってるわね?」

「わだじなんじぼじりばぜん!」

「婚約は解消よ! か・い・し・ょ・う」

「何故にっ!?」

「さあ? バーガンディ伯爵さまに訊いてちょうだい。なんでも“もう限界”だそうよ。どうしてなのかしら!?」

 この場の皆は、ただの少ししか見ていない才人とシエスタですらも、件のバーガンディ伯爵の気持ちが手に取るように察することができた。

 普段の言動、そして“学院”などでも見せた言動からして、ハッキリと言ってしまえば限界は直ぐにやって来るだろう。エレオノールの性格は、ルイズの拡大発展型であるようだ。

 伯爵は身が保たないと考えたのだろう。

 とにかく、婚約を解消されてしまった不幸なエレオノールは、八つ当たりの対象をルイズに定めたようである。

 とうとうお説教が始まってしまった。

 どうやらルイズは馬車の中でも同様だったのだろう。赤く腫れた頬を押さえて、ルイズはしょぼ暮れている。

「お話中に失礼、ミス。発言、宜しいでしょうか?」

 やはり、才人もシエスタも、シオンも、旅籠達もそんなルイズのことを不憫に想っているだろう様子を見せる。

 そこで、俺は説教中のエレオノールへと言葉をかけた。

「何かしら? えっと、貴男は確か……」

「セイヴァーです。シオンの“使い魔”である、いえ、シオン様の“使い魔”として“召喚”され、“契約”を結ばさせて頂いた者です」

「セイヴァー? それは偽名でしょう? 本名を名乗って下さらないかしら。それに、人が“使い魔”になるだなんて聞いた事がありませんわ」

「失礼。私と、そして先ほど椅子へと腰かけようとしたそこの彼、はここ“トリステイン”の者ではありません」

「では、“ゲルマニア”? “ガリア”? “ロマリア”? それとも、“アルビオン”かしら?」

「いえ、貴方方が言うところの“ロバ・アル・カリイエ”から喚び出されたものでして、我々2人は未だこちらの習慣などに疎いのです。先ほどのご無礼を、どうかお赦し頂きたい」

 俺のその言葉に、周りにいる村人たちは騒めき、エレオノールは怪訝な表情を浮かべる。

「あの“聖地”の向こうにあると言われている? 本当かしら?」

「お疑いになるのは当然でしょう。ですが、ご覧になって頂きたい。我々2人が着ている服を」

 そう言って、俺は自分と才人が着ている服を指さしなどをして、エレオノールの視線を誘導させる。

「見たことがない服ですわね。それになにやら、材質も……」

「ええ。これらは“ロバ・アル・カリイエ”原産の材料をふんだんに使用して編まれたモノです。そして、先ほどの我々の言動。ご聡明な貴女さまでしたら、もうご理解しておいででしょう?」

「そ、そうですか。理解りました。では、“使い魔”と言うのはどういう意味かしら?」

「言葉通りでございます。ほれ、この通り。我々の手には“使い魔”としての“ルーン”が刻まれております故」

 そう言って、俺は先ず自分の両手を見せ、次に才人の左手を無理矢理に出させ、その手甲にある“ガンダールヴ”としての証である“ルーン”を、エレオノールに確かめさせる。

「確かに、“ルーン”ですわね。ですが、このような“ルーン”見たことなどありませんわ。偽物ではないかしら? そもそも人が“使い魔”になるなどと――」

「――ミス、何事にも例外と言うモノは付き物であります。例えば、貴方方の祖先であり、崇拝なされている偉大な“始祖ブリミル”。彼の“使い魔”である“伝説の使い魔”、“勇猛果敢な神の盾、ガンダールヴ”、“心優しき神の笛、ヴィンダールヴ”、“知恵の塊神の本、ミョズニトルン”、“記す事さえ憚れる、リーヴスラシル”。“ガンダールヴ”は“汎ゆる武器を扱う”ことができ、“ヴィンダールヴ”は“汎ゆる動物を操る”ことができたとされております。その事からも、もしかすると、ヒト型であった可能性も。であれば」

「“ロバ・アル・カリイエ”出身と言う割には、豊富な知識をお持ちなのね」

何故(なにゆえ)、私にとってここは未開の地。知識を身に着けるのは当然の事でしょう?」

 そういった問答を繰り返しは、続かなかった。

 旅籠のドアがバターン! と開いて、桃色の風が飛び込んで来たからである。

 彼女は腰が縊れたドレスを優雅に着込み、羽根の付いた鍔の広い帽子を冠っている。その帽子の隙間から、桃色がかったブロンドが揺れる。ルイズと同じ髪の色だ。

 ハッとするような、可愛らしい顔が帽子の下から覗いた。その目の色は、やはりルイズと同じ鳶色に光っている。

 彼女はエレオノールに気付き、目を丸くした。

「まあ! 見慣れない馬車を見付けて立ち寄ってみれば嬉しいお客だわ! エレオノール姉さま! 帰ってらしたの?」

 エレオノールも、「カトレア」、とそう呟く。

 カトレア。それがこの旅籠に入って来た女性の名前だ。

 突然の来訪者に気付いたルイズが顔を上げた。

 カトレアの顔が、ルイズを認めて輝いた。

 ルイズの顔もまた、喜びに輝く。

「ちい姉さま!」

「ルイズ! 嫌だわ! わたしの小さいルイズじゃないの! 貴女も帰って来たのね!」

 ルイズは立ち上がると、カトレアの胸へと飛び込んだ。

「お久しぶりですわ! ちい姉さま!」

 キャッキャッと辺りを憚らぬ大声などで、2人は抱き合った。

 彼女――カトレアは、ルイズの直ぐ上の姉である。多少ルイズと比べると、穏やかな顔立ちをしている。

 その穏やかで優しい雰囲気に、才人はグッと胸を詰まらせた様子を見せる。カトレアは、ルイズを大人びさせ、且つ優しい雰囲気をプラスし、おまけに、胸まで結構ある為に、その容姿は才人の好みに直撃したのである。

「お久しぶりです。カトレアさん」

「あら、シオンちゃん。いらっしゃい。お久しぶりね」

 3姉妹が揃い、そしてシオンも加わった事で、場は一気に姦しくなった。そしてそれと同時に、先ほどまでの重苦しい雰囲気は既にどこかへと消え去ってしまっている。

 ルイズとシオンとの挨拶などを終えたカトレアは口を半開きにして、才人に気付いたのか、彼を見詰めた。

「まあ、まあ、まあ、まあまあ」

 才人が、(何が“まあ”なんだろう?)、と思いながら緊張した様子を見せていると、カトレアが彼へと近付く。そして、才人の顔をジッと見詰めた。

「なな、な、なんでしょう?」

 ガチガチに緊張をしている才人の顔を、カトレアはペタペタと触り始めた。

 才人は緊張のあまり、気絶しそうな様子だ。

「貴男、ルイズの恋人ね?」

「はい?」

 そんなカトレアの言葉に、才人の隣にいたシエスタの目や雰囲気が、スッと冷ややかなモノへと目に見えて醒めて行く。

 シエスタにギュッと足を踏まれて、才人は飛び上がった。

 次いでルイズが、顔を真っ赤にして叫んだ。

「ただの“使い魔”よ! 恋人なんかじゃないわ!」

「あらそう」

 カトレアは、やはりそんなとてもわかりやすいルイズの言動を前に、コロコロと楽しそうに笑った。それから首を傾げて、蕩けそうな微笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。わたし、直ぐに間違えるのよ。気にしないで」

 カトレアの言葉に、才人は戸惑いながらどうにか首肯いた。

「で、そちらの貴男は……シオンちゃんの恋人かしら?」

 

 

 

 ルイズにエレオノール、そしてシオン、才人とシエスタ、俺の計6人は、カトレアが乗って来た大きなワゴンタイプの馬車で、屋敷へと向かうことになった。

 エレオノールは召使や下僕と同じ馬車に乗る事に不満があるのだろう、顔を曇らせた。が、カトレアの「あら、大勢の方が楽しいじゃない」という一言に押し切られてしまい、エレオノールは渋々といった風に承諾し、乗ったのだ。

 そして……馬車の客は俺たちだけではなかった。

 前の方の席では虎が寝そべり欠伸を噛ましている。ルイズの隣には熊が座っているのだ。色々な種類の犬や猫があちらこちらで思い思いに過ごしている。

 俺やシオンの周りにも当然犬や猫などがおり、膝の上などに座っている。

 大きな蛇が天井からぶら下がり、顔の前に現れた為、シエスタは気絶してしまった。

 気絶したシエスタを介抱しながら、才人が呟いた。

「しかし、すごい馬車ですね……」

 ルイズが、「ちい姉さまは、動物が大好きなのよ」、と答えた。

 一目でわかることだが、これはもう好きというレベルを超えており、一種の移動式動物園とでもいえるだろう。

「わたしね、最近鶫を拾ったのよ」

 カトレアが楽しそうな声で言った。

 ルイズは、「見せて! 見せて!」、と幼子のように燥ぐ。

 それを見て、エレオノールは溜息を吐いた。

 ラ・ヴァリエールの美人3姉妹が勢揃いしている。

 才人は、(これがルイズの姉たちかぁ)、と感慨深げに、首肯いた。

 ルイズとカトレア、2人のお喋りは延々と続いた。

 どうやらルイズと、この可憐が服を着ているかのような2番目の姉であるカトレアは、相当な仲良しであるようだ。

 そんな2人の様子を見ていると、退屈な時間もあまり気にならない。

 シエスタはいつの間にか、才人の膝の上で寝息を立てている。

 シエスタや前方の席にいる虎の欠伸などに連られたのか、俺とシオンの膝の上にいる犬や猫も大きく欠伸をした。

 馬車の左には、緩やかに起伏する丘が広がっている。右はどこまでも続くかのように見える田園だ。秋の刈り取りが終わったばかりなのだろう、あちこちに藁の塊が積み上げられている。

 そんな牧歌的な風景を見ていると、今から戦争に赴く許可を貰いに行くなんて事が、信じる事ができないほどである。

 窓際に肩肘を突いて、背中のデルフリンガーを確かめた後、才人は大きく欠伸を1つした。

 

 

 

 夜も更けて……。

 エレオノールが、ポケットから懐中時計を取り出して、時間を確かめる。

 丘の向こうに御城が見えて来たのだ。周りにはこれといったモノもないため、“トリステイン”の宮殿よりも大きく見えてしまう。

 才人が「もしかして、あれ?」と呟き尋ねると、ルイズが首肯いた。

 高い城壁の周りには深い堀が掘られている。城壁の向こうに、高い尖塔が幾つも見えた。立派で、大きくて、重厚で、正に御城! といった風情の建物だ。

 眠っていたシエスタが、目を覚まし、御城に気付いて目を丸くした。

「まあ! 凄い!」

 その瞬間大きな梟が、バッサバッサと窓から飛び込んで来て、才人の頭の上で止まった。

 その梟が、「御帰りなさいませ。エレオノール様、カトレア様、ルイズ様。ようこそおいでくださいました、シオン様」と優雅に一礼をした。

 シエスタは驚いて、「フ、フ、梟が喋ってお辞儀!? おーじーぎー!?」、と言った後にまたもや気絶してしまった。

 異世界――“地球”出身である才人の方が動じていない。

 カトレアが笑みを浮かべた。

「トゥルーカス、母さまは?」

「奥さまは、晩餐の席で皆様をお待ちでございます」

「父さまは?」

 不安げな声で、ルイズが尋ねた。

「旦那さまは、未だお帰りになっておりません」

 肝心の相手が不在だということもあり、ルイズは不満げな色を浮かべた。戦への参加に対する父の許しを得に来たというのに、その相手が不在ではどうしようもないだろう。

 堀の向こう側に、門が見えた。

 馬車が停止すると、巨大な門柱の両脇に控えているこれまた巨大な石像が、跳ね橋に取り付けられた鎖を下ろす音がジャラジャラジャラと聞こえて来る。身長10メイルはあろうかという巨大な石像……門専用の“ゴーレム”であろう、それが、跳ね橋を下ろす様は壮観である。

 どすん! と跳ね橋が下り切ると、再び馬車は動き出し、跳ね橋を渡って城壁の内側へと進んで行った。

 

 

 

 才人はルイズの実家の豪華さを前に、改めて驚いた様子を見せる。

 これが大“貴族”の御城というモノである。

 豪奢な丁度が惜し気もなく飾られた部屋を幾つも通り、俺たちはダイニングルームへと到着した。シエスタは直ぐに召使たちの控室に向かわされたが、才人はルイズの“使い魔”であり、俺は客人であるシオンの“使い魔”だという事もあって、晩餐会への同伴が許されたのだ。

 とはいってもルイズやシオンの椅子の後ろに控えるだけである。俺たちは護衛のように、いや、実際にそうなのだが、それぞれの後ろに立って、30“メイル”ほどもあるだろう長さのテーブルを見詰めた。

 この夕食の席に座るのは5人だけであるというにも関わらず、テーブルの周りには、使用人が20人ほども並んでいる。

 深夜であるというにも関わらず、ルイズ達の母親――ラ・ヴァリエール公爵夫人は晩餐会のテーブルで娘たちの到着を待っていたのである。

 上座に控えた公爵夫人は、到着した娘たちを見回した。

 才人は公爵夫人から発せられるその迫力に躊躇いだ様子を見せる。

 エレオノールも激しい高飛車オーラを放っており、それが才人を圧迫したのだろうが、ルイズの母親である婦人もまた凄いモノだといえるだろう。この母にしてあの娘あり、といった風情である。

 歳の頃は50ほどだろう。だが、それは姉たちの歳から推察できる年齢であって、実際には40過ぎくらいに見える。目付きは鋭く、炯々とした光を湛えているのだ。

 カトレアとルイズの桃色がかったブロンドは、どうやら母親譲りのようである。公爵夫人は艶やかな桃色の髪を頭の上で纏めている。人をずっと傅かせて来ただけのことはあるだろうオーラを身に纏い、才人を圧迫している様子である。

 ルイズも才人同様なのか、久しぶりに逢う母親であるというのに、カチンコチンに緊張した様子を見せている。どうやらルイズが心を許しているのは、カトレアだけのようであった。

「母さま、ただいま戻りました」

 エレオノールがそう挨拶をすると、ラ・ヴァリエール公爵夫人は首肯いた。

「お久しぶりです。カリン叔母さま」

「ええ。久しぶりね、シオン。元気そうで良かったわ」

 3姉妹、そしてシオンがテーブル席に着くと、給仕たちが前菜を運んで来て晩餐会が始まった。

 後ろに控えている才人にとって、息が詰まりそうになる時間だ。なにせ、誰も言葉を発しないのだから。これに比べたら、堅苦しい“魔法学院”の食事でさえも楽しいお遊戯階の時間に想えてしまうだろう。

 銀のフォークとナイフが、食器と触れ合う音だけがただっ広いダイニングルームに響いた。

 そんな沈黙を破るようにして、ルイズが口を開いた。

「あ、あの……母さま」

 公爵夫人は返事をしない。

 エレオノールが後を引き取った。

「母さま! ルイズに言って上げて! この娘、戦争に行くだなんて馬鹿げたこと言ってるのよ!」

 ばぁーん! とテーブルを叩いてルイズが立ち上がる。

「馬鹿げたことじゃないわ! どうして陛下の軍隊に志願する事が、馬鹿げたことなの?」

「貴女は女の子じゃないの! 戦争は殿方に任せなさいな!」

「それは昔の話だわ! 今は、女の人にも男性と対等の身分が与えられる時代よ! だから“魔法学院”だって男子と一緒に席を並べるのだし、姉さまだって“アカデミー”の主席研究員になれたんじゃない!」

 エレオノールが呆れた、というように首を横に振った。

「戦場がどんなところだか知っているの? 少なくとも、貴女みたいな女子供が行くところじゃないのよ」

「でも、陛下にわたし、信頼されているし……」

「どうして貴女なんかを信頼するの? “ゼロ”の貴女を!?」

 ルイズは唇を噛んだ。

 アンリエッタがルイズを戦場に連れて行くのは、彼女が必要だからである。“虚無”の“魔法”が使える彼女が……しかし、ルイズが“虚無の担い手”であるという事は家族であっても話すことはできない。従ってルイズはそれ以上何も言う事が出来なくなってしまい黙りこくるしかできなかった。

 エレオノールは言葉を続けようとして、それまでジッと黙っていた公爵夫人に諌められた。

 良く通る、威厳のある声であった。

「食事中よ。エレオノール」

「で、でも、母さま……」

「ルイズの事は、明日お父さまが入らっしゃってから話しましょう」

 それで、その話は打ち切りになった。

 

 

 

 才人は自分の為に用意された部屋で、ベッドに横たわり天井などを見上げていた。

 ここはどうやら納戸のようなスペースであり、壁には箒が立て掛けられ、ベッドには雑巾が掛けられているのがわかる。

 改めて、ルイズ達との身分の違いなどを始めとしたモノ、それらの差を才人は想い知った。

 最近は一緒のベッドで寝たり、同じ屋根裏部屋に暮らしてみたり、食卓では並んでみたりで、身分の差を感じさせなかったのだが……。

 このようにしてルイズの実家に来てみると、それらが幻想であったかのように才人にそう想わせるのだった。

 才人は、“学院”を出てからルイズと一言も口を利いていない事を思い出した。あのエレオノールに気後れをしてしまい、ルイズに話しかけることができなかったのである。下僕が主人に話しかけるんじゃありませんといった類の説教を噛まされそうで、なんとなく気が引けてしまったのであった。

 才人はその事に対して、(なんだか情けねえなあ)、と思った。そして、(俺は別に、こっちの世界での身分制度なんか関係ないはずだ。でも……あんな晩餐会やこの御城を見てしまった後では、この扱いも仕方がないんじゃ?)、とも想ってしまう自分を認識した。

 才人は、ルイズ達との厳然な身分の違いというモノを想い知らされたような、そんな気分になってしまったのである。

 そんな風に落ち込んでいると……。

 扉がノックされた。

 こんな納戸に誰だろう? と思って才人が扉を開けると、そこにはシエスタが立ってはにかんだような笑みを浮かべていた。

「シエスタ?」

「あ、あの……来ちゃいました。その、眠れなくって」

「え? ええ?」

 と才人がオロオロしているうち、シエスタは部屋へと入ってしまう。

「来ちゃいましたって……良くここがわかったね」

「召使の人に訊いたんです。“サイトさんはどこにお泊りなんですか?” って」

「そっか……」

 シエスタはベッドに座って足をブラブラとさせた。何故かしら、彼女の顔は赤かった。シエスタは才人に向かって、来い来い、といった手招きをする。

 才人がシエスタの側に行くと、彼女はグイッと腕を引っ張って隣に座らされた。それからシエスタは、馬車の中でずっとそうしていたように頭を才人の方にもたれれかからせる。

「シエスタ?」

 と、才人が問い掛けると、彼女は無邪気な顔で才人の顔を覗き込む。

「わたし、こんな凄い御城に来たのは初めてだわ。迷路みたいねですね。この御城」

「そうだね」

「“学院”の仲間が言ってました。ラ・ヴァリエール家は、“トリステイン”でも5本の指に入る名家なんですって。こんな御城に住むのも、当然ですよね。はぁ、爵位も、財産も、そして美貌もなんでも揃ってて……ミス・ヴァリエールが羨ましいな」

「そうか?」

「そうです。だって、わたしが欲しくても手に入れられないモノを、たくさんお持ちなんですもの」

 それからシエスタは、才人の顔を覗き込んだ。

「サイトさんも」

「お、俺は別にあいつの持ち物じゃないよ。“使い魔”だけど……」

「わかるんです」

 ポツリと、シエスタは言った。

「え?」

「サイトさんがいっつも誰をどんな目で見てるか、わたし知ってるんです。わたしなんかに勝ち目ありませんよね。その方が御金持ちで、“貴族”で、可愛らしくって……こんな大きな御城が御実家で……ひっく」

 寂しそうにシエスタは顔を伏せた。

 なんと言えば良いのかわからないのだろう、才人も黙ってしまう。

 ヒック、ヒック、とシエスタがしゃくり上げる音が聞こえて来る。

 才人は、(泣いてるのか?)と気になり、どうしようかとオロオロしていると、そのシエスタはいきなり立ち上がった。

「シエスタ……」

「かと言って」

「え?」

「わたしも捨てたもんじゃありませんけど」

「シエスタ?」

 なんだか雲行きが違うということに才人が気付き始める。

 シエスタは「わたし、サイトさんのこと諦めますっ!」とでも叫んで部屋を出て行ってしまうのだろうかと想いきや、シエスタはクルリと才人の方へと振り向いた。

「ミス・ヴァリエールより、むむむ、胸は確実に勝ってますわ。ひっく」

「シシ、シエシエ?」

 プルプルと怒りで震える様子を見せながら、シエスタは言葉を続けた。

「なな、な~にが“貴族”ですか。わたしなんてメイドですわ。メイド。ういっく」

「う、うん。知ってる」

 シエスタは何度も、ヒック、ウイック、としゃっくりを噛まし繰り返す。

 才人はそこで、ようやくシエスタの様子に気付いた。

「シエスタ、もしかして……お酒の、呑んでる?」

 顔が赤いのは照れているだけではなく、酒が入っていた所為もあるようだ。

 才人はポカンと口を開けた。酔ったシエスタを見るのは初めてなのである。

 なるほどここではシエスタも、付き添いのメイドとはいえお客様だ。饗す為に、この白の召使はシエスタにお酒を出したらしい。

 酔っ払ったシエスタはガサゴソと、シャツの隙間からワインの瓶を取り出した。

「ど、どこにそんな瓶を……」

 シエスタは才人に顔を近付けた。

「貰ったのれす」

「そ、そうか」

 シエスタは、コルクを抜くと直接グビッと酒を煽った。

 その呑みっぷりに、才人は目を丸くしてしまう。

 ぷは、とシエスタは瓶から口を離した。その顔が更に蕩みを増しているのが一目でわかる。

「おいサイト」

 シエスタは、酔いの所為だろう、とうとう呼び捨てをしてしまう。

「は、はい」

「お前も呑め」

「いただきます」

 逆らったら駄目な雰囲気だと察した才人は、ワインを押し頂いた。グイッと一口呑み込んだ瞬間、才人はブホッと吐き出しそうになってしまう。

 そう。それはワインではなく、それよりも度数の高い酒であったのだ。

「シ、シエスタ。これワインじゃ……」

「厨房のテーブルの上にあったのれす」

 どうやらシエスタは、1本付けられたワインを呑み干して気分が良くなってしまい、テーブルの上にあった酒をテキトウに失敬して来てしまったらしい。

 なんとも酒癖の悪いシエスタであった。とても、意外な一面だといえるだろう。

「それ、貰ったと言わないんじゃ……」

「こらサイト」

「は、はい」

「とにかく呑め」

「い、いただきます」

 シエスタは断ったら暴れそうな雰囲気を醸し出している為、仕方なく才人は酒を開け呑んだ。

 

 

 

 さてその頃。

 ルイズとシオンはカトレアの部屋で、ルイズは姉であるカトレアに髪を梳いて貰っていた。

 シオンはその次であり、順番を待っている。

 カトレアの部屋は宛ら植物園と動物園が入り交じった、森などを連想させる趣をしている。

 鉢植えが置かれ、鳥の入った籠が幾つも天井からぶら下がり、部屋の中を子犬や子猫たちが駆け擦り回っている。

 カトレアは、丁寧にルイズの髪を梳いた。

「ルイズ、小さいルイズ。貴女の髪って、ホントに惚れ惚れするくらいに綺麗ね」

「ちい姉さまと同じ髪じゃないの」

 コロコロとカトレアは笑い、そしてシオンもまたそんな2人を笑顔を浮かべて見守る。

「そうね。貴女と同じ髪ね。わたし、この髪が大好きだわ」

 ルイズは、唇を尖らせて呟いた。

「エレノール姉さまみたいた父さま似の金髪でなくて良かったと、想うわ」

「そんな事、エレオノール姉さまに聞かれたら大変よ。気を悪くするわ」

「良いのよ。わたし、エレオノール姉さまが苦手なんだもの」

「あら、どうして?」

「意地悪なんだもの。ちい姉さまとは大違い。昔から、わたしを苛めるんだもん」

「貴女が可愛いのよルイズ。可愛くて、心配なの。だからついつい構ってしまうのよ」

「そんなことないもん」

 ルイズは理解していた。家族からの“愛”情を。だが、やはりそこはルイズだ。正直に、素直に心の中を言葉にする事が苦手であり、カトレアの言葉を否定してしまう。

 カトレアは後ろから、そんなルイズを優しく抱き締めた。

「そんな事あるのよ。この家の皆は貴女の事が大好きなのよ。小さいルイズ」

「そんなこと言ってくれるのは、ちい姉さまだけだわ」

 しばらくカトレアは、ルイズの髪に顔を埋めるようにしていたが……その内に目を瞑った。

「でも良かった。ルイズ、貴女すっかり落ち込んでると想ったから……」

「どうして?」

「ワルド子爵。裏切り者だったんですってね。半年ほど前に、ワルドの領地に“魔法衛士隊”がやって来て、御屋敷を差し押さえて行ったわ。婚約者がそんな事になって、貴女傷ついたでしょう?」

 ルイズは首を振った。

「平気よ。わたし、もう子供じゃないもの。幼い憧れと、“愛”情を取り違えたりはしないわ」

「シオン、貴女も。ウェールズ様が御亡くなりになられたって……」

「もう、平気です。いつまでも下を向いたままじゃ叱られてしまうわ。それに、ルイズやセイヴァー達皆がいるから」

 そうキッパリとルイズとシオンが言うと、カトレアは微笑んだ。

「頼もしいわ。貴女は成長したのね、ルイズ。それに、シオン」

 ルイズは、「そうよ」、と自分にも言い聞かせるように呟いた。

「わたしはもう、子供じゃないの。だから、自分の事は自分で決めたいの」

「じゃあ父さまに反対されたら、勝手に出征する気なの?」

「できれば賛成はして欲しいわ。皆に、わたしのする事を理解って欲しいの」

「でも、戦争はわたしも感心しないわ」

「祖国の危機なのよ。そして姫様……いえ、陛下にはわたしの力が必要なの。だから……」

「わたしに言っても無駄よ。御城に閉じ籠もっている姉さんには、難しい事は理解らないもの」

 カトレアは、ルイズの頭を優しく撫でた。それからゴホゴホと激しく咳き込んだ。

「ちい姉さま! 大丈夫?」

 ルイズは心配そうな顔で、カトレアを見つめた。

 シオンも急いで駆け寄る。

 ルイズのこの2番目の姉は、身体が弱いのだ。彼女はラ・ヴァリエールの領地から一歩も出た事がないのであった。

「お医者さまにはきちんとかかってるの?」

 ルイズの質問に、カトレアは首肯く。

「国中からお医者さまを御呼びして、強力な“水”の“魔法”を、何度も試したのだけれど……“魔法”でもどうにもならない病ってあるようね。なんでも、身体の芯から良くないみたい。多少の“水”の流れを弄ったところで、どうにもならないんですって」

 カトレアの病気の原因がわからなかった。身体のどこが悪くなり、そこを薬や“魔法”で抑えると、今度は別の部分が悲鳴を上げてしまうのである。結局、それの繰り返しで、医者も直ぐに匙を投げてしまう。今も様々な薬や“魔法”で症状を緩和させているはずであった。

 カトレアは、それでも微笑み続ける。

 ルイズは、そしてシオンは、そんな彼女が不憫に想えてならなかった。あれほど“魔法”を上手に使えるのに、カトレアは学校にも行く事ができないでいるのだ。これほど綺麗であるのに、嫁ぐ事さえもできないのだ。

「あらら、そんな顔し無いで。結構楽しい毎日なんだから。ほら」

 カトレアは、鳥籠を見せた。

 中には1羽の鶫がいた。羽には小さな包帯が巻かれている。

「ほら、さっき馬車の中で言った、最近拾った子」

「わ、可愛い」

「この子、通りかかったわたしに一生懸命に訴えていたの。“羽が痛いよ、痛いよ”って。わたし直ぐにこの子の声に気付いて、馬車を止めて拾って上げたの」

 どうやらカトレアは、森に溢れる沢山の鳥の鳴き声の中から、羽が折れた鶫の声を拾って馬車を止め、保護したらしい。“サーヴァント”でいう、“動物会話スキル”を持っているのと同じだろうか。

「ちい姉さま凄いわ! 鳥の喋っていることが理解るなんて!」

「“使い魔”の考えは手に取るようにわかるでしょう? それと似たような事なんじゃないかなって思うの」

 カトレアは微笑んだ。

 ルイズは頬を染めた。自分は才人が何を考えているのかサッパリわからないのだから。そう。相手はなにせ同じ人間だから、代々受け継がれて来た“使い魔”とその主としての繋がりようとはまったく違うのだから。

「でも、貴女の事もわかるわよ。この子と同じくらいにね」

 カトレアは鶫を指さして言った。

「ほんと?」

「ええ。嬉しいわ、貴女もきちんと恋をする年頃になったのね」

 ルイズは耳まで真っ赤にした。

「なにを言ってるの!? 恋なんかしてないわ!」

「わたしに隠し事をしても無駄よ。全部わかっちゃうのよ」

「ホントに恋なんかしてないの!」

 よほど恥ずかしいのだろう。ルイズは泣きそうな勢いで首を振る。

「わかったからそんなに騒がないで。じゃあ今日は久し振ぶりに一緒に寝ましょうか。シオンちゃんも」

 ルイズは頬を染めたまま、唇を噛んで首肯く。

 そして、シオンもまた小さく首肯いた。

 

 

 

 ふかふかのベッドの中で、ルイズは服を脱いで肌着一枚切りになると姉に寄り添った。

 寝間着姿のカトレアは子猫を抱くようにして、ルイズを抱き締める。

 そんな横にシオンは、寝転がり、天井を見上げている。

 ルイズはカトレアの胸に顔を押し当てた。そして深い溜息を吐いた。

「どうしたの? ルイズ」

「なんでもない」

「仰いな」

 カトレアにそう言われて、ルイズは言い難そうに呟いた。

「わたし、ちい姉さまみたいに膨らむかしら?」

 カトレアとシオンはプッと、思わず吹き出してしまう。

 それからカトレアは、手を伸ばして、ルイズの胸を弄った。

「ひゃん!?」

 とルイズは悲鳴を上げた。

 気にせずにカトレアは触り続ける。

「大丈夫よ。平気。すぐに大きくなるわ」

「ほんと?」

「ええ。わたしも、貴女くらいの時は、このくらいだったもの」

 ルイズは頭の中で想い出した。カトレアは確か、今24歳だから……16歳の時は8年前。ルイズは8歳。(その頃ちい姉さまはどうだったかしら?)、と考える。何分、ルイズは幼かった事もあり、良く想い出せないのだ。

 そういえば、ルイズは昔は良くこうしてカトレアに抱かれて眠ったものだ。ルイズは寂しがり屋で、1人では眠れなかった。枕を引っ張って、カトレアのベッドに潜り込み、姉の話を聞きながら、姉の香を嗅いでいると……優しい気持ちや安心感を覚えて眠る事ができたのだった。

 カトレアに抱かれて、ルイズは目を瞑る……。

 色々な事が、ルイズの頭を過る。

 アンリエッタの事。

 シオンの事。

 “アルビオン”との戦争の事。

 もしかしたら死ぬかもしれない。(わたしは、死ぬかもしれない許可を貰いに、実家に帰えって来ているんだわ)と、そういった事がルイズに深く、重くその肩に伸しかかる。

 ルイズは、今の1日1日がひどく貴重なモノに想われた。そう想ったら、何故か“使い魔”である少年の事を想い出してしまい、ルイズは頬を染めた。

 そういえば今日はほとんど口を利いていない。エレオノールに叱られそうで、話しかけることができなかったとうい事に、ルイズも気付いた。(今頃、何してるのかしら?)、などと想い始めたら眠れなくなった。

 そんな風にモゾモゾとしていると……。

「どうしたの? 眠れないの?」

 カトレアの言葉に、ルイズは「う、うん……」と恥ずかし気に呟き返す。

「うふふ。もうわたしの隣じゃ、眠れないのね。誰の事を考えていたの? おチビさん」

「だ、誰の事も考えてないわ。ホントよ」

「貴女が連れて来た、さっきの男の子?」

「違うの! ただの“使い魔”だもの! 好きなんかじゃないもの!」

「あら。誰も好きだなんて言ってないわ」

 ルイズは布団を引っ冠った。

「ちい姉さまなんか嫌い」

「あら嫌だ。嫌われちゃった」

 カトレアは、シオンの方へと顔を向けて楽しそうに笑った。

「でも良いのよ。いつでも姉さんと一緒じゃないと眠れない娘じゃ、逆に困っちゃうわ」

 ルイズは、う~~~~~、と唸った。

「行ってらっしゃいな。貴女の今の居場所に」

 

 

 

 ルイズが部屋を出て行って、少し静寂が訪れる。

「貴女は、どうするの? シオンちゃん」

「そうですね。少し、確認をしたい事があります」

「確認?」

「ええ。セイヴァー」

「何かな? “マスター”」

 シオンの呼び掛けに、俺は“霊体化”を解き、実体化する。

 突然現れた俺を目にし、カトレアは当然驚きはするのだが、直ぐに冷静さを取り戻した。

「まあ! 貴男は確か、シオンちゃんの“使い魔”の」

「セイヴァー、申します」

「貴男は、“風系統”のエキスパートさんか何かかしら? 先ほどのそれは“風”の“偏在”を始めとした、“魔法”?」

「いえ、ハッキリと言ってしまえば違いますが。説明が長くなるので、そう解釈して頂ければと」

「では、先ほどまでの一連のやりとりをずっと?」

「はい。覗き見どころか姿を隠し、側にて見続けていた事をどうかお赦し頂きたい」

「いええ良いのよ。貴男は、シオンちゃんとルイズの事を想ってくれて、その為の行動でしょ?」

 カトレアはやはり柔らかな笑みを浮かべ、こちらの、俺が行っていた、“貴族”側からすると無礼な行動を赦してくれる。やはり、彼女は、このラ・ヴァリエール家を始め他の“貴族”とはどこか違うのだ。シオン同様に、この世界のこの時代に於いては、どこかが好い意味でズレている。

「では本題に入りたいのですが、良いですか? カトレアさん」

「ええ。で、その確認とは?」

「貴女の身体、そして病気の事です。セイヴァー、貴男ならどうにかできる?」

「ふむ、そうだな。失礼」

 俺はそう言って、カトレアの背中へと手を伸ばし、触れる。

 カトレアは、嫌がる素振りをまったく見せず、それどころかこちらへと身体も心も預けるように、落ち着いた様子を見せている。見知らぬという訳ではないが、それでも会って少ししか経っていない男に触られているというにも関わらず。

「ふむ、成る程」

「何かわかったの?」

「そうだな。“魂”レベルでの問題だ。少しばかり専門的な事になるが、“エーテル体”が少し破損しているようだな」

「“エーテル体”? それって、あの“エーテル”?」

「いや、似ているがまた別のモノだ」

 疑問符を浮かべるカトレアを他所に、少し話し込んでしまう。

「では、シオン、カトレアさん。少しばかり専門的で、難しい、そして長い話になるが、御教授させて頂きます」

 その言葉に、シオンの目が輝き、カトレアは静かに傾聴する姿勢を取る。

「先ず、我々は此の“肉体”、所謂“魂魄――魂”、“精神”と言う3つのモノで構成されていると考えます。そしてその肉体と魂、いわゆる“魂魄”は“精神――魄”によって繋ぎ止められ、それぞれ個としての存在を確立させております」

 それら、“精神――魄”が“肉体”と結び付く為の箇所は、脳の松果体と心臓だが、ここでは省いても問題はないだろう。

「“魂”は、“肉体”に引き摺られます。故に、“肉体”が傷付けば“魂”も傷付き、“肉体”が老いれば“魂”も老いてしまう。逆も又然りです」

「まあ! でしたら、わたしの身体と“魂”に傷が?」

「はい。身体の方は目で見る事ができないほど微細に、そして“魂”の方に些か問題があるようです。いえ、失敬。言葉の選択を間違えました。弁解、いえ、その前に“魂”についての話をもう少しばかり詳しくさせて頂きたい」

「ええどうぞ、御続けになって下さいな」

「“魂”は基本的に、4つに分ける事が出来ます。先ず1つ目、“エーテル体”。これは“気”です、生命力であります。“肉体”の成長は、先ずこちらの“エーテル体”が成長する事で、その次に“肉体”が連られて成長するという仕組みです。この“エーテル体”が傷付けば、“肉体”にも影響が来ます。次に2つ目、“アストラル体”です。こちらは感情を表します。欲望や気分、感覚、渇望、食欲、性欲、恐怖などのエネルギーの総称です。3つ目に、“メンタル体”です、これは“アストラル体”による感情などを押さえる事や抑える為の理性、信念、明確な思考をする為の機能と媒介です。最後に4つ目で、“コーザル体”。こちらは、本来の自己という深層心理などを表します。これら4つが合わさる事で“魂”となるのです。まあ、詳しい事は省いての説明であり、妄想の類であると解釈されても構いませんが」

「なるほど、ではわたしのこの病状は、その“エーテル体”? が傷付いているから?」

「はい。その“エーテル体”に不備があるため、こちらの“魔法”や“秘薬”などの効果がないと想われます。まあ、“肉体”の成長の方は問題ないようなので、少し罅が入っているだけだと想われますが」

 少しではないだろう。

 だが、実際に彼女のその“エーテル体”に問題があるのは確かだ。

 簡単に例えるのであれば、いくつもの隙間ができガタが来ているパイプだろうか。そこに水を流すと、その隙間から水が漏れ出てしまう。その隙間を埋めようとするのだが、水の勢いが強くすでにある隙間や埋めた箇所、そして別の場所に新たな隙間ができてしまう。

「で、治せる?」

 そこまで静聴していたシオンが、俺へと尋ねて来る。

「ああ、勿論だ。だが、これは“宝具”を使用する必要がある。“マスター”の許可を貰う必要がある」

「なら許可するわ」

「有り難い。だが」

 そう言って、俺はカトレアへと目を向ける。

「治せるのであれば……可能性があるのであれば御願いしたいのですが」

「ええ。ですが、今日は無理ですね。明日、御家族全員が揃った時にでも、御話いたしましょうか」

 

 

 

 ルイズは毛布を引っ冠って、廊下をペタペタと歩いていた。

 通り縋った召使に尋ねると、才人が泊まっているのは奥の納戸であると教えて貰った。そこは客間が続く廊下の突き当りであり、普段は掃除に使う道具が置いてある場所であった。

 目当ての納戸を見付け、ルイズは大きく深呼吸をした。(別にね、逢いたいから来た訳じゃないわ)、と自分に言い聞かせる。(わたしは“メイジ”。“使い魔”が側にいないと、不安になってしまうだけなんだもの。ホントにそれだけなの。今日は1日口を利いていないものね。少しは口を利いて上げないと、あの“使い魔”が可哀想だからよ)、と想い、言い聞かせた。

 ルイズは、「ほんとそれだけだから」、と呟きながら顔を真っ赤に染め、納戸の扉を開けた。

 しかし、そこにいたのはベッドに腰かけたシエスタであった。

「あら。ミス・ヴァリエール」

 その頬が酔で赤く染まっている事に、ルイズは気付く。

 シエスタは、手に酒瓶を握っていた。

「なな、なんであんたがいるのよ?」

 とルイズが慌てて言えば、「遊びに来ただけですけど」とシエスタが答える

 ベッドの後ろに才人の姿が見えた。ぐがー、と激しい鼾をかいており、どうやら、酔い潰れて寝てしまったようであることがわかる。

「自分の部屋に帰りなさい」

 とルイズがせいいっぱいの威厳を浮かべて言う。

「ここはミス・ヴァリエールのお部屋じゃありませんよ」

 とシエスタは言い返した。

「ここはわたしの家よ」

 ルイズも、シエスタに負けじと睨み付けた。(いったい2人でなにしてたのかしら?)とそんな想像をしてみると、メラメラと怒りが沸いて来たのである。

 シエスタはお酒が入っていることもあって、気が強くなっている様子だ。それでなくても最近はルイズに喰って掛かるシエスタである。怯えず、動じず、ルイズに言い放った。

「わたしは“学院”に雇われたメイドです。ミス・ヴァリエールに雇われた訳ではありませんわ。とにかく今はわたし達の時間です。その時間をどう使おうがわたし達の勝手ですわ。邪魔しないで下さい」

 話にならない。

 ルイズはズカズカとベッドに近付き、寝ている才人の足首を掴んで引っ張り出そうとした。

 すると、もう片方の足をシエスタが握り締める。

「離しなさい」

「離しませんわ」

「あのね、こいつはわたしの“使い魔”なの、詰まりね、わたしのモノなの」

 シエスタは、敵意を含んだ目でルイズを睨み付けた。どうやらルイズの言うことを利くつもりはないようである。

「……貴女、“貴族”に逆らおうというの?」

 ピキーンと、部屋の空気が固まった。

 シエスタは、グイッと酒瓶から酒を呷った。そして、小さな声で呟いた。

「“貴族”、“貴族”、“貴族”って、うるさいです」

「はぁ? この、ぶぶ、無礼者……」

 ルイズが怒鳴り付けようとした瞬間……シエスタがグイッとルイズに顔を近付けた。

「好きなんでしょ? 要は焼き餅じゃないですか。それなのに“貴族”がどーのこーのなんてね、ちゃんちゃら可笑しいですわ」

「な、な……」

 一気に本丸を突かれ、ルイズは狼狽えた。

「好きって認めます? わたしに焼き餅を焼いてるって認めますか? そしたら、今日だけ連れてっても良いですわ」

 シエスタは、グイグイルイズに迫って行く。

「あ、あう……う……」

 ルイズは顔を赤らめて口籠ってしまう。

「なによ。言えないんじゃない。臆病者」

「う……」

 酒の所為か、妙な迫力を出すシエスタに、すっかりやり込められてルイズは後退ってしまう。

「だいたいねえ、サイトさんは……」

「な、なによ!? なによなによ!?」

「胸の大きい娘が好きなんです」

 完全にルイズは止めを刺され、ぐ……、と言葉に詰まってしまう。

「いっつも思ってましたけど。それ胸じゃありませんよね」

 ツンツンとシエスタはルイズの胸を突いた。

「む、胸だもん」

「板じゃないですか。贔屓目に言って、板!」

 う……、とルイズは半泣きになってしまい、(いっつもあの馬鹿“使い魔”の視線は、谷間を泳いでいなかったかしら?)、と才人の視線の先を想い出す。

「サイトさんいっつも言ってましたわ。ミス・ヴァリエールはペッタンコだから、女の子には見えないって」

 酔った勢いで、シエスタはとんでもない事を言い放ってしまった。

 ルイズはギュッと唇を噛み締めると、部屋を飛び出して行った。

 それを見届けると、シエスタはコロンと才人の横に転がって、寝息を立て始めた。

 

 

 

 半泣きで部屋に戻って来たルイズを見て、カトレアとシオンは驚いた顔になってしまう。

「おや、どうしたのルイズ? なにがあったの?」

 ルイズは、「ふえ……」、俺に気付く様子もなくカトレアの胸に飛び込んだ。

「嫌ねえ、なにを泣いてるの?」

 カトレアは質問するが、しかしルイズはしゃくり上げるだけで要領を得ない。

 察し、理解できているのはシオンと俺だけだ。

 ふぅ、とカトレアは溜息を吐いた。

 昔良くそうしたように、泣き疲れて眠るまで、カトレアはベッドの中でルイズの頭を撫でてやった。

 

 

 

 才人は目を覚まして、驚いた。隣にシエスタが寝ていたからであった。

 シエスタは、うーんうーん、と苦しそうな寝息を立てている。

 才人は、(なんてシエスタが俺の隣に……?)、と訝しんだが、床に転がった酒の瓶を見て思い出した。

「そう云や、酔っ払っていきなり押しかけて来たんだよな……」

 才人は、シエスタに強い蒸留酒を呑まされ、自分は一気に潰れてしまったことを思い出す。

 才人は、「シエスタ、シエスタ」、と彼女の頬をぴしゃぴしゃと叩く。

 しかし彼女は目を覚まさない。

 う、うぐ、むぐ、と胸を押さえて息苦しそうにしている為、才人は慌てた。見るとサイズが合わないシャツを着ているではないか。

 城の誰かに借りた肌着であろう。二日酔いでこんなサイズの合わないシャツを着ていれば、それは当然気分も悪くなるだろう。

 才人はシエスタのシャツのボタンを緩めてやった。

 するとシエスタは、パッチリと目を開けた。

 才人は慌てて、シャツから手を離した。

「は、ふにゃ、お早うございます……」

 シエスタは寝惚けた顔でそう呟き、それから、はっ!? と自分の置かれた状況に気付き、一気に顔を赤らめた。

「サ、サイトさん、どうして? あのっ! わたし!」

 才人は、(おいおいあんだけ酔って人の部屋侵入して来て人潰してそりゃねえだろ)、と思いながら苦笑した。

「いや、シエスタ昨晩酔っ払って……」

 才人がそこまで言うと、シエスタは更に顔を赤らめた。

「え? 酔っ払った?」

「うん。ほら」

 才人は床に転がっている酒の瓶を指さした。

「あれ持って来て。グビグビやってたよ」

「わたし、お酒呑んじゃったんですかぁ~~~~~~~~~~~!?」

「う、うん……」

「そういえば。夕飯の時、ワインが出たわ。一杯くらいなら、なんて思って呑んでしまったわ。あう、どうしよう……」

 シエスタの慌てっぷりに、才人は驚いた。

「シエスタ?」

「わたし……わたしですね。あのですね」

「う、うん」

「あまり、その、お酒の癖が良くないみたいで」

 顔を逸して、シエスタは気不味そうに呟く。

 才人は、シエスタの「お前も呑め」といった言葉に納得し、対して(なるほど)と思った。

 このメイドは酒乱の気があるらしい。

「ワインを呑んでから、記憶がないんです。なにかわたし、サイトさんに失礼なこと……」

「いや、特に……」

 と才人は首を横に振った。

 その時……廊下からドタバタと誰かが疾走って来る音がした。

 ばたん! とドアが開けられる。飛び込んで来たのは、この御城のメイドの1人であった。

 才人は、「な、な、なんだっ!?」、と怒鳴った。

 メイドは、「どいて! 旦那さまが到着したのよ! ピカピカにしないと……」と叫ぶんで、掃除道具を引っ掴み、駆け出して行った。

 次から次へと使用人がやって来て、モップやらポリッシュの入った缶を持って飛び出して行く。

 ここは納戸である事を、才人とシエスタは思い出す。

 いつもは使わないだろう、掃除道具が置かれてあるのだろう場所だが、この御城の主人である旦那さま――ルイズ達3姉妹の父親が帰えって来るとなれば別なのであろう。

 シエスタと才人の2人は、「旦那さま?」、と顔を見合わせた。



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ラ・ヴァリエール公爵

 “竜”に四隅を持ち上げられた巨大な籠が、朝靄の中、城の前庭に降り立った。

 周りに控えた召使たちが一斉に、馬車から車輪を外したような造りの籠に取り付く。馬丁が“竜”に取り付き、宥めている隙に、召使が籠の扉を開いた。緋毛氈のドアの入り口まで敷かれ、籠の中から降りて来た初老の“貴族”を迎えた。

 ラ・ヴァリエール公爵であった。歳の頃は50過ぎだ。白くなり始めたブロンドの髪と口髭を揺らし、“王侯”もかくやと唸らせる豪華な衣装に身を包んでいる。左目にはグラスが嵌まり、鋭い眼光を辺りに撒き散らしている。

 ツカツカと歩く公爵に執事が取り着き、帽子を取り、髪を直し、着物の合わせを確かめた。

 公爵は渋みがかったバリトンボイスで「ルイズは戻ったか?」と尋ねた。

 長年ラ・ヴァリエール家の執事を務めているジェロームは、恭しく一礼し、報告をした。

「昨晩、御学友であるシオンお嬢様と、メイド1人、それぞれ“使い魔”を連れて御戻りになられました」

「朝食の席に呼べ」

「畏まりました」

 

 

 

 朝食は日当たりのよいこぢんまりとしたバルコニーで摂るのが、ラ・ヴァリエール家の常である。

 その日もテーブルが引き出され、陽光の下に朝食の席が設えられた。

 上座にはラ・ヴァリエール公爵が腰かけ、その隣に夫人が並ぶ。そして珍しく勢揃いした3姉妹が、歳の順番に座り、次いで客人であるシオンが座った。

 ルイズは昨晩泣き腫らしたこともあって、今から父親に参戦の許可を貰おうというのにフラフラの体である。

 公爵の機嫌はかなり悪い様子であり、客人であるシオンがいるにも関わらず、それを隠すことも抑えることもできないでいる様子だ。

「まったくあの“鳥の骨”め!」

 開口一番、公爵は枢機卿を扱き下ろした。

「どうかなさいましたか?」

 夫人は表情を変えることなく、夫に問うた。

 ルイズなどはもう、父親のその一言で気が気ではない様子だ。

「この儂をわざわざ“トリスタニア”に呼び付けて、何を言うかと想えば“1個軍団編成され足し”だと!? 巫山戯おって!」

「承諾なさったのですか?」

「する訳なかろう! 既に儂はもう軍務を退いたのだ! 儂に代わって兵を率いる世継ぎも家にはおらぬ。何より、儂はこの戦には反対だ!」

「でしたわね。でも良いのですか? 祖国は今、“一丸と成って仇敵を滅ぼす可し”、との枢機卿の御触れが出たばかりじゃございませんか。ラ・ヴァリエールに逆心ありなどと噂されては、社交もしにくくなりますわ」

 そうは言いながらも、夫人は随分と涼しい顔をしている。

「あのような鳥の骨を枢機卿と呼んでは良かん。骨は骨で十分だ。まったく、御若い陛下を誑し込みおって」

 ルイズはブホッ! と食べていたパンを噴出させてしまう。

 エレオノールがそんなルイズを睨み付けた。

「おお恐い。宮廷の雀たちに聞かれたら、ただじゃ済みませんわよ」

「是非とも聞かせてやりたいものだ」

 それまで黙っていたルイズが、戦慄きながら口を開いた。

「と、父さまに伺いたい事が御座います」

 公爵はルイズを見つめた。

「良いとも。だがその前に、久しぶりに逢った父親に接吻してはくれんかね? ルイズ」

「父さま、先ほどの事もそうですが、友人の前でそんな」

 ルイズはそう言うが、父親である公爵と久しぶりにあったこともあり、立ち上がる。そして、ととと、と父親に近寄り、頬にキスをした。それから真っ直ぐに父親を見つめ、尋ねた。

「どうして父さまは戦に反対なさるのですか?」

「この戦は間違った戦だからだ」

「戦争を仕掛けて来たのはその……“アルビオン”ですわ。迎え討つことのどこが良けないのですか?」

「こちらから攻めることは迎え討つとは言わんのだよ。良いか?」

 公爵は皿と料理を使って、ルイズに説明を始めた。

「攻めるという事は、圧倒的な兵力があって初めて成功するモノだ。敵軍は50,000。我軍は“ゲルマニア”と合わせて60,000」

 カチャカチャとフォークとナイフを動かし、公爵は肉の欠片で軍を表す。

「我軍の方が10,000も多いじゃありませんか」

「攻める軍は、守る側に比べて3倍以上の数があってこそ確実に勝利できるのだ。拠点を得て、空を制してなお、この数では苦しい戦になるだろう」

「でも……」

 公爵はルイズの顔を覗き込んだ。

「我々は包囲をすべきなのだ。空からあの忌々しい大陸……いやすまない、シオンちゃん。失言だった。あの“白の国”である大陸を封鎖して、上が日干しになるのを待てば良いのだ。そうすれば、向こうから和平を言い出して来るだろう。戦の決着を、白と黒で付けようとするからこういうことになる。もし攻めて失敗したらなんとする? その可能性は低くないのだ」

 公爵は、客人であるシオンが“アルビオン”出身である事を思い出し、謝罪をする。そして、説明を続けた。それでも、言葉の端々には未だ棘があるのだが。

 ルイズは黙ってしまった。父親の言う事、そして持論は1つの正論であるからだ。

「“タルブ”でたまたま勝ったからって、慢心が過ぎる。驕りは油断を生む。おまけに“魔法学院”の生徒を士官として連れて行く? 馬鹿を言っちゃいかん。子供に何ができる。戦はな、足りぬからと言って、数だけ揃えれば良いと言うものではない。攻めるという行為は、絶対に勝利できる自信があって初めて行えるのだ。そんな戦に、娘とその友人を行かせる訳にはいかん」

「父さま……」

 公爵はそこまで言うと立ち上がった。

「さて、朝食は終わりだ」

 ルイズはギュッと唇を噛み締めて、佇んだ。

「ルイズ。お前には謹慎を命ずる。戦が終わるまで、この城から出る事は許さん。シオンちゃん、君もだ。戦が終わるまで……君の故郷が解放されるまで、ここにいると良い」

「待って!」

 そんな公爵の言葉に、ルイズは叫んだ。

「何だ? 話は終わりだと言っている」

「ルイズ……貴女……」

 エレオノールが、ルイズの裾を引っ張った。

 カトレアとシオンは、そんなルイズを心配そうに見詰めている。

「姫さま……いえ、陛下は、わたしを、わたし達を必要としているの」

「お前の何を必要としていると言うのだ。“魔法”の才能が……」

 家族の皆は当然、ルイズが“虚無の担い手”であるという事を知らないのだ。

「今は、今は言えないけど……わたし……」

 ルイズは口籠ったが、やおら昂然と顔を上げた。

「もう、昔のわたしじゃないの!」

「ルイズ! 貴女お父さまになんて事!」

 エレオノールがキツい声で言い放つ。

「姉さまは黙ってて! 今、わたしが話をしているの!」

 そんなルイズの態度に、家族全員は驚いた。昔のルイズであれば、こういった事はなく、姉に逆らうなどといった事は、ありえなかったのだから。

「わたし、ずっと馬鹿にされて来たわ。“魔法”の才能が無いって、姉さま達に比べられて、いっつも悔しい想いをしてた。でも、でも今は違うの。陛下は、わたしが必要だと、ハッキリ仰ってくれているわ」

 その言葉で、公爵の目の色が変わった。ルイズの前に向かうと、膝を突いて娘の顔を覗き込んだ。

「……お前、得意な“系統”に覚醒(めざ)めたのかね?」

 コクリと、ルイズは首肯いた。

「“4系統”のどれだね?」

 ルイズはしばらく考えた。もちろん、“虚無”などと言えるはずもない。だが、父親に嘘を吐いても良いものかどうかと、しばらく葛藤をした。そして……唇を噛んで、嘘を吐いてしまった。

「……“火”、です」

「“火”?」

 しばらくラ・ヴァリエール公爵はルイズの顔を見つめていたが、ゆっくりと首肯いた。

「お前のお爺さまと同じ“系統”だね。なるほど、“火”か……ならば戦に惹かれるのも無理はない。罪深い“系統”だ。本当に、罪に塗れた“系統”だ」

「父さま……」

 公爵は力なく、頭を垂れた。

「陛下はお前の力が必要だと、確かにそう仰ったのだね?」

「はい」

「良いかねルイズ。大事なところだよ。間違えてはいけないよ。他の誰でもなく、確かに陛下が、お前の力が必要だと、そう仰ったのだね?」

 ルイズはキッパリと言い放った。

「はい。陛下にはわたしの、わたし達の力が必要だと仰って下さいます」

 老公爵は首を横に振った。

「名誉な事だ。大変に名誉な事だ。だが……やはり認める訳にはいかぬ」

「父さま!」

「御間違いを指摘するのも、忠義というモノ。陛下には儂から上申する。ジェローム!」

「はっ」

 と執事が飛んで来て、公爵の脇に控える。

「紙とペンを用意しろ」

 公爵は、それからルイズに向き直り、言い放った。

「お前は婿を取れ」

「え? どうしてですか!?」

「戦の参加は認めぬ。断固として認めぬ。お前は、あのワルドの裏切りの一件で自棄になっているのであろう? なれば婿を取れ。心も落ち着くだろう。2度と戦に行きたいなどと言い出さぬであろう。これは命令だ。違える事は許さぬ」

「父さま!」

 ルイズが叫ぶ。

 しかし、老公爵はやはり首を横に振った。

「ジェローム、ルイズをこの城から出してはならん。良いな?」

「畏まりました」

 と執事が首肯いた。

 そして公爵は、朝食の席から退場して行った。

 残された夫人と姉達は、ルイズを取り囲む。

 母親と長姉は、ルイズを責めた。

「お父さまはもうお若くないのよ。あまり心配をかえないで」

「父さまにあれだけの心配をかけたのだから、貴女婿を取りなさい」

 エレオノールが、冷たく言い放つ。

「どうしてわたしが!? 順番から言えば、エレオノール姉さまが……」

「だから私は解消したって言ってるでしょ~~~~~~~~」

 と言って、エレオノールはグリグリとルイズの頬を抓った。

「ご、ごめんなふぁい……でも、わたし、まだふぇっほんふぁんて……」

「なんで? どうして? 貴女、恋人でもいるの?」

 母親にそう突っ込まれて、ルイズは首を横に振った。

「いないわ。いない、いないもの」

 公爵夫人とエレオノールは、そんなルイズの様子で直ぐに勘付いたらしい。2人は顔を見合わせた。

「想い人はいるみたいね」

「そ、そんなのいないんだから!」

「誰? どこの“貴族”なの?」

「伯爵? 男爵?」

「準男爵? 貴女まさか、ただの“シュヴァリエ”なんかじゃないでしょうね?」

 ルイズの身体が、ピクン! と固まってしまった。

「嫌だこの娘……そうだわ、“シュヴァリエ”か“勲爵士”か知らないけど……身分の低い男に恋したんだわ」

 エレオノールが、苦い顔になった。

 母親である夫人も額を押さえる。

「おお、この娘は本当にいくつになっても心配をかけるんだから……」

「わ、わたし、“シュヴァリエ”なんかに恋してないわ」

 ルイズは慌てて言った。

 ルイズは、本当は“シュヴァリエ”ですらないこちらの世界――“ハルケギニア”ではただの平民、しかも異世界――“地球”から来た少年だと知られたら、ただでは済まない気がしたのだ。というよりも常々、好きでもなんでもないもん、などと思っているのだが、今は才人の事で頭が一杯になってしまっている。

 カトレアが心配そうにルイズを見つめる。

「この娘は、幾つになっても心配をかけるのね。戦争に行きたいと言い出したり、おまけに“シュヴァリエ”なんかに恋したり……」

 ルイズは「だから、恋なんか……」と口籠るのだが、母親と長姉に左右から「お黙り!」と怒鳴られてしまう。

 いつもの剣幕であった。

 ルイズは父親に喰って掛かった先ほどの勇気もどこへやら、すっかり意気消沈してしまった。

 急に哀しくなり、ルイズは駆け出し、バルコニーから逃げ出してしまう。

「こら! お待ちなさい!」

 母親と長姉の叫ぶ声が響いた。

 ルイズの姿が消え、残されたのは公爵夫人、エレオノール、カトレア、シオンの4人、そして給仕を始めとした従者たちである。

「叔母さま、エレオノールさん」

「あら、ごめんなさいね、シオンちゃん。みっともない場面を、いえ、客人である貴女の前でこんな」

 規律や礼儀などを重んじる公爵夫人は、シオンからの言葉に対して真っ先に謝罪をする。

「いえ、気にしておりませんので。ですが、その……話がありまして」

「話?」

「はい。カトレアさんの事です」

「カトレアの?」

 シオンとカトレアは互いに見つめ合い、そして首肯き合った。

「わたし自身からお話しますわ。ですが、その前に」

「セイヴァー」

 シオンの呼びかけに、俺は“霊体化”を解き、当然夫人とエレオノールが驚く。

「貴男、いったいどこから? いえ、いつからそこに?」

「ずっと、です。主人の側に“使い魔”がいるのはなんら可怪しい事ではないでしょう? 御両人」

 俺は、夫人とエレオノールの2人へと向き直る。

「話と言うのは、わたしの病の事です。ですが、お父さまにも聴いて頂きたいので、居間の方にでも」

 そう言って、カトレアは先を歩き出した。

 

 

 

 居間――客人を饗す為の部屋へと集合した、公爵、公爵夫人、エレオノール、カトレア、シオン、そして俺。

 そこで、昨夜に説明をした事をもう1度、聞いていなかった公爵と公爵夫人、エレオノールへと説明をする。

「そんなモノ信じる事も頼れる訳もないだろう。聞いたこともない」

「そうですわ。ここ“トリステイン”には“トリステイン”の、“貴族”には“貴族”としてのやり方と言うモノがあります」

 公爵と公爵夫人は、やはり否定の意を示す。公爵は、先ほどのルイズの件の事もあり、未だ不機嫌な様子だ。

 だが、エレオノールは少しばかり考えている様子である。

「ええ。確かに、習慣や規則、伝統……そういったモノは大事です。大切にしていくべきモノでしょう。ですが、新しい風を取り入れる事で、それらはより盤石になる事もありましょう」

 カトレアの身体、そして病は彼らが知る中で“トリステイン”引いては“ハルケギニア”にいる“メイジ”や医者では治すことができない代物だ。

 それを熟知しながらも否定をするのは、未知の存在への恐怖や拒絶、そして何より愛娘への“愛”故だろう。

 俺はそれを理解しながらも、「それでも」、と喰い下がる。

 交渉に於いては、1番という訳ではないが、先ず相手を立てる、相手の意見を肯定する事などが大事だ。そして、そこから折衷案などを出して行く。

「お父さま、お母さま。彼は、斯の“ロバ・アルカリイエ”から来たと言う話です。あそこは、ここ“トリステイン”や周辺の他国よりも進歩した技術を持つとか。もしかすると」

 そこで、次女の事を考えた結果だろう、エレオノールが口を開いた。

「だが、そんな得体の知れないモノに頼るなど」

 だがそこで、カトレアは、普段見せる事も、これまで見せる事もなかっただろう、断固とした強い意志と目を以て、両親を見詰め、口を開いた。

「お父さま、お母さま、わたしは、彼に任せてみたいと思っております」

「カトレア!?」

 先ほど――食事の席での際のルイズの事もそうだったが、彼女に次いでカトレアも見せた事がこれまでなかった様子に、両親は驚く。

「可能性があるのであれば。わたしは」

「どちらにせよ、決めるのは御両親である御二方ではなく、彼女、カトレア御嬢様自身です。これはただ、筋として貴方方御家族に知っておいて貰う必要がある為にした事なのですから」

「ふむ……」

 公爵は、カトレアの様子と、俺の言葉に、考え込んだ。そして、しばらくして口を開く。

「理解った。許可しよう」

「貴男!?」

「だが、もしカトレアの身に何かがあった場合」

 公爵夫人の言葉を無視し、公爵は言い切った。

「当然です。“セイヴァー”の名に賭けて」

 俺は、そう彼女らの両親へと真正面から向き合い、首肯く。

 “セイヴァー”としての、初めての、“誰かを救う”行為だ。

「では、カトレアさん。失礼します。“宝具限定解放”」

 俺は、彼女の背中へと手を伸ばし、触れる。そして、“宝具”の一部効果を解放し、“魔力”を注ぎ込む。

 周囲では、あの“アルビオン”の艦隊を全滅させた“虚無”の“エクスプロージョン”に匹敵するほどの“魔力”が解き放たれ、荒れ狂う。が、攻撃的なモノではなく、負のモノを吹き飛ばす――浄化させるモノだ。

 そして、その“魔力”は一瞬で治まり、場は静寂に包まれる。

「取り敢えず、これで施術は完了です」

「たったそれだけで良いのか?」

 公爵からの確認に、俺は首肯く。

「はい。ですが、当然一定期間要安静です」

「一定期間?」

「カトレアさん自身次第ですが」

 公爵夫人の言葉に、俺は首肯き答える。

「まあ! 少し、身体が軽くなった気がしますわ」

「それが、一時的なモノでなければ良いけれど……」

 エレオノールは、心配そうにカトレアを見つめた。

「叔父さまと叔母さまに、もう1つ御話があります」

「なにかな?」

 少し、ホッとした様子を見せる公爵は、シオンに向き直る。

「ルイズの事です」

 その、シオンの言葉に、場は再び重い沈黙が支配しそうになる。

「確かに、戦争に行く事は良いものではありません。叔父さまの仰っていた通り、勝ち戦にする為にもっと戦力が必要でしょう。ですが、その戦力は既に用意されております」

「その戦力というのは何かな?」

「詳しくは言えませんが、ルイズ、あの娘の“使い魔”である才人、そしてわたしの“使い魔(サーヴァント)”であるセイヴァーです」

「食事の際にも言ったが、子供にできることではないんだよ」

「はい。それがただの子供であれば、の話です。ルイズはもうただの“ゼロ”ではありません。“虚無(ゼロ)のルイズ”。彼女は、本当に昔の彼女ではないのです。そして、“タルブ”での戦の勝利は、ルイズと才人、セイヴァーのおかげなです。3人の力あってこその勝利なのです。偶然などという言葉では片付けられません。ルイズの力がなければ、勝利する事はできなかったでしょう」

「それは本当かね!?」

「機密故に詳しくは言えませんが、本当です」

 シオンの言葉に、皆やはり俄には信じられないといった様子を見せる。が、カトレアだけは、違った。

 公爵の言葉に、シオンは強く確かに首肯く。

「失礼、ミスタ、ラ・ヴァリエール。公爵殿。こちらでは、“メイジの実力は、使い魔を見れば理解る”と言うではないですか」

「それはどういう意味かね?」

 公爵は大体の事を察しながらも、俺の言葉に確認をして来る。

「ハッキリと言ってしまえば、試合や模擬戦、そういった類のモノを行えば良いのです」

「試合、模擬戦か……」

「はい。ルイズと才人の2人、そして貴方方御両親での二人二組での腕試し。そうすれば、嫌でも理解るはずです」

 夫人の言葉に、俺は首肯いた。

「では話を戻しまして。経過観察に1週間に1度こちらへと伺わさせて頂きます」

「1週間にだと? そんな馬車などを出すのもただではないのだぞ!」

「いえ。馬車の用意などは必要ありません。こちらで全負担しますので」

 俺の言葉に、質問をした公爵、そして聞いていた夫人と、エレオノール、カトレアは驚いた。

「まあ、取り敢えずの処置はこれで完了ですので。では、またルイズの事ですが、捜がさないで宜しいのでしょうか?」

 

 

 

 

 

 昼過ぎになった。

 才人は何も用事がない事もあり、納戸のベッドに横たわり、天井をジッと見つめていた。ゴロゴロしていて、自分が寝転がっているモノがベッドではなく、箱の上に藁をいてシーツを被せただけの代物であるということに気付き、少しばかり切なくなってもいた。このラ・ヴァリエール家に於いて、自分はそれだけの存在である事、取るに足らぬ、チッポケな存在……であるという事を。

 シエスタは自分に宛行われた部屋に戻っていたので、才人は独りぼっちであった。

 朝食が未だだった事に気付き、(さてどうしよう? 何か貰いに行こうか? それとも誰かが持って来てくれるんだろうか?)、などと思っていると……城の召使たちがカツカツと石畳の廊下を駆け擦り回っている音が聞こえて来る。

「どこ? 見付かった?」

「いや、こっちじゃない!」

 などと、そんな声だ。

 どうやら誰かを捜がしている様子だ。

 才人が(なんだなんだ捜しモノかよ)とボンヤリとしていると、バタン! とドアが開けられた。

 数人の若いメイドが飛び込んで来て、才人を押し退けて、納戸中を引っ掻き回し始めた。

 才人が「な、なんすかあんた等!?」と叫ぶと、「ここじゃないみたいね」と呟いてメイド達は去って行た。

 いったい何があったんだろう? と才人が訝しんでいると、今度はドアがノックされた。

「開いてますよ」

 と才人は答えるのだが、それでもノックが続く。

 ルイズやシエスタであれば、そう言えばズカズカ入って来るだろう。(言っても自分で開けないのは、やんごとない人だろうな)、などとそのくらいは覚えていた才人は扉を開けた。

 桃色がかったブロンド、鳶色の瞳の女性が立っていた。

 才人は一瞬、ルイズ? と思ったが違った。

 ルイズよりも背が高く、柔らかい目付き、フンワリとした棘のない笑顔。

 カトレアである。

「え、えっと、その……」

 才人がアワアワとしていると、彼女が問いかける。

「御邪魔しても宜しいですか?」

「は、はいっ! どうぞ!」

 最敬礼で、才人はカトレアを迎え入れた。

 カトレアは、「ごめんなさいね」、とペロッと舌を出した

 そんな彼女の仕草に、才人は胸がキューンと締め付けられたような感覚を覚える。もともと、才人にとって、ルイズは好みである。しかし、性格のキツさがたまに顔に出る。雰囲気もどことなく、未だ幼い。だが、このカトレアは違う。ルイズの欠点を取っ払い、美徳で埋め尽くしたかのようなそんな雰囲気を醸し出しているのだ。年上の優しい御姉さんといった感じがヒシヒシと、才人に伝わって来た。

 ルイズにはない、小悪魔的な悪戯っぽそうな笑みを浮かべ、カトレアは急造されたベッドに座った。

 シエスタの健康そうな色気とも違う。

 アンリエッタの高貴さと危うさの絶妙なバランスが生み出す色気とも違う。

 キュルケが振り撒く暴力的な色気とも違う。

 もちろん、ルイズの熟し切らない色気とも違う。

 どちらかというと、シオン……いや、それよりももっと、フンワリと包み込むかのような、シオンに色気を足したような雰囲気である。

 才人の頭の中で、(ルイズが成長したら、こんな風になってくれるんだろうか? そうならばルイズは完全に買いだよな)、などと良からぬ考えが浮かんでしまうくらいに、カトレアは魅力的だったのである。

「ルイズは成長してもわたしみたいには、ならないわよ」

 いきなりニッコリと笑ってそんな事をカトレアから言われ、才人は跳び上がった。

「え? いえ! そんな! そんな事考えてません! はい!」

「あらそう? わたしには、“ルイズは将来こんな風になっちゃうのかなあ?” なんて考えているように想えたんだけど……」

 カトレアはコロコロと笑った。

「ルイズはもっと魅力的に成長するから、安心なさって。背は伸びないかもしれないけどね」

 才人は、(いや御姉様に似てくれたら十分過ぎる程に十分なんですけど、胸もその、はい)、と思いながら口をパクパクとさせた。

「貴男、御名前は?」

「才人です。はい」

「あら、素敵な御名前ね」

 こちらに来て、初めて才人は名前を褒められたため、照れてしまった。

「ねえ、貴男何者? “ハルケギニア”の人間じゃないわね。と言うよりも、セイヴァーさんもそうだけど、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」

 そんな風に見つめられ、才人は(なんだ? 異世界の人ってバレバレ? って言うかルイズかセイヴァーが話したんだろうか?)などと驚愕し、考えた。

「うふふ。どうして知ってるんだって顔ね。でもわかるの。わたし、妙に鋭いみたいで」

「は、はぁ……」

 カトレアはまるで読心でもしているかのような様子を見せる。

 先日、旅籠での一件もそうであった事を才人は想い出した。

 カトレアが、もし“サーヴァント”であるのならば、逸話などから高ランクの“千里眼”を所持していただろうか。

「でも、そんな事はどうでも良いの。どうもありがとうございます。ホントに」

「え?」

「あの我儘ルイズを助けて下さってありがとうございます。あの娘が陛下に認められるようになった手柄は、あの娘1人で挙げた訳じゃない。きっと貴男たちが手助けしてくれた。そうでしょう?」

 才人は、(なんて答えれば良いんだ? どこまで話して良いんだ?)、とそんな風に困っていると、カトレアはニコッと笑った。

「話せない事もあるわね。良いのよ。さて……残念なお知らせなの」

「え?」

「ルイズ、父さまの御許しが頂けなかったのよ。それで以て、婿を取れなんて言われちゃって。姿を消しちゃったの」

「ほ、ホントですか?」

 先ほどズカズカと入って来た使用人たちは、ルイズを捜しに来ていたのだ。

 才人は、あちゃあ、と顔を伏せた。

「父さま、ルイズに結婚しろだって。あの娘も大変よねえ。婚約者が裏切り者だったと思ったら、直ぐに次の縁談よ。未だ幼いのに」

 カトレアはまるで他人事のように、呟いた。

 才人は切なくなってプルプルと震えた。ルイズが結婚をする。ワルドの一件で、その言葉は深く才人を責め立てるのだ。今の才人にとって、2度と聞きたくない単語になってしまっていた。

「貴男嫌でしょ? ルイズが結婚するの」

 天使のような微笑みでカトレアが呟く。

 才人は首を振った。

「そ、そんな……良いんすよ。だいたい俺、ルイズの事なんとも想ってないし。ルイズだって、俺の事……“貴族”でもなんでもない、俺の事なんてなんとも想ってないですから」

 主従――主と“使い魔”ともども似たことを言う2人である。

 カトレアは身を乗り出して、才人に尋ねた。

「ねえ、“貴族”の条件を御存知?」

 いきなり何を聞くのだろうかと、才人は想った。

「え? 確かその、“魔法”が使えて……お金持ちで……」

「そんなのは些細な事よ」

「だって、この世界では“魔法”を使えなきゃ、“貴族”じゃないでしょ」

「違うわ」

 とカトレアは首を横に振った。

「“貴族”の条件は1つだけ。“御姫様を命懸けで守る”、それだけよ。自分の娘を命懸けで守ってくれたから、かつての王さまはわたし達の御先祖様に領地や御城をくれたのよ。“魔法”が使えたからじゃないわ」

 カトレアは、才人を真摯な目で見つめた。

 ドキッとして、才人は後退る。10年後のルイズに見つめられたかのような、そんな気がしたのだ。

「あの娘は中庭にいるから行って上げて。中庭には池があって……小さな小舟が浮かんでるの。その中にいるわ。あの娘、昔っから嫌な事があるとそこに隠れるのよ。ルイズを連れ出したら、城の外に出て。街道には馬車が待っているわ。貴男たちの連れのメイドが手綱を握っているから、それで御行きなさい。シオンちゃんも、セイヴァーさんもそこにいるわ」

「……え?」

「戦は感心しない。嫌いだわ。正直、ルイズに行って欲しくはない。でも、あの娘がそう決めて、その行為を必要とする人がいる。だったら行かせて上げるべきだと想うの。それはわたし達が決める事じゃない」

 カトレアは才人の頬を両手で挟んだ。

「貴男とルイズ、そしてシオンとセイヴァーさんに、“始祖”の御加護がありますように」

 そして、カトレアは同じ“貴族”を扱うようにして、才人の額にキスをした。

「わたしの可愛い妹とその友達たちを宜しく御願い致しますわ。騎士殿」

 

 

 

 ルイズは中庭の小舟の中で泣いていた。

 城の中から、彼女を捜す使用人たちの足音や声が聞こえて来る。だが、幼い頃と同じように、この中庭の小舟は安全であった。小島の影に隠れる格好で、城の中からは死角になり、目立たないのである。

 持って来た毛布を引っ冠り、ルイズは幼少期そうしていたように、小さく蹲っていた。幼い頃はそうしていると……段々と気持ちが治まって行ったのだが、今はそう上手には行かない。沈んだ気持ちは、晴れることなどないように想われた。

 中庭の土を踏み締める、小さな足音が響いたのがルイズの耳に届く。

 ルイズが息を殺してジッとしていると、池の小島に続く木橋に渡る大きな音に変わった。

 いけない、と想ってルイズは毛布の中に身体を埋めた。

 すると直後……バシャン! と足音の主が池に入った音がして、毛布を引っぺがされてしまう。

 ルイズは思わず身を竦め、名前を呼ばれた。

「ルイズ」

「……サイト?」

「行くぞ。お前の姉さん、カトレアさんが、馬車を用意してくれた」

「……行けないわよ」

「家族の許しを貰ってないもの」

「無理だよ、向こうだってお前の家族だ。頑固なんだろ」

 才人は手を伸ばした。

 しかし、ルイズは拗ねているためにその手を振り払う。

「なんだよ?」

「もう嫌だ。良い」

「なんで?」

「だっていくら頑張っても、家族にも話せないなんて。誰がわたしを認めてくれるの? なんかそう想ったら、すごく寂しくなっちゃった」

 才人はそんなルイズを前に、(そんな事でいじけてたのか。先が想いやられるな。こいつには俺がいないと……)、と本格的に想い始めていた。

 小舟に乗り込んで、才人はルイズの手を握った。

「ったく。俺が認めてやる。俺がお前の全存在を肯してやる。シオンやセイヴァーだってそうだろうさ。それに、カトレアさんが認めてくれてるだろ? だから立ってつの、ほら」

 ポッと……その言葉でルイズの心に温かい何かが灯った。(でも、サイトの言葉なんか信用できないわ)、と想う自分がいる事に気付く。(どうせメイドが好いんでしょ? どうせ胸の大きい娘が好いんでしょ? 黒髪で、何でも言う事利いてくれそうな、あの娘が好いんでしょ?)、と想ってしまうのである。

 寂しいのは、両親や、姉の理解が得られなかったからだけではないのだ。昨日のシエスタの言葉もまた尾を引いている。「サイトさんはルイズの事なんか好みじゃない」といったその言葉がルイズの自信とやる気を著しく奪ってしまっているのである。ルイズはそんな事、自分の気持ちとはいえども、認めようとはしないが、それらを引き摺ってしまっているのであった。

 従ってルイズは更に愚図った。

「何が“認めてやる”よ。嘘吐かないで」

「嘘じゃない」

「嘘よ。今回の戦だってどうせ姫さまの御機嫌取りたいんでしょ? ギーシュと同じだわ」

「な、なんで姫さまが……?」

 ルイズは思いっ切り冷えた声で言った。

「キスしたじゃない」

「ば、馬鹿お前。あれは、なりゆきで……」

「なりゆきでキスするの? へぇーそぉー」

 とうとう才人はキレてしまう。キレて、ルイズの肩を掴んで振り向かせた。

「な、なによ!?」

「馬鹿か? お前は!」

「誰が馬鹿よ!?」

「誰が好きで、お前みたいな我儘な娘の御機嫌取ってると想ってるんだよ!? 誰が好きでお前みたいなぺったんこのご主人さまの“使い魔”やってると想ってんだっつの!?」

 才人はルイズを燃えた目で覗き込み、怒鳴り付けた。心底頭に来ていたのだ。(なんでこいつは理解んねぇかなぁ)、と引っ叩きたい衝動に駆られているのだ。

「よ、よ、よくも言ったわね!」

「ああ、何度でも言ってやるよ。正直な、俺だってお前の任務や戦なんかに付き合ってねえで帰る方法探してーよ! 東に行きてえんだよ! 俺はよ!」

「だったら行けば良いじゃない!」

 ルイズは叫んだ。彼女も、(何よ!?)、と想っていた。(そんなに怒鳴らなくても良いじゃないのよ。もっと優しくしてよ。こっちは落ち込んでんのよ。サイトはいっつもそう。何をして欲しいのか、“使い魔”の癖にちっとも理解ってない。神経を逆撫でするばかりじゃない)、と想った。

 そんな才人は、ルイズが叫んだ後、荒い息で肩を上下させていた。なにか言い返す言葉を選んでいるのだろう。

 ルイズは、(馬鹿。馬鹿馬鹿。何なにか言われたら、顔を引っ掻いてやる。いったいなにを言い返す気かしら? “ああ理解った! 行ってやるよ!” かしら?)、と想った。

 しかし、才人の答えはルイズの予想の、遥か上を吹っ飛んでいた。

 なんと才人は……顔を真っ赤にして言い放った。

「好きなんだよ!」

 空気が固まった。

 ルイズは一瞬、何を言われたのか理解らなかった。(今、なんっ吐ったの? スキ? スキってあの好き? どゆこと?)、と混乱してしまう。

「……え?」

「お前が好きなんだよ! 顔見てるとドキドキすんだよ! それって好きって事じゃねーのかよ! それをてめえと来たらブチブチと“姫さまの御機嫌取りたいんでしょ?” とか“どこ見てたの?” とか、“だったら行けば良いじゃない”とか、ゴチャゴチャ言いやがって!」

「え? ええ?」

「とにかくてめえと来たら可愛くねーんだよ! どういう事よ!? なんで俺が命懸けで戦ってると想ってんの!? 好きだからだろうが! じゃなかったら部屋で寝てるっつの!」

 才人はそこまで捲し立てると、ハッ! と気付いた。

 ルイズは顔を押さえて、蹲っているのだ。

 ドッと、後悔が才人の胸を襲った。(嗚呼、俺は憩いに任せて何を言ってしまったんだ!? って言うか告白してんじゃん! なんで!? 状況を考えろ……今は告白してる場合じゃねえだろ……意味理解んねえ)、と小舟に突っ伏した。

 

 

 

 しばらく時間が過ぎて……ルイズは我に返った。

 混乱して、意味が理解らないのである。とにかく告白されたのである。才人に、ルイズは「好きだ」とハッキリ言われてしまったのである。

 ルイズは、(どうしよう?)と想った。そう想うと同時に、(皆に言ってんじゃないの?)と警戒心も呼び起こした。怒りと歓喜、2つの感情が湧いて出たのだ。なんだか良く理解らなくなって、顔を真っ赤にしながらルイズは立ち上がり、突っ伏した才人の顔を持ち上げた。

「嘘だったら、殺すわよ」

 震える声で、ルイズはそこまで言った。(今、自分の顔はどれだけ赤いのかしら? 頬は、どんだけ朱に染まってるのかしら? とにかく熱いわ)と想った。

「嘘じゃねえよ」

「わたしはあんたの事なんか好きじゃないわ」

「知ってるよ」

「だって、あっちでフラフラ、こっちでフラフラしてるんだもの」

「しないよ。もうしない」

「しなけりゃ良いってもんじゃないの。とにかく1年、わたしの事だけ見てたら、その言葉を信用して上げる。信用するだけだけど」

「あ、ありがとう」

 そんな風に、心底ホッとした声で言う才人が、ルイズはとても可愛く想えてしまった。抱き締めて、頬擦りしたい、とそこまで想ってしまうほどにである。

 だがそんな事は言えるはずも、行動できるはずもない。ルイズはなにせ、プライドの塊なのである。そのプライドは鎧のように何重もルイズの心覆って、容易な事では本心に刃を届かせないのであった。

 ルイズは才人の方を掴んで腰を屈めた。その顔を真剣な目で覗き込む。

 いつだかのキュルケの「貴女、どうせ何も許して上げなかったんでしょ? そりゃ、他の娘ともイチャつきたくなるってモノよ」という言葉が、ルイズの耳に過った。(うー、少しは許さないといけないのかしら?)、などと想う。だが、そういった事をして調子に乗られても困るのもまた事実なのだから、匙加減というモノはとても難しい。

 だが、他の女の子を見たり触ったりするのだけは、ルイズには我慢ができなかった。そして、ルイズは仕方なく、ほんの少しの覚悟を決める事にした。

「あ、あの、あのね。んとね」

「はい?」

「あんたはご主人さまを好きと言う事により忠誠を誓ったのだから、ご、ごご。ご、御褒美が必要よね?」

「御褒美?」

「そうよ。姫さまがいっつも仰てたわ。忠誠には、報いるところが必要だって」

「は、はぁ」

 才人はもう、ルイズがどうしたいのかサッパリ理解らなかった。だが次の言葉を聞いて、頭に血を上らせた。

「い、一箇所だけだかんね」

「はい?」

「ごご、ご主人さまの身体、一箇所だけ、好きなとこ、ささ、触っても良いわ」

 そう言ってルイズは才人の肩に手を置いたまま目を瞑った。

 才人は、「死ぬ。こんなこと言われて、俺もう死ぬ。でも死ぬ前に、こ、このルイズをば。こ、この可愛過ぎるご主人さまをば」、とブツクサ呟きながら、ルイズを抱き締め、いきなり唇を奪った。

「むご……」

 突然の事に、ルイズは唸り声を上げた。(キスか。そう来たか。まあ、確かに、箇所には違いないわ。馬鹿ね。どこでも好きな場所って言ってるのに。でも、そんでキス? それって大事にされてる?)、なんて風に、こんな時にキスを選んだ才人を更に“愛”しく感じてしまうルイズであった。

 しかし、キスをしたことで才人の興奮はマックスにまで達してしまったらしい。「一箇所だけ」というルールをあっと言う間に忘れてしまい、ルイズのスカートの中に手を伸ばした。

 ルイズは慌てた。

「ば、馬鹿……一箇所だけって……しかも、あんた、そんないきなり……こらちょっと、おいこら何考えてんのこら、馬鹿、ちょ、この、あん、そんな、やん、馬鹿……」

「好き」

 才人は譫言のようにそう呟き、ルイズの耳朶を噛み締めた。

 身体から力が抜けて、ルイズは、(大事と好き。どちらが重いのかしら?)、と考える隙もなく小舟の上に押し倒された。

「あ、あの、ちょっと、こら……駄目、胸、胸は駄目。駄目、そこ駄目全部駄目」

 スカートの中やシャツの隙間に入り込もうとする手を、ルイズはペシペシと必死に払い除ける。

「好き。大好き。ホントに好き」

 まるで伝家の宝刀であるかのように、才人は「好き」をただひたすらに連発する。

 それは果たして魔法の言葉であり、ルイズから抵抗する気力を奪ってしまうのであった。

「……ほ、ホントに好き?」

 ルイズは、思わず問い返してしまった。

「うん」

「ホントにホント? ……ん」

 すると唇が塞がれる。

 ルイズは、(ちょっと待って。好きでもそんないきなりは駄目よ。教育上良くないし、プライドと言うモノがあるわ。そうよ、わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。公爵家のね、3女で御座いますの。そんなね、街女みたいに軽くないの。結婚するまでは絶対に駄目なの、結婚しても3ヶ月は駄目なの。それなのにこの“使い魔”はご主人さまのどこ触ってるのだろう? 許せない。調子にのののののの、乗るんじゃないわよ)とルイズは拳を振り上げた。股間を狙い打つべく、足を振り上げようとした。

 すると唇が離れ、ルイズの耳元で才人が囁く。

「好き。ルイズ大好き」

 大好きと来たものだ。

 ヘナヘナと拳が下がり、ルイズは思わず才人の背中を抱き締めてしまった。

 ルイズは、「嗚呼、もう駄目。どうしようお母さま? ごめんなさい。ルイズたぶん星になります」、と呟き、(最後に才人はこういう時どんな顔してんのかしら?)、と一応見とこうと想って薄っすらと目を開けると、素敵な光景が広がっていた。

 池を取り囲むようにして、城の使用人たちが勢揃いをしている。

 強張った表情を浮かべている長姉であるエレオノールがいた。

 卒倒しそうなほどに蒼白な顔をした母親である夫人がいる。

 そして、一同の真ん中には怒りを通り越した表情で震えている父親である公爵がいた。

 ルイズは一瞬で熱から冷え、才人を突き飛ばした。

 ドッボーン、と池に才人は落っこちる。

 才人は身を乗り出し、「なにすんだよ!?」と怒鳴るのだが、同時に中庭の観客たちに気付いてしまった。

 ラ・ヴァリエール公爵が、威厳のある声で命令した。

「えー、ルイズを捕まえて、塔に監禁しなさい。そうだな、少なくとも1年は出さんから、鎖を頑丈なモノに取り替えて置きなさい」

 執事のジェロームは、「畏まりました」、と一礼する。

「で以て、あいつ。あの平民な。えー、打ち首。1ヶ月は曝すから、台を作って置きなさい」

 ジェロームは、同じ抑揚で「畏まりました」、と答える。

 使用人たちが一斉に、放棄や鍬や鎌や槍を持って襲いかかろうとし、才人は背中のデルフリンガーの柄を握り締めた。

 才人の左手甲の“ルーン”が光る。

「いやぁ、相棒。すんごいお久しぶり。ホントに寂しくて死ぬかと想った」

「ごめん、話後!」

「みてえだね」

 才人は、羞恥の余りポカンと口を開けて小舟の上に座り込んでいるルイズを抱き抱え、肩に担ぎ、疾走り出した。

「なな。なんだあいつ!? 速い!」

「まるで妖精だわ!」

 城の廊下を、才人は風のように駆け抜ける、

 “ガンダールヴ”としての能力を発揮した状態での足の速さは、それを知らない者たちの想像を遥かに超え、圧倒していた。

 才人は、立ち塞がる使用人には、「ごめんなさい」、と一言詫びながら、足を引っかけて転ばせる。

「なにをしとるんじゃあああああああああ!?」

 と、末の娘が押し倒された所を目撃した公爵は激昂して“杖”を引き抜く。

 風のように疾走する才人だが、流石は大“貴族”ラ・ヴァリエール家。次々と使用人たちがあちらこちらから飛び出して来て、才人とルイズを包囲してしまう。

「フハハハハハハ! 娘を大事に想うのは理解るが、流石に過保護が過ぎるぞ、公爵殿」

「君は!?」

「セイヴァー!」

 囲まれた才人へと一斉に飛び掛かろうとする使用人たちの前に、俺は“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”によって展開した数々の“宝具”の原典を、彼らに当たらぬように射出し、邪魔をする。

 驚く公爵に、使用人たち。

 才人は、地獄に仏といった表情を浮かべる。

「そこを退きなさい。セイヴァー君。そこの少年を晒し首にする必要がある」

「なにを言うかと想えば、可笑しなことを。さて、先に行け才人」

「お前はどうするんだよ?」

「露払いでもしてやろうと言うのだ。その伝説の力を以てして、疾く御姫様共々外へと出るが良い」

 俺の言葉に、才人は首肯いて、片手でデルフリンガーの柄を握りながら、ルイズを担ぎ、再び疾走り始める。

「行かせると思っているのか?」

「当然だ。にしても子煩悩にも程が在るぞ公爵。この時代で在れば親離れをしても可怪しく無い時期、年頃だ」

「あの少年は平民だ」

「ふむ、食後の会話でも言ったが、俺と彼奴は貴様達が言う所の“ロバ・アルカリイエ”出身だ。此処での平民や“貴族”などと言った枠組みには当て嵌められ無い。其れに」

 場に静寂と緊張が奔り抜ける。

「“人の恋路を邪魔為る奴は、馬に蹴られて死ね”と言うでは成いか」

「……お前は、貴様は何者なんだ?」

 俺は少しばかり“魔力”を解放し、言った。

 そんな俺に対して、使用人たちは勿論、此の場にいる“メイジ”達、そして公爵と公爵夫人も後退ってしまう。

 公爵はどうにか、口を開き、尋ねた。

「そうだな。では改めて自己紹介と行こうか。俺は、此度の“聖杯戦争”でシオンに依って喚び出された“サーヴァント”。セイヴァーだ」

 

 

 

 

 疾風の如く疾走する才人だが、連絡を受けていたのであろう門番が跳ね橋を上げ下げする“ゴーレム”を操作しているのを目撃する。

 ゴリゴリゴリ、と鎖が引き上げられ、跳ね橋が持ち上がろうとする。

 門がある前庭に躍り出た才人は青くなってしまった。堀の幅……“ガンダールヴ”の力を発揮した才人でも、跳び越せそうにはないのだ。

 絶体絶命! と想われた瞬間、“ゴーレム”が握った跳ね橋を持ち上げる鎖の色が変化した。

 どうやら“錬金”によって、柔らかい土に変化したようである。

 土になった。鎖はボロボロと崩れ去り、支えを失ってしまった跳ね橋は、ドスン! と落ちた。

 才人は、隙かさず跳ね橋を駆け抜けた。

 渡ったところで、馬車が飛び出て来る。

 驚いたことに、馬ではなく1匹の“竜”が馬車を引いているのだ。

 ガタガタと震えるシエスタが御者台に、その隣にシオンが座っている。

「早く! 早く乗って下さい!」

 才人はルイズを先に馬車に押し込み、自分も跳び乗った。

「な、なんで“ドラゴン”?」

「理解りません! ただ、“馬じゃ逃げ切れないでしょう?” なんて、その、カトレア様に言われまして! きゃあ!? きゃあきゃあ!? とにかく“竜”恐いです! 顔が恐いです!」

 シエスタは喚きながら、夢中になって手綱で叩いている。

「って言うか、セイヴァーが!」

「セイヴァーなら大丈夫だよ」

 慌てた調子で振り向く才人を、シオンは柔らかな、そして絶対の自身と信頼を込めた笑みで答えた。

 才人は、シオンの言葉に首肯き、シエスタに「代わるよ」と言って手綱を受け取り、御者台に座った。

 シエスタは、ニコッと笑ってそんな才人に寄り添う。

 後ろの座席からそんな様子を見ていたルイズは、思わずピキッとキレそうになったのだが、先ほどの才人からの「好き」という何度も繰り返された言葉を想い出し、どうにか堪えてみせた。そして、(ま、そのくらい許して上げるわ。“貴族”が平民に焼き餅妬くなんて、そもそも可怪しいのよ、ふっ……)、と余裕などを、噛ましてみた。

 するとシエスタは、ペコリとルイズに頭を下げた。

「あの、申し訳ありません。ミス……」

「ん?」

「わたし、酔ってなにか失礼な事してしまったようで……癖なんです。お酒呑むと、わたし、その、いつもと違う行動をする傾向があるようでして。はい」

 シエスタは激しく恐縮していた。

「ま、良いわ。今度からは気を付けてね」

 と、ルイズは恋に勝利した女の余裕で、嘯いた。

「ありがとうございます!」

 シエスタはペコペコとルイズに頭を下げた。それから才人に、ヒシッと寄り添った。

 ルイズは、(あーもーくっ着き過ぎ。でも、さっきはわたし達ももっとくっ着いてたから、ま、良いわ、ちょっとだけよ。御慈悲なのよ)と2人を見やる。

「でも……才人さん紳士ですよね」

「ん? 俺?」

「そうです! わたしが隣で潰れているのに……なんにもなさりませんでしたわ」

「そ、そりゃ……しないよ」

 ルイズは微笑んだ。(なによ、それってあんたに魅力がないからよ。板とか仰いましたわよね? ヘンだ。板の勝ちー。でかいだけの馬鹿メイドの負けー)、と思ったのだが。

「とかなんとか言って、シャツのボタンが外れてましたわ。いやん」

 ルイズの眉が、ピクンと動く。

「え? それは、シエスタが凄い苦しそうにしてたから。はぁはぁ、ぜぇぜぇって……」

「もう、だからいっつも言ってるじゃないですか……」

 シエスタは才人の耳に顔を近付け、小さい声で呟いた。しかし、ルイズとシオンの耳には入るくらいの大きさで。とにかく、シエスタの牽制ジャブであった。

「は、はいぃ?」

「見たいなら、そう言って下さいって。わったし、隠しませんってば。なにも遠慮することないんですよー」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、と背後で空気が震える幻聴を、才人は耳にした。

 そう震えているのは空気ではなく、ルイズである。

「おい」

「はい」

「“使い魔”は、メイドのボタンを外すしたのか?」

「“使い魔”はボタンを外しました。苦しそうにしてましたから」

「言い訳は良いの」

「言い訳じゃないんですけど」

「ミス! 仕方ないじゃありませんか! サイトさんは大きめの! 大きめのが好きなんですから!」

 シエスタは、燃える水である油を、火に注いだ。

 才人は、無駄だと知りながらも否定をする。

「そんな事はありません」

「そう言えば、ちい姉さまのも見てたわね」

「ちょっとです」

「そんな“貴族”は、やっぱり犬以下と判断せざるを得ません」

 無駄に丁寧語である。既にもう、反論するだけ駄目な雰囲気である、というか酔っ払って潰れて“ガンダールヴ”の力を使用して、才人は疲れていた。というか、こうなってしまえば反論しても無駄である事を才人は熟知し切っていた。

 耳を掴まれて、才人は奥に引っ張られてしまう。

「ミス! 落ち着いて! ミス・ヴァリエール!」

「大丈夫。すぐ済むから。なんつーかな、きっと“運命”なんだと。俺はそう想うな」

 才人はニッコリと苦笑を浮かべながら、奥へと消えた。

 それを見送り、日常が戻った事に安心したような笑みを浮かべながらシオンは御者台に座り、手綱を握る。

 床に才人は転がされ、ルイズはその上に伸しかかる。

「取り敢えずさっきの小舟での件は、全部、間違いだから」

「はい。わかってます」

「今日は流石に、わたしもブレーキが必要だと想うわ。どう?」

「そうして頂けると、ありがたいです」

 だが、当然ブレーキなどはかからなかった。

 才人の長く切ない絶叫が、いつまでもラ・ヴァリエールの領地に響いた。

 

 

 

 街道の向こう側に消え行く馬車を窓から見つめて、カトレアは微笑んだ。

 彼女の手には“杖”が握られている。

 先ほどの“錬金”は彼女が“呪文”を唱えて、使用したのだ。視界内とはいえ、ここから跳ね橋は相当離れており、離れた場所へ効果を及ばせる為には、かなりの“精神力”を消耗させる必要がある。

 だが、いつもであれば体力と“精神力”を消費し、咳き込むどころか倒れそうになるはずなのだが、今日はそんな事はなかった。

 部屋の中で鶫が鳴いている。怪我をしていた為に、拾って来て包帯を巻いてやった小鳥だ。

 籠の中の鶫をしばらく見詰め、カトレアは優しい笑みを浮かべた。

 カトレアは籠の蓋を開け、中に手を伸ばす。

 鶫は、カトレアの手に乗った。

 カトレアは中から取り出し、包帯を外してやる。窓から手を差し伸ばす。

 その上の鶫は、カトレアの顔を見つめて、首を傾げてみせた。まるで彼女に問いかけるかのように。

「大丈夫よ。もう、平気よ」

 鶫は空を見詰めた。そして、羽撃いた。

 大空を飛び回る鶫を、カトレアは見つめていた。

 ジッと、いつまでも、カトレアは見つめていた。

 

 

 

「き、貴様……それほどの数の“マジックアイテム”、“魔法”……どうやって……?」

 使用人たちは気を失い倒れており、公爵と公爵夫人は息を切らしながらもこちらを見つめて来ている。

 その目には既に敵意はないが、畏怖などが込められているのが一目でわかるだろう。

「そうだな。少しばかり、“特典”とでも言うズルをして居るのでな」

 俺は、公爵からの途切れ途切れの質問に、息1つ乱すこともなく、余裕を持って答える。

「さて、之でシオンの実力と才能は理解っただろう。次は、ルイズと才人の番だ。だが、お前達は直接見る事は未だ出来無いだろう。まあ、何れ理解るさ。何れな」

 俺はそう言いながら、“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”で射出した“宝具”の原典を、射出後の“宝具”を回収する為の“宝具”を使用し、射出され廊下に突き刺さっている多数の“宝具”の原典は塵となったかのようにして消え行く。

「一応、言って置くが、俺にはお前たちをどうにか仕様と言う気は一切無い。寧ろ逆だ。お前達の愛娘を、確りと守って遣る。だからその、なんだ……安心しろ」

「それが、君の素かね?」

「そうだな……言葉遣いに気を遣うのは疲れるからなぁ。それに、俺は“何にも出来無かった、し無かった。だからこそ、何にでも成れるし、何でも出来る可能性を持って居る”。故に、時々本来の自分を忘れそうになってしまうけどな」

 そう言って、俺は自嘲する。

「ではな、ヴァリエール夫妻。また逢おう」

 俺はそう口にして、“霊体化”し、周囲から姿を眩ませた。



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20年前の炎

 “魔法学院”にやって来た募兵官に王軍への申込みを行った生徒たちは、それぞれ即席の士官教育を2ヶ月ほど受け、各軍に配属される事になった。

 “トリステイン”の軍隊は、大きく3つに分ける事が出来る。

 先ず、時の王を直接の最高司令官とする“王軍”である。“王政府”所属の“貴族”の将軍や士官たちが、金で集められた傭兵の隊を指揮するのである。ギーシュ達学生士官が配属されるのは、主にこの“王軍”と後述する空海軍である。

 次に、各地の大“貴族”たちが、領地の民を徴兵して編成する、“国軍”、または、“諸侯軍”と呼ばれる組織である。王から領地を賜った“貴族”は盟約に従い軍を組織するのだ。ルイズの父親であるラ・ヴァリエール公爵が枢機卿に編成を依頼されたのもこれであった。その兵は元々農民である為、“国軍”は傭兵で編成された“王軍”に当然練度は劣る。“国軍”はおおよそ遠征に向く軍組織ではないのだが、“王軍”のみでは頭数が足りぬため、此度の“アルビオン”への侵攻作戦――遠征に連れて行く事になったのだ。ルイズの父親、ラ・ヴァリエール公爵のように戦に反対して、兵の拠出を拒んだ“貴族”も多数いた。なお、今回は遠征であるため、“国軍”の半数は輜重……詰まりは補給部隊として動くことになっている。

 最後に、“空海軍”である。空や海に浮かんだ軍艦を動かす軍隊の事だ。艦長を頂点とする、当に封建制の縮図とでもいえるだろう軍組織だ。艦の中での絶対権力者、艦長の下に、“貴族”士官が乗り込み、多数の水兵を指揮する仕組みである。水兵といえども、“フネ”を動かす為に皆なんらかの専門家である。陸軍とは違い、頭数を揃えれば良い、という性格の軍ではないため、経験と日頃の訓練などが何より重視される軍だ。

 

 

 

 “王軍”に予備士官として配属する事になったギーシュが首都“トリスタニア”の中程にある“シャン・ド・マルス”の練兵場に到着をしたのは、ルイズ達が帰省した日の翌日のことである。

 “ロッシャ連隊”、“ラ・ロシェーヌ連隊”、“ナヴァール連隊”……平時には連隊長の町屋敷の庭に翻っているはずの連隊旗は、本日この“シャン・ド・マルス練兵場”に集結をしていた。

 教練士官に書いて貰った紹介状を片手にギーシュは、“王軍”12個連隊、20,000の兵でごった返している練兵場を行ったり来たりしていた。

 彼が所属することになった隊は、“王軍”所属の“ド・ヴィヌイーユ独立大隊”。聞いたことのない隊ではあったのだが、ギーシュは初陣であるということもあって張り切っていた。

 先立って、“王軍”の元帥職にある父親に逢って来ばかりである。元帥は終身戦である為に、軍務を退いてなおギーシュの父親である彼は元帥なのであった。老齢の父親はこの度の戦に参加できない事を大変に悔しがり、生粋の武人である彼は「命を惜しむな、名を惜しめ」と言って、ギーシュを激励し、送り出したのであった。

 3人いる兄の全員が、出征している。1番上の兄は、ド・グラモン家の軍を預かっている。2番目の兄は、空軍の艦長である。3番目の兄は、“王軍”士官であった。

 そしてギーシュは……“ド・ヴィヌイーユ独立大隊”預かりの士官として、参陣するのであった。

 しかし、その肝心の大隊は見付からない。紹介状に描かれたデザインの大隊旗が、どこにも見えないのである。

 仕方なくギーシュは、強面で髭面の士官へと尋ねてみた。

「あの、“ド・ヴィヌイーユ独立大隊”はどちらでしょうか?」

 その士官は帰り道がわからなくなるとは何事だ、とギーシュに説教を始めた。

 ギーシュが「本日配属なのです」と言うと、士官はギーシュの頭から先までギーシュを舐めるように見つめ、「学生士官か?」と尋ねた。

「は、はい! そうであります!」

 と、ギーシュは覚えたての軍隊調で敬礼すると、頭を叩かれてしまう。

「良いか学生? 戦場では、自分の隊がわからなくなりました、などと言っても誰も教えてはくれんからな」

 そうして、士官は口調こそキツめではあったが、ギーシュへと忠告し、あそこだ、と言って練兵場の隅っこを指さした。

 そこは宿舎の直ぐ側で、日当たりの悪い場所であった。

 宿舎の壁に兵たちはもたれかかり、やる気なさげに空などを眺めている。酒を呑んでいる者までいる始末であり、ギーシュは呆れてしまった。

 注意しようとするが、ギーシュは、そこにいるのが老人兵ややる気の見えない者ばかりであるという事に気付く。なんともはや、出涸らしのような隊であった。

「ま、まさか、ここが……?」

 慌てて1人の兵へと、ギーシュは尋ねる。

「お、おい、兵隊」

「なんでございましょう?」

 槍を重そうに抱えた老兵が、立ち上がる。

「“ド・ヴィヌイーユ独立大隊”は、ここか?」

「然様で」

 ガーン、とギーシュは、頭を何かで打たれたように立ち竦んでしまう。

 栄えある初陣であるにも関わらず配属された隊は老人兵や見るからにやる気のない不良兵ばかり。詰まりは数合わせの滓隊なのであった。どこの連隊にも所属せず、“独立”となっているのはその為であろう。詰まるところ、どの連隊長も自分の所で預かるのを嫌がったのである。

 ギーシュが「だだ、大隊長殿はどこだ?」と尋ねたら、老傭兵は隅の一角を指さした。そこにはヨボヨボの白髪の老人が、杖を支えに立っていた。隣には、参謀記章を肩にくっ付けた、若く太った“貴族”が1人控えている。どうやらあそこが、“大体本部”であるらしかった。

 矢玉を喰らわなくても突撃の時の声だけで驚いて心臓を止めてしまいそうな老人である。

 ギーシュは、(こりゃ、相当な貧乏籤を引いちゃったぞ)、と切なくなった。

 とにかく着任の挨拶をする為に、ギーシュは彼らに近寄った。

「予備士官ギーシュ・ド・グラモン、ただいま着任致しましたぁ!」

「はぁ? なんじゃ!? 何事じゃ!?」

 大隊長のド・ヴィヌイーユはプルプルと震えながら、ギーシュに問い返した。耳が遠いらしい。

「ギーシュ・ド・グラモンであります! 当大隊の予備士官として配属されました! 着任許可を頂きたくあります!」

 ギーシュは、仕方なく耳元で叫ぶ。

「おおそうか! 食事の時間か! 腹が減っては戦はできんからな! お主もしっかり食うのじゃぞ!」

 ギーシュは諦めて、首肯いた。

 そこで大隊参謀が、大隊長になにか耳打ちをした。

「な、なんじゃ! 配属か! だったらそう言わんか!」

 だからそう言っているのである。ギーシュは憮然とした。

「せ、せ、せいれーつ!」

 ヨボヨボの大隊長が声を張り上げた。鈍い、緩慢な動きで兵隊が集まって来る。

「新任の中隊長を! しょ、しょ、紹介する!」

 ギーシュが唖然としている隙に、連隊長が続ける。

「えー、我が栄えある“ド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊”に配属された……名前!」

「ギーシュ・ド・グラモンであります!」

「えー、そのグランデル君には、第二中隊を任せる! 従って第二中隊はこれより“グランデル中隊”と呼称する! 中隊長にけいれー!」

 ノロノロと中隊所属の兵隊達が敬礼をする。

 というよりも名前を間違えられている事、そして何よりも自分がいきなり中隊長に任命された事に、ギーシュは驚く。

「ちょ、ちょっと大隊長殿!? 僕は学生士官ですよ。そんないきなり中隊長なんて!?」

 中隊長ともなれば100人からの兵隊を指揮するのである。そんな事は、当然戦などに1度も出た事もない者はもちろんだが、数度の出戦でも無理であり、ましてや学生であれば尚更であろう。

 然し大隊長は、プルプルと震えながら、ギーシュの肩に手を置いた。

「中隊長が、今朝、脱走しおってな。後任を探しとったのじゃ」

「先任士官がいるでしょうが!?」

「あー、儂と大隊参謀と各中隊長以外、この大隊には“貴族”はおらん。従って余っとる士官は君しかおらん。宜しくな、中隊長」

 “王軍”は士官不足と聞いてはいたのだが、これほどとは、とギーシュは青くなった。

 “ド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊”は鉄砲隊で規模はおおよそ350人。それが3つの中隊に分かれているのだ。鉄砲中隊が2隊。護衛の短槍中隊が1隊。その鉄砲中隊の1つを、ギーシュは着任早々預かる事になったのである。鉄砲隊とはいっても、装備しているのは旧式の火縄銃ばかりであった。新式のマスケット銃などは見当たらない。

 ギーシュは頭を抱えた。ギーシュは訓練過程で、まったく鉄砲の教育を受けていないのである。2ヶ月の超即席訓練であった為に贅沢などは言えるはずもないのだが……それにしても所属する隊の兵科くらいは事前に教えてくれても良さそうなモノだ。大量の傭兵を雇い入れ、大変な士官不足を呈している“王軍”は混乱が酷いとは聞いてはいたのだが……これほどとは想像できるはずもなかったのである。

 そんな悩めるギーシュの側に、すばしっこそうな中年男が近寄って来た。銃身の切り詰められた火縄銃を背負い、腰には短刀を差している。鉄兜を冠り、厚革に鉄の胸当ての付いた上着を羽織っている。

「宜しくでさ、中隊長殿」

「よ、宜しく。君は?」

「中隊付軍曹のニコラでさ。自分は副官の真似事など、やらして貰っとりました」

 真似事というのは謙遜だろう。額の切り傷には日焼けした顔。見るからに歴戦の軍曹である事が一目でわかる。実際には下士官の彼が中隊を仕切っていたに違いない。

「いやぁ、災難ですねえ」

 と、下手すると父親ほども歳の離れた傭兵軍曹はギーシュに呟く。

「来て早々、中隊長をやらされるなんてねえ。見たところ、未だ書生さんだ」

「う、うん」

 ギーシュは首肯いた。

「まあ、中隊の面倒は自分と仲間が見ますから。隊長殿は、ドッシリと構えとって下せえ」

 そんな風に歴戦の傭兵軍曹に言われ、ギーシュは少しばかり気が楽になった。

 遠くでラッパが鳴った。兵を整列させる為に、中隊長たちが声を上げ始めた。今から“アルビオン”遠征軍総司令官オリビエ・ド・ポワチエ将軍の訓示が始まるのであった。将軍の閲兵を受けた後に、この練兵場に集まった軍は、“ラ・ロシェーヌ”に向けて出発するのである。

 そこで“フネ”に乗り込み、空路“アルビオン大陸”を目指すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて一方。

 こちらは“トリステイン空軍”の主力艦隊が浮かぶ、“ラ・ロシェーヌ”の港。

 巨大な樹木……古代の“世界樹(イグドラシル)”の枯れ木を利用して造られた港にぶら下がった艦隊では、最終艤装と士官や水兵の乗艦が盛んに行われていた。

 “世界樹(イグドラシル)”の根本に立ち、士官候補生として軍艦に乗り込む予定のマリコルヌは呆然と頭上を見上げていた。

 “王国”の空軍主力、何十隻もの帆走軍艦が、巨大な“世界樹(イグドラシル)”の枝にぶら下がり、出航を待っている姿は壮観以外の何者でもないといえるだろう。

 マリコルヌは、「うわぁ……」と口をポカンと開け、空を見上げていると、バンッ! と突き飛ばされてしまう。

 見ると、相手はマントも着けていない、ただの平民である。

 マリコルヌは平民に突き飛ばされたことがわかると激昂した。

「ぶ、無礼者! “貴族”を突き飛ばすなんて法があるかっ!?」

 すると水兵は、ジロッとマリコルヌを睨み付けた。マリコルヌがただの士官候補生と当たりを付けると、ニコッと意味深な笑みを浮かべる。

「おい、坊っちゃん。ここは娑婆とは違うんだ。“空軍”での順番を教えてやるから、耳の穴ぁ、かっぽじて良く聴きな」

「え? ええ?」

 “空軍”では、“貴族”だからといって威張れるという訳ではないようである。

 “貴族”より偉い平民がいるなんて上手く想像する事ができるはずもないマリコルヌは戸惑うばかりだ。

「先ず艦長! これが“フネ”では一番偉い! 次に副長だ! 最先任の士官が任官する! 航海長、掌帆長、砲術長、甲板長、司厨長……と続いてその次は塀海尉だ! 俺みたいな航海士官が含まれる! “空軍”では平民でも勉強して手柄を上げりゃ士官になれるんだ!」

 そうだったのか、とマリコルヌは目を丸くする。

 平民の上官が存在する可能性のある軍組織……それがこの“空軍”であるのだ。

「で以て次は下士官! その下がやっとお前たちみたいな士官候補生だッ! お前らは“フネ”じゃあ蛆虫みてえな役立たずの存在なんだ! 覚えとけ!」

 マリコルヌは立ち上がり、敬礼した。

「りょ、了解しましたッ!」

「根性をくれてやる! 歯ぁ喰い縛れッ!」

 マリコルヌは直立不動のまま、頬にキツいビンタを受けてしまう。

「良し行け! 走れッ! 馬鹿者! 士官候補生が歩いていたら、ドヤされるぞッ!」

 這々の体で、マリコルヌは駆け出した。

 

 

 

 やっとの想いでマリコルヌが見付けた乗艦“レドウタブール号”は、片舷48門、全長70“メイル”の立派な戦列艦であった。つい1月前に艤装が完了したばかりの新鋭艦である。

 マリコルヌはタラップを登り、枝にぶら下がった戦列艦に乗艦しようとすると、乗艦口に立った士官に呼び止められる。

「こら! 貴様! 勝手にどこに行く!?」

 マリコルヌは慌てて敬礼をした。

「士官候補生のマリコルヌ・ド・グランドブレです! 本日着任いたしました!」

「当直主任のモランジュ空尉だ」

 マントを着けた“貴族”士官である。彼は艦の入り口で、乗艦する将兵のチェックを行っているのであった。

 相手が“貴族”だという事にマリコルヌは安心をした。まあ、平民の士官は多くはない。

 彼はマリコルヌの太った身体を上から下まで眺め回した後、尋ねた。

「荷物はそれだけかね?」

 マリコルヌは、手に提げた鞄を持ち上げた。

 マリコルヌが「そうです」と答えると、空尉は眉を顰めた。

 マリコルヌは、少しばかり考えた後、自分が間違いを犯した事を悟った。「そうです」などという応え方は軍隊には存在しないのである。特に、“空軍”では。

 改めてマリコルヌは、「はい! 空尉殿!」、と敬礼をした。

 早速マリコルヌは敬礼の形と、言葉遣いを直された。

「“空軍”では、殿はいらん! ボーイ!」

 少年兵(ボーイ)が近寄って来て、敬礼した。

「彼が君ら候補生の世話をする。理解らん事があったらなんでも訊け。彼を見習い士官室へ」

 最後の言葉はその少年兵に向けられたモノだった。

「鞄を御持ちします、候補生。あ、自分はジュリアンと言います」

 マリコルヌは鞄を渡した。

 マリコルヌより若い少年だ。未だ14~15といった黒髪の少年である。

「候補生はどちらから?」

 マリコルヌが「“魔法学院”だ」と言ったら、少年兵は顔を輝かせた。

「どうした?」

「姉が奉公してるんです。シエスタって言うんですが……御存知ですか?」

 マリコルヌは首を横に振った。“学院”で働く平民は数が多い。顔なら大体は覚えているのだが、いちいち名前までは覚えていない。だが、マリコルヌは、シエスタという名前に聞き覚えがあった。ただそれだけであり、名前と顔が一致する人物がいる訳でもない為に、横に首を振ったのだ。

「ですよね。“貴族”の方がいちいち奉公人の名前を覚えている訳がありませんよね」

 ジュリアンは、マリコルヌを見習い士官室に案内すると、駆け足で去って行った。少年兵は、山のような仕事を抱えているらしい。

 見習い士官室には、マリコルヌのような士官候補生が3人ほどいた。なんと、“魔法学院”の生徒も1人いた。上級生であったので、マリコルヌは頭を下げた。

 上級生である彼は、野性的な顔立ちの、色男であった。眉が太く、唇が厚い顔に笑みを浮かべ、「スティックスだ。君は?」、とマリコルヌへと話しかける。

 マリコルヌは自身の名前を言うと、「あのキュルケと同じクラスじゃなかったか?」、と尋ねられる。

 先ほどの少年兵の事も想い出し、(こんな艦の中で随分とローカルな話題が続くなあ)、とボヤきながらマリコルヌは首肯いた。

 スティックスは、「昔、ちょっと、その、彼女と仲良くしていてね」、と恥ずかしそうに言った。

 見ると額には火傷の痕があった。

 マリコルヌは(どんな知り合いだったんだろう?)と想ったが、彼が上級生である為に訊く事はできない。恥ずかしい理由や原因などに因るモノであれば逆に怒られてしまうかもしれないからだ。

 そんなスティックスは、座っていた椅子にしっかりと腰かけた。

「さて諸君」

 マリコルヌが入って行った時、見習い士官室では何やら深刻な会議が行われていたらしい。他の3人は、身を屈めてスティックスに顔を近付けている。ひそひそ話のようである。新入りであるマリコルヌも、椅子を勧められ、腰かけた。

 スティックスが、マリコルヌの顔を真剣な目で覗き込んだ。

「新入りの君にも説明しないといけないな。マリコルヌ君、この艦は恐ろしい爆薬を抱えているのだ」

「爆薬、ですか?」

 マリコルヌは息を呑んで、先輩候補生を見つめた。

「そうとも」

「新型火薬とかですか? それとも新兵器?」

 マリコルヌは、(発火性の強い、新火薬? それとも扱いの難しい新兵器であろうか? どちらにせよ、枕を高くして眠れるモノではなさそうだ)、と震えながら尋ねた。

「そんなモノじゃない」

 スティックスは呟く。

「では……なんなんですか?」

「人だよ。君」

「人?」

 スティックスは、唇の端を歪めて呟いた。

「そうだよ。この艦には敵が乗り込んでいる」

「って事は裏切り者でもいるんですか?」

 マリコルヌは思わず大声を上げた。

「しっ! 未だ裏切った訳じゃないが……その可能性は低くないだろう。僕はそう想うね。先任士官の中にも、そんな風に考えている方が結構おられるようだ」

「いったい、何者がいるんですか?」

 スティックスは首肯いた。

「では、新しい我らの仲間に、艦に居着く鼠を見せに行こうじゃないかね?」

「賛成だ」

「うん」

 そしてマリコルヌは、その、恐ろしい爆薬、とやらを、見学しに行くことになった。

 後甲板に赴くと、そこには艦長がいて、背の高い“貴族”士官と、なにやら相談をしていた。艦長を見てマリコルヌは緊張した。美髯を蓄えた、押し出しの強い初老の男性である。戦列艦の艦長ともなれば、相当なエリートだった。見た目と同じように、中身も相当できるのであろう。そして、士官候補生たちが言う、恐ろしい爆薬、とは、そんな艦長をやり込めることの出来る男であるようだった。

 “アルビオン”訛りを強く残す声で、「それでは艦を沈める結果になるでしょうな。雲中航海は、常に危険と隣合わせの博打なのです」、と艦長の隣に立った精悍な壮年の男が口を開いた。

 艦長は恐縮して、頭を垂れた。

 その声を聞いて、マリコルヌは背筋に火箸を突っ込まれたかのように跳び上がった。

 コッソリと、スティックスがマリコルヌの耳に囁いた。

「見たまえ。あいつの名前はヘンリ・ボーウッド。紛れもない、生粋の“アルビオン”人だ」

「なんですって? 敵国人がどうして艦に乗り込んでいるんですか?」

「彼が“タルブ”の戦役で、何をしたか教えてやろう。彼は、あの巨艦……知ってるか? “レキシントン号”」

「我が軍の奇跡の光で沈んだ巨大戦列艦ですね?」

 “アルビオン”艦隊が沈んだ件は、“奇跡の光”という事になっていた。むろん、その正体を知る者は少ない。

「その“レキシントン号”の艦長だった男だ」

「な!?」

 マリコルヌは舌を噛みそうになった。

「我が軍は、“アルビオン”周辺空域の水先案内人として、捕虜にした元“アルビオン空軍”士官を何人も雇い入れたのだ。“アルビオン”の現政権に不満を持つ人物に限られる。と言うが……なに、そんな連中が信用できるモノか」

「その通りですよ。敵だった奴らなんかと同じ艦に乗り込むなんて」

「しかし、“空軍”は奴らを使う事に決めたらしい。詰まり……僕らじゃ当てにならんということだ」

 忌々しげに、スティックスが呟く。

 その言葉を受けて、自嘲気味に1人の士官候補生が、「我々は戦力にならん、と言われてしまったようなモノだ」、と言った。

 そんな彼らの言葉を聞いて、マリコルヌは敵軍が同じ艦の中にいる事に恐怖を覚えながらも、“アルビオン”出身の同級生の事を想い出していた。(もしかすると、眼の前の彼は、本当にこちら側の戦力となってくれるのかもしれない……だけど……)、などと考える。

 その時、艦長がマリコルヌ含む士官候補生たちに気付き、こっちへと来い、と手を振った。

「お前たち、挨拶しろ。ミスタ・ボーウッドだ。この艦の教導士官として乗り込まれる。ミスタ、我が艦隊のイボ小僧たちだ」

 ボーウッドはニッコリと笑って、手を差し出して来た。

 マリコルヌは、むむむ、と疑問などが湧き出て来るのを覚えた。

 そんな士官候補生たちを前に、艦長の顔色が変わった。

「お前たち、ミスタ・ボーウッドは元敵国人だが、今では我が軍の軍属だぞ。おまけに彼はきちんとした“貴族”の家柄だ。礼を尽くさねば承知しないぞ」

 そのように艦長に言われ、マリコルヌ始め士官候補生たちは渋々と敬礼した。

 ボーウッドは両手を広げ、中甲板へと消えて行く。

 艦長が「教導士官!」と慌てて追いかける。幾ら相手ができる男とはいえ、艦長があれでは他の乗組員に示しが付かないだろう。

 スティックスは、マリコルヌ達に小声で呟く。

「僕は、あの男を無力化する計画を持っている」

「どんな計画です?」

「なに、戦闘ともなれば艦上は混乱する」

 マリコルヌは自身の思考を悟られる事がないように気を配りながら、「でしょうね」と相槌を打った。

「そして、弾は前から飛んで来るとは限らない」

 全員はスティックスのその言葉で緊張した。

 彼は、戦闘行動中にボーウッドを撃ち殺すと言っているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ダングルテール《アングル地方》|”。

 かつて何百年も前、“アルビオン”から移住して来た人々が開いたとされる、その海に面した北西部の村々は、常に歴代“トリステイン王”にとって悩みの種であった。

 独立独歩の気風があり、なにかというと中央政府に反発するからである。

 100年ほど前、“実践教義運動”が“宗教国家ロマリア”の一司教から沸き起こった時も、進取の稀少に富んだこの地方の民は、逸早く取り入れたのだ。その為に時の王からは恐れられたが……“アルビオン人”独特の飄々とした気風も色濃く残し、呑む所はキッチリと呑んだため、激しく弾圧されるということもなかった。

 詰まるところ、“アングル地方”の民は要領良くやっていたのである。

 20年前、自治政府を“トリステイン政府”に認めさせ、“新教徒”の寺院を開いた。

 それが為に“ロマリア”の“宗教庁”に睨まれ、圧力を受けた“トリステイン”の軍により鎖錠された、と当時の文献には残っている。

 20年前のその日、アニエスは未だ3歳であった。残る記憶は断片的で、鮮烈であった。

 3歳のアニエスは、浜辺で貝殻を拾っていた。綺麗に削られた貝殻よりも美しいモノをアニエスは見付けた。それは……波打ち際に打ち上げられた若い女性の指に光る……炎のように美しい大粒のルビーの指輪であった。

 怯えながら、3歳のアニエスはそのルビーの指輪に触れた。

 瞬間、その若い女性は目を開いた。そして震える声で、アニエスに問いかけた。

「……ここは?」

「ダ、“ダングルテール”」

 とアニエスが答えると、若い女性は満足そうに首肯いた。

 アニエスは大人たちに漂流者がいる事を知らせに走った。

 彼女は瀕死の重症であったのだが……村人たちによる手厚い看護によって見事に一命を取り留めたのだ。

 彼女はヴィットーリアと名乗った。“貴族”だが新教徒であり、“ロマリア”から弾圧を逃れて逃げて来たと語った。

 “トリステイン軍”の一部隊がやって来たのは、それから1ヶ月後の事であった。

 彼らは問答無用で村を焼き払ったのだ。

 アニエスの、父親が、母親が、生まれ育った家が……一瞬で炎に包まれてしまったのだ。

 幼いアニエスは炎の中を逃げ惑い、ヴィットーリアが隠れた家へと逃げ込んだ。

 ヴィットーリアは、アニエスを布団の中に隠した。直ぐに兵士だろう男たちが部屋へと飛び込んで来た。

「“ロマリア”の女がいたぞ」

 男の野太い声に、アニエスは怯えた。次に“呪文”の“詠唱”が聞こえた。

 次の瞬間、アニエスをベッドに隠したヴィットーリアが炎に包まれた。

 アニエスが薄れ行く意識の中で見たモノは、燃え尽きようとしながらも、炎に耐える為の“水”の“魔法”を自分にかけていたヴィットーリアの姿であった。

 一端記憶はそこで途切れ、アニエスが次に見たモノは―――――。

 男の首筋であった。

 引き攣れた火傷の痕が目立つ醜い首筋である。

 アニエスは、その男に背負われていたのであった。

 手に持った“杖”から、その男が“メイジ”である事がわかった。詰まり、その男がアニエスの村を“炎”の“魔法”で焼き尽くした事に、彼女は気付いたのだ。

 再びアニエスの記憶は薄れ……気付くと彼女は浜辺で毛布に包まれて寝ていた。

 村は炎に焼かれ続けているのが遠くから見えた。

 揺らめく炎を、アニエスはジッと見つめ続けた。

 生き残ったのは、アニエスただ1人だけであった。

 あの日から、20年という歳月が過ぎた。

 未だ目を瞑れば、炎が彼女の瞼の裏に炎が浮かび上がる。

 其の日、家族と恩人を焼き尽くした炎が浮かぶのだ。

 そしてその炎の向こうに、男の背が見えるのだった。

 

 

 

 長じてアニエスはあの事件が、“ロマリア”の“新教徒狩り”の一環であった事を知るに至った。“ロマリア”から逃げ出して来たヴィットーリアを匿った事が、その引き金であった事。作戦は“伝染病の壊滅”という名目で行われた事。

 “ロマリア”の法王が代わってから“新教徒狩り”は打ち切られたが、アニエスの心の傷は決して療えることなどはなかった。

 “ロマリア”から賄賂を貰い作戦を立案した男、リッシュモンをその手で殺しても、復讐は終わらないのだ。

 彼女の復讐の炎は、“ダングルテール”を焼き尽くした者全てを討ち滅ぼすまで決して消えるという事はないのである。 

 

 

 

 “トリスタニア”の宮殿、東の宮の一隅に設けられた“王軍”の資料庫。

 ここは“王軍”でも高位の者しか立ち入ることができない場所である。

 アニエスの出世は、こういった場所に入る為だけにあったといっても過言ではないだろう。

 アニエス率いる“銃士隊”は、今回の“アルビオン”侵攻には参加しない。数少ない本国に残る部隊の1つであった。近衛の隊とはいえ、このような国の総力を傾ける戦には出陣するのが習いであるのだが……要は最高司令長官ド・ボワチエに嫌われてしまっている事が要因であった。

 規模は小さいが、近衛の隊長は遠征軍を指揮する将軍か、それ以上の官位である。なんとしてでも元帥になりたい将軍は、己の手柄を横取りしそうな憩いと格を持つ“銃士隊”の参加に反対したのであった。“全ての功は自分の手元に集まらなくてはならぬし、軍議の際に上座に座られたのでは堪らぬ”、という訳である。

 それにアニエスは“メイジ”ではない。

 ド・ボワチエからすると、「平民風情になにができる」、とアニエス達を軽んじているのであった。

 もちろん表向きの理由は違う、もっともらしく「近衛の“銃士隊”に於かれては陛下の護衛に全力を注がれたし」などとでっち上げてあった。

 だがそれは、アニエスにとっては好都合であった。

 正直彼女にとって、“アルビオン”などはどうでも良いのである。

 

 

 そんなアニエスが2週間ほども“王軍”の資料室に籠もり、やっとの想いで見付け出したその資料の表紙には、こう記されていた。

 

 “魔法研究所(アカデミー)実験小隊”。

 

 そのわずか30名ほどの小隊が、アニエスの村を滅ぼした部隊名であった。

 アニエスは、ページを捲る。

 隊員は全てが“貴族”であった。

 そして、(あいつが?)、と驚く名前もそこには記載されていた。

 唇をギュッと噛み締めながら、アニエスは1枚1枚慎重にページを捲って行く。

 口惜しい事に、既に故人も多い。

 アニエスの目が、大きく見開かれた。次の瞬間、表情が悔しさに歪む。

 なんと、小隊長のページが破かれてしまっているのである。誰かが破った事は明白であった。

 これでは、誰が小隊長だったのかわからない。

 1番罪深い男のページが見付からない。

 アニエスは身を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルビオン”の首都“ロンディニウム”から馬で2日の距離にある“ロサイス”の街に、危険な雰囲気を纏った男たちの一団が現れた。

 目元に大きな火傷の痕のある男……メンヌヴィルが率いる小隊であった。十数名程の小部隊ではあるが、周りを圧する雰囲気は、重装甲槍兵1個小隊にも匹敵する迫力であった。

 革のコートは激しく汚れ、如何にも歴戦の傭兵という雰囲気を纏っていた。コートの下に獲物をそれぞれ隠し持っているのだろうが、その武器の正体までは簡単にはわからない。

 一行は町外れにある空軍工廠の溶鉱炉に差しかかった。鉄を溶かし、砲弾を鋳造する溶鉱炉である。そこでは職人が苦心していた。炉の温度が上がらないのだ。鉛はともかくこれでは鉄を溶かす事ができない。

「親方……」

「コークスが足りねえんだ。おまけに風も弱え。参ったな……昼までに100発納入せにゃならねえってのに……」

 そんな風に職人たちがボヤく声が届く。

 ちょうどその時、メンヌヴィル小隊の進む道の反対側から、“トロール鬼”兵の一団が現れた。“トロール鬼”は“アルビオン”北部の“高地地方(ハイランド)”に棲息する身長が5“メイル”にも達する“亜人”たちである。

 数は少ないが、戦意は旺盛であった。人間同士の争いなどどうでも良いのだが、嫌いな人間共を好きなだけ棍棒で押し潰せる為に、彼らは参加しているのであった。

 味方としては、なるほど頼もしいのかもしれない。背が高い為に、攻城の際には大変役に立つ存在であった。しかしどこでも我がもの顔で威張る為に、兵からは嫌われていた。命令を利かぬ事も多いので、有力な存在ながらも持て余す指揮官が多いのだ、

 さて、そんな“トロール鬼”兵の20人ばかりが歩いて来ると、巨木の森が突き進んで来るような迫力であった。

 工廠で働く職人や、水兵達は慌てて左右に避け、“トロール鬼”たちに道を譲る。

 “トロール鬼”たちは、太い喉から海鳴りのような声を上げ、自分たちの足元で右往左往するヒトを見つめ、口を大きく開いた。巨大な鞴が上下するかのような呼吸音。小さく非力なヒト共を、嘲笑っているのであろう。

 そんな“トロール鬼”たちの歩みが止まった。

 立ち塞がるヒトの一団がいたのである。メンヌヴィルの小隊であった。

 自分たちを前にして、道を譲らぬヒトがいるなどとは考え難いのだろう。鞴のような喉を上下させ、“トロール鬼”たちは喚いた。

「あの木偶の坊共は、なんと言っている?」

 つまらなさそうな顔でメンヌヴィルが問うた。

 側に控えた目付きの鋭い男が、隊長に告げた。

「“退け”、と言っております」

 メンヌヴィルは“トロール”語を解するその部下に、こう言った。

「ここは人間の土地だ、と言ってやれ」

 部下は“トロール”語で、二言三言、呟いた。

 すると“トロール鬼”たちは、激昂して手に持ったメイスを振り上げた。

 先端には、大砲の砲弾よりも大きな鉄の塊が付けられている。頑丈な城壁をも一撃で砕いてしまうような代物だ。

 あんなモノをマトモに叩き付けられてしまえば、ヒトなど一溜まりもないだろう。

 メンヌヴィルは、「お前、なんと言った?」、と“トロール”語を解し話した男へと尋ねる。

「ええと、ブル・シュブ・トル・ウウル……いけね、間違えた。こいつは最悪の罵りでした。すいやせん」

「なるほど」

 メンヌヴィルは首肯いた。

 怒り狂った“トロール鬼”は真っ直ぐにメイスを振り下ろした。

 メンヌヴィルはコートを左手で跳ね上げ、中の獲物を取り出す。長い、無骨な鉄棒が現れた。右手に持ったそれを軽く振る。

 “詠唱”。

 鉄の棒から、炎が飛び出てメイスを握った“トロール鬼”の腕を包んだ。

 一瞬でその炎は、“トロール鬼”の右腕ごとメイスを溶かし尽くした。真っ赤に灼けた鉄が飛び散ったが、メンヌヴィルの隣に控えた男が次いで“呪文”を“詠唱”し、“風”の“魔法”を放った。

 小さな竜巻が灼け溶けた鉄を巻き上げ、“トロール鬼”たちの顔を包む。灼けた鉄に肌を灼かれ、“トロール鬼”たちは悲鳴を上げた。

 “杖”の先から湧き出る炎は火勢を増した。

 辺りは一面炎の海となった。

 巨大な“トロール鬼”達が燃える臭いが、辺りを覆い尽くす。

 炎に照らされたメンヌヴィルはほほに酷薄な笑みを浮かべ、炎に灼かれてのた打ち回る巨人たちをジッと見つめていた。

 数分後。

 炭化した“トロール鬼”たちの上を、メンヌヴィル達は踏み越えて行った。

「いや、耐えられぬ臭いですな」

 と隊員の1人が呟き、メンヌヴィルは言った。

「なにを言う。生物が燃え尽きるこの香り……そこらの香水など霞み行く、極上の香りだ」

 

 

 

 溶鉱炉の職人たちは震えながら巨大な“トロール鬼”たちが燃え尽きる様を、ジッと見つめていた。

 消し炭になった“トロール鬼”たちの身体に、溶解した鉄の塊が混じっている。“トロール鬼”たちが持っていたメイスである。

「どうなってんだあいつ等……こいつは鋼鉄だぞ。鞴も炉も使わずに、それまで溶かしちまうってか?」

 そこから然程離れていない、1隻の“フリゲート”の甲板では、ワルドとフーケが積荷の到着を待ち侘びていた。

「約束から15分過ぎたよ。ったく、時間も守れないような奴に、針の穴を通すような緻密な作戦が行えるのかね? 占領任務だ。面倒な仕事だよ」

「“白炎のメンヌヴィル”と言えば、傭兵の世界じゃ知られた男だ。残虐で狡猾……それだけに有能との噂だ」

「なんにせよ遅刻はいただけないね」

 そんな話をしていると、メンヌヴィル達が到着したのが見えた。

 甲板からタラップが下ろされる。

 艦に登って来たメンヌヴィル達には、肉の焼け焦た臭いがこびり付いていた。

「あんた達、いったい何を焼いて来たんだい?」

「“トロール鬼”を20匹ほど」

 とメンヌヴィルは淡々と答え、フーケは青くなった。

 

 

 

 軍議の為に用意された部屋で、一同は今回の作戦を打ち合わせている。

 作戦目的は、かつてフーケが働いていた、“魔法学院”の占領である。

 クロムウェルは生徒を人質に取り、攻めて来た連合軍に対する政治のカードの1枚とする心積もりなのであった。

 夜陰に乗じて“トリステイン”の哨戒線を潜り、直接“魔法学院”を突くのだ。

「子供とは言え“メイジ”の巣だよ? この数で大丈夫なの?」

 いつか巨大な“ゴーレム”で“学院”を襲った事のあるフーケが、作戦に対する不満を述べた。

 それに対してワルドが、「なに、教師のほとんどは戦に参戦するだろう。男子生徒もな。残るのは女子生徒ばかりだろう」、と言った。

「本当?」

「子爵の言う通りだ。“貴族”とはそうしたモノだ。面倒な連中よな」

 と、メンヌヴィルが自嘲を含んだ言葉で言った。

「あんたも元“貴族”なの?」

「“メイジ”はだいたいが“貴族”だろう? マチルダさんよ」

 メンヌヴィルから、“貴族”の頃の名前を告げられ、フーケは顔を赤らめた。

「わりと有名なのかな? あたしってば」

「どうして貴様は“貴族”を辞めた?」

 メンヌヴィルの質問に、「忘れたわ」とフーケはつまらなさそうな顔で答える。

 メンヌヴィルは笑った。

「俺は良く覚えているぞ」

「へえ……」

 フーケは唇の端を持ち上げた。

 “貴族”の名を捨て、平民に身を窶す“メイジ”は少なくない。末路はだいたい決まっている。フーケのような犯罪者になるか……メンヌヴィルのように傭兵になるか、基本的にはそのどちらかである。そして大体は己の選択を後悔しながら、果て逝くのだ。

 フーケにしても決して認めようとはしないのだが……たまに夢見ることがあるのだ。あのまま“貴族”の暮らしを続けていたら、と。それが無理とは知りつつ、たまに夢想するのである。不安という言葉さえ知らぬ少女の事を。

 メンヌヴィルは、そんな後悔とは無縁のようであった。心から己の選択を祝福しているらしい。

「あんたは自分が好きみたいだね」

 フーケがそう言うと、メンヌヴィルは笑った。

「俺には、今の仕事が天職に想えるよ」

「どうして?」

「好きなだけ、人間を焼けるからな」

「人が嫌いなの?」

「真逆、大好きだ。好きだから焼くんだよ。理解らぬか? あの匂い、己の炎が醸し出す匂い……その匂いだけが俺を興奮させる」

 フーケは背筋にナメクジでも這っているかのような、生理的な嫌悪を覚えた。

「それに気付いたのは、20歳の時だ、俺は“トリステイン”のとある部隊に所属していた」

 集まった隊員たちは、顔を見合わせた。

 フーケとワルドも黙った。

 メンヌヴィルは語り始めた。

 

 

 20年前だ。

 俺は20歳になったばかりの“貴族”士官でね、“魔法研究所(アカデミー)実験小隊”っていうとこに配属された。隊長は俺と歳がさほど変わらぬ男だった。

 その小隊は、初めて“貴族”……“メイジ”のみで構成された実験小隊だった。いや、“魔法衛士隊”とはちょっと違う。あそこは戦の花形だろう? ワルド子爵、あんた、そこの隊長だったなら理解るよな? 派手な“幻獣”に跨って……キャアキャア騒がれるのは羨ましいが、立ち小便1つできやしねえ。汚れ仕事はなかなか難しい。まあ、なんであんたが辞めたかは訊かねえがね。

 でもって俺たち“魔法研究所(アカデミー)実験小隊”は下級“貴族”で構成された……まあ、何でも屋ってとこだった。盗賊を退治して、攻撃“魔法”が人体に与える効果を調べたり、戦で範囲“魔法”ぶっ放した時に、どのくらいの被害が起こるのかとか、そんな事ばっかりやらされてた。

 野党退治や、田舎“貴族”の反乱鎮圧なんかの時には、真っ先に投入された。

 偉いさんにしてみりゃ、使い勝手良かったんだな。

 で、ここの隊長が凄かった。

 

 

「隊長?」

 フーケの質問に、メンヌヴィルは「そうだ」と首肯き、話を続けた。

 

 

 さっき言ったように、その隊長殿と来たら20歳を幾ら過ぎてねえ癖に、やたらと肝が据わってた。

 なにせ顔色1つ変えずに、敵を焼き殺すんだ。俺は惚れ惚れしたもんだ。

 でもって、その隊長に徹底的に惚れ込んだのが、あの作戦だ。

 “トリステイン”の北の隅っこの海岸沿いに、“ダングルテール”っていう田舎があった。なんにもねえ、寒村だ。牡蠣を海岸で拾うぐれえしか、金目のモノがねえ、寂れた村だ。

 “そこで疫病が流って手が着けられねえから焼き滅ぼせ”、と命令が入った。随分上からの命令だったな……。

で、俺たちゃ急行して仕事をやって退けた。

 凄えのは隊長だ

 なにせ容赦がねえ。

 女も、子供も、キッチリ見境なしに焼き滅ぼした。

 まるで竜巻のような炎を操って、村をあっと言う間に炎の海に変えた。

 夜でね、海に炎が映って、そりゃあ綺麗だった。

 傑作だったのは、その村は疫病でもなんでもなかったって事だ。

 

 

「じゃあどうして、村1個滅ぼしたんだい?」

「“新教徒狩り”さ」

「“新教徒狩り”?」

「“ロマリア”から、圧力がかかったんだ。 “1人手前の国から逃げた新教徒の女がその村に匿われている。その地方はけしからん事に新教徒”ばっかりだ。今後もこのような事があっては面倒だ。ついでだから、纏めて全部もやしちまえ”ってね。疫病云々ってのは、口実だったって訳だ」

 ワルドは表情を変えずにそこまで聞いた。

 フーケは不快を隠しもせずに、メンヌヴィルを睨み付けている。

「さて、そんな“ダングルテール”の鎮圧任務が終わった時……俺はそんな隊長にゾッコン惚れた。あいつみてえになりてえな、と想ったら、その背中目がけて“杖”を振ってた」

「理解できないいね。惚れてて攻撃するなんざ」

「俺にも良く理解らんよ。とにかく、確かめたかったんだろうなぁ。そいつがゾッコン惚れるに足りる器かどうかってよ。俺に斃されるくらいじゃあ、そんな器じゃねえってね」

「で、どうなった?」

 メンヌヴィルはニヤッと笑って、火傷に引き攣れた目元を指さした。

「これで済んだ。あいつは本物だった。難なく俺を配いやがった。俺は直ぐに隊を脱走したよ。隊長に“杖”を向けたとあっては、残れる訳もねえからな」

「で?」

「今に至るって訳よ。傭兵をやってりゃ、いずれあの隊長に逢うこともあろうかと想ったが、そうも行かなかった。誰かに殺られたか、引退したか……その日以来、俺の顔に火傷の痕を付けた隊長の噂を聞くことはなかった。残念だよ、俺はあの時の何倍も強くなったって言うのに。あの時より熱く、誰より熱く“炎”を繰り出せるというのに……」

 メンヌヴィルは高らかに笑った。ネジが外れたように、笑った。

「嗚呼、もう1度あいつに逢いてえなあ! 逢って礼がしてえ! 俺はなんにも後悔してねえ。“貴族”の名を捨てた事も、人殺しになった事も含めて全部だ。でも、あの隊長に礼を言えねえ。それだけが俺をキリキリさせんのさ。逢いてえ、逢いてえ、ってこの火傷が夜鳴きするんだ」

 メンヌヴィルは気が触れたかのように、長く笑い続けた。



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出撃

 年末は“ウィン(12)”の月の第1週、“マン”の曜日は“ハルケギニア”の歴史に残る日の1つ――1ページとなった。

 空にかかる2つの月が重なる日頃の翌日であり、“アルビオン”が最も“ハルケギニア大陸”へと近付くこの日、“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍6,0000を乗せた大艦隊が、“アルビオン”侵攻のため、“ラ・ロシェール”を出航する運びとなったからである。

 “トリステイン”、“ゲルマニア”大小合わせて、参加隻数は500を数えた。その内の60が戦列艦で在り、残りは兵や補給物資を運ぶガレオン船である。

 女王アンリエッタと枢機卿マザリーニは“ラ・ロシェール”の港、“世界樹(イグドラシル)”の頂点に立ち、出航する艦隊を見送った。

 催合を解かれた“フネ”達が一斉に空へと浮かび上がる様は、正に壮観といえるだろう。

「まるで、種子が風に吹かれて一斉に舞うようですな」

 枢機卿であるマザリーニが、出航を開始した艦隊を前に感想を漏らす。

「大陸を塗り替える種子です」

「“白の国”を、青に塗り替える種ですな」

 “トリステイン”の“王家”の旗は、青地に白の百合模様である。対して、“アルビオン”本来の“王家”の旗は、縦長の赤地に3匹の“竜”が並んで横たわるという意匠がなされたモノだ。

 マザリーニの言葉に、アンリエッタは首を横に振った。

「いいえ。青でも2本の杖でもありません。国旗はそのままです」

「負けられませんな」

 マザリーニが、アンリエッタの言葉の意味を理解し、呟く。

「負けるつもりはありませぬ」

「ド・ボワチェ将軍は大胆と慎重を兼ね備えた名将です。彼ならやってくれるでしょう」

 アンリエッタは彼が、名将と呼ぶにはほど遠い存在であるという事を理解していた。しかし、“王軍”には人材がいないといえる状況かつ状態だ。彼より優れた将軍は、歴史の向こうにしか存在しないだろう。

「するべき戦でしたかな?」

 小さな声で、マザリーニが呟く。

何故(なにゆえ)にそのような事を?」

「“アルビオン”を空から封鎖する手もありました。慎重を期せば、そちらが正攻と想えます」

「泥沼になりますわ」

 表情を変えることなく、アンリエッタは呟き返した。

「そうですな。白黒を着ける勇気も必要ですな。私は歳を取ったのかもしれませぬ」

 マザリーニは白くなった髭を撫で、言葉を続ける。

「此度の戦、“虚無”と“英霊”を得てなお、負けたらなんとします? 陛下」

 機密に関する事柄を、マザリーニはサラッと言ってのけた。

 ルイズの“虚無”、才人の“ガンダールヴ”、“聖杯戦争”と“サーヴァント”。それらを知る者は少ないのだ。“虚無”については“トリステイン”において、アンリエッタ、マザリーニ、“王軍”の将軍が数名。そして、“聖杯戦争”関係でいえば、更に少なく、アンリエッタとマザリーニ、そして大后であるマリアンヌくらいだろう。

「この身を灼くことで罪が赦されるなら……喜んで贖罪の劫火に身を委ねましょう」

 ジッと空を見つめ、アンリエッタはソッと呟いた。

「御安心を。陛下御独りを行かせはしませぬ。その際にはこの老骨も御伴するとしましょう」

 アンリエッタは将軍に託した切り札……“虚無”と“サーヴァント”の事を想う。

 ルイズの“虚無”を聞かされたド・ボワチェ将軍は、初めはもちろん信用するはずもなかった。無理もないことである。この時代に於いて、伝説といえる存在であり、文献や言い伝えなど程度でしか遺されていないのだから。

 しかし、“タルブ”での戦果を語るに至り、将軍はやっとの事で信用をした。

 “伝説の系統”――“虚無”を得て、勇気百倍にでもなったらしい彼はアンリエッタに勝利を約束した。

 アンリエッタはそんな彼に、初戦で優位を勝ち取るべく、積極的に“虚無”の使用を命じたのである。

 自分の罪深さに、アンリエッタは溜息を吐いた。

 この戦は……国や民のモノではない。

 私怨を晴らす、そして友の為だけに他ならないのだ。友人の兄であり、アンリエッタ自身の恋人の仇を打つ為だけの戦だ。

 そのため、彼女は何人の人間を死地へ追いやろうとしているのだろか。そこには、自分が親友と呼ぶ幼馴染、そしてその恋人の妹もまた含まれるのだ。

 アンリエッタは、(この戦、勝っても負けても、己の罪が消えるという事はないわ)、(それを知りながら、愛国を謳って軍を見送る私は地獄に堕ちるわね)、と想った。

 唇の橋に血が滲むほどに噛み締めた後、アンリエッタは大声で叫んだ。

ヴィヴラ・トリステイン(トリステイン万歳)!」

 女王の万歳の声が、空に響く。

 艦の上甲板に並び、見送るアンリエッタに敬礼していた将兵たちが、アンリエッタに続いて万歳を唱える。

ヴィヴラ・トリステイン(トリステイン万歳)!  ヴィヴラ・トリステイン(トリステイン万歳)!」

 其の唱和は60,000の将兵の唱和となり、空を圧した。

ヴィヴラ・トリステイン(トリステイン万歳)!  ヴィヴラ・アンリエッタ!」

 胸に突き刺さるような万歳の連呼が、アンリエッタの罪の意識を深めて行った………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、“魔法学院”。

 己の“炎”を平和的に利用する為に、コルベールが辿り着いたのは“動力”であった。熱の力を……何かを動かす力に変換させる蒸気を利用する機関を何個が造り上げたのだが、満足することはできなかったコルベールにとって、この“ゼロ戦”に搭載されている“エンジン”はまさに彼が求める動力のスタート地点を具現化した姿であった。惜しむべくは、この“エンジン”は戦争の為に造られたとういところだろうか。

 このコルベールは、この“エンジン”の解析に力を注いでいた。

 これに近しいモノを組み上げたいが為に試行錯誤を繰り返したのだが……“エンジン”に匹敵するだけの精度を持つ内燃機関を組み上げる事は、今の彼自身では不可能である事を悟った。

 先ず、ここ“ハルケギニア”では冶金技術が低いのだ。“エンジン”を構成するような鉄を製鉄できないのである。“スクウェア・クラス”の“錬金”を唱えてなお、このような高度な製鉄は難しいだろう。人の技である“魔法”では、どうしても不純物が混ざってしまうのだ。

 次いで、加工技術である。“エンジン”を組み上げる為には一定の品質で、同じ部品を何個も作り上げる必要がある。いや、それでなくてはならないのだ。これが“ハルケギニア”の現在の技術では不可能に近い事柄であった。“ハルケギニア”では、丸っ切り同じモノを作る、という概念が先ず、未だ存在しないのだから。例えば、たぶん一番高度な工芸品である鉄砲にしても、完全に同じモノは2つとしてない。同じ弾を使う、同じ形の銃であろうと1丁1丁が微妙に違う。構成する部品の互換性すらもないのだ。

 コルベールは先ず、“ゼロ戦”の機関砲の弾を造ろうとして、これが今現在のままでは不可能であるという事を知った。真鍮から削り出した薬莢の作成が必要なのだが、似せたモノは“錬金”で加工できても、同じサイズのモノを大量に造る事などできるはずもない。真鍮の薬莢を造り出す事は、液体の“ガソリン”を量産するのとは、丸っ切り勝手が違うのだった。

 そんな訳で、コルベールの取り付けた新兵器は、現在“ハルケギニア”で可能な技術を応用したモノになった。

 “魔法学院”の研究室の前で、やっとの事で全ての装備を“ゼロ戦”に取り付け終わったコルベールは、深い溜息を吐いて、己の作品を見つめた。

 半年ほど前、新兵器を取り付けたが、もっと凄いのも取り付けたくなり、己の研究の成果をそこに収束させたのであった。

 

 

 

 研究室の前に現れた俺たちを見て、コルベールは両手を広げた。

「おお、サイト君、セイヴァー君、ミス・エルディも。出発かね?」

 出陣の準備が出来上がった才人、シオン、そして俺が、準備を終え、“ゼロ戦”が置かれているコルベールの研究室前に到着したのだ。

 才人は、首にシエスタの曾祖父の形見であるゴーグルを提げている。背中にはデルフリンガーを背負い、腰には革のポーチ。そして、細々とした生活用品の入った頭陀袋を持っている。

 シオンは、防寒着をこれでもかといった具合に所持し、いつでも着込む事ができるようにしている。

「はい」

 才人は、コルベールの言葉に対し、短く答えた。

「大変だなあ。直接、これで“フネ”に向かうのだろう? こいつを無事に“フネ”に降ろす事ができるのかね?」

 今朝方、“アルビオン”へ向けて艦隊は出航した。

 “ゼロ戦”を搭載する為には、艦が航行中である必要がある為、出航を待っての出陣となったのであった。“竜騎士”が搭乗する“竜”を搭載する為の特殊な艦が建造され、それに“ゼロ戦”も合わせて搭載されることになったのである。

 新鋭であるその艦は、“竜母艦”という新しい艦種に分類され、“ヴュセンタール号”と名付けられた。

 コルベールだけでなく、数多くの“土系統”の“メイジ”が、“ガソリン”を“錬金”し、5回飛行できるだけの分がその母艦に積み込まれている。

 後は才人が“ゼロ戦”にルイズを乗せて、その“フネ”に着艦するだけである。

「まあ、“メイジ”が何人も“魔法”をかけてくれるって言ってたし……セイヴァーの補助もあります。無事に降ろせるんじゃないですかね」

 才人は後ろを振り向いて言った。

 俺はその言葉に首肯く。

 ルイズは未だ姿を現さない。

「色々と慌ただしくて、君たちに新兵器を説明する時間もなかったな」

「ですね」

 才人とシオンは“ゼロ戦”の翼下に、何本もの鉄パイプがぶら提がっているのを見付けた。

 2人は、(あの筒は、いったいなんなのだろう?)と思っている様子だが、しかし、今は詳しく説明を聴くだけの時間はない。

「でも安心したまえ、きちんとほれ、このように説明書を書いて置いた」

 コルベールは、才人に半皮紙のノートを手渡した。

 才人には読めないが、ルイズは当然読める。そのため、才人は(後で読んで貰おう)と思った。

「ありがとうございます」

 それからコルベールは言おうか言うまいか、迷ったかのような仕草を見せた後、口を開いた。

「ほんとは……」

「え?」

「ホントは、自分の生徒が使用する乗り物に、武器など付けたくはないのだ」

 苦しそうな言葉で在った。

「生徒?」

「ああ、なんて言うか、その、君たちは“貴族”ではないが、なんとなく、その生徒みたいな気がしてな。不愉快かね?」

「いえ、そんな、不愉快だなんて……」

 才人ははにかんだ。

「“炎”の力を人殺しの為に使いたくないのだ。私は」

 キッパリとコルベールは言い放った。

「どうしてですか? “炎”は1番戦に向く“系統”だって、皆言ってますよ。まあ、俺には“魔法”の事は良く理解んないですけど」

「才人、それ以上は」

 不思議そうに首を傾げる才人とシオン。

 そして、才人がコルベールへと質問をするが、俺はそれを制しよとするが、逆にコルベールが首を横に振って俺を止める。

「良いんだ。そうだな……“炎”は破壊の“系統”。“炎”の使い手の中にもそう思っている者も沢山いる……でも、私はそう想わんのだ。“炎”が司るモノが、破壊だけでは寂しいと考える」

 考える、と言われても、といった風に才人は困ってしまい頭を掻いた。

「当然だ。“炎”は破壊だけではない。他にも使い途は幾らでもある」

 俺は、コルベールの言葉に首肯く。

「そうだ、君のこの飛行機械は“フェニックス”などと最初“王軍”で呼ばれていたそうだな?」

「ええ、“タルブ”で戦艦をやっ付けた時に、なんでも誰かが“あれは伝説のフェニックスだ!” なんて言ったらしくて……」

「そうだ! その“フェニックス”だ!」

 コルベールが嬉しそうに叫んだ。

「先生?」

「“フェニックス”は伝説の生き物だが、こう伝えられている。“フェニックス”……“炎の鳳”は、確かに破壊も司るが……再生をも司るのだ」

「再生、ですか?」

「生まれ変わりという事だな」

 才人とシオンは、コルベールが何故これほどまでに喜んでいるのかわからなかった。

 それからコルベールは、1人の世界に入り込んでしまう。

「そうか……再生か……成る程……象徴してくれているのか? ……どうなのだ?」

 そこでコルベールは、才人とシオンが呆れてジッと見つめていることに気付き、「あ、ああ! すまん!」と頭を掻いた。

「いや、良いっすけど、いつもの事だし」

 コルベールは、突然に真顔になる。

「なあ、サイト君、セイヴァー君……実は、その……」

「なんすか?」

 才人が訊き返したその瞬間、ルイズが姿を見せ、才人が「おせーよ」と呟く。

「仕方ないじゃない! 女の子は準備が色々とあるのよ!」

「戦争に行くんだぞ。どんな女の子の準備があるっつーのよ? シオンは既に終わらせて来ているぞ」

 ルイズはツン! と顔を反らし、才人を無視して翼に攀じ登り、コックピットに入り込んだ。

 ルイズの実家から逃げ出すようにして戻って来てから1ヶ月が過ぎていた。それ以来、才人とルイズの2人はこういった感じなのである。

 操縦席後部の防弾板を外して、取り付けられたシートにルイズは座り込んだ。

「えっと、先生、今何か言いかけましたよね。なんすか?」

「い、いや……なんでもない、うん」

「そうか。では、ここに戻り、再会した時にでも聴くことにしよう」

 言葉を濁すコルベールに、俺は一瞥を送る。

 才人は“ゼロ戦”に乗り込んだ。

 この前と同様に、コルベールの“魔法”でプロペラを回し、“エンジン”を点火させる。

 2度目だということもあり、才人は落ち着いて操作できた。

 再び才人はコルベールに頼み、コルベールは烈風を吹かせる。

 才人はゴーグルを着け、マフラーを首に巻いた。

 唸りを上げるエンジン音の中、コルベールは叫んだ。

「サイト君! ミス・ヴァリエール!」

 才人は手を振って反応を返す。

「死ぬなよ! 死ぬな! みっともなくたって良い! 卑怯者と呼ばれても構わない! ただ死ぬな! 絶対に死ぬなよ! 絶対に帰って来いよ!」

 “エンジン”の音で声は聞こえないのだろう。だが、才人とルイズには、なんとなくコルベールの言葉は届いていた。実際に、耳に届き聞こえなくとも、確かに胸に届いたのだ。

 才人は「理解りました!」と怒鳴って、スロットルを開いた。

 “ゼロ戦”が滑走を始め、ブワッと浮き上がり、グングンと上昇をして行った。

 徐々に小さくなり、空の向こうに消えて行く。

 “ゼロ戦”が空の向こうに消えて見えなくなっても、コルベールはジッと、見送り続けた。

「さて、我々も行こうか。シオン」

「うん」

 俺は“王律鍵バヴ=イル”を“投影”し、“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げ、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を出す。

「君たちもだ、ミス・エルディ、セイヴァー君。絶対に、何があっても死ぬな」

「はい」

「元よりそのつもりだ。それどころか、あいつ等を守ってやる」

 コルベールの言葉に首肯き、シオンは先に“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の上に乗る。

「ああ、一応言って置くが、留守は任せたぞ、コルベール先生。念の為、“陣地作成”で工房化、神殿に近しい状態にはしているが、何があるかわかったモノではないのだからな」

「え? あ、ああ……」

 俺の言葉の意味が理解るはずもなく、コルベールは困惑した様子で首肯く。

 俺は、そんなコルベールを後にし、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の玉座へと座る。

 俺の意志に従い、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”は音もなく、スッと浮かび上がり、光速で“ゼロ戦”の後を追った。

 

 

 

 才人は、事前に聞いていた進路に向けて2時間程“ゼロ戦”を飛ばしていると、雲の切れ間に小さな点々が見えて来たことに気付く。

 その点々は次第に大きくなり、空を埋め尽くすような艦隊になった。

 才人は、いつかテレビで見ただろう気球のレースを想い出した。

 全長50“メイル”から、100“メイル”近い巨大な“フネ”が、足並み揃え何百隻も並んで航行している様は、壮大で美しい光景であった。

「すげえ……」

 と才人は感嘆の声を上げた。

「ほら見ろルイズ。大艦隊!」

「…………」

 しかしルイズは、頬を膨らませたまま逆を向いた。

 ルイズの機嫌は直っていないのである。この前の帰郷を終えてからずっと、このような感じであった。

 さて今回のルイズの不機嫌の理由を、才人はこんな風に分析をして見た。(“好き”、という言葉で忠誠を示した俺を、その言葉を忠誠と取るルイズに多少の不満はあっただろうけど、ルイズは一旦受け入れる姿勢を示したんだ。詰まり、順当に行けば俺たち2人は距離を接近させる筈だった。だけど、俺は“好きな所一箇所触って良い”っていうルイズの御褒美を、全部触って良い、と解釈してしまって、先ずルイズを怒らせてしまった。そしてその後のシエスタの“ボタンを外した”発言もあって、独占欲の強いご主人さまであるルイズは、更に怒ってしまったんだろうな)、と想った。

 ルイズにしてみれば、他の女の子に手を出すという行為は、二君に仕える行為に近いのだろう、などと才人は随分と遠回りに誤解をしているのである。

 正直、ルイズはただ嫉妬をしているだけなのである。他の娘に手を出している癖に、自分に「好き」と言って、キスして、あまつさえ奪おうとした才人がどうしても赦せないのであった。後、一瞬とはいえ、そんな(“使い魔”であるサイトに肌を許しても良いかもしれないわ)、などと想ってしまった自分が赦せないのであった。(結婚するまでは駄目なのに。結婚しても3ヶ月は駄目なのに。なに流されてんのわたしってば)、と自分に対しても腹を立てていたのである。

 才人はルイズが黙っているので、諦めた。

 さて、才人が(着艦する“フネ”はどれだろう?)と捜していると、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”で天を駆ける俺たちが追い付き、そこに“竜騎士”が1騎が飛んで来た。

 才人の“ゼロ戦”と“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”に並ぶと、手を振って来た。

 才人と俺もまた手を振り返す。

 どうやら彼が“フネ”まで案内をしてくれるらしい。

 その“竜騎士”の後ろから、失速ギリギリの速度で着いて行くと、“ヴュセンタール号”が見えて来た。多量の“竜”を発着させる為に、長大な平甲板を持たされた艦である。帆を張るマストは左右に突き出る形で計6本装備されており、上から見ると足を伸ばした昆虫のように見える。構造上、大砲は装備されていない。“竜騎士隊”を載む為だけに建造された母艦なのだから当然だろう。

 そして、“ゼロ戦”を載む為には最適、というよりもこの艦以外に載む事は不可能だろう。

 長い平甲板を持つ“ヴュセンタール号”ではあるが、それでも“ゼロ戦”が着陸をする為には甲板の距離が短い。

 才人が(どうやって着艦するんだ?)とその上を旋回していると、デルフリンガーが口を開いた。

「相棒。もっとこの飛行機を艦に近付けな。どうやら、あいつ等が捕まえてくれるみてえだぜ」

 甲板上では何人もの“メイジ”が待機している。

 そして、甲板にはロープが張られ始めた。甲板の左右に分れた兵隊たちが編み引きの様にロープの橋を握っているのが見える。

 どうやら“風系統”の“魔法”と甲板に張られたロープを使って、“ゼロ戦”を着艦させるつもりのようである。随分と荒っぽく、雑ではあるが、他の手段が想い付かなかったのだろう。

 才人は右手を動かし、着艦フックを出す為の操作を行った。

 艦上機の“ゼロ戦”には、ワイヤーに引っ掛けて空母に着艦する為のフックが付いているのだ。

 フックの存在に気付いたコルベールが、“ゼロ戦”着艦の際には甲板のロープを張るように“ヴュセンタール号”の乗組員に伝えて置いたのだろう。

 “ヴュセンタール号”と“ゼロ戦”が近付く。

 才人の操作に従い“ゼロ戦”は、着艦フックに続き、主脚と尾輪を出し、フラップを下げる。

 才人は慎重に後方からアプローチして、着艦コースに乗った。

 さて一方、ルイズはそんな光景に目もくれず、ジッと考え事をしている。もちろん、あの日の小舟の上での事である。(あの小舟の上でサイトに押し倒された時……もし家族や使用人たちが見ていなかったら、どうなっていたのかしら?)、とルイズは考えているのである。

「…………」

 ルイズの頬がこれ以上無いだろうほどに真っ赤に染まる。なに喰わぬ顔で飛行機を操縦している才人が急に憎らしくなり、ポカポカと殴り始めた。

「な、なにすんだよ!?」

「場所を選びなさいよ! 場所を! なんで舟の上なのよ!?」

 と、ルイズは怒鳴る。

「他に降りる場所がねえんだよ!」

 とまあ、とことん噛み合っていない2人であった。

 そんな2人の様子を見ながら、俺はシオンを抱き抱える。

「セイヴァー?」

「すまないが、跳び下りるぞ」

「え?」

 俺はシオンを御姫様抱っこして、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”から跳び下りる。

「――きゃあああああああああああああああああああああ!?」

 当然の事だが、シオンもこれ以上ないほどに顔を上気させ、盛大な悲鳴を上げる。

 背後――上空に浮遊している“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”は“宝具”を回収する“宝具”により、光の粒子――“エーテル”の粒となって、“バビロニアの宝物庫”へと戻った。

 

 

 

 “ヴュセンタール号”に着艦した才人とルイズは“ゼロ戦”を降り、俺とシオンが着地を完了するなり直ぐ、護衛の兵を伴った将校に出迎えられた。

「甲板士官のクリューズレイです」

「今からどこへ?」

 と、ルイズが尋ねるのだが、俺たちを案内する士官は名乗っただけでなにも答えない。

 アンリエッタからの指令書は、向かうべき艦名のみが記されており、後はなにも書かれていなかったのである。御偉いさん――御上からの命令と云うモノは大抵そういったモノが多い。“1を教えれば、部下は10を理解する”とでも思っている者が多いのもまた現実である。

 “貴族”相手の生活がいい加減長い才人は、そんな風に想像を巡らせた。

 アンリエッタの場合は、もう少し詳しく記載したかっただろうが、立場上故に仕方がないだろう。更には、俺たちが極秘の存在であるが為の処置でもあるのだから。

 狭い中甲板を通り、先ずは俺たち4人が利用する個室にそれぞれ案内された。酷く狭い部屋ではあるが。個室である。物凄く小さな寝台にテーブル、それ切りの部屋であった。

 俺たちはそれぞれ荷物を置くと、再び「着いて来るように」と士官に促される。

 狭い艦内をジグザグに行くと、とあるドアの前に出た。

 士官がノックすると、中から返事があった。

 士官はドアを開け、才人たちを中に入れた。

 その部屋で俺たちを出迎えたのは、ズラッと居並んだ将軍たちであった。肩には金ピカのモールが光っている。随分と上の立場にいる者たちである。

 唖然とするルイズと才人、そしてシオンの3人、従兵が席を勧める。

 ルイズが椅子に腰かけ、才人はその後ろに控える。

 シオンもまた椅子に座り、俺もまたその後ろで待機する。

 1番上座の齢40過ぎだろう将軍が、口を開く。

「“アルビオン” 侵攻軍総司令部へようこそ。ミス・“虚無(ゼロ)”。ミス・エルディ」

 ルイズとシオンは緊張をした。

「総司令官のド・ボワチェだ」

 アッサリと、総司令官である将軍は自分の身分を述べた。

「こちらが参謀総長のウィンプフェン」

 将軍の左に腰掛けた、皺の深い小男が首肯いた。

「“ゲルマニア”軍司令官のハルデンベルグ侯爵だ」

 角の付いた鉄兜を冠ったカイゼル髭の将軍が、俺たちへと向かって重々しく首肯く。

 どうやらこの“竜母艦”は旗艦であり、且つ総司令部であるようだ。

 それから総司令官は、会議室に集まった参謀や他将軍たちに、俺たちを紹介した。

「さて各々方。我々が陛下より預かった切り札、“虚無の担い手”を紹介しますぞ」

 しかし、そう言っても会議室の面々は盛り上がらない。当然、胡散臭そうに俺たちを見つめるばかりだ。

「“タルブ”の空で、“アルビオン”艦隊を吹き飛ばしたのは、彼女たちなのです」

 と、ド・ボワチェが言って初めて、将軍たちは関心を持った様子を見せる。

 才人はルイズを突いた。

「あによ?」

「……良いのか? バラしちまって?」

「じゃないと、軍に協力出できないじゃないの」

 才人は、そんなルイズの言葉に、(ま、それもそうだけど……あれほど姫さまは黙っていろとルイズに命じたのに、自分ではアッサリとバラしてしまうなんてな)、と想った。そして同時に、「ルイズを大事に想う」と言いながら、なんとなくそうは想い難いアンリエッタの処遇に対し、(それが女王と言うモノなんだろうか)、と想った。それからあの時――安宿で見たアンリエッタの震えを想い出し、(無理もねえか)、とも想った。

 とにかく、アンリエッタ本人も一杯一杯なのだから。

 ド・ボワチェはルイズとシオンにニッコリと微笑いかけた。もちろん、演技の混じった笑みである。

「いきなり司令部に通されて驚いただろう。いやすまん。しかし、この艦が旗艦という事は極秘なのでね。見ての通り、“竜騎士”を搭載する為に特化した艦でな、大砲も載んどらん。敵にバレて狙われては面倒な事になるからな」

「は、はぁ……しかし、どうしてそのような艦を総司令部になさったのですか?」

 ルイズが可愛らしい声で娑婆っ気たっぷりの質問をした為に、辺りが笑い声に包まれた。

「普通の艦では、このように広い会議室を設けることはできん。大砲を載まねばならんからな」

 質問をしたルイズ、才人、シオンの3人は(なるほど)と想った。

 大軍を指揮する旗艦に必要なのは、攻撃力より情報処理能力だといえるからだ。

「雑談はそのくらいにして、軍議を続けましょう」

 と“ゲルマニア”の将軍が言った。

 将軍たちの顔から笑みが消える。

 

 

 

 軍議はハッキリと言ってしまえば難航していた。

 “アルビオン”に60,000の兵を上陸させる為の障害は2つ。

 先ずは、未だ有力な敵空軍艦隊である。先立っての“タルブ”での戦いで“レキシントン号”を筆頭に、戦列艦数十隻を屠ったとはいえ、“アルビオン”空軍には未だ40隻ほど戦列艦が残っているのである。対して、“トリステイン”と“ゲルマニア”はそれぞれ計60の戦列艦を持つのだが、2国混合艦隊であるが為に、当然指揮上の混乱が予想される。練度に勝るといわれる“アルビオン”艦隊を相手にした場合、1.5倍の戦力差は帳消しになってしまうかもしれないのだ。

 第2に、上陸地点の選定である。“アルビオン大陸”に、60,000の大軍を降ろせる要地は2つ。首都“ロンディニウム”の南部に位置する“空軍基地ロサイス”か、北部の港“ダータルネス”。港湾設備の規模からいって、やはり“ロサイス”が望ましいのだが……そこを大艦隊で真っ直ぐ目指したのでは直ぐに発見され、敵に迎え撃つ時間を与えてしまうのだ。

「強襲で兵を消耗したら、“ロンディニウム”の城を落とす事は叶いません」

 参謀長は冷静に兵力を分析して一同に告げた。

 強襲とは敵の抵抗を受けつつも、攻撃を加える事である。

 連合軍に必要なのは、奇襲であった。敵の抵抗を受けずに、60,000の兵を“ロサイス”に上陸させたいのだ。その為には敵の大軍を欺き、上陸地点の“ロサイス”以外に吸引しなくてはならない。詰まり、60,000の“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍が……“ダータルネス”に上陸する、と、敵に想わせる為の欺瞞作戦がなんとしてでも必要なのである。これが第2の障害であった。

「どちらかに“虚無”殿たちの協力を仰げないか?」

 参謀記章を着けた“貴族”がルイズとシオンの方を見ながら言った。

「“タルブ”で“レキシントン”を吹き飛ばしたように、今回も“アルビオン”艦隊を吹き飛ばしてくれんかね?」

 才人はルイズを見つめた。

 ルイズも振り返り、首を振った。

「無理です……あれほど強力な“エクスプロージョン”を撃つには、よほど“精神力”が溜まっている状態でないと。あと何年、何ヶ月経かるかわかりません」

 参謀たちは首を振った。

「そんな不確かな兵器は切り札とは言わん」

 才人はその言葉に反応した。

「おい、ルイズは兵器じゃない」

「なんだと? “使い魔”風情が口を利くな」

「失礼だが、その“使い魔”風情に貴君は勝てるのかね? “伝説の系統”――“虚無”の“使い魔”である彼に」

「なんだと!?」

「こいつ等は兵器じゃない。同じ人に対して最低限の礼儀や気配りすらできない奴の言う事を利く必要はないな」

「貴様……!」

 他に会議に参加している“貴族”たちも俺へと敵意を向けて来る。当然の事だろう。だが、こちらにも感情はあるのだ。

 1人の参謀、そして才人と俺の言葉を契機に騒ぎになろうとした時……ド・ボワチェ将軍が遮った。

 売り言葉に買い言葉と俺も言葉を荒げそうになるも、ド・ボワチェ将軍の大人とでも言える対応のおかげか、どうにか抑えることができた。

「艦隊は我らが引き受けよう。“虚無”殿たちには陽動の方を引き受けて貰おう。できるか?」

「陽動とは?」

「先ほど議題に上がった通りの事だ。我々が“ロサイス”ではなく“ダータルネス”に上陸する、と敵に想い込ませさえすれば良い。伝説の“虚無”なら簡単な事ではないのか?」

 ルイズは、(そんな“呪文”があったかしら?)、と考え込んだ。

 そんなルイズに、才人が後ろから「……デルフが言ってた。必要な時が来たら、詠めるんだろ?」、とそっと呟いた。

 ルイズは首肯いた。

「明日までに、使用できる“呪文”を探しておきますわ」

 おお頼もしい、とド・ボワチェ将軍は微笑む。

 それで、俺たちは用がなくなったらしい。

 退室を促された。

 

 

 

 廊下に出たルイズは、「やな感じ」、と扉の閉じた会議室に向かって舌を出した。

 才人も「そうだな」と相槌を打った。

「あの人たち、わたし達をただの駒としてしか見てない気がするわ」

 才人はルイズの肩を叩いた。

「偉い将軍なんて、そんなもんなんだろ。戦争に勝つことしか頭にないんだからさ」

 だが、それは戦いの中では正しい――というよりも、より効率的かつ有効的な思考なのかもしれない。

「確かにそうかもしれないけど、でも全員がそうという訳じゃないよ?」

 才人の言葉を、シオンはやんわりと否定を入れ、フォローをした。

 才人は、(戦闘機を引っ提げて来て軍艦に乗り込んで来た以上、俺もそうならなくちゃならないのかもなあ。でも、そんなの嫌だなあ)、などと想った。

「でも、さっきはありがとう。セイヴァーも」

 ルイズは、少しばかり素直になり、才人と俺へと感謝の言葉を述べる。会議室内で、「兵器」呼ばわりされた時に、反論した事などに対するモノだろう。

 そうしていると、才人は後ろから肩を叩かれた。

 俺たちが振り返ると、目付きの鋭い“貴族”が5~6人、才人を睨んでいるのだ。

 男というより、未だ少年という歳に見える。才人といくらも変わらないだろう。

 一行は革の帽子を冠り、揃いの青い上着を纏っている。“杖”は軍人が好む、腰に提すレイピアタイプのモノであったが……かなり短めの拵えであった。

「おい、お前」

 お前と言われた事で、才人はカチンと来てしまう。

「なんだよ?」

 ルイズが、「やめなさいよぉ」、と小さく呟き、才人の服の袖を引っ張る。

 一行のリーダー格と思しき少年が、顎を杓った。

「来い」

 才人は、(なんだなんだ? いきなりやる気かおい?)、と思いながら、デルフリンガーを掴んで歩き出した。

 俺たちがやって来たのは、“ゼロ戦”が係留されている上甲板であった。

 “ゼロ戦”はロープで各部を縛られ、甲板に括り付けられている。

 才人は、(理由はわからんけど、ここでやるのか? 良いぞかかって来い。なんかムシャクシャしてたんだ)、と思いながらデルフリンガーを抜こうとする。

 のだが――。

「これは、生き物か?」

 と1人の少年“貴族”が“ゼロ戦”を指さして、恥ずかしそうに尋ねて来た。

「そうじゃないならなんなんだ? 説明しろ」

 もう1人の少年“貴族”が、真顔で説明を求めて来た。

 才人は気が抜けて、「いや、生き物ではないけど……」、と呟いた。

「ほら見ろ! 僕の言った通りじゃないか! 僕の勝ちだ! ほら1“エキュー”だぞ!」

 1番太った少年“貴族”が、喚き始める。

 皆して渋々といった様子でポケットから金貨を取り出して、その少年に手渡した。

 ルイズと才人、シオンが口を開けて見ていることに気付き、“貴族”の少年たちは気不そうな笑みを浮かべた。

「驚かせちゃったかな? ごめんね」

「はい?」

「いや、僕たちは賭けをしてたんだ。こいつがなんなのかってね」

 “ゼロ戦”を指さして、1人の少年“貴族”が呟く。

「僕は生き物だと想った。“竜王”の仲間だと想ったんだ」

「こんな“竜”がいるもんか!」

「いるかもしれないだろ! 世界は広いんだから!」

 そう言って言い合いを始める少年“貴族”たち。

 そんな姿を見ていると、才人は故郷の教室を想い出した。休み時間になると、こういった馬鹿話で時間を潰した事を……。

 俺もまた、才人同様に生前での学校生活の事を想い出す。そしてまた、同時に、“地球”――また別時間軸及び世界ではあるが、とある“地球”のとある時代には機械の身体を持つ“竜”がいたな、などと想い出す。

「これは飛行機械ですよ」

 才人の言葉に、「ほう」と言って少年“貴族”たちは興味深そうに才人の説明に聞き入った。

 しかし、いや、やはりどうしても“魔法”以外での動力で空を飛ぶ、という事が理解できない様子であった。

「そうだな。より簡単に、より小難しく説明するとすれば……この飛行機械は鉄でできており、中には“エンジン”と呼ばれる機械――“マジック・アイテム”があり、それは“火系統”の“魔法”で動いている。そして、そこの先端部にあるプロペラと呼ぶモノを“風系統”の“魔法”で回転させ、この飛行機械の後部から“エンジン”内部で“火系統”の“魔法”で発生させた炎を噴出させて移動。“風系統”の“魔法”である“レビテーション”や“フライ”などを応用したモノで浮遊、上下左右に移動出来る。そして、鉄で出来ており、中で“火系統”の“魔法”を使用し続けている為に熱くなるから、“水系統”の“魔法”を使用する為のモノも入っていて、それで冷却などをして、調節すると言った具合か」

 概念などがどうしても伝わらない、信じる事が難しいのであれば、彼らの常識などに照らし合わせ、合致する部分だけを言ってみせれば良いのだ。

 そんな俺の長ったらしい説明を、皆ポカーンとして聞いている。だが同時に、少年“貴族”たちは「なるほど」といった様子を見せる。

 だが同時に、彼らは疑問に想ったのだろう、1人が「それだけの機械を入れているなら、何故こんなに小さいんだ?」と訊いて来る。

「それは機密だ」

 

 

 

「僕たちは、“竜騎士”なんだ」

 “ゼロ戦”の説明が終わると、少年たちは中甲板の“竜舎”に俺たちを案内してくれる。

 “タルブ”でほとんど全滅に近い損害を受けた“竜騎士隊”は、“竜騎士”見習いの彼らを、そのまま繰り上げて正騎士として部隊に編入されたらしい。

「本来なら、あと1年は修行しなくちゃいけないんだけどね」

 そう言ってはにかんだ笑みを浮かべたのは、先ほど賭けに勝った肥えた少年であった。彼は、「自分は第二“竜騎士中隊”の隊長である」と言った。才人とルイズの“ゼロ戦”をこの艦まで案内したのも彼であった。

 “竜舎”の中にいたのは、“風竜”の成獣たちであった。タバサのシルフィードよりも、二回りも大きい見事な“ウィンドドラゴン”だ。翼が大きく、スピードも相当に出させそうな面構えをしている。

「“竜騎士”になるのは大変なんだぜ」

「そうなの?」

「ああ。“竜”を“使い魔”にすりゃ、そりゃ簡単だけどね。皆が皆、そう上手に行くって訳じゃない。“使い魔”として“契約”しない場合、“竜”は気難しい、1番乗り熟す事が難しい“幻獣”さ。なんせ、自分が認めた乗り手しかその背に乗せないんだから」

「“竜”は、乗り手の腕だけじゃなく、 “自分に相応しい格を備えた魔力を持っているか? 頭も良いか?” なんてそんなところまで見抜くんだ。油断のできない相手さ」

 “竜騎士”の少年たちはエリートであり、また相当なプライドの持ち主であるようだ。

「跨ってみるかい?」

 と才人と俺は言われて、当然俺たちは首肯いた。

 跨った才人は、呆気なく振り落とされてしまう。

 少年たちが腹を抱えて笑う。

 なお、負けん気の強い才人は、再び挑戦するのだが、結果は変わらず同じだ。(タバサみたいな小さい女の子だって涼しい顔でこの“ウインドドラゴン”に乗ってるのに……)、とタバサの事を想い出し、悔しくなったのだろう。何度も挑戦をする。

 そして、そんな才人の横で俺は1匹の“ウィンドドラゴン”の前に立つ。

「ふむ。すまないが、少しばかり背中に乗させて貰えないだろうか?」

 突然に、俺が“ウィンドドラゴン”に対して話しかけたものだから、その場にいる皆はこちらへと注目し、笑い出す。

 俺は気にすることもなく、その目を付けた“ウィンドドラゴン”の背中へと跳び乗る。

 すると、“ウィンドドラゴン”は振り落とすことなどは一切せずに、大人しくしている。

 “動物会話”、そして“騎乗”……“専科総般”で獲得した“スキル”である。それにより、俺はこの“ウインドドラゴン”と話をし、乗る事ができたのである。

 皆、呆然としている。そして、悔しそうにしている。

 当然だろう。本来であれば、苦労して、気を通わせ、認めさせ、そして漸く乗り熟す事ができるようになるのだから。

 

 

 

 遠くからシオンとルイズは、そんな光景を見つめていた。

 ルイズは、(男の子は良いわね)、と少しばかり羨ましい気持ちになった。そして、(あんな風に、すぐに仲良くなっちゃうんだから)とちょっと不貞腐れて眺めるルイズであった。というよりも、(“竜”よりご主人さまでしょう? こないだあんた、小舟の上でなにしたのよ? それなのに、ぎゃあぎゃあ“竜騎士”なんかと遊んでる場合なの? 明日は戦場の空を飛ばなくちゃならないのよ? もしかしたらわたし達死んじゃうかもしれないのよ? そしたら時間の使い方は決まて来るでしょう?)、と才人を睨みながら想うのであった。(わたし不安で恐いんだから、ギューって抱き締めなさいよ。口に出しては言いませんけども)、とかもまた想うのだ。

 そして……ルイズは、陽動作戦の為の“呪文”が想い付かず、溜息を吐いた。

「ルイズ」

「なに? シオン」

「そんなに強張ってちゃ駄目だよ。力み過ぎると逆に駄目になっちゃう。そんなんじゃ、良い案も想い浮かばないよ」

「でも……」

「大丈夫。肩の力を抜いて」

「ねえ、シオン」

「なに?」

「どうして貴女はそんなに落ち着いていられるの?」

「“どうして”? か……そうだね、理解んない。でも、きっと……」

 

 

 

「おい、君。君」

 ルイズがつまらなさそうに“竜舎”の端っ子で壁にもたれ、脚をブラブラさせ、シオンと会話をしながらこちらを見ている事に気付いた“竜騎士”の1人が、才人、そして俺へと話しかけて来る。

「彼女たちは君たちの主人だろう? あんな所に放ったらかしで良いのかね?」

 才人は、(う! しまった!)、と青くなった。(ルイズを放ったらかしにしてしまった。後でブチブチ文句を言われるに違いない。でも、新しく仲間になったこいつ等に、そんな情けないところは見せられねえよな)、と想った。

 男の子は不便な生き物で、新しい仲間には弱い所は見せられない時があるのだ。

 才人は強がってみせた。

「い、良いんだよあんな奴。放っとけば」

 おお~~~~~、と拍手が沸いた。

「またお前って奴は。ホントに良いのか?」

「い、良いんだよ……別に……」

 俺の言葉に、才人は視線を逸らして答える。

「気に入ったぞ。主人に対するその態度! 君はただ者じゃないようだ」

 才人のそんな態度に腹を立てたルイズが近寄って来る。

 シオンもまた、ルイズの後に続き、こちらへと向かって来る。

「なにか言った?」

 才人は「いや、なんにも……」と口籠ったその瞬間、ルイズに股間を蹴り上げられてしまう。「ほら部屋に戻るわよ」、とズルズル引っ張られそうになった時、隊長が俺たちを誘った。

「君たち、今夜の予定はあるかね?」

 何故かルイズは頬を染めた。

 才人が「いや、別に……」と答えて、ルイズに腹を蹴られて呻く。

「ならばお近付きの印に、今宵は酒盛りでも」

 慎重そうな1人が、その提案を窘めた。

「いやいや、甲板士官の見回りがある。夜中に部屋から抜け出したりしたら、直ぐにバレてどやされちまう」

 皆一斉に悩み始めた。甲板士官に怒られるのはごめん蒙りたいが、酒盛りはしたいのである。なにせ明日をも知れぬ身なのだから。

 ピン、と閃いた才人が指を立てて言った。

「カカシを作れば良いんだよ。藁束でもベッドに突っ込んどこう」

 そんなの直ぐにバレるよ! と“竜騎士”たちは笑った。

 しかし、ルイズだけが笑らない。何かに気付いたように、爪を噛んでいる。

「どうした?」

 才人がルイズに言葉をかけるのだが、逆に尋ね返された。

「……あんた。今、なんて言ったの?」

「え? いや……カカシでも作っとくか? ってさ」

「そうよ。カカシだわ。60,000の案山子を作ってやれば良いのよ」

「はぁ? 60,000? ここにいるメンバーの数だけで良いんだよ」

「そもそも、そんな数の藁束が用意できる訳ないだろう」

 真顔で問い返す“竜騎士”もいた。

「藁束? “魔法”で作るのよ!」

 そう言ってルイズは駆け出して行き、シオンが後に続く。

「なんだあいつ?」

 後に残された才人たちは、呆然とそんなルイズとシオンを見送った。

 またもや噛み合っていない2人であった。

『才人。あれだ、陽動作戦の事だ』

『――! そうか、その事か!』

 俺は“竜騎士”たちに聞かれることがないように、“思念通話”で才人へと伝える。

 才人もまた、表には出さないようにし、“思念通話”で反応を返した。

 

 

 

 ルイズは自分に与えられた個室に飛び込み、“始祖の祈祷書”を開いた。

 シオンもルイズに与えられた個室へと入る。

 ルイズは、一旦目を瞑り深く深呼吸をした後カッと目を開いた。そして、“始祖の祈祷書”に精神を集中させ、慎重にページを捲る。

 1枚のページが光り出して……ルイズは微笑み、それを目にしたシオンもまた微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まともな授業の時間が減った“魔法学院”に、騎馬隊の一団が現れたのは、コルベールが“ゼロ戦”と“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を見送った日の昼の事であった。

 門から入って来たのは、アニエス以下“銃士隊”の面々である。

 “学院”に居残った女子たち、や一部男子たちは、気丈した近衛隊の姿に驚いた。(いったい何事かしら?)、と首を傾げる。

 学院長のオスマンが、アニエス達を迎えにやって来た。

「アニエス以下“銃士隊”、ただいま到着致しました」

「御勤め、御苦労様なことじゃな」

 と髭を扱きながらオスマンが呟く。彼の内心は、微妙な心境であるといえるだろう。

 彼女たちは、残った女子生徒たちや病弱な男子生徒たちにも軍事教練を施しにやって来たのであった。

 その連絡があったのは昨晩のことである、

 どうやらアンリエッタの“王政府”は、“貴族”という“貴族”を戦に駆り出すつもりのようであった。女子生徒も予備士官として確保し、“アルビオン”での戦で士官が消耗すれば、逐一投入する構えのようである。

 オスマンは、“王政府”のそのようなやり方に疑問を持っていた。そのためオスマンは、“ラ・ロシェール”で行われた“王軍”見送りの式に出席しなかったのである。“学院”の女子生徒たちや士官候補にならなかった男子生徒たちにも、同様に出席を禁じたのだ。

 だがその結果、“王政府”を刺激する事になってしまった様子だ。

「戦とは言え、惨いもんじゃのう」

「此度の戦を、総力戦と、“王政府”は呼んでおります」

「なにが総力戦じゃ。もっともらしい呼び方をすれば良いというモノではない。女子供まで駆り出す戦に、正義があるものか」

 アニエスは冷たい目でオスマンを見つめた。

「では、“貴族”の紳士や兵隊のみが死ぬ戦いには、正義はあるのですか?」

 オスマンは言葉につまってしまう。

「死は平等です。女も子供も選びませぬ。それだけの事」

 それを熟知しているアニエスは、オスマンへとそう言うと、ツカツカと本塔へと向かった。

 

 

 

 さて、キュルケやモンモランシー達の教室では授業が行われていた。

 男性教師のほとんどが出征した為に、授業の数はめっきり減ったのだが……。

 キュルケは教壇に立つ男を見つめ、「でも、例外はいるのよね」と呟いた。

 教壇に立つ男は、コルベールであった。

 彼はいつも通りの授業を続けている。どことなく落ち着かない女子生徒たちの顔など、どこ吹く風といった具合である。

「えー、このようにだな。炎はですな、高温になればなるほど、色が薄くなります」

 と、コルベールは手にした炎で、鉄の棒を炙った。

 コルベールは熱した棒を折り曲げて、くの字にすると更に説明を加える。

「良いですかな、高温の炎ではないと加工できない金属は多数あります。従って高温の炎を制御する事は“火”を使って工作をする際の基本となります」

 モンモランシーが、スッと手を挙げた。

「ミス・モンモランシ。質問かね?」

 モンモランシーは立ち上がり、口を開く。

「今は国を挙げての戦の真っ最中です。こんな……暢気に授業をしてて良いんですか?」

「暢気もなにもここは学び舎で……君たちは生徒で、私は教師だ」

 コルベールは落ち着いた、抑揚の変わらぬ声で答えた。

「でも……クラスメイトが何人も……先生だって何人も、戦に向かってるんですよ?」

「だから、どうだと言うのだね? 戦争だからこそ、我々は学ばねばならぬ。学んで戦の愚かさを、“火”を破壊に使う愚を悟らねばならぬ。さあ勉強しよう。そして戦から帰って来た男子たちにそれを伝えてやろうではないか」

 コルベールはそう言って教室を見回した。

「戦が恐いんでしょ?」

 キュルケが、小馬鹿にした調子で言い放つ。

 コルベールは、「そうだ」、と首肯く。

「私は戦が恐い。臆病者だ」

 女子生徒から、呆れた溜息がいくつも漏れた。

「でも、その事に不満はない」

 キッパリとコルベールがそう言い切った時、ズカズカと、銃士の一団が教室に入って来た。アニエス達である。

 鎖帷子に腰に提した長剣に拳銃。そんな物々しい出で立ちの女たちが入って来た為に、女子生徒たちは軽くざわめいた。

「きき、君たちは、な、なんだね?」

 コルベールが尋ねると、アニエスはコルベールを無視して、生徒たちに命令した。

「女王陛下の“銃士隊”だ。陛下の名において諸君らに命令する。これより授業を中止して軍事教練を行う。正装して中庭に整列」

「なんだって? 授業を中止する? ふざけるな」

 コルベールがそう言うと、アニエスは首を竦めた。

「私だって子守りなどしたくはないが……これも命令でね」

 女子生徒たちは、ブツブツ言いながらも立ち上がり始めた。

 コルベールが慌ててアニエスを追いかけ、立ち塞がった。

「こらこら! 未だ授業は終わっておらんぞ!」

「陛下の命令だと言っているだろうが。聞こえんのか?」

 苦々しい口調で、アニエスが言った。

「陛下の命令だろうがなんだろうが、今は授業中だ。あと15分は、生徒を学ばせる為に陛下から与えられた私の時間だ。貴女に命令される謂れはありませんぞ。諸君! 教室に戻りなさい! あと15分、きっちり学びますぞ! 戦争ごっこはそれからでも十分だ!」

 アニエスは剣を引き抜き、コルベールの喉元に突き付けた。

「教練を戦争ごっこと言ったな。本職を愚弄するか? ミスタ、こちらが“メイジ”ではないと想って、あまり舐めた態度を取られるな」

「べ、別に舐めては……」

 喉に突き付けられた剣を見つめて、コルベールは冷や汗を流した。

「お前、“炎”使いだな? 焦げ臭い、嫌な臭いがマントから漂って来る。教えてやる、私は“メイジ”が嫌いだ。特に、“炎”を使う“メイジ”が嫌いだ」

「ひう……」

 コルベールの脚が震え出した。そして、そのまま後退り、壁際で尻餅を着いてしまう。

「良いか、私の任務の邪魔をするな」

 アニエスは震えるコルベールを、まるでゴミでも見るかのような目で見つめた後、剣を鞘に収めツカツカと歩き去った。

 女子生徒たちも軽蔑の色を浮かべ、コルベールの側を通り過ぎて行く。

 キュルケもまた例外ではないが、タバサは違った。

 タバサはコルベールへと一瞥を呉れ、それだけをして、またキュルケの後に続いた。

 独り切りになった後、コルベールは顔を両手で押さえ……深い溜息を吐いた。



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ダーダネルスの幻影

 朝直の八点鐘が戦列艦である“レドウタブール号”の艦内に鳴り響いた。

 2国と、1国の運命を決する朝であった。

 鐘楼に登ったマリコルヌは、大きな欠伸をした。そして、すぐに辺りを見回す。欠伸をした士官候補生を見付けた甲板士官が、どれだけ残酷な罰を与えてくるのかを、この2日間でマリコルヌは身体で覚えていたのである。

 マリコルヌは見張り当直であった。

 朝の八点鐘……ただ今の時刻は午前8時。マリコルヌ当直として働く時間はこれで終了である。次直の士官候補生に引き継ぎを行えば、ハンモックに入って8時間眠ることができる。

 早朝の鐘楼はいってしまえば地獄の寒さだ。

 マリコルヌは震えながら、鐘楼に登って来る候補生を待ち受けた。

 トップマストを攀じ登って来るのは“魔法学院”の先輩でもあるスティックスであった。

 マリコルヌは、彼が遠回しではあったが「ボーウッドを殺す」と言っていた事を思い出した。だが、今はそんな事よりも暖かい部屋で、御湯で割ったブランデーを呑んで身体を温めたい欲求に駆られていた。

 2人は顔を見合わせると、敬礼して微笑み合った。

「これから僕が極寒に耐えなきゃならんという訳だな。太っちょ」

「でも、なんとも羨ましいことに先輩には太陽が着いてますよ」

「覚えているかい? マリコルヌ君」

「なんですか?」

「僕が、あの“アルビオン”野郎を殺っ付けると言った事を」

「覚えてますよ」

「戦闘行動中が望ましい」

「でしょうね」

 マリコルヌは、スティックスの言葉に、複雑な心境を悟られることがないようにと気をつけながら答えた。

「いつになったら、戦闘は始まるのかな?」

 スティックスは、勇気のあるところを後輩に見せつけたいのだろうか、待ち侘びて堪らぬ、といった具合に呟いた。

 マリコルヌはなにげなく空を見つめ……息を呑んだ。

「どうしたね? マリコルヌ君」

「……待つ必要はないみたいですよ」

「え?」

 マリコルヌが指さす一点を見つめ、スティックスは顔色を変えた。

 

 

 

 

 

――“敵艦見ユ”。

 

 朝の8時を5分ほど過ぎた頃、俺たちが乗り込んでいる“ヴュセンタール号”の総司令部に敵艦隊発見の報告が届いた。

 ド・ボワチェ将軍が、「予想より早いな」、と呟いた。

 彼は“アルビオン”艦隊との接触を10時頃と見ていたのである。

 参謀の1人が、「生真面目な連中ですからな」、と相槌を打った。

「“虚無”殿たちは?」

「昨晩の内に、使用する“呪文”を決定しました。受けて、参謀本部で作戦を立案しました」

「どんな“呪文”だ?」

 手渡された作戦計画書を眺めながら、ド・ボワチェが呟く。

 参謀は将軍の耳に口を寄せ、ルイズが報告した“呪文”の内容を呟いた。

「面白い。上手く行けば吸引できるな。伝令」

 伝令兵が、駆け寄って来る。

「“虚無”たちを出撃させる。作戦目標は“ダータルネス”。仔細は任す。“第二竜騎士中隊”は全騎を以てこれを護衛。復唱」

「“虚無”出撃! 作戦目標“ダータルネス”! 仔細自由! “第二竜騎士中隊”はこれを護衛!」

「宜しい。駆け足」

 伝令はルイズを始め俺たちが待機する上甲板にすっ飛ぶ。

「これで我々は心置きなく“ロサイス”を目指せますな」

「そうだな」

 次にド・ボワチェは敵艦隊を迎え撃つべく、戦艦隊に命令を発した。

「戦列艦の艦長たちに伝えろ。体当たりしてでも、上陸部隊を満載した輸送船団に敵艦を近付けるな、とな」

 

 

 

 才人は上甲板の“ゼロ戦”の操縦席に座り、“エンジン”始動前の点検を行っていた。

 ルイズは、既に後部座席に座って目を閉じ、精神を集中させている。

 昨晩、ルイズは使用する“呪文”を見つけて、それを参謀本部へと提出していたのだ。

 参謀本部ではそれを受けて作戦が立案され、参謀本部たちによって計画書が作成された。その計画書の写しが、今才人の手元にある。

 本日、早速その作戦は実行されることになったのである。

 “ゼロ戦”に攀じ登った甲板士官が、羊皮紙に地図やら文字やらが書き込まれたそれを指さして、才人に説明を始めた。

「だから、俺はこっちの字が読めないんだよ!」

「この地図の! “ダータルネス”! ここだ! お前はとにかく“虚無(ゼロ)”殿をここまで運ぶんだ! 後は“虚無(ゼロ)”殿がなんとかしてくれるだろう!」

 と、その甲板士官は怒鳴った。

 才人は、(なーにが、“虚無(ゼロ)”殿だ。そんな変な呼び方があるもんか。気持ち悪い)、と想った。

 さてその羊皮紙であるが、ボンヤリとした“アルビオン大陸”の地図が載ってある。

 だが当然、航法など勉強したことなどない才人は、目印のない雲上をどちらへ向かい飛べば良いのかわかるはずもない。目視で地形を確かめることのできた、いつだか“ラ・ロシェール”を目指して飛んだ時とは訳が違うのである。

「“竜騎士”が先導する! 逸れるなよ!」

 甲板士官が才人の不安を見越したのだろう、説明をした。

 才人は、理解った理解った、と首肯いた。

 確かに“ウィンドドラゴン”の瞬間速度は元来のレシプロ機に匹敵するだろう。

 才人は実際に、ワルドに追いかけられた時にそれを確かに実感していた。

 そうこうして考えている時――。

 カンカンカンカン! と激しく鐘が打ち鳴らされる音が響いた。

 才人は、思わず空を見上げた。

 遠くの雲の隙間に、明らかに味方とは違う動きを取っている艦隊が、急速に降下して来てこちらへと向かって来るのが見えるのだ。

 この総旗艦“ヴュセンタール号”を含む輸送船団の左上方を航行していた60隻の戦列艦たちが、現れた敵艦隊と雌雄を決する為に進路を変え上昇して行くのが見える。

 もちろん才人とルイズ、シオンの3人は、その内の1隻にマリコルヌが乗り込んでいるなどとはまったく知る由もない。

 そこに伝令が飛んで来た。

「“虚無”出撃されたし! 目標“ダータルネス”! 仔細自由! “第二竜騎士中隊”は全騎を以てこれを護衛!」

 才人は“エンジン”を掛ける為に、控えている“メイジ”へと指示を送った。

 しかし、彼は勝手がわからないのだろう、もたついている。“エンジン”をかける為には、プロペラを回す必要があるのだが……どのような“魔法”をかければ上手くプロペラが回せるのかわからないでいる様子であった。これがコルベールであれば、以心伝心、とでもいったように直ぐに才人の意を汲んで行動してくれるのだろうが……。

「だから、その、これを回すんですよ」

「え? どれだ? わからん。もっと詳しく頼む」

 そんなやりとりをしている内に、敵艦隊から分派しただろう3隻ほどの“フネ”が、急速にこちらに向かって来るのが見える。

 誰かが、「焼き討ち船だ!」、と怒鳴った。

 見ると、その“フネ”共は真っ赤に燃えているのがわかる。それらは、敵艦隊のど真ん中に無人で突っ込み、仕込まれた火薬を爆発させるという特攻――神風地味たモノだ。

「その飛行機械の先端部にあるモノに“風系統”の“魔法”をかけろ!」

 俺がもたついている士官に怒鳴るのと同時に、才人たちがギョッとする間もなく、落下するような勢いで飛び込んで来た焼き討ち船の1隻が、“ヴュンセンタール号”の近くで爆発をした。

 その爆風で、“ヴュンセンタール号”が大きく傾いてしまう。

 あ!? と思う間もなく、ズルズルと“ゼロ戦”は滑り出し……ボロっと上甲板の端から宙に落っこちてしまった。

 才人とシオンは、当然絶叫を上げる。

 “エンジン”のかかっていない“ゼロ戦”は、機首を下にして真っ逆さまに地面に向けて落下する。

「墜ちる! 墜ちる! 墜ちる!」

 と才人が絶叫していると、デルフリンガーが口を開いた。

「相棒」

「なんだよ!?」

「良いこと教えてやろうか?」

「それどころじゃねえ! 嗚呼、こんな最期だなんて……呆気ねえ」

「ペラが回ってるぜ?」

 才人は、へ? と前を見る。

 なるほど落下する際の風圧によるモノだろう、確かにプロペラがグルグルと回っていた。

 才人は、“ゼロ戦”の脚を収納させて、“エンジン”点火ボタンを押してみた。

 プスプスと音がして、バロロロロロロロッ! とプロペラが本格的に回り始める。

 才人は操縦桿を引いて、機首を引き起こし、水平飛行に移る。

「いやぁ……結果オーライ」

 冷や汗でびっしょりになりながらも、才人はホッとした様子を見せる。

 才人の後ろの座席に座っているルイズは未だ精神集中の真っ最中である。普段は落ち着きのない風ではあるが、“虚無”を唱える前だけは、雑音がまったく届かなくなるほどに集中できる様子だ。詰まり、先ほどの落下にも気づいていない。

「相棒」

「なんだ?」

 寂しそうな声で、デルフリンガーが呟く。

「もっと褒めてくれても良いんだぜ?」

「おまえは偉い」

「もっと。もっとだ相棒。放ったらかしの分、もっと褒めねえと非道いからな」

「おー、偉い偉い」

 才人は、(なんで俺の周りのほとんどの連中は、皆我儘で寂しがり屋なんだろう)、と己を棚に上げて想った。

 

 

 

 立て直し飛行した“ゼロ戦”を横に、俺はシオンを御姫様抱っこし、“王律鍵バヴ=イル”を“投影”して“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げる。それから“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を出し、そこへと着地。そして、玉座の隣に急造の席を設置し、その席にシオンを座らせ、俺もまた座る。

「死ぬかと想った」

「そうか……それはすまない」

 ゼェゼェ、と息を乱しているシオンへと謝罪の言葉を口にする。

 “天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を“ゼロ戦”の横に移動させる。

 “第二竜騎士中隊”も周りを飛んでいる。その数、合計10騎であった。

 

 

 

 才人は、プロペラピッチとスロットルのトリムレバーを調節して、巡航速度を計器で110ノットくらいに絞る。

 速度の出せる“ウィンドドラゴン”は、難なく“ゼロ戦”と、かなりユックリとした速度を出す“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”の飛行に着いて来ている。いや、“ゼロ戦”と“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”は速度を緩めているのだから当然であろう。

 才人は昨日仲良くなった“第二竜騎士中隊”の連中に手を振る。

 向こうも手を振り返す。

 才人の後ろで精神を集中させているルイズは、“始祖の祈祷書”を両手に持ってページを開き、身動ぎ1つもしない。

 こうなれば才人の仕事は、この“虚無の担い手”であるルイズを目的地に運ぶだけである。

 2機と10騎の混成編隊は、“ダータルネス”を目指して飛行した。

 

 

 

 1騎の“竜騎士”が“竜”に尻尾を振らせながら前方に出た。どうやら彼が先導をするらしい。故郷に恋人を残して来たと言う、金髪の17歳。才人と同じ歳の“竜騎士”。

 直ぐ右隣を飛んでいる“竜騎士”は18歳。憧れの“竜騎士”になる事が出来て喜んでいた。彼は貧乏“貴族”の3男坊で、「この戦で手柄を立てて出世するんだ」と張り切っていた。

 左手を飛ぶ2人は、双子の16歳だ。

 皆昨日、呑み明かした連中である。“竜騎士隊”の面々は気の好い連中ばかりだといえるだろう。彼らは全員、当然“貴族”であるのだが、「空を飛ぶ以上、“貴族”も平民もない」と言って友人として才人や俺を扱ってくれたのである。それは、“空軍”の一員である事、そして何よりも彼ら自身の気の良さもあるだろう。

 そんな連中であるのだが、彼らの昨夜のその言動から、どうしても死亡フラグというモノが、俺の頭の中に浮かんでくる。

 上方から艦隊が大砲を撃っ放す音が何発分も聞こえて来る。

 “トリステイン”と“ゲルマニア”の連合艦隊、及び“アルビオン”艦隊の間で、砲撃戦が始まったのだ。敵味方合わせて、100隻は超える艦隊決戦だ。

 火薬の臭いがここまで漂って来るほどの圧倒的な炎の演舞に才人とシオンは魅せられそうになる。しかし……2人は首を横に振り気持ちを切り替えた。

 あの爆発の1つ1つの中で、何人、何十人もの人間が飛び散り命を散らしているのである。それを考えると、やはり背筋が寒くなってしまうのは仕方がないことだろう。

 2人は、(彼らの死を悼む前に、自分がそこにいなくて良かった)、などといった感情が巻き起こった事を自覚した。一瞬、そんな風に想ってしまった自分を恥じ、前を見つめた。

 ここにいる皆が、そうならぬとう保証はどこにもないのである。“サーヴァント”である俺がいたとしても、何かしらの油断や何らかの要因などで何が起こってしまうかわかったモノではないのだから。

 “竜騎士”を侍らせ、空の青と雲の白の境界線の上を、俺達は“アルビオン”目がけて飛んだ。

 

 

 

 

 

 三叉のような三列縦隊で突っ込んで来た“アルビオン”艦隊を、“トリステイン”と“ゲルマニア”の戦列艦隊は包み込むかのようにして横隊で受けるかたちになった。突破を図る“アルビオン”艦隊を、まさに身体を張って喰い止めているのであった。

 上手に行けば包囲殲滅出来る様に想えるのだが……距離が近過ぎる為に、両艦隊は至近距離で、全艦入り乱れての果てしのない殴り合いを開始する羽目になったのである。

 その内の1隻、“レドウタブール号”甲板上のマリコルヌは、ガタガタと震えてしまっていた。

 見ると側には、同じようにしてスティックスが蹲ってしまっている。

 歯の根が合わない。

 マリコルヌはどうにか立ち上がろうとするのだが、腰が抜けてしまっていることに気づいた。

 周りは、黒色火薬の爆発が生み出すモウモウと立ち籠める煙と、時たま雷鳴のように光る敵艦が放つ大砲の光以外、何も見えないといえるだろう。

 艦体が敵艦と打つかり、軋みを上げて、また離れる音がする。

 一瞬でマリコルヌが入り込むことになってしまった戦場は、彼にとって想像を絶する世界だった。彼には、今何が起こっているのかサッパリ理解できないのである。これでは混乱に乗じてボーウッドを討つどころではないだろう。

 そんな余裕は、マリコルヌにも、スティックスにもなかった。ただ、敵艦隊と自艦隊が入り乱れ、まるで剣士のように至近距離で切り合っているということだけは理解できた。

 モウモウと立ち籠める白煙の中に敵艦が見えた……かと想えば上下2層の中甲板から一斉射撃の命令が聞こえて来る。

 雷鳴のような発射音。

 敵艦にいくつもの大穴が空き、木片や人間が飛び散って行くのが見える。

 だが、それは敵も同様であり、擦れ違い様に味方艦や“レドウタブール号”に向けて大砲を撃ち込んで来る。

 周りの甲板がベキッと圧し折れ、破片が宙を飛ぶ。

 千切れたロープが舞う。

 溢れた油が甲板を流れる。

 誰かが「砂を撒け」と喚く。

 混乱と喧騒と煙と血と、火薬の臭い。

 鉄の砲弾が木板の艦を破壊する音。

 引切りなしに続く大砲の発射音……そして煙。見通すことさえ困難な煙。

 それが、マリコルヌが今認識できる戦であった。

 恐怖に耐え切れなくなったのだろうスティックスが、昇降口に駆け込もうとする。比較的安全だろう下甲板に逃げ出そうというのだろう。

 しかしそこには“杖”を構えた士官が立ち塞がり、持ち場から兵が逃げ出すことを防いでいる。

 スティックスは、すごすごと戻って来て、頭を抱える。

 そこに甲板士官がやって来て、喚く。

「コラァ! 何をしとる!? 立て! 立ち上がらんか! 勇気を見せろ! お前たちは“貴族”だろうが! 立って自分たちの仕事をしろ! 仕事がなければ“魔法”を唱えろ! 周りは全部敵だ! どこに撃っても敵に当たる!」

 マリコルヌはグッと唇を噛み締め、両手を甲板に突いて四つん這いになってどうにか立ち上がった。すると、思いっ切り尻を蹴飛ばされてしまう。(立ったじゃないか! た、立とうとしてるじゃないか!)、と想い、屈辱を感じる間もなく、どやされる。

「貴様! ブクブク見っともなく太った貴様に言ってるぞ! 戦え! 戦争をしない臆病者の士官候補生はいらん!」

 マリコルヌは、(臆病者の太っちょと、罵られるのが嫌で軍に志願したんじゃなかったか? このままじゃいつまで経っても臆病者じゃないか)、と頬を自分で叩いた。

「ほら! 子豚ァ! モタモタするな!」

 そう怒鳴った甲板士官が、シュン! と飛んで来た“魔法”の矢で串刺しにされてしまった。

 煙の向こうには敵艦が見える。敵の顔がわかるほどに近い距離である。あちらの甲板の上に、マリコルヌに似た太っちょの少年が“杖”を構えているのが見える。歳の頃も変わらないだろう。彼も震えて居いるのが見て取れる。青褪め、ガタガタと激しく震えているのがる。

 胸に“魔法”の矢を受けた甲板士官がビクンビクンと、マリコルヌの側で断末魔の痙攣を起こしている。

 マリコルヌは、鼻水混じりで絶叫をした。

 だが、マリコルヌ自身が叫んでいるのか、ただ単に口を開けているのか、響く爆発音に掻き消されて良くわからない。

 マリコルヌは“杖”を構えて、敵艦目掛けて闇雲に“呪文”を“詠唱”し始めた。

 

 

 

 

 

 雲の切れ間に“アルビオン大陸”が見えた頃、俺たちは敵軍の哨戒鴉に発見された。

 空を飛べる“使い魔”を利用した、密度の濃い哨戒網の網目の1個を形成しているだろうその鴉は、直ぐに“竜騎士”の駐屯所に待機している、自分の主人に侵入者の存在を報せる。

 多くの場合、“使い魔”の視界は精神を集中させた主人の視界となるのである。

 3つの基地から、俺たちを邀撃する為に“竜騎士”の群れが飛び上がる。

 俺たちに向かって来る危険は、加速度的に上昇して行った。

 

 

 

 先頭を行く“竜騎士”の“竜”が激しく尻尾を振った。

 騎乗した騎士が、前方を指す。

 数十匹もの“竜騎士”が俺たちを見付けて急降下して来るところであった。

 このままでは、真正面から打つかるかたちになってしまうだろう。

「くそ、どうすんだよ!?」

 と、“ゼロ戦”の操縦席で才人が喚く。

 思いっ切り被られているのだ。

 これでは攻撃を受けてしまうだろう。

 しかし、先頭を行く“竜騎士”たちは進路を変えない。攻撃を受けようが、何をされようが、真っ直ぐに突っ切る構えのようである。

「殺られちまうだろ!」

 才人は翼にある機関砲を操作するのだが……弾切れであることを想い出す。

「そうだ、もう弾はねえんだっけ……」

 機首の機銃には、未だ200発ほどの弾が残っている。がしかし、7.7ミリでは威力が弱いだろう。

 才人はコルベールの言葉を思い出した。

「ルイズ! 先生の新兵器だ! 説明書があるだろう!?」

 しかし、ルイズは夢中になって精神を集中させているため、才人の声が届かないでいる様子だ。

 才人はルイズの膝を掴んで、揺すった。

「おい! ルイズ! ルイズ! 集中してる場合じゃねえ! “虚無”を撃っ放なす前に俺たち殺られっちまうぞ!」

「え? な、なによ!? なになに!?」

「とにかく説明書を読んでくれ! 座席の下だ!」

 ルイズは慌てて座席の下を探った。

 そこにはコルベールが書いた、羊皮紙の説明書が置いてあった。

「あったわ!」

「読め!」

「え、えっと……“炎蛇の秘密”。“えー、親愛なるサイト君。これを読んでいるという事は、君は困っているんだろうね。そりゃいかん。是非とも読んで欲しい”」

「前書きはい―んだよッ!」

 前方から“アルビオン”の“竜騎士”がグングン距離を縮めて来る。

 敵も“ウィンドドラゴン”だろう、速い。

「“えー、先ずは心を良く落ち着けて、“エンジン”の開度を司る棒の隣に取り付けられた、レバーを引きたまえ”」

「これかぁ!」

 才人は、スロットルレバーの隣に付いている見慣れないレバーを見付けた。

「“思いっ切り引きたまえ”!」

 照準器一杯に、正面から突っ込んで来る敵“竜騎士”編隊が広がった瞬間、才人はレバーを引いた。

 照準器の下に隠された蓋がガバッと開き、中から蛇の人形が顔を出した。カパカパと口が開いて、言葉を吐き出した。

「サイトガンバレ!  サイトガンバレ!  ミスヴァリエールモガンバレ!」

「なんじゃこりゃあ!?」

 蛇の人形が、“魔法”で録音された声を再生し張り上げる。

 それで終わりのようだった。

 そこで、敵からの攻撃だ。

 “ウィンドドラゴン”である為に、ブレスは飛んで来ない。がしかし、“魔法”の矢である“マジックアロー”が飛んで来て、“ゼロ戦”の翼に打ち当たり、機体を揺らす。

 拳大の穴が翼に空いてしまう。

 しかし、そのくらいでは取り敢えず飛行には被害がないようだ。

 ルイズは、説明書を読み上げる。

「“レバーを引いたかね? えー、愉快なヘビ君が、君たちを勇気付けてくれる! 頑張れ! 辛くても頑張れ! 私はいつでも君たちを見守っている!”」

「あんの小っ禿!」

 才人は照準器の下からピョコピョコ顔を出し、いつか授業で見た“愉快なヘビ君”を見つめながら呪詛の言葉を吐き出した。

 自分が悪口を言われたと思ったのだろう、ルイズが怒鳴る。

「誰が小っ禿よ!? あんたが読めって言うから読んでるんじゃないのッ!」

 敵の“竜騎士隊”は再び上昇をした。

 正面からでは、高速で飛ぶ“竜騎士”同士はあっと言う間に擦れ違ってしまうのである。

 攻撃のチャンスが短いため、あちらは後方から追撃する構えの様子だ。

 そしてこちらは……一刻も早く目的地に到達して、“虚無”を撃っ放つのが任務の為に、真っ直ぐ飛ぶことしかできないのである。

 あの“竜騎士隊”と交戦していたら、直ぐに新手がやって来て全滅してしまうだろう。

 降下して来た敵の“竜騎士隊”が、背後に迫る。

「ルイズ! 他にねえのか!?」

 ルイズは説明書を捲った。

「えっと……“では次に追いかけられた時に使う、秘密兵器を紹介する”」

「それだそれ!」

「“愉快なヘビ君が突き出した舌を引っ張りたまえ。おっと注意! 周りに味方がいる場合は、なるべく近づいて貰いなさい”」

「なんで?」

「私が知る訳ないじゃないのよ!」

 才人は座席の下から黒板を出し、チョークを引っ張り出す。驚くことに、それらは元々“ゼロ戦”に装備されていたのである。当時のパイロットもまた、これで連絡を取り合ったのだろう。

 才人は、それをルイズに放った。

 ルイズはそれに、「チカヨレ」と文字を書くと、風防から突き出して振り回した。

 “竜騎士”たちは首肯いて“ゼロ戦”に近寄り、俺もまた“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を近づけさせる。

 一塊になった俺たちではあるが、ここでマトモに攻撃を喰らってしまえば、一撃で全滅だろう。

 才人は目を瞑って祈った。

「また“愉快なヘビ君”シリーズじゃねえだろうな……?」

 後ろを振り向き、グングンと近づいてくる敵の“竜騎士隊”を見つめて、才人は“愉快なヘビ君”の舌を引っ張った。

 だが、直ぐには何も起こらない。

 才人は、(ちっくしょう、今度コルベールに逢ったら殴る! 先生でも殴る! 生きて帰れりゃの話だけど、殴る!)、と拳をギュッと握り締めた。

 その時である。

 “ゼロ戦”の翼から、シュポッと何かが飛び出した。

 出発する時に見たあの鉄の筒から、円筒状の何か――フレアを始めとしたチャフの類が飛び出る。

 ルイズの説明が、それの点火音に重なる。

「“私は自分の才能が恐ろしい! 前方にディクトマジックを発信する魔法装置を取り付け、燃える火薬で推進する鉄の火矢だ! “空飛ぶヘビ君”と呼んでくれ! 魔法に反応して近寄るため、近くにメイジの味方がいる場合はなるべく近寄って欲しい! 同士撃ちを避けるため、発射位置から半径20メイルの対象には反応しない!”」

 ブバッ! 勢い良く、後ろ向きに飛び出した10本近い火矢が、追いかけて来ている敵“竜騎士”たち目がけて飛んだ。

 何本もの火薬で進む(ロケット推進の)巨大な火矢が、“アルビオン竜騎士”達に激突をする。

 いくつもの爆発音。

 煙が晴れると……追っ手は半減していた。

 残った“竜騎士”の“ウィンドドラゴン”は戦意を喪失したのだろう、追撃を中止した。

 才人とルイズは「やったあ!」と抱き合って叫ぶ。

 固まっていたこちら側の“竜騎士”たちが離れ、前方の視界が確保された。

 才人が視線を前に戻して――。

 才人の笑みが固まってしまった。

 続いて、ルイズの笑みも消える。

「なんてこった」

 ルイズはヒシッと才人に寄り添った。

 前方に見えたのは……200騎を超えようかという、“竜騎士”の群れであった。

 “アルビオン”の“竜騎士隊”は天下無双と誉れ高い。質だけではなく、その数もまた“無双”であるのだ。

 周りの“竜騎士”たちが速度を上昇させる。とにかく一気に突っ切る。そう判断した様子だ。

 しかし……数が数だ。

 敵の“竜騎士隊”が、無数といえる数の“マジックアロー”を発射し、こちらへと向かって来る。

 直撃を受けると、一溜りもないだろうことは明白だ。

 1匹の“竜”――1人の“竜騎士”が前に躍り出て、その“魔法”の矢を自身と騎乗する“竜”で受けようとする。盾になろうというのだろう。

「な、なんだよ!?」

 そんな“竜騎士”の行動に対し怒鳴る才人に、理解をしたデルフリンガーが口を開く。

「盾になろうってんだろ」

「盾?」

「ああ。相棒たちが“ダータルネス”に辿り着けば、作戦は成功。その為には汎ゆる犠牲を払うように命令されてんだろうさ」

「そんな事ってあるかよ!?」

「相棒はこの任務の内容を理解してねえんか? 当たり前の事じゃねえか」

 デルフリンガーは変わらぬ調子でそう呟く。

 だがそこで――。

「まあ、待て。貴様らが今ここで犠牲になる必要はない。今この時ではないのだ。“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”」

 俺はそう言って、前に躍り出た“竜騎士”の前方に“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”を“投影”する。

 “熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”。

 かつて、“地球”でのギリシャ、トロイア戦争で使用された盾だ。1枚1枚が城壁と同等、もしくはそれ以上の硬度を誇っている。そして、何より特筆するべきなのは、“投擲武器や使い手から離れた武器――射撃などに対して無敵”であるという“概念”を持つ“概念武装”であり、“宝具”だという事だ。

 7枚の花弁のように展開された“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”は敵が放った“マジックアロー”を、花弁1枚を減らすこともなく、完全に防ぎ切る。

 そんな摩訶不思議な現象や展開を前に、シオンを除くこの場にいる敵味方全員が驚きなどから動きを止める。

「さて、と……」

 俺は、引き絞れば引き絞るほどにその威力を増す特性を持つ、“天穹の弓(タウロポロス)”を“投影”する。

 そして――。

「“太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)の2大神に奉る――訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)”ッ!」

 “真名解放”して、天空へと2本の矢を放つ。

 “弓に矢を番え、放つという術理”その物が具現化した“宝具”であり、射程及び効果範囲に長けたこれにより、広域に展開して待ち受けている“アルビオン”の“竜騎士”たち、そして“ウィンドドラゴン”達に向けて、豪雨の如き矢が降り注ぐ。

 もちろん、致命傷は与えないように、撤退できるように気を配るのだが。

 その数……いや、8割以上を、幾つもの2色の矢が雨霰に降り注ぎ、“アルビオン”の“竜騎士”たちを撃ち堕としていく。

「おでれえた……いや、おい、娘っ子。俺が合図したら、座席の下のレバーを引きな。あのおっさんが取り付けた最後の新兵器だ」

 逸早く平常心を取り戻したデルフリンガーは、ルイズを促す。デルフリンガーは、引っ付いていれば兵器の事であれば、大抵の事は理解るのだ。

 ルイズは、震えながら首肯いた。

 どうにか無事に残っている“アルビオン”の“竜騎士”たちは、やはり上昇をして、勢い付けて追撃する構えを取る。

「後は我々に任せてくれ!」

 こちら側の“竜騎士”の1人、一番気さくに俺たちへと「“ゼロ戦”は“竜”か否か?」という賭けに勝った、太っちょの金髪の少年が怒鳴る。ここまで数が減れば、引きつけるだけであれば自分たちだけでも問題はない、と判断したのだろう。

 そして、彼らは“ゼロ戦”と“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”から離れ、“アルビオン”の“竜騎士”たちへと向けて一斉に反転し、金髪の彼を先頭にして突っ込んで行く。

 そう。俺たちが追っ手から離れる為の時間を稼ぐ為の行動だ。

「戻れ! 戻れよ!」

 その一連の行動の意味を理解してパニックに成った才人が叫ぶ。

「今だ!」

 デルフリンガーが叫ぶ。

 その声でルイズは、座席の下のレバーを引っ張った。

 ドスン! と後部で何かが外れる音がした。

 尾翼下の外板が剥がれて、そこに載まれていたモノが顔を出す。

 先ほどの火矢を、何倍にも膨らませた鉄の筒。

 “炎”の使い手であるコルベールが発明した、ロケット推進機関に火が入る。

 ゴォオオオオオッ! と青白い炎を噴出して、蹴り上げられたかのように“ゼロ戦”が加速を開始した。

 俺もまた才人とルイズが乗る“ゼロ戦”に続き、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を加速させる。

 味方の“竜騎士”たちは、数が減ったとはいえ未だ未だ多い敵の群れに呑まれ……直ぐに見えなくなる。

 才人が引き返そうとすような動きを見せ、ルイズは慌てる。

 デルフリンガーも気付き、大声を張り上げる。

「相棒! その操り棒を引くんじゃねえ! この速度で引き起こしたら、幾らセイヴァーが強化してくれたとはいえバラバラになっちまうぞ!」

 シートに背中が押し付けられそうな加速感の中、才人は絶叫した。

「昨日逢ったばかりだ! あいつら、昨日逢ったばかりの俺たちの為に死ぬんだぞ! そんなの可怪しいじゃねえか!」

「理解ってるわよ! でも、でも、私たちの任務は“ダータルネス”に“虚無”の“呪文”を炸裂させる事なのよ! 彼らは私たちを無事届ける為の護衛なのよ! ここで引き返して作戦が失敗したら……それこそ彼らは犬死じゃないの!」

 才人は目を拭った。そして前を見て、呟く。

「俺はな、あいつらの名前も知らねえんだぞ」

 名前も知らない奴に生かされて、名前も知らない奴の為に死ぬ。これが戦争なのである。

『お前ならどうにかできるだろ!? セイヴァー!』

「時既に遅し……それに、あいつら自身が決めた事だ」

 念話で、湧き出て当たり前の感情を訴えて来る才人に対して、俺はできる限り平静さを保ち答える。俺もまた才人ほどではないものの、理解はできても納得などできるはずもない。だが、今の才人の気持ちと同様に、彼らの気持ちや想いもまた無駄には、無意味にはしたくないのである。

「冗談じゃねえや。そんな事納得できるか! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」

 才人は叫ぶ。叫んでもどうにもならないとは知りつつも、理解していてもなお、納得できないが為にそれでもと叫んだ。

 俺の隣にいるシオンは叫びはしないが、大粒の涙を流し、尾を引かせている。ただ、キッと強く唇を噛み締めて。

 “ゼロ戦”は計器速度で450ノット近い速度を出しながら飛び続けた。

 機体がバラバラになってしまいそうな振動の中で、才人は別の理由で震え続けた。

 

 

 

 凍り付くかのような時間の中、眼下に港が見えた。

 切り開かれたただっ広い丘の上、空に浮かぶ“フネ”を係留する為の送電線のような鉄塔……何本もの桟橋が見えた。

『“ダータルネス” の港で、合っているよな? シオン』

『ええ。あれが目的地』

 念話で確認をする才人とシオン。

「上昇して」

 ルイズが才人の耳元で呟く。

 才人は“ゼロ戦”を上昇に移し、俺も“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を上昇させる。

 高度を上げるに連れ、徐々に“ゼロ戦”は減速する。

 風防を開けられる速度になった時、ルイズが立ち上がり、風防を開ける。

 風が“ゼロ戦”のコックピット内に舞い込む。

 才人の肩に跨り、ルイズは“呪文”の“詠唱”を開始した。片手に在る“始祖の祈祷書”が光る。

 

――“初歩の初歩”、“イリュージョン”。

 

――“描きたい光景を強く心に想い描く可し”。

 

――“何と成れば、詠唱者は、空をも創り出で在ろう”。

 

 ルイズが唱えているのは、幻影を作り出す“虚無”の“呪文”である。

 “ダータルネス”上空を“ゼロ戦”は緩やかに旋回し、俺は“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”をそれよりも上空で待機させる。

 じわっと、雲が掻き消えるかの様に、空に幻影が描かれ始める。

 それは巨大な戦列艦の群れ……。

 ここから何百キロ“メイル”も離れた場所にいるはずの、“トリステイン”侵攻艦隊の姿であった。

 “ダータルネス”上空にいきなり現れた幻影の大艦隊は、現実の迫力を伴って、見る者すべてを圧倒した。

 

 

 

 

 

「“ダータルネス”だと?」

 “ロサイス”に向かっていたホーキンス将軍が、“ダータルネス”方面からの急便の報せに驚いて呟く。

 彼は、“アルビオン”軍30,000を率いて、“ロサイス”方面に向かっている最中であった。“トリステイン”軍の上陸地点がそこであると予想された為だ。

 しかし敵が現れたのは、首都“ロンディニウム”の北方、“ダータルネス”。

「全軍反転!」

 全軍に伝わるまでには時間が経かる。

 ホーキンスは、(早いところ布陣したいものだ)、と想いながら空を見上げた。

 空はどこまでも青く澄み切っていた。

 ホーキンスは、「地上の混乱とは無縁の青だ」、と独り言ちる。

 そして、泥沼のような戦になる、とそんな予感を抱いた。



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炎の贖罪

 早朝、4時過ぎ。

 未だ陽は昇らず、空は暗い。

 “魔法学院”の上空に、1席の小さなフリゲート艦が現れた。

 メンヌヴィルが甲板に立って、真っ直ぐに宙を見つめていた。

 ワルドは足音を立てぬようにして、メンヌヴィルの背後に近づく。

 “風”の“スクウェア”の彼が気配を断てば、それは空気と近しくなる。

 ワルドは、(こんな困難な作戦を成功に導くことのできる男なのか?)、と疑問に想い、メンヌヴィルを試したくなったのだ。

 しかし、ワルドの憂いは杞憂だったようである。

 気配が届くだろう何倍もの距離から、メンヌヴィルはワルドに声をかけた。

「俺を試してなんとなる? 子爵」

 ワルドは驚いた。

 メンヌヴィルは振り向いてさえいないのである。

 それに振り向いたとしても、辺り一面は闇であり、夜目に慣れようとも視界の確保などは難しいはずである。近付く人影など見えようはずもない。

 それであるのにも関わらず……どのような手でも使ったものか、ワルドが近づいてくるのを遠くからメンヌヴィルは察知したのである。これは、流石に手練といわねばなるまい。

「さて、本当にここまで来れるなんてな」

 メンヌヴィルは振り向かずに呟く。

 ワルドは感嘆しながら、メンヌヴィルに近づいた。

「運が良かった。まあ、攻める側と言うモノは、自分が攻められることはあまり考えぬモノだからな」

 “メイジ”の“使い魔”やピケット船が行っているであろう哨戒ラインを避けては来たのだが……何者にも見つからず、ここまで飛んで来ることができたのは僥倖に近いだろう。

「感謝するよ。“アルビオン”に戻ったら、なにか奢らせてくれ。子爵」

「余計な事を考えずに、生き残る事を考えんだな」

 ワルドがそう言うと、メンヌヴィルはいきなり“杖”を引き抜き、彼の首筋に突き付けた。

「舐めた口を利くな小僧。ここで灰にしてやろうか?」

 ワルドは目の色を変えずに、メンヌヴィルを見つめた。

「冗談だよ子爵。そう睨むな」

 メンヌヴィルはニヤッと笑うと、ピョンと跳ねて甲板から空中に身を躍らせた。

 黒装束に身を包んだ隊員達が次々とメンヌヴィルに続いた。

 十数名の小隊は、あっと言う間に甲板から闇の中へと消えた。

 そこにって来たフーケが、苦々しい声で呟く。

「いけ好かない奴だね。あいつ、気味が悪いよ」

「まあ有能は有能らしい。期待しようじゃないか」

「あんた、とどっちが有能なの?」

 とフーケは悪戯っぽく笑って、ワルドに問うた。

「知るか」

 ワルドは素っ気なく答える。

 

 

 

 

 

 “銃士隊”の宿舎として割り当てられた“火の塔”の前に、“銃士隊”の隊員2人が見張りにマスケット銃を担いで立っていた。

 軍務で駐屯する以上は、歩哨を立てるのは当然の措置である。

 月明かりの下、何かが動く気配を2人は感じ取る。

 年長の隊員は無言でしゃがむと、銃口に火薬と鉛の弾を髪で包んだ弾薬包を当てた。そのまま押し込み、槊杖で火薬を突き固める。

 同輩のその動きで、もう1人の“銃士隊員”もマスケット銃に火薬と弾を込めた。

 暗闇に目を凝らす……影が動いた。

 誰何しようと口を開いたその瞬間、2人同時に喉を“風”の“魔法”で切り裂かれてしまった。

 ドスン、と倒れそうになった身体が支えられる。

 音を立たぬようにして、メンヌヴィル達は銃士の死体を地面に横たえたのである。

「こいつら、女ですぜ。しかもまだ若え。もったいねえ事しましたね」

 1人が下衆な笑みを浮かべて、メンヌヴィルに告げる。

「俺は昔の“貴族”のような、男女差別論者じゃない」

 メンヌヴィルはニヤッと、獣じみた笑みを浮かべる。

「平等に、死を与えてやる」

「“貴族”のガキ共を殺しちゃ駄目ですよ隊長。人質にするんですから」

「それ以外は殺しても良いんだろう?」

 とメンヌヴィルは“杖”を弄りながら、愉しそうな声で呟いた。

 隊員の1人が地図を取り出した。

 フーケに描いて貰った“学院”地図である。

 灯りが漏れぬよう布で覆うようにして、“魔法”の灯りをわずかに灯す。

 銃士の死体を見つめて、隊員の1人が呟く。

「銃を持った連中が駐屯しているようですな」

「我らは全員“メイジ”だぞ? 銃兵など1個連隊来ようが物の数ではないわ」

 地図を見ていた隊員が、メンヌヴィルに告げる。

「隊長、目標は3つです。本塔、そして寮塔、そして、こいつらが駐屯していると思しきこの塔です」

 メンヌヴィルは素早く命令を下した。

「寮塔は俺がやる。ジャン、ルードウィヒ、ジェルマン、着いて来い。ジョヴァンニ、4人連れて本塔をやれ。セレスタン、残りを連れてこの塔だ」

 侵入者である“メイジ”達は首肯いた。

 だが、即座に命令を下したメンヌヴィルではあるが、1つ疑問を抱いていた。

 侵入するまでは問題など何1つなかったのだが、侵入直後に“魔法”を使用した際の違和感。力が減衰しているかのようなそれを感じ、覚えたのだ。

 だが、それを決して口にすることはなかった。

 なにせ、それでも十分過ぎる力を発揮させることができ、そして自信もまたあったのだから。彼にとって気にするほどの事でもなかったのである。

 

 

 

 タバサは目を覚ました。

 妙な気配が、中庭から漂って来ているのだ。

 少しの間悩みはしたが、やはりキュルケを起こす事にし、部屋を出て、階下のキュルケの部屋へと向かう。

 タバサが扉を叩くと、素肌に薄手のネグリジェ1枚切りの、非れのない格好をしたキュルケが目を擦りながら起き出し、タバサを迎え入れた。

「なによ貴女……? こんな朝早くに……まだ太陽も昇ってないじゃないのよ」

「変」

 タバサは短く、ただそれだけ告げる。

 キュルケは軽く耳を澄ませるように目を瞑る。

 ウルルルルル、と窓に向かって“サラマンダー”のフレイムが唸っていることにようやく気づいた。

「みたいね」

 目を開いた時の眠そうな色はどこかにすっ飛んだ様子を見せるキュルケ。

 キュルケは手早く服を身に着け始める。

 キュルケが“杖”を胸に挟んだその瞬間、下の方から扉が破られる音が響いて来た。

 キュルケとタバサは顔を見合わせた。

 タバサが、「一旦引く」、と呟く。

「賛成」

 敵の数や獲物が判らぬ内は、一旦引いて態勢を立て直す。これは戦の基本である。

 キュルケとタバサは、窓から飛び降り、茂みに姿を隠し、辺りの様子を伺った。

 辺りは暗い。

 日の出は未だのようであった。

 

 

 

 アニエスもその頃……与えられた寝室で目を覚まし、枕元に置いた剣を取る。

 鞘から抜き放ち、扉の側で待ち受けた。

 ここは、宿舎として使っている“火の塔”の2階。普段は倉庫として使われている部屋に、簡易的ではあるがベッドを持ち込んだだけの寝室である。

 アニエスが連れて来た隊員は12名だ。彼女たちは全員、隣の部屋で寝起きしている。

 アニエスは部屋の真ん中に置かれた鏡に気づいた。“嘘吐きの鏡”という“マジックアイテム”だった事を思い出す。醜いモノは美しく、美しいモノは醜く映し出すという鏡で、アニエスはなんとなく嫌で覗いていなかった。

 

 

 セレスタンという傭兵“メイジ”が率いた4人は、“火の塔”の螺旋階段を登った2階に躍り出た。

 扉が2つ並んでいる。

 奥の方を2人の部下に任せ、彼は1人を連れて手前の扉を開けることにした。

 扉の前に立ち、一気に蹴破る。

 中には、美男子の“メイジ”が“杖”を構えていた。

 セレスタンは、慌てて、“詠唱”を完了させていた“魔法”を解放した。

「――がッ……!?」

 しかし、相手も同時に“魔法”を放ったようであり、セレスタンは心臓に“魔法”の槍を喰らい、彼は床に崩れ落ちた。

 

 

 扉の側に隠れたアニエスは、自分の作戦が上手く行ったことを知った。

 アニエスが扉の前に引き出して置いた“嘘吐きの鏡”に映った己の姿を敵と勘違いしたセレスタンは、鏡に反射した己の放った“魔法”に心臓を射抜かれたのである。

 アニエスは、鏡に反射する“魔法”を放ってくれたセレスタンに感謝した。

 慌てたもう1人が、部屋に飛び込んで来る。

 横からそいつの喉に、深々とアニエスは剣を突き立て、彼は斃れた。

 次に、隣の部屋にいた隊員たちが飛び込んで来た。

「アニエス様! 大丈夫ですか!?」

 と訊ねられ、アニエスは力強く首肯く。

「平気だ」

「我々の部屋にも、2人ばかり忍び込んで来ました。片付けましたけど……」

 アニエスの部屋に2人。隣に2人。計4人……。

 どうやらこの“火の塔”に忍び込んで来た賊は、上手いこと全員片づけることができたらしいが……。

「“アルビオン”の狗のようだな」

 アニエスは侵入者たちの成りを見て、呟く。

 “メイジ”ばかりで構成された分隊だろう。間違っても物盗りの類ではない事は明白である。“アルビオン”が雇った小部隊に違いない、と彼女たちは判断した。

 そこでアニエスは、外の状況が気になった。

 今、ここ“魔法学院”には、数人の男子生徒と男性教諭、女子生徒しかいないのである。そして大多数が女子生徒だ。

「2分やる。完全武装して、私に続け」

 アニエスは部下に命令をした。

 

 

 

 メンヌヴィル達は、難なく女子寮を制圧することに成功した。

 “貴族”の娘たちは、賊が侵入して来ただけで怯え、まったくの素振りを見せなかったのだ。一部、抵抗しようとした女子生徒もいはしたのだが、数や実力差を悟ったのだろう、すぐに無抵抗になった。

 メンヌヴィル達は、寝間着姿のままの女子生徒たちの“杖”を取り上げ、一箇所に閉じ込める為に食堂迄連れて行った。

 その数、おおよそ90人。

 途中で、本塔に向かった連中と合流をする。

 連れた捕虜の中には学院長のオスマンの姿を見つけ、メンヌヴィルは微笑んだ。

 食堂に捕虜たちを集めたメンヌヴィルは、後ろ手に全員を縛るように部下へと命じる。

 隊員の誰かが唱えた“魔法”のおかげで、ロープが独りでに動き彼女ら捕虜たちの手首に絡み付き、捕縛した。

 女ばかりの教師や、女子生徒たち、数人の男子生徒たちは、ただ震えることしかできないでいる。

 優しい声でメンヌヴィルは、一同に呟く。

「なぁに、無闇に立ち上がったり、騒いだり、我らが困るようなことをしければ、御命を奪うことはありません。ご安心召されい」

 恐怖と不安のあまり、誰かが泣き出してしまう。

「静かにしなさい」

 メンヌヴィルは出来る限り優しい声で告げる。

 泣き出した女子生徒の隣に、1人の男子生徒が女子生徒を宥めようとするのだが、それでも、その女子生徒は泣き止まない。

 メンヌヴィルは近づき、“杖”を彼女へと突き付けた。

「消し炭になりたいか?」

 その言葉が決して脅しではないということを理解したのだろう。女子生徒は、ヒックヒックと杓りを上げはするが、どうにか泣き止んだ。

 隣の男子生徒は、そんなメンヌヴィルを睨み付けはするが、抵抗という抵抗が出来無い為に大人しくしている。

 オスマンが口を開く。

「あー、君たち」

「なんだね?」

「女子供に乱暴するのは、止してくれんかね? 君たちは“アルビオン”の手の者で、人質が欲しいのだろう? 我々をなんらかの交渉のカードにするつもりなのじゃろう?」

「どうしてわかる?」

「長く生きておれば、そいつがどんな人間で、どこから来て、何を欲しがっているのかわかるようになるものじゃ。とにかく贅沢は良かん。この老いぼれだけで我慢しなさい」

「爺、自分の価値を理解ってんのか?」

 傭兵たちは大声で嘲笑った。

「爺1人の為に、国の大事を曲げるやつぁいねえだろ? 考えろ」

 オスマンは首を竦めると、“アルヴィーズの食堂”に集められた人間を見渡した。ここにいて欲しくない、“メイジ”の顔が見えないことに気づく。

 オスマンは、(ふむ。だとすれば、なんとかなるかも、じゃな)、と想った。

「爺、これで“学院の連中は全部”か?」

 オスマンは首肯いた。

「そうじゃ。“これで全部”じゃ」

 傭兵たちは、そこで“火の塔”に向かった連中が戻って来ないことに気づいた。それから、(手間取っているのだろうか? いや)、と首を横に振る。

 手間取るくらいであれば、いったん引いて増援を仰ぐだろう。そのくらいの判断はできる連中である。だからこそ、メンヌヴィルは分派させたのだ。

 食堂の外から、声が聞こえた。

「食堂に篭もった連中! 聴け! 我々は女王陛下の“銃士隊”だ!」

 メンヌヴィル達は顔を見合わせ、セレスタン達は殺られたことを理解する。かと言って、顔色1つ変えるような連中ではなかった。

 1人の傭兵がオスマンを睨みつける。

「おい、老いぼれ。“これで全部”じゃねえじゃねえか」

「“学院に所属しているのはこれで全員”じゃ。“銃士”は数には入れとらん」

 と、オスマンは涼しい顔をする。

 メンヌヴィルは笑みを浮かべると、食堂の外の連中と交渉する為に、入り口に近づいて行った。

 

 

 

 塔の外周を巡る階段の踊り場に、アニエス達は身を隠して様子を窺っていた。

 離れた中庭には、“学院”で働く平民たちが一塊になって様子を窺っている。

 寮塔や、“本塔”からは離れた宿舎で寝起きする彼ら彼女らは、事件に巻き込まれずに済んだのである。

 未だ朝日は昇らない。

 食堂の入り口に、ガッチリとした体躯の“メイジ”が姿を見せる。

 雲の隙間からの月明かりに照らされ、ボンヤリとだがその姿が浮かび上がる。

 その“メイジ”に向けて銃を構えた銃士をアニエスは制する。

「聴け! 賊共! 我らは陛下の“銃士隊”だ! 我らは1個中隊で貴様らを包囲している! 人質を解放しろ!」

 アニエスは、「1個中隊」、とハッタリを噛ます。だが実際は、10人ほどに過ぎない。

 ゲラゲラと食堂から嘲笑う声が聞こえて来る。

「銃兵如きが1個中隊いても痛くも痒くもないわ!」

「その銃兵に、貴様らの4人は屠れたのだぞ。大人しく投降すれば、命までは取らぬ」

「投降? 今から楽しい交渉の時間ではないか? さて、ここにアンリエッタを呼んで貰おうか」

「陛下を?」

「そうだ。取り敢えず、“アルビオン”から兵を退かせる事を約束して貰おう。我が依頼主は、土足で国土を汚される事が嫌いらしいのでな」

 通常、人質程度で軍が引き返すという事はない。しかし……流石に“貴族”の子弟が90人近くも人質として取られてしまえば、話は別だといえるだろう。本当に侵攻軍の撤退もありえるかもしれない。

 アニエスは、(私の責任だ。教練に来ただけではあったが、失態は失態だ。宮廷の連中は責任を追求してくるだろう)、と唇を噛んだ。

 アニエスの耳元で、銃士の1人が囁く。

「……“トリスタニア”に急便を飛ばして、増援を頼みましょう」

「……無駄だ。人質に取られている以上、どれだけ兵がいても無意味だ」

 そんな相談を見咎めてか、メンヌヴィルが叫んだ。

「おい、覚えておけ。新たに兵を呼んだら1人につき、1人殺す。ここに呼んで良いのは、枢機卿かアンリエッタだけだ。良いな?」

 アニエスは返答に詰まってしまった。

 すると、メンヌヴィルが怒鳴った。

「5分で決めろ。アンリエッタを呼ぶのか、呼ばぬのか。5分経っても返事がない場合、1分ごとに1人殺す」

 銃士の1人が、アニエスを突く。

「アニエス様……」

 アニエスは唇が痛くなるほどに噛み締めた。

 その瞬間……。

 後ろから声がかけられた。

「隊長殿」

 アニエスが振り返るとそこにコルベールが立っていて、呆然とした様子で“アルヴィーズの食堂”を眺めようとしていた。

 アニエスは、「首を出すな」、と言って、壁陰に、コルベールを引き込む。

「あんたは、捕まらなかったのか?」

「私の研究室は、本塔から離れておってな。いったい何事だ?」

 暢気なコルベールに、アニエスは腹を立てる。

「見て理解らぬか。お前の生徒たちが、“アルビオン”の手の者に捕まったのだ」

 コルベールはヒョイッと顔を出して、食堂の前に立っている“メイジ”の姿い気づき、顔面を蒼白にした。

「いい。退がっておれ」

 アニエスは煩そうに、コルベールを退がらせる。

「ねえ、銃士さん」

 次いで、アニエスは後ろからまた別の声をかけられる。

 そこには、キュルケとタバサの2人組が立って、ニッコリと微笑んでいた。

「お前たちは、生徒か? 良くもまあ、無事だったな」

「ねえ、あたし達に良い計画があるんだけど……」

「計画?」

「そうよ。早いとこ皆を救けて上げないとね」

「どうするんだ?」

 キュルケとタバサは、アニエスに自分たちの計画を説明した。

 聴き終わったアニエスは、ニヤッと笑った。

「面白そうだな」

「でしょ? これしかないと想うのよね」

 話を聴いていたコルベールが反対をした。

「危険過ぎる。相手は傭兵(プロ)。そんな小技が通用するとは想えん」

「やらないよりはマシでしょ。先生」

 軽蔑を隠さずに、キュルケが言い放つ。

 アニエスなどは、もうコルベールを見ていない。

「あいつらはあたし達の存在を知らないわ。奇襲の鍵はそこよ」

 キュルケは、タバサと自分を指さして、呟いた。

 だが、そんな中、タバサは静かにコルベールと食堂前の“メイジ”を見比べ、コルベールを少しの間だけ見つめた。

 

 

 

 椅子に座ったメンヌヴィルは、テーブルの上に置かれた懐中時計を見つめた。

 針がカチリ、と動いた。

「5分経ったぞ」

 その声で、生徒たちが震え上がる。

 メンヌヴィルは、先ほど「5分経ってアニエス達から“アンリエッタを呼ぶ”との言葉が無ければ、1人殺す」と言ったのだから。

 メンヌヴィルは、「恨むなよ」と言いながら、“杖”を掲げた。

「儂にしなさい」

 とオスマンが呟いたが、メンヌヴィルは首を横に振る。

「あんたは交渉の鍵として必要だ。おい、誰が良い? お前らで選べ」

 なんとも残酷な質問であった。

 唖然として、誰も答えられないでいる。

 だがそこで――。

「ぼ、僕にしろ」

 1人の男子生徒が口を開く。彼は、先ほど泣き出してしまった女子生徒を宥めようとした男子生徒だ。彼は体調を崩しやすく、“学院”で過ごす分には問題はないが、戦に参加することはできないが為に残っていたのである。

 当然彼の、声と身体は震えている。

「理解った。恨むなよ」

 とメンヌヴィルがそう言った瞬間……。

 食堂の中に小さな紙風船が飛んで来た。

 全員の視線がそこに集中したその瞬間……その紙風船は爆発を起こし、激しい音と光を放つ。

 中にはたっぷりと黄燐が仕込まれた、紙風船であった。

 それを“風”を使って食堂の中に飛ばしたのはタバサであり、着火させたのはキュルケの“発火”である。

 食堂内の生徒たちが悲鳴を上げる。

 まともにその光を見てしまった傭兵の“メイジ”達が顔を押さえる。

 そこに、キュルケとタバサ、アニエスを始めマスケット銃を構えた銃士が飛び込もうとした。

 作戦は成功するかに見えた。

 しかし……。

 キュルケ達目がけて、炎の弾が何発も飛んで来た。

 成功すると想って油断していたキュルケ達は、次々とその火の弾を喰らいそうになる。

 そこで、コルベールの言葉を聴いていたタバサは、即座に“風系統”の“魔法”で対応してみせた。

 そのおかげか、どうにか直撃を避けることはできた。

 だが、放たれた炎は激しく、銃士たちの抱えたマスケット銃の火薬が誘爆を起こしてしまう。

 指が吹き飛んでしまった手を押さえ、銃士たちは地面をのた打ち回る。

 キュルケは立ち上がろうとして、立てないことに気付く。直撃は免れたのだが、腹の前で炎の弾は爆発をして、至近距離で爆風に煽られたのだ。

 炎で包むより、逆に効果が発揮されてしまう。炎で灼くのには時間が経かるが……衝撃は一瞬だ。倒してから、ユックリと料理すれば良いのだから。

 キュルケの視界の中に、タバサが蹌踉めきながら立ち上がるのが見える。

 彼女は倒れたその瞬間に頭を打ってしまったらしく……脳震盪だろう、再び地面に転がってしまう。

 白煙の中からメンヌヴィルが姿を現した。

 キュルケは、“呪文”を唱え迎え討とうとするのだが、肝心の“杖”が見当たらない。そして、眼の前に落ちていることに気づく。拾おうと手を伸ばしたところ、その“杖”がガシッと踏まれてしまった。

 メンヌヴィルが立って、キュルケを見下ろしていた。

「惜しかったな……光の弾を爆発させて視力を奪うまでは良かったが……」

 そう言ってメンヌヴィルは微笑む。

 その瞬間、キュルケは気付いてしまった。メンヌヴィルの眼球がピクリとも動いていない事に。

「貴男、もしかして……目」

 メンヌヴィルは自身の目に指を伸ばした。そして、それ――義眼を取り出す。

「俺は瞼だけではなく目を灼かれていてな。光がわからんのだよ」

「ど、どうして……?」

 だが、メンヌヴィルの動きは、目が見える者のそれと同様だ。

「蛇は、温度で獲物を見つけるそうだ」

 ニヤッと、メンヌヴィルは笑った。

「俺は“炎”を使ううちに、随分と温度に敏感になってね。距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。温度で人の見分けさえ付くのさ」

 この男は、ピット器官を働かせる蛇と似た事ができるまでになっていたのである。

 キュルケは、(こんな人間がいるなんて……)と思い、ゾワッと髪の毛が逆立つほどの恐怖を覚えた。

「お前、恐いな? 恐がってるな?」

 メンヌヴィルは嘲笑った。

「感情が乱れると、温度も乱れる。憖見えるよりは温度の変化は色んな事を教えてくれる」

 思い切り香りを吸い込むようにして、メンヌヴィルは鼻孔を広げた。

「嗅ぎたい」

「え?」

「お前の灼ける香りが、嗅ぎたい」

 キュルケは震えた。生まれて初めて感じる、純粋な恐怖だった。その恐怖は、「やだ……」と、この炎の女王から、年相応の少女のような呟きを漏らさせるには十分過ぎた。

 メンヌヴィルは、堪らぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべる。

「今まで何を灼いて来た? “炎”の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」

 キュルケは、覚悟を決めて目を瞑る。

 メンヌヴィルの“杖”の先から、炎が巻き起こりキュルケを包もうとしたその瞬間……。

 沿いの炎が、ブワッと別の炎によって押し戻された。

 恐る恐る目を開いたキュルケが見たモノは……。

 “杖”を構えて、彼女の横に立つコルベールの姿であった。

「……ミスタ?」

 硬い表情のまま、コルベールは呟いた。

「私の教え子から、離れろ」

 何かに気付いたように、メンヌヴィルは顔を上げた。

「おお、お前は……お前は!? お前は! お前は!」

 歓喜に顔を歪め、メンヌヴィルはまるで別人のように喚いた。

「捜し求めた温度ではないか! お前は! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか!」

 コルベールの表情は変わらない。頑なにメンヌヴィルを睨んでいる。

「俺だ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長殿! おお! 久しぶりだ!」

 メンヌヴィルは両手を広げ、嬉しそうに叫んだ。

 コルベールは眉を顰めた。その顔が、暗い何かで覆われて行くのが見て取れる。

「貴様……」

「何年ぶりだ? なあ!? 隊長殿! 20年だ! そうだ!」

 生徒たちの間、そして銃士たちの間で、(隊長殿? どういう事だ?)、と動揺が奔る。

「なんだ? 隊長殿! 今は教師なのか! これ以上可怪しな事はないぞ! 貴様が教師とな!? いったい何を教えるのだ? “炎蛇”と呼ばれた貴様が……は、はは! はははははははははははははははははははははははッ!」

 心底可笑しい、とでもいったように、メンヌヴィルは嘲笑う。

「君たちに説明してやろう。この男はな、かつて“炎蛇”と呼ばれた“炎”の使い手だ。特殊な任務を行う隊の隊長を務めていてな……女だろうが、子供だろうが構わずに燃やし尽くした男だ」

 キュルケは、そして他の生徒たちもコルベールを見つめる。

「そして俺から両の目を……光を奪った男だ!」

 恐い何かを――殺気などを、コルベールは発散している。今まで、彼がここ“トリステイン魔法学院”では決して発することがなかっただろう、彼から感じたことのない類の空気である。

 味方を燃やし尽くす、と云われたツェルプストー生まれのキュルケでさえ、実際にはそのような戦に従事したことはない。所詮、“貴族”同士の遊びのような決闘が関の山であった。

 しかし、今のコルベールが発する空気はまったくの別物、違うのだ。

 触れば火傷をする。いや、それどころでは済まないだろう。

 燃え尽きて死す。

 そんな肉の灼けるような、死の香りだった。

 コルベールが無造作に突き出した“杖”の先端から、その華奢な身体に似合わぬ巨大な炎の蛇が躍り出る。蛇は“アルヴィーズの食堂”からコッソリと“呪文”を唱えようとした傭兵である1人の“メイジ”の“杖”に齧り付いた。

 その“杖”が一瞬で燃え尽きる。

 コルベールは笑みを浮かべた。

 “二つ名”の爬虫類を想わせる感情のない冷たい笑みだ。

 コルベールは呆然と見つめるキュルケに尋ねた。

「なあミス・ツェルプストー。“火系統”の特徴をこの私に開帳してくれないかね?」

 噛み締めたコルベールの唇の端から血が流れているのが、キュルケには見えた。炎のように赤い血が、コルベールの顎を彩って行く。

「……情熱と破壊が、“火”の本領ですわ」

「情熱はともかく“火”が司るモノが破壊だけでは寂しい。そう想う。20年前、そう想って来た」

 コルベールは、普段と変わらない抑揚で呟いた。

「だが、君の言う通りだ」

 

 

 

 再び月が雲に隠れた。

 辺りは刷毛で塗ったかのような闇に包まれる。

 常人にとっては闇の中の戦いは辛いものだ。相手が見えないからである。

 しかし盲目の“炎”遣いにとっては、闇などは何らハンデにもなりはしない。

 “杖”を握り、“呪文”を“詠唱”しながらメンヌヴィルは、(20年前、自分の“炎”は負けた。未熟だったからだ。しかし今は違う。自分の“炎”は何倍にも強力になった。光を失ったが、引き換えに強力な“炎”を手に入れた。身体の中から膨れ上がる熱量が、神経を幾倍にも研ぎ澄ませてくれる)、と想った。

 わずかな温度の隙間を、メンヌヴィルは空気の流れの微妙な変化で感知する。ヒトの体温、空気の流れ、それら全てが色の着いた影となり、メンヌヴィルの心の視界に映し出された。

 

 

 

 コルベールはキュルケに命じた。

「友人を抱えて、塔の陰に逃げなさい」

 キュルケは首肯くと、タバサを抱えて疾走り出した。

 その背に向かって、食堂に潜む傭兵の“メイジ”が氷の矢を何本も飛ばした。

 コルベールの“杖”の先から細い炎が飛び出し、その矢に絡み付く。

 氷の矢は当然溶け落ちた。

 そのコルベールの“炎”を感知して、メンヌヴィルの“炎”が飛んだ。

 “炎球”。

 ホーミングする炎の球が、コルベールを包み込もうとしたその刹那……。

 その“炎球”が、コルベールの発した炎で一気に燃え上がり、手前で燃え尽きる。

「ふふ、やるな」

 次々にメンヌヴィルはコルベールに向けて炎を発射した。

 一気にコルベールは防戦一方に追いつめられてしまいそうになる。

 だがどうした事か、コルベールは見事に右に左へと回避し、メンヌヴィルへと“炎”を飛ばす。

 コルベールは回避と攻撃を繰り返しながら、不思議な感覚を覚えていた。一連の行動を続けながら、(身体が軽い。それに力が湧き出て来る……これは?)、と疑問を覚える。

「どうした!? どうした隊長殿!? 逃げ回るばかりではないか!」

 メンヌヴィルは次々炎球をコルベールへと撃ち込む。

 だが、当たらない。

 メンヌヴィルもまた、不思議な感覚を覚えていた。(確かに自分の“炎”は20年前のそれより遥かに強力になった、なったはずだ……それなのに、どうして、その力を発揮することができない?)、と焦りと疑問を覚える。が、それを表に出すことはない。

「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は身体だ! 貴様の燃え尽きる臭いが嗅ぎたくて堪らんのだ! この俺は! うわは! うは! ははははははははははははは!」

 だがそんな疑問を少しも出さず、狂気を帯びた笑みを浮かべ、メンヌヴィルは散々に炎を飛ばす。

 コルベールは、“魔法”の発射炎目がけて炎を放つ。

 しかし、手応えはない。

 “魔法”を飛ばすと直ぐに、狡猾なメンヌヴィルは移動をして闇に消え、コルベールに反撃のチャンスを与えないように行動しているのである。

 見えない相手に攻撃を当てることは難しい。

 コルベールは眉を顰めた。

「そこだ! 隊長!」

 それであるのにも関わらず、闇を見通すメンヌヴィルにはコルベールの姿は丸見え同然であるのだ。

 コルベールは向かって来る炎球などを難なく回避することはできるが、攻撃を当てることはできていない。茂みに隠れ、次いで塔の影に隠れた。

 しかし、温度を正確にホーミングするメンヌヴィルの“魔法”から逃れることができない。

 コルベールは回避と攻撃をし続ける内に、広場の真ん中へと誘き出される格好になってしまう。

 辺りには身を隠せそうな場所はない。

「最高の舞台を用意してやったよ。隊長殿。もう逃げられない。身を隠せる場所もない、観念するんだな」

 コルベールは大きく息を吸い込んだ。

 そして、闇の中のメンヌヴィルに向かって口を開いた。

「なあメンヌヴィル君。お願いがある」

「なんだ? 苦しまずに灼いて欲しいのか? なに、あんたは昔馴染みだ。お望み通りの場所から灼いてやるよ」

 落ち着き払った声で、コルベールは言った。

「降参して欲しい。私はもう、“魔法”で人を殺さぬと決めたのだ」

「おいおい、呆けたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様は俺が見えぬ。しかし俺には貴様が丸見えだ。貴様のどこに勝ち目があってんだ?」

「それでも曲げてお願い申し上げる。この通りだ」

 コルベールは膝を突いて頭を下げた。

 軽蔑し切ったメンヌヴィルの声が響いた。

「俺は……俺は貴様のような腑抜けを20年以上も追って来たのか……貴様のような、能無しを……赦せぬ……自分が赦せぬ。ジワジワと炙り灼いてやる。生まれて来た事を後悔するくらいの時間を経けて、指先からローストしてやる」

 メンヌヴィルが“呪文”を“詠唱”し始める。

「これほどお願いしても駄目かね?」

 コルベールは続けた。

「しつこい奴だな」

 哀しそうに首を横に振り、コルベールは上空へ向けて“杖”を振った。

 小さな火球の球が打ち上がる。

「なんだ? 照明の積りか? 生憎とその程度の炎では、辺りを照らし出す事など適わぬわ」

 メンヌヴィルの言う通りであった。

 小さな炎の球は、わずかに周囲を照らすばかりである。太陽の代わりなど務められる訳もない。

 メンヌヴィルの“詠唱”が完成しようとしたその瞬間……。

 空に浮かんだ小さな炎の球が爆発をした。

 その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がって行く。

 “火”、“火”、“土”。“火”2つに“土”が1つ。

 “錬金”により、空気中の水蒸気を気化した燃料油に変え、空気と撹拌する。

 そこに点火して、巨大な火球を作り上げる……。

 巨大な火球は辺りの酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させるのだ。“爆炎”と呼ばれる残虐無比の攻撃“魔法”。

 “呪文”を“詠唱”する為に口を開いていたメンヌヴィルは、一気に肺の中から酸素を奪い取られ、窒息した。

 敵が闇の中にいるのであれば……闇毎葬り去れば良い。

 しかし、この“呪文”は近くの者を見境なく殺してしまう。

 その為コルベールは、誰もいない広場の真ん中に移動するまで使用しなかったのであった。

 口を押さえながら身を伏せていたコルベールは身体を起こし、斃れたメンヌヴィルに近寄った。

「蛇になり切れなかったな。副長」

 苦悶の表情を浮かべて事切れたメンヌヴィルを冷ややかに見下ろして、コルベールは呟いた。

 

 

 

 隊長が斃れされた事を知ったメンヌヴィルの部下たちは動揺した。

 キュルケとタバサ、そして負傷を免れた銃士たちはその瞬間を逃すことなく、再び突入、そして捕縛、救助を開始する。

 床に伏せた生徒たちの悲鳴が響き渡る中、1人、また1人と食堂に立て籠もった傭兵の“メイジ”達は斃れされて行った。

 アニエスは1人の“メイジ”に剣を突き立てる。

「くっ!」

 しかし、剣が抜けない。

 1人の“メイジ”が、そんなアニエスの背に向けて“呪文”を完成させ“魔法”を飛ばした……何本もの“マジックアロー”。

 キュルケも、タバサも他の銃士たちも、オスマンも、咄嗟に反応することができない。

 そこに、黒い影が飛び込んで来た。

 アニエスの前に立ち塞がり、身体で“魔法”の矢を受けて、“呪文”を唱える。“杖”の先から飛び出た炎の蛇が、“マジックアロー”を飛ばした“メイジ”の“杖”を焼き尽くす。

 アニエスは呆然とコルベールを見つめた。

 コルベールの目が見開かれる。その口から出て来たのは、アニエスを案じる声と言葉であった。

「……大丈夫かね?」

 アニエスは思わず首肯いた。

 瞬間、コルベールはゴボッと血を吐いて地面に倒れ込んでしまう。

 生徒たちが慌てて駆け寄り、コルベールに“治癒”の“呪文”を唱え始める。

 しかし……深手である。

 そんな中……。

 我に返ったアニエスが、コルベールに剣を突き付けた。

 生徒たちは目を丸くして、アニエスを見つめた。

「ちょっと!? なにしてるのよ!?」

 そんなアニエスに対して、キュルケが怒鳴る。

 コルベールは弱々しい顔で、アニエスを見上げた。

「貴様が……“魔法研究(アカデミー)実験小隊”の隊長か? “王軍資料庫”の名簿を破ったのも、貴様だな?」

 コルベールは首肯いた。

「教えてやろう。私は“ダングルテール”の生き残りだ」

「……そうか」

「なぜ我が故郷を滅ぼした? 答えろ」

「止めて! 怪我してるのよ! 重症なのよ! 喋らせないで!」

 必死になって“水”の“魔法”を唱えていたモンモランシーが喚く。

「答えろ!」

 コルベールは俯いて答えた。

「……命令だった」

「命令?」

「……“疫病が発生した”と告げられた。“灼かねば被害が広がる”と、そのように告げられた。仕方なく焼いた」

「馬鹿な……それは嘘だ」

「……ああ。後になって私も知った。要は“新教徒狩り”だったのだ。私は毎日罪の意識に苛まれた。あいつの……メンヌヴィルの言った通りの事を、私はしたのだ。女も、子供も、見境なく灼いた。赦される事ではない。忘れた事は、ただの一時とてなかった。私はそれで軍を辞めた。2度と“炎”を……破壊の為には使うまいと誓った」

「……それで貴様が手にかけた人が帰って来ると想うか?」

 コルベールは首を横に振った。

 それから……ユックリと目を閉じた。

 必死になってモンモランシーを始め生徒たち、残っていた教師たちも“治癒”を始め“水”の“呪文”を唱え続けていたのだが……その内に“精神力”が切れてしまったのだろう、バタッと、次々と気絶して地面に倒れてしまう。深手を癒やす“治癒”の“呪文”は、専用の“秘薬”が必要なのだが……今、この場にはない。

 その為、“精神力”を酷使して“秘薬”の分をカバーしていたのだが……それでもやはり、限界がある。

 倒れた“水”の使い手たちに囲まれるようにして横たわるコルベール目がけて、アニエスは剣を振り上げた。

 しかし、コルベールを庇うようにして、キュルケが覆い被さる。いつもの他人を小馬鹿にしたような笑みは既に消えている。どこまでも真剣な顔で、キュルケは言った。

「お願い、止めて」

「退け! 私はこの日の為に生きて来たのだ! 20年だ! 20年もこの日を待っていたんだ!」

「お願いよ。お願い」

「退け!」

 アニエスとキュルケは睨み合った。

 緊張で、空気が張り裂けそうになる瞬間……。

 キュルケが、ハッ!? とした顔になり、コルベールの手首を握った。

「退けと言っている!」

 冷たい声で、キュルケが懇願した。

「お願い、剣を収めて」

「ふざけるな!」

 キュルケは首を横に振って、呟いた。

「死んだわ」

 その言葉で、アニエスの手首から力が抜けた。

 呆然として、アニエスは膝を突いた。その身体が小刻みに震え出す。

「……恨むな、とは言わないわ。でも、せめて祈って上げて。確かにコルベール先生は貴女の仇かもしれないけど……今は恩人でしょう? 彼は身体を張って貴女を救ってくれたのよ?」

 苦しそうな声でキュルケが言った。

 アニエスは再び力なく立ち上がり、二言三言、言葉にならない何かを呟く。そして剣を振り下ろす。

 その場にいたほぼ全員が目を瞑る中、キュルケとオスマン、タバサだけが目を閉じずに見守っていた。

 剣は、コルベールの横に地面に、深々と突き刺さっていた。

 踵を返し、アニエスはユックリと歩き出した。

 

 

 

 アニエスの姿が見えなくなった後……キュルケはコルベールの身体を運ぼうとして、その指に光るルビーの指輪を見つけた。

 見え盛る炎のような、真紅のルビーだ。

 そのルビーを見つめていると……キュルケの目から涙が溢れた。

 彼はキュルケ達を守ってくれたのである。

 あれほど小馬鹿にしていた彼女を、「私の生徒に手を出すな」と言って守ったのだ。

 素直な気持ちで、キュルケはしばらく泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “レドウタブール号”の艦上では、マリコルヌとスティックスが背中合わせに、呆然と座り込んでいた。

 艦の辺りには出撃時の3分の2に減ってしまった戦列艦がヨロヨロと、這うようにして“アルビオン”艦隊を目指していた。

 “トリステイン”艦隊は、戦闘に勝利したのである。突っ込んで来た“アルビオン”艦隊を何とか退けたのである。

 “アルビオン”艦隊はその数を半分以下に減らし、這々の体で逃げ出したのだ。

 大勝利であった。

 がしかし……マリコルヌは、(これは勝利なのか?)、と想った。

 辺りは彼らが生きているのが不思議なくらいの惨状を呈している。さながら地獄絵図であった。甲板は焼け焦げ、あちらこちらに大穴が空いているのだ。左舷の艦砲は半減し、右舷はそっくり砲甲板ごと砲列が失くなっているのだ。

 一斉射を5度も受け、“レドウタブール号”の右舷は壊滅したのであった。

 600名からの乗組員の内、200名以上が死傷した。

 しかし、それでも“レドウタブール号”は空に浮かんでいるのだ。

 マリコルヌも生きていた。

 “魔法”と銃弾と砲弾が飛び交う中、生き残れたのは……幸運という他ないだろう。

 マリコルヌは敵艦と擦れ違う度に喚きながら闇雲に“魔法”を放った。そうしないと恐怖で潰されてしまいそうであったからだ。効果があったかどうかなど、わかるはずもないが――。

「先輩」

 死にそうな、半死半生な声で、マリコルヌは口を開いた。

「なんだね?」

 やはり疲れ切った声で、スティックスが応じた。

「生きてる事が、不思議に想えませんか?」

「まったく同意するよ。君」

 甲板の上を、ボーウッドと艦長が歩いて来た。2人は戦況について話し合っていた。

 2人を先導していた士官が甲板に座り込んでいる士官候補生であるマリコルヌとスティックスを見つけ、大声で怒鳴った。

「こら! お前たち! なにを座り込んでいる!? 立て! 立たんか!」

 慌ててマリコルヌとスティックスは立ち上がった。

「内火艇を用意しろ。今から艦長と教導士官が旗艦に向かう」

 マリコルヌとスティックスは顔を見合わせた。死にそうな戦いが終わったばかりである。内火艇を用意する元気など、どこをどう絞っても出やしない。

「モタモタするな! 艦長を待たせる気か!?」

 その時……ボーウッドがにっこりと笑って、士官を諌めた。

「あー、先任、彼らは初陣で参ってしまったのだろう。今日くらいは休ませてやりなさい」

「は! でも、しかし……」

「君にも初めて硝煙の香りを嗅いだ日があっただろう? 僕にもあった」

 そのように“アルビオン”人の士官に言われ、先任士官は首肯いた。

「良し、貴様らは、夜直まで休んで良し」

 ホッとしたように、マリコルヌとスティックスは敬礼をした。

 立ち去るお偉いさんの一行を見つめ、マリコルヌが呟いた。

「“アルビオン”人に救われましたね」

「そうだな」

 と、力なく呟き、スティックスは再び甲板にへたり込んだ。

 

 

 

 

 

 “ヴュセンタール号”の作戦会議室で、ド・ボワチェ将軍は報告を受け取った。

 “ロサイス”に偵察に向かっていた、“第一竜騎士中隊”の一騎士からのモノであった。

 ニッコリと、満足気な笑みをド・ボワチェ将軍は浮かべた。

 参謀総長のウィンプフェンが、上官の顔を見つめ、「朗報のようですな」、と呟いた。

「“ロサイス”吹きは蛻の殻との報告だ。“虚無”は上手い事“ダータルネス”に敵軍を吸引したらしい」

「これで第1の関門は通過できましたかな」

 ド・ボワチェは首肯いて、命令を発した。

「これから艦隊は全速を以て“ロサイス”に向かう。上陸の打ち合わせをせにゃならん。格指揮官を集めろ」

 将軍の命令を受けて、伝令が擦っ飛んで行く。

 ド・ボワチェは首肯いた。

「さて、俺が元帥になれるかどうか、今後の1週間に賭かっているな」

 上陸は成功しても、苦しい戦いになるであろう事は簡単に想像できる。

 “アルビオン”には手付かずの50,000が眠っているのであるのだから。

 

 

 

 

 

 “ダータルネス”上空に幻影を浮かべた後、たった2機になってしまい、俺たちは“トリステイン”艦隊との合流地点へと向かい飛行していた。

 計画書の通りであれば、いや、実際に成功している為に、“アルビオン大陸”と空の境界で艦隊と合できる。

 操縦席に座った才人は、ずっと黙りっ放しであった。

 ルイズが何かを話しかけても、答えない。

 飛行中、才人は一度だけ口を開いた。

「あいつら……」

「うん」

 だが、それ切り才人は何も言わなかった。

 ルイズはコルベールの説明書の中に、一通の手紙を見つけた。説明書に夢中になっていた為に、気づかなかったのである。

「手紙だわ」

 才人が反応する。

「手紙?」

「うん。コルベール先生の。読む?」

 才人は首肯いた。

 ルイズは、手紙を広げると、朗読し始めた。

「“サイト君。私の発明は役に立ったかね? そうなら嬉しい。私は君を、君たちを……いや、君たちだけでなく、学院の生徒諸君を、いや先生たちも、大事に想っているから役に立つことが嬉しい。純粋に嬉しい。さて、どうして今日は君たちにこんな手紙を書いたのかと言うとだな、実は頼みがあるのだ。いや、変な事じゃない。お金の事でもないから安心して欲しい。何故頼み事をするのかと言うとだな、私には夢があるのだ。それは、魔法でしかできない事を、誰でも使えるような技術に還元する事だ。君たちも見ただろう? 愉快なヘビ君を。なに、あれは確かに玩具に過ぎんが……いつしか誰も使えるような立派な技術を開発する事。それが私の夢なのだ”」

 ルイズは、一泊置いて続きを朗読する。

「“言うか言うまいか悩むがやはり話そう。私はかつて、罪を犯した。大き過ぎる罪だ。大き過ぎて、どうしようもないほどの罪だ。その罪を償おうと想って研究に打ち込んで来たが……最近、想うようになった事がある。それはだな、罪を贖う事はできないという事だ。どれほど、人の灼くに立とうと考えてそれを実行しても……私の罪は決して赦される事はない。決してない。だから君たち、1つ約束して欲しい。良いか、これから君たちは困難な事態に多々直面するだろう。戦争に行くんだ、人の死に沢山触れねばならんだろう。だが……慣れるな。人の死に慣れるな。それを当たり前だと想うな。想った瞬間、何かが壊れる。私は、君たちに私のようになって欲しくはない。だから重ねてお願い申し上げる。戦に慣れるな。殺し合いに慣れるな。死に慣れるな”」

 雲が途切れ……ロサイスを目指す“トリステイン”と“ゲルマニア”連合艦隊が姿を見せた。

 随分と数を減らしている。

 が……それでも輸送船団がほとんど無傷であるという事から、戦闘に勝利した事がわかるだろう。

 それでも勝ったとはいえ、活き残った“フネ”もボロボロである。船体には幾つもの大穴がある。マストが折れ、片舷の大砲がそっくり失くなっている戦列艦もある。

 ルイズは手紙の朗読を続ける。

「“さて、最後になったが頼み事だ。君たちはいつか、私に言ったな? 別の世界からやって来たと。その世界では、君たちが今乗っているような飛行機械が空を飛び、ハルケギニアとは比べものにならんほど技術が発達している。そうだな? あのだな、私はそれを見たいのだ。見て、是非とも研究に役立てたいのだ。だから、君たちが東に行く際……私も連れて行って欲しい。なに、冗談ではない。本気だ。だから死ぬなよ。絶対に生きて帰って来い。じゃないと、私が東へ行けなくなるからな。なあ君たち。その世界では、本当に誰もが君たちの言う、くるま、を操り道を行くのか? 遠く離れても意思が通じる小箱の存在は真か? 本当に月へ人が降り立った事があるのか? 魔法を使わずに、それらの事をやってのけるとは、なんて素晴らしい事だろう。私は、そんな世界が見たい”。……これで終わり。変わった人ね。あんたの世界に行きたいんだってさ」

 才人は鼻を啜りながら、ルイズに礼を言った。

「ありがとう」

 ルイズは才人の首を優しく抱き締めた。そして呟く。

「馬鹿ね、なんで泣くの?」

「……泣いてねえよ」

「……今日はいっぱい色んな事があって、疲れたもんね、艦に着いたらゆっくり休みましょう」

 ルイズは目を瞑り、才人の首にキスをした。

 “ヴュセンタール号”が見えて、才人は着艦する為に機首を向けた。

 どこまでも明るい陽の光が、煤に塗れた艦隊を美しく染め上げた。

 

 

 

 着艦しようとしている“ゼロ戦”を見下ろしながら複雑且つ決意に満ちた表情を浮かべるシオン。

「ここから、だね……ここから」

「ああ、そうだ。君は、決めた。後は、突き進み続けるだけだ」

「うん……」

「だが、休息もまた必要だ。そして、お前は独りではない」

「うん……」

 “ヴュセンタール号”へと“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を並航させ、シオンと俺は甲板に降り立ち、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を“バビロニアの宝物庫”へと戻す。

 “天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”、金色の粒子となり、陽の光に照らされ空の彼方へと消えて行った。



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2人の温度差

 空に浮かぶ太陽や月すらをも照らし返すだろう程に輝く金色の長髪を棚引かせる少女が天幕の中で、藁束を纏めて布を置いただけの簡易ベッドの上に座って居る。

 彼女は、隣で立ちっ放しで在る俺を見詰めて来る。

「ルイズとサイト君、大丈夫かな?」

「大丈夫。今はまた、あれだが、直ぐに」

「其れも、“千里眼”とかの御蔭成の?」

「そうさな……俺が持つ“スキル”の殆どは、“宝具”の恩恵に依るモノだが……まあ、そうだと言って置こうか」

 俺は、竪琴(キヌュラ)を“投影”し、“戦果総般”で“治癒の竪琴”を獲得し、演奏を開始する。

 

 

 

 

 

 桃色掛かったブロンドの少女が、マントを素肌に巻き付けただけの何と最早悩ましい格好でベッドの上に横たわって居る。

 其の秘密を知る“王軍”の一部の幕僚の間で、“虚無(ゼロ)のルイズ”などと呼ばれる様に成ったルイズ・フランソワーズで在る。

 今は年末、“ウィン(12)”の月の第2週で在り、“ハルケギニア”の気候では、未だ秋の此の季節……天幕の中は然程寒く無いと云えるだろう。冬は年が明けねば遣って来無い。だからこそそんな悩ましい格好をして居られるので在るのだが。

 藁束を纏めて布を置いただけの簡易ベッドの上、ルイズは小指を咥えて詰まら無さそうに眉を顰める。

 そんな仕草が、愛らしいと想わせる。陶磁で造られた人形で在るかの様な頬に、不満の桃色を浮かべさせ、ルイズは起き上がって膝を抱えた。其の仕草もまた愛らしいと云えるだろう。気持ちが直ぐ顔に出るルイズは、自分の中で揺らぐ不安を隠し切る事が出来無いで居るので在る。其の不安が、ルイズの少女としての部分を幾分脱皮させ、色気と云う名の香水を軽く纏わせて居るのだろう。

 ルイズは、自身が纏うマントの下に在る細く長く伸びた足を手持ち無沙汰に撫でる。指が爪先に向かい、また膝迄引き返して行く。

 ルイズは知らず知らずの内に、そんな色気の有る仕草を見せようとして居るので在った。

 終いには羽織って居るマントを軽くズラして、伸びた素足を、細いが艶やかな太腿を衒そうとする。無意識に、だ。マントの下は素肌。情動に色付く少女の肌が其の儘で在る。詰まりは、何も着て居無いので在る。何故かと云うと、普段からルイズは寝る時はネグリジェしか身に着け無いのだ。ネグリジェを持って来る事を忘れたが為に、今はマントで代用して居るのだ。下着を着けると、窮屈で眠る事が出来無いルイズ成ので在った。

 そんな格好でルイズは、小指を噛んだりして居るので在る。

 否もう、早此の瞬間、許せ無い程に、悩ましく可愛らしいルイズの姿で在るのだが……勿体無い事に、天幕の中のもう1人はそんなルイズに気付か無いで居る様子で在った。

 

 

 

 ルイズが身体に巻き付けて居るマントの背中には“トリステイン王家”の“百合紋章”が描かれて居る。そう。“学院”で着て居る其れとは違うのだ。敵味方識別の為の其の紋章は、此処が戦地で在る事を示して居る。

 女王陛下直属の女官で在るルイズとシオンには専用の天幕が其々与えられたのだ。

 軍港で在る“ロサイス”には、宿舎に成る様な建物は少ないのだ。其の為、至る所には天幕が張られて居るのだ。

 そんな中、ルイズとシオンは将官に等しい扱いを受けて居る。ルイズの“伝説の系統魔法――虚無(ゼロ)”、そして其れを護衛為る才人やシオンは所謂切り札で在る為、当然の処置とも云えるだろう。

 ランプの灯りに照らされた内部には、藁束の上に布を敷いただけのベッド、折畳式のテーブル、身の回りのモノを入れるチェストに、従兵を呼ぶ為のぶら下がった鈴が在る。天幕の調度品は戦地にしては其れ成りに豪華で在った。

 そんな天幕の隅っこで、才人は真っ直ぐに前を見てボンヤリと落ち込んで居るので在った。

「ねえ、サイト」

 ルイズが言葉を掛けるのだが、返事は無い。

 ルイズは身を起こすと、もう1度声を掛けた。

「ほら寝るわよ。此方来て」

 ルイズは頬を染めて、そう告げるのだが、やはり返事は無い。

「もう10時過ぎてるし。明日は早く起きて前線の視察に行くんだから、ちゃんと寝てよね」

 其れでも才人は応え無い。異世界――“地球”から来たルイズの“使い魔”で在る彼は、胡座を描いてボンヤリと沈んで居るのだ。1週間前からこうで在る。

 ルイズは才人をこんな風に落ち込ませる事に成った作戦を想い出し、小さな胸を痛めた。

 此の“アルビオン”の港町“ロサイス”を“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍が占領したのは、つい1週間前の事だ。北方の港町“ダータルネス”に“アルビオン”軍主力を吸引した御蔭で、此の“ロサイス”には僅か500程度の守備隊しか存在し無かったのだ。60,000の上陸軍は、難無く守備隊を打ち破り、“ロサイス”に陣を構える事が出来たと云う訳だ。

 其の吸引作戦を行う際に、ルイズの“虚無”が活躍をした――使用されたので在る。“虚無”の“呪文”の1つ――初歩の初歩“イリュージョン”。巨大な幻影を造り出す事が可能な“呪文”で在る。

 ルイズが唱えた“イリュージョン”に依り、“ダータルネス”に上陸せんとす連合軍の幻影を造り出し、“ロサイス”に向かって居た敵軍を見事引き返させたので在る。

 然し……ルイズ達が、“ダータルネス”に辿り着き其れを実現させる事が出来たのは、犠牲が必要だった。

 “アルビオン”侵攻軍総旗艦“ヴュセンタール号”に搭載されて居た第二“竜騎士”中隊。彼等が敵を引き付けて呉れたが御蔭で、ルイズと才人の乗った“ゼロ戦”、そして俺とシオンが乗った“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”は敵軍“竜騎士”部隊の追撃を逃れたので在った。

 作戦の成功と引き換えに……第二“竜騎士”中隊は全滅をした。

“竜騎士”は貴重で在るのだが、敵前上陸で発生するで在ろう損害と比較すると小さな犠牲で在る事は判る。指揮官は賞賛されて良いだろうし、喜ぶ可き事態ですら在るだろう。

 唯、其の作戦に参加して、其の全滅を目の当たりにした者達には、また別の感想が有るので在った。

 ルイズはそんな才人を見詰めて、(其りゃ、確かに哀しいけどさ……)、と唇を尖らせた。

 上陸に際しても、犠牲は当然派生して居る。戦に死は付き物で在るのだ。1人1人の死を悼んで居たら切りなど無いだろう程にだ。

 “ハルケギニア”では戦は年中行事で在ると云えるだろう。

 そう云った事も在って、ルイズ達にとっては死は悲しむ可き事では在るが、同時に身近な存在でも在ったのだ。

 ルイズは立ち上がった。淡い、ランプの灯りだけの部屋の中は薄暗い。此の位で在れば、少し位マントの合わせがズレても、素肌が見える事は無いだろう。

 ルイズはマントの裾をギュッと握って、抱き締める様な手付きで身体を前で交差させる。そして、才人の元に向かい、膝を抱えて居る彼に後ろから声を掛けた。

「元気出して」

 才人は、「うん」、とポツリと呟く。

「でも、仕方無いよね。眼の前であんな事が在ったんだもの。幾ら任務の為とは言え……」

 才人は落ち込んで居る。

 ルイズは、あの少年達が才人と幾らも変わら無い歳だった事に、はたと気付く。そして、(サイトはきっと……自分を重ねて居るんだ)、と想った。此の何を考えて居るのか判ら無い、異世界から来たルイズの優しい少年は、自分を重ねて傷付いて居るのだった。ルイズは何時か才人が自分にして呉れたのと同じ様に、今度は自分が慰めて遣りたいと想った。だが、どう為れば良いのかまるで判ら無いでも居た。

 ルイズはチョコンと、才人の背中合わせにしゃがみ込んだ。

「あのね? こんな事言うと、私が非道く残酷な様に聞こ得るかも知れ無いけど……私あの人が死んだ事選り、サイトが落ち込んで居る事の方が哀しい。何かそう想う自分が嫌だわ。でもそう成の。やっぱり其れってあんたが身近だから成のかな? あのね、ほんとに哀しいのよ」

 才人はユックリと振り向く。そしてルイズをジッと見詰めた。

「死は哀しいけれど……其の、名誉な戦死よ。名誉の……彼等は偉大な勝利の為に死んだの。だから悲しんだら、彼等が可哀想よ」

「本気で言ってるのか? そんな事」

 才人は、ルイズの言葉に違和感を覚えた。

「本気な訳無いじゃ成い。でも本気に成ら為くちゃ。今は戦成のよ」

 ルイズは右手のマントの裾から離し、振り向いた才人の額をユックリと撫でた。頬に伝わる涙の後を指で(なぞ)る。

 才人は首を振って、泣き出した。

「俺は……彼奴等の名前も知ら無いのに……」

 遣り切れ無いと云うか、赦せ無かったので在る。

 任務の為に死ぬ。名誉の為に死ぬ。

 そんな感覚が、才人には想像する事が出来無いのだ。

 才人は、コルベールからの手紙、そして其れに記載されて居た内容――「納得するな。慣れるな」と云った事を想い出し、(殺し合いに慣れるな。慣れるもんか)、と想った。

 

 

 

 ルイズはそんな才人の泣き顔を見て居たら、切無く成って仕舞った。

 先程の言葉は嘘では無い。彼等の事は悲しいが、国の勝利の為に死んだので在るだのから。

 ずっと“貴族”として育てられたルイズと、比較的平和な“地球”中でもトップクラスに平和的な“日本”で育った才人の価値観を始めとした温度差で在った。

 ルイズは才人の泣き顔を見て居る方が、切無く成ってしまうのだ。死者を悼む選りも、生者の悲しみを和らげたい。才人の持つ涙を優しさと云う乍ら、其れももう1つの優しさ成のかも知れ無かった。

 ルイズは、(こんな時、どうすれば良いんだろう? 傷付いて居る男の子を慰めるにはどうしたら良いんだろう? そして……あのメイド成らどうするのかしら?)、と考え、少しばかり想像力が働いた。(きっと……自分の身体の暖かさでも使うわ、あの平民には其の位しか無いものね)、と想う。

 ルイズはそんな風に考えて居ると、(そ、其の位私にだって出来るもん)、と想い、激しく癪に障った感情を覚えて仕舞う。

 何時だか押し倒されて、散々に首筋にキスをされた時の事を想い出し、かぁっと頬を染めた。

 唯興奮して伸し掛かって来ただけだった(ルイズはそう想って居た)為に、ルイズはあの時の才人を赦して居無い。其れはもう、断然赦して居無いので在る。(“好き”とか言ったのも、きっと其のそーゆー事がしたかっただけ何だわ)、と想うのだ。

 そう考え想うと、ルイズの中で激しい怒りが湧き出て来る。湧いて、自分の事もまた赦せ無く成って仕舞う。何せあの時の彼女自身もまた、一瞬、其の勢いに流されたとは云え、振り上げた手を下ろして仕舞ったので在るのだから。

 ルイズは、(其れって其の、詰まり其の)、と想うが、直ぐに心の中で首を横に振る。(あれね、別に受け入れた訳じゃ無いの。だって、強引何だもの。つい、よ。つい。)、と何がつい何だか理解ら無いがそう考え、兎に角ルイズは頬を染めて才人を抱き締めた。そして、(“使い魔”を抱き締める何て、ホントは良け無い事で在るだろう。身分の差って在るじゃ成い、ねえ。食卓に着かせる位成ら未だ御慈悲だけど、抱き締めって此りゃもう御慈悲じゃ成い) 、とも考えた。

 ルイズは何成のかしらと首を振った。不思議な事で、心拍数が上がるので在った。非情な戦場の空気をも溶かして仕舞う位に鼓動のリズムが上がって行くのだった。

 然し……其れでも才人は元気が無い。

 ルイズは、(之じゃあ甘いんだろうか? 抱き締めるだけじゃ駄目何だろうか? 元気に成って欲しい。好きでも何ても無いのよ。でもほら、“使い魔”がこんな状態では、今後の任務に激しく支障を来すじゃ成いの)、と考える。

 ルイズは、何時だかシエスタが汗を拭く振りをしてシャツの隙間をチラッチラッと見せ付けて居た事を想い出す。ルイズも頑張って真似をしてみた。其れはもう頑張ったと云えるだろう。“貴族”としてのプライドをかなぐり捨てて、チラ見せなど、をしてみた。(“使い魔”の事何か何とも想って無いけど、負けるのが癪だから)、と自身に言い聞かせる。

 だが、才人の視線は動か無い。

 ルイズは、今の自分の格好を想い出す、マントの下は素肌で在る。下着1枚、身に着けて居無いので在る。

 ルイズは深呼吸をした。(ちょっとだけ。此の位でサイトの悲しみが少しでも和らぐの成ら……遣ってみる価値は在るんじゃ成いだろうか?)、と想うが、(駄目よルイズ。結婚もして無い相手に、素肌を見せる何てとんでも無いのよ。“使い魔”成ら良いけど……今はどー何だろ? 見せたら大変成のよ。結婚し為きゃ何成いのよ。そう決まってんのよ。私結婚為るの? 誰と? 此の“使い魔”と? 無理よ! 無理! だって平民の異世界人じゃ成いの!)、とも考え、沸騰して、頭がパンクしそうに成る。

 才人はボンヤリとそんなルイズを見詰めて居る。其の目には何の感情も浮かんで居無いのが判る。

 クスン、とルイズ迄切無く成って仕舞う。(其の悲しみを癒して上げたい。サイトは私の事好き成のかしら? そう言えば“好き”とは言ったけどあれどうせ身体が目当てでしょ。でも私の身体って魅力的成のかな? どう成のか理解ん無い。ええいもう此の馬鹿!)、とも想う。

 そんな感じに訳理解ん無く成ってしまい、本格的にルイズの頭の中が爆発して仕舞う。

 ユルユルと両手で閉じたマントの合せ目を開こうとした其の時……。

 死者を悼む優しさ、そして生者を慰めようと為る優しさ、そんな2つの優しさが、触れ合おうとした其の時……。

 ブオンッ!

 と、突風で天幕が吹っ飛んで仕舞った。

「な、何だッ!?」

「何よ!?」

 才人とルイズは同時に絶叫した。

 天幕の側に何かが着陸をしたらしい。

 見ると1匹の“ウィンドドラゴン”で在った。

 上には“竜騎士”達の姿が見える。

「て、敵だッ! 敵ッ!」

 慌てて剣を掴んだ才人に、“ウィンドドラゴン”の上からヒョッコリと顔を出した男が呟く。

「おや君は」

 其の顔を見て、才人の目が真ん丸に見開かれた。

「あ―――――――――――ッ!?」

 何と、“ウィンドドラゴン”に跨って居たのは全滅したと想われて居た“竜騎士”達の姿で在った。

 口をあんぐりと開けて、才人は呟いた。

「……な、何で?」

「話せば長く成るんだが……」

 小太りの“竜騎士”が口を開き、周りの“竜騎士”達もまた気不味そうに目を伏せて居る。

「話は後にしよう。そ、其の……邪魔して御免」

 と、照れた様な口調で小太りの隊長が言った。

 素肌にマントを羽織っただけのルイズは、唖然として才人に寄り添って居るのだ。

 ルイズは思いっ切り才人を突き飛ばして怒鳴った。

「なな、何もして無いわよ!」

 2つの優しさの温度差が、奇跡でも起こしてみせたのかも知れ無い。

 空の露と消えたと思しき“竜騎士”達が、残らず勢揃いして居たのだ。

 “竜騎士”達は、乗って来た1匹を除いて騎乗した“ウインドドラゴン”を失って居たのだが……兎にも角にも一人残らず無事に戻って来た。

 才人とルイズは、喜ぶ選りも前に、口をあんぐりと開けて放心して仕舞ったのだ。何が何だか理解ら無かったので在る。

 そんな一同の耳に、竪琴(キヌュラ)に依る音が聞こ得て来る。

 そして、此処“ロサイス”に居る、疲れ切った兵達を癒やした。

 

 

 

「御前達、どうして……?」

「否其の……自分達にも良く理解ら無いのです」

 突然の騎士達の帰還に、“竜騎士大隊本部”の天幕の中に居た大隊幕僚の全員は目を丸くした。

 全滅から1週間が過ぎて居るのだ。而も此処は敵地で在る“アルビオン大陸”だ。生存は絶望視されて居たので在る。

 3つの“竜騎士”中隊を束ねる、 “第二竜騎士大隊”隊長のギンヌメール伯爵は、取り敢えず両手を広げて奇跡の生還を果たした勇者達を迎え入れた。

「まあ良い! 取り敢えず生還を喜ぼうじゃ成いか! 信じられ無い! 正に奇跡の生還だな!」

 天幕の中が拍手と歓声に沸いた。

 此処迄案内して来た才人とルイズ、途中で合流をした俺とシオンの隣で、はにかんだ笑みを浮かべて居た少年“竜騎士”は確りとした声で呟く。

「全く以て、自分にも信じられ無いのですが……」

「而も傷迄療えて居るでは成いか」

 生還した皆の身体を改めて居た騎士が、驚いた様な声を上げる。

「はい」

「敵が手当をして呉れたのか?」

「いえ……判りません。兎に角自分達が体験した事を、全て報告します」

 隊長の少年騎士が、天幕の中の皆へと報告を始めた。

 未だ多く残って居た“竜騎士”に囲まれた“第二竜騎士中隊”は、敵の“魔法”攻撃を受けて、1騎、1騎と確実に仕留められて行った事。

 略全員が“竜”と一緒に深手を受けて、地面へと落ちて行く最中、意識を失った事。

「で、意識が戻ったら?」

「皆と一緒に、“ウィンドドラゴン”の背中に乗って居りました。“ウィンドドラゴン”に任せて飛ぶと、此の“ロサイス”に到着しました。為ると1週間経って居たと云う訳で。はい」

「撃墜されてから、今日迄の記憶が無いと言うのか?」

 “竜騎士”達は顔を見合わせた。

「はい。殆ど残って居りません」

「おいおい、1週間もの間の記憶が無いのか?」

「そう何です」

 “竜騎士”達は恥ずかしそうに首肯いた。

「1匹だけ生き残ったあの“ウィンドドラゴン”は誰のだ?」

 幕僚の1人が尋ねる。

 1人の“竜騎士”が手を挙げて、「自分のベイヤールです」、と言った。双子の片割れの少年だ。

 ギンヌメールは彼に注意を向けた。

「状況は?」

「敵に囲まれた時、“竜”選り先に自分が遣られたんです。肩に“マジック・ミサイル”を喰らって……ベイヤールは、そんな自分を逃がそうとしたんでしょう。遣られた様な振りをして、低空に逃れて呉れました」

 少し恥ずかしそうな口調で在った。他の“竜騎士”は、“竜”も自分もボロボロに成り乍ら、戦闘を持続したからで在る。

「戦闘が不能に成れば離脱するのは当然の義務だ。恥じる可き事では無い」

 大隊長にそう言われ、少年は顔を輝かせた。

「有り難う御座います」

 ギンヌメールは、(全員が無事に帰って来た事は嬉しいが……怪しい事が多過ぎる。引っ掛かるのだ。一体誰が傷付いた“竜騎士”達を救って怪我の手当をして、1匹だけ生き残った“ウィンドドラゴン”に乗せて、此の“ロサイス”に向かわせたので在ろう? 敵の罠かも知れ無い)、と考え乍ら口髭を扱いた。

 撃墜した“竜騎士”を確認す可く、敵の捜索だって在ったに違い無い。其れ等を摺り抜けて、彼等は帰還したのだから。

 ギンヌメールは、一列に並べ、と言って“竜騎士”達を並ばせた。部下に命令して、“ディクトマジック”を使い、帰還した少年騎士達の隅々迄調べて行く。敵に操られて居るかも知れ無いと勘繰ったので在る。

 然し……結果は白で在った。少年達の何処にも、“魔法”で操られて居る形跡は無かった。

 其れ以上訊ねる事も無く成ってしまい、ギンヌメールは退出を促した。

「“竜”が残った貴様は、第一中隊の指揮下に入れ。残りは“竜”が無いじゃ仕方が無いな。ああそうだ」

 ギンヌメールは完全に蚊帳の外でボンヤリと突っ立って居るルイズと才人、そしてシオンと俺の方を見詰めて来た。

 彼は、此方の、況してやルイズの正体などを知る筈も無く、“王室”から派遣された何か特殊な“魔法”兵器を使用為る女官と聞いて居た。兎に角丁重に扱えとの指示が、総司令部依り全軍に出て居るのだ。

「“竜”の補充が来る迄、ラ・ヴァリエール嬢とエルディ嬢の護衛に着け。では、退がって良し」

 

 

 

 大隊本部の天幕を出た後……“第二竜騎士中隊長”だった太っちょの少年は、俺達へとペコリと頭を下げた。

「と言う訳で君達の指揮下に入る事に成った。宜しくな」

 才人は瞼の下を拭い乍ら、其の身体に抱き着いた。

「死んだと想った」

「否……そう言えば忘れてた事が在ってさ。簡単には死ね無かったよ」

「忘れてた事?」

 キョトンとした顔で、才人が尋ねる。

 太っちょの“竜騎士”はニコッと笑った。

「君達に名乗って無かったな。“トリステイン竜騎士”、ルネ・フォンクだ。宜しく」

 才人も名乗った。

「平賀才人だ」

「セイヴァー、とでも呼んで呉れ」

 変わった名前だな、とルネは笑った。

 才人は半泣きで笑って叫んだ。

「じゃあ今日は呑むか! 生還祝だ!」

 

 

 

 一行は、ルイズ達の天幕迄遣って来て、其処で宴会が始まった。

 生還出来た喜びからか、皆ガンガン呑ので酔い潰れるのが早い。

 気付くと、起きて居るのは才人とルネ、そして俺だけに成って仕舞った。

 先程“ウィンドドラゴン”に吹き飛ばされた所為で、天幕には裂け目が出来て仕舞って居る。其の隙間から星が見える。月も見えた。

 夜の空気が入って来て、少しばかり冷える。

 才人は身震いした。

「でも、そん何落ち込んでた何てな。否、心配掛けてすまない」

 シンミリした口調でルネが言った。

 先程ルイズは、「あんた達の御蔭で“使い魔”が落ち込んで大変だったのよ!」とルネ達を責め捲くって居たので在る。其れを聞いて「変な奴だな!」と彼等は笑い転げた。其の笑い転げた理由が才人には理解ら無かった。

 そんな風に騒ぎ捲って居たルイズは今、才人の膝に頭を乗せてスゥスゥと寝息を立てて居る。才人を心配し続けた事と、怒鳴ったりした事で疲れたのだろう。

「落ち込んだら変成のか?」

 そう才人が尋ねると、ルネは微笑んだ。

「切りが無いだろ?」

「切りが無い? どう言う意味だよ?」

 才人は問い返した。

 ルネはグビッと直接ワインを呷った。ふっくらした頬を酒の酔いで染めて、首肯く。

「今は戦争だぜ? 一々見ず知らずの他人が死んだからって、落ち込んでたら切りが無いだろ」

「別に見ず知らずじゃ無えだろ。口だって利いたんだし。吐うか自分達を守って死成れたら、其りゃあ落ち込むだろ! 御前等可怪しいよ!」

 才人はクイッと酒を呷った。

 ルネは少しばかり真顔に成って、「別に君達を守って死のうとした訳じゃ無い。僕達が守ったのは、作戦で在り、引いては僕の名誉だ」

「どう云う意味だよ?」

「あの時は、 “君達を何が何でもダータルネスに送り届けろ”、と命令されて居た。其の作戦を守る事は、“王軍”全体を守る事で、詰まり陛下に忠誠を尽くす事に他成ら無い。陛下に忠誠を尽くしたと認められれば家名も上がる。僕が死んでも名誉は残る」

「馬鹿気てる。そう想うだろ? セイヴァー」

「おいおい言葉に気を付けろよ! 君は平民だから理解らんかも知れ無いが……“貴族”にとって名誉とは、命選りも大切なモノ何だから!」

「全く、俺は“貴族”何かじゃ無くって良かったよ」

「そうだな、僕達みたいな下級“貴族”に生まれる位成ら、平民の方が気楽に過ごせるな!」

「下級“貴族”?」

「そうさ。侯爵伯爵何かの大“貴族”と違って、此方人等代々雀の涙の俸給金暮らし……金が無いんじゃ見栄も張れ無い、格好も付か無い、其れが嫌成ら戦場で頑張って、認めて貰うしか無いんだよ。戦で手柄を上げれば、領地だって戴けるかも知れ無い。叙勲されれば年金も付く。だから皆死に物狂い成のさ。生死の危険何か構ってられ無いよ……ふぁ……」

 暫く目を瞑って考え込んでから、才人は言った。

「……でもよ、死んだら終わりじゃ成えかよ。何で御前等“貴族”は、そうアッサリ死ぬとか名誉とか言うのよ。ばっかじゃ成えの?」

 ルネからの返事は無い。

 見ると、既に寝息を立てて居た。

「ぐぅ……」

「……何だよ。好きなだけ捲し立てて寝ちまい遣がった」

「仕方無いさ。此奴等は生死の境目を彷徨い、漸く自国の軍の元に帰って来れたんだから」

 才人は、(全く、“貴族”って連中は勝手だよなぁ。ルイズだってそうで在る。あれだけ“あんたの帰える方法探さ為くちゃね”と言いつつ、戦争が始まったら其方に夢中で在る)、と不満そうな様子を見せる。(そんな我儘ルイズに流される儘に付き合ってる自分は阿呆何だろうか? ……俺は何の為に命懸けで戦ってるんだろ? 幾つかの理由は想い付く。可哀想な姫様の力に成りたいから。優しいシエスタの故郷を守りたいから。でも、1番大きな理由は……ルイズが心配だから。之に尽きるんだろうな)、と膝の上で寝息を立てて居る、桃色のブロンド少女を見て想う。ぶっちゃけ惚れて居るから、放っとけ無いので在る。

 そして、才人は、(ルイズ可愛い。ルイズに触りたい)、と想って居るだろう様子を見せる。だが、俺を始め何人も人が居る為に我慢をして居る。

 才人は、(嗚呼、俺のそんな気持ちが報われる事は在るんだろうか? 其の成否は神様にしか判ら無えな。“地球”の神様と、異世界の神様、何方に訊けば判るんだろ?)、と其処迄考えて、首を横に振り、(阿呆か。何どうでも良い事考えてんだ俺?)、と考える。

 其の時……才人の頭の中で、不意に先程のルイズの台詞――「死は哀しいけれど……其の、名誉な戦死よ。名誉の……彼等は偉大な勝利の為に死んだの。だから悲しんだら、彼等が可哀想よ」と云った台詞が蘇る。其の言葉に対して、才人はやはり違和感を覚え、埋める事が難しいルイズとの距離を感じた。膝の上で寝息を立てて居るルイズを遠く感じるので在った。之だけ近くに居る筈成のに……どうしてそんな風に想えてしまうのか、才人には其の理由が判ら無いで居るのだ。

「なあセイヴァー……」

「何だ?」

「名誉の戦死ってどう想う?」

「さてな……名誉かどうかなど、死ぬ直前の本人が、そして、遺された者が決める事だろうよ。結局の所死は、死だ。平等で、無慈悲で、逃れる事など簡単に出来無い代物だ。御前達人間は、そんな代物に意味を付ける事も、見出す事も出来るんだからな」

 才人は、「はぁ、寝よ」、と言って、膝の上にルイズを乗せた儘、こてんと横に成る。

 俺は、隣で寝て居るシオンや、他の皆を起こさ無い様に“霊体化”して外に出て、再び実体化し、もう1度竪琴(キヌュラ)を“投影”し、“治癒の竪琴”で以て演奏を開始する。

 此処“ロサイス”に居る皆が抱える、戦に依る身体的、そして精神的な疲労が取り除かれる様に。

 2つの月が……そんな悩める才人を慰める様に、そして俺が行う演奏を幻想的に想わせるかの様に皓々と光って居る。



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風の妖精

 さて、“竜騎士”達が生還してから3日が過ぎた今日、ルネと才人達は天幕の中でどんちゃん騒ぎを続けて居た。

 ルネ達第二“竜騎士中隊”の面々は、あの酒盛り以来、ルイズの天幕に入り浸って居るのだ。護衛と云うのは建前で、他に理由が有ったのだ。

「奇跡の生還に乾杯!」

 才人が、酔いで濁った目で本日17回目の「乾杯」を口にした。

「かんぱい! かんぱいだ!」

 酔いでヘロヘロに成った声で、“竜騎士”達が其の唱和に加わる。で以て波々とコップに注いだワインを開ける。

「生きてるって良いな! こう遣って酒が呑めるんだから!」

 そう言って手慰みに“杖”を振り、旋風でワインを掻き回して呑んで居るのは、ルネの副官役だった少年、赤毛のアッシュ・ペンドルトンで在った。貧乏“貴族”の三男坊で在る彼は、兎に角節制を尽くした呑み方をするのだ。ワインを水で薄めてガブガブと遣るので在った。だから偶にこう 遣って“魔法”で杯を掻き回して居るので在る。

 目立つ双子の“竜騎士”は、ジルベールとセブランで在る。柔らかい白い金髪、少女の様に可愛らしい顔付きの2人は、没落“貴族”の出で在った。ニコニコ為乍ら御互いの杯に酒を注ぎ合って居る。

 ルイズとシオン、そして俺を除く全員がヘベレケに酔っ払ってしまって居る。否……1人何遣ら悩んだ様な顔で、ジッと考え事をして居る少年が居た。無口なフェルナンで在った。才人が酒を勧めると、首を横に振った。心悩ます何かを抱えて居るのだ。

 其処に小太りのルネが、頭陀袋一杯に何かを抱えて戻って来た。

「第二“竜騎士中隊”長! ルネ・ラコステ! 只今帰還致しました!」

「御苦労。大儀で在る」

 と座の真ん中に座った才人が踏ん反り返って言えば、何が可笑しいのかフェルナンを除く“竜騎士”達は爆笑をする。

 天幕の隅っこで膝を抱えて座って居るルイズ、そして其の隣に座って居るシオンは、そんな光景を苦々し気に見詰めて居るのだ。

 彼等は、まるで自分の部屋気取りで在る。護衛と云うのは建前で、どう遣ら酒盛りを為る為に此処に来て居るので在ろう事は明白で在る。此処で在れば上官の目も届か無い。好き放題出来ると云う訳だ。

 ルイズは、(其りゃ、死地から生還したんだから、酒盛りも少し成ら目を瞑って上げる。でもね……毎日じゃ成いの! 毎日! 而も朝から晩迄! 其の上、此奴等ってばホントに部屋を綺麗に使うって事が出来無いのね!)、キリキリと唇を噛み、ギリギリと歯軋りを為る。

 酒瓶や鶏の骨や、食べ滓などが散らかり、辺りは惨状を呈して居るのだ。

 ルイズが文句を、シオンが窘める言葉を口に為れば、彼等は「理解りましたぁ!」と威勢の良い言葉を返すのだが、其れだけで在るのだ。誰も片付けをしようと為無い。シオンとルイズ、そして俺が掃除を為るのだが、其れ選りも早くゴミが増え、日に日に溜まって行く始末だ。序にルイズの苛々も溜まって行くので在った。

 そして何選りルイズが赦せ無いで居る事は例に依って才人に関する事で在る。ルイズの代わりに文句を言うのかと想えば、先頭に立って馬鹿騒ぎを繰り広げ、遂々(とうとう)今ではリーダー格で在る。ルイズは、(馬鹿の将軍様ね。似合いだわ)、と溜息を吐いた。

「戦果を報告せ~~~~~よ~~~~~」

 とすっかり将軍気取りの才人が言うと、ルネがガサゴソと頭陀袋を開ける。

「ハムに干し肉にソーセージ……そして酒だ!」

 倉庫から失敬して来ただろう御馳走に、一部を除いた皆が歓声を上げる。

「貴官に勲章を授与す~~~~る~~~~~」

 然し勲章などは当然無い。

 誰かが困った才人に何かを手渡した。白くてピラピラとした布っ切れで在った。

「な、何だ之?」

 其の正体に気付いたルイズは慌てて立ち上がる。

「ちょっとぉ!? 其れ私の下着じゃ成いのよ! 何考えてるのよ!」

 才人に「其処に落ちてた」と手渡したアッシュが言えば、「こ、此処に、た、たた、沢山在るぞ?」とジルベールとセブランが、ルイズのチェストを開けて、フルフル震え乍ら叫んだ。

 フェルナンを除く“竜騎士”達が、「最高の勲章だ!」、とゲラゲラと笑い転げる。

「最低ッ! あんた達ホント最低ッ!」

 顔を真っ赤にしたルイズはチェストを開けたジルベールとゼブランの頭を酒瓶で殴り付け、笑い転げて居るルネに鶏の骨を投げ付け、酔った“竜騎士”達を其々一人残らず蹴り飛ばした。

 最後にオロオロして居る才人の股間を蹴り上げ、馬乗りに成って首を絞め上げる、

「あんた迄一緒に成って何騒いでるのよッ! “使い魔”の癖にッ! “使い魔”の分際でッ! い、い、犬の分際でッ! 犬がッ! ワンコロの分際でッ!」

 分際でッ、と言う度にルイズの声が裏返る。良い加減、頭に来たらしい。

「そう言や、君は彼女の“使い魔”で、君も彼女の“使い魔”だったね」

 とルネ達がマジマジと才人や俺の顔を見詰め、再び笑い出す。

「ヒトが“使い魔”だ何て、変な話だな!」

 ルネ達は、ボンッ! と手を打った、

 するとバッサバサと彼等の“使い魔”が天幕に飛び込んで来た。“風系統”の“メイジ”が多い為、羽の着いた生き物が多い。梟、鷹、大蝙蝠……“グリフォン”や“ヒポグリフ”の子供など、“幻獣”の姿も見える。

「“使い魔”ってのはこう言うのを言うんだよ! あっはっは!」

「好きで此奴にした訳じゃ無いもん! 此の馬鹿が勝手に来ちゃっただけだもん!」

 “竜騎士”達の言葉にルイズは顔を真っ赤にさせて否定する。

「まあ、“サモン・サーヴァント”ってのは、相手を選べ無いからな!」

 ルネが笑い乍ら、ルイズに近付いて言った。

「でも君、ミス・ヴァリエール。良かったなあ、僕も恋人を呼び寄せれば良かった。“使い魔”と恋人が同じ何て、“メイジ”の理想じゃ成いか!」

 “竜騎士”達は爆笑した。

「恋人何かじゃ無いもん! あんた達って馬鹿成のね! 何にも理解って無いんだわ!」

 為るとアッシュはニヤニヤと笑みを浮かべた。

「だって、此の前、此処で、なあ?」

「素肌にマントで撓垂れ掛かってた。何してだんだよ!?」

 ルイズは首迄真っ赤に成ってしまった。

「下品! 最低! 男の子ってホントにそう言う事しか頭に無いんだから!」

 遂々(とうとう)ルイズは毛布を頭から引っ冠って仕舞った。

「男性を代表して申し訳無く想うよ。すまない、ルイズ」

 俺の言葉にルイズは反応を返さず、皆が宥めてもすかしても出て来無い。完全に拗ねてしまった様で在る。

「ヤバイ。怒っちゃったかな?」

 ルネ達が心配そうに呟いた。其れから一斉に才人の反応を窺う。

 其の時才人は……(俺達ホントに出来て無えし。今はうーむ、どう言う関係何だろう? “使い魔”と主人、と言う関係から進展して居そうな気が為るけど……ホントに進展してるんだろうか? 小舟の上でデキそうに成ったけど、“あれは無かった事にしろ”、とルイズに言われて仕舞って居るし。一体自分の事を、ルイズはどう想って居るんだろう?)、と顔に皺を浮かべて悩んで居た。

「悪気は無いんだよ、君から良く謝って置いて呉れよ」

 才人は、複雑な想いで「あ、ああ」と首肯いた。

 ルネ達は、顔を見合わせる。

 ルネが「下品って言われちゃった」と言うと、「しょうが無いよ。僕達、“貴族”と言っても下級も良いとこだからなあ」とアッシュがこう言う。

「爵位何かだーれも持って無いもんな! ラ・ヴァリエールの御嬢さんと比べたら、下品と言われても仕方無い! あっはっは」

 とジルベールとゼブランが顔を見合わせて笑い合う。

「否、爵位とかじゃ無くて、其の態度や言動が問題で、下品だと言われたと想うのだがね」

 俺の言葉を気に為る事も無く、“竜騎士”達は笑い合う。

 才人は、「成る程。」、と想った。そして、(“魔法学院”に通う子弟は、“貴族”の中でも御坊っちゃんや御嬢ちゃん成のだ。ルイズは勿論、シオンもそうだ。ギーシュやモンモランシーだって御金は無い様では在ったが、家柄は相当なモノ何だろう。ギーシュの親父何か元帥らしいし。元帥って軍隊で1番偉いんだろ? ルイズと此奴等の温度には、例えが悪いが、私立の名門校と落ち零れの公立学校みたいな違いが在るらしい。ああ、だから俺は此奴等に親近感を覚えたのかあ)、と妙な納得をする才人で在った。

 そして、才人は再逢をした晩のルネが口にした「下級“貴族”が出世為るには、戦場で手柄を上げるしか無い」と云った話を想い出し、同時にルネ達を不憫に想って仕舞い、少しばかり酔いが覚めて仕舞う。

「はぁ、確かに酒盛りも楽しいけど、早く手柄を上げたいな!」

 とルネが言う。

「そうとも! “竜騎士中隊”は翼を失っても役に立つって所を、偉いさん達に見せ付けて遣りたいよ!」

 あっはっは、と笑うジルベールとゼブラン。

「ああ、何時に成ったら、“ロンディニウム”の“アルビオン”軍を遣っ付けに行くんだ? もう上陸して10日が経ったぞ!」

 アッシュが詰まら無さそうに言った。

 彼が言った通りで在る。連合軍は、上陸から10日が過ぎても尚進軍する気配が無いのだ。どう遣ら攻めて来るで在ろう“アルビオン”軍を、此の“ロサイス”近辺で迎え討つ積りだったらしいのだが……“アルビオン”軍は全く攻め寄せて来る様子が無いので在った。

 其の時……“竜騎士”達の願いが通じたのか、天幕に1人の少年兵が遣って来た。

「りゅ、“竜騎士大隊本部”からの伝令です」

 13~14歳位の少年で在った。柄の悪い年上の“貴族”達が、昼間っから酒を呑んで管を巻いて居るのを見て、怯えた表情を浮かべて居る。

「大隊本部? “竜”を失った“竜騎士”に、ギンヌメール様が何の用何だ?」

 とルネが皮肉を込めた調子で言った。

「理解りません。自分は唯の伝令でして……」

「ああ、すまないな君。見ての通り此の馬鹿共は酒に酔い潰されて居る。彼等の代わりに謝罪をするよ。そして、君はこんな風には決して成ら無い様に気を付けろ。酒は飲んでも呑まれるな、だ」

 俺の言葉に、少年兵は首肯く。

 ジルベールが「何らかの任務を下さるんじゃ成いのか?」と呟くと、皆真顔に成って一斉に身成を整え始めた。

 

 

 

 然し……“竜騎士”達にとって残念な事に、手柄を立てられる様なチャンスでは無かった。押っ取り刀で駆け付けたルネ達で在るのだが、天幕の中で欠伸をして居るギンヌメール伯爵を見て、自分達の予想が外れた事を知った。

「報告書を作成為るのを忘れて居ってな。今一度、生還の時の話をして呉れ」

 俺とシオン、才人とルイズの4人また遣って来て居た。

 一応、護衛されて居る、身分で在る為、離れる訳にも行か無いのだ。

 ルネ達は、何とも遣る気の無い口調で報告を開始した。内容は殆ど此の前のモノと変わら無い。

 撃墜されて、ボロボロに成って……1週間後、気付いたら全員が“ウィンドドラゴン”の背に乗って居た。其れだけだ。

 確かに、皆からすると不思議な話で在ろう。其れは、“魔法”を使用した戦争が行われる“ハルケギニア”で在るからこそとでも云う事も出来る。“魔法”などと云うモノが在るからこそ、想いも寄ら無い摩訶不思議な事が多々起こるので在る。其れ故、構い続けて居る訳にも行か無いだろう。

 唯一、シオンとルイズはジッとそんな話を聴いて居た。興味が湧いて来た様子を見せる。

 さて、之で御終いか、と云う時……1人の少年が、モジモジとし始めた。

 大人しいフェルナンで在った。彼は、少しばかり想い詰めたかの様な表情を浮かべ言葉を口にした。

「あ、あの……」

「どうしたフェルナン、トイレに行きたいのか?」

 アッシュが茶々を入れ、ドッと座が沸く。

「ち、違うよ! 報告さ! 誂う無よ!」

 何時もは大人しいフェルナンが、真顔で捲し立てるので、皆黙りこくる。

「あ、あの……こないだはちょっと夢か現か判断が付か無くて話しても良いモノかと迷いましたが……でも、冷静に成って考えてみるとやっぱり、でも其の……」

 ギンヌメールは、「どうした? 報告は簡潔に述べろ」、と促す。

「は、はいっ! 報告します! 墜落した際に、自分は“竜”の背中から投げ出されて……暫く地面に横たわって居たんです。動こうにも、身体はどうにも動か無くって……気が遠く成りました。嗚呼、之で死ぬんだなって。でも、其の時です。見たんです」

 ギンヌメールは気が無さそうに促した。

「何をだ?」

 少年――フェルナンは、言い難そうにモゴモゴと呟いた。

「妖精です」

「何の妖精だ? 水か? ふん、あれは“精霊”か」

「違います! あんなプヨプヨしたもんじゃ在りません! もっと綺麗な……そうです! 風の妖精!」

「風の妖精など、存在し無いぞ。“精霊”と違って妖精は、全て伝説の生き物だ」

「何だか判りません! でも、妖精としか……」

「何な姿だったんだ?」

「とても綺麗な……女性です。綺麗な金髪で……身体中がキラキラ光ってました。あれは絶対妖精です! 古代の妖精だよ!」

 そんなフェルナンに、此の場の殆どが嘲笑を浴びせる。

「其れって御前、其処のエルディ嬢の事を想い出して居たとかじゃ成いのか?」

 其の時で在る。

「僕の金髪と、彼女の金髪、そして其の妖精の其れと、何れが美しかったのかな?」

 透き通る様な声が響いた。男が女か、一瞬判断が付き兼ねる程の美声で在る。

 長身で金髪の少年が、天幕に入って来たのだ。

 俺とシオンを除き、才人とルイズを始め皆が其の美少年に目が吸い寄せられた様子を見せる。

 が、直ぐに第二“竜騎士中隊”の面々は露骨に嫌な表情を浮かべた。

「御前の金髪って言って欲しいのか? “ロマリア”人」

「良い加減僕の名前を覚えて置いて呉れ。ジュリオ・チェーザレだ」

 名前からも判るが、男だ。

 ジュリオと名乗った美丈夫な“竜騎士”は、優雅な仕草でギンヌメールに一礼すると、報告した。

「第三“竜騎士中隊”、哨戒飛行拠り戻りました」

 ギンヌメールは微笑んで首肯いた。

「第一中隊に引き継いだか?」

「はい」

「では安め」

「畏まりました」

 騎士とは想い難い、柔らかい仕草でジュリオは一礼をする。

 其れから彼は、天幕の中をグルリと見渡した。

 才人は、以前、ワルドに逢った時と同じ様な生理的嫌悪感を覚えた。

 ジュリオは、兎に角まあ、驚く位の美形で在る。ギーシュも色男では在るのだが、格が違うと云えてしまう。まるで女か? と見紛うばかりの、細長い色気を含んだ唇、ピンと立って瞼に影を落として居る長い睫毛など……中性的で在りらも、確りと男性らしさも併せ持って居る。

 ジュリオは、子鹿の革の白い手袋に包まれた細い指で物憂気に髪を巻き乍ら、天幕の中を見回す。

 才人は、そんなジュリオの髪を掻き上げた其の仕草で、と或るモノを目撃し、驚く、

 ジュリオと名乗る其の少年、左眼はルイズの様な鳶色で在ったのだが……髪に隠れて居た右眼は透き通る様な碧眼で在るのだ。詰まり、左右の瞳の色が違う――オッドアイだ。

 光の加減かと想ったのだろう、才人はジッとジュリオを見詰め、ジュリオはそんな才人に対して微笑む。

「瞳の色が違うのが珍しいのかい?」

 才人は、「い、否……」、と思わず顔を赤らめ、(何だよ、相手男だぞ)、と自分に言い聞かせる。

「そん何見詰められたら照れるじゃ成いか」

 などと言いつつ、ジュリオの表情には照れた様子は何処にも見受けられ無い。見るとニヤニヤと微笑んで居るのだ。どう遣ら才人の反応を愉しんで居る様子だ。

「虹彩の異常らしくてね。君が噂の“使い魔”のサイトーン君だね?」

「才人だ」

 と名乗れば相手は大仰な身振りで、手を振って仰け反った後に、優雅に一例をした。

「すまない! 大変失礼をしたよ! 僕は“ロマリア”の神官、ジュリオ・チェーザレだ。以後御見知り置きを…そして、君が、セイヴァー君だね」

「ああ、そうだ。宜しく、ジュリオ・チェーザレ殿」

「ジュリオで構わ無いよ。人間が“使い魔”だ何て、珍しいからね。君達に1度逢いたいと想って居たんだよ……おや、貴女達は」

 ルイズとシオンに気付いた様子を見せ、ジュリオはクールな仮面を脱ぎ捨て、特大の笑みを浮かべた。大輪の花が咲いたかの様な、そんな無邪気さを感じさせる、そんな巣の笑みで在った。

「桃色のブロンドの髪、貴女がミス・ヴァリエール? そして、僕と同じ金髪の貴女がミス・エルディ? 噂通りだね! 何て美しい!」

 ルイズがポカンと口を開け、シオンは微笑む。

 そんな2人に対して、ジュリオは先ずは行き成りルイズの其の手を取って口吻をした。

 才人は、(手前、誰の手に口吻てんの? 悪いけど、其れ俺の。俺の、御主人様)、と云った風に震えた。が、(まあまあ。あのルイズが行き成り手に口吻されて、黙って居る訳が無いじゃ成いか。蹴りが飛び、終いには血が飛ぶに違い無い)。と自分を宥めるかの様に深呼吸をし、ワクワクした様子で見詰めて居る。

 が、当然何も起き無い。

 其の代わりに、「良け無い人ね」と、チラッと斜め前に視線を落として頬を染めた仕草が彩る、はにかみを含む言葉が、ルイズの口から飛んだ。

 才人は、ワルドの一件を想い出し、彼の額から冷や汗が流れた。何気にルイズが美形に弱い事を想い出し、才人は胃液を吐きそうに成ったのだ。

 そして、ジュリオは、次いでシオンの手の甲へと、口吻する。

「申し訳無い! 僕は“ロマリア”拠り新た成る美を発見しに参戦したのです! 貴女達の様に美しい方々に出逢う為に、僕は存在して居るのです! マーヴェラス!」

 そうして、ジュリオは、ギーシュに輪を掛けたかの様な気障な言い回しで、口を開く。

 ジュリオと、気障ったらしい言動を取られて怒ら無いルイズに腹が立って居るのだろう、才人の肩が震えて居るのが見える。

「神官が女性に触れて良いのか? 之だから“ロマリア”人って奴は……」

 才人の代わりに、アッシュが苦い顔を浮かべて言った。

 天幕に姿を現した時から判って居た事だが、どう遣らジュリオは、第二中隊の面々から余り好かれて居無い様だ。

「参戦為る為に、一時的な還俗の許可を“教皇”依り戴いて居てね」

「詭弁だな」

「方便と言って呉れ給え。坊さんと特権さ。でもまあ、君達の言う事も尤もだ。ミス、失礼をした。未だ僧籍に身を置く身故、女性に触れる事が赦されぬ身」

 ジュリオは戯けた調子で後ろに跳び退き、其れから悪戯っぽい微笑みを浮かべて、シオンとルイズに一礼をする。

「然し……神は此の地を遍く照らす偉大成る存在だが、偶に目を瞑ると言う慈悲深さも持ち合わせて居ります。再び御目に掛かれる、其の時を愉しみにして居ります」

 ジュリオの其れはとても気障ったらしいのだが……そんな仕草が板に付いて居ると云えるだろう。ギーシュもまた色男で気障では在るが、クネクネとして居り且つ間が抜けて居る。然し、ジュリオからはそう云った隙などは無いと想わせて来る。ワルドが何処と無く冷たさを感じさせるのに比べ、此のジュリオからは妙な人懐っこさが在った。

 才人は本能からか、(此奴、マジでモテる。其れも半端無しに)、と理解した様子を見せる。

 其れからジュリオは真顔に成った。

 其の変わり身の早さが出来る男だと云った感じで在り、之また才人は憎らしさを覚え、ハンカチを噛み締めたい気分に駆けさせる。

「話が逸れたね。君は、妖精を見たと言ったね?」

 フェルナンが首肯く。

「う、うん」

「君達が撃墜されたのは、何の辺りだい?」

 ジュリオはテーブルに広げられた“アルビオン大陸”の地図を指指して尋ねた。

 ルネが答えた。

「確か……“大陸”に入って1時間程飛んだ辺り……」

 ルネが、地図の一角を指指す。

 ジュリオは興味深そうな顔で首肯いた。

「ふむ、“サウスゴータ”の辺りだな」

「“サウスゴータ”……此処“アルビオン”の交通の要衝だね」

 ルネが示した場所、そしてジュリオの言葉に、シオンが反応した。

 其の時、ギンヌメールがコホンと、咳をした。

「暇成ら“竜”の世話でもして来い」

 ジュリオは両手を広げると、「“竜”の世話を為無くても良い君達が羨ましいよ」と、厭味を言い残して天幕を出て行った。

 “竜”を失ってしまって居る“第二中隊”の面々は、むきー! とジュリオの背中を憎々し気に見送った。

 

 

 

 

 

「あの気障野郎は誰何だ?」

 “竜騎士大隊本部”から出た直後、才人が尋ねると、ルネは露骨に顔を顰めて答えた。

「“ロマリア”から来た神官だよ。坊さんの癖に、“竜騎士”の真似事何かしくさって……いけ好か無い奴だ」

「“ロマリア”?」

 才人がキョトンとして、尋ねた。

「君は“ロマリア”を知ら無いのか?」

 驚いた顔で、才人は尋ね返されて仕舞う。才人は首を横に振った。此方の世界――“ハルケギニア”に人間では無い才人は、国や地方の事など何も知ら無いのだ。だからと云って、「異世界から来ました」、などと言ったら面倒な事に成るのは明白で在り、之迄使って来た言い訳を口にした。

「俺とセイヴァーは、其の、東方……“ロバ・アル・カリイエ”から遣って来たんだ」

「へえ!? あの“エルフ”共と年がら年中遣り合って居る土地から来たのか!」

 何時かは、否、誤魔化しの説明をする度に、「“エルフ”達の住まう地を通って遣って来たのか!」、と驚かれる。

 才人は、(どう遣ら此の世界では、“エルフ”と云うのは恐ろしい、好戦的な種族で在る様だ。其の上人間とかなり仲が悪いらしい)、と解釈し理解した。

「“ロマリア”ってのは、“ハルケギニア”の寺院を束ねる“宗教庁”が在る国だよ。まあ何だ、或る意味“貴族”以上に威張ってる神官達が沢山居る国さ」

「“ロマリア”の神官共と来たら、神に仕える身分だからって、調子に乗って遣がるんだ」

「神官も“魔法”を使えるの?」

 才人の質問に、まさか! と否定の声が飛ぶ。

「“貴族”の家に生まれて、出家した神官成ら其りゃ“メイジ”の血を引いてるから“魔法”が使えるけど……平民の出成ら、当然“魔法”は使え無い」

 そんな説明へと補足でも為るかの様に、「ジュリオは其の平民の出だよ」、と付け加えられる。

 此処“ハルケギニア”での“魔法”。其れを使用出来るのは、“貴族”の血を引く者だけで在るとされて居るが、厳密には違うだろう。元を辿れれば――。

「何でそんな奴が、“竜”何かに乗ってるんだ? 御負けに中隊長とか言ってたぞ」

「彼奴、平民の癖に“竜”に乗るのが異常に上手いんだ」

 才人の言葉に、誰かが悔しそうな口調で呟き、第二中隊の面々が首肯き乍ら、俺へと視線を向けて来る。

「“メイジ”でも無い癖に、“竜の声が聞こ得る”、とか言ってんだぜ。ホントかどうか知らんが」

「そんな訳でギンヌメール伯爵に気に入られ、第三中隊の隊長に収まり遣がったんだ。幾ら第三中隊が外人部隊だからって、破格の出世だよ! 神官が“騎士中隊”の隊長だ何て、“竜騎士隊”は他の隊の笑い者じゃ成いか!」

 そんな風に天幕から出た所で話し込んで居る俺達は、“杖”を持った将校に追い立てられる羽目に合った。

「こらこら! こんな所で集まって話し込むな! 邪魔だ! 邪魔!」

 俺達は顔を見合わせた。

「ミス・ヴァリエールの天幕に戻ろう。今じゃ、彼処が僕達の巣と言う訳さ」

 其処でルイズの事を想い出したのだろう、才人は彼女の方へと振り向く。

 ルイズは1人突っ立って、何と無く、ぼや~~~っと、夢見がちな様子を見せて居り、シオンがルイズの顔の直ぐ前で手を振り、様子を窺って居る。

 才人は、(何でルイズ、あんな顔してんの?)、と不審に想った。其処で想い出す。(う!? 若しかして、あのジュリオか? ハンサム“竜騎士”か? 否神官何だから“竜神官”? ええい、呼び方何かどうでも良い! 兎に角先何か、顔を赤らめ遣がって……)、とメラメラと嫉妬し始めた。(手に接吻された位で、あんな顔し遣がって! 何てぇ女だ。浮気者! 浮気者!)、と別に未だ恋人でも無いのに、才人は心の中で悪態を吐く。(“何が良け無い人ね”だ。ちょっと褒められた位であんな顔し遣がって! 俺何か、好きって告白したじゃ成えかよ。差が付いてんなぁ……どうしてだろ?)、と才人が想った瞬間……頭の中で閃くモノが有った事に気付く。

 為ると先程、ルネ達と宴会して居る時に脳裏を過った(ルイズと自分は今、どう言う関係何だろう?)、と云う疑問が、才人の中で解決してしまった。

 以前ルイズの実感で、「好き」と告白したのだが、才人はルイズから「忠誠の表れね」と解釈され、そう言われたのだ。(其れって……考えてみ? 否もう戦争が始まって慌ただしくって、皆死んだと想ってて哀しくて考える余裕も無かったが……良く良く考えてみ? 其れって、若しかして振られてんじゃ成えのか? 何か自分に都合良く“一種の受け入れ”とか想ってたけど……良く良く考えてみ? 受け入れられて無えよ其れ。“忠誠の表れ”って何だよ? 意味理解ん無えよ。詰まり……振られたんだ俺)、と頭をハンマーで殴られたかの様な感覚を、才人は覚えた。

 そして、才人は、ガクッ! と膝を突き、首を横に振った。

 そんな才人を見て、ルネがオロオロとし始めた。

「お、おい……サイト?」

 然しこう成ってしまった才人にはもう他人の言葉は、自身の世界に入り込んで仕舞って居るが為に暫くの間届か無い。

 才人の頭の中で、絶望の次に浮かんで来たのは怒りで在った。可愛さ余って難さ百倍のあれで在る。(嗚呼、御前が行きたい言うから戦争迄参加して遣ってんのに、此の女俺を振った。あんだけ助けたり何だり、兎に角命懸けで頑張ったのに振った。フ、フ、振り遣がった。キシャウ! フフフフフフ、振り遣がった!)、などと考え、ゴゴゴゴゴゴゴゴ、とルイズに対する怒りが激しく渦巻いた。其れはもう火山から噴出する溶岩流の様に、男のセンチメンタルが逆流をするのだ。

 才人の頭の中で、平賀私立裁判成るモノが開廷され、(被告、女王直属女官、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。裁判長、俺。はんけーつ、有罪! ギルティ! 情状酌量の余地無―し! 裁判長の言葉。普通男が此処迄したら、御世辞でも“私も好きだよ。じゃあ友達から始めよっ”位言うのが社会のルールで在ります)、と2秒で判決が下される。

 才人は、(そ! れ! が! “忠誠の表れね”って何? “一箇所だけ好きなとこ触って良いわよ”って何? 其れってまるで御主人様に御手を許されたワン公じゃ成えか。俺犬か? 犬じゃ成えか? あ、犬か。でも未だ犬言うか? もう犬は流石に良いんじゃ無いのか?)、と考え始め、次に此の前の天幕の中でのルイズの格好を想い出す。(ルネ達が死んだと想って哀しくて、鈍よりしてて気に留める余地さえ無かったが、素肌にマント1枚だったですよ。こ、此の女は馬鹿にしてからに、振られた男が何な気持ちが判らんのか? あったま来た。平賀裁判長は男と女のラブゲーム法第3条に基づき、被告に以下を求刑為る。求刑、無視。もう喋ん無い)、と考え、ルイズを無視して歩き出して仕舞った。

 何処迄行っても、やはり似た者同士で在る。

 

 

 

 さて、“竜騎士大隊本部”の天幕を出てからも、何と無く先程の話の美少年――ジュリオの事が気に成って、心此処に有らずの状態のルイズで在った。

 何と無く、ルイズは其れ等が気に成って居るので在る。

 ジュリオを見て居ると、ルイズは自身の中で妙な胸騒ぎが起きるのを感じるのだった。(ハッと為る程の美少年だから?)、と考える。其れも在るだろう。ルイズは年頃の女の子で在り、其れはもう美少年は嫌いでは無い。だが、其れだけで恋人を選ぶ程、単純でも無い。だが、取り敢えず彼女の心の中には1人の少年が住んで居る、本人の談ではかも知れ無いので、取り敢えず“顔が良い”だけの理由で他の男の子が住み始めて仕舞う事は先ず在り得無いので在った。住人が、大家を徹底的に怒らせる何かをした場合は其の限りでは無いのだが。

 ルイズは其の胸騒ぎが、本能の部分が訴え掛けて来て居る何かで在る事を悟った。

 そして、そんな本能の胸騒ぎはもう1つ。第二“竜騎士中隊”の1人で在るフェルナンが目撃したと云う妖精の事で在る。夢と笑い飛ばして仕舞う事は簡単な事で在るのだが……彼等は現実に1週間分の記憶を失って居るのだった。「生きて帰って来たのだから理由など良いじゃ成いか」、と殆どが余り気にして居無い様子を見せる中、ルイズには其れが不満だったのだ。(之だからガサツな軍人って嫌ぁね)、などと想うのだが、一々細かい事を気にして居ては戦場では生き残れ無いのもまた事実。

 そんな胸騒ぎの正体についてを考えて居る内に……ルイズは我に返った。

 才人が、ルイズを無視して歩き去ろうとして居る事に気付いた。

 才人は、“竜騎士”の少年達と、態とらしい位に笑い転げて、ルイズを放ったらかしにしてまた酒を呑む相談などをして居る。

 ルイズは、(私を放っと居て笑い話? また酒盛りの相談? 何よ何よ。良い加減に為成さいよ)、と想い、「ねえ待ち為さいよ」、と声を掛ける。

 のだが、才人は振り向か無い。

 ルイズは、(聞こ得無いの?)、と想って、今度は怒鳴った。

「サイト! 待ち為さい! ちゃんとあんた御主人様を天幕迄エスコートし為きゃ駄目でしょお~~~~~!」

 だが、其れでも無視されて仕舞う。

 ルイズは、(へ? 何で!? 何でよ!?)、と困惑する。

 才人は振り向く事さえし無いのだ。距離は其れ程離れて居無い、聞こ得て居るにも関わらずだ。

 ルイズの中に、沸々と才人に対する怒りが湧き上がる。気に成る相手(ルイズ自身は今現在絶対に認め無いが)の其の様な行動に、桃色のブロンド少女は簡単に癇癪を起こし、爆発して仕舞う。

 そんなルイズを、気が短い、などと責めては行け無いだろう。人間恋をすると、些細な事で喜んだり、傷付いたり、怒ったり、悲しんだり為る存在で在るのだから。

 ルイズは自分の恋心を認め無い為、自然矛先は100%才人の人格に向けられて仕舞う。(こんな風に私を怒らせる彼奴最低)、と云う具合に、だ。

 ルイズは、(ねえ!? こないだ私何れだけあんたの事心配して上げたと想ってんのぉ~~~~!? 其れ成のに無視する訳ぇ~~~~~~~!? あんた“好き”って言った癖に無視とか為る訳ぇ~~~~~!?)、と拳を握り締めて、小石を蹴飛ばし、地団駄を踏むのだった。

 

 

 

 ジタバタと暴れて居るルイズに気付いたルネが、才人に耳打ちをした。

「彼女は、君の主人何だろう? 何か怒って成いか? 放ったらかしで良いのかい?」

 才人はルイズの方を見、(“使い魔”に無視されて癇癪か。理解り易い奴め。どうせ此方は“使い魔”ですよ。はいはい。ああそうだよな、何せ“貴族”様だから“使い魔”には恋出来無えよな)、と泣きそうに成り乍らそう考え、想った。

 才人は、「フラレマシター!」と絶叫して、男泣きして、ルネ達に慰めて貰いたい気持ちに駆られる。が、涙を堪えた。(ルイズは何、子供成ので在る。我儘“貴族”っ娘成ので在る。優しく為成くては行け成い)、と想い、拳を握って、グッと夜空を見上げた。

 2つの月面が怪しく輝いて……夢の様に想わせる。

 才人は、(嗚呼、御月さん御星様、俺の此の醜い嫉妬を洗って呉れ。そう俺は男じゃ成えか。振られたからって、怒りに任せて無視とか……やっぱり良く無え)、と其処迄考え、引き攣った笑みを浮かべた。(俺は男男オトコ)、と自分に言い聞かせてプルプルと震え乍ら。思いっ切り冷や汗を垂らし乍ら。で以て随分と譲歩した積りで、「……ほら、ルイズ行くぞ」、と声を掛けた。

 為ると、ルイズは外方を向いた。

「御送りさせて下さい、でしょお」

 ルイズは腕を組んで頬を膨らませ、横などを向いて居るのだ。

 才人は、(な、何だ此奴!? 最低だ。振った男に此処迄冷たく為る何て、何てぇ、女だ)、と想って仕舞う。

 普段で在れば、ルイズの此の位の態度に対して、才人は少し不満を示すだけで済むのだが。唯……今回は才人の中に、ルイズに対する違和感などが有った。(ルイズはこん何頑張ってる俺をどう想ってるんだろうか?)、などと云う疑問や違和感だ。だからこそ、澄ましたルイズの態度に対して、過剰に反応して仕舞う。

 才人はクルリと振り向いて、スタスタと歩き始めた。

「させて下さい? 巫山戯んな。一生其処に居ろ」

 シオンとルネ達は心配そうに才人とルイズを見て居たが……ルネ達は結局才人を追い掛けた。

 

 

 

 後に残されたルイズは、怒りに身を震わせた。

 才人達が去って行った方向に向かって大声で怒鳴る。

「何で放っとくのよ!? 迎えに来為さい!」

 そして暫く俺達は待つのだが、然し……戻って来無い。

 ルイズは、(な、なな、何て自分勝手や奴何だろう)、と心底頭に来た様子を見せる。そして、(今の私、戦場で不安成のに……手柄を上げ為きゃ行け成いのに……あんたってば協力する気有るの?)、と其の身体で表現をする。

 才人の方は、全くそんな事には気が回ら無いで居る様子で在った。

 ジワッ、とルイズの目に涙が浮かんだ。(こ、こないだ何か、欲望に任せて奪おうとしたわ。別に、まあ、其れは良いの。良く無いけど、良いの。赦して上げるの。男の子はそう云う事が好き何だから仕方無いの。私は好きじゃ無いけど、ほんとに好きじゃ無いけど、ああ、ちょっと成ら)、と考え、そしてブルンブルンとルイズは首を横に勢い良く振った。(好奇心って嫌ぁね。駄目。やっぱり駄目。正直言うと、まあ、“好き”って言うん成ら仕方ないか、とか想いました。でもねえ、何が“好き”よ? 嘘ばっかりじゃ成い。好きだったら、どうしてそんな風に冷たく為るの? 意味が理解ん無い。おまけに、メイドにも手を出してるじゃ成い。絶対他の娘にも同じ事言ってるわ。馬鹿。きっとメイドだけじゃ無いのよ! ふんだ! 良く其れで私に“好き”だ何て言えたわね。赦せ無い。嘘吐き。嫌い。嫌いよ)、と想い、「もう良い」、と小さく呟いて、唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 才人とルイズの心がまたもや擦れ違い、ルイズの天幕の中で皆が寝る中、俺は天幕の外に居た。

 隣には、未だ寝て居無いシオンも立って居る。

「セイヴァー……あの、ジュリオって言う人の事だけど」

「ああ、御前も気にして居たのか」

 大隊本部の天幕内に入って来た“ロマリア”の神官且つ第三“竜騎士中隊”隊長、ジュリオ・チェーザレ。

 彼の事を、ルイズ同様にシオンもまた気に成って居たのだ。

 だが、其の、気に成る、と云う意味合いは違うのだが。

「そうだな。彼も“虚無の使い魔”、“ヴィンダールヴ”……そして、“サーヴァント”、“クラス”は“ライダー”だ」



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ロマリアの神官

 “トリステイン”と“ゲルマニア”連合軍が上陸して布陣した港町“ロサイス”は、“アルビオン”の首都“ロンディニウム”の南方300“リーグ”に位置して居り、“地球”で換算すると1“リーグ”は1kmで在り、詰まりは3kmの距離が在る。

 上陸直後、連合軍は敵の反撃を予想した。軍を揚陸させて直ぐに、先ずは“ロサイス”を中心とした円陣を築いたのだ。

 が……“アルビオン”軍の反撃は行われ無かった。

 連合総司令官のド・ボワチェ将軍等は、侵攻軍首脳部は拍子抜けしてしまった。

 彼等は上陸早々の敵の工芸を予想して作戦を立てたのだったのだから。“ロサイス”周辺で決戦を行い、敵の大軍を1撃で撃滅して、一気に“ロンディニウム”に進撃する積りで在ったのだ。略3週間後に控えた年が明ける“ヤラ(1)”の月、其の初日……詰まりは元旦で在る“始祖ブリミルの降臨祭”迄に、“ロンディニウム”を落とす計画で在った。詰まりは短期決戦で在る。60,000もの大軍を維持為る為には大量の兵糧が必要と成る。強力な“魔法”を唱える為の“秘薬”(特に治療に際しての“水系統”は“秘薬”を必要とする)、そして火薬や大砲の弾と云った軍需物資も要るのだ。其れを本国から前線の部隊に運ばねば為ら成い。

 敵地で長期戦を行うなど、悪夢以外の何物でも無いので在った。また“トリステイン”の国力では、長期戦を行う事などは不可能に近い。

 まんまと吸引されて仕舞った“ダータルネス”から引き返した“アルビオン”軍主力は、現在首都“ロンディニウム”に立て籠もって居るのだ。

 敵軍で在る彼等は、どう遣ら決戦を回避為る心積もりの様で在った、詰まりは“アルビオン”空軍に与えた損害が、想像以上だったのだ。空を制されて居ては、戦の主導権は握れ無い為に、“アルビオン”軍は反撃を断念したので在ろう。

 連合軍はそんな“アルビオン”軍に対し、攻撃の準備を行って居た。

 予想が外れて具体的な損害が発生したと云う訳では無いのだが、決戦に備えて無駄な陣地を構築して仕舞った為に、其の分の時間が取られて仕舞ったので在る。1週間半分の兵糧を、連合軍は無駄にして仕舞ったので在る。

 短期決戦を意図せざる得無い連合軍は、6週間分の補給物資しか用意して居無い。其れ等が尽きたら、本国から食料や火薬などを“フネ”で運ば為くては成ら成い。ギリギリの財産で遠征軍を編成した両国にとっては、余り考えたくは無い事態で在った。

 そんな緊張の中、連合軍が“アルビオン大陸”に上陸してから8日後の今日……今後の侵攻作戦を巡って、軍儀が開かれて居た。

 “ロサイス”の空軍基地、“王立アルビオン軍総司令部”、そして“神聖アルビオン共和国空軍本部”、そして現在は“トリステイン・ゲルマニア連合軍総司令部”、と1年で3度も主を変えた建物の中、赤煉瓦造りの由緒有る其の建物の2階の大ホール。

 円形のテーブル、窓を背にした上座に腰掛けて居るのは、連合軍首脳部で在るド・ボワチェ将軍。彼は、美髯を右手で扱き乍ら、2つに分かれた意見に耳を傾けて居た。

 当初の予定通り、短期決戦を主張して居るのは“ゲルマニア”の将軍、ハルデンベルグ侯爵。彼はガッチリした身体と見事な白いカイゼル髭を揺らし乍ら、「進軍です。進軍! 進軍! 我等には残り4週間半分の兵糧しか無いのですぞ! 途中の砦や城などを迂回して、兎に角“ロンディニウム”を目指すのです。幸いな事に、我等は空を制して居る。“始祖ブリミルの降臨祭迄に戦は終わる”、と言って兵を連れて来た以上、“降臨祭”を過ぎてしまったら士気が下がりますぞ!」、と“ゲルマニア”の将軍らしい、炎の様な進撃を主張した。

「“降臨祭迄に終わる”、と言って終わった戦が“ハルケギニア”の歴史に在りましたかな?」

 そう言って、冷ややかに眼鏡の奥の眼球を光らせて反論をしたのは参謀総長のウィンプフェンだ。冷たい雰囲気の、40代の男で在る。

「だったら、我等が先例に成れば良い」

 ハルデンベルグ侯爵は、ジロリとウィンプフェンを睨んで言った。

「“ロンディニウム”を包囲したは良いが、途中の砦や城に後ろを曝すのは……上策とは想えませぬ。其の上進軍すれば補給路も伸びる。横から補給路を突かれては、御手上げです。面倒ですが、此処は飛び石を慎重に踏んで行く様に、途中の城や要塞を1つ1つ攻略し乍ら進軍す可きです」

「街1つ、城1つ攻略為るのに何れだけの損害が出ると想って居るのだ!? 補給路? “降臨祭”迄に“ロンディニウム”を落とせば良い!」

「侯爵が仰る通り、我等は空を制して居るでは有りませんか。攻略時の損害は最低限に抑えられます。“降臨祭”迄に“ロンディニウムを落とす”? また其の様な寝言を!」

 ハルデンベルグ侯爵は軽蔑を浮かべた顔で言った。

「……憖“系統”が“風”だと、直ぐに臆病風が吹く様だの」

「威勢ばっかり良くって、あっと言う間に燃え尽きる“火”の数倍マシかと」

 2人は睨み合った。

「臆病者の“トリステイン”人に勇気を教えて遣る」

「野蛮人から教わる作法など在りませぬ」

 同時に“杖”を抜き合う。

 間に、総司令官で在るド・ボワチェが割って入った。

「我等が争って何とする!? 侯爵! 侯爵! “ゲルマニア”の勇気は戦場で示されい! ウィンプフェン! 私に恥を掻かせる気か!?」

 其の言葉に、2人は漸く治まった。

「取り敢えず当初の計画は崩れた事を認める必要が有る様だ。“アルビオン”軍主力を決戦で打ち破り、余波を買って“ロンディニム”に進撃。クロムウェルの首を上げ、ホワイトホールに百合の旗を掲げる……やはり計画通りに進む戦など在り得んな」

 “トリステイン”側の思惑としては――“アルビオン革命政府”打倒後は、アンリエッタの名の下に親政を行う手筈で有った。勿論、“ゲルマニア”にも領土は割譲される。其の後は、“アルビオン王族”の生き残りを捜し出し、“トリステイン”統治領の玉座に据え、“王制”を復活させる計画で有った。否、寄り正確に言えば極一部の者達以外がそう考えて居るので在る。彼等は勿論、シオンが“王族”の生き残りで在る事など知りもし無い。故、“王族”を捜すと云っても、殆ど革命時のゴタゴタで処刑されて仕舞って居る為、テキトウな貴族を“王族”に仕立て上げ、玉座に据えようとして居るのだ。

 ド・ボワチェは首を横に振り、其の想像を頭から払った。

 其れは今考える事では無い。今、考える可きは、“ロンディニウム”に立て籠もった敵軍をどう遣ったら壊滅させる事が出来るのか、だ。

 ド・ボワチェは、兎に角自分の出世が懸かって居る為、唇を噛んだ。此の戦に勝たねば、彼は元帥には成れ無いのだ。(決戦1つで片付けば楽だったのに……)、とド・ボワチェは“アルビオン”軍を恨んだ。そして、(どうしてクロムウェルは“ロンディニウム”に立て籠もり、打って出ぬ? 国土を敵に蹂躙されて居るのだぞ? 閣僚に対する見栄も、“貴族”に対する示しも、民意も在るだろうに。一体何の様な心積もりだ?)、とそんな風に考え込んで居る姿を、同盟国の将軍と参謀総長が心配そうな顔で見て居る事に気付き、ド・ボワチェは己の作戦計画を披露した。

「……決戦は無く成ったが、計画は実行されねば為らん。兎に角“ロンディニウム”の“ハヴィランド宮殿”に、女王陛下と皇帝陛下の旗を翻さねば為らんからな。さて、一気呵成に“ロンディニウム”を攻めるのは危険が過ぎる。かと云って1つずつ城を落として行ったら此の戦、10年は掛かるぞ」

 侯爵と参謀総長を始めとした皆は苦い顔で首肯いた。

 ド・ボワチェはテーブルに広げられた地図を示した。そして、“ロサイス”と、“ロンディニウム”を結ぶ、線上の一点を叩く。

「“シティオブサウスゴータ”。観光名所の古都だな。此処を取って“ロンディニウム”攻略の足掛かりとする。5,000を此処“ロサイス”に残して補給路と退路を確保。残りは攻略に参加為る。空軍は全力を以て之を支援。勿論敵の主力が出て呉れば、決戦に持ち込む」

 ふむ、と云った顔で、侯爵と参謀総長達が首肯く。

 折衷案の様な、何方付かずの作戦計画で在ったのだが、否、悪くは無いと云えるだろう。

 “サウスゴータ”は大きな街だ。街道の集結点でも在る。此処を占れば他の城や街にも睨みを利かす事が可能に成るのだ。若し“降臨祭”を過ぎても決着が着かず持久の態勢を取るにしても、大都市成らば其れが遣り易いだろう。

 作戦が決定された其の時に、扉がノックされる。

「誰だ?」

 衛兵が問うた。

「私です。女王陛下の女官、ラ・ヴァリエールです」

 ド・ボワチェは衛兵に顎を杓り、入室の許可を促した。彼に軍儀に少女を参加させる趣味は無いが、女王陛下の女官で伝説の“虚無”の担い手とも成れば邪見に扱う訳にも行かず、機嫌を損ねられると困る為だ。

 ド・ボワチェは母艦での一件が在ったにも関わらず未だ、其れでも、ルイズを駒処か、道具としてしか見て居無いのだ。

「おお、ミス“虚無(ゼロ)”。君には豪華な天幕を用意した筈だ。面倒事は我等軍人に任せて、其処で休養を撮って居為さい。必要が有れば呼ぶ」

 ルイズは周りの連中が立場が高い者達で在る為に気後れをした。然し、モジモジとして居ては御役目は果たせ無い為、勇気を出して口を開いた。

「あ、あの……」

「何だね? ああ、“ダータルネス”での君達の働きは叙勲に値為る。流石は“虚無”。良く遣って呉れた。諸君! 拍手!」

 パチパチパチ、と気の無い拍手が会議室に響く。

「“王室”に叙勲申請を出して置こう」

「い、いえ其の……」

「何だね? 未だ何か有るのかね?」

 ド・ボワチェの口調に、(勲章だけでは足りぬと言うのか? 小娘が欲張り居って!)、と云った不機嫌なモノが混じる。強欲な人間と云うモノは、自分の基準として人間を捉えて仕舞う癖が有る。ド・ボワチェは、ルイズが之以上の賞賛を欲しがって居ると感じ、気分を害して仕舞ったのだ。

「違います。あの、勲章を頂きに来たんじゃ無いんです。其の、生還した“竜騎士”達について……」

 将軍達は一瞬、(何の事だか理解ら無い)と云った様子を見せるが……3日程前に生還した“竜騎士中隊”の事だと気付き、首肯いた。

「ああ、其れがどうした?」

「其の……喜ばしいけど、可怪しいと想いませんか? 墜落から1週間も経って、無傷で生還する何て……而も其の間の記憶が無いんですよ?」

「そうだな」

 煩そうに、(そんな事で軍儀を邪魔しに来たのか?)と言わんばかりの態度で、将軍達は相槌を打った。

「場所は“サウスゴータ”の辺りです。調査の必要が在ると想いますけど」

 ルイズがそう言うと、将軍の1人が手を振り、「ああ、理解った理解った。進軍路の近くだな。捜索小隊を編成して、謎の究明に当たろう」、と言ったが、本気で捜索為る気など無い口調で在る。

「大方頭でも打つけたか、妖魔の類に誑かされたので在ろうよ」

「……妖精を見たとの報告も上がって居ます」

「親切な妖精だな!」

 誰かがそう言って、会議室は笑いに包まれた。軍儀に参加して居る誰もが気に留めて居無いのだ。10騎ばかりの騎士が経験したで在ろう不思議な事柄など、意に介して無いのは明らかで在った。

「そんな!? 若し、重大な秘密が隠されて居たらどう為るんですか!? 戦局にも影響するかも知れません!」

「ミス、確かに不思議な出来事では在るが、大局に影響が在るとは考え難い。我等は其の様な些事に構って居る暇は無いのだ」

「でも……」

 其れからド・ボワチェは、気付いた様な口調で付け加えた。

「丁度良い。調べて欲しい事が在る。遣って呉れるな?」

 

 

 

 赤煉瓦の司令部から、追い出される形で出て来たルイズを見て、建物の入り口に待って居た俺達は駆け寄った。

「どうだった?」

 ふんと、ルイズは外方を向き、ツカツカと歩いて行く。

 才人は、鼻を鳴らした。

 2人は、昨日から殆ど口を利いて居無いのだ。昨日の昼、“竜騎士大隊”の天幕前にルイズとシオンと俺を置き去りにしてから、ルイズと才人の2人は険悪な雰囲気を漂わせて居る。

 そんなルイズの後ろを、才人達は少し離れて歩き、シオンは彼女へと駆け寄り横を歩く。

 ルネが、「はあ、まるで姫様と其の奉仕者だね」、と皮肉を込めて言った。其れから、少し小声にして、才人の耳元で囁く。

「ちょっと小耳に挟んだが……君達は、“アカデミー”の研究員何だろう?」

 才人は「アカデミー?」とキョトンして、ルネの顔を見詰めた。

 興味深そうな顔で、次々と少年騎士達が俺と才人へと詰め寄って来る。

「あの飛行機械も、“アカデミー”で造ったモノ何だろ?」

「此の前の説明で何と無くの理解だけど、凄い新型“魔法”兵器を積んでるだろう?」

「こないだの任務は、其奴を“ダータルネス”に炸裂させて、敵を引き付ける陽動作戦だったんだって?」

 目をキラキラと輝かせて、少年騎士達は俺達に話し掛けて来る。

 彼等は、俺達の事を“魔法研究所(アカデミー)”の研究員だと想って居る様だ。ルイズの“虚無(ゼロ)”を知る者は一部の将官のみで在る為、情報が操作されて居るのだ。

 城下では“奇跡の光”で通って居るのだが、“貴族”相手に其の様な言い訳が通用する筈も無く、公式の其の効果と存在は尤もらしく“魔法研究所(アカデミー)”と云う事に成って居るのだ。

 俺達の会話に聞き耳を立てて居たのだろう、ルイズがピタリと立ち止まる。

 才人達も、ギクッ! と緊張して立ち止まって仕舞う。何故か、俺を除いた全員が直立だ。ルイズから発せられて居る、ピリピリとした雰囲気に、彼等は呑まれてしまって居るのだ。

 ルイズは振り返らずに、澄ました声で、「違うわ。私は“魔法研究所(アカデミー)”所属の研究員何かじゃ無いわ。女王陛下直属の女官よ」と答えて仕舞う。

 其れに対して、才人は(おい! 馬鹿ルイズ! “虚無”は秘密何だろ!? 噂が広まって敵に知られたら大変だろ!? 狙われちゃうよ!)とあたふたとした様子を見せる。

 そんな才人の様子を他所に、ルイズは言葉を続けた。

「私達は“王室”直属の“新型兵器開発部門”、通称“ゼロ機関”の一員成の」

 才人は、へ? と拍子抜けをした様子を見せる。

 ルイズの隣に居るシオンは、笑いを堪えて居る。

「そ、そうだったのか! 凄い!」

「何だか良く理解ら無いけど、凄く強そうな機関だな!」

「良い事? 秘密の機関成のよ? 誰にも言っちゃ駄目よ? 其処で開発されて居る“魔法” 兵器は、“魔法研究所(アカデミー)”で開発されてる其れとは比べモノに成ら無い程に凄いんだから! 言ったら死刑よ、貴男達」

「わ、理解った!」

「“始祖”に誓って誰にもバラさ無いよ!」

 酔って気が大きく成った彼等は、「自分達が護衛して居るのは、“ゼロ機関”と遣らの新型“魔法”兵器だ」、と云った風に方法で話す事だろう。其れに依り、敵も味方も、伝説の“虚無”の存在など想像すらし無いだろう。

 才人は(成る程)、と想った。

 誰かがテキトウな噂を流し、そして本人が其の噂を否定。次に尤もらしい真実に近い何かを述べる事で、真実から好奇の目を逸す事が出来るので在る。

 詰まりは、上手い事情報を操作したと云う事だ。

「まあ、そう言う事だ。本来、あの飛行機械、名称“ゼロ戦”、通称“竜の羽衣”の構造は、此の前説明したが、あの中には幾つもの仕掛けが在る。そして、俺とシオンが乗って居るあれは、其の“竜の羽衣”のプロトタイプ且つオリジナル、名称は“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”だ。“竜の羽衣”は其れをダウングレードさせ、量産する為のテスト機体と言う奴だ」

 少年騎士達は、俺の説明に対して目を爛々と輝かせ、聴いて居る。

 才人はルイズに駆け寄り、耳打ちした。

「……何時の間にそんな謀略を覚えてんだよ? 随分と遣るじゃ成えか」

「……姫様から貰い受けた命令書に書いて在った通りの事を言っただけよ。“虚無”は味方だって一部しか知ら無い機密、“聖杯戦争”と“サーヴァント”は更に知られては成ら無いから、此の様に言い訳しろってね」

「おまえ! だったらそう云う事俺にも言っとけよ。俺が上手く言い触らして遣ったのに」

「セイヴァーは大丈夫だろうけど、あんたは演技出来無いから駄目。馬鹿だし」

 其れからルイズは、ふんっ! と顔を背けて歩き去った。

 シオンが其れに続く。

「何か君の女主人は、完全に御機嫌斜めだな」

 と、ルネが、そんなルイズの様子を見て呟いた。

 才人は厭味ったらしい声で、「ふん。いっつもあんな感じだよ」と言うと、ルイズが振り向いた。

「あんた達が生還出来た理由が気に成るから調査を上申したってのに、却下されたから頭に来てるだけよ。何時もって何よ?」

 才人、「いっつも“頭に来てる”状態じゃ成えか」、と言い返した。

 ルイズは少しの間、冷たい目で才人を見詰めた。

「な、何だよ?」

 ふんと、小さく鼻を鳴らし、クルリと背を向け、ルイズは再び黙って歩き始めた。

 才人も無視を決め込んだ事を想い出し、顔を背けた。

 

 

 

 

 

 さてそんなルイズが向かう先は、自分達に与えられた天幕では無かった。

「彼奴、何処に行く積りだろ?」

 そんなルイズに、才人が訝しみ口を開く。

 巨大な鉄塔が並ぶ船着場を過ぎ……工廠らしい溶鉱炉の横を過ぎ……元は教練場だっただろう大きな広場迄遣って来た。

「僕等の隊じゃ成いか?」

 ルネが言った。

 果たして其処は、昨日も遣って来た“竜騎士大隊本部”の天幕で在った。何故他の天幕から離れ、ポツンと寂しく張られて居るのかは、周りを見れば判るだろう。

 周りには20数匹の“ウィンドドラゴン”が杭に繋がれ、ギャアギャアワアワアピィピィと鳴き喚いて居るのだ。五月蝿いし、危ないと云う事も在って、他の隊から離れた場所に設営されて居ると云う訳だ。

 そんな“ウィンドドラゴン”を世話して居る人物が居た。

 長身で美形の“ロマリア”神官……ジュリオ・チェーザレだ。

 まるで恋人でも甘やかすかの様にして、ジュリオは飼葉桶に首を突っ込む“ウィンドドラゴン”の首筋を撫でて居る。そて、何遣らブツブツと“ウィンドドラゴン”に話し掛けて居るのだ。

 ジュリオ・チェーザレは、未だ俺とシオンしか知ら無い事だが、“ヴィンダールヴ”で在り、“ライダー”の“クラス”の“サーヴァント”だ。本来協力為る筈の“ガンダールヴ”と“ヴィンダールヴ”が、何時かは敵対する羽目に成って仕舞うだろう。そして、今の俺は“サーヴァント”で在り、何時敵対しても可怪しい状況では無い。のだが、彼からは敵意も害意も殺意も発せられて居らず、そう云った感情などは抱いて居無い。其の事からも、俺はシオンに、未だ敵対為無い方が良いと言い、彼女は其れを了承したのだ。

 ルイズは、そんなジュリオに真っ直ぐに近付いて行くので、才人は気が気では無い様子を見せる。そして、咄嗟にルイズの後ろに駆け寄った。

 ルネ達も、俺とシオンも、そんな2人の後を追った。

「ミスタ・チェザーレ」

 ルイズがそう呼び掛けると、ジュリオの顔がパァアアアッ! と笑顔に変わり、「之は之は!」、と大仰な身振りでルイズに近付き、其の手を取って其処へと接吻をした。

「梟か鳩で知らせて下さい。そう為れば此方から御迎えに参りましたものを」

 そんなジュリオに、ルイズは「否、貴男と其の“ウィンドドラゴン”に用事が有ったのよ」と言った。

「僕と“風竜”?」

「今から私を乗せて、飛んで欲しいの」

 ジュリオは理由も訊かずに、満面の笑みで一礼した。

「貴女の様な美しい方の御役に立てる好機が巡って来るとは!? 僕も満更捨てたもんじゃ無いな! 全く、之は望外の喜び!」

「何だ彼奴の仕草!? 芝居じゃ無えんだぞ」

 才人が苦々しい口調でそう呟けば、「“ロマリア”人はそう云うモノだ」とやはり苦い顔でルネが言葉を返す。

「何方に飛べば宜しいのですかな?」

 とジュリオが言った時、才人は無視の誓いを忘れてルイズの肩を掴んでしまった。

「おいルイズ」

「何よ? 邪魔よ。彼処に行って為さいよ」

 才人は深く深呼吸をした後、言った。

「飛ぶん成ら、俺の“ゼロ戦”使えば良いじゃ成いかよ。何でこんな気障……否さ、“ロマリア”と遣らの神官様に頼むのよ?」

 ルイズは、「ふん。あんた何か嫌だもん」、と、ツン、と澄まして言った。

「はぁ?」

「間が抜けてるし、優しく無いし、気が利か無いし。其の上、変な事しか考えて無いし。そそ、そう言う事しか考えて無いし。誰でも良いんだろうし」

「間が抜けてる以外は飛行にゃ関係無いだろ?」

「じゃあハッキリ言ったげる。どうせ後ろに乗る成ら、格好良い男の子が良いの」

 ルイズがそう言った瞬間、才人の身体が固まり、シオンと俺は天を仰ぎ見る。

「……なな、な、何だと?」

 思いっ切り冷や汗を垂らし乍ら、才人がそう言うと、ルイズは才人に指を突き付けた。

「あら何? 焼き餅? 馬鹿じゃ成いの? あんた誰と誰を比べて焼き餅妬いてるの? 此処に居る美形が服を着て歩いて居らっしゃる様な“ロマリア”の神官様と、犬と土竜を足して3で割って4を掛けて5を引いたて踏ん付けた様な自分の顔を比べて焼き餅妬いてんの? 可笑しいんじゃ成いの? ばっかじゃ成いの? 死んだ方が良いんじゃ成いの?」

「お、おまえ……」

 才人は酸欠に成り、口をパクパクと動かした。才人の中で、嫉妬の炎が激しく燃え上がり、身体を焼き尽くしそうに成って居る。

「ルイズ、其れは流石に……」

「御生憎様。と言う訳で私は美形の神官様と秘密の任務に向かいますから、あんたは天幕の中掃除しと居てね。自分達で汚したんだから、ピカピカにしとき為さいよね。後洗濯」

 シオンの制止すら耳に入って居無い様子で、ルイズは言葉を続け、最後に思いっ切り才人に向かって舌を突き出した。

 “ウィンドドラゴン”に跨ったジュリオが、そんなルイズに声を掛ける。

「準備は完了です。ミス・ヴァリエール」

 ルイズは、「待って! 今行くわ」、と言って、“ウィンドドラゴン”にヒョイッと跳び乗った。

「確り掴まって下さい。貴女は“トリステイン”の宝石だ。落としたらとんでも無い外交問題だ!」

「まあ、御上手ね!」

 “トリステイン”の宝石とは、言い得て妙かも知れ無いいと云えるだろう。

 ルイズは、才人に見せた事の無い特大の笑みを浮かべてジュリオの腰に腕を回した。そして、得意気に髪などを掻き上げてみせる。

 “ウィンドドラゴン”は力強く羽撃いた。地面の砂や埃が舞い上がり、才人達は思わず目を瞑る。

 彼等が目を開いた時には……“ウィンドドラゴン”は高く空に浮かび、次いで鮮やかに飛び去って行く。

 呆けた顔で、才人はそんな“ウィンドドラゴン”を見送った。

「何だ彼奴!? 何だあれ!? 何だあの態度!?」

 才人は背負って居るデルフリンガーを抜いて、怒りに任せてブルンブルンと振り回し始める。

 ルネ達は、そんな才人から離れ、そして呆然としてそんな様子を見詰め、言葉を話す剣に驚いた様子を見せる。

「御久。いやぁ、何だか、相棒も苦労してるねぇ」

「何だよあれ!?」

「しっかし、彼奴、何か引っ掛かるなぁ……」

「どー成ってんのよ!? 何で其処迄意地悪言うのよ!?」

「気の所為かなぁ……? って相棒聞いて無えな。ま、どうでも良いんだけどね」

「どうでも良いか……まあ、気に成るのは仕方在るまい。何せ彼奴はおまえの既知の存在と同じ役割を持って居るのだからな」

 そんなデルフリンガーへと、俺が答えた。

 

 

 

 “ウィンドドラゴン”に跨ったルイズは地面を見下ろした。ドンドンと人や天幕が小さく成って行くのだ。呆然として見上げて居る才人の顔に気付き、(見て! あの間抜けた顔! なぁに? いっちょ前に焼き餅妬いてんの?)、と云った風にニヤ~~~~~~っと、再びルイズは特大の笑みを浮かべた。

 そしてルイズは、地面に向かって、べぇ~~~、と再び舌を突き出した。

「さて、何処に向かって飛べば良いのかな?」

 とルイズの前から声がして、彼女は我に返った。

「え、えっと……」

 ルイズが何から説明しようかと迷い出すと、ジュリオが「何処を偵察すれば良いのかな?」と返された。

「ど、どうして偵察任務って判ったの?」

「子供でも判るよ! 単騎での任務だもの! でも、頂け無いね!」

「何が?」

「“魔法研究所(アカデミー)”の研究員たる貴女の様な重要人物を、偵察任務何かに投入する何で! 考えられ無い! 偵察何て、普通は“使い魔”の仕事じゃ成いか」

 ルイズは左手で、ギュッと“始祖の祈祷書”を握り締める。落とさぬ様に、革の紐で綴じられ、肩から鞄の様にして提げて居るのだ。

「上層部は試して居るのよ。私の持つ……其の、魔法兵器が何の程度の役に立つ代物成のかってね。きっと、汎ゆる任務に投入為る積りだわ」

「便利ってのは、不便な事だね」

 そうね、とルイズは首肯いた。

 ルイズは自分の持つ伝説の力でさえ、国や軍組織と云う大きな装置の中では1個の歯車に過ぎ無い事を肌で悟りつつ在った。(何れだけ使えるのか? 何に使えるのか? どう遣ったら己の役に立つのか?)、と偉い将軍達に、彼女はそんな目で見られて居るのだ。

 当たり前の事では在るが、其処に彼女自身の意志が介在する余地は無いと云えるだろう。彼女はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールでは無く、此処では唯の“虚無(ゼロ)”成のだ。

 だが其れは彼女自身とて同じかも知れ無い。散々彼女を馬鹿にして来た家族やクラスメイトを見返す為に、彼女自身だって“虚無(ゼロ)”を利用して居るのだから……。

 其の様に、ルイズが物思いに耽って居ると、ジュリオの笑い声が響いた。

「で、何方かな?」

「あ、御免! “シティオブサウスゴータ”!」

「古都だね。美しい都と聞いて居る。彼処を戦で破壊するのは偲び無いなあ」

 ルイズが答えに困って居ると、ジュリオは振り返り「気に為無いで。今は戦争だ、理解はして居る。唯、僕は神官だからね」とニコッと笑って言った。

 男女共に、ハッ!? とさせる位に魅力的な笑みをジュリオは浮かべる。

 ルイズは思わず頬を染めてしまった。

「そ、そうね」

 ジュリオは振り返った儘、グイグイと顔をルイズに近付ける。

「ホントに君は綺麗だね。ミス・ヴァリエール」

 軽く後退って、ルイズは誤魔化す様に尋ねる。

「ど、どうして“ロマリア”から? 同盟国でも無いのに……」

「義勇軍だよ! 規模は小さいけどね! 今の“アルビオン”は、“ハルケギニア”の国全てにとって目の上の痣瘤さ。“王制”を打倒して、“貴族”達で共和制を敷く? そんな事をされたら大変だ! 共和制ってのは、何処の国にとっても悪夢成のさ。教皇様が治めて居る“ロマリア”だって例外じゃ無い」

「私には政治の事は良く理解ん無いわ」

「気が合うね。僕もあんまり興味が無い。じゃあ、もっと興味の有る話をしよう。そうだな……」

「なぁに?」

「どう遣ったら君の様な、妖精みたいに可愛い女の子が出来るんだい?」

 真顔でそう尋ねられ、ルイズは軽く俯いた。

「馬鹿な事言って無いで、ちゃんと前見て為さいよ。道を間違えたら大変じゃ成いの」

「平気さ。先刻、ちゃんと此のアズーロに指示したんだ。“シティオブサウスゴータ飛んで呉れ”ってね」

 ルイズは怪訝な顔に成った。

 確か此の神官は、“メイジ”では無い筈で在る。詰まり、身分的には兎も角平民と変わら無いのだ。“メイジ”でさえ、“使い魔”と心が通じ合う様に成る迄には、相当の年月を要すると云うのに……。

 ルイズが、(“使い魔”では無い“幻獣”と、“メイジ”でも無い神官の心が通じ合う? そんな事って在るの?)、と云った風にキョトンとして居ると、ジュリオは笑った。

「君が“魔法研究所(アカデミー)”の魔法兵器を扱える様に、僕は神の奇跡を使えるのさ」

「冗談言わ無いで」

 現在の此の世界――“ハルケギニア”に於いては、神と云うモノは形而上の存在と云える。“魔法”が世の理を司る現世に力を及ぼす事は無いに等しいのだ。

「何てね! そう、冗談だよ!唯、他人選りちょっと、獣の気持ちが判るだけさ! なぁ、アズーロ!」

 “ウィンドドラゴン”で在るアズーロは、きゅい、と一声鳴くと、グングンと速度を上げた。

 2人は1時間程の飛行で“シティオブサウスゴータ”の上空迄遣って来た。

 円形に配置された城壁の中に、色取り取りの煉瓦で組まれた家々が並んで居る。人口40,000近くの大都市で在る。

「高度下げて」

 ジュリオはルイズの言葉に首肯き、アズーロがジュリオの意思を汲み、高度を下げる。

 街行く人々が手を振って居るのが見える。味方と勘違いでもして居るので在ろう。

 ジュリオが微笑むと、“ウィンドドラゴン”に何かを呟いた。

 アズーロは翼を交互に振り、奇妙な感じに身体を揺すり始めた。

「何してるの?」

「“アルビオン”産の“ウィンドドラゴン”の真似してるのさ。此のダンスで、“アルビオン”の“ウィンドドラゴン”は伴侶を探すんだよ。“アルビオン”の“竜騎士”は其れを利用して、敵味方の識別に使ってる」

「貴男のアズーロは、“アルビオン”産成の?」

「まさか! 僕が仕込んだんだよ!」

「貴男、凄いのね」

 “メイジ”にだって“竜”に芸を仕込むのは並大抵の事では無い為、ルイズは素直に感心した。

「良いから早く敵情を調べ給え」

 ルイズは首肯くと、街の情景を眺めた。報告の際に、“イリュージョン”を用いて、鮮明な映像として上層部に提出する積り成のだ。幻影の“魔法”で在る“イリュージョン”は“詠唱”者が見た光景を、記憶から取り出して正確に再現為る――現実世界に映し出す――“虚像を投影する”事が出来る“呪文”で在るのだ。

 此の“イリュージョン”の使い方は、参謀部の指示で在る。彼等はルイズの“虚無”を、あっと言う間に軍事的に応用してみせたのだ。其れはルイズが、(成る程)と想うと同時に、(自分が道具だ)、と云う事を、犇々と感じる瞬間でも在った。

 街中の広場を、闊歩して居るヒトとは明らかに違う大きな存在に気付く。

「“オーク鬼”だわ」

「そうだね。余り人の兵隊の姿が見当たら無い気がするんだが……気の所為かな?」

 気の所為では無いだろう。

 街を我が物顔で歩いて居るのは、槍や棍棒を担いで居る“オーク鬼”や“トロル鬼”と云った、大柄な“亜人”ばかりで在るのだ。其れを指揮する“メイジ”の姿も見えは為るが……余り兵隊の姿は無く見当たら無いのだ。

「彼奴等は、“亜人”で兵力を水増しにして居るのね。でも……良くあの凶暴な“オーク鬼”達が人間に従って居るわね……」

「何らかの手品が有るんだろうさ。全く君達“メイジ”のする事は神の敬虔成る下僕足る僕には理解出来無いね」

 ルイズは精神を集中させ、眼の前の光景を脳裏に焼き付け始めた。

 “虚無系統”は1回大きく使うと、再び“精神力”が溜まる迄他の“系統”と比べてかなりの時間が必要と成るのだ。先日使ったばかりの為に、余り大きな……詰まり広範囲の風景を切り取る“イリュージョン”は作成出来無いだろう。

「もう1度、街の上を旋回して」

「そろそろ危険かも知れ無い。何時迄も誤魔化しは利か無いよ」

 5分置き程度に、“ウィンドドラゴン”に“アルビオン”でのダンスを躍らせて居るジュリオが呟く。

「正確な情報が必要成の。“呪文”が足り無い分は、紙に書くしか無いわ」

 ルイズは危険を犯して、何度も街の上を往復させ乍ら羊皮紙のノートに街の情報を書き留めて行く。其のノートと“イリュージョン”を使って、出来る限り正確な情報を持ち帰ろうとして居るので在る。

 そんなルイズの様子を見乍ら、ジュリオは笑みを浮かべた。

「焼き餅を妬かせたいだけじゃ無いんだろ?」

「え? ええ? 何言ってるのよ!?」

「“武装”が無いんじゃ危険だからだ。君じゃ無く……あの“使い魔”君がね。危険は仕方が無い。任務だからね。でも、無謀な危険を冒させる訳には行か無い。違う? どうしてどうして、君は怒って居ても冷静な部分を残して居る。女の子だからかな?」

「意味が理解ら無いわ」

 ルイズは、頬を染めて誤魔化す様に言った。

「あの飛行機械は弾切れ何だ。秘密兵器も使っちまった。速く飛べるだけじゃあ、役立たずだ」

「……何で知ってるの?」

「僕も“ヴュンセンタール号”に乗り込んで居た。興味が湧いてね、甲板に繋がれて居るあの飛行機械を調べたんだ。随分と良く出来てるな! 感心したよ!」

「好奇心は身を滅ぼすわよ」

 とルイズが少しばかり凄んで言うと、ジュリオは大声で笑った。

「安心して呉れ! 僕は君の味方だよ! 自分の事しか考えて無い将軍達と違って、利用為たり、陥れよう何て之っっぽっちも考えて無い……さて、時間切れだ」

「未だよ。もうちょっと」

「無理だよ」

「命令よ!」

「敵だよ」

 ジュリオは顎を杓った。

 そちらの方向から、“ウィンドドラゴン”の編隊が、1個中隊9匹、此方に向かって急降下して来るのが見えた。

 ルイズは呆然とした。

「逃げて!」

「……んー、無理っぽいな。ちょっと御喋りに夢中に成っちゃたなぁ」

 と、薄ら笑いを浮かべて、ジュリオが呟く。

 上空に居た分、敵の方が速い。全力で飛んでも逃げ切る事は至難の業だろう。

 勢いを付けて降下して来る“ウインドドラゴン”を見詰め、ルイズは震えた。将軍達に自分の実力を認めさせたくって、少し長居が過ぎた様で在る。ルイズは唇を噛み締め、膨れ上がる死の可能性に恐怖を覚えた。

 ルイズは首を横に振り、其の様な恐怖を振り払う。

 ルイズが(何とか……“虚無”で反撃して遣る。何発“エクスプロージョン”は撃てるかしら? “精神力”は……低い。規模は小さい。上手く当たるかしら?)とそんな風に考えて居ると、ジュリオから指示が飛んだ。

「ルイズ、君は乗馬は得意かい?」

 行き成り呼び捨てにされて仕舞ったが、今は文句を言って居る場合では無い事をルイズは重々理解して居り、怪訝な表情を浮かべ乍らも首肯く。

「え、ええ……下手では無いわ」

「じゃあ確り掴まってて! ギャロップで柵や植え込みを飛び越えるみたいにね! アズーロ!」

 アズーロは、きゅい、と小さく鳴いた。そして、敵に向かって猛烈に加速する。

「ちょっと!? ちょっとぉ!? 突っ込んでどーすんのよ!? あんた“魔法”使え無いんでしょ!」

 真っ直ぐに、ジュリオとアズーロは敵の“竜騎士編隊”に突っ込んで行く。

 ルイズは悲鳴を上げた。

「ちょっと!? あ!? “魔法”撃ったわ!? いやぁあああああ!?」

 9騎の“竜騎士”が、次々と“魔法”を放つ。

 氷の刃が、火の弾が、アズーロに跨るジュリオとルイズへと飛ぶ。

 ルイズが“魔法”を唱えようとした時……ジュリオが怒鳴り制する。

「手を離すな!」

 敵の“魔法”が当たる……思われた瞬間、アズーロはとんでも無い動きをしてみせた。身体を撚り、まるで空中で激しく踊る様子に身をクネラせ、次々と“魔法”を回避したのだった。信じられ無い事だと云えるだろう。“ウィンドドラゴン”とは想えぬ機敏な身の熟しで在る。

 まるで小鳥の様な其の動きに、敵も度肝を抜かれたらしい、一瞬、速度が鈍る。

「ブレスだ! アズーロ!」

 ブフォッ! とアズーロの口から、まるで火竜が出すモノの様な大きなブレスが飛んだ。1騎の“竜騎士”が正面からマトモに喰らい、地面へと落ちて行く。

 そして擦れ違い様に、アズーロは爪を使い、また1騎の翼を切り裂いた。其の1騎は行き先を地面へと変えた。

 唖然として、(“ウィンドドラゴン”があんなブレス吐く何て!? どー成ってんの!?)、とルイズは其の光景を見詰めた。

 7騎に減った敵の“竜騎士”達は、反転して、再び戻って来る。流石は“アルビオン”の“竜騎士”と云えるだろう。ジュリオの“ウィンドドラゴン”で在るアズーロの動きに、一瞬驚いたが、直ぐに平静さを取り戻したらしい。味方が2騎撃墜された事にも動じた様子を見せず、怯まずに突っ込んで来るのだ。

 広がって包み込む構えの様だ。慎重に逃げ道を塞いで、仕留める様と云うのだろう。

 だが、無造作とも云える様な動きで、ジュリオのアズーロは包囲網の中に入り込んで行く。

 警戒為る様に、一定の距離を取って居た敵の内の1騎が突っ込んで来る。

 其の敵に背を向けた瞬間、後方から別の1騎が飛んで来る。前方の“竜騎士”は囮らしい。

「後ろ!? 後ろ!」

 とルイズが絶叫したが、ジュリオは薄笑いを浮かべた儘、囮を追い掛けて居る。

 後ろに着いた敵は、てっきり囮に注意を引き付ける事に成功したと想ったのだろうか、グングンと距離を詰める。

 真後ろに着いた敵の“魔法”攻撃と同時に、アズーロは身体を撚らせた。後ろに目が付いて居るかの様な動きだ。鮮やかに宙返りをして攻撃を躱すと、アズーロはブレスを吐いた。

 其のブレスを喰らい、攻撃を仕掛けて来た“アルビオン”の“竜騎士”は墜落して行った。

 唖然として、ルイズは事の成り行きを見守って居た。

 信じられ無い位に鮮やかで、無駄の無い“ウィンドドラゴン”の動きだ。

「りゅ、“竜”がこんな動きを為る生き物だ何て!?」

「喋ると舌噛むよ」

 と何処迄も落ち着き払った声を出すジュリオ。

 3騎遣られ、敵の空気が変わった。

 爆ぜる様な怒りを感じたルイズは首を竦める。

 “アルビオン”の“竜騎士”達は、包囲をユルユルと縮め、全騎が一斉に突っ込んで来た。

 瞬間、ルイズの視界が上下に揺れ、左右に回転をした。まるで曲芸師の持ったボールの様に、身体が振り回される。目を瞑る事も忘れ……ルイズはジュリオにしがみ付いて居た。

 アズーロが身を撚る度に、ブレスが爪か牙で、敵の“ウィンドドラゴン”が深刻なダメージを受けるのが見えた。敵の攻撃を避ける動作が、其の儘攻撃の動作に成って居るのだ。

 僅か4秒程の間に、突っ込んで来た6騎は叩き落されて仕舞った。

「終わり。じゃあ戻ろうか」

 まるで道端で子供をあやした後かの様な、何気無い声でジュリオが言った。

「な、何が起こったの?」

 “ウィンドドラゴン”と乗り手が一体化でもしたかの様な、鮮やかな機動。

 否、其れだけでは説明が付か無い様な、信じられ無いアズーロの動き。

「“竜”本来の能力を、引き出して遣っただけだよ。皆、“竜”に無駄な動きをさせ過ぎて居る。そんだけさ」

 事も無気に、ジュリオは言った。

 “メイジ”では無い彼が、どうして第三中隊を預かって居るのか……ルイズは理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルビオン”の首都“ロンディニウム”、ホワイトホールでは出撃を巡っての激論が交わされて居た。

 ルイズの“イリュージョン”で“ダータルネス”に吸引されてしまった“アルビオン”軍は、水際で敵軍を叩く好機を逃す事に成ってしまったのだ。キッチリ“ロサイス”で、上陸して来る敵を迎え討つ事が出来れば、“アルビオン大陸”から“ハルケギニア大陸”へ敵を追い落とす事も可能だったのだが……。

「敵が完全に上陸し終わって陣を築いた現在、此方から反撃を試みるのは自殺行為です」

 15人程が腰掛けた円形のテーブル、北側に腰掛けた年若い将軍が、憔悴した顔で言った。

 実際に其の通りで在る。40隻が残って居た“アルビオン”空軍艦隊では在るが、先日の艦隊決戦に依り半数が撃沈されて仕舞い、残りの“フネ”も深刻なダメージを受けて仕舞ったのだ。出撃出来るのは、10隻にも満た無いのが現状だ。

 対して“トリステイン”と“ゲルマニア”の艦隊は、12隻が沈み、8隻が深刻なダメージを受けはしたが、未だ40隻程が戦闘可能で在る。制空権は、連合艦隊が完全に握って居ると云っても過言では無いだろう。

 其の上“アルビオン”軍は、数を減らして居た。“タルブ”での敗戦で3,000を丸々失い、先日の敗北で更に軍全体の士気が下がり、離反する隊迄現れて仕舞う始末だ。現状では4万数千の兵を残すのみ。革命時の勢いは、既に無いと言い切る事が出来る。

 制空権を握った60,000に対し、攻撃を加えらえる訳が無いのだ。

 座の中心に控えた、“神聖アルビオン共和国議会議長”にして、“初代アルビオン皇帝”クロムウェルに、非難の視線が集中して居た。

 数々の謀略も失敗した挙句、敵の上陸を許して仕舞ったからだ。

 然し、クロムウェルはそんな視線を受け流し……涼しい顔の儘だ。

 “アルビオン”軍主力の実質的な指揮を執って居るホーキンス将軍が、口を開いた。

「反転は小官のミスです。初動で敵を殲滅出来る好機を逃しました。詫びの言葉も有りませぬ」

 クロムウェルはニッコリと笑って、「ボロボロだな、我が軍は」、と言った。

「“魔法学院”の子弟を人質に取る作戦も、失敗に終わった」

 失敗したと云うのにも関わらず、クロムウェルは悪怯れた様子を見せ無い。

 ホーキンスは、溜めきを吐く様に言った。疲れた声で在った。

「敵が使用する“魔法”兵器は、此方の想像を超えて居ります」

「ミス・シェフィールド」

 クロムウェルの後ろに控えた黒尽くめの秘書、シェフィールドが首肯いて羊皮紙に書かれた報告書を読み上げる。

「“ダータルネス”付近に突然現れた幻影は、13時間に亘って遊弋し、其の後忽然と姿を消しました」

「たかが幻影を浮かべる姑息な“魔法(わざ)”に過ぎん。何を恐れる事が在る?」

「効果は絶大です」

 ホーキンスは目を瞑って言った。

 幻影で惑わし、軍を引き返させる……詰まりは数万の軍勢と変わらぬ効果を上げて居るのだ。高が幻影と、侮る気持ちには到底成れる筈も無い。

「正直に申し上げて、小官は敵が恐いのです。“ダータルネス”の幻影のみ成らず、敵は未知の“魔法”を多々使用して居ります。“タルブ”で、我が艦隊を吹き飛ばした“魔法”の光……“ダータルネス”付近で敵を迎撃する為に出撃した“竜騎士隊”を襲った突然の弓の豪雨……」

 クロムウェルはシェフィールドに向かって首肯いた。

 シェフィールドが、寺院で賛美歌でも歌う声楽隊の一員で在るかの様な、良く響く声で再び羊皮紙を読み上げた。

「敵軍は……嘗て“タルブ”で我が艦隊を殲滅した、あの様な光……“ダータルネス”付近での突然の矢に依る豪雨は撃て無い状態で在ると判断致します」

「何故か?」

「“タルブ”での光は使用する成ら、先日の上陸前の艦隊決戦の折、使用して居る筈です」

「温存の可能性は?」

「敵軍は、あの艦隊戦で負けたら、後が無い状態でした。使用出来るモノ成らば、確実に“奇跡の光”を投入した筈です。然し、敵は通常の艦隊戦を行いました。衆寡敵せず、其れでも我が艦隊は敗北致しましたが」

「では、突然降って出た矢の豪雨は、何と為る?」

「あれは、恐らく“風”に依る隠蔽……相当の実力を持つ多人数の“メイジ”と、多量の矢在ってこそだと想われます」

 クロムウェルは、「陸で勝てば良い」、と言葉を引き取った。

 其の言葉を受けて、参謀本部の将軍が立ち上がり、「閣下、参謀本部は敵の攻略予定地を、“シティオブサウスゴータ”と推定しました。此処は……」、とテーブルの上の地図を、“杖”の先で叩き乍ら説明を加える。

「街道の結束点で在り、重要な大都市です。推定を裏付ける要素として、此の辺りの敵の偵察活動が活発に成って居ります。先日も偵察目的と想われる“竜騎士”が飛来し、我が軍の“竜騎士隊”と交戦致しました。我々は“シティオブサウスゴータ”に主力を配置して陣を構え、敵を迎え討つ可きです」

 尤もな作戦案で在る為、他の将軍達から賛同の声が上がる。

 然し、クロムウェルは首を横に振った。

「未だ、主力は“ロンディニウム”から動かぬ」

「座して敗北を待つ御積りか?」

 玩具を取り上げられるのを拒む子供を窘める様な目で、ホーキンスはクロムウェルを見詰めた。

 クロムウェルは再び首を横に振った。

「将軍、“サウスゴータ”の街は占られても構わぬのだ」

「敵にみすみす策源地を与えると申されるか。敵は大都市で少ない兵糧を補給し、休養も摂るでしょうな」

「兵糧など与えぬ」

「どう遣って?」

「住民達から丸々食料を取り上げる」

 ホーキンス始め将軍達は言葉に詰まってしまった。

 クロムウェルは、“シティオブサウスゴータ”の住民達を、利用しようと云うのだった。

「敵は数少ない食料を、住民達に与えねば成らぬ羽目に成るだろう。良い足止めだ。憖防衛戦を展開して損害を被る選り、賢い方策だ」

「敵が見捨てたらどうします!? 大量の餓死者が出ますぞ!」

「其れは無い。何、敵が見捨てたとて、たかが都市1つでは成いか。国の大事の前には、些細な犠牲だ」

 元司教とは到底想えぬ、冷たい言葉で在った。然し、其の読みは正確とも云えるだろう。

 連合軍はクロムウェルと交渉為る為に侵攻して来た訳では無い。クロムウェルを廃し、此の地を支配する為に遣って来たのだ。十中八九、戦勝後の民意を考え、施しを行うで在ろう。

 然し……クロムウェル達が勝利を収めた場合、どう成るだろうか? 下手すると大都市1つ、反旗を翻すかも知れ無い。其れ程に食い物の恨みは恐ろしいのだから。

「大都市1つを敵に回す御積りか……? 何の道、痼を残しますぞ」

「何の為に、先遣で“亜人”共を配置したと言うのだ。奴等の独断と言う事に為れば良い」

 何の様な手を使ったものか、クロムウェルは“亜人”との交渉術に優れて居るのだ。“亜人先遣”は通常の軍作戦では無く、此の様な謀略に使う為だったと知り、将軍達は唖然とした。

 彼等の指導者は、条約を破り、何度も姑息な手段で謀略を仕掛けたのみ成らず、遂には卑劣な手段で己の国の民をも裏切ろうと云うのだった。

「次いで、“サウスゴータ”の水に罠を仕掛ける」

「水場に毒でも投げ込む御積りか? 毒など、直ぐに流れてしまいますぞ」

「毒では無い。“虚無”だ」

「“虚無”の罠ですと?」

「そうだ。面白い事に成るだろう。但し、効果を発する迄に、時間が掛かる」

 クロムウェルはニッコリと笑い、そして立ち上がると……拳を振り上げた。

「諸君、“降臨祭”だ! 其れ迄敵を足止め為るのだ! “降臨祭”の終了と同時に……余の“虚無”と“交差した2本の杖”が驕り高ぶる敵に鉄槌を下す!」

 “交差した2本の杖”は、“ガリア王家”の紋章で在る。

 其の為、会議場では、「おお! 愈々“ガリア”が!」、と色めき立つ。

「其の時こそ、我が軍は前進する! 奢る敵を粉砕する為に! 約束する!」

 会場の空気が熱せられて居る事を感じ、クロムウェルはツカツカとバルコニーへと向かった。

 居並ぶ将軍や官僚達が立ち上がり、後に続く。

「忠勇成る兵士諸君を、閣僚全員で励まそうでは成いか!」

 バルコニーに出でたクロムウェル達を、歓呼の声が包んだ。

 嘗て王の謁見を待つ為に設けられた広い中庭には、熱狂的な信頼をクロムウェルに捧げる、親衛連隊がズラリと並んで居るので在った。

 数千の歓呼の声が届く。

 クロムウェルは手を振って其の声に応えた。

「敵は我が祖国に上陸した! 諸君! 勇敢成る革命兵士たる諸君に余は問う! 之は敗北か?」

「否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否!」

 歓声の輪がクロムウェルを包む。

「其の通り! 之は敗北では無いッ! 断じて、無いッ! 我は勝利を、諸君等に約束しよう! 無能な王から冠を奪い取った忠勇にして無双の諸君等に余は勝利を約束する! 驕れる敵は“降臨祭”の終了と同時に、壊滅するッ! 奴等は神の怒りに触れたのだッ! 良いかッ! 良いかッ! 迷える“ハルケギニア”を導くのは、神依り選ばれし我等“アルビオン”の民で在るッ! 其の為に“始祖”は我に力を託したのだッ!」

 バルコニーには、戦死してしまった兵隊が幾人が並べられて居る。

 クロムウェルは、高く“アンドバリの指輪”を掲げた。

 すると……死んで居た兵士達が偽りの命を与えられ蘇り、歩き出した。

「諸君! 此の“虚無”在る限り、我等に敗北は無いッ! 余を信じよ! 祖国を信じよ! “始祖”依り選ばれし我等の力、“虚無”を信じよッ!」

「“虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!  “虚無”!」

 クロムウェルは更に拳を振るい、「そう“虚無”だ!」、と叫ぶ。

「“始祖”は我等と伴に在りッ! 恐れるな! “始祖”は我等と共に在りッ!」

 中庭の熱狂は最高潮に達し、クロムウェルは大声で叫んだ。

「革命万歳ッ! 騙敵粉砕ッ!」

 熱気がバルコニー迄届く。

「革命万歳! 騙敵粉砕!  革命万歳! 騙敵粉砕!  革命万歳! 騙敵粉砕!」

「“神聖アルビオン共和国”万歳ッ!」

「“神聖アルビオン共和国”万歳!  “神聖アルビオン共和国”万歳!  “神聖アルビオン共和国”万歳!  “神聖アルビオン共和国”万歳!」

 閣僚の1人が立ち上がり、「“神聖皇帝陛下”万歳ッ!」、と大声で叫ぶ。

「“神聖皇帝陛下”万歳!  “神聖皇帝陛下”万歳!  “神聖皇帝陛下”万歳!  “神聖皇帝陛下”万歳!  “神聖皇帝陛下”万歳!」

 終わる事の無いだろうと想わせる程の連呼が、空へと吸い込まれて行った。

 

 

 

 熱狂の謁見の後……。

 元は王の寝室で在った巨大な個室で、クロムウェルは頭を抱えて椅子に腰掛けて居た。

 其の身体は小刻みに震えて居る。

 シェフィールドは其の前に立って、クロムウェルを見下ろして呟いた。

「見事な演説だわ。司教殿」

 司教殿、と以前の役職で呼ばれた男は、椅子から転げ落ちる様にして、シェフィールドの足下に跪いた。

 先程見せた、威厳の仮面は吹き飛んで仕舞って居る。

 唯恐怖に怯える30前後の男が、唯の司教に過ぎ無い痩男が其処には居た。

「おおおおおおおお! ミス! ミス・シェフィールド! あの御方は!? あの御方は確実に此の忌まわしい国に兵を寄越して下さるのでしょうか? 先程の将軍の言葉では無いが……私は! 私は恐いのです! 此の細い、“魔法”さえ操れぬ唯の男で在る私は恐いのです!」

 そんなクロムウェルに、まるで子供をあやすかの様な口調と声色で、シェフィールドは話し掛ける。

「何を言うの? 今更恐く成ったなど! あの酒場で“王に成ってみたい”とも申したのは貴男じゃ成いの。貴男の其の率直な言葉に感じ入り、私の主人は貴男に此の“白の国(アルビオン)”を与える事にしたのよ」

「一介の司教の身で、夢を見過ぎたので在りましょうか……貴女とあの御方に唆され、“アンドバリの指輪”を手に入れ、“王家”に不満を持つ“貴族”を集め、私に恥を掻かせた“アルビオン王家”に復讐を開始した所迄は楽しい、其れは楽しい、まるで夢を見て居る様な時間でした」

「結構じゃ成い」

「おお、空の上の此の大陸だけで、小物の私には過ぎたるモノで在りましたモノを……何故に、“トリステイン”や“ゲルマニア”へ攻め込む必要が有ったので在りましょうか?」

「何度言ったら理解るの? “ハルケギニア”は1つに纏まる必要が在るの。“聖地”を回復する事が、唯一“始祖”と神の御心に沿う事に成るのよ」

「私とて聖職者の端くれで在ります。“聖地”回復は夢で有る事に間違いは無いのですが……」

「成らば夢を見続け為さい」

「荷が重過ぎるのです! 敵が攻め込みました! 我が国土に敵が! あの無能な王達の様に私を吊るそうと、敵が遣って来たのです! どうすれば善いのでしょうか!? 之は悪夢では無いと、言い切って下さい。ミス……」

 シェフィールドは、笑みを浮かべてクロムウェルの前にしゃがみ込み、涙に塗れた其の顔を覗き込む。

 クロムウェルは、顔を上げた。

 シェフィールドは其の顎を持ち上げると……「甘えるな」、と小さく呟いた。

「ひっ」

 其れ迄の丁寧で柔らかい物腰が掻き消え、シェフィールドは一点して猛禽類の様な顔をしてみせたのだ。

 深い、闇の様なブルネットの長い髪が揺れ、其の下の目が妖しい輝きを放って居る。其の目に呑み込まれ、ガタガタガタとクロムウェルは震え出した。

「並の神官が百度生まれ変わっても見られぬ様な、甘い糖蜜の様な夢を見て置いて、今更悪夢は見たく無い? 我が国土? 貴様の土地など、此の碌でも無い貧乏っ足らしい“白の国(アルビオン)”の上とて、50“サント”も存在為無いわ」

「もッ! 申し訳有りませんッ!」

 クロムウェルはシェフィールドの足下の床に頭を擦り付ける。舌を突き出し、シェフィールドの靴を舐め上げた。

「御赦しを……お、御赦しを……は、ひぎ……御赦しを…」

「“アンドバリの指輪”を」

 クロムウェルは、恐る恐る嵌めて居る指輪をシェフィールドに手渡した。

 “水の精霊”の秘宝、“死者に偽りの生命を与える魔法の指輪”……。

 此の指輪を“水の精霊”から奪いに、此処に居るシェフィールド、及び“ガリア”の“魔法騎士”と一緒に“ラグドリアン湖”へ赴いた日の事をクロムウェルは想い出した。

 始まりは、酒場で放談した事が切っ掛けだった。届け物が有って、“ガリア王国”の首都“リュティス”に赴いた時の事……。

 クロムウェルは、酒場で一杯の酒を物乞いの老人に奢ったのだ。

「司教、酒の御礼に望むモノを1つ、貴男に上げよう。言って御覧為さい」

 物乞いにそう言われ、巫山戯てクロムウェルは言って仕舞ったのだ。

「そうだな、王に成ってみたい」

「王とな?」

 深くローブで顔を隠した物乞いは、ニッコリと笑って言った。

 其れに対して、クロムウェルは「ああ」と首肯いて仕舞った。

 元々、冗談の積りだった。酒の席の戯れだ。本気になど、して居なかった。

 然し翌日の朝……宿泊した宿に此のシェフィールドが遣って来て、彼女は言ったのだ。

「貴男を王にして差し上げるわ。着いてらっしゃい」

 地方司教だったクロムウェルの人生は、其の瞬間別の軌道を描き出したのだ。猛烈な勢いで……。

 シェフィールドは愛し気に、“アンドバリの指輪”を撫でて居る。

 指輪の石は、妖しく、深い水色に輝いた。

「おまえは、此の指輪が蓄えた力を、何だと想う?」

 クロムウェルは首を振った。

 死体が蘇る事は知って居る。其れは事実だ。だが、彼には、“虚無”かどうか、など知り様が無かった。

「“魔法”を扱えぬ私には、判り兼ねます。 “此の力を虚無と称せよ”、と申されたのは貴女様では在りませんか?」

「“風石”は知ってるでしょ?」

 クロムウェルは首肯いた。

 空行く“フネ”を浮かべる為の物資だ。“風”の力が凝縮されて居ると云われる。“魔法”の石。“風石”を掘り出す為の鉱山は、此の“アルビオン”にも無数に損座した。

「其れと似た様な物質よ」

「では、“虚無”では無いのですね?」

「そう、“虚無”じゃ無い。“風石”も、此の“アンドバリの指輪”も、此の世界を司る力の源の雫に過ぎ成いの。之は、“先住の魔法”と呼ばれる“魔法”の源と成る物質よ。色んな呼び名は在るけどね。賢者の石、生命のオーブ……歴史的には何方かと言うと、“虚無”の敵……」

「貴女様の知識の深さには、感じ居るばかりです」

「だから使う度に、“魔力”が削られ少しずつ小さく成って行くのよ。ほら」

 クロムウェルは首肯いた。

 確かに、以前選り縮んで居る様に、彼には見えた。

「要は“先住”の、“水”の力の結晶成の。唯、其の辺に有り触れた“風石”などとは比べモノに成らぬ程、秘めた“魔力”が凝縮されて出来て居る……珍しい石。成ればこそ“水の精霊”が守りし秘宝……“アンドバリの指輪”。詰まりは“先住”の秘宝……」

 シェフィールドは、ジッと指輪を見詰めた。

 すると……其の額が輝き始めた。

 内から溢れる光だった。

 初めて此の光を見た時、クロムウェルは驚いたモノだ。此の“アンドバリの指輪”に触れると、シェフィールドの額は輝き出すのだから。

 クロムウェルが尋ねても、シェフィールドは答え無い。重要な事を、肝心な事を、此の謎めいた女性は何1つ教え無いのだ、唯命令を下ろすだけだ。

 シェフィールドは、其の石でスッとクロムウェルの頬を撫で上げた。

「ほ、ほぉおおおおおおおおおお……」

 ビクッ、とクロムウェルは震えた。“アンドバリの指輪”が、微かに振動して居るのだ。触れただけで、電流でも流れたかの様に感じたのだ。

 シェフィールドの手に触れた途端、“アンドバリの指輪”が目醒めた……其の様な振動で在った。

「知ってる? “水の精霊”の特徴を」

「き、傷を治したり……」

「其れは表面的な事象よ。“水”の力は身体の組成を司る。心もね」

「……は、はぁ」

「死体を動かす事など、此の指輪が持つ能力の1つに過ぎ無いのよ」



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サウスゴータの古都

 “シティオブサウスゴータ”の城壁から、1“リーグ”離れた突撃開始点で、“ド・ヴィヌイーユ大隊”350名は、喇叭の合図を待ち構えて居た。

 上陸から15日が過ぎた今日、遣っとの事で攻勢が開始されたので在る。

 “第二中隊”を率いるギーシュは、小刻みに震え乍ら朝靄の無効に烟る“サウスゴータ”の街を見詰めた。

「中隊長殿」

 側に控えた中隊付き軍曹のニコラが、ギーシュにソッと呟いた。

 ギーシュは、「な、なな、何だ?」、と震える声で問い返した。

「“杖”を落っことしてますぜ」

 ギーシュは自身の足元を見詰めた。

 其処には薔薇を模した、己の“魔法の杖”が転がって居るのだ。慌てて拾い上げ、精一杯の威厳を保とうと為乍ら其れを胸ポケットに刺した。

「中隊長殿」

「な、何だ?」

「大きな御世話かも知れませんが、小便を垂れと居た方が、良いですぜ」

 ギーシュは、ニコラを睨んだ。

「済ませた」

「結構で」

 ニコラは其れから、微笑みを浮かべた。

「緊張する事は在りませんや。敵の大砲は先日の艦砲射撃で殆ど潰したって言うし、何故か配備されてるのは“亜人”の部隊だけって話じゃ成いですか」

「あ、“亜人”は凶暴で、でっかくて……」

 ニコラは前を見て、「でも、与し易い相手ですよ」、と言った。

 ギーシュは、此の火縄銃を担いだ小男を見詰めた。ギーシュにとって、初の実践と云えるだろう。キュルケが言い出した事で遣った宝探しで行った殺し合いなど児戯に等しいモノだろう。他に頼りに成るだろう者は居無い、そう想うと、彼が何な大男選りも大きく見えた。

 ギーシュが「でも……一体何処から攻めれば良いんだ? 此の街、周りは高い石壁で囲まれてるし……」と尋ねると、ニコラは「今、工事してますよ」と言って首肯いた。

 其の儘待って居ると、艦隊が上空に現れた。十数隻の戦列艦は1列に並ぶと、城壁に向けて砲撃を開始する。空に浮かんだ艦隊に、敵は為す術も有る筈も無い。

 ドォーーーンッ!  ドォンッ!  ドンッ! と煙と砲撃音共に、城壁が壊れて行く。突撃開始点に控えた兵士達から歓声が沸いた。

 砲撃で何箇所か、城壁が崩れた場所が出来た。

 次いでのっそりと現れたのは、巨大な土“ゴーレム”達で在る。

「“トライアングル・クラス”が造った“ゴーレム”だな」

 ギーシュは呟いた。“ドット・メイジ”で在るギーシュには、あれだけの大きさをした“ゴーレム”を造り出す事は未だ出来無い。ギーシュは、感嘆して、見上げる。嘗て“トリステイン”の城下を賑わせた、“土くれのフーケ”が操る其れに比べると小柄では在るが、其れでも相応の大きさを誇る“ゴーレム”が眼前に居るのだ。

 身長20“メイル”程の土“ゴーレム”が、ズシン、ズシン、と地響きを立てて、崩れた城壁へと近付く。土“ゴーレム”は、其々作成者の家の幟を背中に立てて居る。見慣れた紋章に気付き、ギーシュは歓声を上げた。

「兄さん! 兄さんの“ゴーレム”だ!」

 果たして其れはグラモン家の幟で在った。“王軍”所属の次兄に違い無い、とギーシュは確信する。“ゴーレム”の背中に翻る幟に、薔薇と豹、グラモン家の紋章が光って居るのだ。

 近付く“ゴーレム”の一体に向かって、シュンッ! と巨大な何かが飛んだ。ボゴッ! と巨大な穴が一体の“ゴーレム”の腹に空いた。其の“ゴーレム”はバランスを崩し、地面へと崩れ落ちる。近寄る“ゴーレム”目掛けて、其の銀色の陽光は次々に飛んだ。何体かの“ゴーレム”が、喰らってバラバラに成って仕舞う。

 ギーシュが「何だあれは?」と呟くと、ニコラが「巨大バリスタでさ」と答える。

「恐らく、“オーク鬼”が扱って居るんでしょうなあ。3“メイル”程も在る、デッカイデッカイ矢を飛ばす、ボウガンの御化けみたいなもでさ。人間何かが喰らった日には、バラバラに成っちまう、ま、ヒトを撃つもんじゃ在りませんけどね」

 ギーシュはハラハラ為乍ら、兄の“ゴーレム”を見詰めた。其の“ゴーレム”の足元に矢が刺さる。幸運にも、ギーシュの兄の“ゴーレム”は生き残って居た。

 そんなギーシュを見て、ニコラが尋ねた。

「中隊長殿は、グラモン家の係累で?」

「末っ子だ」

 ギーシュが答えると、ニコラは目を丸くした。

「元帥の!? おったまげた! 何でまたこんな場末の鉄砲大隊何かに? 父上の御名前を借りれば、近衛隊の騎士隊だろうが、一流の連隊参謀部だろうが、御望みの儘でしょうが!?」

「父の名前を使ったら、僕の手柄に成らんじゃ無いか」

 前を見詰めた儘、ギーシュは言った。

 ニコラは唖然として居たが、其の内にニッコリと笑みを浮かべてギーシュの肩を叩いた。

「気に入りましたよ、坊っちゃん。此りゃあ手柄を立てん事には国には帰えれませんなあ!」

 其の内に、“竜騎士”の部隊が遣って来た。城壁の上に運び込まれたバリスタに向かって、ブレスや“魔法”が飛び、バリスタは沈黙した。

 生き残った“ゴーレム”は遣っとの事で、先程の艦砲射撃で壊れかけた城壁に辿り着き、取り付き、瓦礫を取り除き始めた。

「入り口を作ってるんでさ」

 彼処から自分達は突入するのだ、とギーシュは震えた。

「震えてますぜ」

「……む、武者震いと言いたいが……恐いだけだな。うん」

「正直で好いですな、勇気を奮ったって手柄は立てられ無え。かと言って臆病もんでも困っちまう。兎に角任せて於いて下せえ」

 ニコラは後続の兵、100人程の銃兵に向かって手を振り上げた。50人程度の短槍隊が、護衛に就いて居る。総勢150人程の中隊が、ギーシュの手勢だ。

「弾込めぇーッ!」

 のそのそと銃兵達は、銃に弾と火薬を込めた。

「中隊長殿、御手数ですが、此奴に火を頂けませんかね?」

 ニコラはギーシュに火縄の束を差し出した。

 ギーシュは首肯くと、火縄に“着火”の“呪文”で点火させる。

 ジジジ、と火縄が燃える音と共に、焦げ臭い匂いが辺りに漂う。

 ニコラは兵隊を呼び寄せて、火の点いた火縄を配らせた。

「中隊長殿から頂いた火縄だ! 消え無い様に注意しろよ!」

 余り遣る気の感じられ無い掛け声が響いた。

 ガラン、と“ゴーレム”が取り付いた城壁が崩れる。

 同時にニコラは、ギーシュの腰を突いた。

「中隊長殿、行きますぜ」

 ギーシュは震え乍らも“杖”と勇気を掲げ、「グ、グラモン中隊前進!」、と大声で命令を下す。

 ヨタヨタとヨボヨボの老銃兵達が後に続く。

 其の時にギーシュは、(突撃して居るのは自分の隊だけじゃ成いか! 未だ突撃の命令何か出て居無い!)、と気付いた。そして、「お、おい、軍曹……」、と文句を言おうとしたが、ニコラは涼しい顔をして居る。

 勢い付いた隊はそう簡単には止められ無い。其の儘前進するしか無い。

 数秒後、後続の隊からも「突撃!」の声がギーシュの耳に聞こ得て来た。

 打ち寄せる波の様に、兵が、騎士が、追い掛けて来る。

「家とこは老兵ばっかですからね、早目に出発して置か為いと、間に合わ無えでさ」

 スタートを早く切った御蔭か、ギーシュの隊は1つの城壁の割れ目に、1番初めに辿り着く事が出来た。然し何人かの騎士達が、そんなギーシュ達を追い越して街の中へと飛び込んで行く。

「一番槍だったのに!」

 そう言って飛び出そうとしたギーシュを、ニコラが押さえ付ける。

 次の瞬間、飛び込んだ騎士達が、馬毎吹っ飛んだ。グシャグシャに成ってギーシュ達の前に投げ出される。城壁の向こう――街の中には、大きな棍棒を構えた“オーク鬼”が、飛び込んで来る間抜けを待ち構えて居るので在った。

 体重がヒトの平均値の5倍は有るだろう巨大な豚に似た“亜人”。そんな“オーク鬼”は、ギーシュ達を見付けると、突っ込んで来ようとした。

 ギーシュは、宝探しに行った時の事を想い出す。あの時、“ワルキューレ”はボコボコに遣られて仕舞ったのだった。

 そう云った経験から、ギーシュは恐怖に駆かられて仕舞う。

「撃て! 撃て撃て!」

 慌ててギーシュが叫ぶと、素早くニコラが反応した。

「未だ撃つな! 中隊長殿! 1番後ろの奴に転ばす“呪文”を! 早く!」

 ギーシュは恐怖に駆られ乍らも、ニコラに言われた儘に薔薇の造花を振った。

 ニョッキリと地面から生えた腕が、最後尾の“オーク鬼”の足に絡み付く。

 ドウッ! と狭い城壁の割れ目のと真ん中に、“オーク鬼”は転んだ。

「第一小隊! 目標先頭集団! てえーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 ニコラは、次いで先頭の“オーク鬼”に集中射撃を命じた。

 30人程の銃兵が、先頭の1匹に一斉射撃を浴びせた。

 蜂の巣に成って、先頭の“オーク鬼”達が地面に斃れる。

 後ろの“オーク鬼”の集団は撃ち斃れされた先頭に支えて、身動きが取れ無いで居る。

 其の隙を逃さず、ニコラは命じた。

「第二小隊! 目標先頭集団! てえーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 少し位の鉄砲の弾を受けた所で、平気な様子で棍棒を振り回せる筈の“オーク鬼”で在ったのだが、至近距離での数十発もの一斉射撃を喰らって仕舞得ば耐えられる筈も無い。

 生き残った後続の“オーク鬼”達は逃げ出そうとするのだが、狭い城壁の亀裂の中、最後尾がギーシュの“魔法”で地面に倒れて居る為に未動きを取る事が出来無い。

 混ぜは味方の死体で支えて居り、越えようとモタモタして居る所に、残りの鉄砲隊の一斉射撃を喰らって仕舞うのだ。

 残った少数の“オーク鬼”達も例外無く、短槍隊に依る突撃を受けて、壊滅をした。

 転がった20匹近い“オーク鬼”の死体を見詰め、ギーシュは感嘆の声を上げた。

「す、凄いな……」

 再び銃兵に弾を込めさせ乍ら、ニコラは微笑んだ。

「此奴等は単純だからね。敵と見れば真っ直ぐ遅い掛かって来るんでさ」

 歴戦の傭兵軍曹は、ニッコリと笑ってギーシュの肩を叩いた。

「中隊長殿。さ、一番槍ですぜ」

 そんな風に、ギーシュの預かった残りものの大隊が中々に息の合った展開を見せて居る一方、全く息の合って居無い、侵攻軍の切り札も存在した。

 ルイズと其の“使い魔”で在る。

 

 

 

 “シティオブサウスゴータ”は、小高い丘の上を利用して建設されて居る。円形に城壁で囲まれ、中には五芒星の形に大通りが造られて居るのだ。“始祖”が初めて此の地(アルビオン)に築いた都市だと云われて居るが、真偽は定かでは無い。

 然し、綺麗に幾何学模様を描いて居るのは五芒星を描く5本の大通りだけで在り、内部は入り組んだ細い道遣ら、ゴミゴミした路地遣らが無数に入り組んで居るのだ。“ハルケギニア”の何処にでも在る街と同じだと云えるだろう。

 ルイズは必死に成って路地の1本を疾走って居た。其の隣にはデルフリンガーを握った才人が居る。様々な変装を施した第二“竜騎士隊”の面々が、後に続いて居る。

 殿を俺とシオンが請け負い、其の後ろからは10数匹程の大きな“トロル鬼”と、牙の大きな“オグル鬼”がのっしのっしと追い掛けて来て居る。何方も、身の丈は5“メイル”は在ろうかと云う巨人で在る。

 狭い路地が幸いと成り、“トロル鬼”達は、窮屈そうに横に成って歩いて居る。突き出した壁遣ら、出窓遣らを破壊し乍ら追い掛けて来る為、時間が掛かる。之が広い野原で在れば、“サーヴァント”で在る俺を除く皆は直ぐに追い付かれて仕舞う所で在っただろう。

 何故ルイズ達が、“シティオブサウスゴータ”の迷路の様な路地を逃げ惑う真似事をして居るのかと云うと、与えられた任務、そして才人が原因で在った。

 掻い摘んで説明をすると、俺達の任務は主力の突撃に呼応して反対側から街道に潜入。“イリュージョン”で幻の軍勢を作り出し、敵を混乱させると云うモノだった。

 シオンの御蔭で、潜入自体は問題無く行う事が出来たのだが……。

「何であんたは行き成り騒ぐのよ!? ねえッ!?」

 疾走り乍らルイズが怒鳴った。

 夜陰に乗じ、此の街に潜入したのは3時間程前の事に成る。

「言ったでしょ! 何を見ても驚か無い事って! ねぇ!」

「だ、だって……でかいだもん! あの“トロル”とか! “オグル鬼”とかって!」

 ルイズの“虚無”の“詠唱”には時間が掛かる。

 街の片隅で、辻説法の振りをして“呪文”を唱えて居たら……警邏の“アルビオン貴族”に質問されたのだ。

 幸い、シオンの顔も服装も第二“竜騎士中隊”の面々と同様に変装して居る為に身バレは無い。

「御前達は何者だ?」

「“古都サウスゴータ”に“始祖”巡礼の旅に参った者で御座います。“アルビオン”の勝利を祈願して、祈りと教えを捧げて居るので御座います」

 と、ルネが尤もらしい顔付きで言った為、警邏の“メイジ”は怪訝そうな表情を浮かべた。

 ルイズや変装した面々をジロジロと見詰め、「御前達……“トリステイン”や“ゲルマニア”の間諜では在るまいな?」、と尋ねて来る。

 ルイズは思いっ切り首を横に振った。

 ルネを始め第二“竜騎士中隊”の面々、シオンも俺も同様だ。

 だが、其の直後、才人が其の“メイジ”の後ろに立った巨大な“トロル鬼”に気付き、呻き声を上げて仕舞う。

「でけえ。何だ之!?」

 思わずそう叫んで仕舞った才人に、警邏の“貴族”は顔を近付けた。

「見無い顔だな……」

 怪しまれて居る事を悟った才人は、直立した。

 ジロジロと、そんな才人は、警邏の“貴族”は眺め回した。

「質問だ。“神聖アルビオン共和国第二軍”を指揮する将軍は誰だ?」

 才人は、(将軍? そん成の知ら無えよ!)、と焦り、周りを見る。

 此の場の俺を除く、皆が冷や汗を垂らしてしまって居り、才人は(自分の答えに任務の賛否が懸かって居る。でも、将軍の名前何か知ら無い)、と参ってしまう。

 グイッ! と敵“メイジ”で在る警邏中の“貴族”は、才人に顔を近付ける。

「どうした? 知らんのか? 此の地を御守りに成る将軍様の名前も知らんのか? 貴様本当に“アルビオン”人か? どう成のだ?」

 才人はパニックに陥って仕舞った。其の結果、頭の中が真っ白に成って仕舞い……。

「徳川家康」

 と、将軍繋がりで連想しただろう“地球”、尚且つ“日本”の史実に於ける代表的な偉人の名前を口にして仕舞った。

「トクガワイエヤスって何よ!? 何処の人よ!? もうちょっと当たり障りの無い事言い為さいよ!」

 失り乍らルイズが叫ぶ。

「仕方無えだろ! 其れしか知ら無えんだよ!」

「何時もの様に遣っ付けてよ! あの位!」

 そう。才人が「徳川家康」と答えた瞬間、はぁ? と呆れられ、怪しい奴! と“トロル鬼”達と“オグル鬼”達、其の警邏中だった“メイジ”で在る“アルビオン貴族”が襲い掛かって来たのだ。

 才人は其の攻撃を受け止めようとしたのだが……“トロル鬼”に吹っ飛ばされてしまったので在る。巨大な“亜人”の力は、如何に“ガンダールヴ”と云えども、真正面からで在れば持て余して仕舞う。而も其れが十数匹近く居るので在る。其れでも何時もの才人の才人で在れば倒せずとも何とか配う事位成ら出来ようが……今日の才人は勝手が違って居た。

「どうした相棒? 遣る気が感じられ無えなあ」

 才人は、敵の攻撃を受け流して居る時に、デルフリンガーに迄そんな事を言われて仕舞う始末だ。

 俺もまた、“サーヴァント”の身で在れど、敵の数、味方の数と戦力などから、守り乍ら戦い辛い為、防戦一方と成って仕舞った。

 ルネ達の“魔法”に依る援護でどうにか退け、逃げ出す事が出来たので在る。然し、殆ど“ドッド”揃いの彼等は、あっと言う間に“魔法”を撃ち尽くし、“精神力”が尽きて仕舞う。

 逃げ惑う内に追っ手は増える一方で在り、通り沿いの住人達は、窓を薄っすらと開けて心配そうにそんな捕り物を見詰めて来るだけだ。

 其の内に、街の反対側から、爆発音が聞こ得て来る。どう遣ら主力に依る攻撃が始まった様だ。

「攻撃が始まったわ!」

 ルイズは唇を噛み締めた。

 俺達は、主力の攻撃を補佐する為に背後の撹乱任務を担って居ると云うのに……失敗をして仕舞ったのだ。

「あんたの所為だからね!」

 隣を疾走る才人へと、ルイズが怒鳴る。

「ったく、何々だよ……」

 才人は悔しそうに呟いた。

 彼の左手甲の“ルーン”が眩く光る事は無く、身体が軽く成ら無いのだ。普段で在れば……“武器”を握れば羽にでも成ったかの様に身体が軽く感じ、想い描いた軌道の通りに腕や脚が、身体が自在に動くと云うのに……今は何故だかゴム紐にでも縛られたかの様に動きが鈍く牴牾しい。そう才人に感じさせて居るのだ。

 “ガンダールヴ”を始め、“虚無の使い魔”は感情の昂ぶりに依って力を発揮するのだから、今の燻った状態の才人では、平民選りは素早く動き戦える程度で在り、キレなどが無い。之では、“メイジ”や“亜人”を相手にするのは不可能で在る。

「何で肝心な時に役に立た無いの? あんたってば!?」

 苛々した声で、ルイズが叫んだ其の瞬間、前方の街角から“オーク鬼”が飛び出して来た。

 後ろから“トロル鬼”と“オルグ鬼”、前方からは“オーク鬼”と云った風に、前門の虎、後門の狼地味た状況と成る。

 ルネが唇を拭った。

「せめて空で死にたかったな」

「あの儘、墜落して死んだ方が、幸せだったかもなぁ」

 前後から敵“亜人”に挟また状況で、第二“竜騎士中隊”の面々は諦めムードを発する。

「セイヴァー……」

「遣れ遣れ、仕方無いか……」

 俺は、“王律鍵バヴ=イル”を“投影”為る。

 其の瞬間……。

 ぶおおおおおおおおおおおおッ! と、前に居た“オーク鬼”の集団が、其の身体を文字通り燃え上がらせ、斃れた。

「“竜騎士”だ!」

 ルネ達が叫ぶ。

 ルイズと才人、シオンも空を見上げた。

 空から降って来た“竜騎士隊”は散々にブレスや“魔法”を吐き散らし、敵を追い散らしてみせたのだ。

「第三中隊の連中だ!」

 白い衣装に身を包んだジュリオが、先頭の“ウィンドドラゴン”――アズーロに跨って居る。

 総勢10騎程。5騎が“トロル鬼”へと向かい、残りの5騎が俺達の周りに着陸をした。

「早く乗れ!」

 ジュリオが叫ぶ。

 慌てて才人とルイズが、ルネ達は“ウィンドドラゴン”に跳び乗る。

 だが、俺とシオンは乗ら無い。

「何をして居る!? 君達も早く!」

「俺達には構う必要は無いぞ、“ロマリアのライダー”よ。我々は我々で動く。其の者達を頼めるか?」

 俺の突然の言葉に、而も仰々しい物言いにシオンを除いた皆が驚く。

「何、まあ……こう言う事だ」

 “投影”した“王律鍵バヴ=イル”で“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げ、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”を出し、2人して其れに跳び乗る。

 突然現れた“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”に、ルイズと才人以外の皆は驚愕する。

「き、君は一体……?」

「“サーヴァント”だよ、“ロマリアのライダー”君」

 そう俺は答え、“天翔ける王の御座(ヴィマーナ)”上昇させる。

 全ての“ウインドドラゴン”もまた、羽撃き浮かび上がる。

 気を取り直してと云った様子でジュリオが、「上空から、君達が追い掛けられて居るのが見えてね」、と言った。

 ルイズはホッと、胸を撫で下ろし、ジュリオに礼を言った。

「有り難う。助かったわ」

「礼には及ば無いよ」

 ルイズはガックリと、肩を落とした。

「私達……任務に失敗したわ。駄目ね……」

 ジュリオは地面を指指した。

「気に為無いで。余り大局に影響は無いみたいだよ」

 “トリステイン”と“ゲルマニア”両軍の勢いは激しい。

 “亜人”達ばかりの“アルビオン”軍は、慣れぬ市街戦で大柄な身体を持て余し、後退して行く様が見える。

「でも、こないだの偵察任務と言い今回の陽動任務と言い、随分と荒っぽい使い方を為るもんだね……」

 そうジュリオが言えば、ルイズは俯いた。

「君達みたいな可愛い娘を、道具としてしか、見て無いんだろうなあ。軍人って嫌だなあ」

 ルイズの後ろに跨った才人が厭味ったらしく言った。

「御前も軍人じゃ成えのかよ」

「僕は軍人じゃ無い。神官さ」

 才人はジュリオの言った事を反芻し、「そうだな、俺もそう想う」と首肯いた。

「なあルイズ。良いのか? ちょっと文句言った方が良いんじゃ成いのか? あの将軍共、セイヴァーの言葉を聞いて居たにも関わらず、俺等が何でも出来ると勘違いしてんじゃ成えのか?」

 然し、ルイズはキッパリと言い放った。

「望む所だわ。何でも出来るって所を、見せて上げようじゃ成いの」

 才人は、そんなルイズに、また違和感を覚えて黙りこくった。

 

 

 

 

 

 “ゲルマニア”と“トリステイン”の連合軍は、攻撃開始から1週間程で“シティオブサウスゴータ”を制圧する事に成功した。

 損害は軽微で在った。

 巨大な“亜人”達は、人間用に整備された市街地では上手く動く事が出来ずに、1匹、また1匹と始末されて行ったのだ。

 街をスムーズに占領する事が出来たのは、住人達の協力もまた在ったからこそだと云えるだろう。食料を徴り上げられた街の住人は“アルビオン”軍を恨み、連合軍に協力為る者達が続出したのだ。彼等は“亜人”達が潜む建物を連合軍に通報したり、共に戦ったり為たので在った。

 そして年末には“ウィン”の月の第4週、の中日で在る“イング”の曜日、“シティオブサウスゴータ”の中心の広場で、街の解放が宣言された。

 市長を始め、“シティオブサウスゴータ”の市議会員や、市民達、そして“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍の首脳部の姿が集まって居る。

 広場の真ん中に設けられた台に上がって、挨拶をして居るのは連合軍総司令官のド・ボワチェ将軍だ。

「此処に、“シティオブサウスゴータ”の解放を宣言する。“シティオブサウスゴータ”市議会に対し、“トリステイン”、及び“ゲルマニア”政府の監督の元、限定的な自治権を与えるものと為る」

 現“アルビオン政府”に不満を抱て居た住人達から歓声が沸いた。

 そんな中……才人はボンヤリと、自身の左手を見詰めて居た。

 デルフリンガーを掴む。

 すると……ボンヤリと“ルーン”が光る。何時もの眩い光は感じられ無いのだ。電池が切れ掛かって居るかの様な、そんな色合いの光を発して居るのだ。

「冴え無えな相棒」

 デルフリンガーが呟く。

 才人は首肯いた。

「調子悪いな」

 此の前の陽動作戦から此の様な感じで在る。

 身体は重く、動きは鈍い。力も出無い。

 才人が「どうしちまったんだろ?」と溜めき混じりに言えば、「何時だか言ったじゃ為えか。“ガンダールヴ”の強さは心の震えで決まる。相棒の心は震えて無えのさ。詰まりあれだ、遣る気が無えんだな」

「何でだ?」

「さあね。其りゃ、相棒の方が良く知ってるんじゃ成えのか? 俺じゃ無く、相棒の心の事だかんね。まあ、俺が予想為るに……」

 デルフリンガーがピリピリと震えた。

「“貴族”の娘っ子と上手く行って無えからさ。何時か説明したろ? 感情の震え、其れこそが“ガンダールヴ”の力の源さ。今、御前さんは主人に疑いを抱いてる。自分が守るに値する主人成のかって、疑ってる。其れじゃあ感情が震える訳無え。其りゃ力は出無えよ」

「…………」

「“魔法”使いと“使い魔”ってなあ、そう言うもんだ。御互いが信頼し合えば、威力は倍増。然し、そうじゃ無けりゃ、伝説だって鈍らだぁね」

 才人は、(此の儘じゃもう、戦え無いんじゃ成えか?)、と想った。そんな不安が過ったが……(でもまあ、良っか)、と才人はチラッと横目で自身の主人を見詰めた。

 ルイズは、“ロマリア”の神官とずっと話し込んで居るのだ。

 才人が見ても、見向きも為無い。才人は、何時だかワルドの背中に寄り添って居たのを見た時拠り、重い無力感が肩に伸し掛かるのを感じた。彼奴に成らルイズを盗られても、仕方無いんじゃ成いか?)、とそんな風に

想えてしまうのだった。心の底に沈んだ何かが、そう訴え掛けて居るので在った。

 そう想うと才人の気持ちは更に沈み、深い無力感が全身を包んで行くのだ。

 壇上では上位身分で在る偉い将軍が、一所懸命に演説をして居る。「“アルビオン”はもう負けたも同然で在る」、や、「我が軍の勝利は動か無い」、などと口にして居る。

 そんな言葉が、才人の耳から入って反対側へと抜けて行くのだ。(自分は何の為に、こんなとこで戦って居るんだろう?)、と考えてしまうのだ。少し前迄成ら、其の理由は明白だった。

 ルイズの為。そう、ルイズの為で在ったのだ。見てると、才人の中で、ドキドキとした感情を奔らせる女の子……。

 だが、そんな女の子に「好き」を拒まれて仕舞ったらどう成るだろうか?

 才人の中で、(ルイズは一体自分の事をどう想って居るんだろうか? “好き”じゃ無い成ら、どうして側に置いて置くんだろう? 判ら無い。理解ら無いのか? 否……其の理由に気付くのを心が拒否してる。そんな感じだ。だったら考えるのは止そう)、と考え、そして訳も無く切無く成り、ルイズの態度が赦せ無く成って行くので在った。

 

 

 

 一方、少し離れた場所で、ジュリオと話し込むルイズも上の空で在った。

 目線と言動はジュリオに向けられて居る。

 ジュリオは、男女共にドキッとさせる位に端正な容姿をして居り、彼に惹かれ無い女の子は居無いだろうとさえ想わせる程だ。

 だが、心の目は“使い魔”の方へと向いて居た。

 ルイズは偶にチラッと横目で、そんな才人の様子を確かめるのだが。才人は、ルイズを見て、切無さそうに溜息などを吐いてばかりで在る。

 ルイズは、(へぇえ、いっちょ前に妬くんだ、焼き餅。“使い魔”の癖に、焼き餅何か妬いちゃうんだ。へぇ、へぇええええええええええ)、と心の中で凱歌を上げ、思わず笑みを溢してしまいそうに成るが、其れを噛み殺す。そして、(良い気味! 何時も私が何な気持ちで居たのか、そう 遣って少しは反省し為さいよね)、と心の中で呟くのだ。

「ミス・ヴァリエール」

「あ、はい!? な、何?」

 ジュリオはニッコリと笑った。

「失礼。呼ばれたんで、ちょっと行って来る」

「え?」

 ジュリオは人混みを掻き分け、壇上の将軍の前に向かった。

 ジュリオの美貌に、“シティオブサウスゴータ”の街女達から、(あの士官さん、ハンサムじゃ成い?)、や、(士官じゃ無くて神官様じゃ成いの? 首から“聖具”を提げてらっしゃるわ)、などと溜息と会話が漏れ聞こ得て来る。

 見ると、ド・ボワチェ将軍の前にはジュリオだけで無く、何人かの“貴族”が並んで居る。

 “貴族”達が自分の前に集まったのを確認すると、ド・ボワチェは口髭を扱いた。

「えー、諸君に偉大成る勇者達を紹介する。彼等は此の“シティオブサウスゴータ”の解放戦に於いて、伝説の勇者に引けを取ら無い様な武勲を立てた者達で在る。彼等の努力に依ってのみ、此の勝利が齎された訳では無いが、帰する所は大きい。従って大将権限に於いて彼等に“杖付白毛精霊勲章”を授与する」

 拍手が湧いて出た。

 次に呼び出し役の士官が、叙勲者の名前を呼び上げた。

「“ド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大体”、第二中隊隊長、ギーシュ・ド・グラモン!」

「は、はいッ!」

 ルイズは、「ギーシュ?」、と口をあんぐり開けた。

「彼と其の中隊は、勇敢にも街への一番槍を果たした。其の際に“オーク鬼” の一部隊を片付けると言う、戦果も加えて居る。其の後も順調に制圧任務を務め、解放した建物は数十余りに昇る。彼と其の中隊に拍手!」

 割れんばかりの拍手が鳴った。

 ギーシュははにかんだ笑みを浮かべ乍ら、勲章を首から提げて貰って居る。

 良く似た顔付きの青年が出て来て、ギーシュに抱き着いた。彼方此方で、「グラモン元帥の末っ子だそうだ」、「今出て来たのは次男で……」、「いやぁ、獅子の子は獅子と言う可きかな……」、などなど、噂の言葉が飛んで居る。

 ルイズは、(あの間抜けのギーシュが勲章? いやはや、モンモランシーが聞いたら何と言うんだろうか? 少しは見直すかしら? 抱き着いて居るのはどう遣ら兄らしい。兄さんにも祝福されて、良かったじゃ成い)、と考え、独り言ちた。

 そうしてルイズは、(家族に祝福される様な、手柄を立てる何て……)、とそんなギーシュを同時に羨ましくも想った。

 ルイズだってギーシュ以上の戦果を上げて居るのだが、如何せん決して公には出来無い類のモノで在る。

 ルイズは、(でも、此の戦争が終わって……平和に成れば……家族に、自分が果たした祖国への忠誠の在りか、多大成る戦果を報告出来るだろう。そう為れば家族も自分の事を見直すだろう。でも、其の為には今、決して躓く訳には行か無い。些細なミスで、自分の手柄を曇らす訳には行か無いのだ)、と想い、また才人のミスを気に掛けて仕舞う。

 街に潜入しての陽動作戦は、才人の些細な言動から失敗を招いて仕舞ったのだ。

 ルイズは、チラッと横目で、才人を見詰めた。

 伝説の力とて、使い様成のだ。使い方を誤れば、此の前の様に容易にピンチに陥って仕舞うモノだ。

 ルイズは、未だ自身の事だけで精一杯で在り、才人の想いを気にする余裕も無いが為に、(もっとサイトに慎重に成って欲しい)、と想ったのだった。

 だが其れは決して否定出来る気持ちでは無いだろう

 才人とルイズは生きて居り、活きて居るからこその悩みで在り、其の悩みが有るからこそ前に進めるのだから。



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休戦

 “トリステイン”の首都“トリスタニア”では、17歳の女王が執務室で目を瞑り、祈りを捧げて居た。無駄な装飾が排された執務室の中は、空気が、シンッと冷えて居る様に感じさせる。

 初めて入室した者に、まるで霊廟の様だと云ったイメージを抱かせて仕舞うだろう。

 其の部屋の真ん中で、黒いドレスに身を包み、深いベールを冠ったアンリエッタが膝を突いて居る。眼の前には、小さな祭壇が在り、中には小さな“始祖ブリミル”の像が飾られて居た。

 “始祖像”。“始祖ブリミル”が“ハルケギニア” に降臨した際の様子が象られて居る像で在る。“始祖”を正確に象る事は不敬とされて居る為だ。かと云って、“始祖”の正確な容姿など、知る者など今では“先住”の者達や、“始祖”に依り生み出された者達を始め、極少数に限られて居る。

 静かに祈りを捧げるアンリエッタの耳に、此の部屋と外との境界線で在るドアをノック為る音が届く。

「陛下、私です」

 枢機卿で在るマザリーニの声で在った。

 傍らに置かれた“杖”を握って、“アンロック”を唱えようとしたが……首を横に振り、手に取った“杖”をテーブルの上に置き、アンリエッタは立ち上がり、“魔法”では無く自らの手でドアの鍵を外した。

 アンリエッタの執務室に入って来たマザリーニは、眉を顰めて謝罪をした。

「之は之は、御勤めの最中で御座いましたか。失礼を致しました」

 アンリエッタは短く、「良いのです」、と答えた。

「何れ道私は、明けから宵迄、祈りを捧げて居ります。何時何時(いつなんどき)居らしても、同じ事」

 マザリーニは、冷えた目で主君を見詰めた。

 “アルビオン”への侵攻以来、アンリエッタが1日中御祈りをして居ると云う噂が流れて居り、其れは本当だったのだから。

 言い訳でも為るかの様に、アンリエッタは告げた。

「此の無能な女王は、祈りを捧げる事しか出来無いのです」

「黒に身を包まれて、ですか。陛下は白が御似合いですのに」

「戦です。斃れる将兵は少なく在りません。喪に服して居るのです」

 マザリーニは、困った様に視線をズラした後、アンリエッタに報告をした。

「昨日、我が連合軍は“シティオブサウスゴータ”を完全占領致しました。“ロンディニウム”への足掛かりが、之で確保されました」

「良い報せですね。ド・ボワチェ将軍には、私の名前で祝辞を贈って下さい」

「畏まりました。そして、もう1つ……」

「悪い報せですね」

「其の通りです。連合軍は、兵糧の補給を要求して居ります。直ぐに送る必要が在ります」

「計算では、後3週間は保つ筈です」

 マザリーニは、手元の報告書を見詰め乍ら言った。

「“シティオブサウスゴータ”の食料庫は空っぽでした。恐らく、革命派の“アルビオン”軍が残らず掻っ攫って行ったかと、想われます。住民達に施しを為る必要が在ります故」

「敵は、食料に困って居るのですか?」

「いええ。我が軍を困らせる為で在りましょう。我々が兵糧を供出すると言う事を見越して、住人達から食料を徴り上げたのだと想われます。要は足止め、ですな」

「非道い事を」

「戦ですから」

 アンリエッタは首肯いた。

「手配を御願いします」

「畏まりました。然し乍ら……そろそろ国庫の心配を為されませんと」

「財務卿は?」

「“ガリア”の大使と会議中です」

「“ガリア”?」

「借金の申し込みです。戦争には金が掛かるのですよ」

 アンリエッタは、己の手を見詰めた。其れから、苦しそうな声で自分にも言い聞かせるかの様に言った。

「勝てば良いのです。そう、勝てば良いの。“アルビオン”の財布から……此の戦が終わればシオンと相談して、返す事に致しましょう」

 アンリエッタは、自身の故人と成った恋人、そして其の恋人の妹で在り自身の友人且つ幼馴染の故郷を想い乍ら、苦し気に言った。

「其の財布が手に入る日成のですが、少し遠退かる事に成りそうです」

「どう云う事?」

 マザリーニの其の言葉に、アンリエッタの顔が曇った。彼の声色などから、此方の方が、悪い報せの本命の様で在る事が判ったのだ。

「敵は休戦を申し込んで参りました」

「休戦ですって? 期間は?」

「明後日拠り、“降臨祭”の終了迄の期間です。“降臨祭”の間は、戦も休むのが慣例ですからな」

 “降臨祭”は10日程続く、“ハルケギニア”の伝統的且つ最大級の御祭りだ。“降臨祭”は新年の第1日から始まると云った事から……其の期間が後1週間で始まって仕舞う事に、アンリエッタは気付く。

「2週間も休戦為るですって? 良けません! 慣例だろうが、そんな事は認められませんわ! 其れに、条約破りの恥知らずとの休戦何て、信用出来ません! あの恥知らず共は、“魔法学院”を襲って子弟を人質に取ろうとしたのよ!? そんな卑劣な連中と……」

 アンリエッタの声が目に見えて大きく、荒立ったモノに成る。其れだけ、彼女の内心は穏やかでは無く、他を想っての事だと云う事を理解させる。

 “魔法学院”が襲われたのは、侵攻艦隊が出発した翌日の事で在った。幸いにも生徒達は無事に事が済んだのだが、鎮圧為る為に何人かの犠牲者が発生して仕舞ったのだ。

「信用は為りませぬが、選択の余地は無いかと。何の道、兵糧を運ばねば為りませぬ。其の間は動けませぬからな」

「成らば後1週間で“ロンディニウム”を落とし為さい! 何の為にあれだけの艦隊を! あれだけの軍勢を! 何の為に“虚無(ルイズとシオン達)”を! 切り札を付けたと想って居るのですか!?」

 アンリエッタは、思わずマザリーニに詰め寄ってしまう。

 そんな激昂した女王を、宰相且つ枢機卿で在るマザリーニは培って来た事で得た冷静さなどから、落ち着いた様子で、彼女を諌める。

「陛下。兵も将も人ですぞ。無理をさせると云う事は、何処かに皺寄せが来ると言う事。早く決着を御着けに成りたい気持ちは理解りますが……此処は譲歩為されよ」

 アンリエッタは我に返って、先程の自身の言動に対して恥じ入り、頭を垂れた。

「……口が過ぎました。忘れて下さい。皆、良く遣って呉れて居る、そうよね?」

 マザリーニは、そんなアンリエッタの小さな弱気な言葉に強く首肯き、「其れでは早速休戦条件の草案を作成します」と口にし、立ち上がった。次いで、ドアの前に立って、振り返る。

「陛下。戦が終わりましたら、黒は御脱ぎ為され。似合いませぬ」

 アンリエッタは答え無い。唯、哀し気な笑みを浮かべるだけだ。

 優しい、父親の様な声色と口調で、マザリーニは言葉を続けた。

「忘れ為さい。永久に喪に服されるのは、母君だけで十分です」

 事実、マザリーニはアンリエッタの事を想って居るのだ。父親の様に。

 そんなマザリーニが去って行った後、アンリエッタは顔を押さえた。

「嗚呼。私は何て事を言って仕舞ったのかしら。ルイズの事を、“虚無”ですって?」

 彼女は、押し殺した様な哀し気な声で呟く。

「……強い目的は、大事な人をも道具に変えて仕舞うのね」

 其れは事実で在り、そうで無いとも云えるモノで在った。

 想いとは、そう云うモノ成のだから。

 

 

 

 

 

 “神聖アルビオン共和国”との休戦が発行された日から3日目が過ぎた、“シティオブサウスゴータ”。

 連合軍が接収した宿屋の一室の中、ルイズは暖炉の前で丸く成って居た。

 後4日程で新年に成ると云う時分だ。

 未だ戦争は終わって居無いと云うのにも関わらず、街は妙に浮ついた雰囲気に包まれて居るのが宿の中からでも判るだろう。否、戦時だからこそ派手に騒ぎたいのかも知れ無い。此の街に住む“アルビオン”の民にとって、此の1年は心休まる日が無かったのだろうから。

 “始祖”からのプレゼントの様な休戦期間を、“シティオブサウスゴータ”の市民も、“トリステイン”や“ゲルマニア”の兵士達も、十分に楽しむ積りで在る様子を見せて居る。

 そんな風に浮き浮きと街を行く人々の装いは、随分と厚着に成って居るのが判る。

 高度3,000“メイル”に位置して居る為に、“アルビオン”の冬は早く、また“浮遊大陸”で在るが故に、突然に遣って来るのだ。

 痩せっぽちのルイズは寒がりで在る。初めて体験する“アルビオン”の冬は彼女にとって溜まら無かったので在る。赤々と燃え盛る暖炉の前で毛布を引っ冠り、ブルブルと震えて居るのだ。

 ルイズから離れた所で、才人が正座をして何かをして居る事にルイズは気付き、彼へと声を掛けた。

「其処寒いでしょ。暖炉の前に来たら?」

 ルイズが声を掛けるのだが、才人は返事を為無い。其の為、ルイズはやはり(何よもう!?)と頭に来たと云った様子を見せる。今の彼の様子から、此の前の戦い振りを想い出して仕舞ったのだ。

 其の為、ルイズは才人に文句を言った、

「ねえ、サイト。聞いてるの? そんなとこに居たら風邪引くでしょ!? こないだみたいな遣る気の無いの、私御免だからね! 体調は万全にしと来為さいよ! “使い魔”の義務でしょ!」

 またもや才人からの返事は無い。

 才人はベッドの横で、先程からルイズに対して背を向けて、一生懸命に何かをして居るのだった。

「何遣ってんのよ?」

 ルイズが、毛布を引っ冠った儘、近付く。

 そうして見ると、才人はワインのコルクを使って何かをして居るのだ。

 背を向けて居り、彼の反対側、そしてルイズ自身の背中に暖炉の炎が在る為に、影に成って良く見る事が出来無い。

「ねえってば」

 と背を伸ばして覗き込もうと為ると、才人はサッと其のコルクを隠すのだ。

 ルイズは「見せ為さいよ」と才人を押し退けた。

 そして、割と従順に、才人は押し退けられた。

 紙の上に、コルクが小さく刻まれて居るのだ。

「何之?」

 才人は無言で、コルクを毟り続ける。小さく、細かく爪で割り砕いて居るのだ。どう遣ら手慰みにコルクを刻んで居る様子で在り……暗い、暗過ぎる、見て居る側の気すらをも滅入らせて仕舞うだろう程の、暇潰しで在る。

「止めてよ……もう……暗い成あ……」

 ボソッと、才人は呟いた。

「暗いもん」

「嫌な“使い魔”!」

「土竜だもん」

 ルイズは、男の子には堂々として欲しいと云った願いや欲が有り、眼の前の才人を見て居ると次第に苛々とした感情が沸々と沸き起こって来る事を感じた。

「何が土竜よ。良い加減にしてよね」

 と、ドンッ! とルイズが突き飛ばしたら、呆気無く才人は転がってしまう。本当に力無く、転がって仕舞った。

「何か言い返し為さいよ。ほら。ほらほら。もぐらー。もぐもぐらー」

 ルイズが才人の頬をグリグリと突っ突くと、才人はジロッとルイズを見詰めた。

 ルイズは、才人が怒って跳び掛かって来るんじゃ成いかと想って、ビクッ、と肩を竦めた。そして、(嫌だ、私ってば、こないだみたいに押し倒されちゃうの? “良い加減に為遣がれ! 頭に来たぞ! がおー! 此の野郎!”、何て“使い魔”が襲って来て、私襲われちゃうの? や、嫌だぁ……やーん)、と能天気に近い思考を働かせて身体を震わせた。

 何と云うか、或る意味其の為に挑発したと云っても過言では無いのだが、本人で在る今のルイズ自身は其れを絶対に認める事は無いだろう。

 然し才人は、ムクリと立ち上がると、ドアに向かって歩き出した。

 ルイズが拍子抜けした調子で「ど、何処行くのよ!?」と訊いたら、才人が「散歩」と短く言葉を返して其の儘部屋を出て行って仕舞った。

 ルイズは再び毛布をズルズル引き摺って、暖炉の前迄戻り、其処で猫の様に丸く成った。

 壁に立て掛けて在ったデルフリンガーが、そんなルイズに声を掛けた。

「冷てえ女」

 そう言われて、ルイズは毛布から顔を出した。

「な、何よ……? 彼奴が悪いんじゃ成いのよ! 何時迄もウジウジしてるから……」

「誰の所為で相棒があんな風に成ったと想ってるんだね?」

「し、知ら無いわよ!?」

 と、ルイズは誤魔化す様に叫んだ。

「じゃあ教えて遣る。相棒は、御前さんに完全に振られたと想い込んでるのさ」

 そうデルフリンガーから言われて、ルイズは唇を噛み、震える声で言い放った。

「あ、当たり前じゃ成いの! 彼奴は“使い魔”で、私は“貴族”成のよ!」

「本音?」

 ルイズの顔が、クニャッと崩れて仕舞った。素の少女の部分を――才人が居無い事も在って出し易く――見せて仕舞い、そうして拗ねた様な表情を浮かべる。

「あ、彼奴が悪いのよ! 何か冷たいし。私の事は放っとくし、他の娘と……」

「何をしたって言うんだね? 何かした所を目撃したっての成ら話は別だが、あのメイドは“ボタンを外して貰った”と言っただけじゃ成えか。其れで浮気を疑うとは、御前さんは我儘過ぎるよ」

「う……」

「はぁ、だから、ハンサムとイチャついてる所見せ付けたってか。まあ、にしても遣り過ぎじゃ成えかね? 見せるだけ成ら兎も角、御前さん非道い事言ったよなあ。“どうせ後ろに乗る成ら格好良い方が好いわ”とか何とか」

 ルイズは、デルフリンガーからの尤もな指摘を受け、下を向いて仕舞う。

「其りゃ、どう贔屓目に見たって、あの“ロマリア”の神官の方が格好良いさ。顔はもう、其りゃ比べモノに成ら無えよ。空飛ぶ生き物のレベルで言えば、蝿と“フェニックス”だよ。地を這う生き物で言えば、螻蛄とライオンだよ、水の生き物で言えば、水蚤と白鳥だよ」

「……言い過ぎじゃ成いの?」

「まあな、兎に角顔じゃ無え。相棒はな、東に行きたいのも我慢して、御前さんに付き合ってるじゃ成えか。御前さんに“好き”って告白したじゃ成えか。其れ成のに、“忠誠の表れね”何て言ったら可哀想だろ。況してや他の男を、絶世のハンサムを選ぶ振り何かしたら可愛そ過ぎるだろ。折角相棒が勇気出して、“好き”だって言ったのに……」

 ルイズはデルフリンガーからの其の言葉を聴いて、足っ振りと5分間、顔を真っ赤にさせて仕舞った。其れから窓に寄って外を眺め、カーテンの裏を確かめ、クローゼットを開き、机の下を覗き込み、本当に部屋で聞き耳立てて居る者が居無いかを確認為ると、デルフリンガーへと向き直る。

「ねえ、其れってほんと成の? 誰にでも言ってるんじゃ為いの? どう成の?」

「相棒はあれで一途だよ。まあ信じる信じ無いは、御前さんの勝手だがね」

 ルイズは頬を染めて黙ってしまった。

「全く、ちょっと調子が悪い位でそんな相棒に目鯨立てる何て、罰が当たるぜ」

 ルイズはブスッと頬を膨らませた。

「わ、理解ったわよ。赦して上げる! 之で良いんでしょ!?」

「だったら謝って、少しは優しい言葉を掛けて遣りな」

「私が? 何でよ!? 彼奴から謝って来るのが……」

「何時も成ら御互い様だが、今回は御前さんが折れる番だよ。あんだけ意地悪したんだから」

 ルイズは暫く悔しそうに、う~~~~~、とか、あう~~~~、とか、い~~~~、だとか唸って心の中で問答を繰り広げて居たのだが、やはり何の様に思考をしても自分に非が有る事には気付いて居る。

「理解ったわよ! 謝れば良いんでしょ!? 謝れば!?」

 認める部分は認める事が出来るルイズでは在るが、欠点の1つで在る、素直に成れ無い、と云った部分が出て来て仕舞い、デルフリンガーから「謝る気有るのか!?」と叫ばれて仕舞う。

 次いで、デルフリンガーは脅す様な事を呟いた。

「でも、流石に今回ばかりは相棒も本格的に拗ねちまってるからな……もうホントに御前さんに愛想を尽かしたかも知れ無えよ。ちょっとやそっとの言葉じゃ、赦して呉れ無えかもな」

 ルイズは、ハッ!? と不安そうな表情を浮かべる。

「心配?」

「ば、馬鹿じゃ成いの!? 良いわよ! 誰も赦して呉れ何て頼んで無いモノ!」

「あっそ」

 デルフリンガーは黙って仕舞った。

 其の儘、うんともすんとも言わ無い為に、ルイズはやきもきし始めて仕舞う。

 其の内に、遂にルイズは落ち着きが失く成ってしまった。暖炉の脇に積まれた薪を取り上げると、びぃ~~~っ、と、皮剥きを始めたのだ。

「暗お手慰みだなあ」

「っさいわね! じゃあ何て言えば良いのよ!? 気取って無いで教え為さいよ!」

「“好き”」

「はぁ?」

「“私もサイトの事好きだよッ!”」

「そんな事言える訳無いじゃ成いの」

「嫌い成の?」

「そ、そうじゃ無いけど……」

 とルイズは、デルフリンガーの揺さ振りを受けて、モジモジとし始める。

「じゃあ好き何じゃ成えか」

「そ、そうじゃ無いの! 兎に角そんな事言え無いし言いたく無いし、言うもんじゃ無いし言え無いし、好きじゃ無いわ! あん成の! 馬鹿! ボロ剣!」

「はぁ、御前さんがそん何じゃ、もう、行き成り押し倒して呉れたり、し無いかもよ?」

「結構です」

「ほんと?」

「結構よ。冗談じゃ無いわ! 全く御主人様を押し倒す何てどう云う了見かしら!? 世が世成ら……」

「押し倒されるの、嫌成のか?」

「嫌に決まってるじゃ成い! 馬鹿!」

「ああ、好きな相手に押し倒されて、ギューって抱き締められたら、気持ち好いだろうなあ」

 ルイズは頬を染めて、俯いて、小さな声で、「……あのさ、も、もっと別の言い方成いの?」と尋ねる。

「押し倒されたいんだ」

「さ、されたく無いわよ! 巫山戯無いで! 元気無いと困るだけよ。活きが悪い“ガンダールヴ”何て、何の役にも立た無いじゃ成いの。ねえ?」

「ねえって言われても」

「兎に角私はラ・ヴァリエールの3女成の。あんな馬鹿“使い魔”に好き何て言え無いの。と言うかね、好きじゃ無いのよ。ほんとよ? 彼奴が私の事を好き成のは、まあ、良いわ。認めて上げる。精々崇めるが良いわ。其れで十分じゃ成いの! 其れで十分じゃ成いの! 理解った!?」

「理解ったよ……ったく面倒臭え意地っ張りだなぁ……やっぱ、シオン嬢ちゃんて凄げえや」

「兎に角別の言葉で彼奴の機嫌を直すから、早く教え為さいよね」

「“抱いて”」

 ルイズはユックリと立ち上がると、朗々と“エクスプロージョン”の“呪文”を唱え始めた。

「溶かさ無いで。吹き飛ばさ無いで」

「巫山戯て無いで早く答え為さい。何て言えば良いの?」

 デルフリンガーはフルフルと震えて居たが、此処で漸く、今のルイズがどうにかこうにか口に出せるだろう言葉を、呟き、提案する。

「“側に居て”」

「何それ?」

「一生懸命考えたんだぜ。俺成りに。剣成りに。伝説成りに」

「伝説成ら、もっと気の利いた事言い為さいよね」

「否々良い言葉だ。微妙に気持ちを伝え、其れで居てどうとでも取れる為のプライトは揺らが無い」

 デルフリンガーの補足に、ルイズはふむ、と考え込んだ後、首肯いた。

「……言われてみれば尤もかも知れ無いわね。あんた、剣の癖に妙に人間の機敏に通じてるわね」

「何百年生きてると想ってんだよ? ま、面白えから協力するよ。どうでも良い時は、知らん振りを為るがね。面倒臭いからよ。其れこそ、シオンの嬢ちゃんやセイヴァーに任せてな。さて、後はあれだ、言い方と状況だな……」

 ルイズはデルフリンガーと、暫く相談を開始して……作戦を決めた。

 

 

 

 

 

 

 才人と俺は、“サウスゴータ”の中央広場でベンチに腰掛け、道行く人々を見詰めて居た。“トリステイン”や“ゲルマニア”の兵隊、そして“サウスゴータ”の市民達が、引切り無しに眼の前を通り過ぎて行くのが見える。此の街を占領した連合軍は、誇らし気に胸を張って歩いて居るのだ。休戦期間で在る事からか、酔っ払って羽目を外して若い娘を追い掛け回し、“貴族”士官に怒鳴られて居る者も居る。

 “サウスゴータ”の市民達の顔にも、敗戦国民としての悲愴さは見られ無い。味方とは云え、“亜人”達に街を闊歩されて居る状態は楽しいモノでは無かったのだろう。其の上、“アルビオン現政権”の“貴族派レコン・キスタ”はやはり余り好かれて居無い様子だ。

 更に、食料を供出したと云う事も在って、解放軍として連合軍は受け入れられて居る様でも在る。

 一部城壁は破壊されはしたものの、極力市街地への攻撃は避けられた為、街や市民の被害は殆ど発生して居らず、皆無に等しいと云えるだろう。彼等彼女等は、自分達の戦争が終わった事と、之から始まる“降臨祭”への期待で、自然と顔を綻ばせて居るのだ。

 そんな街の様子を見て、才人は「はぁ」と溜息を吐いた。(こんな景気の良い街で、暗い顔して居るのは俺だけだ。之から俺、どう成っちゃうんだろう?)、と左手甲に在る“ルーン”を見詰め、(まあ、自分には荷が過ぎた力だったのだ)、と想った。そして、(此の戦が終わったら、今度こそ東へ向かおう。ルイズだって、こんな俺は要らんだろうし……)、とも想って仕舞い、心にポッカリと穴が空いたかの様に寂しく成って仕舞った。そして、其れを埋める様にして其処へ郷愁が入り込んで来るのだ。才人は故郷で在る“日本”を想い出して仕舞った。異世界の……見慣れる異国の街で、不意に郷愁が膨れ上がるのだ。

「なあ、才人。御前の気持ちは痛い程に理解る」

「……御前に、何が理解んだよ?」

「俺の“スキル”……否さ、“宝具”の効果でな、御前の感情が伝わって来るんだ」

「だったら、離れれば良いだろう……其れに、シオンに着いて居無くて大丈夫成のかよ?」

「其れは嫌だね。そして、シオンの事だが問題は無い。借りて居る部屋は“工房化”済みだし、何か在れば“令呪”で呼び出されるだろう……さて、ルイズの事だがな」

「聞きたく無い」

「まあ、聞け。彼奴は素直に成れ無いだけの御嬢ちゃんだよ」

「…………」

「今頃、ルイズはデルフリンガーに説教でもされてるだろうさ……」

「なあ……」

「何だ?」

「御前って、“サーヴァント”に成る前は何な事してたんだ?」

 ふと、才人は俺へと質問を投げ掛けて来た。其れは、ルイズに対する気持ちや郷愁などを誤魔化す為か、単純に疑問に想って居た事成のか。

「此の前も言ったと想うけど、引き篭もりだよ」

「え?」

「だから、引き篭もり。ニートさ。碌で無し。穀潰し」

「御前の様な凄い奴が?」

「俺が凄い訳無いだろう。凄いのは、先を疾走って居た先人達、偉人達さ」

「でも、御前は凄い力を持ってるじゃ成いか」

「其れは俺が“神様転生(ズル)”をして居るからさ」

「俺、今の御前みたいに成れるかな?」

「今の御前で在れば、成る事は簡単かも知れ無いな。何せ、“世界と契約為る”か、人や人外共を殺し続ける、若しくは“神様転生(俺みたいなズル)”を為る位だろうが……何れも碌なモノでは無いのは確かさ」

「御前がしてるズルって何だよ?」

「“神様転生”と言ってな、神様とでも言える存在と“契約”地味た事を為るのさ」

「“神様転生”?」

「そう。で、好きな能力などを貰って、好きな世界へと前世の記憶と感情などを保持した儘“転生”為るってモノだ」

「そんな便利で素敵なモノが、何で碌でも無いモノ何だよ?」

「そうだな……“輪廻転生”ってのは知ってるだろう?」

「ああ」

「其れはな、“魂”に経験を積ませ続け、そして解脱為る為のモノ仕組み何だ。本来、生きると言う事は、“魂”と肉体とを結び付ける“精神”の中に在るエネルギーを消費する事に近い。そうして、其のエネルギーを消費し切る事が出来無かった者に対するチャンスと罰、其の“魂”の経験値を先取り為るのが“神様転生”」

「其れの何が行け無いんだよ?」

「例えばだがな、ゲームでチートをして居る様なもん何だ。チート行為を為ると、何処かに皺寄せが来る。バグが発生為る。アカウントがBANされる。其のバグだがな、常に命を張り続ける必要の在る状況や状態に置かれるってモノが多いんだ。死ぬ様な目に合う事で、エネルギーって言うのは基本的に湧いて出て来るものだからな。家事場の馬鹿力とかも、其れだな」

「今の俺と大して変わら無いじゃ成えか……」

「今はな、ゲームで言うチュートリアルの様なモノだ」

「チュートリアル? 之が?」

「そうだ。此の先、もっと死ぬかも知れ無い状況に追い込まれるだろうな」

「そう成のか……其れって、“聖杯戦争”も関係してるのか?」

「ああそうだ。其れは、俺が此処に“転生”した事が原因だろうな」

 そうして、才人は之迄の此処――“ハルケギニア”での生活と、ルイズやシエスタ達の事を想い出す。

(そんな危険な事に彼奴等を巻き込む事何て出来っこ無い……けど、彼奴には、ルイズには既に“令呪”が……)

「其れで、御前、前世ではニートだったって言うけど、其れで良かったのかよ?」

「良くは無い。良くは無いだろうさ。だがな、“人間とは――奪い、殺し、貪り、そして忘れる存在。正にスーパーニート。嘆かわしい事に、人間とは抑々ニート成のだ。何も悪い事は無い”」

「何でそんな結論に成るんだよ?」

「今の言葉は、1人の坊さんが辿り着いた悟りさ。其の結論に至る迄の過程はどう云ったモノか知ろうと思えば識る事は出来るだろうが、今はどうでも良い。何でそんな結論に成ったかと言ったな?」

「ああ」

「判らん」

「どう云う意味だよ?」

「判らんのだ。彼は存在し得る宗教と言う宗教に手を出し、神様と言う神様が一体何の様なモノかを感じ取った。そして、神様と言うのは、人間が自ら作り上げた罰と言うモノだと悟った。唯其れだけの事。そして、唯、其の言葉に俺は感銘を受けた。そして、俺は未だ何もして居無い、“此の手は未だ1度も、自分の意志で戦ってすら無い”、“今迄生きる事が出来たのは多くの助けが在ったから、自分を支えて呉れる皆が居たから”、“前に進める内は、身体が未だ動く内は、自分から立ち止まる事だけはしたく無い“と想った。”温かいモノを信じて居たい、温かいモノを守って居たい“そう想って、今俺は此処に居る」

「未だ生きてたいとか想わ無かったのか? 心残りは? 周りが悪いとか想わ無かったのか?」

「当然思ったよ。まあ、其れ以上に俺は自分を責め、自分を否定した。だけど、唯其れは、“間が悪かった”だけだ」

「――は?」

「だからな、“間が悪かった”だけ何だ。今の御前が置かれて居る状況や状態、嘗ての俺の状況や状態もそうだ。“自身の選択も―――自身を取り巻く環境も―――自身が良しとして、然し手に入ら無かった細やか未来の夢も。其れ等全てが、偶々其の時だけ、噛み合わ無かっただけ。人生と言うモノは、其れだけの話だ”。“御前も悪い。だが俺を含め周りも悪い。要は、全てが悪かったのだ。人生とは存なモノだ。全てが悪いのだから、悲観するのは馬鹿馬鹿しい”だから、“間が悪かった”、そう想う事で、大抵の事は片が付く。実際に、俺もそうだった。そう想えたからこそ」

「間が悪い……」

「そうだ。まあ、全て受け売りだけどな」

 繰り返し「“間が悪かった”」と云う言葉を呟き続ける才人に、俺は唯笑って言った。

 そんな俺達に向かって、後ろから声を掛ける少女が居た。

「サイトさん! セイヴァーさん!」

 才人は一瞬、誰の声か判ら無いと云った様子を見せる。其の声は、此の街に存在する筈が無い声だったのだから。

 次の瞬間、才人は後ろから猛烈に抱き竦められ、地面に転がって仕舞う。

「やーん、こんな早く逢える何で! 私感激です! か・ん・げ・き!」

 遣っとの想いで才人が振り返ると、満面の笑みを浮かべて喜んで居るシエスタの姿が其処には在った。

「シ、シエスタ? どうして!?」

「ふむ、此処で逢うとはな」

 才人は、(何でシエスタが此処に?)、と慌てた。此処は雲の上“アルビオン大陸”で在り、“魔法学院”でメイドとして働くシエスタが居て良い場所では無いのだから。

「あらん? シエスタちゃん、御知り合い?」

 其の背後から、野太い声が響いた。此の響きにして、可愛らしい口調。

「スカロン店長?」

 ピッタリとした革の衣装に身を包んだ顔見知りの店長が、身をくねらせて居るのだ。彼が経営する“トリスタニア”の“魅惑の妖精亭”で、俺達は1夏働いて居たので在る。

 其の隣には、スカロンの娘で在る、ジェシカも居た。

 才人と俺を見て、2人は目を真ん丸に見開いて居た。

 

 

 

「慰問隊?」

 広間に面したカフェで、才人は素っ頓狂な声を上げた。

 麦酒(エール)を啜って、眉を顰めた後、スカロンは微笑んで言った。

「そうよぉ! “王軍”に兵糧を追加で送る事に成ったんだけど、其の際に慰問隊が組織されたのよ! 何せ“アルビオン”と来たら……」

 スカロンは並んだ料理を見て、首を振った。

「料理は不味い! 酒は麦酒(エール)ばっかり! 女はキツい! で有名何だから! “アルビオン”人はワインをあんまり呑ま無いのよ」

 飲み物に関しては同意出来るのだが、他に関しては否定せざるを得無い。が、俺は静かにスカロンの言葉を聞いた。

 木のジョッキに注がれた酒を一口含んで、スカロンは露骨に眉を顰めた。

「全く! こんな不味い麦酒(エール)ばっかり呑まされたんじゃ、舌の肥えた“トリステイン”人は堪ら無いわ! だから何軒もの“トリスタニア”の居酒屋が出張して来る事に成ったのよ。そんで以て、私の御店にも白羽の矢が立ったと言う訳。何せ“王家”とは縁の深い、“魅惑の妖精亭”で在るからして。嗚呼、名誉な事だわ!」

 スカロンは身を震わせた。

 連れて来たで在ろう店の女の子――妖精さん達が、元気な声で唱和した。

「名誉な事ね! ミ・マドモワゼル!」

 スカロンはテーブルの上に立って、プルプルとポージングを取る。

「サイト君とセイヴァー君はあれ? 兵隊さん? 何で“アルビオン”に来たの?」

「否、兵隊じゃ無いんですけど……」

 スカロンからの質問に、才人は答えを窮して仕舞う。

 其処に俺がフォローを入れようとするが、そんな必要も無くスカロンが言葉を続けた。

「まあ言え無い事も有るわよね。ミ・マドモワゼルも男だから、其の辺訊か無いわよ」

 才人は、(マドモワゼル成のか男成のか、ハッキリしろ)、と想い乍ら曖昧な様子で首肯いた。

 そして才人の隣には、ニコニコと笑って居るシエスタが居り、才人は「でも、何でシエスタが一緒何だ?」と訊いた。

「親戚何です」

「ほお、親戚とな?」

「あ、あの店長と?」

 才人はギョッとした様で、スカロンを見詰めた。

「ええ。母方の……」

 と恥ずかしそうに、シエスタが呟いた。

「若しかして、サイトさん達が今年の夏、働いて居た居酒屋って……」

「家だよー。だから知り合い何だよ」

 とジェシカが簡単に説明をした。其れからジェシカは俺と才人の方を向いた。

「シエスタはあたしの従姉だよ。あんた達が知り合いだった何てね!」

 シエスタとジェシカの2人は、見事な黒髪を持って居る。

 才人は、そんな2人を見比べ、(いやはや、世界は妙に狭いなあ)、と独り言ちた。

 シエスタが言い難そうに切り出した。

「サイトさん達が出発して直ぐに、“学院”が“アルビオン”が賊に襲われたんです」

「え? ええー? え?」

 行き成りの話題で才人は驚いた様子を見せる。

 軍の士気を考慮してだろう、戦場に居ると本国のニュースは殆ど入って来無い。

「私達は何が何遣ら判ら無くって宿舎で震えてたんですけど……大変な騒ぎだったみたいんで……何人か人死も出たみたいで」

 とシエスタは哀しそうな表情を浮かべて言った。

 当然、才人は“学院”に残して来た人達が心配に成った。

「一体、誰が犠牲に成ったの?」

「私達平民には、詳しい事を教えて呉れ無かったモノですから……」

 と、すまなさそうにシエスタが言った。

 才人は、(知ってる人だったら嫌だな)、と想った。

 誰が死んでも哀しい事だが、知って居る人で在れば尚更だと云えるだろう。

「其れで、戦争が終わる迄“学院”は閉鎖に成っちゃったんです。で、どうしようかなって想って。伯父さんの御店手伝おうと想って……」

「シエちゃんには昔っから御誘い掛けてたのよ」

「そんな訳で“トリスタニア”の御店に行ったら、スカロン伯父さんやジェシカが荷物を纏めてて……“アルビオンへ行く”って言うもんですから」

「其れでくっ着いて来ちゃったの?」

 と才人が言ったら、シエスタは頬を染めて首肯いた。

「え、ええ……だって……」

「だって?」

「サ、サイトさん達に逢えると想ったらか……」

 2人の様子を見詰め、ジェシカが身を乗り出した。

「え? 何々? どゆ事? シエスタとサイトって出来てたの? あんたって確か、あのルイズと……」

 ジェシカが其処迄言った時、シエスタの目が光った。

「ミス・ヴァリエールは御元気ですか?」

 才人は、「う、うん」、と首肯いた。

「あんたって、割と遣るのね。何だか、見損なってたかも」

 才人は複雑な気分で、「否、別に……」、と呟いた。

「あらまあ、ルイズちゃんも居るの? 其れじゃ御挨拶し為きゃね」

 と、スカロンが爪を弄り乍ら言った。

「シオンの方はどう成の?」

「勿論元気さ。シオンは、故郷を取り戻す為に前へ進んで居るよ」

「へえ、此処ってシオンの故郷何だ」

 ジェシカがシオンの事を気に掛けて呉れて居たのだろう、質問を投げ掛け、そして俺は其れに答える。

「で、其の“学院”での事だけどさ。あんた、シエスタが言ってた時、眉1つ動かさ無かったけど」

「戦争とはそう言うモノだと理解して居るからな。其れに対策はして来た。最低限の犠牲しか出て居無い筈だ」

「あんたって何処か冷えてるよね」

「そうかも知れ無いな。そうだな、そうだろうな」

 そして沈黙が流れた。

 

 

 

 さて、一方ルイズは宿の部屋の中でデルフリンガーの指導のモノ、才人の機嫌を直す大作戦、を展開して居た。

 デルフリンガーの指示通りに、宿屋の召使に命じて買って来させた品々を前に、ルイズは駄々を捏ねて居た。

「ちょっとぉ!? 巫山戯無いでよ!」

 ルイズはデルフリンガーに、散々に怒鳴り付けた。

「巫山戯て無えよ。相棒にきちんと謝るには、之しか無えってのよ」

 何処迄の真面目なデルフリンガーの声で在る。

「何で獣の格好為成きゃ行け成いのよ!? 私“貴族”よ“貴族”! 理解ってんの!?」

「其の高飛車がなあ、良け無えんだ。謝る成ら下手に出るしか無えだろ?」

「そんで私が“使い魔”の振りをするって言うの?」

「そうだよ。良い作戦じゃ成えか。“サイト、意地悪言って御免ね。今日は1日私が使い魔に成って上げる”」

 とデルフリンガーが、ルイズの声と口調を真似て言った。

「そんな状態で“側に置いて下さい”何て言ってみ? 多分相棒は単純だから、全ての罪を赦す気に成っちまうだろうなあ」

 ルイズは首を振って言った。

「まあ、百歩譲って獣の格好で其の台詞を言うとしてもね」

「おう」

「何で黒猫成のよ!? 訳理解ん無いわ!」

「1番ポピュラーな“使い魔”は黒猫じゃ成えか。だから黒猫の格好すんだよ。理解り易いだろ。こう言うのはな、そう言う理解り易さが大事何だよ」

 眼の前に並んだ、黒猫に仮装する為の材料を見詰め、ルイズは頬を赤らめさせた。

「じゃあ其の材料を、俺が言う通りに加工為るんだ」

 ルイズは渋々と、宿屋で借りて来た裁縫道具を取り出し、毛布遣ら革遣ら紐遣らを使って、デルフリンガーの言う黒猫の衣装を作り始めた。

 暫く毛布と格闘をして……黒猫の衣装は出来上がった。ルイズの裁縫の才能はゼロに近いのだが、単純な構造の為に、何とか形に成ったので在る。

 さて、出来上がった衣装を身に着け、鏡に己の姿を映したルイズは、黒猫衣装の破壊力を目の当たりにする事に成った。

「な、何よ此の格好!? こん成の恥ずかしくって誰にも見せられ無いわ!」

 何処迄も涼しい声で、「似合いじゃ成えか」、とデルフリンガーが言った。

「何よ此の耳は!?」

 ルイズは己の頭の上に存在し主張をし続けて居る猫の耳を模した物体を指指し、怒鳴った。黒い毛皮を切って、猫の耳の形に整え、カチューシャにくっ付けた代物で在る。其れを頭に着けるとあら不思議。黒猫の耳がルイズの頭の上に出現するので在った。

「良い具合じゃ成えか」

「で以て此の衣装は何成のよ!? 厭らしい! 厭らしいわ!」

 ルイズは鏡に映った己の姿を指指して、ワナワナと震えた。詰まりは其の、身体の要所要所を、黒毛皮で隠しただけのデザインで在るのだった。

 胸には黒毛皮を布に貼っ付けただけのバンドを巻いた。パンツに毛皮を貼り付けて、其れを穿いた。そして足首に、靴下の様に毛布を巻き付けるのだ。

 余った毛皮で尻尾を造り、御尻から下げたのだ。

「いやぁ、どっからどう見ても立派な黒猫だ」

 と他人事で在るかの様に、否まあ実際に他人事で在るのだが、デルフリンガーが言った。

「何処がよ!? 頭が沸いてる様にしか見え無いんだけど!」

 とルイズは切無い声で言った。そして、(こんな馬鹿ボロ剣の言う事を利いたのが間違いだった)、と後悔して居た。

「否、幼い御前さんの身体が、野性的な魅力を発し始めて居る。相棒、イチコロだろうなあ」

 ルイズの身体が、ピクリと止まった。

「其の格好で、媚の1つでも売ってみ? 相棒、其の瞬間に跳び掛かって来るから」

「そ、そん成の嫌よ。冗談じゃ無いわ」

 とか言い乍ら、ルイズは鏡の前でポーズの研究を始めたのだった。満更でも無い様子を見せて居る。

 指を咥えてモジモジとしてみたり、中腰に成って首を傾げてみたり、両手を床に突いて振り向いたり、親が見たら泣くだろうポーズを色々と試して居るのだった。

「何だ。跳び掛かられたいんじゃ成えか」

「ち、違うわよ! じ、実験よ実験! ホントにイチコロ成のかって! 気に成るだけよ!」

 其の内にルイズはと或るポーズが気に入った様子を見せる。

「あ、之良い。可愛い」

 ルイズは台詞も考え付きい、デルフリンガーに言ったら、「良いんじゃ成えの」、と賛同を得た。

「良し。じゃあ其れで行け」

 然し、冷静に成ってみると恥ずかしさが込み上げて来た様子を見せるルイズ。

「や、やっぱり無理よ! 無理!」

「あんだけノリノリでポーズ取って置いて、其りゃ無えだろ」

「だって、ねえ……幾ら何でも、ねえ……私、公爵家だし……伝説だし……流石に……こう云う事遣る訳には行か無いと想うの。何か踏み外してる気がするわ」

「ったく理解って無えなあ。御前さんがそう言う風だから、相棒が拗ねたんじゃ成えか」

「……う」

「良いから、今日1日だけ馬鹿に成ってみ。女にはな、そう云う愛嬌が大事だよ。うん」

「……でも」

 デルフリンガーは其処で、切り札を出した。

「格好付けたら、メイドに負けちまうぜ?」

 ルイズの眉が、ピクンっ! と跳ね上がった。

「何ですって? 誰が負けるですって?」

「いやぁ、そう来為くっちゃ行け成え! 流石“虚無”!」

「当ったり前じゃ成いの。メ、メイド何かに誰が負けるもんですか」

 其の時で在る。部屋のドアノブが回された。

「おや、相棒が帰って来たみたいだぜ」

 ルイズは深く深呼吸を為ると、ドアの前に立った。

「良いか? “貴族”の娘っ子。プライドと己を捨てて、愛嬌。良いな?」

「わ、理解ってるわよ!」

 次の瞬間、ドアがガチャリと開いた。

 ルイズは顔を真っ赤にして目を瞑り、中腰に成って、限り無く平地に近い胸を無理やり両腕で寄せて、左手の親指を唇の下に置いて、右手を開いて腰に着け、先程デルフリンガーと相談して決めた台詞を絶叫した。

「きょきょきょ、きょ、今日は貴男が御主人様にゃんッ!」

 そして……ルイズは相手の反応を窺った。

 然し、何の返事も無い。

 ルイズは、(何よ!? スルー!? 無視!? どゆ事!?)、と想い、彼女の頭に怒りの炎が沸いた。

「何か言ってよ! 私が此処迄してんのにッ!」

 其処でルイズは目を開いて……眼の前に居るのが才人では無い事に気付いた。

「ミ、ミミ、ミス・ヴァリエール?」

 顔を蒼白にして、ワナワナと震えて居るシエスタが其処には居た。

「あら、ルイズちゃん。何其の格好?」

「ぷ。ぷぷ。あんた何時の間に猫に成ったの?」

 シエスタだけでは無い。

 其処には、スカロンとジェシカも居るのだ。

 其処に才人と俺が遣って来て、そんな連中の後ろから才人が顔を覗かせた。

「御待たせ。酒を持って来たよ。ん? 何で皆部屋に入ら無いの?」

 才人は其処で、黒猫の格好をして居るルイズに気付いた。

「な、何遣ってんた? 御前……」

 ルイズは、文字通り絶叫をした。

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 

 

 

「ルイズちゃんも可愛い所有るじゃ成いの」

 と、椅子に腰掛けたスカロンが呟いた。

「ぷ。ぷぷ。ぷぷぷ」

 とジェシカは口を押さえて、必死な様子で笑いを噛み殺して居る。

 シエスタはルイズが使用した毛皮の余りの切れっ端を見詰めて、むむむ、と眉を寄せて居た。

 ルイズは毛布を引っ冠ってベッドから出て来無い。

 宥めてもすかしても、何の返事も無いのだ。

 才人は何が何だか理解ら無い様子で、デルフリンガーに尋ねた。

「一体、何がどう成ってるんだ?」

「いやぁ、其れが傑作でしょ……」

 とデルフリンガーが言ったら、ガバッと毛布が跳ね上がり、着替えるタイミングを完全に逸したルイズが黒猫娘の衣装の儘飛び出してデルフリンガーを引っ掴み、無言でベッドの中へと戻って行った。

 シエスタが、そんなルイズをジロッと睨んだ。

 才人は訳が理解らずに首を傾げた。

 窓の外を見てジェシカが、「何だか雪でも降りそうな位、冷えるわね」、と呟いた。

 スカロンが、「雪の“降臨祭”……いやぁ、ロマンチックだわぁ」、と身を捩らせて言った。



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戦う理由

 夜空に満開の花火が打ち上がったのが見える。

 “シティオブサウスゴータ”の広場に沢山の張られた天幕の下人々は歓声を上げた。

 連合軍が駐屯した御蔭で、一気に倍近く膨れ上がった街には至る所兵隊が寝泊まりをするテントや、仮設の天幕で溢れて居る。宿舎として借り上げた建物、の数にも当然限界が在るからだ。兵隊達にモノを売る為に色々な所から商人が遣って来て、“シティオブサウスゴータ”は嘗て無い程の活気に包まれて居る。

 そして、1年の始まりを告げる“ヤラ(1)”の月、第1週の初日で在る本日はそんな活気を更に倍増させる日で在る。

 “ハルケギニア”最大の御祭りで在る“降臨祭”が始まったので在る。今日から10日程は、連日呑め歌えやの大騒ぎが続くので在る。

 ルイズと才人、シオンと俺の4人は、広場に設けられた“魅惑の妖精亭”の天幕で酒を呑んで居た。周りにはルネを始めとした“第二竜騎士中隊”の面々が居る。ギーシュを始め、“王軍”士官の面々も見える。軍上層部は所属の士官達に、“シティオブサウスゴータ”の店での呑み食いを禁じたので在る。

 酔って住人達と揉め事を起こしでもされたら面倒で在るだろうし、纏めて置けば監視もし易いと云う訳だ。そんな訳で、“トリステイン”から出張して来た居酒屋は何処も満員で在った。

 黒猫衣装を見られて以来、ルイズは必要以外、口を利か無く成って仕舞った。余程恥ずかしかったのだろう。1人で黙々と、舐める様にして酒を呑んで居るのだ。

 ルイズは兎に角酒に弱いので、ワインをコップの中に少しばかり垂らし、果汁遣ら蜂蜜遣らを入れて徹底的に薄めてチビチビと遣るので在る。其れでも既に顔は真っ赤で在った。

 ルイズは、横目で才人の方を見る。

 才人は、ルネ達や先程再逢したギーシュとマリコルヌ達と酒を呑んで居るのだ。同性且つ顔見知りと過ごす事が出来る為か、ルイズと一緒に居る時とは違って、割と楽しそうにして居る。

 そんな姿を見て居ると、更にルイズは酒の量が進んで行くので在った。

 ルイズは蕩んとした目で、コップを振り上げた。

「おかわりー。りー」

 ととと、駆け寄って来た給仕の姿を見詰め、ルイズは顔を背けた。そして、別の給仕を呼ぼうとした。

「誰か来て頂戴。誰か」

 澄ました顔のシエスタが、「御注文、承りますけど」、とそんなルイズに声を掛けた。

「あんた何か呼んで無いわよ」

 ルイズはジロッとシエスタを睨み付けた。そして、トロンとした目で呟いた。

「こんなとこ迄追い掛けて来ちゃってさ……馬鹿みたい」

 シエスタは、明るい表情の儘で言った。

「黒猫の格好で気を惹こうと為る選り、マシですわ」

 ルイズは顔を真っ赤にした。

 シエスタはそっとルイズに顔を寄せて、ニコニコと笑い乍らボソッと呟いた。

「“今日から貴男が御主人様にゃん”」

 ルイズはガバッと立ち上がり、プルプルと震えた。其れから想い直す。(メイドと張り合って居る場合では無い。其れに自分には戦果が有るじゃ成いか。其れを報告して上げるわ)、と心の中で北叟笑んだ。そして、平静を装い、呟いた。

「わ、私何か告白されたんだから」

 シエスタの眉がピクッと動いた。

 ルイズはそんな恋敵の反応を見逃さ無い。其れは勿論ルイズだて、女の子成ので在る。(此の娘何もされて無いわね。やっぱり勝ってる!)、とルイズは嬉しく成って、更に戦果を拡大す可くシエスタに詰め寄った。

「そう成の。“好き”って言われちゃった。同仕様かなぁ、私あん成の何とも想ってませんけど、言われちゃった。全く“使い魔”の癖に生意気よね」

 シエスタはニコニコと笑って聞いて居る。

「へええ。良かったですね」

 と言いつつ、シエスタの目は全然笑って居無い。

 ルイズの隣に腰掛けて居るシオンは、何処吹く風と云った様子を見せて居る。

「おまけに、押し倒されちゃった。勿論許さ無かったわ! だって、あん成の好きじゃ無いもの。当たり前じゃ成い!」

「どうせ厭らしく媚でも御売りに成ったんじゃ在りません事?」

 とシエスタが挑発気味に言った。

 ルイズは真っ向から視線を受け止めて言い返した。

「あんたじゃ無いのよ」

 2人はジリジリと睨み合った。

 其の時……パラパラと、何かが天幕に当たる音がした。

「ん?」

「雪だ! 雪!」

 と外から声が聞こ得て来た。

 天幕の隙間から、雪が降って来るのが見える。

 ルイズが「雪の“降臨祭”かぁ……」と呟くと、シエスタが「私、雪の“降臨祭”って夢だったんです……」とうっとりとした顔で呟いた。

「そう成の?」

「ええ。ほら、“タルブ”の辺りでは冬でも暖かいものですから。あんまり雪何か降ら無くって……」

 幼子の様に目をキラキラとさせて、シエスタは天幕の外の雪を見詰めて居る。呆けた様にそんな自分を見て居るルイズとシオンに、シエスタは気付いた。

 3人は顔を見合わせて、頬を染めた。ルイズとシエスタの2人は雪を見て我に返り、シオンは2人に連られて笑ったので在る。

 ルイズは照れを隠すかの様な口調で、「……何だか気が抜けちゃった。此方も、休戦にしましょうか。“降臨祭”だし」、と言った。

「そうですね」

「あんたも呑み為さいよ」

 ルイズはシエスタに座る様に促した。

 シエスタは素直に、はい、と首肯いたチョコンとルイズの横に腰掛ける。

 ルイズは、シオンとシエスタに挟まれる形に成った。

 ルイズに酒を注いで貰い、ペコリとシエスタは頭を下げた。

「私は、久し振りだな、雪の“降臨祭”……」

 シオンがボソッと呟く。

「そうね。シオンは、此処出身だものね」

「乾杯」

 と妙な気分で、3人は杯を触れ合わせた。

 シエスタは、「美味しい」、と酒で頬を染め、呟く。

「“貴族”の方に御注いで頂く何て、感激ですわ」

 天幕の隙間からヒラヒラと雪が舞い散って居るのが良く見えた。

 シエスタはポツリと、「綺麗……雪が建物に掛かって……まるで砂糖菓子みたいですわ」、と呟いた。

「そうね」

「こんな綺麗な土地成のに、どうして戦争しよう何て想うのかしら?」

 そう言ってから、はっ、と、シエスタはルイズとシオンの方を向いた。

「す、すいません……別にミス・ヴァリエールとミス・エルディを責めてる訳じゃ……御国の為に頑張って居る、そうですよね?」

 ルイズは下を向いた。

 シエスタは、コップの底のワインを見詰めて呟いた。

「……ほんと言うと、私、こんな戦争反対です。って言うか戦争は嫌い。一杯人が死ぬし……どうしてですか?」

「どうしてって?」

「どうして戦争何か為るですか? 父は……結局、御金の為だって言ってました。敵の国を占領して、自分達の言う事を利く王様を据える為何ですって。其れか、自分の出世の為何ですって。そう何ですか? そんな理由で殺し合いを為るんですか?」

「皆、其々が掲げる正義の為に、正義と言う建前の為に戦って居るのかも知れ無いわね」

 と、シオンがシエスタの言葉に反応を返した。

 ルイズは考えた。そして、(周りの大臣達はそうかも知れ無い。でも、アンリエッタは違う。幼い頃、共に過ごしたルイズには理解る。アンリエッタにとって、此の戦は復讐成のだ。最愛の人を奪った難い仇を斃し、友人の手に国を取り戻させる。アンリエッタには其れしか無いのだろう)、と考えた。

 考え込んで居るルイズに、シエスタは尋ねた。

「ミス・ヴァリエールはどうして戦って居るんですか?」

「私?」

「そうです」

 アンリエッタの手助けをしたいと云うのも有るだろう。だが、其れだけでは無いのも確かだ。ルイズにとって、此の戦は……。

 ルイズが黙って居るのを見て、シエスタは俯いた。

「失礼しました。私が訊いて良い事じゃ在りませんわね。でも……」

 其の時……才人達のテーブルから、怒鳴り声が聞こ得て来た。

「全く! 御前等、ばっかじゃ成えの!」

 ルイズとシエスタとシオンは、ギョッとして声の方を振り向いた。

「な!? 誰が馬鹿成なだね!? どうして馬鹿何だね!?」

 ギーシュが立ち上がって喚いて居る。

 才人が立ち上がって、そんなギーシュに指を突き付けた。

「いー加減にしろって言ってんだよ! なーにが、“戦で手柄を立てて、モンモランシーに認めて貰う”だよ。阿呆か!? 死んだらどーすんだよ!? モンモンにしてみりゃ、其方の方が問題だろ」

「ぼ、僕の行いを、ぶ、侮辱為るかぁ!?」

 とギーシュが薔薇の造花を振り回して居る。

 どう遣ら口喧嘩の様だ。

 席を共にして居るルネ達が、執り為す様に言った。

「其りゃあ、君は平民だから、名誉の事何かどうでも良いのかも知れ無いけどな」

 才人はそんなルネ達をも、睨んで言った。

「全く何時迄も名誉ってなあ、ばっかじゃ成かろかと。なあ“竜騎士中隊”、御前等一回死にそうに成ってんだぞ? 少しは恐がれよ! 可怪しいよ! 名誉の為成ら死ぬ事も恐く無い? そん成の糞だ。阿呆の考える事。名誉? そんなモノの為に死ねるかっ吐の。俺は全く御前等の遣ってる事を、下ら無い事だと想うね」

「サイト!」

 其の時……行き成り才人は怒鳴り付けられた。

 其れはギーシュでも、ルネ達でも無かった。

 ルイズが立って、怒りで震えて居たのだ。

 才人はユックリとルイズに向き直った。

「何だよ?」

「あんた、謝り為さいよ。ギーシュとルネ達に謝り為さい!」

「何でだよ?」

「名誉を侮辱為る事は赦せ無いわ」

 ルイズが震え乍ら言った。才人にヤキモキをして居た真の理由に気付いたのだ。(自分の事を理解って呉れ無い)、と感じた理由……(自分が大事に想うモノを、才人がちっとも大事に感じて無いから、あん何ヤキモキをしたのだ)、と気付いたのだ。才人の戦振り……別に調子が悪いから、頭に来たのでは無かったのだ。才人が「任務を失敗したからって何よ?」とばかりに悪怯れ無いから、頭に来たので在った。

 才人はムッとした声で言い返して来た。

「守る可きモノは、もっと他に在るんじゃ成えのか?」

「他に何を守るって言うの? 名誉は命選り大切なモノだわ。其れを失ったら、私は“貴族”じゃ無く成る。“貴族”じゃ無く成るって事は、私が私で無く成る事だわ。だから2度と私の前で、“貴族”の名誉を否定為る様な事言わ無いで」

 キッパリとルイズは言った。

 一方、才人もまた気付いた。才人は其のルイズの顔と目に見覚えが有ったのだ。フーケの“ゴーレム”に潰されそうに成った時、ルイズが見せた顔だ。あの時のルイズは「敵に後ろを見せ無いモノを、“貴族”と言うのよ!」と怒鳴った。そんなルイズを(真っ直ぐだ)と想うと同時に、(何か違う)と感じて居た才人で在ったのだが。ああ、と才人は気付いた。此の前のルイズの「死は哀しいけれど……其の、名誉な戦死よ。名誉の……彼等は偉大な勝利の為に死んだの。だから悲しんだら、彼等が可哀想よ」と云う台詞が蘇る。自分が拗ねた本当の理由に才人は気付いた。別にジュリオにベタベタしたり、冷たくされたからだけが理由では無いのだと。(ルイズは自分選り、任務の方が……詰まりは名誉の方が大事何じゃ成いのか? とそう感じたからこそ、自分はあん成に落ち込んでたのだ)、と気付いたのだ。だから先程のギーシュの発言にも頭に来たのだ。

「じゃあ御前は……」

才人はルイズを睨んだ。

「あによ?」

「“死ね”って命令されたら、死ぬんか? 此奴等がそうしたみたいに?」

 ルネ達を指指して才人は言った。

 ルイズは唇をキュッと噛んだ。

「無理だろ? だったらもう、そんな生意気は……」

 と才人が言おうとしたのだが、ルイズに其の先を遮られてしまう。

「死ぬわ。当ったり前じゃ成い」

 フルフルと震える声で、ルイズは言った。

「御前成ぁ……」

 才人は呆れた。

 ルイズはと云うと、完全な買い言葉の口調で在るのだ。

「ひ、姫様と祖国に捧げた命だもん。いざ命令と在らば、喜んで捨てるわ」

 そんなルイズに、才人は、(軽々しく死ぬとか言うんじゃ無えよ。コルベール先生の手紙にだって書いて在ったじゃ成えか。“戦だからって死に慣れるな”って! 本当に、俺何か選り、名誉の方が大事何だろうか?)、と、カチンと来て仕舞った。

 才人はルイズに詰め寄った。

「じゃあ、俺はどー何だ?」

「へ?」

「御前が“死ね”と命令されたら、俺も死ぬのか?」

 ルイズは困った様子を見せ、誤魔化すかの様にして呟いた。

「な、何よ……あんた死ぬが恐いの?」

「当ったり前だ」

「臆病者ね! 皆死を覚悟して、遣って来たって云うのに!」

「俺は覚悟何かして無えよ。御前の御伴で無理矢理連れて来られたんだろ?」

「誰も頼んで無いじゃ成い!」

「考える暇も呉れ無かったじゃ成えかよ! “彼処行くわよ、此方行くわよ”って!」

 2人は何時しか声を荒らげて、派手に遣り合って居た。

 天幕の中で呑み食いをして居た全員が、唖然としてそんな遣り取りを見詰めて居る。

「あの……そろそろ良い加減にし為いかね?」

 とルネや、ギーシュに執り為され、遣っとルイズは我に返った様子を見せる。

 首を横に振って、冷静さを装おい、才人に告げた。

「そうね……見っとも無いわね。さあ、サイトあんたも部屋帰って休み為さい。何時何時(いつなんどき)、命令が在るかも判ら無いし……此の前みたいな役立たずは御免だからね」

 才人は、(何だよ……話は未だ終わって無えだろ? 其れ成のに外面が気に成るのかよ?)、とそう想った瞬間……更に気付いた。ずっと気付きたく無い、と想って居た事。ルイズに感じた距離、違和感の正体に。(一体自分の事を、ルイズはどう想って居るんだろう?)と云った何時か想った其の問と違和感が結び付いたのだ。(将軍達が……ルイズの“虚無”を道具と捉えて居る様に……自分もルイズにとって道具に過ぎ無いのだ。“伝説の使い魔ガンダールヴ”。主人の“呪文詠唱”を守る為だけに、特化した存在……詰まりは自分の行く道と名誉を守る為の、大事な道具……其りゃ御機嫌も取る筈だ。“偶には触って良いわ”、何吐って、御褒美の1つも呉れるんだろう)、と考えた。

「御前もあの将軍達と同じじゃ成えか」

 と才人が呟いた。

「な!? 其れ、どう云う意味よ……?」

「俺は道具何だろ? そうだよな。“使い魔”だしな」

 才人はルイズを押し退け歩き出し、天幕の外へと出て行った。

 ルイズは「待ち為さいよ」と怒鳴るのだが、才人は立ち止まら無い。

 隣に座って居たシエスタが立ち上がって、才人を追い掛ける。

 ルイズはワインの瓶を取り上げると、波々とコップに注いで、蜂蜜も荷重も込れずに其れを一気に呑み干した。

「何か在ったのかね?」

 全てを見て理解をして居たが、敢えて知ら無い振りをして、才人とシエスタの2人と入れ違いと云った風に俺は天幕の中へと入り、中に居る皆へと尋ねる。

「実は……」

 近くに居た“貴族”の1人が簡単に説明をして呉れる。

 

 

 

 雪が降る街を、才人はトボトボ宛など当然有る筈も無く歩いた。

 古都と呼ばれる割には、街を形造る石は綺麗で、罅や欠けて居る部分は見当たら無い。本当かどうか理解る人物は少ないが、何千年も前に造られた当時の姿を保って居る様子だ。大昔に掛けられた“固定化”の“呪文”の御蔭と云う事だった。

 雪の様に、白い街だった。街や城壁を形造る壁は、空から舞い散る雪の様な無垢な白さを放って居る。

 そんな街を、才人が真っ白に燃え尽きてヨボヨボと歩いて居ると、後ろから声を掛けられる。

「サイトさん」

 才人が振り返ると、シエスタが哀しそうな表情を浮かべて居た。

 “魔法学院”で見るものとは少し違うデザイの違うエプロンに黒服姿。軽く胸が開いて居るデザイン成のは、“魅惑の妖精亭”の趣味成のだろう。

「シエスタ」

 ととと、シエスタは駆け寄って来て、才人の手を握った。

「ゆ、ゆ……」

 そして、シエスタは頬を染め、凄く言い難そうに言葉を繋げる。

「ゆ?」

「ゆ、雪降ってて、か、風邪引いちゃいますから……」

 そんな風に言ったら、シエスタはポロポロと泣き出してしまった。

「駄目です。風邪、引いたら駄目です……」

 道行く人々が、好奇の表情でそんな2人を見詰めて居る。

 才人は慌ててた。

「シ、シエスタ……こ、こんなとこで……」

「彼女を泣かす無よ! 色男!」

「何だ、国から女が追い掛けて来たのかぁ?」

 そんな風に、道行く兵隊や住民達が野次を飛ばす。

 才人は困って仕舞って、「シエスタ、取り敢えず場所変えて……」と言って、グシグシと泣き乍ら目元を擦るシエスタの肩を抱いて歩き出した。

 

 

 

 ルイズと共に借りて居る宿屋には行く気がし無いし、“魅惑の妖精亭”には未だ皆が居るだろう、と云う事から、才人は困って仕舞い、結局、シエスタが借りて居る宿屋は相部屋と云う事で、2人は落ち着ける宿屋を探した。兵隊や商売人達で溢れた街で、空いて居る部屋を探すのは大変では在ったが、何とかボロボロの居酒屋の地階に、部屋を見付けて入り込んだ。

「こんな部屋で、“エキュー金貨”1枚も取るのかよ」

 と文句を言い乍ら才人はベッドに腰掛けた。

 窓が無いので薄暗い。

 シエスタは未だシクシクと泣いて居たが、才人が頭を撫でて居る内に遣っとの事で泣き止んだ。

「御免為さい」

 とシエスタは唇を噛んで言った。

「どうしたの?」

 と才人は訊いてみた。

「サイトさんが可哀想で……一生懸命に働いて居るのに、あんな冷たい事言われて……そしたら、凄く哀しく成っちゃって……」

「大丈夫だよ」

 と少しばかり嬉しく成った様子で、才人は言った。

 シエスタは其れから、ブルル、と震えた。

 火の気の無い部屋は冷えるのだ。

 才人は立ち上がると、暖炉に薪を置いた。部屋を借りる時に貰って来た火種を其処に焼べる。マッチなどと云う便利なモノは、此処“ハルケギニア”では未だ発明されて居無いので在る。

 才人は、ふぅふぅ、と息を吹き掛け、薪に火を移して居ると……後ろからそっとシエスタに抱き竦められ、思わず、息が止まる。

 グシグシとシエスタは、涙に塗れた頬を背中に押し付けた。

「うん……」

「……御免為さい。御免為さい。泣いて御免為さい。」

 と何度もシエスタは呟いた。

 才人はシエスタの手を解いて振り向き、左手で頭を撫で乍ら、右手の指で涙を拭いて遣った。

「サイトさんが可哀想で。違う世界から連れて来られて、其れでも文句言わずに頑張ってるのに。道具だ何て非道い。そん成の非道い。わ、私の大事な人……道具だ何て……」

 そう言って泣き乍ら、シエスタは才人の顔を覗いた。シエスタは思わず、すっと、其の儘唇を近付けようとして……自分のしようとして居る事に気付き、直ぐに引っ込めようとした。

 才人は思わず、そんなシエスタの頬に添えた手に力を込めて仕舞った。(離したく無い)、とそう想って仕舞ったので在る。

 シエスタは才人の手に込められた力に気付き、迷うのを止めた。才人の首に手を回し、素早く唇を合わせた。

 初めて合わせるシエスタの唇は、才人に温かさを感じさせた。

 シエスタは少し顔を離して、才人の顔を潤んだ目で覗き込んだ。そして再び、激しく唇を押し付けるのだ。其の儘シエスタは体重を掛けて、才人を床に押し倒した。

 赤々と燃える暖炉をバックにして、シエスタの黒い髪が動く。パラパラと頬を嬲る。

 シエスタは決心した様に目を瞑ると、背中のホックを外し、上着を脱ごうとした。

 才人が「ま、待った」と言うのだが、キスで唇を塞がれてしまう。

 また其のキスが、才人に甘く激しく感じさせ、取次筋斗に成って居ると、シエスタは顔を赤らめて胸元に手を置いた。

 そんな格好でシエスタは身を乗り出し、才人の唇を(なぞ)る様にして、何度も唇を重ねた。そし軽く唇を離して、呟いた。

「好き」

 燃え盛る炎をバックにそう言うシエスタは、才人にとって(激しく愛らしく、また色っぽい)、と云った感想を抱かせた。共に風呂に入った時には感じられ無かった色気で在る。「好き」と云う言葉が、キスが、齎した色気成のかも知れ無い。

 女性と云う存在は、まるで炎の様にコロコロと形を変えるのだった。

 才人は、シエスタがこんな艶めかしい色気を持って居る事を知ら無かった。

 其れでも才人が強張ったかの様に動か無いのを見て、シエスタは唇を尖らせた。

「ジェシカが言ってた。此処迄して何もして来無い男の子何か居る訳無いって。そんで何もして来無かったら、ホントに何とも想われて無いって」

「そ、そ、そうじゃ無いよ……」

 と、爆死しそうな勢いで才人は否定の言葉を搾り出した。

「じゃあ、触って下さい」

 とシエスタが手を握って、黒服から覗く谷間に導かれそうに成った為、才人は顔を背けた。そんなシエスタを見て居ると、どうにか成って仕舞いそうだったからで在る。

「嫌い?」

 とシエスタから尋ねられ、才人は首を横に振った。

「そうじゃ無い。そうじゃ無いんだ」

 才人は苦しそうな声で言った。才人も健全な男子の1人で在る。我慢は当然辛い。死にそうだと云える程で在る。こん何可愛らしいシエスタを抱き締めて……自分のモノにしたいと云った感情が押し寄せて来るのを感じて居た。だが同時に、そうして仕舞うと……何かが偽りに成って仕舞う気がしたのだ。何か大事なモノに、嘘を吐くかの様な気がしたのだ。

 だから才人は首を横に振った。

「……何て言うか、嘘に成りそうな気がしてさ」

「嘘?」

「うん。シエスタは俺にとって大事な人だから……こんな風に、其の……何て言うか整理が着いて無い状態で、其の……」

 と、才人は取次筋斗に成って言った。

 そんな態度で伝わったのだろう。

 暫くシエスタは考え込み……其れから想い直すかの様にしてニッコリと笑った。

「サイトさん、覚えてます?」

「……え?」

「何時か“タルブ”で……仰いましたよね。“俺達は異世界から来た人間だから、帰ら為くちゃ行け成い”って。“約束は出来無い”って」

「……うん」

「其れでも良いって私言いましたよね。あれ、嘘じゃ無いんですよ。今でもそう想ってますから」

「シエスタ」

「待ってますね。嘘にしても良い位、気持ちが一杯に成ったら……そんな時、来無いかも知れ無いけれど……待ってますね。そしたら……私の事……」

 そう云った事を言うシエスタが意地らしく想えたのだろう、才人は思わず彼女を抱き締めて仕舞った。

 シエスタは、子犬の様な目で、才人を見詰めて言った。

「今夜だけで良いの。抱き締めて……偶にキスして。其の位でも駄目? 其れでも嘘に成っちゃうの?」

「キ、キスはどうかと……」

 脱がれたら我慢出来無いだろうから、と才人は困ってしまった。そして、そんな事を言うシエスタに、断りの言葉を言える筈も無かった。

 シエスタはベッドに横に成ると、才人を上目遣いで見詰めた。ケーキやワインを配る時に見せる仕事用の顔では無く、素の表情。漂う、素朴で才人にとって懐かしさを感じさせる雰囲気だ。

 才人は、自分の事を「好きだ」と言って呉れる、そんな女の子を抱き締めた。

 

 

 

 シエスタは才人に抱き竦められ乍ら、甘えた声で自分の事を話した。

 小さい頃、森で迷子になった話。

 シロップで塗った、パンケーキが好きな事。

 休みの火には、殆ど昼寝をして居る事。

 1つの話題が終わる旅に、シエスタは才人と唇を重ねる。

 暫く話した後……シエスタは才人に小瓶を渡した。

「何之?」

「“魔法”の御薬です。貯めた御金で買ったの。“眠り薬”」

「“眠り薬”?」

「そうです。ワインや何かに垂らして呑めば、グッスリ」

「こんなモノ無くたって眠れるよ」

 と才人が言うと、シエスタは首を横に振った。

「サイトさんに買ったんじゃ無いの」

「どう云う意味?」

 シエスタは声を潜めて言った。

「若し、ミス・ヴァリエールが……サイトさんに何か危険な事をさせようとしたら……之を呑ませて寝て居る隙に逃げて下さい」

 才人は思わず笑ってしまった。

「もう……笑わ無いで下さい……本気何ですから」

「もう危ない事は無いと想うよ」

 と才人は言った。

 戦は勝ち戦だ。敵の主力は怖じ気付いたのかどう成のか、首都に篭もって出て来無いし……離反して居る兵も沢山居ると云う。「楽勝だ」、と将軍や士官も兵隊も、殆ど全員が言って居るのだ。

 だが、此の先の戦い――“聖杯戦争”については、伏せた。

 “令呪”を持って居るのはルイズで在り、自分には関係が無いと、考えた為だ。

「後は“ロンディニウム”を落とすだけだ何だってさ。敵は遣る気が無いし、楽チンだって、皆そう言ってる」

 才人は、(ルイズは妙に危ない任務に投入されて居るが……こないだ失敗したし、もう其れも無いだろう。其れに……今はルイズにも期待されて無い俺だ。こんな俺達に、将軍達が重量な任務を与えるとは想え無い)、とも考えた。

「でも、心配何です。弟が……直ぐ下の弟が参戦して“フネ”に乗ってるんです。“御姉ちゃん、何も心配無いよ”って。でも心配で、そう想い始めたら、サイトさんの事も心配に成って来て。心配に成り始めたら居ても立っても居られ無くて……」

 シエスタはまた泣きそうな様子を見せる。

「大丈夫だって」

「……嫌な予感が為るんです。サイトさんに、何か良く無い事が起こるんじゃ成いかって。だから、だから私……」

 才人はシエスタをギュッと抱き締めた。

「サイトさん……」

「安心してシエスタ。大丈夫。大丈夫だから。“学院”に帰ったら、またシチューを作って呉れよ」

 シエスタは、はい、と首肯くと、微笑んだ。

 暖炉の炎が優しく揺れる。

 窓の外には雪が積もり、月明かりが反射して銀色の世界が広がって居た。

「……銀色の“降臨祭”ですね」

 とシエスタが言った。

「皆騒いでるけど、“降臨祭”って何?」

「“始祖ブリミル”が、此の地に降り立った日を祝う御祭りです」

「今日って確か……新年だったよな。“降臨祭”って新年の初っ端から始まるの?」

「そうです。“始祖ブリミル”が此の地に降り立った日が、1年の始まりに成ったんです」

 才人はルイズの事を想い出した。

 “始祖”の“系統魔法”――“虚無”の担い手……(そんな偉い人物が使ってた“魔法”を担ってるんだから……“名誉名誉”と燃えるのも、しょうが無えな)、と才人は想った。

 

 

 

 

 

 時間を遡り、才人とシエスタが“魅惑の妖精亭”の天幕から出、入れ違いで俺が入って直ぐの事。

 俺は事の経緯を1人の“貴族”から聞き、周囲の皆に対して自身の考えを口にする。

「御前達の言う事も、彼奴の言う事も、何も、何方も間違ってなど居無い。まあ、違う国出身の人間が持つ価値観さ。故に、戯言だと聞き流して呉れて構わ無いし、余計な御世話かも知れ無いがね……其れは君達、名誉と言う言葉の意味を履き違えて居るからでは成いかね?」

「どう云う意味だい?」

 そんな俺の言葉に、ギーシュが反応を示した。

「何故、戦争で死ぬ事が名誉に成るのか……其れを考えてみ給え」

「其れは勿論、国や姫様の為さ!」

 1人の“貴族”が言った。

 俺は其れに首肯く。

「確かにそうだろう。だけど君達、もう少し考えてみ給え。何故、周りの者達が名誉だと言って呉れるのかを……抑々、どうして戦争での死が名誉だと言われる様に成ったのかを」

 俺の言葉に、此の場の殆どの者達が首を捻り出す。一部は、どうでも良いと云った様子で酒を呑む事を再開する。

 俺の言葉に耳を傾けた者達は、何故か俺の言葉に対して真摯に考えて居る。が、一向に答を出せ無いで居る様子だ。

「之は俺個人の考えだがね、其れは、大事な存在(モノ)を守る為の戦い、其の結果死ぬからだと」

「実際に、そうしてるじゃ成いか!」

「もっと身近な存在だよ」

「其れって……」

 何人かの“貴族”が俺が言わんとして居る事に気付いたのだろうか、此の場に居る何人かがハッと、気付いた様子を見せる。

「親兄弟、家族……恋人……そう言った想い人(大切なモノ)を守る為に、勇気を奮い、戦場に赴く事が出来る。剣を振るう事が出来る。盾に成る事が出来る。名誉何てモノは、其の後に残されるモノだ。残された者達が、先立った者に対してのせめてもの慰み、そして其の勇気などを讃えて出されるモノだ。生きて帰えれば、其れこそ名誉の勲章、言葉通りの“英雄”だ。自身の命を守れ無い者に、他を守る事も、後に守れただろうモノを守る事も出来遣為無いのだから。卑怯者と呼ばれようと、無様でも、構わ無い。命さえ残って居れば儲け物……素晴らしい事だ。君達は、結果を、目標を間違えて仕舞って居るんだ。名誉を獲得しようとし乍らも、其の過程を蔑ろにして仕舞って居る。御前達は、本来の目標を忘れ去り、過程を目標として仕舞って居るんだ」

 

 

 

 

 

 時間は戻り、“魅惑の妖精亭”から皆が出、其々が眠る時間。

 自分に与えられた部屋で、毛布を冠って蹲り、ルイズは“使い魔”の帰りを待って居た。

 夜も更けて居るにも関わらず、彼は帰って来無いのだ。

 窓の外を見ると……何時しか雪は止んで居る。

 降り積もった雪が、2つの月に照らされて、街を銀色に染め上げて居る。

 ルイズは、(今頃、こんな綺麗な景色を2人で見て居るのかしら?)、と想い、嫉妬で身体が焼けそうに成った。そして、「もう知ら無い」、と呟いて膝を抱えた。(こんな風に自分を傷付ける才人が赦せ無い)とも想った。だが、同時に天幕内での事を想い出し、色々と考え込んで仕舞う。

 トントン、と部屋のドアがノックされた。

 ルイズは、(帰って来た)、と顔を上げる。其れだけで顔がフニャッと崩れた仕舞った。

 然し……扉の向こうから聞こ得て来たのは、才人の声では無かった。

「僕だ。ミス・ヴァリエール。ちょっと良いかな?」

 “ロマリア”の神官、ジュリオ・チェザーレの声だった。

「どうしたの? もう夜更けよ」

「ちょっと尋ねたい事が有るんだ」

 ルイズが扉を開けると、其処にはハンサムなジュリオが立って居て、彼はニッコリと微笑んだ。

 ジュリオは、部屋に入って来ると、優雅に一礼をした。

「尋ねたい事って?」

 ジュリオは無言でルイズの手を取った。

 ルイズは思わず、ビクッと身を震わせる。

「安心して。変な事をする訳じゃ無い、君が嵌めた指輪に興味が有ってね」

 ルイズは警戒をしたが……無下に断るのもまた怪しまれると想い、指を突き出した。

 右手の薬指には、アンリエッタから貰い受けた“水のルビー”が光って居る。“始祖の祈祷書”を読む為の、伝説の指輪……。

「綺麗な青だ……不思議に想った事は成いかい?」

 ルイズは、(何を言う積りだろう?)、と首を傾げた。

「どうしてこん何青いのに、“赤石(ルビー)”何だい?」

「其れは……」

 理由など当然理解る事も判る筈も無く、ルイズは口籠ってしまった。

「之が“水のルビー”と呼ばれる宝石だからだ。そうだよね?」

 ルイズはハッとして、ジュリオを見詰めた。

「ジュリオ、貴男……」

「“水のルビー”は鮮やかな青、“風のルビー”は透明、“土のルビー”は茶色……」

 ルイズは“杖”を構えた。

「貴男、何者?」

「唯の神官だよ。正真正銘、“ロマリア”の神官さ。教皇の任命状を見せたって構わ無い。さて講義を続けるよ。どうして其れ等の伝説の宝玉が“赤石(ルビー)”と呼ばれるのかと言うと……赤が関係してるからさ。“始祖”の血で、其の宝石達は造られたと言われて居るんだよ。ホントかどうかは知ら無いけどね」

「随分と詳しいのね」

「ああ。“ロマリア”には研究熱心な科学者多くてね。自然と学問も身に付いた。そう云う事にして置いて呉れよ。で、宝玉は大昔に“ハルケギニア”の各“王家”に伝えられた……“水”は“トリステイン”、“風”は“アルビオン”、“土”は“ガリア”……そして“ロマリア”には“火”と言う訳さ」

「で?」

「“ロマリア”の神官足る僕は“火のルビー”を探してる。其の名の通り、火の様に赤い宝玉だ。変な話だが、一番ルビーらしい、赤石さ。嘗て“ロマリア”から盗まれたが……“トリステイン”に在ると言う専らの噂でね。聞いた事は成いかい?」

 ルイズは首を横に振った。

「嘘じゃ無いだろうね?」

「ええ。嘘を吐いたって仕方無いでしょ」

「そうか、成ら良いや」

 ジュリオはアッサリ諦めると、ルイズに断りを入れる事も無くベッドに腰掛けた。

「未だ何か話が有るの?」

「君の話をしてよ」

「私の話?」

「興味が有るんだ」

 ジュリオはニコッと、蕩けさせるかの様な笑みを浮かべる。女の子で在れば誰でもコロッと参って仕舞う様な笑みだ。

 だが、今のルイズはハンサムな笑顔を見て居たい気分では無かった。

「後にして呉れる? 眠いの」

「一緒に寝ても構わ無いよ」

 其の自信有り気な態度に、ルイズはカチンと来て仕舞う。

「傲慢成のね」

「ジュリオ・チェザーレってのはホントの名前じゃ無いんだ。大昔、“ロマリア”に王様が居た頃の、偉大な王様の名前さ」

「其れがどうして貴男の名前成の?」

「僕は捨て子だったんだ。孤児院で育ったのさ。其処でガキ大将だったんだよ。だから着いた渾名が大王ジュリオ・チェザーレ。面倒だから、其の儘名乗ってる。傲慢は生まれ付きさ」

「帰って呉れる?」

 ジュリオは立ち上がった。

「きっと其の内……僕に興味を持つよ。約束しても良い」

 ルイズはドアを開けた。

 一礼すると、ジュリオは部屋を出て行った。

「……何で男って、傲慢成人が多いの?」

 再びルイズはベッドに潜り込み、“使い魔”の帰りを待った。

 だが其の晩、才人は帰って来無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ガリア王国”は、“ハルケギニア”で最大の人口を誇る大国だ。其の人口は大凡15,000,000人に上る。“魔法”先進国で在る“ガリア”は、“メイジ”……詰まりは“貴族”の数も多い。そして其の都、首都“リュティス”はやはり“ハルケギニア”最大の都市でも在った。

 都市は、“シレ川”と呼ばれる、大洋に注ぐ川沿いに、旧市街と呼ばれる大きな中洲を挟む様にして発達して居る。然し、現在“リュティス”の政治的な中心は、其の中洲には存在為無かった。川の左側、何方かと云うと町外れに位置した巨大な宮殿“ヴェルサルテイル”が現在の中心で在った。

 宮殿と云う選り、複雑な形の庭園と云った趣をした“ヴェルサルテイル宮殿”には、様々な形の贅を凝らした建物が立ち並んで居る。其の建物や庭園は、世界中から招かれた建築家や園芸師の手に依って日々拡大を続けて居る。汎ゆる文化を糧として成長する生き物の様に、此の“ヴェルサルテイル”は其の姿を変えて行くので在った。

 そんな“ヴェルサルテイル宮殿”の中には、一際大きな建物が在った。“ガリア王家”の一族は、珍しい青い髪を持って居る。其の髪の色に因んで、此の“グラン・トロワ”と呼ばれる宮殿は、青い煉瓦で造られて居た。

 其の“グラン・トロワ”の一番奥の部屋に、“ガリア王国”15.000,000の頂点に位置する男が暮らして居るのだ。

 “ガリア”王ジョゼフで在った。

 青味掛かった髪と髭に彩られた顔は、見る者をハッとさせるかの様な美貌に溢れて居る。均整の取れたガッシリとした長身が、そんな彫刻の様な顔の下に付いて居るのだ。今年で45に成る筈で在ったが、どう見ても30過ぎ程度にしか見え無い若々しさを誇って居る。

 其の様な美髯の美丈夫が興じて居る遊びは、其の美貌に似つかわしく無いと云えるだろう、異様なモノで在った。

 彼は朝から小姓2人を付き合わせ、其の異様な遊びに夢中に成って居た。

 緞子の向こうから、貴婦人の声が響いた。

「陛下……陛下! 御探しのモノを見付けて参りましたよ!」

 ジョゼフは自ら緞子を掻き分け、部屋の入り口へと向かった。

 庭園に咲き乱れる薔薇の様に美しい貴婦人が立って居るのが見える。

 ジョゼフの顔が、ぱぁああああッと華やいだ。

「モリエール夫人! 貴女は私の最大の理解者だ!」

 モリエール夫人と呼ばれた貴婦人は、ジョセフに箱を差し出した。

「彼を陛下の軍務に加えて下さいまし」

 少年の様に目を輝かせ、ジョゼフは箱を開けた。中に入って居るモノを見詰め、更に顔が輝いた。

「之は!? 之は前“カーべ―時代”の“重装魔法騎士”では成いか!? 此の様な逸品を!? 貴女は素晴らしい人だ! モリエール夫人!」

 ジョゼフは箱から20“サンチ”程の騎士人形を取り出し、歓喜の声を上げた。其れから今度はモリエール夫人の手を取って、部屋の中心へと案内する。

「さあさあ、之を御覧に為って欲しい! 私の“世界(ハルケギニア)”だ!」

 部屋中に造られた、差し渡し10“メイル”程度は在るだろうかと云える程に巨大な箱庭を見て、モリエール夫人は目を丸くした。

 良く見ると、其れは“ハルケギニア”の地図を模した、巨大な模型で在るので在った。

「まあ! 綺麗な箱庭で御座います事! 素晴らしいわ!」

「国中の細工師を呼んで造らせたのだ! 完成に1ヶ月も経かったのだ!」

「今度は模型遊びで御座いますの? 遂々あの1人将棋にも御飽きに成られてのですか?」

「否々否々。飽きては居らぬ!」

「まあ!? 御訊ねしても宜しいですか? 私何時も不思議に想って居りましたの。何処が楽しいのかしら? って」

「どうしてだね?」

「だって、敵の手迄指す事は在りませんわ。敵の駒も味方の駒も御自分で動かして、何が楽しいのですか?」

「哀しい事に、余の相手に成る程の指しては何処にも居らぬのだ」

 モリエール夫人は、ジョセフの言葉に対して苦い笑いを浮かべた。此の王は美貌にこそ恵まれて居るが、“魔法”が得意では無い為に蔑まれ事が多かった。暗愚と揶揄される事も在った。其の為……不遇な少年時代を過ごす事に成ってしまった此の王は、一人遊び(ソリティア)に夢中に成ったのだった。将棋(チェス)に夢中に傾倒したのもまた其の内の1つで在る。

「将棋と言うのは、突き詰めれば定石の応酬でな、或る一定のパターンを(なぞ)る事に終始して仕舞う。だが、余の考えた此の遊びは違うのだ!」

 巨大な箱庭を指指して、ジョゼフは言った。

「現実の様な地形を造り、其の上で駒を……“槍兵”、“弓兵”、“銃兵”、“騎士”、“竜騎士”、“砲兵”、“砲亀兵”、“軍艦”……実際の軍種を模した駒を作ってだな、此の様に戦わせる! 駒の勝敗は此の賽子を使って決めるのだ! 之に従り、結果に揺らぎが生じ、実際の戦を指揮して居る様な面白みが生まれるのだ! 更には、此の様な駒も在る」

 そう言って、ジョセフはと或る金色に光り輝く7つの駒を取り出し、並べて見せた。

「“剣士(セイバー)”、“弓兵(アーチャー)”、“槍兵(ランサー)”、“騎乗兵(ライダー)”、“魔術師(キャスター)”、“暗殺者(アサシン)”、“狂戦士(バーサーカー)”……之等7つの駒を使用して遊ぶのもまた、余の最近の愉しみの1つでも在るのだ……」

 モリエール夫人は、此の愛する王が話して居る戦争ごっこの面白さが、全く理解出来無かった、が……愛人の楽しそうな顔を見て、嬉しく成った。

「では私も、陛下の親衛隊に加えて下さいまし」

「喜んで。貴女を“花壇騎士団”の団長にして上げよう。ほら此の様に、貴女は騎士だってちゃんと持って居るんだから」

「まあ! 栄誉有る“ガリア花壇騎士団”にして下さいますの? 私、皆から妬まれて仕舞うわ!」

「世界一美しい騎士団長の誕生に乾杯!」

 ジョセフは傍らの杯を取り上げる。

 小姓が駆け寄り、其の杯をワインで満たす。小姓はモリエール夫人にも、ワインの注がれた杯を渡した。

「此の箱庭遊びも、陛下が御独りで敵と味方を兼ねて居られるのですか?」

 優雅な仕草で杯に口を着け乍ら夫人が問えば、「当然だよ。言ったでしょう? 此の“ハルケギニア”に、今は未だ余程の指し手は居らぬと。自分で作戦を立て……巧妙で緻密な作戦だよ! 其れをこうして受ける。勝ち誇る己を己の手で粉砕する……余は言う成らば、此の箱庭を舞台に芝居を演出する。創作家と言った所か」とジョセフが答える。

「まあ、此の箱庭は本当に精密で御座いますわね」

 モリエール夫人は、マジマジと見詰め乍ら、心の底から感心した。

 丘、山、川……地形に起伏が着けられ、都市や村には小さな建物迄配われて居るのだ。其処彼処に兵隊の人形が立って居るのが見える。

「此処で何なドラマが繰り広げられて居りますの? 私に説明して下さいまし」

「現在、青軍が此の都市を占領したばかりだ」

 ジョゼフは丸い城壁の都市を指指した。

「そして、此方の都市に篭もった赤軍と睨み合って居る」

 其処から離れた場所に在る、大きな建物の模型が立ち並都市をジョセフは指指した。

 其処にも大量の兵隊の人形が置いて在るのが見える。見ると、建物や“竜”の姿をした模型が並んで居る。船の形をした模型も在った。

「さて、此処からが面白い。青軍は勝利に酔って居る! 其の隙間に此方の赤軍がとんでも無い切り札を使って逆転為るのだ!」

 モリエール夫人は、ジョゼフの様子を前に、(まるで子供ね)、と心の中で呟いた。

 ジョゼフは、内政も外交も疎かにして、兵隊ごっこに夢中の王……其の様に城下では噂されて居るのだ。其れは全く、誤りでは無いかも知れ無い。

 ジョゼフはニッコリと笑って、箱庭の上から1体の人形を取り上げた。

 黒い髪を持つ、痩せた長身の女性の姿をした人形だ。

 其の人形に、ジョゼフは耳を寄せる。

 まるで其の人形が話して居るかの様に、ジョゼフは何度も首肯いた。

 其れからジョゼフは、其の人形に大声で話し掛けた。

「そうか! おおそうか! 計画通りに進行して居るな! 之は之は派手で楽しい出し物が見られそうだ! 嗚呼ミュー―ズ! 余の可愛いミューズ! 褒美を取らす! 然し、そろそろ詰めだ! 欲しい玩具は手に入れたし、余はもう其の人形にも厭いて仕舞った! そろそろ次の遊びを考えようでは為いか!」

 モリエール夫人は、人形に話し掛けるジョゼフを哀れみを含んだ目付きで見詰めた。王で成ければ、胸を焦がす美貌の持ち主で成ければ、愛する事も無かった情人の奇行を見詰め、軽く彼女の心が痛んだ。常に優秀な弟と比べられ……玉座を脅かされ……戦争の渦中に晒され……ジョゼフは心を病んで仕舞ったと云える状態成のだ、と。

「陛下、陛下……おお、御可哀そうな陛下……」

 モリエール夫人は芝居掛かった仕草で、ジョゼフの顎を撫でる。

 そんなモリエール夫人をジョゼフは、優しく抱き締めた。

「おお、陛下……御労しや」

「さて、逆転劇を拝見したら、此の対局(ゲーム)を終わらせる事にしよう。其れには勝敗を決めねば為らんなぁ」

 2つの都市を見詰め乍ら、ジョゼフは呟くと……小姓を呼んだ。

「賽を振り為さい」

 小姓は首肯くと、2個の賽子を振った。

 出た目を覗き込み、ジョセフは首肯いた。

「おお、7か! 微妙な数字だ! ええと……此の場合は……」

 暫し黙考した後、ジョセフは大臣を呼んだ。

「大臣。詔勅で在る」

 緞子の陰から、小男が現れて頭を下げた。

 ジョゼフは、まるで小姓に箱庭の駒を動かす事を命じかの様な気安さで、大臣に告げた。

「艦隊を召集しろ。“アルビオン”に居る敵を吹きとばせ。3日で片を付けろ」

 大臣は、「御意」と何の感情も浮かべ無いで居るかの様な様子で、頭を下げて退出をした。

 モリエール夫人は呆気に取られて其の様子を見詰め、直後、ガタガタと震え始めた。

 今のは箱庭の遊びでは無い。

 たった今、本物の戦の命令が下されたので在った。

「どうしたモリエール夫人? 寒いのか? 小姓、暖炉に薪を焚べて呉れ。夫人が震えて居る」

 先程と同じ口調で、ジョセフは小姓に命令をした。

「陛下……おお、陛下……」

「どうした夫人? 由緒有る“ガリア花壇騎士団”の団長が、其の様な臆病では困って仕舞うぞ?」

 

 

 

 

 

 “降臨祭”が始まった日の事……“シティオブサウスゴータ”から30“リーグ”程離れた雪深い山中を、黒い衣装に身を包んだ一行が歩いて居る。

「山歩きか……慣れぬな」

 と呟いたのは、長身の男性。深く冠ったフードの隙間から、精悍な顔が覗く。

 ワルドで在った。

 隣には、フーケの顔も見える。

 彼等はシェフィールドの護衛として、就けられたので在った。

 然しフーケには、此処に居るもう1つの理由が有った。

「何処かで聞いた地名だと思ったよ。マチルダ・オブ・サウスゴータ」

 ワルドがフーケに向かって、嘗ての名で呼び掛けた。

 慣れた様子で足を運ばせ乍らフーケが言った。

「懐かしいね。また此の辺の山を歩く事に成るとは想わ無かったよ」

 吐く息が白い。

「何の辺り迄の土地を“サウスゴータ”と称するのだ?」

「“シティ”から此の山脈を含む一帯だね」

「御前の家は、相当な土地持ちだったのだな」

「街は議会が治めて居たよ。名ばかりの太守さ」

「其れでも相当なモノだ」

「まさか昔追い出された土地を案内する事に成るとはね。皮肉なもんだね」

「貴様の父が、“アルビオン”の“王家”に辱められたのは知って居るが……どうして奴等は、貴様の父から此の土地と名前を取り上げたのだ?」

「其りゃ、“王室”の言う事を利か無かったからさ」

「言う事を利か無かった?」

「そうだよ。私の父は“アルビオン”王の分家筋に仕えて居てね……“王家”に“差し出せ”と言われたモノを差し出さ無かったのさ」

「ほう、何をだ?」

 フーケは悪戯っぽく笑って、眼の前の男で在るワルドの顔を覗き込んだ。

「あんたが母親の話をして呉れたら、代わりに話して遣っても良いよ」

 するとワルドは、顔を背けた。

 フーケは不満気に鼻を鳴らした。

「ねえジャン・ジャック・ワルド。あんた、母親と私、何方の方が好き成のさ?」

 其の時、後ろを歩くシェフィールドが、2人に声を掛けた。

「其の水源は、もう直ぐ成のですか?」

 フーケは立ち止まると、しゃがんで雪を掻き分け……。土に触れた。“トライアングル・クラス”の“土系統”の“メイジ”で在るフーケには、土の中で起こって居る事が判るのだ。況してや此処は生まれ育った地。彼女には、まるで自分の机の引き出しの中の様に、事を把握する事が出来た。

「そろそろだね。全部の井戸の水源じゃ無いけどね……でも、“シティ”の3分の1程の井戸は、此の山から水を引いて居る筈さ」

「十分ですわ」

 尚も進み、茂みを掻き分け……開けた岩場へと一行は出た。

 雪が積もっては居るが、隙間に水が見える。滾々と湧き出す清水の御蔭で、中心部は凍って居無いのだ。

 シェフィールドは、ポケットから指輪を取り出した。

 ワルドとフーケは、其の指輪に見覚えが有った。

「其れは……クロムウェルの指輪じゃ成いの?」

 フーケが呟き、シェフィールドが首を横に振った。

「別にクロムウェルの指輪では無いわ」

 秘書で在るのにも関わらず、シェフィールドは皇帝を呼び捨てに為る。

 そんな彼女の態度を前に、ワルドとフーケは顔を見合わせた。

「一体、其の指輪を用いて何を為る気成の?」

 シェフィールドは微笑んだ。

 彼女の笑みを見るのは初めてだった為に、ワルドもフーケも当惑して仕舞う。

「此の“アンドバリの指輪”は“先住”と呼ばれる“水”の力が凝縮して出来たモノ……成分としては、“水の精霊”に似て居るわ。と言うか殆ど同じ」

「ふぅん」

「“水の精霊”の身体は、“秘薬”の原料として高価で取引されて居る。“水”の力は身体の組成を司る……従って心や身体を操るポーションを造る時に欠かせ無いからよ」

「講義は良いわ。さて、貴女は一体何をしようと言うの?」

「“水”の力が凝縮して出来て居る……詰まりは之だけの量で、街1つを操る事も可能……」

 シェフィールドの額が光り出した。

 其の陽光をワルドとフーケの2人は見た事が有った。

 嘗てルイズの“使い魔”で在る少年の左手が、2人の其々の前で其の様な光を帯びた事が在ったのだ。其の光が発光して居る間、彼の身体能力が跳ね上がり、“武器”を其の道のプロ以上に扱って居た。

 シェフィールドの額、髪の隙間には光る文字が見えた。古代の“ルーン”だ。

 ワルドは目を細めた。

「あんた、何者だ?」

 シェフィールドはもう答え無い。精神を集中させて居る様だ。彼女は指輪を握った手を、泉の上に突き出す。

 徐々に、指輪は光り出し……次いで、溶け出した。

 シェフィールドの身体から発する熱で溶け出した……其の様にも見えただろう。

 ポタッ、ポタッ、と溶け出した“アンドバリの指輪”の雫が落ちて……“シティオブサウスゴータ”に流れ込む水源に波紋を描いた。



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敗走

 10日程続く“降臨祭”の最終日とは、何時もと変わらぬ朝に見えた。

 降り続けた雪の御蔭で、街は銀色の世界に変わって居る。

 2人1組で街を巡回して居た“トリステイン”軍の警邏兵の片方が、もう片方に声を掛けた。

「おい、彼処に居るのは、“ロッシャ連隊”の奴等じゃ成いのか?」

「そうだ。何をして居るんだ?」

 1個小隊程の連中は、宿屋の前に集まってコソコソと何かをして居るのだった。

 警邏兵の片方が「おい」と声を掛けるのだが、返事が無い。

 彼等は黙々と動いて居る。

「あれって、火薬の袋じゃ成えか?」

 片方の警邏兵が少しばかり焦った口調で呟いた。

 如何にも火薬が詰まった麻袋で在った。

 “ロッシャ連隊”の兵隊達は其れを宿屋に運び込もうとして居るので在った。

「おいおい、其の宿は倉庫じゃ無えぞ。“ナヴァール連隊”の士官が借り上げてる宿だ。そんな物騒なもん運び込んだら、どやされるぞ」

 警邏兵の片方が近寄って、“ロッシャ連隊”に所属して居る兵隊の1人の肩を叩いた。

 此方を振り向いた顔に、肩を叩いた警邏兵は驚いた。

 “ロッシャ連隊”の連中は皆魂を抜かれでもしたかの様な無表情を浮かべて居るのだ。

 其の顔に何か不吉なモノを感じた警邏兵は、担いた槍を構えた。

「おい! 袋を置け! 置くんだ!」

 次の瞬間、“ロッシャ連隊”所属の別の兵隊がベルトに差した拳銃を無造作に抜き、槍を構えた警邏兵に向けて撃っ放した。

 もう片方の警邏兵は、悲鳴を上げて逃げ出した。

 其の背に向かって、“ロッシャ連隊”所属の兵隊の1人が、短剣を投げ付けた。

 ドウッ、と警邏兵は斃れて仕舞う。

 無言の儘、“ロッシャ連隊”は宿に麻袋を運び入れる。

 其処に火縄を挿し込み、火打ち石で点火した。

 数秒後、巨大な爆発音が起こり、着火した兵隊達毎宿屋は吹き飛んだ。

 

 

 

 街の一等地に位置した宿屋の2回のホールを丸々司令部とした連合軍首脳部は、今後の侵攻作戦について話し合って居た。

「明日で休戦は終了ですな。補給物資の搬入は、今日の夜迄に全て終わりそうです」

 と参謀総長のウィンプフェンが羊皮紙の目録を見乍ら報告をした。

「間に合ったな。然し休戦期間中、“アルビオン”の騙し討が在ると想ったが……」

「向こうも余裕が無いのと違いますかな? 敵は準備が整わず、自家を稼ぐ必要が有ったのですよ。だからこそ、早期に決着をと……」

 不満気な顔でハルデンベルグ侯爵がそう言った。

 ウィンプフェンがジロリと睨んで文句を言いた気な様子を見せるので、ド・ボワチェは2人の間を執り為した。最高指揮官の仕事とは、配下の将軍達の軋轢の緩衝に成る事だと彼は理解して居たのだ。

 其の時……ドアがノックされた。

「誰だ? 軍儀中だぞ」

 ウィンプフェンがそう問えば、「“王室”拠り御届け物です。今朝の便で届きました」、と答えが返された。

 届いた品は、“王室”の紋章が彫られた豪華な木箱で在った。手紙も付いて居る。財務卿の押印が付いて居る。

 其れを見た瞬間、ド・ボワチェの顔色が変わった。手紙を貪るかの様子に読み耽る。読み終わった後、晴れ晴れとした顔でド・ボワチェは呟いた。

「財務卿閣下は豪気な御方だ!」

 ド・ボワチェは急々と箱の蓋を開けた。

 ウィンプフェンとハルデンベルグも覗き込む。

 箱の中から現れたモノを見て、2人の目が真ん丸に見開かれた。

「おおおおお!? 元帥杖では在りませんか!」

 如何にも、其れは黒檀に“王家”の紋章が金色で彫り込まれた見事な元帥杖で在った。

 顔が映る位にピカピカに磨き上げられた其れを見詰め、ド・ボワチェは歓喜の声を漏らした。

「先日、私の正式な元帥昇進が決まったらしい。“此の杖で残りの連勝街道を指揮為されよ”と追って書きが付いて居るわ。財務卿も憎い事を為る」

 戦争は未だ終わっては居無いが、連合軍は現在連戦連勝で在ると言えるだろう。敵軍は首都に閉じ籠もり、出て来無いのだ。包囲して勝利を収めるのは時間の問題と、本国で在る“トリステイン”の方も此処現場指揮官達も判断して居たのだ。「最後の決戦を、元帥杖で指揮させて遣ろう」、と云う、財務卿の粋な計らいで在ろう。

「御目出度う御座います、閣下」

 ハルデンベルグとウィンプフェンが、手を叩いた。

「何……之で気を引き締めよ、との事だろう。油断は為らぬぞ。油断は」

 と、溢れ出る笑みを抑え切れずに、ド・ボワチェが言った。

 其の瞬間――。

 ドォーーーンッ! ドンッ! などと窓の外から断続的な爆発音が聞こ得て来た。

「何の騒ぎだ?」

 怪訝な表情を浮かべて、ド・ボワチェは元帥杖を握った儘、窓に近付いた。

 窓の外は、広場に面して居る。

 一方から兵隊が疾走って来て、ド・ボワチェ達が居る方を指指して居る。

 羽織った上着に大きく描かれた紋章から、何処所属の連中かは直ぐに判った。

「彼奴等は、“ラ・シェーヌ連隊”の兵では成いか」

 此処から離れた、街の西側に駐屯して居た連隊で在る。

 ド・ボワチェは、(其の一部隊が、どうしてこんな所に居るんだろう? 而もキッチリ武装して……)、と疑問を抱く。

 ハルデンベルグ侯爵も、ド・ボワチェの隣に近付いた。

「我が軍の兵隊も居ますな。移動命令など出して居無いのだが……」

 2人して、顔を見合わせた其の次の瞬間……。

 兵隊達は、持った銃を2人が居る窓に向けた。

 伏せる選りも、一斉射撃の方が早かった。

 ド・ボワチェが最期に見たモノは、自分の握った元帥杖が縦断を喰らい、粉々に成る瞬間で在った。

 

 

 

 窓の側に立ったド・ボワチェとハルデンベルグ侯爵が、蜂の巣に成って斃れるのを見たウィンプフェンは、呆然と立ち尽くして仕舞った。何が起こったのか理解出来無かった、否、したく無かったのだ。

 次の瞬間、部屋に1人の士官が飛び込んで来た。

「反乱です! 反乱が起こりました!」

「反乱だと?」

「“ロッシャ連隊”、“ラ・シェーヌ連隊”など、街の西区に駐屯して居た連隊及び一部“ゲルマニア”軍が反乱を起こしました! 現在街の各地で我が軍と交戦中です! 此処も危険です!」

 士官は、割れた窓と斃れたド・ボワチェとハルデンベルグ侯爵に気付き、ウィンプフェンに向かって直立をした。

「ご、御命令を! 総司令閣下!」

 

 

 

 

 

 “シティオブサウスゴータ”に駐屯して居た連合軍の崩壊は早かった。

 全く予想すらして居無かった反乱で、指揮系統は混乱をして仕舞ったのだ。と云うか原因すらも理解らぬ反乱で在った。特に兵から不満の声が上がって居ると云う報告も無ければ、内通者を臭わせる動きも無かったからだ。

 当に反乱は突然に始まったのだ。

 兵隊も対応に窮して仕舞った。何せ、相手は、先日迄一緒に戦い、勝利を祝った戦友達で在る。其れがまるで腑抜けたかの様な無表情で、自分達に武器を向けて来るのだから。

「撃てぇ!」

 指揮官がそう叫んでも、“王軍”の銃兵達は引き金を引く事に躊躇いを覚え、動けずに居る。弓兵は番えた矢を放て無いで居る。槍兵は槍で突く事が出来無い。

「……う、撃てません。隊長殿」

「ええい! 馬鹿者共が! “王軍”に叛旗を翻した奴等だぞ!」

 指揮官は静々と無表情に迫って来る反乱兵に向けて“魔法”を唱えようとしたのだが……先頭に立つ指揮官に気付き、首を横に振った。

「マルコ! 俺だ! モーリスだ! 一体何が在った!? 何で俺達に“杖”を向ける!?」

 返事は言葉では無く、銃弾で在った。

 足元に着弾した弾に身を竦め、隊長で在るモーリスは後退を命じざるを得無く成って仕舞った。

「くそ! 退け! 退却だ!」

「ど、何処迄退却すれば宜しいんで……?」

「知るか! 兎に角退け!」

 昼前には、市内の防衛戦は崩壊し、至る所で“王軍”は壊走を開始する羽目に陥って仕舞った。

 そして……彼等にとって遂に恐る可き報せが、偵察の“竜騎士”から齎されたので在る。

 “ロンディニウム”の“アルビオン”軍主力が、動き出したと云うので在る。真っ直ぐに

 此の“シティオブサウスゴータ”を目指して、進軍中だと云うのだ。

 街の外れに臨時の司令部を置いたウィンプフェンは決断を迫られ、決めざるを得無く成った。元拠り勇猛さとは程遠い、作戦肌の参謀長だった男で在る。

「“ロサイス”迄退却する。此処はもう駄目だ」

 指揮下の全軍に退却命令が出された。

 

 

 

 

 

 勝利に沸いて通って来た道を、反乱に因って30,000に数を減らして仕舞った敗軍は引き返した。

 何の顔も疲れ切り、絶望の色が浮いて居るのが見て取れた。

 敗軍の中では、「ド・ボワチェ将軍自身が組織して裏切ったのだ」、とか、「否、将軍は戦死されたのだ」、「未知の“魔法”で彼等は操られて居るのだ」と見事に推測為る者も居れば、「大金を掴まされたのだ」、などなど……真偽入り混じった色々な噂が飛び交った。

 然し、将も士官も兵士も、そんな噂選り、一番関心が有ったのは、生き残る事で在った。他の動物と同じく生存本能だけが、逃げ出す彼等の頭の中に渦巻いて居るのだった。

 反乱勢だけでは無く、“アルビオン”主力も追撃に加わったと云う事で、混乱は頂点を極める事に成った。

 ぞろぞろと連合軍の軍勢は細く長く延び、“ロサイス”へと通じる街道を我先にと敗走した。

 そんな中に、当然俺とシオン、ルイズと才人の姿も在った。

 剣を担ぎ、才人は隣をトボトボと歩くルイズに声を掛けた。

 “降臨祭”の1日目の朝、部屋に帰って来た時からマトモに2人は口を利いて居無いので在った。

 だから之は略10日振りに口を利く瞬間で在ったのだが……出て来た言葉は辛辣なモノで在った。

「何処が名誉の戦だよ」

 ルイズは、才人の言葉に、寄り俯いてしまう。

「周りを見ろよ」

 騎乗した士官の一団が、「退け退け!」、と怒鳴って一目散に駆けて行くのが見える。歩兵の一団が、驚いて道を左右に開けた。もう、銃兵成のか区別は着か無い。皆、重たい武器などは打ち捨てて、逃げ出して来たからで在る。

「どいつも此奴も、自分が生き残る事しか考えて無い。昨日迄、“王軍の勝利万歳”だの、“我等の正義は絶対に勝つ”だの、“名誉の戦死を遂げて遣る!” とか息巻いて居た連中がだぜ?」

 ルイズは答える事が出来ず、唯、トボトボと歩いて居る。

「ギーシュも。ルネ達も無事だと良いんだけどな……」

 遠い目で才人は言った。

 

 

 才人とルイズは、「反乱だ反乱!」などと云う叫びで目を覚ました。

 遣って来た“王軍”の遣いに臨時の司令本部と遣らに案内されたが……其処はもう蛻の殻で在った。全員、真っ先に逃げ出した後で在ったので在る。伝令に依り「総員退却」の命令が下されたのは、其の直後の事で在った。

 

 

 才人は振り返った。

 後ろには、スカロンやジェシカ、そしてシエスタを始め、“魅惑の妖精亭”の女の子達が続いて居る。

 退却命令が出た時に、才人は、シエスタ達が心配に成り、真っ先に“魅惑の妖精亭”の天幕に駆け付けたので在る。案の定彼等は退却命令など露知らず、「一体何事?」、とオロオロして居たのだ。そんなシエスタ達や他の酒場の人達と一緒に才人は逃げ出した。

「ホントに名誉在る“王軍”だよなあ。こう遣って自分達に励ましに来た人達を見捨てて逃げよう何て、最高の名誉だ」

 ルイズは口を開く事も無く、トボトボと歩いて居る。

「理解ったろ? 名誉何て何処にも無えんだよ。先生が言ってた意味、理解ったぜ。人間、何かホントの事が在るとしたら……生きようって気持ちだけ何だ。だからこん何、皆して一生懸命に逃げ出してるんだ」

 才人は理解った様な事を、偉そうに捲し立てた。気が滅入って何か喋らずには居られ無かったので在る。実際、此の戦、此の時点に於いて、才人が学び、感じ取ったモノは其れで在った。

「屈辱だわ」

 とルイズは遣っと口を開いた。

「屈辱? 俺は此方の方が好きだな。“名誉の勝利だ!”、“正義だ!”、何て騒いで居る選り、よっぽど正直で、ホントって感じが為るよ」

 

 

 

 

 “ロサイス”に真っ先に到着をしたウィンプフェンを始めと為る連合軍は、本国への退却の為の打診を行った。

 事情を呑み込めて無い“王政府”からの返答は「徹底ハ許可セズ。事情ヲ詳シク説明セヨ」と短いモノで在った。連合軍の半数が寝返りド・ボワチェが戦死した、と云う事実をマトモに受け止めて居無い様子だ。「偽報では成いか?」、と疑って居る様で在る。

 ウィンプフェンは本国政府を責める気に成れ無かった。(恐らく自分だって、あんな報告を送られたら信じる気には成れ無いで在ろう)、と理解して居るのだ。

 続々と敗軍は“ロサイス”に集結しつつ在った。

 ウィンプフェンは、本国と折衝を開始した。「此の儘では全滅で在る」、と何度も繰り返し強弁に訴えた。遣っとの事で、退却の許可が出た時には……半日が過ぎて居た。貴重過ぎる半日で在る。連合軍の命取りとも云える半日で在った。

 敗軍が乗船を開始した時……偵察に向かった“竜騎士”から更成る凶報が届いて仕舞った。“ロンディニウム”から発した“アルビオン”軍主力の進撃が、予想選り早いので在る。

 此の儘では……。

「明日の昼には、敵軍の主力は此処“ロサイス”に突っ込んで来るでしょう」

 と、地図を見乍ら部下の参謀達が分析をした。

「全軍が乗船為るには、何れ程の時間が掛かる」

 兵站参謀が答えた。

「凡そ、明後日の朝迄掛かるかと。“ロサイス”の湾岸施設は巨大ですが、何せ軍港です。陸兵を乗せる為の桟橋の数が少ないのです」

 ウィンプフェンは頭を抱えてしまった。

 彼は、許可を得る前から撤退を準備為る可きで在ったのだ。然し、ウィンプフェンは保身に走って仕舞った。抗命罪で吊るされる事を恐れた結果で在る。

「敵軍の足をまる1日止める必要が在ります」

「80,000の……否、我が軍から離反した兵たを合わせて110,000の大軍をか? そんな大軍を足止め出来る部隊が何処に在る?」

 空から砲撃を加えようにも、戦列艦も既に撤退に投入して居る。其れに、散開して進軍する軍勢に、艦砲は余り役に立た無いので在る。

 時間稼ぎに投入しようにも一目散に逃げ出した兵達は重装備を尽く失て居た。

 ウィンプフェンは考えた

 考えに考え抜いて……其の先に閃いた。

「……そうだ。あれを使おう」

「あれとは?」

「切り札が有るじゃ成いか! 我が軍には切り札が! 今、あれを使わずして何と為る! 伝令!」

 

 

 

 

 

 ルイズとシオンの元に伝令が遣って来たのは撤退の為の乗船を待つ、天幕の中で在った。

 此の天幕の中には、ルイズと才人、そしてシオンと俺が居る。

 時間は夕刻が近付く頃。

「私?」

 伝令の兵士は随分と焦った様子を見せて居る。まるで今現在、連合軍が置かれた苦境を体現でもして居るかの様に、焦って居るのだ。

「ミス・ヴァリエール! ミス・エルディ! ウィンプフェン司令官が御呼びです!」

 其の時に成って初めて、総司令官のド・ボワチェやハルデンベルグ侯爵の戦死を知ったルイズとシオンで在った。

 連合軍の混乱は相当なモノで在る。

 司令部に向かうルイズとシオンに、才人と俺もくっ着いて行った。彼は、何か嫌な予感を感じ取ったので在る。

 其れは、命令を受け取り、司令部から出て来たルイズが蒼白な顔色をし、シオンは沈鬱な表情を浮かべた。

「どうしたんだよ? 何を命令されたんだよ?」

 そう才人が尋ねるのだが、ルイズは答え無い。真っ直ぐに前を見て……ツカツカと“ロサイス”の街外れに向かって歩き出す。

 先程迄居た、乗船を待つ為の天幕が在る方向では無い。

 街外れの寺院の前迄遣って来て……其処に居た馬丁から馬を受け取った。

 馬丁は、ルイズとシオンに頭を下げると直ぐに、逃げる様にして桟橋の方角へと去って行く。

 馬に跨ろうとしたルイズの腕を才人は掴んだ。

「おい! 何処迄行くんだよ!? そっちは街の外じゃ無えか!」

 生気の感じられ無い声で「離して」とルイズが呟いた。

 其の様子に尋常じゃ無いモノを感じて、才人はルイズに怒鳴った。

「言えよ! 先刻司令部で何を命令された!? おい!?」

 ルイズとシオンは答え無い。唯唇を噛むばかりで在る。

 才人はルイズの手から命令書を取り上げた。

 羊皮紙に、彼にとって訳の理解ら無い文字と、地図が載って居る。

「読め無え。何て書いて在るんだ?」

 ルイズとシオンはキュッと唇を噛んだ。

「言えよ! 何て書いて在るんだよ!?」

 背負ったデルフリンガーが、ルイズの代わりに読み上げた。

「おお、殿軍を受け持つのか。名誉じゃ成えか」

「殿軍って何だよ?」

 才人も其れを理解して居る。其の言葉の意味を理解して居るのだが、理解したく無いのだろう震えた声で訊いた。

「ふむふむ、主力が逃げ出す為の時間を稼ぐって訳か。敵軍110,000を2人で足止めしろと。素晴らしい成え」

 才人は色を失い、呆然として呟く。

「何だよ其れ?」

「結構細かく指示して在るなあ。ほうほう、 “此処から50リーグ離れた丘の上で、待ち構えて虚無を撃っ放せ”と。“敵に見付からぬよう、陸路で向かえ”と。で以て“魔法が尽きる迄撃ちま呉れ”ってか。“撤退も降伏も認めず”。ははぁ、詰まりは街道の死守命令かぁ。簡単に言うとだな、“死ぬ迄敵を足止めしろ”と。そう言う命令だよ」

「……おい、何だよ其れ。巫山戯ん無よ」

 才人はそう言って、ルイズの肩を握った。

「誰も巫山戯て何か無いわ。現実よ」

「“現実よ”って御前、馬鹿か? 将軍共、御前達に“死ね”って言ってるんだぞ? 完全に道具扱いだ。否、道具処じゃ無えよ。捨石だよ! 捨石!」

「仕方無いじゃ成い」

 ルイズは力無い声で返した。

 才人は、呆れた様子を見せる。

 ルイズは出逢った頃から何1つ変わって居無いと云えるだろう。そう、今も尚、ルイズは認められたいのだ。実家に反対されても参戦したのは……認められたいからだ。「ゼロ」、「ゼロ」と呼ばれて、馬鹿にされて居たルイズ。其の頃……ルイズの夢は実家の両親やクラスメイトに認めて貰う事だった。だからフーケ捜索に、ルイズは志願したのだ。

 だが、“虚無”……ルイズは、自分が“伝説の系統”に覚醒めてからは、違うと云えるだろう。もっと大きな何かに認めて貰いたがって居るのだ。

 才人は其れが何成のか判ら無かった。

 ルイズ自身もまた判って居無い。だから、自分に言い聞かせる様な口調に成って仕舞うのだ。

「良い加減にしろよ。御前、意地張ってるんだろ? ほら、酒場で死ぬの死な無いの話に成ったから……理解ったよ。良いからもう止めろ。御前は凄いよ。認める。だから逃げよう。な? こんな命令、無視して逃げよう。な? シオン、御前もだ」

「何処に逃げるの? 此処は敵地よ」

「意地張る無よ!」

 ルイズの言葉に、才人は怒鳴る。

 ルイズは真っ直ぐに才人を見詰め、キッパリと言った。

「意地を張ってる訳じゃ無い。私が逃げたらどう成るの? 味方は全滅だわ。あんたのメイドも、“魅惑の妖精亭”の皆も……ルネやギーシュ達もどう成るか判ら無い。殺されるかも知れ無い。辱められるかも知れ無い」

 才人は、其の事実に気付き、ハッとした様子を見せる。

 ルイズが決心した理由……其れは、自分の名誉の為だけでは無いのだ。

 そうしてルイズは、酒場での件を想い出し、言葉を続けた。

「私だって犬死は嫌よ。でも、味方を逃がす為に死ぬのは仕方無いと想う。其れは……本当の意味で名誉な事だわ。ねえサイト、あんたは名誉を下ら無いモノだって馬鹿にしてたけど、こう言う名誉だって在るのよ? 皆の為に死ぬ。立派な名誉じゃ成い。違う?」

 言い包められそうに成った才人だが、どうにか説得を続けようと為る。

「じゃあ俺達も死ぬのか? 俺も一緒成のか? 皆を救う為に、御前は俺達を犠牲に為るのか?」

 ルイズは暫く才人を哀しそうに見詰めて居たが……首を横に振った。

「あんた達は逃げて。私達に付き合う事は無いわ」

「何だって?」

「“ヴュセンタール号”に積みっ放しでしょ、あんたの飛行機械。あれを使ってあのメイドと、シオンとセイヴァーと一緒に“東の世界(ロバ・アル・カリイエ)”に向かえば良いわ」

 ルイズの目が潤み出した。そうして、泣きそうな声でルイズは言った。

「あんた……こないだ言ったわよね。“俺は御前の道具成のか?”って。ばっかじゃ無いの。道具ってのはね、もっと便利なモノを言うのよ。あんたみたいに、面倒で言う事利か無い奴の事何か道具だ何て言わ無いわ。あんたはあんた。帰る可き世界が在る、唯の男の子。私の道具何かじゃ無い」

「ルイズ……」

 才人は目を瞑った。其れから決心した様に、言った。

「理解った。もう止め無い。でも、ちょっと待ってろ」

「え?」

「俺達の世界には、こう言う時、乾杯して別れるんだ。未だ時間在るだろ?」

「ええ。ちょっと成ら……」

 才人はキョロキョロと辺りを見回し、寺院の側の空き地に在る、補給物資の山に気付いた。

 “シティオブサウスゴータ”に送る筈が、どさくさで放置された儘成のだろう。見るとワインの箱で在った。

 才人は、「“アルビオン”は麦酒(エール)ばっかり!」と文句を言って居たスカロンの顔を、想い出した。

 才人はワインの瓶を1本、取り出した。

「敵に盗られる位成ら、失敬したって構わ無えだろ」

 ルイズは隣に在る寺院を見詰めた。其れから才人に向き直った。そして、少しばかり頬を染める。

「ねえサイト」

「どうせ乾杯する成ら、1つだけ、御願いが有るの」

「言ってみろ。何でも言う事利いて遣るよ」

 するとルイズの答えは……才人の想像を超えて居た。

「結婚式したいの」

「……はぁ?」

 ルイズは顔を真っ赤にして、怒鳴った。

「勘違い為無いで。あ、あんたの事何か好きじゃ無いわ! 唯……結婚も為無いで死ぬのが嫌なだけよ。結婚式と遣らをしてみたいだけよ!」

 そんなルイズの言葉に、俺とシオンは思わずクスリと来てしまった。

 

 

 

 其の寺院には、誰も居無かった。連合軍が占領した時に、此処に居た神官が逃げ出したのかも知れ無い。

 馬を門に繋ぎ、俺達4人は中へと入る。

 誰が掃除したモノか、とても綺麗に掃き清められて居るのが一目で判る。

 ステンドグラス越しの夕陽が、中を荘厳な雰囲気に仕立て上げて居た。

 静謐な空気の中、ルイズは祭壇の前に立った。

「“アルビオン”って言うと、結婚式だな」

 ルイズは眉を顰め、シオンは俯いた。

「嫌な事想い出させ無いで」

「確かあの時は挙げ損なったんだっけか?」

 ルイズは首肯いた。

「そうよ。誓いの言葉を、私口にし無かったわ」

「そっか……」

 ルイズは“始祖”の像を見上げた。

 ルイズとシオンは、其の荘厳な雰囲気に打たれ、暫く膝を突いて黙祷を為る。

 ルイズは祈り乍ら想った。(どうして結婚式を挙げよう何て想ったんだろう? 形が欲しいのかしらね? 私とサイトの間には、何にも無いから……結局サイトの告白にはちゃんと応えて無かったし、応える暇も無かった。最期だし、自分の気持ちに少し素直に成ってみよう。そんな風に想ったから、結婚式をしたい、何て想ったのかしら……?)、と考える。心は千々に乱れ、答えは出無い。

 暫く祈り……ルイズが目を開けると、才人がワインのグラスを持って居るのが見えた。隣には、グラスを持ったシオンが居る。

「此のグラスどうしたの?」

「其処の祭壇に、飾って在った。神様用のだけと、良いよな? こう云う場合だし」

 ルイズは微笑むと、グラスを受け取った。

「2回目だ」

 と才人が言った。

「何が?」

「御前が俺に笑ったの。あんだけ一緒に居て、2回だぜ? そんな相手と結婚したいだ何て、どうかしてるよ」

 ルイズは、自身が笑顔を浮かべた回数を才人が数えて居た事も在って、嬉しく成った。

「言ったじゃ成い。してみたいだけよって」

 だが言葉はぶっきら棒で在る。やはり中々素直に成り切れは為無い。

 ルイズは、才人は、俺達4人は皆で杯を合わせた。

「あんたが帰える方法。一緒に探して上げられ無くて御免ね」

「気にすんな」

 俺達4人は、ワインの杯を呑み干す。

 照れと酔いの両方からだろう、ルイズは頬を染めた。

「結婚式って、どう遣るんだ?」

「私も詳しくは知ら無いわ」

「俺が執り為そうか?」

「別にし無くても良いわよ」

 いざ結婚式と成って戸惑う才人とルイズに、俺が言葉を掛ける。

 が、ルイズは拒否した。

「良いのかよ? そんなテキトウで」

「良いわよ。どうせあんただし」

 ルイズは才人の手を握った。

「誓いの言葉、言わ為くちゃ」

「でもあれって、神官が居成為くちゃ締まら無えよな」

「文句ばっかり言わ無いで。じゃあどう為るのよ?」

 才人は真っ直ぐにルイズを見詰めて、言った。

「俺は御前が好きだよ。ルイズ」

「な……何よ……馬鹿……誓いの言葉、言わ為きゃ駄目じゃ成いの」

 行き成り「好き」と言われてしまい、ルイズは顔を真っ赤にした。彼女の身体が歓喜で震える。

「嘘じゃ無い。俺は御前に逢えて良かった。そう想う」

 ルイズは軽く俯いた。(言う成ら今しか無い。シオン達も居るけど……)、とそう想った。

「わ、私も……」

 其の先を言おうとした時……不意にルイズは眠気に襲われて仕舞う。

「あ、あれ? 私……」

 突然の其の眠気は強力だった。

 ルイズの眼の前が真っ暗に成って行く。

「あんた、ワインに……」

 其の先は言葉に成ら無かった。

 ルイズの身体から力が抜けて仕舞ったのだ。

 倒れそうに成ったルイズを、才人は支えた。そして、ポケットから小瓶を取り出す。つい此の前、シエスタから貰った“魔法”の“睡眠薬”だ。

「流石“魔法”。強力だな。けど、どうして御前等には利いて無いんだ?」

「理解ら無い」

 此方が何事も無かったかの様にして居る俺とシオンを前に、才人は(予定と違う)と云った風に驚いた様子を見せる。

「俺には、“対毒及び耐毒、そして耐薬”の“スキル”が有る。シオンは其の恩恵、まあ、俺からの加護に因るモノだろうな……」

 

 

 

 才人がルイズを抱えて、俺達は外へと出る。

 夕陽が落ち切って居るのだろう、辺りは薄暗い。

「冷える……」

 才人そう呟くと、側から声がした。

「やあ、“使い魔”君、そしてミス・エルディ」

 寺院の扉の隣に、壁を背にして白に近い金髪の美少年が腕を組んで立って居た。沈んで行く夕陽を受けて、青い方の瞳が輝く。

 “ロマリア”の神官にして“竜騎士”にして、“ヴィンダールヴ”、“ライダー”の“クラス”の“サーヴァント”で在るジュリオで在った。

「何だ御前、覗いてたのかよ。趣味悪いな」

「全く、式を挙げる成ら呼んで呉れよ。之でも神官何だよ」

 笑みを絶やさずに、ジュリオは言った。

 ジュリオ・チェザーレ。

 此度の“聖杯戦争”で“ライダー”の“クラス”の“サーヴァント”としての力を得た青年。

 彼は“サーヴァント”で在り乍らヒトでも在る。

 “時空間から切り離された得意な空間――英雄や反英雄達の魂が在る空間――英霊の座”にアクセスして力の一端で在る“宝具”を召喚し使用為る――“限定展開(インクルード)”、そして自身の肉体を媒介とする事で其の本質を“英霊の座”に居る“英霊”と置換する“夢幻召喚(インストール)”、などが可能な“サーヴァントカード(クラスカード)”に依るモノでは無い。

 “高次元の生命で在る神霊や、霊基が作り辛いまたは霊基数値が足り無い英霊を人の器に入れる事に依って無理矢理召喚したモノ”――“疑似サーヴァント”でも無い。

 “人間がサーヴァントと憑依融合した存在”――“デミ・サーヴァント”でも無い。

 だが、何方かと言って仕舞ので在れば、“疑似サーヴァント”や“デミ・サーヴァント”と似通った存在。

 其れが今の彼だと云えるだろう。

 “伝説の系統”――“虚無”の“使い魔”の1人で在る“ヴィンダールヴ”としてヒトの状態の儘に喚ばれ、尚且つ其の“ヴィンダールヴ”の特性上“ライダー“の”クラス“に割り当てられた特異な存在。“騎乗”や“動物会話”などを、“憑依した英霊が持つスキルを1つだけ継承し、自己流に昇華する特殊スキル”――“憑依継承(サクスィード・ファンタズム)”として保有し、“デミ・サーヴァント”などと同様に、“霊体化”出来ず、食事や睡眠を必要と為る存在。

 “英霊の座”に本体を置き乍らも其処は空っぽで在り、其処に居る“英霊”の分け御霊で在り“役割(クラス)”を割り振られ“サーヴァント”として“召喚”され、直後に“受肉”し、“サーヴァント”で在り乍らもヒトで在る俺とも違った存在。

 今の、ジュリオ・チェザーレは、ヒトで在り、其処から離れた“ヴィンダールヴ”、更に上位の“サーヴァント”で在る。其の為、ダメージに因る死は免れ無いが、原則として“霊的”及び“魔力的”で成いと干渉出来無い事も在って、此の世界に於いては、誰も敵わ無いだろう存在に近しい。

 彼等は、今の所、ルイズに対してどうこう為る積りなどは一切無い。況してや彼等の目的の為には必要な存在で在り、寧ろ手厚く保護や看護為るだろう程。

 其れを、内では感じ取って居るのか、“ガンダールヴ”としての“ヴィンダールヴ”への信用と信頼からだろうか。

「丁度良い。ルイズ達を頼む」

 壊れ物を扱う様にルイズを両手に抱いて、ジュリオは応えた。

「任せて於いて呉れ。無事に“フネ”に届けるよ」

「シオン、君もだ」

「セイヴァー……」

「君には為る可き事が有る。そうだろ?」

「…………」

「其れに、私は“剣”だ。“盾”だ。君の“サーヴァント”だ。之が本来の運用方法成のだよ。だから――」

 一泊置いて、俺は再び言葉を紡ぐ。

「そんな顔を為無いで呉れ」

「……セイヴァー」

「私と君には繋がり(パス)が在る。だから其れで判る筈だ。問題無い。私は此の世界では、神様すらをも斃して仕舞得る存在だぞ?」

 シオンは俯き、血が出る程に唇を強く噛み締め、首肯いた。

 才人は手を振って馬に跨ろうとし、俺も続く。

「有り難う、“マスター”。大丈夫、行って来るよ」

 そんな才人と俺とを、ジュリオは呼び止める。

「何処に行くんだい?」

 詰まら無さそうな声で、才人は答えた。

「逃げるんだよ」

「方向が逆だな。そっちは“アルビオン”軍が居る方角だよ」

「そうか」

 気にした素振りを見せる事も無く馬に跨った才人、そして其れに続く俺に対し、ジュリオはまたもや呼び止める。

「1つ訊きたいんだが」

 場上から才人は答えた。

「何だよ?」

「どうして行くんだ? ハッキリ言うが、セイヴァー君は兎も角、君は確実に死ぬよ。名誉の為に死ぬ、そん成のは馬鹿らしいんじゃ成かったか?」

 才人は、自身に向けられた質問に少しばかり考え込んだが……やれやれと云った風に眉を顰めて首を横に振り、口を開いた。

「言っちまったからなあ」

「何を?」

「好きだって、言ちまった」

 ジュリオは大声で笑い出した。

「あっはっは! 僕達“ロマリア”人の様な男だね、君は!」

 顰めっ面の儘、才人は腕を組んだ。

「否、好きな女の子の為と言う選りは自分の為の様な気がする」

「良ければ其の意味を教えて呉れ」

 才人は、真っ直ぐ前を見て、言った。

「此処で行か無かったら、好きって言った其の言葉が嘘に成る様な気がするんだよ。自分の言葉が嘘に成るのは赦せ無い。自分の気持ちが、嘘に成るのは堪ら無い」

 ジュリオは額に指を立てて、悩む仕草をした。

「俺、可怪しい事言ってるか?」

「君達は“貴族”では無いし、僕も“貴族”では無いが」

「うん」

「其の考え方はとっても“貴族”らしいと想うよ」

「褒めてんのか? 其れ」

 手綱を握り締め、才人は自身が跨る馬の腹を蹴飛ばした。

 暗く成り始めた道を、才人と彼が跨る馬は真っ直ぐに駆けて行く。

 其の背を見送り乍ら、微笑を浮かべて小さくジュリオは呟いた。

「随分と不器用だねぇ。“ガンダールヴ”」

「全く其の通りだな。皆不器用だ」

「訊く迄も無い事だろうけど、一応、君の考えも聴いて置きたい」

「俺は自己満足の為だ」

「其れは君が嫌うモノだろう?」

「勿論嫌って居るさ。だが、此の世界に於ける殆どの物事は其れに起因する。相手に対して善行を働いたとして、其の後の相手の笑顔を見て、あぁ良かった、と想うだろう? そう言うモノだ。其れに、“サーヴァント”とは、“マスター”の盾でも在る。何選り――」

 其処から先の言葉を、口には出さず俺は噤む。

「そうか、君はそう言う存在(英霊)何だね」

「ああそうだ。なあ、“ロマリアのライダー”、頼みが有る」

「何だい?」

マスター(シオン)達を頼む」

 そう言って、俺も跨る馬の腹を蹴り上げ、シオンとジュリオの視線を背中で感じ乍ら、薄暗い街道を“騎乗スキル”を活用して疾走り抜けて行く。



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勇気の在処

 地図に記された小高い丘の上……朝陽が暗闇に光を与えて行く。

 視界が開けて行く。

 俺達の眼下には緩やかに下る、綺麗な草原が続いて居るのが判る。

 地図上に記された、“シティオブサウスゴータ”の南西150“リーグ”に位置する丘の上。

 一晩掛けて、俺達が此処迄遣って来たのだ。

 俺達2人の中では、妙な興奮が湧き出し、身を包んで居るのが判る。

 夜通り馬に乗って居たと云うのに、朝の陽光と同時に闘志と体力が回復して行く感じがした。

 朝靄の中から、ユックリと……緩い地響きを伴って大軍が現れたのが遠くに見える。

 才人と俺は立ち上がり、其々此処迄自分達を乗せて来て呉れた馬の尻を叩く。

 草を食んで居た馬は、驚いて先程遣って来たばかりの方向へと駆け出して行った。

「馬は使わ無えのか」

 才人が背負って居るデルフリンガーが呟いた。

「彼奴等も生きて居る。道具じゃ無え」

「全く其の通りだ。あの2頭の馬も、今を活きて居る」

「優しい成え。御2人さん」

 才人はデルフリンガーに尋ねた。

「“ガンダールヴ”は、千人の軍隊を壊滅させたんだろ? 110,000でも、何とか成るかなあ?」

「其れ何だけどよ、伝説っ吐うのは尾鰭が付くからなあ。まあ何だ、あんまり期待されてもな。1,000人は、確か、無かった」

「……何だよ其れ。嘘吐き遣がって。吐うかホントの事言う無よ。どうせ成ら最期迄騙して置いて呉れよ」

 草原の地平の向こう、進軍して来る“アルビオン”軍が見えた。110,000と云った大軍では在るが、横隊では無い為に、其れ程数が居る様にはパッと見では、そう想わせ無い。

 だが、実際に110,000居る。

 武器を持った兵隊、強力な“魔法”を使う“メイジ”。大砲兵。“オーク鬼”や“トロル鬼”を始めとした“亜人”達、“竜騎士”……“幻獣”に跨った騎士。

 そう云った者達が、現実に俺達の眼の前に110,000も居るのだ。

 才人は、恐怖を通り過ぎたかの様子な声で呟いた。

「はぁ、何で俺達、あん成のに突っ込ま為くちゃ成ら成えんだろ?」

「理解ってて訊きくかね。味方が“フネ”で撤退しようとして居るんだからだろうが。どうしても時間を稼が為くちゃ成ら成えだろ?」

「否、そうじゃ無くて……まあ良いや」

 と、才人は溜息を吐いた。

「此の前来た時にはギーシュの土竜に救われたけど、今度は逃げら無えよな」

「無理だねえ。兎に角足止めし為えと成ら成えからなあ」

「参っちまうな」

「何成ら、御前達は逃げて、俺だけで時間稼ぎをしても良いが?」

「馬鹿言う無よ、セイヴァー」

「相棒、セイヴァー、兎に角真っ直ぐに突っ込め。こう成ったら何処から行っても同じだからよ。で以て、指揮官を狙いま呉れ。頭を遣れば、身体は混乱する。歩みも止まる。1日位の時間は稼げるかもよ」

 才人は首肯いて、デルフリンガーを握った。左手甲に在る“ルーン”が輝き出す。

「なあデルフ、セイヴァー」

「何だ?」

「どうした?」

「小さい頃の話して良いか?」

「良いぜ」

「問題無い」

「駅でさ、御婆さんが不良に絡まれてた。籠が打つかったの何だのって。でも俺ガキだったから、助ける何て出来無くて見てただけだった。俺が強かったら、何て想ったよ。でも同時に、ホッとしたな。強かったら、助けに行か為きゃ成ら成えもんなあ。強くたって、勝てるとは限ら無えもんなあ」

「そうだねえ」

 デルフリンガーの相槌に、才人は言葉を続ける。

「そう。強く成っちまった。力を手に入れちまった。もう言い訳出来無い。あの時は力が無かったから、間に入れ無くても言い訳出来た。俺は弱いんだからしょうが無いって。でももう、言い訳出来無え。俺は今、強いからな。何せあれだ。“ガンダールヴ”だからよ」

 其れは俺も同じだと云えるだろう。

 生前――前世での俺は、何かを為すだけの力など無きに等しく、引き篭もって居た。が、今は違う。今は、“転生者”で在り、“サーヴァント”で在るのだ。巨大過ぎる力を持って居るのだから。

 デルフリンガーは短く相槌を打った。

「うん」

「でも成あ……強さたって、外面だけだ。中身は俺、全然強く無えよな。何も変わって無え。しょうが無えよな、“ガンダールヴ”とか“伝説の使い魔”とか、行き成りだもんよ。覚悟何か、出来て無えもんよ。だからこう言うの、柄じゃ無えんだよ。皆の盾に成るとかよ、ホントはすっごく嫌何だよ。恐くて震えるよ。死にたく無えよちくしょう」

「相棒はてんで義理堅えや」

「損な性分だな。損過ぎる」

 才人は、(勇気と言うのは、こう云う事何だろうか?)と想った。

「なあデルフ、セイヴァー」

「何だね?」

「何かな?」

「俺、死ぬのか?」

「多分」

 デルフリンガーは濁す事無く答え、才人は黙って仕舞った。

 執り為す様に、デルフリンガーが言った。

「まあ何だ、どうせ成ら格好付けな」

「何で?」

「勿体無えだろ」

 デルフリンガーの言葉に、才人は笑みを浮かべる。

 其処で、俺もまた前世で学び、今実際に感じて居る事を、口にする。

「“見っとも無いが、誰かを助けたいと言う気持ちが有る成ら、ギリギリ英霊(人間)だ”」

「ギリギリ英霊(人間)か……」

「嗚呼、嘗てそんな事を言ってた、1人の反英霊(人間)が居たんだ……」

「違い無いかもな。御前の言う通りかも知れ無いよセイヴァー」

「全く其の通りだ」

 才人とデルフリンガーが俺の言葉を保証して呉れる。

「良いか才人。之もまた受け売りだがな、“イメージするモノは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。御前にとって闘う相手とは、自身のイメージに他成ら無い”」

「自身のイメージ」

「そうだ。さて――」

 俺は自身の小源(オド)大源(マナ)、そして“根源”から組み上げ“魔力”へと変換させ、“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を“投影”為る。

 “世界の汎ゆる事象の出発点と成ったモノ”――“ゼロ”――“始まりの大元”――“総ての原因”――“物質、概念、法則、空間、時間、位相、並行世界、星、多元宇宙、宇宙の外の世界、無、生命、死などの汎ゆるモノが生まれ源”――“根源の渦”。

 “根源” から流れ出す事象の川は、当然、根源に近ければ太い流れ在り、末端へと流れて行けば、途中幾つもの支流に分かれて細い流れと成る。事象を細分化する要因は、時の流れと人々の意識で在り、人々に知られれば知られる程、其れは細くまた複雑に成る。之は、一般常識とも言い換えられるだろう。

  “地球”に於ける“魔法”と“魔術”は事象の川との繋がり具合で威力や効果は変動し、深く太く繋がる事で、寄り望んだモノを手にする事が出来る。

 此処“ハルケギニア”は“地球”に於ける“神代”に近しい環境に在ると云えるだろう。神は既に“世界の裏側”へと移動をして居るが、“幻獣”達は未だ残って居る状態だ。現在の“地球”では“魔術”で在ろうが、“神代”では“魔法”扱いだったモノが、同じく此処“ハルケギニア”では“地球”の“魔法”と同等の効果を発揮させる事が出来る。

 また話は変わるが、“サーヴァント”とは、本人だった“魂”が“英霊”として“英霊の座”へと登録――移動し、其処から分け御霊の要領で、“或る害悪を滅ぼす為に遣わされる天の御遣い――人理を護る其の時代最高の7騎を召喚する為の儀式”――“霊長の世を救う為の決戦魔術”を格落ちさせたモノを利用し、ヒトに扱える“使い魔”としての“役割(クラス)”に押し込まれた存在と云えるだろう。

 そして基本的には、そんな“サーヴァント”は“クラス”の枠組みに依って生前と較べて力が落ちて仕舞うのが殆どだ。また、彼等彼女らが使用する“宝具”、特に武具系統は、生前使用して居た其れ等を“根源”から汲み上げ、“エーテル”へと変換させ、其れを編み生み出されたモノ。詰まりは、劣化したモノと成る。

 そんなモノを“投影”すると、更に劣化し、劣悪な、粗悪なコピー品と成るのは明白だと云えるだろう。

 そして俺は、“根源”と繋がって居る“根源接続スキル”の保有者でも在る。“根源”から無際限に“魔力”を汲み上げる事が可能だ。

 また、“投影”すると云うモノは、原典や見本としたモノ(オリジナル)が存在すると云う事。だが、此の世界――“ハルケギニア”には存在為無い。と云う事から、此処“ハルケギニア”では“投影”した其れが唯一無二のモノで在り、原典や見本としたモノ(オリジナル)と云えるモノに成る。

 詰まりは、神話や伝承の英雄達が持つ“宝具”を彼等彼女等の生前と同等、若しくは其れ以上の力を発揮させ、振るう事が出来ると云う事だ。

 “根源”と接続して居る為に、“知名度補正”や“土地補正”などは無い。勿論、“ステータス”の“パラメータ”など在って無いにも等しいと云えるだろう。

「未だかなりの距離が在るのに、槍何て出してどう為る積りだよ?」

「才人。槍ってのは、こう云う使い方も在る」

 俺は、才人の言葉を聞き乍らも、前方の“アルビオン”軍を前に、地に這うかの様にして身を低くし、“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を構える。

 “刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”は本来、“因果逆転の呪い”に因り、“真名解放”為ると“心臓に槍が命中したと云う結果を造くってから槍を放つと云う原因を齎し、必殺必中の一撃を可能と為る”モノだ。

 だが、もう1つの使い方、“真名解放”が在る。

「“アルビオン”の兵共、出会い頭で悪いが“此の一撃手向けと受け取れ”」

 俺は思い切り跳躍をし、力を解放為る。其れから、敵軍目掛けて、瞬間的に渾身の力を振り絞り構える。

「――“突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)”ッ!」

 そして、“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を投擲する。

 “刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を命中を重視したモノで在れば、此方は威力を重視したモノに成るだろう。1人1人を刺し貫いて行くのでは無く、炸裂弾の様にマッハ2の速度を出し一撃で一軍を吹き飛ばすと云うモノだ。必中効果は持って居るが、概念的な特性や運命干渉などが無い為に必ず心臓を穿ち貫く事は無い。が、何度躱されようと、標的を捕捉し続けるホーミング性能を持つ。

「――は!?」

 才人とデルフリンガーは間の抜けた声を上げる。

 “突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)”は本来の飛距離を上回った距離を飛び、前方の“アルビオン”軍約50人を一気に吹き飛ばす。

 物理法則に囚われ無い、無秩序且つ予想不可能な動きをして、“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”が手元に戻って来る。

「何驚いて居る。敵さんは浮足立って居るんだ。今の内だぞ。さて、才人。着いて来れるか?」

 才人は首をブンブンと横に振り、気持ちを切り替える。そして――。

「――“着いて来れるか? じゃ無え。手前の方こそ、着いて来遣がれ――!”」

 

 

 

 

 

 朝靄を突いて、突っ込んで来る才人と俺に1番最初に気付いたのは、混乱から立ち直ったばかりの、前衛の捜索騎兵隊では無く、後続の銃兵を指揮する士官の“使い魔”の梟で在った。彼は、騎兵を始め他の兵種や“亜人”、傭兵などを信用して居無かった為、自前で前方警戒を行って居たので在る。

 梟からの視界を得て、彼は指揮下の銃兵に弾込めを命じた。通常行軍時に、弾は装填して居無いからだ。

「前方が騒がしいが……何? 2人?」

 彼の、そして“使い魔”の視界に映って居る敵は2人だと云えるだろう。

 そして、彼は次いで其の速さに驚いた。

 人間の脚の速さでは無いのだ。

 対応を誤ったのは、前衛の騎兵隊も同じだろう。

 速さを図り間違え、馬を止めた所に先ず1人に突っ込まれ、また次にもう1人に突っ込まれ、槍を振るう間も無く次々と落馬して行く騎兵達が、彼の目には見えた。

 落馬する騎兵が、突っ込んで来る2人の敵の足音代わりだと云えるだろう。余りにも速くて、姿を捉える事が出来無いので在る。

 弾を装填し終える前に、士官の前方に敵が現れた。

 剣を握った人間で在る。

 士官は“杖”を抜こうとしたが、弾かれ、強かに頭の横を殴れて仕舞った。そして、当然の様に意識を失った。

 次に気付いたのは、上空の“使い魔”に依り接近を知った“メイジ”の騎士達で在った。彼等は“使い魔”と自身の視界両方で2人の敵の動きに追随を試み、次々に“魔法”を放った。

 “風”の刃、氷の槍、“炎”の球が、俺達に向かって飛んで来るが、1人が振り回す剣に尽くが吸い込まれて行き、もう1人が振り回す剣や槍などに弾かれて行くのだ。

 騎士達は呆気に取られたが、臆せず次々に“魔法”を撃っ放した。

 騎士隊長は散開を命じた。其の、命じた瞬間、隣に風が吹いた。其の風に“杖”を撃った斬られ、次いで腹を蹴られて仕舞う。肋骨が折れ、隊長は悶絶し、次いで気絶をした。

 

 

 

 

 

 駆ける才人にデルフリンガーが呟く。

「どうして殺さ無え?」

 才人は短く答えた。

「俺は軍人じゃ無い」

「はい?」

「敵も味方も、道具にゃし無え」

 デルフリンガーは溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 俺は、“ギリシャ神話”の大英雄で在る“ヘラクレス”の“宝具”の1つ“Bランク以下の汎ゆる攻撃の無効化と、蘇生魔術の重ね掛けに依る11個の生命のストックの保持、既知のダメージに対する半減”――“十二の試練(ゴッド・ハンド)”、そして“アキレウスの”“宝具”の1つで在る“広大な戦場を一呼吸で駆け抜け、フィールド上に障害物が在っても速度は鈍らず、其の速度は最早瞬間移動にも等しく、視界に入って居る光景全てが間合いと成る程”――“彗星走法(ドロメウス・コメーテース)”と“踵を除く全身に不死の祝福が掛かって居り、如何成る攻撃を受けても無効化為る”――“勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”を再現し、自身のモノと為る。

 “勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”は、一定“ランク”以上の“神性”を持つ相手には、“如何成る攻撃を受けても無効化為る”効果が無効化されてしまい、“踵にダメージを受けると彗星走法(ドロメウス・コメーテース)を失って仕舞う”。が、“十二の試練(ゴッド・ハンド)”の効果で其れ等の対策は完璧とは言い難いが、其れに近いと云えるだろう。

 そして俺は、“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を手にし乍ら、また別の“真名解放”を為る。

「“噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)”……」

 “刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”の素材と成った“紅海の怪物・海獣クリード”の骨格を具象化、鎧の様にして身に纏う。

 其の鎧は、“鋭い爪や棘、刃が無数に付属した怪物の様な意匠と成って居り、更には尖った部分などを敵に突き刺すと、其処を基点に四方へ無数の棘が伸びる”特性を持って居る。

 俺の見た目は今、“オルグ鬼”すらも裸足で逃げ出すだろうモノに成って居るだろう事は、周囲の反応から判る。

 そして、殺さ無い様に気を配り乍ら其れ等爪などを振るい、攻撃をし、意識を刈り取って行くのだ。

「力を見せるが良い。勇士達よ。出来無ければ、御前達の命を貰う迄だ」

 

 

 

 

 

 才人は飛んで、跳ね、駆け、敵の間を滑り抜けた。

 基本、単騎での行動だと云う事も在り、其れが逆に幸いした。

 同士討ちを避ける為に、銃や投射武器の発砲などが控えられたのだった。おまけに、“ガンダールヴ”に追い付けるスピードを持つ生き物は少ない。否、此の戦場にはたった1人を除いて居や為無いのだ。

 然し……やはり“魔法”相手には辛いと云えるだろう。

 次々に飛んで来る攻撃“魔法”は、暫くはデルフリンガーが吸い込む事で対処が出来て居た。が然し飛んで来る量が半端では無く、次第に喰らい始めて仕舞う。

「くッ!」

「左?」

「ああ。駄目だ……動か無え」

 才人は右手のみでデルフリンガーを握った。

 左腕には、引き攣れた様にして火傷が走って仕舞って居る。

 二の腕の一部は炭化して仕舞って居る。“ファイアボール”が至近距離で爆発をしたので在る。

 其れでも才人は敵を薙ぎ払い、敵の真ん中で暴れ狂った。

 “魔法”で、槍で……才人の身体は徐々にダメージを受けて行った。

 

 

 

 

 

 “幻獣マンティコア”に跨った騎士隊の隊長は、騎乗した獣を唆けた。

 横殴りに薙ぎ払われ、彼の“マンティコア”が吹っ飛ぶのが見えた。

 次の瞬間、鎖骨を砕かれ、彼は地面に崩れ落ちて仕舞った。

 

 

 

 槍隊を指揮為る指揮官“メイジ”は、槍衾を作って、一気に風の様な敵を包み込もうとした。

 然し、槍衾は跳び越えられて仕舞い、逆に剣で頭を殴られ昏倒をした。

 

 

 

 弓兵対を指揮して居た若い士官は、慌てて居たので弓の発射を命じで仕舞うった。

 弓の速度では目標に掠りもし無い。

 味方に当たり、混乱から同士討ちが発生して仕舞った。

 

 

 

 前衛の混乱は激しく成って行った。

 届く報告を聴いて、ホーキンスは眉を顰めた。

 虚偽入り混じって居る報告だ。

 曰く、「敵は2人だけで在る」

 曰く、「“メイジ”で在る」

 曰く、「十数騎の一部隊で在る」

 曰く、「“エルフ”の“魔法”戦士で在る」

 曰く、「“エルフ”の一部隊」

 などなど……。

 然し、歴戦の将軍で在るホーキンスは、敵が2人だけで在ると云う事に薄っすらとでは在るが気付き始めて居た。

 “風”の様に速い敵だ。

 “火”の様に強い敵だ。

 “土”の様に動じ無い敵だ。

 “水”の様に臨機応変な敵だ。

 ホーキンスは、「気に要ら無いな」、と呟いた。

 

 

 

 

 

 中隊長と思しき士官の構えた指揮杖を斬り落とした才人は、前方に“メイジ”の一群を見付けた。

(あんな風に“メイジ”に囲まれて居るって事は……)

「中に偉いさんが居そうだな」

 才人はデルフリンガーの声、返事すらも出来無かった。否、其れすらも行うだけの余裕など無い状態成のだ、身体中に付いて仕舞って居る傷から、血が流れ出して居るのだ。とも為ると痺れて動け無く成りそうで在る程だ。

 口を開く体力すらも、今の才人には惜しいモノで在り、彼には今1人でも多く、そして敵の指揮官を倒し……混乱を拡大為る必要が在るのだ。

 其の分時間を稼げるのだ。1分でも、1秒でも、時間を稼ぐ。

 其れがルイズ達に課せられた任務。

 2人が代わりに引き受けた、可愛い御主人様達の任務……。

 才人は、敵将が居ると思しき“メイジ”の群れ目掛けて、駆け出した。

 

 

 

 

 ホーキンスは己目掛けて突っ込んで来る風を見詰めた。

 “杖”を抜いて、“呪文”を唱えた。

 彼は、得意の“風”の刃を、纏めて飛ばす。

 然し……ジャンプで躱されて仕舞う。

 風の様な対象は、剣を振り上げ、突っ込んで来る。

 ホーキンスは、其の姿を目に焼き付けるかの様に見詰めた。

 護衛の騎士から、何本もの“マジック・ミサイル”が飛び、突っ込んで来た対象の身体に吸い込まれて行く。

 致命傷と思しき“魔法”の矢を何本も喰らい乍ら、尚も風は止まる気配を見せ無い。

 風は、剣を突き出した。身体ごと、ホーキンスに打つかって来ようとしたが……。

 ホーキンスの眼の前の5“サント”の位置に、剣の切っ先が在った。

 其の切っ先を、ホーキンスは視線を逸さずに、真っ直ぐ見詰めて居る。

 ホーキンスの顔を、剣が襲う事は無かった。

 其処で時間が止まったかの様に、風と云える剣士は停止して居るのだ。

 ホーキンスが、“杖”で剣を払うと……剣士は、どうッ! と地面に斃れた。

「御無事ですか!? 閣下!」

「ホーキンス将軍」

 と、護衛の騎士達が駆け寄って来るのが見える。

「大丈夫だ」

 と、ホーキンスは答えた。

「未だ1人残って居る。気を抜くな。損害を報告しろ」

 次々と損害の報告が遣って来る。

 剣士2人に与えられた――未だ残った1人に与えられて居る其れは、たった2人に与えられたモノとは到底想えぬ程の大損害で在った。

 現在……下級、上級、合わせて指揮官クラスの士官重傷者が280人。各科兵隊の怪我が10,000人。

 目に見える損害は、軍全体の規模から云えば、許容の範囲内で在った。だが、与えられ続けて居る影響は大だと云えるだろう。

 油断して居た前衛は完全に混乱。

 朝靄の中、同士討ちを行って仕舞った部隊迄在った。

 其れ等全てが、2人に依って与えられた火の様な速さで噂が広がり、兵達の間に同様が奔りつつ在った。

 苦い顔で、前衛部隊の指揮官が報告して来た。

「前衛を再び纏めるには、もう1人を斃した後、数時間は掛かるでしょう」

 おまけに、怯えた兵達の間に走った噂の御蔭で、進撃の速度が鈍る事が予想された。「あの様な剣士や“メイジ”の部隊を、敵軍は隠して居る」、と兵達は怯えて居るのだ。

 隣に遣って来た副官が呟いた。

「今日迄の様な進軍速度は望めません。丸一日、否其れ以上の時間が、無駄に成ります」

 ホーキンスは首肯いた。

 馬から降り、斃れた剣士に近付き、顔を確かめる。

「未だ少年では成いか」

 如何にも黒い髪の、見慣れぬ顔の形をした少年で在った。

 微かに息をして居るが……身体に打ち込まれた“魔法”の数は凄まじい量で在った。事切れるのも時間の問題で在るだろう事は明白で在る。

 “水”の使い手を呼ぼうかと想ったが、生半可では、此の傷では苦しみを延ばすのが精々だろうと云う事は明白で在る。此の世界に於ける“魔法”は勿論、殆どの“魔法”とは万能の様に思えて決して万能では無いのだ。

 ホーキンスは、少年を見下ろし乍ら呟いた。

「羨ましいな」

「は?」

「単騎、2騎良く大軍を止める、か。歴史の向こうに消えた言葉で言う成らば、“英雄”だ。私も将軍では無く、“英雄”に成りたかった」

 本音の響きを含んだ声だと云えるだろう。

 副官も首肯いた。

「ですな。釣り合う勲章が存在為無い程の戦果ですな。残念成のは、彼等が敵だと言う事です」

「敵とは言え……また“貴族”では無いとは言え……勇気には其れに応じた賞賛と敬意が払われる可きだろうと想う」

「賛成です」

 ホーキンスと其の副官は、最上級の“アルビオン”式の敬礼を行った。

「彼を手厚く葬って遣れ」

 そうホーキンスが配下の兵士に命じた瞬間……別の、もう1つの風、光が乱入した。

 

 

 

 

 

 時間は少しばかり遡り、未だ才人がどうにか意識を繋ぎ止めて居る間。

 俺は敵の間を自由自在に駆け抜け、薙ぎ倒し、吹き飛ばし、千切っては投げ千切っては投げを繰り返して居た。

 “長剣の剣状をして居る乍ら何処か未来的な意匠を想わせる三色の光で構成された刀身を持つ剣――“軍神の剣(フォトン・レイ)”を“投影”為る。

 空中に“魔法陣”を展開、“地球”の神話に於ける軍神の一柱で在る“マルス”と接続し、其の力の一端で在る旭光を魔法陣拠り敵、否、大量の敵の隙間に存在する地面へと照射し、爆発させる。

「“軍神(マルス)と接続為る。発射迄、2秒。涙の星、軍神の剣(ティアードロップ・フォトン・レイ)”!」

 900人近くが吹き飛んでしまう。

「“一歩音越え、二歩無間───三歩絶刀! 無明三段突き”!」

 “歩法、体捌き、呼吸、死角など幾多の現象が絡み合って完成する、瞬時に相手との間合いを詰める技術”――“縮地”を使い、本来刀を使用して繰り出される、“壱の突きに弐の突き、参の突きを内包する”、“平晴眼の構えから粗同時では無く、全く同時に放たれる平突き”――“超絶的な技巧と速さが生み出す、防御不能の秘剣”を放つ。

『セイヴァー! 相棒がッ!』

『了解した。少し待て』

 デルフリンガーからの“思念通話”、そして才人から発せられて居る生命の精彩さが落ちて居る、現在進行形で落ちて行って居るのが判る。

「邪魔だ。“此の剣は太陽の映し身。もう一振りの星の聖剣――転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)”」

 “柄に擬似太陽が納められた日輪の力を持つ、白銀の剣”――“転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)”を“投影”為る。

 横薙ぎに、一閃し、膨大な“魔力”に依り生み出された太陽の熱を放射し、300人程吹き飛ばす。

 其処で、才人とデルフリンガーが居る、一群を見詰め、俺は地面を軽く蹴り、突入した。

 

 

 

 

 

 突然現れたかの様にして到着した俺を前に、指揮官だろう男を始め他“メイジ”達、護衛の騎士達全員が驚いて居る。

「悪いが、其奴を返して貰うぞ」

 俺は才人を抱き抱え、一跳躍を為る。

 才人は意識を失って居る為に、グテっとして居り、大量出血をしたにも関わらず身体は鉛の様に重く感じさせて来る。

「助かった。吸い込んだ“魔法”の分だけ使い手で在る相棒を俺の意志で動かせるけど、其の必要も無いかね」

「否、其の必要は在るかも知れ無いな」

 周囲には、敵、敵、敵、敵……四面楚歌と云える状況だ。

「ありゃあ、此りゃあ参ったね」

「デルフリンガー、才人を動かして近くの、彼処の森の中に潜め」

「御前さんはどうする?」

「当然時間を稼ぐ。2つの意味で」

「自己犠牲何て、らしく無えんで成えの」

「そうかも知れ無いな」

 デルフリンガーと少しばかり言葉を交わす。

 俺は自嘲気味に応えた。

「死ぬ無よ」

「誰に言って居る鉄屑。直ぐに合流為るから、才人共々無事で居ろよ」

 デルフリンガーが、才人の身体を動かし、此の場に遣って来た時と同等の速度で森の方へと向かう。

「さて、此処から先に行かせる事は出来無いな……“体は剣で出来て居る( I am the bone of my sword.)”」

 “根源”と接続し、俺は自身の“汎ゆる存在が持つ、原初の始まりの際に与えられた方向付け、または絶対命令”――“予め定められた物事の本質”――“無生、有生を問わず全ての物事は、抗え無い宿命として其々与えられた何らかの方向性”――“起源”を意識し、一時的にでは在るが強制的に捻じ曲げ変化させる。

 そして、彼の心象風景を映し出す。

「“血潮は鉄で 心は硝子(Steel is my body, and fire is my blood.)”。“幾度の戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)”。“唯の一度も敗走は無く(Unknown to Death.)唯の一度も理解され無い(Nor known to Life.)”。“彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)”。“故に、生涯に意味は無く(Yet, those hands will never hold anything.)”」

 世界が塗り変わって行く。

 術者の心象風景で現実世界を塗り潰し、内部の世界其の物に変わって行く。

「“其の体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, unlimited blade works.)”」

 辺り一帯は、“燃え盛る炎と、無数の剣が大地に突き立つ一面の荒野が広がり、空には回転する巨大な歯車が存在為る空間”へと一瞬で変貌して仕舞った。

 “無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)”。

「“事世界、空想と現実、内と外とを入れ替え、現実世界を心の在り方で塗り潰す、魔術の最奥”……“固有結界”――“リアリティ・マーブル”。御覧の通り、貴様達が挑むのが無限の剣。剣戟の極地! 恐れずして掛かって来い!」

  “アルビオン”軍――“レコン・キスタ”に属し“反貴族派”として“王政府”を打倒した兵士達、傭兵達、“亜人”達は、皆行き成りの事に困惑を隠し切れず、混乱状態に在る。

 俺は、地面に突き刺さって居る無数とでも云える数の剣を、宙に浮かばせ、次々と敵対為る軍の兵士達へと目掛けて飛ばした。

 

 

 

 

 

 暫く森の中を進んだ所で……再び才人の身体はバッタリと倒れてしまう。

 声が森の闇の中に響く。

 才人の声では無く、デルフリンガーの声だ。

「全く……使い手を動かす何ざ何千年振りだ? 吸い込んだ“魔法”の分だけ動かせる事が出来る……んだけど、何でこんな力が付いてんだろ? 兎に角之、疲れるから嫌何だよ……然し相棒、ボロボロだねぇ。其れにセイヴァーの野郎。あの大軍と共にまるで幻の様に消えちまい遣がった」

 才人の身体はもう、ピクリとも動か無い。

「なあ相棒。聞こ得るか? 御前さん頑張ったから、良い事教えて遣るよ。あの娘っ子がな、黒猫衣装を着たのは御前さんを手元に置く為じゃ無えよ。御前さんに押し倒して欲しかったからだよ」

 デルフリンガーは暫く待った。

 然し幾ら待っても、返事が返って来る事は無かった。

 デルフリンガーから注がれた力が抜けると、才人の手から握力が消えて仕舞う。

 緩んで行く才人の指を惜しむ様な声で、デルフリンガーは呟いた。

「……ちぇ、もう聞こ得無えか」

 

 

 

 

 

「最後は派手に行こうじゃ為いか」

 “固有結界”が消え去り、元の現実世界へと世界が揺らぎ乍ら戻って行く。

 俺は、そんな中で、“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”の“投影”を開始する。

 彼の、“アーサー王伝説”に於ける“アーサー王”――“アルトリア・ペンドラゴン”が使用した、“聖剣”。

 “こう在って欲しいと云った願いが地上で蓄えられ、星の内部で結晶及び精製された最強の幻惑(ラスト・ファンタズム)”にして、“神造兵装”の1つ。“単純に外観の美しさで云えば上回る宝具は数在るだろうが、抑々美しいのでは無くて唯管に尊く、神話にも人成らざる業にも依らず、唯想いだけで鍛え上げられた結晶で在るが故に空想の身で在り乍ら最強の座に在る”聖剣。

 俺の“魔力”、そして“根源”から抽出したモノを“魔力”へと変換させ使用する。其れ等は、更に光へと変換され、収束や加速させ、運動量を増大させて行く。

「“輝ける彼の剣こそは、過去、現在、未来を通じ戦場に散って行く全ての(つわもの)達が今際の際に懐く、哀しくも尊き夢”」

 “星の息吹”とでも云える、世界の“魔力”――“大源(マナ)”をも巻き込み、其れ等が、光の粒と成って、上昇して行く。

 其れ等は、“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”の刀身に吸い寄せられるかの様にして、集まって行く。

「“其の意志と誇りと掲げ、其の信義を貫けと糾し、今常勝の王高らかに手に取る奇跡の真名を謳う”」

 幻想的且つ荘厳、神秘的な光景が辺り一面に広がる。

 此の場に居る、俺を除いた皆――“アルビオン”側の者達は、張り詰めた空気の中で静かに息を呑み、呆然として仕舞って居る。

「“束ねるは星の息吹、輝ける生命の奔流”――」

 “約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を八相の構えから、袈裟斬りの要領で上から下へと振り下ろす。

「――“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”ッ!」

 其の光で断層を生み出し、究極とも云える斬撃を繰り出す。

 其の莫大な“魔力”量の所為か、通り過ぎた後には高熱が発生し、結果的では在るが光の帯の様に見え、地上を薙ぎ払う光にも捉える事が出来るだろう。

 純粋且つ高密度な“魔力”に依って生み出された光は、天高く上昇し、黄金に光り輝く光の柱を形成し、天高く昇って行った。

 

 

 

 

 

 ルイズが目を覚ましたのは、出航する“レドウタプール号”の甲板の上で在った。風が頬を嬲る感触と、帆がはためく音で目を覚ましたので在る。

 彼女の顔を覗き込んで居るのは、マリコルヌとギーシュで在った。

 彼等の隣には、シオンが居る。

「おお、ルイズが目を覚ましたぞ」

「良かった良かった」

 そんな風に首肯いて居るクラスメイトに気付き、ルイズは呆けた声を出した。

「私……どうして?」

「さぁ。出航した時、君が此処に寝かされて居る事に気付いたんでね」

「……此処、“フネ”の上?」

 動く周りの風景に気付いた後……ルイズは重大な事を想い出し、跳ね起きた。

「て、敵軍を止め為きゃ! 迫って来る“アルビオン”軍を!」

 ギーシュとマリコルヌは、怪訝な表情でルイズを見詰めた。

 複雑な面持ちを浮かべるシオン。

「敵軍を止める?」

「そうよ! 味方の撤退が間に合わ無いじゃ成い!」

「間に合ったよ」

「之は“ロサイス”」を出航する最後の“フネ”さ」

「……え?」

 ルイズは訳が理解らずに、甲板の柵に取り着いた。下を見詰める。グングンと小さく成って行く、“アルビオン大陸”が見えた。

「どう云う事? 迫って来る“アルビオン”軍は?」

「どう遣ら間一髪、間に合わ無かったて話だよ」

「良かった良かった。御蔭で、僕達はこうして国に帰れるよ」

「帰ってからが、之また大変そうだけどな」

 ギーシュとマリコルヌは、顔を見合わせて笑って居る。

 ルイズは、(一体どう云う事だろう? “アルビオン”軍はどうして進撃速度を緩めたのだろう? そして、どうして自分は此の“フネ”の上で寝て居たのだろう?)、と考えた。そして其の直後……彼女にとって重大な事に、彼女自身は気付いた。

 才人の姿が見え無いのだ。

 ルイズは船上を駆け回った。

 ルイズは、後甲板に、シエスタ達を見付けた。

「ミス・ヴァリエール……気が付かれたんですね」

「其れ選り! サイトは何処!?」

 シエスタの顔が蒼白に成った。

「私も、ミス・ヴァリエールが目覚めたら、訊こうと想ったんです。サイトさんは一緒じゃ無いんですか?」

 ルイズは首を横に振った。

 ルイズの不安気な表情で、シエスタも顔を蒼白にさせて行く。

「ねえ、シオン。サイトは? セイヴァーは? 2人は何処に居るの?」

 ルイズの後に続く形で、シオンが後甲板に到着する。

 到着したシオンに対して、ルイズは鬼気迫ったかの様な様子で問い詰める。

 が、シオンは唯下を向いた儘、俯いただけで、口を開か無い。

 其れだけで、ルイズとシエスタは大体の事を察して仕舞った。

「ねえ、ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ、サイトさんは何処何ですか? ねえ、何処? 教えて」

 其の時……後ろに居た兵士の会話が聞こ得て来た。

「別の“フネ”に乗った“ナヴァール連隊”の友達がな、“アルビオン軍を止める為に2人で向かって行く奴を見た”って言うんだよ」

「ホントかよ?」

「ああ。背中に剣を背負って、馬に乗ってたって。真っ直ぐに街道を北東に向かって立って。其方は“アルビオン”軍が居る方向だろ? 何か妙な雰囲気でよ、其奴等が“アルビオン”軍を止めたんじゃ成いかって……」

「おいおい、冗談言う無よ。2人で一体、何が出来るって言うんだよ?」

 ルイズは兵士に詰め寄った。

「其れ、本当?」

 兵士は行き成り“貴族”の御令嬢に話し掛けられた事で、焦った表情を浮かべた。

「へ、へえ。嘘かホントかは兎も角、聞いたのはホントで。へえ」

 ルイズは色を失った。彼女の全身から血の気が引いて行く。

 其れは間違い無く彼等2人で在り、片方は才人だろう。

 ルイズは柵に駆け寄り、絶叫した。

「サイト!」

「ミス・ヴァリエール! 何が在ったんですか!? 説明して下さい! 説明して!」

 シエスタはルイズに詰め寄った。

「サイト!」

 ルイズは絶叫すると、柵を跳び越えて、地面に降りようとした。

「お、おい、死ぬ気か?」

 ギーシュやマリコルヌが気付いて、止めに入った。

「降ろして! 御願い!」

「無理だよ! 下にはもう、味方は居無いんだ!」

「降ろしてーーーー!」

 ルイズの絶叫が、遠退かる“白の国(アルビオン)”に向けて響いた。

 

 

 

 

 

 “ロサイス”に到着した“アルビオン”軍は、空を見上げて歯軋りをした。

 間一髪、“フネ”で脱出した連合軍を見詰める事しか出来無かったからだ。

 彼等にはもう、逃げ出す艦隊を追撃する“フネ”が、そして体力と精神力は残されて居無いので在る。

 “ロサイス”占領後、“竜籠”で遣って来たクロムウェルは赤煉瓦の司令部に入り……其処で苛々為乍ら、爪を噛んで居た。

 先程、任務を果たせ無かったホーキンス将軍始め他士官達を拘禁して、“ロンディニウム”に送り返したばかりで在るのだ。

「何故、“ガリア”は兵を寄越して呉れ無かったのだ? 2国で挟撃すれば、“シティオブサウスゴータ”から敗走為る連合軍など1撃だったモノを……」

 彼はミス・シェフィールドに理由を尋ねたい気持ちで一杯成のだが……先程から彼女の姿は見え無い。

 クロムウェルは不安で潰れそうで在った。彼は、もう、之以上戦争を遂行する事が恐わかったのだ。己の分を超えた、立場が恐わかったのだ。思わず震えそうに成った瞬間……。

 窓の外から歓声が響いて来た。

 クロムウェルが近寄ると……。

 空を圧する程の大艦隊が見えた。

 昼がる旗には“交差した2本の杖”……“ガリア”艦隊で在る。

 クロムウェルは狂喜した。

「おお! 流石は大国“ガリア”! 一体何隻居るのだ? 然し……今頃来てどうするのだ……敵は逃げ出した後だぞ?」

 ガチガチと爪を噛み乍ら、クロムウェルは何かを想い付いたかの様な様子を見せる。

「そうだ! 逃げた敵をあの艦隊で追撃して貰おう! 其れが良い! 其れが! 早速知らせよう!」

 クロムウェルがそう思って伝令を呼ぼうとした時……部屋に連絡士官が飛び込んで来た。

「“ガリア“艦隊! 到着しました!」

「見れば判る!  見れば判る! 余にも目は付いて居る! 丁度良い! “ガリア”艦隊の司令長官に伝えて呉れ! えーとだな……」

 連絡士官は、クロムウェルの言葉を遮り、「“ガリア”艦隊依り、クロムウェル閣下に伝言が有ります!」、と報告為る。

「伝言? おお! そうか!」

「御挨拶したい故、位置を知らせて欲しい、との仰せです!」

「挨拶? ああそうか! 全くあの御方は律儀な御方だ! 王も律儀成ら艦隊司令長官殿も律儀だ! 良し、此の玄関前に、議会旗を立てて呉れ」

 連絡士官は、「了解」、と首肯くと、退出して行った。

 暫く為ると、前庭のポールにスルスルと、“神聖アルビオン共和国議会旗”が昇ぼって行くのが見えた。

 其の後に、何十隻、否100隻近い戦列艦が、素晴らしいと感想を抱かせる程の練度を誇示するかの様に、見事な機動で並んで行く。まるで観艦式の様な光景で在る。

 クロムウェルが(一体何な挨拶だろう?)とワクワク為乍ら待って居ると……眼下の玄関から、慌てふためいて人々が飛び出して行くのが、彼には見えた。まるで鼠が“フネ”から逃げる様子で在り、クロムウェルは(一体彼等は何をして居るのだろう?)と訝しむ。

 そして、クロムウェルは再び艦隊を見詰めた。

 100隻近い戦列艦の舷門が、一斉に光った。

 30余年のクロムウェルの人生で見た中で、一番美しい光景で在ったと云えるだろう。

 何千発もの砲弾が、クロムウェルが居る赤煉瓦の発令所を襲ったのだ。

 一瞬で発令所は、瓦礫の山と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”。

 

――“神の右手ヴィンダールヴ。心優しき神の笛。汎ゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”。

 

――“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵の塊紙の本。汎ゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す”。

 

――“そして最後にもう1人……記す事さえ憚れる”。

 

――“4人の(しもべ)僕を従えて、我は此の地に遣って来た……”。

 

 

 

 外から聞こ得て来る子供の歌声と、射し込む鮮やかな陽の光で、少女は目を覚ました。

 少女は、ユックリと気怠気な様子で身体を持ち上げる。眩い、波打つ黄金の海の様な長い見事なブロンドが。砂が崩れる様にしてサラサラと身体の上を泳ぐ。

 驚く可髪の細さで在った。良く見ると、成人の半分位の細さしか無い。そんな細い髪が動くと、シャララ、と柔らかく空気を掻き乱す音が聞こ得……次いで反射した陽光を辺りに振り撒くので在った。

 其の髪の様に、身体もまた基本は細い。

 神が当に自らの身を振るったかの様な見栄えの肢体で在った。くびれたウエストの上、身体の細さに比べると、歪な位に大きな胸が薄絹の寝間着を持ち上げて居る。

 そんな寝間着1枚切りの悩ましい姿で、少女は欠伸をした。

 肌の艶からして、15~16程の年の頃に見えるのだが……其の幾層にも重ね合わせた神の手に依るリトグラフの様な繊細な美しさが、年齢を不詳にさせて居た。

 窓を開けると、子供達が走って少女の元へと遣って来た。

「ティファニア御姉ちゃん!」

「テファ姉ちゃん!」

 次々に子供は駆け寄って来て、ティファニアと呼ばれた少女に話し掛ける。

 どう遣ら此の妖精の様に美しい少女は、子供達のアイドルで在るらしかった。

「あららどうしたの? ジャック、サム、ジム、エマ、サマンサ、皆勢揃い。貴方達の歌声で起きちゃったわ。またあの歌を歌って居たのね。他の歌を知ら無いの?」

「知ら無ーい!」

「ティファニア御姉ちゃんに教えて貰った歌だもの!」

 ティファニアはニッコリと笑った。

 弟や妹の様な子供達……其の内の1番小さな子供が、何か言いたそうな様子でモジモジとして居る事に、ティファニアは気付いた。

「どうしたの? エマ。何か私に言いたそうね」

 エマと呼ばれた少女は、プルプルと震えた。

「あの……」

「恐わく無いわ。言って御覧」

 窓際に肘を突き、優しい声でティファニアは促した。

「森でー、森でー。苺摘みに行ったら見付けたの」

「森で、どうしたの?」

「何だよ!? エマ! そう言う事は先ず、俺達に言えよ!」

「何で黙ってるんだよ!?」

「だって、恐わくて……血塗けで……ふぇ……」

 エマは、泣きそうな顔に成った。

「皆、エマにやいのやいの言わ無いで。エマ、どうしたの? 御姉ちゃんに話して御覧?」

「……た、斃れてる人が居たの」

 其のエマの言葉に、ティファニアの顔が曇った。

「また?」

 子供達が騒ぎ出した。

「きっとあれだよ! せんそうだよせんそう!」

「ねー!」

 と子供達は首肯き合った。

「今朝、其処の街道を、議会の軍隊が通って行ったもの!」

 ティファニアは薄絹の上着を1枚羽織ると、窓から飛び出した。

「エマ、何処?」

「此方成の」

 

 

 

 自分の庭の様に遊び慣れた森を、少女は跳ねる様にして進んだ。

 子供達が後に続く。

 太い、木の幹に凭れ掛かる様にして、少年は斃れて居た。

 ティファニアはしゃがむと、少年の胸に耳を着けた。

「……未だ息は残ってる。でも、傷は深いわ。急いで手当し為いと」

 心配そうな顔でエマが呟く。

「ティファニア御姉ちゃん、治せるの?」

 1人の少年が、「馬鹿!」、と怒鳴った。

「ティファニア御姉ちゃんに治せ無い怪我何か無いんだよ! 知ってるだろ?」

「ほう。其れは良かった。是非、其奴の手当を頼みたい」

「誰?」

 突然、何処からとも無く声がしたと云う事も在り、皆一塊に成って警戒をする。泣き出しそうな様子を見せる子供も出始める始末だ。

 そんな中、ティファニアは年長で在る事も在ってか、其れとも彼女が持つ落ち着いたモノからか、質問を投げ掛けて来る。

「ああすまない。之では警戒するのも仕方が無いな」

 俺はそう言って、“霊体化”を解除して実体化する。

 突然現れた俺を見て、皆一様に驚いた様子を見せる。

「貴男は……?」

「セイヴァー……まあ、今はそう名乗って居る。そう呼んで貰えれば嬉しいのだがね」

 皆、やはり警戒した様子を見せて来て居るが、ティファニアだけは違った。

「大丈夫よ、皆。彼は危ない人じゃ無いわ。彼を、斃れてる彼を村に運んで上げて」

 子供達は、俺に警戒し乍ら、少年――才人の身体を持ち上げた。

 ティファニアは、改めて才人と俺を其々見詰め、観察して来た。

「外国人だわ」

 才人の黒髪と服装を見て、ティファニアは呟く。

 だが、ティファニアの知識内に当て嵌まるモノは無かった。“トリステイン”人でも、“ゲルマニア”人にも見え無いのだ。

 ティファニアは、俺と才人を見て、(何処の服だろう? 自分の様に、遠い異国の血を引く人間成のだろうか?)、と考える。そして、否、と微笑み、(自分は異国の血を引くと言う選り……異人の血を引くのよね)、と独り言ちる。

 風がそよいで、ティファニアの金髪を揺らす。

 耳に掛かった髪が揺れ、其処から、ツン、と尖った、他人とは多少デザインが違う耳が覗いた。



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其々の終戦

「どうだい? 之が杖付剛毛精霊勲章さ」

 ギーシュは得意気に鼻を蠢かして、クラスメイト達に白い毛の縁飾りが付いた勲章を見せびらかして居た。クラスメイト達は、皆一様に「ほぉ~~~っ」、と溜息を漏らす。

「剛毛じゃ無くて、白毛じゃ成いのか?」

 誰かにそう突っ込まれ、ギーシュは顔を赤らめた。

「ああ! そうとも言うな! 白毛勲章!」

 ギーシュは教室の隅っこを、チラッと見た。

 其処にはモンモランシーが居る。

 クラスメイト達はギーシュの周りに集まって居ると云うのに、彼にとって肝心で在るモンモランシーと来たら、机に肘を突いて、詰まら無さそうな様子で窓の外などを見詰めて居るのだ。

 ギーシュは、(此方に来て、自分の話を聞いて欲しいのに……)、と切無く成った。

「凄いな……ギーシュ、おまえが指揮した中隊が、“シティオブサウスゴータ”への一番槍を果たしたんだろ?」

「まあね」

 と鼻高々にギーシュは、首肯いた。

 皆して口々に、偉大な戦果を上げたクラスメイトを褒めそやす。

「いやぁ、ギーシュ。正直俺達、おまえの事を単なる口だけ野郎と想って居たけど、認識を改め為くちゃ行け成い様だな!」

「凄いわ! ギーシュ! 見直しちゃったわ!」

 ギーシュは、之でもかと言わんばかりに仰け反った。其れから足を組み、得意気に指を立てた。

「僕と、其の勇敢な部隊が“オーク鬼”の一部隊を殺っ付けた時の話をして上げよう」

 おお~~~っ、とどよめきが起こる。

 またもギーシュはモンモランシーの方を見た。

 すると彼女は、切無気に溜息などを吐いた。

 ギーシュは、(何で溜息何かを吐くんだ、モンモランシー……)、と増々哀しい気持ちに成った。そして、そんな彼女の気を引く為に、ギーシュは殊更大きな声を上げるのだ。

「崩れた壁に取り着いた時、中から“オーク鬼”が次から次へと出て来た! 其の時僕は、配下の鉄砲隊に向かって冷静に指揮を下した! 第一小隊! 前へ! 構え! テーッ!」

 テーッ!、と言う時、ギーシュは薔薇の“杖”を振り下ろした。

「其れでも敵は怯ま無い! 此処で“魔法”だ! 僕はこう薔薇を振り上げて、“魔法”を唱えたね! “アース・ハンド”!」

 土が手の形に変化し、地面から伸びて、対象の足を掴む足止めや妨害の為の“呪文”だ。

 然し、教室の中成ので土は無い。何も起こら無かった。暫し、妙な沈黙が流れる。

「ドッカーン! 其処で“ワルキューレ”の登場だ!」

 気を取り直すかの様にしてギーシュは再び“杖”を振る。

 舞い散る造花の薔薇の花弁が、7体の“ワルキューレ”へと変化した。

「倒れた“オーク鬼”達に、果敢に飛び掛かる僕の勇敢な“ゴーレム”達!」

 7体の“ワルキューレ”は、戦いの演舞を踊り始める。

 そんなギーシュの“ゴーレム”に、誰かが“風”の“呪文”を唱えた。

 ボンッ! と“ワルキューレ”は7体全て吹っ飛ばされて仕舞い、床に転がる。

「誰だ!?」

 厭味っ足らしい笑みを浮かべた、ド・ロレーヌがギーシュを見詰めて居る。嘗て、成績の良いタバサを妬んで、決闘を吹っ掛けた少年で在った。

「此の位の“風”の“魔法”で吹っ飛んで仕舞う君の“ゴーレム”が、良く“オーク鬼”の1撃に耐えらえたな?」

「う……」

 ギーシュは、冷や汗を垂らした。調子に乗ってつい、話を大きくして仕舞ったのだが、実際に此の様にして吹き飛ばされて仕舞うとは想像して居無かったのだから。

「否其の……囮だよ囮! 僕の“ゴーレム”を囮にして、敵を引き付けた所で一斉射撃!」

「おいおい、先刻から聞いてれば、活躍したのは銃兵みたいだな。おまえの“魔法”は転ばせただけ? 大した活躍だな! ギーシュ!」

「は、配下の兵の手柄は指揮官の手柄じゃ成いか!」

「だったら、自分の“魔法”の事何か言わ無きゃ良いじゃ成いか。其の式振りで感心させて呉れよ。然しなあ、おまえにまともな指揮何か出来たのか? 大方、副官辺りに任せっ放なしだったんじゃ成いのか?」

 図星で在る為に、悔しい気持ちを抱いたが、ギーシュは此処で我慢する事が出来た。ムキに成ったりするのは、ギーシュの美学に反するので在る。

 ギーシュが「さて話を続けよう」と余裕を気取って足を組んだ時……モンモランシーが立ち上がり教室を出て行くのが、彼には見えた。

 ギーシュは慌てて其の背を追い掛ける。

「モンモランシー!」

 石畳の廊下で、ギーシュは叫んだ。

 が、モンモランシーは振り返ら無い。スタスタと歩き去って行く。

 其の肩と背に怒りの色を感じ取り、ギーシュは更に追い掛けた。

「おいおい、待って呉れよ! 一体全体どうしたって言うんだ? 恋人よ! 君に聞いて欲しかったのに、まるっきり無視じゃ成いか!」

 ギーシュは悶々らしーの肩に手を置いて、立ち止まらせた。

「ほら、之見て呉れよ! 勲章だ! 喜んで呉れよ! 君の恋人は、立派な手柄を立てたんだぜ! どうだい? 之で君も、僕の事を……」

「見直す訳何か無いじゃ成いの」

 其処で遣っと振り返って、モンモランシーは言い放った。

「ど、どうして?」

「勲章がどうしたって言うのよ? 私に何も相談為無いで勝手に志願した、そっちの方が問題よ!」

 予期せぬ攻撃に、ギーシュは躊躇いで仕舞った。褒められこそすれ、こんな風に責められる何て全く、之ポッチも想像などして居無かったのだから。

「ちゃ、ちゃんと知らせたじゃ成いか! “王軍に志願した”って、手紙を書いたじゃ成いか!」

 モンモランシーは、ギーシュを冷たい目で睨んだ。

 何時もとは違う質の怒りを感じ取り、ギーシュは黙って仕舞った。

「知らせただけじゃ成いの! そう言うのは相談って言わ無いのよ! 勲章選り大事な事在るでしょ!」

 暫く考えた後、「例えば?」、と、真顔でギーシュが訊き返したので、モンモランシーは思いっ切り其の頬を張った。

「あいだぁ!? 何で叩くんだね!?」

「私よ。わ・た・し」

「う、ん」

「貴男私の騎士何でしょ? 自分で言ったじゃ成い。だったら戦争がおっ始まったら、側で守るのが仕事でしょう? 理解ってるの?」

「は、はい」

 ギーシュは直立姿勢を取り、唯首肯いた。

「男の子が居無い間、学園大変だったんだから! 貴男達が勲章だの手柄だのに夢中に成ってる時に、敵に襲われたんだからね!」

 ギーシュは、「そうだな……」、と首肯いた。帰えって来る成り、其の話は聞いたのだ。

「貴男達が居無いから、先生も命を懸けて助けて呉れたんだから。私がもっと、“魔法”が上手に使えてたら……」

 モンモランシーは目を瞑って、あの時の事を想い出した。

 “魔法”の矢で傷付いたコルベールを治そうとして、“水”の“魔法”を唱えたのだが……力及ばず途中で“精神力”が切れ、気絶して仕舞ったのだ。

 ギーシュも同様にシンミリとして、項垂れて仕舞った。

「私、もっとチャント勉強しようと想うの。代々“水の精霊”との交渉役を引き受けて来たモンモランシ家の一員の癖に……救ける事が出来無かった。私がもっと“水”の扱いに長けて居たら……先生を救けられたかも知れ無いのに」

 身寄りの無かったコルベールの遺体は、何故かキュルケが引き取る事に成ったのだ。

 其のキュルケはと云うと、今は帰省して居る様で在り、姿が見え無い。(同じ“火”の使い手として、“ゲルマニア”の地に葬る積り成のかも知れ無い)、とモンモランシーは想った。

 次いでに、あの青髪の小さな娘――タバサも同時期に姿を消して居た。

「其れだけじゃ無いわ。大事な人を亡くした娘だって居るんだから。少しは気を遣い為さいよ。浮かれてる場合じゃ無いんじゃ成いの? あんただって、仲良かったじゃ成いの」

 ギーシュは想い出した。

 迫り来る“アルビオン”軍に立ち向かったのは、ルイズの“使い魔”とシオンの“使い魔”の事を。2人が、“ロサイス”から撤退する“フネ”の上で噂に成ったのだ。

 ルイズは取り乱し、何度も「降ろして呉れ」と将軍達に掛け合い、騒いだのだが、撤退中の艦隊が、“使い魔”の為に引き返す筈も無いのだ。

 其の上、艦を指揮する間諜や、指揮官達は其の噂を一笑に付した。たった2人で止めに行く奴が居るなどと考えられる筈も無いのだ。また、たったの2人で、110,000もの大軍を、止められる訳が無い、と。

 上層部は、「“アルビオン”軍の歩みが遅れたのは、何か別の理由が在るのだろう」、と言って取り合わ無かった。恐らく、「其の“使い魔”の少年と青年は逃げ出したんだろう」と言う者迄出る始末。

 そして、周りの人間が全てルイズにこう告げたのだ。「若し其の話が本当だとして、110,000の大軍に立ち向かって、生きて居る訳が無い。残念だけど、諦めた方が良い」、と……。

 勿論そんな意見に納得をしたルイズでは無かったのだが、其れ処では無く成った。

 這々の体で“トリステイン”に帰った艦隊は、“ガリア”の参戦と“アルビオン”軍の降伏を知ったのだ。混乱は頂点に達し、もう、「“アルビオン”軍を止めた」と噂に成った少年と青年の事など、気に留める者など居無く成って仕舞った。

 結局の所、2人の件は限り無く戦死に近い、行方不明、と云う扱いで片が付いて仕舞った。

 そんなこんなで、“学院”に帰えって来たルイズは激しく落ち込み、喋ら無く成って仕舞ったので在る。まるで何処かに心を置いて来たかの様に、寮の彼女の部屋に閉じ籠もり、出て来無いのだ。

 2人のそんな運命は、“学院”でも当然噂に成って居た。何せ“学院”での才人は、「何だか “伝説の使い魔”と遣ららしい」と云う事と、「色々と手柄を立てて居る」と云う2つの事で有名だったからだ。

 モンモランシーもそんな噂を聞いて、部屋に閉じ籠もって出て来無いルイズの事が心配に成って仕舞ったらしい。

「だから、せめて慰めて上げたいなって。後で、ちょっと見舞いに行く積り」

「そうだね。モンモランシー、君は優しいんだな」

「別に優しく何か無いわよ。あのね、私だって戦ったのよ。戦争してたんは貴男達だけじゃ無いのよ。戦うって言っても、ホントに戦ってた訳じゃ無いけど……」

「うん」

「私は“水”の使い手。私には私の戦い方が在って……もっと強く成りたいって想っただけ」

 窓に覗く空を見上げ、モンモランシーは呟いた。

「私の周りに悲しみが在るのは赦せ無い。在る成ら、癒さ為くっちゃ気が済ま無い」

 モンモランシーの言葉に、ギーシュは首肯いた。と、同時に彼は撤退する“フネ”の上での事を想い出し、そして彼の中では1つの疑問が浮かび上がった。(どうしてシオンは、自身の“使い魔”が死地に向い行方不明に成ったと言うのに、取り乱しも為無いのだろう?)、と。

 

 

 

 “神聖アルビオン共和国”、そして“トリステイン”と“ゲルマニア”連合の間の戦は、“降臨祭”の終結と共に、終わりを告げる事に成った。

 少年と青年の2人の犠牲に依って、連合軍が無事撤退を完了した後、突如連合軍側に立って参戦して来た“ガリア”艦隊は、クロムウェルを“ロサイス”の司令部毎吹き飛ばし、駐屯する“アルビオン”軍に降伏を促したので在る。

 圧倒的な兵力差と、一瞬で皇帝を吹き飛ばされた混乱に因って、“アルビオン”軍は戦意を失ってしまったので在る。其の上、連合軍から離反した筈の軍が、夢から覚めたかの様に我に返り、再び“アルビオン”軍に“杖”を向けて来たので在る。そんな混乱の極みの中で、戦わずして“アルビオン”軍は当然の事だが降伏をした。

 “ガリア”軍は其の儘“ロサイス”に駐屯、そして臨時の調停のテーブルを設け戦争の後始末を開始したのだ……。

 こうして、足掛け8ヶ月にも及ぶ戦は、行き成り横槍を入れて来た“ガリア王国”に手動される形で終わる事に成ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “神聖アルビオン共和国”の降伏から、2週間後……。

 1年の始まりで在る“ヤラ(1)”の月の第3週、“エオロー(第三)”の週に、正式に連合軍は解散と成り、臨時の士官として志願した“魔法学院”の生徒達も、次々に“学院”へと戻って来た。

 意気揚々と帰って来た者も居れば、何の戦果も得られずに帰って来た者も居る。激戦を潜り抜けた者も居れば、何ら戦果に寄付する事の無い任務に就いた者も居た。

 “魔法学院”の生徒達は、一部を除いて後方の輜重部隊などに回された為に、当然犠牲も無ければ戦果も無い者が殆どで在った。

 そんな訳で、戦果を上げる事に成功したほんの一部の生徒達の威張り用と来たら、其れはもう天にも昇る憩いで在った。

 ギーシュも、そんな調子で散々に自分の手柄を自慢して居たので在ったが……モンモランシーからの言葉、そして彼女の言動に、自粛をしたので在った。

 

 

 

 夕刻……。

 モンモランシーを部屋に送ったギーシュは、少しばかり切無い気持ちに成って散歩をして居た。余り人の来無いだろう、“ヴェストリの広場”を行ったり来たり、などを繰り返すのだ。

 ギーシュは、(そう言えば……才人達と出逢った頃、此処で才人と決闘したなあ)、などと想い出す。あの時は、才人は、遣られても遣られても立ち上がったので在る。

 そして、其の決闘が終了すると、1人の青年が演説を始め、そして其の力を披露し、少しの間、恐怖からだろう皆から避けられて居た。

 次にギーシュの目に入ったのは、“火の塔”の隣に設えられて居る才人の御風呂と、ルイズから追い出された時に、彼が暫く寝泊まりをして居たボロテントで在った。ギーシュは、此処で才人と呑み明かした日が在った事を想い出した。其の隣で、呆れた様子を見せる青年が1人。

 そんな風に、ギーシュが2人との想い出に浸って居ると……彼は、何だか目頭がジーン、と云った痺れを感じる。ギーシュだって、其れは勿論哀しいので在る。哀しいから、あん何も教室で騒いで居たのでかも知れ無い。

「サイト、セイヴァー。ルイズとシオン以外、誰も信じて無いが……僕はやっぱり君達が、110,000の“アルビオン”軍を止めたんだと想うよ。君は何せ僕の“ワルキューレ”に殴られても殴られても立ち上がって来た男、そして“先住”かと想える程の“魔法”と“武器”の扱いに長けて居た男だからね。セイヴァー、君は何処からとも無く武器を出したりも為て居たっけ……君達成ら遣っても、可怪しくは無いと想う」

 ギーシュはゴシゴシと目の下を擦った。

「君達は平民だが、僕は友情など、抱いて居たんだよ」

 そんな風に1人、薄く涙を浮かべて居ると、テントの中がガサゴソと動いた。

「サイト……?」

 然し、中か出て来たのは……。

「ヴェルダンデ!?」

 ギーシュの“使い魔”の “巨大土竜(ジャイアントモール)”で在った。

「何だ、君は此処に居たのか……」

 ギーシュはしゃがみ込み、愛する“使い魔”を撫で始めた。

「君もやっぱり、彼等を懐かしんでたのかい?」

 ヴェルダンデはフガフガと、ギーシュに鼻を擦り付けた。其の円な瞳が、何処と無く哀し気で在った。

「そうか、君も哀しいんだね……」

 暫くギーシュはそう遣ってヴェルダンデと抱き合って居たが……徐に立ち上がった。

「サイト、セイヴァー、僕は、君達を“英雄”だと想う。だから僕成りに出来る事を考えた。ヴェルダンデ! 土を山の様に集めて呉れ!」

 ヴェルダンデは首肯くと、猛烈な勢いで土を掘り返し始めた。

 そして、ギーシュの前に、文字通り土の山が出来て行く。

「僕は“土系統”の“メイジ”だ。だから、君達に土で敬意を表する。此処に、君達のでっかい像を造ろうと想う。君達の事を忘れ無い為にね」

 ギーシュは土の山に、“魔法”を掛けた。

 すると、土は粘土の様に変化を始めた。

 両手を其処に突っ込み、ギーシュは捏ね上げるかの様にして像を造り始めた。

「でっかい奴だサイト、セイヴァー。5“メイル”は在ろうかと言う、でっかい像を御っ立てて遣る。サイト、君は“魔法”を使え無かったから……僕は此の両手で像を造る。敬意だサイト。“貴族”の僕が、敬意を表するんだ。喜んで呉れよな!」

 

 

 

 学院長室で1人、オスマンは立派な髭を弄り、窓から外を見て居た。

「……ふむ」

 2つの月から出て居る月明かりが、ほんのりの優しく学院長室と、オスマンを照らして居る。

 其の灯りは、亡く成った戦死者達や、オスマンが知る少年と青年の2人を悼むかの様に、彼には想えた。

(サイト君とセイヴァー君……君達は異世界から遣って来たと言って居たが……セイヴァー君、もう意味の無い事やも知れぬが君に対して疑念を抱いて居た事を謝罪しよう)

 

 

 

 ギーシュもモンモランシーも、他の者達も、心を痛めて居たが……やはり一番哀して居たのは、ルイズで在った。

 自分の部屋で、ルイズは膝を抱えてベッドに座って居た。何時もの制服姿では在ったのだが、頭に妙な帽子を冠って居る。

 何時だか、才人にプレゼントをした自作のセーターで在った。何方かと云うと前衛芸術のオブジェに近い其れは、無理やり袖を通しても顔が出る事は無いだろう事が判る。やはり冠った方がしっくりと来てしまうのだ。

 そんなルイズの眼の前には、唯一の才人の持ち物で在るノートパソコンが置かれて居た。電源が入って居無い為に、画面には何も映って居無い。

 ルイズは、黒いノートパソコンの画面をジッと見詰めて居た。

 才人が初めて遣って来た日、見せて呉れた画面を想い出す。(綺麗だった)、とそう想ったら、ジンワリと瞼の裏が熱く成るのだった。

 そして、(想えばサイトは……いっつも自分にそんな景色を見せて呉れて居たわ。訳が理解ら無いけど綺麗で、何だかワクワクして、不思議な気分にさせる景色を)、とも想った。

 ルイズ達とは違う考え、容姿、行動……其の1つ1つが彼女の胸に蘇る。

 ルイズは、胸に提がるペンタンドを見詰めた。そして、ポロリと、涙が目頭から溢れた。

(サイトは……いっつも自分を守って呉れてた。此の首に掛かるペンダントの様に、何時も側に居て、私の盾と成って呉れた。フーケの“ゴーレム”に潰されそうに成った時。ワルドに殺されそうに成った時。巨大戦艦に対峙した時。敵に騙されて我を忘れた姫様に、“水”の竜巻の“魔法”を掛けられた時。そして……味方を逃がす為に“死ね”と命令された時……サイトは必ず、私の前に立って剣を構えて呉れた。伝説の“ガンダールヴ”、其の名の通り、私の盾に成って呉れた。そんなサイトに、私は優しくした事など在ったかしら? 何時も意地を張って、我儘ばかり押し付けて居た様な気がするわ)。

 そう考えて居たルイズの口から、ポツリと言葉が漏れる。

「ばか」

 涙が熱く感じられた。

「私の事何か放って置けば良かったのに。こんな恩知らずで我儘な、可愛く無い私の事何か、無視して逃げれば良かったのよ」

 ルイズは流れる涙を拭いもせずに、ジッと想いを巡らせた。

「あん何も、“名誉の為に死ぬのは馬鹿らしい”何て言ってた癖に……自分で遣ってちゃ世話無いじゃ成いの」

 才人を責める言葉は、其の儘ルイズ自身に返って来る。自身の言葉が、己の心を抉る槍と成って、ルイズを激しく傷付けるのだ。

「“好き”って言った癖に……私を1人にし無いでよ」

 黒い画面の儘のノートパソコンを見詰め、ルイズは呟いた。

「私ね、あんたが居無いと、眠る事も出来無いのよ」

 膝を抱いて、何時迄もと云える位にルイズは泣き続けた。

「……誰?」

 泣いて居ると、自身の部屋のドアがノックされた事に気付き、ルイズは肩を震わせ、涙と鼻を啜り乍ら部屋の外の人物へと返事をした。

「私だよ、ルイズ」

「……シオン?」

「入っても?」

「うん……」

 ガチャリと、ドアが開けられ、何遣ら身支度を終えたシオンの姿が其処には在った。

「こんな時間に何処に行くの?」

「ちょっとね……私には遣る可き……ううん、遣ら為いと行け成い事が有るから」

「其れって……」

 シオンの言葉に、ルイズは想い当たる節が有った。其れを口にしようとするルイズだが、シオンは自身の口元に人差し指を立てた手を持って行き無言で居る事を促す。

 ルイズは、自身の大切な人達が次々と何処か遠くに行って仕舞う様な気に成り、不安気にシオンを見上げる。

「大丈夫。大丈夫だよ」

「何でそんな事言えるの?」

「先刻セイヴァーから連絡が在ったの」

 シオンは、彼女の手の甲に在る“令呪”をルイズへと見せ、言った。

「セイヴァーは生きて居る。そしてサイト君も」

「…………」

「だから大丈夫だよ」

 

 

 

 

 

 “トリステイン”の首都、“トリスタニア”の王宮の執務室で、アンリエッタは気が抜けたかの様な様子で、椅子に腰掛けて居た。

 “アルビオン”での一部“王軍”の反乱、ド・ボワチェ将軍と、“ゲルマニア”軍司令官ハルデンベルグ侯爵の戦死、全軍の壊走……そして撤退許可を求める報告。

 連合軍参謀長のウィンプフェン依り其れが届いた時、アンリエッタやマザリーニを含む応急の面々は当然混乱をした。「敵が放った偽報では成いか?」、と疑う者も当然居た。

 撤退化交戦継続か? 紛糾する会議を纏めて見せたのは枢機卿で在るマザリーニで在った。

 彼は、「此処は王宮(後方)で在って戦場では無い」、と撤退を認め無い大臣達を見事押さえ付けたので在る。

 然し……結果として撤退は意味の無いモノに成って仕舞った。

 突如現れた“ガリア”艦隊が、“アルビオン”軍を降伏に追い込んだので在る。其れから程無くして、“ガリア”は混乱を極める“トリステイン”に特使を派遣。今後の“アルビオン”の処遇について会議を行う旨を報せて来るたのだ……。

 読めぬ“ガリア”の動向に“トリステイン”王宮は揺れたが、戦の決着を付けてしまった“ガリア”に逆らう可くも無い。

 其れから2週間程が過ぎた今日、アンリエッタは“ロサイス”で行われる予定の其の会議に出席す可く、準備を整えて居る所で在った。

 アンリエッタは、机の上の、“ガリア”大使から送られて来た書物を手に取った。

――“ハルケギニアの秩序を乱す、共和制の勃興を封じ込める可く、ガリア王政府は、ハルケギニア各国と更に密成る関係を築き上げる必要を感じ……”

 と前文が続いて居る。

 然し、目から入った言葉が、アンリエッタの頭の中で意味を為さ無いのだ。

 アンリエッタの心の中に在るのは、空洞で在った。深い、冷たい、何処迄も落いて行きそうに成る程に暗く深い穴で在った。覗き込んでも、全く深さなどが判ら無い、(あん何も憎んで居たクロムウェルは死んで仕舞った……“アルビオン”の“貴族派”は壊滅したわ。成のに、どうして気持ちは晴れ無いの?)、と云った考えや感情が渦巻くだけの虚ろな穴で在った。

「どうして?」

 誰に言うでも無く、呟く。

「ウェールズ様を殺した“貴族派”が赦せ無かった。其の死を弄んで、私達を騙した彼奴等が赦せ無かった……其れで?」

 其れで何が変わったと云うのだろうか?

 何も変わら無い。

 アンリエッタは両手で顔を覆った。堰を切ったかの様に、感情が溢れて来て、どうにも成ら無く成って仕舞ったので在った。

 扉がノックされたが……アンリエッタには応える事が出来無かった。

 扉が開けられ、枢機卿のマザリーニが入って来た時も、アンリエッタは机に顔を埋めた儘で在った。

「御疲れの様ですな」

 とマザリーニは呟く様に言った。

 其処で初めて、アンリエッタはユックリと顔を上げて首肯いた。

「はい。でも、大丈夫です」

「目出度いですな。何はとも在れ、戦は終わりました。例え全具が壊走し、予期せぬ援軍を得ての勝利とは言え、勝利は勝利です。何ともはや、“ガリア”には何度礼を述べても足り無いですな」

 虚空を見詰め、アンリエッタは「そうですね」と言った。

 マザリーニはそんなアンリエッタを気にした風も無く、言葉を続ける。

「然し、油断は為りませんぞ、陛下。あれだけ参戦を促したのにも関わらず、腰上げ無かった“ガリア”が突然参戦したのには、必ずや何らかの理由が有る筈」

 アンリエッタは心此処に在らずと云った体で、「そうでしょうね」、と返事をした。

 マザリーニはアンリエッタが肘を突いて居る机と、ドサッと紙の束を置いた。

「……書類?」

「はい。是非共、陛下に目を通して頂かねば為ら成い書類です」

「後で宜しいですか? 今、ちょっと……」

「いえ、今、目を通して頂か為ければ困ります」

「決裁成ら、貴男の裁量に御任せします。枢機卿、貴男は良くして下さいますわ。何の心配も……」

「御目を通されよ」

 アンリエッタは、首を横に振った。

「申し訳有りません。正直に言うと、疲れて居るのです」

「御目を通されよ!」

 強い語調で、有無を言わぬ調子でマザリーニは言葉を繰り返した。

 鳥の骨と民に揶揄された、痩せた中年男の剣幕に押され、アンリエッタは上の1枚を手に取った。

 上から下迄、名前がギッシリと書かれて居る。

「……之は?」

 冷たい声で、マザリーニは告げた。

「此度の戦での、戦死者の名簿です」

 アンリエッタは絶句した。

「“貴族”、平民、将軍士官、兵隊……貴賎を問わず、判る限り全ての名前が記されて居ります」

 アンリエッタは、「おおお……」、と顔を両手で覆った。

「彼等が何を拠り所にしして、死んで行ったか陛下は御存知か?」

 アンリエッタは力無く首を横に振った。

「……理解りませぬ」

「理解りませぬか? いえ、理解って御居ででしょう。彼等は、陛下と祖国の名の元に、死んで行ったのですぞ」

 アンリエッタは、深く頭を垂れた。

 マザリーニは、冷たい口調で言い放った。

「大臣共の中には、戦も外交などと吐かして、将兵を駒の様に捉え、数字の損得で戦の是非を問う輩も居ります。はは、強ち間違いでは在りませぬ。唯、御忘れ召されるな。其の駒にも、家族が居り、生活が在り、そして“愛”する者が居た事を。信ずるに足る何かを抱いて居た事を」

 マザリーニは名簿を叩いた。

「王足る者、戦を決断せねば為ら成い時も在りましょう。将兵を死地に追い遣る事も有りましょう。唯、御忘れ召されるな。此処に書かれた名前の数だけ正と義が在った事を。此処に書かれた名前の数だけ、守られねば為ら成いモノが在った事を」

 アンリエッタは泣き出した。

 幼子の様に泣いて、跪き、マザリーニの膝に頭を埋めた。

「私は、何度地獄の業火で焼き尽くされれば良いのですか? 申し上げます。神の代弁者の枢機卿足る貴男の足元で、此の罪深い女王は懺悔致します。嗚呼、正直に申し上げます。此度の戦、心に在ったのは、復讐のみでした。此の復讐が為される成らば、悪魔に魂を売り渡しても構わぬと想い詰めて居りました。然し、実際に魂を売り渡して見れば……何も在りませんでした。後悔さえも在りませぬ。唯、空洞が在るのみです。深い、深い穴が広がるばかりです」

「…………」

「私は……そんな事にも気付か無い愚か者でした。“愛”に我を忘れ、“魔法衛士隊”の隊員達を死に追い遣り、友に恐ろしい“魔法”を打つけても、気付きませんでした。必要が在ったかどうか疑わしい戦を続けても、気付きませんでした。大事な人達の力を、己の復讐の為に利用しようしても気付きませんでした。そして、復讐が終わって初めて……気付いたのです。何も変わりはし無い事に、気付いたのです」

 赦しを、そして教えを請うかの様な声と調子で、アンリエッタは涙混じりに呟いた。

「教えて下さい。私は……どうすれば善いのですか? せめて己の手で喉でも掻き切れば、此の罪は消えるのですか?」

 マザリーニは、そんなアンリエッタの身体を突き放した。

 怯えた幼子の目で、アンリエッタはマザリーニを見上げた。

「陛下を裁けるのは、神のみです。陛下自身も、陛下を御裁きには為れ無いのです。“始祖”の御名に於いて神依り与えられし王権とは、そうしたモノ成のですよ。背負い為さい。重くても、辛くても、放り出しては為りませぬ。此の先、何れ程眠れぬ夜が続こうとも、決して忘れては為りませぬ。彼等は、陛下と祖国の名に於いて、死んで行ったのだから。死も、罪も、消える事は在りませぬ。悲しみが癒される事は在りませぬ。其れは何時迄もジッと其処に座って、陛下を見詰めて居ります」

 アンリエッタの心は石の様に冷えて仕舞い、固まり、汎ゆる干渉を拒否したがった。

 アンリエッタは、呆然と名簿を見詰め……呟いた。

「王に何か……成るんじゃ無かった……」

「そう想わぬ王は居らぬのです」

 マザリーニは深く一礼をすると、執務室を出て行った。

 後に残されたアンリエッタは、暫くジッとして居た。身動ぎ1つせずに。

 窓から夜の帳が訪れ、2つの月が執務室を照らした時……アンリエッタは遣っとの事で頭を上げた。

 アンリエッタは窓の外の……月の姉妹を見詰めた。

 涙は乾いて、頬に塗り付いて居た。

「そうね……何も無いんだわ。もう、涙が出無いもの」

 其れからアンリエッタは小姓を呼び、財務卿を連れて来る様に頼んだ。押っ取り刀で駆け付けた財務卿に、アンリエッタは告げた。

「此処と寝室と……いえ、王宮中の王家の財宝を、全て処分して御金に換えて下さい」

「……は?」

「全てです。良いですか? 衣装も最低限で結構。家具も、全てです。ベッドも、机も、鏡台も……」

 混乱した様子で、財務卿は言った。

「ベッドも? で、では陛下は、何処で御休みに為られるのですか?」

「藁の束でも持って来て下さい。其れで十分ですわ」

 財務卿は絶句した。

 床で寝る女王など、当然聞いた事も無い。

「売り払って得て御金は、戦死者の遺族への弔意に当てて下さい。“貴族”、平民、差が在っては成りません。等しく分配して下さい」

「で、でも……」

「国庫は苦しいのでしょう? 存じては居りますわ」

 アンリエッタは、身に着けた宝石を全て外し始めた。驚愕に目を見開いた儘財務卿に、1つ1つ手渡して行く。左手の薬指に嵌めた、ウェールズの形見の“風のルビー”に気付き、一瞬目を瞑り、其れだけは手に残した。

「良いのですか?」

「はい。後之も……」

 戦の間中、祈りを捧げて居た“始祖”像をアンリエッタは指差す。

 何百天、何千年と“王家”を見守り続けた“始祖”像で在った。

「でも、然し……」

「今、祖国に必要成のは、神への祈りでは在りません。御金です。違いますか?」

 財務卿はブルンブルンと激しく首を横に振った。

 退出しようとした彼を、アンリエッタは呼び止めた。

「申し訳有りません。其れだけは返して下さい」

「之は之は! 御返しするも何も!」

 手を伸ばして、アンリエッタは財務卿の持た盆から其れを取り上げた。

 王冠で在った。

 2人共心此処に非ずだった為に、気付か無かったので在る。

「せめて之が無ければ、誰もこんな愚かな私を、王とは認めて下さら無いでしょうから」

 之以上無い恐縮を見せて財務卿が退出した後、アンリエッタは名簿を捲り始めた。

 勿論、覚えられる量では無い。

 だが、アンリエッタは己の心に刻み付けて行く。其の名前の裏側に在っただろう生活に、想いを馳せるのだ。赦しを請おうか、と考えたが、止めた。

 名簿を読み終える頃には、空が白み始めて居た。

 アンリエッタは最後の1枚を手に取った。

 末尾に書かれた名前を見付け、彼女は息を呑んだ。

 何時か聞いた珍し響きの名前が2つ、其処には書かれて居たのだ。



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金色の妖精

 ジリジリジリジリ、と目覚ましが鳴って才人は目覚めた。

 才人はムクリと、ベッドから起き上がる。

 其処は“地球”、其処は“日本”、“東京”に在る彼の自宅2階の6畳間……詰まりは才人の自室で在る。

 一瞬、才人は違和感を覚えた。どうにも説明をし難い、違和感で在る。

 自分の部屋で在るのにも関わらず、何処か違うと云った感覚。

 半分寝惚た顔の儘、ロボット猫で在るかの様に才人は時計を取るのだが、時刻は午前8時30分。

 先程迄感じて居た些細と云えるだろう違和感も頭の中から吹っ飛び、「良け無え!」、と叫んでベッドから跳び起きた。

 階段を2段飛ばしで1階に下り、キッチンで洗い物をして居た母親に文句を言った。

「母ちゃん、何で起こしてくん無いのよ!」

「自分で起きろっていっつも言ってるじゃ成いの」

 其の瞬間、才人の胸を突如センチメンタルと云える感情が襲い掛かる。

 髪を引っ詰めて居る母親の後ろ姿を見て居たら、不意に才人はジンワリとして仕舞ったので在る。(何時も見て居る筈の母さんの背中成のに、どうしてそんな風に感じるんだ?)と考える。

 だが、今は其れ処では無いだろう。何せ、学校に遅刻して仕舞いそう成のだ。テレビが置いて在る今に飛びみ、脱ぎっ放なしの制服を着込み、再びキッチンに戻って「間に合わ無いから行くよ」と母親に告げ、皿の上に在ったトーストを丸めて、ハムスターの様に口一杯に頬張り、才人は玄関から飛び出して行く。

 玄関を出ると、其処は勿論住宅街だ。

 ふと、才人は立ち止まった。

 母親がいっつも趣味が悪いと零して居る、向かいの家の赤い塀。

 偶に才人が実を失敬する、隣家の柿の木。電柱の脇には、ブロックの上に置かれたジュースの自動販売機。

 何時もの風景。

 見慣れた筈の光景で在るにも関わらず、才人は、何処と無く懐かしく、“愛”しく感じるので在った。

 之で3度目の違和感で在る。

 其の理由が理解らずに、呆けっと突っ立って居ると……「サイトさん」と、後ろから呼び掛けられる。

 才人が振り返ると、其処には黒髪の少女が学校の制服を着て立って居た。

「シエスタ!」

 そう、シエスタで在る。

 異世界“ハルケギニア”の“トリステイン”、“魔法学院”でメイドとして働くシエスタが、才人が通う学校の制服を着て立って居るので在る。

 見慣れたブレザーを着込むんで居るシエスタは、妙に新鮮で可愛らしいと云う印象を才人に抱かせた。皆がそうして居た様に、丈を詰めて短くしたチェックのスカート。ブルーの上着に、白いブラウス。そして、清楚な紺色の靴下。

 才人の中で、(何故“東京”にシエスタが居るんだろう?)、(どうして俺の通う学校の制服を着て居るんだ?)、などと云う疑問が湧いて出て来、他にもっと不思議に想う事が有る可き様な気がしたのだが、取り敢えずの疑問が口を吐く。

「何でそんな格好してるんだよ!?」

 シエスタは、(何を言ってるのかしら?)、と云った表情を浮かべる。

「だって、私サイトさんと同じ学校通ってるんですよ。制服着てるの、当ったり前じゃ成いですか」

 そうだったのか、と才人は首肯いた。そして、(そう言われて見ればそうかも知れ無い)と考えた。と云う選りも、何処か夢見心地で在り、頭がボーッとして居て上手く考える事が出来無い状態で在る。

 シエスタは駆け寄って来て、才人の腕を掴んだ。

「ま、まま、ま、ま……」

 顔を真っ赤にして、シエスタは口篭って仕舞う。

「どうしたの?」

「ま、待ってたんです……一緒に学校行きたいなって、其れで……」

「そ、そっか……じゃあ一緒に行こう」

 まぁ、可愛いから良っか、と才人は浮かんだ疑問を打ち消した。

 シエスタは、「わぁい」、と微笑み、先に立って歩き出した。

 そんな彼女に、春の風が襲い掛かった。

「――きゃ!?」

 強い春風が黒髪の少女のスカートを持ち上げた。

 其の下から現れた、白い、滑らかな皮膚に、思わず才人は鼻を押さえて仕舞う。

「な、何でシエスタってば……パンツ穿いて無いの?」

 スカートの裾を押さえ、恥ずかしそうにシエスタは答えた。

「だ、だって……私“貴族”の方と違って、レースの下着何か持ってませんし……」

「“貴族”何か、此の“日本”には居無いよ」

「そうでしたね」

 変な会話だ、と才人は想い、またもや違和感を覚えた。

 噛み合って居るかの様で、何かが噛み合って居無いのだ。

 そんな風にボーッとして居ると……。

「遅刻遅刻!」

 後ろからドンッ! と突き飛ばされて仕舞い、才人は受け身も取れず、地面に転がって仕舞う。

 才人を突き飛ばしたのは、桃色の髪の少女で在った。パンを咥えた儘器用に唇を動かして、「遅刻遅刻! 遅刻しちゃう!」、などと叫び乍ら引き返して来て、地面に転がって居る才人を態々踏み付けて行くのだった。

「こ、此の……」

 と才人が立ち上がろうとすると、「ああ、遅刻! 遅刻だわ!」、と今度は顔を蹴っ飛ばされてしまう。才人はクリーンヒットを貰う羽目に成り、グッタリと地面に横たわって仕舞う。

「ミス・ヴァリエール!」

 シエスタが怒鳴る。

「もぉ~~~~、遅刻! 遅刻だってば遅刻!」

 ミス・ヴァリエールと呼ばれた少女は、「遅刻遅刻ちーこーく」、と騒ぎ乍ら、才人の上でダンス迄踊り始めた。

 其の様子は、まるで“インド神話”に於ける、怒り狂った“カーリー神”と、其の怒りに依り世界が壊され無い様にと一身で身に受ける“シヴァ神”を、俺には連想させた。

 そんなミス・ヴァリエールと才人の隣で、金髪の少女が立ち、才人を心配そうに見詰めて居る。

「遅刻が気に成るん成ら、人の上で踊るな!」

 すると桃髪の小柄な少女は、腕を組んで才人を見下ろし、「あんた誰の何処見てデレデレしてんの」、とプルプル震える声で、そう呟いた。

 桃髪の小柄な少女はシエスタと同じデザインの、才人が通う学校の制服を着て居る。ブラウスのボタンを外し、ネクタイを緩めたラフな着熟しで在る。校則違反のブカブカのルーズソックス。だが、桃色の髪と其の鳶色の瞳は、紛れも無くルイズで在った。

 其の隣に居る、金髪の少女もまた、同じ制服を着て居る。ブラウスのボタンを確り全部閉め、校則を遵守して居る。が、堅物などと云う訳でも無い雰囲気を漂わせて居る。

「誰の何処見ての? 仰い」

 才人が「御前に関係無いだろ?」と返すのだが、顔を踏み付けられて仕舞う。

「関係在るわよ。あんたはね、私の“使い魔”成の。だから、いっつも私の事を見て為きゃ駄目成の。余所見したら御仕置き成の」

 ルイズは、シエスタを忌々し気に見詰めた。

「で、でで、で以て、胸が大きいメイドの方を見たら、拷問何だからね。理解ってんの?」

 才人は「巫っ山戯な!」と怒鳴って立ち上がって、ルイズに掴み掛かろうとする。

 ルイズは、「あ……」、と小さな呻きを漏らし、アスファルトの上に倒れて仕舞う。

 才人は其の上から伸し掛かる形に成り、ルイズの顔を覗き込む。

「な、何すんのよ……ご、ごご、御主人様を襲う積り?」

「そうだよ」

「“貴族”の私に何をするのよ!? 平民の癖に!」

「“貴族”が成あ、こんな成あ、ルーズ何か穿くかっ吐の!」

 才人はルイズの穿いたルーズソックスを指して怒鳴った。

「い、良いじゃ成い! 私が何穿いたって勝手でしょ! “使い魔”の癖に! 手を離し為さい!」

「“使い魔”とか、御主人様とか、“貴族”とか、此処じゃ通用為無いんだよ。何せ此処は“日本”だからな」

 ルイズは「離し為さいよ」と叫んでジタバタと暴れた。

 暴れるルイズを押さえ付け、才人は燃えた瞳で覗き込んだ。

「御前……ホントはこうされたかったんだろ?」

 そんな台詞が才人の口から出たのだが、(まるで自分の言葉じゃ無いみたいだ)と才人自身驚きで目を見開く。

 そう。

 今の才人は、例えて云う成ら、自分が主役の映画を見て居る様な……そんな気分を味わって居た。

「……え?」

「俺にこう遣って押し倒されたかった。違うか? だから黒猫衣装何か着たんだ。そうだよな? 此の野郎。どう何だ。言ってみろ。ええおい、言ってみろ!」

 才人は、(何時かこんな言葉を口にした事が在ったなあ)、と妙に冷えた部分で想い乍ら、怒鳴った。

 すると少女の頬が其の髪と同じ様に桃色に染まって行く。そして、誤魔化すかの様に、外方を向いたのだ。

「ば、ばっかじゃ成いの? 誰が押し倒されたいって? ふ、巫山戯てると、あんたの其の無節操な大事なとこ蹴っっちゃうんだから」

「蹴ってみろ」

 と才人が強い口調で言ってみると、ルイズは唇を噛んだ。

 そして、「ど、退き為さいよぉ~~~」、と弱々しい声でルイズは呟く。

 才人は神妙な顔で首肯き、「じゃあ、頂きます」、と起伏の無い、ペッタンコとでも云える平原を覆って居る上着のボタンを、(何時かこんな事したなあ)と想い乍ら外そうとした。

 すると、後ろに立って居たシエスタに、才人は顔を突然フライパンで殴られて仕舞う。

「――痛え!」

「此処は天下の往来ですよ。恥ずかしいから止めて下さい」

「何でフライパン何か……」

「御料理するのに持ち歩いて居るだけです」

 ルイズが、「余計な事為無いでよ!」、と悪怯れ無い様子でシエスタを怒鳴り付けた。

 シエスタは、ルイズに向き直る。

「助けて上げたのに、余計な事ですって? するとやはり、“退き為さい”って台詞は、嘘何ですね。本音じゃ無いんですね。やっぱり変な事されたかったんですね」

「ち、違うもん! メイドは黙って選択でもして為さいよね!」

「じゃあ洗いますから、其の洗濯板を貸して下さい」

「はぁ? 洗濯板何か持って無いわよ!」

「在るじゃ成いですか。其処に立派成のが」

 胸を指され、ルイズは怪鳥の様な雄叫びを上げた。

「――ケーーーーーーーーッ!」

「平らな胸で洗いましょう♪ シャボンを付けて、洗いましょう♫ ごっしごしごしごっしごし♬」

 歌い出したシエスタに、ルイズが跳び掛かった。

「何よ!? 胸ばっかり大きく成ってあったま空っぽのメイド風情が! 男に媚び売る事しか考えて無いんでしょう!? 下着位穿き為さいよ!」

「自分だって同じじゃ成いですか! 思いっ切り期待為乍ら添い寝してる癖に! 殆ど素っ裸に近い格好で! “貴族”がチャンチャラ可笑しいわ! サイトさんが襲って来るのを今か今かと待ち構え乍ら目を爛々と光らせてるんでしょう!? 端無いったら在りゃ為無い!」

 2人は、「何よ!?」、「ツルペタ!」、「馬鹿メイド」、などと言い合い乍ら、派手に取っ組み合いを開始して仕舞った。否もう、スカートを翻し、爪を立て、髪の毛を掴み、猛り狂う鶏の様に絡み合って居るのだ。

 そんな2人を、「また始まって仕舞ったか」、と云った様子で見詰めて居るシオン。

 才人は、「や、止めろよ……」、と呟いたが、2人はまるで聞く耳を持た無い。

 其処に黒塗りのリムジンが遣って来た。

 助手席にドアがバタン! と開いて、顔を出したのは、白い手袋と黒のスーツに身を包んだマザリーニで在った。マザリーニは後部座席のドアを開けると、恭しく一礼をする。

 中からは、白いワンピースに身を包んだアンリエッタが現れた。花の飾りが付いた鍔の無い帽子を冠って居る。御姫様と云う選りは、何処ぞの御嬢様と云った出で立ちをして居る。彼女は、高そうなハンドバックを小脇に抱えて居た。

 とととと、と才人に駆け寄って来ると、アンリエッタは手を差し出した。

「110,000の大軍を、御止めに為られたとか」

 才人はボケーッと成って、「はい」、と答えた。

「正に獅子奮迅の活躍で御座いますわね。嗚呼、貴男は“トリステイン”の救世主。何も出来ぬ無力な女王ですが、忠誠には報いる所が成ければ成りません。さあ、此の手に接吻を下さいまし」

 其の手を取って、才人が口付けると、次にアンリエッタは大胆にも腕を才人の首に回して来た。

「ひ、姫様?」

「アン、と呼んで下さいまし。さあ、次は此の唇に、御情けを下さいまし」

 オロオロとして居ると、アンリエッタは才人の頭をガバッと抱き締め、唇を重ねた。

 やばい、と才人が思った其の瞬間、怒鳴り声が飛んで来る。

「あんた姫様に何してんのよッ!?」

「高貴な方ばっかり! 熟高めが御好き何ですね! 村娘何か相手に出来無いって言うんですかッ!?」

 ルイズとシエスタの矛先が、自分に向けられた事を知った才人は、アンリエッタの腕を振り払って逃げ出した。

「御待ちに為って! 此の前の安宿での続きを!」

 アンリエッタが叫んだ。

「安宿の続きって何よ!? どう云うよ!?」

「何かしたんですわ! きっと妙な服でも着せたんですわ!」

 とルイズとシエスタが叫び乍ら、逃げる才人を追い掛ける。

 才人がひぃひぃ走り乍ら逃げて居ると、角からドロロロロロロ、とアメリカンバイクが現れた。タンデムで跨って居るのはスカロンとジェシカの2人だ。御揃いのワイルドな革衣装に身を包んで居る。

 才人は2人のバイクに、跳ね飛ばされて仕舞う。

 ジェシカが、ヒョイッとバイクから跳び降りて、地面に転がった才人を見下ろした。

「駄目じゃ成い。こんなとこ油売ってちゃ。早く御店手伝ってよ」

「お、御前な……」

「あら? 元気無いじゃ成い。じゃあ元気が出る事、しよっか?」

 と、ジェシカは悪戯っぽい視線を才人に投げ掛け、革の上着の隙間に覗く、豊かな胸の谷間に才人の手を導こうとする。

「ちょ、ちょっと待った!」

「何を待つの?」

 ジェシカは、男心を擽る色気を振り撒き乍ら、艶めかしい目付きで才人を見詰める。

「あんた、女の子の扱い、知ら無いんでしょ? だから散々な目に遭っちゃうのよ」

 其の儘、才人がジェシカの瞳に吸い込まれそうに成った時……。

「また黒髪成のね!」

「私の従妹に! 何て事!?」

 才人はジェシカを置いて疾走り出す。

 大通りに出て、人波を掻き分け乍ら逃げて居ると、ドンッ! と誰かに打つかって仕舞った。

「す、すいません」

 打つかってしまったのは、長い桃髪の女性で在った。

 薄い紫のカーディガンを羽織り、何匹もの犬が繋がれた紐を握って居る。

 わん。わんわん。わふわふ。わんわん。

 犬達はワシワシと、才人に擦り寄って来た。

「犬! 犬が沢山! 犬がッ! うわ!? わわ!?」

「あらあら、此の子達、貴男の事が大好きみたいね」

 振り向いた女性に、才人は見覚えが有った。

 ルイズの実家で見た顔だ。

 桃色の長い髪に優しい大人の女性の雰囲気。

 手を顎に添えて、コロコロと笑う。果たして其の女性はルイズの実姉、カトレアで在った。

 カトレアが連れた犬達は才人の身体を鼻で散々に弄り始めた。

「あ!? こら! 止めろ! 止めろってば!」

 わふわふ、わんわん、わふわふ、わんわん。小姉様! 何よ!? あんたってばやっぱり小姉様が好いのね!?」

 追い縋って来たルイズが怒鳴る。

「遂々犬に迄!? 赦せませんわ!」

 とシエスタが怒鳴る。

 2人共、物凄い形相を浮かべて居る。

 あんな2人に捕まって仕舞えば、命が危なく成って仕舞うのは明白だろう。

 だが、犬達に伸し掛かられて居る為に、才人は身動きを取る事が出来無い。

「犬塗れにして上げるわッ!」

 そう叫んだルイズが跳び掛かって来た瞬間……才人はブワッと空中に持ち上がった。

「と、飛んでる?」

 見上げると、才人は“ウィンドドラゴン”に掴まれて居た。

 “ウインドドラゴン”の首の上に、青い髪の少女が座って居る。タバサと其の“使い魔”の“ウィンドドラゴン”――シルフィードで在った。

 ヒョイッと、シルフィードは背の上に才人を持ち上げる。

 何故かタバサはフライトアテンダントの格好をして居た。

 子供の様なタバサが、そんな格好をして居ると、才人からしてみると何かの悪い冗談にしか見え無い。

 そんなタバサは振り向きもせずに、ジッと本のページを見詰めて居る。

「な、何だ御前か……兎に角救かったよ。有り難う」

 ホッとして才人は御礼を言った。

 が、タバサは何時もの様に、返事1つ寄越さ無い。

 暫く才人も黙って居たのだが……其の内に気不味さを感じてしまう。何か話題を探そうと想い、タバサが読んで居る本に目が留まる。

「気に成ってたけど……御前、いっつも何読んでるんだ?」

 タバサは答え無い。

 仕方無く才人はタバサが読んで居る本を覗き込んだ。

 其処に書かれて居るタイトルを見て、才人は呆れた声を上げた。

「はぁ? “恋愛の方程式~男の子に好かれる為には?” 御前、こん成の読んでるのかよ!? あははは! 御前もちゃんとこう言う事に興味有るんだな!」

 タバサは無言でページを捲った。

 怒って居るのか、恥ずかしがって居るのか、其の瞳からは読み取る事が難しい。

「そう言うのはな、幾ら本を読んだって駄目何だよ。先ずは、ちゃんと会話の1つ位、交せる様に成ってからだよ。自分の気持ちを、伝えって事が大事何だ。うん」

 と、才人は尤もらしく首肯き乍がら呟く。

「兎に角御前みたいに、黙りこくってちゃ、話に成ら無いよ」

 才人はタバサの頭をグリグリと撫でた。

 されるが儘に、タバサは頭を振る。

「そうだ。じゃあ先ずは俺を相手に、喋る練習してみろ」

 タバサは無言で才人の顔を見詰めた

 待てど暮せど、タバサの口はピクリとも動か無い。

「おい? 何だよ。其れじゃ恋何か出来無いぞー。ほら。ほらほら。御前、“呪文”以外の言葉を知ら無いんじゃ成いのか? ほら、何か言ってみろ」

 誂い半分と云った具合に、才人はタバサの頭を左右に振った。

 するとタバサは、ピョコンと立ち上がった。

「理解った」

「え?」

 タバサは全く表情を変えずに、マシンガンの様に言葉を吐き出し始めた。

「恋が出来無い? 大きな御世話。何方付かずにメイドと胸無し“魔法”遣いの間でフラフラして居る貴男何かに言われたく在りません。貴男と来たら、ちょっと胸の大きめな御姫様や街娘や御姉さんを見掛けたら、直ぐに鼻の下をでろーりでろりと伸ばしちゃってさあ大変。良け無い良け無い。そんな事は駄目です君の想いを受け止める事は出来無い俺は異世界から来た人間だから……と言いつつ、身体嘘吐いてんのよ」

「な、御前……」

 才人は、突然のタバサの変わり様とマシンガントークを前に、彼女の口から出た「異世界」の言葉を気に留める余裕も無く、顔を真っ赤にさせた。

「其りゃあ2人共怒るわ。追い掛けられるわ。散々御仕置きだってされちゃわ」

「子供の癖に生意気言うんじゃ無えよ!」

 と、才人はタバサの身長を見て言った。

 小さなルイズ選りも頭1つ分低い、タバサの身の丈で在った。

 タバサは表情を変える事も無く、言葉を続ける。

「誰が子供? 子供は貴男じゃ成い。貴男みたいな気が利か無い男が二股何て、10年早い」

「ぎゃ」

 才人はシルフィードの上に蹲った。

 タバサに思いっ切り股間を蹴り上げられて仕舞ったので在る。

 タバサは才人の頭の上に、デンッ! と足を置いた。

「私のベッドにする」

「ざっけんな!」

「何言ってるの。嬉しいんでしょ? こう云うの好き何でしょ? 私みたいな小さな女の子に支配されたいんでしょ? 顔に書いて在る」

「こ、此の……」

 と、才人は跳ね起きると、タバサの肩を掴んだ。

 見詰合う。

 するとタバサは、頬を染めて顔を背けた。

 そんな仕草に弱い才人は、一瞬、ドキッとして仕舞う。

「行き成りそんな顔するんじゃ無えよ!」

 次にタバサが繰り出した攻撃は、才人の予想を超えて居た。

「や……」

「や?」

「優しくして……」

 才人は、(や、優しくしてって、おま。おま、御前……)、と酸欠状態の金魚の様に口をパクパクとさせた。

 そしてタバサに依る次の攻撃は、才人の中に在る本丸を一撃で陥落させて仕舞った。

「キ、キキ……」

「きき?」

「キスの仕方、教えて……」

 才人は、(意味理解ん無え。サッパリ理解んないえ。でも、可愛ええ)、と想って仕舞った。

 何時もは無表情なだけに、此の攻撃は才人にとって不意打ちで在ったと云えるだろう。勿論、唯の不意打ちでは無い。所謂彼にとって嬉し不意打ちと云う奴だった。驚きと歓喜と興奮が、コンマ数秒の間に才人を包み、どうにかして仕舞いそうに成って仕舞う。否、どうにか成って仕舞ったのだ。

 良く見ると、タバサは、白い雪の様子に綺麗な肌をして居る事が判る。何処迄も碧い瞳は、まるでサファイアの様だと云えるだろう。其の碧い湖は、幼い中に妙な厳しさを湛えて居り、才人をドキドキとさせるには十分で在った。そしてルイズ達に負けず劣らずの、高貴で上品な顔立ち……幼い幼いと思って居た為か才人は気付か無いで居たのだが、とても綺麗だと云った素直な感想を才人に抱かせる。

 其処迄想像をして、(こんな子供に何感じてるんだ俺は)、と想い直して、才人は首を横に振った。

「ば、ばっか御前、パパに怒られるぞ。吐うか御前にキス何かしたら、俺普通に捕まるから!」

 怯んだ様子を見せる事も無く、タバサは唇を突き出した。

「御兄ちゃん……」

 反則だと云えるだろう。

 シルフィードの上、才人が激しく葛藤で身を悶えさせて居ると、後ろから爆音が轟いた。

 振り向くと、“ゼロ戦”が飛んで居たので在る。

「――な!?」

 コックピットの中には、ルイズとシエスタの顔が覗いて居る。

「何で操縦出来んだよ!?」

 と才人が怒鳴ると、「曽祖父(ひいおじい)ちゃんに教わったんです!」とシエスタが叫んだ。

 何故こんな大きな“エンジン”の爆音の中で在るにも関わらず声が聞こ得るのだろう? と疑問に想う間も無く、ルイズの怒り声が聞こ得て来た。

「今度は私選り小さい娘に迄! あんたってば大きいのと小さいのと何方が好き成のよ!? って言うか何方でも良いのね!? さいってい!」

 ドン! ドン! ドド! と“ゼロ戦”の両翼が震えた。

 才人が、(“20ミリ機関砲弾”は弾切れの筈じゃ?)、と考えると、其の代わりと云った具合に、飛んで来るのはワインの瓶で在った。

 シエスタが、「味わって呑め!」、と酔った様な声で叫ぶ。

 才人は、(酔っ払って飛行機運転すん無よなあ)、と切ない気持ちに成った。

「否、飛行機は操縦か」

 と呟いたら、顎に瓶が打ち当たる。

 才人は焦った声で叫んだ。

「タバサ、飛ばせ! “風竜”の加速成ら“ゼロ戦”から逃げられる!」

「タバサ? あたしはキュルケよ? ダーリン」

 何時の間にか、タバサはキュルケへと変わって居た。而も貝殻で洋書を覆うのみの、グラビアから抜け出て来たかの様な格好をして、で在る。

「良いから早く逃げて呉れ! 此の儘じゃ殺される! 速く飛んで呉れ!」

「飛べ無いわよ!」

「“風竜”だろうが!」

「あたしの、火蜥蜴ちゃんだもの」

 何時しか才人が跨って居るのは、キュルケの“サラマンダー”のフレイムへと変わって居た。

「何でだよ!?」

 フレイムは一気に落下を開始した。

 才人は慌ててデルフリンガーを掴もうとした。(こう成ったら“ガンダールヴ”の力で、追い縋る“ゼロ戦”に跳び乗って遣る!)、と想った為だ……。

「――うわ!? 身体が軽く成ら無え!」

 左手を見ると、“ルーン”が消えて居た。

「よう才人。随分と楽しそうな夢を見て居るな」

「セイヴァー!? 救けて呉れッ! 頼むッ!」

 必死な様子で才人は、俺へと頼み込んで来る。

 が――。

「否々、楽しい夢は終わりってだけだから、救けるも何も無いんだわ、之が」

「――わ!? うわ!? わわ!?」

 グングンと地面に近付いて行く。

「落ちる! 落ちる! ん? 何だあれ?」

 才人の目に、視界に何かが映った。

 光だ。

「さて、才人。目覚めの時だ」

「……光ってる。金色?」

 激突する瞬間、才人は眩い、金色に光る何かに包まれた。

 

 

 

 

 

「落ちたッ!?」

 と、目を覚ました才人は思わず絶叫した。

 そして、ぜぇぜぇ、と荒い息を吐いて、心底ホッとした声で呟いた。

「夢かぁ……」

 ボンヤリとした顔で、先程のドタバタドラマを才人は反芻した。

 シエスタとルイズに追い掛けられたり、アンリエッタやジェシカや犬やタバサに迫られたり、のとんでも無い内容のドタバタ騒動で在る。

 まあ夢でも無ければ、ルイズやシエスタ達が“地球”の“日本”の才人が通う学校の制服を着て居たり、タバサがフライトアテンダントの格好をして迫って来たり、何て事が在る訳も無いのだが。

 才人は、「そん何モテ願望が強いのかな、俺って……」、と恥ずかしく成って、身悶えをした。暫し身悶えをした後、(今の俺、誰にも見られて無いだろうな?)、と心配に成って辺りを見回した。

「う!?」

 確りと観客が居た。

 才人の目に入って来たのは、自分を見詰める子供達の顔で在る。

 大小男女取り混ぜて、色々な顔が在った。金色の髪、赤毛の子……プルネット、髪の色も様々だと云えるだろう。

 目を覚ます成りモジモジとしたり、顔を赤らめたり、ホッと溜息を吐いたり、などと挙動不審な才人を心配そうな顔でジッと見詰めて居るのだ。何の子も薄汚れた服を着て居たが、目は活き活きと輝いて居るのが判る。

 1人の金髪の男の子が、才人の上に跨って、ジッと顔を覗き込んで居る。

「えっと……今の俺、見てた?」

 と才人が尋ねたら、男の子の顔が恐怖に歪んだ。

「変な人だ! 怪しい人だ!」

 と叫んで、逃げ出して行く。

「お、おい……誤解だ誤解!」

「変人だ! 近付いちゃ駄目な種類の人だ!」

 其の後に残りも続く。

「ちょ、ちょっと待って! 俺は別に変な人じゃ!」

 然し、そんな才人の言い訳の言葉も届く筈も無く、子供達は一目散に部屋を飛び出して行って仕舞った。

 後に残されたのは――。

「何々だよ……彼奴等。ちょっと夢見て恥ずかしく成ってクネってただけじゃんよ……しっかし、此処何処だ?」

 才人は自分が今居る部屋を見回した。

 小陳鞠とした部屋で在る。ベッドの脇に窓が1つ、反対側にドアが在る。部屋の真ん中には丸く小さなテーブルが置かれ、木の椅子が2脚添えられて居る。

 才人が寝テイルベッドは粗末な造りでは在るが、清潔なモノで在った。白いシーツに、柔らかい毛布が掛けられて居るのだ。

「何処の宿屋成のかな……でも、何でそんなとこに俺ってば居るのよ……って其れ処じゃ無えだろ。俺、大怪我喰らって……」

 才人は焦って、自分の身体を見詰めた。包帯が幾重にも身体を覆って居るのが判る。

 其の時に成って遣っと、瀕死の淵へと追い込まれた激戦をハッキリと才人は想い出した。

 そう。

 ルイズ達を逃がす為に、たった2人で110,000の軍勢へと立ち向かって行ったので在った。想い出すだけで、身震いをして仕舞う激戦で在ったのだ。

 110,000の軍勢の先鋒に突っ込んだ後は、デルフリンガーのアドバイスに従って、才人は指揮官“メイジ”を狙い捲くった。

 相当な数の“メイジ”を遣っ付けた迄は良いのだが、“魔法”を散々に喰らって意識が遠退き始めた。フラフラに成り乍らも騎士に囲まれた偉い将軍っぽい“メイジ”と其の集団を見付け、突っ込んだので在る。

 其の差規模の記憶は、才人には無かったのだが……。

「……兎に角救かったみたいだな」

 と、ホッとした様な、気が抜けた様な声で才人は呟く。

 のだが、其処で想い出した様に口を開く。

「其処に居るのか? セイヴァー」

「ああ。気付いて居たのか?」

 駄目で元々、と云った風に、恐る恐る口を開く才人。

 俺は“霊体化”を解き、腹を抱えて笑いそうに成るのを堪え、呆けた様に問い返した。

「否、何と無く。勘って奴かな……?」

「ほう。其れで其れで、英雄様は、ギャルゲー地味た夢を見て、目覚めた後、ブツブツと何かを呟き、身悶えして、子供達を恐がらせた、と」

「違う! ってか、何で御前が其れを知ってるんだよ!?」

「其れは御前、俺の“スキル”さ。そして、子供達云々は、此処でずっと“霊体化”した状態で待機して居たからだ」

「……趣味悪いな」

「何、之も俺の仕事の様なモノだ。御前の様子を観察して居た。中々に愉快だったぞ。貴様が見て居た夢は」

「何も言わ無いで、何も……」

 そう話をして居て、才人は安心すると同時に疑問が沸々と湧いて来た事を感じた。

 “魔法”の矢や火の玉を之でもかと云う程打つけられたと云うのに、其れ程傷が深い様には見え無いのだ。“ファイアーボール”が至近距離で爆発を起こして、左腕が隅みたいな状態に成ってしまった事を、才人は確かに覚えて居た。其れだけでは無い。(身体中がやべえ)、と想う位の血が流れ出たのだ。パックリと開いた腹の傷。俺た骨が内蔵に刺さった感触。詰まり、有り体に云って仕舞うので在れば瀕死の傷だったのだ。

 其れで在るのに、今こうして才人は自分の身体を見ると……あれだけ酷かった左腕の火傷は消え、ピンク色の皮膚が包帯の隙間から覗いて居り、身体中の他の傷もまた取り敢えずは塞がって居ると云えるのだ。

 才人は、(一体、自分の身体に何が在ったんだろう?)、と首を傾げた。

「まあ、“魔法”遣いがわんさか居る世界だから、何が起こっても不思議は無えか……」

 と持ち前の楽天振りを発揮させて、才人は独り言ちた。

 次の瞬間、知りたい事は「救かった」、其れだけでは無い事に気付いたので在る、才人は、(そうだ、自分の身体の事もそうだが、大事な事が他にも在ったじゃ成えか。俺ってば、セイヴァーと共に110,000の大軍に突っ込んだは良いけど……きっちり、敵軍を混乱させる事は出来たか? 味方が撤退する為の時間は稼げたのか? ルイズやシオン、皆は、無事に逃げ出す事が出来たのか?)、とホッとしたら、色々と想い出したので在る。

「ううむ……どう何だろ? 気に成るな」

 才人はキョロキョロと視線を動かして、デルフリンガーを探した。

 然し、部屋の何処にもあの“インテリジェンスソード”の姿は見当たら無い。捜して、(セヴァーに訊いても良いけど、此処の住人にあれからどう成ったのかと尋ね為いと)、と考え、才人は立ち上がろうとしたが……。

「――いだっ!?」

 断末魔の蛙の様な声が、才人の喉から漏れた。

 引き攣る様な激痛が、才人の脇腹と足と腕と足首と首を同時に襲ったので在る。粗全身を覆い尽くすかの様な痛みを前に、才人は目を白黒させた。

 命は助かったのだが、酷い怪我で在る事に変わりは無いので在る。

 目を覚めてから今迄の夢の中の様に感じさせて居たあの激戦が、急激にリアルな輪郭を持って、才人を揺さ振る。

 ガタガタと才人は震え出した。抑えようとしても止まら無い震えに、才人は戸惑い、恐怖する。

 一歩間違えれば、死んで居たのだ。間違い無く、才人は九死に一生を得たので在る。例え其れが、世界からの強制力、修正力に従るモノで在ろうと。

「でも……寝てられ無えな」

 才人は、其の儘震えば治まる迄、ベッドに横たわって居たのだが。

「大人しくして居ろ、才人。デルフリンガーの代わりに答えられる範囲の事で在れば答えて遣る」

 才人は、(確かめ為ければ成ら成い。命を懸けた自分達の行動が、きちんと報われたかどうか知りたい)、と云った気持ちなどから、何度も起き上がろうとする。

 俺は、其れを制止しようと声を掛けるのだが、才人の気持ちは強く、止まる気配は全く無いと云えるだろう。

 才人は、「いだ!?」、「あいだだ!?」、などと叫び乍らも、どう遣ったら痛みに襲われずに立ち上がる事が出来るのだろうと、色々と試して居る。

 そうして居ると……。

「未だ動いちゃ駄目よ」

 子供が逃げて行ったドアの隙間から……清水がサラサラと流れる様な、涼し気な声が響いた。

 才人が、ハッ、とした様子でそちらの方を向く。

 其処には、ドアを開けて、流れる星の川の様な金髪の娘が居た。

 現れた少女の姿を見て、先ず才人の脳裏を過ったモノは……金色の光だった。

 先程の夢で、最後に見た金色の光と同じモノだと云えるだろう。

 あの輝きが、現実のモノと成って才人の目を焼こうとし、才人は慌てて目を凝らす。当然の事だが、実際に光って居る訳では無く、唯、其の少女が持つ印象が強過ぎる為か、在りもし無い光を感じて居るだけだ。

 其れ位、眼の前に現れた少女は、才人に(美しい)と云った感想を抱かせるに十分な魅力を放って居た。否、実際に、美しい、と云った言葉が似合う、其の言葉が陳腐にすら想えて仕舞うだろう程の神々しい美貌を纏って居る。

 才人は、取り敢えずと云った具合に、「はた、わだ、ほわだ」、などと声に成ら無い呻きを上げて、口をパクパクとさせた。

「どうしたの?」

 キョトンと首を傾げ、少女は問い返す。

「否、あの、別に、其の」

「駄目でしょ、セイヴァーさん。其の人、目覚めた時に無理し無い様に見てて、と言ったじゃ成いですか」

「ああ、すまないな。此奴が余りにも面白い反応をするモノだからな」

 言葉を選ぼうとして居る才人を他所に、少女は俺へと話し掛け、俺もまた其れに答える。

 そして、少女は少しばかり気後れしたかの様にモジモジとした後、意を決した様に深呼吸をして、才人に近付いた。

 少女は、粗末で丈の短い、草色のワンピースに身を包んで居るが、美しさを損ねる処か、逆に清楚さを演出して居ると云えるだろう。短い袖から細く美しい足が伸び、そんな足を可憐に彩る、白いサンダルを履いて居る。そんな少女の素朴な格好が、眩し過ぎる美しさを和らげ、親しみ易い雰囲気と印象を与えて居る。

 才人の側に辿り着くと、少女は無理に笑顔を浮かべた。貴男を安心させる為に頑張って作りました、と云う様な笑みだと云える。だが、美しさに支障を来たす事は無く、寧ろ人の良さが滲み出て居るとも云えるだろう。

「良かった。2週間近くも眠ってたから……目覚め無いと想って心配してたの……でも、セイヴァーさんの言った通り、本当に目覚めて呉れて良かったわ」

「そん何寝てたのか……」

 2週間近くも寝て居た事に驚く才人だが、彼は、眼の前の少女の美しさを前に更に驚愕した。

 陽光を纏って居る様に感じさせたのは、額の真ん中で左右に分けられた長い髪の所為で在る。波打つ金色の海で在るかの様な其のブロンドの髪は窓から漏れる陽光を反射して、首を傾げただけで、シャララと崩れ、彼女の頬の上を泳ぐのだ。

 作り込まれたCGの様な、完璧だと云える輪郭とシルエットを持つ顔を見て居ると、美しい、と想うと同時に、見る者を不安にさせるモノが有った。(之だけ綺麗な人間は、何かの間違い……神様の手違いで生まれたんじゃ?)、とも想わせる程で在る。

 そして……才人は生まれて此の方見た事が無い、彼女の金色の髪の隙間からツンと尖った耳が覗いて居る事に気付く。

 才人は、(随分と珍しい耳の形だな)、と想い乍らまたもや身体を動かそうとした其の刹那、先程のモノとは比べモノに成ら無いだろう程の激痛が、彼の脇腹に奔った。

「ふむ、痛いだろうな……瀕、否、かなり重症……だったからな。まあ、“痛みは生命活動の証”だ。無理せずユックリと治癒に専念する事だ」

 其の痛みを感じただろう事に依る才人の顔の歪みを見て、俺は才人に出来る限り優しい声色と口調で言葉を掛ける。

 そんな痛みと俺の言葉で、才人は急激に生きて居ると云う事――生を実感した。(自分は絶対死ぬ)、と想って居ただろうだけに、其の生の実感は、才人を思い切り揺さ振った。

 萎れた花が水を吸う様に、才人の中に安堵の感情などが滑り込んで来たのだ。其れは安心の激流だと云えるだろう。命が救かった、と云う、感情の激流で在る。

「そっか……生きてたんだ、俺……」

「何だ、御前。今此処で話して居る俺達を幻か何かだと想ったのか?」

「そんな訳無いだろう……」

 才人は、俺の言葉に軽く返し乍らも、目頭がジンワリと熱く成る事を感じる。

「あは。痛いって事は、生きてるって事だもんな。御前の言う通り、痛みは生命活動の証だな」

 目頭に涙を浮かべ、才人は呟いた。

「何、受け売りだよ」

 そんな才人の様子を見て、「あ、あの……包帯、キツく成い?」、と澄んた大粒の翠眼をパチクリとさせ、少女は才人に手を伸ばした。

 生を実感すると直ぐ、才人の中で、今度は眼の前の少女の美しさが現実の輪郭を作って心を震えさせた。簡単に云えば、(嗚呼、こんな綺麗な人に触ったら罰が当たる)、と想ったのだ。

 咄嗟にそんな風な事を感じてしまった才人は、ビクッ! と後ろに仰け反った。

 すると、少女の方もまた、ハッ! 、と目を見開いた。そして、髪の隙間から覗いた自身の両耳に気付き、両手で隠した。見る見る内に、其の頬が桃色に染まって行くのが一目で判る。

「ご、御免為さい」

「え?」

「でも、安心して。危害を加えたり、し無いから」

 才人は、そんな少女の言葉に、キョトンとした様子を見せる。

 少女は、才人が後ろに仰け反った事で怯えて居る、と誤解した様子だ。

「――違う違う! 其の、別に怯えた訳じゃ無いんだ。唯、君があんまり其の、き、き、きき」

「きき?」

「綺麗だから、其の……」

 才人は、そんな自身の台詞に、顔を赤くした。単純な事だが、女の子に「綺麗だ」と言う事に慣れて居無い為だろう。

 彼女は驚いた表情を浮かべる。

「綺麗?」

「う、うん」

「此の耳を見ても、そう想うの?」

 そう言って、少女は自身の耳を隠す手を退けた。

「うん」

 怪訝と云った表情で、才人は首肯く。

 どう遣ら才人は、此の少女の種族に気付いては居らず、(此の“ハルケギニア”には、“オーク鬼”遣ら“竜”遣ら、生き物とはとても想え無い“水の精霊”遣ら、奇妙な生き物が沢山居る。今更、尖った耳程度で、驚いたりは為無い。ま、そう言う人も居るんだろう)、位にしか想う事が出来て居無いのだ。

「……本当に、驚いて居ないの? 恐く成いの?」

 疑わしそうな表情を浮かべ、少女は才人を見詰めた。

「そうだな。綺麗な金髪だ。シオンに勝るとも劣ら無い、並んで居ると言えるだろう」

「そうそう。ホントのホントに驚いて無いし、恐くも無いよ。何で“恐くない?” 何て訊くの? 何吐うか、他に恐いのは沢山居るだろ。“ドラゴン”とか、“トロル鬼”とかさ」

 少女は、ホッ、とした表情を浮かべ、其の様な様子を見せる。

「“エルフ”を恐わがら無い人何て、珍しいわ」

「“エルフ”?」

 才人も、聞いた事が有る名前だ、と云う事で目を見開いた。才人は、記憶の底を探って、想い出そうとする。

 そう。此の世界――“ハルケギニア”に於いて時々、話題に昇る、“東方”に棲む種族の名前で在る。噂に拠ると凶暴で、“聖地”にも関連して居り、人と仲が悪いとも云われて居るのだ。

 才人は、(何んな恐ろしい連中何だろう?)、と想って居た様子だが、眼の前の少女は其の様な評判とは程遠く、才人もまた安心した様子を見せる。

「そう、“エルフ”。私は混じり物だけど……」

 自嘲気味に少女がそう呟く。すると、青磁の様な顔に、憂いの影が浮かんだのが見えた。

「そうだ。御前にも理解り易い形で説明を簡単にして遣るとだな……“地球”での伝説や伝承、神話などを始めゲームに出て来る種族の1つで在る“エルフ”。其れが此処“ハルケギニア”には実在して、そして彼女は混じり物――“ハーフエルフ”だ」

 俺の説明を聞き乍らも、才人は、“日本”で遊んで居たRPGの事などを想い出し、「成る程」と首肯き、そして、(然しまあ、うっとりする様な憂い顔だ)と感じて居るだろう様子を見せる。

 暫し、見惚れた様子を見せた後に才人は、(おい才人、美少女鑑賞を楽しんて居る場合じゃ無い。気に成る事が沢山有るじゃ成えか。どう遣って、俺は救かったんだろう? 戦争はどう成ったんだろう? ルイズは? シエスタは? 皆は? でも、先ずは目先の事だ。後で追々訊けば良い)、と想い直し考えた。

「セイヴァーと、君が救けて呉れたのか?」

 才人は身体に巻かれて居る包帯を指指して問うた。

 少女は、「ええ」、と首肯いた。

「そっか……有り難う。ホントに有り難う」

 幾ら礼を言っても足り無い位で在ると云った風に、何度も、才人は御礼を述べた。

 少女ははにかんだ様な笑みを浮かべた。どう遣ら、才人と会話を交わすのが照れ臭い様だ。気後れする位の美貌の持ち主で在るのにも関わらず、随分と初心らしい。まあ、才人も俺も初心で在るのだが。

 そんな彼女の仕草を見て、つい頬が緩みそうに成って仕舞うのだが、才人は堪えた。そして、(でも……)、と才人の中で何かが引っ掛かった。(ちょとと、可怪しく成えか? 彼女が俺を救けた? おいおい、俺達は110,000の軍勢に突っ込んだんだぜ? 見た所、少女は普通の村娘の様な格好をして居るし、どう遣って大軍の中から、彼女は自分を救ける事が出来たんだろう? セイヴァーはどう遣って、あの大軍から抜け出て、俺を救け、此処に居るのだろう?)、と云った具合な疑問が才人の中で、猜疑心が芽生え、渦巻き始める。すると、才人は、眼の前の少女の美しさが、何か含みを持たモノに感じられ始めた。(若しかしたら、此の“エルフ”女、敵何じゃ成えの? 俺を安心させて、何らかの情報でも引き出そうとしてるんじゃ……)、と云った風に。

 そう想い始めると、才人は、眼の前の美しい少女が敵の罠に見え始めた。映画や漫画では、スパイは綺麗な女性と相場が決まって居ると云える傾向が在る。其の上、此方の世界に来てルイズに出逢い、才人は1つの真理地味たモノに到達して居たのだ。可愛いからと云って中身もそうとは限ら無い。そう云う真理で在る。身体を張って得た、実例に満ちた、揺るぎ様の無いだろう真理で在る。そんな真理なども相まって、才人の中で、彼女に対する疑問が膨れ上がる。

「むむむ……」

「どうしたの?」

 才人は、えー、こほん、と咳をすると、冷静な声を作り尋ねた。

「救けて呉れた事については、ホントのホントに感謝する。でも1つ訊いても良いかな?」

「どうぞ」

「森に倒れてたから、此処に運び込んだの」

 少女の言葉に、才人は(森に倒れてた? 俺は、大軍の中で斃れたんだぞ? 何で森何だよ?)、と目を細め、少女を疑いの眼差しで見詰めた。

「じゃあ次は、セイヴァー」

「何だ?」

「御前はどう遣って、あの大軍の中から抜け出た? そして、俺が倒れてたらしい其の森に来れたんだ?」

「何、実にシンプルな事だよ。大軍から戦意を喪失させたからどうにか成っただけの事だ。森に関しても、其の場所しか無いだろう、と考えて居た。証人も確りと居るから安心しろ」

『本当だろうな?』

『本当だとも』

 態々、気取られる事も気付かれる事も無い様に念話で俺へと確認をしに来る才人。

 才人の表情は猜疑心などに満ち溢れたモノで在るが、どうにか俺が念話で返答をした為に信じはした様だ。

 其れでも、此の場の雰囲気は少しばかり重いと云えるだろうか。

 そんな中で、気不味い雰囲気を感じたのだろう……。

「じゃ、じゃあ、食事を持って来るわね」

 少女は執り為す様にそう言って立ち去ろうとする。

 其の腕を、才人は掴み止めた。

「俺の剣を何処に遣った?」

「ああ、貴男の側に在った剣? あのね、あの剣ね、何だか知ら無いけどね、騒ぐのよ。貴男を起こすと行け無いと想って、向こうの部屋に置いて在るけど……」

 ピクン、と才人の眉が跳ねた。

「デルフが騒ぐのは、何か理由が在る筈だ」

「“理由が在る筈だ”、何て言われても……」

 困った様な声で、少女はそう言った。

「確かに、デルフリンガーが騒ぐには何かしらの理由が有るだろうな。だがな、其奴の行動もまた気遣いに依るモノだ。責めて遣るな」

「あ、ああ……」

 俺からの言葉に、才人は戸惑った様子を見せる。

 其れから、少女は、自分の腕を握って居る才人の腕を見て、恥ずかしそうに唇を噛んだ。

「あ、あの……御願い、其の、手……」

 少女は、才人の手を振り解こうと藻掻いた。

 然し、才人は訊き出したいのだろう離さ無い。痛みに顔を顰めつつ、華奢な少女の腕を引き寄せる。

 すると、増々少女の頬が赤みを増して行くのだった。

「あの……離して……御願い」

「ズバリ言いましょう」

 然し才人と来ると、既に犯人を追い詰める名探偵気分全開の様子で在り、随分と困った性格をして居ると云えるだろう少年だ。死ぬ様な目に遭ったと云うのに、こう云う切無い部分は治ら無いらしい。馬鹿は死んでも、や、三つ子の魂百迄と遣ら、の様なモノだろう。

「君は“アルビオン”軍だね。言って御覧、“わたし、ア・ル・ビ・オ・ン”」

「ち、違うわ。其りゃ“アルビオン”人だけど、軍とは何の関係も無いわ」

 怯えた様子で、少女は首を横に振る。

 然し、探偵気分の才人は、すっかり彼女が“アルビオン”軍の手の者だと疑って仕舞って居る。

「貴女は、俺が“森の中で倒れて居た”、そう言いましたね? 所我ですな、俺は、敵軍のど真ん中で意識が失く成ってたんですな! 之が!」

「そ、そん成の私知ら無い……」

「吐き為さい」

「あ……!?」

 少女は、才人に腕を引っ張られバランスを崩した。其の儘、才人の太腿の上に倒れ込んで仕舞う。

「吐け! って、え?」

 瞬間、才人の顔が蒼白に成った。

 何かが、才人の太腿の上で、ぐにょ、と潰れたので在る。

 探偵気分と少女や俺への疑問が吹き飛んだのだろう、(おい才人、尋ねるぜ。今、太腿の上で潰れた物体は何だ?)、と云った具合に別の疑問が才人の心の中で膨れ上がって行った。(……胸? 位置的には胸で在る。然し……とてもじゃ無いが、胸とは想え無い。こんなサイズの胸は、在っては成ら無い筈で在る。そう、在っては成ら無いので在る。普通だったら“胸が在る部分に、何かを入れて居る人だろうか?”)、と才人は煮えつつもどうにか想像をした。(大きなふかふかのパンとか。縫い包みとか。ええと、丸めた座布団とか。んな訳無い。と成るとやはり、之は胸だ。自然界の法則を無視した、良け無い胸だ)、とも考えた。

 彼女の横顔が、才人の目にチラッと入る。

 彼女は真っ赤に成って仕舞って居る。羞恥と緊張からだろう、もう喋る事も出来無いで居る様子だ。腕を才人に握られて居る為に、どうにも立ち上がる事が出来無いでも居る。其れでも健気に、少女は立ち上がろうと藻掻いた。

 才人は苦しく成ったと云った様子で、自身の喉を押さえた。(そ、そんな事されたら。俺は。嗚呼、俺は……)、と考えて居るのだろう。

 才人の太腿の上に在る、柔らかくズッシリとした物体がウネウネと形を変える。

 才人は口を開けて、そんな少女を見詰める。才人は、心臓の弁が突き破れ、勢い余った血液が鼻から吹き出そうな錯覚を覚えた。だが、鼓動のスピードは確かに激しいドラムを叩き出し、才人の中で熱狂のライブを開始した。

 細い金色の髪の隙間から覗く尖った耳を見詰め乍ら……才人の頭の中で、(でけえ)と云う感想の3文字がスパークでもする様に浮かび上がる。そして、(そう、之を言う成らば……胸革命(バスト・レヴォリューション)だ。其れは正に……胸のサイズの革命だな。身体の線に比しての、此の大きさは完全に反則だ。此の“エルフ”少女、身体は細い。こうして倒れた身体を上から見ると良く理解る。足首も細い。腕も細い。首も、腰も、全部が細い。だが……胸だけが常軌を逸して居る。胸が身体に、叛旗を翻して居る。吐うか胸のサイズに関する法律が在った成ら、無期懲役は間違い無いな。否、死刑かも知れ無い。少なくとも、ルイズが裁判官だったら死刑だろ。嗚呼、ユッタリした服を着て居たので判ら無かった。あああ、華奢な腕成ので、身体全体もそうだろうと無意識の内に当たりを付けてたよ。嗚呼、あああ、自分、胸のサイズなど、正直舐めて居ました)、と考えた。

「あ、や……は、ん」

 と何だか艶めかしい声を上げ乍らも、少女は藻掻いた。

 才人は、(此の野郎、身体は細いのに、何で胸だけが可怪しいのだ。きっと胸に栄養が集まったんだろうな、どう言う原理が働いて居るんだろうな? 何時か理科で習った、“メンデル”先生自分に教えて下さい……優性遺伝の法則の見地から、此の奇跡を説明して下さい……)、と煮え切った頭で考えて居る。

「御姉ちゃんが大変だ!」

「テファ御姉ちゃんに何してるんだ!?」

「御姉ちゃんに変な事するな!」

 扉の隙間から、ジッと部屋の中の様子を窺って居たのだろう。先程、才人と、“霊体化”して居た俺の側に居た子供達が、ドッと部屋に雪崩れ込んで来た。

「ティファニア御姉ちゃんから手を離せ!」

 此処で漸く、才人は、“ハーフエルフ”の少女がティファニアと云う名前で在る事を知る。

 子供達は、彼女の腕を握り締めて居る才人を、ポカポカと殴り始める。

「え!? 否! 其の! ちが! 違うんだ子供達!」

 才人は返って言い訳をしようと努めたのだが……子供達の勢いは激しかった。

 此の少女――ティファニアは、子供達の宝物でも在る様な存在で在る。

 才人は、痴漢容疑で取り押さえられる哀れな男性の様に、正義感の強い子供達に攻撃を喰らって仕舞う。

「ちょっとした誤解何だ! 此の人、胸が可怪しいからの其の! 俺、驚いちゃって! だから違うんだ! 驚いただけで、襲うとかそんな事は之っぽっちも!」

「違わ無い! どう見たって変な事しようとしてる!」

 尤もな感想を、在りの儘の事を、1人の子供が言った。

「悪者! 退治して遣る!」

「セイヴァーさんもセイヴァーさんだよ。どうして止め無かったの!?」

「否くく、ああ、否すまない。余りにも才人の反応が愉快だったのでな」

「待った! 悪かった! 其の! ぎゃ!?」

 幼い金髪の女の子に「之でも喰らい為さい!」と、強かにフライパンで殴れた。

 才人は、(そう言えば、夢でもフライパンで殴られたな)、とどうでも良いだろう感想を抱き乍ら、再び無意識の世界へと旅立って行った。

 

 

 

 痛む頭を擦り乍ら、才人は再び目を覚ました。

 ティファニアが扉を開けて、部屋へと入る。

 彼女は恐縮した様子で、「先刻は、こ、子供達が御免為さい……言い聞かせて置いたから……あの其の、変な事はされて無いよって」

 ティファニアの後ろから、俺はデルフリンガーを持ち乍ら、彼女に続いて部屋へと入る。

「否々、子供達の反応は尤もなモノだ。あれは才人が悪いな」

 俺はそう言って、デルフリンガーをベッドへと立て掛ける。

「デルフ!」

「いよぉ相棒……遣っと目が覚めたか。良かった良かった」

 デルフリンガーは、才人に、気を失ってからの出来事を掻い摘んで説明をした。

 将軍を遣っ付ける寸前で斃れた事。

 デルフリンガーが、吸い込んだ“魔法”に込められた“精神力”を蓄積して其の分だけ使い手で在る“ガンダールヴ”を動かす事が出来る、能力で、森の中迄逃げた事。

「セイヴァーの御蔭で、どうにか森の中迄逃げる事は出来はしたが、おりゃあ、途方に暮れてたのよ。ぶっちゃけ相棒、死んでたんだよ。心臓も止まってたし。参ったなあ、折角仲良く成れたのに、死んじまい遣がった。嗚呼オイラどうしようデルフどうしよう伝説困ったなあって」

「良く救かったな……」

 と才人は、改て己の身体をマジマジと見詰めた。

「相手してよ」

「黙れ。そんな能力が有った癖に黙ってんじゃ無えよ」

「忘れてだんだもん……おりゃあ、忘れっぽいのよ。でも相棒死んじまって哀しかったぜ。やっぱり相棒は相棒だもんよ。否、伝説じゃ無く成っちまったって、相棒は相棒……」

 歯切れの悪そうな調子でそう言ったのだが、もう、才人はそんなデルフリンガーの繰り言を聞いて居無い様子だ。

 痛む身体を誤魔化すかの様に、俺へと目を向ける。

「って事は……君が、“アルビオン”軍の手先と云うのは……」

 震える声で呟く才人に、ティファニアは(もう気にして無いよ)と云った様子で苦笑を浮かべる。

「否、中々に愉快だったぞ才人。貴様の見当違いと鼻の伸ばし様と来ると」

「何だよセイヴァー、言って呉れれば……ああ、ホントに御免っ! 俺……救けて貰った癖に、敵の罠だ何て疑って……」

 誂う俺に反応を返して直ぐ、才人は思いっ切りティファニアへと頭を下げ謝罪の言葉を口にする。

「え? 良いのよ。そんな、あの、気に為無いで」

 照れた様な表情などで、ティファニアが呟く。

「でも、あれだけの怪我が良く治ったな……」

 一息吐くと、才人は、持ち前の好奇心が頭を持ち上げた様子を見せる。才人は気に成って居ただろう事を、尋ねた。

「良かったら、教えて呉れ成いか? 殆ど死んでた状態の俺を、一体何な“魔法”を使って治したんだ?」

 言おうか言うまいか、ティファニアは迷う素振りを見せた後……指輪を見せた。

 燻んだ銀の台座のみの、古ぼけた指輪で在った。

 以前は石が嵌まって居たのだろうが、銀の台座から爪が4本出て居るのが見える。

「此の指輪で治したの?」

 才人の確認に、ティファニアはコクリと硬い表情を浮かべて首肯いた。

「凄え指輪だな! あんな大怪我を治しちまう何て! 之が在ったら、怪我や病気で死ぬ人何か居無く成るな!」

 才人の言葉に、ティファニアは首を横に振った。

「其れはもう、無理」

 才人が「何て?」と不思議そうな表情を浮かべると、フェルフリンガーが言った。

「“先住の魔法”だ。“エルフ”の宝、そんなとこかい? “ハーフエルフ”の娘さんよ」

 ティファニアは、驚いた表情を浮かべる。

「おやおや“何で知ってるんだ?” って顔だねえ。何せ随分長く生きてるもんでね。ちょっとばかり物知り成のさ」

「そう……成ら話しても理解るわね。此の指輪は、剣さんの言う通り、“先住の魔法”の“水”の力が込められた、否込められて居た指輪。名前は判ら無いけど……死んだ母から貰った形見の品よ」

「母親が、“エルフ”だったのかい?」

 デルフリンガーの質問に、ティファニアは首肯いた。

「何だ、何遣ら込み入った事情が有りそうだね。まあ、詳しくは訊か無えが……でも、台座しか無いってこたぁ、込められた“魔力”を使い果たしちまったみてえだね」

「其の通りよ。“水”の力が込められた石が此処に待ってたんだけど、遂々(とうとう)“魔力”を使い果たして溶けちゃった。だから台座しか無いの。兎に角、之で打ち止めって訳。もう、死ぬ様な怪我は為無いでね。治せ無いから」

 才人は、心底申し訳無いと云った気分に成って仕舞った。

 ティファニアは母親の形見の大事な指輪を使用して、才人を治したのだ。

「ティファニアさん……だっけ?」

「ティファニアで良いわ。セイヴァーさんもそう呼んで呉れてるし。呼び難かったら、テファで構わ無いわ」

 美の化身かと見紛う様な笑みで、ティファニアが言った。

「じゃあテファ。ホントのホントに、其の……俺、何て御礼を言って良いか……そん成に大事な指輪成のに、俺何かを治す為に……」

「え? 良いの良いの! 道具はね、使う為に在るのよ!」

 ティファニアは慌てた口調で言った。

「そっか……」

 才人はガバッ! と顔を上げた。

「俺、御礼が出来る様なモノ、何も持って無いけど、ちょっとした力が有るんだ」

「相棒」

 困った声と調子で、デルフリンガーが呟く。

 が、無視して、才人は続けた。

「詳しくは話せ無いけど、何でも“武器”を操れるんだ! だから、何か困ってる事が在ったら言って呉れ! 例えば、猛獣が村を襲うとか、怪物に夜道を狙われてるとか……」

 才人はベッドの上から、ティファニアの手を握った。

「い、今の所は……」

 と苦笑を浮かべて、ティファニアが呟く。

「まあ見てろって! こう遣って“武器”をね! 掴むとね! 左手の“ルーン”が光ったりしちゃう訳何だな! 之が!」

 才人は、手を伸ばしてベッドに立て掛けられたデルフリンガーを掴んだ。

「あ、相棒……」

 デルフリンガーは、やはり困った様な声を出す。

「ほら! こう遣って剣を握ると、左手の“ルーン”が……って、あれ?」

 デルフリンガーを握ったと云うのに、何も光ら無い為に、才人はキョトンとした様子を見せる。何時もで在れば、左手の“ルーン”が輝き出し、羽でも生えたかの様に身体が軽く成るのだが……。

「ど、どうしたんだ?」

 慌てて左手を見詰め、才人はあんぐりと口を開けた。

「ルルル……」

「否な? 相棒。だから言っただろうが。伝説じゃ無く成っちまっても、相棒は相棒だって。そうゆう関係何吐うの? 友達? だからあんまり気を落とす無よ。ちゃんと相手はして遣るから。舐めるけど……」

 執り為す様な、デルフリンガーの声と調子。

「“ルーン”が無えッ!?」

 才人は絶叫した。

 其処に書かれて居る筈の、“ガンダールヴ”としての印が、跡形も無く消えて居たのだから。



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神官の訪問

 才人が目覚めた日から、1週間が過ぎた……。

 1匹の“ウィンドドラゴン”が、“トリステイン魔法学院”の中庭に降り立った。

 中庭で談笑をして居た生徒達が、一斉に振り返る。

 其の背に跨って居た少年を見て、女生徒の間から溜息が漏れた。

「見て! 何て綺麗な髪かしら!」

「此方を見たわ!」

 其の少年の目に気付き、女生徒達は一瞬だけ、怯えた様な様子を見せる。

 少年が持つ左右の目の色が違うのだ。

「“月目”だわ」

 1人の少女が呟く。

 左右色が違う瞳――オッドアイは、此の“トリステイン”では2つの月に擬え、“月目”と呼ばれるのだ。迷信深い地方では不吉なモノとして忌み嫌う者も居れば、また、神性的なモノとして崇拝する者も居る。

 然し……“竜”に乗って遣って来た少年は、ウットリと見詰め続けて仕舞いそうに成る程に美しい。

「やだ……何処の国の“貴族”かしら? まるで妖精だわ!」

 “ロマリア”の神官、そして“ライダー”の“クラス”で在る“サーヴァント”、ジュリオ・チェーザレで在る。

 女生徒達はキャアキャアと騒ぎ始める。

 ジュリオはそんな騒ぎなど意に介した素振りを一切見せる事も無く、“ウィンドドラゴン”の上から颯爽と地面に降り立とうとするのだが……。

 転けた。

 地面に頭から突っ込み。減り込んで仕舞う。

 女生徒達は、唖然として顔を見合わせ、然る後にジュリオに駆け寄った。

「大丈夫……ですか?」

 ジュリオは地面に横たわった儘、ニッコリと笑った。何ともはや魅力的な笑みで、転けた見っとも無さと、其の笑顔のギャップに遣られ、女生徒達は更に参って仕舞ったと云った様子を見せる。

「御顔に土が……之を御使い下さい……」

 と1人の少女が、そんなジュリオにハンカチを手渡そうとすると、他の少女達も顔色を変えた。

「こ、此方を御使い下さまし!」

「此のハンカチには良い香りが付いて居りますの!」

 だが、そんな女生徒達の気持ちを知ってか知らずか、ジュリオは笑顔で断る。

「御気持ちだけで結構」

「まあ! だって其の麗しい御顔立ちに土の化粧は似合いませんわ!」

「良いさ。ちょっと位」

「でも……」

「こないだの戦争が終わってから此方、顔を洗って無いんだよ。だから見た目以上に、汚いのさ」

 ジュリオは手を振った。

「3週間近くも? まさか!?」

「顔を洗うのが嫌い何だよ」

 ジュリオの其の言葉に、笑い声が巻き起こった。

「レディのハンカチを汚して仕舞う訳には行か無いから、遠慮蒙ります」

 ピョコン、と立ち上がってジュリオは一礼をした。

「いやーん! 身も軽く居らしゃっるのね!」

 女生徒達の間から、またも歓声が沸いた。

 そんな女生徒達の様子を、苦々し気に男子生徒達は見詰めて居る。

 1人の男子生徒が挑戦亭な笑みを浮かべて、ジュリオに近付いた。

 女生徒の1人が、「ベリッソン様!」、と叫んだ。

 “トリステイン魔法学院”きっての色男の1人、3年生のペリッソンで在る。彼は古代の彫刻で在るかの様な完成されたと云える美貌を持って居るのだが、唯欠点を挙げるとすれば、愛嬌に欠けて居る人物で在った。嫉妬深い彼は、突然現れた人気者が、どうにも腹に据え兼ねたので在る。

 ジュリオを腕を組んで睨み付けたペリッソンは、胸元に提げられて居る“聖具”に気付いた。

 ふんと、小馬鹿にした笑みをペリッソンは浮かべた。

「御坊さん、御布施を強請りに来たのかね?」

 臆した風も無く、ジュリオは言葉を返した。

「友達に逢いに来たんですよ」

「此処は“貴族”の学び舎だぜ。辻説法成ら他所で遣って呉れ為いか」

「貴男に指図される覚えは無いですよ」

 ペリッソンの額に、青い筋が浮かび上がる。彼はジュリオが“杖”を持って居無い事を見て取ると、スラッと、長柄の“杖”を引き抜いた。騎士の真似事でもしたい年頃成のだろう、柄の付いた拵えをした、真新しい“杖”で在る。

「先刻の口振りだと、君も“アルビオン戦役”に参加したようだね。御坊さん」

「ああ」

「“ナヴァール連隊”の連絡士官を仰せ付かった。君は?」

「雑用だよ」

 と、ジュリオは手を振り乍ら事も無気に言った。

「“竜”の世話ばかりして居た様な気がするな。後は御負けみたいなもんかな。うん」

「神官風情には似合いの仕事だな」

 ペシペシと“杖”の先で、ペリッソンはジュリオの顔を叩く。

「僕の頭を叩くと言う事は、神と“始祖ブリミル”に対し、侮辱を加えると言う事ですよ。士官さん」

「神に対して侮辱を加えて居る訳では無い。“貴族”の真似事をしようとする神官風情に、何、“貴族”の作法を教えて居るだけさ。侮辱と言う成ら、払って見せ給え」

「君の何処が“貴族”だい? 何、外面は“貴族”かも知れ無いが、中身は唯の嫉妬屋じゃ成いか」

 ペリッソンの顔が、ジュリオの言葉を受けて赤く成った。

 集まった女生徒達が、怯えて後退る。

「“魔法”も使えぬ癖に!」

 そうペリッソンが叫んで“呪文”を唱えようとした時……。

 ジュリオの後ろで御座りをして居た“ウィンドドラゴン”が、ガバッと跳ね起きて、ペリッソンに跳び掛かった。

 一瞬の出来事と云え、ペリッソンは何の抵抗も出来ずに大きな“ウィンドドラゴン”に組み伏せられて仕舞う。

「こ、こら! 卑怯だぞ! “竜”何か使い遣がって! ぐがッ!」

 ペリッソンは、大きな身体を持つ“ウインドドラゴン”に背中を踏み付けられて仕舞い、悶絶をする。

「“魔法”が使え無いんだ。“竜”を扱う位、許して呉れよ」

 そんな騒ぎを繰り広げて居ると、騒ぎを聞き付けただろうシュヴルーズが小走りで駆け寄って来た。

「何々ですか!? 何成のですか!? やっと戦争が終わったと想ったら、今度は中庭でおっ始まったと言うの!? 冗談じゃ無いですわよ!」

 シュヴルーズは、突っ立って居るジュリオに気付き、目を丸くした。

「あらあら、外国人じゃ在りませんか! 誰の許可を得て、入って来たのですか? 御負けにこんな“竜”など持ち込んで!」

 一気に捲し立てるシュヴルーズの手を取ると、ジュリオは優雅に一礼した。

「……え?」

 手を取った儘シュヴルーズの顔を覗き込むハンサムな其の顔に、シュヴルーズは年甲斐も無く顔を赤らめた。肉体の年齢と精神の年齢が常に同じとは限ら無いのだ。

「申し訳有りません。唯、友人に逢いに来ただけ成のですが……」

「あ、あら、そう成の? 何方?」

「はい。ミス・ヴァリエールとミス・エルディです。美しい貴女に、彼女達の御機嫌を御窺いする許可を頂きたいのですが」

「美しい? 私が?」

「はい。我が祖国“ロマリア”には、“聖女”が描かれた古代のイコン(宗教画)が沢山存在します。貴女が現れた時、其のイコンから抜け出た聖女と見間違えてしまいました」

「まあ!? 聖女! そんな!」

 シュヴルーズは、燥いだ声で叫んだ。

「“学院”内に立ち入っても宜しいでしょうか?」

「神官様に、聖女と言われれては断れませんわね! あ、之を御持ちに為って下さいな!」

 シュヴルーズは夢を見て居るかの様な様子でサラサラと面会の許可を紙に書き留め、ジュリオに手渡した。

「有難う御座います。あ、出来れば“竜”の世話を御頼みしたいのですが」

「は、はいっ! 御任せ下さい!」

 シュヴルーズは、敬礼せんばかりの勢いで直立をした。

 そして、許可証が1枚だけと云う事に、ジュリオは訝しむ。

「ふむ、ミス・エルディは居無いのですか?」

「はい。ミス・エルディは、つい此の前、休学届を出し、“学院”を出ました」

「そうですか。アズーロ! じゃあ行って来るよ」

 キュイ、と一声鳴いて、“ウインドドラゴン”で在るアズーロは主人に首肯いて見せた。

 去って行くジュリオの背中をウットリと見詰めて居るシュヴルーズを、女子生徒達が冷たい目で睨む。

「な、何を見てるんですか!?」

「いえ……先生も女性だったんですねって。そう言う」

「きょ、教師を誂うもんじゃ在りませんよ! 後貴男! 何時迄も地面で寝てるんじゃ在りません! 神官様の“竜”の足の下から、早く退き為さい!」

 “ウィンドドラゴン”に踏まれて呻いて居るペリッソンを、顔を真っ赤にしたシュヴルーズは怒鳴り付けた。

 

 

 

 

 

 トントントン、とドアがノックされて、ルイズはボンヤリと目を開けた。

「誰?」

 と、ルイズが問い掛ける。

 暫しの間が在って、「俺だよ。俺」、と返事が在った。

 其の声を聞くと、ルイズは跳び上がった。然し……(幻聴に違い無い。余りにも求める余り、脳が勝手に声を作り出したのだ)、と想い直して毛布を引っ冠る。

「開けて呉れよ。俺だってば」

 再び声が響いた。

 ルイズは毛布からゆっくりと顔を出し、扉を見詰める。

「本物?」

「偽物の俺が居る訳無いだろ? 良いから早く開けろっ吐の」

 ルイズは其処で跳ね起きた。薄いネグリジェ姿の儘ベッドから飛び出し、牴牾しい手付きでドアを開けた。

 彼女が、夢に迄見た顔が、其処に立って居た。

「サイト……」

 ヘナヘナと、ルイズは床に崩れ落ちた。

 才人はニッコリと笑ってしゃがむと、そんなルイズの肩を抱いた。

「遅く為って御免な」

「ば……」

「ば?」

「ばかぁ……」

 ルイズの目から、涙がポロポロと溢れ出た。

「すっごく、すっごく心配してたんだから……死んだんじゃ成いかって、物凄く心配してたんだから……えぐ、ひぐ、えっぐ」

 ルイズは泣きじゃくった。

 才人は優しく、そんなルイズを抱き締めた。

「御免な……ホントに御免。必死に逃げ出した迄は良かったんだけど、帰りの“フネ”を探すのに手間取っちゃってさ」

 とても優しい声で、才人はそう言った。

「何で、何で私達を置いて2人で行ったのよ? 馬鹿。馬鹿馬鹿」

 ルイズはポカポカと才人の胸を殴り付けた。

 困った様に才人は鼻を掻くと、「だって、御前達を死なせる訳には行か無いだろ?」、と答えた。

「恩知らずの私の事何か放って置けば良いじゃ無いのよ……」

「そう云う訳には行か無えよ」

 才人は言った。

「どうして?」

 ルイズは尋ねた。

「好きだから」

 真っ直ぐにそう言われた事で、ルイズは頬を染めた。

「ば、ばっかじゃ成いの。私はあんたの事何て、好きでも何でも無いわ」

「声が震えてるよ」

「震えて無いもん」

「俺の事が好き何だろ?」

 自信足っ振りにそう言われた事で、ルイズは俯いた。こう云ったストレートな言葉に、ルイズは弱いので在る。

「ば、馬鹿。何であんたの事何か、好きに為ら成くちゃ成ら成いのよ?」

「顔がそう言ってるよ、ほら、もう真っ赤だ」

「言って無いもん。赤く無いもん。好き何かじゃ無いもん」

「俺に押し倒して欲しくて、こんな衣装を着てるんだろ? 何だ之。恥ずかしいなあ」

 気付くと、何時の間にかルイズは此の前の黒猫衣装を身に纏って居た。

ルイズは其れを不思議に思い乍ら、慌てて否定の言葉を口にした。

「ち、違うもん。唯、“使い魔”の真似しただけだもん。黒猫だったら判り易いって、あのボロ剣が言ったから、そうしただけだもん」

 ルイズは才人に抱き竦められて、ベッドの上に押し倒されてしまう。

「……あ」

 ルイズは何か文句を言おうと想ったのだが、出て来るのは熱い吐息ばかりで在る。

 才人の顔がルイズの顔へと近付く。

 ルイズは抵抗しようと想ったのだが、目を瞑ってしまう。そして、「あわ、あわ、あわ……」と呻く内に、才人から首筋にキスをされ、ルイズはふわふわ気分に成って仕舞った。

 ルイズが「ふわ、ふわ、ふわ……」と騒ぐ内に、才人に依って唇を塞がれて仕舞う。

 ルイズは才人をギューッと抱き締めた。そして、(何でこん何此奴ってば自信足っ振り成のかしら? 私ってば、こんな風に抱き締められたかったのかしら? 違うわ。違うもん。でも、身体が言う事を利か無い。包まれる様に抱き竦められ、死んじゃう位に気持ち好い)、と考える。

 兎に角ずっとこうして居たいと云った気持ちに成り、ルイズは才人の胸に頬を埋めた。

 すると……。

「ホントの猫だったら、こん成の着けて無いだろ?」

 サラッと軽い口調で、才人はルイズの黒猫衣装を剥ぎ取った。胸を隠す部分で在る。

「や……や!」

 咄嗟に、ルイズは自身の胸を隠した。

 ルイズは驚いた顔で、才人を見上げる。何時もで在れば問答無用で殴ったり蹴ったり怒鳴ったりする所だが、口を突いたのは、甘える様な声だった。

「や、やだぁ……」

 ルイズはそう呟き、視線を才人からズラす。

「見せて」

 すると、アッケラカンと大胆に、才人はそんな事を言うので在った。

「ば、馬鹿……そんな……駄目よ。駄目」

「どうして? 昔は恥ずかしがらずに、平気で着替えてたじゃ成いか」

「だ、だって……あの頃は“使い魔”だったから……」

「今だって“使い魔”だよ」

「そ、そうだけど、今は違うもん」

「どう違うの?」

 う……とルイズは口篭る。

「と、兎に角、今は駄目成の」

「何で?」

「だって、其の……」

「言って御覧」

 今の才人の言葉は、ルイズにとってはまるで催眠の呪文に近いモノだった。

 ルイズは魔法を掛けられたかの様に、正直に想って居る事を口にして仕舞う。

「……ちゃいの」

「ちゃいの?」

「ち、ちっちゃいの。だから駄目」

 ルイズは顔を真っ赤にして、どうにか其れだけを言う事が出来た。

「知ってるよ」

「……ホントにちっちゃいの。って言うかね、無いの。だから、見たら、サイト私の事嫌いに成っちゃうもん」

「成ら無いよ」

「成るもん。知ってるもん。あんたってば、いっつも他の女の子の胸見てるもん。姫様とか、メイドとか、ジェシカとか……あん成のに比べたら、私の何か」

「ルイズが見せて呉れたら、もう見無いよ」

「ホント?」

「うん」

 熱っぽい目でそう言われ、ルイズの腕から力が抜けた。

 慌てた声で、ルイズは言った。

「見るだけ。見るだけだからね? 変な事したら、しょ、承知し無いんだから」

「し無いよ」

 才人はルイズの手を掴んで、ユックリと上に持ち上げる。

 ルイズは恥ずかしくて死にそうに成って、目を瞑った。

 ルイズにとって永遠に感じるかの様な時間が過ぎる。

「……ど、どう? 小さい? そうでも無い? 平均値?」

 在り得無い感想を、ルイズは要求した。

 然し、返事は無い。

「な、何か言い為さいよ。もう」

 ルイズは急かす様にそう言うのだが、其れでも答えは無い。

 才人が何も感想を言わ無い為、(嗚呼、やっぱり見せるんじゃ無かった! ホントに平原成ので、サイトは呆れたに違い無い)とルイズは不安に成った。

「ルイズ」

「な、何よ……馬鹿……だから嫌だって言ったじゃ成い……」

「ルイズ」

 再び才人に呼び掛けられ、ルイズは怒鳴った。

「煩い! 馬鹿! もう見無いで!」

 ルイズは其処が夢の中で在ると云う事に未だ気付いて居無かった。

 同じ様に夢で出逢いを求める……才人とルイズは似た者同士で在ると云えるだろう。

「どうせ小さいもんッ! 馬鹿にしてッ! もう絶対見せ無いんだからッ!」

 部屋に、ルイズの寝言が響く。

「俺が好きだから、良いんだよ」

 夢の中での才人にそう言われ、夢の中でのルイズの身体から力が抜けた。

「ホントに好き?」

「うん」

 優しく、其れで居て自信に満ちた言葉……。

 ルイズは、(私も言わ為くちゃ。大事な言葉、サイトに言わ為くちゃ)、と想うのだが……やはりいざと成ると中々口に出来無い。其れでも勇気を振り絞り、其の言葉を言おうとした時……。

 ルイズは目を覚まして仕舞った。

「……あれ?」

 眼の前には当然才人は居無い。格好もネグリジェの儘で在る。

 ルイズは、「夢か……」、と疲れた声で呟いた。

 夢の中でも、大事な言葉を口にする事が出来無かった。

 其れがルイズにとって、哀しい事で、其れに気付き、両手で顔を覆う。

 すると……。

「ルイズ」

 部屋の隅から名前を呼ばれて、ルイズはハッとして振り向く。

 金髪の美少年が、壁に凭れる様にして立って居る。

「……ジュリオ?」

 “ロマリア”の神官、ジュリオで在る。

 ジュリオは目立つオッドアイ――“月目”で、ルイズを興味深そうに見詰めて居るのだ。

 ルイズは毛布を引き寄せた。

「どうして貴男が此処に居るの?」

「君に逢いに来たんだよ。随分と楽しい夢を見て居たみたいだね。“もう見無いで!”、“どうせ小さいもん!” って。一体、何を見せて居たんだい?」

 ルイズは、耳迄真っ赤にしてしまう。

「勝手に入っちゃ、駄目じゃ成い。此処は戦場の天幕じゃ無いのよ」

 感情の込もって居無い声で、ルイズはそう言った。

 ジュリオは、先程シュヴルーズから貰った許可証をピラピラとさせた。

「ちゃんと一筆貰ってるんだぜ?」

「レディの部屋に無断で入る何て、どう云う事?」

「僕達、強い絆で結ばれてるんだよ」

 ジュリオは、白い手袋を着けた右手を、ルイズに差し出した。

 ルイズは其の様な手を無視して、「冗談は辞めて」、と言った。

 ジュリオは気にした風も無く、笑みを浮かべた。

「遣っとの事で、“竜騎士隊”の任を解かれてね、今から“ロマリア”に帰るんだよ。全く“トリステイン”人は人使いが荒いね! 報告書を作成するからって、外国人の僕を、ずっと隊に縛り付けて置くんだから! 其の間、報告書とにらめっこさ」

「其れは御苦労様」

「帰国する前に、君達に挨拶して置こうと想ってね。生憎、ミス・エルディは何処かに出掛けたみたいだし」

 ルイズは、「そう……有り難う」、と虚ろな表情などで礼の言葉を口にした。

「元気が無いね」

 ルイズはキュッと唇を噛み締めて、毛布に顔を埋めた。

「僕は君の、命の恩人何だぜ。もうちょっと、感謝が欲しいね」

「どう云う意味?」

 顔を上げて、ルイズはジュリオを見詰めた。

「君達を、“フネ”に乗せたのは僕何だよ」

 ルイズはベッドから跳ね起きると、ジュリオに詰め寄った。

「何でサイト達を行かせたのよ!?」

「ちゃんと言ったよ。確実に死ぬよってね」

「止め為さいよ!」

「止められ無いよ」

 ジュリオは、真顔に成った。

「何言ってるのよ!? 貴男其れでも神官成の!? 死ぬと理解ってて、どうして止め無いのよ!?」

「彼等は、彼等の仕事をしようとしてたんだ。止められる訳無いじゃ成いか」

「どうして其れがサイトの仕事成のよ!?」

「彼は“ガンダールヴ”だ。主人の盾と成るのが、仕事さ」

 ルイズはマジマジとジュリオを見詰めた。

「“どうして知ってるんだ?” 何て訊きか無いで呉れよ。ミス・虚無(ゼロ)。妙な呼び名だな。ちゃんと呼ぼう。偉大成る“虚無の担い手”」

「……どうして知ってるの?」

「僕は“ロマリア”の神官だ。神学の研究が一番進んでる国から来たんだぜ。“トリステイン”選りも、“ガリア”選りもね」

 ルイズは力が抜けたかの様に、床に膝を突いた。そして、(今は、そんな事選りサイトとセイヴァーの生死が気に成るわ)、と考える。

 そんなルイズを理解してか、優しく諭す様な声で、ジュリオは言った。

「ホントは君を、迎えに来たんだ。でも、其れ処じゃ無い様だな」

「神学何か、犬にでも喰われるが良いわ」

「神学の講義をしたくて連れて行く訳じゃ無い。現実として、“ロマリア”は君を欲しがってる」

「放っといて」

「そう云う訳には行か無いけど……タイミングってのは大事だな。じゃあルイズ、君は嘘と真実、何方が好き何だ?」

 少しばかり考えた後、ルイズはポツリと、「真実」、と答える。

「良し。僕は“メイジ”では無いが、“魔法”のルールは知って居る。“サモン・サーヴァント”を、僕に講義して呉れ成いか?」

「“使い魔”を喚び出す“呪文”よ」

「条件は?」

 そう尋ねられ、ルイズは、ハッ!? とした様子を見せる。

「“メイジ”にとって、“使い魔”は大事な存在だが……代わりが利か無い訳じゃ無い。別れは、同時に新たな出逢いでも在る。“サモン・サーヴァント”は其れを象徴してると想うよ」

「黙って」

「新たな出逢いを祈ってる。じゃあまた」

 ジュリオはそう言い残すと、颯爽と部屋を出て行った。

 暫くルイズはジッと考え込んで居たのだが……其の無いに震え出した。

「死んで無いよね?」

 祈る様な声で、ルイズは呟く。

「生きてるよね。シオンの言ってた通り、生きてるわよね」

 暫く顔を伏せた後……ルイズは、ユックリと顔を持ち上げる。

「勇気出さ為きゃ」

 ルイズは、(行方不明なだけで、未だ死んだと決まった訳じゃ無い)、と自分に言い聞かせる。

 再びドアがノックされて、ルイズは跳び上がった。

「ジュリオ? 未だ用が有るの?」

 そう怒鳴って、ルイズは扉を開ける。

 然し、其処に立って居たのは……。

「私よ。ルイズ」

 困った様な表情を浮かべたモンモランシーで在った。

 モンモランシーはルイズの顔を見ると、溜息を吐いた。

「随分と落ち込んでるのね。まあ、気持ちは理解るけど……授業位出為さいよ。貴女、ずっと休みっ放しじゃ成いの。戦争だって終わったんだから……」

 後ろに居たギーシュも、心配そうな様子で顔を出した。

 モンモランシーは、ルイズの側にしゃがみ込み、優しい声で言った。

「其の……死んだって、決まった訳じゃ無いんだから」

 暫くルイズは膝を突いて居たが、ムックリと起き上がった。

 勇気を必死に成って取り返すかの様に、拳を握り締めた。

「……知ってるわ。生きてるもん。シオンも言ってた」

「そ、そうだよ! あのサイトが、セイヴァーが、そんな簡単に死ぬもんか!」

 ギーシュもルイズを励ます様な声色と口調で言った。

 其れからモンモランシーとギーシュの2人は、顔を見合わせて、ねー、と首肯き合った。

「そうよ。生きてるのよ」

 スッくとルイズは立ち上がり、呟いた。決心した様な、そんな様子だ。

「今から確かめるわ」

「へ?」

 とギーシュとモンモランシーは、怪訝な表情を浮かべる。

「絶対生きてる。其れを確かめる」

 棒読みするかの様な口調で、ルイズは言葉を続けた。

「ど、どう遣って?」

 ギーシュが尋ねた。

 モンモランシーが、ハッ! と何かに気付いた顔に成った。

「“サモン・サーヴァント”?」

「そうよ」

 ルイズは首肯いた。

「“使い魔”を“召喚”する“呪文”……“サモン・サーヴァント”を再び唱える為には、自分の“使い魔”が此の世に存在して成ら無い」

「そ、そうよね」

「だから……サイトが生きてれば、“呪文”は完成し無い筈だわ」

 ギーシュが、焦った声で言った。

「でも、若し、完成したら……」

 其の先を言おうとしたギーシュの頭を、モンモランシーは押さえた。

「ルイズ……もうちょっと心の準備が出来てからでも……」

 然しルイズは首を横に振る。

「今、決心が出来無かったら、後に成ったって無理よ」

 “杖”を持つと、ルイズは目を瞑って振り上げた。

 ギーシュは震え出した。

 モンモランシーも目を瞑った。

 小さく、ルイズは“呪文”を唱え始めた。

 緊張からだろう、ルイズの手が震える。

 ルイズの心が、恐怖からだろう震えて仕舞う。

 “サモン・サーヴァント”は“アンロック”の様な、“系統魔法”では無い、“コモン・マジック”で在る。従って“ルーン”では無く、口語の“呪文”がルイズの口から流れ出た。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。“5つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ”」

 眼の前の空間に向かって、ルイズは“杖”を振り下ろす。

 一旦“使い魔”としてルイズと契約をいた才人が生きて居れば……其処に喚び寄せる為の“ゲート”は開か無い。

 

 

 

 暫しの時間が流れた。

 目を瞑って居たモンモランシーは、中々目を開く勇気を出す事が出来無かった。ギーシュも、ルイズも、何故か口を開か無い為に、一種の恐怖を覚える。

「ねえギーシュ。どうだったの?」

 モンモランシーは小さな声で尋ねてみたのだが、返事は無い。

「んっ!」

 思い切って、モンモランシーは目を開いた。

 其の口から、気の抜けた溜息が漏れる。

 そして……クラクラと身体が揺れ、膝を突いてしまう。

 ルイズの前には、白く青く光る鏡の様な形をした“ゲート”が在った、

 魂を抜かれたかの様な様子で、ルイズは呆然と“ゲート”を見詰めて居た。

「嗚呼、何て事だ。残念な男を亡くした。非情に残念な男を亡くした。僕は……君の事が、君達の事が結構好きだったよ」

 切無い声でギーシュが言った。

 モンモランシーは、「ルイズ……」、と呟く。

 見紛う筈も無い、“召喚”の“ゲート”だった。今頃、“魔法”で選ばれた獣か“幻獣”の前に、其の“ゲート”は輝いて居るだろう。其処を潜るのは、当然彼等の意志次第で在る。

 何かが潜って遣って来る前に……。

「扉よ、閉じて」

 ルイズは“ゲート”を閉じた。

 モンモランシーは、何と声を掛けて良いのか判らず、ルイズを背中から抱き締めた。

「ルイズ……嗚呼、ルイズ……」

 ルイズは力無く床にへたり込む。

 ルイズは、最後に絞った勇気も粉々に砕け散り……(シオンが言って居た事は気休めだったんだ)、と絶望に呑み込まれて仕舞った。

 

 

 

 

 

 丁度其の頃、“アルビオン”の“サウスゴータ”の森の村……。

 眠って居た才人は目を覚ました。

 眼の前が光った気がしたので在る。

 然し……目を開けると、其処には何も無かった。

「気の所為か……其れとも夢か? 然し、最近頻く光りモノの夢を見るな。セイヴァーに相談してみるか?」

 と才人は1人愚痴た。

 其れから再び、自身の左手を見詰める。

 一晩寝れば、復活してると考えたのだろう……。

 が、やはり消えた儘で在った。



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消えたガンダールヴ

 才人が目覚めてから、10日が過ぎた。

 掛けられたティファニアの指輪に依る“先住魔法”は強力で在り、瀕死の怪我を負って居た才人は、眠って居た2週間も合わせて、3週間で略完全に回復をしたと云えるだろう。だが……。

 戻って来無いモノが在った。

 肘を突き、才人は寂し気に溜息を吐いた。

 何とも、聞く側をも切ない気分にさせて来そうな、とても切ない溜息で在る。

「溜息の数だけ、幸せが逃げて行くぞ」

 俺の言葉は、スルーされて仕舞う。

 才人はティファニアの家の裏に積まれた、薪の上に腰掛けて居り、後ろには、丸太と漆喰で造られたティファニアの家が在る。

 そんな才人の横に、今俺は居る。

 眼の前には陽光に照らされて、美しい輝きを放つ木々が生い茂って居る。

 此処は“サウスゴータ”地方の“ウエストウッド村”と云う所だ。“シティオブサウスゴータ”と港町“ロサイス”を結ぶ街道から、少しばかり外れた森の中に在る小さな村だ。

 ティファニアの話では、才人と俺が“アルビオン”軍を食い止めた丘から、余り離れて居無い場所で在る事が判る。

 ホントに世間から忘れ去られた様な村で在り、こう遣って眺め回して見ても、森を切り開いて造った空き地に、小さな藁葺の家が10軒ばかり、寄り添う様にして立って居るのみで在ると云えるだろう。

 薪の山に立て掛けられて居るデルフリンガーが、ノンビリとした声で言った。

「いやぁ、“アルビオン”軍は、“ロサイス”の連合軍を取り逃がした様だね。味方が無事撤退する時間は稼げたって訳だ。相棒、命を張って敵を食い止めた甲斐が在るってもんじゃ成えか」

 其の事は、先日、村に物売りに来た商人から聞いたので在る。

 まるで自分が見て来たかの様に、布や紐を売りに来た商人は“神聖アルビオン共和国”の逆転負けを語って居た。彼は「之で暮らしも少しは楽に成る」と、嬉しそうな様子で在った。やはり、“アルビオン”の“貴族派”は、自国民にも好かれては居無かったので在る。

「御負けに戦争も終わった。言う事無ねえ」

 突如参戦した“ガリア”が、“アルビオン”軍を降伏に追い込んだ事もまた、才人は合わせて知った。

「逃げ出したって、勝ちは勝ちさ」

 然し、才人はどうにも浮か無い様子で在る。

「……そうだな」

 ルイズやシオン達も無事に逃げられたに違い無い。其れはとても喜ばしいのだが……。

 ボンヤリと左手を見詰め、「綺麗なまんまだ」、と才人は呟く。

 そう、消えた“ルーン”は当然復活し無かった。

 完全に“契約”は解除されて仕舞ったのだ。

「俺、ホントに“ガンダールヴ”じゃ無く成っちまったんだな」

「だねえ、否、あれからどうして“使い魔”の“契約”が外れちまったのか、考えたんだけども……」

「どうして何だ?」

 デルフリンガーは自身の考えを口にしようとし、才人は其れを促す。

「1回心臓が止まっちまったからだろうなあ。そんな相棒を、“使い魔”の“ルーン”は死んだと判断したのさ。“先住”の“魔法”の事は、“メイジ”の扱う“魔法”じゃ想定外だ。死にそうな犬から蚤が逃げ出すみたいに、“ルーン”に此りゃ行け無え、何て思われちまったんだよ。どうだ、セイヴァー?」

「そうだな、概ね其の通りだ。其の解釈で間違っては居無いだろうよ」

「そっか」

 浮か無い才人を慰める様な声で、デルフリンガーは言った。

「おいおい、スッキリしたんじゃ無えのか? 之でも、あの子煩い“貴族”の娘っ子に、文句を言われる事も無い。死ぬ様な目に遭わされる事も無えよ」

「そうだけど、そう何だけどよ」

 才人の中では、諦め切れ無い、苦い感情が在った。

 そして、才人は顔を上げ、デルフリンガーと俺へと尋ねて来た。

「……もう1度、ルイズと“契約”するって訳には行か無えのか?」

「何で?」

 俺の代わりに、デルフリンガーが反応を返す。

「良いから。訊いた事に答えて呉れよ」

「障害は2つ在る」

「うん」

「先ず、“サモン・サーヴァント”で“召喚”されるかどうかってとこだな。あの娘っ子が其奴を唱えた時、相棒の前に“ゲート”が開くかどうか判ら無え」

「…………」

「実際の所、どうして其奴が“使い魔”として選ばれるのか、判っちゃ居無えんだ。“4系統”成ら、使う“系統”を象徴する様な動物や“幻獣”の前に“ゲート”が開くが……何せあの娘っ子はほら、“虚無”だかんね。何な理屈で“使い魔”を選んで居るのか、俺にも理解ら無え。唯……」

「唯?」

「“運命”何て言われたりしてるけどね」

「ふむ、俺とルイズが、“運命”と遣らで結び付いてる成ら、再び“ゲート”が開くって事か?」

「さあね。でも、此処で別れる“運命”だって在るからね。そうだったら其れ迄さ」

「む……じゃあ、次の障害は?」

「“コントラクト・サーヴァント”」

 才人は、此の世界――“ハルケギニア”に呼び出された時、ルイズとキスをした事を想い出した。

 そう。才人やルイズ達からしてみると、あれから始まったので在る。

「ああ、あのキスする奴か」

「そうだね。“召喚”そして“契約”。此の2つを乗り越えて、初めて“使い魔”に成るんだ」

「キスすれば良いだけの話だろ?」

「其りゃあ形だろうが。実際には、身体に“ルーン”を刻む、かなりキツい行為何だぜ?」

 才人はあの時、身体が焼け付く様な痛みを感じた事を想い出す。

「……あの位、何でも無えよ」

「御勧めし無えがね」

 とデルフリンガーは、言い難そうに呟いた。

「何でだ?」

「うーん、其の、何て言うかだな、“メイジ”は“使い魔”が死ねば、次の“使い魔”を“召喚”出来るが……“使い魔”はそうじゃ無え。“使い魔”にとって、“契約”は一生モンだしな。生きてる状態で“契約”が外れるって事は先ず、在り得無えから」

「むむ……」

「そんな訳で、“メイジ”と2回目の“契約”をした“使い魔”の存在何か聞いた事無えし、遣っちまったら、其奴の身体に何が起こるか判ら無え……」

 歯切れの悪い声で、デルフリンガーは言った。

「だからな、悪い事は言わ無え。折角拾った命、むざむざ危険に晒す事は無えよ……其れにな、“契約”が失敗したら、困るのは相棒だけじゃ無え。あの娘っ子も、どう成るか判ら無え。おりゃあ、そん成の見たく無えよ。気が滅入るからね」

 才人はデルフリンガーの言葉を、其の言葉の意味を十分に理解出来た。

 だが、其れでも才人は諦め切る事が出来無かった。

 ポッカリと心に穴が空いて仕舞ったかの様な気分に、才人は成って居るのだ。ルイズとの絆が無く成って仕舞った、とそう感じたので在る。其れは身を裂かれる選り、今の才人にとっては辛い事だった。

「だからよ、そんな浮か無い顔する無よ。之で心置き無く、東に迎えるじゃ成えか。付き合うよ」

「俺が、“ガンダールヴ”じゃ無く成っても、御前は良いのか?」

「良いさ。6,000年も生きて来たんだ。俺にとっちゃあ、相棒との時間何て一瞬みてえなもんさ」

 才人は溜息を吐いて、言った。

「でも、ルイズはそうじゃ無えんだよな」

「まあね。あの娘っ子には、大義が有るからね」

 屈託の無い声で、デルフリンガーは言った。

 才人は自分に言い聞かせる様に首肯いた。

「ああ。彼奴には、自分を認めさせる、って云う目的が有るからな……“魔法”も使え無い、唯の人間に過ぎ無い俺が居たんじゃ、足手纏いだよな……」

「で、御前さんはどう想って居るんだい? セイヴァー」

「ん? 俺の考えか?」

 落ち込む才人を他所に、デルフリンガーは俺へと質問をして来る。

「そうだな。先ず御前の考えは正しいモノだろう」

「そうだろうとも」

「だが、既に条件はクリアされて居ると想うがね」

「どう云う意味だ?」

 其処で、才人は顔を上げて俺へと目を向けて口を開いた。

「先ず1つ目、御前の眼の前には幾らか前の夜、“サモン・サーヴァント”に依る“ゲート”が開かれた」

「あの光って、其の“ゲート”成のか?」

「そうだろうさ。そして、2つ目、其れも既にクリアされて居ると想える」

「其れはどうしてだね? 其れに、どうにか成って言っても、相棒の身体に何が起こるか」

「何が起こるのかは判ら無いだろうが、其れでもどうにか成るだろうさ」

「何でそんな自信満々何だよ?」

「そうだな。何故? か……其れは、御前や俺が此処――“ハルケギニア”とは違う世界、異世界、そう、“地球”出身だからだ」

「其れがどうして自信の元に成るって訊いてるんだ?」

「遠く離れた場所からでも“ゲート”を繋げ、喚び出す事が出来る。だが其れは基本、此の世界――“ハルケギニア”だけの事だ。だが、此処に例外が在る」

「例外?」

「そうだ。俺達、異世界人……異なる世界と世界を結び付けて喚び出す程の“魔法”だ。其れだけの“運命”や縁が御前達には有るって事だ。其れに、“聖杯戦争”も在る」

 俺の言葉に、才人もデルフリンガーも、ハッとした様な様子を見せる。

 今の彼女は裸も同然だ。唯、“虚無”と“コモン・マジック”を使えるだけの、か弱い女の子で在るのだから。“コモン・マジック”は何かを傷付ける事や守る事が出来る程強力では無い。“虚無”は強力なモノが多いが、膨大な“精神力”を溜めて置く必要が在り、尚且つ使用時には其れが全て一瞬で失って仕舞うだろう程の消耗性が在るのだから。

 そんな事を話し考えて居ると、後ろから声が掛けられる。

「あの……」

 振り向くと、困った様子のティファニアが立って居た。

「ん?」

「薪を……」

 どう遣ら才人が腰掛けて居る薪を取りに来たらしい。

 ティファニアは、尖った耳を隠す様に、大きな帽子を冠って居る。

「あ、御免」

 と才人は立ち上がる。

 ティファニアは、そんな才人と目を合わせ無い様に意識してか俯いて、薪に手を伸ばす。

 才人は、(警戒されてるんだ)と想った。

 我々は異世界人で在る。

 何処の馬の骨とも判ら無い俺達が何時迄も居るんじゃ不安だろう部分も確かに有るのだろう。

 才人は、(幾ら命を救けて呉れたとは言え……治ったら出て行か為くては迷惑だ)とも想った。

「御免、随分と世話に成っちゃったな。俺達、そろそろ出て行くから、そん何恐がら無くても良いよ。そうだよな、戦争だって終わったばかりだし、俺達みたいな変な奴が村に居たんじゃ困るよな」

 ティファニアは目を見開いた。

「あ、違うの! 違う! そうじゃ無い! 私……其の、同じ年位の男の子と、話した事無くって……ちょっと緊張してるって言うか……警戒してるとか、恐がってるとか、そう云うのじゃ無いの。だから傷がちゃんと治る迄、ずっと居て良いの。私こそ御免為さい」

 ティファニアは、モジモジと恥ずかしそうに頭を下げた。

 彼女のそんな様子を見て、才人は少し明るい気持ちに成る事が出来た。其れから、(随分と人見知りする子何だろう。其れ成のに、彼女は自分を救けて呉れたのだ)と云った具合に感動もした。

「そっか、君は可愛いだけじゃ無く、優しいんだね」

「か、可愛く無いよ!」

 才人の言葉を、ティファニアは驚いた後に否定する。

「可愛いよ。其れにホントに優しいと想う」

「そうだな。確かに、君は優しい娘だ。其の優しさを忘れ無いで居て欲しいモノだな」

 と才人が言ったら、ティファニアは帽子を深く冠って仕舞った。恥ずかしがって居るのだろう。

「優しいとか、そう言うんじゃ無くって……唯、母さんが言ってたから」

「御母さんが?」

 才人は、其の懐かしい響きを含んだ言葉を聞いて、問い返した。

「そう。“エルフ”の……死んじゃった御母さん。あの指輪を呉れて、私に言ったの。“困って居る人を見付けたら必ず助けて上げ為さい”って。母さんは其の言葉の通りの人だったの。自分を省み無いで、愛する人の為に尽くした人だった。だから私も……」

「其れが君の優しさと強さの元か。母親を愛して居るのと同時に尊敬して居るのだな、君は」

「…………」

 ティファニアは、俺の言葉を聞いて恥ずかしそうに俯いた。

 デルフリンガーが横から口を出す。

「何だか、込み入った事情が有るみてえだね」

 ティファニアは再び俯いた。

「此の“ウエストウッド村”にしてもそうだね。見た所、子供しか居無えじゃ成えか」

 才人も「そう言やそうだな」と首肯いた。

 3週間近くも滞在をして居るのだが、大人の姿など1度も見て居無いのだ。

「此の村は、孤児院成のよ。親を亡くした子供達を引き取って、皆で暮らしてるの」

「君が、面倒を見て居るのか?」

「私は一応年長だから、御飯を作ったりの世話はしてるけど……」

「金はどうしてるんだ?」

 とデルフリンガーが尋ねる。

「昔の知り合いの方が、御金を送って下さるの。其れで生活に必要な御金は賄ってるのよ」

 ティファニアは言い難そうに言った。

「“ハーフエルフ”で、“先住”の“魔法”の力を秘めた指輪を持ってる御前さんが、そんな孤児だらけの村に居るのには、何な訳が有るんだい?」

「デルフ」

 才人が、デルフリンガーを窘める。

「さて、御前さんの秘密は、そんな境遇と指輪だけじゃ無えね。何か、他のモノも隠してるんじゃ成えのか?」

 其れでも続けて質問をするデルフリンガーの言葉に、ティファニアは黙って仕舞った。

「御免な、話したく無い事は話さ無くて良いんだよテファ。デルフ、良い加減にしろよ。もう、何成の御前、剣の癖に訊きたがりで……」

 才人がそう言った時……シュカッ! と乾いた音がした。

 見ると、1本の矢が、腰抜けた薪の1本に刺さって居る。

「危ねえなあ。猟師でも居るのか?」

 シュカカ! シュカッ! と再び矢は次々に飛んで来て、俺達の周りの地面に次々と刺さる。

「誰だッ!?」

 と才人が怒鳴ると、森の中から傭兵と思しき格好の一団が現れた。

「おい御前等。村長は居るか? 居る成ら呼んで来い」

 現れたのは十数人程だ。全員が弓矢や槍などで武装をして居る。

「驚いたな……“万古不易の迷宮”(あれ)を突破して来るとは……入って来れ無いだろうと、高を括って居た……慢心か? まあ、次は無いが」

 “万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”――“固有結界に近い大魔術”――“アステリオスが住んで居た迷宮を回想するだけで発現し、迷宮と云う概念への知名度に依って道筋が形成されるモノ”――“一定範囲内の侵入及び脱出を阻害する結界としての効果も持ち、結界に掛かった物を縛り付けて動けなくする事も可能なモノ” 中……には、魔物がウヨウヨと云った具合に沢山居る。

 敵意の有る者が森へと入ると、そんな“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”が自動的に展開する様にして居たのだが……どう遣ら、彼等は幸運にも不運にも、突破する事に成功した様らしい。

「な、何の用ですか?」

 ティファニアが、怯えた声で呟く。

「おや、随分と別嬪だな。こんな森の中に閉じ込めて置くには勿体無えな」

 1人がそう言って、近付いて来る。小狡そうな顔をした、額に切り傷が有る男だ。どう遣ら彼が此の集団のボスらしい。

「貴男達は何々ですか? 傭兵?」

「元、傭兵だよ。戦争が終わっちまったから、本業に戻るのさ」

「本業?」

「盗賊だよ」

 と1人が言うと、何が可笑しいのか残りが笑った。

「全く、付いて無えや。楽な追撃戦だと思ってたら、行き成りの“ガリア”の参戦で降伏だってよ。意味が理解ら無えや。兎に角報酬はパァ。だからせめて本業で稼が無えと、飯も食え無えって訳だよ」

「其れに、此処に来る迄の間に変な迷路に迷っちまうし、“亜人”か何か見た事が無い魔物共に襲われるし」

 そう言って、傭兵基盗賊達はゲラゲラと笑う。

「そうか。其れは災難だったな。まあ、御前達にとっては全てが間が悪かっただけの事だ。気にするな。帰り道には迷路は出て来無い。安心して疾く去ね」

「出てって。貴男方に上げられる様なモノは何も在りません」

 俺に続いて、気丈に言い返すティファニアを見て、男達は笑った。

「在るじゃ成えか」

「え?」

「こんな貧乏そうな村に、金目のモノが在る何て想っちゃ居無えよ。俺達が扱ってるのは、御前みたいな別嬪な娘だよ」

「之だけのタマ成ら、金貨にして2,000は行くんじゃ成えのか?」

 此の盗賊達は人攫いを生業にして居る様だ。

 1人が近付いて来て、ティファニアに触れようとした其の瞬間……。

 才人が立ち塞がった。

「止めろ」

「何だ? ガキ。命が惜しかったらすっ込んでろ。売り物に成りそうな奴以外、興味は無え」

「テファに触るな」

「俺達ゃ、真面目な商売人だよ。商品に傷は付け無え。安心しろよ」

 盗賊達は、「多少の味見はするがね」、と下品に笑い合う。

 そんな盗賊達を前に、才人はデルフリンガーに手を伸ばした。

 デルフリンガーが、困った声で囁いた。

「……相棒、止めとけ。今の相棒じゃ、勝ち目は無えよ」

「なあ小僧。俺達はもう人殺しは嫌何だよ。出来る事成ら、平和に稼ぎてえのさ」

 槍を構えて、盗賊の1人が言った。

 才人は、ぐっ……と拳を握りしめた。そう。今の才人には、“ガンダールヴ”としての力は無い。

「守りたいので在れば、其のデルフリンガー()()れ、才人」

 俺は、 “黒い方が陽剣・干将で在り、白い方が陰剣・莫耶と云った陰陽二振りの短剣”――“互いに引き合う性質を持つ夫婦剣”――“干将莫耶(かんしょうばくや)”を“投影”し、構え、才人の勇気の在処を確かめる。

「セイヴァー?」

「今の御前には確かに、伝説の力は無いだろう。其れは事実だ。だが、御前には経験が有る。其の力を振るって来た事で身体は其れを覚えて居る。身体能力は強化され無いだろうがな」

「…………」

「あの時、俺は言った筈だ。“見っとも無いが、誰かを助けたいと言う気持ちが有る成ら、ギリギリ英霊(人間)だ”……其れに、だ。御前は、恐怖を勇気で押し込められるタイプだ。俺も“レオニダス1世()”と同じ様に、そう言ったタイプの戦士をこそ、信頼し、尊ぶ」

 才人は、決心した様にデルフリンガーを掴んだ。

「命の恩人を見捨てる訳には行か無えだろがよ」

「相棒……」

「なあ坊や達。知ってるか?」

 槍を握った男が、俺が“干将莫耶(かんしょうばくや)”を突然出した事に驚くが、どうにか平静さを取り戻し言った。

「な、何だよ?」

 才人は震える声で、訊き返す。

「俺達は、“トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍を遣っ付ける為に、“ロサイス”に向かってたんだ。でも、たっだ2人に止められた。後方に居たんで、詳しくは知ら無えが……ま、御前さん達も、勇気だけは其奴等を変わら無え。褒めて遣るよ」

「其れは、俺達だよ」

 デルフリンガーを握った才人は、またも震える声で言った。

 盗賊の男達は笑い出した。

「おいおい! 剣を握っただけで震えてる御前が“アルビオン”軍を止めたって言うのか!?」

「嘘を吐く成らもうちょっとマシな嘘を吐けっての! 110,000だぜ! 110,000!」

「煩え!」

「気にする必要は無い。震えるのは当然だ。其れは、御前が命の遣り取り(殺し合い)がどう云ったモノかを理解して居るからこそのモノだ。恥じる必要などは一切無い」

 俺の言葉に才人はデルフリンガーを強く握り締める。そして、デルフリンガーを振り上げて、笑った男に跳び掛かった。

 相手で在る男は真顔に成ると、才人の剣を槍で受けた。

「うぅ!」

 難無くデルフリンガーは弾き返されて仕舞う。

 男は巧みに槍を捌くと、才人の足を払う。

 呆気無く、才人は地面に転がって仕舞った。

 其の顔に槍を突き付け、男は冷酷な声で言った。

「なあ小僧」

「く……」

「次生まれて来る時は、法螺の吹き具合を考えな」

 観念して、才人が目を瞑った其の瞬間――。

「“ナウシド・イサ・エイワーズ”……」

 才人の後ろから、声が聞こ得た。

 緩やかな唄う様な調べだ。

 才人が、何時も背中に聞いた、“呪文”の調べ。

「“ハララズ・ユル・ベオグ”……」

 そう。ルイズが唱える其れと同じ響きを持ったモノだ。

「“ニード・イス・アルジーズ”……」

 才人が立ち上がり振り向くと、ティファニアは取り出した小さな“杖”を握って居る。鉛筆の様子に小さく、細い“杖”だ。

「何だ? 姐ちゃん。“貴族”の真似事か? ったく、張っ足りも良い加減に……」

「“ベルカナ・マン・ラグー”……」

 1人の男が近付いた其の瞬間……。

 指揮者がタクトを振り下ろすかの様に自身に満ちた態度で、ティファニアは“杖”を振り下ろした。

 陽炎の様に、空気が戦いた。

 男達を包む空気が歪む。

「ふぇ……?」

 霧が晴れるかの様に、空気の歪みは次第に戻って行き、完全に戻った時……男達は呆けたかの様に、宙を見詰めて居た。

「あれ? 俺達、何をしてたんだ?」

「此処何処? 何でこんな所に居るんだ?」

 俺は、“投影”した“干将莫耶(かんしょうばくや)”を消し去る。

 ティファニアは、落ち着き払った声で男達に告げる。

「貴男達は、森に偵察に来て、迷ったのよ」

「そ、そうか?」

「隊は彼処。森を抜けると街道に出るから、北に真っ直ぐ行って」

「あ、有り難うよ……」

 男達はフラフラと、頼り無気な足取りで去って行く。

 呆然として、才人は其の背中を見詰める。

 今の彼等には敵意や害意などは全く無く、俺が条件付けして設置して居る改変した“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”の力は働か無いだろう。

 最後の1人が森に消えた後、ティファニアの方を向いた。

 ティファニアは、恥ずかしそうな声で言った。

「……彼等の記憶を奪ったの。森に来た目的の記憶よ。街道に出る頃には、私達の事もすっかり忘れてる筈だわ」

「“魔法”成のか?」

 ティファニアは首肯いた。

 才人の中で、急速に何かが結び付いた。

「じゃあ、“竜騎士”達を助けて、其の記憶を奪ったのも……」

「そう。あの人達は知り合いだったのね」

 才人は首肯いた。

 人の記憶を奪う“魔法”……。

 “風”、“水”、“火”、“土”……何の“系統”にも、当て嵌まり難いモノだと云えるだろう。強いて可能だろうと想え、挙げる事が出来るのは、“精神”などに干渉する事が出来る“水”だが。

 震え乍ら、才人は尋ねた。

「……今のは、何な“魔法”何だ?」

 ティファニアの代わりに、デルフリンガーが答えた。

「“虚無”だよ。“虚無”」

「“虚無”?」

 ティファニアはキョトンとして、デルフリンガーを見詰めた。

「……何だ、正体も知ら無えで使ってたのかい」

 才人は口をあんぐりと開けて、ティファニアを見詰めた。

 在り得無いと想わせる程の胸を持つ少女は……在り得無いと想われて居た力をも秘めて居たので在る。

「兎に角……御前さんがどうして其の力を使える様に成ったのか、聴かせて貰おうか」

 デルフリンガーの言葉に、才人は首肯く。

「ふむ。“忘却”の“魔法”……対象が持つ記憶から、任意の部分だけを抜き取り消し去る、否、寄り正確に言えば、文字通りに忘れさせる、蓋をする“魔法”……実に効果的だ。だが、欠点を挙げるとすれば、“虚無”故の、其の“呪文”、“詠唱”の長さか……」

 俺は誰にも反応され無い事を気にせず、自身の考えを口にした。

 

 

 

 其の夜、俺達はティファニアの生い立ちを聞く為に居間に向かった。

 ティファニアの家には、3つの部屋が在った。才人が寝かされて居た部屋、彼女の部屋、そして此の居間。

 子供達は3人ずつ1軒を与えられ、其処で暮らして居るのだが、食事はティファニアの家で摂って居るのだ。夕飯を済ませ、子供達を家に帰した後、ティファニアは納戸からワインを取り出して来て、テーブルにグラスと共に並べた。

 暖炉には薪が焼べられ、其の上では鳥が炙られて居る。

「待たせてしまって御免ね。夜に成ら成いと、話す気に成れ無いモノだから」

 才人は、「良いよ」、と言葉を返す。

「構う必要は無い。話したい時に話せば良いのだから」

 俺もまた、別段気にする事も無く、ティファニアへと言葉を掛ける。

 ティファニアは、暖炉の中で炙られて居る鳥を見詰め乍ら、ユックリと語り始めた。

「私の母はね、“アルビオン”王の弟の……此の辺りは、“サウスゴータ”って言う土地何だけど、此処を含む更に広い土地を治めて居た大公様の、御妾さんだったの。大公だった父は、“王家”の財宝の管理を負かされる程の偉い地位に居たみたい。母親は財務監督官様って呼んでたわ。詰まり私は、セイヴァーの主人で在るシオン・エルディ様の従姉妹、かな……」

「御妾さん?」

 シオンの従姉妹で在る事に驚き乍らも、才人は別の事を尋ねる。

「愛人ってこったよ。奥さんとは別の、女の人って事さ」

「成る程」

 デルフリンガーの説明に理解し納得した様子を見せる才人。

「何で“エルフ”が、其の大公の妾何か遣ってたんだ?」

「其の辺りの事は知ら無いわ。“エルフ”の母が、何な理由が有って、此の“白の国(アルビオン)”に遣って来て、父の愛人に成ったのか、私は知ら無い。母も決して話そうとはし無かったし……でも、此の“ハルケギニア”で、“エルフ”の事を快く想ってる人は居無いから、何か複雑な事情が有った事は間違い無いと想う」

「“エルフ”から“聖地”を取り戻すと言ってる位だからな」

「ええ。そんな訳で、母はホントの意味で日陰者だったの。公の場は勿論、滅多に外に出る事さえ出来無かった。屋敷の中で、ズッと父の帰りを待つ、そんな暮らしを続けてた。今でも想い出すわ。ボンヤリと、ドアを見詰める母の背中……母譲りの耳を持つ私も、外に出しては貰え無かった」

 才人はシンミリとして仕舞い、ワインを一口呑んだ。

 ティファニアが「年頃の男の子と喋った事が無い」のは、そう云う理由が有ったからだ。男の子は勿論、同い年の女の子の友達も居無かったのだろう。

「でも、母とのそんな生活は、其れ程辛くは無かった。偶に来る父も優しかったし、母は私に色んな話をして呉れたから。母はね、楽器や、本の読み方も教えて呉れたのよ」

「そっか」

「そんな生活が終わる日が遣って来た。4年前よ。父が血相を変えて私達の所に遣って来たの。そして、“此処は危ない”と言って、父の家来だった方の家に、私達を連れて行った」

「どうして?」

「母の存在は、“王家”にも秘密だったらしいの。でも、或る日其れがバレちゃったらしいのね。“王族”でも在り、財務監査官で在る父が“エルフ”を愛人にして居た。何て、之以上無いスキャンダルだわ。其れでも父は、母と私を追放する事を拒んだのよ。厳格な王様は父を投獄して、汎ゆる手を使って私達の行方を調べた。そして遂々(とうとう)、私達は見付かって仕舞ったの」

 才人は息を呑んだ。

「今でも良く覚えてる。“降臨祭”が始まる日だったわ。私達が隠れた家に、大勢の騎士や兵隊が遣って来た。父の家来だった“貴族”は、必死に抵抗して呉れたけど……王様の軍隊には敵わ無い。直ぐに廊下を、騎士達がドカドカと歩く足音が聞こ得て来た。母は私をクローゼットに隠すと、其の前に立ち塞がった。私は、父から貰った“杖”を握って、ずっと震えてた。部屋に兵隊達が入って来た時、母はこう言ったわ」

 才人は目を瞑った。

「“何の抵抗もしません。私達エルフは、争いを望みません”。でも、返事は“魔法”だった。恐ろしい“呪文”が次々母を襲う音が、聞こ得て来た。追っ手達は、次に私の隠れるクローゼットを引き開けた……」

 ティファニアは、苦しそうな様子でワインを一口呑んだ。

「其れで、捕まったのか?」

 彼女は首を横に振った。

「ううん……」

「じゃあ誰かが救けて呉れたのか?」

「いいえ。先刻の“呪文”。あれが私を救けて呉れたの」

「どうして、あの“魔法”に目醒めたんだ?」

 溢れそうな好奇心を抑え切れずに、才人は尋ねてしまう。

 ティファニアは、目を瞑ると、話し出した。

「私の家には、財務監査官で在る父が管理して居る財宝が、沢山置いて在った。小さ頃の私は、其れで良く遊んでたの。其の中に、あの古木瓜たオルゴールが在った」

「オルゴール?」

「そう。父の話では“王家”に伝わる秘宝とか……でもね、開けても鳴ら無かったの。だけど、私は或る日気付いたの。同じく秘宝と呼ばれて居た指輪を嵌めて、其のオルゴールを聞くと曲が聞こ得る事に。綺麗で、懐かしい感じがする曲だった。不思議な事に、其の曲は私以外の他の誰にも聞こ得無かったんだけど……例え、其の指輪を嵌めてもね」

 才人は、似た様な事を想い出し、息を呑んだ。

「其の曲を聞いて居るとね、頭の中にね、歌と……“ルーン”が浮かんだの。秘宝で遊んでた何てバレたら怒られるから、誰にも言わ無かったけど」

「其れが、先刻唱えた“ルーン”?」

「そうよ。クローゼットを兵隊達に開けられた時、頭に浮かんだのは其の“ルーン”だった。気付いたら、父から貰った“杖”を振り乍ら其の“呪文”を口遊んで居た」

 ティファニアが唱えた“呪文”の効果は、先程の其れと同じモノだ。

 其の場に居た兵隊達は、己が何をしに来たのかと云う目的を忘れ、去って行ったのだ。

「其の“ルーン”が、オルゴールを開いた時に聞こ得た曲と一緒に、何時迄も頭の中に残ってた。其れから何度も、あの“ルーン”は私を救って呉れた……」

 ティファニアは語り終えると、ユックリと杯のワインを呑み干した。其れから、独り言の様に呟いた。

「そう、“虚無”って言うのね。不思議な力だと思ってたけど……」

「其の事は、あんまり人に言わ無い方が良い」

「どうして?」

 才人の言葉に、ティファニアはやはり其の力の重大さなどに気付いて居無いのだろ、キョトンとした様子を見せる。

「“虚無”は伝説何だ。其の力を利用しようとする奴が居無いとも限ら無い。危険だよ」

「伝説? 大袈裟ね!」

 ティファニアは笑った。

「こんな出来損ないの私が、伝説? 可笑しく成っちゃうわ!」

「ホント何だよ」

「そうだな。此処“ハルケギニア”に於ける伝説の人物、“始祖ブリミル”が遺した“伝説の系統”――“虚無”。其れは、“王家”の血を引く者の誰かが覚醒め使える様に成る。御前もまた其れに当て嵌まる」

 才人が真顔で言い、俺の言葉も聞いて、ティファニアは俺達2人の言葉を受けて首肯いた。

「理解ったわ。貴男達がそう迄言う成ら、誰にも言わ無い。と言うか話す人何か元から居無いし、バレた所で記憶を奪えば良いだけの話だし……」

 どう遣らずっと世間から外れた場所で育って来たティファニアには、事の重大さが良く理解って無い様だ。

 才人もワインを呑んだ。

 呑む内に、才人は瞼が重く成る事を感じる。

 月明かりに照らされて、ティファニアは文字通り輝いて居る。

 才人は先程の話を反芻した。

 才人は、目を瞑った。酔いが手伝い、直ぐに才人は浅い眠りの世界に落ちて行く。

 

 

 

 

 

――“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”。

 

――“神の右手ヴィンダールヴ。心優しき神の笛。汎ゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”。

 

――“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵の塊神の本。汎ゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す”。

 

――“そして最後にもう1人……記す事さえ憚れる”……。

 

――“4人の下僕を従えて、我は此の地上に遣って来た……”。

 

 

 才人は、歌声で目を覚ました。

 夜明は未だで在り、窓の外に月が2つ浮かんで居る。

「……御免為さい。起こしちゃった?」

 暖炉の前に、ティファニアがハーブを抱えて座って居る。

「もう1度、歌って呉れ為いか?」

 才人の言葉に、ティファニアは首肯き再び歌い始めた。

 心に染みる様に、声が響く。

 月明かりに光る彼女の髪の様に、其の歌声もまた美しいモノで在った。

「之が、“ルーン”と一緒に聞こ得て来たって唄?」

 ティファニアは、才人の確認の言葉に首肯いた。其れから再び、ハーブで曲を弾き始めた。今度は歌わ無い。

 才人は其の曲を聞き乍ら、椅子に立て掛けたデルフリンガーに小声で尋ねた。

「……なあデルフ。御前、知ってたんだろ?」

「何をだい?」

「“虚無”の担い手が他にも居て……“ガンダールヴ”以外の“使い魔”も居るかも知れ無えって」

「ああ」

「言えよ」

「可能性は在った。でも、可能性だ。言う必要も無えだろ」

 そんな恍けたデルフリンガーに、才人はムッとした。

「セイヴァーも気付いて居た様だがね」

「そう成のか?」

 其処で、俺へと質問が飛び、俺は首肯く。

「ああ、そうだ。つい此の前其の“使い魔”と出逢ったのだがね。まあ、そうだな。之で“虚無の担い手”が3人居る事に成る。そして――」

「教えろよ」

「何をだい?」

 才人はやはりムッとした様子で口を開き、デルフリンガーもまた変わらぬ調子で尋ね返す。

「ルイズやテファが“虚無”に目覚めたのは、偶然じゃ無い。何か理由が在るんだろ」

「さあね。おりゃあ所詮、剣に過ぎ無え。深い事迄は判らん。でも、知ってどうするね。相棒はもう、“ガンダールヴ”じゃ無えんだぜ」

「御前等、俺に隠し事をしてるんじゃ成いだろうな?」

 するとデルフリンガーは、少しばかり真面目な声で言った。

「相棒、1つだけ言って置く」

「何だよ?」

「俺は御前さんが好きだ。妙に、真っ直ぐだからな。だから、之だけは覚えて置いて呉れ。俺が何を言っても、しても、其れは全部御前さんの為を想っての事だよ。俺が、知る必要は無えと言ったら、無えし……」

「無えし?」

「知ら無えと、言ったら、知ら無えんだ」

 才人は何か言い掛けそうに成るが……口を噤んだ。

 ティファニアは演奏を続けて居り、才人は再び目を瞑った。

「……ったく。参ったな」

「今度は何だね?」

「此の曲聞いてると、何でか、“地球”を想い出しちまうよ」

「“地球”……其奴は、相棒達の故郷だっけか?」

「ああ」

「懐かしい気分に成るのも無理は無え。此奴は、ブリミルが故郷を想って奏でた曲さ。詰まりだな、望郷って奴が詰まってんのさ」

「ブリミルの故郷って“聖地”?」

「そうだな。多分」

「多分? 覚えてろよ。ちゃんと」

「馬鹿言うな。何千年前だと想って遣がるんだ。一々細かい事迄覚えてるかい」

 才人はワインを杯に注いた。呑み干して、呟く。

「ブリミルって神様何だろ? 皆、“始祖ブリミルの御前にて……”とか言い乍ら、御祈りしてるんもんな」

「馬鹿こけ。神様じゃ無えよ。ブリミルは唯の人間だ。否、唯のじゃ無えが……まあ何だ、神の代弁者と言うか……1番近い存在と言うか……俺にも良く理解かんね」

「現人神が近いか……」

「現人神?」

 俺の言葉に、才人もデルフリンガーも不思議そうな様子を見せる。

「そうだ。人で在り乍ら神でも在る。人の身から神に成った。神として祭り上げられた存在。そうだな……“日本”で言う成ら、“天皇”とかが近いかも知れ無いな」

「兎に角偉い人か」

「そうだね」

 要約し理解した才人の言葉に、デルフリンガーは同意する。

「そんな偉い奴の故郷だから、“エルフ”から取り返すとか何とか、騒いでるのか」

「そうじゃ成えのかね」

 ティファニアはハーブを奏で乍ら、涙を流して居た。

 彼女も自分のルーツで在る母の故郷を……“エルフ”が住まう土地を想い出して居るのだろう。

 才人も俺も、そんなティファニアに親近感を覚えた。

 彼女の故郷も、此処では無い。否、彼女にはもう1つの故郷が有ると云う事だ。

 ティファニアは、“エルフ”の血を引いて居る為、異邦人で在り、其の分だけ想いは強いので在ろう。

 ティファニアの涙は月明かりを受け、キラキラと輝いた。

 才人の脳裏に、様々な事が渦巻く。

 終わった戦争。

 消えて仕舞った“ガンダールヴ”としての証。

 出逢った、新たな“虚無”の担い手。

 そして……ルイズ。

 “ガンダールヴ”で無く成って仕舞った才人は、(もう側に居る資格が無い)、と桃色の髪の少女の事を想い出す。

 そして才人は、(もう、“トリステイン”には帰れ無い)、と考えた。(ルイズに逢う事は出来無い。だって……ルイズに必要成のは“ガンダールヴ”で……此の平賀才人じゃ無いから)、と。

 そんな想いが溢れて、才人は涙を流した。

 故郷を想う調べの中に、望郷の調べの中に其の涙が溶けて行く様に、才人は感じた。

「空気を読めずに申し訳無いのだが、近い内に俺は少しばかり出掛ける」

「え?」

 俺の言葉で、演奏が止まる。

 そして、望郷の念を抱いて居た才人とティファニアの2人は、呆然とした様子を見せた。



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諸国会議

 終戦から粗一月が経った第2の月……“ハガル”の月の第1週、“フレイヤ(第一)”の週、“アルビオン”の首都“ロンディニウム”に続々と各国から貴人達が集まって来て居た。

 “ロンディニウム”。

 由緒有る“ハルケギニア”の各都市と比べると、比較的新しい雰囲気を持って居る街で在ると云えるだろう。中心部には、石造りの整然とした街並みが、一定の規則を持って続いて居るのだ。

 100年程前に、“ロンディニウム”を大火が襲い、“オーク材”と塗土で造られた建物が立ち並ぶ街は、粗全焼して仕舞ったのだ。時の“アルビオン”王の令に従り、“ロンディニウム”では以後、建物の建築には木材を使う事が禁じられて居る。

 “アルビオン”空軍が、“ハルケギニア”に轟いた空軍力を編成出来たのは、此の様な理由で森林資源が保護された事にも拠ると云えるだろう。豊富な木材で造られた強大な艦隊でもって、雲の上から“ハルケギニア”を見下ろして居る“白の国(アルビオン)”は、強国と恐れられたので在った……。

 然し、其れは今や、過去の御伽噺で在ると云える。

 現在の“アルビオン”は、テーブルに載せられた1羽の鳥と云える状態と状況に置かれて居る。(艦隊)をもがれ、()を取られ、皿の上でバラバラにされて仕舞うのを待つ、焼かれた鳥だと云えるだろう。“ハルケギニア”の列国は、其の肉を狙う、飢えた狼と云う事が出来るだろう。

 “ロンディニウム”の“ハヴィランド宮殿”は、そんなパーティーへの出席者で溢れて居た。

 “ガリア”、“ゲルマニア”、“ロマリア”……各国の王や皇帝が自ら腰を上げ、大勢の臣下を給仕として、“鳥肉(アルビオン)”の分前を之から争うのだ。

 “トリステイン王国”王女アンリエッタも、諸国会議と云う名の、2週間にも及ぶ其のパーティーに出席する1人で在った。

 ホワイトホールの円卓に、アンリエッタは腰掛けて居る。

 隣には、枢機卿で在るマザリーニの姿も見える。

 更に其の隣には、嘗てアンリエッタが嫁ぐ筈で在った“ゲルマニア”の皇帝、アルブレヒト3世の姿も見える。勢力争いの果てに、皇帝の座を勝ち取った野心の塊の様な40代の男は、自分のモノに成る筈で在ったアンリエッタを、先程から好色そうな様子で眺め回して居るのだった。

 アンリエッタが気丈に睨み付けると、彼はニヤリと笑みを浮かべるのだ。

「御機嫌よう。アンリエッタ姫殿下」

「恐れ乍ら、今では女王で御座いますわ。閣下」

 アルブレヒト3世は鼻白んだ。

 アンリエッタの前には、“ロマリア”から遣って来た大使が恐縮した面持ちで、腰掛けて居る。僅かな義勇軍を参加させたのみで在る“ロマリア”は、此の会議での発言権が殆ど無いと云えるからだ。従って、大使のみが参加して居る。所謂スケープゴートと似たモノだろうか。

 其の隣には、“アルビオン”全権大使の任を担う事に成った、ホーキンス将軍の顔が在る。精悍な顔立ちの、壮年の男性で在る。居並ぶ王達の面前では在るのだが、少しも臆した所を見せ無いで居る。堂々と胸を張り、敗軍の将で在る悲愴さなどは見受けられ無い。アンリエッタの隣に座って居る“ゲルマニア”皇帝選り、余程好感が抱ける態度で在ると云えるだろう。

「然し……奴は遅いですな」

 と、アルブレヒト3世がアンリエッタへと呟く。

「ジョゼフ王ですか?」

 “ガリア”王ジョゼフは、未だ参列して居無いのだ。

「ええ。無能な色男。“ガリア”も其の国の格に似合わぬ王を戴いたものですな。御存知ですかな? 彼奴は優秀な弟を殺して、玉座を奪ったのです。恥知らず、とは或の様な輩を指して言うのでしょうなあ」

 其の噂に引かれたのだろう……。

 ドカドカドカ、と大きな足音が響き、ドアが、バンッ! と開いた。

 見ると、青い髪の美丈夫が其処には立って居る。

 呼び出しの衛士が、慌てた口調で主役だろう男の登場を告げた。

「“ガリア国”王陛下!」

 噂をすれば影が差すとは此の事だろう。

 “ガリア”の国王で在る彼――ジョゼフは、見れば見る程、惚れ惚れする様な容姿をして居る。筋肉が足っ振りと着いた上背は、宛ら古代の剣闘士の様で在ると云えるだろう。キリッと引き締まった顔に、蒼く色付いた髭が戦ぐ。

 集まった面々を見詰め、ジョゼフは満面の笑みを浮かべた。

「之は之は! 御揃いでは成いか! 此の様に“ハルケギニア”の王達が一同に会するなど、絶えて無い事では成いか! 目出度い日だ! 目出度い日で在る!」

 ジョゼフはアルブレヒト3世に気付き、其の肩を叩いた。

「親愛成る皇帝閣下! 戴冠式には出席出来ずに失礼した! 御親族共々、健康かね? そうだ、君が其の冠を抱く為に、城を与えて遣った親族達だよ!」

 アルブレヒト3世の顔は見る間も無く、蒼白に成った。

 ジョゼフの「城を与えて遣った」と云う言葉は痛烈な皮肉で在ると云える。ジョゼフは政敵を塔に幽閉したアルブレヒト3世を、誂って居るので在る。

「彼等は、立派な鎖の付いた頑丈な扉で守られて居るらしいな! 其の上貴男は食事にも気を遣って居る。パン1枚、水1杯、身体を温める暖炉の薪さえ、週に2本と言う話じゃ成いか! 健康の為だね! 贅沢は身体に悪いからな。優しい皇帝だな、貴男は! 私も見習いたいものだ」

 アルブレヒト3世は、「うむ、御蔭様で」、と明らかに気後れした様子でどうにか呟いた。

 ジョゼフは直ぐに顔を背け、今度はアンリエッタの手を取った。

「おお! アンリエッタ姫! 大きく成られた! 覚えて居いでかな? 最後に逢ったのは、確か“ラグドリアン”で催された園遊会で在ったな! あの時も何、美しかったが、今では“ハルケギニア”中の花と云う花が、頭を垂れるで在ろうよ! 此の様に美しい女王を抱いて、“トリステイン”は安泰だ。うむ! 安泰だ!」

 ホーキンスと“ロマリア”の大使には目を呉れずに、ジョゼフは玉座に着いた。其れが当たり前だと言わんばかりの態度で在る。

 だが――。

「失礼乍ら、ジョゼフ王。貴男が治める“ガリア”が大いに貢献したのは確かですが、其処に座るのは貴男では在りません」

 ホワイトホールの中に、突如其処には存在為無い女性の声が響き渡る。

「誰かね?」

「――何者だ!? 止まれ! 此処から先は――」

 ジョゼフが疑問の言葉を口にするのと同時に、ホワイトホールの外で在る廊下側が騒がしく成る。そして、廊下で待機して居る衛士達が警戒した声を張り上げる。

 が、其れを無視して数人がホワイトホールのドアを開き、中へと入る。

「――貴女様は!?」

 ホーキンスは目を丸くして驚愕し、勢い良く立ち上がった。

 他の皆、唯一部の人物――アンリエッタとマザリーニの2人を除いた者だけは冷静だが、皆は驚愕を隠せ無いで居る。

「御久し振りです皆様。シオン・エルディ・アフェット・アルビオンで御座います」

 シオンは軽く一礼をして入室する。

 其の後ろには当然俺が居る訳で在り、また俺の隣には商人風の格好をした“貴族”が1人居る。彼は、嘗てアンリエッタが鼠もとい狐狩りを行う際に、アニエスに捕らえられ、“チェルノボーグの監獄”へと投獄された筈の男性“貴族”で在る。

 2人、そして或る1人を除いた皆が、驚愕と警戒を此方へと向け、近衛だろう者や護衛の者達が一斉に武器を向ける。

「“武を捨てよ。人の対話は其処から始まる”」

 俺の言葉に、皆一斉に武器を手落とす。

 カランカランと、軽い音を立て、手にした武器は床へと落ちた。

「之は之は! シオン王女では在りませんか! 一体、何の様にして!? 御無事で何選りですな!」

 そんな中で、ジョゼフは直ぐに気持ちを切り替え、気にした風も無く、玉座から離れ、両手を広げてシオンへと歩み寄る。

「ええ。少しばかり身を隠す、いえ、学生生活を送って居りましたの」

「学生生活? すると……」

 皆がシオン、そしてアンリエッタとを交互に見遣る。

「国が大変な事に成って居たのは重々に理解はして居ました。然し、王家の血を絶やす訳には行かず身を隠し、こうして終戦に成った事で戻って来たのです」

 ホーキンスは、シオンへと深く礼をする。

「御無事で何選りです、姫殿下」

「有り難う。ええっと……ホーキンス将軍」

「――!? 私の事を御覚えで? 光栄で有ります」

 其処で、シオンへと近寄る年若い女王陛下が居た。

「シオン……本当に大丈夫成の?」

 アンリエッタの表情はとても暗いモノだと云えるだろう。だが、其の心の中に有る感情が考えは……。

「有り難う、アン。やっぱり貴女は優しいわね」

「私が優しい?」

「ええ。だって、案じて呉れて居るのでしょう? 自分と同じ立場に成り、似た様な苦悩を抱く事に成る私の事を想って呉れて居るのでしょう?」

「…………」

 シオンの言葉に、アンリエッタは俯く。

「だから有り難う。そして、大丈夫だよ。私は」

 シオンの登場で、諸会議は略意味の無いモノと成って仕舞った。

 其の為、皆動揺を隠せ無いで居る。

 だが、1人だけが、“無能王”と呼ばれる男だけは、大して気にして居る様子を見せる事は無い。

「……感動の再逢だ! 素晴らしいな!」

 ジョゼフはそう言って、玉座から移動し、空いて居る席へと腰を下ろす。そして、自身の王宮と同様の動作と様子で、指を鳴らした。

 するとドヤドヤと召使や給仕遣らが、料理の盛られた盆を持って、ホワイトホール(会議室)に雪崩れ込んで来た。

「感動の再逢序に食事など如何ですうかな? シオン女王陛下?」

「御気遣い、恐れ入ります。ジョゼフ王」

 ジョゼフの言葉を受け、シオンは礼の言葉を口にして、玉座へと向かい座る。

 俺と商人風の“貴族”も続いて、シオンの両脇へと移動し控える。

 そして、アンリエッタや、アルブレヒト3世、そしてシオンの前に、次々と大量の料理が並べられて行く。

 アンリエッタ達は、呆気に取られた様子で、眼前の料理を見詰めた。

 惜し気も無く、ふんだんに豪華だろう食材が使われて居る事は一目で判る。皿1枚の料理の値段だけで、庶民が1年は贅沢を為乍らでも暮らせるで在ろう程のモノだ。

「“ガリア”から取り寄せた料理とワインだ! 見窄らしいモノで恐縮だ。御国の御馳走とは比べる可くも無いが、精々愉しんで呉れ給え!」

 給仕の1人がジョゼフ王の掲げた杯に、ワインを注いた。

 シオンやアンリエッタ達の前にも杯が置かれ、血の様子に赤いワインで満たされて行く。

『セイヴァー……』

『問題無い』

 シオンは念話で俺へと確認をするが、俺は首肯き同じく念話で返す。

 此処には、各国の首脳達が居座って居るのだ。で在る為に、何かを仕組む輩が居る可能性が多いに在り得ると云えるのだ。

 そう。食事に毒が混ぜられて居る可能性だって十分に在り得る。

 其れを警戒しての念話だが、そう云った類のモノは一切混入しては居らず、唯の豪華な食事が広げられて居るだけだ。

「“ハルケギニア”の指導者諸君! 細やかだが、先ずは祝の宴を開こうでは成いか! 戦争は終わったのだ! そして、“アルビオン”の“王族”は滅びては居らず、シオン王女が生きて居られた! 平和と、彼女の存命、そして我等の健康に乾杯!」

 ジョゼフが指揮を執り、宴が始まった。

 

 

 

 

 

 宴は3時間程も続き……“ガリア”王ジョゼフの突然退席で御開と成った。

 彼は呑んで喰って騒だけ騒いだ後、欠伸を1つ噛まし、「眠い」、と言って立ち上がり、挨拶もそこそこに退出をしたので在る。

 有益な会談など当然何1つ行われ無かったのだ。

 “ガリア”王は居並んだ王達に唯々料理を勧め、二言目には「乾杯!」を繰り返しただけだ。

 何が何遣ら理解らぬ儘に、会談は御流れに成ったと云えるだろう。

「我等を懐柔して、本番は明日から、と言う事成のでしょうかな?」

 と“ゲルマニア”皇帝は呟き、豪華な料理でくちく成った腹を揺すった後に、シオンとアンリエッタを一瞥し、軽く礼をして出て行った。

 本番と云うのは勿論、戦後処理……敗戦国から土地や金を手に入れる事で在ろう。

 アンリエッタは物憂気に肘を突いて居たのだが、立ち上がり、シオンが居る此方側へと向かって来る。

 其の時……アンリエッタの正面に座って居たホーキンス将軍が俺達の方へと遣って来た。そして、深く、頭を垂れる。

「恐れ乍ら、アンリエッタ女王陛下に奏上仕ります」

 アンリエッタの側に控えたマザリーニが窘めようとしたが、アンリエッタは其れを制する。

 そして、シオンもまた別段気にする事は無い。

「先ずは“アルビオン”の民への、寛大成る御処置を賜りとう存じます。彼等は長い戦に因って疲弊して居ります。陛下、何とぞ、“杖”で無くパンを。御美しい陛下の遍く照らす御威光に依って、民は正しく導かれる事で在りましょう。何とぞ、寛大成る御処置を……其れが頂ければ、我等はどう成ろうとも構いませぬ」

「大丈夫だよ、ホーキンス将軍。民に戦の是非を問える訳が無い。だから安心して。ね?」

 シオンの言葉に、アンリエッタも首肯く。

 深々とホーキンスは頭を下げた。続いて、また口を開こうとする。

「未だ、何か?」

「アンリエッタ女王陛下……陛下の軍は、たった2人の“英雄”に依って救われたのです。シオン女王陛下……我々の愚行は其の2人に依って止められ正されたのです。御存知ですか?」

「存じません」

 アンリエッタは首を横に振った。

 実の所、俺と才人が“アルビオン”軍を止めた、と云う噂はアンリエッタの元に届けられ無かったので在る。軍上層部は、自分達が、2人の剣士達に依って救われたのだと云う事を、決して認めようとはし無かった。プライドが許せ無いのだろう。結果、アンリエッタの元へ、報告と云う形で届く前に、其の噂は揉み潰されて仕舞って居たのだ。

「そうですか。やはり、そうですか……保身に走る将軍の気質と言うモノは、国を変えても変わる所が在りませんな」

「どう云う事ですか?」

 疑問を抱くアンリエッタに対し、ホーキンスは語った。

 連合軍を追撃する“アルビオン”軍は、2人の剣士に依って止められたと云う事を。

 其れに因り、“アルビオン”軍は、“ロサイス”から逃げ出そうとして居た連合軍を取り逃がして仕舞った事を……。

 アンリエッタは、心の中にさざめくモノを感じた。戦が終わってから、終ぞ震え無かった心が、震え始めたので在る。

「剣士と……申しましたね?」

「ええ、剣士。2人共異国の風貌をして居りました。1人は、黒髪の少年でした。そして」

「ああ、少し振りだな」

 ホーキンスは俺へと一瞥を呉れ、俺もまた其れに応える。

「まさか、貴男がシオン女王陛下の側に居らっしゃるとは……いえ、若しや、我々を止める為に、陛下から命令を受けたとか?」

「ホーキンス将軍。彼は、セイヴァーは、私の“使い魔(サーヴァント)”です」

「――!? “使い魔”が人などと聞いた事が有りませんな……然し、貴女は昔から素直な娘で御座いました。嘘偽りなど一切無いのでしょうな。更にはあれだけの力を持って居る……其の名の通り、正に“救世主”と言った所でしょうか? ……失礼、話を戻します」

 感に堪え無い、と云った面持ちで、気を取り直し、ホーキンスは話題を戻した。

「セイヴァー殿と斯の勇者は暴れに暴れました。勇者は小官の鼻先に剣の切っ先を突き付けた所で、力尽きました。其の後、弾かれた様に動き出し、森へと消えましたが……あの怪我では生きては居無いでしょう。然し、彼とセイヴァー殿の働きに依って、陛下の軍は救われたのです。たった2人の剣士が……十数万の軍勢にも匹敵する戦果を挙げたのです。“英雄”には、其の働きに見合う名誉を与えねば為りません」

「理解りました。有難う御座います」

 アンリエッタは、震える声で礼を述べた。

 黒髪の、異国の風貌をした剣士。

 アンリエッタは、(……其れは、戦死者名簿に書かれて居たルイズの“使い魔”の少年では成いかしら? ヒラガサイト。妙な響きの名前。異世界から来た少年。“虚無”の“使い魔”。伝説の“ガンダールヴ”……何時か、自分が心を乱して、ルイズ達に“杖”を向けた時……私とウェールズ様が放った“魔法”を、止めて呉れた)と云った事などを想い出し、考える。そして、(彼は再び、セイヴァーと一緒に止めて呉れたのだ。1度成らず、2度迄も……2人は止めて呉れたのだ)と想った。

 ホーキンスは、遠い目をして言った。

「2人が居無ければ……小官とアンリエッタ女王陛下は本日、席を入れ替えて居たに相違在りませぬ。何とぞ、勇者に祝福を。陛下の御名に於いて、祝福を御与えて下さいますよう」

 ホーキンスの言葉に、アンリエッタは首肯いた。

「ホーキンス将軍」

「何で御座いましょうか? シオン女王陛下」

「もう1度、“アルビオン”の為に、力を貸して下さいますか?」

「――!? はい! 誠心誠意、尽くさせて頂きます」

 シオンの言葉に、深く一礼をし、ホーキンスは退出をした。

 

 

 

 

 

 其の夜……“ハヴィランド宮殿”の客間の一室で、アンリエッタは物思いに耽って居た。

 外国からの賓客を饗す為に設けられた豪華な部屋で在る。

 ドアがノックされた。大きく3回。小さく2回。其の叩き方を許可したのは、唯の1人で在った。

「御入り為さい」

 扉を開けて、アニエスが現れた。帯剣して居無ければ、唯の平民にしか見え無いだろう、簡素な衣装に身を包んで居る。

「何か、判りましたか?」

 アンリエッタが問うと、アニエスは首を横に振った。

「いえ……何ら手掛かりも得られませんでした」

 アンリエッタは、「そうですか」、と首肯いた。

 アニエスはアンリエッタ達に先行して、此の“アルビオン”へと遣て来て居たので在る。

 “シティオブサウスゴータ”での、突然の“トリステイン”軍の反乱……彼等は“ロサイス”で、夢から覚めたかの様に我に返り、一度は味方に着いた“アルビオン”軍へと攻撃を再開したのだった。

 兵も、士官も皆一様に、一時的な反乱について「そう為成ければ行け成い気がした」と答えたのみで在った。

 何らかの“魔法”が原因で在ろうが、全く理由が判ら無いのだ。

 数万の将兵が経験した其の奇妙な事件は突然の勝利に霞んだのだが、其れでも放っては置け無い類の事件で在る事に変わりは無い。

 アニエスは、アンリエッタに命じられ、其れをずっと調査して居たので在る。

「“シティオブサウスゴータ”の水が原因と想い、同行した“メイジ”に調べさせましたが、幾ら調べても、何の変哲も無い唯の水でした。“先住魔法”の可能性を指摘した“貴族”も居りますが……証拠が在りませぬ。御手上げです」

「そうですか……セイヴァーさんに訊ずねてみる可きかしら……いえ、不思議な事件でしたが、真相究明は諦めた方が良さそうね。切りが無いわ」

 アニエスは頭を垂れた。

「陛下の御期待に添えず、申開きの言葉も御座いませぬ」

「頭を上げて頂戴アニエス。私の隊長殿。貴女の責任では在りませんよ。此の世には不思議な事や、解明されている無い出来事は山の様に在ります。“先住”の“魔法”、“聖地”、“亜人”や“エルフ”達、“東の土地(ロバ・アル・カリイエ)”、海の向こう、そして“虚無”。其れ等1つ1つに一々心を惑わせて居たら、大変だわ」

「そうですね」

 疲れた声で在った。最近のアニスは、此の様な調子で在る。何処かに情熱を置き忘れて来たかの様な、そう云った様子を見せて居るのだ。

「隊長殿、貴女に新しい任務を与えたいのですが」

「喜んで」

 アンリエッタは、昼間、ホワイトホールでホーキンス将軍から聞いた事、そしてシオンの事を話した。

「ミス・ヴァリエールの“使い魔”の少年とミス・エルディの“使い魔”が?」

「そうです。彼等は連合軍を……祖国を救って呉れたのです。何としても、其の生死を確かめねば為りません。セイヴァーさんが未だ“現界”して居る事、そして彼の言動からすると、生きて居るのでしょうが……“アルビオン”軍と彼等が交戦した地点は“サウスゴータ地方”……“ロサイス”の北東との事です」

「畏まりました」

 アニエスはそう言って頭を下げると再び部屋を出て行こうとした。

「御待ち下さい」

「何か?」

 怪訝な表情を浮かべたアニエスに、アンリエッタはテーブルの杯を勧めた。

「酒?」

 アニエスは言われる儘に杯を持ち上げはするのだが、口は付け無いで居る。

「貴女に訊きたい事が有るのです。女王としては無く、歳若い女として……年長の女性で在る貴女に質問が有るのです」

「何成りと」

「……復讐が齎すモノは、何成のでしょうか? 虚しさでしょうか? 哀しみでしょうか? 永久に続く、後悔成のでしょうか?」

「復讐ですか?」

 アニエスは目を瞑った。

「私も其れを……扱い兼ねて居るのです」

 

 

 

 “銃士隊”の隊長が退出をした後……。

 アンリエッタは、王軍を、祖国を、そして自分を救った青年、何選り少年の名前に想いを馳せた。

 再び杯にワインを注ぐ。

 中に揺らぐ液体を見詰め乍ら、アンリエッタは指でユックリと唇を(なぞ)った。

 口居るが、炎の“魔法”を掛けられたかの様に熱い事に気付き……アンリエッタは軽く頬を染めた。

 

 

 

 

 

 木の枝からロープで吊るした薪を、才人は睨み付けた。

「きぃいいいいいいえええええええええええッ!」

 絶叫と共に、デルフリンガーを振り下ろす。カツンッ! と音がして、巻藁は斜めに斬られ、ズルッと地面に滑り落ちた。

 周りでそんな様子をジッと見て居た子供達から、拍手が沸いた。

 才人は額の汗を拭った。

 才人は此処暫く、ずっと朝から身体を動かして居るので在る。リハビリも兼ねての事で在った。朝起きると先ず、森を走る。とことん走るので在る。其の後は、デルフリンガーを握って日がな1日、やっとう(剣術)の稽古で在る。デルフリンガーがコーチ役で在る。そして、物珍し気にそんな様子を見詰める子供達が見物客で在った。

「どうだ?」

 と才人はデルフリンガーに尋ねた。

「まあまあだね。悪くは無え。ま、あれだけ剣を振って来たんだ。セイヴァーの言って居た通り、其れ成りに体力は付いてるし、コツも身体が覚えてるんだろうよ」

「そっか。でも、傭兵相手じゃ同仕様も無かったな……」

「当ったり前だ。向こうは本職だぜ? ちょっとばっか剣が振れるガキに負けるかよ」

「ハッキリ言う無よ」

 才人はデルフリンガーを睨んだ。

「おまけに相棒はビビってたじゃ成えか。ビビった相手に負ける奴は居無え」

「くそ……」

「悔しかったら、剣を振りな。今の相棒が、“ガンダールヴ”に近付く方法は其れしか無え」

「理解ってるよ」

 再びデルフリンガーを構え、才人は素振りを再開した。

 2時間程振り続け……。

「つ、疲れた……」

 才人は地面に転がる。

「情け無え。もうへばったのか」

「……御前な、朝から遣ってんだぞ」

 其れでも、才人は心地好い疲労を感じて居た。“日本”に居た時は、此処迄身体を動かす事など無かったのだ。

 木々の隙間から覗く太陽が眩しくて、才人は目を細める。

「其れにしても……」

 と才人は自分の手を見詰めた。

「どうした?」

「此処迄身体が動くとは想わ無かった」

 其れは軽い驚きだと云えるだろう。

 “日本”に居た時と比べ、体力が付いて居るのだ。少し前で在ればへばってしまう様な距離を走る事が出来、剣を振る事も出来る。デルフリンガーは決して軽く無い。大剣で在るのだ。前で在れば、振り回してみると、一緒に成って回転して居たで在ろう事が理解る。

「だからよ。御前さんはかなり苦労して来たじゃ成えかっ吐のよ。ハッキリ言うけど、実戦の経験だけ成ら既にベテランだぜ。所詮素人ですからだの言って、あんまし自分を甘やかす無よ」

「甘やかして無えよ」

「と言っても、未だ未だ実践に耐えられるレベルじゃ無えけどな。自惚れる無よ」

「何方何だよ?」

「嗚呼、セイヴァーが早く帰えって来て、剣の稽古が出来りゃあ良いなあ……」

 と、デルフリンガーは切無い声で呟く。

「ま、無えもん強請っても始まら無えだろ。出来る事をコツコツ遣ろうぜ」

 才人は立ち上がった。

「あ、あの……」

 才人が振り向くと、其処にはティファニアは立って恥ずかしそうにモジモジとして居る。

「どうしたの?」

「……御昼御飯に為成い?」

 周りに居た子供達から、歓声が沸いた。

 昼食の席は、ティファニアの家の庭に設けられるのが常だった。庭とは云っても、森との境界が無い為に、何処迄が庭成のか判別を着け難いのだが。

 ティファニアは、テーブルの上に料理を並べ始めた。茸のシチューと、パンだ。

 才人は其処で漸く、激しく御腹が空いて居る事に気付く。

「頂きます!」

 と大きな声で叫んで、ガツガツと食べ始めた。

 ティファニアは、一瞬呆気に取られはしたが、其れから微笑む。

 子供達は面白がって才人の真似をして、ズルズルと音を立ててシチューを啜り始める。

 子供達のそんな様子に気付き、才人は顔を赤らめた。其れから、ユックリと食べ始める。

「美味しいよ。有り難う」

 ティファニアはニッコリと笑った。

 あっと言う間に御飯を平らげた子供達は、ティファニアにじゃれつき始める。

「テファ姉ちゃん! 遊んで!」

「こらこら、未だ食べ終わって無いんだから……」

「うっわ! テファ御姉ちゃん、ママみたいだぁ……」

 10歳位の男の子が、ティファニアの大きな胸に顔を埋めてフガフガと為始めた為に、才人は思わずシチューを噴き出して仕舞う。

「ジム! こらこら、もう大きいんだから、何時迄も、ママ、ママって言ってちゃ駄目でしょ?」

「だって……テファ姉ちゃん、ママみたいにおっきいから……」

 ジムと呼ばれた少年の目に、才人は何か怪しいモノを感じた。

「……おい、御前の目、ママを見る目じゃ無えぞ。あと2~3年後にそんな目をして同じ事遣ってみろ。捕まるぞ」

 そう言ったら、ジムはキッ! と才人を睨んだ。

「テファ御姉ちゃんは、絶対渡さ無いからな!」

「はい?」

 ジムは駆け出して行ってしまう。

「何だ彼奴……誤解も良いとこだ」

 才人は、ティファニアに同意を求めようと顔を向けるのだが、彼女は膝の上で拳をギュッと握り締めて居る所で在った。

「テファ?」

「ち、違うの! 先刻じっと見てたのは、何だか楽しそうに剣の稽古してるから、見てると面白くって、其れだけで、其の……」

 才人は苦笑した。

「理解ってるよ。歳の近い俺の遣ってる事に、興味が有るんだろ?」

 ティファニアはコクリと首肯いた。屋敷に閉じ込められて居たと云っても良い形で育ったティファニアは、同じ位の歳の人と、つい此の前迄話した事が無かったので在った。

「……でも、不思議ね」

「何が?」

「貴男達は何だか、そん何恐く無い。此の前救けた“竜騎士”の男の子達は、何だか恐かったけど……」

「どうしてかな?」

「そうね……きっと、多分、貴男達は私を恐がら無いからだと想う。恐がられるとね、不安に成っちゃう。逆に何かされるんじゃ成いかって……」

 どう遣らルネ達は、ティファニアを恐がったらしい。だが其れは無理も無い事だと云えるだろう。“貴族”を始め、此処“ハルケギニア”の人達は“エルフ”を恐怖の対象として見て居り、また、戦争中でも在ったのだから。

 だが、当然乍ら、才人は“ハルケギニア”で生まれ育った訳では無く、また、今はもう終戦した。

「言ったじゃ為えか、君みたいに可愛い娘を、恐がったりする訳無いだろ?」

 才人がそう言うと、モジモジと居心地が悪そうに、照れた様子でティファニアは身を捩る。自然、胸が腕で挟まれて仕舞い、やはりモジモジと動くのだ。大きな果実地味たモノが自在に形を変えるのだ。男にとっては、目の保養で在ると同時に毒でも在ると云えるだろう。

 ティファニアは、才人が恥ずかしそうに目を逸らせた事に気付き、慌てて胸を押さえた。そして、軽く才人を睨んだのだが……気付いた様に真顔に戻る。

「でも……ホントに報せ無くて良いの?」

 才人も真顔で首肯いた。

 今朝方、ティファニアが「家族に、無事を報せ為くて良いの?」と尋ねたので在る。其れから、「居る場所は伏せて置いて欲しいが、生きて居る事を知らせるのは構わら無い」とも言った。

「“トリステイン”に残して来た御家族、心配してるんじゃ成いの? 多分、セイヴァーさんは、家族に逢いに帰えったんだと想うわ。」

「良いんだよ」

「手紙位は出した方が……」

 才人は、「良いんだよ」、と寂しそうに繰り返す。

「残された家族は、貴男の安否が気に成ってる筈だわ」

「“トリステイン”に家族は居無いよ」

「じゃあ、何処に居るの?」

「手紙の届か無い場所さ」

「……え?」

「何でも無い。忘れて呉れ」

 ティファニアは、其れ以上何も言え無く成ってしまい、黙ってしまった。才人のシチューの皿が空っぽに近い事に気付き、ティファニアは其れを取り上げ、「お、御代り持って来るわね」、と言い残し、家の中へと消えた。

 才人は、(やっぱり、本当の事言った方が良いんだろうか? テファの他にも“虚無の担い手”が居て、自分が其の“使い魔”だった事。セイヴァーが居れば相談出来たんだけどなあ)と想い悩み、唇を軽く噛んだ。

 そんな風に想い悩んで居ると……。

 眼の前に誰かが腰掛ける気配を、才人は感じ取った。そして、(もう戻って来たんだろうか? 随分と早いな。もうちょっと心の準備をする為の時間が欲しかったが、仕方が無い)、と考えた。

 才人は苦しそうな声で、「“トリステイン”に家族は居無いけど……大事な人は居るんだ。でも、もう……俺には其の人の前に姿を現す資格が無いんだ。俺はもう、其の人の“使い魔”じゃ無く成っちまたから。だから……」、とそんな風に言い淀み乍ら説明をして居ると、前からティファニアのモノとは違う低い女の声がした。

「こんな所で、何をして居る?」

 ギョッとした様子で、才人は顔を上げた。

 “銃士隊”の隊長が、其処に居た。

 

 

 

「苦労するかと想ったが、あっさり見付かるとはな。気が抜けた」

 ティファニアの家の居間で、才人はアニエスと向かい合って居た。

 草色のチュニックに黒いマントを身に着けたアニエスは椅子に腰掛け、才人を呆れた様な表情を浮かべ見詰めて居る。

「街道から森に入って、村や集落を軒並み当たる積りだったのだ。見ろ、之だけの用意をして来たのだぞ。広大な森を捜索するのだからと、2週間分の保存食料に……露を凌ぐ夜具。靴の替え迄持って来た。其れが、1番始めに立ち寄った集落の庭先で昼食を摂って居たのだ。全く、拍子抜けだ」

 パンパンに膨らんで居る大きなリュックを指指して、アニエスが言った。

「そっすか。姫様が俺を捜す様に言ったんですか。其れともセイヴァーが……?」

 事情を聞いた才人は恐縮して縮こまってしまった。

 其の隣には、困った表情を浮かべたティファニアが、出逢って直ぐから見せて居る普段と何ら変わら無い様子でモジモジとして居る。行き成りの事で在った為に、帽子を冠る暇も無く、耳が見えて居る。

 アニエスはそんなティファニアの事を気にした様子も無く、テーブルの上の御茶を飲むと、立ち上がった。

「じゃあ行くか。御嬢さん、連れが世話に成ったな。之は少ないが、礼だ」

 金貨の入った袋を、アニエスはティファニアに放り、家の戸口へと向かう。

 が――。

「どうした?」

 立ち上がら無い才人を見て、アニエスは怪訝と云った表情を浮かべる。

「あの……姫様には、俺が死んだと伝えて呉れませんか?」

「何故だ? 平民の身分で陛下に捜索願を出されるなど、在リ得無い名誉だぞ? 其れに、セイヴァーの存在が、御前の生存の何選りの証拠に」

 才人は言った。

「姫様は、ルイズに報せると想います」

「其りゃそうだろう。貴様はミス・ヴァリエールの“使い魔”何だから」

「もう、違うんです」

「何だと?」

 “ルーン”の消えた左手甲を、才人はアニエスへと見せる。

「私は“メイジ”では無いから理解らぬが……確か此処には、文字が刻まれて居たな」

「1回、死に損なって、“ルーン”が消えてしまったんです。“使い魔”じゃ無い俺は、誰にとっても必要の無い人間です。だから、死んだと伝えて下さい」

 アニエスは才人をじっと見詰めて居たが……ティファニアに視線を移した。

 アニエスに見詰められ、恥ずかしそうにティファニアは耳を隠し、(去り際に、背中から自分に関する記憶を消す積りけど……見抜かれたのかしら?)と考える。

「“エルフ”か?」

「……ハーフです」

 アニエスは、「そうか」、と呟く様に言った。

 全く恐がら無いアニエスを見て、「“エルフ”が恐く成いんですか?」とティファニアは恐る恐る尋ねた。

「敵意を抱かぬ相手を無闇に恐がる習慣は持ち合わせて居無い」

 溜息を吐くと、アニエスは再び椅子に腰を下ろした。

「良いだろう。死んだと伝えて置いて遣る」

「ホントですか?」

「ああ。其の代わり……私も暫く此処に滞在する」

「何ですと?」

 才人とティファニアは、ポカンと口を開けてアニエスを見詰めた。

「期限を指定された訳でも無いしな。其れに……」

 何処と無く疲れた口調で、アニエスは言った。

「少し、休みたいのだ。戦争が始まってから此方、眠る暇も無かったからな」

 

 

 

 

 

 其の夜。

 才人はベッドの上で、まんじりともせずに天井を見上げて居た。そうして居ると、廊下の床板が軋む音が聞こ得て来る。

 其の後、トントン、と扉が叩かれる。

「アニエスさん?」

 居間で寝て居るアニエスかと才人は想ったのだが、違った。

「私」

 と少しばかりはにかんだティファニアの声が、扉の向こうから聞こ得て来る。

「開いてるよ」

 ガチャリと扉が開いて、ティファニアが現れた。薄い、1枚布で作られた夜着を身に纏い、蝋燭の載った燭台を右手に持って居る。淡い蝋燭の光に、ティファニアの金髪が滑らかに溶けて居た。

「どうしたの?」

 緊張した声で、才人は尋ねた。

「ちょっと御話したいなって。良いかしら?」

「良いよ」

 才人が、寝間着に着替えたティファニアを見るのは、初めてだと云える。

 ゆったりとした其の寝間着は、ティファニアの凸凹の激しい身体を、緩やかに包んで居る。幼い顔立ちをして居る為か、身体のラインがか隠れると随分と幼く見えてしまう。

 ティファニアはテーブルに燭台を置くと、椅子に腰掛ける。

 そして、真面目な声で才人に尋ねた。

「ねえサイト。貴男、何者成の? “トリステイン”に家族は居無い、でも、“トリステイン”の女王が捜してる。其れに“俺はもう使い魔じゃ無い”って言ってたわね。人が“使い魔”ってどう云う事? 言いたく無かったら、良いんだけど……でも、気に成って」

 才人は悩んだ。

 其の事を話す――説明すると成ると、話が“虚無”に関する事迄及ぶ為だ。

 ルイズと云う女の子が居て、ティファニアと同じ“虚無の担い手”だと云う事……。

 其の事は、森でヒッソリと暮らして居るティファニアには、話さない方が良いに、才人には想えた。要らぬ危険に巻き込んで仕舞う可能性が在るからだ。

 才人が黙って居ると、ティファニアは言葉を続けた。

「其れに貴男、私がハーブを弾いた時、泣いてた」

「気付いてたの?」

「ええ。あの曲を聴くと、私も涙が出るの。母が生まれた土地の事が気に掛かるのよ。其処に何が在るのか私は知ら無いし……行った事も無いんだけど、きっと其処は私の“故郷”何だわ。貴男も故郷を想い出したんでしょう?」

 才人は首肯いた。

 “虚無”の説明は兎も角として、自分の事で在れば、話しても差し支え無いだろうと判断したのだ。

「何処? 良かったら、教えて?」

「……“地球”の“日本”って国」

「何其れ?」

 ティファニアはやはり、はぁ? と目を丸くした。

「何て言うかな、セイヴァー成らもっと上手く説明出来るかも知れ無いけど……そうだな、此処じゃ無い、別の世界。此処とは違う世界。俺は其処から来た人間何だ」

「意味が理解ら無いわ」

「だろ? だから言いたく無かったんだ」

「貴男は其処から来たって言うの? どう遣って?」

「其の……どう言う訳か、“使い魔”として喚び出されちまったんだ。理由は俺にも理解ら無い」

「そんな事って在るんだ……」

「在るんだろな。セイヴァーもそうだけど、現に俺が此処にこうして居るんだから」

「人が“使い魔”だ何て、聞いた事無いわ」

「俺が成った“使い魔”には、“何な武器でも操れる”能力が有ったんだ」

 独り言の様に、才人は言った。

「もう操れ無いの?」

「そう」

「だから、“トリステイン”に帰ら無いの? 貴男の主人、で良いのかしら……?」

「良いよ」

「其の人に、逢いたく成いの?」

「違う、逢え無いんだ。俺はもう、役に立た無い。必要の無い人間だから……」

 そんな才人の様子で気付いたのだろう、ティファニアは同情する様な声で言った。

「其の人の事、好きだったのね?」

 そう言われた瞬間、才人の目から涙が溢れた。

 今迄抑えて居た感情が溢れ、才人はポロポロと、幼子の様に泣いた。

 ティファニアは咄嗟に立ち上がり、才人の頭を掻き抱いた。

「御免。御免ね。泣か無い、泣か無いで」

 

 

 

 暫く泣いた後、才人はティファニアに謝った。

「泣いて御免」

「良いの。私も偶に泣くし……」

 ティファニアは、才人が泣き止んでも、其の胸に抱いて居た。

 大きなティファニアの胸は柔らかく、才人の心を落ち着かせた。ジムの言って居た通り、其処には確かに母性が在り、才人は其れに因り落ち着きを取り戻した。

「……そっか。だから私、貴男に親近感を抱いたのね」

「俺に?」

「そう。貴男も帰れ無い故郷を持ってる。私もそうだもの。貴男が私のハーブを聞いて泣いてた時、何と無くそう感じたの。やっぱりそうだった」

 ティファニアは、自分の着て居る夜着を見詰めた。

「珍しい衣装でしょう?」

「そうだね」

 ルイズ達が着て居る服とは、全く違うデザインの衣装で在る。

「“エルフ”の服成の。母から貰ったのよ。“エルフ”は砂漠に暮らしてるから……こう云う衣装を着るの。昼は太陽から肌を……夜は冷気から体温を守って呉れる。暖かいから、寝間着にしてるの」

 懐かしむ様な声と調子で、ティファニアは言った。

「夜に成ると、母を想い出す。母はとっても綺麗で、優しかった。此の服を着て寝ると、母に抱かれて居る様に感じるわ」

「うん」

「東の土地……母の故郷……行ってみたい。でも行け無い」

「どうして?」

「“エルフ”は人間を嫌ってる。“混じりもの”の私を見たら、何をするか判ら無いもの」

 哀しい声で、ティファニアは言った。

「そして、人間は“エルフ”を恐がってる。私を恐がら無いのは、何も知ら無い子供だけ。昼は人間。夜は“妖精(エルフ)”。私ってば、何方でも無い。出来損ない」

「出来損ない何かじゃ無いよ」

 顔を上げ、才人は言った。

「どうして?」

「君はこん何綺麗じゃ成いか。初めて見た時、妖精だと想った。ホントにそう想ったんだ。もっと自信を持てよ」

 ティファニアは顔を赤らめた。

「…………」

「ご、御免……別に変な意味で言ったんじゃ無いんだ……」

「何度も言わ無いで。照れるから」

「うん」

「綺麗何て言われたの、貴男達が初めてよ。貴男達ってホントに変な人。私の事恐がら無いし、綺麗って言うし」

「だって綺麗だし……」

 才人が憮然として言うと、ティファニアは才人をソッと押し遣った。

「テファ?」

「……もう、だから何度も言わ無いで」

「なな、何で怒るんだよ? 綺麗なモノを綺麗って言って何が悪いんだよ?」

「今度綺麗って言ったら、口を利か無い。私、黙っちゃうんだから」

 ティファニアはそう言い残し、立ち上がって、退出をした。

 後に残された才人は、訳も理解ら無いのだろう、頭を掻いた。

 

 

 

 

 

「シオン」

「何? セイヴァー」

「また少し出掛ける」

「サイト君のとこ?」

「そうだ」

 “ハヴィランド宮殿”の1番豪華な部屋――君主基王が寝る事が出来る部屋のベッドの上に、シオンは座って居る。

 そんな彼女の眼の前に、俺は立って居る。

「恐らくだが、否、之は既に行われて居る、逢って居るだろうが、アニエスが才人と接触をして居る」

「そっか。アン、捜索する様に命令したんだ」

「ああ。俺は今から其処に向かう」

「気を付けてね」

「そう言う御前こそ気を付けろ。何か在れば」

「うん。“令呪”を消費して(使って)、喚び出すから」

 

 

 

 

 

 翌朝……。

「起きろ」

 才人は、「ん?」、と頭を掻おいて起きると、外は未だ薄暗い。

「未だ夜じゃんかよ……」

 と呟いて、才人はもう一度毛布に潜り込む。

 すると、其の毛布を引剥されて仕舞う。

「何すんだよ!?」

 と才人は怒鳴るのだが、鼻先に剣を突き付けられて仕舞う。

「起きろ。3度は言わんぞ」

 暗がりに、アニエスの顔が見える。良く見ると、突き付けて居る剣はデルフリンガーで在った。

「良かったなぁ、相棒!」

「あん?」

「此の“銃士隊”の隊長が、今日から御前さんに稽古を付けて呉れるってよ! 握られてると判るんだけどよ、いやぁ、中々の腕前だぜ!」

 アニエスは、ニヤッと笑った。

「どうせ退屈だしな。暇潰しに、貴様を鍛えて遣る。喜べ」

「そ、其りゃどうも……」

 と才人は頭を掻くのだが、思いっ切りアニエスに頬を張られて仕舞う。

「な、何すんすか!?」

 才人は、グイッと耳を捕まれ、引き寄せられる。

 顔を近付け、アニエスが言った。

「良いか? 貴様の返事は今日から“はい”のみだ、理解ったか?」

 ルイズとは違う種類の迫力に呑まれたのだろう、才人は思わず首肯いて仕舞う。

 “銃士隊”隊長の真顔は、若く綺麗な女性が持つ優しさを微塵も感じさせ無い。否、優しいからこそ出せる、そして何選りも過去と経験から来るだろう迫力で在ると云えるだろう。

「は、はい……」

「声が小さい」

「はいッ!」

「1分遣る。服を着て庭へ」

 

 

 

 才人が慌てて服を着て庭に向かうと、アニエスが腕を組んで立って居た。

 才人が其の前に立つと、低い声でアニエスが告げる。

「10秒、遅刻だ」

「そんな、10秒位……」

 隙かさずアニエスに依って頬を張られ、泣きそうな声で才人は怒鳴った。

「はい! 遅刻です!」

「では腕立て、100回」

 アッサリした声でそう言われ、才人は腕立てを開始した。

 其れから、才人にとって地獄の様だと想える基礎訓練が続いた。

 森の中を延々と走らされた後は、木を利用した筋力トレーニング。才人が自分で考案し、遣って居たトレーニングが遊びに想える様な猛特訓で在る。

 

 

 

 昼に成り、流石に才人がぶっ倒れると、水を掛けられてしまう。

「どうした犬? へばったか?」

 犬と呼ばれて、才人はカチンと来て仕舞う。

「犬は勘弁して下さい。才人って名前がちゃんと有るんだ」

「名前で呼んで欲しかったら、人並みに成ってみろ」

 そして、木で出来た剣を放られる。

「次は剣だ」

 ヨロヨロと才人が立ち上がると、振り向き様に腹に突きを叩き込まれて仕舞う。

「ま、未だ構えて無いのに……何すんすか……?」

 と悶絶して呟く才人だが、対するアニエスは笑みを浮かべた。

「実践で構えてから何て在ると想うか? 街の道場成らみっちり半年ばかり、基礎体力でも付けさせ、其れから型の稽古に入る所だが……」

 アニエスは半身に成り、スッと剣を突き出した。流れるかの様な動きで在る。

「此方人等無粋な軍人だ。型も術もすっ飛ばす。貴様に剣を教えて遣る」

 

 

 

 1時間後、才人は再びぶっ倒れてしまった。文字通り気絶をしたので在る。

 アニエスは再びバケツの水をぶっ掛ける。

 目を覚ました才人は、ボンヤリとアニエスを見詰めた。

 此の1時間と云うモノ……才人は当然の事だが、ボコボコに遣られたので在る。

 才人の剣は、アニエスに掠りも為無かった。振れば躱され、次いで身体の何処かに剣を叩き込まれて仕舞ったのだ。

「どうして貴様の攻撃が私に当たらぬのか、理解るか?」

「理解りません」

「太刀筋が、全く同じだからだ。其れしか知らんのか?」

 才人は首肯いた。

 “ガンダールヴ”としてのスピードで剣を振り下ろせば、避けられる敵など極一部を除いて存在し無かったからだ。

「奇襲成ら其れで良い。然し、多少剣を知って居る敵には、其れでは絶対に当たらんぞ」

「はい」

「良いか、自分の攻撃を当てるには、敵の隙を突け。目を凝らして、隙を見付け出せ」

「隙が無ければ……どうすれば良いんですか?」

「作り出せ」

 夕方迄、才人はアニエス相手に剣を振るったのだが、全く掠りもし無かった。

 グッタリと地面に横たわり、才人は譫言で在るかの様に呟いた。

「どうして……どうして掠りもし無いんだ……?」

 アニエスは、呆れた声で言った。

「おいおい。此方は剣1本で“貴族”の名を得た剣士だぞ。多少実戦を経験した位の素人に負けるか」

「……少しは行ける様に成ったと想ったんだけどな。やっぱ駄目か。付け焼き刃だもんなぁ」

 そんな風に呟く才人に、アニエスは言った。

「自嘲する暇が在るの成ら、剣を取れ。犬には、己を卑下する権利すら無い」

「見事なモノだな、アニエス“銃士隊”隊長殿」

 拍手をし乍ら、夕陽に照らされ、俺は姿を晒す。

「セイ、ヴァー……?」

「ミス・エルディの護衛はどうした?」

「何、今もして居るさ。側に居無いだけだ」

「どう云う意味だ?」

 俺の言葉に、アニエスは怪訝な表情を浮かべる。

「言葉通りの意味だ。瞬時に、空間を移動する、文字通り瞬間移動出来る術を俺は持って居る。何か在れば、即座に向かい守る、と言う事だ」

「……成る程」

 俺の言葉に、アニエスはどうにか理解したのだろう様子を見せる。

「にしても、御前、死に体だな。大丈夫か?」

「大丈夫、じゃ、無い……」

「さて、アニエス隊長殿。時間が時間では在るが、1つ手合わせ願いたい」

「ほう……私に剣で挑むと言うのか? 其れとも……私に稽古を付けて呉れるのか? 確か“魔法”も使えるんだったな。“魔法”を使っての試合か?」

「否々、俺は之だけを使う」

 俺はそう言って、直ぐ近くの木の枝を折って手に持つ。

「で、隊長殿は実剣を使う」

「貴様、舐めてるのか?」

「とんでも無い。唯、今の俺と君には其れだけの力の差が在ると言うだけだよ」

「良いだろう。其の挑発に乗って遣る」

 俺の言葉に、アニエスは口角を上げ、俺を睨み付け、自身が持つ実剣を構える。

 対する俺は、先程手にした木の枝を構える。

 

 

 

 少しばかり時間が経ち、地面にはアニエスが横たわって居る。

 彼女はとても悔しそうな様子を見せて居り、同時に今迄の自分を支えて居たモノの1つを粉々に砕かれた事も在り、呆然として居る。

 才人も同様に、何が何だか、そして何が起きたのか判ら無かったのだろう。呆然として居る。

「何故だ……何故、小枝1本しか使って居無い相手に勝つ事が出来無いんだ……?」

「俺が上回っただけだ。御前が気にする事では無い。まあ、ヒトの身では十分過ぎる力だと言えるだろう。俺は少しばかりズルをして居るから、其れを考えれば御前の力は見事なモノだ」

「ズルだと?」

「ああ、そうだとも」

 “騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)”。

 手にしたモノに自身の“魔力”を注ぎ巡らせる事で、Dランク相当の“自分の宝具”として属性を与え扱う事が出来る“アーサー王伝説”に於ける“ランスロット”が持つ“宝具”だ。

“サーヴァント”としての身体能力と、其の“騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)”を使用して居るのだから当然の帰結だろうと云える。

「正々堂々と戦う積りは無いのか?」

 非難の意思を込めた視線と言葉を、アニエスは俺へと向けて来る。

「戦場でもそんな事を言うのか? 抑々、平等且つ公正さを持つ戦いなど無い。其の時々に従って常に動く生き物の様なモノだ。条件や状態、如何様にでも変化し続ける」

 俺の言葉に、アニエスは黙り込んで仕舞った。



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ルイズの決心

 冷えた夜が続いて居る。

 永久に続くかの様に、何時迄も夜は過ぎて行く。朝方に成るとウトウトとし始め、眠る事が出来るのだ。昼頃目を覚まし、また眠る。そんな浅い眠りを1日に何度も繰り返して居ると、まるで頭が、重い霧にでも包まれて居るかの様な錯覚を覚えるのだ。

 そんな事を、ルイズは続けて居た。

 “サモン・サーヴァント”を唱えて、才人の死を認識してから……2週間程が過ぎて居た。其の間、ルイズは部屋から1歩も出て居無かった。時折、ベッドから出て、ドアの前に誰かが置いて呉れた料理を取り、食べるのみで在る。誰が置いて居るのか、もう其れすらも、今のルイズには気に成ら無い。気にする事が出来無い程の状態で在った。

 夢の中だけだが、ルイズは才人に逢う事が出来た。だからルイズは、1日中、眠ろうとしたのだ。眠れ無い時は、自棄に成ったかの様にワインを呑み、酔いの力を借りるのだ。そんなルイズにとって、朝や夜の時間の区別はとっくに意味を失って居たと云える。部屋のカーテンは締め切られて居り、常に薄暗い状態が続いて居る。

 そんな生活を続けて居ると、次第に、ルイズは夜と昼の区別を付ける事すらも出来無く成って行くのだ。

 だが、其れこそが今のルイズが望んだ世界で在った。

 ルイズは、何時迄もずっと、才人に逢う事の出来る夢の世界に耽溺して居たかったのだ。

 誰かが扉を叩いてもそんなルイズはもう、返事すらもし無かった。誰かが呼ぶ声が聞こ得ても聞こ得ぬ様に、耳に綿の塊を詰めるので在った。厳重に鍵を掛け、部屋の中に誰も入って来られ無い様にしたので在る。そして何時も才人にそうして居た様に、代用品として枕を抱き締め……頬を乗せて目を瞑るのだ。

 夢の中の才人は何時も優しく……ルイズを抱き締める。

 そして何度も「好き」と繰り返すのだ。

 其れは無意識の無いの、ルイズの理想の才人で在った。

 心の底でこう遣って欲しいと願う、“愛”する“使い魔”の仕草で在った。

 ……其の日の夕方も、ルイズは才人が出て来る夢を見て居た。

 何時だか赴いた、“ラグドリアンの湖畔”が舞台で在る。

「水が綺麗ね」

「そうだね」

 手を繋いで、湖畔を2人で歩くのだ。

 ルイズは、才人と初めてデートをした時の、クロのワンピースにベレー帽姿で在った。

 美しい水面に其の姿が映る。

「何時か此処で、一緒に“水の精霊”を見たね」

「うん」

 言葉が出て来無い。

 ルイズは、伝えたい事が有る筈成のだが、何も言え無いのだ。言ったら、此の世界が壊れて仕舞う様な気がしたので在る。

 温かい、偽りの世界を映した鏡が割れて、何処迄も深い闇に呑み込まれて仕舞う様に、ルイズは感じたので在る。

「ルイズ、ほら、此方に来て御覧。光が反射して、水がとても綺麗だ」

「わぁ、ホントに綺麗!」

「でも、君の方が綺麗だけどね。ルイズ」

「ば、馬鹿言わ無いで!」

「ホントだよ。君は、誰選りも綺麗だと想う。だから、一緒に居たいんだ。ずっと一緒に」

「じゃあ、何処にも行か無いでね」

「ああ、何処にも行か無いよ」

 ルイズは、心の何処かでは既に知って居た。理解して居たのだ。此処が、夢の中で在ると云う事を。出来の悪い芝居の様に、ルイズと才人は、ぎこちない演技を繰り返す。ホントのルイズは、其れを見守る観客に過ぎ無いのだと。

「貴男に言いたい事が有るの」

「何を?」

 いざ言おうとするルイズだが、照れ臭く成って、水の中へと入って行った。

「駄目だよルイズ。水が冷たいんだから。身体が冷えちゃうよ」

 夢の中のルイズは、(水の中成ら言えるかも知れ無い。と言うか此処には、“水の精霊”が居るでは成いか。“誓約の精霊”。其の前で為された誓約は、違えられる事が無いと云う……)、と考え、其処で才人に伝えたい気持ちに駆られたので在る。

「……泳ぎたいの。一緒に泳が為い?」

「理解った。冷えたら、俺が温めて遣れば良いだけの話だからな」

 そう。此処は夢だ。

 ホントの才人は、優しいが、其れでも不器用で、鈍感と云えるだろう。

 でも……今のルイズにとっては其れでも良かったのだ。現実の才人にはもう2度と逢う事が出来無い、と想って居るのだから……。

 パチャパチャ、と才人が水の中へと入る。

 ルイズは(自分の側に来て呉れるのか)と想ったのだが、違った。

 グングンと、才人は沖へと歩いて行くのだ。

「サイト……何処に行くの?」

 才人は笑顔を浮かべた儘、手を振った。

「駄目よ! 其方に行ったら溺れちゃうわ!」

 ユックリと……才人の身体が水の中へと消えて行く。

 ルイズは追い掛けた。

「待って! 行か無いで! 御願い!」

 然しルイズの叫びは届か無い。

 才人は水の中へと完全に入って仕舞った。

 ルイズは水を跳ね飛ばして、側に駆け寄る。

 眠った様に横たわり、水の底へと沈んで行く才人の姿を見て、ルイズは半狂乱に成った。

「待って! 嫌だ! 其方に行っちゃ駄目! 駄目何だから!」

 才人の姿はドンドンと小さく成って行く。

「待って! 御願い!」

 

 

 

「待って!」

 ルイズはガバッと跳ね起きた。

 部屋の中は真っ暗だ。其の事から、夜で在る事が判る。

 ルイズにとって、夜に目覚める事は、絶望に直結して居ると云えた。朝でも余り変わら無いが、夜に目覚める場合は疲労が更に強く感じられるのだ。

 もう、ルイズは「夢か」と呟く事も無い。彼女にとって、今はもう夢も現実も変わら無いのだ。何方も胸を抉られるかの様に、痛く、彼女を責めて来るのだから。

 あの日、不可抗力では在るが、才人を行かせてしまったルイズを、何時迄も責め立てるのだ。

「何処に居るの? サイト」

 ルイズは、理解して居る。

「其処は……冷たい場所成の? “ラグドリアン”の水の底の様な……冷たくて陽が射さ無い所成の?」

 今の儘では行け無い場所に才人は立って居て……ルイズの声は決して届か無いのだ。其れを知って居乍らも、理解して居乍らも、ルイズはそう言わずには居られ成いのだ。

「逢いたいよ」

 ルイズは目を瞑った。

 そして……何かが外れて仕舞った声で呟いた。

「其方に行っても良い?」

 もう、枯れ果てたのか、出し尽くしたのか、ルイズの目から涙すらも出無い。唯、鈍よりと身を包む、どう仕様も無い疲労感だけが身体を覆って居るのだ。

「もう私、耐えられそうに無いの。夢の中でも御別れする何て、耐えられ無いの。だから、貴男の居る所に行っても良い?」

 ルイズは知って居る。

 ルイズが、才人が居ると考えて居る場所――其処に行く方法は、たった1つ……。

 だが其れは、総てを裏切る行為に等しい。

 祖国に対する義務も、“虚無の担い手”としての使命も……夢も希望も信念も、“愛”する人達も……そして、死を賭して守った才人をも……裏切る行為で在った。

 ルイズは其れを確りと理解して居た。

 だが、今の彼女には、他にはもう何も考える事も、想い浮かべる事も出来無いので在る。

 何時もルイズを救って居た、ホントは優しい“使い魔”に逢える方法は、今の彼女の中では、其れしか無いと云えた。

「どうしても言いたい言葉が有るの、夢の中でも言え無かったから……逢いに行っても良い? どうしても言いたいの。貴男に伝えたいの……だから、赦して呉れるよね?」

 ルイズはムクリとベッドから身を起こし、素足の儘ドアへと向かった。

 

 

 

 深夜だった。

 ルイズは余り人の来無いだろう、“火の塔”を選んだ。

 何処をどう遣って登ったのかすらも、今のルイズには理解ら無かった。気付くと、屋上に立って居た。

 円形の塔の屋上は、階下に通じる階段に続く穴以外、何も無い。其れ程高く無い石塀が、屋上の円周をグルリと囲んで居るのだ。

 フラフラと、心此処に有らずと云った足取りでルイズは石塀に近付き、胸程の高さの其処を攀じ登った。

 ルイズは其の上に立って、地面を見下ろす。

 真っ暗で、下は見え無い。

 ルイズは、其の闇の向こうに才人が居る様に感じた。

「同じ場所に行けば……逢えるよね」

 ルイズはそう呟いて、虚空へと一歩踏み出そうとした。

 然し……踏み出せ無い。足が言う事を利か無いのだ。

 意志とは裏腹に、生きようとして居る身体に、ルイズは苛立ちを覚えてしまう。否、奥底では才人が生きて居る事を、識って居るので在る。

「サイトは……あの真っ暗な場所に居るのに……明かりに未練が有るって言うの?」

 キュッと唇を噛んだ其の時……後ろから声が響いた。

「ミス・ヴァリエール! 止めて下さいッ!」

 ルイズが振り返ると、其処にはシエスタが立って居た。

 どう遣らシエスタは、此処迄ルイズを追けて来たらしい。料理を運んで居たのも彼女で在ろう。

 そんな彼女の顔を、ルイズはまともに見る事が出来ず、思わず顔を逸して仕舞う。

「何をしようとして居るんですかッ!?」

「ほ、放っと居て」

「そんな事したって、サイトさんは戻って来ませんよッ!」

「仕方無いじゃ成い……もう、逢え無いんだから。“サモン・サーヴァント”を唱えたら、“ゲート”が開いたのよ。こうし為くちゃ、逢え為いじゃ成い」

「“サモン・サーヴァント”が何ですかッ!」

 シエスタはルイズを捕まえようとして、走った。

 然し、途中で流しスカートに足が縺れ……転んで仕舞った。

「――あ!?」

 其の儘シエスタは前に倒れ……ルイズを突き飛ばして仕舞う。

 フワッと身体が宙に浮き、ルイズは思わず目を瞑った。

 ルイズの脳裏に、(サイト、之で逢えるよ。其方に行ったら、私の事温めてね。きっと其処は、寒いんだろうから……温まったら、私、あんたに言ったげる。ずっと、ずっと言え無かった言葉……言ったげるね)、と云った言葉が瞬く。

「言うわ。言うの。言って遣るの……」

 ルイズは、ブツブツとそんな言葉を呟き乍ら、地面に叩き付けられるだろう瞬間を、今か今かと待ち構えて居たが……。

 其の時は遣って来無かった。

「……ん?」

 ルイズは恐る恐る目を開いた。

 すると……ルイズの眼の前に、月に照らされた本塔が見えた。然し、天地が逆さまに成って居る。更に見下ろすと、シエスタがルイズの足首を掴んで居るので在った。

「シエスタ?」

「あ、あううう……」

 見ると、安心出来る状況では無い事が判るだろう。何とシエスタはどうにか足を石塀に引っ掛けて、辛うじてぶら下がって居る状態成ので在る。

「は、放して」

「は、はは、放しません」

「あんた迄落っこちるわよ! 良いから放し為さいよ!」

「はな、しま、せんッ!」

 力強く、シエスタは言った。

「ミス・ヴァリエールが死んだら、サイトさんが悲しみます。あの人……私が渡した眠り薬……貴女を逃がす為に使ったんですよ? 其れ使って逃げろって言ったのに! だから私、放しません。サイトさんは貴女の事を、どうしても死なせたく無かったんです! だから私も死なせません。絶対ッ!」

「ほ、放っと居てよ……」

 弱々しく言ったルイズを、尚もシエスタは怒鳴り付けた。

「勘違いし無いで下さい! ミス・ヴァリエールは正直どうでも良いです! でも、好きな人の涙は見たく無いんです……ぐぐぐ……」

「涙も何も、もうサイトはそん成の流せ無いのよ!」

「どうしてですか? 死んだって証拠でも在るんですか?」

「言ったじゃ成い! “サモン・サーヴァント”で……」

「私、“魔法”何か理解りませんもん! “サモン・サーヴァント”が何ですか! そんなモノ選り、好きな人の事を信じたらどうですかッ!」

 そう言われた時、ルイズの心の中に、何かが確かに灯った。

 ベッドの中で、いじいじと泣いて居た時には、芽生え無かった感情だ。

 シエスタは大きな声で繰り返す。

「好き何でしょッ! だったらどうして信じられ成いのッ!?」

「だ、だって……」

 涸れたとばかり想って居たルイズの涙腺が……涙を溢れさせた。

 逆さ吊りで在る為に、涙は額へと流れて行く。

「私だって……挫けそうです。でも、私達が信じ無かったら、誰が信じて上げるんですか? そうでしょう?」

「う、うう……」

「サイトさん、“アルビオン”で言ってました。私が、サイトさんの身に、何か悪い事が起こりそうだって言ったら……“安心して呉れ。大丈夫。学院に帰ったら、またシチュー作って呉れ”って。私、神様も、“始祖ブリミル”も、王様も、何も信じて無いけど……其の言葉だけは、サイトさんとセイヴァーさん、そして周りの人達を信じますッ!」

 そんなシエスタの言葉で、ルイズは想い出す。(そうだ。シエスタの言う通りだ。シオンは“サイトは生きてる”って言ってた。サイトは自分に言ったじゃ成いか。“ルイズは俺が守る”って。そんなサイトが、守れ無い場所に勝手に行く何て、在り得無い。だってサイトは、口にした事は全部守って来た。大事な所で、何時も自分を助けて呉れた。だから……)、と考えた。

 ルイズはグシグシと、手で涙を拭った。恥ずかしくて、仕方が無く成ったのだ。(どうして私は、こん何弱いんだろう? “魔法”も何も出来無いシエスタの方が、私の何倍も強いじゃ成い。幾ら“伝説の系統”が扱えたって……心が弱くては宝の持ち腐れに過ぎ成いじゃ成い)、とも想った。

 泣き出したルイズを見て、シエスタはシンミリとした声で言った。

「……あの、ミス・ヴァリエール。偉そうな事言っちゃって、御免為さい」

「良いの。良いのよ。此方こそ御免ね……」

「ホントに、其の、あの、御免為さい。今の私の言葉、無駄に成りそうです」

「無駄に何かし無い。貴女は、大事な事を私に教えて呉れたわ。忘れ無いわ。安心して」

「否、其の」

「え?」

「足が限界です」

 ズルっと滑って、必死に成って支えて居たシエスタの足が塀の縁から離れて仕舞った。

 2人は深夜に長い絶叫を棚引かせ、地面へと直行した。

 

 

 

 “ヴェストリの広場”……。

 モンモランシーは傍らのギーシュに尋ねた。

「……こんな夜中に、見せたいモノって何?」

 モンモランシーは寝ようとして居たのだが、「見せたいモノが在る」、とギーシュに呼び出されたので在る。然し……遣って来て見れば、何も見当たら無いのだ。モンモランシーは、(変な事考えてるんじゃ成いでしょうね?)、とギーシュを睨んだ。

「否、其れがだね、遣っとの事で完成したんだ。1番最初に、君に見て貰いたくって……誰も居無いこんな時間に呼び出したんだ」

「完成? 一体、何を作ったの?」

「之さ」

 ギーシュはバサッと、何も無い様に見えた空間を引っ張った。

「何之……像?」

 其処から現れたのは……高さ5“メイル”と10“メイル”は在ろうかと云う、巨大な2つの像で在った。

 周りの景色に合わせて模様を変える“魔法”の布が掛けられて居た為に、何も無い様に見えたので在る。

 其の2つの像を指指して、ギーシュは満足そうに首肯いて言った。

「サイトの像と、セイヴァーの像さ」

「へぇ……」

 立派な像で在ると云えるだろう。細部迄きちんと造り込まれて居るのだ。

「何週間も掛かったんだ。見付かると怒られるから、夜に成ってから作業をした。随分苦労して、コツコツと此処迄仕上げたんだよ」

「貴男、器用成のね」

 モンモランシーは感心したと云った表情を浮かべ、ギーシュを見詰めた。

「今から此奴に“錬金”を掛けて、柔らかい土から青銅に変える。そして……何時迄もあの、ちょっと抜けてた“英雄”、そしてちょっと恐いが強かった“英雄”を称えようと想う」

「後でルイズ達にも、見せて上げましょうよ。きっと、慰めに成るわ」

「そうだね」

 モンモランシーは軽く俯いて、珍しく頬を染めた。

「あのねギーシュ。私、貴男を誤解してたみたいだわ。ガサツでデリカシーの無い人だと想ってたの」

「そ、そうかい? まあ、そう想われても仕方が無いかもな……」

「でも、考えを改めるわ。貴男は優しくて、素晴らしい男性よ。ギーシュ」

 ギーシュが顔を上げると、モンモランシーははにかんだ様に唇を指で弄って居るのが見える。堪らずにギーシュは、そんなモンモランシーに唇を近付ける。

「モ、モンモン……」

 モンモランシーはされるが儘に、ギーシュに身を寄せる。

 2つの唇が重なり合おうとした其の時……モンモランシーは目を瞑らずに、逆に大きく開いた。

「お、女の子が落ちて来る」

 ギーシュは唇をひん曲げた。

「またかい? 君は何時もキスをしようとすると、そう言って僕を騙すね! 此の前は裸の御姫様が飛んでるとか何とか!」

「今度はホントよ! ほら! きゃ!?」

 モンモランシーは目を瞑った。

 背後から、グシャ! グシャグシャ! と激しい音が聞こ得て来て、ギーシュは思わず振り向いた。

「ぼ、僕の芸術がぁあああああああああああああああ!?」

 ギーシュの力作は、悲惨な事に成ってしまって居た。上から落ちて来た少女達に潰されて、唯の土塊に戻って仕舞って居たので在る。

 土の山の中には、グッタリと2人の少女が横たわって居た。

 ルイズとシエスタで在る。

「な、何だ君達はぁ!? 僕の芸術に恨みが有るのかぁ!? 落ちる成ら場所を選び給え! 場所を!」

「……芸術?」

 呆然と、土塗れに成ったルイズが言った。

「サイトとセイヴァーの像だよ! あああ、数週間と言うモノ、毎晩毎晩、少しずつ少しずつ、手作りで仕上げて来たのに……遣り直しじゃ成いか!」

「……サイトの像?」

 ルイズは横を向いた。

 其処に……才人の顔を模した土の塊が在った。

 シエスタとルイズは、丁度像の左右の肩に打つかり、減り込む形で激突をした為に、像の頭の部分だけは無事だったので在る。

 そして柔らかい内は、落下する2人のクッションに成ったので在る。

「……サイト。救けて呉れたのね」

 ルイズは呟いた。

 其の手を、シエスタが握る。

「ほら! サイトさんはこう遣って像に成っても救けて呉れたじゃ成いですか! だから、生きてます! 絶対です!」

 ルイズは首肯いた。

 鳶色の美しい瞳が、輝きを取り戻して行った。

 ガバッと、ルイズは立ち上がった。

 モンモランシーがそんなルイズに駆け寄った。

「ルイズ! あんた、何してるのよ!? 大丈夫? 怪我は成い?」

「平気よ。怪我何かしてられ無いわ」

「否、怪我は自分で決めるもんじゃ……」

 キッ! とルイズはモンモランシーを睨み付ける。

「私が決めるの。決まってるの。さあシエスタ。行くわよ」

「はいッ!」

 と嬉しそうな様子でシエスタも立ち上がる。

 そんな級友とメイドのコンビに、モンモランシーは、(空から落ちて来て、死にそうに成ったと言うのに……何でこん成に元気成のかしら?)、と呆れた表情を浮かべた。

「ど、何処に行くのよ!?」

「サイトを捜しに行くの」

「え、でも……」

「生きてる」

 と、自信足っ振りにルイズは呟いた。

「ルイズ?」

 モンモランシーは心配そうに、級友の顔を見詰めた。ショックの余り、ルイズが可怪しく成ったと想ったのだ。

「安心して。別に可怪しく成った訳じゃ無いから」

「で、でも……現実に“ゲート”は開いて……」

「私ね。ずっと甘えて来たの。あの馬鹿“使い魔”に……其れ成のに、あの馬鹿ってば、私を守って呉れたわ」

「ルイズ、ルイズ、確りして。“サモン・サーヴァント”は絶対成の。“契約”した“使い魔”が此の世に存在する限り、“ゲート”は開か無いの!」

「でね、想ったのよ。そんな彼奴に、出来る事は何成のかって」

「ルイズ!」

 モンモランシーは怒鳴った。

 然し、ルイズの顔色と様子は変わら無い。目に宿る力は揺らが無い。

「信じる事よ」

「……信じる事?」

「そう。世界中の誰もが、“サイトは死んだ”って言ったって、此の目で見る迄は私信じ無い。例え“魔法”が死んだって教えて呉れたって私信じ無い」

 モンモランシーは妙なルイズの迫力に息を呑んだ。

「彼奴、私に言ったもの。何が在っても私を守るって。私、其の言葉を信じるわ。だから彼奴は生きてる。絶対よ」

 確りと前を見詰めて、ルイズは言った。

「其れにね、彼奴は私の“使い魔”成の。私に無断で死ぬ何て赦さ無いんだから」

 

 

 

 

 

 ルイズが塔からぶら下がって居た頃……。

 “ウエストウッド村”では、夜を徹しての激しい稽古が続いて居た。

 アニエスは想い付きで在るかの様に稽古の時間を決めたので在る。

 夜、朝……食事中。

 行き成り木剣が才人へと放り投げられる。すると其処が、訓練の場と成るので在った。

 ティファニアの家の前庭……。

 木剣を構えた才人の前に、アニエスが立って居る。そして、少しばかり離れた場所で、俺はそんな2人を見守って居る

 才人の息は荒いが、アニエスは息1つ乱して居無い。

 才人は木剣を構えると、アニエス目掛けて振り下ろした。然し、スルリと簡単に躱されて仕舞い、強かに腕を撃たれて剣を取り落として仕舞う。

「うぐお……」

 と才人は腕を押さえて膝を突いた。

「どうした?」

「う、腕が痛いです」

「当たり前だ。打たれれば痛い。斬られればもっと痛い。木剣で良かったな」

 才人は、木剣で地面を叩いた。

「あう……どうして当たら無いんだ?」

「犬でも考えるか」

「だから人間ですってば」

「良いか?」

 アニエスは、木剣てコツコツと才人の頭を軽く叩いて言った。

「……え?」

「良く考えてみろ。何時も先に剣を振ったのは貴様だ。私は其れに合わせて、剣を振って居ただけだ。何回も見れば、相手の太刀筋は覚える。其れに合わせるのは、多少の訓練で何とでも成る。術など、突き詰めれば其れだけの事に過ぎぬ」

「でも、俺の攻撃はアニエスさんに掠りもしません。術以前っすよ」

「間合いだ。私が見て居るのは、貴様との距離だけだ。踏み込みの足の位置で、間合いは決まる。後は其の距離を保つ様に動けば、貴様の剣は当たらぬ」

「成る程」

「私の太刀筋は見て居たな?」

 才人は首肯いた。

 アニエスは、もう1度木剣を構えた。

「良いか。距離だ。間合いを肌で覚えろ」

 そして……アニエスは木剣を振り下ろした。

 才人は慌てて大袈裟に仰け反った。

「剣を見るな。足を見ろ」

 言われた通り……才人はアニエスの足を見詰めた。

 アニエスは最初、ユックリと剣を振った。

 アニエスの足を見乍ら、距離を身体で感じ取る様にし、才人は身体を引いた。

「剣を剣で受けようとするな。相手の攻撃は必ず躱せ」

 すっ、すっ、と其の内にアニエスの振りが速く成って行く。

「攻撃に転じる時は、剣が振り下ろされた瞬間だ。其の瞬間に身体を動かせば、相手が振り下ろした時に、此方の攻撃が届く。其のタイミングを図れ」

 才人はアニエスの足を見つつ、剣にも注意を向ける事に成功した。

 そして……(此の瞬間成ら当たるんじゃ成えの?)、と想える瞬間が遣って来た。

 其れを何度も見て居る内に、確信に想える時が遣って来る。

 タイミングを見計らい……半身を逸せた瞬間、才人は攻撃に転じた。

「ぐっ!」

 アニエスが呻きを上げる。

 肩に、才人の剣が当たったのだった。

「あ、当たった! 当たりました!」

 大袈裟に騒ぐ才人に対し、ニヤッとアニエスも笑う。

「今のタイミングだ。フェイントを掛ける場合にしても、結局は全ては此の応用だ」

「はい」

「理解ったら身体で覚えろ」

 其の日は夜通し、剣の稽古が続いた。

 

 

 

 

 

 空が白み始め、朝に成り……遣っと稽古から解放された才人は水汲み場で身体を洗って居た。

 ポンプを動かし、板を鉄輪で貼り合わせたバケツに水を汲み、頭から冠る。

 熱い身体に、冷たい水は心地好く感じられるだろう。

「――痛っ!?」

 然し……当然の事だが、傷口に水が染みる。

 才人の身体中には、至る所に痣や擦り傷が在る。

 アニエスは興が乗って来ると、容赦無く才人をボコるので在った。

 才人は、「あの人、絶対Sだよな……犬発言だし、何吐っても目がそうだもん」と困った顔で呟く。

 然し、其の痛みが今の才人は心地好いモノに想えた。少しずつ、自分が強く成って行く証拠の様に感じられるからだ。“ガンダールヴ”として与えられたモノでは無い、才人自身が持つ地力……。

 其れが日々成長して行く様に感じるのは、悪い気分では無いのだろう。

 身体を拭こうとしてタオルを忘れて仕舞った事に気付き、上半身裸の儘、才人はオロオロとした。

 季節は未だ冬に近い為、身体が火照って居るとは云え、やはり冷えて来るだろう。

「使って」

 才人は声に驚いて振り向くと、ティファニアがタオルを持って立って居た。

 上半身裸で在る才人を見るのが恥ずかしいのだろう、頬を染めて横を向いて居る。

「有り難う」

 と、才人はタオルを受け取り、身体を拭き始める。

 ティファニアはモジモジとして居り、何か言いたそうな様子を見せる。

「どうしたの?」

 と才人が促す事で、漸くティファニアは口を開いた。

「が、頑張ってるね」

「ああ。強く成りたいからね」

「訊いても良い?」

「良いよ」

「其の……此の前の怪我。“アルビオン”軍に立ち向かったんだってね……行軍する大軍に突っ込んで行ったんでしょう?」

 才人は頭を掻き乍ら、答えた。

「誰が言ったの?」

「あの剣。デルフさん」

「彼奴は、ホント御喋りだな……」

「110,000の軍勢に立ち向かうのって、何な気持ち?」

「勿論恐い。でも、100以上は全部同じだよ。もう、多いのかどうかすら判ら無い。でっかい台風に飛び込んで行く様な気分だったな」

「たいふう?」

「否……大嵐って言うか、そう言う巨大な自然災害って言うか……」

「勇気が有るのね」

 才人は首を振った。

「違う。俺には力が有ったから……ほら、此の前言った力」

「“何でも武器を扱える”って言う?」

「そうだ。其れが有ったから、そして、デルフとセイヴァーが居て呉れたから、110,000に突っ込めた

。でも、今の俺はそうじゃ無い」

 真っ更な左手甲を見詰めて、才人は言った。

「幾ら力が有ったって……其れでも、普通は出来る事じゃ無い。好きな人を守る為に、突っ込んで行ったんだよね。此の前言ってた、大事な人……」

「ああ」

「今も……其の好きな人を守る為に身体を鍛えてるの?」

「違うよ。言っただろ。もう、俺には其人を守れる資格が無いって」

 ティファニアは黙ってしまった。

「其人の敵は、大きいんだ。其の目的は、大きいんだ。多少、剣が振れる様に成ったからってどうにか成る様なもんじゃ無いんだ」

「じゃあどうして、こんな厳しい稽古をしてるの?」

「帰える為さ」

「帰える為?」

「ああ。こないだ……テファの演奏を聞いて居たら、故郷の事を想い出して、懐かしくて仕方が無く成った。俺は、其処に帰ろうと想う、其れが俺の遣る可き事何だ。ルイズには、ルイズの遣る可き事が有って……俺にも有る。俺は、俺が遣る可き事の為に、剣の腕を磨いて居るんだ。此の世界、危険で一杯だからな。探すにしても、自分の事を自分で守れる様に成ら為いと……」

 何かが吹っ切れたかの様な声と調子で、才人は言った。

「其人、ルイズって言うのね」

 才人は少し照れて、横を向いて首肯いた。

「うん」

「……何な人?」

「桃色の髪してて……背が小さくって……」

「素敵な人?」

 もう、才人は答え無い。そして、服を身に着け始めた。

 其れからティファニアは、頬を染めて才人を見詰めた。

「貴男って、偉いのね」

「偉く何か無えよ。唯、帰りたいって言ってるだけだよ」

「其の為に頑張ってる。偉いわ。私ね……」

 ティファニアは、言葉を選ぶ様に、ユックリと言った。

「貴男みたいに人を好きに成った事も無ければ、何かを一生懸命に頑張った事も無かった。唯……ぼんやりと、災いの無い場所で、ヒッソリと暮らしたいと想ってただけ。母さんの故郷に行きたいと想っても、想っただけで、何にも為無かった」

「良いんじゃ成いの。大変だったんだから」

「ううん。其れは何か、逃げてるって気がする」

 ティファニアは才人の手を握った。

「有り難うサイト。私、もっと色んが見てみたく成った。昔棲んでた御屋敷と……此の村の事しか知ら無いから、先ずは世界を見てみたい。世界って、嫌な事ばかりじゃ無い。楽しい事も、素敵な事もきっと在るんじゃ成いかって……貴男達を見てたら、そう想う様に成ったわ」

 才人は顔を赤らめた。

「ねえ、御友達に成って呉れる? 私の初めての……御友達」

「良いよ」

「貴男が村を出る時には、記憶を消そうと想って居たけど……消さ無い。御友達にはずっと覚えて居いて欲しいもの」

「そっか」

 と才人は少し、顔を赤らめて言った。其の理由は、照れ臭さと、視線の向かう先に在る。

 才人の視線に気付いたのだろう、ティファニアはサッと身を引いた。

「御免……」

「い、良いの。御友達だから良いの」

 気不味い沈黙が流れた。

「ご、御飯が出来てるわ。食べて」

 才人は首肯いた。

 歩き出す。

 家の中から、好い匂いが流れて来た為、才人は其処で漸く自分が空腹で在る事に気付いた。

 

 

 

「休ま無くても良いのか?」

「構わ無い。相手を頼む」

 俺とアニエスは庭で向かい合って居る。俺の手には相変わらず木の枝が、アニエスの手には実剣が握られて居る。

「さて、始める前に、もう1度言って置くが」

「私の実力は十分だと言いたいのだろう?」

「そうだ。ヒトの身で良くぞ其処迄と褒めたい。俺は弱いからな、力を欲した。故、此の様に“サーヴァント”の力を手にした(ヒトを辞めた)……」

「ヒトを辞めた? 貴様は人間では無いと言いたそうだな」

「其の通りだよ、アニエス。俺は人で無し、碌で無し……まあ俺の事は良いさ。余計な御世話かも知れ無いが、気は未だ晴れ無いかな?」

「何の事だ?」

「復讐」

「…………」

 アニエスから発せられる空気が一瞬で変わる。

「其れを否定する気は全く無い。だが、其れを果たし切る事が出来無かった為か、今の御前達は燻ってしまって居る。残った感情などを、扱い兼ねて居る。生き甲斐を失して仕舞ったとでも言う可きか」

 アニエスは言葉を発さず、実剣を振り翳し、俺へと斬り掛かって来る。

 が、俺は気にする事も無く、木の枝で其れ等全ての斬撃を、枝に負担を掛ける事も無く完全に余裕を持て往なす。今手にして居る木の枝は、唯、“魔力”や“精神力”に依る“魔術”と“魔法”で“強化”した、少し頑丈な枝程度のモノだ。

「だから、新しい何かを見付ける可きだろう。其れは恐らく、身近に在るだろう」

「……そうか」

 アニエスは剣を下ろす。

「さて、食事の時間らしい。丁度腹が減って来た所だろう」

 ティファニアの家の中から、好い匂いが漂って来る。

 “サーヴァント”で在る俺には食事を摂る必要は無いが、アニエスはヒトで在る為にエネルギーの摂取――食事が必要だ。

 そう俺が口にした其の瞬間、アニエスの御腹が空腹で在る事を主張をする様に鳴る。

 そして、アニエスは顔を赤くした。

「何、気にする事は無い。御腹が空くのは生き物として当然の事だ。俺が居た世界、基国では腹が減っては戦は出来ぬと言う諺が在る……腹を満たしてから、再開しようでは為いか」



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虚無の担い手達

 2週間にも及ぶ諸国会議は、然程、と云う選りも全く揉める事も無く終了をした。

 結果は、目に見えて居たモノだ。“王族”で在るシオンが帰還した事も在り、“白の国(アルビオン)”は、再びシオンを王として立ち、王政が再開されるのだ。

 本来で在れば、敗戦国で在る為に、土地を勝者で在る連合軍に参加して居た各国へと切り渡す可きだったのだろうが、元々彼等――“トリステイン”、“ゲルマニア”及び“ガリア”などの各国は、共同統治し、折を見て王権を復活させる積りで在ったのだから。

 シオンを女王陛下として、補佐にホーキンス達。近い内に、シオンが女王陛下に成る為に、戴冠式が行われる事に成り、其の日程もまた相談される事に成った。が、諸国会議が終了した翌日に皆帰国する為に、簡素且つ質素な戴冠式が、各国の首脳達が居無い状況で行われる事に成った。

 そして、会議に参加した“アルビオン”含む5ヶ国に於いて、“ハルケギニア”の王権を守り、共和制の勃興を封じ込める可く、其々5ヶ国の“王権同盟”が発表された。同盟に参加した王国内に於いて“新教徒”及び共和主義者が叛旗を翻した場合、他の4つの国の軍事介入を仰ぐ事の出来る特殊な同盟で在る。之に依り、新たに反乱を企てようとする者達は、5つの王軍を相手にする必要が在る様に成るのだ。

 此の同盟の締結を以て、諸国会議は閉会と成り、簡素では在るが、戴冠式が行われた。

 そして、其れも終わり、明日には其々が自国へと帰ろうと云う晩の事だ……。

 “ハヴィランド宮殿”に用意された部屋で、アンリエッタは眼の前の書類に、必死に成って目を通して居た。隣には枢機卿のマザリーニの姿が見える。

「陛下、そろそろ御休みに為られては……此の所、殆ど寝て居られぬでしょう?」

 諸国会議が始まってからと云うもの、アンリエッタは粗不眠不休で会議に打ち込んで居たので在る。シオンの為に、そして何選り“トリステイン”の国益の為に、貪欲に発言をしたのだ。アルブレヒト3世などは、終いには呆れて「嫁に貰わんで正解だわい」と、小声で呟く程で在った。

「国に帰っても、仕事は山積みです。出来るだけ片付けて置きたいのです」

「と言ってもですな、もう12時を回って居りますぞ」

「先に休んで下さい」

 然し、女王を差し置いて臣下が床に就く訳にも行か無いのが、悲しい所だ。

「其の様な目録など、書紀官に任せれば……」

「全てに目を通して置きたいのです。そうで成ければ、こうして雲の上迄遣って来た甲斐が在りませんわ」

 マザリーニは溜息を吐いた。若さ故か、アンリエッタには極端な所が有って、其れがどうにも心配成ので在る。然し……マザリーニは目を細めてアンリエッタを見詰めた。幼子の頃から見守り続けた姫の危うさと、成長を、何時迄も見届けたいと云う気持ちが有る。

 遣る気を出して居る生徒に対し、マザリーニは講義を行う可く、咳払いをした。

「陛下、重ねて申し上げるが、“ガリア”の動向には注意が必要ですぞ」

「ええ」

 書類から顔を離さずに、アンリエッタは首肯いた。

「此度の戦を終わらせたのは……正直申し上げて“ガリア”です。然し乍ら、彼等の要求は微々たるモノ……少しの資源だけのみです。まるで、欲しいモノは既に手に入れた、と言わんばかりの態度ですな」

 マザリーニは、無欲な態度を示した“ガリア”に警戒心を抱いて居るので在る。

「そうですね」

 とアンリエッタは首肯いた。

「ふぁあ」

 と、マザリーニは大きく欠伸を1つ噛ました。

「眠そうですわね。御休み下さい」

「いえ……陛下を差し置いて床に就く訳には参りませぬ」

 アンリエッタは微笑むと、書類を片付け始めた。

「御休みに為るのですか?」

「ええ。貴男の健康を害する訳には行きませんから」

「私の健康ばかりでは在りませぬ。寝るのも仕事の内ですぞ」

 アンリエッタは素直に、「はい」、と首肯いた。

 では……と安心した様子でマザリーニは退出して行った。

 アンリエッタは年相応の少女の仕草で、ベッドへと倒れ込む。そして、放心した様に呟いた。

「疲れた……」

 アンリエッタは、此の儘泥の様に眠ってしまいそうで在った。だが、其の前に確かめたい事が彼女には有った。此の所毎日、寝る前の習慣に成って居る行為で在る。

 アンリエッタは枕元の紐を引いた。

 直ぐに……ドアの前に女官が遣って来る。

「御呼びで御座いますか? 閣下」

「アニエスは、戻りましたか?」

「“銃士隊”隊長、アニエス様は、未だ御戻りに成って居りません」

「理解りました。有り難う」

 女官が去って行く足音が聞こ得た後、アンリエッタは切無気に目を細めた。まるで幼子の様に爪を噛むのだ。其れから、首を傾げ、頬を枕に埋め、アンリエッタは目を瞑った。

 

 

 

 丁度其の頃、“ハヴィランド宮殿”の別の客間では……。

 部屋の主が燃え盛る暖炉の炎を背に、肩肘をソファに置き、興味深そうに客を見詰めて居た。

「で、“ロマリア”の特命大使殿が、此の“ガリア無能王”に何の用だね?」

 ジョゼフは含みの在る笑みを浮かべ乍ら、教皇依りの新書を携えて遣って来た“ロマリア”の特命大使を見下ろした。

 金髪に目立つオッドアイ――“月目”……ジュリオで在った。

 床に肩肘を突いた儘、彼は答えた。

「“無能王”とは……謙遜が過ぎると申すモノ」

「謙遜などでは無い。事実国民も、役人も、議会も、“貴族”も、此の私を無能と陰で嘲笑って居る。内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば誤ると噂し合って居る。玩具を与えて置けば良いのだと、其の様に舐めて居る」

「陛下は戦争を終わらせました。偉大成る王として、歴史に名を残すで在りましょう」

「世辞は良い。歴史などに興味は無い」

 ジョゼフは、テーブルに置かれたオルゴールを手に取った。

 古木瓜たボロボロのオルゴールで在る。茶色くくすみ、ニスは完全に剥げてしまって居る。所々傷も見える。

 然しジョゼフは其れを、愛しそうに撫でた。

「骨董品ですか?」

「ああ。“アルビオン”王家に伝わる、“始祖のオルゴール”と呼ばれる逸品だ」

「“始祖の秘宝”ですね」

 ジョセフの目が光った。

「そうだ」

「“ロマリア”、“ガリア”、“トリステイン”、そして“アルビオン”……各“王家”には、其々“始祖の秘宝”と呼ばれるモノが存在します」

「其れがどうした? “ハルケギニア”の民成ら、誰もが知って居る事だ」

「そして“4系統”と呼ばれる指輪……」

「之の事か?」

 ジョゼフは指に嵌まった指輪をジュリオに見せた。

「然様で御座います」

「で、其れがどうした?」

「余はそろそろ眠いのだ。何せ、連日の会議だったからな。欲の皮の突っ張った小娘と、分を弁えぬ田舎者の相手、そして新しい女王陛下の相手で疲れて居るのだ。手短に願いた」

「恐れ乍ら、陛下の御好きで無い、歴史の話で御座います。其れ等秘宝は、“始祖”の意志と血が込められて居ると、“ロマリア”では言われて居りました。そして最近に成って……と或る予言が発掘されたのです」

 ジョゼフはジュリオを試すかの様に見詰めた。

 ジョゼフの其れは、美しい、と云う形容が之程陳腐に想える顔立ちも少ないで在ろう。何か別の言葉を新たに作る可き、と詩人に想わせる様な顔立ち……そして其の左右色の違う瞳には、強い光が宿って居る。

 ジョゼフは、(此奴……ジュリオ・チェザーレとか言う巫山戯た名前の神官……諸国会議に出して来た能無し大使とは、出来が違う。“ロマリア”にとっては、此方が本命の外交成のだろう)と考えた。

「ふむ。何な予言成のだ?」

「“始祖”の力は強大で在りました。彼は其の強大な己の力を4つに分け、秘宝と指輪に託しました。また、其れを担う可く者も、等しく4つに分けたのです。其の上で、“始祖”はこう告げました。“4の秘宝、4の指輪、4の使い魔、4の担い手……4つの4が集いし時、我の虚無は覚醒めん”と」

「何だ其れは!? 詰まり、4人の“虚無の担い手”が存在すると!? そう言う訳か!?」

 ジョゼフは大声で笑った。

「馬鹿も休み休み言うんだな! 4人も“担い手”が居たら、大変では成いか! “始祖”の“虚無”を扱える者が4人だと? 之は傑作だ!」

「嘘では在りません。“ロマリア”は現実として、其れ等を集めて居ります。担い手も2人、確認して居ります」

「ほう、其れは誰だ?」

「其れは申せません。陛下の協力を仰げると確信した時のみ、御報せする事と致しましょう」

「協力と言っても、どうすれば良いのだ?」

「何、簡単です。“虚無の担い手”を見付け出し次第、我が国に報せて欲しいのです。御安心下さい。我が国には野心の欠片も有りません。唯、真の意味で“始祖”の御心に添いたい……其の一心のみで御座います。本日締結された“王権同盟”……あの同盟が、4つの王国、そして1つの皇国を正しく“始祖”の真意へと導く手助けに成る事を、祈って居ります」

 ジョゼフは、「さて……」、と青い美髯を揺らし、首を横に振った。

「“虚無の担い手”も何も……余は何も知らぬ。何せ“無能王”だからな。臣下共と来たら、肝心な事は何1つ余に知らせては呉れんのだよ」

「“虚無の担い手”を見付け出す方法が御座います。之はと想った者に、“4の指輪”を嵌めさせ、其のオルゴールの蓋を御開け下さい。担い手で在れば、其の者の耳には、“始祖の調べ”が聞こ得る事でしょう」

ジョゼフは首肯いた。

「了解した。機会在らば試してみよう」

 ジョゼフは、「では……」、と立ち上がった。

「待たれよ」

「何か?」

「どうせ成ら、“ロマリア”知りし真実を、全て語っては行かんかね?」

「御疲れの様ですから」

「何、長い夜の暇潰しには、持って来いの伽だ」

「申し訳有りません。先程申し上げた様に、陛下の協力が仰げる時にのみ、開陳の許可を与えられて居ります」

「御若い癖に、教皇陛下は喰えんな」

「人一倍、信仰心が厚い御方成のです。従って、他者の信仰にも相応の程度を要求するのです」

「そう言われると、何だ、“始祖”と神への信仰に目覚めそうな気分だよ」

 ジュリオは、「では……」、と微笑みを浮かべた。

「陛下の興味を惹ける様な話題を1つ」

「良かろう」

「此の世の全ての物質は、小さな粒因り出来て居ります。砂選りも、水滴選りも小さな粒です。解き明かされし我等の最新の神学では、“4系統”は、其れ等に影響を与える“呪文”、と定義されて居ります」

「ふむ」

「其れ等の粒は、更成る小さき粒に依り構成されて居ます。“虚無”は其の更成る小さな粒に影響を与える、と言われて居るのです」

「其れがどうした?」

「“始祖”の御心に添い、“4の4”を集め……其れ等が完全に解放されし場合……詰まりは“始祖の虚無”が、完全に蘇った場合、“虚無魔法”は恐ろしき効果を得る事でしょう。更に小さき粒への大なる影響は、恐らくは此の世の断りをも捻じ曲げるで在りましょう。事実、其の様な“呪文”の存在が予言にかかれて居ます」

「何な“呪文”成のだ?」

 ジュリオは一礼した。

「之以上、陛下の御休みを邪魔する訳には参りません」

「神官の苦戦い、布教に熱心では無い様だな」

 其の儘退出しようとしたジュリオを、ジョゼフは再び呼び止めた。

「待ち給え」

「“始祖”と神への真の信仰に目覚められましたか?」

「其の信仰に関する質問だ。君達“ロマリア”とのあの忌々しい“レコン・キスタ”……其の思想に何の様な違いが在るのだ?」

 ジョゼフは意味深気な笑みを浮かべて、神官に問うた。

「“レコン・キスタ”は、所詮烏合の衆でした。王様に成りたがった、子供の集まりに過ぎません。彼奴等は“聖地”の回復と言う題目を、己の結束に利用しただけです。誰も本気で、“エルフ”達から“聖地”を取り返そうとは、想って居りませんでした」

「…………」

「我等“ロマリア”は“聖地”を回復する。他に何も考えて居りませぬ」

 同類を見る目で、ジョゼフは“ロマリア”の特命大使を見詰めた。

「“聖地”を奪いし“エルフ”の操る強力な“先住魔法”に対抗するには、“始祖の虚無”しか在りませぬ。で、在る成らば、我等は其れを使う……」

 独り言で在るかの様にそう呟き、退出しようとするジュリオの背に向け、楽しそうな声でジョゼフは言った。

「狂ってる」

 左右色の違う、“月目”を輝かせ、嬉しそうな様子でジュリオは答えた。

「信仰とは、そうしたモノです」

 ジュリオが去って行った後、ジョゼフはテーブルから人形を取り上げた。

 黒い髪の、細い女性の形をした人形で在る。

 暫く其れを愛しそうに撫で回した後、ジョゼフは口を近付けた。

「聴いて居たか? 余の可愛い女神(ミューズ)。そうかそうか! きちんと聴いて居たか! “ロマリア”め、我等が知りし真実を、余す事無く知って居ったわ。何千年も“始祖”の尻尾を追い掛けて来た連中だ。やはり知識の量では敵わぬな!」

 ジョゼフは人形に耳を近付けた。

「そうとも! 余のミューズ! 御前の言う通りだ! あやつ等は何、情報は有っても道具は無い。はは、此の対局、余の優位は動かぬわ。“土のルビー”、“始祖の香炉”、そして“始祖のオルゴール”……余は3つ持って居る。予言に関する情報を持って居たら、アンリエッタが、”アルビオン王家”の秘宝足る“始祖のオルゴール”を気にせぬ筈は無いからな。あの小娘と来たら、金と土地にしか興味が無い様だ。はは、救えぬ愚かさよ! そして、新米女王のシオン。“魔法学院”に通って居た故、王としての教育など一切受けては居無いだろうよ。何選り、あの小娘は、無欲、保守的……自国の民を守る事、そして友人を守り助ける事が出来れば他には何も要らぬと言った様子。詰まり、情報と道具、揃えつつ在るのは余だ。他の誰でも無い、余だ」

 ジョゼフは其処で口を噤んだ。

「何? そうか! “トリステイン”の担い手が此の“アルビオン”に? 而も単独だと? まるで調理を待つ鶏では成いか! 早速掛かれ。“始祖の祈祷書”、そして“水のルビー”を手に入れるのだ。“ロマリア”の狸共が、何処迄掴んで居るか判らぬからな。急ぐのだぞ」

 人形を通じて“使い魔”に命令を与えると、ジョゼフはソファに深々と座った。

 ジョゼフはテーブルの上に置かれて居る、“始祖のオルゴール”の蓋を開いた。

 そして……目を瞑る。

 暫くそうして居ると、寝室に通じる扉が開いた。

 しどけない寝間着姿をしたモリエール夫人が現れた。

「陛下、御客様は御帰りに為られましたか?」

「ああ」

「こんな夜更けに無粋な方! 私、神官何て大嫌い! 彼奴等と来たら、“始祖”と神への信仰さえ在れば、恋人達の時間を邪魔しても構わ無いと想って居るのですわ!」

 モリエールはジョゼフの首に腕を回した。艶めかしい手付きで、恋人の美髯を撫で上げるのだ。

「ねえ陛下。宜しくて?」

「何だね?」

「何時も聞いてらっしゃる其のオルゴール……壊れて居るのでしょう? 全く何も聞こ得ませんわ。細工師を呼んで直させましょうか? 私、何時も宝石を仕立てさせて居る、良い腕の細工師を知って居りますの。さあほら、此のネックレスを御覧に為って下さいまし。其の者と来たら、実に器用で……」

 モリエールの御喋りを、煩そうにジョゼフは手を振って制した。

「美しき調べの鑑賞の邪魔だ。黙って居れ」

「……でも、私には」

「余には聞こ得るのだ」

 其の指に……鮮やかな茶に色付く、“土のルビー”が光って居た。

 

 

 

「其れで、シオン女王陛下、いえ、未だ戴冠為されて居無い為に、王女殿下、と言った所でしょうか?」

「好きな様に呼んで貰って構わ無いよ、ホーキンス将軍」

「では、女王陛下。未だ其の身分では無い訳ですが、其れでも既に山の様に仕事が御座います」

「ええ。でしょうね」

「ですが、其れはまた明日からに為されて下さい」

「有り難う、ホーキンス将軍」

「いえ……そう言えば、彼、セイヴァー殿は如何為されたのでしょうか?」

「セイヴァーは、私の従姉妹と、斯の英雄で在る少年の元に居ますよ。まあ、彼女は私の事を未だ知ら無いだろうし、其れに知ったとしても……」

「何と!? 其れでは、あの異国の少年は御存命と?」

「ええ。彼は、或る特殊な“マジックアイテム”を持って居たの。だから、瀕死の状態で、意識を失っても尚、跳ね起きたかの様に動き、森へと移動した。そして、其処で療養中です」

「其れは良かった……本当に、良かった。彼は文字通り“英雄”ですな。“トリステイン”に帰国為された後は、きっと名誉の」

「ええ。平民で在り乍ら“貴族”以上の働きを為した。民からは文字通り“英雄”、希望の象徴として映るでしょうね。そして恐らく、アンからは、爵位を」

「ほう。と成ると彼は“貴族”に成ると? “ゲルマニア”と少し似通って居りますな」

「今の“トリステイン”は、王政で在り乍ら、実力の有る者を認め、雇用する形態へと変化して行って居ります。此の時代、伝統を守り続けるだけでは、恐らく駄目成のでしょうね」

「では、陛下はどう為さる御積りですか?」

「そうですね。共和制とは違った形で、我々“王族”と“貴族”、そして民が手を取り合い、支え合い、未来へと進める国に出来れば良いですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズとシエスタが“ロサイス”に到着したのは、“2月(ハガルの月)”の第3週、“エオロー”の週は第4曜日、“ラーグ《”の曜日の夕方の事で在った。

 普段選り、倍の時間が掛かって仕舞ったので在る。

 “アルビオン大陸”と“ハルケギニア”の間の船便は、行き交う人々で溢れ返って居たのだ。“ラ・ロシェール”の船着場には“アルビオン”へ向かう人々で長蛇の列が出来て居た。

 女王陛下の御墨付きで在ると云えども、そんな風に混雑を極めた民間船には通用する筈も無い。

 そんな訳で、ルイズ達が何とか軍船の定期便に割り込む事に成功し、“ロサイス”に到着する頃には、1週間が過ぎて仕舞って居た。

 “アルビオン”へと到着したルイズ達は、再び呆れ返る事に成った。

 港町で在る“ロサイス”の混雑は“ラ・ロシェール”の其れとは比では無かったからだ。

 戦乱で荒れた“アルビオン”に物売りに来た商人、一山当てようと目論む山師、政府の役人、戦争で逢え無かった親戚を訪ねる人々……など、“ハルケギニア”中から遣って来た人間で溢れ返り、大変な混雑を呈して居るのだから。

「此りゃ大変だわ」

 鉄塔の様な船着場から降りて来たルイズは溜息混じりに呟いた。

 船着場から、工廠や司令部が並ぶ市街地迄の道は、宛ら“ハルケギニア”の博覧会と云えるモノで在った。

 道端には物売りが溢れ。其処かしこに名前が書かれた木の看板を持った人々が立って居る。

「何でしょう、あの名前?」

 “魔法学院”で働く際に着て居るメイド服からエプロンを取ってコートを羽織り、帽子を冠った、以下にも慌てて飛んで来ましたと云う格好のシエスタが、疑問を口にした。彼女は大きな頭陀袋を背負って居る。其処には旅には必要だろうモノが、之でもかと詰め込まれて居るので在った。

「戦で行方不明に成った人を捜して居るのよ」

 哀しい声で、ルイズが答えた。

 ルイズもまた、何時もの“魔法学院”の制服を着ては居るが、やはり大きな革のリュックを背負って居る。

「見付かるかしら……? サイトさん」

 手掛かりは、ルイズに与えられた命令書の文面だけだと云えるだろう。其処にはこう記載されて居た。

 

――“ロサイス北東から50リーグ離れた丘で、敵を足止めせよ”。

 

 行方不明に成ったサイトについて、ルイズは軍へと問い合わせてみたのだが、やはり何らの手掛かりも得られ無かったのだ。アンリエッタに逢おうと想ったのだが、王宮には居無かった。そして、アンリエッタは会議の為に此処“アルビオン”へと来て居るらしい事を聞いた。

「ま、結局便りに成るのは自分達だけって訳ね」

「でも、此の様子じゃ、馬も借りられませんわね」

 人混みを見てシエスタが言った。

「足で行くのよ。歩け無い距離じゃ無いわ」

 そう言って歩き出したルイズでは在るのだが……地面にへたり込んで仕舞う。

「あう……」

 重い荷物を抱えて、どうにか此処迄遣って来た為に、遂に身体が悲鳴を上げて居るので在った。

「情け無いわ」

「船の上では立ちっ放なしでしたし、仕方在りませんわ。もう夜だし、今日は此処で一泊して明日、向かいましょう」

「貴女、体力有るのね」

 ルイズはシエスタの背負った頭陀袋を見て言った。

 ルイズが背負ったリュックの3倍は在るだろう大きさに膨らんで居る。そんな荷物を背負って、ケロッとして居るので在った。

「其りゃ田舎育ちですから・此の位、何て事在りませんわ」

 とシエスタは屈託無く言った。

 

 

 

 勿論、宿など借りられる訳も無かった。

 ルイズとシエスタは宿にあぶれた人達が集まる空き地に向かい、其処に布を広げて眠る事に成って仕舞った。

 ルイズには見覚えの在る場所で有り、其処で、“ガリア”艦隊が吹き飛ばした司令部の前庭で在った事を想い出す。

 砲撃で崩れ落ちた赤煉瓦が痛々しい。

 然し、人間はと云うと逞しいモノで在り、そんな恐ろしい事が在ったのにも関わらず、其処此処に天幕を設け、寝泊まりをして居るのだ。中には拾って来ただろう煉瓦を、終戦記念煉瓦と称して売って居る者迄居る始末だ。

 シエスタは袋の中から布を取り出すと、テキパキとテントを作り始めた。棒を立てて、布を立てる。あっと言う間に、2人が寝られるスペースが出来上がった。

 ルイズが呆気に取られて見て居ると、シエスタは次に煉瓦を集めて来て即席の釜戸を組み上げてみせた。そして、頭陀袋からゴソゴソと鍋を取り出し、底でシチューを作り始めた。

 出来上がると、シエスタは木の御椀によそってルイズに手渡す。

「どうぞ」

「有り難う」

 差し出されたシチューを、怪訝な顔してルイズは見詰めた。

 ルイズが見た事の無い色のシチューで在る。鈍よりと、山菜やら、肉やらが澱み、独特の香りが漂って居る。

 心配そうな表情を浮かべ、ルイズが中を覗き込んで居ると……。

「大丈夫ですよ。私の村の郷土料理で“ヨシェナヴェ”って言うんです」

「“ヨシェナヴェ”?」

「ええ。曽祖父(ひいおじい)ちゃんが、作って呉れた料理何です」

「へええ」

 ルイズは恐る恐ると云った様子で、一口啜ってみた。

「美味しい!」

「えへ。御口に合って良かったです」

 其れからシエスタは、ポロッと呟いた。

「私の曽御爺ちゃん、サイトさん達と同じ国から来たんですって」

 ルイズは目を丸くした。

「そうだったの?」

「ええ。あの……“竜の羽衣”に乗って、此の世界に遣って来たんです。今から60年も前に……」

「そう」

 ルイズはシエスタと才人のそんな繋がりに、少し驚いた。同時に、(だから、サイトは此のメイドに御執心だったのね。故郷を想って)、と想った。

「知ら無かったんですか?」

 コクリと、ルイズは首肯いた。

 するとシエスタは、ニンマリと笑った。

「何よ其の笑み?」

「1個、勝ち。えへへへへ」

「勝ちって何よ!? ねえ!?」

 身を乗り出したルイズに、シエスタは妙な抑揚を付けて歌い始める。

「曽御爺ちゃんと恋人、同じ国♪ 同じ国♬ 同じ国♫」

「誰が恋人成のよッ!? ねえ!?」

 ルイズが身を乗り出して怒鳴るおt,シエスタは勝ち誇った声で言った。

「キスしましたもん」

「な、ん何ですってぇ?」

「其れも一杯」

 ルイズはグッと拳を握り、悔しさを噛み締めた。(此処でキレたら、敵の想う壺で在る)、と考えたからだ。思いっ切り深呼吸をすると、首を横に振った。其れからばぁーんと自分の頬を叩く。

 必死に成って余裕を気取り、髪を掻き上げ、腕を組んだ。

「わ、私だって一杯したもん。と言うかね、されたの」

「へぇ何回位ですか?」

 冷たい目で、シエスタが尋ねた。

「え、えっと……先ずは1回目。“使い魔”として“契約”する時、キスし為くちゃ成ら成いの」

「“契約”じゃ成いですか。数には入ら無いと想いますけど」

 シエスタに難無く否定されて仕舞い、ルイズの目が吊り上がる。

「じゃあ2回目! “竜”の上だったわ! 彼奴ったら、寝て居る私に無理矢理キスしたの!」

「無理矢理ですって!? サイトさんがそんな事する訳無いわ!」

 ルイズは得意に成った様子で、捲し立てた。

「彼奴ったらね、私が寝てると凄いんだから! 隣でね、いっつも御主人様の此の私の事じろじろじろじろじーろじろ、眺め回してるの。ベッドでも、テーブルでも、教室でも、何処でもよ? 其れも犬の目で! 涎を垂らさんばかりの勢いで、見詰めてるのよ? 身の程知らずにも程が在るわ! ばっかじゃ成いのって想うから、私こうだもん! ぷいっ! こんな感じよ!」

 ルイズは、ぷいっ! と横を向くのを実演して見せた。

 シエスタは、尾ひれを付けて言い散らかすルイズを冷ややかに見詰め、冷静に一撃を加える。

「どうして寝てらっしゃったのに、そんな細かく覚えてるんですか?」

 ルイズは言葉に詰まってしまう。

「無理矢理じゃ無いじゃ成いですか。抵抗出来るのに、されるが儘に成ってたんじゃ成いですか?」

 図星で在る。

 だが、其れを認める様なルイズでは無い。横を向いて気不味そうに呟く。

「し、痺れて動け無かったの」

「何で痺れたの?」

「は、蜂に刺されて……良け無い蜂ね」

「テキトウな嘘吐か無いで下さい!」

 誤魔化し切れ無い為に、ルイズは次に行く事にした。

「3回目!」

 然し、3回目はルイズの方からしたので在った。寝て居る才人を見て居ると、ルイズは何だか堪ら無く成って仕舞い、して仕舞ったので在る。

 だからルイズは、飛ばす事にした。

「4回目!」

「ちょっと待って! 3回目はどうしたんですか?」

「無し!」

「無しって何ですか!? ちゃんと説明して下さい! ズルいですよ!」

 4回目は、小舟の上で在った。

 あの時何故キスをしたのかと云うと……「何処でも触って良い」、などとルイズが言った為に、キスをされて仕舞ったので在る。

 ルイズは悩んだ。

 細部迄説明をして仕舞うと、メイドに舐められて仕舞う可能性が在るからだ。

 従って。ルイズはまた飛ばす事にした。

「5回目!」

 ルイズは言ってから記憶の底を浚ったのだが……残念な事に、5回目は存在無成かった。

 誤魔化す為に、ルイズはシエスタに指を突き付けた。

「そんな訳で御座います! 私は5回もキスされたんだから! いやぁね、全然好きでも無いのに! 困っちゃうわ!」

 目で殺す、と言わんばかりにルイズはシエスタを睨み付けた。

 然しシエスタも然る者で在り、ハッしと其のルイズの視線を受け止めてみせる。

「私何か、7回ですわ」

「はい?」

「1晩で、ですけど」

「じゃあ1回よ! 其れは1回! 太陽が昇ってから、沈む迄が1回だかんねッ!」

 シエスタは、そんなルイズを哀し気に見詰めた。

 其の瞳には、勝者としての余裕が宿って居る。

「冷静に聞いて下さいね。“魔法”使っちゃ、嫌ですよ?」

「使わ無いから言い為さいよ」

「あのですね」

「うん」

「舌、入れました」

 ルイズは耳迄真っ赤に成ってしまった。其れから、怒りで身体を震わせ始める。

 2人は暫く睨み合って居たが、同時に溜息を吐いた。

 暫くして、ボソリとシエスタが呟く。

「絶対、生きてますよね」

 ルイズは俯いたが、直ぐに顔を上げた。

「あんたが信じ無いでどうすんのよ?」

「そうですよね」

 そんな風にシンミリとして居ると……。

 後ろから歓声が響いた。

「ん?」

 振り返ると、人集りが出来て居る。

「何かしら?」

 2人が近付いて見ると、見物客達の足元で、小さな人形が沢山踊って居るのが見えた。騎士、兵隊、“亜人”、“グリフォン”、そして“竜”などを模した人形……どう遣ら演舞劇の様で在った。

「“アルヴィー(小魔法人形)”?」

 と小さくルイズは呟いた。

「“アルヴィー”って何ですか?」

 とキョトンとして、シエスタが尋ねる。

「“ガーゴイル”の一種よ」

「“ガーゴイル”?」

「そう。“ゴーレム”何かと違って、自立した意思で動く“魔法人形”。“アルヴィー”は其の中でも、小さなモノを云うの。ほら、“学院”の食堂の周りに小さな像が幾つも立って居るでしょう? あれが“アルヴィー”。夜に成ると、掛けられた“魔法”が発動して踊り出す……」

 “アルヴィー(小魔法人形)”が踊る向こうに、大道芸人の姿が見える。深くフードを冠った綺麗な女性で在る。フードからは、長い黒髪が覗いて居る。彼女は身動ぎ1つせずに、踊る人形達をジッと見詰めて居る。

 踊りは、戦いを模して居る様だった。

 1人の剣士が、暴れて“竜”や“メイジ”を遣っ付ける度に、見物客から歓声が沸いた。平民受けが良い様に、剣士が活躍する筋書きの様で在る。

 “竜王を斃した所で、剣士の”アルヴィー“は見物客達に向かって一礼した。遣られ役の”メイジ“や”竜“も立ち上がり、同じ様に観客達へと一礼する。

 集まった人達は、次々にコインを投げ去って行く。

 シエスタもポケットから1枚の銅貨を取り出し、投げた。

 すると……2体の“アルヴィー”が、シエスタとルイズの足元に駆け寄り、ちょこんと靴の上に座り込んで仕舞った。

「あら、あらららら。之じゃあ歩けませんわ」

 シエスタはソッと手を伸ばす。

「――痛ッ!?」

 シエスタは小さな悲鳴を上げた。

 行き成り動き出した剣士人形の構えた剣に触れて仕舞ったので在る。

 シエスタの指から、血が流れる。

「“アルヴィー”何かに手を出すからよ」

 と、ルイズは足を振って、人形を地面に落とした。

「行きましょ」

 とルイズは、シエスタを促し、テントへと戻って行った。

 

 

 

 ルイズとシエスタの後ろ姿を見詰め乍ら、フードの女性は笑みを浮かべた。

 ソッと、フードを持ち上げる。

 額には古代の“ルーン”が刻み込まれて居るのが見える。

 “アルヴィー(人形)”を掴むと、其の額が微かに光る。

 シェルフィードで在った。



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聖杯戦争開始

 ルイズとシエスタは、件の110,000対2の戦場と成って居た丘に立って、緩やかに下る草原を見詰めた。

 朝陽が山脈の向こうから昇って来て、山々の隙間から陽光を撒き散らし、辺りに色を付けて行く。

 2人は略1日掛かりで、50“リーグ”を歩いて来たので在った。天幕を張って1晩寝たとは云え、其れでもやはり未だ棒の様に足は痺れて居る。

 然し、眼の前にはそんな疲労を癒やすかの様な光景が広がって居る。

 遠くに見える山脈と、淡い翠のコントラストが何処迄も爽やかで在る印象を与えて来るのだった。ほんの1ヶ月前、此処が戦場で在った事が信じられ無い位だ。鉄と血と“魔法”などに因って繰り広げられたで在ろう饗宴と、2人の眼の前に広がる爽やかな光景とが上手く結び付か無い。

 だが、確かに此処ではそんな戦が在ったのだ。

「……サイトとセイヴァーは、此処で110,000を迎え討ったのね」

 ルイズは、盾を引き受けた“使い魔”の事を想う。

 横には広大な森が見える。

 ルイズは“魔法学院”の図書館から拝借して来た、“トリステイン地理院発行”の“アルビオン”地図を広げた。

 シエスタが横から覗き込む。

「之、殆ど“アルビオン大陸”全土の地図じゃ成いですか」

「にしても、シオンが居て呉れたら良かったんだけど、今頃どうしてるのかしら?」

「そう言えば、ミス・エルディは“アルビオン”出身だったんでしたね」

 ルイズは咳払いをすると、地図を折り畳んだ。

「近くに村は成いかしら?」

 シエスタはキョロキョロと辺りを見回した。其れから森の一角を指指す。

「彼処に小道が在りますわ」

 夜には気付か無かった小道が、確かに其処には在った。

「森に通じてるみたいね」

「行方不明って事は、森に消えたんじゃ成いでしょうか?」

 小道は馬車が通れる程広くは無かったが、どう遣ら人が行き来して居る様で在り、割と確りと踏み固められて居る事が判る。

「人の生活の香りがしますわ」

 と、シエスタが言った。

 

 

 

 其の頃……。

 “ウエストウッド村”の森の中では、アニエスと才人が木剣を構えて睨み合って居り、俺はまた少しばかり離れた場所で観戦して居る。

 アニエスは「技も術もすっ飛ばす」と言ったのだが、あれから、才人に幾つか技と呼べるモノを教えて居た。剣を巻き込んで斬り付ける技や、フェイントの遣り方などで在る。

 そして今は……アニエスの言う試験で在った。

 才人は、「今迄教えた技とコツを使って、何が何でも自分から1本取ってみろ」、とアニエスから言われたので在る。

「そうしたら、御前の事を、名前で呼んで遣る」

 今迄犬呼ばわりされ続けて来た才人は、発奮した。

「何をしても良いんですね?」

「実戦を模して居る。当たり前だ」

 才人は息を吸い込むと、剣を下げた。

「……何だ? 其の構えは」

 才人は切っ先で地面の土を掬うと、其れをアニエスの顔目掛けて放った。

「てやぁ!」

 然し……当然乍らアニエスは微動だに為無い。

「う」

「砂成ら兎も角、都合良く土が目に入る訳が無いだろう」

「そっすね」

 才人は真顔に成って、剣を構えた。

 其の儘暫し、睨み合いが続いた。

「来無いのか? では、此方から行くぞ」

 アニエスは遠慮の無い振りを、才人へと見舞う。

 速い……のだが、才人が予想して居た程では無かった。

 其れ故か、才人は其れに合わせて動く事が出来て居た。

 始まった時に、才人は心に決めて居たので在る。

 初太刀で動くと……。

 才人は、(アニエスさんは、最初から打って出るとは想わ無いだろ。教えられた通り、躱して間合いを測ると想って居るに違い無い。だから初太刀で行く)と考えたのだ。

 バシィイイイインッ! と思い切りに肩に木剣が打ち当たる音が響く。

 直後、ガランッ! と地面に木剣が落ちる音が響く。

 才人は唖然として己の手を見詰めた。

 木剣が確りと握られて居る。

 見ると……アニエスは剣を取り落として、片膝を突いて居るのだ。

「だ、大丈夫ですか!?」

 慌てて才人は駆け寄り、俺はユックリとアニエスへと近寄る。

 そんな俺達をアニエスは制して、立ち上がる。

「大丈夫だ」

 其れからアニエスは、ニッコリと笑った。

「まさか初太刀から合わせて来るとはな……」

「勝機は其れしか無いと想ったんです」

 実感が無いと云った様子の儘、才人は言った。そして、(まさか、此の“銃士隊”隊長から1本取れる何て)と興奮もして居た。

「まあ、約束だ。御前を名前で呼んで遣る。ファイト」

「才人です」

 と憮然とした様子で才人は言った。

 

 

 

 木に寄り掛かり……才人とアニエスは休憩を取って居り、俺もまた2人に倣う。

 ポツリと、アニエスは話を切り出した。

「さて……一応試験に合格した御前に、言って置かねば為ら成い事が有る」

 才人は身を乗り出した。

「何ですか?」

「御前に幾つか教えた術や技には、1つだけ共通点が在る」

「ふむ」

「全て等しく、役に立た無い」

「はい?」

「実戦ではな、剣が相手とは限ら無い。槍を相手にせねば成ら成い時も在るし、銃かも知れぬ。もっと恐ろしい“メイジ”かも知れぬ。否、人間とは限ら無い。“幻獣”かも知れぬし、“亜人”かも知れぬ。況してや1対1での状況など、略在り得ぬ。1人の攻撃を躱す間に、他に掛かられたら? 剣術など、役に立つものか」

「じゃあどうすれば……?」

「私と1番初めにて合わせた時、貴様はどうした?」

「えっと……振り下ろしました」

「後は?」

「突いたりしてみました」

「そうだ。実戦での動きは、振り下ろすか突くか、粗其れだけだ。其れで良いんだ。其れだけを行え。唯状況に気を遣え」

「状況?」

「先ずは奇襲だ。後ろから殴るんだ。失敗して対峙せねば為ら成く成った場合は、隙を突け。何としてでも隙を見付けろ。無ければ作り出せ」

「……作り出せ無かったら?」

「捨て身で打つかれ」

「実戦ではな、負けると想ったら、負ける。結局の所、技も術も、自信を着けるだけのモノに過ぎんのだ。嘘でも良い。勝つと想い込め。描いた想いが現実に成る。其れが勝利の本質だ」

「“イメージするのは、常に最強の自分”って奴ですね……じゃあ、今のは……」

 才人はアニエスが行った先程の振りを想い出した。

 スピードや動きにキレが無いと云えただろう。

 詰まり、アニエスは……。

「勿論、御前に自信を着けさせる為だ。態とに決まってるだろが。勝利の感触を、肌で覚えねばな」

 才人は顔を輝かせた。

「有難う御座いました!」

「理解ったら、顔を洗って来い」

 言われて、才人は自身の顔は汗や土で酷い事に成って居る事に気付く。

「はいっ!」

 と才人は元気良く水汲み場へと駆けて行った。

 ふぅ、と溜息を吐いて手を見たアニエスに、傍らの木に立て掛けられて居るデルフリンガーが言った。

「態と?」

 ジロッとデルフリンガーを睨み、アニエスは言った。

「……まあ、上達は早い方だな。1年も鍛えれば、相当な使い手に成るかも知れん」

「当たり前さ。実戦の経験だけ成ら、御前さん以上だよ。命の遣り取りを、身体が覚えてるのさ。後は其れを脳の隅っこから、取り出すだけだった」

 アニエスはジッと黙って手を見て居たが、詰まら無さそうに首を横に振った。

「えっと……8割は出したな。うん」

「8割?」

「否、加減が狂って、9割は出てたかも知れん。かも、知れん」

「御前さんも、負けず嫌いは人一倍だねぇ」

「全く其の通りだな」

 デルフリンガーの言葉に、俺は同意する。

「セイヴァー!? 御前迄」

「だが、悪い事では無い。其れが強さの元に成る事も在る」

「なあセイヴァー……先刻の私の説明、戦場での戦い方などについて、あれで良かったのだろうか?」

「問題無いだろう。だがそうだな……彼奴には剣の腕を磨かせるのも大事だが、体術なども覚えさせる必要が在るかも知れ無いな」

「其れまたどうしてだね?」

 デルフリンガーが、カタカタと震え乍ら訊いて来る。

「何、戦場で常に剣を手に持つ、握り続ける事が出来るとは限ら無い。何かの拍子で手元から抜け落ちて仕舞う可能性は大いに在り得る。せめて、護身術位は身に着けて貰いたいモノだな。況してや、此の先の戦いは……さて、そろそろだな」

 

 

 

 才人が水汲み場で顔を洗って居ると……ティファニアが駆け寄って来た。

 小さな女の子と一緒だ。

「どうしたの?」

 と、才人が尋ねると、息を切らしてティファニアが言った。

「サイトの言ってたルイズさんって、こう髪が桃色で、背の低い女の子何でしょう?」

「う、うん……」

 行き成り何を言うんだろうと、云った様子で才人は首肯いた。

「其の人、髪が長くって、とっても可愛らしいけど、あのホントに失礼ですけど胸がぺたんこな女の子?」

 唖然として、才人は首肯いた。

「そ、そうだけど……どうしたの?」

「じゃあ、やっぱり其のルイズさんかも……」

「え?」

「エマが、森に茸採りに行ったら、其の人と、髪の黒い女の人が歩いて居たんだって」

「髪が黒い女の人?」

「桃髪の人は、シエスタって呼んでたって……」

「な、何だって!?」

 才人は、(ルイズが? 俺に逢いに?)と愕然とした。

「ルイズさん成のね! わわ、真っ直ぐ此処に向かってるそうよ! どうしよう!?」

 才人の胸の中に、色んな想いが渦巻いた。其の想いはやはり直ぐに1つの欲求に結び付いた。一気にガスを送り込まれた風船で在るかの様に、其の欲求が膨れ上がって行くのが理解る。

 才人は、(逢いたい。とても逢いたい。ルイズ……身を呈して守り続けた、可愛い御主人様。逢いたい)、と想い、涙が溢れそうに成った。

 あの、桃髪の“貴族”の娘は、捜しに来たのだ。

 

 

 

 ルイズとシエスタは“ウエストウッド村”に到着した。

 2人は、“シティオブサウスゴータ”に通じる街道から入った森の小道を、半日ばかり当て処無く歩いて居ると、運良く茸を採って居る少女を見付けたので在る。

 5歳位の其の女の子に、「此の辺りで、男の子見為かった?」、と才人の人相を告げると、彼女は驚いて走って逃げ出して仕舞ったのだ。

 話の出来そうな大人に会えるかも、と考えた2人は其の後を追けた。すると……此の小陳鞠とした村に出たので在った。

 森を切り開いた土地に、寄り添う様にして10軒ばかりの家が並ぶ小さな村……と云う選りも集落と云う言葉が適切だろう規模だ。

「開拓村ですかね? 造られてから其れ程経って無い様に見えますけど……」

 とシエスタが感想を漏らす。

「誰かに訊いてみましょう」

 とルイズは言って、話せる大人を探し始めた。

 すると……丁度良い人物が現れた。

 野菜を一杯入れた籠を持った少女が、1軒の家から出て来たので在る。

 大きな帽子から流れる様な金髪が覗く、美しい少女で在った。

「あの、ちょっと尋ねたいんだけど」

 とルイズが話し掛けると、驚いた様子に身を竦ませる。

「平気よ、怪しい者じゃ無いわ」

 シエスタが牴牾し気に尋ねる。

「あの……此の辺りで男の子を見掛けませんでした? 私と同じ黒い髪の……17歳位の……」

 すると金髪の少女は、悲し気に顔を伏せた。そして、「此方へ……」、と言って、ルイズ達が遣って来たのとは別の方向の森へと2人を案内した。

 

 

 

「私が見付けた時は……もう手遅れだったんです」

 ティファニアは、ルイズとシエスタを1本の樫の木の元迄連れて来た。

 其処には大きな石が置かれて居り、森に咲く花々が飾られて居た。

 そして其の上に……才人のパーカーが掛けられて居るのだ。

 シエスタは、呆然として其の前にヘナヘナとへたり込んで仕舞う。

「“魔法”や銃弾で、身体は傷だらけでした。ほら……此の服見て下さし。ボロボロでしょう? 身体も同じでした。一生懸命、介抱したんですけど……駄目でした。恐らく、“水”の“魔法”でも、治せ無かったでしょう」

 ヒックヒックとシエスタは泣き始めた。そして、御墓を抱き締める。

「どうして……どうし死んじゃったんですか……? 絶対、逃げて下さいって言ったのに……」

 そんなシエスタの様子を見て、ティファニアは苦しそうに言葉を続ける。

「そして……最期に……“若し逢いに来る人が居たら、伝えて呉れ”って言われてた言葉が在るんです」

「何て言ってたの?」

 ルイズが、何処かに心を置いて来たかの様な声で言った。

「“忘れて呉れ”って」

「其れだけ?」

 ティファニアは首肯いた。

 其れから、泣きじゃくるシエスタの肩を抱いた。

「此処は冷えますから……せめて家に入らして下さい。今晩1晩位成ら、御泊めします」

 シエスタはもう、何も考えられ無く成って居たのだろう、されるが儘に立ち上がる。

「貴女も……入らして下さい。寒く成りますから」

 ティファニアはそう言ったのだが、ルイズは答え無い。唯ジッと……才人のパーカーを見詰めて居た。

 ティファニアは首を横に振ると、ルイズに言った。

「じゃあ、家で待ってますから……」

 1人、残されたルイズは墓石の上から、才人のパーカーを取り上げた。

 其れにソッと、唇を着ける。

 目を瞑り、優しい声で言った。

「サイト……聞こ得てる? 先ずはあんたに、沢山御礼を言おうと想うの。良い?」

 返事が聞こ得る訳も無い。

「フーケの“ゴーレム”に潰されそうに成った時……ワルドに殺されそうに成った時……何時も救けて呉れたよね。“トリステイン”に“アルビオン”艦隊が攻めて来た時も、姫様が暴走した時も……終いには110,000もの“アルビオン”軍を止め為くちゃ成ら成く成った時も……あんたは何時も私の前に立って呉れた。あんたは私が何な我儘言っても、無茶を要求しても、最後には必ず守って呉れた。文句を言い乍らも、私の事を救けて呉れた」

 そして……とルイズは言葉を続けた。

「あんたは私の事を、“好き”って言って呉れた。何れだけ私が嬉しかったか理解る? あんた位よ、こんな私に、“好き”って言って呉れるの。可愛く無い、女の子らしく無い私に“好き”何て言って呉れるの、あんただけ何だから」

 ルイズは目を瞑った。

「そんなあんたに、私、言いたい言葉が有るの。意地張って、最後にも言え無かったけど……大事な言葉」

 胸に手を置いて、ルイズは想いを噛み締めた。

「でも、其れは此処では言わ無いわ。逢ってから、言うって決めたから。私ね、其れを言う迄、絶対に諦め無い。皆があんたの事を“死んだ”って言っても……“魔法”が死んだって教えて呉れても……御墓を見ても信じ無い。一生掛ける、私はあんたを待ち続ける。じゃ成いと、あんたが私にして呉れた事に、釣り合わ無いもの。あんたが命を賭ける成ら、私も賭ける。馬鹿と言われようが、あんたを待つわ。私はね、全身全霊を賭けて、あんたの死を否定する」

 ルイズは才人のパーカーを羽織った。

「私は“メイジ”よ。口にした言葉が、現実のモノに成る力を持って居る。だから言うわ。あんたが死んだって事、認め無い」

 才人の墓石を見詰めて、ルイズは言った。

「何時か逢える。きっと逢える。信じてる」

 

 

 

 樫の木の裏にしゃがんで、才人はルイズが去って行く足音を背中に聞いた。

 隣には、御墓を偽装するのを手伝ったアニエスと俺が居る。

「良いのか?」

 アニエスは、膝に顔を埋めた才人の肩に手を回した。

 才人はコクリと、首肯いた。

「良いんです。“ガンダールヴ”じゃ無い俺はルイズを守れ無いんです。だから……」

 アニエスは、「そうか」、と言って……声を押し殺して泣く才人の頭を、ソッと撫で続けた。

 

 

 

 

 

 其の夜……ルイズとシエスタは、ティファニアの家に泊まる事に成った。

 ルイズは才人が寝て居た部屋、シエスタはティファニアの部屋で在った。

 ティファニアは「居間で寝るから」と言って、早々に引っ込んだので在る。疲れた旅人達にベッドを提供したので在る。

 ルイズは才人が最期に寝て居たと言われたベッドへと横たわり、ジッと天井を見詰めた。其れから、豊富をソッと鼻に寄せ、才人の香りでも探すかの様にして香りを嗅いだ。

 ルイズは、何かをして居為ければ、恐らく心が壊れてしまいそう成ので在る。もう、冷静に何かを考えられる状態では無かったのだ。唯、後悔と自分を責める声と、才人の姿が何度も何度も、ルイズの脳裏を過るので在る。苦しくて、哀しく成るので在る。切無くて、どうにか成って仕舞いそう成ので在る。何時迄耐えねば成らぬのか、見当も付か無いだろう。

 ルイズがそんな風にまんじりと眠れ無い夜を過ごして居ると……。

 ドアが、ガチャリと開いた。

「シエスタ?」

 そう、シエスタで在る。

「どうしたの? 貴女も眠れ無いの?」

 シエスタは首を横に振った。

 良く見ると、彼女はブルブルと震えて居る。

「何よ……? 何が在ったの?」

「サイトさんが……」

 ルイズはベッドから跳ね起きた。

「サイトがどうしたの? ねぇっ!?」

「森に……」

「森ね!」

 ルイズは、(やっぱりサイトは生きてたんだ! 細かい事を考えるのは後。シエスタの口調だと、何か棄権に巻き込まれてる可能性が高いわね)、などと考え、“始祖の祈祷書”を掴んで飛び出した。

「何方?」

「こ、此方です」

 ルイズはシエスタを追って、走り出した。

 

 

 

 木々の隙間から漏れる、2つの月の明りだけが、頼り無い道標で在ると云えるだろう。

 足元は粗闇に近いのだ。

 ルイズは何度も転んだ。

 が、シエスタは流石田舎娘故か、森歩きは慣れて居るのか、ドンドン先を行くのだ。

「ま、待って……」

 其の内に、シエスタの姿は森の闇に呑まれて仕舞った。

「此方です」

 声だけが、闇の中から聞こ得て来る。

 必死に成って、ルイズは其の声を追い掛けた。

 其の内に、月明かりが射す、開けた場所に出た。下生えが、銀色に光って居る。良く見ると、発光性の茸が其処には生えて居た。

 シエスタが立て、何かを見上げて居る。

「ほら、サイトさんが其処に……」

「何処?」

 とルイズは目を凝らしたのだが、何処にも才人の姿は見え無い。

 ルイズは、(暗くて良く判ら無いのだろうか?)、と牴牾し気に、“コモン・マジック”の1つで在る“ライト”を唱えようとした、其の時……。

 肩から、革紐提げて居た“始祖の祈祷書”をシエスタが掴んだ。

「ちょ!? 何すんのよ!?」

 然し、シエスタは顔色を変え無い。妙な笑みを浮かべた儘、“始祖の祈祷書”をグイグイと引っ張るので在った。

「貴女……操られて居るの?」

 目の輝きに違和感を覚え、こう成っては遠慮して居る場合では無い為に、ルイズは思いっ切りシエスタを蹴飛ばした。

 シエスタは地面に転がってしまう。

 隙かさずルイズは、太腿のベルトから“杖”を引き抜いた。

 短く“詠唱”。

 “ディスペル・マジック”だ。

 “詠唱”時間が短い為、範囲は狭い。其れでもシエスタに掛けられて居る“魔法”を、“ディスペル(解除)”するには十分で在った。

 倒れたシエスタの身体全体が、発光した。

 何らかの“魔法”で操られて居る……とルイズは想ったのだが違った様だ。

「……操られて居る訳じゃ無いみたいね」

 シエスタは跡形も無く消え失せた。

 ルイズは、(一体何だったんだろう?)、とシエスタだったモノが倒れて居た辺りを目を凝らして見る。

 すると……一体の小さな人形が転がって居るのが見えた。

 其の人形には、ルイズは見覚えが有った。

 先日、“ロサイス”で……大道芸人が操って居た、騎士人形で在る。

「“アルヴィー(小魔法人形)”……」

 “魔法”の力で自立して動く“ガーゴイル(魔法人形)”の小型版で在る。

 どうして之が此処に? と疑問を抱くと同時に、ルイズは背後で下生えを踏む足音を聞き、振り返った。

「……誰?」

 黒いローブをスッポリと冠った人影で在った。其の身体のラインから女性で在ると云う事が伺える。

 ルイズはボンヤリと、“ロサイス”の大道芸人の格好を想い出す。

「私達の後、追けて来たのね? 貴女は誰成の?」

 ルイズは何時でも“呪文”が“詠唱”出来る様に、“杖”を構えた。

「名乗り為さい」

「そうね……何れを名乗ろうかしら?」

「巫山戯無いで」

「貴女は知ら無いでしょうけど、シェフィールドと名乗って居たわ。本名じゃ無いけどね」

 ルイズは“呪文”を唱えた。

「“イサ・ウンジュー”……」

 直ぐに“魔法”を解放する。

 “エクスプロージョン(爆発)”が、黒ローブの女性を襲った。

 然し、黒ローブが弾けた後には何も残ら無い。

 ルイズが近付くと、其処でバラバラに成って居たのは、やはり小さな人形で在った。

 どう遣ら此の“アルヴィー”は、“魔法”が発動して居る間は、込められた“精神力”を“魔力”とし、等身大に膨らむらしい。

「卑怯よ! 出て来為さい!」

 すると……。

 暗闇から、何体もの黒ローブの女性が現れた。

 ルイズには、“アルヴィー”が化けて居る姿成のか、本物成のか、区別を点ける事が出来無い。

 一斉に、黒ローブの女性は口を開いた。

「始めまして。ミス・ヴァリエール。偉大成る“虚無の担い手”」

 ルイズは相手が、自分の事を“虚無の担い手”で在る事を知って居る、と云う事に驚愕する。

「……“ガーゴイル(魔法人形)”使い?」

「使えるのは“ガーゴイル”だけじゃ無いわ」

 ルイズは“呪文”を“詠唱”しようとした。

 “ディスペル・マジック”で、一気にケリを付けようと想ったのだ。

「止め為さい。貴女の“詠唱”選り、私の人形が、貴女を貫く方が速くってよ」

 スッと……黒ローブの女性の後ろから、何体もの騎士や戦士の格好をした“ガーゴイル”が現れた。

 次から次へと、人形が増え続ける。

 剣や槍、そして斧矛(ハルバード)……何れも恐ろしい獲物を持って居る。

 そんな数十体もの“ガーゴイル”を従え、余裕などからだろうシェフィールドは呟く。

「私の能力を教えて上げましょうか?」

「……く」

「“神の左手”事、貴女の“ガンダールヴ”は、“汎ゆる武器を扱える”。そうよね?」

 ルイズは唯、黙ってシェフィールドを睨み付けた。そして、(どうして其れを知って居るの? そして其れを知って居る此の女は何者成の?)と考える。

「私は、“神の頭脳”――“ミョズニトニルン”。“汎ゆるマジックアイテム(魔道具)を扱える”のよ」

 “ミョズニトニルン”。

 “メイジ”でも無いのに、汎ゆる“マジックアイテム”を扱える。

 “ガーゴイル”が動いて居るのは、其の能力の御蔭成ので在ろう。

 作り出した“メイジ”が常に操り続け必要が在る“ゴーレム”と違い、“ガーゴイル”は自立した擬似的意志で動くのだ。其れだけに、相応の“精神力”を必要とする。

 之だけの量の“ガーゴイル”を、同時に作動させる……其れは何れだけ優れた“メイジ”で在ろうと不可能に近いだろうと云える。

 黒ローブの女性は、スッとローブを自らズラした。

 其の額には、何かの文字が刻み込まれて居り、光って居るのが見える。

 古代語の“ルーン”だ。其の古代語を、ルイズは見た事が在った。

 才人の左手甲に刻み込まれて居た“ルーン”……。

「此の古代語の“ルーン”を見た事が在るでしょう?」

 ルイズの顔から血の気が引き始める。

「貴女……」

「そう、私も“虚無”の“使い魔”成のよ。其れともう1つ……此方の方でも名乗って置いた方が良いかしら?」

 シェフィールドは一拍置いて、改めて名乗った、

 其れはルイズにとって、死刑宣告に等しい絶望的状況を告げるモノで在った。

「“サーヴァント”――“キャスター”……“魔術師”の“クラス”で喚ばれたの……早く喚ば為いと、死んじゃうわよ? ミス・ヴァリエール」

 

 

 

 其の頃……。

 才人はエマが寝泊まりして居る家で、アニエスと眠れぬ夜を過ごして居た。

 ルイズ達がティファニアの家に泊まる事に成った為に、居場所が無く成って仕舞ったので在る。

 1つ切りの部屋に、才人とアニエスはテーブルを挟んで座って居た。

 隣のベッドでは、すやすやとエマが寝息を立てて居る。

「守る資格が、無いか」

 才人の話を聞き終わったアニエスが、呟く様に言った。

「……ええ。俺はもう、“ガンダールヴ”じゃ無いですから」

 アニエスは暫く考え込んでから、尋ねた。

「御前は“ガンダールヴ”だから、ミス・ヴァリエールを守って居たのか?」

「そうです。“ガンダールヴ”だから、ルイズを守れたんです」

「違う」

「え?」

「私が訊いて居るのはそう云う意味では無い。意志の問題だ。“ガンダールヴだから守れた”と“ガンダールヴだから守る”では意味が違う」

 才人は、ハッとした様子を見せる。

「詰まりだな、ミス・ヴァリエールを守って居たのは、“ガンダールヴ”成のか? 其れともヒラガサイト成のか? 何方何だと訊いて居る」

「其れは……」

 答えに迷う才人を見て、「自分を卑下するのは簡単だ。“出来ぬ”と呟いて、諦めるのも1つの勇気に違い無い。でもな……」、とアニエスは言い、また、言葉を続けた。

「命を捨てても構わ無い、と想える女が現れるのは、精々一生一度だぞ」

 

 

 

 “虚無”の“使い魔”と、そして“サーヴァント”で在ると名乗るシェフィールドを見詰めて、ルイズは言った。

「……悪い冗談だわ。“虚無”の“使い魔”が他にも居る何て、更に其れが、“サーヴァント”だ何て」

「信じるも自由。信じぬも自由。貴女の選択は2つよ。大人しく其の“始祖の祈祷書”を差し出し、“令呪(聖杯戦争への参加資格)”を破棄するか……」

 ルイズは苦い表情で言った。

「……抵抗して斃れされた後に、奪い取られるか?」

「鋭いじゃ成いの」

「巫山戯無いで!」

 小馬鹿にした様な台詞を穿き続ける黒ローブの一体を狙って、ルイズは“エクスプロージョン”を放つ。

 然し、其れもやはり“ガーゴイル”の一体。

 直ぐに別の一体が、口を開く。

「此の“ガーゴイル”は、唯の“ガーゴイル”じゃ成い。“スキルニル”と言う、血を吸った人物に化ける事が出来る古代の“マジックアイテム”。其の能力も一緒にね……古代の王達は、此の“スキルニル”を使って、戦争ごっこをしたの。そんな由緒有る高貴な遊びに付き合わせるのだから、感謝して欲しいわ」

 ユックリと“ガーゴイル”達は、ルイズへと近付いて行く。

「唯の剣士や戦士と侮っては行け無いわ。何れも“メイジ”の光の歴の裏で、“メイジ殺し”と呼ばれる様な使い手として恐れられた連中よ」

「くっ!」

 ルイズは再び“ディスペル・マジック”で、近付いて来る1体を解除した。

 然し……押し寄せる大群の前には些細な抵抗に過ぎ無いと云えるだろう。

 “虚無”の威力は、“詠唱”の時間に比例すると云える点が在る。

 然し……長く“詠唱”を行う訳にも行か無い状況と状態に、ルイズは今置かれて居る。

 “呪文”を唱える其の間、“メイジ”は無防備だと云えるだろう。あっと言う間に敵に捕まって仕舞うのは明白だ。

「言ったでしょう? 戦争ごっこをしたのよ! 何体在ると想ってるの!? そんなショボクレた“魔法”で1体ずつ、“解除”したって切りが無いわよ? ほら!」

 剣士の姿をした“ガーゴイル”達は一斉に、ルイズへと跳び掛かる。

 為す術が有る筈も無く、ルイズは逃げ出した。

「アッハッハ! 可笑しい! “虚無の担い手”も其の程度? “ガンダールヴ”が居無くっちゃ、“呪文”を“詠唱”する事も出来無いのね!」

 ルイズは真っ暗な森の中を逃げ惑う。

 ルイズの後ろからは、“ミョズニトニルン”の“魔法人形”が彼女を追い掛けて来る。どう遣ら嬲って愉しむ積りで在るのか、其れともルイズの能力を測るのが目的で在るのか、一気に間合いを詰める事も無く、ルイズの足に合わせて追い掛けて来るのだ。

 木の根元に足を引っ掛けてしまい、ルイズは転んで仕舞う。

「痛い……」

 深い闇の向こうから、“ガーゴイル”達が森の下生えや土を踏む、湿った足音が響いて来るのが判る。

 恐怖が、ルイズの全身を包み始める。

 そんな時……ルイズの脳裏に浮かび上がったのは、(“虚無魔法”を唱え為きゃ)と云った考えでも無く、神への祈りでも無かった。口を吐いて出たのは……。

「サイト」

 此の世に居無いと言われ続けて居る、彼女の“使い魔”だった少年の名前だった。

 泣き出しそうな声で、ルイズは呟いた。

「救けて。サイト救けて」

 湿った足音が次第に大きく成る。

 ルイズの心の中の冷静な部分が……抑えて居た理性が、才人の存在を、(幾ら自分が信じ無くたって……サイトは死んだのよ。諦め為さい。ルイズ、諦めるの。あんたの“使い魔”は、死んだのよ!)、と否定する。

 ギリッと、ルイズは唇を噛んだ。

「何よぉ……」

 ルイズは泣きそうな声で叫んだ。

 死んだと囁き掛けて来る、自分の理性がルイズは赦せ無いのだ。

「どいつも此奴も死んだ死んだって……理解ったわ! 死んでるわ!」

 ルイズは立ち上がった。

 其れから“呪文”を唱え始める。

 ルイズの口から溢れる“呪文”は、古代の“ルーン”では無かった。“メイジ”で在るの成ら、誰もが使える“コモン・マジック”。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 ルイズは十分に理解して居た。

 之は、此の様な状況や状態などの時に唱える“呪文”では無いと云う事を。

 唱える可きは、敵わずとも……“虚無”で在る可き成のだ。

 だが、ルイズは、信じると決めたのだ。

 だからこそ、だったら、故に、頼るのだ。

 命を賭けて……其の名前に頼るのだ。

 ルイズの中で、何かが完結をした事を彼女は自覚する。

「――え!?」

 だが其処で、ルイズへと向けて何かが闇の中から投擲され、向かって来る事をルイズは気付いた。

 其れは“ガーゴイル”が放ったモノでは無い。文字通りに、闇の中から投げられたモノだ。

 確かに其れは、ルイズの命を奪う為に、投げられた。

 真っ直ぐに、ルイズの心臓へと向かう。

 だが――。

「セイ、ヴァー……?」

 其の投げられた短剣を、俺は“投影”した“干将莫邪”で弾き飛ばす。

「呆けるな、ルイズ。“呪文”を完成させろ」

 突然に現れた俺へと、暗闇に潜む者達は強く警戒をする。

「貴男は確か、“アルビオン”の新女王の“使い魔”の……」

「“キャスター”の“サーヴァント”、シェルフィード……“アサシン”の“サーヴァント”、ハサン・サッバーハ……“アヴェンジャー”の“サーヴァント”……ふむ、まさか3人の“サーヴァント”が手を組む……否、“キャスター”、君の手に依って“召喚”されて居るとはな……而も、“アヴェンジャー”を押さえ付ける事に成功して居る様だな」

「――!? 貴男は何者成のかしら?」

 シェルフィードは、警戒心を上昇させる。

 遠方から“ガーゴイル”を操るシェルフィード、暗闇に潜む2人の“サーヴァント”は俺を敵として認識をした様子を見せる。

 だが、未だ動か無い。

「そうだな、自己紹介と行こうか。俺は“代替者”――“オルタネーター”の“サーヴァント”……其処の“アヴェンジャー”同様に此処での名は無い。故に、此処“ハルケギニア”では“召喚”されてから、セイヴァーと名乗って居る」

 俺はルイズを一瞥する。

 俺が口を開き対話をする事で、ルイズは(信じるわ。だって私、そう言ったじゃ成い)と想い、才人との出逢いの“呪文(サモン・サーヴァント)”を怒鳴る様に唱える事に成功させる。

「“5つの力を司るペンタゴン! 我の運命(さだめ)に従いし”――」

「阻止し為さい! “アサシン”! “アヴェンジャー”!」

 明らかに焦った様子を見せる“キャスター”で在るシェフィールドの言葉に従い、2人の“サーヴァント”はルイズへと攻撃の態勢に入るのだが。

「――“使い魔”を“召喚”せよ!」

 其の前に、ルイズは“呪文”を唱え終え、“魔法”を完成させ、“杖”を勢い良く振り下ろした。

 

 

 

 膝を抱えて考え込む才人の前に……。

 “ゲート”が開いた。

 何時か、才人が“東京”で見た、此処“ハルケギニア”に来る直前に見て触った“ゲート”で在る。

 呆然として、才人は其れを見詰めた。

「之は……」

 デルフリンガーが、何時もの調子で言った。

「……はぁ、どう遣ら、セイヴァーの言う通り、御前さんはあの娘っ子の“使い魔”に成る“運命”みたいだね」

「でも……」

「そうさ。“コントラクト・サーヴァント”が上手く行くとは限ら無い」

「そんな事言って居る場合じゃ無さそうだぞ」

 アニエスが“ゲート”を指指して言った。

 中から、ルイズの悲鳴と、鉄と鉄が打つかる音などが聞こ得て来るのだ。

「来た! 来た来た! 救けて! いやぁ!」

「……そうみてえだね。どうする? 相棒」

 デルフリンガーがそう言った瞬間……才人に引っ掴まれる。

「ま、そうだろうな。でも相棒、御前さん、生身と言う事を……」

 才人はブツブツ呟くデルフリンガーを握り締め、“ゲート”に飛び込んだ。

 

 

 

 “ゲート”の向こう、闇の中に“ガーゴイル”が姿を現した。

 だが、ルイズは震え無い。

 隣で守って呉れて居る者が居るからと云うのも有るが、其れと同等か其れ以上に、熱い高揚が身体を包むのをルイズは自覚した。(来る。サイトは来る。シオンが言ってた。“セイヴァーが生きてる事を教えて呉れた”って。シエスタが教えて呉れた。そして、想い出させて呉れた。信じると言う事を。死んだって……私を救けに遣って来る)、とルイズは想い、前へと目を向ける。

 “ゲート”毎、ルイズを斬り倒そうと“ガーゴイル”は剣を振り上げる。

 刹那……“ガーゴイル”の上半身が、ズルリと崩れ落ちた。

 先ず、ルイズの目に飛び込んで来たのは、デルフリンガーの刀身で在った。

 次いで現れた、見慣れた黒髪を見た時……ルイズはずっと我慢して居た涙が溢れて来るのを感じた。

 

 

 

 “ゲート”から出た瞬間、才人の目に映ったのは、剣を振り下ろそうとして居る剣士で在った。

 臆する事も無く、才人は飛び込み、デルフリンガーを振り下ろしたのだ。

 完全に隙を突かれた剣士は、斬り倒されて仕舞った。

 後ろから……才人にとって懐かしいルイズの、涙混じりの怒鳴り声が響く。

「ど、どど、何処に行ってたのよッ!」

 才人は何か気の利いた事でも言ってルイズを安心させたかったが、出て来た言葉は、「ちょ、ちょっと其処迄……」と云う実に情け無いモノで在った。

 ルイズは半狂乱と云った様子で喚き散らす。

「あんたってば私の“ガンダールヴ”何だからねッ! 何処にも行か無いでちゃんと守っててよ! ま、守って……」

 其先は、感極まって仕舞ったのだろう、言葉に成ら無い様子を見せる。

「五月蝿せよ馬鹿」

「誰が馬鹿よ!?」

「良いから覚悟しとけ」

「何よ!?」

 暗がりから、“ミョズニトニルン”こと、シェフィールドの声が聞こ得て来る。

「おやおや。“ガンダールヴ”の登場って訳? 随分と遅かったじゃ成いの。何処で油を売って居たの?」

「“ガンダールヴ”じゃ無えよ」

「だったら、何者何だい?」

「唯の“地球”人だよ」

「何だ。折角仲間に逢えると想ったのに……残念だね」

 そんなシェフィールドと才人の遣り取りを聞いて、ルイズが叫ぶ。

「ど、どう云う意味よ!?」

「言った通り。俺は今、“ガンダールヴ”じゃ在りません」

「はぁ!? どゆ事!?」

「“ルーン”消えちゃいました。死に損なったから」

「ば、ばば、ばっかじゃ成いの! じゃあ何で“ゲート”潜ってんのよ!?」

「煩せえ。俺は“ガンダールヴ”だから、御前を守ってた訳じゃ無え」

「他に何な理由が有るって言うのよ!?」

「惚れたから守ってんだよ!」

 ルイズは顔を真っ赤にした。こんな時でも、否、こう云う時だからこそ、だろうか。

 コホンと咳をして、澄ました声でルイズは言った。

「じゃ、じゃあ、兎に角……もう1回、“コントラクト・サーヴァント”を……」

「上手く行くとは限ら無えし、何処にそんな時間が在るんだよ? 御前は“虚無”を“詠唱”しとけ。時間は俺とセイヴァーが稼ぐ」

「何言ってんのよ!? “ガンダールヴ”じゃ無いあんたに、あれだけの“ガーゴイル”と3体の“サーヴァント”を相手出来る訳が……」

「“ガーゴイル”に、“サーヴァント”?」

「そうよ。“ガーゴイル”は“魔法人形”って事よ」

「そっか、人間じゃ無くて良かった。目覚めが悪ぃからな……」

 ヒタヒタと“ガーゴイル”の群れが近付いて来る。

 が、其処で才人は一拍置いて驚いた様子を見せる。

「さ、“サーヴァント”って言った?」

「う、うん……」

「而も、3体?」

「う、うん……」

 才人とルイズの顔は蒼白だと云えるだろう。

「かなりヤバイじゃ成えかッ!」

「まあ、落ち着け。才人」

「之が落ち着いて居られるかッ!?」

 取り乱す才人に、飽く迄も俺は落ち着く様に声を掛ける。

「ルイズ、御前は“虚無魔法”の“詠唱”を。才人、御前は“ガーゴイル”を遣れ。否、“ガーゴイル”だけに集中しろ」

「御前はどうするんだよ? まさか……」

「勿論、“サーヴァント”の相手は“サーヴァント”だ。今の御前じゃ無理だ。逆立ちをしてもな。では行くぞ」

「ああ」

 “ガーゴイル”の群れから1体が才人へと近付く。どう遣ら、斥候らしい。

 才人は剣を構えた。

「良いから、命預けとけ。ルイズ」

 先程とは打って変わって自信足っ振りと云った様子の才人の言葉と様子に……ルイズは嬉しさからか唇を噛み、目を擦る。

 “杖”を構え、ルイズは“呪文”を“詠唱”し始める。

 懐かしさを感じさせる“虚無”の調べを背中に聞き乍ら、才人は敵が遣って来るで在ろう方向を見据えた。

 暗がりから、先程とは違う形状の鎧に身を包んだ“ガーゴイル”が跳び込んで来る。

 一気に踏み込んで来た敵の攻撃を、才人は後ろに飛び退いて躱す。次いで、敵の足の位置を、頭に叩き込む。

 アニエスとの特訓が、才人に間合いと云うモノを教えて呉れて居るのだ。

「“足を見ろ”……だよな」

 何度か躱す内に、敵の攻撃パターンと云うモノは次第に見えて来る。

 敵が剣を振り下ろした瞬間に、思い切って才人は突っ込んだ。

 “ガーゴイル”の肩が斬り裂かれ、剣が地面に落ちた。

「あ、当たった!」

 震え乍ら才人は、腕を失った“ガーゴイル”を斬り伏せた。

 然し喜んだのも束の間……次々と敵は現れる。

「くそ……」

 アニエスからの言葉が、才人の頭の中に蘇る。

 

――“1対1の状況が、先ず在り得ん”。

 

 才人は逃げ出そうかと想ったが、ルイズの“詠唱”が背中に聞こ得る。

 ルイズは言われた通り、才人達に命を預けて居るのだ。

 “ガンダールヴ”では無く、平賀才人に、彼女は命を預けて居るのだ。

 才人は息を吸い込み、勇気を振り絞る。

 静々と、敵が2人へと近付いて来る。

 5体だ。

 其れ迄黙って居たデルフリンガーが口を開いた。

「相棒、良いか聞けよ。今、御前さんは2体の敵を斬り伏せた。理解るな? 生身の御前さんが、“ガーゴイル”を2体も遣っ付けたんだ」

「ああ」

「自信を持て。御前は強い。今から俺が指示を飛ばす。其の通りに動け。良いな? そうすれば、必ず勝てる」

「うん」

 デルフリンガーの自身に満ちた声が、才人を冷静にさせた。

「真ん中だ」

 槍を持った“ガーゴイル”からの攻撃だ。

「右に避けろ」

 デルフリンガーの指示通りに、才人は右へと跳躍して躱す。

 シュンッ! と突き出た槍が、才人の横を掠める。

 才人は間合いを詰め、袈裟懸けの要領で斬り下ろす。

「右隣。しゃがめ。足を斬り払え」

 次いで、才人はしゃがむ。

 才人の頭が在った空間を、右に居た“ガーゴイル”の剣が過ぎて行くのが判る。

 しゃがみ様に、才人は剣を払う。

 足を斬られた事で、其奴は地面に転がる。

「其の儘右。斬り上げろ」

 立ち上がり様に、才人は斬り上げた。

 地面に転がった才人を叩こうとして居た“ガーゴイル”のまたが斬り裂かれる。

「振り向き様に薙ぎ払え」

 才人は振り向いた。顔の横を槍が過ぎて行くが、もう動きが鈍る程の恐怖は感じ無い事を、才人は感じ取る。次いで、完全に振り返るのと同時に払った太刀筋で、後ろから突き掛けた“ガーゴイル”は胴を見事に両断されて転がる。

 残った1体が、剣を振り上げた。

「貰った!」

 チャンスとばかりに、才人は突いた。

「馬鹿! 突くな!」

 デルフリンガーが叫んだが、才人は既に行動を終え、突いて仕舞って居る。

 グッサリと、“ガーゴイル”の胴に剣が減り込む。

「7体目だ!」

 喜びに叫んだのも束の間、才人は驚愕した。

「ぬ、抜け無え!?」

「だから突くなって言ったじゃ成えか! 多数を相手にする時は、絶対突くな!」

 其処に新たな5体が現れ、才人はパニックに陥って仕舞う。

「ど、どうしよう!?」

「手遅れだよ! はい終了! さよなら!」

「そ、そんな!」

 才人は足を掛けてデルフリンガーを抜こうとしたが、どうにも上手抜く事が出来無い。

 そんな才人に、新手の1体が飛び掛かって来た。

 殺られる!? と思われた其の瞬間、銃声が響いた。

 才人に向かった1体が、グラリと崩れた。

「何を遊んで居る?」

 見ると、アニエスが拳銃を構えて立って居た。

「アニエスさん!」

 アニエスは発砲した後の拳銃を捨てると、腰から次の拳銃を抜いて、自分に向かって来た1体に撃っ放す。

 どう! と音を立てて、前のめりに“ガーゴイル”は斃れた。

 遣っとの事で、デルフリンガーが抜け、勢い余って才人は後ろに転がって仕舞う。

 今発射したばかりの拳銃も投げ捨て、スルリとアニエスは剣を抜き放ち、「来い」、と才人に向かって顎を杓る。

 心強い味方を得た事で、才人の中の勇気が再び膨れ上がる。

 然し、別の方向から1体が現れ、“呪文”を“詠唱”して居るルイズへと近付く。

 才人は咄嗟に駆け寄ろうとするが。間に合いそうに無い。

 “ガンダールヴ”だったら間に合うのに! とそう初めて後悔した瞬間……其の“ガーゴイル”の頭に、ぼごんッ! と何かが打つかった。

 フライパンで在る。

 ユックリと、其の“ガーゴイル”は地面に崩れ落ちる。

 ルイズの後ろに、寝間着姿のシエスタが震え乍ら立って居るのが見えた。彼女が、ルイズに近付く“ガーゴイル”目掛けてフライパンを投げたらしい。

 そして其の後ろには、“杖”を持って周囲を警戒して居るティファニアも居る。

「シエスタ!?」

「あ、当たっちゃった……」

 才人に気付き、シエスタの顔が歓喜に溢れる。

「眠れ無くって……窓の外を眺めてたら……血相変えて走って行く其処の女剣士さんが見えたんで、くっ着いて来たんです! そしたらサイトさんが! わぁわぁ! わぁ!」

「私は、シエスタさんが出て行く所に出会して、其れで」

 感極まったと云た様子で喚くシエスタと安心したと云った様子を見せティファニアの2人を見て、才人は、(シエスタとティファニア迄見てるんじゃ、之以上変な所は見せられ無い)、と云った風にでデルフリンガーを確りと握り直した。

 アニエスが斬り結ぶ3体に向かって、才人は突っ込んだ。

 慣れれたのか……アニエスと“ガーゴイル”が繰り広げる剣戟が、今の才人には心做しかユックリに見えたのだ。

 勿論“ガンダールヴ”の力を発揮した時程では無かったが、十分で在った。

 才人達が其の3体を斃すのに、然程時間が掛から無かった。

 

 

 

 暗がりの中、シェフィールドは、(彼奴等は唯の人間では成いか。其れ成のに……2人の剣士は、次々にシェフィールドの“ガーゴイル”を斬り伏せて行くとわね。女の方は相当な使い手と言う事が判るけど……もう1人の少年は)、と当惑した。

 シェフィールドから見ても、才人の動きは、“ガーゴイル”を斬り伏せる度に鋭く速く成って行くのが判る。

 才人は、まるで、忘れて居た動きを想い出し取り戻すかの様にして、剣の振りを始めとした一連の動作がスムーズに成って行くのだ。

「理解らぬのか、シェフィールド? あれは未来の、今の時代の“英雄”だ。俺が居た世界での彼奴は主人公だった……此処は絵巻などの中では無いが、其れでも彼奴は其の中での其奴と同一人物で在り、違う存在……」

「ふむ……“ガンダールヴ”の遺産か。流石は我が同類。一筋縄では行か無いわね」

 シェフィールドは、猛禽類の様な笑みを浮かべ、闘いを見守る。

 瞬間、其の表情が変わる。

 恋をする少女の顔に成ったシェフィールドは、大声を上げた。

「ジョセフ様!?」

 シェフィールドの顔が、次いで曇る。

「どうしてですか!? 何、本気を出せば、直ぐにでも斃して御覧に入れます!」

 次に頭に響いたで在ろう言葉で、再び彼女は笑顔を浮かべた。

「理解りました。対局を愉しむのですね? 成る程……“虚無”対“虚無”、“サーヴァント”対“サーヴァント”。詰まる所其れは、ジョセフ様が御自分で指される様なモノ……唯単に“秘宝”と“指輪”を集めて眺める選り、愉しいに違い在りませんわ。其れでは最後に、あの“担い手”と、 “サーヴァント”の力を測って置きましょう。之から遊び相手に成って貰うんですから、キッチリ測って置きませんと……」

「話は終わったかね?」

「ええ。私は之にて失礼させて頂きますわ。アサシン、アヴェンジャー。眼の前の其奴と、“虚無”の担い手の実力を測り為さい」

 未だ7騎揃わ無い中、聖杯戦争の開始が合図された瞬間で在った。

 

 

 

 ルイズの中で、“ルーン”、そして“精神力”が畝る。行き場を求めて、“虚無”の波が押し寄せるのだ。

 ルイズは、己の“精神力”を限界迄練り込み……解放する。

 長い“詠唱”が終わり、“詠唱”が完成した。

 “ディスペル・マジック”。

 集まった“ガーゴイル”を包み込み、掛けられた“魔法”を……人形を動かす“魔法”の影響を、更成る小さき粒への干渉で打ち消す。

 全ての“ガーゴイル”は斃れ……元の“アルヴィー”へと姿を変えた。

 まるで“サイレント(消音)”の“呪文”を掛けたかの様に、一瞬で森に静寂が戻った。

 が、未だ剣戟などの音は遠くから、彼等に聞こ得て居る。

「そうだ! 未だセイヴァーが!」

 そう言って才人は音のする方へと疾走り、皆が其れを追い掛ける。

 

 

 

 

 俺が“投影”した“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”と、アサシンが持つ短剣、アヴェンジャーの身体が打つかる。

「――之は!?

  其れを目にした、皆は驚愕に目を開き、呆然とした様子を見せる。動くに動け無いで居る様子だ。

「之が、“サーヴァント”同士の戦い……」

 金属音が鳴り響く。

「中々に遣るでは在りませんか、オルタネーター殿」

「そう言う御前等も中々の腕だ。ハサン・サッバーハ、否、“ハルケギニアのハサン”。そして、無銘の、“ハルケギニアのアヴェンジャー”」

「憎い……御前が持つ其の力が妬ましい。運が妬ましい。其の生が恨めしい」

 一旦戦闘の手を止め、対話する。

「セイヴァー!」

「ルイズ」

「あによ!?」

「先ずは“コントラクト・サーヴァント”を行え。そして――」

「そして、何よ!?」

「“サーヴァント”の“召喚”だ。“詠唱”は俺が教える。鸚鵡返しで良いから唱えろ」

「え、ええ……」

「だがまあ、当然、最終的には御前等が決める事だがな」

 早速才人に“契約”を施すのだ。

 再び襲われると大変だと云う事も在るが、此の状況と、此の先の展開などと考えると、才人が“ガンダールヴ”で在り、“サーヴァント”で在れば此方としても楽を出来るからだ。

「何好んで、“メイジ”の道具に成る事も在るまい。剣を振るのに“ルーン”は要らんだろうが」

「まあな」

 アニエスの言葉に、デルフリンガーが何遣ら切無さそうな声で相槌を打った。

 アニエスは意外そうな様子でそんなデルフリンガーを見遣る。

「浮かぬ様子だな。御前の相棒が帰って来るんじゃ成いのか?」

 そんなアニエスの疑問に答えもせず、デルフリンガーは黙って仕舞った。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。“5つの力を司るペンタゴン。此の者に祝福を与え、我の使い魔と為せ”」

 “詠唱”が終わり、ルイズは才人に唇を近付ける。

「ほう……邪魔をし無いのか」

「当然だ。キャスターの奴からの指示は、実力を測れと言うモノ。“契約”を阻止しろなどと言った指示を受けては居らぬ」

「其れもそうだ」

 俺の問いに、アサシンが答える。

 だが、アサシンの隣に居るアヴェンジャーの方はと云うと、ルイズと才人をやはり憎々し気な様子で見詰めて居り、何時命を奪いに掛かっても可怪しくは無いと云った様子だ。

 そんな中、才人は小さい乍らも形の良いルイズの唇を見詰め、(想えば……此処から始まったのは)、と想った。そして、才人の中で、様々な冒険が、頭を過る。(之からまた、新たな冒険が此処から始まるのだろう)、と期待と不安が入り混じった様子を見せ、少し身動ぎをした。

 そんな才人の様子に気付き、ルイズが尋ねる。

「後悔し無い?」

 才人はルイズの目を真っ直ぐに見て、言った。

「する位だったら、“ゲート”を潜って無えよ」

 ルイズは首肯くと、ユックリと才人に唇を押し付けた。

 直ぐに……灼ける様な痛みが才人の身体を襲う。

 ぐぉおおおおおおお!? と悶絶する才人にシエスタが駆け寄ろうとする。

「サ、サイトさん!」

「だ、大丈夫……“使い魔”の“ルーン”が刻まれて居るだけだから……」

 と才人は何時かルイズが言った言葉を口にした。

 直ぐに、其の痛みは治まった。

 恐る恐る、才人は自身の左手を見詰める。

「はぁ……」

 と溜息が漏れる。

 目を瞑って居たルイズが、慌てて才人に詰め寄る。

「し、失敗?」

「否……成功だ」

 才人はルイズに左手の甲を見せた。

 “ガンダールヴ”としての“ルーン”が確りと、其処に刻まれて居る。

 ルイズは、“ルーン文字”の1つ1つを、指で(なぞ)った。其の文字列は……良くも悪くも彼女と才人との絆の証でも在るのだから。そうして居ると……離れ離れに成って居た時間の分だけ、抱いた絶望の量と大きさだけ、感情が溢れた。

 皆が居るにも関わらず、未だ戦闘中で在るにも関わらず、ルイズは才人に想い切り抱き着き……胸に顔を埋めた。其の儘身動ぎもし無い。

 才人はそんなルイズの肩を、優しく抱いて遣った。

 そんな2人の様子を見詰め、「まあ、剣が元の鞘に収まった、と言う所か」、とアニエスが呟く。

 シエスタは一瞬目を吊り上げたが、想い直す様にして微笑む。

 初心なティファニアは、頬を染める。

「左手か……取り敢えず一安心だな……ったく、胸だったらどうしようかと心配だったぜ」

 と、デルフリンガーが誰にも聞こえぬ様に、小さく呟く。

「では次だ。“サーヴァント”の“召喚”に入る。本来で在れば、動物とかの血で“魔法陣を”描き、“触媒”を用意する必要などが在るが問題無い。では行くぞ……“降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠拠り出で、王国に至る三叉路は循環せよ”」

「えっと……“降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠拠り出で、王国に至る三叉路は循環せよ”」

 “詠唱”の破棄と省略。

 此処には、そして此の世界の“聖杯”と“令呪”、“聖杯戦争”に、“アインツベルン”と“間桐”と“遠坂”の御三家は関与して居らず、存在もして居無い。

 ルイズは噛む事も無く、スラスラと俺の言葉を鸚鵡返しで口を開き、“詠唱”を開始する。

――“降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ”。之で先ずは、“魂”が持つ“魔術回路”を躍起させ、“魔力”をチャージする。

――“王冠拠り出で、王国に至る三叉路は循環せよ”。之は“セフィロト”だ。“王冠(ケテルやメタトロン)”に見立てた“根源”から“ビナー”と“コクマー”と“ティファレント”へと三分岐して、其々循環、最後は“王国(マルクトやサンダルフォン)”で在る物質界に至る。

「“閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返す都度に五度 唯、満たされる刻を破却する”」

「“閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返す都度に五度 唯、満たされる刻を破却する”」

「“Anfang(セット)”」

「“Anfang(セット)”」

 之で、“英霊召喚”と“契約”の準備は完了したと云えるだろう。

「“告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、此の意、此の理に従う為らば応えよ”」

「“告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、此の意、此の理に従う為らば応えよ”」

「“誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者”」

「“誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者”」

「“汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪拠り来たれ、天秤の守り手よ”」

「“汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪拠り来たれ、天秤の守り手よ”―――!」

 “魔法陣”が展開される。

 其れは本来で在れば召喚者で在るルイズの眼の前に展開される可きモノだが――才人の足元に展開され、“契約”が為される。

「――之はッ!?」

 才人は驚愕の声を上げる。

 そして、ルイズもまた驚きで目を大きく見開く。

「ほう……」

 アサシンは興味深い対象と云った様に、才人とルイズを其々見遣る。

「どう遣ら成功した様だな、どうだ才人? 否、“シールダー”」

「凄え……力が漲って来遣がる」

 今の才人は、ジュリオ同様に“サーヴァント”としての力などを持つヒトだ。

「何、之!?」

 ルイズは驚愕と困惑の声を上げる。

「見えて居るのだな。其々の、俺達“サーヴァント”の“ステータス”が」

「ええ、見えるわ。見えてる。でも、之って……貴男って……」

 ルイズは俺へと驚愕と畏怖を込めた視線で見詰めて来る。

 当然の事乍ら、他の皆は何が何遣ら理解ら無いと云った様子だ。

「さて才人。早速だが、其処のアサシンと1つ相手をして貰え」

「良いだろう。其処の少年よ。此のアサシンが相手を仕ろうでは成いか」

「えっと……」

 才人は戸惑い乍らも、デルフリンガーを強く掴み、戦意を昂らせる。

 アサシンから発せられる戦意、殺意などを確りと感じ取り、理解したのだ。之迄向けられて来た其れ選りも遥かに強大で密度の高い其れだ。

 此の場に居る殆ど、皆が恐怖などで身体を震わせ固まって仕舞って居る。修羅場を潜り続けて居る“銃士隊”隊長で在るアニエスでさえもだ。

 だが、才人は真っ直ぐに其れを受け止め、そして力強く大地に立って居る。

 “盾の英霊”――“シールダー”。

 主の盾として前に立って居るのだ。

 才人が何故、“シールダー”と成ったのかは、“ガンダールヴ”の力に因るモノが大きいだろう。“ガンダールヴ”には“汎ゆる武器を扱える”能力が有り、 “セイバー”、“アーチャー”、“ランサー”と云った“3騎士”の適性を持つだろう。だが其れは“保有スキル”として所有して居る。では何が理由、そして原因か。“ガンダールヴ”に関する唄だ。“神の左手ガンダールヴ”、“勇猛果敢な神の盾”。

「其の意志の強さ好し。では少年。いやさ“シールダー”よ。此度は之で退こう。次に見合う時は、何時に成るか愉しみだ」

 そう言って、アサシンは暗闇へと完全に溶け切り、一体化する。

 其れに次いで、アヴェンジャーもまたアサシン同様に姿を消し、此の場から去る。アサシンが所有する“保有スキル”に因るモノだろう。

 実力を測る。

 其れは何も、腕力などだけを指しいて云うのでは無い。

 アサシンは、才人の、彼が持つ“英雄”としての、“シールダー”としての、人間としての精神力――心の強さを確かめたのだ。

 2人が去り、少しの間静寂が訪れる。

 

 

 

 戦場と成った場には、唯“アルヴィー”が幾つも転がって居るだけだ。

 血などが在る訳では無い。

 が、寒空の下に居続けるのも何だと云う事も在り、ティファニアの家へと戻る事に成った。

 ティファニアの家の居間では、皆一様に疲れた様子を見せて居り、安堵した様子もまた見せて居る。

 暫く、そんな風にジッとして居たのだが……。

 ティファニアは、「じゃあ、色々と御話も有るでしょうから」と、倉皇と寝室を出て行った。

 そして、シエスタはルイズの側に移動し、耳元でソッと呟く。

「……今日だけ、貸して上げますから」

 そしてティファニアと同様に、彼女もまた寝室を出て行く。

 デルフリンガーが何かを言おうとすると、「良いから、御前も来い」とアニエスに掴まれて仕舞い、退出する。

 其の際に、アニエスは俺へと一瞥をした。

「ふむ。今日はもう遅いからな。2人でユックリと時間を過ごすと良い。訊きたい事は沢山有るだろうが、其れはまた後日だ」

 俺はそう言って、“霊体化”する。

「ルイズ」

 才人が思わずルイズの肩を掴むと、更にポロリポロリと大粒の涙が目から溢れ始める。そして、拭う事もせずに、ルイズは口を開いた。

「も」

「も?」

「もも……」

「もも?」

「も、もう逢え無いかと想った……」

 真っ直ぐ前を見た儘、ルイズは泣きじゃくった。

「わ、私……い、いい、言いたい事一杯有ったのに、あんたってば、直ぐ、どっかに行っちゃって……」

 溢れる想いが、上手く言葉に成ら無いらしい。

「“フネ”の上で起きたら居無くて、家のベッドで起きても居無くって……何だけ私が心配したか……もう赦せ無い……赦せ無いんだから……」

 ルイズは、涙混じりで聞き取り難い言葉を吐き出した。

 意味不明で支離滅裂と云った様なモノだが、ルイズの抱えた想いが、才人の心に直接打つかって来るかの様なモノだった。

「其れ成のに、あ、あんたってば、何度も夢に出て来て……優しくって、其れで、其れで……」

「な、泣く無よ……」

 と才人はどうにか其れだけを口にし、ルイズを優しく抱き締めて、頭を抱えて遣った。

 するとルイズは更に激しく泣き出した。

「非道い……1人で行っちゃうの、非道い……」

「行か無いよ」

 才人は言った。

「もう行か無い」

 其の言葉を口にすると……才人は、“ルーン”が消えて以来、蟠って居たモノが溶けて行く様に感じた。

「もう、何処にも行か無いで」

「うん」

「ちゃ、ちゃんと、側に居て」

「うん」

 才人は何度も首肯いた。其れから鼻の奥が、ツンと痛むのを感じた。そして、(そっか、俺は、ホントはこうしたかったんだな。ルイズは“ガンダールヴ”じゃ無く、俺に守って欲しかったのに……俺は勝手に誤解してたんだ。“ガンダールヴ”じゃ無くっちゃ、守る資格が無い、何て想ってた。でも、其れは間違い何だ。俺は、ルイズを守って良い。他の誰でも無い、俺が……守って良いんだ)と想った。

 そう想う事で、心の中に、温かいモノが生まれたのを才人は自覚する。

 其の温かい何かは、才人に1つの事を決心させた。(俺は何時か帰る。でも……其れはルイズの理想を手伝ってからだ。俺をこん何必要として居る御主人様の、夢を叶えてからだ)とそう決心する。

 そう決心する事で、才人は何処か楽な気持ちに成ったのを感じた。

 ルイズは未だ泣いて居る。

「ほ、他の娘、見ても良いから……触って良いから……キ、キキ、キスしても良いから……何処にも行か無いで……」

 ルイズは暫く泣き続けた。

 

 

 

 泣き止んだルイズは目を真っ赤に腫らし、黙って仕舞った。

 才人がベッドに寝かせて遣ると、大人しく寝そべった。だが、才人の袖を摘んで離さ無い。そして、唇を噛んでクイクイと引っ張るのだ。

 仕方無くと云った様子で才人は隣に寝た。

 直ぐにルイズは、才人の肩にチョコンと頭を乗せる。

 髪から、才人からすると懐かしさを覚えさせるルイズの香りがする。

 そっとルイズは、才人の耳に口を寄せた。

「な、何だよ?」

 其の目の中に熱いモノを感じたのだろう、才人はドキッとした。

「御願い」

「う、うん?」

「朝迄で良いから、優しくしてて」

 て、が1個無かった成らば……タガが外れてしまいそうな雰囲気の中、才人はルイズの頭を優しく抱えて遣った。

「……ん」

 とルイズが吐息を漏らす。

 そんなルイズの仕草に、才人はまた別の意味での死にそうな感覚に陥る。

 どうにかしたいと云った欲も有るが、どうにも出来無い、と云った様子を才人は見せる。

 そんな風に才人が、必死に葛藤に耐えて居ると……ルイズが怒った様な口調で言った。

「あんたってば……」

「え?」

「メイドに舌、入れたでしょ?」

 才人は、(入れたのは俺じゃ無くって、シエスタ何だけど……)、と想ったが、同時に(ルイズ相手にゃ、言っても始まら無いんだろう。やば、殴られる! と言うか蹴られる! ガード! ガードガード!)、と想い、股間を押さえ、才人は取次筋斗に成る。

 そうして居ると、ルイズは拗ねた様な声と調子で言った。

 蹴りもビンタも飛んでは来無い。

 飛んで来て才人を撃ち倒したのは、桃色の弾丸で在った。

 何とルイズは、頬などを染め、潤んだ目で才人を上目遣いに見詰め、泣きそうな声で、「私にも同じ事して」と言ったので在る。

 其れに依り、才人の中でスイッチが入ってしまった。

「はい」

 才人はルイズの顔を掴むと、夢中に成って口を押し付けた。

「ん……」

 とルイズが目を瞑る。

 序と行っては何だが、才人はシャツの上から胸に手を置いて仕舞った。

 然し、ルイズ・フランソワーズと来ると、何時かの小舟での時の様な抵抗を見せ事は無かった。

 そんなルイズを前に才人は、(どう成ってるんだ? 此処は夢何じゃ成いだろうか? 確かめたい時はどうすんだっけ? あ、そうだ。痛い事して痛かったら夢じゃ無いんだ! えっと、痛く成るには、ルイズに殴って貰えば良いや。で、殴って貰うにはどうすれば良いんだっけ? あ、良い言葉が在ったじゃ成いか!)、と興奮の余り混乱した才人は、其れを口にして仕舞う。

 胸の上に手を置いた儘、「之が胸?」、と才人は言って仕舞った。

 一瞬で甘い空気が消え失せる。

 まるで“ディスペル・マジック”を掛けたかの様に、艶めかしい魔法の雲が吹き飛んで……。

「悪かったわね」

 バシン。

 と、ルイズの平手が飛んだ。

「嗚呼……」

「胸で悪かったわね」

 バシンバシン。

 と、平手が飛み捲くる。

「平で悪かったわね」

 低い声で呟き乍ら、ルイズは何度も平手を飛ばすのだ。

「あああ……」

 其の痛みが、其の痛みの御蔭で、才人は此処が現実で在ると云う事を認識する事が出来た。

 そう。之は、夢じゃ無い。

 ……でも。

「否ホント、悪かったわね」

 バシンバシンバシンバシン。

 才人が(もっと他に夢かどうか確かめる手段が在ったんじゃ成いのか?)と気付いた時には時既に遅しと云う奴だった。

「待った。ち、小さいのも味が在って其れは其れで……」

「黙れ」

 ルイズの膝蹴りが飛んだ。

 良い具合に腹に入って、才人は気絶した。

 

 

 

 ティファニアの寝室では、シエスタがベッドの上で眠って居た。

 其の隣にはワインの瓶が転がって居る。

 シエスタに付き合って居たティファニアは、ハープを掴むと部屋を出て行った。

「やあ、ティファニア」

 中庭で、俺は“地球”に於ける“旧約聖書”に出て来る、イスラエルの王、“ダビデ”が所有する“竪琴(キヌュラ))”を投影する。

「セイヴァー、さん……」

「1曲、一緒にどうだい?」

「ええ。でも、私、あの曲しか知ら無くて」

「気にする事は無い。俺が合わせる。あの曲、結構気に入ったしね」

 中庭の椅子に腰掛け、ティファニアはハープを奏で始める。

 俺は其の隣で、ティファニアのハープに合わせて“竪琴(キヌュラ))”の弦を爪弾く。

 “始祖”の望郷の調が……夜風に溶けて“ウエストウッド”の村を包んだ。

 

 

 

 アニエスは居間の椅子に腰掛け、酒を呑んで居た。

 中庭から二重奏と成ったハープの音が聞こ得て来る。

 其の演奏に、アニエスは目を瞑って聴き入った。

「どしたい? 隊長さん」

 酒の相手をさせて居たデルフリンガーに尋ねられ、アニエスは目を開いた。

 此の鉄の塊の様な“銃士隊”の隊長には珍しく、少女の様な憂いが瞳に宿って居る。否、抑々此の年齢で鉄の塊の様な精神性を持って居る事が異常成のだ。年相応と云った様子を見せて居る。

「否……故郷を想い出して居た。良かんな……想い出すと、どうにも成ら無く成る」

「帰れば良いじゃ成えか」

 自嘲する様に、アニエスは呟いた。

「もう無い、瞼の裏にしか、存在し無い」

 暫くの間が在って……デルフリンガーは言った。

「何、故郷ってのは、要するに心の拠り所さ。新しい故郷を、見付けりゃ良いんだ」

 アニエスはジッと黙って曲に聴き入って居たが、其の内に何か吹っ切れたかの様な、優しい笑みを浮かべて首肯いた。

 

 

 

 気絶した儘、眠りの世界に旅立ってしまった才人を見詰め、(此処は私の胸に文句を付ける場面じゃ無いでしょう)、とカッカして居たルイズだったが……。

「……曲?」

 窓の外から聞こ得て来るハープの調べに気付いた。

 其処でルイズは、此の家にハープが置かれて居た事、そして戦争時に聞いた“竪琴(キヌュラ))”の調べを想い出す。

 何処か懐かしさを覚えさせる調で在る。

 其の音を聞いて居ると……ルイズは己の“系統”で在る“虚無”の事も次いで想い出した。

 すると気に成り始めるのは……“ミョズニトニルン”。

 ルイズに理由は理解らぬが、彼女は確かにルイズの事を狙って居る様だ。

 味方では無い、“虚無”の“使い魔”の存在……。

 そして才人の他にも“虚無”の“使い魔”が居た、と云う事は、詰まる所担い手も……。

 そして、“聖杯戦争”。

“ミョズニトニルン”で在るシェフィールドは、“キャスター”の“クラス”に割り振られ当たった人物でも在る。

 そして、其の隣には、“暗殺者(アサシン)”、“復讐者(アヴェンジャー)”の“サーヴァント”。

 才人も“サーヴァント”と成り、“神の盾(シールダー)”としての力を得た。

 大きな戦争は終わったと云うのに、未だ未だ安心出来る状態では無い。寧ろ、裏での戦い――“聖杯戦争”が始まって仕舞ったのだ。

 ルイズ達の知ら無い所で、大きな流れが渦巻いて居ると云う事。其の大きな流れの中では、1本の流れ木の様な存在に過ぎ無い事を、ルイズは自覚した。

 でも……と隣で寝息を立てて居る“使い魔(サーヴァント)”を見詰め、ルイズは想った。

(私には、サイトが居る。何な時でも、私を守って呉れたサイトが居る。嗚呼、私は急流の中の流木に過ぎ無いかも知れ無い。でも……確りとロープで結び付けられて居るのね)

 そう想う事で……。

 ルイズは、ずっと自分の中に蟠って居た“貴族”としての名誉が溶けて行く気がした。

(もっと大事な事の為に、神から与えられた力を使いたい。此の……ちょっと空気の読め無い自分の“使い魔”の様に)

 と想い、ルイズはソッと、才人に向かって呟いた。

「先ずは、あんたの帰る方法、探して上げる」

 そして、(其の時、言え無かった言葉を告げよう。じゃ無いと……自分が発した言葉は、サイトにとって身を縛る鎖に成り兼ね無いから)、と想った。

 ハープの調べは続く。

(……あのティファニアは、一体何者何だろう? 何かを隠す様に、ずっと深く帽子を冠って居た。瀕死のサイトの怪我を治して仕舞った様だし。明日、詳しい事を尋ねよう)

 そう想い乍ら……ルイズは目を瞑った。

 

 

 

「ん……」

 と身動ぎして、才人は目を覚ました。

 隣では、ルイズが眠って居る。

 安心し切った無防備な様子で才人の胸に寄り添し、寝息を立てて居る。

 そんなルイズを見て居ると……才人の頭の中に、“エルフ”の血を引く美しい少女の事が過った。

 ルイズと同じ、“虚無”の担い手。

(やはりルイズには話す必要が在るだろうな。明日、折を見て話そう)

 と想った。

 月明かりの窓の向こう……其の“ハーフエルフ”の少女――ティファニアが奏でるハープの音が聞こ得て来る。

 此の前迄は、其の調べを聞いて居ると故郷を想い出して切無く成ったのだが……どうしてか。才人にとって、今は違って聞こ得るのだ。

 何故か、ルイズの事で才人の頭の中は一杯に成るのだ。

 愛しさが、胸の中に膨れ上がって行くのだ。

 

 

 

 空が白み始めても……俺とティファニアのハープに依るデュエットは続く。

 傷付いた心を洗うかの様な望郷の調べが、夢で恋人を想う様な小夜曲(セレナーデ)が、聴く者と弾く者に感情を整理する余韻を与え……“サウスゴータ”の森に何時迄も響いた。



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ルイズの恐怖

 才人が目覚めると、隣でルイズが寝息を立てて居た。

 昨日、再逢したばかりの、才人にとって愛らしい御主人様の顔で在った。

 朝の陽光に照らされたルイズの顔は、当に神々しい程に美しく、才人をどうにかして仕舞いそうな程で在る。

 別れて居たのはほんの1月程では在ったのだが……其の1ヶ月と云う時間が、ルイズの可愛らしさに更に魔法を掛けて居ると云った様相で、ルイズが「うーん」と唸って寝返りを打っただけで、才人は息が止まりそうに成って仕舞うので在る。

 ルイズは口が半開きに成ってしまい、少し涎が垂れて居る。

 フガフガ、と偶に口元が歪む。

 ガバッと手を跳ね上げ、ゴシゴシゴシ、と派手に鼻を擦るのだ。

 詰まりは、美少女が台無しと云った様相で在るのだ。

 然し……そんな仕草さえも、恋は盲目と云った具合に、才人にとって何もかもが“愛”おしいと感じさせるのだ。

 離れて居た分だけ、全てにフィルターでも掛かって見えて居るのだ。

 才人は、(成る程……)、と感心した。そして、(之が、之が……離れてた分だけマジックか)、と想った。

 平時で在れば駄目だと想わせるそんな仕草で在ろうとも、美点に想わせて仕舞う。そんな究極の魔法で在る。

 そして。

(そうか……じゃあ昨晩のルイズのアレも、離れて居た分だけマジックのおかげか! となると……俺、なにやってんのよ……?)

 と、才は昨晩の己を責めた。

 同時に、(昨日は、フィルターが掛かってたんだよ! ルイズの目にも、再逢フィルター掛かってたんダヨ! だからこんな俺に……“同じ事して”だの、胸を触ったのに怒らないだの……そんなミラクルが降って来たんだダヨ! それなのに俺ってば、何と言うチャンスを逃して仕舞ったんだろうか)と後悔した。

 そんなルイズを見て、夢かどうか確かめる必要に駆られた才人は、思わず「之が胸?」などと言って仕舞ったので在る。

(俺は犬だ。馬鹿犬だ。愚かな駄犬だ……)

 といった様子で、才人は朝っぱらから苦悩し始める。

 そして。

(違うぞ才人。犬どころの話じゃ無ねぞ。こんなに涎を垂らしてさえ可愛いルイズに比べたら、貴様はモグラだから。否……俺はモグラ以下だ。ギーシュの“ジャイアントモール(モグラ)”を見ろ。彼奴凄い。穴掘って、俺等のこと救けた。モグラ以下と言うと……オケラ?)

 と想い、否、と才人は首を横に振った。

(オケラは凄いんだ)

 と、才人は想い、想い出した。

 才人は此処――“ハルケギニア”に来る以前、図鑑でそれを知ったのだ。

(彼奴等……虫けらの癖に空飛んだり、土掘ったり、泳いだりと大活躍。謂わば地空海、全制覇の凄い奴。俺はオケラ以下だ……虫以下……となると……ボルボックスだ)

 図鑑で見た、ミジンコにさえ食べられて仕舞う、藻の一種。

(そっかァ……おりゃ、ボルボックスかァ……)

 と1人納得した才人は、その名前を体現でもしようとするかの様にして蹲った。

 才人は、折角のチャンスを不意にして仕舞った自分の空気の読め無さ加減が赦せ無いので在り、朝から無駄に鈍よりとして仕舞ったのだ。

 そこまで落ち込んだ後……才人は己を叱咤した。

(何を言ってるんだ。もっと自信を持て才人! 持つんだ! 俺はセイヴァーと一緒に110,000を止めた男だよ。其れが1人の女の子に、気持ちを確かめる勇気が出無いって? そんなのありえねえだろうがよ)

 と、自己暗示張りに、才人は勇気を振り絞った。

 丁度ルイズが寝返りを打ったため、才人は出来る限り平静を装ってルイズに尋ねた。

「起きたのか?」

 すると、ピクン! とルイズの身体が跳ね、毛布から顔の上半分が覗いた。其の目が、何やら潤んで居り、頬が赤い。

「な、なあルイズ」

「……なぁに?」

 どこまでも無防備な声でルイズが言った。

 才人は、(嗚呼ルイズ、頑張ればこんな可愛い声が出せるんじゃないか)と感動を覚えた。そして、(ここは1発、きちんと勇気を出さねば行けないな)とも想った。

「御前……その、あの……若しかして、俺の事……」

 そこまで訊ねると、ルイズは唇を噛んで俯いた。

 其の仕草で、才人の中で或る言葉が浮かび上がった。

 フォーリンミー。

 そんな風に才人が1人、己の想像に悶え狂っていると……今度はルイズが決心した様に言葉を絞り出した。

 その言葉は激しく斜め後方から飛んで来て、才人の後頭部を直撃した。

「……小ちゃいの、嫌い?」

 とルイズは訊いて来たのだ。

 カハァ、と才人は吐息を漏らした。

 ルイズはずっと気にしていたのである。才人が昨晩、「之が胸?」と訊ねて仕舞った事を……。

 そして才人は、(……嗚呼、嗚呼、俺は、何て事を言って仕舞ったんだ!)とまたもや後悔する。

「き、嫌いじゃないよ!」

「ほんと?」

「う、うん……」

 ルイズはピョコンと起き上がると、ベッドの上に正座する。

 シャツの裾を両手で摘み、真剣な面持ちで才人に訊ねた。

「質問を変えるわ。じゃあ大きいのと、小ちゃいの、どっちが好き?」

 才人は額に脂汗が浮かぶのを感じた。

 正直な所、才人は大きい方が好みであるのだ。小さい方もそれはそれで、と想っては居るのだが……本能は刺激し無いのではなかろうかと、そう才人に想わせるのだ。

(それは生物の雄として当然の結果ナノデス。大きい胸は、それだけ母乳が出る事を示唆して居るのデス。ミルクがたっぷり詰まっているのデス。だからしょうが無いのデス。その様に、自分の子孫を共に残す対象として、胸が大きい女性を選ぶのは是本能であるからして……俺は悪くないと想うんデス)

 と云った理屈が才人の頭の中を回る中……。

 真剣な目で見詰めるルイズが、才人の視界の中に飛び込んで来た。

 桃色がかったブロンド、そして鳶色の瞳……形の良い鼻、珊瑚の様な色をした唇……それらが織りなす調和。ルイズの可愛らしさは、之また芸術作品で在ると云えるだろう。

 本能を抑え込むかの様な愛らしさ。胸が小さい事など、この現実の前には意味をなさないのではないろうかと、才人にそう想わせて来るのだ。

 然し、其れを伝えた所でルイズは納得しないだろう事を、才人は察した。彼女はハッキリと、「胸が大きのと小さいの、どっちが好き」なのかを訊いているのだ。

 大きい方が好き、と正直に答えた場合、ルイズはそれを自分の全否定と取るだろう。すると、小さいのが好き、と嘘を吐いてみるとどうだろう。然し……才人には嘘を吐き通すだけの自信はなかった。ルイズの目は、犯人を見詰める時の刑事のそれであると云える程のモノだ。生半可な嘘は通用しなだろう事が判る。

 才人の顔が、ギリギリと引き攣り、まるで鬼の様な迫力を滲ませた。

 然しルイズも然る者。そんな才人の顔を、真っ向から受け止めた。

「どっちが好きなのよ? 言いなさいよね」

 才人は冷や汗を滝の様に流し、ぎちちちちち、と震えた。

 決断の時が来たので在る。

 まるで、核ミサイルのボタンを苦悩の果てに押す大統領の心境に似た気持ちで、才人は言葉を喉の奥から捻り出した。

「ち、ち、ちちち、小さい方」

「ホント?」

 殺気に近い気合を宿した目で、ルイズが睨む。

 此処で負けてはいけないと云った様子で、才人は硬く強張った声で告げた。

「ホントです。“始祖ブリミル”に誓います」

 ブリミルの名前を出し、才人は気合を入れた。

「嘘吐いたら殺すわよ」

 声は小さく、冷静であるだけに、ルイズの本気度が伝わって来ると云えるだろう。

 才人はブンブンと首を大きく縦に振った。

 長い時間が流れた。

 蚊くらいであれば楽勝で殺せるだろう程の重さの空気が、2人の間に流れる。

 ルイズは暫く才人の顔を見て居たが……理解った、と云う様に首肯いた。

「良いわ。信じて上げる」

 ユックリと緊張の空気が解けて行くのが判る。

 緩んだ緊張は、そのままルイズの可愛さへと変化して行った。

 モジモジとルイズは、毛布の上に指で、のの字を描き始めた。

 そんな風に恥じらうルイズは神がかったかの様に可愛らしく、才人の中の不安は一瞬で飛んで行った。

 ルイズは次に、どうしようかと迷うかの様な仕草をした後、目を瞑った。で以て、拳を膝の上で握り締め、ん~~~、ん~~~、と怒ったかの様な唸り声を上げた。

 才人は、(何だか良く理解ら無いが、之はキスして良いって事何だろうか? 悩むな才人。流れに身を委ねるんだ)と震え乍らルイズに唇を近付けた。

 才人が肩を抱くとルイズは身体を硬くしたが、全く抵抗する様子は無い。

 ルイズの甘い香りが、鼻の奥に届き……才人は幸せで一杯に成った。

 唇が触れ合う。

 ルイズは怒るどころか、才人に身体をついっと預けた。

 才人は、(嗚呼。昨晩、“私に同じ事して”なる発言を噛ましたルイズは嘘じゃ無かったんだ。此処に居た。あんな深いキスは、再逢出来たから、でするもんじゃないよな。すると導き出される結論は……ほ、ほ、惚れてんのか? やっぱ)、と夢中になってルイズに唇を押し付け乍ら想った。

 惚れてる。

 其れは、才人にとって魔法の響きだった。

 好きな女の子が自分に惚れてる。

 そんな事象の存在が、才人には信じられないのである。彼にとって、之はもう伝説上の怪物に近いモノだった。

 ユックリと2人は唇を離し……見詰め合った。

 恥ずかしそうに、ルイズは顔を逸した。

「そんなにジロジロ見無いでよ……も、もう馬鹿。い、いい、犬の癖に……」

「犬御免」

「謝らなでよ。犬……馬鹿犬。犬の癖に、御主人様をそんな目で見る何てどうかしてるんだから……」

 ルイズは唇を尖らせて、自分がどうにかしてるんじゃないかと想う程泣きそうな声で言った為、遂に我慢が出来なくなって仕舞った才人は飛び付き、ルイズを押し倒した。

「きゃ!?」

 才人が首筋にキスをすると、電流に弾かれたかの様にルイズの身体が跳ねた。

「御免。もう駄目。御免よ。俺、もう駄目」

 才人は譫言の様にそう呟き乍ら、シャツの隙間に手を差し入れようとすると、ルイズは其の手を払い除けた。

「ルイズ……?」

 ルイズは、泣きそうな小さな声で、「明るいじゃない」と言った。

 窓の外からは、サンサンと太陽の陽光が射し込んで来て居るのだ。

 シャツを押さえた儘、ルイズは身動ぎもし無い。

「じゃ、じゃあ夜になったら……?」

 才人は震え乍ら訊いた。

「か、かか、神様と母様に御窺いを立ててから」

 ルイズも同様に震え乍ら答える。

「どう遣って訊くの?」

 と間抜けな声で才人が尋ねると、ルイズは「心の中でよ! もう! 兎に角そんな事私に言わせないで! 知らない! 馬鹿! 馬鹿馬鹿!」と枕を掴んで才人をポスポスと殴るのだ。

 其の言葉で、之以上訊ねる事の愚を悟った才人は大きく首肯く。同時に、鼻血が出て居た事に気付いた。

 

 

 

 夜の約束交わしたおかげでカチコチに緊張し切った2人が居間に向かうと、其処にはシエスタとアニエス、そしてティファニアの姿が在った。

「御早う御座います」

 現れたルイズと才人を見て、シエスタがニッコリと微笑む。

 才人は其の笑顔をまともに見る事が出来なくて、顔を逸して仕舞う。シエスタは未だニコニコ笑っているのだが、それが少しばかり才人には辛いのだった。

 ティファニアは朝御飯を作って居る。

 アニエスは、銃と剣の手入れをしていた。

 さてと……とアニエスは腕を組む、と2人に尋ねた。

「昨晩襲って来た連中は、何者何だ?」

 才人とルイズは顔を見合わせた。アニエスにどう話したものか、と迷ったのだ。

「妙な人形を操って居たな」

「“ミョズニトニルン”……“汎ゆる魔道具を操れる”能力を持ってるって……」

 取り敢えずルイズは正直に答えた。その部分であれば話しても構わぬだろうと判断したのだ。

「顔は見たか?」

 ルイズと才人は首を横に振った。

 暗がりで在ったため、そして相手は深くフードを冠っていたため、また、直接戦ったのは“スレイプニィル”と呼ばれている“魔法人形”だ。操り手とは殆ど接触が無かったために、ルイズには判らなかったのである。

「その人形の操り手に心当たりは有るのか?」

 ルイズは黙って仕舞った。“虚無”、そして“聖杯戦争”の事を話しても良いモノかどうか一瞬躊躇ったのだ。

 そんなルイズの様子を見て、アニエスは首を振る。

「……ミス・ヴァリエールの“系統”に関する事か。なら私が口を挟む問題ではないな。失礼した」

「……知ってるの?」

「まあな。陛下の側にいれば、嫌でも耳に入って来る。まぁ、心配するな。勿論他言はしないし、私はそう言った宮廷で行われる噂や陰謀には興味がな。所詮一介の武人だからな」

 剣を磨き乍ら、アニエスは言った。

「私は陛下の剣に過ぎぬ。御前達が陛下の味方であるかぎり、私は御前達のために剣を振るだろう。何が行われているか、敵が何者なのか、そんな事を詮索しようとも想わぬし、また興味もない」

 油布でキュッと拭き上げ、アニエスは剣を鞘に仕舞った。

「まあ、2~3日、休もうじゃないか。疲れているんだろう?」

 その言葉で、ルイズと才人は顔を赤らめる。

 兎に角ティファニアの事を話すにしても……今日位は休んでからでも遅くは無いだろう。

 才人は、(話せ無い大事な用も有るし……)と心の中で首肯いた。

「さて、セイヴァー。貴様はどう遣ら彼奴等の事を知って居る様だったが」

「そうだな。確かに。だが、今日はユックリとするのだろう?」

「そうだ」

 アニエスからの呼び掛け、俺は“霊体化”を解き、実体化して答える。

 そして、アニエスに確認をした後、庭へと出る。

 アニエスの後ろで、シエスタが緊張し乍ら立って居る。御茶を持って来たのだが、出すタイミングをすっかり逸して仕舞っていたのだ。

 3人の視線が自分に移った事に気付き、シエスタは首を横に振った。

「わ、私には全く何が何やら理解らないので、心配しないで下さい! はい!」

「昨日は良く眠れたか?」

 アニエスが、唐突に話題を変えた。ニヤニヤと妙な笑みを浮かべて居るのが判る。

 シエスタの目が、キュッと窄まった。

 ルイズは顔を真っ赤にすると、怒鳴った。

「ね、眠れたに決まってるじゃないの!」

「そうか。それなら良いんだ。うん」

 アニエスは未だ妙な笑みを浮かべて居る。

 シエスタが、笑顔のままで近付き、才人の足をギュッと踏み付けた。

「ムニュッたんですか?」

「ムニュッたって?」

「わ、私の口からは言えません」

「そ、そんな事してないし!」

 才人は、(でも今日の夜は愈々……なのかもしれない)、とそう想い、シエスタの顔をまともに見る事が出来ないでいる様子をみせる。

「そんな事って何よ? もう、皆いい加減にしてよね!」

 ブツクサと言い乍ら、ルイズはぎこちなく歩き始めた。

 見ると、手と足が同時に出て居る。

「手と足が同時に出てますよ」

 とシエスタが指摘する。

「何よ? そう言う日だってあるわよ」

「今日だけ一緒に寝て良いって言いましたけど、変な事して良い何て言ってませんから」

「だからしてないって言ってるじゃないの!」

 2人は、グギギッギ、と歯を剥き出しにして睨み合った。

 取っ組み合いでも始まるのかとそう想われた瞬間……ティファニアがはにかんだ声で一同を呼んだ。

「あの……朝御飯が出来たんだけど……食べる?」

 其の声で、緊張が解ける。

 皆、御腹が空いて居たのだった。

 

 

 

 其れから才人達を始め俺達はティファニアの家の庭に出て、ノンビリと過ごした。

 才人は布を敷いて地面に寝っ転がった。

 雲と同じ高さに在る“浮遊大陸アルビオン”の空は、遥か空の高みまで遮るモノが何もないと云えるだろう。

 才人は、(こんな快晴、久し振りに見たなぁ)、と感慨に浸る。

 側で並んで空を見て居たシエスタがポツリと言った。

「綺麗な空ですねぇ……何だか心が洗われちゃいますね。ゴシゴシ」

 真顔でゴシゴシなどとシエスタが言うために、才人は噴き出して仕舞う。

「可笑しいですか?」

「否……」

「変な人に襲われましたけど……遣っと戦争も終わったし、サイトさんにも逢えたし、私は幸せですわ」

 ニコッとシエスタは、屈託の無い笑顔を浮かべ微笑む。

 連られて、才人も微笑んだ。

 才人は、そんなシエスタに対して罪悪感を覚えた。そして、今朝方のルイズとの遣り取りを想い出す。(でも……好き何だよ)と想った。(ドキドキするんだ。だから……)、と才人の心の中で言え無い台詞が何度も巡る。

 そして、大きな戦争は終わったが、未だもう1つの戦争―――“聖杯戦争”と云う裏での殺し合いが始まった事を隠して居る事もまた、才人を責め立てた。

 そんな才人の様子に何かを感じ取ったのだろう……シエスタは首を横に振った。

「良いんですよ」

「え?」

「2番目で良いんです。言ったじゃないですか」

「シエスタ……」

「私、待ってますから」

 才人は黙って仕舞った。何て言えば良いのか判ら無かったのだ。そして、浮かれて居た自分を恥じたのだ。

 誤魔化すかの様に、才人は辺りを見回す。

 どうやら皆、明々に、平和な時間を満喫している様子である。

 アニエスはボンヤリと何か考え事をし乍らワインを呑んで居る。

 ティファニアは、緊張した様に拳を握り、椅子に座って居る。

 ルイズは椅子に腰掛けて、才人とシエスタの方をチラチラと見乍ら偶に苛々とした様子で爪を噛んで居た。

 不意にシエスタが、皆に尋ねた。

「ねえ皆さん。将来の夢って有ります?」

「ゆめぇ?」

 行き成りの話題に、ルイズが眉を顰めた。

 アニエスも2人へと視線を向ける。

 ティファニアは何故か、ビクッ! と震える。

「そうです。皆で、未来の話しましょう。何か大事だと想います。そう云うの」

 アニエスが笑い乍ら、「あっはっは! 未来か! そうだな、精々出世して……故郷の土地を少し買うかな。そうしたら“銃士隊”を引退して、毎日海の音でも聞いて暮らすか」と言った。

 次に、言い出しっぺで在るシエスタが、「素敵な夢ですわね! 私はそうだなぁ……」、と言って、才人の方を見て、「好きな人の側に居られたら、幸せだなって想います。例え、其れが何な形で在れ……ミス・ヴァリエールは?」と言った後に、ルイズへと訊ねる。

 行き成り自分に振られた事で、ルイズは正直に考え込み、次いで顔を赤らめた。

「……今、想った事を正直に言ってみて下さい」

「な、何であんたにそんな事言われなくちゃならないのよ」

 才人はボンヤリと、(将来の夢か……そんな事、想像した事すら無かったな。取り敢えず“地球”に帰ろうと想ってた位だな。其れは其れで真っ当なんだけど……)と想った。

「セイヴァーさんの夢は何ですか?」

 シエスタが、側に居る事を感じ取って、当たりを付けたのか、“霊体化”して居る俺へと問い掛けて来る。

「そうだな。世界平和。などと言った大層なモノでは無いが……身近な者が、幸せで居続ける事だな」

 “実体化”して、俺は軽く、適当な返事をした。

「サイトさんの夢は何ですか?」

 シエスタが才人の顔を覗き込んだ。

 今迄考えた事の無い、其の言葉に咄嗟に答えられず……才人はボンヤリと空を仰いた。

 

 

 

 

 

 2つの月の光が森を照らし始め……“サウスゴータ”の森に夜が遣って来た。

 才人は震え乍ら、ティファニアの家の廊下の窓から夜空を仰ぎ見る。

 才人は、(生まれてからこのかた、夜がこんなに待ち遠しいと感じた日は無いだろうな。愈々、ルイズと自分は結ばれるんだから)と想った。

 意訳では在るのだが、今朝方ルイズは確かに、「夜になったら良い」的な事を言ったのである。

 才人は身体を水で清めると、寝室に赴いた。

 ドアをユックリと開けると、ルイズは月明かりを背景にして、ベッドの上で髪を梳いて居る所で在った。

 髪を梳くルイズからは神々しさを感じさせ、この世の美を集めて鋳方に嵌め込んだかの様な神聖な輝きを放って居ると云っても良いだろう。2つの月に依る明りが、そんな美を後押ししている。

 才人は気負されて、唯々息を呑むので在った。

 ドアの側で、ジッと才人が自分を見詰めて居る事に気付いて居るのか居無いのか……独り言の様にルイズは呟いた。

「どうしたの?」

「否……」

 と才人は首を横に振った。緊張からだろう、喉の奥がカラカラに乾いて居る様に才人は感じた。

 才人が近付くと、ルイズはビクッと身を震わせた。

「怖い?」

 思わず才人がそう尋ねると、ルイズは首を振る。

「……私ね、昔姫様とシオンとの3人で約束したの」

「姫様とシオンと、約束?」

「そうよ」

 ルイズは才人の方を向いた。

 ルイズの頬に涙の筋が残って居る。

「其の……こう言う事になる前は、ちゃんと御互い報告しましょうねって……」

 才人は、「ルイズ……」と呟いて、彼女へと近付き、隣に腰掛けた。

 するとルイズはベッドの上に御座りをしたまま俯いて、シーツをキュッと握り締めた。

「その……ね? あの……ね?」

 怯える子猫の様な目で、ルイズは才人を見上げた。

「姫様とシオンとの約束、破っちゃった……」

 もう堪らないと云った様子で、才人はルイズに組み付いた。

「ルイズ! ルイズ!」

 ルイズは、ベッドの上に横たわった。何時もの白いシャツの胸が、興奮と怯えからだろう上下して居るのが判る。観念したかの様にルイズは目を瞑り、胸の前で御祈りをする様にして手を組んだ。

「ルイズ、俺……俺!」

 そう絶叫して覆い被さろうとした其の瞬間……。

 トントン、とドアがノックされた。

 ビクン!

 と、才人とルイズは跳ね上がった。

「だ、誰?」

 と2人同時に尋ねると、「私……」、と小さな返事が寄越される。

 此の家の主、ティファニアの声で在った。

 才人とルイズは顔を見合わし、才人は慌てて床に飛び降りた。

 ルイズが「どうぞ」と答えると、ドアがガチャリと開いて流れる金髪の娘が現れた。夜だと云うのも関わらず、ティファニアは帽子を冠っている。

 流れる金髪……そして何処となく異国の雰囲気を漂わせる。細身で綺麗な顔立ち。

 ルイズの眉が、ピクンと跳ねた。

 ルイズは才人と再逢出来た喜びで忘れて居た事だが、此のティファニア、とんでも無い美少女で在ったのだ。

 彼女は、1枚の布を身体に巻き付けるデザインの、ユッタリとした部屋着を身に着けて居る。手にはワインの瓶と盃が載せられた御盆を持って居る。

「其の……良かったらどうぞ。ベッドが変わって、寝付けないかと想って……」

 ティファニアは気を遣って、ワインを持って来たらしい。

「良いのよ。御構い無く」

 美少女。

 悪い予感が、ルイズの胸中に渦巻き始める。

 ルイズは油断無くティファニアの全身を見詰めた。

 スラリとした、華奢な肢体……背はルイズ選りか幾分か高い。

 森でヒッソリと暮らしていると云うにも関わらず、其の立ち居振る舞いには“貴族”の様な高貴さが漂って居る。

 小さな声で、ルイズは才人に尋ねた。

「此の娘……何か気になるわよね。何か知ってる?」

「ちょっと」

「ちょっとって何よ?」

「……1回、ティファニアに話して良いかどうか訊いてから」

 何よ、とルイズは想った。

 ルイズは、(2人の間に秘密? どゆ事?)と激しく気に成ったと云う様子を見せる。

 先程迄良い雰囲気だった分、ルイズは急速に其の事が気に成って行ったのだ。

 ティファニアに尋ねて、許可が下りたらルイズに話す、と云うのがルイズは気に入ら無いのだ。

 ルイズの頭の中で、(御主人様が訊いてんのよ。他でも無い此の私が訊いてるのに、“訊いてから”ってどゆ事? 一体全体、何な秘密何だろう?)、と浮かんだそんな疑問は……次のティファニアの行動で何処かに吹っ飛んで仕舞った。

 彼女は、ワイをテーブルの上に置こうとしたのだが、引き摺る様なデザイの衣装をした服に足を引っ掛け、派手にグラゴラガッシャーン、と転んで仕舞ったので在る。

「あ痛たたたた……」

「大丈夫?」

 ルイズは慌ててベッドから飛び起き、駆け寄った。

 ティファニアは、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、「だ、大丈夫! 御免なさい……御持てなしする積りが、驚かせちゃって……」、と呟き乍ら割れたワインの瓶の欠片を拾い始める。

 其の時で在る。

 ルイズの目に、彼女からするとありえないマジックアイテムが飛び込んで来たのは。

「……え?」

 短く、声に成ら無い呻きをルイズは漏らす。

 否、何かの見間違いかも知れ無い、とルイズは目を擦ると、再び其のマジックアイテムを見詰めた。

 其れは、深い谷間で在った。

 ティファニアのユッタリとした部屋着の胸元から覗く、大きいと云う形容を死語にして仕舞いかねない凶悪な代物で在った。

 ルイズは震え乍ら息を呑んだ。

 もう声すら出無い。と云う選りも、悔しいなどと感じる次元を超えて居るのだった。圧倒的な存在を目にした時、人は言葉を失うと云う。今のルイズが正にそうで在った。ルイズにとって、“ミョズニトニルン”や“キャスター”と名乗った“虚無”の“使い魔”に出逢った時選り、其の衝撃は大きかった。

 世界は広い。

 ルイズの想像力を遥かに超越して居るのだった。

 ルイズは、ハッ!? として才人の方を向いた。

 然し才人はニコニコとした儘、ルイズを見詰めて居る。

「…………」

 じ~~~、とそんな才人を、疑わしそうな表情を浮かべルイズは見詰めたが、才人の表情は変わらない。

 其の内にティファニアは、「御休みなさい」、と緊張した声で言い残して部屋を出て行った。

「今の見た?」

 ルイズは、思い切って訊ねてみた。

「さ、さぁ? 俺は御前をずっと見詰めて居たから、何の事だか理解らないな」

 才人は、そう言って視線を宙に泳がせて居る。

 ルイズは、(……何だか納得行か無い)、と云った様子でベッドに潜り込む。

 先程見たティファニアの谷間が、ルイズの目に焼き付いて仕舞い離れ無いのだ。

 ルイズは、そぉーっと、指をシャツに引っ掛け、自身の胸元を覗き込んだ。

 ルイズには、何が良け無いのか理解ら無かった。栄養、遺伝……そう成る理由は何処にも見付から無いにも関わらず、其処は平原成ので在る。

 ルイズは理解しては居たのが……改て現実を想い知るとなると、やはり自身を失く成って行く事を自覚する。そして、(わ、私だって可愛いもん……)、とそう自分に言い聞かせたが、(こんなの見せた日にゃ、やっぱり才人はあのティファニアやメイドを選ぶんじゃないだろうか?)、と不安になって仕舞い、そう想い始めると、先程迄の気持ちが萎んで行くので在った。

 ルイズは、(何とかしなきゃ……)、と想った。

 

 

 

 ルイズがベッドに潜り、毛布を冠った事を確認すると、才人はぷは、と息を漏らした。次いで、全身から冷たい汗が噴き出て来る事を感じる。

 そして才人は、(良かった。切り抜けた)、と安堵した。

 ティファニアが入って来た瞬間……才人は奥義を発動させたので在った。

 才人だって馬鹿では無いのだ。ルイズと一緒に居る時に、ティファニアの最終兵器をチラリとでも見たら、自分が何な目に遭うのか良く理解って居たので在った。

「最終奥義、目逸らし、発動終了……」

 一仕事終えたと云った男の声で、才人は小さく、ルイズに聞こえぬ様にして呟く。

 其れから、再びルイズの隣に潜り込み、肩を叩いてみた。

「……寝る」

 ティファニアのあれを見て仕舞ったルイズは、完全に興を削がれた様子で在り……毛布を引っ冠った儘顔を出すそうとしない。

 先程迄部屋に漂って居た甘い空気がスッカリ何処かに消えてしまい……才人は「何だか上手く行か無えなあ」とボヤいた。



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担い手の出逢いと別れ

 翌朝……。

 “サウスゴータ”の森の中、朝靄の中を裂いて1人の少女が現れた。

 黒いマントに身を包んだ華奢な身体に、長い桃色の髪が纏わり付く。森の露を吸ってシットリとした髪を煩そうに掻き上げ、少女は1人の大きな木に背中を預けて寄り掛かった。上気した頬が、其の髪の色の様に薄くピンクに色付いて居る。

 ルイズで在った。

 大きく深呼吸をすると、ルイズは寄り掛かった木に添ってズルズルと地面にしゃがみ込み、膝を抱えた。愛らしい顔を、其の膝に埋め、何事かブツブツと呟いた。

「う~~~、恥ずかしい。どうしよう。恥ずかしいったらないわ。今になって恥ずかしさが込み上げて来たわ」

 ルイズは頬を染めて、横に置いた革鞄からゴソゴソと何かを取り出した。

 其れは……。

 此の前作った黒猫衣装の一部で在った。

 其れを頭に着けると、ルイズの頭の上に黒猫の耳が出現するので在る。

 頬を染めた儘、ルイズは猫の耳を頭に着けたので在る。

「恥ずかしいわ。でも、負けるのはもっと嫌」

 昨晩の才人との会話が、ルイズの頭の中に蘇った。

 気になるティファニアの正体……。

 ルイズは、(それって若しかして……あの胸に隠されてるのかしら?)と考えた。

 ルイズを一発で爆死させる事が可能な、火薬が詰まった巨大な樽の中に……。

 そして、ルイズはまた、(どんな秘密よ。其れって)とも想った。

 其れが気になって仕舞って、昨晩ルイズは結ばれるどころでは無くって仕舞ったので在った。兎に角ルイズは、結ばれる瞬間くらい、自分が才人にとっての1番でありたいのである。(誰かと比べられてる?)と想った侭、そう云う事をしたくないので在る。何せ、初めての事で在る。慎重にシチュエーションを、自分の心のコンディションを選びたいので在った。

 で在るのだが……あれだけのモノを見せられて仕舞っては、平静で居る事は出来る筈も無い。

 そう。

 ルイズのプライドを揺るがす程の武器……。

 胸。

 正に、恐ろしく凶悪な代物で在ると云えるだろう。ティファニアは、其れだけのモノを2つもくっつけて居るので在る。

 でかい。

 否、でかいなどと言葉に収められるモノでは無いだろう程のモノだ。

 ルイズが持たぬ、究極とも云える武器をティファニアは装備して居るのだ。

 ルイズは、(あんなモノを見て仕舞ったからサイトは、キスした時に“之が胸?”何て言ったのかもしれないわね。つい、ポロッと言って仕舞ったのかも……あんなモノを見て仕舞ったら、私の……之を見てそう想うのは無理はないのかも)などと解釈をした。

 だが、そんな事、ルイズは断固として赦せないので在った。

(私だって負けてない)

 そう、ルイズは自身に言い聞かせた。そして同時に、(その証明が欲しい)とも想った。

 兎に角、ルイズは自信を着ける必要を感じて居るので在った。

 ルイズはピョコンと立ち上がると、大きく腕を胸の前でバッテンとさせ、それから開いた。開くと同時に、息を吐き出す。気を落ち着かせるためにルイズがよく遣る深呼吸で在った。ルイズの控え目な胸が、膨らんで、萎んで、膨らんで、萎んでを繰り返す。

 怒たかの様な表情を浮かべ、ルイズは辺りをキョロキョロと見回した。

「誰もいないわよね」

 此の辺りには、“ウエストウッド村”に住む子供達と、ティファニア以外には人はいないと云えるだろう。現れるのは、木の実を集める栗鼠や、ヒョロヒョロと囀る小鳥位のモノだと云えるだろう。

「じゃ、行きます」

 誰に言うでもなくそう呟き、ガバッとルイズは“魔法学院”の制服を脱ぎ捨てた。スカートも脱ぎ、下着姿になる。

 ルイズは鞄の中から、自分に自信を着けるさせる作戦のための新兵器を取り出した。

「勝手に持って来ちゃったけど……代わりに私の着替えを置いて来たから良いわよね」

 ルイズがプルプルと震え乍ら手に握って居るのは、何とシエスタのメイド服で在った。居間で寝ているシエスタの枕元から、失敬して来たので在る。エプロンは無かったために、居間の椅子に掛かって居たティファニアのを持って来たので在った。

「あの馬鹿はメイドが好き」

 目を瞑り、思考を整理するかの様な口調でルイズは呟いた。

「で以て、御主人様も好き、よね。多分。きっと。いっつも言ってるし。言ってるだけかもしんないけど……」

 ルイズは、うんうんと首肯いて、「其の2つを足してみました。きっと、無敵にちがいないわ。えっと、耳はおまけ」

 黒猫の耳を弄り乍ら、言った。

 それからルイズは、ゴソゴソとシエスタのメイド服を着込む。

「う……」

 胸の部分が大きく余る事に気付き、ルイズは拳を握り締め、かはぁ、と吐息を漏らした。強力な火薬樽を持つのは、何もティファニアだけでは無かったと云う事を想い出したのだ。ティファニア程では無いのは確かだが、シエスタも割と凄いので在る。

「何之!? 大き過ぎよ! 可怪しいわよ之ッ! あの馬鹿メイド! 見栄張るんじゃないわよッ!」

 別にシエスタは見栄など張ってなどないのだが、がし! げしっ! とルイズは八つ当たりと云った風に気を蹴り始めた。暫く蹴った後、俯いた儘首を横に振った。

「負けちゃ駄目。そう云う現実に負けちゃ駄目よルイズ。あ、ああ、あああ、貴女は、だって凄く可愛いじゃない」

 自分に言い聞かせる様にして、ルイズは何度も呟く。

「私可愛い。凄く可愛い。“ハルケギニア”で1番可愛いわ。おまけに“虚無”の担い手じゃ成い。凄い“魔法”が使えるんだから。私凄い。凄いの。だから、気にし無くたって良いの。こん成の」

 ルイズはメイド服の胸の部分を、フニフニと弄り始めた。其の何も無いのと等しい空間の体積の大きさに気付き、ルイズは再び木を蹴り始めた。

「何食べたらこんなになるのよッ!? どうにかしてんじゃないのッ!? ねえッ!?」

 蹴ったショックで、木の上から虫が落ちて来て、ルイズは悲鳴を上げた。

「嫌ぁああああああ!」

 親が見たら泣く様な騒ぎっ振りのルイズで在った。誰も見て居無いために、激しく地が出て居るので在る。

 はぁはぁ、と荒く息を吐き、ルイズは気を取り直す様に頭を振った。

「何よ。こんな胸がブカブカする現実なんか、私の“虚無”で一発なんだから」

 ルイズはシャツを丸めると、メイド服の胸に押し込んだ。其れがルイズの“虚無”で在ると云った風にだ。

 何だか歪な形のバストが出来上がって仕舞う。

 だがルイズは其れに満足して、木に向かって才人が来た時のための練習を始めた。

 今朝、ルイズはベッドからソッと抜け出して、才人を呼び出すためにドアに手紙を挟んで来たので在る。“森で待つ”と、短く書かれた手紙で在った。

 だが然し、森の何処で、誰が待つ、と云った事は書かれて居無かった。

 結局の所、“貴族”が持つ傲慢さが抜け切っていないルイズは、(其れくらい理解るのが当然)だと想って仕舞って居るので在った。才人が起きたら其の場で言えば良いじゃ成いかと云う意見も在るだろうが、ルイズに言わせてみると、こう云うのは形が大事で在る、と云うモノで在った。

 更に、ルイズは1つ見落としが在ったのだが、彼女は其れに気付か無いで居た。と云う選りも、忘れて居て居ると云う可きだろうか。

 才人は“異世界(地球)”出身で在るために、此処“ハルケギニア”の文字が読め無いので在る。

「今日はね、大事な事を言おうと想うの。あのね……」

 あのね? と言う時、ルイズは上目遣いに木を見詰める。

「何時も救けて呉れて有り難う。私の代わりに、殿軍まで引き受けて呉れて……何て御礼を言えばいいのか判ん無い。だから、私考えたの」

 ルイズは指を立てた。

「だから其の、何時までも“使い魔”扱いはあんまりよね。其れに、あんたは私の事を好きみたいだし……私も、其の、偶にあんたの事を夢に見るの。違うの。好きとか、そういうのじゃないの。何て言うの? 未満?」

 頬を染めて、ルイズは呟く。

「“使い魔”以上、好き未満。そんな感じ、あんたには、上等よね。だから、あんたを私の召使に昇格して上げる。凄いじゃない! 人間扱いして上げって言うの。之って凄い事よ? 私の優しさに、精々感謝するが良いわ」

 ルイズ全力の、自分に完全に惚れさせるための演技で在った。

 惚れさせるために、感謝しろと言う辺りいかにもルイズで在り、此の世界、引いては此の時代の“貴族”らしさが滲み出ていると云えるだろうか。

 ルイズはスカートの裾を両手で摘み、軽く唇を噛んだ後、吐き出すかの様にして呟いた。

「……そんな訳だから、良いかもって、想ったの。まぁ。大事にして呉れるから、良いかもって。好きって言うし、だから其の、御願い、兎に角其の」

 ルイズはメイド服のスカートの裾を、スルスルと持ち上げて口に咥えた。華奢な足と、白いレースの下着が覗く。

 そして本気度100%の声が、喉から躍り出る。

「……優しくして」

 之こそが、ルイズの考えた必殺技……。

 “虚無”の“呪文”さえをも上回る、彼女にとって威力絶大の伝説の奥義で在った。

 恐らく、此の光景を才人が見て仕舞うと、即死して仕舞うで在ろう、そんな光景で在る。

 暫く其の儘の姿勢の儘、ルイズの身体が固まる。

 然し、よくよく考えてみれば此処は外で在る。こんな場所で、其の、致すなどと云うのは“貴族”では無いだろう。仮にもルイズは公爵家で在る。ルイズを始め、“貴族”からすると、せめて屋根くらいは欲しいモノだ。こんな場所で致して仕舞った日には舐めらて仕舞うだろう可能性が在る。舐められては、女が下がって仕舞うだろう。

 ルイズは暫し考え込んだ後、指で身体の部分を指指した。

「で、でも、此処と、此処は、此処じゃ駄目。駄目なの。良け無いの」

 そう言った後、ルイズの顔が更に真っ赤に染まる。恥ずかしくなったので在る。遂に堪え切れなくなったのか、ルイズは一人芝居を始めて仕舞うので在った。

「こ、こら! 何触ってるのよ!? 未だ駄目だって言ってるじゃない!」

 シュタッ! とルイズは、手を払い除ける仕草を取った。

 木を相手に何度も何度も才人の手を払い除ける練習するルイズを、森の小鳥や栗鼠達が不思議そうに見詰めていた。

 

 

 

 自分の部屋のベッドの上で目覚めるなり、彼女は大きく伸びをした。すると、寝間着の下に在る果実が、前に突き出る格好になる。ティファニアは、其の馬鹿でかい果実を顔を赤らめて腕で隠す。

 其れから切なげに、はふ、と溜息を漏らした。

「やっぱり私ってば、可怪しいのかな……」

 其れは此の数日で芽生えた己の身体に関する疑問で在った。

 腕を外し、ティファニアは己の胸を見詰めた。

「之、大き過ぎない?」

 才人を捜しに来た女性客達と、自分の胸を比べて想い、嘘偽りの無い感想で在った。ティファニアは、年頃の女性と共に暮らした事が殆ど無いのだ。従って、自分の胸のサイズなど気にした事は無かったのだ。

 だが……。

「ルイズさん、アニエスさん、シエスタさん……其の中で1番大きいシエスタさんだって、私の半分くらいしかないわ」

 そうなので在る。

 アニエスは其の半分位で在るし、ルイズに至っては……。

「ペッタンコだわ」

 平均値を取ると、アニエスと云う事になるだろう。

 然し、そうなるとティファニアの胸は……。

「可怪しいのかな……?」

 ティファニアはショボンと肩を落とした。(やっぱり私は“ハーフ”の出来損ない、歪な呪いが胸に降り掛かって来るんだわ)、とティファニアは己の生まれを恨んだ。常識が有れば、「否“ハーフ”関係無いから」と想えるのだが、ヒッソリと子供達だけを相手に暮らして来たティファニアには、そう云った常識が欠て居たので在った。

 朝から泣きそうになって仕舞ったが、ティファニアは首を横に振って気持ちを切り替えた。

「御客さんの前で、こんな顔は見せられないわ。キチンと御持て成ししないと……昨晩は折角運んだワインを引っ繰り返しちゃったし」

 気を取り直し、ティファニアはランチのメニューを考え始めた。

「そうだわ。そろそろ“桃林檎”が熟れる頃ね。あれでパイを作って上げよう」

 “桃林檎”は、此の辺りで採れる、中が桃の様に柔らかく瑞々しい果実で在る。ジャムやパイにするととても美味しいので在る。

 だが、目を覚ました才人達が、居なくなっている事に気付くと心配するかも知れ無いだろう。皆、妙な敵に狙われて居るのだから……。

 幼い頃に相当な危険を味わったティファニアは、そう云った出来事に耐性が着いたので在る。兎に角自分が襲われる事には無頓着成ので在る。(若し襲われても、“忘却”の“呪文”が有るから平気)、とも達観して仕舞って居るので在る。

 取り敢えずティファニアは置き手紙を書く事にしたので在った。

 

――“森に果物を採りに行って来ます。昼御飯迄には戻ります”。

 

 そう云った内容の手紙だ。

 

 

 

 目覚めると隣にルイズが居無い事に気付き、才人はぷはぁと溜息を吐いた。

「居無えし……」

 才人は(昨日もチャンスを失って仕舞った)と暫し絶望したのだが、(いやいや今日こそ)と顔を上げた。

 人生は長いのだ。

 二晩位失敗したからって、問題は無い。

 そして、唯間が悪かっただけなのだ。

 其れから才人は考えた。

 其れは其れで大事な事で在るのだが、取り敢えずルイズに話す可き事を、今日こそは話さねばならない、と。

 ティファニアの事で在る。「彼女も“虚無”で、ルイズ御前と同じなんだけど、其れってどう云う事なんだろうね? 後あれ。“ハーフエルフ”。“エルフ”は御前達にとって敵みたいだけどティファニアは全然そんなのじゃ無いから襲ったり苛めたりするなよ?」と云った風に説明する必要が在るのだ。

 才人は、(ルイズもテファの正体が気になってる様だし……でも、やっぱりテファに話して良いかどうか訊いてからじゃねえと不味いよな)と考えてから、ベッドから出て、(ルイズは居間で朝食でも摂ってるのか?)と想い乍ら才人はドアを開けた。

 すると、パサッと軽い音を立てて、ドアに挟まれて居たモノが落ちる。

 拾い上げると、其れは1枚の紙で在った。

「何だこりゃ?」

 羊皮紙に、黒いインクで何やら認めて在る。アルファベットを崩したかの様な、“ハルケギニア”の文字が書いて在るのだが、勿論才人は読む事が出来無い。

 首を捻り乍ら、才人は居間に向かった。

 然し、ルイズの姿は無い。

 ティファニアも居無かった。

 テーブルに立て掛けらえたデルフリンガーと何やら談笑するアニエスが居るだけで在る。

 のっそりと顔を出した才人間に、デルフリンガーが声を掛けた。

「よお相棒。御早う」

「昨晩は、良く眠れたか?」

 とアニエスが、昨日と同じ妙な笑みを浮かべ乍ら言った。

「眠れませんでした」

 と才人が答えると、別の意味で取ったらしいアニエスが含み笑いをした。

「否、そう言った事は何も無かったですから」

 結局の所、2人が想像して居る様な事は、未遂で終わって居るのだった。

 アニエスはキョトンとした。

「2日続けて同じベッドに寝てるのにか?」

 若い女性に其の様な事を言われて、才人は顔を赤らめた。

 そんな2人の会話にデルフリンガーが茶々を入れる。

「いざと成ると空っきしだね。戦場での勇気が、100分の1でも有ればねえ」

「煩え」

 才人は“インテリジェンスソード”を睨む。

 デルフリンガーは、プルプルと震えた。どうやら笑って居る様子だ。

 才人は、(嫌な剣だな)、と想い乍ら尋ねた。

「ルイズ達は?」

「一緒じゃなかったのか?」

「ルイズは朝起きたらいなかったんですけど……」

「あのメイドも、ティファニアも見てないな」

「そっすか」

 才人は、(シエスタもテファもいないとなると……では此の手紙を呉れたのは誰なんだ?)、と疑問を感じ、アニエスに尋ねた。

「之何て書いて在るんですか? 俺、字が読めなくって……」

 アニエスには、異世界で在る“地球”から来た人間で在る事を話していないので在る。

 此方の世界では、寄り正確には此時代の平民の識字率は高く無いだろう。が、アニエスは驚いた風も無く受け取り、読み上げた。

「“森で待って居る”と書かれて居るな。他には何も書いて無い。名前すら書いて無いな」

「何でぇ、逢引の御誘いじゃねえか」

 才人は、(誰なんだ? 一体誰が俺を森に呼び出したんだ?)と首を傾げた。

 真っ先に浮かび上がったのはやはりルイズで在り、其れは正解で在った。が然し……(ルイズがこんな手紙何かで俺を呼び出すか? 用事が有る成ら“話が有るんだけど”と直接俺に言うだろうし。たとしたらシエスタ? 其れともテファ? 一体どっちなんだろう?)、と云った風に才人は其の答えを先入観から否定して仕舞った。

 そう才人が考えて居ると、アニエスが才人の肩を叩いた。

「誰か判らぬが……早く行ってやれ。多分先に行って待ってるんだろう」

「女に恥を掻かせたら、後が怖いぜ」

 アニエスとデルフリンガーにそう言われ、才人は少し緊張した面持ちで首肯いた。

 女に恥を掻かせて仕舞うと、後が物凄く怖い。

 才人は、ルイズとの付き合いで、其の事は身に染みて良く理解して居た。

 才人は森へと向かった。

 が、森と一口に言っても、才人には何方に行けば良いのか判ら無かった。何せ、此の“ウエストウッド村”とくると、森を切り開いて造った集落で在るからだ。

 才人は、「何処で待ってるんだよ……」、と呟いて、取り敢えずと云った風に“サウスゴータ”の平原へと通じる小道に入って行った。

 

 

 

 朝の森は清々しいと云えるだろう。キラキラと光る木漏れ日が射す中、10分程歩くと……才人は呼び止められた。

「サイト」

 才人が振り向くと、ティファニアが木の陰から出て来た。

 ティファニアは、大きな籠を持って居り、何時の草色のワンピースを身に着けて居る。

 才人は、(自分を呼び出したのは……此のティファニア成のか?)、とドキッとした。

「あの……手紙書いたのってテファ?」

「うん」

 アッサリと、ティファニアは首肯いた。

 才人は、(な、何だって? 俺を森に呼び出したのは、テファなのか? 其れって云う意味なんだ?)と疑問を抱く。

「な、何で森に……?」

「え? きちんと御持てなしして無くって。其の……」

 才人は、(御持てなし? 森で御持てなし? どんな御持てなし何だ!? 其れは!?)と疑問が浮かび上がり、また、いけない妄想がグルグルと回り始めた。

 こうなって仕舞うと才人は簡単には止まら無い。次から次へと、頭の中に素敵なストーリーが生まれ始めるので在った。

「一応訊くけど、ど、どど、何な御持てなしするの?」

 ティファニアは、はにかんだ様に顔を伏せた。

「美味しい果実が在るから、食べて欲しくって」

 才人は、(な、なな、何てぇ比喩だ。自分の胸を、果実に喩えて遣がる。而も其れで、俺を御持てなしして呉れるって? ど、どう言うこったよぉ……其奴はよぉ……誰か此奴逮捕してよぉ……)ともう泣きたくなって仕舞った。

「……お、美味しい果実って?」

「も、林檎……」

 才人は、(詰まり其れは……桃の大きさと瑞々しさと、林檎の張りが同居してるって訳か)などと解釈し、ブホッ、と素で鼻血を噴いた。

「だ、大丈夫?」

 ティファニアが心配そうに才人へと駆け寄る。ユッサユッサと、草色の服に包まれたティファニアの桃林檎と遣らが揺れた。

 才人は、(いや! 不味い! 俺は今、ルイズと良い関係なんだ。其れ成のにそう云う事はいけない)と慌てた。

「ちょ、やっぱ、いけなよ! そんな御持てなしはいけないよ! 俺可怪しくなるから! お願い!」

 むにゅ。

 突き出した才人の手が、何かに減り込んだ。

 才人は、(俺……今こそ俺は俺に問おう……掌の向こうに在るモノは何だ? 何すか? 柔らかくて、張りが在って、まるで天国の果実の様だけど、之何だ?)、と云った疑問を抱く。

「若しや神様“ブリミル”様、之が桃林檎……」

 まるで桃源郷にでも辿り着いたかの様な、恍惚とした表情を浮かべ、才人は掌の中に在る至福を覚えた。

 いけないと想いつつも、手が離れ無いと云った様子を才人は見せる。

 其れは全く、本能と云えるモノで在っただろう。

 理性の指令に、手が従わ無いので在った。

 才人が恐る恐ると云った様子で目を開くと、ティファニアの顔が羞恥で真っ赤に染まって居た。

「あいう」

 ティファニアの顔が、泣きそうに歪んだ。

 才人は其処で我に返る事に成功した。

「ご、御免! 御免なさい! 態とじゃ無いんだ! 本当なんだ!」

 其の時で在る。

 才人の背中から、朗々と響く呪文が響いて来た。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”」

 才人が振り向くと……“虚無”の担い手の少女が、“杖”を片手に“呪文”を唱えて居た。

「ルイズ」

 才人は、ワナワナと震えた。

 ルイズの口から朗々と溢れる“呪文”は、当に“虚無”で在ると云えるだろう。ルイズの激しい怒りが目に見えぬオーラと成り、才人を圧迫する。

 ティファニアが怯えて後退った。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”」

「ルイズ、違うんだ。之は……」

 才人は必死に成って弁解しようとした。

 ルイズはシエスタのメイド服に、猫耳を着けた、一風変わった格好をして居る。

 才人は、(どうして森の中えそんな格好をしてるんだ?)と疑問を抱くが、直ぐに(否、今はルイズの格好を気にして居る場合じゃ無い。と言うか何時迄“詠唱”してるんだ? “虚無”の威力は“詠唱”の時間に比例するんだよな? おいおい、そんな威力の“エクスプロージョン”を俺に撃っ放す気か!?)と想い、ひぃ、と喚いて逃げ出した。

「“ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”……」

 才人は森の中へと逃げた。ガサゴソと木々の隙間を縫い、枝を掻き分け、まるで熊に出会した時の様に必死に逃げようとした。

 然し、才人の全身を絶望が包む。

 追い掛けて来るのは、熊選り怖い、怒ったルイズで在るのだ。

 逃げ切れ無い。

 そんな絶望が足に伝わったのか、才人は20“メイル”も進ま無い内にすっ転んで仕舞った。後ろからはルイズが乱暴に茂みを掻き分ける音が聞こ得て来る。才人は立とうとするのだが、恐怖からだろう立て無いで居る。腰が抜けたので在った。はひはひ、と這って逃げようとすると、眼の前に足が見えた。

 才人は、其処で見上げる。

「シエスタ?」

 何やらキツそうに、ルイズのシャツを着込み、手に籠を持って居るシエスタが其処には居た。

「た、救けて……」

 才人が呟くと、シエスタはう~~~ん、と伸びをした。

「救けて! 今ヤバイんだ! 凄く!」

 そんな才人の慌て振りを意に介さず、シエスタは言葉を続けた。

「今朝起きたら、私の服が無くってですね。代わりに此のシャツが置いて在りました」

「シエスタ! 御願い! 腰が抜けて立て無いんだってば!」

「まあ、そんなのは良いんです。で、私山菜採りに来たんです。サイトさん達に、美味しいスープ作って上げようと想って。そしたら、小道からサイトさんの声が聞こ得て来たので、嬉しくなって私飛んで行ったんです」

「今は其れどころじゃ無いんだ! ルイズが! ルイズが!」

 後ろからざっしざっしと、ルイズが下生えを踏み締める音が響いて来る。

「でもびっくり。そしたらサイトさんが、ティファニアさんの胸を握り締めてるじゃ在りませんか」

 シエスタはしゃがみ込むと、才人の顔を笑顔で覗き込んだ。

「大きいの触れて、良かったですね♪」

 さっとシエスタは才人から跳び退き、木陰に隠れた。

 才人が振り返ると、ルイズが“杖”を構えて居る。其の顔が、怒りからだろう蒼白に成って居る事が判る。

「止めて!」

 

 

 

 足元に這い蹲って怯えた表情で自分を見詰める“使い魔”を見詰め、ルイズは想った。

(どうして此の馬鹿はこう成のかしら? せ、折角再逢出来たって言葉うのに。ご、ごご、御主人様が、良いって言ってるのに。其の忠誠心に免じて、キス以上を、ちょっと許して遣ろうしら何て想ってたのに。“貴族”の権威を振り翳すのを、ちょっと遠慮しようと想ってたのに。其の上私……ちょっと考えを改めたのに。あんたの帰る方法、之からちゃんと探そうと想ってた矢先だったのに。“之が胸?”とか言い放ったわね。まあ良いわ。私も常々疑問に想って居たし。現実を見詰める目は、必要よね。でも、何してんのかしら? 誰の何処、触ってるのかしら? メイドに舌。之はまあ良いわ。良く無いけど、百歩譲って良いわ。百歩じゃ足り無いわね。千歩譲るわ。譲りたく無いけど、シエスタは私を勇気付けて呉れたし、一昨日の晩だってあんたの横を譲って呉れたし……ま、私も同じ事したし)、と其処迄考え、一息吐く。

「でもね、あの胸は死刑」

 ティファニアが持つ、大きな胸を握った。

 其れは、ルイズにとって、万死に値する行為で在った。

 ルイズの中を、古代の“ルーン”が畝る。

 満ち満ちた“精神力”がルイズの体内を巡り、小さく分割されて血液に溶け、更成る高みを目指す触媒と成らんとする。

 ルイズは才人に向かって、“杖”を振り下ろした。

「あ! ああ! あ! 痛いの嫌だ! おねが……」

 巨大な爆発音が才人の絶叫を掻き消す。

 モウモウと土埃が舞い上がり……才人はルイズが唱えた“エクスプロージョン”に依って、揉み苦茶にされ、ボロボロに成って地面に転がった。

「い、痛いよう……」

 辛くも一命を取り留めた才人が呻く。

「御黙り。で、どうだったの? 大きかった? 誰の何選り大きかったの? 言って御覧なさい! 言って御覧なさいよッ!」

 ゲシゲシとそんな才人をルイズが足で小突いて居ると、後ろからティファニアの声が聞こ得た。

「今の爆発……何?」

「何って爆発よ! 見りゃ判るでしょッ! 良いからあんたは彼処行ってなさいよ!」

 ルイズが振り向くと、ティファニアが立って居た。

 ルイズの目が真ん丸に見開かれる。

「貴女……」

 ハッとして、ティファニアは頭を探る。

 爆風で飛んでしまったのか、帽子を落として居たので在る。

「“エルフ”?」

 ルイズの声が震え出した。

 2人は、真っ直ぐに見詰め合った。

「……何で“エルフ”が、こんな所に居るの?」

 

 

 

 

「何てあんたは説明しないのよ」

 ティファニアの家の居間。

 ルイズは床に横たわってシエスタの治療を受ける才人を、見下ろして言った。

 其の目には、昨晩迄才人に見せて居た、恥じらいと艶っぽさを始めとしたモノは見当たらないと云えるだろう。才人を「犬」と呼ばわって鞭で叩きまくって居た1年程前の其れに戻って仕舞って居る事が判る。胸関係の侮辱は、ルイズを其れ程に怒らせてしまって居たので在った。

「だから、テファに訊いてからって想ってたんだっ吐の! 別に黙ってた訳じゃ無えよ!」

 包帯を巻かれ乍ら怒鳴る才人を、ルイズは鬼の形相で見下ろした。

「はぁーん? はぁーん? テファに訊いてから? 御主人様が第一でしょーがッ!」

 ルイズは才人の背中を踏み付けた。グリグリと押し潰すかの様に、足首を撚る。

 もが、もが、もがが……と苦しそうに才人は藻掻いた。

「ねえあんた。調子に乗ってるでしょ? 最近、私がちょっぴり甘い顔したもんだから、誤解してるでしょ? でもね、想い出した。あんた犬。否、犬だって芸するから、あんた選り、え、えええ、え、偉いわ」

 ルイズの声が震え出す。

「あんたは犬以下ッ! 両生類ッ! ヤモリよヤモリ!」

 シエスタがそんなルイズを窘める。

「ミス・ヴァリエール。ヤモリは爬虫類ですわ」

「そうだったわ。じゃあたんたは海月よ! 海月!」

 ルイズはゲシゲシと才人を踏み付けた。

「流石にちょっと遣り過ぎなんじゃ……サイトさんも反省して居るみたいだし……」

「反省? 此の海月がそんな殊勝な事考える訳無いじゃない。こう言うのはね、身体に覚えさせなきゃ駄目なの」

 ユラリと、才人は立ち上がった。身体の各部に包帯を巻き付けた侭の、情け無い格好では在るが毅然とした様子でルイズに指を突き付けた。

「痛えって言ってんだろうが! 悪どい“魔法”と足で散々人の事を苛め遣がって! 大体なあ、態と触った訳じゃ無いから!」

 才人達のそんな遣り取りを、恐ろし気に見詰めて居たティファニアが其の一言で顔を赤らめた。

 シエスタが、不安気にそんなティファニアを見詰める。強力な“先住魔法”を使い、高度な技術を扱うとされて居る“エルフ”は、人間達と仲が悪い事で有名で在る。シエスタは、初めて見る“エルフ”に怯えて居る様だった。

 そんな仕草で、増々ティファニアは顔を伏せた。

「ですよね。やっぱり怖いですよね。私は“ハーフ”ですけど」

 シエスタは才人とティファニアを交互に見詰めて居たが……決心した様に言った。

「た、確かに“エルフ”は怖いですけど……貴女はサイトさんを救けて呉れました。私達に危害を加える様な方じゃ無いって想います。セイヴァーさんも何も言って来無い事から、問題無いと言う事だと想いますし……怖がって御免なさい」

「有り難う」

 ティファニアはニッコリと笑った。

 シエスタも笑みを浮かべる。

 然しルイズは、胡散臭気にティファニアを見詰めた。

「そうだな。黙って居た事に関しては謝罪しよう」

 俺はそう言って、“実体化”した。

 皆慣れたモノと云った様子で在り、突然姿を現した俺に対して特に之と云ったリアクションを見せる事は無い。

 そして、俺の謝罪の言葉に、皆素直に受け入れて呉れた。

 と云う選りも、ルイズとシエスタは才人に対しての気持ち、ティファニアは怖がらせてないかと云う不安が強い様子なために、俺にまで気が回らない様子なのだが。

「で、何で“エルフ”が、“アルビオン”に居るの?」

「其れは……」

 敵意剥き出しのルイズに睨まれ、ティファニアは縮こまって仕舞った。

 ルイズはティファニアにツカツカと近付くと、長い耳を摘み、そしてクイクイと引っ張った。

「あう。あうあう。あう」

 耳を引っ張られたティファニアは、悲しそうな、そして切ない声を上げた。

「ふん。作り物じゃ無いみたいね」

「ほ、本物だから……」

「…………」

 次にルイズは、ティファニアの馬鹿でかい胸を無言で掴んだ。

 気の弱いティファニアは、自分選り背の小さい女の子に完全に呑まれて仕舞い、身を竦ませる。

「ひう」

「何之?」

「む、胸……」

「嘘」

「嘘じゃ無いわ。ホントに胸……」

「燥ぎ過ぎよ」

 心底憎々し気と云った様子で、ルイズが呟く。

「別に燥いで何か……」

「どう考えたって可怪しいわよ。あんた肩とか腕とか腰とかこんなに細いのに、どうして胸だけ酔っ払ってるの? か、かか、身体と釣り合いが取れて無いんじゃ成いの。良い加減にしなさいよね。“トリステイン”でこんなにぶらさげて歩いた日にゃ、死刑よあんた」

「そんな事言われても……」

 ルイズの肩が、怖い程に震え始めた。

「程度って在るじゃ成い。程度って。超えりゃ良いってもんじゃ無いのよ。私は之、胸って認め無いから。ええ、断固、認め無いから。胸っぽいなにかって定義する事にしたから」

「あう。あうあうあう。あうあう」

 段々と怒りが収まら無く成って来たらしい。ルイズはティファニアを怒鳴り付けた。

「謝り為さいよッ! 謝ってよ! 私に謝ってッ! 普通こん成の着けてら御免為さいじゃ成いの!? ねえッ!」

「ひう」

 理不尽に「謝れ」と連呼し乍ら、ガシガシとルイズが揉み拉いでいたために、ティファニアは泣きそうな呻きを上げた。

 才人が立ち上がって、ルイズに怒鳴った。

「御前なあ! テファを苛めんなよ!」

 其の声に合わせ、デルフリンガーが、ポツリと呟く。

「同じ“虚無の担い手”だけど、片っ方さんは胸迄虚無(ゼロ)だね」

 其れに次いでシエスタが、「足して2で割ったら丁度良いのに……」と感想を呟く。

「きぃぇぇぇええええええええええええええッ!」

 ルイズは雄叫びを上げると、才人の股間目掛けて後ろ回し蹴りを叩き込んだ。

「な、何で俺が……」

 痛みで脂汗を流し乍ら這い蹲る才人の頭を踏み付け、ルイズは言った。

「あんたあれ、握ったじゃ成いの。一生赦さ無いから。さてさて、秘密は“エルフ”ってだけじゃ無いわね。あんたとあの娘、他に何隠してるの? 言いなさい? 一体あの胸で何したの? 何な冒険したの? 怒ら無いから言って御覧。殺すけど」

 悶絶する才人を足蹴にし乍ら、ルイズは、ハッ!? と表情を変えた。其れから、デルフリンガーへと詰め寄る。

「ねえボロ剣! あんた今、何て言ったの?」

「“虚無の担い手”」

「御互いって言ったじゃない! どう云う事?」

 痛む股間を押さえ乍ら、のっそりと才人が立ち上がり、ティファニアを見詰める。

 すると、ティファニアは首肯いた。

 才人は真面目な顔に成ると、ルイズに告げた。

「此のテファも……御前と同じ、“虚無の担い手”なんだよ」

 

 

 

 ティファニアがルイズに全てを話し終えた頃には、御昼を過ぎて居た。

 夜に成ってから話したいとティファニアは言ったのだが、ルイズがどうしてもと言うので折れたので在った。

 訥々と、話し難そうな様子でティファニアは語った。

 “エルフ”で在るティファニアの母親は、“アルビオン”王の弟で在る大公の妾で在った事。財務監督官でも在ったティファニアの父親は、“王家”の秘宝を管理して居た事。或る日、其の“王家”の秘宝の1つで在る指輪を嵌め、同じく秘宝で在ったオルゴールの蓋を開けると、自分の他には誰にも聞こ得無いメロディが聞こ得て来たと云う事。

 “エルフ”を妾にして居た事が、“アルビオン”王にバレて仕舞い、騎士隊を差し向けられて仕舞った事。其の際に、父親と母親が命を落とした事。

 其の時、頭の中に浮かんだ“呪文”を唱えたら、騎士達の頭の中から、ティファニア達を討伐するために遣って来た記憶が消え、ティファニアだけが救かった事……。

「其の“呪文”が“虚無”って訳?」

 ティファニアは、困った様にデルフリンガーを見詰めた。

「そうだよ。“忘却”の“呪文”さ」

「どうして記憶を消すのが“虚無”に成るのよ?」

「想い出せ。御前さんの持ってる“始祖の祈祷書”の序文には、何て書いて在った?」

「“系統魔法は、小さな粒に影響を与える”。“虚無は更成る小さな粒に、影響を与える”……」

「そうだ。人の脳味噌は、小さな粒の集まりで出来てる。記憶ってのは、此の小さな粒の繋がりさ。“系統魔法”での“魅了”や“敵意”、特定の感情を発揮させる“呪文”は、此の粒に干渉して中の流れを変えてるだけ何だ。だが、“虚無”たる“忘却”は違う。更なる小さき粒に干渉して、 記憶の中枢たる小さな粒の繋がりの存在を消しちまうんだ」

「そんな事言われても理解ん無いわよ」

 ルイズ同様に、才人もまた良く理解って居無いと云った様子を見せる。

「才人。御前に理解り易く説明するとだな……否、御前にだけしか理解出来無いだろうが……原子と分子。否、原子と素粒子が……」

 などと俺がグダグダと遠回しな説明をしてみる。

「ああ、成る程」

 と才人は合点が行ったと云う様子を見せる。

「兎に角、あの“ハーフエルフ”の娘っ子が唱えた“呪文”は、紛れもなく“虚無”だよ」

 ルイズは考え込む仕草をして、「理解ったわ。サイト以外の“虚無”の“使い魔”が居たんだし……信じる他無さそうね」と言った。

 才人が尋ねた。

「其の“虚無の担い手”と遣らは、全部で何人居るんだ?」

「恐らく4人」

 才人の問いに、デルフリンガーが答える。

「恐らくって何だよ?」

「ブリミルは自分の子供達と1人の弟子に、其々“秘宝”を渡したんだ。其の力も含めてな。3人の子供達は、此の“ハルケギニア”に3つの王国を築いた。担い手は其の直系の子孫……だから4人さ」

「“トリステイン”、“アルビオン”、“ガリア”、そして“ロマリア”ね」

「此の前襲って来た奴は、誰か判ら無えのか? 皆が皆、此のティファニアみたいに大人しいって訳じゃねえだろ」

 “ミョズニトニルン”の事を想い出し、才人は言った。

「判らん。直系の子孫と言たって、何千人、何万人って居るからね。損中には、乱暴者も居るだろうし、優しい奴も居る。其の辺りの塩梅は唯の人と変わりがねえ」

「兎に角、其の4人の担い手と遣らは一斉に“虚無”に覚醒めたって訳か」

「そうみてえだね」

「他人事みたいに言うなよ」

 才人は、憮然として言った。

「ねえデルフリンガー」

 ルイズは、真面目な声で言った。

「何だね?」

「どうして私達は、“虚無”に覚醒めたの?」

 アッサリとデルフリンガーが答えた。

「“聖地”を取り戻す為さ。“始祖の祈祷書”にも書いて在っただろうが」

 ルイズは想い出し、首肯いた。

「御前さん達“虚無”の担い手4人が、“指輪”と“秘宝”と“使い魔”を揃え、集まった時に……ブリミルの遺した力は完成する」

「……ブリミルの遺した力って、何?」

「覚えてねえ」

「デルフ」

「ホントだ。唯……俺何かの想像を超えて居た。掛け値無しにね。でっかくて訳が理解らなくって……ボンヤリと其の事をだけは覚えてる」

「どうして黙ってたんだ?」

 デルフリンガーは珍しく、疲れた様な声で言った。

「御前さん達に、そんなモノ背負わせたくなかったんだよ。理想ってのは厄介だ。其奴を他の人間に変えちまう。其れが可能な力を手に入れちまえば、尚更だ。なあルイズ、セイヴァー。御前さん達だったら、其れが良く理解出来るんじゃ成えのか?」

 初めてデルフリンガーに名前で呼ばれたルイズは、唇を噛んだ。

 立派な“貴族”に成る、と云う理想で、ルイズは心を幾重にも覆って居た。其の御蔭で、言いたい事も言え無かったと云えるだろう。素直に成る事も出来なかったとも云えるだろう。今でさえも満足に出来ていないのだ。其れはもう、彼女の、ルイズの一部と成って仕舞っているのだから。

「過ぎたる力を持たされた理想って奴は、存在するだけで周りの人間を不幸にしちまうのさ」

 才人も、ルイズも黙ってしまった。

 ティファニアは怯えた様な表情を浮かべ、震えて居る。

「俺は6,000年も変わらずに遣って来た。退屈だったが、其れ成りに幸せな時間だったのかも知れ無いねえ。御前さん達の歴史と遣らも同じさ。何も無理に変えるこたぁねえ。其の儘にして置くに、越した事はねえよ」

「…………」

「なあ相棒」

「何だ?」

「御前さんと出逢って、色んな事を想い出した。楽しかった事、大変だった事……辛かったり悲しかった事。色んな事だ。感謝してるぜ。相棒だけじゃ無え、“虚無の担い手”たるルイズ、御前にもだ。勿論、セイヴァー。御前にもな」

 才人は首肯いた。

 ルイズも、頬を染めて首肯く。

「俺は、大好きな御前さん達に、精々平和に過ごして寿命を全うして欲しく成ったんだ。御前さん達と居ると飽きねえ。おりゃあ、退屈な時間が来るのをせめて先延ばしにしてえんだよ」

 才人は、デルフリンガーに優しい声で言った。

「安心しろよ。俺は理想とか“聖地”とか、どうでも良いもんよ。大事な人達を守りたいって想うだけだ。元々無茶すんの、嫌いだし」

 ルイズも、キッパリと言った。

「そんな事今更あんたに言われなくたって理解ってるわよ。私……決めたの。取り敢えず、サイトの帰る方法を見付けて上げようって」

 驚いた顔で、才人はルイズの顔を見詰めた。

「熱でも有る?」

 ルイズは才人の股間を無言で蹴り上げた。

 才人は悶絶して、床に転がる。

 ルイズは其の背に足を乗っけて、演説でもするかの様に言い放つ。

「私の此の力は其のために使うわ。誰の道具にもし無い。だから精々安心為成さいよね。剣の癖に臆病なんだから」

「そうだな。元より、俺の望みは此の時点でほぼ叶っていると言って良いだろう。後は、皆……友人や家族が幸せで在れば良いだけだ」

 デルフリンガーは、安心した様に言った。

「そうか、なら俺はもう何も言う事はねえ。宜しく遣って呉れ」

「優しいのか非道いのかどっちかにして呉れ……之じゃ対処の仕様がねえ」

 才人が情け無い声で抗議したが、ルイズは其の頭をガシッと踏み潰す。

「あんたあのおばけ胸触ったじゃ成いの。非道いのはしょうが無いでしょ」

 ルイズは腕を組んで才人を見下ろした。

 ティファニアは怯えた顔でルイズを横目で見た後、口を開く。

「私も……そんな“聖地”を取り返すだなんて、考えた事無い。と言うか考える訳も無いわ。私は半分“エルフ”だし……“始祖”の力を受け継いだって、そんな事出来無い。ううん、相手が誰でも争いは嫌。だから誰にも話さないし……若しバレたら記憶を奪う。今迄そうして来たみたいに」

 ハッキリと、ティファニアは言い切った。

 黙って皆の話を聞いて居たシエスタが、首肯いた。

「私は“魔法”の事はサッパリ理解りませんけど……何だか話は纏まったみたいですね。じゃあ御飯にしましょう」

 デルフリンガーを除いた、其の場の全員は顔を見合わせる。

 確かに俺とデルフリンガーを除いた皆は、御腹が空いて居たので在った。

「キッチン借りて良いですか?」

 と明るくシエスタがティファニアに訊ねると、ドアがバタン! と開いて、其の場に居無かったアニエスがツカツカと入って来た。

 彼女はドカッとソファに腰掛けると、一同に告げた。

「さて、休暇は終わりだ。帰るぞ」

「へ?」

 才人達は、顔を見合わせた。

「後2~3日滞在する筈じゃ……」

「帰国命令が出た」

 アニエスは手紙をルイズに差し出す。

 どうやら先程梟で届いた様子だ。

「先日、御前の生存を伝える報告をしたら、急いで連れ帰って来いとの事だ」

「姫様に報せたんですか?」

「当たり前だ。私が此処に何しに来たと想ってる。再びミス・ヴァリエールの“使い魔”に成ったんだろう? 陛下に隠す理由が無いだろうが」

「でも、休みたいって……」

「もう十分に休んだ」

 兎に角アンリエッタに「帰って来い」と言わて仕舞うと、ルイズもアニエスも立場上断る事が出来無い。

「5分遣る。出発の準備をしろ」

 “銃士隊”の隊長の顔に成って、アニエスが告げる。

 シエスタは其の迫力に呑まれて仕舞い、はいッ! と返事をすると荷物を纏める為にすっ飛んで行った。

「御別れだね。短い間だったけど、楽しかった」

 ニコッと笑って、ティファニアが才人と俺へと言った。

 少しばかり考え込んだ後、才人は言った。

「なあテファ」

「なあに?」

「俺達と一緒に来ないか?」

「……え?」

 ルイズがそんな才人の顔を殴ろうとしたが、才人は素早く其の手を握る。

「何口説いてるのよ!?」

「別に口説いてる訳じゃねえよ」

 才人はギロッとルイズを睨んで言った。

 其の本気の迫力に、ルイズは圧され、ブスッと頬を膨らませて黙り込んだ。

「別の世界が見たいって言ってたよな。取り敢えず、“トリステイン”に来て見たらどうだ?」

 ティファニアは、モジモジと身を竦ませた。

「来いって簡単に言うけどね、住む所とかどーすんのよ? 其れに彼女は“エルフ”の血が混ざってるのよ。怖がられて、大変よ」

「御前は怖がって無えーじゃ成えか」

「其れは、あんたを救けて呉れたし……悪い人じゃ無いんでしょ」

 才人は首肯いた。

「其の通りだ。だから何か言われたら、俺が庇うよ。怖がる奴等が居たら、俺が説得する」

「サイト!」

「良いから御前は黙ってろ」

 再び才人に睨まれ、ルイズは唇を尖らせて下を向いた。

「世界を見たいんだろ?」

 ティファニアは、俯いて微笑を浮かべた。

「有り難う」

「じゃあ用意して呉れ。良いよ。待ってるから」

「急いで帰えって来いって、姫様の命令成のに!」

 ルイズが更に抗議した。

 其の声に、アンリエッタの命令に従わ無い事に対する非難以外のモノが含まれて居るのだが……才人は駄々を捏ねる子供を配う様に、其の顔を押し戻す。

 然し……ティファニアは動か無かった。

「テファ?」

「やっぱり……私行けない」

「どうして? 遠慮何かすん無よ。テファは俺を救けて呉れた。今度は俺が手伝う晩だ」

 ティファニアは、居間から外に通じるドアを指指した。

 ドアの隙間から、“ウエストウッド村”の子供達が心配そうに此方の様子を覗き込んで居るのが見える。

「あの子達を、置いて行けないもの」

「あ」

 才人は軽く自分を恥じた。夢中に成って居て、忘れて居たのだ。

 此処“ウエストウッド村”には、ティファニアだけでは無く、子供達もまた住んで居り、年長で在るティファニアが彼等の親で在り姉で在るのだから。

「そうだね。無理言ったな。御免」

「ううん。誘って呉れて嬉しかった。有り難う」

 ティファニアは、何の邪気も込もって居無い笑みを浮かべた。妖精の様に美しいティファニアが其の様な笑みを浮かべると、目を逸らす事が罪深い事の様に想わせる程の笑みだ。

「……じゃあ、何か俺に出来る事はないか? 其の何て言うか、せめてもの御礼って言うかさ」

「良いのよ」

「命迄救けて貰ったんだぜ」

「倒れてたら救ける。当然の事をしただけだわ。気にしないで」

 そんなティファニアに才人は色々と御礼を言おうと想ったのだが……出て来たのは、「有り難う」と云う一言だけで在った。

「……何か在ったら報らせて呉れ。直ぐに飛んで来るからさ」

「あは、有り難う。私、貴男達に逢えて良かった。じゃ、元気でね」

「テファも元気で。またな」

 ティファニアはハッとした様な表情を浮かべる、大きく首肯いた。

「うん。また……またね」

「さて、ティファニアよ」

「はい……」

 才人との別れの言葉を済ませたティファニアに、俺は言葉を掛ける。

 ティファニアは弾かれた様に、身をビクッとさせ、そして俺へと向き直る。

「驚かせたかな? 其れは、すまない」

「いえ、私の方こそすみません」

「まあ、此の侭では謝り続ける事に成るから、置いて置いて。此奴等は此処に来る事は難しいが、俺は時々御前に、御前達に逢いに来るからな」

「は、はい」

 ティファニアや、ドアの隙間から見守って居る子供達の顔は綻んだ。

 

 

 

「先ずは、“ロンディニウム”の“ハヴィランド宮殿”に向かう」

 森の中の小道を歩き乍ら、アニエスがそう皆へと言った。

「“ロンディニウム”って、“ロサイス”と逆方向じゃ成い! 姫様は、急いでって言ってたんでしょ!?」

 当然、ルイズは其れに対して反応を示すのだが。

「先ずは、挨拶をしてからだ。其の次に、“ロサイス”に向かう。迎えの“フネ”を準備して貰って居るそうだ」

「誰に挨拶するんですか?」

 ルイズの質問に静かに答えるアニエスだが、其処でシエスタが問うた。

 俺とアニエスは互いに顔を見合わせ、笑みを浮かべる。

「逢ってからの御愉しみと言うモノだ」

 そんな風に歩き乍ら会話をして居るのだが……才人だけは上の空と云った様子で在り、ルイズはそんな才人が気に入らず、ブツブツと文句を言った。

「どうしたの? 何ぼやーっとしてるのよ?」

「いやぁ……」

「あの“ハーフエルフの娘っ子、綺麗だったなぁ。胸もでかかったなぁ”って反芻してるんだろ?」

 背負ったデルフリンガーが茶々を入れる。

 ルイズの目が、キュッと窄まった。

「違うよ! 遣りたい事が出来ないって、可哀想だなって……」

 然しルイズは、ふんっ! と拗ねて仕舞い、ツカツカと才人を置いて歩き出す。どうやら、完全に機嫌を損ねて仕舞った様子だ。

 才人は立ち止まり、2ヶ月程の時間を過ごした“ウエストウッド村”を振り返った。

 生い茂る木立の奥に、ティファニアの小ぢんまりとした家が見える。

「世界が見てみたい、かぁ……」

 とポツリと才人は呟く。

 其の時……才人の胸の中に想いが溢れた。

 昨日、ティファニアの家の庭で、シエスタに「サイトさんの夢って何ですか?」と、訊かれた時に浮かんだ想い……。

 才人は、(自分が遣りたい事は何だろう? 帰る方法を見付ける事。其れも在る。そして、其れと矛盾して居る様なもう1つの遣りたい事。ルイズを守る事。側に居るとドキドキして仕舞う女の子。帰る方法を見付ける事は、ルイズと別れる事だよな。いつかはどっちかを選ばなくてはいけないよな。そして、其の答えはもう出てるんじゃないか? 俺はルイズの側に居たい。仲が良く成った人達の側に居たい。帰りたい、と想う気持ちも嘘じゃ無いけど……別れるのはもっと辛いもんな)と想った。そして、(……夢。此方の世界で、もう少し自分が出来る事を遣ってみるって……そう云う選択肢はどうだ? アニエスさんとの特訓で、多少、自信も着いたし。ルイズを守る、其れは勿論だけど……もっともっと、自分と言うモノを試してみたい。俺には其れが出来る力が有るんだから)とも才人は想う事が出来た。

「サイトさーん! 行きますよー!」

 先を歩くシエスタの声が聞こ得て……才人は歩き出した。

 

 

 

 

 

 “ハヴィランド宮殿”前に到着すると、衛兵は俺に気付き、敬礼した。

「御苦労様です、セイヴァー殿」

「否、御前達こそ御苦労様だ。何、楽にして呉れ。俺は其れ程偉い訳では無いのだから」

「いえ、そう言う訳には……」

「そうか。では、其の侭頼む。あと之はほんの気持ちだ」

 2人居る衛兵へ其々、俺は懐から金貨を取り出し、2枚ずつ手渡す。

「そんな、此の様なモノ、受け取る訳には」

「気持ち程度のモノだ。俺には必要無いからな」

「……理解りました。貴男の健康の為に、頂いて置くとします」

「では、失礼する」

 俺と衛兵との遣り取りを見て、才人とルイズとシエスタの3人は呆気に取られた、そして驚愕したと云った様子を見せて居る。

「何をして居る? 待たせて居るんだ。急ぐぞ」

 

 

 

「久し振り、皆」

 宮殿の廊下を歩き、辿り着いた待合の部屋には既に1人の金髪の少女が居た。

 其の少女は、俺達にとって見慣れた人物で在ると云えるだろう。

「嘘……シオン?」

 着飾り待って居たシオンを目にし、ルイズは驚愕の声を上げる。

「そうだよ。久し振り、ルイズ。そしてようこそ。“ハヴィランド宮殿”へ」

「ようこそって一体……?」

「そうだね。じゃあ自己紹介などを1つ……先日、戴冠式を終え、此処“アルビオン王国”の現実女王に即位致しました、シオン・エルディ・アフェット・アルビオンで御座います。以後御見知り置きを」

 そんなシオンの自己紹介に、3人は狐に包まれた、鳩が豆鉄砲を食ったようかの様な様子を見せる。

「えっと……シオン? 本当に女王に成ったの? 本気?」

「ええ。本当よ。そして本気よ、ルイズ。さて、再逢して早速だけど、急いで“ロサイス”に向かって貰うね」

「ちょっと待って……頭が可怪しく成りそう……あの時、出て行ったのは、此のためなの?」

「ええそうよ。でも、詳しい事を話す時間は無いわ。アンが首を長くして待って居るもの。セイヴァー」

「ああ、了解した。俺の“宝具”で移動すれば良いのだな?」

「ええ、御願い出来る?」

「勿論だ。俺は御前の“使い魔(サーヴァント)”だぞ」

「ちょ、ちょっと待って呉れ! シオンも一緒に行く可きだろ? 女王がどうとか良く理解出来無いけど、“魔法学院”に戻る可きだし、“聖杯戦争”も始まっちまったんだぞ!」

 混乱などから戻った才人は大声を上げて言った。

「駄目だよ。私はもうアンリエッタ同様に、“アルビオン”の女王成の。今は、“魔法学院”に戻れ無い」

「じゃあ、敵“サーヴァント”とかどうするんだよ!?」

「其れに関しては問題無い。其れ選りも早く行くぞ」

 俺はそう言って、空間を置き換えた。

 

 

 

 

 

 “ロサイス”に着くと、鉄塔の様な形の桟橋に、沢山の“フネ”が停泊して居るのが見えた。“ハルケギニア”各国から集まった商船や、軍船、様々な“フネ”が舳先を並べて出港の時を待って居るので在る。

 其の中に、異様な風体の巨船が在り、目を引いた。

 懐かしの“ヴュンセンタール号”で在る。

 “フネ”の横に伸びたマストで其れと判るだろう。

 鉄塔の頂点から伸びた橋桁に吊り下げられて居り、ユラユラと小さく揺れて居る巨大な“竜母艦”を見上げ、才人は溜息を吐いた。

「俺達、こんな大きな“フネ”に乗って居たのか……」

 寄木細工の様な船底は、見事な幾何学模様を描いて居る。甲板の横からタラップが降りて、鉄塔から伸びる桟橋に繋がって居た。

 アニエスが、ポツリと呟いた。

「迎えに“フネ”を寄越すと言って居たが……“ヴュンセンタール号”とはな。驚いた」

 才人とルイズは目を丸くした。

「へ? 今、何と仰いました?」

「“ヴュンセンタール号”が、我々を迎えに来たと言ったんだが」

「こんなデッカイ軍艦が? たかだか数人の俺達を迎えに?」

 才人は呆れた様子を見せる。

「そうだ。其れだけ貴様達は重要人物と言う事だ。良かったな」

 喜ぶ選り、才人は怖く成って仕舞った。

 ルイズも首を傾げて居る。

「俺じゃ無くって、御前やセイヴァーが居るからだろ?」

 才人はルイズを見て言った。

「違うわ。私、姫様に今回の“アルビオン”行きを伝えて無いもの。其れに、私1人のために、こんな“フネ”使う訳無いじゃない。動かすだけで、幾ら掛かると想ってるの?」

 ルイズの其の言葉に才人は、(じゃあ、俺とセイヴァー2人の為に? 一体姫様は何を考えてるんだ?)と想った。

 タラップを登った俺達を、艦長自らが迎えた。

「ヒリガル・サイトーン殿、とセイヴァー殿ですかな?」

 伝聞に因るモノだろう、何とも滅茶苦茶な名前で呼ばれたが、才人は首肯いた。

「遠くから、御苦労。暫く世話に成る」

「いえ……」

 艦長は隠す事も無く、才人を胡散臭そうな表情を浮かべて見詰めた。(セイヴァー殿の事は理解出来るが、何でこんな平民風情を運ぶために、此の“ヴュンセンタール号”が派遣されねばならんのだろう?)と云った顔付きで在る。以前、此の“フネ”に乗った事のある才人ではあるのだが、艦長とは顔を合わせていないので在った。よって才人が何者で在るのか、彼は知らないのである。そんな得体の知れない相手で在ろうとも、兎に角命令は命令で在り、才人は女王陛下の客人で在る為に、そして眼の前の俺とアニエスの手前も在り、艦長は礼を正して敬礼をした。

「本艦を代表して、歓迎申し上げる。貴方方の航海の安全を保証します」

 

 

 

 部屋に案内する為に着いた士官は、以前俺達を案内した甲板士官で在った。

 彼は艦長の目に触れ無い所迄来るとニヤッと笑みを浮かべ、「一体どんな手柄を上げたんですか? 国賓待遇じゃありませんか。驚きましたよ」と才人へと言葉を掛け、「貴男も貴男ですよ。一体、何をしたんですか?」と俺に対してもコメントをして呉れる。

 其処で、才人は、ああ、と理解した。

 此の厚遇は、理由の1つが110,000の敵軍を足止めした事で在るのだ。

 どう遣ら士官は其れを知ら無い様で在り、軍でも其れを知って居るのは上層部連中だけなので在る。

「さぁ……何々でしょうね」

 兎に角自慢する気に成れないのだろう、才人は恍けてみせた。

 士官が俺達を一室に案内する。

 俺達は荷物を置いて寛いだ。

 “トリステイン”の港町、“ラ・ロシェール”には粗半日で到着する予定との事で在る。

「誰もあんた達が“アルビオン”軍を足止めしたなんて信じてなかったのに……」

 とルイズが呟くと、アニエスが言った。

「でも、陛下は信じて居られた様だな」

「姫様が? どうして御知りになられたのかしら?」

「さあな。其処迄は知らん」

 アニエスは椅子に身体を沈めると、仮眠を取るためか目を瞑った。

 アニエスのが目を閉じたのと同時に、ルイズは俺の方へと目を向けた。

 才人は、(森に居る時は気に成ら無かったが……姫様、いや、女王様に逢うのに之じゃあ、流石に失礼何じゃ成えのか?)、と云った風に此の前の戦いでボロボロに成って仕舞ったパーカーを見詰めた。

「なあルイズ。新しい服欲しいんだけど……」

「はぁ? 御金何か無いわよ。今回の旅で全部使っちゃったわよ。我慢しなさい」

 そう言われて才人はションボリと肩を落とした。其れから、(あの晩のルイズはやっぱり嘘だったのかぁ……)と切なく成った様子を見せる。

「逢えた日はあんなに可愛かったのにな……」

 思わず才人がそう呟くと、ルイズが顔を真っ赤にして睨んだ。

 ルイズはクルツと振り向き、才人に背中を見せた。

「そ、そりゃ御褒美も上げなきゃいけないでしょ! 姫様じゃ無いけど、其れ成りの働きをしたんだから報いる所がなけりゃ、駄目じゃ無いの」

 思いっ切り恥ずかしがって居る様子で、ルイズは言った。そんな顔を見せたく無かったのだろう、才人に背中を見せたので在った。

「舐めんな! 御褒美なんか要らねえよ!」

「へぇー、そう。あんなに、夢中に成ってがっついて来た癖に」

 ルイズは振り向くと冷笑を浮かべた。

 其の言い草に、才人はスッカリのぼせ上がって仕舞う。

「誰の何処が御褒美だって?」

 ルイズの蟀谷が、ピキッ! と音を立てた。

「ご、御主人様の胸捕まえて、何ですって?」

 其処でアニエスが、ルイズと才人の肩を叩いた。

「こらこら。客は御前達だけじゃ無いんだぞ」

 此処には自分達だけでは無かったと云う事を想い出し、ルイズは顔を赤らめた。

 シエスタは唇をキュッと一文字に結んで事の成り行きを見詰めて居た。

 ふんっ! と、2人は顔を背け合った。

「まあ、仲が良い程喧嘩すると言うしな」

 アニエスは笑い乍ら言った。

 

 

 

 ルイズは拗ねた様に窓の外を見詰める才人の横顔を、チラチラと覗いた。其れから、(何で私が怒る事ばっかりするのよ)、と苛々した。そして、(やっぱり、才人は女の子っぽい娘の方が好いんだろうか? 私はどう見ても……魅力的とは言い難い。痩せっぽちだし、素直じゃ無いし。やっぱりシエスタみたいな素直な娘の方が好いわよね。あのティファニアみたいに、凹凸がハッキリ……あれは異常だけど、してる方が好いわよね。自分が勝ってる部分って何?)と考える。

 そう考えると、ルイズの中でどうにも好かれてると云う自信が揺らいで仕舞うので在った。そして、「言葉で幾ら“好きだ”と言われても態度が逆じゃない、嘘ばっかり!」と文句を言いたいルイズで在るのだが、口には出せ無いで居た。

 言ったら、其れがホントの事に……口だけで「好き」と言われて居る、と云う事が現実に成って仕舞う様な気がして……ルイズは何も言えずに唇を噛んだ。



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シュヴァリエの称号

 “王宮”の執務室で、アンリエッタは客人の到着を待ち侘びて居た。

 此の時のために、今日は午後の予定を全てキャンセルしたので在る。連日激務が続いて居た事も在って枢機卿で在るマザリーニも其れを案じてだろう、小言は言わなかった。

 財宝は疎か、本当に家具迄売り払って仕舞ったために、執務室の中はガランとして仕舞って居る。流石に机の1個もなければ書類に目を通す事も侭ならないために、街の古道具屋で買い求めて来た古木瓜た欅の机が置いて在る。

 他には書架が1個、部屋の片隅にポツンと置かれて居るのみで在る。冠った王冠がなければ、此の部屋に訪れた者は此処が女王の執務室で在るとは想えないで在ろう。

「“ラ・ロシェール”迄、“竜籠”を回したと云うのに……」

 机に物憂げな様子で肘を突き、アンリエッタは呟く。

 入り口に控えた衛士に、「未だですか?」、とアンリエッタは尋ねた。

 アンリエッタは先程から、同じ質問を何度も繰り返して居た。

「アニエス様は、未だ御見えになりません」

 其の度に衛士は、同じ答えを繰り返すのだ。

 アンリエッタは爪を噛んだ。幼い頃から続く癖で在った。母后依り咎められ矯正した筈で在るのだが、最近また其の癖が復活して仕舞って居るので在る。

 其の時、やっと到着したのか……衛士が呼び出しを告げた。

「“銃士隊”隊長アニエス様、“アルビオン王国”客将セイヴァー様、御一行、御到着!」

「直ぐに通して下さい」

 アンリエッタは立ち上がり、自ら俺達を迎え入れた。

「只今戻りました」

 執務室に入ったアニエスは、深く一礼をする。

 背後に控えたルイズと才人、そして俺を見て、アンリエッタは薔薇の様な笑顔を浮かべた。久し振りの、心からの笑顔で在る事が判る。

「御捜がしになられて居た、ミス・ヴァリエールの“使い魔”の少年。“アルビオン”の客将、ミス・エルディの“使い魔”の青年を御連れしました」

 緊張した顔で、才人とルイズは一礼をする。続いて、俺もまた軽く一礼。

 先に“学院”へと戻る事になったシエスタと“ラ・ロシェール”で別れ、俺達3人はアニエスと共に“竜籠”に乗って“王宮”迄遣って来たので在った。

 ガランとした、何も無い寂しい部屋で在るため、不安そうにルイズは辺りを見回す。

「ああ、家具は全て売り払って仕舞ったの。ビックリした?」

「ええ……」

「仕方が無いの。あの戦争で、国庫は空っぽに成って仕舞ったから……」

 アンリエッタは、ルイズの手を取った。

「ルイズ、私は貴女に、先ず御詫びをせねばなりません」

「姫様……」

「将軍達から……ええ、“アルビオン”侵攻軍の指揮を執った将軍達に査問を行ったのです。彼等はルイズ、貴女達に無茶な要求をした様ですね。何でも、“足止めのための殿軍”を命じたとか……申し訳有りません。私の所為です。貴女の“虚無”を積極的に使用するよう、私が命じたのです」

 激しく心を痛めた様子で、アンリエッタはルイズの手を取った。

「申し訳有りません。私は非道い女です。同仕様も無く罪深い女です。私は貴女の力を利用しようとしたのみならず、死地へと追い遣る所だったのです」

 アンリエッタの言葉を、アニエスが訂正をした。

「御言葉ですが、ラ・ヴァリエール殿の“虚無”を足止めに利用したのは将軍達で在って、陛下では在りますまい。陛下もまさか、其の様な任務に投入されるとは御想いにならなかったでしょう」

 アンリエッタは首を横に振る。

「いえ……私の責任です。私は、戦争と言うモノを甘く考えて居たのです。其の様な命令が出される事も、考慮に入れねばなりませんでした。本当に、貴女達が生きていて良かった。御免なさいルイズ。何と言って詫びれば良いのか……」

 感極まったと云った様子のアンリエッタは、ポロポロと泣き出した。

「赦して、いえ、之は、私が口にして良い言葉では在りませんね」

 そんなアンリエッタに感じ入って仕舞ったのだろう、ルイズもまた同様に涙声になって言葉を返した。

「姫様、どうぞ御気に為さら無いで下さい。此のルイズ・フランソワーズ、陛下に一身を捧げて居ります。己の死を其処には含まれて居ます。ですから……」

 才人は、(死地に赴いたのは俺達じゃんよ)と想ったが、勿論口には出さ無い。が、抱き締め合って、おいおいと泣きじゃくる2人を冷めた目で見詰めて居た。

 暫し2人は抱き合って居たが、アンリエッタに報せねばならない事を想い出したルイズが、身体を離す。

「姫様……恐ろしい事実を御耳に入れねば為りません」

「まあ!? 恐ろしいですって!? どうしましょう!? いいえ、聞かねば為りませんわね。私は全てを耳に入れねば為りません。恐ろしい事も、心を潰してしまう様な悲しい出来事も……さあ、話して下さいまし」

 ルイズはアンリエッタに語った。

 “虚無の使い魔”と名乗る、シェフィールドと云う女に襲われたと云う事。

 もう1人の“虚無の担い手”に出逢った事……。

「貴女の他にも、“虚無”の使い手が居るですって?」

 ルイズは暫し躊躇った様子を見せるが、アンリエッタにティファニアの事を語った。“ハーフエルフ”で在る事。“虚無”の“呪文”を扱えると云う事……。

「何て言う事。其の者を早く保護しなければ」

 ルイズは首を横に振った。

「彼女はヒッソリと暮らす事を望んで居ります。其の“呪文”は身を守るのに適して居るし……出来る得る事なら、斯の地でそっとしておいて上げたいと想います」

「そうね……此の地が安全とは限りませんわね……其れに、何か在れば、きっと」

 そう言ってアンリエッタは俺へと視線を寄越し、俺は首肯く。

「当然だ。無論、“アルビオン”が全力を以て保護する。彼女達をな」

「理解ってルイズ。己の物にしたい訳では無いの。唯、私は“虚無”を誰の手も触れぬ様にしておきたいだけなのです。自分の目的を利する事はもう望んで居りません」

 アンリエッタは、ルイズの“虚無”の存在が、自分に少なからず“アルビオン”進行を決意させたと云う事を理解して居た。

「理解って居て尚、力を持つと言う事は、分を超えた野望を抱き易いモノです。私は其の様な事が2度と起こらぬ様、注意する積りです。また、他人に其れをさせる積りも在りません。嗚呼、触らぬに越した事は無いわね。其の方がそう望むので在れば、そっとしておいて差し上げましょう。本当に、ええ……」

 ルイズはデルフリンガーから聞いた事をアンリエッタに告げた。

「“虚無の担い手”ですが……察するに“王家”の秘宝の数だけ……詰まり4人居ると想いますわ」

「何と言う事でしょう!? “始祖”の力を担う者が4人とは!」

「其の中には、明らかに此方に敵意を抱いて居る者も居ります」

 アンリエッタはルイズをジッと見詰めた。

「安心して、ルイズ。私が居る異常、貴女に指1本たりとも触れさせません……で、あるならば、尚更必要が在りそうですわね」

 ルイズは首を傾げた。

「必要?」

 アンリエッタは心配するな、と云う様に肩を叩いてルイズから離れると、今度は才人と俺とを見詰め、才人へと視線を固定した。

「“使い魔”さん。貴男達が、ルイズとシオンの代わりに、退却する軍を救って下さったそうね」

「え?」

「“アルビオン”の将軍とセイヴァーさんから聞いたのです。2人は全てを語って下さいました」

「まあ、其の、成り行きって言うか……セイヴァーも居て呉れたし……」

「有難う御座います。何度御礼を言っても足りません。本当に有難う御座います」

 王冠を冠った頭を、アンリエッタは何度も下げた。

 王冠が上下する所など、初めて見た才人は当然慌てた。

「そ、そんな……頭何か下げ無いで良いっすよ。女王様に頭なんか下げられたら緊張するし……」

「いえ……貴男方は“英雄”です。祖国を、“トリステイン”を救って下さった“英雄”です。貴男達が居無ければ、我が軍は全滅して居たでしょう」

 そんな風にアンリエッタは何度も頭を下げ、才人は寄り一層恐縮した様子を見せる。同時に、才人の中で、今迄感じた事の無いだろう喜びが心の底から湧き上がった事を自覚した。

 女王様に認められる、などと云う事は、“日本”に居ると先ず考えられ無い事で在るのだから。

「細やかですが、感謝の気持ちを用意しました。受け取って下さい」

 才人は、(感謝の気持ち? 何だろう? また金貨を呉れるのか? 其れとも……)、と考え、そして何時かの安宿での出来事を想い出した。

 あの夜……眼の前のアンリエッタと才人は唇を重ねたので在った。

 然しアンリエッタの飛ばして来た言葉は、才人の想像を超えて居た。

「之を受け取って下さいまし」

「紙?」

 果たして其れは、1枚の羊皮紙で在った。

 左右に“トリステイン王家”の“百合紋”花押が鎮座して居る。何らかの公式書類で在るのだろうが、なんと書かれて居るのか、此処の文字が読め無い才人には理解出来なかった。

 横から顔を出して、其の紙を覗き込んだルイズが、口と目を大きく開けた。

「“近衛騎士隊”隊長の任命状ですって!?」

「任命状?」

 事の重大さが良く呑み込めて居無い才人は、キョトンとして問い返した。

「そうです。“タルブ”での戦に始まり、過去、貴男方は非公式に何度も私を助けて下さいました。其れだけで、貴男を“貴族”にする理由は十分だと云うのに……此度は“アルビオン”での撤退をも成功に導いて下さいました。貴男が我が国に齎した貢献は、古今に類を見無い程のモノです。貴男方は、歴史に残る可き“英雄”です」

 “英雄”などとアンリエッタに言われ、才人は激しく照れた。

 尚もアンリエッタは才人を口説いた。

「“英雄”には、其の働きに見合う名誉を与えねばなりません。之は、貴男と対峙した将軍が私に言った言葉ですが……私もそう想います。御願い申し上げます、其の力を御貸し下さい。貴男は私にとって……否、“トリステイン”にとって必要な人間成のです」

 才人は漸く、VIP待遇の正体を知った。

 アニエスを使って捜索したり、“フネ”も態々寄越したのは、才人の労を労うためだけでは無いのだ。才人を、“トリステイン”にとって必要な人間だと認めたからこそ、あれだけの大きな軍艦を迎えに寄越したので在った。

「姫様、でも騎士隊の隊長って事はサイトを貴族にするって事でしょう? そんなの認められませんわ!」

 ルイズが慌てて捲し立てる。

「どうして彼を“貴族”にしてはいけないの? ルイズ」

「だって、サイトは平民だし、と言うか其の……」

「異世界から来た人間と言う事は知って居ます。以前、オスマン氏依り伺いましたから」

「そんな人間を“貴族”にして良いんですか?」

「彼に“貴族”の資格が無い、とすれば、王国中の“貴族”から領地と官職を取り上げ為ければいけなくなるでしょう。身分を問わず、有能な者は登用する。で無ければ、此の“トリステイン”に未来は無い。私は其の様に考えて居るのです」

 アンリエッタは、諭す様な口調で言った。

「そうだな」

 俺は首肯いて、そんなアンリエッタの言葉に同意の意を示す。

「でも、サイトは私の“使い魔”で……」

「ええ。勿論、其の事は変わりません。“貴族”に成れば、貴女の御手伝いも遣り易く成る筈です。違って?」

「でも、でも、私の“虚無”は秘密の筈じゃ……」

「勿論、其れは秘匿します。“使い魔”さんが、“ガンダールヴ”と云う事は、私とアニエスと学院長のオスマン氏、及び国の上層部、そして“アルビオン”の現女王で在るシオン、シオンの“使い魔”で在るセイヴァーさんしか知りません。彼は今迄通り“武器の扱いに長けた戦士”として振る舞って貰いましょう」

 そう言われては、もうルイズには反論する事が出来る筈も無かった。

「でも、俺、帰る方法を見付け為くちゃならないし……」

 と才人が弱々しく言ったが、アンリエッタは尚も喰い下がってみせる。

「帰る方法を探すにも、騎士隊の肩書は役に立ちますわ」

 才人は、(……言われてみればそうかも知れ無いな。此方の世界での身分が上がって、困る事は何1つ無いのよな)、と悩み、同時に実感した。

「御願い出来ないでしょうか? ヒラガサイト殿」

 フルネームで呼ばれ、才人は緊張した。

 才人は別に、“貴族”と云う身分、また、其れ自体に興味は無いのだ。だが……偉い人間に認められる、と云う事。其れが才人を刺激して仕舞った。アンリエッタに必要とされる事は、引いては此の国全体にとって必要とされる事とも云えるだろう。其の上、帰る方法探しも楽に成るだろう事は確かなのだから。

 また、テストで偶々良い点を取った時の心境にも似て居ると、才人は感じた。(日頃勉強何か……)、何て馬鹿にして居るのに、いざ良世、昇進…い点を取って褒められると嬉しいモノだ。そんな喜びが10倍にも、100倍にも、1,000倍にも成って才人を包んだ。

 同時に、(でも……騎士隊長だって? そんな責任有る立場なんか無理じゃないのか?)、と不安に成る。

 が、魅力は確かに有った。だが…其れは抗い難い魅力で在る。

「……ちょっと、考えさせて下さい」

 ルイズが不安気な顔で才人を見詰めた。

 アンリエッタはニッコリと笑った。

「理解りました。“近衛騎士隊”隊長就任は、決心が付いてから御願いする事にしましょう。でも、貴男の“シュヴァリエ”の称号授与は、既に各庁に触れを出してしまいました。断られたら、私は恥を掻いて仕舞う事に成ります」

 才人は困った様にルイズの方を見た。

 然しルイズもまた、何と答えれば良いのか判ら無い様子を見せて居る。

 アンリエッタは更に説得を続けた。

「ルイズの“虚無”を付け狙う担い手が他にも居る成ら尚更貴男を今迄通りにしておく訳にはいきません。名実共に騎士(シュヴァリエ)と成り、ルイズを守って頂く事に致します。其れは引いては、私をも守る事に成るのです」

 そう迄言われては仕方が無い、とルイズは首肯いた。

「理解って呉れたのね。嬉しいわ、ルイズ」

 続いて才人に向けて、アンリエッタは水色の水晶が配われた“杖”を掲げた。

「略式ですが……此の場で騎士(シュヴァリエ)叙勲を行います。跪いて下さい」

 女王としての威厳が込もったアンリエッタの其の言葉に、才人は思わずと云った様子で跪いて仕舞った。

「目を瞑って下さい」

 才人は、言われた通りに目を瞑る。そして、緊張が身体を奔り、熱い高揚が身体を包んで行く事を、才人は感じた。そして、(まさか、自分が“貴族”になるなんて……そんな事、全く想像して居なかったな)と驚きなども感じた。

「頭を伏せて」

 才人は頭を下げた。

 才人が心の準備など全く出来ぬ侭に、儀式は淡々と進んで行く。

 ズシリと、と才人の右肩に重い物が乗せられた感触を、才人は感じ取る。

 “杖”で在る。

 アンリエッタの“杖”が、才人の右肩に乗せられて居るので在る。

 祈りの言葉の様な、騎士叙勲の詔がアンリエッタの口から零れ始めた。

「我、“トリステイン”女王アンリエッタ、此の者に祝福と騎士足る資格を与えんとす。高潔成る魂の持ち主よ、比類無き勇を誇る者よ、並ぶ者無き勲し者よ、“始祖”と我と祖国に、変わらぬ忠誠を誓うか?」

 才人は当然黙って仕舞った。(参った、そんな忠誠誓えない。大事な儀式に嘘を吐いたら不味いだろう)、想ったので在ろう。

 才人のそんな気持ちに気付いたのだろう、アンリエッタはニッコリと微笑んだ。

「良いのです。貴男は他所から来た人間。心に無い忠誠は誓えませんわね。譲歩する事に致します」

「姫様」

 思わずルイズが口を開いた。

「良いのです。頼んで居るのは私なのですから。私は彼に請うて、騎士に成って頂くのです」

 アンリエッタは再び厳粛な顔と成り、言葉を続けた。

「高潔成る魂の持ち主よ。比類無き勇を誇る者よ、並ぶ者無き勲し者よ、汝の魂の在処、其の魂が欲する所に忠誠を誓いますか?」

 簡単に云えば、「自分の信じる道を行け」、と云った意味だろう。

 才人は、其の様に解釈をし、(其れ成ら問題は無いよな?)と想った。

「……誓います」

「宜しい。“始祖ブリミル”の御名に於いて、汝を騎士(シュヴァリエ)に叙する」

 アンリエッタは、才人の右肩を2度叩き、次に左肩も同様に2度叩いた。

 何ともはや呆気無く、才人は騎士に叙された。

 其の様にして叙勲式が終わった後、アンリエッタは才人を立ち上がらせた。

「之からも、此の弱い女王に、貴男の持つ力をほんの少しで良いから御貸し下さいますよう。シュヴァリエ・サイト殿」

「さて、少し良いだろうか?」

 叙勲式が終わった事で、俺は漸く口を開く。

「セイヴァーさん。申し訳有りませんでした。貴男にも、何と御礼を言えば」

「気にする必要は無い。だが、そうだな……之からもっと、気に病む様な出来事が起こるだろう。何せ、もう1つの恐ろしい事実を今から話さ為くてはならないのだから」

「其れは、一体……?」

 覚悟を決めたと云った様子で、アンリエッタは俺へと視線を向けて来る。

「“聖杯戦争”が開始された」

「“聖杯戦争”……」

「そうだ。件の、“虚無の使い魔”で在る“ミョズニトニルン”を名乗った女……其奴は、“キャスター”の“クラス”の“サーヴァント”だ」

「そう言えば……“聖杯戦争”では7人の“魔術師(メイジ)”が、7騎の“英霊”を“サーヴァント”として召喚し、使役するとか……」

 アンリエッタの想い出すかの様な言葉に、俺は首肯く。

「そうだ。人類存続を守る“抑止力”に依る“召喚”――霊長の世を救うための決戦魔術で在る“降霊儀式”――“英霊召喚”を型落ちさせたモノ……其れで居ても、人の身には過ぎた力……だからこその“令呪”……」

 皆、俺へと視線を向けて来て居る。

「なあ、セイヴァー。7騎って、確か……」

「“剣士(セイバー)”、“弓兵(アーチャー)”、“槍兵(ランサー)”、“騎乗兵(ライダー)”、“魔術師(キャスター)”、“狂戦士(バーサーカー)”、“暗殺者(アサシン)”……其れ等7騎が基本だ」

「そうだよな。でも、御前は」

「ああ、此度の“聖杯戦争”にはイレギュラーが多過ぎる」

 才人の言葉に、俺は首肯く。

「イレギュラー、とは一体何成のでしょうか?」

「先ず、“エクストラクラス”が多数“召喚”されて居ると言う事だ」

「“エクストラクラス”、ですか?」

「そうだ。先程述べた7騎士の何れにも当て嵌まら無い“クラス”の“サーヴァント”……先ずは、俺、“代替者(オルタネーター)”だ。そして」

 アンリエッタの疑問へと答え、そして才人へと視線を向ける。

「お、俺?」

「そうだ。御前もだよ。才人。“盾の英霊(シールダー)”……そして、此の前に出逢った、“復讐者(アヴェンジャー)”」

「確かに、基本の7“クラス”とは違うわね」

「そして、もう1つのイレギュラー……7騎全員が揃う前に、“聖杯戦争”が開始と成った」

 ルイズの言葉に首肯き、俺は言葉を続ける。

「まあ、“聖杯戦争”に例外は付き物だ。何も問題は無いだろう」

「現在“召喚”されて居る“サーヴァント”は6騎だと仰られましたが、何の“クラス”か判りますか?」

 アンリエッタの言葉に、首肯く。

「ああ。先ず俺、“代替舎(オルタネーター)”。“盾の英霊(シールダー)”で在る才人、“騎乗兵(ライダー)”、“魔術師(キャスター)”、 “暗殺者(アサシン)”、“復讐者(アヴェンジャー)”……」

 執務室に沈黙が訪れる。

「にしても、話は変わるが、やはりブリミルは凄い奴だな」

「何だよ、藪から棒に?」

「否、“始祖の秘宝”だったか……“聖杯”を含め、其れだけのモノを生み出したんだからな。“抑止”に依る決戦術式を参考に生み出すにしても、たった1人だけで、と言う訳では無いが其れを為し遂げてみせたんだ……そして、“虚無”……」

「“虚無”が、一体どうしたのよ?」

「原子や分子について、“神代”の人間が既に気付いて居たと云う事に驚きだ。更には、其れを操作する術を持って居たと言うのだからな……否、“神代”だからこそ、か……」

 

 

 

 旅の疲れを癒やす為に、ルイズと才人は王宮に一泊した。

 疲れて居た事も在って、2人ともグッスリと眠ってしまった。

 2人の去り際にアンリエッタは、残る2国――“ガリア”と“ロマリア”の“虚無”の担い手についてと、2人に対して危害を加えようとしたのは誰成のか、“召喚”された“サーヴァント”は何処に居て誰に仕えて居るのか、などの調査を開始すると告げた。何か判り次第、報告するとも。

 其れで才人とルイズは取り敢えずの安心は出来た。1国がバックに付けばそうそう襲っては来無いだろう、と。おまけに、普段過ごすのは“魔法学院”。謂わば“メイジ”の巣で在り、“虚無”の担い手で在ろうとも、手に余る相手達で在るのだから。

 翌朝、“トリステイン学院”に戻る為の“竜籠”の中、才人はアンリエッタから与えられたマントを、矯めつ眇めつして居た。

 黒字のビロードの上、小さく百合紋が配われ、胸元に“トリステイン”での“シュヴァリエ”の称号を表す、銀色の五芒星が踊って居る。

 其れを見た送迎役のアニエスが呟く。

「纏ってみろ」

 才人は首肯くと、其のマントを羽織った。

 着たっ切りでボロボロと成って仕舞ったパーカーとのギャップが激しいと云えるだろう。

 才人は、(そろそろ新しい服が欲しい、と想って居たけど……まさか其れが“ハルケギニア”の“貴族”の象徴に成るとは想わなかったな)と云った様子を見せる。

「中々似合うじゃ成いか」

 生徒の出世を喜ぶ教師の声で、アニエスが言った。

 然し、隣に座ったルイズは外方を向いて才人の方を見ようともし無い。

「シュヴァリエだってよ。どうしよう?」

 少し弾んだ声で才人は言うのだが、ルイズは横を向いた侭で在る。

「何だよ御前、之で色々遣り易く成ったんだろうが」

 ルイズは唇を尖らせて、(全く……何でシュヴァリエ何かに成ってるのよ? 私言ったじゃない。あんたの帰る方法之から探そうと想ってたって。肩書何か着いちゃったら、此方に未練が出来ちゃうでしょ?)と心の中で呟く。

「兎に角、之でやっと対等だな。ルイズ」

 ニッコリと笑ってそんな事を言われ、ルイズはカチンと来て仕舞った。

「はぁ? 誰が対等ですって? 言っときますけどね、シュヴァリエとラ・ヴァリエール家じゃ、同じ“貴族”でも蜥蜴と“ドラゴン”程も違うの。精々無視が蜥蜴に成った位で、調子に乗ら無いでよね!」

 才人はムッとして横を向いた。

 ルイズは、はぁ……と溜息を吐いた。抱える気持ちとは裏腹で在り、ふと湧いて出たモノを口にして仕舞ったのだから。(サイトの帰る方法を探して上げたい)、と想った筈で在るのだが……才人がシュヴァリエに成ると聞いた瞬間喜びが込み上げて来たので在る。(シュヴァリエが相手だったら、公爵足る自分の父も、多少は仲を認めて呉れるかも知れ無い)、などと想ったので在る。

 ルイズはブルブルと首を横に振った。(帰る方法を探す、と決めたのに、私嬉しいってどう云う事? 自分の決心を曲げる様な気持ちは駄目でしょう)、と妙に生真面目なルイズは自分が赦せ無く成って仕舞ったので在った。

 そんな風にルイズが良心と闘って居ると云うにも関わらず、才人は暢気な調子でマントを羽織って喜んで居る。

 ルイズは、(人の気も知ら無いで……)、と唇を噛んだ。

 また、其れとは別に、何だか上手く表現の出来無い不安な気持ちも有ったのだ。(シュヴァリエなんかに成って仕舞ったら……今選り女の子が寄って来るのでは成いかしら? あのメイド選り強力なライバルが現れるとも限ら無いわ。私はそんなライバルに勝てるの? 女の子としての魅力はゼロの自分に、“使い魔”を惹き付けておく魅力は有るのかしら?)、と云ったそんな不安や、自分を責める気持ちが重なった結果、先程のトゲトゲしい言葉が出て仕舞ったので在ったのだが……勿論才人はそんなルイズの心には気付か無い様子を見せて居る。

 ルイズは、(全く少しは私の気持ちも理解ってよね)、と溜息を吐くので在った。

 

 

 

 “竜籠”は1時間程の飛行で“トリステイン魔法学院”へと到着した。

 五芒星の形に並ぶ塔を見た時、才人の中に懐かしさが込み上げて来た。

 其れはルイズも同様で在り、2人は少しばかりジンワリとした目で、“魔法学院”を見詰めた。

 なんとなく、故郷に帰って来た気分に似て居ると云えるだろうか。

 才人は、(此処は故郷何かじゃ無く異世界成のに……)、とそんな気分を不思議に想った。

 “竜籠”が“アウストリの広場”に降り立つと、何十人もの生徒が駆け寄って来た。

 何だ何だと才人が身構えると、先頭に居た金髪の少年がやおら大声で叫んだ。

「サイト! 生きて居たんだな! 良かった!」

 ギーシュで在る。

「――うわっぷ!? な、何々だ!?」

「昨日、“王宮”から“学院”に連絡が在ったんだよ」

 ギーシュの隣で、ニコニコして居るのはマリコルヌで在った。

「“王宮”から?」

「ああ。君達が生きて居るってね」

「其れに……君達があの110,000の“アルビオン”軍を止めたって言うじゃないか!」

 興奮して居るギーシュが捲し立てる。

 どうやら、アンリエッタは其の様な事迄きちんと報せたらしい。

「此処に集まった奴等は、“アルビオン戦役”に学生士官として参加して、君達の御蔭で救かった連中だよ」

 生徒達は、口々に才人に礼を言った。

「僕の隊は、“フネ”に乗るのにもたついてたんだ。君達が止めて呉れ無かったら、どう成って居た事か!」

「君達は命の恩人だよ! ホントの事言うと、もう駄目だと想ってた」

 数十人もの“貴族”生徒達に取り囲まれ、才人は居心地が悪く成って仕舞った。こんな風に感謝される事に慣れて居らず、照れ臭いので在る。

 ギーシュは、澄ました顔で言った。

「でも僕は……信じて居たけどね。君が生きて居るってね」

「死んだと想って銅像造ってたじゃ成いの」

 人混みの中からモンモランシーが出て来て言った。

「無事だったのね。良かったじゃ成い。ルイズが“絶対生きてる!” って言った時は、可怪しく成ったと想ってたけど」

 モンモランシーは才人の羽織ったマントに気付いた。其れから胸の紋をマジマジと見詰める。

「シュヴァリエの称号じゃ成いの!?」

「何だってぇ!?」

 ギーシュも驚いて、マントに縫い付けられた銀色の五芒星を見詰めた。

「ホントだ! 凄いじゃ成いか! 皆! 見て呉れ! サイトがシュヴァリエだぞ!」

 おおーッ! と歓声が湧いた。

「いやぁ、君はいつか遣ると想って居たよ。何せ僕の“ゴーレム”を、追い詰めた男だからね」

「追い詰めた? あんた負けたじゃ成いの」

 モンモランシーに冷たい声で言われ、ギーシュは首を振った。

「そうかも知れ無い。あんまり良く覚えて無いんだ。あっはっは!」

 騒がしい中、才人はと或る事を想い出した。

「そうだ! 先生に御礼と報告し為きゃ!」

 才人は、(未だ“ヴュンセンタール号”に積みっ放しで在る“ゼロ戦”に、秘密兵器を付けてれたコルベールに御礼を言わねば為らない。あの秘密兵器と遣らの御蔭で、上陸作戦は成功したんだし。其れに、出世を報告したい。コルベール先生成ら、喜んで呉れるかも知れ無いな)、と考えたので在った。

「先生は?」

「先生?」

 ギーシュがキョトンとした。

「コルベール先生だよ」

 集まった生徒達は一斉にシーンと静まり返って仕舞った。

 気不味そうにギーシュは、モンモランシーと顔を見合わせる。

「な、何だよ?」

 其の雰囲気に妙な匂いを感じ、才人は訊ねた。

「あ、明日にし為いかね? 今日は君達も疲れてるだろう」

「そうね。そうした方が良いわね」

「何が在ったんだよ?」

「せめて明日に……」

 才人はギーシュの肩を掴んで言った。

「おい!」

 

 

 

 “火の塔”の側に建てられたコルベールの研究室で、才人はジッと椅子に座って居た。

 身動ぎ1つも為無い。

 ……唯、時折身体を震わせるのみで在る。

 其の後ろに、心配そうな顔のギーシュとモンモランシーが立って居る。マリコルヌの姿も見えた。

 主が居無く成って数ヶ月が経った研究室には薄っすらと誇りが積もってしまって居る。中が雲ったビーカーを取り上げて。才人は呟いた。

「ホント何だな」

 モンモランシーが沈んだ声で説明した。

「“学院”が賊に襲われて……私達を救ける為に立ち向かって……臆病って言って、私達が馬鹿にしてたのに……」

 ギーシュが、ソッとモンモランシーの肩を抱いた。2人は寄り添う様子にして出て行った。

 マリコルヌも静かに其の後を追った。

 才人はジッとビーカーを見詰めて、呟いた。

「俺……姫様にシュヴァリエに成れって言われた時……嬉しかったんだ。何かさ、認められた気がして……昔、“日本”に居た時はそんな事無かったからさ。偉い人に褒められたり、認められたりした事何て無かったから。だから、嬉しかった。先生も、俺の事認めて呉れたよな。真面目に話 だって聞いて呉れた。俺、其れが嬉しかったよ。平民だ何だって、訳も理解らずに馬鹿にされてたから……嬉しかった。先生位だったよ。此の“学院”の“貴族”で、俺に対等に接して呉れたのは……」

 才人の目から、涙が溢れ出た。

 涙は頬を伝い、顎からポタポタと垂れた。

「先生、俺、騎士だってよ。シュヴァリエだってよ。笑っちゃうよな。褒めてよ先生、良く遣ったって言って呉れよ」

 才人は泣き乍ら、何度も呟いた。

「……俺、先生に褒めて欲しかったよ」

 

 

 

 ルイズは入り口から、そんな才人を見詰めて居た。

 近寄ろうとしたのだが……思わず足が止まって仕舞うので在る。

(何と言って、慰めれば良いの?)

 コルベールと才人が、世界とか立場などを超えて、仲良くして居た事をルイズは想い出す。

 才人にとって、数少ない……心を許せる人物だった事は明白だろう。

(そんな人間を失った才人を、何と言って慰めれば良いんだろう?)

 ルイズは目を瞑った。

 コルベールは死んだ事と同じ位、悲しみに浸る才人を見詰める事が、ルイズにとっては哀しい事で在るのだった。

 

 

 

 

 

 夜も更けた頃……才人は部屋に戻って来た。

 才人を見て居る事に耐えられず、先に部屋へと戻って居たルイズは、ベッドから顔を出した。

 才人は無言で椅子に腰掛ける。

 やはり……先程と同様に何と声を掛ければ良いのか判らず、ルイズはジッと才人の様子を見守って居た。

 泣き腫らした目を擦り、才人は口を開いた。

 独り言の様な呟きで在る。

「……先生、何時か言ってたな。“私は、火の力で皆を幸せにしたい”って。先生は、きっと自分の出来る事を一生懸命に遣ろうとしてたんだよな」

「…………」

「俺も……遣ってみようと想うんだ。勿論、俺と先生は違う。俺は“魔法”は使え無いし……“何な武器をも扱える”って事しか出来無いけど……そんな俺にも出来る事がきっと在ると想う。此方の世界で、何か出来る事が成いのか? って。なん吐ーかさ、俺には力が有るだろ? 其の力を何かの為に……変な言い方だけど、大きな事のために使ってみたく成った」

「…………」

「じゃ無いと、元の世界に帰った時に後悔するんじゃ成いかって。勿論御前の事は守るし、御前が大事にしてる姫様やシオン達の事も守る。其の上で、何か俺に出来る事は成いか? って。そう想うんだ……俺、騎士隊の隊長と遣らを遣ってみるよ。良いだろう?」

 ルイズは、首肯いた。

 

 

 

 ベッドの中で、ルイズの思考はグルグルと当て所無く巡って居た。

 ルイズは才人のために帰る方法を見付けて上げようと想って居たのだが…才人はシュヴァリエに成って仕舞い、引いては騎士隊長に成ると言って居る。

 詰まり才人は、此方の世界で居場所を見付けようとして居るのだ。

(其れはサイトにとって幸せな事成のかしら? 良く理解ら無いわ。私が変りつつ在る様に、サイトも変わりつつ在るのよね? 其れが良い事成のかどうか良く理解ら無いわ。正直サイトがシュヴァリエに成る事には反対ね。身分在る地位と言うモノは、其れ成りの義務を要求されるもの。其れにサイトが耐えられるのかしら?)

 コルベールの事を想い出したのだろう、才人は再び泣き始めて仕舞った。

 ルイズは、(私ってば駄目ね。こんなにもサイトが悲しんで居るのに……マトモに慰める事すら出来やしないわ)、と己の無力さを恥じた。

 劣等感が、ジンワリとルイズの心を包んで行く。

(私、“虚無の担い手”の癖に……“伝説の系統”の持ち主の癖に結局肝心な事は何1つ出来無いんじゃ成いの? 若しかして、此方の世界で才人の力に成って遣れるのは、私じゃ無いんじゃ成いかしら?)

 そう迄想って仕舞うので在った。

 ブルンブルンと首を横に振り、ルイズは顔を上げた。

 そして、(何自信失してんのよ。次は私が才人の為に何かして上げる番じゃ成い)、と自分に言い聞かせる。

 ……だが、どうすれば良いのか判ら無い。

 ルイズは夜空を見上げた。

 寄り添う2つの月が、2人を慰めるかの様に、部屋の中に優しい光を送り続けて居た。

 

 

 

 

 

「浮か無い顔だな、シオン」

「うん……」

 “ハヴィランド宮殿”に在る執務室にて、シオンは無数とでも云える程の数――山の様に積まれた書類と格闘をして居る。

 其の隣で、俺は其の補佐及び補助をして居るのだが。

「駄目だな。“王様がそんな不景気な顔をするものじゃ無い。皆を不安にさせるのは、暴君の与える恐怖以上のモノだから”な」

「だって、之程の数だよ? 明日の早朝迄には終わらせて置か為いと」

「確かにそうだ。だが、急いては事を仕損じる。急がば回れだ」

「ねえ、セイヴァー……王様って、何々だろう?」

「“王とはな、誰選りも強欲に、誰選りも豪笑し、誰選りも激怒する、清濁含めてヒトの臨界を極めた者。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。1人1人の民革の心に、我もまた王足らん、と憧憬の灯が燈る”」

「其れって……?」

「俺と才人の居た“地球”の“英雄”、“征服王イスカンダル”の言葉だよ。“王とは、誰選りも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉”でも在る」

「そっか……」

「そうとも。“全ての勇者の羨望を束ね、其の道標として立つ者こそが、王。故に、王は孤高に非ず。其の偉志は、全ての臣民の志の総算足るが故に”、ってね」

 ペラペラと紙を捲る音、呼吸音が執務室に響く。

 シオンは感銘を受けた様子を見せ乍ら、尚も作業を止める事は無い。

「まあ、そう言う事だから。でも、王としての在り方何て、其人次第……自分自身で見付けて行くモノだろうね、きっと。だから、そんなに考える事も、気にする事も無いと想うがな」

「そうかな?」

「そうだとも。君は君らしく、有りの儘で居れば其れで十分過ぎる。まあ、肩の力を抜いて、難しく考えずに、適当にね。ああ、其れと……円卓の方、少しばかり貰うから。代用品は確りと用意して在るから大丈夫だ」



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水精霊騎士隊(オンディーヌ)

 晴れて“貴族”に成った才人で在ったのだが、生活は大して変わら無かったと云えるだろう。

 シュヴァリエの称号には年金が付いた為に、金回りは多少良く成りはしたのだが、生活がガラリと変わる程でも無い。

 “トリステイン”での1人当たりの生活費は、場所に依っても違うのだが年間120“エキュー”程度で在ると云えるだろう。才人が貰う事に成った年金の額は500“エキュー”程で在る。平民の1家4人がまあ、不自由無く暮らせる額で在る。領地を持たない、下級“貴族”の収入は其れくらいのモノで在る。

 年金は12頭分した額を月初めに財務庁から支給される形と成って居る。よって才人は毎月シュヴァリエの任命状を持って、俸給や年金を受け取ろうとする下級“貴族”でごった返す、“トリスタニア”の財務庁のカウンターに並ぶ事に成ったので在った。

 住む場所も変わら無い。相変わらず、ルイズの部屋で在る。借りようと想えば“学院”の空いて居る部屋も借りられたのだが、ルイズが嫌がったのだ。「余計な御金使う事無いじゃ成い」、とルイズは言ったのだ。

 取り敢えず、騎士隊に勤務する成ら絶対必要だとのルイズの勧めに従い、才人は年金を前借りして馬を1頭買ったので在った。

 葦毛の、艶々とした毛並みをした中々の軍馬で在ると云えるだろう。

 ルイズからの「良い乗り手は馬よりも馬具に拘る」と云うアドバイスに従い、馬具も其れ成りのモノを買ったので在った。

 其の2つに依って年金が殆ど吹っ飛んでしまったのだが、面倒臭いと云う理由やルイズが怒るだろうと云う理由から、彼女の言う通りに才人は渋々と馬と馬具を買ったので在った。

 だが、釈然としなかったために、才人は最初、其の馬にルイズと名前を付けたので在った。

「ルイズ。人参が欲しかったらヒヒーンと鳴け」

 また、ルイズの口真似をし乍らの、「やあルイズ。今日は遠乗りするけど、確り走れよ。モタモタし遣がったら、御仕置きだかんね! 理解ってんの!?」、と云ったモノを始めとした小さな鬱憤晴らしを少しの間して居たが、直ぐにバレて仕舞った。

「馬にルイズって名前付けるの禁止」

 顔が2倍に腫れ上がる位にルイズに殴られて仕舞い、才人は馬の名前を変えた。

 そして余った御金で、“ヴュンセンタール号”から下ろした“ゼロ戦”を置く為に、格納庫……板と木で守るだけで在るが、をコルベールの研究室の隣に造ったので在った。

 コルベールの御墓参りをしたいと想った才人だが、身寄りの無かったコルベールの遺体はキュルケが実家に連れて一緒に行って仕舞って居る。タバサも同行したとの事で在る。其の為、才人は(どうしてキュルケがそんな事したのか理由が判ら無いけど、取り敢えず彼女が“ゲルマニア”から帰って来たら、御墓の場所を訊いて、何時か訪ねよう)、と想ったので在った。

 

 

 

 

 

 さてさて、行き成り“貴族”に成って仕舞ったルイズの“使い魔”に対する、“魔法学院”の人達の反応は様々で在る。

 学院長のオスマンは当然喜んだ。「此方の世界に骨を埋める覚悟が出来た様じゃな」、と目を細めたので在る。そう云う積りでは無い、と説明すると、「未だそんな事を言うのは嫁さんが居ない所為だ」と言い出し、「“貴族”に成った記念に結婚して身を固めろ。儂の姪はどうじゃな? 4度結婚に失敗して40を過ぎて居るが器量はそこそこじゃ」、と言い出した為に、才人は逃げ出す羽目に成った。

 “赤土のシュヴルーズ”は、「まぁ」、と目を細めて喜んだ。「ミス・ヴァリエールも之で鼻が高いですわね」、と感想を漏らしたので在った。「では、貴男も此処で授業を受けるのですか? 受ける成ら此の本と此の本とあの本を買い為さい。高いけど役に立ちますから絶対だから」、と教科書として使って居る自著を勧め出したので、才人はまたも逃げ出す羽目に成って仕舞った。

 さて、教師で喜んだ様子を見せたのは其の2人位なモノで在り、他の先生は余り快く想って居無い様子で在った。今迄通り、才人を空気の様に無視したので在る。擦れ違い様に、「成り上がりが」と呟く教師も居る始末で在る。

 生徒達の反応もまた様々で在った。

 平民上がりと馬鹿にする者、内心良くは想って居無いだろうが戦果に恐れを為して近付か無い者、無関心な者……。

 やはり擦れ違い様に「平民の癖に」や「調子に乗り遣がって」などと云ったやっかみ半分の呟きが聞こ得て来る時も在った。そして、(生徒が相手成らまあ良かろう)と、才人はそんな事を言われる度に決闘を吹っ掛けるので在った。

 才人の事を、(まぁ、精々ギーシュを遣っ付けた程度だろう)、(110,000を止めたのだって何かの間違いだよ)と云った風に舐めて居た生徒達は、自身の身体で認識を改める事に成った。

 “ヴェストリの広場”で続け様に3人程ボコってみせると、擦れ違い様に悪口を言われる事も無く成ったのだから。

 

 

 

 

 

 才人が“貴族”に成って2週間後……。

 朝靄の中、“ヴェストリの広場”に、1人、1人、と生徒が現れた。何れも、“アルビオン戦役”に参加した生徒達で在る。

 彼等は軽く緊張した面持ちで、自分達の眼の前に立った2人を見詰めた。

 黒いマントに身を包んだギーシュと、才人で在る。

 ギーシュは緊張をして居るのだろう、カチンコチンと云った風に強張って居る。

 才人はそんなギーシュの肘を突く。

「な、何だね?」

「御前、隊長だろうが。ちゃんと挨拶しろよ」

「うう……」

 ギーシュは呻いた。

「何だよ?」

「い、胃が痛い……」

 集まった生徒達が爆笑した。

「……確りして呉れよ」

 と溜息混じりに才人が言えば、「やっぱり、君が隊長に成った方が良かったんじゃ成いかね? “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の隊長何か僕には荷が重過ぎる」と困った顔でギーシュが言った。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”。

 アンリエッタの肝いりで此の近衛隊が作られたのは、才人とルイズが“魔法学院”に帰って来た日の3日後の事で在る。

 決心して直ぐに、才人はアンリエッタの元に赴き、騎士隊長に就任する事を告げたので在った。するとアンリエッタは、騎士隊を新たに作ると言い出し、本当に実行したので在った。

 過去に存在した栄光を纏いし、伝説の近衛隊で在った。“トリステイン王家”と縁の深い“水の精霊”の名前が冠された其の騎士隊が創設されたのは1,000年以上前にも遡るとされて居る。

 然し、数百年前の政紛の際に廃止されて、現在に至って居たのだが……アンリエッタが其の名前を拾い上げたので在った。

「由緒がどうした。気にしたって切りが無えだろ」

 才人はギーシュに言った。

 ギーシュ達にしてみれば伝説の騎士隊の名前で在るのだろうが、才人にとっては想い入れも畏怖も憧れも無いのだ。

「で、でもな……流石に僕が其の、伝説の騎士隊の隊長と言うのは、うーむ……」

 ギーシュは目を白黒させて居る。

 初めは才人は、「隊長は自分が遣ろう」と想って居たのだが……「平民上がリが行き成り隊長に成って仕舞っては相当に風当たりが強いぞ」と云う、アニエスの話を聞いて、断念したので在った。要らぬ嫉妬は買いたく無いのだから。

 結局ルイズと相談し、取り敢えず隊長にはギーシュを押して、当面の間、才人は副隊長で良い、と云う事に成ったので在った。

 アンリエッタは隊長にしたい様子で在ったのだが、やはり才人では此方の世界のルールも良く知らず、当然乍ら“メイジ”では無い、また、公には出来ないが異世界で在る“地球”出身の人間で在る。

 ギーシュだって、“シティオブサウスゴータ”で手柄を上げ、勲章を貰った事も在る。其れに父親は元帥で在るのだ。人柄と実力と経験は兎も角として、家柄と戦果は騎士隊隊長としては申し分無いので在る。

「おいギーシュ! サイト! 何時に成ったら訓練を始めるんだよ!? 毎朝グダグダじゃ成いか!」

 モタモタして居る2人に、騎士隊の隊員に成った生徒達が叫んだ。

 其の面々を見れば判る様に、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”は“魔法学院”の生徒達で構成されて居る。アンリエッタは“魔法衛士隊”、“銃士隊”に続く3個目の近衛騎士隊を、世間や宮廷の派閥の色が着いて居無い少年達で固めたので在った。

「ほら、御前が、モタモタしてるから文句言われたじゃねーか」

 才人がギーシュの頬を突き乍ら言った。

 ギーシュもまた負けじと言い返す。

「君がうだうだ文句ばっかり付けるからじゃ成いのかね!?」

「御前が情け無いからだろうが!」

「だから隊長は君が遣れって言ったじゃ成いか!」

 2人はギリギリと睨み合う。

 才人はフッと顔を背けると、小馬鹿にした調子で言い放った。

「……ったく、そんなだからモンモンに赦して貰え無えんだよ」

 瞬間、当然ギーシュは切れた。

「モンモンとの事は君にかんけぇえええ無いだろぉおおおおおおッ!」

 半泣きでギーシュは“杖”を引き抜く。

「面白え。そう言や御前にゃ、あん時の腕の借りを返して無かったな」

 才人は、唸り声を上げてデルフリンガーに手を掛けた。

 左手甲の“ルーン”が光る。

 ギーシュは、(そう言やシュヴァリエ・サイトは110,000を止めた男の1人だ。“武器”を握られては勝ち目が無いじゃ成いかね)と云った様に、ハッとして“杖”を仕舞うと、拳を握り締めた。

「君は“魔法”を使え無いから、仕方無い! 素手で相手して遣る!」

 才人はデルフリンガーから手を離すと、ギーシュに跳び掛かった。

 集まった生徒達は、もう大喜びと云った様子を見せる。

「遣っちまえ! 生意気な平民を懲ら締めろ! ギーシュ!」

「おいサイト! 自意識過剰なギーシュに御灸を据えて遣って呉れよ!」

「――ん!?」

 だが、其処で、才人はギーシュと睨み合い乍ら、動きを止め、辺りへと注意を払い始める。

「どうしたんだよ? サイト」

「何か、来る……」

「何かって何だよ!? 何処から来って言うんだよ? 何処にも見当たら無いじゃ成いか!」

 動きを止めた才人を見て、皆、才人が臆したと想ったのだろう、小馬鹿にした様子を見せる。

「――上だ!!」

 そんな生徒達や騎士隊の隊員達を他所に、違和感の接近に気付き、才人は其れの発信源で在るモノへと視線を向ける。

 連られて皆も上を見上げた。

「――アーラララララーイ!」

 2頭の“飛蹄雷牛(ゴッド・ブル)”が牽引する“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”が地上へと、雷を伴って、降り立つ。

 皆呆然として、此方へと視線を向けて来て居る。

「お、御前は……」

「ふむ、久しいな。皆、元気そうで何選り」

 御者台に居る俺とシオンを見て、皆驚愕した様子を見せる。

「セイヴァー!? 其れにシオンも!?」

「1国の女王がどうして此処に!?」

「どうしてって、私未だ生徒だよ? 生徒が学校に通うのは当然だよね」

 1人の生徒の質問に対して、事も無げにシオンは言葉を返した。

「でも、“女王だから”って、此の前……」

「“今は”、って言った筈だよ?」

 才人の言葉に、シオンは悪戯っ娘の様な笑みを浮かべて答える。

「だけど君、女王としての仕事は大変だろ? アンリエッタ女王陛下だって」

ホーキンス(信頼出来る人)に任せてるから。其れに、何か重要な事が在れば、直ぐに戻る事も出来るしね」

 シオンはギーシュ達の疑問に答えた後、御者台から跳び降り、此の場から去って行った。

「さて、何やら楽しそうな事をして居た様だが」

「な、なあ、セイヴァー……久し振りに逢って直ぐになんだが……」

「どうした?」

「隊長を交代して呉れ!」

 泣き付いて来るギーシュに、俺は静かに、出来得る限り諭す様にして言う。

「其れは出来無い」

「どうして?」

「何せ、此の身は“使い魔(サーヴァント)”。そして、既に“アルビオン”所属だ。“トリステイン”の部隊に入る事は出来無い」

「うぅ~~~」

「さて、才人。1本、どうだね?」

 唸りを上げるギーシュを他所に、俺は才人へと視線を向ける。

「1本って?」

「組手、みたいたモノだ。試しに、互いに全力を以て、打つかってみる。どうだ?」

「ああ……構わ無い、けど……」

 才人はそう言って、背に背負って居るデルフリンガーの柄を掴む。

 才人の左手甲に在る“ガンダールヴ”の“ルーン”が一際大きく、眩く光り出す。

「何だ、鎧は纏わ無いのか? 先代の力とかも使える筈だがな……」

「俺は之で構わ無い。で、そっちはどう何だ? セイヴァー」

「そうだな」

 俺はそう言って、自身の“魔力”を編み上げ、鎧と為す。

「其れって……」

「綺麗……」

 至る所から、俺が纏って居る鎧に関する感想が溢れる。

 黒を基調とし、エングレービングは施された鎧だ。至る所には、銀河を模した色取り取りの宝石が鏤められて居る。

 綺麗と云う選りも神秘的、荘厳、幻想的……などと云った言葉が似合うだろうか。

「其れが、御前の“宝具”成のか? セイヴァー」

「ああ、そうだ。“宝具”の1つだ。否、“宝具”に成るだろうモノの1つだと言った方が正確だろうな。そして……」

 俺は1つの武器を“投影”する。

 “乖離剣エア”同様に、刀身が3つの黒い石版で構成され、其々別方向に回転為続け、大きく金色と赤色の装飾が為された柄を持つ剣。そして、柄尻の部分を始め、刀身には何かしらの変形機構が有るだろう事が一目で判る。

 其れを2振り、“投影”する。

「“乖離剣エア”、そして“終末剣エンキ”……其々、“メソポタミア神話”や“シュメール神話”、“アッカド神話”、“バビロニア神話”、“アッシリア神話”、“アッカド神話”の神の名前から来て居るからな……俺も其れに因んで名付けようか……“地底の淡水の海”――“アプスー”、そして“世界と人間の創造主”――“マルドゥク”……“乖双弓槍剣アヴルドゥク”と言った所か……」

「なあ、俺って“サーヴァント”に成ったんだよな? なら、“宝具”も有るよな?」

「ああ、そうだな」

「だけどよ、俺が持ってる筈の“宝具”が何なのか判らないんだよ。俺の“宝具”って何々だろう?」

「デルフリンガーと、“ガンダールヴ”としての力だろうさ。だがまあ、“真名解放”は出来ないだろうがな」

「此奴があ……?」

「悪かったな」

 明ら様にガッカリとした様子を見せる才人に、デルフリンガーは不貞腐れた様に言った。

「何で“真名解放”が出来ないんだよ?」

「本来“宝具”は、“貴い幻想(ノウブル・ファンタズム)”だ。人間の幻想を骨子に作り上げられた武装と言っても良いだろう。“英霊”が持つ、彼等彼女等が生前に築き上げた伝説の象徴、逸話や伝説、或いは真に存在した武器道具其の物を基盤として誕生したモノ。まあ有り体に言えば、伝説を形にした物質化した奇跡だ。故に、其の生を全うする必要が在るとも言い換える事が出来るかも知れ無い。まあ、其れでも“デミ・サーヴァント”とかみたいな例外は在るのだがな……」

「其れじゃあ、御前はどうなんだよ? 御前は“転生”して、今此処に生きてるんだろ? なのに、あれだけの“宝具”、“真名解放”してるじゃねえか」

「あれはズルをして居るだけだ。俺の所有する“スキル”の話に成るが……“代替者”、“根源接続”、“戦果総般”……そして、“宝具”……其れ等を組み合わせて出来る反則技さ。基本、先程も言ったが、“宝具”は其の“英霊”の生涯築き上げたモノと言い換える事も出来る。俺は其れを横から撃ん盗って居るとも言える。彼等からすると、盗人の様な存在(モノ)さ、俺は」

「そ、そう成のか……?」

「そうだ。まあそう言う事だ。話は終わりか? 其れじゃあ、試合を開始しようか」

 

 

 

 

 

 一瞬の静寂の後に目で追う事すらも難しい速度での試合を始めた俺と才人を、少し離れたベンチで見守る3人の少女が居た。ルイズとモンモランシー、そしてシオンで在る。

 ルイズとモンモランシーは、何と無く、毎日こう遣って朝食前の才人達の訓練風景を眺めて居るので在った。

「全く。戦争の次は騎士ごっこかぁ、何て想ってたら、今度は喧嘩だわよ。男の子って、ホント、どう仕様も無いのね」

 呆れた声でモンモランシーが言った。

 ルイズはと云えば、先程から妙に苛々した様子を見せ乍ら何かをして居る、

「……あんたは、何してんの?」

 少し怒ったかの様な声で、ルイズは言った。

「繕い物」

 成る程、見れば其れは才人が着て居たTシャツで在った。穴が至る所に空いて居り、ルイズは其れをどうにかして直そうと四苦八苦して居るので在った。然し……どうにも不器用で在る為か、糸が複雑に絡まり合い、穴を塞ぐ処か逆に広げて仕舞って居る。

「悲惨な事に成ってない?」

「うっさいわね」

「繕い物なんか、メイドにでも頼めば良いじゃない」

「良いの。私が遣るの」

 ルイズはむ~~~、と唸り乍ら、再びシャツを繕い始めた。

「ルイズ。あんた変わったわね」

「どうしてよ?」

「否……破れた男の子のシャツを繕って上げるなんて……やっぱ恋すると女って変わるのかしら」

 モンモランシーの言葉に、シオンは同意するかの様に首肯く。

 ルイズは顔を真っ赤にし、慌てて顔を上げた。

「こ、恋なんかじゃ無いもももももん! ぼ、ボロボロで、か、かか、可哀想だから縫って上げてるだけだもん!」

「そんなにムキに成らないでよ。自分で認めてる様なモンよ」

「ホントは遣りたくないの! あー、面倒臭い! もう!」

 と言いつつ、ルイズは一生懸命に針を動かす。

 そんなルイズを、シオンは柔らかな笑みを浮かべて見やった。

 ルイズは、(騎士隊に夢中に成って居るサイトを何とか応援して上げよう)と、そんな風に想ったので在った。だが、(私は騎士隊員じゃ無いし……何が出来るか考えてみても、良く判ら無いわ)と考え、取り敢えずと云った風にシャツなどを繕って上げて居たので在る。

 才人と来ると馬鹿みたいに夢中に成った様子で、騎士隊の編成と訓練に励み始めたので在る。其の為に、授業が終わると直ぐに稽古。クタクタに成って部屋に帰って来る成り、ぐあーと寝て仕舞うのだ。朝は朝で、此の様に早朝から騎士見習いの生徒達を集めて、剣を振り回したり、“魔法”を一斉に撃つ練習を為たり、組手を為たりで大忙し成ので在る。

 ルイズの事などまるっきり放ったらかしと云った風で在る。と云うよりも、「御前の協力など要らん」と云った態度で在る。

 其れはまあ、ルイズは騎士隊の一員では無いのだから、しょうが無い事かも知れ無いだろう。

 はふぅ、とルイズは小さく溜息を吐いた。

 才人を上手く慰める事も出来無いし、協力も出来無い。そう想って仕舞うと、ルイズの中で増々自信が揺らいで行くので在った。

 そうしてルイズが(やっぱり私は駄目なのかしら……?)と鈍よりとして居ると、“水”の担い手の鋭さ、そして元来の他者の機敏に関する察しの良さからか、ルイズのそんな切なさに気付いたのだろう、モンモランシーとシオンは目を細める。

 シオンとモンモランシーは、一瞬互いに見詰め合い、そしてモンモランシーが口を開いた。

「なぁに? 元気無いじゃないの? まぁ、恋人が自分を放ったらかして他の事に夢中に成ってたら元気も失くなるわよね」

「はぁ? 何言ってんのよ。誰が恋人よ。止めてよね!」

「違うの? じゃあ片想い? 勿論、あんたから、あのサイトへ」

「違うもん! 絶対違うもん! 好き成のは向こうだもん! 私何とも想ってないもん!」

 ルイズは顔を真っ赤にして抗議し、シオンとモンモランシーは苦笑を浮かべる。

「良いけどさ、そんなあんたに1つ忠告して置くわ」

「何よ?」

「好きだからって、直ぐに許しちゃ駄目よ」

「はぁ!? 何言ってんの!? ばっかじゃないの!」

「あんたみたいなのはね、堅そうに見える分、雰囲気に流され易いのよ。良い事? 男何て全員浮気モノ何だから。ちょっと良いかなーってついつい許したら、直ぐに飽きて他の女の所に行っちゃうんだから。シオン、貴女もよ」

「ば、ばっかね! 許す訳無いじゃない! 何を許すって云うのよ!?」

 ルイズは嘗ての己の行為を棚に上げ、怒鳴った。

「声が震えてるわよ。あんたって、図星を指されると、直ぐに震えるんだから。でも其の心配は無いかもね。最近相手にされて無いんでしょ。全く欲求不満の女って嫌ぁね。ちょっとした事で苛々するんだから」

「はぁ? 相手にされて無いのはあんたじゃ成い! 洪水のモンモランシー。こんな所で何してるの? ギーシュの見張り? あの御間抜けで、偶々勲章何か貰っちゃったから、前選り注目されるんじゃ成いの? あんなのでも良いって娘、増えたかもね!」

 モンモランシーは、チョンチョンとルイズとシオンの肩を叩いた。そして、才人達の方を指差す。

 見ると、組手は終了して居た。

「え?」

 ルイズは目を丸くした。

 茶色のマントを羽織った何人かの女生徒達が、才人達に何かを手渡して居る所で在った。

「注目されてるのは、ギーシュじゃ無いみたいね」

 

 

 

「どうしたの?」

 才人は、眼の前の少女に尋ねた。

 眼の前で頬を染めて居るのは、何時かギーシュが二股を掛けて居た少女……ケティで在る。周りには、数人、似た様な様子で才人を、そして俺を見詰めて来て居る女生徒達が居る。何れも茶色のマントを羽織って居る……其の事から彼女達は1年生で在ると云う事が判る。

「ふむ……成る程な」

 俺は誰にも気付かれる事が無い程度の小声で呟く。

「あ、あの……之、読んで頂けますか?」

 はにかんだ表情で、茶色の長い髪が愛らしいケティは手紙らしきモノを取り出した。

「わ、私も書いたんです」

「御覧に為って下さいまし」

 他の女生徒達も、次々に才人や俺へと手紙を手渡して来る。

「手紙?」

「あの……詩を書きましたの。是非共読んで頂きたいのです」

 才人は口をポカンと開けて、下級生の女の子達に尋ねた。

「……どうして俺達に?」

 女の子達は、顔を見合わせて首肯き合う。

「だって、素敵何ですもの。2人で良く110,000の軍勢を止められたとか」

「今度、御暇な時で良いので、其の時の御話をして下さいません事?」

 後ろからギーシュの恨めしい声がした。

「ぼ、僕には? 僕には手紙はないのかね!?」

「ギーシュ様には、モンモランシー様が居らっしゃるじゃ在りませんか」

 ケティはツンと、澄まして言い放つ。

「君達が1番に決まってるじゃ成いか! モンモランシーはモンモランシー。君は君! そんな! 勇者には勇気と武勲の数だけ愛が在るのに! 理解して呉れよ!」

 そう叫んでギーシュが薔薇を咥えて気取った其の瞬間、水の塊がギーシュの身体を包んだ。

「ぐが!? ごげ! 息が! 息が出来なぐぼごぼげごぼぉ」

 水柱の中で、ギーシュは悶えた。

 後ろにはモンモランシーが立って、“杖”を振って居る。無表情なのが、余計に恐怖を煽って来る。

 才人が、(うっわぁ、モンモン怖ええええ)と震えて居ると、ケティは才人にスッと包を手渡した。

「あの……御口に合わ無いかも知れませんがビスケットを焼いたんです。是非」

「ビスケット?」

 フンワリと、甘く柔らかい香りが包から漂って来る。

「私も焼いたんです。どうぞ」

 そう言って、1人の女生徒が俺へと手渡して来る。

「有り難う、頂くね。詩についての感想は、また今度で」

 此方もまた好い香りが漂って来て居る。

 美味しそうだと云う事も在り、才人が思わず手を伸ばすと……小さな手がスッと横から伸びた。

 其の手は包を破くと、中からビスケットを取り出した。

 がしっ。

 ばりぼりばり。

 恐る恐ると才人が横を向くと、ムスッとした様子のルイズが、ビスケットをも然も不味そうに頬張って居た。

「な、何するんですか!?」

「何之。不味」

「一生懸命作ったのに!」

「人の飼い犬に、餌上げ無いで」

 ルイズはギロッとケティを睨んで呟く。

「飼い犬だ何て!? サイト様は“英雄”ですわ!」

「“英雄”? 誰が?」

 才人は思わずと云った風に、胸を反らせた。

「俺」

 次の瞬間、ルイズの膝が才人の鳩尾へと見事に決まり、才人は地面に崩れ落ちた。

 ルイズは才人の顔に、ガシッと足を乗せる。

 スッカリ定番と云えるスタイルで、ルイズは吼えた。

「高々110,000止めた位で威張ってるんじゃないわよ。牧場の牛止める様なもんでしょ。何処が凄いのよ」

 次にルイズは才人の股間を踏み潰し、止めを刺した。

 ゴフッ! と呻いて、才人は大人しく成る。

 俺とシオンを除いた其の場の全員が、(ルイズ凄い)、と想った。110,000の軍勢を牧場の牛と言い切ってみせたのだ。

 対して、俺とシオンは、(またか……)と天を仰ぐ。

 女生徒達は、そんなルイズの妙な迫力に恐れを為して、散り散りに逃げ出す。

 ルイズは悶絶して居る才人の足を掴むと、ズルズルと引っ張って行った。

 ギーシュは氷の輪で腕と足を固定され、ふわふわと宙に浮いてモンモランシーに連行されて行く。

 隊長と副隊長が居なく成って仕舞った為に、集まった男子生徒達は、困った様子で顔を見合わせた。

 マリコルヌが、溜息を吐いて言った。

「ルイズとモンモランシーが隊長の方が、良いんじゃ成いか?」

 男子生徒達は一斉に首肯いた。

 

 

 

 部屋に才人を引き摺って行ったルイズは、才人をドスン! と床に放り投げた。

 息を吹き返した才人は立ち上がり、ルイズを怒鳴り付けた。

「何すんだよ!?」

 ルイズは頬を膨らませて、腕を組んだ。

「張り切るのも構わ無いし、遣る気出すのは良い事だと想うけど……」

「想うけど、何だよ?」

 ルイズは黙って仕舞った。

 才人が「どうしたんだよ?」と尋ねると、ルイズははふぅ、と何だか頼りの無い溜息を吐いて、ベッドに潜り込んで仕舞。

「……ったく。自分ばっかり忙しそうにしないでよ」

 う、と才人は言葉に詰まって仕舞う。

 新しい立場、経験した事が無かった出来事……そう云ったモノなどが、才人の心をワクワクとさせ、遣る気に満ちさせて居たので在る。

 自然、ルイズの相手をする時間も減って仕舞って居たのが現状で在る。

 更に、此の前襲って来た集団……。

 仕方が無いと云えば仕方が無いのだが……ルイズは其れで拗ねて仕舞って居るので在る。否、実際には其れが理由の1つと云うだけ成のだが。

「此の前襲って来た連中……あんなのにまた襲われたら困るだろ。味方は多い方が良いじゃ成えか」

 ルイズは、「ま、そうだけど」、と唇を尖らせた。

「あのくらい、あんただけで勝てるでしょ」

「そんなの判ん無えよ! いや、無理、だな……“サーヴァント”3人は流石に……」

 才人は怒鳴って直ぐにシュンとしたが、ルイズは其れ等よりも自身が相手にして貰え無い事の方が不満だと云う様子を見せる。

「と言うか御主人様の御相手しなきゃ駄目でしょー」

 ルイズは布団の中で足をバタバタとさせて、文句を付ける。

「なに不満そうな顔してるのよ?」

 布団の隙間から顔を出して、ルイズが言った。

「別に……吐うかさ、御主人様御主人様って、もう良いだろ」

「何でよ?」

「だって、俺だって今じゃ“貴族”だぜ? 対等だろ?」

「はぁ? 何言ってるのよ!? 言ったじゃないの。唯のシュヴァリエと、公爵位のラ・ヴァリエール家を一緒にしないで! 犬と人間から、猿と人間位に成っただけよ。勘違いしないで!」

 髪を掻き上げてルイズが言い放ったので、「あっそ……」と才人は更に白けた様子を見せる。

 才人が黙って居ると、詰まら無さそうにルイズはベッドの中に潜り込み……布団を冠って仕舞った。

 ルイズは別に本気で(対等じゃ無い)などと想って居る訳では無い。と云う選りも、身分の差など最早ルイズにはどうでも良かった。才人は才人。其れで良い、と云った風にだ。

 唯、(自分の気も知らずに、騎士隊に夢中な才人が、ちょっと許せ無い)、と云った気持ちが有るだけで在った。するとつい、シュヴァリエの称号にまで癪に障って仕舞うので在る。

 才人が黙って仕舞うと、ルイズは毛布から顔を出した。

「…………」

 穴から顔を出して様子を窺う兎の様に、ルイズは才人を見詰めて居る。其れからプイッと再び潜り込むので在った。

「どうすれば御主人様の機嫌が治るのか、考えて」

「と言われても」

 困った様に才人が頭を掻くと、布団からルイズの手が出て来て指を1本立てた。

「ギュッとするとか! 耳元でー、“ははー、御仕えさせて頂きます”と呟くとかー、色々在るでしょー」

 才人は、(何が“ギュッとするとか”だ)、と少しばかりムカついた感情を抱く。其れから、(そんな餌で俺を縛り付けて置きたいのか……)と想ったが、才人にとってギュッとするのは吝かでは無い為に、布団の上からルイズをギュッと抱き締めた。

 布団の下で、ルイズは猫の様に大人しく成った。

 

 

 

 ルイズは……思わず頬が緩むのを自覚した。

 そしてルイズが(嫌だわ……好きかも知れ無い男の子にギュッとされるのって何て気持ちが好いのかしら? 其れが布団の上からとは言え。出来る事成らずっとこうしてたいわ。でも、許したら駄目よね、嗚呼でも、求められたらどうしよう? ホントに一回そゆ事したら、モンモランシーが言ってたみたいに浮気しちゃうの? どうなの?)と考えて居ると……才人が口を開いた。

「なあルイズ」

「な、なぁに……?」

「もう良いか?」

「へ?」

 布団の中、ルイズの目が点に成った。

「何吐うか、皆待ってるからさ。一応副隊長だし……訓練サボったら示しが付かねえからな」

 そう言い残すと、スッと才人はベッドから離れ、部屋を出て行って仕舞った。

 残されたルイズは暫く呆然とし震えて居たが……ガバッとベッドから跳ね起きると、壁を蹴り始めた。

「何あれ!? どゆ事!? 此方のプライド全滅だわよッ!」

 暫く壁を蹴り続けた後、ルイズは荒い息で呟いた。

「見て為さい……私が本気出したら……メイドだろうが“エルフ”だろうが、尻尾巻いて逃げ出すんだかんねッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日……才人と俺は放課後、厨房へと挨拶に行った。

 暫く、シエスタの顔を見て居なかった事を想い出したので在る。

 また、才人は“貴族”に成った事を、自身の口からきちんと報告せねばならないのだ。

 シエスタの姿が見え無かった為に、シチューの味見をして居たマルトーへと才人は尋ねてみた。

「シエスタを知りませんか?」

 するとマルトーはギロッと才人を睨み、「“貴族”に尻尾を振る様な奴には教えられ無えな」などと言い放った。

 あれだけ才人や俺を持ち上げて居た厨房のコック達もまた、親方で在るマルトーの意見と同じで在るのか、俺達2人へと冷たい視線を向けて来るばかりで在る。

 だが、其れは敢えてそうして居る――表面上だけのモノで在り、心の底ではまた違った感情などを抱いて居るだろう事が判る。

 其れでも、“貴族”の生徒達に悪口を言われた時の何倍も、才人は傷付いて仕舞った様子を見せた。

 優しくして呉れた人達に其の様な言動を取られて仕舞い、才人はジンワリと涙を浮かべて仕舞う。

 すると、やはり人の良いマルトーは慌て出して仕舞った。

「おいおい! 折角“貴族”に成れたって言うのに、泣く奴が居るか!?」

「だって……あんなに優しかったのに……変わっちゃうなんて……俺は別に全然変わってないのに……」

「泣くなよ! ったく、一体全体、何でまた“貴族”に成ろうとなんて想ったんでぇ」

 才人は唇を噛んだ。

「上手く言え無いけど……何か遣りたいんだよ。なあ親父さん、あんたは料理で人を感動させる事が出来る。そんなあんたがコック長ってのは、自分の居る可き場所が有るって事だ。違うか?」

「ん、まぁ、言われてみればそうかも知れ無えな」

「俺もそうなんだ。自分の居場所って所で、自分が出来る事を遣ってみたいんだ。“貴族”って位が、其れが理解り易い場所成らば、俺は其奴になってみようと想う。別に“貴族”に成りたい訳じゃ無い。其の居場所が、俺が遣りたい事に近い成らば……其の場所を逆に利用して遣ろうと想うんだ」

 そう才人が言うと、マルトーは肩を竦ませた。

「俺にゃあ学は無えからな。何だ、難しい事言われても理解ん無えよ。唯な、御前達が其の、威張って遣しないかって……」

 恥ずかしそうに、マルトーが呟く。

「威張る? そんな積り全然無いよ! 御願いだから今まで通りに扱って呉れよ。嫌なら無理にとは言わ無いけど」

 するとマルトーは鼻を鳴らした。其れからガバッと俺達へと抱き着いて来る。

「す、すまねえ……ホントの事言うとな、俺は御前達に嫉妬してたんだ……平民から“貴族”に成る何て、此りゃ、人間が神様になれるぐれえ難しい事だからな! でも、今の御前の言葉を聞いて安心した。御前は御前だ。そうだな? “我等の剣”!?」

「良く理解んねえけど、俺はずっと親父さんの剣で良いよ」

 マルトーはグリグリと才人の頭を撫でた。

「同じ事をシエスタにも言って遣って呉れ。彼奴は今、落ち込んでるからよぉ……で、セイヴァー。御前さんはどう何だ? んん?」

「俺は別に“貴族”に成った訳では無い。“アルビオン”に於ける唯の“客将”……そしてシオンの“使い魔(サーヴァント)”。唯其れだけだ」

 本来、客将と云うモノは、其の勢力に属して居無い客の立場の有名な将軍を指す。

 俺は将軍では無いが、色々と複雑な為に、其の様な立場に成って居るのだ。

「そうか! 其れ成ら良かったんだ! 救世主殿!」

 と、其の時で在る。

 厨房の扉がバタン! と勢い良く開いて、ドタドタドタ、とシエスタが駆け込んで来た。

「わぁわぁ! 大変です! わぁわぁ!」

 大騒ぎと云った様子で在る。

「何が大変何だ?」

 とマルトーが尋ねた。

「私! 異動に成りました! はい!」

「異動?」

 才人とマルトーは顔を見合わせた。

 其処でシエスタは漸く才人と俺の存在に気付き、思い切り顔を赤らめた。

「サイトさん……私、私……」

 感極まった声と調子で、シエスタは呟く。

「い、一体何が……と言うか落ち込んでるんじゃ成かったのか?」

「はい。ちょっと落ち込んでました。だってサイトさん、貴族に成っちゃうんですもの。もう私の事何て忘れちゃうよねって、鈍よりしてました」

「忘れたりしないよ」

「でも、もう良いんです」

「だから一体、何が在ったんだ?」

 マルトーに尋ねられ、シエスタはペコリと頭を下げた。

「今まで大変御世話に成りました」

「はぁ?」

 キョトンとして居るマルトーに、シエスタは手に持った紙を見せた。

「此りゃ、女王様の署名じゃ成えか!?」

 果たして其れは、アンリエッタの名前が記載された書類で在った。下にはオスマンの署名も着いて居る。

「何々……サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ氏に、“学院”内より選びし使用人を1人付ける事。何じゃ此りゃ?」

「今朝方、“王宮”依りオスマン様の元に、此の1通が届いたんですって。よってメイド長に、誰か選ぶようにと御命令なさったそうです。で以てメイド長は私を選んだんです。身の回りの世話をするなら、1番仲が良い私が良いだろうって」

 何が何遣ら理解らぬ侭と云った様子で才人がオロオロとして居ると、シエスタはピョコンと頭を下げた。

「そんな訳で、宜しく御願いします!」

 

 

 

 其の頃ルイズは……2日間頭を撚って密かに計画した作戦を、今当に実行しようとして居た。

「今までの遣り方が間違ってたの」

「どんな風に?」

 ポツリと呟いたルイズにそう訊ねたのは、デルフリンガー。

 何時もの様に、ルイズは“インテリジェンスソード”を自分の作戦計画の参謀役に任命したので在った。

「何て言うか、自分とは畑違いの所で勝負しようとして居たわ。黒猫の格好をしたり、メイドの格好をしたり……兎に角“貴族”のする事じゃ無いわ」

「そうかも知れんね」

「取り敢えず自分のプライドを満足させつつ、基本に返る事にしたの」

 そう嘯くルイズが着用に及んで居るのは……セーラー服で在った。

 先程、モンモランシーに頭を下げて借りて来たので在る。何時だかギーシュが、才人から貰った余りモノを彼女にプレゼントしたモノで在った。痩せて居るモンモランシーの身体に合う様に仕立てられて居る為に、何とかルイズが着ても様に成った。勿論其れでも胸は大きく余って居り、丈も長かったのだが……ピンで留めて詰めて居る。

「基本?」

「ええ。奇を衒っちゃ駄目なの。猫の耳とか遣り過ぎよ。兎に角あんたのアイディアは話に成ら無い事が判明したから、自分の考えと閃きで勝負するわ。其れがホントの“貴族”ってもんだわよ」

 ルイズは腕を組むと、満足気に鏡を覗き込んだ。

 ブカブカのセーラー服に身を包み、ルイズはクルッ、クルッと回転をした。桃色の髪が、スカーフが、制服のプリーツスカートと一緒にフワッと舞い上がる。

「メイドの真似じゃねえか」

「っさいわね。メイドと私じゃ、威力が違うわよ」

「弱まってない? 何かぶっかぶかだし……」

 ルイズは深く深呼吸をすると、傍らの小机に置いた“杖” に手を掛けた。

 すると、デルフリンガーは180度意見を変えるので在った。

「いやぁ、強まってる」

「当然でしょ」

 勝ち誇った様子で、ルイズはポーズを取った。

 ルイズは、スカートの裾を摘んで持ち上げたり、小指を咥えたりし始めた。

 そんなルイズに、デルフリンガーが茶々を入れる。

「兎に角だね。そんなに相棒の事が好き成らば……もっと素直に成ったらどうだね? そんな回りくどい事しねえで、何時かみてえに、“同じ事して”とか言えば良いじゃねえか。イチコロだよ」

「嫌よ」

「どうしてだね?」

「だって……そんな事したら調子に乗られるじゃない。こないだので理解ったの。だから、あんな胸触ったりーの。舐めた態度取るんだわ。そんなの赦せないの」

「素直じゃねえのね」

「と言うかね」

 ルイズはデルフリンガーを掴み、柄の部分を恐ろしい顔で覗き込んだ。

「私ね、別にね、好きじゃ無いから」

「はい」

 全く信じて無い声で、デルフリンガーが呟く。

 其れからルイズは、「はぁ~~~~~~」っと深く溜息を吐いた。

「どうしたね?」

「やっぱり私ってば可愛いわ。此りゃもう、罪ね」

「……御前さんも、結構平和な性格だね」

「こんな清楚で可愛い私を見たら、あの虫螻は平伏するしか無いわね」

「さよか」

「ふふ。ふふふふふふふふふ」

「御免。怖い」

「彼奴ってば、きっとこんな感じに成るわ」

 調子に乗ったルイズは、ベタッと床に這い蹲った。

 デルフリンガーが呆れて見守る中で、ルイズは最近気に入りの一芝居を開始した。

「“ルイズ~~~~~~、ルイズ~~~~~~、何て可愛いんだよう……メイド何かより其の格好、似合いまくりだよ~~~~~~オイラもう、ルイズにメロメロだよ~~~~~~!”」

 其れからルイズはピョコンと立ち上がった。

「“ふんだ! 当ったり前じゃ成いの! 今頃私の魅力に気付いたの? 同仕様も無いわね!”」

 再びルイズは、地面にへたり込む。

「“御免よ~~~~~~、蔑ろにして御免よ~~~~~~。“貴族”に成ったからって調子に乗って御免よ~~~~~~、騎士ごっこに夢中で御免よ~~~~~~、メイドに鼻の下伸ばして御免よ~~~~~~、あの“ハーフエルフ”の可怪しい胸を握ったりして御免よ~~~~~~”」

 スクッとルイズは立ち上がる。

「“謝るなら、どう云う態度取れば良いか、理解ってるでしょ?”」

 ペタッとルイズは這い蹲る。

「“はい! オイラはしがない犬です……ルイズ様の卑しい飼い犬で御座います……何でもしますから……御側に置いて下さいませ……”」

 ルイズは立ち上がると、腕を組んだ。

 今のルイズは、激しく調子に乗って仕舞って居ると云えるだろう。其の辺は、“使い魔”とやはりソックリで在る。

 異様に高まる興奮と高揚を勝ち誇る笑顔で包み、空想の中の“使い魔”を見下ろした。

「“理解ったら、く、くく、靴を、な、ななな、舐めなさいよね”」

「“はいっ! 舐めます! 犬サイト舐めます!”」

 ルイズは這い蹲り、ペコペコと頭を下げた。

「なあ娘っ子」

「あによ!? 今良いとこなのよ! 邪魔しないでよね! こっからが凄いんだから!」

「ドアが……」

「ドアがなによ!? ドアがどうしたってのよ!?」

 ルイズが振り向くと、其処にはシエスタと才人が、切ない生き物を見る目で、ルイズを見詰めて居た。

 其の後ろで俺は、笑いを堪える。

 ルイズの顔から血の気が引いた。

 シエスタが、ととと、とルイズに駆け寄って、其の手を握る。

「施療院に行きましょう。ね? 春の陽気に当たられたんですね……大丈夫です。直ぐに治りますから」

 才人が近寄って来て、ルイズの顔を覗き込んだ。

「正直に言え。何食べた?」

 ガバッとルイズは2人を振り払い、窓へと向かた。そして、其処から身を躍らせようとする。

「ま!? 待って!」

「ルイズ! おい! 此処は3階だっつの!」

 シエスタと才人が追い掛ける。

 ルイズは半狂乱で喚いた。

「離して! 御願い離して!」

 

 

 

 遣っとの事でルイズを落ち着かせた時には、2時間が過ぎて仕舞って居た。

 ルイズは苛々とした様子で、才人とシエスタと俺を見詰めて来て居る。

 2人はしゅん、として項垂れて居る。

 先程のあれを見られた照れを隠すためだろう、ルイズはブスッとした表情を浮かべ呟く。

「で、連れて来ちゃったって訳?」

「宜しく御願いします!」

 シエスタは満面の笑みで、ルイズに頭を下げる。

「身の回りの世話成ら、間に合ってるわ」

 ルイズはジロッとシエスタを見詰め、言い放った。

「あの……御言葉ですが、ミス・ヴァリエールの御世話をする訳では在りませんの。サイトさんの御世話をするために来たんです」

「自分の世話位、自分で遣らせるわよ」

「女王陛下直々の仰せですわ」

「姫様がぁ?」

 ルイズは素っ頓狂な声を上げた。

「はい。此方を御覧下さい」

 シエスタはルイズに、女王アンリエッタから回って来た書類を見せた。

「……ホントだ。“召使を1人、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ氏に着ける可し”」

「私だってそんな、自分で押し掛ける程図々しく在りませんわ」

「どうだか」

 と呟いて、ルイズは首を横に振った。

「で、あんたはどうなの?」

 ルイズは才人を睨んだ。

「え? 俺?」

「そうよ。貴男はシエスタに側に居て欲しい訳? どうなの?」

 グイッとルイズは才人を睨んだ。

 困った様に才人は鼻を掻き、「最近俺、忙しく成っちまったから……掃除とかマトモに出来て無いし……」と呟く。

 良く見ると、部屋には誇りが薄っすらと溜まって仕舞って居る事が一目で判る、少し前は、部屋の掃除は才人が遣って居たのだが、騎士隊結成以来、掃除をする暇が無く成って仕舞った結果で在る。

「私、何でも遣りますわ!」

「良いの? 何か悪い気がするけど」

「サイトさんの御世話をする事が、私の幸せですから」

 ニコッとシエスタは微笑んだ。

 ルイズは、(やばい)と想った。そして、(な、何て、健気な台詞かしら。案の定、サイトはほんのりと頬を染めて居るじゃないの)と想った。

 男にとって、之以上嬉しい台詞は無いだろう程のモノだ。シエスタはそんな台詞をさらりと言い放ってみせたのだ。

 旗色が悪い事も在って、ルイズは別方向から反撃する事にした。

「じゃあ百歩譲って良いとして……良く無いけど良いとして……何処で寝るのよ。ベッドは1つよ」

「一緒に寝れば良いじゃん。ベッド大きいんだから」

 サラッと才人が言ってしまう。

 ルイズの目が吊り上がる。

「駄目! 駄目! だーめ! 狭いわ! 其れにシエスタは……」

 平民じゃない、と言おうとしてルイズは言葉を呑んだ。

 シエスタへの恩義を想い出したので在る。平民だからと今更侮る気には成れないのだ。

 また、平民だから一緒に寝るのは駄目、と云う意見は最早通じ無い理由はもう1つ在った。其れは才人で在る。シュヴァリエの称号を貰う前から、既に一緒のベッドで寝て居るのだ。シエスタだけ平民だから駄目と云う訳には行か無い。

 其れでも一緒に寝るのは駄目だと、ルイズは想った。

 此のシエスタ、ルイズが寝て居る隙に、才人に何をするか判ったものでは無いのだから。

「じゃあ良いよ。俺が藁を敷いて下で寝るから。御前等一緒に寝れば良いだろ」

 再びサラッと才人が言った。

「へ?」

 するとシエスタが、夢中に成った様子で首を横に振った。

「そんな!? サイトさんは今じゃ騎士様ですよ! 床で寝る何て駄目ですッ! じゃあ私も御伴しますっ!」

「……え?」

 才人の頬が更に染まる。

 ルイズはワナワナと震えて仕舞った。そして仕方無くと云った様子で、言いたく無かっただろう言葉を口にした。

「わ、理解ったわよ。い、良いわ。一緒に寝ましょう」

「そんな……でも、“貴族”の方と一緒に何て……」

「サイトだって今じゃ“貴族”よ」

「でも、サイトさんはサイトさんだし……」

 とシエスタは身をクネラせた。

 引き攣った笑顔を浮かべ、ルイズは言った。

「良いから」

「はい……」

 恥ずかしそうに、シエスタは俯いた。

 其れからシエスタは、「じゃあ取り敢えず御掃除しますね!」と楽しそうに部屋の掃除を始めた。

 才人が「手伝うよ」と言い出して、シエスタの掃除を手伝い始めた。

 ルイズは暫く楽しそうに部屋の掃除をする2人を見詰めて居たが……やはりと云うか何と云うか、其の内に居た堪れ無い気分に成って仕舞う。

「私も遣るわよ」

 シエスタと才人が目を丸くした。

「何よ? 私が掃除したら可怪しいの?」

「否、そんな事1度も無かったから」

 ルイズはシエスタの手から雑巾を引っ手繰ると、床を磨き始めた。然し、不器用で在る。否、余りした事の無い事に挑戦して居るのだから、当然だろうが。グシャグシャに丸めた儘の雑巾で遣るモノだから、ちっとも綺麗に成らない。

 見兼ねたシエスタが、「こう遣るんですよ」、と説明をした。

 数時間掛けてピカピカに成った部屋を見詰め、シエスタが嬉しそうに言った。

「綺麗に成りましたね!」

 そうね、とルイズは首肯いた。

 其の綺麗な部屋を見て居ると、気が抜けたのだろう……(はぁ、まぁ良いか)、とルイズはそんな気分に成った。

 

 

 

 

 

 其の夜。

 3人は川の字に成って寝た。才人を真ん中にして、向かって右側がルイズ、左側がシエスタと云った風に。

 ルイズは何時もと同様に才人の胸に頭を乗せる事に恥かしさを覚えたのだろう、少しばかり離れた場所で背を向けて居た。

 シエスタも同じ気持ち成のだろうか、其れとも遠慮して居るのか、才人から離れて眠って居る。

 ルイズは取り敢えず眠らずに、2人を見張ろうと考えて居た。少しでも怪しい動きをすれば、跳ね起きて才人を打ん殴る積りで在ったのだ。

 然し、シエスタも、才人もピクリとも動かない。

 慣れ無い掃除などをした為だろう、ルイズは其の内に眠く成って仕舞った。

 才人は才人で、カチンコチンに強張って仕舞って居た。何せ、隣にはルイズ、そしてシエスタが寝て居る。女の子に挟まれて寝るなど、才人は想像した事すら無かったのだから。

 才人は、(……あんまり良いもんじゃ無えな)、と想った。緊張するばかりで、甘い感じは微塵もしないのだから。と云う選りも、ルイズとシエスタから発せられる目に見え無い敵意や怒りなど、「どうすんのよ?」などと云った無言の圧力を感じ、間に挟まれてるだけで才人は押し潰されそうなのだから。

 だが……今は女の子の事で頭を悩ませて居る場合では無いと云えるだろう。

 ルイズに、「あれは御褒美よ」などと言われて仕舞ったのだから。

 全力で好かれて居るからと云って、他の娘の気持ちが残って居る以上、シエスタに対してそう云った行為に及ぶ事は出来ないのだ。

 悩めば悩む程に、才人の頭はこんがらがってしまう。

 才人は其の内に、(取り敢えず女の事は忘れよう。兎にも角にも今は騎士隊編成に夢中成ので在るからして。男の仕事に、夢中成ので在るからして)、と云った具合に、ルイズとシエスタの事を頭の中から追い出し……(此の世界で、俺に出来る事は何だろう?)、と考えた。

 当然答えが直ぐに出る筈も無く、訓練に打ち込んではみても出はしなかった。

 才人は、(まぁ、始めたばっかりだしな。追々判れば良いや)、と持ち前の楽天振りを発揮させ、目を瞑った。

 其れから、才人は「先生、俺、頑張りますから……」と小さく呟く。

 昼の訓練などから来た疲れだろう、また、普段し無かった組手に因る疲れが、才人をユックリと眠りの世界へと誘った。

 

 

 

 暫く微睡んで居たのだが、ルイズはパチリと目を覚ました。どうにも眠りが浅いのだ。

 嫌な予感を覚えたのだろう、ルイズは才人の横の方を見ると……シエスタが、才人の二の腕を枕にして居た。

 ルイズは、(先刻迄離れて居た癖に!)と歯噛みした。

 ふんっ、と呟き、負けじと頭を才人の左腕に乗せた。

 すると……シエスタの頭がついっと動き、今度は才人の粗肩の部分を枕に決め込んだ。

 ルイズは拳を握り締め、同じく左肩に自身の頭を乗せる。

 シエスタの頭が更に動き、遂々胸に達した。

「……あんた、起きてんでしょ?」

「ぐぅぐぅ」

 シエスタは少し頬を染めて、態とらしい寝息を呟く。

 ルイズは其処が自分の場所だと言わんばかりに才人の胸の上に頭を乗せた。

 ユックリとシエスタの目が開く。

 才人の胸を挟んで、2人は睨み合った。

「離れて」

 ルイズがそう言うと、シエスタは反撃した。

「サイトさんがそうしろって言うんなら、そうしますけど」

「寝てるから私が命令するの。離れて」

「嫌です」

「あんた、“アルビオン”では譲ったじゃないの。身を引くって事でしょ?」

「違います。あれはあんまりにもミス・ヴァリエールが不憫だったからです」

 ルイズは暫しワナワナと震えたが、すぅーっと深呼吸をし、徐ろに寝て居る才人の唇に自身の其れを押し付けた。

「え?」

「んむ……」

 そして派手に舌を差し込む。

「んむ、んむぐ、むぐ……」

 シエスタは呆気に取られ見守った。

 と云う選りもルイズから滲み出る迫力が物凄いのだ。キスと云う選りも、ナイフでも突き立てて居るかの様な勢いで在る。

 散々舌で才人の口の中を捏ね繰り回した後、ルイズは唇を離し、シエスタに言い放った。

「恋人なんかじゃ無いわ。でもね、此奴は私の物なの。手ぇ出したら非道いんだから」

 敵意の込もった声で、ルイズは言った。

 シエスタは暫く、ルイズの其の迫力に呑まれて仕舞って居たが……其の内に自分を取り戻した。其れから、ルイズの視線を真っ向から受け止め、才人の右手を握った。

 そしてルイズが止める間も無く、才人の手を己の寝間着の間に差し入れる。

 胸の谷間に、堂々と才人の手を挟んだ為に、ルイズは酸欠に成って仕舞った。

「んな、な、ななな……!?」

「私ですね、今迄何も知ら無かったんです。男の気の引き方」

「……嘘ばっかり!」

「ホントです。でも、そんな私を見兼ねて、同室だった娘が……色々教えて呉れたんです。色々ですよ?」

「あ、あらそう。そんで胸を触らせって訳? どうにかしてんじゃない?」

 頬を引く攣かせ、ルイズは言った。

「ミス・ヴァリエールと違って、私待ってるだけじゃ無いんで。宜しく御願いしますね」

「宜しく。精々遣って御覧為さいな。でもね、無駄だと想うけど。此奴ってば、私にメロメロだもん」

 得意気にルイズは言った。

「あら……きっと其の高貴な雰囲気に惑わされて居るだけですわ」

「そんな事無いもん!」

「だったら中身も含めて、好かれてるんですか?」

 シエスタは真顔に成って、言った。

 其の様な事、理解る筈も無いので、ルイズは黙って仕舞った。

 するとシエスタは、ルイズの顔を覗き込んで言った。

「じゃあこうしません事? 今度の“スレイプニィルの舞踏会”で、サイトさんがミス・ヴァリエールを見付ける事が出来たら……私、サイトさんがホントにミス・ヴァリエールの事を好きだって認めて上げます。そうしたら、ホントに私諦めます」

「面白いじゃ成い」

 頭に血が上り来って仕舞って居たルイズは、其の申し出を受けて仕舞う。

「恨みっこ無しですからね? 其の代わり、見付けられ無かったら……」

 自分の胸の上で、そんな女の子2人の戦いが繰り広げられて居るとは露知らず……。

 恐らく此の瞬間、“ハルケギニア”で1番幸せで1番不幸な男で在るだろう才人は、騎士隊の訓練の最中何故かギーシュとマリコルヌに言い寄られると云う皮肉な悪夢に魘されて居た。

 

 

 

 才人の右腕の上で、シエスタは寝息を立て始めた。

 ルイズは其の顔を睨んで居たが……其の内に溜息を吐いた。

 ルイズは、(シエスタの言う通り、サイトは自分の高貴な雰囲気に惹かれて居るだけ成んだろうか?)、と云った風に考えて仕舞い、増々自分に対する自身が揺らいで行って仕舞って居た。

 こんなにも近くに居ると云うのに……気持ちが判ら無い。

 其の事がどうにもルイズを不安にさせて仕舞って居るのだった。

 同時に、ルイズの中で1つの疑問が浮かび上がる。

 アンリエッタの事で在る。

 幾ら才人があれだけの手柄を立てたからと云って、メイドを1人けると云った様に、女王自ら命令をするなど先ず在り得無いのだ。

 厚遇が過ぎるのだ。

 ルイズは、(一体、アンリエッタには何な思惑が有るんだろうか? まさか、また危険な任務に投入する積り成んだろうか? 今度、アンリエッタを訪ねてみよう)、と想い乍ら……眠りに就いた。



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女王の想い

 冬が其の顔を季節の流れの裏側に隠し、春がやって来た。

 暖かい陽気が、“トリスタニア”を包んでいる。

 8ヶ月に及ぶ戦が終わった反動からだろう、街にも“王宮”にも、どことなく緩やかな空気が漂って居るのが判るだろう。“王宮”の門に立った衛兵は思わず欠伸をしてしまっているし、其れを見咎めるべき将校達もまた空をボンヤリと見詰めてホツとしたような表情を浮かべているのだ。

 街行く人々は活気に溢れているといえるだろう。“トリステイン”は、“タルブ”が焼き払われてしまったとはいえ、国土の殆どは戦火を被る事がなかったのだ。むしろ戦争によって景気が回復し、街には品々が溢れ始めている。一過性のその祭りとでもいえるそれを享受すべく、通りに並んだ商人たちは声を張り上げ、客達を挙って“アルビオン”やほか諸外国から運ばれた商品を買い漁っていた。

 通り行く人々でごった返して居る“ブルドンネ街”の道を、真っ白な馬車が通り過ぎる。

 前後を護衛の黒馬車に挟まれ、堂々とした騎士の隊列を露払いにした様は、威風堂々、やんごとなき御方のそれと知る事が出来る。

 馬車の御者台の横に着いた百合の紋章に気付き、“トリスタニア”市民たちは歓呼の声を上げた。

「女王陛下! 女王陛下万歳!」

 “トリステイン”女王アンリエッタが乗る馬車で在った。

 国境の街で行われた、“ゲルマニア”皇帝との昼食会からの帰りで在る。

 車中のアンリエッタは小窓を開けて、観衆に手を振った。

 戦争に勝利したアンリエッタは、今や国民の人気を一身に集めているといえるだろう。

 やはり現金なモノで、あれだけアンリエッタの重税に対して文句を付けて居た国民達は、戦争集結に伴って税率が緩められ、自分達の生活が潤い始めると、アンリエッタを再び支持し始めたので在る。

「“清貧女王”アンリエッタ万歳!」

 観衆の1人がそう叫ぶと、其の歓呼が瞬く間に広がる。

「“清貧女王”アンリエッタ万歳! “トリステイン”万歳!」

 “清貧女王”、と呼ばれる度に、当然の事だがアンリエッタの顔は僅かに曇ってしまう。

 アンリエッタの人気には、祖国救貧のために王室の私財を投げ打った事も影響しているとえるだろう。アンリエッタはそれを国民に発表する事を嫌がったのだが……話を財務卿から聞いたマザリーニが、その噂を積極的に流してしまったのであった。

 窓から顔を離し……カーテンを閉じるとアンリエッタは隣に控えて居るマザリーニに呟いた。

「これではまるで……観客に媚びを売る三文芝居の様ではありませんか」

「よいではないですか。誰も損をしておりませぬ」

 澄ました顔でマザリーニが言った。

「私はこのような事で人気を取ろうとは想いませぬ」

 少女の潔癖さでアンリエッタは呟く。余程腹に据えかねているのだろう、僅かに唇が震えているのが判る。

「何時か申したではありませんか」

「“使えるモノは何でも使うのが政治の基本”ですわね。覚えておりますわ」

「ならば結構」

 アンリエッタは、(己の良心までも治世の道具に成るとは……私とあの娘が飛び込んだ世界は、何と汚らしい場所成なのかしら)と想い、目を瞑った。

 戦争が終わってもなお、アンリエッタは暇になる事がなかったのである。いや、むしろ各国との交流が以前と比べて盛んになった今、戦時以上の多忙に追われているといっても良いだろう。

 アンリエッタは、う……と口元を押さえた。

 心配そうな様子でマザリーニが覗き込む。

「陛下、どうなされました?」

「いえ……ちょっと気分が……」

「“水”の治療士をお呼びしましょうか?」

 心配そうな表情と声色でマザリーニがそう尋ねたが、アンリエッタは首を横に振った。

「大丈夫です。心配をかけてすみません」

 心が、そろそろこの多忙と重圧に耐えられず、悲鳴を上げているのだ。

 何処かで息抜きをしたい、と思っても、女王としての生活ではそれも簡単には出来ない。

 戦時は、アンリエッタを復讐の2文字が支えていたと云えるだろう。しかし終わってみれば……後にはポッカリと穴が空いた時間が残るのみで在る。重圧はただ重圧であり、時間を埋める代わりにはならないのであった。

 兎に角アンリエッタは、疲れ果てているのである。

 そんな女王の耳に、通りに並んだ市民達のとある人物に対する歓声が飛び込んで来た。

 其の名前を聞くと、僅かに胸の中のモヤモヤが晴れ……アンリエッタは軽く頬を染めた。

 

 

 

 ギーシュと才人が率いる“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”も、昼食会から帰って来た女王の警護を務めていた。

 警護とはいっても、今回のそれは儀礼的な要素を多分に含んでいるとえるだろう。要は新設と成った騎士隊のお披露目であるといえるのだから。

 “トリスタニア”の入り口で、彼等はかねてからの計画通り“アンリエッタ”の隊列に合流し、此処まで仲良く轡を並べて来たのだ。

 王宮での序列に従い、其の隊列は女王一行の最後尾であったのだが、隊員達の士気は旺盛であるといえるだろう。

 列の先頭は隊長であるギーシュ、馬の頭1個分下がって才人の馬が並んでいる。

「いや……しっかし、まあ」

 才人は、道の両側に並ぶ市民達の姿を見て呟いた。

 シュヴァリエの紋……銀の縫い付けが眩しいマントを羽織った才人は、その顔立ちも在ってだろう随分と奇妙な存在に見えているだろう。通りに並んだ人々が、“杖”の代わりに剣を背負って居る才人を見詰めて何やらこそこそと噂し合っているのだ。

 隣のギーシュが、そんな才人に顔を向けた。

「どうしたね? 副隊長殿」

「よせやい」

 才人は顔を赤らめて呟く。

 訓練の時とは打って変わり、こういった衆目の集まる場所ではやはりギーシュの方が堂々としていた。目立ちたがり、そして“貴族”としての本領発揮で在るといえるだろう。

「もっと格好をつけたまえ。ほら!」

 そう言うなりギーシュは、薔薇を振った。

 舞い落ちた花弁がヒラヒラと漂い……鳩へと変化した。

 バサバサバサ、と鳩は空中を飛び回る。

 通り沿いの観衆から歓声が沸いた。

 得意げにギーシュは、首を傾げる。

 すると観衆の1人が叫んだ。

「あの御方はグラモン家の4男、ギーシュ様じゃないか?」

 すると何人かが、その叫びに相槌を打った。

「そうだ! 何でも都市1つ攻略する大手柄を立てられて、騎士隊の隊長様に就任されたって話だぜ!」

 歓声が其処彼処から沸き、次いでギーシュの名前が連呼された。

「グラモン家万歳! ギーシュ万歳!」

 其の歓声に、ギーシュは手を振って応えた。此のために、態々桜を用意したのである。

 しかし……所詮は金を散蒔いて得た歓声、次の瞬間には別の対象に取って代わられてしまった。

 ギーシュの隣で剣を背負って居る才人に、視線が飛んだので在った。

「何だあいつ? 剣を背負ってるじゃねえか。平民か?」

「ただの平民が、どうして騎士隊に混じってるんだ?」

 其処彼処で噂が飛び交い始める。

 そのうちに、野太い女言葉が響いた。

「何言ってるの! 皆! あの子がサイト君じゃないの! 彼が110,000の敵を、“アルビオン”の客将であるイヴァー君と2人だけで喰い止めたから、連合軍は救われたのよ!」

 スカロンであった。

 スカロンは、かっぽかっぽと行進する才人に向かって手を振った。

 見ると、隣にはジェシカや、“魅惑の妖精亭”の女の子達まで並んで居る。

 酒場を営むスカロンは、恐らくその噂を、呑みに来た士官辺りから聞いたのであろう。もしかすると、シエスタが話したのかもしれない。

 兎に角スカロンのその言葉で、観衆の間にどよめきが奔った。

 撤退しようとした連合軍が、突如参戦した“ガリア”軍によって救われた事は、殆どの市民が既に知っていた。其の“ガリア”参戦の直前、怒涛の様に攻め寄せた“アルビオン”軍110,000を、何者か2人が止めたという事も……。

 傭兵の一部隊が止めた、密かに参戦していた“魔法衛士隊”がやったとか、“ゲルマニア”皇帝の親衛隊だとか、実は1人の騎士が止めたのだなど、其奴は“エルフ”だったんだ、などなど、様々な噂が飛び交って居た。

 だがまさか、あの少年がそうなのだと想える筈もなく……。喧々諤々

 観衆の間から、失笑が漏れた。

「でも、剣士風情が騎士様になるってこたぁ、余程の手柄を立てられたんだろうて!」

 その声で失笑が治まる。

 すると、の議論が始まった。

「まさか! どう考えたってただの平民が、そんな大それた事出来る訳がねえだろ!」

「こないだ“銃士隊”の隊長になられたアニエス様だって、元は平民の出じゃねえか!」

 そんな市民達の議論に、白馬車の主が決着を付けた。

 側に控えた衛士が白馬車の窓に近付き、何事か伝言を受け取り……才人の元へと駆け寄る。其れから、何事か、二言、三語、耳元で呟くと、渦中の才人は首肯いた。

 緊張した様子で、才人は白馬車へと自身の馬を近付けさせる。

 観衆や、護衛の衛士達の目が集まる中、窓から白い、嫋やかな手が差し出された。女王アンリエッタの御手で在る。

 才人は其の手を取ると、未だぎこちない仕草で口を吻けた。

 観衆から、「やはりあの噂は本当に違い無い」、と云ったどよめきが起こる。

 其の位の手柄を挙げなければ、平民上がりの衛士が女王の御手を許される事など、ありえないからだった。

 観衆の連呼が始まった。

「シュヴァリエ・サイト万歳!」

 居並ぶ市民達の連呼の声を受けて、才人は戸惑った表情を浮かべた。

 隊列に戻ると、ギーシュがそんな才人に耳打ちをする。

「おいおい、皆、君を褒めてるんだぜ? 精々、期待に応えてやれよ」

 怖ず怖ずと、才人は手を挙げた。

 すると歓声は、一段と大きく成る。

「参ったな……こんなんじゃ街も歩けねえよ」

 才人がそう心配そうに言えば、「なぁに。民衆なんて飽きっぽいものさ。明日には君の事なんて忘れてしまうよ」とギーシュが理解った様な事を呟いた。

 

 

 

 窓を閉じたアンリエッタは、先程才人に許した自身の手の甲を見詰め、切なげな溜息を吐いた。

 ハッとしてマザリーニを見ると、疲れたのだろうか、馬車の中でうつらうつらと櫂を漕いで居る様子で在る。

 アンリエッタの教師は、もう若くはないのだ。老いつつ在る宰相の丸い帽子を、アンリエッタは直してやった。

 それから、(私がもっとしっかりせねばならないわね。もっと、もっとよ)とアンリエッタはそう想った。

 またもや重圧で心が苦しくなったのだが……手の甲を見詰める事で、アンリエッタの中で微かにでは在るが勇気と意欲が湧いて出た。

 “王宮”に到着すると、護衛の騎士隊は当直の一部を除き、解散と成った。

 アンリエッタは、つい、と云った風に“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”を探してしまう。

 アンリエッタが新設した近衛隊は、王宮の隅で談笑して居た。御披露目を終えた皆は、“学院”に帰えるのだ。1年の訓練期間を経て、正式に“王宮”勤務となる予定で在ったために、未だ宮中に残る事はないのである。

 騎士隊の中に、先程手を許した才人の黒髪を、アンリエッタは見付ける。其れから、不意に近寄りたいといった衝動に駆られそうになるのだが、どうにか想い直した。

 大臣や召使達が遣って来て、アンリエッタを迎えた。

 女王の威厳を損ねぬ程度に笑顔を浮かべ、アンリエッタは彼等彼女等の労を労う。

 アンリエッタは大臣達と並んで宮殿の廊下を歩き乍ら、次々に裁可を下して行く。歩く最中さえも、仕事が舞い込むのだ。何とも多忙な女王の仕事を、アンリエッタは熟さねばならなかったのである。

 女官の1人が近付いて来る。

「御客様が御待ちで御座います」

「客? 如何成る客も、ええ、例え皇帝だろうが教皇だろうが、待合室に通せと申した筈です」

 女官はアンリエッタの耳元で、何事かを囁く。

 其の名前を聞いて、アンリエッタはハッとした様な微笑を浮かべた。

 

 

 

 居室で待っていた人物を目にすると、アンリエッタの顔がパァッと華やいだ。

 最近は余り浮かべた事の無い巣の笑みを浮かべ、先程からアンリエッタを待って居た客を抱き締める。

「嗚呼ルイズ! ルイズ! 偶には其の顔を見せて頂戴!」

「そうしたいのは山々ですわ。でも、姫様が御忙しいと想って……」

「貴女には、いついかなる時でもこの部屋に来る事の出来る権利を与えている筈よ、ルイズ。当然じゃないの。貴女は私の御友達なんですもの」

 皇帝だろうが教皇だろうが待合室へで待たせる事にしているアンリエッタであったが、このルイズとシオン――2人の幼馴染だけは特別に直ぐに逢う事が出来るようにと許しているのであった。

 ルイズは何もない居室を見回し、口を開く。

「本当に、全て売り払われておしまいになられたのですね」

 と、ルイズは寂しそうに言った。

「ええそうよ。私にとっての女王の仕事なんて、寝る所と机があれば十分」

 そう言ってアンリエッタは、「流石に床で寝るというのは反対させて頂きたい」との財務卿の主張で残した、ベッドに腰掛けた。

 ルイズはアンリエッタの指に光って居た“風のルビー”がない事に気付き、眼を丸くした。

「姫様。この前、気付かなかったのですが……“風のルビー”はどうなされたんですか?」

「ああ、売り払ってしまったのよ」

「そんな!?」

「見ていると、想い出してしまうから……その指輪に込めた想いが、私を戦争に駆り立ててしまったのです。ですから戦争が終わった今、手放さねばと……」

「何という事を!」

 ルイズは驚いた声を上げた。

「どうしたの? ルイズ」

「あの指輪は……“虚無の担い手”にとって必要な指輪なんです」

「どういう事?」

「指輪を嵌めたら、私、この“始祖の祈祷書”を読めるようになったんです」

「それは、貴女だけではないの?」

 そう言い乍らも、事の重大さを理解してしまったアンリエッタは蒼白な様子を見せる。

「此の前、お報せしたでは在りませんか。“アルビオン”で、“虚無の使い魔”に襲われ、其の誰かは、清らかな心の持ち主とは限らないのです。“虚無”の力を何らかの理由があって担う者達の手にその指輪が渡ったら……」

 アンリエッタは取り乱してしまう。

「嗚呼、どうしましょう!? 私と来たら!」

「誰に御渡しに為られたのですか?」

 手渡しのは、財務卿のデムリで在った。

 アンリエッタは急いで彼を呼び付けた。

「御呼びですか? 陛下」

 アンリエッタの様子に尋常ならざるものを感じたのであろう、不安気な声を出すデムリ。

「財務卿、貴男に渡した指輪なのですが……」

 財務卿は、ニッコリと笑みを浮かべた。

「あの指輪で御座いましょう? “アルビオン”王家の形見で在る“風のルビー”で御座いますな?」

「そうです! 貴男に売り払えと命じて、渡した“風のルビー”です! 誰に売ったのか、覚えていますか?」

 財務卿は懐から小箱を取り出した。

「これで御座いますか?」

 小箱の中からでて来たのは、果たして“風のルビー”で在った。

「陛下がこれを私めに御渡しに為った時の御顔は、尋常では御座いませんでしたから。取って置いたのです。いずれ、再び御手元に戻したくなるだろうと見越した訳で御座います」

「……嗚呼、貴男は素晴らしい方です。デムリ殿」

「いえ……想い入れのある物、大事な物は決して手放してはなりませぬ。それは身体の一部成ので御座いますよ。まあ、その……此処だけの話なので、正直に申しますと、“アルビオン”現女王のシオン女王陛下に御売りしようかとも考えていたのですが」

 そう言い残して財務卿は退出して行った。

 アンリエッタは、再び手元に戻って来た“風のルビー”を見詰めた。その目から涙が一滴溢れ、頬を伝う。

 咄嗟に出たらしく、アンリエッタは呆けた顔をして居た。

 涙が溢れた事に気付いてから、アンリエッタは顔を両手で覆った。

「嫌だわ……涙が溢れてから、自分が安心して居る事に気付くなんて」

 ルイズは神妙な面持ちになると、アンリエッタの肩に手を置いた。

「姫様は、疲れておいでなのですわ。1度、ゆっくり御休みを取られた方が……」

「有り難う。この私に“安め”と言って呉れるのは貴女くらいのものよ。でも、そうする訳にはいかないの。私が1日休めば、その分だけ国の何処かが止まるのよ」

 アンリエッタは、ルイズの髪を撫で乍ら言った。

「貴女が羨ましいわ。ルイズ」

「何を仰るのです。姫様は、私が持っていないモノを全て御持ちじゃありませんか」

「持たざる方が、持っている事の何倍も幸せにちがいないわ。この指輪を見て居ると、私、本当にそう想うのよ」

 アンリエッタは手の中に在る、“風のルビー”を見詰めて言った。

 暫く指輪を眺めて居たが……。

「貴女の用件を聴いていなかったわね」

 ルイズは言い難くそうにモジモジとしていたが、意を決したのか顔を上げた。

「あの……サイトの事何です」

 アンリエッタは、一瞬、ハッとしたが、直ぐに平静さを取り戻す。

「本日も、御借りしてしまいましたね。彼は良く、努めて下さいました。立派な武者ぶりでしたわ。嗚呼、何か御礼を差し上げないと……」

「その御礼です。サイトを迎えるために、“ヴュンセンタール号”を寄越したり、シュヴァリエに叙したり……召使を着けるよう自ら御指示を飛ばされたり、それに本日は市内で御手を御許しに為られたとか」

「…………」

「こう申しては何ですが……ただのシュヴァリエに対するモノとしては厚遇が過ぎます。陛下におかれては、何か別の思惑が御有りになのではないか? そう勘繰ってしまったのです」

「……例えば?」

「何か危険な任務に御遣いに成るとか……」

 アンリエッタは、呆気に取られてルイズを見詰めた。

「私が? 彼を危険な任務に遣うですって? 嫌だわ! そんな訳ないじゃないの! 彼は貴女の大事な“使い魔”でしょう? “貴族”になっても、それは変わりません。私が、大事な貴女の大事な人に、危険な事をさせる訳がないじゃない」

「それなら、良いんですけど……」

 アンリエッタはルイズを抱き締めた。

「やっぱり、貴女は優しい娘ね。昔と変わらないわ。彼は……私と祖国に、大い成る……そう、比類無き忠誠を示して下さったのです。私は女王として、その忠誠に報いねばなりません」

「……でも、サイトは別の世界の人間です。何れは、此処を去らねばならない人間です。そんな人間に大役を与えても良いものでしょうか?」

「……其れは彼が決める事よ、ルイズ。私は彼が必要な……ええ、そうね、必要な人間だから、私に出来る事をしたまで。其れを受けるのも、捨てるのも彼の自由。騎士叙勲の時に、其れを私は口にした筈」

 ルイズは首肯いた。

 才人は騎士叙勲の際、アンリエッタと“トリステイン”に対する忠誠を誓わなかったので在る。云う成れば、才人は自由騎士……そんなモノが居ればの話で在るのだが……兎に角、才人は元来の騎士とは違う存在となっているのであった。

 兎に角危険な目に遭うのでなければ、ルイズには異論はない。

 ルイズはペコリと頭を下げると、退出しようとした。

「サイト殿と、一緒に御帰えりになるの? 今なら未だ、中庭にいるかもしれないわ」

 ルイズは首を横に振る。

「いえ……サイトには話さずに参りましたから。帰りも1人で帰ります」

「そう。気を付けてね。また気軽に……いえ、“聖杯戦争”が始まった今、そうも言ってられないわね。呉々も気を付けて」

 恭しく一礼をすると、ルイズは退出して行った。

 アンリエッタは椅子に腰掛けると、肘を突いた。それから、掌の中に在る“風のルビー”を見詰め、疲れ切った若き女王は呟いた。

「……“別の(ひと)を愛して呉れ”、貴男はそう仰いました。もう2度と、誰も“愛”する事は無い、そう想いました。でも……」

 アンリエッタは溜息混じりに呟く。

「これが恋なのかどうか、私には判ら無いのです。ただ、偶に考えてしまう事があるの。すると、胸に僅かに、火が灯ったかの様になるのです」

 扉がノックされた。

「誰?」

「私です」

 アンリエッタのスケジュールを管理している、秘書官の声で在った。

 アンリエッタが「どうぞ」と促すと、ひっつめ髪に眼鏡を掛けた30過ぎの女性が入室して来た。

「陛下の今後2週間の予定を、確認させて頂きたく……」

「御願いします」

 秘書官は、次次に予定を読み上げて行く。

 下手をすると分刻みのスケジュールになるだろう程のモノであった。息も吐けぬとは、まさにこの有様であるといった具合にだ。

 アンリエッタは、(其の内に眠る時間も削られるわね)と心の中で呟いた。

「して、第1週“フレイヤ”の“ダエグ(8)”の曜日は、“ロマリア”の大使殿との会食が御座いますが……この際には御召物を“ロマリア”式の服で御願い致します。従って30分程、御着替えの時間を用意いたします」

「はい」

 アンリエッタは溜息を吐きたい気分を抑え、疲れなど微塵も感じさせぬ様に答えた。

「その翌日、虚無の曜日なのですが……どうしましょう?」

 秘書官は眼鏡を持ち上げ、悩んだ仕草を見せた。

「どうしましょう、とは?」

「ええ……予定では、“スレイプニィルの舞踏会”への出席が入っておりますが……キャンセルいたしましょうか?」

「宜しいのですか?」

 ホッとした様な口調でアンリエッタは言った。

 1日の休みは、今のアンリエッタにとって黄金以上に貴重なモノで在るのだ。

「ええ。所詮は“魔法学院”の新入生歓迎会ですから。それに陛下の来賓を仰ぐとは……オスマン氏は“学院”の行事を国事と勘違いしておられる」

 “魔法学院”の舞踏会……。

 而も“スレイプニィルの舞踏会”はただの舞踏会ではないとえる。参加者は仮装するのが慣わしで在った。而も、ただマスクを冠ったり、衣装で仮装する訳では無いのだ。

 アンリエッタは顔を持ち上げた。

「出席致します。その様に取り計らって下さい」

「確かに陛下の来賓が仰げれば、皆喜ぶでしょうが……御休みになられた方が」

 アンリエッタの激務を誰よりもと云えるくらいに知り理解している秘書官は、心配そうな様子で言った。

「有難う。でも、“魔法学院”は国の明日を担う“貴族”の子弟に教育を施す場……其の新入生ともなれば、激励の必要もありましょう」

 そうまで言われては、秘書官には否応もないといえるだろう。

 秘書官は、「ではその様に致します」、と言い残して退出して行った。

 アンリエッタは再び椅子に座り込み、肘を突いた。それから、頬に赤みが差し、切なげに、爪を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “浮遊大陸”“――白の国(アルビオン王国)”。

 其処に建造された、或る工場。

 其処に、女王で在るシオン、そして彼女の“使い魔(サーヴァント)”で在り客将扱いと成っている俺は居た。

「……ほう。此処まで進んで居るとはな。流石は“メイジ”、流石は“魔法”と言った所か」

「本当に、これは飛ぶのでしょうか?」

「問題無い。確かりと飛ぶさ」

 1人の“メイジ”の不安気な様子と言動に、俺は堂々と答える。

 シオンはと云うと、眼の前に存在する或るモノを見て、圧倒された様子を見せて居る。

 此処は、秘密工場と云った様なモノで在り、他の国には気付かれる事が無いように、細心の注意を払って居る。此処“ハルケギニア”に存在する“魔法”、“地球”の“魔術”などを用いて隠蔽をして居るのだ。

 此処に務めて居る“メイジ”達には、申し訳無いが篭って貰って居る。が、精神衛生などを考慮して、衣食住に事欠く事は決して無く、娯楽施設なども此処には存在して居る。其れでも外に出たいといった者には、その要望などを了承し、外出の許可を出している。

 だが、1つだけ。彼等には不自由を強いる点――呪いが掛けられて居た。

 “自己強制証明(セルフギアス・スクロール)”。

 “権謀術数の入り乱れる魔術師の社会に於いて、決して違約不可能な取り決めをする時にのみ使用される、最も容赦の無い呪術契約”の1つで在り、“自分の魔術刻印の機能を用いて術者本人に掛ける強制の呪いは、如何成る手段用いても解除不可能”で在り、“例え命を差し出しても、次代に継承された“魔術刻印”が在る限り、死後の魂すらも束縛される”と云う代物だ。

 其れを、此処“ハルケギニア”で使える様に改良したモノを使用して居る。

 契約内容は、

 

――“自身が務めて居る仕事、国家機密に関する事を家族で在ろうと誰にも話す事能わず、他言無用で在る事”。

 

 契約書と云う体で、其れにサインして貰ったのだ。

 勿論、1~10迄確りと余す事無く説明をし、合意の上で、だ。

 但し、“魔術刻印”などは此処“ハルケギニア”に住む者達は持っていないので、意味など無いと云えるだろう。故に、いってしまうのであれば、ただの誓約書で在り、彼等はプラシーボ効果で、誰かに話すと自分含め子孫達は2度と“魔法”を使えなくなってしまうと想い込んでいるだけである。

『ねえセイヴァー』

『何だ?』

『これって、“聖杯戦争”で使うの?』

『いや、使わ無い』

『なら、どうしてこんなモノを?』

『もっと先の事を考えてな』

 工場内の所々から、“錬金”を唱える“メイジ”達の声、そしてそれによって造られた金型に流し込まれるドロドロに溶かされた高熱の金属が出す音が響く。

『セイヴァーって、過去も未来も今も色々な事を観たり、知ったりする事が出来るんだよね?』

『……ああ、まあ、そうだな』

『今こうしている事は、それが理由? そして、これから先の事やこれまでの事も?』

『……そうだ。だが、総てを観たという訳ではない』

『どういう事?』

『囚われてしまうからだ』

『……?』

『過去を見続けると言う事は、それに囚われ動けなくなってしまう危険性がある。今を見続けると言う事は、最悪の場合、停滞を招く事になる。未来を見続けると言う事は、他を蔑ろにしてしまう可能性がある。そう俺は考えてる』

『…………』

『見えると言うのもまた難儀なモノでな。未来視の話だがな、見えてしまうと先ず楽をしようとするか、否定や絶望などをして己を閉ざすか壊れる。其れが起こらない場合、次に自身の望む未来を手繰り寄せるために動くか、諦観するか。未来を知り、それが識り渡る――“秘密の露見と拡散は、事象を固定するウィークポイントに”も成り得るからな』

『そっか。考えがあっての事ならこれ以上何も言わないよ。でも――』

 シオンは満面の笑みを浮かべ、俺へと向き直る。

 其の笑み、其の目には確かな信頼と信用などが込められて居る事が判る。

 其れ等と一緒に、シオンは不満気な様子も見せて居る。

『何か在れば相談はして欲しい、かな』

『無論、するとも』



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スレイプニィルの舞踏会

 “トリスタニア”上空3,000“メイル”……1騎の“竜騎士”が夜間哨戒飛行を行っていた。

 戦時ではないとはいえ、常に1騎か2騎かの“竜騎士”は空に上がっているのだ。空賊や、空を飛ぶ“幻獣”が、いつなんどき首都を襲わぬとも限らないのだから。

 この日、空に上がって居たのは、今や“英雄”と謳われて居る少年と青年と嘗て共に戦った、“首都警護竜騎士連隊第一部隊”所属のルネで在った。

 “アルビオン”で失ってしまった“竜”に変わり、新しく白鱗の“風竜”を手に入れたルネはユックリと“トリスタニア”の上空を旋回して居た。

 寒そうに、ルネは革コートのボアの着いた襟の中に顔を埋める。

「空は凍えるぜ……ったく、戦争は終わったっていうのに、“竜騎士隊”の人使いの荒さと来たら相変わらずだよ! 近衛の副隊長に収まったあのサイトや“アルビオン”の客将になったセイヴァーとはえらい違いだな! まぁ、110,000を止めたって話だから、其の出世とかも致し方ない、かぁ……」

 新しく相棒と成った“竜”が、そんなルネのボヤキに応えるかの様に、きゅい、と鳴いた。

「リュストー、別に御前の所為じゃないよ。“竜騎士”は空を飛ぶのが仕事だからね」

 優しくリュストーの頭を、ルネは撫でてやる。

 すると、リュストーは嬉しそうに目を細めるのだった。

 然し次の瞬間……リュストーは目を大きく見開く。僅かな光をも見逃すまいと、その瞳孔が猫の様に開いたので在る。

「どうした? リュストー」

 ワルルルルルルル……。

 低い唸り声が、“ウィンドドラゴン”の口から漏れる。

 その目の先を、ルネは追う。

 夜目の利く“竜”とは違い、ヒトで在るルネの目は、其処に在るモノを中々発見する事が出来なかった。

「何だ? あれは……」

 月明かりに照らされた、雲の隙間に其れは在った。

 巨大な1枚の羽……其の全幅は有に100“メイル”以上は在るだろう事が一目で判る。

 そんなモノが、ユッタリと空を飛んで居るので在る。而も……シュンシュンシュンシュンシュン……と聞いた事の無い妙な音を立てているのだ。

 ルネはゴクリと唾を呑み込んだ。

 巨大な悪魔が翼を広げて居るかの様な、そんなシエルエットに対し、ルネは恐怖を覚えた。

「伝説の悪魔が蘇った訳じゃないだろうな……おい、リュストー、もっと近寄って呉れ」

 然し、リュストーは命令に従わ無い。それどころか、踵を返そうとする始末で在る。

「おいリュストー!? どうした!? 彼奴が何者なのか突き止めるんだ!」

 ルネが必死な様子で叱咤をしたのだが、きゅい、と一声鳴くと、リュストーは降下して対象から離れて行ってしまう。

 未だ幼いリュストーは、どうやら巨大なそれに怯えてしまったのである。

「“アルビオン”で死んじまったヴィルガンが懐かしいぜ! 彼奴なら怯えずに、命令しなくても突っ込んで呉れただろうさ!」

 ルネは悔し気にそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の午後……場所は変わって“トリステイン魔法学院”。

「“スレイプニィルの舞踏会”?」

 昼食の席で、才人は眼の前に腰掛けたマリコルヌに尋ねた。

 才人は最近、ルイズの隣ではなく、こうやって“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”所属の連中と固まって食事を摂る事が多くなったのだ。

「そうだよ、今度、新学期が始まるだろ? まあ君は知らんかもしれないが」

 新学期と言われても、才人はピンと来なかった。未だ、此方の月の感覚に慣れて居ないためである。然し、何となくではあるのだが、最近はポカポカとして来たために、(春なんじゃないか)という気が薄ぼんやりとはしていた。

 先立って何か式が在って、沢山の“貴族”の子弟が入って来たという事を、才人は想い出す。

 何時の間にやら、3年生の姿は見えず、彼等は卒業して、入れ替わりに新入生が入って来たのであった。

 才人は、(成る程。あれは入学式だったか!)、と膝を打つ。

「新学期で、どうして舞踏会何なんかやるんだよ?」

 隣に座ったギーシュが、才人に説明をした。

「そりゃ、歓迎に決まってるじゃないか。新しく入って来た“貴族”の少女達は、社交界が初めてと云う娘も少なくない。そんな娘達に、僕が手取り足取り、大人の社交を教えるのさ! 嗚呼大人の社交! あ、少年もいるけどね」

 要は新入生歓迎会という事になるだろう。

 ふーん、と首肯き乍ら、才人は焼いた肉を頬張った。

 今更ではあるのだが、よく見ると、皆食器の使い方がそれ程上品ではないといえるだろう。ガッチャガッチャと皿とフォークを当てて派手な音を立ており、ズズズと音を立ててスープを呑み込み、平気で零してしまって居るのだ。

 ルイズを始めとした女の子達はそれなりに大人し目な食べ方をしているのだが。ギーシュ達少年の食べ方は酷いといえるだろう。

『何だ、そんなに気になるのか?』

『まあ、そうだな。あんだけ煩いマナーって、きっと俺等の世界でも最近出来たんだろーなー』

『其りゃそうさ。マナーを始め、今日に至るまでの作法とかは、先人が培って来たモノだからな』

「でだな、ただの舞踏会じゃないんだよ!」

 念話で会話をして居ると、ギーシュがワインをガバッと呑み干して、捲し立てる。

 マリコルヌもグイグイと呑んでいる。

 兎に角昼であろうとも、彼等は呑み捲くるのである。

 才人は、此の世界の“貴族”にしては行儀良い方で、炭酸水にレモンを絞ったモノを呑んで居る。

 俺はというと、“バビロニアの宝物庫”にあった酒を失敬し、呑んでいるのだが。

 ギーシュやマリコルヌを始めとした彼等は「“貴族”、“貴族”」と言う割には下品だといえ、才人は(自分はせめて上品に行こう)と妙な決心をした様子を見せる。

「何処がどう、ただの、じゃないんだよ?」

「仮装するのさ」

 得意気にギーシュが言った。

「仮装? そんなの別に普通だろ。何処が凄いんだよ?」

 才人がそう言うと、マリコルヌがフフンと小馬鹿にした笑みを浮かべた。

 然し次の瞬間……後ろの席の会話が才人の耳に入って来た。

「知ってるかい? 最近、“トリスタニア”の上空に現れた怪鳥の話」

「ああ。“竜騎士隊”に務める兄貴も噂してたが……ホントなのか?」

 会話を交わして居るのは、同じクラスの少年2人で在る。

 才人はそちらに耳を欹てた。

 そんな才人に気付か無い様子で、マリコルヌが説明を続ける。

「良いかい? “魔法学院”の仮装舞踏会が、ただの仮装をする訳ないじゃないか。“魔法”を使って仮装するんだよ。“真実の鏡”を使ってね。其の人が1番憧れている者……なってみたいモノに化ける事が出来るんだ」

 次にギーシュが得意気に言い放つ。

「理想の自分って言うのかね。まぁ、僕は自分が理想だけどな! 何てったって、僕は世界一美しいからな! あっはっは! 嗚呼! 何人僕の姿になるんだろう!? 嗚呼! ああああ! あ!」

 嗚呼、と喚き乍ら、ギーシュは自分をギュッと抱き締める。

 然しもう、才人はマリコルヌとギーシュの御喋りを聞いていない。すっかり後ろの席の会話に夢中になってしまっていた。

「……何でも、幅は500“メイル”はあったって言うぜ」

「“フネ”じゃないのか?」

「そんな形の“フネ”があるもんか」

「だとしたら“竜”さ。でっかい奴。伝説の巨大竜だよ」

「いや、“竜”類とは羽の形が全く違ったそうだ。どっちかと言うと鳥の様な形をしてたって……羽を広げた怪物の様だって。そんな話だよ」

 才人はつい席を立ってしまい、話に聞き入った。

「その話、詳しく聴かせて呉れないか?」

 彼等は、最近宮中で噂になって居るその話を、才人へと話した。

 “竜騎士”が夜間飛行中に、巨大な影を見た事。

 奇妙な音を立てて居た、などなど……。

「結局、それって何だったんだ?」

「判らない。その“竜騎士”の“竜”が怯えたとかで……いや、怯えたのは“竜騎士”本人かも知れんが……近付いて観察する前に逃げ出してしまったそうだ。報告を受けた一個“竜騎士”中隊が空に昇がった時には、もう霞の様に“トリスタニア”上空からは消えていたらしい」

「何だそりゃ」

「なぁ……雲か何かを、見間違えたんじゃないかって言われてるけどな」

「ふーん……」

 才人は何だか胸騒ぎを感じた。そして、此の前の“ミョズニトニルン”で在り“キャスター”である女性の事を想い出す。

 “汎ゆる魔道具を操れる”、才人と同じ“虚無の使い魔”……“魔術師”の“サーヴァント”。

 “竜”でも“フネ”でもないとするのであれば……それは何か、“魔道具”の一種か、それとも“宝具”で在る可能性が在るのだ。

 詳しい姿を見た者はいない様だという事もあり、何とも言えないだろうが……兎に角油断は出来る筈もない。

 “アルビオン”で出会った、敵意を抱いて居る連中は、フーケやワルドや“レコン・キスタ”などとは違って、才人達にとってどうにも正体が掴めない。特定の国なのか、何かの集団なのか……それすらも判らない、不気味な連中といえるのだから。

 アンリエッタは「調査する」とは言ったのだが……新たな情報は得られていないのだろう、今の所何も言って来ないので在る。

 才人は頭を捻り乍ら席の戻った。

 マリコルヌがそんな才人を見咎め、不満そうに言った。

「おい、人の話はちゃんと聴けよ! 途中で席を立つなんて失礼極まりない!」

「んあ? ああ、御免。で、仮装がどうしたって?」

「もう良い!」

「御免御免。そう怒るなよ。御前達も気にならないか? “トリスタニア”の上空に現れた謎の巨大な影!」

「見間違いじゃないのかね。夜の哨戒飛行なんて、誤認の連続だよ。裸の御姫様が飛んでた、何て情報なら、僕達が調査に乗り出しても良いが」

 ギーシュが小馬鹿にした調子で言った。

 そんな御喋りを続けていると、眼鏡を掛けた1人の少年が口を開いた。

「なあ君達。舞踏会も謎の影も良いが、もっと騎士隊の事を考えて呉れよ」

 才人はギーシュの横に腰掛け、其の少年を見詰めた。

 其の少年は、レイナールという名前の、隣のクラスの男子だ。“アルビオン戦役”では、輜重隊を指揮していたらしい。退却時の混乱にめげる事無く、部隊を纏め上げたなどといった事から、表彰されて居た。

「僕達が宮中で何と呼ばれて居るか知ってるかい? 学生の騎士ごっこだぜ? 陛下の酔狂ぶりにも困ったモノだって噂になってるようだ。宮中に務める僕の伯父君がそんな噂を聞いて来たらしい」

 其の場の全員が、ムッとした表情を浮かべた。

「何、僕達は其れ成りの武勲を上げたかも知れんが、近衛隊と言うのはやはり破格の出世に違いないよ。昔の偉大なる武人達と比べられて、子供の御遊びなんて言われてしまうのは仕方無い。でも、僕達は其れに甘んじる謂われもない。だからこそギーシュ、サイト、君達にはもっと真面目に考えて欲しいのさ」

 ギーシュと才人は、うむむ、と顔を見合わせた。

「君の考えは正しいかも知れんが、で、どうすりゃ良いんだ?」

「もっと陣容を強力にしたい。今の所、シュヴァリエはサイトだけじゃ成いか」

「と言ってもシュヴァリエなんて中々貰える称号じゃないし……」

 ギーシュがそう言うと、レイナールはニッコリと笑った。

「1人知ってるぜ」

 

 

 

 昼休み、一同が遣って来たのは図書館で在った。

 殆ど人の居無い図書館の端っこの方に、其の少女は居た。

 小柄な身体を屈め、一生懸命に本を読んで居る。

 青髪の少女、タバサで在った。

「あれ? 何時の間に帰って来たんだ?」

 ギーシュが呟く。

 彼女は、キュルケと一緒に“ゲルマニア”に向かった筈で在るのだが。

「2~3日前に帰って来たみたいだよ」

「影が薄いからな。うむむ……」

 ギーシュが悩んだように言った。

「しっかし、彼女を僕達の仲間に入れるのか? 女の子じゃないか」

「でも、確か彼女はシュヴァリエだぜ。此の際、性別に構ってられないだろう。“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の入隊条件は“魔法学院”の生徒に限る。其れだけだぜ。女性が駄目だって決まりが在る訳じゃない」

「別に公式文書に成ってる訳じゃないぞ。偶々そうなっただけだ。女の子が誰も入りたがらなかったから……」

 とギーシュが言う。

 才人も、「俺は生徒じゃないんだけど」、と言った。

「良いじゃないか。だったら“魔法学院”で暮らす者と変えても宜しい。今決めた。そう決めた。僕が決めた」

 レイナールは傲慢に言い放った。大人しそうな顔などに似合わず、結構強引な性格をしているのだ。

 どうやら彼は騎士隊の実務を担う積りで在るのか、隊長と副隊長を説得にかかる。

「良いかい? 君達はどうにも経営とか評判とかに興味がないみたいだがね、騎士隊存続には、何より此の2つが不可欠だ。僕なりに騎士隊が宮廷で馬鹿にされないよう、考えている積りなんだ。代案が有るなら聴かせて欲しい」

 そう言われては、才人とギーシュはぐうの音も出ないだろう。

「じゃ、勧誘して来る」

 レイナールが歩き出したので、才人がそれを止めた。

「待てよ」

「何だよ!? 文句が有るってのか!?」

「無いよ。一応、俺とギーシュで行くよ。なぁギーシュ」

「うん? あ、ああ」

 ギーシュを連れて、本を読むタバサの隣に、才人は座った。

「よ、よぉ……」

 此の青髪の少女が、才人は少しばかり苦手で在った。何せ、彼女と来たら余り喋ら無い、反応も余り返さない、まさに暖簾に腕押しといった風情成ので在るから。

 才人が隣に腰掛けても、タバサは視線を少し動かすだけであり、直ぐに本へと戻り、無反応といっても良いだろう様子を見せる。

「御前、キュルケと一緒に“ゲルマニア”へ行ってたんだってな。そういや、その、コルベール先生の遺体と一緒に……あれからどうなったんだ?」

 タバサは答え無い。

「キュルケは未だ、あっちにいるのか?」

 其処でタバサは首肯いた。然し、どうにも話す積りはない様子だ。

「そうか……何時になったら帰って来るんだ?」

「判らない」

 兎に角余り話したくない事情が有る様子を見せるタバサ。

 才人は、其れ以上訊くのを諦めた。

「そんな事より、君に頼みが有るんだ」

 ギーシュが2人の会話に割って入る。

「是非共、僕達の騎士隊に入って呉れないかね?」

「…………」

 タバサは全く本から顔を動かそうとしない。

「えっとだな……俺達、実は騎士隊を作ったんだけどさ。御前の力を借りたいんだ」

 次いで才人がそう言ったのだが、やはりタバサは無反応といった様子。

「君はシュヴァリエ何だろ? 是非共その力を、僕達“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”のために使って呉れないかね?」

「私は“ガリア”人」

 其れが答えと言わんばかりで在る。

「“ガリア”人だって問題あるもんか。何なら客員騎士という身分だって構わない」

 何時の間にか後ろに立って居たレイナールが、そう言った。

「年金の額を増やすよう交渉してみるし……」

 タバサは首を横に振った。額に掛かる青髪が揺れる。

 才人は、いつか“アルビオン”で見た夢を想い出した。あの時、此の冷たい横顔に胸を高鳴らせた事を想い出し、少し照れた様子を見せる。

 タバサも相当な美少女で在る。唯……冷たい空気が幾重にもタバサの表情を覆い、そういった美点に気付かせ難くしているのだ。

 其の顔を見て居ると……才人は、(何か出来る事はないだろうか?)となどと想った。

 才人は真面目な声で、タバサに言った。

「俺、御前と同じシュバリエになったんだよ」

「シュヴァリエ?」

 タバサは其処で初めて顔を上げた。

「ああ。そんでさ、何か人の役に立ちたいって。そんな風に想うんだよね。ただの平民より、シュバリエみたいに肩書着いてる方が何か出来るかもしれない。上手く出来るかどうか、そんな事判らないけど、でも今、俺、それに一生懸命何だ。御前、強いだろ? 何つうの? その……」

 恥ずかしそうに才人は言った。

「その力を、社会のために役立ててみませんかって。そういう」

 するとタバサは本を閉じて立ち上がった。

「おお、やって呉れるのかい?」

 ギーシュが歓喜の声を上げた。

 然し……。

「騎士ごっこに興味はない」

 短く言い残し、タバサは歩き去った。

「ぐぬぬぬ、何だねあのちびっ娘は! こっちが下手に出れば調子に乗りやがって!」

 ギーシュが悔しそうに地団駄を踏んだ。

「ま、しょうが無えだろ。あいつだって何かと用事が有るんだろ」

 と、才人が熱り立つギーシュを諌めた。

 

 

 

 タバサは自分の部屋に帰って来ると、ベッドの上に1羽の鴉がいる事に気付いた。

 “ガリア王家”からの密書を運んで来た、伝書鴉だろう。

 届ける鳥は決まっておらず、梟の時も在れば、鳩の場合も在る。

 然し今日の鴉は、密書を持っていない。

 タバサが首を傾げると、ボンッ! と音がして、左右に割れた。

 よく見ると……それは精巧に出来た鴉の模型で在ったのだ。恐らくは“魔法人形(ガーゴイル)”の一種なのであろう。

 左右に割れた鴉の模型の内部には空洞が在り、其処に手紙が入っていた。

 タバサは其れを取り上げ、目を通す。

 タバサの眉間が僅かに寄った。

 其の夜……“ウィンドドラゴン”(化)で在るシルフィードに乗ってタバサが訪れたのは、“ガリア王国”ではなく、“トリスタニア”で在った。

 ポツポツと灯りが灯る街の上空で、タバサはシルフィードから飛び降りる。“呪文”を唱え、“レピテーション”で身体を浮かせ、ユックリと降り立つ。

 其処は、いかがわしい酒場や賭博場が並ぶ“チクトンネ街”で在った。

 通り行く酔っ払いや派手な夜の女達は、空から落りて来たタバサを見て、一瞬怯みはしたが……年端もいかぬ子供と気付き、苦笑を浮かべた。(“貴族”とは言え、相手は子供だ)と云った風に、気が大きくなっている酔っ払いの口からは、誂いの言葉が飛び出た。

「どうしたい嬢ちゃん? 此処いらは子供が歩く場所じゃねえぜ?」

「おやおや! 迷子になったのかい? 父上の所に連れてったら、礼金を弾んで呉れるかい?」

 タバサは頬に当たる微風であるかの様に、そう云った誂いの言葉を無視して、指定された酒場へと向かう。

 其処は“チクトンネ街”でも、割と上品な造りをしている酒場で在った。“貴族”や、騎士風の出で立ちをした者も多い。

 カウンターに座ると、店の主人が胡散臭そうにタバサを見詰めた。

「“貴族”の娘さんが来る御店じゃありませんよ。御屋敷では今頃大騒ぎでしょう。御帰りになった方が宜しいですぜ」

 それでもタバサは動か無い。

 首を横に振ると、主人はタバサに顔を近付けた。

「ねえ御嬢さん。どんだけ“魔法”が出来るか知らねえが、この店にはよからぬ事を企む連中だって来るんだ。面倒事に巻き込まれねえ内に……」

 そう店主が脅した時、深いフードを冠った女性がタバサの隣に腰掛けた。

「遅れて御免なさい。ああ、連れですの」

 台詞の後ろ半分は、主人に向けたモノで在った。

 女の雰囲気に、首を突っ込まねえ方が良いな、と勘付いた主人は奥へと引っ込んだ。

 深いローブの女はタバサに目配せをした。

「始めまして。“北花壇騎士”タバサ殿」

 タバサは軽く首肯いた後、口を開いた。

「どうして?」

 “どうしてガリアでは無く、トリステインで任務を授けるのだ?”、と、そういう疑問であった。

「この国が、今度の任務の舞台だからよ」

「…………」

 女は冠ったフードをズラした。

 切れ長の目、サラサラした黒髪の間には、“ルーン文字”が踊って居る。

 “神の頭脳”こと、“ミョズニトニルン”。そして、此度の“聖杯戦争”にて“キャスター”の“クラス”の力を授かった女性で在る。

「貴女と私の主人はね、こういう風に考えているの。“世界に4匹しかいない竜同士を戦わせてみたいんだけど……どうして良いのか判らない。で、竜を捕まえる事にした”って訳」

「…………」

「“竜”には、強力な護衛がついている。だから、貴女に其の護衛を退治して欲しいのよ。その隙に、私が“竜”を盗むって訳」

「護衛を退治?」

「貴女もよく知って居る人物よ」

 “ミョズニトニルン”は、タバサに1枚の紙を見せた。

 其処に書かれた名前と似顔絵を見て、タバサの目が見開かれた。

「この任務を成功させたら……大きな報酬があるわ。貴女の母親……毒を呷って心を病んだのよね。その、心を取り戻せる薬よ」

 タバサは唇を噛んで震えた。それから“ミョズニトニルン”へと視線を移す。その目には、明らかな敵意が含まれている事が判る。

「あら? 天下の“北花壇騎士”様が、知り合いだからって私情を挟むの? 理解ってるの? 貴女、自分の母親の心を取り戻せるチャンスなのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 其れから1週間後の“虚無の曜日”。

 愈々本日は“スレイプニィルの舞踏会”で在る。

 本来なら休みの日である今日、“魔法学院”の生徒達は朝からソワソワとしていた。朝食の席でも、「御前は一体誰に成るんだ?」、「当ててみろよ!」、などといったそんな会話が彼方此方で交わされて居た。

 ギーシュは足を組み、得意げに言った。

「僕は何に化けようかな! でも、華麗な僕は、其の儘侭姿が1番だと想うんだ。とう想う? サイト」

「はいはい」

 ギーシュの自惚れを、才人は聞き流す。

 俺と才人の眼の前ではマリコルヌが自分の身体を抱き締め、「どうしよう。此の侭じゃ僕、美少女に化けちゃいそうだよ」と言ってのける。

「化ければ良いじゃねえか」

「嗚呼どうしよう。それって一種の犯罪じゃないのかい?」

「一種の犯罪どころか、死刑だと想うよ」

「嗚呼……あ、死刑だ何てそんな……嗚呼」

 マリコルヌは身を抱き締めて震える。

 このの小太りの少年が、美少女の格好とやらをした姿を其の侭素直に想像したのだろう、才人は朝食を吐き出しそうになった様子を見せる。

 “魔法”で化けるという事を聞いて居らず、知らない才人は、(然し……仮装位でそんなに盛り上がるなんて、こいつらは平和だな。ちょっと変装したくらいで、そんなに変われる訳ないじゃないか)と感想を抱いた。

 少し考えれば、“魔法学院”の仮装舞踏会がなのだから、ただの仮装では無いと云う事が判りそうなモノでは在るのだが……舞踏会には殆ど興味が無い才人は、其処まで考えが巡らなかったので在る。

 

 

 

 才人が朝食を終えて部屋に帰ると、シエスタが掃除をしていた。

「御帰りなさい。サイトさん」

「うん。只今」

 シエスタはニコニコと楽しそうに掃除をしている。

「今日は“スレイプニィルの舞踏会”ですね」

 才人が「シエスタも行くの?」と尋ねると、シエスタは恥ずかしそうに首肯いた。

「はい……給仕の手が足りないので……」

「そっか」

 才人が(俺はどうするかな? やっぱり行くか?)と考えて居ると、シエスタが才人の眼を覗き込んだ。

「あのっ!」

「は、はい」

「私、最近こういう本を読みまして」

 スッとシエスタは、1冊の本を差し出した。

「何これ?」

 才人は、(シエスタも本なんか読むんだな)といった感想を抱いた。

「ああ、サイトさんはこっちの字が読めないんでしたっけ」

 シエスタは、顔を赤らめてその物語を説明し始めた。

「これではですね、“メイドの午後”と言う御話でして」

「うん」

「とある若いメイドさんが、“貴族”の御屋敷に仕える御話なんです。で、其処の御屋敷の旦那様がこれまた無体でして」

「うん」

「夜な夜な、メイドに、宜しくない事を強要するんです」

「宜しくない事って?」

 シエスタは才人のミイにゴニョゴニョと呟いた。

 鼻の奥が、ツーンと痛くなるのを感じ、鼻血が噴出する5秒前といった風で在ったのだが、才人はこれをどうにか堪えた。

「……何読んでんのさ」

「そ、そう言う御話なんです! 同室だった娘が読めって! 読めって言うもんですから!」

 シエスタは顔を真っ赤にして、ブンブンと腕を振った。

 才人は、(シエスタ達メイドは、暇な時そういうの読んでんのか……そう言や俺の世界でも少女誌って過激だったもんなぁ)と変な納得の仕方をした。

「で?」

「否、私、この御話に出て来るような無体な旦那様にされるのは嫌ですけど……サイトさんだったら良いかなって」

「はい?」

 才人は思わず訊き返した。

 シエスタは顔を真っ赤にして、両手で覆った。

「な、何てっ! 冗談ですっ!」

「だ、だよね……」

 才人が笑うと、シエスタは上目遣いに才人を見詰めた。その目が好奇心からだろう、爛々と光っている。

「でも……ちょっとやってみません?」

「え?」

「試しです試し」

 才人が呆然と立って居ると、シエスタはとととと、と駆け寄り、バサッと何かを落とす仕草をした。

「ガッチャーン! いけない、旦那様のカップをってしまったわ!」

「…………」

「サイトさんの番です」

 と、シエスタは真顔で言った。

「何をしろと?」

 才人の側に駆け寄り、ボソボソとシエスタは呟く。

 瞬間、才人は鼻血を噴いてしまった。

「シエシエ?」

「し、叱って下さい! サイトさんに叱って頂けるなら、私本望だわ! こ、こんな感じですっ!」

 シエスタは、きゃん! と喚いて態とらしく倒れ、才人を見上げた。顔はもう、林檎の様子に真っ赤で在る。

 また、シエスタから物凄い苛めてオーラとでもいえる様なモノが発せられ、飛び散り、才人を圧迫するのであった。

 それからシエスタはスカートの裾を軽く持ち上げ、斜め下を向いた。

「だ、旦那様の御好きなように、御仕置きして下さいませ……」

 才人の頭の中は、(巫山戯た事言ってんじゃ無えよ。このメイドってばホントどう仕様もねえなこの野郎)と云った考えで一杯になり、「カハ、カハック、この、こんの……こんのッ!」と訳の判らぬ声が口から漏れた。

 足が、ルイズが乗馬鞭を仕舞っている棚へと勝手に才人を運んでしまう。頭に血が上り切り、もうどうにも抗えないといった様子で在る。

 丁度其の時、バタンと良いタイミングでドアが開き、ルイズが入って来た。

 倒れてスカートを握り締め、今か今かと旦那様の折檻を待ち受けるシエスタと、棚から無知を取り出そうとして居る才人を見付け、ルイズはクルクルと器用に回転し乍ら、才人の股間に蹴りを叩き込んだ。

「良い加減にしようね。あんた達」

「します」

 股間を押さえて倒れた才人はルイズに顔を踏まれた侭、言った。

「メイド。“使い魔”。聴きなさい」

「はい」

 と、同時に才人とシエスタが返事をした。

「次はないからね。兎に角、そんな“使い魔”に、主人として命令があります」

「な、何だよ……?」

「今日は“スレイプニィルの舞踏会”よ。知ってるわね?」

「うん」

「何な舞踏会か知ってる?」

「えっと……仮面舞踏会だっけ?」

「そうよ。理想の仮面を冠った舞踏会よ。そ、そそ、其処であんた、私を絶対見付ける事」

「はい~~~?」

 才人は、(一体、それにどういう意味が有るんだ?)と疑問を抱いた。

 シエスタがギロッとルイズを睨んだ。

 其れに気付いた才人は、(ははーん、どうやら何か2人して企んで居る様だな。女は平和だな……戦争が終わったら、早速舞踏会やら御仕置きに夢中だよ。もっとこう、社会に貢献する事に一生懸命になるとか、そういう方向に考えが向かないんだろうか?)と想った。

「御前等さ……」

 才人は溜息混じりに言った。ルイズの足を退けて、立ち上がる。パンパンと服の汚れた部分を冷静に叩く。

「はぁ? 何よ?」

「はい?」

「取り敢えず2人共。其処に座りなさい」

「何よ?」

「良いから」

 2人は顔を見合わせると、仕方無くといった様子でベッドへと腰掛けた。

 そんな2人に、才人は勿体ぶった調子で言い放つ。

「君達は、もっと世のため、と言うモノをだね、考えないと行けないよ」

 ルイズは呆れた。

 才人は、行き成り世直し的なモノに目覚めてしまっているのだ。

 ルイズは、(多分、コルベール先生の死が原因かしらね。あの先生、そういった事を研究してたみたいだし……その遺志を受け継ごうとか、其処まで考えて居るのかもしれないわね。だからあんなに騎士隊に夢中になってたのね)と解釈をした。

 然しルイズに言わせるのであれば、それは才人の仕事ではないのだ。

 ルイズから見た、才人のするべき仕事は……取り敢えず元いた世界――“地球”に戻る方法を見付ける事だ。其れをした上で初めて、此方の世界――“ハルケギニア”の事を真面目に考えれば良いのだ。残るのかどうなのか……などを、だ。後は、行ったり来たりする方法を探す、などもだが。

「騎士隊で世直し? ばっかじゃないの?」

 ルイズに呆れ顔で言われ、才人はムッとした。

「何だと!? “ばっかじゃ成いの”ってどういう事だよ!?」

「あんたにはあんたのやるべき事が有るでしょー!」

「御前を守る事か? だからそれはそれできちんとやるって言ってるじゃねえか」

「違うわよ!」

 ルイズは怒鳴った。

「な、何だよ……?」

「帰る方法を見付ける事でしょ。帰って、家族を安心させなさいよ」

 うぐ……と才人は答えに詰まってしまう。

「今のあんた見てるとね、何か不自然なの。こっちの世界の事は、こっちの世界の人間に任せときなさいよ」

「で、でも……」

「騎士隊の仕事ってのは、結局戦争なの。あと、姫様を守る事。それは確かに大事な仕事だけど……あんたの仕事じゃないわ。どうして夢中になってるの?」

 ルイズにそう言われ……才人は俯いてしまった。

 才人の思いは2つ程あり、ルイズを守るという確かなモノでもありはしたのだが、もう1つの方はそれでも漠然としたモノであったのだ。

 兎に角才人は、何かやってみたくなっていたのである。

 今までのほほんと暮らして来た分……自分に出来る事を精一杯やってみたくなったのである。

 だが、それをルイズに説明するのは難しい事であった。

 ルイズは溜息を吐いた。

「兎に角……今回の舞踏会、あんたちゃんと出席しなさいよね。あと、さっき言った事を忘れないで」

「う、うん」

 ルイズは声以上無いと云った程に、顔を赤らめた。茹だって死ぬのではといった程に、赤い。

「そ、そしたら」

「そしたら?」

「その……こないだの“アルビオン”での夜の続き、して上げる」

 シエスタの目が思い切り吊り上がる。

「またそういう釣り方するなんて!?」

 ルイズは怒った様に顔を背け、部屋を出て行った。

 残された才人は、其の侭の姿勢で倒れ……間欠泉の様に鼻血を噴いた。

 シエスタが、「サイトさんしっかりぃ!」、と喚いて、介抱を始めた。

 

 

 

 

 

 

 夕方になり、宝物庫から“真実の鏡”が、2階のダンスホールの入り口まで引き出された。

 “魔法”の鏡の周りには黒いカーテンが引かれ、誰が今、姿を変えて居るのか判らぬようになっている。

 カーテンの隣にはシュヴルーズが立っている。何の積りであるのか、蝶の形をしたマスクを冠っている。

「夜の貴婦人が、貴方達を幻想の世界へと案内しますよ」

 シュヴルーズは、ノリノリで並んだ生徒達を誘導していた。

 ルイズも列に並び……自分が何に変身するのかを考えていた。

 何と無くでは在るが、ルイズにはその姿は想像出来ていた。

 ルイズは、(サイトは、その姿になった私を見付けて呉れるかしら?)と不安に想い、それから「判るわよね」と独り言ちた。

 ルイズの番に成り、ルイズはカーテンを潜る。

 其処には1枚の大きな鏡が在った。

 レリーフさえ象られていない、シンプルな枠に収まった、2“メイル”位の高さの姿見で在る。

 上から1枚の布が掛けられていた。

 カーテンの外から、シュヴルーズの声が聞こえてくる。

「良いですか? 理想の姿を想い浮かべるのです。誤魔化しても仕方がありませんよ? この鏡は心の深い部分迄覗き込み……貴女をその姿にしてしまうのです。心の準備が出来たら、その布を御取りなさい」

 ルイズは深呼吸をすると、「はい」と答え……掛けられた布を持ち上げた。

 美しい、虹色に光る鏡面が現れる。

 其処に映ったルイズの姿が……鏡から溢れる虹色の光に覆い尽くされて行った。

 溢れる光で、視界が途切れ……不意に光は消え、元の薄暗い空間へと戻る。

 然し、鏡の中にルイズはもういない。

 其の姿は、百神の優しそうな23~24の女性と変わって居た。

 其処に現れたのは……ルイズの2番目の姉、カトレアで在った。

 ルイズが理想としたのは、カトレアで在ったのだ。

 誰よりも優しい、姉の姿に成り……ルイズはソッと胸に手を置いた。

 

 

 

 ホールに向かうと、其処は様々な人々で溢れて居た。

 伝説の勇者、偉人、宮中の有名人……割と年配の紳士淑女が見えるのは、生徒達の両親だろう。クラスメイトその侭の姿もまた見えはするが、本人ではないのだろう。

 アンリエッタなどの姿も数人程見えたために、ルイズは思わず苦笑した。

 この日ばかりは、誰が誰だか判ら無いだろう。

 特定の相手とダンスを踊りたい場合は……自分が誰に化けるのか、前以て知らせておくのである。

「サイトは私が判るかしら?」

 ルイズは呟いた。そして、(判るわよね)と想った。

 何せ、カトレアの姿をしているのだ。

 そうこうしていると、ホールに1人の男性が現れた。

 誰も見た事の無い、異国風の男性。この“ハルケギニア”で語り継がれて居無い、全く未知の風貌をした男性で在る。

 だが何故か、此の場の――ホールに居る皆は、その男性に視線が釘付けにされてしまう。

 肉体と一体化した黄金の鎧に、胸元に埋め込まれた赤い宝石。白髪痩躯で、鋭い目付きの美男子。

 其処で、開始の挨拶をするためだろ、オスマンが姿を現した。

「えー、諸君。改めて挨拶じゃ。本日は、新入生との親睦を深めるための舞踏会じゃが、匿名性を帯びて居る。其れは、家柄、地位、国籍、爵位に囚われず、此の学園では皆平等じゃと云う事を、強く印象付けるためじゃ。でなければ、一緒に机を並べて学ぶ事は不可能じゃからな」

 オスマンはコホン、と咳をした。

「相手が誰か知りたかったら、此方から丁寧に名乗るのじゃ。姿や相手の身分に囚われず、堂々と名乗るのじゃ。其れが“貴族”を“貴族”たらしめる礼節の一歩だからじゃ」

 集まった生徒達は一斉に首肯いた。

「諸君等が驚くといけないと想って黙っておったが……何と本日はアンリエッタ女王陛下、シオン女王陛下、“アルビオン”客将セイヴァーが入らしておる」

 会場がどよめく。

 新入生たちは、俺やシオンがこの“魔法学院”で過ごして居る事を知ら無かったため、驚いた様子を見せる。

「而も……この舞踏会の趣旨に則り、きちんと化けておられる。誰が両陛下なのか、当ててみるのも一興じゃぞ?」

 生徒達はソワソワとし始めた。

 アンリエッタと話せる機会など、そうそうあるものではないのだ。これを機にお目通り願おうと、何人かは既に気が気でない様子を見せている。

 ルイズもまた驚いた。そして、(おいでになるら、知らせて呉れれば良いのに……)、と少しばかり不満に思った。

「さて……では今回の趣旨じゃ。良いか、君達は理想の姿に化けて居る。その理想の姿に近付ける様、その理想に負けぬ様、新しい学年で学んで欲しい。立派な“貴族”足れ。以上じゃ」

 拍手が湧いた。

 オスマンは真面目な顔で退出し、次に鏡で化けて入って来た。

 際どい格好をした若い女の女性の姿で在り、ポーズを取って呟く。

「オスマンじゃ」

 先程の演説に感心していた生徒達は、水を打ったかの様に静まり返ってしまう。

 既に、オスマンの人と成りを理解して居る在校生は、呆れた様子で見詰めた。

 教師達が無言でオスマンの両腕を掴み、外に引っ張って行った。

「で、では舞踏会を楽しみ給え!」

 ジタバタと暴れ乍ら、オスマンが外に連れ出された。

 音楽が奏でられ始め……舞踏会が始まった。

 ルイズは辺りをキョロキョロと見回す。

 が、才人らしき人物は居無い。

 ルイズは、(もうちょっとしたら来るのかしら?)と思い乍ら、壁を背にしてルイズは溜息を吐いた。

 

 

 

 皆、と云う訳では無いが、何人かが俺へと近付いて来る。そして、皆決まって一礼をし、自己紹介をするのだった。

「“サーヴァント、ランサー。真名、カルナ。宜しく頼む”」

 皆挙って、俺へと詰め寄って来る。

 そんな中、俺はどうすれば“カルナ()”に似せる事が出来るのか頭を巡らせる乍ら、口を開き呟く

「“嫌いでは無いだが、コミュニケーションと云うモノは苦手だ。人は言葉で理解り合えるのだろうか”……」

 其処で、1つの疑問が投げ掛けられた。

「“好ましいモノ…か。友情、努力、和解……何れも素晴らしいモノだ。そう想わないか?”」

 

 

 

 才人が会場に着いた頃には……浮揚も闌と云った時分であった。

 馬の世話をしていたために遅れてしまったのである。

 才人は、(生き物を飼うのは大変だー)、と実感していた。

 おまけに慣れない仕事というモノは、当然時間が掛かってしまう。

 カーテンで覆われていたために、入り口に置かれていた鏡に気付く事なく……才人はホールに入って行った。という選りも、才人は、そんな鏡で化ける舞踏会だという事など知らなかったのだ。

 入り口に控えて居た衛兵が見咎めようとしたのだが、才人のマントに気付いたのだろう、慌てて敬礼をする。

 中は薄暗く……余り良く顔が見えない。

 才人は、少し前の「こないだの“アルビオン”での夜の続き、して上げる」といったルイズの言葉を想い出した。

 才人は、(そんな事言うなんて、是非共叱ってやらなくちゃ……く、くそ)と完全に煮えきった頭でキョロキョロとルイズを捜した。

 然し、見付からない。

 才人は、(仮装舞踏会だから、仮面でも冠ってるのかな……)と思ったのだが誰も冠って居ない事に気付く。其れどころか、見知らぬ人の姿が多く、生徒達の姿が余り見当たらない事にも気付いた。

 其れ相応の立場だろう人達が、其処彼処で踊ったり、談笑したりしている。

 才人はやっとの事で、壁際に佇むルイズ(?)を見付けた。

 喜び勇んで駆け寄ると、彼女は顔を上げて才人を見詰める。

 其の顔が赤みを増して行くのが、傍目でも判った。

 約束が約束なだけに、才人もまた顔を赤らめた。

「直ぐに見付けられたじゃねえか。良いのかよ、あんな約束して……?」

 ルイズ(?)はモジモジとして居たが、「……約束?」、と問い返した。

「何だよ、もう忘れたのかよ?」

「いえ、御免なさい。で、貴男は?」

「“貴男は?”って俺に決まってんだろ?」

「サイトさん?」

「そうだよ」

 するとルイズ(?)は増々顔を赤らめるので在った。

 才人は、(何だよ此奴……混乱してるのか?)と思った。

 だが、才人に、そんな風に恥じらうルイズは激しく可愛い、と想わせた。

「で……さっきの話、ホントなのかよ?」

「さっきの話?」

「恍けるな! 言ったじゃねえか」

「……どのような約束なんですか?」

 才人は、(何だその馬鹿丁寧な喋り方……巫山戯てるのか?)と苛々とした。

 楽隊が激しい曲を奏で出した。

「五月蝿いな……外行こうぜ」

 才人はルイズ(?)の手を握ると……ベランダへと引っ張って行った。

「……あ」

 ルイズ(?)は驚いた様な声を上げたが……従順に従った。

 ベランダに着いた所で、才人はルイズ(?)へと言った。

「御前な、言っとくけど、冗談であんな事言うなよ。本気にするじゃねえか」

「……ご、御免ないさい」

 謝ってしまうルイズ(?)は、何だかととても可愛らしく……才人は少し意地悪をしたくなってしまった。

「ちゃんと謝らないと、こ、此処でしちゃうからな」

 ルイズ(?)が黙って俯いて居るので、才人はその顎を持ち上げた。

「……あ」

 ルイズ(?)は才人を見詰め……目を瞑った。

 そんな仕草を前に、才人はドキッとした。思わず吸い寄せられる様にして……その唇に、才人は自身のそれを重ねてしまう。

 ギュッと抱き締めると、ルイズ(?)は才人へと身体を預けた

 其の侭……壁際迄才人は押されてしまった。

 ベランダには他に人影はないから未だ大丈夫だと云えるものの、こういった所を誰かに見られてしまうと不味い事になってしまうだろう。

 才人はソッとルイズ(?)を離そうとした。

「んっ……!」

 然し、ルイズ(?)は矢鱈と積極的で在り、グイグイと身体を押し付ける。

「……ルイズ」

 才人は、(若しかしてルイズは……ずっと寂しかっただけなのかもしれないな……)と想った。そう想うと、ルイズへの“愛”しさが次から次へと生まれて来て、才人を包んだ、

 才人は気付くと、ルイズ(?)の控え目な胸に手を置いてしまっていた。

 だが、この前の様に、ルイズは全く嫌がる素振りを見せない。

 才人は、(“あれは御褒美よ!” なんて言われて、ちょっと傷付いたけど……やっぱり御褒美なんかじゃ無くってルイズは俺に……)と想った。

「ルイズ」

 そして、才人は強くルイズ(?)を抱き締めた。

 熱い吐息がルイズ(?)の口から漏れて……才人は我を忘れた。

 

 

 

 其の頃……ホールの入り口に立つ衛士が妖しい人影を見咎めた。

 深いローブを冠った女性で在る。

 フードの隙間からは長い黒髪が覗いているのが見える。

 生徒にも教師にも見え無い。

「何方ですかな?」

「本日の舞踏会に出席するために、“王宮”から派遣されたんですのよ」

「“王宮”? さて……」

 衛士は出席者が書かれた目録を繰り始めた。

「恐れ乍ら御名を頂きたく……」

 そう訊ねると、女性はスッと懐から小さな鐘を取り出した。

「それは……“眠りの鐘”? どうして……?」

 そう衛士が呟いた瞬間……鐘が小さく鳴らされた。

 キーン……と透き通る音が小さく響く。

 衛士は、急速な睡魔に襲われてしまう。(寝たらいかん、叱られる……)とそう思い乍らも、強烈な眠気には抗う事が出来ない。

 壁に凭れ、ズルズルと床に崩れ落ち……衛士は寝息を立て始めた。

「王宮と言っても……“トリステイン”ではないけどね」

 衛士が眠った事を書くにすると……フードの女性はカーテンを潜った。そして、眼の前の“真実の鏡”を見詰め、笑みを浮かべる。

 布を持ち上げ……“真実の鏡”にソッと触れる。

 すると……鏡が光り出した。

 同時に、フードの奥の女性の額もまた光り出す。

「顔が判らないんじゃ、仕事のしようがないからね」

 額に古代の“ルーン”を光らせた女……“ミョズニトニルン”はそう呟いた。

 

 

 

『シオン、敵だ』

『“ミョズニトニルン”?』

『ああ、そうだ』

 周囲の“魔力”の流れが変化した事を感じ取り、俺はシオンへと念話で報告をする。

 “ミョズニトニルン”だろう存在が侵入し、宝物庫から“眠りの鐘”を強奪し、使用。そして、“真実の鏡”を使用した事が判る。

 “陣地作成”で工房化しているため、敵意や害意を持って侵入して来た存在がいると、俺は自然とそれを知る事が出来る。また、そう云った存在の力を削ぐ事が出来る効果も在る。

 のだが、“ミョズニトニルン”クラスになれば、余り意味をなさないだろう。

 というよりも、“ミョズニトニルン”は“汎ゆる魔道具を扱う事が出来る”ので在り、その力は“知識と知恵”、そして“魔道具”に左右される。それ故だ。況してや、“ミョズニトニルン”で在るシェフィールドは“キャスタークラス”の“サーヴァント”でもある。“魔術”や“魔法”の扱いに長けた“魔術師クラス”の“サーヴァント”であれば、容易く穴を突いて来るだろう。

 

 

 

 才人はルイズ(?)の唇を吸った。

 んぐ……むぐ……と夢中になっていると……ルイズ(?)は背伸びをして両腕を才人の首に絡ませる。

 いつになく積極的なルイズ(?)である。

 そんなにも俺の事が……と、才人の中で更に“愛”しさが募る。

 思わず、才人の手は伸び……ルイズの薄い胸に……。

「……え?」

 才人の動きがピタリと止まった。

 胸は、薄くない。

 というよりも……大きいといえるだろう。

 膨よかで柔らかく、温かい塊が才人の掌の下、自在に形を変えているのであった。

 それを握る度に……ルイズ(?)の吐息が熱く、高まって行く。

「御前、いつの間にこんなに……?」

 才人は目を開いて、息を呑んだ。

 眼の前にいたのは……。

「姫様……?」

 アンリエッタ其の人で在った。

 才人は、(一体いつの間に入れ替わったんだろう? と言うか、今まで抱き締めていたのは姫様?)と混乱する。

 ホールから、生徒達が騒ぐ声が聞こ得て来た。

「うわ!? “魔法”が解けた!」

「未だ舞踏会は終わってないぞ!」

 此処で漸く才人は理解した。

 この舞踏会は、何らかの“魔法”で自分とは違う人物に仮装する舞踏会であるという事を。

 アンリエッタは、それでルイズに化けていたのだという事を。

「でも、どうしてルイズに……?」

 才人が尋ねると、アンリエッタは恥ずかしそうに顔を伏せる。

「今日は理想の相手に化ける舞踏会です」

「理想の相手?」

「じゃあ、ルイズが?」

「はい。私、あの娘が羨ましかったのです……己の心が欲する理想の侭に振る舞うあの娘が……何者にも汚されていない、真っ白な心が……私の持っていない美徳を、全て兼ね備えているあの娘が羨ましかったのです……」

「…………」

「何者にも揺るがされる事無い、己の正義を貫けるあの娘が羨ましい。私に、あの娘の10分の1もの勇気が有れば、私は過ちを犯さなかったでしょうね」

「過ちって……姫様は……別に過ちは犯してないじゃないですか。どんな過ちを犯したっていうんですか?」

 アンリエッタはどうやらかなり参ってしまっている様子であった。

 どうにか慰めてやりたくなって、才人はそんな言葉を口にしていた。

「いえ……私は己の復讐のために戦争を行いました。そのために、何人死んだというのでしょう」

「仕方無いじゃないですか。戦争だったんだ」

「何人も死にました」

 才人は想い出した。

 遠征軍は、その殆どが“貴族”か、傭兵だといえるだろう。市民を連れて行った訳ではない。

「こう言っちゃ何ですが……嫌々行った人はいないでしょう? 皆、自分で望んで行ったんだ。御金や、名誉の為に。姫様が気にする事じゃないですよ」

 才人は、(非道い言い方かもしれない。もしかしたら、死者に鞭打つ言葉かもしれない。色々と事情は有るだろうしな。でも兵の殆どは傭兵だし、士官の殆どは、名誉と叫ぶ“貴族”だったのも確かだろ)と想い乍らも、思った通りの事を口にした。

 アンリエッタは黙りこくった。

 才人は話題を変えようと、ルイズの事を口にした。

「今日はどうしたんですか? ルイズとシオンに逢いに来たんですか? 俺も捜してるんです。一体、何処に行ったのか……」

 アンリエッタは首を横に振った。

「貴男に逢いに来たのです」

「……え?」

「何故だか理解りませぬ。唯……貴男の名前を聞くと、貴男の顔を見ると……どうしてか、心が震えるのです。初めは……」

 アンリエッタは顔を上げた。

 其の目は潤んでいる。

「覚えてらっしゃいますか? あの出来事を……いつぞや、“トリスタニア”の安宿で過ごした晩の事を……」

 才人は首肯いた。

 あの時……成り行きとはい、アンリエッタと2度程唇を合わせたのだ。

「あの晩から……貴男の事を想い出すと、胸がチクリと痛みました。そのうちにその痛みは、ドンドンと大きくなって行きました。いつしか、私は気付いたのです。その痛みに、安らぎを見出している事に……心の中に何かが渦巻いて居て……それをどう扱ったら良いのか判らないのです」

「…………」

「多忙と心労の中、貴男の温もりだけが、私を癒やして呉れたのです。其の名前を、戦死者名簿の中に見出した時……私がどんなに哀しかった事か。そして……貴男がセイヴァーさんと共に110,000を止めて呉れたと知った時、どれ程私が救われたか。貴男は御存知ないでしょうね」

 アンリエッタみたいに高貴な人に、ストレートに心情を打つけられてしまい、才人は当惑してしまった。そして、いつか感じた(此の人は弱い)と云う想いが心の中で膨れ上がる事を自覚する。

 弱いからこそ、アンリエッタは輝きを放って居るのだ。

 ルイズとはまるで別種の魅力で在ると云えるだろう。

 その魅力に押し潰されてしまいそうだったために、才人は顔を背け……ソッと押しやろうとした。

「こんな所人に見られたら……大変ですよ。俺も姫様もただじゃ済まない」

 するとアンリエッタは、逆に才人をグイッと押して、カーテンの間に入り込み、自分達の姿を隠した。

「姫様」

「理解っています。でも……ただの一時、安らぎを得たいと思う事は、悪い事なのですか? 私にはそれ程の時間も許されないのですか?」

「…………」

「暫し……ほんの少し……安らげる時間が欲しいだけなのです。出来れば、貴男の側で……それを得たいだけなのです」

 年相応の少女の様にアンリエッタは顔を歪め、涙を零す。

 気丈な振る舞いを決して崩さ無い女王の、少女としてのそんな心からの涙は才人の心を打った。

 そして……眼の前でそんな涙を流すアンリエッタを、今だけは誰よりも美しく才人には見えた。

 ルイズよりも、アンリエッタの事が才人からは美しく見えてしまったのだ。

 アンリエッタは再び顔を上げ、ユックリと才人に顔を近付ける、

 才人は其の唇を拒む事が出来ず……重ね合わせた。

 御互いの唇の形を探るかの様なキスで在った。

 才人はアンリエッタに体重を預けられる侭に……壁に沿って座り込む。

 アンリエッタは熱い息を吐き乍ら、才人から唇を離し、見詰める。

「姫様……」

 次にアンリエッタは、才人の首に口吻た。

 才人の中で稲妻にでも打たれたかの様な電流が駆け抜け、思わずアンリエッタを抱き締めてしまった。

 当にその瞬間……。

 カーテンの隙間に、才人は桃色の髪を見付けた。

 その髪の下には鳶色の瞳。

「ルイズ……」

 才人の顔から血の気が引いた。

 アンリエッタも思わず振り返る。

 ルイズはカーテンの陰の2人を震え乍ら見詰めて居たのだが、そのうちに涙を零した。そして、顔を両手で覆うと、其処から駆け出して行く。

 追い掛けて、カーテンから飛び出したその瞬間……才人は他の生徒に打つかってしまう。

「痛いじゃないか!」

「すまん! 急ぐんだ!」

 然し……舞踏会の人混みに紛れて、ルイズの姿が見え無い。

 会場は、「誰が一体“真実の鏡”の“魔法”効果を解いたのだ?」とちょっとした騒ぎになってしまっていた。

 次いでアンリエッタが、蒼白な面持ちでカーテンの陰から出て来る。

 直ぐに生徒達が、「陛下!」、と叫んで周りを取り囲んでしまう。

 才人はアンリエッタに「ルイズを捜しに行きます」と目で伝えると、その場から駆け出して行った。

 

 

 

 本塔から飛び出し、ルイズは夜の“学院”を直疾走る。

 深い驚きと悲しみが、(サイトと姫様が? とうして?)と云った疑問が、ルイズを混乱させていた。

 ルイズは一部始終を目撃して居たので在る。

 カーテンの隙間から、才人とアンリエッタの顔を見付け、近寄ると……。

 その先の事を想い出そうとすると、自然とルイズの目から涙が溢れた。

 2人は熱っぽく……まるで恋人の様に語らい、其れから……まるで昔からの恋人がするかの様に唇を合わせたのであった。

「ずっと昔から、そう言う関係だったんだわ。2人で、ずっと私を騙していたんだわ」

 あれだけ信頼して居たアンリエッタに裏切られてしまい……ルイズはもう何も信じる事が出来なかった。そして同時に、(成る程。だから……姫様はサイトをシュヴァリエに、騎士隊隊長にしたがったのね。自分の恋人として繋ぎ止めるために)とも想った。今のルイズは、そう解釈し、受け止める事しか出来なかった。

 いつかの“トリスタニア”の任務……あの時才人はアンリエッタと唇を合わせたと言っていた。ルイズは、怒ったものの……任務の性格上仕方が無いと想って居たからこそ、それ以上咎める事も責める事もなかった。

 だが……。

(多分、あの時から、2人は関係を続けていたのね)

 何度もルイズは叫んだ。

「非道いわ! 非道いわ! 非道いわ!」

 ずっと裏切られていた、とルイズは想った。

(何が“御前の事が好きだよ”よ。嘘じゃない!)

 ルイズが赦せないのは……ずっと信じていた事、自分に対する約束とか、一緒に過ごした時間や、甘いキスなど……それ等全てが嘘になってしまったと想える事だ。

 自分の中に大事に仕舞っておく積りであったのだが、それ等の胸をときめかせる筈の想い出が……ルイズにとって全て嘘になってしまった事で在った。

 而も選りに選って其の相手は……ルイズが誰よりも敬愛して居たアンリエッタで在る。

 ルイズにはもう堪えられ無かった。

(兎に角此処にはもう居たくない)

 “魔法学院”の門を潜り……外へと飛び出す。

 何時もで在れば衛兵が居る門の守衛所で在るが、何者かが“真実の鏡”の“魔法”を解除してしまった事で騒ぎに成った舞踏会の会場へと詰め掛けてしまい、留守で在った。

 誰にも見咎めれる事もなく、街道へと通じる緩やかな坂道を下り、ルイズは疾走った。

(此処に居たくない。遠くに行きたい。誰も自分の知ら無い世界に行きたい)

 そんな感情がルイズの此処を支配して居た。

 暫く疾走り……息を切らせてルイズは跪く。

 地面に仰向けに横たわり、顔を押さえ……ルイズは泣いた。



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怪鳥の対決

 才人は本塔を出ると、何処にいるのか判らない事もあって取り敢えずルイズの部屋を当たってみた。

 然し、戻ってはいない事が判る。

 今の才人の頭の中は、(兎に角ルイズを見付けなきゃ)とそれだけであった。

 あんなにも悲し気なルイズの顔は、これまで過ごして来た中で、才人は見た事が無かったのである。そして、(俺がそれをさせた……)と云う事がどうにも赦せないでいた。

 逢って謝りたい、と才人は想った。

 疾走り乍ら、才人は、(尊敬する姫様と……忠実だと想っていた“使い魔”がまるで恋人であるかの様に抱き合っているのを見て、どれだけ傷付いたんだろう?  恋人ではないとはいえ……キスまで許してしまった俺のそんな姿を見て、どんだけ傷付いたんだろうか?)とルイズの気持ちを想像した。

 想像するだけで、才人の心は痛んだ。

 部屋を飛び出し、夜の“学院”の中庭を疾走る。

 殆ど闇の中……ルイズの姿は見えない。

 “ヴァストリの広場”に向かった時……。

 雲が晴れ、月が姿を見せ、ベンチに座る人影を才人は見付けた。

「ルイズ!」

 才人は思わず叫んで駆け寄ったのだが、人違いであった。

「何だ、御前か……」

 タバサで在った。

 こんな夜中に舞踏会に出席もせずに、人の来無いベンチで本を読んで居るのは、実に彼女らしいといえるだろうか。

「なあ、ルイズを見なかったか?」

 タバサは答えない。ジッと本を見詰めた侭で在り、身動ぎ1つもし無い。

 才人は、(聞こ得なかったのか?)と想ったのだろう、もう1度声を掛けた。

「ルイズを知らないか?」

 月明かりに照らされたタバサのその横顔が、何処までも白いと感想を抱かせる。

「才人、彼女から離れろ」

「セイヴァー? セイヴァー……なのか? どういう意味だよ?」

 才人を追い掛けて居た俺とシオンは闇の中から姿を晒し、才人へと制止の声を掛ける。

 俺の姿は未だ“マハーバーラタ”の“カルナ”の姿をしている。

 それ故だろう、才人は少し戸惑ったが、隣に居るシオン、そして雰囲気からだろう理解した様子を見せる。

 が、其れでもやはり、俺の言葉の意味までは理解出来ていない様子を見せる。

 その時……月を背に……上空を旋回する影に才人は気付いた。

「何だあれ? 鳥じゃ無えし……足が有るじゃねえか」

 ヒト型の身体に羽が着いている、奇妙な生き物に見えるそれを、才人は見付けた。

「“ガーゴイル”」

 短く、タバサが言った。

「御前……」

 才人がそう言った瞬間、タバサが自身の身長以上の大きさと長さをして居る“杖”を振る。

 ぶおッ! と眼の前の空気が膨れ上がり、才人は俺達の方へと吹き飛んで来た。

「何を……!?」

 才人が叫ぶ間もなく、氷の矢が俺達へと目掛けて飛んで来た。

 

 

 

 “魔法学院”から少しばかり離れた場所で、ルイズは未だ泣き続けていた。

「非道い……非道過ぎるわ……どうして、どうして!?」

 辺りは深い闇で在る。

 世界の中でただ唯1人残されたかの様に、ルイズにそう想わせた。

 だが、今のルイズは其の闇は怖くなかった。寧ろ、自分の心の一部で在るかの様にルイズは感じられたのである。

「赦せない……非道い……絶対に赦せあnい……」

 言葉と一緒に、涙が溢れて止まる様子を見せない。

 ルイズは、(こんなにも惨めな気持ちになった事は、生まれて此の方、ないわ)と想った。

 そうして、何度も何度も呟いて居ると……。

――“何が赦せ無いの?”

 と云った声が、闇の中から聞こ得た。

 混乱してしまっているルイズは、それが己の心の奥底から響いているかの様に感じられた。

「裏切られたの。だから、赦せないの」

 またも、“誰に裏切られたの?”、と声がする。

「大事だと想ってた人達に……」

 そして、“じゃあ、復讐しなきゃ”、と声がルイズへと語り掛ける。

「復讐?」

 蠱惑的な、深淵へと誘うかの様な声が、“赦せないんでしょ? だったら復讐しなきゃ。貴女にはそれが出来る。偉大なる虚無の担い手だもの”、とルイズに対して囁き掛ける。

 ルイズは其処で我に返った。

「……誰?」

 声が、“貴女の味方の1人。ずっと昔から……貴方達に仕えて居た者の1人”、とルイズの疑問に対して答える。

「誰!? 出て来なさい!」

 ルイズは闇に向かって叫んだ。そして、此の前の“アルビオン”での事件を想い出した。

「“ミョズニトニルン”?」

 ルイズの問い掛けに、“当たり。でも外れ”、と声が答える。

 ルイズが闇に目を凝らすと……羽を生やした人影が現れる。

 そしてその横には真っ黒な、暗闇の中で在るにも関わらず、その存在を認識出来る影の様な存在がいる事に、ルイズは気付く。

「……“ガーゴイル”? 其れと……?」

 ルイズは立ち上がろうとした。

 声の主――“ミョズニトニルン”は“ガーゴイル”を介して、“安心して。危害は加え無い”と泣いている幼子をあやす様に優しい声でルイズへと語り掛ける。

 闇の中から現れた“魔法人形(ガーゴイル)”は、ルイズの足元で恭しくしゃがみ込んだ。

「何よ……? どういう積り!? “ミョズニトニルン”! 私に危害を加えようというの!? 良いから出てらっしゃい! 相手して上げるわ!」

 然し、“ミョズニトニルン”の代わりに“ガーゴイル”が口を開き、“ミョズニトニルン”の声と言葉が其処から出て来る。

 声は、「此の前の事は謝るわ。でも、あれは謂わば試験。貴女が味方に値するかどうか確かめたかったの」、とルイズに対して真摯に語り掛ける。

「良く言うわよ! そんな言葉、信じられると想ってるの?」

 警戒をするルイズに対し、“ミョズニトニルン”は、「では尋ねるわ。この世で、信じるに値する事って何?」、と揺さ振るように問い掛けた。

 ルイズは絶句してしまった。

 つい先程……彼女は其の2つに裏切られてしまった、とルイズはそう感じたばかりであるのだから。

「私の主人は、貴女にそれを教える事が出来る」

「嘘……嘘よそんなの!」

 ルイズの声が目に見えて小さくなって行く。

「貴女を真に理解出来るのは……同じ“虚無の担い手”で在り、“聖杯戦争”に参加する“マスター”……その両方の資格を持つ者だけよ。私達は貴女に力を貸して欲しいと想っている」

「……私の力?」

「警戒は当然。然し、過分な警戒は、真実から目を逸らす場合が在る」

 “魔法”が掛かって居るのだろう、“ガーゴイル”から発せられる“シェフィールド”の声は、今のルイズにとって魅力的なモノで在った。

 徐々に、ルイズの警戒心は解かれて行ってしまう。

 悲しみなどから混乱し切ってしまっていたルイズは、自分がその術中に嵌まりつつ在る事に気付かず、判らなかった。

「貴女、本当に私の味方なの?」

「当然」

「味方? 裏切らない?」

「絶対に裏切らない」

 “ガーゴイル”はユックリと振り向き、ルイズに背中を見せた。

「御乗り下さい。我等の偉大なる主人の1人よ」

 ルイズはもう、その声に抗う事が出来なかった。

 甘い毒の様に、混乱し切って居るルイズに染み込み、暗示が掛かった様にルイズは動く。

 “ガーゴイル”の背中に触ると……ルイズの意識が飛んだ。ユックリと眠る様にしてルイズは“ガーゴイル”の背に横たわった。

 

 

 

 ガッ!

 ガガッ!

 ガガガガガッ!

 連続して飛んで来た“氷の矢(ウインディ・アイシクル)”を、俺は“投影”した槍で其の全を捌き、側に居るシオンと才人を守る。

 ハッキリと才人とシオンを……殺す目的で狙った――殺意を込められた攻撃であった。

「何だよっ! どういう積りだよ!?」

 才人は、攻撃される理由が全く判らないために、怒鳴った。

「止せ、才人。今のタバサは――」

「――おい! タバサ! 御前、一体……いっ!?」

 俺の言葉を遮り発した才人の言葉に対する返事は、やはり“魔法”に依る攻撃であった。

 タバサは氷の矢を四方八方に散らし、包み込む様にして放って来る。

 バシュシュシュシュシュッ!

 無数と云える数の氷の矢が作り出す煙幕の様な水蒸気が晴れた後……。

 串刺しの姿で現れるかと思いきや、才人はデルフリンガーを抜いて立っていた。

 氷の矢はデルフリンガーが吸い込み、残りを才人がデルフリンガーを振って払ったのである。

「一体、どういう理由が有って、俺達を攻撃するんだ? 言えよ!」

 才人の質問に、タバサは“杖”を構え、短く答えた。

「命令だから」

「命令? 誰に命令されたんだ!?」

 やはり、返事は“魔法”で在る。

 才人はデルフリンガーを握り締めると、跳躍をした。そして、一気に距離を詰め……タバサの握った“杖”を斬り落とす積りで振るう。

 のだが、タバサは才人の其の動きにしっかりと反応し、“魔法”で跳ねて躱す。まるでその得意な“風系統”の力そのもの――“風”で在るかの様に、軽やかな身の熟しであるといえるだろう。

 才人の振り回すデルフリンガーを、タバサはまるで発条仕掛けの人形で在るかの様に、体術と“魔法”を組み合わせて躱して行くのだ。

「くっ!」

 タバサは、飛び跳ねてデルフリンガーを躱すと同時に、「“デル・ハガラース”」と“呪文”を“詠唱”し、次は“魔法”で飛んで躱す。フワリフワリと、まるで綿埃を追い掛けさせているかの様に想わせる。

 そして時折、蜂が刺すかの様にして攻撃“呪文”を放って来るのである。

 ブワッと空気が歪み、才人を襲う。

 “エア・ハンマー”。

 咄嗟にデルフリンガーを構えるのだが、不意を突かれてしまったためにデルフリンガーでも吸い込む事が出来ず、モロに喰らってしまい、才人は吹っ飛ばされてしまう。

「くっ……」

 然し、加減でもして居るのだろう、大した威力では無いと云えるだろう。

 其れと同時に、タバサ自身も決定打に欠けて居るのだろう、才人の“ガンダールヴ”としてのスピードが相手では躱すだけでも大変だと云った様子だ。

 “詠唱”の余裕が無いからか強力な“呪文”が使え無いのか。自然、氷の矢や、空気の刃が1から2本繰り出されるだけである。

 然し、タバサも速い。

 小さく、軽い分、其の動きは以前才人が戦ったワルドよりも速いと云えるだろう。

「彼奴はあれだ。暗殺者(アサシン)の動きだね」

 デルフリンガーが感想を漏らした。

暗殺者(アサシン)?」

「ああ。“サーヴァント”とは違う、言葉通りのな。真正面から戦う事を避け、相手の隙を突いて一瞬で勝負を着けて来たんだろうさ。あの娘、一発一発は大して強くねえよ。手数とスピードは並じゃねえがな」

「……の割には、強えじゃねえか!」

「相棒の心が震えてねえからだ」

「そりゃそうだよ! 何で俺があいつと……なあ、セイヴァー! 手伝って呉れ!」

 才人は、(理由が全く理解らない侭、タバサと戦う事は出来ない)といった気持ちからだろう、いつもの半分の力も出せていないのだ。

 また、“使い魔”として、“サーヴァント”としての本来の力も発揮出来ていなかった。“マスター”であるルイズは心神喪失といった体であり、上手に“魔力供給”がなされていない。そして何より、今の才人は“サーヴァント”としては未熟であり、その力は“幻霊”のそれに等しいか、それ未満といった所だからだ。

 気が付けば、才人は防戦一方に追い詰められてしまっていた。否……縦しんば“ガンダールヴ”の力がフルに発揮出来たとしても、才人はタバサを本気で攻撃する事は出来ないだろう。今だって精々、“杖”を斬り落とそうとする剣戟を繰り出すのみであり、やはり才人はそういう性格で在った。

 タバサの方に対しては、見事だと言うべきだろう。“サーヴァント”を相手にし、回避及び防戦一方とまで行く事もなく、当てる事は出来ずとも躱し乍らも攻撃を繰り出しているのだから。

 何度かの攻防が続き……。

 才人はタバサと、15“メイル”の距離を挟んで対峙した。

 今の才人の実力的に、ギリギリの間合いだといえるだろう。

 一瞬で才人が跳び込める距離よりも、少し離れてしまっているのだ。

 此の侭跳び込んでも、タバサは避ける事の出来る距離……。

 だが、それは才人にしても同じだといえるだろう。タバサはどの様な“呪文”を放って来たとしても……この距離が在れば対処出来るだろう自信が才人には有った。

「おい! そろそろ理由を言わねえと……」

 其の時……。

 頭の中で響く様な、“何を手古摺っているの?”、と云った女性の声が、上空から聞こ得て来た。

 先程目にした“ガーゴイル”が、背中に少女を背負って旋回しているのだ。

 月明かりに、桃色の髪が光る。

「――ルイズ!?」

「ルイズ!」

 才人とシオンは驚愕と戸惑いの声を上げる。

 ルイズは、“ガーゴイル”の背に、身体を預ける様にして気を失っている様子である。

 才人は思わず真下に駆け寄ろうとするのだが……その前にタバサが立ち塞がる。

「御前……退け!」

 タバサは、普段と変わら無い様な感情の窺い辛い目で才人を睨む。

「退く訳ないじゃない。この娘は、“北花壇騎士”。私達の忠実なる番犬だもの」

 空を飛び旋回する“ガーゴイル”から、“ミョズニトニルン”の声が発せられる。

「番犬?」

「見ものだねえ。シュヴァリエ対シュヴァリエ。私の主人が小躍りして喜びそうな組合わせだよ」

 律儀にも、才人の言葉に、シェフィールドは答える。その声は、やはり愉しそうに上擦って居る様に想わせる。

 タバサは中腰に成って“杖”を構えた。

 ズッシリと……。

 其の周りの空気が、急に重くなったかの様に感じさせる。

 “精神力”がオーラとなって、タバサの周りに陽炎の様に漂う。月明かりに照らされ、そのオーラは妖しく蠢いた。

 青い。

 タバサの力が、具現化したオーラだといえるだろう。

 才人は唾を呑み込んだ。

 タバサから発せられて居るそれは、伊達ではない事が肌で判る。

「おいタバサ。ルイズがいる以上、こっちも本気だ」

「…………」

「御前は強いから、手加減出来ねえ」

 タバサは“呪文”を唱え始めた。

「ねえ“ガンダールヴ”。本気を出さなきゃ、あんたが殺られるよ。理解ってるのかい? そうしたら、あんたの大事な主人を救ける事なんて出来ないよ」

「退け! 退いて呉れよ!」

 そう才人は怒鳴るのだが……タバサは“呪文”を唱え続けるだけである。

「“ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース”」

 同時にタバサは、“詠唱”に合わせて“杖”を回転させた。

 彼女の身体の周りを、大蛇の様に巨大な氷の槍が回り始める。

 “杖”に導かれる様にして……氷の槍は回転した。

 回転する内に膨らみ……太く、鋭く。青い輝きを増して行く。

 デルフリンガーが呟いた。

「“ジャベリン”だ。威力は十分だな。喰らうなよ相棒」

「おいタバサ! 俺はルイズを救けるためなら御前を殺すぞ! 理解ってんのか!?」

 “ガーゴイル”を介してのシェフィールドの言葉が響く。

「それはこの娘も同じだよ」

「遣れ! 相棒!」

 才人は諦めた様に首を横に振ると、跳躍した。

 同時に、タバサも“杖”を振り下ろす。

 “杖”を伝って、“氷の槍(ジャベリン)”が才人目掛けて飛ぶ。

 剣と、氷の槍が交差する。

 斬り裂かれ、“ジャベリン”が粉々に砕け散る。

 戦闘中で在るが、その砕けた“ジャベリン”の破片が反射する月の明かりは幻想的で在るといえるだろう。

 キラキラ光る氷の破片が、割れたガラスの様に才人を襲う。

「ちッ!」

 氷の破片の隙間、タバサがもう1本を発射すべく“杖”を振り翳すのが見えた。

「1本目は囮か!」

 デルフリンガーが叫んだ。

 タバサは同時に2本、槍を作り上げていたのである。

「うぉおおおおおおおお!」

 絶叫と共に才人の左手甲の“ルーン”が光る。

 一瞬で駆け寄り、タバサを突き飛ばした。

 其の小さな身体に馬乗りになって、才人はデルフリンガーを振り被る。

 然し、タバサは“杖”を離さない。

「“杖”を捨てろ!」

 デルフリンガーを突き立てる格好で振り上げた侭、才人は叫ぶ様に言った。

 タバサはジッと才人を見詰めた。

 其の瞳は……何処までも冷たさを感じさせる。何の感情も、窺わさせ無いための氷の壁であるだろう。

 ただ、敵を倒す。

 其処に居るから。

 それだけが、其の瞳から才人は読み取る事が出来た。

 タバサの“杖”には、大きな“氷の槍(ジャベリン)”が絡み付いて居る。

 タバサが“杖”を振り下ろすだけで……槍は解放され、才人の身体を意図も容易く貫くだろう。

 タバサは何の躊躇いもないと云った様子で“杖”を振った。

「止めろ!」

 才人は絶叫して、デルフリンガーを振り下ろした。

 “氷の槍(ジャベリン)”が発動され、才人とタバサを、バフンッ! と水蒸気が包み込んだ。

 

 

 

「で、貴男は其処で立って居るだけかしら? “オルタネーター”の“サーヴァント”さん」

「俺は“サーヴァント”だ。主の命令を受けて動く」

 才人とタバサが打つかる中、“ガーゴイル”から発せられるシェフィールドの言葉に、俺は静かに答える。

『セイヴァー』

『理解って居る。だが、未だだ。近くに“サーヴァント”が居る。“アヴェンジャー”がな……』

 

 

 

 タバサは呆然として才人を見詰めた。

 才人が手にして居るデルフリンガーの剣先は、タバサの顔の横に突き立てられていたのである。

 タバサの“氷の槍(ジャベリン)”が青白く光り……才人の脇腹に刺さっている。赤い血が才人の口から溢れ……ポタポタとタバサの頬に当たる。

 白い、雪原の様なタバサの頬が、赤く染められて行く。

「……どうして?」

 微動だにせずに、タバサは才人へと尋ねた。

 才人はタバサを串刺しに出来たのだが……。

 然し、才人は其の剣の切っ先を態と外したのである。

「理解んねえ……思わず外してた。情けねえ……ルイズを守らなくちゃならねえのに、何で敵に情けを掛けたんだ……俺……」

 苦しそうな様子で才人は呟く。

「でもよ……俺達を何度も助けて呉れた御前を殺せる訳がねえもんなぁ……」

「…………」

「自分の大事な人を守る為だからって……そんな奴を犠牲に出来るかよ……」

 才人の其の言葉に、タバサの目が大きく見開かれた。

 俺はそんな才人の言葉に、同意し、ポツリと呟いた。

「情けなくなどあるものか。御前の言う事は尤もだ。そして……やはり、御前は守る者で在るのだな、才人」

 次いで……タバサの透明な碧眼の奥に液体が溢れた。目の縁にその液体は溢れ……頬を伝った。

「どうしたの? 泣いたりなんかして。御前の任務は終わってないわ。早く止めを刺しなさい」

「無粋だな。少しは口を閉じてみたらどうだ? シェフィールド」

「何ですって?」

 俺の言葉に、シェフィールドは怒りの込めった声で言葉を返して来る。

 タバサは跳ね起きると、転んだ才人を“ウィンド・ブレイク”で吹き飛ばした。

「いだッ!」

 転がった才人は立ち上がろうとしたが……脇腹が痛んで身体が痺れ、動くに動けない様子で在る。

「シャルロット」

 俺の呼び掛けに、タバサは驚きで目を見開き、それから首肯いた。

 そして、続け様にタバサは“杖”を振る。

 ゴウッ! と唸りを上げ、タバサの周りを激しく回転する風が包んだ。

 才人が、(あの綺麗な雪の欠片で殺られんのか……)と呆然としていると……。

 タバサは“杖”を才人にではなく、“ガーゴイル”目掛けて振った。

 雪片の混じった風が猛烈な勢いで襲い掛かり、“ガーゴイル”の羽を切り裂き、地面へと叩き落とした。

 同時にルイズが投げ出されてしまう。

 タバサは才人の方を振り向いて言った。

「止め――」

 才人は痛む脇腹を押さえ付け、飛び立とう藻掻く“ガーゴイル”にデルフリンガーを突き立てる。

「おや……“北花壇騎士”殿。飼い犬が主人に歯向かおうというの?」

 タバサは“杖”を構えた。

「……勘違いしないで。貴方達に忠誠を誓った事など1度もない」

 タバサは、“ガーゴイル”を睨み付け、毅然とした様子を見せ、小さな声で言い放った。

「貴女の裏切りは報告するわ。其れに、獲物はきちんと頂いて行くわよ」

 そうシェフィールドが言った瞬間……。

 上空から巨大な影が降って来た。

 羽の差し渡しは30“メイル”はあろうかという……巨大な“ガーゴイル”。先程のより何倍も大きい“ガーゴイル”である。

 そして……。

「“アヴェンジャー”、か……」

 “ガーゴイル”と同じ形、同じ大きさをした“アヴェンジャー”が降り立ち、俺達へと敵意や殺意を込めた視線を向けて来る。

 大きさや形は“ガーゴイル”のそれと変わらないが、黒い靄が“アヴェンジャー”の身を包んで居る。

「で、でけえ!」

 才人が驚きの声を上げるのと同時に、倒れたルイズを、“ガーゴイル”が掴み、一気に上昇する。

 其の巨大なガーゴイルが羽撃いただけで、才人とタバサとシオンは吹き飛び、地面に叩き付けられてしまう。

「セイヴァー!」

「“御前が望む成ら、それに応えるべきだろう”」

 シオンの呼び掛けに、俺は静かに応え、槍を“投影”し、“アヴェンジャー”へと向き直る。

 起き上がったタバサは口笛を吹いた。

 シルフィードが唸りを上げて飛んで来て、タバサの前に着地する。

 ヒラリと跨り、タバサは俺達を促す。

「乗って」

 才人は脇腹を押さえ乍ら、シルフィードの背に攀じ登る。

 タバサが手を差し出し、其れを手伝った。

「御前達は、“ガーゴイル”を追え」

「追って」

 俺の言葉に首肯き、短くタバサが命令をする。

 シルフィードは、きゅい! と一声鳴いて飛び上がった。

「“復讐者”の“サーヴァント”――“アヴェンジャー”……」

 “ガーゴイル”の爪に似せたそれを勢い良く振り下ろして来る“アヴェンジャー”に対し、俺は“投影”した槍で受け止め、往なす。

 其の儘、“カルナ”の“宝具”を1つ、また1つと使用し“真名解放”する。

「“武器など前座。真の英雄は眼で殺す”」

 “梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)”。

 “ブラフマー神”の名を唱える事で敵を追尾して絶対に命中するが、呪いに因り実力が自分以上の相手には使用出来無い縛りのある“宝具”だ。

 その一撃は目から、 “魔力”を伴って眼力がレーザーの様に放たれ、“アヴェンジャー”の身体を撃ち貫く。

 が、諸に喰らいはしてもなお、“アヴェンジャー”は健在で在り、此方へと攻撃を仕掛けて来る。

 俺は、“アヴェンジャー”を勢い良く突き飛ばし、“魔法学院”から、シオンからすると、一瞬で俺達が点に見える場所へと移動する。

「“神々の王の慈悲を知れ。絶滅とはこれ、この一刺し。インドラよ、刮目しろ。焼き尽くせ、日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)!”」

 “日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)”。

 雷光で出来た必滅の槍。“黄金の鎧”と引換に顕現し、絶大な防御力の代わりに強力な"対神"性能の槍を装備する“宝具”だ。桁外れの火力で、“神獣や盾、城等の物理的なモノは無論結界等も含め、汎ゆる存在という概念を焼灼する”だろう究極の力の1つ。

 鎧と羽を消失させ出て来たその槍の先端に集めた雷を突きと共に開放。凄まじいエネルギーの奔流で敵で在る“アヴェンジャー”を貫く。

 周囲は、膨大な熱量により、マグマ化してしまう。

 その熱量にすらも耐える“アヴェンジャー”に、俺は何故か賞賛の言葉が喉元まで出て来た。

 其処で漸く、“アヴェンジャー”は“霊体化”して退いた。

 

 

 

 才人とタバサはシルフィードの背に乗って、巨大“ガーゴイル”を追い掛けた。

 “ミョズニトニルン”は何処かで“ガーゴイル”達を操って居るのだろう……その背中には当然姿は見えない。

「なあタバサ。教えて呉れ。どうして俺を襲った? あいつ等は何者なんだ?」

 タバサは真っ直ぐに前を見詰め……呟いた。

「後で話す」

「理解った」

 才人は首肯いた。

 確かに、才人にとってもタバサにとっても今は理由を聴いている場合ではないのだ。

 羽撃く“ガーゴイル”の飛行速度はそれ程速くはない。

 タバサのシルフィードは難無く追い付く事が出来た。

 月明かりに浮かぶその凶悪な姿が浮き彫りになった。

 才人は何時しか、食堂で聞いた噂を想い出す。

 “竜騎士”が“トリスタニア”上空で目撃したという、巨大な羽……。

 怪鳥と見紛えた、その姿……。

 羽の差し渡しが150“メイル”と云うのは大袈裟かもしれないが……暗闇で恐怖と共に大きさも倍化して見えたのだろう。

「もっと近付いて呉れ! あとは俺が何とかする!」

 タバサは首肯くと、シルフィードに命令をした。

「近付いて」

 きゅい、とシルフィードが一声鳴いた時……。

 空に小さな黒い点が、ポツポツと現れ始めた。

「な、何だありゃ……?」

 其れは、“ガーゴイル”で在った、

 まるで鴉の群れで在るかの様に、空を圧する数の“ガーゴイル”が押し寄せて来たのであった。

 “魔法”で動く“ガーゴイル”は、その目を黄色に光らせ、シルフィードに纏わり付き始めた。

「くそっ!」

 その数大凡数百匹。

 ルイズを運ぶ巨大な一体に近付けさせまいとして、シルフィードへと大きな爪と牙で攻撃するのだ。

「きゅいきゅい!」

 シルフィードが怯えた声を上げた。

 タバサが1度、“ウインディ・アイシクル”を唱えたのだが……1匹を落とす事に成功しただけで在った。先程の才人との戦闘に因るモノだろう、“精神力”が打ち止めの様で在る。

 才人は歯噛みした。

 飛び道具を持た無い“ガンダールヴ”はこの様な場合では、無力としかいえないのだから。

「畜生……何が“ガンダールヴ”だよ! 道具がなくっちゃ何にも出来ねえじゃねえかよ!」

 騎士だシュヴァリエだ、と浮かれて居た己を、才人は恥じた。

 その時……タバサが小さく才人に告げた。

「上」

 才人が見上げると……其処に広がっていたのは……巨大な影であった。

「な、何だありゃ……?」

 まさに巨大……としか形容出来ないだろう、黒い羽が飛んでいたのである。

 羽を広げた悪魔の様な其の姿……。

 シュシュシュシュシュシュ……と独特の音が響く。

 “竜騎士”の報告は間違ってなど居なかったのである。

 其の全幅は150“メイル”以上だろう。

「あんなでっかい奴……本当にいたのかよ!」

 この“ガーゴイル”の群れに、ルイズを抱えた大きな“ガーゴイル”。

 それの5倍は在るだろう、超巨大な影……。

 そんな連中を相手にするのは、どう考えても無謀であろう。

 死にたくなかったら、此処から逃げ出す他無いだろうといった状況だ。

 タバサは其れでもシルフィードを引き換えさせようとはしない。それどころか攻撃を躱すのを止め、水平飛行にシルフィードを移させたのである。

「おいタバサ! 無茶だ!」

 タバサは真っ直ぐにルイズを握った“ガーゴイル”を見詰めて居る。

 “ガーゴイル”がそんなシルフィードの翼を切り裂こうとして、正面から突っ込んで来た。

 その数は7匹。

 才人が対処出来る数を超えて居た。

「逃げろタバサ! 御前まで死ぬぞ!」

「私は貴女に救けられた」

「え?」

「この命は、貴男に捧げる」

 才人は、(俺はタバサまで犠牲にしようっていうのかよ)と己の無力さに歯噛みした。

「畜生!」

 走馬灯の様に、ルイズの顔や、シエスタの顔、そしてコルベールの顔が才人の脳裏を過った。

 才人は、(何が先生の遺思を継ぐだよ!? 何が俺に出来る事はねえか? だよ!? 俺は好きな女1人……守れてねえじゃねえか!)と唇を強く噛んだ。

「先生! 俺、先生が遣ろうとした事の、半分も……10分の1も出来ねえよ!」

 才人は空に向かって絶叫した。

 正面から近付く7体の“ガーゴイル”……。

 交差した瞬間に、タバサは、シルフィードは、才人は……あの大きな爪と牙で切り裂かれてしまうだろう。

 才人が、(一体でも叩き落として遣る)、と想ったその瞬間……。

 それは……荒れ狂う“炎”で在った。

 畝る蛇の様に伸びて、才人達に襲い掛らんとする“ガーゴイル”達に絡み付き……燃やし尽くす。

 才人とタバサは、ハッとして上を見上げる。

「どうして?」

「味方……?」

 声が響いた。

「“10分の1も出来無い”。それがどうしたね?」

 上空からその声は響いて来て居る。

 拡声器か何かを通したかの様な、妙なエコーが掛かっている声だ。

 而も、聞き覚えの有る声で在った。

 研究室で、教室で、中庭で……何度も聞いたあの声。

「先生?」

 才人は呟いた。それから、(幻聴だ。だって、先生は死んだ筈だ。切羽詰まって、在りもしない声を聞いてるだけだ)、と自身の考えを否定する様に首を横に振る。

 “ガーゴイル”の攻撃は続いており、再びシルフィードは必死になって攻撃を躱し始めた。

 こうなるとタバサも才人もしがみ付いて居るだけで精一杯と云えるだろう。反撃何て、出来やしないのだ。

「君は私じゃないだろう。恥じる事じゃない」

 再び声が響いた。

 才人は顔を上げ、絶叫した。

「先生!」

 聞き間違え様のない、コルベールの声で在った。

 歓喜と驚きが、心に広がって行く事を、才人は感じ取った。

 ぐおんぐおんぐおん……と、空が鳴った。

 シュシュシュシュシュシュ……と音が大きくなって行く。

 超巨大な影はユックリと降下して、“ガーゴイル”に襲われている才人達へと近付く。

 才人は口をあんぐりと開けた。

 悪魔の様に、怪鳥の様に見えたのは……巨大な翼で在ったのだ。

 そう。

 其れはまさに翼で在った。差し渡しは、150“メイル”は在ろうかという巨大な翼で在った。翼の後ろには、巨大なプロペラが幾つか回って居るのが見える。

 二等辺三角形の形をした翼に、推進式のプロペラが沢山付いた飛行物体……。

 大きな怪鳥と見間違えたモノの正体は其れで在ったのだ。

 其のプロペラを見た時……才人の期待は確信へと変わった。

「生きて……」

 次に、久し振りの妙に色気を含んだ女の声が響いた。

「貴方達、何をしているの? 随分と楽しそうじゃない。いつの間に“ガーゴイル”の御友達が出来た訳?」

 その声でタバサが顔を上げた。

「こっそり“学院”に到着して、この“オストラント(東方)号”を披露して驚かせようと想ってたのに。こないだ航法を間違えて、“トリスタニア”に着いちゃった時には慌てて引き返したわ」

「キュルケ!」

 果たしてそれは、“ゲルマニア”にコルベールを連れて行って以来、“学院”に姿を見せなかったキュルケの声で在った。

 次にコルベールの声が響いた。

「兎に角……何だ、“空飛ぶヘビ君”が行くから注意しなさい」

 才人はタバサに怒鳴った。

「急降下しろ!」

 タバサは首肯いた。

 シルフィードが頭を下げ、一気に下に逃げた。

 ばらっ、ばらばらららららッ! と大量の筒が、“オストラント号”の船底から散蒔かれた。

 落下しつつ在る筒の後ろから、発火炎が瞬いた。

 次いで、しゅぼッ! と何時か“アルビオン”で“竜騎士”に追い掛けられた時に聞いた音が、才人達の上空から響く。

 夜空に広がる花火の様に、コルベールの“空飛ぶヘビ君”が一斉に点火する。

 “空飛ぶヘビ君”の先端には、“ディテクトマジック”を発信する“魔法”装置が備え付けられて居る。

 “ガーゴイル”に、其の“魔法”装置は激しく反応し、鋭い勢いで迫って行く。

 “空飛ぶヘビ君”は、“ガーゴイル”の至近距離で爆発して破片を散蒔き、“ガーゴイル”を見事粉々に打ち砕いてみせたのである。

 逃れようも無く、“ガーゴイル”は1匹1匹と落とされて行く。

 タバサの魔力に反応して、1本が飛んで来てしまった。

 才人はシルフィードの上からと湯役すると、その1本を斬り裂く。

 何時しか脇腹の痛みも感じ無い様になっていた。

 コルベールが生きて居た。

 認めて呉れた人が……生きていた。

 何度も助けて呉れた人が生きていた。

 そしてまた……助けて呉れようとしている。

 其の事実が、才人に勇気を与えるので在った。

「俺は1人じゃねえ」

 左手甲の“ルーン”が輝いた。

 爆発を利用して、左手でデルフリンガーを握った侭、1本の“空飛ぶヘビ君”を才人は空中でキャッチした。

 才人の身長程もあるそれにしがみ付き、ルイズを握った“ガーゴイル”へと、強引に機首を向かせる。其の“ガーゴイル”を捉え、猛進する。

 “空飛ぶヘビ君”の上、才人はサーフボードの上にでもしゃがむ様な姿勢を取った。

 猛烈なスピードで“ガーゴイル”へと近付く。

 タイミングを計る。

 才人は、激突の1秒程前に、“空飛ぶヘビ君”の上から飛び跳ね、ルイズを握る“ガーゴイル”の腕を斬り裂いた。其の侭空中でルイズをキャッチする。

 粗同時に、後方で“空飛ぶヘビ君”が爆発して、腕を斬り落とされた“ガーゴイル”を粉々にした。

 爆風に持ち上げられたが……才人はルイズを離さなかった。

 破片が身体に食い込んだので在ろう、才人の身体に激痛が奔る。

 其れでも才人はルイズを離さない。

 爆風で頂点に達した才人は、重力と引力に引かれて落下した。

 ルイズの目には、涙の痕が残って居る。

 それを見詰めると才人は胸が締め付けられる想いがするのであった。

 “ガーゴイル”を介して掛けられて居た“魔法”の催眠が解けたのだろう……ルイズの其の目がパチクリと開く。

「よ、よぉ」

 と才人が言った。

「離して!」

 ルイズは暴れ出した。

「ば、馬鹿! 今俺達落下中なんだよ! 暴れんなよ!」

「そんなの知らない! 良いから離して! あんた何か大っ嫌い! 死んじゃえば良いんだわ! 姫様もあんたも大っ嫌い! 2人して私を騙して! 絶対に赦さないんだから!」

「だからあれは成り行きで……」

 才人が必死に宥めようとするのだが、ルイズは泣き喚くばかりであり手が付けられない。

 というよりも此の侭では離してしまいそうになる。落っこちる時にバラバラでは都合が宜しくないだろう。

 才人は、何とか宥めようと必死になった。

「嫌い! 離して! もうやだ!」

 泣き喚くルイズを見て……言葉はもう通じ無いと才人は判断した。

 悩んでいてもどう仕様も無い事もあり、才人は真っ直ぐにルイズを見詰めて言った。

「俺は御前だけだ。ルイズ」

「嘘吐き! 信じない! 大っ嫌い!」

 増々ルイズは暴れ狂う。

 才人は暴れるルイズを強く抱き締めた。

 ジタバタと藻掻くルイズの唇に、才人は自身のそれを押し当てた。

 ルイズは暫く暴れていたのだが……その内、んぐ……と呟いて大人しくなった。

 だが、この侭では落っこちてしまうと死ぬな……とやっと其処で才人とルイズの頭の回転が戻った時、ぶおん! と唸りが響いてタバサのシルフィードが2人を掬い上げる。

 だが未だ安心出来る筈も無い状況であり、残った“ガーゴイル”が滞空している。どうにか倒す事が出来たのはたかだか数十匹程度で在るのだから。

 其処に、残った全ての“ガーゴイル”を膨大な熱量を誇る熱線が呑み込み、蒸発させた。

「セイヴァー、か……」

 もう驚く事もなくなった才人は、攻撃が放たれた方向で在る後ろを見て呟いた。

 グシグシと泣き喚くルイズを抱き締め、才人が上空を見上げると……月明かりの中、堂々と空を行く、コルベールとキュルケが乗っている“オストラント号”が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝……。

 “魔法学院”から離れた草原に停泊して居る“オストラント号”を、集まった“魔法学院”の生徒や教師達が、遠巻きにして見詰めていた。

 見るからに巨大な“フネ”で在る。

 翼の差し渡しは、大凡150“メイル”。船体部分は“ハルケギニア”で今現在使われて居る“フネ”と形は同じであるのだが、後ろに取り付けられら巨大なプロペラが、巨大な翼と相まって、異様な雰囲気をその“フネ”に与えていると云えるだろう。プロペラは左右に伸びた翼に、1つずつ付けられている。

「合計3つの回転する羽が、此の“フネ”の帆走の数倍に達する推進力を与えるのです。あの回転する羽を動かす動力は……石炭によって熱せられた水により発生する水蒸気の圧力で得ています。“水蒸気機関”と私は呼んでおります。あの“竜の羽衣”に取り付けられた動力装置と、似た様な設計です」

 コルベールは隣に立ったオスマンへと説明をした。

「凄い“フネ”じゃな……どうしてあの様子に巨大な翼を取り付けたのじゃ?」

「東へ行くためです。長い航続距離を稼ぐためには……何としてでも“風石”の消費を抑えねばなりません。あの巨大な翼で“フネ”を浮かす浮力を稼ぐのです。滑空して飛翔する、“アルバトロス”や“オスカー”などと原理は同じです」

 オスマンは白くなった髭を擦り上げた。

「いや見事じゃ。軍艦に応用したら、どれだけの空軍力が編成出来るか……」

「私はこれを軍艦にする積りは有りません。飽く迄これは探検船なのです。身を守るための武装は施してありますが……“王軍”に引き渡す積りは有りません。此の“フネ”の建造費はミス・ツェルプストーの家から出て居りますし、船籍は飽く迄“ゲルマニア”に所属します。“トリステイン”政府が この“フネ”を検分する事は、外交問題になりますでしょう。まぁ、どちらにしろ……私や、サイト君とセイヴァー君以外の者にこの“フネ”を動かす事は適わぬでしょう」

 オスマンは満足気に首肯いた。

「それならば、儂が言う事は何もない。己の信じる侭に、進路を決めなさい。“炎蛇”よ」

 コルベールは笑顔を浮かべて首肯いた。

 

 

 

 其の遣り取りを、少しばかり離れた所で見守る生徒達が居た。

 キュルケ、ギーシュ、モンモランシー、そして才人で在る。

 モンモランシーが、気の抜けた声で呟く。

「あの先生、生きてたのね……と言うかあんた、どうして“死んだ”なんて嘘吐いたのよ?」

 キュルケが、得意げに髪を掻き上げて答える。

「だって……あの怖い“銃士隊”の御姉さんを騙さなくちゃ行けなかったでしょ? あの侭じゃ、私のジャンは殺されてたわ」

「“私のジャン”ってどういう事?」

「嫌だわ。彼の名前じゃ成いの」

 恥ずかしそうに、身をクネラせてキュルケが呟いた。

「はぁ? 彼の名前?」

「そうよ、素敵な名前……」

 ウットリとした声と調子でキュルケが言った。

 その様子で、キュルケの想いに気付いたモンモランシーは、呆れた調子で尋ねた。

「あんた……まさか……」

「そのまさかなの。だって私のジャンってば、あんなに強いし、その力を衒したりしないし、物知りだし、終いにはあんな凄い“フネ”まで造っちゃうんだもの!」

 モンモランシーは、(どうやらあの“フネ”を造る金は、キュルケが出したみたいね。と言うかキュルケの家よね。“ゲルマニア”のツェルプストー御家は、金持ちで有名だし、まあ造作も無いだろうけど……全く恋とはいうのは恐ろしいものね)と想った。

「年の差なんか、あたしには何の障壁にもならないわね」

「頭薄くない?」

「太陽の様だわ。情熱の象徴ね!」

 その時、コルベールがキュルケを呼んだ。

「ミス・ツェルプストー!」

「はーい! って言うかキュルケって御呼びになって! と何度言ったらそうして呉れるの!? 嫌だわ! 私のジャン!」

 まるでスキップでも踏みかねない勢いで、キュルケはその側に飛んで行く。

 抱き着かれ、コルベールは困った様に顔を顰めた。

 モンモランシーがボソリと呟いた。

「まぁ、収まるべき所に収まったのかしらね」

 ギーシュが、そんなモンモランシーの肩に手を伸ばす。

「良く理解らんが……僕等も収まる所に収まろうかね……あいで」

 ギーシュは、モンモランシーに手の甲を抓まれ、眉を顰めた。

「痛いじゃないかね!」

「あんた、サイト達が大変な事になってた時、何してたの?」

「いやぁ、舞踏会で……」

「騎士隊作ったんなら! ちゃんと働きなさいよ! 隊長でしょ! あんた!」

 ギャンギャンと怒鳴られ、ギーシュはショボンと肩を落とした。

 

 

 

 その頃ルイズは……自分の部屋でアンリエッタと向かい合っていた。

 アンリエッタはルイズを襲った連中についての聴き込みを行っていたのである。

 然し当然の事だが、詳しい事は判らなかった。

 判明したのは、どうやら再び“ミョズニトニルン”で在り、“キャスター”でも在る女性が相手だったという事くらいだろう。

 後で才人を呼び、その後にシオンを、そのまた後にセイヴァーを呼んで、再び事情を訊く事になっていたのだが。

「私の軽挙で……貴女をまた危険に晒してしまいましたね……申し訳有りません」

「いえ……別に姫様が原因では……」

 ルイズもまた気不味そうに答えた。

 2人は顔を見合わせて、押し黙った。

 気になって頭が一杯の事を、ルイズはアンリエッタに訊ねようとした。

 然し……言葉が出て来無い。

 それをアンリエッタに訊ねるという事は……ルイズとアンリエッタの関係に罅が入る事を意味していると、ルイズは理解していたのだ。

 ルイズは悩んだ。

 訊ねる可き否か、と。

 否……答えは既に出ているといえるだろう。

 例え、幼い頃からの友情が壊れようとも、確かめなければならないと、ルイズは結論付けたのである。

 足りないのは、一歩を踏み出す勇気だけであった。

「姫様に、伺いたい事が御座います」

「な、何でしょう?」

「舞踏会での姫様の行為は、本心からのモノなのですか?」

 アンリエッタは、悲しそうに首を振った。

「もしそれが本当なら……どうなさると言うの?」

 ルイズは暫く悩んで居たが……。

「判りません」

 と、ルイズもまた正直に言った。

 アンリエッタは悩み始める。遠くを見て、切無げに爪などを噛んでいる。

 そんなアンリエッタの、此方の様子を慮る事が全くないといえる態度で、ルイズは気付いた。

 どうやらこの御姫様は……ルイズの気持ちになど全く気付いて居ない様子であるのだ。

 御友達と何とか言う割には、何も見えない人なのだろうか。それとも、今はただ、自分の事だけで精一杯なのか。

 ルイズは怒るというよりも、呆れてしまった。

 仕方がない事なのだろう。彼女は本当の御姫様なのだ。他人の気持ちを推し量る事など、全くして来なかった人なのだ。いたとしても、それは稀少な人間だろう。怒たって仕方がないと云える。

 何せ、ルイズも昔はそうだったのだから。

「どうしたの? 何が可笑しいの? ルイズ。私、また何か可笑しな事を……」

 アンリエッタはオロオロとしている。

 苦笑し乍ら、ルイズは言った。

「いえ……姫様は純粋なだけですわ。時にその純粋さが、どうにも周りの人間には納得出来ない事として見える事があるのです」

 そう……とアンリエッタはショボンと肩を落とした。

 アンリエッタも詰まりは人間なのである。

 詰まらぬ事で悩んだり……弱かったり、少しの事で傷付いたり……恋したり……そんな何処にでもいるだろうといえる女の子の1人であるのだ。

 今までルイズはアンリエッタのする事は絶対だと想って居た。正しいと頭から信じて居た。だが、そうではないのである。アンリエッタも当然間違える。恋をする。そして時には……対象を奪い合う事もあるのだろう。

 そう想う事で……初めてといった具合に、ルイズは、アンリエッタと理解り合う事が出来るような、そんな気がした。

「良いですわ。姫様の気持ちは姫様の気持ち。そっと大事に仕舞っておいて下さいませ。それを出すのも、ずっと鍵を掛けておくのも、姫様の自由ですわ。私がとやかく言う事ではありなせん」

「理解らないの。私……しれが、何なのか。ホントかどうなのか……」

 そんな風に迷うアンリエッタは、ルイズには幼い子供の様に見えた。

 ルイズはアンリエッタに一礼した。

「ルイズ?」

「失礼を御赦し下さい」

 呆気に取られるアンリエッタの左頬を、ルイズは真顔で張った。

 ぱぁーーーん! と乾いた良い音が、部屋に響く。

「あ、貴女……?」

 次いで、呆然とするアンリエッタの右頬を同じ様に引っ叩いた。

 ぱぁーーーん!

 アンリエッタは、一瞬、何が起こったのか理解らず……ジッとルイズを見詰めた。

 アンリエッタは、生まれて此の方、人に頬を張られた経験などないのだから。

 ルイズはアンリエッタの足元に跪いた。

「大変失礼をば致しました。然し乍ら、あれは私の“使い魔”で御座います。手を御出しになるならば、相応の御覚悟を持ってお臨み下さい」

 ルイズはアンリエッタを見上げた。その目には、ありありと、怒りと独占欲が渦巻いているのが判る。

「御承知下さいますよう。次は平手では済みませんわ」

 アンリエッタは呆然と頬を撫で……其れからユックリと笑みを浮かべた。

 しゃがんで、ルイズの肩を抱く。

「そうね。“メイジ”にとって“使い魔”は大事な存在。夜空に並ぶ2つの月の様に、切っても切れぬ関係。承知致しました。貴女に対する、相応の覚悟を持って臨む事に致しますわ」

 

 

 

 もう1人の“王族”の少女は……。

 自分の部屋で、一通の手紙を広げて居た。

 署名も花押も無い、真っ更な手紙で在った。

 然し、差出人は痛い程に、彼女は理解して居た。

 其処にはタバサの行為を非難する言葉は一切書かれていない。

 ただ……シュヴァリエの称号を剥奪する旨と、“ラグドリアンの湖畔”に蟄居して居た母の身柄を押さえられた事だけが、短く、たったの2行で述べられて居た。

 タバサは読み終えたその手紙を、細かく破り……窓から放った。

 雪の様に舞い散る紙切れを見詰め……タバサは想う。

 自分の行為に後悔はしていない。

 どうせ母親は、囚われの身だったのだ。

 住む所が変わったというだけの事。

 自分の手で母は取り返す。

 其の日は遠く無い。

 いや、遠くにする積りはない。

 舞い散る手紙が風に吹かれて見えなくなった後……タバサは窓へと向かい、口笛を吹いた。

 上空からシルフィードが降りて来る。

 其の背中に飛び乗り、短く一言、タバサは呟いた。

「“ガリア”へ」

 

 

 

 キュルケを交えて、オスマンに何か説明をした後、コルベールは初めて、久し振りに才人の方を向いた。

 才人はキュッと緊張した。

 才人は、(死んだとばかり想って居た先生に出逢えて……先ず初めに一体何を話せば良いんだ? 話す事は沢山有る。“アルビオン”での戦。沢山人が死んだ事。“竜騎士”達の空中戦。“サウスゴータ”の街を占領した事。そして敗走。俺達が殿に立って、110,000を止めた事。その功あって、シュヴァリエに叙された事……)と想った。

 だが……才人の方に向かって歩いて来るコルベールを見た時、それ等は全て言葉にならなかった。ただ才人は泣かぬように涙を堪えて、グッと唇を結んだのである。

 それ程長い時間をコルベールと過ごしたという訳ではないだろう。

 だが大事な人間というモノは、過ごした時間の長さで決まる訳ではないのだから。

 此の世界で、自分を認めて呉れた、中年の男性を、才人は見詰めた。

 或る意味ルイズより……才人を理解して呉れている存在。

 “学院”で、中庭で、研究室で、出逢った時の様に気安い声でコルベールは言った。

「やあサイト君。久し振りじゃないかね。私が居ない間に、随分と苦労した様だなあ」

 何を言おうかと、才人は迷った。

 才人は、(気の利いた事を言って、自分の成長を見せたい)と想った。

 だが、そんな言葉は出て来ない。

 代わりに、才人の口からは、涙混じりの、情け無い声が出て来た。

「先生……俺……死んだとばかり想ってて……」

「死ぬものか。否、死ねるものか。私は君達に御願いした筈だ。君達の世界を見せて呉れと」

 堪えて居た涙が、才人の内からドッと溢れた。

「何で泣くのだね? 困った生徒だな! 君は! さぁ、一緒に行こうじゃないか。“オストラント(東方)”へ!」

 コルベールは才人の肩を叩いた。

 才人は喜びの涙を流した。

 喜びの涙を流し乍らも……才人の中では、疑問が巡って居た。

 再び現れたあの“ミョズニトニルン”――“キャスター”――シェフィールドの正体。

 アンリエッタは調べて呉れると言ったのだだが……才人は待ってはいられなかった。

 才人は、(何としてでも正体を突き止め、2度とこっちに手出しをしないよう、手段を講じないとな……タバサと、あの“ミョズニトニルン”は何か関係がみたいだな。気になる事が沢山在る。タバサは今、何処にいるんだろ? 後で話すと言ってけど……)、と考えた。

 そして、才人はタバサを捜すのだが、その姿は見えなかった。

 

 

 

 “学院”の紋を潜り、外に出ると……ルイズの前には驚くべき光景が広がっていた。

 大きな翼を持った“フネ”が、草原に停泊しているのである。

 マストには“ゲルマニア”……そしてルイズを始めラ・ヴァリエール家にとって憎いフォン・ツェルプストー家の旗が翻って居る。

 それを目にして、ルイズは“ゲルマニア”のツェルプストー救けられたらしい事に気付く。

 その周りでは生徒や教師達が、その“フネ”を見上げて笑い合っているのが見える。

 その中に才人の姿を見付け……ルイズは駆け寄った。

 ルイズは、「嫌だわ」、と呟いた。そして、(目立ち始めたからかしら……あの馬鹿には注目が集まっているみたいね。何せ姫様まで、気を迷わすくらいだものね。自分は何度ヤキモキしなくくちゃいけないのかしら? それより不満な事がもう1つ有ったわね。私はこれから何度も苛々するでしょうね。きっと、怒りに身を焦がす事も何度も在るでしょうね。でも、その度に……)、と其処まで考え、一息吐き、再び口を開く。

「キスで誤魔化されるのかしら?」

 それが、ルイズには不満だった。

 キスされただけで……優しく抱き締めたれただけで、(ん……まぁ、良いか)、と想ってしまう自分が赦せ無く……目一杯ヤキモキし乍ら、怒った様な表情を浮かべ、ルイズは草原に通じる坂道を下りた。

 

 

 

「久しいな、コルベール」

「ああ、久し振りだな。セイヴァー君、ミス・エルディ。セイヴァー君、良く、ミス・エルディやミス・ヴァリエール、サイト君達を守って呉れた」

 才人を宥め、コルベールは俺とシオンの方へと向かって来て、挨拶する。

 当然それに応じ、俺とシオンは礼をする。

「“オストラント号”と言ったな……」

「東へと向かうために造った“フネ”だ。どうかね?」

「ふむ、実に素晴らしい。“風石”などが在るからだろうが、“地球”とはまた別のアプローチでの飛行機の製造……」

「“地球”ではどの様にして、飛行機械を造って居るのかね?」

「その話はまた君の研究室でしよう。今は、無事再逢出来た事を喜び、そして」



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オストラント号

「はふぅ」

 ルイズは深い溜息を吐いた。

 其の隣には、シオンがいる。

 此処は、“オストラント号”の甲板で在る。

 2人の眼の前では、ギーシュやマリコルヌ等を始めとする“魔法学院”の生徒達が燥いで大騒ぎしている。

 其の輪の真ん中にはコルベールがいた。

 以前、“学院”が“アルビオン”軍に雇われた傭兵隊に襲われた時に命を落としたとされていたのだが、実際には生きており、コッソリとキュルケが“ゲルマニア”に連れ帰っていたのである。

 どうしてキュルケが其の様な事をしたのかルイズは不思議に思い、首を傾げた。

「あらルイズ、シオン。私のジャンの“フネ”はどう?」

「凄いわね」

 ルイズの率直な感想を聞いて、キュルケはルイズの肩に手を回す様にしてニッコリと笑った。

 ルイズは甲板から伸びた、“オストラント号”の翼を見詰めた。

 本来、此処“ハルケギニア”に在る“フネ”の優に3倍は在ろうかという、長大な翼で在る。元来、“フネ”に取り付ける翼は、木材を支柱として、帆布を張るのだが、此の“フネ”は違った。強度を得るために、木材の代わりに長い鉄のパイプが使われているのである。100“メイル”にも及ぶ真っ直ぐな鉄パイプなど、今現在の“トリステイン”では造る事は出来ない。

 翼の中間には巨大なプロペラが着いた機関室がでん! と載っているのだ。あれがコルベール自慢の“水蒸気機関”というモノで在る。何時ぞやの“愉快なヘビ君”を雛形にしてコルベールとツェルプストー家が造ったモノで在る。見た目は大きな煙突が2本突き出た鉄の箱で在る。石炭を燃やして熱せられた水から発生する蒸気の力で、巨大なプロペラを回転させるという機関で在るのだ。

 其の2つ共が、冶金技術に優れた“ゲルマニア”の匠の技で在った。

「凄い“フネ”ね」

 ルイズが短く感想を述べる。

 すると。

「これ程長くて丈夫な、“フネ”の支柱に使える様な鉄剤を加工するなんて、“トリステイン”では無理! ルイズ、理解出来て? あたしのジャンの設計を、現実のモノとするためには、“ゲルマニア”の“火”の技術が必要だったのよ。“火”のツェルプストーと“炎蛇”の、まさに“運命”の出逢い! 即ち愛の結晶ね!」

 得意げにキュルケは髪を掻き上げる。

 教師を捕まえて、「あたしのジャン」呼ばわりをするキュルケに呆れ、ルイズは言った。

「今度は先生って訳? あんたってば、ホントのホントに見境無く惚れっぽいのね」

「素敵な殿方に惹かれるのは、本能よ。あたしは其れに忠実ってだけよ」

「何てまた、“死んだ”なんて嘘吐いて連れ帰ったのよ?」

 ルイズが尋ねると、キュルケは少し寂しそうな表情を浮かべた。然し直ぐに大きな笑顔を浮かべる。

「大人に成るには色々と事情が有るのよ。ややこしい事情がね」

 掌をヒラヒラと振り乍ら、キュルケはコルベールの元へと駆け寄る。

 

 

 

 コルベールの方は、生徒達に“オストラント号”の説明をしている所で在った。

「此の大きな翼を使って浮力を得る事で、“風石”の消費を抑え、長大な航続距離を稼ぐ訳ですな……って、うわ!?」

 行き成りキュルケに抱き着かれたコルベールは悲鳴を上げる。

 生徒達から笑いが漏れた。其の生徒達の中には、才人がいる。何と最早、無邪気に笑っているのだ。

 ルイズは、(其りゃ生きてて嬉しいのは理解るけどさ……)、と唇を尖らせた。そして、(昨日の姫様とのキス、ちゃんと説明してよね)と想った。

 落下の最中、キスされて、(まぁ良っか……)などと想ったのも一瞬で在り、(やはりサイトのあの接吻は尋常の関係では無い)とルイズは想ったので在る。2人の間に、熱い空気が漂っていたのをルイズは決して見逃さなかったのだ。アンリエッタを問い詰めたら、「其の気持ち、本物かどうか判りませぬ……」などと言い放っていたので在る。(やばい。110,000を止めた御蔭で、何だか“トリステイン”の“英雄”に成りつつ在るサイトに、姫様の目を曇らせている様ね)と想った。

 また、ルイズは、(そんな姫様の気持ちに対し、才人はどう何だろう? やっぱり姫様が好いのかしら?)と不安に成った。

 2人のキスを、ルイズは想い出した。

 アンリエッタも才人も歌劇の登場人物で在るかの様な、熱い何かを其の目に宿らせて居た様にルイズには想えたので在る。まるで、知らずに居た運命に気付いたかの様な、其の様な目で在る。

 ルイズは、(あんだけ私の事“好き好き”言ってる癖に、其れってどう成のよぉ~~~~)とスッカリのぼせ上がり、ボコボコと“フネ”の舷壁を蹴り捲くった。

 そんなルイズを、シオンは苦笑を浮かべて見守っている。

「御機嫌斜めですね」

 見ると、御盆を持ったシエスタが立っていた。

「何であんたが此処にいるのよ?」

 唸り声に近い声でルイズは言った。

 シエスタは、今では才人の専属メイドで在る。今の時間は、部屋で掃除でもしている筈で在るのだが。

「集まった生徒の皆さんが、此の“フネ”の上で昼食を摂るって言うもんですから。食事を運ぶ人手が足りなくなって、私も呼ばれたんです。其れにしても凄い御船ですね。こんなに長い翼の御船、私初めて見ました」

 シエスタは、昨晩ルイズが“ミョズニトニルン”に襲われたという事を知ら無い。此の“オストラント号”の事も、何故か“ゲルマニア”で生きていたコルベールが造った凄い“フネ”、くらいの認識しかしていない様子で在る。無邪気な様子で、キョロキョロと甲板やマストや翼に視線を移している。

 シエスタの持っている盆の上には切ったパンにハムやら野菜やらを乗せた軽食が乗って居た。

 ルイズは其れを1つ取ると、無言で頬張り始める。

 シエスタは、ルイズに近付くと耳元で囁いた。

「で、ミス・ヴァリエールは舞踏会でサイトさんに見付けて貰ったんですか?」

 ぐ、とルイズは食べているパンを喉に詰まらせてしまった。

 そんなルイズにシエスタは目を細めて呟く。

「どぉーだったんですか? おやおやおや、其の様子を見ると、駄目だったみたいですね。と言うと、賭けは私の勝ちですね。勝ちという事は……」

 シエスタは顔をパァッと輝かせた。

「1日、サイトさんを貸して頂きますからね。ミス・ヴァリエールは、“用事が出来た”と言って、御部屋を開けて下さい。だいじょぶです。そんなですね、ミス・ヴァリエールが考えている様な変な事しませんから。ただちょっと演劇の稽古をするだけですから。“メイドの午後”ってタイトルの 小説のですね。ワンシーンをですね、練習しようかなって。そういう……」

 然し、ルイズは返事をしない。プルプルと震え乍ら、ただ一点を見詰めている。

「聞いてるんですか? ミス」

 シエスタとシオンは、ルイズの視線を先に気付いた。そして、シエスタは目を丸くした。

「女王陛下じゃ在りませんか!」

 丁度、女王アンリエッタが其の人を護衛に引き連れ、歩いて来るところで在った。

 彼女は、昨晩催された“スレイプニィルの舞踏会”に出席するために、“魔法学院”に滞在していたので在る。

 甲板に集まった生徒達から歓声が沸いた。

 突然現れたアンリエッタを見て、コルベールが深々と頭を下げる。

「素晴らしい“フネ”ですわね。ミスタ」

「恐縮です」

 そんなコルベールとアンリエッタの遣り取りを見詰め、シエスタは溜息を吐いた。

 “トリステインの華”、と形容されたアンリエッタの美貌は、“貴族”の子女に混じっても、やはり異彩を放っているので在る。高貴な雰囲気がこれでもかと漂い、“平民”で在るシエスタを圧迫していた。

 然し……アンリエッタはそんな中にも、何処か親しみ易さを感じさせる雰囲気を持っている。“貴族”の女性は、其の殆どが皆御高く止まっており、澄ましているかの様に見える。だが、其の頂点に君臨するアンリエッタには、余りそういったモノは感じられ無いといえるだろう。何者とも張り合う必要が無いからだといえるこそだろうか。

 シオンもアンリエッタに並び立ち、其れに勝るとも劣らぬ程で在るのだが、ルイズもシエスタも、女王に成るまでの彼女のイメージが強いために、最初こそ気圧されはしたものの、直ぐにそれまで通りの態度を取る事が出来る様に成っていた。其れは、ルイズとシエスタだけでは無く、在校生と教師を含めた顔見知りの全員が、で在る。

「私、こんな御近くでアンリエッタ女王陛下を拝見するのは初めてです。故郷の家族が聞いたら、きっと羨ましがりますわ……」

 然しルイズは無反応で在る。ジッと、真っ直ぐに、アンリエッタを見詰めているので在る。

 シエスタは、(一体ミス・ヴァリエールはどうしたのかしら?)と首を傾げていたのだが、其の内に顔を輝かせた。想い人が、人混みを掻き分けて現れたので在る。

「サイトさん……」

 果たして其れは、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”のマントを羽織った才人で在った。

 隣にはギーシュの姿も見えたのだが、シエスタの目にはもう才人しか映っていない。

 ギーシュはアンリエッタの元まで来ると、優雅に一礼する。

 半歩下がって後ろに立った才人もギーシュに合わせ、慣れぬ騎士の仕草で一礼した。其の“平民”上がり故の不器用さが、更にシエスタの胸をときめかせるので在った。

「陛下、馬車の支度が整いました」

 ギーシュが恭しく一礼して言った。憧れの女王に直接仕える喜びからだろう、これ以上無い程に得意げな態度で在ると云えるだろう。何処と無く恥ずかしそうな才人とは対照的でるといえるだろう。

「御苦労様です」

 アンリエッタは、そう言うと、労を労うかの様に右手を差し出した。

 ギーシュは其の侭の姿勢で固まってしまう。

「ギーシュさん?」

「おい……」

 才人が、小さくギーシュを突く。

 すると、其の侭の姿勢で、ギーシュは横に倒れた。

 アンリエッタが驚いて後退る。

「ど、どうなさったんですか?」

「気絶してます」

 才人が切なげにそう言うと、集まった生徒達は爆笑した。

 どうやらギーシュは感極まって、遂には意識を失ってしまったらしい。

「では、代わりに副隊長さんに、感謝の気持ちを伝えたいと想います」

 アンリエッタが軽く緊張した声で言うと、周りにサッと緊張が奔った。才人は“シュヴァリエ”とは云え、“ハルケギニア”では元“平民”で在るのだ。此の場に居る皆は、以前、“トリスタニア”で御手を許された事は知っているだろう。だが、いざ目の当たりすると嘗ては想像すら出来なかった光景に頭がクラクラするので在る。

 才人はふとアンリエッタの顔を見上げ、顔を赤らめ、僅かに伏せた。

 周りの“貴族”生徒達は(女王に手を差し出され、緊張しているのだろう)と考えたが、シエスタの目にはそう映らなかった。目を細め、アンリエッタと才人の顔を交互に見詰める。

「……え?」

 シエスタの口から、驚きの呻きが漏れた。流石は恋する娘だといえ、一瞬、アンリエッタの目の中に光った熱い何かを見逃す事は全く無かった。

「そ、そんな、まさか……」

 シエスタは、(ありえない)と想い乍らルイズの方を向いた。

 此方は此方で、大変な事に成っていた。

 ルイズは、拳をギュッと握り締め、俯き、直立不動で何やらブツブツと呟いているので在る。

 シオンは、そんなルイズの様子、アンリエッタの様子、才人の様子を目にし、合点が行ったと云う表情を浮かべた。

「ミス? ミス?」

 シエスタは慌ててルイズを揺さ振った。

 ブツブツとルイズの口からは、まるで呪詛の様な言葉が漏れ続けている。

「犬の癖に犬の癖に犬の癖に何考えてんの其れ在り得無いから恐れ多いったらありゃし成いと言うか姫様も姫様だわ節操無いったらありゃし成い本気じゃ成いの巫山戯てるわ何が此の気持ちどう成のか判りませぬよ赦せ無いやっぱり赦せ無い犬の癖に犬と女王? 御嘲笑いだわよホントに」

「ミス! ミス!」

 シエスタは青褪めて、ルイズを更に揺さ振った。

「あによ?」

「……あれ! あれ、どういう事ですか!?」

 小声で囁き乍ら、シエスタはアンリエッタと才人を指差した。

「どういう事もこういう事もああいう事も、あんた達の見た通りよ」

 シエスタはクラクラと地面にへたり込んだ。

「信じられません」

「私だて信じられないわよ」

 アンリエッタはルイズとシオンに気付いたらしい。何の邪気も込もってない笑顔を浮かべ、近付いて来る。

 其の後から、バツの悪そうな様子を見せる才人も遣って来る。

 息を吹き返したギーシュも着いて来た。

 ルイズはふんっ! と才人から顔を背け、アンリエッタにぎこちない会釈をした。

「私、これから御城に戻るのだけど……其の前に貴方達とユックリ昼食が摂りたいの。良いかしら?」

「良いも悪いも、在りませんわ。陛下の仰せの侭に」

「ええ、良いわよ。アン」

 アンリエッタはニッコリと笑った。其れから才人の方を振り向く。

「貴男も入らして下さいますか?」

「そ、其りゃもう! 喜んで! はい!」

 ギーシュが、直立不動で答えた。

 モンモランシーが此の場にいれば、“魔法”で御仕置きされかねない程の勢いで在った。

 然し才人は、申し訳無さそうに首を横に振った。

「申し訳有りませんが……ちょっと、其の、用事が有りまして。少しばかり遅れてからと成りますが……其れで宜しければ」

 其の様子を見守っていた生徒達から、呆れた声が上がった。

 女王の誘いを断るなど、彼等彼女等を始めとした“貴族”からすると、先ず考える事が出来ない事で在るのだから。況してや昼食の陪席など、並の“貴族”が望んでも得られぬ光栄で在ると云えるだろう。

 アンリエッタは一瞬、寂しそうな表情を浮かべたが、直ぐに笑顔に切り替えた。

「良いのです。騎士とも成れば、色々忙しい事も在るでしょうから。用事が済んだ後に、問題が無いようでしたら入らしてくださいな」

 女王と昼食の陪席を賜る事に成った一行は、ぞろぞろと“オストラント号”を下りて行く。ギーシュ、ルイズ、シオン、アンリエッタ……給仕の手が必要だと感じてだろう、シエスタも彼女等の後を着いて行った。

 後に残された才人は顔を上げると、キュルケとコルベールの元へと向かった。

 先程まで2人の周りに集まっていた生徒達は、別に陪席出来る訳でも無いのだが、女王一行に着いて行った。

 御蔭で、やっとの事でコルベールは解放されたので在る。

「どうしたの? サイト。女王様の御誘いを断るなんて。貴男随分偉く成ったじゃないの」

「ちょっと訊きたい事が有るんだ」

「そうそう。あたしも訊きたい事が有るのよ。貴方達、昨日誰かに襲われてたでしょ? あれ、誰?」

「俺も良く判らなに」

「何其れ。後、タバサはどうしたの? 昨日は貴方達と一緒だったのに、今日は一向に姿を見せないし……」

「俺が訊きたいのは、其のタバサの事なんだ」

 才人は、キュルケとコルベールに昨晩の事を話した。

 ルイズが“ミョズニトニルン”や“キャスター”と名乗る女性に襲われ、攫われそうに成った事。救けに行こうとすると、何とタバサが攻撃を仕掛けて来たという事。

「ホント?」

 キュルケは当然目を丸くした。

「ああ。でも、俺は彼奴を傷付ける事は出来なかった。気付いたら、剣の切っ先を外してたんだ。俺は腹に一発喰らったけど、彼奴も急所は狙えなかったんだろうな。致命傷じゃ無かった」

 才人はシャツを捲って、昨晩タバサの“魔法”に依って抉られた傷を見せた。騎士隊の“水”の使い手に癒やして貰った事も在り、其の御蔭で傷は塞がっているのだが……“ジャベリン(氷槍)”の“呪文”に依る攻撃で付けられた生々しい傷痕が未だ完治せずに残っているのが判る。

「何な心変わりが在ったのか知らないけど……其れから彼奴は、其れまで味方だった奴を攻撃したんだ。で、一緒にシルフィードに乗って、ルイズを攫った敵を追ったら、先生に救けられたって訳だ」

 キュルケは考え込む様にして居たが……直ぐに顔を上げる。そして疾走り出した。

「キュルケ、何処に行くんだ?」

 才人とコルベールは顔を見合わせると、キュルケの後に着いて行った。

 キュルケの行き先は、寮塔のタバサの部屋で在った。

 が然し其処は蛻の殻で在る。何処にもタバサの姿が見えない。

 キュルケは腕を組むと、考え事を始めた。其れから才人に真顔で尋ねた。

「あの娘が、此の“学院”に帰って来たのはいつ?」

「えっと……10日程前だったかな」

 キュルケは、顰めっ面に成った。

「全く……あの娘ったら、何も言わ無いんだから。ホントに水臭いわね」

「どういう事だ?」

「あの娘ね、あたしと一緒に“ゲルマニア”に行ったんだけど……ジャンの無事を確認したら、“帰る”って言って、ホントに帰っちゃったの」

「おいおい、でも、彼奴が“学院”に戻って来たのは10日くらい前だぜ?」

「だからよ。其の間、きっと何かまた任務でも受けてたんだわ。ったく……」

「任務って何だよ!? 穏やかじゃねえな。そう言や彼奴、言ってたな……“襲った訳は後で話す”って。なぁキュルケ、教えて呉れよ!」

 キュルケは、ん~~、と額に手を置いたのだが。

「ま良っか。今更貴男に隠してもしょうが無いわよね。セイヴァーは多分、既に知ってるだろうし。あの娘が“ガリア”人と言う事は知ってる?」

 才人は首肯いた。

 其れは、騎士団勧誘の時に、図書館でタバサから直接聞いたので在った。

「ただの“貴族”じゃ無いのよ。あの娘は、“ガリア”の“王族”なの」

「“王族”だって?」

「そうよ」

 キュルケは、才人に説明をした。

 タバサが此の“トリステイン魔法学院”に留学して来た哀しい経緯を……。

 現国王の弟で在ったタバサの父親のオルレアン公が、現国王派に殺された事。タバサの母親は、タバサを庇って毒を呷ぎ、心を病んでしまったという事。

 そしてタバサは、厄介払いの様な扱いで“トリステイン”に留学させられたという事……。

「でも、そんな“ガリア王家”の何が赦せないって……」

 キュルケはギリッと唇を噛んだ。何時もは小馬鹿にしたかの様な笑みを浮かべている顔に、其の“系統”を偲ばせる火の様な怒りが浮かび上がる。

「そんな仕打ちをしておき乍ら、面倒な事件が起こると、あの娘に押し付ける事よ」

「……面倒な事件?」

「あの、“ラグドリアン”の一件を覚えてる?」

 才人は、あの美しい湖での出来事を想い出した。才人の中で、哀しい記憶が蘇る。ウェールズの死……アンリエッタとシオンの涙。そして、“水の精霊”との約束……。

 才人は、「そう言や、指輪の事忘れてたっけ……」と呟いた後、顔を上げた。

「ああ、覚えてるよ。御前達と遣り合ったけな」

「あれも、“ガリア王家”からの命令だったの」

「じゃあ、昨晩俺達を襲ったのも……」

「“ガリア王家”からの命令でしょうね」

 才人の顔に怒りが浮かんだ。

「赦せねえ」

「其れよりミス・タバサが心配じゃないかね」

 其れまで黙って話を聴いていたコルベールが、深刻そうに眉を顰めて言った。

「部屋にもいないって事は、若しかして、攫われたんじゃ……」

 才人も心配そうに言うと、キュルケは首を横に振った。

「あの娘は、捕まる程間抜けじゃ無い。きっと、姿を隠したんだと想うわ。誰にも迷惑が掛からない様に。あの娘はそういう娘だから」

「でも……」

「其のうち連絡が来ると想う。動かない方が良いわ。今は信じて待ちましょう」

 キュルケは、窓の外を見詰めて言った。

 心底信じ切っているといった声で在るために、才人は少しばかり感動を覚えた。

「ルイズ達に話しても良いか?」

 才人が尋ねると、キュルケは首肯いた。

「話した方が良いでしょ。あの娘達も、巻き込まれてるんでしょ? 参っちゃうわよえねえぇ、伝説の使い手なかに成っちゃうと……あのヴァリエールには荷が重過ぎるわ。“虚無”なんてねぇ。全くねえ」

「知ってたのかよ!?」

 驚いた声で才人が叫ぶ。

「いつだか、あのハンサムな“アルビオン”の王子様が蘇って御姫様を攫った時、サイト、貴男自分で言ったじゃないの。“伝説の真似事してるだけさ”って。で以て死者に掛けられた“魔法”を解除したルイズのあの“呪文”……“4系統魔法”じゃ無いじゃない。伝説……そして“4系統”じゃ無い“魔法”。“虚無”じゃないかって想ってたけど……貴男の態度を見るに、ホントだったみたいね」

 キュルケは目を細めて、ニヤッと笑みを浮かべた。だが直ぐに、考え込む仕草を取り、呟いた。

「でも、あのセイヴァーが使う“魔法”は……“先住”……? でも、“エルフ”じゃ無いわよね……一体、何かしら?」

 

 

 

 其の頃女王の一行は、ルイズの部屋で昼食を摂っていた。

 オスマンを始めとする“学院”の職員達は「食堂を御使いになっては」と言ったのだが、「私事ですので」とアンリエッタは断ったので在った。

 そんな訳でルイズの部屋には急遽大きなテーブルが用意され、女王の昼餐のための席が設けられたので在る。

 用意されたテーブルには、窓を背にして上座にアンリエッタ、向かって其の右隣にルイズ、そしてギーシュと続き、アンリエッタの左隣にシオンと云った風で在る。

 給仕役のシエスタは、当然の事だが、後ろに立って緊張した表情を浮かべている。女王の給仕をする様な自体が自分の人生に起こるなどと、夢にも想っていなかったので在る。身近に女王は既にいはするのだが、其れはまた例外で在るといえるためだ。シエスタは、アンリエッタの横顔を時偶チラチラと盗み見て居いた。

 シエスタは、先程のアンリエッタの才人への熱い視線を想い出すのだろう……目を白黒とさせている。どうやら未だに上手く信じる事が出来無い様で在った。

 アンリエッタはアンリエッタで、楽しそうにギーシュの御喋りに耳を傾けていたと思えば、直ぐに窓の外へと視線を移し、切なげに溜息などを吐いている。

 そんな様子を見て、(アンリエッタの想いはかなり深いのではないか?)との疑念が、ルイズとシオンの心の中に巻き起こるので在った。

 昨晩は、つい、カッと成って叩いてしまったルイズで在るのだが……其れはアンリエッタの気持ちが本気がどうか判らなかったからだと云えるだろう。少し気に成って……程度で手を出されたら堪らないと想ったからこその行動で在ったといえるだろう。

 ルイズは、(でも、そうじゃ無かったとしたら? 自分はどうすれば良いの?)と想った。

 幼い頃より、(アンリエッタの意に添う事が絶対)と信じて来たルイズにとって、其れを考え始めると頭が真っ白に成ってしまう程の事で在った。脳が考える事を拒否してしまっているので在る。

 そんな風に悩んで居ると、料理に何か混じって居る事にルイズは気付いた。

 丁度パイ皮で鳥を包んだ料理を食べているところで在ったのだが、ナイフで切り分けると、ピョコンと1枚の紙が出て来たので在る。

 其れには、こう書かれていた。

 

――“未だに信じられませんので確かめて下さい”。

 

 ルイズが振り向くと、緊張し切った様子のシエスタが立っている。

 どうやらメモを忍ばせたのは此のメイドで在るらしい。

 ルイズは溜息を吐いた。

 シエスタは、余程、アンリエッタは本気かどうなのかを知りたいので在ろう。

 ルイズは小さく、「判らないわ」、と呟く。

 呟いた後、(今の独り言、姫様に聞こえなかったかしら?)と不安に成った。そして、ソッと女王の顔を盗み見るのだが、アンリエッタは幸いにも心此処に在らずと云った様子で在る事が判る。

 ギーシュはギーシュで、アンリエッタの其の憂いの顔を見詰める事に夢中で在った。

 シオンは、そんなアンリエッタ、ギーシュ、ルイズ、シエスタの皆の様子をニコニコと見守っている。

 シエスタはモジモジとしているルイズを急かすかの様に、ツイツイと背中を突いた。

 其の度にルイズは身を捩らせた。

 余りにもシエスタがしつこいために、ルイズは其の足を踏み付けた。

「痛っ!」

 シエスタがピョコンと跳ね上がる。

「どうしたの?」

 アンリエッタは怪訝な表情を浮かべ、ルイズとシエスタを見詰めた。

「な、何でも在りません!」

 ルイズはシエスタの書いたメモを、くしゃくしゃに丸めてポケットに捩じ込んだ。

 するとシエスタは、ガシャン、と御盆を取り落とした。

 ルイズは(今度は何をしているのよ、このメイドは?)と思って見ていると、シエスタは御盆を拾う振りをしてテーブルの下に潜り込み、クロスを持ち上げて、ルイズの足の間に顔を出したので在る。

 其の唇が、ユックリと動く。

「た し か め て く だ さ い」

 ルイズは太腿でシエスタの頬を挟んだ。

「もごごごごごご……」

 再びアンリエッタが、ルイズに視線を戻す。

「どうしたの?」

 アンリエッタはメイドで在るシエスタが消えた事などには全く気付いていない口調で言った。

「ほ、ホントになんでも」

 とルイズは太腿でシエスタの顔を押せ乍ら、冷や汗を流すので在った。

 再びアンリエッタは、物憂げに窓の外を見詰めた。

 見ると、料理には殆ど手が付けられていない事が判る。

 アンリエッタは本当に参ってしまっている様子で在った。

 ルイズは、(じゃあ、サイトはどうなのかしら?)と想い、大きく溜息を吐いた。

 アンリエッタと唇を合わせていた時の、才人の表情が、ルイズの頭の中に蘇る。熱っぽい、あの視線……。

 ルイズには、自分にも同じものが向けられていたのかどうか、今と成っては自信が無いので在った。そして、(若しかしたらサイトは私より、姫様の方が……)と想ってしまうのである。

 怒りが沸々と湧き上がって来る事を、ルイズは感じ取った。

 ルイズは、(ねえ、ルイズ・フランソワーズ。理解ってるの? あの犬、あんだけ“好き好き”言った癖に御主人様を裏切って、他所の女に尻尾を振ってるのよ。而も其の相手、姫様なのよ。選りに選って、私の1番大事なアンリエッタ女王陛下、其の人なのよ。う、ううううう、裏切りだわ。こ、こここここ、こんな裏切りってないわ。やっぱり、キスで誤魔化されてる場合じゃ無いわ!)と考えた。

 どうにもこうにも、ルイズの中で苛々が募るので在った。つい、力が入ってしまい、太腿で締め付けて居たシエスタが苦しそうな呻きを上げた。

「ミ、ミス……むぐ……苦しい……」

 其の時で在る。

 扉が開いて、深刻な面持ちの才人が入って来た。

「サイト」

「サイト殿」

「サイトさん」

「サイト君?」

 身分も立場も違う娘達は、三者三様、否、四者四様と云った呼び方と表情で、突然の客を迎え入れる。

 ルイズは怒りを浮かべた目で、才人を睨み付けた。

 アンリエッタは、頬を僅かに染めて俯いてしまった。

 テーブルの下から這い出てシエスタは憧れと寂しさをブレンドしたかの様な1番複雑な表情で才人を迎えた。高貴な存在で在る女性の気持ちを……其れを2つも、手に入れてしまった才人の存在が誇らしくもあり、信じられなくもあり……更に遠くに行ってしまった様に感じているので在る。

 シオンは、普段と何ら変わらぬ様子で迎えたので在った。

「どうした? 君は何か用事が有ったんじゃないのかい?」

 此の場で1人、才人の闖入を全く歓迎していないギーシュが言った。折角の女王陛下との陪食に、水を差されてしまった気分で在ったのだ。

 才人はそんなギーシュを無視して、アンリエッタに一礼した。

「姫様」

「何でしょう?」

 不意を突かれてしまったアンリエッタは、未だに頬を僅かに染めている。

 ルイズやシエスタ、そしてシオンを始め一部の者達以外では、気付かない程度では在るが……アンリエッタは内心の動揺を悟られまいと、唇をキュッと真一文字に結んだ。

 然し、才人の次の言葉で、アンリエッタの頬の赤みが消え、一瞬で白く染まった。

「ルイズ達を襲った連中の正体が判りました」

「何ですって?」

 

 

 

 才人は、先程キュルケから聴いた話を其の部屋に居た全員に話した。足りない分は、才人にくっ着いて来たキュルケとコルベールが補足説明をする。

「そんな、“ガリア”が……」

 アンリエッタは、信じられない、といった様に首を横に振った。

「でも、間違いなく“ガリア王国”とやらの仕業らしいですよ。じゃ無きゃ……」

 才人は言い難そうに、付け加えた。

「タバサが、俺を襲う訳が無いんだ」

「あのちびっ娘、随分と苦労してるんだな……」

 とギーシュが首を振った。

 アンリエッタの顔は蒼白で在った。そして、「ガリアの動向には注意が必要ですぞ」といった宰相で在るマザリーニの言葉が、胸中に蘇った。

 どうして“ガリア”が“アルビオン”での会議の際、賠償金の支払いのみで満足したのか、其の訳をアンリエッタは理解した。

 “ガリア”が狙って真に狙って居たのは、伝説の能力“虚無”で在ったのだ。

 一体“ガリア”が“虚無”の力を得て何をしようとして居るのか、アンリエッタには判る筈も、そして理解る筈も無かった。ジョゼフ王の企みで在るのか、其れとも有力な“貴族”の独断で在るのか……何方にせよ、善からぬ企みで在る事だけは間違いが無いだろう、と想わせた。

 才人は目に怒りを宿らせて、アンリエッタに告げた。

「姫様。俺を“ガリア”に行かせてください」

「サイト」

 ルイズが窘めようとしたのだが、才人は聞かずに言葉を続ける。

「何処の誰だか知らないけど、タバサに非道い事をして、ルイズを攫って、俺達を殺そうとした連中がいるんでしょう? 捜して、2度とそんな事を考え無い様に教育してやる」

 ギーシュが驚いた声を上げた。

「“ガリア”に乗り込むだって!? おいおい、戦争に成るぞ!」

「何だよギーシュ? 御前、隊長だろ? 副隊長が遣られてんのに、仇を取って呉れないのかよ?」

 才人は不満げに言った。

「いや、仇を取るのはそりゃあ、吝かじゃ無いが……向こうは外国なんだ。騎士隊の僕達が乗り込んだら、唯喧嘩をしに来たじゃ済まなく成る」

 アンリエッタも、ギーシュの言葉に首肯いた。

「サイト殿、御気持ちは理解りますが……ギーシュ殿の言う通りだわ。今では貴男は“トリステイン”の騎士。むざむざと、罠に掛かりに行く様なモノですわ」

「でも……」

 才人は悔しそうに唇を噛んだ。

「怒りを理由に動くのは良いが、其れに振り回される様では未だ未だ未熟といった所だな……そうだな、確かに2人が言う通り、これはそう簡単な事では無い。政治に関係する程の問題だ。今の御前は、アンリエッタの言う通り騎士――“シュヴァリエ”だ。今の侭では、動く事は出来ないだろうな。其れに、だ。未だ動く時では無い」

 俺は“霊体化”を解き、口を開く。

 未だ慣れていないアンリエッタとコルベールは驚きに目を大きく見開くが、直ぐに平静さを取り戻した。

 そして、アンリエッタは俺の言葉を聞いて、俯いた。

「取り敢えず、私に御任せ下さい。何か証拠に成るモノは在ったかしら……?」

「“ガーゴイル”の破片が在りますわ」

 アンリエッタの其の言葉に、ルイズが助け船を出した。

 昨晩、ルイズと才人達を襲った“ガーゴイル”の破片で在る。其れは“学院”の庭や、外の平原に未だ散らばっているのだ。

「そうね。其れが“ガリア”で造られたモノだと証拠を得たら、大使を呼んで厳重に抗議致します」

「そんな。折角敵の正体が掴めて来たっていうのに!」

 才人はなおも喰い下がった。

 そんな才人の手を、アンリエッタは握り締める。

「御願い。貴方達を危険な目に遭わせたくないのです。もう、誰か大事な人間が……傷付く事に私は堪えられないのです。そうと判ったら、国家を上げて、善からぬ事を企んでいる“ガリア”から、貴方方を守ります」

 ギーシュはアンリエッタの其の言葉に胸を打たれたらしく、恭しく膝を突いた。

「陛下……私は此の一命、陛下に捧げております。陛下の幼馴染で在るルイズ嬢は、陛下の御身も同然。一命に変えても、敵に指1本足りとも触れさせません」

「有り難う御座います。ギーシュ殿」

 アンリエッタはニッコリと笑った。

 其れから才人の方を向いた。

「貴男も約束してくださいまし。決して、危険な事はしないと」

 其の声に、真剣な何かが混じっている事が判る。

 アンリエッタの目が僅かに潤んでいるという事に才人は気付いた。

 才人は、(そんな目をするなよ……)と心の中で呟いた。泣き出しそうなアンリエッタの目を見て居ると……側に居て守ってやらねばいけない様な、言事を利かなければならない様な、才人は其の様な気持ちに成るので在った。

 そして、(敵の正体が朧気に見えた以上、此方から出向いて、ルイズを襲った連中を取っ締めて遣ろう)と才人は想っていたのだが……。

 其の様な熱い遣る気に水を差された様な気分に成ってしまい、才人はギュッと奥歯を噛み締めた。其れから、チラッと救いを求める様に、ルイズとシオン、そして俺の方を見詰める……。

 が、ルイズは頬を膨らませて目を逸らす。どうやら昨晩の一件で、完全に旋毛を曲げてしまっている様子だ。敬愛するアンリエッタと、“使い魔”で在る才人が唇を重ねて居る所を目撃してしまったのだから、無理は無いと云えるだろう。

 シオンは困ったかの様な笑みを浮かべる。

 才人は、(でも……ルイズに怒る権利は有るか?)と考える。才人の心は全力で(無い。無いだろ)と否定した。其れは、あれだけ才人が「好き好き」と言っているのに対し、ルイズは1度も才人に「好き」などと言った試しが無いからである。これだけ「好き好き」と言って居るのだから、嘘で在ろうとも1回くらいは言うのが筋ではないのか、とと才人は想うので在った。

 そして、(やっぱり“アルビオン”で言われた“御褒美よ”と言うのは本音だったのか?)と才人は切なく成った。“使い魔”として、才人を繋ぎ止めて置くための、甘い餌……。

 才人は、(何処が甘い餌だよ)と才人は起伏に乏しいルイズの身体を見て心の中で呟いた。(餌って言うのはな……)と想った瞬間、才人は眼の前のアンリエッタに気付いた。

 ドレスに包まれたアンリエッタの身体は、実に女性らしい起伏に富んでいるといえるだろう。ティファニア程では無いのだが、十分にボリュームのある胸元から覗く谷間が、才人の目に飛び込んで来るので在った。そして、其の谷間の感触が、才人の掌に未だ残っていた。

 同時に熱いキスを想い出し、才人は頬を染めた。

 いつもの毅然とした表情と……夢中に成って求めていた表情のギャップが、魅力の奔流と成って才人を包んだ。

 すると……どうにも才人の心は乱れてしまうので在った。

 才人は、ルイズが好きだ。其れは揺るぐ事など一切無い、筈で在るのだが……つい、才人の脳裏にアンリエッタの顔が浮かんでしまうので在った。

 才人は、(愛する人を亡くして、寂しいだけなんじゃないのか?)と考えた。

 冷静に考えると。そうで在ろう。

 だが……若し、そうで無いとするので在れば。

 才人は、其の時に心がどう変化するのか、自分事で在るにも関わらず判ら無かった。だが……1つだけ、確かな事は在った。

 誰も、アンリエッタの素顔を知らないのかもしれないと云う事である。

 此の毅然とした表情を崩さないでいる歳若い女王の、素顔を知る者はいないといえるのだ。

 何処までも弱い、1人の少女としての素顔を知る者はいないのだろう。

 ルイズさえも……恐らくは知らないだろう。

 本当の、アンリエッタは、幾重にも高価なレースで覆われた何処にでもいるだろう女の子の1人で在るといえるのだ。キスをすれば頬が上気する、抱き締めれば胸に頬を埋める、胸も頬も全て柔らかい、か弱い女性で在るのだ。

 才人は、(もっと……其の先に在る顔が見てみたい。キスの先に在る顔は、一体どんな顔なんだろう?)と考えた。そんな考えが脳裏を過り……才人は(何だかな……其れってとてもいけない事だよな)と思い、首を横に振った。

 だが、其のいけなさこそが、アンリエッタの魅力の1つであるといえるだろう。(駄目だ)とは想っても、つい溺れてしまいそうに成る様な底無しの魅力を、此の女王は持っているので在った。見ていると、其の見る者はどうにか成りそうにしてしまう魅力。

 そういった事もあって、才人は目を逸らした。

 

 

 

 ルイズとシエスタは、少し離れた所に立って、見詰め合ったり顔を伏せたりする才人とアンリエッタを冷えた目で見詰めていた。

 シエスタは嫉妬を通り越してとうとう感動までしたらしい。

「じょ、女王陛下を射止めるなんて、やっぱりサイトさんは素敵ですわ……」

 ウットリとしてそんな事を言うものだから、シエスタはルイズに足を踏まれてしまう。

「ひゃん!?」

「余計な事言わないの」

「でも、あの女王陛下の御顔……恋をしてらっしゃる御顔、女の私が見ても、堪らなく魅力的ですわ。思わず見惚れちゃいます……あう!」

 シエスタはルイズに頬を抓られて、悲鳴を上げる。

「姫様は、勘違いしてるだけなの」

「勘違い……ですか?」

「そうよ。生まれたばかりの家鴨の子供は、最初に見たモノを親だと想い込むらしいわ」

「興味深い御話ですわ」

「姫様も同じよ。ウェールズ様を亡くされて、沈み切った所に、偶々あの犬ッコロに出逢しただけよ。そんな訳だから、私が何としてでも、姫様をあのワンコロの魔手から御救いして差し上げなければいけないわ」

「素直じゃありませんわね……取られたくないって正直に仰ればミス・ヴァリエールも少しは可愛いのに……あう!」

 シエスタはルイズに、更に頬を抓られてしまう。

「知ってる? あの犬ってば、キスの次は酷くやらしいの。いつだか小舟の上で、私の太腿を触った時なんか、こんな手付きで、な、なななななな、んなななななな撫で上げて来たの。あれを姫様にするところ想像したら、何だか世界の全てが赦せなくなって来るわ。私の姫様を、汚すなんて赦さないんだから。万一汚したら、其の日が彼奴の命日よ」

「手付きなんか、良く覚えてらっしゃいますわね……ひゃう!」

 終いには、ルイズはシエスタの御尻を抓り上げた。

 シエスタは、ひゃう! だの、ひう! だの呻き乍ら跳び上がったのだが、才人とアンリエッタは2人の世界に入り込んでしまっており気付かない。何時でも目出度いと云えるギーシュは、アンリエッタの照れと赤面を、自分の忠誠に対し与えられたモノだと勘違いして感極まり、既に気絶してしまっている。

 キュルケはコルベールに、撓垂れ掛かって言った。

「平和だわねぇ……ジャン」

 困った顔でそんな光景を見詰めていたコルベールは、頭を掻いた。

「まぁ、所詮は束の間の休息だ。良いじゃないかね。ところでミス・ツェルプストー。其の……何だ、ジャンは勘弁して呉れんかね?」

 キュルケはニッコリと笑ってコルベールの頬にキスをした。

「い・や。後、何度も御願いしてるでしょ。きちんとキュルケと御呼びになって」

 そんな皆の様子を見乍ら、シオンは日常を謳歌するかの様にニコニコと笑みを浮かべた。

『ねえセイヴァー』

『何だね?』

『私、此の平和を……平和とは言い難いかもしれないけど、私は此の日常を守りたい……』

『そうだな……俺もだ』



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不安と嫉妬

 “ガリア”と“トリステイン”の国境沿いに位置した“ラグドリアン湖”、其の近くに在る、古木瓜た屋敷の前に、“ウィンドドラゴン”(化)に跨った青髪の少女が降り立った。

 屋敷の門には“ガリア王家”の紋が見えるのだが、醜い十字の傷で辱められてしまっていた。

 此処はタバサの母親がヒッソリと暮らす家……旧“オルレアン家”の屋敷で在った。

 タバサは昨晩破り捨てた手紙の内容を反芻した。

 “ガリア王家”の判が押された手紙で在った。其処には短く、こう書かれていたので在る。

 

――“シャルロット・エレーヌ・シュヴァリエ・ド・バルテル。右の者のシュヴァリエの称号及び身分を剥奪する。追って書き。上記の者の生母、旧オルレアン公爵夫人の身柄を王権により拘束する。保釈金交渉の権利を認める由、上記の者は、1週間以内に、旧オルレアン公邸に出頭せよ”。

 

 保釈金の交渉とはまた、随分舐めた言い回しであると云えるだろう。タバサを騙す気も無いに違いないといえる。詰まりは「母親を人質に取ったから、大人しく投稿しろ」という意味で在るのだ。其の後はタバサの裏切りに対する形式的な裁判が開かれるで在ろう事は簡単に想像出来る。其の結果は……運が良くって絞首刑……悪ければ……。

 朝の爽やかな風が、春の陽射しと共に頬を嬲る。そんな爽やかな風を、一瞬で凍て付かせるかの様に冷たいオーラを纏った侭、タバサは屋敷へと、一歩、足を踏み出した。

 御座りをしたシルフィードが、きゅい、と心配そうな声を上げた。(大人しく投降する積りか?)と其の目が尋ねている。

「平気」

 タバサは前を向いた儘、忠実な己の“使い魔”にそう告げた。

 すると、後ろからチョコチョコと大きなシルフィードが、タバサへと近付いて来るので在る。

「待ってて。直ぐ済むから」

 シルフィードは首を横に振る。

 此の賢い“竜”は理解っていたので在る。自分の主人は、勿論投稿する気など、無い。戦って、母親を取り返す積りで在るのだ。勿論、“ガリア王政府”もタバサが大人しく“杖”を渡すとは想っていないだろう。其の“風”の“魔法”を封じ込めるために、強力な使い手を大量に用意したにちがいないと。

 裏切った以上、タバサを生かしておく理由は何処にも無いのである。元々“王家”は、タバサの命を奪いたがっていたのだから。然し父と同じく謀殺したのでは、旧“オルレアン”公派を憤らせてしまう結果に成るだろう事は明白で在る。よって、危険な任務に投入し、処理しようと考えていたのである。

 だがタバサは、其の任務の尽くを果たしてのけたのである。現王派は、嘸かしヤキモキとしていた事で在ろう。

 今回は……そんなタバサを、大手を振って殺せるだろうチャンスなのである。

 嫌な空気が屋敷を覆っているという事に、シルフィードは気付いていた。

 其の空気は、肌を刺すかの様に冷たい感触と成って、シルフィードの鱗をチクチクと刺激しているのである。

「理解ってるでしょ? 今から戦いに赴くの。貴女はいつもの通り、空で待ってて」

 シルフィードは、タバサの戦いに参加した事は余り無いと云える。「帰りの足が失くなるから」という理由で、頻く空の上で主人の戦いが終わるのをジッと待っている事が多いのである。

 然し今回は違った。

 タバサの敵は、“ガリア王国”で在るのだ。

 今まで相手にして来た、“幻獣”や“メイジ”や、“亜人”とは全く規模が違う相手なので在る。

 如何に力の有ろうともただの少女1人では、1国との間では、どう足掻こうとも勝ち目は無いに等しいのだから。

 此の旧“オルレアン”屋敷は、既にタバサの懐かしい想い出の場所では無いので在る。

 かといって戦場でも無い。

 タバサを葬るために用意された死刑執行人が待ち受ける場所で在り、棺桶で在り、墓地で在るといえる。

 戦場ならば兎も角、墓地に“愛”する主人を1人で行かせる訳には、当然いかない。

 そんな健気な視線で自身を見詰めるシルフィードを、タバサはジッと見詰めた。

 小さく、言い聞かせる様な口調でタバサは言った。

「貴女が待っているから、私は戦える。帰る場所が在るから、私は戦える」

 シルフィードは、暫く身動ぎもしなかったが……目に一杯涙を溜め、大きく首肯いた。

「きゅい」

 赤い痣の在る手で以て優しい手付きで、タバサはシルフィードの鼻面を撫でる。

 シルフィードは、グッと顔を持ち上げると、空へと羽撃いた。

 屋敷の上空をグルグルと旋回するシルフィードを見詰め、タバサはいつもと変わらぬ表情で、「有り難う」と呟いた。

 

 

 

 玄関の大きな扉に、鍵は掛かっていなかった。

 タバサが押すと、ぎぃ~~~、と重たい音を立て、扉は難無く開く。

 何時もで在れば執事のペルスランが飛んで来るのだが……シンっと冷えた朝の空気以外、タバサを迎えるモノは誰1人いない。屋敷の中には、何人かの使用人がいる筈で在るのだが全く人の気配は無いと云える。

 其の身長より長い、節榑だった“杖”を無造作に右手に提げ、ユックリとタバサは奥へと向かう。

 普段と変わらぬ無表情さ、普段と何ら変わらぬ足取りで在ったのだが、怒りがタバサの周りの空気を変えていた。屋敷奥の母親の居室に通じる長い廊下を歩いていると……廊下の左右に並んだ扉が一斉に開いた。

 扉が開くのと同時に、一斉に矢が飛んで来る。

 タバサは全く動じる事も無く、“杖”を振った。

 ピキッ! と空気の中の水蒸気が爆ぜる音がして、氷の壁がタバサの周りに現れ、飛んで来た矢を弾き返す。

 其の矢が挨拶で在るかの様に、次いで開いた扉から、兵士が飛び出して来る。然し……良く見ると剣を構えた其れはヒトでは無い事が判るだろう。

 意思を付与された“魔法人形”――“ガーゴイル”で在る。

 死を恐れぬ頑丈な“ガーゴイル”に、近距離で一時に十数体も掛かって来られたのでは、並の“メイジ”では対処する事は出来ないで在ろう。

 然し、今のタバサの“精神力”は怒りで膨れ上がっている。

 タバサが“杖”を振り被ると、其の先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転した。

 短い髪の毛が、発生させたタバサを中心とする竜巻によって激しく靡く。

 今まで発揮した事の無いスピードと威力を誇る“ウィンディ・アイシクル(氷の矢)”が、十数体の“ガーゴイル”を同時に射抜き……吹き飛ばした。

 射抜かれた“ガーゴイル”は、氷の矢が帯びた“精神力”――“魔力”で、一瞬にして氷結する。迸る“精神力”――“魔力”が、行き場を求めての結果だと云えるだろう。

 強烈な怒りが、本人も気付かない侭に、タバサのランクを一段上げていたので在った。

 “風”の二乗、“水”の二乗が、十八番で在る“ウィンディ・アイシクル(氷の矢)”に宿っているので在った。

 今のタバサが相手では、並の使い手は対峙する事すらも敵わぬで在ろう。

 “ガリア”の秘密騎士、“北花壇騎士”としての経験と、強烈な“風”の“スクウェア・スペル”が、此の小柄な青髪の少女を“ハルケギニア”でも有数の戦士に変えていたので在る。

 タバサは母の居室の前に立ち、取っ手に手を掛けた。

 鍵は掛かっていない。

 観音開きの扉を、タバサは無造作に引いた。

 ベッドと、小机が見える。

 だが、ベッドの上に、母の姿は無かった。

 窓が開いており、春風が吹いて来る。

 壁の周りには本棚が在って……男が1人立っていた。

 薄い茶色のローブを着た、長身で痩せた男で在る。鍔の広い、羽の着いた異国の帽子を冠って居る。帽子の隙間から、金色の髪の毛が腰まで垂れている。タバサが立った部屋の入り口に背を向け、壁に並んだ本棚に向かって、熱心に何かをしている様で在った。

 パラパラとページを捲る音が聞こ得て来る。

 驚いた事に、男はどうやら本を読んで居るらしい。敵で在ろう人物に背中を見せて、本を読んでいる刺客など、タバサは聞いた事が無かった。

 其の背に向けて、タバサは小さく口を開き尋ねた。

「母を何処へ遣ったの?」

 男は、呼び止められた図書室の司書で在るかの様に振り向いた。そして、全く日常的な仕草で、殺気や敵意を微塵も感じさせない様子で口を開いた。

「母?」

 男から発せられた声は、硝子で出来た鐘の様な、高く澄んでいた。

 男の切れ目の奥の瞳が、薄くブルーに光っているのが見える。随分と美しい、線の細い顔立ちで在った。然し……年齢が予想し辛い、全く判らないといえる。少年の様にも見えるで在ろうし、40といっても信じてしまいそうな、妙な雰囲気を男は持っていたので在る。

「母を何処へ遣ったの?」

 同じ抑揚で、タバサは繰り返した。

 男は困った様に、本を眺めていたのだが……再び口を開いた。

「ああ。今朝、“ガリア”軍が連行して行った女性の事か? 行き場所は知らない」

 ならば用は無い、とでも言う様に、タバサは無造作に“杖”を振った。

 “ウィンディ・アイシクル”が男の胸を襲う。

 然し、タバサの氷の矢は男の胸の前でピッタリと停止した。

 彼が“魔法”を唱えた素振りなど、何処にも無かった。

 停止した矢は床に落ちて、粉々に砕け散る。

 壁……という選りも、矢自体が勢いを失った、といった其の様な感じで在り、一体どの様な“魔法”を使用したのか悟らせない。

 タバサは慎重に“杖”を構えた。相手の出方を窺おうと想ったので在る。

「此の物語と言うモノは素晴らしいな」

 男の次の行動は、タバサの意表を突いたモノで在った。

 何と男は、再び本棚から先程読んでいた本を取り出したので在る。

「我々には、此の様な文化が無い。本といえば正確に事象や歴史、研究内容を記したモノに限られる。歴史に独自の解釈を加えて娯楽として変化さえ、読み手に感情を喚起させ、己の主張を滑り込ませる……面白いモノだな」

 異国のローブを纏った男は、全く敵意の込もっていない声でタバサに告げた。

「此の“イーヴァルディの勇者” という物語……御前は読んだ事が在るかね?」

 男が目を本に移した其の瞬間、タバサは再び、男に向かって“ウィンディ・アイシクル”を放った。今度は先の倍の量である。

 が然し……やはり氷の矢は男の手前で勢いを失い、床へと落ちてしまう。

 タバサの“呪文”による“魔法”を全く意に介した風も無く、男は言葉を続ける。

「果てさて、御前達の物語とは本当に興味深いな。宗教上は対立しているのに……我々の聖者の1人が、御前達にとっても勇者で在る様だ」

 タバサの顔に、焦りの陰が浮かび上がる。どうして氷の矢が、途中で止まるのかが理解出来ないので在る。何らかの“風”の“魔法”によるモノか。だが、タバサは其の様な“系統呪文”は見た事も聞いた事も無かった。

 だが其処で、タバサは気が付いた。

 “呪文”の“系統”は、此の世界にもう1つ存在するので在る。

 “北花壇騎士”として何度も戦って来た、“亜人”達が使用する“呪文”……。

「“先住魔法”……」

 然も不思議そうな表情で、男は呟く。

「どうして御前達蛮人は、其の様な不粋な呼び方をするのだ?」

 其れから、男は全く裏表の無いと云える声で言った。

「ああ、若しや私を蛮人と勘違いしていたのか。失礼した。御前達蛮人は書体目の場合、帽子を脱ぐのが作法だったな」

 男はそう言うと帽子を脱いた。

「私は“ネフテス”のビダーシャルだ。出逢いに感謝を」

 金色の髪から……長い尖った耳が突き出ている。

「“エルフ”」

 タバサは喉から驚きの声を絞り出した。

 男は――ビダーシャルは“エルフ”で在ったのだ。

 “ハルケギニア”の東方に広がる砂漠に暮らす長命の種族……。

 ヒトの何倍もの歴史と文明を誇る種族。

 強力な“先住魔法”の使い手にして、恐るべき戦士。

 “杖”を握るタバサの手に、力が篭もる。

 “北花壇騎士”として、様々な敵を渡り合って来たタバサにも、立ち会いたくない相手が2つ在った。

 1つ目は“竜”。ヒトの身で、成熟した“竜”と渡り合うという事は危険が多過ぎるので在る。“竜”の火力、生命力は、単純にヒトが駆使する“魔法”の力を凌駕しているので在る。

 そして2つ目が、眼の前に立つ“エルフ”で在った。

 初めて見る“エルフ”に、タバサは戸惑い……次いで恐怖した。

 其の“魔力”などは噂通り、尋常では無いという事が判る。何せ、“ウィンディ・アイシクル”が届きもしないのだから……。

「御前に要求したい」

 “ネフテス”のビダーシャルと名乗った“エルフ”の男は、気の毒そうな声で、タバサに告げた。

「要求?」

「ああ。我の要求は、抵抗しないで欲しい、という事だ。我々“エルフ”は、無益な戦いを好ま無い。我は御前の意思に関わらず、御前をジョゼフの元へと連れて行かねばならない。そう言う約束をしてしまったからな。だから、出来れば穏やかに同行を願いたいのだ」

 叔父王の名前を聞いて、タバサの血が逆流してしまった。

 タバサは、(怯えてどうする? 自分は、母を取り返すと決めたのだ。“エルフ”だろうが、神だろうが、此処で引く訳にはいかない)と恐怖で萎みつつ在った自身の心を叱咤し、再び猛り狂う嵐で心を満たした。

 タバサの今の、“精神力”――“魔力”は十分で在る。

 気力は感情だ。

 強い感情の力は、“精神力”――“魔力”の総量に影響するので在る。

 荒れ狂う怒りと激情の中、冷たい雪の様に冷え切った冷静な部分が、タバサに足せる“系統”が増えた事を自然と教えて呉れた。

 “スクウェア”の威力を持った“トライアングル・スペル”を、タバサは唱え始めた。

「“ラグーズ・ヲータル・イス・イーサ・ハガラース”……」

 タバサの周りの空気が、揺らいだかと思うと一瞬で凍り付いた。

 凍った空気の束が、無数の蛇に様に彼女の身体の周りを回転する。

 氷と風が織り為す芸術品で在るかの様な美しさと、触れたモノを一瞬で両断するで在ろう鋭さを兼ね備えた、“氷嵐(アイス・ストーム)”が出現したので在る。

 ぶぅお、ぶぅお、ぶるぉおおおおおおおおッ!

 部屋の内装を切り裂き、“氷嵐(アイス・ストーム)”は荒れ狂った。

 嵐の目が、タバサの身体から“杖”へと移る。

 同時にタバサは眼の前の“亜人(エルフ)”目掛けて“杖”を振り下ろす。

 其れ等の事が、僅かコンマ数秒の間に為された。

 どの様な防御“魔法”が掛かって居ようとも、一撃で吹き飛ばす事が出来るだろうと、そう想わせた。

 然し……金髪長身の“エルフ”は自分目掛けて突っ込んで来る猛り狂う“氷嵐(アイス・ストーム)”を、まるで無視した。

 彼の視線はタバサから動かない。

 敵意も、怒りも、彼の其の細い瞳は感じられない。

 タバサは、“エルフ”の瞳に宿るモノの正体を理解し、愕然とした。

 其処に在るモノは遠慮で在ったのだ。

 “スクウェア”の威力を持つ攻撃“魔法”が己を襲わんとしているというのにも関わらず……。未だ“エルフ”はタバサを敵と認めてさえいないので在った。

 “エルフ”の身体が氷嵐に包まれた……かの様に見えた其の瞬間。

 氷嵐の回転が、行き成り逆回転を始めた。

 其の侭氷嵐は同じ勢いを保った侭に、タバサ目掛けて飛んで来たので在る。

「“イル・フル・デラ”……」

 タバサは咄嗟に“フライ”の“呪文”を唱え、飛んで避けようとした。

 実戦豊富なタバサは、一瞬で其の“呪文”を完成させる。

 解放。

 飛び立とうとした其の瞬間、タバサの目が大きく見開かれる事に成った。

 飛べないので在る。

 何時しか、足が迫り出した床に呑まれているので在る。粘土の様に形を変えた床が、ガッチリとタバサの足首を掴んで居るので在った。

 タバサは呆然と呟いた。

「“エルフ”の“先住”……」

 言葉は完成しなかった。

 タバサは己の作り出した“氷嵐(アイス・ストーム)”に呑み込まれ、意識を手放した。

 

 

 

 ボロボロに成って転がったタバサにビダーシャルは近付いた。

 タバサの小さな身体は、己が作り出した氷の刃によって無数の傷が付いてしまっている。傷から流れた血と、水が入り混じり、床に敷かれた絨毯が酷い事に成ってしまっていた。

 ビダーシャルは、倒れたタバサの首筋に手を当てた。

 虫の息だ。

「此の者の身体を流れる“水”よ……」

 朗々と、長身の“エルフ”は“呪文”を唱え始めた。

 “ハルケギニア”のヒトが、“先住”と名付けている“魔法”を、実際使用する“エルフ”を始めとした“亜人”達は、“精霊の力”と其れを呼んでいた。

 タバサの身体の傷が、筆で絵の具を塗られるかの様に、見る間に塞がって行く。“系統魔法”の“治癒”よりも、傷の塞がる速度は速いで在ろう。

 ビダーシャルは、傷の塞がったタバサを慎重に抱え上げた。

 ビダーシャルが窓の外を見ると1匹の“竜”が見ている事に気付いた。

 タバサの“使い魔”で在るシルフィードである。其の目が怒りに光って居る。

 其の目の光で、ビダーシャルはシルフィードがただの“ウィンドドラゴン”では無いという事に気付いた。

「“韻竜”か……」

 ビダーシャルは、直ぐにシルフィードの正体を言い当ててみせた。

 “韻竜”とは、絶滅したといわれている“古代種”で在る。知能が高く、“先住”の“魔法”を操り、言語感覚に優れた“幻獣”の一種で在る。

 ビダーシャルの腕の中で昏睡している少女――タバサ……“韻竜”を“使い魔”にすると云う事は、余程の手練で在る事が判った。

 ビダーシャルは、(自分が“契約”した場所で無かったら、危険だったかもしれないな)と想った。

「“韻竜”よ。御前と争う積りは無い。“大い成る意思”は、御前と私が戦う事を望んでいない」

 “大い成る意思”とは……“エルフ”や“韻竜”など、“ハルケギニア”の先住民が信仰している概念で在る。彼等が“精霊の力”と呼ぶモノの源で在り、彼等の行動を決定付けている存在でも在る……ヒトにとっての神の様なモノで在るといえるだろう。

 ビダーシャルの眼の前に居る“韻竜”――シルフィードは、“大い成る意思”という単語を引き出されても、引きはしなかった。返って、勇気を奮い立たせるかの様に、唸り始めたので在る。

 シルフィードは恐怖を知っている。“エルフ”が、“精霊の力”の行使手として、己よりも数倍もの実力を秘めているという事を知り乍らも、ビダーシャルに牙を向いているので在る。

「魂まで蛮人に売り渡したか。“使い魔”とは、哀しい存在だな」

 ビダーシャルがそう呟くのと同時に、シルフィードは壁を突き破って飛び掛かった。

 然し、ビダーシャルは顔色1つ変える事は無い。ただ、手をシルフィードの前に突き出した。

 痩せ過ぎな“エルフ”が、手1つで大きな“竜”を止めている様は異様で在ると云えるだろう。

 シルフィードはジタバタと藻掻こうとしたのだが……が、満足に動く事が出来ない。

 余りにも強力過ぎる“魔力(マナ)”で在った。

 ビダーシャルは、シルフィードの頭の上に左手を翳す。

 ユックリと……シルフィードの瞼が閉じる。

 どすん! と気を失って床に伸びた“韻竜”を見下ろし、ビダーシャルは呟いた。

「“大い成る意思”よ……此の様な下らぬ事に“精霊の力”を行使した事を赦し給え……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズの部屋は、相変わらず妙な緊張に包まれていた。

 放課後、才人とルイズは御茶を摂っていたのだが……給仕をするシエスタの態度が、どうにもルイズを刺激するらしかった。

「サイトさん、どうぞ」

 シエスタはニコニコとし乍ら、才人に焼いたばかりのビスケットを差し出した。シエスタは、其処が自分の席だと言わんばかりに、才人の隣に腰掛けているので在る。

「あ、有り難う……」

 才人はルイズの表情を、恐る恐る確かめた。

 物凄く不機嫌な表情で、ルイズはそんな2人をじとーっと睨み付けているので在った。

 怒りが、黒い波動と成って才人へと襲い掛かる。

 そんなルイズに才人は、「どうして怒るんだ? 御前は別に、俺の事好きでもなんでも無いだろうが。御褒美なのに、なんで怒るんだよ?」と言いたかった。

 然し言っても始まらないという事を才人は理解しており、面と向かって言われたら言われたで傷付くだろう事も在って、言葉には出さないでいた。そして、(俺が“シュヴァリエ”に成ろうが“貴族”に成ろうが、ルイズにとってはただの“使い魔”なんだろうな。いつか逢える、と偽の墓の前で言い切ったルイズも、“ウエストウッド村”のベッドの中でもあんだけ可愛かったルイズも、結局は“使い魔”に対しての愛嬌なんだろ。理解ってたじゃないか才人……)と自身に言い聞かせた。

 ルイズは優しい所も有るが……其れは自分が好きだからでは無い。才人の御主人様は兎に角真面目で在るのだ。真面目だから、一生懸命に任務を果たそうとしたり、幼い頃に忠誠を誓ったアンリエッタを大事にするし、時には「頑張った御褒美」と言ってキスを許可したり、其処は御褒美では無いのかもしれないが胸を触っても怒らなかったり、身体を許そうとまでしてしまうので在る。最近は「帰る方法を探して上げる」などと言い始めているのだ。才人の力は、ルイズの願望達成には必要で在るだろうに、其れを曲げてまで才人の幸せを考えているので在る。

 そう。

 兎に角ルイズは真面目で在るのだ。

 才人は、そんな真面目なルイズが好きなので在る。

 だが……(ルイズは自分の事を好きでは無い。若し、自分の事を好きだったら、あれだけ好き好き言ってるんだから、1回くらいは“好き”と言って呉れる筈だろ? どう考えたってそうだろ。其れなのに言わない……真面目で、ある意味馬鹿正直なルイズだもんな。其処まで許してるのに其の言葉を言わないって事は……ホントに好きでは無いんじゃないか? 焼き餅を妬くってのは、所詮“使い魔”への独占欲……)と殆ど初恋に近かっただけに才人は打ちのめされてしまっていた。

「どうしました?」

 隣を見ると、シエスタが困った様子で才人を見詰めている。

 才人は、(考えてみれば……いつも変わらぬ愛情を打つけて呉れるのは、此のシエスタだけじゃねえか。じゃあ姫様はどうなんだろ?)と考えた。

 才人は首を横に振った。

「彼女は寂しいだけだろう。寂しくって、他に頼れる人間がいなくって、偶に其処に居た自分に凭れ掛かっているだけだ。良い気に成るなよ、才人。全く、高貴な女って奴ぁ我儘で……」

 と才人はブツブツと呟いた。

「高貴な女性が……どうしたんですか?」

「え? 否……」

「そんな事より、ほら、口を開けて下さい。あーんです。あーん」

 シエスタが才人にビスケットを突き出す。

 思わず才人が口を開けようとした其の時、ピキッ! とカップが割れる音がした。

 音のした方を見て、才人は震えた。

 ルイズが、カップの破片を咥えているので在る。どうやら、口で割ったらしい。

「お、御前、カップ割るなよ。危ないよ」

 ルイズは才人の言葉を全く無視して、割れたカップをシエスタに突き出す。

 そして、ぶすっとした声で、「御代り」と言った。

 シエスタは、はいはい、と立ち上がると、冷え切った御茶の残りを掛けたカップに注ぐ。ニッコリと微笑んで、其れをルイズに差し出す。

「どうぞ♪」

 ルイズはシエスタをギロッと睨み付けた。

「ちゃんと新しいの淹れなさいよ。ホントに使えないメイドね。出来る事と言ったら、犬に色目使うだけじゃないの。御茶1つ満足に淹れられないなら、チャッチャと田舎に帰るが良いわ」

 シエスタは全く笑みを崩さずに、ティーポットの中から出涸らしを捨てた。其れから、新しい茶葉をポットに入れようとして、茶葉が切れている事に気付き、困った表情を浮かべた。

 其れから、ぽん、と何かに気付いた様に手を打って、外に飛び出して行く。5分程して、手に一杯の雑草を拾って来た。

 シエスタは鼻歌交じりに、其れをポットに入れ、ドボドボと微温った御湯を注ぐ。ポットからカップに注ぎ、ルイズに馬鹿丁寧な態度で差し出した。

 ルイズは無言で其れをシエスタの頭から注いだ。

 シエスタは笑顔を浮かべた侭、ハンカチを取り出し、顔をユックリと拭いた。其れからポットの中の御茶を、自分が今仕方された様に、ルイズの頭の上に注いだ。

 2人は笑顔で見詰め合っていたが、何方から兎も無く飛び掛かり、ガッチャンゴッチャン取っ組み合いを遣らかし始めた。

 才人は物凄く切なくなり、小さな声で、「止めろ」と言った。

 然し、2人は髪の毛を掴み合い、歯を剥き出しにして絡み合っている。

 此の前襲われたばかりだというのに、平和なモノだと云えるだろう。

 才人としては、敵の正体が判ったからには、此方から乗り込んで白黒付けたいので在る。何も戦争にまで発展させる積りなど毛頭無かった。相手は“ガリア”の王様だか大臣だか将軍だか大“貴族”で在ろうとも、御目通り願って、正々堂々と、一体ルイズを使って何をする気だ!? と訊いて遣りたいだけで在るのだった。

 だが……アンリエッタに止められてしまったために動けないでいるのだ。

 才人は、アンリエッタ達の言い分を理解して居た。が、当然其の全てを理解しているという訳では無く、(こないだ戦争がやっと、終わったばかりなんだ。新たな火種を作りたく無いんだろうな)と解釈していた。

 才人は、(でも、外交で何とかするって言ったってなあ……幾ら証拠を用意したって、向こうが“そんなの知らないよ?” と言えばそれっきりだろ)と自身が“ガリア”に直接向かって問い質しても結果は同じだろう事には気付かず、そう想った。折角黒幕が判って、(何とかして遣る!)と勢い込んだ矢先で在ったために、割り切れずにモヤモヤが残ってしまっているので在る。

 騎士に成らなかった方が、身軽に行動出来た部分も在るだろう。

(いや……)

 と才人は首を横に振った。

 才人は、(“トリステイン”の騎士だから……何て言い訳じゃないのか? 騎士だろうが何だろうが、ホントに突き止めたかったら……俺は行動した筈だ)とも想った。

 そう。

 才人が1番モヤモヤとした気分に成っているのは、自分自身に対してで在った。

 アンリエッタに止められた時、実の所才人はホッとしたので在った。

 これで危険な事に首を突っ込まないで済む、と、ホッとしたので在る。

 相手は“ガリア王国”……あの“アルビオン”を一発で敗北に追い込んだ国で在るのだ。

 そんな連中の所に乗り込まないで済んだ、との安心が、才人の胸に浮かんでしまったので在った。

 才人は、(情けねえ。何が騎士だよ……)、と切なく成った。

 そんな才人の切なさとは裏腹に、彼の眼の前ではルイズとシエスタが取っ組み合いを遣らかしている。

 増々気が滅入り、思わず才人は口にしてはいけない言葉を言ってしまった。

「御前達、少しは姫様を見倣って、御淑やかにしろよ……」

 ルイズとシエスタの動きがピタリと止まった。

 急激に部屋の空気が変化して行く。

 才人の脇の下に冷たいモノが流れるのを感じた。

 才人の本能が身体に危険を知らせる。才人の身体が目に見えて震え出す。

 ルイズは、う~~~ん、と伸びをすると、準備運動を始めた。

 シエスタも、腰に手を当てて、後ろに仰け反ったりしている。

「シエスタ。あんたはしっかり身体を押さえててね」

「畏まりました。ミス・ヴァリエール」

 才人は、よっこらせ、と態とらしく立ち上がった。

「さてと、其れじゃあ僕は騎士隊の訓練に行って来ます。ルイズ、後は宜しくね。シエスタ、御茶美味しかった。有り難う」

 才人は、ドアに辿り着く事が出来なかった。シエスタに腕を捕まれ、ルイズに足を引っ掛けられたので在る。

 床に転んだ才人は今にも泣きそうな顔で2人を見上げ、尋ねた。

「2倍?」

「ううん」

 ルイズとシエスタは、特大の笑みを浮かべて言った。

「4倍」

 “メイジ”とメイドの2人に、徹底的に痛め付けられてしまった才人は、グッタリと床の上に伸びた。

 ルイズは其の上に座り込み、肘を突いた。

 隣に立ったシエスタがはふぅ、と溜息を吐いた。

「私最近、自分がミス・ヴァリエールに似て来た様な気がしますわ」

「有り難う」

 ムスッとした表情を浮かべ、ルイズが答えた。

「別に褒めてませんわ」

 シエスタは疲れた声で言った。其れからしゃがみ込んで才人の頬をツンツンと突く。

「……ねえ、ミス・ヴァリエール」

「あによ?」

「私達、啀み合ってる場合じゃ在りませんわ。ホントどうしましょう?」

「何がよ?」

「女王陛下ですわ! あの目! ミス・ヴァリエールも御覧になったでしょう? 嗚呼、相手がミス・ヴァリエールなら兎も角……」

「兎も角何? 兎も角何? 兎も角何?」

 ルイズはシエスタを“杖”でグリグリと突き回す。

 よよよ、とシエスタは床に崩れ落ちたが、ルイズは執拗にシエスタを突き回した。

「ねえメイド。舐めてんの? あんた“貴族”舐めてんの?」

「すいません! 舐めてません! えっと、ミス・ヴァリエールも十分魅力的ですけど! 冷静になって考えれば、相手が女王陛下ではもう、夢も希望も在りませんわ!」

「どーしてよ?」

「何でも遣り放題じゃ在りませんか! 嗚呼、きっと騎士にしただけでは飽き足らず、其のうち御城勤務を御命じになるんですわ……そして夜な夜な……」

「夜な夜な、何よ?」

 シエスタは気絶した才人の脇の下に手を伸ばし、よっこらせと立たせた。そして操り人形の要領で、才人の口真似をした。

「“おっす。俺、サイト”」

「何それ?」

「女王陛下がなさるで在ろう狼藉を御芝居風に、ミス・ヴァリエールに伝えたいと思いまして」

「……遣って御覧為さい」

 シエスタは才人の手を器用に動かし、操った。

「“やあ。俺サイト。シエスタ大好き”」

「変な嘘吐かないで」

「作中の台詞ですから」

 澄ました顔をと調子でシエスタは続けた。

「“俺サイト。ルイズはぺったんこ、ヤバ過ぎ”」

「何ですってぇ?」

「だから、作中の台詞ですってば」

「あんた、作中と遣らで姫様の狼藉を描くのか、己の心中を述べるのか、早いとこ選びなさい。“魔法”飛ぶわよ」

 シエスタは「理解りました」、と呟くと、劇を開始した。

「“俺サイト。今日は女王陛下の御部屋に呼ばれて来たんだ。一体、何を遣らされるのかなあ? あ、姫様だ! どんな御用ですか!?”」

 次にシエスタは、才人の前に回り、ガバッと抱き着いた。

 気絶している才人は、シエスタに凭れる形に成る。

「“嗚呼! 騎士様! 私、貴男をズッと御慕い申し上げて居りました!”」

「“姫様! 良けません! 俺には、シエスタって決めた人が!”」

「“良いのです! 所詮はメイド風情では在りませんか!”」

 シエスタは、才人をベッドに押し倒した。

「“私女王ですから! 胸も女王ですから! 胸も女王ですから! こんな胸! いやん!”」

 シエスタはそう言って、気絶している才人の手を自身の胸に押し付けたために、ルイズは其の頭をぱかーん! と殴り付けた。

「痛いじゃないですか」

「遣り過ぎよ。と言うか何処でそんな三文芝居覚えて来るのよ?」

 シエスタはゴソゴソと、私物を纏めて置いて在るスペースから、一冊の本を取り出した。

「何これ?」

「今、“トリスタニア”で流行っている本ですわ」

「字が読めたの? あんた」

 ルイズは驚いた声で言った。

 読み書き出来る“平民”は少ないので在る。

「“学院”に奉公するに当たって、寺院で習ったんです」

 ふぅん、とルイズは本のタイトルを見詰めた。

「なぁに? “バタフライ伯爵夫人と優雅な一日”?」

 パラパラとページを捲るルイズの顔が、見る間に真っ赤に染まって行く。

「な!? 何これ!? 何て如何わしい!」

 汚らわしそうに、ルイズは本をバサッとベッドの上に放った。

「興味ないんですか?」

「有る訳無いじゃない! こんなの読んだら、罰が当たるに決まってるわ! “始祖ブリミル”が御赦しにならないわ!」

 シエスタは、ボソッとルイズの耳元で囁いた。

「2章が凄いんです」

「知らないわ! 2章なんて!」

「2章が凄いんですってば。此の“マダム・バタフライ”がですね、御気に入りの騎士を、己の権限を利用して寝室に呼び付けるんです。其の際、騎士に要求する言葉が凄いのですわ」

「知らない! 知らない!」

 そう言いつつも、ルイズの目は先程投げ捨てた本の方を、チラチラと向いているのが判る。

「“御前が望む遣り方で、此の私に奉仕しなさい”。そう言って“マダム・バタフライ”は、騎士に奉仕させるんです! 其れがもう! きゃあきゃあきゃあ! 言えません! きゃあきゃあきゃあ!」

 シエスタは顔を真っ赤にして、ルイズの肩をポカポカと叩いた。其れから本を取り上げ、再び突き出す。

 ルイズの眼の前で、シエスタはページを捲って行った。

 真っ赤だったルイズの顔が、ページを捲る度に沸騰しそうな程に赤らんで行く。

「私、想うんです」

「あが。あがががががががが」

 ルイズは震え乍ら、相槌に成らない相槌を打った。

 其処に書かれている内容は、ルイズの飛びしい知識を雲の高さ程にも超えているので在る。

 本の中で起こっている事は10分の1も理解出来ていないが、兎に角凄い内容が、ルイズの頭に飛び込んで来るので在った。

「女王様、きっとサイトさんに此処に書かれている事します。絶対。高貴な方って、何て言うか、きっと性的に歪んでると想うんです。其の……高貴な方って御自分を取り繕わなければいけないじゃないですか。其の結果、口には出来ない欲求が溜まりに溜まって、ボカーン」

「しないわ!」

「ボカーン」

「姫様はこんな事しない!」

 ルイズは本を取り上げ、床に叩き付けた。

「わっ!? 55“スゥ”もしたのに!」

「こ、こんな事! こんな汚らわしい事! 此奴だって姫様にしないもん! 幾ら命令だからって、そんな……」

「騎士は命令には絶対! そうじゃ在りませんか! 縦しんばサイトさんがしたく無くっても、女王陛下が御命じに為れば逆らえませんわ! 言うじゃ在りませんか! 其りゃもういと哀しきは宮仕え……」

「だ、だって……此奴は私にメロメロだもん! いっつも言ってるもん! 私の事好きって! はん! 命令だからってする訳無いじゃない? ねぇ……」

 余裕を気取って髪を掻き上げるルイズを、シエスタは冷ややかに眺める。

「サイトさんがいっつもミス・ヴァリエールに仰っていると言う、“好き”なんですが……」

「あによ? 歯切れが悪いわね」

「怒っちゃ嫌ですよ?」

「怒ら無いから言いなさいよ」

「其の“好き”なんですけど」

「ええ」

「若しかしたら……“使い魔”だからじゃないかと想うんです」

 ルイズは呆然として、シエスタを見詰めた。

 まるで予期しなかった方向からの指摘で在ったためである。

「私、“メイジ”と“使い魔”の関係の事なんか良く知りませんけど……“使い魔”って、“メイジ”を守るためのモノでも在る訳でしょう? 皆さんの“使い魔”……ギーシュ様の土竜とか、ミス・ツェルプストーの火蜥蜴とか……御主人様の事大好きじゃ在りませんか。でも、“使い魔”じゃ無かったら、あんなに懐きませんわよね」

 嫌な予感が、ルイズの全身を襲う。

 でも……とルイズは首を横に振った。

「でも! でもでも! サイトは、“ルーン”が取れて“使い魔”じゃ無くなった時でも、再び私の“使い魔”に成る事を選んだわ! 好きじゃ無かったら、どうしてそんな事するのよ!?」

「責任感って、可能性も在りますわ」

 シエスタは冷静に分析して、ルイズに告げた。

「責任感?」

「ええ。サイトさんはこう見えて、責任感の強い人です。だから味方が110,000の大軍に追われて居る時も殿軍を務めたり、騎士隊の副隊長を御務めになったりしてるんじゃ在りませんか。ミス・ヴァリエールの“使い魔”になって、御手伝いする……其れが果たせて無いと想ったから、再びミス・ ヴァリエールの“使い魔”になる“運命”を御選びになったんじゃ……」

 ルイズは力無く、膝を突いてしまった。

 慌てたシエスタは、ルイズの腕を掴んだ。

「そ、そんな落ち込まないで下さい! 飽く迄可能性ですわ! 可能性! そんな事も在るんじゃないかって……」

 もう、ルイズにはシエスタの言葉は届かない。(若しかしてそうかも?)という想いが膨れ上がってしまっているのだ。

 サイトがルイズに向けている好意は……“使い魔”として“契約”した時に与えられた、偽りの感情かもしれないのだから。

 ルイズの心に、認めたくない暗雲が広がって行く。

 ルイズは、「どうしよう?」、とポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 其の夜……。

 才人はギーシュ達と、“水精霊騎士団《オンディーヌ》”の溜まり場で酒を呑んでいた。

 溜まり場というのは、コルベールの研究室の隣に設えた、“ゼロ戦”格納用の小屋で在る。余ったスペースに机を置いて、周りに古く成って使われなくなった椅子を並べると、其処は居酒屋に変身したので在った。

 夕食の後、才人達は此処に集まって、騎士隊の事を相談したり、詰まらぬ話をしたり、馬鹿話で盛り上がったりするので在った。勿論、1番比重が大きいのは馬鹿話で在る。

 其処に、俺も加わり、偶にアドバイスなどをするので在る。

 トロンとした顔で、ワインを流し込む才人にギーシュが言った。

「もう9時を回ってるけど、いつまでも此処で呑んでて良いのかね?」

「良いんだよ」

 才人は憮然とした声で言った。

 隣にいたマリコルヌが、心底信じられなないといった表情を浮かべて口を開く。

「ルイズと、専用メイドが君の帰りを待ってるんだろう? 其れなのに部屋に戻りたくないって言うのは、どういう訳なんだよ?」

 うわぁあああああ、と才人は頭を抱えて震え出した。

 マリコルヌはそんな才人にむかっ腹が立ったらしい。テーブルに突っ伏した才人の耳元で、何やら愚痴を垂れ流し始めた。

「そりゃ、ルイズはああいう性格だし、子供みたいな身体付きだから、あんまり人気は無かったけどさ。何駄感駄言ってとんでも無い美少女じゃないか。あの身体付きが厭らしいメイドだって、君を慕ってるんだろう? そりゃ、給金を払えばメイドくらい雇えるけど、心まで捧げて呉れるメイドなんて、そうそういないよ。羨ましい話だね!」

「ば、馬鹿! そんな良いもんじゃねえんだよ!」

 ガバッと才人が顔を上げ、マリコルヌに言い放つ。

 マリコルヌはピキッと頬を引き攣らせると、グイッとワインを呑み干した。

 マリコルヌの目が据わり始める。

「……“良いもんじゃ無い”? 舐めてるのか? 成金」

「な、成金だと!?」

「文句有んのか? 成金。110,000止めて、“貴族”に成っちゃったー♪ か? えっへっへどんなもんだい僕シュバリエー♪ か? おまけにもってもてー♪ か?」

「こ、此の……ぽっちゃりさんが……遣んのかっ!?」

 才人がそう言うと、マリコルヌは酒に酔った頬に凶悪な笑みを浮かべた。

「面白い。遣って貰おうじゃないか。しがない成金の御前が、“貴族”の此の僕をどうするって?」

「く、くぉの……御前なんか、御前なんかなぁ………」

 誰かが「サイトは強いぞ、止めとけ」と言った。

 才人も胸を張る。

 然しマリコルヌは何の躊躇いも見せる事も無く、シュヴァリエ・サイトを突き飛ばした。

「なっ!?」

「110,000の軍勢選りも怖いもん教えて遣るよ、僕ちゃん。良いか? 此方人等生まれて此の方17年……春夏秋冬朝昼晩……」

 マリコルヌはピクピクと震えた後、思いっ切り才人を怒鳴り付けた。

「モテねぇえええええええええええええんだよッ!」

「……え?」

「モテねえ辛さが御前に理解るか? 110,000の軍勢だって逃げ出す恐怖だぜ。ああ、“竜”でも“エルフ”でも連れて来いや。そんなん、ただの甘ちゃんの戯言だぜ。怖くもなんともねえよ。モテねえ、其の事実の前にはよぅ……」

 マリコルヌの魂の叫びに、才人は思わず後退った。

 110,000の“アルビオン”軍の其れよりも迫力の有ると云える、魂の叫びで在ったためである。

 太っちょのマリコルヌはまるで無敵の悪魔の様な雰囲気を滲ませ、才人へと詰め寄った。

「2人の女の子に言い寄られて、どうしたってッ!? おいこらッ! “平民”ッ!」

「えっと、其の……」

 完全に才人は呑まれてしまい、モジモジと指を弄り始めた。

「貴様さっき何吐ったって、訊いてるんだよ。“貴族”様がよ、成り上がった“平民”風情に、御下問遊ばされてるんだよ」

「そ、そんな良いもんじゃ無いって……」

「聞こえねえ」

「良いもんじゃ、無い、です。はい」

 マリコルヌは首を振った。

「貴様は侮辱してんのか? 此の僕を侮辱してんのか? 生まれて此の方17年、女の子から1度だって詩の一節すら贈って貰った事の無い、と言うか目を合わせたたけで、ぷ、とか笑われる人生を送って来た此の僕を侮辱してんのか? おい、教えて呉れよ。幸せってどんな味なのか“風上”のマリコルヌ・ド・グランドブレに教えて呉れよ。なあ」

 見兼ねたギーシュが、マリコルヌの肩に手を置いた。

「マリコルヌ。君はちょっと呑み過ぎたみたいだな……ぐえッ!」

 其の顔にマリコルヌの拳が減り込む。

 ギーシュはヨロヨロと崩れ落ちた。

 マリコルヌはどうやら酒乱の気が有るらしい。

「恋人が居る奴ぁ、此のマリコルヌに説教すんな。“風”選り速ええ、拳が飛ぶぜぇ……」

 才人は其の鬼気迫るオーラに震えた。

「聞け。恋人が居る奴は一歩前へ。で、息すんな。貴様等は、僕の前で呼吸する権利すら無い」

 無茶苦茶な理屈で在るのだが、其の迫力に“水精霊騎士団(オンディーヌ)”の誰も文句は言えないでいる。

 何人かの生徒達が、そんなマリコルヌに頭を下げた。

「ご、御免……良く理解んないけど、兎に角御免」

 マリコルヌは、唇をへの字に曲げ、小刻みに震え始めた。

「……すまないと想うんなら、出してよ」

「え?」

「女の子、出してよ」

 才人達は、(そんな事言われても……)と顔を見合わせた。

「出して呉れたって、良いじゃないかよ。僕でも良いって娘、出してよ。否、寧ろ僕が好い娘、出してよ。僕じゃんきゃ駄目な娘、出してよ」

 誰かが「人間じゃ無いなら……」と言った瞬間、マリコルヌの“魔法”が彼へと向かって飛んだ。“ドット”とは到底想えない程に凶悪な威力を持った“風魔法”で、其奴は派手に飛んでしまった。

「ねぇ。人間じゃ無いって、どういう事?」

「……ネ、猫とか。蜥蜴とか。一応、雌と雄は間違えない様に頑張るから」

 弱々しい声で言った誰かを、マリコルヌは再び“風魔法”で吹き飛ばした。

「駄目だ……もう駄目だ。御前等、僕を完全に怒らせたな」

 マリコルヌがワナワナと震える。

「隣の芝生は青く見える……」

「セイヴァー、御前もだ! シオンちゃんという恋人が」

「シオンは恋人では無く、“主人(マスター)”だ。マリコルヌ、安心しろ。近いうちにが……“喜べ少年。君の願いは漸く叶う”」

 其の時、格納庫の扉がバタン! と開いた。

 腕組をしたルイズとモンモランシーを筆頭とする、女子生徒達で在った。其の中には、シオンはおらず、彼女は自室で待って呉れている。

 彼女達は、才人やギーシュ、そして自分の恋人達に文句を付け始めた。

「いつまで呑んでるのよ? 門限8時でしょー!」

 そう言ってルイズが才人の耳を摘む。

「ギーシュ。あんた今日、私に詩を読んで呉れるって言ってなかった?」

 そう言ってモンモランシーが、床に伸びて居るギーシュを爪先で突く。

 他の女の子達も「忘れたの? 今晩約束してたじゃない!」と騒ぎ始めた。

「ああ、すまない。彼等は俺が引き止めてしまったんだ。皆に非は無い。責められる謂れが有るとすれば、私だろう」

「ふーん、セイヴァー、あんたがねぇ~」

 俺の言葉に、女子生徒達の皆に対しての態度は少しばかり柔らかいモノに成る。代わりに、俺は針の筵と云った風で在る。

「そうさ。上司の命令に逆らえ無い様なモノだ。余り責めないで遣って呉れ」

 ルイズの言葉、そして他の女子生徒達の言動に、俺は謝罪をする。

 眼の前で繰り広げられている、そう云ったイチャイチャを始めとした騒ぎに我慢が出来なく成ってしまったマリコルヌは絶叫した。

「僕にも女の子を出しえてよぉおおおおおおおおッ!」

 次の瞬間、がぼッ! と板を張っただけの格納庫の天井が抜け落ちて、マリコルヌの上に何かが落ちて来た。

 マリコルヌは思いっ切り下敷きに成ってしまい、ぐへっ!? と蜥蜴の断末魔の様な呻きを上げ、床に伸びた。

 信じられない出来事を前に、周りの生徒達は目を丸くする。

 落ちて来たのはなんと……青い長い髪の女性で在った。年の頃はヒトに換算して20歳くらいで在ろう。

 騎士見習いの少年達は、眼を真ん丸に見開いて凝視した。

 其の女性は素っ裸だったので在る。白い、雪の様な白い肌を惜し気も無く曝しているのだ。キョトンとした表情で、辺りをキョロキョロと見回すと、ヨロヨロと危な気な足取りで立ち上がろうとしたが……不器用に転がりそうに成る。

「きゅい……」

 其処で、俺は手を差し伸べ、受け止める。

 まるで生まれたての子鹿が初めて立ち上がる時の様に、青髪の女性はやっとの事で立ち上がった。然し一向に肌を隠そうとはしない。

 女生徒達は、ムスッとして其々の恋人の目を塞ぎ始める。

 ルイズだけは才人を蹴り回した。

 其の女性は、キョロキョロと男子生徒達を見回す。

「きゅいきゅい!」

 そして、彼女は叫んだ。

「逢えて良かった~~! きゅいきゅいきゅい!」

 きゅいきゅいと騒ぎ乍ら、青髪の女性は俺を抱き締めてぴょんぴょんと跳ねた。

「知り合いなのか?」

「まあ、知り合いと言えば知り合い、だな……」

 尋ねて来る才人に、俺は少しばかり濁して答える。

「大変なのね! 大変なのね! 大変ばのね!」

 其れから青髪の女性は、才人の方へと向かい、抱き締めてピョンピョンと跳ねて叫んだ。

「一体何が大変なんだよ? と言うか御前誰何だよ? つうか服着ろよ! セイヴァー!」

「まあ、落ち着き給え」

 大騒ぎをする皆に、俺は静かに言った。

 モンモランシーが、「取り敢えずこれを着てよ」、と羽織って居た肩掛けを手渡した。

「御姉様を救けてなのね!」

 青髪の女の子は、「御姉様を救けて!」と何度も喚いた。

「御前は一体誰なんだよ!? セイヴァー、紹介して呉れよ」

 才人が尋ね、青髪の女性は困った様に首を傾げ口を開いた。

「えっと、其の、イルククゥ。御姉様の妹なのね。あ、御姉様っての此処で言うタバサ其の人なのね」

「タバサの妹だって?」

「まあ、妹と言えば妹か……」

 一同は、青髪の女性の言葉に目を丸くした。

「妹……には見えないよな」

 才人が腕を組んでそう言うと、イルククゥはきゅいきゅいと喚いた。

 イルククゥは辿々しい言葉で説明を始めた。

 タバサが裏切った結果、“ガリア王政府”は“タバサのシュヴァリエの地位を剥奪し、其の母親を拘束する旨”を伝えて来たという事。

 タバサは母親を救い出す為に、単身で“ガリア”に向かった事。

 然し、其処で圧倒的な“魔力”を誇り、操る“エルフ”に捕まってしまった事。

「で、俺達に救けて欲しいっていう訳か」

 才人が言うと、きゅい、とイルククゥは首肯く。

 胡散臭げな表情を浮かべ、ギーシュがイルククゥを見詰めた。

「……此の女性は、ルイズや君を襲った“ガリア”の手の者なんじゃないかね?」

 ルイズが襲われた事を聞いたギーシュが、疑問の表情を浮かべ言った。

「タバサが囚われになって。其れを救けて呉れって言い分もなんだか怪しいわ。若しかして罠なんじゃゃないの?」

 モンモランシーもまた疑いの眼差しをイルククゥに向かって投げ付ける。

 イルククゥは困った様に、きゅい……としょぼくれ、俺を見る。

「怪しいんだよ! 御前! どう見たって妹には見えないんだよ!」

「其処は信じてなのね」

「やっぱり、“ガリア”の罠じゃないのかね?」

「いや、其れは無いから安心しろ」

 ギーシュ達の言葉を俺は否定するのだが、1度膨らみ始めた猜疑心はそう簡単には縮み、払拭する事は難しいものである。

 イルククゥは怒りを含んだ声でギーシュへと向かって言った。

「足りない癖に、生意気言うんじゃ無いのね」

「な、何だとぉ!?」

「証拠を見せるのね! きゅい!」

 イルククゥは、俺から離れ小屋を飛び出して行った。

 才人達が「何だ何だ?」と後を追い掛けると、暗闇の中に見慣れた巨体が現れた。

「シルフィード!」

 其れは果たして、タバサの“使い魔”で在るシルフィードで在った。

「御前の御主人様は捕まちまったのか!?」

 才人が尋ねると、シルフィードは大きく首肯いた。

「待ってろ! 直ぐに救けて遣るからな!」

 シルフィードは嬉しそうにきゅいきゅい喚くと、喜びを表現する様に才人の頭を咥えて振り回す。

「此の“風竜”がそう言うんなら、信じざるをえないな」

「“使い魔”だもんね」

 ギーシュとモンモランシーが顔を見合わせて、首肯き合う。

 マリコルヌが、首を振り乍ら呟く。

「所でさっきの女の子はどうしたんだ?」

 シルフィードは気不味そうに顔を逸らし、俺へと助けを求めるかの様に視線を向けて来る。

 それから、シルフィードは羽撃き、夜空へと飛び上がった。

「何だ彼奴?」

 暫くすると、暗がりからイルククゥが賭けて来る。

「何処行ってたんだよ?」

「ト、トイレなのね」

 才人が尋ね、イルククゥは誤魔化して言った。

「と言うかあんた、タバサの妹の癖に、何で御姉さんより大きいのよ。其れに服着てないって普通ありえないでしょ?」

「ぎ、義理の妹なのね。服は……其の、シルフィード! から飛び降りた時に脱げたのね」

 冷や汗を垂らさんばかりの勢いで在る。

 才人は其の様子で此のイルククゥを理解した。

「少し、脳が可哀想な人なんだよ。疑ったら悪いよ」

 ぽん、とルイズの肩に手を置いて、才人は真顔で言った。

「え? そ、そうなの?」

 イルククゥは緊張と不満から居た堪れなくなったのだろう、両手を広げ、首を横にカクカクと動かす。

「きゅいきゅい」

「……そうみたいね」

 其の仕草でルイズは納得した。

 “王族”には何気に少し、何かが外れた人が多いので在る。

 兎に角罠にしては、イルククゥは天然過ぎた。

 というよりも、罠では無いのだが。

「所で、シルフィードは何処に行ったんだ?」

「あ、あの! あの娘は怪我してるのね。傷を治すために、ちょっと出掛けたのね」

「貴女も怪我してるじゃないの」

 モンモランシーが、イルククゥの足の怪我に気付き言った。

 モンモランシーは“水魔法”をイルククゥへと掛けるのだが、上手く塞がらない。

「結構酷い怪我なんじゃないの?」

 然しイルククゥは首を横に振る。

「大した事ないのね! 直ぐに治るから大丈夫なのね!」

 モンモランシーは首を傾げたが、自身の実力が低い所為だろうと考えたのだろう、切なげに唇を噛んだ。

 一行はこれからの作戦を練るために、小屋へと戻って行く。

 モンモランシーも後に着いて行く。

 ホッとした様子を見せるイルククゥに、マリコルヌが話し掛けた。

「なあ。タバサの妹さんとやら」

「きゅい?」

「僕は、さっき、僕でも良い娘が欲しいよぉ! なんて怒鳴ったんだ。そしたら君が落ちて来た」

「きゅい」

「君は天が僕に与えて呉れた妖精かもしれないね」

 マリコルヌは頬を染めて、イルククゥに手を伸ばした。

 然しイルククゥはアッサリ其の手を無視して、逃げて来る様に俺へと寄り添う。

 マリコルヌは、ふぉ~~~~ッ! と絶叫して、空を仰いだ。

 星は、見えなかった。



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女王と騎士達

「何で1人で行くかな……」

 話を聞き終わった才人は、切ない声で呟いた。

 イルククゥが齎した情報に依り、小屋の中は深刻な空気が漂い始めているといえるだろう。

 ギーシュや騎士達は、うむむ、と眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。

 俺の隣には、念話で報せたために駆け付けたシオンがおり、彼女もまた神妙な面持ちをしている。

 才人は、(悔しい)と想った。そして、(タバサは1人で行ってしまったんだ。多分、俺達にこれ以上迷惑を掛けたくなかったんだろうな)と想い、そう想う事でより一層情けなくなるので在った。アンリエッタに止められた時に、ホッとしてしまった自分が赦せないので在る。(こっちの世界で出来る事を考えよう)などと想っていたのに、いざと成ると二の足を踏んでしまった自分が赦せないので在った。

 其れは仕方が無い事で在るといえるだろう。

 何せ“ガリア王国”は大国で在り……寄せ集めに近かったとはいえ、あれだけ強大な“アルビオン”軍を、一撃で敗北させた連中で在るのだから。

 昨日までは、才人は其の様な連中とどう遣って戦えば良いのか判らなかった。

 闇雲に剣を振り回すだけでは、ただのヒトでは、“サーヴァント”の力を手にしたばかりでは無理で在るのだ。

 アンリエッタに止めて貰えた御蔭で、どう遣って戦えば良いのか、サッパリ検討も付か無い連中を相手にしなくて済んだのだから。だから、才人はホッとしてしまったので在る。

 だが、方法が判ら無いので在れば、考えれば良いので在る。

 方法は、必ず存在しているのだから。

 今漸く、才人はやっと其の決心を付ける事が出来たので在る。考えて、行動する決心が付いたので在る。

 今までモヤモヤとしていたモノが、何処かに飛んで行くかの様に才人は感じた。

 晴れ晴れとした気分で、才人はイルククゥに言った。

「良く報せて呉れたな。安心しろ、俺達が絶対タバサを救けて遣るから。なあ皆!」

 才人がそう言うと、其の場の半数が首肯いた。

「当然だ。騎士として、見過ごす訳には行かないな」

「どんな事情が有るにしろ、女の子を拘束するなんて赦せ無い! 僕は遣るぞ! 僕はっ!」

 マリコルヌが拳を握り締めて叫ぶ。女の子というところに反応した様子だ。

 然し、そんな勇ましい意見が出る一方、当然の事だが二の足を踏む者もいるのが現実だ。

「でも……やっぱり冷静に考えれば、其奴は出来ないよ」

 そう言ったのは“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の実務を担っているレイナールで在った。彼は皆が馬鹿騒ぎをしている間も、隅っこの方でチビチビと酒を呑んでいたのだが……いざ問題が持ち上がると、自分の出番だとばかりに前に出て来たので在った。

「何だよ? 御前、怖じ気付いたのか?」

 才人が詰め寄ると、レイナールは冷静な声と調子で言った。

「怖じ気付いた訳じゃ無い。ただ、僕達はもう、女王陛下の騎士なんだぜ? 好き勝手に動ける訳無いじゃないか」

 そうだそうだ、と何人の少年達が同調する。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の生徒達は、真っ二つに意見が分かれてしまった。

 才人を筆頭とする、「クラスメイトを救けに行かないなんて、何が騎士だ」という一派。

 レイナールを筆頭とする、「相手は外国だ。僕達が首を突っ込む訳には行かない」という一派。

 喧々諤々の議論が続いた後、一同は矛先を隊長に変えた。

「なあギーシュ。御前、隊長だろ? 決めて呉れよ」

 そんな風に二派に挟まれてしまい、ギーシュは取次筋斗に成ってしまう。

「ぼ、僕が決めるのか?」

「当ったり前だろ」

「そ、そうだな……どっちも、其の、あれだ。意見としては尤もだな。女の子も、騎士隊の職務も……」

「尤もじゃ無くて、決断しなさいよ」

 モンモランシーが、苛々とした声でギーシュを促した。

 ごくん、とギーシュは唾を呑み込む。其れから、再び頭を抱えて悩み始めるのだが。

「な、なあ……シオンに、セイヴァー……君達の、い、意見を伺っても良いかな?」

 ギーシュは俺とシオンへと助け船を乞うた。

「そうね……今の侭の貴男達じゃ、行く事は出来ないわね」

 シオンはそう、ギーシュを始め、騎士隊達を見詰めて言った。

 モンモランシーが、「全くもう! あんたねぇ……」、と言い掛けた其の時……。

 ルイズが、怒った様な声で言った。

「もう、さっきから何なの? あんた達! だったら、行きたい人達だけで行けば良いじゃない! 騎士隊全員で行く必要なんか何処にも無いじゃない。救けに行きたい人は、救けに行く!」

 俺を除く其の場の全員が、呆気に取られた様にルイズを見詰めた。

「そういう訳には……仮にも騎士隊なんだからさ」

 ムッとした声で才人がそう言うと、ルイズは其の股間を蹴飛ばした。

 ぐえ……と崩れ落ちた才人の頭の上に足を乗せて、スッカリ定番と成っているポーズでルイズが喚く。

「意見1つ纏まらないで、何が騎士隊よ! と言うかあんた、ホントに救けに行きたいんだったら、今頃飛び出してるんじゃないの? こんなところでいつまでもうだうだ遣ってる場合じゃ無いでしょーがッ!」

 そう言われて、才人はルイズの足の下で、はっ! とした。

「そ、そうだな……」

 才人は、騎士隊という事に拘るばかりで、肝心な事を忘れてしまっていたという事に気付いた。少し前で在れば、才人はこういった場面に出会すと、兎に角飛び出していただろう。

 慎重に成った、といえば聞こえは良いだろうが……若しかすると、着いた肩書を失いたくないという想いも有るのかもしれない、などと想わせた。

 アンリエッタに止められてホッとしてしまった事よりも、才人は其の事が恥ずかしく成った。

 才人は立ち上がると、首肯いた。

「よぉし。タバサを救けたいと想う騎士は俺に着いて来い!」

 おおーっ! と歓声が上がった。

 然しルイズは、更に眉を顰めた。

「待ちなさいよ。きちんと筋は通さなきゃ駄目でしょ」

「筋?」

 ルイズの言葉にシオンと俺は首肯き、才人を始めとする騎士隊の面々は首を傾げた。

「そうよ。きちんと姫様に報告して、救援なり協力を仰いた上で、“ガリア”に乗り込むのよ。盗賊団やそんじょ其処等の怪物を相手にする訳じゃ無いの。相手は“ガリア王国”なのよ」

 才人は、手を腰に置いてそう言い放つルイズを、眩しそうに見上げた。

 足の下からウットリと見上げて来ている才人を見て、ルイズは、(タバサ。青い髪の小さな女の子……正直あの娘、何を考えて居るのか判らないけど、いつだって私達を助けて呉れたじゃない。だったら行くわ。行かなくちゃ)と想った。

 少し前までのルイズで在れば、其の様な事を考えなかっただろう。

 ルイズは其れに気付き、驚く。

 前までのルイズで在れば、祖国とアンリエッタに対する想いから、シオンやアンリエッタに関する事で在れば兎も角、直ぐに(救けに行く)などと云った判断には成らなかっただろう。

 ルイズは、(タバサと自分が、其れ程仲が良かったとは想えないわ。でも……タバサはいつも理屈抜きで私達を助けて呉れたじゃない。此奴みたいに……)と足下の才人を見詰める。

 才人も、理屈抜き――強い想いから、ルイズを助けていたのだ。

 だからこそ、いつも助けて呉れていたタバサを、ルイズもまた理屈抜きで助けに行くので在る。

 ルイズは、(嗚呼、私は変わりつつ在るのかも知れ無いわね)と想った。

 昨日までは、(アンリエッタや祖国を妄信する事が、“貴族”の名誉だ)と想って居たルイズで在る。だが、本当はそうでは無いので在る。其の事に、ルイズは気付き始めていた。だから先日は行き成りアンリエッタを叩いたりなど出来たのだろう。

 アンリエッタの祖国の代わりに、何を信じれば良いのか、ルイズは未だ良く判っていない……が、(今は心の赴く儘に行動しよう)とルイズは想った。其れが正しい事の様に、今のルイズには感じられた。

 ルイズはぐぬー、と才人を睨む。

 ルイズは、(私だって、遣る時ゃ遣るんだから。自分1人だけ、格好付けたり偉そうにして! 馬鹿! 馬鹿馬鹿!)と想った。

 そしてルイズは、「良し! 今から御城に向かうぞ!」と立ち上がる才人を見詰めて、(そんな風に理屈抜きに自分を助けて呉れたサイトの気持ちが……シエスタが言う様に“使い魔”として与えられた感情だったら?)と言い知れぬ不安を覚えるが、打ち消す様に首を横に振る。

 ルイズは才人の後を追って駆け出した。

 

 

 

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”のメンバーとルイズ達は、“学院”外に停泊して居る“オストラント号”まで遣って来た。

 一行は、タラップを駆け上り、船長室を目指す。

 どんどん! 扉を叩くと、眠そうな様子を見せるコルベールが這い出て来た。

「んにゃ? 何だね?」

 隣の部屋から、欠伸をし乍らしどけない格好をしたキュルケも出て来た。

「何よー、こんな夜更けに……」

「今直ぐ御城に向かって下さい!」

「一体、何事だね?」

「タバサが“ガリア王国”に拘束されたんです!」

 才人がそう言うと、キュルケの眉が吊り上がった。

「何ですってぇ?」

 コルベールも、顔を曇らせる。

「本当かね?」

「ええ。シルフィードとタバサの義理の妹って人が報せて呉れたんです」

「其れで、今から“ガリア王国”へ向かうっていうの?」

 冷静な声で、キュルケが尋ねた。

「いや……先ず救けに行く許可と協力を貰いに、姫様の所に行くんだ」

 キュルケはジッと才人を見詰めた後、納得した様に首肯いた。

「じゃあ直ぐに出発だ。ミス・ツェルプストー。“水蒸気機関”を頼む」

了解(ヤー)!」

 キュルケは首肯くと、水蒸気機関に火を入れにすっ飛んで行った。

 コルベールが船長室備え付けの鐘を打ち鳴らすと、“フネ”全体に鐘が鳴り響く。

 ツェルプストー家御抱えの乗組員達が、“フネ”の汎ゆる部分から飛び出て来る。

「諸君! 出港ですぞ! 催合を放って下さい!!」

 地面に固定するためのロープが、素早く断ち切られ、“オストラント号”はぶわりと浮き上がった。

 

 

 

 “オストラント号”は、瞬間最高速度は遥かに劣るが、平均すれば“竜”に匹敵するで在ろう巡航速度を発揮させる事が出来る。大凡帆走船の3倍は近いで在ろう。一時間足らずで、“トリスタニア”の上浮くまで遣って来た。

 上空に“フネ”を残し、才人達は“レピテーション”で王宮の庭へと降り立つ。

 警備に当たっていたのは、例によって“マンティコア隊”で在った。

 髭面の人の好さそうな隊長は、現れた人影を見て呆れた声を上げた。

「曲者かと思えば、貴殿達か……一体、今度は何事かね?」

「ド・セッザール殿。陛下に取り次ぎ願いたいわ」

 ルイズがそう言うと、“マンティコア隊”の隊長は、顰めっ面に成った。

「こんな夜更けに無理を申すな、と普通なら突っ撥ねる所だが……貴殿等が相手では致仕方無いので在ろうな」

 

 

 

 才人達の話を聴いたアンリエッタは、暫く黙りこくった。其れから顔を上げる……。

「貴方達が直接向かう事は許可出来ません」

 “ガリア”への通行手形を発行、其の上、国境沿いまで護衛の隊を着けましょう、くらいの協力を得られるモノと想って居た才人達は、頭から冷水を浴びせられてしまったかの様な気分に成った。

「向こうの大使を呼び付けて、詳しく事情を訊く事にいたします。ルイズを襲った一件と合わせ、厳重に抗議致しますわ」

「まあ、そうだろうな」

 俺はアリエッタの言葉に首肯く。

「そんな。じゃあ、どうするんですか? 俺達に、黙って見てろって言うんですか?」

 アリエッタは困ったといった表情を浮かべる。其れから才人を見詰めて言った。

「貴方達が向かって、どう成るというのです?」

「でも、でも!」

「タバサ殿は初め、貴男とルイズを襲った連中の一味だったというでは在りませんか。其の様な者を救けるために、どうして貴男が向かわねばならぬのです?」

「途中で裏切って呉れたから、ルイズを救ける事が出来たんです。彼女は俺達の……恩人なんです。ルイズの恩人という事は、“トリステイン”の恩人じゃ在りませんか」

 才人は必死にアリエッタへと詰め寄った。

「では、百歩譲って彼女を我等の恩人という事にいたしましょう。然し聴けば、タバサ殿は“ガリア”の“シュヴァリエ”との事。極端な事を言えば、彼女をどうしようが、其れは“ガリア”の勝手では在りませんか。私達が、其れに口出しする事は、内政干渉と取られましょう」

「行くのは俺達です。“トリステイン”政府の密使や軍じゃ無い」

「貴方達は、今では私の近衛隊なのですよ。意図はどうで在ろうと、“トリステイン王国”の行動と受け取られます。向こうで犯罪人とされている人物を救出などしたら、重大な敵対行為と取られてしまいます」

 才人達は、事の重大さに言葉を失った。

「戦争に成るかもしれません。貴男が其れでも行くと言われるの?」

 キッパリとそう言われてしまい……集まった“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々からも、溜息が漏れてしまう。

「女王陛下の仰る通りだよ」

「戦争に成ったら大変だ」

 レイナールを始めとする生徒達は、口々に才人を説得に掛かった。

「理解った」

 と才人は言った。

「御前達は先に“学院”に戻れ」

「サイト。何度も言うが、僕達は別に怖がっている訳じゃ……」

 レイナールが説得する様に目を才人に向けた。

「理解ってるって。別に御前達を臆病者とか想ってる訳じゃ無いよ。女王様の言う事も尤もだし、御前達の気持ちも理解る。ただ、もうちょっと話が有るんだ」

 ホッとした様な空気が流れた。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々は、女王陛下の執務室を辞して行く。

 ギーシュとマリコルヌ、そしてルイズと才人、そしてシオンと俺だけに成る。

「諦めて下さいましたか?」

 訴え掛けるかの様なアリエッタの目に見詰められてしまい、才人の気持ちが一瞬揺らぎそうに成る。

 そんな風に見詰め合っていると……厳しく険しい女王の仮面が外れ、此の前キスを交わした時の様な無防備な表情が現れるのだ。

 女王としては無く……親しい人間として、行って欲しくない、というモノである。

 其の表情が、才人にそう言っているのが判った。

 アリエッタのそんな顔をジッと見ていると、やはり才人の決心は揺らぎそうに成るので在る。

 だが……才人には、そんな事を認める事は出来なかった。情に訴え掛けられても、其れでも助けて呉れた人間を見捨てるという事は才人には出来ないので在った。

 ユックリと、才人は肩に羽織ったマントを脱いだ。

「な、何をするんだ君は?」

 ギーシュが慌てた声で言った。

 才人は俺の方へと向いて口を開く。

「セイヴァーとシオンの言ってた意味が理解ったよ」

 そう言って、才人は脱いだマントを恭しくアリエッタに手渡した。

「……な?」

 アリエッタは驚いた様子で、才人を見詰めた。

「御返しします。短い間だったけど……御世話に成りました」

「あ、貴男という人は……」

 ワナワナとアリエッタは震えた。

「これで、“トリステイン”には迷惑は掛からない。そうですね?」

 暫くアリエッタは震えていたが、小さく、泣きそうな声で、「馬鹿……」と呟く。

 若き女王は備え付けの鐘を鳴らした。

「何事ですか?」

 と、おっとり刀で警護番の“マンティコア隊”が駆け付けて来る。

「此の者達の武装を解除し、拘束して下さい」

 才人を指さしてそう言ったアリエッタを見て、ギーシュが青い顔に成った。

 ルイズも同様に蒼白に成る。

「姫様!」

「いや、ですが……然し」

 と“マンティコア隊”隊長のド・セッザールは頭を掻いた。事情が良く呑み込めていないので在る。

「早く」

 女王陛下に促され、ド・セッザールは襟を正して才人に向き直った。

「命令ですからな。努々御恨みなされるなよ」

 そう言って才人の剣で在るデルフリンガーを取り上げ、後ろ手に縛った。

 ギーシュとマリコルヌは、どうしよう、と顔を見合わせたが、才人が大人しく捕縛されたために仕方無く其れに倣った。

 他の隊員達が2人の“杖”を取り上げ、同じ様に縛り上げる。

「暫く……頭を冷やして下さい」

 哀しそうな表情でアンリエッタが告げると……“魔法衛士隊”は才人達を引っ張って行く。

 後には、ルイズとアンリエッタ、シオンと俺が残された。

 4人切りに成ると、アンリエッタは椅子に身体を横たえた。

「どうして!? どうして殿方は理解って下さら無いの!? 望んで棄権に身を晒す何て! “ガリア”に向かってどう成ると言うのです! 大国に拘束された1人の騎士を捜し出す事など、まるで池に沈めた小石を見付け出す様なモノだと言うのに! 其れに、他国で自由に動ける訳が無いでは在りませんか! おまけに“ガリア”は“虚無”を狙っている! ルイズ、貴女の“虚無”を! “サーヴァント”が3体もいる! どれ程の危険が待ち受けていると想っているの!? 一体……何を……?」

 取り乱した女王を見詰め、ルイズはアンリエッタの気持ちが、かなり本気に近いという事を知った。“ガリア”との関係悪化の阻止というよりも……アンリエッタは女の本能で才人に行って欲しくは無いので在ろう。

 そんなアンリエッタを見ていると……少し前までのルイズで在れば同じ様に取り乱したで在ろう。自身の気持ちとアンリエッタの気持ちとを天秤に掛け……飽く迄譲らずに張り合うか、其れとも忠誠心から譲るのか、悩んでしまっていたで在ろう。

 だが、今のルイズは妙に冷静で在った。

 今は、其の様な事で悩んでいる場合では無いのだから。

 遣らねばならぬ事は……タバサを救ける事。

 そのために、なすべき事をせねばならない。

 其れが高貴に生まれた者の義務なので在る、とルイズは想った。

 ルイズはアンリエッタの肩に、優しく手を置いた。

「姫様の仰る事は尤もです。1人の“魔法学院”生徒と、傾国の可能性を天秤に掛けるれば、後者が勝りますわ」

「そうよね。ルイズ。私は間違っていないわよね。ああ、暫くの間、御城で頭を冷やして欲しいわ」

「ただ……正しい事が全て納得出来るとは限らないのです」

「……え?」

 アンリエッタは覆った手を退け、顔を上げた。

「私達には、私達が通すべき筋が在る様に想います」

「どうしたの? 貴女は、何を言っているの?」

 呆然として、アンリエッタはルイズを見詰めた。

「私はずっと、姫様に仕える事が其の筋だと信じて参りました。でも……このところというモノ、心の何処かが言うのです。姫様への盲信は、私の進むべき道では無いと」

「ルイズ……」

 不安気な表情でアンリエッタはルイズを見詰める。

「私は、今回、“ガリア”のシュヴァリエ・タバサ殿を救いに行こうと決心いたしました。其れが私の通すべき筋だと想いましたから。同時に、其れに姫様が反対なさるで在ろう事も知っておりました。姫様には、姫様の立場が御在りに成るのですから。女王としての御立場が……」

「貴女まで、一体何を言うの?」

「其れを知り乍ら……今回、私姫様に報告に参りました。何故で御座いましょう? 反対されると知り乍ら、どうして私は告げに参ったのでしょう? 其れもまた、同じ様に通すべき筋の様に感じられたからです。己の信じる筋を通す……見失いつつ在った、私の“貴族”としての魂の在処は、其処に在ると存じます」

 幼い頃の特別な日々を共有した2人の少女は、女王と、1人の“貴族”として対峙した。

 もう1人の少女は、女王で在るが、“貴族”の事もまた理解しており、複雑な面持ちと心境で、2人をただただ見守る。

「ルイズ、忘れたの? 貴女は私の臣下なのよ。其の私の意に背くと言うの?」

 ルイズは無言でマントを脱ぐと、アンリエッタに捧げた。

「……ルイズ。ルイズ! 貴女は何をしているのか理解っているの!? おお、マントを脱ぐという事は……」

「ええ。これで私はもう、“トリステイン”の“貴族”では御座いません。ただのルイズで御座います。陛下に於かれては、“ガリア”に向かった私達を、反逆者として御扱い下さいますよう、御願い申し上げます。私達の出発後、こう“ハルケギニア”中に布告なさって下さい。“近隣諸国政府に告ぐ。反逆者が逃亡中、国境を超える可能性在り。見付け次第貴国の法に基き処罰され足し”。さすれば、御国の大事とは成りませぬ」

 アンリエッタは暫く震えていたが……首を横に振ると、再び残りの衛士を呼んだ。

 畏まる衛士に向かって、アンリエッタは告げた。

「此の者を逮捕して下さい。私が良いと言うまで、城から出してはなりませぬ」

「は、はっ!」

 衛士は畏まると、ルイズに一礼する。

「“杖”を御渡し下さい」

 アンリエッタはルイズを見詰めて言った。

「貴女の言う事は、間違っていないわ。立派だと想います」

 暫くの間が在った。

 ペコリと礼をすると、ルイズは“杖”を衛士に渡す。

 部屋から連れ出されるルイズの背中に、哀しそうな声でアンリエッタは告げた。

「自信は無いし、上手く遣れているとは想え無い。でもね、私は女王なのよ。ルイズ」

 

 

 

 才人達は、城の西に建てられた塔の一室に纏めて監禁されていた。

 十畳程の部屋には、ベッドや机なども用意されており、恐らくは貴人用に造られた部屋で在ろう事が判る。然し、貴人用とはいっても、牢で在る事には何の変わりも無いのだが。

 窓と扉には太い鉄格子が嵌り込み、分厚い扉の外には大きな矛斧(ハルバード)を担いだ衛兵が2人立っているのが見える。

 ギーシュとマリコルヌは、ベッドに座って切なそうに窓の外を見詰めている。

 窓から射し込んで来る双月の明かりが、鉄格子の形に影を落とす。

 其れを見て、ギーシュが切なげな声で呟く。

「はぁ……参ったなぁ。父上や兄上が今の僕の状況を知ったら、悲しむだろうなぁ。近衛の隊長に成った時は、とても喜んで呉れたのになぁ。グラモン家の誇りとまで言って呉れたのになぁ」

 マリコルヌもまた深い溜息を吐いた。

「まさか陛下が此処まで御怒りに成るとはなあ」

 才人は、何も悪く無い2人の友人が気の毒に成り、思わずペコリと頭を下げた。

「すまねえ。俺に付き合わせたばかりに……」

 ギーシュは、(ま、良いか)と、ヒラヒラと手を振り乍ら、才人に言った。

「気にするな。騎士隊を纏められなかった僕も悪いよ。まあ何だ、僕は隊長なんだから、副隊長に付き合うのも仕事のうちなんだろう」

「やっぱり外国に攫われた女の子を救けに行くってのは、領地で狐を狩ったり、盗賊団を征伐したりするのとは訳が違うんだなあ。僕達、怒られちゃったね」

 スッカリ酔の覚めた顔で、マリコルヌが呟く。

「でもどうして、御前達は俺に付き合って呉れたんだ? 皆と一緒に、帰れば良かったんだ」

「楽しいからね」

 アッサリとギーシュは答えた。

「こんな風に、牢に閉じ込められたりしてるのにか?」

「ああ。女の子と付き合うのも楽しいが……やっぱり“貴族”と生まれたからには、胸躍る様な冒険に身を投じてみたいじゃないか! 城に幽閉される! 確かに父上も兄上も悲しむだろうが、こんな経験、そうそう出来ないぞ!」

 ギーシュは、あっはっは、と大声で笑った。ある意味大物で在るのかもしれない。隊長に就任したのは正解だったと云えるだろう。

「僕は勇気を身に着けたいんだ」

 ポツリと、マリコルヌは言った。

「勇気?」

「ああ。いざと言う時の勇気が欲しくってさ。戦争にも行ってみたけど……僕は震えてただけだった。怖くて、泣いちゃったしね。どんな時にも逃げ出さない、勇気が欲しいのさ」

「そっか……」

 と、才人とギーシュはしんみりとしてしまった。

 然し直後に。

「そんな勇気が有ったら、モテるかもしれないだろ?」

 と、マリコルヌが恥ずかしそうに言ったために、しんみりとした空気は台無しに成ってしまった。

 ある意味ブレ無いと云えるだろう。

「で、サイト」

「何だよ?」

 ギーシュが、真顔に成って才人を覗き込んだ。

「君には何か策が有るんだろう?」

「策?」

「ああ、自棄にアッサリ大人しく捕まったじゃ成いか。当然、此処から脱出出来る策が有っての事なんだろ?」

 キョトンとした様子で、才人は答えた。

「無いよ」

 ギーシュとマリコルヌは、目を丸くした。

「へ?」

「策なんか有る訳無いだろ。デルフも取り上げられちまったし。どーすんのさ?」

「君って奴ぁあああああ! ああああ、捕まっちゃったじゃないかよぉ……! 選りに選って敬愛する女王陛下にぃいいいい!」

 ギーシュは頭を抱えて喚き始めた。

「何言ってんだ。さっきは、“こんな経験出来て嬉しい”なんて言ってた癖に」

「其れとこれとは話が別だぁああああ!」

 マリコルヌはショボンと肩を落とした。急に心配に成って来たらしい。

「女王陛下、僕達を赦して呉れるかな……? まさか、縛り首なんかに成らないよな?」

 才人は、其処で笑顔を浮かべた。

「ルイズ達が何とかして呉れるよ。彼奴等は何せ、姫様の幼馴染だからな。きっと上手い事遣って、怒った姫様を執り為して、協力を取り付けて来るよ。其れまで此処で待ってようぜ」

 才人がそう言った瞬間、扉の前に人影が現れた。

 小窓に、桃色の髪が見える。

 ニッコリと才人は笑った。

「ほら、言った通りだろ?」

 扉が開き、ルイズが顔を見せる。ルイズは、マントを羽織っていない。

「遅かったじゃねえか。待ってたぜ」

 然しルイズは返事をしない。ムスッとした表情で、ツカツカと入ると、どすん、と才人の隣に腰を下ろした。

「え? ルイズ……俺達を出しに来て呉れたんじゃ……」

 ルイズを中に入れた衛士は再び牢の扉を閉める。

 ガチャン! と“魔法”の鍵が掛かる音で、才人とギーシュとマリコルヌは、自分達の運命を悟り、理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや! 大したモノだな! “エルフ”の“先住魔法”とやらは!」

 “ガリア王国”の首都――“リュティス”の“ヴェルサイユ宮殿”。

 壮麗な宮殿の中で一際異彩を誇る、青の煉瓦で造られた“グラン・トロワ”の一室で、“ガリア”王ジョゼフは異国からの客人を前に、豪快な笑い声を上げた。

 客人で在る“エルフ”のビダーシャルは、全く笑みを浮かべてなどいない。彼は本日、旧“オルレアン”屋敷で、裏切った“北花壇騎士”を捕縛して、此処まで運んで来たので在った。

 彼の獲物で在る、“7号”という符丁で呼ばれていた“北花壇騎士”は、後ろ手に縛られ、床に転がされている。“エルフ”で在るビダーシャルによって深い眠りの“魔法”を掛けられ、静かに寝息を立てていた。

「我が姪を、難無く捕らえるとは……其の“先住”の“魔法(わざ)”は本物の様だな」

 ビダーシャルは、金色に光る髪を戦がせ、口を開いた。

「御前の要求……裏切り者を捕える、という条件は満たした。これで、交渉の権利を得たと解釈して宜しいか?」

「良かろう。“エルフ”王の使者よ」

 ジョゼフは、ビダーシャルを促した。

「王、という言い方は正確では無い。我等は御前達“蛮人”の言う所の王は持たない」

 静かな声で、長身の“エルフ”は言った。

 “蛮人”と呼ばれても、ジョゼフは憤らなかった。

 “ガリア”は“エルフ”の住まう土地と東で国境を接して居る。“エルフ”との長年に亘る交流……決して友好的とはいえない交流では在るものの、其れを持っている彼は、“エルフ”達のヒトに対する蔑視には当の昔に慣れているのだから。

「首長で在ったか? いや、統領で在ったか? 兎に角お前達は入れ札で時の指導者を選出するので在ったな? 随分と面倒な事をするものだな」

「血統で指導者を固定する事の愚を、我等は早くから学んだ。王と言う呼び名で、我等が統領を呼ぶ事は、我等に対する重大な侮辱で在る」

「では、“ネフテス”のテュリューク統領の意を述べよ。ビダーシャル卿」

 ジョゼフは正式な呼び方で、“エルフ”の使者にそう告げる。

「我等が守りし、“シャイターンの門”の活動が、最近活発に成っている」

「“聖地”の事か?」

「御前達にとっては“聖地”でも、我等にとっては忌まわしき“シャイターンの門”だ。其処が此の数十年というもの、活発に動き始めている。我等はこれが御前達がいう所の“虚無”の力……“シャイターン(悪魔)”の復活と考える」

「我等にとっての聖成る力を、悪魔の力と言うか。御前達“エルフ”は、本当に傲慢だな」

「力を持つ者によって、光にも闇にも変わる。嘗て我等の世界を滅ぼし掛けた力だ。御前達にとっては神の力かもしれぬが、我等にとっては悪魔の力だ。闇の象徴だ。我等の予言にはこう在る。“4の悪魔揃いし時、真の悪魔の力は覚醒めん。真の悪魔の力は、再び大災厄を齎すで在ろう”」

「揃われては困る、という事か」

「そういう事だ。6,000年前の“大災厄”以来、嘗て何度か、“悪魔の力”は揃いそうに成った。其の度に我等は恐怖した。我等は大災厄を齎した“シャイターン(悪魔)の門”をそっとしておきたいのだ。知を持つ者が触れざる場所にしておきたいのだ。其れでこそ世界の安全は保たれる」

「で、世に何をさせようというのだ? 世が望むまいが、揃う時は揃う。揃わぬ時は揃わぬ。強い力というモノはそういうモノだぞ」

「此処は我等の国は無い故、揃うのは阻止出来ぬ。其れは干渉と言うモノだ。御前は“ハルケギニア(人間世界)”で最大の集団を束ねる国王なのだろう? 御前の持つ影響力を行使し、“シャイターンの門”に近付こうとする一派を抑えて欲しい」

「あれだけ強力な“魔法”を使う御前達にしては、随分と消極的ではないか。怖ければ、打って出れば良い。其の力を以て、御前達のいう“悪魔”とやらを滅ぼしたらどうだ?」

 そう成った場合、先ず真っ先に蹂躙されるのは“ガリア”で在るというのに、余裕の態度でジョゼフは言い放ってみせた。まるで、其れを望んでいるかの様子で在る。

「我等は争いを好まぬ。我等にとっての闇が、御前達の光で在る事も承知している。御互いが共存出来れば其れに越した事は無い」

 ジョゼフは愉しげに、鼻を鳴らした。

 僅かにビダーシャルが眉を顰める。

「御前も、“シャイターン(悪魔)”を信望する狂信者の一員なのか?」

 “始祖ブリミル”を悪魔と言い放つ“エルフ”に、ジョゼフは笑い掛けた。

「余は神も“始祖”も信じてはおらぬ。余が信じているのは己だけだ」

「知っている。だから我等は、交渉相手に御前を選んだのだ。勿論、相応の見返りを用意する積りで在る」

「申してみよ」

「向こう100年の、“サハラ(砂漠)”に於ける“風石”の採掘権と、各種の技術提供」

 “風石”は、“フネ”を空に浮かべるために不可欠の物資だといえるだろう。“風”の“先住”の力の結晶で在る。“エルフの地(サハラ)”には、其れが大量に眠っているのだ。

 そして砂漠を切り開いてヒトの住む土地に変える“エルフ”の技術は、ヒトの其れを遥かに上回っているといえる。

 其の2つの提供は、当に破格の申し出といえた。

「気前が良いな」

「御前達の信じる理想を曲げさせるのだ。当然だ」

 ジョゼフは、理解った、という様に首肯いた。

「良かろう。後もう1つだ」

「何だ?」

「“エルフ”の部下が欲しい」

 ビダーシャルの顔が僅かに曇る。

「……交渉してみよう。意に沿う様に善処する」

「其の必要は無い。御前で良い。余の命在る限り、余に仕えよ」

 ビダーシャルは言葉を失ってしまった。

 黙る“エルフ”に対し、ジョゼフは更に言い放ってみせる。

「“蛮人”に仕えるのはプライドが許さぬか? 御前達は世界の均衡を、平和を、守りたいのだろう? はは、余の理想と一致するでは成いか。其の余に仕えると言う事は、“エルフ”の理想を守る事に他なら無い」

「本国の意向も在る。我の一存では……」

 初めて言葉を濁してしまった“エルフ”に対し、ジョゼフは一喝した。

「馬鹿が。自分で決めろ!」

 ビダーシャルは蒼白な顔をし乍らも暫くの間ジョゼフを睨み付けていたが……其の内に一礼した。

「……良かろう。仕えよう」

「では、下がって良い。“ネフテス”には余が了解した旨、伝えて置け」

 然し、ビダーシャルは立ち上がらない。ジッとジョゼフを見詰めていた。

「何だ? 文句が有るのか?」

「1つ、御前に訊きたい」

「言え」

「御前は何を考えているのだ? 御前が、世界の均衡と平和を望んでいるとは、其の態度と顔を見るに……我には想えぬ。其の上、我等は、御前達の信じる神を……幾ら御前が信じぬとはいえ、御前が属する民族の拠り所で在ろう。神を、聖者を侮辱しているのだぞ? 正直な所を言えば、相当の 悶着を予想していた。一筋縄では行かぬと、本国では予想していた。どうしてアッサリと我々に協力するのだ?」

 つまらなさそうな声と調子で、ジョゼフは答えた。

「退屈だからだ」

「何だと?」

「良いから去れ」

 ジョゼフは尊大な態度を取って、手を振った。

 

 

 

 ビダーシャルが退出した後……ジョゼフは床に倒れたタバサ――シャルロットへと近付いた。

 其れからジョゼフは、“エルフ”で在るビダーシャルによって掛けられた“魔法”によって当分の間は目覚め無いだろうシャルロットを優しく抱き起こし、己が腰掛けて居た玉座へと横たえさせる。

 あどけないシャルロットの寝顔には、弟の面影が残っていると、ジョゼフには感じられた。

 シャルロットの頬を撫で乍ら、ジョゼフは呟いた。

「御前は本当に、将棋(チェス)が強かったな。御前程の指し手は何処にもおらぬ。だからシャルル、御前がいなくなってしまったから、俺の相手はもう、俺だけになってしまったよ。嗚呼、俺は退屈と絶望で死にそうだ。毎日が棘で出来た絨毯の上を素足で踊るダンスの様だ。なあシャルル。今度のゲーム(対局)が決まったぞ。“エルフ(亜人)”と組んで、人の理想と信仰を潰すのだ。今度のボード(将棋盤)は“ハルケギニア”を超え、“エルフの土地(サハラ)”や“聖地”を含む全世界だ。組んだと言っても、俺が考え、俺が指すのだ。“エルフ”も国も、全てが俺の駒なのだ。どうだ? 俺は凄いだろう? シャルル……」

 シャルロットの寝顔の中に、ジョゼフは弟を見た。

 ユックリと……記憶が、遠い日が記憶が、ジョゼフの中で蘇って行く。

 ジョゼフは、眠っているシャルロットに語り掛けた。

「皆、御前が王に成る事を望んだ。シャルル、御前は誰よりも“魔法”の才に優れていた。嗚呼、御前は5歳で空を飛んだ。7歳で“火”を完全に操った。10歳には銀を“錬金”した。12歳の時には“水”の根本を理解した。俺には何1つ出来ない事を、御前は容易く遣って退けた」

 ジョゼフはシャルロットの髪を撫でた。自身と同じ青い髪、シャルルと同じ、青い髪を。

「俺が何な気持ちで其れを見ていたか、御前には理解らないだろうな。否、理解っていたか? 御前は、俺にいつもこう言っていたな。“兄さんは、未だ覚醒めて居ないだけなんだ”と。家臣や父に馬鹿にされる俺を見て、御前はこうも言って呉れたな。“兄さんは、いつかもっと凄い事が出来るよ”と。俺を気遣って、態と失敗した事も在った。でも、理解っているか? 御前のそんな優しさに触れる度、俺はどう仕様も無く惨めな気持ちに成ったんだ」

 ジョゼフの目から涙が溢れた。

「俺はそんな御前が羨ましくて堪らなかった。俺が持たぬ美徳、才能を全て兼ね備える御前が羨ましくて堪らなかった。でもな、憎くはなかったんだよ。本当だ。あんな事をしてしまう程、憎くはなかった。あの時までは……」

 ジョゼフは目を瞑った。

 すると……3年前、父王が倒れた時の事が、ジョゼフの脳裏に在り在りと蘇った。

 

 

 病床の父は、臨終に当たって2人の王子のみを枕元に呼んだので在る。

 ジョゼフとオルレアン公――シャルルは、緊張し乍ら枕元に立つ。

 次の王が決まる瞬間で在った。

 小さく弱々しい声で、父王は2人に告げた。

「……次王はジョゼフと為す」

 信じられない言葉で在った。

 宮中の誰もが、オルレアン公シャルルこそが次王に相応しいと思っていたからで在る。妃で在る母でさえも、長男のジョゼフを暗愚と呼び、シャルルを王に推していた程にだ。

 然し……父王はジョゼフを王と決めたので在る。

 ジョゼフの中に、(自分を次王に叙すとは……父は病気で呆けたのだろう。然し、王の言葉は絶対だ。自分は王に成ったのだ)、と途轍も無い歓喜が生まれた。

 次に生まれた感情は……シャルルに対する優越感で在った。

 ジョゼフは、(あれ程、皆に王に相応しい、と言われていたシャルルの絶望は如何程のモノだろう? 自分のモノに成る筈で在った権力が、一瞬で指の間から摺り抜けた絶望は如何程のモノだろう?)とシャルルの悔しがる顔を想像した。其れが見たくて堪らなく成り……ジョゼフは弟の顔を横目で盗み見た。

 其処に在った顔を見て……ジョゼフは絶望してしまった。自分の下衆な想像が、全く外れていた事を知ったので在る。

「御目出度う」

 シャルルはニッコリと笑ってそう言ったので在った。

 其の時の一字一句を、ジョゼフはハッキリと脳裏に描き直す、想い出す事が今でも出来る。

「兄さんが王に成って呉れて、本当に良かった。僕は兄さんが大好きだからね。僕も一生懸命協力する。一緒に此の国を素晴らしい国にしよう」

 何の嫉妬も無いかの様な、邪気も皮肉も込められていなかった様に、ジョゼフには見えた。本気で兄の戴冠を喜ぶ弟の顔が、其処には在ったので在る。

 ジョゼフのシャルルに対する嫉妬が、強い憎しみに変わったのは其の瞬間で在った。

 

 

 苦しそうな顔で、ジョゼフは言葉を絞り出した。

「どうして御前は、悔しがらなかったのだ? どうして御前は其処まで優しかったのだ? どうして御前は、俺が持たぬモノを全てを……手に入れていたのだ? シャルル、恨むなら、己の才と優しさを恨め。御前のあの晴れ晴れとした顔が、御前を殺したのだぞ」

 あの日……。

 猟に出掛けたオルレアン公を毒矢で射抜いたのは、ジョゼフ自身で在ったのだ。

「……御前は言ったな。“兄さんは、未だ覚醒めていないだけなんだ”と。覚醒めたぞ! “虚無”だ!! 伝説だ! 御前の言った通りだ! 嗚呼、御前はこうも言って呉れた! “兄さんは、いつかもっと凄い事が出来るよ”と! 遣っている! 俺は世界を将棋盤(チェスボード)にして、対局(ゲーム)を愉しんでいる! 全てが御前の言った通りだ! 偉い奴だ! 御前は本当に凄い奴だ! シャルル!」

 

 

 

 暫しの黙考の後……ジョゼフは眠るシャルロットの唇に触れた。

「口元が母に似ているな……シャルロット。あの様に成ってさえ、御前の母は美しい。美しい母に感謝しろ。御前が呑む筈だった“水魔法”の薬を変わりに煽いだ母を……」

 ジョゼフは、眠るシャルロットに言い聞かせるかの様に言葉を続ける。

「あの“水魔法”は、“エルフ”が調合したのだ。“先住”とやらの複雑な薬だ。ヒトの手ではどうにもならぬ。血を分けた御前に、再び試すのは流石に心が痛むが……然し、どうにもならぬ。遣らねばならぬ。何故なら御前は、飼い主で在る此の俺に楯突いたのだからな。首輪をしっかりと嵌めねばならぬ。そうだろう? シャルロット」

 何も知らぬ者が見れば、慈悲深そうに見えるで在ろう笑みを浮かべ乍ら、ジョゼフは凶悪な言葉を紡ぎ出した。

「あの“エルフ”が薬を調合するまで、残された時間を楽しめ。血を分けた御前に対する、最後の慈悲を与えよう。御前から奪った王侯の時間を与えようではないか。“エルフ”が建てし崩れ落ちた城で、王女の一時を過ごすが良い。はは、“エルフ”の薬で心を失くす御前に相応しい。叔父らしい事を何1つしなかった叔父からの贈り物だ……」

 ジョゼフはシャルロットの手を握ると、其処に己の額を押し付けた。

「嗚呼! 悲しい事だ! 若しあの日のシャルルのあの笑顔が無ければ、御前は今頃、こんな険しい寝顔では無く、眩い笑みを浮かべていただろうに! “エルフ”の“魔法”などで苦しむ事も無かったろうに!」

 額をシャルロットに押し付け乍ら、ジョゼフは涙を流した。聖職者の前で懺悔を行うかの様に、ジョゼフは苦し気な声を絞り出す。

「御前の“愛”した女性を、娘を、痛め付けても……あの日の痛みには敵わん。祖国を、“ハルケギニア”を使って人々を苦しめても……あの日の後悔には敵わん」

 ユックリとジョゼフは立ち上がる。残根の涙が消えた其の目には、深い憎しみが宿っていた。

「だからシャルル。俺はもっと大きな世界を此の掌に乗せて遊んで遣る。汎ゆる力と欲望を利用して、人の美徳と理想に唾を吐き掛けて遣る。御前を此の手に掛けた時より心が痛む日まで……俺は世界を慰み者にして、蔑んで遣る」



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囚われの6人

 才人は、鉄格子の間から射し込む陽射しに気が付いた。

 隣ではルイズが才人の肩に頭を乗せ、寝息を立てて居る。

 ギーシュとマリコルヌはベッドに並んで寝転び、鼾を描いていた。

「朝か……」

 結局悶々として、遣り切れなくて、才人は一睡も出来なかったので在る。

 ルイズはふにゃふにゃと口を半開きにして、何やら呟いている。

「ざーんねーんでした。姫様は、所詮寂しいだけでした。ふにゃ……」

 才人は、(一体此奴は、何な夢を見ているんだろ?)と想った。

 今は此の様な鉄格子の嵌まった場所で、一晩過ごしている場合では無いといえた。早くタバサを救けに行く必要が在るのだから……。

「ばっかじゃないの? 姫様にフラれたからって、今更相手何かして上げないんだから……」

 才人はルイズを突いた。

「ふにゃ……」

 目を覚ましてないルイズは夢と現実の区別が付いていないのだろう、才人を見る成り怒鳴り付けた。

「姫様の代わりなんて非道い! と言うか誰でも好いんでしょー! そうよね! 誰が1番なのか、い、いい、言いなさいよ!」

「……何言ってんだ御前」

 呆れた才人がそう言うと、ルイズは此処が夢の世界では無く現実で在るという事に気付いたらしい。

 ルイズは顔を真っ赤にし、才人をポカポカと殴り始めた。

「夢見ただけよ! 夢!」

「殴るなよ!」

「夢とは言え遣ったのはあんたなんだから、責任取りなさいよね」

 顔を真っ赤にした侭、ルイズは外方を向いた。

 遣ってられないために、才人は大きく溜息を吐いた。

「御前なぁ……良く暢気に夢なんか見てられるよな」

「何よ?」

「てっきり、姫様を上手い事説得して、今頃タバサを救けに“ガリア”に向かってる頃だったのに……」

「私が悪いって言う訳?」

「御前が姫様に、報告しなきゃって言うから来たんじゃねーか!」

「当たり前じゃない」

「人救けだ! 報告なんかしてないで、直ぐに駆け付けていれば、こんな事には成らなかったんだよ!」

 するとルイズは真顔で才人を見詰めた。

「サイト。其れは違うわ。人救けだからこそ、きちんと筋を通さなければいけないわ」

「どうしてだよ?」

「若し、勝手に行って失敗したらどうするの? “ガリア”は私達を、“トリステイン”の間諜だと想うでしょう。だって、私は姫様の女官で、あんたは近衛兵の副隊長だもの。そうしたら大変だわ。“ガリア”は“トリステイン”に対し、厳重に抗議するでしょうね。戦争の口実にするかもしれない。若しかしたら其れが目的なのかもしれないわ」

「そんな……」

「無いって言い切れる? 実際そんなのどうか判らないけど、可能性が捨て切れない以上、在ると考えて行動しなきゃ駄目。私達を何度も冷酷な方法で襲った“ガリア王国”よ? 何をするか判らないわ。そうしたら、姫様のみ成らず、“トリステイン”にまで償い切れ無い迷惑が及ぶかもしれない。其の所為で、関係無い人が傷付く可能性だって在るわ。私だってタバサを救けたい。でも、誰かに迷惑が掛かる事に成ってはいけないの。其れこそ、頭に血が上っての勝手な行動と言うモノだわ。其れに、あんた。“サーヴァント”よ。“ガリア”には、“ミョズニトニルン”……“キャスター”が居る。他にも“アサシン”と“アヴェンジャー”も……“セイヴァー”は言ってなかったけど、他の“サーヴァント”、今“召喚”が確認されてる“ライダー”もいるかもしれない。きっと殺し合いに成るわ。そう成ると死ぬかもしれないのよ?」

「御免……でも俺、やっぱり遣り切れねえよ。理屈じゃ御前の言う事が正しいって理解るんだけどさ。そんでも、俺成ら出来るかもしれないって事が、こう遣って普通に出来なくって……ああくそ、やっぱ苛々する!」

「そうね……姫様は理解って下さるかもと想っていたけど……甘かったみたいね」

「何とか脱出出来ねえかなあ」

 ぼんやりと、才人は鉄格子を見詰めた。

「御前の“虚無”で、何とかなんないの?」

「無理。“ディスペル”が利くかどうか判んないし、第一“杖”が無いわ。こんな事なら、“魔術”を習って置くんだったわね……」

「使えねえなあ」

「あんただって剣が無かったら、ただの人じゃないの」

「使えねえなあ」

 才人は、次に自分に向けて言った。

 其れでも才人は望みを捨ててなどいない様子で、「……兎に角脱出出来たら“ガリア”に行く積りだけど、心配すんなよ。御前の言う、“トリステイン”への迷惑は掛からないようにするから?」、と言った。

「どういう意味?」

「俺、昨日副隊長を辞めて来たじゃねーか。ただの人、唯の“サーヴァント”で通すよ」

「やっぱり甘いわねぇ……」

、と、溜息を吐き乍ら、ルイズが言った。

「どういう意味だよ!?」

「そんなの相手が信用すると想ってるの? 騎士を辞めたくらいじゃ駄目よ。せめて御尋ね者に成って、初めて関係が切れたって言えるのよ」

「御前に“貴族”が辞められるかよ。せめて俺と同じ事してからそういう生意気は……」

 才人は其処まで言って、初めてルイズの格好に気が付いた。

 気が気では無かったがために、判らなかったのだが……。

「マントとタイ留め、どうしたんだよ!?」

「女王陛下に御返しして来たわ」

「御返しして来たって、御前……」

「っさいわね! 声で私だってただのルイズよ! あんたと同じ“平民”! へ・い・み・ん! 御馳走様! 姓もプライドも捨てて来たわ! だから自分だけ格好付けた様な気に成らないでよね!」

 才人は激しく感動した。

 ルイズと出逢って以来の感動で在ったといえるだろう。

 此の桃髪美少女“魔法”使いのプライドが高い筈の才人の御主人様は……あれだけ拘っていた“貴族”という肩書をアッサリでは無いが、捨てたのでだから。

 ルイズみたいな女の子にとって、其れはかなりの勇気が必要で在るといえるだろう。

 自身が今まで築き上げて来た人生を捨てる覚悟がなければ、そういった事は出来やしないで在ろう。“貴族”という身分は、ある意味ルイズにとって総て在ったのだから。

「お、御前……」

「ざーんーねーんでしたっ! あんた、高貴な女性、大好きだもんねっ! ただの女の子の“使い魔”に成っちゃって、嘸かしがっかりしてるでしょうね!」

「そ、そんな……俺、感動してるんだよ……御前が其処までするなんて……」

「嘘ばっかり! 昨晩だってチラチラ姫様の顔見て、顔赤くしてたわ! 信じられないわ! “貴族”や王女様が大好きなんでしょ!? 犬の癖に! ちゃんちゃら可笑しいんだから!」

 そう喚き乍ら、(私に対する、“好き”、が“使い魔”としての其れだったら? サイトの気持ちは、本当は姫様に向いているんだけど……“使い魔”としての、“好き”、が、其の邪魔をしているだけだとしたら? 昨晩、サイトが姫様の願いを振り払ったのも理解出来るわ。私が与えた“使い魔”としての“契約”は、サイトの本当の気持ちを捻じ曲げてしまったのかもしれない……兎に角サイトの今の気持ちは、姫様に向いているのかもしれないわ。其れを邪魔しているのは、私が与えた偽りの気持ち……)といった具合に、ルイズはシエスタに言われた不安が胸に広がるのを感じた。

「別に“貴族”や王女様が好きな訳じゃねえよ」

 才人は憮然として言った。

「どうだか理解んないわ!」

 言い知れぬ不安を振り払う様に、ルイズは声を荒らげた。

「だからそんなに怒るなって。言ってるだろ? 俺は御前の事が……」

「言わないで!」

 ルイズは耳を塞いで蹲ってしまう。

 才人はびくっ! と身を震わせると、傷付いた様に手を引っ込めた。

「理解ったよ。もう言わない」

 そんな事を言って欲しく無いのにどうにも成らないため、ルイズは泣きそうに成ってしまった。

 こほん、と咳払いが聞こえ、才人とルイズの2人は前を見詰めた。

 其処には、目を覚ましたギーシュとマリコルヌが、微妙な遣り取りをする2人をジッと見詰めて居たので在る。

「ち、違うの! 今のは違うの!」

「いや、僕は別に良いんだが。マリコルヌが……」

 ギーシュの隣にいるマリコルヌが、ワナワナと怒りで肩を震わせているのが見える。

「なぁギーシュゥ……僕、限界だよゥ……眼の前であんな焼き餅混じりのラブゲームゥ……」

 マリコルヌが飛び掛かり、ルイズは咄嗟に才人を突き出してしまった。

 2人はもんどり打って倒れてしまう。

「もうこう成ったら君で良い。抱け」

 諦め切ったマリコルヌが遠い目でそう言ったので、才人は深く切なく成ってしまう。

「抱いてよ」

「あああ、全く……こんな事してる場合じゃねえだろうが!」

 才人が溜息を吐いてそう言った瞬間……。

 窓の外から閃光と大音量が響いて来た。

「……な!?」

 ギーシュとルイズが、跳び上がって窓へと張り付く。

 其処には、驚くべき光景が広がっていた。

 “オストラント号”から派手な音楽と、“魔法”で拡大した声が響いているので在る。

「“トリスタニア”の皆様に申し上げます。“トリスタニア”の皆様に申し上げます。“ゲルマニア”のフォン・ツェルプストー家が、最新式水蒸気船“オストラント号”の御披露目に遣って参りました。街を歩く皆様も、御城に御勤めの皆様も、どうか近付いて御覧になってくださいまし」

「モンモランシーの声じゃないか!」

 果たして其れは、“オストラント号”で一行の帰りを待っている筈のモンモランシーの声で在った。

 城の中庭では、警護の騎士や兵隊達や、通り掛かった“貴族”達が、「何だ何だ?」と空を見上げている。

 “竜騎士“が何騎も近付いて、“オストラント号“の周りをグルグルと回っているのが見えた。「他所で遣れ!」、「帰れ!」、と警告をしているのだ。

 然し、“オストラント号”は気にした風も無く、旋回を続けている。

 才人達を閉じ込めている部屋の扉の前に立つ衛兵達も、外の様子が気に成る様子で在り、顔を見合わせている。

「彼奴等……どういう積りだ?」

「何考えているのかしら?」

 そんな感想を漏らしていると、扉の外から、どさっ! と衛兵が倒れる音がした。

 振り返って、才人達は息を呑んだ。

「キュルケ!?」

 果たして小窓の格子越しに見えたのは、赤い髪が眩しいキュルケと……。

「先生! コルベール先生!」

 髪の無い額が眩しい、コルベールで在った。

 扉に駆け寄った囚われの4人に、キュルケは指を立ててみせた。

「一応だけど、静かにしてて」

 コルベールは倒れた衛兵の腰から鍵の束を取り上げると、其れを扉の鍵穴に差し込んだ。中々合う鍵が見付けられずに、もたついてしまう。

 其のうちに、ガチャリ、と音がして扉が開いた。

「キュルケ、先生!」

 4人が廊下に出ると、コルベールは笑顔を浮かべた。

「喜ぶのと説明は後だ。急ぎ給え」

 

 

 

 此の塔は貴人を幽閉するためのモノで在るからか、私物を別に保管する小部屋が直ぐ隣に在った。

 コルベールはまるで此の塔の構造を熟知でもしているかの様に動き、小部屋の中から才人の相棒で在るデルフリンガーと各人の“杖”を見付け出す。

 其れ等を握り締めた4人に、キュルケはローブを放って寄越した。

 4人は其れ等を纏い、一行はキュルケとコルベールに続いて階段を駆け下りる。

 途中に何人もの衛兵が倒れて居た。

「これ、御前達が遣ったのか?」

「寝てるだけよ」

 キュルケが楽しそうな声で言った。

 才人を始め囚われていた4人は、(これだけの数をどの様にすれば無力化出来るのだろうか?)と想った。

 そう不思議に想っていると、下から衛士“メイジ”を先頭とする、何人かの兵士が上って来た。塔の異変に気付いただろう一隊で在る。

「あっちゃあ……入る時は不思議な事に見付からなかったのに……」

 キュルケは御道化た風に言った。

「貴様等! 何をしている!?」

 言うが早いが、先頭に居るコルベールが逸早く反応した。短く“呪文”を唱え、“杖”を突き出す。

 空気の塊が隊長と思しき衛士を吹き飛ばした。

「なっ!?」

 もう1人お衛士の懐に飛び込んだかと思うと、コルベールは其の腹に“杖”を使って当身を叩き込んでみせた。

 下から上がって来た一隊は、先頭の2人が倒れたためにコルベールにまで届かない。

 コルベールは当身を叩き込み乍ら“呪文”を唱えており、浮足立った衛兵達の上に、緑色の雲状の霧を発生させた。

 衛兵達は、眠りの雲に巻かれてバタバタと糸が切れた操り人形で在るかの様に倒れて行く。

 其の手際の良さに才人達は驚いた。彼の事を昼行灯と思って居たルイズやギーシュは、唖然として事の成り行きを見詰めていた。

 コルベールの其れは、“杖”を使って当身を喰らわせたり、素早く口元を読まれぬ様“呪文”を唱えたり、と、まともな“貴族”の戦い方では無い事が判るだろう。

「城の警護隊も質が落ちたな……」

 と呟き、コルベールは再び駆け出す。

 中庭に出ると、其処の連中は、上空を舞う“オストラント号”に夢中で在った。

 キュルケとコルベールの此の行動は、“オストラント号”と歩調を合わせての救出作戦で在ったのだ。

 此処宮中に入って来る客は兎も角、出る客のチェックは薄い。

 コルベールが“魔法学院”の身分証を差し出すと、呆気無く門を通る事が出来たので在る。

 一行は城下町へと飛び出して行った。

「せ、先生凄いですね……」

 やっとの事で落ち着いた才人がそう言うと、コルベールは物憂気な表情を浮かべた。

 

 

 

 城を抜け出した一行は、キュルケの先導で以前働いた事の在る“魅惑の妖精亭”に向かった。

 其処には驚いた事に、馬や旅装が用意されて居た。

「御友達を救けに行くにのでしょ? 協力するわよぉ~~~」

 “魅惑の妖精亭”主のスカロンが見をクネラせ、才人達に微笑んだ。

「準備が良いな……一体誰が俺達が捕まった事を知らせたんだ?」

 才人がキュルケに尋ねると、酒場の隅から、少しばかじ恥ずかしそうにレイナールや、帰ったとばかりに想われていた騎士隊の連中が出て来た。

「御前達、“学院”に帰ったんじゃないのか?」

 眼鏡をツイツイと持ち上げ乍ら、レイナールは言った。

「どうせ反対されて諦めると想って、君達の帰りを中庭でコッソリ待ってたんだ。そしたら、君達が捕まって連れて行かれるのが見えたから……」

「“フネ”で待ってるあたし達に報せて呉れたって訳よ。で、私とジャンで計画を立てて、此の“魅惑の妖精亭”にも協力を仰いだって訳」

 得意気にキュルケが言った。

 才人は嬉しく成った。

 騎士隊は別にバラバラに成ったという訳では無かったのだ。こう遣って、いざと成れば助けて呉れる仲間達で在ったのだ。

 そんなキュルケ達に、才人は頭を下げた。

「す、すまねえ……タバサを救けるって言い乍ら、俺達が捕まっちゃしょうが無いよなあ」

 そんな才人の肩を、コルベールがポンポンと叩いた。

「謝るのは、ミス・タバサを救けてからにしよう。安心している暇は無いぞ。さてさて、本番はこれからだ」

 ガバッとコルベールは、テーブルの上に地図を広げた。

 其の場の全員が、緊張した様子で地図に見入った。

 コルベールは、1本の街道に線を引いた。

「我々は、陸路で“ガリア”へ向かう」

「“フネ”で行かないんですか?」

「君達が脱走した事が判れば、真っ先に疑われるのは、今空に浮かんで居るあの“オストラント号”だ。何せ、我々はあの“フネ”で此処“トリスタニア”に遣って来たんだからな。追っ手はあの“フネ”に我々が逃げ込んだと想うだろう。だから我々は其れを逆手に取る。“オストラント号”に十分追っ手を引き付けさせ、反対方向の“ゲルマニア”へと向かわせる。宮中の連中に、我々が“ゲルマニア”から“ガリア”へ侵入すると想わせるのだ」

「成る程」

 キュルケが残りの理由を説明した。

「其れにね、あんな大きな“フネ”で国境を超えたら、直ぐ“ガリア”軍に見付かっちゃうじゃない。で、“ガリア”で降りた後はどうするの? 上空に待機させておく? “ガリア”の“竜騎士”隊に見付かって、あっと言う間に撃沈されちゃうわよ」

「兎に角あの“フネ”は、危険な事には使いたくない。ミス・タバサを救けた後は、あの“フネ”で東に行く。そうだろう?」

 コルベールが、悪戯っぽい笑みを浮かべて才人を見詰める。

 はい、と感動し乍ら才人は首肯いた。

「よって我々は馬で国境を超え、ミス・ツェルプストーが知っているという、“ラグドリアンの湖畔”の旧オルレアン公の屋敷へと向かう。其処がミス・タバサの実家だそうだ。何か手掛かりに成るモノが在るかもしれない。さて、取り敢えずの計画は以上だ。諸君、何か質問は有るかね?」

 まるで授業の時の様にそう尋ねたコルベールに、才人は尋ねた。

「2つ程、良いですか?」

「何だね?」

「先ず、セイヴァーとシオンは――」

「2人はもう、“アルビオン”の人間だ。だから、協力を仰ぐ事は出来ない。2人も救けに行きたいだろうが、其れでも無理なのだろうな。立場がそうさせている。だからこその、あの助けだったのだろうな」

「次に、どうして、其処までして呉れるんですか? 先生には先生っていう立場が有るでしょう?」

 どうしてそんな事を訊くのだ? とコルベールは不思議そうな様子を見せた。

「ミス・タバサは私の生徒だ。教師が生徒を救ける。全く以て当然じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバサが目を覚ますと、其処は夢の国で在った。

 広い寝室の真ん中に置かれた天蓋付きのベッドに、彼女は横たわっているので在った。

 今のタバサは、公女時代にさえ1度も袖を通した事が無い様な、豪華な寝間着に身を包んでいたのである。

 眼鏡を探すと、ベッドの隣の小机の上に、宝石を鏤められた眼鏡立てが置いて在り、其処に立て掛けられている事に、タバサは気付いた。

「…………」

 其れを掛け、タバサは自身の身体を改めた。

 何処にも異常は感じられない。

 見回すと、ベッドや小物に劣らず、周りの丁度も豪華で在る事が判る。前“カーベー時代”の丁度で在る事が判るだろう。“ガリア”が芸術的に、軍事的に、最大の栄華を極めた時代で在る。

「目覚めたか?」

 タバサが声のする方に顔を向けると、其処にはあの長身の“エルフ”がいた。部屋の入り口付近に置かれたソファに座り、本を読んでいたので在る。

 タバサは咄嗟に“杖”を探すのだが、何処にも見当たらない。こう成っては、タバサには抗う術は無いといえるだろう。

 タバサはユックリとベッドから下りた。

 此処は決して、夢の国では無い事をタバサは理解する。彼女を呆気無く倒して退けた此の“エルフ”が居る以上、あtだの現実の延長で在るのだから。

「貴男は何者?」

「“ネフテス老評議会議員”……否、今はただの“サハラ(砂漠)”のビダーシャルだな」

「此処は何処?」

「“アーハンブラ城”だ」

 博識なタバサは其の城の名を知っていた。

 “エルフ”の土地で在る“サハラ(砂漠)”との国境近くに在る、“ガリア”の古城。首都“リュティス”を挟んで、“ラグドリアン湖”とは粗正反対の場所に位置している場所――城である。

 タバサは、意識を失っている間に、此処まで連れて来られてので在った。

「母を何処に遣ったの?」

 先日と同じ質問をタバサは繰り返した。

 長身の“エルフ”は呆気無く答えた。

「隣の部屋だ」

 タバサは駆け出した。

 扉に駆け寄っても、“エルフ”の男――ビダーシャルは咎める事はしない。

 タバサが寝かされていた部屋は、どうやら貴人を泊めるために設計された部屋で在る事が判る。

 扉の向こうは、召使用の小部屋で在ったからだ。

 タバサの母は其処のベッドに横たえられていた。

「母様」

 呟いて駆け寄る。

 タバサの母は寝息を立てている。呼び掛けても目を覚まさ無い事から、深く眠っている事が判る。

 部屋の隅の鏡台に、母が娘で在ると想い込んでいる人形が置かれている。嘗て母がシャルロットに買って呉れた人形で在る。其の時のタバサは其の人形に“タバサ”と名付けたので在った。

 心を病んだ母は、其の人形を現在シャルロットと想い込み、そう呼んで居る。

 そしてシャルロットは今、“タバサ”と名乗っている。彼女の分身の様な其の人形は、無造作に鏡台の上に置かれていたので在る。

 憎々しげに、タバサはドアから顔を覗かせたビダーシャルを睨む。

 ビダーシャルは良く通る澄んだ声で、タバサに言った。

「暴れるのでな、寝て頂いている」

「私達をどうする積り?」

 ビダーシャルは捕まえられて来た実験用の“砂漠鼠”でも見るかの様な、僅かな憐れみを含んだ目で、タバサを見詰めた。

「其の答えは2つ在る」

 ビダーシャルは其の言葉で、タバサは自分と母の運命が違う事を知った。

「母をどうするの?」

 タバサは先ず、母をどう扱うのかを尋ねた。

「どうもせぬ。我はただ、“守れ”と命令されただけだ」

「私は?」

 ビダーシャルは、一瞬、どうしようか迷う素振りを見せた後、先程と同じ抑揚で続けた。

「“水の精霊”の力で、心を失って貰う。其の後は、“守れ”と命令された」

 タバサは一瞬で理解した。理解してしまった。

 此の“エルフ”は、彼女を、彼女の母親の様にすると言っているので在る。

「今?」

「特殊な薬でな。調合には10日程掛かる。其れまで残された時間を精々楽しむが良い」

「貴方達が、母を狂わせたあの薬を作ったの?」

 ビダーシャルは首肯いた。

「あれ程の持続性を持った薬は、御前達では調合出来ぬ。さて、御前には気の毒をするが、我も囚われの様なモノでな。これも“大い成る意思”の思し召しと想って、諦めるのだな」

 タバサは立ち上がると、部屋の窓に近付いた。

 眩しい太陽の下、崩れ掛けた城壁が見える。

 “アーハンブラ”は打ち捨てられた廃城で在った筈なのだが、此の整えられた貴人室を見るに、ジョゼフが改築したので在ろう事が推測出来る。

 城壁に遮られ、中庭や城の外までは目が届かないが、本丸から張り出した大きなエントランスは見下ろす事が出来る。其処には槍や銃を持った兵士が立っている。武装した兵が此の城に何人いるかまでは、タバサには判らない事が、“杖”が無い以上、何方にせよ母を連れての脱出は不可能だといえるだろう。

「私の“使い魔”は?」

 タバサは、シルフィードが何処にもいない事に気付き、尋ねる。

「あの“韻竜”か? 逃げた」

 一目でシルフィードの正体を見抜いてみせたビダーシャルは答えた。高位の“エルフ”には、造作も無い事なので在ろう。

 逃げた、と言われてタバサはホッとしたのだが……(シルフィードが“魔法学院”の皆に捕まった事を報せたに違いない)と想った。

 タバサは唇を噛んだ。

 其れから、タバサの頭の中に、キュルケや才人達の顔が浮かぶ。

 タバサは、(出来れば自分を救けようなどと、考えないで欲しい。迷惑を掛けぬために、自分は出発を誰にも報らせなかったのだから。でも……其の心配はしなくても大丈夫だろう。何せ自分を捕らえたのは“ガリア”で在る。自分を救けに来る、という事は一国に喧嘩を売るのと同じで在る。 そんなリスクをキュルケもサイト達も犯すとは想えない。況してやサイトは、今では“トリステイン”の近衛騎士ではないか……でも、彼等なら、そんなリスクを意に介さないかもしれない。何せあのサイトと来たら、自分との生きるか死ぬかの戦いの時に、死を顧みずに狙いを外したのだ。其れに、セイヴァー……あの謎が多い青年は、自分をシャルロットと呼んだ。若しかすると……)とそんな自身の思考の迷走に……タバサは小さく首を横に振った。

(こんな風に考えが行ったり来たりするなんて。若しかして、私は、救けに来て欲しいのだろうか? まさか。自分はずっと1人で遣って来たのだ。其れに……誰が救けに来ても無駄だろう。残された時間はあと僅か。其の後は、自分は“エルフ”の薬で心を失くす。“エルフ”の“先住魔法”は、人の手ではどうにもならない)と考えた。

 心を失う事が決定されているというのに、タバサは妙に冷静で在った。

 タバサは、此の“エルフ”にはどう足掻いても絶対に勝つ事は出来ない。“杖”を持っていてさえ、手も足も出なかったのだから、素手のタバサでは……蟻と象以上の差が在るだろう事は明白だといえる。

 “北花壇騎士”として幾多の戦いを潜り抜けて来たタバサは、戦力を分析する事に優れているので在る。其の優れた戦士としての感覚が、タバサに抵抗の愚を教えているので在った。タバサの冷えた心を、終ぞ感じた事が無いで在ろう無力感が覆って行く。其の無力感は、タバサから、怒りという名の最後の感情をも摘み取ってしまった。

 甘い、諦めの衣をも心に纏わせ、タバサは軽く唇を噛んだ。

 不思議なモノで、そんな感情に支配されてしまうと、母と同じ場所に行ける、という事が今のタバサには一種の救いにさえ感じられたので在った。

 そんなタバサに、ビダーシャルが言った。

「退屈なら、本を読め。幾つか持って来た」

 ビダーシャルの指指す先には、オルレアンの屋敷から持って来たので在ろう本が数冊並んで居る。

「此の“イーヴァルディの勇者”は実に興味深いな」

 旧オルレアン公邸でも読み耽って居た本を掲げて、ビダーシャルは呟く。

 “イーヴァルディの勇者”は、“ハルケギニア”で1番ポピュラーな英雄譚で在るといえるだろう。

 “勇者イーヴァルディ”は“始祖ブリミル”の加護を受け、“剣”と“や”槍“を用いて“竜“や悪魔、“亜人”に怪物、様々な敵を打ち倒す。これといった原典が存在しないとされているために、筋書きや登場人物のみならず、伝承、口伝、詩吟、芝居、人形劇……数限り無いバリエーションに分かれ、富んで居るといえるで在ろう。

 “メイジ(貴族)”が主人公では無いために、主に“平民”に人気が在る作品群で在る。

「我等“エルフ”の伝承は、似た様な持っている。“聖者アヌビス”だ。彼は“大災厄”の危機に在った“我等の土地(サハラ)”を救ったとされる。此の本によると、光る左手を“勇者イーヴァルディ”は持っているな。我等の“アヌビス”は、やはり聖なる左手を持っていた。“エルフ”と人間の違いは在れど、興味深い共通点だ」

 “平民”向けの物語で在る“イーヴァルディの勇者”は、“ハルケギニア”ではマトモな扱いを受けていないといっても良いだろう。「研究する者は異端だの愚か者だ」のと呼ばれ、神学や文学の表舞台には決して立てぬし、焚書の憂き目に在った時代せえも存在するので在る。「所詮は“貴族”支配に不満を持つ“平民”が、テキトウに生み出した御伽噺」と言われていたので在る。光る左手にしたって、“イーヴァルディの勇者”として伝えられる物語全てに出て来る訳では無いのだから。“イーヴァルディ”は女性の事も在れば、男性の事でも在った。神様の息子だった時も在れば、妻だった事も在った。ただのヒトだった事も在る。其れだけイイ加減な物語群で在るのだ。

 ビダーシャルはタバサに“イーヴァルディの勇者”を手渡した。

 タバサは大人しく本を受け取り、母が眠るベッドに腰掛けた。

 ビダーシャルは首肯くと、部屋を出て行く。

 ベッドに腰掛けて母の寝顔を眺めていると……タバサは幼い頃を想い出した。母は憤るタバサを寝かし付けるために枕元で、頻くこう遣って本を読んで呉れたモノで在った。

 其の頃、1番多く読んで貰ったのは、確か此の“イーヴァルディの勇者”ではなかったか?

 タバサはユックリとページを捲り始めた。

 研究の対象には決してなりえないだろうが、“イーヴァルディの勇者”は面白いといえるだろう。其のた、えに人気が在って広く読まれているので在る。勧善懲悪、単純明快なストーリは読む者を選ばないので在る。

 タバサも子供の頃は夢中に成って読んだもので在る。其のうちに興味は別のモノに移り……偶にしか開か無くなったのだが、読書の楽しみを教えて呉れたのは此の“イーヴァルディの勇者”で在った。

 本のページを捲る音が、静かな小部屋に響く。

 ページを捲る内に、タバサを声を出していた。

 いつかの母の様に。

 

――“イーヴァルディは、シオメントを始めとする村の皆に止められました。村の皆を苦しめていた領主の娘を救けに、竜の洞窟へ向かうとイーヴァルディが言ったからです”。

 

 ふとタバサが母を見ると、何時の間にか目を覚ましていた。呼んでも目覚め無かったのだが……。

 タバサは鏡台に置かれている人形を取って来ようとした。あの人形がないと、母は取り乱してしまうからだ。

 然し……いつもと様子が違う事に、タバサは気付いた。

 驚いた様な顔でタバサを見詰めているので在る。普段で在れば、「私の娘を返して!」と、騒ぎ立てるのだが。然し、鏡台の人形には興味を示さず、ジッとタバサを見詰めている。

 此の“イーヴァルディの勇者”の一節で、僅かに昔を想い出したのかもしれない。

 諦め切ったタバサの心の中に、一抹の希望が湧いた。恐らくは摘み取られてしまうだろう希望だ。

 だが、其の希望は暗闇の中の1本の蝋燭の様に、優しく淡く光る。

 タバサは朗読を続けた。

 

――“シオメントは、イーヴァルディに尋ねました”。

 

――“おお、イーヴァルディよ。そなたは何故、竜の棲家に赴くのだ? あの娘は、御前をあんなにも苦しめたのだぞ”。

 

――“イーヴァルディは答えました”。

 

――“判らない。何故なのか、僕にも理解ら無い。ただ、僕の中に居る何かが、グングン僕を引っ張って行くんだ”。



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旧オルレアン邸

 コルベール達の作戦は上手く行ったとえるだろう。

 予想通り、王宮の追手は逃げ出した才人達が“オストラント号”に乗り込んだものとばかり想い込んだので在る。

 “竜騎士”達が全力で飛び上がった頃には、“オストラント号”は快速を利用して“トリステイン”と“ゲルマニア”の国境を超え、フォン・ツェルプストーの領地へと逃げ込んでいた。

 変装した才人達は、途中の駅で馬を換え乍ら、1日半駆け通し、国境から10“リーグ”の地点に在る宿場町まで遣って来たので在る。

 タバサ救出隊のメンバーは、才人、ルイズ、キュルケにコルベール、そしてギーシュに、マリコルヌ、「治療する人が必要でしょ」と言って着いて来たモンモランシーの計7人。多過ぎても目立つ事も在るが、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の残りは囮として“オストラント号”に乗り込んでいるので在る。タバサの義理の妹と言うイルククゥは怪我をしているために、“学院”に残る事に成ったのだが……。

 此の先は愈々国境で在る。

 国境を超えるための作戦は、既になされている。

 上空から着いて来ているシルフィードに跨り、夜陰に乗じて“ガリア”に空から忍び込むというモノで在る。此処まで馬に乗って遣って移動して来たのは、怪我の療えていないシルフィードが、7人の重たさに長時間は耐える事が出来ないためで在った。

「“トリステイン”より、“ガリア”の方が危険は少ないわ」

 キュルケはそう言った。

 確かに、“トリステイン”では今や御尋ね者で在るのだが、“ガリア”では無数に存在するで在ろう密入国者の中の7人で在るのだ。向こうが何も掴んでいなければの話では在るのだが……。

「兎に角腹拵えをしようよ。腹が減っちゃ戦は出来ないからね」

 マリコルヌがそう言ったので、一行は流行っていそうな宿屋へと入った。

 旅人ばかりの宿客は、テーブルに着いた才人達一行を気にも留めない様子を見せる。

 “ガリア”に潜入するために、各人は旅芸人に変装をしているので在った。

 手を挙げて給仕を呼んだマリコルヌは真っ赤な上衣に、半ズボン、尖った木の靴といった道化姿である。丁寧に目の下を黒く染めている。其の似合いっ振りに、才人は吹き出しそうに成ってしまった。

 ギーシュは髪の毛を切って作った付け髭を鼻の下に蓄え、頬綿を口に含み、“魅惑の妖精亭”に在った商人服に身を包んでいる。そうすると立派な酒売に成るので在る。

 キュルケは、東方の踊り子の服に着替えている。額に宝石の着いたサークレットを嵌めると、何処に出しても恥ずかしくない看板ダンサーの出来上がりで在る。

 モンモランシーも同じ様に露出度の高い踊り子衣装を着込んでいる。モジモジと恥ずかしそうにしているために、少しばかり怪しいが、中々のモノで在るといえるだろう。

 ルイズの身体に合う衣装は残念な事に無かったために、地味な村娘の格好をさせられる事に成ってしまった。草色のワンピースに身を包み、目立つ桃色の髪は茶色に染められ、頭巾を冠っている。そうすると、一座付きの下働きに見えるので在った。

 コルベールは僧服を羽織っており、同行する説法師といった風で在る。

 才人は羽の着いた帽子を冠り、脚絆を巻き、普段通りにデルフリンガーを背負っているのである。剣舞をする役者といった所で在ろう。

 こうして旅芸人の一座が出来上がったので在る。衣装が微妙にボロいのだが、“ガリア”で一旗挙げようとする風情に見えて効果的だといえるだろう。

「何でこんな格好をしなくちゃならないのよ」

 モンモランシーがワナワナと震え乍ら言った。

「いつもの格好其の侭じゃ、“貴族”って言てる様なモノじゃないか」

 ギーシュが執り為す様に言った。

「他に格好はなかったの? 嫌だわ。ジロジロ見られるんだもの」

 酔客達は、胸を隠す布と、大きく膨らんだ腰布を身に着けているキュルケとモンモランシーを、好色そうな目でチラチラと見詰めているので在る。

 自尊心の高いモンモランシーには、やはりそんな視線に耐える事が難しいので在った。

「って言うか人前でおへそを出すなんて考えられ無いわよ。何なのよこれ? 下品も良い所じゃないのよぅ……」

「偶には良いじゃないの。似合ってるわよ」

 キュルケが楽しそうな声で言った。

「ジロジロ見て貰えない可哀想な人もいるんだから……」

「何其れ。私の事言ってる訳?」

 頭巾を巻いた下働き少女といった風のルイズが、キュルケを睨んだ。

「あんた、随分と暢気なモノね。あんたの親友を救けに行くってのに、其の巫山戯た態度はなんな訳?」

「じゃあ、あんたみたいに眉間に皺寄せて、難しい顔してれば成功するの? 其れで成功するんなら、あたしだってそうするわ」

 2人は、ぐぎぎぎぎぎ、と睨み合った。

「喧嘩すんなって。仲良くしなきゃ、成功するもんも成功しねえよ」

 才人がそう言うと、コルベールも首肯いた。

「サイト君の言う通りだ。我々はチームなんだ。些細な齟齬が、大きな亀裂に繋がる事を各自理解して、行動せねばならない」

 キュルケは、「ジャンがそう言うならそうするわ!」、と笑みを浮かべて、彼へと飛び付いた。

 そんな旅芸人風の一座は、今晩“ガリア”へと潜入して、旧オルレアン公邸に向かうので在る。

「其処に行けば、本当に何か手掛かりが掴めるんだな?」

 才人が、厚切りのハムを挟んだパンを齧り乍らキュルケへと訊いた。

「あの娘は元“王族”よ。元“王族”を拘禁するには、其れ成りの扱いと言うモノが在るわ。必ず何らかの形で情報は入って来る。其れに御金を使えば、街で得られない情報なんて無いのよ」

 こういった世事には詳しいキュルケが、ワインを呑み乍らニッコリと微笑む。行き先を調べる事には自信が有るのだろう。

 取り敢えず夜迄には時間が在る為に、才人達は宿屋でユックリと休む事にした。

 1日半と云うもの駆け通しで在ったために、疲れ切っていたので在る。

 

 

 

 一行はベッドが2つ在る大部屋を借りた。

 キュルケは先程ベッドに潜り込むと、コルベールを引っ張り込み、寝息を立て始めた。

 御裾分けとばかりに、マリコルヌが其の脇に潜り込む。

 ギーシュとモンモランシーはもう片方を使った。踊り子衣装に興奮でもしたのだろう、ギーシュは急々とモンモランシーに手を伸ばしたのだが、バシンと払い除けられてしまい、恨めしそうに反対側で丸く成った。

 ルイズと才人は、壁を背にして座り込む。

 窓の外を見ると、日は未だ中点に近い事が判る。夕方までは、後6時間程潰す必要が在るだろう。

「寝ないの?」

 ルイズが隣に座った才人に尋ねた。

「ん? 眠く成ったら寝るよ。でも、誰か見張ってた方が良いだろ」

 才人は、屈託の無い顔で言った。

 ルイズは、ずっと気に成っていた事を、尋ねる積りに成った。

「どうして、あんたってそう面倒事に首を突っ込む訳? 言ったじゃない。帰る方法探して上げわよって。其れなのに、今度は外国にまで潜入する気? 言っとくけどね、ある意味戦争より危険よ。見付かったら、私達犯罪者よ。名誉も無ければ、捕虜としての権利も認められないのよ」

「そっくり其の侭御前に御返しするよ」

「あのねえ、私は良いのよ。何度も救って呉れた人を救ける。其れはどっちかと言うと、“貴族”としての私の問題なの」

「“貴族”辞めたんだろ?」

「マント脱いだだけで、心は“貴族”よ。“貴族”ってのは、心の持ち方よ」

「俺だってそうだよ」

「だから、あんたはこっちの世界の人間じゃ無いじゃない。あんたには、あんたの心の持ち方があるでしょ?」

 才人は腕を組んで、壁に寄り掛かった。

「“貴族”も“平民”も心の持ち方も在るもんか。救けて呉れた奴を救ける。人間だったら当たり前だろ……」

「そうだけど……」

「其れだけじゃ無い。何て言うかさ、誰かのために戦ったり、頑張ったりする。大変だけどさ、楽しかったりするんだよね。110,000に突っ込んでからこっち、ぼやーっとしてる時なんかに、考えちゃうんだ。俺に何が出来るのか? ってね。昔……“日本”……いやこれは俺が生まれた国だけどさ、其処にいた時は、そんな事考えもしなかった」

 才人はルイズを横目で見詰めた。

「だから良いんだよ。俺は遣りたくて遣ってるんだ。義務感とか、そういうんじゃ無い」

 ルイズは考え込んだ。

 ルイズは、何時かデルフリンガーが言っていた、「主人の“詠唱”を聞いて勇気が漲るのは、赤ん坊の笑い声を聞いて母親が顔を綻ばせるのと理屈は一緒さ。そういう風に出来てんのさ」といった言葉を想い出した。

 ルイズは、(今のサイトの、“誰かのために何かしたい”、っていう気持ちも、“ガンダールヴ”として後天的に与えられたモノだとしたら? 私が与えた“左手の紋章”は、サイトをサイトじゃ無いモノに変えてしまったのかもしれないわ)と考えた。

 そして、もう1つの疑念が浮かび上がった。

 先立っての、「其れって“使い魔”として与えられた気持ちなんじゃないですか?」というシエスタの言葉が、ルイズの頭の中に蘇ったので在る。

 御城の牢中で、ルイズは不安を覚えていた……。

 ルイズは、(危険に飛び込む勇気だけで無く、サイトの言う自分に対する“好き”も、“ガンダールヴ”として与えられたモノだとしたら?)と考え込んでしまうので在る。

 2つの疑問は膨らみ、ルイズは押し潰されそうに成った。

 ルイズが黙って膝を抱えてしまったために、才人は心配に成った。

「どうした? 行き成り黙っちまって」

「何でも無い」

「御城でもそうだったじゃねえか。何だよ? 俺、何か気に触る事言ったか?」

「ううん……ただあんたが勇気を見せる度に、私は不安に成るんだわって」

 ルイズは目を瞑ると、才人へと寄り掛かった。

 才人は、其の肩を抱いて遣った。

 自身の肩に掛けられた手を見乍ら、ポツリとルイズは呟いた。

「嘘と本当って、どう遣って見分けるのかしら……?」

「何か言ったか?」

 ルイズは首を横に振った。

「……何でも無い。夜まで寝ましょう」

 

 

 

 

 

 揺さ振られて才人は目を覚ました。見ると、キュルケが眼の前にいた。

「時間よ」

 才人は緊張した。

 愈々、今から“ガリア”へ侵入するので在る。

 周りの皆も、大成り小成り才人と同じ様子で在った。

 道化姿をしたマリコルヌが、顔をビチャビチャと叩いている。

「何をしてるんだ?」

「き、気合を入れてるんだ」

 ギーシュはモンモランシーの肩を引き寄せると、夜空を指さした。

「若し僕が救出に失敗してあんな風に輝く星に成ってしまったら……」

「立派な御葬式を出して上げる」

 其れからモンモランシーは、一同を見回して言った。

「あんた達が心配だから一応くっついて行って上げるけど、危ない事はしないでよ。絶対だからね。言っとくけど、ホントは荒っぽい事、大っ嫌いなんだから」

「大丈夫だよ! 命に代えても僕は君を守ってみせる!」

 そう言って胸を叩くギーシュを、モンモランシーは疑わしそうな目で見詰めた。

「あんたが1番当てに成らないのよ。全くもう、何だか嫌な予感がするったら無いわ。人生って、兎に角何でも、其れを望まない人の元へ優先的に届けるんだから」

 モンモランシーはブツクサと言い乍らも、“杖”を踊り子衣装の隙間に差し込んだ。

 そんなモンモランシーの予感は、10秒で的中してしまう事に成った。

 

 

 

 1階に降りた一行は、何だか様子が可怪しい事に気が付いた。

 誰も居ないので在る。

 灯りは消され、扉は閉まっている。

 宿は大体、1階が酒場に成っている。此の宿屋も例外では無い。書き入れ時の時ではないだろうか。通常で在れば、閉まっているなど考えられないので在る。

 一同は顔を見合わせる。

 扉を指さして、キュルケがギーシュに顎をしゃくった。

 ギーシュは首を横に振ると、マリコルヌを見詰める。

 マリコルヌは丁重に一礼すると、才人を指さした。

「俺?」

 才人が言うと、其の場の全員が首肯いた。

「すばしっこい」

 自身の能力を少しばかり恨み乍ら、才人は扉を開けた。

 ぎぃ~~~、と音を立てて扉が開く。

 外はもう、闇に包まれていた。

 が然し……やはり誰もいない。

 才人は後ろを振り返って言った。

「……何だか様子が可怪しいな」

 其の瞬間、一斉に大量の篝火が灯った。

 篝火の灯りに照らされて、大勢の兵士が浮かび上がる。

「動くな! 女王陛下の“銃士隊”だ! “杖”を捨てて、大人しく投降しろ!」

 果たして、兵士の真ん中に立っていたのは、物々しい戦支度に身を包んでいる“銃士隊”隊長アニエス其人で在った。

 どうやら宿場町の客を避難させ、包囲網をコッソリと作っていた様子で在る。

 流石は裏の仕事に慣れた“銃士隊”ならではの手際の良さだといえるだろう。

「アニエスさん! 俺です! 御願いだから行かせて下さい!」

 才人はそう叫んだ。

 然し、篝火に照らされているアニエスの顔と様子には、“アルビオン”で見せた人懐っこい部分は何処にも無い。

 鉄の様な軍人の部分を崩さずに、アニエスは冷たさを込めて言い放った。

「御前達を行かせる訳には行かぬ。陛下の命令だ」

 キュルケが首を出して、暢気な声で言った。

「あらら。凄いじゃない。どうして私達が陸路で国境を超えるって判ったの?」

「あの“フネ”が頭とするならば、此方側は背中だ。御前達“メイジ”と戦ううちに、背中から殴る癖が付いてしまってね」

 あんな囮には掛からぬ、と言いた気な態度で、アニエスは言った。

 アニエスは両手を挙げた。

 銃士達が、一斉に銃を構える。

「御願いです! 友達が困ってるんだ! アニエスさんだって、仲間が捕まってたら救けるでしょう?」

「此の前は助けて呉れたじゃない!」

 ルイズも叫んだ。

 然し、アニエスは首を横に振る。

「言っただろう? 私は陛下の剣に過ぎぬ。御前達の気持ちが理解らぬでは無いが、命令は命令なのでな。良いから“杖”と“剣”を捨てろ。私とて、御前達と争いたくは無い」

 アニエスは、取り付く島は何処にも無いといった様子を見せる。

 銃で狙いを付けられてしまっている以上、シルフィードを降ろす事は出来ない。乗っている間に、蜂の巣にされてしまうだろうからだ。

 反撃もまた論外で在るといえるだろう。タバサを救けるtめとはいえ、“銃士隊”を傷付ける訳には行かず、其れをしてしま得ば、其れこそ犯罪者と成ってしまう。

 万事休すといっても良いで在ろう状況だ。

「銃兵如き、全部焼き払って上げわよ」

 アッサリとキュルケが言った。

 才人は首を横に振る。

「駄目だ」

「僕の“風魔法”で、銃を取り落としてみせようか?」

「何なら僕の“土魔法”で、足首を掴んで動かなくさせて遣る」

 ギーシュとマリコルヌが言った。

 モンモランシーが、そんな2人を諌める。

「やめといた方が良いわよ。相手が何人いるか判らない。多分、見えてるだけで全部じゃ無いわ」

「ミス・モンモランシの意見に賛成だな。恐らく家々の隙間や路地の暗がりにも、兵を配置して包囲しているだろう」

 コルベールが首肯き乍ら言った。

「先生……」

 小さな声で、コルベールは一同へと指示をした。

「私が“炎”の“魔法”で、壁を作る。其の隙に君達は“風竜”で行きなさい」

「はい?」

「ジャンってば、何を言うの?」

 然しコルベールは真剣な様子を見せている。

「アニエス殿は、私を見れば動揺する。僅かだが時間が稼げる筈だ」

 キュルケの顔色が瞬時に変わった。

「ジャン! いけないわ!」

 真顔に成ったキュルケに一同は驚く。

 コルベールとアニエスの確執を、キュルケ以外は知ら無いので在る。

 そんなキュルケを諭す様な声と調子で、コルベールは言った。

「こうするしかないんだ」

「あたしが残るわ。あの“銃士隊”の隊長さんに、よおく言い聞かせて上げる」

「ミス・タバサの御屋敷は君しか知らんのじゃないのかね? 君達は“ガリア”に向かい、何としてでも彼女を救けなさい」

 そう言われてしまうと、キュルケは何も言えなく成ってしまい、苦渋の表情を浮かべて首肯いた。

「ちょっと先生! 良く理解んないけど、先生を置いて行けませんよ!」

 才人も怒鳴る。

 が、コルベールは首を横に振った。

「良いから此処は私に任せて行き給え」

 コルベールは才人を押し退け、宿屋の扉の前に出た。

 アニエスの顔が一瞬呆けたかの様に成った。

 其の隙を逃さずに、コルベールは口笛を吹いた。

 上空から待ってましたとばかりに、シルフィードが降りて来る。

 シルフィードの着地と同時に、コルベールは“炎壁(ファイヤー・ウォール)”の“呪文”を唱えた。

 地面から幾筋もの炎が立ち上がり、シルフィードとアニエスの間に壁を作る。

「先生!」

「ほら、行くわよ!」

 怒鳴る才人の腕を、キュルケが引っ張った。

 先に跨っていたマリコルヌが、才人に“風”の“魔法”を掛け、シルフィードに跨がらせる。

 続いてキュルケが飛び乗った。

「行って! シルフィード!」

 きゅい! と一声鳴いて、シルフィードは飛び上がる。

 あっと言う間に、コルベールやアニエスを始めとする“銃士隊”の面々が小さく成った。

 才人は切なげな声で言った。

「全く、アニエスさんも融通が利かねえなあ。大丈夫かな……先生」

 ふとキュルケを見て、才人は息を呑んだ。

 どんな時でも飄々とした態度を崩さないイメージの有るキュルケが、唇を強く噛み締めて火の様な怒りを浮かべているのだ。

「キュルケ……」

 ルイズが心配そうな様子で声を掛けても、キュルケは返事すらしない。

「……あの女。あたしのジャンに結1本でも触れて御覧なさい。髪の毛1本まで灰にして遣るから」

 

 

 

 上昇するシルフィードに気付き、アニエスは我に返った。次いで咄嗟に出たのは、射撃命令で在った。

「撃て!」

 銃を構えて居た銃士達は、一斉に引き金を絞る。

 夜空に、射撃音が鳴り響く。

 然し……既にシルフィードは高く上昇しており、弾は届かない。

 黒色火薬の発射煙がモウモウと立ち籠める中で、アニエスは、「友人を撃て」と「剣を教えた生徒を撃て」と命令した事にハッと気付いた。「捕まえろ」と、命令されてはいたのだが……勿論殺す積りなどは毛頭無い。本気で撃つ積りなど無かったのである。だが、アニエスは咄嗟の事とはいえ、確かに射撃命令を下してしまったので在る……。

 アニエスは、(自分は軍人なのだ。命令を忠実に実行する事が、存在に意義を与えて呉れるのだ)と考え、仕方無い、と首を横に振った。

 其れよりも……今のアニエスには重要視する事があった。

 アニエスにとって、任務より大事な事が1つだけ存在するので在る。

 復讐だ。

 アニエスは憎々し気にコルベールを睨んだ。

「生きていたのか。神に感謝する。貴様が死んだとばかり想っていたから、私は生きる意味を失い掛けていた。さぁ、正々堂々、決着を付けようじゃないか。“杖”を抜け」

 アニエスは、スラリと剣を抜き放つ。

 然し、コルベールは“杖”を構えない。ポイッと地面に捨てると、座り込んだので在る。

「どうした!? “杖”を取れ!」

「私を殺し給え。貴官には其の権利が有る」

「何だと?」

 アニエスは唇を歪めた。

「貴官は私の生徒を撃ったが、私は貴官を憎まない。其れが軍人だと理解しているからだ。先程、アニエス殿は言われたな? “私は陛下の剣だ”と。私もそうだった。私も、王国の杖だったのだ。私は“焼き尽くせ”と言われたら、忠実に其れを実行した。其れが正しい“貴族”の在り方だと、ずっと想っていた」

「黙れ!」

「でも、貴官の村を……否、罪無き人々を焼き払った時、其れが間違いだと知った。私は、王国の杖で在る前に、1人の人間なのだ。どの様な理由が有ろうと、罪無き人を焼いて善い訳が無い。命令だろうと何だろうと、其れは赦される事では無いのだ」

「だから“杖”を拾えと言っている!」

「私は、研究に打ち込んだ。1人でも多くの人間を幸せにする事が、私に出来る贖罪と考えた。いや……贖罪などとは傲慢だな。これは義務なのだ。私にとって、生きて世の人々に尽くす事は義務なのだ。私には死を選ぶ事すら、赦されないのだ」

「貴様は、生きて世に尽くせば、罪が消えるとでも想っているのか? 貴様が世に尽くす事で、私の家族の、友人の無念が晴れるとでも言うのか?」

「晴れぬ。晴れる訳が無い。罪は消えぬ。何時までも消えぬ。此の身が滅んでも、罪は消えぬ。罪とは、そういったモノだ。私はだから、貴官に私の死を委ねる。私にとっては、死を選ぶ事すら傲慢だが……唯一、私の死を決定出来る人物がいる。貴官だ。あの村の唯一の生き残りで在る貴官だけが、私を彼等の慰めのために殺す権利を持っているのだ」

 アニエスは目を瞑った。

 其れから、かっ! と見開き、大股でコルベールへと近付く。

 コルベールは、ジッと目を開いた儘、真っ直ぐ前を見詰めていた。

 アニエスが剣を振り上げてもなお、コルベールは目を瞑る事は無かった。

 剣が一閃された。

 然し……血飛沫は舞い上がらない。

 アニエスの剣が裂いたモノは、コルベールが羽織った僧服で在ったのだ。首の後が斬られ、首筋が覗いている。

 其処に引き攣られた様な火傷の痕が覗いている。

 アニエスの記憶が、20年前へと遡る……。

 

 

 燃え盛る村の中……アニエスは誰かに背負われていた。

 引き攣れた火傷の痕が目立つ醜い首筋を持った男で在った。

 気付くと、アニエスは浜辺で毛布に包まれて寝ていた。

 其の男は、アニエスの命を救ったので在る。

 気紛れからなのか、罪の意識からなのかは、アニエスには判らなかった。

 ただ理解る事は……アニエスの村を焼き、そしてアニエスを救ったのが、眼の前の男で在るという事だけで在った。

 

 

 アニエスは、「皮肉なモノだ」と呟いた。

 アニエスは、自身を救った理由を尋ねる気には成れなかった。

 アニエスにとって、今と成ってはどうでも良い事で在ったので在る。

 剣を鞘に仕舞い乍ら、アニエスは低い声で告げた。

「129人だ。覚えておけ。貴様は其の10倍、いや、10倍の人間に尽くせ」

 コルベールは悲し気に首を横に振って、訂正を入れた。

「131人だ」

「何だと?」

「妊婦の方が2人いた」

 アニエスは空を仰いだ。

 2つの月は、雲に隠れて居り、見えない。

 深い闇だけが、空を覆っていた。

「私は御前を決して赦さぬ。幾度生まれ変わっても、御前を呪う。だが……復讐は鎖だ。何処かで誰かが断ち切らねば、永遠に伸び続ける鎖だ。私が御前を殺せば、御前の生徒達は私を恨むだろう。決して私を赦さぬで在ろう。ジャン・コルベール。だから御前の生徒達に感謝しろ。私は今日此の剣で、其の鎖を断ち切ったのだから」

 アニエスはコルベールに顎をしゃくった。

「来い。せめて御前を連れて帰らねば、私の立場が無い」

 コルベールは立ち上がり、深々とアニエスに頭を下げた。

 2人は暫く其の侭動かなかった。

 “銃士隊”の隊員達も、ジッと其処に立ち尽くしていた。

 暫くしてアニエスは歩き出し、コルベールも其れに続く。

「捕縛せぬのかね?」

「貴様が逃げ出すとは想っていない」

 歩き乍ら、アニエスは硬い声で言った。

「私は貴様の言う事が理解出来る。良い軍人とは、そういうモノだ。命令と在らば、絡繰人形の様に身体が反応する。私は先程、剣を教えた生徒を撃った。気付いたら、射撃命令を出していた。当たる当たらないは問題では無い。私は生徒を、友人を撃ったのだ。貴様の言う事は、本当は良く理解っていた」

 アニエスの目からは涙が溢れている。鉄の塊で在るかの様な、“銃士隊”の隊長は、人目を憚る事も無く涙を流していたので在る。

「私は、貴様の言葉が理解出来る自分が赦せぬ」

 “銃士隊”とコルベールは、“トリスタニア”へと向かうために用意された馬車へと歩いた。

 

 

 

 

 

 シルフィードに乗って国境を超える、旧オルレアン公邸に才人達が到着した時には、時刻は深夜零時を過ぎていた。

 雲の隙間から双月が顔を覗かせる。

 オルレアン公邸“ラグドリアン”の湖畔から漂う霧と、双月の明かりに照らされ、夜に妖しく浮かび上がっている。

「此処がタバサの実家か……」

 才人が呟く。

 ルイズは才人の背中に隠れる様にして、屋敷の様子を伺った。

 ギーシュは唾を呑み込み、“杖”にして居る薔薇の造花を握り締める。

 モンモランシーは自分達を乗せて来たシルフィードの様子を確かめた。

 怪我まだ良く療えていないシルフィードは、此処まで飛ぶのがやっとの事だったのだろう、荒い息を吐いている。

 モンモランシーは、そんなシルフィードに“水”の“魔法”を掛けて遣った。

「大丈夫?」

「きゅい」

 門から馬車が通れる幅のアプローチが玄関へと続いているのが見える。

 アプローチの左右は鬱蒼と木々が茂り、灯りの消えた屋敷を更に不気味に演出しているといえるだろう。

「じゃあ、慎重に……」

 とギーシュが言ったら、キュルケがズンズンと歩き出した。

「お、おいキュルケ! 危ないじゃないか! 先ずは作戦だよ作戦!」

「敵が出て来て呉れれば、其れは其れで好都合。というか敵が罠を張っているなら、作戦なんか立てたって無駄よ」

 キュルケは真っ直ぐに玄関へと向かい、大きな扉を押し開いた。

 ぎぃ~~~、と重たい音を立てて、扉は開く。

 しん、と冷えた静けさが、ホールに漂って居る。

「誰もいないわね」

 一行は其々獲物を構え乍ら、慎重に屋敷の中を探って行った。

 廊下を歩き乍ら、ギーシュが壁に付いた傷に気付く。

「此処で戦ったみたいだな」

 見ると、壊れた“ガーゴイル”が転がっている。

 キュルケが近づき、剣士の姿を象った“魔法人形(ガーゴイル)”を確かめる。

「どうしたの?」

 ルイズが尋ねると、キュルケは鼻を鳴らした。

「あの娘の“風魔法”……いつもの威力じゃ無いわね」

「どういう事?」

「此の破壊力、“トライアングル”の其れじゃ無い。“スクウェア・クラス”の威力よ」

 ルイズと才人は、キュルケが指さした“ガーゴイル”を覗き込む。

 すっぱりと、ガーゴイルは風の刃が何かで両断されているのが判る。

 が、其れが“スクウェア・クラス”だと言われても、ルイズには判らなかった。

 才人にも、切れ味が凄いのだろう程度にしか思えなかった。

 が、キュルケが御墨付を与えるのだから、其の威力は“スクウェア・クラス”のモノで在ろうと、才人とルイズは判断した。

 破壊された“ガーゴイル”には、足跡が残っており、皆はタバサのモノで在ろうと推測した。

 奥まった所に、1つの部屋が在る事に気付き、扉を開いて一行は中に入る。

 其処は惨状を呈していた。

 嵐でも発生したかの様に、部屋の中は滅茶苦茶に成ってしまっているので在る。

 元はベッドだっただろう家具が切り裂かれ、羽毛と木と布との細かい破片と成って、部屋の中に散らばっているので在る。

 壁には無数の切り傷が付いている。

 入り口の向かい側の壁が、窓ごと吹っ飛んでしまい、外が丸見えに成っている。

 キュルケは慎重に床を調べ始めた。床のある一点を指さして、一同を集める。

「此処見て。床の此の地点で、タバサは竜巻状の“魔法”を唱えたみたいよ」

 其の一点を中心にして、床には渦巻き型の傷が壁際まで付いているのが判る。

「うわ……若しかして此の部屋の惨状は……」

 ギーシュが、荒れ果てた部屋を見詰めて言った。

「そうね。其の“魔法”で付けられた様ね。と言うか、其の“魔法”のみでね」

 ゴクリと、ギーシュとマリコルヌは唾を呑み込む。其の“魔法”の威力を想像したのだろう。

 キュルケが楽し気な声で呟く。

「こんだけ強力な“魔法”を撃っ放しといて、あの娘負けたの? 一体どんな相手よ? 其れって……」

 壁の穴からシルフィードが顔を出している。

 其の壁の穴は、シルフィードの身体の大きさなどとほぼ同じだといえた。

「其の穴、貴女が空けたの? シルフィード」

 きゅい、とシルフィードは首肯く。

「タバサの相手は何だったの?」

 シルフィードは、前脚を伸ばして頭の上に突き出す。

 其の仕草で、とある単語に気付いたキュルケが呟いた。

「“エルフ”?」

 大きく、シルフィードは首肯いた。

 一同は息を呑んだ。

 ギーシュは、「“エルフ”!」と叫び、目を丸くして、ワナワナと震えた。

 マリコルヌも同様に、「相手が悪いよ!」と叫ぶ。

「冗談じゃ無いわよ! “エルフ”何て!」

 流石のキュルケも唇を噛んだ。

 ルイズも肘を抱えて、才人の方を見て考え出す。

「おいおい、“エルフ”ってそんなにヤバイのか? 御前達、いっつも“エルフ”、“エルフ”騒いでるけど……」

 “エルフ”と云えば、才人は、“ハーフエルフ”で在るティファニアの事しか知らないので在る。才人には、言う程危険とは想えないのだが……。

「あんたの剣に訊いてみなさいよ。如何に“エルフ”が強力な相手だか、教えて呉れるでしょうから」

 才人はデルフリンガーを抜き放つ。

「なあデルフ」

「もう。俺に話し掛けるの、こういう時だけじゃねーか」

 明らかに不機嫌な声で、デルフリンガーが答えた。

「そう言うなよ。何か皆“エルフ”ってだけで怯えてるけど……ホントにそんなに怖いの?」

「怖いよ」

 アッサリとデルフリンガーは答えた。

「そ、そうなんか……」

「“エルフ”が相手じゃ、“スクウェア・メイジ”でも分が悪いわね」

 モンモランシーが、困った顔で呟く。

「そんなに!? マジで!?」

「強力なのは、其の扱う“魔法”なの。“先住魔法”。直接見た事は無いけれど、セイヴァーみたいに“杖”も持たずに唱えられるらいしわ。“エルフ”は其の“先住魔法”をどんな種族よりも上手く扱うと言われているのよ」

「なあデルフ。其の“先住”の“魔法”って何だ? あれだろ、“水の精霊”が使うって言ってた奴だろ? 其れに御前も、其の“先住”の何やらで動いてるとか何とか言ってなかったか?」

「まあね。“先住魔法”ってのは、“系統魔法”が生まれるずっと前から存在する“生の力”を司る“魔法”さ。御前さん達“メイジ”が唱える“系統魔法”は、個人の意志の力で大成り小成りの理を変える事で効果を発揮させるが……“先住魔法”は理に沿う」

「もっと理解り易く言って呉れよ」

「要は、何処にでも存在している自然の力を利用するんだ。生命力、風、火、水……在りと汎ゆる力をね。人の意志と、自然の力、どっちが強いのか、想像してみな」

「じゃあ、タバサを取っ捕まえた“エルフ”は、どんだけ強力な“先住魔法”を操ったっていうんだよ? 其の強力さ具合を教えて呉れよ」

「俺より、若しかしたら其処の“風竜”の方が詳しそうだな」

「シルフィードが?」

「なあ。いつまで恍けてるんだ? “韻竜”よ」

「いんりゅう?」

 一同はキョトンとした。

 真面目に勉強をしていたルイズとモンモランシーだけが、ハッ!? とした様子を見せる。

「まさか……だって、“韻竜”はずっと昔に絶滅した筈じゃ……」

「其処にいるんだから絶滅なんかしてねえんだろうさ」

「なあシルフィード。俺、良く理解んないけど、御前って其の、“韻竜”なの? 其れ何?」

 シルフィードは、円な瞳で才人を見詰めた。其れから困った様に、きゅいきゅいと鳴き乍ら首を左右に振り始めた。

「違うってよ」

「なあ“韻竜”よ。恐らく主人から“正体を明かすな”とでも言われてるんだろうが……今はそんな事を言ってる場合じゃねえ様だぜ? 御前の大事な主人が取っ捕まってるんだ。謂わば非常事態って奴だよ。此奴らに、御前の1番遣り易い方法で“先住魔法”の恐ろしさを見せ付けて遣りな」

 其れでもシルフィードは困った様に、首を激しく横に振る。

「きゅいきゅい! きゅいきゅい!」

 其れからシルフィードは観念した様に目を瞑ると、ガバッと口を開いた。

 眼の前に居た才人は慌てて後ろに飛び退いた。

「な、何だよ!? 俺を喰う気か!?」

 シルフィードが自棄糞に近い様な声で、鳴き声とは違うモノを喉から絞り出した。

「食べないのね! きゅい!」

 デルフリンガーを除く、其の場に居た全員が口をあんぐりと開けた。

 マリコルヌが、直立不動で怒鳴った。

「“竜”が!? “竜”が喋ったぁあああああああ!」

「喋ったら悪いの? ああもう! 御姉様が喋るなって言うから我慢してたのに! 其処の剣御喋りなのね! あの方とは大違いなのね! きゅいきゅい!」

 シルフィードは其れから、悲し気な声で泣き喚いた。

「嗚呼! 御姉様との約束破っちゃった! 絶対喋っちゃ駄目って約束してたのに! きゅ~~~い! きゅ~~~い!」

 ギーシュとマリコルヌは散々にオロオロと喚いたが、多少成りとも“韻竜”に関する知識を持っていたルイズとモンモランシー、そしてキュルケは割と冷静で在った。才人も驚きはしたのだが、“竜”が喋るくらいで何だ、と冷ややかに対応してみせた。

 水の塊で在る“水の精霊”や、“使い魔”の梟で在るトゥールカスも喋るので在る。今更、“竜”が喋るくらいでは驚かない才人で在った。

「“韻竜”って何だ?」

 と才人がルイズに尋ねる。

「伝説の“古代竜”よ。知能が高く、言語感覚に優れ、“先住魔法”を操る……強力な“幻獣”よ」

「へえ、御前、そんな凄い奴だったのか」

 才人はシルフィードの鼻面を撫でた。

 嬉しそうに、きゅい、とシルフィードは鳴いた。

「なあ“韻竜”。“先住魔法”の凄さを、軽く此奴等に見せて遣れよ」

 デルフリンガーが悪戯っぽい声で、シルフィードに告げる。

「“先住”何て言い方はしないのね。“精霊の力”と言って欲しいのね。私達は其れをちょっと借りてるだけなのね」

「じゃあ其の“精霊の力”とやらを、軽く見せて遣りな」

 シルフィードは、はう、と溜息を吐くと、“呪文”を唱え始める。

 “ルーン”では無く、口語の“呪文”が牙の間から漏れる。

「我を纏う風よ。我の姿を変えよ」

 風がシルフィードの身体に纏わり付き、青い渦と成る。

 一同は呆気に取られて、シルフィードを見詰める。

 青い渦は光り輝いたかと思うと、一瞬にして消えた。

 すると……其の場に在った筈のシルフィードの姿は掻き消え、代わりに20歳程の若い女性が現れた。長い青い髪の麗人で在る。

 というよりも其の姿は……。

「御前、あのイルククゥじゃねえか!?」

「うっわ!? 君はシルフィードが化けた姿だったのか!」

 才人とギーシュが驚いて仰け反る。

 タバサの義理の妹、と名乗り、才人達の前に現れた女性其の人、いや、其の“竜”で在ったのだ。

「まあ、ざっとこんな感じなのね。“精霊の力”を借りれば、御前達の姿を真似る事も、御茶の子祭々なのね」

 見事に……ヒトの姿に成っているといえるだろう。が、流石に服までは変化させる事は出来ないために、生まれた侭の姿で在る。

 生まれた侭の姿。

 詰まりは、裸で在る。

 ルイズは才人を、きっ! と見遣った。

 此の前は、小屋の天井を破って落ちて来たために、ジックリと鑑賞する心の余裕が無かったのだろう。然し今は相手がシルフィードと理解ってしまったので在る。こう成っては遠慮は要らないので在ろう。

 男連中は頬を染めて、シルフィードの肢体に見入ってしまっている。

 ギーシュが、胸の大きさを表すかの様に、自分の胸の前で両手を御椀型に動かした。

 才人は首を振り、ギーシュの其れ選り大きい直径の御椀を描く。

 会議に加わったマリコルヌが、うん、と大きく首肯いた瞬間に、ルイズのハイキックが才人の後頭部へと直撃、才人が崩れ落ちるのと同時にモンモランシーの“水魔法”が完成してギーシュを水責めしたので在る。

 ルイズは野暮ったい草色のワンピースの上に羽織ったコートを、シルフィードに放った。

「これ着為さい」

「え~~~、ゴワゴワするから嫌だ。きゅい」

「きゅいじゃ無いのよ。着るの」

 鬼の様な迫力を放つルイズにキツい目で睨まれ、シルフィードは渋々とコートを身に着ける。

 ルイズサイズではシルフィードにとって小さいためか、ピチピチに成ってしまう。

 結果、胸の形が良く判ってしまう。

 床に倒れた才人が、コッソリとシルフィードを見詰めている事に気付き、ルイズは後ろから才人の股間を蹴り上げた。

 ひぐ、と喚いて才人は床に転がる。

 ルイズは其の背中にどすんと腰掛けた。

「“先住魔法”が如何に凄いのかって理解ったわ」

 モンモランシーも首肯く。

「そうね。あれだけ大きな身体が、こんなに小さな姿に成っちゃうなんて。而も、何処からどう見ても立派な人間じゃないの。大したもんだわ。こんなの、どんな強力な“水”の使い手にだって無理よ」

 得意気にシルフィードはきゅいきぃと喚いた。

 

 

 

 正体を現し、喋り始めた事でシルフィードと意思の疎通は図り易く成ったのだが……シルフィードもまた詳しい事までは知ら無かった。

「だから喋らなくても事足りると思ってたのね」

 兎に角シルフィードの説明はこうで在った。

 此の部屋に“エルフ”の男が1人いた。

 タバサがとても凄い雪の嵐の“魔法”を唱えた(壁や床の傷は其の時のモノ)。

 “エルフ”は余裕の態度を見せ、避ける素振りすら見せなかった。

 驚くべき事が起こった。

 “エルフ”を包みそうに成った瞬間、嵐は反転して、タバサを襲ったので在る。

 タバサは自分の“魔法”で倒れてしまった。

 シルフィードは起こって壁を突き破って襲い掛かったのだが、呆気無く遣られてしまった。

 どうして遣られてしまったのか、シルフィードには良く判らなかった。

「なのね」

 シルフィードは、どうだと言わんばかりに胸を反らした。

 拙い伝聞では在るものの、何とか様子を皆は理解する事が出来た。

「と言うか“先住魔法”を使ったのかどうかすら怪しいわね」

 ルイズはそう評すると、キュルケも同意し首肯く。

「貴女にしちゃ、良い分析だわ」

「どーゆー意味よ?」

 ジロッと睨むルイズに、キュルケは床や壁を指さして言った。

「タバサの“魔法”以外、此処で攻撃“魔法”は使われて無いわ。一体全体、“エルフ”は何な“先住魔法”を使ったのかしら? 本当に其れは使われたのかしら?」

 其の場の全員は、押し黙ってしまった。訳の理解らない恐怖に、押し潰されてしまいそうに成ったので在る。

 未知の“魔法”を使う、未知の敵……。

 “アルビオン”軍とはまた違う、種類や毛色の恐ろしさ。

 敵が“メイジ”で在れば、未だ一行には対策の立てようも在ったといえるだろう。

 相手が軍隊で在るのならば、交渉する余地も在ったで在ろう。

 だが……“エルフ”は違う。

 噂や伝説が独り歩きするばかりで在り、“トリステイン”人の誰もが、実際に相見えた事は、此の数百年というモノ無かったので在る。

「で、タバサは何処に連れて行かれたんだろう? 彼奴がどう遣って戦って、負けて、捕まったのかは判ったけど、行き場所の手掛かりを見付けなきゃ、話に無らんだろ。兎に角、其の手掛かりを探そうぜ」

 才人がそう言って部屋を出ようとしても、ルイズとキュルケ以外は動かない。

「何だよ御前等? 怖く成ったんじゃないだろうな?」

「エ、“エルフ”は……何て言うか、其の、実際問題として凄く不味いと想うんだ」

 ギーシュが、首を傾げ乍ら呟く。

「彼奴等は、捕らえた人間を食べるって言うぜ。情け容赦無く、女子供まで殺したりするって話だ。残酷なだけじゃ無く、恐ろしく強いんだ。僅か10人で小国を一晩で滅ぼした事も在るらしい」

「何だよ! もう! 此処まで来て怖じ気付く奴がいるかよ! 何のために“ガリア”まで来ったいうんだ? タバサを救けるためじゃねえか! 此処まで苦労して遣って来た甲斐がねえだろ? 先生だって、囮に成って俺達を行かせて呉れたんじゃねえか」

 其れでもギーシュとマリコルヌ、そしてモンモランシーは動かない。困ったかの様に、モジモジとするばかりで在る。

 其の時で在る。

 廊下に通じる扉の隙間に、一瞬影が映った。

 素早く才人はデルフリンガーを握り、構えた。

 次にキュルケが、遠慮無しに“魔法”を撃っ放す。

 大きな炎の玉が、扉に当たり、派手に燃え上がった。

「御止めくだされ! 御止めくだされ!」

 廊下にいた人物の悲鳴が聞こ得て来る。

 聞き覚えの有るキュルケは目を丸くした。

「ペルスラン! ペルスランじゃないの!」

「おやおや、其の御声はツェルプストー様!」

 恐る恐ると、顔を覗かせたのは、オルレアン公屋敷の老執事、ペルスランで在った。

 彼はキュルケを見ると、おいおいと泣き始める。

「再び御逢い出来て嬉しゅう御座います」

「一体、何が在ったの?」

 キュルケが尋ねると、泣く泣くペルスランは語り始めた。

「あの碌で無しの王軍が遣って来たのは、3日前の事で御座います。嗚呼、私は臆病者で御座います。“杖”を持った将校や、恐ろし気な槍を持った兵隊を見る成り、急に怖く成り、奥様を御守りする事も忘れ、壁の向こうに在りまする隠し小部屋に隠れてしまったのです。王軍が引き上げた後も、私は怖くて小部屋から出られませんでした。部屋にはあの恐ろしい“エルフ”がいたからで御座います」

 奥様とはタバサの母親の事で在ると、キュルケは一同に説明をした。

「王軍の連中は、奥様を怪し気な“魔法”で眠らせ、引っ張って行ってしまいました。私は怖くてずっと小部屋に隠れておりました。其の翌日にシャルロット様が遣って来て。“エルフ”と対決されたのです。嗚呼! あの時のシャルロット様の“魔法”と来たら! 私は此のオルレアン家に御仕えして数十年に成りますが、もう、見た事も聞いた事も無い様な威力で御座いました! 壁の向こうに隠れた私まで、冷たさで凍える様で在りました! 其の風の強さと来たら、御屋敷ごと吹き飛んでしまう様で在りましたよ! 然し乍らあの“エルフ”は、シャルロット様のそんな恐ろしい“魔法”を受け切ったばかりか……」

「理解ってるわ。で、其の“エルフ”がタバサを連れて行ったのね?」

「はい。間違い御座いません。“風竜”も倒してしまい、シャルロット様を両手に抱き抱える様にして連れて行きました。嗚呼此の老骨も“魔法”が使えたら! 否、せめて剣を握れる年で在ったなら! むざむざと奥様と御嬢様を王軍などに行き渡しはしなかったものを!」

「タバサを連れて行った先は判る?」

 ペルスランは首を横に振った。

「其れは、判りませぬ……」

「そっか、残念ね」

 キュルケと才人は肩を落とした。

「参ったな。やっぱり足で捜すしかねえか」

「“リュティス”に赴いて、情報屋を片っ端から当たりましょう」

 そんな相談をする2人に、ペルスランは言った。

「ですが、奥様を連行した先なら知っております」

「ふぇ?」

「奥様を連れ去った兵隊が、仲間とこう話しておりました。“アーハンブラ城まで運ぶのか。全く、反対側じゃねえか”と。」

 キュルケはニッコリと満面の笑みを浮かべて、ペルスランの手を握った。

「ツェルプストー様?」

「大手柄だわ! 恥じる事は無いわ、貴男はどんな騎士にも真似出来ない、大きな戦果を齎して呉れたのよ」

「ですが……シャルロット様の居所までは……」

「同じよ。別にする理由が無いわ」

「“アーハンブラ城”って何処だ?」

「“ガリア王国”の東の橋に在る城よ。有名な古戦場じゃないの」

「昔、幾度と無く“エルフ”と遣り合った土地じゃないか。“聖地”解放軍に参加した僕の御先祖様は、其処で“エルフ”に殺られたんだ」

 ギーシュが震える声で言った。

 続けてマリコルヌが同じ様な声で言った。

「僕の御先祖も、最後の“聖地”回復連合軍に参加して、“エルフ”に負けて逃げ帰って来たよ。で、其の御先祖はこう僕達に言い遺した。“ハルケギニア中の貴族を敵に回しても、エルフだけは敵に回すな”とね」

 モンモランシーも眉間に皺を寄せて、語り始めた。

「まぁ、“ハルケギニア”の“貴族”が、“エルフ”と戦争して勝った事は何度か在るけど……代表的成のは“トゥールの戦い”ね。“ガリア”と“トリステイン”の連合軍が、“エルフ”軍と“サハラ”西部で激突して、勝利したの。でも、其の時連合軍は7,000……」

「“エルフ”はたった2,000じゃなかったか?」

「本当は500らしい。余りにも格好が付かないんで、報告では数倍に成ったのさ」

 マリコルヌの発言を、ギーシュが訂正した。

「詰まり“エルフ”に勝利するには十数倍の兵力が必要という事だ」

 呆れた声で、キュルケが言った。

「別にあたし達が“エルフ”と退治するって決まった訳じゃ無いでしょう?」

「そうだ。キュルケの言う通りだ。居場所も判ったんだ。俺は行くぜ」

 歩き出した才人とキュルケを、4人はジッと見詰めていたが……仕方無いといった様子で追い掛けた。

 シルフィードも嬉しそうにきゅいきゅいと喚き乍ら後を追う。

 ペルスランが、そんな一同に深々と頭を垂れた。

「御願いします! 皆様方! 何とぞ奥様と、御嬢様を御救い下さいますよう!」

 任せといて、と、キュルケが手を振った。

 

 

 

 ルイズは、アッサリと歩き出した才人を、(キュルケが向かうのは理解出来るわ。だって2人は親友じゃない。でも、サイトはそうじゃ無いわ。タバサは何度も危機を救って呉れた恩人ではあるけど……それなのにサイトのあの勇気……あれだけ“エルフは怖い”と言われても、怯えた様子1つ見せない。“サーヴァント”としての力を持っているからなの? 其れとも、やっぱり、あの勇気は“ガンダールヴ”として……)と不安気に見詰めた。

 才人は振り返った。

「どうしたルイズ? 置いてくぞ」

 ルイズは首を横に振り、不安を振り払い、才人を追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズとサイトさん達のあの行動は、貴方達の入れ知恵かしら?」

 “トリステイン”の王宮に在る女王の執務室にて、アンリエッタは不安げに俺とシオンへと問い掛ける。

「どうしてそう想うの? アン」

「ねえ、シオン、セイヴァーさん……私の判断、行動は間違っているのかしら?」

 そんなシオンの質問に対する質問に答える事なく、アンリエッタは更に疑問を口にした。

 やはり此の少女は、歳相応に弱いので在る。女王という立場、そして想い人の喪失、自覚の無い才人へと募る想い、そういったモノなどが、彼女を押し潰そうとしているのだろう。

「間違い何かじゃないさ……御前は間違っちゃいない。ただ、考えや立場が違っただけの事……才人にも“アルビオン”で言ったんだが……“間が悪かった”だけの事だ」

「……“間が悪い”?」

「そうだ。才人にも言ったがな……“御前自身の選択も―――御前を取り巻く環境も―――御前が良しとして、然し手に入らなかった細やか未来の夢も。 其れ等全てが、偶々其の時だけ、噛み合わなかっただけ”。御前の“人生は其れだけの話”だ。御前も悪い、俺を含め周囲も悪い。“要は、全てが悪かったのだ。人生とはそんなモノだ。全てが悪いのだから、悲観するのは馬鹿馬鹿しい”」

「何でそんな事を……非道い……あんまりじゃないですか……」

 俺の言葉が契機か、アンリエッタは遂に我慢の限界を迎え、泣き出してしまった。

 大声は出さずに嗚咽の程度では在るが、其れでもやはり堪え切る事が出来なかったので在ろう。

 アンリエッタが泣き出す様子を目にし、シオンは顔を伏せる。彼女もまた、アンリエッタと同じ気持ち成ので在ろう。

 眼の前で泣き出す、という事は、其れだけ信用し、信頼して呉れている証でも在るといえるだろう。気持ちを吐き出し、心情を吐露し、打つけて呉れているのだから。

「そうだな。確かに非道い話だ。其の非道い話では在るが、非道いだけ、と言うモノだ。“悲しいが、悲しいだけだ”。其れとはまた別の所に喜びもまた在る。“人生とは無意味と有意味の鬩ぎ合いだ。成のでこう想うのだ若人” 。“唯間が悪かったのだと。全ての物事は大抵其れで片が付く”。“騙されたと思って口にしてみるが良い”。“気持ち、心が軽く成る”ってな」

「……シオン、セイヴァーさん……他国の女王と其の客将、“使い魔”に頼む事では無いのですが」

「大丈夫だよ、アン。理解ってる。皆、無事に帰って来る。そうさせる。だよね、セイヴァー?」

「其れが御前達の望みで在るなら、其れに応えるのが俺の仕事だ。誰の代わりにでも成れる、代わりなど幾人も存在するだろう俺では在るが、此の命と力、今だけは御前達のモノだ。此の時だけでは在るが、代わりなど利か無いという事を理解させて遣ろう」



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アーハンブラ城

 元々“アーハンブラ城”は、砂漠の小高い丘の上に、“エルフ”が建築した城砦で在る。

 其れを多大なる犠牲を払って、“ハルケギニア”の“聖地回復連合軍”が奪取したのは、今を遡る事1,000近く前の事で在った。

 “聖地回復連合軍”は、其の先に国境線を制定し、“エルフ”に「此処は我々の土地だ」と告げたので在る。結果、其処が国境線に成ったので在った。

 嘗て砂漠に暮らす“エルフ”に国境という概念は無かった。ただ、人間という生き物が、国境を決めねば何処までも貪欲に土地を切り取り我が物にする事を識った“エルフ”は、其の人間達が引いた線を、国境として渋々認める事にしただけで在るのだ。

 其の城砦は、幾度と無く“エルフ”の土地に侵攻するための拠点と成ったため、何度も“エルフ”の攻撃を受ける事に成った。其の度に、取ったり取られたりを繰り返し……数百年の戦いで、“聖地回復連合軍”が其の主と成リ、現在に至るので在る。城砦の規模が小さいために、軍事上の拠点としては不適切で在り、拠点から外され廃城と成っていたのだが……其の御蔭で結果、逆に栄える事に成った。

 “アーハンブラ城”が建つ丘の麓にはちょっとしたオアシスが広がっている。其のオアシスの周りには小さな宿場街が出来始め……“アーハンブラ城”周辺は軍事拠点から、砂漠を旅する旅人が立ち寄るちょっとした交易地に成ったので在った。

 “エルフ”が腕を揮った“アーハンブラ城”は見事な出来栄えだといえ、幾何学模様の細かい彫刻に彩られ、夜には双月の明かりを受けて白く光り、砂漠を旅する人々に幻想的な長めを提供している。

 “ハルケギニア”の人々にとって、そんな“アーハンブラ城”周辺は、異国情緒溢れる美しい場所で在るといえるだろう。

 さて、其の美しい小さな宿場街の、小さな居酒屋“ヨーゼフ親父の砂漠の扉亭”は、最近“アーハンブラ城”の噂で持ち切りで在った。

 王軍の一部隊が遣って来て、城に駐屯し始めたからで在る。

 “エルフの土地(サハラ)”で陶磁器を買い付けて来た証人が、店の主人に囁く様に言った。

「“アーハンブラ城”に最近遣って来た兵隊だが……何で彼奴等が来たか知ってるかい? 親父」

 旅から旅へと渡り歩き、此処で居酒屋を構える事に成った苦労人で在る親父は、シチューの味を見乍ら首を横に振る。

「知らんね」

「此の辺の連中は、何だ、宝物でも発掘しに来たんじゃねえか、何て噂してる様だが……本当は違うらしいぜ」

「そうかね」

 親父は興味の無い仕草を崩さないでいる。余計な事に首を突っ込まないのが、長生きする秘訣で在ると知っているからこそで在った。

「なあ。一杯奢って呉れたら、其の話をして遣っても良いぜ?」

「興味無いね」

 只酒に有附き損ねて、行商人の男は鼻を鳴らす。

 そんな男の隣に、砂塵避けのフードが付いたローブに身を包んだ女が腰掛ける。

「素敵な御話じゃない?」

 フードの隙間から覗く褐色の肌と赤い唇が、相当の美人で在ると想わせて来る。

 行商人はゴクリと唾を呑み込む。

「御主人。此の方に一杯差し上げて?」

 男の盃にエールが波々と注がれる。

「有り難えね。ひひ」

「じゃあ聴かせて貰いましょうか」

 

 

 

 テーブルに戻って来たキュルケを、一同は拍手で迎えた。旅芸人衣装の上に、皆して御揃いの砂漠用のローブを羽織っている。

 一行が此の“アーハンブラ”に辿り着いたのは、昨晩の事で在る。

 オルレアンの屋敷から、徒歩と街道を行く駅馬車を乗り継ぎ、1週間掛かったので在る。“トリステイン”は“ガリア”へ何の警告も発しなかったらしく、旅芸人姿の一行が道行く人々に怪しまれる事は無かった。いや、途中何度か警邏の騎士には正体を怪しまれはしたものの、世間を良く知るキュルケの機転で難を逃れたので在る。

「全くあんた達ってば……あたしにばっかり聞き込みさせて、どういう積りよ?」

「だって、君が1番上手いじゃないか。適材適所ってね」

 ギーシュが尤もらしく首肯いて言った。

「凄いな……次から次へと情報集めちまうんだから」

 と、感心した声で才人が言った。

「ホントどうにかしなさいよね。あんた達。ったく“トリステイン”の“貴族”ってば、自尊心ばっかり高くって、噂を集める事すら出来ないんだから」

 モンモランシーは、キュルケの其の言葉に恥ずかしそうに顔を伏せたものの、ルイズの目は吊り上がる。

「出来るわ。私、こないだ“トリスタニア”で酒場の給仕まで遣ったじゃない」

「あのバレバレだった奴ぅ?」

 ルイズは頬を膨らます。

 あの時、ルイズは、キュルケに散々な目に遭わされてしまったので在った。

 が、今は其れどころでは無い状況で在るために、ルイズは仕方無くといった様子で口を閉じた。

「で、何が判った?」

 キュルケから散々奢られて知ってる限りの事を吐き出させられた先程の行商人は、酔い潰れてカウンターに突っ伏して寝てしまっている。

 人目が在るために、一行は作戦会議の場所を2階の部屋へと移した。

 部屋に入る成り、キュルケは聴いた情報を話し始めた。

「やっぱり此処の城で間違い無い様だわ」

「と言うと?」

 才人が先を促す。

「あの商人が、駐屯している兵隊から聞いたらしいの。自分達が遣って来たのは、連れて来た貴人を守るためだってね。話によると没落した“王族”らしいとか。そして肝心なのは、其の貴人が親子って事よ」

「詰まりタバサと御母さんって訳か」

「そう想って良いんじゃない?」

 一同は、真剣な顔に成った。

「只今」

 部屋の扉が開いて、マリコルヌが入って来る。

「“遠見”の“呪文”を使って、城を調べて来たよ」

 “風系統”の“メイジ”で在るマリコルヌは、“魔法”を使って遠くから城を調べていたので在った。

 目立つために、シルフィードも使う事は出来ない。

 其のシルフィードは、未だ人の姿に化けた侭、疲れたので在ろうベッドで寝息を立てている。人に化けていると“精神力”を激しく消耗するので在った。

 マリコルヌは丁寧にスケッチした羊皮紙をテーブルの上に広げる。

 其処には“アーハンブラ城”の見取り図が描かれている。勿論建物の内部までは判らないのだが、中庭と城壁、天守や塔などが、キッチリと描かれていた。

「苦労したよ」

「大したもんだな……」

 ギーシュが驚嘆の声を上げる。

「駐屯してる“ガリア”軍は一個中隊どころじゃ無いな。二個中隊はいたよ。兵隊が300人、“貴族”の将校が10人ちょいってところかな」

 かなりの数で在るといえるだろう。

「成る程。有り難う。さてと、得られる限りの情報は集まったわね」

 すっかりキュルケがリーダーといった風で在る。

 特殊な計画では、プライドが高く正攻法しか知らないで在ろう“トリステイン貴族”に出番は無いといえるだろう。

「で、どう遣ってタバサ達をあの城から救い出すんだ?」

「僕達は殆ど“メイジ”だ。奇襲すれば300くらいだったら何とか成るんじゃないか? こっちにはシルフィードや、110,000を止めたサイトだっているし……」

 ギーシュがそう言ったら、キュルケは首を横に振る。

「駄目よ。そんなドンパチ遣ったら直ぐに何処からか援軍が飛んで来るし、タバサに危害が及ぶかもしれない。タバサが別の場所に連れて行かれちゃう可能性も在るわ」

「じゃあどうするんだい? 兵隊全員に“魔法”を掛けて眠って貰うとか?」

「其の通りよ」

 キュルケは悪戯っぽく微笑んだ。

「そんな事は不可能だよ! 向こうは、30人からいるんだぜ? “スリープ・クラウド”でも唱えようものなら、一発で囲まれてしまうよ!」

「眠らせるのは、“呪文”だけじゃ無いわ。モンモランシー」

「なあに?」

「“眠り薬(スリーピング・ポーション)”を調合出来る?」

「出来るけど……どう遣って呑ませるのよ? 飲水なんかに仕込んでも、直ぐにバレちゃうわよ」

「作戦が有るのよ。良いから強力な奴を、出来る限り沢山調合して。ギーシュ、貴男は此の辺りで売ってる御酒を、買い占めて来て頂戴」

「酒に混ぜるのか? でも、兵隊が一斉に呑んで呉れるもんかね?」

「御託は良いから、直ぐに行って。ほら御財布よ。マリコルヌは、引き続き城砦の様子を窺って頂戴」

「理解った」

 飛び出して行こうとする一同に、キュルケは言った。

「で、“エルフ”を見たら……」

 3人はびくっ! と震えた。3人にとって、聞きたくない単語で在ったのだ。3人は勇気を振り絞って、頭から其の単語を追い出していたので在る。

「逃げて。絶対に戦おうなんて想わ無いで。忘れちゃいけないのは、あたし達は決して戦いに来たんじゃ無いって事。“エルフ”は勿論、“ガリア”軍ともね。あたし達は救出に来たのよ。貴方達が傷付く様な事に成ったら、本末転倒だわ。だから“エルフ”に限らず、危険を感じたら逃げて。其れは臆病でも、何でも無い事よ」

 3人は、理解った、という様に首肯いた。

「あたしの親友を救い出す作戦に協力して呉れて有り難う。貴方達の勇気に感謝するわ」

 キュルケは丁寧に一礼した。

 そんな殊勝なキュルケを見るのは初めてだったために、3人は怯えた顔を改めて真剣な顔付きに成った。

 3人が出て行った後、キュルケは才人とルイズに向き直る。

「さてと……」

「俺達はどうするんだ? 何すれば良い?」

「休んでて。貴方達は切り札よ。英気を養って頂戴」

「切り札ってどういう意味?」

 アッサリとキュルケは言った。

「“エルフ”と戦って貰うわ。“ガリア”軍は騙せても、恐らく“エルフ”は騙せない」

「な!? 何よ其れ!? 私達は傷付いても良いって事? 若しかしたら死ぬかもしれないじゃない! 私達は死んでも良いって言うの? 切り札じゃ無くて、捨て駒じゃない! さっすがツェルプストーね! 私が其処まで嫌いなの!?」

 キュルケは真顔で言った。

「違うわ、ルイズ。嫌ってるんじゃ無くって、認めてるのよ。多分、あたし達では“エルフ”には勝てない。可能性が在るのは、貴方達の伝説だけよ」

 ルイズは、目を丸くした。

「知ってたの?」

「知らないと想ってるのは、いつだって自分だけよ。と言うかあたし達の前で唱えて於いて、其の言い方は無いんじゃない?」

 ルイズは顔を赤くした。

「先祖に非礼は謹んで御詫びするわ。此の非力な私めに貴女の聖成る御力を御貸しくださいますよう」

 キュルケは膝を突いた。

 流石に、ルイズは慌てた。

 ラ・ヴァリエールに謝罪するフォン・ツェルプストーは、其の長い抗争の歴史の中で初めてで在るといえるだろう。

「あ、頭を上げなさいよ! 何なのよもう! これで断ったら私が悪者じゃないの! と言うか、私はもう“貴族”の名前は捨てたのよ! ただの“ゼロのルイズ”よ。だから、あんたの言う事利いたって、別に構わ無いわよね」

 横を向いて、恥ずかしそうな口調でルイズは言った。

「へ? あんた“貴族”捨てたの?」

「そうよ。マントも姓も、陛下に御返しして来たわ」

「あらら! じゃあタバサを助けたら、“ゲルマニア”に来なさいな! メイドとして雇って上げてよ?」

「巫山戯無いで!」

 キュルケは感極まったらしく、ルイズをギュッと抱き締めた。

 才人はそんな2人を、少し眩しい気持ちで見詰めた。其れから、体力を温存するために、ベッドへと向かった。

 才人には、自身が“サーヴァント”で在る事を含めて考えても“エルフ”に勝てる自信は無かった。拮抗するか、負けるかの何方かで在るとしか想えないので在る。というよりも、どの様にして戦えば良いのか判らないでいるので在った。

 考えれば考える程、才人の中で不安は大きく成って行く。

 不安は多く成って、才人を押し潰しそうに成る。

 才人は、だが……キュルケと友情? を育みつつ在る様に想えるルイズを見て居ると、そんな気持ちを抱いた事が恥ずかしく成ってしまった。

「さてと、じゃあ俺は御言葉に甘えてちょっと寝るよ」

「期待してるわよ。サイト。ジャンがいつも言ってたわ。サイト君達は、此の世界を変える人間だって。あたしも其れを信じてる。だからタバサの“運命”も、変えて上げて頂戴」

 才人は勇気を奮って、無理して微笑みを浮かべた。

「任せとけ」

 才人がベッドに潜り込むと、先にベッドで寝ていたシルフィードがパッチリと目を開けた。

「きゅい」

「何だ御前、起きてたのか」

 シルフィードは青い髪の下の、これまた青い瞳を輝かせて、「有り難うなのね」、と才人に御礼を言った。

「御姉様を救けるた、えに、皆が頑張って呉れてるのね。すっごく感動なのね。きっと御姉様、皆が救けに来たと知ったら、凄く喜ぶのね」

「…………」

「御姉様は喋らないから、何だか冷たく見えるけど……ホントはとっても優しいのね。シルフィは御姉様の事が大好きだけど、負けないくらい御姉様もシルフィの事が好き。御姉様は何も言わないけど、其のくらいの事は伝わって来るのね」

「うん……」

 シルフィードは、才人に少し元気が無いという事に気が付いた。

「どうしたのね?」

「いや……御前達がちょっと羨ましく成ってさ」

 同じ“使い魔”と主人でも、才人とルイズは未だ理解り合う事が出来ていないといえるだろうか。

 御互いの気持ちなど、通じ合っていないので在る。

「元気無いのね。慰めて上げのね。でも、どうすれば良いのか判んないのね」

 シルフィードはきゅいきゅいと喚き乍ら、才人を抱き締めた。

 柔らかいシルフィードの身体に抱き締められ乍ら、(嗚呼、いつに成ったらルイズは俺の方を向いて呉れるんだろう)と才人はボンヤリと想った。

 才人は、(立派に成れば……ちょっとは自分の方を振り向いて呉れるんじゃないかって、そう想ってた。でも……そんな事は無いみたいだ。何せ“トリステイン”の御城で捕まっていた時、好き……って言おうとしたら、“言わ無いで!” 何て怒鳴られたくらいだもんな。確かに俺も悪い。シエスタにデレデレしてしまうし、姫様の顔を見ればドキドキしてまうしな。其れは其れだけの魅力を秘めている以上、仕方が無いだろ。男の性だ。でも、俺がいつだって好きと言っているのはルイズだけじゃねえか。多分……ルイズは恋する余裕なんて無いんだ)とも想った。

 真面目なルイズ。

 己の理想に拘るルイズ。

 才人は、(“使い魔”の俺に、“御褒美よ”、と言って、キスして呉れたり、其の、御胸を触っても怒らなかったり、と言うのは……別に傲慢だからじゃ無いんだろうな。シルフィードが人間の自分をどう遣って慰めれば良いのか判らない様に……年頃の少年で在る俺に、何な御褒美を上げて良いのか判ら無いんだろな。きっと、どう遣って感謝の気持ちを伝えれば良いのか判ら無いからだだろうな。其れ成のに俺ってば。いっつも勘違いして……ルイズが俺に惚れてるなんて!)と想い直し、穴が在ったら入りたい気持ちに成ってしまった。

 才人は、(俺ってば、調子に乗って見っともない。ああ、見っともねえ!)と想った。

 自身の理想を貫き通すために、あれだけ心酔していたアンリエッタにマントを返してしまったルイズ。真面目で、気高いルイズ。

 そんなルイズだからこそ、才人は好きに成ってしまったのかもしれないだろう。

 才人は、(ルイズみたいに自分の生き方という事にトコトン拘る人間は、少なくても俺が生まれた世界で出逢った人達の中にはいなかったなあ。そして、こっちの世界にも……いつかルイズが、自己の理想とやらを成就出来たら、其の時初めて誰かを好きに成れるんじゃないか? 其の時側に居るのは俺だと良いな)と想った。

 才人は蛮勇を発揮して、大の字に成って目を瞑る。(ルイズの理想に叶うためには、怖じ気付いたところなんて、誰にも見せられない)と考えた為で在る。

「嗚呼……間違ってるかもしれないけど……こう言うのが、“間が悪い”って事だったのかもなあ……」

 

 

 

 ベッドの上に大の字に成って笑みを浮かべる妙な才人を見詰め、(あんた“エルフと戦え”って言われてるのに、どうして怯えないのよ? どうして嫌がらないのよ。嗚呼、やっぱりサイトって“使い魔”として勇気を与えられてるんじゃないの?)とルイズは更に不安が大きく成った。

 ルイズは深く切ない気持ちに成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夕方……。

 “アーハンブラ城”の城門の前に立ち、警備を行っていた1人の“ガリア”兵が、大きな欠伸をした。

 隣に立っていた兵隊が、そんな1人を窘める。

「おい」

「ん? ああ……」

「確り門番してねえと、隊長にドヤされちまうぜ?」

「ミスコール男爵か? 大丈夫だよ。彼奴はただの色惚けさ」

「違うよ。そっちじゃねえ。人間じゃ無い方さ」

 欠伸をしていた兵隊は、急に眠気が吹っ飛んでしまったのだろう、首をフルフルと横に振った。

「おい、軽々しく名前を呼ぶんじゃねえ! くわばらくわばら……おお、“始祖ブリミル”よ。我が魂を守り給え……」

「俺だって喰われるのは御免だぜ。だから名前は言ってねえじゃねえか……しっかし、今日はどう成って遣がるんでぇ。昼間、街に飯を食いに行ったらよ、酒は出せねえと来たもんだ」

「はぁ? どういうこった?」

「何処ぞの誰かが、宿場街の酒を買い占めたんだと。其の御蔭で、何の酒場に行っても酒がねえ何て巫山戯た事に成っちまってる」

「此の退屈な砂漠のど真ん中で、唯一の気晴らしじゃねえか! ったく、何処のどいつがそんな碌でも無い事を……」

 そんな会話を交していると、宿場街に続く坂道を一台が上がって来るのが2人には見えた。

「何だありゃ?」

 荷車を引いているのは、派手な旅芸人の格好をした壇上が7人程。台車には名一杯樽が積まれているのが見える。

 門の前で、荷車は止まった。

 兵隊は槍を構えて一行に尋ねる。

「何だ御前達は?」

 ボリュームの在る身体を露出度の高い踊り子衣装に包んだ赤毛の女が、優雅に一礼した。

「旅芸人の一座で御座いますわ。兵隊さん」

 キュルケで在る。

「見れば判る。此方は街道じゃ無いぞ」

「知ってますわ」

 キュルケは色っぽい流し目を送る。

 兵隊達は、まるで一瞬で、“サキュバス”にでも魅入られたかの様に成ってしまった。

「私達は御楽しみを売りに来たんですの」

「御楽しみ?」

 兵隊達は顔を見合わせ、其れから荷台に積んだ樽の正体に気付く。

 1人が近付いて、樽の香りを嗅いだ。

「こりゃあ酒じゃねえか!」

 1人が憎らし気にキュルケを睨んだ。

「買い占めたのは御前達か!?」

「そうですよわ」

 キュルケは兵士に撓垂れ掛かった。

 キュルケの色香で、兵士の顔が情け無い程に崩れて行く。

「怒ら無いで下さいな。格好良い兵隊さん。あたし達も、生きるのに精一杯なのよ。“エルフの土地(サハラ)”を巡業して来たんだけど、あのケチな“エルフ”ったら、全くあたし達の芸術に御金を払って呉れないの」

「“エルフ”に踊りが理解る訳ねえだろ!」

 兵隊達は大笑いした。

「でしょ? だからあたし達は、あたし達の芸術を理解して呉れる御客さんが必要という訳。勿論、御酒と一緒にね?」

「理解ったぞ。御前達、唯、酒を売りに来た訳じゃ無えな? 何か怪しい事を企んでるな?」

 荷車の周りに突っ立った一同は、びくっ! と身を硬くした。

「序に踊りも売ろうってんだ。そうだろ?」

 キュルケは特大の笑顔を浮かべて言った。

「其の通りよ。あたし達の御酒に、街よりちょっと高い値段を付けて呉れたら、踊りをサービスして上げる。其れでどう?」

「度胸の有る女だな。気に入った。御前達の商売の手伝いをして遣ろう」

 上官に報告しに兵士の1人がすっ飛んで行く。

 キュルケは振り向くと、得意気に髪を掻き上げる。

 其の鮮やかな手並みに、一同は拍手した。

 

 

 

 才人達は、此の城に駐屯する部隊を纏める10人程の“貴族”に引き合わされた。

 城のホールに入って直ぐ右隣の客間を、士官室として使っている様だった。

 隊長はミスコール男爵と云う40過ぎの“貴族”で在った。

 彼は一目見成りキュルケを気に入ったらしく、中庭で慰問会開催を許可した。

「“ゲルマニア”の女は、商売上手だな」

 キュルケが酒に付けた値段を聞いて、ミスコール男爵は笑みを浮かべた。

「其の分の踊りと芸は披露いたしますわ」

 ミスコールは、ふむ……と椅子から身を乗り出し、舐め回すかの様にしてキュルケの肢体を眺めた。ミスコールの頭は禿げ上がり、如何にも好色そうな雰囲気を漂わせている。

「良かろう。金は良い値を払おう。然しだな、御前達が善からぬ事を企んでないかどうか、確かめる必要が在るな……此方人等、陛下から貴重な軍を預かっている身でな……」

「御疑いなら、個人的にあたしの踊りを披露して差し上げますわ」

 キュルケが流し目を送り乍らそう言うと、ミスコールは目を細めた。

「かと言って、兵共の娯楽を取り上げては士気低下の懸念がある。芸が終わったら、私の部屋に来い。直接取り調べる」

 周りの“貴族”が、不満そうな様子を見せる。

「これも隊長の職務のうちだな。あっはっは!」

 大笑いする隊長に向かって、キュルケは妖艶な笑みを浮かべた。

「では、私達は早速準備をさせて頂きますわ」

 部屋を出て行こうとするキュルケを、ミスコールが呼び止めた。

「其の前に、御前達が運んで来た酒を一杯貰おうかね」

 モンモランシーの顔が青く成る。

 既に酒樽にはモンモランシーが調合した“眠り薬(スリーピング・ポーション)”が混ぜて在るので在った。此処で彼に仕込んだ眠り薬に気付かれてしまっては、計画は台無しで在る。

 然し、キュルケは動じる事も無く、樽を1個運んで来させるとグラスに注いだ。

 一同は行息を呑む。

「どうぞ」

 ミスコールはグラスに鼻を近付け、香りを嗅いだ。

 モンモランシーは緊張の余り倒れそうに成った。

 彼女が調合した“ポーション”は無味無臭で在るのだが、“ディクト・マジック(探知)”でも唱えられた日には一発で在るのだから。

 ミスコールは眉間に皺を寄せて、首を横に振った。

 キュルケを除いた一同は、バレてしまったと想い、氷の様に固まった。

「安物だな。“貴族”の口には合わん。全部、兵達に呉れて遣れ」

 そう言ってミスコールは、床にグラスの中のワインを捨てた。

 士官室を辞してホールに出たキュルケに、ソッと才人が呟いた。

「ヤバかったな……」

「あんなの序の口よ。本番はこれから。でも、あの中に“エルフ”はいなかったわね」

「若しかしたら、此処には居無いんじゃ成いのか?」

「そうだったら良いんだけどね」

 と、余り期待して居無い口調でキュルケが言った。

 

 

 

 “アーハンブラ城”の中庭には、30人から来る兵士が集まっていた。

 踊りは未だ始まら無いというのに、兵士達はかなり盛り上がっている様子を見せている。

 砂漠の真ん中の此の廃城で、訳の理解らぬ警護任務を命じられてしまい、退屈仕切っていたので在る。仲間外れにでもしてしまうと暴動が起き兼ね無い程に不満が溜まってしまっていたために、ほぼ全員が集められたので在った。宰相の警備の兵だけを残し、ほぼ全員で在るといえる。

 隊長のミスコールは、“エルフ”と共同で此の警護任務に、内心腹を立てていた。殆どの“ガリア貴族”がそうで在る様に、彼もまたジョゼフに対して侮りと不満の両方を抱いているので在る。ハッキリと言ってしまうと、嫌っているので在る。

 副官が、兵の参加は半分ずつにしましょう、と提案したので在るが、ミスコールは首を横に振った。

「あの“無能王”は、儂をこんな所に追い遣ったのだ。仮にもミスコール家は、“ガリア”有数の武門だぞ。こんな田舎で“エルフ”と元公爵夫人の御守りをさせるとは……気紛れにも程が在る。全く、誰があんな子供と老婆を今更狙うものか。構わぬ、兵全員を出席させろ」

 そう言ってミスコールは、中庭に引き出した豪華な椅子にどっかりと腰掛けた。

 2つの月が、雲に隠れた瞬間……。

 松明を持った、痩せた少年と小太りの少年が現れた。

 出て来たのが男だったので、兵隊達の間からは野次が飛ぶ。

 2人は用意された篝火の櫓に松明を放り込む。

 其れから2人は楽器を構えた。

 小太りの少年がポンポコと太鼓を叩き出す。

 痩せた容姿の整った少年は、笛を取り出すとピーヒャララ、と吹き始めた。

 余りにも下手糞な演奏だったために、野次は更に激しく成る。

 然し、暗闇の中から踊り子の女達が現れた瞬間、野次はピタリと止んだ。

 踊り子の少女は全員で4人。

 燃える様な赤い髪のグラマーな少女が先頭で在る。炎に照らされた顔に、妖艶な笑みを浮かべている。

 次に金髪の髪をロールさせた少女。彼女は、恥ずかしそうに頬を染めていた。

 其の次は桃色のブロンドの、未だ子供にしか見え無い感じの少女で在った。怒りに引き攣った顔を真っ赤にさせていた。

 最後は長い青い髪の麗人で在る。無邪気な、満面の笑顔を浮かべて居る。

 兵士達の間から、拍手や歓声や口笛が盛んに飛んだ。

 宴が始まったので在る。

 

 

 

 タバサが目覚めると……其処は、母のベッドの上で在った。

 本を片手に突っ伏した形で、タバサはベッドの上に横たわっている。

 隣では、母が安らかな様子で寝息を立てている。

 どうやらタバサは、“イーヴァルディの勇者”を朗読しているうちに、眠く成って寝てしまったので在ろう。

 母の目が、小さく開いた。

 暴れるかと想われたが……母はジッとタバサを見詰めた侭動かない。

 タバサは、(若しかして正気を取り戻したのだろうか?)、との喜びが胸に広がり、母に呼び掛けた。

「母様」

 然し、母は何の反応も見せない。ただ、タバサをジッと見詰めるのみで在る。

 だが、タバサには其れだけで十分で在った。

 タバサは鏡台に置かれた人形を見詰めた後、小さく微笑んだ。

「シャルロットが、今日も御本を読んで差し上げますわ」

 本のページを捲る。

 タバサは朗読を開始した。

 

――“イーヴァルディは竜の住む洞窟まで遣って来ました。従者や仲間達は、入り口で怯え始めました。猟師の1人が、イーヴァルディに言いました”。

 

――“引き返そう。竜を起こしたら、俺達皆死んでしまうぞ。御前は竜の怖さを知らないのだ”。

 

――“イーヴァルディは言いました”。

 

――“僕だって怖いさ”。

 

――“だったら正直に成れば良い”。

 

――“でも、怖さに負けたら、僕は僕じゃ無く成る。其の方が、竜に噛み殺される何倍も怖いのさ”。

 

 居室にビダーシャルが入って来た時も、タバサは本から顔を上げなかった。

 母は“エルフ”が部屋に入って来ても怯えた様子見せない。此の10日間程の間、ずっと毎日、タバサは母に“イーヴァルディの勇者”を読み聞かせていた。他の本では、昔の様に取り乱すためで在る。だからタバサは、何度も同じ本を読み返していたので在る。何度も声に出して読んでいたために、ほぼ暗記してしまったくらいで在る。

 ビダーシャルは、本を読むタバサを見ると、僅かに微笑を浮かべた。

「其の本が甚く気に入った様だな」

 タバサは答え無い。

 今では、ビダーシャルが入って来ても、特に用事の無い限り、タバサは朗読を止め無い様に成っていた。

「旅芸人の一座が慰問に来たらしい。其処の中庭で芸を披露するそうだ。我には全く興味が無いが、御前はどうだ? 見物したいのなら、此の部屋を出る事を特別に許可しよう」

 タバサは顔を上げると、首を横に振った。ビダーシャルは僅かに硬い声に成り、タバサに告げた。

「薬が明日、完成する」

 ページを捲るタバサの指が止まる。

「御前が御前でいられるのは、明日までだ」

 ビダーシャルが此の部屋から出る許可を与えたのは……詰まりは、刑の執行前の最後の慈悲という訳で在ろう。

「詰まらぬ余興だが、少しでも慰めに成るのではないかと考えた次第だ」

「情けは要らない」

 短く、タバサは言った。

 ビダーシャルは、そうか、と呟くと、部屋を出て行った。

 最期の時間は、せめて母と過ごしたい。そうタバサは考えたので在る。

 再びタバサは、“イーヴァルディの勇者”に目を落とす。

 

――“イーヴァルディは竜の洞窟の中に入って行きました。付き従う者は在りませんでした。松明の灯りの中に、苔に覆われた洞窟の壁が浮かび上がりました。沢山の蝙蝠が、松明の灯りに怯え、逃げ惑いました”。

 

――“イーヴァルディは怖くて泣きそうに成りました。皆さんが、暗い洞窟にたった1人で取り残されたしまった事を想像して下さい。どれ程恐ろしい事でしょう?”

 

――“而も此の先には、恐ろしい竜が潜んでいるのです!”

 

――“でもイーヴァルディは挫けませんでした”。

 

――“己に何度も、イーヴァルディは言い聞かせました”。

 

――“僕なら出来る。僕は何度も、色んな人間を助けたじゃないか。今度だって出来るさ。良いかイーヴァルディ。力が有るのに、逃げ出すのは卑怯な事なんだ”。

 

 何度も読み返して行くうちに、タバサは此の本のタイトルに対し幼い頃に感じた矛盾が、解けて行く様な気がした。

 “イーヴァルディの勇者”とは、どういう事で在ろうか? という疑問で在る。

 “イーヴァルディ”という単語は地名では無く、作中の少年の名前を指す。そういった事からも、タイトルは勇者“イーヴァルディ”と表記され、伝聞される筈で在る。

 幼い頃のタバサは、嘗てそんな疑問を抱いたので在った。

 だが、今のタバサには、其のタイトルの理由と意味を理解する事が出来た。

 “勇者”という単語は、“イーヴァルディ”自身を指してはいないので在る。

 彼の心の中に在る衝動や決心など、そんな概念を、総じて“勇者”という単語で指し、意味しているので在った。

 タバサは幼い頃……此の本を読み乍ら憧れたもので在った。

 皆、此の本を読んで“イーヴァルディ”の様な心の中に住む“勇者”に従い、“英雄”に成る事に憧れたで在ろうが……タバサは違った。

 タバサは、“竜”に囚われた少女に憧れたので在る。勇者に助けて貰う少女に成りたかったので在る。楽しい乍らも、退屈な日常から連れ出して呉れるで在ろう勇者を、タバサは待ち侘びていたので在る。

 作中の少女と、自身の境遇を照らし合わせ、タバサは心の中で苦笑した。

 タバサは、(何だ、自分は此の少女に成れたでは成いか。今現在、自分は囚われの身に成っている。本と違うのは、自分には救けに来て呉れる勇者など存在しないという事だ。今も、昔も……でも、其れで良い。自分はずっと1人で遣って来たのだから。誰にも頼らず、心を許さず、全てを1人で行って来たのだから……でも……此の“イーヴァルディの勇者”を読んでいると、想像してしまうのだ。自分を救い出して呉れる、勇者を。此の禍々しい“洞窟(アーハンブラ城)”から救い出して呉れる勇者を……)、と考え、独り言ちた。

 心を失うで在ろう前の最期の時だからこそ、タバサは素直に、そう云った事を感じて居るのかもしれないといえるだろう。

 明日には失く成ってしまうで在ろう心を、タバサは愛しく感じた。幾重にも冷たい雪風で覆った心を、タバサは初めて“愛”しいと感じたので在る。

 タバサは、傍らの母の手を握り締める。

 小さく、タバサは震え始めた。

 が――。

「――あれ?」

 タバサは、自身の右手の異変に気が付いた。

 タバサの左手には、模様の在る赤い痣がハッキリと出来ていた。



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イーヴァルディの勇者

 キュルケの踊りは見事なモノで在ったのだが、対してルイズとモンモランシーとシルフィードの其れはやはりどうにも不器用で在るといえた。

 キュルケは単純なリズムに合わせ、自らのダンスで旋律を自ら作り出して行く。

 後ろの3人はというと、其れを見て何とか真似をしようと動くのだが、どうにも様に成ら無い様子で在る。

 然し娯楽に飢えている兵隊達には、其れでも十分に満足の行くモノで在ったといえるだろう。若い娘が、胸と腰とを布で隠しただけの非れも無い格好をして、踊っているのだから。

 運ばれた来た酒も、どんどんと空に成って行く。

 ボリュームの在る肢体をクネラせて、赤髪の少女はまるで“炎”の化身で在るかの様に、妖しく、情熱的に揺らいだ。派手に揺れ動く赤い髪が。まるで燃え盛る松明の様で在る。

 桃色の髪と金髪の少女は、其れに合わせて腰を振るだけで在ったのだが、妙に其の動きには高貴さを感じさせ、宮廷で催されるダンスの様な、止事無い輝きを持っているといえるだろう。

 青い髪の女性は、最初こそ生まれたばかりの子鹿で在るかの様に不器用に身体を揺り動かしていたのだが、其のうちにコツを覚えたので在ろう、楽し気に暴れているかの様に踊って居る。暴れているという表現が当にピッタリといえ、どうにも踊りには見え辛いので在るが、満面の笑みが見る者を楽しくさせるので在る。

 兵隊達は酒をグイグイと呑み干して行く。

 奥に腰掛けたミスコールが席を立つ。彼は用意された酒を1滴も、あれから口にはしていなかったので在る。

 ミスコール御付の兵隊が、キュルケ達へと向かって来るのが見える。

 其れが合図で在るかの様に、キュルケはダンスを終了させた。

 ルイズが心配そうに、キュルケへと耳打ちをする。

「あの隊長は御酒を呑んで無いわよ。大丈夫なの?」

「あたしが何とかするから任せといて。えっとモンモランシー。貴女の仕込んだ眠り薬は、キッチリ呑んでから1時間で作用する様に調合したのよね?」

「そうよ。個人差は在ると想うけど……」

「じゃあ後、30分程ね。後はテキトウに兵隊達の相手をしていて頂戴。30分後に、あたしも戻って来るわ」

 駆け寄って来た兵隊が、キュルケに二言三言、呟いた。

 キュルケはニッコリと笑って首肯くと、消えたミスコールを追い掛けて行った。

 残されたメンバーは顔を見合わせる。

「時間を稼げって言われても……」

 酔った客達は、口々に喚き始める。

「何でぇ! もう出し物は終わりか!?」

「だったら此方に来て、俺達に酌でもしやがれ!」

「私、嫌ぁよ! 兵隊に酌をするなんて!」

 モンモランシーがワナワナと震える。恥ずかしい衣装を着せられて“平民”達の前で踊る事でさえも屈辱で在るのに、酌とも成ればもう、モンモランシーには我慢がならないので在ろう。

「お、踊るから! 黙ってて!」

 第二部が始まった。

 然し、キュルケを欠いた踊り子隊は、下手糞な音楽に合わせ、微妙なリズムで腰をフラフラと振るだけで在るために、兵隊達は直ぐに飽き始めてしまう。

 第一部のダンスの成功は、キュルケの存在に負けう所が大きかったといえるで在ろう。

「何だそりゃあ!? 金返せ!」

 ワインの瓶や、皿や骨が彼女達へと向けて投げられる。

「くそう! 生意気な兵隊共め!」

 ごいん! とワインの瓶が頭に打ち当たったギーシュとマリコルヌが爆発しそうに成る。

「ま、待てよ。此処で怒ったら作戦台無しじゃねえか」

 才人が慌ててそんな2人を諌める。

「どうした!? どうせ踊る成ら脱げ!」

「脱げば良いのね?」

 シルフィードが嬉しそうに、きゅい、と喚いて服を脱ぎそうに成ったために、今度はルイズが其の頭をばかーん! と殴った。

「どうして叩くのね!?」

「あんた慎みってモノを持ちなさいよ! 慎み!」

「そんな格好しといて慎みも何も無いのね」

 胸と腰を僅かに覆うだけのデザインで在る踊り子衣装を指さし、シルフィードが言った。

「仕方無いでしょー!」

 混乱を極めるルイズ達に、兵隊達の野次が飛ぶ。

「おいおい! どう成って遣がるんだ!?」

 才人は、こほん、と咳をすると、背負ったデルフリンガーをスラリと抜いた。

 兵隊達は一瞬で静かに成る。

 マリコルヌとギーシュが慌てて止めようとする。

「や、止め給え! 暴れてどうするんだね!?」

 然し才人は、「これより剣舞を御見せします!」、と自棄糞気味の声で怒鳴る。

 無言の兵隊達が見守る中、才人はデルフリンガーを振り回し始めた。

「えんげつけん! とやぁ!」

 ジャンプして、地面に突き立てる。

「ジャンプ斬り! てやぁ!」

 兵隊達は、才人の“サーヴァント”としての人間離れしたジャンプ力に驚き、最初こそ無反応で在ったのだが……其のうちに巨大な怒号が巻き起こり始める。

「な、な、舐めてんのかッ!?」

「俺達ゃあ、毎日剣振ってんだよ!」

「何が悲しくて手前何ぞのチャンバラごっこ見物しなきゃあ行けねぇんだよッ!」

「やっべ、外した……」

 才人の其れは、身体能力こそ人外の其れでは在るものの、動き自体が単調で在るために、兵隊達から不評を買う羽目に成ったので在る。

 兵隊達は立ち上がり、飛び掛かって来ようとしたのだが、其の時……。

 柔らかい笛の音が鳴り響く。

「ふぇ?」

 才人が振り返ると、ギーシュが真顔で笛を吹いていた。

 マリコルヌも、真面目な顔をして太鼓を叩き出す。

 随分と上品な調べで在るといえるだろう。

「うわ、これ……宮廷音楽じゃ成いの」

 どうやらギーシュ達は、基本教養として覚えさせられていたので在ろう“貴族”向けの演奏を開始したらしい。

 先程の旋律とは全く違った、緩やかな曲で在るといえる。

 モンモランシーがユックリと、曲に合わせてダンスを踊り始めた。キュルケの踊りと比べて、激しさは無いといえるのだが、気品と優雅さに満ち溢れた動きで在る。

 大胆な衣装と優雅な宮廷ダンスの組み合わせだが、兵士達の心を見事に掴んだ様子で在る。大人しく踊りを鑑賞し始めた。

 才人はホッとした様子を見せる。

 優雅なモンモランシーのダンスは、20分程も続いた。

 そうこうするうちに、眠り薬が効き始める。

 兵士達は、1人1人、船を漕ぎ出して行く。

 モンモランシーは眠りを誘う妖精の様に、ユックリと踊り続ける。

 全員が眠り放けてしまうまでに、10分程の時間を要した。

 モンモランシーの調合した“スリーピング・ポーション(眠り薬)”は、丸1日眠り放けてしまうという強力な代物で在る。

 中庭は巨大な寝室と化した。

 300人からの兵隊や“貴族”達が、突っ伏して寝転げて居る様は、ある意味壮観で在るといえる。

 才人達は顔を見合わせると、楽器の中に隠して置いた“杖”を取り出す。武装が終わると、一同は“アーハンブラ城”の天守へと向かった。

 崩れ掛けた白い城壁が、月明かりを受けて怪しく光る。

 此の後は、タバサを其の母親を此の城から捜し出し……救出する。

 其の前に、“エルフ”との対決が在るかもしれないと云えるだろう。

 才人は、“エルフ”がいない事を祈った。

 

 

 

 “アーハンブラ城”は廃城で在り、所々が崩れている。危険な場所にはロープが張られており、其の先には行けない様に成っている。

 また、内部は当に迷宮で在るといえるだろう。

 キュルケは迷った素振りをし乍ら城の内部を調べたのだが、……タバサの姿は見付からなかった。“眠り薬”が効力を発揮する時間が来てしまうと些か不味いために、キュルケは一旦捜索を諦め、兵隊に教えて貰ったミスコールの部屋へと向かう事にした。

 中庭に面したエントランスホールに入って直ぐの階段を上る。2階の通論の右に、最近に成ってから付けられたらしい鉄の扉が見える。

 キュルケがノッカーを使って叩くと、鍵を外す音がして、扉が開かれた。

「おお、待っていたぞ。ささ、入れ」

 兵隊や部下の前では其れ成りに険しい表情を浮かべて居たミスコールは、相好を崩してキュルケを迎え入れた。

「さて、では取り調べをせねばならんなあ。いや何、これも王命でな、此の城に遣って来た人物は儂が隅から隅まで調べる事に成っておるのだ。そう、隅から隅までだ」

 ミスコールは、キュルケに手を伸ばした。

 然し、キュルケは、其の手を優しく払い除けた。

「調べるのはいつだって出来るじゃ在りませんか」

 キュルケはそう言い乍ら、壁際に置かれたベッドに向かい腰掛ける。膝を組んで、笑みを浮かべた。

「ねえ、隊長さん。あたし好奇心の塊みたいな女なの。だからちょっと御訊ねしたいのだけど……宜しくて?」

「何が訊きたいのだ?」

 ミスコールは、怪訝な表情を浮かべる。

「隊長さんは此処でとんでも無い宝石を守っておられるとか」

「宝石だと? あっはっは! 残念だったな! 我々が此処で守っているのは、ただの囚人の親子だ。何だ、御前達は在りもしない宝石を盗みに来た盗賊か? では、念入りに調べねばならんなぁ……」

 肩に回された手を、キュルケは跳ね除け無い。

「其の囚人とやらを、見てみたいわ。あたし、そう言うのにすっごく興味が有るの」

「変わった女だな。そんなモノを見てどうする?」

 ミスコールは、キュルケの踊り子衣装の裾に、手を差し込んだ。

「ん?」

 ミスコールは、指先に触れたモノに気付く。

 ミスコールは、ユックリと其れを摘んで引き出した。自分が握ったモノを見て、ミスコールは呻きを漏らした。

「貴様、“メイジ”……」

 キュルケは笑顔を浮かべた侭、ミスコールの手から“杖”を取り上げて突き飛ばす。素早く“呪文”を唱えると、“杖”の先に大きな炎球が現れた。

 キュルケは其の火の玉を、倒れた男爵の鼻先に突き付ける。

 自身の頭の数倍程も在るで在ろう大きさをした炎球を突き付けられてしまった男爵は、顔を恐怖に歪ませた。

「さて、じゃあ囚人の所に案内して頂きましょうか」

「……貴様、オルレアン公派か? 現実を省みぬ亡霊め!」

「いいえ。ただの盗賊よ。言っとくけど、あたしは気が短いの。残りの髪の毛を頭毎燃やされたく無かったら、さっさと案内する事ね」

 ミスコールは震えた。

「無理だ。其れは出来ん」

「どうしてよ?」

「彼奴が居る。彼奴に殺されてしまう」

 キュルケの眉が吊り上がった。

「彼奴って、“エルフ”?」

「そ、そうだ。勘弁して呉れ。金なら払う。だから……」

 扉の向こうから、高く澄んだ声が響いた。

「金がどうした?」

 ミスコールは、ひぃいいいい!? と悲鳴を上げた。

「ビ、ビダーシャル卿!」

 扉は開いて、異国のフードを深く冠った長身の男が姿を見せた。

 男はキュルケを一瞥すると、“杖”の先の炎球を気にした風も無く、怪訝な声で問うた。

「御前は誰だ?」

 キュルケの返事は、言葉の代わりに炎球で在った。

 “杖”の先から放たれた炎球は、痩せた“エルフ”を包み込む様な大きさに膨れ上がる。

 然し、ビダーシャルは避ける素振りさえ見せない。

 炎球は“エルフ”を一瞬で燃やし尽くす……と思われた其の瞬間、其の眼の前で行き先を180度変えた。

「――なっ!?」

 キュルケの口から驚愕の呻きが漏れた。

 

 

 

 才人達が、中庭から天守のエントラスに通じる階段を駆け上がって居た時……天守の壁の一角が行き成り爆発した。

「何だぁ!?」

 ギーシュが絶叫した。

 次いで、中から1人の人間が降って来るのが見える。

「キュルケじゃないか!」

 壁の破片と一緒に、キュルケは地面に叩き付けられてしまう。

 一同は倒れたキュルケに駆け寄った。

「酷い怪我!」

 モンモランシーは慌てて“水魔法”を唱え始める。

 シルフィードも変身を解くと、一緒に成って回復の“魔法”を掛け始めた。

「“エルフ”……気を付けて……」

 そう言う成り、キュルケはガックリとし、気絶をした。かなりのダメージを受けているので在ろう。

「ギーシュ、マリコルヌ。キュルケを頼む」

「わ、理解った」

 才人は駆け出した。

 ルイズは其の後を追い掛ける。

 天守に通じる階段を上り始めた才人に、ルイズは後ろから抱き着いた。

「待って! 待ってよ!」

「何だよ!?」

 才人は怒鳴った。

「相手は“エルフ”なのよ! 慎重にいかないと……」

「そんな事してる暇ねえだろ! キュルケが遣られたんだ! 早くいかないとタバサが危険だろ!」

 ルイズも大声で怒鳴った。

「あんただって危険じゃない!」

「……ルイズ?」

 才人は呆然としてルイズを見詰めた。

 肩で息を吐き乍ら、ルイズは首を横に振った。

「私は、あんたの其の勇気が怖いの……110,000の敵に突っ込て行ったり、“エルフ”も怖がらない勇気が怖いの……」

「どういう意味だよ?」

「あんたの其の勇気……“ガンダールヴ”として与えられた偽りの勇気じゃないの? 怖がってちゃ、主人を守れ無いから、勝手に発動する勇気なんだわ」

「はぁ?」

「私、自分が赦せないわ。私が与えた“ガンダールヴ”の“契約”、そして“サーヴァント”としての“契約”は、あんたを、あんたじゃ無いモノに変えちゃったんだわ。だから御願い……そんな勇気を私に見せないで」

 ルイズは潤んだ目で才人を見上げた。

 才人は、疲れた様な声で呟いた。

「……そうだったら良いんだけどな」

「……え?」

「俺さ、勇気なんか持ってねえよ。恥ずかしいけど、ホントの事言うと、さっきから怖くて震えてる。武者震い? 冗談じゃねえ。俺は怖くて震えてるんだ」

「サイト……」

「110,000に突っ込んだ時だって、怖くて死にそうだったよ。怖くて怖くて、足が竦んで動かなかったよ。無理矢理足を地面から引っぺがす様にして、前に歩いてるんだ。デルフとセイヴァーもいて呉れたしな。そんなのが“ガンダールヴ”の勇気だって? 馬鹿言うな。んなもん有ったら、こんなに怖くて震えるかっ吐うの」

「じゃあ、じゃあどうして……?」

「情けねえ所見せられねえだろ! 一応、俺は男なんだよ! 嗚呼そうさ、何の因果か男に生まれちまったんだよ。だから無理しなきゃ、格好付かねえだろ。おまけに俺は“ガンダールヴ”だ、“シールダー”だ。普通じゃねえ、力を貰っちまった。尚更逃げられねえよ。自分なら出来るかもって事から、逃げられる訳がねえだろうが。其れによ、セイヴァーに教えて貰ったんだ。受け売りらしいけどさ、“見っとも無いが、誰かを助けたいと言う気持ちが有るなら、ギリギリ英霊(人間)だ”って」

 ルイズの目から涙が溢れた。泣き乍ら、ルイズは才人を叩いた。

「何で叩くんだよ!?」

「勘違いしちゃったでしょお~~~!」

 妙な逆ギレをされてしまい、才人は戸惑った。

 だが、今は戸惑ったり、ルイズの相手をしている場合では無いといえるだろう。

「良いから“呪文”を用意しとけ」

 こくりと、ルイズは首肯いた。

 才人は背負ったデルフリンガーの柄を右手で掴んだ。左手甲の“ルーン”が光る。其の左手で、才人はルイズの細い腰を抱いた。

「まあ、何だ」

「ん?」

「通信簿に書いて在ったんだ。流され易い性格ってね。元々俺はそう何だ。今更“魔法”だか伝説だか“虚無”だかの“ガンダールヴ”や、“聖杯戦争”やら“サーヴァント”やらに流されたって、驚かねえけどな」

 ルイズは眉間に皺を寄せた。

「……どっちなのよ? あんたの勇気。本物なの? やっぱり“ガンダールヴ”なの?」

「確かに御前の“虚無呪文”を聞いてると心が躍るし、ちょこっと恐怖が消えて行く。でもまあ、“ガンダールヴ”の効果なんてそんくらいだ。其れ以外は……流され易い、俺自身の勇気とやらなんだろう」

 涙を流し乍ら、ルイズは、(じゃあ、サイトの“好き”も……)と想い、才人の袖を掴む。

 だが、其の様な甘い感傷に浸って居る場合では無いといえるだろう。

 次の瞬間、天守のエントランスから炎の玉が何個も、才人とルイズへと向かって飛んで来た。

 才人はデルフリンガーを掲げる。

 小さな炎の球は、デルフリンガーに吸い込まれて消滅した。

 才人は弾かれた様に突進して階段を駆け上がり、エントランスの柱を斬り裂く。

 太い柱は両断され、後ろにいたミスコールが現れた。

「――ひ!?」

 “呪文”を唱えさせる暇を与えずに、才人は其の腹にデルフリンガーの柄を叩き込んだ。

 ミスコールは床に崩れ落ちた。

 才人は倒れたミスコールを足で突き乍ら、「此奴が“エルフ”?」、と尋ねた。

「違うわよ。あんたも知ってるでしょ。“エルフ”は耳が尖ってて……」

 2階に通じる階段の上に、人影が現れた。

 澄んだガラスの鐘の様な声が響く。

「御前達も、さっきの女の仲間か?」

 其のシルエットを見て、ルイズは言った。

「あんな風にスラリとしてるのよ」

 “エルフ”の男は広い階段から、ユックリと下りて来る。

 握り締められて居るデルフリンガーが、切なげな声で言った。

「“エルフ”か……相棒が、如何に“サーヴァント”で在ろうと、今の実力じゃどう仕様もねえな。此処は引いた方が無難だぜ」

「引いたらタバサを救けらんねえだろ」

 “エルフ”は一歩ずつ、階段を下りて来る。

「私は“エルフ”のビダーシャル。御前達に告ぐ」

 “エルフ”と云う単語を自己紹介の中に混じらせる事で、才人達の恐怖を促そうとしたので在ろうか。

 其れは要らぬ節介というモノで在った。

 そんな事をせずとも、2人からすると、其の穏やか声の中に無限の迫力が在ったといえるのだから。

 今まで対峙した敵とは違う、秘められた恐怖、というモノを才人は感じた。

「な、何だよ?」

「去れ。我は戦いを好まぬ」

「だったらタバサ達を返せ!」

「タバサ? ああ、あの母子か。其れは無理だ。我は其の母子を、“此処で守る”と言う約束をしてしまった。渡す訳にはいかぬ」

「じゃあしょうが無え。戦うしかねえだろ」

 ビダーシャルは強い。

 今までの戦いの経験が其れを、才人へと教えて呉れていた。生物としての本能が、自身よりも優れた生き物を前にした時の警告を発し始めた事を、才人は自覚する。

 だが、才人は“剣”を握った。

 然し、足が言う事を利かない。

 一歩ビダーシャルが歩くごとに、一歩才人は退がってしまう。

 そんな才人の頭の中で、と或言葉が蘇る。

――“隙を見付けろ”。

 

───“忘れるな、イメージするモノは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。御前にとって戦う相手とは、自身のイメージに他なら無い”。

 

 どう見ても隙だらけだと、才人には見えた。何処から剣を打ち込んでも、攻撃は当たると想わせて来る。

「相棒、無駄だ。止めろ」

 少しばかり焦った調子でデルフリンガーが言った。

 然し……才人はデルフリンガーを構えて駆け寄った。

「お、うぉおおおおッ!」

 自棄糞に近い声で在った。

 震える足で、才人は駆け上がる。ビダーシャルの手前で跳躍し、デルフリンガーを振り下ろす……が。

 ぶわッ!

 ビダーシャルの手前の空気が歪んだ。

 ゴムの塊にでも振り下ろしたかの様に、デルフリンガーが弾き飛ばされてしまう。まるでトランポリンに跳ね上げられてしまったかの様に、次いで才人は吹っ飛んでしまった。

 中庭に張り出したエントランスホールに、才人は転がった。

 “エルフ”は階段の途中で立ち止まり、才人を見下ろした。

「立ち去れ。“蛮人”の戦士よ。御前では、決して我には勝てぬ」

 ルイズが倒れた才人へと駆け寄る。

「サイト!」

 いてててて、と才人は立ち上がった。

 石畳の上に叩き付けられてしまったために、一瞬だが身体が動かなかった。“ガンダールヴ”、そして“サーヴァント”で在れども、未だヒトよりも頑丈なだけで在り、痛みは感じる。ただ、素早く動く事が出来るだけで、受けるダメージは人並みで在るのだから。

「何だ彼奴……身体の前に空気の壁が在るみたいだ……どう成ってんだ?」

 デルフリンガーが、苦い声で呟く。

「ありゃあ“反射(カウンター)”だ。戦いが嫌いなんて吐かす“エルフ”らしい、厄介で厭らしい“魔法”だぜ……」

「“反射(カウンター)”?」

「汎ゆる攻撃、“魔法”を跳ね返す。えげつねえ“先住魔法”だ。あの“エルフ”、此の城中の“精霊の力”と“契約”しやがったな。なんて“エルフ”だ。とんでもねえ“行使手”だぜ、彼奴はよ……」

「“先住魔法”かよ。“水の精霊”のあれか」

「覚えとけ相棒。あれが“先住魔法”だ。今までの相手は謂わば仲間内の模擬試合みてえなもんさ。ブリミルが終ぞ勝てなかった“エルフ”の“先住魔法”。本番はこれからだけど、さあて、どうしたもんかね?」

「恍けるんな! 剣も通じない、“魔法”も駄目だったらどうすりゃ良いんだ!?」

 ビダーシャルは両手を振り上げた。

「石に潜む“精霊の力”よ。我は旧き盟約に基き命令する。礫と成りて我に仇為す敵を討て」

 ビダーシャルの左右の、階段を造る巨大な石が地響きと共に独りでに持ち上がる。

 階石は宙で爆発して、ルイズと才人へと襲い掛かる。

 撃っ放した散弾で在るかの様に無数に襲い掛かって来る石礫を、才人は剣で受け切ろうとした。然し、量が量で在るために、受け切れなかった分が身体に打ち当たってしまう。

 才人はルイズの前に立ちはだかり、其れで身体で止めた。

 額に打ち当たった1個が、才人の額を切り裂き、血が流れた。一瞬、気を失いそうに成ったが……才人はどうにか堪えてみせる。

 倒れそうに成る才人を、ルイズは支えた。

「ねえデルフ! どうすんのよ!? 一体どうすりゃ良いのよ!?」

「どうもこうもねえだろが。御前さんの“系統”だけが、彼奴をどうにかする事が出来るんだ。どうにかするのは御前だよ。ルイズ」

「でも、何な“魔法”も効かないんでしょ! 一体何を唱えりゃ良いのよ! 嗚呼、“始祖の祈祷書”は“学院”に置いて来ちゃったし、どうにも成らないじゃない! 読める時に読めるって何よ! いつでも読める様にしときなさいよ!」

「御前さんはとっくに其の“呪文”をマスターしてるぜ」

「え?」

「“解除”さ。“先住魔法”を無効化するには、“虚無”の“解除”しかねえ」

「“解除(ディスペル)”ね!」

「でもな……あの“エルフ”はどうやら此奴等の“精霊の力”全てを味方に着けてるらしい。其れを全部“解除”するのは、大事だぜ。御前さん、其れだけの“解除”を撃っ放すだけの“精神力”が溜まってるかね?」

 ルイズはハッとした。

 だが……才人がルイズの前で剣を構えているために、逃げ出す訳にはいかないといえるだろう。

 “使い魔”が負けを認めぬ以上、主人で在るルイズもまた同様に負けを認める訳にはいかないのである。

 いや……話はもっと単純で在るといえるだろう。心惹かれている少年を置いて逃げ出す事など、年頃の少女で在るルイズには出来る筈も無いので在った。

 ルイズは、(心惹かれている、かもしれない、よね)と想い直す。こんな時で在るのにも関わらず、そんな余裕が自身に在る事に、ルイズは驚いた。

 出来るかもしれない、とルイズは“杖”を構えた。

 “メイジ”と其の護衛の戦士が退散しようとしないので、“エルフ”は業を煮やしたらしい。

「“蛮人”よ。無駄な抵抗はやめろ。此の城を形造る石達と、我は既に“契約”して居る。此の城に宿る全ての“精霊の力”は我の味方だ。御前達では決して勝てぬ」

 才人は歯を剥き出しにして、唸った。

「……煩え長耳野郎。誰が“蛮人”だよ。俺は御前みたいな、偉そうに余裕を気取った奴が1番嫌いだ」

 ビダーシャルは首を横に振ると、再び両手を振り上げる。

 次は壁の石が捲れ上がり、巨大な拳へと変化した。

「な、何あれ……?」

 ルイズの口から、恐怖の声が漏れた。

 どれ程の“メイジ”で在っても、あれだけ強力な防御“呪文”を唱え乍ら、巨大な石の拳を造り上げる事は出来やしないといえるだろう。

 まるで粘土の様に変化する石を見詰め、才人は震えた。

「あれが“エルフ”の“先住”かよ……」

 巨大な石の拳が、才人とルイズ目掛けて飛んで来た。

 

 

 

 居室で本を読み上げるシャルロット耳に、巨大な爆発音が聞こ得て来た。

 其の後、暫く静寂が続いたのだが……今度は何かが破裂するかの様な炸裂音が低く響いた。

 母が怯えた様に布団に蹲る。

 シャルロットはそんな母を優しく抱き締めた。

 シャルロットは、(何が起こってるんだろう?)と思い乍らも、「大丈夫ですから」と母に呟き、ベッドから下り、ドアに近付き扉を確かめる。

 だが……“ロック”の“呪文”で固く閉じられている事が判る。

 こう成っては、“杖”を取り上げられてしまったシャルロットには為す術は無いといえるだろう。

 “北花壇騎士”として恐れられた、シュヴァリエ・タバサはもう何処にもいないので在る。此処にいるのは何処までも無力な、囚われのシャルロット・エレーヌ・オルレアンで在った。

 外で何が起こって居るのか確かめたくとも、確かめる事すらも出来ないので在る。

 シャルロットはベッドへと戻った。

 怯える母は、ジッと“イーヴァルディの勇者”を見詰めて居る。

 シャルロットは本を取り上げると、幾度と無く繰り返した朗読を再開した。

 本を読み上げ乍らシャルロットは、(若しかしたら……誰かが自分を救けに来て呉れたのだろうか?)と想った。

 シルフィードの顔が浮かぶ。

 キュルケの顔が浮かぶ。

 シャルロットは、(違って欲しい)と想った。

 最後に、1人の少年と青年の顔が浮かび上がった。

 伝説の“使い魔”との触れ込みの少年。

 タバサを負かした、剣の使い手。

 “シュヴァリエ”のタバサを剣1本で負かしたあの才人。

 謎が多くも、ヒトを超えた実力を持つ青年。

 シルフィードも、畏敬の念を抱いているで在ろう、“白の国(アルビオン)”の女王の“使い魔”。

 シャルロットは、(若しかしたら此処から自分を救い出せるかもしれない。でも……)と考え、首を横に振る。

 そんな奇跡は起こらない、とシャルロットは考えた。

 あの“エルフ”に勝てる相手など存在しない、期待は絶望に繋がっている、何時だってそうだったじゃないか、とシャルロットは想った。

 そう。シャルロットの期待が報われた事など、嘗て1度も無かった。

 明日、シャルロットは心を失う。其の“運命”は――。

 シャルロットはユックリと、再び本を読み始めた。

 

――“イーヴァルディは洞窟の奥で竜と対峙しました。何千年も生きた竜の鱗は、まるで金の延べ棒の様にキラキラと輝き、硬く強そうでした”。

 

――“竜は、震え乍ら剣を構えるイーヴァルディに言いました”。

 

――“小さき者よ。立ち去れ。此処は御前が来る場所では無い”。

 

――“ルーを返せ”。

 

――“あの娘は御前の妻なのか?”。

 

――“違う”。

 

――“御前とどの様な関係が在るのだ?”

 

――“何の関係もない。ただ、立ち寄った村で、パンを食べさせて呉れただけだ”。

 

――“其れで御前は命を捨てるのか?”

 

――“イーヴァルディは、ブルブルと震え乍ら、言いました”。

 

――“其れで僕は命を賭けるんだ”。

 

 

 

 ルイズと才人は、石の拳で中庭の中程まで吹き飛ばされてしまった。

 キュルケを介抱していた皆が駆け寄って来る。

「サイト! ルイズ!」

 身を挺してルイズの盾と成り、石の拳をデルフリンガーで受け切った才人の右手は折れてしまっていた。

 ブランとした才人の右腕に気付き、モンモランシーが治癒の“呪文”を唱え始め、掛けて遣った。

 苦しそうな声で、才人は言った。

「逃げろ。俺達で何とかする」

「良いから、黙ってろ」

 マリコルヌが“風”の“呪文”を唱える、飛んで来る石礫を逸らす。

 ギーシュが“土”の壁“魔法”を唱え、才人始め全員の前に大きな壁を造り上げた。

 然し、“エルフ”の“魔法”は強力で在る。

 中庭に下りる階段の上に現れたビダーシャルは、難無くギーシュの造り上げた壁を粉砕し、マリコルヌの“風魔法”を物ともせずに石礫を放って来るので在った。

 才人は立ち上がり、デルフリンガーで石を弾き飛ばした。

「未だ右腕は治ってないわ!」

 モンモランシーが怒鳴る。

「そんな余裕はねえ」

「でも……」

「ルイズが“呪文”を唱えてる」

 一同は振り返る。

 其処で、立ち上がったルイズが“杖”を構え、朗々と“呪文”を唱えいた。

「“ウル・スリサーズ・アンスール・ケン”……」

 ルイズは喉の奥から“呪文(虚無)”を絞り出した。

「“ギョーフー・ニィド・ナウシズ”……」

 彼女の……己の中で畝る“精神力”が……気力が……形を変え、世の理を変えるべきスペルと成って、押し出されて来る事を、ルイズは感じ取った。

 自分の中に眠って居た“精神力”に、ルイズは驚く。

 16年もの間溜め込んだ“精神力”を“エクスプロージョン(爆発)”に変え、“トリステイン”を襲った大艦隊を吹き飛ばした時と同等の畝り、が彼女の中から生まれて来るので在った。

「“エイワズ・ヤラ”……」

 ルイズは己に、(どうして? どうして? どうして私は、こんなに“精神力”が溜まっていたのかしら? これ程長く“虚無”を唱えられる“精神力”を、何処で得たの?)と尋ねた。

 “精神力”とは心の強さで在る。

 怒りが、喜びが、“魔法”の力を倍増させる事をルイズは知っていた。“魔法”の強さは、才能だけで決まる訳では無いので在る。

 怒り、喜び、悲しみ。

 其のどれでも無い感情に、ルイズは想い当たった。

 唯一、ルイズの中で大きく畝っていた感情……。

 其れが“虚無”の源で在るのかもしれない、とルイズは感じた。

「“ユル・エオー・イース”!」

 “呪文”は完成した。

 デルフリンガーが怒鳴る。

「俺に其の“解除(ディスペル)”を掛けろ!」

 ルイズは“杖”をデルフリンガーに向けて振り下ろした。

 “虚無魔法”がデルフリンガーに纏わり付き、刀身が鈍い光を放った。

「相棒! 今だ!」

 才人は階段の上のビダーシャル目掛けて突進した。デルフリンガーを振り上げ、振り下ろす。

 “反射(カウンター)”の目に見えぬ障壁と打つかり合う。

 今度は弾き飛ばされる事は無かった。

 ルイズの唱えた“虚無”は、障壁の一点に集中し……デルフリンガーの触れた部分を“解除(ディスペル)”して行く。

 ネットリとした果実を切り分けるかの様にして、“反射”の障壁が切り分けられていく。

 時間にすれば一瞬の出来事で在っただろう。

 障壁は斬り裂かれ、ビダーシャルを守るべき“精霊の力”は四散した。

 ビダーシャルは驚愕の表情を浮かべた。

「“シャイターン”……これが世界を怪我した“悪魔”の力か!」

 ビダーシャルは、拳を強く握り締める。

 逃げるかと想われたが、ビダーシャルは四散した“精霊の力”の一部と再度即座に“契約”し、才人へと向けて攻撃をする。

「――!?」

 虚を突かれた才人は、攻撃を喰らってしまい、遠く吹き飛ばされてしまった。

「――サイト!」

 ルイズ達が叫び、吹き飛ばされた才人を追い掛ける。

 

 

 

 キュルケは目を覚ました。

 マリコルヌとシルフィードに抱き抱えられている。

 髪の毛の焼け焦げた香りが鼻を突く。

 キュルケは、(巻き毛に成っちゃったわね)とボンヤリと思った。

 肌の火傷は其れ程では無いといえ、どうやらモンモランシーの“水魔法”とシルフィードの“精霊の力”による“魔法”が効果を発揮した様で在る。

 果てさて、キュルケは自分の炎を自分で浴びる事に成るとは、当然予想する事は出来なかったので在る。

 キュルケは、(あの“エルフ”はどうしたのだろう?)と思い、何かを追い掛ける様にして疾走るルイズの姿を目にする。

 キュルケは、(あたしは、史上初めてラ・ヴァリエールに感謝を捧げたフォン・ツェルプストーに成っちゃったわね)と想い乍ら、再び意識を手放した。

 

 

 

――“イーヴァルディは竜に向けて剣を振るいましたが、硬い鱗に阻まれ、弾かれました。竜は爪や、大きな顎や、噴き出す炎で何度もイーヴァルディを苦しめました”。

 

――“竜が止めとばかりに、炎を吹き出した時、驚くべき事が起こりました。イーヴァルディが握った剣が光り輝き、竜の炎を弾き返したのです。イーヴァルディは飛び上がり、竜の喉に剣を突き立てました”。

 

――“どう! と音を立てて竜は地面に斃れました”。

 

――“イーヴァルディは、斃れた竜の奥の部屋へと向かいました”。

 

――“其処には、ルーが膝を抱えて震えていました”。

 

――“もう大丈夫だよ”。

 

――“イーヴァルディはルーに手を差し伸べました”。

 

――“竜は殺っ付けた。君は自由だ”。

 

 

 其処まで読み終え、シャルロットは視線を母に落とす。

 母は、安らかな様子で寝息を立てて居る。

 先程まで響いて居た恐ろしい音は、何時の間にか鳴り止んでいた。

 が――。

 シャルロットと彼女の母親が居る居室の、外側の壁に何かが勢い良く打つかり、大きな音を立てて崩れ去る。

 其の音と様子に、シャルロットは目を見開く。

 母は、再び目を覚まし、怯え始めた。

 シャルロットは。モウモウと立ち籠める煙と土埃などを前に、母を庇う様にして立ち上がる。

「いてぇ……」

 煙の中から、シャルロットにとって聞き覚えの有る少年の声が聞こ得て来た。

 其れから、扉の向こうから、足音が響いて来る。

 “エルフ”のモノでも、兵隊の其れとも違う事がシャルロットの、タバサである部分が教えた。

 何故か、シャルロットの胸は鳴った。

 期待が、シャルロットの胸の中で膨らんで行く。

 シャルロットは、其れを否定しようとした。

 其れはありえない事で在ると。

 ありえないのだ、と。

 タバサは、(こんな、“ガリア”と“エルフ”の国境の地まで遣って来て、自分を救い出して呉れる事などありえない。でも……)と想った。

 だが、シャルロットの耳は、“風系統”の担い手として鍛えられた耳は、其の声と足音に覚えが有る事を教えて呉れている。

 扉を開けようとする音、瓦礫の中から立ち上がろうとする音が響く。

 “ロック”が掛かっている事に気付いたのだろう、“解除(ディスペル)”で解除され、開かれる。

 “学院”を飛び出して来た時に見た、黒髪が目に入った其の瞬間……タバサの顔は崩れた。

 タバサの中で、懐かしい感情が、忘れようとして居た気持ちが心の中に広がって行く。

 其れは、安堵で在った。

 瓦礫の中から、一跳躍で、タバサと其の母の元へと、才人が後退して来る。

 次に、扉から入って来たのは、ギーシュにマリコルヌで在った。其の次に、ルイズ。モンモランシーに、ヒトに化けたシルフィードも一緒で在る。シルフィードに抱き抱えられる様にして、キュルケもいる。

「御姉様! 無事だったのね! きゅい!」

「おお、良かった良かった! 此処にいたのかね!」

 ギーシュとマリコルヌも、笑みを浮かべた。

 キュルケは傷だらけで気を失っている。

 そんなキュルケを見て、タバサは救ける為に戦って呉れた事に気付いた。

 タバサは呆然と、一同を見上げた。

 ずっと自分は独りで戦って来たと、タバサは想っていた。

 だが、タバサは独りでは無いので在る。

 独りででは無いのだ。

 ボロボロに成り乍らも、才人はタバサへの気遣いを忘れていない。

「大丈夫か? 怪我してないか?」

 頬に温かい何かが伝う事を、タバサは感じた。

 タバサは幼少期の頃の様に泣いた。

 忘れていた筈の、安堵の涙を流したので在る。

「“シャイターン”……」

 外から、月明かりに照らされ乍らビダーシャルが、今まで見せ無かった様子を見せ、中へと入って来る。

 ビダーシャルの其の視線と警戒心は、才人とルイズへと向けられている事が判る。

 ビダーシャルは両手を広げ、“精霊の力”を行使する。

 瓦礫が独りでに浮かび上がり、息も絶え絶えと云った様子の才人へと向かって飛んで来る。

 才人はデルフリンガーを構え、何とか弾き飛ばそうとするのだが、如何せん其の身体では立って居る事すらもやっとの状態で在る。

 其れに気付いた、皆が動き出そうとする。

 が、其の中で逸早く動いた者が居る。

 タバサで在る。

「――御前ッ!?」

 タバサは、母と才人を庇う様にして前に出た。

 其の瓦礫がタバサの身体に直撃する……そう思われた其の瞬間……。

 タバサの右手に在る赤い痣が一際強く光り出し、居室の床……タバサの眼の前の床に突然に描いた覚えの無い“魔法陣”が浮かび上がった。

 其の“魔法陣”に、才人とルイズには覚えが有った。

 “魔法陣”が光を発し、其処から1人の少年が姿を現した。

 突然現れた少年は、剣を握っており、其の剣で飛んで来る瓦礫の全てを見事に弾き飛ばす。

「“サーヴァント”、“ブレイバー”……“イーヴァルディ”、“召喚”に応じ、参上した。君が、僕の“マスター”かい?」

 少年は振り返り、笑顔を浮かべ、タバサへと問い掛ける。

 其の笑みは他者を安心させ、心強さを感じさせるモノで在るといえる。

 タバサは何が何のか理解出来ず、唯驚愕し、呆然として居た。

「“サーヴァント”……」

 ポツリと、呆然とした様子で、才人とルイズは呟く。

 “イーヴァルディ”。

 そう名乗った少年の姿は、RPGの勇者の初期装備といった風体をして居る。が、実力はかなりのモノで在る事が、才人には自然と理解出来た。

 イーヴァルディの風貌は、素朴で貧弱そうは在るものの、雰囲気は歴戦の其れで在る。また、人外――ヒトは勿論、“エルフ”をも超える存在で在る事を、此の場に居る皆は知らないが理解した。

 彼から放られて居る“魔力”は尋常では無く、空間其の物を歪めているかの様で在る。

 其処に、地を這う獣の様な唸り声に似た何かが遠くから聞こ得て来る事を、此の場の皆が感じ取る。

「――な、何だ、此の音はッ!?」

 ビダーシャルも同様に驚いた様子を見せている。

「獣、“竜”の鳴き声……?」

「だが、こんな声をする生き物、聞いた事なんか……」

 其の音に、此の場の皆が恐怖し、警戒する。

 だが、1人だけ違った様子を見せる少年がいた。

「此の音って……」

 才人で在る。

 才人にはとても聞き馴染みの有る音だといえるだろう其れに、顔を綻ばせる。

「まさか……」

 才人は、崩れ月明かりが入って来て居る壁の在った場所、ビダーシャルよりも向こう側へと視線を向けた。

 其処から、城壁を飛び越え、向かって来る何かが、才人達には見えた。

「――“そんじゃあカッ飛ばそうか! ベアーハウリング! 黄金疾走(ゴールデン・ドライブ)!!――――夜狼死九(グッドナイト)…!”」

 バイクで、居室へと突っ込む。

 ビダーシャルを轢き殺そうでもするかの勢いで着地し、其の彼の横を通り過ぎ、ドリフトをして停止する。

「セイヴァー!」

「其れに、シオンも!」

 俺とシオンは“ゴールデンベア―号”にタンデムし、此処“アーハンブラ城”へと乗り込んで来たので在る。

「何で……御前等、“アルビオン”の女王と其の客将なのに、どうして……?」

「友人を救けるのに、立場とか身分とか関係ある?」

 才人の怒鳴る様な質問に、シオンはただ静かに答えた。

 そんなシオンの答えに、才人達は笑顔を見せる。

「“イブリース”が2体も……“悪魔の末裔”よ! 警告する! 決して“シャイターンの門”へ近付くな! 其の時こそ、我等は御前達を討ち滅ぼすだろう!」

 流石に分が悪いと判断したのだろう、ビダーシャルは左手を右手で強く握り締める。

 指輪に封じ込められていたで在ろう“風石”が作動し、ビダーシャルは糸で引かれた人形の様にして、宙に飛び上がった。

 空へと消えて行く“エルフ”を見詰め乍ら、才人達はヘナヘナと地面に崩れ落ちる。ホッとすると同時に、気が抜けたので在ろう。

 だが――。

「“マスター”、退がって……」

 剣を構え、俺と才人に対して警戒心を向けて来ている人物が1人居た。

「御前達は、“サーヴァント”だな? 何の目的で、“マスター”に近付く」

 そんなイーヴァルディを前に、タバサの母を除く才人達一行は息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 “アーハンブラ城”に在った荷馬車を一台頂戴し、俺達は夜陰に紛れて街道を疾走った。

 シルフィードを使う事も、“ゴールデンベア―号”を始め他の移動用“宝具”を使用する訳にも行かないで在ろう。

 シルフィードが受けた傷は未だ療えておらず、其の状態で8人から10人程の人数を乗せて飛ぶ事は不可能で在る。身体がまともで在っても8人を乗せてしまうと1時間も飛ぶ事は出来ないので在る。シルフィードは未だ幼生で在るのだから。

 “宝具”での移動もまた、其の殆どが大きな音を立てるモノが多い事から却下と成った。

 此処から馬車で2日程の“ゲルマニア”へと一旦入国し、ツェルプストーの領地を通って“トリステイン”へと帰国する手筈で在る。

 御者大で手綱を握っているのは、ギーシュにマリコルヌ。2人は前を見詰め、披露と躁が混じり合った様子で会話を交わす。

「なあギーシュ」

「何だね?」

「冷静に考えてみると、僕達大変な事をしちゃったね」

「うむ。してしまったな」

「国の父上と母上は、どう想うだろうか。近衛隊に勤務するって言ったら、あんなに喜んで呉れたのに……国に帰ったら犯罪者だ。多分大変な迷惑を掛けるだろうな。いやもう、掛けてるかもしれない。参っちゃうね」

「後悔してるのかい?」

 ギーシュが尋ねた。

「正直に言えば、ちょっとね。でも、行かなかったらもっと後悔してたと想う。クラスメイトの女の子が、理不尽に捕まってる。救けに行かなかったら、僕は“貴族”じゃ無く成る」

 マリコルヌは溜息混じりの声で言った。

「だから後悔して無いよ」

 ギーシュは、そんなマリコルヌの肩をポンポンと叩いた。

「君は好い奴だな! なぁに、其のうちに恋人だって出来るさ。セイヴァーも言ってただろ? 僕と彼が保証する」

「セイヴァーは兎も角、ギーシュに保証されても嬉しく無いよ」

 モンモランシーが、そんな2人の間に馬車の荷台から顔を突き出して溜息を吐いた。

「はぁ、何で此処まで着いて来ちゃったのかしら……気付いたら、“ハルケギニア”の果てじゃ成いの」

「参った参った! あっはっは!」

 モンモランシーは、能天気そうに笑うギーシュを睨んだ。

「何笑ってるのよ!? 国に帰ったらどうすんのって訊いてるのよ!」

「考えてない。其の時は其の時だよ」

「はぁ?」

「先ずは国に帰る事を考えようじゃないか。救けたは良いが、無事に帰れる保証は何処にも無いんだぜ? “ガリア”軍だけじゃ無い。奴等はどうやら“エルフ”も味方に着けてるみたいだしね」

「はう……」

 と大きな溜息を吐いたモンモランシーの肩に、ギーシュは腕を回した。

「安心して呉れ。僕のモンモランシー。君は僕が命に賭けても守るから」

「何だか私ってば、完全に貧乏籤を引いたみたいね」

「大丈夫だよ! 僕は何故か運が強いんだ! 今回も何とか成るよ!」

「違うわ。貴男を選んだ其の事自体が、間違いだったって言ってるの」

 ジロリとギーシュを睨んで、モンモランシーは言った。

「そ、そんな……」

 唖然としたギーシュの頬に、モンモランシーは唇をくっ付けた。

「へ?」

「何を情けない顔してるのよ。貧乏籤を引いたけど、別に後悔はしてないわよ」

「モンモン……」

 熱っぽい目で見上げるギーシュに、モンモランシーは言い放つ。

「全く。諦めないで、絶対なんとかしてよね! 牢獄なんて私嫌だからね!」

 

 

 

 幌の付いた荷馬車の荷台には、笑で包まれた親子とキュルケが寝息を立てていた。

 タバサの母は、モンモランシーの薬で眠って貰っている。起きると暴れるためで在る。

 タバサはそんな母に寄り添う様にして眠っている。余程気を張っていたで在ろう事が判る。

 キュルケも包帯に包まれて眠っている。モンモランシーの“水魔法”で、火傷は療えていたのだが……かなり体力を消耗してしまっているので在る。

 シルフィードはキュルケとタバサに挟まれる形で眠っている。

 荷台で目を覚ましているのは、才人とルイズ、俺とシオン、そして先程“召喚”されたばかりのイーヴァルディだけで在る。

 眠るタバサを見詰めて、才人は言った。

「なあルイズ」

「なぁに?」

「タバサの奴、どんな気持ちだったんだろうな? こんな風に、ずっと独りで戦って来て……俺なんか考えてみりゃ恵まれてる訳だよな。何のかんの言って、助けて呉れる仲間や、御前だっている訳だし……でも、此奴はたった独りだったんだよな」

「そうね」

「やっぱり、姫様やアニエスさんにあれだけ反対されても、行って良かったなって想うよ」

 才人は沁沁と云った様子でそう言った。

 ルイズも、シオンも首肯いた。

「“トリステイン”に帰ったらどうする? ルイズ。先ずは先生を救け出して、どっかに匿って貰うか? なあ、シオン?」

「あに言ってんのよ?」

 ルイズは、ジロリと才人を睨んだ。

「え?」

「正々堂々、宮廷に出頭して、御裁きを戴くわ。私達のした事は、悪い事じゃ無いかもしれない。でも、姫様や祖国に迷惑を掛けた事に変わりは無いの。私達は法を犯したのよ。謹んで罰を受けねばならないわ」

「そうだよな。うん」

 才人は、(いつまで牢屋に打ち込まれる事に成るんだろ? でも、後悔はしていない。遣らなきゃ、もっと後悔していたと想しう)と想い、疲れた様に首肯いた。

 そんな才人を見て、ルイズは怒った様な声で言った。

「良いわよ。牢屋に入るのは私だけで十分よ」

「ふぇ?」

「陛下の女官で在った私が、貴男達近衛隊を扇動して行った事にすれば良いわ」

「ル、ルイズ……?」

「な、何だよ!? 巫山戯んなよ! 俺が皆を連れて行ったんだ! 俺の責任だ!」

 戸惑うシオンに、自らの行動に責任を取ろうとする才人。

 だが、ルイズは才人を見ていない。真っ直ぐに前を見詰める、キリリと引き締まった口元に、硬い意志を浮かべている事が判る。

 踊り子衣装を着ていてもルイズの高貴さは欠片も損なわれていないといえた。否寧ろ、そういった下々の格好が、ルイズの“貴族”としての所作を際立たせていたといる。

 才人は、ルイズと出逢った頃の事を想い出した。

 才人がフーケの“ゴーレム”に踏み潰されそうに成った時、「“使い魔”を見捨てる“メイジ”は“メイジ”じゃ無いわ」と言ったルイズ。ルイズはあの頃と根本の所は何にも変わっていないので在る。己の中にある誇りを、決して疎かにする事の無い少女……。

 そんな想いを心の中に秘めたルイズは、神々しい程に美しいと云えた。

 才人は、(俺は、こんなルイズだから好きに成ってしまったんだろうな)と想うので在った。

「ルイズ……俺……やっぱり御前は偉いと想うよ。其の……」

 才人はルイズの左手に怖ず怖ずと手を伸ばした。

 然し、ばしっ! と其の手が撥ね退けられてしまう。

「触んないで」

「お、怒るなよ」

 オロオロとしながら、才人はルイズの肩に手を伸ばす。

「触んないでって言ってるじゃ成い」

 ルイズは頬を膨らませ、プイッと横を向いた。其の頬が赤く染まっている事が判る。

 才人が3度目に肩を抱くと、今度は払い除けられる事は無かった。

 ルイズは怒った様に唇を尖らせ、身を硬くしている。

 一言で言ってしまうと、そんなルイズは可愛らしいと此の場の皆に想わせた。

 才人はもう、いても立ってもいられないといった様子を見せ、唇を近付けた。

「嫌だ」

 ルイズは拒んだ。

「そ、そうだよな。キスは御褒美だし。俺、何も御褒美貰える様な事してないし。でも何か、こう、したいんだ。凄く」

 才人が焦った声でそう言うと、ルイズはにや~~~っ、と特大の笑みを浮かべた。最高に意地の悪い笑みで在る。

 やはり……此の情けない顔は、“ガンダールヴ”によって与えられたモノでは無く、先程才人が言った様に、勇気も“愛”も才人自身のモノで在るといえるだろう。

 そう想う事が出来た事で、(やっぱり此奴は、私の奴隷ね。何て言うの? 恋の奉仕者ね)とルイズの中で安心と同時に優越感がヒタヒタと湧いて出たので在った。が、其れで在るのにヤキモキしてしまった自分が、ルイズは情けなく感じられた。

 傷付けられたプライドが、名誉の回復をルイズへと要求する。

 ルイズは立ち上がると腕を組んだ。

 思い切り勝ち誇った声で、ルイズは才人を見下ろした。

「へぇえええええ。あんた、私の何がしたいって?」

「……キ、キス」

「聞こえないわ」

 得意気な仕草で髪を掻き上げ、ルイズは傲慢な様子で言い放つ。

「キ、キスしたいと、言いました」

 既に才人は正座をし、敬語で話している。膝の上で拳を握り締め、悔しそうにプルプルと震えている。キスしたい、と言ってしまった時点で、もう負け確定なので在った。

「凄くしたい? 一応訊いて上げるわ。どの位?」

「い、一杯」

「一杯? もっと具体的に言いなさいよ。あんた、私とキスしたいんでしょ? 烏滸がましいったらないわ。御主人様とキスしたいなんて真顔で言う獣の存在に、私は感動するわ」

「け、獣じゃ無いもん」

 才人は、キスしたい一身で、卑屈さを膨れ上がらせてしまっていた。

「獣じゃないの」

 ルイズの眉が吊り上がる。

 キュルケ、シエスタ、ジェシカ、ティファニア、アンリエッタ……色々プライドを傷付けられたで在ろう想い出が、次々と形を変える万華鏡の模様の様に、ルイズの脳裏に蘇って来る。

 其の想い出に対する怒りが遂々ルイズを目醒させてしまった。

 奇跡とでも云える小悪魔っ振りを、ルイズは纏い始めたので在る。誰にも習った訳でも無い。恐らくこれは、ルイズの何処かに眠っていたで在ろうと推測出来る。今までは、レベルが低くて表に出て来なかっただけなのだろう。嘗ては無意識の内に溢れるだけで在っただろう己の小悪魔性を、ルイズは才人の反応を見乍ら見事に操り始めたので在る。

 ルイズはニヤッと笑みを浮かべ、先ず腰に手を当てた。

 其のポーズだけで、もう才人は死にそうだといった様子を見せる。

 其れだけでは飽き足らず、ルイズは片足を持ち上げ、足の裏を壁に付けて寄り掛かった。膝で踊り子衣装の腰布が持ち上がり、ルイズの微妙且つ絶妙なラインを描く太腿を才人の目に焼き付けたので在る。

 ルイズは、同時に軽蔑を多分に含んだ流し目を、才人へと送った。

 そう成ると才人はもう、呼吸をするだけで精一杯に成ってしまうので在った。

 鼻歌でも歌うかの様な口調で、ルイズは才人に言い放った。

「で、私と何がしたいって言ったの? 何か言ったわよね? 其の面白い形した口で。ユニークとしか形容しようのない笑える動きで、気味の悪い犬の涎と一緒に、傑作単語を口にしたわよね。あんたってば」

「キ、キスッ……」

「じゃ褒めて」

 果てしなく得意げな態度で、ルイズはサラッと言った。

「……え?」

「一杯褒めて。そうね、先ずはあのメイドね。シエスタより、私が勝ってる部分を100個挙げて。じゃ無いと何もしてあげない」

 才人は取次筋斗に成り乍らも、苦しそうに答えた。

「そ、そんな御前……どっちが勝ってるとか……御前にも良い部分が有って、シエスタにも有って……一概には……」

 ルイズの目に殺気が宿る。ガシッと、ルイズは才人の股間を潰さ無い程度の絶妙な力で、確実に痛みを与える程度に踏み付けた。

「――あがごげッ!?」

「そんな良い子ちゃん、訊いてないのよ。褒めろって言ったの。あんたの主人を、あんたの支配者を、あんたの神を、褒めろって言ったの。聞こえなかった? 死んどく?」

 混乱の極みの中、才人は禁句を口にしてしまう。

「え、えっと……ルイズはぁ! 先ず胸がぁ!」

「貶してどーすんのよ」

 ルイズの唇が凶悪に歪んだ。ガシッと、ルイズは踏み付ける足に力を込める。

 こぼっ……と才人の口から妙な嗚咽が漏れる。

 其の瞬間……。

 こほん、と咳払いの音がした。

 ルイズが振り返ると、ギーシュとマリコルヌとモンモランシーが御者台の上から見詰めて来ているのが見えた。

 其れからルイズは、俺とシオン、そしてイーヴァルディの方を見た。

 ルイズは、夢中に成って、俺達の存在を忘れてしまっていたので在ろう。

 ルイズは顔を真っ赤にした。

 才人は先程の一撃によるモノだろう、何遣ら夢の世界に旅立ってしまっている。

「其の……ルイズ。其のくらいにしておかないと、君の名誉が……」

 困った様な声と調子で、ギーシュは言った。

「馬鹿ね! 退屈だから、ちょ、ちょっと芝居の稽古をしていただけど! そうよねサイト!?」

 然し才人は気絶してしまって居る為に、答える事は当然出来無い。

 ルイズは気絶した才人を急々と火事場の馬鹿力を振るい起き上がらせ、以前シエスタが遣った様に、後ろに回って操った。

「“やあ。俺サイト。今のハ芝居の稽古だったんダ”」

 ギーシュ達は首を横に振り乍ら、前を見る。

 マリコルヌが溜息を吐き乍ら、馬に鞭を入れた。

「ああ、既視感があると想えば、ルーに似ているのか……」

 イーヴァルディは、ルイズを見てボソッと呟いた。

 俺達を乗せた馬車は加速する。

 不安や喜びや希望、そして誇りに自尊心……色々な想いを満載して居るで在ろう荷馬車は“ゲルマニア”の国境を目指して、双月の明かりの下、街道を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバサは夢を見ていた。

 懐かしい、“ラグドリアンの湖畔”近くに在るオルレアン屋敷……中庭にテーブルが用意されて、優しかった父と母が、楽し気に料理を摘み乍ら談笑をしている。

 シャルロットは2人に見守られる様にして、母が街で買って来て呉れた人形――“タバサ”と名付けた――御世辞にも造りが上等とは言えない人形相手に本を読んでいた。何度も読んだ“イーヴァルディの勇者”を明るい声で朗読している。

 今では出す事は出来ないだろう、朗らかな声が喉から溢れていた。

 時の向こうに消えた、優しい時間が其処には在った。

 夢の中で、タバサは此処が夢で在る事に気が付いた。

 何故なら、あの様に温かい笑顔を浮かべる父は、もう、何処にもいないのだから。

 執事のペルスランが現れて、「御嬢様の御客人が御出になりました」と、シャルロット達に告げた。

 母が、「御通しして」と言った。

 父が、「シャルロットの友達かい? 珍しいな」と笑顔で言った。

 中庭に、“学院”の仲間達が顔を見せる。

 ギーシュとマリコルヌが、花束を持って現れた。モンモランシーも一緒だった。

 ルイズが少し恥ずかしそうな顔で、タバサに紙包みを手渡す。中には御菓子が沢山入っている事が、匂いから判る。

 赤い髪が眩しいキュルケがいた。ニッコリと笑って、タバサを抱き締める。

 親友に抱き締められ、タバサは訳も無く感動を覚えた。友人の温もりは、何にも代え難いので在る。まるで凍て付いた心が溶けて行くかの様に、タバサには感じられた。

 もう1人の人間では無い親友が空から降りて来て、タバサの顔を舐め上げる。

「貴女が、皆に報せて呉れたのね」

 シルフィードは、嬉しそうに、きゅい、と一声鳴いた。忠実な其の“使い魔”の顎を、タバサは優しく撫でて遣った。

 シルフィードは、目を細める。

 シオンと、彼女の“使い魔”で在るセイヴァーも中庭へと顔を覗かせる。

「無事で何より。終わり良ければ全て良し、だな」

 次に現れたのは、才人で在った。

 デルフリンガーを背負った彼は、ユックリとタバサに近付き、頭を下げた。

「御免な。遅く成っちまって」

 タバサは、はにかんだ笑みを浮かべて目を逸らす。

 抱えていた“イーヴァルディの勇者”が、タバサの手から滑り落ちる。

 滑り落ちた“イーヴァルディの勇者”が、形を取り、ヒトの形へと変化する。

「指示を、“マスター”」

 何処までも優しい、温かい夢の中で、(私は仕えるべき勇者を見付けたのだろうか?)とそう想った。



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フォン・ツェルプストー

 “ゲルマニア”にある、深く濃く黒い森の中に、フォン・ツェルプストーの城はある。城とはいっても、“トリステイン”や“ガリア”や“アルビオン”などの其れとはかなり趣を異にしている。

 元は石造りの、歴史ある立派な建築物であったのだろうが、無秩序に増築を重ねたためだろう、建築当初の何倍もの大きさに膨れ上がっている。その建物の様式も一定では無いといえる。旧“トリステイン”や“ガリア”の“古代カーペー朝”に見られる、高い先塔が特徴の“ヴァロン調”の建物かと思えば、壁が途中から“アルビオン式”の重厚な城壁へと変貌を遂げているのである。“ロマリア調”の繊細な煉瓦造りの塔の隣に、大きな石で組み上げられた“古ゲルマニア”の城砦が聳えている……といった具合の、見た目と格式を全く無視した、乱雑な造りであるといえるだろう。“トリステイン”や“ガリア”や“アルビオン”の“貴族”が見たら、眉を顰めるで在ろう様な造りをした城であったのだが、変化と革新を尊ぶ“火の国ゲルマニア”らしい、力強い造作ともいえなくもないであろう。

 そんな城の一室で、ポカポカとした春の陽気に当てられて、才人はグッスリと眠り込んでいた。かなりの大冒険をやらかした後であったためだろう、激しく身体が疲れていた所為もあるといえる。

 深い眠りの中、才人は夢を見ていた。

 才人にとって、懐かしい夢である。

 故郷の夢。地球の夢……。

 

 

 台所で母が料理を作っているのが見える。

 才人は、その様子を後ろから見詰めている。

「母さん、何を作って居るの?」

「あんたの好きな、“ハンバーグ”だよ」

 そんな何気無い会話が、何故か才人の胸に突き刺さった。

 母が振り返る。

 見慣れた母の顔。何処までも優しく、穏やかな母の顔……。

「才人、御前、どうして泣いてるの?」

「あれ?」

 才人は目を擦る。気付くと、涙が溢れていたのである。

「変な子だね」

 そう言って笑う母の顔が、いつしかタバサの母へと変わっていた。

 才人は驚いて、叫び声を上げた。

 

 

「――うわあ!?」

 才人は自分の叫び声で目を覚ました。

「夢か……」

 才人が母の夢を見るのは、これで2度目で在った。

 遠く離れているというのに、才人は不思議と殆ど想い出す事は無いのであった。

 才人はベッドから起き上がると、窓の外を見た。

 太陽は中天を過ぎたばかりである。

 隣のベッドには、マリコルヌとギーシュが寝ている筈であったのだが、姿が見えない。既に起き出した後であろう事が判る。

 服を着ると、才人は自分達に用意されていた部屋を出た。

「サイト」

 ドアの側に、ルイズが立っていた。

「お、ルイズ。御早う」

 才人が朝の挨拶をすると、ルイズは恥ずかしそうに目を伏せた。

「昼食の用意が出来たそうよ。皆、先に行ってるわ」

「起こして呉れたって良いじゃないかよ」

「起こしたわよ。でもあんた、起きないんだもの」

「そ、そっか。御免」

 バツが悪そうに、才人は言った。先程の夢を想い出し、恥ずかしくなったのである。深い夢の世界に、才人は旅立っていたのかもしれない。それが母の夢であるという事が、妙に照れ臭かったのであった。

 

 

 

 

 

 “ガリア”の古城からタバサの彼女の母の2人を救い出したのは、5日程前の事である。

 キュルケの実家である、この“ゲルマニア”のフォン・ツェルプストーに到着をしたのは、つい昨晩の事であった。

 ルイズと才人、シオンと俺、キュルケ、ギーシュとモンモランシー、マリコルヌ、タバサと彼女の母親、そしてシルフィード、タバサの“サーヴァント”となったイーヴァルディの計11人と1匹は、無事に国境を超える事が出来たのであった。

 街道沿いには所々検閲が敷かれており、タバサと彼女の母が奪われた事を知った“ガリア”軍が旅人を取り締まっていたのだが、そのたびに俺達は、変化の“呪文”で要人に化けたシルフィードや、キュルケの機転などで上手く立ち回り、検問を突破したので在った。

 地方の“ガリア”軍の規律が乱れている事が、俺達の脱出を容易なモノにしたといえるだろう。検問に立つ地方軍兵士達の士気は低かったのである。簡単に買収に応じた兵士もいれば、全く遣る気のない態度で馬車の中を改めようともせずに「行け」と顎をしゃくった兵もいたのである。そういった事からも、“ガリア王”政府は、直轄の軍以外からは余り良くは思われていないとう事が理解できた。

 何よりも幸いであった事といえば、“ゲルマニア”との国境に配備されていた隊で在る。“東薔薇騎士団”と名乗る、精鋭の騎士隊が、其処に詰めていたのであった。

 当然、俺とシオンを除いた皆は緊張をした。

 彼等は厳重に馬車の中を改めると、変装したタバサを見付け出したのであった。

 1人の隊員が、眠るタバサの顔から化粧を拭い、「この少女は………」と呟いた。

 それh、カステルモールと名乗る騎士団長の若い騎士で在った。

 その瞬間、キュルケは“杖”を握り、才人は剣を構えた。

 しかし、カステルモールは、馬車から出るなり大声で、「問題無し! 通って良し!」、と越境を許可したのであった。

 俺達の馬車が国境を超える時、彼は見事だとしかいえない騎士の礼を送って寄越したのであった。彼は、捕まえるべき俺達とタバサを見逃したのである……。

 目を覚ましたタバサに才人が事の次第を告げると、タバサは「そう」と言って目を瞑るだけであったのだ。

 

 

 

 

 

「あいつにも味方がいるんだな。敵ばかりじゃないって事だ。安心したよ」

 才人は国境を超える際のその様な遣り取りを想い出し、うんうんと首肯いた。

「タバサは?」

「そこの部屋で寝ているわ」

 ルイズは、彼女達に用意された部屋の、廊下を挟んで正面の扉を指さした。

 才人は首肯くと、扉を軽く叩き、その後に軽く押した。

 鍵は掛かっていないのだろう、軽い音を立てて、扉が開いた。

 扉の隙間から、才人は部屋の中を覗いた。

 大きなベッドの上に母子が寄り添って寝息を立てているのが見える。

 才人達が救い出した、タバサと彼女の母であった。

「兎に角、やっと安心だな」

 隣に立ったルイズも、首肯く。

「そうね。一応、ここは“ゲルマニア”だし……“ガリア”も表立って好きにはできないでしょう」

 才人は首肯くと、気になっていた事をルイズに尋ねた。

「なあ、御前が昨日、出した手紙だけどさ……」

 ルイズが“トリステイン”のアンリエッタ宛に梟で手紙を出したのは、昨晩の事である。ルイズは屋敷に着くなり、長い御詫びの文をしたためたのであった。

 先ず、タバサ達を無事に救出出来た事の報告に始まり、次に無断で国境を超えた事に対する御詫びと、2~3日中に帰国するので御裁き頂きたいとの旨を記したのであった。

「ちゃんと俺も捕まえろって書いたんだろうな?」

 ルイズが手紙を書く所はジロッと見ていた才人であるのだが、いかんせんこちらの文字が判らないために、何と書いたのか判らなかったのである。

 才人は、(ルイズは、自分1人で罪を被るんじゃないだろうな?)と想ったために、一応尋ねてみたのであ在った。

「当ったり前じゃない」

 ルイズは澄ました顔で言った。

 暫く才人は、ルイズの目を覗き込んだ。

 鳶色の瞳が、強い意志の光を湛えてキラキラと光っている。

「ホントか? 御前、嘘吐いてるんじゃないだろな? 言い出したのは俺なんだからな。やっぱり俺が責任取らないとな……」

 ルイズはそんな風に、ブツブツと呟く才人を、少し怪訝な目で見詰めた。

「捕まったら、あんた帰れないでしょ」

「まあ、そうだけどさ。でも……俺は一応、騎士隊の副隊長なんだから……それに、“聖杯戦争”だってあるんだ。全てが終わってからじゃねえと帰れないだろ」

 才人は、最近こうで在る。何かと言うと「責任」や「こっちの世界で俺が出来る事」などと、言い出して、ルイズを当惑させるのであった。

「はいはい。もうその話は終わり。ほら行きましょう。皆待ってるわ」

 才人は去り際に、母に寄り添うタバサを見詰めた。

 すると……才人の心の何処かが、ずきん、と疼いた。その疼きは奇妙な違和感であるといえるだろう。

「どうしたの?」

「な、何でもねえ」

 才人とルイズは、母子が眠る部屋を離れ、皆の待つ食堂へと向かう。

「しっかし、こんな趣味の悪い御屋敷、初めて見たわ」

 そうルイズは言うのだが、“ハルケギニア”の城の調度の良し悪しなど才人には当然理解る筈もない。

「この廊下の造りは、“トリステイン”調なのに、何で東方の神像なんか飾っとくのよ。意味理解んないわ。と言うか“トリステイン”の真似をしているだけでも腹が立つのに、そこに東方の像って何よ? 馬鹿にするにも程があるわ」

 ルイズが指さしたのは、幾つか腕を持った神様の像で在る。

 才人は、修学旅行で見た千手観音像を想い出した。

 どうやらルイズには、故郷の調度であるにも関わらず、この様な飾り付けが赦せないらしい。

「見てよ。今度は“ジョバンニ・ラスコー”の宗教画(イコン)よ。色合いがなっちゃないわ。壁の色と全然合ってないじゃない。もう、これだから“ゲルマニア”の成金田舎“貴族”は……」

 ブチブチと文句を付けるルイズに、才人は困った様な声で言った。

「なあルイズ」

「あによ?」

「壁や像や絵も良いんだけどさ……その、御前の格好……」

「私の格好がどうしたのよ?」

 つん、と横を向いてルイズは言った。

「……その踊り子衣装、いいかげん脱いだらどうだ?」

 ルイズの格好はタバサを救い出す時に着用に及んだ、東方の踊り子衣装の侭であったのだ。何というのであろうか、その衣装は要所要所を隠すだけのデザインであるために、どうにも隣にいると目の遣り場に困ってしまう代物であった。

「仕方ないじゃない。これしか服がないんだもん」

 何故か、勝ち誇った様な声と調子でルイズは言った。

「あるじゃん! それに着替える前に着てた、“魔法学院”の制服が!」

「あれ、汚れてるんだもん。着たくないわ」

「別に汚れてないだろ! あれ!」

 才人はルイズから目を逸らしながら叫んだ。見ていると、どうにかなってしまいそうな気分になるからであった。

「それに、此処はキュルケの御屋敷だろ? そんな格好、キュルケの家族や、召使の人に見られても良いのかよ?」

 ちょうどそこに、赤く派手な御仕着せに身を包んだ若い女性の使用人が通り掛かる。

 ルイズは澄ました顔で、羽織ったマントで身体を覆う。

 そうする事で、ルイズの細い肢体はスッポリと隠れてしまうのである。

「ほら、こうすれば見えないもん」

 一礼して使用人が通り過ぎた後、ルイズは挑発するかの様に、マントの箸を摘でヒラヒラと振った。

 チラチラと、ルイズの白い肌が目に飛び込んで来てしまい、才人は顔を赤くして顔を背けた。

「や、止めろよ……そういう風にマントヒラヒラさせるの……」

 するとルイズは、頬を染めて横を向いた。

「どうして?」

「どうしてって御前、み、見えるじゃん」

「何が見えるのよ?」

「肌っていうか、そういうのが……」

「ばっかじゃないの? あんたもしかして御主人様の肌を見て、興奮してるの? 信じられない! なんていう獣! 死んだ方が良いわ。森で」

 ルイズは顔を真っ赤にした侭、言い放った。

「恥ずかしがるくらいなら遣るなよ!」

「は、恥ずかくないもん! “使い魔”に見られたって平気だもん!」

 慌てて声と調子でルイズは言った。

 最初、馬車の中では才人が夢中になって見詰めるのが面白く、調子に乗って踊り子衣装の自分を見せ付けていたルイズであったのだが……見せ付けるだけでは飽き足らず、終いには挑発してみたのである。

 しかし、冷静になってみると激しく恥ずかしい行為である事を、ルイズは自覚する。(私ってば何考えてるのよ)、と皆が寝静まり返った後、毛布の中でルイズはジタバタと暴れたのであった。暴れに暴れ、悩みに悩みまくったのであった。

 ルイズは、(今の私の行為を、神様が御覧になったらどう思うのかしら? 嗚呼、神様だけじゃないわ。小姉様に見られたら?)と考え、そう想うと、顔から火が出る程に恥ずかしくなり、ルイズは自分を呪ったのである。

 そして、馬車の中で悩み抜いたあと……ルイズは閃いたのであった。

 死んじゃうくらいに恥ずかしいけど気持ち好い、という事に。

 ルイズは、(嗚呼、他の女の子じゃなく、私に視線が集中するのがこんなに気持ちが好いなんて想わなかったわ)と感じ、するとどうしても、この踊り子衣装に身を包んでいたくなってしまうのであった。恥ずかしいけど、妙に勝ち誇った気分が羞恥心を飛ばしてしまうのであろう。

「ジロジロ見ないでよね。兎に角。ホントに他意とか、深い意味とかないんだから。着たくて着てるだけなんだから」

 怒ったかの様な声で、ルイズは言った。

 ホントは凄く嬉しいと感じているのだが、それを認める事に対して無性に腹が立つためである。ルイズにとっては、何故か理解らないのだが腹が立つと云った具合であるのだ。自分の中のその様な矛盾と闘いながら、ルイズは言葉を続けた。

「あんまりジロジロ見たら、御仕置きだかんね。はぁ、なんで生まれて来てはいけない生命体なの? あんたってば」

 そんな言葉が、才人を傷付けたらしい。才人は更にグイッと首を横にズラし、完全にルイズから視線を背けた。

「誰が見るか」

 暫く2人は無言で歩いた。

 そのうちにルイズは、視線が来ない事に業を煮やし始めてしまった。つまらないのである。

 壁に掛けられた鏡を見付けたルイズは、そこの前で立ち止まった。

「なんか可愛い娘がいるわ」

「ほら、行くぞ」

「と思ったら私だったわ」

「はいはい」

 才人は相変わらず目を逸らした侭であった。

 ルイズは段々と腹が立って来てしまった。ルイズの心の中で、(“好き”と言った癖に、“好き”と言った癖に、“好き”と言った癖に、“好き”と言った癖に。どうして見ないのよ、どうして見ないのよ。と言うか見てよ見とけ見なさいよ。見たら怒って上げるから見なさいよ)と怒りの言葉が回り始める。

 いらいらが募り、ルイズはとうとう奥義に出た。ソッと指を立てて、頬の横に添えてみたりし始めたのである。

「良い感じだわ」

「ほ、ほら行くぞ」

 才人も才人で、相変わらず外方を向いてはいるのだがソワソワとしながら、ルイズを促すのであった。

 ルイズの頭に、カァーーーーッと血が上がった。(こんなに可愛い私が、こんなに可愛い事してんのにどゆ事? いかんのじゃないの。そうゆうの)、とプライドが聳え立つ山脈の様に高いルイズは、それはもう頭に血が上がってしまったのである。

 その結果、ルイズは暴挙に躍り出てしまう。

「む、むむむ、むむ」

「む、がどうしたよ?」

「む、むむむむむ、胸の布、ず、ずずず、ずず、ズラしたら、どど、どうなののかしら? 可愛いに、色気がプラス。無敵ね」

「はぁ!?」

「私、無敵なんだから。色気プラスで、“使い魔”イチコロなんだから」

 才人も、負けず嫌いは人一倍で在る。そんな風に言われて、ここでルイズを見てしまえば、勝ち負けていう所の負けであると、才人は判断した。よって右手で思いっ切り太腿を捻り上げ、見たい、という欲望から身を守り始めた。

「む、むむ、胸の布、ずずず、ズラしてみよっかな?」

「ズラしてみればいいだろ? だ、誰も見ないし。そんなもの」

「あったまきた」

「きてろ」

「ズラすわ」

 才人は、太腿を捻り上げる指に力を込めた。痛みで、脂汗が流れる。

 ルイズは胸を覆う布に手を掛けた。ズラす、と言った手が動かない。恥ずかしいなんてものではなく、頭が羞恥で茹だって死んでしまいそうだったからである。

 だがそれでも、ルイズはズラしてみせた。身分は女王陛下で在るアンリエッタへと返上したが、今のルイズにとって“貴族”のプライドが賭かっている、とそう感じたためである。なんとしてでも、“使い魔”である才人の視線を主人たる自分に向けさせねばならない、といった具合である。そうしないと、ルイズは気が済まないのであった。

 兎に角滅茶苦茶であるのだが、頭に血が上がってしまっているルイズにはそんな事に気付いていなかった。目先のプライドで頭が一杯で在るのだ。

「わぁ~~~!」

 ルイズは怒鳴って、胸の布をズリ下ろした。

 才人は驚いてしまった。何に驚いたのかというと、ルイズが叫んだその瞬間、意志を全く無視して頭が動いてしまったからである。クルッと、それはもう見事に頭がルイズの方を向いたのである。

 才人の目に飛び込んで来たのは、ズラされた踊り子衣装の胸布、そしてそれに掛けられたルイズの指、流石に咄嗟に思い留まったので在ろう、真ん中手前まで露わにあったルイズの……慎ましやかで平たい胸で在る。

 才人はかなりの速度で、ルイズに躍り掛ってしまう。その侭、抱き着き、「御免。やっぱ駄目だったみたい」と言った。

 我に返ったルイズは、襲い掛かって来た才人の頭を掴み、引き離そうとした。

「ちょ、ちょっとやめ……やめなさいよ! な、なな、何考えて……」

 才人の熱っぽい目が見えた。

 ルイズは、(な、何て目よ。そんなに夢中になられたら、私、私……)と意志とは裏腹と云った風に目を閉じて行く。

「お、俺達……“トリステイン”に帰ったら捕まっちゃうかもしれないんだろ?」

「……そ、そうよ」

 ぼーっとした頭の中で、(もし……今回の件で私だけ牢に入れられる事になったら?)とルイズは考えた。

 才人には、暫く逢えないかもしれないのである。

「……そしたらさ、今だけ、だよな? こうやって、2人っ切りの時間っていうかさ」

 そう言われ……才人に抱き竦められているこの時間が、掛け替えのないものであるかの様に、ルイズには感じられた。

 熱い才人の目と、そんな想いが、手から抵抗しようとする勢いをルイズから奪って行く。

「い、良いの?」

 ルイズはモジモジとしながら、唇を尖らせた。

「そ、そゆ事、き、訊かないでよ。馬鹿……」

 そんな風に恥じらうルイズが激しく“愛”おしく、また愛らしく、才人は頭が沸騰してしまい、ぎゅーっとルイズを抱き竦めた。

 ルイズは心の中で、(嗚呼、御先祖様ごめんなさい。ルイズ・フランソワーズ、仇敵フォン・ツェルプストーの屋敷で、どうやら星になりそうです。門を潜るだけでもあれなのに、まさかこんな場所で、こういう事になろうとは想いも依りませんでした。御先祖様、御母様、姉様、小姉様、皆ごめんなさい……)、と呟いた。

 そんな風に2人して激しく頭を茹だらせていると……。

 廊下の端に動く、赤い髪が見えた。

 ルイズの反応は、素早いモノであったといえるだろう、才人の股間を蹴り上げ、まるで米搗き飛蝗であるかの様に跳ね起きる。

「何時までも起きて来ないから、様子を見に来てみれば」

 ギーシュが首を横に振りながら、顎に手を置いて悩まし気なポーズを取った。

「貴方達、人の家で何をしてるの?」

 流石に呆れた声と調子で、キュルケが言った。

 ルイズは口を真一文字に結んで、冷や汗を垂らしながら震えた。それから、一同に背を向けて、「く、首に虫が付いてたから、取って貰ってました」と苦し紛れの言い訳を口にした。

「何で胸の布をズラす必要があるの?」

 意地の悪い笑みを浮かべて、キュルケが尋ねた。

 ルイズの身体が固まった。ユックリと床に膝を突き、肩を落とした。

 才人は床でピクピクと震え続けていた。

 キュルケはルイズの横へと移動し、其の肩に手を回し、悪戯っぽく呟いた。

「色気足っ振りの仕草だったわよ? あたし、負けるかと思っちゃった」

「ち、違うもん。色気とかそういうの、関係ない仕草だもん。と言うかズレてたから、直しただけだもん」

 ピクンピクンとこめかみを震わせながら、ルイズは必死の言い訳を並べた。

「良いのよ。そんな貴女にプレゼント」

「要らないわよ」

「“トリステイン”からの手紙よ」

 

 

 

 

 

 俺とシオンを除いた一行は緊張した顔で、キュルケの部屋へと集まった。

「随分と早いわね」

「きっと、それだけ御怒りなのよ。貴女の国の女王様は」

 キュルケが、やれやれと両手を広げて言った。

 ルイズは、キュルケに渡された手紙を見詰めた。

 上等な羊皮紙で作られた封筒に、“トリステイン王国”の花押が押されている。見慣れた“百合の紋”……紛う事なきアンリエッタからの返書である事が判る。

 この手紙の中に、これからの彼女等の運命が記されているのである。

 緊張からだろう、ルイズの手が震える。

 才人も緊張した顔でルイズを見詰めている。

 ギーシュとモンモランシー、マリコルヌも息を呑んでルイズの挙動を見守っている。

 いつまでも封を破らないでいるルイズに、キュルケが言った。

「ねえルイズ。貴女、そんな手紙放っておきなさいよ。“トリステイン”に帰る必要なんかないじゃない。あたしの家で使って上げるわよ」

「あんた、コルベール先生が心配じゃないの?」

 コルベールは、国境付近の宿場街でルイズ達を逃がすために身を挺したのである。その後、どうなったのかを知っているのは、此の場では俺だけであろう。先にフォン・ツェルプストーに到着していた“オストラント号”の乗組員達も知らない事である。

「ジャンなら平気よ。きっと、何処かに隠れてるのよ。そのうち連絡がくるわ。まあ万が一捕まってたら、救けに行くだけの話だわよ」

「駄目。これ以上、他の誰にも迷惑を掛ける訳にはいかないわ」

 ルイズは深く深呼吸を擦ると、一気に封筒を破き開いた。

 中には、手紙1枚切りである。そして短く一行、記されていた。

 その文面を見たルイズは震え出した。

「な、何だよ!? 何て書いてあるんだよ!?」

 緊張に耐えられなくなった才人が詰め寄る。

「それだけしか書いてないの? というかなんて書いてあるの? 見せなさいよ」

 キュルケが、ルイズの手から手紙を取り上げた。

「何々、“ラ・ヴァリエールで待つ アンリエッタ”。あら、良かったじゃない。貴女の御実家、直ぐ隣じゃない。面倒が無くって良いわね」

 恍けた声と調子でキュルケが言った。

 その言葉にシオンは心配そうにルイズへと視線を向ける。

 ルイズの震えは、極限まで達してしまった。それから、ポツリと、ルイズは呟いた。

「実家は不味いわ」

「どうして? 御家族に弁護して貰えば良いじゃない」

「弁護どころか、私、殺されるわ」

 観念した様に、ルイズは項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリスタニア”の王宮の執務室で、女王は1人悩んでいた。

 先程、“ゲルマニア”にいるルイズ宛に手紙を出したばかりである。

 無事で良かった、とほっとするのと同時に、面倒な事にならなければ良いが、という不安もまた、彼女の中で広がって行く。

「今の所、“ガリア”は何も言って来ないけれど……」

 ふぅ、とアンリエッタは気怠げに溜息を吐くと、扉がノックされた。

「何方?」

「私です。陛下」

 “銃士隊”隊長のアニエスであった。

「ああ、良い所に入らしてくださいました。隊長殿」

 アンリエッタは立ち上がると、扉を開けた。

 鉄の様な、凛々しいアニエスが現れ恭しく女王へと礼をする。

「信用出来る部下を数名選んで、出掛ける支度をしてください」

「いつでも支度は出来ております。陛下は行き先だけを仰ってくだされば良いのです」

 アニエスの武人らしい物言いに、アンリエッタは僅かに微笑を浮かべた。

「では、ラ・ヴァリエールへ。非公式の訪問ですので、馬車もその様に」

「何やら、御悩み事の様ですね」

 アニエスは、アンリエッタの疲れた様子に気付き、部屋を出ずに言葉を掛けた。

「ええ。ルイズから手紙が来たの」

「という事は無事、“ガリア”の姫君を救出できた、ということですね?」

「そのようですね。謹んで御裁きを御受けします、などと書いてあったわ。あの娘、私がどれだけ心配したのか、理解っていないのね」

「御裁きを与えれば良いではありませんか」

 アンリエッタは黙ってしまった。

「“ガリア”からの、公式の抗議はあったのですか?」

 アンリエッタは首を横に振った。

「ならば、脱獄と無断越境のみ、罪を問えば、よろしいではありませんか。いえ、最近動向が不穏な“ガリア”の、元“王族”を手元においておくことは政治的に悪い話ではありませぬ。勲功と言っても差し支えはありますまい。よって、賞罰無し、というところに落ち着かれては?」

「隊長殿は、御優しいのね」

「陛下は、ラ・ヴァリエール殿とその一行を、御裁きになりたいのですか?」

「友人だからと目溢しをしたら、皆に示しが着かないではありませんか」

 アニエスは、優しい目になって、アンリエッタを見詰めた。

「陛下は、無理をしておいでです。身内に目溢しをしない“貴族”は、この宮廷のどこを見て回っても、見付ける事は叶いませぬ」

「だからこそ私が、毅然とした態度を見せねばならないのです」

 アンリエッタは、少女の潔癖さを思わせる仕草で、唇を噛んだ。

 アニエスはスラリと剣を抜いた。

「私は陛下の剣です。御命令とあらば、此の剣で以て如何様な働きもしてみせましょう。また、剣であると同時に私は盾でもあります。いざ陛下の御身に危険が降り掛かった際には、この身体を盾となし、陛下を御守する所存で御座います。しかしいざと言う時、この宮廷にいる“貴族”の、何人かが陛下の盾となる事が出来るでしょうか? いざという時に頼りになるのは、私の様な軍人とは別の論理と理屈で、陛下に忠誠を捧げ尽くす事の出来る人物です。何があっても、己の信念を曲げない、鉄の心を持った人物です。その様な御友人を御持ちであれば、是非とも大切になされるべきです。陛下」

 アニエスのその言葉に、アンリエッタは唇を噛んだ。指で、服の裾を弄り始める。

「しかし陛下の仰る通り、ただ赦したのでは示しがつきますまい。この様な事で、陛下の鼎の軽重がわれては詰まりませぬ。では、暫くは無給で、何か雑用を与えては如何でしょうか?」

 アンリエッタは不安そうに呟いた。

「それで、皆は納得して呉れるかしら?」

「彼等に匹敵する手柄を挙げた“貴族”が、此の宮廷に何人おりますか?」

 アンリエッタは黙ってしまった。

「それが皆の答えです」

 アニエスは一礼すると、女王の馬車を用意するために執務室を出て行った。

 1人残されたアンリエッタはルイズからの手紙を見詰めた。

 それから泣き出しそうな顔になって、「誰も彼も、勝手な事ばかりして! 人の気も知らないで! 私だけでは無く、御父上や、御家族にも叱って貰いますからね!」と一頻り怒りの言葉を吐き出した後、手紙を胸に押し当てた。その上、ルイズの家族にさねばならない事が在って、かなり気が重いので在る。

 だが、先ずは友人の無事を感謝しよう、とアンリエッタは想った。

「無事で良かった。本当に良かった。“始祖ブリミル”よ、私の友人を無事、連れ戻して呉れた事に感謝いたします。セイヴァーさん、シオン……有り難う……無事で本当に良かった……」

 

 

 

 執務室の外に出たアニエスは、馬屋に赴き馬車を用意させた。屯所に向かい、そこに屯っていた銃士隊達から、連れて行く隊員を選出する。副長を呼び、留守中の指示を与える。全ての準備を終えるのに、10分も経から無い。愛馬に跨ると、城門を潜り外に出た。

 そこには深いフードを冠った男性が居て、アニエスを待っていた。

「今からラ・ヴァリエールに向かう。御前も来い」

「私を牢に入れるために、城に来たのではないのかね?」

 男はフードをズラした。

 コルベールの一見暢気な顔が、其処から現れる。

「脱獄幇助の件は有耶無耶になった」

「何故だね?」

「たった2人の手引きで脱獄が成功したなどと、公にする訳にはいかんのだそうだ」

 アニエスは詰まら無さそうに呟いた。

 コルベールは、すまぬ、といった様に頭を下げると、「では何故、ラ・ヴァリエールへ私を連れて行くのだね?」と問うた。

「教え子に逢いたくはないのか?」

 そう言われ、コルベールは大きな笑みを浮かべた。

「おお! そうなると、彼等は成功したんだな! 良かった! 嗚呼、本当に良かった!」

 アニエスは部下の銃士を呼び、コルベールの馬を用意させた。それから伴の銃士達を城門の前に整列させ、女王の馬車を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラ・ヴァリエールの城では、一家勢揃いで客の到着を待ち侘びていた。

 ダイニングルームの大きなテーブルの上には豪華な昼餐の料理が並んでいる。しかし、そこにいる誰もが料理に手を付けようとはしないい。

 上座に腰掛けたラ・ヴァリエール公爵は美髯を揺らし、気難しそうな灰色の瞳を輝かせて、テーブルを叩いた。

 ばん! と大きな音がしたが、召使も含めてダイニングルームの誰もが動じない。公爵がこの様に怒りを露わにする事は、別に珍しい事ではないのであった。

「ルイズの奴は、何処までこの儂に心配を掛ければ気が済むのだ!」

「御父様の言う通りだわ。家族の許しもなく、戦争に参加したかと思えば、勝手に国境を超えて“ガリア”に潜入しただなんて! 戦争になったらどうするの!?」

 眼鏡の奥の鋭い瞳を輝かせて、エレオノールが父の言葉に同意を示した。彼女は報せを受けて、“トリスタニア”の“アカデミー”から飛んで来たのである。

 父と姉の言葉を黙って聞いていたカトレアが、ルイズと御揃いの桃髪を揺らして、コロコロと笑った。

「凄いじゃない。“ガリア”からクラスメイトを救い出すなんて。何だか英雄譚みたいですわね。私、自分の事みたいに誇らしいわ」

 エレオノールが、ジロリとそんなカトレアを睨み付けた。

「笑ってる場合じゃないでしょう? 貴女、嫌にあの娘の肩を持つけれど、どういう事? この前跳ね橋の鎖を“錬金”で溶かしたの貴女でしょう?」

「さあ、覚えてませんわ」

 カトレアはコロコロと笑い続けた。

「良い事? 今度はあの娘、国法を破ったのよ。陛下直々御裁きを下しに、こちらにいらっしゃるんじゃないの。御家取り潰し、なんて事態になったら大変よ!」

「大袈裟ですわ」

 カトレアは笑いながら言った。

「大袈裟じゃないわ。ただでさえ、この前の戦に出兵しなかった件で、“王政府”からは快く想われていないのよ」

 ラ・ヴァリエール公爵家は、この前の“アルビオン戦役”で、一兵たりとも兵を送っていなかったのである。その結果、莫大な軍役免除税が課される事になったのだが。ラ・ヴァリエール公爵家はそれを大人しく払ったのである。だが、出征した“貴族”の中には、そんな公爵家を「不忠者」と扱き下ろす者も存在するのもまた事実であった。

「別に“王家”に反旗を翻した訳じゃ無ないでしょう。それに陛下はルイズの幼馴染じゃない。厳しい罰を御与えになるとは想えないわ」

「そんな昔の事、覚えている訳ないじゃないの。おまけにフォン・ツェルプストーから帰って来るですって? 御先祖様が聞いたら嘸かし御嘆きになるでしょうね!」

「あら、シオンちゃんは、しっかりと覚えていてくれたわ。それに、聞いた話では、フォン・ツェルプストーの娘とも悪くは無い関係らしいわよ」

 それまで黙っていた、3姉妹の母であるラ・ヴァリエール公爵夫人が口を開いた。

「陛下に御裁きを頂く前に、当家で罰を与えれば良いのです」

 その言葉に、ダイニングルームの空気が凍り付いた。

 厳しかったラ・ヴァリエール公爵の顔に、焦りの色が浮かぶ。

「だ、誰が罰を与えるのだね?」

「そう言った手前、私が与えましょう」

 一家の後ろに控えていた、それまで動じなかった召使達が、僅かに身体を震わせ始めた。

 エレオノールが珍しく作り笑いを浮かべ、「な、何も母様が自ら御与えにならなくても……ねえ、カトレア?」と言い、カトレアへと話を振る。

 カトレアもまた、少し困った様な声で、「わ、私もそう想いますわ」と言った。

 こほんと、ラ・ヴァリエール公爵が咳をした。

「なあカリーヌ。娘達の言う通りだ。何も御前が自ら……だろう? ジェローム」

 公爵は、側に控えて居る執事に同意を求めた。

「あ。いけませぬ。私、用事を想い出しました」

 老執事は、慌てて逃げ出した。

 それが合図で、召使達は一斉にダイニングルームを飛び出して行ってしまう。

 ぱたん、とドアが閉まる音と同時に、公爵夫人は立ち上がる。表情は全く変わらない。ただ、ユラリとその身体から強烈な何かが立ち上る。

「娘の不始末の責任は、教育を施した私にあります。そうですわね? 貴男」

 ラ・ヴァリエール公爵は、カチカチと震えながら口髭を弄り始めた。昔を想い出したのである。若く、美しく、そして、峻烈だった自身の妻の過去を……。

「そうだ! わ、儂がキッチリ厳しく言い含めよう! もう2度と、この様な事は……」

 その言葉が途中で轟音に掻き消されてしまう。

 パラパラとテーブルの上に誇りが舞い落ちる。

 見ると、ダイニングルームの壁が消失していた。

 何とも強力な“風”の“呪文”であった。

 “杖”を構えた公爵夫人は、参った、とでも言う様に首を横に振った。

「これ以上、弱く放つのは難しいわね……まあ、何とかなるでしょう」

「カ、カリーヌ! だから、ルイズには儂が……」

 ジロッと、公爵夫人は夫の顔を睨んだ。

「大体貴男が娘に甘いからこうなるのです! 厳しいのはいつ表面だけでは在りませんか! 長い間、黙って見ておりましたが、御蔭で随分と我儘に育ってしまった様ね!」

 妻に怒鳴られてしまい、公爵は思わず頭を押さえた。

「ご、御免なさい!」

「御家も大事、娘も大事では、通る道理も通りませぬ。この“烈風”が、娘に罰を与え、陛下に御覧になって頂きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあルイズ。御前、どうしたんだよ?」

 才人は、怪訝な顔でルイズを見詰めた。

 ラ・ヴァリエールの領地へと向かう馬車の中、ルイズはずっと震えっ放なしなのである。同時に激しく落ち着きが無い様子。

 向かい合った前の座席に腰掛けた、ギーシュとマリコルヌ、そしてモンモランシーも、そんなルイズを不思議そうに見詰めていた。

「貴女、熱病にでも罹ってるの? 寒いの?」

 呆れた様子で、才人の隣に座ったキュルケが、気怠気に髪を梳いて居た手を止めて尋ねた。

 その隣にはタバサが座っている。キュルケの屋敷に母を残しての、“トリステイン”行きで在る。キュルケは、母親と屋敷に残る様に勧めたのだが、タバサは頑なに拒んだのであった。キュルケの屋敷成ら残して行っても安心であろうということで落ち着き、俺達はタバサの同行を了承したのである。そんなタバサの母は、未だに心を病んだ侭である。ただ、前の様にタバサを見て怯えるということはなくなったのであった。

 そして、ルイズの隣にはシオン。

 俺とイーヴァルディは“霊体化”している。

「ねえタバサ、シオン、貴女達もルイズ、変だと想うでしょ?」

 話を振られ、タバサはルイズへと視線を移す。珍しく、本を広げていない。“アーハンブラ城”から逃げ出す際に、ミスコールの部屋から見付け出した愛用の“杖”を握り締め、何処か遠くに視線を合わしていた。

 タバサは、ガタガタわなわなと落ち着き無く震えるルイズを見て、「怯えてる」と呟いた。

「あはは……」

 シオンは、そんなルイズの様子を見て、キュルケの質問に対して、苦笑いで答える。

「“アーハンブラ城”に乗り込む時より、怖がってるじゃない。そんなに実家に帰るのが嫌なの? 変な娘ね」

 才人は、ルイズの実家を想い出した。

 厳格を鎧にして着込んでいるかの様な公爵。ラ・ヴァリエール公爵の鷲の様な眼光……。

 ルイズの性格を更にキツくしたかの様な長姉エレオノール……。

 才人は、(そんな家族に、責められるのが怖いか?)と想った。

「でもまあ、取って喰われる訳じゃ無いだろ。こないだ、参戦の許可を貰いに行く時だって、そんなに怖がって無かっただろ」

「事情が違うわ」

 ルイズは、震える声で呟いた。

「事情?」

「こないだは参戦の許可を貰いに行ったのよ。規則を破った訳じゃ無いでしょ」

 才人は、ルイズの肩をポンポンと叩いた。

「規則というか、法律を破って怒るのは姫様や“王政府”だろ? そりゃ、御前の父さんや姉さんも怒るだろうけど、と言うか俺、そういや打首とか言われたんだっけ……」

 ルイズの父で在る公爵の怒り顔を想い出し、才人も震えてしまう。

「それころじゃないわ。私の家には、規則(ルール)を破る事が、死ぬ程嫌いな御方がおられるの」

 ルイズは両手で自分を抱き締めと、更に酷く震え始めた。

「な、何だよ!? そん成に怖いのかよ!? 一体何方何だ? 御前の父さんか? 其れとも、あの姉さんか?」

「か、かかか」

「か?」

「母様よ」

 才人は、以前チラッと見た事の在るルイズの母親を脳裏に蘇らせた。

 高飛車オーラを放っていたのは確かではあるが、食事の際などでは大人しく座っていただけであった。

 その事からも才人には、震える程怖い人物には思えなかった。

「御尻でも叩かれんのか?」

 そう言ったら、ルイズはとうとう御腹を押さえて蹲ってしまう。

「ルイズ! ルイズ! 何々だよ!?」

「へええ、ルイズの母君って、そんなに怖いのかい?」

 マリコルヌが、恍けた声で言った。

 呪詛の言葉でも吐き出すかの様な声で、ルイズが呟く。

「あんた達……先代の“マンティコア隊”隊長、知ってる?」

「知ってるも何も有名人じゃないか! あの“烈風のカリン”殿だろ? 常に鉄のマスクで顔の半分を覆っていたという……王国始まって以来の、“風”の使い手だったらしいね。その“風魔法”は、烈風どころか、荒れ狂う嵐の様だって」

 マリコルヌの言葉で、ギーシュも想い出したらしい。

「エスターシュ殿が反乱を起こした時に、たった1人で鎮圧して退けたという、あの“烈風”殿だろ? そういや父上が言っていたよ。未だ若かった頃の父上が、一個連帯率いて前線のカルダン橋に赴いたら、カリン殿の手で既に鎮圧された後だったってね。あの“烈風”だけは相手にしたくないって、いっつも言っていたな」

 口々に、彼等は昔の“英雄”の話をし始めた。

「1人で“ドラゴン”の群れをやっつけたこともあるんだろ?」

「“ゲルマニア”軍と国境付近で小競り合いになった時、“烈風”殿が出陣した、という噂が立っただけで、敵が逃げ出したらしいよ」

「でも、とっても美しい御方だったって話ね。噂では、男装の麗人とか……」

「まさか。あんなに強い女性がいるもんか……って、男装?」

 モンモランシーの言葉で、ギーシュが判ったのであろう、青い顔になった。

「も、もしかして、あの“烈風”カリン殿って……」

 吐き出す様な声で、ルイズが言った。

「母様よ」

 馬車の中のシオンを除く一同は、顔を見合わせ、次いで困った様にルイズに尋ねた。

「嘘……?」

「ほんとよ。で、当時の“マンティコア隊”のモットー、知ってる人いる?」

 シオン以外のその場の全員が首を横に振った。流石に隊のモットーまでは知らなかったのである。

「鋼鉄の規律よ。母様は、規律違反を何より嫌っているの」



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ラ・ヴァリエールの家族

 女王の馬車がラ・ヴァリエールの屋敷の跳ね扉を渡ったのは、“トリスタニア”を出発して2日目の昼の事で在った。

 御忍びの訪問で在る為に、取り巻きはアニエス以下、大きなフードを冠ったコルベールと、銃士が5名のみで在る。

 一行が跳ね橋を渡り切り、城門を潜ると、集まった屋敷中の召使達が一斉に礼をした。中庭のポールに、スルスルと小さな“トリステイン王家”の“百合紋章”が掲げられる。御忍びの女王を迎える為の、細やかな礼で在ると云えるだろう。

 アニエスは馬を下りると、馬車の扉を開けた。

 城の本丸へと続く階段の真ん中に“魔法衛士隊”の制服をみつける、アニエスは目を細めた。

「どう為さいました? 隊長殿」

 アンリエッタは、階段の真ん中に立つ騎士を見付け、驚いた声を上げた。

「“マンティコア隊”の衛士では在りませんか」

 其の騎士は、“幻獣マンティコア”の大きな刺繍が縫い込まれた黒いマントを羽織っていた。

「“マンティコア隊”は、現在城勤めの筈ですが。おまけにあの羽根飾り。隊長職の帽子ですぞ」

「然し、ド・ゼッサール殿にしては、身体が細いですわね」

「と言うか此処におられる筈が在りますまい」

 ユックリと衛士は階段を下りて来た。

 銃士達が警戒をして、女王の周りを取り囲み、腰の拳銃に手を掛ける。

 アニエスは一歩進み出ると、騎士の前に立ち塞がった。

 騎士の羽根飾りの下の顔は、下半分が鉄の仮面に覆われている。

 其の鋭い眼光に一瞬気圧されそうに成り、アニエスは剣の柄を握り締めた。

「ラ・ヴァリエール公爵縁の者か? 陛下を迎えると云うのに、何とも過ぎた悪巫山戯だ。名乗れらい」

 然し、騎士はアニエスの言葉に応えず、膝を突くと深々と礼をした。

「御久し振りで御座います、陛下。とは言っても、私を覚えている筈は在りますまい。私が御城に奉公していたのは、其れはもう、30年も昔の事で御座いますから」

「まあ」

 アンリエッタはポカンと口を開けて、騎士を見詰めた。

 其のマントは良く良く見れば随分と色褪せ、年月を経たモノで在る事が判る。然し、手入れが良いのだろう、綻びや破れは1つも見当たら無い。

「先代“マンティコア隊”隊長カリーヌ・デレジで御座います。とは言っても、当時は仮の名を名乗っておりました。“王家”には変わらぬ忠誠を」

 先代の“マンティコア隊”隊長、と聞いて、アンリエッタの顔が綻んだ。

「では、貴女があの“烈風のカリン”殿!?」

「はい。其の名前を御存知とは、光栄で御座います」

「御存知も何も、有名では在りませんか! アニエス殿、此の方が伝説の“魔法衛士隊”隊長の“烈風のカリン”殿です! 彼女の数々の武勇伝を聞き乍ら、私は育ったのですわ!」

 アンリエッタは、御転婆少女で在った頃のキラキラとした様子へと戻り、カリーヌの手を取った。

「私、子供の頃大変憧れましてよ。“火竜山脈”での“竜”退治! “オーク鬼”に襲われた都市を救った一件……綺羅びやかな武功! 山の様な勲功! “貴族”が“貴族”らしかった時代の、真の騎士! 数々の騎士が、貴女を尊敬して、競って真似をしたと聞いております!」

「御恥ずかしい限りです」

「何を仰るの! で、私、そんな貴女の秘密を1つだけ知っておりますのよ! 実は女性、そうよね? 引退後は風の様に消えたと聞きましたが、ラ・ヴァリエールにおられたのですね。現在は何をしておられるのですか?」

 カリーヌは、スッとマスクを外した。

 其の下の顔を見て、アンリエッタは目を丸くした。

「公爵夫人!? 公爵夫人では在りませんか!」

 アニエスも驚いた顔に成った。

「では、此の方が……」

「ラ・ヴァリエール公爵夫人、詰まりルイズの母君だったとは……」

「結婚を機に、私は衛士の隊服を脱いだのです。其の時の話は、話せば長く成ります故、御容赦を願います」

「了解しました。でも何故……」

 何故嘗て脱ぎ捨てた服を身に纏っているのだ? とアンリエッタは尋ねているので在った。

 カリーヌは立ち上がった。

「今日の私は、公爵夫人のカリーヌ・デレジでは御座いません。鋼鉄の規律を尊ぶ、“マンティコア隊”隊長カリンで御座います。国法を破りし娘に罰を与え、以て当家の陛下への忠誠の証とさせて頂きます」

「罰ですって!? “烈風”殿が、ルイズに罰を御与えに為るですって!?」

 アンリエッタは物々しい戦支度のカリーヌを見詰め、首を振った。アンリエッタの顔から血の気が引く行く。何かルイズ達に罰を与える積りではいたアンリエッタだが、其の様な気持ちが一瞬で萎んでしまう。

 カリーヌ改め“烈風”のカリンは、アンリエッタ選りも苛烈な罰を与えるだろう事は目に見えていると云えるだろう。

「乱暴は良けません! 私は、其の、あのですね、ルイズに罰を与えに遣って来たのでは在りませぬ。私も若い故、当初は憤りも致しました。然し、良く良く考えてみたのです。確かにルイズは私の許為無く国境を超えましたが……其れも友人を案じての行為。厳しく注意はする積りですが、厳しい刑罰を与える積りは有りません」

「陛下の御優しい御言葉、痛み入ります。然し乍ら、陛下の王権は“始祖”に依り与えられた神聖不可侵のモノ。成らば其の名に於いて発布された国法もそう在らねばなりませぬ」

 カリンはサッと右手を挙げた。

 城の天守の陰から、黒く巨大な壁が飛んで来る。

 着地と同時に激しい砂埃が巻き起こる。

 老いて巨大な、“幻獣マンティコア”で在った。

「尊ぶ可き国法が御座為りにされては、陛下の王道が立ち行きませぬ。其れを破りしが、我が娘と成れば、尚更赦す訳には参りません」

 カリンは50過ぎとは想え無い軽やかな身の熟しで、“マンティコア”へと跨った。

「カ、カリン殿!」

 ぶわッ! と、“マンティコア”は鷲の其れと良く似た形をした翼を羽撃かせる。

 目を見張る様な速度で、主人を乗せた“幻獣”は大空へと舞い上がった。

 

 

 

 

 

 ラ・ヴァリエールの城は、王都選り“ゲルマニア”の国境に近い。

 国境を超えて3時間も行くと、城の高い先塔が見えて来る。

「な、なあルイズ……御前の母さんが、其の“マンティコア隊”の“烈風”殿だとしてもだよ?」

 重苦しい沈黙を破って、才人が口を開いた。

 然し、ルイズは何も応じない。

 其の頃、ルイズは震えるのを通り越してしまい、ぽかん、と口を開けて天井を見詰めていた

「30年も経てば、人間も変わるだろ? な? 確かに昔は怖い怖い騎士様だったかも知れ無いけど、今は良い年なんだから、そんな無茶しないよ。罰って言ったって、精々納屋に閉じ込める位だよ」

「……あんたは、理解って無いわ」

 臨終の床の重病患者とでも云った具合に、ルイズは言った。

「若い頃の激しさを、維持出来る人間なんてそうそういないわよ」

 モンモランシーが、理解ったかの様な事を呟く。

「……あんた達、理解って無いわ」

「そんなに心配する無よ」

「……理解り易く言うと、私の母よ。あの人」

 其の言葉に、馬車の中の全員が緊張した。

 才人は其の空気に耐える事が出来なくなり、大声で笑った。空元気で在る。

「あっはっは! そんなに心配する無って!」

「そうそう! 幾ら伝説の“烈風”殿だって、今じゃ公爵夫人じゃ成いか! 雅な社交界で、戦場の垢や誇りもすっかり抜け落ちてしまったに違いないよ!」

「シオン、何者かが近付いて来ている。かなりの速度だ。これは……ふむ……成る程」

「此方も見えたよ、“マスター”」

 俺とイーヴァルディが、そんな空元気とでも云った様子を見せる才人とギーシュの言葉が終わったと同時に、報告する。

 其の時、窓の外を指指して、タバサがポツリと呟いた。

「“マンティコア”に跨った騎士がいる」

 ルイズは跳ね起きると、パニックに陥ったのだろう、馬車の窓を突き破って外へと逃げ出した。

「セイヴァー」

「了解した」

 シオンは俺へと一言告げると同時に、身構える。

 ゴォオオオオオオオオオッ!

 其の瞬間、巨大な竜巻が現れ、逃げ出したルイズを絡め取る。

「な、何だあれ?」

 才人が唖然とした次の瞬間……竜巻は大きく膨れ上がり、馬車全体を包み込んだ。激しい勢いで、馬と馬車を繋ぐハーネスが吹き飛び、逃げる暇も与えられず馬車は地上に馬を残して空へと跳ね上がってしまう。

「――何だこりゃああああああ!?」

 才人が怒鳴る。

「ぎぃやああああああああ!」

 ギーシュが絶叫する。

「うわぁあああああああああ!」

 マリコルヌが叫ぶ。

「嫌いぁああああああああああああ!」

 モンモランシーが喚く。

「参ったわねぇ……」

 キュルケがボヤく。

「…………」

 タバサとシオンは無言で在った。

 馬車はまるで、巨人の手にでも掴まれてしまったかの様に空中で翻弄された。

 馬車の中の7人は、まるでシェーカーに入れられてしまったカクテルの様に振り回される。

「あいだッ!? でッ! ぎゃッ!」

 壁に、座席に、御互いに打つかり合い、流石に無言で居続ける事も出来ずシオンとタバサ含め、7人は悲鳴を上げ続けた。

 竜巻は唐突に止み、馬車は空中から地面へと落下する。

「落ちる! 落ちる! 落ちる!」

 ワイヤーの切れたエレベータの中にでもいれば、此の様な気持ちにでも成るのかもしれない、と才人はそう考えた。

 落下する馬車が、ふわりと浮かぶ。

 騎士が“レピュテーション”を掛けたので在る。

 ユックリと馬車は地面に着地したのだが、散々にシェイクされてしまった一行は、馬車の中でグッタリと横たわる。

 才人とシオンは必死の想いで、馬車からどうにか這い出た。

 ルイズは、フラフラと地面に落ちて来る所で在った。

「ル~~イ~ズ~!」

 叫んで駆け寄ろうとしたのだが、才人とシオンは目が回ってしまっており、上手く動く事が出来ないでいる。

 其処にユックリと、“幻獣マンティコア”に跨った黒いマントの騎士が現れた。彼女が例の公爵夫人で在る。

 其処に立っていたのは、厳しいと云う言葉を良く捏ねて、鋳型に納め、恐怖と云う炎で焼き固めたかの様な騎士人形で在ると云える女性で在った。

 倒れたルイズの横に立ち、娘へと呼び掛ける。

「起き為さい。ルイズ」

 ルイズはガバッと身を起こすと、「母様……」と呟き、ガタガタと熱病に罹ったかの様に激しく震え始めた。まるで、シェパードに凄まれる小型犬の様で在るとも云えるだろう。ルイズも怒ると怖いのだが、纏う恐怖のオーラは、熊と鼠程も違うと云える。

「貴女。何をどう破ったのか、母様に報告しなさい」

「其の……む、無断で国境を、其の」

「聞こ得ませんよ」

「む、無断で国境を」

 竜巻が飛んだ。

 ルイズは一瞬で上空200“メイル”近く放り投げられてしまい、チッポケな落ち葉で在るかの様にクルクルと回転し乍ら落ちて来る。

 俺は“実体化”し、そんなルイズを受け止め、ユックリと下ろして遣る。

「また貴男ですか……」

 カリンは俺を親の敵でも見るかの様な視線で見詰めて来る。

「今は貴男に構っている暇は有りません。ルイズ。母は貴女に、何の様な教育を施しましたか?」

 桃色の髪はボサボサに成り、スカートは何処かに吹っ飛されてしまい、下着が丸見えに成っていたが、恥じらう余裕さえ今のルイズは失ってしまっていた。

俺はそんなルイズを、優しくソッと下ろす。

「こ、国法を破った事は深く御詫び申し上げます! でも、事情が有ったのです!」

 騎士は“杖”を振った。

「多少手柄を立てたからと言って、調子に乗っては行けません。事情が有ろうが無かろうが、国法を破って良い訳が無いでしょう。結果として、其れは更に多数の人間を不幸にしてしまう可能性を秘めるのです」

 暴風が吹き荒れ、ルイズを揉み苦茶にする。

 才人は見ている事が出来なくなり、ルイズの前に飛び出した。

「や、止めて下さい!」

「貴男は?」

 黒いマントを羽織り、鉄の仮面で顔の下半分を覆ったカリンが才人へと尋ねた。

「えっと……其の、ルイズの“使い魔”です」

「ああ」

 と、カリンは首肯いた。

「貴男は此の前、ルイズの伴をしていた少年ですね。そう、貴男、確か“使い魔”だったわね」

 才人は、ボロボロに成ったルイズを抱き起こした。

「おい! 大丈夫か? 生きてるか?」

「ふにゃ……もう、駄目……ふにゃ」

 ルイズはヘロヘロで、上手く呂律も回っていない状態で在ると云える。無理も無い事で在ろう。巨大な洗濯機の中にでも打ち込まれてしまい、洗濯、濯ぎ、脱水、を喰らったかの様なモノで在るのだ。天下の美少女も、こう成ってしまっては台無しで在る。

 カリンは更に“杖”を構えた。

「ちょ、ちょっと!? もう良いじゃ成いですか! ルイズはもうボロボロですよ!」

 そんな才人に、ギーシュ達が声を掛ける。

「止めとけ、サイト。家族間の問題だ。と言うか御前、命が惜しく無いのか?」

 カリンはジッと才人を見詰めた。

「“使い魔”と言う事は、主人の盾も同然。盾を吹き飛ばすのは、これも道理。恨んでは無りませんよ?」

 巨大な竜巻がカリンの背後に現れる。先程、馬車を包み込んだモノと同じくらいの規模で在る。

 才人はデルフリンガーを握り締め、左手甲が光り出す。

「なあデルフ」

「あんだね?」

「あれ、やばい?」

 巨大な竜巻を指して、才人が呟く。

「やばいね。ただの竜巻じゃねえ。間に真空の層が挟まってて、触れると切れる。恐ろしい“スクウェア・スペル”……が、“サーヴァント”で在る相棒なら、どうにか耐え切れるかどうか……其れでも怪しいかな」

 解説を聞いている暇は、才人には無かった。

 自分目掛けて飛んで来た其れを、咄嗟に才人はデルフリンガーを使って受け切ろうとした。

「止めろ! 逃げろ!」

 デルフリンガーが叫んだが、間に合わない。

 才人の身体は無数の剃刀によって傷付けられてしまったかの様に、切り傷が走り出す。

「い、痛ぇええええええええ!」

「言っただろうが! 此奴は“カッター・トルネード”だよ! 俺が吸い込む前に、御前さんの身体が保たねえんだって!」

 才人は血塗けに成ったが、其れでも踏み留まる。

 恐怖と混乱で麻痺してしまっていたルイズの目に飛び込んで来たのは、ボロボロに成ってしまっている才人で在った。恐怖で真っ白に染まっていたルイズの心が、突然燃え上がった火の様に怒りで覆い尽くされて行く。いつものルイズで在れば、母に反応する事など在り得無い。そう云う風に躾られて、そう育って来たからで在る。が、今のルイズはそうでは無かった。

 気付くとルイズは“杖”を構え、“虚無”の“ルーン”を唱えていた。

 其の“ルーン”の調べがカリンの耳に届き、彼女は僅かに眉を顰める。聞いた事の無い“ルーン”で在るからだ。“火”でも無い、“水”でも、“風”でも無い、況してや“土”でも無い。

 ルイズは“杖”を振り下ろした。

 才人を巻き込んで荒れ狂っていた竜巻“カッター・トルネード”が光り輝く。

 カリンは、(あの娘が唱えた“呪文”は、一体何成のだ?)と想い、見慣れる光に一瞬だけでは在るが躊躇いでしまった。

 “詠唱”の時間は短かったものの、手加減された“スペル”を解除するには十分で在った。ルイズの“ディスペル”が、カリンの放った“カッター・トルネード”を消し飛ばす。

 呆気に取られたカリンが再び“呪文”を唱えようとした其の時、後ろから抱き竦められた。

「御止め下さい! もう、結構です! 御止め下さい!」

 ラ・ヴァリエールの城から、馬で駆け付けて来たアンリエッタで在る。

 後ろにはアニエスもみえる 。

「これ以上、私の前で争う事は赦しませぬ! 而も貴女方は、親子では在りませんか! 続きがしたければ、私に“杖”を御向け為さい!」

 女王の其の言葉で、漸くカリンは“杖”を収めた。

 気力体力、共に限界で在ったルイズは、どう! と地面に倒れ込んでしまう。

 アンリエッタは、倒れた才人に駆け寄った。

「酷い怪我!」

 慌てた様子でアンリエッタは“水魔法”の“呪文”を唱える。

 才人の怪我が、女王自らの“ヒーリング(治癒)”で癒やされて行く。

 血塗けの顔で、才人は呟いた。

「姫様……」

「喋っては行けません! 酷い怪我です!」

 アンリエッタは“水魔法”を続け様に唱えた。

「ルイズは……?」

 ぴくん、とアンリエッタの頬が震えた。

「大丈夫です。シオンを始め御友達が介抱していますわ」

 馬車の中から飛び出して来たモンモランシーが、シオンと一緒にルイズの傷を治療している。

「そっすか……」

 と呟くのと同時に、才人は気絶してしまった。

 介抱するアンリエッタの隣に、カリーヌが深々と膝を突く。

「女王陛下、罪深き娘には此の様に罰を与えました。これ以上の御裁きは、此の私めに御与え下さいますよう」

 アンリエッタは大きく溜息を吐くと、「もう! 何成のですか!? 貴女達は!? 母娘で“杖”を交すなど、神と“始祖ブリミル”が御嘆きに為りますよ! 最初から私は、罰を与える積りは無い、と言っているでは在りませんか!」

「“杖”を以て解決するのが、我等旧い“貴族”の遣り方と申すモノ」

「私は無駄な血が流れるのが、何選り嫌い成のです! 其処の貴方達! 早く怪我をした2人を御屋敷に運び為さい!」

 アンリエッタの言葉で、シオンを除くギーシュ達はルイズと才人に“レピュテーション”を掛け、屋敷へと運び始めた。

 其れから、カリーヌはシオンへと近付いて跪き、深々と頭を垂れた。

「先程の無礼をどうか御赦し頂きたい。そして、遅れ馳せ乍ら……戴冠、御目出度う御座います。エルディ女王陛下」

 

 

 

 

 

「今、“虚無”と言われましたか?」

 其の夜……ラ・ヴァリエール家の居間では女王で在るアンリエッタを囲み、秘密の告白が行われていた。

 暖炉の側には、ラ・ヴァリエール公爵が椅子に座り、言葉少なく燃え盛る炎を見詰めていた。

 父を挟んで、2人の姉が神妙な面持ちで話に聴き入っている様子をみせる。

 先程衛士の服に身を包み、散々に暴れたとでも云えるカリーヌは、公爵夫人としての装いに戻っている。そうすると鋭い目以外は、“烈風”と恐れられた騎士の面影は何処かに消えてしまったと云えるだろう。何とも素早い変わり身で在る。

 ルイズと才人、そしてシオンと俺の4人の友人……ギーシュとマリコルヌ、キュルケ達は別室で休んでいる。「席を外して欲しい」とアンリエッタに言われたためであった。唯一例外として、タバサが此の部屋にはいる。

 さて、ルイズと才人は並んでソファへと腰掛け、気不味そうな様子で指を弄っている。

 カリーヌの“風魔法”で散々に切り裂かれてしまった才人の身体には、所々包帯が巻かれている。アンリエッタの“水魔法”でも、完全に治す事は出来なかったので在る。

 上座に腰掛けたアンリエッタは、大きく首肯いた。

「そうです。ルイズの覚醒めた“系統”は、あの“伝説の系統”……“虚無”なのです」

 ラ・ヴァリエールは、暫く口髭を弄っていたのだが、徐に立ち上がると、娘へと近付いた。其れから優しく、ルイズの頭を撫でる。

「其の様な御伽噺、どうにも信じられませぬな。“虚無”は歴史の彼方に消えた“系統”。信心深い神学者共は、存在するなどと言い張っているが……」

 カリーヌは、鋭い目を光らせて、小さく呟いた。

「私は信じますわ」

「カリーヌ?」

「先程の私の“スペル”を、打ち消したルイズの“呪文”……見た事も無い様な輝きを放っておりましたもの。あれが“虚無”なのね? ルイズ」

 ルイズは首肯いた。

「そうです。母上」

「ふむ……」

 ラ・ヴァリエール公爵は黙りこくってしまう。

 エレオノールが、額に手を遣り床へと倒れてしまった。

「“虚無”……“虚無”ですって? 信じられませんわ……」

 カトレアが立ち上がり、そんな姉を介抱し始めた。

 アンリエッタは言葉を続けた。

「信じられぬのは、私も同じでした。然し、これは事実成のです。“虚無”は蘇り、また其の担い手はルイズだけでは在りません」

 一家は、再び沈黙に包まれた。

 永遠に思われる沈黙で在る。

 ラ・ヴァリエール公爵が、其の沈黙を破った。

「陛下の訪問の意図を御聴かせ願いたい」

 意を決した様に深呼吸をすると、アンリエッタは真っ直ぐにラ・ヴァリエール公爵を見詰めた。

「私に、ルイズを御預け下さい」

「私の娘です。陛下に身も心も捧げておりまする」

「其の様な建前では在りません」

 アンリエッタはアニエスを促した。

 アニエスは首肯くと、傍らの大きな革鞄を開け、黒いマントを取り出した。

 其の紫の裏地に記された“百合紋”の形を見て、ラ・ヴァリエール公爵は目を大きく見開いた。

「其れは“王家”の紋……マリアンヌ様が御若い頃に着用に及ばれたマントでは在りませんか!」

「ルイズ、貴女に無断で国境を超えて、“ガリア”に侵入した罰を与えます」

「は、はいっ!」

「これを着用なさい」

「で、でも、これは……」

「ええ。これを着用すると言う事は、貴女は私の姉妹という事に成りますわね。詰まり、第2位の王位継承権が発生するという事」

「お、おお、恐れ多いですわ。と言うか恐れ多いと言うものでは……」

「貴女と、貴女が持つ力は大き過ぎるのです。其の肩には、常に巨大な責任と、祖国への義務が乗っている事を、2度と忘れない様にするための処置です」

 厳しい目で、アンリエッタはルイズを見詰めた。

 フラフラと、蛇に睨まれた蛙で在るかの様に、ルイズは其れを受け取った。

 とんでも無いルイズの出世を見守っていたラ・ヴァリエール公爵が、口を開いた。

「陛下、娘への分を超えた厚遇、感謝致します。いや、どれ程感謝しても、これ程の厚遇に報いる事は出来ないでしょう。然し、私は陛下に御訊ねせんばなりません」

「何なりと」

「娘の、其の伝説の力を使って、陛下は何をなさる御積りですか? 成る程、“虚無”は伝説。先程、カリーヌの“魔法”を消滅させた手際からして、其の威力はかなり強力なのでしょう。此の前の戦役の様に、他国との戦に御使いになられるのですかな?」

「其の度の事は……深く反省致しました」

「我が娘は大砲や火矢では在りませぬ。陛下が娘に対して何らかの勘違いをなさっておられるならば……」

「成らば?」

「我等は悲しい事に、長年仕えた歴史を捨て、“王政府”と“杖”を交えねばなりませぬ」

 公爵としてでは無く、娘を想い遣る父としての言葉で在った。

 そんな姿に、此の場にいる皆の胸がジーンとする。

 公爵の其の言葉に、アニエスが咄嗟に剣を引き抜こうとした。

 アンリエッタは其れを押し留めた。

「では私から、公爵に質問が御座います。此の国の品位と礼節と知性の守護者たる、旧い“貴族”の貴男に質問が御座います」

「何成りと」

「どうして戦いは起こるのでしょうか? 英知を兼ね、万物の霊長として君臨し、汎ゆる“幻獣”や“亜人”選り秀でた筈の我等は、何故(なにゆえ)、同族で争いを重ねるのでしょうか?」

 其れは、どの世界でも、どの時代で在ろうとも、変わる事の無い命題で在り、大事な疑問、問題で在った。

「…………」

「幾度と無く、戦いが起こりました。大事な人々が傷付き、死ぬ所も此の目で見て参りました。此の私も、復讐に狂い、戦いを引き起こしました。其の結果、私だけでは無く、大勢の人が、大事な人間を……親を、子を、兄弟を、友人を失いました。私は、背負い切れぬ罪を負ったので御座います」

「……戦は陛下だけの御責任では御座いますまい」

「いえ、私の名の下に、皆戦い、傷付き、命を落としました。私が背負わずに、誰が背負うというのでしょうか」

 アンリエッタの其の言葉に、シオンは俯く。

 アンリエッタは深々と頭を垂れた。

「私は……ルイズの力を……何か正しい事に使いたいのです。ならばどうすれば良いのか、今の私には未だ判りませぬ。ただ、争いに用いる積りは有りません。其れだけは信じて下さい。公爵」

「恐れ乍ら陛下、争いに用いる積りが無くとも、いずれ用いねばならぬ時も在るでしょう。いや、強い力は人を惹き付けます」

「公爵の仰る通りです……今また、他国が暗躍しています。強い力を欲して、我等に手を伸ばそうとしている輩がいるのです。手元に置いておきたい、と言うのはそう言った連中から、ルイズを守るためでもあるのです」

「私の不安は、まさに其処に在るのです。強い力を欲する敵がいる。では、陛下がそう成らぬ、と誰が言えるでしょうか? 今、陛下の御決心の御言葉を頂きましたが、其れが変わらぬと言う保証は何処にも在りますまい、何か、陛下の御決心を照明出来得るモノが御座いますかな?」

 アンリエッタは困った様に目を伏せた。暫く、何か良い方法はないかと考え倦ねた後、溜息混りに呟いた。

「ありませぬ。正直申し上げて、私は己が上手く信じられませぬ。よって、証明の仕様など、御座いませぬ」

 其れからアンリエッタは、ニッコリと微笑んだ。屈託の無い、見た者の心を打たざるを得ない、心からの笑みで在る。

「ですから私は……心から信用出来る友人を、側に置きたいのかも知れませぬ。私の間違いを糾す事の出来る、真の友人を、私が道を踏み外した時には、遠慮無く“杖”を向ける事の出来る、友人を……」

 老公爵はアンリエッタを見詰めた。暫く其の目を覗き込んだ後、ルイズに視線を戻した。

「何時か御前は、父にこう言ったね? “覚醒めた系統は火”だと。では、あれは嘘だったのだね?」

 恥ずかしそうに、ルイズは俯いた。

「申し訳御座いません。父様」

「良いかねルイズ。父に嘘を吐くのは、あれが最初で最後にしてお呉れ」

 公爵は、次にアンリエッタに向き直った。

「私は旧い“貴族”です。時代遅れの年寄りで御座います。私の若い頃は、多少、物事が単純で御座いました。名誉と誇りと忠誠、其れだけを守れば、誰にも後ろ指を指される心配は無かったのです。然し……今は時代が違うのでしょう。強い、伝説の力が蘇った今、旧い正義、旧い価値観……そう言ったモノは意味を失って行くのでしょう」

 娘を見る目で、公爵はアンリエッタを見詰めた。

「陛下は先程こう言われた。“己が信じられぬ”と。其の御疑いの心が……見ぬ未来へと漕ぎ出す、何よりの指針と成って呉れましょう」

「父様」

 ルイズが駆け寄り、父に抱き着いた。

「大きく成ったねルイズ。私のルイズ。此の父親は、何時までも甘えが抜け無い娘だと思っていたよ。だが、とっくに御前は巣立っていたのだね」

 父は優しく、娘の頭を撫でた。

「父からの餞だ。御間違いを指摘するのも忠義だ。そして……間違いを認める事が、本当の勇気だよ。ルイズ、忘れてはいけないよ。私の小さなルイズ」

「……父様」

「辛い事が在ったら、何時でも帰って御行で。此処は御前の家なのだからね」

 公爵はルイズの額に接吻をすると、ルイズの身体をソッと離した。そして、アンリエッタに深々と頭を下げた。

「不束かな娘では在りますが、御手伝いをさせて遣って下さい。貴女の歩まれる王道に、“始祖”の御加護が在ります様に」

 暫しの沈黙が流れた後……公爵夫人カリーヌが、ポンポンと手を打った。

「カリーヌ」

「難しい話は終わった様ですわね。遅く成りましたが、夕餉に致しまよう。遠路遥々行らして下さった両陛下を御持てなしするには拙い席ですが、どうか列席くださいますよう。ルイズ、貴女は御友達を呼んで入らっしゃいな。カトレア、エレオノール、ホストを宜しく御願いしますよ」

「申し訳御座いません、叔母様。未だ話すべき事が御座います」

 嘗ての武人っ振りを偲ばせる、キビキビとした歩みで、カリーヌは退室しようとする。

 が、其処にシオンが言葉を掛け、退出を止めた。

「未だ何か有るのですか? シオン」

「はい。私とセイヴァーの事、タバサとイーヴァルディの事、そしてルイズとサイト君の事……“サーヴァント”、“聖杯戦争”の事……」

 其の言葉に、ルイズと才人、アンリエッタの表情は硬いモノに成る。

「“サーヴァント”……確かに其れは気に成っていたが……」

 公爵は、口髭を弄り、シオンへと目を向ける。

「私より、知識の有るセイヴァーに説明を願いたいのですが」

「了解した、“マスター”。では、軽く説明を。“聖杯戦争”……此処“ハルケギニア”に於ける“聖杯戦争”とは、7人の“メイジ”が、7騎の“サーヴァント”――過去に偉業を為し遂げた“英雄”達の霊で在る“英霊”を“使い魔”と為したモノを使役し、ブリミルが残した“聖杯”と呼ばれる万能の願望器を賭けて戦う、殺し合うモノ……“ハルケギニア”で、過去に数度、行われた戦い。これを知る者は、“王族”でも限られています」

「“英霊”、過去の“英雄”達と言ったね? 其れは、君や其処の少年もそうなのかね?」

 公爵は、俺と才人を見比べ乍ら尋ねて来る。

「そうで在ると同時に、そうでは在りません。才人は、“ガンダールヴ”としての力を持ち、其れに類似した“サーヴァント”の“クラススキル”と“神秘性”を所有し、纏っているだけ。私もまた、特例の様なモノで、全く偉業を為し遂げていない“英霊”……“神様転生”をし、其の“特典”として“英霊”の力を獲得し、シオンに“召喚”された者です。で、1番“英霊”然としているのは」

 俺は1度言葉を切り、タバサへと目を向ける。

「ブレイバー……」

 タバサの言葉に応じる様に、イーヴァルディが“霊体化”を解き“実体化”する。

 突然現れたイーヴァルディに、ラ・ヴァリエール家の面々は驚く。

「彼、“イーヴァルディの勇者”でしょう。“根源の座より来たる、死者の精霊”。“死者の記録帯”。“人類史に刻まれた影”。“虚ろの人々”。“人の世の歴史に刻まれて、現世へと降りて来た影法師”。我々はそう云った存在で在り……“英霊”を“英霊”足ら占めるのは信仰、詰まり人々の想念で在るが 故に、其の真偽は関係無く、確かな知名度と信仰心さえ集まっていれば物語の中の人物や概念、現象で在ろうが構わないのですから」

「なあ、セイヴァー……“ハルケギニアに於ける”って言ったけど、其れってどう云う意味だよ?」

「言葉通りの意味だ。“聖杯戦争”は、“地球”でも行われている。ブリミルは、“千里眼”、そして“根源”と繋がり、知識を得、再現し、此処に合ったモノへと改良したのだろう」

 俺は才人の質問に、答える。

「其の“英霊”、いえ、“サーヴァント”と“聖杯戦争”……ルイズと何の関係が在るのかしら?」

「簡単な事です。ルイズは“サーヴァント”を召喚した。其処の少年、才人がそうです」

「ちょっと待ってよ。私、あんたに言われて“サーヴァント”としてサイトと“契約”したんだけど」

 カリーヌの質問に答えて直ぐ、ルイズが疑問を提示して来る。

「才人を此処に喚んだ時点で、御前の手には“令呪”が宿っていた。“令呪”が有るという事は、“聖杯”に“マスター”として選ばれたと云う事だ。遅かれ早かれ、御前は“サーヴァント”を喚び出して“契約”するか、早々に殺されて退場するかのどちらかだっただろう」

「何で私が、シオンやタバサが選ばれたの? どうして“令呪”が……?」

 其のルイズの質問に、タバサもまた疑問に想っていたのだろう此方へと顔を向けて来る。

「基本、1回の“聖杯戦争”で計21画。聖杯戦争が近付くに連れ、“聖杯”に依って“マスター”候補7名に3画ずつ分配されて行く。“マスター”の資格は、“聖杯”自身が“相応しい”と見込んだ者に与える」

「其れでどうして、私達に?」

「相応しいと判断されたのだろうさ。そして、もう1つ条件が在る。其れは」

「其れは?」

「“聖杯”に直接的な害を与えない、なおかつ強い願いを持っていると云う事だ。心当たりが有るだろう?」

 其の俺の言葉に、ルイズとタバサは何かを想い出す様な仕草を取る。

「で、何故此の様な話をする事にしたのかと言うとだな……本来の“聖杯戦争”とは大きく掛け離れてしまっているが……最初に言った通り、基本は殺し合いだという事だ」

「其れでは、此処にいる3人は殺し合うという事かね?」

 公爵は表情を変え、俺へと詰め寄りそうな勢いで口を開く。

「基本と言いました。先ず手を組むなどの方法は在ります。そして……“聖杯”を求めて殺し合うというのにはちゃんとした理由が在るのです。其の目的を果たす事で、殺し合う必要は失くなります」

「其の理由とは、目的とは何なのですか? “始祖ブリミル”は一体……?」

 其処で、これまで黙っていたアンリエッタは口を開き、俺へと質問を投げ掛けて来る。

「“聖杯”は、“根源”と呼ばれる此の世の始まりで在ると同時に終わりで在る空間とを通じるための孔を空け、其処と繋がるために使用されるモノ……万能の願望気で在ると言うのは、其の“根源”からエネルギーを組み上げ、其れを利用する事で可能とする副次的なモノでしかないのです。“聖杯”とは、大凡汎ゆる願いを叶えられる程の魔力が満ち溢れたモノ――“小聖杯”、超抜級の魔法炉心――“脈を涸らさない様に60年と云う時間を掛けて”星の魔力(マナ) “を吸い上げ、七騎の” サーヴァント“を” 召喚“するために必要な魔力を蓄える”――“大聖杯”の2つで構成されている。そして、“小聖杯”の“魔力”とは、脱落した“サーヴァント”の魂に他成ら無いのです」

「ちょっと待って! って事は、サイトが死ななくちゃ駄目って事なの!?」

 俺の言葉を聞いて、才人が怒りを見せる。

 が、其れ以上に怒りを露わにし、ルイズが怒鳴った。

「いや、才人の場合は別だ。レアケースだからな。何が言いたいのかと言うとだな……“サーヴァント”全員が死ぬ必要は無く、其の前に“聖杯”を壊せば良いと言う事なのだが」

 俺の色々と省いた言葉に、沈黙が訪れる。

 ルイズの言葉で顔を青くしていた才人、そして言葉を発したルイズはホッとした様子を見せる。

 次いで、俺は其の沈黙の中で説明を続ける。

「現在、俺達を含め“サーヴァント”は全て“召喚”されている。そして、問題なのは其の“サーヴァント”のうち、3騎が“ガリア”に付いており、ルイズを狙っているという事なのだが……」

「其れは本当なのですか?」

 カトレアが訊いて来た。

「ええ。ですが当然、守り切ります。ですが、其の様な戦いが繰り広げられ、危険な目に遭うだろうと云う事を予め、しっかりと知っておいて欲しいと云う話です」

「…………」

「まあ、話は以上です。長々と、重い話をして申し訳無い」

 

 

 

 

 

 話は終わり、カリーヌが退出をする。

 其の後を追って、姉達2人が部屋を出て行った。

 ルイズも、ギーシュ達を呼びに部屋を出て行った。

 才人も行こうとすると、アンリエッタに呼び止められた。

「……姫様」

 アンリエッタは一瞬顔を曇らせたが、無理矢理浮かべた様な微笑を浮かべてみせた。

「御無事で何よりですわ」

 才人は頬を染めて俯いた。

「いえ……申し訳有りません。勝手な事をしてしまいまして」

「勇気有る殿方と言う者は、野生の鷹や馬の様ですわ。行くなと言っても、行ってしまうのですから」

 アンリエッタは、アニエスから受け取ったマントを、才人に手渡した。

 “シュヴァリエ”の紋が縫い込まれた、騎士用のマントで在った。

「御返しします。女王が1度渡したモノです。返却は罷り為りません」

「でも……」

 才人は口篭った。

「之は貴男を縛る鎖では無いのです。其の羽撃きを助ける翼です。羽織って損は無い筈です」

 困惑と迷いの様子を才人は見せる。

「受け取っておけ、才人。アンリエッタの言う通りだ。其れは御前の助けに成るだろうさ。返す時は、御前が“地球”に帰る時で良いだろうさ」

 アンリエッタにそうまで言われては仕方無いと云った様子を見せ、才人は俺の言葉に対しても首肯き、マントを受け取った。

 マントを羽織った才人を、嬉しそうにアンリエッタは見詰めた。

 其の目に、才人は少しばかり驚いた様子を見せる。

 最近才人に見せる、甘える様な、熱っ放い様な、其の様な色がアンリエッタから消えていたので在る。

 其の代わり、本のスコいの寂しさと……其の寂しさが裏打つ決心の様なモノが見て取れるので在る。

 アンリエッタは才人の耳元に口を寄せると、小さく首肯いた。

「御安心を。もう、女王としての顔しか、見せませぬ」

「え?」

 スッと、アンリエッタは左手を伸ばす。

 才人は軽く緊張し乍ら其の手を取ると、其の甲に口吻をした。

 満足した様にアンリエッタは微笑み、今度は俺とシオンの方へと向かって来る。

「シオン、セイヴァーさん……皆を守って呉れて……無事でいて呉れて、本当に有難う御座います」

 そう言って、アンリエッタは部屋を出て行った。

 影の様に、アニエスが其れに付き随う。

 先程のアンリエッタの言葉の意味を考えているのだろう、才人は其れを反芻している様子を見せる。

 才人は少し寂しい気分に成りはしたが、其れでも、其の様なアンリエッタを凛々しく眩しいと感じた。

 才人も退出しようとすると、未だ残っていたラ・ヴァリエール公爵に呼び止められてしまう。

「待ち給え」

 びくん! と才人は震え、足を止めた。次いで背筋に寒気が襲って来る事を、才人は感じ取った。何だか嫌な予感がしてならないので在った。

 才人の脳裏に、此の前の中庭での出来事が蘇る。小舟の中で、ルイズを押し倒している所を見られてしまい、才人は打ち首を仰せ付かってしまったので在る。

 ルイズの父親の様に、身分の高い人は基本、一々“平民”の顔など覚えてはいないモノで在る。

 が然し、事情が事情で在る。あの時の光景は脳裏に焼き付いていているで在ろう。

 ルイズの母親で在るカリーヌも、覚えていたのだから。

「そう言えば、君の名前を直接訊いていなかったな」

「サ、サイトです。サイト・シュヴァアリエ・ド・ヒラガと申します」

 才人は、爵位の付いた名前を言った。そちらの方が怪しまれ無いと判断した為で在る。

「初対面だな」

 ラ・ヴァリエール公爵の其の言葉で、(良かった。殺されないで済んだ。し、“始祖ブリミル”様、有難う御座います……)と才人は心の中で、思い切り安堵の溜息を吐いた。才人は信じてもいない“始祖”に深い感謝を捧げた。

「ああ。シュヴァリエに成ってからは、初対面だな」

 公爵の其の言葉を聞き、一瞬で才人は、天国から地獄へと突き落とされてしまった様な気分に成ってしまう。

 ラ・ヴァリエール公爵は、才人の肩に手を置いた。

「何、安心し給え。陛下の近衛騎士の君を、打ち首にする訳には行かんからな」

「あ、有難う御座います!」

「然し、夕食の前に軽く稽古を付けるくらいは構わんだろう?」

 初老の男性とは思え無い力で、公爵は才人の肩を握り締める。

「いだ!? あいだだだだ!」

「誰の娘に狼藉を働いたのか、キッチリ身体に覚えて貰わねばならんからな」

 才人は、俺とシオンへと助けを乞うかの様な視線を向けて来る。

「良かったじゃ成いか、才人。父親で在る公爵に交際の許可を貰えたな」

 俺の言葉に、才人は、まるで天から見放されたと言った様子を見せる。

「そうだ……君も、どうかな? シオンちゃんの“使い魔”の……」

「セイヴァーです」

「そう! セイヴァー君だ……あの時は世話に成ったからね。是非共借りを返したいのだが」

「構いませんよ。ですがまあ、其処の才人は兎も角、“サーヴァント”で在る私は、借り物の力とはいえ、ヒトの身では勝てませんよ。其れでも?」

「勿論だとも。さあ行こうか」

 ズルズルと才人は、公爵に引き摺られてしまう。

 俺とシオンは、其の後に続いた

 

 

 

 

 

 晩餐会室で行われた其の日の夕餉は話も弾み、楽しいモノと成ったと云えるだろう。

 アニエスに連れられて遣って来たコルベールとの再逢も果たす事が出来た。

 おまけに、アンリエッタからの御咎めは無いと云う事を聞いてギーシュ達は顔を輝かせ、大騒ぎに興じている。

 然し……晩餐会も終わり、寝る時間に成っても才人を始め俺達は、晩餐会室には姿を見せない。

「そう言えば、サイト君達はどうしたのかね?」

 コルベールが尋ねたが、部屋の全員が首を横に振る。

「何処に行ったのかしらね」

 と、キュルケが呟いた。

 皆が心配する中、才人が何処にいたのかと云うと、廊下で半死半生と云った状態で在った。

「あ、歩けねえ……」

 廊下にグッタリと横たわり、才人は溜息を吐いた。

 昼間はカリーヌ、そして夜は公爵に散々に痛め付けられてしまったためだろう、身体が悲鳴を上げているので在る。

 カリーヌの“魔法”も凄かったと云えるが、初老で在る公爵も負けず劣らず凄いと云えた。目を爛々と怒りに輝かせ、震える才人を数多の“魔法”でコテンパンにして退けたので在る。

 娘を押し倒されてしまった父の目と云うモノは、物凄く、才人は全く身動きを取る事も出来ず、一方的にボコられてしまったので在った。

 組手と云うよりは射的で在ると云った方が的確だっただろうか。勿論、才人が的の……。

 そして、才人が身動きを取れないでいたと云う事も在るのだが、“サーヴァント”で在る才人を一方的にボコる事が出来た公爵や公爵夫人の実力はかなりのモノで在ったと云えるだろう。

 実に恐ろしきは、親としての想いから来るモノで在ると云えるだろうか。

「……しっかし、何ちゅう親子だよ」

 才人はヨロヨロと立ち上がろうとするのだが、ぐでッ! と倒れてしまう。

「皆今頃、旨いもん食って楽しく遣ってんだろうなぁ……」

 壁を背にして、才人はへたり込んだ。

 窓の外には、2つの月が見える。

 然し……何駄感駄いって、ルイズは両親に“愛”されていると云えるだろう。一見、厳しい様に見えるのだが……。

 ルイズの母親で在るカリーヌも、非道い罰をルイズに与えたく無いから、酷い怪我に成ら無い程度にルイズを痛め付け、アンリエッタに「これで赦して呉れ」と言ったので在ろう。

 ルイズの父親で在る公爵も、公爵家と云う身分を捨ててでも、ルイズを守ろうとしていたので在る。

「俺は、勿論、誰にもそんな風に庇って貰え無いけどな」

 身体に付いた傷を見乍ら、才人はボヤいた。

「両親か……」

 才人は、1年以上も逢う事が出来ていない、両親の事を想い出した。

 何時だか、ルイズの両親の様に才人を庇って呉れた事が在ったので在った。あれは才人が小学生の頃の事で在る。ある日行き成り、通学路が設定されたので在る。家から学校迄の決められたルート、其処の道しか通ってはいけない、などと云う決まりが出来たので在る。詰まりは寄り道を禁止するためで在ったのだが、才人はある日違う道を通って寄り道をして帰ってしまったので在った。いつも文房具店に、何時も使っている消しゴムが売って無かったためで在る。決められた通学路を通らなかった才人を見掛けたクラスメイトがいて、先生へと告げ口をしたので在った。当然、才人は先生に怒られてしまった。才人が其の事を両親に話すと、「其れは可怪しい、御前は悪くない」と才人を肯定して呉れたので在った。「勉強しなさい」とばかり言っていた母。無口なサラリーマンで在る父。何処にでも在る様な、極々一般的と云える家庭……。

 気付くと、才人は涙を流していた。

「あれ?」

 変だな、と想って才人は目を擦る。

 今まで、両親を想って泣いた事など、才人は無かったのだが……。

 ルイズと、両親の遣り取りを見て、何かを想い出してしまったのかもしれない。

 然し、此の様な泣き顔をルイズや皆に見せる訳にはいかない、と暗い廊下で1人、才人は膝を抱えて蹲った。

「何をしてるの?」

 澄んだ、優しい声が響いて、才人は跳び上がった。

 

 

 

 ルイズは自分の部屋で、髪を梳かしていた。

 物心が付いてから“魔法学院”に入学するまで、ずっと育って来た部屋で在る。12“メイル”四方の、大きな部屋で在る。天蓋の付いた大きなベッドが、窓から少し離れた場所に置いて在る。其の上には、山の様に縫い包みが積まれている。豪華な彫刻が施された木馬に、大量の絵本。欲しい、と言ったモノは、取り敢えず買い与えられていたルイズ……。

 此の部屋に住んでいた頃は、ルイズは早く此の屋敷を出たくて堪らなかった。母は教育に厳しく、嫁ぎ先の事しか考えていない様にルイズには思え、父は近隣の付き合いと狩猟にしか興味が無い様にルイズには見えていたので在った。

 そして2人には、「“魔法”の勉強をしろ」としか言われなかった様な、ルイズにはそう想えた。「“魔法”が出来ない女の子は、きちんとした所に嫁ぐ事は出来ませんよ」と厳しく言われ、ルイズにとって毎日が牢獄の中と云った風で在ったのだ。

 だが、両親や此の屋敷は牢獄などでは無く、ルイズを守る城で在ったのだ。目に見えない“愛”情で、ルイズは深く大事に守られていたので在った。

 ルイズは、ベッドを見詰めた。

「……小さく成ったのかしら?」

 いや、そうでは無いだろう。

 幼い頃、とても大きく感じられたあのベッドが、今小さく見えるのはルイズが成長したためで在る。

 そんな小さく見える家具達を懐かしく感じるのは、ルイズが多少成りともなりとも成長したからで在ろうか。

 いや、とルイズは首を横に振る。

 ルイズは、(私、全然成長して無いわ)と髪をブラシで梳かし乍ら……深く反省をし始めた。(皆……自分の事を心配して呉れてる。御母様も御父様も、姫様も……其れなのに自分は、勝手な事ばかり繰り返しているじゃない)と考え、ふぅ、と可愛らしく溜息を吐いて、首を傾げた。

 其れから、ルイズは鏡の中の自分を見詰めた。

「ねえルイズ。“ゼロのルイズ”。貴女、ホントに伝説って器じゃ無いわ」

 ルイズは、そう自身に話し掛けた。

 ぺたん、と鏡台に頬を乗せて、ルイズは目を瞑る。

「私……これからどうすれば善いのかしら……?」

 ルイズの脳裏に、「己の信じる筋を通す……見失いつつ在った、私の“貴族”としての魂の在処は、其処に在ると存じます」と云った“ガリア”に赴く前にアンリエッタに切った啖呵を蘇る。

 まあね、とルイズは悩んだ。

 己の信じる筋を通すのは問題無いだろう。其れは立派な事で在る。

 だが……ルイズは、(其れによって迷惑を被る人達が発生すると成ればどうでなのかしら? 其の数は少なくない筈よね。何故なら、私の持つ力“虚無”は、大き過ぎるから。私が貫いた正義の所為で、傷付く人々が出て来る。そんな可能性だって在るのよね。私がただの、普通の“4系統”の使い手だったら、こんなに悩みはしなかったのに……)と想った。

「本当に、どうすれば良いのかしら……?」

 悩まし気にルイズは呟いた。すると、ルイズの脳裏に、才人の顔が浮かび上がる。(私がこんなに悩んでるのに、あの馬鹿は何をしてるのかしら? 未だ寝てるの?)と想った。

 才人は夕餉の席にも、結局出席しなかったのである。

 ルイズが、遅れて遣って来た父に尋ねたら、「疲れたから寝るそうだ」と言った切り、黙ってしまったので在る。

 ルイズと才人は“ガリア”に向かってから、皆と一緒で在る事が多かった為に2人っ切りの時間が中々持てなかったので在る。話したい事が沢山有る様な、ルイズは其の様な気に感じていた。のだが、目粉るしく変わる状況が、2人に其の様な時間を許さ無かったので在る。

「私の事が好きなら、こんな風に放って置く何て事、しないでよね」

 詰まら無さそうにルイズは言った。

 だが、此の屋敷にいる限り、才人は此の部屋に遣って来る事は難しいと云えるだろう。何せ才人は、ルイズを押し倒そうとする所を此の屋敷の全員に見られてしまったからからで在る。

「……全く、あの馬鹿ってば、間が悪いと言うか、本当に気が利か無いんだから」

 唇を尖らせ、ルイズは呟く。

 ドアがノックされたのは、其の時で在った。

「誰?」

 一瞬、ルイズは才人かと思って胸をときめかせた。

「私よ。ルイズ」

「姫様」

 アンリエッタの声で在った。

 ルイズは慌てて駆け寄り、ドアを開いた。

 簡素な部屋着に着替え終わったアンリエッタが立って、微笑を浮かべている。

 深々とルイズは頭を下げた。

「どうしたの? ルイズ」

「いえ……姫様に於かれましては、其の、大変な御迷惑を……」

 ふぅ、とアンリエッタは溜息を吐いた。

「良いのよルイズ。もう良いの。私達は対立したけれど、皆無事だったわ。だからもう良いの。貴女は貴女の筋を通しただけ。私も、私の筋を通さねばならなかっただけ」

「……姫様」

「仲直りしましょ。ね?」

 ニッコリとアンリエッタが微笑んだ。

 ルイズは思わず涙ぐみ、アンリエッタに抱き着いた。

 

 

 

 痛みから動く事が出来ずに廊下で蹲っていた才人の前に現れたのは……。

「カ、カトレアさん」

 ルイズと同じ桃色掛かった髪が眩しい、カトレアで在った。ラ・ヴァリエール3姉妹の次女で在る彼女は、包み込む様な、ほんのりとした色気を持った美女で在る。ルイズから険しさを抜いて成長させると、此の様な感じに成るのではないだろかと想わせるスタイルと雰囲気を持つカトレアは、才人の好みに直撃するために、不意に眼の前に現れると息が詰まってしまいそうに成るので在った。

「あらあら。まあまあ」

 驚いた顔で、カトレアは才人の前にしゃがみ込んだ。

「酷い怪我ね……大丈夫?」

 そう言って、カトレアは才人の怪我を確かめ始めた。

「頭からも血が出てるじゃない」

 そう言ってカトレアは、才人の頭を覗き込む。

 すると才人の眼の前には、カトレアの……ルイズの拡大発展型のスタイルの中、唯一妹とは全く違うと云える部分……詰まり胸が現れる。淡い桃色のブラウスに包まれた其れが眼の前に現れたので、才人は更に死にそうと云った状態になりかけた。

「だ、大丈夫です!」

 才人は慌てて立ち上がろうとした。がしかし、直ぐに激痛が奔る。

「って!? いだだだだだだ!」

「無理しちゃ駄目」

 カトレアは、“杖”を取り出すと“呪文”を唱え始めた。

「“イル・ウォータル・デル”……」

 “ヒーリング(癒やし)”の“呪文”で在った。

 ラ・ヴァリエール公爵の“魔法”、そして俺の“宝具”によって付けられた打撲などによる傷が、ユックリと塞がって行く。

「あ、有難う御座います」

 才人はドギマギとしながら、カトレアに頭を下げた。立ち上がり、其の場から立ち去ろうとするのだが、腕を掴まれる。

「駄目よ。“魔法”だけじゃ完全に塞がらないモノ。おいでなさいな、ちゃんと治療して上げるから」

 カトレアはニッコリと微笑んだ。

 カトレアの微笑みは何とも慈“愛”に満ちた微笑と云え、才人は見ているだけで心が癒やされて行く様に感じられた。

 才人が激しく緊張しながらカトレアに連れて来られた先は、どう遣らカトレアの自室で在る様で在る。中に案内されると、才人は驚きを隠す事が出来なかった。

 チチチチ、と鳴いて才人の顔に目掛けて飛んで来たのは、ムササビで在った。

「――うわ!?」

 と、才人が叫んで振り払うと、大きな何かに伸し掛かられてしまった。

 子熊で在る。

「く、熊!?」

 才人が這い蹲って逃げ出そうとすると、でん! と眼の前に大きな何かが現れる。

 巨大な亀で在った。

 次々と動物達が寄って来て、才人に纏わり付き、伸し掛かり始めたので在る。

「こらこら。彼は怪我してるんだから、戯れちゃ駄目よ」

 カトレアがそう言うと、才人に群がっていた動物達がノソノソと離れて行く。

 部屋の中はさながら動物園の様で在り、才人は何時かの馬車の中を想い出した。

 此のカトレアは、動物が大好きなので在る。

「す、凄いっすね」

 才人が素直な感想を漏らすと、カトレアは楽し気に笑った。

「驚いちゃったでしょう?」

「いえ……」

 カトレアは、物入れの引き出しをゴソゴソと探り、中から包帯や薬などを取り出し、才人簡単な怪我の治療を施し始めた。

 心底すまなさそうな声で、カトレアが呟く。

「母様の次は父様とセイヴァーさんの相手だもの。身体が保た無いわよね……本当に御免なさいね。悪い人達じゃ無いのよ。ただちょっと融通が利か無いって云うか……」

「ルイズの両親ですから。仕方無いですよ」

 そう才人が言うとカトレアは、あはは、と笑った。

 其れから、一瞬、ほんの一瞬だけだが、カトレアは何かを想い出したかの様に手を止める。

「どうしたんですか?」

「大丈夫。さっき、“魔法”を使った時の事を想い出していただけよ」

「え?」

「あ、御免御免。気にしないで。何でも無いんだから」

「そ、そうですか?」

「ええ。普段“魔法”を使わ無いだけだから」

 カトレアの言葉には、慈“愛”が満ちていると云えるだろう。

 思わずと云った様子で、才人の顔が綻ぶ。

「ねえねえ、良ければ、御話して下さらない?」

 何歳も年上で在るのに、まるで少女の様子な無邪気さでカトレアは、才人へと言った。全く遠慮など無い様子で、カトレアは才人の顔を覗き込む。

「な、何をですか?」

「あれから、色々大変だったんでしょう? “アルビオン”、シオンちゃんの国では、随分と危険な目に遭われたとか。私、随分心配したのよ。貴女とルイズ達の事」

 才人はカトレアに、此の屋敷に参戦の許可を貰いに来てからの事を話した。

 戦争の事。

 行方不明に成った事。

 110,000の兵に突っ込んだ時の事を、カトレアは目を丸くしながら聴いた。

「そう……ルイズ達の代わりに、貴男達、とんでも無く危険な目に遭ったのね」

「いえそんな! 代わりって言うか、其の、やっぱり其処は俺が行かないと……」

「貴男、偉いのね。そんな凄い手柄を立てたって言うのに、全然偉ぶった所が無くって」

 カトレアにそんな風に褒められると、才人は激しく照れた。

「いやそんな、そんな、其の、そんなぁ……」

「本当に凄いわ。ルイズは幸せ者ね。貴男みたい人に巡り合えて」

 カトレアは、全く他意無く才人を褒めた。

 年上の女性に、其の様にして褒められる事で……才人は、何故か母親の事を想い出した。

 勿論、カトレアと才人の母親は微塵も似ていないで在ろう。

 だが……其の全く含みの無い褒め言葉は、才人が母から掛けられたモノと変わりが無かったと云えるので在る。其の様に、沢山褒められた事など、才人には無かったと云える。だが、褒められた記憶と云うモノは、いつまでも忘れる事が出来ない、忘れる事が難しいモノで在る。

 たまたまテストの点数が良かった時……。

 食器洗いを手伝った時……。

 其の様に何でも無い事で在っても、母は才人を大袈裟と云った風に褒めていたので在る……。

「どうしたの?」

 心配そうに、カトレアが才人の顔を覗き込んだ。

 何時しか、才人は泣いてしまっていたので在る。

「ご、御免なさい! 何でも無いです!」

「何でも無いのに、泣く訳無いでしょう。どうしたの? 私に話して御覧なさいな」

「いえ、ホントに……ほんとに何でも無いです」

 母を想い出して涙ぐんだ、などと才人には言う事が出来なかった。其の様な事をすると弱虫に成ってしまうと考えたからで在る。

「御免ね。何か、想い出しちゃったみたいね」

 カトレアはすまなさそうな表情を浮かべ、才人の頭をソッとかき抱いた。

 微かな香水の其れが混じった、フンワリと優しいと云えるとても好い香りがして、才人は目を瞑った。

 温かい、カトレアの胸に抱かれてそうしていると、心が落ち着いて行く事に才人は気付いた。同時に、とても懐かしい何かを感じる事が出来た。

「……どうして、どうして想い出すんですかね? こっちに来てから、あんまり想い出したりしなかったのに。変だな」

 ぼんやりとした声で才人がそう言うと、カトレアは優しい声で応えた。

「御母さん?」

「ええ」

 カトレアは其れ以上、何も尋ね無かった。少し寂しい顔をして、「御免なさい」と呟いただけで在る。

 才人には、どうしてカトレアが謝るのかは理解らなかったのだが……其れでもこれ以上考え無い様にした。

 目を瞑って、カトレアの豊かな胸に抱かれていると……深い海の中に、膝を抱えて湯たっているかの様な気分に成り……才人の心は安らいだ。

 

 

 

 アンリエッタとルイズの会話は、昔の様に盛り上がった。唯一の違いは、此の場にシオンがない事だろうか。

 子供の頃の様に、キャッキャ、と笑いながら、2人は色々な事を話した。

「夏に成ると、よくこう遣ってシオンと3人で過ごしたわね」

 昔を懐かしむ様な目に成って、アンリエッタが言った。

「そうですわね」

 ふとルイズは、アンリエッタに相談したく成った。

「姫様、私、相談した事が有るんです」

「なあに?」

 ルイズは先程、悩んでいた事を素直にアンリエッタへと尋ねた。

 通したい筋を通す事で、誰かが傷付く可能性が在るので在れば、自分はどうすれば良いのか、と云う事で在る。

 ルイズの話を黙って聴いていたアンリエッタは、僅かに真剣な表情を浮かべ……ルイズに対して首肯いた。

「私は、女王よね?」

「そうで御座いますわ」

「ええ、冠らされたのかもしれませんが、冠を冠っているわ。シオン同様に未だ若輩だけど……政治の事も多少学んだ積もり。そして、理解った事が有るのよ。此の世から、争い事が失く成る事は無いと」

「…………」

「でも、少しでも、減らす事は出来る筈。言ったでしょう? 私はこれ以上、大事な人々が傷付く事に耐えられないと。其れは私だけじゃ無い。皆同じだと想うわ。だから、私の様に大事な人間を失って傷付く人々を、減らす事こそが私の使命だと想うの。其れが私の女王としての仕事だと。戦は、争いは決して失く成らない。でも、減らす事は出来る筈」

 ルイズは、小さく首肯いた。

「私、そんな姫様の御手伝いがしたいわ」

「有り難う。やっぱり貴女は私の1番の御友達。サイト殿と2人、どうか力に成ってくださいまし」

 其の言葉に、ルイズは軽く反応をした。アンリエッタの才人への気持ちがどう成ったのか気に成ったからで在る。ルイズの不安に気付いたのかどうか、と云った事で在る。

 アンリエッタは微笑んだ。

「彼の事なら平気よ。御免なさいねルイズ。私、きっとどうにかしていたの。寂しくて、頼れる人もいなくって、きっと、困らせていたんだわ」

「ひ、姫様、何を……」

「あの方は、貴女の騎士。私の騎士じゃない。だってさっき、私が治療しているのに、“ルイズは……?” 何て私に訊いたのよ。あん成に大怪我しているのに、いざとなると気に成るのは貴女の事だけみたい」

「え? ええ?」

 ルイズは耳まで真っ赤にした。

 アンリエッタは更に、悪戯っぽい笑みを浮かべ、「ねえルイズ。何時か、此処でシオンと一緒に、貴女と約束したわね。好きな人が出来たら、御互いに報告するって。私、貴女の報告を未だ聞いていないわ」

「そ、そんな。未だ好きな人なんて、い、いませんもの」

 唇を噛んで、心底恥ずかしそうにルイズは言った。

「嘘ばっかり。貴女って、本当に嘘が下手ね」

「う、嘘なんかじゃ在りません」

 ルイズはベッドに潜り込むと、布団を冠ってしまった。

 アンリエッタも其処へ飛び込み、ルイズを散々に擽り始めた。

「ほらルイズ! 仰い為さい? 誰が好きなの?」

「否……姫様! 私、別に恋なんか……ひゃん!?」

 散々に擽られてしまい、ルイズはグッタリとしてしまう。

「シオンがいないからかしら? 其れとも……そんなに恍けるのなら、カトレア殿に尋ねてみましょう」

「……小姉様?」

「ええ、そうよ。いつか、此の部屋の窓から、カトレア殿の御部屋に忍び込んだ事が在ったじゃない?」

 アンリエッタの顔は、昔のキラキラした少女の頃に戻っていた。

「そう言えば、御座いましたわ。確か、姫様の“魔法”で……」

「ええ、あの頃私、“フライ”を覚え立てて、使ってみたかったのね」

 ウキウキとした表情でアンリエッタはルイズの手を取った。

「ほら、行くわよ」

「え? でも……」

「恋の悩みは、年長の方に御訊ねするのが1番!」

 アンリエッタはルイズの手を引いて、窓を開けた。

 外には春の優しい夜風が舞っている。

 アンリエッタは、“杖”を構えると、ルイズの手を握って優しい夜空へと飛び出した。

 

 

 

 才人は、何時しかカトレアの膝に頬を埋めていた。

「先程……カトレアさんが言った勇気……ホントは俺のモノなのかどうか、良く理解んないです」

「どう云う意味?」

「ほら、俺はルイズの“使い魔”じゃないですか。彼奴の“呪文”の“詠唱”を聞いていると、心に勇気が漲って来る。デルフは……あ、これは俺の剣の名前なんですけど、其奴が言には、“主人の呪文を聞いて勇気が漲るのは、赤ん坊が母親の声を聞いて顔を綻ばすのと一緒だ”、だそうです。詰まり、俺の勇気は……」

「“使い魔”に成る事によって、漲る勇気なのかどうなのかって事?」

「はい。ルイズには、俺の勇気だ、なんて言ってますけど、考えれば考える程、自信が失くなって来るんです。俺が思うより、もっと心の深い場所で“使い魔”になっちゃってるんじゃないかって」

 カトレアは才人の頭を撫でた。

 不思議なモノで、そんな風にされていると、才人は安心するので在った。そして、ずっと想っていた事、心に引っ掛かっていた事が、自然と言葉と成って、才人の口から溢れて来るので在った。

「……不思議です。すっごく」

「何が?」

「こうしてると、母さんを想い出します。カトレアさん、全然似てないのに。でも、何だか暖かくって……」

「……そう」

「本当に不思議です。俺、こっちに来てから、あんまり自分のいた世界の事、想い出した事なかったのに」

「自分のいた世界?」

 カトレアに問われ、才人はハッとした。

 才人は、“此方の世界(ハルケギニア)”の人間では無いと云う事を未だ話してはいないので在る。

 だが……才人は、カトレアになら話しても構わないだろう、と判断した。

「俺は此の世界の人間じゃないんです」

「……そう」

「驚かないんですか?」

「なんとなく……ううん、他の世界なんて想像もした事無かったけど……貴男達が私達と違う人間って事は、其の、“平民”って意味じゃ無くてね、なんとなく感じてた」

 才人はカトレアの其の言葉で、以前逢った時に言われた「根っこから違う人間の様な気がするの。違って?」と云う言葉を想い出した。

「だから、家族に逢いたくても、逢えないんです。でも、ずっと忘れてたのに、どうして、今になって想い出すんだろう?」

「……抑えられていたんだと想うわ」

「抑えられていた?」

「ええ。人間の心って良く出来ていてね、何か辛い事や、とんでも無い事が起こると鍵が掛かっちゃうの。可怪しくならないためにね」

「…………」

「きっと、行き成り別の世界に連れて来られて、心がビックリしたんだわ。で、故郷の事をなるべく想い出さない様に鍵が掛ってしまったのね。でも、何か切っ掛けが在ったのね。心の鍵を外す切っ掛けが……」

 才人は想った。

 タバサや彼女の母との遣り取り、ルイズや両親との絆……其れ等を目にして、抑えられていた想いが蘇る様に溢れ出たので在ろう。

 故郷への想い。

 母への想い。

 才人は目を瞑った。

「……私、貴男の御母さんになれたら良いのに」

 カトレアは、小さく呟いた。

「あは、カトレアさんと家の母ちゃんじゃ、雲泥の差ですよ! 勿体無くて涙が出ます。涙が……」

 弱気な所を見せたくなくて、才人は戯けて言った。だが、涙がポロポロと溢れて来てしまい、どうにもならないので在った。

 カトレアは、才人を抱き締めた。

「良い子ね。貴男、強い子だわ」

 才人は暫く泣き続けた。

 こん成に泣いたのは久し振りだ、と云う位に才人は泣いた。

 そう遣って、カトレアの胸に抱かれて泣いていると……不思議と才人の心は安らいで行く。

 どうしてか、ユックリと乱れた心が落ち着いて行くので在る。

「すいません……みっともないとこ見せちゃって」

 鼻を擦りながら、才人は言った。

「みっともなくないわよ。泣きたい時は思いっ切り泣いた方が良いの」

「でも……」

「あは、貴男、負けず嫌いなのね。人に弱い所見せるのが、好きじゃない。違って?」

「男って、そういうもんじゃないですか」

「大変ね。でも、たまには甘える事も必要だと想うわ。いっつも頼られてばかりじゃ、息が詰まっちゃうでしょう?」

 才人は、はっ! とした。

 周りにいる女性は、才人に頼って来る女性ばかりだと云えるだろう。

 また、“虚無”という力を持つルイズを守る為、“サーヴァント”としてルイズと“契約”を結び、より一層頼りにされ、気張る必要があるのだ。

 そう遣って、調子に乗って強がっていた才人で在るが……本当は才人は、誰かに甘えたかったのかもしれない。

「……そうかもしれないです」

「違う世界って事は……もう、帰れないの?」

「判りません、でも、俺とセイヴァー以外にもこっちの世界に来た人はいるけど……帰えれるかもしれないし、帰れないかもしれません」

 カトレアは、真っ直ぐに才人を見詰めた。

「帰れるわ。きっと帰れる。絶対、何時か御母さんに逢える。家族の元に帰れる。私、そう想うわ」

 力強くカトレアにそう言われ、才人は首肯いた。

「有難う御座います」

「諦めないで。御免なさいね。私も、もっと身体が丈夫だったら、貴男達の帰る方法を探すのを手伝って上げたのに……いえ、もう少しすると治るのかもしれないけれど……そうだ! 私、お母さんは無理だけど、御姉さんになってあげる」

 行き成りのカトレアの言葉に、才人は慌てた

「こ、ここ、こんな美人の御姉さんがいたら、毎日、早く家に帰りたくなりますね」

「ほら、御姉さんって呼んで御覧」

 才人は頬を染めた。

「そ、そんな……もったいないですよ」

「もったいないなんて、そんな事ないわ。ほら、言って御覧なさい?」

 優しいカトレアに、其の様に言われ……才人は思わずと云った風に言ってしまった。

「お、御姉さん」

「辛かったら、いつでも此処に帰ってらっしゃいね」

 カトレアは、才人の頭を嬉しそうに撫でた。

「……はい」

 自分の心の中に何かが満ちて行く事を、才人は自覚する。家族には未だ逢う事は出来ないかもしれないのだが……才人にはこう遣って優しくして呉れる人が沢山いるのだから。

 才人はゴシゴシと、瞼を拭った。

「泣いてる暇、無いっすよね。ルイズの力を……あの“虚無”を狙っている奴がいるんです。其奴はタバサと其の御母さんにも非道い事をした。俺は其奴が赦せない」

 逢った事の無い、“ガリア”王ジョゼフを才人は想像した。

 兎にも角にもジョゼフに……2度とルイズやタバサに手を出させる訳にはいかないと、帰るのは其れが終わってからだ、と才人は想った。

「無理はしないでね」

 カトレアは、才人を再び抱き締めた。

「私、貴男やルイズ達が無事でいて呉れれば、他に何も望まないわ」

 窓が割れる音が大きく響いたのは、其の瞬間で在った。

「――な、何だ!?」

「あ痛たたたたた……」

「いけない、勢い余ってしまったわ」

 何と飛び込んで来たのは、ルイズとアンリエッタで在った。

 2人は痛そうに腰を擦りながら立ち上がると、才人を見て目を丸くした。

「あら。サイト殿」

「な!? なんであんたが此処にいるのよ!?」

「其れは俺の台詞だ! なんで窓から飛び込んで来んだよ!?」

 才人の問には答えずに、ルイズの目が吊り上がった。

「あ、あんたまさか、今度は小姉様って訳? 信じられな~~~い!」

 ルイズは顔を真っ赤にして、才人へと突進した。

「ぐおッ!」

 助走を付けて3“メイル”もの距離をジャンプしたルイズの跳び蹴りが、才人のこめかみに喰らい込んでしまう。

 倒れた才人の上に跨り、ルイズは首を締め上げた。

「選りにも選って小姉様!  選りにも選って小姉様! 赦せない! こればっかりは赦せないわ!」

 才人の上に跨って、何やら喚き散らすルイズを前にして、部屋にいた動物達が反応した。

 わふわふ。わんわん。にゃーにゃー。がおがお。ぶひぶひ。

 と云った具合に其々動物達が反応をし、「戯れてるの?」、「混ぜて?」、と言わんばかりに、数々の動物が才人の上に伸し掛かり始めた。

「むぎゅ……」

 重さによって、才人の意識が遠退いてしまった。

 

 

 

 気絶した才人を、ルイズは鬼の形相で見下ろした。

「寝てる場合じゃないわよ!」

「ルイズ、ルイズ! 殿方を蹴っ飛ばすなんて、レディのする事では無いわ!」

 ルイズが更に才人を蹴っ飛ばそうとしたため、流石にアンリエッタが止めに入る。

 カトレアが、コロコロと笑い転げた。

「嫌だわルイズ。私が貴女の恋人にちょっかい出す訳ないじゃない」

「恋人じゃないもん! 違うもん!」

 ルイズは顔を真っ赤にして、腕をブンブンと振り回した。

「……その、小姉様に危険が及んだら、大変だなーって。そう想っただけで、その」

「怪我を治してただけよ。ホントよ」

「と言うかさっきの顔、私見逃さなかったわ。此奴、小姉様の胸に顔を埋めて、ウットリしてたわ。ち、小姉様の胸に、か、かか、顔埋めてウットリだわよ。よ、慾も、小姉様の胸に、ちちちち、ちい胸に」

 自分の言葉で、ルイズは頭に血が上がってしまった様子を見せる。

 ルイズが足を大きく振り上げたため、再びアンリエッタが止めに入る。

「ルイズ、あのね? 仕方無いじゃない!」

「何が仕方無いのですか!?」

 アンリエッタは、此の場を取り繕うかの様に、思いっ切り作り笑いを浮かべながら自説を披露し始めた。

「ええとね? 其の、カトレア殿はルイズにそっくりじゃない。ほら、髪の色とか。だからサイト殿はきっと、成長したルイズの事を考えて、ウットリとされていたにちがいないわ」

「え?」

 単純なルイズはアンリエッタの言葉に、成る程、と想ってしまった。

「信じられませんわ! そんなの!」

 そうは言ったものの、ルイズの心の中には歓喜の輪が広がって行く。

「ルイズは本当に幸せ者ね。こんな素敵な殿方に想いを寄せて頂けるなんて」

 カトレアも微笑を浮かべる。

「い、良い迷惑ですわ」

 ルイズは口をモゴモゴとさせて、恥ずかしそうに呟いた。

 

 

 

 其の夜……気絶してしまった才人をソファに横たえると、高貴な3人娘達は久し振りにベッドに並んで寝転がった。カトレアを真ん中にして、左にルイズ、右にアンリエッタと云った風にで在る。

「シオンがいないから3人ですけど、こう遣って寝るの、久し振りですわね」

 ウキウキとした声と調子で、アンリエッタが言った。

「陛下は夏に成ると、我が家によくいらしてくださいましたわね」

「はい。あの頃は、本当に楽しかった。毎日、何も悩む事など無くって……」

 遠い目で、アンリエッタが言った。

「喧嘩も沢山いたしました」

「そうねルイズ。其の度に私達、何方が正しいのか、先ずシオンに尋ね、次にカトレア殿に尋ねに来たわ」

 少女の頃に戻るかの様に、3人は楽し気に笑い転げた。

 其の内に、会話はルイズと才人の事に移る。

「ねえルイズ、貴女、サイト殿にいっつもあんなに乱暴しているの?」

「い、いつもじゃ無いわ!」

 カトレアに尋ねられ、ルイズは顔を真っ赤にして否定した。

「何時もじゃ成い」

 アンリエッタに言われてしまい、ルイズは慌てた。

「た、たまたま姫様が目撃なさっているだけですわ!」

 溜息混じりにアンリエッタが言った。

「どうかしら? シオンに訊けば判るわね。そんな事じゃ貴女、嫌われてしまんじゃないかしら。でも、サイト殿はルイズに首っ丈みたいだから、大丈夫なのかしら」

「姉さんは、いけないと想うわ。そんな風にいつも意地悪をしたら、逃げられてしまうわよ。引き合いに出すのはあれだけど、エレオノール姉様を御覧なさい?」

 ルイズの脳裏に、婚約を破棄されてしまった長姉の姿が浮かび上がる。

「たまには殿方の我儘を許して上げる事も大事よ。他の女の子と話しただけで怒ったりしたら、其の内に愛想を尽かされちゃうわよ。私嫌よ。姉様だけじゃ無く、ルイズが失恋する所何て、見たく無いわ」

「そ、そんな事無いもん! 彼奴私にメロメロだもん!」

 子供の様にそう叫んだら、カトレアは首を横に振った。

「変わらない人の心なんてないわ。余裕の態度で、偶には泳がせて上げなさいな。そうやっていれば、結局1番好きな人のところに戻って来るわ」

 ルイズは黙ってしまった。

 カトレアの言う事は、ルイズにとって、また、結果的に見て、いつも正しいと云えた。

 確かに、ルイズには余裕や、そう云ったモノが足りないと云えるで在ろう。

 アンリエッタとカトレアは、次々にルイズへとアドバイスを施して行く。

 そんな3人の御喋りは、夜を徹して続いた。



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新学期

 才人達は新学期の中、激しく暇を持て余してしまっていた。

 ルイズの実家であるラ・ヴァリエール家から帰って来て、既に3日が過ぎている。“学院”に戻ると、いつもと代わり映えのしない日常であったためである。

「ったく……ハッキリと悪い奴が判ったんだからよ、こっちから行ってケリつけるべきじゃやないのかよ?」

 いつもの“水精霊騎士隊”の溜まり場で、才人は肘を突いて言った。

「いつからそんな好戦的になったんだね? 君は」

 ワインを呑みながら、ギーシュが言った。

 放課後のこの時間、体の良い溜まり場が出来た“貴族”の少年達は、兎に角呑みまくるのである。

 教師達が苦い顔をすると、「訓練の垢を落としてるんです」などと尤もらしい言い訳を並べ立てるのが常であった。一応“水精霊騎士隊”は女王の肝入りで創設された近衛隊であるために、訓練を引き合いに出されてしまうと、教師で在ろうともそう簡単には文句を言う事が出来ないのである。

「だって可怪しいだろ。あいつ等、ほら、あの“ガリア”。国が大きいからって何様だっつの。ルイズや俺、シオンやセイヴァー達を襲うわ、タバサとその母ちゃんには非道い事するわ。ありたい放題じゃないかよ」

「御偉方なんてそんなモノさ。欲しけりゃどんな手を使っても奪うし、気に入らなけりゃ闇に葬る位は朝飯前だよ。一々目くじらを立てて居たらキリがないぜ」

 慣れきっているギーシュはもう、涼しい顔で在る。御咎めなし、と云う事に成ると、本来の調子を取り戻したのであろう。

「タバサの母ちゃんの事だって、何とかしてやりたいし……」

「まあ、そうだなあ。でも、“エルフ”の薬でやられたんだろ? 僕達じゃ御手上げさ。セイヴァーにでも頼ってみればいいんじゃないのかい?」

 いやまあそうなんだけど、と才人は首を振った。

「兎に角、“ガリア”から公式の抗議がないだけ御の字と言うモノだよ、君。普通だったら戦争が起こっても可怪しくないんだぜ? 何せ向こうは大国“ガリア”の王様だ。こないだも言っただろうけど、僕達個人が相手にするには大き過ぎる相手だよ」

 ギーシュの言う通り、“ガリア”は未だ何も行ってはいない。

 その沈黙が不気味であると感じさせるが、公に出来ない事情というモノが向こうにはあるのであろう。

 また、ギーシュ達は未だ知らない事では在るが、影では“聖杯戦争”という戦争――殺し合いが行われている。

「大国の王様かぁ……」

 その様な事を考えながら、才人はボンヤリと空を見上げた。

 そういった連中を相手にして生きて帰って来る事が出来ただけでも、本来で在れば御の字であるのだが……。

 それでも、才人は赦す事が出来なかった。

 どうにかして懲らしめる方法があるんじゃないかと、才人は頭を捻り始めた。が、当然そうそう簡単には想い付きはしない。

 向こうには、悪知恵に長け野心豊かなジョゼフ王、ルイズやティファニアと同じ“虚無の担い手”……そして、才人と同じ“虚無の使い魔”、“サーヴァント”もいるのである。

 大国と、“虚無”、“サーヴァント”。やはり、どうにも大き過ぎる相手であるといえるのだが……。

 剣を振り回すだけじゃ勝てない敵ってのもいるんだなぁと才人が軽く切ない気持ちに浸っていると、ギーシュに肩を叩かれる。

「兎に角だ! 僕達みたいな勇者には休息も必要さ。というか人生は君、楽しまなきゃ損だぜ? まあ君も呑み給え。ルイズの家では大変だったんだろ?」

「ま、まあな……」

 結局、ラ・ヴァリエール家で才人は“ガリア”でのそれ以上に揉み苦茶にされてしまい、疲労とダメージが溜まり、とうとう寝込んでしまったので在った。やっとの事で起き上がる事が出来るようになったのは今日の昼である。才人が、目覚めると、ルイズもシエスタもいなかった。

 仕方なしといった風に才人がここにやって来ると、皆授業をサボって三日三晩の間どんちゃん騒ぎを繰り広げていたという訳であり、なし崩し的に才人もそれに加わり、今に至るのであった。

「いやぁ、然し、君達は大したもんだな! 何せあの“ガリア”に侵入して、タバサ……否“ガリア”の“王族”の少女だっけ? を救い出して来たんだから! 流石は隊長と副隊長だよ!」

 酔っ払った隊員の1人が捲し立てる。

 ギーシュは嬉しそうに首を縦に振りながら、「何、君達がキッチリ援護してくれたおかげだよ。あの“フネ”で、“竜騎士隊”を“ゲルマニア”国境まで引き付けてくれたんだからね。僕が将軍だったら、君達に勲章を授与しているところさ」と言ってのけた。

「そうか! やっぱり、僕達も役に立ったんだな!」

「当ったり前じゃないかね! あっはっは!」

「おいギ~~~シュ~~~ッ! 御前、タバサの事話しちゃったのかよ!?」

「うん」

 アッサリとギーシュは首肯いた。

「御前って、ホントに口が軽いのな!」

「な、何だね!? 別に知られて困るもんじゃ無いだろう!?」

 才人に首を絞められて、ギーシュはモゴモゴと呻いた。

「何処で誰に狙われるか判らんだろう~~~!」

「だ、大丈夫だって! 騎士隊以外の連中には話していない!」

「ホントだろうな?」

「当ったり前じゃないかね。流石の僕だって、そこまで御調子者じゃ無い」

「自分の事、キッチリ理解ってるじゃねえかよ」

 2人がそんな遣り取りをしているところに、膨よかなマリコルヌが新1年生の女の子達を引き連れて現れた。

「マリコルヌ様! 凄いですわ!」

「もっと御話を聞かせて下さいな!」

 何だか可愛らしい少女達である。

 マリコルヌはというと何故か、羽の付いた帽子を冠り、ギーシュのモノと似たシャツに身を包んでいた。

 騎士隊の少年達は、(何だあいつ?)とそちらへと視線を集中させた。

「困った子猫ちゃん達だなあ。しょうがない、してあげようじゃないか」

「きゃああああ! 素敵ぃ!」

 得意げに指を立てたマリコルヌに、周りの女子達から歓声が飛んだ。

「さて、“アーハンブラ”の城に着いた僕は、部下共を指揮して“ガリア”軍を眠らせた! そこでとうとう“エルフ”が登場と来たもんだ!」

「きゃあきゃあ!」

「僕は恐れずに、“杖“を突き付けてこう叫んだ! ”おい長耳野郎。命が惜しかったら、姫を置いて逃げ失せな。じゃないと、手前の先住魔法より強力な、僕の風魔法が飛ぶぜぇ……“ってね。あ、この姫ってのは勿論、タバサの事さ。あの小さい女の子ね」

「凄いですわ! “エルフ”を遣り込めるなんて!」

「まあね、なぁに、あんな連中見掛け倒しさ。僕が本気を出せば、ぴゅーって飛んじゃうさ。ぴゅーってね」

「御前がぁああああああ! ぴゅーれぇ!」

 才人の跳び蹴りが、マリコルヌの鳩尾に叩き込まれる。

「――ぎうほッ!?」

 マリコルヌは翻筋斗打って倒れた。

 しかし、マリコルヌはケロッとした様子で立ち上がってみせた。

「やあサイト。今の僕は、モテモテのオーラが掛かってるから、そのくらいのキックはへっちゃらだよ。遣っ付けたいなら、“竜騎士”一個軍団引っ張ってきな」

「お、御前等って奴はぁ……緊張感がゼロっていうかぁ……」

 ピクピクと怒りで震える才人の肩を、マリコルヌがポンポンと叩いた。

「いやぁ、“英雄”って良いネ。この娘達、是非とも君の活躍を聞きたいそうだよ。話してやれよ、副隊長さん」

「貴男がサイト殿ですかぁ?」

 髪を左右に垂らした少女が、ブルーの瞳を光らせて才人に尋ねる。

 新1年生の女の子達は、キラキラした目で才人を見上げていた。

 後ろを見ると、何時ぞやのケティもいることが判る。

 彼女は新1年生の肩を叩いて得意げに、「そうよ、この方が“水精霊騎士隊”の副隊長、サイト殿よ。サイト殿が立てた綺羅星の様な手柄の数々を聞いたら、貴女達目を回しちゃうんだから!」と我がことであるかの様に自信満々かつ嬉しそうな様子でケティは言った。

「いやぁ~~~! 素敵ぃ!」

 新1年生の女の子達は歓声を上げる。

 険しかった才人の顔が、徐々に崩れて行く。

「そ、それ程でも……」

「冒険の話を聞かせて下さいな!」

 すると後ろからギーシュが、ぬぅ、と顔を出して、「隊長に訊き給えよ。隊長に……」、と薔薇を咥えて、優雅にポーズを取って言った。

「グラモン家の御方だわ!」

「ギーシュ様ですわね! 格好良い!」

 ギーシュは、身震いした。

「もっと言い給え」

「え?」

「もっと、今言った言葉を繰り返し給え」

「か、格好好いって……」

 スサッ! とギーシュは両手を前上方に突き出すと、額の前に戻した。それから髪を右の指で弄り始める。

「“水精霊騎士隊”の、隊長殿、隊長、たいちょお、ギーシュ・ド・グラモンだ。なぁに、僕位優秀じゃないと、こんな無骨な連中の隊長は務まらん。およ、君は可愛いな。否、君はまるで“ラスコー”の宗教画に描かれた“聖女ジョアンナ”の様だな! おやおや、君何かまるで薔薇みたいじゃ成いか!」

 少しばかり増えたボキャブラリーで、ギーシュは普段と変わることなく女の子達を口説き始める。

「ねえサイト殿」

 長い、ストレートの栗色の髪を揺らして、ケティが才人へと詰め寄る。

「な、なに?」

「私達、その、“女子援護団”をつくったんです!」

「じょしえんごだん?」

「はい! 2年生と1年生の女子生徒達で、編成されてます。ねー」

 その場にいた女生徒達が、ねー、と可愛らしく首肯き合った。

「“水精霊騎士隊”、大変な御仕事じゃありませんか? 御手伝いする娘達が必要だと想うんです」

「御手伝い?」

 才人がキョトンとしていると、ケティは傍らのバスケットからなにやらゴソゴソと取り出した。

「はい! あのですね、つまらないモノですけど私達で御料理を用意したんです! 訓練の合間に食べてください」

 ケティが料理を並べようとすると、詰め所のドアがバターン! と破られて、シエスタを筆頭に厨房のメイド達が飛び込んで来た。

「シエスタ!?」

 シエスタ達メイドも、やたらと大きな料理を抱えている。

「サイトさん! ずっと寝ていらしたから心配しましたけど、元気になられてなによりです!」

「あ。有り難う」

 シエスタ達メイドはテーブルの上に次々と料理を並べて行く。

 “貴族”の女子生徒達は、“平民”のメイド達に文句を付け始めた。

 しかし、シエスタも然る者。キッ! とケティを睨んだ。

「“貴族”の方々に料理を作らせたら、私達の首が飛んでしまいますわ! ねえ、皆さん?」

 そうですわそうですわとんでもない話ですわ、とメイド達は首肯き合う。

「そういう訳で、騎士隊の御食事の御世話は私達がいたしますわ。御嬢様方は御勉強に勤しんで下さいませ」

 澄ました顔をで、シエスタが料理をテーブルに並べ始めた。

 ケティはムッとして、その料理の皿を取り上げ、モグモグと食べ始める。

「食べないでください!」

「“平民”風情が生意気なのよ!」

 メイド達と、“女子援護団”の女子達は、御互いに譲らず、そのうちに押し合いになってしまった。

 才人はその真ん中にいたためだろう、当然揉み苦茶にされてしまい、此の世の春と地獄を同時に味わう事になった。

 テンパったマリコルヌが、「僕を取り合って喧嘩するのはやめてくれ!」と叫んで、両方から蹴飛ばされる。

 騎士隊の面々も巻き込まれてしまい、溜まり場の中は大騒ぎになった。

 

 

 

 そんな様子を窓から見詰めていた3年生の女子達がいた。ルイズとモンモランシーとキュルケである。

 モンモランシーはギーシュの態度を見て、「またじゃないの! またじゃないの! 何が“僕は君だけの騎士だよ”よ! 全く! 今日という今日はキッチリ話をつけてやるわ! ルイズ! 貴女もきなさいよ!」、と怒鳴り入り口に向かおうとしたのだが、ルイズは動かない。

「何よルイズ。貴女も見てたでしょ。サイトってば、メイドだけじゃなく、1年生やあのケティとかいう有名人なら誰でも良い女の子に囲まれて、鼻の下こぉーんなに伸ばしてたわよ。とっちめなくていい訳?」

 ルイズの返事は、モンモランシーの予想を大幅に裏切るモノであった。

「良いわ。放っときましょ」

 そんなルイズの態度に、キュルケも目を丸くした。

「嫌だわルイズ。貴女一体どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないわ。一々“使い魔”の遣る事に腹を立ててたらキリがないモノ。と言うかね……」

 ルイズは、つん、と澄まして上を向いた。

「どうせあいつ、私にメロメロだもん。迷惑だわ。と言うか困るわ。この私は何とも思ってないのにね。あらあら、あの娘達、あんな馬鹿犬の何処が好いのかしらないけど、御料理渡すの渡さないので揉めているわ。あの脳の弱かろう女の子達が可哀想……馬鹿犬、御主人様に夢中なのに……」

 キュルケが真顔でルイズの額に手を置いた。

「熱はないわね」

「ルイズ、何かいけない“ポーション”呑んだでしょ?」

 モンモランシーが心配そうな声で言った。

「呑んでないわよ。と言うかモンモランシー、貴女に教えて上げる」

「何を教えてくれるの?」

「良い女は、余裕が大事なの。それが高貴な女性の嗜みなの」

「高貴もなにも、そういや貴女、“貴族”の身分、返上したんじゃなかった?」

 冷静にキュルケに突っ込まれてしまったが、ルイズはやれやれといった様に首を横に振った。

「姫様は、やっぱりとっても素晴らしい御方だわ。私、その御考えを聞いて感動したの。だからもう1度、きちんとご奉仕する事にしたの」

「女王陛下に、何か妙な事を吹き込まれたみたいね」

 モンモランシーとキュルケは、顔を見合わせて首肯き合う。

「妙な事って何よ!? ただ、殿方は泳がすのも大事って言われただけよ!」

「あらルイズ、貴女駆け引き? 駆け引きしてる積り?」

 キュルケがニヤ~~~ッ、と笑みを浮かべて、呟いた。

「か、駆け引きって何よ!? 駆け引きもなにも、私好きでもなんでもないもん!」

 ルイズは顔を真っ赤にして、キュルケの言葉を否定した。

「あのねルイズ。良い事教えて上げる。そう想ってるの、貴女だけよ?」

 キュルケは、ルイズの肩に腕を回した。

「そんな貴女が楽し過ぎから、あたし、貴女の恋路を手伝って上げる。と言うか“ガリア”で御礼の積りで持って来た品があるの。それを貴女に上げるわ。恋の駆け引きを覚えるなら、それに似合った格好ってモノがあるのよ?」

「要らないわよ!」

「あらそう。じゃあ上げ無い」

 そう言われて、ルイズの中に好奇心が高まって行く。

「み、見るだけなら見て上げても良いわ」

「あのねルイズ、この“微熱”が大人の女性の嗜みってモノをアドバイスして上げって言ってるのよ? 理解ってる?」

 アドバイス。

 そのキュルケの言葉で、数々の失敗がルイズの脳裏に蘇る。

 黒猫。

 セーラー服。

 やってしまった記憶で、ルイズの中に言いようのない恥ずかしさが膨れ上がって行った。

「駄目。他人のアドバイス、いっつも失敗したもん。やっぱり普通が1番だわ」

「誰のアドバイス?」

「け、剣」

「サイトの、あの喋る剣? 貴女、あんなただの鉄の板っ布の言う事と、こと恋に関しては百戦錬磨のキュルケ様の言う事を、同列に扱う気?」

 正直、ルイズにとっては、この女――キュルケ・フォン・ツェルプストーは気に入らないといえるだろう。だが……その恋の手練手管に関してだけは認めざるをえない、と想ってはいた。何せ、ラ・ヴァリエールはキュルケの一族で在るフォン・ツェルプストーに恋人を盗られまくっている家系なのであるからして……。

 ルイズはプルプルと震えながら、それでも精一杯威厳を保とうとする声で言った。

「ま、まあ、暇だし、ちょっと付き合って上げても良いわ」

「そう来なくっちゃ。楽しくなって来たわ」

「わ、私も、聞くだけ聞いて上げる」

 モンモランシーが頬を染めて言った。

「良いわよ。纏めて面倒見て上げる」

 

 

 

 ルイズとモンモランシーが遣って来たのは、キュルケの部屋で在った。

 相変わらず、というのかとてもゴージャス、豪華な部屋であるといえるだろう。

 ベッドよりも大きな衣装箪笥が2つもあり、西側の壁には床から天井まで達するであろう、巨大な姿見が置かれているので在る。ラメ入りの緞子や、レースのカーテン何かが天井から垂れ下がり、彫刻や絵画といった様々な美術品が所狭しと並んでいるのである。

 キュルケは、楽しくて堪らない、といった風情でベッドに腰掛けると、2人に命令をした。

「さてと、じゃあ脱いで」

「はい?」

 ルイズとモンモランシーは、キョトンとした。

「脱いで。今、どんな下着を身に着けているのか、このキュルケに見せなさいって言ってるの」

 当然、生徒という立場に在る2人は顔を真っ赤にさせて抗議した。

「ねえキュルケ、ハッキリ言いますけど、私そんな趣味ありませんからね!」

「私もよ!」

「あたしだってないわよ。貴女達に、恋のイロハを教えて上げようっと言うんじゃないの。教師はあたし。貴女達は生徒。絶対服従よ」

「ふざけないで!」

 2人は怒りに震えて叫んだ。

「何よ貴女達、恋人があっちにフラフラ、こっちにフラフラするのが赦せないんじゃなかったの? 成る程、ギーシュとサイトの気持ちが理解ったわ。そんなに怒りっぽかったら、そりゃあ、他の女の子と仲良くしたがるわよえねぇ」

 く……とルイズとモンモランシーは、悔し気に拳を握り締めた。

「良いから早く、シャツとスカートを脱いで、あたしにどんな下着を身に着けているのか見せなさいな」

 意を決した様に、モンモランシーがシャツを脱いだ。少し痩せ気味なモンモランシーの身体が、その下から現れる。

「脱いだわよ!」

 その姿を見て、ルイズも仕方無しといった風にシャツを脱いだ。

「スカートもよ」

 肘を突いて、キュルケが心底愉しげな声で命令した。

 ルイズは、はう! と叫びながらスカートのホックを外した。

 すとん、と輪になってスカートが床に落ちる。

 モンモランシーとルイズを交互に見詰め、キュルケが講評を開始した。

「貴女達、ホント子供ね」

「ななな、何ですってぇ!?」

「そんな下着を、恋人に見せる気?」

「別に見せないわよ! ただ着てるだけよ!」

 別に、ルイズもモンモランシーも、変な下着を身に着けている訳ではなかった。白い、清楚なモノである。で以て2人共似た様なキャミソールに身を包んでいるのである。レースの飾りが付いており、中々に高級な代物であったのが、成る程言われてみれば確かに子供っぽいデザインであるといえるだろう。

「あのね、貴女達」

「何よ!?」

「下着に気を遣わない女は、男に気を遣われないモノよ」

 2人は、「うぐ」と黙ってしまった。

「貴女達、出入りの商人や、御店の人が勧めるモノをテキトウに買ってるでしょ? あの人達、学生相手だからって、そういう子供っぽいデザインのモノばっかり選ぶのよ」

 キュルケは、部屋の隅に寝そべっていた“サラマンダー”のフレイムに命令した。

「フレイム、こないだ実家から持って来た行李を御願い」

 きゅるきゅると鳴きながら、フレイムはベッドの下から古木瓜た行李を引っ張り出して来た。

 キュルケは2人に顎をしゃくった。

「開けて御覧なさい」

 ルイズとモンモランシーは顔を見合わせると、2人で行李を開けた。

「んな!?」

「な、何よこれ!? 厭らしい! 厭らしいわ!」

 2人は中から現れた下着を見て、目を丸くし、思わず手で顔を覆う。

 キュルケは得意げに髪を掻き上げた。

「あたしが、子供の頃に身に着けていたモノよ。貴女達、それだったらサイズが合うんじゃない?」

 2人にとってプライドが傷付くで在ろう言葉であったのが、実際にその通りであるともいえた。

 そのため、2人は何も言い返す事が出来ないでいた。

「覚えておきなさいいな。下着は、女の武器よ。殿方の心を抉る魔法が掛かってなくてはいけないの。見せずとも、身に着ける事で大事にされる女のオーラが漂うわ」

 

 

 

 

 

 散々な騒ぎの中で、やっとの想いでどうにか抜け出すことに成功した才人には想う所が有って図書館へと向かって行った。

 図書館は本塔に在る。

 入り口では眼鏡を掛けた司書が座り、出入りする生徒や教師をチェックしていた。此処には門外不出の秘伝書や、“魔法薬(ポーション)”のレシピなどが記載された書物などが蔵書されているために、“平民”では先ず基本的に入る事が出来ないのであった。

 若い女性の司書は才人をチラッと見てマントを確かめると、再び視線を読んで居る本へと戻した。

 才人は、(ううむ、騎士の身分はやっぱり役に立つなあ)などと思いながら、図書館へと入って行く。

「うお。いつ見ても凄えなあ」

 図書館に入ると先ず、圧倒されるで在ろうモノは其の本棚である。

 高さは30“メイル”程はあるであろう。目眩がしそうな程の高さであるといえる。どうやら、本塔の大部分は、この図書館で出来ているらしい。

 兎に角膨大な量の本に、才人は尻込みしてしまった。

 時間は夜の8時過ぎ。

 才人は、(何時まで遣っているのかな?)などと考えながら、1冊の本を手に取った。

 アルファベットを崩したかの様な“ハルケギニア”の文字が並んでいる。

 暫く眺めていたのだが、どうにもこうにも、やはり才人には理解する事が出来なかった。

「まあ、そりゃそうだよな……」

 何でまた才人が本などを眺めに来たのかというと、此方の文字を覚えようと想い立ったからである。

 今度の敵は、大国の王様と“サーヴァント”である。

 相手が国王であるのならば剣を振り回すだけで話にならないといえるだろ。騎士という身分を得たこともあり、読み書きくらいは出来ないと話にならんと、と才人は考えたのであった。

 その結果、此処図書館へと入館したのであった。

「日本語の辞書ねえかな?」

 勿論その様なモノは置いている訳がない。

「……セイヴァーに教えて貰うべきかな?」

 才人は本を眺めながら、(でも、何故言葉は通じるんだろう?)などと疑問を再び覚えたのである。

 いつだか才人がデルフリンガーへと尋ねると、「良く判らんが、こっちに遣って来た時に潜った“ゲート”に秘密があるんだろうさ」などといった答えが返って来たのであった。

 兎に角、直ぐに浮かび上がる答えは、やはりというか“魔法”であった。

 “魔法”のおかげで、本来は通じない言葉が通じているのである。飛んだり跳ねたり、炎を出す事や、怪我を治療したりされたり、文字通りの“惚れ薬”が存在するなどといったくらいであるのだから。

 そういった事もあって、才人は、どの様な“魔法”が存在しようとも驚く事はもうないであろう。

 才人は、(もしかしたら、ルイズの“虚無”が関係してるのかもしれないな。担い手のルイズにも、どんな“魔法”が存在してるのか判ってないくらいだし、翻訳機能を備えた“魔法”くらい普通に存在するだろ。でも、それなら字も理解るようにして欲しいよな)と才人は想うのであった。

 一体どうしたもんか、などと頭を捻らせていると、遠くのテーブルに見知った顔を才人は見掛けた。

「タバサだ」

 青い髪の少女。

 救け出して以来、才人とタバサは殆ど口を利いていなかった。

 元々、タバサからは話し掛け難い雰囲気を出しており、ルイズの実家に共に行ったり何だりで忙しかった事もあってか、それどころではなかった所為もあるといえるだろうが。

 だが、どうしして母親を“ゲルマニア”において再び“魔法学院”に戻って来たのか、才人には理解らなかった。

 才人は、タバサに近付き話し掛けた。

「よう」

 いつもの様に無視されるかと思えば、違った。

 タバサは読んでいた本を閉じると、才人は見上げた。

「はい」

 無垢な子犬の様な目で、タバサは才人に返事をした。

 その態度が意外だったのだろう、才人は少しばかり驚いた。

「いやその……用事が有るって訳じゃないんだけど、もう大丈夫なのか? 身体とか……」

「大丈夫」

「そ、そっか……ああ、あと言っとかなきゃならないことがあった。ギーシュ達がさ、その、御前の正体皆に喋っちゃたんだよ。“ガリア”の御姫様って事……ああ、元だっけ? 不味いよなあ」

 タバサは首を横に振った。

「別に。ホントの事だもの」

「そ、そうか。でも隠してたんじゃないのか? 偽名まで使って……」

「もう、関係ない。構わない」

「ああ、“聖杯戦争”とか“サーヴァント”、イーヴァルディの事に関しては話していないみたいだから、安心してくれ」

 才人は、タバサと其の隣で“霊体化”し待機しているイーヴァルディを其々見遣り、他の生徒や教師達に聞こえないように小声で言った。

「そう」

 淡々と、まるで他人事であるかの様にタバサは言った。

「御母さんは、良いのか?」

 そう才人が尋ねると、タバサは少し俯いた。

「“ゲルマニア”にいた方が、安心」

 側に着いてなくて良いのかという意味であったのだが、これ以上訊く事を才人は躊躇った。

 タバサには、タバサの考えがあるのである。

 それに元々口数の少ない少女である。

 才人は、(質問攻めにしたら可哀想だろう。今だって、無理して答えているかもしれないしな)と想った。

「そっか、理解った。読書の邪魔して悪かったな」

 そう才人は笑い掛けて立ち去ろうとすると、「貴男も、読書?」とタバサに尋ねられた。

 タバサに質問される事が初めてであるために、才人は面食らってしまった。

「え?」

 才人は思わず訊き返した。

「貴男も、読書をしに来たの?」

「ああ、違う違う。読書どころか、こっちの字が読めないからさ。覚えようと想って……」

「こっち?」

 タバサに訊き返され、才人は慌てた。

 才人がこっちの世界の人間ではないということを、タバサは知らないのである。知っているのはルイズにアンリエッタ、シエスタ、カトレア、ティファニア、コルベール、オスマン、シオン……そのくらいであるのだ。“水精霊騎士隊”の連中も知らないことである。

 今更隠す事でもないような気がする才人であるが、特に話す理由もないということもあって、黙っていることにした。

「ほら、俺は元“平民”だし、“ロバ・アル・カリイエ”出身だからさ、字が理解らないんだ。でも、騎士になったから、少しは覚えないとな、と想ってさ。でも……やっぱり無理だったな。ちんぷんかんぷんだよ」

「それは可怪しいよ、“シールダー”。“サーヴァント”なら、“聖杯”から基本的な知識を与えられてる筈だけど」

 イーヴァルディからの言葉に、才人は驚いた。

「え? そうなのか? 俺にはそんな知識ないけどな……もしかして、俺が“サーヴァント”としての力を持つだけの人間だから……純粋な“サーヴァント”じゃないから、とか……」

 するとタバサは、スッと立ち上がり、本を抱えて立ち去って行った。

「あ、おい」

 才人が読み止めたのだが、タバサはスゥッと“魔法”で飛び上がり、本棚の遥か高みへと上って行ってしまった。

 20“メイル”もの高さであるために、飛ぶ事が出来ない才人は追い掛ける事が出来ない。よくて、ジャンプをして一時的に横へと並ぶことができるくらいだろう。

 才人が(やっぱり読書の邪魔をされて嫌だったのかなー?)と思いながら図書館を出ようとすると、行き成り眼の前にタバサがストンと降りて来た。

「うわっ!?」

 驚いた才人に、タバサはスッと本を突き出した。

「……え?」

「この本だったら、簡単だから」

 どうやら、才人に合うであろうと想える本をタバサは探しに行っていたらしい。

 しかし、いつもは他人のする事に対して無関心だという様子を見せるタバサにしては意外な事であるといえるだろう。

 才人は、受け取って、(一体タバサはどうしたっていうんだ?)と想った。

 更に驚くべきき台詞を、タバサは口にした。

「私が字を教えて上げる」

「はい?」

「本を眺めているだけじゃ、覚えられない」

「いやま、そうだけど……良いのか? 結構大変だと想うよ。俺、あんまり頭良くないし」

「構わない」

 タバサは才人の手を取ると、机に向かって歩き出した。

 

 

 

 “ハルケギニア”の文字は、アルファベットに似ているのだが、少し違うといえるだろう。

 タバサは先ず、文字の読み方を1つずつ丁寧に才人へと教えた。

「アー、ベー、セー」

 何処かで聞いた言葉の様であったのだが、才人は上手く想い出す事が出来なかった。もしかするとそう聞こえているだけかもしれないな、とそう才人は考えた。

 次に、タバサは文字の1つ1つを指さし、その意味を丁寧に教えた。

 しかし何が不思議かというと、いざ単語になると……序章、8月、私、などといった言葉みたいに日本語へと自動変換されて才人に聞こ得て来るのであった。

 タバサは、“ハルケギニア”での発音を行っている。しかし、それが才人の耳に届く頃には日本語になってしまっているのである。

 そして更に不思議な事に、タバサは少しずつ言葉の意味を教えるたびに、今までただの文字の連成りにしか見えなかった文章が、一瞬見ただけでその意味を理解する事が出来るようになって行くことを才人は理解した。まるで、頭の中に翻訳機でもあるかの様だといえるだろう。

 そのような切っ掛けを掴むと、元々の飲み込みの良さから才人は1時間もすると簡単な文章であれば読む事が出来るようになっていた。

 才人は、教科書として使っていた簡単な本をスラスラと読み上げて行く。

「どういう事?」

 いつもと変わらぬ抑揚で、タバサが言った。

「え?」

 タバサは、一文を指さした。

「此処には、“皿の上のミルクを零してしまった”と書いてある。しかし貴男には“取り返しのつかないことをしてしまった”と読んだ」

「いや、そう読めたと言うか、何と言うか。ごめん、違ったか?」

 タバサは首を横に振る。

「ううん。貴男は間違えていない。この“皿の上のミルクを零してしまった”と言う文章は慣用表現。その意味は確かに、“取り返しのつかないことをしてしまった”になる」

 タバサは言葉を続けた。

「貴男はさっきから、書いてあることと微妙に違う文章を読んでいる。でも、間違っていない。むしろ良く要約されて、文脈からするとより的確な表現になっている。まるで文章全体を、言葉の様に捉えているみたい。確かに、犬や猫を“使い魔”にすると、ヒトの言葉を喋ったり出来るようになる。でも、それだけでは、要約が可能な理由の説明にはならない。今みたいな朗読はありえない」

 タバサは才人を、蒼い、透き通る様な目で見詰めた。

 才人は冷たい瞳のその奥に、微かな好奇心の光を感じた。

 タバサは本当の事を知りたがっているのである。才人は何者であるのかということを……。

「……確かに変だよな。いやその、何て言うかさ、正確に言うと俺、読んでないんだよ。タバサに言葉の意味を教えて貰ったのが切っ掛けだと想うんだけど……書いてあることの意味が直接理解るんだよね」

「どうして?」

「俺が“ハルケギニア(こっちの世界)”の人間じゃないからだと想う。俺は多分、タバサ達とは全く違う言葉で喋っている筈だ。詰まり、言葉が頭の中で翻訳されてるんだけど……何で意味が微妙に変わるんだろう? ああそうか!」

 才人はその理由に気付いたのだろう、思わず叫んだ。

「本の場合は、一旦俺の頭の中で翻訳されて、口に出す時にまたこっちの言葉に翻訳されてるんだ」

 “日本語”で書かれた文章を“英文”にする。その“英文”を翻訳して再び“日本語”の文章にすると、最初の文章とは微妙に変わってしまうことが多い。本などを読む場合、そういったことが起こってしまっているのである。

 才人は、自力でそれに辿り着き、理解することができた。

 才人が(成る程、そういう事か、うん)と納得していると、タバサに尋ねられた。

「こっちの世界?」

「しまった」

 

 

 

 成り行きで、才人はタバサとイーヴァルディに自分達の境遇を説明する羽目に成った。

 タバサは鋭いために、これ以上誤魔化す訳にもいかなかったのである。

「違う世界の人間。そう」

 才人の話を聴いたタバサは、軽く目を瞑った。

「信じて呉れるのか?」

「貴男は嘘は吐かない」

 タバサは、真っ直ぐに才人を見て言った。

 才人はその言葉で、少しばかりドキッとしてしまった。照れ臭く成ってしまったのだろう、才人はタバサから顔を逸らした。

 才人は、(こんな小さな女の子にドキドキするなんて、捕まるぞ俺)と思いながらも、真っ直ぐな瞳から目を離す事が出来ないでいた。

「貴男、帰りたくないの?」

「え?」

「自分の家に……御母さんの所に、帰りたくないの?」

「そりゃ帰りたいさ」

 才人は言った。

「じゃあどうして?」

 帰えらないの? と尋ねた積りなのだろう。

 才人は首を横に振った。

「帰る方法が判らないんだ」

「探せば良い」

「見当も付かね様に見える」

 タバサは言った。

 その言葉に、才人は頭を掻いた。

「いや……何て言うかさ、帰るのも良いんだけど、“こっちの世界”で遣り残した事も有るし、帰る訳にも行かないんだよ」

「どういう意味?」

「ルイズの力を狙っている奴もいるし……」

「“虚無”?」

「知ってたのか」

「見れば判る」

 タバサは淡々とした様子で言った。

 知識の塊であるかのようなこの少女に隠し事をしたところで、ほぼ無意味であるといえるだろう。ましてや、才人は隠し事が苦手なのである。

「そう。だから誰かが守ってやらなきゃしょうがねえだろ。それに……」

「それに?」

「俺は“ガンダールヴ”なんて、“シールダー”なんて力を得ちまった。そんな俺には“こっちの世界”で何か出来る事があるんじゃないかって……そんな気がするんだよね」

 ポツリと、タバサは言った。

「無理してる」

「え?」

「貴男の中に、もう1人の貴男がいて、そう言い聞かせているように感じる」

 才人はドキッとしてしまった。

 呟く様な小さな声で、タバサは言った。

「……どっちが貴男の勇者なんだろう?」

「何だって?」

 小さくて、才人には上手く聞き取る事が出来なかった。

 タバサは顔を伏せると首を横に振った。

「何でもない」

 2人の間に、否、3人の間に沈黙が訪れた。

 気不味い、そういった雰囲気である。

 先程の司書が閲覧室へと顔を出し、「そろそろ閉館の時間です」と告げた。

 才人はこれ幸いと立ち上がり、「有り難う。助かったよ。あとは1人で勉強するわ」と言った。

 すると、タバサは首を横に振る。

「最後まで付き合う」

「え?」

「難しい単語も存在する。“ルーン文字”だって在る。1人じゃまだ無理」

 才人は、(言われてみればそうかもしれないな。でも、これ以上付き合わせるのも悪いしな)と想った。

「良いよ、御前の読書の時間を奪ったら悪いし……」

「構わない」

 タバサはそう言うと、本棚から再び何冊か本を取り出して来た。

「次の教科書」

「今から? もう遅い時間だぜ?」

 こくり、と何の躊躇いも見せる事なくタバサは首肯いた。

 

 

 

 溜まり場に料理を提供した後、シエスタ達は食器の片付けや掃除などがあったために途中で退室をした。

 帰り際に、彼女達がもう1度溜まり場を覗いたら、見習い騎士の生徒達がヘベレケに酔っ払ってしまっていたのだが、才人の姿は既になかった。

 “貴族”の少女達が作った料理と、メイド達が作った料理の何方が美味しかったのか未だ感想を聞いていないのであった。

 シエスタは、(早いところ感想を伺いたいわ)と思いながら部屋へと帰える。すると、そこは桃源郷とでもいうことができるような状態であった。

「ミス・ヴァリエール?」

 シエスタは、才人の主人である桃色の髪の少女を見詰めた。

 いや、そこにいるのは、少女の格好をした……。

「“マダム・バタフライ”の出来損ない?」

 ルイズはツカツカと歩いて来ると、シエスタの前で腕を組んでみせた。

 何処で覚えて来たのだろうか、腰を振りつつの妙な歩き方であるといえるだろう。つん、と腕を組んで澄ました態度は、いつものルイズ其の物で在るのだが、何かが違うといえた。

「誰が出来損ないよ?」

「す、すいません! それとも何ですか、何か今から仮装パーティーでも始まるんですか? 私、何も聞いてませんけど……」

「何で仮装パーティーなのよ?」

 ルイズはジロッとシエスタを睨んだ。

「だ、だって、ミス・ヴァリエールのその格好……」

 シエスタは呆れた顔で、ルイズの衣装を見詰めた。

 いつものルイズの部屋着は、丈の長いネグリジェか、可愛らしいキャミソールであるのだ。

 しかし、今日のルイズは何処から持って来たのだろうか、黒いベビードール姿であった。

 ルイズは澄ました顔をし、ベッドに座って足を組む。

「ふぅ」

「ぷ」

 シエスタが含み笑いをした。

 ルイズは素早くシエスタに近付くと、馬乗りに成って“杖”で突き回し始めた。

「何笑ってるのよ? 言って御覧なさいよ」

「わ、笑ってません!」

 ルイズは何かに気付いた様子を見せ、シエスタから離れた。

「いけない。大人の女は、このくらいのことで怒ったりしないの」

 シエスタが、ベビードールの胸を指さして言った。

 ルイズの頬がピクン、と震える。しかしルイズは、首を横に振って言った。

「胸の大きさなんて、レディの魅力には関係ないのよ。大事なのは仕草と教養と……」

「と?」

「雰囲気よ」

 そしてルイズは、気怠げに髪を掻き上げた。

 ルイズがまた誰かに吹き込まれてしまったということを、シエスタは察した。

 黒猫、メイド……そして次は大人の女性という訳ね、とシエスタは見当を付けた。

「でも、どっかの誰かさんは、雰囲気よりボリューム重視の様な気がしますけど……」

 待ってました、と言わんばかりの勢いでルイズは振り向いた。

「違うの。それはね、間違いだったの。知ってる? サイトってば、私に夢中なのよ」

「えー、だってサイトさん、女王様にも想いを寄せられていたじゃありませんか。サイトさんも、何だか満更じゃないって顔されてました。其処にどう遣ってミス・ヴァリエールが入り込むんですか? 普通に考えたら難しくないですか?」

 ルイズは得意げに髪を掻き上げた。

「それがあの馬鹿、私を選んだみたい」

「えー」

「姫様自ら仰ったの。サイトは、私の事しか見てないって。困っちゃうわ! 私、好きでもなんでもないいのに……迷惑だわ。まあ選ぶなと言うのも可哀想だし、想いを寄せられるだけなら、まぁ良いかなって」

 ルイズは嬉しそうに、鏡の前でポーズを取り始めた。

 そんなルイズを冷ややかいシエスタは見詰め、言った。

「浮き浮きしてます事」

「兎に角、そんな私はもっと大事にされなくちゃいけないの。で、大事にされるためにはまあ、それなりの格好をしなくてはね。胸が大きいだけで、頭が空っぽのメイドなどとは、そこが違うのよ。どう? 似合ってるでしょ」

 キッパリと、シエスタは言った。

「似合いません」

 暫しの沈黙の後、ルイズは“杖”を取り出し、シエスタを突き始めた。

「何吐ったの? 何吐ったの? 何吐ったの?」

「だって! ミス・ヴァリエールの身体付き、どう見ても大人から程遠いんですもん! もっと可愛い御召物を身に着ければよろしいのに!」

 ルイズは立ち上がると、シエスタに背中を向けた。

「そのうち、着いた雰囲気がカバーしてくれれるわ」

「着くかなぁ?」

「着くわよ。何言ってるのよ。こういうのって、気分が大事なんだから」

「ま、大人は良いですけど……このあいだの約束通り、そろそろ1日貸して下さいね」

「好きにしなさい? と言うか、良くってよ」

「ホントに? 良いんですか?」

「良いわよ。約束したじゃない。大人の女のその1。約束はきちんと守る」

「だったらそうさせて貰いますね。何着ようかしら。うふふ」

「良かったら、服も貸して上げるわ」

「ホントですかっ!?」

 シエスタは小躍りすると、クローゼットを開けた。

「私、じつは着てみたいなー、と想ってた服があるんですよ? ほら、これ!」

 それはいつぞやルイズが身に着けていた、黒いワンピースであった。胸元が大きく開いた、袖なしのデザインをしている。

「そんな地味なので良いの? ま、何着たっておんなじだけど」

 嬉しそうにシエスタはその黒いワンピースを身に着け始めた。

「わ……キツい! でも、想った通りこの生地伸びますね」

 ルイズのワンピースを身に着けたシエスタは、嬉しそうに鏡の前でポーズを取った。

「うわぁ、これ、身体のラインがクッキリ判っちゃいますね。嫌だわ、どうしよう? こんなの着てたら、良いですよ♪ って言ってる様なもんじゃありませんか。困りますわ……そんなの……」

 そう言いながら、茹だった顔でシエスタは身を捩らせる。

 確かに、黒いワンピースははち切れんばかりに膨れ、脱いだら凄いシエスタの胸をことさらに強調しまくっているといえた。大きく開いた胸元からは、白い谷間がこれでもかと言わんばかりに存在を主張しているのである。

 シエスタは、己の武器をルイズに見せ付けた。

「どうですか? 大人って、こういう雰囲気を言うんじゃありませんか?」

「違うわ。彼奴はきっと、私みたいな小さな娘が好きなの。だから姫様にもあんたにも靡かなかったにちがいないわ」

「いっつも、胸の谷間とか夢中になって見てましたけど」

「胸が大き過ぎる珍しい生き物がいるなーって、きっと生物学的好奇心なんだわ。良い事? 私が纏うのはただの大人の雰囲気じゃないの。私みたいな小さくって高貴な娘が大人の雰囲気を纏う。それが良いの。おまけにちょっとやそっとじゃ怒らない寛容さを持ち合わせてしまった。嫌だ。こりゃ無敵だわ」

「そういうもんですかね?」

「そういうモノよ」

 ルイズは鼻歌交じりにポーズを取り始める。

 シエスタは、そんなルイズを何だか疑わしげに見詰めていたのだが……窓の外に想い人を見付け、大声を上げた。

「サイトさん!」

「サイト? ドアは開けてないわよ」

「窓の外を、飛んでました!」

「はい?」

 ルイズは窓から顔を出した。

「な、何よあいつ!?」

 才人がタバサに手を引かれて2階上に在るタバサの部屋へ入って行くところが、月明かりに見えたのである。

 ルイズはダッシュで部屋を飛び出すと、階段を二段飛ばしで駆け上がり、タバサの部屋の扉をバァーンと開けた。

 机に座ったタバサの後ろ姿と、横に立つ才人の姿が在る。

 2人は同時に振り返った。

「何だ、ルイズか。どうした?」

 キョトンとした様子で、才人が言った。

 ルイズが怒りが湧いて来る事を覚えた。がしかし、その怒りをグッと堪えてみせた。

 平常心。

 ルイズにとっての大人の女と云うモノは、このくらいのことでは怒ったりはしないものであるのだ。

 ルイズは、(別に未だ、浮気をしていると決まった訳ではないし……)と余裕の態度を気取り、髪を掻き上げた。

「あら、あんた。こんな所で、何をしているの?」

「ああ。字を教えて貰ってたんだ」

「字?」

「うん。こっちの字が読めた方が、色々と便利だろ?」

 ルイズの頬が、ピクン、と動いた。(どうして私に言わないのよ? と言うか私に“教えて下さい”って言うのが筋なんじゃないの?)、と想ったのである。

 しかしルイズは、その怒りをどうにか呑み込んだ。

 ルイズは掌に、レディ、と書いてそれを舐めた。

 心の中にいる大人のルイズが、怒り狂う子供のルイズを、「良い事? 子供ルイズ。大人の女はね、余裕の態度を忘れてはいけないのよ」と宥める。

 そんなこんなといった風に冷静さを装い、ルイズは才人に尋ねる。

「あんた、習う相手を間違えてるんじゃないの?」

「だってタバサが教えてくれるって言うもんだから」

 ルイズは、(この無口少女が、自分から言い出したですって?)と、チラッとタバサを見た。

 然し、タバサは相変わらず無表情といった様子である。その目から感情を読み取る事は難しいといえるだろう。

 ルイズは、(でも……このタバサに限って、才人に恋愛感情を抱くなんてことはありえないわよね。たぶん、救けてくれた御礼の積りにちがいないわ)と考える。

 そう安堵する事で、ルイズの中で再び自信が湧いて来た。(何せ今の自分は、大人の魅力溢れる……)とも考える。

「え?」

 ルイズは、才人が恥ずかしそうに目を伏せた事に気付いた。

 ルイズは、(あう。いけない。今、自分は殆ど下着姿も良い所じゃないの!)と自身の格好を想い出す。そんな格好で廊下に飛び出し、他人の部屋にまで闖入してしまったのだ。恥ずかしさで死にそうになったが、ルイズは堪える事に成功した。死ぬ気で堪えてみせた、といっても良いだろうか。

 ルイズは、(字なんかより、どうなのよ? こんな大人の私が、ほらほら、行き成り現れた。部屋で見るより、インパクトが強いんじゃないの? ほら、どうなのよ? 思いっ切り夢中になるが良いわ。こんな大人で、色気たっぷりな私に夢中になって、永遠の奉仕者になるが良いわ)と勝ち誇った様子を見せる。

 ふぅん、とつまらなさそうに呟いて、ルイズは壁に手を付いて、腰を横に突き出してみせた。

 本人は色っぽいと想っているであろ仕草で、才人を悩殺しようととうとう軽く親指まで咥えてのけた。

「ちょ、ちょっと。な、何だよ? 其の格好は……」

 ルイズは、(乗って来たわ。乗って来たじゃないの。馬鹿犬。やん、私のこの大人な魅力に気付いてしまったのだわ)と思った。調子に乗りまくってしまったルイズは、次に右手を首の後ろに置いて、腰を逸らせ、才人に流し目などを送ってみせた。

 ルイズの細い肢体が、妖しい雰囲気を帯び始める。

 才人の顔が増々赤くなって行くのが、傍目からでも判るだろう。

 横のタバサの様子は全く変わらないことが、良い対比で在る。

「可怪しいだろ。それ……」

 ルイズは、(可怪しくないの。これが私の実力なの。ねえ犬。気付いた? 犬。あんたってば、御主人様が持ち合わせた、とんでもない魅力に気付いてしまったようね。さあ、今こそあんたは私の永久の奉仕宣言をしなくちゃいけないわ)と考えた。

 それからルイズは、とうとう奥義を繰り出した。

 右手を胸の上に置いて髪の毛を一筋咥え、左手でベビードールの裾を僅かに持ち上げてみせたのである。

「め、目の遣り場に困るだろっ!」

 才人が絶叫した。

 ルイズは心の中で、高らかに凱歌を上げた。

「ピッチピチじゃねえかよ!」

 ルイズは、(え? ピッチピチ?)と困惑する。

「シエスタ、それ、ルイズのワンピースだろ? そんなの着るなよ! サイズが合ってないじゃないか! だからその、身体の各部分と言うかその、ラインがクッキリと言うかその、兎に角目の遣り場に困るんだよ! と言うか誰かに見られたどうすんだよ!?」

 ルイズの中で、凱歌が音を立てて崩れて行ってしまう。

 ルイズの横に立ったシエスタが、イヤン、とつぶやくいて身をクネらせる。

「そんなにジロジロ見られたら、恥ずかしいですわ」

「恥ずかしいのはこっちだよ! もう!」

 才人は顔を真っ赤にして目を逸らす。

 ルイズは、小さな声で才人に尋ねた。

「ご、御主人様は?」

「あ? そう言やルイズ、御前なんか変な格好してるな。何それ? カーテン?」

 ルイズの肩が、ワナワナと震え出す。

 ポツリとタバサが呟いた。

「似合ってない」

 同時に、才人が爆笑をした。

「うわルイズ! 何それ!? もしかしてベビードールかよ! いや、レースのカーテンでも身体に巻き付けてるのかと想った」

 ルイズは無言で倒立前転すると、才人の腹に、鮮やかとしか言いようのない動きで両脚を揃えたキックを叩き込んでみせた。

 壁に打ち当たって悶絶する才人に、ルイズは“杖”を突き付ける。

「あんたは死んで生まれ変わって死んで、2回位、死になさい」

 しかし……その前に“杖”を構えたタバサが立ち塞がった。

「何よ!? あんた!?」

「この人には手は出させない」

 純粋に庇う言葉であったのだが、ルイズは深い意味に受け取ってしまった。

「おまけに、手を出したって訳? いや、随分と御手が早い事で」

「あのな……」

「わ、私より小さな娘に、ちちち、ちち、小さな娘に! 小さな娘に!」

 唯一のアドバンテージだと想っていた部分を呆気無く否定されてしまったと想ってしまい、ルイズは震えた。それから“杖”を勢い良く振り下ろす。

「うわあ!?」

 才人は頭を抱えた。

 しかし……この場にいる皆が覚悟した事は起きない。

 何も起こらない。

 あの恐怖の代名詞とでもいえる爆発音が響かないのである。

「あれ?」

 ルイズの、間が抜けた声が響いた。

「何だ? どうした?」

「出ないわ。“エクスプロージョン”が出ない!」

「命拾いか」

 才人はそう呟いたが、ルイズはもう半狂乱といった様子である。

「ええええ!? どゆ事!? 何で出ないのー!?」



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ヨルムンガント

 宮廷の応接間に迎えた客を見て、アンリエッタは暫し呆然としてしまった。

 濃い紫色の神官服に、高い円筒状の帽子は、彼が“ハルケギニア”中の神官と寺院の最高権威……詰まり“ロマリア”の教皇であることを示している。

 その地位は、“ハルケギニア”の各王よりも形式上ではあるが高いために、アンリエッタは上座に彼を迎えていた。

 しかし、その若い男の顔には、纏った神官服の欠片程も偉ぶったところがないといえるだろう。目元は優しく、鼻筋は彫刻の様に整っている。形の良い小さな口には常に微笑が湛えられているのであった。そして……誰もが振り返るであろう程に美しいのである。“ハルケギニア”中の劇場を覗いても、彼ほど美しい役者を見付けるのは困難であろうと想わせた。

 アンリエッタは、(その微笑みはまるで、慈“愛”に満ちた神のようね)との感想を抱いた。

「どうなされました? アンリエッタ殿」

 アンリエッタはハッとした様子で我に返り、恥ずかしげに俯いた。

「申し訳ありません。教皇聖下。聖下の御威光に打たれて、暫し感動しておりました」

 細い金糸の様な髪をサラサラと揺らして、“ロマリア”教皇は笑った。

「ヴィットーリオと御呼び下さい。私は堅苦しいばかりの行儀を好みません。それが元で、本国の神官達には、何時も叱られておりますがね。それに、威光と言うので在れば、彼の方が放っているではありませんか?」

 そう言って、教皇聖下――ヴィットーリオは、俺へと一瞥をくれる。

 この場――“トリスタニア”の宮廷の応接間には、4人いる。アンリエッタは勿論のこと、客人であるヴィットーリオ、シオンと俺である。

 シオンは、“アルビオン”の女王であり、「折角なので」とヴィットーリオの許しをえることができたために、ここにいるのである。

 俺はシオンの“使い魔”であり、“使い魔”とその主である“メイジ”は一心同体ということもあって、この場にいることを許可されていた。

「恐れ多いですわ。即位式には出席出来ませんで、大変失礼いたしました」

 ヴィットーリオ・セレヴァレこと、聖エイジス32世の即位が行われたのは3年ほど前の事である。“ハルケギニア”の各“王族”は揃って参列する慣わしであったのだが、アンリエッタは流行風邪を拗らせてしまい、出席する事が出来なかったのであった。

 聖エイジス32世……“始祖の盾”と呼ばれた聖者の名を受け継ぐ、32代目の教皇が、20歳を僅かに過ぎたばかりの若者であるということ、とんでもない美青年であると言い伝え聞いていたアンリエッタとシオンの2人である。

 アンリエッタは、想像以上の美丈夫を前に、正直な所圧倒されてしまっていたのである。

「構いませぬ。即位式など、ただの儀式です。貴女が、神と“始祖”の経験成る下僕という事に変わりはありません。それで私には十分なのです」

 この聖エイジス32世は、若いながらも“ロマリア”市民達の支持を熱烈に受けているという。その理由は、この包み込むかのような寛大な雰囲気にあるのかもしれないといえるだろう。

 アンリエッタとシオンにそう想わせてしまうほどに、この若い教皇には尊大なところなど微塵も感じさせないのであった。

 しかし……随分といきなり訪問であるといえるだろう。

 聖エイジス32世の“トリステイン”への行幸が伝えられたのは、つい2日前のことである。宮廷は突然の賓客に大わらわとなってしまった。教皇がわざわざ出向いて来るなど、滅多にないからである。アンリエッタの父王の戴冠式の折、先代教皇の来賓を賜ったのが最後であったのだが。

 そんな聖エイジス32世の突然の訪問の理由は、アンリエッタには判らなかった。

 母后と宰相マザリーニを交えての会食もそこそこにして、アンリエッタは人払いをして、応接間まで遣って来たのであった。

 俺とシオンは、“学院”にいたのだが、アンリエッタの遣いからその報せを聞き駆け付け、合流をしたのである。

「しかし、“ハルケギニアの二大華”と謳われた、アンリエッタ殿とシオン殿は本当に御美しい。御逢い出来て光栄至極に存じます。僧籍になければ、ダンスの1つも申し込みたいところです」

「御訊ねしてよろしいでしょうか?」

「何なりと」

「こたびの突然の御行幸の理由を、御教え下さいますか?」

 教皇が茶飲み話に来た訳ではないことは、明白である。

 するとヴィットーリオは、アンリエッタの質問に対して、深い溜息を吐き、答えた。

「アンリエッタ殿とシオン殿は、先立っての戦役をどう御考えになるか?」

 シオンの故郷であり現在統治する“アルビオン”での戦の事で在る。“レコン・キスタ”と名乗る“貴族”の連盟が、“アルビオン王家”を廃し、“王政”に頼ることのない全“貴族”の連合と、“聖地”の回復を掲げて始めた戦……。

 “トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍との“レコン・キスタ”のその戦いは、突然の“ガリア王国”の参戦によって、連合軍の勝利に終わったのだが……。

 アンリエッタから最“愛”だった人物――シオンから肉親を奪った戦。

 2人からすると、想い出したくはないであろう、辛い戦いであったといえるだろう。

 悲しそうに、アンリエッタは顔を伏せた。

「悲しい戦でありました」

「…………」

「もう2度と、あのような戦は繰り返したくはない。そう考えております」

「私も、アンリエッタ女王陛下と同意見です。ただ、“レコン・キスタ”に参盟した“貴族”の方々の意見も理解できるのです。彼等の中には、純粋に“聖地”の回復を望んでいた者、そうせざるをえなかった者もいたでしょうし」

 シオンは、俯き言った。

 ヴィットーリオは、満足そうに首肯いてみせた。

「どうやらアンリエッタ殿とシオン殿の2人は、私の友人であるようだ」

「どのような意味でしょうか?」

「その通りの意味ですよ。私も、あの戦では心を痛めたのです。義勇軍の参加を決意したのも、なるべく早く、無益な戦を終わらせたかったからです」

 アンリエッタの質問に、ヴィットーリオは微笑を湛え答えた。

 無益な戦……その言葉に、アンリエッタの心が強く反応した。

「益ある戦など、あるのでしょうか?」

 ヴィットーリオは、アンリエッタの言葉に大きく首肯いた。

「アンリエッタ殿の仰る通りです。益のある戦など、ある筈がない。常々、私はこう悩んでおります。神と“始祖ブリミル”の敬虔なる下僕である筈の私達が、どうして御互いに争わねばならねばならぬのかと」

 苦しそうな声で、アンリエッタは言った。

「私は政治家としては未熟ですが……人に欲ある限り、戦はなくならぬモノと考えております」

「“始祖ブリミル”も、欲の存在は肯定しております。欲、それ自身がヒトを人足らしめていると。なればこそ、自制が美しいのだと。我等神官が、妻帯に対する制約を設けたり、週に1度の精進を行っているのは、自制の在り方を忘れぬためなのです」

「全ての人が、聖下の様な自制が出来れば、この世から争い事はなくなるでしょうに」

 アンリエッタの言葉に、ヴィットーリオは首肯く。

「そうあれば、これ以上のことはないでしょう。しかし私は現実主義者です。我等“ロマリア”ほどの信仰を“ハルケギニア”の民に求めることの愚かさも、知り尽くしております」

「聖下の前で言う言葉では在りませんが、真に信仰が地に沈んだ、このようなな世の中ですから」

「セイヴァーさん、と言いましたか?」

「ええ、聖下」

 ふとヴィットーリオは、俺へと向けて来る。

「貴男はどう想われますか? 素直な意見を御聴きしたい」

「そうですね……アンリエッタ女王陛下、そして聖下の仰る通りでしょう。ヒトを人足らしめているのは欲望……その欲が在る限り、戦はなくなるということは先ずないでしょう。ですが、欲はヒトを人間として成長させるモノでもあります。また、欲がなくとも別の理由で戦というモノは幾らでも起こりえます」

「それはどういったモノでしょうか?」

「自身との違い、周りとの違い……同調弾圧からの迫害や圧政、そしてそれ等に対する反感からの反抗、革命……何にしろ、血が流す事を避けるということは先ず不可能に近いでしょう」

「…………」

「それでも、人は互いに歩み寄る事が出来る、失敗から学び前進する事が出来る生き物で在ると信じております。まあ、自分にはそのようなことを言う資格などある訳もないのですが」

「…………」

 暫く、ヴィットーリオは言葉を噤み……空を仰ぐようにして呟いた。

「この国は美しい国ですな。春に色付く田園、豊かな森、“水の国”の名に恥じぬ、美しい河川……“ロマリア”は水が乏しい。じつに羨ましい話です。このような美しい国を、戦火の中に巻き込む事は、神への冒涜としか想えませぬ」

「その平和を守ることが、私の使命、とそう考えております」

 アンリエッタは言った。

 その言葉に、シオンは首肯く。

 アンリエッタはそれから、(何だ、観光がてら実のない平和主義を説きに来たのね……“ロマリア”の教皇聖下も暇なことですこと)と軽くガッカリとした。

 壁に掛けられた簡易な造りの時計を見詰め、アンリエッタは立ち上がろうとした。

「では、部屋と召使を用意させますわ。好きなだけ御滞在下さいませ。御観学の際には、護衛も着けましょう」

 しかし、ヴィットーリオは立ち上がる様子を見せない。

「聖下?」

「そのアンリエッタ殿とシオン殿の使命を果たすための御手伝いをしに、今日は参ったのです」

 

 

 

 人払いをした中に、ヴィットーリオとアンリエッタ、シオンと俺の4人は遣って来た。

 春の陽光が射し込む宮殿の中庭には、“ガリア”の“リュティス宮殿”ほどではないが、花壇が築かれており、様々な花々が咲き誇っていた。

 花壇の隙間を縫うようにして設けられた小路を歩きながら、ヴィットーリオは押し黙った侭であった。

「私達に、見せたいモノとは?」

 痺れを切らした様子で、アンリエッタは言った。

 ヴィットーリオは、花壇の一角に気付き、しゃがみ込んだ。

「こちらを御覧ください」

 ヴィットーリオが示した場所では、蟻が群れていた。

「蟻がどうかいたしましたか?」

「赤い蟻と、黒い蟻が、餌を挟んで争っております」

 アンリエッタの言葉に、ヴィットーリオは首肯く。

 成る程、小さな羽虫の死骸を奪い合って、赤い蟻と黒い蟻の群れが争っているのである。必死になっているといった様子で、2種類の蟻の群れは争っている。

「小さな蟻の間でも、争いは存在するのですね」

 ヴィットーリオは、羽虫を取り上げると、2つに千切った。それを赤蟻と黒蟻、両方の群れへと投げ込んだ。

 次第に2つの群れの争いは収まり、其々の獲物を抱えて巣に戻り始める。

「御見事な仲裁ですわね」

「蟻は何に仲裁されたのか理解出来ていないでしょう。それは私が、蟻の知覚出来る以上に巨大な存在だからです。蟻にとって、人間は絶大な力を持っています。私がその気になれば、蟻の巣を滅ぼすこともできる。勿論、そんなことする積りはありませんが」

 アンリエッタの賞賛の言葉に、ヴィットーリオは何でも無いと云った様子を見せ、自説を口にする。

 そんなヴィットーリオへと、アンリエッタは再び質問をする。

「何が仰りたいのですか?」

「要は力なのです。平和を維持するためには。巨大な力が必要なのです。相争う2つの集団を、仲裁することのできる巨大な力が……」

 ヴィットーリオのその言葉に、シオンはピクリと、ヴィットーリオとアンリエッタの2人に気付かれることのない程度に眉を動かす。が、それだけであり、言葉を口に出すことはない。

「何処にそのような力が……?」

 アンリエッタはそう言い掛けて、目の色を変えた。

「そうです。アンリエッタ殿とシオン殿も御存知の、伝説の力……」

「何の事だか、私には理解りかねますわ」

 アンリエッタは咄嗟に恍けた。

 然し、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「神は我等に力を御与えくださった。力というモノは、色の付いていない水のようなモノ。白くするも、黒くするも、人の心です」

「聖下、おお、聖下……」

 アンリエッタは首を横に振った。

「“始祖”の“系統”を御存知ですかな?」

「“虚無”ですわ」

「はい。偉大なる“始祖ブリミル”はその強大な己の力を4つに分け、秘宝と指輪に託しました。“トリステイン”に伝わる、“水のルビー”と“始祖の祈祷書”もそうです」

「ええ」

「また、それを担う可き者も、等しく4つに分けました。おそらく力が一極に集中する事を恐れたのでありましょう」

 アンリエッタはルイズのことを、シオンはルイズとティファニアの事をそれぞれ想い出した。そして、ルイズ達を付け狙う、未だ彼女等にとって正体の判らぬ“ガリア”の担い手を想う。そして、“アルビオン”でヒッソリと暮らす、“ハーフエルフ”の少女の事を想う。

 “アルビオン王家”の忘れ形見で在るシオン、とその少女。ティファニアは、詰まる所、シオンやアンリエッタの従姉妹に当たるといえるだろう。

 アンリエッタは、「慎ましやかに暮らすのが、彼女の幸せだ」と聞いたためにソッとして置いたのだが……(それで彼女は大丈夫なのかしら?)と想い、シオンの方へと目を向けた。

 アンリエッタを、そんな想いから現実の会話が引き戻す。

「その上で、“始祖”はこう告げたのです。“4の秘宝、4の指輪、4の使い魔、4の担い手……4つの4が集いし時、我の虚無は覚醒めん”」

「何と恐ろしい力で在りましょう」

「言ったでしょう? 神が御与えになった力です。白に黒になるも、人次第です」

「過ぎたる力は人を狂わせます。私は母からそう習いました。私もそう想います。出来ることなら、ソッとしておきたいのです」

「その状態で何年、我等は無益な争いを繰り広げて来たのですか?」

 アンリエッタとシオンは言葉を失ってしまった。

 “ハルケギニア”の歴史は抗争の歴史ともいえるだろう。まさにその通りであったのだから。

 ヴィットーリオは、ポケットから何かを取り出した。いろとりどりの飴玉であった。

 それを、蟻の群れへと投げ込む。

 蟻達は、突然の恵みに夢中になった様子を見せる。大量の飴玉に取り付き始める。先程の様に争いは起こらない。これだけの量があれば、争う必要などないからである。

「強い力には、それに見合う行き先が必要です。我等はそれを、既に持っているではありませんか」

「行き先?」

「今投げた飴玉が何か、理解りますか?」

 アンリエッタは首を横に振る。

「理解りませぬ」

「“聖地”です」

 ヴィットーリオは告げた。

「……“聖地”」

 “エルフ”が守る、“始祖ブリミル”が光臨したとされる土地。“ハルケギニア”中の王国が何度も連合を組み奪回を目指したが、終ぞ果たす事が出来なかった土地……。

「“聖地”は、ただの聖なる土地ではありません。そこは我等の心の拠り所なのです。拠り所なくして、真の平和はありません」

「でも……“エルフ”は強力な……」

「“先住魔法”を使う。そうです。“ハルケギニア”の王達は、何度も敗北しました。しかしながら、彼等は“始祖の虚無”を持っておりませんでした」

「……また争うのですか? 今度は“エルフ”と? 仰ったではありませんか!? もう争いは沢山だと!」

「強い力の存在は争う事の愚を、“エルフ”達にも知らしめてくれるでしょう。強い力は使うモノでは在りません。見せるためのモノであるのです」

 ヴィットーリオは、力強い目でアンリエッタとシオンを見詰めた。その目には、些かの曇りも感じる事が出来ない。ただ、己とその信仰に絶対の自信をおく、聖職者の目で在った。

「……見せるためのモノ?」

「そうです。我等は“エルフ”達と、平和的に交渉するのです。そのためには何としてでも強大な力……“始祖の虚無”が必要なのです」

 アンリエッタは、この若い教皇の考えに引かれて行く自分がいることに気付いた。現実的で、無駄が殆どなく……そして見果てぬ理想への憧れを感じたからである。理想と現実、相反する事柄に、必死に折裏を見付けようとする苦悩を感じられたからである。

 それは今現在のアンリエッタの姿でもあった。

 だが、どうしてもアンリエッタは踏み出す事が出来ないでいた。

 勇気が、アンリエッタの中から出ないのである。

 そんなアンリエッタを見て、教皇は笑みを浮かべた。少年の様な笑みである。

 少年は大人になる前に1度は、このようなな壮大な理想を持つという。その理想は大人になるにつれて、現実に呑み込まれて行ってしまうのである。

 しかしこの教皇は、その少年の侭大人にでもなったかのような……アンリエッタに、そう感じさせた。

「聖下の御話は壮大過ぎて……人の身である私には、それが正しいのかどか判りかねます。暫しの御時間を頂けますか?」

「アンリエッタの仰る事は大変御尤もです。しかし、あまり猶予がありません」

「猶予とは?」

「“ガリア”です。哀しい事に、かの国は信仰なき男に治められている。民の幸せ選り、己の欲望を是とする狂王が支配しております。アンリエッタ殿、シオン殿、私達には、御互いの真の味方が必要なのです」

 アンリエッタとシオンの脳裏に、“ガリア”国王ジョゼフの姿が浮かんだ。諸国会議での折の人を喰ったかのような態度。何度もルイズ(虚無)を付け狙った野心家。実の弟で在るオルレアン公を虐し、姪で在るタバサに非道を繰り返した男……。

 だがシオンには、それだけではない、と想う何かがあった。

「御心当たりがあるでしょう? かの男に、“始祖の虚無”を与える訳にはいきませぬ」

「はい」

 アンリエッタとシオンは首肯いた。それだけは全く、同意する事が出来たのである。

「神と“始祖”の下僕たる“ハルケギニア”の民の下僕である教皇として、私は貴女達に命じます。御手持ちの“虚無”を1つの所に集め、信仰なき者共拠り御守下さいますよう」

 ヴィットーリオは、アンリエッタとシオンへとそう言い、それから俺にも目を向けた。

 

 

 

 アニエスは、2人の女王と教皇の中庭での会談をジッと見守っていた。

 周りには“銃士隊”の面々も見える。

 彼女達は、遠巻きに護衛を行っているのであった。

 会議は漸く終わったらしく、アンリエッタは小さく手を動かし、アニエスを呼んだ。

 アニエスは女王の元へと向かい、膝を突いた。

「隊長殿、教皇聖下が御休みになります。御部屋に御案内して下さい」

「御意」

 立ち上がり、アニエスは教皇の前に進み出た。

「聖下、御案内仕ります」

「御苦労様です」

 顔を上げたアニエスは、聖エイジス32世の顔を見て息を呑んでしまった。いつも崩すことはないであろう冷静沈着な軍人としての仮面が掻き消えてしまい、その目が丸く見開かれる。

「どう為さいましたかな?」

 優し気なヴィットーリオの言葉で、アニエスは慌てて頭を垂れた。

「し、失礼をいたしました」

 アニエスは、激しい動悸を感じながら……歩き出した。一瞬で20年前に引き込まれたかのような、そのようなな気がしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ、授業に行くぞ」

 才人は、ルイズを起こそうとした。

 しかし、ルイズは毛布を引っ冠った侭ベッドから出て来ない。

「起きろよ」

 才人は毛布を引っ張った。

 しかし、ルイズに強く引っ張り返されてしまうのである。

 どうやらルイズはベッドから出て来る気はないらしい。

 そんなルイズの様子を見ていたシエスタが、才人の肩をツンツンと突いた。

「ん?」

 シエスタは才人に抱き着くと、大声を出した。

「そんな!? サイトさん! 朝からそんな!?」

 それでも、ルイズがベッドから出て来る気配はない。どうやらかなり落ち込んでしまっている様子である。

「なあルイズ……そんなに落ち込むなって」

 スッとシエスタは才人から離れ、呟くように言った。

「サイトさんが、ミス・ヴァリエールが落ち込むようなことするからです」

「は? してないよ。俺」

「嘘ばっかり。だったらどうしてこんなにミス・ヴァリエールが落ち込むんですか? あの女の子に何をしたんですか?」

「あのなあ、俺は字を教えて貰ってただけだって!」

「ホントですか?」

「当ったり前だろ。何で俺がタバサにそんな事しなきゃならないんだよ。ルイズは、“魔法”の調子が悪くて落ち込んでいるんだろ。ほら、ルイズ。ちょっと調子が悪いくらいで、何だよ?」

 才人はユサユサとルイズを揺さぶった。

「サイトさん」

「ん?」

「あんな小さな娘が……成る程、そういう御趣味だったんですね。母が言ってました。“必要以上に若い娘が好きな男は、将来やらかすよ”って」

「あのね」

「でも、そんなやらかすであろうサイトさんが……私……」

 シエスタはポッと顔を赤らめたために、才人は頭が痛くなった。

「兎に角ルイズを起こさないと……ほらシエスタ、そっち持って」

 才人とシエスタは、協力し、「いっせーの」で毛布を引き剥がした。

 毛布にくっ付いて、ルイズがゴロン、と床に転がった。

 昨日のベビードールの上に、ネグリジェを羽織った妙な格好であった。夜は冷えるために、シエスタが着せてやったのである。

「おいルイズ。朝だぞ」

「ふにゃ」

 才人に頬をピチャピチャと叩かれるも、ルイズはほぼ無反応である。ただボンヤリと天井を見詰めるのみといった様子である。

「うわあ、ホントに抜け殻みたいになってますわ」

 シエスタは、ルイズを突いた。

「ふにゃ」

「ミス・ヴァリエール、起きて下さーい」

「ふにゃ。ふにゃふにゃ」

「わ、結構面白いです」

 シエスタはルイズを突き回し始めた。

 しかしルイズはされるが侭である。

「参っちゃったな……なあルイズ、誰だって調子の悪い時はあるよ。そんなに落ち込むなって」

 するとルイズは、やっとの事で口を開いた。虚ろな、独り言の様な声である。

「駄目よ。あれから何度やっても“虚無”が撃てないの。というか何を唱えても爆発すらしない。今までそんなことなかったわ」

「調子が悪いだけだよ」

 しかし、そんな才人の慰めは、床に伸びるルイズには届かない。

「どうしよう……? “虚無”だけが私の全てなのに……それが失くなっちゃったら、また“ゼロのルイズ”じゃない……」

「振り出しに戻る、で良いじゃねえか」

 しかしルイズにはもう応える事が出来ない。その視線は、やはりボンヤリと虚空を彷徨っている。

「デルフー」

 才人はデルフリンガーに尋ねてみることにした。

 最近、というよりも、ほとんど毎日放っておかれていることの多いデルフリンガーは、当然不機嫌そうな様子で答えた。

「あんだよ? もうホント、訊きたいことがある時だけ呼ぶんじゃねえーよ。斬りたいモノがある時だけ抜くんじゃねーよ。もう俺に飽きたんだろ?」

「良いから。ルイズが“虚無”を撃てなくなった訳を教えてくれよ」

「“精神力”が切れたんだろ」

「成る程。何だっけ、眠れば回復するんだっけ?」

「いや、“虚無”の場合はそう事は単純じゃねえな。普通の“系統魔法”なら、何日か寝れば大体回復するが……“虚無”は今までコツコツと溜めて来た分を消費する。ほら、ルイズがいつだから巨大な“エクスプロージョン”を撃っ放しただろ?」

「ああ、あの巨大戦艦を沈めた奴か」

「あれは、生まれて此の方ずっと溜まって来た“精神力”を消費して撃っ放したんだ。だからあんだけ大きな奴が撃てたのさ。それからは、少しずつ残りの“精神力”を消費して来たんだろう。2度とあんなデッカイ奴は撃てなかっただろ?」

 才人は、デルフリンガーの言葉に首肯いた。

 あれだけ巨大な光の球などは、あれっ切りで在り、他にはまだ御目に掛かっていないのである。

「じゃあ、またコツコツ溜めれば良いだけの話だろ」

「でもなあ、再び“虚無”が撃てるようになるにはどんだけ掛かるか判らねえ。1年か、2年か……はたまた10年か」

「そりゃ気が長い話だな」

「強いってことは、それだけ使い辛いってことさ。例外はいるみたいだけどな」

 才人は、“聖杯”が“魔力”を貯める年月などを想い出した。それからルイズを見詰める。

 ルイズは床にグテッと伸びて、泣き腫らしたかのように目を赤くしている。

 そんなルイズを見ていると、才人は切ない気持ちになってしまった。

「なあルイズ、暫く休もうぜ。御前は十分に働いたよ。神様が休めって言ってるんだよ」

「……そういう訳にはいかないわ」

「何で?」

「こうしている間にも、何処で誰かが善からぬ事を企んでいるかもしれないじゃない。あんたの帰る方法だって探さなくちゃならない。やらなきゃならないことは一杯あるじゃない。なのに……これじゃ私ただの役立たずじゃない……」

 ルイズは再び泣き出してしまった。

 そんなルイズをシエスタが慰める。

「そんな……ミス・ヴァリエールは役立たず何かじゃありませんわ。こんなに愛らしいじゃありませんか。そこにおられるだけで、皆を慰める御力を御持ちで御座いますわ。ほら、泣き止んでくださいな」

 しかしルイズは泣き止まない。

 そんなルイズが可哀想に想えたのだろう、シエスタも同様に泣き出してしまった。

「なあ、ルイズ。それなら、シオンやセイヴァーに相談してみようぜ? きっと、何か良い案とか解決方法が貰えるかもしれないしな」

 才人が、(さて、どうしたもんか?)と頭を悩ましながらそう口にしたその瞬間……。

「サイトォ~~~! 御下命が来たぞ! 我が“水精霊騎士隊”に、陛下の御下命だ!」

 ギーシュが飛び込んで来た。

「御下命?」

「そうだ! ルイズと、我等“水精霊騎士隊”に直々の御下命さ! 嗚呼良かった! 罰こそ頂かなかったが、陛下の御不興を買ってしまったかと戦々恐々としてたんだ!」

「御前のどこが戦々恐々としてたんだよ? 馬鹿騒ぎしてた癖に」

「そんな意地悪言うなよ。顔では笑っていても、心中穏やかじゃなかったんだぜ。兎に角、そんな僕の心配は杞憂だったみたいだな。僕達に対する、陛下の信頼は揺るがなかったというところだね」

「で、姫様は何だって?」

「兎に角御城に来てくれとのことだ。嗚呼、参ったなぁ。また授業に出れないではないか!」

 嬉しそうにギーシュは身震いをした。

 才人は、ルイズの状態もあって、面倒事は遠慮したいところであった。がしかし……無断越境を赦してくれたアンリエッタの頼みを無碍にし、断ることなど出来る筈もない。

 才人は素早く支度をした。といってもデルフリンガーを背負っただけであるのだが。

「他の皆は?」

「取り敢えず、僕と君と、ルイズだけで良いみたいだな」

「ルイズは良い」

「え? 何でだい?」

「行くわ」

 スクッと、ルイズは立ち上がった。

「無理すんなよ。調子悪いんだからよ」

「調子が良かろうが悪かろうが関係ないわ」

「一体、どうしたんだね?」

 ギーシュが、怪訝な顔で2人を見詰める。

「いや、こいつな? 今、“呪文”が……あいででっ!?」

 いきなりルイズに股間を蹴られてしまい、才人は悶絶した。

「……余計なこと言わないで。姫様は何か御困りなのよ。私が行かないでどうするのよ」

 その時、窓から1羽の梟が飛び込んで来た。

「あら。トゥルーカス。どうしたの?」

 その名前に才人とシエスタは覚えがあった。が、上手く想い出せず、(何処だっけ?)と頭を捻る。

 トゥルーカスは、ルイズに一通の封筒を手渡した。

「ルイズ様に御手紙です」

「手紙?」

 ルイズはその手紙を読み始めた。一瞬、顔が輝いたのだが……再びその顔が曇って行く。それから、見る見るうちに蒼白になっていった。

「どうしたんだよ? 誰からの手紙だよ?」

 才人の質問に、ルイズは答えない。

 ルイズはその手紙をポケットに捻り込むと、着替えるためにヨタヨタと歩き出した。

 

 

 

「おい、御前、ホントに大丈夫なのかよ?」

 厩で、自分の馬に鞍を付けながら才人尋ねたのだが、ルイズは答えない。

 ルイズは、キュッと唇を真一文字に結んで、黙々と馬に跨った。

 才人が、(やれやれ、簡単な任務だと良いなあ)と思いながら校門を潜ると、空からシルフィードが降って来て、一同の前に着陸をした。

「何だよ!? 御前達!?」

 見ると、タバサとキュルケが乗っている。

「私も行く」

 そう口を開いたのは、キュルケではなくタバサで在った。

「この娘、窓から貴方達を見掛けたら、直ぐに飛び出して行くんだもの。びっくりしたわよ」

 キュルケが両手を広げて言った。

「な、何で御前が?」

 才人は少しばかり驚き、言った。

 昨晩、熱心に字を教えてくれたことといい、随分とタバサは才人へと協力的であるといえるだろう。

「愚問ね。貴男に救けて貰ったからでしょ」

「別に救けたのは俺だけじゃないよ」

 才人は言った。

「きっと、貴男は特別なのよ」

 キュルケがニヤッと笑いながらそう言った。

「ルイズ、乗せて行ってくれるってよ」

 才人はルイズに呼び掛けた。

 しかしルイズとくると、心ここにあらずといった風情である。馬に跨った侭、1人先に行こうとしている。

「おいルイズ。馬で行か無くても良いだろ。運んで呉れるって言うんだから、シルフィードで行こうぜ」

 才人がそう言っても、ルイズは馬に鞭を打ち疾走り出してしまう。

「何だあいつ?」

 ルイズは、先程、手紙を読んでから態度が更に変になってしまったといえるだろう。

 才人は、(いや、いつもルイズは変だしな)と想いながらギーシュに続いてシルフィードに飛び乗った。

 シルフィードは勢い良く羽撃いて、空へと駆け上がった。

 眼下を見遣ると、ルイズは前のめりになって、パカラッパカラッ、と必死な様子で馬を疾走らせている。

 当然放っておく訳にもいかず、才人はシルフィードに頼んだ。

「シルフィード、彼奴も乗せてやってくれよ」

「きゅいきゅい」

 嬉しそうにシルフィードは鳴くと、降下してルイズと跨った馬を一緒くたにして咥え上げた。

 “竜”に咥えられた馬は驚いて、ヒヒーン! と鳴き叫んだ。

 シルフィードは器用に長い舌を動かして、ルイズだけを背中へと放り込んだ。

 どでっ! と涎だらけになってしまったルイズを、才人は抱き留めてやった。

 そんな風に乱暴な扱いを受けているというのに、ルイズはというとと文句を言う訳でもなく、肩を抱いてブルブルと震えていた。

「ん? どうしたの? この娘」

 才人は、(さっきの手紙に何て書いてあったんだろう? “虚無”に関する事で、誰かに何か言われたのか?)と気に成った。それから、先程の梟の正体をここで漸く想い出す事ができた。

 あれはルイズの実家にいた梟で在る。いつぞや、カトレアの馬車の中であのトゥルーカスが飛んで来た事を想い出し、才人は膝を打った。

 才人は、(あの厳しい家族の誰かに、何か言われたにちがいないな。その手紙の内容は、きっと“精神力”が切れて、“虚無”が撃てなくなったルイズにとって、追い打ちを掛けるようなものだったんだろ)と見当を付けた。

 取り敢えず、自分から話して来るまで、ソッとして置こうと才人は判断した。

 

 

 

 “王宮”に到着した一行を待ち侘びていたのは、随分と悩んだ様子を見せるアンリエッタであった。

 女王は“水精霊騎士隊”の面々を見詰め、「ようこそいらしてくださいました。貴方方に御頼みしたいことがあるのです」と言った。

「何の様な御用命で御座いましょうか?」

 膝を突いたギーシュに、アンリエッタは頼み事を打ち明けた。

「“アルビオン”の“虚無の担い手”を、ここに連れて来て頂きたいのです」

「ティファニアを?」

 才人が驚いた声で言うと、アンリエッタは深く首肯いた。

「……シオンとセイヴァーさんの保護もあるとはいえ、やはり、“虚無の担い手”を1人住わせておく訳には参りませんから。それに彼女は“アルビオン王家”の忘れ形見……いえ、詰まりはシオンと私の従姉妹ではありませんか。やはり放っておく訳にはいきませぬ、ルイズ、貴女を襲った様に、いつなんどき“ガリア”の魔の手が伸びるやもしれませぬ」

「彼女は1人じゃありませんよ。孤児達と一緒に暮らしてるんです。ティファニアは彼等の御母さん代わりなんだ」

「ならば、その孤児達も連れて来てください。生活は保証いたしましょう」

「でも、“アルビオン”の、シオンが治めてる国にいるんですよ? そんな勝手に……」

「大丈夫です。昨日、シオン女王陛下から許可を頂きました。彼女達を先ず、“アルビオン”国籍とし、そしてその次に我が“トリステイン”へと留学、迎え入れる手筈となっております。彼女達自身の意思を訊かず勝手なこととは理解しておりますが……」

 才人の言葉に、アンリエッタは既に行動を済ませていることを教えた。

「……理解りました。それほどに御心配なら、連れて来ますよ」

「有り難う。御願いするわね」

 アンリエッタの気持ちと行動などを聞き、才人は首肯いた。

 アンリエッタは深い溜息と共に、椅子に肘を突いた。

 その様子に、才人は首を傾げた。

「何か御心配事でも有るんですか?」

「いずれ話します。今は急いで下さいまし」

「“フネ”で行ったら時間が掛かるよなぁ……」

 すると、後ろに控えたタバサが、小さく呟いた。

「シルフィード」

「そうだ。シルフィード成ら、“フネ”より速いぞ」

 ギーシュも首肯く。

 アンリエッタはタバサに気付き、その手を取った。

「“ガリア”の姫君で御座いますわね。御協力を感謝いたします。いずれ改めて、貴女の御境遇と今後の身の振り方を相談させてくださいまし」

 タバサは小さく首肯いた。

「帰りには、“ロサイス”まで“フネ”を用意させましょう。兎に角、早く“アルビオン”へ向かってくださいまし」

 アンリエッタは、深く悩んでいる様子で、そう一行に告げた。

 才人は、ルイズとアンリエッタを交互に見詰めた。

 仲良しの2人が口を利かないのは珍しい事なのである。御互い、心ここにあらずといった風情である。それほどに心悩ましてしまう事態が、2人の心には渦巻いていあるのであった。

 才人は、(一体、それって何々だ?)と気になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海沿いの“ガリア”の街、“サン・ロマン”。

 “ガリア”空海軍の一大拠点であるここには、“ハルケギニア”の各空軍基地と同じように様々な建物が並んでいる。鉄塔の様な空飛ぶ“フネ”の桟橋を始め、煉瓦造りの建物が幾つも並んでいるのである。

 市街地から離れた一角に、その建築物はあった。煉瓦と漆喰で造られた土台の上に木枠と帆布で組み上げられた、円柱を縦に半分に切って寝かせた様な建物である。

 周りには衛兵が立てられており、近郊の市民達が容易に近付く事が出来ないようになっている。

 一隻の巨大な“フネ”が、その建物の前に建てられた鉄塔へと近付いた。

 歩哨に当たっていた兵隊が其の“フネ”を見上げ、「やぁ、“シャルル・オルレアン”じゃねえか」、「相変わらずでっかい“フネ”だなあ」、と呟く。

 3年前に亡くなった王弟の名が付けられたその“フネ”は、“ガリア”王室の御召艦である。全長500“メイル”。そしてその全長は、“アルビオン”空軍の“レキシントン号”が沈んだ今となっては、今現在確認出来る中では“ハルケギニア”最大の艦であるといえるだろう。

 しかし、進空したのがつい最近のために、戦闘力という点では艦齢の古かった“レキシントン号”より遥かに勝っているといえるだろう。片舷120門、合計240門もの大砲を備え、数々の魔道具を改良した武器が備え付けられたその艦は、“ハルケギニア”最強国“ガリア”の象徴であるともいえた。

 マストに翻る王室の座上旗を見て、衛兵は息を呑んだ。

「おい、旗を見ろ。王様が乗ってなさるぜ」

「ホントだ。何だ、こんな田舎に視察かい」

 衛兵は、暢気な声で呟く相棒に目を細めてみせた。

「この実験農場が出来てから此方、変じゃねえか?」

「何がだね?」

「だってよ、怪しい連中が次から次へと遣って来るじゃねえか。遂には、王様の御出ましだ。ここだけの話だがな、イルマンの奴が“エルフ”を見たって言ってたぜ」

 低い声で、相棒が呟いた。

「“エルフ”? 幾ら何でもそりゃ嘘だろ。あの酔いどれのイルマンの言うこと何ざ、当てになるかい」

「いやいや、それが本当らしい。そん時ゃ珍しく素面だったそうだ。夜中に取り巻きを引き連れて、この実験農場の中に入って行ったって。帽子の隙間から、長い耳が覗いてたって言ってたぜ」

 相棒は震えた。

「怖がらせるない」

 “フネ”が鉄塔に取り付き、集まった基地就きの楽団が王を迎える演奏を開始した。

 儀仗兵が鉄塔から延びる石畳の通路の左右に並び、“杖”やマスケット銃を構える。

「あの“無能王”は、こんな建物を御っ建てて一体何を考えていやがるんだ?」

「でもってよ……」

 相棒は後ろを振り向いた。

 彼等が守る、巨大な実験農場を見上げ、彼は呟く。

「この中では一体、何を遣って遣やってやがるんだ?」

 

 

 

 実験農場の中に入ったモリエール夫人は、その気温に眉を顰めた。

 中はまるで蒸し風呂とでもいっても良い状態である。

「暑いですわ」

 そう呟いて、モリエールは傍らの愛人を見上げる。

 しかし、美髯の王は全く暑さを感じていないといった様子を見せている。

 側に控えた学者風の男が、弁解するように呟いた。

「申し訳ありませぬ。空気や音を逃さぬように、この建物は帆布で全体を覆っているのです。中の空気は春の陽光に熱せられるだけ、熱されておりまする。無数の釜戸に加えて、溶鉱炉まで御座います。暑さはいかんともし難いでしょうな」

「一体、ここで私に見せて下さるモノは何ですの?」

 気味が悪そうに、モリエールは呟いた。

 怪しげな瓶やら鍋やらが沢山並んでおり、“メイジ”の研究員達が一所懸命になって何やら実験を行っているのが見える。その側では大きな溶鉱炉がグツグツと煮え滾り、真っ赤に溶けた鉄が鋳型に流し込まれている。

 研究者風の男達が幾人も行ったり来たりを繰り返しては、忙しなく働く作業員達に何事か支持を与え、立ち去って行く。ここで働く誰もが、そう言い含められているのであろう、近付くジョゼフにさえ関心を払おうとする様子は見受けられない。

 その一角を過ぎると、何本もの大きな金床が並んでいた。

 そこでは、何人も鍛冶師が取り付き、10“メイル”四方はあろうかという鉄板を打ち出していた。膨大な量の鉄板が積み上げられている。

「あんな大きな鉄板を、どうなさる御積りなんですの?」

 モリエールが尋ねると、ジョゼフは美髯を揺らして答えた。

「鎧を造っているのだ」

「まあ! 誰がそんな大きな鎧を着るのですか?」

 しかしもう、ジョゼフは答えない。

 その内に一行は、建物の中心部と想われる、開けた場所に着いた。

 そこには貴賓席が設けられており、ジョゼフの到着を待つ腹心達が控えていた。

「御待ちしておりました。ジョゼフ様」

 そう言って恭しく頭を下げたのは、深いフードに顔を埋めた細身の女であった。モリエールも、何度か宮廷で見た事のある姿である。

 モリエールは、その女に何か冷たいモノを感じ取り、ソッとジョゼフに寄り添った。

「おおミューズ! 余のミューズ!」

 然しジョゼフは、そのフードの女性へと駆け寄ると、強く抱き締めた。

 ミューズと呼ばれたフードの女性の唇が、歓喜の形に曲がる。

 モリエールは、眉を顰めた。

「例のモノが完成したと聞いてな。このように飛んで参ったのだ」

「ビダーシャル卿の協力あってこその成功です」

 ミューズの隣に立った男は、痩せ過ぎといえる身体を僅かに折り曲げ、ジョゼフへと礼をした。大きな帽子を冠っているためだろう、やはり顔を見る事は出来ない。小さな口のみが、僅かに覗いている。

「おおビダーシャル! よくやってくれた! 難航していた“ヨルムンガント”の作成に、よくぞ協力して呉れた!」

「我は、任務を達成出来なかったからな」

 詰まらなさそうな声と調子で、ビダーシャルは言った。

 その言葉遣いに、モリエールは更に眉を顰めた。

 王とも思わぬ言葉遣いであったのだが、ジョゼフは気にした風も無い様子である。

「なに、この“ヨルムンガント”の完成で、そんな些細な失態など帳消しだ」

「ですが陛下、姪御が“トリステイン”の手に渡るのは、余り面白くない事態と申せましょう」

「あの“トリステイン”の小娘に、この余に歯向かう度量などあるモノか。捨て置け。警戒すべきは、“アルビオン”の小娘とその“使い魔”よ」

 そう言ったジョゼフであるが、新しい玩具に夢中だといった様子を見せる。

 モリエールは、この美髯の王が夢中になっている“ヨルムンガント”とは一体何なのか、興味が引かれた。

「陛下、教えてくださいまし。一体その、“ヨルムンガント”とは何ですの?」

「いつか貴女が余にくださった騎士人形を覚えているか? あれだよ」

「騎士人形で御座いますか?」

 モリエールは、(ただの玩具の人形を造るために、この王はこんな仰々しい建物を建てたのかしら?)と呆気に取られた様子を見せる。同時に、(この王ならそれをやりかねないわね)とも想った。あれほどまでに大きな箱庭を作り、一日中戦争ごっこに興じているジョゼフであるためだ。

「まあ見ておれ」

 ジョゼフは用意された椅子へと腰掛ける。

 隣にモリエールも座った。

 開けた場所が、一行の眼の前には広がっている。古代のコロシアムを想起させるような、円形の造りであった。

「一体ここで、どんな出し物が始まりますの?」

「余興だ。余興だよ! 実に楽しい余興が今から始まるのだ」

 ジョゼフは、少年の様な目で、眼の前のコロシアムを見詰める。

 モリエールもジッと待っていると……西側に設けられた柵が開き、中からズシン! ズシン! と地響きを立てて、高さ20“メイル”はあろうかという巨大な“ゴーレム”が現れた。

「土“ゴーレム”ではありませんか」

 見せたいモノはこれなんだろうか、と少しガッカリとした声でモリエールは言った。

 成る程確かに見事だといえる“ゴーレム”ではあるのが、この時代土“ゴーレム”など珍しくもなんともないといえるのだからして。

 土“ゴーレム”は合わせて3体現れた。

 1体がコロシアムの隅の置かれた大砲を持ち上げた。その大砲を操作して、まるで拳銃でも扱うかのように、火薬を詰め、弾を込める。

 その動きに、モリエールは息を呑んだ。

 “ゴーレム”は本来、大きくなればなるほどに、歩く、壊すといった単純な動きしか出来ないモノであるのだ。

 あのような巨大さで、器用な動きが出来る“ゴーレム”は珍しいのである。

「“西指花壇騎士団”の精鋭達が造り上げた、“スクウェア・クラス”の土“ゴーレム”で御座います」

 ミューズがそう説明する。

「あの“ゴーレム”が、“ヨルムンガント”なのですか?」

 しかしもう、ジョゼフは答えにあ。

 その時。

 ジョゼフの唇の端が持ち上がり、猛禽類の様な顔付きになった。

 東側の柵が開き、一回り大きな“ゴーレム”が現れたのである。

 モリエールの目が、大きく見開かれる事になった。小さく、声にならない呻きを、彼女は漏らしてしまう。

 それほどに現れたモノは巨大であるばかりではなく、禍々しい雰囲気を放っているのである。

「な、何ですの? あれは……」

 全長25“メイル”にも達しようかという、その巨人モドキは、まるで人がローブを纏うかのようにして、帆布で身体を包んでいる。天井にも達しようかという大きさをしているのである。

 しかし、見るからに、元来の“ゴーレム”とは動きが違うであろうことが見て取れる。

 一歩、巨人が歩く。

 ズシン! と地響きが響き、モリエールの座っている椅子が揺れた。

 しかし、無骨なのは音だけであり、まるでヒトであるかのように滑らかで流れるような優雅な歩みであった。

「あ、あんな風に滑らかに歩ける“ゴーレム”がいるなんて……」

 モリエールは呟く。

「滑らかに歩けるだけではない」

 ジョゼフが歓喜に耐えぬ、といった面持ちで呟く。

 3体の“ゴーレム”は、腰を低く落とすと、現れた巨大“ゴーレム”――“ヨルムンガント”を取り囲むように動いた。

 左右の“ゴーレム”が、動いた。

 巨体に似合わぬ素早さで、“ゴーレム”は拳を繰り出す。

「ひっ」

 大きな土煙が舞い、モリエールは思わず目を閉じる。

 “ヨルムンガント”が、左右から巨大“ゴーレム”に押し潰される光景が、モリエールの瞼の裏に浮かび上がった。

 モリエールが恐る恐る目を開くと……そこには驚くべき光景が広がっていた。

 “ヨルムンガント”が、左右から繰り出された“土ゴーレム”の拳を、ガッチリと掴んでいたのである。

「何て力……」

 そんな感想を抱いた後、更に恐るべき光景が、モリエールの目を襲った。

 “ヨルムンガント”は、左右の“ゴーレム”を引っ張り、自らの前で打つけ合わせてみせたので在る。

 先程とは比べモノに成ら無い土煙が舞い上がり、モリエールは激しく咳き込んだ。

 “ヨルムンガント”は、2体の“ゴーレム”をまるでパン生地の様に捏ね繰り回し、ただの土の塊にしてしまったのである。

 最後の1体が、“ヨルムンガント”に向けて大砲を構えた。

 思わずモリエールは叫びを上げた。

「いけません! あんな大砲を撃ったら、“ヨルムンガント”が粉々になってしまいますわ! 危険です!」

 モリエールのそんな叫びは届かず、“ゴーレム”は砲尾に火縄を差し込み、大砲を発射した。

 轟音が響き、猛烈な火線が目を灼き、真っ黒な煙が舞い上がる。

 屋根代わりの帆布がパタパタと、激しい音を立てる。

 モリエールは再び目を瞑る。今度こそはバラバラになってしまったにちがいない……そう想って目を開くと、“ヨルムンガント”がそこにたっていた。

 大砲の弾によってローブの様に着込んでいた帆布が引き裂かれ、“ヨルムンガント”の地肌が覗いていた。

 鋼鉄の鈍い光が、モリエールの目に飛び込んで来る。

「鎧を……何て分厚い鎧を着込んでおりますの……」

 そのような鎧を着込んでいるというにも関わらず、“ヨルムンガント”は素早い動きで突進をした。

 “ヨルムンガント”のタックルを喰らってしまった“土ゴーレム”は、一瞬でバラバラになってしまう。

 眼の前で繰り広げられる、そんな俄には信じる事が出来ないであろう光景を前にして、モリエールは完全に言葉を失ってしまった。

 暫しの沈黙の後、モリエールはやっとの想いで言葉を捻り出す事ができた。

「陛下……何というモノを御造りになったんですの」

「“先住”と伝説、2つの“(魔法)”が出逢った事で齎された、奇跡の産物だよ」

「……こんな怪物が10体もいたら、“ハルケギニア”が征服できますね」

「10体? 余は、此の“ヨルムンガント(騎士人形)”を用いて、騎士団を編成するのだ」

 先程造られていた、鎧用であろう巨大な鉄板の量を想い出し、モリエールの目が裏返ってしまった。眼の前の光景と、ジョゼフの言葉に耐える事が出来ず、失神してしまったのである。

「御気に入られましたか?」

 ミューズ――“ミョズニトルニルン”――シェフィールドが近付き、ジョゼフの前で膝を突く。

「勿論だ。中々好い出来ではないか。此の騎士人形は……」

「実戦で使ってみませんと真価は測りかねます」

「丁度良い連中がいるではないか」

 ジョゼフは笑みを浮かべた。

「“我が兄弟達よ(虚無の担い手とサーヴァントのマスター)”よ。我が姪を救い出したように、簡単にはいかぬぞ。この“ヨルムンガント”は……」



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二重奏の想いと心

「こ、ここがその、胸が不自然な“ハーフエルフ”が住むという村だな」

 ソワソワとした調子で、ギーシュが言った。

「そういう言い方すんなよ」

「君が言ったんじゃないのかね。その“ハーフエルフ”の少女の特徴を教えてくれと言ったら、耳が長い、あと、“胸が可怪しい”って」

「貴男達、コソコソ何やら話していると思ったら、そんな善からぬ会話をしてたって訳ね」

 キュルケがニヤニヤとしながら誂うような調子で言った。

「だ、だってこいつが、どうしても特徴を聞きたいって言うもんだから!」

「僕の所為にしないえくれ給えよ」

「でも、ホントにその娘、胸が可怪しいの? あたしとどっちが可怪しいの?」

 キュルケが、自身の胸を持ち上げて才人を誂う。

「し、知るか」

 少し照れた様に、才人は言った。

 “ウエストウッド村”に一行が降り立ったのは、夕方になろうかという時間で在った。月の関係などから“アルビオン”が“トリステイン”にかなり近付く日であったことが幸いしたのだが、それでもフルスピードで飛ぶシルフィードであっても半日掛かってしまったのである。

 一行は、“ガリア”行きの時に比べると、随分と砕けた雰囲気であった。今回の任務は、ティファニアを連れて帰るだけであるためだ。

 面倒なことといえば、精々ティファニア達を説得することくらいであろうと想えたためでもある。危険なことはないと、といった雰囲気が、一行の態度を明るいモノにしているといえるだろう。

 面倒な任務でなくて良かった、と才人はホッとした。

 何せ今ルイズは“虚無”を使用する事が出来ないのだから。

 そのルイズは、1人明るい雰囲気の蚊帳の外であり、ずっと黙りこくった侭であった。

 キュルケが、才人を突いた。

「ねえサイト。ルイズ、一体どうしちゃったの? 朝から変よ。黙っちゃって……」

「いや……じつはな」

 言おうか言うまいか迷った後、才人はキュルケに打ち明ける事にした。

「まあ! “精神力”が!」

「しっ! 声が大きいよ」

 才人は前を歩くルイズに聞こえないよう、声を潜めた。

「あらら、じゃあ“ゼロのルイズ”に逆戻りって訳? でも、爆発すらしないんじゃ、更に重症ね」

「言うなよ。気にしてるんだから」

「でも、そっちの方が良いんじゃない?」

 キュルケが、真顔で言った。

「何でだよ?」

「あの娘に伝説なんて、常々荷が重いって想ってたの。あたしくらい楽天的な方が、過ぎたる力には丁度良いのよ」

 そうかもしれない、と才人は想った。

 

 

 

 才人は、懐かしい村を見回した。

 “ウエストウッド村”は殆ど変わっていないといえるだろう。シオンを始めと、皆ちょっかいを出してはいないのが一因だろうか。

 才人は、森の中に建てられた小ぢんまりとした佇まいの素朴な家々を見詰める。

 ティファニアの家は、入り口から直ぐの所に在る。藁葺きの屋根から、煙が立ち昇っているのが見える。

「お、居るみたいだな」

「いやぁ、こんな簡単な任務で良いのかねぇ。いつもの苦労に比べたら、何だか拍子抜けしてしまうよ」

 ギーシュが鼻歌交じりに言った。

「もう、ホントに御前ってば緊張感がない男だな」

「君に言われたくないな。と言うか最近の君は可怪しいぞ」

「俺が?」

「そうさ。副隊長になって張り切る気持ちも理解るがね、何だか妙な使命感に振り回されているように感じるよ。昔の君はもっとこう、テキトウだったじゃないか?」

「そうか?」

「ああ。もっと気楽に行き給えよ。気楽に! あっはっは!」

 ギーシュは大声で笑った。

「そんな油断してるとね、碌な事がないわよ」

 キュルケが窘める。

「望む所さ! 悪魔でも何でも来い! さてと、この家だな」

 ギーシュはティファニアの家の前まで来ると、大声を上げた。

「御家中の方に申し上げる! “水精霊騎士隊”隊長、ギーシュ・ド・グラモン! 王命により参上仕った! では御免」

 返事も無しに、ギーシュは扉を開けた。

 ギーシュのその身体が、一瞬で固まってしまった。

「何よ? どうしたのよ? 中で女の子が着替えでもしたたの?」

 次にキュルケが、呆れた声で、中を覗き込む。

 やはり、彼女の身体もまた硬直してしまう。

 才人とタバサは顔を見合わせた。

 首肯くと、2人は同時に扉の中に顔を突っ込んでみた。

 扉の向こうは、居間になっている。

 才人も嘗て食事を摂ったりしたテーブルに、2人が座っていた。

 先ず、呆然とした顔で一行を見詰めるティファニアの姿。

 しかし、懐かしいティファニアに、声を掛ける余裕は才人にはなかった。

 残りの1人が、問題であったためである。

 最後の扉の中に首を突っ込んだタバサが、呟いた。

「フーケ」

 果たして、ティファニアの家の客は、仇敵ともいえるフーケであった。

 才人の肩が震え出す。

 この“アルビオン”の地で最期を看取ったウェールズの顔が、才人の脳裏に蘇る。

 勇気ある皇太子を殺害したワルドに協力していた女。

 盗賊、“土くれのフーケ”。

 アンリエッタの泣き顔が、焼けた“タルブの村”が、あの悲惨な“アルビオン戦役”の数々の光景が、才人の頭の中に蘇ったのである。

「フーケェエエエエエエエエッ!」

 才人は絶叫すると、背中のデルフリンガーを抜き放った。

 才人の左手甲の“ルーン”が一際強く光る。

 間髪入れずに、才人はフーケへと斬り掛かった。

 しかしフーケも然る者である。飛び掛かった才人に臆することもなく立ち上がり、“杖”を抜き、デルフリンガーを受け流す。

 一瞬の剣戟の後、2人はパッと飛び退いて距離を取った。

「何で手前がここに……?」

「それは私の台詞だよ」

 2人は互いに2撃目を加えようと、ジリジリと間合いを測った。

 その時……。

「止めてぇッ!」

 ティファニアが2人の間に飛び込んで来たのである。

「何で2人共戦うの!? サイト! 剣をしまって!」

「で、でも……」

「マチルダ姉さん! この方に手を出しては駄目!」

「マチルダ姉さん?」

 才人は、(人違いか?)とフーケを見詰めた。が、其の鋭い目と、意思の強そうな顔は、紛れもなく嘗てその“ゴーレム”と戦った、“土くれのフーケ”であることが判る。

 フーケ――マチルダは、どうしたものか、とでもいうように、才人とティファニアを交互に見詰めた。

「やめておけ。それでも“剣”と“杖”を向け、振るうというのであれば、俺が相手になろう」

 才人達一行は、一斉に後ろを振り返る。

 ティファニアの家の外――“ウエストウッド村”の出入り口に当たる場所に、シオンと俺は到着したのである。

「セイヴァー……御前達は何も想はねえのかよ!?」

「想う所はあるよ。でも、それだけ……」

「言っただろ、才人。総ては“間が悪かった”だけだと」

「…………」

「セイヴァーさん? あの……」

 俺の声、才人の言葉で気付いたティファニアは、大きな声で外にいる俺へとどうにか説明をしようと試みる。

「ああ、理解っている。この前、ここに、俺達がいた時に話してくれた君の大事な人だろう?」

 ティファニアの様子、俺の登場と言葉に、フーケは参ったといったように首を振った。

「仕方無いね」

 才人は怒り憤懣やるかたない様子で、なおも飛び掛かろうとしたが……ティファニアはその腕にしがみ付く。

「御願い、サイト。止めて。何があったかしらないけれど、戦いはやめて。御願い……」

 ティファニアは泣いていた。

 才人は、そんなティファニアを見て、くそ! と怒鳴ると、デルフリンガーを再び背中の鞘へと収めた。そして、でんっ! と床に腰掛ける。

「有り難う」

 ティファニアが、泣きじゃくりながら御礼を言った。

 ギーシュとキュルケ、そしてタバサが顔を見合わせた。

「あんた達とも随分と久し振りだねぇ。先ずは旧交を温めようじゃないか」

 マチルダが、疲れた声でそう言った。

「貴女、は……?」

 泣きじゃくるティファニアは、シオンに気付いた様子を見せ、見上げる。

「貴女が、ティファニアさん、ですか?」

 シオンは、ティファニアへと笑顔を浮かべ優し気に声を掛ける。

 そんなシオンの言動に、ティファニアは少しばかり落ち着きを取り戻した様子を見せる。

「私は、シオン・エルディ・アフェット・アルビオン。“アルビオン王国”現女王です」

 シオンの自己紹介に、ティファニアの表情が固まる。

 そして、マチルダが“杖”を構える。

「先王、そして私の家族の非礼を……この場を借りて、謝罪させて頂きたいのです。本当に、申し訳御座いませんでした」

 シオンは深々と、誠心誠意を込めて謝罪をした。

 すると、ティファニアとマチルダの2人は面食らった様子を見せた。

 

 

 

 俺とシオンが座る中、マチルダと才人達一行は暫くの間睨み合っていたのだが……先ず、痺れを切らしたのはマチルダであった。いや、年長者である自覚があることも理由の1つだろうか。

「あんた達も、“杖”をしまって、先ずは座りな。長旅で疲れてるんだろう?」

 才人達一行はどうしようかと顔を見合わせたが、キュルケが「そうね」と呟いて腰を掛けた事を契機に、皆仕方無くといった様子でそれに倣う。

「ねえティファニア。何でこいつ等と知り合いなのか、話して御覧」

 ティファニアが、良いかな? といったように才人を始め俺とシオンを見詰める。

 才人が行きがかり上、説明しない訳にはいかないだろうといった様子で首肯いた。

 俺とシオンもそれに続き、同様に首肯いた。

 ティファニアは、マチルダに掻い摘んで理解り易く説明をした。

 “アルビオン”軍を食い止め、死にそうになってしまっていた才人を救けたこと。

 迎えに来たルイズ達とも知り合いになったということを……。

「ああ、じゃああれはあんた達だったのかい。110,000の“アルビオン”軍を、たったの2人で喰い止めたっていうのは」

 才人と俺は首肯く。

「ふふ、やるじゃないの。少しは成長したようだね」

 マチルダは、才人を見て嬉しそうに笑った。

「じゃあ次はこっちの番だ。御前とティファニアは、どうして知り合いなんだよ?」

 マチルダの代わりにティファニアが、才人達へと説明をする。

「いつか話したことがったよね? 私の父……財務監督官だった大公に仕えていた、この辺りの太守の人がいたって」

「ああ」

「彼女は、その方の娘さんなの。詰まり私の命の恩人の娘さん」

「何だって!?」

 才人は驚いた。

「それだけじゃないの。マチルダ姉さんは、私達に生活費を送ってくださったいたの」

 才人達は何かを言おうとしたのだが、マチルダに遮られてしまう。

「おっと。あんた達、私の前職は言わなくていいよ。ここじゃ秘密で通ってるのさ」

「サイト、セイヴァーさん、マチルダ姉さんが何をしていたか知ってるの?」

 ティファニアが、身を乗り出して尋ねて来た。

「ん? あ、ああ……」

「勿論、知っているとも」

「教えて! 絶対に話してくれないのよ!」

 マチルダは、ジロリといった風に俺と才人を睨んで言った。

「言ったら、殺すよ」

 才人は仕方無く、苦し紛れの嘘を吐く事にした。マチルダの正体を知る事で、ティファニアが悲しむだろうと想ったからである。

「……その、宝探しって言うか」

「トレジャーハンター? 格好良い!」

 キュルケが、ぷ、と口元を押さえ、笑いを堪える。

「笑うんじゃないよ」

「何よ、おばさん。“ラ・ロシェール”での決着を付けとく?」

 キュルケの挑発に、マチルダは苦笑を浮かべ、答える。

「まあ、そんな仕事をしていてね。こいつ等とはその、御宝を取り合った仲なのさ」

 ホッとした様子で、ティファニアが言った。

「だから仲が悪いのね。駄目よ。仲直りしなきゃ。ほら、乾杯しましょ!」

 ティファニアは、戸棚からワインとグラスを取り出した。

 仇敵同士の、奇妙なパーティーが始まる事になった。

 

 

 

 誰もが黙々とワインを口に運ぶばかりであり、全く会話が弾む事がない。

 あれだけ陽気だったギーシュさえも、うむ、うん、と呟くばかりで、言葉を発しないのである。

 キュルケは時折目を光らせ、胸元に差し込んだ“杖”に手を遣り、また戻す、ということを繰り返している。

 ルイズは相変わらずボンヤリとしている。あれだけアンリエッタや才人達を苦しめたマチルダが眼の前にいるというのに、心ここにあらず様子である。

 才人は、やはり強く想うところがあって、割り切る事が難しいのであろう。(嗚呼、何度このフーケに、痛い目に遭わされたっけか)と想い、ギリリ、と唇を噛んでマチルダを見詰めている。今直ぐにでも飛び掛かりたい衝動に駆られているといった様子である。

 そんな中、俺とシオン、ティファニアだけがどうにか会話をする事が出来ている。

 黙々とワインを呑んで居たフーケが、そんな才人をあやすように尋ねた。

「で、今回は何をしに来たんだい? ただ遊びに来ったって訳じゃないんだろ?」

 才人は、フーケとティファニアを交互に見詰めた後……言い難そうに告げた。

「……ティファニアを、連れ帰りに来たんだ」

 フーケの眉が、軽く動いた。

 ティファニアも驚いて才人を見詰める。

 才人は、身を乗り出した。

「ティファニア、俺達と一緒に、“トリステイン”に行こう」

 ティファニアは、当然だが困った様に身を捩らせる。

「でも……私……」

 必死になって、才人はティファニアを説得しに掛かる。

「勿論、子供達も一緒だ。生活は“アルビオン”と“トリステイン”が保証する。そうだよな、シオン?」

「ええ、勿論。ただ、先ずは“アルビオン”国籍……それから“トリステイン”に留学というかたちになるけど……」

「外の世界が見たいって言ってただろ?」

 才人の言葉に、ティファニアの顔が僅かに輝いた。

 それから困ったように、ティファニアはフーケを見詰める。

 才人は、(“駄目だ”とか何とか言うにちがいない。俺達との同行を、今までずっとティファニアを援助していたこいつが許す訳もないよな。そうなったら、今度こそデルフの出番だ)と想い、マチルダを睨んだ。それから、才人はデルフリンガーにソロリソロリと手を伸ばす。

 緊張が部屋を包む。

 一触即発とでもいえる空気が流れる。

 皆にとって無限にも感じられるであろう時間が流れた後……。

 フーケは目を瞑り、コクリと首肯いた。

「良いよ。行っておいで。ティファニア」

 その場の、俺とシオンを除いた全員の顔が驚きの形に歪んだ。

「御前もそろそろ、外の世界を見た方が良い歳だ」

「おい! 良いのかよ!?」

「ああ。それに私は今や文無しでね。仕送りをしたくてももう出来ないのさ。今日はそれを言いに来たんだ。丁度良いかもしれないね」

「マチルダ姉さん……」

 ティファニアの顔が、クシャッと歪んだ。

 フーケは、そんなティファニアへと近付き、その身体をギュッと抱き締めた。

「馬鹿な娘だね。何で泣くんだい?」

 ゴシゴシと目の下を擦リながら、ティファニアが言った。

「だって、そんなに苦労してるん成ら、どうして言ってくれなかったの?」

「娘に心配掛ける親がいるかい?」

「マチルダ姉さんは、私の親じゃないわ」

「親みたいなもんだよ。だって、小さな時からずっと知っているんだものね」

 

 

 

 晩御飯の時間が近付き、子供達が挙ってティファニアの家の外へと来る。

 子供達の数と様子を目にし、才人とルイズとシオン、そして俺とマチルダを除いた皆が驚いた様子を見せる。

「さて、晩御飯だけど……何が良いかな?」

「子供達もいるし、あんた達は長旅で疲れてるしね……」

 ティファニアとマチルダと俺は、調理場へと立って献立についてを相談している。

「そうだな……人数が多い、育ち盛りの子供達、疲労回復……」

「何か良い案でも有るのかい?」

 マチルダの言葉に、首肯く。

「ああ。俺と才人が居た国でメジャーな料理、食べ物だが……」

「どんな料理なの?」

 ティファニアが尋ねて来、俺はそれに答える。

「“カレー”、そして“ハンバーグ”という料理だ。簡単に作る事ができ、量も沢山用意できる。だが、“カレー”の方は少しばかりスパイシーだ」

「そんなに辛いのかい?」

「いや、少し工夫すれば、甘口にする事もできる。子供達もいるからな、甘口の方が良いだろう。そしてこれがレシピだ。出て行く際にこれを持って行くと良い、マチルダ」

「へえ、あんた達の故郷の料理っていう割にはここ等辺の材料でも作れるんだねえ」

「なに、ある程度のアレンジは施してある。“ハルケギニア”で作れるようにな」

 そう言って、俺達3人は“カレー”と“ハンバーグ”を作る事にした。

 

 

 

 その夜、ティファニアが泣き疲れたことや食事が終わった音もあり、眠ってしまった後……フーケは帰り支度を始めた。

「おい、待てよ」

 才人が、そんなフーケに慌てて言った。

 才人の目が赤く腫れており、いつかどこかで泣いていた事を理解させる。

「何だい? どうしても遣り合いたいって言うのかい? 面倒な子だね」

「違うよ。ティファニアに、挨拶しなくて良いのかよ?」

 憮然とした調子で、才人が言うと、フーケは首を横に振った。

「急ぐんでね。これでも、色々と多忙なのさ」

 シンミリとした別れが嫌いだという事も理由の1つであろう、フーケは言った。

 才人はそれ以上、何も言う事が出来なくなり、ドアを出るフーケを見送った。

 想い出したかのように、フーケが振り返る。

「あの娘をよろしく頼むよ。世間知らずなんだ。変な虫が付かないように、良く見張るんだよ」

「ああ」

 才人は首肯いた。

 それからフーケは一同を見回した。

「さて、次逢う時は敵だね」

「今でも敵だけどな」

「まあね」

 フーケは、薄ら笑いを浮かべる。

「じゃあね。精々、元気で遣るんだね」

 去ろうとするフーケに、才人は尋ねた。

「今度はどこでどいつと悪巧みをする積りだ?」

「私は、あんた達がどうして、あの娘を連れて行くのか訊かないよ。だからあんたも訊くんじゃない」

「どうして訊か無いんだよ? 心配じゃないのかよ?」

 フーケは、微かに寂しそうな表情を浮かべた。

「どんな道だろうが、私と行くよりは、マシだからさ」

 ローブを深く冠り、フーケは言った。

「あんたもたまには、故郷に帰えるんだね。親に顔を見せてやりな。私みたいに、帰る場所が失くなっちまう前にね」

 

 

 

 フーケが行ってしまった後、才人達は床に就く事にした。

 ソファに座り込み、才人は眠る事が出来ずに双月を見上げた。

 夕御飯に出された“カレー”や“ハンバーグ”も一因であるだろうが、フーケに言われた「故郷に帰えるんだね」といった言葉が才人の頭の中で渦巻き始める。

 才人は、「帰りたくても、帰えれねえんだよ」と呟いた。それから、(でも本当に俺は帰りたいのか? こっちでやりたいことを見付ける、なんて、どことなく漠然として、掴みどころの無い話じゃないか?)と考えた。

「サイト」

 名前を呼ばれた。

 見ると、ルイズが才人の側に来ていた。

「ルイズ」

 才人は、呼び掛ける。それから、(ずっと黙ってたってのに……一体どうしたんだ?)と想い、スッと手を伸ばすと、手がルイズの頬に触れた。

 ルイズの頬が、濡れている事が判る。

 ルイズは、泣いているのであった。

 才人は慌てた。

「おい、どうしたんだよ?」

「ねえ」

「泣いてるじゃねえか」

 才人の言葉を無視して、ルイズは言った。

 部屋は暗いために、ルイズの表情が判り難い。

 それが才人を不安にさせた。

「あんた、帰りたくないの?」

「……え?」

「故郷に、帰えいたくないのかって、訊いてるの」

「どうして、いきなりそんなことを訊くんだよ?」

「答えて」

 才人は、ユックリと考え……最近いつも繰り返していた言葉を口にした。

「いや、こっちの世界で、やれることをやってから帰ろうって言うか……」

「嘘」

「嘘じゃねえよ」

「じゃあ、どうして、小姉様の前で泣いたの? 故郷に帰りたいって、泣いたそうじゃない?」

「それは……」

 突然、想い出してしまったからだといえるだろう。カトレアの胸に抱かれていることで……才人は突然想い出してしまったのである。母の温もりを。故郷を……。

「どうして、御前が知ってるんだよ?」

「小姉様からの手紙に書いてあったのよ」

 ルイズは、才人にトゥルーカスによって届けられた手紙を見せた。ルイズの様子が可怪しくなった原因ともいえる手紙である。この手紙は、カトレアからのモノであったのだ。

 才人はテーブルの上のランプを引き寄せ、火打ち石で点火した。

 ランプの灯りに手紙を翳す。

 タバサと勉強をしたおかげだろう……字を追うだけで、才人の頭の中にその内容が飛び込んで来た。

 そこには、ルイズの帰郷を喜ぶ挨拶から始まり……才人の事が記載されていた。

 故郷を想って、才人が泣いたこと。

 そんな才人が心配であるということ。

 ルイズは、何としてでも才人を故郷に帰す義務が有るということ。

 それは、何より優先せねばならないこと……。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにして、ルイズは言った。

「どうして、あんたは私の前で泣かないの?」

「どうしてって……」

「どうしてあんたは、私に本音を打ち明けてくれないの?」

(何故だろう?)

 ボンヤリと、どことなく遠くなる思考の中で才人はそう想った。

 ルイズの事が好きだから。

 惚れた女の前では、涙を見せる事が出来ないから。

 だが……それだけではない。

 やはり、それだけではない、と才人は思った。それに、気が付いた。

「ねえ、どうして?」

 ルイズの問いに、後ろから小さな声が答えた。

「“使い魔”だから」

「タバサ」

 ルイズの後ろに、いつしか小さな青髪の少女が立っている。

 嫌々をするように、ルイズは首を横に振った。自分に言い聞かせるような声で、ルイズは言った。

「そう。その通り。タバサの言う通りなんだわ。だからあんたは、あんた達は、私やシオンが側にいると、帰りたいと心の底から想わない。いええ、想えないのよ。“こっちの世界”に、いなければならない理由まで作り上げて、あんた達は私達の側にいようとする。ううん、させられてる」

 そのルイズの言葉に、シオンが立ち上がり、“霊体化”している俺へと視線を向けて来る。

 シオンのその視線を受けて、俺は実体化した。

「違う。それは違う。其れは……」

 上手く説明をするのが難しいのであろう、才人は口篭ってしまう。

 ただ、そう想った事は確かなことであり……それはルイズの言う通りであるかもしれない、心の中から湧き出した気持ちなのかもしれない、と才人は考えた。

 何方にせよ、今の才人には否定し切る事が出来なかった。

 自身の心の中身が本当なのかどうか、そういったものなど才人に理解る訳がないのであった。

「そんなこと訊かれても……」

「私も、気になっていた」

 タバサが呟いた。

「貴女の言葉の習得の速さに感じた瞬間……それで、1つの事実を想い出した」

「事実?」

「“使い魔”は、主人の都合の良いように記憶を変えられる。記憶とは、脳内の情報全てのこと。貴男が簡単な勉強で、私達の文字を覚えたのもそう。余り故郷の事を想い出さないのもそう」

「そんな事はねえよ。俺だって、たまには故郷を想い出して……」

「その時、側にルイズはいた?」

 その言葉で、才人は呆然とした。

 才人が故郷を想い出してシンミリとした時は、何度かあったのは確かである。

 シエスタと、“タルブ”の草原を眺めた時。

 この“ウエストウッド村”で、ティファニアのハーブの調べなどを聞いた時。

 カトレアに抱かれた時……。

 黙ってしまった才人を見て、タバサは言葉を続けた。

「“ガンダールヴ”の“ルーン”は、“使い魔”としての“ルーン”は、貴男達の心の中に、“こっちの世界”に居るための偽りの動機、を作ったのかもしれない。貴男達は本当の気持ちを誤魔化されてる可能性がある。“こっちの世界で何かしたい”。そう想わされることで、本当の気持ちが見えなくなっているのかもしれない」

 才人は驚いて、言った。

「そんな事あるのかよ?」

 タバサは淡々とした調子で言葉を続けた。

「その効果は、時間が経つに連れ、強くなる。“使い魔”が徐々に慣れ、最期には主人と一心同体にもなるのは、そういうこと」

「おいおい、そんな、自分が自分でなくなるなんて、そんなことが……」

 才人がそう言うと、デルフリンガーの声が響いた。

「まあな。そこのセイヴァーはそうでもないだろうが……自分の事は、自分が1番理解らんもんさ」

 気付くと、その場の全員が目を覚ましていた。

「確かに、最近の君は可怪しかったな。妙に生真面目というか……」

 ギーシュが、うーむ、と悩みながら言った。

「まあね。主人に似たのかも、何て想ったわ」

 キュルケも呟く。

 ルイズが、目の下を擦りながら言った。

「だって、再逢してからのあんた、少し可怪しいもの。何だか妙な使命感に目覚めちゃって……そんなのあんたじゃないわ」

「でも……でもな。それはこう、何か上手く言えないけど、別にそれほど変でもないって言うか……うーむ」

「サイト、セイヴァーさん……それ、本当なの?」

「ティファニア」

 すっかり眠っていた筈のティファニアも、才人の側に来て言った。

「理解んねえ。自分がどうなのか、自分じゃ良く理解んねえ」

「そうだな……御前達の言葉に一理、いや、同意できる……まあ、“神様転生”した時点で、前世の記憶を持とうが持つまいが、それはもう以前の自分ではないしな。その時点で、俺は既に自分を忘れている。どこかに居続けるための理由を探し続けてるんだろうさ」

 皆に見詰められてしまい、俺が正直にそう呟くと、ルイズがティファニアの方を向いた。

「ねえ、ティファニア。貴女、記憶を消せるじゃない? その部分を消すことが出来る? “ガンダールヴ”、“使い魔”の“ルーン”が作った才人とセイヴァーの心の中の、“こっちの世界にいるための偽りの動機”、を消すことができる?」

「判らないけど……」

「出来るだろうさ。“虚無”に干渉できるのは、“虚無”だけだ」

「おいおい、他人の心に勝手な事すんなよ!」

 ルイズとティファニアとデルフリンガーの会話に、才人は叫び拒否しようとする。

「ねえサイト」

「何だよ?」

 ルイズは、決心したような顔で才人に告げた。

 ルイズがこうなると、意地でも自身の考えを曲げることがないということを、才人は知っていた。

「あんた達の心の中には、2つのメロディが流れてる。認めたくないけど、それはやっぱり本当なのよ。いつまでも、そんな二重奏を続けさせる訳にはいかないわ」

 困ったような声で、デルフリンガーが言った。

「でもな、娘っ子……その部分を消したら、御前さんへの気持ちも失くなっちまうかもしれないんだぜ?」

「良いわ」

 ルイズは、キッパリと言った。涙を拭いながら、ルイズは気丈に言い放ってみせた。

「め、迷惑だもん。す、好きでもない男の子に言い寄られるなんて非道い迷惑だわ。勝手にナイト気取りで可怪しいわよ。放っといてよ!」

「ルイズ……御前……」

「ほら、さっさと“魔法”掛けられて、元のあんたに戻るが良いわ。元のあんたに戻ったら、帰える方法を探しなさい」

「ルイズ!」

 ルイズは駆け出したが……一旦立ち止まり、俯いた。

「私、御手伝いしたいけど。今の私じゃ無理よね。本当の“ゼロのルイズ”じゃ……」

 ルイズはそれだけを言い残すと、部屋を飛び出して行った。

 駆け寄ろうとした才人の腕を、キュルケとギーシュが掴んだ。

「離せよ! 離せ!」

「僕はね、君達を友人だと想う。だからこそ、こうした方が良いと想うんだ」

「あたしも同じ気持ちよ」

 2人は珍しく真剣な様子で、首肯き合う。

「シオン……」

「ええ。やって」

 シオンは真っ直ぐ才人と俺を見詰め、ティファニアに首肯き、促した。

「“ナウシド・イサ・エイワーズ”……」

 才人と俺の耳に、“虚無”の“ルーン”が聞こ得て来た。

「“ハガラズ・ユル・ベオグ”……」

「ティファニア……」

 才人が呟く。

 見ると、真剣な顔をしたティファニアが、俺と才人に向かって“虚無”の“ルーン”を唱えている。

「“ニード・イス・アルジーズ・ベルカナ・マン・ラグー”……」

 “呪文”が完成する。

 才人の意識が薄れ……才人はその場に崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「只今」

 学校から帰えって来た才人は、自宅の玄関を潜った。

 制服のジャケットを、玄関から直ぐの居間に脱ぎ捨て、テレビの電源を点ける。

 何時もの日課で在った。

 才人がボンヤリとテレビを見詰めていると、電話が鳴った。

 才人は受話器を取った。

 クラスメイトからの電話であった。

『才人、あの番組、ビデオに取っといてくれよ』

「何で俺が取らなくちゃいけねえんだよ?」

『御前くらいしか暇な奴がいねえんだよ』

 どうでも良い会話。

 どうでも良い毎日。

 だが、何にも代え難い毎日……。

 才人は、“インターネット”をしようと思って、“ノートパソコン”の電源を点けた。

「あれ?」

 点かない。

 電源が入らないのである。

 何度も押していると、母が後ろに立っていることに、才人は気付いた。

 短めの髪に、最近太り始めてしまった身体。

「母ちゃん。腹減った。飯にしてよ」

「まだだよ」

「何でだよ? “味噌汁”が飲みたいよ」

 何故か、才人はそれを無性に飲みたくなってしまったのである。

 母が作った“味噌汁”。

 何でもない、どうでも良いだろう味であるのに、至高の味であるかのように才人は感じられたのである。

「才人」

「何?」

「あんた、やることやったのかい?」

「やることって?」

「あるだろ。やらなきゃならないことが」

「勉強?」

「それもそうだけど、あるだろ? 約束した事が」

「約束?」

「ああ。友達と大事な約束をしたんじゃないのかい?」

 才人は想い出すことが出来ないでいた。

 焦って、想い出そうと、想い出そうとするうちに、才人は目を覚ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才人はベッドの上で横たわっていた。

 側にはタバサが座っており、本を読んでいる。

 タバサの横には“霊体化”しているイーヴァルデと俺がいる。

 才人にとって見覚えのあるベッドであり、部屋であった。“ウエストウッド村”の、ティファニアの家の部屋である。

 ここに滞在している時に、才人が使っていたモノであったのだ。

 清々しい朝の陽光が窓から射し込み、才人は目を細めた。

 どことなく……才人はスッキリとした気分であった。

 頭の中のモヤモヤが解けて、自由になった気分とでもいえるだろうか。

 才人が目覚めた事に気付くと、タバサは本を閉じた。

「どう?」

「ん? 何かスッキリした気分だけど……これってティファニアの“呪文”の所為なんかな? たっぷり寝た所為のような気もするし……良く理解んねえ。いつもと変わらん気がするけど。でもやっぱり、何か消えたのかな」

 タバサは首肯いた。

「皆は?」

「先に帰った。あの、“ハーフエルフ”の女の子と子供達を連れて」

「そっか……薄情な連中だな。人に変な“呪文”掛けといて、おまけにおいてけぼりかよ」

 タバサは立ち上がると、才人の顔を覗き込んだ。

「どうしたい?」

「“味噌汁”が飲みてえ」

 ポツリと、才人は言った。自然と、そんな言葉が、才人の口から出た。

「それは、何?」

「ああ、俺とセイヴァーの世界の飲み物で……スープみたいなもんかな」

 そう言った時、才人は頭を抱えた。

 ドッ! と才人の中で激情が襲って来たためである。

 それは感情の奔流であった。

 今まで溜め込んで来た、抑え付けられていた郷愁という2文字が、文字通り滝の様な流れとなって、才人の頭を流れていくのであった。

 隣の席に座っていた女の子。

 一緒に遊んでいた親友。

 そんな人達の顔が、才人の中で、浮かんでは消え、浮かんでは消え、と繰り返される。

 いつも殴って来ていた体育の先生の顔もまた、同様に才人の脳裏に浮かび上がる。そんな人間でさえも、才人は懐かしく感じるのであった。

「どうしたの?」

「……帰りてえ。帰りてえよ」

 そっか……と才人は呟いた。それから、(こんなに故郷を想い出して泣くってことは……きっと、“こっちの世界にいるための偽りの動機”、って奴は消えてしまったんだ。こっちに来てから、1年以上も経ってる。家に帰りたい。“味噌汁”が飲みたい。友達に逢いたい。学校に行きたい。“インターネット”がしたい)とそう想った。

 ずっと……張り詰めていたモノが、プチンと音を立てて割れた様に才人は感じた。

 カトレアに「とんでもないことが起こるとね、人間って心に鍵を掛けてしまうのよ」と言われたことを、才人は想い出した。

 今は丁度、その鍵が外れてしまった状態で在るといえるだろう。

 才人は泣きながら、あー……と、微妙に切ない声を上げた。

「どうしたの?」

 タバサが尋ねた。

 才人は、ボンヤリと左手甲の“ルーン”を見詰めた。

「何だよ。“ルーン”はあるじゃねえかよ」

 立て掛けたデルフリンガーが答える。

「ティファニアが消したのは、“こっちの世界にいるための偽りの動機”、だけさ。御前さん達の“使い魔”としての能力には、全く関係ねえ」

「……どうせなら、こいつも、“サーヴァント”としての力も消しちまえば良かったんだ」

 才人は、“ルーン”を見詰めて言った。

「そうかもしれんね。その“ルーン”は、御前さんの心の震えに反応する。こっちにいる理由を失くしちまえば、こっちでの出来事に心が震える事もあるめえよ」

 ボンヤリと、遠い声で才人は言った。

「なあデルフ」

「何だね?」

「俺の……ルイズへの気持ちって言うかさ、それもやっぱり、“使い魔”の“ルーン”が寄越した、偽りの感情だったんかな?」

 暫くデルフリンガーは考え込んでいたが……。

「さあね、其奴は俺にも理解らねえ。相棒の心の事だろうが」

「もし、そうだったとしたら……俺はどうすりゃ良いんだろうな」

「さて、どうすりゃ良いんだろうなあ」

 

 

 

 

 

 ルイズとシオン達は、“ロサイス”への道を馬車で移動していた。

「ここから“ロサイス”は50“リーグ”離れてるんだろ? そんな距離を馬車で移動するなんて、いや、まあ、馬車だからマシだけどさ。随分と大変だな」

「仕方無いでしょ。タバサが残るって言うんだから。帰える方法を探すって、そんなにサイトとセイヴァーの生まれた国って、遠い所なの?」

 ルイズは黙って唇を噛んで居る。

「何てね。ホントはあたし、知ってるの。サイト達が、別の世界とやらから来た人間だってこと。ジャンに聞いたのよ」

 キュルケは、チラッとルイズとシオンを見詰めた。

「しかしまあ、あんた達も冷たいわよね。そんな行き場所のないサイトとセイヴァーを置いて行っちゃうなんて」

 ルイズは押し黙った侭、何も答えない。

「ねえルイズ」

「何よ?」

「あたし、貴女に色んな事教えて上げたけど……大人の女性の振る舞い方とか、下着の選び方とか、愛され方とかね。でも、そんな嘘の吐き方は教えてなくってよ?」

「嘘じゃないもん」

 キュルケは、ルイズの頭の上に手を乗せて、顎を置いた。

「ホントは貴女、怖いんでしょ?」

「何が?」

「サイトの自分に対する気持ちが、“使い魔”としての気持ちだったらどうしようって……貴女はそれを見たくない。だからこうやって結果を見届けずに逃げ出してる」

「違うわ」

「タバサが、“預かる”って言ってくれなかったら、どうする積りだったの? 放っておいたの?」

「そんな事しないわ。姫様が急いでティファニアと子供達を連れて来いって言うから、仕方無く先に行くだけよ。タバサがそう言ってくれなかったら、そりゃ残ってるわよ」

「言い訳だけは一人前なんだから」

「言い訳じゃないもん」

「もし、サイトの貴女に対する想いが、“使い魔”としてのそれだったら、貴女はどうするの?」

「どうもしないわ。兎に角、帰る方法を探して上げる。それだけだわ」

「じゃあその想いが、サイト自身の本物だったら?」

「か、帰る方法を探して上げるわ」

「今、照れたわね」

「照れてない。照れてないわ!」

「ホントに判り易い娘ね。貴女。やっぱり大好きなんじゃないの。サイトの事こと」

「勘違いよ! 馬鹿!」

「ねえルイズ。貴女の今の行動、卑怯よ。相手の気持ちが偽りだったとしても、貴女の気持ちがそうじゃないなら良いじゃない。今度こそ、自分自身の魅力で勝負すれば良いだけの話だわ」

「……私、好きじゃないもん」

 唇を尖らせて、ルイズは言った。(好きじゃない。私はあいつのことなんか好きじゃない)と心の中で何度も、ルイズは自分に言い聞かせた。同時に、(当ったり前じゃない。何でこの私が、あんな奴のこよ好きにならなくちゃならないのよ。きっとあれね、“使い魔”だから、私も恋してるみたいに焼き餅妬いたりするんだわ。そうだわ、私のこの気持ちは、あいつが“使い魔”だからなんだわ)とも考えた。

 何度も言い聞かせるうちに……ルイズの目から涙が溢れ始める。

 ルイズは、(どうして、こんなに涙が出るのかしら?)と思い、「私、臆病だわ」と呟いた。

 どのような敵が眼の前に現れても、ルイズにとってこれほど怖いことはなかっただろう。

 サイトの気持ちが、“使い魔”として与えられた偽りのモノ。

 その事実より、ルイズにとって怖いことは存在しなかったのである。

 だからルイズは、こんな見っともなく、尻尾を巻いて逃げ出してしまっているのであった。

 ルイズは、(もし、サイトの、私に対する好き、が“ガンダールヴ”が与えた、“偽りのこっちにいるべき理由”だったら? サイトと過ごした時間が……全部嘘になってしまう。宝物のような想い出が、掛けられた言葉が、全部嘘になってしまうの? そうなったら、私、死んでしまうわ)と想った。

 それからルイズは、(そんなの、確かめられる訳ないじゃない)と想い、グシグシと目の下を擦った。

「で、シオン。あんたはどう成なの?」

「大丈夫。セイヴァーは……2人は必ず、戻って来る」

 シオンは、真っ直ぐに尋ねて来たキュルケを見詰めて答えた。

 

 

 

 

 

 ルイズ達の横に座って居るティファニアが、去り行く“ウエストウッド村”の方を見て呟いた。

 ティファニアは、ローブに、耳を隠すための大きな帽子を被った旅装姿である。

「……ホントに良かったのかなぁ?」

 ティファニアが2人に“忘却”の“呪文”を掛けたのは、可哀想だと思ったためである。本当の気持ちを抑えて生きるということの辛さを、ティファニアは人一倍良く理解しているのである。

 子供達の母代わりとして暮らして来たティファニアは、知らず知らずのうちに彼女もそれに似た気持ちであったということに、“呪文”を掛けた時に気付いたのである。

 無意識のうちに、遣りたい事ありたいことを我慢していた。だからこそティファニアは、“忘却”の“呪文”を掛けたのである。

 “こっちの世界にいるための偽りの動機”、を消すために……。

 そんなティファニアの周りに、燥ぐ子供達が群がって来る。

 1人の小さな少女が、ティファニアの袖を引っ張りながら尋ねた。

「ねえ、テファ御姉ちゃん」

「なぁに? エマ」

「“トリステイン”ってどんな所?」

「さあ、私も行ったことがないから良く理解んないな」

「楽しいと良いね」

「楽しいわ、きっと」

 ティファニアは、子供達を安心させるために、微笑んでやった。

 新しい生活に対する期待と不安が、ティファニアの中で入り混じる。

「今度逢う時は、違う貴男達なの? サイト……セイヴァーさん……」

 ティファニアは、小さな声で呟いた。

 

 

 

 更に後ろで座っているギーシュは、独り言を呟いていた。

「何だか哀れになって、サイトとセイヴァーの、“こっちの世界にいるための偽りの動機”、とやらを消すことに賛成してしまったが……考えてみたら余計に可哀想な事をしてしまったんではないかな?」

 ギーシュは、(もしかしてサイトとセイヴァーは、そう想う事で精神のバランスを取っていたんじゃないのか? 帰えりたい、やってられねえ、そんな風に健全に想う事は良いけど、もし、もしだよ? 帰る方法とやらが見付からなかったらどうするのだね? 普通の神経だったら、参ってしまうんではないだろうか? “こっちの世界にいるための偽りの動機”。“こっちの世界で自分が出来る事を探す”というのは……それは“使い魔”だからというだけでなく、精神のバランスを取るために、2人の心が生み出した苦肉の策じゃないのかね? でも、それはやっぱりあの手この手で帰る方法を探して、どう仕様もなかった場合のことだな。サイトとセイヴァーが帰る方法を探しているのを見た事は、終ぞないじゃないか)と、自分がもし“使い魔”として“召喚”された場合などを想定し、考えた。

 然し、やはりというべきか、ギーシュの想像が行き詰まってしまう。

 ギーシュは、(えっと、先ず、サイト達はどこから遣って来たんだっけ? 何だ、確か、“ロバ・アル・カリイエ”の方角から遣って来たと言っていたな。良し。僕は今、“ロバ・アル・カリイエ”まで“召喚”された)と想像を始める。

「うーむ」

 だがやはり、ギーシュは首を捻らせた。

 上手く想像する事が出来ないのである。“ハルケギニア”しか知らないギーシュは、他の土地のことなど当然上手く想像することが出来ないのであった。

「酒場はあるのかね? 後御城とか」

 それすらも、ギーシュには判らなかった。少しは真面目に授業に出るべきだったなあ、と反省をした。

 仕方がないといった風に、ギーシュは取り敢えず自身の好きなモノをおいて、(えっと……先ず、女子だな。次に女の子。もう1人、女の子がいて……最後に女の子だ。で、忘れちゃいけないのは……)と考え始める。

「皆可愛い、という点だな、うん」

 ギーシュははた、と膝を叩き、(何だ、そんな場所に“召喚”されたら、帰る必要なんかないんじゃないか!)と思った。

 この世の真実とでもいえるだろうことに気付いたギーシュは、その事実を落ち込んでいるルイズに教えてやろう、と駆け出した。

 その時……。

 一行が乗る馬車が大きく揺れ、吹き飛ばされてしまった。

「――きゃああああああああああああああ!?」

 中にいる皆は悲鳴を上げ、何時かの“烈風”によって吹き上げられた時の事をルイズ達は想い出す。

 悲鳴を上げながらも、シオンやティファニア、キュルケにギーシュ達は子供達を抱え、庇う。

 馬車は転倒してしまい、繋げられていた馬は鳴きながら逃げ出してしまう。

 どうにか倒れた馬車から抜け出した皆が目にしたのは、恐るべきとでもいえる光景であった。

 高さ20“メイル”以上はあろうかという巨大な剣士人形――“ゴーレム”が3体、そこに立っていたのである。

「な、何よあれ!?」

 朝の陽光の中、禍々しい雰囲気を辺りに撒き散らしながら、その巨大な剣士人形達は眼下を睥睨する。鈍色に光る鎧を纏い、手には身長程も在るだろう剣を握り締めている。

 子供達が怯え、それぞれ救け出し呉れた人達に抱き着く。

 抱き着かれた者もまた、恐怖に駆られてしまうが、子供達の手前である手前どうにか堪えてみせる。

 剣士人形の1体が、滑らかな動きでその剣を振り上げ、地面へと叩き付けた。

 巨大かつ膨大な粉塵が舞い、一行は咳き込んだ。

「御久し振りね。“虚無の担い手”」

 その声に、ルイズは聞き覚えがあった。此処“アルビオン”で、舞踏会の日に“学院”で聞いた声……“ガリア”の“虚無の使い魔”……“サーヴァント”。

 ルイズ達を付け狙う、謎多き女……。

「あんたは! “ミョズニトルニルン”!」

「覚えていてくれて光栄ね」

 ルイズ達がハッとして上を仰ぐと、その声は剣士人形の頭の部分から聞こ得て来る事に気付く。

 そこに入っているのか、それとも、声を発しているだけであり別の場所にいるのか。

 ルイズとシオンは、後者であると当たりを付けた。

 この“ミョズニトルニルン”は、“汎ゆる魔道具を自由自在に使い熟す”事が出来る“虚無の使い魔”であるのだ。自ら戦うということは、先ずないといえるだろう。

「何しに来たのよ!?」

「御礼をしに来たのよ。この前は、我々の姫君を良くも攫ってくれたわね」

「何が姫君よ! 幽閉して、心を奪おうとして癖に!」

「心を奪う? あら、貴女も同じじゃなくって? 自分の“使い魔”の心を奪うなんて、随分と粋な事をするじゃない。“アルヴィー(少人形)”に見張らせていた甲斐があったってモノだわ」

 ルイズは“杖”を構え、“呪文”を唱えた。

 しかし……やはり“虚無魔法”が発動する様子はない。

 我に返ったギーシュ、ルイズと同時に“杖”を構えて居たシオンとキュルケが“呪文”を唱える。

 7体の“青銅の戦乙女”達が現れる。

「“ワルキューレ”! あいつ等を遣れ!」

 “ワルキューレ”達は、巨大な剣士人形へと短槍を突き付ける。

 がしかし……呆気無く短槍は弾かれてしまう。

「ちょっと……そんなチャチな“ゴーレム”で、この“ヨルムンガント”に傷を付けようっていうの?」

 “ヨルムンガント”と呼ばれた巨大な剣士人形の1体が、足を軽く動かした。

 7体の“ワルキューレ”達は、まるで人間の足に纏わり付いていた蟻の様に、吹き飛ばされてしまう。

 次いでキュルケが、“炎”の“魔法”を唱えた。

 巨大な炎球が“ヨルムンガント”へと伸びたのだが、其の球は表面で僅かに弾けただけであった。

 分厚い鎧には、傷1つ無い。

「無駄よ。此の“ヨルムンガント”を、“系統魔法”でどうにかしようとすること自体、間違いだわ」

 “ヨルムンガント”が、1歩踏み出す。中に人でも入るっているのでは、と想わせるほどに、滑らかで流れるような歩みである。

 驚くべきことに、巨大な身体であるというのに、足音が殆ど響かないのである。猫などのような忍び足で歩くということが可能であることが判る。

「何て“ゴーレム”なの!?」

「“ゴーレム”? 失礼な言い方だね。この“ヨルムンガント”を捕まえて“ゴーレム”とはね!」

 剣を振り被り、1体の“ヨルムンガント”が一行へと向かって叩き付ける。

 その衝撃は、地震のそれに近い。

「きゃああああああああああああああッ!」

 一行は地面に叩き付けられてしまった。

 パラパラと舞い散る土埃の中、2体の“ヨルムンガント”の腕が伸び、ルイズとシオンを其々が握り、持ち上げた。

「ひ……」

 ルイズは恐怖で、頭の中が凍り付く様な感覚を覚えた。

「サ……」

 ルイズは、才人の名前を呼ぼうとした。しかし……直ぐにその名前を呑み込む。ルイズには、今のルイズはその名前を呼ぶ権利がない、偽りの心で守って貰う訳にはいかない、と想っているからであった。

 ルイズは、キッ! と“ヨルムンガント”を睨み付けた。

 シオンは、静かに“ヨルムンガント”を見詰める。そして、目を閉じた。

 

 

 

 

 

「なあセイヴァー……御前はどうなんだ?」

 “霊体化”していた俺は、実体化して才人へと顔を向ける。

「そうだな……別段変わったところはない」

「それはない」

 タバサが否定する。

「それが、あるんだ……俺は“サーヴァント”だ。そして、今現在俺が所有している“宝具”の1つに、“Bランク以下の汎ゆる干渉を無効化する”と言いうモノがある……その効果によるモノだろう、弾いてしまった」

 正直な所を言ってしまうと、確かに郷愁の念はある。家族や友人達に逢いたい……母親に、父親に、兄弟に、親友に逢いたい。だが、それだけである。今の俺であれば、直接逢う事は出来ずとも、皆がどのようにして過ごしているのか、どういったことを考えているのか手に取る様に判ってしまうのだから。

「ん?」

 そんな俺の言葉に、眉を顰める才人とタバサ。

 だが悩む才人の左目が不意に霞んで、巨大な騎士人形が映った。左目の視界の中、才人は空中で散々に揺られているのである。遠くにギーシュ達の姿も見える事に、才人は気付いた。

 いつぞや見たルイズの視線であるということを、才人は理解した。

 主人が危険な際、目に飛び込んで来るという……。

「全く……何でこいつってば、こう間が悪い訳?」

 何だか恐ろしそうな騎士人形が暴れ狂う様を見ながら、つまらなさそうに才人は言った。

 俺の視界にも、シオンが今現在見えているモノが映って居る。

 才人の傍らに立て掛けられているデルフリンガーが、声を掛けて来る。

「娘っ子達がやべえのかね?」

「ああ。見える。左目に、バッチリ映ってら。セイヴァーは?」

「勿論、見えている。ふむ……成る程な」

「どうするね? ハッキリ言うが、好きでも何でもないんなら、放っておきな。心が震え無え“ガンダールヴ”は、ただの足手纏だよ。“サーヴァント”であってもな。行くだけ無駄ってもんさ。おりゃあ、巻き添えは嫌だからね」

 才人は、深い溜息と共に呟いた。

「どうせなら、“使い魔”と“サーヴァント”としての能力も、ついでに消して欲しかったぜ」

「何で?」

「そしたら、行かなくて済んだじゃねえか」

 デルフリンガーは、カタカタと笑った。

 俺も笑う。

「違げえねえ」

 才人は立ち上がると、笑うデルフリンガーを握った。

「タバサ、向かってくれ」

「相棒、娘っ子の事は好きかね?」

 憮然とした声で、才人は言った。

「駄目だ。やっぱり好きじゃねえ。あんな女、我儘で、馬鹿で、気位ばっかり高くって……おまけに最近は調子に乗って“褒めろ”とか言い出すし。こう冷静に考えてみると、やっぱり全然好きじゃねえ。と言うか腹立つ。何らられそうになってんだよ。迷惑だっつの」

「じゃあ何で、救けるんだね?」

「……そんな女だけど、悔しい事に見てるとドキドキすんだよね。若しかして、これが巷でいう一目惚れだとしたら、俺はその存在を呪おうと想う。性格を良く知っていれば、起こらなかった事故だと想う。あーあ、折角サヨナラ出来るところだったのに……って、え?」

 次の瞬間、才人は驚いてタバサに詰め寄る。

「なあ御前、今笑った?」

「気の所為」

「なあ、笑ったろ? なあ!」

 窓辺にシルフィードが現れた。

「さて、セイヴァー。御前さんはどう何だ? シオンの娘っ子のことはどう想ってるんだ?」

「そうだな……人として好ましいと想っているよ。。嗚呼、実に“愛”しい……“愛”い奴だ。彼奴も、御前達も……」

 そう言って俺は、金と黒のバイク――“ゴールデンベアー号”を“投影”する。

「それって、確か……」

「“アーハンブラ城”での」

 才人とタバサが想い出して言う。

「応ともさ。こいつは、“ゴールデンベアー号”。俺と才人が元いた世界、国の“英雄”、“坂田金時”が乗っていたゴールデンなデビルモンスターマシーンだ。彼曰く、“スゲェだろ、最高のブッこみをキメられるMachineだ”ってな」

「ごー、るでん?」

「ということでな、俺はシルフィードには乗らない。こいつで行くからな」

 俺はそう言って、“ゴールデンベアー号”へと跨る。

 タバサがシルフィードへと飛び乗り、デルフリンガーを握った才人も彼女へと続く。

「確り捕まってて。飛ばす」

 タバサは、いつも通りの調子で言った。

 

 

 

 “ヨルムンガント”に握られたルイズは、シオンとは対象的にジタバタと暴れた。

「離して! 離しなさいよ!」

「そう言われて離す奴がいたら、御目に掛かりたいモノだね」

 ルイズの間近に、“ヨルムンガント”の顔が近付く。

 古めかしい剣士の兜の奥に、淡い灯が灯っていることが判る。其の周りは黒い。まるで空洞の様に空っぽである。

 まるで南の地方にいるという、“1つ目鬼(サイクロプス)”のような“ヨルムンガント”のその顔に、ルイズは震え上がった。

 その“ヨルムンガント”を間近にしても、シオンは眉1つ動かす事もなく、静かに見詰めている。 “ミョズニトルニルン”を、“ヨルムンガント”を通して見通すかのように。

 “ヨルムンガント”の残り1体が、キュルケ達の前に立ち塞がる。

「逃げようなんて考えちゃいけないよ。次逃げたら、容赦なく踏み潰す」

「子供まで踏み潰す気なの!?」

「ああ。歩いている時に、ウッカリ蟻を踏み潰すみたいにね。一々選んでられないだろ?」

 ルイズは、“ミョズニトルニルン”のその物言いに震えた。

 “ミョズニトルニルン”の声と調子は、何とも愉しそうな、歌うようなそれであったのだ。

「どうやら、あんたは“虚無”を撃てないようだね」

「な、何ですって!? 撃てるわよ! 言ったじゃない! “貴族”相手にしか……」

「そんなつまらない嘘はよしな。何度も撃てるチャンスはやったんだ。それなのにに、放ってこないってことは、あんたはもう、抜け殻。詰まりは用無しってことさ」

 “ヨルムンガント”が、ルイズを地面に放り出した。

 咄嗟にキュルケが“レピュテーション”を掛けたのだが、援護はそれが限界であった。“ヨルムンガント”を止められるほどの“系統魔法”はそうそう簡単には唱える事が出来ないのである。

 緩やかに落下したとはいえ、咄嗟の“呪文”であったために地面に叩き付けられてしまい、ルイズの身体を激痛が襲う。

 その痛みに、息をすることが難しくなり、ルイズは上手く動く事が出来なくなってしまう。

「じゃああんたから、踏み潰してやろうじゃない。蟻でも御祈りは唱えるのかね?」

 “ヨルムンガント”が足を振り上げた。

 その時……。

 ルイズとキュルケとギーシュには聞き覚えのある音が、遠くから聞こ得始める。

 その音は“竜”もかくやという音であり、ティファニアと子供達が更に怯え始める。

「この音は……?」

 “ミョズニトルニルン”は、そんな音に周囲を警戒し始める。

「――“そんじゃあカッ飛ばそうか! ベアーハウリング! 黄金疾走(ゴールデンドライブ)!!――夜狼死九(グッドナイト)……!”」

 金と黒のバイクが、シオンを掴んでいる“ヨルムンガント”と勢い良く打つかり、20“メイル”もあるそれを軽々と吹き飛ばしてみせた。

 “黄金疾走(ゴールデンドライブ)”――“ゴールデンベアー号”は、雷神の力を宿す大型バイクだ。200万馬力のモンスターマシン、最高時速は2,500キロメートル――約マッハ2。一吹きで百里を駆け抜け、熊百頭が行く手を阻もうとも問題なく蹴散らせるスペックを有しているのである。

 そういった事もあって、タバサが駆る“風竜”で在るシルフィードよりも早く辿り着いたのである。

 その衝撃で、シオンは“ヨルムンガント”の手から解放される。が、同時に放り出されてしまう。

 俺は、放り出されてしまったシオンを、しっかりと抱き留める。

「有り難う、セイヴァー」

「当然の事をしてるだけだ」

 少し遅れて、振り下ろされた剣によって、ズシン! と音が響き……濛々たる土埃が舞う。

 ルイズ達は恐る恐る、目を開いた。

 ルイズが気付くと、そこは空の上で在った。

 シルフィードが間一髪、踏み潰されそうになったルイズを、“ヨルムンガント”の足の下から救い出したのである。

 俺がシオンを救出する、才人達がルイズを救出する2つの出来事は、瞬きでもするかのようなほんの一瞬の出来事であった。

「何やってんだよ?」

 呆れた声にルイズが振り返ると、才人が座り込んでいた。ルイズは目を大きく見開いて、叫んだ。

「あ、あんたこそ何やってんのよ! 呼んでないでしょうが!」

 次に、ルイズはタバサへと目を移す。

「タバサ! あんたもよ! サイトの帰る方法探すの手伝いなさいって言ったじゃない!」

「御前なぁ、救けて貰ってその言い草はねえだろ」

 ツン、とルイズは腕を組んで言い放つ。

「……全く、ティファニアの“魔法”は効かなかったみたいね! この馬鹿、こうやって来ちゃうんだもん」

「確かにセイヴァーには効かなかったみたいだけど、俺には効いたよ。効きまくりだよ。正直、俺は寝惚けていたみてえだな。こっちの世界で出来る事ぉ? “インターネット”も無いのにぃ? 無理! “照り焼きバーガー”も無いのに? 不可能! 嗚呼、酔っ払っていたとしか想えねえ。恥ずかしい。これも全部、御前の所為だかんな。“ゼロのルイズ”さんよ」

「え?」

「しっかし、全く余計な事しやがって……今より、まだそっちの方がマシだったぜ。なーにが、“虚無”だっつの。なーにが、偽りの記憶消去だっつの。おかげで散々想い出したよ。1年分、想い出した。見ろ、ワンワン泣いちまったじゃねえか。帰る方法が見付からないのに!」

 才人は、赤く腫れた自身の目を指さした。

 ルイズは、プイッ! と顔を逸らせた。

「よ、良かったじゃない。これでスッキリ、帰る方法を探しに行けるわね! もう、“こっちの世界で俺が出来る事”、何て寝言言わないわよね!」

「ああ。おかげさまで何だか眼の前のモヤモヤが取れた気分だよ。ホント、こっちの世界のこと何かどうでも良い。“虚無”だか“聖地”だか知らねえけど、勝手にやってくれって感じだ。俺は帰るぞ。ああ帰る」

「馬鹿! 馬鹿馬鹿! じゃあサッサと行きなさいよ! 私のことなんて放っておけばいいじゃない!」

「うん。そんな憎らしい御前は良いけど、見て御覧、ほら、シオンやキュルケ、ギーシュ、ティファニアがやべえだろうが。シエスタとか姫様とか、タバサの母ちゃんだって放っとけねえだろうが。自分1人だけで世の中回ってるとか想うなよ。俺は友達を救けに来たたけだ!」

「何ですってぇ?」

「俺が、こっちの世界で出来ること、ってのは精々その程度何だよ! 気付いたよ! 覚えとけよ、俺は“ガンダールヴ”や“シールダー”である前に、一個の、1人の人間ですから! 平賀才人ですから!」

 ルイズは、頭に血がカァ~~~ッ、と昇るのを感じた。それは理屈では全くなく、感情の昂ぶりであった。

「私は? 私はどうなのよ!? その中に私は入ってない訳!? 何よ! やっぱり“使い魔”だから“好き好き”言ってたのね! 最っ低!」

 才人は、怒りを通り越した声で叫んだ。

「あのなあ。あんだけ好き好き言ってるのに、応えてくれない女を好きになる奴なんていねえよ! いたら勲章やるから連れて来いよ!」

「え?」

「何なの御前? 誰にも相手にされない、気くらいばっかり高い、寝相が悪い、パンツ穿いてない、胸が不自由な少女に同情したんで、仕方なーく好きって御情けで言ってやったら、本気にするし。終いにゃ調子に乗ってもっと褒めろとか言うし。チラチラ見せといて挑発しといて、いざこっちが御情けでその気になってやったら、“使い魔に対する御褒美だったのにぃ、勘違いしてるしぃ、涎垂らしてキモいしぃ”、と言いやがる。胸とか頭がゼロの癖に、勝ち誇るな馬鹿。現実を知れ。桃髪能天気」

「だって、そ、それはその……と言うか、其処まで言ってないし……ドサクサに紛れて非道いこと言ってない? 私も悪いから、今回はまぁ、赦すけど、普通3回は殺してる言葉じゃない? それ」

「煩え。だから御前への好きは、可哀想な少女に対する同情、及び、百歩譲って“使い魔”として好き。以上でも以下でもありません。俺はこれから、そういうことにする」

「ちょっと待って! それは非道い! 非道い! 非道過ぎるわ!」

 ルイズは髪の毛を逆立てて言った。

「おーい! 僕も救けてくれえ!」

 才人達の下からギーシュの声がする。

 見ると、ギーシュは“ヨルムンガント”に握られて苦しそうに呻いている。

 その隙に、キュルケとティファニアは、子供達を連れて遠くに逃げていた。

「あいつ、囮になったみたいだな。やるじゃねえか隊長殿。褒めて遣わす。待ってろ!」

 才人はそう叫ぶと、シルフィードの上から飛び降りた。

 落下と同時に、ギーシュを握った“ヨルムンガント”の左腕を、才人は斬り付けた。

 然し、キィーン! と金属と金属が打つかり合う音が響くだけであり、才人が振り下ろしたデルフリンガーは弾かれてしまう。

「斬れねえ!」

 次の瞬間、“ヨルムンガント”の右腕が、止まった蚊を叩くかの様に才人へと伸びる。

 才人は咄嗟に、斬り付けた“ヨルムンガント”の左腕を蹴り、其の恐るべき拳から逃れた。

「くっ!」

 軽業師であるかのように、才人は地面に降り立った。

 同時に、恐るべきスピードで、“ヨルムンガント”の足が伸び、才人を踏み潰そうとする。

 ジャンプして、才人はそれを避ける。

「何だこいつ!? ただの“ゴーレム”じゃねえ! 速過ぎる!」

 いつだか戦った、フーケの“ゴーレム”などとは、根本的に速が違うをたったの数手で才人は理解した。

 フーケの“ゴーレム”を亀と例えるのであれば、この“ヨルムンガント”は猫であろうか。勿論、ただの猫などではない。鋼鉄の腕と、足と、巨体と……ヒト並の器用さを兼ね備えているのである。

「どうする? セイヴァー」

 才人はそう言って、間合いを取るために、後ろへと跳び退った。

 “ヨルムンガント”は腰から剣を抜いた。

「おまけに、あんな獲物まで持ってるのかよ!」

「そうだな……才人、御前はその1体を相手にしろ。俺は残りの2体を」

「大丈夫なのかよ?」

「当然だ。俺は、“サーヴァント”だ。例え、“国を相手取っても恐れはせん”」

 大きく剣を振り被り、“ヨルムンガント”は才人目掛けて振り下ろす。

 才人はそれを、横へのステップをする事で躱す。

 しかし、完全に読まれてしまったのであろう。“ヨルムンガント”は左手を右肩に回すと、その器用な指先で、隠されていた投げナイフを纏めて3本、才人へと放った。

 投げナイフとはいっても、1本がヒトでいう大剣と同程度のサイズである。

 当たってしまえば、ヒトであれば意図も簡単にバラバラになってしまうだろう。

 2本を避けることに成功しはしたが、3本目を避けることはできずに、才人は已む無くデルフリンガーで打ち払った。

 恐ろしい速さであるといえるだろう。

 だが、“サーヴァント”であれば、対処はできる程度である。

 才人は4連続の剣戟をどうにか躱し、踏み込み過ぎた“ヨルムンガント”の足を斬り付けた。

 しかし……やはり乾いた音と共にデルフリンガーは弾かれてしまう。

「デルフでも斬れねえなんて!」

「こいつはあれだ。例の“カウンター(反射)”だな」

「あの“エルフ”が使ってた奴かよ!」

 “アーハンブラ城”での戦いを、才人は想い出し、(すると……ルイズの“ディスペル”しか、この鎧には通用しないのか!)と想った。

「でも、大量に“カウンター”を使っているおかげで、鎧には刃は届いてる」

「実際、斬れないんじゃ話にならないだろ!」

 拳を横に飛んで躱しながら、才人は叫ぶ。

 

 

 

 タバサのシルフィードの上で、ルイズはハラハラしながら才人の戦いを見守っていた。

 才人の“剣”は、“ヨルムンガント”に全くダメージを与えることができていないのである。

「どうしよう……あの侭じゃ、サイト、遣られちゃう……」

 タバサがルイズの方を向いた。

「“虚無”」

「撃てないのよ!」

「何故?」

「“精神力”が切れちゃってるの!」

「溜めとか為なきゃ」

「“虚無”は寝れば溜まるってもんじゃないのよ!」

 タバサは暫く考えていたが……いきなり、シルフィードを才人目掛けて急降下させた。それから素早く“呪文”を唱え、“レピュテーション”で浮かべた才人を空中でキャッチする。

「何だよ!? 逃げるのかよ!? ここで逃げたって、あんな素早い奴が相手じゃ、捕まっちまうぞ! 子供達もいるんだ!」

 急に戦いを中断させられた才人が怒鳴る。

「貴男だけじゃ、勝てない」

「いやま、そうかもしんねえけど! それでも、セイヴァーに任されこともあるし!」

「黙ってて」

 タバサは、毅然とした声で言った。

「はい?」

 次にタバサは、ルイズにも聞こ得るような声で、才人に告げた。

「この前の続きをする」

「は? この前の続きってなんだよ!? 何だか理解らないけど、今はそれどころじゃ……むぐっ!?」

 才人はそれ以上、喋る事が出来なかった。

 何故かというと……。

 タバサの唇が、才人のそれを塞いでしまったからである。

「む……んむ……」

 才人は突然のキスに、目を回した。

 而もタバサは、その小さな身体に似合わないであろう動きで、濃厚に舌を絡めて来たのである。まるでルイズに見せ付けるようにして、タバサは才人の舌を吸い上げる。

 ルイズは、眼の前の光景が一瞬、何のことであるのか理解らないでいた。

 突然のことに、頭が着いて行かないのである。

 しかし……タバサの唇が才人のそれを(なぞ)るように動いた時、(これはキスだ)、と才人は気が付いた。

 ルイズの肩が、まるで地震が起こったかのように震え出した。

「あ、あんた達ぃ……こここ、こんな時にぃ……」

 次にタバサは、ユックリと才人の首に腕を回し、強く抱き締めた。

 小さなタバサの身体が、才人の身体に密着する。

 ルイズの脳裏に、タバサが発した言葉が蘇る。

「而も、こ、ここ、この前の続きてすってぇ~~~ッ!?」

 桃色の髪が、ブワッと逆立ち、ルイズの鳶色の瞳が燃え上がった。激しい、燃える様な怒りがルイズの身体に満ちて行く。

 極限まで高められた怒りが、強い“精神力”を生み出し、“魔力”のオーラと成ってルイズの身体を包む。

 ユラリと、陽炎のように立ち昇るルイズの“魔力”を確認したタバサは、才人の身体からパッと離れた。

「今」

 ルイズは我に返り、“呪文”を唱え始めた。

「“イサ・ナウシド・ウンジュー・セラ”……」

 デルフリンガーの声が響く。

「“ディスペル”じゃ無え! 鎧自体に攻撃は届く! “エクスプロージョン”で吹き飛ばしな!」

 ルイズの中で、古代の“ルーン”が畝り始めた。

 “エクスプロージョン”。

 爆発。

 それはルイズにとって、1番馴染み深い“呪文”で在った。

「“エオルー・スヌ・フィル・ヤルンサクサ”……」

 ルイズは唱えながら、(怒りが、自分の力の源なのかしら? 私は、ずっと……こんな怒りを溜めて生きて来たの?)とそう想った。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……」

 怒りと……もう1つの感情に、ルイズは行き着いた。

「“ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 その感情を認めることが、ルイズは怖いと感じた。

 “呪文”を完成させたルイズは我に返った。

 完成させた“呪文”により、行き場を求めて、“魔力”がルイズの身体の中を回り始める。

 その“魔力”を肩、腕、手、指、“杖”の先へと巡らせ……ルイズは“エクスプロージョン”を撃ち放つ。

 白い光が、“ヨルムンガント”の鎧の一点に現れた。

「うお……」

 才人の呻きが、ルイズの耳に届く。

 タバサも、目を見開いてその光に見入っている。

 光は、大きく広がって“ヨルムンガント”を包み込んで行く。

 同時に“ヨルムンガント”の鎧が、風船が膨らむかのようにして膨れ上がり……次いで耳を劈く様な爆発音が響いた。

 中に爆薬でも仕込まれていたかのように、“ヨルムンガント”は四散した。バラバラになった鎧が、辺りに飛び散った。

 

 

 

「久し振りね、“オルタネーター”」

「ああ、少し振りだな。“キャスター”、“ミョズニトルニルン”……いや、シェフィールド」

 20“メイル”もの巨躯を誇る“ヨルムンガント”が2体、俺とシオンを見下ろす。

 そのうちの1体の頭部であろう部分から、“ミョズニトルニルン”の声が聞こ得て来る。

「あら、私の名前を知っているとはね。光栄だわ。さて……やりなさい、“ヨルムンガント”」

 身長と同程度の大きさをした剣を振り翳し、“ヨルムンガント”が俺とシオンへと攻撃を仕掛けて来る。

 俺の後ろにいるシオンは、真っ直ぐに俺の背中を見詰めて来る。それは信用や信頼などから来るモノであった。

「挨拶して直ぐに、攻撃とはな……随分と釣れないじゃないか」

「その“魔法”は……一体、何なの!? “詠唱”もなしに……」

 俺は、そんな“ヨルムンガント”が持つ大剣を、“ansuz(アンサズ)”――“火のルーン”を使用し、溶かし切る。

 珍しく、シェフィールドは驚きと強い警戒を向けて来る。

「“詠唱”? 生憎、“地球(こっち)”の“ルーンに詠唱なんざ、要らねえっての。能無しが。学び直して来い!” ……彼の“魔術は炎の檻、茨の如き緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める(もり)――倒壊するはウィッカー・マン! オラ、善悪問わず土に還りな――!  焼き尽くせ木々の 巨人! 炎の檻と成りて……灼き尽くす炎の檻(ウィッカーマン)!”」

 “ヨルムンガント”の足元に、“魔法陣”が現れる。その“魔法陣”の中から、無数の細木の枝で構成された巨人――“灼き尽くす炎の檻(ウィッカーマン)”が出現し、“ヨルムンガント”を押し倒す。

 その大きさは、“地球”に存在するビルと同程度であろうほどである。目測でも、数十メートルはあるだろうことが判る。

 “灼き尽くす炎の檻(ウィッカーマン)”は文字通り炎を纏い、“ヨルムンガント”に掛けられた“カウンター(反射)”やその分厚い鎧を見事に溶かし切る。

「さて、終いだ……」

 “約束された勝利の剣《エクスカリバー》”を“投影”し、構える。

 星を救う輝きの聖剣。星を滅ぼす外敵を打ち倒すために造り上げられた、大凡汎ゆる悪を退ける黄金の刃。

 “投影”された“約束された勝利の剣《エクスカリバー》”には、本来在るべき風の鞘――“風王結界”ない。

「――“約束された勝利の剣《エクスカリバー》”――ッ!!」

 下から上へと、振り上られ、“約束された勝利の剣《エクスカリバー》”の刀身から黄金のフレアが発生する。

 

 

 

 煙が舞い、“ヨルムンガント”の破片が転がる地面に才人達3人とシルフィードが降りると、隠れていたで在ろうキュルケ達が駆け寄って来る。

「サイト! ルイズ! 遣ったじゃない!」

「いやぁ! 君達は流石だな! あんな化け物をやっつけるなんて!」

「良かった……村を出てそうそう、死んじゃうかと想った!」

 ギーシュとキュルケとティファニアは、才人の手を取って小躍りをした。

 子供達も駆け寄り、その輪へと加わる。

 暫くそうやって仲間達は喜んでいたが……そこで、才人は想い出したように真剣な様子を見せる。

「まだ終わってまい。セイヴァーが……いや、終わった、みたいだな……」

 だがそれも一瞬の事で在った。

 黄金のフレアが、柱となって天へと昇って行くのが皆には見えた。

「綺麗……」

 誰かが、そう呟いた。

「あの光は……」

 ティファニアは、その光に見憶えがあった。

 瀕死になった才人を救けた日、エマが才人の事を教えて救ける前。その時に目にした光で在る。

 そう遣って呆然としていた一行だが、シオンと俺が合流することで、はたと我に返る。それから、キュルケとギーシュは真顔になり、才人と俺の顔を覗き込んで来た。

「……あのだね、君達はまた、こういう活躍をしたいかね? その、何だ、大きな敵をやっつけて人救けと言うか……」

 才人は、心底疲れた声で言った。

「巫山戯んな。もう2度と御免だよ。頼まれたって遣るもんか」

 キュルケとギーシュは、ニッコリと笑った。

「きゃあ! 情けない! 格好悪い!」

「でも、それこそサイトだ!」

「御前等、ホントに俺のこと舐めてるよな……」

 そんな風に和気藹々の雰囲気の中、1人肩を震わせている少女が居た。

 ルイズで在る。

 彼女は、ツカツカツカ、と才人に近付くと、ギーシュ達と喜び合う才人の耳を掴んだ。

「な、何だよ!?」

 ルイズは、笑みを浮かべた。しかし、その唇は引き付けを起こしたかのように震えていることが判る。

「どゆ事?」

「え?」

 ルイズの目が、キラキラと光り始めた。

「この前の続きってどゆ事?」

 才人は慌てた。

「馬鹿! あれはどう見ても、タバサの機転と言うかその」

「まあね。理屈じゃ理解ってるの。と言うか、犬のあんたが何しようが犬の勝手。でも不思議ね、感情が駄目って言うわ。ええ、きっとあんたが“使い魔”だからよね」

 直後、鬼の様に目を吊り上げ、猛禽類が獲物を巣に運ぶ様にして、ルイズはズルズルと才人を茂みへと引っ張って行く。

 才人の切ない絶叫が、“アルビオン”の青空に吸い込まれて行った。

 

 

 

 そんな一同に隠れて、“ヨルムンガント”の鎧を回収する影が在った。

 シェフィールドで在る。

 彼女は、バラバラになってしまった鎧の一欠片を大事そうに抱え、「あの様な爆発に、“宝具”に耐える鎧は……“エルフ”の“魔法”を使えばできるかしら? 成る程、面白くなって来たじゃないの」と呟いた。

 

 

 

 悲鳴を上げる才人を見ながら、シオンと俺は苦笑を浮かべる。

 そして、隠れて回収作業に入っているシェフィールドのいる方向へと俺は目を向けた。

「どうかしたの? セイヴァー」

「いや、何でもないさ。大した事ではない」

 シオンに、そう答え、俺は再び、日常へと目を戻し、“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”を出した。



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白の国からの編入生 前編

 “魔法学院”にある“アルヴィーズの食堂”。

 “トリステイン魔法学院”に通う“貴族”の子弟達は、朝昼晩の3食にわたって、此処で食事を摂るのが慣わしである。

 アンリエッタの命令で、才人達が“アルビオン”からティファニアを連れて来た日から、1週間程が経っていた。

 そんなこの日も、才人達は礼によって3年生用のテーブルで朝食を摂っていた。

 食堂のテーブルは長く、入り口を正面にして縦に3列並んでいる。正面に向かって3年生、真ん中が2年生、右側が1年生のテーブルである。

「しっかし、彼女の人気は凄いな」

 才人は肉を切って居たナイフを止めて、軽く呆れた声で呟いた。

「何? 人気?」

 眼の前に座っていたギーシュが、目を丸くして振り返る。

 才人とギーシュの周りには、例によって“水精霊騎士隊”の隊員達が集まっている。昼間であるというにも関わらず酔っ払っている彼等は、赤く染まった目をギーシュや才人と同じ方に向けた。

 そこには……金髪と悩ましい身体のラインが眩しい妖精が、少し戸惑った表情を浮かべていた。

 ティファニアである。

 アンリエッタの口利きで、一ヶ月遅れで1年生のクラスに編入することになったティファニアは、入学して直ぐ、“学院”中の話題を独り占めにしていたのである。

 それほどに、“アルビオン王家”と“エルフ”の血がブレンドされることで出来上がった芸術品であるかのような彼女の美貌は眩いといえるのであった。

 勿論……その両方の血は秘密となっている。ただ、アンリエッタだけでなく、シオンからも口利きがあったと知られているだけである。

 “学院”内で彼女の正体を知る者は、アンリエッタとオスマン、才人とルイズ、キュルケとタバサとギーシュ、シオンと俺だけである。他にはいない。

 2重の秘密に包まれているティファニアは、目に見える一方の秘密……“エルフ”の血を隠すために、耳を覆う形で帽子を冠っている。

 そんな格好で授業を受けることや、食堂に入ることは本来で在れば許可出来ないことである、がしかしティファニアは、肌が日に特別弱い、という表向きの理由を作ることで、屋内で帽子を冠ることを許可して貰ったのである。窓から入る太陽光に当たっただけで彼女の弱い肌は焼けてしまう、と、アンリエッタとシオンからの要請で彼女の後見人の1人となったオスマンは教師や生徒達に説明をしたためであった。

 本来であれは、そのような嘘は誰も信じなかったであろう。

 しかし……ティファニアの肌の白さ、日焼けを嫌う“貴族”の女子生徒達の中でも群を抜いていた。ティファニアの肌を見ることで、誰もが(この娘は太陽に抗えない)と想い込むという寸法である。

 そんな淡く光る青い月のような儚さと、その儚さに似合わぬアンバランスな肢体、シオンが治める“アルビオン”からやって来た訳ありの“貴族”としての生い立ち……。

 その3つの要素が上手い具合に絡み合い、謎めいた魅力を醸し出し、ティファニアの周りの男子生徒達はすっかり参ってしまったのであった。

 “魔法学院”の制服に身を包んだティファニアの周りには、目の色を変えた男子生徒達が十数人、飴玉に群がる蟻であるかのように集まっているのであった。

「人気だな。いや、大人気だな」

 ティファニアを見詰めながら、ポカンと口を開けてギーシュが呟いた。

「あいつ等は、一体何を考えているんだ? まるで御姫様と家来だ」

 ギーシュの右隣に座る、“水精霊騎士隊”の実務を担う積りでいるレイナールが、眼鏡をチョイと持ち上げながら言った。

 レイナールの言う通りであった。

 1年生の紺色だけではなく、2年生の茶色、3年生の黒マントまで見えているのである。

 彼等は、ティファニアが御茶を一口飲めば直ぐ様御代りを注いでやり、ティファニアが前菜を一口食べたら直ぐ様自分の分を勧め、ティファニアが肉料理に手を伸ばせば代わりに切り分ける、といった具合である。

 大変なのは、当のティファニアで在る。一気に10人以上もの給仕に傅かれることになったこの金髪の美少女は、持ち前の引っ込み思案さを存分に発揮してしまい、そんな煩わしい状況にも文句1つ言うことができず、されるがままになってしまっているのである。

 集まった男子生徒達の視点は、ティファニアのその透き通るような白肌の途轍も無い美少女顔と、とある一点を交互行き来していた。

 そのとある一点について、ギーシュは感想を漏らした。

「僕はね、“アルビオン”からこっち、ずっと深く考えていたんだ。そして結論に達した」

 ギーシュの左隣に座っていたマリコルヌが、ニヤッと唇の端を持ち上げて、ニヒルな笑みを浮かべた。

「ギーシュ、御前の結論をこの“風上”に聴かせてくれ給え」

 まるで討論の授業で、自信たっぷりに自説を述べるかのような勿体ぶった口調でギーシュは答えた。

「良かろう。僕の結論だ。あのティファニア嬢の胸部に付いている2つの鞠状の物体は、世の中の半数の人間を狂わせる、魔法兵器だ」

「詰まりその、世の中の半分の人間というのは……?」

「男性だよ。君」

 マリコルヌは、顎に指を置いて深く考え込んだ。然る後に重々しい仕草で口を開く。

「兵器と言うのは、詰まり性的な意味において?」

「勿論、性的な意味においてだ」

 2人の低能は、才人の眼の前で「もっともだ」と言わんばかりに首肯き合う。

「君は天才だな、ギーシュ」

「それはちと性急な結論だな。僕の仮設は、未だ検証を経ていない」

 ギーシュは、グイッとコップのワインを呑み干した。

「さて、行くぞ」

 ガタンと、ギーシュは立ち上がった。

 マリコルヌも、のそり、と立ち上がる。

 今から陛下の拝謁を賜るとでも言わんばかりの態度で、2人は身嗜みを整え始めた。

 2人の低能は首肯き合うと、ユックリと1年生のテーブルへと向かう。

 レイナールが才人に尋ねる。

「あいつ等は、何をする気なんだ?」

「放っとけ。馬鹿が感染る」

 “水精霊騎士隊”の面々は、ギーシュとマリコルヌを心配そうに見詰めた。

 酔っ払った2人は、ティファニアに群がる1年生を押し退けた。

 近衛隊で在り3年生であるギーシュとマリコルヌに文句を言える1年生など存在する訳がないのである。

 人垣が割れ、ティファニアへと通じる参道が完成する。

 ギーシュとマリコルヌは、胸を反らせてその参道を歩く。

 ティファニアの横に立ったギーシュは、緊張で更に縮こまってしまっているティファニアに深々と一礼をする。

 次の瞬間、それは起こった。

 ギーシュは無言でティファニアが持つ猛烈な2つの魔法平気――胸に手を伸ばす。

 ティファニアの顔が、えぐ、といった感じに歪む。

 一瞬で、食堂の空気が凍り付いた。

「あの馬鹿」

 才人が立ち上がる。

 しかし次の瞬間、ギーシュの身体は、突然現れた巨大な水柱に包まれてしまった。水中花の様に、水柱の中で、ギーシュの身体が、おがごげ、と蠢く。

 ギーシュの後ろを見ると、例によってモンモランシーが立ち尽くし、無表情のまま“杖”を振っているのである。

 ピキーンと凍り付いた食堂の雰囲気の中、水柱はモンモランシーの“杖”に合わせてユックリと動き、外へと運ばれて行く。

 食堂からは死角になっていて見え無ない所で、水柱が弾ける音がする。次いで、ギーシュの叫び声が響いた。

「ちょっと確かめたくなっただけなんだ! だって、あんなモノを見たら君、学術的好奇心が膨れに膨れ上がって、膨れ上がってどう仕様もなくなってしまって! ごぼ!? ぐげごぼ!」

 バシャバシャと大量の水がギーシュを襲う音が、才人達の耳に届く。

 荒れ狂う水音が響き続け……そのうちに静かになる。

 才人は溜息を吐くと、再び料理手に手を伸ばす。

 そんな才人に、レイナールが呟く。

「解せないな」

「いつものあいつだろ。酔っ払って調子に乗りやがって……何にせよ手が触れる前で良かった」

「いや、君の事だよ」

「俺?」

 才人はキョトンとした様子で、レイナールを見詰めた。

「ああ。いつもなら先頭切って行ってたはずだ」

「ティファニアの胸が本物かどうか確かめに? そこまで俺は馬鹿じゃないよ。あいつ等と一緒にするなよ」

 レイナールは、眼鏡を持ち上げると、才人を見詰めた。

「いや確かに、君は割りと照れ屋なところがあから、幾ら酔っ払ったからとは言え、こんな真っ昼間から堂々と本物かどうか確かめに行ったりはしないだろうが……行きたくてウズウズして、つい腰が浮き掛けてまた座り直すくらいのことはするはずだ」

 鋭すぎる、レイナールの指摘であるといえるだろう。

「そんな君なのに、どうしたんだよ? その余裕は……」

「良いから食おうぜ。冷めちまう」

 才人は涼しい顔で、料理を食べ始めた。

 その時……数人の少女が、才人の周りに群がった。

 筆頭は、2年生のケティで在る。

 周りにいるのは、1年生の女の子達である。

「サイト様! デザートにこのプディングはいかがですか?」

 冷気の“魔法”が掛けられたミルクとフルーツで作られたプディングは、ヒンヤリとして美味しそうであった。

 才人は澄ました態度で、有り難う、と首肯くとそれを受け取った。

 そんな才人を、“水精霊騎士隊”の面々は羨ましそうに見詰めた。

「サイトさんは本当に凛々しくおられますわ」

「それ程でもないヨ」

 軽く気取った態度で、才人はギーシュ張りに脚を組んだ。

 そんな姿で在っても、脳に幻想のオブラートやフィルターが掛かってしまっている女子生徒達は歓声を上げる。

「格好良い! やっぱりサイト様は、ギーシュ様何かとは大違いですわね」

 ケティは、冷たい目でギーシュが去って行った方角を眺めた。

「そんなことないヨ。俺だって、余り変わらないヨ。まあ、あいつ等みたいに馬鹿はしないだけさ。あっはっはのは」

 ウットリとした目で、女の子達は才人を見詰める。

「嫌だ……サイト様って、本当に素敵な御方なのね」

「それだけじゃないわ。とても御強いのよ」

「そうですわ! 何せ、あの“アルビオン”軍を、セイヴァー様と2人で止めた御方の1人なんですもの!」

 ケティが、ウットリとした顔で言った。

「サイト様なら、あの乱暴な空中装甲騎士団も、やっつけておしまいになられるわ!」

「ケティさんも、あのクルデンホルフ家の連れて来た騎士団が、御嫌いなの?」

 1人の少女が、ケティに尋ねる。

「ええ。だってあの方達、私が散歩に出掛けたら、ずっと着いて来るのよ! “花を摘みに行きませんか?” 何て話し掛けて来たわ!」

「まあ下品ね!」

「ホントよ! サイト様とは大違いだわ!」

 キャアキャア、と女の子達は噂し合う。

 そんな姿を見て、(余裕が大事なんだよ。がっつかない、余裕の態度が、花の様に蜜蜂(女達)を吸い寄せるんだ。嗚呼、こんな風にモテた事が終ぞあっただろうか? シエスタはキャアキャア言ってくれたが……多ではない。多人数の女の子達に、キャアキャア言われるのが、こんなに気持ちが好く、かつ幸せな気分になるモノなんてな……ルイズの“魔法”で、こっちにいるための理由、頭の中にあった時は、こんな風に現状を楽しむ余裕はなかった。女の子達の声援も、どことなく遠くの方で響いていたような、そんな気がする。錯覚かもしれないけれど……俺ってほら、単純だから…… どっちにしろ、兎に角今は心地好い)と才人は想った。

 女の子の声が1つ「きゃあ」と響く対に、甘美な脳内分泌液が、才人の中を染み渡って行く。

 そんな風にキャアキャア言われながら、才人はチラッと横目で、ルイズ達がいるテーブルの方を見詰めた。

 そこでは、ルイズは澄ました様子で食事を摂っている。しかし……ときたま才人の方を見ているのが判るだろう。ときたまルイズは、皿をガシガシとフォークで突いて居る。

 才人は鼻孔を拡げ、優越感を胸一杯に吸い込んだ。それから、(ほらほら。出来上がって来ましたよ。あの猫)とそんな言葉を心中で呟いた。

 何故才人は、これほどまでに勝ち誇っているのか、(余裕が大事)などと想う才人の真意、ルイズを猫扱いする意味……。

 それ等は、“アルビオン”から帰って来る、“フネ”の中での誤解が原因であった。

 

 

 ティファニアや子供達を連れて“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”で“ロサイス”へと向かい、そこから“フネ”に乗った才人は……その一船室で、ルイズと唇を重ねていた。

 ルイズの気持ちがしっかりと伝わって来る、熱いキスであったといえるだろう。

 これだけ熱けりゃ良かろうと、キスを交わしたあと才人は、(ルイズ、良い具合に火照ってます。従って自分、手、出します)と考え、当然とばかりにルイズに手を伸ばしたのであった。

 才人はそう判断したので在る。

 しかし、ルイズは恥ずかしそうに俯いて……伸ばした才人の手を振り解いたのである。そして消え入りそうな声で呟いたのだった。

「……だから、やだ」

 拒否されてしまった才人は当然のことながら傷付いてしまった。(あんだけ熱いのにどうして?)といった様子を才人は見せる。

「な、なな、何で?」

 するとルイズは、怒った様に怒鳴った。

「2度も言わせないで!」

 ルイズのその声に反応して、隣の部屋からキュルケの声が響いた。

「どうしたのー? ルイズ」

「な、何でもない!」

 そのような遣り取りで、それまで漂っていたであろう甘い雰囲気はどこかへと行ってしまった。

 2人は顔を見合わせると、御互い顔を赤らめてベッドへと潜り込んだのである。

 そして、目を瞑って寝ることにしたのであった。

 その時、才人は気付なかったのだが……ルイズは才人を拒否したという訳ではなかった。

 ただ、場所を選びたかっただけなのであった。

 その時のルイズの台詞は消え入りそうなほどに小さかったために、前半の一部が才人の耳に届くことはなかったのである。

 この「……だから、嫌だ」という言葉の前には、「“フネ”の中」という言葉が存在していたのである。

「“フネ”の中だから……やだ」

 ルイズはこう言ったのであった。

 別に才人を拒否したという訳ではなかったのである。

 しかし……才人はどうにも抜けていたために、そこまで気が回らず、船室のベッドの上、ルイズの言葉を捏ね繰り回して、理解し難い結論へと飛び付いてしまったのであった。

 才人は、(好きがたりねえんだ。ルイズの気持ちは確かに俺を向いてるかもしれねえ。でもまだ……全てを許すまでには昂ってないにちがいない。どうしたら良いんだ? 俺)、と考えた。

 その瞬間……才人の心に閃くモノがあった。

 いつかのルイズの黒猫姿を想い出したのであった。

 それから、(そういや、ルイズって猫っぽいよな。大粒の瞳がクルクル変わり、気紛れに翻弄するところなんてソックリだ。ええと、猫という動物を手懐けるには、どうすんだっけ? そうだ。猫は、こっちから近付いたら逃げるんだ。そして澄ました顔で、無視しやがる。ああ、それってルイズ。じゃあ、こっちが無視したらどうだ? そういう時の猫は、先ず様子を窺って来て……そおれでも無視を続けると、痺れを切らして近付いて来る。そして終いには、ゴロゴロ鳴きながら頬を擦り寄せて来る。これだ。これだよ!)と才人はベッドの中で、我が意を得たりとばかりに首肯いたのであった。

 また、(な、な、舐めんなよ~~~、桃髪生意気能天気め……気紛れに翻弄しやがって……御前が頬を擦り寄せた瞬間、く、くく、首根っこ捕まえてやる。やや、やっからな!)とも才人は想ったのである。

 詰まるところ、才人は底なしに抜けていたのである。

 

 

 さて、才人がそんな誤解妄想を抱いているとは露知らず、“アルビオン”から帰って来た日の夜、健気なルイズは御風呂に行き、念入りに身体を洗った。それから祭壇室に赴き、“始祖ブリミル”に対しての長い長い懺悔を行ったのであった。

「“始祖ブリミル”よ……婚姻より前に、その、何て言うかその、言えませんその、そのいわゆる。いわゆるその、行うことをその、御赦しくださいその、でもだって仕方がないじゃありませんかその、あいつきっと、私が許さなかったらその、絶対他の女の子とその、いやもうホント、頭空っぽメイドとかいるんで仕方なくその、敬愛していた姫様もなんか一時は怪しくてその、胸が可怪しい“ハーフエルフ”まで最近側にいるんで血迷いやしないかその、嗚呼、そういう比較的身体が女性らしい女の子だけじゃなくってその、青い髪の小さな“ガリア”の御姫様もいてその、いやあの娘はそういう気持ちじゃないって女の勘で理解るんですけどその、万が一ってこともあるしその、というかあの馬鹿は小さいとか大きいとかあんまり関係ないことが判明してその、となると余計に危険対象が増える訳でその、兎に角そういう訳なので、御赦し下さい。かしこ」

 などといった懺悔なのか妄想なのか訳の理解らない文言を吐き出した後、ルイズは右手と右足を同時に出しながら自分の部屋へと戻ったのであった。

 ルイズが(サイトはどんな顔してんのかしら? やっぱ緊張してるのかしら?)と想いながら部屋に入ると、“使い魔”はといえば何だか余裕の態度といった様子で御茶などを飲んでいるのであった。

 ルイズがこれほどまでに特別な夜を迎えて緊張しているというのに、才人はいつもの様子と変わらないのであった。それどころか目を細くしながら、「やァ、ルイズ。穏やかな夜だネ」などと訳の理解らないことを口走った。

 ルイズは、(何それ?)、と想いながらベッドへと入った。

 次いで、才人もベッドへと入って来た。

 その後に、メイドで在るシエスタも入って来た。

 何故かこの部屋で暮らす3人は、このようにしてベッドで川の字になって寝ることが習慣となっているのである。

 ルイズは緊張の余り、失神しそうになってしまった。

 ルイズは、(でも、まだ早いわ。サイトだって馬鹿じゃないもの。シエスタが寝静まってから、その、いわゆるその、行動に出るにちがいないわね)と想い、必死になって寝たフリをした。

 直ぐに、シエスタの寝息が聞こ得て来た。

 ルイズの緊張は頂点に達した。余りに緊張してしまい、握り締めた毛布を噛み破ってしまったくらいである。

 そしてとうとう……才人の手が伸びて、ルイズの肩に置かれた。

 ガタガタガタ、とルイズの全身が震えた。

「……馬鹿、シ、シエスタがいるじゃない。もう、それなのに御主人様に手をそ、のの、伸ばすなんてどういう積りよ?」

 ルイズは、小さく声を掛けられどこかへと案内されると想っていたのだが。ルイズは、倉庫、否、流石にそれはあんまりだとえたために、何か都合の良い別室などとかを想像していたのである。ルイズは、(しかし、このベッドでとは。隣でシエスタが寝ているベッドでとは! 何てこの“使い魔”は大胆なのかしら!)と驚いた。

 驚いたのだが、やはりシエスタではなく自身に手を伸ばされたという優越感と歓喜で、ルイズの心は一杯になってしまった。

 それからルイズは、(シエスタが横にいるのに……メイドが横にいるのに……頭空っぽメイドが横に! いる! のに! そう。メイド。良くも今までぇ~~~、何でもないことでぇ~~~、勝ち誇ってぇ~~~、くれたじゃない? これで私の勝ち! でも、やっぱり横で他の女の子が寝てるところでなんて……)と想った。

 すると……。

「――あ!? ひ!」

 才人の手がルイズのネグリジェの中に滑り込んだ瞬間、そんな声が喉から漏れて、ルイズの頭の中は真っ白になってしまった。

 ルイズは、(メ、メイドがいるのに! メイドがいるのに。めいどがいるのに……ひ、ひゃん!?)と堪える。

 が、才人の手は大胆な動きでネグリジェを巻き上げ、ルイズの控え目な胸を露わにさせてしまった。

 ルイズは目を瞑り、顔を真っ赤にさせて、息と動悸を荒くさせた。

 もうルイズには、何も考える事はできなかった。

 ただ1つルイズが理解できていたことは……これほどまでにドキドキしているのは生まれて初めてだということだけであった。

 才人の口から出て来るであろう言葉が、幾つもの予想の台詞となって、(オ、オーソドックスに、“愛しているよルイズ”かしら? それとも“怖がらないで”かしら? 何よ何よ。あんた、こんな時何て言うのよ? 嫌だ、きっと私その言葉、一生忘れないわ。恥ずかしいし、癪だけど忘れないわ。もう嫌だ。やん……)とルイズの頭の中を巡る。

 しかし……才人の口から漏れた言葉は……。

「グゥ……」

 ルイズの予想を、聳え立つ火竜山脈程にも超えたモノであ在った。

 ルイズは、(今の何? 寝息? ま、まさかね……)と思い、少し待つ。

「グゥグゥ」

 真に迫った寝息が聞こ得て来て、ルイズは焦った。

 ルイズは、(寝た振り? どうして?)と思い、胸に滑り込んだ才人の手を試しに握ってみた。

 全く反応はない。

 それどころか、スルリとネグリジェの中から、才人の手は摺り抜けてしまった。

「グゥ。グゥグゥ」

 ルイズは恐る恐る振り返った。

 そこにあったのは、紛うことなき才人の寝顔であった。幸せそうな顔で、口から涎など垂らしているのであった。

 ルイズの顔が青くなり、次いで赤く染まった。唇の片方が吊り上がり、クケ、と呻きが漏れる。

 ルイズは、(死刑でしょ。普通、死刑でしょこれ。何事か? 準備が出来てしまったこんなに可愛い御主人様が横で寝てるのに、寝息を立てるとは何事か?)と想い、その手が“杖”に伸びる。取り敢えず、灰にでも変える積りになってしまったのである。

 がそこで、(まぁ、疲れているのかもしれないし……ね)と、毛布を冠り、ルイズは目を瞑った。

 ルイズにとって、中々寝付けない夜が始まった。

 

 

 

 

 翌日、ルイズは(やっぱり……隣でメイドが寝てるのは不味いわ。他人がいる部屋で……というのは、“貴族”としては大変よろしくないもの)と考えた。

 従ってルイズは、才人が「そろそろ寝るかぁ」と呟き、ベッドに入ろうとした時、わざとらしく椅子から立ち上がった。

「さ、ささ、さ」

「さ?」

「散歩でも、し、しし、して来ようかしら?」

「お、風流だな。まだ夜は冷えるから、風邪引くなヨ」

 才人はニコッと笑うと、そんな世迷い言を言った。

 引っ込みが付かなくなってしまい、ルイズはネグリジェ姿で表に出た。

 ルイズは2時間待ったのだが、才人が来ることはなかった。部屋に戻ってみれば……大口を開けて寝ていたのである。

 ルイズは、(今日こそ灰ね)と想って“杖”を握ったが、(疲れてるのよ。きっと)と想い直す。

 

 

 

 

 

 その翌日も、ルイズは散歩に出掛けた。

 4時間待った。

 才人は来なかった。

 ルイズが部屋に戻ると、才人はベッドに潜り込んで深い寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

 そのまた翌日。

 ルイズは3度目の正直の散歩に出掛けた。

 やはり待てど暮らせど才人が遣って来ることはない。

 ルイズは地面に棒切れで絵を描いて時間を潰した。

 鈍感な才人が跪いて、ルイズへと赦しを請う図である。

 ルイズが気付くと、朝に成って居た。

 代わりに、ルイズが満足できる力作ができあがっていた。

 

 

 

 

 

 そろそろ流石に気付くでしょう、と翌日もルイズは散歩に出掛けた。

 が、才人はやはり来なかった。

 ルイズは半泣きで絵を描き始めた。

 絵の内容は、間抜けな才人がルイズの手によってとうとう縛り首に成る図であった。

 朝まで掛かって、ルイズは大作を描き上げた。

 

 

 

 

 

 そんな風にして、1週間が過ぎたのである。

 いつのまにか、ルイズの絵画は連作となり、才人はその連作の中で12回鞭で叩かれてしまい、10回縛り首になり、8回地獄に落ちて、4回虫螻に生まれ変わってルイズに踏み潰されてしまったのであった。

 ルイズの怒りはこれ以上ないくらいに頂点に達し、ついに悟りの境地にまで達し、それから冷えた何かとなってルイズを包んだ。

 しかし、事が事だけに、そんな怒りを表にすることはルイズにはできなかった。

 それはダイヤモンド選より硬い、ルイズのプライドが許さなかったためである。

 必死になって怒りを抑え込み、青い顔をしてときたまワナワナと震えるだけのルイズ。そんなルイズを、才人は、(おやおや出来上がりつつある)と評した。

 実態は全くの逆であるのだが、勘違いをして調子に乗ってしまっている才人には気付くことができなかった。

 才人の鈍感は、紛うことなき本物であったのである。

 

 

 

 

 

 “トリステイン魔法学院”の放課後、殆どの女子生徒達は食堂から張り出したテラスで、御茶を飲むのが日課であった。

 ルイズ、モンモランシー、キュルケの3人も例外ではなく、丸いテーブルを1つ使って、会話と御茶を楽しむんでいる。普段と違う点を上げるとすれば、シオンがいないことくらいであろうか。

 しかし、話しているのは主にキュルケだけであり、聞き役はモンモランシーである。

 ルイズはといえば、目を血走らせて、何かを一生懸命にしたためているのであった。ときたま眠そうに、ふぁあああああ、と欠伸を噛ます。

「ねえルイズ。あたしが話してるのに、欠伸をするなんて失礼じゃない?」

「っさいわね」

 キュルケの話題は主に、1週間程前の“アルビオン”での冒険のことであった。

「ところで、いやぁ、あの大きな“ゴーレム”凄かったわねぇ」

 キュルケが心底楽しそうな口調で言えば、ルイズが眉を顰める。

 そんな2人を見て、モンモランシーがジロリと睨んだ。

「何よ。“ゴーレム”って何よ? 貴女達、一体“アルビオン”に何しに行ったのよ?」

 モンモランシーは“アルビオン”行きに同行していなかったために、何があったのか知らないのである。勿論、ティファニアの正体を知るはずもない。

「それは言えないわよねぇ~~~。さるやんごとない御方の秘密が絡んでるんだもの」

 キュルケが勿体ぶって言えば、モンモランシーは少しムッとした顔になって、「良いわよ。別に知りたくもないわ。私、政治絡みのことに首突っ込む気ないから」、と強がってみせた。

 それからモンモランシーは長い巻き毛を揺らして、テラスの向こうに広がる中庭へと視線を移した。

 丁度、金髪のティファニアが通り掛かっところであった。

 困った様にモジモジとしながら歩くティファニアの後ろには、金魚の糞の様に何人もの男子生徒達がぞろぞろとくっ着いている。

 その中にギーシュの姿を見付け、モンモランシーは苦々しい顔になった。

「あいつ! あんだけ痛め付けたのに! 全く懲りないようだわ!」

 その言葉で、眠た気だったルイズの目が一瞬だけだが、キラリと光った。顔を上げ、ティファニアの取り巻きの中に才人の姿がないことを知ると、少し考え込むように目を瞑った。

 それからルイズは、再び書物へと目を移す。

「ねえルイズ! 貴女達が連れて来た娘は何な訳? 私、政治の世界には興味ないけど、あの娘にだけは興味あるわ! 建物の中でも帽子を外さないし、自分の事は一切喋らないし!」

「胸が大きいし?」

 キュルケが、誘う様な口調でモンモランシーを挑発する。

「ふんだ! あんなの偽物でしょ! はしたない! あんな底上げ技術で殿方の気を惹こうだなんて!」

 モンモランシーがそう捲し立てた時、ルイズは立ち上がった。

「あらルイズ、どうしたの?」

「帰る」

 ルイズは、目を爛々と光らせながら呟いた。その目の中には、冷えた怒りの氷嵐が渦巻いていることがわかるだろう。

 キュルケは、目を細めて笑みを浮かべた。

「サイトに宜しくね」

 その言葉で、ルイズの左肩がピクッ! と動いた。その痙攣は次いで右肩に移動する。徐々にその揺れは大きくなり、ルイズの全身がワナワナと震え始めた。

 ギクシャクとギコチナイ歩き方で、ルイズは寮塔へと向かう。怒りが、ルイズを真っ直ぐに歩かせることを許さないのである。

 そんなルイズは中庭で、これから訓練に向かうであろう“水精霊騎士隊”の男子達と擦れ違った。

 勿論、その中には才人もいる。

 ワイワイガヤガヤと、才人達はルイズへと近付く。

 ルイズは立ち止まった。才人の顔を真正面から見ないように、横を向いた。正面から見てしまうと、恐らく何かが爆発してしまう、とルイズはそう感じたためである。

 才人もルイズに気付いたらしい。しかし、澄ました顔で目を逸らす。

 横目でそんな才人の顔を盗み見るルイズの頭に、かぁっと血が昇った。これ以上ない、というくらいにルイズは震えてしまった。しかし……皆が見ている前で、怒りを爆発させる訳にはいかない、と“貴族”としてのプライドが上手く働き、どうにか堪える事に成功した。ルイズは深く深呼吸をすると、がしッ! と太腿を抓んだ。激痛が奔る。それで怒りを抑え、ギクシャクと歩き出したのである。

 擦れ違い様に、才人ではなく、隣にいたマリコルヌがルイズに声を掛けた。

「やあルイズ! 今から訓練でね、君の“使い魔”を借りるぜ」

「ど、どど、どどどどどどどどどどどどどど」

「ど?」

 嫌な予感でも覚えたのだろう、マリコルヌの顔が一瞬青褪める。

「どどどどど、どうぞ御事由に」

 震える口調でルイズはどうにか、そう言うことができた。

 才人も澄ました顔で横を向いたままである。

 そんなルイズと才人とを交互に見詰め、マリコルヌは首を傾げた。

「どうしたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」

「喧嘩? あっはっは! そんなことする訳ないじゃないか! さて諸君、急ごうじゃないか! 訓練の時間は短いからね!」

 才人は、マリコルヌを促すと妙に浮かれた足取りで歩き出した。

 マリコルヌや騎士隊の面々は、首を捻りながら才人の後を追い掛けた。

 ルイズは全とした顔でその背中を見送った。その顔が、次いで真っ赤になる。ワナワナワナと震えた後、ルイズはポケットから先程のノートを取り出した。そこにサラサラと、何事かを書き込む。再びそのノートをポケットに入れ、ルイズは歩き出した。

 

 

 

 

 

 その夜……。

 女子寮の部屋の中、シエスタの給仕でルイズと才人はワインを嗜んでいた。

 嬉しそうな声で、シエスタが2人にワインを注ぎ乍なが何でも、“ガリア”のワイン品評会で2等賞に輝いた逸品なんですって。名前は忘れちゃいましたけど……」

 しかし、才人とルイズは黙々とワインを傾けるばかりである。

 シエスタは、そんな2人を怪訝な面持ちで見詰めた。

 “アルビオン”から帰って来てからというモノ、2人はこの調子なのである。御互い、殆ど口を利かないのであった。何か怒ったかのように黙りこくり、目も合わせようとしないのである。

 それにルイズは、夜中になるとどこかに行ってしまうのである。目の下に隈を作って帰って来るのだが、その剣幕から、シエスタは何も訊くことができないていた。才人に相談すると、「ルイズなりに色々考えることがるんじゃないカナ」などと、妙に浮かれた答えが返って来るばかりである。

 2人の様子と態度の意味が、シエスタには全く理解できなかった。

 そんな雰囲気が嫌でシエスタはわざわざワインを貰って来たのだが……良い御酒も雰囲気の緩和には余り効果はない様子である。

「じゃあそろそろ寝ますか」

 シエスタはベッドを用意すると、2人を促した。

 今日は、ルイズは夜中の散歩には出掛けないようである。

 モソモソと、才人とルイズはベッドに入る。御互い背を向けて、2人は丸った。

 シエスタは寝間着へと着替えると、才人の隣にチョコンと滑り込む。

 ソロソロと才人の肩に頬を乗せようとしたのだが……シエスタは妙なオーラに気付いた。

 そのオーラは、ルイズの背中から発せられているのであった。

 ドヨンドヨン……とそのオーラはルイズの背中で淀み、蠢き、シエスタを圧迫するのであった。

 シエスタは才人に伸ばした手を引っ込めた。何故か、そうしないといけない気がしたためである。

 才人の肩に頬を預けようかどうかと暫く迷った後……昼間の疲れなどがドッと身体を襲い……シエスタは寝息を立て始めた。

 シエスタが眠りに就くと、ルイズの身体が動き始める。クルリと回転し、才人の方を向いた。

 才人も起きていたようり、横目でそんなルイズを見詰める。

 ボソリと、怒りを通り越した声でルイズは呟く。

「何で昼間は無視するのよ~~~? というか最近、ずっとそんな感じじゃない~~~。何なのよ~~~?」

 色々と尋ねたいことがあったルイズで在るが、深い質問では出来ないでいた。取り敢えず昼間の態度から攻めることにしたのであった。

 涼しい声で、才人は言った。

「え? 御前が無視するからだろ?」

「こ、こういう時は、そっちから話し掛けて来るのが当たり前じゃない!」

 すると才人は微笑を浮かべてルイズに言った。何だか温い、微笑であるといえるだろう。

「勝手な理屈捏ねるなヨ。我儘さんだなルイズは。明日も早いんだ。ほら寝るぞ」

 才人は目を瞑ると、シエスタの方を向こうとした。

 するとルイズは、フニャッと顔を崩し、毛布の中でジタバタと暴れ始めた。何だか、とても悲しくなってしまったのである。

「そっち向いちゃ駄目」

 そしてルイズは、才人の袖をツイツイと引っ張った。

 しかし、釣れない態度で才人は言った。

「御休み」

「こ、こっち向きなさいよね!」

 しかし、才人はシエスタの方を向いたままである。

「良いもん。そんな“使い魔”知ら無い!」

 ルイズは毛布を引っ冠る。しかし……直ぐに気になってしまったのだろう。再びコッソリと様子を窺うかのように毛布から顔を半分だけ出した。

 それでも、才人の背中は依然シエスタへと向けられたままである。

 ルイズは半泣きになってしまい、悔しそうに、う゛~~~、う゛~~~、と唸った。

 然し、やはりどうにもこうにも才人が振り向くことはない。

 そのうちに、才人もまた寝息を立て始めた。

 ルイズは、ワナワナと震えた。

 ルイズは、(何なのよ!? この1週間のこいつの態度、何な訳? “フネ”の中であれだけのことしといて、この掌返したような態度は何? 信じられない!)と想い、毛布の中で怒りをグルグルと回転させた。

 しばらくルイズは毛布の中でジタバタと小刻みに暴れ……(いっつも“好き”だって言ってなかった? もしかしてあれ嘘なの? “アルビオン”での“フネ”のこと、もしかして一時の気の迷いとか?)と不安を覚えたが……当然どうにもなるはずもない。

 だが、ルイズには何となく想い当たる節があった。

 才人はいつも「好き好き」とルイズに言っているのだが……ルイズは自身の気持ちをしっかりと伝えていないことである。

 ルイズは、(でも、でもでも、仕方無いじゃない! サイトが帰る時に、気持ちを伝えるって決めたんだもの! だからこそ、早い所帰る方法を探しに行きたいのに、この馬鹿ときたらズルズルといついてる。まあ、何となくその理由も理解るけど……)と想った。

 “虚無の担い手”であるルイズは、“ガリア”に狙われている。

 タバサと、彼女の母の問題も解決していない。

 “聖杯戦争”の最中である。

 それ等を放り出して帰ることは、才人の責任感が赦さないのであろう。

 “ガンダールヴ”や“シールダー”として与えられた此方にいるための理由としての、偽りの責任感などではなく、才人個人の責任感として……。

 また、(でも、こっちにいるならいるで、もう少し優しくしてよね。と言うか放ったらかしってどゆ事? 何が桃髪能天気よ! 好きで桃色なんじゃないわよ!)、とこの前の才人が口にした台詞などを始め色々なことが次々と頭の中で蘇り、ルイズは混乱と怒りで震えた。こうなってしまうと、言われた言葉や、以前の態度が脳裏に蘇り、更にルイズを苛立たせてしまうのであった。

 そんな苛立ちの中で、ルイズは徐々に不安を感じ始める。

 1番間抜けであるといえるだろうことは……そんな風にルイズが(帰る方法を見付けてから気持ちを伝える)と決めたは良いが、その前に才人の気が変わってしまうかもしれないということである。

 もしルイズではなく、他の女の子に惹かれて、「やっぱこっちにいる」などと言い出されてしまう可能性だってあるのだから。

 ルイズの頭の中で、数々の魅力的な女の子達の姿が順番に浮かび上がり、(姫様は、どうやら一時の気の迷いだったらしいけど……まだ私とサイトの近くには、油断ならない女の子が沢山いるわ。シオンは大丈夫でしょ。警戒すべきなのは、そこで寝ている健気なシエスタね。どうやらサイトに尽くす積りの小さなタバサ。でも何より、警戒しなくちゃいけないのは……)と考えた。

 ルイズの脳裏に、昼間の出来事が蘇る。“アルビオン”から連れ帰って来た、金髪の妖精の姿が瞼の裏に浮かぶ。

 彼女の取り巻きの中に、才人が入らない、などという保証はどこにもないのである。

 才人は、ルイズの事を「好き好き」と言うが、どれだけ気紛れな性格をしているのか、側にいるルイズは良く理解していた。

 ルイズは、(そうよ。こいつ、いっつも大きい娘見てたじゃない)といった不安を覚え、もうどうにもならなくなってしまった。

 ルイズは、(ううん、私より小さなタバサだって怪しいわ。“ルイズより小さい! それって最高!” 何て言い出して夢中になるやも限らないもの。帰る方法を捜す前にそんな事態が訪れてしまったら? 自分の気持ちを伝える前に、サイトの気持ちが変わってしまったら? “聖杯戦争”中に、“ガリア”側の“サーヴァント”達に殺されてしまったら? 私は“ハルケギニア”一番の間抜けとして歴史に名を残すかもしれないわ)と考え、考えれば考えるほどに頭が混乱して行く。そのうちに、ルイズは考え疲れ……睡魔の誘惑に抗いきれなくなり……寝息を立て始めた。

 

 

 

 ルイズが眠ったことに気付くと、才人は目を開いた。

 ホントに寝たのかどうかを確かめるために、才人はルイズの鼻をチョンチョンと突く。

 くか~~~、と可愛らしい寝息が響く。

 どうやら、ルイズはきちんと寝ているようである。

 才人は心の中で、凱歌を上げた。それから、(ルイズの扱いは猫のそれに近い、と判断した自分は間違ってなかったんだ。こっちが近付くと、ルイズは調子の乗る。そりゃもう、天を衝くくらいに能天気に調子に乗る。熱っぽく見て上げている俺を見詰め、“嫌だ。可愛いって罪ね!”くらいのことを平気でのたまう。でも……ほら、この様にちょっと冷たくしたらどうだ? 先ず、こっちの反応を窺うために離れる。夜の散歩がそうだ。それでも追い掛けないでいると……不安気にこっちの様子を窺い、しかる後に近付いて来る。ああ、ぴったしじゃねえか。凄え。天才だ俺……)と想った。

 それから才人は、(そう。余裕が大事なんだよ。余裕こそが、ルイズのみたいな、自分が世界の中心と想ってる女の子を振り向かせるのだ)と強く心に言い聞かせた。

 次いで才人は、(でも、こうやって寝顔を見てると、ルイズはホントに可愛い)と想った。

 スッと伸びた鼻筋……長い睫毛が被さった、閉じられた目の形……小さくて、僅かにポテッとした唇。

 思わず唇に自身のそれを近付けようとして……才人は首を横に振り、留まる。

 そして才人は、(まだだヨ。まだなんだヨ。もうちょっとで、ルイズは完全に転ぶ。今、手を出してみろ)、と自身に言い聞かせた。

 才人の頭に、勝ち誇ったルイズの顔が浮かび上がり、(“嫌なもぐら! やっぱり私に触りたいのね! どうしようっかな? ああそうだ! 触りたかったら私のこと、一冊の本になるくらい褒めてよね。じゃないと何もして上げなーい。なーい”、くらい平気で言い放つだろうな)と想像した。

 負けて溜まるか、と才人は己の右手首を握り締め、(我慢だ才人。勝利の甘い果実は直ぐそこだぜ? ここで誘惑に負けたら、今までの……“アルビオン”から帰って来てからこっちの努力が、全て水の泡じゃねえか)と考えた。

 がしかし、どうにもこうにも才人は、ルイズが可愛らしく想えて仕方がないのであった。

 才人は、唇を伸ばし、引っ込め、手を伸ばし、引っ込め、を繰り返す。

 すると、才人は後ろから声が掛けられた。

「何をしてるんですか?」

 シエスタの声で在った。

 才人が振り返ると、シエスタはニコニコと笑みを浮かべている。

「お、起きてたの?」

「何かガサゴソ音がするもんですから。起きちゃいました」

 ニコッとシエスタは笑った。

「ご、御免……」

 と、才人が言うと、シエスタは首を横に振った。

「帰る方法。探しに行かないんですか?」

 いきなりの言葉に、才人はギョッとした。

「……え?」

「ミス・ヴァリエールがいつも仰ってるんです。“あの馬鹿、全くいつになったら帰る方法探しに行くのよ?”って」

 ポリポリと才人は頭を掻いた。

「そりゃ帰りたいさ」

「じゃあどうして?」

 グイッと、シエスタは才人へと身体を近付ける。

「世話になった人達の問題が解決してない。放っ放り出したら、後味が悪い」

 才人が真面目な声でそう言うと、シエスタは微笑んだ。

「やっぱりサイトさんは、私が決めたサイトさんだわ」

「へ?」

 シエスタに真顔でそのようなことを言われて、才人は思わず赤面した。

「でもいつか……サイトさん達は帰っちゃうんですよね。そうなったら御別れなんですか?」

 急にシンミリとした空気が、2人の間を覆う。

「それは……」

「私、嫌ですからね。そんなの」

 才人は黙ってしまった。それから、(もし、帰る方法が見付かったとして……俺は素直に、こっちの人達と御別れできるのか? ルイズと御別れできるんだろうか?)、と考える。

 そう考えてしまうと、帰る方法を探すにしにも、才人は余り積極的な気分になれなくなって来るのであった。帰りたい。が、ルイズ達と別れたくないのである。

 そんな矛盾する2つの希望の間で、才人は揺れてしまっているのである。

 才人が考え始めると、シエスタはニッコリと笑った。

「あまり難しく考える必要はないんじゃないですか? その時が来たらその時考えれば良いんです」

 シエスタにそのように言われ……才人は“アルビオン”から帰って来て以来、何か胸の中で渦巻いていたモヤモヤが晴れて行く気がした。

「シエスタ、頭良いな」

 そうだな、と才人は想った。そして、(そのうち、きちんと答えは出るだろうしな。今は眼の前のことだけ考えよう)と想った。

「兎に角今を楽しまないのは、損です。だから一杯楽しみましょうね。その御手伝いなら幾らでもしますから!」

 ガバッと、シエスタは才人に抱き着いた。

 柔らかな胸を押し付けられ、才人はそれだけで悶絶しそうになってしまう。

 シエスタは熱っぽい目で才人を見上げると、積極的に唇を押し付けた。

「ちょ、ちょっと……」

「しっ……ミス・ヴァリエールが起きちゃいますよ?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、シエスタが言った。軽く唇を才人に押し付けると、シエスタは才人を熱っぽく見詰めた。

「楽しむのは良いですけど、他の女の子とこういうことしちゃ駄目ですからね」

「う、うん」

「ミス・ヴァリエールはまあ、しょうがないですけど。例えば、そう、サイトさん達が“アルビオン”から連れて来た方とか」

「テファ? まさか! 友達だよ」

「こっちがそう思ってても、向こうがそう想ってないことだってあるんですから」

 シエスタにそのようなことを言われ、才人はギョッとした。

「ど、どういう意味?」

 しかしシエスタは答えない。

 シエスタは毛布を冠ると、「御休みなさい」と言って目を瞑った。

「シエスタ、ちょっと。さっきの……ぐえっ!?」

 頭に衝撃が奔り、才人は恐る恐る振り返った。

「ふが……」

 ルイズが、両腕を大きく広げて寝息を立てている。どうやら寝惚けて、才人の頭を叩いたようである。

 才人は唇に手をやり、それから叩かれた頭を擦った。それから困ったように口をへの字曲げながら、ルイズの布団を掛け直してやった。

 両腕を頭の後ろで枕にして、才人は目を瞑る。

 シエスタの先程の言葉で、ティファニアのことが才人の脳裏に浮かんだ。(そういや、“アルビオン”からいきなり外国に連れて来られて、困っていないだろうか? 昼間の様子を見るに、そんなに心配することもないのかな? かなりの人気者になってるみたいだし……話し掛けようと 思っても、取り巻きが多くてそれどころじゃないしな。夜、寮の部屋を訪ねても良いけど、1人になりたい時間もあるだろうし。それに……)とも考える。

 ティファニアには秘密が多過ぎるのである。

 その秘密を知られちゃいけないと考え、接触を控えていた部分が才人にはあった。とてつもない手柄を立てて“平民”から“貴族”になった才人は、良くも悪くもここでは有名人なのである。そんな才人と親しげにしていることで、余計に(あの娘何者?)、と勘繰られてしまう可能性があるためだ。

 だが、(そろそろ様子を尋ねに行こう)と才人は想った。

 殆どあの“ウエストウッド村”しか知らなかったであろうティファニアにとって、行き成り外国で暮らす、ということはかなりのストレスであることにちがいはないだろうことは簡単に判る。幾ら本人が(外の世界を見てみたい)と望んでいたからといっても、ストレスを感じ溜めてしまうことには変わりはないのである。

 実際に、それを経験している才人には、十二分にそれを理解することができていた。

 才人は、(明日辺りに、ティファニアと話してみよう)と考えながら、眠りの世界へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

「報告は以上になります」

「有り難う、ホーキンス将軍。こんな夜遅くまでごめんね」

「いえ。陛下が働かれておられるのに、私が休む訳にも参りますまい」

 “アルビオン”、“王都ロンディニウム”にある“王城ハヴィランド宮殿”。

 その会議室にて、シオンはホーキンスからの報告を受けていた。今日の分の終了した仕事内容や出来事……詰まり、シオンが“トリステイン魔法学院”にいる間に起きていたことと彼を始め士官達がシオン不在の時にこなしたことなどである。

「“学院”での方は、どうですかな?」

「ええ。充実してるよ。これも、皆が頑張っくれているからだね。感謝してもし切れないよ」

 シオンは柔らかな笑みを浮かべ、傅くホーキンスへと礼の言葉を口にする。

 シオンのその言動に、ホーキンスは更に畏まった様子を見せる。が、疲れが吹き飛んだかのように、どこか楽になったかの様子を、ホーキンスは見せる。

「あれの、開発、量産はどこまで進んでる?」

「万事滞りなく。予定通りです。しかし……セイヴァー殿には、驚かされてばかりですな」

「あ、はは……」

 シオンは苦笑を浮かべる。

 シオンはホーキンスに心を許すことができているのだが、それでもやはり“聖杯戦争”などに関することはまだ話すことができていない。

 ホーキンスの方も、シオンが何かを隠しているということ気付いてはいるのだが、わざわざ気付いていない振りをしてくれている。

 そんな2人であるが、そういったことがありながらも関係が壊れることや崩れることはない。互いが互いを気遣い、想い遣り、信用し、信頼することができているためであろう。

「ホーキンス将軍」

「何で御座いましょうか?」

「私が、巷では、民達からどう呼ばれているか知ってる?」

「…………」

 いつかアンリエッタとマザリーニが交わした会話に似た内容を、シオンは口にする。

「“傀儡女王”なんて呼ばれてるみたい……でもね、それと同時に、セイヴァーと合わせてだけど、“稀代の発明王”やら呼ばれてもいるみたい……アンと合わせて“ハルケギニアの二大華”なんていう風にも呼ばれたり……貴男は、私の事をどう想ってる?」

「そうですね……優れた知恵、そして人を見る眼や判断力などを御持ちの方だと」

「そっか……変なこと訊いて御免ね。今日の仕事はもう終わり。ユックリ休んでね。私もしっかりと休むから」

 ホーキンスの言葉を聞いて、(私は、そんな大層な人間じゃないよ。過大評価も良いところだよ……)と想い、シオンはまたも苦笑を浮かべた。

「理解りました。陛下も、十分に御休み下さいませ。では、失礼いたします」

 ホーキンスは、礼をして退出をした。



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白の国からの編入生 中編

 “魔法学院”の朝は、寮塔から本塔にある食堂へと向かう女子生徒達が見え始めることから始まる。

 男子寮は本塔にあるために、男子生徒達は本塔にやって来る女子生徒達を、食堂の中2階に張り出されたバルコニーから眺めながら、朝食のメニューを噂し合うのである。

 才人はバルコニーに肘を突き、ギーシュやマリコルヌとそんな様子をボンヤリと眺めていた。

 女子生徒達の中に、ティファニアを見付けた才人は彼女へと手を振った。

 ティファニアも気付いた様子を見せ、才人へと手を振り返す。

 ギーシュが、才人に尋ねた。

「あんな魔法兵器を見て、君は良く冷静でいられるな」

「御前達が可怪しいんだよ。胸ムネむねって。おっぱい星人かよ」

「あんなモノを見てしまったら、そりゃ聖人にもなるさ」

 ギーシュはそれから才人を、心配そうに見詰めた。

「何だよ?」

「君……もしかしてまだ、ルイズの“魔法”が抜け切っていないじゃないのかね? もしかして、今度は“使い魔”だからルイズしか見えなっているとか? そういうことはないかね?」

 マリコルヌも、才人へと疑わしそうな視線を向けた。

「そうそう。ルイズの“魔法”何か知らないけど、変だよサイト。こないだ、僕達に付き合ってくれなかったしな。折角本物かどうか確かめるチャンスだったのに……」

 2人の低能は、顔を見合わせて、うむ、と首肯き合う。

「馬鹿言うなよ。良いか、御前達に1つ教育してやる」

 才人は得意げに腕を組んだ。

「是非とも頼む」

「ええと、例えば、俺達は犬だとする」

「犬なんて嫌だよ」

「同意だ」

「例えばの話だっつの。良いか、俺達は犬で、骨を咥えているとする。一生懸命になって、手に入れた骨だ。そこで新しい骨を見付けた。さあどうする?」

 ギーシュが、隙かさず答えた。

「拾う」

「馬鹿。今まで咥えていた骨はどうするんだ? 落っこちちゃうだろ?」

 ギーシュは、はっ! とした顔になった。

「詰まり、君の言いたいことはこうだな? 今まで咥えていた骨はモンモランシー。道端に落ちている骨は、あの胸が可怪しいティファニア穣や、女王陛下、そして1年のシゲルのクラスのマリアンヌ、同じく1年生の巻き毛が眩しいマルゴー……」

「御前はいつの間にそんなチェックしてんだよ? まあ、兎に角そういうことだな。2つの骨を咥えることは、人間には無理なんだよ」

 才人は理解ったように首を縦に振った。

「詰まり、君はもう骨を咥えるている、ということなんだな?」

「ああ。咥えている骨、怒っちゃうだろ。そういう態度を見せないことが何より大事なのさ」

「ということは、君……」

 ギーシュがニヤッと笑みを浮かべ、才人の横腹を突いた。

「ルイズをもう、きちんとその口で咥えたのかい? その時の様子を、微に入り細に入り。語り給えよ」

 才人は首を横に振った。しかし、何故か自信たっぷりな様子を見せる。

「まだだ。しかし……時間の問題だな」

「あのじゃじゃ馬を、よくもまあ手懐けたもんだな!」

「ちょっと冷たくしてみたら……」

 才人は手を広げて、空を仰いだ。詰まり、調子に乗っているのであった。

「し、しし、尻尾振って来やがったぜぇ。ちくしょう、今まで散々調子に乗りやがってぇ……見てろよ……俺が味わった屈辱を何倍にもして返してやるぜぇ……」

 空を見上げ、ワナワナと震えながら才人は拳を握り締めた。

 そんな才人をギーシュは頼もしげに見詰める。

「いやぁ、それでこそ副隊長。そうだよ、女の子に馬鹿にされっ放しじゃ、“貴族”はやってられないよなぁ」

「“貴族”は兎も角、そのくらいしても罰は当たらないと想う。今までの態度をかんがみるに、な」

「なあ、君」

 そんな才人に、ギーシュは目を細めて言った。

「ん?」

「こないだから、ずっと想っていたんだが……」

「何だよ?」

 このような馬鹿話をしている時であるというのに、ギーシュのそれは妙に真面目な口調である。

「こっちにずっといたらどうだ?」

「へ?」

 それからギーシュは、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。

「何と言うかね……君達のいた国はどうか知らないが、こっちにだって可愛い女の子はいるし……“貴族”にだってなれたじゃないか。もしルイズに放り出されるようなことがあったら、僕の領地に来れば良い。君1人くらい、養ってやるぜ」

 いきなりそのようなことを言われて、才人は照れ臭くなった。その照れを誤魔化すために、才人は横を向いて言った。

「どういう風の吹き回しだよ。御前がそんなこと言うなんて」

「う、煩い! 良いじゃないかね!」

 ギーシュも横を向いた。

 才人は空を仰ぎ、(こっちの世界でずっと暮らす、かぁ……ルイズの“魔法”によるものかどうかはしらねえけど、こっちの世界で何か自分に出来ることを探す、なんていう呪縛から解放されて、里心に目覚めた俺だ。やはり、家族の絆は断ち難いよなあ。でも、今のギーシュの発言で、心に芽生えた気持ちは何々だ?)と考えた。

 才人のその気持ちは、ルイズへの思慕とは、また違った感情であった。照れ臭いだけではなく、何だか心地好いといえる、妙な気分といえるだろう。

 そんな才人を見詰め、ポツリとマリコルヌが呟いた。

「ねえ副隊長」

「ん? 何だよ?」

 我に返った才人は、マリコルヌの方を向いた。

「咥える骨がない子は、どうするの?」

 淡々と、マリコルヌは尋ねた。

 才人とギーシュは顔を見合わせる。それから2人は宥める様な笑みを浮かべた。

「ど、どうしたら良いんだろうな?」

「教えてよ」

 聖職者であるかのような、慈愛に満ちた笑顔でマリコルヌは尋ねた。

 ギーシュが誤魔化すように、2人を促した。

「さて諸君! そろそろレディ達が席に着き、朝食が並ぶ時間だ! 食堂に戻ろう!」

「そうだな!」

 才人もわざとらしく首肯く。

「教えてよ。太陽さん」

 食堂へと消える2人を尻目に、マリコルヌは太陽を仰いで言った。

 

 

 

 “魔法学院”では朝食の後、1回の授業を挟んで、30分の休み時間が設けられている。

 その休み時間、1年生のソーンのクラスでは、金髪の妖精が肘を突いて物憂げに溜息を吐いていた。

 ティファニアである。

 ティファニアは、(こうやって外の世界に出られたのは良いけれど……何だか倒れちゃいそうだわ)と心の中でそんな言葉を呟く。

 そういった疲労は、今日に始まったことではなかった。

 才人達の手引きで“トリスタニア”へと到着した後、様々な出来事が僅か1日2日の間に起こり……ティファニアは初日から疲れて死にそうになってしまったのであった。

 出国手続き、入国手続き、枢機卿であるマザリーニと大后陛下で在るマリアンヌへの目通り……しかしティファニアの従姉妹に当たるアンリエッタ女王陛下への目通りは叶わなかった。アンリエッタは、“ロマリア”へ親善訪問に出掛けた後で不在だったためである。

 ティファニアにとって1番辛かったといえるのは、親代わりとして接していた孤児達と別れる時であった。彼等は“トリスタニア”にある修道院に引き取られることになったのだが、やはり別れの瞬間は御互い泣いてしまったのでる。思わず「村に帰ろうか」と言ってしまったティファニアに、子供達は首を横に振った。「僕達なら平気だよ。心配しなで」と年長であるジムはそう言って目を擦り、笑ったのである。しかし、シンミリした御別れの時間はそれほど貰う事が出来なかったのであった。“トリスタニア”に到着したその日の内うちに、アニエスが率いる“銃士隊”に警護され、ティファニアは“魔法学院”へとやって来なければならなかったのである。それから、あらかじめ事情を聴かされていたオスマンに引き合わされ、ティファニアは寮の一室を与えられた。1日の休みを置いて、ティファニアはクラスメイト達に紹介された。

 それから10日が過ぎた。

 ティファニアにとって見るのも聞くのも全てが目新しく、毎日がそれまでの1年分と同じ密度を持っていたといえるだろう。

 “トリステイン魔法学院”は、“ウエストウッド村”とは全く環境が違う。子供達と森の小動物くらいしかいなかったであろう“ウエストウッド村”と違って、ここには年頃の“貴族”達が何百人もおり、それだけでティファニアは目が回りそうであったのだ。

 心労はそれだけで留まることはなかった。

 大人しい性格であるティファニアには、何方かというと、静かに学園生活を送りたかったのだが……幸か不幸か、彼女の容姿がそれを許すことはなかった。

 今の彼女の心を1番疲れさせるモノは……余り意識することのなかった自分の容姿が引き起こしてしまった結果と、その結果が生み出した逆恨みに近い要らぬ嫉妬であった。

 

 

 

 肘を突いて物憂げに溜息を吐くティファニアの周りには3人の男の子達が現れた。

 編入初日から、ティファニアに着き纏うようになった少年達である。

 3人の中で1番背の高い、そばかすが目立つ少年が、ティファニアの前で一礼する。

「ミス・ウエストウッド」

 育った村の名を、ティファニアは事情を知る皆と相談して仮の姓にしていた。

 随分と怪しい名前であるといえるのだが、詰まらぬことで家名を汚さないために仮の名を使う“貴族”は少なくないといえるだろう。正体は世を忍ぶ名門“貴族”だろうと当たりを付けたのだろう、ティファニアの名前をどうこう言う“貴族”はいなかった。また、女王であるシオンとも親しげな様子から、更に何かはあるだろうが触らぬ神に祟りなしと判断したのだろう。

 さて、そばかすが目立つ少年は、夢中になってティファニアを口説き始める。

「“白の国(アルビオン)”かれ来られたレディ。貴女の肌は、その御国の名前の様に白く透き通るようで……余りにも眩しくて目が灼けてしまいそうです! さて、何か御飲み物を御持ちしましょうか? 何なりとこのシャルロに御申し付け下さいませ」

 直ぐにもう1人が、シャルロと名乗った少年を押し退ける。

「いやいやいや! 是非とも僕に、その大役を任せてください!」

 たかが飲み物を運んで来るというだけであり、大役も何もないのだが、“トリステイン貴族”は押し並べてこのように物言いが大袈裟であるのだ。

 ティファニアは、少し困ったような笑みを浮かべ、手を振った。“魔法学院”にやって来てから、1番多様している仕草であった。

「有り難う。でも喉乾いてないから」

 努めて笑みを浮かべると、3人は切なそうに首を振った。

 シャルロなどは、眉間に皺を寄せて、その場に倒れ込むかのような雰囲気である。

「ではでは、午後になったら私と遠乗りなどいかがですかな?」

 1人の少年がそう言うと、今度は5人ばかりの集団が現れた。

「遠乗りなら僕も誘うぞ」

「僕もだ」

「いやいや、こは僕が……」

「僕の馬は、“アルビオン”の生まれですよ!」

「御好きな馬を仰ってください。速いのなら“メクレンブルク種”、疲れない馬なら“アルヴァン種”、勿論僕はどちらも持っております」

 8人に増えたティファニアの崇拝者達は、喧々囂々といった風に議論を始めた。議題は勿論、誰がティファニアを遠乗りに誘うのか、ということである。

 困り切ったティファニアは、冠った帽子の鍔を掴み、深く顔を埋めた。

「あの、日焼けするといけないから……遠乗りはちょっと」

 秘密を隠すための建前を使い、ティファニアは誘いを断ろうとした。しかし、墓穴を掘ってしまったようである。

 待ってましたと言わんばかりに、シャルロがにっこりと微笑んだ。

「そう想ってほら、僕は帽子を用意したよ。鍔広の、“トリスタニア”で流行の羽白帽子ですよ」

 見後な生地の、大きな白い帽子であった。ティファニアが冠った帽子よりも、鍔が2倍も広い。

「ほら、冠って御覧よ」

 シャルロはティファニアの帽子に手を伸ばした。

 咄嗟にティファニアは帽子を押さえ、首を横に振る。

「い、良い。有り難う」

 ティファニアは帽子を掴んだ儘、教室を飛び出して行ってしまった。

 後に残されたシャルロは、呆然と立ち尽くす。

「そんなに僕の帽子、気に入らなかったのかな?」

 周りの男子が、一斉にそんなシャルロを小突き回し始める。

「おいシャルロ! 御前の所為で、“金色の妖精”が機嫌を損ねてしまったじゃないか!」

 そんな騒ぎを遠巻きに見て居た女生徒の1人が、苦々し気に舌打ちをした。

 見事な長い金髪を左右に垂らした少女である。背は低めであるが、身に纏う高飛車な雰囲気が、辺りを圧迫している。青い、木の強そうな瞳が爛々と怒りに輝いているのが判るだろう。

 彼女は廊下へと消えたティファニアの背中に向かって、吐き捨てるように呟いた。

「殿方の扱いがなってないわね。まあ、田舎育ちのようだから、仕方がないのでしょうけど」

 金髪2つ括りの少女がそう呟くと、周りに居た取り巻きの少女達が一斉に首肯いた。

「そうですわそうですわ! その上、未だにベアトリス殿に御挨拶がないなんて! これだから田舎者は困りますわ!」

 ベアトリス殿下と呼ばれた金髪の少女は、得意げな笑みを浮かべた。

 ベアトリスは、ティファニアが来るまでの間、その生まれの高貴さと少し人目を惹く可愛らしい容姿で、1年生のクラスの人気を独り占めにしていた少女であった。しかし、ティファニアがやって来たことで、その天下は呆気無く終わってしまったのである。

 先程、ティファニアに纏わり付いていた少年達は、つい先日までベアトリスを神と崇めていた連中であった。

「田舎育ちかもしれないけれど、田舎者なんて言ったら失礼だわよ」

 人を小馬鹿にするような薄い笑みを浮かべながら、ベアトリスは言った。

「申し訳ありません! ベアトリス殿下!」

 褐色の髪の少女が、ペコペコと頭を下げる。

「ただ、私の生まれたクルデンホルフ大公家は、先々代の“フィリップ3世”陛下の叔母上の嫁ぎ先の当主様の御兄弟の直系であらされるんですもの!」

「“トリステイン王家”と血縁関係!」

 1人の少女がそう叫ぶと、残りの少女達が唱和する。

「“トリステイン王家”と血縁関係!」

「その上、クルデンホルフ大公国は、小国といえど列記とした独立国ですわ!」

 ベアトリスの母国、クルデンホルフ大公国は、功あって時の“トリステイン”王から大公領を賜った独立国である。いわゆる名目上の独立であり、軍事及び外交は他の地方“貴族”と同じく“王政府”に依存していたのだが。

 しかし名目上に過ぎぬとはいえ、独立国ということに変わりはない。ベアトリスも、礼式の上では、殿下とよばれてしかるべき一族の1人である。

「詰まり、私を蔑ろにするということは、“トリステイン王家”を蔑ろにするのと同義。彼女、“アルビオン”育ちの様だから、“大陸(ハルケギニア)”の事情に疎いのは無理からぬことだけれど、礼儀はきちんとわきまえないとね」

「殿下の仰る通りですわ!」

「さてさて、あの島国人に礼儀と言うモノを、教えて上げなくてはね」

 ベアトリスは、意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 

 

 教室を出たティファニアは、帽子をキュッと両手で掴みなっがら、小走りで廊下を駆け抜けた。本塔を出て、中庭へと飛び出す。

 ティファニアは、余り人の来ない“ヴェストリの広場”までやって来ると、ふぅ、と溜息を吐いて“火の塔”の側にある噴水の縁へと腰掛ける。

 見てみたい、とずっと想っていた外の世界は、ティファニアの想像以上に騒がしく、ガサツで、勝手に家に上がり込む押し売りのようであるともいえた。

 ティファニアは、空を見上げた。

 ティファニアは、(この青い空だけは、“ウエストウッド村”と変らないのね)と思った。

 退屈であったかもしれないが、楽しく、穏やかであった日々……そんな日々を想い出し、不意に泣き出しそうになってしまい、ティファニアは帽子の鍔に深く顔を埋めた。

 ティファニアは、(あの子達は元気にやってるかしら? 私みたいに、心労と不安で押し潰されそうになっていないかしら?)といった心配とこれからの生活に対する不安が入り交じり、目から涙を零してしまった。

 ティファニアがそんな風に俯いて1人泣いていると、いきなり声を掛けられた。

「ミス・ウエストウッド?」

 ティファニアは顔を上げた。

 同じクラスの女生徒達が5人ばかり立って、ティファニアを見下ろしている。

 慌ててティファニアは立ち上がった。

「こ、こんにちは」

 褐色の髪の娘が、金髪2つ括りの少女に向けて紹介する様に手を伸ばし、ティファニアに尋ねた。

「貴女、こちらの方を御存知?」

 ティファニアは、(えと、誰だったろう?)と想い出そうとするのだが、同じクラスと判るだけであり、名前までは想い出すことができなかった。

「ご、ごめんなさい。御名前をまだ窺ってなかったわ」

 恥ずかしそうにティファニアがそう言うと、褐色の髪の娘の目が吊り上がる。

「貴女、こちらの御方をどなたと心得るの? 未だに御名前すらも御存知ないなんて! 本来なら編入初日に挨拶があってしかるべき御方よ」

「本当にごめんなさい。私、まだこっちに慣れてなくて……」

 眼の前の少女が怒っているということを理解し、ティファニアはしどろもどろになってしまった。

「良くってよ」

 金髪2つ括りの少女は、右側の髪房を掻き上げた。其の仕草に、獲物を追い詰める時の喜びが混じっているのが判るだろう。

 褐色の髪の少女が、そんな彼女をティファニアに紹介する。

「こちらの御方は、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ様にあらせられるわ」

 褐色の髪の少女は、(その名前でベアトリス様の凄さが理解るでしょ?)と言わんばかりの態度で、踏ん反り返る。まるで自身もまた大公家の娘であるかのような態度であるといえるだろう。

 しかしティファニアは、ずっと箱入り、また森の中で育ったため世情に疎い。クルデンホルフなどという、吹けば飛ぶだろう小国の名前など、知るはずもなかった。

 それでの機嫌を損ねては、と思い、ティファニアは一生懸命に笑顔を浮かべた。

「まあ、それはそれは。よろしくおねがいします。クルデンホルフさん」

 しばしの時間が流れた。

 ベアトリスのこめかみが引く付いた。

 褐色の少女が慌てて、ティファニアに詰め寄る。

「ミス・ウエストウッド!  クルデンホルフさんはないでしょう? 貴女の眼の前におられる御方は、クルデンホルフ大公国姫、ベアトリス殿下なんですのよ!」

「は、はぁ」

 ティファニアは当惑の表情を浮かべた。ティファニアはある意味、この世界のルールとは無縁に生きて来たのである。そういう意味では、“貴族”や階級制度に対する感覚は、異世界から“召喚”されてやって来た才人のそれに近いといえるだろう。

 それでも、大公国や殿下の意味は知っており、それがこの世界でどういう地位を築いて居おり、どういう扱いを受ける存在であるのかを、ティファニアは一応ではあるが理解していた。

 ただ、ティファニアは、まだそれを肌で実感するところまでは行っていなかったのである。詰まり、世の中には、呼び方1つでへそを曲げてしまう人種がいるということを、ティファニアは良く理解っていなかったのである。

 ティファニアは、(殿下?)と、いきなり飛び出して来た言葉に戸惑った。それから、(えと、ここは皆が平等に机を並べる学び舎ではないの? そんな尊称で呼び掛ける必要がどこにあるのかしら?)と疑問に想ったが、ティファニアは何せ新入りである。(取り敢えず相手の機嫌をこれ以上損ねては)とティファニアは素直に頭を下げた。

「ほんとうにごめんなさい。私、“アルビオン”の森の中で育ったものだから……大陸の事情に疎いの。失礼があったようなので、御詫びするわ。えと、殿下」

「それが殿下に御詫びを捧げる態度なの? 全く、マトモな社交も知らずに育って来たんでしょうね!」

「そんな娘を、この由緒正しい“トリステイン王国”へ留学させようだなんて! 親御さんの御顔を拝見したいものだわ!」

「……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

 ティファニアは何度もペコペコと頭を下げた。

 しかし、ぽっと出の田舎者である少女に、クラスの男子の人気を奪われてしまった女子生徒達の怒りが収まることはない。

「ミス・ウエストウッド。貴女、帽子を冠ったまま、謝罪する気なの?」

 褐色の髪の少女が、ニヤッと笑って言った。

「そうよそうよ! リゼットさんの言う通りだわ!」

 ティファニアは帽子を押さえた。

 この帽子を取る訳にはいかないのである。帽子を取ってしまえば、長い耳が露わになってしまうだろう。ティファニアに“エルフ”の血が交じっていることが知られてしまい、そうなってしまえば大変なことになってしまう事は明白である。

 ここを追い出されるだけでは済まないだろうことは簡単に想像できる。

 “ハルケギニア”の人間達が、どれだけ“エルフ”を嫌っているのか……ティファニアは知っており、理解もしていた。

 ティファニアは、顔から血の気が引いて行くような気がした。それから、(もし、見られたら……“虚無呪文”の“忘却”で記憶を奪えばいいのかしら? えと、いっぺんに5人も?)、と考えた。

 それ自体は不可能ではないといえるのだが、ここは小鳥と子供達しか居なかった森の中ではない。真っ昼間の“魔法学院”である。誰が見ているとも限らない。クラスメイトにそのような怪しい“魔法”を掛けたことを知られてしまうと、本当に追い出されてしまうかもしれないだろう。

 ティファニアは本当に困ってしまった。

 “エルフ”の血が混じっているということは隠し通さねばならないのだから。

 かといって、“忘却”を使うことも出来ない。

 そうなると、今のティファニアに出来ることは謝ることくらいであり、絶対にこの帽子を脱ぐ訳にはいかないのである。

「帽子、脱ぎなさいよ」

 ティファニアは首を横に振った。

「ごめんなさい。この帽子は脱げないの。脱いだら、その……」

「日焼けしてしまう、と言いたいのでしょ?」

「う、うん。そうなの。だから……」

 こくこくとティファニアは首肯いた。

「何も1日中外せと言ってる訳じゃないわ。ほんの数秒じゃない」

 それでもティファニアは帽子を押さえたまま動かない。

 業を煮やしたのだろう、リゼットを筆頭としたベアトリスの取り巻きの少女達は、ティファニアの帽子へと手を伸ばした。

「脱ぎなさいよ。ほら」

「ゆ、許して……御願い」

 帽子の鍔を掴んでの、小競り合いになった。

「おい、何やってんだ?」

 男の声がして、一同は振り返る。

 見ると、黒い髪の少年が驚いた顔で突っ立っていた。

「サイト!」

 まさに地獄で仏に会ったとでもいう様な表情を浮かべ、ティファニアは才人へと駆け寄った。その腕に寄り添い、恥ずかしそうに俯いた。

「おいどうした? 虐められてたのか?」

 ティファニアは答えない。

 才人は、ティファニアを取り囲んでいた5人程の女性グループを眺めた。

 彼女達は腕を組んで、(あんたに関係ないでしょ? あっち行きなさいよ)といった様子で才人を睨み付けている。

 そんなオーラを感じて、才人は震えた。

 才人は、“日本”にいた頃に通っていた高校の女子グループを、才人は想い出した。目立つ女の子がいると、このようにして徒党を組んで苛めるのである。

 ティファニアはとびっきりの容姿を持つ美少女であるために女子達の逆鱗に触れてしまったのだろう、その辺りの匙加減は“ハルケギニア”でも変わらないようだ、と才人は想った。

 才人は困ってしまったのだが、兎に角虐めを見過ごすということはできなかった。

 それに苛められてしまっていたのは、才人達が連れて来たティファニアである。責任というモノを、才人は感じたのである。彼女達に、今後このようなことをしないようにきちんと注意しなくてはいけない、と才人は口を開いた。

「御前達、ティファニアに何をしてるんだ? 寄って集って、卑怯だとは思わないのか? 君達、あー、それでも“貴族”か?」

 才人は、精一杯の威厳を込めて1年生の女子達に言った。

 紺色のマントを翻し、褐色の髪の少女が才人を冷たい目で見詰めた。

「御前達!? 御前達ですって! 皆さん聞きました?」

「聞きましたわ! 御前達、とは随分な言い草ですわね!」

 1年生の苛めっ子女子グループは、顔を見合わせてキャアキャアと喚き始めた。

 それを前にして、才人は頭痛を感じた。

「というか虐めちゃ駄目だろ。な?」

 恐る恐るそう才人が言ったら、リゼットが才人の言葉を無視して顔を近付けた。

「貴男、こちらの方を御存知?」

 リゼットはそう言って、彼女達の真ん中に立つ1番背の低い少女に向けて、手を差し伸べる。

 金髪を左右に分けて垂らし、得意気な様子で少女は踏ん反り返る。

「いや、全然」

 キョトンとして才人がそう言うと、女の子達は更に黄色い金切声を張り上げた。

「まあ! どこの田舎者かしら!? 彼女はベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ殿下にあらさえられるわ! 頭が高くってよ!」

 才人は困ったように頭を掻いた。

「いや、頭が高いと言われても……」

 ベアトリスと紹介された金髪2つ括りの少女は、才人を上から下迄ジロジロと眺め回した。それから、ふふん、と嘲笑うように、言った。

「あまりこの辺りでは見ない顔だけど、貴男“ハルケギニア”人?」

 “地球”人で在る。のだが、それを言う訳には行かないだろう。

 才人は、ゴニョゴニョと言葉を濁した。

「いや、俺はその、“ロバ・アル・カリ・イエ”から……」

 才人は、異世界人であるということを隠すために、“ロバ・アル・カリイエ(東方)”出身ということにしているのであった。ベアトリスは、目を細めて才人を見詰めた。それから、ああ、というように首肯いた。

「貴男、何だっけ……“水精霊騎士隊”のヒリガル・サイトンさんでしたっけ?」

 1年生の女子達は、まあ、と目を丸くした。

 110,000の軍勢と止めた2人のうちの1人である才人は、優れた剣士としてかなり名が知られているのであった。おまけに今や、近衛の副隊長である。

 女の子達は不安げに、顔を見合わせた。

 才人は胸を反らと,わざと威張った声で言った。

「そうだ。俺が“水精霊騎士隊”の副隊長、シュヴァリエ・ヒラガだ。女王陛下の近衛隊だぞ。頭が高い。ええい、頭が高―い」

 才人の今の気分は、すっかりかつて日本で見た時代劇のそれであった。

 しかしベアトリスは、臆した風もない。

「それがどうかなさいました? 近衛だろうが何だろうが、ただの騎士風情に下げる頭は持ってませんの」

 才人の顔が此処でようやく、(こいつ……こっちは近衛だってのにビビらねえ。もしかして、相当な偉いさん? やばい?)と青褪めた。

 そこに、また新たな声が掛けられる。

「おーいサイト。そこで何油を売ってるんだね? 放課後の訓練に使う藁人形の準備は出来たのかね?」

 近付いて来たのは、ギーシュとモンモランシーであった。

 才人は、(やった、形勢逆転だ!)とそちらを振り返ることなく、大声で怒鳴った。

「やあ隊長! 良いところに来たな! ちょっとこの1年生を叱ってやってくれよ。生まれがどうのこうので生意気言うんだよ」

「何だそれは! けしからんな!」

 勢い込んで、ギーシュが駆け寄って来る。

 才人は、心の中で凱歌を上げた。そして、(泣いてビビっても遅いぜ? ベアトリスとやら! 何せギーシュの家は、親父が元帥の名門グラモン家! その上、モンモランシ家も何やら由緒ある家系らしい。さて、“貴族”の御嬢さん。タイコーだか何だか知らねえが、本物の旧い“貴族”を前にして去勢を張れるもんなら張ってみやがれ)、と得意げに踏ん反り返った。

 しかし……近付くギーシュとモンモランシーを見ても、ベアトリスの表情や様子は変わらない。

 それこどろか、ベアトリスを見たギーシュの顔が、う、と青くなった。

 余裕たっぷりの態度で、ベアトリスは顎を持ち上げた。

「御久し振りですわ。ギーシュ殿」

「い、いやぁ……これはこれはは。クルデンホルフ姫殿下……」

「御父上は御元気?」

「は、はい。おかげさまで」

 様子が可怪しい、と才人は思い、額から冷や汗を流した。

 ギーシュは、先程までの威勢はどこへやら、妙にかしこまった態度である。

 モンモランシーも、気不味そうな様子を見せ、モジモジとしているではないか。

「おやおや、ミス・モンモンランシも御一緒じゃありませんこと? 私、今年からここで学ぶ事になりましたの。どうぞよろしく」

 下級生とは到底想えない態度で、ベアトリスは言い放った。

 ギーシュとモンモランシーは、そんなベアトリスに、ペコリと頭を下げた。

「こちらこそよろしく御願いします。何か困ったことがあったら、直ぐに御相談下さい」

「ところでギーシュ殿」

「は、はいっ!」

「騎士隊の隊長になられたのは御目出度い御出世だけど、部下の教育はきちんとしておいてくださらないこと? 礼儀を知らない騎士は、傭兵や夜盗と何ら変わりがありませんわ」

 そうベアトリスは澄ました態度で言った。

「何をしているの?」

 そこへ、そんな一行へとシオンが近付き言葉を掛ける。たまたまではなく、様子を窺っていたシオンが見かねたのであった。

「あら、貴女は?」

「シオン?」

「どうしたのって訊いてるんだけど……?」

 ベアトリスは声の方へと振り向き、女子グループもシオンを見やる。それから、女子グループの面々は、シオンの隣にいる俺へと視線を向けてキャアキャアと黄色い声を上げた。

「いえ、ただ、礼儀についてを説いていただけですわ。そこの彼女には、編入初日に挨拶はしっかりとするべきと、少しだけで良いから帽子を取ってみせてと言っていただけですの」

 シオンの質問に、ベアトリスは何でもないといった様子で答えた。

「聞いてくれよ、シオン。ちょっとこの1年生達を叱ってやってくれよ。生まれがどうのこうので生意気言うんだ。ギーシュもモンモランシーもこうだし……」

 そこで、才人がシオンへと、先程ギーシュに言ったことと同じ事を口にし、頼み込んで来た。

「そう……良い? ここは、学び舎なの。私達は皆学生で、ここでは生まれなどは基本関係ないわ。あるとしても、“貴族”か“平民”か、くらいのモノ……まあ、だからと言って笠に着るのは駄目だけど」

 シオンは出来得る限り、優しく、諭すように努めて女子グループへと説いた。

 しかし、やはりというか女子グループは気にした風もない。

「貴女、この御方がどなたか御存知? 彼女はベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ殿下にあらされるわ1 頭が高くってよ!」

 変わらない調子でリゼットが、同じ台詞をシオンと俺へと言って退ける。

 そして、ベアトリスを始め女子グループは勝ち誇った様子を見せる。

 が……。

 そんな彼女達を前に、シオンと俺、才人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

 ギーシュとモンモランシーの2人は俯き、恐る恐る様子を窺って来ている。

「ええ、勿論知っているわ」

「成ら――」

「であれば、私と同じか、私の方が上の立場かしら」

「え?」

 ベアトリス達の言葉を遮り、シオンはただ静かに言った。

 そんなシオンの言動に、彼女達は目を見開く。

「今、何と仰いましたの?」

「私と同じか、私の方が上の立場か」

「今1度訊かせて頂きますわ。貴女、御名前は?」

「シオン。シオン・エフェット・アルディ・アルビオンと申しますわ。ベアトリス姫殿下」

 シオンは優雅に礼をする。

 そんなシオンの自己紹介に、ベアトリス達は顔を青くする。

 シオンは、現“アルビオン王国”女王陛下である。だが、女王として即位したのはついこの前といえ、また、即位及び戴冠式は、“アルビオン戦役”の終戦後に行われた“諸国会議”の際、それに参加して居た各国の王や代表者達だけの前でだけ行われ、その後に発表がされただけであるのだ。

 更に、かなり前――昔に遡る事に成るが、シオンがまだ幼い頃、前“アルビオン”王が治めていた時、既に“貴族”達の動向が怪しかったために、はあるが、ウェールズと仲が良いアンリエッタがいる“トリステイン”に住んでいたのである。

 そういったこともあり、シオンという少女が“アルビオン王国”の女王陛下であるということは知られているのだが、どういった少女であるのか、容姿などもあまり知られていないのであった。

「あ、貴女様が……シオン女王陛下……」

「ええ。よろしくね、ベアトリス姫殿下」

 ベアトリス達は、蛇に睨まれた蛙で在るかのように身体を固め、怯えた様子を見せ始める。先程とは大違いの態度である。

 何せ、先程ティファニアに言って退けた言葉が自分達に返って来たのである。そして、彼女等は、地続きではないことから“アルビオン”のことをあまり良くは想っていないが、仮にもシオンは女王である。

「兎に角っ! 良い事? せめて私がいる場所では、その見っともない帽子を御脱ぎなさいね。この私の前で帯帽するなんて、クルデンホルフ大公家に対する侮辱もはなはだしくってよ。で、では、失礼、いたしますわっ!  おほ! おほ! おっほっほ!」

 ベアトリスはそう言って、彼女とその取り巻き達は、慌てて逃げ出すかのようにしてこの場を去ろうとする。

 ベアトリス達は、俺の横を通り過ぎて行くのだが。

 そんなベアトリスへと、俺は彼女にしか聞こえない程度の声で一言だけ告げた。

「道化にならぬように気を付けることだ」

 ベアトリスは、シオンへと怯えた様子を見せながら、同時に俺へと怪訝な表情を浮かべ視線を向けて来る。が、直ぐにシオンへの感情の方が勝り、この場を去って行った。

 小さく手を振って見送るギーシュとモンモランシーに、才人は噛み付いた。

「おいおい! 隊長さん! モンモンさん! どうしたの!? 下級生に舐められちゃってるよ! シオンを見倣えよ!」

「いやぁ君、彼女は不味いよ」

「不味いわよ」

「御前等旧い家柄の名門“貴族”じゃなかったのかよ!?」

「確かに君の言う通り、グラモン家は代々“王家”に仕えて来た由緒ある家系で、爵位は兎も角格の上では大公家とはいえど、そうそう引けを取るモノではない」

「モンモランシ家も、そうね」

「じゃあ何でペコペコしてんだよ?」

「現実は歴史に勝る」

「へ?」

 ギーシュの言葉に、才人は間抜けな表情を浮かべ、シオンと俺は苦笑する。

「グラモン家は武名高い名門中の名門だが、何せ領地の経営に疎い」

 才人は、嫌な予感を覚えた。

「もしかして、彼奴の家から御金借りてるとか?」

 才人の確認といえる質問に対し、ギーシュは遠い目になり、モンモランシーも恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 図星である。

「家も似たようなモノね」

 ギーシュは気を取り直すように、顎に手をやり首を振る。

「クルデンホルフ大公家は、何せ一国構えてしまうほどの大金持ちだからなあ。君も仲良くしておくに越したことはないよ」

「巫山戯んな。あんな厭な女と仲良くできるか」

「おいおい! 揉め事は御免だぜ! 彼女はおまけに、自前の親衛隊迄連れて来て、身辺を警護させてるんだ! ちょっと怒らせたら、彼等が飛んで来る!」

「何だそりゃ?」

「何だ、君は知らなかったのか。平和な性格してるな……」

 ギーシュは、才人とティファニアとモンモランシーを、正門の前まで引っ張って行った。

 シオンと俺は、一行に着いて行く。

「見給え」

 才人は目を丸くした。

 “魔法学院”の正門の前には、広大な草原が広がっている。

 いつの間にか拵えたのだろう、そこには幾つもの天幕が設けられている。

 天幕の上には、空を目指す“竜”の紋章が描かれている。

 天幕の周りには、大きな甲冑を着けた“風竜”が何匹も屯しているのである。

 口をポカンを開けた才人に、ギーシュが説明した。

「あれがクルデンホルフ大公国親衛隊“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”だ」

 その名前に、才人は聞き覚えがあり、(ああ、先日、直食の席でケティ達が噂してた騎士団じゃねえか。下品でナンパされたとかなんとか。その時は全く気にも留めてなかったけど……そうか、あんなにいたのか……)と想った。

「先立っての“アルビオン戦役で”で、クルデンホルフ大公国は連合国にあの騎士団を参加させなかった。虎の子だからってね。再編成されつつあるとはいえ、“アルビオン竜騎士団”が壊滅した今となっちゃ、“ハルケギニア”最強の“竜騎士団”と言われているよ。でもまあ、そのうち“アルビオン竜騎士団”は再編されるだろうけどね。そうだろ?」

 ギーシュは才人達へと説明をして、シオンへと確認するかのように言った。

 “竜”はこうして見て居るだけでも、20匹はいることが判る。

 “タルブ”で、“アルビオン”で、戦った才人は“竜騎士”の実力を良く知っていた。あれ等は僅か数十匹で、何千人もの兵隊に匹敵する戦力単位であるといえるのだ。

 だが、今の才人は“サーヴァント”である。そのために、“竜”に対してはそれほど脅威を感じるということはなくなってしまっていた。

「む、娘が留学するくらいで騎士団をつけるかぁ?」

 才人は呆れた声で言った。

「金持ちの“貴族”というのは、兎に角見栄を張りたがるからな」

 ギーシュが、己の行状を棚に上げたて感想を述べた。

 才人はティファニアの方を向いた。

 心配そうに、ティファニアは才人とシオンと俺とを見詰めて来ていた。

「テファ、安心しろ。騎士団がなんぼのもんだっつの。俺があいつに改めて言ってやるよ。帽子くらいでガタガタ言うなって」

 ティファニアは、唇を噛んで首を横に振った。

「良いの。サイト達に迷惑が掛かったら大変だし……気持ちは嬉しいけれど、自分でなんとかするわ」

「サイト、ティファニア嬢の言う通りかもしれないぞ。僕達が口を出したら、それこそ立場が危うくなる」

「そうよ」

「おいおい、“ガリア”に乗り込んだ“英雄”の言葉とは想えないな。あの時に比べたら、大公家の姫なんて可愛いもんだろ」

「いやぁ、そうことは単純じゃない」

 ギーシュは、うむむ、と眉間に皺を寄せた。

「タバサを救いに行った時は、コッソリ隠れて侵入しただろ? 現に、この“学院”ではあの冒険を知る者は僕達以外にはいあいじゃないか。その上、“ガリア”からの公式の抗議がないから、陛下だって御目溢しくださったんだ」

「この“学院”で、外国の姫様を怒らせたら、流石に陛下だって目を瞑る訳にはいかないわ。貴男達、何せ近衛隊でしょ? 大公国の姫様を怒らせるなんて、言語道断よ」

 其処まで2人に言われて、才人は困ってしまい、シオンと俺を見て来る。

 そんな才人に、ティファニアがにっこりと笑い掛けた。

「有り難うサイト。気持ちだけでも嬉しいわ」

「……テファ」

「ホントに良いの。教室で帽子を冠ってる私が悪いの。やっぱり嘘は善くないわ」

 何かを決心した様子で、ティファニアは首肯いた。

「心配掛けて本当にごめんなさい」

 たたたた、と小走りでティファニアは駆けて行く。

 才人は心配そうに、風にたなびく金髪の少女を見守った。

 

 

 

 放課後、訓練も終わってルイズの部屋へと引き上げて来た才人は、ルイズに今日のことを相談した。

「ティファニア何だけどさ、クラスでどうやら虐められてるみたいなんだよね」

 ベッドに座って才人の話を聞いていたルイズは、「放っとくべきね」と首を振った。

「ぅてめえぇ! そりゃないだろ。クラスで虐めに遭ってるんだぜ。あの気弱なティファニア、そのうち虐め殺されちゃうよ。なあルイズ、御前の家、公爵家じゃねえか。生意気な苛めっ娘に一言言ってくれよ」

 しかし、それでもルイズは首を縦に振らない。

「私達が口を出すべき問題じゃないわ。ティファニアのクラスの問題じゃない。こんな事で、3年生の私達が口を出したら、余計にティファニアの立場が悪くなっちゃうわ」

 冷静に、ルイズは言った。

 だがそれでも、納得が行かない才人はなおも喰い下がる。

「確かに、御前の言う通りかもしれないけど……ティファニア、こっちで誰も頼れる人間がいないんだぜ。せめて俺達が助けてやらないと……」

「だからそれが余計な御世話だって言うの」

「余計な御世話だと!? 当然だろ! 俺達が連れて来たんだから!」

 才人はつい頭に血が昇ってしまい、語気を荒げてしまう。

「あのね、これからあの娘は“貴族”として、1人で生きて行かなくちゃいけないの。それこそ、誰にも頼らずにね。クラスでちょっとくらい意地悪されたからって参ってちゃ、“ハルケギニア”じゃ生きていけないわ。己に降り掛かる火の粉は己で払う。それが“貴族”よ」

 厳しい顔で、ルイズは言った。ティファニアを想ってこその、厳しさであるといえるだろう。

 だが才人は、そのルイズの顔を見て、1年前の事を想い出した。

 クラスで馬鹿にされていたルイズ。

 “ゼロ”と馬鹿にされ、シオン以外の友人が1人もいなかったルイズ。

 “貴族”のプライドを賭けて、“ゴーレム”に立ち向かって行ったルイズ……。

 才人は、(そんなルイズにしてみれば、今置かれたティファニアの立場なんて、全然大したことじゃないように想えるんだろうな)と受け取り考えた。

「それに……あの娘は私と同じ“虚無の担い手”なのよ。普通の“貴族”じゃいられない“運命”を背負ってるの。ホント、こんなことくらいで誰かに頼っていたら、そのうち、自分の力に押し潰されちゃうわ」

 才人は何も言い返す事が出来なくなってしまった。

 だがそれでも……。

 見ると、ルイズは眠そうにしている。

「御前なあ、人が真面目な話してるのに、寝るなよ」

「……誰の所為で寝不足だと想ってるのよ?」

「へ?」

 ルイズはツイッと顔を逸らすと、ベッドに潜ってしまった。

 取り付く島もなくなってしまい、才人は困ったように頭を掻いた。

 ベッドの中で、ルイズは顔を赤らめた。

 先程の自分の言動が、恥ずかしくなったのである。

 ルイズは、(どんな苛めっ娘だか知らないけど、一言言ってやればいいじゃないの。ティファニアの後見はラ・ヴァリエール公爵家だと言って、釘を刺してやれば良いのよ。確かにさっき渡しが言ったことは、正論よ。クラスで苛められたからって、一々助けて上げてたら、切りがないもの。“虚無の担い手”のティファニアは、望むと望まざるとに関わらず、危険を覚悟しなければならないの。意地悪なクラスメイト何か及びもつかない強大な敵に、いつなんどき狙われるとも限らないんだから)と考えたのであった。

だが……それだけではなかった。

 もう1つの想い、感情は嫉妬である。

 才人は最近、ルイズに対して冷たいのに対し、ティファニアのことになると夢中になってしまっているのである。

 そんな才人の態度に、ルイズは腹を立てたのであった。

 だが、勿論そのようなことを、ルイズは口に出すことはできない。

 そんな風に嫉妬してしまった自身の気持ちが赦せず、ルイズは布団の中で唇を噛んだ。それから、(嫉妬で、差し伸べるべき手を差し伸べないなんて、私……最低じゃない。こんな私だから、サイトは冷たくなっちゃったの?)とも考えた。

 考え始めるとキリがなくなって来て……眠気も飛んでしまったのだろう、ルイズは布団の中で、ポロポロと隠れて涙を隠すのであった。



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白の国からの編入生 後編

 翌日の1時限目。

 1年生のソーンのクラスでは、“土系統”の授業が始まろうとしていた。

 教鞭を執るのは、シュヴェルーズである。

 “赤土”の“二つ名”を持つ彼女は、名簿を開くと出席を取り始めた。

「ミス・ウエストウッド」

 ティファニアの名が呼ばれた。

 しかし、返事は無い。

「ミス・ウエストウッド?」

 もう1度、シュヴェルーズは繰り返した。

 だが、やはり返事はない。

 教室を見回しても、見慣れた帽子はどこにも見えない。

「ミス・ウエストウッドは欠席と……欠席の理由を知っている人はいますか?」

 教室の誰も答えない。

 1番後ろの席に座ったベアトリスと彼女の取り巻き達は、首を捻るシュヴェルーズを眺めながら、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「ベアトリス殿下。あの娘、今日は御休みみたいですわ」

「帽子の代わりに、仮面でも用意してるんじゃなくって?」

 クスクス、と取り巻き達は面白くも無い冗談に、含み笑いを溢した。

「ミス・ウエストウッドの欠席の理由を知っている人は、いないのですか?」

 シュヴェルーズは繰り返し尋ねたのだが、やはり返事はない。

 シュヴェルーズは困ったように肩を揺らした。それから、(“アルビオン”から来たばかりで、色々と心労が溜まっているのかしら? それを相談出来る友人もまだ作れていないようね。大人しく、余り社交的とは言えない性格をしているみたいだから、友達を作るのが下手なんでしょうね。後で、ミス・エルディと相談して、様子を見に行こう)と想い、シュヴェルーズは授業の下準備を始めた。

「では皆さん。今日は先週に引き続き、“錬金”の授業を行います。先週は真鍮を作り出す授業を行いましたが……」

 そこまでシュヴェルーズが言った時、教室の扉がぎぃいいいい~~~、と開かれた。

 教室中の視線が一斉にそこへと集まる。

 立っていたのは……ティファニアであった。

「何よあの格好?」

 ベアトリスの取り巻きの1人が、感想を漏らす。

 確かにティファニアの格好は、ここにいる皆からすると妙だとしか言いようのないモノであった。

 “魔法学院”の制服ではなく……袖の部分が波打ち花弁のような形をした、砂色のローブをティファニアは着用に及んでいるのである。“ハルケギニア”では余り見ることがないデザインである。

 フードを深く冠ったまま、ティファニアは怖ず怖ずと教室へと入って来た。

「ミス・ウエストウッド。遅刻ですよ」

 ティファニアは何やら決心したように、胸の前でギュッと拳を握り締めている。

「制服はどうしたのですか? その巫山戯たローブを御脱ぎなさい。今は仮装パーティーの時間ではありませんよ」

「その変なローブ、帽子の代わりの積り? 何だか道化師みたいね!」

 リゼットが茶々を入れた。

 ティファニアに余り良い感情を持っていない女子達が、一斉に笑った。

 そんな笑いの中、ティファニアは口を開いた。

「こ、これは道化師のローブ何かじゃありません! 私の母が着ていたローブです!」

 ティファニアのその剣幕に、教室中がシーンと静まり返った。

 シュヴェルーズが、ティファニアへと近付き、そのローブをマジマジと眺めた。

「変わった造りですわね……この縫製の遣り方は、“砂漠の民”のそれに……ん? んん? んっ! こ、これは!」

 シュヴェルーズは、小さく震え出した。

「嘘でしょう? 貴女の母という御方は……もしや、エ、エエ、エ……」

 意を決した様子で、ティファニアはガバッとフードを脱いだ。

 その下から現れた長い耳を目にして、教室中が騒然と成った。

「“エルフ”!」

 1人の生徒が叫んだ。

 それを契機にして、生徒達はパニックに陥り、我先に席を立ち、ティファニアから離れた。

 シュヴェルーズは其の場で腰を抜かしてしまった。ヨタヨタと壁の方へと逃げようとするのだが、膨よかな其の身体を持て余してしまい、上手く動けないようである。

 おたおた、と四つん這いになって逃げようとするシュヴェルーズに、ティファニアは近付いた。

「ひぃ! お、御救け!」

「な、何もしません! 落ち着いて下さい!」

 それからティファニアは、昂然と顔を上げた。

 窓から射し込む陽の光が、ティファニアの青を眩いばかりに染め上げた。金髪がキラキラと輝き、まるで妖精の様に美しいティファニアの顔を彩る。

 古代の宗教画から抜け出して来たかのような、その神々しい姿に、生徒達は一瞬だけであるが、心打たれた。しかし、直ぐに長い耳を持つ彼女に恐怖を抱き、怯えた表情を浮かべた。

「皆さん、どうか怖がらずに聴いてください。私には、見ての通り、“エルフ”の血が流れています。でも、皆さんに危害を加えようと何てちっとも想っていません! それどころか、一緒に学びたいと考えて、“アルビオン”の森から出て来たのです!」

「ふざけないで!」

 リゼットが叫んだ。

 何人かの生徒達が、「そうよそうよ」と同調する。

 男子生徒達は、今まで崇めて来た分と恐怖が入り交じってしまい、どうして良いか理解らない様子である。

 シュヴェルーズは、まだに震えている。

 スッとベアトリスが立ち上がった。

 彼女のその顔は、怒りに震えている。

「皆さん! 騙されてはいけませんわ! “ハルケギニア”の歴史は、“エルフ”との抗争の歴史! どんな事情があろうが、彼女は我々の仇敵ですわ!」

 ティファニアは息を吸い込むと、震える声で叫んだ。

「確かに“エルフ”は、“ハルケギニア”の人々と対立して来たわ! でも私の父と母は違う! 父は母をとても“愛”していたし、母も父を“愛”していた! 私はこの身体に流れる母から貰った“エルフ”の血も、父から貰うた人間の血も“愛”している!」

「何よ貴女、ハーフなの? “エルフ”に魂を売った人間の娘? ただの“エルフ”選り性質(タチ)が悪いわ!」

 ティファニアの顔が蒼白になる。それから、小さく震え始める。生まれて初めての、強い怒りがティファニアの身体を包んでいた。

「父を侮辱しないで!」

 その時である。

 教室の窓硝子を破って、外から10人程の騎士が飛び込んで来た。

 教室中に再び生徒達の悲鳴が巻き起こる。

 たび重なる出来事にシュヴェルーズはとうとう気絶してしまった。

 騎士達は鈍い青色に光る甲冑を着用に及んでいる。兵隊でもあるまいし、甲冑を着込む“騎士団(メイジ)”は珍しいといえるだろう。ただ、唯一の例外を除いて……。

「“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”!」

 生徒達は、“ハルケギニア”の最強の1つに数えられる騎士団を目にして、感嘆の呻きを上げた。

 隊長さと思しき男が、ベアトリスを守るようにして、ティファニアの前に立ち塞がる。次いで、腰から細身の“軍杖”を引き抜き、驚いた顔の“ハーフエルフ”に突き付けた。

「それ以上殿下に近寄るな」

 騎士達は爪先から頭のてっぺんまで訓練が行き届いた動きで、さささささ、と音も立てずにティファニアの周りを取り囲んだ。

 ティファニアは両腕で自分の身体を抱き締め、小さく震え始めた。

「動か無い方が良くってよ。その忌々しい耳を身体から離したくなかったからね。知ってるわ。貴女達“エルフ”は“先住魔法”が使えるんでしょ? 悪魔の“魔法”ね。“杖”を使わずに唱えられるなんて!」

「わ、私は“先住魔法”は使えないわ。ホントよ。それに“先住魔法”は悪魔の“魔法”なんかじゃない。母様が言ってた。“どの魔法も同じだ”って。“使う人の心掛けが、“魔法”を陽光にも闇にも変える”んだって」

「御黙り。誰が“エルフ”の混じり者の言葉なんか信じるっていうの?」

「でも、私……皆と仲良くしたいの! 信じてって言うのは難しいかもしれない。でも……」

「ふん。皆と仲良くしたい、と言うのなら、貴女は薄汚い“砂漠の悪魔”じゃなく、私達と同じ神を信じていると解釈して良いのね?」

 ベアトリスが、(まさかそんなことはないでしょう?)とでもいうような勝ち誇った様子で言った。

「“アルビオン”にいた頃は、毎週祭壇に御祈りを捧げていたわ。母がそうしていたから。本心から信仰を捧げているかどうかは、私には理解らない。でも、皆と仲良くできるのなら、私も信じることにする」

「では貴女に、それを証明して頂きましょう」

「証明?」

 ベアトリスは、これはチャンスだ、と言わんばかりの態度で言い放った。

「そうよ。そうね、あのね、そう! 異端審問を受けて頂きましょうか! 私は“始祖ブリミル”の敬虔成る下僕。洗礼を受けた日に、“宗教庁”からクルデンホルフ司教の肩書も頂いているの。異端審問を行う権利は、十分に持っていてよ」

 異端審問。

 その言葉で、教室がざわついた。

 

 

 

 丁度同じ頃……。

 3年生のクラスで、才人はどうしたものかと机に肘を突いて考え込んでいた。

 隣にルイズはいない。「何だか気分悪いから」、と言って授業を休んでしまったのである。

 しかし、才人が心配しているのは、そのことではなかった。

 ティファニアのことである。

 才人は、(今頃、苛められてないだろうな……?)と心配になってしまい、仕方がないのである。

 才人は、昔、噂に聞いた女子の苛めを想い出した。

 茶巾絞り、という技がある。

 スカートの裾を持ち上げて、頭の上で絞るのである。

 才人は、(い、苛めってホント善くねえ……テファにそんなことされたら俺……)と頭の中で想像をした。それから鼻を押さえた。ツゥッと自然に、ナチュラルに鼻血が流れてしまったのである。

 その時である。

 パリーン! と階下の教室から、窓硝子の割れる音が響いた。

 教室が騒然となる。

 何だ何だ? と何人かの生徒達が窓へと近付いた。

 外では、胸鎧と兜を装着した“風竜”が、何匹も乱舞している。

「あれは、クルデンホルフの姫君が連れて来た“竜騎士隊”じゃないか」

 1人の生徒が言った。

 天幕に翻っていた旗と同じ紋章が兜に光っているのが見える。

 才人が外の様子を見ていると、階下の窓から何人もの騎士が飛び出して来て、“竜”に跨った。そして、1人の騎士がティファニアを抱えている姿を見付け、才人は目を丸くした。

「テファ!」

 “竜”はバッサバッサと羽撃き、天幕の所までと飛び去った。

 才人は、考えることもせず駆け出した。

 その後に、退屈な授業に飽き飽きしていた生徒達が続く。彼等は、三度の飯より、酒より、揉め事が大好きなのである。

 

 

 

 ティファニアは、“魔法学院”の外の草原に設けられた天幕の前の地面へと乱暴に転がされ、“杖”を突き付けた騎士達に囲まれてしまう。

「……私をどうする気?」

 怯えた目で、ティファニアは周りを見渡した。

 青い甲冑に身を包んだ恐ろしげな騎士達が、ティファニアを囲んでいる。その縁の外には、騎士より恐ろしい“風竜”達が、威嚇の唸り声を上げている。

 常人であれば、それだけで気絶してしまうだろう光景であるといえるだろう。

 これでは、ティファニアにはどうすることもできないのである。

 “忘却”の“呪文”を唱えようにも、これだけの騎士に囲まれてしまっては身動き1つ取ることなどできるはずもないのである。少しでも“呪文”を唱えるような素振りを見せてしまうと……一斉に攻撃“魔法”が飛んで来ることが目に見えているのだあkら。

 ティファニアは、己の迂闊さを呪った。

 ティファニアは、やはり……正体を明かすべきではなかったと後悔した。まさか、これほどの扱いを受けることになるとは想いもせず、そんなことにはならないと高を括っていたのである。才人達と出逢って……“エルフ”の血が混じった自分を見ても怖がらなかった才人達と出逢って、“トリステイン”の人達もそうだろうと、ティファニアは油断してしまっていたのであった。

 だが、それは間違いであった。

 “エルフ”という存在が如何に、“此の世界(ハルケギニア)”で恐れられており、疎まれ、嫌われているのか。それを、今ティファニアは、痛いほどに理解したのである。

 “エルフ”というだけで殺されてしまった母の姿が、ティファニアの脳裏に浮かぶ。

 周りを囲む騎士達の姿と、あの日“サウスゴータ”の屋敷で母を“魔法”で殺した騎士達の姿が、ティファニアはダブって見えた。

 ティファニアは、(自分も、母と同じように“エルフ”と言うだけで殺されるのかしら?)と震えた。震えは大きくなり、止まらなくなる。

 騎士達の包囲網が割れ、ベアトリスが姿を現した。左右に垂らした金髪を弄りながら、愉しそうな声で彼女はティファニアへと尋ねた。

「異端審問を知ってる?」

 ティファニアは、プルプルと首を横に振った。

「貴女、言ったわよね。“始祖ブリミルを信じている”って。“エルフ”の血が混じった貴女が、“信仰”を口にしたのよ。私達“ハルケギニア”の民の神を信じている、って言ったの。だからそれを証明して貰うわ。自分は異端ではない、ということを、“始祖”と神の代理人たる司教の前で、証明するの。それが異端審問よ」

 その、ベアトリスの目の色で……ティファニアは気付いた。

 このベアトリスは、ティファニアが“エルフ”であるから、痛め付けようとしている訳ではないということに。

 ベアトリスのこの言動は、自分が気に入らないから痛め付ける、というモノであるのだ。

 何せ……その目に憎しみや恐怖などといった光は見当たりはしない。かつて「“エルフ”だから」という理由で母を殺した騎士達の目には、消しようのない仇敵に対するそういったモノの炎が宿っていた。それを、ティファニアは感じ取っていたのである。

 だが、此のベアトリスの目に光るのは……歓喜を始めとしたモノだけである。

 ティファニアを痛め付けることができる理由を見付けることができたから、ベアトリスは悦んでいるのである。

 怯えの代わりに、ティファニアの身体を怒りが包んだ。気丈に顔を持ち上げて、ティファニアはベアトリスを睨み、哀しげに言った。

「……可哀想な人」

「何ですって?」

「全部が自分の思い通りにならないと、気がすまないのね。子供なのね、貴女」

 ベアトリスの顔が真っ赤に染まる。

 乾いた音が響いた。

 ティファニアの頬を、ベアトリスが叩いたのだ。

「さて、異端審問を執り行うわ。煮立った釜の中に、1分間浸かるの。もし、貴女が本当に“始祖ブリミル”の下僕なら、その湯は丁度好い湯加減に感じるでしょう。でも、貴女が忌まわしい異教徒なら、茹で肉になってしまうでしょうね」

 騎士の1人が“呪文”を唱えると、天幕の側に設置されていた、煮炊きに使用されていたらしい大釜に火が入る。強力な“魔法”の“炎”であり、大釜の中の水はグツグツグラグラと直ぐに沸騰を始めた。

 勿論、“ブリミル教徒”であろうが、異教徒で在ろうが、そのような煮立った湯に浸かれば命はないことは明白である。異端審問とは、詰まり宗教を利用した処刑で在るのだ。

 その時……騒ぎを聞き付けた“学院”の生徒達が駆け付けて来た。

 生徒達は、“竜騎士”に恐れをなし、遠巻きにベアトリスとティファニア達を見詰める。

 観客が揃ったことを確認すると、ベアトリスは勝ち誇った表情を浮かべ叫んだ。

「クルデンホルフ司教ベアトリスの名に於いて、今から異端審問を執り行います! 敬虔成る“ブリミル教徒”の皆さん、良く御覧になってくださいまし!」

 生徒達が、「異端審問だって!?」とざわめき始める。

 そんな生徒達の輪を割って、怒りに震えた少年が飛び込む。

 才人である。

「何してんだ!? 御前等ぁ!」

 ティファニアの顔が一瞬輝いたが、直ぐに曇る。

「異端審問よ」

「異端だか何だか知らねえが、テファを離せよ! 自分のしてること理解ってんのか!?」

 才人はティファニアへと近付こうとする。しかし、直ぐに後ろから羽交い締めにされてしまう。

 才人が振り向くと、羽交い締めにしているのはマリコルヌであることが判った。

 後ろにはギーシュ、そしてレイナールを始めとした“水精霊騎士隊”の面々が見える。

「何すんだよ!?」

「止めろ、サイト」

「何でだよ!?」

「不味いんだよ君。実に不味い」

 才人はギーシュのその言葉にカッとなる。

「はぁ? 御前……家が御金借りてるからって、見過ごす積りか?」

「違う。そうじゃない」

 真顔で、真剣にギーシュは言った。

「だったら、あの“竜騎士隊”が怖いんだな? 情けねえ!」

「君、理解ってるのか? 異端審問だぞ!」

 マリコルヌが、いつになく真剣な声で叫んだ。

「それがどうした! あいつ等、テファ1人を寄って集って苛めてんだぞ! 救けないでどうすんだよ!?」

「ここで庇ったら、僕達まで異教徒ということになっちゃうんだよ! そうなったらしゃれではすまないんだ! 家族だけじゃない、親族一同まで累が及ぶんだ!」

 その言葉で、才人はようやくことの重さを理解し青くなる。

「マジ?」

「本当だ」

 ギーシュが、低い声で言った。

「……くそ」

 才人は膝を突くと、地面で拳を叩いた。

 そんな遣り取りをする一同を見て、ベアトリスはニッコリと笑った。それからティファニアへと向き直る。

「ミス・ウエストウッド。貴女が羨ましいわ。御抱えの騎士隊まで御持ちに成られて。そんな貴女の奉仕者に免じて、1度だけチャンスを上げる。直ぐここを出て、貴女の田舎に御帰りなさいな。そうしたら、今までの無礼を全部忘れて上げる」

 しばしの静寂が訪れ、流れる。

 その場の全員が……集まった生徒達や、“水精霊騎士隊”の面々全てが、ティファニアへと注目した。

 一部を除いた皆が、こう望んでいたにちがいない。

 首肯いてくれ、と。

 だが、ティファニアが首肯くことはなかった。

 ティファニアは昂然と顔を上げると、ベアトリスに言い放った。

「嫌。絶対に嫌」

「……な!?」

「私、外の世界を見てみたいって、ずっと願ってた。そこにいるサイト達が、私のそんな夢を叶えてくれたの。だから帰らない。貴女みたいな卑怯者に、帰れと言われて帰ったら、サイト達に合わせる顔がないわ」

 ティファニアのその言葉で、周りに集まった生徒達から歓声が沸いた。

 確かにその長い耳や“エルフ”の血が流れているとうことに驚き、恐怖を覚えはしたが……ティファニアのことをどうにも邪悪と恐れられた“砂漠の妖精(エルフ)”には見えなかったためである。

 それに加え、先程のティファニアの向上は、とても真っ直ぐなモノであった。それが心を打ったのである。

 その上、家柄を笠に着て威張る1年生に、反感を覚えていた生徒達は少なくなかったためである。

「離してやれよ!」

「そうよ! オスマン氏から、きちんと事情を窺ってからにしたら!?」

 浴びせられるそんな言葉に、ベアトリスの顔が引く攣いた。

「“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”! 御望み通り、審問差し上げて!」

 “空中装甲騎士団”達がティファニアへと近付き、手を伸ばした。

 その瞬間、才人はマリコルヌの手を振り解き、ティファニアへと駆け寄った。

 “空中装甲騎士団”の騎士達が、サッとベアトリスの前に出て“杖”を才人へと突き付ける。

 再び生徒達から歓声が沸いた。

「サイト様よ! きっとあんな下品な騎士団やっつけちゃうわ! 何せサイト様は、110,000の軍勢を止められた“英雄”なのよ」

 そう。才人は“アルビオン戦役”での撤退戦の折、110,000の軍勢を止めた男の1人である。

 それだけではない。

 噂で伝え聞く、功績の数々……“平民”ながらもギーシュを倒した手並みは、全員が覚えており、(きっと1人で、あの恐ろしい“空中装甲騎士団”を遣っ付けてしまうに違いない!)と想わせた。

 此の場に居る殆どの者達が、鬼神の様子に暴れまくる才人を期待した。

 だが……才人の行動は違った。

 両手を突いて、地面に頭を擦り付けた。

 土下座である。

「ええと、その、クルデンホルフ姫殿下。御願いだ。テファを連れて来たのは俺だ。総ては俺の責任だ。だから、赦してやってくれ」

 才人のその行為は、傍から見ると見っともないモノであるといえるだろう。

 だが、ことここ、このような状況においては、剣を振るうよりも、よっぽど覚悟がいるモノである。

「あら貴男。此の私に逆らおうというの?」

「あは! そんな、逆らう積りなんかないよ! あくまでお願い申し上げてんだ。ほら、この通り!」

 才人は愛想笑いを浮かべ、再び深々と頭を下げた。

「これほど頼んでも駄目?」

「駄目」

「ここまで頭を下げても?」

「しつこくてよ」

 才人は、はぁあああああああ……と切なげな溜息を漏らした。それから、(初めから暴れた方が良かったかな)と後悔しながら、才人は背中のデルフリンガーへと手を伸ばした。

「相棒……遅いよ……」

 それは、全くの無謀であるといえるだろう。

 “杖”を構えて居た騎士達は、反射的に“魔法”を撃っ離した。

 才人の両手は、氷の矢で地面に縫い付けられてしまう。

「ぐッ……」

「おいおい、剣で我々をどうにかしようと考えたのか? 愚か者め!」

 周りに集まった生徒達の間から、はぁ~~~、とガッカリとした溜息が漏れた。

 そんな溜息を聞きながら、才人は(しょうがねえじゃねえか……だって、暴れたら……異端になっちまうんだろ? そうなったら、ギーシュや“水精霊騎士隊”の皆に迷惑が掛かる。ルイズには、真っ先に責が及ぶだろうし)と切なさて一杯になった。

 だからこそ、才人は先ず頭を下げたのであった。恥を承知で、自身のプライドや立場などをかなぐり捨てて。

 しかし、“サーヴァント”として頑丈な身体を持っているが、それでも常人より頑丈だという範疇でしかないために、才人は腕に強い痛みを感じた。それから、(一先ず立ち上がって、何とかデルフ握って、テファを攫ってから色々と考えよう。成功する確率はさて何十分の1かなぁ?)と想いながら、腕に力を込めた。

 その瞬間……。

 ゴロン、バシャン、と大釜が地面に転がる音が鳴った。

 音がした方へと才人が向くと……青銅の“ゴーレム”で在る“戦乙女(ワルキューレ)”達が、大釜を引っ繰り返した所であった。

 煮え滾った御湯で火が鎮火され、シュウシュウと派手な音を立てている。

 唖然として、才人はギーシュの方に視線を向けた。

 そこには緊張し切った様子のギーシュが、“杖”である造花の薔薇を握り締め、プルプルと震えていた。

「ギーシュ!」

 生徒達が、一斉に叫んだ。

「ミスタ・グラモン? どういう御積り? このクルデンホルフ大公家に、逆らう気かしら?」

「いやその」

「いやその?」

「この手が……勝手に動きまして。てへっ」

 ギーシュは、ペシペシと自分の手を叩いた。

「おふざけにならないで」

「いやその」

「ハッキリ仰いなさいな」

 ギーシュは、はぁあああああああ! と心底大きな溜息を吐いた。それからブツブツブツと呟き始める。

「参ったなぁ……異端審問だっていうのに……嗚呼、参ったなぁ、相手はクルデンホルフ大公家だっていうのに……駄目なんだよ……こんなに観客がいると、僕は駄目なんだよ。格好付けないと気が済まないんだよ。僕は馬鹿だ。大馬鹿だ」

「ミスタ・グラモン?」

 名前を呼ばれて、とうとうギーシュは覚悟を決めたらしい。

 ギーシュはササッと襟を直し、背筋を伸ばした。すると気の抜けた顔に、目が覚めるかの様に精気が漲って行く。

 何のかんの言っても、ギーシュはこの世界の“貴族”であった。命の遣り取りが日常茶飯事事である世界で生まれ育って来た、武家の末裔であるのだから。

「婦女子や友を見捨てては騎士の恥。かと言って異端審問で果てるは武門の名折れ。となれば“杖”で、白黒付けねばなりますまい」

 ギーシュは臆したところを見せることなく、薔薇の造花を、“ハルケギニア” 最強の1つと名高い“空中装甲騎士団に突き付けた。

「グラモン伯爵家4男ギーシュ。謹んで御相手仕る」

 そんなギーシュの姿を見て、隣にいたマリコルヌが叫ぶ。

「“水精霊騎士隊”! “杖”を取れぇええええええええッ! 隊長に続けッ!」

 一斉に、“水精霊騎士隊”の面々は“杖”を引き抜いた。流石はいずれもそれなりに腕に覚えのある生徒達ばかりである。いざとなれば、誰も怯えた表情など浮かべない。

 ベアトリスは、怒りと悔しさなどが頂点に近付いたのだろう、ワナワナと震える。

「――御待ちなさいッ!」

 だが、そこで……いよいよ盛り上がろうかというその時に、少女の良く通る声が響いた。

 その声を受けて、観客と化した生徒達は道を開けるように割れる。ベアトリスとティファニア、“杖”を構えた騎士達は声のする方へと顔を向けた。

「ベアトリス姫殿下。御考え直し頂けないでしょうか?」

「シオン女王陛下」

「ティファニア……彼女は、私の国の者です。貴女の行為は、越権行為に近い」

「ですが、シオン陛下。彼女は、“エルフ”ですわよ」

「ええ、存じています。“ハーフ”である事も」

 そのシオンの言葉に、ティファニアは顔を伏せ、俯く。

 かつて、“アルビオン”王の命令で行われたことにより、両親が殺されたことなどを想い出したのだろう。

 シオンは、そんなティファニアへと微笑み掛ける。

 祖父とは逆の行動を取ることを、シオンは心に従い、決めたのである。

「ならば!」

 ベアトリスは声を荒げる。

「彼女が、心優しい少女であるということも存じております。そこにおられる“トリステイン”の“英雄”であるサイト殿が、我が国での“戦役”時に負われた傷で意識不明になられた際……ティファニアが、彼の命を救ってくださいました」

 そんなベアトリスとは対象的に、シオンは静かに口を開く。

「私の祖父の行いを……それによって両親の命を奪われたというのに……赦してくださいました」

「彼女は、“悪魔”よ。“先住魔法”、悪魔の力を使うわ」

「力とは、ただ力であるだけです。それを使う者によって如何様にも変わります。例えが可怪しいかもしれませんが、包丁でも、料理に使うこともできれば、ヒトを殺めることもできます。彼女が“エルフ”であろうと“ハーフエルフ”であろうとも、我々と何ら変わりません。私は、種族よりも、人格を尊重したいと想っています」

「そう……彼女を庇うというのであれば、貴女も同罪として審問対象となりますが、よろしいかしら?」

「構いません。それに、貴女には」

「“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”前へ!」

 ついに限界を迎えただろう、ベアトリスは大声で命令を下した。

 ガシャン! と大きな音を立てて、騎士団が一歩前に出る。

「“マスター”であるシオンに手を出すというのであれば、俺も黙っている訳にはいかないな」

 “霊体化”を解き、俺は騎士団長始め“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”の面々へと告げる。

「セイヴァー様よ! これで“アルビオン戦役の二大英雄”が揃ったわ!」

 生徒達から歓声が沸く。

 1番大柄な騎士が更に前へと進み出て、ギーシュ達“水精霊騎士隊”やシオンと俺へと“杖”を突き付ける。どうやら彼が騎士団長らしい。面頬の間から覗く、横に伸びた厳しいカイゼル髭を揺らして、ゴツい口を開く。

「学生の騎士ごっこが、怪我で済むとは想うなよ」

「そうか。では、俺からも1つ貴様達に忠言をくれてやろう。上に立つ者の間違いを指摘するのもまた、部下の役目だ。騎士であれば尚更、な」

 俺の言葉を聞いて、騎士団長の頬が引き攣る。

 ギーシュは笑みを浮かべた。いつもの様なナヨッとした軟派な笑みなどではない。ここにやって来たばかりの才人を容赦なく痛め付けた時の、凶悪な匂いを漂わせる冷酷な笑みである。

 そんな笑みを浮かべてギーシュは、“空中装甲騎士団(ルフト・パンツァーリッター)”の騎士団長へと言葉を返した。

「御気遣い痛み入る。さて、僕の“戦乙女(ワルキューレ)”に、どこを突いて欲しいのか言い給え」

 面頬から覗く騎士団長の顔が更に赤くなる。

「“―――さあ、圧制者よ。傲慢が潰え、強者の驕りが蹴散らされる刻が来たぞ!”」

 俺がそう言うのと同時に、騎士団長は“杖”を構える。

 騎士団長が“呪文”を唱えると、氷の矢が何本もギーシュへと目掛けて飛んだ。しかし、“青銅の戦乙女”が短槍を交差させ、ギーシュの身体を守る。

 ガキンッ! と音がして、短槍に矢が跳ね返される。

 素早くマリコルヌが“呪文”を唱え、“風魔法”を撃っ放した。

 怒りで我を忘れてしまっていた騎士団長は、マリコルヌの“エア・ハンマー”を避け切ることができず、マトモに真正面から喰らってしまい、吹き飛ばされた。地面に打つかった際の甲冑の重みで、腕があらぬ方に捻曲がってしまう。

 騎士団長は悲鳴を上げた。

 “空中装甲騎士団”から怒号が巻き起こり、次いで次々“ルーン”を唱える声が、合唱のように響き渡った。

 負けじと“水精霊騎士隊”も“呪文”を唱え、“魔法”を放つ。

 敵味方観客入り乱れての、派手な“魔法”の撃ち合いが始まったのである。

 

 

 

 普通であれば、あっと言う間に“水精霊騎士隊”は、“空中装甲騎士団”に圧倒されてしまっていたであろう。それほどに両者の実力には差は開いているのである。何せ向こうは“ハルケギニア”最強の1つに数えられた“竜騎士団”である。それに引き換え此方は、向こうの騎士団長が言う通り、学生の騎士ごっこに毛が生えた程度に過ぎないのだ。

 しかし……“竜騎士”は“竜”に乗ってこそ、その実力を発揮する。重い甲冑は、“竜”に跨っていればこそ、鎧としての機能を十分に全うするのである。地面の上では、ただの重石に過ぎ無い。学生相手と無手の相手に“竜”など使えるか、といった妙なプライドに“空中装甲騎士団”は拘り、 不慣れな地上戦を行う選択をしてしまったのである。結果、当然のことながら、その実力を半分も出すことはできなかった。

 それに引き換え、“水精霊騎士隊”は戦意旺盛であった。いつも訓練を行っている草原が戦場だったということもまた、プラスに働いている。其れ程に地の利というモノは大きいのであるのだから。

 しかし、1番大きかったのは……。

「ギーシュ様! 頑張って!」

「マリコルヌ様! 右! 右ですわ!」

 歓声を送る存在であるといえるだろう。

 自分のガールフレンドが見ている、片思いの相手が見ている、などといった状況は男の実力を基本数倍にさせる力を持つのだから。

 双方の事情を照らし合わせた結果……一部を除き、互角の戦いが繰り広げられることになった。

 頭から血をダラダラと流したマリコルヌが、それでも笑みを浮かべながら風の刃を乱射する。

 重い甲冑の隙間から刃は飛び込み入り込み、騎士の足を切り裂く。

 いつも冷静なレイナールが、獣のような咆哮を上げながら炎を振り回す。

 熱せられた甲冑に耐え切ることができず、騎士は地面をのた打ち回る。

 ギーシュの“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”達は、“ガンダールヴ”もかくや、と唸らせるほどのスピードで軽快に動き回り、重たい甲冑を着込んだ騎士を次々突き捲くる。

 勿論、“水精霊騎士隊”も無傷とはいえない。いずれの隊員も、どこかに怪我を負わされ、傷と血だらけになっていた。

 敵も味方も、1人、また1人と動けなくなり、地面に倒れて行く。

 直ぐ様周りで見ていた生徒が取り付き、“水魔法”で敵味方関係なく介抱をする。

 戦場の神にでも魅入られたかのように、“水精霊騎士隊”と“空中装甲騎士団”は果てのない激戦を繰り広げた。何方の陣営も、倒れようが動けなくなろうが、“水魔法”で治されると、再び戦場へと飛び込んで行くものだから始末が悪い。

 だが、それも仕方がないといえることであった。御互い、譲ることができないプライドが賭かっているのだから。

 “学園”の粗生徒全員を観客に従えた、“水精霊騎士隊”。

 主君であるベアトリスが後ろに控えた、“空中装甲騎士団”。

 才人は、丸っ切り毒気を抜かれた様子で、いつ終わるのか見当もつかない戦いを、ボンヤリと眺めていた。両手を怪我しているために、武器を握ることもできず、戦いに参加できないのである。

 すっかり才人は忘れ去られ、誰も“水魔法”を掛けなかった。いや、シオンは治療のために才人の元へと向かおうとしているのだが、如何せん、盛り上がりが酷いために遮られ、まともに近付くことができないでいる。

 縦しんば手が何ともなくとも、これほどまでの戦いの中に、才人は飛び込むことはできなかったであろう。

 それほどに、周りは狂気や熱気に包まれ、溢れているのである。

 目を開けていることが難しいほどに、様々な“魔法”が才人の頭の上を飛び交い、命中した不幸な“貴族”の悲鳴が響く。悲鳴は怒号へと変わり、誰かの悲鳴が生み出される。

 “呪文”を唱える“ルーン”の他に、「あっちだ!」、「いやこっちだ!」。「よくもやりやがったな!」、「馬鹿味方だ!」、「後ろからとは卑怯だぞ!」、「煩い御前はさっき横から」、などと云った叫び声まで聞こ得て来る。端的にいってしまえば、滅茶苦茶な状況である。

 そのうちに、殴り合いが彼方此方で始まった。

 鬼人の様な形相をしたマリコルヌが、1人の騎士の頭に噛み付いているのを見て、才人は切ない気持ちになった。

 1人の騎士が、ボンヤリと見ている才人に気付き、“魔法”を使う事もせずに飛び掛かる。どうやら“精神力”が底を突いたらしい。

 才人は深呼吸をすると、怪我した手を気合で握り締める。それから、かなり疲れた気分で、狂気が支配する戦場へと素手で飛び込んで行った。

「やれやれ……これではただの乱闘だな」

「そう、だね……」

 飛んで来る“魔法”による攻撃を往なしながら呟く俺の言葉に、シオンは前へと進もうとしながら苦笑を浮かべ同意する。

 今俺がするべきことは、シオンの守護、事の中心にいるティファニアやベアトリスの安全確保、生徒達や騎士達が命を落とすことがないように気を配ることくらいである。

 戦いは、いつまでもといえるくらいに続いた。

 騒ぎを聞き付けた教師達が直ぐに集まって来たのだが、何せ大乱戦であるために簡単には手が付けることができないでいる様子だ。オスマンに注進に行った教師も勿論いはしたが、「放っとけ」と釣れない答えが返されるばかりであった。

 

 

 

 その頃。

 シエスタがルイズの部屋を掃除していると、外から激しい音が聞こ得て来た。

「まあ……何かしら?」

 シエスタは、窓に近寄り外を見た。

 しかし……塔と“学院”の城壁が死角になっており、音のする方向が良く見えない。

 激しい音はいつまでも続くかに思えた。

 どうやら、“魔法”が炸裂している音であるということに、シエスタは気付いた。炎が荒れ狂う音や、氷の槍が硬いモノに打ち当たっては爆ぜる音、巨大な土の塊が潰れる音、様々な音が届いて来る。それに続き、悲鳴や怒号まで聞こ得て来る。

「嫌だわ。また戦争が始まったのかしら?」

 その時……ベッドがのそりと動いた。

 見ると、ネグリジェ姿のルイズが、泣き腫らして真っ赤になった目で、ボンヤリと立ち上がったのである。髪の毛はグシャグシャで、頬には涙の筋がこびり付いている。酷い顔であった。

「あら、ミス・ヴァリエール。御目覚めになったんですか?」

 ルイズは返事をせずに、激しい音が響いて来る窓の方をチラッと眺めた、そして、忌々しそうな声で、呟いた。

「煩いな……人が折角切なさと悲しみに浸っているというのに……」

「ねえ、何だか凄い音がしますわね。戦争でも起こったのかしら……嫌だわ。って、ミス? ミス・ヴァリエール?」

 ルイズはネグリジェ姿のまま、フラリと部屋を出て行った。その手に、しっかりと“杖”が握られている。

 シエスタは追い掛けようとしたのだが、その背中から立ち昇るドス黒いオーラに怯えて後退った。

「はう、何だか今のミス・ヴァリエールは、“竜”より怖いですわ」

 

 

 

 はぁはぁはぁ、と才人は荒らい息を吐いた。散々使い捲くった拳は赤く腫れ、原型を留めていない。

 隣では金髪を血で真っ赤に染めたギーシュが、薔薇の造花を構えている。その造花を振り、弱々しくギーシュは呟いた。

「ワ、“ワルキューレ”」

 しかし……其の花弁は散ってしまい、造花は丸裸になっていた。

「打ち止めだ」

 ギーシュは溜息混りに言った。

 相手から奪った面頬を冠ったマリコルヌが、肩で息をしながら隊長と副隊長に告げた。

「こちらの残りの手勢は、たった6人だよ。いや、セイヴァーを含めると7人か……」

 眼鏡を割られてしまったレイナールの隣に、2人ばかり立っている。

 他の隊員は地面に打っ倒れ……完全に伸びていた。

 もう“水魔法”に依る治療と回復も打ち止めである。

 それに対して、“空中装甲騎士団”の方は10人ほどが立っている。彼等はとっくに甲冑など脱ぎ捨てていた。彼等も散々な体であった。髪の毛に、顔に血がこびり付き、折れた腕をブラブラさせている者まで居る始末である。

 余裕なのは、俺だけである。

 周りでは、生徒全員が固唾を呑んで見守っている。

 観客を味方に着けたとはいえ、“水精霊騎士隊”は格上の騎士団を相手にして相当善戦したといって良いだろう。

「セイヴァーは例外として……向こうも、こっちもそろそろ限界だな」

 ギーシュが言った。

「ああ。後1度突撃を受け切ったら……終わりかな」

 マリコルヌが答える。

 彼等にとって既に見えている結末ではあるが、“水精霊騎士隊”の生き残りは向こうの突撃を受け切ることはできないであろう。戦いが長引くと、やはり経験と実力が先ず物をいうのである。生き残りの数の差に、その現実は如実に表れているといえるだろうか。

 才人は、ボロボロになった仲間達を、熱っぽい目で見詰めた。皆、身体の彼方此方が悲鳴を上げているというのにも関わらず、どこか晴れ晴れとした気分である。それどころか、愉しくて堪らないといった様子である。

「はぁはぁ、こんな時に言うのもなんだけどよ」

「何だね?」

「俺、楽しくて仕方がねえ」

 するとギーシュは、ニッコリと笑った。

 マリコルヌも、レイナールも、残りの少年達も笑みを浮かべた。

「来るぞ」

 “空中装甲騎士団”は、隊長の号令の元に整列すると、一斉に突撃を開始した。

 ギーシュが“杖”を構えると、大声で命令した。

「諸君! 前進だ!」

 残りの体力を振り絞り、ヨタヨタと才人達は駆け出した。

 その瞬間……。

 2つの騎士団の間に、小さな光の球が生まれた。

「な?」

 見る間にそれは巨大に膨れ上がり……爆発した。

「ぎゃああああああああああああ!」

「ひぎぃいいいいいいいいいいッ!」

 白い閃光は、2つの集団を吹き飛ばし、徐々に収束して行った。

 プスプスと、地面が擽る中……生徒達の集団を掻き分けて、桃髪の少女がユラリ、と現れた。

 ただの少女かと思えば、彼女から放たれ纏っているオーラは平凡な少女のそれとは大きく違う。

 歴戦の“空中装甲騎士団”も、持てる以上の勇気を発揮していた“水精霊騎士隊”も、地面に倒れたまま、ユックリと歩いて来る少女を呆然と見詰めた。

 この2つの騎士団の争いに、水を差すことができるのは、先ず“竜”などくらいであろう。いや、“竜”でさえもそれを避けるだろうほどであった。

 それが1人の少女によって、唐突に試合終了を告げられようとしていた。

 “空中装甲騎士団”の1人がヨロヨロと立ち上がり、「……き、貴様はなんだ!?」と怒鳴った。

 まるっきりの藪蛇であった。藪を突いて、蛇どころではなく、“竜”が出て来てしまったのである。

 桃髪の少女は、“杖”を振ると、その騎士の眼の前に爆発を起こし、難無く吹っ飛ばしてみせた。

「……るさいのよ」

 才人を含む、“水精霊騎士隊”の隊員達は叫んだ。

「ルイズ!」

「あんた達、煩いのよ。理解ってる? こっちは寝不足なのよ。やっとのことで寝付けるかしら、と思ってたのにぼんばかぼんばかぼんばかぼんばか……」

 ルイズは自分の言葉に、段々と苛々として来たらしい。

「ぼぼぼぼ、ぼんばかぼんばかって。ははは、花火なら、よよよよ、他所でやりなさいよね。ねねねねね、眠れないじゃないの」

 ルイズはギリッと唇の橋を噛み締めると、プルプルワナワナビクビクと震え始めた。身体中が痙攣でもするほどに、怒りは頂点に達してしまっている様子である。

 周りの空気が、ルイズの怒りのオーラで揺らいで見えるほどである。

 生徒達が怯えた。

 “空中装甲騎士団”も怯えた。

 周りに居た“風竜王”も怯えた。

 唯一の例外といえば、シオンと俺くらいのものである。

 ルイズは怒っていた。

「眠れないじゃないのー!」

 ルイズは怒鳴った後、ブツブツ呟いて“呪文”を完成させた。

 “水精霊騎士隊”、“空中装甲騎士団”共に這い蹲ってその場から逃げ出そうとしたのだが、間に合うはずもなかった。

 振り下ろされた“杖”の先から、再び眩い閃光が生まれ……巨大な爆発音が、観客達の耳を劈いた。

 

 

 

 爆発と煙が収まった後……観客の生徒達が目にしたモノは、ルイズの“エクスプロージョン(爆発)”で、更地になってしまった草原と、完全に意識を失い打っ倒れている其々の騎士達の姿であった。

 生徒達は、爆発の真ん中で未だ寝惚けた様子で立ち尽くすルイズを、呆然と見詰めていた。

「ルイズの爆発、凄くなったなぁ……」

「ある意味ありゃ、兵器だな」

 と“虚無”の復活を知らない生徒達は、口々に感想を漏らす。まさかこんな身近に、伝説が転がっているなどとは夢にも思いもしないだろう。

 爆発の半径から離れた所で様子を窺っていたベアトリスは、プルプルと震えながら、ネグリジェ姿で立ち尽くすルイズへと近付き、それでも精一杯に去勢を張りながら怒鳴り付けた。

「あ、貴女! どういう御積り!?」

「はぁ? あんた誰?」

 ルイズは、“杖”で肩を叩きながら、気怠げな声で尋ねた。

 良くぞ訊いてくれました、と言わんばかりの態度で、ベアトリスは答える。

「ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフですわ!  “クルデンホルフ大公国”は“トリステイン王家”とも縁深き、列記とした独立国! アンリエッタ女王陛下にこの無礼はキッチリ報告しますからね!」

「クルデンホルフ? “ゲルマニア”生まれの成金が何寝言言ってるのよ。女王陛下に何を注進するですって? 笑わせないで、言っとくけど、私今、物凄く機嫌が悪いの。ゴチャゴチャ言うと、そのチンケな家ごと潰すわよ」

 ルイズがそう言うと、ベアトリスは顔を真っ赤にした。

「な、な、成金と言ったわねぇ~~~」

「何かと言うと家の名前を持ち出すなんて、まんま成金じゃないの」

「貴女の名前を窺ってなかったわ! 名乗りなさいな!」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 ベアトリスの目が真ん丸に見開かれた。

「ラ・ヴァリエール? 公爵家の?」

「他のどのヴァリエールがあるって言うのよ」

 ベアトリスはグギギギギギ、と唇を噛んだ。家を出る時に父親から言われた言葉を、ベアトリスは想い出したのである。彼女の家系にとって、“トリステイン”では逆らってはならない相手は3つ存在していた。

 1つは勿論のことだが、“トリステイン王家”。

 もう1つは、宰相マザリーニ。

 そして最後に……“トリステイン”でも随一の歴史と格式を誇る、ラ・ヴァリエール公爵家。

 この3つ以外であれば、喧嘩を売っても良い、とベアトリスの父は告げたのであった。

 しかし、ベアトリスは頭に血が昇ってしまっていた。

 ベアトリスは、(な、何がラ・ヴァリエールよ。こっちは大公家よ。歴史と格式は兎も角、財産と宮廷の席次ではそうそう負けないわ。それに……こっちには切り札があるもの)と考え、腕を組み、更に虚勢を張った。

「ラ・ヴァリエール先輩。今、私が何をしているのか御存知? 異端審問よ。異端審問。今まさに、審問の真っ最中。それに水を御差しになるということは、先輩も異端の一味と解釈してよろしいのかしら? あの名門公爵家の御嬢さんが異端だなんて! とんでもないスキャンダルになるでしょうね!」

 しかしルイズは全く動じる様子がない。

「異端審問? 司教の免状は?」

 ベアトリスの顔が青くなった。

 そのようなモノ、ベアトリスは当然持ってはいないのである。“クルデンホルフ大公国”の司教の資格、というのは先程ティファニアの耳を見た時に思い付いた、真っ赤な嘘だったのであるのだから。(“トリステイン”の“貴族”なら、事情は知るまい)、と想っていたためである。

 が、ルイズは真面目に勉強をしていたことや持ち前の鋭さもあって、ベアトリスの虚言に対し無自覚に指摘してみせたのであった。

「ええと、その、実家にあるのよ!」

 ルイズの目が、細くなった。

「貴女、司教って嘘ね」

「え? 嘘じゃなくってよ! 何を仰るかと想えば……はん!」

「異端審問には、司教の免状だけでなく、“ロマリア宗教庁”の査問認可状が必要なはずよ。それも知らないなんて、どういうこと?」

 ルイズがそう言うなり、周りの生徒達の目付きが変わった。異端審問、という響きで頭の中が真っ白になっていはしたが……その妙な点に気付いた様子を見せる。

 ベアトリスの言葉には怪しい部分が多過ぎるのであった。

「おい! ベアトリス! “始祖ブリミル”の名を使って気に入らない女の子を苛めるなんて、それが“貴族”のやり方か!?」

「“トリステイン”で司教を騙れば、火刑だぞ!」

 生徒達は、次々とベアトリスへと躙り寄った。いずれも、元々プライドの高い“トリステイン貴族”である。騎士団まで連れて来て威張り散らしていたベアトリスをこぞってと非難できるために、我先にと詰め寄ったのである。

 ベアトリスは震えながら、膝を突いた。

 頼みの綱である“空中装甲騎士団”は、いずれも伸びてしまっている。

 彼女にとって、之は所謂絶体絶命と云える状況で在った。

 このままでは吊るされても可怪しくはないであろう空気に包まれた時……とととととととと、と金髪の妖精がベアトリスへと駆け寄った。

 ティファニアである。

 1人の生徒が、そんなティファニアへと声を掛ける。

「ミス・ウエストウッド。貴女には彼女を裁く権利がある。貴女に流れる血の釈明より先に」

 ティファニアはベアトリスの前に進み出た。

 ひう、と呻いて、ベアトリスは腰を抜かしたまま、後退った。その背が、生徒達の壁に打つかる。

 唇を噛んで、ティファニアはベアトリスを見下ろした。それから、意を決した様に、顔を上げた。

 ベアトリスの顔から更に血の気が引いて行く。覚悟を決めたように、ベアトリスは目を瞑った。

 その場の全員が、ティファニアの言葉に注目した。

 これだけの侮辱を受けたのである。普通であれば殺されてもベアトリスは文句を言うことはできないだろう……そのはずであった。

 がしかし、ティファニアの言葉は、この場の殆どの者達の予想を裏切った。

 何とティファニアは、膝を突いてベアトリスの手を取ると、「お、御友達になりましょう」と言ったのである。

 その場にいたシオンを除外いた生徒全員が、余りの言葉にすっ転んだ。予想外で、拍子抜けをしたのである。

「ミス・ウエストウッド? 貴女には、彼女を裁く権利が有るんですよ?」

 生徒の1人が呆れた様子で、ティファニアに言った。頭が可怪しくなったと思ったのである。

 しかし、ティファニアは首を横に振った。

「ここは“学院”でしょう? 学び舎で裁くの裁かないの、なんて可怪しいわ」

「でも……でもですね! どう考えてもですね!」

「それに私……ここに御友達を作りに来たの。敵を作りに来たんじゃないわ」

 ティファニアは、何か覚悟を決めた顔で言った。

 その言葉に、誰も何も言えなくなってしまった。

 その沈黙を破ったのは……ベアトリスの泣き声であった。

「ひ……ひう。ひっぐ」

 恐怖の緊張の糸が切れ、安心した瞬間……涙がドッと零れて来たらしい。崖っ淵から落ちそうになり、間一髪救かった幼子のように、ベアトリスは泣いた。

「う、うう、うえ~~~ん」

 無防備な泣き声だけが、更地になってしまった草原に響く。

 その泣き声に当てられて、生徒達は頭を掻いた。所詮子供の我儘で、これ以上糾弾する気も失せてしまったのである。

「終わったのか?」

 生徒達の壁を掻き分けて、学院長のオスマンが現れた。オスマンは白い髭を擦ると、ニッコリと笑った。それから粗学院全員の前で、ティファニアの肩に手を置き、こう告げた。

「あー、先程彼女は命を賭けて、ここで学びたいと言った。その言葉から学ぶところは大きい。良いか諸君、元々学問というのは命賭けじゃ。己の信じるところを貫き通すためには、時に世界を敵に回さねばならぬ時もある……忘れるでないぞ」

 生徒達は、今頃出て来て何を言っているんだ、といった顔付きになっているが……言っていることじたいは尤もなので、取り敢えず首肯いた。

 オスマンは満足げに首肯くと、言葉を続けた。

「しかし、いつも命賭けでは息が詰まる。喧嘩も息抜きの1つかもしれんが、人死が出てからでは遅い、それに何より面倒じゃ。こんな騒ぎはもうこれ切りにして欲しい。良いか、彼女の後見人は儂じゃ。その上ティファニア嬢は、“トリステイン”と“アルビオン”両女王陛下からよしなに頼まれた 客人でもある。今後彼女に侮辱的な……その血筋について何か講釈を垂れたい生徒がいたら、両“王政府”を敵に回す覚悟で述べなさい。良いかね?」

 生徒達は、(両女王陛下からよしなに頼まれたって?)と一斉に緊張し切った顔付きになった。

 詰まるところ、この“エルフ”の血が混じった編入生は……両女王陛下縁の人物であるということである。

 先程のシオンの言動もあって、そう言われてみると現金なモノで、混じった“エルフ”の血も特別な……恐れるというよりも、唯一無二の美徳にさえ生徒達に感じさせた。

 その上、当然だが、殆どの生徒が、“エルフ”の血を引く者を見るのが初めてであった。

 オスマンの言葉で、恐怖より、好奇心が勝り……ついにはその眩い容姿への好意が、仇敵に対する嫌悪感などを打ち消した。

 生徒達はティファニアに近付き、握手を求めた。

「よろしく。“エルフ”って初めて見たけど、綺麗なもんだね」

「私、“オーク鬼”みたいな生き物を想像してたのよ」

「それに、随分と真面目で、真っ直ぐな考え方をするんだね。人間の“貴族”よりも“貴族”らしいや」

 ティファニアは感動した面持ちで、1人1人と律儀に握手を交わした。

 そんな様子を満足げに見詰めると……オスマンは辺りを見回して言った。

「さて、仲直りが済んだら、怪我人を医務室に運んで、ここの後片付けをしなさい。まるで嵐の痕のようじゃ」

 生徒達は首肯くと、打っ倒れて、すっかり忘れ去られた“水精霊騎士隊”と“空中装甲騎士団”の騎士達を運び始めた。

 オスマンはそれを見て首肯くと、傍らのティファニアに顔を向けた。

「助けが遅くなってすまなかったの。ただ、普通に助け船を出しては、中々真の友というのは作り辛いからのう。特に御前さんのような、“エルフ”の血を引く者ではの」

 いえ……と、人見知りするティファニアは顔を伏せた。

 オスマンは、コホンと咳をすると、そこで真顔になった。

「さて……最後に1つ、御前さんに尋ねたいことがある」

 不安げな表情を浮かべ、ティファニアは首を傾げた。

「非常に大事な質問じゃ。学問というのはまこと命賭けじゃのう……儂の全存在を賭けて、質問するぞ。きちんと答えるのじゃ」

「はい」

 真剣な顔で、ティファニアは首肯いた。

 オスマンは、堂々と指を突き付けた。

 巨大な、という形容が陳腐に思えるほどのティファニアの胸に……。

 オスマンの態度などからは、臆したところは微塵も感じられることができない。逆に、威厳さえ感じさせる、落ち着き払った態度でオスマンは質問を発した。

「それは本物かの?」

 ティファニアの顔が、真っ赤に染まる。

 真剣な質問らしいということもあり、仕方無くティファニアは消え入りそうな声で呟いた。

「……はい。そうです」

 オスマンは耳に手を当てると、ティファニアの顔に近付けた。

「もっとハッキリ、この年寄りに聞こ得るように言ってはくれんかの。歳を取ると、はぁ、耳が遠くなっていかん」

 ティファニアは、更に顔を赤くさせた。俯き、唇を噛み締め、「ほ、本物です!」と答える。

「ワ、ワンモアじゃ!」

 オスマンは、軽く頬を染めて、そう呟いた。

 近くにやって来たシュヴェルーズが、そんなオスマンの腹に当身を喰らわせた。

 ぐぼッ! という呻きを上げ、オスマンは白目を剥いた。

 意識を失った老学院長の左右の腕を別の教師が握り、ズルズルと運んで行った。

 ティファニアは、しばらく顔を真っ赤にしたまま俯いていたが……草原に吹く風に誘われるようにして顔を上げた。

 広い草原が……どこまでも続いている。

 振り返ることで、美しい塔が何本もそびえている、“魔法学院”が見える。ティファニアがこれから3年か、学ぶ場所である。

 ティファニアは、自分の耳を触った。母の血が身体に流れていることを証明する、長い耳……。

 どこか晴れ晴れとした気分で、ティファニアは笑みを浮かべた。

 

 

 

 “魔法学院”の医務室は、“水の塔”の3階から6階までのフロアを利用して造られている。

 4階のベッドには“空中装甲騎士団”の面々が横たわり、3階のベッドには“水精霊騎士隊”の生徒達が並べられた。

 才人は、女の子達の声で目を覚ました。

「ギーシュ様! 包帯を御取り替えしましょうか?」

「いやぁ~~~ん! レイナール様は私が御世話するのよ! 御眼鏡を御取りになってくださいな」

 才人が、はぁ? と思ってカーテンをズラして見ると、隣のベッドでは、ギーシュやレイナールといった“水精霊騎士隊”の連中が、なにやらモテモテといった様子である。

 栗色の髪のケティが現れて、そんな女の子達に文句を付けた。

「貴女達は、あそこの副隊長さんの御世話をしてあげて!」

 才人はドキッとした。

 しかし、次に飛び出た言葉は。才人を甚く失望させるモノであった。

「えええ~~~、だってサイト様、何だか情けないんだもの。幻滅しちゃったわ」

「そうそう。いきなり頭を御下げになられた時は、ガッカリしてしまいましたわ。きっと110,000を御止めになられたのも、何かの間違い。セイヴァー様が頑張ったおかげかも」

「そうよね。良く見ると弱っちいし……」

 どうやら、才人の人気は、真っ先に頭を下げた所為で、地に落ちてしまったらしい。

 反対に、堂々と喧嘩を売ったギーシュ達の人気は上がったらしい。

 才人は、(いやはや、何とも理解りやすい連中だなー)と想った。

 反対側の方へと目を向けると、包帯でぐるぐる巻きにされたマリコルヌがいる。

 マリコルヌは、才人に対して親指をグッと立ててみせた。

「友達」

 マリコルヌは嬉しそうに呟く。

 マリコルヌのベッドの周りも、閑古鳥が鳴いていた。

 一緒にされたことで切なさを感じた才人であるが、同時に胸が熱くもなった。

 そんな深い意味はないだろがマリコルヌがポツリと言った「友達」という言葉に、才人は妙な嬉しさを感じたのである。

 才人は、(それに、さっきはこいつ等、俺を救けるためにあの恐ろしい“空中装甲騎士団”に立ち向かってくれたんだ。皆が見てるからっていう理解りやすい理由はあったけど、それだけじゃないんだろ。嗚呼、あの時……ギーシュに“こっちの世界にいたらどうだ?”って言われた時の、妙なドキドキはこれだったんだな)と気付いた。

 それから才人は、(詰まり……俺には友達ができたんだ。一緒になって笑ったり、馬鹿話したり、そして、命を張ってくれれる友達が……)と想った。

 そんな風に才人がシンミリとしていると、スッとカーテンが引かれて、金髪の妖精が顔を見せた。

「サイト」

「テファ」

「良かた……酷い事にならなくて」

 そう言うと、ホッとした様子で、ティファニアはベッドに腰掛けた。

「有り難う」

 ティファニアみたいな美少女に御礼を言われて、才人は妙に照れ臭くなった。

「いや、礼を言うのは俺にじゃないよ。そこのギーシュや、マリコルヌ、シオン、セイヴァー達に言ってくれ。あいつ等が暴れて呉れなかったら……」

「ううん。勿論それはとても有り難いし、後でちゃんと改めて御礼を述べるわ。でも、先ず、サイトに御礼が言いたかったの」

「どうして?」

「だって、サイト、私のために頭を下げてくれたじゃない。サイトはちっとも悪くないのに……それってとても難しいことだよね。私ね、とっても嬉しかった」

「……あ、当ったり前じゃねえか。友達のためだもの」

 ティファニアは、ニッコリと笑った。春の太陽のような、優しく温かい笑みである。

「でも、テファには驚いたよ」

「私?」

「うん。だって、いきなり自分の正体をバラすんだもの」

 するとティファニアは、はにかんだように言った。

「サイトが言ったんだよ?」

「俺?」

「そう。サイト、“ウエストウッド村”で私に言ったじゃない、“もっと自信を持てよ”って。その言葉をね、想い出したの。そしたら、自分の身体に流れる血のことを、隠しておくのが凄く恥ずかしいことに想えて……」

 そっか、と才人は言った。それから、才人は、その言葉のことを想い出した。

 才人にとって何気ないことであったものの、ティファニアにとってはそうでもなかったのでる。

「でもまだ、自信は持てないけどね」

 ティファニアは、少し恥ずかしそうに呟いた。

「はぁ? 何言ってんだよ?」

 呆れた声で才人が言ったら、ティファニアは声を潜めた。それから、頬を染めて、恥ずかしそうに呟く。

「まだ可怪しいところ、一杯あるもの」

「どこが?」

 ティファニアは、唇を噛んで、自分の胸を指さした。

 “魔法学院”のシャツの生地が、限界まで伸びている。2つの巨大な果実に押され、ボタンが弾け飛びそうになっていた。

 才人は、(嗚呼、本当にティファニアの胸は恐ろしい)といった感想を抱く。それから、これ以上身体から血が失くなっては命に関わると、鼻を押さえた。

 才人が(確かにこんな胸をしてたら、クラスの人気を独り占めしてしまうだろうな……)などと考えていると、ティファニアは悲しそうな声で語り始めた。

「さっき、学院長のオスマン氏にも言われたの。“それは本物かね?”って。私、やっぱり可怪しいわ。だって、この“学院”の誰も、こんな胸してないもの」

 才人は慌てた。

「そ、それは……」

「そんなに、本物っぽくない?」

 悩んだ顔でそのようなことを言われ、才人はブンブンと首を横に振り強く否定した。

「い、いや。本物っぽいよ。と言うか本物です。うん、本物」

「サイトは御友達だから、そんな風に言ってくれるんだわ」

「違うよ。全然違う」

 ティファニアは暫く悩んでいたが……何かを決心したらしい。才人の手をギュッと握った。

「きっと、本物っぽくない理由が在るんだと想うの。だからちょっと、確かめてくれる?」

 意味が理解ができず、才人は、は? と尋ね返した。

「こんなこと、御友達じゃないと頼めない。だからサイト、御願い」

「ど、どういう意味?」

 消え入りそうな声で、ティファニアは呟いた。

「……って、確かめて」

「はい?」

 すぅ、と息を吸いんで、ティファニアは真剣な顔で言った。

「触って、確かめて」

 才人は言葉の意味を理解するのに、時間が掛かった。理解することができた時には、歓喜と混乱と恐怖が一斉に襲い掛かって来て、才人は泣きそうになってしまった。いや、泣いた。涙が溢れて来て、才人はどうにかなってしまいそうになったのである。

「ミス・ティファニア?」

「あのね? だからね、本物っぽくない理由が何かしらあるから、そんな風に訊かれると想うのね。私じゃ判らないから、確かめてって言ってるのよ」

「で、触って良いと」

 こくり、とティファニアは恥ずかしそうに首肯いた。

 友達だから、という理由で此処まで許可するティファニアが、才人は眩しく想えた。

 才人は、心の底から(生きてて良かった。我慢して、努力してれば、神様はこうやって何かしらの御褒美を与えてくれるんだ。捨てる神いれば拾う神がいるんだ)と想った。

 才人の全身が、震えた。武者震いに近い震いであろうか。

「ま、まあ、他の奴が確かめるくらいなら、いっそ俺が。いや、むしろ俺が。というかここは俺じゃないと……」

「わ、私もそう想うの」

 ティファニアは覚悟を決めた様子で、胸を突き出した。

 かつて太腿で味わった、極上の巨大な果実が、才人の眼の前にはあった。

 才人は手を持ち上げ、ユックリと伸ばした。

 シャツに指が触れる。

 才人が(それ以上先には進めない……進んだら死ぬ)と想っていると、ティファニアが動いた。

 ぐにょ。

 才人の掌の下で、果実とでもいえるそれが潰れた。

 柔らかく、張りがあることを、才人は感じ取った。というよりもも緊張や歓喜やらで、掌の感触が鈍っているのだろう才人は10分の1のも感触を味うことができなかった。

 だが、才人にとってはそれで十分であった。もし、十全にその感触を味わてしまっていれば……ショックで才人は命を落としてまっていた可能性だってあるのだから。

「……ど、どお? 可怪しいところある?」

「判らない。というか俺、そろそろ死ぬ」

 才人の予想は的中した。

 正直にそれだけを答えたその瞬間……カーテンが引かれたのである。

 才人がそちらへと目を向けると、ルイズとシエスタが立っていた。

 ルイズは“魔法学院”の制服に着替えており、シエスタは普段通りのメイド姿である。

 2人は、ティファニアの果実を両手で握り締めてい居る才人を目にし、無表情のままに顔を見合わせた。

 ルイズはそれから、医務室付けの教師へと声を掛ける。

「このベッドの患者の移送許可を頂きますわね」

 シエスタが、軽く震えた声でルイズに言った。

「治療に必要な物を仰ってください。ミス・ヴァリエール」

 ルイズは心底気の毒そうな声で答える。

「在り過ぎて……数え切れないわ。取り敢えず、こいつの……」

「命」

 2人は顔を引き攣らせて、同じ単語をハモらせた。

 才人は痛む身体に鞭打ち、最後の気力を振り絞って跳ね起きると、(嗚呼、そう言やここは塔の3階だったなあ)と想いながら、枕元の側に在る硝子窓を突き破った。

 窓硝子の割れる音、医務室にいた者達の連中の悲鳴が重なる。

 才人は、(ここは3階で自分は大怪我負っるけど、あの病室にいるより命の危険は少ないだろうな)と判断したためである。

 急速に近付く地面を見詰めながら……才人は、(もし、骨折で済んだら……明日の太陽が奇跡的に拝めたら。ティファニア、君のそのミラクル()だけは、隠しておくべきだと、ゆったりした服を着るとか工夫すべきだと、そう言ってやろう)と想った。



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水精霊騎士隊、突撃せよ 前編

「“反省文。水精霊騎士隊副隊長、及び女王陛下直属女官ド・ラ・ヴァリエール嬢個人の使い魔で在る、私ことサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、トリステイン魔法学院の医務室において、ティファニア嬢の胸を右手と左手で包み込むように揉み込しました。しかし、それは私個人の要望によるモノではなく、彼女個人の要請。ここ可怪しくない? があったためであり、そこには何ら性的な他意はなかったことをここに誓約いたします。ブリミル暦6,243年、ウル(5)の月、ヘイムダル(第二)の週、イング(6)の曜日。女王陛下のサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ”」

 才人は重々しく、反省文を読み上げた。しかし、見るも無残な格好をしているといえるだろう。いつものパーカーは脱がされており、パンツ1枚になってしまっているのである。首からは木で出来た札が提げられている。そこには、“トリステイン”公用語でこう記載されていた。

 

――“私は大きな胸が好きではありません”。

 

 才人の横には、ニコニコと微笑を浮かべたシエスタが立っている。

 その前には……椅子に座ったルイズが才人に背を向けて、反省文に耳を傾けていた。

 ルイズの背中からは、未だ冷めやらぬ怒りのオーラが立ち昇っていることが判る。

 あれからしばらく経ったというのにも関わらず、ルイズの怒りが収まることはない。それどころか、更に激しくなっていた。小鳥くらいであれば、近付いただけで殺せるだろうほどのドス黒いオーラをルイズは今纏っているのである。

 医務室で、才人が窓から飛び出してから3日が経っている。

 地面に激突しそうになった才人を救ったのは、タバサとその“使い魔”であるシルフィードであった。

 そういったこともあって何とか奇跡的に大怪我を免れることができた才人であったのだが……負傷した身体ではルイズ達から逃げきることは当然できず、更に“魔法”で怪我を負わされてしまい、動くことができなくなったところを捕らえられ、部屋まで連行されたのである。それから3日というもの、暴力と反省強要を繰り返されることになったのであった。

 ルイズの怒りは、今までのレベルを超えていることが傍から見ても判るほどであった。兎に角、覚悟を決めたのにも関わらず放置されてしまい、妙な余裕を才人に噛まされ、御見舞へと行ってみると、才人はティファニアの胸を握るっていたのだから。

 ルイズは、(ここまで虚仮にされては、もうどうにもならないわ。命を奪わなかっただけでも、感謝して欲しいくらいよ)といった心情であった。

「今のサイトさんの反省文、どうですか? ミス・ヴァリエール」

 シエスタが笑顔のまま、ルイズへと尋ねた。

 ルイズは無言であった。

 シエスタは、やれやれといったように首を横に振る。

「没だそうです」

 才人のこめかみが、(一体何回、反省文を書かせれば気が済むんだ?)といった風に、ピクン、と震えた。

 才人は、ルイズが先週繰り返した夜の散歩の理由を知らないのである。どれ位ルイズの心を傷付けてしまっていたのかを理解していないために、この扱いには才人も同様にホトホト怒りが溜まってしまっているのであった。(ったく。そりゃ胸を触ってたけど、それはテファに頼まれたからだって言ってるだろーが! 何でこいつってば、こんなに焼き餅妬きで我儘で、自分勝手なんだ)とジワジワと怒りに震えた。

 それから、(こんな女と結婚でもした日には、一体どうなるんだろうか?)と才人は妄想に浸かった。

 才人は、(きっと……会社から帰って来た時にクンクン匂いを嗅がれる。“香水の匂いがすんだけど?”。“あ、電車の中で付いたのかな。混んでてさ”。“半径2メートル以内に他の女を近寄らせちゃ駄目って言ってるでしょー!”。“無茶言うなよ”。“無茶じゃないでしょ! 近寄って来たら押しのけなさいよ!”……多分常識通じない……と言うか……何でこいつは、“好き”とも言ってくれないのに、独占欲だけは剥き出しにするんだよ)、と妄想しながらルイズの背中を見詰めた。

 それから、(きっとルイズって、まだ子供なんだよな……それに、“間が悪かった”っていうか……ままならないなぁ……)と才人は1つ年下の少女の背中を見ながら想った。

 此方の世界での1年というモノは、12等分された月、そして4週からなる週、8つの曜日からなっている。詰まり、1年は、384日である。

 ルイズは16歳であるのだから、詰まり才人の1個歳下になる。が、1年が365日である世界から来た才人とのズレは19×16で、304日と成るだろう。そのことから、実際には殆ど同じ歳になるのだが。

 兎に角ルイズは、才人とほぼ同い歳である。

 才人は、(それなのに、こいつの子供っぽさは何々だ?)と云った感想を抱いた。そう考えることで、沸々と才人の中でまた怒りが湧いて来た。

 ルイズは、「逃げ出さないように」と才人の服まで没収したのである。更には、首から札まで提げさせているのであった。

 才人は、(なあルイズ。子供っぽいのは胸だけにしとけよな……)と想い、“私は大きな胸が好きではありません”、と大書きされた木の板を割れんばかりに握り締めた。

 それから、(いや、嫌いじゃねえよ……どっちかと言うと好きだよ。ただ、それが全てじゃないけどナ……)と才人は天を見上げはしたが、当然星が見えることはない。あるのは天井だけである。

 才人が(嗚呼星が見たい、こんな時だからこそ星が見たい)と漠然と思っていると、シエスタが小声で話し掛けた。

「あの……サイトさん。ちょっと御訊ねしたいんですけど」

「ん? どうしたの?」

 見ると、何やらシエスタは深刻そうな様子である。

 才人も、そんなシエスタを見て真顔になった。

「ティファニアさんのって、ホントに本物なんですか?」

「うん。本物だと想うよ」

「こんな感じでした?」

 シエスタは、真顔のままの才人の手を握り、自分の胸に押し付けた。

 フニフニ、と張りのあるシエスタの胸が才人の掌を押し戻す。

 普通であれば興奮して鼻血の1つでも噴出してしまうところであるのだが、あまりにもシエスタの様子が平時と変わらないために、才人も連られてまるでタイヤの空気圧を測るかのような何でも無い態度でシエスタの胸部を握り締めた。

「こんな感じ、だったかな? ただ……」

「もっと大きかった、ですか? 良いんですよ。ハッキリ仰ってくださって」

 コクリと、才人は重々しく首肯いた。

 シエスタも首肯く。

「直に触ってみます? 大きさだけが、評価の総てじゃないと想うんです」

 シエスタが言った。

 才人も連られて、うむ、と首肯いた。

「うむ、じゃないわよ」

 ルイズは、傍らの乗馬鞭で、そんなシエスタと才人を散々に叩きまくった。

「痛い、痛い」

「止めろよ! こら!」

 その後、ルイズは引き攣りまくった顔で、才人に命令した。

「反省文はどうしたの?」

 ルイズの声は裏返り、身体中が小さく痙攣している。怒り、という言葉を煮詰めて、身体中に塗たかのような、そんなオーラがルイズから漂っている。

 しかし、才人にも限界は来ていた。(あれだけ助けて、あれだけ好きって言ってるのに。このルイズは、俺の其の気持ちに応えを寄越さないばかりが、不可抗力だと言ってるのに更なる反省を要求してきやがる。この子供め)と想った。

「……いい加減にしろよ」

「はい?」

 ルイズは、ジロッと才人を睨んで言った。

 その迫力に、才人は一瞬で呑まれてしまう。

「いい加減にしてください」

 ルイズは完全に、才人の話を嘘だと想い込んでしまっていた。

「いい加減にするのはそっちでしょ? 頼まれて、触ったなんて、嘘ばっかり! ねぇ? 気持ち好かった? 触って、好かった? さぞかし気持ち好かったんでしょうね!」

 才人のこめかみが、ピクリ、と震えた。

「ああ、気持ち好かったよ! その、誰かさんとは……」

「誰かさんって、誰?」

 才人はその次を正直に口にすると、分子レベルで消滅してしまうかも、と想い、取り敢えずの誤魔化しの言葉を言った。

「ギーシュ」

 当然、今のルイズに通じるということもなく、何を言っても無駄だといえる様子である。

「へぇ、そう。私はギーシュ並と。そう言いたい訳ね」

「そ、そんなこと言ってないだろ!」

「悪かったわね。なくって。ホントに、悪かったわね。と言うか、悪かったわね」

 ルイズは聞く耳を持っていない。

 2人はギリギリと歯を噛み締めて睨み合った。

 しばらく睨み合った後、才人は溜息を吐くと部屋の隅に置かれたパーカーとジーンズとデルフリンガーを握り締めた。

「サイトさん! どこへ!?」

 シエスタが驚いた様子を見せる。

「出る。いつまでもこんな扱いされて、いられるかっつの」

 才人はそのまま部屋を出て行った。

 シエスタが跡を追い掛けようとしたが、ルイズに止められる。

「放っときなさい」

「でも、でもですね……」

 シエスタは、才人が出て行ったドアとルイズとを交互に見詰めて、溜息を吐いた。

 

 

 

 部屋を出た才人は、行く宛がないこともあって途方に暮れていた。

 才人は、(セイヴァーのところは駄目だな。シオンがいる……)と考え、先ずやって来たのはコルベールの研究室であった。

 “火の塔”の隣に建てられている、掘っ立て小屋である。

 灯りが灯いていることに、才人はホッとした。そして、今夜は研究室に泊めさせて貰おう、と考えた。

「コルベールせん……」

 扉を叩こうとした才人の手が止まる。

「ねえジャン。そろそろ寝ましょうよ」

「ミス・ツェルプストー。そろそろ部屋に帰り給え。ここは私の研究室で、君は生徒じゃないか」

「あら? 今更何を仰るの?」

「ちょ、こら、止め給え、おいこら!」

 才人は、コルベールの研究室から離れて行く。色々な意味で、泊める余裕がないということを理解したのだ。

 次に才人がやって来たのは、男子寮がある本塔である。こうなればギーシュの部屋に泊めて貰おう、と考えたのであった。

 ギーシュの部屋の前に着き、才人は扉を叩こうとすると……。

「だからモンモランシー! いつも言ってるじゃないか! 僕は君だけの奉仕者だって!」

「嘘ばっかり。そこの服は何なのかしら?」

「君プレゼントするために“トリスタニア”から取り寄せたんだよ」

「全部サイズが違うじゃないの、一体何人に贈る積りだったのよ!?」

 そして、モンモランシーはギーシュを叩き始めたらしい。ドッタンバッタンと暴れる音が聞こ得て来る。

 才人は、(ギーシュ、御前も大変だな……良いぜ。今夜は呑み明かそうぜ)と想いながら、ドアの陰に隠れるべく、壁際へと身を寄せた。

 しかし、いつまで経ってもモンモランシーが飛び出して来ることはない。

 才人は(何だ何だ?)と扉に耳を寄せると、啜り泣くモンモランシーの声と、宥めるギーシュの声が聞こ得て来た。

「私、心配なの。貴男、今では近衛の隊長じゃない。そんなの、女の子が放っておく訳がないわ」

「馬鹿を言うなよ。僕は君がいれば他に何も要らないんだよ。さあ、僕の香水。その麗しい顔をこっちに見せて御覧」

 皆の前では決して見せることがないモンモランシーのしおらしさに、才人は(何だよ、モンモン可愛いところあるじゃねえか)と絶句した。

 才人は、「桃色の髪した誰かさんとは大違いだぜ……」と呟きながら、トボトボと歩き出した。

 最後にやって来たのは、“水精霊騎士隊”の溜まり場であった。集まる場所がないということもあっていつの間に遣ら溜まり場になっていたが、元はといえば才人の“シュヴァリエ”としての年金を使って建てた“ゼロ戦”格納庫である。

 才人は(そうだよそうだ、最初から此処に泊まれば良かったんだよ)と近寄るのだが、どうにも様子が可怪しいことに気付く。

 灯りが灯いているのである。

 其れから、(こんな夜更けに誰だろう? また酒盛りでもやってやがるのか。成る程それなら俺も参加しよう)とそんな風に少し明るくなった気分で窓から中を覗くと、信じ難い光景が目に飛び込んで来た。

「素敵な詩ですわ。マリコルヌ様」

 黒髪(ブルネット)の髪を小さく纏めた清楚な感じの少女が、マリコルヌの隣に腰掛けて居るのである。紺色のマントから見て、1年生であることが判る。中々に可愛らしい女の子である。

 2人で椅子に腰掛けて、詩でも詠んでいるらしい。

 マリコルヌは、勿体ぶった様子で、一節を口から紡ぎ出す。

「僕の丸い腹も、君との夜を照らす双月の片割れとならん」

 才人は(腹はねえだろ)と思ったが、対する女の子の方はというとウットリとした様子で聞いている。

 どうやら先日の一件で、とうとうマリコルヌにも春が来たらしい。

 才人は、(セイヴァーの予言通りってか……?)と思いながら、中の様子を窺う。

「ねえ、僕の身体をどう想う?」

 才人は、(何だよマリコルヌ。そんなの気にするなよ)とハラハラした。

 女の子は、少しばかり困ったように目を泳がせたが、マリコルヌを気遣ったのだろう笑顔を浮かべる。

「ちょっと御太いですけど……私はそんなの気にいたしませんわ」

 才人は、(嗚呼……良い娘じゃねえか)と泣きそうになった。

 しかし、何だか様子が違った。

 マリコルヌはどうやら気にしていたという訳ではないようである。

「……その、太い、を乱暴な言葉で言うと、何て言うのかな?」

 まるで鉱脈でも見付けた山師の様なワクワクとした口調で、マリコルヌは尋ねた。

「え? お。おデブとか……」

 凄く困った顔で、女の子は答える。

 するとマリコルヌの頬が紅潮した。

「その言葉を繰り返して呉れ給え」

「デ、デブ?」

「も、もっと。もっとだ」

 女の子は泣きそうな顔になったが、どうにか同じ言葉を繰り返した。

「デブ」

「はぁはぁ。好いぞ。今度はもっと強く。罵りの気持ちを忘れずに」

「デブ!」

「ンあぁ」

 才人は、(遣っと掴んだ春だ。邪魔しちゃ悪いよな)、と溜まり場を後にした。

 

 

 

 どこにも居場所がなくなってしまった才人が遣って来たのは、本塔にある“アルヴィーズの食堂”であった。

 才人が開いていた勝手口から入り、食堂へと向かうと、そこには幻想的な光景が広がっていた。

 昼間は壁際の棚に並べられた“アルヴィース(小魔法人形)”が、其処彼処で踊っているのである。窓から射し込む淡い双月の灯りと相まって、何とも夢の中であるかのようであった。

「そう言や夜になると踊るんだっけ」

 ルイズが言っていたことを、才人は想い出した。

 才人は“アルヴィー”が飾られていた店に向かった。住人が踊っている間、ベッドとして利用させて貰おうと考えたのである。

 才人は、よっこらせ、と腰の高さ程の棚に上ると横になった。

 硬いということを除けば、中々に御誂え向きといえなくもないベッドだといえるだろうか。

 丸めたパーカーを枕代わりに頭の下に押し込み、(さて取り敢えず寝るか)と目を瞑った。それから、(しっかし、勢い込んで出て来たけど明日からどうしよう? 取り敢えず、あの部屋には2度と戻るもんか)と想った。

 3日間の暴虐の限りを想い出し、才人は唸った。

 注いだ“愛”情の分だけ、理不尽な扱いに対しての怒りは大きいのである。

 才人は、(泣いて謝たって、もう戻ってやらねえ)と決心した。

 考えれば考えるほどに、才人の怒りは膨らんで行く。

 そんな風に眠れずいると……才人は棚の片隅からカタカタと妙な音がすることに気付いた。

 才人は、(何だ、鼠か?)、と思ってそちらへと目をやる。

 古木瓜た花瓶が倒れ、その下にある何かが動いて、小さな音を立てているのである。

「何だこりゃ」

 花瓶の下敷きになってしまっていたのは、女性の姿を象った“アルヴィース(小魔法人形)”であった。ずっと隅っこに倒れていたためだろうか、埃だらけになってしまっている。

「真っ黒じゃねえか」

 才人は、ポケットからハンカチを取り出すと、その“アルヴィース”を拭いてやった。

「これで良し、と。ほら、御前も仲間と一緒に踊って来い」

 カタタ、カタカタ、と人形は刻みに震えて、才人の周りを回り始めた。

「御礼の積りか? 面白いな」

 女性の姿を象った“アルヴィース”は、礼をするように、身体を傾げると、沢山の“アルヴィース”が踊っている食堂のフロアへと飛び出して行く。それから、舞踏会の輪に紛れ、直ぐに区別が付かなくなった。

 双月の明かりに照らされた無音の舞踏会は、神秘的とも云える輝きを放っている。

 才人はいつだか、ルイズと踊った舞踏会のことを想い出した。

 才人は、(あれから1年も過ぎたってのに……ルイズの性格のキツさだけは変わらないよな。やれやれ)と首を横に振りながら、再び目を瞑った。

 

 

 

 一方、部屋に残されたルイズは、無言でベッドに潜り込むと、毛布を冠った。

 ルイズは、(何がティファニアに頼まれた、よ。そんなテキトウな嘘に騙されるなんて想ってるの? 人を馬鹿にするにもほどがあるわ。自分で触ったんでしょ、自分で)、と布団をギュッと噛んだ。



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水精霊騎士隊、突撃せよ 後編

 翌日……“水精霊騎士隊”の溜まり場では、春めいた会話が飛び交っていた。その会話の内容はというと……。

「おいギーシュ! 凄い花束だな!」

 そう叫んだのは、“水精霊騎士隊”一身体の大きなギムリで在った。彼は“メイジ”というよりも、剣を扱う兵隊であるかのように筋肉が盛り上がった肩を揺らしながら、がっはっは、と豪快な笑い声を上げた。

「いやぁ、考えたものだな! モテ過ぎるというのも!」

 そう言って笑うギーシュの前には、女生徒からのプレゼントが溢れている。格好の良い啖呵を切った隊長さん、ということもあって、ギーシュはかなりの人気を博しているのであった。美少年ということもあって、軟派なところさえなければモテるのである。いやはや、モンモランシーが切なくなって涙を流すのも無理からぬ、といったモテっぷりである。

 しかし、そんなモテっぷりを発揮しているのはなにもギーシュだけではなかった。

 周りを見渡せば、プレゼントを貰っていない男子はいないのである。それだけ、著名な騎士団と互角といっても良い戦いを繰り広げた“水精霊騎士隊”の人気は高まっていたのである。

 いや、1人だけプレゼントとは無縁の少年がいた。

 部屋の隅っこで、空になったワインの瓶に唇を当てて笛に見立てて、ボー、ボー、と切なげな音を奏でている才人である。

 ルイズと喧嘩して、部屋を飛び出て来た才人は当初こそ怒りに震えていたのだが……そのうちに怒り疲れてしまい、終いには哀しくなってしまったのであった。

 才人は、(誤解だっていうのに、どうしてあそこまで怒るんだろう? と言うかキス以外の事は何もさせてくれない癖に、怒る権利はあるんだろうか? いやいやその前に、俺とルイズは付き合ってるんだろうか?)と考えてみる。

 ルイズはときたまではあるが、才人の事を好きだ、という仕草は見せるものの、それをハッキリ口にした訳ではないのである。というよりも口にするのを拒んでいる素振りすら見せるのである。

 何らかの理由があって、ルイズはもう一歩踏み出せないでいるのである。が、才人にはそれが何なのか理解らなかった。

 それから才人は、(でもそれが“使い魔”以上恋人未満の関係から、俺を恋人にするのを拒んでる……詰まり、俺はまだルイズの恋人じゃない。あれだけ唇を重ねても、それは結局、重ねた、以上の意味を持たないんだ。俺、彼女いない暦17年のままか……いや、1年経ったから18年?)、とも考えた。

 兎に角、(ルイズは自分のことが好き)、と想い込んでいたということもあって、いざそんな疑問が浮かぶと才人はどう仕様もなく悲しくなってしまうのである。

 ルイズは俺に惚れてる、と、あれだけ調子に乗りまくっていた分だけ、一旦落ち込んだら底なしであった。深い闇でできた沼にどこまでも沈んで行くかのように、才人は落ち込みまくるのであった。

「才人。俺もそうだが、ルイズは、御前同様に不器用で、そして素直になれないだけだ」

「理解ってるよ……それでも……」

 俺の言葉に返事はするが、それでもやはり才人の気分は底なし沼に身体の9割が呑み込まれてしまったかのようである。

 才人は、(嗚呼、ここにいる皆が羨ましい。皆、彼女がいて良いなあ……俺にはいないんだ。我儘な御主人様ならいるけどナ……)、と溜息を吐いた。

 そんな才人に、ぱっくりと胸の空いた派手なシャツに身を包んだマリコルヌが話し掛けた。

「やあサイト、セイヴァー。これどうだい? 似合うかい?」

 才人と俺はチラッとマリコルヌを見遣った。

 似合う似合わない、というレベルではないといえるほどであった。昔テレビで見た、罰ゲームのコメディアンや下手なコスプレのようであるといえるだろう。

 マリコルヌの今の格好は、ぷっくりと出た御腹出た御腹がシャツの隙間から出ている。

 それでも才人は、ニッコリと、妙に微温い笑みを浮かべた。疲れていたのである。

「似合うよ。良かったな」

「うむ。妙に、似合っているな」

 才人と俺の言葉を聞くと同時に、マリコルヌは鼻孔を広げて才人の肩を叩いた。

「どうしても着てくれって言うんだ! いやぁ、モテるって辛いね!」

 はは、と才人は乾いた笑いを浮かべた。

「セイヴァーの言った通りだったよ。本当に、僕にも春が来たなんて」

 マリコルヌは満足げに笑う。

 才人が現在、ルイズと喧嘩して部屋を出ているということを知っている幾人かの生徒達が、そんなマリコルヌに注意を促そうとする。

「良かったなマリコルヌ! さぁ、こっちに来いよ!」

「いや、僕はサイトとセイヴァーに聞いて欲しいんだ。なあサイト聞いてくれ。信じられないことに、僕は現在2人の少女に舞踏会でのエスコートを申し込まれている! この御腹でも良い。いや、むしろこの腹が良い、と言う少女達だ! 僕は彼女達を、実に特殊だと想う。いやホント、特殊、という言葉以外で形容できない。だって僕が好いって言うんだぜ! さあサイト、決めてくれ。どっちのが娘が良いと思う? 1人はブルネットの髪と清楚な娘で、もう1人は赤髪の情熱的な娘だ」

 才人は遠い目になって、ルルル……と鼻歌を歌い始めた。

 危険信号だ、と感じたギーシュがマリコルヌへと近寄り、その身体を引き離し始めた。

「なあマリコルヌ。サイトは今……」

 ギーシュはゴニョゴニョとマリコルヌの耳元で何事かを呟いた。

 するとマリコルヌは笑い始めた。

「何だサイト! またルイズと喧嘩したのかい? しょうがない鈍感だな! 僕が女の子の扱いというモノを、教えて上げようか? ナハ! ナハ!」

 マリコルヌは高らかに笑いながら才人の背中をバシバシと叩いた。

 ギーシュ達は青い顔になったが、才人は卑屈な笑みを浮かべて「あ、有難う」などと呟くのである。

 そんな才人を見かねて、レイナールがギーシュに呟いた。

「なあギーシュ。幾らなんでも、サイトが可哀想だ」

「ん? ああ、そうだな……」

 盛り上がっていたギーシュ達は、自分達の浮かれ具合を反省した。“水精霊騎士隊”の総ての不幸を1人で引き受けてしまったかのような才人の境遇に同情したのである。

「どうにかして、あいつに元気になって貰いたいな」

「しかしまあ、こればっかりはどうにもならんなあ。何せ、人の恋路だからね」

 ギーシュはもっとももらしく首肯いた。

 そんな中……何時でも豪快なギムリが、何故か小声でギーシュに囁いた。

「隊長殿。俺に良い考えがあるんだが」

「君がか?」

 ギーシュは、怪訝な様子でギムリを見詰めた。

 ギムリは元々、良い考え、などというモノが浮かぶタイプではないのである。この前の騎士隊との大喧嘩でも、“精神力”が切れた後、先頭切って殴りに行ったのは彼であったのだ。

「女と上手く行ってない男を、1番慰めるモノは何だと想う?」

 ギーシュは即答した。

「女」

「その通りだ。女で傷付いた男を慰めるのは女……何とも我々男は哀しい生き物だね」

「何が言いたいんだね?」

 ギーシュが促すと、ギムリは目尻を下げた。

 凶悪、と形容しても良い彼がそのようなニヤケ顔になることに、少年達は、(余程のことに違いない)と感じた。

「大浴場を知っているね? そこは現在、男子用と女子用に分かれている」

「そうだな。何せ、湯着を着用して、男女の区別なく入浴していたのは僕達の祖父の時代までだからな」

 その頃、入浴とはイコール混浴といえるモノであった。とはいっても、現在の“地球”でいう水着のようなモノを身に着けての入浴であるのだが。しかし、戒律の厳しくなった“ロマリア”が、その習慣を宗教的理由から禁じることにしたのである。それから、入浴というモノは、就寝前の祈りの前に身体を清める、味気ないモノへと変化したのであった。

 ギーシュはその習慣が存在した時代に生まれなかったことを、深く恨む者達の1人であった。

 現在の“トリステイン魔法学院”の風呂場は、本塔の地下に設けられている。白い大理石で造られた巨大なプールのようなモノである。通路を挟んで同じモノが2つ造られ、其々、男子用、女子用と成って居る、

「風呂が一体、どうしたんだね?」

「女子用の風呂を、劇場として機能させるというのはどうだ? これ以上、男を奮い立たせる催しはないモノだ。だろう?」

 ギーシュの目が大きく見開かれた。

「女子風呂を覗こうというのか!」

 しっ! とギムリはそんなギーシュの口を押さえた。

 その不届き極まりない発言に、騎士隊の少年達が集まって来る。

 ぷはぁ、とギーシュは口を開くと、真っ赤に成った顔で捲し立てた。

「き、きき、“貴族”として恥ずかしいと思わんのかね? 婦女子の入浴を覗くだなんて! これ以上の破廉恥がかつてあっただろうか? いやない!」

「だがな、隊員の士気が下がっているのを、一員として見過ごす訳にはいかん。それに君、正直にいえば、覗きたいだろう? いやはや! 大事な事だぜ! “フッリグの舞踏会”は直ぐ其処だ。何の女性をエスコートするのか? 之以上“貴族”にとって大事な事は無い! そして、服を着ていては、どの女性がダンスに優れているのか判らないだろう? 中身をきちんと吟味して、どの女性と踊りたいのか? いや、踊るべきなのか判断する。“貴族”の義務とさえ言えるだろう!」

 無茶苦茶だといえる理屈であったのだが、ギーシュの心は動き始めた。元より、彼にとってこれ以上完備な提案はないのであった。ギーシュはプルプルと震え始めた。

「いかん! いかんよ君! 女子風呂は、厳重に“魔法”で守られている!」

「へえ、そうかい」

 ギムリは余裕の態度で答える。

 ギーシュは心底悔しそうな顔で捲し立てた。

「良いかね? 僕はこの“学園”に入学した時に、真っ先に調べたのだ。女子風呂はまるで要塞のような鉄壁の防御を誇っている! 半地下の構造で覗くためには陸路で接近するしかないのだが……接近するためには先ず、周りを護る5体の“ゴーレム”を何とかしなくちゃならないんだ。そして、それ等をクリアーしても未だ難関が残っている! “魔法”の掛かった硝子窓の存在だ! これがもう、手の付けられない代物だ! 向こうからは丸見えだが、こっちからは決して覗けない! おまけに強力な“固定化”の“魔法”が掛かってるから“錬金”何かではどうにもならない! その上、“魔法探知装置”まで付いているから、“魔法”は端から使えない!」

 先程口にした“貴族”の誇り、が真っ向から吹き飛んでしまうだろう問題発言であったが、今となっては誰も気にしてはいない。たった1つの事で頭が一杯になってしまっているのである。

「御手上げだよ。“メイジ”には、どうにもならないんだよ!」

 ギーシュは、泣きそうな声で呟くと、ドカッと床に胡座をかいた。

 隊員達の間から、「くそ!」、「何て事だ!」、「余計な所に大金を掛けやがって!」、などといった悔しそうな舌打ちが漏れる。

 ギムリは、そんな隊長の肩を叩いた。

「さて、そんな風呂がる本塔の図面を、拝見出来る栄誉に恵まれた“貴族”がいたとしたら?」

 ギーシュの目が輝いた。

「ま、まさか君は……」

「その幸運な“貴族”だよ」

 一同から、うぉおおおおおおおおお! と、窓が割れんばかりの歓声が沸いた。

「先日、図書館に赴いた時のことだ……僕は“学院”の歴史を調べていたんだ。知っての通り、この“トリステイン魔法学院”は、長い歴史を誇っている。詰まり、“学院”の記録書の棚も矢鱈と長くなる。恐らく何百年もの間、誰も触れてないような部分も存在する。そこを探っていたら……こんな1枚の写しを見付けた。この紙だ」

 その場の全員が、固唾を呑んでギムリが差し出した紙を見詰めた。

 それは羊皮紙に描かれた本塔の図面であった。幾つもの注釈が、色褪せた黒インクで書き添えられていた。

「どうだい? 本塔に掛けられた“固定化”の部分があますところなく記されてい居る! 恐らく、設計に当たった技師か誰かが、控え用に写したモノだろう。でも、それで僕達の計画には十分なのさ」

 ギムリはニヤッと不敵な笑みを浮かべてみせた。

 ギーシュはワナワナと震えた。

「僕が将軍だったら……君に勲章を授与していたところだ」

 隊員達も、銘々感動に震えたのか、空を仰いで涙を流す者、拳を握り締めて何度も首肯く者が続出する。

 しかしそんな中、1人の少年が顔を真っ赤にして言った。

「諸君! 紳士諸君! 僕は情けないぞ!」

 レイナールである。根が真面目な彼は、どうにもそんな計画を許すことができないらしい。

 一同は困ったように顔を見合わせ始めた。

 しかし、そんなレイナールに、何かを感じたらしいマリコルヌが、真顔で言った。

「僕達は“貴族”だ。況してや近衛隊だ。いつなんどき、祖国と女王陛下のために、命を捨てるとも限らない。死は我々の隣に、いつもある。死は友であり、僕達の半分だ」

「その通りだ! そんな“貴族”の僕達が……その、風呂を……」

「さて君は、あのティファニア嬢のモノが本物かどうか判らぬまま、死に切れるのか?」

 レイナールの顔が蒼白になった。

 マリコルヌは、真剣な声で続けた。

「僕には無理だ」

 レイナールは暫く己の中で葛藤している様子を見せる。がしかし……遂々我慢し切れずに、ガクッと膝を突いた。それから、絞り出すような、魂の響きとでもいえる言葉がレイナールの喉から漏れる。

「た、確かめたいです……」

 マリコルヌは聖女のような笑顔を浮かべて、レイナールに手を差し出す。

「行こうぜ。僕達の戦場へ」

「で、セイヴァーはどうするのだね?」

「俺は降りる」

「何でさ?」

 レイナールが堕ちたのを確認したギーシュは、俺にも誘いをかけて来た。

 だが当然、俺はそれを断る。

「後が怖いからな。まあ、告げ口などはせんから、気を付けて行くんだな」

 

 

 

 

 

 ギーシュのヴェルダンデが掘る穴を、一同は這いながら進んで行った。

 ヴェルダンデの後ろに続くのは、隊長のギーシュ。その後ろにはギムリが続く。次にマリコルヌ、最後尾には才人がいた。

 先程の盛り上がりの中で、俺と才人は盛り上がりの中で他人事であった。才人は落ち込んでいたこともあって、気もそぞろであって話を聞いていなかったのである。そのために、何をしに行くのかを理解していなかった。

 才人は、隊員達に「良いモノを見せてやる」と言われたために、取り敢えずといった風にくっ着いて来ただけなのである。

「地下に埋まっている部分の壁石には“固定化”は掛かっていない。あの図面を見る限りでは。信じて良いのかね?」

 ギーシュが心配そうな声で、自分の後ろから這って着いて来るギムリへと尋ねる。

 暗闇の中、ギムリは大きく首肯いた。

「ああ。あの図面には、当時の設計主任、“エルモン伯”の許可印が押してある。紛うとことなき本物さ。考えてみれば、地面の下とは盲点だった! 成る程風呂は半地下の構造になっている。窓ばかり注意が行って、地面に埋まった壁まで頭は回らなかった。頭だけ守って、尻が御座なりになるってのは、何も生き物だけじゃないってことだ」

 掘り進むヴェルダンデが、ピタリと動きを止めて振り向いた。

「モグモグ」

 ギーシュの顔に緊張が奔る。

 壁に打ち当たった様だ。

 ということは……。

「諸君、目的地に到着したぞ」

 全員から、感嘆の溜息が漏れた。

「どうやら、地上の“ゴーレム”も、地下までは反応しないようだな。静かなもんだ」

 ギーシュは軽く“杖”を振り、その先に“魔法”の灯りを灯した。

 ボンヤリと、淡い光がヴェルダンデの掘った穴の中を照らす。

 ヴェルダンデが鼻で指し示す先に、灰色の石壁が見える。

「ヴェルダンデ。その壁に沿って、穴を広げてくれ。ここにいる全員が入れるくらいに」

 あっと言う間に、ヴェルディはギーシュの要求に応えた。

 

 

 

 一方、壁を挟んだ向こうでは、そんな計画の存在など露知らぬ乙女達が、朗らかな嬌声を上げていた。

 浴槽は、横25“メイル”、縦15“メイル”ほどもある。“学院”の女子生徒達が、一斉に入ることができるほどの大きさである。

 “貴族”の浴場であるということもあって、張られた御湯には香水が混じっている。

 ルイズは弧を描く壁に背を付けて、浴槽に浸かっていた。細い手足を無造作に投げ出し、ユラユラと揺れる水面を眺める。

 ルイズは、ボーッと辺りを見回す。見知った顔が、其々に寛いでいる様子が、ルイズには見えた。ルイズの横には、シオンがいる。シオンもまた湯に浸かり、寛いで居る。

 キュルケはその身体を誇示するかのように、壁際に設けられたベンチに足を組んで腰掛け、壁から吹き出る蒸気に身を委ねている。

 その隣では、浴場にも関わらず“杖”を持ち込んでいるタバサが、湯気や湿気などを気にした風もなく本を読んでいる。いつも“杖”を持ち込んでいることに疑問を覚えていたが、彼女の生い立ちを知ったことで、それも致仕方ないことだとルイズは考えた。タバサは、いつどこで敵に狙われるのか判らない生活を送ってきたのである。今は少し安心できるようになったとはいえ、“杖”を肌身離さず持ち歩くことは、彼女の習慣と化しているのであろう。

 だがそこで、ルイズは、ふと、(もしかして、イーヴァルディとセイヴァーもここにいるのかしら?)といった疑問を覚えた。が、首を横に振り、その考えを追い出す。

 鏡の前には、モンモランシーがいる。彼女は、恥ずかしそうに自分の胸を持ち上げている。リボンを外し、後ろに撫で付けた髪を下ろした彼女は、いつもよりも幼く見える。持ち上げた胸を見えては、つまらなさそうな様子で唇を尖らせている。

 ルイズはそんなモンモランシーを見て、(別に良いじゃない。私よりはマシよ)と思った。そんな光景を眺めながらも、ついつい考えてしまうのは、やはり才人のことであった。

 ルイズが今朝起きると、隣に才人はいなかった。

 そのことだけで、ルイズは激しく落ち込んでしまったのである。あれだけの啖呵を切って出て行ったのだから、才人は朝に戻って来る訳もないのだ。だが、理屈で考えれば納得できることであるのだが、やはりどうにもルイズの気持ちは沈んでしまうのであった。

 ルイズは、(確かに怒り過ぎたわね。3日間、パンツ1枚で反省文を書かせて朗読を繰り返させたのは、正直遣り過ぎたと想うわ)と反省した。

 だがそれでも、ルイズは才人のことを赦すことができないでもいたのである。

 心配して見舞いに行ってみれば、ティファニアの胸を握り締めていた才人を目撃してしまったのだから。

「ねえ、ルイズ。サイトのこと、そろそろ赦して上げたら?」

「…………」

「彼にも非があるかもしれないけど、貴女もそうよ。彼の言葉に、しっかりと耳を傾けた? 頭ごなしに否定しちゃ駄目だよ? セイヴァーの受け売りって言うか、彼自身が受け売りだって言ってたけど、ただ“間が悪かった”って」

「…………」

 シオンの言葉を聞き、ルイズは自省する。が、それでもやはり、怒りが収まる気配はない様子である。

 浴場の入口付近から歓声が沸いて、ルイズは顔を上げた。

 そこには、長い耳と暴虐的な胸を持った例の金髪の妖精が、恥ずかしそうに浴布で身体を隠しながら立っている。

 しかし、彼女の胸は余りにも大き過ぎた。

 浴布から食み出た部分の体積が、ルイズの目に飛び込んで来る。そのような体積を持つ物体のことを、胸の部分に付いているということが、ルイズにはどうにも信じることができなかったのである。

「やっぱり、凄いね。ティファニアの胸は」

 シオンの率直な言葉に、ルイズは件の才人の行動を想い出して更に不機嫌になってしまった。

 ティファニアはキョロキョロと辺りを見回すと、ルイズとシオンの姿を見付け、ニッコリと笑って近付いて来た。あまり心を許すことができる友人がまだできていないのであろう。

 だが今のルイズは、そんなティファニアと話せる気分ではなかった。その妖精のような姿を見ていると……自身がとてもちっぽけで取るに足らない存在の様に想えてしまうからである。

 ルイズが顔を浴槽に沈めてブクブクと息を吹いていると、ティファニアは怖ず怖ずとルイズとシオンの隣へとやって来た。

「あの、御隣、良いかしら?」

「どこで湯に浸かろうが、貴女の勝手よ」

 つい、そんなキツめの言い方で言ってしまい、ルイズは恥ずかしさと申し訳なさを覚えた。再びルイズは、御湯に顔を埋めて、ブクブクとやり始める。

 ティファニアは、掌で御湯を掬って、珍しそうに見詰めている。それから、誰に言うでもなく口を開いた。

「広い御風呂ね。びっくりしちゃう。私達が使っていた御風呂とは大違い」

「どんな御風呂を使っていたの?」

「蒸し風呂って言うのかな……煉瓦を組み合わせて、釜戸みたいなのを造って、そこで焼いた石に水を掛けて、蒸気を浴びるの。夏は近所の泉で沐浴していたわ」

 だからこんな立派な御風呂は初めて、とティファニアはルイズの質問へと微笑み答えた。

「ホントに感謝してるの」

 唐突にティファニアは言った。

「え?」

「サイトにルイズ、セイヴァーさん、シオン……迎えに来てくれた皆。そしてアンリエッタ女王陛下や“トリステイン”の人達にも……私皆に感謝してる」

「どうして?」

「だって、皆がいなかったら、こんなに沢山の色んなモノ、見ることはできなかったもの。外の世界って凄いね。私、こんな御風呂、想像したことすらなかったわ」

 ティファニアは両手を挙げて、周りを見回した。

「……あれだけ、非道いことされたのに?」

 ルイズは、ベアトリスとその事件を想い出して言った。

「最初は仕方ないわ。私はこんな耳してるし。“エルフ”の血が流れているのは本当だもの」

 ティファニアは笑いながら、自分の耳を抓んだ。

「それと私ね。こうやって、皆がいる時は、御風呂にも入ることができなかった。夜中にこっそり、誰もいない時を見計らって入っていたの。でも今はもう怖くない。堂々と入れる。あの事件のおかげよ」

 ルイズは、屈託のない笑顔を浮かべるティファニアを、眩しそうに見詰める。そして、軽く憂いを含んだ声で言った。

「危険なのは、“エルフ”の血だけじゃない。貴女は“担い手”なのよ。いつなんどき、誰かにその力を利用されるか判らないのよ?」

「ルイズを見ていれば、そんな心配はないわ。貴女は自分の意志で、“魔法”を使ってる。私もそうしたい」

 屈託のないティファニアのその言い方に、ルイズは心を打たれた。増々自分が小さく、胸だけではなく、その存在までもが小さくちっぽけなモノに感じられた。

 ティファニアは、何の干渉もなく育って来たということもあって、自分というモノを大事に育てきたのであろうことが理解る。

 一方、ルイズは色々なモノに縛られて育って来たといえるだろう。いや、ルイズだけではなく、“貴族”の殆どが、だ。

 伝統。

 誇り。

 名誉。

 そのことがルイズの行動を決定付けている。それ故に、才人と意見が食い違うことも多い。

 また、ルイズは、シオンのことも眩しく想えた。

 俺もまたルイズと同様に、シオンやティファニア達のことがとても眩しく想えるのであった。

 シオンは、ルイズや他“貴族”同様に、いや、俺以上に伝統や誇り、名誉などと云ったモノに縛られて育って来たといえるだろう。だが、“貴族”や“王族”としての高慢さなどを一切感じさせず、立場なども関係なく、穏やかに皆へと接することができているのだから。

「ねえルイズ」

「何?」

「今の貴女の考えていること、大体判るわ……貴女にも、誇れるモノはある。私からすると、貴女は眩しく見えるもの。そうね……セイヴァーやサイトの国の言葉でいうところの、隣の芝生は青い、といったところかしら」

「…………」

 シオンの言葉を聞いて、ルイズは俯く。

 何人かの生徒達は、優雅に湯に浸かっているティファニアとシオンを見て、溜息を吐いている。

 並ぶ3人は、まるで妖精のようである。幼い頃に読んだ御伽噺に出て来る美の妖精のように見えているのだろう。

 湯の下に見える、控えめな胸……自分の幼子のような身体を見て、ティファニアとの余りのボリュームの違いに、ルイズは哀しくなった。

 ルイズは、(サイトが触りたくなるのも、無理のないことかもしれないわね。身体だけじゃないわ。“貴族”の血を引きながら、“平民”のように育って来たティファニアの方が、異世界から来たサイトと理解かり合えることも多いんじゃないかしら……? 私が勝ってる部分なんて、このティファニアに比べたらどこにもないじゃない)と考え、そんな劣等感が包み込もうとする。

「ねえ、ティファニア?」

「テファで良いわ」

「テファ。その、サイトを赦してね」

「え?」

「あいつ、その、変態でどう仕様もないけど、根はそんなに悪くないの。いきなり胸を触ったりして、驚いたかもしれないけど……きっと悪気はないのよ。つい、手が伸びてしまったんだと想うの。主人の私からも謝るわ」

 いきなり謝り出したルイズを、ティファニアは怪訝な面持ちで見詰めた。それから、急に顔を真っ赤に染めた。

「ち、違うの。それは私から頼んだの」

 ルイズの目が大きく見開かれる。

「私……耳だけじゃなく……この胸も可怪しいと想うの。だって、どう考えても大き過ぎるもの」

 他の娘達が言ったら、厭味にあるであろう言葉であったのだが、ティファニアの言葉には純粋な疑問と不安だけがあることが判るだろう。

「だからサイトに頼んだの。確かめてって」

「お、男の子にそういうこと頼むのって、可怪しいと思うわ」

 唖然とした様子で、ルイズは言った。

 するとティファニアは、顔を赤らめた。

「そ、そうよね、考えてみればそうだわ」

 ルイズは呆れた。

 ティファニアの天然っぷりは、ルイズの想像を超えていたのである。同年代の子達と接することがなかったために、そういったことが判らなかったのであろう。

「サイトって、初めて出来た同年代の御友達だから……あんまり男の子って気がしないの。でも、例えば彼の恋人にしてみれば、赦せないことだよね……」

 ティファニアはショボン、として膝を抱えた。そうすることで胸が寄せられ、まるで島の様に水面から盛り上がる。

「それは触らせたら、駄目よ、そういう種類のモノよ」

 ルイズは冷ややかな視線で、ティファニアの胸を見詰める。余りにも心が傷付いてしまうために、自分のそれは見ないように努めた。

 そんなルイズの言葉と様子に、シオンは苦笑を浮かべる。

「御免ね。ルイズ……サイトの恋人だもんね」

 ティファニアがそう言った時、ルイズがガバッと立ち上がった。

「こ、ここ、恋人じゃないわ!」

 これでもかという具合に顔を真っ赤にさせ、ルイズはプルプルと震えた。

 そんなルイズを見て、ティファニアも顔を赤く染める。

「ル、ルイズ……その……何て言うの? 丸見えで……」

 ルイズの顔が、更に赤く染まる。

 浴布で身体を隠すこともせずに勢いで立ち上がったために、前進がティファニアの前に曝け出されているのである。

 再びルイズは御湯の中へと身体を沈めた。

 ルイズは、恥ずかしいと思うのと同時に、才人のことが頭に浮かび上がった。それから、才人の言葉が事実であったことを、ルイズは理解した。そして、(それなのに、私と来たら……ティファニアに対する劣等感で頭が一杯で、その言葉を信じられなかった……あれだけサイトは私のために戦ってくれたのに……シオンの言う通りだわ……)と激しく落ち込んだ。

 ルイズは、(出て行ってしまったサイト。このままサイトが戻って来なかったらどうしよう? もし、そうなったとしても、仕方ないわよね。自分はサイトの言葉を信じられずに、あんな非道い扱いをしてしまったんだもの)とプルプルと震え始め、そう考えた。

「どうしたの? 寒いの?」

 ティファニアが心配そうに、ルイズへと話し掛ける。

「違うの」

 ルイズは言った。

 身を乗り出して来るティファニアの、細いウエストと信じがたい大きさの胸がルイズの目に飛び込んで来る。

 ルイズは、(男の子が10人いて……私とティファニアを比べたら、やっぱり10人がティファニアを選ぶんじゃないかしら? 同じ“虚無の担い手”なのに……どうしてこうも違うの?)と考えた。

 

 

 

 一方、浴場の壁の向こうでは、男達の計画が完遂されようとしていた。

 ヴェルダンデが壁沿いに掘り上げた坑道に、横一列に腹這いで並んだ“水精霊騎士隊”の少年達は、己の“杖”の先に全身全霊を掛け、一生に1度ともいえる気迫でもって、とある“呪文”を唱え続けていた。

 “錬金”である。

 “土系統”の基本“呪文”。

 その“錬金”をキリとなして、厚さ20“サント”はあろうかという浴槽の壁石に、穴を開けたのである。

 小さな穴だ。

 その直径は大凡1“サント”。

 少年騎士達は、その“錬金”の威力のコントロールに傾注していた。地面より上の壁には、“固定化”のみならず、“探知(ディテクト・マジック)”まで掛かっているのだから。

 地面の下にはその効果は及ばないといえども、彼等にとって、万が一にでも探知される訳にはいかないのである。それは少年達の計画の崩壊のみならず、彼等の破滅を意味しているのだから。

 よって、その“錬金”には細心の集中力とコントロールが要求された。威力が強すぎてもいけない。かといって、弱過ぎてもまた硬い壁石に穴を穿つことはできないのである。

 それは苦しく、また“精神力”を著しく消耗させる行為であるといえるだろう。

 1人の少年が、額から汗を垂らし、激しく咳き込んだ。それから悔しそうな様子で、首を横に振った。

「もう駄目だ。僕は限界だ。これ以上、こんな繊細な“詠唱”には耐えられない……」

 隣の少年が、真剣な顔と口調でそんな仲間を叱咤する。

「何を言うんだ! 僕達の栄光は直ぐそこだぞ! 御前はこんな所で負けても良いのか!?」

 肩を掴んで、泣かんばかりに少年は、弱音を吐いた少年を説得をする。

「想像しろッ! 御前のその勇敢な頭脳で想像するんだッ! この壁の向こうにある桃源郷をッ! 戦士達の魂が癒されるべきヴァルハラをッ! 数々の聖女達が、伝説の妖精達が、この壁の向こうで、僕達を待っているッ! 栄光は直ぐそこだァ! 諦めるなァッ!」

 少年は、涙を流した。そして、「ぐぉ、おぐぉおおおおッ!」 と唸ると、再び“杖”を取り上げて、“呪文”を唱え始めた。

 “呪文”の合間に、少年騎士達は一斉に叫んだ。

「僕達はヴァルハラを想像するッ!」

 才人は、そんな連中を唖然として見詰めていた。未だ、一体何が起こっているのか、才人は理解していなかったのである。(こんな地面の下で、こいつ等は何で一生懸命に壁に穴を開けているんだ?)と疑問に思うのみであった。

 マリコルヌが後ろでボンヤリと見詰めている才人へと振り返り、ぐ! と親指を立てて見せた。

「待ってろよ。副隊長。この世の春を拝ませてやる」

 どうやら彼等は春に向けて穴を開けているらしい、ということを才人は理解した。だがそれでも、どのようなな春であるのかを、才人は理解らず、疲れた頭で見詰め続けるのみである。

 暗い穴の中であるということもあって、時間の経過が良く判らないだろう。どれほどの時間“錬金”を唱え続けていたのか判らず、5分にも、1時間にも、皆には感じられた。いや、もっと長かったのかもしれない。

 兎に角、“水精霊騎士隊”の努力が、実を結ぶ瞬間がやって来た。

 暗闇の中……一筋の光が射し込んだので在る。小さな穴が、開通した瞬間で在る。

 誰かが歓声を上げよとしたのだが、直ぐにその口が別の少年によって押さえられる。

 穴が開通した以上、大きな物音は厳禁であるためだ。

 次々と、小穴は開通して行く。

「……向こうからは、この穴は判らないのかね?」

 心配そうな声で、ギーシュが尋ねる。

 ギムリは首肯いた。

「……余程のことがない限り、大丈夫だ。知っての通り、浴場の壁面には彫刻が彫ってあり、彩色までなされている。男子浴場と同じデザインのはずだ。こんな小穴は模様に見えるはずさ」

 ギーシュは首肯いた。

「なあ君、僕はこの穴を、ギムリ砦と名付けようと想う。難攻不落の要塞を陥落させた、素晴らしい砦だ。それを完成させた君の功績を末永く讃えたい」

 2人はひっしと抱き合った。

 そのギーシュを、マリコルヌが突く。

「しっかり指揮を頼むぜ。隊長。僕達の初陣だ」

「も、勿論さ」

「で、栄えある一番槍は?」

「決まってる。そこのサイトだ」

 ギーシュは、奥の方で膝を抱えていた才人を指さした。

「へ? 俺?」

 パチパチパチ、と小さな拍手が響く。

「サイト、羨ましいな」

「しっかりやれよ」

 と、爽やかな声が才人へと掛けられる。

 才人は、(一体何々だ? こいつ等は何で一生懸命、あんな石に穴を開けてたんだ? 光が射し込んで来るけど、あの先には何があるんだ? さっぱり意味が理解らない)と想った。

 しかし指名されたとうこともあって、才人は腹這いになってギーシュの元へと向かった。

 皆に囲まれながら、才人は穴へと顔を近付けた。

「こいつで元気を出し給え。サイト」

「う、うん……」

 先ず……才人の視界の中に入って来たのは湯気であった。

 濛々と立ち籠める湯気……そして湯気の向こうには白い壁。

 才人は、(何処だ? 此処は?)、と目を凝らす。

 次の瞬間、肌色の何かが才人の眼の前を通り過ぎる。

「え? もしかして、ふ、風呂?」

 恍けた声で才人がそう呟いた瞬間、口を押さえられる。

「しっ! 声が大きい」

「お、御前等……もしかして女子風呂に穴を……」

「君を元気付けるためだ」

「ば、馬鹿。俺がこんな覗きで元気に……ひう」

 そこまで呟いた瞬間、才人の喉が勝手に息を吸い込んだ。

 穴の向こうの空間は、まるで天国とでもいえるモノであった。裸の女子達が、気持ち好さそうに入浴しているのである。

 ただ1つだけ欠点を上げるのであれば、タオルのような布を、女子達は身体に巻いて移動していることだろうか。女子だけとはいえども、素っ裸になるということには抵抗があるらしいことが判る。

 才人は、(まあ、男だってタオルは腰に巻くもんなぁ……)、とそんな感想を抱いた。

「テ、テファ?」

 湯気の向こう、女子達の間に、とうとう才人はティファニアの顔を見付けてしまった。

 ティファニアの隣には、ルイズとシオンがいる。

 3人共、壁を背にして湯に浸かっており、胸から下は水面下であるために見ることができない。

 才人がその名前を口にした瞬間、騎士隊の面々は己が開けた穴へと突進した。

 事の是非を忘れ、才人もまた眼の前の光景に息を呑んだ。何せ、ルイズとティファニアとシオンが3人仲良く並んでいるのである。

 何せあれだけ着替えを手伝っていながらも、才人は未だルイズの裸を見たことがないのである。下着姿であれば、何度も拝見しはしたのだが……ルイズは着替えを手伝わせる時も、下着だけは自分で身に着けていたためであった。

 好きな娘が、何も身に着けることなく湯に浸かっているのだ。汎ゆる道徳も理屈も、才人の中から吹っ飛んでしまった。

 でもって、ティファニアである。

 こっちはもう、理由は要らないであろう。ティファニアの裸、という単語は、絶対という意味でもあるといえるだろう。男と生まれたかには無視することはdけいないであろう、魔法の塊ともいえる代物である。

 シオンもまた、同様であった。ティファニアほども大きくもなく、ルイズほどの謙虚さもない大きさをした胸。“アルビオン王家の血を引く事でえた、ティファニア同様の綺麗でサラサラとした金髪。張りのある瑞々しい白い肌。

 其々、特徴の全く違う、妖精が3人がいるのである。

 才人は、魅惑のシアターともいえるそれに釘付けになってしまった。

 ティファニアの一挙手一投足が、才人の脳裏をチリチリと焼いた。

 ティファニアの胸の上半分が見えるのである。小高い丘が、水面から盛り上がっているのである。

 ホ、ホア、ホアアアア……と切ない溜息が“水精霊騎士隊”の面々から飛んだ。

 その時才人は、此の光景を目にしているのが自分だけではない、ということを想い出した。

 騎士隊の皆が、見ているのである。

 ティファニアがルイズに何かを言うのが、才人には見えた。

 次の瞬間、ルイズは軽く身を沈めた。

 才人は、ルイズの仕草が、何を意味するのか直ぐに理解った。あれは、何か我慢できないことを言われた時の仕草である、ということを知っているのである。

 そして、ルイズが立ち上がる、ということをコンマ数秒の間で、才人の思考はそこまで予想することができた。

「――御前等見るなぁあああああああああ!」

 反射的に絶叫して、才人は左右に転げ回る。

「――な!? 何だ!?」

「おい止せッ!」

 腹這いになって並んだ少年達は、玉突きの要領で覗き穴から視線をズラされてしまう。

 ルイズが立ち上がったのは、その瞬間であった。

 

 

 

 ルイズが劣等感に悩まされて、ブクブクと水面を泡立てていると……。

 向こう側の壁沿いで入浴していた女生徒達が、何やら騒ぎ始めた。

「今、男の子の声が聞こえなかった?」

「聞こ得た!」

 ティファニアが心配そうな表情を浮かべた。

「誰かしら?」

「“ガリア”の手の者かしら?」

 だが、どうやら違うということを、ルイズ達は理解した。

 身体を洗っていたモンモランシーが、逸早く壁に開けられた穴に気付いたのである。

「ちょっと皆! 壁に穴が開いているわよ!」

 湯気と壁に彫られた模様で良く判り難いが、窓の下の壁に、1“メイル”ほどの感覚で、黒い小さな穴が開いていることがが判明したのである。

 すると壁の向こうから、「撤退だ!」、などといった声が響いた。

 入浴していた女生徒達が一斉に叫んだ。

「覗きだわ!」

 モンモランシーが浴布を身体に巻き着け、先頭に立って駆け出した。

「皆急いで! “杖”よ!」

 覗き、と聞いて怒り心頭になった女生徒達は口々に叫びながら脱衣所の方へと駆け出して行く。

「この“魔法学院”で覗きを行なうなんて! なんて命知らず!」

「皆さん! 絶対に逃がしてはなりませんわよ!」

 ルイズとティファニアも、顔を見合わせて駆け出して行った。

 ただ、シオンだけは浴場に残っていた。

「度胸があると言うか、何と言うか……でもまあ、2人共元気になって良かったのかな?」

 

 

 

 巣に殺鼠剤を撒かれた鼠のように、“水精霊騎士隊”の騎士達は我先といった様子で逃げ出した。必死の勢いで這い擦り、穴を飛び出す。

 そこは“火の塔”の隣の茂みであった。

「諸君! 固まっていては一網打尽だ! 散開するぞ!」

 女子生徒達の反応は素早く、中庭の彼方此方で不埒者を捜す声が聞こ得て来る。

「どっち?」

「あっちで声がしたわ!」

 少年達は、首肯き合うと夜の闇にと散って行った。

 その頃才人は、逃げ遅れて未だ穴の中であった。最後尾で在り、“魔法”の灯りを灯した少年達が穴から出て行ってしまうと、辺りはまるっきりの暗闇になってしまった。

 才人が何とか入り口へと到達した時には、時既に遅しといった状況であった。

「この穴から入ったのよ!」

「まだ中にいるのかしら?」

 穴の周囲は怒り狂った女子生徒達によって包囲されている。

 才人は、(嗚呼、俺はたった1人責任を負わされて、多分コテンパンにされるんだろうなぁ……)と嘆息した。

 誰かが“魔法”の灯りを灯し、中に入って来ようとしたその瞬間……。

 才人の周りの土砂が、吹き飛んだ。

「――きぃやああああああ!?」

 女の子達が悲鳴を上げる。

 才人の身体は、土砂ごと大きな竜巻によって巻き上げれてしまい……一瞬で才人は空中に放り投げられた。

「――うわぁあああああああ!? 何だ!?」

 地面に落下するかと思われた瞬間、空中で才人は何者かにキャッチされた。

 才人を抱えた影は、“魔法”を“詠唱”する。

「窓よ。その戒めを解き放て」

 本塔の窓の鍵が外され、次いで“念力”でその窓が開く。

 落下の方向を変え、影に抱かれた才人は窓から本塔へと飛び込む形で連れて行かれた。

 そこは、“アルヴィーズの食堂”であった。

 影は、咄嗟に才人を柱の陰に引き込む。

 やっとの事で暗がりに目が慣れると、才人に寄り添い、柱の陰に押し込む人物の輪郭が明らかになって行った。

「タバサ?」

 先ず、才人の目に飛び込んで来たのはタバサの青い髪であった。

「しっ。目を瞑って」

 タバサはそう呟くと、何故か才人の眼の前に“杖”を掲げ、視線を遮った。

「ど、どうして……?」

 言われた通りに目を瞑り、やっとのことで才人は呟いた。

「貴男は私が護る。どんな場合でも」

 才人にとって何とも頼もしい答えが返って来た。

「で、でも……俺達覗きを……」

「状況は問わない」

 淡々とタバサは言った。「覗きだろうが何だろうが、タバサは才人の味方になる」とそういう意味である。

 タバサは、才人の叫び声でことに気付き、穴の中に才人が取り残されてしまったことを逸早く察知して救い出したのである。実に、恐るべき戦士の勘であるといえるだろう。

「それに」

 タバサは、“霊体化”しているイーヴァルディへと目を向ける。

「“ブレイバー”が見てた」

「有難う」

 才人は、感極まった声で、2人へと感謝の言葉を口にした。

 入浴を覗いていたというのに……タバサは救けてくれるということに、その気持ちに感動し、感謝したのである。

「……有難う。でも、そろそろ目を開けて良いかな?」

「駄目」

「どうして? 俺が目を開けると、何か不味いことがあるの?」

「ある」

「良けば、教えてくれないかな? 見えないと不安になる」

 タバサは、僅かに小さな声で呟いた。

「私は、服を着ていない」

「は?」

 才人の身体に、(ということは、今、俺の身体にこうやって押し付けているタバサは……)と激しく緊張が奔った。

「裸?」

「そう」

 タバサは言った。

「な、何で?」

「服を着る暇がなかった」

 その時……食堂の中にも追っ手が入って来た。

「何人くらい捕まえたのかしら?」

「半分くらい。“水精霊騎士隊”の連中だったなんて、驚きだわよ」

 どうやら既に何人かの少年達は捕まってしまったらしい。遠くの方から、悲鳴が幾つが響いている。

「……赦してくれぇ~~~」

 次いで、“魔法”が飛び交う音。グシャッと何かが潰れる音。そしてまた悲鳴。命乞いの声。

 才人は暗がりの中で、(自分も捕まったら……ただでは済まない。現場に行くまで計画を知らなかった、何て言い訳通用しないだろうな)と想い、震えた。

 食堂の扉が開き、たたたたたた、と女の子達の足音が近付く。

 タバサは、ギュッと才人の身体を壁際に押し付けた。

 小さなタバサの身体が、才人の上半身にピッタリと寄り添っている。

 着込んだパーカーの向こうには、生まれたままの姿のタバサがいる。

 タバサの幼い身体を思わず想像し、妙に興奮してしまい才人は死にたくなってしまった。

 才人の心の中で、(タバサに興奮したら、人間終わりだぜ……才人。いや、そうか? タバサは身体付きこそ幼いけど、俺より2つばかり歳下に過ぎないんだよな? ということは……安全圏? セーフ、いやアウトだ)と審判が判定を開始する。

 女の子達が、柱の陰に隠れた才人達の側へと近付く。

 才人の呼吸が速く成る。

 その鼓動を抑えるかのように、タバサがソッと才人の胸に手を置いた。

 そういったことをされることで、更に鼓動が激しくなってしまい……才人は酸欠状態の金魚であるかのように口をパクパクとさせた。

 柱の陰に、1人の女の子が近付く。

 才人は、タバサが視界に入らない程度に、“杖”から顔をズラす。

 月明かりに照らされた顔は、モンモランシーであった。

 才人は、(モンモン、こっち来るな……勘弁してくれ……)と祈った。

 その祈りが天に通じたのだろうか。

 食堂の外から、ギーシュの小さな叫び声が聞こ得て来た。

 どうやら、彼も捕まってしまったらしい。

「……出来心なんだぁ……」

 モンモランシーの眼が吊り上がる。

「やっぱりね」

 それだけで人を殺すことができるであろうほどに凶悪な笑みを浮かべると、モンモランシーは駆け出して行く。

 残りの女の子もその後を追い掛けた。

「ヤバかった……ん?」

 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、才人の後ろで、ピクリ、と何かが動いた。

 カサ、カサカサカサカサ……と何かが這い擦って近付いて来る音が響く。

 再び才人の頭が、急速に冷えて行く。

「……タバサ、この音、聞こ得るか?」

「うん」

 タバサの声は、心做しか震えている。

「何の音だろ?」

「判らない」

 才人は緊張を解すために、わざと明るい声で冗談めかして言った。

「幽霊だったりして」

「止めて」

「僕も、その幽霊みたいなモノだけど……それに、この音を立てたモノに害はないよ」

 イーヴァルディの言葉が聞こ得ていないのか、存在すらも忘れてしまっているのか。タバサはいきなり才人へとしがみ付いた。

 胸と腹を通じて、タバサの細い身体の形が、あますところなく才人の脳へと伝えられる。

 小刻みにタバサは震え始めた。

「な、何だよ御前、若しかして幽霊が怖いのか?」

 コクリ、と小さくタバサは首肯いた。

 意外ともいえるタバサの弱点に、才人は参ってしまった。(何だよこいつ。可愛いところあるんだな)と想い、堪らなくなってしまう。

(神様……俺は死んだ方が良いんでしょうか?)

「いや、だから僕」

 その時、とんとん、と才人の肩が叩かれた。

 明らかに人間のそれではないことに気付き、思わず才人は口走ってしまう。

「か、肩叩かれた」

 タバサはそれで撃沈してしまったらしい。怖がっていた身体から力が抜け、ぐんにゃりと才人へと凭れ掛かる。

「タ、タバサ」

 才人は目を開いた。

 気絶してしまったタバサの、細い、白い背中が才人の目に飛び込んで来る。

 なだらかなカーブがヒップへと続いていることが判る。意外に女性っぽさを持つタバサの身体のラインに、才人は死にそうになってしまう。が、どうにかして目を逸らす。

 それから才人は、(一体あの音は何々だ?)と振り返った。

 そこには、意外なモノがいた。

「御前……昨日の“アルヴィー”じゃねえか」

 其れは、昨晩、才人がこの“アルヴィーズの食堂”で一夜を過ごした時、花瓶の下敷きになってしまっていた、少女の姿をした“アルヴィー(少魔法人形)”であった。

 その“アルヴィー”は会釈でもするかのように身体を何度も傾ける。どうやら、才人に御礼を言いに来たらしい。

「いや、気持ちは嬉しいけど……時と場合を選んで欲しかったな」

 “アルヴィー”は再び闇の中へと消えて行く。

 素っ裸の状態であるタバサをそのままにしておく訳にも行かず、取り敢えず才人はパーカーを脱いで、タバサの身体に掛けてやった。それから、万が一にも人目に付かないようにと、柱の奥へと横たえさえ、イーヴァルディと共に守るようにその前に座り込む。

 “アルヴィー”達は、月明かりの中で、昨夜同様舞踏会を開始した。

 双月の明かりを受けて、“アルヴィー”達の舞踏会は無音のままに盛り上がって行く。

 そんな幻想的な光景が、才人の心の中に、昨晩のことのように過去の舞踏会を蘇らせて行った。

 今から1年程前。

 “フリッグの舞踏会”のことである。

 あの日、才人が1人、ベランダで無聊を囲っていると、ルイズがやって来たのである。白く眩いドレスに身を包み、桃色の髪をバレッタに纏めたルイズは、神掛かったかの様に美しい、といった印象を才人に抱かせた。

 そんな回想に浸る才人の足元に、再び少女の形をした“アルヴィー”が近寄って来る。

 その“アルヴィー”は、まるで才人に対してダンスを申し込むかのように、ペコリと一礼した。

 才人は微笑を浮かべる。

「俺に気を遣ってんのか。はは、優しいな御前……でも、俺と御前じゃサイズが違うよ。良いから、友達と踊って来な」

 “アルヴィー”はしばらくの間才人の周りを回っていたが、そのうちに再び仲間達の舞踏会の中へと再び消えて行く。

 そんな“アルヴィー”を見送りながら才人は、(ルイズも、こんな風に俺にダンスを申し込んでくれたっけ……あの時のルイズはホントに可愛かった。顔を赤らめて、“私と一曲踊ってくださいませんこと? ジェントルマン”、何て言い放ったよな。想えばあの言葉で、俺はルイズに参ってしまったんだっけ。それから1年経った今でも、その気持ちは変わらねえ。プライドが高く、我儘で、短気な御主人様だけど……ルイズは何度か可愛い仕草を、態度を、言葉をくれたんだ。セイヴァー、ギーシュやマリコルヌ達との友情、世話になったり助けられた人達が抱えた問題、色んな理由がこっちの世界に繋ぎ 止めてるけど……1番大きいのは、“ハルケギニア”との絆は、何と言ってもルイズのあの顔だよなあ。ダンスを申し込んで来た時の、照れた様な怒ったような、ルイズの横顔)と考えた。

 それから、(それなのに、俺ってば一時の怒りに任せてルイズの部屋を出て来てしまった。全く……今更離れられる訳ないじゃん。これからどうしよう)、とも才人はボンヤリと膝を抱えて考えた。

 その時……。

「サイト」

 名前を呼ばれて、才人は立ち上がった。

「いるんでしょ? 出て来なさいよ。さっき月明かりで、チラッと見えたわ」

「ルイズ……」

 才人は観念して、柱の隙間から身体を出した。

 服に着替えたルイズが、才人を睨む様にして立っている。

 そんなルイズを見詰め、(俺もギーシュ達と同じように、甘んじてルイズの罰を受けよう。知らなかったとはいっても、覗いたのは、事実だしな……)と才人は観念した。

「あんたも、あの穴の中にいたの?」

 疲れた声で、才人は言った。

「ああ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。逃げも隠れもしないよ」

 しかしルイズは、才人の肩を押しやると、暗がりに押し戻した。

「ルイズ?」

 ポツリと、ルイズは顔を背けたまま言った。

「言いたいことあるんなら、言いなさいよ」

 才人は、諦め切った顔で、一応の経緯を説明した。

「元気が出るところに連れて行ってやるって言われて……着いて行ったら女子風呂だったんだよ。正直に言うけど、覗く瞬間まで気付かなかった」

 ルイズはジッと押し黙っている。

「はは……そんなこと信じられる訳ねえよな……良いよ、どうせ御前が信じる訳ないしな。俺が何言ったって……」

「信じるわ」

 ルイズは、何やら決意が込もった声で言った。

「へ?」

 才人は拍子抜けした声で呟く。

「嫌ね。ホント、嫌ね。あんたが、嘘吐けるほど頭良くないって理解ってるのに、ついつい信じられなくって怒っちゃうのよ。私って」

 怒ったような声で、ルイズは言った。

 暫くの間があった。

 信じられない、といった様子で、才人は口を開く。

「御前、俺の言ったことを信用するの?」

「するわ」

 ルイズは言った。

「医務室でのテファのことも?」

 コクリ、とルイズが首肯いたために、才人は驚きを隠すことができなかかった。それから、(一体全体どんな風の吹き回しだ?)と想ったが、(ルイズが折れてくれるんなら意地を張る必要もないよな)と判断した。

「それはそれとして、あんたも悪いんだかんね」

「俺?」

 ルイズは才人を見上げて、睨み付けた。

「そうよ。あんたが、私の自信を失わせるようなことばっかり……」

 そこまで言った時、ルイズの中で感情が溢れ出した。

 悔しかった事。哀しかった事。才人が部屋を出て行って1日も経って居無いのにも関わらず、もう2度と戻って来ないのではないかと想ってしまった事。

 色々な想いが溢れ出てしまい、ルイズの目から涙が溢れた。

 ルイズは才人の胸を、ポカポカと叩いた。

「何であんたって意地悪ばっかりするのよ? 何で私の嫌がることばっかりするのよ? 何で出て行くのよ? 嫌だ……いなくなっちゃやだぁ……うえ~~~ん」

 ルイズはとうとう、顔をくしゃくしゃに歪めて泣き出してしまった。

 こんな風に泣かれてしまっては、才人にはどうすることもできず負けであるといえるだろう。泣かしてしまった時点で、才人に非があるといえるのだから。

 余裕を噛まして、ルイズの気を惹くような真似をしたこともまた一因なのだから。

 ルイズは未だ子供かもしれないが……しっかり自分の過ちをも認めるだけの器量がある。

「御免な」

「……いなくなったらやだ……何しても良いけど、それだけは駄目なんだから」

 ぐず、ぐし、ぐしゅ、とルイズは目の下を擦り上げる。

 才人はどうすれば良いのか理解らず、そんなルイズの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 暫くルイズはそんな風に泣いていたが……其の内に泣き止み、唇を尖らせて才人を睨んだ。

「どうした?」

「仲直りする」

「うん」

 才人は首肯いた。

「違うの。サイトから言わないと駄目成の」

「仲直りしよう。な?」

 才人は手を差し出した。

 しかしルイズはプイッと横を向いた。

「レディに仲直りを申し込むのよ。言葉じゃたりないでしょ。もう」

「だったら、どうすりゃ良いんだよ?」

 するとルイズは、怒った様な声で呟いた。

「キスして」

 横を向いて、怒ったようにそんなことを言うルイズは、才人にとっては眩し過ぎるほどに可愛らしいモノであった。

 才人はフララフラとルイズの頬を持ち上げた。

 ふん、と鼻を鳴らして、への字の口のままルイズは目を瞑る。

 唇を重ねると、ルイズは僅かに目を開いた。そしてまた瞑る。

 十数秒の後、唇を離すと、ルイズはブチブチと文句を並べ始めた。主に才人の態度に対する、取り留めのない愚痴である。

 良く理解らないままに、才人はうんうんと首肯いて聞いてやった。

 最後にルイズは、大きく深呼吸をすると、才人に尋ねた。

「正直に言って頂戴」

「ああ」

「やっぱり、ティファニアみたいな娘の方が好きなんでしょ? 私の様な子供みたいな身体をした娘は、あんまり好きじゃないんでしょ?」

 才人はルイズの目を見て、キッパリと言った。

「俺は男だから……どうにも惹かれることは否定しない。それは本能なんだ。だがな、だけどな……」

 真っ直ぐにルイズの目を見て、才人は言った。

「ルイズみたいなモノも好きだ。いや……むしろそっちの方が好きだ」

 ルイズは一瞬、頬を染めた。

「ほ、ホント?」

「ああ」

 何か吹っ切れた顔で、才人は言った。とても清々しい笑顔であるといえるだろう。

「じゃ、じゃあ……」

 ルイズは、はにかみながらシャツの胸元を弄った。

 その仕草に、ときめく何かを感じて、才人の身体に電流が奔った。

「じゃあ、何? じゃあ、何?」

 才人は息急き切って、ルイズへと躙り寄る。

 ルイズは息を大きく吸い込み、吐き出した。それから才人を見上げた。その頬が真っ赤に染まっているのが判るだろう。

 才人の背後で、ユラリと、小さな影が立ち上がったのはその時であった。

 その小さな影は才人の背中に、ひし、と抱き着いた。

「……怖い」

 小さな声で、影は呟いた。

 それは……生まれたままともいえる姿のタバサであった。気絶から目覚めたばかりであるために、ボンヤリと夢を見ているかの様子である。

 掛けて置いただけであったために、パーカーが落ちてしまっている。

 才人の中で生まれた希望が、一瞬で絶望へと変わって行った。

 ルイズは青い髪の小さな少女、床に落ちた才人のパーカー、才人の顔へと視線をズラした。

 そのたびに、ルイズの顔が甘いモノから凶相へと変わって行く。

 ルイズの目が吊り上がり、肩が、背中が、頭が、脚が……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、と震え出す。

「誤解なんだ」

 才人は、諦め切った声で言った。

「へ、へぇ……そそそ、そぉ……ななななな、成る程ね……私みたいに小さい娘が好きって、どうやらホントの様ね」

「誤解なんだ」

 ルイズは“呪文”を唱え始めた。

 才人はタバサに被害が及ばないように、隣に退けてやった。

 然し、まだ夢見心地であるタバサは、「おばけ怖い」と幼子のように才人の腕にしがみ付く。

 そんなタバサを、イーヴァルディは“霊体化”を解き、才人からソッと引き離す。

「私よりぃいいいいいい! 小さなぁああああああああ! 娘ぉおおおおおおおおおおにぃいいいいいいッ!」

 ルイズの“呪文”の威力が、メキリ、と音を立てて跳ね上がることが理解できるだろう。

 才人は、(はは、最初からこうなる運命だったんだ)、と爽やかな笑顔で、己の運命を受け入れるべく、両腕を広げた。

 

 

 

 時を同じくして。

 女子生徒達に取っ締められてしまった騎士隊の面々は、広場にて縄で縛り上げられてしまっていた。

「……さて。騎士隊の諸君」

「な、何かね……?」

 彼等覗き魔として捕まってしまった騎士隊の面々の前には、被害者で在る女生徒達と俺がいる。

 女生徒達は腕組をし、冷ややかな目で騎士隊の面々を見下している。

 俺の言葉に、騎士隊の面々は怯え、隊長のギーシュが代表して尋ねて来る。

「男としてそういった行動に出たい、したい、しようと言った考えに行き着くことは理解できる。が」

 男子生徒達は、戦々恐々といった風で在る。

 騎士隊の隊員達はホッとした様子を見せる。

「女生徒達からの罰だけでは物足りないだろう?」

「いやいや、そんなことは。と言うか、君だってあの時止めなかったじゃな――」

「――そうだな。騎士隊としての訓練に、俺も付き合うことにしよう。主に、組手だ」

 遮って発したそんな俺の言葉に、だが直ぐに、青い顔に成った。

 才人と2人掛かりで在ったとは云え、110,000の軍勢を足止めした存在が相手なのだから当然だろう。

「正直に言うとだね……”マスター”であるシオンの裸を見られたということに、少しばかり苛立っているのだよ。私は……」

 そう言って俺は、木刀を“投影”する。

「何、勿論手加減はするし、ハンデは在る。俺に一太刀……一撃でも、“魔法”を当てることができれば良しとしようじゃないか」

 双つの月が見守るなか、騎士隊の少年達の断末魔が響いた。



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才人1日使用権と惚れ薬騒動

 “トリステイン”の首都“トリスタニア”。

 “チクトンネ街”に面した“魅惑の妖精亭”では、2人の黒髪の少女が談笑していた。

「ねえシエスタ。で、そろそろサイトはモノにしたの?」

 無邪気にそう尋ねたのは、“魅惑の妖精亭”の看板娘であるジェシカだ。

 シエスタは、従妹に当たる少女にそう問われて、顔を赤らめた。

 シエスタは昨日、実家から送って貰った春野菜を届けに駅馬車で、“魅惑の妖精亭”までやって来たのである。

 酒場を営むスカロンは、シエスタの母方の叔父に当たる。

「モノにしたなんて……そんな言い方は良くないわ、ジェシカ。第一サイトさんは、私のそういう人じゃないもの。御奉公先の、御主人様よ」

 いつもの“魔法学院”のメイド服ではなく、淡い草色のワンピースに身を包み、白いリボンの付いた麦藁帽子を冠ったシエスタは、恥ずかしそうにモジモジとして言った。

「何言ってるのよ。“アルビオン”でのシエスタの態度見てたらバレバレよ。兎に角、そんなんじゃまだみたいね」

 ジェシカは、ニヤリと笑って言った。

「全く、私の従姉妹ともあろう者が、好きな男1人振り向かせられないなんて、信じられないわ」

 シエスタは、困った様に視線を泳がせた。

 この1つ歳下の従妹は、こと恋に関してはシエスタなど及びも着かないであろうほどに百戦錬磨の達人ともいえるほどである。

「……だって、サイトさんには好きな人がいるし」

 モジモジとしながら、シエスタは言った。親戚の前であると、いつもの大胆さも影を潜め、清楚な地が出るのであった。

「ルイズでしょ?」

 ピクリ、とシエスタの眉が動いた。

 少し硬くなった表情で、シエスタは御茶を飲んだ。

 ジェシカは、そんなシエスタを上から下まで眺めて、「別に、あたしが従妹だからって贔屓目じゃなくって、シエスタ負けてないよ」と励ます。

 そんな風に言われて、シエスタはニコッと笑みを浮かべた。

「でも……ミス・ヴァリエールとサイトさんは、とっても強い絆で結ばれてるし……良いの」

「何が良いの?」

「私は2番目で……」

 そうシエスタが言った時、ジェシカの目が吊り上がった。

「ちょっと! シエシエ! あんた何言ってるのよ!?」

「シエ?」

「駄目よそんなの! ああ~~~!もう、何てことかしら! あたしの従妹がこんな負け犬思考だなんて……情けない!」

 ジェシカはまるで自分の事で在るかの様に、地団駄を踏んだ、

「でも、私も割りと大胆に……その……何でもないっ!」

 自分は決して負け犬思考ではないということを伝えようとしたが……シエスタは恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめた。シエスタは想い詰めると大胆なこともできるるのだが、元々は控え目な性格であるのだ。

 ジェシカは、そんな従妹にグッと顔を近付けた。

「ルイズとも知り合いだけど、今回はシエスタ、あんたの肩を持つよ。何せ大事な従妹だからね」

「う、うん」

 シエスタは完全に呑まれた顔で首肯いた。春野菜を届けに来て、説教されるとは想わなかったのである。

「まあ確かにサイトって、フラフラしてるようで割りと一途だしね……巫山戯てちょっかい掛けても、そんなに乗って来なかったし……」

 その時、シエスタの目がジロリと吊り上がった。

「ジェシカ?」

 シエスタは身を乗り出し、従妹の耳を抓む。

「じょ、冗談だったの! ホントよ!」

「もう、貴女が1番信用できない」

 そんな目でシエスタが従妹を睨むと、ペロッとジェシカは舌を出した。

「だってその時は、シエスタと知り合いだなんて知らなかったしさ……まあ、今は協力するって言ってるんだから、そんなに怒らないでよ」

 ジェシカはそう言うと立ち上がり、何かを取って戻って来た。

「これ、何?」

 それは、紫色の瓶であった。ハートの形をしており、そういったこともあっていかにも胡散臭さを感じさせる代物である。

「昨日、馬鹿な“貴族”の客がいてさー、あたしにそれを呑ませようとしたんだよね。怪しいから問い詰めたら、“惚れ薬”だって。笑っちゃうよね」

「えええええ!? 禁制の品じゃない!」

 シエスタが叫ぶと、ジェシカは身を乗り出してその口を押させた。

「しっ! 声が大きいよ! どうやらこの“惚れ薬”は特殊なモノで、1日しか効かないんだって。だからバレルる心配はないよ。でも、1日あれば十分既成事実は作れるだろ?」

 ジェシカに悪戯っぽく言われ、シエスタの頬が赤らんだ。

「でも……やっぱり卑怯だわ。そんなの」

「良いんだよ! “貴族”に対抗するにゃ、“魔法薬(ポーション)”くらい使わなきゃ、公平とはいえないよ。遠慮なく使っちゃいな」

 ジェシカはシエスタの鞄に、その“惚れ薬”を捩じ込んだ。

 

 

 

 

 

 翌日の夕方……。

 “魔法学院”のルイズの部屋に戻って来たシエスタは、机に肘を突いて、その“惚れ薬”をジッと見詰めていた。

 シエスタの心の中で、2つの想いが巡る。

 シエスタは、(いっそこれを使ってしまおうかしら?)と考えるが、ブルブルンと首を横に振る。そして、(駄目よシエスタ。絶対に駄目! こんな、“魔法”で人の心を操ろうだなんて! 卑怯だわ!)と想った。

 それから、シエスタは、いつかのルイズのことを想い出す。モンモランシーが調合した“惚れ薬”で、ルイズが才人にメロメロに成った、というより本人が否定していた感情やら気持ちやらが表に出た時のことである。

 シエスタは、(“魔法”って怖い! あのミス・ヴァリエールが、あんな風に秘めてる愛情を露わにするなんて! バレバレだけど! サイトさん以外には! ううん、最近はサイトさんも気付き始めて……まあ良いわ!)と想った。

 シエスタは女の勘で、どれだけルイズが才人に惚れているのかということを知っており、(あれは相当なモノね)とも想っている。シエスタも同様に才人の事を異性として好きでいるのだが、もしかするとルイズの好きはもっとなのかもしれないとシエスタは危惧していたのである。だが、プライドの塊のようなルイズがそれを才人の前では絶対に認めようともsないということもまた、シエスタは併せて知っていた。

 そういったルイズを、あのようにしてしまう“魔法の薬”というモノに、シエスタは驚きを隠せずにいたのである。

 シエスタは、(“惚れ薬”で変わってしまったサイトさんなんて、サイトさんじゃないわ! でも……あんな風に“好き好き”言われたら、気持ち好いだろうなあ……)と少しウットリとした様子を見せる。

 それからシエスタは、(1日だけなら……)と瓶に手を伸ばそうとするが、(駄目よ!)と手を引っ込めた。

 そんなことを何回も繰り返す。

 そのうちに、シエスタの頭に妄想が浮かんだ。

 使用例その1……ミス・ヴァリエールが寝ている隙に呑ませる。

 シエスタはその際の様子を想像して、きゃあきゃあ! と喚き始めた。(隣でミス・ヴァリエールが寝ているのに! 大胆過ぎますわ! 大胆の極みですわ!)、と顔を派手に茹だらせながら、シエスタは、ワナワナと震えた。

 シエスタのその右手が“惚れ薬”へと延びる。が、その右手を、隙かさず左手で制する。

 使用例その2……“バタフライ伯爵夫人の優雅な1日”の第2章。

 シエスタは顔を押さえると、わあわあわあ! と喚いた。

「そんな……不味いわ。いや、不味いなんて単語は、小さ過ぎ。不謹慎! ええ、不謹慎の極み!」

 そんな風にシエスタが1人身体を抱き締めて悶えていると、ばたん! と扉が開いた。

 相当キツい顔のルイズが入って来たのである。鎖を握り、何かボロ雑巾みたいなモノを引き摺っている。

「ミス・ヴァリエール! それ、何ですか?」

「“使い魔”よ」

 成る程、見ればそれはかつて才人であったといえるモノであった。

 ズタボロになってしまい、ときたまピクピクと痙攣でもしているかのように動いている。

「あらまあ、何したんですか?」

 シエスタはしゃがむと、つんつんと才人を突いて言った。

 ルイズは、腕を組み、怒りが収まらない声で、「一昨日、あんたが出掛けた日に、御風呂を覗いたのよ」と言った。

「まあ」

「その上、ちち、ちちち、小さい娘に……私より、小さい娘に……」

「まあまあ」

 シエスタは転がった才人を見ていると、不憫に想えた。そして、(サイトは、いつもミス・ヴァリエールの為めに命を張っているのに……ちょっとくらいの余所見は仕方ないじゃありませんか……そりゃ自分も最近はミス・ヴァリエールに似て来て、一緒になって痛め付けてしまうこともありますけど……それはまあちょっとですから。流石にここまでやらかすミス・ヴァリエールに、サイトを任せる訳にはいかないんじゃないかしら?)と腕を組んで首肯いた。

 シエスタは、コホン、と咳をすると神妙な顔でルイズに言った。

「ミス・ヴァリエール」

「何よ?」

「そろそろサイトさんの1日使用権を行使させて頂きます」

 ルイズはそんなシエスタと才人を交互に見詰めていたが、「好きにすれば」と言って後ろを向いた。

 シエスタは才人を縛ったロープを解き始めた。

 

 

 

 

 

「痛! 痛だだだだだだだ!」

 中庭のベンチに腰掛け、シエスタに薬を塗って貰いながら、才人は喚いた。

「大丈夫ですか? 全く……私の目がないと、ミス・ヴァリエールはやりたい放題なんだから」

「……大丈夫、じゃない……ったく何々だよあの桃色子供女。散々俺の身体を苛め遣がって……」

 才人は忌々しそうにブツブツと呟いた。

「兎に角救けてくれて有難う」

 才人が礼を言うと、シエスタは頬を赤らめた。

「えっと……その、今日はですね、ミス・ヴァリエールに1日使用権を頂いたんです」

「1日使用権?」

「あ、はい! サイトさんは知らなかったんですね。いつだかミス・ヴァリエールと賭けをしてですね、それで1日サイトさんを好きにできる、いえ、もとい、御付き合い頂くとか、そういう」

 シエスタは嬉しそうにモジモジとした。

「そっかぁ。変な賭けしてるんだな……兎に角そういうことなら喜んで付き合うよ」

 シエスタの顔が、ぱぁああっと輝いた。

「有難う御座います!」

「で、何をすれば良いの?」

「そうですね……」

 シエスタは、(こんなことなら、きちんとアイデアを練っていればよかったわ。勢い余って、行使してしまったけど……私は何をしたいの? シエスタ)と悩み始めた。

 悩みに悩み、シエスタは閃いた。

「そうだ! じゃあ今日は新婚さんごっこしましょう!」

「新婚さんごっこ?」

 才人は呆けた顔になった。

「はい! そうです! 今日は2人はその、新婚さんなんです!」

 シエスタは、有無を言わさぬ迫力で才人へと詰め寄った。

 その迫力に呑まれてしまい、才人は、「う、うん……」、と首肯いた。

 そんなシエスタが才人を引っ張って行ったのは、ズバリ広場にある使用人宿舎であった。

 煉瓦造りの小ぢんまりとした建物である。

 才人を連れたシエスタがそこに入ると、1日の仕事を終えたメイドの少女達が駆け寄って来た。

「まあ! シエスタが恋人を連れて来たわ!」

 そう叫んだのは、シエスタと同室であったローラである。眩しい金髪を揺らして、かつてのルームメイトの肩を叩いた。

「なあに、どうしたの? 何の用?」

 気付くと周りには、“魔法学院”で働くメイド達が鈴鳴りになっていた。

 彼女達は昼間、食堂やホールで見せる、僅かに唇を持ち上げる仕事用の笑顔などではなく、素の少女の笑顔を見せている。一様に才人を指さし、意味深にニヤニヤとした笑いを浮かべて何か噂し合っている。

 まるで自分が見世物にでもなってしまったかのような気分になり、才人は恥ずかしくなった。この様な注目を浴びるということに、どうにもやはり慣れていないのである。

「ねえローラ。御願いがあるの」

 シエスタはそんな騒ぎが満更でもない様子を見せて、両手に頬を添えながら、ローラに頼み事を申し出た。

「なぁに?」

「あの……部屋を貸して欲しいの。1日だけで良いんだけど……」

「良いわよ。メイド長には黙ってて上げる」

 ニッコリとローラは笑った。

 周りから歓声が飛んだ。

 シエスタは顔を真っ赤に染めて、つかつかと昔使っていた部屋へと急いだ。

「良いの? ここって男の人が入って……」

 少し心配そうな声で才人が尋ねる。

 ルイズの部屋も女子寮であるのだが、才人は“使い魔”であることからも許可されているのだが。

 シエスタはニコッと笑った。

「ホントは駄目です」

「うわ」

「でも、皆がやってますし……恋人を入れたりとか。私もそういうの、ちょっと憧れてて……その……」

 シエスタはモジモジとし始めた。日頃は大胆ともいえる行動を繰り返しているのだが……ここは昔生活していた場所ということもあって、その頃の初々しさなどといったモノ、そういう雰囲気を無意識のうちに取り戻してしまっているのであろう。

 2階に上ると、同じようなドアが幾つも並んでいる。街で頻く見る宿屋のような造りをしている。

「ここです。私が昔使ってた部屋」

 シエスタは木の扉を開けた。

 中は狭い部屋である。ルイズの部屋の半分もないことが判る。左右の壁際に、1つずつベッドが並んでいる。粗末な造りであるといえるが、綺麗に洗濯された真っ白なシーツが掛けられていることが判る。女子部屋らしく、御香を焚き込めた香りが鼻を突いた。

「わあ、懐かしい」

 シエスタは少しはしゃいだ様子で、窓を開けた。

 夕陽に陽光る、本塔が見える。

 才人が所在なく突っ立っていると、シエスタは椅子へ腰掛ける事を勧めた。

「まあ、座ってくださいな」

 才人が腰掛けると、シエスタは机の上の水差しを取ってグラスに水を注ぎ、才人へと渡す。

「で、新婚さんごっこ、って何するの?」

 才人が尋ねると、シエスタは顔を真っ赤にした。それから、きゃあきゃあ、と1人で何やら盛り上がった様子を見せる。

 才人もまた想像してしまい、鼻の奥が、ツン、として来た事を感じ取る。そして、(でも、良いんだろか? シエスタと俺付き合ってる訳じゃないし……)と不安や疑問を感じた。

 きゃあきゃあと言っていたシエスタは、それから険しい顔になり、扉へと近付いた。扉を、バァーン、と開くと、廊下で扉に耳を当てて聞き耳を立てていたらしい女の子達が中にドッと雪崩れ込んで来る。

「ちょっと! 何してるのよ!?」

 シエスタは手を腰に置くと、大きな声で怒鳴った。

 きゃあきゃあ騒ぎながら、女の子達は蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行く。

「ご、ごめんなさいね」

「いや、別に……ちょっと驚いたけど。皆昼間“学園”で見る時とは随分印象が違うなあ」

 “貴族”の女子寮内では、余り付き合いは見ることができない。個人主義が徹底しているのであろう、友達同士で部屋を行き来する光景が殆ど見ることができないのである。

 付き合いも社交の一種と捉えている“貴族”の女子達は、昼間、ホールやカフェテラスで談笑するのが御友達同士の御付き合いといえるだろう。

 よって、こんな風に皆が仲良さそうな雰囲気を見せるということが、才人にとっては新鮮なことであったのだ。

「そりゃ昼間は御仕事ですから。夜になれば地が出ちゃいますわ」

 ははは……と才人は笑った。

 1人の御転婆少女が、どうやってそこまで来たのか、窓の外から部屋の中を見詰めている。

 シエスタは、もう! と叫んで、カーテンを閉めた。

「で、新婚さんごっこなんですけど……」

 ちょこん、とシエスタは椅子に腰掛け、才人を見詰めた。

「は、はい」

 才人も緊張して、シエスタを見詰める。

「私、御嫁さん。サイトさん、旦那さん、です」

 真顔でシエスタは言い放った。

「ままごとみたいなもんかな?」

 恐る恐る才人がそう言うと、シエスタは顔を赤らめた。

「そ、そうですね。ただもう私もサイトさんも子供じゃないので……」

「はい」

「軽く大人が入ってます」

 才人は激しく緊張し始めた。

「じゃあ、取り敢えず。貴男、と呼びますんで」

「どうぞ」

「貴男、おかえりなさい」

「只今」

 シエスタは、激しく頬を染めて、横を向いた。それから、ぷはぁ、と思い切り息を吐き出す。

「どうした?」

「い、息が一瞬止まりました」

 そんな風に言うシエスタが、何だか激しく可愛らしいと才人は想った。

 才人は何と言えば良いのか判らず、一緒になってモジモジとし始める。(こ、これが新婚の照れかぁ……)、などといった言葉が、才人の頭を過る。

「え、えっと、御飯にします? それとも御風呂に入って来ますか? あっと、そのその……それとも……」

 シエスタはキュッと、シャツのボタンを握り締めた。

 才人は(し、しまった)、と思った。(今、“私?”、とベタに訊かれたら、自分に逃れる術はない)ということ気付いたのである。

 2人の間を緊張が包む

 シエスタは立ち上がり、ドアを開けた。どどどど、と例によって少女達が雪崩れ込む。

 シエスタは、「出て行きなさいよぉ!」と怒鳴って、友人達を蹴り飛ばした。それから壁に近付き、バンバンバンバン! と箒で叩いた。

 薄い壁の向こうで、聞き耳を立てていたらしい少女達が転げる音が響く。

 最後にシエスタは窓に向かって椅子を打ん投げた。

 きゃあああああ! と喚いて、1人の少女が首を引っ込めた。

 何事もなかったかのようにシエスタは才人の元へと戻って来て、椅子に座る。

「私?」

 と、可愛く首を傾げたシエスタに、才人は即答した。

「御飯」

 シエスタは、「理解りました」、とニコッと笑みを浮かべて部屋を出て行った。

 才人は、頭を抱えた。色々な重圧が方に重く圧し掛かって来るのである。それから、(いや軽々しく1日使用権とやらに首肯いてしまったが……俺はこの誘惑に耐え切れるのか? 多分シエスタとむにゃむにゃなことになったら、ルイズに殺されるだろうけど、どうしてまたあいつってば軽々しく送り出しだんろう? 罰の一種? そうかもしれないな、今日のシエスタは手強い。しょっぱなから御飯御風呂私の3択を繰り出して来たもんな。卑怯だ。この先、どんな爆弾を持って来るのか予想もつかない)と才人は、暗くなり始める窓の外を見て、ぬゥおおおおおおおおおお、と頭を抱えて、苦悩した。

 

 

 

 

 使用人女子寮の厨房に立ったシエスタは、ひっきりなしにやって来る同僚達の猛攻に頭を痛めた。

「ちょっと! 私は忙しいって言ってるでしょ!」

「ねえねえシエスタ、この香辛料を試しなさいよ! 彼、きっと喜ぶわよ!」

 テレビも何も無い世界である。が、やはりどこの世界、どの時代であろうとも、少女達にとって他人の恋愛事は何よりの娯楽であった。

 少女達は、久し振りの恋愛イベントに夢中である。

「ねえねえ、今日決めちゃうの? 決めちゃうの?」

 そんなことを尋ねては、きゃあきゃあわあわあ、と姦しいことこのうえないといえるだろう。

 シエスタはそのたびに料理の手を止め、「退いて!」、「邪魔でしょ!」、などと友人達を怒鳴り付けるのであった。

「でも、サイト様って、今じゃ“貴族”なんでしょ? シエスタ、凄いわよねぇ……玉の輿じゃない!」

 ルームメイトだったローラが、興味津々といった顔でシエスタへと近付く。

 シエスタは首を横に振った。

「別に、“貴族”だからっておしたいしている訳じゃないわ」

「そうよね。“貴族”なんて殆ど、御高く止まってて、御付き合いしても窮屈だもの。その点、あのサイト様は良いわね。元は“平民”。今は“貴族”。結婚するには最高じゃない!」

「だから、身分は関係ないの」

 シエスタは、少し哀しい表情を浮かべ、シチューの鍋を掻き回した。

 そんなかつてのルームメイトの顔に何か勘付いたらしいローラが、シエスタの顔を覗き込む。

「そうよねえ。何度も手柄を立てられた立派な殿方ですもの。最近は、あの“空中装甲騎士団”との一件で、人気を落とされているみたいだけど、それでも輝かしいわ。“貴族”の御嬢様方だって、放っとかないでしょうね」

 シエスタは少しムッとした様子で、黙々と料理を続けた。

「でもシエスタ。貴女だって全然負けてないわよ?」

「そうよそうよ!」

 と、少女達は首肯き合う。

「はいはい。兎に角料理を運ぶから、退いて頂戴」

 ローラには、何か計画があったらしい。少女達に目配せをした。

 すると、シエスタの周りを同僚達が取り囲む。

「な、何よ?」

「其れぇ~~~」

 少女達は一斉にシエスタへと取り付き、その服を脱がし始めた。

「な、何するの!? ちょっと!」

 あっと言う間に、シエスタは裸に剥かれてしまった。

「ねえ、服返して!」

 身体の要所要所を手で隠しながら、シエスタが怒鳴る。

 ローラは1枚のエプロンを、そんなシエスタへと手渡した。

「……何これ?」

「エプロン」

「他には?」

「それだけ」

 シエスタは耳まで真っ赤になった。

「い、幾ら何でも、はしたない思うわ」

「一緒に御風呂に入った癖に、今更何言ってるの?」

 ローラは、シエスタが今まで行ったアプローチの全てを既に知っているのである。

 シエスタは顔を赤らめる。

「良いじゃない。ここは女子宿舎だし。他の殿方の目はないわ」

「そ、そういう問題じゃ……」

「“貴族”の御嬢様がライバルなんでしょう? そのくらいしなきゃ勝てないわよ。貴女には貴女の武器があるんだから」

「私の武器?」

「そうよ」

 ローラは、悪戯っぽい笑みを浮かべるとシエスタの胸から御腹を、ツイッと撫で上げた。

「この肌よ。貴女の肌のきめ細やかさには、いつも驚くわ。“貴族”の御嬢様だって、貴女の肌には敵わない。有効に使わなきゃ、勿体ないじゃない? ねえ?」

「そうよそうよ。それに新婚さんはエプロン1つで旦那様に給仕するのよ!」

 悪乗りした乙女達が、口々にそんな事を言い放つ。

 シエスタはフラフラとエプロンを身に着けた。

 確かに前から見れば、身体は隠れるのだが……横から見らえれてしまうと、非常に怪しいといえるだろう。

 シエスタは茹だった顔で、料理を盆に載せて行く。

 しかし、デザートが見当たらない。

「デザートのクリーム菓子をどこにやったの?」

 そうシエスタが尋ねると、更にローラは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「デザートは、別よ」

 その手に、カスタードクリームが入ったホイップが握られていた。

 

 

 

 

 どのくらい待っただろうか。

 才人が(腹減ったなあ……)と思いながらボンヤリと肘を突いて待っていると、扉が開いた。

 入って来たシエスタを見て、才人は思いっ切り椅子から滑り落ちてしまった。

 シエスタの格好は、どこからどう見ても常軌を逸しているのである。

「シ、シエスタ……それ……伝説の裸エプロン……」

 才人は、(現実に存在するとは……)といった感想を抱き、死にそうな想いになった。

 今のシエスタの裸エプロンには、微妙にアレンジが加えられていることが判った。何といつもの膝までのニーソックスは着用に及んでいるのである。丁寧に、頭の上にはメイドのカチューシャが光っている。

「何で、そんな……そんな格好……」

 ボロボロとみっともなく感動の涙を流しながら才人がそう言うと、シエスタは毅然として言った。

「暑いんです」

「あ、暑くないよ……まだ春じゃないか……」

「暑いんです」

 キッパリと、シエスタは言った。

 それ以上何も言うことができなくなり、才人は黙ってしまった。

 才人が激しく緊張しながら座っていると、シエスタは料理をテーブルに並べ始めた。

 シエスタが腕を伸ばすたびに、エプロンの隙間から弾けんばかりの胸が見えそうになる。

 同時に、素朴であるが、美味しそうな料理が並んで行く。

 シエスタが自分の席に座るために、才人背を向けた時が、才人にとって真の地獄であり、天国でもあった。

 見える、見えるのである。その白い、眩い程に柔らかそうな御尻が見えるのである。

 才人は、(見たらきっと俺は俺でなってしまう)とそう判断し、必死になって太腿を抓り上げ、視線をズラすので在あった。

 シエスタは才人の真正面にチョコンと腰掛けた。

「お、美味しいと想います。食べて下さい」

 その意味を二重に取りつつも、才人は料理を口に運んだ。が、肉であるのか、魚であるのか、野菜であるのか、今の才人にはさっぱり判らなかった。ただ眼の前のシエスタに、意識と神経が集中してしまっているのである。

「わ、私も頂きます」

 シエスタは、ひょい、と何気なく腕を伸ばす。ただそれだけの仕草で、エプロンが弛めき、中に在る脱いだら凄いであろう果実が揺れる。横からであれば確実に見えてしまうだろう。

 そんな才人の脳内のシアターを想像してか、シエスタは更にとんでもないことをサラッと口にする。

「……椅子、動かして横に来ます?」

 思わず才人が首肯きそうに成った。

 その時……。

 シエスタの後ろの窓に掛かったカーテンが風で戦ぎ、青い影が通り過ぎる。

「え?」

 次にまた、青い影がユックリと通り過ぎた。

 それは、シルフィードに跨った、ルイズとタバサであった。

 ルイズの目が、怒り、という文字では表しきれないほどに燃え上がっていることがわかるだろう。

 タバサは、普段と変わることもなく読書に耽っている。

 才人が固まっていると、シルフィードに跨ったルイズは何度も窓の外を通り過ぎた。その口が、通り過ぎるたびにこう動く。

 

――“それ以上”。

 

――“近付いたら”。

 

――“殺す”。

 

 才人は震えた。裸エプロンのシエスタを前にして、一晩中我慢しなければならないのである。これは、才人にとって拷問とでもいえるだろう。今直ぐここから逃げ出したい衝動に、才人は駆られた。

 自身の背後で何が起こっているのか判らないでいるシエスタは、ニッコリと微笑み、才人のグラスへとワインを注いだり、終いには顔を真っ赤にして「スプーン落としました。拾ってください」などと言い放つ。

 才人は(俺はもう、駄目だ。流石に今日で心を壊す)、と想いながら、「ごめん拾えない、拾ったらきっと俺は人間じゃいられない。でもありがとう」などと夢遊病であるかの様子に呟くのであった。

「トイレ」

 とうとう才人は立ち上がり部屋を出た。

 少し頭を冷やさないとどうにもならない、と感じたのである。

 

 

 

 部屋に残されたシエスタは、勝負の時間が近付いて来ているということを知った。

 そして、鞄から、ジェシカに貰った“惚れ薬”を取り出す。

 ハートマーク型の瓶に、紫色の液体。

 シエスタは、震え手で硝子の蓋を外した。

 キュポン、と軽い音と共に蓋は外れ、“魔法薬(ポーション)”独特の苦そうな香りが漂う。

 シエスタは、それを才人のワイングラスへと近付けた。瓶を持つ手がプルプルと震える。

 シエスタは、(どうしたのシエスタ? 早くこれを、ワインに注ぐの。そうしたら、サイトさんはシエスタ、貴女のモノよ?)と想いながら、傍らのテーブルに在った鏡を見詰めた。

 そこに映った自身の姿を、シエスタは見詰める。

 エプロン1枚切りのシエスタは、何とも健康的な色気を放っている。

 そしてシエスタは、(やっぱり……薬でなんて卑怯だわ。自分の魅力だけで勝負しないと……ミス・ヴァリエールに申し訳が立たないわ)と想い直した。

 グッと上を見て、シエスタは瓶に蓋をする。

 シエスタは、(でも……ホントにサイトさんは私を見てくれるのかしら? ここまでやらかして、振り向いてくれなかったら……私どう仕様も無いピエロだわ)と悩みに悩んだ。

 その瞬間、バタン、と扉が開き、トイレに行っていた才人が姿を見せる。

「きゃあ!」

 シエスタは思わず持っていた瓶を窓に向かって放り投げてしまう。

「……どしたの?」

 鼻に丸めた布を差し込んだ才人が、尋ねる。

「い、いえ……窓の外にまた友達の顔が見えたので……あは♪」

 シエスタは、(そうよね、“惚れ薬”でなんて卑怯よね)と想い、内心ホッとした。

 

 

 

 

 

 モンモランシーは“スズリの広場”を、「ギーシュの奴ぅ……」と呟き、苛々としながら歩いていた。

「御風呂を覗くなんて、信じられない!」

 あの後、“水精霊騎士隊”の少年達は、怒り狂った女子達に、コテンパンにされたのである。更にその後、俺と組手をして、“空中装甲騎士団”との乱闘で得た傷よりも、深い傷を負ったのであった。

 彼等は医務室へと逆戻りする羽目になったのだが、俺とシオン以外の皆は、もう誰も見舞いには行かなかった。

 今では“水精霊騎士隊”は、変態の代名詞になってしまっている。まさに、三日天下であるといえるだろうか。

 退学を主張する教師もいたのだが、殆ど湯気で見えなかったという言い訳と、腐っても近衛隊、女王陛下に責が及んではならぬ、などという理由、そしてシオンの言葉もあって、どうにか退学だけは免れることになったのであった。結果、彼等は訓練の時間を使った、1ヶ月の奉仕活動で何とか赦されることになったのである。

 がしかし、モンモランシーの怒りは収まることはない。

 モンモランシーは、(今日はどんな水責めをあの変態隊長にしてやろうかしら?)と考えながら歩いている。

 すると……モンモランシーの眼の前に、ハートの形をした瓶が、どすん! と音を立てて落ちて来た。

 モンモランシーは、その瓶を取り上げる。

「“魔法薬(ポーション)”じゃないの」

 モンモランシーの趣味は、知っての通り“魔法薬(ポーション)”の調合である。

 今、空から降って来たこの“魔法薬”の正体を、モンモランシーは知りたくて堪らなくなってしまった。

 モンモランシーは蓋を開けて、クンクンと匂いを嗅ぐ。それから、直ぐにその正体に気付いた。

 その瞬間だった。

 何度も低空飛行しながらシエスタの部屋を偵察して居たシルフィードに煽られてしまい、モンモランシーは思わず瓶の口を咥えてしまう。

「げほっ!?」

 喉の中に、紫色の液体が注ぎ込まれ、モンモランシーは咽た。

「いけない……呑んじゃった」

 そんなモンモランシーの前に、シルフィードが飛び降りて来る。

「ごめん、モンモランシー、大丈夫?」

 降りて来たのは、ルイズであった。

 モンモランシーは、(ヤバイ、私の勘が正しければ、この“魔法薬”は……)と想い、顔を伏せた。

「さっき落ちて来たモノ、何?」

 ルイズが尋ねる。

「あ、あっち行って!」

 モンモランシーは叫んだ、

 しかし、ルイズは御構いなしに近付いて来ると、モンモランシーの手から瓶を取り上げた。

 モンモランシーは咄嗟に目を瞑ろうとしたのだが、遅かった。

 ルイズの桃色のブロンドと、創りの良い美少女顔がモンモランシーの目に飛び込んで来たのである。

「何これ? 何であの娘はこんなモノを窓から投げたの? ねえ、モンモランシー、これ一体何だと想う? ……え?」

 ルイズは、自分を見詰めるモンモランシーの様子が尋常ではないということに気付いた。

 モンモランシーは、頬を染め、潤んだ目でルイズを見詰めているのである。

「何よ? その目……?」

 背筋にヒンヤリとするモノを感じ取り、ルイズはモンモランシーから離れようとした。

「……ルイズ」

 モンモランシーは熱に浮かされた様子で、ルイズへと近付く。

「じゃあまたね。さよなら」

 ルイズは駆け出そうとしたのだが、その手がガッシリとモンモランシーに掴まれる。

「前から知ってたけど……貴女ってとんでもなく可愛いのね。ドキドキしちゃう……」

 モンモランシーはルイズの腕を手繰り寄せ、その小さい身体を包み込むように抱き締めた。

 ルイズの全身に悪寒が奔る。

「は、離して! 気持ち悪い! 気持ち悪いってば!」

「そんな事言わないで。ほら、私の胸の鼓動が聞こ得る? 貴女を想って、こんなに鳴り響いてるの。私の身体を流れる水が、ただ1つの答えを教えてくれる……」

「止めて! 止めて!」

「貴女が好きよって……」

 モンモランシーは、ルイズの唇にガシッと自分のそれを重ねると、暴れるルイズを強く抱き締めた。

 モンモランシーの方が、身体が大きい。

 非力といえるルイズは碌な抵抗をすることもできずに、まるで蜘蛛に捕らえられた蝶のように茂みへと運ばれて行った。

「嫌だ! モンモランシー! 御願い! あのね! あんた女で私も女で! そういうことは! むぐっ!?」

 シャツを半分脱がされたルイズは、茂みからどうにか顔を突き出すと、いつの間にかベンチに座っていたタバサへと叫んだ。

「ちょっと! タバサ! 救けて! 御願い! このままじゃ私!」

 しかしタバサはまるっきりそっちの方を向きもしない。

「偵察は手伝う。他は関係ない」

 まるで人の恋路に嘴を挟むのは御免だ、といった態度である。

「ちょっと! モンモランシー! そこ駄目! 本気でそこ触ったら駄目! 嫌ぁ! 嫌ぁ! 嫌ぁあああああああ!」

 ルイズはズルズルと、再び茂みへと引き込まれた。

 10分程経った頃、ルイズはボロボロの身体で茂みから這い出て来た、

 そのスカートを握っていた、気絶したモンモランシーの腕が、ごてん、と地面に投げ出された。

 モンモランシーもルイズも、散々な格好であるといえるだろう。服は彼方此方が破れ、自慢の金髪の桃髪はボサボサである。

「な。何考えてんのよ!?」

 ルイズは、茂みに向かって怒鳴る。

 貞操を守るために、ルイズは必死の抵抗を行ったのである。モンモランシーとルイズの格闘力はほぼ互角だといっても良いだろう。力の差を、才人相手に鍛えた技でどうにか跳ね返し、ルイズは何とか貞操を守り通すことができたのである。

 しかし……今日のルイズはトコトンツキに見放されてしまっているらしい。

 そこにキュルケが通り掛かったのである。

 キュルケは、ボロボロのルイズとモンモランシーに気付き、そこで何が起こっていたのか、なんとなく理解したらしい。

「貴女達……女同士で何してるの? あっきれた。幾ら御互い恋人に相手にされないからって……とうとう女にしたって訳ぇ? 信じられない!」

 さてさて、シエスタがジェシカから貰った“惚れ薬”は兎に角安物であった。闇市で仕入れられた、怪しい品である。その効果時間は短いのみならず、もう1つ致命的な欠陥を抱えているのである。

 効果が、伝染、するのである。

 モンモランシーに唇を奪われてしまったルイズに、当然“惚れ薬”の効果は伝染っていた。

 それに気付くこともなく、真正面からルイズはキュルケを見てしまったモノだから堪らない。

 ルイズの頬がジョジョに染まり出す。

 キュルケは、目を瞑ったまま、指を立てて得意げに語った。

「良い事? 相手をモノにするのに何より大事なのは情熱よ。火のような情熱が、相手の心を溶かすの。貴女達は……むぐっ!?」

 キュルケは驚いた。いきなり自分の唇が、何かに塞がれてしまったのだから。

 信じられない、といった顔で、キュルケは眼の前の桃髪少女を見詰めた。

 ルイズはウットリとした様子で、キュルケと唇を重ねている。

 余りの予想外の出来事に、流石のキュルケも腰を抜かしてしまった。へたり、と倒れ込み、ルイズの上半身を引き剥がす。

「ル、ルイズ? ちょっと、ど、どうい……」

「キュルケ。私、あんたなんか大っ嫌いなんだから!」

「し、知ってるわ」

「勘違いしないでよね! か、顔見てたらドキドキしちゃうだけなんだから!」

「は、はい?」

「だから責任取って、ちょっとで良いから、じょ、情熱とやらを教えなさいよね!」

「あのね。ルイズあのね」

 キュルケは、伸し掛かって来るルイズを跳ね除けようとする。

 がしかし、慌てているために上手く行かない。

 揉み合う内に、シャツの隙間にルイズの小さな手が滑り込む。

「何よ……この女性らしい膨よかな胸……私にないモノを貴女は沢山持っている。それが赦せない。ああ赦せない。ああ、“微熱のキュルケ”」

 ルイズの手が、自慢の胸をクニクニと揉みしだく。キュルケの全身に鳥肌が立った。

「や、止めてってばあ!」

 珍しく、歳相応の少女らしい可愛い声がキュルケの喉から飛び出る。あまりの事態に、頭が混乱してしまっているのである。

「ルイズ……こっちを見て。貴女にとって誰が1番必要な人間なのか。良く考えて」

 そこに、気絶から覚めたらしいモンモランシーが加わって来て、更に事態は混乱する。

「離して! あんたみたいなペチャには用はないの! 私、キュルケみたいな大きい娘が良いの!」

「何言ってるの。小さい胸には小さいなりに、魅力が詰まってる。私、貴女のこの板みたいな胸、大好きよ……」

 キュルケは、(何これ? 付き合っていられない)とモンモランシーとルイズが揉み合っている間に、腰が抜けたまま、這い蹲ってそこから逃げ出した。

 見ると、近くにタバサがいる。

「タバサ! 救けて!」

 

 

 

 ベンチに腰掛け、夢中になって本を読んでいたタバサは、耳に吹き掛けられたと吐息で物語から現実へと引き戻された。

 タバサは、(シルフィードだろうか? いや、自分の“使い魔”は、ルイズを下ろした時に“御腹が空いた”と言ってどこかに飛んで行ってしまった)と考える。

『“マスター”、今直ぐ此処から離れるんだ』

「……タバサ。あたしの小さいタバサ」

 イーヴァルディの言葉、そして息を吹き掛けて来た何者かの言葉に、タバサは振り向いた。

 親友のキュルケが、そこに立っている。

「?」

 キュルケのその腕が、スッとタバサの背中をかき抱く。

 キュルケの目が、怪しい光に彩られていること判る。

「貴女はあたしの1番の お と も だ ち」

 確かにそれは間違いではない、とタバサは想った。だが同時に、何かが違うということを、タバサは感じた。

 いつものキュルケではない、ということにタバサは気付いたのである。

 その証拠に、キュルケの手がいきなりタバサのスカートに差し込まれた。

「??」

 タバサは起伏の乏しい表情で、親友の手を見詰めた。

 つつつつ、とキュルケの指が、タバサの太腿を撫で上げ、中心へと向かおうとする。

 この行為には何か理由があるのだろうか、などとタバサは首を捻らせる。

 次いで、キュルケは甘くタバサの耳朶を噛んだ。

「???」

「ホントに可愛い……あたしの小さなタバサ。あたし想うの。貴女に、まだまだ教えてないことが沢山あるって。1つ1つ、予習しておきましょうね。貴女が大人になる前に……」

『“マスター”!』

 スカートの中の自分の下着をキュルケが脱がしに掛かったその時に、イーヴァルディの注意を喚起と同時にタバサは立ち上がった。

 タバサの頭の中で危険信号が鳴り響いているのである。兎に角、とんでもない危険の渦中に自分が放り込まれたということを、タバサは理解した。

 タバサは駆け出そうとしたが、キュルケに抱き竦められてしまい、地面に転がる。

 そこでタバサは、直ぐ様“杖”を振るい、“エア・ハンマー”を唱えた。

 空気の塊が、キュルケの身体を吹き飛ばした。

 そんなキュルケにルイズが抱き着き、次いでモンモランシーがルイズへと抱き着く。

 感じたことのない種類の恐怖が、タバサの全身を包む。珍しく、タバサの額に汗が光っていた。

 何が起こっているのか理解できないでいるが、兎に角危険であるということを感じ取ったタバサは駆け出した。それから、シルフィードを呼び、退避した。

 

 

 

「騒がしいね」

「そうだな」

 騒ぎが起こっている場所から離れた所で、俺とシオンは歩いている。

 遠くから悲鳴や物音、嬌声などが聞こ得て来る。それ等は勿論、全て女子のモノである。

 そんな中、1人の少女が此方へと近付いて来る。

「シオン……」

 少女は熱っぽい目で、シオンを見詰めて来ている。熱病にでも罹ってしまったかのように見える。

 その尋常とは言えない様子に、シオンは直ぐに危険を感じ後退る。

「下がっていろ、シオン。いや、一時撤退といこうか」

 俺の言葉に、シオンは首肯く。

 だがその瞬間、少女はシオンへと抱き着き唇を重ねた。

「――!?」

 驚き、少女の身体を、シオンは突き放した。

 其れから、シオンは少女から逃げる様に俺へと寄り添う。

 少女はシオンを追い掛けようとするが、俺はシオンを抱えて一跳躍する。

 それによって、一瞬で距離を離すことができ、シオンは一息吐いた。

「何が起こっているの?」

「あの様子だと、“惚れ薬”だろうな。ほら、見てみろ」

 俺が指さした方向へとシオンは目を向ける。

 其処では、女子同士であるにも関わらずキスをしている者達、嫌がる少女に対して無理矢理押し倒す少女などの姿があった。

「“惚れ薬”の効果とは言え、ふむ、百合か……レズビアン」

 俺とシオンは思わず遠い目でその光景を見遣った。

「“惚れ薬”って、あの時のルイズが呑んでしまった、あれ?」

「あれと比べると、今回のは駄目だな。粗悪品だろう。効果は短時間で済むだろうな。全く……このイベントの存在をすっかり忘れていたよ……にしても」

「何?」

 遠くに見える少女達の行為から、キスされた少女もまた、キスをした少女同様の症状が発症することが判る。

 のだが……。

 シオンに、その兆候は見受けられない。

「俺が持つ、“スキル”の効果もあるのか……」

 俺は、シオンへと目を向け、小さく呟いた。

 

 

 

「何の音でしょう?」

 階下から聞こ得て来る音に、シエスタは首を傾げた。

「凄い音だな」

 先ずは、階下でドアが開く音。

 しばらく後に、悲鳴が響いた。

 ドッタンバッタンと誰かが暴れる音、そして悲鳴、続け様に悲鳴。

「見て来ようか?」

 と才人が立ち上がった時に、部屋に誰かが背中から飛び込んで来る。

「ローラ?」

 それは、シエスタのルームメイトであったローラである。

 シエスタ達に背中を向けたまま、「止めて……御願い。私達女同士じゃない。ねっ?」、などと2人には訳の理解らないことを呟いている。

 シエスタは、危険を感じ、咄嗟に才人の手を握るとベッドの中へと逃げ込んだ。

 同時に、どどどどどどどどッ! と部屋へと数珠繋ぎになった少女達が、雪崩れ込んで来た。

 それから先のことは、もう、地獄と天国の入り混じった、普段御目に掛かることができない光景が広がり、展開された。

「ルイズ! 私の可愛いルイズ! 貴女の桃髪を見ていると、どうにかなりそうなの!」

「キュルケ! 待ちなさいよ! あんたには私がいるじゃない!」

「嗚呼カミーユ! 私のカミーユ!」

「ドミニック! 今夜は離さないわ! 貴女の金髪があたしを狂わせるのよ!」

 モンモランシーにルイズにキュルケ、そして女子使用人の殆どが押し合いへし合いながら、部屋の中を阿鼻叫喚の騒ぎに染め上げて行く。

 才人とシエスタは、布団の中で震えながら、その光景を見付からないように息を潜めながら見詰めていた。

 

 

 

 

 

 騒ぎは唐突に始まり、唐突に収まった。

 ジェシカからシエスタが貰った“惚れ薬”は安物であり、粗悪品である。その効果は下品ともいえ、おまけに効果時間も謳い文句通りとは当然行くはずもなく、僅か1時間程度に過ぎなかった。

 しかし、そのたった1時間であっても、床に伸びた少女達には一生モノのトラウマを植え付けるには十分過ぎるモノであったといえるだろう。

 二日酔いであるかのように、痛む頭を振りながら、モンモランシーが立ち上がる。ボロボロのシャツに気付き、恥ずかしそうに身震いをした後、フニャッと寝起き顔のルイズを見て、オエップ、と口を押さえた。

 髪の毛や服がヨレヨレになったルイズも、自分のキスマークが付きまくったキュルケの褐色の胸元を見詰め、青褪めた顔になり、次いで顔を真っ赤に染めた。

 キュルケはそんなルイズを見詰めたが、何とか余裕の態度を取り戻し、ルイズの耳元で囁いた。

「貴女、中々情熱的だったわよ」

 

 

 部屋に集まった女の子達は、原因を噂し合う。

 モンモランシーが、ポケットからハートマーク型の瓶を取り出す。

「“惚れ薬”よ。粗悪品だけどね」

「一体、誰が“惚れ薬”なんか……」

 と、乙女達は顔を見合わせる。

 その時……ゴソゴソと布団の下からシエスタが顔を出す。

「私です……ごめんなさい」

「シエスタ!」

 その部屋にいる少女等が、突然現れた犯人に注目した。

 

 

 

「成る程。あのジェシカに貰たって訳ね」

 溜息混じりに、ルイズが言った。

 眼の前には、ベッドの上で正座をしているシエスタと才人がいる。

 毛布を身体に巻き付けたシエスタは全てを語った。

 ジェシカに“惚れ薬”を貰ったこと。

 それを才人のワインに入れようとしたこと……。

「1日使用権は許したけど、そんな手を使って良いとは言ってないわ」

 すると、シエスタはポロポロと泣き出してしまった。

「ほんとにごめんなさい……こんな風に皆に迷惑が掛かるなんて……おまけに禁制の品なのに……サイトさんもごめんなさい。私に人を好きになる資格なんてないわ」

 部屋の中が、休息にシンミリといった空気に成る。

 その場の沈黙を破ったのは、才人であった。

「シエスタ、別に悪くないよ。だって使ってないじゃん。使う積りがなかったから、外に投げたんだろ?」

 シエスタの顔が輝いた。

「サイトさん……」

「兎に角、拾って呑んだモンモンが悪い。“貴族”の癖に阿呆か」

 モンモランシーの顔が、怒りで真っ赤に染まる。

「何で私の所為なのよ!? 大体ルイズ、あんたが“竜”でフラフラ飛んでるから、風に煽られて呑み込んじゃったんじゃないの!」

 女子達は、「貴女が悪い」、「御前が悪い」、などと御互いに罵り合い始めた。

 才人が、煩い、と言わんばかりに手を振った。

「もう良いだろ。それに皆、中々気持ち好さそうな……」

 才人はそこで、ハッ、とした。

 部屋中の女子の怒りに満ちた視線が才人を刺す。それから、(嗚呼、俺は何で一言多いんだろう?)、と想いながら、一斉に手足に“魔法”の攻撃を受けて気絶した。

 

 

 

 そのうちに女子達も去り、部屋に残されたのは気絶している才人、ルイズとシエスタだけになった。

「ホントにごめんなさい」

 ポロッと、シエスタがルイズに言った。

「私……卑怯です。ホントはさっき、迷ったんです。使おうかどうしようかって。そしたらいきなりサイトさんが入って来て……思わず放り投げちゃったんです」

 ルイズは謝るシエスタをジッと見詰めていたが……そのうちに首を横に振った。

「もう良いわ」

 ルイズはゴソゴソとポケットを探ると、シエスタに何かを手渡した。

 1冊のノートであった。

「これ……何ですか?」

「読んで御覧なさい」

 そのノートは、才人が“アルビオン”から帰って来てから此方、ルイズがずっとしたためていたモノであった。所謂秘密日記である。

 いかに才人に冷たくされたのか、どんな風にプライドを傷付けられてしまったのか、などが延々と書き記されている。

 シエスタはそれを読んで、ルイズを見上げた。

「ミス・ヴァリエール……」

「理解る? こいつはね、そのくらいの鈍感大王なの。だから、変な薬に頼りたくなる、その気持ちも何となく理解るわ」

 シエスタは首肯いた。

 それから、怒ったような声で、ルイズは言った。

「そんな簡単に諦める、何て言わないの。つまらないじゃない」

 ヒシッとシエスタは、ルイズに抱き着いた。

「嗚呼、ミス・ヴァリエール……私、サイトさんがいなかったら、貴女に一生を捧げても良いと想いますわ」

「良く言うわよ。でも、私も、あんたになんか友情みたいなモノを感じるわ」

「“貴族”の御方に、御友達なんて言って貰えて……私は“トリステイン”一の幸せ者ですわ」

 ルイズは笑顔を浮かべると、テーブルの上にあった瓶を取り上げ、2つのグラスに注ぐ。

「ほら、ワインで乾杯しましょ」

「はい」

 と首肯きながら、シエスタはそのグラスを手に取った。

「友情に」

 2人は、グラスを合わせ、次いで中の液体を呑み干す。

「ねえミス・ヴァリエール」

「何よ?」

「そう言えば、さっきの騒ぎで、テーブルの上の料理やワインは床に散乱してしまったはずですけど」

「何言ってるのよ。あるじゃないほら」

 ルイズは、ハートマーク型の瓶を持ち上げた。

 窓から射し込む双月の明りで、中の液体がキラキラと怪しく輝いた。

 その瓶を見詰めるシエスタの目が、トロン、と濁る。

「……そうですわね。ところでミス・ヴァリエール」

「……な、何よ?」

 ルイズの目も同様に、妙な色気を含んだモノに変わっている。

 2人の顔が徐々に近付く。

「ミス・ヴァリエールって、世界一可愛いですわね。信じられない。まるで神が自らのみを振るわれた、芸術品のようですわ」

「ふん、良く言うわよ。でも、あんたもまあ、そこそこまあね……ちょ、ちょっとは可愛いわ。ほんのちょっとだかんね。ほんのちょっと、見てるとドキドキしちゃうわね……馬鹿ぁ、ほ、ホントにちょっとなんだからぁ……」

 2人の唇が近付いて行く。その唇がしっかりと合わさった。2人は荒い息で、御互い身に着けたモノをもどかしげに脱がして行く。

 床に転がった才人の上に、ルイズのシャツが、シエスタのエプロンが被さって行く。

 シエスタは、床に転がったカスタードクリームのホイップを取り上げた。

「ねえミス・ヴァリエール」

「何よ? じ、焦らすなんて偉くなったじゃない」

「デザートを食べたくないですか?」

 それは、才人に対して使う予定であったはずの、ローラ伝授の最後の必殺技といえるモノであった。

 シエスタは己の身体に、クリームをまぶし始めた。

「デザートは、私です……よぉく味わって、食べて下さいね」

 ルイズは激しくシエスタに抱き着いた。

「シエスタ、もう、こんなデザート赦せないわ! 赦せないわ! 全部食べて上げるけど、別に好きとかそう言うんじゃないんだからね!」

「嗚呼、嬉しいです! ミス・ヴァリエール!」

 2人は抱き合ったままに、ベッドへと転がった。

 

 

 

 

 

 才人は、2人の奏でる荒くも甘い吐息で目を覚ました。

 月明かりの下、ベッドの上の毛布が、激しく動いている。

 その毛布が剥がれ、才人は目を丸くした。

 シエスタとルイズが生まれたままの姿で御互いしっかりと抱き合い、唇を激しく重ね合わせているのである。

 才人は眼の前の光景を信じることができなかった。

 才人は、(2人の妖精が、愛を確かめ合ってるけど、これ何?)と疑問を抱くが、(ああ、これは夢だ。夢に違いない、でも、何て好い夢なんだ……)といった間違った正体に気付いた。それから、(こんな夢なら、毎日見たい。と言うかどうせ夢なら……俺も交ぜて貰いたい。と言うか目が覚める前に、何としてでも間に入らねば、俺は一生後悔するだろうな)とも考えた。

 ベッドで縺れ合う2人の恋人は、直ぐに不粋な闖入者の存在に気付いた。その目が、怒りに燃え上がって行く。

 不幸にも、才人に伝染の効果は及ぶことはなかった。

 “惚れ薬”が伝染するのは、呑んだ者が、呑んでいない者にキスをした場合に限られるのである。

 御互い同時に呑んでしまった2人は、もう眼の前の美少女の事しか見えていないのであった。

「一生の御願いです。俺も交ぜ……」

 ルイズとシエスタは、素早く毛布を身体に巻き付けてピッタリと合った呼吸でベッドから飛び出して来た。

 土下座した才人は、そんな2人に蹴り飛ばされてしまった。

「何見てるのよ!?」

「あっちに行ってて下さい!」

 綺麗に蹴り飛ばされてしまい、窓から地面へと向かう道すがら……才人は、(縦しんばこの儘地面に激突して一生を終えるとしても……今見たあの光景は……至福の芸術は……俺の魂を慰め続けてくれるだろう)と想った。



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ロマリア

 “ロマリア連合国”。

 “ハルケギニア”で最古の国の1つに数えられ……短く“皇国”と呼ばれる事が多いこの国は、“ガリア王国”真南の“アウソーニャ半島”に位置する都市国家連合合体である。

 “始祖ブリミル”の弟子の1人、“聖フォルサテ”を祖王とする、“ロマリア都市王国”は、当初、“アウソーニャ半島”の一都市国家に過ぎなかった。しかし、その聖なる国との自負が拡大を要求したのであろう、次々と周り の都市国家群を併呑して行ったのであった。

 “大王ジュリオ・チェーザレ”の時代には遂に半島を飛び出し、“ガリア”の半分を占領したこともあった。

 だが……そんな大王の時代は、当然長くは続かなかった。

 “ガリア”の地を追い出された後、併合された都市国家群は、何度も独立、併合を繰り返したのである。そして幾度もの戦の結果、“ロマリア”を頂点とする連合制を敷くことになったのであった。

 そのためだろう、各都市国家はそれぞれ独歩の気風が高く、特に外交戦略に於いて必ずしも“ロマリア”の意向に沿うという訳ではなかった。そういった意味では、全く生い立ちは違うが、“ハルケギニア”北方の“帝政ゲルマニア”に似ているということができだろう。

 “ハルケギニア”の列強国に比して国力に於いて劣っている“ロマリア”の都市国家群は、自分達の存在意義を、“ハルケギニア”で広く信仰される“ブリミル教”の中心地である、という点に強く求めるようになったのであった。

 “ロマリア”は“始祖ブリミル”の没した地である。祖王、“聖フォルサテ”は、墓守としてその地に王国を築いたのであった。

 その子孫達は、その歴史的事実を最大限に利用し、都市“ロマリア”こそが“聖地”に次ぐ神聖なる場所であると、自分達の首都を規定をしたのであった。

 その結果、“ロマリア都市国家連合”は皇国となり、その地には巨大な寺院――“フォルサテ大聖堂”が建設されたのである。代々の王達は、教皇と呼ばれるようになり、全ての聖職者、及び信者の頂点に立つことになったのであった。

 

 

 

 

 

「……全く、いつ来てもこの国は建前と本音があからさまですこと」

 “トリステイン”女王アンリエッタは、馬車の窓から覗く、“ロマリア”の街並みを眺めて言った。

 時は“ウル”の月、“フレイヤ(第一)”の週、“オセル”の曜日。5番目の月の7日目。

 “魔法学院”では、ティファニアの編入と正体などで大騒ぎになっている頃である。

 “宗教都市ロマリア”は、“ハルケギニア”各地の神官達が、光溢れた土地、とその存在を神聖化している。そこかしこにキラキラと光る御仕着せに身を包んだ神官達が歩き、敬虔な信者達がニコヤカに挨拶を交わし合っている。

 街には笑いと豊かさが溢れて、自らを、「神の僕足る民の下僕」と呼び習わす教皇聖下の元に、神官達が敬虔なる“ブリミル教徒”を正しく導こうとしている。

 そんな理想郷とでもいえるここ、“アウソーニャ半島”の一角に存在していると、生まれた街や村を滅多に出ることのない“ハルケギニア”の民は信じ込まされているのだが……。

「在りと汎ゆる土地から雪崩れ込んで来た平民達が、好き放題に振る舞っているではありませんか。理想郷、と言うより、まるで貧民窟の見本市のようですわ」

 溜息混じりに、アンリエッタは呟いた。

 通りには、“ハルケギニア”中から流れて来た信者達が、“救世マルティアス騎士団”の配るスープの鍋に列をなしている。彼等はこの街に辿り着いたは良いが、仕事もなく、することもなく、着る物も食事もままならないのである。

 その信者達の後ろには、“イオニア会”の物らしい、石柱を何本も重ねたような豪華な寺院がそびえ立ち、着飾った神官達が談笑しながら門を潜っている。

 アンリエッタはそれ等を見て、「“新教徒”達が、実戦教義、を唱えるも致し方ないことね」と独り言ちた。

 市民達が一杯のスープに事欠く有様であるのに関わらず、神官達は着飾り散々に贅沢を愉しんでいるのだから……。

 昔、幼い頃にこの街を訪れたアンリエッタは、このようなことなどには気付くことはなかった。居並ぶ各宗派の豪勢な寺院に夢中になり、輝くステンドグラスや、大きな宗教彫刻の織りなす至高ともいえる芸術に目を見張らせたモノだったのだが……。

 ふと、アンリエッタが視線をズラすと、眼の前の席に腰掛けて居心地悪そうに見をすくませている “銃士隊” 隊長アニエスの姿が見えた。

「どうしたのです? 隊長殿」

「いえ……慣れぬ格好なモノですから……」

 アニエスは、いつもの鎖帷子の代わりに、貴婦人が纏うようなドレスに身を包んでいた。そのような格好をしていることで、凛々しい顔立ちと相まって、何処ぞの名家の御嬢様であるかのようにも見える。

 だが……アニエスから放たれる武人としての目の光が、そんな優しい雰囲気を打ち消してしまっていた。

 鋭く研がれた無骨な剣が宝石で飾られた鞘に収まっているかのような……そういったチグハグな印象を与える銃士隊長を見詰め、アンリエッタは微笑んだ。

「御似合いですよ」

「御からかいになりませぬよう」

 憮然とした声で、アニエスが呟く。

「私の使い方を御間違えですぞ。こんなピラピラした服を着るために、“ロマリア”くんだりまで来た訳ではありませぬ」

「私には秘書が必要なのです。護衛もこなせる、有能な秘書が……」

「剣を振るしか能のない、こんな私に、秘書など務まりませぬ」

「近衛隊長というモノは、剣や指揮杖を振るだけが仕事ではないのですよ。時と場合に応じてやんごとない身分の御方や、賓客を相手にすることもあるのです。一通りの作法は身に着けて頂かねば、私が困ってしまいます」

 アンリエッタは、澄ました顔で答えた。

 それでもアニエスは、どうにも納得の行かない様子を見せる。

「マザリーニ枢機卿はどうなされたのです? 本来なら、宰相のあの方が御伴すべきでは……」

「彼以外に、私の留守を頼める方がおりますか?」

 アニエスは、「まあ、そうですが……」と呟きながら、軽くなった腰を不安げに見詰めた。

「しかし、どうにも剣や拳銃を身に着けていないと、不安で落ち着きませぬ」

「仕方ありませぬ。それがこの国の作法のようですから」

 アニエス達護衛の銃士達は、“都市ロマリア”の門を潜った際に、剣を外したのである。馬車に積んだり行李に入れる分には構わないのだが、この“宗教都市”での武器の携帯は許可されないのである。“ロマリア”ならではの特殊な作法であるといえるだろう。アンリエッタも、いつも持ち歩く“水晶杖”を鞄に収めていた。

「これでは、万一の場合、陛下を御守することができませぬ」

 不満げにそう呟くアニエスに、アンリエッタは窓の外を指し示した。

 そこには、“聖獣ユニコーン”に跨り、白いローブを羽織った騎士隊がいた。馬車の左右に控え、厳重に国賓の一行を護衛しているのである。

 彼等の首には、銀の“聖具”が掛かっている。“始祖”が手を広げた形のそのシンボルは、彼等が羽織ったローブの胸部分にも、大きく銀糸で縫い込まれている。

「“ロマリア聖堂騎士団”が、私達を守ってくれていますわ」

 彼等は、この“宗教都市”で唯一武装を許されている、“ロマリア”の精鋭中の精鋭騎士団である。

 “ロマリア聖堂騎士”……それぞれの宗派毎ごとに構成される国家騎士団は、その忠誠度を以て、“ハルケギニア”各列強の騎士団と明確に区別されているのである。

 彼等はまさに、教皇と信仰のためならば、死ぬまで、戦うのである。その白き衣は、敬虔なる“ブリミル教徒”にとっては光の象徴であり、異教徒達にとってはまさに恐怖の象徴であるといえるだろう。死ぬことを恐れない敵ほど厄介なモノはないのだから。

 アニエスは、僅かに眉を顰め、表情を曇らせて呟いた。

「彼等が、“新教徒”の私まで命を賭して守るとは想えませぬな」

 アンリエッタは、アニエスの自嘲を含んだ言葉にも動じず、「神は、多少の教義の違いなどには目を瞑ってくれますわ」と、“ロマリア”の神官達が聞けば卒倒してしまうであろう言葉を平然と言って退けた。

 “トリステイン”女王の馬車の後ろには、アンリエッタ個人の秘書官や、政治家や“貴族”を乗せた一行がいている。選り抜きの“魔法衛士”達が、各馬車には配属されている。

 アンリエッタ達は、とある式典に出席するために、“フネ”で太洋の上を通って遥々この“ロマリア”まで遣って来たのであった。その招待状は、ティファニアを迎えに才人達を送り出した後、入れ違いにアンリエッタの元へと届いたのである。結果、“アルビオン”からティファニアを連れて帰って来た才人達とは擦れ違うかたちになってしまった。

 “ガリア”上空を通れば快速船で3日の距離であるが、アンリエッタはきな臭くなりつつある“ガリア”との関係を危惧した。そのため、大きく迂回する太洋上の航路を選択したのである。結果、到着までに1週間も経かってしまった。

 だが……その式典は20日後に行われる予定になっている。

「では御言葉に甘え、秘書として御訊ねしますが……」

「どうぞ」

「どうして式典に先立って、20日も早くやって来たのです?」

「式典出席は表向きの理由。私達は、これから秘密の折衝するのです」

「教皇聖下と……ですか?」

「他に誰と?」

 アニエスは、何か考え込むように下を向いた。

「どうしたのです? 隊長殿」

 心配するような声でアンリエッタに問われ、アニエスは顔を上げた。

「……いえ、何でもありません。詰まらぬ質問、失礼いたしました」

 “ロマリア”は、周りを城壁で囲まれた古い都市である。古代に造られた石畳の街道が、整然とした街並みの間を縫っている。発展と縮小を繰り返した結果、乱雑な雰囲気が漂う“トリスタニア”や“ガリア”の“首都リュティス”と違い、綺麗な白い石壁の街並みが何処までも続いている。病的なほどに無垢な印象を与える清潔感が漂っているのである。

「実に綺麗な街ですな」

 アニエスが気を取り直すように、“ロマリア”の街に対しての感想を述べた。

 アンリエッタは答えずに、不安気に指の先を弄り始めた。

 式典に先立っての、御忍びの行幸故に、馬車の御者台の横には、何の旗も翻っていない。ただ、“聖堂騎士”の護衛と馬車の立派さなどから、やんごとない身分の方だろうと当たりを付けた市民達が立ち止まって振り返る。

 そのうちに“トリステイン使節団”の3台の馬車は、太い大通りに出た。

 通りの向こうに、6本の大きな塔が見えて来る。真ん中に1本、巨大な塔。それを囲むようにして、五芒星の形を取るように他の塔が配置されている。

 その塔の形は、“トリステイン魔法学院”に似ている。それもそのはずであり、この“宗教国家ロマリア”を象徴するこの建築物をモチーフにして、“魔法学院”は建設されたのだから。

 馬車の左右前後に控えた“聖堂騎士”達は、門が近付くと一斉に前進した。門の左右に、一糸乱れぬ見事な動きで整列すると、腰に提げた“聖具”を模した“杖”を掲げる。陽光に“杖”が煌めき、銀の鎖飾りのように壮麗な門構えの大聖堂を彩った。

「……着いたようですわね」

 アンリエッタが呟く。

 窓から僅かに顔を出し、アニエスが溜息を吐いた。

「あれが“ロマリア大聖堂(宗教庁)”ですか。“魔法学院”に似ておりますが……規模は馬と犬ほども違いますな」

 似ているのは形だけであり、“ロマリア大聖堂”の塔の高さなどはそれぞれ5割増しほどもある。

 白い御仕着せに身を包んだ衛兵達がアプローチに並び、門を潜った女王の馬車に、両手を胸の前で交差させる神官式の礼を取る。ここでは万事が、宗教行事として執り行われるのである。

 しかし……到着したというのにも関わらず、馬車のドアを開けに来る神官も“貴族”もいない。

 馬車寄せに並んだ衛兵達は、礼を取ったまま身動き1つしないのである。

 どうしたことか、とアンリエッタが思案していると、玄関前に勢揃いした聖歌隊が、指揮者の杖の元に荘厳な賛美歌を唄い始めた。

 御忍びの女王を歓迎するための、“ロマリア”流れの持てなしらしいことが理解る。

「馬車の中で、1曲聞かせる積りですかな?」

 アニエスが呟いた。

 声変わり前であろう少年達の清らかな歌声は、長旅で疲れたアンリエッタの心と身体を、静かに癒やして行く。

 アンリエッタは、(自分を労っての演出なら、聖エイジス32世も相当なモノね)と想った。

 歌が終わると、指揮者の少年が振り向いた。

 白み掛かった金髪の、美しい少年である。

「……“月目”?」

 指揮者の少年の左右の瞳が色が違うのである。

 オッドアイ……“ハルケギニア”では“月目”と呼ばれ、縁起が悪い、もしくは縁起が良いとされている。

 アンリエッタは、そんな少年を目にして、(聖歌隊の指揮者を務めるとは……余程の事情が在るのかしら?)と想いながらも、聖歌隊の持てなしを労うために、窓から左手を差し出した。

 指揮者の少年は、右腕を身体の斜めに横切らせ、アンリエッタへと礼を奉じて寄越し、そのままの格好で近付く。まるで、“貴族”は軍人、もしくはそれ等の関係者であるかのような仕草である。

 少年はそれから恭しく、宝石でも扱うかのようにアンリエッタの左手を取り、唇を近付けた。

「ようこそ“ロマリア”へ。御出迎え役の、ジュリオ・チェーザレと申します」

 果たしてそれは、“アルビオン”で110,000の軍勢を迎え討つ2人を見送ったジュリオであった。

 その優雅で気品在るといえる仕草に心打たれたアンリエッタは、馬車の中からジュリオへと声を掛けた。

「貴男は神官ですね?」

「然様で御座います。陛下」

「それなのに、まるで“貴族”のような立ちい振る舞いですわ。いえ、けなしている訳ではありません」

 ジュリオはニッコリと笑みを浮かべた。

「ずっと軍人のような生活をしていたものですから。先立っての戦の折は、一武人として陛下の軍の末席を汚しておりました」

「まあ、そうでしたの」

 アンリエッタの顔に、暗い影が一瞬よぎる。想い出したくない哀しい記憶を押し込め、アンリエッタは言葉を続けた。

「御礼を申し上げますわ。辛い戦いでした。御苦労なさったでしょうね」

「有り難い御言葉、痛み入ります。では、こちらに入らして下さいませ。話が主陛下が御待ちで御座います」

 ジュリオは馬車の扉を開けると、アンリエッタの手を取った。

 アニエスもその後に続く。

 各馬車から降りて来た使節団の一行も、それぞれやって来た出迎え役の“ロマリア政府”の役人達と挨拶を交わした。

 彼等に手を振り、アンリエッタはアニスだけを連れて、ジュリオの案内で先に進む。

 大聖堂へと足を踏み入れた時……アンリエッタは聖エイジス32世の招待状を想い出した。

 

――“式典の20日程前に入国され足し。神の奇跡を御見せします”。

 

 アンリエッタは、(神の奇跡とは一体何だろう?)と期待と不安が入り混じり……震えた。

 

 

 

 玄関から大聖堂に入ると、明かり窓に嵌め込まれたステンドグラス越しからの陽光が、7色の光となって、アンリエッタとアニエスの2人を包み迎え入れる。

 アンリエッタがふと、「……綺麗」と感想を漏らす、とジュリオは微笑んだ。

 アンリエッタ達が更に大聖堂の奥へと進むと、彼女等2人にとって驚くべき光景が広がっていた。

 ここに来る途中の道で見掛けたような貧民達が集まり、毛布に包まって天井を見詰めているのである。大聖堂の1階は、まさに救貧院といった様相を呈している。

「彼等は?」

 アンリエッタが尋ねると、ジュリオは答えた。

「戦で荒廃した“アルビオン”からやって来た難民達です。帰郷する手続きが完了するまでの間、ここを1時の滞在所として開放しております」

「教皇聖下の御差配ですの?」

「勿論です。シオン女王陛下との会合の結果でもあります」

 聖堂議会の反撥も強っかただろうこと、“ロマリア”の象徴といえる大聖堂をこのように開放して難民を受け入れている、教皇ヴィットーリオの仕事に、アンリエッタは感心した。

 独り言のように、ジュリオは言った。

「残念ながら、“ロマリア”は全く、彼等が信じてやって来たような、“光の国”ではありません。世界は矛盾に満ちています。教皇聖下はその矛盾を、何とか解きほぐそうとされているのです」

 “ロマリア”教皇、聖エイジス23世は、執務室で会談中とのことであった。

 アンリエッタとアニエスは外の謁見待合室で、しばしの時間を過ごした。だが、ジュリオという話の上手なホストが隣に控えているということもあり、退屈することはなかった。

 30分ほどもすると、扉が開いて中から子供達が現れたために、アンリエッタとアニエスの2人は驚いた。

 あまり上等とは言い難いが、子供達は皆きちんと手入れされている服に身を包んでいるのである。

「聖下、有難う御座いました」

 年長と思しき少年が頭を下げると、周りの子供達もそれにならい一斉に頭を下げる。子供達は踵を返すと、ドアの側にいるのが“トリステイン”女王であるということにも気付かず、笑いながら駆け去った。

「俺、聖下に、“覚えが良い”って褒められちゃった」

「私も! 私も!」

 呆気に取られて、アンリエッタとアニエスはその様子を見守っていた。

 そんな2人に、ジュリオは促す。

「では、中へ。我が主が御待ちで御座います」

 教皇の謁見室は、雑然としていた。神官の最高権威である教皇の執務室……というよりは、街の図書館か大学の教授の部屋であるといえる様子で在る。壁面にはギッシリと本棚が並び、数々の蔵書が並んでいるのが見える。目に付くタイトルを見るに、宗教書ばかりが並んでいるという訳ではないこともまた判るだろう。その殆どは、歴史書であった。戦史関係の書物が多いのである。博物誌もまた同様に多い。戯曲に小説……滑稽本などの類もまたある。そして大振りな机の上にも、乱雑に同じ拍子の本が積み上げられている。最近、“ロマリア”の“宗教庁”が発行した“真訳・始祖の祈祷書”であった。“始祖”の偉業が記された、聖なる書であるといえるだろう。

 その真訳・始祖の祈祷書”を片付けている、髪の長い20歳ほどの男性がいた。

 アンリエッタとアニエスは、一瞬、その男性を召使か何かと勘違いしてしまった。だが……その端正で美しい横顔を目にした瞬間、ハッ、とした。

「……教皇聖下」

 ジュリオのその声で、教皇聖エイジス23世こと、ヴィットーリオ・セレヴァレは振り向いた。

「これはこれはアンリエッタ殿。少々御待ち頂きたい。今直ぐに御持てなしの準備をしますから……」

 笑うような声で、ジュリオが尋ねた。

「聖下、御言葉ですが、アンリエッタ女王陛下が“トリステイン”から御出になられたのですよ?」

「理解っています。理解っていますよジュリオ。だがね、私は彼等にこの時間、文字と算数を教える約束をしていたのだよ」

 遥々ここまで1国の女王を呼び付けて置きながら、待たせるということに驚かされるが……その理由が街の子供達に文字と算数を教えるためであったという理由に、アンリエッタは「無礼」と怒るよりも先ず呆然としてしまった。

 線の細い、一種異常な位の美しさを誇るヴィットーリオを見詰め……(一体、この“ロマリア”教皇はどういう人物なのかしら?)とアンリエッタは悩んだ。

 この前の、突然の“トリステイン”来訪といい、破天荒な人物であるというアンリエッタが抱いた印象や人物像に間違いはないようである。

「片付けなど、召使にやらせれば良いではありませんか」

 手をヒラヒラ振りながら苦笑を浮かべて、ジュリオが言った。臣下の者にしては、随分と馴れ馴れしいといえる態度である。

 “トリステイン”や“ガリア”では、自分の主にこのような態度を取る家来はあまりいない。

 そういったことにも、アンリエッタとアニエスの2人は驚いた。

「他の者に任せる訳にはいきませんよ。本の整理というモノは、自分でやらないといけません。じゃないと、何処に仕舞ったのか判らなくなり、読みたくなった時に困りますからね」

 そんな物言いをする教皇が可笑しく思え、アンリエッタはふと笑みを漏らした。

 本を片付け終わった教皇は、そこでやっと女王の一行へと目を向けた。

「遠路遥々、ようこそ入らしてくださいました」

 見る者全てを魅了せずにはいられないであろう、そんな笑みをヴィットーリオは浮かべた。未だ20を幾つか超えたばかりであるというのに、その目には年を経た聖者だけが持つといえる慈“愛”の光が瞬いていることが判る。

 そんなヴィットーリオを前に、アンリエッタは(この若さで教皇の座に就くからには、どれだけの才能と努力が必要なのかしら? そのどちらも、十分過ぎるほど持っているに違いないわね。でなければ、教皇の帽子は冠れない。一体、この教皇はどれだけの才を……持っているの?)と想い、彼の掲げた理想のみならず、それ等を知りたくなった。

 だからこそアンリエッタは、政務で息も吐けぬ“トリステイン”をわざわざ出て、この遠く離れた“ロマリア”くんだりまでやって来たのである。

「聖下の思し召しですもの。敬虔なる“ブリミル教徒”として、取りも直さず、駆け付けて参りました」

 深々とアンリエッタは頭を垂れた。

 公式の席で、アンリエッタの上座に腰掛けることができる人は3人しかいあにといえるだろう。“ガリア”王ジョゼフと……このヴィットーリオ、そして“アルビオン”女王シオンの3人である。したが4って、低頭も作法に適っていた。

「頭を御上げ下さい。なに、貴女の御国の宰相殿が譲ってくれた帽子です。かしこまる必要は何処にもありません」

 サラッと、ヴィットーリオは口にした。

 それは事実であるといえるだろう。“ロマリア”から派遣されたかたちの“トリステイン”宰相、マザリーニ枢機卿は、次期教皇と目された人物であったのだ。しかし、3年前の教皇選出会議による、“ロマリア”からの帰国要請を、マザリーニは断ったのである。それが故、「“トリステイン()”を乗っ取ろうとしている」などといったありもしない噂を立てられたこともあった。しかし、事実無根の噂に過ぎなかったということは、アンリエッタの即位でハッキリとしている。

 マザリーニのその内心は、女王であるアンリエッタも知らない。マザリーニも、その理由は決して話さないのだから。

「マザリーニ殿は、本当に良くして下さいます。では聖下、御言葉に甘え、質問を御許し願えますか?」

「なんなりと」

 アンリエッタは、後ろに控えるアニエスを、チラッと見詰めた。早速話題が訪問の核心に触れるために、人払いを、と考えたのである。

 しかし、ヴィットーリオは首を横に振る。

「いえ……護衛隊長殿にも臨席願いましょう。どう遣ら、この方は何かを御存知の御様子ですから」

 アンリエッタはアニエスをチラッと見詰めた。

 アニエスはかしこまり、わずかに頬を染める。

 そんな“銃士隊”隊長の姿を見るのが初めてであるため、アンリエッタは驚いた。

 アンリエッタは、(質問を許されたは良いが、さて、何から切り出したモノか……)と思案する。

 すると、「この国の矛盾には気付かれましたか?」とヴィットーリオは、逆にアンリエッタへと質問をした。

 アンリエッタは、ハッとした表情を浮かべたが、直ぐに真顔に戻り、首肯く。

「はい」

「御覧の通りです。恥ずかしながら、“光溢れる国”など、何処にもありません。パンにこと欠く民がいる一方、各会の神官、修道士達は思うままの生活をしています。信仰が地に堕ちたこの世界では、誰もが目先の利益に汲々としている」

「御言葉ですが、聖下の御威光をもってして……」

「やっております。これでも、私は頑張っているのですよ。主だった各宗派の荘園を取り上げ、大聖堂の直轄にいたしました。それぞれの寺院には救貧院の設営を義務付け、一定の貧民を受け入れるよう、触れを出しました。免税の自由市を造り、安い値段でパンが手に入るよう、差配しております。その結果、“新教徒教皇”と私を揶揄する輩も少なくありません。全く馬鹿な言い草です! “新教徒”などと名乗る異端共は、ただ自分が大きな分前に預かりたい、“レコン・キスタ”と変わらぬ連中ではありませんか」

 頑張っている。それは嘘ではないだろう。

 アンリエッタは、大聖堂にいた貧民達や、先程のここから出て来た子供達を想い出した。

「この私は、孤児院から御引き立てを頂いたのです」

 ジュリオが、誇らしげな声で言った。

 ヴィットーリオは首肯くと、言葉を続けた。

「だが、それが限界です。無理に神官達からこれ以上の権益を取り上げようとすれば……内乱になります。“ブリミル教徒”同士が、御互いの血を求め合う結果になる。私は、私を教皇にした人々から、今度はこの帽子を取り上げられることになるでしょうね。人は自分の持ち物が……どれだけ正当な理由があろうとも……召し上げられることを好みません。そして私は、人同士がこれ以上争うことに我慢できないのです。貴賎や教義の違いによって相争うこと……これ以上に愚かしいことがあるでしょうか? 人は皆、神の御子なのですから」

 アンリエッタは、その通りだと思ったために首肯いた。

 ヴィットーリオは両手を広げた。

「何故、斯の様に信仰心が地に堕ちたのか? 神官達が、神を現世の利益を貪るための口実にするようになったのは何故なのか?」

 悔しげな声で、ヴィットーリオは言った。ヴィットーリオの肩が震え出す。まるで己の無力さを、痛みで紛らわすかのように、彼は強く唇を噛んだ。

「……力がないからなのです」

「力……」

「ええ。私は、以前貴女とシオン陛下に御逢いした際に言いました。力が必要なのです、と。我等の信仰の強さを、おごった指導者達に見せ付けねばなりません。つまらぬ政争や戦に明け暮れる“貴族”や神官達に、真の神の力を見せねばなりません」

「……“エルフ”から、“聖地”を取り返すことによって?」

 そうです、とヴィットーリオは首肯いた。

「神の奇跡によって、“異教徒(エルフ)”達から“聖地”を取り返す……真の信仰への目醒しとして、これ之以上のモノはありません」

「神の奇跡……」

 アンリエッタとアニエスは息を呑んだ。

 先立ってアンリエッタが貰った手紙の末尾の一文が、彼女の脳裏に蘇った。

 ヴィットーリオは、つい、と後ろを向くと、1つの本棚に向き直った。それから、せいっ! と顔に似合わぬ掛け声を上げて、指を掛け、それをズラそうとし始めた。しかし、どうにも力が足りず、本棚が動かない。ペロッと舌を出し、愛嬌のある仕草でジュリオに首肯く。

「ジュリオ。手伝ってください」

「最初からそう仰ってくだされば良いモノを」

「何事も、自ら行わないと気が済まないのです」

 2人はニコヤカに微笑み合うと、本棚に力を込めてズラし始めた。

 ズズズズズ、と重たい音と共に現れたのは……。

 壁に埋め込まれた、大きな鏡であった。高さは2“メイル”、幅は1“メイル”ほどの楕円形の形をしている。

「これが、奇跡なのですか?」

 アンリエッタが尋ねると、ヴィットーリオは首を横に振る。

「いえ……私の使える奇跡は、手に触れることができません。だが、奇跡とは触れずとも目に見えるモノではあらねばなりませんからね」

 ヴィットーリオは、「私の“聖杖”を」、とジュリオを促す。

 “聖具”を模した“杖”を、テーブルに置かれた傍らの小箱から取り出し、ジュリオは恭しくヴィットーリオに捧げた。

 それを手にしたヴィットーリオは、低く、祈るような声で“呪文”を唱えた。

 アンリエッタとアニエスが今まで耳にしたことのない、美しい、賛美歌のような透き通った調べである。

「“ユル・イル・クォーケン・シル・マリ”……」

 聖者が、神に捧げる祈りのようでもあるといえるだろう。

 どれだけの時間が過ぎたのか、アンリエッタとアニエスには判らなかった。随分と長い時間のようにも、2人には想えた。

 だが、実際には5分ほどであろう。

 “呪文”が完成すると、ヴィットーリオは緩やかに、祝福を与えるように優しく。“杖”を鏡に向けて振り下ろす。

 アンリエッタとアニエスがジッと見詰めて居ると……鏡が光り出した。

 光が唐突に掻き消え……鏡に何やら映り始めた。

 今、この部屋のモノではない映像である。

 その光景を目にして、アンリエッタとアニエスは呻きを漏らした。

「……これは」

 生まれてよりこの方、1番の驚愕がアンリエッタとアニエスを包んだ。

 満足げな声で、ヴィットーリオは呟く。

「これが“始祖の系統”……“虚無”です」

「“虚無”」

「古代……“呪文(スペル)”とは神への祈りの言葉でした。我々は、神への祈りを通じて、“奇跡の技(魔法)”を手に入れたのです。信仰が地に堕ち、神が御隠れになったこのような時代でも、その本質は変わりませぬ。このような祈りに近い“呪文”の“系統”こそ、神や“英霊”達との対話には相応しい」

「聖下……では、貴男は」

 アンリエッタは、震えながらヴィットーリオを見詰めた。

「そうです。アンリエッタ殿。神の僕たる民の下僕になることを運命付けられた私に、神はこの“奇跡の技(虚無)”を御与え下さいました」

「おお……聖下。聖下」

 アンリエッタは、神々しいともいえるヴィットーリオから放たれる輝きに打たれ、思わず跪いた。

「我々は、集まらねばなりません。多くの祈りによって、更に大きな奇跡を呼ぶために」



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才人の決意

 年始から数えて5番目の“ウル”の月も半ば過ぎ……第3週“エオロー”の週初め“ユル(2)”の曜日。

 空はどこまでもカラッと晴れ上がり、“魔法学院”の4つの中庭を照らしていた。

 放課後、授業が終わった生徒達はめいめいに気に入りの中庭に集まり、休みの日に出掛ける相談や、“トリスタニア”に新しくでき来た居酒屋のことや、誰と誰が付き合っているのか、来週――“ティワズ”の週に延期されて行われる予定の“フリッグの舞踏会”のことなど……明るい話題に打ち興じている。

 さて、そんな生徒達の明るい、楽しげな雰囲気が突然の闖入者によって破られてしまった。

「きゃああああああああああ! 破廉恥騎士隊だわ!」

「皆さん! 御逃げになって! 大変だわ!」

 “アウストリの広場”に女生徒達の悲鳴が響き渡り、男子生徒達は眉をひそめた。彼等は自分達だけ良い想いをした連中が(結果として彼等は虫以下の扱いを受ける羽目になったのだが)どうにもこうにも羨ましく想え赦すことができなかったのである。

 そんな侮蔑などが込められた眼差しの中、堂々と歩くのは“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々である。彼等はどこまでも真剣な面持ちで、2列縦隊で行進している。

 先頭に立つのは、隊長のギーシュ。彼が、薔薇の造花を模した“杖”を掲げると、後ろにいたマリコルヌが絶叫した。

「全隊! 止まれ!」

 ザッ! と統率が取れているといえる見事な動きで、彼等は停止した。行進の訓練が行き届いていることが判る動きである。騎士隊にとって、行進、は重要な仕事である。毎日1時間は行進の練習に当てていた甲斐があったようである。

 ギーシュが、掲げた“杖”を振り下ろす。

 すると、マリコルヌが大声で絶叫した。

「騎士隊! 構え!」

 騎士隊の生徒達は、サッ! と背負った何かを引き抜いた。“杖”などではなく、それは箒であった。“ベララ羊歯”の葉を使って作られた、大きな箒である。

「目標! “アウストリの広場”のゴミ各種! 掃討せよ! 掃討せよ! 掃討せよ!」

 隊員達は、わぁ~~~、と掛け声を掛けながらめいめいに散らばると、サササササ、と掃除を開始した。

 “魔法学院”の“貴族”生徒達は、その辺りにぽいぽいと食べ滓やら空き瓶やらを放り捨てるために、いつもはメイドや給仕達が、小まめに掃除をしているのである。

 そんな使用人の代わりに、“水精霊騎士隊”が放課後の中庭掃除を申し付けられたのは、3日ほど前のことであった。件の女子風呂覗き事件に対する、“学院”側からの罰であった。

 マリコルヌが、そそくさと身を縮ませながら、女子生徒が固まっている場所へと近付く。

「きぃやああああああ! 破廉恥騎士が来たわ!」

 卑屈と歓喜が入り混じった笑みを浮かべ、マリコルヌは女子生徒の中に躍り込んで行く。

「駄目じゃないですか。御嬢様方。こんなにゴミを御散らかしになって……」

 女生徒達は、そんなマリコルヌを見て逃げ惑う。

「こっちに来ないで! 来ないで!」

 マリコルヌは、(だって、そっちにゴミがあから……落ちてるから……)と何故か喜悦の表情を浮かべ、近付く。

「マ、マリコルヌ様……」

 逃げ惑う女生徒達の中に、いつか溜まり場でマリコルヌが詩を詠んで聞かせた黒髪の大人しそうな少女がいた。

「やあ、ブリジッタ。元気かい?」

 額に汗を光らせ、爽やかな笑顔を浮かべるマリコルヌ。

 そんなマリコルヌに、ブリジッタは涙目で怒鳴った。

「マリコルヌ様の嘘吐き! そんな、そんな、御風呂を覗く様な方だなんて存じませんでしたわ!」

 ゴミを拾いながら、マリコルヌは呟くように言った。

「男にはね」

「マリコルヌ様……」

「……負けると判っていても、戦わんきゃいけない時があるんだ」

 ふ……とマリコルヌは、ニヒルな笑みを浮かべた。

「意味が理解りません! マ、マリコルヌ様は人間のゴミですわ!」

 ピキーン、とマリコルヌの背筋が伸びる。

「ゴミ……ゴミだなんて……嗚呼あ……」

「撤回! ゴミ以下ですわ!」

 マリコルヌは喜悦の余り、地面に転がってカクカクと痙攣を始めてしまった。実に困ったぽっちゃりさんである。

 一方、隊長のギーシュはわずかに緊張した色を浮かべて、箒でサッサッと地面を掃いていた。

 ボゴッと地面が盛り上がり、“使い魔”の土竜――ヴェルダンデが顔を出す。

 ギーシュの顔が、一瞬で涙で曇る。

「ヴェルダンデ!」

 スサッと立膝の態勢を取り、“愛”しい“使い魔”の首を、ギーシュは掻き抱いた。

「……情けない僕を赦しておくれ。一時の気温迷いに溺れた僕を赦しておくれ!」

 ヴェルダンデは、そんなギーシュの顔を、ゴツいガントレットのような手で、ゴシゴシゴシと撫で上げた。

「一時の気の迷いですって? 四六時中、気を迷わせている癖に、良く言わね」

 優しいヴェルダンデの後ろから、厳しい声が響いた。

「モンモランシー!」

 果たして、そこに立っているのは、金色の巻き毛が眩しいモンモランシーであった。彼女は、しゃがんだギーシュを見下すと、冷たい目で言い放つ。

「今度という今度は、貴男がどういう人間かよぉ~~~く、理解ったわ。さようなら」

 モンモランシーは手に持ったワインの瓶から中身を、ドボドボとギーシュの頭に掛けた。

「さようならって! どういう意味だい? モンモランシー!」

 ギーシュは頭からワインを滴らせたまま、悲鳴のような叫び声を上げた。

「その通りの意味よ。と言うか、ダンスパートナーの申し込みを無視した時に気付いてよね」

「嗚呼嗚呼……」

 ギーシュが頭を抱えて地面に崩れ落ちた。

 “フリッグの舞踏会”で共に踊った男女は結ばれるという言い伝えがある。言い伝えは言い伝えであり、そんなことは当然ないのだが、縁起は縁起であるといえるだろう。

 さて、風呂覗きの一件以来、モンモランシーに口を利いて貰えなくなってしまったギーシュは、来週に迫った“フリッグの舞踏会”の折、真っ先に踊ってくれるよう、モンモランシーに申し込んだのであった。機嫌を取るために用意した、巨大な薔薇の花束を抱えて、「まだ未完成の花束だ。最後の1本は……キミダヨ」と、恐らくギーシュにしか言えないであろう言葉と共に。

 しかしモンモランシーは、ギーシュの手を無視して、ツイッと顔を背け、立ち去ってしまったのであった。

 ギーシュは薔薇の花束を抱えて、呆然と立ち尽くした……。

「あれは! 御別れの合図だったのか!?」

「そういうこと。もう話し掛け泣いで。それじゃ、さよなら」

 ギーシュは深く頭を垂れ、己の愚かさを呪うのであった。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の事務屋を買って出ている生真面目なレイナールは、修行僧のような顔で、目立たぬ場所のゴミを拾ってい居た。

「レイナールさん、とても真面目そうなのに……人は見掛けによらないですわ」

「しっ! ああ言う人が1番怖いのよ! 心の中で、きっととんでもないことばかり考えているのよ」

 女子生徒達のそんなひそひそ声に堪えられなくなったレイナールは、ガバッと顔を上げ、「違う! 僕は止めたんだ! 最初に止めた! でも、でも……」、と弁明する。

 遠くにクラスメイトに囲まれたティファニアを見付け、レイナールは地面に突っ伏した。

「嗚呼嗚呼嗚呼! あれが本物かどうか知りたいなんて想ったばかりに……神よ。“始祖ブリミル”よ。貴方の敬虔なる下僕たるこの私は、深く懺悔いたします! 恥ずべきこの私は、己を鞭打ちの刑で戒めることにいたします!」

 レイナールが“呪文”を唱えると、“杖”の先に良くしなるであろう空気の鞭ができあがった。

 おもむろにシャツを脱ぎ、レイナールがその空気の鞭で自分の背中を叩き出したために堪らない。

 その場の女生徒達は、きゃあきゃあきゃあ、と喚きながら逃げ去った。

 残りの男子生徒達も、状況は似たようなモノであった。切無げに身体を震わせ、それぞれに自身の置かれた状況を噛み締めていたのであった。

 

 

 

「全く……恥を知らない人達って嫌ね。“貴族”の風上にもおけないわ。女王陛下も、どうしてまたあんな連中を近衛隊なんかにしたのかしら?」

 女子寮の自室の窓から、“アウストリの広場”で繰り広げられる悲惨な光景を目にして……ルイズが呆れた声で言った。

 桃色がかったブロンドの少女の前には、黒髪の少女が腰掛けている。

 2人の前には、ティーカップが置かれていた。

 少しばかり気不味そうな顔で、私服に身を包んだシエスタが、カップの御茶を一口すすり、呟いた。

「ほ、ホントですね」

 シエスタは、この前の一件を想い出してしまい、顔を赤らめた。

「……でも、私も随分と恥知らずですわ。その……あの……ジェシカから貰ったその、あの……」

 ルイズも顔を赤らめる。それから、「その話は良いの」と、ギロッとシエスタを睨んで言った。

 ルイズはそれから、隣に控えたメイドに顎をしゃくり促した。

「御代り」

 黒髪をカチューシャで束ねたメイドは、ワナワナと震え、衣装に似合わぬ低い声で呟いた。

「……“使い魔”にこんな格好をさせるのも、十分恥知らずの範疇に入る行為じゃねえのか?」

 メイド服に身を包み、2人に給仕をしていたのは平賀才人であった。

 いやはや、実に見るも無残な姿であるといえるだろう。

「良いじゃない。あんたもメイド好きじゃない」

「そういう問題じゃねえ」

「問題? 誰が問題起こしたのよ?」

 ルイズは、目を細めて才人を冷たく睨んだ。

「ホントだったら、あんたは御風呂覗きの罪で、あそこで罵声を浴びてる連中と一緒になって、中庭掃除をする羽目になってたのよ」

「あのな、俺は元々現場に着くまでそれが覗きだって知らなかったんだ。何度も言っただろうが。と言うかな!」

 才人はメイド服を指で摘むと、怒鳴った。

「こんな服着せられるくらいなら、彼奴等と一緒に掃除する方がマシだっつの!」

 ルイズはユックリと御茶を飲み干すと、ジロリと才人を睨み付けた。

「風呂覗きだけじゃないのよ」

「ぐ……」

「あんた、素っ裸のあの娘と、一体何してたのよ?」

「救けてくれたんだよ! だから、俺だけこうして、罰掃除も課せられずに、暢気にメイドなんかやれてるんじゃないか。感謝しろよ。俺をメイドにしたかったんだろ?」

 “学院”で1番身体の大きなメイドから借りて来た衣装に身を包まされた才人は、少し気不味そうな声で言った。なんとなく、自分だけが罰を受けないことに対し、申し訳ないといった気持ちになったのである。(そりゃ俺はあの現場に着くまで事情を知らなかったけど……覗いた事実に変わりはないよな。そんな俺のことを誰もチクらなかった“|水精霊騎士隊”の仲間達への想いもある。それに、メイド服よりは、罵声を浴びながらの罰掃除の方がまだマシだ)とも考えた。才人にもプライドというモノが当然あるのだ。

「兎に角御代り。シエスタにも注いでやって」

 才人は乱暴にティーカップを取り上げると、ルイズとシエスタのカップに、交互に注いでやった。

「……あの、サイトさん御免なあさい」

 シエスタは、深々と才人に頭を下げた。

「ん? 何でシエスタが謝るの?」

「……だって、このあいだ、私サイトさんのこと、窓から蹴り出したじゃありませんか。幾ら、薬の所為とはいえ……」

「良いんだよ。結局、シエスタは薬を使わなかったじゃないか」

 シエスタは、ニコッと笑顔を浮かべた。

 ルイズが苛々した声で、才人を促した。

「そんな話は良いわ。兎に角私の前で、薬、って言葉使わないで。ほら、今のあんたはメイドなんだから、御菓子でも用意しなさいな」

 シエスタがそんな才人をウットリとした目で見詰めている。

「……どうしたの? シエスタ」

「怒っちゃ嫌ですよ?」

「怒らないけど」

「あの……サイトさん、想った通りすっごく可愛いです。似合ってます」

「これが?」

 才人はスカートを摘んでピラピラとさせた。

「はい……やっぱり正解でした」

「正解って……もしかして俺のこの格好、考えたのシエスタ?」

「はい、そうです。ミス・ヴァリエールがサイトさんに罰を与える与えるって騒ぐもんですから。いっつも痛い罰で、サイトさんが可哀想じゃありませんか。で、痛いのじゃなく可愛いのにしましょうって」

「で、これ?」

「はい」

 ニコー、とシエスタは満面の笑みを浮かべた。

 才人は、この部屋にいる人間達に深く失望した。

 この部屋に、才人の味方は1人もいないのである。

 となると、才人からすると厭味の1つでも言わねば気がすまなかった。止せば良いのに、性分というモノであろうか。

 楽し気に鼻歌を唄いながら、才人はクローゼットの上に置かれたクッキー箱を開けた。隣には、クッキーに塗るクリームが入った壺がある。

 才人は先ず、ルイズ達の前に、箱から取り出したクッキーを乗せた皿を置いた。それから、クルクルクルとバレリーナのように回転しながら、クリームの壺を2人の前に突き出した。

「御嬢様方」

「……何よ?」

「……これ、クリームって言うんですか? これをクッキーに塗り塗りすると、美味しいらしいですよ」

 ルイズのこめかみが引き攣いた。

「あらそう」

「御二方は、良く御存知かと……」

 才人は恭しく一礼した。

 そこで才人は、自分がやらかしたことに気付いて小さく震え出した。

 しかし、ルイズは落ち着き払った態度で、壺の蓋を取り、スプーンでクッキーにクリームを塗り始める。だが……その顔からは表情といえる表情は消え失せていた。クリームを塗るスプーンに思い切り力が込められ、クッキーはボロボロとテーブルへと溢れて行く。

 シエスタがワナワナ震えながら立ち上がる。

「あの! サイトさん!」

「は、はい、マダム」

「言っときますけど、キス以上のことはなかったですから! 御互い、クリームを身体に塗り合った時に、薬の効果が切れたんです! どうやら何度も伝染した結果、効果が弱まってたみたいで!」

「は、はい」

「わ、私はちょっと舐めちゃいましたけど! そんくらいですから! 私は綺麗なままです! その、サイトさんのために……ポッ」

「御黙り」

 ルイズは、「ポッ」とまで台詞で言ったシエスタに言い放つ。それから、う~~~ん、と背伸びをしながら立ち上がると、ダラダラダラと冷や汗を流しながら項垂れる才人に、満面の笑みを向けた。

「嫌だもう。あんたって、ホント、主人想いの“使い魔”ね」

「恐縮で御座います」

「……だって、私が苛々してる時に限って、判りやすく、理解りやすーく、捌け口にしても良い理由、と作ってくれるんだもの」

「つい、口に出ちゃうんですよねー。ホントに。結果は判ってるのに……良くないですね。気を付けさせて頂きます」

「気を付けるのは良いんだけど、その前にサイト、貴男は軽い罰を受けなくてはいけないわ。だって、やらかしてしまったんですものね」

「ですよねー。軽いの。そっすよねー」

「でお、私はとても優しいの。軽い罰だからって御座成りにはしないし、ちゃんとね、選ばせて上げるの。さあ一生懸命考えて、選ぶが良いわ。人生の選択肢だからね?」

「はい」

「いちー、生まれて来たことを後悔する」

「いやだなー」

「にー、いっそのこと死にたいと想う」

「それも困るなー」

 ルイズは引く攣きながら猫のような身軽さで椅子から跳び上がり、才人の首を脚で捻って床に転がした。

「選びなさいよ。ほら。ほらほらぁ! クリームがどうしたって言うのよ!? クククク、クリームがなんですってぇ!?」

 才人は、しばらく「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいホントにすいません」と繰り返していたが、ルイズの攻撃があまりにもしつこいために、プチン、と切れてしまった。

 ルイズを振り払い、才人は立ち上がった。

「ああああん? クリーム大好きなんだろ!? はい、ナイスクリーム! ナイスクリーム! 私今日からナイスクリーム!」

「なにがナイスクリームよ!?」

 宴が始まった。

 

 

 

 その頃……“学院長室”。

「そうですか……やはり、許可が下りませんでしたか」

 そう言って、残念そうに首を振ったのはコルベールである。

 彼の眼の前には、大きな机があり、その向こうでは椅子に腰掛けたオスマンが水煙管を吹かしている。

「君の情熱は買うし、儂も彼等のことについてはなんとかしてやりたいとは想っとる」

「有り難い御言葉ですな」

「だがな、ミスタ・コルベール。“王宮”の言うことも、一々もっともじゃ。“ハルケギニア”の上には、またぞろ不穏な空気が流れておるでな……したがって返答は“飛行許可は与えず”の一点張りじゃ」

「やはり……そうでしたか」

「恍けおって。君は全く、その顔に似合わぬ不遜な男じゃな。盗人が、何喰わぬ顔で再びその屋敷の敷居を跨ぎたい、じゃと?」

「ううむ、全く、その、でしょうなあ」

 コルベールは、先立っての自分が手伝った冒険行を想い出し、頭を掻いた。

 あのようなことをしておいて、その当事国の頭の上を通らせろ、などといった道理が通るはずもないのである。“ガリア”との関係に神経を尖らせる“王宮”が、そんな一“貴族”の要求を跳ね除けるのも当然のことであるといえるだろう。

「まあ、そんな訳じゃ。せめて、時期を鑑みなさい。後、こっちは儂の決裁じゃが……君のこの願いも受け取る訳にはいかん」

 オスマンは、羊皮紙の手紙をコルベールに突き出した。

 そこには、コルベールの署名と、その上に、暇乞いから始まる一文が記載されている。

「君はこの“学院”に必要な人間なのじゃ。悪いが、手放す積りはないぞ」

「何も職を辞する積りはありません。ただ、少しの間、見聞を広めて来るだけです」

 オスマンは、コルベールを細めた目で見詰めた。一瞬、鋭い眼光が奔る。

「君の本質が研究者であることを、儂は知っておる。儂はな、その種類の人間が、興味の対象を見付けてしまった時の弊害に、一家言持っておるでな。はぁ、見るモノ聞くモノ、全てが目新しいものばかりじゃろうて。全くもう、その時の君の姿が、瞼の裏に浮かぶわい。帰って来られる訳があるまい。そんな選択肢など、君の脳裏からは霞のように掻き消えてしまうに違いない」

 コルベールは反論することができず、バツが悪そうに俯いた。

「確かに御恩もあります故、やぶさかではありませんが……」

「君がそうしてくれれば、儂はもう、何も言うことはない」

「これはまた、買い被られたモノですな! 20年前もの間、放っておかれたモノとばかり想っておりましたが」

 コホン、とバツが悪そうにオスマンは咳をした。

「平時はそういうモノじゃ。退屈は、人から興味や記憶を奪うモノじゃ」

「では、暗雲立ち篭める現在、図らずも存在を貴男に想い出して頂けたこの私は一生、奉職せねばいけない、ということなのですか?」

「何もそのようなことは申していない。一生? なんとも大袈裟な男じゃ! 言ったじゃろう? 時期を鑑みよ、と。ふん! 時期が来れば反対どころか旅費すら出してやるわい。だが、今はいかん。いかんのだ。ミスタ……」

 オスマンは立ち上がると、コルベールの肩を抱いた。

「まあ、そんな哀しい顔をするな。慰めと言ってはなんだが、“チクトンネ街”にの、素晴らしい店があるそうじゃ。なんでも“魅惑の妖精亭”と言う、際どい格好をした女給仕達が、御酒を注いでくれるという店での……そこで一杯奢ってやろうじゃないの。のう」

「その店なら知っております」

「なら話が早い。では早速、馬を用意させるかの。夫、年よりに馬は辛いな。こんな時の“竜籠”じゃ」

「今日は……遠慮しておきます」

「何気に女好きの君が? 儂以上に? ホント? どういう風の吹き回し?」

 コホン、と恥ずかし気に咳をすると、コルベールは真顔になった。

「この報せを届けたい友人達がおります故」

 コルベールがそう言うと、オスマンは詰まらんとでも言いたげな顔で首を振る。

「歳を取ると、楽しみが減るもんじゃ。そんな年寄りの細やかな幸せを奪いおって……」

 コルベールは、失礼します、と一礼すると、“学院長室”を出て行こうとした。

「待ち給え」

「まだ、何か?」

 オスマンは窓の外を見詰めた。

 夕闇が、辺りを覆い尽くそうとし始めている。

「……全く、年を取ると言うのは詰まらんもんじゃ。見たくもない、空の色が見える」

「は、はぁ」

 先程とは売って変わった、滅多に見せぬ厳しい表情をその皺に塗れた顔に浮かべ、オスマンは言葉を続けた。

「戦は終わったが、この世界を包む鉛色の雲は晴れる気配がない。すまないが、ホントに済まない話なのじゃが……我々には必要なのじゃ」

「何が必要なのですか?」

 コルベールは。真顔になって尋ねた。

「彼等や、その主人達が……そして君のような優秀な教師の力が必要なのじゃ。だからもう少し、この老いぼれた世界に付き合ってはくれんかの?」

 私は良いのですが、とコルベールは呟いた。

「……彼等はどうなのです? 彼等2人はこの世界の人間ではない。それなのに、彼等は何度も、この国を救ってくれました。それはもう、汎ゆる勲章を、爵位を授与しても足りぬほどに。それなのにまだ、救え、と仰るのですか?」

 哀しそうな声で、コルベールは呟いた。

「我々は“貴族”ではありませんか。己の身に掛かる火の粉を、己の“杖”で払えなくて何とします?」

「正論じゃな。これが、“トリステイン”一国のみの問題ならば、儂も同じ答えを用意したかもしれん。だが……恐らくこれから起こるであろう、危機、はもはや“トリステイン”一国の問題ではないのじゃ」

 コルベールは息を呑んだ。

「この“世界(ハルケギニア)”に掛かる火の粉を払うには“貴族”では無く、“勇者”が必要なのじゃ、君のような。そして……彼等のような。儂を恨まないでくれよ。“勇者”を求めるのは、個人ではない。時代が……大きな時のうねりが、それを求めるのじゃ。理解ってくれ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

 ルイズの部屋では、嵐のような暴虐の宴が続いていた。

 シエスタがとばっちりを恐れ、部屋から退散してしまった後、果のないと想えるようなルイズと才人の取っ組み合いは続いていたのである。

 怒ったルイズはすばしっこい。まるで猫のように部屋の中を跳び回り、才人へと的確にダメージを与えて行くのである。

 対して、才人は、ピョンピョンと跳ねるルイズをやっとの思いで捕まえた。

「離し為さいよ! まだ御仕置きは終わってないんだから!」

「……あのな、御前はいつもやり過ぎだっつの!」

 才人はルイズをベッドの上へと放り投げた。

「きゃん!?」

 才人は悲鳴を上げたルイズに毛布を被せ、その上から羽交い締めにした。

「…………」

 すると、ルイズはまるで憑き物が落ちたかのように大人しくなったのである。

 あまりにも大人しいために、才人は心配になり、ソッと毛布をめくってみた。

 すると……。

 ルイズはブスッと頬を膨らませ、横を向いていたのである。

「な、なんだよ……?」

 と才人が言うとルイズは、「……もうあったまきた」と、凄く詰まらなさそうな声で言った。

「あったま来たのは俺だっつの。こ、こんな格好させやがって……」

 しかしルイズは才人の抗議など無視して、己の不満をぶちまける。

「あんたって、メイドが好きなのよ」

 ルイズは目を細め、才人をジッと見詰めた。冷ややかであるが、妙な艶っぽさもまた同時に感じさせる。

 才人は一瞬で、ドキッ! として、しどろもどろになってしまった。

「そりゃな、メイドは好きだけどな、中身とプラスでセットで好きなだけでな、衣装が好きとか、況してや自分で着るとかは、然程好きじゃなくってだね……」

 ポツリと、ルイズは言った。

「私がいなかったら、シエスタにクリーム塗ってたんだわ」

「ぬ、塗らないよ! 何それ!?」

「い、犬みたいに、クリーム舐めたんだわ」

「舐めないよ!」

「舐めた!」

 ルイズは、う~~~、と唸った。

 そんなルイズの顔を見て、才人はニヤッと笑みを浮かべた。

「何だ、焼き餅妬いてんのか? 御前」

「妬いてないもん妬いてないもん妬いてないもん!」

 ジタバタとルイズは暴れた。しかし、ガッシリと才人が肩を押さえているために、どうにもならない。

「おいおい、暴れるなよ!」

 ルイズは例によって、才人の股間を蹴り上げようとした。

 しかし……才人はスカートを履いているために上手く狙いが付けられず、虚しくルイズの脚は才人の太腿を叩くばかりである。

 勝ち誇った声で、才人はルイズを挑発した。

「ねー、“使い魔”のこと、大好きなんだもんねー。ルイズちゃんってばねー」

 ルイズは顔を真っ赤にして、才人の手ガブッと噛んだ。

 しかし……そんなに痛くないために、才人の笑みに凶悪な何かが浮かび上がる。

「どしたの? ミス・ヴァリエール。あんまり痛くないよ? そうだよね! 俺のことが好きなんだもんね。犬いぬイヌって馬鹿にしてる“使い魔”のことが、ルイズは好きなんだもんなあ。そりゃ、本気じゃ噛めないよなあ」

 ガバッとルイズは口を離し、大きな声で怒鳴った。

「す、好きじゃないもん!」

「じゃあなんで?」

 才人は、力を込めて、ルイズの目を覗き込んだ。

 するとルイズは、唇を尖らせて横を向くのである。

「……あ、あんたが“使い魔”だからだもん」

「まだ言うか」

「そう! あんたが、その、余所見をすると怒っちゃうのは、自分をちゃんと守らせるようにっていう、本能みたいなモノなのよ。もうホント、私ってば可哀想」

「嘘つけ!」

「嘘じゃないもん。ホントだもん」

 ルイズは拗ねたような口調で、自分に言い聞かせるように呟いた。

 才人は大きく溜息を吐くと、「理解った」、と言って立ち上がった。

「何が理解ったのよう~~~」

 ルイズは、布団に顔半分を埋めて身を起こし、才人に尋ねた。

「帰る方法探しに行く」

「え?」

 ルイズの目が、大きく見開かれる。

 そんなルイズを試すように、才人は言葉を続けた。

「御世話になりました。さようなら。今日で御暇を頂きます。俺が帰れば、別の“使い魔”や“サーヴァント”を“召喚”できるでしょ。そいつに助けて貰え。じゃあな」

「ちょ!? ちょっと待ってよ! そんないきなり! 嫌だ嫌だ嫌だ!」

 ベッドから跳ね起きると、ルイズはドアの前に立ち塞がった。そこで、才人の様子に気付く。

 才人は、にや~~~、と笑みを浮かべていたのである。

「……んな!?」

 ルイズの顔が、見る間に真っ赤に染まる。才人の頬を平手打ちしようとしたが、ギュッとその手を握られてしまい、ルイズはもがいた。

「騙すなんてさいて……」

 そう怒鳴ろうとした瞬間、才人が真顔で自分の顔を覗き込んで来たために、ルイズは言葉を呑んだ。

「好きだよ。ルイズ」

 不意打ちの一言で、ルイズの動きが止まる。

「わ、私はあんたなんか……」

 その先を言おうとしたルイズであるが、その唇が塞がれてしまう。

「む……!?」

 突縁のキスで、ルイズの全身から力が抜けて行く。

 ヘナヘナと床に崩れ落ちそうになるルイズの身体を、才人が支えた。

 強く抱き締められ、ルイズは直ぐに何にも考えることができなくなってしまった。何とも、単純な少女であるといえるだろう。

 唇を離すと、ルイズは小さく呟いた。

「……あ、あんた何か、帰っちゃ得ば良いのよ」

「お、俺だって帰りたい」

 再びルイズは怒ったように目を瞑る。

 才人はそんなルイズを抱き抱えた。そのままベッドに運び、ルイズの身体を横たえさせる。

 ルイズは、目を瞑ったまま微動だにしない。

 才人の額から、汗が激しく流れ始めた。ぷはぁ、と才人は止めていた息を吐いた。余裕の演技は、ここで打ち止めである。こうなっては、流石にモテる男じみた演技ももうできな。ガタガタと激しく強張った動きで、才人はルイズの横で正座した。

「…………」

 ルイズは激しく顔を赤らめたまま、ベッドに横たわっている。

 才人は、(良いのだろうか? これはOKのサインなんだろうか?)と自問した。いつも誤解したり、怒らせたりしてしまったりと失敗ばかりしてしまっているために、才人は慎重に行くことにした。先ずは、深呼吸である。

 才人は、大きく息を吸って、吐いた。

 だが、その後どうすれば良いのか、才人には判らなかった。いっそ頭を抱えて逃げ出したい気持ちに駆られた才人だが、そんなことをしてしまうと一生後悔するに違いないと考えた。

 かなりの勢いで頭が沸騰してしまっている才人は、かなり斜めった質問をしでかしてしまう。

「あの……取り敢えず胸見て良い?」

 ピクン、とルイズの眉が動いた。大きさなどと、そういうルイズのコンプレックス抜きにしても、この質問はやはりないといえるだろう。

 だが、ルイズも才人のそういった言動に対する免疫が相当に付いていた。

 兎に角、才人は抜けているのである。デリケートだとか、優しくなど、そういったモノを期待する方が間違いといっても良いだろうほどである。

 ピクピク、とルイズは眉を動かすだけでどうにか我慢してみせた。

「ボ、ボボ、ボタンを外すしまぁす」

 その照れ隠しといえる戯けた口調が、更にルイズを苛立たせてしまう。

 ルイズは思わず目を開けて、才人を睨んだ。

「大好き」

 テンパっている癖に、いざとなると勘の働く才人は咄嗟に魔法の言葉を口にした。

 再び頭の中に桃色の花弁が飛び回り、唇を尖らせ、トロン、と蕩けた目になってルイズは横を向いた。

 詰まり、ルイズの抜け具合もまた、才人に負けず劣らずといえるのであった。

 震えながら、才人がルイズのシャツの第一ボタンを外そうとした時である。

 窓から烈風が吹き込み、ルイズと才人は床に転がった。

「――ぎゃ!?」

「――な、何よぅ!?」

 慌てて2人が立ち上がると、窓の外に、プカプカと“風韻竜”が浮かんでいるのが見えた。

 その背には、いつもと変わらぬ表情の青髪の少女も見える。

「タバサ!」

 才人が叫んだ。

「ちょっと! なに覗いてんのよ!? と言うか邪魔しない……じゃなくって襲われているとこと救けてくれて有難う!」

 ルイズは咄嗟にプライドを働かせ、そこまで叫んだのだが、急速に嫉妬の炎が燃え上がる。(何で邪魔してんのよ!? この娘! 嗚呼、きっと、この馬鹿犬のことが……ということは)、とルイズは考え、はた、と何か気付いたといった様子を見せる。そして、ついこの前“アルヴィーズの食堂”で素っ裸で倒れて居たタバサの姿が、ルイズの脳裏に浮かんだ。

 そしてルイズは、(何よ。あん時ゃ救けて貰っただけだ、てすってぇ? 嘘じゃない! やっぱり……こいつってばぁ……)と想い、床の上で呆然としている才人の後頭部に向けて具合の良い回し蹴りを叩き込んだ。

「――げふ!?」

 そのまま前のめりに倒れた才人の頭に、ガシッと脚を乗せて、ルイズは吼えた。

「ややや、やっぱり、あんた、タバサに手を出してたのね」

「はぁ? 意味理解んねえーよ!」

「御黙り。あんたがそう言うことしなけりゃ、さっきの私達を彼女が吹き飛ばす訳ないじゃない」

 ルイズは秒間3発の速度で、才人の身体に蹴りを叩き込んで行く。

「私に言った台詞と、同じこと言ったんでしょうッ!? 言いなさいよッ! ほらほらッ! “胸見て良い?” とかッ! ばっかじゃないのッ!? は、はは、鼻の下伸ばしたくらいにしてッ! 伸ばしてッ!」

 何が何やら理解らぬままに、才人は呻きを上た。

「違う」

 タバサは、小さくルイズの誤解を否定する。

「良いからあんたは黙ってなさいよ!」

 スッと、タバサは“杖”でルイズの背後を指し示した。

「御客」

 ルイズが振り返ると、コルベールが開いたドアの取手を握ったままに呆然と突っ立っていた。

 

 

 

「取り込み中、すまなかったな」

 コルベールは、頭を掻いて言った。

 才人もルイズも、恥ずかしさの余り、身を小さくして椅子に腰掛けている。

 いつの間にやら戻って来たシエスタが、一行の前に御茶を置いた。

 タバサもちゃっかり出窓に腰掛けて本を読んでいる。どうやらそこで、才人の護衛を気取る積りらしい。

 さて、椅子に腰掛けたコルベールは、大きな溜息を1つ吐いた。かなりガッカリしているらしいことが判る。

「どうしたんですか? 先生」

 才人が水を向けると、コルベールは深い溜め息と共に、才人に対して頭を下げた。才人がメイド姿であることを気にした風もない。そこは素直に凄いと想わせて来る。

「先ず、君に謝らねばならぬ」

「はい?」

 才人がキョトンとしていると、コルベールは事の顛末を語り始めた。

 いよいよ、東方への“オストラント号”での探索行を計画したこと。東方へ向かうには、“ガリア王国”の上空を通らねばならぬ事。

「商船にしろ探検船にしろ、外国の上空を公式に通過するためには政府の免許と、相手国の許可が必要だ」

 はぁ、とコルベールは再び大きな溜息を吐いた。

「“ガリア”が、許可をくれなかったんですか?」

 心配そうな声で、才人が尋ねた。

 あれだけのことをしておいて、その上空を素知らぬ顔で通ろうというのだから、コルベールは意外に肝が太いといえるだろうか。いや、“ガリア”は、許可を求めて来たのが、シャルロットを連れ出した者達であることを知る者はほんの一部であり、いないといえるのだが……。

「いや、その前に国の免許が得られなかった。オスマン氏に仲介を頼んだのだが……」

 コルベールは首を横に振った。

 妙な沈黙が一同を包む。

 それから、やおらコルベールは頭を上げ、「……ガッカリしないのかね?」、と才人へと尋ねた。

 才人ほ呆けッとしていたが、そのうちに慌て始めた。

「いやぁ、ガッカリと言えばガッカリなんですけど……」

 それから気不味そうに、「でも、まあ、解決していない問題もあるし、しばらくこっちに残る……いや、残りたいです」と才人は答えた。

 ルイズの目が大きく見開かれた。

 タバサが、ピクン、と眉を動かした。

 シエスタは頬を染めた。

 “霊体化”しているイーヴァルディは、才人の意志を尊重するように強く首肯いた。

 その、率直な自分の言葉に才人自身が驚いてしまった。事実、心の底から出たといえる言葉であろう。だが、ルイズの顔を横目で見ると、そうだな、とも想えたのである。

「機会を逃すかもしれんよ? もしかしたら、一生帰えれなくなるかもしれない」

 コルベールにそう言われて、才人の心に、中庭で奉仕活動をしていた仲間達の姿が浮かんだ。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の隊員達。莫迦で、短絡的で、単純ではあるが……才人を助けるのに、恐ろしいといえる“竜騎士”達に立ち向かって行った仲間達である。

 才人は、(あんな奴等がいるなら……この世界に留まっていても良いかな?)と想えたのである。

「まぁ、そん時はそん時ということで。それに、きっとだけど、どうにかなると想うんです。まだその時じゃないっていうか……ここで帰る方法が見付からなくても、もしかするとですけど、セイヴァーが何か、そう言ったことを可能にする“宝具”を貸してくれるかもって」

 屈託のない言葉で才人が言ったために、コルベールは残念そうに、そして才人に眩しさを感じた様子で首を横に振った。

「私は君のように達観することなどできないよ。見てみたいじゃないか! “魔法”ではなく、技術が世の理を支配する世界! こことは違った価値観、違った人々が支配する世界……まあ、君がそう言うなら、取り敢えず延期にしよう」

 コルベールは首を振ると、部屋を退出して行った。

 残された一行の間には、しばしの間が流れた。

 真っ先に口を切ったのはシエスタである。嬉しさと当惑と、才人に対する慰めなどが入り混じったような口調で、「あ、あの! サイトさんホントに残念でしたね~! でも、でもでも、私はちょっと嬉しいです。だって、サイトさんが此方の世界に残って呉れたらもう、それだけで私嬉しいですから」と言った。

 シエスタはそれから「ミス・ヴァリエールもそうですよね?」と水を向けたのだが、ルイズは横をプイッと向いて「全然嬉しくないわ」と怒った様な口調で言った。

「どうせこっちにいたって碌でもないことしかしないんだから」

「そんなことはありませんわ! サイトさんは何度もミス・ヴァリエールの、私達の、引いては“トリステイン”の危機を救ってくれたじゃありませんか!」

「まあそれは認めて上げわ。でも、女の子達に色目を使わせるために、私“召喚”した訳じゃないわ」

 ルイズは、黙々と本を読み続けるタバサとシエスタを交互に見て言った。

 すると才人も、負けじと呟く。

「あーあ。俺だって残念だよ。ったく、こんな我儘で恩知らずな奴の“使い魔”だなんて……」

「じゃあ帰れば良いじゃない」

「そう出来るんなら、とっくにしてるっつの」

 2人は、御互い心にもないことを言い合い、外方を向いた。

 それから、才人は少し吹っ切れたような声で言った。

「でも、それほど不満じゃねえよ」

 才人のその言葉で、ルイズは顔を赤くさせた。

 それから才人は、部屋を出て行こうとした。

 ルイズはまるで子犬のように不安気な顔で才人を見詰める。だが、「何処に行くの?」などと訊けないルイズであった。

「サイトさん、何処へ?」

「散歩」

「その格好で、ですか?」

 シエスタの言葉に、才人は己の姿を見遣った。メイド姿のままである。慌てて才人は着替え始めた。

 シエスタは、きゃあきゃあ、喚いて、掌で顔を隠す。しかし、指は駄々広がりである。

 タバサは気にした風もなく本を読んでいる。

 ルイズは頬を染めたまま、横を向いた。

 才人は服を着上げ終わると、「あ、そうだ」と呟いて何かを探し始める。

 捜し物は、ルイズの物入れの1番上の引き出しから出て来た。

 それを抱えて、才人は部屋を出て行った。

 バタン、とドアが閉まった後、しばしの沈黙が流れる。

 何かを誤魔化すように、ルイズは無言でテーブルの上の御菓子を食べ始めた。

 シエスタは、何喰わぬ顔で掃除を開始した。

 ルイズは黙々とクッキーを頬張りながら、窓に腰掛けているタバサと、その背後に見える夜の闇を見詰めた。

「夜も更けて来たわ。そろそろ自分の部屋に戻りなさいよ」

 しかしタバサは、無言のまま動かない。

 本のページを捲る音と、ルイズがもしゃもしゃクッキーを齧る音と、シエスタが箒で床を掃く音だけが、ルイズの部屋の中に響く。

「ねえタバサ。あんた、私の部屋に泊まる気?」

 コクリ、とタバサは首肯いた。

「どうして? サイトがいるからとか言わないでしょうね?」

 シエスタの箒が、ピタリと止まった。

 再びタバサは首肯いた。

「どういう意味よ? それ」

 わずかに嫉妬を滲ませて、ルイズが詰め寄る。すると、タバサは本を閉じて向き直った。

「貴女は、やり過ぎる」

「何よ。文句があるって言うの? 言っとくけど、サイトは私の“使い魔”なの。私がどんな罰を与えようが、私の勝手でしょ?」

「それでも危害を加えることが許されない。あれではいずれ、怪我をする」

「何それ? ナイト気取りって訳?」

「気取り、じゃない」

 ルイズの目が細まった。

「……言っとくけど、それって重大な内政干渉よ」

 タバサは真っ向から、嫉妬と怒りの混じったルイズの視線を受け止めた。

「だから?」

 ルイズは怒りに任せて“杖”を抜いた。

 タバサも同時に、大きな“杖”を構える。

 ルイズの身体から、ユラリと強大な“魔力”のオーラが立ち上がる。

 “虚無”のオーラである。

 ルイズの心に膨れる嫉妬心は、“魔力”となってルイズを包んでいるのである。

 タバサも、冷たい、舞う雪風の様な風状のオーラを身体に纏い、ルイズと対峙した。

 見掛けはか弱い少女同士の睨み合いであるが、“竜”同士の対決にも匹敵するであろうほどの恐ろしい雰囲気を撒き散らしているといえるだろう。

 あわや小規模な戦争のようなその空気を、シエスタが払おうとする。

「まあ! 御二方! まあまあまあ!」

 まあまあ、と言いながらシエスタは2人の間に割って入り、2人へとワイングラスを握らせる。

「“アンジュー”の古い御酒が手に入ったんです! 取り敢えず呑みましょ? ね? ね? そんな恐ろしい“杖”は御引っ込めになって下さいまし!」

「そうだな。“マスター”。今、彼女とその“サーヴァント”である“シールダー”――ヒラガサイトと、シオンとセイヴァーとは協力関係だ。“マスター”、ルイズ。協力関係である今、仲間割れする訳には行かんだろ? 共に行動することで、互いにフォローし合うこともできる」

 シエスタの言葉に続き、実体化したイーヴァルディはどこかズレたフォローを入れる。そんな仲介役2人を前に、ルイズとタバサは“杖”をどうにか収めた。

 それから、ルイズとタバサの2人は睨み合ったまま、グラスのワインを飲み干した。

「ふぅ。有難う御座います。ええっと……」

「“シールダー”……いや、イーヴァルディだ」

「有難う御座います、イーヴァルディさん」

 シエスタは、イーヴァルディに、(“イーヴァルディの勇者”と同じ名前の方なんですね)などと想いながら、感謝の言葉を口にした。それから直ぐに、再び、睨み合う2人が持つグラスへとワインを注ぎ満たす。

 ルイズとタバサは、それもまた直ぐに飲み干した。

 シエスタは、ワインの瓶が空になると、次の瓶を取り出して来る。そして、何度も何度もワインを注ぎ続けた。

 

 

 

 さて、何やら荷物を抱えて才人がやって来たのは、“火の塔”の隣にあるコルベールの研究室である。

 才人が扉をノックすると、キュルケが顔を出した。

 キュルケは薄手のネグリジェに身を包んでいるために、才人は目のやり場に困ってしまった。

「あら、サイト」

「先生いる?」

「いるけど……御酒呑んでブツブツ呟いているのよ。セイヴァーが話を聞いてくれてるみたいだけど、何があったのかしら?」

 才人が近付くと、コルベールは机に突っ伏してヘベレケ状態になっていた。

「先生、どうしたんですか?」

「……ふにゃ。全く、“王宮”の連中と来たら! “貴族”と来たら! いつまでも“魔法”が全てだと思っている! 世の中には、我々の知らない技術や文化が沢山あると言うのに……全く、詰まらないプライドで小競り合いをしている場合ではないと言うのに……御偉いさん達と来たら……」

 “王政府”から許可を貰うことができなかったことが、相当にショックだったことがその様子から判る。

 そんなコルベールに対して、才人はより人間的な好意を覚えた。

「確かに、御前の言う通りだ。だがな、コルベール。あいつ等にもあいつ等なりの事情がある。プライドなどと言ったモノに拘ってばかりではないのは確かだが、立場上、国と国との関係など色々と難しいんだ。まあ、有り体に言えば……これは、才人やシオンやアンリエッタにも言ったが、“間が悪かった”だけのことだろうて。いや、今更だが、もしかして俺、この言葉間違って使ってしまってる?」

 酔い潰れてしまっているともいえるコルベールに、俺は言葉を掛ける。

 才人は、そんなショックを受けて居るコルベールを前に、(こんな先生になら……渡しても良いな)と想った。それから、コルベールの肩を揺すった。

「……ふにゃ。何だね? ああ、サイトくんか。どうしたね?」

 酒臭い息を吐きながら、コルベールは顔を上げた。

「先生……これ」

 才人は、持って来た品を机の上に置いた。

「ん? これは……一体何だね?」

 銀色の、30“サント”四方ほどの板状の物体を見て、コルベールは酔いから覚めたかのように目を見開いた。

「……これは。君達の世界の物だな? 間違いない!」

 一瞬で、コルベールの顔から酔いの濁りが消え失せて行く。流石は、未知への探究心や好奇心を持つ研究者だといえるだろう。

「そうです。俺がこっちに来る時に持って来た唯一の物で……“ノートパソコン”って言うんです」

「凄いな! いや、実に凄いなこれは! 見給え、ミス・ツェルプストー。まるで“ゲルマニア”の寄木細工のようじゃないか!」

 コルベールの側で、まるで助手であるかのような顔付きで事のなりゆきを見守っていたキュルケも感想を述べた。

「いええ、ジャン。“ゲルマニア”の寄木細工なんかより、ずっと精巧にできているわ。ねえサイト、セイヴァー。これは一体何なの? 貴男達の世界の細工師がこしらえた宝石箱?」

 貴男達の世界、という言葉に引っ掛かりを感じた才人は、コルベールへと目を向けた。

「……すまぬ。私が話してしまったのだ」

「あたしなら良いじゃない。ねえ。誰にも言わないわよ。他所の世界から来た人間だってこと。ね?」

 キュルケの屈託のないといえる笑顔を前に、俺も才人も首肯いた。

 キュルケは、こと異性や恋沙汰に関しては色々と問題があるだろう。だが、何気に口の堅く義理堅い女性であるということを俺と才人は、これまでの経験と付き合いから理解していた。

「先生、これは寄木細工でも宝石箱でもないんです。何と言うか……説明し辛いんですけど、いわゆる沢山の本が詰まった、一種の図書館みたいなモノだ、と想ってください」

「図書館? これが? いやはや、驚いたな! こんな小さな箱が図書館だって言うのかね!? 君達の世界は、一体どうなっているのかね?」

 キュルケも目を見開いた。

「私達は、小さくなって入る訳?」

「いや……そうじゃない。文字や絵や音が、小さくその、データって言うか、そう言うのになって詰まってるんだ。さっきは図書館って言ったけど、ホントは図書館以上の情報を詰めることだってできる。それはここに、現れる。鏡に、魔法の映像が映るみたいにね」

 才人は、俺に確認のためだろう視線をチラチラを向けながら説明をして行く。それから、“ノートパソコン”を開いて、液晶画面を見せた。

「ということは、この中に君達の世界の情報が?」

「……俺が使ってた奴なんで、大した情報は入ってないですけど。ホントはこの機械を端末にして、色んな人と情報を交換したりするんです」

「詰まり、遠く離れた所にいる人間同士と? そういう意味かね?」

 才人と俺は首肯く。

 実際、才人は殆どインターネットばかりに使用していたために、データといえるデータは入っていない。入っているのは、購入時に既にインストールされていたモノやセキュリティーソフトくらいのものだろう。他に入っていたとしても、それがこの世界で役に立つかどうかはまた別問題でもある。

「では、これを用いれば、君達の世界の情報が何でも得られると。そういう訳なのだな?」

 そこで才人は、残念そうに呟いた。

「まあ、電力があれば、ですけどね」

 コルベールは才人が今仕方口にした言葉に首を傾げる。

「でんりょく? でんりょくとは何だね?」

「あれです。詰まり電気です。この機械は電気で動くんです」

「電気か! 成る程!」

 コルベールは嘆息した。

「ねえジャン。電気って何?」

「この世界に存在する、幾つかの力のうちの1つだ。稲妻が光ったり、冬場に階段の手摺に触れた時に、ピリッと来たりするのは、その電気の仕業なんだよ。殆ど研究している学者はいないがね……」

 キュルケは、ふーん、と云う様に両手を広げた。

「我々も“呪文”で使うではないか。“ライトニング”系統の“呪文”がそれだ」

「痺れる奴ね。へえ、てっきり、毒か何かと想っていたわ」

「……電池が入ってたんですけど。あ、電池って言うのは、電気を溜めておく部分です。もう、切れちゃってるんで」

「良く理解らないけど、その電気がないってことは、役立たずじゃない」

 キュルケが、両手を挙げてヒラヒラとさせた。

「でも、何か研究に役立てれば良いかなって」

 コルベールは、「そうだな」、と才人に首肯いた。

「これだけ精密な部品群……見ているだけで、ワクワクして来たぞ」

 子供のような目で、コルベールはノートパソコンを見詰めた。

「今はせめて、これで我慢して下さい」

 コルベールは、才人は心配そうに見詰めた。

「だが……良いのかね? 十分に気を付ける積りだが、私はこれを壊してしまうかもしれんぞ? 大事な物なんじゃないのかね?」

 才人は首を振った。

「良いんです。どうせ、使いみちないし……」

 どこか晴れ晴れとした声で、才人は言った。

「もし、壊れたとしても、俺に言え。直ぐに直してやる」

 才人と俺の言葉に、コルベールは「ふむ」と首肯いて再び“ノートパソコン”へと顔を戻す。もう、これを分解して色々と確かめたりしたくて堪らないといった様子である。

 才人の去り際に、キュルケが才人に文句を吐けた。

「全く、余計なことをしてくれたわね。あの調子じゃ、あと1週間はあたしが側にいることも忘れてしまうわ」

 そんなキュルケの言葉に、才人は苦笑する。

「だが、先程みたいに、酔い潰れ、鬱屈としているよりかは大分とマシだろう」

 俺のそんな言葉に、キュルケは「まあ、それもそうね」と呟いた。

 

 

 

 部屋に戻って来た才人は、とんでもない光景を見て目を丸くした。

 タバサと、いつしか呑み始めて酔い潰れてしまったシエスタが、クゥクゥとベッドで寝ているのである。

 ルイズだけが、1人ワインを呑んでいる。戻って来た才人を見ると、トロン、とした目で言い放つ。

「ろこ言っれらのよ~~~?」

「コ、コルベール先生の所。つうか何してんだよ……? 御前等……」

 ワインの瓶が3本も床に転がっているために、才人は驚いた。

「みんなでいっぽんずつ、なかよんらの。なかよくなったかな? まあ、ろっちれもいいわ」

「御前……良く潰れなかったな」

 酒の弱いルイズが、これだけ呑むことは珍しいといえるだろう。

 ルイズは、何だか怒ったような声で、「……らって、サイトがかえってこないらもん」などとヘロヘロとした口調で言い放った。

 才人は、(まさか、俺が帰って来ないのをずっと待っていたのか!?)と想うと、何だかルイズのことが更に可愛らしく想えて来た。

 酔ったルイズは、才人をボンヤリと見詰め、「サイロサイロサイロ」と、何度も名前を呼んだ。

「何だよサイロって……」

「ほんろにー。あんらー。かえらなくれよいろ?」

 帰らなくても良いのか、と訊いているのであろう。

 呑んでいる間中、ルイズはずっとその言葉の意味を考えていたのであった。

「ああ」

「ろうして?」

「御前がいるから」

「うろばっかり」

「嘘じゃ無えって。まあ良いけど」

「しょうらい、ろうするの?」

 相当酔ってしまっているルイズは、話題をピョコピョコと変えて行く。

 才人は、恥ずかしさを感じはしたが、(どうせ酔ってるし覚えていまい)と想い、とんでもないことを口にした。

「ルイズと結婚するよ」

「ほんろに? わらしと? ほんろに?」

「うん。責任取れよな。喚んだんだから」

「ころもはふらりがいいわ」

 と、ルイズもまたとんでもないことをサラッと口にした。

「そ、そうだな」

「はーい、はーいはい。わらしー、御願いがありまふ」

 ルイズは手を挙げると、いきなり立ち上がった。

「何だよ?」

 酔っ払いの相手って疲れるなー、などと少しばかりウンザリとしながら才人が尋ねる。

 ルイズは、才人に指を突き付けた。

「わらしにー、胸が大きくなるとゆー、体操しなさーい」

「はい?」

「いつかー、あんらだー、いっれらー、おっぱい体操」

 空気が固まった。

 才人が「はぁ?」と硬直していると、ルイズはガシッと才人の手を握り、「こうるするろ、おおきくなるっていってらー」と自身の胸へと持って行く。

 ルイズの薄くも、僅かな胸の膨らみが、才人の掌を刺激した。

「ル、ルイズ……」

 才人が訳が理解らなくなりそうになっていると、ルイズは耳元に口を寄せた。

「おおきくなればー、あんらー、よそみしないれしょー。れもー、ちいさいのがー、好きかもしれないのれー。わらしー、悩みろころらわー」

 月明かりが、射す中……才人の頭の中はルイズのことで一杯になってしまった。

 ルイズは才人に顔を近付け、頬をペロペロと舐め始めた。

 才人は、(何て可愛いんだ。酔ってる所為でこうなら、一生酔ってて欲しい)とルイズを押し倒しそうになるが、どうにか想い留まった。

 それから才人が、(今はこいつ酔ってるしなー、酔ってる時に何かしたら一生言われるしなー、嗚呼、でも我慢できないしな、どうしよう? 嗚呼、どうしよう?)と悩んでいると……。

 夜空に影が差した。

 同時に、月明かりを受けたのだろう、キラリと何かが光った。

 危険を感じた才人は、一瞬で我に返る。

「何だ?」

 才人は、ルイズをソッと押し戻し、ベッドへと横たえさせる。

「らによー、やっぱ文句あるんらないのー」

「良いから寝てろ」

 才人は咄嗟に、背中に背負っているデルフリンガーへと手を伸ばす。

 才人が窓から顔を出すと、素早い影が空を飛んでいるのが見えた。

 何かがキラキラと光り、窓から顔を出した才人を襲う。

 氷の矢であった。

 自分目掛けて飛んで来た其れを、才人はバックステップをすることで躱す。

 壁に打ち当たり、氷の矢は砕け散る。

 夜空の影は素早く動き……旋回する。次いで、才人目掛けて突進して来る。

 そんな夜空の影を観察し、(“ガーゴイル”? “竜”?)と才人は正体を推測しようとする。

 ただ……飛行物体の上には騎乗する人物が、才人には見えた。

 先程“魔法”を放た何者かであろうことは明白だといえるだろう。

 実戦慣れした才人の身体は、(“ガリア”? ……“ミョズニトニルン”? それとも、“アサシン”か、“アヴェンジャー”か?)といったそんな思考の間にもシッカリと反射的に反応をする。

 近付いた瞬間、才人は窓からジャンプして、影に跨った人物の背後にストン、と降り立った。

「――!?」

 驚愕の呻きと共に振り返った騎乗者の喉に、才人は羽交い締めのような形でデルフリンガーを押し当てる。

「待った! 待った!」

 するとそいつは、大声で喚き始めた。

「へ?」

 その声に、才人は聞き覚えがあった。

「頼む! 剣を退けてくれ! 僕だよ! ルネだ! ルネ・フォンク!」

「ルネ!」

 才人は驚いて、デルフリンガーを引っ込めた。

 月明かりに浮かんだ顔は……“アルビオン”で共に戦った“竜騎士”の1人、膨よかな身体をしたルネであった。

 才人は、懐かしさで胸が一杯になった。

「久し振りだから、驚かしてやろうと思ったんだ! でも、驚かされたのは僕の方だな。セイヴァーの方には隙なんて全くなかったし……“アルビオン”で110,000を止めたってのも首肯ける! 大した腕前じゃないか!」

 地面に降りた2人は、堅く抱擁し合った。

「いやぁ、“アルビオン”で別れて以来だな!」

「あれから僕は、“首都警護竜騎士連隊”に配属になったんだよ。毎日毎日、退屈な哨戒飛行の連続で、参っちゃうよ」

「それは、大変だな。褒美に飴でもやろうか?」

「セイヴァー!」

 地面で向き合う才人とルネに、俺は暗闇の中から近付き、ルネへと労いと誂いを込めた言葉を掛ける。

 そんな俺の言葉に笑いながら、ルネは才人と俺の格好を、上から下まで舐めるように見詰めた。

「いやぁ……サイト。“シュヴァリエ”になったって聞いたけど、金回りは良くないみたいだな。前と格好が変わらんじゃないか。年金は幾らだい?」

「500“エキュー”」

「何だ、僕より良いじゃないか。まあ、近衛だもんな。兎に角、服くらい買えよ」

「馬を買っちまって……いや買わされたんだけど。それですっからかんだよ」

「見栄を張って高いのにしたんだろ?」

 そう言ってルネは笑った。

 才人も連られて笑う。

「おい、こっちに来いよ。呑もうぜ」

 才人がそう言うと、ルネは首を横に振った。

「いや、遊びに来た訳じゃない。任務さ。君達にこの手紙を届けたら、直ぐにとんぼ返りしなきゃいけない。“竜騎士隊”の人遣いの荒らさと来たら、並大抵のもんじゃないね! なまじっか、空何か飛可るもんじゃ無いぜ。其の点、セイヴァーは“アルビオン”の客将だから、良いよな」

「なに、余所者ということから、色々と恨みなどを買っているがな」

 そんな風にルネと俺は言葉を交し、才人は話を戻そうと「手紙?」とルネに確認する。

「ああそうだ。さてと一応、形式を取らせて貰うぜ。何せ、差出人が差出人だからな」

 ルネはそう言うと、カッチリと軍人らしい直立をした。

「“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”副隊長サイト・シュヴァリエド・ヒラガ殿!」

「は、はいっ!」

 才人も思わず、ピーンと背筋を伸ばした。

「畏くも女王陛下より、御親書を携えて参りました! 謹んで御受け取りくださいますよう!」

 才人は、(じょ、女王陛下? 姫様が自分に手紙? どう言う事だ?)と緊張為乍らも疑問符を浮かべる。

 ルネは上着の内ポケットから、何重にも封をされた手紙を取り出した。そして跪いて、恭しく才人へと差し出した。

「あ、有難う」

「その場で開封し、中の指示に従うようとの仰せで御座います」

 ルネは真顔で、才人にそう言った。

 才人は、重々しく首肯き、中の手紙を取り出した。

 そこに記載されている文面を見て、才人の目が丸くなった。



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オストラント号の上で

「諸君! これは名誉挽回の好機である!」

 “オストラント号”の甲板で、ギーシュが“|水精霊騎士隊”の面々を前にして、大声で怒鳴った。

 10人ほどの少年達から、うぉおおおおおおお! と叫びが上がる。

「我々は、哀しい事件により誇りと名誉を傷付けられた……あのままでは、我等の尊厳は地に堕ち、子々孫々まで恥が残ったことであろう……だが! 神はそんな我々を御見捨てにはならなかった! 女王陛下は、我々に名誉回復のチャンスをくださったのだ!」

 再び、少年達の間から歓声が沸く。

 隣で、何やらグッタリとしている才人を、ギーシュは促した。

「では副隊長、皆にこの壮大成る任務を話してやってくれ」

 それは2日前、ルネによってもたらされた、女王陛下よりの命令書であった。

「えー、こほん。えー、本日は御日柄も良く、栄えある旅立ちを祝福してくださるような御陽様が……」

「そんな挨拶は良いよ。早く、陛下からの命令を言ってくれよ」

 ギーシュが、緊張でトチ狂ってしまっている才人の横腹を突く。

「あー、では言います。ギーシュ・ド・グラモン殿及び、サイト・シュヴァリエド・ヒラガ殿。女王陛下直属女官ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢と“魔法学院”生徒ティファニア・ウエストウッド嬢、“アルビオン王国”シオン・エルディ女王陛下計3名を、貴下の隊で護衛し、“連合皇国首都 ロマリア”まで、至急連れて来られたし」

「良いか!? 一命に代えも彼女達を御護りするんだ! 良いな!?」

 ギーシュが活を入れると、騎士隊の少年達は感動のあまり、空を見上げてボロボロと泣き始めた。

 舷壁にもたれて、そんな様子を遠巻きに見ているのは、当の護衛される対象のルイズ、そしてコルベールと一緒に“オストラント号”を動かすためにくっ着いて来たキュルケ、そして青い髪の小さなタバサである。

「ホントに偉いさんってのは、基本命令するだけで方法まで教えてくれないのね」

 キュルケが、呆れた声で言った。

「至急連れて来られたし、何て……この“オストラント号”がなかったら、どう仕様もなかったじゃないの。普通の“フネ”なら1週間以上掛かったわ」

 キュルケは未だ、“聖杯戦争”や“サーヴァント”、“宝具”などといったモノを知ってはいない。ただただ、イーヴァルディという少年を始め、近くに人並み以上――“英雄”ともいえる力を持つ存在がいるということを理解しているだけであった。

 東方への探検旅行を予定していたコルベールは、“魔法学院”の隣まで、“オストラント号”を運び込んでおいたのであった。当然、“風石”も満載されている。

 至急、などと言われても、手段が浮かばなかった才人達は、2択の内、コルベールに泣き付いたのであった。

 しかし……そんなことをキュルケに言われたルイズは、微妙に上の空といった様子である。何やらボヤーッと頬染めて、時折何かを想い出しては、恥ずかしそうにモジモジとしているのである。

「……どうしたの? ルイズ」

 キュルケに尋ねられ、ルイズは我に返る。

「え? ええ? 何だっけ?」

「もう。なに昼間から夢見てるのよ。偉いさんは、命令するだけして、後は放ったらかしってこと」

 コホンと、誤魔化すように咳をすると、ルイズは一生懸命真面目な顔をつくろってみせた。

「その偉いさん全員が、そうって訳じゃないわ。シオンを見なさいよ。それに、お、御偉方の、期待以上の働きをしてこそ、忠臣というモノだわ」

 ルイズ達の背後の翼の上では、シュシュシュシュシュ……と聞き慣れない音を立てて、“水蒸気機関”が動いている。

「ところで、コルベール先生は?」

 ルイズはキュルケに尋ねた。

 ルイズは、出航の時もコルベールの顔を見なかったのである。

 彼がいなくては、この“フネ”はマトモに動かせないはずだとうこともあって、ルイズは乗っているだろうことだけは理解していた。

 だが、どうにもコルベールは姿を見せないのであった。

「ジャンはサイトからのプレゼントに夢中なのよ」

 呆れた声で、キュルケは言った。

「サイトからのプレゼント?」

「そうよ。何だっけ、あの、のーとぱそこん、だか何だか……あんな平べったい板の、どこが面白いのかしら?」

 いつかルイズも見たことのある、才人が“地球”から持って来た機械……。

 ルイズは、(どうしてサイトは、コルベール先生に上げたのかしら?)と疑問に思ったが、はたと気付いた。それから、(それって……もしかしてサイトの決意なんだわ! “俺は此方の世界に残るんだ。元の世界の物に未練はない”……っていう意思表示。サイト……)、と想い、目頭が熱くなり、ルイズはもう、何も考えることができなくなってしまった。

 目で才人の姿を追い、ルイズは頬を染める。(嗚呼、昨晩は酔ってとんてもないことを言ってしまった気がするけど……良いわ。良いじゃない、そのサイトの覚悟に報いなきゃ……)、などと考えた。

 そうルイズが考えていると、キュルケがやれやれと両手を広げてみせた。そんなルイズの様子を見て、言いたいことも言えずに我慢していると想い込んでしまったのである。

「全く、いと哀しきは宮仕え……御偉いさんの機嫌1つであっちに行ったりこっちに行ったり、貴女達も大変ね」

 ルイズはキョトンとして言った。

「は? 陛下の思し召しよ。別に大変じゃないわ」

「東に行きたかったんじゃないの? ジャンがガッカリしてたわよー。“あー、やっと東に行けると想ったのになあっ”て。その反動で、サイトからのプレゼントに夢中みたい。貴女だって言ってたじゃない。“サイトの帰る方法を探して上げたい”って」

「そ、そうね」

 気不味そうに、ルイズは俯いた。

「それなのに、あんまりガッカリしているようには見えないけど? どうして?」

 ニヤッと、キュルケは笑みを浮かべてルイズの顔を覗き込む。

「そ、そんなことないわ! 私、ガッカリしてるもの!」

 ルイズは、ムキになって叫んだ。

「へぇー、そう」

 キュルケは、ルイズの鼻をチョンチョンと突いた。

「あたしには、これでサイトを側においておける~、ってそんな風に見えるけど?」

 ルイズは顔を真っ赤にした。それから、プイッと顔を背ける。

「あら嫌だ。図星?」

「“フネ”に酔ったの!」

 と、ルイズは怒鳴って船室へと向かった。

 自分達に用意された狭苦しい船室に篭もると、ルイズはグテっとベッドへと横たわった。俯せのまま布団に顔を押し付け、グッタリと身体を伸ばす。

 ルイズは、(私は……卑怯者だわ。サイトを引き留めて置きたいんだわ。何処にも行って欲しくにあ。それが例え、サイトの故郷であろうとも……)と考え、はぁ、と溜息を吐いた。

 この前、才人からすると冗談の積りで「帰る方法探しに行く」などと言った時、ルイズは思わず大慌てで止めに入ってしまったので在る。

 何て我儘なのかしら、とルイズは自分を責めた。

 そう想い始めることで、いつか自分で決めた「サイトが帰る間際に気持ちを伝えよう、自分の想いがサイトを縛る鎖になってはいけないから」というのもまた、何だか都合の良い言い訳のように、ルイズには想えてしまうのであった。

 ルイズは、(結局勇気が出ないだけなんじゃないの? 臆病者だわ、私……)と先程の浮かれ具合を恥じ、いつしか泣き出してしまった。

 そんな風にルイズが泣いていると、扉が開いて才人が現れた。

「どうした? 何かキュルケと口喧嘩してたみたいだけど……」

 ルイズは、クイッと毛布を顔まで引っ張り上げた。

「何だよ? どうしたんだよ?」

 才人はやれやれといった調子で、ルイズの隣に腰掛けた。

 ルイズは、ピクリとも動かない。

 才人は、(全く、気が強い癖に傷付きやすいんだから……多分キュルケに、また何か言われて落ち込んだに違いないな)と解釈して苦笑した。それから、(こいつは全く、俺がいないとどう仕様もないんだよな)と自惚れてみた。

 以前ルイズが“火の塔”から飛び降り自殺を図ろうとしたことを知らない才人であったが、(助けることも、慰めることも、励ますことも、きっと俺や幼馴染のシオン、姉のカトレアさんくらいしかできない。だって、滅茶苦茶我儘だからな、他の奴だったら呆れて逃げちゃうだろうな……となると、こいつは、俺がいなけりゃ駄目なんだ。多分いなかったら、死んでしまうんじゃないだろうか?)と想像し、考えた。

「おい、元気出せよ……って、ルイズ?」

 毛布を引き剥がすと、ルイズが目を赤くしていることに、才人は気付いた。

「な、何だよ。何で泣いてるんだよ?」

「サイト……良いの? ホントに、ホントのホントに帰れなくっても良いの?」

 ルイズはグシグシと瞼の上を擦りなら言った。

 才人は、優しい笑みを浮かべると、そんなルイズの瞼の下を拭ってやった。

「いや……何つうかさ。友達も仲間もできたし……だったら、あんまり寂しくないかなって。ギーシュなんかさ、“行き場所が失くなったら僕の家に来いよ”、何て言ってくれたんだぜ。何処まで本気が知らないけど、全く調子だけは良いんだからよ」

 ルイズは、その言葉で家族を想い出した。

 ずっと厳しいだけだと思っていた父親と母親。

 だが、それは間違いであったことを、もうルイズは知っている。

 自ら罰を与えることで、無断で国境を超えて外国に潜入した罪の減免を願った母親。

 ルイズを戦の道具に使うというのであれば、“王政府”すらをも敵に回すと言い放ってみせた父親。

 そして……いつも慈“愛”に満ちた笑顔で包んでくれるカトレア。

 エレオノールも勿論、ルイズの事を厳しく接しながらも“愛”している。

 そんな家族と2度と逢うことができない、そういったことは自分であれば堪えることはできないだろうとルイズは想った。

「駄目よ。そんなの……サイトの父様母様だって、サイトのこと……」

「良いんだよ」

 笑い乍ら、才人は言った。

「ホントのホントに良いの?」

 ルイズは、ポツリと寂しそうに言った。

「母様や父様に、2度と逢えないかもしれないのよ?」

 才人は、やはりそこで少し考えた。それから、(ルイズは俺に対して負い目を感じているんだ……こっちの世界に連れて来てしまったこと。いつまでも気にさせては、ルイズが可哀想だよな。気にし過ぎて、泣いてしまったりするんだし)と想い、才人は嘘を吐くことにした。

「ホントは、俺には家族がいないんだよ」

「え?」

 ルイズは、この前のカトレアの手紙に書かれていた内容を想い出した。そこには、才人がカトレアの胸で、故郷を想って泣いたことが書かれていたのだから。

「嘘……嘘よ。そんなの。小姉様の手紙に書いてあったもの。あんたが、故郷を想って泣いたって……」

「ああ。うーん、その何て言うかな。故郷を想って泣いたんであって、家族を想って泣いた訳じゃない。そりゃ、友達はいたし、親戚もいたけど……家族はいないんだよ」

 才人は、一生懸命に、事実であると聞こ得るように努めて言った。どう仕様もないことで、これ以上ルイズを苦しめたくなかったのである。

「ホントに、ホント?」

「ああ。嘘吐いてどーすんだよ? 変な奴だな」

 ルイズは、才人のそんな一世一代の嘘に、騙された。ルイズを苦しめたくない、という才人の真剣さが、嘘を信じ込ませたのであった。

「そう……ごめんね。変な話させて」

「良いよ」

 才人はニッコリと笑った。

「そんな訳で、俺には家族はいない。でも……こっちには居る。ルイズ、御前だ」

「私?」

「ああ。“使い魔”と主人って、ある意味家族以上だろ?」

 その才人の言葉で、ルイズは耳まで真っ赤になった。

「私の存在が……あんたの母様や父様の代わりになるって言うの?」

「そんなの判らないよ、でも、何て言うかな……好きな人の存在って、それだけで何かが違う。何て言うか、全部の代わりになるような、そんな気がするのさ」

 才人は、真面目な声でそう言った。

 ルイズはもう、その言葉だけで腰がクニャッと抜けてしまった。

 フラフラと才人に寄り掛かると、ルイズはボーッと、呆けたように目を瞑った。

 ルイズは、(嫌だわ。もう。幸せと言うモノが、何か形を伴って具体的に存在するとしたら……きっと今みたいな時間を、きっとそう言うんだわ……)と想い、フラフラと才人の頭を両手で抱き抱え、自分から唇を近付けた。

 2つの唇は重なり合い、舌が動いた。

 御互いの唇の音だけが部屋に響く……はずであった。

 パラリ。

「…………」

 パラリ。

 ルイズの耳に、唇が動く以外の音が聞こ得て、思わず目を開ける。

 パラリ。

 ルイズが横を見ると、青い髪の少女がベッドに寄り掛かって座り込み本のページを捲っていた。

 才人も顔を上げて、頬を染める。

「……何してんの? タバサ」

「護衛」

 ルイズの顔が、頭まで真っ赤に染まって行く。

「ご、護衛は良いわよ。と言うか時と場所を選んで……」

 次に聞こ得て来たのは、ドアの隙間から流れて来るヒソヒソ声であった。

「……何だ。終わりかい?」

「凄いわよね。タバサがいるのに気付かないなんて」

 キュルケや、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々の声が聞こえ、ルイズは思わず毛布を引っ冠った。

 才人は、頬を染めて、ポリポリと顎を掻く。

 調子の乗った“水精霊騎士隊”の面々は、扉をドッ! と開いて船室に雪崩れ込んだ。

 激しく浮かれたギーシュが、サイトの真似をし始める。

「好きな人の存在って、それだけで何かが違う、何て言うか、全部の代わりになるような、そんな気がするのさ」

 それからギーシュは、腹を抱えて大笑いした。

「あっはっっは! ぼ、ぼ、僕だってそこまで臭い台詞は言わんよ! 君ぃ!」

 歓喜の余り、何だか箍の外れたマリコルヌが、ルイズの仕草を真似し始めた。

「いやーん、サイトォ……ルイズ、ルイズ、腰が抜けっちゃったァ……」

 ノリノリのギーシュが、そんなマリコルヌの身体を支え、耳元で甘く囁いた。

「大丈夫。僕がほら、支えて上げるよルイズ」

「サイトォ、サイトォ、もっと甘い言葉でささやいてぇ……エッ!?」

 マリコルヌは最後迄台詞を言うことができなかった。

 怒り狂ったルイズが“エクスプロージョン”で壁ごと無礼な連中を吹き飛ばしたのである。

 それでもルイズの怒りが収まることはあるはずもなく、取り敢えず手近にいた才人を八つ当たりのようにポカポカと殴り付けた。

「馬鹿! 馬鹿馬鹿! 知ら無い! もう知らない!」

 平和なやりとりであるといえるかもしれないが、それでもやはり“虚無”の爪跡は生々しかった。

 間抜けな連中の呻き声が響き渡り、集まって来た水兵達はその破壊力の凄まじさに息を呑む。

 タバサは、そんな中でも優雅に本のページを捲っていた。

「やれやれ……また御前等、馬鹿騒ぎしたのか」

「駄目だよ、ルイズ」

 そこへ、俺とシオンもまた爆発音が鳴り響いたルイズと才人の船室前に着く。

「仕方無い……“修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)”」

 俺は、“メディア・リリィ”が所有する“宝具”の“真名解放”を行う。

 すると、“エクスプロージョン”によって破壊された壁は見事に、逆再生でもするかのように修復されて行く。

「き、君は時間操作さえもできるのかい? せ、セイヴァー……」

 どうにか立ち上がったギーシュが、驚いた様子で問い掛けて来る。

「厳密には違うがな。そうだな……御前達、コルベールも含めてだが、話しておく必要があるかもな」

「良いの? セイヴァー」

 シオンは、見上げて俺の顔を覗き込んで来る。

「ああ。まだ時期尚早かもしれんが、それでも遅いよりはマシだろう」

 

 

 

 

 “オストラント号”の一室にて。

 この場にいるのは、俺とシオン、才人とルイズ、タバサとイーヴァルディ、ティファニア、キュルケとコルベール、ギーシュとマリコルヌやレイナールを始めとした“水精霊騎士隊”の面々だけである。

 イーヴァルディは“霊体化”しているために、“マスター”である少女達や“サーヴァント”である俺と才人以外には見えていない。

 コルベールは、ノートパソコンの分解と解析などを楽しんでいたが、中断する羽目になったために不服そうである。

「で、改めて話って何だい? セイヴァー」

 代表としてか、ギーシュが先ず口を開き質問をして来る。

「そうだな。先ず、前提として……ここにいる何人かは既に知っていることが、俺と才人は、この世界――“ハルケギニア”の人間ではないということを知って置いて欲しい」

 俺の言葉に、“水精霊騎士隊”の少年達は、「“ロバ・アル・カリイエ”じゃなかったのか?」、などとざわめき始める。

 才人とルイズは驚愕に目を見開き、次いで俺を非難するような目を向けて来た。

 が、俺はそれを気にすることなく、言葉を続ける。

「そろそろ話しても問題あるまい。いずれはバレるかバラすことだ。ならば、今のうちに伝えて置いた方が賢明だと想うがね」

「それはそうだけど……」

「でも……」

「俺と才人は、“地球”と言う異世界から来た。いや、喚ばれたと言うべきだろうな。そして、ここからが本題だが……」

 俺の言葉と様子に、皆静まり返る。

「御前達が“始祖”と呼び、崇めている、ブリミル。彼が持っていた力、遺した秘宝……それ等がどういったモノか知っているか?」

 これはあくまでも確認だ。この場の皆が、どこまで知っているのか、どこまで理解しているのか。

「それは勿論、“虚無”だろう」

「秘宝に関しては、私が今持っている“水のルビー”と“始祖の祈祷書”ね」

「姫様が持ってる“風のルビー”」

「私が昔、聞いていた、“オルゴール”……」

「そうだ。4つの“ルビー”、4つの“秘宝”……それ等は、“虚無の担い手”の素質を持つ者が手にすることで初めて真価が発揮される。そして、“虚無の担い手”が“召喚”し、“コントラクト・サーヴァント”することで“契約”を成立させた者――“虚無の使い魔”」

「俺、か……」

「そうだ」

 才人の言葉に、俺は首肯き、皆才人とルイズとを交互に見る。

 この中で、ティファニアが“虚無の担い手”であるということを知る者もまた少ない。

「“4つの4が揃いし時、我の虚無は目醒めん”」

「それって……!」

“始祖の祈祷書”に記載されている一文である。

 それを俺が口にしたことに、ルイズは驚いた様子を見せる。

「その、“4つの4”と言うのは詰まり、“担い手”と“使い魔”、“ルビー”、“秘宝”ということかね?」

「その通りだ、コルベール。“神の左手ガンダールヴ”、“神の右手ヴィンダールヴ”、“神の頭脳ミョズニトニルン”、“記す事さえ憚れるリーヴスラシル”、“水のルビー”、“炎のルビー”、“土のルビー”、“風のルビー”、“始祖の祈祷書”、“始祖の円鏡”、“始祖の香炉”、“始祖のオルゴール”……だが、それ以外にも、“秘宝”は存在する」

「それは、何なのかね?」

「“聖杯”……万能の願望器」

「“聖杯”……」

「万能の願望器って……そんなモノがある訳が」

「勿論、文字通りの万能という訳ではない。“根源”とでも言える、“総ての始まりにして終わり――0と1、汎ゆる自称や現象が生まれ、消え失せる時空間”……そこから、エネルギーを抽出し、“魔力”に変換させ、大きな力を行使する」

「その大きな力って、どれほどのモノだい?」

「世界の、事象の書き換えなども可能だろうな……世界を思い通りに変化させることが可能なほどだ」

 質問をしたマリコルヌを始め、シオンを除いた皆が息を呑む。ただ、余りのスケールに、やはり皆良く理解できていない様子である。

「でも、そんな凄いモノ。どうして、今まで伝わっていないのよ?」

「伝えられては来たさ。ただ、情報を伏せてだがな……」

「どういう意味かしら?」

 キュルケは、恐る恐る、また興味津々といった様子で訊いて来る。

「簡単だ。“虚無”が関係している。その説明の前に、先ずは“聖杯戦争”について語ろうか」

「“聖杯戦争”?」

「戦争ってことは、殺し合うのかい?」

「そうだ。優れた力と強い願いや参加意志を持つ“メイジ”達から7人がほぼ自動的に選出される。それから、歴史や伝説に語られる“英雄”達の霊――“英霊”を、“英霊の座”という時空間から切り離された場所から、それぞれ7人、分け御霊のようにして、“役割(クラス)”を与えられ、それぞれの“メイジ”に“召喚”される。そして」

「最後の1人になるまで殺し合うのかい?」

 ギーシュの言葉に、俺は首肯く。

 するとやはり、場を重苦しい沈黙が支配した。

「で、その“召喚”された“英雄”の霊――“英霊”だが、それが“召喚”された時点で“使い魔”となるため、“サーヴァント”と呼称する。そして、“ブレイバー”」

 俺の言葉に首肯き、イーヴァルディは“霊体化”を解いた。

 突然現れた少年を前に、騎士隊の少年達は驚く。

「僕の名前は、イーヴァルディ。君達が言う、伝え聞く“イーヴァルディの勇者”の主人公さ」

 そんな自己紹介に、“マスター”である少女等3人と“サーヴァント”である俺と才人以外の皆は、驚きと疑いの眼差しを向ける。だが直ぐに、イーヴァルディから放たれている尋常とはいえないだろう力を本能で感じ取っただろう少年達は、黙り込み、俯いた。それから、物語上の人物に逢えたことに感動したのか騒ぎ始める。

「ああ、まだ話は終わってないのだがね」

 俺の言葉に、皆、はた、として落ち着いた様子を取り戻す。

「そんな“サーヴァント”だが、そこのイーヴァルディは勿論、俺も才人もその“サーヴァント”だ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! サイトが“サーヴァント”ってどういう……」

「才人も俺も、少し特殊なケースでな。才人の場合、まだ生きている人間だが、“ガンダールヴ”としての力を持ち、なおかつ“サーヴァント”としての力も同時に持った今を活きる人間と言ったところか。まだ“英霊”ではなく、“英雄”にならざるをえない人生を歩まされている人間だ。そして俺もまた特殊でな……」

 俺はそこで、口篭ってしまった。

 皆、そんな俺を訝しんで見て来る。

「ああ……御前等は、生まれ変わり、などと言ったモノを信じるか?」

 この場の皆が皆という訳ではないが、殆どが首肯く。

「“地球”の宗教の1つに“仏教”というモノがあってだな……その教えの1つ、と言うよりか、考えの1つに、“輪廻転生”というモノがある。そして、その亜種、と言うか、また違ったモノだが……俺は、“神様転生”といったモノをした存在だ」

「“神様転生”? 神様が“転生”させてくれるの?」

「厳密には違うが、似た様なモノだと解釈して呉れて構わ無い。だが、其れは飽く迄、救済措置みたいなモノだと言える」

「……え?」

「本来、生きるということは苦難に満ちていて、“魂”が持つエネルギーを消費して人生を全うするモノだとも言えるだろう。だが、“神様転生”の場合は、その“魂”が持つエネルギーを完全に消費し切れなかった者達への救済措置。そして罰だ」

「罰?」

「力を与えて貰える代わりに、命の危険が伴う人生を歩むことが多いからな」

「ちょっと、待ってくれ給え。力を与えて貰うって……詰まり、君のその力は」

「想像の通り、与えられた、望んだ末に無理繰り手にした力だ。基本、“神様転生”をする者は、創作物に出て来る能力や道具を請い、“特典”として与えられ、望みの世界と酷似した世界へと“転生”する。そして、その力や道具などは大抵、強大なモノばかりだ。故に、性格や人格、魂などを歪めてしまうことが多い」

 第一要素――肉体、第二要素――物質界に於いて唯一永劫不滅で在りながら肉体という枷に引き摺られ単体でこの世に留めることはできない要素である“魂”、そして第三要素――個人を個として成立させるために必要な要素である“精神”。その3つで基本、生物は成り立っている。

 そのうちの、“魂”へと無理矢理に力を与え、与えられ、“精神”が歪になるのである。

「そんなことがあるとは……!」

 コルベールは、瞳を爛々と輝かせている。どうやら、未知のモノに興味を抱いているらしい。

「だが、俺の場合は、前世の俺自身の性格や誕生したことで得た星座と言うモノなどを拡大解釈し、昇華させたモノを力とした。故に、影響はないと言って良いだろう。そして、望んでこの世界に来た。簡単に言ってしまえば、ここは俺にとって架空の世界だった」

「架空の世界だったって……そんな」

 才人を始め、皆ショックを受けた様子を見せる。

「だが、逆に言えば、御前達にとって、才人の故郷である方の“地球”では、俺がいた世界こそが物語上のモノである可能性だってある」

「そう言うことなんだ……じゃあ、私に“召喚”されたのは……?」

「それは、運、と言うよりも縁……いや、“運命”? まあ、“使い魔”とその主は、何か似たモノを持っているからな。それ故だろう。さて、話を戻そうか。何故、“聖杯戦争”と“虚無”が関係しているのかだったな」

 皆首肯く。

「“サーヴァント”には役割が与えられると言ったな? そうだな、理解りやすく例えのであれば、“ミョズニトニルン”だ。どういった力を持つか知っているか?」

「確か、“汎ゆる魔道具を扱える”だったかしら?」

 ルイズの言葉に、俺は首肯く。

「“魔法”の扱いにも長けている。それ故、“魔術師(キャスター)”としての役割を与えられる、といった風にな」

「じゃあ、俺は何で“シールダー”なんだよ?」

「ティファニア」

「えっ? な、何!?」

「あの唄を……“虚無の使い魔”に関する唄を覚えているか?」

「ええ。“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”……」

「――あ!」

 そこで、皆気付いた様子を見せる。

「そう。“勇猛果敢な神の盾”だ」

「成る程な。道理で、相棒は“盾の英霊”としての力を獲得したって訳か」

 そこで、これまで黙っていたデルフリンガーが才人の背中からカタカタと震えながら言った。

「御前の能力も関係している。ある程度の、他者が放った“魔法”の力を吸い取るからな」

「少し、良いだろうか?」

「何だ? レイナール」

「“聖杯戦争”は殺し合いって言ったね? なら、ここにいる君達は……」

「ああ、そのことか。その点なら解決済みだ。本来、行われるべき“聖杯戦争”のルールに於いては、“サーヴァント”を消滅させるか、その“マスター”を殺すか、“マスター”としての資格を奪うかだ。が、“聖杯”を壊せば全ては解決する」

「“始祖の秘宝”を壊すだって!? そんなことが赦される訳が――」

「“聖杯”の力、効果は説明しただろう。あれは、まだ御前達には過ぎたる力だ。まあ、偉業をなさず、人類の繁栄などに貢献などしてない俺に言う資格も権利はないがな……貰った力、“英霊の座”から彼等彼女等の意志や意見を訊かず勝手に人生の象徴や成果である“宝具”を模倣して使用している盗人だからな、俺は。まあそもそも、あいつ等との約束、決まりだしな……」

「その、“聖杯”とやらはどこにあるのかね? 一体、どこに!? 是非、教えてくれ給え!」

 コルベールは、話が終わったと判断した様子で俺へと詰め寄り、訊いて来る。

「“世界樹(イグドラシル)”だ」

「“世界樹(イグドラシル)”だって?」

「正確には、その地下……根より更に下の空洞部分だがな」

「何故、そんな場所に……?」

「御前達は、何故あの樹が世界樹と言えるまで大きく育ったのか、そして枯れてしまったのか判るか?」

 皆、当然知るはずも理解るはずもなく首を横に振る。

「あそこはな、“霊脈”であり、“龍脈”でもある。星が生み出す“魔力(マナ)”が溢れ出流る場所だ。故に、“聖杯”を設置するには適している。元々、その“魔力(マナ)”で樹木が本来のそれ以上に、異常的に成長し、世界樹となった。そして、そこから更に成長するのに使用されるだろう“魔力(マナ)”を“聖杯”の起動と維持に使用しているんだ。結果、“世界樹(イグドラシル)”は枯れることになった。だがそれでも、“魔力(マナ)”は十分過ぎるほどだ。故に、枯れはしても、朽ち果て腐ることはない。さて、俺からの話したかったことはもうない。終わりだ。何か質問はあるか?」

「……ふむ……“サーヴァント”は“聖杯”から力を抽出し、“英霊の座”と言う所から“マスター”となる“メイジ”の力を介して、存在する。といった解釈で良いのかね?」

「まあ、間違いではないな」

 コルベールの言葉に、首肯く。

「では、“聖杯”を壊すと君達は、どうなるのかね?」

 そんなコルベールの質問に、また皆黙り込んでしまった。

「何、別にこれと言った問題はない。純粋な“サーヴァント”であれば、“英霊の座”へと還るし、才人のような場合であれば、“サーヴァント”としての力を失うだけだ」

「“ブレイバー”とセイヴァーは……」

 タバサが側で控えているイーヴァルディと俺を見遣り、呟く。

「僕は、“英霊”だ。幻と言っても良いだろうね。だから、別に消えても何の問題もないよ」

「俺の場合は、“サーヴァント”でありながらも既に“受肉”している。“サーヴァント”としての力を持ちながらも人間として今を生きているからな……」

「なあ、セイヴァー」

「何だ? 才人」

「“サーヴァント”って過去を生きてた人達、“英雄”とかがなるんだろう? ならさ、“アーサー王”とか“ヘラクレス”とかも?」

「もしかして、“聖女ジョアンナ”を始めとした方々にも逢えるということかね?」

「勿論、彼等彼女等も“英霊”で“サーヴァント”として“召喚”されることもあるだろう。だが、こっちの世界では基本、“アーサー王”や“ヘラクレス”達は“召喚”されることはないだろうな」

「何でさ?」

「基本、その世界、その星との縁がある“英霊”がその世界やその星で“召喚”されることになる」

「えっと、詰まり……?」

「“ハルケギニア”では、“ハルケギニア”で偉業をなし遂げた“英霊”が“召喚”される。“地球”では、“地球”のな」

「そっか……折角、逢えるかもと想ったのになあ……」

 才人は、ガックリと肩を落とした。

「だがまあ勿論何事にも例外と言うモノはある。彼等彼女等と縁のある者による“召喚”、彼等彼女等がかつて使用していたモノや関係している“聖遺物”などと言った“触媒”を使用すれば、あるいは、な」

「だが、成る程なあ……道理で、セイヴァーと才人は110,000の軍勢を止めることができたのか」

「いや、その時の才人はまだ“サーヴァント”じゃなかった」

「ってことは……」

 皆、才人へと視線を向け集中する。

 才人は、恥ずかしさと誇らしさが混じった何とも言いようのない様子を見せた。

「なあセイヴァー。僕達は、“英霊”になれるのかい?」

「まあ、既に“座”には登録されてはいるが……今回の“聖杯戦争”に“サーヴァント”として参加することはできないが」

「どうすればなれるんだい?」

 ギーシュを始め、他少年騎士達が詰め寄って来る。

「そうだな。先ず1つは、直ぐに思い付くだろうが、武勲を立てるなどといった輝かしい記録を残すなどをして、歴史に名を遺す」

「うんうん」

「そしてもう1つは、世界と“契約”する」

「世界と“契約”?」

「そうだ。先ず大前提としてだが、“抑止力”という存在がこの世界には在る」

「“抑止力”?」

「そうだ。“カウンターガーディアン”とも呼ぶのだが……“集合無意識によって作られた、世界の安全装置”、“人類の持つ破滅回避の祈りであるアラヤ”と“星が思う生命延長の祈りであるガイア”と言う、優先順位の違う2種類の“抑止力”が存在する。“アラヤ”とは“人類の無意識下の集合体”であり、“霊長と言う群体の誰もが持つ統一された意識”、また、“我を取り外してヒトという種の本能にある方向性が収束しカタチになったモノ”だ。対する“ガイア”とは、“星の意思の無意識部分”であり、いわば本能……“世界の存続のためならば人類の破滅も問題としないが、現在は世界の大部分を支配領域とする人の世を崩壊させるほどの事態は星の破滅も招きかねないことから、結果的に人も守るために発動することもあるモノ”だな」

「要するに?」

「星やヒトの集合的無意識」

 理解できていない少年達が多いが、理解できている者達もまたいる。

 そんな俺の大雑把かつテキトウな説明に、タバサは理解した様子を見せた。

 そんな皆を見て、俺は口を開く。

「“どちらも現在の世界を延長させることが目的であり、世界を滅ぼす要因が発生した瞬間に出現、その要因を抹消する”。“カウンターの名の通り、決して自分からは行動できず、起きた現象に対してのみ発動する”。“その分、抹消すべき対象に合わせて規模を変えて出現し、絶対に勝利できる数値で現れる”」

「で、それと“サーヴァント”に何の関係があるのかね?」

「“アラヤ”と契約することで、“守護者”という“人類の“存続するべき無意識が生み出した防衛装置のようなモノ”――“名もない人々が生み出した、顔のない代表者”になり、そこから“英霊”になることが可能なんだ……」

「ああ、そう言えば、そんなこと言ってたっけ?」

 才人は、“アルビオン”で俺がした説明を想い出した。

「だが欠点がある」

「その欠点とは?」

「“アラヤ”の体の良い便利屋、万屋になるってことだ。汚れ仕事ばかりさせられる……人殺しなんてしょっちゅうだ。虐殺とかな。故に、“英雄”になりたいとは想っても、なろうとはするなよ。決して、良いモノではないからな」

 

 

 

 

 

 その夜……皆が寝静まった後も、ルイズは1人眠ることができずにベッドの中で悶々としていた。昼間の、才人の言葉が嬉しくて仕方無かったためである。

 その才人はというと、ルイズの隣でグウグウと眠りこけている。

 いつかのモンモランシーやキュルケからの忠告が、ルイズの脳裏に蘇った。

 許したら男は浮気する、らしいということである。詰まり男は、女をコレクションのように集めたがる性分を持った生き物であるといえるだろうか。女性の中にもそういった類の人もまたいるのは事実である。そう、キュルケもまたその1人であると言うことができるだろか。

 ルイズは、(その、許すのも、気持ちを伝えるのも、要はイコールよね。この“使い魔”……気持ちを伝えたとん……、もうルイズ制覇、と勝ち誇ってキョロキョロ余所見をするんじゃないかしら? それに……最近の私ってば、ちょっと慎みがたりないわ)と軽く自分の頭を小突いた。

 それからルイズは、(と言うか、ホントに私ってば、好い雰囲気に弱いわ。ちょっと“好き好き”言われただけで、何だかもうどうでも良くなってしまうもの。街娘じゃないんだから……)と己の行いなどを反省した。

 また、(そんなホイホイ許したら駄目よ。結婚するまで駄目よ。と言うか、結婚しても3ヶ月は駄目なの。いいえ……1ヶ月くらいにして置こうかしら? まあ、それは兎も角、サイトにもっと優しくして上げよう。直ぐに怒るのは卒業しないといけないわね。余所見だってするわ。男の子ですもんね。まあ、ちょっとくらいの 余所見も、許して上げるべきよね。でも、そんなことできるかしら? この私が……)とも割りと冷静に自己を分析するルイズは悩んだ。そして、(……ま、少しずつ、できるようになれば良いわよね)と結論付けた。

 それから、アンリエッタことがルイズの心を過った。

(一体、私達を“ロマリア”に呼んで、どうするつもりなのかしら? また何かが起こりつつあるのかしら? もしかして、セイヴァーが“聖杯戦争”とかのことを皆に教えたのって……全ての事件が片付いて、落ち着けるようになったら……その時こそ、サイトに気持ちを伝えよう)、とルイズは思った。

 不思議なモノで、そう思うことで、この先どのような敵が現れようとも、辛いことが待ち構えていようが、ルイズは頑張れる気がした。

 どこまでも幸せな気持ちで……ルイズは才人に寄り添い、眠りに就いた。

 

 

 

 さて、少し離れた船室では、ある意味凶暴とでも言える胸を持つティファニアが、まんじりともせず夜を過ごしていた。

 “オストラント号”は、長期の航海を想定して造船されたために、広さは兎も角船室の数は多いのである。

 流石キュルケの家が建造に携わっただけはあるとはいえ、狭いが内装もしっかりとしたモノである。寮の部屋と同じくらいの広さであり、ベッドもフワフワとしている。

 “アルビオン”の森の中から出て来て、ティファニアが真っ先に気に入ったのはこのベッドであった。田舎で使っていた布団とは、出来が違うためである。柔らかく、身体がふっかりと沈み込むのである。

 ティファニアは、(“ハルケギニア”での生活は、嫌いなことも多いけど、このベッドだけは褒めても良いわ)と思っていた。

 いつもであれば、横渡るとぐっすりと眠ってしまうティファニアであるのだが……今日は違った。

 ティファニアは、クイクイと己の長い耳を引っ張った。

 “アルビオン”から出て来て1ヶ月少しで、再びの旅立ちで在る。次の行き先は、“宗教国家ロマリア”である。

 ティファニアは、(訳も理解らず、旅の支度をしろと言われ、考える間もなく“フネ”に乗せられたけど……大丈夫かしら? 私には“エルフ”の血が混じってる。今から向かう“ロマリア”は、“ブリミル教”の総本山よね。そんな場所で、私の正体がバレたら……“魔法学院” での騒ぎどころじゃないわ)と想った。

 目を瞑りはするが、ティファニアはやはり不安を覚え眠ることができなかった。

 才人を始めとした皆、「大丈夫、俺達が着いてる、テファに手出しはさせないよ」と言ったのだが……ティファニアは(ホントに大丈夫かしら?)とやはり不安に成った。

 どうにも眠ることができず、ティファニアはスルリとベッドから抜け出すと、船室を出た。

 ティファニアが向かったのは、甲板である。

 “オストラント号”は、シュシュシュ……と云う“水蒸気機関”独特の音を立てて、空を行く。

 舷縁から顔を出して眼下を見遣ると、月明かりの下から分厚い雲が黒々と広がっている光景が、ティファニアには見えた。暗い海の底のように見え、ティファニアは身震いした。

 “オストラント号”は、時速50“リーグ”ほどの速度で航行している。

 舷側に凭れ、強い風に顔をなぶられていることで……これから自分を待ち受けているであろう“運命”に、ティファニアは心が騒いでどうにもならなくなってしまった。

 ティファニアは、“トリスタニア”の孤児院で頑張っているであろ子供達のことを想像した。

 それから、(あの子達だって、きっと頑張ってる。私も頑張らなくちゃ……自分に課せられた“運命”が何であれ、どの道、もう普通の生活は送れないもの。それは、“ウエストウッド村”を出て来た時に、覚悟を決めたこと……色んなモノを見てみたい。きっとこれからの様々な体験が……自分の進むべき道を教えてくれるにちがいないから。兎に角、不安に負けては始まらないわよね)とグッと目に力を込めて、ティファニアは黒い雲を見据えた。その奥に在るモノを、見透かすように……。

 

 

 

 “オストラント号”甲板上。

 ティファニアとは別の場所で、俺とシオンは双月の明かりと夜風を浴びていた。

「“聖杯戦争”について話したのって、もしかして……」

「そうだ。この先、起こるであろうこと……あらかじめ知っておいた方が良いかと想ってな。いや、俺が話したかっただけか……」

「そっか……」

 シオンの肌理細やかで透き通るほどに白い肌、サラサラとした長い金髪……それ等が、双月の明かりに照らされ、幻想的かつ神秘的な印象を与えて来る。

「シオン。御前は俺の、俺が持つ“スキル”や“宝具”について既に知っているだろうが、一応念のために説明しておこうか」

「うん。御願い」

「先ずは、“クラススキル”。これは、言葉通りで、“サーヴァント”に割り当てられた“クラス”特有の“スキル”だ。そして、俺の“クラススキル”は、“代替者”。次いで、“保有スキル”。“固有スキル”とも言うな。個人の“特徴”や“特性”や特技などが主だろうか……俺の場合は、“転生者”、“特典”、“専科総般”、“千里眼”。第一“宝具”は、“|源流から流れ戻りし、偉大成る王すら呑み込む幸運の星《サダルメルク・グラ・アルバリウス》”……どれも“EXランク”。詰まりは規格外さ。 “転生”して力を持つ前はそれ等を手にすることを、この世界と良く似た世界に来ることを望んだ。だがな……いざ手にして来てみれば、その力の強大さ、責任の重さ……そう言った類のモノががんじがらめにして来る」

「後悔してるの?」

「いいや別に。その逆さ。確かに、重さとかに潰れそうになりはする。だけどな、御前と逢えた……御前等と逢うことができた。本来なら決してできないことが……記憶を保持したままにチャンスを手にして、もう1度歩むことができるんだ。例え、記憶や経験などを保有した状態、同じ環境での第2の人生だったとしても、それはもう 既に別の人生。これ以上を望んじゃあな……さて、シオン」

 俺はそう言って、リストバンドの形をした“礼装”を1つ、シオンへと手渡す。

「これは……?」

「本来、“コードキャスト”と呼ばれるモノの一種を、“礼装”、まあ、“マジックアイテム”にしたモノだ。まあ、何だ……必要な時になれば使えるようになる」

 “コードキャスト”。“月の聖杯戦争”で使用される、“電脳空間で使用される簡易術式”、所謂プログラムの一種である。

 そして、“魔術礼装”。“ミスティックコード”とも呼ばれる“魔術の儀礼に際し使用される装備や道具” 。

 それ等を再現し手を加え、“魔術の儀礼に際し使用される装備や道具”である“魔術礼装(ミスティックコード)”へと変えた。

「必要な時……理解った」

 シオンは、真っ直ぐに俺を見据え、その後に受け取った。

「今回の“聖杯戦争”で、誰が1番強いのかな? って言うか、誰が厄介?」

「“アヴェンジャー”だ。彼奴は、ただ心臓の代わりである“霊核”を破壊しようとしても無駄だからな。他の奴等であれば、簡単に対処できるさ」

「勝てないってこと?」

「いや、簡単に勝てるさ。だが、他の“サーヴァント”と比較すると面倒だってこと。何せ、あいつは……あいつ等は、この“ハルケギニア”の怨念や恩讐の集合体だからな。近いうちに起こる戦いで、寄り力を増すだろうしな」

「そっか……その……怨念や恩讐の集合体って言ったけど、どうにか救けて上げられない?」

「無理だ。世界のシステム上、世界という存在や人間を始めとした生物が存在する限り、恨み辛みなどを始めとした感情が世界から消え失せない限り。今のあいつ等をどうにかできても、また別の人格を持った“同一存在”が誕生するだけだ」

「…………」

「俺達にできることは、それ等の感情などを受け流すか、受け止めるか……そして、否定するか、共感するか……。哀しいな、ホントに……」

「……うん」



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2つの騎士隊

 “トリステイン”を発ってから3日後、“オストラント号”は“ロマリア”南部にある港、“チッタディラ”に到着した。

 それなりの速度を出す“オストラント号”ではあるが、帆の張り方などを工夫して積荷を減らした快速船ですら海上を通っては、1週間は掛かる距離であった。

 “チッタディラ”は、大きな湖の隣に発達した城塞都市である。“フネ”を浮かべるのに都合が良い、という観点から湖がそのまま港として利用されることになったのである。岸辺から幾つも伸びた桟橋には、様々な“フネ”が横付けされているのが見える。それだけを見ると、海に面した、普通の船が停泊する港とそう趣は変わらないといえるだろう。

 さて、“オストラント号”が入港すると……珍しい形をした“フネ”がやって来たということもあって、桟橋に周りには当然人集りができあがる。

 “ガリア”にその動向を知られることがないように、表向きは学生旅行という名目で入港したのが、それでも本来の目的は御忍びで滞在しているアンリエッタと合流、という非公式のモノである。

 当然のことではあるが、入国に際し、監視と激しく揉めることになった。

 桟橋までやって来た、眼鏡を掛けた融通の利かなさそうな“ロマリア”官史に、“トリステイン王政府”発行の入稿手形を見せたのだが、彼はうさんくさげに俺達一行と“オストラント号”を見詰めた。

「“トリステイン魔法学院”生徒? にしては、とんでもない“フネ”に乗っているな。何だこの“フネ”は?」

 “オストラント号”は、“ハルケギニア”で常用されている“フネ”よりも、翼が長い。それだけでなく、船尾に1個と両翼に1個ずつ、見慣れないだろうプロペラが付いているのである。官史でなくとも、怪しいと想うであろう。

 引率の教師という触れ込みであるコルベールが、恍けた声で答えた。

「はぁ。私が“ゲルマニア”で開発した新型船でして」

「翼の上に付いている、あの怪しい櫓と羽は何だ?」

 尊大といえる態度で“杖”を突き出して、官史は更に尋ねる。

「蒸気の力を利用して、推進力に変える装置です。私は、“水蒸気機関”、と呼んでおります」

 官史はそこで、目を細めた。

「神の御業足る“魔法”を用いずに、そんな怪しい装置で空を飛ぶとは……異端ではないのか?」

 官史の助手が、「異端ですと!?」と、ピックーン! といった風に跳び上がり、その後に首から提げた“聖具”を握り締め、プルプルと震え始めた。

「いえいえ、主要な動力に関しては勿論、“魔法”ですとも。“水蒸気機関”はあくまで補助です」

 “ロマリア”では全ての役人が神官であるのだ。

 ティファニアは、その言葉で不安になった。“エルフ”の血が混じって居る事を隠すために、例によって鍔の広い帽子を冠っているのだが、クイッとその鍔を両手で引き下げる。

 そんな様子が、官史の注意を引いてしまったらしい。

「おいそこの。ちょっと帽子を取ってみろ」

 ティファニアは、ガタガタと震え出した。

「どうした? 帽子を取れと言ったのだ。聞こえないのか?」

 官史の手がティファニアへと伸びるのと同時に……タバサが小さく“ルーン”を唱えた。

 その動きを見ていたキュルケが、仰々しく官史へと撓垂れ掛かる。

「あら!? 良く見るととっても男前!」

「な、何だ貴様は!?」

「毎日の御勤め御苦労様。素敵な神官さん」

「いやなに……と言うか離れろ! 穢れるではないか!」

「世の中には神様に御祈りするより、楽しいことが沢山あるんですの。御存知?」

 場の注目がそこに集まっている間に……実戦“魔法”の使用に優れたタバサは、最小の動きで“呪文”を完成させた。

 ティファニアの帽子が、僅かに光った。

 するとキュルケは、呆気なく官士から離れた。

「そうね。神官様の言う通り。ちょっと馴れ馴れしかったですわ」

 官士は、コホン、と咳をすると、ティファニアへと再び命令した。

「帽子を取れ」

 観念したように、ティファニアは帽子を外した。

「ふん……帽子をしない方が美人ではないか」

「え?」

 と、ティファニアは己の耳を確かめる。そこにあるのは、ヒトのそれと何ら変わりのない耳であった。驚いたティファニアは、傍らのタバサを見詰めた。

 この青髪の少女が、ティファニアへと“魔法”を掛けたのであった。

 ティファニアの知らないその“呪文”は、“フェイス・チェンジ”――顔を変えることのできる高度な“スクウェア・スペル”である。いつしか、“スクウェア・クラス”の実力を身に着けるに至ったタバサであった。

 “トリステイン王政府”発行の本物だということもあって当然だが、兎に角、入国許可証などに怪しいところなどあるはずもない。

 後が仕えているために、官士はそれ以上問い詰めることはなかった、

 俺とシオンを除いた一同は、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 そんな風に難を逃れることに成功した俺達であるが、運命の神という存在は、とても皮肉が好きなようである。俺は事前に観ていたために問題はないが、皆にとって想いもよらぬところから、災難を運んで来のであった。

 詰まり、一難去ってまた一難、といったことである。

 “チッタディラ”から駅馬車に乗り、1日掛けてとうとう都市“ロマリア”へと辿り着いた。

 この国の慣習に従い、街への門を潜る前に、“杖”や“武器”をそれぞれ行李に詰めたりする必要があるのだったのだが。

 そんなルールなど知るはずもない才人は、ついウッカリ、デルフリンガーを背負ったまま、門を潜ろうとしてしまった。

 当然、衛士に呼び止められてしまう。

「おい、そこの貴様!」

 ん? と才人が振り返ると、衛士はツカツカと歩み寄り、デルフリンガーへと手を掛けた。

「どこの田舎者だ!? この街では武器をそのまま持ち歩くことは許されん!」

 剣を持っていたために“平民”だと判断されたらしい。

 尊大な態度で衛士は、デルフリンガーを才人の背中から引き抜くと、地面へと投げ捨てた。

「な、何すんだよ!?」

 衛士はそこで、才人は羽織っているマントに気が付いた。

「何だ貴様、“貴族”だったのか。それにしては剣など持ち歩くとは、どういう了見だ? 北の方の国では、“平民”が“貴族”になれるらしいが、それか? 何とまあ、神への冒頭も甚だしい!」

 才人は文句を言おうとしたが、鞘から離れたデルフリンガーが先に口火を切った。

「やいてめえ! 人を、いや剣を地面に放り出すとはどういう了見だ!?」

「何だ、“インテリジェンスソード”か。どっちにしろ、携帯はいかん。袋に詰めるか、馬に積むかするんだな……兎に角貴様、こっちに来い。怪しい奴だ」

 そんな衛士に、なおもデルフリンガーは追い打ちを掛けた。

「うるせぇ! ボンクラ! この罰当たりの祈り屋風情が!」

「……祈り屋風情、だと?」

 あちゃあ、と才人は頭を抱えた。

 面倒事を起こすことは避けるべきであるのだ。

 さっさとデルフリンガーを黙らせようと拾い上げる才人であるが、怒り心頭に発したデルフリンガーは暴れて中々鞘に収まろうとしない。ずっと鞘に入りっ放し、放置されっ放しだったということもあり、ストレスが溜まっていたらしい。

「おう、何度でも言ってやらあ! 祈り屋風情が気に入らねえってんなら、別の呼び方を考えてやっても良いぜ」

「……剣の分際で! “ロマリア”の騎士を侮辱するということは、引いては神と“始祖ブリミル”に侮辱を加えるということだぞ!?」

「煩え若造。御前にブリミルの何が理解るって言うんでぇ。良いから早いとこ俺に謝って、得意の御祈りでも唱えやがれ」

 衛士は、「うぬ! 赦せん!」と叫んで、デルフリンガーの柄を引っ掴んだ。

「おい、何すんだ!?」

 才人が慌てて止めに入ろうとする。

「こいつめ! 炉に焚べてドロドロの塊にしてやる!」

「面白え! やれるもんならやってみやがれ!」

「止めろよ!」

 事態は、押し合い圧し合いへと発展してしまう。

「気持ちは理解できるが口が過ぎるぞ、デルフリンガー。そこの衛士もだ」

 仲介に入ろうと俺は、2人と1本の間へと入り、言葉を掛ける。

 シオン達は、呆然とそんな遣り取りを見守っている。余計な口を挟んで、更に酷い揉め事になっては不味い、と判断したのである。

 どうにか、俺の仲介で1本の剣と1人の衛士は睨み合うだけで済んだ。が、それも一瞬だけであった。

 結局揉め事になる運命であったのだ。

 才人が勢い余って、デルフリンガーの柄を掴んだままであった衛士を突き飛ばしてしまったのである。

「わ!? ごめんなさい!」

「ごめんで済むと想うのか!? 神と“始祖”に仕えるこの身を突き飛ばすとはッ! 不敬もここに極まれり! やはり、貴様等……各々方! 怪しい上に、不敬の輩がおりますぞ! 出ませい!」

 すると詰め所から、わらわらと衛士達が溢れ出て来た。

「不敬とな!?」

「例の件に関係しているかもしれん! 取り押さえろ!」

 手にはそれぞれ“聖具”を握っているのが見える。

 その“聖杖”を見て、「ヤバ。あいつ等、“聖堂騎士(パラディン)”だわ」とキュルケが口にし、その言葉にタバサが反応した。

 タバサが、ピューッと、と口笛を吹くと、空からシルフィードが降りて来る。

 タバサとキュルケはその背へと飛び乗り、オロオロとしているティファニアをタバサが“レピテーション”で浮かべてシルフィードの上に跨がらせる。

 ただ2人、“聖堂騎士”達の前に立ち塞がった。

「何だ!? 貴様は!?」

 ルイズとシオンである。

 ルイズは桃色の髪を逆立てて、“聖堂騎士”達に向かって怒鳴った。

「私達は“トリステイン王政府”の者よ! 今現在、この国に滞在しているアンリエッタ女王陛下の御許へと向かう途中ですの! 私達に手を出したらとんでもない外交問題よ! 理解ってるの!?」

 “聖堂騎士”は、顔を見合わせた。

「……アンリエッタ女王陛下?」

「そんな報告受けてないぞ?」

 しまった、とルイズは顔を青くした。

 アンリエッタの行幸は御忍びである。それは勿論、政府の偉いさん始め上層部の者達は知っているだろうが、下っ端とでもいえる騎士達には知るはずもないことなのだから。

「貴様……“トリステイン”女王の名まで持ち出しておって……増々怪しい連中だ」

「纏めて足っ振りと宗教裁判に掛けてやる。覚悟しろよ」

 あわわ、とルイズは立ち竦んでしまう。其れからルイズは、シオンへと助けを求める様に目を向ける。

 シオンは、首を横に振った。

 当然だ。こうなってしまえば、上層部の者と掛け合い、熱りが冷めるまで持ち堪えるくらいしか直ぐには想い付かないのだから。

 また、シオンの来訪もアンリエッタのそれと同様に極秘である。名乗ったところで、騙っていると判断されてしまうだろうことは、“聖堂騎士”達の様子から簡単に想像できるだろう。

 ルイズは更に、あたふたとし始める。

 そんなルイズを、キュルケがヒョイッと抱え上げた。

「ジャン、ギーシュ、騎士隊の皆さん、貴男達は“フライ”で追い掛けて来て、サイト! こっちよ! 乗って!」

 才人はデルフリンガーを握り締め、飛び上がったシルフィード目掛けてジャンプした。

 そんな才人を、シルフィードの脚が器用にキャッチする。

 キュイ、と一声鳴いて、シルフィードは急上昇を開始した。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”やコルベールも、大慌てで“フライ”を唱え、シルフィードの後を追い掛ける。

「やれやれ……行くか、シオン」

「うん。御願いね」

 俺は、シオンを御姫様抱っこして、一跳躍して建物の屋根へと着地する。それから、一行の殿であるように、“聖堂騎士”の動きを見ながら、皆を追い掛ける。

「異端共が逃げたぞ! 捕まえろ!」

 詰め所から、バッサバッサと、翼が生えた馬が飛び上がる。

 “聖堂騎士”達はその馬に次々と跨り、不敬から遂々異端にレベルアップをしてしまった俺達を追い掛けて来る。

 其の馬を見て、ルイズが叫ぶ。

「“ペガサス”だわ!」

 “ロマリア”地方に棲息する、翼の生えた馬……“ペガサス”は、“聖堂騎士”御用達の騎乗用生物である。白く光る鬣をひるがえし、グングンと近付いて来る。

 本来で在れば“ペガサス”の飛行速度は、“風竜”に及びも着かず、勿論“サーヴァント”に追い付けるはずもないのだが……シルフィードや俺は全力で逃げ切ることはできない。

「“フライ”で飛んでいる連中がいる以上、逃げ切れないわね……」

 そう呟くキュルケに、才人が詰め寄った。

「おいキュルケ! 何で逃げるんだよ!? 余計に面倒なことになるじゃんか!」

 貴男ってば、と呟いてキュルケは髪を掻き上げた。

「“聖堂騎士”の恐ろしさを知らないのね? ああ、そういえば貴男達はこの世界の人間じゃなかったものね……彼等に不敬と決め付けられたら、とんでもないことになるわよ? その場で略式宗教裁判が行われて、“魔法”で串刺しになっちゃうわ」

 才人は青くなった。ベアトリスとの騒動を想い出し、同時にキュルケが口にした「“魔法”で串刺し」を文字通りに想像してしまったのである。

 事宗教関係や国家事情、政治関係などに関しては基本、“サーヴァント”は無力であるのだ。

 見ると、ティファニアは震えている。宗教裁判、と聞いて、この前のその騒動を才人同様に想い出したのであろう。

 空から見る“ロマリア”の街は、整然と区画整理された基盤のように見えた。どの区画にも、見事な彫刻が施された尖塔が眩しい建物が誇らしげに聳え立っている。

「全く、こんな寺院ばっかりの所で神官の悪口言ったら大変だわよ。少しは考えなさいよ」

 キュルケにそう言われ、才人はデルフリンガーを睨んだ。

「おい、御喋り剣。反省しろよ」

 デルフリンガーは情けない声を上げた。

「だってよう……ずっと鞘に入りっ放しで苛々してたし……第一おりゃあこの国が嫌えなんだよ。この国を作った“フォルサテ”って男が、そりゃもういけ好かない奴で……」

「そんな大昔のことなんか水に流せよ! おかげで、こっちは余計な面倒を抱えちまったじゃねえか!」

 才人が責めると、デルフリンガーは鞘にスポッと入って小さくカタカタと動いた。一応反省しているらしいことが判る。

「そうは言うが、才人。御前も御前だ。デルフリンガーに全くかまってやらなかったんだろ?」

「…………」

 俺がそう言うと、才人もまた反省した様子を見せる。

 振り向くと、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々は、フラフラと為乍ら飛んで居る。疲れてしまったのだろう。“フライ”というモノは、“精神”をずっと集中させる必要がある。そのため、それほど長い距離を飛行するには向いてないのである。

「限界ね」

 キュルケは冷静な声で言い、俺とシオンへと目を向けて来る。

 下を眺めていたタバサが、“杖”で一角を指し示した。

「酒場」

 キュルケが首肯き、俺とシオンもまた首肯く。

 タバサの意を受けたシルフィードは、急降下を開始した。

「な、何よ!? 地面に逃げてどうするのよ!?」

 そんな行動に、ルイズが慌てて怒鳴る。

「あの酒場で籠城するのよ」

「籠城だって!?」

 才人とルイズは、声を合わせて怒鳴った。

「仕方無いでしょ? 逃げ切れないし、捕まったら大変だし……こうなったらドンパチは避けられないわ。真っ昼間の酒場だったら空いてるでしょ」

 シルフィードは目指す通りに滑り込んだ。

 通行人達が、いきなり着陸した“風竜”に驚き、逃げ惑う。

 キュルケはシルフィードから飛び降りると、酒場の扉を蹴り上げた。

「入らっしゃい」

 と、これから降り起こる災難を知るはずもない店主は笑顔を浮かべ、キュルケを迎えた。

 ザッと店内を見回すと、キュルケが見越した通りに客はほとんどいない。神官風の男が1人、カウンターに座っているだけである。

 昼間から酒を呑むのは不信心者とされるこの“ロマリア”では、昼間呑みたい者は、コッソリと家で呑むことが多い。

 キュルケはほっとした様子を見せた。当然、迷惑を掛ける相手は、少ない方が良いのだから。

「何にしやしょう? 御嬢さん」

 “貴族”の客と見て揉み手をしながらやって来た店主に、キュルケは言い放った。

「この御店を、1日貸し切らせて頂くわ」

「はい?」

 キョトンとした店主は、続々と入って来た“貴族”達を見て、目を丸くした。

「な、何事で?」

 キュルケは答えずに、サラサラと小切手を書くと、ピラッと店主に放って寄越した。

「こ、こんなに!?」

「でも足りなくなるかも……その時は遠慮なさらずに言ってね」

「は、はいっ! でも一体何をなさるんで? パーティでも開く御積りですか?」

「そうよ。ちょっと花火が派手に上がるけど……御気になさらないでね?」

 店主は、(花火?)と疑問を覚え乍ら、視線をズラした。

 そこでは、タバサの指揮の元、“水精霊騎士隊”の面々が椅子やテーブルを使ってバリケードを築いているところであった。

「ちょ!? ちょっと! あんた等! 何をしとるんですか! わっ!」

 店主のその声は、窓硝子が粉々に砕け散った音で遮られてしまった。

 外に展開している“聖堂騎士”達が、“魔法”を放ったためである。

「うわあ!? 何だ!? 何事だ!? って……“聖堂騎士”!」

 通りに見える、純白のマントに縫い付けられた“聖具”の紋を見て、店主の腰がヘナヘナと抜けた。

「あ、あんた達……何者だ?」

 キュルケは、気の毒そうに呟いた。

「退がって。危険よ」

 才人は、ブルブルと震えるティファニアを店の奥まで連れて行き、そこに座らせた。

 “魔法学院”の制服を、大きく持ち上げる胸を隠すように自分を抱き締め、ティファニアは壁際に座り込む。

「サイト……」

「大丈夫。何があっても、俺が、俺達が護る。俺の所為みたいなもんだし……ごめん」

 こくこくと、ティファニアは首肯いた。

 さてと、と才人はデルフリンガーへと手を掛けた。

 破られた窓の外には、厳しい顔付きをした達が並んでいる。

 “水精霊騎士隊”の面々は、窓から退がった所にテーブルでバリケードを築き、“杖”を構えて対峙している。

 タバサとキュルケは騎士隊の少年達の背後から、細かく指示を飛ばしている。すっかり指揮官とその副官といった風情である。

 たった1人だけいた客は、ギムリに「外へ出ろ」と言われたが、ニッコリと笑みを浮かべて「酒の肴にピッタリだ」と言ってワインをクイクイ呑み、ギムリの忠告を無視した。

 コルベールは、テーブルの隙間から外に展開している“聖堂騎士”達の動向を冷静に伺っていた。本来であれば、この様な乱暴事を止めるべき立場の彼であるが、何1つキュルケに文句を言わない。

 こういう非常時には冷静な現実主義者になってしまうコルベールが何も言わないところを見て、(乱暴に見えても多分之が正解なんだろうなあ)と才人は思った。

 肝心のギーシュはというと、「何でこんなことになったんだぁ~~~」と頭を抱えて、床に突っ伏してしまっていた。

 ルイズは、怒りを覚えているのだろうプルプルと震えている。兎にも角にも、この現状に我慢ができないのであろうことが手に取るように判る。プライドが高いルイズは、誤解であろうとも「不敬」と侮辱され、なおかつ犯罪者のような扱いをされている現状を許すことができないのであろう。

「隣、良いか? 神官殿」

「ああ、構わないよ」

 俺はシオンを連れて、昼間であるにも関わらず呑んでいる神官の隣へと腰掛ける。

 シオンは、奥で震えているティファニアへと近付き、隣に座った。

「さて……様子見と行こうじゃないか? なあ」

「ああ、そうだね。面白いモノが見れるかもしれないしね」

 才人は腰を低くして、タバサとキュルケの元へと向かう。

「で、どーすんだよ?」

 キュルケはニッコリと笑みを浮かべた。

「さて勇敢な騎士諸君。作戦を説明するわ」

 ゴクリ、と一同はキュルケの言葉を待った。

「兎に角時間を稼いて頂戴」

「そ、それだけ?」

 キュルケは首肯いた。

「ええ。ここで時間を稼げば、騒ぎは教皇聖下にも届くでしょ。そうすればアンリエッタ様だって気付くんじゃない?」

「随分と気が長い作戦だな……」

 ギーシュが呆れた声で感想を漏らす。

「あら? だったら貴男、あそこで“聖堂騎士”達に宗教裁判に掛けられても良いの? あたし達全員、神官を侮辱したかでその場で有罪よ。“魔法”で打ち首、なんてあたし嫌ぁよ」

 そこで才人が、決心したようにキュルケに言った。

「侮辱したのは俺とデルフだけだ。俺が1人で話付けて来る」

「サイト!」

 ルイズが叫んで、才人へと駆け寄る。

「駄目よ! だったら私も行くわ!」

 恥ずかしそうに、ルイズは俯いた。

「だって、あんたは私の“使い魔”じゃない。あんたの責任は私の責任。だから私も行く」

 才人は、感動した目でルイズを見詰めた。

「ルイズ……」

 するとルイズは頬を染め、「せ、責任は主人である私にあるのよ。だから、勝手なことしちゃ駄目」と言った。

「しないよ」

 感極まっただろう、才人はルイズを抱き締めた。

 ウットリと頬を染めて、ルイズもその背中に手を回す。

「しゅ、主人と“使い魔”は、一心同体なんだから……」

「理解ってる。理解ってるよ」

「オウ、他所でやれや」

 蟀谷を引き攣かせたマリコルヌが、2人を引き離す。

 イチャイチャして居た2人は、顔を真っ赤にする。

 キュルケが呆れた声で言った。

「どっちにしても、もう遅いわよ」

「それに、君だけ行かせたら、僕達の名誉に傷が付く。なあ?」

 マリコルヌが、ぐ! と親指を立てて見せた。

 “水精霊騎士隊”の面々も、何だか浮かれたように、そうだそうだ! と囃し立てる。

「大体、“ロマリア”の神官共は嫌い何だよ」

「“聖堂騎士”の横暴っぷりったらないぜ! いつかあいつ等にはちょっと想い知らさせてやろうと想ってたんだ。誰が1番偉いのかをな!」

 そんな物騒だといえる言葉も飛び交う。どうやら、此方が本音らしい。

 何といっても“ハルケギニア”の“貴族”というモノは、こういう揉め事が大好きなのである。

 才人は、やれやれと首を振って言った。

「全く……何が神様だ。昔っから、1番戦争を起こすのは神様交じりの時じゃねえか」

 歴史の授業を想い出して、才人は言った。

 宗教が違う、ただそれだけのことで、“地球”であっても幾度となく戦いが起こって来た。いや、今現在も起こっている。皆、平和に平穏に暮らしたいという気持ちや想いは同じであるというにも関わらず、宗教の違いや宗派の違いなどで、幾らでも幾度でも戦争を起こしてしまう。戦争は勿論、ヒト同士の間だけの話ではない。

 皆、口々に威勢の良い言葉を吐き出していたため、誰もそんな才人の独り言を聞いていない。

 たった3人を除いて……。

 それは、奥の椅子に腰掛けている客、その隣の俺、ティファニアに寄り添い安心させようとするシオンである。

「確かに、才人、御前の言う通りだ。“神々は人間を救わない。人々の理想によって性格を得た神は、人間の望み通り、人間を悪として扱う。神とはこれ、人間への究極の罰なのだ”ってね」

「それも受け売り、だろ?」

「まあな」

 俺の隣に座っている男は、深くフードを冠っているおかげで顔を良く見ることができない。

 そんな彼は、才人と俺との会話を聞くと、プッと笑みを漏らした。それから、妙な声音で呟く。

「面白いことを言うね。君達は」

「そっすか? 良いけど、ホントに危ないから外に出た方が良いですよ。御迷惑を御掛けして、すいませんけども」

 フードの男に、才人は再度忠告する。

「いや、ここで見物させてくれ」

 才人は、(変わり者だな)と思ったが、今はそれどころではないといった風に再びバリケードの向こうを見据えた。

「でも……あいつ等、攻めて来ないわね」

 キュルケが呟く。

 “聖堂騎士”達は、最初に“魔法”で窓を吹き飛ばしたっ切りで、動く様子を見せないのである。どうやら窓も、中の様子を探るために吹き飛ばしただけらしい。

 そのうちに、“聖堂騎士”の1人が、輪から進み出て来る。随分と気障ったらしいといえる仕草で、クイクイと顔を持ち上げながら、近付いて来る。

 才人は、其れを見て感想を漏らした。

「ギーシュみたいな奴だな」

「一緒にしないでくれ給え」

 前に出て来た“聖堂騎士”は、美男子、と形容して良いだろう顔立ちの優し気な男であるといえるだろう。長い黒髪が、額の上で分けられ、左右に垂れている。

 男は丁寧な仕草で一礼すると、店内に立て籠もった俺達へと柔らかい口調で話し掛けて来た。

「“アリエステ修道会”付き“聖堂騎士”隊長、カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティーノです。さて、酒場内の諸君、君達は完全に包囲されています。神と“始祖”との卑しき下僕たる我々は、無駄な争いを好みません、申し訳ありませんが、大人しく投降して頂けないでしょうか?」

「あたし達の身の安全を保証して呉れるって言うんなら、そうしても良いわよ?」

 キュルケが言い放つ。

「そうしたいのは山々なんですが……我々はとある事件を抱えていましてね。“怪しい奴は片っ端から捕らえて宗教裁判に掛けろ”、との命令を受けているのです。従って、貴方方の無罪が神によって証明された後、そうさせて頂きましょう」

 当然、“水精霊騎士隊”の間から、抗議の声が飛んだ。宗教裁判というモノが、名前を変えただけの処刑に過ぎないということを知っているためである。

「僕達は異端じゃないぞ!」

「列記とした“トリステイン貴族”だ!」

「“トリステイン貴族”と言うなら、“貴族”らしくきちんと裁判を受け、身をもって証明すれば良いだけの話ではありませんか。それができぬ、と言うならば、君達は忌まわしき異端と言うことになってしまいますが……」

「教皇聖下に問い合わせろ! 俺達は“ロマリア”の客だぞ!」

 才人がそう怒鳴ると、カルロと名乗った“聖堂騎士”隊長は、やれやれと両手を広げた。

 副官らしき男が近寄り、何やらカルロへと耳打ちをする。

「それほど聖下に拘るとは……やはり貴方方を何としても取り調べねばいけないようだ。仕方ありません。流れずに済む血が流れ、振るう必要のない“御業(魔法)”を振るわねばならぬ……嗚呼、これも神の与えたもう試練なのでしょう……」

 カルロは胸元に提げた“聖具”を神妙な様子で取り上げ、額に当てた。すると、その綺麗で優しげな顔立ちが、見る間に凶悪な臭いを漂わせるモノへと変貌する。

「神と“始祖ブリミル”の敬虔なる下僕たる“聖堂騎士”騎士諸君。可及的速やかに異端共を叩き潰せ!」

「あの顔と言動……あいつ、神官には向いてないな……」

「教えには忠実なんだけどね……そこを指摘されると、痛いな」

 俺と、フードを冠った男は互いに酒を酌み交わしつつ談笑する。

 カルロの号令と共に、ブワッ! と“聖堂騎士”達から“魔力”のオーラが立ち昇がる。

 カルロは、才人達に背を向けると、まるでオーケストラの指揮者であるかのように、“杖”を掲げた。

「“第一楽章・始祖の目覚め”」

 彼等“聖堂騎士”達は一斉に“呪文”を唱え始めた。まるで唱和する聖歌隊が歌うような、“呪文”の調べであるといえるだろう。

 酒場内に緊張が奔る。

 珍しいことにタバサが焦った表情を浮かべ、“水精霊騎士隊”の面々に指示を飛ばした。

「“エア・シールド”を張って。何重にも、直ぐに」

「“マスター”、僕はどうすれば?」

「“ブレイバー”は待機。“サーヴァント”は基本、表に立つべきではない、と想う」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、タバサに言われた通りの“呪文”を唱え、バリケードの前に空気の壁を張った。

 同時に、“聖堂騎士”達の“呪文”が完成する。それぞれ握った“聖杖”の先から、炎の竜巻が伸び、幾重にも絡み合い、巨大な“竜”の形を取り始める。

「何だありゃ?」

「“賛美歌詠唱”。“聖堂騎士”が得意とする“呪文”。厄介」

 タバサが、才人の疑問に答えた。

 いつかのアンリエッタと、指輪の力で強制的に蘇らされ操られていたウェールズの2人が作った、あの“ヘクサゴン・スペル”のそれに似た合体“魔法”といえるだろう。

 血を吐くような訓練と統率……それ等に耐えることのできた“聖堂騎士”ならではの奇跡の業であるといえるだろう。

「ホントにあんなの、店内に撃っ放す気かよ!?」

 才人が叫んだのと同時に、炎の“竜”は店内目掛けて襲い掛かって来た。

 一部を除いた酒場内の面々は、竦み上がった。

 幸いにも、事前に幾重にも唱え張った“エア・シールド”が功を奏したのだろう、炎“の竜”の勢いは弱まる。しかし、“水精霊騎士隊”が唱えた“エア・シールド”では所詮焼け石に水といった程度に過ぎない。

 空気の壁を突破して来た炎の“竜”を、最終的に止めたのはタバサの“魔法”であった。スッくと立ち上がると、唱えて置いた“呪文”を解放したのである。

 キラキラと光る氷の粒がタバサの周りを回り始め、青白く光り輝いた。

 “アイス・ストーム”。

 タバサの放った氷の嵐が、炎の“竜”に絡み付く。

 辺りは、濛々と立ち篭める水蒸気に包まれた。

 その霧が晴れると……毅然と立つタバサの姿が見えた、

 酒場内の一同から歓声が沸く。

 が、するとタバサは、「“精神力”が切れた。後は任せる」と言って、奥へと引っ込んだ。

 ゴクリ、と“水精霊騎士隊”の面々は唾を呑み込む。タバサの強力な“魔法”は打ち止め……となると、後は後ろに控えている“サーヴァント”、もしくは自分達で何とかする必要があるためである。

 自分達の“魔法”が破られたことで、“聖堂騎士”達の表情が変わった。

「異端の癖にやるじゃあないか」

 カルロは笑みを浮かべ、次の“呪文”の”詠唱”を指揮する。

 炎が破られたと云う事も在り、次の“賛美歌詠唱”は“水系統”であろう。

 “詠唱”と共に、幾重にも氷の矢が増えて行くのが見える。

 店内に飛び込んで来た何百本もの氷の矢を防いだのは、コルベールの“火系統魔法”であった。

「“ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ”」

 講義でも行うかのように、淡々と“呪文”を唱えたコルベールの“杖”の先から、先程の炎“竜”にも負け無いほどの大きさを誇る蛇が姿を表し、巻き起こる。

 炎の蛇は、氷の矢を喰らい尽くし、唐突に掻き消えた。

 何本かの氷の矢が、テーブルや椅子に突き刺さりはしたが、それで終わりであった。

 だが、コルベールもタバサ同様に“精神力”が切れてしまい、“魔法”は品切れであるらしい。頭を掻き、「諸君、次は君達で何とかし給え」と言って、奥へと引っ込む。

 通りに集まった見物人から、野次が飛んだ。

 宗教庁の権威を笠に着ていつも威張っている“聖堂騎士隊”が苦戦しているということもあって、それが面白くて堪らないのであろう。

 ギリッ! とカルロの顔が歪む。

「うぬぅ……おのれぇ……斯くなる上はぁ……」

 次は凄いのが来るぞ、と生徒達の間でひそひそ声が飛び交う。

 才人は、ルイズの肩を叩いた。

「さて、出番だぜ。ルイズ」

 キュルケも、タバサも、コルベールも、少年騎士達も、ルイズを見詰めた。彼女達は、ルイズが“伝説の担い手”であるということを既に知っているのである。

 自分達の切り札……“虚無”。

 “始祖”が扱いし、“零番目の系統”……。

 “水精霊騎士隊”の面々は、ルイズが“虚無の担い手”であることを知ってはいるが、それでも未だ半信半疑といった体である。だが、彼女が起こす爆発は凄まじい威力を誇るということだけは理解していた。

 したがって、皆熱っぽい目でルイズを見詰めるのである。

「彼奴等全員、吹っ飛ばしてやれよ! その間、僕達が何としても防いでやる!」

 次に“聖堂騎士隊”が放って来た“賛美歌詠唱”は、“風系統”で在った。

 ゴォオオオオオオオオッ!

 と、荒れ狂う嵐は、いつぞやの“ヘクサゴン・スペル”ほどではないが、それでもかなりの威力を秘めていることがうかがい知れる。

「俺が止める!」

 才人は飛び出し、デルフリンガーを構えた。

 嵐に巻き込まれ乍らも、デルフリンガーが“魔力”を吸収して行く。

 それから、才人は振り返ると、怒鳴った。

「ルイズ! 今だ! あいつ等を “エクスプロージョン”で吹っ飛ばせ!」

 緊張した顔で、ルイズは“呪文”を唱え始める。

 完成。

 “杖”を振り下ろし、“エクスプロージョン”を放とうとするのだが……。

 ボウンッ! と何だか情けない音と共に、“聖堂騎士隊”の前の地面を僅かに掘り返しただけであった。

「……終わり?」

 と、才人は、デルフリンガーで嵐を止めながら、間の抜けた感想を漏らす。

 ルイズは呆然と、己の“呪文”の結果を見詰めた。

「な、何で?」

 キュルケが、コクリと首肯いた。

「あー、きっと、幸せだからじゃないの?」

 ルイズはギクッとした。

「あんたの“系統”って、確か中々“精神力”が溜まらないのよね。怒ったり、嫉妬したり、そういう感情が必要なのに、あんた最近あんまり怒ってないでしょ?」

「え、えー。そんなこと、ないもん……」

 恥ずかしそうに俯いて、ルイズはモジモジとし始めた。

 そんなルイズに、とうとう嵐を受け止め切れなくなった才人が吹き飛ばされ、打ち当たる。

「――ぷぎゃあ!?」

 と2人は、酒場の奥へと転がって行った。

 同時に嵐が吹き込んで来る。

 デルフリンガーによって吸い込まれていたとはいえ、バリケードを吹き飛ばすには十分過ぎた威力である。

 “聖堂騎士”達は、バリケードが吹き飛んだことを確認すると、“聖杖”を構えた。

 何やら“呪文”を唱えると、“杖”の先端が赤、青、白……と様々な色へと染まり始める。

「“ブレイド”だわ。来るわよ」

 キュルケが呟く。

 “ブレイド()”。

 騎士が頻く使う、“杖”に“魔力”を絡ませて刃とする“魔法”である。得意な“系統”ごとに、その色と威力は違う。その上、“杖”の周りにのみ発生させるために、効果の持続性が高い。まさに、岩をも両断することができるだろう、白兵戦用の“呪文”である。

 カルロを先頭にして、“聖堂騎士”達は突進して来た。次々破れた窓を掻い潜り、飛び込んで来る。

 “水精霊騎士隊”の面々も、次々“ブレイド”を唱え、迎え討つ。

 窓際では乱闘が始まった。

 才人もデルフリンガーを握り締め、“水精霊騎士隊”へと加勢する。

 “水精霊騎士隊”は、殆どが“ドット・メイジ”である。“魔法”の威力不足を補うために、アニエス直伝の才人の元、接近戦に力を入れて来た。また、俺も時々ではあるが、その訓練や鍛錬、模擬戦に参加し、扱いて来た。その甲斐あってだろう、押され気味ではあるがどうにか保ち堪えることができている。

 “杖”同士が打つかり合い、派手な音が飛び交う。

 マリコルヌが唸り声を上げて、“杖”を振り回している。

 冷静なレイナールは、何気に“杖”を使った接近戦が得意であった。右に左にと器用に躱し、チェスプロブレム(詰将棋)を解くように敵を追い詰めて行く。

 ギムリはその豪快な身体を“バーバリアン”のように動かし、力任せに“杖”を振ん回す。

 “精神力”の切れたタバサは、後ろで本を読んでいる。自分にできることがないと判ると、随分と割り切るモノであった。

 そんなタバサの前で、“霊体化”はしている状態ではあるが、イーヴァルディが、俺の横で椅子に座っている男へと注意しながら仁王立ちでもするかのように立っている。即座に、実体化して護るためであろう。

 コルベールは“魔力”の掛けられてない“杖”1本で、“聖堂騎士”と互角ともいえるほどに渡り合っていた。

 キュルケといえば、店主と壊れた家具についての交渉の真っ最中であった。

 乱闘で椅子や机が1つ壊れるたびに、店主は算盤を弾き、キュルケに見せる。

「……ちょっと、高くない?」

「否々、良い木を使っておりますんで! はい!」

「半分は、“聖堂騎士隊”に請求してよね」

 ティファニアは奥の方でガタガタと震えており、シオンがそんな彼女を抱き締める。

 ルイズは、ハラハラしながら、才人の方を注目し、(何が“虚無”よ……使い辛いったらありゃしない!)と自分の無力さを歯噛みしていた。

 才人はルイズの心配を他所に、1人の“聖堂騎士”の“聖杖”を、一撃で吹き飛ばした。“ガンダールヴ”のスピードにたじろぐ“聖堂騎士”の腹に、デルフリンガーの柄を減り込ませ、悶絶させる。

 さて次は……と、才人が見ると、辺りは当然ながら乱戦であった。(さて、どこに加勢しようか?)と見回すと、1体を残してて全ての“ワルキューレ”を倒されてしまったギーシュが見えた。

 ギーシュは、カルロの猛攻にタジタジになっていた。

 “ブレイド”を纏わり付かせた薔薇の造花を握るギーシュと、1体の“ワルキューレ”を、難無くカルロはあしらっている。

 才人が近付くのを見たギーシュは、首を横に振った。

「おいおい、加勢なら要らないよ。何、これからが本番さ」

 しかし、カルロは余裕の笑みを浮かべながら、ギーシュを追い詰めている。その様子から、どうやら実力の半分も出していないとうことが見て取れる。

「言ったな? じゃあ、御望み通り本番と行こう!」

 カルロは素早い動きで、ギーシュの薔薇の造花を手元から掬い上げる様にして弾き飛ばした。

 ギーシュは、ペタリと床に胡座を掻いた。

「参った。降参だ。サイト、後は任せたよ」

 そして、ギーシュは悪怯れた風もなく口笛を吹き始めた。

 敵味方から、笑いが溢れる。

 カルロは、ユックリと才人へと振り向いた。

「次は君か。名乗り給え」

 才人はデルフリンガーを突き出すと、胸を張って思いっ切り格好付けた。それから、“貴族”っ放い身の熟しをできる限り真似て、堂々と名乗った。

「シュヴァリエ・サイト・ド・ヒラガだ。見知り置きを」

「変な名前だな」

「黙れオカマ野郎」

 才人のその言葉にカルロは笑みを浮かべて、“聖杖”を突き出した。長さは30“サント”ほどではあるが、“魔力”のオーラが伸びているために、1“メイル”ほどの長さを誇っている。

「君はツイてないな。誓って言うが、御命貰い受ける」

「遣ってみやがれ」

 才人は一っ跳びで距離を詰めると、思い切りデルフリンガーを真上から叩き付けた。

 然しカルロも然る者、デルフリンガーをガッシリと“聖杖”で受け止めた。

 2人は同時に、パッと飛び退る。

 カルロは一瞬で才人の実力を見て取り、“聖杖”に込めた“魔力”を増幅させた。

「本当に“平民”か……? 貴様」

「今は“貴族”だよ」

 青白い、“杖”の輝きが大きくなる。

「いざ!」

 そして、カルロは鋭い突きを繰り出した。

 才人の目には、其の動き1つ1つがしっかりと見えた。成る程、少し鍛えた程度のヒトでは目で追うことだけで精一杯といえるだろうほど。ギーシュが、あっと言う間にやられてしまたのも仕方がないことであるといえるだろう。

 だが、才人はそうではない。

 才人はカルロの“聖杖”の動きを見切り、ピッタリと縦に真ん中から両断した。これはただのハッタリであると同時に、敵意を喪失させる目的で放った斬撃である。

 パラン、と床に落ちた“聖杖”を眺め、カルロは膝を突いた。

「き、貴様……」

 呻くカルロに、才人は言い放つ。

「頼むよ。教皇聖下とやらに、連絡付けてくれないか? そうすりゃ、俺達の正体も理解るからさ」

「先程からわざとらしいことを抜け抜けと……忌々しい異端共め! ……己の胸に訊け! 御前達の仲間が、何らかの理由で聖下を拐かしたのだろう? あの怪しい“フネ”で運ぶ積りだろうが!? 言え! どこで接触する積りだ!?」

 はい? と才人はキョトンとした。

 カルロのその声で、激しい剣戟も止んだ。

「何か誤解されてないか?」

 額から、ダラダラと血を流したマリコルヌが、恍けた声で言った。

「聖下を拐かす? どういうことだ?」

 “聖堂騎士”達は、口々に才人達を罵り始めた。

「異端の誘拐犯共め!」

 意味が理解らずに、才人達がキョトンとする。

 そんな皆の背後で、ローブを冠った男と俺は笑いながら立ち上がった。

「カルロ殿、御苦労です。だが、聖下は攫われてはいない」

 フードの下から現れた顔を見て、“聖堂騎士”達が目を丸くした。一斉に“聖具”を構え、神官の礼を取る。

「チェザーレ殿!」

 才人とルイズには、その名前に覚えが有った。

 才人は振り向き……息を呑んだ。

 そこにあった顔は、“アルビオン戦役”で共に戦ったジュリオ・チェーザレであったのだ。

 ジュリオは、変えていた声色を元に戻し、才人とルイズ達へと挨拶をした。

「“聖歌隊”の指揮者もやってるんもんでね。変声術が得意なんだよ。君達、見事騙されたな! セイヴァーやそこの“サーヴァント”は見抜いていたのに。あっはっは! やあやあ、実に久し振りだなサイト! “アルビオン”で君を見送って以来かな!? 無事で何より」

 才人は、そんなジュリオを呆れた顔で見詰めた。

「何だいその顔は、折角の再逢だってのに、まるで“竜”に出会した蜥蜴のようじゃないか」

「一体どのような訳で、このような事態になったのかを説明して頂きたい」

 カルロが口を挟む。

 ジュリオは、増々笑いを大きくした。

「いやなに。カルロ殿。聖下が攫われた、という噂を流したのは僕なんですよ。この方達は怪しい者ではない。我々の御客です」

「はぁ? どういう意味です?」

 才人達が訳が理解らずにポカンとしていると、ジュリオは説明をした。

「君達が今日、到着することは勿論知っていた。でも、ただ真っ直ぐ聖堂に向かうのも詰まらないだろう? 余興を用意したのさ。聖下が拐かされた、と噂を流して、反応を見てたんだ。そうすれば、真っ先に君達みたいなのは疑われるからね。僕は、“チッタディラ”から、ずっと君達を追けていたんだ。ここに降りようとしているのを見付け、先回りした。何だかやり口が強引だし、尾行にも3人しか気付いてないなんて、ちょっとこれからの事が心配だったんだが……まあ、“聖堂騎士隊”を配った実力を見るに、合格としよう」

「良かったな、皆」

 “聖堂騎士隊”は「な、何と人騒がせな……」と呆然とし、“水精霊騎士隊”の面々は俺へと「人が悪いぞ!」と目を向けて来る。

“水精霊騎士隊”の少年達は、次に頭に血を昇らせた。

「貴様! とんだ悪ふざけだ! おかげで僕達は宗教裁判に掛けられるところだったんだぞ!」

 ジュリオは涼しい顔で言い放つ。

「宗教裁判? これから、君達がすることになる仕事は、そんなの飯事に想えるような過酷な任務だぜ? ただ“魔法”を撃っ離したり、剣を振り回すことが得意なだけじゃ務まらない。このくらいの危機は、力じゃなく頭で乗り切って欲しいモノだね」

 唖然とする一同を尻目に、ジュリオはツカツカとルイズとティファニアとシオンの元へと向かい、そこで優雅に一礼した。

「御呼び出てして於き乍ら、非礼を御赦し下さい。まさか、このような場所で、御挨拶を交わすことになるとは思いませんでしたが……」

 そこで、ルイズとタバサは漸く、ジュリオは“サーヴァント”であることに気付いた様子を見せる。今のルイズには、ジュリオの“サーヴァント”としての“ステータス”などの情報が見えているのだから。

 再び、ジュリオは大声で笑った。

 そんな教皇付きの神官の態度に、“聖堂騎士”達が顔をしかめる。思い付くままに勝手な行動を取る若き教皇と、その御付の神官に、ホトホト手を焼いていたのである。

 外に、バッサバッサと音を立てて、1匹の“風竜”が着陸した。ジュリオの“風竜”、アズーロである。

 後ろには、捕まってしまったシルフィードが従えられている。

「御前等……あのな、色々話があるんだけどよ……文句とか、文句とか」

 才人がプルプル震えながら言うと、ジュリオは気にした風もなく一同を促した。

「まあまあ、食事でもしながら、難しい話はしようじゃないか。では、我等が大聖堂に案内いたします。客人殿」



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教皇の説得

 大聖堂に到着すると、ルイズとシオンの2人はアンリエッタに到着の挨拶をした。

 だが……この女王は心ここにあらずといった体である。「嗚呼、良く入らしたわ」と言ったものの、この国にルイズ達を呼んだ理由は話しはしなかった。それから、「教皇聖下が後で説明してくれますわ」とアンリエッタはルイズとシオンとティファニアの3人に言った。

「兎に角、長旅で御疲れになったでしょう。晩餐が用意されています。先ずは御腹を満たしてくださいまし」

 晩餐会は、2つの部屋で行われた。

 先ずは才人を除いた“水精霊騎士隊”とコルベールとキュルケに与えられた部屋、そしてルイズとティファニアとシオンとタバサ、そして教皇ヴィットーリオが出席する大晩餐会である。勿論、俺と才人とイーヴァルディは“使い魔”かつ“サーヴァント”であるために、大晩餐会の方に参加することになったのである。

 キュルケ達には、ホストも付けられず、気ままに食事を摂ることになった。“水精霊騎士隊”のメンバーはそのような扱いを受けてもあまり気にした風もない。今日の戦いを肴に、楽し気に笑い転げている。

 キュルケは傍らのコルベールを見詰めた。

 この大聖堂に着いてからというモノ、コルベールはなんだかあまり元気がないのである。眼の前に並んでいる料理に手を付けることもなく、組んだ手の上に顎を乗せ、何か考え込んでいる。

「どうしたの? ジャン。御料理が不味いの?」

 キュルケは、眼の前のスープをスプーンで掻き回した。

 それでもコルベールは、ジッとして動かない。

「ホントにどうしたの? 大丈夫?」

 心配そうにキュルケが覗き込むと、コルベールはやっと頭を上げた。

「ん? ああ、すまん。何でもないんだ」

 それからしばらくスープを流し込んでいたのだが……その内にポケットからルビーの指輪を取り出し、ジッと見詰めた。メンヌヴィルと戦って死にそうになった時、キュルケが預かっていたモノである。コルベールが全快した後、キュルケは直ぐに返して寄越したのであった。

「ルビーがどうしたの? 貴男まさか、昔の女でも想い出しているんじゃないでしょうね?」

 冗談のつもりでキュルケは言ったのだが、コルベールは首肯いた。

「……まあ、そんなところかな」

 キュルケは目を細めると、コルベールの頭に茹でたザリガニを乗せた。

 それでもコルベールは動かない。

 それ以上嫉妬を見せるのもつまらないと判断し、キュルケは再び料理へと手を付け始めた。

 

 

 

 廊下を挟んで隣の大晩餐会質では、誰もが口を噤み、ただ黙々と料理を口に運んでいた。

 ルイズの横には才人が座り、その隣にはティファニアが腰掛けている。

 更にその隣にはタバサ、次にイーヴァルディ、シオン、そして俺が腰掛け食事を摂っている。

 才人は、今日の出来事がどうにも腹に据えかねてしまっている様子であり、時折ジュリオを見詰めては、「うぬ、あんにゃろ」などと呟いている。

 ティファニアは緊張で見を縮こませている。ギクシャクとフォークとナイフを扱い、先程からメインのオムレツを、口に運ぶでもなく何個にも切り分けている。

 シオンとタバサは、優雅に落ち着いた様子で食事を摂っている。

 イーヴァルディは、今の姿では“平民”がベースとなっているため、ぎこちなさがあるものの、どうにか音を立てずに食事を摂っている。

 眼の前には俺達をここに呼んだアンリエッタがいた。今も、何か考え事をしているのだろう、ジッと眼の前のワイングラスを眺めているのみである。

 その隣には、“銃士隊”隊長アニエスが座り、やはり何か考え事に耽っている様子である。

 テーブルの上座には、教皇聖エイジス32世こと、教皇ヴィットーリオへ・セレヴァレが座っており、その隣に腰掛けているジュリオから本日の報告を受けていた。

 先程、ルイズと才人とティファニア、そしてタバサとシオンと俺は、教皇ヴィットーリオへの謁見を許されたのである。人懐こそうな笑顔で、彼は俺達を歓待した。

 先ず、その美貌にルイズ達は圧倒された。

 ヴィットーリオは、まるで妖精のような輝きを放っているのであるから。

 次にルイズ達が感じたのは……慈“愛”のオーラである。

 それは、完全に私欲を捨てた人間だけが放つことができるだろうと想わせる、総てを包み込むかのような光に想わせたるモノであった。

 一目見だだけで、ルイズ達は彼が、どうしてこの若さで教皇になれたのかを理解できたかのような気がした。

 才人もルイズ同様の感想を抱いたのだろう、ヴィットーリオの眩しさにポカンと口を開け、それから参ったなあ、というように笑みを浮かべたので在る。それから、「ジュリオの野郎はハンサムでもムカつく顔してるけど、こっちは別物だな。こんな人がいるんだな。ホントに」と、ルイズに感想を告げたのであった。

 ティファニアも、タバサもルイズと才人同様の感想を抱いた様子を見せた。が、ティファニアは固まり、タバサはできる限り平時と変わらぬ様子を見せるように努めていた。

 それから始まった晩餐会……ヴィットーリオは俺達の労を労うばかりで、未だ肝心な事を話そうとはしないでいる。

 勿論此方から切り出す訳にも行かず、(一体……アンリエッタとこの教皇聖下が、自分達に見せたいモノは何だろう?)と考え、ルイズ達は気不味そうにモジモジとしていた。

 ルイズは、隣に座っている才人を突いて言った。

「ねえ」

「ん?」

「陛下と教皇聖下は私達に何を見せてくれるつもりなのかしら?」

「判らん。でも、飯が終わったら見せてくれるんだろ。ビックリするかもしれないから、腹一杯食べて動じない心を養おうぜ」

 ルイズは、(確かにサイトの言う通りだわ。ヤキモキしても始まらないわね)と想い、料理に手を伸ばした。

 報告を受けたヴィットーリオは、深々と俺達へと頭を下げた。

「私の“使い魔”、いえ、“サーヴァント”が、大変御迷惑を御掛けしました」

 その言葉で、ルイズと才人は、ブホッ! と食べていたモノを吹いた。

「駄目だよルイズ。行儀が悪い」

 そんなルイズへと、シオンは注意する。

「聖下……今、何と?」

 それからルイズは、再度確認の言葉をヴィットーリオへと向けて言った。

「御迷惑を御掛けして申し訳ありません、と御詫びを申し上げたのです。ジュリオ、何故勝手にそのようなことをしたのです? 私はただ、“迎えに行って欲しい”と頼んだはずですが?」

 ジュリオは“月目”を煌めかせ、笑みを浮かべた。

「そ、そうじゃありません!」

 ルイズは思わず立ち上がる。

「今、聖下は“使い魔”、そして“サーヴァント”と仰いましたね?」

「はい。そうです」

 ヴィットーリオは、ルイズとティファニア、次いでシオンとタバサを見詰め、首肯きながら言った。

「私達は兄弟です。“伝説の力”を宿し、人々を正しく導くための力を与えられた、兄弟なのです」

 そう言って、ヴィットーリオは、自身の右手を挙げ3画の“令呪”を見せた。

 才人とルイズとティファニアとタバサの4人は、ヴィットーリオの突然の告白じみた言葉に、眼を丸くした。

 ジュリオが後を引き取るように、いつも嵌めていた右手の手袋を外した。

 そこには……才人の左手甲に光る“ガンダールヴ”としての印と、似たような文字が踊っているのが見える。

「僕は“神の右手”。“ヴィンダールヴ”だ。サイト、君とは兄弟ということだよ」

 “ヴィンダールヴ”……とティファニアが、呟く。

「そして、そこで“霊体化”している“サーヴァント”と、セイヴァーとも同じさ。僕は、今回の“聖杯戦争”で“騎乗兵(ライダー)”の“クラス”が割り当てられた」

「そうなんですか……。僕は、 “勇気有る者英霊(ブレイバー)”。真名は、イーヴァルディだよ」

「まさか、物語上の“英雄”と逢えるとはね。宜しく、イーヴァルディ」

「こちらこそ」

 イーヴァルディは、“霊体化”を解き、ジュリオと挨拶を交わした。

「ティファニア嬢はまだ、“使い魔”を御持ちでないから……これで3人の“担い手”、2人の“使い魔”、そして……」

 ヴィットーリオは、ルイズが傍らに置いている“始祖の祈祷書”を見詰めて言った。

「1つの“秘宝”、2つの“指輪”、4人の“サーヴァント”……が集まった訳です」

 ジュリオがヴィットーリオに小さく呟いた。

「“指輪”は後1つ、加わるかと……」

「となると、“指輪”は3つ……ということですね」

 大晩餐会を緊張が包んだ。

 張り詰める空気の中、ヴィットーリオはアンリエッタの方を向いた。

 コクリ、と緊張した面持ちでアンリエッタは首肯く。

「さて、本日こうして御集まり頂いたのは他でもない。私は、貴方方の協力を仰ぎたいのです」

「協力とは?」

 ルイズの質問に、「私が御話しましょう」とアンリエッタが漸く口を開いた。

 

 

 

 

 

 アンリエッタの話を聞き終わったルイズと才人とティファニアとタバサは、その途方もないといえるだろう話に、目を丸くした。

 それから、やっとの思いでルイズが口を開き確認する。

「詰まり……姫様が仰りたいのは、私達の力を使って、“エルフ”から“聖地”を取り返したいってことなのですか? それでは、“レコン・キスタ”の連中と変わりないではありませんか?」

「違います。そうではないのよルイズ。交渉するのよ。戦うことの愚を、貴方達の力によって悟らせるのです」

「……どうして、“聖地”を回復せねばいけないのですか?」

 今度は、ヴィットーリオが口を開く。

「それが、我々の、心の拠り所、だからです。何故戦いが起こるのか? 我々は万物の霊長でありながら、どうして愚かにも同族で戦いを繰り広げるのか? 簡単に言えば、心の拠り所を失った状態であるからです」

 何処までも穏やかな、優しい声で、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「我々は“聖地”を失ってより幾千年、自信を喪失した状態であったのです。異人達に、心の拠り所、を占領されている……その状態が、民族にとって健康なはずはありません。自信を失った心は、安易な代替品を求めます。下らない見栄や、多少の土地の取り合いで、我々はどれだけ流さなくても良い血を流して来たことでしょう?」

 ルイズは言葉を失くした。

 それは、“ハルケギニア”の歴史其の物といえるためである。

「“聖地”を取り返す。“伝説の力”によって。その時こそ、我々は真の自信に目醒めることでしょう。そして……我々は栄光の時代を築くことでしょう。“ハルケギニア”はその時初めて、統一、されることになりましょう。そこにはもう、争いはありません」

 ヴィットーリオは、淡々と「統一」という言葉を口にした。

 幾度となく、“ハルケギニア”の各王達が夢見た言葉……。

 統一。

「“始祖ブリミル”を祖と抱く我々は、皆、神と“始祖”の元兄弟なのです」

 ルイズはその言葉に心を動かされた。だが……同時に、どこか引っ掛かるモノも感じ取った。

 ルイズがその引っ掛かりを口にする前に、才人が口を開いた。

「あの……良いですか? 聖下」

「どうぞ」

 困ったような声で、才人は言った。

「俺、その、あんまり頭良くないんで、聖下の仰ることが良く理解らないんですけど……それって詰まり、剣で脅して土地を巻き上げる、ってことじゃないんですか?」

「はい。そうです。あまり変わりはありませんね」

 ヴィットーリオは呆気なく才人の言葉を肯定した。

「そんな……“エルフ(異人)”が相手だからって、そんなことして良いんですか? 俺にはあんまり、善いことのようには想えないけど……」

「私は、総ての者の幸せを祈ることは傲慢だと考えています」

 きっぱりと、ヴィットーリオは言った。

「私の掌は小さい。神が私に下さったこの手は、総ての者に慈“愛”を与えるには小さ過ぎるのです。私は“ブリミル教徒”だ。だから先ず、“ブリミル教徒(ハルケギニアの民)”の幸せを願う。私は間違っているでしょうか?」

「間違ってはいないと想います。でも……」

 才人は考え込んだ。

 アンリエッタが、そんな才人の翻意を願うように、「サイト殿。私も良く良く考えてみたのです。そして……教皇聖下の御考えに賛同することにいたしました。私はかつて、愚かな戦を続けました……もう2度と繰り返したくない。そう考えています。力によって、戦を防ぐことができるなら……それも1つの正義だと私は想うのです」

「反対です」

 才人は、キッパリと言った。

「サイト殿」

 アンリエッタが、何かを言おうとしたが、才人は頑なとして首を縦に振らなかった。

「やっぱり、卑怯ですよそれ。ここにいるティファニアは……“エルフ”の血が混じっている。ティファニアの母さん達を脅すような真似はしたく無い」

 ティファニアは、唇を噛んだ。色々想うところは確かにあるのだが、(私は口を挟める立場にない)と想い込んでいるためである。

 アンリエッタは立ち上がると、ティファニアの元へと歩いて行った。

「ティファニア殿。貴女の従姉のアンリエッタで御座います」

 そう言って、アンリエッタはティファニアの手を握る。

 ティファニアは、しどろもどろに、挨拶を返す。

「……従姉」

「そうです。貴女の父君のモード大公(プリンス・オブ・モード)は、シオンの父親である、前“アルビオン”王だけでなく、私の父、前“トリステイン”国王ヘンリーの弟君であらせられます……詰まり貴女は、私の、私達の従妹になるのですわ」

 アンリエッタはひっしとティファニアを抱き締めた。

「嗚呼、私達の従妹。辛い想いをさせてごめんなさい。そして、そのことを公にできぬ私を赦して頂戴」

 ティファニアも、ほとんど唯一といえるようになった血縁者の1人を抱き締め、思わず涙を零した。

 大晩餐会室は、しばしの静寂に包まれる。

 涙を拭いたティファニアは、それでもしっかりと、アンリエッタに尋ねた。

「陛下。私の母の同胞と……争うのですか?」

「そうではないの。きちんと御話しして、返して頂くの。だって、あの土地は、本来我々のモノなのですから。その際の交渉に、貴女に流れる血が、またとない掛け橋になってくれることを祈ります」

 ティファニアは俯いた。そして……。

「私、ホントに難しいことは理解りません。でも……私の力が皆さんの御役に立てるなら、この上ない喜びだと想います」

「強力してくださるの?」

 ティファニアは、憮然としている才人の方を向いた。

「サイトが……そうするって言うなら、私も手伝います。私はサイトに、外の世界に連れ出して貰ったから……サイトが決めたことなら、従います」

「サイト殿」

 アンリエッタは、縋るような目で才人を見詰めた。

 才人は、アンリエッタにそのように見詰められてしまい、決心が鈍りそうになった。だが……やはりそれでも納得することはdけいないでいる様子である。

「ごめんなさい。聖下や姫様の言ってることは立派だと想う。でも……そんなことに、俺やルイズの、ティファニアの力を使いたくない」

「ルイズ、貴女はどう御考えですか?」

 アンリエッタは、次にルイズの方を向いて尋ねた。

 ルイズは、迷った。

 アンリエッタやヴィットーリオの言うことは、もっともであるといえる部分がある。

 ルイズ達は、“ハルケギニア”の“貴族”なのだから。

 であれば、先ずは“ハルケギニア”のことを考える必要があるだろう。でなければ……“ハルケギニア”の“貴族”でいる意味がないといっても良いのだから。

 少し前までのルイズであれば……そのように、アンリエッタの掲げる理想に対して即座に首肯いていたかもしれないといえるだろう。

 だが……今のルイズは違う。

 才人やティファニア達との交流を通じることで、いつしかルイズは、(“エルフ”だからといって、力をチラつかせる真似などしたくないわ。“平民”にも色んな人間がいるもの。きっと“エルフ”にも、色んな“エルフ”がいるわよね。悪い“エルフ”も、そして良い“エルフ”も……)と想えるようになっていた。

 ルイズが黙ってしまったのを見て、アンリエッタは笑顔になり、首肯いた。

「確かに、貴女には難しい選択かもしれません、でも……いずれ選ばなくてはいけない。ただ、忘れないで欲しいのは、この前の貴女に託した母君のマントの意味です。そこに縫い付けられた“百合紋”は、伊達ではありませぬ。そこには、“トリステイン”の未来が……引いては“ハルケギニア”の未来が賭かっているのです」

 それでも、ルイズは首肯くことができなかった。ルイズの中の何かが拒否しているのである。

 アンリエッタは、再び才人へと向き直る。

「……貴男も、ルイズのためなら命を賭けて戦うでしょう? 大事な人間を救うためなら、手段を選ばずに行動に出るでしょう? 私もそうです。2度と人同士が争うことに、我慢がならないのです。そのためなら、手段を選ぶつもりはありません」

「そのために、“エルフ”達がどうなっても良いと?」

 才人が尋ねると、アンリエッタは首肯いた。

「私は、ヒトの国の王なのです。聖下と同じく、その掌には限界があります」

 その言葉には、力強い響きが伴っていた。

「貴方方は、どう想いますか? タバサ嬢、イーヴァルディ殿、シオン女王陛下、セイヴァー殿」

 そこで漸く、俺達へと質問が投げ掛けられた。

「私は、サイトに従うだけ」

 タバサは、淡々と答える。

 次いで、イーヴァルディが「僕は、“サーヴァント”だからね。“マスター”の意志に従うよ」と言った。

「貴方達は、どうなのですか?」

「私達は、反対です」

 シオンは、キッパリと才人と同じ意見を口にした。

「いえ、正確には違いますが……交渉する、と言う点に関しては賛同できます。心の拠り所は、確かに大事ですから。ですが……力をもって“聖地”から“エルフ”達を退けさせるというのには反対です」

「それは、何故です?」

「先ず、互いに遺恨が残るからという点があります。互いを知ろうとしない、歩み寄ろうとしないから、過去から現在に至るまでこうなっていると私は想うのです。それに……セイヴァーやサイトがいた世界や国……セイヴァーと繋がっていたことで見た夢の中で知ったこと、セイヴァーから伝え聞いたことですが、例え、“聖地”を手にしたとしても、我々人同士の争いを、減らすことはできても、なくすことはできないと想います」

「…………」

「同じ宗教と神を信仰していても、宗派の違いというだけで、互いの考えが違う、国が違う、などといった理由だけでも争いは絶えず起きてしまう」

 場に沈黙がまた流れた。

 そんな中、ヴィットーリオは屈託のない声で言った。

「私は、“ロマリア”教皇に就任して3年になります。其の間、学んだ事がたった1つだけあるのです」

 言葉を区切り、ヴィットーリオは力を込めて言った。

「博“愛”は誰も救えません」

「…………」

 少しの間を置いて、ヴィットーリオは俺へと目を向ける。

「そうだな。博“愛”では誰も救うことはできないかもしれない。確かにそれはそうだろう。だが、俺はシオンと同じ意見だよ」

「そう、ですか……」

「それに、御前達の話を聞いていると、やはり疑問や違和感を抱いてしまってな」

「それはどういう?」

 俺のその言葉に、ヴィットーリオは眉をひそめて問うて来た。

「先ず挙げるとすれば、“聖地”とされる場所に関して、“あの土地は、本来我々のモノ”といった言葉だ。ブリミルが降臨したとされる土地だということは理解できる。が、そこは元々“エルフ”達を始めとした者達のモノだろう」

「…………」

「何せ、“先住”などという言葉が出て来るのだ。ブリミルが件の“聖地”とやらに降臨する前からいたはずだしな」

 皆、俺の勝手な考えを黙々と聴いてくれていた。

「何にしろ、どうするかを決めるのは、今を生きる御前達だ。勝手にこの世界に来た俺にとやかく言う権利などはないだろう。だが、これだけは言っておく。俺は御前達を含め、“あいつ(エルフ)”達のこともまた等しく“愛”している。例え、それが一方的であろうと、歪んでいようと」

 

 

 

 

 

 しばらく、無言のままの食事が続いた。

 そんな中、才人は少し引っ掛かったことを尋ねる為に口を開いた。

「あの……質問良いですか?」

 ニコヤカに、ヴィットーリオは首肯く。

「どうぞ」

「“虚無”や“サーヴァント”を集めるのは良いんですけど……“ガリア”の方はどうするんですか?」

 その言葉に、タバサが小さく、ピクン、と動いた。が、それだけである。何事もなかったかのように、食事を再開した。

 “ガリア”の“虚無の担い手”とその“使い魔”は、ルイズ達他の“担い手”を狙い続けている。そして、その“使い魔”である“ミョズニトニルン”は“キャスタークラス”の“サーヴァント”であり、彼方には“アサシン”と“アヴェンジャー”もいるのだ。

 そして、その背後には“ガリア”王ジョゼフと、強力な“先住魔法”――“精霊の力”を操る“エルフ”がいる。

 彼等が、此方と手を繋ぎ協力するとは考え難いのである。

 “虚無”を集める、などと一言に言いはするが、最初から躓いてしまっているといえるだろう。

 しかし、ヴィットーリオは笑顔を浮かべた。

「勿論、手を打ちます。そのために、皆さんに御集まり頂いたのです」

「どうやって?」

「3日後に、私の“即位3周年記念式典”が行われます。“ガリア”との国境の街、“アクレイア”に於いてです。勿論、“ガリア”王にも御出席を頂く」

「大人しく出席しますかね?」

「さあ? それはどちらでも構いません。そして、ミス・ヴァリエール、ミス・ウエストウッド。貴女方にも、出席を願います」

 ルイズが、その意味に気付き、立ち上がった。

「まさか!? 私達を囮に?」

「これは私の式典……事前に私が“虚無の担い手”であるということは“ガリア”に流します。貴女方だけではありません。勿論、私も囮になるのです。私は、何事も自分で行わないと気が済まない性質ですから」

「危険です!」

「危険は承知。だが、このまま受け身でいる方が、余程危険です。“ガリア”王ジョゼフの野望は何か? それは恐らく、“虚無の担い手”を、己の持ち駒を除いて抹殺することです。そして、“ハルケギニア”を己がモノにする……彼は、“無能王”などと内外から嘲られておりますが、私はそうは想いません。狡猾で、残忍で、非情な男です。“無能王”とは、己が野望を隠す詭弁に過ぎません。そんな狡賢い男です。必ずや、“担い手”が3人揃ったと、“マスター”が4人揃ったとなれば、手を出して来るに違いありません」

 ヴィットーリオが、ジョゼフに抱いている印象は的確であった。だが、それだけであるといえるだろう。

「で、どんな作戦を用意するんですか?」

 興味を引かれたらしい、才人は身を乗り出した。

「サイト!」

 ルイズが怒鳴って才人を睨む。

「良いじゃないかよ。さっきの話には反対だけど、こっちは賛成だ。“ガリア”王の横暴には反吐が出る。散々俺達を痛め付けやがって……タバサにも非道いことをしやがった。赦せないよ。どうせいつか何とかしなくちゃならないんだ。早めに片付けておくに限る」

 才人のその言葉に、ヴィットーリオは満足げに首肯いた。

「恐らく、彼は先ず“使い魔”の方を出して来るでしょう。貴方方が何度か手合わせした、“ミョズニトニルン”……あの、“魔道具使い”の女です」

「でしょうね」

「我々は、全力で“ミョズニトニルン”を捕えるのです。ただ、決して殺してはなりません」

「何故ですか?」

「殺してしまっては、再び“使い魔”を“召喚”されるからです。生かして捕らえ、その存在を守る。そうすれば、“ガリア”の“担い手”は再び“使い魔”を“召喚”することができません。“使い魔”なしでは、“虚無の担い手”もその力を半減させるでしょう。その時こそ好機。後は交渉に持ち込み、ジョゼフ王を廃位に追い込む。その後は、時を見てタバサ嬢、貴女を玉座に据えても良いでしょう」

「そりゃ良いや! やりましょう!」

 アンリエッタが、頼もしげな目で才人を見詰めた。

 ジュリオも笑みを浮かべ、ティファニアも首肯いた。

 ただ……俺とシオンとルイズだけが首を縦に振ることはなかった。

「反対です!」

「どうしてだよ?」

 ルイズのその言葉に、才人は怪訝な顔で見詰め問い返す。

 ルイズは、(どこまで暢気なのかしら!?)と頭に来てしまった。

 此方には“虚無の担い手”が3人いる。とはいっても、“使い魔”は才人とジュリオの2人だけである。その上、ジュリオは“ヴィンダールヴ”である。獣を扱うのが上手いとはいいはするが、“虚無”同士の戦いには力不足な点があるといえるだろう。

 かつて“アルビオン”で、鮮やかに“竜騎士”を撃墜してみせた手並みから言っても、ジュリオが相当戦慣れしているちおうことは間違いないだろう。

 ただ……それは正規の戦闘に於いての話である。“虚無”のみならず、古代の“魔道具”が飛び交う戦場で、どれほどの役に立つのかは、未知数である。

 その上、ティファニアが現在使用できる“魔法”は“忘却”のみである。強力ではあるのだが、直接の戦闘に役立つ“呪文”ではない。

 ヴィットーリオに至っては、得意な“呪文”すら、ルイズ達には理解っていないのである。強力である可能性は勿論あるが、この優男の教皇に豊富な実戦体験があるとは、ルイズには想えなかった。戦いというモノは、“魔法”の強力さだけで決まる訳ではないのだから。それを応用することができる践能力が必要であるといえるだろう。戦いの経験が豊富であれば、“ドット”が“トライアングル”を圧倒する可能性すら存在するのだから……。

 それに対し……相手はたった“担い手”と“使い魔”……その力は未知数である。

 “汎ゆる魔道具を自在に操る”力を持つ“ミョズニトニルン”……。

 そして、“ガリア”は、“先住魔法”を操る“エルフ”さえも味方に着けているのである。

 ルイズは、(今まで私達は負けなかったけど……決定的な勝利を収めることもできなかったわ。いいえ、負けなかったことにしても、ただ運が良かっただけかもしれない。向こうはまだ本気を出していない可能性だってあるんだもの)と考え、この前の“騎士人形(ヨルムンガント)”を想い出し、(もし、あんなのが10体以上もいたら? 到底勝てるとは想えないわ)と考えてしまい、震えた。

「私達は、“ミョズニトニルン”1人にすら苦戦しています。“担い手”が加わった時の戦闘力は想像すらできません。危険です。もっと慎重に……」

「我々に必要なのは勇気です。現状を変える勇気。これ以上、敵に力を付けられてしまう前に、決着を付けねばなりません」

 キッパリと、ヴィットーリオは言い切った。

 才人も大きく首肯いた。

「ルイズ、俺は聖下の言うことはもっともだと想うよ」

 ルイズは、(この馬鹿!)と心の中で叫んだ

 此方が戦うことのできる人数はそれなりであるといえるだろう……が、主に戦うのは才人達なのである。才人はルイズの“詠唱”の時間を稼ぐ必要があるのだ。本気を出した敵を相手にしてしまえば……想像に難くないといえるだろう。

 だが、ルイズは、(保身に走ったと想われてしまうわ。サイトの安全を口にすれば、主人の私が、身の安全を優先したと想われちゃう。自らも囮になる、と言い切った聖下は、(ヴィットーリオ)が初めてでらろうし。聖下自身がそこまで言ってるのに、矢面に立たない“貴族”は“貴族”ではない。“ブリミル教徒”ではない。異端と謗られても文句は言えなくなっちゃうわ)と考え、それ等を口に出すことはできなかった。

 ルイズは苦しそうな口調で、反対を口にすることしかできなかった。

「……それでも、私は反対です。教皇の御身を危険に晒すような計画には賛成できません」

「確かに、ルイズの言うことも一理あるだろう。だが、御前達は、忘れていることがある。相手は、“ガリア”には “サーヴァント”がいるということを」

「それは、“ミョズニトニルン”が“キャスター”だってことだろう?」

 ジュリオが笑顔で言った。

「それもある。が、それだけではない。あそこの“サーヴァント”は3体……“アサシン”と“アヴェンジャー”がいる」

「数はこっちの方が多いじゃねえか。何だよ? 怖気付いたのか? 珍しいな」

 才人は調子に乗っている様子で、俺へと言った。

「阿呆が。“サーヴァント”の“クラス”を考えろ。“アサシン”は文字通り、暗殺者だ。こちらの警戒網を潜って来る可能性を考えろ。それに、“サーヴァント”には“宝具”があるんだぞ。御前達はあいつ等の“宝具”の効果を把握してるのか? もっと慎重になれ、馬鹿者が」

 俺は、そんな才人へと言い返す。

 そんな中でも、ヴィットーリオは笑顔のまま、口を開いた。

「貴方方の言う通り、あちらの戦力は未知数です。だらかこそ、早めに手を打ちたいのです。ですがまあ、いきなり協力しろと言われて、直ぐに納得できるはずもないでしょう。ユックリ御考え下さい。きっと私の方法が正しいと御思いになるでしょうから」



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世界扉

 翌朝。

「ん……」

 才人は目を擦って、起き上がる。

 昨晩はあれから誰も話さなくなってしまい、自然と晩餐会は御開になってしまったのであった。

 才人の隣で寝ているルイズは、未だ寝息を立てている。昨日の話で疲れてしまったらしいことが判る。晩餐会の後ルイズは、考え込むように黙り、用意された部屋に引っ込むなりベッドに潜ってしまったのである。

 才人は、(最初の話は兎も角、ガリア王に対する計画は賛成だ。“エルフ”を力で脅すのは感心しないけど、“ガリア王”は別だ。あんな非道い奴はそういない。己の欲望ままに、俺達を襲い、タバサの父親を殺し、母親の心を狂わせ、タバサ本人には地獄を見せた。赦せねえ)と想っていた。

 それから、(ルイズ達だって同じ考えだと想ってたのに……どうして反対するんだ? 考えても理解らねえ。確かに教皇の計画は危険で、不意を突かれる危険性も確かにあるかもしれねえ。でも、こっちには俺を含め“サーヴァント”が4人いるんだ。いつか決着を付けねえと、いつまでも不意を突かれるばかりじゃねえか。どう考えたって、早めに何とかした方が良いだろ)と才人は考えた。

 そんな風に才人が考えていると、誰かが部屋の扉をノックした。

 扉を開けると、“月目”の眩しいジュリオが立って、笑みを浮かべている。

「御御早う。兄弟」

「俺と御前は、別に兄弟じゃねえぞ」

 才人がムッとして言うと、ジュリオは笑った。

「そう言うなよ。同じ“使い魔”で“サーヴァント”同士、仲良くやろじゃないか」

「……御前って、あんまり仲良くしたいタイプじゃないんだよな。何考えてるのか判らないし、ところで何だよ? こんな朝っぱらから」

 才人は元々、初対面の時からこのジュリオに対して好印象を抱いてはいなかったのである。

 “アルビオン”で、ルイズがこのジュリオに御世辞を言われて少し顔を赤らめていたことを、才人は想い出した。ルイズに負けず劣らず嫉妬深い才人であるといえるだろう。

 ジュリオは才人の厭味にも動じることもなく、手を振った。

「君達に見せたいモノがあるんだ」

「俺に? ってか、俺達に?」

 そこで、才人は、ジュリオの後ろにいる俺に気付く。

「ああ。直ぐに用意してくれ給え」

「ルイズやシオンは?」

 催促して来るジュリオに、才人は尋ねた。

「君達だけで良いよ」

 ジュリオは、首を横に振って言った。

 

 

 

 ジュリオに連れて来られた先には、大聖堂の地下階にある、何やら怪しいといえる場所であった。

 螺旋階段を下りると、湿った通路に出た。

 通路の左右には、僅かではあるが篝火に依って灯りが灯されている。

 心細さを覚えながらも才人は、俺とジュリオと共に先へと進む。

 すると、灯りが途切れた場所に出た。

 ジュリオは篝火の中から、火の付いた蒔を取り上げ、松明にして更に奥へと進む。

 進んで行くうちに、肌寒さを覚え始める。奥からヒンヤリとした空気が流れて来ているのである。

「随分と怖い所だな。御化けでも出るんじゃないか?」

 才人が身体を擦りながら言うと、ジュリオは笑みを浮かべた。

「そうかもね。何せこの辺りは、大昔の地下墓地(カタコンベ)がそのまま残ってるからね。そこを利用してるのさ。それに」

「俺が、その御化けと同類だからな」

 “サーヴァント”は、“英雄”の霊である“英霊”であるのだから。

「……墓地かよ。随分景気の悪い所に連れて来んだな」

 プルプル、と才人が震えながらそう言って歩いていると、少し開けた場所に出た。

 丸い、円筒状の場所で、四方に鉄扉が付いているのが見える。鉄扉は赤く錆び、埃が積もっている。とてもではないが、現在使われているようには見えない。

「何だよ。御墓を見せようっていうのか? 朝っぱらからそんなモノ見せるなよ」

「まあね、でも、墓は墓でも、眠っているのはヒトじゃない」

「はぁ?」

 鉄扉は、厳重に鎖で封印されていた。

 ジュリオが鎖に付いた鍵前に持って来た鍵を差し込むと、バチン! と大きな音がして外れた。

 ジュリオは鎖を外すと、扉の取手を握り締めた。それから、んぎぎぎぎぎぎ、と顔に似合わぬ声を出して引っ張ったが、扉はびくともしない。

「参った。錆が進んでらあ。手伝ってくれるかい?」

 ジュリオはペロッと舌を出して、才人を促した。

 才人は舌打ちして、扉に手を掛けた。

 それから2人で思い切り力を込めるのだが、それでも動かない。

 “サーヴァント”の力を持っている2人だが、上手く力を引き出すことができていないのか、全く扉を動かすことができないでいる様子だ。

「退け」

 そう言って、俺は軽く扉を引っ張る。

 すると、2人の必死さを嘲笑うかのように、扉は意図も簡単に開いた。

 埃が舞い上がり、才人は咽た。

 扉の向こうは真っ暗な部屋であった。

 ジュリオの掲げた松明では、奥の方まで見渡すことはできそうにない。ただ、部屋はかなり広いようであるということだけは判った。

 声が遠くまで響く。

 ジュリオは、壁に設けられた“魔法”のランタンを探し始めた。

「確か、この辺りだったと思うんだけどな……」

「見せたいモノって何だよ? これで、ホントにただの墓だったら怒るぞ」

「まあまあ。きっとビックリするよ。あ、あった!」

 急かす才人に対し、ジュリオは笑いながら“魔法”のランタンに手を突っ込んでボタンを押した。

 すると……部屋中に取り付けられているランタンが、一斉に光り輝く。

 闇の中に、ボンヤリと浮かんだその部屋は、教室2つ分ほどの大きさであった。

「な、何だよこりゃ……」

「ほう……成る程な……」

 そこに置かれているモノを見て、才人は息を呑んだ。

「驚いたかい?」

 ジュリオの声も、もう才人には届かない。そのくらい、才人は眼の前の光景に圧倒されているのである。

 才人から向かって右の棚に置かれているのは……銃器であった。

 “ハルケギニア”のそれではない。

 明らかに造りが違う。

 才人は、一丁を手に取ってみた。ズシリと重く……握ると左手甲の印が光り出す。

「…………」

 才人は無言で、その銃を見詰めた。

 木製の銃床の下部に、箱型の弾倉が突き出ている。

 今現在の“ハルケギニア”には、此の様な連発式の銃はない。

 遊底の上には、かつて見慣れたアルファベットの文字が踊っていることに才人は気付いた。

――“ENGLAND ROF”。

「“イギリス”製だ」

 これは、“地球”から流れて来たモノであるということが判る。

 才人は次に、別の銃を取ってみた。

「こりゃあれだ。“AK小銃”だ」

 才人は、“イギリス”製の小銃より更に長い弾倉を外してみた。

 そこには、弾がギッシリと詰まっている。

 小銃の横には自動式、輪胴式の様々な拳銃……。

 そんな現代から近代の銃が合計で十数丁程もあった。

 壊れているモノもありはするが、数丁ほどは錆も浮かずにピカピカしている。

「見付け次第、“固定化”で保存してたんだが……中には既に壊れていたり、ボロボロだったりしたモノもあったんでね」

 ジュリオが言った。

 その隣の棚には、古臭い銃が並んでいる。

 “ハルケギニア”で使用されている“火縄銃”や“マスケット銃”もある。ただ、そこに書かれた文字は“地球”のモノであった。

 詰まり……これ等全ては“地球”からやって来たモノである。

 銃は全て数十丁ほどもあるということが事が判る。

 その隣には、更に年代モノの武器が並んでいるのが見える。様々な剣や槍、石弓……ブーメランまである。こうなると“ハルケギニア”のモノと見分けを付け難いが……そこにある1本の“日本刀”を見付けて、才人はこれ等の武器もまた“地球”から来たモノだと理解した。

 様々なハンド・ウェポンの隣に並んでいるのは、雑多な兵器達である。大砲らしきモノがある。なにやら、“ミサイルランチャー”のような代物もある。

 ただ、それ等全ては壊れていた。

 ゴロリ、と“ジェット戦闘機”の機首部分が転がっていることに、才人は気付き驚いた。

「……何でここにこんなモノがあるんだ?」

「“東の地”で……僕達の密偵が何百年もの昔から集めて来た品々さ。向こうじゃ、こういうモノがたまに見付かるんだ。“エルフ”共に知られ無いように、ここまで運ぶのは結構骨だったらしいぜ」

 才人の疑問に、ジュリオは笑って答えた。

 才人は、シエスタの曽祖父でもあった、“日本海軍”のパイロットのことを想い出した。彼も“東の土地”から飛んで来たという……。

「さて、“東の地”と言ったが……更に正確に言うと、“聖地”の近くでこれ等の“武器”は発見されているんだ」

 ジュリオは、奥を示した。

「これで全部じゃないぜ」

 乏しい灯りの中、奥にボンヤリと浮かび上がる、小山のようなモノがある。油布を被せられ、灯りの中で佇むその姿が、テントのようにも見える。

「何だありゃ?」

「見せて上げるよ」

 才人がそう言うと、ジュリオは無造作にそれへと近付き油布を取った。

 ズルっと、油布が地面に引き落とされ埃が激しく舞う。

 舞い散る埃の中……灯りにボンヤリを浮かんだモノを見て、才人は絶句した。

「こ、こんなモノまで……」

 それは、巨大な鉄の塊であった。分厚い鉄板を造って組み上げられた箱が、ちょっとした2階建ての家くらいの大きさでもって才人達を圧倒する。

 そして、上の箱からは、長い、太い砲身が突き出ている。

「戦車……」

 禍々しい迫力をもって、その鋼鉄の塊……戦車は鎮座されていた。昔の電車であるかのように分厚く塗られたグレーのペンキが、年代を予想させて来る。

 車体には白と黒で、十字のマークが描かれている。砲塔には、白い文字で324とマークが入っていた。

「“ドイツ”の“タイガー戦車”だ」

 幼い頃、沢山作ったプラモデルのうちの1つ……その姿形を想い出し、才人は呟いた。

 見紛うはずもない。映画などで見るハリボテや再現されたモノとは違い、実物の戦車を実際に目の当たりにするということは、才人に圧倒的な何かを感じさせた。

 硬く、大きく、そして重い。

 “ゼロ戦”が兵器ながらも飛行機ならではの華奢さを感じさせるのに対して、この戦車の迫力はこれがまさに破壊のための存在であるということを深く匂わせて来る。

 才人は手で触れてみた。冷たい、鋼鉄の地肌が才人の掌を刺す。暗がりに、左手甲の印が光った。

 この戦車は、十分使用できる。そう、才人には理解できた。

「凄いよな。車の上に、大砲を乗っけるなんてね。大きいだけじゃなく、何て精密に出来た絡繰りだろう! 僕達はこれ等を“場違いな工芸品”と呼んでいる。どうだい? 見覚えがあるんじゃないか?」

 才人は唸った。

「御前……」

「僕達はね、このようなな“武器”だけじゃなく、過去に何度も、君達のような人間と接触している。そう、何百年も昔からね。だから、君達が何者だか、僕は良く知っているよ」

 才人は、鼻を鳴らした。

「そうか。まあ、今更隠すことじゃないしな。確かに俺とセイヴァーはそれぞれ違う異世界から来た人間だ。でも、それがどうしたって言うんだよ? 懐かしいけど、それだけだ。どういう積りなんだ?」

「君達と、僕達の目的地は同じということだよ。“聖地”には、これ等がやって来た理由が隠されてる。そこに行けば、必ず元の世界に戻れる方法も見付かるはずだ。違うかい?」

 ジュリオの言葉に、才人は笑った。

「何だよ、それが本音かよ。言っとくけど、考えを曲げるつもりはない。“虚無”で脅して、相手の土地を取り上げるなんて御免だぜ。“ガリア”王の件は兎も角、俺はそんなのに付き合ってられないね」

 “地球”のモノを見て、才人が懐かしさを覚えたのは事実である。が、外国で“日本”のモノを見た程度の感傷に過ぎないともいえる程度のモノであった。考えを曲げるまでには至らない。

「ほら行こうぜ。折角“ロマリア”くんだりまで来たんだから、こんな湿っぽい所じゃなくて、せいぜい観光を楽しませて貰う」

「おいおい、だから勘違いするな。僕はそんな話を聞かせてどうこうってつもりはない。ただ、君達にこの“場違いな工芸品”を進呈したくて連れて来たんだ」

「進呈?」

「ほう……」

「ああ、二重の意味で、君はこの“武器”達の所有者になれる権利を持っている。先ずは、これ等が君達の世界から来たモノだということ。君達の世界のモノだから、本来の所有権は君達にある……強引に言えばね」

 ジュリオは人差し指を立てた。それから、中指を立てて言った。

「もう1つの理由は、更に大きい。これは元々君のモノなんだよ。“ガンダールヴ”」

「成る程、確かにそのとおりだ」

 俺は、ジュリオの言葉に首肯く。

 が、才人は未だ理解できていないのだろう、「どういう意味だ?」と尋ねた。

「詰まり、これは君の“槍”ってことさ」

「……“槍”?」

「そうさ。君達は此の唄を知ってるかい?」

 ジュリオは、朗々とした声で、唄い始めた。流石、聖歌隊の指揮を務めているだけのことはあって、その歌声は大したモノであるといえる。

 

――“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”。

――“神の右手はヴィンダールヴ。心や優しき神の笛。汎ゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”。

――“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵の塊神の本。汎ゆる知識を溜め込みで、導きし我に助言を呈す”。

――“そして最後にもう1人……記す事さえ憚れる……”。

――“4人の下僕を従えて、我は此の地に遣って来た”。

 

 才人と俺は首肯いた。

「ああ、ティファニアが唄っていたな」

「僕は“ヴィンダールヴ”。“在りと汎ゆる獣を手懐ける”ことができる。御婦人方もね。いや、こっちは獣ほど扱いは上手くはないが……」

「はいはい」

 才人はジュリオの冗談を聞き流しながらも、“アルビオン”で見たジュリオの“竜”使いの巧みさを想い出した。

 “竜騎士隊”のルネも、「あいつは、神官の癖に“竜”を上手く扱えるんだ」と言っていた。

「で、“ミョズニトニルン”。あの“ガリア”の怪しい女さ。“魔道具(マジック・アイテム)を使い熟す”。君達も何度か手合わせしたはずだ。底知れない怖さを持ってる! 普通の戦いだったら最強だろうね。嗚呼、怖い女だ! あんな女は御免こうむりたいね!」

 ジュリオは、才人に顔を近付けた。

「そして、君は“ガンダールヴ”。“在りと汎ゆる武器を扱う”ことができる。最後の1人は、僕も良く知らない。君は知っているかもしれないけど、まあそれは今は関係ないことだ」

 俺に一瞥してからジュリオは言葉を続けた。

「君だ。君! 唄の文句にあるじゃないか。“左手の大剣”……デルフリンガーのことだよ。でもって、“右手の長槍”……」

「どう見たってこいつ等は槍には見えないぜ」

 才人は、“タイガー戦車”を指さして言った。

「“ガンダールヴ”は、“左手の剣で主人を守る”。そして、余った“右手で敵に攻撃を加えた”のさ。当時考えられるうち最強の“武器”でね」

「何だって?」

「強いってことは、間合い、が遠いってことだ。“武器”に関して言えばね。そう、槍ってのは、剣の間合いより遠い敵を斃すためのもんさ。それが証拠に、剣士は通常、槍兵には勝てない。戦で剣を振り回す馬鹿はいない。皆銃か槍を持ってるだろ? 剣ってのはデルフリンガーに限らず、普通は、護身用さ。さてその頃……6,000年前、最強の武器は、槍だった。それだけの話さ。時代と共に、“武器”も強くなった。更に遠くの敵を斃すために“槍”はどんどん長くなり……ついに銃や大砲になった。だが……君達は更に、“槍”、を進化せたようだな」

 ジュリオは、“タイガー戦車”を叩きながらそう言って、俺へと確認のためだろう視線を向けて来る。

 俺が首肯くと、ジュリオは再び口を開き才人との話を再開した。

「君は不思議に想わなかったのか? どうして、君の世界からやって来るのが“武器”ばかりで、普通のモノがなかったのかを」

「それは、何つうかサンプルが少な過ぎて……」

「まあ、そうだな。さて、“始祖ブリミル”の“魔法”はまだに“聖地”に“ゲート”を開き、たまにこういうプレゼントを贈ってくれる。考えられ得る最強の“武器”……“ガンダールヴ”の“槍”をね。だからこれは君のモノだ。“ガンダールヴ(兄弟)”」

 才人は、胸が震えるような感覚を覚えた。それから、(“槍”ってのは、そういうことか……“ゼロ戦”も、あの“ロケットランチャー”も……“始祖ブリミル”の“魔法”によるモノだったんだ。そして、多分俺も……)、と才人は想った。想わざるを得なかった。

「まあ、そんな訳で君に進呈するよ。僕達が持っていても、使い方が判らないし……その上造れないし、壊れても直せない。どんなに強い“槍”だろうが、量産できなきゃ意味はない。何せ、僕達はこいつに使う弾1つまともに造れないんだ。君達の世界は、いやはや! とんでもない技術を持っているね。“エルフ”以上だな!」

「一長一短だ。こちらにはないモノが“地球”にはあり、“地球”にはないモノがこちらにはある」

「そういうモノかな?」

 そんなジュリオの言葉に対して、俺はポツリと呟き、ジュリオもまた俺のその言葉に反応した。

「“聖地”に“ゲート”?」

 そこで、才人はジュリオが先程口にした言葉に何か気付いた様子を見せる。

「そうさ。他に考えられるかい? “聖地”には穴がある。多分、何らかの“虚無魔法”が開けた穴だ。きっとね、だから“聖地”に行けば、君達の帰る方法が見付かると想う。詰まり、君達と僕達の目的地は同じ。違うかい?」

 才人は首を横に振った。

「……若し帰りたくなったら、俺は俺の方法で“聖地”に向かうよ。御前等は御前等の事情があるんだろうが、俺にとって別に“エルフ”は敵じゃない。危害を加えて来る奴は別だけどな。まあ、これは有難く貰っとくよ。今度の戦いに役に立つかもしれないしな。それに、こういうの好きな人がいるんだ。きっと喜ぶぞ」

「そうだな。俺もまた、“この世界の地球”に行きたくなったら、“聖地”に向かうとしよう。今の俺は“サーヴァント”だ。シオンの側に控え、彼女と共に歩むだけだからな」

 ジュリオは首を横に振りながら、才人と俺の肩に手を置いた。

「随分と頑固だな! ま、そんな所が僕は気に入ってるんだけどな! じゃあ呑みにでも行こうじゃないか。今度はホントに難しい話はなしだ。綺麗な女の子が沢山いる店を知ってるんだ! 折角“ロマリア”まで来たんだ。楽しんでってくれよ」

 才人と俺は呆れてジュリオを見詰め、歩き出した。

 去り際に、才人は振り返った。

 “ガンダールヴ”のために用意された鋼鉄の“槍”達が、出番を待つかのように、暗がりにヒッソリと佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 教皇ヴィットーリオは、朝餐の後、礼拝室で1人祈りを捧げるのが日課であった。その時間を、自由時間、とヴィットーリオは呼んでいた。

 多忙を極める教皇にとって、子供達との交流を除いて唯一の安らぎの時間ともいえる、長い祈りの時間である。

 その礼拝堂は、大聖堂の2階に設けられている。基本、余程のことがあか、上層部の人間でもない限り、立ち入ることは許されない。

 礼拝堂の扉の横には、“聖堂騎士”が2人立って、祈りを捧げる教皇を護っている。

 コルベールがその側へと近付くと、“聖堂騎士”が“聖杖”を構えた。

「何用か?」

「恐れ多くも、教皇聖下に御用があって伺いました」

「聖下は只今礼拝の最中だ」

「ならば、此処で待たせて頂きたく存じます」

「約束はおありかな?」

「ありませぬ」

「では、待たれても困る」

 “聖堂騎士”は「行け」というように“杖”を振った。

 それでもコルベールが去らないのを見て、片方の“聖堂騎士”が、もう片方の“聖堂騎士”へと耳打ちをした。(もしや名のある御方では……)、と危惧したのである。

「御名前を頂戴したい」

「“トリステイン魔法学院”教師、ジャン・コルベールと申します」

 “聖堂騎士”は、(教師風情が、教皇の祈りを妨げる法はない)といった風に鼻を鳴らした。

 あわや“聖堂騎士”が“杖”を抜こうとしたその時、通路の向こうから切り揃えた金髪の女騎士が現れた。ここに来たばかりの頃、着込んでいたドレス姿ではなく、動きやすいチュニックの軽装をしたアニエスである。少年のような格好であるといえるが、一応マントを羽織っているために、“貴族”に見えるだろう。

「アニエス殿」

 “聖堂騎士”達は、アンリエッタ女王陛下の“銃士隊”長に、挨拶を寄越した。

 アニエスも丁重な仕草で、頭を下げる。

「もしや貴殿も、聖下に御用が?」

「はい」

 と、アニエスは首肯き、コルベールに視線をズラす。

「どうやら同じ用事のようだな」

「そうだね」

 コルベールは深い溜息を漏らしながら、ポケットの中の“ルビー”を握り締めた。

 アニエスと知り合いであることを理解した“聖堂騎士”達は、それ以上コルベールを詮索しようとせず、持ち場に戻った。

 30分程待っていると、扉が開いた。

 “聖堂騎士”達が、礼を執る。

 ヴィットーリオは、待ち人に気付くと、相好を崩した。

「アニエス殿ではありませんか。如何なされました?」

 アニエスは、真っ直ぐにヴィットーリオを見詰め、「聖下に、御訊ねしたい義が御座います」と言った。

 ヴィットーリオは首肯いた。

「“トリステイン銃士隊”長の御訊ねでは、時間を割く他ありませんね。さて、そちらの方も……」

 コルベールは、神妙な顔で口を開いた。

「聖下に、御返しせねばいけないモノが御座います」

「成る程、どちらも込み入った事情がありそうだ。ここでは何ですから、執務室へ入らして下さい」

 

 

 

 執務室にやって来たヴィットーリオは、椅子に腰掛けると、2人を促した。

「先ずは、おくつろぎください」

 然しアニエスは腰掛けず、本題を切り出した。

「失礼の段、平に御赦しください。聖下は、ヴィットーリア、という女性を御存知ですか? 20年前、“ダングルテール”の“新教徒”達の村に逃げ込んだ女性のことを……」

 ああ、とヴィットーリオは首肯いた。

「知っていますよ。母です」

 アニエスの顔が歪んだ。珍しく瞳に涙を浮かべ、アニエスは片膝を突いた。

 片やコルベールは顔を蒼白にさせる。

「やはり……聖下を一目見た時から、気になっておりました。その御顔立ち……あまりにも斯のヴィットーリア様に瓜二つ……聖下、母君の代わりに私の感謝を御受け取りくださいませ。私は貴男の御母君に、この命を救われたのです。卑怯者の陰謀で、私の村が焼き払われた際……ヴィットーリア様は私を御庇いになり、御命を失われたのです」

 ヴィットーリオは、笑顔を浮かべた。

「そうですか……それは良かった。あの人も、最期は人の御役に立ったのですね」

 次に、膝を突いたのはコルベールであった。

「……聖下。どうかこの私に御裁きをくださいませ」

「何故です?」

「その女性を……貴男の御母君を炎で灼いたのは、他ならぬこの私で御座いますから。まさか、教皇聖下の御母君とは……何と“運命”は残酷でありましょうか。恐らく、神は私を、聖下の御裁きを頂くために“ロマリア”へと遣わしたのでしょう」

 アニエスは、苦しそうな声で言った。

「命令だったのだろう? 罪は貴様にはない。あるとすれば、命令を下した連中だ。そして……その連中はこの私が直々に裁きを下した」

「だが! だが! 行ったのはこの私だ! この右手が“杖”を振った! この口が“呪文”を唱えた……」

「言うな!」

 アニエスはコルベールを睨み付けた。

 しかし、コルベールはなおも言葉を続ける。

「ここに、御母君の指輪が御座います。これを御受け取りになり、私を罰してくださるよう、御願い申し上げます」

 ヴィットーリオは、その“ルビー”を見詰めた。その目が見開かれ、それから再び穏やかなそれに戻る。ユックリと手を伸ばし、受け取り、ヴィットーリオはそれを指に嵌めた。

 スルスルと指輪がすぼまり、ピッタリとヴィットーリオの指に嵌まる。

「御礼を申し上げねばなりますまい。私の指に、この“炎のルビー”が戻るのは21年ぶりです」

「御礼?」

「そうです。貴方方は御存知ないかもしれませんが、我々はこの“ルビー”を捜しておりました。それがこのように指に戻った。今日は良き日です。真、良き日ではありませんか」

「では聖下……御裁きを」

 頭を立てるコルベールに、ヴィットーリオは手を差し伸べた。

「何故、貴男に裁きを与えねばならないのですか? 祝福を授けこそすれ、裁きなど与えようはずもありません」

「ですが、聖下、私は聖下の御母君を……」

 ヴィットーリオは、指輪を見詰めて言った。

「あの人は弱い方でした。自分の息子に神より与えられた、力、を恐れるあまり、この指輪を持って逃げ出したのです」

 アニエスとコルベールは、まじまじとヴィットーリオを見詰めた。

 ヴィットーリオのその目には、母を殺害した下手人に対する怒りの色は全く浮かんでいないことが判る。

 代わりに、深い、狂気にも似た信仰だけが、その目からは発せられているということが判るだろう。

「彼女は異端の教えに被れ、信仰を誤りました。その上、“運命”、からも逃げたのです。貴男の手に掛かったのは、神の裁きといえましょう」

「聖下……」

 何かを想い出すように、ヴィットーリオは目を瞑った。

「遺された私は、人一倍努力しました。信仰を誤った母を持つ者と後ろ指を指されぬよう、朝も昼も夜も神学に打ち込みました。その甲斐あって、私は今の地位を許されるほどになったのです」

 ヴィットーリオは、コルベールの頭の上に右手を置いた。

 コルベールは、教皇の峻烈なまでの信仰に畏怖を抱いた。人の情までも打ち捨て、神を望むこの若い男に底知れぬ何かを感じたのである。

「ですから、祝福を授けこそすれ、裁きなど与えようはずもないです。ミスタ・コルベール、貴男に神と”始祖”の祝福があらんことを」

 

 

 

 明後日に“教皇即位記念式典”を控え、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”は大聖堂の中庭にて、訓練におおわらわであった。式典に出席するアンリエッタを護衛するため、というのは表向きであり、アンリエッタとシオンと教皇の敵を捕まえるために呼ばれたのだと聞かされ、大張り切りといった様子を見せているのである。

「陛下は、栄えある任務を我等に選んでくださったのだ!」

 マリコルヌが叫ぶと、一斉に、おー! と掛け声が飛ぶ。

「教皇の御身を狙う悪辣な“ガリア”の異端共の陰謀を喰い止めろ!」

 再び、少年達は声を合わせて叫ぶ。

「陰謀を喰い止めろ!」

 “虚無”などに関する件を除いた計画を、アンリエッタは“水精霊騎士隊”の面々へと説明したのであった。

 

――“教皇が、何者かに狙われている。今度の式典は、そんなガリアに潜む異端の攻撃を誘うモノである。”。

 

――“その敵を、ロマリアは総力を上げて捕まえる”。

 

――“従って、水精霊騎士隊は、全力でそれを援護する事”。

 

――“敵は恐ろしい魔道具を使用する”。

 

――“トリステイン水精霊騎士隊に於いては、十分に注意して掛かるように”。

 

 そんなアンリエッタからの命令に、“水精霊騎士隊”の士気は否応なしに盛り上がっていた。何といっても“魔法学院”で得てしまった汚名を返上することができるであろうチャンスなのである。その上、この件で手柄を上げることができれば、故郷に凱旋することもまたできる。

 しかし……先月“アルビオン”で“ミョズニトニルン”と戦い。その実力を理解していた隊長のギーシュは、気が気でない様子を見せていた。

 そんなギーシュは、落ち着きがない様子であり、指示を出すのも上の空といった風である。

 騎士隊は、大きな“ゴーレム”を相手に戦闘訓練を行っていた。何人かいる“ライン・メイジ”にできる限り大きな土“ゴーレム”を造って貰い、それを相手に攻撃“魔法”を撃つけるのである。

「あんなんで、大丈夫かね? サイト。セイヴァー」

 ギーシュが、心配そうな声で隣に立っている才人と俺に尋ねて来る。

 眼の前の“水精霊騎士隊”は、大きな“ゴーレム”相手に、攻撃“魔法”を放ち、やれ当たったやれ外れたなどと、「僕の“魔法”が止めを刺した」、「いや、僕のだ」、といった風に大騒ぎである。

 接近戦ではそれなりに強くなった“水精霊騎士隊”ではあるが、やはりどうにも“魔法”の才能は未だ、それほどでもない連中である。

 そのため、“ライン・クラス”の“メイジ”が造り出した“ゴーレム”にさえてこずり、苦戦している様子である。

 ヒトや“亜人”が相手であればばいざ知らず、どのような“魔法”を使って来るかなどと手札の多いであろう“ガリア”……“ミョズニトニルン”相手には通用しないことは明白である。

 また、今は土“ゴーレム”相手にしているが、場合によっては“ヨルムンガント”、“ミョズニトニルン”を始めとした“サーヴァント”と直接相見える可能性だってあるのだ。

「まあ、無理だろうな。でも、手柄を立てたがってるあいつ等に見てろとも言えないしな」

 冷静に戦力を分析し、(正直、仲間達をこんな戦いに巻き込みたくはない。でも姫様の命令なら仕方無いんだよな。何せこいつ等は、姫様の近衛隊なんだし。そして俺も……)と想い、才人は言った。

 “聖地”を取り返すことに反対したということに対しての負い目もまた、才人にはあった。

「まあ、最後は俺とセイヴァー、イーヴァルディの3人で何とかする……そうだよな?」

 才人は、背中に背負ったデルフリンガーと、“AK小銃”の重みを感じながら言った。護衛任務に就くということもあり、特別に聖堂内での武装を許可されたのであった。何か銃を持っていた方が良いな、と判断した才人は、“ロシア”製の“AK小銃”を選んだのであった。“AK小銃”は、地下にあった“小銃”の中では1番頑丈で壊れ難い。また、武器に勘の働くデルフリンガーが助言をしたため、選択したという理由もある。

「勿論だ。ある程度の“魔法”で傷付けることはできるだろうが、基本“サーヴァント”は“サーヴァント”にしか対抗できないほどの強さを持っている。平均的な、と言っても理解り難いだろうが、“サーヴァント”1人の平均的戦闘力は“戦闘機”1機分……あの“ゼロ戦”――“竜の羽衣”を凌駕しているからな」

 そんな才人の言葉に、張り切って訓練をしている騎士隊の少年達を見ながら、俺も事実を口にする。

 この戦いで、負ける、ということは先ずない。“水精霊騎士隊”の面々から犠牲が出るなどということもない。が、戦力差などは圧倒的に負けているということは事実であり、現実なのである。

「僕も全力を尽くす気でいるが……“エルフ”にあの馬鹿デカイ“騎士人形”。もしかしたら、今度ばかりは生きて帰えれないかもしれないな」

 ギーシュは切無げに、空を仰いだ。

 

 

 

 昼食の時間になった。

 たっぷりと汗を掻いた騎士隊の少年達が、どやどやと食堂に雪崩れ込む。

 先に席に着いて俺達を待っていたルイズとシオン達は、その中に才人と俺の姿を見付けた。

 それからルイズは、才人へと目を向け、頬を思い切り膨らませた。

 そんな風にルイズがプリプリとしていると、才人がルイズの隣へと腰掛ける。

「まだ機嫌悪いのかよ?」

 当たり前じゃない、とルイズは言った。

 敵の矢面に立つのは才人を始め“サーヴァント”である4人だ。アンリエッタもヴィットーリオも、シオンもタバサも、それは十分に承知の上である。

 だが、ルイズは、1番危険な任務を押し付けられているというにも関わらず嫌がる素振りを見せないでいる才人に対して頭に来ているのであった。

 ルイズは、(そりゃ、“ガリア”の“虚無の担い手”とはいつか決着を付けんきゃいけないけど……今の渡そだってあまり役に立たない。何せ、“精神力”が溜まっていないんだから)と想い、そんな想いと考えから思わず強い口調で言ってしまった。

「ねえ」

「ん?」

「もっと自分を大切にしなさいよ」

 ルイズがそう言うと、才人は笑った。

「何よ。何が可笑しいのよ?」

「いや……この前と逆だなって想ってさ」

「え?」

「ほら、“アルビオン”で御前が捨て駒になりそうだった時……」

 ルイズはその時のことを想い出し、顔を赤らめた。それから強い調子で才人を睨み付けた。

「ちょっと来なさい」

 ルイズは才人の耳を掴むと立ち上がる。

「痛でっ! 何だよ!?」

 食堂を出て、廊下の隣にまで才人を引っ張って行き、そこで強い調子でルイズは言い放つ。

「あのねえ! 危険さではあん時と変わらないのよ!? いいえ、もっと危険だわ。理解ってる? 敵は“虚無の担い手”と“マスター”を狙ってる……その私達5人集まってるの! きっと本気で来るわ。幾ら今のあんたが“サーヴァント”でも、今までみたいには、きっと行かないわ!」

「御前、変わったな」

「はい?」

「いや、昔だったら、姫様の言うことだったら、何でも利いてた癖に」

「真面目に聴いて!」

「はいはい」

「……あんた、自惚れてるのよ。きっと、今まで上手く行ってたから、今度も大丈夫、何て思ってるんだわ。あんただけじゃなく、姫様も、教皇聖下も……シオンとセイヴァーは色々と考えてくれてるみたいだけど……皆、あんたなら何とかすると思ってる。冗談じゃないわ! ええ、確かにあんたは大したモノよ。“アルビオン”でセイヴァーと一緒に110,000もの軍勢を止めたし、“ガリア”では“エルフ”にも引けを取らなかった。でも……それはツイていただけだわ。一歩間違えば、私達は屍を晒していたわ」

「知ってるよ。そんなのは百も承知だ。そんなこた、戦った俺が1番良く理解ってる」

「だったらどうして安請け合いなんかしたのよ!? ハッキリ言うけど、敵の矢面に立つのはあんた達よ! 教皇聖下もティファニアも、言っちゃなんだけど戦いで役に立つとは想えない! ジュリオだって弱くはないわ。でも、能力的に戦いに向いているとは想えない!」

 ルイズは声を落とした。

「……ホントに理解ってるの? いざ戦いになったら、真っ先に狙われるのは今まで敵に煮え湯を呑ませて来たあんたとセイヴァーなのよ。確かにあんたは“ガンダールヴ”で“シールダー”、“神の盾”なんて呼ばれてる。でも……私にとっては、ただの1人の男の子よ。姫様だろうが、教皇聖下だろうが、盾なんかにはさせないわ」

 才人は、困ったように頭を掻いた。それから、遠くを見詰めて言った。

「俺は今まで……向こうの世界にいる時は、何て言うかな、誰かのために生きるってことがなかったんだ。想像すらしたことがなかった。でも、こっちに来て、“昔の俺は、嗚呼、そうだったんだな”って。そんな風に想った」

「何言ってるのよ?」

「いや、まあ聴けよ。何でかって言うと、何でも揃ってるからだと想うんだ。自分勝手に生きてても、先ず何とかなっちまうことが多い。理解るだろ? こっちの世界に比べたら、俺の世界にゃ何でもあるからなあ。月は1個だし、“魔法”はないけどな。いや、秘匿されてるんだっけか……? まあ、それ で上手く行ってんだから、そおれはそれで良いんだろうけどな」

「サイト!」

「そう。今まで、誰かのために、何て1度も考えたことがなかった。随分暢気に生きて来たよ。でも、こっちに来て……」

 才人はルイズを見詰めた。

「なんとなく理解って来たんだよ。誰かのために生きるってことが。だから俺は逃げない。自分1人が危険なら、そりゃ逃げるさ。阿呆らしい。戦って、何の得になるってんだ? でも、そうじゃない。危険に晒されているのは、俺の好きな人だ。だから俺は戦う」

 ルイズは頬を染めた。

 だが……ルイズは、(“いつまでも一緒に居たい” とそう想わせてくれた少年を、つまらない戦いで失いたくないわ)と想い、ここで言い負かされる訳にはいかなかった。ルイズは、何とか説得しようと言葉を探そうとしたが、上手く見付からない。

「サイト……」

 とルイズが顔を上げると、後ろから名前を呼ばれた。

「ルイズ」

 振り向くと、アニエスが立っており、ルイズを見詰めていた。

「陛下が御呼びだ。“始祖の祈祷書”を持って、直ぐに来い」

 ルイズは硬い顔になり、その後に才人を睨み付けた。

「ちょっと行って来るけど、待ってなさいよ。まだ話は終わってないんだからね!」

 と言い残し、ルイズは歩き出したアニエスの後を追った。

 才人は、(ああ言ったものの、そりゃ危険な目に遭いたくなんかないさ)と想いながら食堂に戻るために歩き出した。

 才人が、(午後の訓練はどう言ったメニューにしようか?)などと考えながら歩いていると、息急切って走って来たコルベールと出会した。

「おや、先生、どうしたんですか?」

「できた! できたぞ!」

「何が出来たんですか?」

 コルベールは興奮し切っている。

「のーとぱそこん、が動いたぞ!」

「何ですってぇ?」

 才人は素っ頓狂な声を上げた。

 

 

 

 コルベールに用意された部屋にやって来た才人は、眼の前にあったモノを見て目を丸くした。

 そこに転がっていたのは、巨大な黒い“バッテリー”であったのである。

「な、何でこんなモノが……」

 才人は、(もしかして、昨日ジュリオやセイヴァーと一緒に行った武器倉庫にあったのか? だけど、まだ先生に話していない。もしかして、セイヴァーが?)と疑問を抱く。

 しかし、その疑問は直ぐに解けた。

「こんなモノって……これは“竜の羽衣”、あの、ひこうき、に付いていたモノじゃないか」

 キョトンとした顔で、コルベールが言った。

「これが?」

 才人はマジマジと“バッテリー”を見詰めた。

 成る程、良く良く見れば現代のバッテリーに比べると大きく、そして全体の印象は古臭いといえるだろう。

 形はほぼ現代の車やバイクなどに使用されている“バッテリー”と同じだといえるだろう。が、良く見ると、漢字で“三菱蓄電池三十二型 昭和十八年六月”、と記載されている。

 “ゼロ戦”に載まれていたモノに間違いないであろうということが判る。

「もしかして……これで電源を入れたんですか?」

 すると、コルベールは首を横に振った。

「いや……そうではない。良いかね? 君はこの、のーとぱそこん、は電気で動くと言っただろう? しかし、今は切れている。だから、動かない、と」

「はい」

「さて、この、のーとぱそこん、のどこに電気の元が入っているのかというと、ここだね?」

 コルベールは、“ノートパソコン”の“バッテリー”を外して見せた。

「そうです。それが切れてて……充電しないといけないんですけど。この世界にはコンセントがないっすからね」

「私は考えたのだ。君達の言う、のーとぱそこん、の、ばってりー、に電気を供給するためにはどうすれば良いのかを」

 話すうちにコルベールの興奮は更に強く大きくなって来た様子を見せる。どこの世界も、どの時代の技術者も、基本は同じであるといえるだろう。成功した自説を語り始めると、夢中になってしまう傾向がある。

「先ず、あの、ひこうき、も電気を使うことに気付いた! それでもって、計測器や照準器、そして、えんじん、の中で揮発した油を爆発させているのだ。そして、ひこうき、で使う電気は、この箱の中に詰まっている」

「成る程!」

 才人も興奮して、拳を握り締めた。

「で、ひこうき、には、きちんとこの箱に電気を供給する装置が付いている! それが回転することにより、電気を作り出し、この箱に供給され、ひこうき、に命を吹き込むのだ!」

「じゃあ、“ゼロ戦”の発電機を繋げだんですね! 凄え!」

「いや、それは無理だ」

 呆気なく、コルベールは首を横に振った。

「へ?」

「何と言うかな、同じ電気でも、この、のーとぱそこん、を動かす電気と、ひこうき、と動かす電気は違うのだ。こっちの方は、より複雑な電気を必要とするようだ。ひこうき、の装置と電気箱を使おうとした私の目論見は脆くも崩れ去った」

「……え? じゃあ、どうやって?」

 コルベールはニヤッと笑った。

「“魔法”だ」

「“魔法”?」

「要は、この、のーとぱそこん、に付いているこの電気を溜める箱が、電気を発生するようにしてやれば良いのだ。そこに気付いた私は、ひこうき、の、ばってりー、を調べた。電気が流れない状態と、流れる状態を比較し、中の成分を調べた。そして……その研究成果を応用したのだ」

「詰まり……」

「そうだ! “錬金”だ! 私は“錬金”で、この、のーとぱそこん、の電気が切れた箱を、電気が流れる状態にしてやったのだ!」

「先生! 凄いです!」

 才人は感動して、コルベールに抱き着いた。

「あっはっは! で、サイト君」

「はい?」

「で、電気を用意したは良いが、この、のーとぱそこん、はどこをどうすれば動くのかね?」

 

 

 

 教皇の執務室の前まで来ると、ルイズは扉を叩いた。

「どうぞ」

 と教皇の声がする。

 ルイズが扉を開けると、椅子に腰掛けたヴィットーリオとジュリオ、そしてアンリエッタとシオンの姿があった。

 部屋の隅には、緊張して佇むティファニアの姿もある。

「やあ、御待ちしておりました」

 ヴィットーリオが立ち上がり、ルイズに手を差し伸べた。

 その手に光る“指輪”を見て、ルイズの目が見開かれた。

 愛しそうに、ヴィットーリオは“指輪”を撫でた。

「そうです。先日、私の指に戻ったばかりの、“4の指輪”の1つです」

「で、私に用事とは……?」

「“始祖の祈祷書”を拝見させて頂きたいのです」

 ルイズはアンリエッタを見詰めた。

 アンリエッタは、大きく首肯く。

「“始祖の秘宝”は、新たな“呪文”を目醒めさせることができる。私はかつて、この“ロマリア”に伝わる“火のルビー”と“秘宝”を用いて、“呪文”に目醒めたのです」

「どのような“呪文”ですか?」

 ルイズは、(それは、今度の戦いに役に立つようなモノなのかしら?)と想い、尋ねた。

「戦いに使用できるような“呪文”ではありませぬ。“遠見”の“魔法”を御存知ですか?」

「はい」

 “風系統”の“呪文”の1つである。遠くの様子を見たり、映し出したりすることができる。オスマンの部屋に置かれてある“遠見の鏡”などは、その“魔法”を利用した“マジック・アイテム”である。

 また、更にその“遠見”を、“呪文”や“道具”の使用なしに使できるようになった個人特有の能力……場合によっては、過去現在未来を見る、透視、他者の思考を読み取るなどを可能とすることができる“スキル”も存在する。

 だがそれ等は、便利ではあるものの、戦いに直接役立つという訳ではない。

「私の使える“呪文”は、それと似た“呪文”です。ただ、映し出す光景は違いますが……“ハルケギニア”の光景ではないのです」

 ルイズは、少しばかりガッカリとしてしまった。敵の行動を逐一映し出すことができるのであれば兎も角それすらもできないとなれば無用の長物である、と想ったためである。

 ガッカリしたような表情を浮かべるルイズを諭すように、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「“虚無”の中にもそれぞれ“系統”があるのです。“4系統”のようにハッキリとはしていませんが……大まかな“系統”というモノが存在するようだ。私はどうやら、“移動”系のようです。“使い魔”もそうだし、“呪文”もそう。貴女が、“攻撃”を司るようにね」

「では、ティファニアは? “ガリア”の“担い手”は?」

「まだハッキリはしていません。ただ、占うことはできる。それを今から行うのです。さて、ではアンリエッタ女王陛下……」

 アンリエッタは首肯くと、嵌めている“指輪”を外した。

 “風のルビー”である。

 実に数奇な“運命”を辿った“指輪”であるといえるだろう。“アルビオン王家”、“アルビオン王家”の血を引くウェールズ皇太子、そして才人の手からアンリエッタへ……何度も持ち主を変えた“風”を、アンリエッタは、“王族”のシオンではなく、部屋の隅でかしこまった様子を見せ続けているティファニアへと差し出した。

 いや、ティファニアこそが、今ここで“風のルビー”を嵌める権利を有しているといえるだろう。“アルビオン王家”の血を引き、なおかつ“虚無の担い手”である彼女こそ。

「ア、アンリエッタ様?」

「御受け取りくださいまし」

「で、でも……」

 ティファニアは、顔を赤らめて恐縮する。

 アンリエッタは、ティファニアの手を取った。

「この“指輪”は、元々“アルビオン王家”に伝わるモノ……その血筋が貴女とシオンを除いて絶えた今となっては、2人の指に収まるのが道理。その上、貴女は“担い手”ではありませんか」

 ティファニアは、シオンを見詰める。

 シオンは、恐縮し戸惑うティファニアに対し、優しく笑みを浮かべ、首肯いた。

 ティファニアは、されるがままに、“風のルビー”を指へと嵌めた。

 ティファニアの白く美しい指に、その“風のルビー”は良く似合っている。

 さて、とヴィットーリオはルイズの方を向いた。

「“聖杯”を除いた“始祖の秘宝”は、宝の詰まった小箱のようなモノです。それぞれに詰められた“(魔法)”は違う。そして、“指輪”は……その小箱を開く鍵のようなモノ。ティファニア嬢は、どんな“宝”を見付け出すのでしょうか? “始祖の祈祷書”をティファニア嬢に見せて上げてください」

 ルイズは、いつかデルフリンガーが言っていた「必要があれば読める」という言葉を想い出した。

 ルイズの心の中で、(私だけじゃなく、他の“担い手”にとってもそうなのかしら?)といった疑問が浮かび上がった。

 そんなルイズの疑問に、ヴィットーリオが答えた。

「“秘宝”は“4の担い手”を選びません。我等はそういう意味でも、兄弟なのです」

 ルイズは、(すると、ティファニアは、何か新たな“呪文”に目醒めるのかしら? かつて、私がそうやって新たな“呪文”を得て来たように……)といった疑問を抱きながら、ティファニアへと“始祖の祈祷書”を差し出した。

 ティファニアは、唇を噛み締めて、それを受け取った。

 勇気を振り絞るようにティファニアは深呼吸をした。大きな胸が、上下に動く。それから意を決したようにティファニアは目を開いた。己の“運命”を、毅然と受け入れるかのように……。

 ユックリと、ティファニアはページを開いた。

 1枚、1枚、ティファニアはページを捲って行った。

「何か、文字のようなモノは見えますか?」

 ティファニアは首を横に振った。

「いえ……何も」

「まだその時期に至っていないようですね」

 ティファニアは、ホッとしたような安堵の溜息を漏らす。

「では、次は私の番です」

 ヴィットーリオは、ティファニアから“始祖の祈祷書”を受け取ると、何の躊躇いを見せることもなく開いた。

 すると……今度は、“始祖の祈祷書”のページが光り輝く。

 眩い光に照らされたヴィットーリオは、まるで古代の聖者のような威厳を辺りに振り撒いた。

 ジュリオが、敬虔な面持ちを浮かべ、床に膝を突く。

「聖下……おお、聖下……」

 アンリエッタが、其の光に心を打たれたように呟く。

 自身以外の“担い手”が“虚無”を会得する瞬間に立ち逢っているルイズとティファニアも、声を失い、その光景に見入った。

 シオンは、他の皆ほど心打たれた様子はないが、静かにその光景を見詰めている。

 教皇ヴィットーリオの、2番目の“虚無魔法”。

 光の中、ヴィットーリオは現れた文字を詠み上げた。

「“中級の中の上”。“世界扉(ワールド・ドア)”」

 

 

 

 才人が電源スイッチを押して入れると、ブゥーン、と音が鳴り、“ノートパソコン”が動き始める。

 画面に現れた文字を見て、コルベールは息を呑んだ。

「何と細かく、美しく映えるんだろう……」

「今、起ち上がりますよ」

 才人も1年振りに見る事が出来るといえる画面に心を躍らせた。

 OSのロゴが浮かび上がり……デスクトップ画面が現れた。

「良かった。壊れてないみたいだな」

 キラキラ光る画面を、コルベールは童心に帰った様子に見守っている。

「で、サイトくん」

「はい」

「これは何ができるのかね?」

「うーん……」

 才人は悩んだ。それを説明することは容易ではないためである。

「例えば、“インターネット”とか……?」

「それは君が言っていた、色んな所と繋がって情報を取り出せる、という奴だな?」

「ええ」

「それを是非見せてくれないか?」

「良いっすけど、繋がらないと想いますよ?」

 才人は言った。

 此方は、“地球”ではなく“ハルケギニア(異世界)”である。“インターネット”環境など整っているはずもなく、繋がる訳がない。

「まあ、モノは試しだ。やってみせてくれんかね?」

 理解りました、と首肯いて、才人は接続のためのアプリケーションを開いた。

 

 

 

 教皇の執務室には、“詠唱”の声が朗々と響いている。

「“ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ”……」

 ルイズ達は、その様子を呆然として見守る。

 先程、“呪文”の名称が、ルイズの頭の中でグルグルと回っていた。

 “世界扉”。

 その言葉から、(それって……それって、もしかして。もしかして……)とルイズは何か予感を覚えた。

「“ハガス・エオルー・ベオース”……」

 教皇は途中で“詠唱”を打ち切った。“虚無”の威力は“詠唱”の時間に比例するといっても過言ではないといえるだろう。そして、使う“精神力”もまたそれに応じて消耗するのだから。

 そして……宙の一点を狙うかのように、ヴィットーリオは“杖”を振り下ろした。

 初めに見えたのは……豆粒ほどの小さな点であった。

 水晶のようにキラキラ光る小さな粒が、空中に浮かんでいる……そんな風に見えた。

 徐々にその点は大きくなり、手鏡程の大きさへと膨らむ。

「鏡……?」

 それは鏡のように見えた。だが……鏡ではないことが理解る。映っているモノは、この場にいる者達が皆見たこともない光景であるのだから。

 いや、シオンだけはそれを見た事があった。

 高い、塔が幾つも立ち並ぶ……異国の風景である。

「これは……」

 ルイズは呟く。

 “ハルケギニア”の風景ではない。

 ルイズは、(まさか……kろえは……)と想い、“呪文”の名前が彼女の脳裏に蘇る。

 “世界扉”。

「この光景は……まさか……」

 ヴィットーリオが、満足げに首肯いた。

「そうです。別の世界です。貴方達の飛行機械がやって来た世界……我々の前に幾度となく現れた“場違いな工芸品”の故郷です」

「これが……サイトとセイヴァーの故郷」

 ルイズとティファニアとアンリエッタの3人は、初めて見る“地球”の光景に目が釘付けになってしまった。

 立ち並ぶ塔らしきモノ……これだけ沢山の塔のようなモノが並んでいる都市など、彼女達は見たことがないのである。

 いや、今見えているモノはただの塔ではないということが判る。

 その大きさは均一で、こうして見た所、その高さは“ハルケギニア”の城などとは比べものにならないほどであるということが判る。

 洗練された技術を伺わせる壁……沢山のガラスがキラキラと光る窓……ただ“魔法”を使用しただけでは到底不可能な、芸術品とでもいえる塔のようなモノ。

 そんなモノが、幾つも並んでいるのである。

 ティファニアも、目を丸くしてそんな光景に見入っている。

 アンリエッタの目も釘付けではあるが、不安げに見詰めていた。

 ジュリオは、そんなルイズ達を満足げに見詰めている。

 ヴィットーリオは言葉を続けた。

「私が以前使えた“呪文”は、ただこの“世界”を映し出すのに過ぎませんでした。だが、今度の“呪文”――“世界扉(ワールド・ドア)”は違う。この“呪文”は実際に、そちらの“世界に”穴を開けるのです」

 そのうちに効果が切れたのだろう……水晶の球のようなモノは掻き消える。

 効果時間は僅か十数秒ほど……それだけ“精神力”と“魔力”を消耗する“呪文”であるということが窺い知れる。何せ、“異世界”への扉を開くのだから……。

 ルイズは駆け出した。

「おい、ルイズ。どこに行くんだい?」

 その背にジュリオが声を掛ける。

「決まってるじゃない! サイトとセイヴァーに教えて上げるのよ! 帰る方法が見付かったって!」

「おいおい! そんなことをされたら困るよ」

 ジュリオは、笑みを浮かべて言った。

「どういう意味よ?」

「僕は、彼等にそっちの“世界”から来たモノを見せて、こう言ったんだ。“聖地に向かえば帰る方法が見付かるかもしれない”ってね。この“魔法”を見せたら、彼等が“聖地”へ向かう唯一の目的が失くなってしまうじゃないか」

「そんな!?」

「問題はそれだけではありません!」

 ヴィットーリオも口を開いた。

「この“世界扉”は、かなり“精神力”を消耗する“呪文”のようです。今は試しに、小さな扉を開いてみましたが……これ以上大きな扉、そう、彼等2人が潜れる、いえ、1人潜ることができるほどの大きさを造ろうとしたら、私は“精神力”を全て使い切ってしまうでしょう。私の“虚無”は、“ハルケギニア”のために使わねばなりません。使い途が見付かるまで、温存せねばいけないのです、彼等を帰す、そのためだけに“呪文”は使えません」

「でも! でも!」

 ルイズはヴィットーリオに詰め寄った。

 ジュリオは、両手を広げて言った。

「それにルイズ。彼が帰ってしまって、本当に良いのかい?」

「……え?」

「君も困るんじゃないのか? 彼が、帰る、なんて言い始めたら……」

 ルイズは、はっ、とした。

「ねえルイズ。君は、彼と別れることができるのかい?」

「それは……それは……」

 ルイズは小さく震えた。

 いざ、そうなってみて、漸くルイズは理解することができたのである。自分が……才人と離れられる訳がないということに。それから、(サイトが死んだと想った時……私はどうしようとした? “火の塔”から飛び降りようとしたじゃないの。そんな私が……生き別れなんて選択できるの? 2度と逢えない。そんな状態に耐えられるの? 思えば、以前までの私は甘かった。帰る方法を捜して上げる……何度も口にしたその言葉の意味を、深く考えたことがあるの? 現実に、サイトが帰る方法が見付かった今……震えてるじゃないの。サイトが帰ってしまう可能性を、私は本気で怖がってる!)とそのことに気が付いた。

 蒼白になったルイズに、ヴィットーリオが言葉を掛けた。

「人生は、選択の連続です。ミス・ヴァリエール。個人の“愛”を貫くのも正解。彼の幸せを願うのもまた正解……どちらが間違いということはありません。かつて私も選びました。信仰と情を天秤に掛けたのです。その片方を選んだから、今の私があります」

 アンリエッタも苦しそうな声で、ルイズに告げた。

「ルイズ……何かを選ぶということは、何かを捨てるということなのです。サイト殿を帰さねばいけない。それも人として立派な考えです。ええ、彼は“此方の世界”の人間ではないのですから。でも……己の“愛”のために人の良心を捨てることも、また1つの正義だと思います。帰さねばいけない。そんな良心を捨てたからといって、恥じる必要はありませんよ」

 アンリエッタは言葉を続けた。

「良いこと? しかも、今回救われるのは、貴女の想いだけではないのです。“ハルケギニア”の未来も救われるのです。私達の理想には、彼の力が必要なのですから……慎重に考えて結論を下してください。ルイズ」

 ルイズは俯く。

 そんなルイズに対し、シオンは静かに言った。

「“個人の愛を貫くのも正解。彼の幸せを願うのもまた正解”。それに関しては、私も同じ意見よ。でもね、ルイズ……それを決めるのは、貴女とサイト。貴方達自身なの。世界がどうとかは関係ないと想うわ。大事なのは、どうしたいか……どうして欲しいか……だと想うから。それに、どちらかだけではなく、どっちもという欲張りな選択もあるのよ」

 

 

 

「サイト君……」

 コルベールは、呆然と目を見開く才人に言葉を掛けた。

 然し、才人からの返事はない。

 才人の目は、“ノートパソコン”に釘付けになっているのである。

 そこには……しっかりと“インターネット”と接続し開かれたブラウザが映し出されていたのである。

 才人は、(繋がった。どうして? 繋がるなんて想ってなかった)と想いながら、指はカーソルのタッチパネルの上を動いた。

 “WEBメール”のアドレスを探し出し、クリックする。

 数秒の読み込みの時間があって、次々と“メール”が流れ込んで来る。

 だが、1番多かったのは……母からの“メール”であった。

 何通も。

 毎日2通も3通も、メールは届いていた。

 才人は、最新のメールを開いた。

 

――“才人へ”。

 

――“貴男がいなくなってから1年以上が過ぎました”。

 

――“今、何処にいるのですか?”。

 

――“色んな人に頼んで、捜していますが、見付かりません”。

 

――“もしかしたら、メールを受け取れるかもしれないと想い、料金を払い続けています”。

 

――“今日は貴男の好きなハンバーグを作りました”。

 

――“玉葱をきざんでいるうちに、何だか泣けてしまいました”。

 

――“生きていますか?”。

 

――“それだけを心配しています”。

 

――“他は何も要りません”。

 

――“貴男が何をしていようが、構いません”。

 

――“ただ、顔を見せて下さい”。

 

 次々にメールを、才人は開いて行く。

 文面はほとんど変わらない。

 いなくなってしまった才人のことを案じる“メール”が、沢山並んでいる。

 そのうちに、接続は切れてしまった。

 開いた、大量の“メール”が、才人の眼の前にはあった。

 ポタリ、と画面に涙が垂れる。

「サイト君、それは……」

「“メール”です」

「めーる?」

「手紙です。母からの」

 コルベールは息を呑んだ。それ以上、掛ける言葉を見付けることができず、コルベールはソッと部屋を出た。

 

 

 

 教皇の執務室を飛び出したルイズは、(サイトに逢いたい)と想い、疾走り出した。

 結局、ルイズは折れたのである。

 機を見て話す、ということで話は纏まった。

 だが、(でも……それは私にとって都合の良い選択じゃないの? “世界”のため……なんて言いながら、結局は自分のためじゃないの? そんな私だからこそ、抱き締めて欲しい。情けないからこそ、抱き締めて欲しい)と想いルイズは疾走った。

 食堂に戻っても、才人はいなかった。

 “水精霊騎士隊”に、「コルベール先生とどこかに行ったよ」と教えて貰い、ルイズはコルベールがいるであろう居室へと向かう。

 すると、ドアの所にコルベールが腕を組んで立っている姿が、ルイズには見えた。

 ルイズが近付くと、コルベールはスッと押し留めた。

「先生、サイトは……?」

 ルイズが尋ねると、コルベールは口の前に指を立ててみせた。そして、ドアの隙間から、コッソリと中の様子を窺わせる。

「……サイト?」

 才人は、机の前で身体を屈めている。

 机の上には何かがあるということに、ルイズは気付いた。ルイズには、その妙な箱――機械に見覚えがあった。才人が、“此処(ハルケギニア)”に来てから、ルイズへと見せた機械である。

 才人の肩が、微妙に上下している。

 泣いているのだ。

「先生、一体何が……?」

 小声で尋ねると、コルベールは困ったような声でルイズに説明した。

「あれは……サイト君が自分の“世界”から持って来た機械らしいんだが……それにどうした訳か手紙が届いたんだ」

「……手紙? ……誰からの手紙ですか?」

「母君らしい。何とも、可哀想なことだ」

 ルイズは、頭を殴られたようなショックを受けた。

 ルイズは、才人の……「家族はいない」といった言葉を想い出す。

「でも……」

 そう言い掛けて、ルイズは直ぐに気付いた。

 才人は、嘘を吐いたのであった。

 ルイズは、(私に、家族はいないって嘘を吐いたんだわ。どうして? 決まってる。私に負担を掛けまいとしたんだ……)と才人の想いに気付き、呆然と立ち尽くした。

 すると、(サイトは、そうやって私に嘘を吐いてまで、気を遣ってくれたのに……私は今、何をしようとしたの? 本当のことを言えない罪悪感を癒やしに、その本人に抱き締めて貰いに来た……)と想い、ルイズの目からもボロボロと涙が溢れて来た。

「私……何て卑怯なのかしら」

 小さく、押し殺した声でルイズは呟いた。

「ミス・ヴァリエール?」

 当惑した声でコルベールが尋ねたが、ルイズの耳にはもう届かない。

 先程の、「何となく理解って来たんだよ。誰かのために生きるってことが」といった才人の言葉を想い出し、(だからサイトは……私に嘘を。私のことを、大事に考えていてくれてるから……それなのに、私はサイトのことをきちんと考えたことがあるのかしら? 現に今もただ、自分が慰めて欲しいだけでここに来たじゃない)と想い、ルイズは駆け出した。

「あ、おい、ミス・ヴァリエール」

 コルベールが呼び止めたが、ルイズは振り返ることもせずに疾走り去った。

 

 

 

 

 

 自室に飛び込んだルイズは、ベッドに俯せになった。

 天井を仰いで、ルイズは考える。

 ずっと、(私が……すべきことは何だろう? 私のことを、自分のことを一生懸命に考えてくれる男の子のために、私ができることは何?)、とルイズは考え続けた。



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笑顔の意味

 才人はコルベールの部屋で目を覚ました。それから、テーブルに突っ伏してしまっていた自身に、ベッドで寝息を立てているコルベールが掛けたであろう毛布が掛けられていることに気付く。

 窓からは朝の陽光が射し込んで来ている。

 才人は、(ああ、昨日は泣き疲れて寝ちまったんだ)と思いながらノートパソコンの画面を見詰めた。

 電源は既に切れている。

 もう1度コルベールに頼むなりして電気を供給して貰うことはできるが、才人はそれを止めた。

 想い出すことができるくらいに、暗記しているということもあり……見たところで、今の才人にはどう仕様もないことであるためだ。

 才人は、窓から眺める空を見詰めた。

 それから才人は、(“この世界”は……どこかで“地球”と繋がっている。“根源”、“英霊の座”とは、また別に……一体何がどうしていきなり繋がったんだ? ま、戦車や“飛行機”がやって来れるんだから、電波なんか楽勝だよな。嗚呼、兎に角ホントに繋がってるんだなあ)とボンヤリと考えた。同時に、(俺って弱いな。仲間ができたらできたで、“こっちの世界”に残っても良いや、何て直ぐ想うし、“メール”を見たら“地球”に帰りたくなる。と言うか弱いと言うより単純じゃねえのか?)と想った。

 才人は、(ま、無理ねえよな、あんな“メール”読んじまったらなあ)と想いながらノートパソコンを置いたまま、コルベールの部屋を出た。

 廊下をトボトボと歩きながら、才人は「参ったな」と呟いた。それから、(明日は、いよいよ教皇の“即位3周年記念式典”だっつうのに……こんな気分で上手くやれるのか? 兎に角、昨日のことはルイズに内緒にしておこう。また、自分の所為にして落ち込むだろうし。先ずは目先の問題を考るべきだな)と前向きに考えるように努めた。

 才人は(良し、せめて落ち込んだ顔を見せないようにしよう)と無理に見張り切りながら、自分達の居室のドアを開けた。

「やあルイズ。いや、帰らなくってごめん。コルベール先生の部屋で呑んでたら潰れちゃってさ……」

 ルイズは、椅子に座って手鏡を覗いていた。

 朝帰りの才人を叱る訳でもなく、ニッコリと笑ってルイズは挨拶を寄越した。

「おはよう」

 ルイズがいきなり笑顔を見せたことにも驚いたが、もう1つ驚くべきことに才人は気付いた。

「何……? 御前のその格好……」

「あ、これ? 昨日、街に出て買って来たの」

 ルイズの格好は、いつもの“魔法学院”の制服ではなく、可愛らしい感じのブラウスに、短い紺色のシックなスカート姿であった。襟元には、赤いリボンが踊っている。

「何で?」

 才人は、唖然として、尋ねた。

 選りに選って今日と云う日に、“ロマリア”の大聖堂でおしゃれをする意味が、才人は理解らなかったのである。

「ああ、明日の式典に出席するためか。でも、そん何で式に出て良いんか?」

 するとルイズは、コロコロと笑った。

「違うわよ。あんたと一緒に街を歩きたくて、買ったの」

「俺と? どうして?」

「街で御祭りをやってるそうよ。ほら、教皇聖下の“即位3周年記念”で。“貴族”には“貴族”の御祭り。街には街の御祭りがあるので、私は、あんたと御祭りに行きたいの」

「でも明日は……やっぱ備えて訓練しとかなきゃなーって」

「良いじゃない。と言うか今更訓練なんかしたって、あんまり意味ないわよ。それに、たまには骨休みも大事よ」

 ルイズは努めて無邪気な仕草で、才人の腕を握った。

「ね、行こ?」

 

 

 

 結局、何だか妙に可愛らしいといえるルイズの態度に引きずられるかたちで、才人は街へと出た。

 ルイズはピトッと才人に寄り添い、腕を絡ませる。

 才人が(何だ? どうしたんだ?)とルイズを見ると、ニコ~~~、とルイズは笑みを浮かべた。

 流石に悪い予感を覚え、才人はルイズに尋ねた。

「なあルイズ」

「ん?」

「御前、何を企んでる?」

 するとルイズは、きゃははは、と笑った。

 才人が(きゃはは? ルイズがきゃはは?)と頭の中をクエスチョンマークで満たしていると、ルイズはグイッと才人に身体を押し付けた。

「何にも企んでないよ」

「嘘!」

「嘘じゃないって。ホントにホント。今日は一緒にサイトと街を歩くの。そう決めたの」

 ニッコリと、何の邪気も感じられない笑みをルイズは浮かべる。

 その言葉と様子には、事実嘘はない。

 才人が其れでも(何かある)と想っていると、ルイズは指を立てた。

「あ、後ね! 今日は何でも言うことを利いちゃう」

「はぁ?」

「ホントにホントよ? だから、遠慮しないで何でも言ってね?」

 ルイズはニッコリと、首をかしげる。

 才人は増々怪しさを覚え、試すようにこう言ってみた。

「じゃあ、パンツ見せろ」

 才人は、(当然、蹴りが飛んで来る)と想い、身を咄嗟に屈めた。

 しかし、蹴りも拳も“魔法”も飛んで来ない。

 ルイズは顔を赤らめると、素直にスカートを持ち上げてみせたのである。

「はい」

 才人は、久し振りに、レースの付いたルイズの下着を見た。

「わ!? 見られるだろ!」

 才人は、(怒らない……? というかここは街中……通行人が)と想い、慌てて手を振り、ルイズへと催促する。

 ルイズも頬を染めて、慌ててスカートを下ろす。

 そんなルイズを前に、(怪し過ぎる。これはホントにルイズなのか? 誰か化けてるんじゃないだろうな? そう、例えば、“ミョズニトニルン”の“魔道具”とか……“暗殺者(アサシン)”の変装とか……?)、と才人は訝しんだ。

 才人は、コホン、と咳をすると、緊張し切った様子で次の言葉を口にした。

「じゃ、じゃあ、胸を触らせろ」

「良いわよ」

 アッサリとルイズは首肯いた。笑顔のままで。

「じゃ、じゃあ触るぞ……」

 才人はゴクリと唾を呑み込みながら、ルイズの控えめな胸に手を伸ばした。

 サワサワと……薄くも、微妙な膨らみが才人の掌を刺激する。

 見ると、ルイズは頬を染めつつも笑顔である。何とも幸せそうな笑顔である。

 才人は震えながら爆弾じみた言葉を口にした。本当にルイズ本人かどうか、試すために……。

「こ、これが胸?」

「うん。そうだよ」

 ルイズは、強張った笑顔で肯定した。

 才人は、(絶対これはルイズじゃない! 別の何かだ!)と想い、「あっはっは、少し、ティファニアの垢でも煎じて呑めよ」と言った。

「良いの。私はこれで」

 才人は跳び退くと、身構えた。

「御前、何者だ!?」

「だから、私は私。信じてよ」

「何で怒らないんだよ!?」

「だって、その、えっと……」

 ルイズは、何かを言い難そうに口篭る。それから、何かに気付いたかのように顔を上げた。

「そう! ほら、明日はいよいよ戦いじゃない? 怖い“ミョズニトニルン”達を相手にしなきゃいけないじゃない? だから、その何て言うの? 御褒美! そう御褒美なのよ!」

 楽しげに、ルイズは言った。

「御前、あれほど反対してた癖に……」

 才人は、(結局、ルイズは考えを変えたみたいだな。ま、こいつにとって“貴族”のプライドと姫様は絶対だからなー)と無理矢理に納得した。

「もっと触る?」

「いい! いいよ! 信じる! 信じるから!」

「有難う」

 またまた、ルイズはニッコリと笑うのであった。

 才人はそんなルイズを見て、(ま、そう言うことなら俺も楽しもう。こんな風にのんびりできることって、そう滅多にないしな。それに、明日はセイヴァーやイーヴァルディがいても、命を落とすかもしれないんだ。ま、何が何でも生き残るつもりだけどさ……)と想った。

 

 

 

 明日に“教皇就任式典”を控えた“ロマリア”の街は、前夜祭で盛り上がっていた。とはいっても、“トリスタニア”などのように街中が御祭騒ぎになるという訳ではない。

 露店や出し物を出すことができる通りがあって、そこだけ盛り上がっているといった感じである。“ロマリア”はそれでも、各地から巡礼などを目的とした旅人がやって来る土地である。巡礼に来た証人達は、ついでに色々な品々を運んで来るのである。したがって、様々な品が並んでいる。

 ルイズは綺麗な服が並べられている露店に釘付けになった。一生懸命、何かを選んでいる。

「何だよ? スカーフでも欲しいのか? 買うんなら、もっと良いの買ってやるよ」

 才人がそう言うと、ルイズは首を横に振った。そして、地味な色の1枚を手に取ると、それを買い求めた。

「……御前、そんな色のスカーフ何かどうすんだよ?」

 女の子に似合う色とは想い難い、格子模様が描かれた黒字のスカーフである。

 だが、ルイズはそれを才人の首に巻いた。

「あんたの黒髪に、似合ってるわ」

「お、俺に買ってくれたのか?」

「うん」

 ルイズは、ニッコリと笑う。

「御前、まさか、また“惚れ薬”でも呑んだんじゃないだろうな?」

「違うわよ。良いじゃない。気にしないでよ。だから御褒美よ」

 才人は、「成る程、これも御褒美か」と呟いた。それから、(取り敢えず今日は付き合ってやろう)と想った。

 才人とルイズは、ブラブラと通りを歩いていた。

 この日ばかりは、神官達も羽目を外しても構わないらしい。酒を呑み、肩を組んで軍歌などを歌っている。

 来た時は堅苦しい印象を与えて来るばかりであったが、こうして見ることで“ハルケギニア”の各都市と余り変わりがないとうことに、才人は気付いた。

 通りの真ん中に、笛や太鼓を持ち出して踊っている一団がいることに、ルイズと才人は気付いた。

 ルイズは、才人を引っ張って中へと連れて行った。

「踊りましょう」

 陽気なリズムの曲に合わせて、ルイズと才人は踊った。

 楽しそうに、ルイズは踊った。

 才人も連られて、ルイズに合わせてステップを踏み踊った。

 踊り疲れた2人は、通りに先日で迷惑を掛けてしまった酒場を見付けた。“聖堂騎士”達に追い掛けられた時に、立て籠もった酒場である。

 その店に入って見ると、テーブルなどが全てピカピカと高級品へと変わっていた。キュルケ達から巻き上げた修理代で新調したらしいことが判る。窓ガラスも、ステンドグラス入りに変わっている。

 まるで違う店のように上等になっていた。

 店主も、上等な服を着てグラスを磨いていたために、2人は顔を見合わせて笑った。

 中に入ると、店主はルイズと才人に気付き、気不味そうに顔を背けた。

「この間はお騒がせしました」

 と、才人が笑顔を浮かべて謝罪すると、店主は無言で才人達の前へと次々と料理を運んで来た。それから、コッソリと才人へと耳打ちをする。

「また、来年も頼む」

 ルイズと才人、そして店主はそこで笑い合った。

 料理が運ばれて来ると、ルイズは皿のスープを掬い、才人へと突き出した。

「え?」

「あ、あーん」

 ルイズの「あーん」は初めでてあり、才人は面食らってしまう。

「御前、ホントのホントに、どうしたの? 怒らないから言ってみ? あれだろ、“ゼロ戦”でもぶっ壊したんだろ? で、俺の機嫌を取ろうとだな……」

「違うの。今日は私、可愛いの。あんたに、可愛い私を沢山見て欲しいの。ホントにそれだけ」

 才人は、フラフラと口を開けた。

 ルイズは嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 再び外に出ると、ルイズは才人を見上げ、「そこのコップ取って」といったくらいの気安さで、「ね、キスして」と言った。

「え? ここで?」

 と、才人が驚いて言うと、ルイズは頬を染めて「成るべく人のいない所で」と言った。

 その唐突さに才人がしどろもどろになっていると、ルイズは才人にピトッと身体を密着させ、手近な路地へと才人を押し込んだ。

 そしてルイズは、才人の顔を掴むと爪先立ちになって唇を重ねた。そのまま、激しくルイズは、才人に唇を押し付ける。

 暫く唇を重ねた後……ルイズは顔を離し、またニッコリと飛び切りの笑顔を見せるのであった。

 笑顔の理由が理解らぬまま、才人もまた笑みを浮かべた。

 歩きながら、ルイズが時折自分を見詰めて来ているということに、才人は気付いた。才人がルイズの方を向くたびに、ルイズは微笑むのである。そんなルイズが“愛”しく想え、また2人で歩くということが楽しく……才人は(こんな女の子を護るためなら、俺はどうなっても良い)と想えるのであった。

 ただ、時折、才人は、母からのメールの内容などを想い出し、胸を痛めた。

「どうしたの?」

「何でもない。何でもないよ」

 そのたびに才人は無理に笑顔を浮かべ、首を横に振るのであった。

 

 

 

 

 

 散々遊んだ2人は、夕方に大聖堂の自分達に宛行われた部屋へと帰って来た。

 結局、言われるがままに夕方まで、才人はルイズに付き合ったのであった。

 才人は、そこでまた、(さて、冷静になって考えてみると、やっぱり可怪しい。幾ら御褒美だからとは言っても……今日のルイズは可怪し過ぎる)と想った。

「疲れたでしょ? 水飲む?」

 ルイズは、水差しからコップへと水を注ぐと、才人に手渡した。

 それを一息で飲み干し、才人はルイズへと尋ねた。

「なあルイズ」

「ん?」

「……御前、今日何であんなに俺に笑顔を見せたんだ?」

「駄目?」

 また、ルイズはニッコリと笑った。

「可怪しいよ! 御前、俺と1年も一緒にいたのに、2回しか笑顔を見せてねえんだぞ! それなのに、今日は72回も笑いやがった! 可怪しいよ!」

「数えててくれたのね。凄く嬉しい。有難う」

 ルイズは、また、ニコッと笑った。天使のように、可愛い笑みであった。だがその中には、幸せ以外の何かが同時に含まれている。

 そのことに、才人は未だ気付いていない。

「だから、一生分、笑ったの」

「はい?」

「1年に2回。あんたとこれから、ずっと一緒にいたとして、30年。ううん、40年かな? 50年だったら良いわね……その時に見せるであろう、私の笑顔の回数」

「何言ってるんだ?」

「私ね、もう、一生笑わない」

 笑いながら、ルイズはツイッと涙を流した。

「ルイズ?」

「一生、誰も“愛”さない。でもあんたは駄目。誰かを好きになって、私にしてくれたみたいに、その娘を守って上げて。あんたの世界で……」

 涙の粒は、一筋の頬を伝い、ルイズの形の良い顎の形を(なぞ)った。

「え? え? ええ?」

 そう呟いた時、不意に才人を眠気が襲った。

「あれ?」

 才人が、(“魔法”だ)と気付いた時には、既に遅かった。

「ルイズ……御前……さっきの水に……」

 

 

 

 倒れそうになった才人を、ルイズは抱き締めた。その顔を優しく両手で包み、唇を重ねる。

 才人の身体から、力が抜けて行く……。

 先程の水には、才人が感じた通り、睡眠薬とでもいえる“魔法薬(ポーション)”が仕込まれていたのであった。

 才人を優しく抱き締めながら、ルイズは呟いた。

「さよなら……私の優しい人。さよなら、私の騎士(シュヴァリエ)

 ヒック、とルイズは嗚咽を漏らした。

 どれほどルイズは才人を抱き締めていただろうか。

 ユックリと眠る才人をベッドに横たえさせて、しばらく身を寄せた後、ルイズは立ち上がる。

「……良いわ」

 そうルイズが告げると、後ろで扉が開いた。

 そこに、ジュリオと俺が立っている。

 ジュリオは、ニッコリと、優しさと哀しさなどを含めた笑みを浮かべて、「ホントに良いのかい?」と尋ねた。

 そんなジュリオに、全くの無表情といっても良い様子でルイズは努めて首肯いた。

「ええ。サイトのために、“世界扉(ワールド・ドア)”を開いて上げて」

「で、そのために君は……」

「喜んで、貴方達に協力するわ。“ミョズニトニルン”を捕まえることも、他“サーヴァント”を斃すことも、“聖地”を取り返すことも……全てよ。それだけじゃない。貴方達と“ハルケギニア”の理想のために、この一生を捧げるわ。“虚無の担い手”として、“ハルケギニア”の“貴族”として……そして――」

 ジュリオは首肯いた。

「“聖女”の誕生だね。じゃあ、早速こっちに来てくれ。彼がいなくなる以上、予定は変更だ。明日の計画を説明する」

 部屋を出る時に、ルイズは1度だけ振り返った。

 涙がとめどなく溢れ、ルイズの頬を伝う。

 涙を拭うこともせず、ルイズは呟いた。

「さよなら。私の“世界”で1番大事な人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ガリア王国”の首都“リュティス”。

 “ロマリア”教皇に、“狂王”と呼ばれている男が、何処迄も美しい庭に立ち、辺りを睥睨している。

 季節折々の花々で咲き乱れる“ヴェルサルテイル”でも1番といえる花壇……。

 南薔薇花壇であった。

 ジョゼフにとって、一人遊び(ソリティア)とこの花壇が、退屈な日々や孤独の慰めであるといえるだろう。国中の庭師達が、贅と技術の粋を集めて造った地上の楽園とでもいえる花壇である。

 2キロ平方“メイル”ほどの土地に、数万本もの色取り取りの薔薇が植えられている。

 その中でも、一際目立つのは青い薔薇である。

 今年……幾度もの品種改良を加えられ、やっとのことで完成した、青い発色が固定された品種である。

 その薔薇は、“ガリア王族”の青髪に因み、“ラ・ガリア”と名付けられ、まさに“ガリア”を象徴する花となったのである。

 ジョゼフは満足げに花壇を見詰めた。

 この青い薔薇を固定するために、どれだけの巨費を投じたか判らないほどである。

「真、見事な薔薇園ですわ」

 ジョゼフの隣で、モリエールが感嘆の声を上げた。

 ジョゼフは満足げに首肯き、「此の薔薇園に投じた金で、小国が1つ経営できるのだよ」と言った。

「世界で1番美しい王国ですわ。陛下は御趣味が良ろしくあられますわ」

 それから、モリエールは、悪戯っぽい目でジョゼフを見詰めた。

「どうして、この薔薇園を御造りになられたんですの?」

 恋人として、モリエールは甘い言葉を期待した。「貴女に進呈するためだ」などの答えを期待したのである。

 だが、この王の答えはやはり違っていた。

 ジョゼフは、淡々とした声で言った。

「壊すためだ」

 モリエールは美しいといえる唇を歪ませて、不満の意を表した。

「まあ! また、御冗談を!」

「冗談? ああ、そうだな。そう聞こ得るだろうな」

 困ったような口調でジョゼフが言うために、モリエールは更に機嫌を損ねてしまった。

 この王は、いつもそうであるといえるだろう。どこまでが冗談で、どこまでが本気であるのか、判り難いのである。

 箱庭で延々と一人遊びに興じることがあれば、巨費を投じて途轍もない力を誇る“ゴーレム(ヨルムンガント)”を造り上げる。それで騎士団を編成しようとするなど、気紛れに戦争を起こしたかと思えばこのように加齢な薔薇園を造り上げらせたりなど……。

「陛下に質問が御座います」

「なんなりと」

「陛下は、私を“愛”してくださいますの?」

 ジョゼフは呆気に取られた顔でモリエールを見詰めた。(何を言うのだ?)といった顔である。

「当たり前だ」

「そうならば、もっと優しくしてくださいまし」

 モリエールは泣き出してしまった。

「一体どうしたというのだ?」

「“愛”する殿方に、邪険に扱われるのが我慢できないだけですわ」

 さめざめと泣くモリエールを、ジョゼフは驚いた顔で見詰めた。

「今、何と言った?」

「“愛”する殿方、と申しました」

「余を“愛”していると言ったのか? それは真か? この“無能王”を? 国内外から謗られるこの余を、貴女は“愛”していると言ったのか?」

「はい。何故そのように驚くのですか?」

「貴女は金と地位が目当てなのだと想っていた」

 モリエールは更に涙を零した。

「私は、例え陛下が“平民”だろうが物乞いだろうが、変わらず御慕い申し上げます。私は陛下が“ガリア”の王だから“愛”したのではありませぬ」

 ジョゼフは、興味を引かれた表情を浮かべた。

「では、何故“愛”したのだ?」

「陛下が寂しい御方だからです。世界の富を集める王でありながら、独りっぼちであるからです。私は、そんな陛下の御心を癒やしたいのです。差し出がましい女だと御思いにならないでくださいませ。それが“愛”するということなのですから……」

 ジョゼフは、ニッコリと笑うと、モリエールを抱き締めた。

「貴女は優しい人だな。モリエール夫人。余は貴女を愛そうと思う」

 モリエールは、ジョゼフの腕に抱かれ、(やっと……この人から愛の言葉を頂いた)と恍惚とした表情を浮かべた。そのことがとても嬉しく、また、誇らしかったのである。

 いつも、一人遊びに興じている王。

 己の中の寂しさと、常に1人闘って居る王……。

 いつも側に居るモリエールには、その闇が途轍もなく深く、そう簡単に理解できないであろうほどの深淵であるということを理解していた。

 そんな王を、モリエールは“愛”してしまったので在ある。

 モリエールはジョゼフの腕に抱かれながら、(これからこの私が、この王の心の隙間を埋める水になるのね。そうすればきっと……この王は戦争で病んだ心を癒やすことができるわ。周りを脅かす、愚かな奇行をも改めるに違いない。美しい薔薇を育て、それで私の頭を飾ってくれるようになるだろう。芳しい、“愛”の言葉と共に……)と想った。

「陛下、御願いが御座います。これからは何卒、私に本音を打ち明けてくださいませ。どんなつまらぬことでも構いません。私は、陛下と共に喜び、哀しみ……そして“愛”を分かち合うことでしょう……」

 しかし……ジョゼフの口からは、どんな言葉も発せられることはなかった。

「陛下?」

 その瞬間、モリエールの目が大きく見開かれる。

「お、おおお……陛下……おおお!?」

 信じられない、といった顔で、モリエールは己の胸を見た。

 それから、(力が身体中から抜けて行く。どうして?)と何が起こったのか全く理解できぬままに、モリエールは深い闇の底へと意識を堕して行った。

 ユックリと、ジョゼフはモリエールの胸に突き立てた短剣を引き抜いた。

 その刃には、艷やかに血が光っている。

 見開かれたモリエールの目が、ユックリと閉じて行く。

 地面に崩れ落ちたモリエールを、ジョゼフは全く表情を変えることもなく見下ろす。

 それからジョゼフは、何の躊躇いを見せることもなく、眼の前の薔薇園に、側にあった油壺の油を打ち撒けた。次いで、火打ち石を用い、その油に火を放つ。

 瞬く間に、手塩に掛けて育てた見事だった薔薇園が燃え上がる。

 ジョゼフは、ボンヤリとした顔で、その炎を見詰めていた。

 すると……炎の向こうから、1人の女が現れた。

 深いローブを冠り、燃え盛る炎を物ともせずに、ジョゼフの元へと歩いて来る。ローブの隙間からは、赤い唇が覗いている。

 “ミョズニトニルン”、“キャスター”。2つの人外としての名を持つ女性、シェフィールドであった。

 ジョゼフの忠実な“使い魔”である彼女は、地面に転がっているモリエールの死体を見詰め、「“愛”されたのですか?」と尋ねた。

 ジョゼフは首を横に振る。

「判らぬ。そうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ。どちらにせよ、余に判断は付かぬ」

 言葉通りであり、ジョゼフ自身、自分の行為の理由を見極めかねていたのである。

「では何故?」

 何故殺したのか? と尋ねているのである。

「余を“愛”していると言った。自分を“愛”する者を殺したら、普通は胸が痛むのではないか?」

「で、ジョゼフ様胸が御痛みになったのですか?」

 ニコッと、理解っていると、言わんばかりの顔で、シェフィールドは尋ねる。

 ジョゼフは首を横に振った。

「無理だった。今回も無駄だった」

 “ミョズニトニルン”は満足げに首肯くと、ジョゼフに報告した。

「さて、“ヨルムンガント”が100体。完成したとの報告がありました」

「そうか。良くやった」

「御報らせはもう1つ。“担い手”が3人、“ロマリア”に集結しております」

 ほう、とジョゼフは笑みを浮かべた。

「となると、“サーヴァント”も最低3体はいるな。それは丁度好いな。宜しい。“ヨルムンガント”を武装させ、“軍団(レギオン)”の指揮を執れ。“アサシン”と“アヴェンジャー”も同時に、放つと良い」

「御意」

 シェフィールドは、首肯くと再び炎の中へと姿を消した。

 ジョゼフは、テーブルに置かれた伝声用の鉄管を取り上げた。

 “風魔法”が付与された、声を遠くに伝えるための“ガリア”ならではの“魔道具”である、とはいっても、同じ建物内くらいにしか届かないのだが……。

「“両用艦隊司令”に繋げ」

 直ぐに、王都に参内していた“両艦隊司令”の海軍大将に繋がる。

 管の向こうの提督に、ジョゼフは短く命令した。

「“両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)”、軍港“サン・マロン”に於いて“軍団(レギオン)”を搭載せよ。目標、“ロマリア連合皇国”」

 いきなりの命令に、管の向こうの提督は腰を抜かしたらしい。慌てふためいた声で、ジョゼフの命令を確認する。

 ジョゼフは言葉を続けた。

「宣戦布告? 作戦? 要らん。眼の前にあるモノ、総てを潰せ。城も、街も、村も、人も、総てだ。草1本残すな」

「戦争ですか? それはどのような戦争なのですか? と言うか“ロマリア”は同盟国ではありませんか!? 追先立って、“王権同盟”が締結されたばかりでは……」

「同盟? それがどうした? 何だと言うのだ? 兎に角質問は許さぬ。ああそうだ。他国からの干渉があっては面倒だ。貴様等は以後、反乱軍を名乗れ。国境を超えて亡命すると述べた上で、その先で暴れまくれ。そうすれば、“ガリア”に責は及ばぬ」

「そ、そんな。意味が理解りませぬ!」

 何でも言うことを利く、という理由から提督という職に据えられた無能な男ではあったが、流石の無茶な命令に呆れていた。

 ジョゼフは、(無能でも何でも構わない艦隊を真っ直ぐ飛ばすことができればそれで良いのだ。どうせ片を着けるのは“ミョズニトニルン”始め“サーヴァント”や“軍団(レギオン)”なんだからな。それでも、連中に運ばせなくてはいけないな)と想い、面倒に思いながらテキトウな言葉を並べた。

「良いから命令に従え。ああ、何だ、これは高度な政治的判断なのだ。そうそう、御前達の好きな陰謀だよ陰謀。上手く行ったら、貴様に“ロマリア”をくれてやる」

 管向こうで、提督は思考を巡らせていた。

 ジョゼフは“無能”と嘲られることが多いが、決してケチではないのである。

 ジョゼフが臣下にモノを「やる」と言えば、実際にそれを下賜するのだ。それもそのはず、ジョゼフは、物欲や権勢欲などといったモノを全く持ち合わせてはいないのだから。

 結局欲が勝ったのだろう、提督は「了解しました」、と返事を寄越した。

 管をテーブルに叩き付け、ジョゼフは呪詛の言葉を吐き出した。

「莫迦者共が。何を言ってるんだ? 俺は戦争がしたい訳じゃない。これは戦争などではない。戦争とは、利益を鑑みてするモノだ。“ロマリア”に戦争を仕掛け、我々に何の益があるというのだ? たまたま神など祀っているから潰すだけじゃないか。そう。俺達の、魂の拠り所、を」

 ジョゼフは再びテーブルを強く叩いた。

「ああ、俺は人間だ。どこまでも人間だ。なのに“愛している”と言ってくれた人間をこの手に掛けても、この胸は痛まぬのだ。神よ! 何故俺に力を与えた? 皮肉な力を与えたものだ! “虚無”! まるで俺の心のようだ! “虚無”! 嗚呼、嗚呼、それはまるで俺自身じゃないか!」

 ジョゼフは言葉を続けた。

「嗚呼、俺の心は空虚だ。腐った魚の浮袋だ。中には、何も詰まっていない。空っぽの空っぽだ。“愛”しさも、喜びも、怒りも、哀しみも、憎しみすらもない。シャルル、嗚呼シャルル。御前をこの手に掛けた時より、俺の心は震えんのだよ。まるで油が切れ、錆び付いた時計のようだよ。時を刻めず、ただ流れ行く時間を見詰めることしかできぬガラクタだよ」

 ジョゼフは天を仰いだ。

 その頃になって、燃え盛る花壇に気付いただろう衛士達が大騒ぎを始めた。「火を消せ!」、「宮殿に燃え移ったら大事だ!」、などとの声が響く。

 しかし、ジョゼフは全く意に介した様子を見せない。熱を帯びた目で、ただただ宙の一点を見詰め、譫言のように呟くのみであ在った。

「さあ行こうシャルル。神を斃しに。兄弟を斃しに。民を殺しに。街を滅ぼしに。世界を潰しに。さあ行こうシャルル。汎ゆる美徳と栄光に唾を吐き掛けるために。総ての人の営みを終わらせるために。どうだろう? その時こそ俺の心は涙を流すだろうか? 哀しみにこの手は震えるだろうか? しでかした罪の大きさに、俺は悲しむことができるだろうか? 取り返しのつかない出来事に、俺は後悔するだろうか?」

 ジョゼフは笑った。

 天使のように、無邪気に笑った。

「シャルル、俺は人だ。人だから、人として涙を流したいのだ」



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花壇騎士の反乱

 “ガリア王国”の王都“リュティス”の真ん中を流れる“シナ川”……。

 その中洲に発達した旧市街と呼ばれる中心地から延びた“ボン・ファン街”を30分程王都郊外へと馬で疾走る。

 すると街並みがトイレ、代わりに長い石壁が延々と続く場所に出る。昼でもその石壁の切れ目を見ることは難しいであろう。

 その長い石壁の向こうにあるのが、“ガリア王族”が暮らす“ベルサルテイル宮殿”である。

 何故このような街外れに宮殿が建設されたのかは、その規模を見れば直ぐに理解することができるだろう。

 これほど贅を凝らした大宮殿を造ることができる土地は、“リュティス市街”のどこを探しても他にないためである。

 双月が雲に隠れている御蔭で、闇が重く肩に伸し掛かるようなその夜……宮殿東側の赤薔薇門の前を騎乗して闊歩する騎士の姿があった。

 宮殿壁には“魔法”による松明が掲げられており、街道を照らしている。が、それでも闇は濃い。昼に振った雨の所為だろうか、その闇は湿気を含み、粘着く空気となって騎士達を包んでいる。

 右側を歩く若い騎士が、白百合が飾られた帽子の廂を持ち上げ、疲れた声で言った。

「しかし、“両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)”が反乱とは……司令のクラヴィル卿は“王政府”に忠誠厚い事で知られた人物ではありませんか。それが反乱とは! 昨今の祖国は一体どうなってしまったのでしょうか? 伝統が地に堕ち、政治は腐敗し、“貴族”達は蔵の金貨を増やすことしか考えず、“平民”共はその分前に与えることしか考えておりませぬ。そこにとうとう反乱までが!」

 若い騎士は一息吐くと、小さな声で街で流行っている小唄を唄い始めた。

「“神と始祖より寵愛されし我がガリアよ。ハルケギニアに毅然と君臨する我がガリアよ。何故に始祖から勘当された? 何故神から愛想を尽かされた? おおガリア。芳しき花の香りはどこへ消えた? おおガリア。麗しき我が祖国よ。何故に艦隊までもが愛想を尽かす?”」

 “ガリア”の北西海岸に面した軍港“サン・マロン”を母港とする“両用艦隊”が突如として反乱を起こし、現在軍港は閉鎖中であるとの報告が届いたのは今朝のことであった。“リュティス”には厳戒令が敷かれ、幾つもの騎士団や連隊が“サン・マロン”へと向かっている。

 現在、艦隊と軍港を包囲した部隊の間では睨み合いが続いているらしいことを、若い騎士は知っていた。

 その若い騎士と同じく“南百合花壇騎士団”所属の老騎士は、若輩を僅かに哀れんだ目で見詰めた。

「君は本当に、“両用艦隊”が反乱を起こしたなどと想っているのかね?」

「そのように聞いて居りますが。だからこそ、我々がこうやって夜中の警邏に駆り出されているのでしょう。まあ、“サン・マロン”の鎮圧任務に駆り出された他の騎士団に比べれば、楽な任務と言えましょうが……反乱勢とは言え、同じ“ガリア”人に“杖”を向けるのはあまりゾッとしませんからな」

 老騎士は溜息を吐くと、若輩騎士にとって驚くべき言葉を切り出した。

「頭を下げた回数で艦隊司令に選ばれたような男が、主人に噛み付ける訳がなかろう」

「どういうことですか?」

「全ては陛下の思し召しということだよ」

 老騎士は、長年軍服を着込んで来た者だけが纏うことができるだろう披露と慧眼が入り混じった目で、石壁の向こうを見遣った。

「……何と!? それは真ですか?」

 若い騎士は、入団偉大、ずっと自分の教師でもあったこの老騎士を見上げた。

 彼がこの歳になっても一介の騎士に過ぎないのは、家柄のみがその理由であった。彼がせめて男爵の位でも持っていれば、今頃は騎士団を預かる身分にもなっていたであろう。

 文武に優れた彼の老騎士の言葉は今まで外れたことはなかったといえる。それ故に、若い騎士は彼を心から尊敬し、その発言を頭から信じ込んで来たのである。

 若い騎士は、(成る程驚くべき言葉ではあったが、その彼が言うからには本当のことに違いない)と想った。

「……では包囲した部隊と睨み合っているというのは?」

「恐らく芝居だろうな。良いかねフランダール君、あの陛下は“無能王”などと呼ばれて内外から馬鹿にされているが、私はそうは想わん。陛下は……不敬を承知で口にするが、恐ろしい男だよ。私は“軍杖”を腰に提げてより爾来40年、“王家”に仕えて来た。駆け巡った戦勝は両の指を合わせても足りん。だが、そんな私でもあの王様選り怖い男を知らぬ」

 若い騎士は老騎士を見詰め、それから深い溜め息を吐いた。

「……私達はその芝居に付き合わされている、ということですかな?」

「騎士とはそういうモノだ。所詮は誰かの掌の上で踊る喜劇役者に過ぎぬのだ。理解っているだろうが今私が話したことは、誰にも口外はならぬ。このことが陛下の耳に入れば、私だけでなく、君の首まで飛ぶだろうからな」

 若い騎士は緊張の色を浮かべ、首肯いた。

 2人は左側に鬱蒼と森が広がる場所に出た。

 “テーニャンの森”だ。

 “王室”の御猟場となっているこの森の一角に、若い騎士は、サッと蠢く影を見付けた。

「何奴!?」

 若い騎士は素早く馬に拍車を入れ急行した。“明かり”の“呪文”を唱え、影がいたと思しき辺りを照らす。

 黒いローブに身を包んだ男の姿が浮かび上がった。観念したのか、身動ぎすらせずに堂々と立っている。

 若い騎士は“杖”を構えると、男に突き付けた。

「フードを取れ!」

 男はユックリとフードを外した。

 そこから現れた顔を見て、若い騎士は驚きの声を上げた

「カステルモール殿!」

 フードのその下の顔は、“東薔薇騎士団”団長のバッソ・カステルモールであった。

 若い騎士と然程変わらぬ年でありながらも、騎士団長を任されるほどの使い手である彼は有名人であった。数々の彼の武勇、そして顔を知らぬ“花壇騎士”はいないとさえいえるほどである。

 そんな彼は、何故か硬い表情で若い騎士を見詰めている。

 若い騎士は首を傾げながら、“杖”を鞘に収めた。

「どうしてこんな所におられるのです? “東薔薇騎士団”は……“サン・マロン”に向かったのではありませんか?」

「……理由は訊かずに、ここを通して頂きたい」

 苦しそうな声で、カステルモールは呟く。

 若い騎士は困ったように首を横に振る。恐らく何らかの密命を受けているのだろうと解釈はしたが、それでも此方もまた勤務中であるためである。

「そういう訳には参りませぬ。何せこのような御時世ですからな。夜間外出禁止令が御存知でしょう? “この辺りで出会った者は全て、身分官職問わずに連行せよ”と命令を受けております。だがまあ、形式に過ぎません。貴男ほどの人物なら、詰め所で書類にサインをして頂けえればそれで結構。さあ、取り敢えずこちらへ……」

 しかし、カステルモールは身動き1つしない。

「カステルモール殿?」

 その時、後ろで成り行きを見守っていた老騎士が叫んだ。何かに気付いたのである。

「――フランダール! “杖”を抜け!」

 言う成り、老騎士は“杖”を引き抜いた。

「な!? どういうことです?」

 若い騎士がそう呆けた声で呟くのと同時に、カステルモールの後ろから風のローブが飛んで、老騎士の身体に絡み付いた。

 慌てて若い騎士が“杖”を引き抜こうとすると、深々と空気の塊が彼の腹に減り込んだ、振り向くと、カステルモールが厳しい表情で、素早く引き抜いた“軍杖”を構えているのである。

 暗がりの中から、次々と黒いローブに身を包んだ騎士達が姿を現した。

「……どうして?」

 そう呟くと、若い騎士の意識は薄れて行った。

 

 

 

 倒れた2人の警邏の騎士を縛り上げる部下を見詰めて、カステルモールは溜息を吐いた。見付かるとは失態だったと、想ったのである。

 とはいっても、ここまで80人からの騎士団が誰にも咎められずにやって来ることができたこと自体が僥倖だといえるだろう。

 カステルモール率いる“東薔薇騎士団”に、“両用艦隊”反乱の報が届いたのは昨日の朝のことであった。

 だが、現在“政府”に対して密かに叛意を抱いている“東薔薇騎士団”の精鋭達はそのような報告を当然全く信じることはなかった。直ぐ様各地に潜む協力者達に情報の提供を求め、正午過ぎには真実を手に入れていたのである。

 反乱とは真っ赤な嘘。

 現王ジョゼフの陰謀。

 “ロマリア”に対し領土的野心を抱いたと想わせているジョゼフの、味方をも欺くその陰謀に、カステルモールを始めとした“東薔薇騎士団”は激昂したのである。反乱軍を装い、同盟を結んだ隣国に侵攻するなど、本来あってはならない事態であるのだから。この陰謀が後に明るみに出ることになってしまえば、“ガリア王国”の威信は事実上地に堕ち、その輝かしい歴史は闇の向こうに消え去るであろうことは明白であった。

 そしてその2時間後、「“両用艦隊”を包囲せよ」との名目で“サン・マロン”への移動が命じられた時、カステルモールはついに決心したのであった。

 “両用艦隊”の旗艦名は皮肉にも“シャルル・オルレアン”。ジョゼフが自分の手で殺した弟の名前である。

 カステルモールは、(自分で殺した弟の名前を旗艦に付けるとは、贖罪のつもりなのだろうか? ……ならば、艦隊に陰謀の片棒を担がせるような真似はすまい。そればかりか、あの“無能王”は、自分達まで茶番の役者に仕立て上げようとしている。包囲? 何を包囲せよというのだ? 包囲して、どうせよというのだ? 恐らく自分達はただの見物人役なのだろう。他国を納得させるための、彩りの一部に過ぎない。もう我慢ならぬ。決起の時は今である……)と想い、“サン・マロン”へ向かう途中、“東薔薇騎士団”は夜を待って“リュティス”へと引き返したのである。

 夜を徹しての進軍で、4時間後にはこのように“リュティス”へと舞い戻ることができたのであった。道々、協力を取り付けてあった各連帯へ急便を飛ばしながらの疾駆けで在った。

 親子ほども歳の離れた副団長のアルヌルフが近寄り、カステルモールのその耳に顔を近付ける。

「3つの連隊が協力を確約した、との報告が只今届きました。彼等は朝には“リュティス”に到着します」

「心強いな」

 カステルモールは、この日初めの笑顔を浮かべた。

 現“王政府”に反感を抱く“貴族”や軍人達は少なくない。だが、実際に事を起こすとなれば話は別である。謀反人の汚名は誰も着たくないのだから。

 それでも3つの連隊が直ぐ様決起に応じた。

 そのことに、カステルモールは(自分の判断は間違っていなかった。ジョゼフの首を上げれば、残りの連中も直ぐに靡くだろう)と想った。

「3日後に“トリステイン”に亡命あそばされているシャルロット様を玉座に御迎えできるな」

 カステルモールは、良いように扱き使われていた王女の顔を想い出し、首を振った。次いで、オルレアン公の優しげな顔を想い出し、胸が熱くなったことを自覚する。

「……殿下、殿下の御無念を晴らす時はついにやって参りました。殿下は貧乏“貴族”の家に生まれた私を、“見込みがある”の一言で騎士団に御引き立てくださいました。その御恩に報いる時が、ついにやって来たのです」

 カステルモールは顔を上げると、高々と“杖”を掲げた。

「諸君! 騎士団諸君に告ぐ! 我等はこれより、簒奪者より玉座を取り返す! その後に、しかるべき御方に御返しするのだ! 恐れるな! 我等は叛軍にあらず! 真の“ガリア花壇騎士”、“ガリア”義勇軍である!」

 騎士団から歓声が上がった。

「この石壁の向こうに眠る男こそ、神と“始祖”と祖国に仇なす謀反人である! 諸君、我に続け!」

 カステルモールはそう叫ぶと、“呪文”を唱えて、“フライ”で石壁を超えた。

 次々に騎士達はその背に続いた。

 わらわらと集まって来た警備の兵達を、“東薔薇騎士団”の騎士達は“魔法”で吹き飛ばし、一直線にジョゼフがいるであろう“グラン・トロワ”へと突進して行った。

 

 

 

 ジョゼフは玉座に腰掛けて、“オルゴール”を聴いていた。ボンヤリと虚空を見詰めながら、ユックリと腕を持ち上げ、調べを奏でる指揮者のように手を動かす。

 陶酔し切った表情を浮かべながら“始祖の調べ”にジョゼフが身を委ねていると、玉座の間に衛士を連れた大臣が飛び込んで来た。

「陛下! 陛下! 大変です! 謀叛です!  謀叛ですぞ!」

 慌てふためきながら、大臣はジョゼフの玉座に跪く。

「“東薔薇騎士団”が謀叛を起こしました! 警護の者を蹴散らし、この“グラン・トロワ”に侵入いたしました! 今現在、鏡の間で親衛隊が必死の抵抗を続けておりますが多勢に無勢! 間もなく防衛戦は破られ、ここにやって来るでしょう!」

 現在宮殿を守る“貴族”はわずか20名に過ぎない。代々衛兵を司る“分限大公国”出身の傭兵達が数百名駐屯していたのだが、“メイジ”ばかりの騎士団が相手では、戦力に数えられようはずもないのである。例の、陰謀、でほとんどの部隊や騎士団が王都を出払っているのだから。

 その隙を突かれたのである。

 本来であれば絶体絶命とでもいえるだろうピンチにも関わらず……ジョゼフは恍惚とした表情を崩すことはない。まるで大臣の叫びが調べの一部であるとでもいうように、“オルゴール”の音色に聴き入っている。

「陛下! 陛下! 早く地下通路へ! 私の護衛隊が警護を仕ります!」

 其の大臣の剣幕にやっと気付いたかの様に、ジョゼフは顔を上げる。

「どうした?」

「謀叛です! 何度も申し上げているではありませんか!」

「ああ。そうか。そう言えば、そういう可能性もあったな。忘れていたよ」

 ジョゼフは大きく首肯くと、ユックリと立ち上がる。

「ではこちらへ!」

 そう言って案内しようとした大臣を遮り、ジョゼフは友禅と玉座の間の入り口を見詰めた。

 入り口の向こうからは、衛士と謀叛の騎士達による剣戟が響いて来る。

 その恐ろしいといえるだろう響きで、大臣は腰を抜かしてしまい、ヘタヘタと床に崩れ落ちた。

「嗚呼、嗚呼……終わり、終わりです……」

 “魔法”の飛ぶ音や、“杖”同士が打つかり合う恐ろしげな音がピタリと止んだ。

 ユックリと、勝者が玉座の間の入り口に姿を現した時も、ジョゼフはジッと立ち続けていた。

「おや、カステルモールじゃないか。一体どうした? 君の部隊には、“サン・マロン”へ向かうよう命じたはずだが」

 カステルモールは、ジョゼフの問いに答えることもなく、“杖”を突き付けた。

「現“ガリア”王ジョゼフ1世。神と“始祖”の正義の名に於いて、貴様を逮捕する」

「ほう。一体どんな罪で余を逮捕するつもりなのだ? 国王を裁く法は、“ガリア”には存在せぬぞ」

「祖国に対する数々の裏切り行為だ。貴様は王の器ではない」

 ドヤドヤと“東薔薇騎士団”の騎士達が玉間へと雪崩れ込み、次々に“軍杖”をジョゼフへと突き付けて行く。

「さあ! “杖”を捨てろ!」

 すると、ジョゼフは大声で笑った。

「何が可笑しい!?」

「いやぁ、面と向かって、“王の器ではない”と言われたのは流石に初めてなモノでな。カステルモール、御前は中々見所があるじゃないか。正直、ただ頭を下げるしか能のない、おべっか使いだと思っていた」

「舐めるな! 貴様を欺くための演技に過ぎぬ!」

「実に余は……人を見る目というモノが欠けているな。御前の言う通り、全く以て王の器などではない。真実、御前の叛意すら見抜けなかったのだからな。無能もここに極まれり! だ。あっはっは!」

 そしてジョゼフは、再び大声で笑う。

 呆気に取られた一同を尻目に、ジョゼフは背中を向けた。

「どこへ行く!」

「寝るのだ。いや、そろそろ眠いのでな。話なら、明日にしてくれぬか?」

 本当にそのつもりのようである。

 カステルモールは怒りを通り越してしまい、(もしかしたらこの王は、本当に頭が弱いのかもしれぬ)と逆に呆れてしまった。

 それからカステルモールは、(だが、赦す訳にはいかない)と意志を変えることなく、「ジョゼフを拘禁しろ」と命令を下す。

 何人かの騎士達が、罠を警戒しながらジョゼフへと近付いて行く。

 残りの騎士達も、“呪文”を唱えジャラジョゼフに対し“杖”を突き付けた。

 副団長のアルヌルフが執事のように近付き、カステルモールに耳打ちする。

「罠があるかもしれません。御慎重に」

 カステルモールは首肯いた。それから、(よもや、罠があろうが、80名からの騎士を止められる罠など存在しない。どんな“魔法”を使おうが、これだけの手練の騎士に囲まれて、逃げられる訳もない)と考えた。

 事実、何も知らない者が見れば、この場にいる者からすると、ジョゼフは今まさに猟師に捕えられた兎であるといえるのだから。

 だが、騎士がジョゼフの腕に手を掛けた時……不思議な事が起こった。

 スッと、ジョゼフの姿が一瞬で掻き消えたのである。

「何だと?」

 カステルモールが叫ぶ。

 騎士達は反射的に“魔法”を撃ち放った。

 玉座が、立てられた衝立が、玉座の後ろに掛けられた緞子が、豪華な彫刻が施された鏡などが、“火”や“風”を受けてボロボロになって行くだけである。

 だが、どこにもジョゼフの姿は見当たらない。

 誰かが“ディテクト・マジック”を慌てて唱える。何らかの“魔法”で隠れているのであれば、これで直ぐに見付かるはずなのだ……だが、玉間のどこにも“魔法”の反応はない。

 1人の騎士が、明り取りの窓から顔を出して叫んだ。

「あそこにいます!」

「何?」

 カステルモールは、騎士達を跳ね除け、その窓に飛び付いた。

「おーい、どうした? 何を探しているのだ?」

 ジョゼフは中庭の噴水の横に立っていた。

 騎士達は、何の技を使用したのか見当を着けることが当然できるはずもなく、青褪めた。“魔法”のエキスパートといえる彼等であっても、ジョゼフが一瞬で中庭に移動できた理由は判らないのである。

 このようなことができそうな“魔法”は、彼等の知る中で唯一、“風系統”の“偏在(ユビキタス)”であるが、これほど見事に姿を消したり出したりすることは不可能に近い。

 また、“魔法”の才がないと言われているジョゼフに“風”の“スクウェア・スペル”を扱えるはずもない、とこの場の皆は想った。

 中庭に面した明り取りの窓は小さく、そこから出ることは不可能である。

 カステルモールは焦った声で命令を下した。

「中庭に回れ! 急げ! あいつを逃がすな!」

 騎士達が慌てて駆け出して行く。

 その叫びが届いたのだろう、中庭にいるジョゼフは大声で笑った。

「逃げも隠れもせぬよ! 安心しろ! それより、余は今宵のベッドを変えることにした。早く逃げた方が身のためだぞ」

「何だと?」

 ジョゼフは、“呪文”を唱え始めた。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”……」

 この場にいる皆がかつて聞いたことのない“ルーン”の並びである。

 カステルモールは攻撃“呪文”を唱えることも忘れてしまい、その“呪文”に一瞬聴き入ってしまう。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……」

 カステルモールは、背筋にヒンヤリとしたモノを感じ取り、驚いた。(自分は恐怖している! “風”の“スクウェア”の自分が……“魔法”の才能がないと嘲られ、“無能王”と呼ばれた王の“呪文” に恐怖しているのだ)と想ったが、同時に、(冷静になれ!)と自分に言い聞かせた。

 彼が知る中で、80人からの騎士を吹き飛ばすことができる“呪文”など存在しないのである。“魔法”は強力ではあるが、その力には限りというモノが原則ある。

 カステルモールは、(況してや、自分達は宮殿の中にいるのだ。その自分達を、中庭からどうやって攻撃しようというのだろう?)と想い、「この“無能王”が! 自分の心配をしろ!」と叫び、“杖”を振り上げて“呪文”を唱えた。

 一瞬にして、カステルモールの“詠唱”により、巨大な氷の槍ができあがる。

 カステルモールは、(生かして捕らえ、市民達の前で裁判に掛けたかったが、こうなっては致仕方無い)と判断し、それをジョゼフに放とうとした。

 が、その瞬間……。

 ジョゼフがユックリと、オーケストラの指揮者が演奏を開始させる時のように“杖”を振り下ろした。

 カステルモールは、(ハッタリも良い加減にしろ。“無能王”、え。貴様に扱える“呪文”など……)と考えた瞬間、「――な!?」と驚きの声を上げた。

 グラリと床が揺れたのである。

 その揺れのためだろう、放った“アイス・スピアー”の狙いが逸れ、ジョゼフから離れた地面に突き刺さる。

「団長殿!」

 隣に光たアルヌルフが叫ぶ。

 カステルモールがそちらに首を向ける。

 アルヌルフの身体が遠退かって行くのが、カステルモールには見えた。次いで見ると、床石が大きくズレて行っていること気付く。

 カステルモールは、そこでようやく理解した。

 宮殿全体が、崩壊しつつあるということを。

「馬鹿な! 一体どうやって!?」

 “呪文”の検討を着ける暇など当然なかった。

 見上げたカステルモールの目に、崩れ落ちて来た巨大な天井石が映った。

 

 

 

 美しい青石で組み上げられた“グラン・トロワ”が、“東薔薇騎士団”の騎士達を呑み込みつつ、地響きを立てながら崩壊する様を、ジョゼフは大声で笑いながら見詰めていた。

 中には反乱勢のみならず、使用人や大臣や、味方といえただろう衛士もいたのにも関わらず、ジョゼフは笑い続けた。

 大きく土煙が舞い上がり、辺りは唐突に静かになる。

「これが、“爆発(エクスプロージョン)”か。便利な“呪文”だな。城の繋ぎ目を爆破させただけでこの威力。使い様では、もっと面白いことができそうだな」

 ジョゼフは手に持った“始祖のオルゴール”を見詰めながら呟いた。それから、ポケットから“始祖の香炉”を取り出した。優しく撫でると、中から芳香が漂ってくる。

「だが、“爆発”と言えど、俺の1つ目の“虚無”の素晴らしさには敵わぬな」

 中庭に立った自分を見た時の騎士達の慌て振りを想い出し、ジョゼフは更に笑みを浮かべた。

 そこに慌てふためきながら、護衛の騎士の生き残りが駆け寄って来た。

「陛下! 良くぞ御無事で!」

 そちらの方を振り向きもせず、ジョゼフは命令した。

「人を集めろ。瓦礫の中から叛徒共の肢体を引き摺り出し、“リュティス”の各街道の門に吊るせ。朝になってのこのこやって来た莫迦共は、それを見て余に逆らう愚を悟るだろう」

 騎士は、地獄の底で悪魔を見た時のような顔でジョゼフを見詰め、直ぐに低頭した。

「……は、はっ!」

 命令に従うべく、騎士は駆け出して行こうとする。

「待て」

 呼び止められ、騎士は稲妻に打たれたかのように直立した。

 欠伸をしながら、ジョゼフは騎士の背に向かって告げた。

「その前にベッドを用意しろ。どこでも構わん。全く、眠くて堪らぬのだ」



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教皇即位3周年記念式典準備

 教皇の“即位3周年記念式典”は、ここ都市“ロマリア”から北北東に300“リーグ”程離れた“ガリア”との国境付近の街“アクイレイア”で執り行われる手筈となっっている。その期間は2週間にも及び、大きな御祭りとでも言い換えることができるだろう。

 その“アクイレイア”へ向けての出発の準備に、“ロマリア大聖堂”はおおわらわであった。

 5つの塔と、巨大な本塔に囲まれた中庭では、各文官、武官、司祭達がそれぞれの宗派の紋に描かれた“竜籠”に乗り込んでいる。

 本塔の上には、巨大な御召艦が停泊しており、教皇達の座乗を待っている。

 そこの桟橋は、教皇の移動の際のみに、使用が許可されているのであった。

 “ペガサス”に跨った“聖堂騎士”達がその上空を飛び回り、警護を行っている。

 ギーシュ達“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々は、アンリエッタと共に御召艦に上官する予定であったのだが、とある事情で乗艦を遅らせてしまっていた。

 一同は“大聖堂”の本塔にバルコニーのように張り出した桟橋で、仲間の到着を待ち侘びていたのである。

「一体、サイトはどうしたんだろうなあ……?」

 マリコルヌが心配そうに呟く。

 そう。

 出発の時間が近付いているというにも関わらず、肝心の才人が姿を見せないのである。昨日の訓練にも姿を見せなかったということもあり、一同はかなり気を揉んでいた。

「まさか、怖じ気付いたんじゃないだろうな?」

 1人の生徒が、少し怒ったような声で言った。

“水精霊騎士隊”の面々は、「教皇を狙う“ガリア”の陰謀を阻止せよ」と聞かされているだけであったのだ。

 選りに選って“ハルケギニア”で最高権威とされる教皇聖下を狙われていると少年達は聞かされているのである。(“ガリア”の陰謀とはいっても、一体“ガリア”のどこが陰謀を企てているのかしらないが、何にせよ敵は余程の覚悟で来るのだろう)と少年騎士達は考えた。

 そういったこともあって、怖じ気付くということは無理のないことであ、と皆想うのであった。

 何人かの生徒が、「やっぱり“平民”上がりだからなぁ……」と呟き始めると、ギーシュが「うーん」と唸って首を横に振った。

「そんなことはないと想うなあ。何せ彼は僕の“ワルキューレ”にやられてもやられても立ち上がって来た男だからね」

「いや、そっちは兎も角、110,000に立ち向かって行った男の1人だよ。“ガリア”の陰謀なんか怖がるもんか」

 マリコルヌが首肯き乍ら、ギーシュの自惚れ混じりの言葉に軽く訂正を入れ、才人が怖気付いたという論を否定した。

 すると……それまで黙っていたレイナールが、口を開いた。

「いやぁ……実は昨日、サイトを見たんだ」

「何だって?」

 一同の目が、眼鏡を掛けた生真面目そうな雰囲気の少年に集まる。

「昨日の朝方のことなんだがね。見たんだよ。サイトがルイズと一緒に“大聖堂”を出て行くところをね」

「どうしてそれを言わないんだよ!?」

 マリコルヌに言われて、レイナールはバツが悪そうに頭を掻いた。

「だって……その、サイトの立場がないじゃないか。訓練をサボって、女の子とデートだなんて……でも、サイトの気持ちも理解るんだ。危険な任務の前日、せめて恋人と過ごしたい。何せ、命を落とすかもしれないんだからね」

「それは僕達だって同じじゃないか」

 ギムリがそう言ったが、ギーシュが首を横に振る。

「1番危険なのはサイトとセイヴァー、そしてイーヴァルディだよ。あいつ等は幾度も“(ガリア)”に煮え湯を呑ませて来たからね。まあ、どっちにしろ、それならそろそろ来るだろう」

 成る程、アンリエッタとアニエスの2人に連れ立って、ルイズとティファニアとシオンが現れた。その後ろに、俺がいる。

 ルイズ達の格好を見て、ギーシュ達は目を丸くした。

「うわあ!? 尼さんの格好じゃないか!」

 ルイズとティファニアは、白い神官服に身を包んでいるのである。所々合せ目にはオレンジのラインが走っており、ユッタリとした服である。首から大きな“聖具”を提げたその姿は、立派な巫女に見えた。

「彼女達は、巫女として式典に参加することになったのだ」

 アニエスがそう説明した。

 ティファニアの大きな耳が、フードにすっぽりと隠れている。いつもの帽子よりは具合が良いだろうといえるだろう。巫女に手を出す“ブリミル教徒”などいるはずもない。格好の隠れ蓑といえるだろう。

 だからだろう、ティファニアの表情はいつよもよりは明るめである。

 一方、ルイズは何故か沈んだ様子を見せている。ギュッと“聖具”を握り締め、何事か御祈りの言葉を呟いているのである。

 そんなルイズの顔を見ていると、ギーシュに不安な気持ちが襲い掛かって来た。

 才人のことについて訊きたくとも、アンリエッタの前ということもあって叶わない。どうしたもんか、とギーシュが思っていると、アンリエッタが代わりに疑問を口にした。

「サイト殿はどうなされたのです? 姿が見えないようですが……」

 ギーシュが頭を上げた。

「私も気になっていたのです。ルイズ、サイトはどうしたんだ? 昨日は君と一緒だったようだけど」

 するとルイズは、ギュッと“聖具”を握り締めた。

 ルイズのその様子に、アンリエッタが何か気付いた様子で、ルイズに尋ねた。

「ルイズ、貴女、何か知ってらっしゃるの?」

 ルイズは深呼吸すると、自分に注目する一同に告げた。

「サイトは帰りました」

 一同は唖然とした。

 アンリエッタは目を丸くして、ルイズを見詰める。

 ティファニアは口を押さえた。

 シオンは俯いた。

 ギーシュが、驚いた声でルイズに尋ねる。

「“魔法学院”にかい?」

 ルイズは首を横に振った。

「彼の“故郷”に帰ったの」

 その場にいた一同は固まってしまった。

「ルイズ! 一体どういうことなんだ!? 説明してくれ!」

 ギーシュが慌てながら、ルイズの肩を掴んで揺すった。

 ユックリとルイズはその手を振り払うと、「サイトが、ちきゅうからやって来たことは知っているでしょう?」と確認する。

 “水精霊騎士隊”の面々は首肯いた。

 最初こそ、“東方の地(ロバ・アル・カリイエ)”からやって来たという体になっていたが、才人は“地球”という異世界から来たということを、彼等“水精霊騎士隊”の少年達は“オストラント号”で知ったのである。

「……そこから、御母さんからの手紙が届いだの。帰って来てくれって」

「それで、帰したってのかい?」

 ここ“ハルケギニア”で知られる手紙による連絡手段や“地球”での連絡手段。異なる世界同士での連絡方法など、先ずできないといえることは平時であれば気付くだろう。

 が、皆、そのことに気付かず、ただ才人が帰ったということに対してのみ驚いた様子を見せる。

 ギーシュの疑問に、ルイズは首肯いた。

 マリコルヌは、ああああああああ、と頭を押さえて呻いた。

「だからって、こんな時に帰さなくたって良いじゃないか! 選りに選っってこんな大変な時に……」

 するとルイズは、厳しい顔付きになった。

「何を言ってるのよ! こんな時だから、帰したんでしょ! 今までどれだけサイトが私達のために戦って来てくれたと想ってるのよ? 貴男達“貴族”でしょ!? 己に掛かる火の粉は己で払うべきよ」

 ルイズは唇を噛み、“聖具”を握り締め、自分にも言い聞かせるように言葉を続けた。

「兎に角これ以上、私達の戦いにサイトを巻き込む訳にはいかないわ」

 マリコルヌが、困ったような声で言った。

「何だか良く理解らないけど……それはもう、サイトに逢えないってことかい? 御母さんに逢ったらまた帰って来るのかい?」

 ルイズはしばらく目を瞑っていたが……コクリと首肯いた。それから蒼白になり、“聖具”を握り締め、何事か呟き始めた。神に捧げる祈りの文句である。

 “水精霊騎士隊”の少年達は、ルイズの仕草に顔を強張らせた。

「御祈りは後にしてくれよ。もう1個質問だ。良いかい?」

「良いわ」

「それはその、サイトの意志なのかい? サイトが自分で帰るって言ったのかい?」

 ルイズは首を横に振った。

「私が帰したのよ」

「どうやって!?」

「その方法は言えないわ」

「なら、セイヴァー。君なら知っているだろう? どうなんだ? どうやって!?」

「すまないが、それには答えられない」

 一同はルイズの隣に立つ、緊張した様子を見せているアンリエッタとシオンに気付き、それ以上の追求を止めざるをえなかった。

 国家などに関する重大な機密……そして、“聖杯戦争”などに関する何か……そういう空気などを感じ取ったのである。

 だが、そのルイズの言葉は一同を刺激した。問い詰めないままでも、非難の言葉が“水精霊騎士隊”の少年達から次々と飛んだ。

「だがなあ、とんでもない! とんでもないよ! 幾らサイトが君の“使い魔”だからって、自分勝手が過ぎるじゃないか!」

「勝手じゃないわ! ちゃんと考えたもの!」

 マリコルヌが、首をかしげた。

「そうかい? 僕にはそう想えないけどな。サイトはもしかしたら、僕達と一緒に戦いたかったかもしれないじゃないか? と言うか、彼ならそう想うはずだ」

 少年達は首肯き合った。

 ルイズは何かを言おうとしたのだが、アンリエッタに遮られる。

「貴男方は、私とシオンに恥を掻かせるつもりなのですか?」

 周りでは、“ロマリア”の神官や役人達が、“トリステイン”女王とその護衛隊や俺とシオン達との遣り取りを、興味深そうに見詰めて来ている。

 女王自らの注意に、少年達は顔を赤らめた。

「騎士の1人が欠けたのは問題ですが、それで慌てふためく近衛隊も問題です。私は、勇敢な騎士を隊士に選んだつもりですが……」

 威厳ある態度でそう言われたこともあり、少年達は畏まる。

 アンリエッタはルイズを促すと、“フネ”から延びた桟橋へと歩き出した。

 “水精霊騎士隊”の少年達は、顔を見合わせ無言で後を追い掛けた。

 その後に、俺とシオンとティファニアとアニエスも続いた。

 

 

 

 

 

 ルイズは用意された自分の船室に入るなり、ベッドの上に膝を突いて御祈りを始めた。

 同室のティファニアは、ルイズのそんな様子を心配げに見詰める。

 ティファニアの心は、当然のことだが、(サイトが帰った? それはあの、いつか“アルビオン”の“ウエストウッド村”と“オストラント号”で聞いた“異世界(ちきゅう)”なのかしら?……さっきルイズは“母親からの手紙が届いた”と言っていたっけ?)と突然の出来事に混乱していた。

 “異世界”ともいえる“地球”からどのようにして手紙が届いたのか当然ティファニアには理解らなかったが、ルイズの言葉が事実であるということだけは理解していた。

 それからティファニアは、(そう言えば、サイトは、自分が暮らしてた村で、故郷を想って泣いていたことがあったわ。あの時私はサイトを慰めたっけ……)とその時のことを想い出し、複雑な気分になった。(故郷に帰れて良かったね)と想う反面、(折角御友達になれたのに、こんな唐突に御別れしなきゃならないなんて……)と何だか妙に寂しい気持ちになったのである。

 詳しい話を訊きたいティファニアではあったが、ルイズは今御祈りに没頭しているために取り付く島がない様子で、ティファニアは躊躇した。

 ティファニアがそのはち切れんばかりの胸の下で腕を組んで困っていると、ドアがノックされた。

 ティファニアが扉を開けると、アニエスを従えたアンリエッタが立っていた。

 その後ろにシオンと俺がいる。

「アンリエッタ様」

 アンリエッタは、ルイズに近付いた。

 しかし、ルイズはそれに気付くこともなく、御祈りを捧げている。

「ルイズ、御願いだから御祈りを止めてこっちを向いて頂戴」

 そこでようやくルイズは顔を上げた。それでも、アンリエッタに顔を向けることはせずに、押し黙ったままである。

 アンリエッタは、教皇の“世界扉(ワールド・ドア)”という“呪文”を想い出した。

「ルイズ。サイト殿は本当に、御自分の“世界”へ帰ってしまわれたの? 貴女はこの前、聖下やチェザーレ殿と何か話していましたね。聖下の“虚無”を使って、サイト殿を本当に帰してしまったの?」

 コクリ、とルイズは首肯いた。

 アンリエッタは(一体、どうしてまたルイズはサイト殿を帰してしまったのかしら?)と想いはするが、詳しい話を訊くだけの時間の余裕はなかった。

 アンリエッタはルイズの肩に手を置くと、耳元で囁いた。

「後でユックリ話を伺います」

 それからアンリエッタは、“水精霊騎士隊”の居室へと赴き、この件で慌ててりすることがないように訓辞をした。

 少年達は、当然納得行くはずもないのだが、何せ女王の言葉であるというために、しょうことなしに首肯いた。

 アンリエッタは1人居室に帰ると、アニエスを下がらせた。

 それから肘を突き、窓の外を眺めながら、アンリエッタは涙を流した。涙は双月の陽光に輝き、アンリエッタの形の良い頬を彩る。

 涙を流しながら、アンリエッタはいかに自分がルイズの“使い魔”の少年に頼っていたかということを理解した。それから、未だ残っている“サーヴァント”のことについても考える。(関係のない“世界”のために、私達はどれだけの苦労を彼等にさせたのかしら? そんな彼が、帰るべき“世界”に帰った。喜ぶべきことじゃないの……今までが間違ってたのよ。それだけの話。これからは、セイヴァー殿やイーヴァルディ殿がいるとしても、自分達だけで何とかしなくてはいけないわ。何せ、私は女王なのだから……)と考えた。

 だがやはり、理屈ではそう思うことができても、何故かアンリエッタの美しい目からは涙が溢れ続ける。

「“間が悪かった”……だけじゃないわね……」

 アンリエッタは、(きっと唐突な御別れに、心の準備ができていないのだ)と自身に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水路の向こうから、“ロマリア”教皇ヴィットーリオを乗せた“フネ”が現れると、“マルティラーゴ広場”に集まった観衆から歓声が湧いた。

 “ガリア”との国境に程近いここ“アクイレイア”の街は、石と土砂を使って埋め立てられた幾つもの人工島が組み合わさってできた水上都市である。

 街の真ん中を細い水路が巡り、まるで迷路さながらのその都市は、歴史上、数々の陰謀やロマンスの舞台ともなった。

 教皇の御召艦――“聖マルコー号”が、ユックリと降下し、乱暴にも見える勢いで着水する。

 海面が盛り上がり、小さな波となって広場へと押し寄せ、広場を水浸しにした。

 だが、集まった“アクイレイア”に市民達は怒るでもなく、溢れた海水を自ら浴びたり、夢中になって瓶に詰めたりしている。

 この海水は、“聖水”の1つと見做され、信仰厚い“アクイレイア”の民の宝物であるのだ。

 この街ではスッカリ御馴染みとなった、教皇御召艦到着の際のちょっとした御祭騒ぎであるといえるだろう。

 乱暴なのは着水だけで、“フネ”はユックリと広場の岸壁に近付き接舷した。

 催合が放たれ、“フネ”を固定する。

 賛美歌を唄う聖歌隊を先頭にして、教皇を迎えるタラップがゴロゴロと運ばれて来る。“フネ”の舷縁に取り付けられると、広場の中央からタラップの降り口まで、紫の布が敷き詰められる。

 “アクイレイア”の市長、レッツォニコ卿と、フェラーリ大司教が共にタラップの下まで赴き、膝を突いて賓客を出迎える。

 先ず、タラップの上に現れたのは、護衛の“聖堂騎士団”であった。礼装の純白のマントに身を包み、“聖杖”を胸の上に掲げて降りて来る。

 長い長い“聖堂騎士”達の行列が終わると、“都市ロマリア”からやって来た神官団が続く。これまた、“フネ”のどこに積み込んでいたか不思議に想わせるばかりの長蛇の列である。

 それが終わると、歓声が更に沸いた。

 “水精霊騎士隊”の少年達に前後を守らせ、巫女服の美少女に挟まれた“トリステイン”女王アンリエッタと“アルビオン”女王シオンが姿を見せたためである。同盟国の未若き2人の女王は、この“アクイレイア”に於いても例外なく大変な人気を誇っていた。

 いつしか「“トリステイン”万歳」、「女王万歳」、「“アルビオン”万歳」などといった響きが混じり、アンリエッタとシオンは軽く手を振ってそれに応えた。

 俺は“霊体化”し、、周囲を警戒しながら2人女王の後に続く。

 そして……それ等全ての賓客を露払いに、本日の主演俳優とでもいえる男が姿を見せると、辺りは急に静まり返った。大声を張り上げていた水売りの少年まで帽子を脱いで、胸の前で“聖印”を切り始める。

 教皇聖エイジス32世――ヴィットーリオ・セレヴァレが、その眩いばかりの威光を振りまきながら現れた時、集まった“アクイレイア”の民は、思わず溜息を漏らした。まるで背負った光が、自分に降り注いで来るかのように感じたためである。

 ヴィットーリオが手を挙げて、ニッコリと笑みを浮かべた時……その沈黙が一瞬にして破れ、大きな歓呼の声が響いた。

 

 

 

 

 

 教皇達一行が到着したその夜……“アクイレイア”の“聖ルティア聖堂”では、会議室の円形の大きなテーブルに、今回の作戦を知る者達が集められていた。

 ティファニアとルイズは、アンリエッタの隣に座っている。

 その隣にはアニエス。

 更にその横には緊張した顔のギーシュである。

 そしてその横に、シオンが座っている。

 残りの半円には、“ロマリア”側の関係者である。

 俺は、壁際に立っている。

 真ん中には教皇ヴィットーリオ。

 その隣にはジュリオ。

 そして連れて来た各“聖堂騎士”の隊長達が並んでいる。

 その隣に青褪めた顔の“アクイレイア”の市長と、“聖ルティア聖堂”の大司祭が座り、何事か不安げに言葉を交わしていた。

 今回の計画を聴かされた市長が、不安げな声で、「計画は伺っておりますが……本当に“ガリア”は聖下の御身を狙っているので在りましょうか?」と尋ねる。

 混乱を避けるために、伝説と化している“虚無の担い手”のことや“聖杯戦争”及び“サーヴァント”などに関することまでは話してはいない。

 ヴィットーリオはにこやかな顔で首肯いた。

「間違いありません。あの“ガリア”の“無能王”は“ハルケギニア”の王になりたいのです。そのためには、神と“始祖”とこの私が邪魔なのです」

 サラリと教皇自らにそう言われたこともあり、市長は額の汗を拭いた。正直、(どうして自分の就任中にこんな面倒事が舞い込んで来たのだ)と泣き出したい気持ちで一杯であるのだろう。

「そうだとしても、やはり聖下の御身を危険に曝すというのは……」

 “即位3周年記念式典”の間、教皇は数人の神官と巫女と共に、ずっと祈りを捧げ続けるのが慣わしである。その間、街には“ハルケギニア”の各地からやって来た信者達が押し寄せ、祈りを捧げる教皇を一目見ようと列をなすのである。

 その見物客に紛れて、“ガリア”は何らかの行動を起こす、と考えて居るのである。

 市長にとっては、悪夢のような計画である、といえるだろう。万一教皇の護衛に失敗してしまえば、彼はおめおめと教皇の暗殺を許してしまった無能な市長として歴史に名を残すことになってしまうのだから。

「市長殿の憂慮は当然です。だが、我々は水をも漏らさぬ陣容で敵を迎え討つ予定です」

 ジュリオが立ち上がり、黒板に今回の表面上の計画を書き始めた。

「御存知の通り、怖いのは先ず“魔法”です」

 チョークを使い、ジュリオは聖堂の図面を簡素ながらも丁寧に書いた。

「そのため、敵に“魔法”を使わせぬために、聖堂の周囲を“ディテクト・マジック”を発信する“魔道具”を用いた結界で囲みます」

 ジュリオは聖堂の図の周りに、幾つもの印を付けて行った。

「勿論、“杖”は見学の際には持ち込めません。ただ、何らかの方法で“魔法”を使おうとしたら……使用した瞬間に、この装置で見破られ、“詠唱”者は周りを囲んだ騎士達によって直ぐ様捕縛されるでしょう」

 市長の顔が、少しホッとしたようなモノになった。

「それだけではありません。当然、教皇の周りには“エア・シールド”を幾重にも張り、その御身を守ります。通常の“魔法”や“銃”では、どうにもならないでしょうね」

 ならば安心だ、と市長と司祭は顔を見合わせて首肯き合った。

 一同はその計画に感じ入っている様子を見せているが、数人納得できない顔色を浮かべて居る人物がいた。

 そのうちの1人が、手を挙げた。

 ティファニアである。

 彼女は、その話を聴いて……腑に落ちないモノを抱いたのである。

 ティファニアが幼い頃、屋敷に乗り込んで来て“エルフ”である母を殺したのは、王命を受けた“アルビオン”の“聖騎士団”であった。

 ティファニアは、(国家という組織が、本当に邪魔者を纏めて排除した時……それもこの一撃で勝負が着くと想われる時、陰謀を用いるのかしら? あっちには“暗殺者(アサシン)”という恐ろしい“サーヴァント”がいるのは確かだし、暗殺などという手段を取るだろうか? 本気で完全に消し去りたいならば、別の手段を用いるんじゃないかしら? 確実で、間違いのない方法を……)と想い、怖ず怖ずと手を挙げたのである。

「ミス・ウエストウッド。何か?」

 ジュリオがニコヤカな笑顔でティファニアを見詰める。

「は、はい……質問よろしいですか?」

「勿論です」

「あの……こんな偉い人達が集まっている中で、僭越とは想うのですが、どうしても気になってしまって、その……“ガリア”が若し軍隊を出して来たらどうするんですか?」

 アンリエッタが微笑みを浮かべた。

「ティファニアさん、その心配はありません。“ガリア”とて由緒ある王国。“王権同盟”の列記とした一員です。“レコン・キスタ”などとは違い、面子というモノがあります。まさか、同盟を破って国境を超えて王軍を動かすような真似は……」

 そこまで言って、アンリエッタは自分以外の誰もが笑っていないとうことに気付いた。

 ジュリオが首肯きながら、ティファニアの言葉を肯定する。

「その可能性は5分と言ったところでしょうか」

「何ですって?」

 アンリエッタの顔が蒼白になる。

 淡々と、ジュリオは言葉を続けた。

「先週まで、国境付近での“ガリア”軍の活発な行動は見られませんでした。しかし現在、新たな情報は入って来ておりませんので、十分に警戒せねばなりません。対する我が軍の布陣ですが、国境付近に精鋭の“聖堂騎士隊”に率いられた4個連隊9,000が駐屯中です。かつその上を、“ロマリア皇国艦隊”が守っております。此の艦隊に対抗できる空中線力は、“ガリア”の“両用艦隊”のみです」

「国境付近に軍を集めたのですか? 挑発行為ではありませんか!?」

 アンリエッタは立ち上がり、大声を上げた。

「挑発と取るならそれも結構。我々の仕事がやりやすくなります」

「話が違いますわ! 聖下、貴男は戦争を起こすおつもりですか?」

 ヴィットーリオは首を横に振った。

「我々ではありません。起こすのは“ガリア”です」

「貴男は“ブリミル教徒”同士が血を流すことに我慢ならないと仰ったではありませんか! その舌の根が乾かぬうちに、戦争の準備を行うとは! 意味が理解りませぬ!」

「我慢がならないからこそ、できえるモノなら一撃で終わらせたい。そう想って今回の計画を立てたのです。取り敢えず御安心を。“ガリア”軍は確かに強大ですが、打つべき手は打っております」

「卑怯ですわ! 今日の今日まで御隠しになるなんて!」

「アンリエッタ殿」

 優しく、それでいて威厳に満ちた低い声でヴィットーリオは言った。その声は、まるで魔法のようで、聴く者全てを黙らせてしまいかねない迫力に満ちている。

 アンリエッタは唇を噛み締めると、首を横に振った。

「私は戦争を憎むと申しましたが、その可能性は1度も否定しておりません。全ての状況に対し、対抗できる手段を用意しているだけです」

「……詭弁ですわ。どうして“即位3周年記念式典”の場として、この“ガリア”との国境に近い“アクイレイア”を選んだのか、やっと本当に理解できました。敵より引き出したいのは陰謀ではない……戦成なのですね」

 ヴィットーリオはわずかに憂いを含んだ声で言った。

「選ぶのは私ではありません。あくまで“ガリア”です。そして可能性は、今のところ5分5分なのです」

 市長と大司祭は、会話のあまりの内容に卒倒していた。

 “即位3周年記念式典”についての話がいきなり戦争の話に変わってしまっているのだから、無理もないことであろう。

 ティファニアも、自分の発言がもたらしてしまったこの状況に恐れ慄き、両腕で身体を押せて震えている。

 一方ギーシュは腹を決めたのだろう、目を瞑って天井を仰いでいた。

 アニエスは、いつもと変わらぬ表情である。が、それでも動揺してはいるだろう。

 “聖堂騎士隊”の隊長達も、まるで顔色を変えない。

 アンリエッタは1人立ち上がると、傍らでジッと黙ったままのルイズを見詰めた。

「……でも、そうなると残念ながら協力は適いませぬ。何故なら私は、ルイズを決して戦の道具にせぬ、とその父君と約束したのですから。さあルイズ、行きましょう」

 しかし、ルイズは立ち上がらない、申し訳なさそうに、ジッと俯いていたままであった。

「ルイズ?」

 ジュリオが、小さな声で言った。

「ミス・ヴァリエールは神と“始祖”の名に於いて、誓約くださいました。我々の理想にその御身を捧げてくださると。彼女はもう貴女の臣下ではなく、真の神の下僕であり、我々の兄弟なのです」

 誓約、と聞いてアンリエッタの顔色が変わった。

 “ハルケギニア”の“貴族”にとって、誓約、というモノは絶対的なモノであるといえるだろう。それを違えるということは、自殺にも等しい行為でもあると言い換えることができるほどである。

「本当なの? 貴女……」

 コクリ、と心苦しそうにルイズは首肯いた。

 アンリエッタは溜息を吐くと、両手を広げた。そして、はっと気付いた様子を見せる。才人が、間違いなく教皇の“世界扉(ワールド・ドア)”で“故郷”に帰ったのであろう、と悟ったのである。

 それから、(でも……“ハルケギニア”の理想のために、“虚無を使う”、と言い切った聖下が、1騎士のためにその切り札を使うかしら? そんな訳がないわ)と考え、アンリエッタは、“ロマリア”が何を条件にルイズの誓約を引き出したのかということを理解した。

 “使い魔”には代わりがいる。だが、“担い手”はそうではない。

 アンリエッタは、怒るというよりも、哀しくなった。どこまでもやるせない、悲しい何かがアンリエッタを包んだ。それは無力感であった。今まで感じたことがないほどの無力を味わいながら、疲れ切った目でアンリエッタは教皇ヴィットーリオを見詰めた。

「御見事ですわ。どこにも逃げ道はないようですわね。聖下がその御若さで、教皇の帽子を冠られた理由が、ようやくこの愚かな女王にも理解できましてよ」

 ヴィットーリオは、僅かに顔に憂いを浮かべ、言った。

「言ったでは在ありませんか。私には理想があるのです。そしてその理想に届くためならば、手段を選ぶつもりはないのですよ」

 アンリエッタは顔を真っ赤にした。怒りで恥といったモノなどで我を忘れそうになったが、どうにか堪えた。

 戦に備えるのは、全くもって当然のこと。それをもってして“ロマリア”を責めることはできないのだから。

「良く理解りました。これから聖下の御言葉は、布で濃した後、慎重に理性を働かせて拝聴することにいたしましょう。ただ、もう1つの件に関しましては、正式に抗議することにいたします」

「なんなりと仰ってください。疚しいところなど、何1つありませんから」

 どこまで本気か判り難い態度で、ヴィットーリオは言い放った。

「では伺いましょう。聖下は、私の近衛騎士に暇を出されたとか。他国の騎士の進退を御決めになるなど、教皇聖下と言えども重大な内政干渉。どう申し開きをするおつもりですか?」

 厳しい声でアンリエッタは言った。

 教皇はというと、全く悪怯れた風もなく、「御言葉ですが、シュヴァリエ・ヒラガ殿は貴女の近衛隊副隊長である前に、ミス・ヴァリエール個人の“使い魔”なのではありませんか? その主人である彼女より“御願いだから帰してくれ”と言われたので、“ブリミル教徒”として、己の信義に従ったまでのことです。だが、アンリエッタ殿の御言葉は一々ごもっとも。貴女に相談しなかったのは、私の怠慢です。御希望通りの補償はいたします」

「本当に、彼を帰してしまったのですか?」

 ヴィットーリオは、大きく首肯いた。

「はい。彼の、“魂の拠り所、へ扉を開きました”。そう、私は彼を取りも直さず、“故郷”、へと帰したのです。ええ、それが私のすべきことのように想えましたから」

 何てことを……と呟き、アンリエッタは首を横に振った。

 ルイズが、バタン、と立ち上がり、一同にペコリを頭を下げた。その小さな肩が震えている。

「ルイズ」

「……申し訳ありません。気分が優れないので、失礼させて頂きます」

 アンリエッタは暫く教皇を睨んでいたが、悲し気に首を横に振った。

「貴男は恐ろしい人ですわ。教皇聖下。この件が片付きましたら、“ロマリア連合皇国”との付き合い方を、多少考えることになりそうです」

 ヴィットーリオは、優雅に礼を返した。

「過分な御褒めの言葉を頂き、誠に光栄です」

 シオンと俺は、そんな3人をただただ静かに見守った。

 

 

 

 

 

 その日の夜……。

 ルイズは自分に用意された部屋で、1人祈りを捧げていた。

 才人と別れてからというもの、ルイズは殆どの時間を祈りに捧げているのである。そうしていないと、心が潰されそうになるからであった

 いや……既にもう、潰れ掛けてしまっているのであろう。

 何せ……先程、「戦の可能性がある」と言われはしても、ルイズの心が動くことがなかったのだから。まるで遠い世界の出来事であるかのようにしてか、ルイズには感じることができなかったのである。

(“始祖”よ。尊き神の代弁者たる“始祖” よ。我を導く偉大なる“始祖”よ。空に星を与え給え。地に恵みを与え給え。人に恩寵を与え給え。そして我には平穏を与え給え……)

 何度も繰り返した祈りの文句。

 だが、何度その言葉を繰り返したところで、ルイズの心に平穏が訪れることなどない。

 ルイズは祈りを中断し、ベッドに横たわった。次いで、両手で目を覆うと、とめどなく涙が溢れで来た。

 泣いてしまうと、とルイズが想い出すのはやはり才人のことばかりであった。

 ルイズは、(こんな気持ちになるって理解ってたのに……どうして私はサイトを帰すことを選んでしまったの? 堪えられる訳がない……それは理解ってた。今頃、サイトはどうしているのかしら? 御母さんに逢えたかしら? “向こうの世界”で懐かしい人達に逢えば……私のことなど忘れてしまえるでしょうね。サイトは何度も“好き”と言ってくれたけど……私はそれにきちんと応えることもできなかった。色々と理由を付けては、意地を張って、サイトの気持ちを測るような真似を何度もしたわ。そんな我儘な女の子のことなら、直ぐに忘れることができるでしょうね。でも、私は?)などと考え、首を横に振った。

 それから、(いつまでこんな苦しい時間が続くのかしら? このままじゃ、私……“ハルケギニア”に一生を捧げることすらできない。それができないなら……私に存在の意味なんてないわ。私はもう、謂わば“ハルケギニア”の“ゴーレム”なんだもの。聖下に誓約した時に、そう決定付けられたもの。だけど、捨てた心に振り回されているようでは、“ゴーレム”にすらなれないじゃないの。このままじゃ……私hただの役立たずよ。自分の心に平安を与える方法は、即ちこの“ハルケギニア”の大地に平安をもたらす方法であるはずなのに……忘れなくちゃ)ともルイズは考えた。

 ルイズは、1つだけ、その方法を知っていた。

 だが、それを実行することになれば、自分が自分でなくなる、ということもまた理解していた。

(けど、こんな私に価値があるのかしら? サイトを帰したことは間違いじゃないはずなのに、既にもう後悔してる私……そんな卑怯な自分に、どんな価値があるっていうの? せめて“聖女”になろうと想って、祈りを捧げ続けてたけど……祈りだけでは限界があるわ。本当の“聖女”になるためには、やっぱり、神の奇跡、に触れねば、なることは叶わないの? 真の神の奇跡……“虚無”に……)

 

 

 

 部屋を抜け出したルイズがやって来たのは、隣のティファニアの部屋であった。

 元は神官達が寝起きしていた宿舎であるために、同じような造りの扉が左右に並んでいる。

 ルイズが扉を叩くと、やはりティファニアも寝る事が出来て居無かったらしい、立ち上がる音が廊下からでも聞こ得て来る。次いで、誰何する声が響いた。

「私よ」

 ルイズが言うと、慌てて扉が開かれる。

 寝間着1枚の姿になったティファニアが、ルイズを中へと促した。

 ティファニアの部屋には、シオンもいる。シオンは未だ、普段と変わらぬ部屋着のままであった。

「……あの、その。その…私も混乱してるの。色んなことがあり過ぎて。でも……」

「それで、私と話をして整理してたって訳」

 ティファニアの言葉に、シオンが補足する。

 ティファニアは言い難そうにモジモジとした後、「どうしてサイトを帰してしまったの? ホントにどうして? ……確かにそうするのは当然だと想うけど。でも、ルイズ、貴女……」と尋ねた。

 ルイズは顔を上げた。それから、「御願いがあるの」と小さ言った。

「御願い? 何な御願いなの?」

 だが、ティファニアの確認の言葉に、ルイズは黙ってしまった。その先を言葉にするということは、とても勇気が要るモノであるためだ。

 そんなルイズの気持ちや考えを、シオンは悟り、尊重するように、目を瞑って黙り込んだ。

 ティファニアも困ってしまい、3人して黙っていると、再び扉がノックされた。

 ティファニアが、(誰だろう?)と思い尋ねると、小さな声で「私です」と言葉が返ってくる。

 開けると、アンリエッタがそこには立っていた。

「ルイズが入るのが見えたものですから……シオンもいたのですね……」

 と言い難そうに、アンリエッタは呟いた。

 アンリエッタは先ず、ルイズとティファニアに深々と頭を下げた。

「貴女方御二人には、申し訳の言葉もありませぬ。戦の道具にせぬと約束しながら、結局はこうなってしまいました」

 ティファニアは首を横に振った。

「いえ……まだ戦になると決まった訳ではありません。ただ、可能性としてある、というだけ……だと想います。それに……汎ゆる可能性に備えるのは、悪いことだとは想いませんわ」

 そうね、とアンリエッタは溜息を吐いた。

「何せ“ガリア”は押しも押されぬ“ハルケギニア”の大国。陰謀だけで解決できぬとなれば、軍を繰り出して来ることも……予想出来てしかるべきでした。それなのに理想に酔い、貴女方まで巻き込んで……嗚呼、私は女王の器ではないのかもしれませぬ」

「私だってそうよ、アン」

 サラリと心情を吐露して退けた従姉妹2人に、ティファニアは目を丸くした。

「……女王の器ではない、などと、気安く口にされては困ります。誰かの耳に入ったら、大変ではありませんか」

 アンリエッタは、はっ! とした顔になり、また深く首肯いた。

「そうですわね。貴女達は私の従姉妹なのだからかしら、どうもついつい言葉が滑ってしまうわ」

 それからアンリエッタは、真剣な面持ちでティファニアの顔を見詰めた。

「ティファニアさん、貴女は構わないのですか? もし、戦になっても……貴女は私達に協力してくれるのですか?」

 ティファニアは少しばかり考え込み、それから首を振った。

「……本心を言うと、と理解らないのです。私はサイト達に連れられて、外に出て来られたんです。だから、サイト達の判断に従おうと想っていました。でも……」

「もう、サイト殿は帰えられてしまった。そう、そのことをルイズ、貴女に尋ねに来たのです」

 アンリエッタは、ずっと俯いているルイズへと向き直った。

「どうしてサイト殿を帰してしまったの? 確かに彼は“此の世界”の人間ではsりません。“元の世界”へ帰えるのが道理でしょう。でも……ルイズ、貴女は……」

 アンリエッタのその言葉で、ティファニアも首肯いた。

 才人は、ルイズのことが好きであるのだ。そして、ルイズも……。

「大事な人でした。以上でも、以下でもありません」

 心の一部を抑えたような声でルイズが言った。

「だから……一生懸命に考えたんです。彼にとって何が幸せなのか。その幸せのために自分が何をすれば良いのか」

 しばしの沈黙が流れた。

 アンリエッタは溜息を吐くと、そう……と呟き、ルイズの肩を抱き締めた。

「本当に貴女は優しくって、莫迦ね。ルイズ・フランソワーズ。貴女って、昔からそうよ。親切のつもりで、余計な御節介をしてしまうの。仙人掌(サボテン)の鉢植えに、水を一生懸命に上げて枯らしてしまうように……サイト殿は、貴女の騎士になることを望んでいたでしょうに」

「でも、それでもそうした方が、彼のためなんです。人にはそれぞれ住むべき“世界”と言うモノがあります」

「私は貴女の意見を尊重したいと想っているわ。だって、幼い頃からの馴染みなんですもの。でも、サイト殿の意向を決めるのは貴女ではないと想うのよ。全く、そんな大事なことを、私達に何の相談もせずに決めるなんて……」

 アンリエッタは寂しそうに首を振ると、目を瞑った。

「嫌だわ。私、十分な御礼をして差し上げられなかった。あの方は、私達に何度も何度も御力を貸してくださったのに……」

 シンミリとした空気が漂い、側で聞いていたティファニアも何だか泣きたい気持ちに駆られた。

「貴方達は、どう成の? セイヴァー、さん、は帰らなくても大丈夫なの?」

 俺は、“霊体化”を解き、アンリエッタの質問に答える。

「俺がいた“地球”は、才人がいた“地球”とはまた別の“地球”だからな。行ったところで何の意味もない。違いを愉しむくらいしかないかもな」

「“違う、ちきゅう”……?」

 “オストラント号”での説明を聞いていなかったアンリエッタは首を傾げる。

「平行世界……もし、たら、れば……などと言った可能性の数だけある別世界の1つ。俺は、“地球”の、そんな“平行世界”から来たんだ」

 そうですか……と呟いて、アンリエッタはルイズが着込んでいる巫女衣装に目をやった。

 式典の間中、ルイズとティファニアはこの格好で教皇の側に控えるのである。式典の彩りだけではなく、“虚無の担い手”が一堂に会する、ための処置である。

 “ガリア”の……ジョゼフの手の者達を、引き寄せるための……。

 だが、ルイズがこの服に袖を通したのには、また別の理由があるだろう。

「……貴女、修道院に入るつもりね? そうでしょう?」

 アンリエッタからの質問に、「いえ」とルイズは首を横に振った。

「この件が片付き、教皇聖下と陛下がその御理想を達成なさったと判断された時……その時こそ出家の許可を戴きたく存じます」

 アンリエッタはルイズの手を握った。

「……厳しいことを言ってごめんなさい。1番辛いのは貴女だったわね」

「でも私……やはり堪えられそうにないんです」

 ポツリ、とルイズは言った。それから決心したように、ティファニアの方を向いた。

「だからティファニア。御願い」

「ルイズ。貴女、まさか……」

 ティファニアは、ルイズの願いの内容に気付き、青褪めた。

「そう。私の中から、サイトの記憶を消して欲しいの」

「何ですって?」

 ルイズの言葉に、アンリエッタも顔から色を失わせた。

「いけません! そんな……だって、だってサイト殿は……貴女の……」

「だから、消す必要があるんです!」

 ルイズは“聖具”を握り締めて怒鳴った。

「もう2度と逢えない。理解っています。自分でそうしたんですから。でも、このままでは私はただの役立たずです。“ハルケギニア”の“聖女”にはなれそうもありません。だから……」

「ルイズ、ルイズ、そんな頼みは利けないわ。だって、そんなことをしたら、貴女は貴女でなくなってしまう」

「だから良いんじゃない」

 ルイズは涙を流しながら叫ぶように言った。

「理解って……ティファニア。同じ“虚無の担い手”なら、理解って欲しいの。私もう、堪えられないの。この先、堪える自信がないのよ。だから……御願い」

 ティファニアはどうして良いのか理解らず、アンリエッタとシオンと俺の方へと向いた。

「シオン! セイヴァーさん! 貴方達からも何か言って上げて!」

 アンリエッタは、シオンと俺に訴える。

 だが……。

「決意は堅い。もう、決めたのね? ルイズ」

「……うん」

 シオンからの確認の言葉に、ルイズは涙ぐみながら首肯く。

 アンリエッタは蒼白な色を浮かべていたが……そのうちにしめやかに瞼を閉じて、小さく首肯いた。

「……私からも御願いするわ。生きてなお逢えないというのは……死別と同じくらい、悲しいことなのでしょうから」

 しばらくティファニアは迷っていたが……ルイズの目を真剣な面持ちで見詰めた。それから、シオン同様に、確かめる。

「本当に良いの? サイトに関する記憶を消したら……大事な想い出もなくなってしまうのよ? 貴女にとって、宝石のような時間が永久に失われてしまうの。それでも良いの?」

 ルイズは、巫女服のポケットからブローチを取り出した。

 いつだか、才人が“トリスタニア”でルイズに買ったモノである。

 ルイズは、ソッとそれをティファニアへと手渡した。

 そして、コクリと小さく首肯く。

 ティファニアは悲しげに首を振ると、首肯いた。

「私はいつまでも忘れないわ。大事な御友達だったから。でもルイズ、貴女にしてみれば、その記憶が……傾けた気持ちの分だけ、貴女を苦しめるんでしょうね。こうするのが、貴女の選択が……正しいとはとても想えない。でも、それが貴女のためだというなら……だって、貴女も大切な人だもの」

 ティファニアは、“杖”を握るとユックリと“呪文”を唱え始めた。

「“ナウシド・イサ・エイワーズ”……」

 ティファニアの“呪文”の調べの中、ルイズは才人との想い出を1つ1つ反芻し、確かめて行った。消えて行く運命にあると想われる記憶達を、ルイズは何よりも“愛”しく感じた。

「“ハガラズ・ユル・ベオグ”……」

 初めて出逢った時のこと……、(こんな奴が“使い魔”何て)とガッカリした日。

「“ニード・イス・アルジーズ”……」

“ゴーレム”に踏み潰されそうになった時に救けてもらったこと。

「“貴族”がどうした!?」、と頬を殴られたこと。

 “フリッグの舞踏会”で一緒に踊ったこと。

 “アルビオン”での冒険。

 傷心の中、シルフィードの上でのキス。

「“ベルカナ・マン・ラグー”……」

 始まった戦争の中で、何度も衝突し合ったこと。

 自分達のために、捨て駒を引き受けたこと。

 数えることも愚かしいとすら思えるほどの、幾多といえる冒険の数々。

 何度も諦め掛けた生。それ等全てを解決したルイズだけの騎士。

 日ごとに、掛け替えのない絆が生まれて行き……強く固く2人を結び付けた。

 2人で過ごした数多の夜。

 何度も交した唇……。

 それ等全てが、遠くへと離れて行く。

 ルイズは、「私は……」と呟き、(サイトのために別れを選び、自分のために記憶を捨てる。ホントに我儘ね)と同時に考えた。

 そしてルイズは、(でも神様。赦してください。私……きっとこれから“虚無”になるんですから。名実共に、空っぽになるんですから。水のない水筒に。心を失くした人形に……だから、私の罪を御赦しください。“虚無”。自分の“系統”に相応しい姿ね)と最後に想った。

 “呪文”が完成して、ティファニアは“杖”をルイズへと向けて振り下ろす。

 アンリエッタは思わず目を背ける。

 シオンの俺は、そんな3人を静かに見詰める。

 部屋の中に、“虚無呪文”の光が輝き……唐突に、ルイズが持つ才人に関する記憶と共に掻き消えた。

 ただ、彼との繋がりがを残したままに。

 “虚無呪文”の光を、ルイズが持つ“令呪”が反射させ、神秘的な光が部屋の中を包んだ。



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エルフのガンダールヴ

 才人が目を覚ますと、そこはただっ広い草原であった。

「はい?」

 才人は、(俺……こんな所で寝てたっけ? いや、そんな訳ないだろう。俺は“ロマリア”の、“大聖堂”にいたはずだよな。でもってルイズとデートして、何だか様子が可怪しくて……部屋でワインに何か混ぜられて……ルイズにここまで運ばれたんだろうか? でも、何のために? つうかここどこよ?)と考えながら、半身を起こす。それから、ボンヤリとした頭を振って、辺りを見渡した。

 才人が寝ていたのは、少し小高い丘の、1本の木の根本であった。さんさんと太陽が照り付けて来る中、そこだけがオアシスであるかのように日陰になっているのである。

 木漏れ日が眩しいこともあり、才人は目を細めた。

 さて……と、才人が胡座を掻くと、首を傾げた。それから、(ここは、“ロマリア”の草原なんだろうか? 参ったなあ)と想いながら自身の身体を確かめる。

 当然、どこにも変わったところはない。いつものパーカーに、ジーンズ。マントは脱いでいたために、羽織っていない。

 ルイズと一緒にいた時の格好である。

 才人は、(兎に角……あの“大聖堂”の一室で俺は意識を失わされ、ここまで連れて来られたことだけは間違いないようだな)と結論着けた。

 また、(でも、何で俺草原で寝てるんだろ……? 意識を失うたびに、自分はとんでもない所に連れて来られるなあ)とも才人はしばしボンヤリとしていた。

 すると、遠くに人影が見える。

 その人影は、才人の方へと歩いて来ている。

 才人は、(誰だろう?)と思い、咄嗟に背中に手をやる。が、デルフリンガーはいない。デートの際に、外していたということを、才人は想い出した。

 近付いて来た人物は、才人に危害を加えるつもりはない様子である。ノンビリとした歩調で、ユックリと歩いていることから、それが判る。

 徐々にその人物の輪郭がハッキリとして来た。

 何だか、才人にとってどこかで見覚えがある形のような、草色のローブを身に纏っている。顔はフードに隠され、良く見えない。だが、その身体のラインなどから、どうやら女性であることが窺えた。

 近くまで来ると、目を覚ました才人に気付き、その女性が声を掛けて来る。

「あら、起きた?」

 そして、その女性はフードを軽く上げた。

 才人は、う、と胃が締め付けられるかのような錯覚を覚えた。そこに現れたのが、恐ろしいほどの美人であったためである。

 年の頃は、見た目からすると20歳前後であろう。

 大人びた雰囲気の中に、何やら妙な茶目っ気がある。人懐っこい笑みを浮かべると、彼女は、才人に向かって、革袋を放った。

「水を汲んで来て上げたわ」

 才人はそれを受け取ると、躊躇うことなくゴクゴクと飲み干した。それから、プハァ、と一息吐くとマジマジと女性を見詰める。

「私はサーシャ。貴男達は? こんな所で寝ているのを見ると、旅人みたいだけど。それにしては、何にも荷物を持ってないようだけど……」

 才人は、女性――サーシャの言葉を聞いて、自身の後ろを振り返り、驚いた様子を見せる。

「まあ、話は後だ。先ずは、彼女に自己紹介と行こうじゃないか」

「あ、ああ……サイトと言います。ヒラガサイト。旅をしてる訳じゃないです。起きたら、ここに寝かされてました。で、こいつは」

「セイヴァーと言う。まあ、偽名ではあるがな……取り敢えず、そう呼んでくれると助かる」

 ふーん、と女性は俺達のことを交互に見詰め、それからフードを外した。

 長い耳が現れて、才人は驚いた。

「うわ!? エ、“エルフ”!」

「あら貴男達、私を知ってるの?」

「は、はい……」

「まあ、知っているな」

「へえ。珍しいわね」

 女性は、興味深そうに驚く才人、そして何の感慨も見せない俺を見詰めて来る。

 珍しい。

 その言葉に、才人は、妙な違和感を覚えた。才人がいる“ハルケギニア”で。“エルフ”のことを先ず知らない人はいないといえるためである

「水を有難う御座います。ところで、“エルフ”を知ってる人間が珍しいってどういうことですか?」

「さあ? だって会う“蛮人”会う“蛮人”、私のことを珍しいとか言うんだもの。全く……ここはどこの田舎なのよ?」

 “蛮人”と言われて才人は、少しむっとした様子を見せる。それから、ビダーシャルも、ヒトのことを“蛮人”と呼んでいたということを、才人は想い出した。

「“ハルケギニア”じゃないんですか?」

「“ハルケギニア”? 何それ?」

 サーシャは、才人の質問に対し、キョトンとした様子を見せる。

 “ハルケギニア”のことを、此のサーシャは知らない。

 そのことに、才人は(そんな!?)と焦った様子を見せた。それから、(ということは……少なくとも、ここは“ハルケギニア”じゃないんだな)と判断した。次いで。才人はそろそろ、夢である、ということを疑い始めた。そして、(さて、痛かったら夢じゃない。現実である)という訳で、思いっ切り自分の頬を叩いた。

 ばぁ~~~ん! と乾いた音がする。

 激痛で才人は地面にうずくまった。

「何してるの?」

「いや……夢かなと想いまして」

「そうだったら私も幸せね」

 才人は、必死になって記憶を捜り始めた。“エルフ”がいない土地で、“ハルケギニア”ではない所……となると、才人に思い当たる場所は、所謂“ロバ・アル・カリ・イエ(東方)”と呼ばれている場所や“故郷”である“地球”くらいしかなかった。

「じゃあ、“ロバ・アル・カリ・イエ”?」

「何それ? 良く理解らないけど、私は“サハラ”からやって来たの。でもってここはあいつが言うには“イグジスタンセア”という場所らしいわ」

 “イグジスタンセア”……才人にとって、聞いたこともない地名であった。

 そのため、才人は俺に向かって振り返るが、俺は目を閉じて口も閉じる。

 才人は、(と言うか、何で俺はこんな所で目覚めたんだ? 誰がやったんだよ? あの教皇か? それとも、一緒にいるセイヴァー? でも、自分をこんな所に放り出して、一体何のメリットがあるんだ? それとも、あのジョゼフ王の陰謀か何かか? でも、俺は“ロマリア”の総本山、“大聖堂”にいたんだぞ。幾らジョゼフ王でも、そう簡単にはあそこに手は出せないだろ。いやいや、でも“虚無”の力も“サーヴァント”もいるしなあ。忍び込む手なんか幾らでもありそうなもんだ。ジョゼフ王?)、とそこでとても大事なことを想い出した。

 才人は、うわぁあああああああ! と喚きながら頭を抱える。

「どうしたの?」

「いや……想い出したんだけど、今、俺達大変なんすよ……ここでこんなことしてる場合じゃない」

 と、才人は心配そうに覗き込んで来るサーシャに答える。

「どんな風に大変成の?」

 茶目っ気たっぷりに、サーシャは才人の顔を再び覗き込んだ。

「いやね? まあ言っても理解らないでしょうけど、とてもとても悪い王様がいてですね、俺達に非道いことをするんです。そいつをやっつけるための作戦発動中だったのに……肝心要の俺達がこんな所で油売ってどうすんですか、と言う」

「それは私も同じよ」

 サーシャは、やれやれと両手を広げた。

「今、私達の部族は“亜人”の軍勢に呑み込まれそうなの。こんな所で遊んでいる場合じゃなにのよ。それなのに、あいつったら……」

「あいつ?」

 と、才人が問い返すと、サーシャは黙ってしまった。

 見ると、サーシャはワナワナと震えている。よっぽど、件の、あいつ、とやらに対し言いたいことなどがあるのだろう。

 混じりっ気なしの、本物の“エルフ”を見るのは、ビダーシャルを除いて初めてだったということもあり、才人はマジマジとサーシャを見詰めてしまった。

 ティファニアに似た、薄い金髪。透き通る様な翠色の瞳に、長いまつげが被っている。鋭いが、何やら眠そうな、少しタレ気味の目元が妙な色っぽさを醸し出している。全体的に顔の造りも良く、ティファニアから幼さを除いたような、キリリとしたモノであるといえるだろう。そしてローブに包まれたスラリとした長身が、中性的な雰囲気を漂わせている。

 才人はサーシャを見詰め、(ティファニアに何処か親しみやすさを感じるのは、やっぱり半分ヒトの血が混じってるからなんだろうな。だけど……本物の“エルフ”であるこの女性にも、別段怖さは感じないな。以前見たことある唯一の“エルフ”であるビダーシャルは、縮こまるような恐怖を感じさせて来たけど……やっぱり、“エルフ”にも色んな“エルフ”がいるんだ)、と1人納得した様子を見せた。

 才人は再び辺りを見回した。

 時間は昼ぐらいか……と才人が思った途端に遠くから雲が見え、徐々に大きくなって行く。

 ぽつりぽつりと雨が降り出し、俺達3人は木陰に隠れるように移動した。

 

 

 

「何だかとても変な気分」

 雨を見詰めながら、サーシャが呟く。

「変な気分?」

「ええ。実はね、私って結構人見知りするのよ。それなのに貴男達には、あんまりそういう感じがしない」

 へええ、と才人は思った。それから、(言われてみれば、俺もこのサーシャに恐怖に類する印象は一切感じなかったよな。幾らティファニアを知ってるとはいえ、俺達を苦しめた相手で、現在“ハルケギニア”で最強として恐れられてる真正“エルフ”を前にしてるってのに……)と想った。

「俺もそんな感じですよ」

 すると、サーシャはそんな才人の顔を覗き込んだ。

「な、何すか?」

 綺麗で妙齢の女性にこのように見詰められたことで、激しく才人の鼓動が高まる。

 サーシャは眉を顰めた。

「初めて逢った気がしないのよ。どうして?」

「どうして、と言われても……」

 才人は戸惑いながらも、(そう言われてみると)といった気持ちになった。

 1回も逢ったことのない、“エルフ”の女性。

 それであるにも関わらず、才人はどこかで逢ったことがあるかのような奇妙な感覚に襲われた。

 そんな、2人に俺は思わず苦笑を浮かべてしまいそうになる。

「デジャヴュ、じゃないすかね?」

「既視感?」

「ええ。そういう気分になることって、結構あるって言いますから」

「ふーん……」

 だが、才人は、それだけじゃないよな、と感じた。

 それから才人が(一体、どうしてだろう)と考えていると、眼をわずかに細めて厳しい顔付きになったサーシャが立ち上がった。

「どうしたんですか?」

「退がってて」

 何だどうしたんだ? と才人が慌てていると、草原の向こうから灰色の何かが顔を突き出した。

「……犬?」

「暢気ね。狼よ」

「え? あれが狼?」

 狼を見るのが初めてであった才人は、20“メイル”ほど離れた場所で此方を見ている獣を見詰め返した。

 確かに、犬とは雰囲気が違う。目付きが鋭く、油断なく此方の様子を窺って来ている。

「私達を、今日の夕食にするつもりなのよ」

「1匹で?」

「まさか」

 才人の言葉に、サーシャは笑った。

 成る程、次から次へと狼達は姿を現し始めた。どうやら身を低くして草の間に隠れ、此方に近付いて来ている様子である。

 それから狼達は縁を描くようにして、俺達の周りをグルグルと回り始める。唸り声も上げず、その顔色は先程から変わらない。獲物を狩るのは、彼等にとって単なる日常的行為なのだろうということを強く匂わせる行動であるといえるだろう。目だけは真剣さを持って此方を見詰めて来ている。

「何か武器はないんですか?」

「どうするの?」

「いや……ちょっと武器の扱いに関しては自信があるんですよ。狼くらいだったら追い払えるくらいの」

「あら偶然ね。でも、私の方が自信があるわ。幸か不幸かね」

「まあまあ、持ってるんなら貸してください。何でも良いです。その辺りの棒っ切れじゃ駄目なんで」

 “ガンダールヴ”としての能力を使用せずとも、今の才人であれば剣くらいを振るうことはできるだろう。ただ、獣相手の戦闘はまた勝手が違うのだ。幾つもの修羅場を潜り抜けたとはいえ、才人は未だ“ガンダールヴ”としても“サーヴァント”としても未熟なのだから。

「良いから。任せて頂戴」

 サーシャは懐から短剣を取り出した。

 次の瞬間……才人は大口を開いた。

 才人は、自分が見たモノを信じることができなかったためである。

 短剣を握った瞬間、サーシャの左手甲が輝き始めたのである。

 サーシャのそこには随分と見慣れた……今では汎ゆる意味で才人の一部分になってしまったといえるだろう“ルーン文字”が刻まれているのであった。

「ガ、ガ、ガガガガガガ、“ガンダールヴ”!?」

「あら貴男達、私を知ってるの?」

「知ってるも何も!」

 才人は、自身の左手甲の“ルーン”を、サーシャの眼の前に差し出した。

「まあ!? 貴男も?」

 驚いた顔だが、それほどビックリした様子をサーシャは見せない。

「じゃあ手伝って」

 ヒョイッと、サーシャは懐からもう1本の短剣を取り出し、才人に放った。

 才人はそれを握り締める。が、同時に(“エルフ”が“ガンダールヴ”? 何で? どうして? と言うか俺の他にも“ガンダールヴ”が? 一体どういうこと?)、と驚いた様子を見せる。

 そんな才人の混乱を見透かしたように、1匹の狼がダッシュして才人へと襲い掛かって来た。

 才人は、(ヤバえ。考えるのは今じゃない)と気持ちを切り替えると同時に素早く身を屈める、それから、跳び掛かって来た狼の腹の下に身を滑り込ませ短剣を突き上げた。

「ギャンッ!?」

 腹を抉られた狼は悲鳴を上げ、地面の上をのた打ち回る。

 才人がサーシャの方を素早く振り向くと、彼女へと向かって2匹の狼が同時に跳び掛かるのが見えた。

「――!?」

 一瞬、サーシャの姿が掻き消えたかのように才人には感じられた。それほどにサーシャの身の熟しは素早く見事なモノであったのである。アラビアのダンサーを想起させるようにクルクルとローブの裾がひるがえるのだけが、才人には見えた。

 跳び掛かった狼は、それぞれ足と首を斬られ、地面へと転がる。

 サーシャは、足を斬られた狼の首に短剣を突き立て、止めを刺した。

 別の狼が、動かないでいる俺へと向かって跳び掛かって来る。無手で道具の1つも持たない俺を、恰好の獲物とでも考えたのだろう。が……。

「残念だが、御前の牙は、俺の身体を傷付けることはできない。それどころか……」

 噛み付いて来た狼は、即座に俺から離れ、痛みから来るであろう鳴き声を上げる。

 狼の牙は見事にボロボロになってしまっていたのである。

「俺に、“Bランク以下の攻撃は通用しない”。況してや、“神性スキル”を持っていないと尚更な。俺に攻撃を当て、ダメージを与えたいのであれば、“Bランク”以上の攻撃かつ“神性スキル”を所持していることだな」

 残りの狼達は、その様子を見て、後退しながら唸る。

 才人が短剣を構えて近付くと、狼達は身を翻して逃げて行った。

 辺りに、再び静寂が戻る。

「貴男達、一体……?」

 サーシャは、俺と才人とを交互に見詰め呟く。

「どうして“ガンダールヴ”が……」

 才人もまた、(“エルフ”がいて、ここが“ハルケギニア”じゃなくて、もう1人の“ガンダールヴ”がいる)と訳が理解らないといった様子を見せた。が、直ぐに持ち前の楽観的思考もとい前向きさが、才人の心を満たして行く。

「どうせまた何かの“魔法”だ。全くもう“魔法”って奴は……目覚めたら知らない場所とか普通にやっちゃうんだから……何でもありなんだから……」

 などとブツブツ呟き、才人はほっぺたを、ばぁ~~~!、と再び張った。

「どうしたの? 怪我した?」

 心配そうに、サーシャが才人を覗き込む。

「何でもないです。平気です」

 才人は首肯きながら言った。(兎に角、セイヴァーと一緒に“ハルケギニア”に帰らんきゃいけないよな。今は大変な時なんだ、それを第一に考えて、他のことは後回しだ)とも同時に考えた。

 それから才人は、(取り敢えずの手掛かりは、彼女を“使い魔”にして退けた人物だ。その人物なら、何か知ってるかもしれないしな)とサーシャを見ながら考えた。

「貴女を、ここに呼んだと言う人に逢いたいんだけど」

「私もよ。でも、ここがどこか判らないし……“ニダベリール”はどっちかしら? 全く、“魔法”の実験かなんか知らないけど、人を何だと想ってるのかしら?」

「“魔法”の実験?」

「そうよ。あいつは野蛮な“魔法”を使うの」

 と、サーシャは、才人の鸚鵡返しのような質問に首肯き答えた。

 才人は、(野蛮な“魔法”……それって“虚無”なのか? “虚無の担い手”は4人だけだと想ってたけど、他にもいるのか?)と自身の中で好奇心が膨れ上がることを感じた。

 雨は次第に強くなり、俺達を否応なしに叩いた。こうなっては、木下に隠れていても無意味だといえるだろう。

 サーシャは豪快に、ガバッ、とローブを脱いだ。

 布を細い身体に巻き付けるような下着姿になったため、才人は思わず目を手で覆った。

「どうしたの?」

「一応、見たら不味いかなーって……」

「仕方ないじゃない。濡れる訳にはいかないでしょ」

 サーシャはギュッとローブを絞ると、それを頭の上に両手で持ち上げた。次いで、ほら、と言って才人と俺とをその即席の傘の下へと招き入れる。

 才人は素直に、彼女が作った即席の傘の下へと入った。

「ほら、貴男も」

「いや、俺は雨に濡れることはないから」

 言葉の通り、俺は“矢よけの加護”や“風除けの加護”といった“スキル”を所有しているため、雨風自身が俺を避けているかのように降り続けている。

「驚いたわ」

「ホント、御前って何でもありだな……」

 驚いた様子を見せるサーシャと、呆れた様子を見せる才人の2人。

 そんな才人は、ローブから甘く粉っぽい独特の香りを感じ取った。異国情緒漂う香りであるといえるだろう。

 才人が(これが“エルフ”の香りか……)と暫しウットリとしていると……俺達の眼の前に鏡のようなモノが突如として現れた。

 いつだか見たことのある、“サモン・サーヴァント”の時の扉に酷似している。

「何だありゃ?」

 才人が恍けた声を上げるのとは逆に……サーシャの顔が険しくなった。

 眉間に皺が寄り、見るからに凶悪な表情をサーシャは浮かべているのである。

 才人は(怖い。この“エルフ”怖い。やっぱり、“エルフ”は怖い種族なんだ……)と想い、ひっ!? と呻いて後退りした。

 先程狼を斃した時よりも遥かに暴力的な雰囲気を漂わせ、サーシャはその鏡のようなモノを睨み付けた。

 その中から出て来たのは、小柄な若い男性であった。真面目そうな顔に、撫で付けた金髪がキラキラと光っている。そして、裾を引き摺るように長いローブを羽織っている。

 慌てた様子でペコペコと謝りながら、男は駆け寄って来た。

「ああ、やっとここに開いた。ご、ごめん。ホントにごめん。すまない」

 サーシャの肩が震えたかと思うと、とんでもないといえるほどの大声がその華奢な喉から飛び出した。

「この! “蛮人”がーーーーーーッ!」

 そのままサーシャは男へと跳び掛かり、こめかみの辺りに見事としか言いようのないハイキックを噛ました。

「――おぼぎゃっ!?」

 男は派手に回転しながら地面に転がった。

 サーシャは倒れた男の上にドスンと腰掛けると、「ねえ。貴男、私に何て約束したっけ?」、とニッコリと笑みを浮かべて問い掛けた。

「えっと……その……」

「ハッキリ言いなさいよ。“蛮人”」

「“蛮人”すいません」

 サーシャは、再び男の頭を殴り付けた。

「ぼぎゃ!?」

「もう、“魔法”の実験に私を使わないって、そう約束したでしょう?」

「した。けど……他に頼める人がいなくって……それにこれは実験じゃなくって、詰まりその……“魔法”の効果が及ぼす結果についての研究であって……」

「それを実験って言うんでしょう?」

 サーシャは男の頭を叩きながら言った。

「いや、ホントに申し訳ない。だがね、仕方ないじゃないか! 今は大変な時なんだ。あの罰当たりの……」

「大体ねえ、貴男ねえ、生物としての敬意が足りないのよ。あんたは“蛮人”。私は高貴なる種族であるところの“エルフ”。それをこんな風に“使い魔”とやらにできたんだから、もっと敬意を払ってしかるべきでしょ? それを何よ? やれ、“記憶が消える魔法をちょっと試して良いかい?” だの、“遠くに行ける扉を開いてみたよ、潜ってみてくれ”、だの……」

「仕方ないじゃないか! 今、僕達は大変なんだよ!? 何せあの強くって乱暴な“ヴァリヤーグ”共が……数が少ない僕達は、この奇跡の力、“魔法”をもって対抗するしかないんだから!」

「私にとっては、貴男達も“ヴァリヤーグ”も変わらないわ!」

 才人はその様子を、一種の既視感を覚えるかのように見詰めていた。(“ガンダールヴ”と“虚無”の関係は、彼等が本物であったとして、まあ本物なんだろうけど……どこでもこうなんだろうか? “虚無”が絡むと、どうして女ってここまで怖くなれるんだろう? まあ、俺達とは、関係が逆のようだけど……)と想った。

 それから才人は、(この人が、この“イグジスタンセア”とかいう世界での“虚無の担い手”なんだろうか?)と想い、コホン、と咳をして2人へと近付いた。

「あの……ちょっと御訊ねしたいんだすけど……」

 サーシャの下敷きになってしまっていた男は、才人を見上げて照れ臭そうな表情を浮かべる。

「やぁ。君は?」

「才人って言います。ヒラガサイト。妙な名前ですいません」

「そうそう。この人も、私と同じ文字が手の甲に……」

「何だって? 君! それを見せてくれ!」

 男は真顔になって跳ね起き、才人の左手の甲に飛び付くようにして観察し始めた。

「“ガンダールヴ”じゃないか! “魔法のように素早い小人”!」

「いや、僕は小人じゃないんですけど……」

「良いんだ! 良いんだ! ほらサーシャ! 言った通りじゃないか! 僕達の他にも、この“変わった系統”……“属性”の“魔法”を使える人がいたんだ! それって凄いことだよ!」

 彼は才人の手を強く握ると、顔を近付けた。

「御願いだ! 君の主人に逢わせてくれ!」

 その剣幕に、才人は辟易としながら首を横に振った。

「そうできれば良いんですけど。一体、どんな“魔法”でここに飛ばされたのか理解らなくって……」

 そうか、と男は少しガッカリとしたが、直ぐにニッコリと微笑んだ。

「おっと! 自己紹介がまだだったね。僕の名前は、“ニダベリール”のブリミル」

 才人の身体が固まった。

 その名前に、才人は聞き覚えがあったためである。

「はい?」

「ん? どうしたんだい?」

「も、もも、もう1度名前を言ってくれませんか?」

「“ニダベリール”のブリミル。ブリミル・ル・ルミル・ニダベリール」

 才人は、(ブリミル? ちょっと待て。それって、それって……あの“ハルケギニア”の民が、皆して拝んでいるという……)と気付いた様子を見せる。

「“始祖ブリミル”の名前?」

「始祖? 始祖って何だ? 人違いじゃないのかい?」

 男はキョトンとして、才人を見詰めた。が、どこか恍けた風である。

 才人の中で、(“虚無の担い手”が、“始祖ブリミル”を知らないはずがない、ということは単なる同名人物じゃないよな。と、いうことは。いやそんな。そんな莫迦なことが……ないって言い切れる? “魔法が飛び交う世界”……“地球”と異世界を繋げちまうような“魔法”が存在する世の中で、“過去に行ける魔法”があったって可怪しくないよな。ブリミルその人)と気付き、マジマジと眼の前の若い男を見詰めた。

 次いで、才人は俺の方へと確認でもするかのように見詰めて来る。

 そんな才人に俺は、強く首肯いた。その通りだと。

 才人はそれでも、(そりゃ……神様みたいな人だって、実在の人物であることに違いないだろう。その人にだって若い頃があって、普通の生活があって……そして、生きてた時代があった。俺達がいるその“世界”は、ブリミルさんがいる“世界”……詰まり、“6,000年前のハルケギニア”。ホントに夢じゃなかろうかな? いや、この空気の感じ。そして踏み締めた大地の感触。セイヴァーの様子)と思考を巡らせる。

 そんな才人を、ブリミルとサーシャの2人は、不安げに見詰めている。

 “初代虚無の担い手”と、その“使い魔初代ガンダールヴ”。

 そこで才人は、夢ではないとうことを、ハッキリと理解した。

 と同時に、才人の視線の向こうにいる俺に、ブリミルはようやく気付いたといった様な様子を見せる。

「やあ、セイヴァー。始めましてだね」

「ああ、始めましてブリミル」

 そんな俺とブリミルの挨拶を前に、才人とサーシャは驚いた様子を見せる。

 次いで、「一体、ホント、どうなってんのよ?」とその現実に耐え切れないといった風に……才人はガックリと膝を突いた。



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水の都

 “即位3周年記念式典”が開始され、ギーシュ達“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”は街中の警備を命じられた。

 “アクイレイア”は、複雑な水路が入り組んだ狭い街である。

 そこには“ハルケギニア”中から“ブリミル教徒”達が集まって来たのだから堪らないといえるだろう。

 細い、幅が2“メイル”程度しかない道は、押し合い圧し合いする信者達で埋まっている。

 教皇がルイズ達巫女を従え、朝の5時から祈りを捧げている“聖ルティア聖堂”の前など、まるで戦場であるといえる様体である。

 青字に白の百合と“聖具”の紋をあしらったサーコートに身を包んだギーシュ達は、見学者達の整理におおわらわであった。

 整理というよりも、実際には戦争に近しいモノと言い換えることもできるほどである。教皇の御姿を一目だけでも拝見しようとする“ブリミル教徒”達は、我先にと“聖ルティア聖堂”の入り口から中へと押し掛けようとするのである。だが、一般の見学は、聖堂の外からと定められている。

 従って、ギーシュ達は、何とか教皇聖下を間近で見ようとする“ブリミル教徒”達との果てしない死闘じみたモノを繰り広げる羽目になったのであった。

「こ! この! 見学はそこの線からと定められているんだ! 入ってくるなあ!」

「やいやい、こっちは“ゲルマニア”からわざわざ旅して来たんだ! ちょっとくらいわねえだろ!」

「この仔牛に聖下から祝福を戴くまでは、俺は国に帰えれねえんだよ!」

「教皇聖下に一目で良いから御逢いさせろ!」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、“杖”を抜いて押し掛ける平民達と対峙したが、逆に舐められてしまう始末である。

「おら! 退け! 怪我したくなかったらすっ込んでろ!」

「そういう訳にはいかん! 大人しく見学し給え! 理解らんのか!?」

 中々見学の順番が回って来ない民衆の怒りは、とうとう警備の騎士達へと方向を変え始めた。

「こいつ等をやっちまえ!」

「こ、この……!」

 “魔法探知装置”があることもあり、“魔法”を使う訳にもいかず、ギーシュは冷や汗を垂らしながら、配下の少年騎士達に命令した。

「諸君! “杖”を抜け! ここで喰い止めるんだ! たが“魔法”はいかんぞ!」

 “杖”でポカポカと殴り付ける少年騎士達であるが、血走った目付きをした“ブリミル教徒”達には火に油だといえるだろう。

 逆に、マリコルヌは“杖”を奪われてしまい、散々に小突き回されることになってしまった。

「わ!? わ! 止めろ! この“平民”共! 無礼者!」

「生意気な“貴族”のガキめ! 遣っちまえ!」

 ギーシュ達はマリコルヌの加勢に向かおうとするのだが、暴徒と化した民衆に囲まれ、掴まれ、殴られ、蹴られ、散々な目に遭わされてしまった。

「こいつめ! 幾ら口で言っても理解らんようだ!」

 怒ったギムリが、ついに“魔法”を唱えようとした。

 1人の男の頭を抱えて拳で殴り付けていたギーシュが気付き、焦った様子を見せる。

「いかん! 君、“魔法”はいかんよ!」

 その時……白い上衣を纏った一団が聖堂の中から飛び出して来た。

「“聖堂騎士”!」

 神と“始祖”の守り手とされる“聖堂騎士”の恐ろしさは、ここ“ハルケギニア”に住むヒト皆が知っている。“聖具”を模した“杖”を振り回し、“聖堂騎士”達は詰め掛けた民衆に躍り掛った。

「我等に逆らう者は異端と見做す!」

 その言葉と純白の上衣に恐れをなし、暴徒と化した民衆達は慌てて引き退がって行く。

 1人の“聖堂騎士”が帽子の鍔を持ち上げ、少年達を小馬鹿にしたような笑顔を見せ付ける。

「カルロ殿!」

 ギーシュ達を救ったのは、この前“ロマリア”の酒場で“水精霊騎士隊”と乱闘を繰り広げたカルロ・クリスティアーノ・トロンボンティーノ率いる“アリエステ修道会”付きの“聖堂騎士隊”であった。

「おやおや。書生騎士諸君ではないか。暴徒のあしらいは、“学院”では教えてくれなかったのかな?」

 “聖堂騎士隊”の面々から笑い声が飛んだ。

 ギーシュ達は屈辱で震えた。

「あの副隊長はどうした? 確か、ヒリギャ・シットとかいう変な名前の」

「ヒラガ・サイトだ!」

「ああ、そんな名前だったな。で、どこに行ったんだ? 姿が見えないようだが……」

 “水精霊騎士隊”の少年達は困った顔に成った。

 マリコルヌが、小さな声で言った。

「……こ、故郷に帰ったんだ」

「何だと? 大事な任務を放り投げて逃げ出したのか? 流石は“平民”上がりだな!」

 カルロは大声で笑った。

 “聖堂騎士”達も一緒に笑った。

「臆したのであろうよ! 何せ今回の相手は大国だからな!」

「随分と勇敢な副隊長だな!」

 ギムリが、「うぬ、言わせておけば」と前に出ようとしたが、ギーシュとレイナールに止められた。

 代わりに、ギーシュが低い声で言った。

「カルロ殿。貴男は10,000の軍勢に、1人で立ち向かえるかね?」

「10,000? 馬鹿を言うな。幾ら私が相当な使い手と言っても、出来ることには限りがある」

「僕の副隊長は完璧にそれをやって退けた。しかも相手は10,000じゃなく、110,000だった。せめて10,000を喰い止めてから、彼の勇気を問い給え」

 カルロは笑い飛ばそうとした。

 が、ギーシュが真顔であったために、つまらなさそうに顎をしゃくった。

「ふん、行け。ここは私達が警備する」

 すごすごと“聖堂騎士”に場所を譲る少年達に、カルロは言葉を続けた。

「ああ、明日からここには来なくて良いぞ。君達は今日から街での警邏任務だ。怪しい奴がいたら報告しろよ」

 

 

 

 そんな風に言われて腹が立ったのだが、仕方なく少年達は街の警邏に出掛けた。警邏といえば聞こえは良いが、「何、御前達は足手纏いだからその辺りで遊んでいろ」と言われたようなモノである。

 水路道路が入り組んだ狭い街には人が溢れ、騎士隊が警邏するどころではない。

 ギーシュ達は聖堂横の広場の片隅に固まって座り込み、ボンヤリと浮かれ騒ぐ人々を見詰めていた。

 幾つもの屋台が並び、酒や雑多なモノが売り捌かれているのが見える。

「やっぱり、サイトがいないと駄目なのかなあ……」

 売り娘達の張り上げる声を聞きながら、マリコルヌが元気のない声で呟く。

 それは騎士隊の少年達もボンヤリと考えていたことであった。どこかで才人に頼っていた部分は確かにあり、そして、突然の御別れということに心が着いて行っていないのである。

「ルイズめ、勝手なことしやがって!」

 ギムリが拳を固めて、地面を叩いた。

「……でも、気持ちは理解るよ。あいつ、良く知らないけど遠い所から来たんだろ? “ちきゅう”だっけ? 家族に逢いたい気持ちは皆一緒だ。ルイズは何のかんの言っても女の子だから、いつまでもそんな奴に戦いをさせるのが嫌だったんじゃないのかなあ」

 レイナールが立ち上がり、両手を広げて言った。

「おいおい、いつまでメソメソしてるんだ? サイトがいなくたって、何とかしてみせようじゃないか。ここで手柄を立てて、僕達だって“アルビオンの二大英雄”に負けず劣らずの実力を持っていることを証明するんだ」

 何人かの少年達が首肯く。

「でも、警備は良いって言われちゃったぜ。手柄を立てるどころじゃないよ」

 沈黙が彼等を包んだ。

 そんな中……ギーシュが1人、楽しげに鼻歌なぞ唄いながら、何かを一生懸命に作っている。

 見ると、側には、いつのまにやらどこかで買って来たのか酒の盃まで置かれている。

「なに酒なんか呑んでるんだよ? ギーシュ」

「ん? もしかしたら戦になるかもしれんからな。景気付けだよ。ほら、君も試してみろ。“ヒッポクラテス”とか言うカクテルだ。ジンジャーと砂糖をワインに垂らし込んだモノだが……中々味が濃くて旨いぜ」

 呆れた声でレイナールが言った。

「戦になんかなるもんか。“ブリミル教徒”がこれだけ集まっている場所に戦なんか仕掛けたら、どんなことになるか“ガリア”だって承知しているはずさ。世界を敵に回すことになるぜ!」

 するとギーシュは、少し眉間に皺を寄せた。

「まあ、マトモな王様ならそう考えるだろうな……マトモならね。でも、あの“ガリア”の王様は、何かとんでもないことをしそうだよ。こないだ“ガリア”に乗り込んだ僕には、そう想える。きっと一筋縄じゃいかんだろうな……おっと! 彫り過ぎた!」

「なあギーシュ、さっきから君は一体何を作ってるんだい?」

「ん?」

 ギーシュは顔を上げると、マリコルヌに手の中のモノを見せた。それは、白い貝殻であった。女性の横顔のレリーフが彫られている。

「ブローチを作ってるんだよ。“ロマリア”じゃ、こうやって貝殻に彫り物をして女性に贈るんだそうだ。モンモランシーを怒らせたままだからね。何とか御機嫌を取らないとなあ! あっはっは!」

 流石にマリコルヌは、眉を顰めた。

「全く、こんな時なのに、良く貝殻なんか彫ってられるな。戦になりそうなんだろ? おまけに僕達の中のサイトが、帰っちまったんだぜ?」

「別に良いじゃないか。聞いた時にゃ驚いたが、ここでやいのやいの言ったって、サイトが帰って来る訳じゃない。君、人生は愉しむためにあるんだぜ?」

 ギーシュはそう言うと、できうる限りお能天気さで笑った。

「僕はそんな君が羨ましいよ。随分勇気があるんだな」

 皮肉っぽくマリコルヌが言った。

「いや……何と言うかな」

「うん」

「言い訳が欲しいんだよな。きっとね」

「言い訳?」

「ああ。あんな恐ろしい連中と戦になるかもしれん、と考えたら正直怖くてね。だからこうやって、死んじゃいけない理由を積み上げてるのさ。僕はモンモランシーにこのブローチを届けんきゃいけない。だから死ねない‥とまあ、そんな感じだな」

 笑いながらギーシュは盃に入っている酒を呑み干した。

 マリコルヌは、「ま、それももっともだなー」、と悩ましげに首を振った。

 少年達は、2人のそんな様子を前に不安を覚えた。

「“ガリア”にいる敵って……良く理解らないけど、そんなに恐ろしい連中なのかい?」

 レイナールが、ゴクリと唾を呑み込んで尋ねた。

 ギーシュは、うむ、と大きく首肯いた。

「恐ろしい」

「強いのかい?」

 ギーシュは悩むように腕を組んだ後、大きく首肯いた。

 いつの間にか、ギーシュの周りを少年達は取り囲み、その顔を喰い入る様に見詰めている。

「何な風に強いんだ?」

 マリコルヌとギーシュは顔を見合わせる。それから、「御前が言えよぉ」といった風に肘を突き合わせる。

「ハッキリ言え! 言ってくれ!」

 結局、ギーシュがポツリと言った。

「“エルフ”が着いてる」

 “エルフ”……其れは“ハルケギニア”の、“貴族”のみならずヒトにとって、まさに恐怖の象徴とでもいえる存在である。

 少年達の顔色が変わった。御互いに顔を見合わせると、はははは……と力なく笑い合う。

 ギムリが目を細めてマリコルヌの肩を叩いて尋ねる。

「それ、ホントか?」

「いやもう、それが、ね、ホントのホント。参っちゃうよね」

 と、タバサを救出しに行った時のことを想い出したのだろう、マリコルヌが冷や汗を垂らしながら呟く。

 そこに、ギーシュが更に追い打ちを掛ける。

「“サーヴァント”だって居るんだ……セイヴァーと同じくらいの強さを持ってるかもしれない」

 少年達は、よっこらせ、と立ち上がると、一目散に駆け出そうとする。

 ギーシュが大声で制した。

「待ち給え! 諸君! 安心しろ!」

 ギーシュのその言葉に、少年達は振り返った。

「僕が……いや、セイヴァーやイーヴァルディがいる」

 親指を胸に手を当て、不敵な笑みを浮かべ、直ぐに自信無さげな様子をギーシュは見せる。が、直ぐにまた不敵な笑みを浮かべて呟いた。

 少年達は顔に絶望の色を浮かべると、首を振って逃げ出そうとする。

「待て待て! 君達はそれでも“貴族”かね!?」

 そのギーシュの言葉で、少年達はやっと我に返った様子を見せ、肘を突いて空を仰ぎ始めた。

「参った……それを言われるとなぁ……」

「なぁに、負けるって決まった訳じゃないぞ。それにだね……」

「何だよ?」

「さっきも言ったが、セイヴァーとイーヴァルディがいる。それに、僕にはどうしてもサイトが帰ってそれっきり、なんて想えないのさ。なんとなく、そのうちにヒョッコリ顔を出すと想うんだよ。そう、僕達が二進も三進も行かなくなった時にね。ここで逃げたら奴に笑われるぞ? 俺は逃げなかったぜってね」

 そう言われ、少年達は(そうかもしれない)と想い始めた。

 何せ根は単純な連中であるのだから。

「まあ、そうなると逃げ出す訳にはいかんけどさ……」

 などと、ぶつくさ言い始める

「だから、せめて今は愉しくやろうじゃないかね。人生は、基本、1度っ切りなんだからな!」

 そんなこんなで、少年達はとうとう酒盛りを御っ始めた、とんでもない警邏であるといえるだろう。

 広場から見える聖堂の窓の向こうに、小さく巫女姿のルイズを見付けたギムリが、苦々しげに言った。

「全くルイズの奴……僕等がこれだけ気を揉んでいるのに、暢気に御祈りなんかしやがって……“エルフ”と対峙する僕達の身にもなれってんだ」

「おいおい、僕等より、もっとルイズは悩んでいるだろうよ。サイトを帰す、なんて余程の決心が要ったことだろうぜ」

 少年達はシンミリとしてしまった。

 そこに色取り取りの道化の格好をした楽団が通り掛かり、派手な音楽を掻き鳴らし始めた。敬虔な“ブリミル教徒”達から、「煩い!」、と野次が飛ぶ。

 ヒョイッと、ギーシュは立ち上がる。

「おいギーシュ、何処に行くんだ?」

「なあに、そろそろ御祈りも休憩だ。ルイズを慰めてやろうじゃないか」

 

 

 

 昼になり、“聖ルティア聖堂”の祭壇で祈りを捧げていた教皇ヴィットーリオが立ち上がった。

 側に控えた神官達に付き添われ、奥の控室へと向かう。

 昼餐の時間である。

 巫女服姿のルイズとティファニアも目配せすると立ち上がった。次いで、窓の外の観衆に向かってペコリと一礼すると、歓声が沸いた。

「とっても素晴らしい典礼だったわね。私、誇らしい気分になったわ。教皇聖下の巫女を勤めさせて頂いてるなんて、未だに良く信じられないわ」

 ルイズはにこやかな顔で、隣のティファニアに言った。

「そ、そうね」

「私達、神に選ばれた“系統”の持ち主なんだってことが、とても良く実感できたわ……嗚呼、もっと頑張らなきゃ」

 目をキラキラとさせながら語るルイズを見て、(ホントに良かったのかしら?)とティファニアは戸惑いと罪悪感などの色を浮かべた。

 ルイズに懇願されて、ティファニアは才人に関する記憶をルイズから消してしまった――奥底へと押しやってしまったのだが……その時よりルイズはこのような感じである。

 まるで熱に浮かされたかのように、“ハルケギニア”の理想についてを語り、いかに自分達が重要な存在であるかを、殊更に捲し立てるのである。

「そんな私達の身を狙う“ガリア”の陰謀……何としてでも阻止しないとね!」

「ちょ、ちょっと怖いけどね」

 ティファニアが正直に感想を言えば、ルイズは目を吊り上げた。

「怖いなんて! まあ気持ちは理解らないでもないけど、恐怖に負けちゃ駄目よ! それこそ、神と“始祖”に対する冒涜というモノだわ」

「う、うん……」

 まるでルイズは、ティファニアの予想通りに、人が変わったかの様子を見せている。それは勿論プライドが高いというところに変化は見受けられない……が、これほどまで極端ではなかったといえるだろう。それだけ、才人の存在が、ルイズの中で大きかったということである。

 そんな風にティファニアが戸惑っていると、裏口の扉が開き、どやどやと派手な格好の一団が雪崩れ込んで来た。

「やあ! 御嬢様方! 御機嫌よう!」

「……誰?」

 一瞬、ティファニアは入って来た者達が何者であるのか判らなかった。

 それぞれ、奇抜かつ奇妙な衣装に身を包んでおり、顔には白粉を塗りたくっていたためである。

「ギーシュ?」

「やあやあやあ、今から昼餐だろ? “アクイレイア”名物のゴンドラにでも乗って、長閑に船旅と洒落込みませんか?」

「ゴンドラ? 素敵ね……でも……私達この聖堂を離れる訳には……」

「良いじゃないか。ちょっとは楽しみがないと、息が詰まってしまうだろ? それに、ハッキリ言うけど陰謀なんて起こりっこないよ。見たけど、街中様々な罠が仕掛けられてる。僕は一応“土”の使い手だからね。そういうことには気が回るのさ」

 ギーシュも、伊達に街中をブラブラとしていた訳ではないのであった。

「こんな中、何とかしようと想ったら軍隊でも持って来ないと話にならんと想う……何てね。まあ、“サーヴァント”は別だけど……まあ、取り敢えずパァーッとやろうじゃないかね? パァーッと!」

 だが、ルイズは首を横に振った。

「貴男達、何を言ってるの? 私達は聖なる巫女として、教皇聖下の御手伝いをさせて頂いている真っ最中なのよ。それに、いつなんどき敵の襲撃があるか判らないじゃにあ。良いこと……きゃっ!?」

 しかし、ギーシュ達はルイズを抱え上げると、ワッショイワッショイと運び始めた。

「ちょっと!? あんた達! 離しなさいよ!」

 

 

 

 

 

 水路に浮かべられたゴンドラの上まで運ばれたルイズは、そこでギーシュ達“水精霊騎士隊”の馬鹿騒ぎに付き合うことになった。

 狭いゴンドラの上は、少年少女達が乗り込むことでギュウギュウとなり、岸辺からは当然笑い声が飛んだ。

「もう! あんた達ってば、不謹慎よ!」

 マリコルヌが、そんなルイズに盃を渡す。

 ギーシュ達は顔を見合わせた。

「強がってるんだよ……可哀想に。君も辛かったよなあ……」

「何言ってるのよ? 辛い? 誰が?」

 だが、ルイズはキョトンとした顔で、ギーシュを見詰める。

 道化姿のギーシュは、その格好に似合った間抜けな驚き顔を浮かべてみせた。

「ルイズ……君は悲しくないのかい?」

「私が? どうして? と言うかあんた達、早くこの馬鹿騒ぎを止めなさい!」

 そんな風にルイズから怒られたモノだから、思わずギムリが言い返してしまった。

「そんな言い草はないだろ! 大体君がなあ、勝手にサイトを……むぐ!?」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、ギムリの口を押さえた。

「まあまあまあまあまあ」

 だが……それでもルイズはキョトンとしている。

「……サイトって、何?」

 ゴンドラの上は、ティファニアとルイズを除いて騒然となった。

「ルイズ! ルイズ! とうとうショックで可怪しくなっちゃったかぁ!」

「仕方ないよな……あれだけ君は……その、サイトに……」

 ギーシュ達は顔を押さえて嘆き始めた。

 その勢いでゴンドラがグラグラと揺れ、落ちそうになったルイズはギーシュ達を怒鳴り付けた。

「可怪しくなった? もう、良い加減にして! 変なのはあんた達よ。やれ、サイトサイトって……何なのよそれ?」

「ひ、人の名前」

「人の名前? 随分変な名前ね」

「君はその、変な名前の男を“使い魔”にしてたんだぜ?」

「“使い魔”ぁ? 男ぉ? 良い加減なこと言わないで! 私にはまだ“使い魔”はいません!」

 そこまでルイズは言い切り、得意げに腕を組む、と、ふんっ! と顔を背けた。

 そこで、ギーシュは、隣でモジモジしているティファニアを見詰めた。そして、(そう言えば……彼女はいつだか“アルビオン”で才人とセイヴァーの、偽りの記憶、とやらを消したことがあったっけ……もしかしてあの“魔法”?)と気付いた様子を見せる。

 ギーシュ達“水精霊騎士隊”の面々は、ルイズとティファニアが“虚無の担い手”であるということを既に知っている。だからこそ彼女達は、アンリエッタの女官として、教皇の巫女として、大事に扱われているのである。

 だがそれでも、(御偉方のことに首を突っ込むのはあまり宜しくない)と肌で感じ取っているために、その辺のことを深く考えたことがなかった。いや、考えないようにしていた。下手すると出世などに響くことや、最悪首が飛ぶ可能性だってあるのだから。

 だが、ギーシュは、(でも、今はそんなことを言ってはられないな)と、巫女服のティファニアの顔をジッと覗き込んだ。ティファニアが、記憶に関する“魔法”を扱えることを知っているのは、この中ではギーシュだけであるのだから。

 女性に対してそのような態度を取るのことのないギーシュにしては珍しい行動であったために、周りの少年達は目を丸くする。

「ティファニア嬢。御質問だ」

「は、はい」

「……君、もしかしてルイズに“魔法”を掛けたんじゃないのかね?」

 ティファニアは、横を向いてプルプルと震え始めた。

 ギーシュは、パチン、と指を弾いた。

「ティファニア嬢を拘束し給え」

 嬉しそうに、少年達はティファニアに飛び掛かり、ロープでぐるぐる巻きにした。途中、ルイズが、きゃあきゃあ、と喚いて文句を言ったために、同じくロープで縛り上げた。

 縛り上げられたティファニアは、ゴンドラの中に転がされ、顔を真っ赤にさせてワナワナと震えている。その理由は言うまでもないであろう。

「ちょっと! あんた達何考えてるのよ!? 女王陛下の近衛隊でしょ――ッ! それが私達を縛るなんてどーゆーこと? 良い加減にしないと怒るわよッ! 陛下に言って叱って頂きますからね!」

 そんなルイズを無視して、ギーシュはティファニアに詰め寄った。

「ルイズに“魔法”を掛けたね?」

「か、掛けてません」

 ギーシュは再び指を、パチン、と弾いた。

 道化用の三角巾を冠ったマリコルヌが、ノリノリでティファニアの身体を、手に持った羽根で擽り始める。

「吐けや。御嬢ちゃん」

「ひ!? ひう! 擽らないで! 擽らないでッ!」

 身体が敏感なティファニアは、それだけで死にそうになってしまうほどの感覚を覚えた。

 グッタリとしたティファニアに、更にギーシュは顔を近付けた。

「僕は女性への乱暴を好まない。でも、時と場合によるぜ。マリコルヌ、ティファニア嬢の胸が本物かどうか、調べて差し上げろ」

「好い命令だ。実に好い命令だ。隊長殿」

 マリコルヌの手が、サワサワと厭らしく動きながら、ティファニアの胸へと近付く。

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 すると、ティファニアはいきなり謝り始めた。

「やっぱりな」

「だって、そうした方が良いと想ったんだもの!」

「ちょっと! あんた達! ティファニアに何してんのよ!?」

 怒り狂うルイズに、ギーシュは優しい声で言った。

「なあルイズ。ちょっと良いかい?」

「ホントに全くもう、何考えてんのよ!? 早くこのロープを解いて!」

「君には“使い魔”がいた。僕達と同じくらいの少年だ。君はそいつに何度も助けられた。で、彼は君のことが好きだった。ホントに忘れちまったのかい?」

 ギーシュにそう言われても、ルイズはキョトンとするばかりである。

「あのね? 何度言えば理解るの? 私に“使い魔”はいないのよ?」

「春の“召喚の儀”だ。君は何回も“サモン・サーヴァント”を失敗して、最後に彼を喚び出した」

「ああ。私はその時、結局何も喚び出せなかったの。その時は落ち込んだけどね……ちゃんと理由があったの。その理由は私の“系統”に関することだから、あんた達に話せないけど……見てなさい、そのうち、とんでもない強力な“使い魔”が現れるわ」

 ギーシュは、ガックリと項垂れた。それから、恨めしそうにティファニアの方を見詰める。

 哀しそうに、ティファニアは俯いた。

「……ルイズがそう言うんなら、そっちの方が幸せなのかなって……女王陛下も、シオンも、セイヴァーも……私には、そう想ったの……だって、ホントに苦しそうだったから」

「僕は男だからね。そうは想えない。男にとって、想い出は宝石だからね。でも、ルイズがそう決めたって言うんなら、僕が口を出すべきことじゃないのかもしれない。もしかすると、セイヴァーもそう思ったからこそなのかもしれないしね」

 それからギーシュは大きく溜息を吐いた。

「でも、納得はできないけどね」

 仲間達を促し、ギーシュは、ルイズとティファニアを拘束しているロープを解いてやった。

 ゴンドラを岸に着けると、ギーシュ達は下りて行く。

 場に残されたルイズは、プリプリしながら其の背を見送った。

「ホントに、あいつ等何考えてるのよ!?」

 そんなルイズを見詰めながら、ティファニアは、(ホントに、私は正しかったのかしら? これしか方法はなかったのかしら? 良く判らない。理解らないわ)と想い、何やら悲しく成って、涙を流した。

 そんなティファニアを、ルイズは慰め始めた。

「どうしたの? 大丈夫? もう、あいつ等ってホントにデリカシーがないんだから! 後できっちり陛下に叱って頂きましょう? ね? ティファニア?」

 

 

 

 

 

「よお、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”」

「セイヴァー……」

 ゴンドラから降りて歩いていた少年達は、足を止め声を掛けた俺の方へと振り返った。

 彼等の視線は妙に複雑な感情が込められていることが判る。やりきれない、といった様子である。

「なあ、セイヴァー。御前は、どうしてサイトが帰ることに何も言わなかったんだ? 何故、ルイズの記憶を消すことに反対しなかったんだ?」

 少年達が詰め寄り、問い掛けて来る。

「当然、俺は彼女等の意志を尊重した。ただそれだけのことだ」

「なら! サイトはどうなんだよ!? サイトの意思は!」

「ああ、確かにあいつの意思もまた尊重すべきだな。だが御前等、才人が本当に帰ったと想っているのか?」

 俺のその言葉に、少年達は疑問符を浮かべるが、直ぐに感情を爆発させる。

 が、ギーシュとマリコルヌ、レイナールの3人は中でも冷静な様子を見せ、尋ねて来た。

「それってどういう意味だい?」

「先ず、御前達“メイジ”にとって“サモン・サーヴァント”によって喚び出した、喚び出された“使い魔”とは一体どういった存在だ?」

「それは勿論」

「そうだ、御前達の考えている通りだ。才人は、御前達かららすると“異世界”出身であり、そこから喚び出された。“使い魔”になるべく喚び出されるのは、主人となる“メイジ”の素質、“系統”などが関係している。才人は1度死んだが、蘇り、そして再“契約”した。更には、“サーヴァント”としても“契約”を果たした。ルイズには、まだ“令呪”が残っていただろう?」

「“令呪”って、あの赤い痣のようなモノかい?」

「そうだ。そう言った数度出逢いと別れを繰り返しては、それでも“契約”が続いている。“サモン・サーヴァント”の件もそうだが、“聖杯戦争”に於ける“サーヴァント”の“召喚”には先ず、その目的の“英霊”を喚び出すための“触媒”が必要だ……が、それなしで喚び出され、“契約”することができるのは、余程縁があるか、相性が良いかのどちらかだ。この点に関してはかなり共通しているな」

 少年達の1人が、「確かに」と呟く。

「何よりも、“使い魔”とその主は、“愛”と“運命”によって繋がれている。そんな強い繋がりのある2人が、そう簡単に離別する訳がない。死んだ訳じゃないからな……」

「でも、それとことはまた話が別だ。サイトは、その、“ちきゅう”に帰ったんだろう?」

「さて、それはどうだろうな? 異なる“世界”を繋げるのは、そうそう簡単なモノではないのだからな」

「だから、サイトが本当に帰っちゃったのかを……いや、待てよ。確か、君にとってこの世界は、架空のモノだったんだよな? なら」

「さてどうだろな? 御前等に俺から言えることは、1つだけだ。信じろ」

 

 

 

 

 

 深夜……双月の明かりが曇り空に淡い光を灯している。

 先日、教皇の御召艦――“聖マルコー号”が入港した“アクイレイア港”に、1隻の大型船が滑り込んで来た。大きな翼を取り付けた異様な雰囲気のその艦は、着水のショックでバランスを崩すと、大きく船体を左右に振った。巨大な翼が海面を叩く。

 勢い余って岸壁に打つかりそうになったが、甲板から幾重にも“風魔法”が飛んだ。

 空気の塊が喫し壁と“フネ”の間に入り込み、クッションになって衝突を免れた。

 入港して来たのは、いつもより喫水を大幅に下げた“オストラント号”であった。

 甲板に並んだ“貴族”が幾つもの“風魔法”を用いて、やっとのことでその巨体を安定させた。

 次いで黒尽くめの男達が港の石造りの倉庫の陰から現れて次々に催合を投げ、“オストラント号”を岸壁へと固定した。

 すると、ガラガラと音がして“オストラント号”の艦首が鳥の嘴であるかのように上下に開いた。大量に物資を搭載するための、コルベール設計による機構である。

 舌のように突き出して岸壁に接した下側の嘴のようなモノに、何本もの丸太が並べられた。丸太の左右には“貴族”達が並ぶ。その数は大凡20名。先程の甲板の上から、“風魔法”を飛ばした連中である。

 “貴族”達の顔には疲労と緊張の色が浮かんでいるのが見て取れる。無理もないことであった。この“アクイレイア”まで大きくて重い荷物を運ばされて来たのだから……。

 嘴の奥の貨物庫から、ゴロゴロと音がして、大きな何かが“魔法”によって運ばれて来た。ちょっとした2階建ての家ほどもあるであろうその物体は……“ロマリア”の“カタコンベ”にあるはずの“タイガー戦車”であった。

 “タイガー戦車”の下に並べた丸太でもって……かつて、築城の際に大きな石を運んだ時のように、“タイガー戦車”を移動させようというのである。

 戦車の上に立って、“ロマリア貴族”達に指示を飛ばしているのはコルベールであった。

「諸君! 注意してくれ給えよ! “硬化”を掛けてある丸太だって、120,000“リーブル”の重さの鉄塊相手では幾らも保たぬ!」

 成る程、その重量に耐えられず、嘴がギリギリと悲鳴を上げている。

 そして、恐れていた事態が起こった。

 掛けられた“硬化”の耐荷重を超えた重量に、1本の丸太がグシャッと潰れてしまったのである。

 ユックリと“タイガー戦車”の巨大が右に傾いた。このままではバランスが崩れ、海に落っこちてしまうだろう。

「右! 右ですぞ! 早く! “レピュテーション”を!」

 嘴の左右に並んだ“風”の使い手達が、隙かさず“レピュテーション”を唱え、“タイガー戦車”の右側を持ち上げる。これほどの数の“メイジ”をもってしても、浮かび上げることは到底適わないのである。だが、嘴の軋みは止んだ。

「御苦労様、俺が運ぶから下ろしてくれて構わないよ」

 そう言って、俺は建物の陰から“タイガー戦車”へと近付き、軽く持ち上げ移動させる。

 そのように、“メイジ”達は、上に立っているコルベールは驚いた様子で見詰めて来る。

「セ、セイヴァー君……」

「やあ、コルベール。御苦労様、だよ」

 挨拶を済ませ、俺はユックリと“タイガー戦車”を石畳の広場へと下ろした。

 コルベールはホッと行きを吐くと、戦車の上でしゃがみ込んだ。もう、“フネ”が墜落したり、戦車を海に落としてしまうなどといった心配はない。そのために、安心し切って、身体から力が抜けてしまったのである。

「もう良いぞ。ミス・ツェルプストー。ミス・タバサ」

 “タイガー戦車”の砲塔上面の司令塔ハッチの蓋が横にズレて開き、キュルケが顔を出した。頭には、車内に在ったで在あろう黒い士官帽を冠っている。

 次いで隣の装填手用のハッチが開き、タバサが小さな頭をチョコンと出した。

 2人は、中で“魔法”を使い、戦車のバランスを保っていたのである。

「2人共、御疲れ様」

「有難う、セイヴァー」

「有難う」

 再会の挨拶と労いの言葉を俺が掛け終えたのと同時に、集まった黒装束の男達の中から、白い衣装に身を包んだ少年が現れ、コルベールに向けて一礼した。神官装束であるというのにも関わらず、その礼は軍人のそれであるだろう。

 ジュリオである。

「御苦労様です。ミスタ・コルベール。貴男がいなければ、この“工芸品”はここまで運ぶことができなかった」

 コルベールは、ヒョイッ、と戦車の上から跳び降りると、ジュリオと礼を交わした。

「この“オストラント号”は、多少の貨物を積めるように設計したが……これほどの重量のモノは想定外だ。20人もの“メイジ”に、絶えず“レピュテーション”を唱えさせ、それでやっと船底が抜けぬように処理できた。ホントだったら、“フネ”が浮かび上がることすらできないんだ。今回限りにして欲しいね」

 コルベールがそう言うと、ジュリオは笑みを浮かべた。

「勿論ですとも。そう何度も無茶をさせるつもりはありません」

 それから、ジュリオは興味深そうに、“タイガー戦車”の後ろから運ばれて来る大きな樽を目にして言った。

 “ゼロ戦”用の“ガソリン”が詰められた樽である。

「で、こいつを動かすことはできそうですかね?」

「まあ何とかなるだろう。どうやら、この“工芸品”も、あの“竜の羽衣”と同じく、がそりん、で動くようだ。まあ、多少の質の違いはあるようだがね。取り敢えず、構造を把握する時間が必要だ。直ぐという訳には行かん。セイヴァー君、手伝ってくれないかね?」

「元よりそのつもりだが」

「結構です」

 コルベールの言葉に、ジュリオは了承の一礼をした。

「さて、式典警護に使うのは良いが……ちょっと大袈裟過ぎんかね?」

 コルベールは大きな鉄の塊……“タイガー戦車”を見詰めながら呟いた。この“工芸品”を初めて見た時はそれはもう、驚いた。飛行機械を見た時も驚きはしたが、今回もそれに負けず劣らずといったほどであった。(これほどの鉄を……鋼鉄を用いて、寸分の狂いなく組み上げられた鉄の砦。車体後部に納められた、“竜の羽衣”以上の技術で作られたであろう、えんじん。突き出た大砲など、完全な芸術品だ。ここから撃ち出される砲弾はどれほどの精度を持って敵に届くのだろう? どれほどの威力を持って敵を破壊するのだろう?)と感想を抱いたのであった。

 純粋な知的好奇心がコルベールの中で膨れ上がり、彼は早く試してみたくて堪らないといった様子を見せる。

 が、コルベールは、(しかし……自分はこれを何とか動かすことはできるだろうが、戦わせる、ことは無理だ。それにはサイト君の左手の力やセイヴァー君の力が要る。2人がいなければ、これはただの大きな鉄の箱に過ぎない)と冷静に考えてもいた。

「ところでサイト君はどうしたね? “ロマリア”で呑み別れたっ切りでね。この“アクイレイア”に来ているのだろう? 逢わせてくれんかね?」

 するとジュリオは、俺に目配せをして、それから首を横に振った。

「彼は今、旅、に出ていましてね。直ぐという訳にはいきません」

「旅?」

「ええ」

 ニッコリと、ジュリオは笑った。

 コルベールは、(こんな時に旅?)と当然訝しんだ。

 才人は、アンリエッタ女王陛下の近衛隊の副隊長である、

 コルベールは、(何やら密命でも帯びたのかもしれん)と想い直し、それ以上の追求を止めた。

 黒装束の男達は、取り敢えず倉庫に運び込むべく、“タイガー戦車”の全面に取り付けられたフックにワイヤーを繋げる。

「ああ、いや、待て。俺が運ぶから」

 そう言って、俺は“タイガー戦車”を、黒装束の男の指示に従い運ぶ。

 

 

 

 戦車のハッチから顔を出した後に降りたキュルケは、ジュリオと何やら打ち合わせを行っているコルベールを、細めた目で見守っていた。

「何だか臭いわね……街はとっても綺麗でよろしいけど。中は泥で泥々だわ」

 キュルケが呟くと、戦車から同時に降りたタバサが首肯いた。

「貴女の騎士様、一体何をさせられているのかしらね?」

 帽子を外すと、キュルケはヒョイッとそれをタバサに冠せた。

 

 

 

 

 

 

 名実共に才人の記憶を消すことで“聖女”となったルイズは、部屋に在るベッドで寝ていた。

 どこか幸せそうな寝顔を浮かべている。が、直ぐにその真逆の恐怖などといった感情を含んだ表情を浮かべる。

(誰……? 誰なの、貴方は……?)

 ルイズは夢の中で、自分と近い年齢の少年と笑い合っていた。

 が、その少年の姿はハッキリとはしていない。ボヤけている。いや、真っ黒な影に覆われているのである。

 それでも、ルイズは。そんな少年と思しき影のようなモノと一緒にいることで幸せなどといった感情を覚えた。

 小舟の上で押し倒されて唇を重ねる……何故か、その少年らしき影に鞭で叩いたり、“魔法”を使用して攻撃したりしている……少年らしき影から「好きだよ」と囁かれる。

 が……。

 その影は、唐突に掻き消える。

 遠くへと、影は歩み去って行く。

 夢の中のルイズは、それを必死になって追い掛ける。

(待って! 行かないで! 一緒にいて! 私はまだ、貴男に言えてないのっ! 伝えることができてない! だから――)

 そこで、ルイズは目を覚ました。

 身体を起こし、夢であることを再確認する。

 それから、ルイズは自身の頬が濡れているということに気付いた。



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6,000年前

 才人と俺が、ブリミルとサーシャに連れて来られたのは、“ニダベリール”といわれる村であった。

 連れて来られたといいはするが、俺達の眼の前に現れた“ゲート”を潜った先が、その村であったということだけであるのだが。

 才人は、(“ニダベリール”と仰々しい名前が付いているから大きな街かなー)などと期待していたが、拍子抜けしてしまったという様子を見せる。

 そこは移動式のテントが並ぶ、小さな村であるのだ。なだらかな丘の中腹に、木と布で作られた円形のテントが幾つも並んでいる。側では、山羊が草を食んでいた。

 社会の教科書で見ることができるだろう、“モンゴル”の遊牧民を思わせる村である。“ハルケギニア”とはまた趣を変えている異国情緒漂う風景に、才人は心奪われて、しばし呆然と立ち尽くしていた。

「こっちだ。こっちが僕の家だ」

 ブリミルに案内されたのは、村で1番高い場所に作られたテントである。テントの上には青い旗がひるがえっている。

 才人は、(ブリミルって“始祖”だろ? “キリスト教”で言えば“イエス”様だろ? “イスラム教”で言えば“マホメット”だろ? “仏教”で言えば“仏陀”だろ? 詰まり偉い人だろ? こんな貧乏な所に住んでるの? ホントに本物?)と疑い一杯にしながら中へと入る。

『才人……“キリスト教”の“イエス・キリスト”は、家畜小屋で生まれた、何て説がある……それに、他の宗教での開祖とされる人物達は基本、贅沢何てモノはしていない』

『そうなのか?』

『“仏陀”……“釈迦”だってそうだ。彼は、確かに偉いさんのところの血筋の者だが、親から逃されるかたちで家から離れ、悟りの境地へと至るために』

『成る程……』

 そう“サーヴァント”同士の思念通話を行いながら中へと入ると、その中はやはりシンプルであった。

 中には粗末といえるテーブルと椅子が並んでいる。奥には、藁を敷き詰めたベッドが見える。中東の絨毯のような、固く織った布が地面に敷かれている。

 椅子を勧められ、才人はそこに腰を掛けた。

「君も、座れば?」

「いや、俺は良い。ここは御前達の家だ。家主が座るべきだろう」

 ブリミルからの催促に、俺は首を横に振りながら、少しばかり考えを巡らせる。

(ここは、先ず、“地球”だろう。そこに間違いはない。だが、“エルフ”を見て驚く人々が多いというサーシャの言葉……すると、“ギリシャ”圏からはかなり離れているのだろうな)

 “ギリシャ神話”や“北欧神話”などの登場人物達の中には、“エルフ耳”を持つ者達が多い。“メディア”や“キルケー”など……主に“魔法”を扱う者達が多いのかもしれないが……。

「しかし、驚いたな!」

 ブリミルは、興奮した様子で捲し立てる。

「で、君の主人はどこだい? “ミッドガード”の辺りかい? 兎に角、その人に逢いたいんだ」

 才人は、いつだかテレビなどでやっていた、タイムスリップして過去の偉大な人物に直接逢うアニメ、を想い出した。それから、(“始祖ブリミル”は、誰もが知っている偉大な“メイジ”なのに……眼の前のこの人はどうもそんな風に見えないな。でも、そんなモノなのかもしれないな……セイヴァーも言ってたけど、伝説の人物だって、人間であることに変わりはないんだろうし……兎に角俺がそんな所にいる方が不思議だし、気にするべき事柄だよな)と考えた。

 才人は、コホン、と仰々しく咳をすると、2人を見据えた。

「逢えません。無理です。絶対」

「どうして?」

「えっとですね、その……沸いてるって思われたら悲しいですけど、僕達はですね、6,000年後の未来から来たんです」

 自分がそのようなSFチックな言葉を口にする時が来るなど……“地球”にいた頃も、“ハルケギニア”にいた頃も、当然才人は想像したことがなかった。

 案の定、ブリミルとサーシャの2人は顔を見合わせ、くくくくく、と笑い始めた。

 が、ブリミルの方は作り笑いであることが見て取れる。

「……まあね。笑うところですよね。ここ」

「いや、すまない。まあ、君が主人の存在を庇う気持ちも理解る。こんな御時世だしね。僕達みたいな“変わった属性”使いは珍しいし、“ヴァリヤーグ”達にバレたら大変だもんな。話したくなったら、話してくれなくて良いよ」

 そう言って、ブリミルはニッコリと笑う。

 “変わった属性”というモノは“虚無”のことであろう。

 この時代では、未だ“虚無”という言葉を当て嵌めていないのだから。

「“ヴァリヤーグ”って何ですか?」

 才人が尋ねると、ブリミルは苦々しそう顔付きになった。

「……知らないのかい? 恐ろしい技術を持った、悪魔みたいな連中だよ」

 才人は、少しばかり不思議な気持ちになった。それから、(“始祖ブリミル”の敵は“先住魔法”を使う“エルフ”だったんじゃないのか?)と首を傾げる。

「“ヴァリヤーグ”って“エルフ”のこと?」

 才人がそう尋ねると、頭を、ポカーン! と叩かれる。

「あいだっ!?」

「何で私達が、あんな“野蛮人”なのよッ!?」

 ブリミルが執り為すように才人へと告げる。

「彼女は我々とは、根本から違う種族だ。この広い“世界”のどこかで……我々とは違う文化を持ち、息衝いていたんだ」

「成る程」

 ブリミルは、才人の左手を取った。

「だから私は、彼女にこう“ルーン”を刻んだ。“ガンダールヴ”。旧い我々の言葉で、“魔法を操る小人”という意味だ」

「貴男が刻んだんですか? この“ルーン”は?」

 ブリミルは、首肯いた。

「そうとも。君の主人は違うのかい?」

 才人は首を横に振り否定した。

 “ルーン”は、未来の“ハルケギニア”に於いては自動的に刻まれるのである。対して、この頃は、自ら刻み付けるのである。

「違います。でも、“魔法を操る小人”って……“ガンダールヴ”は“魔法”なんか使えないんだけどなあ」

「それは君が人間だからだね。普通の人間も“使い魔”になるんだな……獣にあらずんば異種族とばかり想っていたが。兎に角彼女は我々とは違う“魔法”を使う」

「“先住魔法”?」

 才人がそう尋ねると、サーシャは首を横に振った。

「“精霊の力”だろ?」

「もう、変な呼び方しないで欲しいわ。それに対して、貴男は良く理解ってるわね。そうよ、“精霊の力”と呼んで頂戴」

 サーシャは、才人の呼び方を否定し、俺に対して首を縦に振った。

「ああそう呼ぶべきだろうな。だがな、サーシャよ、御前達が振るうその力のことを“精霊の力”と呼んで欲しいのと同様に、ヒトの事を蛮人と呼ぶのは頂けないな」

「理解ったわよ」

 才人は歴史の重みを肌で実感した。

 “ガンダールヴ”の由来は……“魔法を使う小人”という意味であるのだが、それは、この“初代ガンダールヴ”であるサーシャが“エルフ”であるということが理由の1つであろう。

 ジッと才人がサーシャを見詰めていると……才人は、フワフワと現実感が希薄になって行くような感覚を覚えた。自分の御先祖様に出逢ったかのような、何とも言い難い気分になったのである。

「どうしてさっきは“魔法”を使わなかったの?」

「“精霊の力”を血生臭いことに使いたくなかったからよ」

 ツンと澄まして、サーシャは言った。

「“エルフ”が“魔法”を使うのを知っているのか。博識だね」

 ブリミルは、才人に関心したような言葉を掛ける。が、やはりどこまでも恍けた様子で在る。

「まあ、何つうか有名ですから……で、“ヴァリヤーグ”とやらの恐ろしい技術って、何ですか?」

 そう尋ねる才人に、ブリミルは演技ではあるが迫真とでもいえるほどの怪訝な表情を浮かべてみせる。

「ホントのホントに“ヴァリヤーグ”を知らないのかい?」

「はい」

「羨ましいな。この“世界の”どこかに、彼等の脅威に怯えずに暮らしている人々がいるなんて! 成る程……だから君の主人は君に口止めしているんだな?」

 納得したといったように、ブリミルは何度も首肯く。事実、ブリミルは恍けてはいるところが多いが、“ヴァリヤーグ”羨ましいと想っていることは本心だろう。

 才人は、もう訳が理解らずにキョトンとするばかりである。

「そんなに恐ろしいなんて……どんな技術なんだろう?」

 ブリミルは、哀しそうに首を振った。

「多分、直ぐに判るよ」

 重い沈黙が流れた。

 耐え切れなくなった才人は、テントの中を見回した。別に、目を引くようなモノはこれといってない。

 だが、入り口から子供が顔を覗かせて来ている。10歳くらいの、可愛らしい顔付きの女の子で在る。作務衣のような衣装に身を包み、腰にカラフルな紐を巻いている。

「大丈夫だよノルン。こっちにおいで」

 ノルンと呼ばれた女の子は、手に土釜を持ったまま、チョコチョコと歩いて来て、テントの奥に設えられた釜戸の上にその土釜を置いた。

「ああ、“ペストーレ”を持って来てくれたんだね。有難う」

 その料理は、“ペストーレ”という名前らしい。

 次に、その少女――ノルンは、懐から“杖”を取り出すと“呪文”を唱えた。

「わ、小さいのに“魔法”が使えるなんて凄いな。皆“貴族”なのか?」

「きぞく? 良く理解らないけど、僕達は“マギ族”だ。“魔法”が使えるのは当然じゃないか」

 と、過去であるということを未だ完全に理解し切れていない才人の質問に、ブリミルは笑いながら答えた。

 ブリミルの言葉から、この村の住人全員が“魔法”を使うことができるということが判る。

 才人が、(というと、この村の住人全体が“メイジ”ってことか? そりゃ、“貴族”もビックリだわ~~~)と感心していると、扉を破るように若い男が飛び込んで来た。

「族長! 大変です!」

 ガタン、とブリミルは立ち上がった。

 ノルンが、恐怖の色を浮かべてそのローブの裾に齧り付く。

「来たか。早いな。もうこの場所が判ったのか」

 そして、ノルンを置いて若い男とブリミルはテントの外に飛び出して行った。

「何だ何だ?」

 と才人が驚いていると、サーシャが説明した。

「来たのよ。“ヴァリヤーグ”が」

 サーシャは、テントに立て掛けられてあった槍を手に取ると、才人に放った。次いで、別の槍を俺へと放ろうとするのだが。

「俺に、武器は必要ない」

「そう」

 サーシャはそう返事を寄越して、槍を元の場所に戻す。

「な、どういうこと?」

「話は後。兎に角、これを持って着いて来て」

 と、戸惑う才人を連れてサーシャはテントの外に出た。

 俺もその後に続く。

 

 

 

 才人は、(彼等が恐れる“ヴァリヤーグ”とは何者なんだろう? 住人全体が“メイジ”なのに、恐れる敵って……?と

 考えながら、訳も理解らぬままといった風に、槍を握って才人は外へと飛び出した。

 村は大混乱であった。

 村の真ん中辺りに、若い男達が“杖”を握り、ブリミルを中心にして集まっている。

 サーシャと並んで才人が、そしてその横に俺が並び向かう。

 ブリミルは、彼等に指示を飛ばしているところである。

「ラグナル、君は村の西側を守ってくれ。シグルズール、君の組は北側で援護を頼む。ブリミル組、準備は良いか?」

 10人程の若い男達が腕を振り上げて、応える。

「良し。僕達は敵の正面へと突っ込んで時間を稼ぐ。サーシャ、行くぞ」

 ブリミルは、丘の向こうへと駆け出した、才人と俺は、サーシャと並んでその後を追い掛ける。

 200メートルも走ると、丘を超えた。

 眼下に広がる光景を見て……才人は、うう、と息を呑んだ。

 正に大軍としか形容のできないであろう光景が眼前に広がっているのである。どれほどの大軍であるのか、パット見では見当も着けないであろうほどである。前方、400メートルほどに、生前とした箱型の陣形を組んだ軍勢が、幾つも 並んでいるのである。先頭に居るのは、恐ろしいと想わせる角の付いている兜と胸鎧を身に着けている騎馬隊である。その後ろには、歩兵の隊列。4メートルほどもあるであろう長い槍を構え、まるで兵隊人形の様に微動だにせずに立っている。

「……あれが、“ヴァリヤーグ”?」

 才人は、眼下の軍勢を前に圧倒され、小さく呟いた。

 その数は、何千~何万、それ以上ということができるであろうほどの数の軍勢が、眼下には展開している。

 それに引き換え、此方の戦力は数十人の“魔術師(メイジ)”と、“ガンダールヴ”2人、と俺くらいである。幾ら“魔術師(メイジ)”や“エルフ”であるとはいえ、あれだけの数が相手では、相手になる訳もないということは明白である。

 才人は、(あの恐ろしい形をした兜や鎧の中身は、一体何々だろう?)と考え、“ヴァリヤーグ”という名前から“オーク鬼”などの“亜人”を想像した。そして、(以前俺達はあんな軍勢を止めたことがあったけど……今度の相手は行軍中じゃなくて、整然と戦うための陣形を組んでいる。戦う準備ができている相手は隙がない。あの時みたいに真正面から掛かっても、蟻のように踏み潰されるだけだろうな)とも想った。

 先頭の騎馬に跨った将軍であろう人物が、ゆっくりと右腕を上に掲げ、下ろした。

 軍勢がゆっくりと歩き出す。10歩歩くごとに立ち止まり、獣の吼え声のような鬨の声を上げる。

「……あれが敵っすか?」

 才人が尋ねると、サーシャは首肯いた。

「そうよ。全く……何で関係のない私があんなのと……」

 そう呟きながらも、サーシャは槍を握り締め、敵の軍勢を見据えた。

「完全武装の軍団じゃないっすか……どーすんすか? 一体」

 才人が呆然と眼の前の光景を眺めている。

 サーシャと才人の後ろにいるブリミルへと、俺は振り向く。

「君は、どうする? 助けてくれるかい?」

「ふむ。俺が加勢すると、一瞬で方が着くではないか……それに、観えているだろう?」

「まあね。にしても、“虚無”か……“根源”と呼ばれるだろうそれと繋がっている僕が扱うには持って来いの名前だね、ホント」

 そう言って、ブリミルは“詠唱”を始めた。

 才人とサーシャの背後から、ブリミルの“詠唱”が響く。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”」

 何度も聞いたであろう、“虚無”の“詠唱”である。

 眼の前の軍勢が、徐々に距離を詰めて来る。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”」

 ルイズの“エクスプロージョン”……いや、此方が本家本元オリジナルの“エクスプロージョン”である。

 “ヴァリヤーグ”の軍勢は距離300メートルまで達すると、一斉に長弓で矢を放って来た。空が、一瞬曇ったと思わせるほどの矢嵐である。何百本もの矢が、頂点に達した後重力に引かれて弧を描くようにして此方へと目掛けて落ちて来る。

 ブリミルの側に控えた“魔術師(メイジ)”達が“風魔法”を唱える。タバサがよく使っている“ウインド・ブレイク”である。

 向かって来た何千もの矢は、その“風魔法”によって逸らされ、次々と俺達の周りに突き立つ。

「“ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 10秒後、再び矢嵐が飛んで来た。

 先程と同じく“風魔法”で逸れらされ、俺達の周りは突き立った矢で、まるで稲穂生い茂る田畑のように一種異様に彩られる。

 ブリミルの“詠唱”で、才人の中から恐怖が逃げて行く。代わりに、満ちて行くのは勇気である。

 敵軍勢との距離は100メートル先にまで達した。

 騎乗した将軍であろう人物が再び腕を持ち上げ、振り下ろす。

 先鋭に並んだ、槍を構えた重装歩兵達が、鬨の声と共に整然とした足並みで突撃して来る。重たそうな鎧を着たまま駆けて来ることができるということに、才人は驚愕し、(人間ではない。一体、あの中身はどんな化け物なんだ?)と考えた。

 地を揺るがすほどの数、数千~数万もの雄叫び。

 サーシャが才人の方を向いて、顎をしゃくった。

 一糸乱れぬ動きで突撃して来る軍勢を眼の前にして、これほどの雄叫びを聞けば力を持たぬ者で在れば腰を抜かしてしまうであろう。

 だが、背後に主人の“詠唱”を聞く“ガンダールヴ”は恐怖とは無縁であるといえる。

 “ガンダールヴ”は、主人の“詠唱”の時間を稼ぐために特化した存在――“神の盾”であるのだから。

 1,000人の軍勢に匹敵する、“武器のエキスパート”。

 その本来の姿に、才人は今立逢っているのである。

 才人の中で、勇気が満ちる。

 “武器”を構えたまま、サーシャと才人は突進した

 長槍を構えた軽歩兵達は、一斉に槍を振り下ろす。だが、サーシャと才人は、構えた槍でもって、叩き付けられた何十本もの槍を見事に受け止める。

 2人はそのままそれ等を弾き飛ばし、槍を振り回しながら軍勢の真ん中へと突っ込んで行く。

「このッ!」

 サーシャと才人は槍を風車のように回転させた。“ガンダールヴ”の力でもって、重装歩兵達はまるで藁人形のように吹き飛んで行く。

 1人の兜が外れ、才人は敵の正体を知り、愕然とした。

「……人間?」

 “オーク鬼”でも他“亜人”でもなく、そこにいるのは紛れもないヒトである。これだけ重そうな鎧を着たまま走ったり、整然と行軍することができることから、相当な訓練を積んだであろうことが想像できる。

 “ヴァリヤーグ”。

 “スラヴ”語ではヴァリャーグであり、“ヴァイキング”であるという説がある。

 詰まるところ、彼等はこの“地球”の“紀元前”4千年紀に於いて、既に馬を家畜化し、剣や槍や鎧などを始めとした武具の製鉄技術を確固としたモノにした、“ヴァイキング”達の祖先であるのだ。

 才人はそれに対しての知識は当然なく、相手がヒトであるということに驚きを隠せずにいた。が、当然驚いて動きを止めている暇などはなく、恐るべき手練だといえる戦士達は、才人達を押し包もうとして次から次へと槍を繰り出して来る。

 サーシャと才人は背をくっ着け、御互いの背後を守りながら槍を振るった。早く、早く、ブリミルが“呪文”を完成させることを祈り乍ら。

「“魔法”はまだかッ!? 早くッ! もう保たねえ!」

 1秒が、1分にも感じることができるであろうほどの密度の濃さに、才人が咽返りながら槍を振り回していると……。

「“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……」

 “虚無呪文”が完成した。

 ブリミルは、軍勢の真ん中目掛けて“杖”を振り下ろした。

 才人とサーシャの眼の前で、真っ白な光球が膨れ上がり……巨大な爆発が巻き起こる。爆発は軍勢を呑み込み、辺りに破壊と混沌を撒き散らした。

「――ふごぉッ!?」

 絶叫と共に、才人は爆発とその余波に吹き飛ばされてしまう。まるで津波に巻き込まれた時のように才人は揉み苦茶になった。

「あだッ!?」

 地面に叩き付けられてしまい、一瞬、才人の気が遠くなる。咄嗟に受け身を取ったおかげろう、何とか重傷を免れることはできたが、痺れるような痛みが才人の身体を包んでいた。

 才人の腕が不意に掴まれ、見上げると泥だらけのサーシャがいた。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃない……と言うか俺達まで巻き込むなんて……ルイズより非道えや」

「ま、仕方ないわよえね。ああするのが1番効果的だし……」

 怒るでもなく、サーシャは言った。

「ほら見て」

 才人はサーシャに促され見遣ると、そこは地獄絵図とでもいえる惨状であった。

 巨大な爆発によって、前衛の重装歩兵はそのほとんどが吹き飛ばされ、地面に横たわり呻きを上げている。良く訓練されているとはいえ、所詮は生身のヒトであるのだ。

 残りの軍勢は、這々の体で後退して行く。

「大丈夫か!? すまない! 本当にすまない! 君の主人に何と言って詫びれば良いのやら!」

 そう叫びながら、ブリミルが才人へと駆け寄る。

 俺もまた、ブリミルの後に続き、才人とサーシャの元へ向かう。

 才人は、サーシャに肩を貸して貰らい、何とか立ち上がる。

「ま、生きてるから良いんですけど……」

「そうか……いずれ君の主人に挨拶させてくれ給え」

「無理だから良いです」

「そうか……ま、上手く噛み合えばできるかもしれないな……すまん、兎に角礼は後で。良し、そろそろ村でも準備ができただろう。敵が再び態勢を整えないうちに撤退だ」

 ブリミルは駆け出した。

 俺達もその背を追った。

「助かったわ。貴男達がいなかったら、“呪文”は完成しなかったかもしれない」

 いざ戦いになると、「嫌々」言いながらも主人の意に沿うのは、“ガンダールヴ”の宿命であろうことが理解る。

 そんな事を考えながら、才人は掛けるブリミルの背に尋ねた。

「ブリミルさん」

「何だい?」

「何であんな恐ろしい連中と戦っているんですか?」

「理解り合えないからだ」

「そっすか……」

 独り言のように、ブリミルは呟いた。

「人は、自らの拠り所のために戦う。だが、拠り所たる我が氏族は小さく、奴等に比する力を持たない。でも……神は、我々を御見捨てにならなかった。何の悪戯か、僕にこの不思議で強力な力を授けてくださった」

 力強く、ブリミルは言い放った。

「僕達は勝つよ。いつかきっと勝つ」

 才人は、(彼が正真正銘のブリミルだとしたら……この先……理由は判らないけど“エルフ”と争うことになるんだよな。そして彼は、その途中で死に至る……)と考え、そしてそのことが、そんな彼が“エルフ”を“使い魔”にしているということを、とても皮肉なことであると想った。が、当然ブリミルにそのことを言わない。

 才人は、遠い遠い、果てしなく遠いルイズ達の御先祖様達の背を見詰めた。

 

 

 

 村に戻ると、すっかりテントは片付けられ、出発の準備が整っていた。

 10分にも満たない時間でこれだけ手際良く撤収準備ができることから、これが彼等彼女等の日常であるということを理解させた。

 ブリミルは再び“呪文”を唱えた。

 眼の前に大きな“ゲート”が開かれる。

 才人は、(あれだけ巨大な“エクスプロージョン”を撃った後なのに、こんなに大きな“ゲート”を開いて退けるなんて、流石は“始祖”と呼ばれるだろう男だ。その“精神力”は、想像も着かないや……いや、サーシャさんと出逢った時のことを鑑みるに、“異世界”へと開く訳ではないだろけど。となると、それほど“精神力”は必要じゃないのかもしれないな。彼が自在に、“異世界”へと、このような“ゲート”を開けるようになるには、もう少し時間が必要なのかな?)と考えた。

「女子供が先だ。早く潜って」

 女性や子供達が中へと吸い込まれて行くかのように潜って行く。

 この“ゲート”は、別の場所へと開いているのである。敵に見付からないであろう、“この世界”のどこか……。

 彼等は、このようにして何度も敵の襲撃を躱しながら逃亡し続けているのである。

 “ハルケギニア”という土地で、“貴族”と呼ばれるようになるには、もうしばしの時間や歴史が必要であろう。

「さて、才人。ここで、御前が感じているだろう疑問に対する答え合わせと行こうか」

「何だよ? 藪から棒に」

「先ず、ここは6,000年前の“地球”、所謂、そうだな……“日本”では“縄文時代”だろう。そして、彼が“始祖ブリミル”、そして彼女が初代“ガンダールヴ”だ」

「あ、ああ……」

「にしても驚きだ。“レイシフト”じみたことをやって退けたのだからな」

「“レイシフト”?」

「“擬似霊子転移”。“疑似霊子変換投射”とも言うかな。“人間を擬似霊子化――魂のデータ化させて異なる時間軸や異なる位相送り込み、これを証明する空間航法”なんだが、タイムトラベルと“並行世界”への移動をのミックスさせたようなモノだと解釈して良いだろうな。しかも、“西暦選り過去へのレイシフトはあまりにも成功率が低く、紀元前へのレイシフト証明は膨大な時間が掛かる”。“意味消失”をしないようにするのも意外と大変なんだぞ?」

「“意味消失”?」

「“本来の数値とは異なるイフの存在へとブレてしまう現象”だ。ここには本来、御前はいないからな……」

「ならどうして?」

「言ったろ? “レイシフト”、そして“意味消失”させないようにしていると」

「だから、どうして俺はその“意味消失”を起こしていにあんだ?」

「現代、いやさ、ここからすると6,000年後だが、“ライダー”が御前の傍に控えていてな……そして、この時代からは俺が御前を観測していることで免れている、ということだ」

「は?」

「俺は御前の知る俺ではなく、御前の知る俺でもある。詰まりだな、“同一存在”だが、同一人物ではないといったところか……この時代に、自力で“顕現”した“マスター”不在の逸れ“サーヴァント”ってこと」

「“マスター”なしって……一体、どのようにして?」

「“単独顕現”って言う“スキル”があってだな……これは、“どの時空にも存在し、即死攻撃や時間旅行などを用いたタイムパラドクスを利用した干渉を防ぐ”ことができる。詰まり、“世界――星の抑止からの強制力、を緩和、世界に存在するための要石であるマスターなしでの現界と存続を可能にする”んだ。本来であれば、この“スキル”は、おっと?」

 男達が中へと消え、サーシャと才人と俺の番になった。

「さあ、次は君達だ。潜り給え」

 才人は、俺の言葉を完全に理解する暇もなく、理解することもできず、眼の前で光る“ゲート”を見詰め、歩み出した。

 それから才人は、(この先は若しかしたら、後世、“聖地”と呼ぶばれることになる土地かもしれない)と、懐かしさと不安が入り混じった奇妙な気分で、その光る“ゲート”を潜った。



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虎街道

 “ガリア背骨”とも言われる“火竜山脈”は、その東端で趣を変える。

 その分水嶺は、南北に“ガリア”と“ロマリア”とを分ける国境になるのである。

 “火竜山脈”を下った先、内海に面した土地には“アクイレイア”の街がある。そのわずか北方10“リーグ”の所に、“下流”を南北に突き破る街道が存在する。

 “ティグレス・グランド・ルート(虎街道)”と呼ばれる、直線で十数“リーグ”にもなるであろう、間を谷に挟まれた細長い街道である。

 地層の断裂で生まれた山脈を引き裂く、幅が数十“メイル”ほどの地峡を利用して、数千年前に“メイジ”達が造り上げた街道である。“ロマリア”頭部から、“ガリア”へ通じる唯一の街道であるために、街道は常に行き交う商人や旅人で溢れている。

 左右を切り立った崖に挟まれている谷底にある街道は、余り陽が射さない。この街道が整備された頃、昼であっても薄暗い此の土地には旅人を襲う虎が……人喰い虎が暴れていたという記録が残っている。討伐隊が何度か組織され、人喰い虎が退治された頃、今度は山脈が出没するようになった。

 街道を行き交う人々は、その山脈をかつての人喰い虎に擬え、この街道を“虎街道”を呼ぶ様になったのである。

 

 

 

 だが、今現在は国境が安定したために山賊も殆ど出なくなったといえるだろう。たまに食い詰めた盗賊団が現れるばかりで、かつての暗いイメージというモノはないに等しい。

 街道の横には篝火が置かれ、途中開けた場所には宿場町もある。

 “虎街道”は、華やかな“ハルケギニア”の主街道の1つとして、“ロマリア”と“ガリア”の繁栄に寄付していた。

 そんな街道の“ガリア”側の関所では、少しばかり騒ぎが持ち上がっていた。

「通れねえ? 御役人さん、どういう了見だい?」

 関所の門が固く閉ざされ、その前には旅人や商人達が群がっている。

「通れぬモノは通れぬのだ。追って沙汰があるまで、待っておれ」

 1人の商人が役人へと詰め寄った。

「おい、待ってくれよ! 明日の晩までにこの荷を“ロマリア”まで運ばないと、こちとら大損こいちまう! それとも何だ、あんたが代わりに荷の代金を払ってくれるとでも言うのか?」

「馬鹿を申すな!」

 次から次へと、街道の利用者達は関所の役人へと詰め寄る。

「教皇聖下の“即位3周年記念式典”が終わってしまうだよ! この日を私がどれだけ楽しみにしていたのか、あんた達に理解るもんかえ!?」

「“サルディーニャ”に嫁いだ娘が病気なんだよ」

 関所の役人はとうとう“杖”を構えて、言い放った。

「私だって知らん! 御上からは、“街道の通行を禁止せよ”、との命令以外、何も受けておらんのだ! いつになったらこの封鎖が解かれるのか、私の方が知りたいくらいだ!」

 集まった人々が、顔を見合わせる。

 その時……1人の騎士が勢い込んで駆けて来た。馬から降りるのももどかしいといった様子で、手綱を放り投げたまま役人へと詰め寄った。

「急報! 急報!」

「どうなされた?」

「“両用艦隊”で反乱が勃発! 現在、“虎街道”方面に進撃中!」

「冗談にもほどがありますぞ。“両用艦隊”が反乱など……」

 騎士はそれに答えず、空を見上げた。

 北西の方角から……小さな点が幾つも現れ始め、徐々に大きくなり艦隊の形を取り始める。

「りょ、“両用艦隊”……」

 だが、見上げた艦隊はいずれも艦尾に軍艦旗を掲揚していない。それは詰まり、この艦隊が“ガリア王政府”からの指揮下を離れたということを意味している。

「……今は名もなき反乱艦隊ですな」

「どこに向かうつもりなんだ? この先は“ロマリア”だぞ? 国境を超えて亡命するつもりなのか?」

 集まった通行人達も、不安げに空を見上げる。

「何か吊って居るぞ!」

 1人がそう叫んだ。

 艦隊の真ん中に位置した数十隻ほどの戦列艦が、ロープで何か吊り提げているのである。良く見ると、どれもヒト型をしている。

「何だありゃあ? “ゴーレム”か? “ガーゴイル”なのか?」

「生意気に甲冑を着込んでらあ」

 鈍色に輝く鎧を着込んだ“ゴーレム”のような巨大なヒト型を見詰めていると、役人の背筋に冷たいモノが流れた。忌むべき何かを、本能的に感じ取ったのである。

 役人は、呆然として“ロマリア”目掛けて進撃する艦隊を見守った。

「一体、何が始まるというんだ……?」

 

 

 

 元“両用艦隊”――“シャルル・オルレアン号”の上甲板で、艦隊司令のクラヴィル卿は、長い艦隊勤務で日焼けした顔を、困惑と期待に歪めていた。

「意味が理解らぬ。意味が理解らぬ」

 ブツブツと、そんな事を一生懸命に呟いている。

 海と空の上で一生のほとんどを過ごして来た彼は、自分の主君の考えが全く理解できないのである。

 

――“反乱軍を装い、ロマリアを灰にせよ”。

 

 端的に言って、彼が受けた命令はそれだけであった。

 候補生の頃より30年以上もの間、これほど妙で単純で残酷な命令を、彼は受けたことはなかったのである。

 クラヴィルは、元より政治などには疎い人物である。彼より優秀な人間達は、政治に興味を抱き、内紛に巻き込まれ勝手に自滅して行った。首を竦め、ただただ忠実に命令を実行し……気が付けば提督になっていたのである。幾度もの戦いを経験し、名実共に提督としての名声は高まって行った。

 クラヴィルの頭の中には、(その地位に自分は相応しかったのだろうか?)といった種類の問いが常にあった。答えをジックリと考えるほど、提督勤務は暇ではなく、脳裏を過ぎる余裕もないほどには忙しくはなかったのだが。

 そして、時間は光の矢のように過ぎて行った。

 クラヴィルが(このまま大過なく過ごして……沢山の勲章を貰い、引退して、領地で狩りでもして暮らそう)と考えていた矢先に……「“ロマリア”をくれてやる」とジョゼフがそう言ったのである。

 一国を貰うことができるというからには、最悪、大公の地位が約束されたも同然である。いや……“ロマリア”ほどの規模の土地であれば、“王”、と呼ばれるのが相応しいといえるだろう。

 “王”。

 それは、クラヴィルが今まで想像したことのない地位であった。

 当然、クラヴィルは現実感を覚えていない。だがその響きは甘く、クラヴィルの心を逸らせるのである。

「俺は、自分が欲のない人間だと想っていた。いや、そう想い込んでいたよ」

 独り言のように、クラヴィルは呟いた。

 自分に対する問い掛けだと判断した、隣に立つ艦隊参謀のリュジニャン子爵が口を開く。

「領地を灰にして、どのような(まつりごと)をさせるおつもりなのでしょうかな? 我が陛下は」

 皮肉が混じっていた。

 リュジニャンは、ジョゼフに対して含むところが大きいのである。

「知らん」

「率直ですな」

「御前との付き合いは、どれほどになるかね?」

「10年以上になりますな」

「俺はずっと、忠実に命令を守って来た。気が付いたら、今の地位まで昇り詰めていた。才があったなどとは、口が裂けても言わん。だが……野心がなかった訳ではない」

 リュジニャンは、疲れたような声で言った。

「私もですよ」

「何、どこまで灰にするのかどうかは、俺の裁量だ。その辺りの塩梅には、陛下も口を挟まんだろう」

「さて、そこまで上手く行くかどうか。“サン・マロン”で乗せた例の客……あの妙な女と男達、そしてこの艦の腹に括り付けられた巨大な騎士人形。あいつ等は、ホントに“ロマリア”を灰にしてしまうかもしれません。我々がどう考えようが。この艦隊は彼女の指揮下にありますからね」

 シェフィールドと名乗るジョゼフ王直属の女官の顔を、クラヴィルは想い出した。

 不吉な香りが漂う女性であるといえるだろう

 クラヴィルは、(あの女なら顔色1つ変えずに、比喩でも何でもなく、本当の意味で“ロマリア”を灰にしてしまうかもしれない)と考えた。

「それだけではありません。士官の間では、今回の作戦に対して、想うところがあ者が多いようです。まあ、それは当然でしょうが……噂では、“王都(リュテス)”で“花壇騎士団”による反乱騒ぎが起こったとか。直ぐに鎮圧されたようですがね。偽の反乱艦隊で、本物の反乱が起こったら……後世の劇作家に絶好のネタを提供することになりますな」

「艦隊の士官には全員領地をくれてやる。男爵の位も就けてな。リュジニャン、貴様は公爵だ」

 リュジニャンは首肯いた。

「直ぐに触れを出しましょう。ところで……」

「何だ?」

「この陰謀とやらで、何人死ぬのでしょうかね?」

 不意に、これは戦などではない、とうことにクラヴィルは気付いた。

 詰まるところ、これは単なる賭けなのである。

 “ロマリア”が灰になることも。

 クラヴィルが“王”になれるかどうか、ということも。

 艦の乗組員が、大人しく言うことを利くかどうか、ということも。

 このような卑怯な陰謀を聞いたことも見たことも、当然クラヴィルはなかった。だが、彼は逃げ出さなかった。痛む良心は、眠っていた大きな野心の前に吹き飛んでしまったのである。

 クラヴィルは、(俺は心のどこかで、こういう賭を望んでいたのかもしれない。己をも含む、人の命をコインにして行うルーレット。邪悪極まりない、慈悲の欠片もない、無惨な賭け……)と想った。

 見張り員が、震える声で叫んだ。

「左前方! “ロマリア”艦隊!」

 

 

 

 “シャルル・オルレアン号”の砲甲板で、ヴィレール少尉は怒りに震えていた。

「一体、何々だ!? この戦いは!? 大義の欠片もないじゃないか!」

 艦内の士官達も、ヴィレールと似たような気持ちであるといえるだろう。

 彼等は先日、訳が判らぬままに出撃準備を行わされ、ここまでやって来たのである。

 彼等の中での噂では、“ロマリア”に戦を仕掛ける、とのことであった。

「訳が理解らない……どうして僕達が“ロマリア”と戦わなきゃならないんだ?」

 水兵達も、当惑した顔で士官達の様子を見詰めている。

 上甲板から副長が駆け下りて来て、当惑顎の士官達に告げた。

「艦隊司令長官より、“両用艦隊”全乗組員へ! 当作戦に参加した全将兵には、特別な恩賞が与えられる! 全ての士官には爵位を! 兵には“貴族”籍を与えるとのことです!」

 だが、砲甲板の誰もが歓声を上げ無かった。冷ややかに、副長を眺めるのみである。

「褒賞選り、詳しい説明を頂きたい。我々は、一体何のために“ロマリア”と戦わねばならぬのですか? “ロマリア”は同盟国ではありませんか。命令に従うのは我々の責務とはいえ、幾ら何でも不可解過ぎる」

 そう詰め寄ったヴィレールに、副長は言い放つ。

「持ち場に戻れ。そろそろ接敵するやもしれぬ」

「敵? 敵とは“ロマリア”軍のことですか? “ロマリア”が何故敵なのです? 彼等と我々の間に、戦になる、どのような理由があるというのです?」

 ヴィレールの仲間の砲術士官が、疑わしげな視線を副長へと向けた。

「何故、我々は軍艦旗を掲げぬのですか?」

「そ、それは……」

「我々は反乱を起こしたのだ、という噂を耳にしました。寝耳に水です! 一体、誰が、反乱など起こしたというのです?」

「反乱だって!?」

 砲甲板の混乱は、頂点に達した。

 ヴィレールは、副長の胸倉を掴んだ。

「反乱を行うにも、それなりのやり方というモノがあるでしょう!? 先ずは全将兵を集め、いずれの側か恭順を問うのが作法というモノ! 一体、艦長と司令長官は何を御考えなのか!?」

「無礼者!」

 副長は“杖”を抜いた。

 ヴィレールを始めとする砲術士官達も一斉に“杖”を引き抜く。

 一触即発の空気が砲甲板に漂う。

 そこに、伝令がすっ飛んで来た。

「も、申し上げます! “ロマリア”艦隊が接近中! 砲戦準備!」

 その報告で、副長は“杖”を収めた。

「……話は後だ。取り敢えず生き残ることを考え給え」

「くっ」

 悔しげに、ヴィレールは壁を殴り付けた。

 

 

 

 接近して来た“ロマリア”艦隊は、40隻ほどである。新造の艦が多いとはいえ、数の上では120余隻を数える“両用艦隊”の敵ではないといえるだろう。

 だが、接近して来た“ロマリア”艦隊は一戦をも辞さぬ覚悟のように思わせる。船腹を見せて戦闘隊形を取ると、一斉に砲門を開いたのである。

 そして、“両用艦隊”へと信号を送って寄越した。

「接近中の国籍不明の艦隊に告ぐ。これより先は“ロマリア”領なり。繰り返す。これより先は“ロマリア”領なり」

 勿論“ロマリア”艦隊側も、現れたのが“ガリア”の“両用艦隊”であるということは百も承知である。だが、“両用艦隊”は軍艦旗を掲げていないのである。その問い掛けは当然のことであるといえるだろう。

 クラヴィルは、打ち合わせ通りの返信を行った。

「我等は、“ガリア”義勇艦隊なり。“ガリア王政府”の暴虐に耐えかねる、正統な王を据えるべく立ち上がった義勇軍なり。次いては“ロマリア”の協力を仰ぐ者なり。亡命許可を得られたし」

 捏ち上げである。

 だが、正統な王を据えるために立ち上がった義勇軍、という肩書にすることで、“王権同盟”はその効力を発揮させることはできないといえるだろう。その4カ国同盟は、相手が共和主義相手の時のみ、有効となるためである。

「本国政府に問い合わせる故、しばし待たれし」

 予想通りの答えが返されて来る。

 さて、型通りの挨拶は済んだと判断できるであろう。

 これより先の、“両用艦隊”の行動計画はとても単純であるといえる。

 数で劣る“ロマリア”艦隊を問答無用で吹き飛ばし、式典で賑わう“アクイレイア”に腹から吊った騎士人形を一気に降下させるのである。後はジョゼフ王直属の女官とされる、シェフィールドの指示に従う……。

 だが、“ロマリア”艦隊は、更に距離を詰めて来た。

 まるで、“ガリア”側の行動目的を読み取っているかのような動きである。

「奴等、我々の目的を知っておるのですかな?」

 リュジニャンはが呟く。

「どっちでも良い。どの道、奴等は灰になるのだ。戦闘準備!」

 艦隊は一斉に回頭すると、“ロマリア”艦隊と併走を始めた。

「右砲戦開始! 目標! “ロマリア”艦隊!」

 直ぐ様砲甲板へとその命令が伝えられる。

 マストに旗旒信号が掲げられ、旗艦の命令は各艦に伝えられた。

 だが……どれほど待っても、大砲の発射音が響いてこない。通常、旗艦が発砲しなければ、他の艦は射撃を開始できないのである。他の艦も沈黙を保ったままである。

「どうした? トラブルか? 誰か、砲甲板を覗いて来い!」

 側に控えた副長が硬い顔で下りて行く。それから、苦々しい顔で戻って来た。

「砲甲板で反乱! 戦闘拒否です!」

 リュジニャンが、苦笑を浮かべた。

「どうやら我々は、やはり後世の劇作家のネタのために、ここにいるようですな」

 クラヴィルは顔を真っ赤にさせた。

「甲板士官! “杖”を執れ! 砲甲板の連中を鎮圧するぞ!」

 さて、クラヴィルが砲甲板へと向かおうとした時……後ろから女の声が響いた。

「司令長官」

「こ、これはシェフィールド殿」

 陛下直属の女官という触れ込みの、怪しいなりをした女性がそこには立っていた。黒い、まるで古代の呪術師を想起させるローブに身を包み、顔を隠すほどに深くフードを冠っている。その隙間から覗く唇は、まるで血を啜ったかのように赤い。

「我々を降下させよ」

「だが……まだ“アクイレイア”の上空ではありません。ここはまだ国境線の上です」

 クラヴィルは、眼下の“虎街道”を指し示した。

「構わぬ。それより時間が惜しい」

「危険ではありませんか?」

 シェフィールドは、ニヤリと笑みを浮かべた。

「敵軍など、脅威の欠片にすらならぬ」

 クラヴィルは、そのシェフィールドの笑みで、急激に現実へと引き戻されたかのような感覚を覚えた。

「各艦に下令。砲戦準備解除。積荷を投下せよ」

 シェフィールドは振り向きもせずに、“シャルル・オルレアン号”が吊り提げている“ヨルムンガント”に跨るべく、舷縁から跳び降りた。

 シェフィールドは、“メイジ”でもないのに軽やかに身を空中に躍らせ、ロープを掴み、“ヨルムンガント”の肩に舞い降りる。

 それを確認した後、クラヴィルは甲板の水兵に命じて、吊り提げたロープを切断させた。

 艦隊の中程に位置した各艦から、次々に巨大な鋼鉄の甲冑が降下して行く様が見える。背中には、大砲、剣や槍らしきモノ、沢山の武器を背負っている。

 間近で見ることで、やはり“ヨルムンガント”は“ゴーレム”とは比べモノにもならぬ迫力を放っているといえるだろう。

 ユックリと巨大甲冑達は降下して行く。

 次いで大量の“竜の牙”も投下される。

 クラヴィルは、(“レピュテーション”でも発生させる“魔法”装置を、その内部に仕込んであるのだろうか? そうだとしたら、それだけでも恐るべき技術と言えるな。噂では、あの甲冑人形の開発には“エルフ”が関わっていたらしい。それもさもありなん、と想える性能だ。大砲をあのように、まるで銃器のように操られたら……城壁など何の防御にもならぬ。そして、あのような巨大な甲冑人形が操る剣の破壊力はいかほどのモノだろう? あの甲冑を貫けるような“魔法”がどこにあると言うのだ?)と考えた。想像するだけで、クラヴィルの背筋が震えた。

 “ロマリア”を灰にする。

 実感を覚えることができない言葉であるといえるだろう。だが、確かにあの凶悪な香りが漂う甲冑人形なら、それも可能だろう、とクラヴィルは想った。

「何ということだ」

 目先の欲に眩んだとはいえ、クラヴィルもまたその手伝いをしようとしていたのである。

 これ以上あのような連中とは関わりたくない、とクラヴィルはそう想った。

 

 

 

 上空に占位した艦隊を除いて、“ロマリア”側で、空から落ちて来る“ヨルムンガント”を初めに確認したのは、“虎街道”の出口付近に展開している“ティボーリ混成連隊”であった。

 彼等は、「“ガリア”軍の侵攻に警戒せよ」との命令を受け、式典の開始と同時に、ここで任務に就いて居いたのである。

 “ガリア”の侵攻などある訳がない、と笑っていた彼等であったのだが、上空に“ガリア”艦隊を発見した時には、その考えを改めざるをえなかった。どういった理由があるのか、“ガリア”軍は本当にやって来たためである。

 攻め込まれて来た時の行動は、既に下知されていた。

 

――“敵種の如何を問わず殲滅せよ”。

 

――“額に文字の書かれた女を見付けた場合、必ず捕えよ”。

 

 連隊長を務める“聖堂騎士”は、緊張した声で呟いた。

「“ガリア”艦隊が投下したあの甲冑人形は……“ゴーレム”か?」

 甲冑人形――“ヨルムンガント”達は次々と、左右を高い崖に挟まれた“虎街道”峡谷の中に吸い込まれて行く。

「あの“ゴーレム”だけで、戦をするつもりなのですかな?」

 副長が、耳を弄りながら呟いた。

「見たところ、他に降りた兵はいないな……まだ艦につんでいるのかな?」

「どうされます?」

 副長が尋ねた。

「どちらにせよ、今の内に各個撃破した方が楽に決まっている。行くぞ」

 自信たっぷりといった様子で、連隊長は言った。彼の自信には、きちんとした裏付けがあった。彼の指揮下にあるのは、銃歩兵大隊だけではないのである。移動できる砲兵も、参列しているのだから。

 2個歩兵大隊が“虎街道”への進軍を始めると、その砲兵大隊が草を食むのを止め、のっそりと立ち上がった。

 立ち上がったのは、甲長4“メイル”はあろうかという、巨大な陸亀である。そして何と、“ハルケギニア”の南方に棲息するその大亀の背中には、太い青銅製のカノン砲が設置されていた。

 “砲亀兵”である。

 “ハルケギニア”では割とポピュラーな兵科であるといえるだろう。

 一般に思われているほど、亀は歩みの鈍い生き物ではない。

 その亀に背負わせることにより、大砲の迅速な展開を可能にさせたこの兵科は、“ハルケギニア”の攻城戦を一変させたと言われているほどである。

 亀付きの兵隊達は、亀の口に結わえられた手綱を巧みに操り、“砲亀”に進軍を開始させた。

 大砲を背負い、ズシッ、ズシッ、と足音を響かせて歩く亀は一種の滑稽さを醸し出している。

 だが、この亀が背負った大砲は、滑稽とは1番遠いところに存在している。動きの鈍い“ゴーレム”など、この“砲亀兵大隊”の一斉射を喰らうことでバラバラに吹き飛んでしまうだろうことは明白で在る。

 そう。

 ただの、“ゴーレム”であればの話だが。

 

 

 

 街道に入り、5“リーグ”ほど進んだ先で連隊長は一旦部隊を止めた。

 そこは峡谷に挟まれた“虎街道”で唯一、開けた場所である。左右には建物が並び、ちょっとした宿場町であるといえるだろう。

 平時であれば旅人達で賑わう場所であるのだが、“ロマリア”側でも通行を禁じたために人影はない。

 連隊長は、そこに部隊を展開させ、先を窺う。

 1“リーグ”ほど先に蠢く影を見付け、(恐らく敵は素人だ。これほど狭く逃げ場のない場所で、ノンビリと“ゴーレム”を進軍させるとは……)と考え、連隊長はニヤリと笑った。

「あれでは、射的場の的ではないか。“砲亀兵”、弾込め」

 亀に取り着いた兵隊達が、大砲に火薬と砲弾を込める。“砲亀兵”が搭載したカノン砲の射程距離は2“リーグ”弱でしかないために、“ゴーレム”ほどの大きさに撃ち当てるためには、500“メイル”ほどまで近付ける必要がある。

 連隊長はそれまで待って、一気に片を着けようと判断した。

 兵隊達も、小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、軽口を叩き始めた。

 だが、その“ゴーレム”が近付くに連れ、軽口は驚愕の呻きへと変わって行く。

「甲冑を着てやがる」

「何だか、動きが軽くねえか?」

 連隊長は、その“ゴーレム”達の姿に、本能的な恐怖を覚えた。

 ただの、“ゴーレム”ではない。

「う、撃てッ!」

 恐怖に震え駆られた結果、連隊長は焦って射撃命令を下してしまう。

 “砲亀兵”は次々にカノン砲から砲弾を発射した。

 狭い谷に大砲の発射音が響き、共鳴する。

 亀は、甲羅に首を引っ込め、砲台として良く射撃の衝撃に耐えた。

 命中を期待できる距離ではないとはいえ、目標は固まっているということもあり、また門数も多い。

 砲弾は見事“ゴーレム”の群を包み込むように着弾し、辺りに煙を振り撒いた。

 何発か命中したのであろう、金属が響く音が聞こ得て来る。

 大口径のカノン砲である。

 命中すれば、ただの“ゴーレム”で在ればバラバラになるであろう。

 だが……煙の中、“ゴーレム”――“ヨルムンガント”達は何事もなかったかのように動いている。

「無傷です」

 呆然とした様子で副長が告げる。

「馬鹿な……カノン砲の直撃だぞ。城だって撃ち壊す“砲亀兵大隊”の一斉射だぞ」

「次! 次射だ! 早く!」

 だが、次射が行われることはなかった。

 “ヨルムンガント”が一斉に駆け出し、向かって来たのである。その手には、巨大な大砲が握られているのが見える。

「“ゴーレム”が走ってる!? “ゴーレム”が!」

「手に大砲を持ってるぞ!」

「ひぃいいいいいいいいいい!?」

 パニックに陥った連隊の兵士達は武器を放り出し、我先にと街道の出口へと向かって逃げ出した。

 “ヨルムンガント”が、手にした大砲を一斉に放ったのはその時である。

 熱く焼けた榴弾が、逃げ出す連隊の真ん中で炸裂した。

 先程の“砲亀兵”のモノとはまるで桁違いな大音声が響き、辺りはまるで地獄絵図のようになった。

 これほど狭い場所で、中に火薬を仕込んだ榴弾が爆発したのだから堪らないであろう。

 “ティボーリ混成連隊”はその一撃で、事実上壊滅した。

 バチバチと火が弾ける中、“ヨルムンガント”は街道を南下した。その姿は、地獄を辺りに撒き散らす、古代の悪魔の軍団であるかのようである

 幸運にも、いや、不幸にも生き残った兵隊が1人、首を引っ込めた“砲亀”の側から、通り行く“ヨルムンガント”の群を見上げた。

「ば、化け物……」

 次いで、二本足の骨としか形容の出来ないモノが、“ヨルムンガント”の後方から続いて行進して来る。それ等は、“竜”の特徴を持ったヒト型をしており、それぞれ剣や槍や弓矢などを握っている。

 “竜牙兵”である。

 そのうちの一体が、生き残った兵隊の身体を斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 “アクイレイア”の“聖ルティア聖堂”の教皇控室は、蜂の巣を突いたかのような騒ぎになっていた。

 神官達は、次々に運び込まれる国境付近での戦闘の報告に怯え、隅っこの方で震えている。

 “聖堂騎士隊”の隊長達が、郊外に駐屯した己の騎士隊に向かうべく、聖堂を飛び出して行く。

 外では、突然中止になった教皇のミサの理由が、“ガリア”の侵攻のためであると、火のような速さで噂が伝わり混乱の極みを呈していた。

 “ハルケギニア”全土より集まった外国からの信者達は、取り敢えず街から逃げ出そうとして右往左往の騒ぎを繰り広げている。

 そんな中、アンリエッタは何が何やら判らぬままに、1人控室の中で呆然と立ち尽くしていた。

 飛び交う怒号。

 次々駆け付けて来る急便。

 アンリエッタは、(戦? “ガリア”が戦を仕掛けて来たの?)とその現実に、頭が着いて行かないといった様子を見せる。それから、(陰謀で済むモノを、どうしてまた戦など仕掛けて来たのかしら?)と考える。

 1人の騎士が、国境付近で“ガリア”艦隊と睨み合っている“ロマリア”艦隊からの急報を携えて来た。

「攻めて来たのは“ガリア”の反乱軍とのことです!」

 その報せを聞き、居並ぶ武官達は一笑に付した。

「反乱軍がどうして外国に攻め入るのかね?」

「亡命を拒否されたから、とのことです」

 武官達は大声で笑った。

 側で聞いていたアンリエッタも、あまりに不器用な言い訳だ、と首を横に振る。次いで、とうとう始まってしまった、と悲しみに暮れた。

 ここは国外であるために、アンリエッタには汎ゆる指揮権が存在しないのである。何も出できぬもどかしさだけが、アンリエッタの心の中で巡る。連れて来た“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”とルイズだけがその手駒で在ったのだが、どちらも先程から外で聖堂の警護い当たっている。

 肝心の教皇ヴィットーリオはというと、奥の個人用の控室に数人の部下を連れて引き篭もったままであり、姿を見せないでいるのだ。

 アンリエッタは、“ガリア”の突然の侵攻は、“ロマリア”の挑発行為にあると判断していた。国境に兵など集めるから“ガリア”を刺激してしまったのだ、と。

 アンリエッタは、(やはり、陰謀、のみを引き出す謀略に留めておけば……)、と自分の無力さに歯噛みした。

 その時、“アクイレイア”駐屯の“ガリア”領事が、伴の騎士を引き連れ尊大な態度で現れた。

 ヴィットーリオの代わりに臨時の執務を任されている武官団がその相手をした。

「遺憾に堪えませぬ。誠に遺憾に堪えませぬ。このたびは、我が国の叛徒共が、貴国に多大なる迷惑を掛けているとのこと。我が王も深い憂慮の意を示されております。就きましては……」

 事情を察している武官は、歯に衣着せぬ物言いで領事に告げた。

「鎮圧の兵なら要らんぞ。更に強盗の仲間を屋敷に引き入れる馬鹿がどこにいる? 帰ってジョゼフに伝えろ。“信仰篤き我がロマリアの精兵は、ガリアの異端共を1人残らず叩き潰してくれる”とな」

「何を仰るのか。これは反乱です。彼等は我が国にとっても……」

 言葉を続けようとした“ガリア”領事に、“ロマリア”武官は“杖”を突き付けた。

 居並ぶ神官達から悲鳴が上がる。

「武官殿、武官殿、聖堂を血で汚されては……」

 恐怖で震える“ガリア”領事に、武官は言葉を投げた。

「失礼。我等“ロマリア”武官は殆どが“聖堂騎士”上がりなモノでして。いささかの不調法は御赦し願う。だが、御言葉にはくれぐれも注意されよ。貴方方文官にとって、言葉は我等の“杖”のようなモノ。抜かれる際には、是非とも御覚悟を」

 “ガリア”領事は何度も首肯くと、這々の体で這い出して行った。

 見事な口上で“ガリア”領事に恥を掻かせた武官に、拍手が飛ぶ。

 そんな騒ぎを見詰めながら、アンリエッタは、戦が始まったということを実感した。

 教皇の控室の扉が開き、伴の神官団を連れたヴィットーリオがやっとのことで姿を見せた。

 アンリエッタの頭に血が昇り、ヴィットーリオの側へと駆け寄った。平手打ちをしたい欲求をどうにか堪え、アンリエッタは心の底に渦巻く感情を言葉にして爆発させた。

「聖下! 貴男はどう責任を取る御積りなのですか!? 貴男の挑発で、“ガリア”は戦を仕掛けて来たではありませんか!」

「私の挑発?」

 怪訝な顔で、ヴィットーリオが問い返す。

「そうです! 貴男が、国境に軍など配備するから、要らぬ戦が起こる羽目になったのです!」

「これは異なことを。国境に軍を配備しなければ、我等には会議する時間すら与えられませんでしたよ。彼等が決死の覚悟で敵を喰い止めているからこそ、我等はこうやって対策を練ることができたのです」

 ヴィットーリオは、アンリエッタに顔を近付けた。

「我が同胞、を殺すために、ジョゼフ王は軍を使った。それだけの話ではありませんか?」

 あっと言う間に言い包められてしまい、アンリエッタは悔し涙を流した。

「でも、でも……何も戦になることは……」

 そんなアンリエッタへと、シオンは駆け寄り抱き締める。

「貴女方は誤解しておられる。アンリエッタ殿。シオン殿。こたびの戦いは政争ではないのです。陰謀を暴いて失脚させる等の、宮廷の飯事とは根本に意を変えるのです。どちら滅亡するのか。この世から消え去るのはどちらなのか。そういう種類の戦いなのです、陰謀を暴くのはその手段の1つに過ぎません。そしてそう、戦もまた……その手段の1つなのですよ」

 アンリエッタは、呆然としてヴィットーリオを見詰めた。ヴィットーリオが持つ峻烈なほどの信仰心の裏側にあるモノに、アンリエッタは気付いたのである。

 この教皇の心には……まさに慈悲と残酷が無理なく同居しているのである。

「交渉? 調停? そんなモノはもはやこの戦いには存在しません。こうなったからには全力で相手を叩き潰す。同じ力を持つ以上、完全なる同盟か、完全なる敵対か。そのどちらかしかないのです、今回の件を、通常の外交と捉えられては私が困る。恐らく、ジョゼフ王もそうでしょう」

「聖下……貴男の理想は確かに素晴らしいモノでしょう。ですが……その先で我々は、停滞、自滅などと言った道を辿ることになるでしょう」

「其れは、どういう意味でしょうか?」

「貴男はヒトの未来を見据えておられる。ですが、それだけでは駄目なのです。世界を見るべきです。世界の未来を見据えるべきなのです。世界には、バランス、というモノがあります。今は、良くとも、この先は……」

「それでも私は、私の信じる道を……1人の“ブリミル教徒”として、そして1人の人間として、心の拠り所のために」

 居並ぶ神官や武官達に、ヴィットーリオはシオンとの問答を終わらせ、向き直った。

 ここには、“ロマリア”の中枢を担う人物が集まっている。

 その陣容を見て、アンリエッタは(どうして気付かなかったのかしら? 陰謀の証拠を掴み、ジョゼフ王を退位に追い込む。“エルフ”に“聖地”を返還するよう、交渉を持ち掛ける。それ等が決裂したら、私はどうする積りだったの? 大人しく引き退がる?馬鹿な。それができるくらいなら、初めから考えすらしないわ。だけど聖下は違う。彼は交渉が決裂したら、直ぐ様こうするつもりだったにちがいない。それが早まっただけのこと……)と考えた。

 彼は、ヴィットーリオは、「“ブリミル教徒”同士が争う愚を終わらせたい」と言っていた。

 アンリエッタは、(嗚呼、元々聖下はそのために、国や民全てを賭け金にして、乾坤一擲の博打をするつもりだったのね。大きな狂気をたった1度だけ用いて、全てに片を着けるつもりなのね)と想った。

「“ガリア”の異端共は、“エルフ”と手を組み、我等の殲滅を企図している。私は“始祖”と神の下僕として、ここに“聖戦”を宣言します」

 聖堂が一瞬静まり返り、それから水が沸騰したかのように沸いた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 “聖戦”。

 “ハルケギニア”の民にとって、伸るか反るかの大博打。

 この世で人のみが行える、果てのない殺し合い……。

 熱狂は収まることはなかった。

 この瞬間より、彼等は神と“始祖ブリミル”のために、死をも恐れぬ戦士となったためである。

 アンリエッタは、ヘタリと床に崩れ落ちた。

 “聖戦”が発布されてしまったのだ。味方が死に絶えるか、敵を殲滅するまで終わらないであろう。落としどころなどないといえる狂気の戦が始まってしまったのである。

 もう、たった1人の力ではどうすることもできない。この戦を止めることは、ヒトにはできないといえるだろう。

 現代の、“始祖ブリミル”の名代となった男は、言葉を続ける。

「“聖戦”の完遂は、“エルフ”より“聖地”を奪回することにより為すモノとします。全ての神の戦士達に祝福を」



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アクイレイアの聖女

 門が開かれ、巫女服に身を包んだルイズが現れた時、“聖ルティア聖堂”の前に集った観衆達は、熱狂的な歓声を上げた。

「“聖女”! “聖女”! “聖女”ルイズ!」

 隣に立った教皇ヴィットーリオが、先程と同じ口上を伝えた。

「繰り返し申し上げます。私は“即位3周年記念式典”のこの良き日に、悲しい御知らせをせねばなりません。異端の教えに被れた隣国“ガリア”の軍勢が、本日午前、大挙して我が聖なる祖国、“ロマリア連合皇国”に攻めて来たのです」

 観衆から、“ガリア”に対する激しい罵声が飛ぶ。

 “ガリア”から来た参拝客達は、街の隅で固まって震えざるをえないでいる。この日、1番不幸だといえるのは彼等であろう。彼等にとっても、まさに寝耳に水の事態であるためだ。

「だが、敬虔なる“ブリミル教徒”におかれては、心配することは何1つありません。神と“始祖”は、この災厄の日のために“聖女”を遣わされました。それが彼女……私の巫女を務めていた、ミス・ヴァリエールです」

「“聖女”! “聖女”ルイズ!」

 再び歓声が飛んだ。

 ルイズは誇らしげな顔で一礼する。

 その隣には、蒼白な表情のアンリエッタ。

 更にその隣に、とんでもないことになってしまったと震えるティファニア。

 そのまた隣に、目を閉じ静かに事の成りを見届ける覚悟と、彼女自身にとって大切な者への助力を決めたシオンがいる。

「私は彼女に称号を与え、もって護国の“聖人”の列に彼女を叙することを宣言します。この“聖女”が降臨された土地に因み、彼女をこう名付けます」

 一旦区切り、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「“アクイレイアの聖女”と」

 ルイズは教皇の前に跪くと、頭を垂れた。

 教皇ヴィットーリオは、ルイズに祝福を与える。

 観衆達の熱狂は頂点に達したといっても良いだろう。

「彼女がいる限り、神の国“ロマリア”は、この“水の都アクイレイア”は永久に不滅です。前線へと赴く彼女に祝福を! 神よ、“アクイレイアの聖女”に恩寵を与え給え!」

「“アクイレイアの聖女”に恩寵を与え給え!」

 ルイズは立ち上がり、誇らしげに手を振った。

 観衆の声援に包まれていることで、心の中から沸々と勇気が湧き上がって来ることをルイズは感じ取った。それから、(私に与えられた神の力……“虚無”。この力が、自分をここまで運んで来てくれた。何を唱えても“爆発”するだけだった私の“魔法”は、いつも身から離さず携えてる“始祖の祈祷書”によって覚醒めた。この“魔法”は、何度も私と祖国の危機から守って来てくれた。何度も、何度も……)と考えた。

 その時……わずかではあるが、ルイズの心が震えた。ピクリと、小さなモノであったのだが、ルイズはそれに対して、(私と祖国を守って来たのは……私の“魔法”だけだったかしら?)と妙な違和感を確かに覚えた。

 その疑問は妙に心地好く滑り込み、ルイズの心を揺さぶった。

 次いでルイズは、(私、何を考えているのかしら? そんなの、当たり前じゃない)と心を落ち着かせるために、1つ1つの出来事を丁寧に想い出し始めた。

 “ゴーレム”に踏み潰されそうになった時。

 “アルビオン”でワルドに裏切られた時。

 “タルブ”の上空で、“アルビオン”艦隊を吹き飛ばした時。

 そして、“アルビオン”撤退戦の折、殿を命じられた時……。

 いずれの、ルイズの記憶にも、他の影は無いといえるだろう。

 ルイズは、この力で、全てを解決して来たのである。そのこと自体には、何ら間違いはないといえるだろう。

 目を瞑ることで、危機に陥った時に炸裂した“魔法”の光が……聖なるということができる“虚無”が、ルイズの瞼の裏に浮かび上がるのだから。

 だが、そう想う時、ルイズの胸のどこかが激しく痛むのであった。何やら行き場のない気持ちがあって、それが行き先を求めて暴れているようでもあるといえるのだ。

 ルイズは胸を押さえた。

 心配そうに、ティファニアが顔を覗き込む。

「……大丈夫?」

「平気よ。ちょっと胸が苦しくなっただけ。緊張してるんだわ」

 丁度ヴィットーリオが“聖戦”の発動を観衆に伝えたところであった。

 歓声が一際大きく響く。

 だが……その歓声が、ルイズの胸に届くことはにあ。

 皆に期待される。

 ルイズは、そのことのみを考えてここまでやって来たといえるだろう。が、何故か、ルイズの心は震えないのである。あるのは、空虚な何か、である。

 どこまでも深い、吸い込まれそうな心の暗部にルイズは気付き、胸を押さえた。

「ルイズ。ホントに……?」

「大丈夫。ホントに大丈夫。ただ、ちょっと横にならせて。ええ。ほんの10分で良いから……」

 

 

 

 奥の控室で、ルイズはベッドに横たえた。

 側にはアンリエッタがいて、その手をギュッと握り締めている。

「申し訳ありません。直ぐに出陣せねばいけないというのに……」

「怖いのねルイズ。良いわ、仕方のないことよ。私が貴女に着けられた兵を率いて、前線に赴きます。貴女は此処で休んでいて頂戴」

「いえ、それには及びません。ただちょっと……何だか心に穴が空いているように感じるだけなのです」

「心に穴?」

「はい。これは何なのでしょうか? 今まで、1度もこんな感情を持ったことなどないのに……」

 アンリエッタは、直ぐにその正体に気付いた。かつて恋人を失ったアンリエッタは、その気持ちの理由などが手に取るように理解ったのである。

「それはきっと……“愛”よ。貴女の愛が……行き先を失くした“愛”が、貴女を苦しめているの」

「“愛”? 御冗談を! 私はかつて誰も愛したことなどありません」

「そうね。今の貴女はそうかもしれない。でも以前、その気持ちには向かう先があったのよ。貴女は必死になって否定していたけれど……あったのですよ」

 アンリエッタは悲しくなった。

 確かに、ティファニアの“虚無”は、才人に関する記憶、をルイズの脳裏から消し去り、奥へと追いやったのであろう。

 だが……彼に対する気持ちだけは残ったのである。

 宛先のない手紙のようなその気持ちが、ルイズの心の中で暴れているのである。

「そんな……私に、愛、があるとすれば、それは“ハルケギニア”全てに対する博愛と呼ぶべきモノです。姫様、褒めてくださいませ。この私が“聖人”の列に叙されたのです。“ゼロのルイズ”と馬鹿にされ続けたこの私が……“アクイレイアの聖女”。これほど誇らしい肩書があるでしょうか?」

 そう言いながらも、ルイズはどこか苦しそうな様子を見せる。

 “聖人”の列よりも、素晴らしいモノがこの世にはある。

 アンリエッタは、そうルイズに言ってやりたかった。それから、(でも……それをルイズに言って何になるの? もう、ルイズの“愛”には向かう先がない。“聖女”にでも、なるしかないじゃないの)と考えた。

「“聖女”殿! 準備が整いました! 御出陣の用意を!」

 騎士の1人が、ルイズを呼ぶ。

 ルイズは、胸を押さえながら立ち上がった。

「父様も、母様も、姉様達も、このことを聞いたら皆私を褒めてくださいますわ。私、それが誇らしいのです」

 ルイズはニッコリと笑うと、聖堂の外へと出て行った。

 後に残されたアンリエッタは、隣で泣きじゃくるティファニアに気付いた。

 アンリエッタは、ティファニアに近付くと、その手を握った。

「……私、とんでもないことをしてしまいました。苦しむのなら、と行ったことが、更なる苦しみを与えてしまうなんて……」

「貴女はまだ、誰も愛したことがないのね? 私達の従姉妹」

「はい」

 ティファニアは、首肯いた。

「なら、誰も貴女を責めることはできませぬ」

 アンリエッタは、控室から聖堂の中を覗いた。

 “聖戦”が発動されたこともあって、神官を先頭にして信者達が始祖像に向かって熱心に御祈りを捧げている様子が見える。

 アンリエッタは、聖堂の中を覗きながら(自分もああして1日中祈りを捧げていたことがあった。でももう、祈りを捧げる気持ちにはなれないわね)と想い、止めることができなかった戦を終わらせるために、なすべきことを考えた。

 

 

 

「“虎街道に潜む敵部隊を殲滅せよ”かぁ……簡単に言ってくれるね。どうも」

 そう、切ない声で呟いたのはマリコルヌである。

 隣では、ギーシュが馬に跨ったまま腕組をして考え込んでいる。

 その後ろには、浮かない顔でぞろぞろと着いて来る少年騎士達の姿……。

 照り付ける明るい太陽と、その表情とが上手くマッチしていない。

 本日……彼等“水精霊騎士隊”が聖堂の警備任務に務いていると、とうとうその報告がやって来たのである。

 “ガリア”反乱軍の侵攻。

 だが、反乱軍とは名ばかりで、実はジョゼフの意を受けた強力な軍勢であるということは明白であった。

 街道上空では“ガリア両用艦隊”と、“ロマリア”艦隊が睨み合いを続けている。

 “ロマリア”艦隊は劣勢だということもあって、仕掛けることができない。

 対して“ガリア”側は優勢である。がしかし、攻撃を仕掛けていない様子である。

 そんな状況を説明された後、“アクイレイア”に駐屯している在りと汎ゆる部隊に出撃命令が下ったのであった。

 そして、ギーシュ達には特別な命令が与えられた。

 

――“アクイレイアの聖女事、ミス・ヴァリエールの詠唱を援護せよ”。

 

 ルイズの“系統魔法”が、“虚無”であるということを、既に少年騎士達は知っている。

 いつしか、“ゼロのルイズ”は、女王陛下のルイズに変わり、今や教皇御自ら“アクイレイアの聖女”呼ばわりである。何とも大した出世であるといえるだろう。

 露払いを務める憂鬱な顔付きの“水精霊騎士隊”とは裏腹に、ルイズは意気揚々とした様子を見せている。

 ルイズのその様子は、無理矢理自分を奮い立たせているようにも見えるだろう。

 その後ろには“聖堂騎士隊”を2つも従えている。1つはカルロ率いる“アリエステ修道会”付きの“聖堂騎士”。更にその後ろには、民兵の連隊がくっ着いている。

 そして、“水精霊騎士隊”の隣に、シオンと俺との2人だ。

 これ等全てが、ルイズの護衛であるといえる。

 どうやら、 “アクイレイアの聖女”であるルイズは、今回の戦の、旗であり、主力であるのだ。

 ルイズは顔を輝かせ。今回の戦いが如何に有意義なモノであるかを捲し立てる。

「何とも名誉なことだわ。あんた達もそう想うでしょ?」

 マリコルヌが相槌を打った。

「名誉。名誉。嗚呼、名誉なことだね。何せ、“聖戦”まで発動されたしね」

「そうよ! 嗚呼、何て素晴らしいのかしら! 私達、聖なる国の、聖なる代表なのよ。驕り高ぶる異端共や“エルフ”に、想い知らさせて上げようじゃない!」

「随分と暢気だな」

「何よ? 浮か無い顔ね」

「今時、“聖戦”が発動されて喜ぶのは、神官共に“聖騎士”くらいなもんさ。君、“聖戦”がどんなものが知っているのかい? 何、神と“始祖ブリミル”のためと言えば聞こえは好いが、“聖地”を取り返すまで終わらない、恐ろしい戦なんだぜ? 全く、一銭にもなりゃしないよ! 僕等の御先祖が、どんだけ“聖戦”で命や有り金を擦ったか教えてやろうか?」

 ギーシュも大きく首肯いた。

「神と“始祖ブリミル”が恩寵たれたもう“ハルケギニア”のために命を張るのはやぶさかじゃないが……モノには限度ってもんがある。“エルフ”を相手にするのは覚悟してたが、まさか“聖戦”とはね」

「何よ何よ!? 怖じ気付いたの? あんた達、それでも“トリステイン貴族”なの!? ここで手柄を上げて、女王陛下と教皇聖下の御覚えを目出度くしようとか想わないの?」

「全滅したら、誰が僕達の名誉を保障してくれるんだい?」

 すると、スッと後列からカルロが進み出て、ルイズとギーシュ達の間に割って入る。

「神が保障してくださる。神は全ての行いを見ておられるのだよ。“聖戦”で死ねば、その魂は“ヴァルハラ(天上)”に送られる。そこで神の軍列に叙されるのだ。これ以上の名誉があるかい?」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、澄ました神官戦士の声に呆れた様子を見せる。真顔で、“ヴァルハラ”、などと言われたのだから、どうにも居心地の悪い何かを感じたのである。

「カルロ殿の仰る通りだわ。私達は、ここで死すとも護国の神となりて、天上から聖なる戦を見守るのよ。いつしか、“聖地”を取り返す日のために……」

「素晴らしい説教です。“聖女”殿」

 ルイズは眼をキラキラさせ乍ら、夢見るような口調で言った。

「私……とても誇らしいわ。“魔法”の才能がないって言われて、いつも“ゼロ”、“ゼロ”、と馬鹿にされてた……そんな私が、今こうして、神と“始祖”と“ハルケギニア”のための戦いの先頭に立っている。こんな名誉ってないわ。これほど誇らしい日はなかったわ。今日、ここで死すとも、私の魂は永久に生きるでしょう」

「貴女は“アクイレイア”……いや、“ハルケギニア”の“聖女”ですよ。御安心ください。貴女の“詠唱”の時間は、我々が稼ぎます。何、一命に代えても」

 2人のそんな遣り取りを、“水精霊騎士隊”の少年達は、冷ややかに見詰める。

「で、そんな偉大な“聖女”殿の御出陣なのに、教皇聖下は“アクイレイア”でノンビリと御観戦かい? こないだは先頭に立って敵を粉砕するとか何とか騒いでおられなかったか?」

 黙って話を聞いていたギムリがそう言うと、カルロとルイズに“杖”を突き付けられる。

「不敬だぞ!」

「不敬よ!」

「貴方達、“杖”を向ける先を間違っているわよ」

「そ、そうね……ごめんなさい、シオン。貴女の言う通りだわ」

「御免……いや、すいません。ちょっと気になったもんで」

「聖下がその御身を危険に晒される訳ないじゃない! 聖下さえ御健在成ら、“ハルケギニア”は何度でも蘇る! そう、例え“エルフ”に焼き尽くされてもね」

 ルイズは拳を握り締めると、“聖具”の形に印を切った。

 そんな様子を見詰め、「“聖女”より、“ゼロのルイズ”の方がなんぼかマシだったね」、とマリコルヌが切ない声で言った。

「サイトが居無かったら、ルイズはこんな風になっちゃってたんだなあ」

 ギーシュが、ウンザリとした調子で呟いた。

 

 

 

 進軍を続けると、森の向こうに切り立った巨大な峡谷が見えて来た。

 “火竜山脈”にパックリと開いた大きな切れ目……“虎街道”である。

 その前には、幾重にも入り口を包囲した軍勢の姿が見える。急遽展開した“ロマリア”軍である。

 それ等の様子から、敵はどうやら未だ峡谷の内部にいるらしいことが判る。

 俺達の、もといルイズの隊列を認めたらしく、包囲線の中から1人の騎士が駆け寄って来る。

「指揮官は!? 指揮官はおられるかー!?」

 巫女服を纏ったルイズが、スッと前に出て、澄ました顔で手を挙げる。

「おお! 貴女はもしや連絡のあった“聖女”殿! 御待ちしておりました!」

「戦況を説明してください」

「はい! 敵勢は“ゴーレム”らしき全長25“メイル”ほどの甲冑人形共です。100体程と見積もられます。また、他にも骨人形としか言いようのない妙なモノが数千~数万程……これがまた、どうにもならないほど強力でして……先行した“ティボーリ混成連隊”は全滅。文字通りの全滅です! 今現在、詳しい様子を窺うために、斥候隊を出しておりますが……」

 次の瞬間、“虎街道”の入り口から煙が凄まじい速さで濛々と溢れ出し、次いで榴弾が続け様に爆発する音が響く。

 入り口を切ない顔で見詰めた後、騎士が「全滅のようです」と呟いた。

「後は私達に御任せ下さい」

 ルイズはそう言うと、手を挙げて進軍を開始させる。

 口々に居並んだ“ロマリア”軍の将兵達が、ルイズに歓声を上げる。

「“アクイレイアの聖女”殿! 万歳!」

「我等が巫女殿! 敵を吹っ飛ばしてやってくれ!」

 包囲した軍勢が左右に分かれ、ルイズを始め俺達を入り口の手前まで通す。

 パックリと開いた“虎街道”の入り口は、全てを呑み込む巨大な“竜”の顎を想起させる。切り立った崖から突き出ている岩は、全てを切り裂く牙のように想わせる。

 立ち篭める煙の奥を見据え、ルイズは次々に指示を飛ばす。

「誰か、私の前まで敵を引っ張って来て頂戴。一撃で片を着けるわ」

 カルロが首肯くと、ギーシュ達に顎をしゃくった。

「御指名だ。行き給え」

 未だ爆発による煙と黒色火薬の臭いなどが漂う峡谷の奥を指指し、ギーシュが言った。

「僕達に、あそこに飛び込めって言うのかい?」

「当たり前だ。我々は“聖女”殿を守らねばならん。君達では不可能な任務だ。だから可能な仕事を与えてやろうと言うのだ。感謝し給え」

 その物言で、流石に少年達をキレさせた。

 ギムリが“杖”を引き抜くと、少年達は一斉に“杖”を抜いた。

「“貴族”に、“死ね”、と言う時には、それなりの作法が在るんだぜ? 糞坊主」

「仲間割れしている場合じゃないでしょう!」

 ルイズが、先程のシオンと同じ言葉を叫んだ。

 “杖”を突き付け合って睨み合う騎士隊を諌めたのはギーシュであった。

「諸君、“杖”を引っ込めようじゃないか。ルイズの言う通りだ。喧嘩している場合じゃない」

「理解ったら、早く行き給え」

 苦々し気にそう言ったカルロに、ギーシュは向き直る。

「任務に赴く前に、正直なところを言ってもよろしいか?」

「聞いてやろう」

「ではハッキリと申し上げるが、僕は君達のやり方が気に入らない。そりゃ僕達は“ブリミル教徒”だ。“ハルケギニア”の“貴族”だ。教皇聖下が“聖戦”と仰るのなら、従うまでだ。でも、僕は多少、“アルビオン”で地獄を見て来た。威勢の良いことばかり言ってる連中は、僕も含めていざと言う時にはからっきしだった。だから、今一君達には着いて行けないのさ。何と言うかな、そういうのは芝居の中だけにしておいて欲しいんだよ」

 カルロは顔を赤くしたが、何とか怒りを堪えた。

「結構!」

 その様子に、シオンと俺は思わず苦笑を浮かべる。

「ギーシュ!」

 ルイズが叫んだ。

「ルイズ。1つだけ約束してくれ」

「何よ?」

「死ぬなよ。危なくなったら、全てを放り出して逃げるんだ。サイトが言ってただろ? “神様や名誉のために死ぬのは馬鹿らしい”てっな。聞いた時には何て言い草だと想ったもんだが、今なら理解る。死んだら御奉公は無理だぜ。見っともなくても生き残る。それがホントの名誉だ。セイヴァーの言い分もあったし、今はそう想える。それに何より、君を死なせたらサイトに恨まれるからね」

「だからそのサイトって誰よ!?」

「シオン。ルイズのことを頼んだよ」

 ギーシュの言葉に、シオンは強く首肯く。

 それからギーシュは踵を返すと、腕を振り上げた。

「前進!」

 少年達がゾロゾロと後に続く。

「さて、俺も行こうか。あいつ等だけだと心配だしな」

「御願いね。セイヴァー……“令呪”をもって命じます。セイヴァー、必ず、必ず、生きて、皆を連れて帰って来て」

 シオンの手にあった“令呪”から1画が消え失せ、形を変えた。

「こんなことに“令呪”を使うのか……呆れたな。元よりそのつもりだったのだがな。ああ、1つ言い忘れていたんだが……“令呪”は漠然とした命令や長期間の命令に対してはあまり効果を発揮しない」

 そう言って、俺は笑みを浮かべながら少年達の後を追い掛ける。

 

 

 

「やれやれ。神様のために死ぬってのは、今一どころか今三位ピンと来ないけど……友の恋人のためなら、命を賭けるのも仕方ない。参ったね」

 マリコルヌが、つまらなさそうに呟いた。

「まあしょうがないよな。彼奴は何度も僕達を助けてくれたんだから」

 ギムリが言った。

 レイナールが、眼鏡を持ち上げながら呟いた。

「で、隊長殿。そんな恐ろしい敵を相手にして、僕達は任務を遂行できるのかい?」

 ギーシュは真顔で言った。

「僕がいる」

 今度は誰も逃げ出すことはなかった。

 結局のところ、彼等は皆“貴族”なのである。

「良く言った」

「セイヴァー!? 君、何で?」

「何、“マスター”からの指示だ。御前達を全力でサポートしようか……さて、ここで御前等に1つ、俺の考えを言っておこうか」

「何だい?」

 皆、行軍を続けながら耳を傾ける。

「“戦場で笑わぬ者は、”エシュシオン(楽園)“でも笑いを忘れてしまう”。そして、“戦場での笑いは、敵への侮蔑に繋がることがある”」

「なら、どうすれば良いんだい?」

「何、実に簡単なことだ。“初歩的なことだ、友よ”。自分が如何に満足できるかどうかさ……全力を出し切れば良いだけの話ってことだ」

 皆、首肯きながら敵へと向かって歩いた。

 

 

 

 

 

「――うわぁああああああ!?」

 っと絶叫して、才人は起き上がった。

 荒く息を吐き、才人は辺りを見回す。

「何じゃここは?」

 其処は……板壁の薄暗い部屋であった。

 才人はベッドに寝かされている。

 “ヴァリヤーグ”達に襲われ、撤退というかたちでブリミルが出した“ゲート”を潜ったはずなのだが……。

 才人は、一体全体何がどうなっているのか理解らないでいた。

「御目覚めかい?」

 その声に才人が振り返ると、ジュリオが椅子に腰掛けてジッと才人の事を見詰めている。

「わ!? 何だよ御前!?」

 それから才人は不思議そうに首を振る。

「む……だとすると、やっぱりさっきのは夢だったのか……?」

「夢?」

 興味深そうに、ジュリオは才人を見詰めている。

「ああ。随分変な夢だぜ……笑うなよ?」

「笑わないよ」

「何と6,000年前にタイムスリップした夢なんだよ。ほら、御前等が神様と崇める“始祖ブリミル”と、何と初代“ガンダールヴ”が出て来やがったんだ」

「ふむふむ」

「ビックリすることに、初代“ガンダールヴ”は“エルフ”で女だったんだぜ? そいつ等と一緒に大軍と戦う夢だってんだから大笑いだよなあ」

 するとジュリオは、ニッコリと微笑んだ。

「あはは、変な夢だね」

「だろ? 全く……でも夢にしちゃ相当生々しかったな……夢の中での“セイヴァー”は“実際にタイムスリップした”みたいなこと言ってたけど……いやはや、ホント戻れて良かったぜ。ところでここはどこなんだ?」

「“アクイレイア”の街だよ」

「それって、教皇聖下が創立3周年記念式典とやらを行っているという……」

「即位さ」

「どっちだって良いじゃねえか。でもまた、どうして寝かして連れて来たんだ? 逃げ出すとでも想ったのか?」

「いや、そうじゃない」

 それから才人は、心配そうに顔を曇らせた。

「で、“ガリア”はどうした? あの“ミョズニトニルン”や他“サーヴァント”達は? やっぱり手を出して来やがったか?」

「ああ」

「そうだよな……まだだよな。そうだとしたら、俺と御前がこんな所で悠長にしていられる訳がねえもんな……って!? 何つったぁ?」

 才人はベッドから跳ね起きると、ジュリオの胸倉を掴んだ。

「“ガリア”は“両用艦隊”に例の騎士人形などを満載させて、我が“ロマリア連合皇国”に攻め寄せて来た。今現在、国境では激しい戦闘が繰り広げられている」

「何だと? ルイズやギーシュは? シオンやティファニア、セイヴァーは?」

「彼等は既に投入された。丁度着いた頃じゃないかな」

「こ、こうしちゃいられねえじゃねえか!」

 才人はドアに取り付いて、扉を開こうとした。

 が……開け無い。

 鍵が掛けられているのである。

「おいジュリオ! 開けろ!」

「まあ、そう焦るな。さて、目覚めたところで、僕達はルイズとの約束を守らなきゃいけない」

「何言ってんだよ!? そんなのは後だ。あいつ等が戦ってるんだろ!?」

「戦っている。でも、約束は約束だ」

「一体、どんな約束をしたって言うんだよ!?」

「こんな約束さ」

 ジュリオは、立ち上がると鍵を外した。

「……ったく。開けるなら、サッサと開けろってんだ」

 才人は、扉を開けた瞬間、息を呑んだ。

「…………」

 そこは……次の間だった。

 ここは、修道院の寄宿舎か何かであっただろう建物のようである。そこは居間で、古木瓜たテーブルと椅子が並んでいる。

 だが、才人の目が釘付けになったのは、そのような家具などではない。

 “ゲート()”であった。

 キラキラ光る、鏡のような形をした“ゲート()”。

 才人は何度か、この“魔法”の扉を見たことがある。

 先程の夢、もしくは現実の中で。

 そしてもう2度ほど……ルイズの“使い魔”になった時……。

「こ、これは……?」

「“世界扉(ワールド・ドア)”です。貴男の“世界”と、“こちらの世界”を繋ぐ“魔法”です」

 才人が横を向くと、教皇ヴィットーリオがにこやかな笑みを浮かべながら立っている。

「約束って……まさか!?」

「そうです。ミス・ヴァリエールに、貴男を御自分の“世界”に帰すよう、私は頼まれました」

 才人は、(ルイズが頼んだ? どうして?)と疑問を抱くが、はた、(きっと……母からのメールを読んで泣いてる所を見られたんだ。だからルイズは、俺を故郷に帰そうとしたんだろうな)ということに気付いた。

 才人は、胸が熱くなった。

 あの最後の笑顔の意味を理解したので在る。

 そんなルイズが、今戦って居る。

「帰れる訳無いじゃ成いですか! ルイズが戦って居るって云うのに!」

 そう言いつつも、才人の目は“ゲート”の向こうに吸い込まれてしまう。開いたばかりなのだろう、徐々に“ゲート”は透き通り……向こうの景色が見え始める。

 向こうの景色を見た時、才人の全身から力が抜けた。

「貴男に合わせた“世界扉(ワールド・ドア)”ですです。そこに開くのは、当然至極と言えましょう」

 そんな……と、才人は気が抜けた声でどうにか呟いた。

 そこは、才人にとって懐かしい、夢にまで見た自宅の前であったのだから。

 膝を突いたまま才人はそれをジッと見詰めた。

 ブロック塀に囲まれた先にはコンクリートの小さい叩き。その上に置かれた鉢植え。合板の安っぽい扉に付いた、何度となく握ったステンレス製のドアノブ……。

 日本にいれば、何てことのないといえるだろう風景である。

 だが、今の才人にとってはどのような芸術的建築物より、素晴らしいモノに見えた。想わず、才人は足を一歩踏み出してしまう。

 だが、才人はその足を止めた。

「……帰れないよ。だって、だってルイズが……皆が戦ってるんだ。どうして俺だけ帰ることができるんだよ!?」

「それを選ぶのは君次第です。だが、選ぶなら早くしてください。私の“精神力”には限りがある。この扉を開いていられるのは、後十数秒ほどです。そして、再び人が潜れるほどの“ゲート”を開ける“精神力”はありません。これが最後です」

 才人は突然迫られた決断に、胸が震えていることを自覚した。

 この扉を潜れば、あの懐かしい“日本”に帰ることができるのだから。だが、それは同時に、ルイズや仲間達との永久の別れを意味しているともいえるだろう。

 ルイズや皆のことを、才人は好いている。

 だが、間近で見る自宅は、抗い難い魅力を放っているのもまた事実である。

 そこで、ブリミルの「人は、其の拠り所のために戦う」という言葉が、不意に才人の胸を過った。

 眼の前の玄関が、様々な想い出を才人の中に蘇らせて来る。

 待ち合わせて一緒に学校に行った近所に住む幼馴染。放課後、遊びに来た友達。学校に遅刻しそうになって飛び出たこと。小さい頃に行った自転車の練習。塀を使ったキャッチボール。

 そんなつまらないといえるだろうことが、鮮明に才人の胸中に蘇る。

 そう、そこが才人の生活の場所であったのだ。

「俺の拠り所……」

 そう呟いた瞬間、才人の左目に突然光景が雪崩れ込んで来る。

 それは……ルイズの視界である。

 主人に危険が及ぶと発揮される“使い魔”の能力が発現したのである。

 視界の中、巨大な峡谷が見える。

 そして、居並ぶ軍勢。

 突然、峡谷の中から巨大な煙が巻き起こる。

 その視界にギーシュ達“水精霊騎士隊”の姿も映る。一様に緊張した表情。

 視界を共有しているルイズは歩き出した。

 恐ろしい煙が吹き出す峡谷へと……。

 戦いが始まろうとしている。

 その様子を見て、再び才人の足が止まった。

「……帰えれる訳ねえだろ」

 だが、“運命”は残酷であった。

 首を振る才人の眼の前で、“ゲート”の向こうに見える玄関のドアが開いたのである。

 時間が止まったかのように、才人には感じられた。

 そこに現れた人物を見て、才人の目から、極々自然に涙が溢れ流れるのである。

「母さん」

 “ゲート”の向こうにいる才人の母は、1年前と余り変わらないといえるだろう。いや……多少老けたと、才人に想わせた。才人の前では見せたことのない、疲れ切った顔をしているのだから。

 才人の母は、眼の前でキラキラ光る“ゲート”に気付き目を丸くした、

「御安心を。向こうからは、こちらの様子は見えません。“ゲート”は一方通行ですから、潜ることもできません。ただ、光る鏡が浮かんでいるように見えるでしょうね」

 左目に映るルイズの視界。

 右目に映る懐かしい母の姿。

 背後から、ジュリオの声が響く。

「左か? 右か? 選ぶんだ。兄弟」

 才人は眼の前に手を伸ばした。

 ここを潜れば、母に逢うことができるのだ。あれだけ心配を掛けることになってしまった、母に逢うことができる。

 様々な想いが才人の胸を過った。

 テストで良い点を取って褒められたこと。隣の家でガラスを割って怒られたこと。卵焼きの味。味噌汁の味。不味いと言って残した魚の煮付け……「勉強しなさい」と何度も言われたこと。当然、(煩せなあ)などとあの頃は心の中で 想っていた。

 才人はユックリと、開いた掌を握り締めた。

 眼の前で、ゲートが掻き消えて行く。

 才人は1回だけ、目の下を擦った。

 背後に立つジュリオは才人の背に突き付けていた拳銃を、ホッとした様に下ろす。

 振り向いた才人、もう泣いていなかった。

「俺の“剣”と“槍”はどこだ?」

「良いのかい? もしかしたら、最後のチャンスだったかもしれないよ?」

「同じこと言わせるな。俺の“剣”と“槍”を持って来い。でもって、ルイズ達はどこにいる?」

「“アクイレイア”の北方10“リーグ”。“虎街道”の入り口だ。君の“槍”なら、30分ほどで着くと想うよ」

 ジュリオのその言葉で、才人は怒りに顔を歪めた。

「全部御前等の掌の上なんだな。理解っててやりやがったな?」

 そして……才人はジュリオが握っている拳銃に気付いた。

 ジュリオは、悪怯れた様子もなく言い放つ。

「勘違いするなよ。僕達が必要とするのは、君の左手に刻まれた文字であって、決して君じゃないということを」

 才人は、もし“ゲート”を潜ろうとすれば後ろから撃たれていたであろうことに、気付いた。

「御前……」

 珍しく、ジュリオの顔から人を小馬鹿にするような色が消える。

「御目出度い奴だな。“異世界”だって? そこに戻れば“ルーン”が消える? 生憎と、そこまで僕達の、絆は、便利に出来ちゃいない。“使い魔”でなくなるルールは1つだけ。死、だけだ。そうとも。僕達は必死なんだ。そのためには、何だってやってやる。忘れるな。“虚無の使い魔”の拠り所は、絶対に“主人”じゃなきゃいけないんだ。覚えておけ兄弟、僕達の、拠り所、はここじゃなきゃいけないんだ。そうじゃなかったら、絶対に“聖地”は奪回できない」

 才人は拳を握り締めた。怒りで肩が震える。

「覚えとけ。後で絶対打ん殴る」

 ジュリオは笑みを浮かべた。

 才人はその顔に、遠慮のない一撃を叩き込む。

 ジュリオは避ける素振りを見せることもなく、その拳を受け入れた。派手に吹っ飛び、ドアへと打ち当たる。

 倒れたまま、ジュリオは言った。

「この建物を出た眼の前に倉庫がある。そこに君の“槍”が置いてあるよ」

 才人は扉を開けて出て行こうとした。が……立ち止まる。

「聖下」

「何でしょう?」

 一部始終を顔色1つ変えることもなく見詰めていた教皇ヴィットーリオに、才人は言った。

「もう1回だけ、扉を開いてください。そんくらい、良いでしょう?」

「どうした? 里心が着いたのかい? さっき無理だって言ったじゃないか」

「小さい奴で良いんだ。指1本くらい、潜る程度で良い」

「やってみます。まあ、それくらいでしたら、何とか」



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鋼鉄の虎

「全く……何をモタモタしている!?」

 “虎街道”の宿場町……無人となったはずのそこに、シェフィールドは“ヨルムンガント”を待機させていた。

 彼女は薄い青色をしたモノクルをその目に嵌めている。“魔道具”の一種である。各“ヨルムンガント”の視界が、それに映し出されるのである。これにより、シェフィールドは100体もの“ヨルムンガント”を、まるで自身の手足のように扱うことができるのである。本来、“ミョズニトニルン”としての能力だけでは数十体ほどが限界であったといえるだろう。だが、今のシェフィールドは、“ミョズニトニルン”であると同時に“キャスター”の“サーヴァント”である。これくらいはできても何ら可怪しくはない。

 降下してから1時間が過ぎていた。

 その間の“ロマリア”側の反撃が中々にしつこい――堅く、持ち込んだ大砲の弾と火薬が切れてしまったのである。

 効率良く殲滅するためには、装備した剣だけでは心許ないといえるだろう。

 “ヨルムンガント”には“先住魔法”の“反射”が掛けられているとはいえ、完全に敵の攻撃を跳ね返すことができる訳ではないのである。攻撃を受け続ければ当然、“反射”の効力は切れてしまう。

 敵の大砲や“メイジ”の“魔法”を沈黙させる、飛び道具はやはり必要であるといえるのだ。

 砲弾が切れた場合、“フネ”が降下して補給する手筈であったのだが……。

 だが……先程やっと始まったのは“ロマリア”艦隊との砲戦が未だ終わらないのである。数で大幅に勝っている“両用艦隊”であるのだが、3分の1の艦で、反乱及び戦闘拒否が発生していたためである。

 結果、混乱した艦隊は、戦意に勝る“ロマリア”艦隊に終始翻弄され続けているのであった。故に、補給物資を降下させることができないのである

 補給を受けることができない、ということに、シェフィールドにとってもう1つ困ることがあった。

 “エルフ”の協力を得て開発された“魔導兵器ヨルムンガント”の動力は“先住魔法”の結晶……詰まり“風石”であるといえる。重い甲冑を身軽に動かすために、“ヨルムンガント”は大量の“風石”を必要とするのである。“風石”が切れれば、勿論“ヨルムンガント”は身動きが取れなくなってしまう。そうなれば、幾ら強力な甲冑人形であろうとも、ただの鉄の塊に過ぎない代物になってしまう。挑発的に現れる敵部隊を撃滅する際に、激しく動いたためにそろそろ“風石”が心細くなり掛けているのである。シェフィールドは、“キャスター”として“風石”を生み出すことはできはするのだが、未だ上手く造ることができないため、“エルフ”から貰い受けるしかないのが現状であった。“ロマリア”軍にかなりの出血を強いたとはいえ、彼女にとって今の状況や状態は喜べはしないのであった。

 目的は、“ロマリア”軍の出血ではなく、全滅であるのだから、

 そうでなければ、国土を灰にすることなどできやしない。ジョゼフがそう望む以上、シェフィールドは“ロマリア”を灰にするつもりであるのだ。

 この“ヨルムンガント”や“竜牙兵”させいれば、国内の各都市に散らばる“ロマリア”軍など、ものの数ではない。そう、シェフィールドは判断していた。

 だが、“ロマリア”側は兵力を国境付近に集結させていた。

 また、更にその背後には“サーヴァント”の存在がある。

 それでも、何としてでもシェフィールドには目的を遂行する必要があった。そうでなければ、彼女は、(自分は存在の価値を失う)、と想っているためである。

 気を揉むシェフィールドの視界に、艦列から離れ、降下して来た1艦が目に入った。

 “ヨルムンガント”を空から偵察しようというのであろう。

 シェフィールドは赤い唇を歪めて、笑みを浮かべた。

 艦が更に近付いて来るのを、シェフィールドは待った。

 敵艦が上空100“メイル”ほどに達した時、シェフィールドは2体の“ヨルムンガント”をしゃがませて、両手を組ませた。その手の上に別の1体の足を乗せ、空へと放り投げさせたのである。

 空に浮かんだ“ヨルムンガント”は、蠅取蜘蛛のように敵艦に取り着いた。相手はまさか、“ゴーレム”が、ジャンプする、などと夢にも想わなかったであろう。

 積載量ギリギリに大砲や砲弾を積んでいる軍艦は、“ヨルムンガント”の重さに耐え切ることなど到底できるはずもなく、落下した。

 地面に落ちると、10体の“ヨルムンガント”が“フネ”をバラバラにして、“風石”を引き摺り出す。“ヨルムンガント”達は、まるでヒトが豆でも食らうかのように、口の部分から奪い取った“風石”を呑み込んだ。それから大砲を奪い取る。“ヨルムンガント”は、砲弾と火薬を腰の袋に仕舞い込んだ。

 次いで、“竜牙兵”達は、船員達を無惨にも殺して行くのであった。

 シェフィールドは満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

「凄いな。あの“ゴーレム”、跳んで“フネ”を叩き落としやがった」

 レイナールが、感嘆した声で呟く。

 “水精霊騎士隊”の少年達と俺は、ヴェルダンデが掘った穴を通って、宿場町が見えるところまでやって来たのである。

 地面に顔を出すことができる程度の穴を作り、上にマントを被せ、更にその上に土を掛ける。中々に、凝った造りの偽装であるといえるだろう

 マントと地面の小さな隙間から、俺達はかれこれ30分ばかり様子を窺っている。

 入り口で待ち構えるルイズ達の前まで敵を引っ張る、といっても、一体どうすれば良いのか皆検討も着かないのである。

 勿論、俺が派手に暴れて誘き寄せれば解決するのだが。それでは駄目だろう。

 ギーシュが、困ったような声で言った。

「あれは“ゴーレム”じゃない。“アルビオン”で見たのと同じもんだな」

「強いんだろ?」

「“魔法”が効かない。どうやら“エルフ”の“先住魔法”が掛かってる。それを何とかできるのは、“ルイズ”の“魔法”か、セイヴァーの力くらいだろうな」

 少年達は、ギーシュのその言葉に青くなった。

「さてさて、ホントにどうしたもんか……」

 ギーシュは悩んだ。

 下手に手を出してしまえば、剣と大砲などでバラバラにされてしまうだろうことは明白である。また、“竜牙兵”の存在もあるのだから、堪ったモノではないだろう。

「いずれ待っていれば、ルイズ達の前に出て来てくれるんじゃないか?」

 ギムリが言った。

「いや……迂回されるかもしれん」

「左右は切り立った崖だぜ? どうやって迂回するっていうんだ?」

「あの身の熟しなら、この崖を攀じ登ることだってできるんじゃないか? 兎に角、“ロマリア”軍が入り口を包囲していることはあいつ等も理解ってるだろう。馬鹿じゃないんだから。恐らく、艦隊の支援が受けられるなら、真正面から包囲戦の突破を図るだろうね」

 レイナールが持論を述べ、ギーシュと俺は首肯く。

「そうだね。だが、艦隊の支援が受けられないなら……」

「マトモな指揮官なら、迂回か、艦隊決戦が終わるまでここで待機。どちらを選ぶだろう?」

 マリコルヌは“遠見”の“呪文”を使い、空を見上げた。

 ダラダラと艦隊戦は続いている。双方、余りやる気があるようには感じられない。1年経っても終わらない、そう想わせて来る様子である。

「ありゃあ、勝負が着かないね」

 レイナールの予想は当たった。

 騎士人形達は、指をハーケンのように硬い岩壁に打ち立て、左右の崖を攀じ登り始めたのである。山伝いに進軍して、味方の側面を突くつもりのようである。

「高さは200“メイル”以上あるぜ? 本気で登るつもりか?」

「本気らしい。いやはや器用だな……まるで軽業師だよ」

 ユックリとだが確実に、“ヨルムンガント”達は攀じ登って行く。その背には、わらわらと“竜牙兵”がひっ着いているのが見える。

 展開した“ロマリア”軍は、入り口に砲口を向けている。両脇の崖を下って攻撃されてしま得ば、味方は混乱してしまうであろうし、ルイズ達との計画もまた失敗してしまう。

「仕方無い。兎に角注意を引こう。セイヴァー、悪いけど」

「承知しているよ。御前達の身の安全は保証する」

 ギーシュは側にいたヴェルダンデへと口吻した。

 真顔であったために、少年達は、おぷ、と口を押さえた。

「もし僕が死んだら、ヴェルダンデ。君はモンモランシーにこれを届けるんだ。良いね?」

 髪を一房切ると、ギーシュはそれをヴェルダンデに手渡した。

 嫌々をするように、ヴェルダンデは目に一杯涙を溜めながら首を横に振る。

「笑って見送ってくれ。僕は“貴族”なんだ」

 それを見ていた少年達も、それぞれ蛇や梟などといった自分の“使い魔”にそれぞれ髪の房を渡した。恋人や家族への言葉と共に……。

「レイナール、作戦を言え」

 ギーシュが硬い声で言った。

「作戦? おいおいどうしろって言うんだ? “魔法”を撃ちまくり注意を引いて、後はセイヴァーの援護と共に“フライ”で逃げる。こっちに向かって来れれば御慰み。そんくらいだね」

「上等だ。行くぞ」

 ギーシュは穴から飛び出すと、青銅の薔薇を振り、“ゴーレム”――“ワルキューレ”を作り出す。

 少年達も、それぞれ“魔法”を放った。

「さて、俺もやりますかね……」

 弓矢を“投影”し、“ヨルムンガント”へと向けて放つ。

 崖を攀じ登ろうとしていた“ヨルムンガント”の甲冑に、次々少年達の“魔法”が撃つかりはするが爆ぜるだけである。全く効いていない。

 俺の矢が、1体の“ヨルムンガント”の身体を貫通するのみである。

 ユックリと、“ヨルムンガント”達が首を此方へと向ける。

「馬鹿野郎! こっちだ!」

 ギーシュ達は恐怖で震えながら野次を飛ばした。

 1体ほどの“ヨルムンガント”が、ガチャリ、と音を立てて地面へと飛び降りる。それから、大砲を撃っ放す。

「“風魔法”!」

 騎士隊の“風”使い達が、自分達の上に“魔法”の壁を作り上げる。見事に大砲の弾を受け止め、その上で弾が弾ける。

 ギーシュ達は散々に“魔法”を撃っ放しながら、相手を挑発した。

 “ワルキューレ”がギーシュの意志を汲み取り反映するかのように、踊り始める。

「おい! “ガリア”の罰当たりめ! 僕達が相手してやる! こっちに来い!」

 すると、10体もの“ヨルムンガント”達が、ズシンズシン、と向かって来る。手には剣を握り締めているのが見える。その後に、“竜牙兵”達も続いて来る。

「来やがった!  来やがった!」

「諸君! 撤退だ!」

 ギーシュ達は“フライ”の“呪文”を唱え、直ぐ様逃げ始める。その後に、俺が殿を務める。

 そして、確かに空を行く“フライ”の方が“ヨルムンガント”達の歩行速度より速いといえるだろう。逃げ出すことも可能であるのだが……。

「速度差に気を付けろよ! 相手に追撃を諦めさせるな!」

 “ヨルムンガント”達は時折立ち止まり、大砲に弾を込めて撃っ放す。

 放たれたのは、“葡萄弾”と呼ばれる、小さな弾を何個も放つ散弾の一種である。

 飛んでいる目標には当たり辛いとはいえ、此方は生身である。当たればどうなるかは明白であるといえるだろう。

 向かって来る散弾を、俺は片っ端から弾き飛ばす。

 が――。

「――ぐっ!?」

 一発喰らったギーシュの肩から血が流れた。

「ギーシュ! 大丈夫か?」

「すまない! 捌き切れなかった!」

「……く、平気だ。諸君! このまま飛ぶぞ! あの光に向かって飛べ!」

 俺のミスを気にした風も責めるでもなく、ギーシュは、遠くに見える“虎街道”の出口を指さした。

 

 

 

「見付けた」

 シェフィールドは、恋い焦がれた少女に戻ったように、楽しげな声を漏らした。

 あの青銅の“ゴーレム”を操る少年――ギーシュ……“アルビオン”で、“担い手”である少女――ルイズと共にいたことを想い出したのである。

 そして、更にその後方にいる者を目にして、シェフィールドの笑みが凶悪なモノになる。

「御前達も含めて、幾千、幾万もの軍勢だろうが全てを踏み潰す。あいつ等には何、110,000の軍勢を止めたかもしれないが……私は全てを踏み潰すのさ。そう、虫を潰すみたいにね。御前達など、その1つに過ぎないんだよ」

 “ヨルムンガント”は、力強く駆ける。

 どんな相手が来ようが、負けはせぬ。そういった高揚感がシェフィールドの身体を包んでいた。

 揺れるヨルムンガントの肩の上で、(これほど強力な“使い魔”たる自分が……何故何度もあいつ等に煮え湯を呑まされて来たのかしら? “アルビオン”で、“トリステイン”で、幾度となくあの“トリステイン”の“担い手”とその“使い魔”、“マスター”と“サーヴァント”達、は私を敗北に追いやった。絆の深さの差?)と考え始める。

 シェフィールドとジョゼフのそれは、絆などでは決してないといえるだろう。

 だが……どうにも、シェフィールドの感情が震えるのでsる。認めたくない嫉妬が胸の底から沸き起こるのである。

 同じ“虚無の使い魔”や“サーヴァント”であるにも関わらず、ジョゼフはシェフィールドのことを欠片ほども“愛”していないのである。

 その事実を、あの青い薔薇が燃え盛る庭園で、シェフィールドは想い知ったのである。その時より、シェフィールドの胸には、暗い嫉妬の炎が燃えるのであった。

 “ミョズニトニルン”、と刻まれた額の“ルーン”が力強く光る。

「今日こそ、踏み潰してやる。燃やし尽くして灰にして、この大地に振り撒いてやる」

 シェフィールドは、“ロマリア”の大地が灰になろうがどうなろうがどうでも良かったのである。シェフィールドは、(あの4人を……この世から消し去ることができれば、それで満足……そうしたら……今度こそあのジョゼフ様は……私を……)と考え、唇が歪む。ウットリとした笑みを浮かべ、“ミョズニトニルン(神の頭脳)”は“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”と“代替者(オルタネーター)”を追撃した。

 

 

 

「入って行ってから1時間になるが……あいつ等は何をしているんだ? まさか、逃げたんじゃないだろうな?」

 カルロが言った。

「それはありません。皆こっちに向かって来てます」

 カルロの言葉を、シオンは強く否定する。

 ルイズの“虚無魔法”の“詠唱”は既に完成し、終わっていた。かつて“アルビオン”で、あの“ヨルムンガント”を爆発させた“エクスプロージョン”である。

 ルイズは毅然として、“杖”を構えたまま瞑想でもするかのように立ち尽くしている。“虚無”を唱えると……わずかではあが、心の中の黒い穴が埋まる気がして、ルイズの気持ちが少しばかり安らぐのであった。

 街道の先から、叫び声が聞こ得て来る。

「……うわぁあああああああああああ!」

 ルイズは目を凝らした。

 小さな点が幾つも飛んで来るのである。

 それは“フライ”で飛ぶ“水精霊騎士隊”の面々であった。

 その背後に、10体もの“ヨルムンガント”が見える。シェフィールドが先行させた10体である。

「ルイズゥウウウウウウ! 後は任せたぞおおおおおおおお!」

 次々に少年達が、ルイズの側を飛び退り、擦れ違って行く。

 ルイズとシオンの横に、俺は着地する。

 “ヨルムンガント”は距離100“メイル”で待ち構えているルイズに気付き、大砲を構える。

 だが、遅い。

 ルイズは迫り来る10体もの“ヨルムンガント”目掛けて、完成した“エクスプロージョン”を放った。

 白く小さな光が、10体の“ヨルムンガント”の間に生まれ……膨れ上がり……“ヨルムンガント”を包む。

「やったか!?」

 カルロが笑みを浮かべた。

 そのカルロの言葉に、「この馬鹿“聖堂騎士”が……」と、俺は天を仰ぎ見る。

 次の瞬間、カルロのその笑みが驚愕に歪められる。

 薄っすらと光が掻き消えたのだが……そこには、何事もなかったかのように、“ヨルムンガント”が立っているのである。

「無傷……」

 ルイズも、呆然とその様子を見詰めた。

「……どうして?」

 “アルビオン”で戦った時には、“エクスプロージョン”は効いていたのだが……。

 シオンは、真っ直ぐ“ヨルムンガント”を見詰める。

「あの時は、1体だけだったから……それに」

 シオンの言葉が終わる前に、“ヨルムンガント”の口が開き、シェフィールドの声が響いた。

「御久し振りね。“トリステイン”の“虚無”。そして、“マスター”。こうやって御逢い出来る日を愉しみにしていたわ」

「“ミョズニトニルン”!」

「残念ね。“エルフ”の技術で、装甲に焼入れを施したのよ。表面の“カウンター”は“虚無”で消し飛ばせても、残った威力では、下の装甲はどうにもできないのよ」

 心底、愉しそうな声シェフィールドは言った。

「うわぁああああああああああ!」

 周りを守るカルロが、悲鳴を上げて逃げ出した。

 “聖堂騎士隊”は、群れをなして遁走する。

 ルイズの側には、俺とシオンの2人しかいない。

 後ろで、ギーシュ達が叫んだ。

「ルイズ! シオン! 逃げろ!」

 だが……ルイズの足は動かない。

「私は……“聖女”なのよ。逃げられる訳ないじゃない」

 獲物をいたぶるかのように、ユックリと“ヨルムンガント”が近付いて来る。

「援護だ。ルイズを援護しろ!」

 様々な“魔法”が飛んで、“ヨルムンガント”へと襲い掛かる。

 だが……“カウンター”が破られたとはいえ、“エルフ”により焼入れを施された甲冑はやはり強固である。

 氷の矢や炎の球は元より、“錬金”さえも受け付けはしない。

 ルイズは“呪文”を唱えようとした。効かぬなら、何度でも、効くまで放つまで、といった風に。

「シオン! ルイズを連れて退がれ!」

 俺のその言葉と同時に、巨大な剣が振り下ろされる。

 ブンッ!

 ルイズとシオンの眼の前の地面に突き刺さるかと思われた剣を、俺は“投影”した剣で受け止める。

 その風圧で、ルイズとシオンの2人は後ろへと吹き飛んでしまう。

 “杖”が手から離れて、ルイズはうずくまる。

「御前達……今まで随分と手古摺らせてくれたねえ。ただ殺しはしないよ。貴様達が、私とジョゼフ様を虚仮にした分だけ苦しめてやる。“アサシン”! “アヴェンジャー”!」

 そのシェフィールドの言葉で、2人の“サーヴァント”が姿を現した。

 ルイズは立ち上がろうとした。だが……腰が抜けてしまったのだろう、立つことができないでいる様子だ。

 全長25“メイル”もある“ヨルムンガント”や2人の“サーヴァント”は、まさに恐怖の具現とでもいえるのだから。

 周りを取り囲んでいる“ロマリア”軍が、“ヨルムンガント”へと向けて一斉に射撃を開始した。砲弾が飛び、“ヨルムンガント”の巨体に炸裂する。至近距離であるために、流石に外れることはない。

 数十発もの砲弾が、“ヨルムンガント”の表面で弾けた。“反射”による淡い光が輝き、尽く攻撃を跳ね返すのである。

 ルイズとシオンの周りに、砲弾の欠片が降り注ぐ。

 “水精霊騎士隊”の誰かが、ルイズの上に防御“魔法”を張った。

 次いで、“魔法”が幾つも飛んだ。だが、砲弾と同じ結果である。氷の矢も、火球も、電撃の光も、“ヨルムンガント”には全く効果がない。

「うわあああああああああああ!? 化け物だぁあああああああああ!」

 先ずは兵が逃げ出した。それを止めるべき士官や騎士達も、算を乱して逃げ出し始める。

 無理もないことであるといえるだろう。

 “聖戦”とはいっても、攻撃が効かないのであれば、犬死をするだけなのだから。

 相手を倒す“武器”がなければ、勇気を発揮させることは難しいのである。

 そんな中、俺を含みたった3人だけが立ち上がる。

 ルイズとシオンである。

 ルイズは、(諦めるな。今まで何度も、こんな窮地はあったじゃないの。そのたびに私は、それを潜り抜けて来たじゃない。神に選ばれた力で……この選ばれし“系統”――“虚無”で)と自身に言い聞かせた。

 ルイズは、側に転がっている自身の“杖”に飛び付いた。それを両手で握り、“ヨルムンガント”へと突き付ける。

「馬鹿にしないで。私、何度もあんた達に煮え湯を呑ませて来たのよ。今回だって、きっと負けないわ」

 其の言葉が虚しく響く。

「ほう。どうやって?」

「私の“魔法”でよ!」

「寝言にしか聞こ得ないよ。御前の“魔法”何か効かないじゃにあか! この場で唯一対抗できるのは、そこの“オルタネーター”だけ。全く“虚無の担い手”が呆れるよ!」

 そんなシェフィールドとの会話の中で、(どうやって私は、いつも勝利を収めて来たの?)とルイズは疑問を抱き始めた。

「御前の“使い魔”はどうしたね? いつも番犬のように、御前の前に立ち塞がっていたじゃないか? とうとう愛想を尽かされたのかい?」

「私に“使い魔”はいないわ! 私はたった1人で……」

 ルイズの頭が割れそうなほどに痛んだ。再び、膝を突く。

 心の底の暗い穴が……ポッカリと開いた深淵が、ルイズを責め苛んでいるのである。

 アンリエッタに言われた、「優しくって、愚かね。ルイズ」という言葉が、ルイズの脳裏を過った。

 ルイズは、(私は本当に、たった1人で勝利を収めて来たの? 確かに、シオンやセイヴァー達が助けてくれた。けど……)と自問を始める。

 そして……何度もギーシュ達が口にした言葉を想い出し、(サイトって誰?)とルイズは想った。

「……誰?」

 その名前を想うことで、心の底の暗がりが。自分を苦しめるポッカリと開いた穴が、遠くへと掻き消えて行くかのように、ルイズには感じられた。

 行き場を求めて彷徨う気持ちが、帰るべき家を見付けたかのような感覚……。

 ルイズは混乱した。

 そんなルイズを見て、シェフィールドは笑い転げた。

「忘れちまったのかい? それとも、ホントのホントに愛想を尽かされたのかい? 無理もないね、御前は本当にどう仕様もない、能なしの中の能なしだからね! ああ、この私が、御前のような能なしに何度も土を付けられただなんて!  全く自分が情けないよ! だけど、それも今日で最後だ。御前が死ぬところを、あの御方に見せて差し上げる。そうすれば、あの御方も気付くはずさ。この世で、誰が1番なのかってね」

「黙っていろ、“キャスター”。それ以上、口を開くというのであれば、容赦しないぞ?」

 俺から放たれる言葉と雰囲気に、場が凍り付く。

 こういった現状を招いたのは自分であるという点があるのは確かだ。そして、眼の前のシェフィールドの気持ちも十分に理解できる。“愛”としいとさえ想える。だが、それでも、その言葉だけには、自分のことだけは赦すことができず、我慢することができなかった。

 俺は、“魔力放出”を行い、“ヨルムンガント”を吹き飛ばす。

 そんな中でも、ルイズは痛む頭を押さえながら、考えていた。

 そして、ルイズの脳裏に、何かが瞬いた。

 数々の窮地の場面。

 それを切り抜けて来たルイズ。

 それから、(でも、その私……何だか夢の中の出来事のみたいに心許無いわ。あの私は……私じゃない? 誰かが……いた? だとしたら、誰がいたの?)とルイズは考えた。

 黒い影が、ルイズの心を過る。

 それは優しい影であった。

 その影が、記憶の中のルイズを振り払い、ルイズの前に立ち塞がる。

「……けて」

 ルイズの口から、ポロッと言葉が漏れた、気丈に睨み付けていた目が、緩やかに崩れた。その端から、涙が一筋が溢れれ、柔らかい頬を伝う。

「たすけて」

 気付くと、ルイズは救いを求める声を口にしていた。

「命乞いかい? 貴様、この私に命乞いをしているのかい?」

「サイト、救けて」

 意味の理解らぬ呪文であるかのように、ルイズの口からその言葉が溢れた。

 今のルイズには、誰かは判らない。が、それでも、その名前を口にすることで、何とかなるような、そんな風にルイズは感じたためである。

「おやおや、とうとう“詠唱”すら諦めて命乞いか!? 全く貴様の“虚無”など、我が主人の扱うそれに比べたら、子供の飯事だよ。“虚無”の恥晒しめ! 死ね!」

 “ヨルムンガント”は足を振り上げた。

 ルイズの視界に、巨大な“ヨルムンガント”の足が映る。

 ルイズを踏み潰さんとする、巨人の鉄槌である。

 ルイズは目を瞑って、絶叫した。

「サイト! 救けて!」

 ルイズは、(死にたくない。絶対に、死にたくない。もし死んだら……あの優しい影に、2度と逢うことができないじゃない)と想った。それは、死より悲しいことであるかのように、ルイズは想えたのである。

 ……瞬間。

 ガゴンっ!

 硬い何かが打ち当たる鈍い音が響いた。

 ルイズが目を開けると、自分を踏み潰そうとしていた“ヨルムンガント”の足が……なかったのである。

「遅いぞ、この馬鹿が。いや、ちょうど良いタイミングってか……ルイズの騎士(ヒーロー)さんよ」

 俺の呟きと同時に、ユックリと“ヨルムンガント”の巨体が、後ろへと傾いて行く。岩壁にその巨体が打ち当たり、ジタバタと暴れる。片足を失ったために、立てないようである。

「え?」

 ルイズ達は、何が起こったのか良く判らない、といった様子を見せる。

 他の“ヨルムンガント”8体は警戒態勢を取り、岩陰へとそれぞれ身を隠す。

「ルイズーッ!」

 ルイズを助け出すチャンスを伺っていたギーシュ達が駆け寄って来る。

「2人を頼む」

「理解った」

 彼等はルイズとシオンを抱え起こすと、“ヨルムンガント”から離れた場所へと逃げ出した。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、ルイズは気を失った。

 

 

 

 照準器を覗き込む才人の視線の向こうで、ユックリと“ヨルムンガント”が傾き、岩と土砂を撒き散らしながら、峡谷の岩壁に倒れ込むのが見えた。

 “ヨルムンガント”は、派手に土砂と岩などの欠片を撒き散らす。

「ちょっと下だったかな?」

 三角形が幾つも並ぶ照準器のレンズを覗き込みながら才人は言った。

 “ヨルムンガント”の幅は、大凡6“メイル”……と才人は想っていたのだが、どうやら8“メイル”はあるだろうことが判った。

 敵の大きさを見誤り、狙った場所より下に着弾してしまったのである。

 才人は、照準器の倍率を調節する。

 才人はわずかに“88mm砲”の仰角を上げ、照準器のレンズに映る、真ん中の大きな3角の真上に倒れてもがく“ヨルムンガント”を収めた。

 そして、才人は握った発射レバーを思い切り引いた。

 砲塔内に轟音は響き、煙に包まれる。

 煙は天上のベンチレーターに吸い込まれ、外へと排出された。

 光の矢のような“88mm砲弾”が、倒れた“ヨルムンガント”に吸い込まれる。

 幾ら“先住魔法”の“カウンター”といえども、想定する威力というモノがある。相手の力が強ければ強いほどに、効果を発揮する“カウンター”にもやはり限界値はあった。

 “88mm鉄鋼弾”は、“ハルケギニア”の単位に換算し、距離2,000“メイル”で84mmの装甲板を撃ち抜くことができる。そんな分厚い装甲は、未だ“此の世界”には存在しないのである。

 それを貫く“タイガー戦車”の鉄鋼弾は、まさに想定外の存在であるといえるだろう。

 秒速750m以上の速度で回転しながら、“88mm鉄鋼弾”は倒れた“ヨルムンガント”の胴体に見事命中し、散々“貴族”達を苦しめた甲冑をまるで薄紙のように貫き、中で炸薬を爆発させた。

 “ヨルムンガント”の甲冑が膨れ上がり……バラバラに弾け飛んだ。

 戦車砲の後尾から薬莢が排出され、どすん、と布製のバッグに落ちる。

 その隣では、青い髪の少女が、自分の身長の半分ほどもある大きな砲弾を重そうに抱えている。

「タバサ、それじゃない。先っぽが赤い奴を頼む」

 タバサは首肯き、砲架から別の砲弾を持ち上げ、“88mm砲”に押し込んだ。才人が教えた通り尾栓を閉める。

 再び才人は、照準器を覗き込んだ。

 岩陰の間に隠れた“ヨルムンガント”を探す。此方を窺うかのようにヒョッコリと顔を出した瞬間を、才人は逃さない。

「ばっか野郎。どこ見てやがる」

 再び、才人は発射レバーを引いた。

 轟音。

 狙い違わず、“ヨルムンガント”の顔に“88mm砲弾”が命中する。

 “ヨルムンガント”はヨロヨロと崩れ落ちた。

「やったな! サイト君!」

 全部の操縦席に座るコルベールの声が、耳に着けたヘッドフォンから才人の耳へと響く。

 隣の無選手の席に座ったキュルケが、驚いた声を上げた。

「凄いわ……2“リーグ”は離れてるのよ。それなのに砲弾が命中するなんて!」

 宿舎を飛び出した才人が、言われた通りに倉庫へと向かうと、そこではコルベールの手により整備が終わった“タイガー戦車”、そしてキュルケ達がいたのであった。彼等は、式典の間中、そこで整備を続けていたのである。

 才人は“タイガー戦車”に“ゼロ戦”用の“ガソリン”をしこたま詰め込み、ここまで自走して来たのである。操縦は最初才人が行い、隣でその操作を見守っていたコルベールが、それに代わった。整備により、構造を熟知していたコルベールは直ぐに操作に慣れたのであった。

「このティグレス()と言ったかな? 戦車の操縦は、あの、ひこうき、に比べたらずっと簡単だな! ここをこすうれば、前に動き……」

 コルベールはアクセルを踏み締めた。

 “タイガー戦車”の“エンジン”が吼え、隠れていた小高い丘の茂みの中から姿を現す。そこの丘からは、“虎街道”の入り口が一望出来るのであった。

「この操作円盤を回せば、回頭する」

 自動車の其れと良く似たハンドルを、コルベールは回す。

 すると、グルリと軽快に“タイガー戦車”は進路を変えるのであった。

「……と。姿を表しては、不味っかったかね?」

「いえ。どっちみち砲煙で位置はバレます。このまま突っ込みましょう。敵をこっちに引き付けないと」

 “タイガー戦車”は地響きを立てて、“虎街道”の入り口目指して突進を開始した。

 “ヨルムンガント”を2体も破壊した鋼鉄の塊を認め、潰走していた“ロマリア”軍から歓声が沸いた。

 

 

 

 “ヨルムンガント”が破壊されるのを、シェフィールドのモノクルのレンズ超しに確認した。

「2“リーグ”も離れた場所から、“ヨルムンガント”の装甲を撃ち抜いただと……?」

 到底信じることができないことであった。

 だが……そのようなことをやって退ける存在を、シェフィールドは知っていた。

「とうとう現れたようだね。面白い。決着を着けようじゃないの。“ガンダールヴ”」

 

 

 

 轟音を立て、土を掘り返し、街道の入り口を目指す“タイガー戦車”の周りに、“ロマリア”の将兵が集まって来た。

 才人がハッチから顔を出すと、馬に跨って併走する1人の騎士が、才人に呼び掛けた。

「援軍感謝! あの悪魔のような甲冑人形をやっつけるなんて……! 貴官の所属を述べられたし!」

「“トリステイン王国”、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”!」

「了解! 御頼み申す! 旗がなくては士気に関わる! これを掲げられよ!」

 騎士は、才人に旗を放って寄越した。

 それは、黒字に白抜きで、“聖具”が描かれた旗である。

「何だこれ?」

 才人がキョトンとしていると、隣のハッチから頭をピョコンと出したタバサが教える。

「“聖戦旗”」

 そのデザインは、車体に描かれている鉄十字に似ているといえるだろう。

 才人は、「何だか妙なことになってるな。“地球”の十字架が描かれた戦車が、“異世界”の“聖具”を背負って戦うんだから……」と独り言ちる。

 才人は旗を、アンテナ基部に突き立てた。

 ひるがえる“聖戦旗”に、“ヨルムンガント”によって下がった“ロマリア”軍の士気が、一気に沸騰するかのように上昇した。

「諸君! 注目! 我等が“聖戦”に、“トリステイン王国”より強力な援軍だ! 臆するな! “始祖”の加護は我にあり!」

 才人は、「でも、俺が戦うのは……信じてもいない、神様のためなんかじゃねえ」と呟いた。それから、才人は“聖戦旗”の上に、外した自分のマントを括り付けた。

 百合紋眩しいシュヴァリエのマントをひるがえさせながら、“タイガー戦車”は軋みを上げて疾走した。

『セイヴァー!』

『おお、遅かったな』

『遅かったな、じゃんええよ! 御前には後で文句が言いたい』

『文句だけじゃない、だろ? まあ、それよりも、だ』

『ああ、戦況はどうなってるんだ?』

『勿論、劣勢。“ヨルムンガント”が100体近く残ってる。御前が片付けたあれはダメージにもなりはしないだろうさ。他にも“竜牙兵”と言いう兵隊もどき……そして』

『“アサシン”と“アヴェンジャー”、だな?』

『その通り』

 

 

 

「さて、と……どうする? “アサシン”、“アヴェンジャー”。剣を交えるか?」

「愚問なり」

「…………」

 “アヴェンジャー”が姿を晦ます。

「おや? “アヴェンジャー”の奴、逃げたけど?」

「それでも、我が命じられたのは、御前の足止めだ」

「そうかい。なら、やり合おうか?」

 俺はそう言って、何の変哲もない大剣と盾を“投影”する。

 が、それ等からは、何故か濃厚な死の香りが漂っている。どれほどまでに強い存在であろうとも、死の危険性を与えるであろう、死の香りと可能性を感じさせる。

「そ、それは……」

「ああ、一応言っとくが……これは、御前達が“初代様”とか呼んで慕ってる、尊敬してる人の武器。では一応、言っとくか……“首を出せ”ってな」

 

 

 

 峡谷の入り口に、“ヨルムンガント”が98体いるのが見える。周りには、“竜牙兵”が覆い尽くさんばかりである。

 才人の存在に気付いたシェフィールドは、一気に叩き潰すつもりなのであろう。

 “ヨルムンガント”達は、それぞれ、手に先程奪った艦砲を握っている。

 が、其れでも“ヨルムンガント”の大きさが大きさな為に、良くて2~6体が横並びになれる程度である。

 才人は砲塔に潜り込み、ハッチを閉めた。再び砲手席に座り、照準器を覗き込む。

「先生! 止めて!」

 ブレーキが掛かり、“タイガー戦車”は土煙を上げながら停止する。

 先頭にいる“ヨルムンガント”との距離は、1,000。

 直接照準でも問題ない、と左手甲の“ルーン”が才人へと教える。

 照準器の中、並ぶ三角形の上に“ヨルムンガント”が鮮明に映る。“ハルケギニア”の現技術では想像すらできない、この望遠映像……。

 “ヨルムンガント”は、“タイガー戦車”に大砲を向けた。

 その砲口が光る。

 6体の“ヨルムンガント”に依る一斉射で在る。

 もくもくと立ち昇る発射炎。

 大砲の弾が、唸りを上げて飛ぶ。

 周囲に着弾して、土煙が舞う。

 ガキィイイイイイインッ!

 と、一発が車体全面に当たる直前、イーヴァルディが“霊体化”を解き、剣で弾き飛ばす。

 もう1発、飛来し、戦車全面に当たり、粉々に砕け散る。

 その震動で、車体が派手に震動する。撞木を突かれた鐘のように、激しい大音声は響き渡った。

 猛烈な痺れがそれぞれの全身を包む。

 隣のタバサが耳を押さえてうずくまる。

 だが、被害はそれだけである。

 才人は乗り込んだ戦車のペットネームの猛獣のように、歯を剥き出して唸った。

「呆けが。ヒト型が戦車に基本、勝てる訳がねえだろ。図体がデカイんだよ。無駄に高えんだよ」

 才人は、発射レバーを引いた。

「“地球ナメんな。ファンタジー”」

 相手のそれとは次元の違う速度で砲弾が飛び出し、“ヨルムンガント”に命中する。ボゴッ! と大穴が開き、後ろに斃れて動かなくなる。

 残りの5体の“ヨルムンガント”は、戦車目掛けて突撃を開始した。

 距離800で、次の1体を撃ち倒す。

 距離600で次。

 1発撃った後、装填しながら後退する。

 “ヨルムンガント”の方が、移動速度は速いのである。

 だが……後退する“タイガー戦車”に追い付くには、距離があり過ぎた。

 重そうな“タイガー戦車”ではあるが、そのスピードは見た目から想像するほど鈍くはない。距離を保ちながら移動して、停止。そして再び射撃。

 才人達は、そんな後退射撃を繰り返した。

 射的の的のように、“タイガー戦車”は突撃して来た“ヨルムンガント”を撃ち斃す。

 “ガンダールヴ(才人)”の登場に、興奮したシェフィールドは冷静さを失い、突撃を命じてしまったのである。

 そして、シェフィールドは、戦車というモノを知ってはいた。が、それは勿論、牛や馬などが牽引するそれである。動き回り遠距離から砲撃が可能な鋼鉄の塊である戦車のことなど、知るはずもない。

 遮蔽物のない、このように開けた場所で戦車砲の前に突撃する……自殺行為も同義であった。



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絆の記憶

 続け様に、現れた8体の“ヨルムンガント”を斃した“タイガー戦車”に、“水精霊騎士隊”の少年達は駆け寄った。

「サイトだ! あれはサイトだぞ!」

 アンテナにひるがえるシュヴァリエのマントを見て、マリコルヌが叫ぶ。

「凄いな! 鉄の箱に大砲が付いてるぜ!」

「サイトの鉄箱の御化けでやって来たぞ!」

 “水精霊騎士隊”の隊員達は、司令塔から顔を出した才人にしがみ付いた。

「遅れてごめん」

 その熱狂に照れ臭いモノを感じ、才人ははにかんで言った。

 腕に包帯を巻いたギーシュが涙ぐみながら、才人の手を握った。

「ぼ、ぼく、僕は……君が絶対来ると……だって、きみはふくたいちょおだから……」

「止せやい」

 ギムリがソッと、抱えていたルイズを砲塔の上に乗せた。

「サイト、君の主のことだ。気を失ってるが……ま命に別状はないだろう」

 才人はルイズを見詰めた。

 白かった巫女服は泥々に汚れ、ルイズの頬には血と土が塗り付いている。

 才人は、(どうせ、また無茶したんだろ。あんなに戦には反対してたのに……先頭に立ちやがったな。俺を帰す代わりに、この戦への協力を約束したんだろう)と想った。

「馬鹿野郎」

 才人は、小さく呟いた。

 其れだけ、ルイズは才人を故郷に帰したかったのである。

 才人は、それを理解し、優しくルイズの頬を撫でた。

 ……ルイズはユックリと目を覚ました。

 眼の前にいる、黒髪の少年を見て、その目が見開かれる。

「……あんた、誰?」

 そして才人の手が自分の頬に触れていることに気付き、ルイズは思い切り才人を突き飛ばし、地面に飛び降りた。

「ぶ、無礼者!」

 シオンとギーシュ達が、あちゃあ、と顔を押さえた。

「何言ってるんだ? 御前……」

 才人は愕然として、(どうやら俺のことを忘れてるみたいだな。頭でも打ったのか?)とルイズを見詰める。

 ギーシュが、参った参った、と首を振りながら、才人に告げる。

「どうや遣ら、ティファニア嬢の“魔法”で消しちゃったみたいだよ。君に関する記憶を」

「はぁ?」

 才人は口を開けて、ルイズを見詰めた。それから、(あの“忘却”? 使ったの? マジ?)と唖然としてルイズに尋ねた。

「俺だよ。ホントに忘れちまったのか?」

 う~~~、とルイズは唸った。まるで野良猫のようである。

 才人は、(全く、こいつは……いつも1人で決着を着けて、勝手にことを進めちゃうんだから……)と考え、全身から力が抜けて行くのを自覚した。

「御前なぁ……何考えてんだよ……? ホント馬鹿って単語は、御前のためにあるようなもんだね」

「だ、誰が馬鹿よ!? 失礼な奴ね!」

「勝手に人の記憶を消すなんて……何考えてんの?」

 怒りと悲しさなどで、才人は首を振った。それから、(なんて薄情な奴なんだ。ルイズは俺の境遇に同情して帰すことにしたんだろう。そこは好い、優しい娘だもんな。でも、サッサと忘れることにしたんだろ? そうじゃねえと、明日に進めないもんね……逆の立場だったら俺はそんなことはしない。いつまでもルイズのことを覚えていて、好い想い出として人生の糧とするだろう……眼の前の桃髪少女には、そんな麗しい気持ちはどう遣やら存在しないみたいだ)と考えた。

「そうかそうか。そんなに忘れたかったのかよ!? そりゃ俺は御前を怒らせるようなことばっかりしたかもしんないけど、色々大変だったし、頑張ったんだぞ!」

 怒りに任せて、才人は怒鳴り付ける。記憶があろうがなかろうが、ルイズにとってはいけない態度で、言ってはならない台詞であった。

「私を怒らせるようなことしたですってぇ~~~!?」

 そんな才人に、ギーシュは首を横に振った。

「違うよ」

「何が違うんだよ?」

「君はホントに女心が理解ってないな! 君の存在はそれだけ、ルイズの中で大きかったってことさ。逢いたいのに逢えない。生きているのに逢えない。そんな状態に耐えられないほどにね」

 才人は、はっ! とした。先程の怒りが、直ぐに申し訳なさと“愛”しい気持ちへと変化して行く。

 才人は、(そんなにまで俺のことを……)と想い、ルイズをジッと熱っぽい目で見詰めた。

 ルイズも……頬を染める。

 才人は戦車の上から飛び降りると、ルイズの手を握った。

「な、何よ……?」

 ルイズは顔を背けた。

「俺だ。平賀才人だ。またの名を、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。御前の“使い魔”だった。忘れちまったのか? ホントに?」

「サイト……? “使い魔”?」

 ルイズは、(先程、私が思わず口にした言葉である。そして……この少年が私の“使い魔”? でも……眼の前の少年には、本当に見覚えがないわ)といった様子を見せる。

「なあルイズ。聞いてくれ。御前はティファニアの“忘却”で、俺に関する記憶を消しちゃったんだよ!」

「はぁ? 何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ!?」

「そこはそれ、“愛”って言うんですか。それほどまでに御前は俺のことを……その、歯が浮く言い方で言えば、“愛”していた、と。そういうことで……」

 すると、ルイズの眼が吊り上がった。

「“愛”していた? 誰が誰を?」

「御前が、俺を」

 頬を染め、才人はユックリと首肯いた。

 ドスン、と股間に一撃が加えられ、才人はユックリと地面に崩れ落ちた。

「もう1回尋ねるわね。誰が、誰を?」

 痛む股間を押さえ、「皆! この御惚けさんに言ってやってよ! この桃髪万年春少女が、どんだけ俺を“愛”していたかを!」、と才人が叫ぶ。

 マリコルヌがちょこちょこと駆け寄り、ルイズに耳打ちをした。

「こいつ、夢見てんすよ」

 周りの少年達が、マリコルヌを押さえた。

「おい! ぽっちゃりぃ!」

「いや……ついネ。仲間は多い方が良いしネ」

 ギーシュが頭を掻きながら、ルイズに言った。

「まー、何だ。確かにサイトの言う通りだな。“愛”していたかどうかは兎も角、君が“魔法”で彼に関する記憶を消してしまったのはホントだ」

「そうだよ、ルイズ。彼は貴女の“使い魔”……“ガンダールヴ”、そして“盾の英霊(シールダー)”の“サーヴァント”……貴女にとってとても大切な人なのよ」

 シオンと“水精霊騎士隊”の皆も、首肯いた。

 するとルイズは、理解ったわ、と首肯いた。

「やっと信じやがったか……ホントに疑い深い女……」

「でも! 私がこいつを“愛”してたなんて大嘘だわ!」

「ま、確かにそこまで正直判らんな」

「ギーシュ!」

「だってしょうがないだろ。ホントに“愛”しているかどうかなんて、態度だけで判るもんか」

 その言葉に、シオンは苦笑を浮かべる。

「大体ねえ! ハッキリ言わせて貰うけど、あんたなんて全っ然好みじゃないの!」

 ルイズは、才人に指を立てて言い放つ。

 才人の顔が、情けない形に歪む。

「そ、そんなぁ……」

「うわあ、これはキツいね」

 ギムリが言った。

「ア、アリじゃないの?」

 マリコルヌは呼吸を荒くした。

「あんたは確かに、私の“使い魔”だったのかもしれない。そして、さっき救けてくれたことについては御礼を言うわ。でもね……“愛していた”とか寝言言わないで! 私は“アクイレイアの聖女”よ! 聖なる乙女なのよ! 私の愛は ハルケギニアと“ブリミル教徒”に向けられるモノであって、あんたみたいな……」

 ルイズは、燃え尽きてヨロヨロの才人に指を突き付けた。

「オモロ顔に向けられて良いもんじゃないのよ!」

「流石にこれは……立ち直れないね」

 レイナールが切ない声で言った。

「増々アリだね」

 マリコルヌが、更に呼吸を荒くさせる。

 ギーシュは、才人の事が可哀想過ぎて泣いた。

 コルベールにキュルケとタバサも、戦車から顔を出してそんな様子を興味深そうに見詰めている。

 イーヴァルディは遠くを見据え、警戒している。

 いつしか、周りには“ロマリア”軍の将兵も集まって、面白そうに見物していた。

「……よっこらせっと」

 ユラリと、才人は立ち上がった。

「良いこと? 理解ったら、サッサと敵を追撃しなさい。“ガリア”の異端共を残らず叩き潰すのよ。ほら! 私の“使い魔”なんでしょ!? サッサと仕事をする!」

 腕を組んで得意げにルイズは言い放つ。

「オモロ顔か……ま、そうかも知んないけどな。でもなルイズ。御前はそのオモロ顔に何したか知ってるのか?」

「は? ほら! 急ぎなさいよ! 今は“聖戦”なのよ!」

「“聖戦”がどーした? 御前等の神様なんか糞食らえだ」

「罰当たりなこと言わないで!」

 ルイズは才人の頬を叩こうとした。

 その手が、ギュッと才人に握られる。

「寝た振り」

「は?」

「キスしてんのに寝た振り」

「な、何を言ってるのよ……?」

 才人は妙なテンションで、言葉を続けた。

「“ベッドで寝て良いって言ったじゃない”。真っ赤な顔で、“ベッドで寝て良いって言ったじゃない”」

「ちょっと!? 良い加減に……」

「小舟。小舟の上で、“御主人様の好きなところ、一箇所だけ触っても良いわ”」

 周りの観客達が、呆れた声で言った。

「ルイズ。君はそんなことを言ったのか」

「い!? 言ってないわ! こいつがテキトウなこと言ってるだけよ!」

「黒猫衣装。“今日は貴男が御主人様にゃん”。“アルビオン”。“私にも同じことして”」

「ルイズって凄いね」

「と言うか流石に引くね」

「サイト以上のアレじゃないか」

「どんだけ“惚れ薬”呑んだら、そんな風になるんだろうな」

 そんなひそひそ声に、才人が答えた。

「素です」

「流石にその素はないわ」

 マリコルヌが、首を振りながらルイズの肩に手を置いた。

 回し蹴りが飛び、マリコルヌの重たそうな身体が吹っ飛んだ。

「て、テキトウなことばっかり!」

 返す刀で蹴り上げようとしたルイズの足を、才人は足を閉じて制した。

「全部ホントだ。なあルイズ。正直御前はアレです。ぶっちゃけ、アレ過ぎます。僕も相当なオモロ顔の妄想家ですが、君はそれ以上です。正直、着いて行ける人はそういません」

「ぶ、ぶぶ、無礼者! 誰か! こいつを逮捕なさい! 異端審問に掛けて上げるわ! この“アクイレイアの聖女”に、聞いてればなんてことを……」

「でも、俺はそんな御前が好きだ」

 才人はルイズを抱き締めると、唇を重ねた。

 ルイズの顔が、耳まで赤くなる。

 身体が自然に動いた。何故か、あの時に逢ったブリミルが、「そうしろ」と教えてくれたかのように、才人には感じられたのである。

 “虚無”の主人と“使い魔”の絆は消せない。

 そう。

 “異世界”から喚び出せるほどの縁が……“異世界”でも離れない絆が……“魔法”で消える訳がないのである。

 才人に唇を重ねられたルイズは、呆然と立ち尽くした。振り上げた手が、途中で止まる、繋がった唇から、次々に何かが流れ込んで来たためである。

 その流れ込んで来た温かい何かがルイズの心の隙間に……吸い込まれて行く。宛先のない手紙に、次々と名前が書き込まれて行くかのように、ルイズは感じた。

 所々空白であった想い出が、急激にルイズの中で形を取り始める。

 フーケの“ゴーレム”、そして“アルビオン”……色々な場所での記憶が蘇り、次いで……様々な事柄が蘇った。恥ずかしいモノも、その中には当然含まれている。

 先程の才人が言ったことも……鮮明にルイズの中で蘇って行く。

 ぷはぁ、と唇を離し、ルイズは叫んだ。

「サイト!」

「想い出したか……良かった」

「ど、ど、どどど……」

 ブワッとルイズの目に涙が溢れる。

「ど?」

「どうして帰らないのよ~~~!?」

 そう叫びながら、ポカポカとルイズは才人の胸を叩く。

「どうしてもこうしてもないだろうが。御前がいるからに決まってんだろ」

 その一言でルイズの頬が崩れ、思わず才人の顔を引き寄せ、自分から唇を重ねてしまう。

 だが直ぐに、皆が見ていることに気付き、思いっ切り才人を突き飛ばした。

「ちょっと!? 戦の最中だってのに!? 何を考えているのかしら!?」

「御前がして来たんだろ!? と言うか勝手に人を帰そうとしてんじゃねえよ!」

 ルイズは、口の中で何やらモゴモゴさせていたが、そのうちにボロボロ激しく泣き始めた。

「だって……サイトが御母さんからの手紙見て泣いてるんだもん……可哀想になっちゃったんだもん……私より、家族の方が良いんじゃないかって……そっちの方があんたは幸せなんじゃないかって……」

 才人は、そんなルイズの頭を抱えて、優しく言った。

「自分の幸せは、自分で選ぶ。そして俺の幸せは、多分ここにあると想うんだよ……」

 2人は、ひし、と抱き合った。

 マリコルヌの“魔法”が飛んで、2人は引き離される。

「はい。そろそろ終わり……ネ。そんくらいにしないと、御兄さんキレるからネ」

 凶悪といっても良い笑みを浮かべながら、マリコルヌは才人の顔に“聖戦旗”を巻き付けた。

「今ほら、“聖戦”だから……ネ?」

 ルイズと才人は、顔を真っ赤にさせながら立ち上がると、コホン、と2人並んで咳をした。

 と、同時にイーヴァルディが駆け出す。

「――何だ!?」

 イーヴァルディが駆け出した先を、皆が見遣る。

 そこから、わらわらと“竜牙兵”達がやって来たのである。

 “竜牙兵”達は1度立ち止まり、弓矢を構え放つ。

 矢が弧を描き、才人達へと向かって降り注ぐ。

 咄嗟のことに対応し切れず、皆蒼白になった。

 が、その中でタバサとコルベールがそれぞれ“呪文”を“詠唱”し、どうにか防ぐことに成功する。

 “聖堂騎士”を始め“メイジ”達が“呪文”を“詠唱”し、迎撃を始める。

 1体1体確実に斃すことに成功しているが、それでもやはり相手の数が多い。

 が、そんな中、イーヴァルディが剣を振るたびに10~数十体もの“竜牙兵”が粉砕され、吹き飛んで行く。

 そんな様子を見て、“メイジ”達の中から勇気が湧き上がり、歓声が上がる。

 そこへ、“ヨルムンガント”の巨体が飛び込んで来る。

「――な!?」

 が、その“ヨルムンガント”の四肢は切断されていた。

「こんなモノか……」

「セイヴァー!」

 あちこちに、四肢を切断された“ヨルムンガント”が約90もの“ヨルムンガント”が横たわり、機能を停止していた。

 

 

 

 

 峡谷の奥……宿場街で、シェフィールドは手にしたジョゼフの肖像画を見詰めていた。

 あっと言う間に、手駒の“ヨルムンガント”や“竜牙兵”達は掃討され、流石にショックが隠せないのである。

 残された戦力も、現在2体の“ヨルムンガント”と“サーヴァント”のみであり、2人共自己判断から撤退した。

 敵である才人達が駆る戦車が装備する長射程の大砲……“ヨルムンガント”の装甲を物ともしない、その威力。

 シェフィールドは、(どうしたら勝てるかしら? 私こそが……ジョゼフにとって最優秀の手駒。そうでなければいけないのに……“担い手”のピンチに駆け付けた“ガンダールヴ”を見た途端、頭に血が昇ってしまった。その結果、不器用な突撃を行ってしまった。強力な敵に出会ったら、先ずは引く。引いて様子を見る。戦の初歩の初歩だ。私は、それすらも行えなかった。“神の頭脳”が聞いて呆れるわね)と考え、「だから……ジョゼフ様は私を本当の意味で必要としてくれていない。誰でも同じ、と思っているから……私は存在を許されている。あの4人を始め彼女達は違う。御互いを必要としている。私が勝てない理由は“ガンダールヴ”の能力でも、“サーヴァント”として劣っていることでも、“異世界”からの兵器でもない。その、絆、だ」と呟いた。

 そのことに気付き、身震いするほどに、シェフィールドは憤りを感じた。

 シェフィールドは、(“ヨルムンガント”は、また造れば良い。いずれチャンスはやって来るもの。だけど全滅するにしても……あの鉄の箱だけは道連れにしないといけないわ)と考え、先程叩き落とした艦から、黒色火薬の樽を集め始めた。

 

 

 

 

 

 

 “タイガー戦車”は、宿場街へと到達した。

 たった1日の戦闘で廃墟になってしまった街が、俺達を迎える。

 どこにも敵の姿はない。いや、視認することができない。

「いねえな……逃げたんじゃないのか?」

「ちゃんと探しなさいよね」

 キューポラから顔を出したルイズが、才人にそう告げる。

「御前が探せよ。そっちの方が断然外が見えるんだから!」

 戦車の欠点は、視界が悪いことである。キチンと索敵しようと想うのであれば、ハッチから顔を出す必要があのだ。

 その瞬間……建物の周りに置かれた樽が爆発した。

「うわ!? 何だ!?」

 峡谷に挟まれた狭い街が、あっと言う間に煙で一杯になる。

 元より狭い視界の照準器では、何も見えなくなってしまう。

 タバサがその正体に気付き、呟く。

「黒色火薬」

 タバサは直ぐに、“風魔法”を唱えた。

 辺りの煙が上空へと巻き上げられて行く。

「サイト君! 前だ!」

 コルベールの声が響く。

 薄く霧のように残る煙の中、“ヨルムンガント”が現れた。

 “ヨルムンガント”が手を伸ばして砲身を掴もうとした瞬間……才人は発射レバーを引いた。

 バゴッ!

 砲弾が“ヨルムンガント”を吹き飛ばす。

 次の瞬間……車長用のハッチから顔を出していたルイズが叫ぶ。

「サイト! 上!」

 全くの死角であったといえるだろう。

 マントを使い、壁に張り付いていた“ヨルムンガント”が、上から襲い掛かって来たのである。導火線の付いた火薬の樽を両手に握っているのが見える。

 自分諸共、“タイガー戦車”を破壊しようと云うので在ろう。

「しまった!」

 真上からの攻撃に対して、戦車は無力である。

 上に砲を向けることはできないのである。縦しんば向けられたとしても砲を向ける余裕自体がなかった。

 才人はルイズを戦車の中へと引き摺り込んだ。

 だが……いつまで待っても爆発は起こらない。

「どうしたんだ?」

 恐る恐る、才人はハッチから顔を出して見上げる。

 青い鱗の“風竜”が、“ヨルムンガント”をガッシリと掴んで持ち上げているのである。“風竜”は力強く上昇すると、“ヨルムンガント”を崖の向こうに放り投げた。

 長い余韻を残し、鋭い爆発音が響き、爆発がタイガー戦車を叩く。

「“風竜”に救けられたわ。でも、凄い力ね……」

「シルフィード?」

 タバサが首を横に振る。

「違う。私の“竜”では、あんな重いモノは持ち上げられない」

 才人達が、(一体何者だ?)と訝しんでいると、空の上からジュリオの笑い声が響いた。

「あっはっは! 危ないところだったね。一個貸しにしとくよ」

 才人は悔しげに拳を握り締めた

「そんくらいで貸しになるか!」

 背後から、“聖堂騎士隊”や“ロマリア”軍が駆けて来るのが見える。

 先頭に立つカルロが、大きく“聖杖”を突き上げた。

「見よ! 驕り昂ぶる“ガリア”の異端共は殲滅したぞ! “始祖”の加護は我等にあり!」

 おおおおおおお~~~ッ! と“ロマリア”軍の将兵達は檄を飛ばす。

「あいつ等、何かしたっけ?」

 遠巻きに彼等の様子を見詰めていたマリコルヌが呟いた。

 さあ、とレイナールは両手を上げた。

 

 

 

 

 

 “ヨルムンガント”の全滅と共に、“両用艦隊”も撤退を開始した。

 周りでは勝利を祝う“ロマリア”軍の声が響く。

 その隣には小躍りして喜び合う“水精霊騎士隊”の少年達がい居た。

 コルベールは、キュルケとタバサに手伝わせながら、直ぐ様“タイガー戦車”の損害を確かめている。彼は、根っからの研究者であるだから。

 ユックリと引き上げて行く“ガリア”艦隊を見上げながら、才人がポツリと呟いた。

「また、始まちまったな」

 ルイズは、そうね、と首肯いた。

「ま、こうなったらとことん付き合ってやるよ」

 するとルイズは、怒ったような声で言った。

「でも……非道いわ。聖下ってば、あんたを帰すって約束したのに……」

「あいつ等には、御前の協力が必要だったらから、そんな約束をしたんだ」

「え?」

 ルイズは驚いた顔になって、才人を見詰めた。

「俺の代わりはいる。死んでも、次また喚び出せば良い。でも御前の代わりはいない。そんな御前が協力を渋ってた。だから、俺の帰郷を餌にした。持ち掛けたのは御前かもしれないけど……あいつ等は御前のそんな気持ちを利用しようとした」

「そんな!?」

 ルイズの肩が震えた。着ている巫女服を見詰めると、それを脱ぎ捨てようとした。

「良いよ」

「でも! こんなのに袖を通していられないわ!」

 ルイズは顔を真っ赤にさせた。

「気を付けろよ。あいつ等は異常だぜ。おまけにその異常さに気付いてて、しかも肯定してやがる。一筋縄じゃ行かないぜ」

 ルイズは恥ずかしそうに顔を伏せた。暢気に、“アクイレイアの聖女”などと呼ばれて良い気になっていた自分が赦せないのである。

「何が“聖戦”よ……」

「安心しろ。俺が絶対に、あいつ等を絶対に止めてやる。“ガリア”の件が決着着いたら……“聖戦”何か終わらせてやる」

「やっぱり、あんたは帰るべきよ。“こんな世界”に付き合うことないわ」

 すると才人は、キッパリと言った。

「見たりない。だからまだ、帰らない」

「何を?」

「御前の笑顔」

 ルイズは、文字通り顔を真っ赤にした。それから一生懸命に、頬を動かして笑顔を作ろうとした。が、照れ臭ささや嬉しさなどから、上手く顔の筋肉を動かすことができなかった。

 それから才人は、想い出すようにポツリと言った。

「……そう言や俺、寝ている時“始祖ブリミル”と“初代ガンダールヴ”の夢を見たぜ」

「ホント?」

「セイヴァー曰く、夢じゃなくて現実らしいけど……」

「どういうこと?」

「もしかしたら、ホントに俺、セイヴァーの言った通り時間旅行したのかもしれない」

「そんな馬鹿なこと、ある訳ないじゃない」

 んー、と才人は首を振る。それから左手を見詰める。

「でもさ、もしかしたら俺のこの“ルーン”の中に、その記憶が眠ってるのかもしれないぜ。“ガンダールヴ”の印の中に大昔の2人の記憶が……」

 才人はルイズに左手の“ルーン”を見せた。

 ルイズは最初こそ信じる気になれなかったが……先程の自分の件を想い出し……少し考えを改める。

「言われてみると……そうかもしれないわね。私、ハッキリとあんたの記憶を消したのよ。それなのに、あんたとキスしたら……身体の中に何かが流れ込んで来たの。それは間違いなく、あんたとの記憶だった。あんたが覚えていてくれた、私との記憶だった。その記憶が、私の中にポッカリ開いた穴の中に、ピッタリ嵌り込んだの」

 ルイズは才人を見詰めながら言った。

 今やルイズの中での才人との想い出は、才人の目から見た想い出でもあると言い換えることができるであろう。

 そこの記憶の中ではルイズ自身が登場人物であるのだ。だが、人は記憶を自分の中で都合良く改変することがあるという。故に直ぐにルイズの主観に変換された部分も混じっているのかもしれない。

 ルイズは、(もしそうだとしたら……私達はどれだけの絆で結ばれているのかしら?)とウットリとした。

 まるで芝居を見ているかのような感覚で、ルイズは想い出を反芻する

 それは不思議な感覚だといえるが……ルイズにとってとても心地好いモノであった。

 視界などの感覚を共有できるのであれば、記憶を共有できてもなんら可怪しくないのだから。

 何かと特別な、“虚無”の主人と“使い魔”には、そんな芸当さえも可能であろう。

 だから、正確でリアルな“始祖ブリミル”の夢を才人が見ても可怪しいこととは、ルイズには想えないのであった。「“ルーン”が見せた」と言われると、寧ろありえることのように、ルイズには想えたので在る。

 だが、1つだけ、ルイズの中で、(何故“ルーン”は、サイトにそんな夢を見せたのかしら?)という疑問が残った、

 だが、幸せな気分だったということもあり、そんな疑問は直ぐにルイズの中から吹き飛んでしまった。

 ルイズはジッと……才人の手を握りながら想い出を反芻した。

 ルイズは、(嗚呼、サイトはこんな時も私を見ていてくれたのね)と何だか可笑しくなるのであった。

 授業中、部屋の中……寝ている時。

 馬で移動している時。買い物をしている時。戦っている時……。

 幸せな気持ちで、ルイズは目を瞑り、様々な記憶達を慈しんだ。

 そのうちに、ルイズはコツを覚えた。

 1つの記憶を想い出すと、次々関連する光景がルイズの中で浮かんで来るのである。

「ん?」

 ルイズは、記憶というモノは現実の想い出だけではない、ということに気付いた。明らかに可怪しい光景が混じっているためである。

 ルイズが、才人の世界らしい場所を歩いて行く記憶。

 才人の母親らしい人物に紹介されている記憶……などなど。

 ルイズは嬉しくなって、ニヤけながら才人の横腹を突いた。

「もお、馬鹿ね。あんたってば……ホントに馬鹿ね。死んだ方が良いわ」

「う、煩え。何見てんだよ? 勝手に人の記憶漁るな」

 そのうちに、ルイズの顔が蒼白になる。次いで、真っ赤になる。まるで茹で蛸のように真っ赤になりながら、ルイズは酸欠の金魚のように口をパクパクとさせ始めた。

「何だ? どうした?」

「あ、あんた……私に何せてんのよ……? 幾ら想像の中だからって……」

 才人の顔が一瞬で青くなる。記憶を共有したということは……詰まり、妄想したことまでもが記憶となって、覗くことができると言い換える事もまたできるのであるからして。

「へぇー、そう、あんた、私を犬呼ばわりしたかったの……何かあんたの記憶と言うか、汚らわしい汚らわしい妄想の中の私が……こ、ここ、このわわわ、私が……“ルイズめは御主人様の犬です~~~”、とか言ってるんだけど?」

「か、勘違いじゃないかなぁ~~~?」

「し、しししし、しししし、しかもももももも、べべべ、べべべ……」

 いかん、と思って才人は逃げそうとした。

「べべ、ベッドの上でぇえええええええええええええッ!」

 ルイズは才人を引き摺り倒すと、その背をゲシゲシと踏み付け始めた。

「わ、わわ、私が犬扱いされて喜ぶなんて、ぜ、ぜぜ、絶対にありえないんだから! 犬はあんたでしょ! 間違えないでしょッ! もうッ! ひ、人にあ、あんな格好ッ! あんな格好ッ!」

 

 

 

 あんな格好ッ! と怒鳴りながら才人を踏み締めるルイズを、ギーシュ達は切なげに見守った。

「あ、あんな格好って、どんな格好だろうネ?」

 マリコルヌだけが、キラキラ光る目でそんな光景を見詰めていた。

「あんまり想像したくないな」

 ギーシュが、首を横に振りながら呟く。

「ところで、ホントに始まっちゃったなあ。“聖戦”」

 一同は空を見上げた。

 “ペガサス”に跨った“聖堂騎士”達が、勝利を祝う“聖具”の紋を、“魔法”の煙で描いていた。

 漂う“聖具”の紋が……“ハルケギニア”の今後を見せているかのように想え、ギーシュは身震いした。

 

 

 

 コルベールの点検を受ける“タイガー戦車”の砲手席の隣には、才人の“ノートパソコン”が置かれている。

 慌てていた才人が電源を落とすのを忘れた所為で、そこには“メール”画面が映ったままであったのである。

 

――“驚くと想いますけど、才人です。黙って家を出てしまい、ホントにごめんなさい。いや、ホントは黙って出た訳じゃないけど……言っても理解されないと想うので、そういうことにして置きます。兎に角、ごめんなさい”。

 

――“メール有難う”。

 

――“心配してくれて有難う”。

 

――“さっき、ちょっとだけ母さんの顔が見えました。ちょっとやつれてたんで、悲しくなりました。食べるもの、食べてますか? 心労で喉を通らないかもしれないけど、ちゃんと食べて下さい”。

 

――“俺は生きてます”。

 

――“無事ですから、安心してください”。

 

――“俺は今、地球とは別の世界にいます”。

 

――“信じてくれないとは想いますけど、ホントのことです。頭が可怪しくなったと想われても仕方ないけど……ホントです”。

――“そこでは、俺の友達や大事な人達が大変な事になっています”。

 

――“そして、俺の力が必要なんです”。

 

――“だからまだ……帰れません”。

 

――“でも、いつか帰ります”。

 

――“御土産を持って、帰ります”。

 

――“だから心配しないでください”。

 

――“父さんや皆によろしく伝えてください”。

 

――“取り留めなくてごめんなさい。急いで書いてますんで”。

 

――“母さん有難う”。

 

――“ホントに有難う”。

 

――“心配してくれて有難う”。

 

――“結構大変だけど、俺は幸せです”。

 

――“産んでくれて有難う”。

 

――“それではまた”。

 

――“平賀才人”。



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カルカンソンヌ

「さて、やるか。才人」

「ああ、行くぞ。セイヴァー。全力でな」

 荒廃した“虎街道”の宿場町にて、俺と才人はそれぞれ獲物を手にし、向き合っている。

 才人と俺の格好は普段と何ら変わりはない。

 が、才人の手には“剣”と“槍”――デルフリンガーと“AK小銃”が握られている。

 対する俺は、“投影”した木刀1つだ。

 そんな俺と才人を、遠くからシオンとルイズを始めとした御馴染みの“魔法学院”の面々、そして“ヴィットーリオ”と“ジュリオ”、“ロマリア聖堂騎士隊”の面々が見守っている。

 ルイズ達からは当然、困惑の色が見て取れる。

「どうして、2人が?」

「ルイズ。これは必要なことなんだ。て、言うか……こうしないと俺の気が済まねえ」

「まあ、そういうことでな。悪いが、俺と才人は模擬戦もとい打つかり合いをするという訳だ」

「だから、どうして!?」

 疑問を口にするルイズに対し、才人と俺が答えるが、端折っているためにその答えにそう簡単に理解できようはずもない。

「ああ、詰まりなんだ……俺は、色々と知っている……この先の展開も、これまで起きた展開も識っていた……にも関わらず、教えずにいた。そのことに、才人は御立腹なんだよ」

「ああ、そうだ……」

 そう言って、俺と才人は再び構え直す。

 周囲の観衆と化した皆は、固唾を呑んで見守っている。

「来い、才人」

「ああ、行くぜ」

 才人が大地を蹴り、一瞬で俺の懐の中へと潜り込むようにして接近して来る。次いで、デルフリンガーを横薙ぎにして俺へと攻撃を仕掛けて来る。

「甘いな」

 俺は、デルフリンガーを木刀で受け止める。

 すると、それを承知の上での行だったのだろう、才人は銃で俺の腹部へとほぼゼロ距離射撃を行う。

 本来であれば、それで決着。というよりも、腹に穴が開くどころか、それ以上に悲惨な状態になるであろう。

 が……。

「マジ……かよ……?」

「甘いな。というよりも、だ……今の俺には“ヘラクレス”と“アキレウス”という“ギリシャ神話”の二大“英雄”の“宝具”を所有している。俺の身体に攻撃を通したいのであれば、先ずは“Bランク”以上の攻撃力、そして“神性スキル”の所有、もしくは“神性特攻”持ちの攻撃……それ等全てを持った攻撃でないと俺には届かない。まあ、その悉くを往なしてみせるがな」

「何だよ、そのインチキッ!!」

 才人がそう言ったのと同時に、俺は才人の足を払い、体勢を崩した才人を蹴り飛ばす。

 俊足の足で蹴り払われ、なおかつ蹴り飛ばされたのだ。

 才人は、かなりのダメージを負っている。本来であれば、意識を失うどころか、即死であろう。が、それでも才人は立ち上がる。

「上出来だ。大分と成長しているようだな。さあ来い。御前の想いを、打つけて来い」

「ああ、上等だよ!」

 そう言って才人は、再び勢い良く突撃して来る。

「御前の何でも知っているって態度、何でも御見通しって態度とか言動とか……そういうのが気に喰わねえ!」

「それはそうだろうな……だが、観えてしまっているのだ。事実、識っている」

「展開が見えている、知っているなら、どうして教えてくれないんだよ!?」

「それを教えたとして、その時の御前達は、それを理解できたと言い切れるか? 十分に承知できると言えるか? 信じ切ることができると言えるか?」

「だけど、言葉にしなきゃ、伝わるモノも伝わらねえじゃねえか!」

 その才人の言葉に、俺はハッとした。

「それもそうだ……今後、いや、今から言葉にして伝えることにしよう。信じるか信じないかは御前達次第だとしても」

 そう言いながら、俺と才人は何度も剣戟を繰り返す。

 その剣戟――剣と剣の打つかり合いの中、才人が抱える俺への想いなどが流れ込んで来る。どうして話してくれなかったのか、俺達はそれほどまでに信じるに足りない存在なのか、などといった数々の想いが……。

 かつて、前世での俺もまた、周囲に対して想っていたことでもある。行動で示すのもまた1つの手であるが、言葉にしなければ伝わらないことだって確かにあるのだ。言葉でしか伝わらあいモノもある、ということ。

(“サーヴァント”になったことで、多少は器用になったと思っていたんだがな……性格や人格などを“宝具”にしたためか……それ故に、不器用さは変わらずといったところか……)

 俺は、自嘲気味に口元を歪めて、才人と言葉と剣を打つけ合う。

 観衆をハラハラさせるほどの、剣舞のように魅了させるような動きで何度も何度も剣が打つかり合い、火花が散る。

 そんな中、イーヴァルディは静かに、そして俺と才人の闘い――動きなどを分析していた。

「凄いな……」

「?」

 イーヴァルディの呟きに、タバサが顔を上げる。

「“サーヴァントは全盛期の状態で召喚”されるんだけど……サイト君は、“サーヴァント”としての力を持ってはいるが、まだ“英霊”じゃない。“英霊”の生前の状態……現実に活きている。だからこそ、彼は成長し続けてるんだ。その成長速度が爆発的だ。そしてセイヴァーは、“宝具”の効果かな? 無際限に、無制限に強くなり続けることができるみたいだね……」

 才人がフェイントを仕掛けて来る。

「それも観えているぞ」

 そんな才人の動きを、俺は容易く往なす。

 だが、その才人の動きなどに、俺は素直に感嘆の意を示さずにはいられない。

「どうやら、アニエスの教え通りに動くことができているようだな」

「そうでもないさ。アニエスさんの教えが良かった、てのは勿論ある。それに……あの時の、御前が教えてくれた心構えも結構効いてるだぜ? 何だっけか? “イメージするモノは”」

「“常に最強の自分だ”」

 俺は、才人が持つデルフリンガーと銃の両方を弾き飛ばす。

「詰みだ……」

「ああ、俺の負けだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ガリア”南西部に位置した“カルカンソンヌ”は、王都“リュティス”から西に400“リーグ”ほど離れた中規模の城塞都市である。

 だが、その見た目はただの城塞都市ではない、ということが理解できるだろう。

 幅50“メイル”、長さ2“リーグ”もの細長い、崖の上に造られた橋のようなこの街は、空から見るとまるで巨大な蛇がうねっているような姿をしているのである。

 立ち並ぶ赤煉瓦の屋根は、まさに蛇の鱗のようであるといえるだろう。そんな景色に因んでだろう、この街は“セルパンリュージュ(赤蛇)”の異名を持っている。

 人口2,000人ほどの、歴史ある街である。

 幾度となく“亜人”達からの侵攻を防いだこの街の真ん中を貫く街道を、必死の勢いで逃げる“使い魔”、とそれを追い掛けるその主人がいた。

「止まりなさい! 女王陛下の名に於いて、直属女官たるルイズ・フランソワーズが命令するわ!」

 才人は、はぁはぁ、と息を切らしながら、石畳の道を逃げ惑う。

 “ロマリア”軍と一緒にやって来たこの奇妙な主従を、通りの人々が怪訝な面持ちで見守っている。

 “魔法学院”の制服姿をしたルイズは、逃げる才人の腰に抱き着き、2人は、どう! と地面に倒れた。

「は、離せよ!」

「今日という今日は、あんたにキッチリ御説教なんだから!」

 ルイズはピョコンと地面に座り込むと、才人の顔に指を突き付けた。が、既に顔は真っ赤である。

「もう聞き飽きたよ! 毎日そればっかりじゃねえか!」

 “虎街道”で“ミョズニトニルン”率いる“ヨルムンガント”の部隊を撃退してから、既に2週間が過ぎている。

 その間、ルイズはこうやって才人を責めっ放しなのであった。

 それは……ルイズの中に滑り込むようにして入って来た、才人の記憶が原因である。

 才人との別離に堪えることができなかったルイズは、ティファニアに頼んで、才人に関する記憶を消してしまったのだが……“使い魔”と“主人”の絆、というモノはそれくらいでは切れはしない。というよりも、ルイズの中にある、“使い魔”を求める気持ちがそうさせたとも言い換えることができるのだろう……が、兎に角、才人と唇を重ねたことで、ルイズの中へと才人のそれ等が流れ込んで来たのであった。

 才人視点からの2人の記憶は、様々なモノが入り混じっていた。詰まりそれには現実の出来事だけではなく、才人の妄想と呼ぶことができる鮮明な映像がふんだんに含まれていたのである。才人は当然年頃の少年であるために、その妄想には汎ゆる意味での遠慮というモノがなかった。

「こないだの、トイレでの教育、はまあ良いわ。良くないけど、理解の範囲だわ」

「それが理解の範囲って、御前成長したな」

 才人が嬉しそうにそう言うと、ルイズは更に顔を赤くさせた。

「で、でも、でも……でも!」

 でも! と、最後にルイズは拳を握り、力を込めた。

「中庭で目隠し、はありえないわ! ありえないわよ!」

 ルイズは、ポカポカと才人を殴り付けた。

 

 

 

 “水精霊騎士隊”の少年達と、タバサとキュルケ、イーヴァルディ、シオンと俺は、街道に張り出した酒場のテラスから一部始終を見詰めていた。

「いやぁ……恒例と成った酒のつまみと言うべきかな」

 ギーシュが、ワインの盃を傾けながら呟く。

 レイナールが眼鏡を持ち上げて、「しかし、ルイズには困ったもんだな。サイトがどれだけ、ルイズのために戦ったか……ちょっとくらい変な妄想したって許してやれば良いじゃないか」と言った。

「レイナール。君も、好きな女の子について、けしからんことを企んだりするのかい? へぇ、堅物の君がねぇ……」

 ギムリにそうからかわれ、レイナールは頬を染めた。

「違うよ! ただ、男だったら少しはそういうことを考えるだろ? 僕はあんまりそういうことには興味がないが、一般論としてだね……」

「君がその一般論を繰り広げている女の子を言ってやろうか?」

 レイナールは、無言でワインを飲み干した。

 それから少年達は、いかにルイズが怒りっ放く、才人が可哀想か、という話題で盛り上がり始めた。

「全く、ルイズときたらまるで子供だからな!」

「サイトも随分我慢強いよな。僕なら無理だ」

 そんな中……1人怒りに肩を震わせている少年がいた。

 マリコルヌである。

 彼は皿の上の料理を、フォークで八つ当たりのようにグリグリと突き回しながら言った。

「御前等の目は、ホント節穴だな」

「おい、どういう意味だ?」

「ありゃあ、茶番だ」

 肉が刺さったフォークを、マリコルヌは、才人とルイズに向けて突き付けた。

 ルイズは、才人を殴ろうとして、才人がそれを防ごうとしている。何時も通りの光景であるといえるだろう。

 唯、見て居るだけで在れば。

「茶番だって?」

 問い返す仲間達に、マリコルヌは首肯いた。

「良く見ろ」

 仲間達は、ルイズと才人へと再び注目した。そして、その目を見開いた。

 ルイズは才人をポカポカと殴り付けているのだが……軽く握った拳を、胸に当てているだけである。

 才人はというと、スッカリ余裕の表情を浮かべており、まるで子供をあやすようにしてルイズの攻撃を受けているのである。

 そのうちに、ルイズは愚図るように唇を尖らせ、顔を背けて人差し指で才人の手の甲をグリグリとやり始めた。

 才人がそんなルイズの腰を引き寄せ、二言三言耳元で呟く。

 すると、ルイズは更に恥ずかしそうに顔を伏せ、何事かを呟くのである。

「……“ばか。きらいよきらい”……かぁ」

 マリコルヌが、溜息が混じった声でルイズの台詞を読唇した。匠の技とでもいえるだろう。

「“きっと、もっと、ひ、ひひ、非道いこと私にさせてるんだわ”。かぁ……“馬鹿言うなよ。これで、全部ダヨ”、かぁ……“ホント?” かぁ……“当ったり前じゃないか”、かぁ……“でも、こんな想像するあんたなんかキライ”、かぁ……」

 マリコルヌは、ケッ! と吐き出すように横を向いた後、鬼の形相で立ち上がり、絶叫した。

「満更でもない面で言われたって、迫力ねえぇえええええええええええんだよッ!」

 ヒウッ!? と一瞬で、俺とシオンとタバサを除いた仲間達はその迫力に呑まれ震える。

「メインディッシュの前の軽い前菜って訳だろ? イチャイチャの前の、ちょっとした隠し味だろうが。そ、そ、そんなもんはなぁ……人目に付かねえ場所で、コッソリ行うのが“貴族”のマナーってもんなんだよゥ……」

「マ、マリコルヌ……」

 ギーシュが立ち上がり、そんなマリコルヌの肩を掴もうとした。

「ぎゃッ!?」

 ギーシュのその顔に、マリコルヌの拳が減り込む。

「そんな巫山戯た出し物を、天下の往来で繰り広げるたあ、余程命が要らんらしいな」

 

 

 

 才人とルイズは、本人達だけが喧嘩だと思い込んでいるイチャイチャを、恥も外聞もなく続けていた。

 ルイズは、才人に後ろから抱き竦められ、両手も握られてしまい、モジモジとしている。

 才人は、そんなルイズの顔を横から、必死に覗き込もうとするのだが、そのたびにルイズは顔を逸らすのである。

「私ね、あんた達男の子という生き物が、私達と全く違う生き物ってこと、なんとなく知ってるわ。だって、あんたみたいなのがいっつも側にいたんだもの」

「いやね。ルイズ、だからあれは何て言うか極端な例の1つで……」

「何で男の子ってそうなの? どうしてこんなことばっかり考えるの?」

 少女も少女でベクトルは違えど、似たようなことを考えることもあるだろう。事実、ルイズは、シエスタと一緒になって気絶したサイトで芝居をしたり、才人がいない時にデルフリンガーの助言を受けて妄想しながら色々と試してみたり、などをしていたのだから。

 そんなことを棚に上げ、ルイズは才人へと問うた。

「それは何て言うか、その……」

 才人は、頭を捻った。もう少しで落ちそうな果実が、針金で雁字搦めに縛られているのを見ているかのような気分である。誤解ではなく、事実で在あるのだが、才人は(何とかして誤解を解かねばならない。箱入り娘のルイズには、刺激が強過ぎたにちがいない)と考えた。好きな女の子が自分に惚れていて、おまけに色々なことを許してくれそうな雰囲気だったのにも関わらず……肝心のところでトレイを引っ繰り返してしまったようなモノなのである。

 どうにかしなくちゃ……と考えに考え、行き詰まった才人の口からは、やはりとんでもない言葉が言い訳として飛び出してしまった。

「あのだね。その、俺の中には1匹の子鬼が住んでてね。そいつが俺にあることないこと吹き込むんだ」

 ルイズの肩が、ピクン、と震えた。

「こおに?」

「ああ。色んないけない情報を、俺にもたらす悪い奴なのです。ここだけの話だが、毎日俺はそいつと闘っています。そいつは手強く、また、魅力に満ちています……いやその、魅力と言っても男にとってのみですが」

 ルイズは、こういった言い訳が嫌いであった。

 というよりも、才人の妄想は正直ルイズにとって辛いモノであったのだが、実際のところはそれほど怒っている訳では無いのである。勿論、半分は照れ隠しであるのだ。内容は兎も角として、それほどまでに自分の事を考えてくれていたのか、 とルイズはその事実に対して素直に嬉しさを感じていたのである。

 が、才人の言い訳を聞いたルイズは、(選りに選って、“心の中の子鬼”、とはどういうことかしら? 誤魔化すにしても、もう少し言葉を選ぶべきじゃないの。それとも私を舐めているのかしら? そうにちがいないわ。全く、人を馬鹿にするにもほどがあるわね)と考えた。

 ルイズは、足に力を込めた。このまま捻りを加えて蹴り上げれば、才人の弱点――詰まり男性の弱点である股間を狙い打つことができるであろう。

 ルイズが(再び子鬼についての講義を垂れるつもりなら、遠慮なく跳ね上げてやるんだから)とそう考えた時、才人から台詞が飛び出した。

「ま、そんな子鬼に言わせておけば良い。でも、根っこの俺の気持ちは本物だよ」

 昔、才人はクラス対抗の野球大会で、1度もホームランを打ったことがなかった。だが、このベタで何の捻りもない一言はルイズを撃破する、会心の本塁打となった。

 白球はフェンスを超え、場外へと飛び出して行く。その先には、ルイズがいて、頭と白球が激突したのである。

 ルイズは、ヘナヘナと身体から力が抜け、才人へと寄り添ってしまう。

「子鬼には放っておいて欲しいわ。あのね、私ね、綺麗なのが好きなの。ロマンティックなのが好いの。だから、トイレとか御前だ誰の犬だとか、中庭で反省文を読み上げながら、とかそういうことあまり考えないで欲しいの。何て言うかね、大事なモノが穢れる気がするのよ」

 才人は何度も首肯くと、優しくルイズを抱き寄せた。

「理解った。努力するよ」

「そうしてくれると、ホントに嬉しいわ」

「仲直りしようよ」

「そ、そうね」

 才人がルイズの顎を持ち上げると、怒ったようにルイズは目を瞑った。

 ユックリと才人が、唇を近付けようとしたその時……。

 後ろから突風が吹き付け、2人は通りに転がってしまった。

「何だ!?」

 才人が跳ね起きると、後ろには仁王立ちの巨大な鬼のような存在がいた。

「マリコルヌだよゥ……」

 淡々と己の名前を名乗る小太りの少年を、2人は震えながら見詰めた。

 巨大と見えてしまったのは、その全身から発せられる怒りなどによるオーラがあまりにも凄いために、見間違えてしまったのである。

「……マ、マリコルヌ」

「そう。我の名はマリコルヌ。全“カルカンソンヌ”市民の声を代弁して恥知らずな、異教徒共に罰を与えんとする神の鉄槌なり」

 唄うような、愉しげな声でマリコルヌは言った。

 才人とルイズは、這いつくばって逃げ出そうとした。“ドット・メイジ”に過ぎない、マリコルヌが発する怒りのオーラに、“伝説の担い手”達が怯えたのである。

 ピリピリと空気が震え、オーラが電撃を撒き散らした。

 “電撃魔法”は、主に“風系統”を得意とする“メイジ”が使うのだが、その殆どは高位の“呪文”である。そのため、“ドット”であるマリコルヌは、本来であれば使うことはできない。

 が、彼の周りには、確かに電撃の火花が散っている。

 “呪文”の威力は、感情により増幅することがある。ルイズの“虚無”然り、タバサが母親のために力を上げた時然り。

 マリコルヌが“呪文”を唱えると、その頭の上に雲が完成した。

「やめ! やめろ! マリコルヌー!」

 雲からは稲妻が迸り、ルイズと才人に直撃した。2人は仲良く電撃を浴び、通りに倒れた。

 それでも、マリコルヌは怒りが収まらないのだろう、2人の身体をゲシゲシと踏み付けている。

 

 

 

 “水精霊騎士隊”の少年達が仲間の怒りを押さえるために飛び出して行く様を、燃えるような赤髪を靡かせたキュルケがボンヤリと見詰めていた。

「あらあら。あの人達ってば、どこに行っても緊張感が足りないのね」

 両手を広げ、キュルケは呆れた声で呟く。

「しかしまあ、始まった時にはどうなることかと想ったけれど、こんなに早くここまで来れちゃうとは想わなかったわよ」

 教皇であるヴィットーリオが、“聖戦”発動を宣言したのが、“ウル(5)”の月、“ティワズ(4)”の週、“イング”の曜日である。それから2週間ほどで、“ロマリア”軍を始め俺達は“ガリア”の奥深くまで侵攻できたのは、この戦いの引き金ともなった“両用艦隊”の本物による、反乱という名の侵攻が原因であろうことはは明白であった。

 “ミョズニトニルン”率いる“ヨルムンガント”や“竜牙兵”の敗北と同時に、艦隊司令であるクラヴィルは悪夢から目覚めた風な様子を見せたのであった。幾ら、「“ロマリア”をくれてやる」などと言われたからといって、彼等が行おうとしたことは“ハルケギニア”に於いてマトモではないと言えるだろう。その上、“聖戦”まで発動されたとあって、クラヴィル達は完全に戦意を失ったのである。いかに“ガリア”が強大といえども、信じる神を敵に回してしまっては、勝利は覚束ないのだから。決断したクラヴィルは、素早かった。“ロマリア”艦隊の追撃を振り切ると、一目散に“サン・マロン”へと取って返したのであった。そこで改めて、今回の陰謀を正直に打ち明け、“ロマリア”への恭順を全将兵に問うたのであった。クラヴィルは才能溢れた指揮官であるとは決して言えないだろう。だが、伊達に長い艦隊生活を送っていたという訳ではない。乗組員達の支持は意外に篤く、それに元々件の作戦に対して想うところのあった将兵達は少なくなかったのである。結果、殆どの将兵が“ガリア”への事実上の反乱に応じたのであった。

 晴れて本物の“反乱艦隊”となった“両用艦隊”の決起は、瞬く間に“ガリア”全土に伝わった。それに呼応したのは、王都より離れ、不遇を託ち、ジョゼフに想うところのあった諸侯達であった。

 “聖戦”と“両用艦隊”の反乱。

 この2つは、兼ねてより“王政府”に対して不満と不信を感じていた諸侯達にとって、背中を押してくれるまたとない機会といえたのである。

 “ロマリア”と“ガリア”を繋ぐ、“虎街道”の“ガリア”側の入り口を擁する“フォルンサルダーニャ”侯爵領主のフォルンサルダーニャ侯爵は、前年、領地の一部を“王政府”に召し上げられたことに対し、深い恨みを抱いているのである。彼は、決起と同時に“ロマリア”に伝令を飛ばし、領内の通行及び義勇軍を編成しての協力を告げたので在った。長年“ロマリア”との国境を守って来た名門フォルンサルダーニャ侯爵家の反乱は、旗幟を窺っていた諸侯をも味方に引き入れることになったということである。

 結果、王都から離れた“ガリア”南西部の諸侯は、次々に反乱軍に与して行った。“ロマリア”軍は堂々と“聖戦旗”を掲げ、そんな反乱勢の土地を通りながら、ほぼ無血で“カルカンソンヌ”まで進軍する事ができたのである。

 だが、そんな攻勢もここまでであった。

 “カルカンソンヌ”の北を流れる“リネン川”の向こうは、それでも“王政府”に忠誠を誓う“ガリア”王軍が待ち構えているのである。その勢力は大凡90,000程度。国の半分が反旗をひるがえそうとも、それだけの兵力を掻き集めることができたのは、流石“ハルケギニア”1の大国ということができるだろう。

 反乱軍を合わせても、“ロマリア”側の兵力は60,000に過ぎない。“聖戦”の絹旗があるとはいええども、容易に引っ繰り返すことができる兵力差ではないのである。“両用艦隊”が味方に着いてはいるが、彼等が直ぐに同国人に砲弾を散蒔くことができるはずもない。

 一方、数で勝るとはいえ、“ガリア”王軍の方も戦意が低いといえるだろう。“聖戦”を発動した相手に“杖”を向けることの愚かさを彼等は良く知っているのである。

 そんな中、“サーヴァント”という存在を用いれば戦力差や戦況はあっと言う間に引っ繰り返すことができるだろう。が、あくまでも“サーヴァント”は“マスター”に従う存在であり、“マスター”であるシオン達も未だ本格的に動くつもりはなかった。

 一部を除いて色々と複雑な事情がそのように絡み合った結果……両軍は川を挟んでの睨み合いを開始したのである。

 

 

 

「ところで、どうして貴女の騎士様を助けて上げなかったの? 見てたら、主人ごと電撃で黒焦げになってたわよ?」

 キュルケにそう問われても、青髪の少女――タバサは、涼しげな様子で本を黙々と読むばかりである。

 そんなタバサの様子を、キュルケはジッと見詰めた。

 キュルケの小さな親友は、一見、いつもと変わったところがないように想わせて来る。が……どことなく違うように、キュルケやイーヴァルディを始め一部の者達からすると見えるのである。それは、いつも一緒に居るキュルケや、余程優れた観察眼を持った者、他強い繋がりを持つ者、だからこそ判る微妙な変化であるといえるだろう。

「貴女……やっぱり緊張しているの?」

 ここは、“ガリア王国”の真ん中である。

 その王冠を冠っているのは、タバサ――シャルロットの父親の仇……その上この前は、その叔父王に心を消されそうになったばかりであるのだ。

 そんな憎むべき仇に近付いている……昔のように、無力な存在としてではなく、それが可能な陣容の軍勢と力と共に……。

 そういったこともあり、タバサが緊張するのは無理からぬことであるといえるだろう。

「違う。そうじゃない」

 タバサは、本を閉じると立ち上がる。そして、スタスタと歩き出した。

 キュルケはテラスの向こうに視線を移した。

 両脇が切り立った崖の上に位置している“カルカンソンヌ”の街は、見晴らしが良い。崖の裾野には平原が広がり、キラキラと陽光を受けて輝く“リネン川”が見える。その川の両岸には、睨み合う“ロマリア”軍と“ガリア”軍の姿が見える。

 それから、キュルケは、才人達の方を眺める。

 マリコルヌが取り押さえられ、電撃でボロボロになった才人とルイズを少年騎士達が介抱している。

 そして宿舎へと向かうタバサの背中……他の人達からすると全くいつもと同じように見えるであろうが、キュルケには判った。

 何か、タバサの心の中で動くモノがあるということに。

 キュルケは、(何なのかしら……?)と考え、不意に気付いた様子を見せる。女の勘というモノが、(いやでも、だけど、もしやそうなのかしら?)とキュルケに教えて来るのである。

 顎に手を当て、キュルケは首を傾げた。

「でも、あの娘に限って……流石にそんなことないか」

 周りに立っていた“ロマリア”軍の1兵士が無言でタバサの後ろにくっ着いて行く。彼等は、ルイズ達“トリステイン”人と“アルビオン”の女王であるシオンが1歩宿舎を出ようモノなら、こうやってずっと影のように寄り添うのである。特に才人と、“ガリア”の元“王族”であるタバサ、“アルビオン”女王陛下であるシオン、に対する監視には徹底したモノがあるといえるだろう。呑んで浮かれようが騒ごうが彼等は気にも留める様子を見せない。だが、いつまでもどこまでも、くっ着いて来るのである。流石に部屋の中までは着いて来ることはないのだが、扉の外でジッと立ち尽くすのである。

 名目上は、重要人物の護衛、ではあるのだが……。

「まるで捕虜みたいね」

 と、キュルケは独り言ちた。

 それから首を横に振り、「いいえ……人質ね」とキュルケは呟いた。

 

 

 

 マリコルヌとの騒動の後、宿舎の部屋に戻って来たルイズと才人は、ふぅ、と溜息を吐いてベッドに腰掛けた。

 扉の外に向かって、ルイズはべぇーっと舌を出した。そこに控える、“ロマリア”軍の兵士に向けられたモノである。

「何が、“往来での騒ぎはできれば御遠慮ください、アクイレイアの聖女殿”よ。“聖女”? あんた達が勝手に仕立て上げたんじゃないの」

「御前、ノリノリで就任したって聞いたぞ」

 才人が冷ややかな目でそう言うと、ルイズは顔を赤らめた。

「だ、だって……しょうがないじゃない。あの時はそうするのが正しいと想ったんだもの」

 ルイズは恥ずかしそうに言った。失っていたのは才人に関する記憶のみであり、他の記憶は完全に残っていたのである。確かにあの時のルイズは、“ハルケギニア”の“貴族”として、“ロマリア”の正義に従うしかない、と感じていたのであった。

「御前な……帰るのを選んだら、あいつ等俺のことを殺すつもりだったんだぞ。まあ、俺はそんな腰抜けじゃないから、今現在ここにこうしていられる訳ですが」

 才人は得意げに言った。

 ルイズは怒りに震え、「それが赦せないのよ! 教皇聖下が嘘を吐くなんて! 世も末だわ!」と叫んだ

「ま、約束は破ってねえだろ」

「どういう意味?」

「あいつ等は、御前に“俺を帰す”と約束したけど、その生死までは保障しなかった。それだけの話なんだろ」

「そんなのってないわ! それは詭弁よ!」

 ルイズは腕を組んで、唇を尖らせた。

「まあ、あんまりカッカするなよ」

「なんであんたはそう冷静なのよ! 私、自分が“ブリミル教徒”ってことがこれほど恥ずかしくなったことはないわ! 全く、“新教徒”か“砂漠の悪魔”に宗旨変えをしたいくらいよ!」

 と、他の“貴族”を始め“ブリミル教徒が聞いたら目を回すであろうようなことを、ルイズは平然と言って退けた。

「良いじゃねえか。今のところ、利害は一致してる。兎に角俺達が協力する以上、あいつ等も変なことはしないだろ。精々“ガリア”の王様をやっつけるまでは、こっちもあいつ等を利用させて貰おうじゃねえか。それに、セイヴァーもしっかりと約束してくれたしな」

「ふんだ。そうそう上手く行くかしら?」

「大丈夫だよ。姫様だって、そのために本国に帰ったんだから」

 アンリエッタはあの後、才人達から事情を聴くと、唇を噛み締めたのである。それから、凛とした顔で、才人とルイズに、「私に御任せください。私全生命を賭けて、この愚かしい“聖戦”とやらを止めてみましょう」と言ったのであった。その顔には、激しい決意が溢れていることが判った。“アルビオン”軍が攻めて来た際、真っ先に会議室を飛び出して行った時と同様の、厳しい表情であった。

「そりゃ姫様はそう請け負ってくれたけど……要らないって想われたらそれまでだわ。きっと“ロマリア”の連中、私達を闇に葬るくらい、平気でするわよ」

 ルイズが心配そうに言はするが、才人は涼しい顔で言った。

「平気だって」

「どうしてよ!?」

「“アクイレイアの聖女”に、甲冑人形を全滅させた“虎街道の英雄”。どっちも小っ恥ずかしい名前だけど、今やあいつ等にとっては、取り敢えず最重要の手駒の1つには違いない。折角作った看板を、見す見す打ち壊すような真似はしないよ。ほらあれだ。士気に関わるからな」

 ルイズは、ポカンとして才人を見詰めた。

「どうした?」

「嫌だあんた。随分と真当なことを言うじゃないの」

 確かに、才人の言うことはもっともである。

「あのな、俺だって伊達に騎士隊の副隊長やって来た訳じゃねえよ。剣を振り回すばかりじゃ勝てない相手がいるってことも少しは学んで来たつもりだ」

 サラッとそう言って退ける才人の横顔は、凛々しいといえるだろう。

 ルイズは、(嫌だ……こいつ格好良いじゃないの)と激しく胸がトキメクのを感じ、頬を染める。それから、才人を見詰めた。

「どうした?」

「な、何でもないわ」

 ルイズは慌てて顔を背け、膝の上に拳を置いて俯いた。

 ルイズのそんな様子を見て、流石の才人も、自分が発した一連の台詞がルイズをどうにかしたのかを理解した。

 心の中で、(うおっし、うおっし)と何度も拳を握り締め、才人は喜びに震えた。(ま、参ったな……ルイズの奴、結構こういうのに弱いんだよな……何つうの? 頼れる感じ? 俺も普通にそういうのができるほど、成長したってことか!)と才人は自分を褒めて上げたい気持ちで一杯になった。それから、(嗚呼、やっぱり帰らないで正解だわ俺……)と想った。

 ルイズは、恥ずかしそうにプルプルと震えている。ストレートに自分の気持ちを伝えることができない女の子……だが、誰よりも真っ直ぐで、自分が心に決めたことを何があっても曲げることがないであろう意思の強さを持っている女の子であるともいえる。

 才人は、ルイズのそのようなところに惹かれたのである。

 ルイズは以前と比べると、随分と変わったといえるだろう。盲信していたアンリエッタや“ブリミル教”にも、疑問を打つけねばいけない時はハッキリとそれを口にするようになったことなどからもそれが理解できるだろう。だが……それでも、根っこの部分は変わらない。才人がギーシュに“ワルキューレ”を用いて一方的になぶられた時3日間休みなく介抱した優しさ、恐ろしい“ゴーレム”の前から逃げ出さなかった勇気、そういったモノは全く変わっていないのである。

 そして、見てるだけで才人をドキドキさせてしまう横顔の美しさ……軽く上唇を噛み、たまに上下する瞼を彩る長い睫毛……そういったパーツが織りなす奇跡のようなコントラストが、ルイズを比類なき美少女に仕立て上げていた。

 才人の心の中に、平和な何かが満ちて行く。

 好きな女の子に好かれている。これに気付く瞬間より幸せな時間というモノを、才人は知らない。

 才人は、喉がカラカラに渇きそうになり、思わずそのままルイズを抱き締めて押し倒したい衝動に駆られた。

 恐らく、ルイズは拒むことはないであろう。

 生物本能的勘で、才人はそれを理解した。

 才人はルイズの顎を持ち上げた。

 桃髪の美少女は大人しく目を瞑る。澄ましているつもりなのだろう、また同時に照れ隠しでもあるのだろう、怒ったように唇を尖らせている。だが、頬が髪のように桃色に染まっていることからも、どのような気持ちになっているのかは一目瞭然である。

 才人が無造作に唇を押し当てると、ルイズはひしと抱き着いた。

 小さなルイズの背中は震えており、(此の小さな身体は、俺が護るんだ。これからも、ずっと……)、と才人は心の底から“愛”しく感じた。

 

 

 

 才人と唇を重ねたルイズの中に、再び才人の記憶が流れ込んで来た。

 恐らく、才人がかつて行った妄想や空想の類であろう。

 だが、(だって、男の子はそういうモノよ。私とは違う論理で動いてるの。たまにはしょうがないわ)と考え、何などんな光景を見ても驚かないことにしよう、とルイズは決めていた。

 今回、ルイズの中に流れ込んで来た才人の記憶は、“魔法学院”の自室のベッドの上、シエスタと3人で川の字になって眠っているモノである。

 ルイズはそんな情景を見る中、(嫌だ……こいつってば。隣でシエスタが寝ているのに、私に手を出そうとしたんだわ。と言うか、私が寝ている隙にキスの1つでもしたのかしら?)と想い、激しい胸の高鳴りを感じた。(そんなのってないわ。冒涜! 冒涜だわ!)、と想った。

 記憶の中の才人は、ルイズに手を伸ばすと、ソッと揺り起こす。

 ルイズは(嗚呼、私を起こすのね。私にそんな記憶はないから……これはサイトの妄想ね)と思ったが、そこでルイズは、(私の今の記憶は……才人の中にあったモノではないの? どうして、私がこれが現実にあったことではない、と言い切れる、の?)と気付いた。

 そうすると、幾つかの記憶……自分自身だけの、才人への記憶がルイズの中で蘇った。

 そして、(どうして?)とルイズは疑問を覚えた。

 主人と“使い魔”の絆、というだけでは括り切ることができない不可解な出来事であるのだ。

 だが……そんなルイズがふと思い付いた疑問は、才人が持つ記憶の内容で吹っ飛んでしまった。

 何と記憶の中の才人は、シエスタをも揺り起こしたのである。

 

――“じゃあ3人で”。

 

 ルイズは才人から身体を離すと、無表情のまま突き飛ばした。

「な……ルイズ?」

 呆気に取られた顔で、才人はルイズを見詰める。それから原因に想い当たったという様子を見せるが、幾つもあるのだろ、どれだか判らないといった様子も見せる。兎に角、才人は年頃の少年だということもあって、致した妄想は星の数以上であった。

「ど、どうしたんだ?」

 才人からすると、理由には思い当たりはするが、そのどれかまでは特定に至らない。知っていながも、特定できないでいる才人は、ルイズに尋ねた。

「トイレや中庭ならまあ我慢もするわ! でも、他の娘と同じ扱いだけは我慢できないんだから!」

 才人が、(どれだろう?)と首を傾げる。

 そのため、(そう。そんなに沢山想像したってことね!)とルイズはその顔に思い切り足の裏を叩き込んだ。

 ルイズは正座すると、腕を組んで思い切り才人から顔を背けた。

「男の子って、本当に馬鹿!」

 

 

 

 

 

 タバサは自分に与えられた部屋の中で、ベッドに横たわっていた。

 ドアがノックされて、タバサは身を起こす。

 イーヴァルディが、警告の言葉を発しないことから、敵意や害意を持った者ではないということが判る。

「……誰?」

 何故か胸が高鳴るのを、タバサは覚えた。

 ノックの主はそれに応じず、ドアを開ける。

 タバサの目が細まった。

「やあ」

 立っていたのは、“水精霊騎士隊”のマントを羽織った才人であった。

 タバサは毛布を引き寄せた。寝間着姿であるためだ。

「……どうしたの?」

 そうタバサが尋ねると、才人はベッドの側にやって来て、タバサの隣に腰を下ろす。

「こんな夜中に御免な。話があってさ」

「話?」

 期待に胸を震わせながら、タバサは尋ねた。

「ああ。いつだか、御前に話しただろ? ほら、“水精霊騎士隊”の話。俺達はやっとのことで“ガリア”までやって来れた。御前の憎い仇のいる、この“ガリア王国”に。要は、俺達も御前の復讐の手助けがしたいんだよ。そのためにも、俺達と同じ紋章を着けていた方が、何かと便利じゃないかなって?」

 何だそんなことか、とタバサは軽くガッカリした。

「なあ。入ってくれよ」

 才人は、タバサの方を向くと、手を掴んだ。

 思わず、タバサはその手を振り解いてしまう。

 すると、才人の目に、ありありと悲しみの色が浮かんだ。

「そうだよな……無理言ったよな。ごめん」

「良い。気にしないで」

 タバサが才人の手を振り払ったのは、騎士隊に入りたくない、という意思表示ではないのである。勿論拒絶の意味でもない。ただ……恥ずかしかったのである。だが、そんな感情を表に出すことを、タバサは憚った。

 故に、タバサは次いで、顔を背けた。

 沈黙が流れた。

 タバサはいつも、殆ど喋ることがない。だから相手が黙り込むと、何も会話することがなくなってしまうことが多いのである。

「話ってのは、もう1つあるんだ」

 才人の、そんな台詞が沈黙を破った。

「……何?」

「単に、その……逢いたくてさ」

 タバサは、胸が締め付けられるような気がした。だが、それを表情に出すことはない。そう自分を訓練して来たということもある。

 が、それでも微かにタバサの声は震えた。

「……どうして?」

「何でかな? きっと、好きなんだろうな」

「でも、貴男には……」

「御前の方が好きなんだ」

 ハッキリとそう言われ、タバサはポーカーフェイスを保つことができなくなってしまった。ブワッと抑えていた感情が顔に現してしまう。

 タバサは、(頬が熱い。もしかしたら、赤くなっているかもしれない)と想い、思わず頬を押せようとする。

 すると、その手を掴まれ、才人に手繰り寄せられた。

 自然に、才人の胸に頬が収まる。

 顎を掴まれて、全く抵抗できないままにタバサは目を瞑った。

 近付く唇が瞼に映る。

 タバサは、ユックリを目を閉じると同時に……目を覚ました。

 

 

 目を開けると、未だ辺りは薄暗かった。

 タバサは、クローゼットに置かれた機械格式の時計を見る。

 時刻は、午前4時である。

「……夢」

 タバサがこのような夢を見るようになってから、結構な時間が経っているといえるだろう。

 才人が出て来て、タバサへと愛の告白をする夢……。

 いつの頃から、自分がそれを見るようになったのかを、タバサは良く知っていた。

 “アルビオン”へティファニアを迎えに行き、“ミョズニトニルン”が操る“ヨルムンガント”と戦った時……。

 タバサは、“精神力”の切れたルイズの感情を震わせるために、自ら才人の唇に自分のそれを押し当てたのであった。

 勿論、それはルイズに嫉妬を覚えさせるため、以上の意味をその時は持っていなかった。

 自分が仕えるべき騎士――才人にそれ以上の感情を抱くなんて想像もしていなかった上、また、そのような気持ちになることもなかった、ことをタバサは理解している。

 だが……あれ以来、タバサは才人が出て来る夢を見るようになったのである。その夢は、ちょっとした感情の変化を、タバサに与えて行った。

 会うたびに、わずかに胸が締め付けられるかのような、そんな感情……。

 タバサは自分の中のそんな感情を、冷静に否定しようとした。

 仕えるべき騎士、と決めた相手に、擬似的な恋愛感情を抱くということはよくあることである。

 タバサは、(自分の場合も、そんなことに過ぎない)と想ったのである。

 タバサは知識として、そのことを知っていた。

 だが同時に、それを否定するような出来事もまたあった。

 才人達“水精霊騎士隊”の少年達が風呂覗きを行った時……タバサは才人を怒り狂った女子生徒の包囲から救い出したのであった。息を潜めて、2人で食堂に隠れた際、タバサは才人に「自分を見るな」と告げたのである。何も服を身に着けていなかったこともある。が、自分が仕えるべき騎士に、肌を晒すことを恥ずかしがる従者は先ずいないといえるだろう。平時のタバサであればそう判断したはずであったのだが、「見るな」とタバサは言ったのであった。

 その理由が、今のタバサには理解っていた。

 肌を見られてしまうと……何かが自分の中で加速してしまう、タバサはそのように感じたのである。

 タバサは膝を抱えると、唇を噛んだ。

 気持ちがたかぶっているからだ、とタバサは自分に言い聞かせた。ジョゼフがいる“リュティス”に近付いている。だから、これほどまでに感情がたかぶり、あのような夢の頻度も増えてしまうのだ、と。

 だが……かつてはあれだけ頭の中を占めていた復讐のことより、今のタバサはあの夢のことを考えている時の方が多く長いといえるだろう。

「どうしたの? マスター」

 目を覚まして膝を抱えているタバサに、イーヴァルディが問い掛ける。

 だが、その問いに答えるだけの余裕は、今のタバサにはなかった。

 そんなタバサに、イーヴァルディは温かな笑みを浮かべて見守った。今のタバサの状態――想いなどに気付いているのである。

「……どうして? 恋に恋してる?」

 タバサは、(自分は今まで色んな本を読んで来たじゃないか。理解らないことなど、世の中にはないのだ。そう。自分の心の中だって……)と考え、知識として得ているそのような言葉を利用して、己の状態をなんとか規定しようとした。

 だが……全ての本を思い返してみても、今の自分の気持ちが何なのか、確かめる術が書いてある本をタバサは見付けることができなかった。

 ボンヤリと窓の外の方を向くと、“使い魔”のシルフィードの顔がそこにはあった。

 シルフィードは、ボンッ! 空中でヒトに化けると窓を開けて部屋の中に飛び込んで来た。

「こんな所で、ヒトに化けちゃ駄目」

「きゅい! それどころじゃないのね! 御姉様、一体その顔は何なのね!? イーヴァルディも心配してるのね」

「……何?」

 シルフィードの言葉に、タバサは“霊体化”しているイーヴァルディを見遣る。

 イーヴァルディは、やれやれ、といった様子で肩をすくめてみせた。

「もう! 御姉様のことはいつも見守っているシルフィなのね! ああもう! そんなことはどうでも良いのね! その顔は明らかにどうにかしちゃってる顔なのね! 頬が染まっているのね! どんな夢を見たか言うのね!」

 素っ裸のまま、シルフィードは部屋を転がりまくった。激しく興奮しているらしいことが判る。

「さてと」

 それからシルフィードはおもむろに立ち上がり、タバサの頭に手を置いた。

「さて、夢の中の逢い引きの相手は誰なのね?」

 妙に鋭いシルフィードで在る。

 タバサは返事をせずに、毛布を頭から冠った。

 シルフィードはその隣に滑り込み、再び顔を覗き込んだ。

「言うのね」

「貴方達には関係ない」

「関係ないことないのね。とっても大事な、いや、まさにシルフィが待ち焦がれた瞬間なのね。まあ任せるのね。このシルフィとイーヴァルディが、絶対に成功させてみせるのね」

「おいおい、何故僕まで……まあ、良いか」

「勘違いしないで。平気」

「勘違いじゃないのね。古音東西、夢で逢えたら、状態が、夢で逢うだけ、状態で終わった例はないのね。必ず何か一波乱あって、傷付いたり、卵を産んだりするのね」

「私達は卵を産まない」

「言葉の綾なのね。兎に角、仰い。ちび助」

 シルフィードは、ウリウリとタバサの頬を突き、出逢った当初の呼称でタバサを呼んだ。

「言うのね」

 結局、朝までそんなやりとりは続いたのだが……タバサは頑なとして己の“使い魔”と“サーヴァント”に、夢の中で逢引をした相手の名前を告げることはなかった。



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中洲の騎士試合

「さて、と……どこから話したモノか……」

 “カルカンソンヌ”にある宿舎の一室にて、俺はそう考え呟く。

 この一室には、俺とシオン、才人とルイズ、タバサとイーヴァルディ、キュルケとコルベール、ギーシュとマリコルヌとレイナールとギムリを始めとした“水精霊騎士隊”の少年達だけがいる。要は、“魔法学院”関係者だけである。

 そして、もう1つ共通点があった。

 それは、“オストラント号”の船室にて、“虚無”を始め他“聖杯戦争”などについての知識を得た、という点である。

 そんな俺達がいる一室であるが、“日本”の学校の教室程度の広さである。

 外に、護衛という名目での監視役の“ロマリア”軍の兵士達がいる。が、此方の会話が聞こ得ないように、防音などの結界を張るなどと工夫している。聞かれては色々と不味いのであった。彼等“ロマリア”軍の兵士達は「護衛のためなので、離れる訳には」と言って来たのである。だが、俺達が「“学院”に関する話をするだけだから」と言い張るなどと色々と捏ねた結果、彼等は部屋の外で待機する、というかたちでどうにか落ち着いたのだが。

 そういった少しの経緯があり、この部屋で俺が色々と話すことになったのだが……。

「先ずは、セイヴァーの正体。と言うか、何処から来たのか?」

「ちきゅうってどういった場所なんだ?」

「“魔術”について教えて」

 などと、色々と皆が言い寄って来るために、俺は少しばかり迷っていた。迷わざるをえない、と言うことができるだろう。

 俺の、今の俺はとても複雑な事情や立場などと色々と言葉として上手く説明することが難しいのだから。

「それじゃあ、遠回りな説明かつ復習がてらになるが……」

 皆、同意の意を示すように首肯く。

「先ず、“根源”と言う、そう呼称することができるモノがある。それは、“物質、概念、法則、空間、時間、位相、並行世界、星、多元宇宙、宇宙の外の世界、無、生命、死などの汎ゆるモノが生まれ、そして最終的には還る時空間”のことだ。そこから生まれた、それぞれ別々に世界……“ハルケギニア”や“地球”を始め他にも世界は存在する。“地球”は、俺と才人の故郷ではあるが、厳密には違う。先程言った通り、“世界”と言うモノには“並行世界”と言うモノも存在し、俺と才人の故郷である“地球”は同じ名前の星――“世界”であるが、所々差異がある」

「……“並行世界”……もしこうなっていれば、もしこうしていれば、などと言った可能性の数だけ存在する世界ということかい?」

 1人の少年の確認の言葉に、俺は首肯く。

「そうだ。その1つの可能性の世界から、俺は“神様転生”と一般的に呼称することができるシステムで、この世界――“ハルケギニア”に来た」

「その、“神様転生”、とは?」

「良く描かれている、知られている展開としては、神様のミスなどで死んでしまった者が、何か特別な力や道具を貰い、異世界へと飛ぶといったモノか。まあ、別世界への転生だ。そして、俺はそんな“神様転生”に似た何かによって力を得て、ここ“ハルケギニア”に来た」

「神様にって、言うけど……神様には逢うことができたのかい?」

「いや、それに似た別のモノでここに来たんだ。厳密には違う。だから、神様と呼ぶことができる存在には逢っていない。ただ、特別な力を手にし、俺は“ハルケギニア”に、シオンの“召喚”に応じた」

「それは、また何でだい?」

「何故、とは?」

「何故、ここ“ハルケギニア”に来たのか、シオンの“召喚”に応じたのか、ということさ」

「それは、惹かれたから、としか言いようがないな」

「は?」

「理由なんてない。沸き起こる感情に、理由が必要か?」

 少年達の質問に、俺は答えて行く。

 しばしの沈黙が訪れた。

「さて、また別の話になるが……“魔術”についてを教えて欲しい、とかだったか?」

「ええ。“精神力”が底を突いた時のための手段として何か必要でしょう?」

 キュルケが、ルイズを見遣りながら俺からの確認の言葉に首肯く。

 ルイズ達“メイジ”は基本的に“精神力”を消費して“魔法”を行使する。そして、“精神力”が尽きると、後は自身の身体でどうにかなすか、逃げるか事の先を受け入れるか、と言ったことしかできないのである。“精神力”が切れた“メイジ”は、戦力として扱うことができず、自らか外部からの干渉で爆発させるしかないのだが……それが毎回上手く行くという保証があるはずもないのだから。

「“地球”に存在する“魔術”と“魔法”の区分についてなどを先ず説明しようか……基本的に、それ等は秘匿されている」

「それは、また何故?」

「“根源”と言う存在については先程説明しただろ?」

 皆首肯く。

「“魔術”とは、“魔力を用いて人為的に色々な現象を再現する術の総称”のことなのだが……“根源から流れ出す事象の川は、当然、根源に近ければ、太い流れであり、末端へと流れて行けば途中幾つもの支流に分かれて細い流れとなる”……“事象を細分化する要因は、時の流れと人々の意識であり、人々に知られれば知られるほど、それは細くまた複雑に、一般常識になる”……そして、“地球”に於いて、“魔術”と“魔法”の違いとは……“その時代の文明の力では、いかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な、結果をもたらす”かどうか、という点だ」

「ああ、ええと詰まり?」

「“ハルケギニア”に存在する“4系統魔法”、“地球”の“魔術”にはあまり違いがない、ということだ。“魔術”にもここで言う“系統”――“属性”というモノがある。“火”、“地”、“水”、“風”、“空”……架空元素である、“虚”、“無”……」

「“空”? それに、“ちきゅう”にも“虚無”があるの?」

「厳密には“虚無”とは違うのだが……まあ、先ず“空”とは“天体を構成する第五元素”――“エーテル”……まあ、これについてはあまり気にする必要はない。そして、“虚”と“無”だが……“虚”とは、“ありえるが、物質界にないモノ”……“無”とは、“ありえないが、物質化するモノ”だ」

「それって、どういう……?」

「難解で長い説明になる。聞きたいのであれば説明するが……まあ、その顔からすると必要ないだろうな」

「“ちきゅう”の“魔術”についてはまあ理解ったよ。でも、“魔法”って? 僕達が使ってるのと違うのかい?」

「“魔法”は、先程も述べた通り、“その時代の文明の力では、いかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な、結果をもたらす術の総称”だ」

「具体的には何ができるんだい?」

「“第二魔法”――“並行世界の運営”、“第三魔法”――“魂の物質化”――“天の杯(ヘヴンズ・フィール)”、“第五魔法”――“時間旅行”――“青”……」

「そんなことができるのかい?」

「勿論可能だ。が……それが、他の技術や方法で可能になれば、“魔法”ではなくなり、最終的には“魔術”ですらなくなるだろうがな……」

「僕達にも、“魔術”は扱えるのかい?」

「勿論だ。御前達の“魂”には、“魔術”を使用するのに必要不可欠な“魔術回路”が存在する。まあ、“魔術”を扱う際、それぞれ何かを行うイメージをしてから“魔術回路”を躍起させて発動したりするのだが。例えば、銃、などといった風に……」

「1つ、疑問があるのだが……良いかね? セイヴァー君」

「何だ?」

 コルベールが挙手し、気になったであろうこと――疑問を口にする。

「“ハルケギニア”の“魔法”とちきゅうの“魔術”……どうして、これだけの共通点があるのかね?」

 皆、確かに、といった様子を見せる。

 一部を除いて、幾つもの共通点が見受けられるのだから。

「……それはだな、ブリミルが“地球”人だからだ」

「――!?」

 シオンを除いた皆が一様に、驚いた様子を見せる。

 が、才人は直ぐに納得した様子を見せる。

「あの夢……やっぱり、夢じゃなくって」

「そうだ。御前はあの時、“レイシフト”と良く似たことを行わされていたんだ。まあ、大分後にも体験することになるだろうがな」

「“始祖ブリミル”が、サイトと同じちきゅう出身?」

「そうだ。あいつは、俺と同じく“根源接続者”であり、“千里眼”持ちだった。“魔術属性”は“架空元素”……だが、上手く“根源”への接続や“千里眼”などを活用することができなかった。が、それ故に限定的に、未来を見ることができ、結果、色々な“秘宝”と呼ばれるモノを造り残した。あいつの家族達は、皆“杖”を振っての“魔術”行使が慣わしだった、が故に、“ハルケギニア”に来た後もそれは続き、御前等もそれをしないと駄目になった……条件付け化された、というところか」

「ふむ……」

「“ハルケギニア”の“魔法”に於いては兎も角、“地球”の“魔術”は“ハルケギニア”の“平民”であっても扱うことができる」

「そんな、こと!? もし、それが本当なら、一大事だ!」

 1人の少年が驚きのあまり大声を出した。

 “貴族”は先ず“魔法”を扱うことができが故に優位性を持ち、上の立場でいることができているのである。その優位性が失われてしまえばどうなってしまうのかは、故に語らず、言葉にする必要は皆無であろう。

「まあ、“魔術”の使用には、色々と大変だから、その心配は要らないと言えるだろう。それに、俺はあまり広めるつもりはないからな」

 その言葉に、少年はホッと胸を撫で下ろす。

「話が戻るのだが、質問良いだろうか?」

「何かな? ギーシュ」

「君は、最初“根源”とやらについての説明をしてくれた。その際に、“並行世界”の存在も、だ……それって、本当に可能性の数だけ無限に存在するのかい?」

 ギーシュのその質問に、俺は首を縦に振る。が……。

「事実、無限と言っても良いくらいに存在するだろう。だが、それでも“世界”の存続、というモノにはそれだけエネルギーが必要となる。其の許容範囲を超えることになれば滅びる。大きく分けて2つになるが……“並行世界は“多少の差異はあっても未来は同じになる大幹の並行世界群”である“編纂事象”と“完全に別世界になり、いずれ滅びる枝葉の並行世界である剪定事象”……その2つだ」

「……この“世界”は、どっちなんだい?」

 一息吐いて、ギーシュが問い掛けて来た。

「俺がここに来た時は……後者……“剪定事象”だ」

「そうか……」

 皆、それぞれ嘆息した様子を見せる。が、その様子から、絶望しているといった様子は見受けられない。

「ふむ、取り乱さないか」

「その説明で、なんとなくではあるけど……理解できたし、覚悟もできたからね」

「で、だ。セイヴァー。これから先、どういった風に俺達は動くことになるんだ?」

 才人が、覚悟を決めた様に俺へと尋ねて来る。

「そうだな。先ず、川での睨み合いの中で、御前達は船の上でちょっとした模擬戦じみたことをする。才人、御前はそれに勝ち続けるんだ。そして、タバサ……御前に、密書が届く」

「密書?」

「“ガリア”の正統成る王になってくれ、といった嘆願書のようなモノだ」

「…………」

「それから、ジョゼフ達と大きな戦いを繰り広げ、“元素の兄弟”と呼ばれる傭兵の兄妹から襲撃を受けて撃退するもデルフリンガーが壊れる」

「俺が、壊れるってか?」

「そうだ。御前は物理的に破壊されてしまう……」

「そんな……」

 才人の背中のデルフリンガーへと、皆視線を向ける。

「それから、ルイズ、御前はハッキリと理由を言うことはできないが家出をする。“ロマリア”がタバサ、御前を誘拐して……」

「もう良い」

 才人が手を挙げて、俺の言葉を遮り止めた。

「荒唐無稽だな……」

 ギーシュが言った。

「だけど、確かな説得力が、何故かあるね」

 マリコルヌが言った。

「御前が、俺達に言わずに行動していた理由が何となく理解った気がするよ。そんなこと、先ず基本信じられない。幾ら、友人だからって、妄想が過ぎる、って言いたくなる」

 才人が、申し訳なさそうに言った。

「なんだ、まだまだ大事なことがあるが、良いのか?」

「じゃあ、逆に訊くけど、それを回避することはできるのか?」

「できはするだろう。だが」

 才人達の疑問に、俺は言葉を濁してしまう。

「君の知る展開から大きくズレる……いや、君は既に全てを識っていることからすると……“剪定”に向かう速度が速まるといったところか」

「そうだ」

 コルベールが俺の様子から、俺が口に出すかどうかを迷っていることを代弁してくれた。

 そんなコルベールと俺の言葉と様子に、空気が重くなる。

「この先の展開を知りたいのであれば教えるが、どうする?」

「いや、良い……もう良いよ」

「そうか……では、“魔術”についての講義に戻そうか……“魔術”を扱いたいんだよな?」

 重い空気の中、俺は話題を戻す。

 皆、一様に暗い雰囲気ではあるが、強く首肯いた。これから先の展開で、“魔法”だけに頼る訳にはいかない、と想ったのだろう。

「理論などを簡単に色々と省いて説明するが、先ず基本的に“世界に定められたルールであり、人々の信仰がカタチとなったモノ”――“人の意思、集合無意識、信仰心によって世界に刻み付けられるモノ”――“魔術基盤”が必要だ。これに、“各々の魔術師が魔術回路を通じて繋がることで命令を送り、基盤が受理、あらかじめ作られていた目的の現象を起こすための機能が実行される”……のだが、まあ、そういったことは良いか。使用するだけなら、気にする必要などないだろうしな」

 俺はそう言って、懐から腕輪を、この部屋にいる人達の数だけ出す。

 その腕輪は、銀色に鈍く光っており、凸凹としている。

「これは、その“魔術”を予めインプットさせておいた“魔道具”……“魔術礼装”と呼ばれるモノをよりコンパクトに、そして色々な機能を纏めたモノだ」

「どんな機能があるんだい?」

「味方全体の“魔法”の効果を高める“魔術”、任意対象が負った軽い傷に対する治癒“魔術”、任意対象が抱える火傷や凍傷や毒などを始めとした状態異常に対する回復用の“魔術”……などなど。が、道具に頼るだけだと駄目だから、基本的な、簡単かつ応用力の高い“魔術”を覚えて貰う……が、その前にッ!」

 俺はそう言って、瞬時にナイフを“投影”し、部屋の隅へと投げる。

 と同時に、才人も背に背負うデルフリンガーを掴みながら、イーヴァルディも剣を手にして、同じ方向へと跳躍する。

 皆が呆気に取られる中、その場で軽い金属音が立った後、黒い外套を纏う細身の男が姿を現した。

 その男は、黒い外套以外にも、目を引く特徴的な部分があった。

 髑髏の仮面。

「いやはや、流石ですな。気配を遮断して、今仕方到着したばかりだというのに」

「御前……」

 才人は、デルフリンガーを握りながら警戒する。

 他の皆も、同じだ。“サーヴァント”である彼を、良く知らない者達からしても、“アサシン”から発せられている膨大な“魔力”と迫力などから、警戒せざるをえないのである。

「どうした? 何の用だ?」

「セイヴァー殿。貴男に御頼み申したいことがある」

「何だ?」

 次に“アサシン”の口から出た言葉に、俺とシオンを除いた皆は目を丸く見開くことになった。

「私は、貴男と“契約”したい」

「ふむ……で? “キャスター”を裏切る、と言うのかな?」

「然様。私はただ、“初代様”のような暗殺者になりたいだけなのです。それが願望に、“召喚”に応じた。が、“キャスター”めの行動や指示を受け続けてもそれを果たすことはできない」

「それは、こちらに鞍替えしても同じだと想うがね」

「確かにその通りでしょう。ですが、私は、貴男と共にいることで、何かを見付けることができるかもと……」

「ただ、あの剣と盾に恐れをなしただけ、じゃないのか?」

「は、はぁ……」

 “アサシン”は、頭を垂れる。

「本当に良いんだな? 俺は体良く御前を駒扱いするかもしれんぞ?」

「構いませぬ。そう簡単にそのようなことをしない御方だと、ここにいる御方々を目にすれば容易に理解できます故」

「……そうか」

 俺はそう言って、“汎ゆる魔術を初期化するナイフ”――“破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”を“投影”する。それからそれを、“アサシン”――“ハルケギニアのハサン”へと突き刺し、“契約”を破棄させた。

「なあセイヴァー」

「何だ? 才人」

「願望って?」

「ああ、御前は例外だから説明していなかったな……“サーヴァント”は基本、“聖杯”という景品を賭けて戦うのだが、その“聖杯”は“万能の願望器”だ。その“聖杯”を使って、願いを叶えることができるよという題目で“聖杯戦争”は行われ、その“願い”を叶えるべく、“サーヴァント”は“召喚”に応じる」

「でも、俺に願いなんて……」

「あるだろ?」

「で、“ブレイバー”……イーヴァルディは?」

「僕は、君達の心の中にいる“勇者”に応えるだけよ。それが望みだ」

 1人の少年の質問に、イーヴァルディは笑顔で答える。

「なら、セイヴァーはどうなんだ? どんな望みを持って、シオンの呼び掛けに応えたんだ?」

「さてな……忘れたよ。どこぞの“赤い外套の弓兵”ではないんだが、記憶が曖昧だ……俺の本来の願望は忘れちまった。が、今の願望、新しい願いはある」

「それは?」

「御前達が、幸せでいることだ」

 

 

 

 

 

 

 “カルカンソンヌ”の北方に流れる“リネン川”を挟むかたちで、“ロマリア”と“ガリア”の両軍が対峙し、俺が“魔術”の講義を始めてから3日が過ぎた。

 その間、幅200“メイル”ほどに過ぎない川の間を1番飛び交うことになったのは、矢玉でも“魔法”でもなく、言葉であった。

「おーい、“ガリア”も蛙食い! 聞こ得るかぁ!?」

 と、“ロマリア”軍の1兵士が大声で叫ぶ。

 すると、「聞こ得るぞ! 腐れ坊主共!」と“ガリア”軍から返事が飛ぶ。

「御前の国は、ホントに不味いモノばっかりだな! パンなんか粘土みたいな味がしたぜ! おまけにワインの不味さと来たら! 酢でも飲んでる気分だな!」

「坊主の口にはもったいねえ! 待ってろ! 今から鉛の弾と、炎の弾を喰わせてやるからな!」

「おいおい! 怖じ気付いて川1つ渡れねえ野郎が良く言うぜ!」

「御前達こそ、泳げる奴がいねえんだろ!? 良いからとっとと水練を習ってこっちに来やがれ! 皆殺しにしてやる!」

 と、延々と御互いを罵る言葉が乱れ飛び続けている。そのうちに頭に血が昇った“貴族”が1人2人と現れ、川の真ん中に位置した中洲で一騎打ちが始まるのである。勝利者はそこに居残り、堂々と己の軍旗を立てる。すると自軍から大きな歓声が沸いて、士気が上がる。負けた陣営は、地団駄を踏んで悔しがり、直ぐに別の挑戦者が現れる……といった次第で、それが延々と繰り返されているのであった。

 決闘に負けて怪我をしてしまった “貴族”は、中洲の両脇に控えた両陣営の小舟が回収する手筈となっている。その小舟に攻撃を加えない程度の騎士道は、この時代にも未だしっかりと生き残っている。

 また、幸い死者は出ていない。

 今現在、中洲に翻っているのは“ガリア”軍の旗である。盛んに“ガリア”軍から野次が飛んで来る。

 そんな様子を、“ロマリア”軍将兵達に混じって川岸で眺めていたギムリが、呆けっとした声で言った。

「何だ、“アルビオン”の時と比べると、随分とノンビリとしてるなあ」

「派手だったのは、最初だけだね」

 マリコルヌも感想を述べた。

 そんな会話を聞いていたレイナールが、ポツリと言った。

「御互い、後ろめたいんだよ。きっとね」

「後ろめたい?」

 才人が問い返すと、レイナールは首肯いた。

「ああ。“聖戦”が発動されたとは言え、相手は“異教徒(エルフ)”でも“新教徒(異端)”でもない、同じ“ブリミル教徒”じゃないか。何のための“聖戦”何だか理解りゃしないよ。“エルフ”と手を組んでるって言われたって、彼等はまだ実際見た訳じゃない。一方、“ガリア”軍は“ガリア”軍で、国の半分がこっちに味方してる状態だ。気持ちの整理が着かないんだろ」

「ふむ」

「かと言って、一旦“聖戦”を発動した以上、引っ込みは着かない。向こうにしたって、祖国に土足で踏み込まれた以上、戦わない訳にはいかない。ま、幾ら“聖戦”の錦を掲げようが、僕達は侵略軍だからね」

「で、この奇妙な睨み合いは続いてるって訳か。全く、このまま終わったら、阿呆な話だな。死んだ連中はホントに死に損ないじゃねえか」

 才人がそう言うと、レイナールは少しばかり厳しい顔になった。

「いや、長引けば長引くほど、僕達は不利になる。何せここは敵地だからね。こっちに着いている“ガリア”の南方諸侯だって、旗色が悪くなればまた寝返るかもしれない。そうなったら面倒だよ」

「確かにそうだな。“サーヴァント”の力を使う訳にもいかねえし。そうなったら破滅か」

「その通り」

 キッパリとレイナールは言い切った。

「それを避ける方法は?」

「次の会戦での決定的な勝利。要は川向うの連中に何が何でも勝たなきゃいけない。それしかないね」

「その通りだ。先ずは、この戦いでの勝利。まあ、勝ちは見えているが……」

 そんなレイナールの言葉を、俺は肯定する。

 才人は、(やっぱり“タイガー戦車”をどうにかしてでも無理矢理運んで来れば良かったかな)と考えた。

 “ヨルムンガント”撃破などで活躍した“タイガー戦車”は、“アクイレイア”の街に置いてあるのであった。

 才人は、(でも、やっぱり無理だったな)と考え直した。あの戦車は、ただ走行させるだけでも一苦労といえるほどの代物である。少し走っただけで、必ずどこかの部品が悲鳴を上げてしまうだろうことを、才人は“ガンダールヴ”として理解していた。

 壊れてしまえば修理すれば良いのだが、予備部品がないのである。何とか“錬金”を駆使してワンオフで造るにしても時間が足りない。

 天才的エンジニア……この世界で何も抜きで最高の整備士ということができるコルベールをもってしても、“タイガー戦車”を“ロマリア”国境から800“リーグ”も離れたここまで自走させるのは不可能であった。

 奇跡が起こって道中の予備部品がどうにか確保できたとしても、どの道“ガソリン”が不足するのは目に見えていることなのである。

 “オストラント号”で運ぶにしても、戦場から戦場へと、一々積み込みと荷降ろしを繰り返すのはあまりにも手間であり、“メイジ”達に重度の疲労を与えるだけである。積んでいるだけでも“風石”の消費は通常時の倍近くになり、熟練の“メイジ”が20人近くも必要となるであろう。というよりも、1度“タイガー戦車”を運んだだけで、“オストラント号”は悲鳴を上げたため、難しい、不可能だといっても良いであろう。

 そんな任務に1個騎士隊を割ることができる余裕などは、劣勢状態である“ロマリア”には当然あるはずもない。逆に足手纏になるといえるだろうこともあり、思い切って置いて来たのであった。

 結局、“ゼロ戦”と違い、トレーラーや鉄道などがない世界で戦車を運用するのは基本無理だといえるのである。コルベールは、「それでもなんとか運用の方法を考える」と“オストラント号”と共に“アクイレイア”に戻り、必死に作業をしているのだが……何をどうするのか才人には訊く暇がなかったために、才人はそれが判らず仕舞いである。だが、だが、今この時代の技術などでは、流石のコルベールでも、あの戦車を効果的に運用する方法を考えつくということは無理であろう。

 が、(セイヴァーなら、どうにかできただろ……でも、必要だとか言わなかったし、問題ないのかな? まあ、持って来たところで、100,000近い大軍が相手では、焼け石に水だろうしな。それに……敵とはいえ、あんな大砲を人間相手に使う気にはなれないしな)と才人は考えた。

 今の才人達にとっての頼みの綱ということができるモノは、アンリエッタであった。彼女は、「この戦を止める」と宣言して“トリステイン”に帰って行ったのだが、その際に「くれぐれも軽率な軽挙妄動は慎み、時間を稼いで下さい」と言い残したのであった。だからこそ才人達は、この地でなんとか時間を稼ぐつもりであったのだが……。

 才人は、(次、“ヨルムンガント”の軍団が出て来たら? もう、俺達には“宝具”を使用する他術はない。持って来た“AK小銃”とデルフリンガーのみで何ができるっていうんだ? まあ、セイヴァーが何も言って来ないことから、そんなことは起きないんだろうけど……)と考え、“ヨルムンガント”の軍団が出て来てしまった場合を想定して震えた。

「武者震いかい?」

「いや、怖いだけ。ところでギーシュはどうした?」

 マリコルヌが、才人の疑問に言葉で答る代わりに指さした。

 見ると、ギーシュが川辺りに立ち、小舟で中洲に向かおうとしているところであった。

 “ロマリア”軍から歓声が沸いた。

「あんの馬鹿」

「ホントに目立ちたがり屋だなあ。我等の隊長殿は……と言うか呑んでるなあ。ありゃ」

 流石のギムリも、切ない声で言った。

「向こうの相手は、こっちの“貴族”を3人も抜いたんだぜ」

「あれは確か、“西百合花壇騎士”、ソワッソン男爵だ。豪傑で有名な“貴族”じゃないか。殺されるぞ」

 中洲に立って軍旗を掲げる禿頭の大男を見て、レイナールが呟く。

 才人は思わず駆け出し、居並ぶ兵隊や“貴族”を押し退けて、川原に躍り出た。次いで、ジャブジャブと川に張り込み、ギーシュがいる小舟へと乗り込む。

 船頭である兵隊が慌てて、場所を開けてくれる。

「やぁサイト。助太刀してくれるのか?」

 見るとギーシュは、想像通り完全に出来上がっていると言える状態であった。幾ら聞こし召したのであろうか、既にギーシュの顔は真っ赤っ赤である。そして、ギーシュの左手には、今もワインの瓶が握られている。

「何やってんだよー!? “私が不在の間、くれぐれも自重してくださいね”って姫様から言われてるだろー!」

 才人がそう叫ぶと、ギーシュは身悶えして己を強く抱き締めた。

「そうだな。そうかもしれん……でも、見ろサイト。ここに集まった“ロマリア”と“ガリア”両軍の姿を! ここで一発格好良いところを見せてみろ! 僕と“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の名前は、子々孫々まで語り継がれるようになるぜ!?」

「死んだら元も子もねえだろうが!」

「それもそうだが。ま、君も来てくれたし、早々不味いことにはなるまいよ」

 才人は、(多少はマトモになったと想ってたのに……結局根っこの部分はこいつも全く変わってないんだな。目立ちたがりはもう、死んでも治らないに違いない)と頭を抱えた。

 小舟の上で、そのようなやりとりをしていると、向こうの騎士から罵声が飛んだ。

「何だ? 勝てぬからといって、今度は2人か? 流石は臆病者の“ロマリア”人だけのことはあるな!」

 するとギーシュは、不敵な笑みを浮かべて叫ぶ。

「僕達は“トリステイン”人だ! 何、御前達無礼な“ガリア”人に、多少の礼儀を教えてやろうと想ってね」

「俺は違うけどな」

 才人はそう言ったが、勿論この場の誰も聞いていない。

「“トリステイン”人だと? “ロマリア”の腰巾着め! よおし掛かって来い! “ガリア花壇騎士”、ピエール・フラマンジュ・ド・ソワッソンが相手してやる! どちらが先だ? それとも2人一遍か? どっちでも良いぞ」

 ギーシュは重々しく、才人に向かって首肯いた。

「副隊長。出番だ」

「俺かよ!? 格好付けたいんじゃなかったのかよ!?」

「すまん。正直、呑み過ぎたようだ」

 ギーシュは臆面もなく、ゲーゲーとやり始めた。

 当然、双方から笑いと野次が飛ぶ。

 仕方なしといった風に、才人は一歩前に踏み出した。

「名乗れ」

「“トリステイン王国水精霊騎士隊(オンディーヌ)”、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ」

 その名前を聞いて、厳つい特等の男の顔に、驚愕の色が浮かんだ。

「“アルビオン”で110,000を止めたという、2人のうちの1人……あのヒラガか?」

「いかにも」

 ソワッソンは、後ろを振り向いて叫んだ。

「おーい! 諸君! 聴いてくれ! この方はあの、“アルビオンの英雄”らしいぞ!」

 すると“ガリア”軍から、猛烈な歓声が飛んだ。どうやら才人の名前は、この異国でも知れ渡っているようである。110,000を2人で止めると偉業をなしとげたのだから、当然であろう。

 兎に角敵味方問わず、“英雄”には礼が尽くされるモノである。

「誠、御相手できて光栄至極。いざ」

 ソワッソンの顔から笑みが消えた。どうやら今までは本気を出していなかったようである。

 才人は、(流石は大国“ガリア”。こんな風に強そうな騎士がゴロゴロしているにちがいない。俺達は、こんな連中を大勢相手にしなきゃいけないんだよな)と切なくなった。

 それから才人は、デルフリンガーを引き抜いた。

 “ロマリア”軍側から、大きな歓声が沸く。

「よお相棒。いつから歌劇の主役を張るようになった? 大した観客じゃねえか!」

「放っとけ。こうなったら取り敢えず川向うの連中にはやる気を失くして貰う」

 ソワッソンは、素早く“詠唱”を終わせると、才人目掛けて風の刃を放って来た。

 いい加減才人も“メイジ”相手の戦いはやり慣れていた。また、ヒトという生命の枠を超えた“サーヴァント”という“神秘”の塊の力も所持している。

 才人は、難なくそれを躱し、ソワッソンの懐へと跳び込んで行く。

 だが、ソワッソンも然る者である。才人が振るうデルフリンガーを、フワリと浮かんで躱すと、剣の間合いを見切り遠退かる。才人が近付くと、再びソワッソンは後退しつつ風の刃を放つ。才人が剣士だからといって舐めている訳ではないこと、そして相当な手練であるということが判る。

「デッカイ身体の癖にちょこまかと!」

 野次と歓声が飛び交う中で、才人は中々間合いを詰められずにいた。当然、“サーヴァント”としての力を発揮すれば難なく実行することができるだろう。が、才人も才人で、迂闊に飛び込むつもりはなかった。

 そのうちに砂に足を取られ、才人は派手に転がってしまった。

「貰った!」

 ソワッソンは、そんな才人目掛けて氷の矢を放った。

 だが、デルフリンガーがその矢を吸い込む。

「――な!?」

 驚愕したソワッソンの“杖”が、粉々に打ち砕かれる。

 見ると、才人は“AK小銃”を片手で持ち、突き出していた。その銃口から煙が立ち昇っており、火薬の臭いが、2人の鼻を突く。

「じゅ、銃で“杖”を撃ち抜いただと……?」

 この距離で“杖”を狙い撃つ。

 そのような精度の銃など、当然見たことも聞いたこともないソワソンは膝を突いた。

 当然、一部例外を除いて、今の“ハルケギニア”では造ることができない代物である。

「……ごめんなさい。でも、貴男も“飛び道具(魔法)”を使ってるんだ。おあいこということで」

 “ロマリア”軍から、大きな歓声が沸いた。

 小舟に乗り込んでいる兵隊が駆け寄り、才人に軍旗を手渡す。

「じゃあこれはここに立てるね。取り敢えず俺の勝ち、と。貴男は旗を持ち帰ってください。御疲れ様でした」

 呆然と膝を突いているソワッソンに、才人は告げた。

 しかし、そんなソワッソンにギーシュが駆け寄り、ロープで縛り始めた。

「な? 何してんだ御前?」

「おいおい! 彼は君の捕虜だぜ!? 大人しく帰す馬鹿がどこにいる!」

 ギーシュは、縛り上げたソワッソンといきなり交渉を開始した。

「2,000!」

「高い。1,000」

「1,500!」

「……く。足元を見おって。良かろう」

 ソワッソンは川岸に向かって、指を突き出した。

 すると、何か袋を積んだ小舟がやって来て、そこから降りた小さな従者風の男が怖々と才人の前に革袋を3つ置いた。

 ギーシュはそれを確認した後、ソワッソンを縛ったロープを解いてやった。

 革袋と入れ替わりに、ソワッソンは小舟に乗って帰って行く。

「何じゃこりゃ?」

 才人は、ギーシュに尋ねた。

「何って、身代金に決まってるじゃないか」

「身代金?」

「ああ。負けて捕虜に捕られたんだ。釈放して欲しかったら身代金を払うのが当然だろ。彼は男爵だから、相場は1,000なんだが、儲かったな! 君!」

 ギーシュは嬉しそうに、才人の肩を叩いた。

 袋の中には、手の切れるようなキラキラした金貨が詰まっている。

 才人は、なんだかなあ、と頭を掻いた。

「じゃあ儲かったし、帰ろうぜ。阿呆らしくなった」

「おいおい、そういう訳には行かないよ」

 ギーシュは、“ガリア”側の川岸を指した。

 興奮した“ガリア”の将軍が、「あいつを倒せ! 誰でも良い! 倒した奴には賞金3,000“エキュー”だ!」とそう捲し立てているのが見える。

 我も我もと“ガリア貴族”が群がり、小舟の取り合いを御っ始めていた。

「おやおや! 男爵に伯爵……ありゃ、コンヴァレ侯爵の御坊っちゃんだ! 君、上手くや

 

 

 

 

 

 才人は結局、金と名声に目を眩ませた“ガリア”の“貴族”達と次々手合わせをする羽目に成った。

 だが、初回のソワッソンほどの使い手はいなかった。

 彼等“ガリア貴族”は、才人に“杖”を斬られたり、小銃で粉々にされたりなどをして、保釈金の交渉をした後に、次々と尻尾を巻いて帰って行くのである。

 “水精霊騎士隊”の少年達も集まって来て、それぞれに仕事を始める始末である。

 レイナールは、集めた身代金を算盤を片手に勘定している。

 マリコルヌとギムリは、列の整理。

 他の少年達は、賭けを仕切りだした。小舟に乗って、“ガリア”と“ロマリア”双方から賭け金を募り、大儲けに北叟笑んでいるのである。

 いつしか“ガリア”側の、才人に対する賞金は10,000“エキュー”にまで膨れ上がり、10人以上の“貴族”が才人に挑んでは敗れて行った。

「そろそろ休ませろよ……」

 才人は、荒い息で言った。この場で知る者は先ずいないといえることではあるが、“ガンダールヴ”としての力を発揮させることができる時間には限界というモノがある。また、流石に“サーヴァント”としてのヒト以上の身体能力などを持つ才人ではあるが、いい加減疲労が溜まり、限界が近付いて来ていたのである。

 するとギーシュが、“ガリア”側に向かって叫ぶ。

「食事休憩だ!」

 “ロマリア”側から、豪華な食事やワインをたっぷり積んだ小舟がやって来て、テーブルが設えられ、兵隊が給仕に立った。

 “水精霊騎士隊”の少年達は、大儲けできたことに興奮しながら、敵と味方に挟まれながらの昼餐を開始した。

 レイナールが真面目な顔で、才人に告げる。

「サイト。良いか? あと2回は勝つんだ。そうすれば君、“トリスタニア”の郊外に80“アルバン”の土地が着いた立派な城が買える。そこを僕達の城にしようじゃないか」

 眼鏡の奥の目にドルマークが付いているように、才人には見えた。

 それから、才人は深い溜息を吐いた。

 次いで、賭けを仕切っていた少年達が、「サイト。御願いだから、負けないでくれよ。死んでも良いから、絶対勝てよ。今、賭け率は30対1が付いている。君が負けたら、僕達は破産だからな!」

 気分の良くなった少年達は大声で“トリステイン”の軍歌を唄い始めた。

 

――“杖を取れトリステインの勇者達”。

 

――“我等百合の紋の元、驕る敵を打ち倒さん”。

 

――“進め聖成る旗の元”。

 

――“おートリステイン。我が麗しき祖国”。

 

――“おートリステイン。我が麗しき祖国”。

 

「もうやらん」

 捻りも味もない直球な唄の中、ポツリと才人が言った。

 すると少年達は顔を見合わせた。

「えー」

「えーじゃない。だったら御前達がやれ。こんな馬鹿騒ぎに付き合ってられるか! 俺は闘犬じゃない!」

 才人は、どん! とテーブルを叩いて言った。

 相手の士気を挫く目的で、才人は一騎討ちを引き受けたのである。

 が、士気が下がるどころか、向こうは未だやる気満々である。

 というよりも、このようなな所で要らぬ恨みを買いたくない上、あまり有名人になり過ぎるのも、才人からすると避けたいところであった。今となってはもう手遅れであるのだが。

「俺達は“ガリア”の王様を斃しに来たんだ。そんでタバサの境遇を救う。金儲けに来た訳じゃない」

「こんな戦、金儲けでもしなきゃやってられないだろ」

 ギーシュが言った。

 そうだそうだ、と他の少年達も首肯き合う。

「それに君。金持ちになったらモテるぞ? 今の比じゃないぜ?」

「良いよ別に。ルイズ怒るし」

「馬鹿! そのルイズだってなあ、綺麗なドレスや宝石をプレゼントされたら、多少のことには目を瞑ろうってもんだ! 浮気の1つや2つ、まあしょうがないかって想うようになるよ」

 才人の肩が、ピクン、と動いた。

 ギーシュは、その才人の微細な変化を見逃さなかった。

「理解るよ。君は一途で、実に好い奴だ。だけどな。たまに余所見してしまう」

「く!」

 才人は顔を押さえて、テーブルに肘を突いた。

「おいおい! 仕方ないんだ! 自分を責めちゃいけない! これはもう、何て言うか本能だ。御腹が空くのと、理屈は一緒なんだ。その辺のことを、女性は決して理解しようとしないが、ある程度は緩和する方法がある……それが金だ」

 言葉巧みに、ギーシュは才人を追い詰めようとし始めた。

「ホントか? ……それ」

「ああ。保証する。グラモン家の名に賭けて!」

 ギーシュは、才人の手を握り締めた。

 普段であればギーシュのこのような御調子は無視するところであったのだが、昨日の今日でルイズの嫉妬深さにホトホト手を焼いていた才人は、苦しそうな声で言った。

「……理解った。じゃあ後1回だけだ。どっちにしろ、もう限界なんだよ」

 少年達は、ぐ! と指を突き付け合って首肯き合う。

 心変わりがあってはならんと、とギーシュは直ぐ様立ち上がり、“ガリア”側に告げた。

「おーい! “ガリア”の紳士諸君! 僕達の“英雄”は、後1回だけやると言っている! 選り優りを寄越すんだ! 身分が高けりゃなお良いぜ!」

 “ガリア”側の“貴族”は、「俺が行くんだ」、「いや、俺だ」などと揉め始めた。

「人気者になっちまったな! サイト」

「……ったく。次の戦いが怖いよ」

「良いじゃないか! 狙われるのは戦の華だぜ!」

「おっと、決まったようだ」

 川岸の向こうに現れたのは、黒い鉄仮面を冠った長身の“貴族”であった。粗末な革の上衣を着込んでいる。マントがなければ“貴族”とは判らないであろうほど、粗末な格好をしている。

「何だよ。身代金も払えない傭兵風情に用はないぞ」

「一応マントを着てるぜ」

「貧乏“貴族”だな」

「あちゃあ、1番質の悪いの引いちゃったな。恐らく、腕に覚えがあっても金がないって手合いだ。必死の覚悟で来るぜ」

 少年達は、ガッカリとした様子を見せる。

 とはいっても、最後の最後で逃げ出す訳にも行かないために、才人はデルフリンガーを構えて待ち受けた。

 男はユックリと小舟から降りて来ると、軽く一礼した。

 ギムリが怒鳴る。

「名乗れ!」

「名乗るほどの名前は持ち合わせておらぬ」

「何だ? 売名目的の勘違い野郎か?」

 マリコルヌがそう言ったが、才人はしっかりと身構えた。何度も“メイジ”相手に戦って来たのである。相手ができるかどうか、その動きや雰囲気は、相対しただけでもなんとなく理解るのである。

 才人は、(こいつはソワッソン男爵よりも強い。と言うか、今まで対峙した“メイジ”の中でも、間違いなく最強に近い使い手だ)と緊張で額から背を一筋流した。

 才人と挑戦者は、10“メイル”ほどの距離を保って向かい合う。

 そのまま……時間が過ぎて行く。

「どうしたサイト? そんな奴、サッサとやっつけろよ」

 仲間から、そんな無責任な声が飛ぶ。

 だが、才人は迂闊な動きを見せることができないでいた。銃も通用しそうに想えないのである。

「来ぬか? では、こちらから行くぞ」

 男は“呪文”を“詠唱”する素振りすら見せることなく、“杖”を構えて才人へと突っ込んだ。

 どうやら、剣士である才人とマトモに真正面からやり合うつもりであるらしい、と周囲の者達は判断した。

 構えたレイピアのような“軍杖”が、振り下ろされる瞬間に青白く光る。“ブレイド()”の“呪文”である。“メイジ”は接近戦の折、この“呪文”を使い、“杖”を剣のように扱って戦うのが主である。勿論、剣などとは斬れ味が段違いであるのだが。

 鉄仮面を着けているおかげだろう、“詠唱”する口元を見て、どの“魔法”であるか読み取ることができない。

 そのため、才人は、(いきなり“ブレイド”とは!)と驚いた様子を見せる。虚を突かれた才人は、後ろへとステップを踏む暇もなく、その“杖”をデルフリンガーで受けた。

 青白い火花が飛び散る。

 そのまま、才人は押し込まれそうになった。

「サイト!」

 “メイジ”と鍔迫り合いを行うなど、才人にとってこれが初めての経験であるといえるだろう。

 どうやら男は、接近戦に相当の自信を持っているようであることが理解る。

 才人は、恐怖を覚え震えた。それから、(やっぱり、世の中は広い……110,000を止めた、“サーヴァント”だ何だって、良い気になってた。けど、“ガリア”にゃさっきのソワッソン男爵やこいつのような、一筋縄じゃ行かない“メイジ”がゴロゴロしてる。調子に乗っていた自分が恥ずかしい……)と考え、次いで(兎に角、チャンバラで“メイジ”に負ける訳には行かねえ)と想った。

 才人は思い切って相手の“杖”を受け流し、切っ先を地面へと向けた。そのまま掘り上げるように、デルフリンガーを振る。

 だが……男の姿はその瞬間、才人の視界の中から消えていた。

 咄嗟に才人が上を向くと、フワリと軽やかに男は空中に浮かんでいた。

 男は、落下の勢いを利用して、才人に“杖”を叩き付ける。

 ガキーンッ!

 と激しい音がして、才人は再び相手の“杖”を受ける。だが、体重の乗った一撃であるということもあるために、才人は思わず後ろによろけてしまった。

 男は、その隙を逃すはずもなく、鍔迫り合いのままグッと間合いを詰めた。

 男の鉄仮面に包まれた顔が、才人へと近付く。まさに目と鼻の先である。

 才人は、(“魔法”ではなく、力で白黒付けようと言うのか? だとしたら、何とも変わった“メイジ”だな)と“メイジ”らしからぬ男の戦い方に、緊張と当惑と恐怖の汗を流した。

 すると……。

「このまま鍔迫り合いを続けろ」

 仮面の奥から、そんな小声が響いて、才人は一瞬呆気に取られた。

「え?」

「……大きな声を出すな。“トリステイン”人と言ったな?」

「……は、はい」

 顔だけは真剣さを保ちながら、訳の理解らぬままに才人は返事をした。

「……ならば、シャルロット……いや、タバサ様を知っているか?」

 その言葉で、才人は、眼の前の男が“ガリア軍の中で息を潜めているオルレアン公派の人物”であるということを理解し、(もしかして、これがセイヴァーの言ってた?)と想った。

「……今、一緒にここに来ています」

 男は一跳びに飛び退る。

 才人もそれに合わせて背後に跳んだ。次いで、わざとらしく見えないように、全力で上段から斬りに行く。

 難なく男はそれを受けた。

 側で見ていても、必死の鍔迫り合いを行っているかのようにしか見えないであろう。

「……身代金の袋の中に手紙がある。御渡ししてくれ」

「……はい」

 スッと、男の腕から力が抜けた。

 才人は、男が持つ“杖”を絡め捕り、次いでそれを上に跳ね上げた。

 男の手から“杖”が飛び、地面へと突き刺さる。

「参った!」

 男は膝を突いた。

「やったな! サイト! 一時はどうなることかと想ったぜ!」

 ギーシュ達が、才人へと駆け寄る。

「さてと、じゃあ身代金の交渉と行こうじゃないか」

 そんなギーシュを、サイトは制した。

「へ?」

「もう終わった。後は貰うだけだ」

 従者が近寄り、才人の前へと革袋を置いた。

 中を改めて、ギーシュが叫ぶ。

「おいおい! 銅貨ばっかりじゃないか! これじゃあ釈放は罷りならん。見たところ金に不如意のようだが、それでも“貴族”というからには体面を保つ金額というモノがあるだろう? あれほどの手練なのに、君はそんなに安い男なのか?」

「良いから御前は黙ってろ」

 才人は、男に向けて騎士の礼を執った。

 男も立ち上がると、見事ということができる“ガリア騎士”の礼を奉じて寄越した。

 

 

 

「やっと終わったみたいね」

 歓声に包まれて小舟に乗って帰って来る才人達“水精霊騎士隊”の一行を、“カルカンソンヌ”の直下にある少し小高い丘の上から遠眼鏡で見守りながら、キュルケが言った。

 隣にはルイズ、そしてタバサ、ティファニアの姿も見える。

 また、その背後には“霊体化”しているイーヴァルディと“アサシン”――ハサンもいる。

 6人はここで、中洲で繰り広げられている決闘を見物していたのである。

「ルイズ、貴女の騎士様、凄いじゃない。見てたら10人以上抜いたわよ。たんまり身代金貰ったみたいだし。貴女、たまにはドレスの1つも買ってもらいなさいな」

 キュルケが、隣に立っているルイズにそう言った。

 すると、ルイズは顔を背けた。

「要らないわ。そんなモノ!」

「あら、どうして?」

「……だって、他の娘にも同じの贈るに決まってるわ」

「そんなことないわよ。だって彼、貴女に夢中じゃない」

「違うの! あいつ、夢の中で……」

 ルイズは、(なんでキュルケに、ここまで正直に話さねばいけないの?)と想い、ハッとして、口を噤んだ。

「夢の中? 何それ? 面白そうな話じゃない。あたしに話しなさいな」

「は、話すことなんて何もないわよ!」

「だーめ」

 キュルケはルイズを捕まえると、散々にくすぐり始めた。

「ティファニア、タバサ、シオン、手伝って」

 ティファニアは、どうしようかと迷った挙句、ルイズをくすぐり始めた。兎に角打ち明けてしまった方が楽になるだろう、と想ったためである。

 だが……タバサはプイッと背を向けると歩き去ってしまう。

 そんなタバサを、キュルケとシオンはキョトンと見詰める。

「タバサ?」

 キュルケは、キョトンとしていたが、それからわずかに真剣な顔になり、ルイズをくすぐり始めた。タバサのこの奇妙な態度の原因が、このルイズの“使い魔”にあるとすれば、と想い……関係のありそうなことは何が何でも訊き出さねば、と考えたのである。

 キュルケの指が、神の如く動いた。

 ルイズは、身体中の敏感な部分を責め立てられ、悲鳴のような声で叫んだ。

「話す! 話すから!」

 

 

 

 ルイズの話を聞き終わったキュルケは、ぷ、と噴き出した。

「何が可笑しいのよ!?」

「だって可笑しいに決まってるじゃな成い。空想の中で浮気するくらい、大目に見て上げなさいな。実際にした訳じゃないんでしょ?」

「実際にするより質が悪いわ! 私といる時に、他の女のこと考えてるってことじゃない!」

「あのねルイズ」

「何よ?」

「男ってのはね、どんなに相手のことが好きでも、視界に他の女がいれば、目移りしてしまう生き物なの。そのくらいのことで一々怒って居たら、身が保たないわよ」

 話の生々しさに、ティファニアは顔を真っ赤にして横を向いた。

「そりゃあ私だって理屈では理解ってるわ」

「だったら行動にも移したら良いじゃない」

 ルイズは、う~~~、と唸りながら唇を尖らせた。

 そんなルイズの様子を見ながら、キュルケはタバサが去って行った方向を見詰める。それから、シオンの方へ振り向き、肩を竦めた。次いで、(シオンも気付いたみたいね……もし、あたし達の予想が当たっていたら……どっちの味方をすべきかしら?)と考えた。そんなことは、理解り切ったことだといえるだろう。ルイズには悪いが、キュルケとタバサは親友である。だが、ルイズはもう、才人以外見えないであろう。誰かに本当に盗られたりしてしまえば、死んでしまう可能性だってあるくらいである。そんなことになってしまえば、寝覚めが悪いことこの上ない。

 キュルケは、(こりゃ参ったことになったわね)と珍しく悩んで腕を組んだ。

「何よあいつ何よあいつ何よあいつ……きっと、一杯夢見てるんだわ。私以外の娘と、あんなことやこんなことしたいんだわ」

 そこまで言って、ルイズは頭に来たらしい。拳を握り締め、ギリギリと唇を噛み始めた。

 キュルケは、そんなルイズの様子を見て、昔の自分を想い出した。恋に恋していた頃……失敗した恋の記憶……。

「ねえルイズ」

「きっと姫様にはあんなことしたんだわそうよねあの色気女の私から見ても尋常じゃないものティファニアなんかああちょうどそこにいたわね良いから聞きなさいあんたはその胸を使った演出で何回あの犬の夢に出て来たか判らないわ間違いなくロングランを記録して連日連夜の大入り状態で……」

「ルイズ!」

「何よ?」

 ギロッと、ルイズはキュルケを睨んだ。

「あのね? 貴女に1つだけ言いたいことがあるの」

「言いなさいよ」

「あのね、貴女の考えているサイトと、本当のサイトは違うの。理解ってる?」

「どういう意味?」

「サイトだって、普通の男の子ってこと。四六時中あんたのことだけ考えてて、呼べばいつでも来るような、便利な存在じゃないってことよ。彼は貴女の騎士かもしんないけど、あなたの物じゃないのよ」

「理解ってるわ」

「理解ってないじゃない。だから、心の中を覗き見て、そこにいた相手が自分の理想と違うからって怒ったりするんじゃないの?」

「何よ? 理解ったようなこと言わないで!」

「理解るのよ。あたしにも経験があるから。自分と同じ分だけ、相手が自分のことを考えててくれないと、ついつい怒っちゃうのよね」

「う……」

「でもそれは御門違いってモノよ。弱点も欠点も足りない分も引っ括めて好きになる。それがホントの恋だって、あたし想うわ」

 遠い目をして、キュルケは言った。

 そんなキュルケとルイズの2人を、シオンは微笑みながら見守った。

 

 

 

 

 

 “リネン川”へと広がる草原から“カルカンソンヌ”の街に上るためには、凡そ100“メイル”からの切り立った崖を階段で上らねばならない。

 “魔法(フライ)”がシルフィードを使えば一飛びであるのだが、なんとなく歩きたい気分であったため、タバサは崖に造られたジグザグの階段を上り始めた。

 石灰岩質の白い階段を一段ずつユックリと上っていると、シルフィードがやって来て、その上を飛び回りながらタバサの頭を突いた。(どうして私を使わないのね? きゅい)とその顔が言っていることが判る。

 タバサが全く相手をしないために、シルフィードはキョロキョロと辺りを見回し、小声で呟く。

「こんな階段を上ったら、疲れて死んじゃうのね。シルフィに乗ればあっと言う間に街に着けるのね」

 だが、タバサは返事をしない。まるで苦行を受けるのが当然とばかりに、黙々と階段を上っているのである。

 再び口を開こうとしたシルフィードは、階段の中腹で待ち受ける人物を目にして、飛び上がった。人前で喋っているところを見られでもしてしまえば、一大事であるためだ。

 階段の折り返しに立っていたのは、“ロマリア”神官にして、教皇ヴィットーリオの“使い魔”――“ヴィンダールヴ”――“ライダー”の“サーヴァント”である、ジュリオであった。

「やあ、タバサ」

 左右色の違うオッドアイを煌めかせ、ジュリオはタバサに挨拶を寄越した。どうやら、タバサが通り掛かるのを知って、ここで待っていたようである。

 大抵の女性であれば、そのハンサムな顔立ちや神秘的な瞳にやられてしまい、速攻参ってしまうであろう。が、タバサには効かない。

 タバサは、完全に無視して、その側を通り過ぎる。

「失礼。呼び方を間違えたようですね。シャルロット姫殿下」

 タバサは立ち止まると、振り返らずに言った。

「知ってたの?」

「ええ。この“ハルケギニア”のことで、我々“ロマリア”が知らぬことなど、何1つありませんから」

「そして、陰謀に長けた国」

「と、申されますと?」

「南部諸侯の寝返り。何ヶ月も前から準備を進めねば、ここまでの素早い侵攻は無理」

「その通りです。御慧眼であらせられますね。では、私が次に御願いする内容も、御見抜きになっているのでは?」

 タバサの目が、わずかに光った。

「全てが貴男達の掌の上と想ったら、大間違い」

「ですが、予想の範囲なんですよ。この“カルカンソンヌ”で足止めを喰らうことも、そしてどのようにしてこの川向うの敵を突破し、“リュティス”に至る道ができるのかも……」

「貴男達の人形(傀儡)になれと言うの?」

「いえ。由緒ある王国を、本来の持ち主に御返しする御手伝いがしたいだけです」

「私は冠が冠りたいから、叔父を倒す訳じゃない」

 タバサはキッパリと言うと、歩き出した。

「困ったな。どうして我々に、復讐の御手伝いをさせてくれないのです?」

「個人的なことだから」

 

 

 

 タバサと“霊体化”しているイーヴァルディの背を、ジュリオは楽しげに見送った。

 唄でも唄いかねない雰囲気のまま、ジュリオは頭を掻いた。

 “聖戦”の完遂のためには、ジョゼフの打倒は必要不可欠なことである。あの男は決して、“聖戦”に於いて味方になることがないと理解り切っているためである。さて、この“ガリア”の地でジョゼフを打倒するためには、何としてでも“ロマリア”側――ヴィットーリオとジュリオ達からして神輿という存在が必要であった。次期国王目されていたオルレアン公の遺児……。

 彼女が正統な王権を主張し、“ロマリア”の先頭に立ってしまえば、これ以上の神輿はない、といえるだろう。そうなれば、味方に着いたとはいえ、本格的に戦闘に参加する意志のない南部諸侯もやる気を出すのは確実である。未だ旗幟を窺っている他の諸侯も“ロマリア”側に就くであろう。その上、敵部隊の寝返りもまた期待できる。

 この“カルカンソンヌ”で見合っている現状は、その神輿を持ち出すためには最高の舞台であるといえるだろう。

 だが、今のタバサはそれに協力する意志はない、と言う。

「さて……どうして“ハルケギニア”の御姫様方ときたら、こうも頑固なんだろうね。でも、何があっても我等の賛美歌に合わせて踊って頂きますよ。シャルロット姫殿下」



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揺れる心

 才人が中洲で暴れた日の夕方……。

 ルイズは、自分に与えられた居室で才人の帰りを待ち侘びていた。

 主街道を抱え、観光のメッカでもあるこの“カルカンソンヌ”は宿屋が多いのである。そのほとんどは現在、“ロマリア”軍が接収していはするが、それでもルイズ達“トリステイン”組やシオンを始めとした“アルビオン”組にも、一軒の宿、それぞれ個室が割り当てられている。

 あの後、ルイズは直ぐに宿舎へと引き揚げて来たのだが、待てど暮らせど中々に才人は帰って来ないのであった。

 扉がガチャッと開いた時、ルイズの顔が輝いた。

 だが、そこに立っていたのは2人の金髪少女、ティファニアとシオンであった。

 ティファニアは、未だユッタリとした“聖女”としての衣装に身を包んでいる。フードで耳を隠すことができるために、都合が良いのである。“始祖ブリミル”の巫女に、「フードを取れ」などと言うことができる人は先ずこの“ハルケギニア”にはいない。いるとしても、教皇であるヴィットーリオくらいであろう。

「わ、私達でごめんなさい」

 ティファニアは、恥ずかしそうにモジモジとした。

「なんで謝るのよ?」

「え? いや、あの、サイトを待ってるのかなーって。そんな風に見えたモノだから」

「別に待ってないわ」

 ティファニアの言葉に、ルイズは照れ隠しのために顔を背けて答える。

 そんなルイズを、シオンは笑みを浮かべて見遣った。

 ティファニアは、ルイズの隣に腰を下ろす。それから、「何だか大変なことになっちゃったね」と困ったような声で言った。

「全く、こんな状況なのに暢気なもんだわ」

「ご、ごめんなさい」

「貴女じゃないわ。サイトよ。ここは敵地で、敵軍と睨み合いが続き一触即発の状態だというのに、敵味方に挟まれた川の中洲で、敵の御調子者と一騎討ちごっこに興じているなんて。どういう積りかしら?」

 ルイズのそんなブツブツとした愚痴じみた文句を、ティファニアはモジモジとしながら、シオンは静かに時偶首肯きなどをして、聞いている。

「理解ってる? 今はもう“聖戦”迄発されて居るのよ。退っ引きなら無い状態成の。姫様から“くれぐれも自重してください”って言われてるのに、一体どういうつもりよ!?」

 ルイズは、才人には才人の考えがあるということを理解はしている。理解はしてはいるのだが、一騎討ちを引き受けた理由などまでは知らないこともあり、そういった不満をルイズは抱いているのであった。

 ルイズは川を挟んで対峙している2つの大軍の様相を想い出し、(あれだけの大軍が打つかり合う戦は、どれほどのモノになるのかしら?)と身震いした。

 だがそれと同時に、彼女達にとってジョゼフ王は斃さねばならない悪ではあるのだが、かといってその手段が戦というのはどうにも間違っていると、ルイズには想えるのであった。

「……ごめんなさい」

「だからどうして貴女が謝るのよ?」

「私の所為だわ。私がルイズの記憶を消さなかったら、こんなことには……」

 ルイズは、ティファニアの手を握った。

「違うわ。私の所為よ。私はサイトをあいつの世界に帰すことを条件に、“ロマリア”に協力を申し出てしまった。“アクイレイアの聖女”としての私の存在が、“聖戦”発動の1つの後押しになったことは間違いないわ」

 才人の記憶を消したことで自分が自分でなくなっていたとはいえ、ルイズにとってそれは自分の意志で行ったことであるということもあって到底赦すことができないことであるといえるだろう。

「だからこそ、この戦は絶対に止めたいの。本当の意味での“聖女”として、それこそ今私がしなくてはいけない仕事なのよ」

「誰が悪いとかはおいといて、確かに今はこの戦を止めることに集中するべきね。それに、セイヴァーが言っててでしょ? これもまた既に決まってることなの。だから問題はないわ」

 ティファニアとルイズの言葉に首肯きながら、シオンは自らの考えを述べる。

「何か釈然としないわ……と言うか、ハッキリと言うとムカつくわね。既に決まってるなんて。何か、セイヴァーの玩具みたいじゃない」

「でも、セイヴァーの説明、そしてこの世界の造りからすると、“根源”から生まれ出た時点で決められたことだから……セイヴァーも、その仕組みから、枠組みからは脱することができないみたいだよ」

「…………」

 シオンの言葉に、ルイズとティファニアは言葉にできない感情を表情に表した。

 それから、ティファニアは真っ直ぐにルイズとシオンを見詰めて言った。

「難しいことは理解らないけど、私にできることがあるなら、御手伝いするわ」

「有難う」

「ううん。私のためでもあるの。“エルフ”と人間達が争うなんて悪夢だわ。両方の血が流れている私だからこそ、できることがきっとあると想うの」

 ルイズの素直な感謝の言葉に、ティファニアは強く言った。

「そうね、私、貴女と御友達になれて、本当に良かったわ」

「ええ。貴女のような娘が、従妹で本当に嬉しい。というよりも、誇らしいわ」

 ルイズとシオンがそう言うと、ティファニアははにかんだ笑みを浮かべた。

「でも、ホントに“ロマリア”の動向は不気味ね」

「と言うと?」

 ルイズの言葉に、ティファニアは首を傾げる。

「“アクイレイアの聖女”……“聖戦”の象徴として私を担ぎ上げたはずなのに、最近は何も言って来ないわ。何らの命令すらもない。ほとんど放置された状態じゃない」

「そうね」

「こんな所で足止めを喰らって、“ロマリア”はかなり焦っているはずなのに……何故私達に何も言って来ないのかしら?」

 見張りは着けられてはいるが、それでも直接ジュリオやヴィットーリオからの接触は今現在のところないのである。

 ルイズは、(もう既に、役目は終わった、ということかしら? それとも、次の手のために温存されているのかしら? いいえ、タバサを女王にするために動いてるとか?)と考えた。

「……兎に角今は姫様、アンリエッタ女王陛下に期待しましょう」

 ルイズは、強く言った。

 アンリエッタは、「何とか解決策を見付けます。それまで時間を稼いでください」と言い残して帰国したのである。毅然とした、決意に溢れる表情をしていたといえるだろう。

 だからこそルイズは、アンリエッタを信じることにしたのである。幼い頃の妄信ではない。アンリエッタのその態度と言葉の力に、信ずるに足るモノを感じたからこその決断であるということができるだろう。

「貴女達の従姉妹は、必ず何らかの解決策を提げて、この“ガリア”にたって来るわ。それまで待ちましょう。“ロマリア”に協力しているふりをしながら……私達がここにいれば、姫様は戦に介入できる」

 ティファニアも、ルイズの考えに同意し首肯いた。取り敢えず彼女は、難しい決断はルイズやアンリエッタ達に任せるつもりでいるのであった。(彼女達になら、自分の“運命”を預けられる)と想い、そう決めているのである。

「ルイズ凄いわ。ちゃんと考えているのね。私、一体どうなのかなって、不安で怯えていただけだったわ」

「仕方ないわよ。ずっと“アルビオン”の森の中で暮らしていたんだもの。世事に疎いのは当然だわ。でも、それなのにあいつと来たら……」

 ティファニアの賞賛の言葉に、ルイズは満更でもない様子を見せる。が、直ぐに、ギリギリギリ、と歯を噛み締めた。

「サイトのこと?」

「ええ。何一騎討ちごっこなんかやってるのよ!?」

「サイトには、きっとサイトの考えがあってのことだと想うわ。きっと、男の子の理屈で、そうした方が良い、と感じて行ってるのよ。それに」

 ティファニアは、不満そうなルイズを見ながらどうにかフォローを入れ、次いでシオンへと目を向ける。

「そうね。セイヴァーの言ってた通り、“ロマリア”と“ガリア”は睨み合いをして、模擬戦基一騎討ちごっこじみたことをしている。このまま行くと……」

「へん! あいつがそこまで考えが回るもんですか! 近頃はやっとマトモなことも考えることができるようになって来たのかしら、なんて感心してた矢先にあのトンデモ妄想だわよ! 何が3人で以下略よ! 中庭は兎も角、あれが男の子の理屈って、言うんなら、やっぱりあいつは死んだ方が良いわ」

「それは言い過ぎよ」

 ティファニアが窘める。

 そんなティファニアの言葉に、シオンは同意する。

「そうよルイズ。サイトも年頃の男の子だもの。それに、“ハルケギニア”とは違う世界、“トリステイン”とは違う“国”から来たんだもの……私達の常識に当て嵌めて考える、決め付けるのはあまり良くないわ」

 そんなティファニアとシオンに向けて、ルイズは目を吊り上げて言った。

「あんた達、あの犬っころがどんだけ、際どい空想で私を苛めているのか知らないから、そんな寝言が言えるのよ」

「き、際どい空想?」

 ルイズは、ティファニアのフードを上げると、ティファニアとシオンにだけ聞こ得るていどの小さな声でゴニョゴニョと呟いた。。

「……な、中庭で!?」

「ゴニョゴニョゴニョ」

「ルイズを犬の様に四つん這いにさせて!?」

「ゴニョゴニョ、ゴニョ。ゴニョゴニョ、ゴニョニョ。ゴニョゴニョノゴニョ」

「……を叩きながら!? ……のここが……で……なってるじゃねえか!? 俺の……を……こうしながら……自分で!? それからおもむろに!? はう!? ひう!?」

 ティファニアは、混乱と驚きと恥辱のあまり、ルイズの説明を復唱しながらそのたびにピクピクと震えた。

「ね? ありえないでしょ。あの犬」

「私半分も理解んないけど! 何だかとんてもないことってことだけは理解るわ!」

「アブノーマルね……でも、それもまた男の子としての部分から来てるのかしら? 後ティファニア、貴女はそのままでいてね」

「これで、軽い方だから」

 ティファニアは顔を真っ赤にさせて、膝の上で手を握り締めた。

「軽いんだ……そ、そお……で、でも信じられない。サイトが……そんな……」

「ゴニョゴニョゴニョ」

 ルイズが重めの奴を呟くと、ティファニアは白目を剥いて後ろに倒れてしまった。

 ルイズは、そんなティファニアに活を入れて叩き起こす。次いで、再開する。

「ゴニョゴニョゴニョ」

「やめて! ルイズもうやめて!」

 ティファニアは胸を押さえながら、荒い息を吐いた。

「で、何が赦せないってね」

 ルイズの目が徐々に、より吊り上がり始めた。

「こんな妄想を抱いている相手は、私に向けてだけじゃないってことよ。3人で以下略、でそれが発覚したの」

「あのねルイズ。気になってたけど……そんなことされたら、私だったら死んじゃうと想うんだけど、ルイズは平気なの?」

「どういう意味?」

 ティファニアの質問に、ルイズはキョトンとした様子を見せる。

「だって、その、3人で以下略、が発覚するまでは、そんなに怒っているようには……ひう!? うわ!? あうっ!?」

 ルイズは、ティファニアの胸を掴むと、憎々しげに捏ね回し始めた。

「胸が言わせるのね。この憎い胸が、そんな生意気を言わせるのね」

「ごめんなさい! 気の所為! 気の所為だったわ! ルイズとっても怒ってたわ!」

「でしょ」

 ルイズは腕を組んで、横を向いた。

 そんなルイズとティファニアを見て、シオンは苦笑を浮かべた。

「でも、男の子って怖いのね……」

「なに暢気なこと言ってるのよ。あんた達だって、あの犬ころの空想の中で、何をされているのか知れたもんじゃないわ」

「わ、私?」

 ティファニアは、ルイズの言葉を聞いて、ピクリを身を震わせた。

「そうよ。だってあんたってば、こんなの付けてるんだもの。きっと私が知らないだけで、出演回数第一位だわよ!」

 再びルイズは、ティファニアの胸を捏ね回し始めた。

 ルイズの小さな手が、巫女服の下にある凶悪ともいえる2つのブツに埋まり込み、自在に形を変えさせて行く。

「ど、どんな演技を……この胸に……! く、くく、きっと顔とか埋めた! くらいに! して!」

「ひう! あう! ルイズ! 御願い! 御願いよ! やめて! シオンも! 救けて!」

 やっとのことで、ティファニアは自力でルイズを引き離すことに成功した。

「はぁはぁはぁ……」

「……ごめん」

「私の胸は別に悪くないと思うから苛めないで欲しいの……」

「言われてみればそうね。にしても彼奴、一体どこで油売ってるのかしら? どこで又候、薄ら下らない妄想のネタでも拾ってるんじゃないでしょーね!?」

「サイトなら、騎士隊の男の子達と呑んでるんじゃない? 昼間、一杯身代金貰ってたから」

 ルイズは怒りに震えながら言った。

「ホントに馬鹿に金持たせると碌な事にならないわね」

 シオンは、「そうね」、と言いながら、いつかのルイズが為出かした賭博のことを想い出していた。

 

 

 

 

 

 ティファニアを連れてルイズとシオンが酒場に向かった。

 そこには既に出来上がってしまっている少年達が、先程の身代金を当てにして更に酒を体内に流し込むべく、エンジンを掛けているところであった。

「おお! “アクイレイアの聖女”殿と、巫女殿、そして“アルビオン”女王陛下が光臨されたぞ!」

 ギムリが大声で叫んで、椅子を引いた。

「ささ! 御座りください! 神と“始祖ブリミル”に仕える巫女殿の酌を、我等神の戦士一同賜りたいと存じます!」

 ふざけた口調でギムリは言った。

 少年達は、ルイズとティファニアとシオンの周りに群がると、酔っ払った口調で万歳を三唱した。

「“聖戦”ばんざーい! “ロマリア”ばんざーい! “アクイレイアの聖女”ばんざーい!」

 それから顔を見合わせ、少年達は、「心にもないことを!」と笑い合う。

 ルイズとシオンは、そんな少年騎士達を冷ややかに見回す。

 そこに才人の姿がないことに、ルイズは気付いた。

「サイトは?」

「ああ。奴ならいないよ。何だか“タバサに渡すモノがある”って言って、どっかに行っちゃったよ」

 マリコルヌがそう言った。

「タバサ?」

 ルイズの肩が、ピクン、と震えた。

 ルイズの中で、(やっぱりあいつ、あのちびっ娘に……手を出していたのかしら?)などといった風に、敢えて考えないようにしていた疑惑が膨れ上がる。シエスタやアンリエッタやティファニアに対して抱くのとは違った種類の嫉妬心がルイズを包む。

 女性的な魅力に溢れた彼女達に、才人が魅力を感じる。それに対しては、ルイズは(まあ、しょうがないわね)と想っている。

 だが、タバサに対しては違った。

 ルイズより小さく、胸が控え目であるのだから。

 才人にもしそういった趣味や嗜好があれば、その時点でルイズはタバサに負けているといえるだろう。

 逆に、才人がもしそうではない趣味を持っているのであれば……。

 そういった欠点を打ち消すほどの魅力を、才人はあの小さな青髪の少女に感じている、とルイズは考えた。

 ルイズは震えた。どちらの場合も、勝ち目はないように想えたためである。

 また、タバサは“ガリア”の“王族”である。血筋や家柄でも、ルイズを凌駕している。

 ルイズは震えた。

 ルイズは、今までの才人とのコミュニケーションからそういったことはない、と理解はしてはいるが、それでも直ぐに落ち着くことができるほどに成熟をしていないのである。

 それからルイズは、(もしかしてあの娘は……今までで最強の敵なんじゃないのかしら?)と考えた。

 タバサが才人に対して、特別な感情を抱いていることを、ルイズは知っていた。だがそれは……恋愛感情ではなく、仕えるべき騎士、という、尊敬に近い感情であった。

 風呂覗きの時に裸のまま救けたり、才人にキスをしたり、など、ルイズの御仕置きという名目のそれを止めてみたり、など、怪しいと想わせる部分はありはしたものの、それはそれでそれなりの理由があっての行動であることが判っていた。少なくとも、好意、からではあるだろうが、それが恋慕などといったモノからではないはずだ、と。

 ルイズは、(それが間違いだとしたら?)、(全ては単なるサイトへの恋的好意だとしたら?)と女の勘が急速に警鐘を発し始めたのを感じた。

 取り敢えず現場を抑えるつもりであろう、ルイズは駆け出した。

 

 

 

 タバサは、“カルカンソンヌ”の寺院正門前の階段に腰掛け、本を読んでいた。

 辺りは徐々に暗くなり始めている。

 街道のそこかしこには篝火が焚かれ、細長い街を行き交う住人や、槍や銃などを背負っている“ロマリア”兵達を幻想的に彩り始めた。

 そんな灯りだけでは当然本を読むことはできないため、タバサは“杖”の先に“魔法”の灯りを灯した。

 次いで、(どうして、私はこんな所で本を読んでいるんだろう?)といった疑問がタバサの中に浮かび上がる。

 本を読むだけであれば、自分に割り当てられた部屋で読めば良いのである。何も、こんな人通りが多い場所で、広げる必要などないのだから。

 冷静に、タバサの理性は、自身の秘めたる欲求について分析をする。

 ……見付けて欲しいから。

 だから、このように目立つ場所で本を広げているのだ、とタバサは理解した。

 その意思が、“杖”の先に灯した“明かり(ライト)”の“呪文”に表れているといっても良いであろう。本を読むには明る過ぎるのである。

 先程のジュリオとのやりとりが、タバサを不安にさせていたのも一因であろう。ジュリオの言葉もまた一理あるのだから。“ロマリア”軍の力を借りれば、復讐はなし遂げやすくなるのは明白である。

 だが……そうしてしまえば、争いが激化する。“ガリア”人同士が血で血を洗う、内乱が始まってしまうであろうこともまた想像に難くない。

 だが、今だって状況は大して変わっていないということができるだろう。

 タバサの中のどこか冷静な部分が、そう言った。

 南部諸侯は“ロマリア”側に着き、既に国は2つに割れているのである。今となっては、逆にタバサが神輿になった方が、相手の戦意を挫き、こちらへの寝返りを期待することもでき、余計な血を流させる必要も低くなるであろう。

 だが、今のタバサには、どうして善いのか判らなかった。

 眼の前の本を、タバサは眺めた。眺める、といった表現が正しいであろう。内容は一行に頭の中に入って来ないためである。表情の起伏が乏しくとも、タバサの内面は嵐の海のように激しく揺らいでいた。

 だからこそ、タバサは彼に逢いたいのである。不安で、どうすれば善いのか判らないために、ただ顔が見たかったのである。

 タバサは、(私が仕えるべき騎士。恋とか、そう言うのでは、決してないけど……そう。だから私はこんな目立つ場所に腰掛けて、待っている……不安だから。私の騎士、と敬う少年に逢いたい。それは恋じゃない。恋なんかじゃない。決して……)と想った。

 そんなタバサを、イーヴァルディは“霊体化”したまま、静かに見守っている。

「ここにいたのか」

 その声で、タバサは思わず本を取り落としてしまった。慌ててしゃがみ拾おうとするのだが、肩に手を置かれた。

「……!?」

 才人の顔が近付き、タバサは頬が染まるのを自覚した。

 タバサの耳元で、才人が呟く。

「渡したいモノがあるんだ」

「……何?」

「……その、手紙だ」

 言い難そうに、才人が告げる。

 タバサは、(手紙? それって、恋文だろうか?)と心臓が跳ねたように思った。(これは恋じゃない。仕えるべき騎士に恋するなんて、あってはならないこと)、と自身に言い聞かせる。

 それでも喜びなどから、タバサの身体に色々なモノが満ちて行く。

「ここじゃ不味いな。どこか人が来ない場所が良いんだけど……」

 チラッと才人は横を見詰めた。

 兜を冠り、長い槍を握った“ロマリア”の兵士が立って、横目で2人を盗み見ているのである。

 タバサは口笛を吹くと、シルフィードを呼んだ。

 何故か小躍りしながら、シルフィードは降りて来た。シルフィードにとって、望んでいた展開だから、である。

 タバサと才人は、シルフィードに跳び乗った。

 2人を見張っていた“ロマリア”の兵士が、慌てて駆け寄って来る。

「どちらに行かれるのですか!? もう夜ですよ!」

「ちょっと夜の散歩。いわゆるデートって奴ですよ」

 そう才人が答えると、兵士は困った顔で首を振った。

「直ぐに帰って来てください! 私が怒られますから!」

 兵士を尻目にして、シルフィードは飛び上がる。

「……さてと、じゃあそれらしくしないと不味いな」

 と、そう言って才人は、前に座っているタバサの肩を抱き締めた。

 タバサの頬が、ユックリとではあるが……染まっていく。

 タバサは、(夜で良かった)と想った。赤い頬に、気付かれ難いためである。

 タバサが黙ったままであるために、才人は彼女が怒ったのだと勘違いした様子を見せる。

「……ごめん。嫌だったか?」

「……平気」

 空から見下ろす“カルカンソンヌ”の街を見て、才人が感嘆の声を漏らす。

 街道沿いに並んでいる篝火が、細長い街を夜の闇に浮かび上がらせている。

「空から見るとやっぱり凄いな、この街。夜の高速道路みたいだ」

「こうそくどうろ?」

「ああ。きっとセイヴァーがいた世界もそうなんだろうけど、俺がいた世界では、そういうのがあんだ」

「見てみたい」

 ポツリ、とタバサは言った。

「コルベール先生みたいなこと言うんだな」

 才人が笑みを浮かべた。

 それから真顔になり、懐から一通の手紙を取り出す。

「……昼間、中洲で俺達“ガリア”軍の“貴族”と一騎討ちやってたんだよ」

「知ってる」

 燻だ色をした封筒である。

 タバサの胸が高鳴って行く。が……その高鳴りは、次の一言で掻き消された。

「最後の相手が、俺にこれを託した。タバサにこれを渡してくれって。御前の味方じゃないのか?」

 タバサは気持ちを切り替え、真顔になり、手紙を受け取った。

 封筒を破ると、中から1枚の便箋が出て来た。

 “杖”に灯りを灯し、タバサはそれを読み上げた。

「カステルモール」

「やっぱり、知ってる奴か?」

 タバサは首肯いた。

「……なんか聞いたことがあるな。そうだ! 御前を救け出した時に、“ガリア”国境で俺達を逃してくれた奴だ! あいつだったのか……顔を隠していたから判んなかった」

 才人は、感慨深そうに言った。

 バッソ・カステルモール。

 いつかタバサが任務を共にした“東薔薇騎士団”団長であり、“スクウェア・クラス”の“風”の使い手である。そして、亡き父の信奉者……彼はシャルロットに忠誠を誓っているのである。

 意外な送り主に驚きながら手紙を読み進めると、そこには驚くべきことが――既に知っていることが記載されていた。

 このたびの“ガリア”の陰謀に憤りを感じ、決起したこと。

 “ヴェルサルテイル”にいるジョゼフ王を襲いはしたが、失敗してしまったこと。その際に“東薔薇騎士団”が壊滅したこと。

 運良く生き残ることができた彼は、生き残りの騎士数名と共に、傭兵のふりをして“ガリア”軍に潜り込んだこと……。

 そして、 「正当な王として即位を宣言されたし」とも書かれている。「そうすれば、“ガリア”王軍の中からも離反者が続出する。彼等を纏め上げ、シャルロットの元に参陣いたす……」とも書かれている。

 そこまで読み、タバサは唇を噛み締めた。

「俺も読んで良いか?」

 タバサは首肯いた。

 手紙を受け取り、書かれている内容を読み、才人もまた険しい顔付きになった。

「セイヴァーの言ってた通りか……難しいことになって来たな……で、どうするんだ?」

 目を瞑ると、タバサは呟くように言った。

「どうすれば善いのか判らない」

 才人は、少し考えた後、口を開いた。

「……もしだよ。もし、ここに書かれているように、タバサが即位を宣言したらどうなる? やっぱり戦は激しくなるのか?」

「……判らない。なるかもしれないし、ならないかもしれない」

「そっか。どっちにしろ、俺はあんまり賛成できないな。タバサの危険が大き過ぎる。そんな目立つ存在になれば、躍起になって向こうは御前を狙うだろう」

「それは確か」

 才人は、真剣な顔で言った。

「今、姫様……アンリエッタ女王陛下は国に帰っている。この“聖戦”を止めるために、何か策を練っている最中なんだ。俺達はそれまで自重しろと言われてる。一騎討ち騒ぎとかやっちゃったけど……だから、タバサも取り敢えずこの件は置いといてくれないか?」

「……理解った」

 そして2人は、手紙の末尾の一行に、目を丸くした。

 

――“ジョゼフは恐ろしい魔法を使う”。

 

――“寝室から、一瞬で中庭に移動して退けた”。

 

――“くれぐれも御注意されたし”

 

「タバサ、こんな“魔法”聞いたことがあるか?」

 タバサは、自身の中の汎ゆる知識を漁ったが……当然、該当するような“呪文”を想い出すことはできない。

「となると……未知の“呪文”……まさか、“虚無”か“魔術”か?」

「……その可能性は低くない」

 伝説とされている“虚無”は、“王家”の血筋に伝わるといわれている。

 元“王族”のタバサは家族とそのような話をしたことを、ボンヤリとではあるが覚えていた。勿論、その時は、誰も“虚無”の復活など信じてはいなかったのだが……。

 今現在、“虚無”は復活し……“ハルケギニア”を揺るがす事件を後押ししている。

 タバサは、ルイズ以外の“虚無の担い手”について、ティファニアとヴィットーリオがそうである、程度の事しか聞いていない。また、“始祖”と“虚無”、“魔術”と“魔法”などの知識はついこの前手に入れたばかりであった。

 タバサは、(自分の叔父王が、そうであっても可怪しくはない。何せ彼には、“4系統”の才能がなかった。だからこそ、才人溢れる自分の父に嫉妬を抱いていたのだ)と考えた。

「この話はここに留めておこう。“ロマリア”軍がどこで聞いているか判らないからな。全く、空の上かセイヴァーの近くくらいでしか落ち着いて内緒話が出来ないなんて」

 タバサは、こくり、と首肯いた。

 少し前までは、復讐は個人的なことであった。だが……タバサの正体を知る様々な勢力が利用しようと動き始めている。“虚無”の復活などが、それを加速させたといえるだろう。

 タバサは、(自分は、この“ガリア”の地では高度に政治的存在なのだ)とそのことを肌で実感した。今までは、母と自分と“使い魔”のことだけを考えていれば、どうにかなっていたのだから。

 だが、今はそうではない。

 タバサの動き1つで、“ガリア”軍の兵士や“ガリア”の民の運命が決まるといっても過言ではないといえるだろう。何万何十万と云う、人の命が賭かっているのである。

 ……おまけにあの叔父が“虚無”に覚醒めている、ということもあり、タバサは、どうすれば良いのか本当に判らなくなった。

 だからこそ、タバサは決心した。

 タバサは、(でも、このサイトなら……彼等なら間違えないだろ)と何度も自分の危機を救ってくれたこのサイト達になら、己の“運命”を預けても構わない。この荒れ狂う嵐の海のような“ハルケギニア”の政治状況の中、自分は翻弄される小舟のようなちっぽけな存在だ。でも、彼等なら……そんな嵐の海上でも、真っ直ぐに港を目指してくれる)とそういった気がした。いや……(下手したら、その嵐さえも止めてしまうんじゃないだろうか?)とも想ったのである。

 タバサは、(だから彼等が選んだ道を歩こう。私の勇者。私の騎士。私の“英雄”。私の……そうするのが1番良い。彼等の行く道なら、どことなりとも歩んで行く)と決心した。

 その決心は……涙が溢れそうなほどの喜びに満ちているといえるだろう。何せ、タバサにとって、才人と一緒に行ける、ということはそういうことであるのだから。

 どこまでも。震える心の中で、タバサは何度も、(恋じゃない)、(それは善けないこと)、(とっても不敬な考え)とそう自分に言い聞かせる。

 そう考え言い聞かせはするのだが、やはり勝手にというべきか、タバサの心は喜びに満ちて行くのである。複雑な状況に置かれた自分の立場さえ、何でもないことのようにタバサに想わせるのである。

 恋じゃないと理屈が何度否定しようとも、身体と感情が自然に動く。

 タバサは思わず、才人へと寄り添った。

「どうした? 寒いのか?」

 風は、シルフィードが上手く逸らしてくれている。

 だが、タバサは、こくり、と首肯いた。心の中で、嘘を吐いたことを父に詫びる。だが同時に、こういった嘘は吐いても良いように、タバサは想った。

「そっか……夜だし、空の上だもんな」

 才人はマントを広げると、その中にタバサを導き入れる。

 才人の温もりを、身体に感じ……タバサは不意に泣きそうになった。

 その時になって初めて、この数週間というモノ、自分がどれだけ気を張り詰めていたのかを、タバサは知った。泣きそうな気持ちで、(私、安心してる。こんなに安心できるのは……初めて)とそう心の中で呟いた。

「……じゃあ、そろそろ帰るか?」

 才人がそう言った時、タバサは首を横に振った。次いで、自然に口を吐いていた。

「もうちょっと」

「え?」

「……もうちょっとだけ、飛んでたい」

 それは、この地に来てタバサが初めて口にした正直な欲求dえあった。

 シルフィードが飛行する場所から100“メイル”上を、1羽の黒い梟が飛んでいた。その姿は夜空の闇に紛れ込み……驚くほどに目立たない。限界まで発達した己の聴力が効果を発揮する距離を保ちながら、シルフィードの速度に合わせて、梟は飛び続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ガリア王国”の首都“リュティス”。

 ここは……南部諸侯達の離反により、そこにいることができなくなった現王派の“貴族”や難民達で溢れ返り、さながらかつての“アルビオン”を想起させるほどの混乱を呈している。

 “ロマリア宗教庁”により、突然に“聖戦”にされてしまった戦の中――自国を“聖敵”とされてしまった中、“ガリア”国民達の混乱は当然ながら尋常ではない。連日“リュティス”の寺院には敬虔な“ブリミル教徒”達が群がり、救いを求める始末であった。

 “ガリア”王ジョゼフには信仰心がなかったために関係が薄かった、寺院の神官や司教達は、“ガリア”と“ロマリア”、双方どちらに与するかを慎重に避け、この戦に対しての徹底した中立を宣言した。

 “ロマリア”軍の侵攻から1週間で、栄華を極めた華の都“リュティス”は、この世の終わりを迎えたかの様な陰惨な空気漂う街へと変わり果てていた。

 精鋭であった“東薔薇騎士団”の反乱と壊滅……その恐怖と外国軍に対する嫌悪などからなんとか殆どの王軍はジョゼフ側に着いてはいるのだが……その士気は最低値であるといえるだろう。

 誰もが“ガリア”の敗北を確信しており、占領軍として現れるであろう“ロマリア”の統治に怯えていた。

 自分達が、異端、ではないということを証明するために、裕福な商家は溜め込んだ金銀財宝の目録を寺院に運び込み、これを預けたとすることで信仰の証としようとしている。

 良くも悪くも、常識家でただの善人であった“王党派”の宮廷“貴族”達は、いきなり壊滅しつつある祖国を何とか立て直そうと、躍起になって働いた。

 だが彼等は、“リュティス”の郊外、“ヴェルサルテイル宮殿”の一角……青い壁が美しかったであろう“グラン・トロワ”が崩れ落ちた姿を目にするたびに、自分達の仕事が無駄になるであろうことを実感せずにはいられなかった。

 

 

 

 崩れ落ちた“グラン・トロワ”の主人はというと、宮殿の敷地の東に建てられた迎賓館を仮の宿舎としていた。

 “ガリア”が“聖敵”となって以後、ここを訪れていた各国の大使や、文官達は火事場から逃げ出す鼠であるかのように帰国してしまっている。今や外国からの客など訪れることもなく、そこは閑散としていた。

 ジョゼフは晩餐会室のテーブルを運び出し、代わりに置かれたベッドの上に座り、床に置かれた古木瓜たチェストを見詰めていた。外の混乱とは無縁ということができる穏やかな顔を、青い美髯の中に浮かべている。

 そのチェストには、ジョゼフにとって懐かしい想い出が込められているのである。

 

 

 幼い頃の記憶……広い宮殿の中、5歳ほどのシャルルと、8歳くらいのジョゼフは、隠れんぼに興じていた。

 ジョゼフは、苦労して探し出したこの秘密の場所に隠れていた。これは、小姓達が使うチェストである。パッと見は人が入ることができるようには見えないのだが、“魔法”で中が3倍ほどの広さへと拡張されている。特殊な“マジックアイテム”を使用しているのである。

 ここであれば見付かるまいとたかをくくっていたジョゼフであったのだが……カパッと蓋が開けられ、シャルルがそこから顔を覗かせたのであった。

「見付けたよ。兄さん」

「御前、良くここが判ったな」

「えへへ。“ディテクト・マジック”を使ったんだ。そしたらここが光った。これ、“マジックアイテム”だったんだね」

「御前、もう“ディテクト・マジック”を覚えたのか? なんて奴だ!」

 シャルルは得意げな笑顔を浮かべた。

 

 

 ポツリ、とジョゼフで呟いた。

「1度で良いから、御前の悔しそうな顔が見たかったよ。そうすれば、こんな馬鹿騒ぎにならずに済んだのになあ。見ろ、御前の“愛”した“グラン・トロワ”はもう、なくなってしまった。御前が好きだった“リュティス”は、今や地獄の釜の中のようだ。まあ、俺がやったんだけどな。それでも、俺の感情は震えぬのだ。呆気なく国の半分が裏切ってくれたが、何の感慨も持てん。実際、どうでも良い、以外の感想が持てぬのだよ」

 それからジョゼフは、ん~~~、と唸りながら頭を掻いた。

「取り敢えず奴等を灰にしてみよう。御前の元に、国の半分を召使として贈ってやる。待っていろ、シャルル」

 ジョゼフは、溜息を吐いた。

「嗚呼、何だか俺は面倒になってしまったよ。街を1つずつ、国を1つずつ潰して行けば、そのうちに泣けるだろうと想っていたが……考えてみれば面倒臭い話じゃないか。まだるっこしいから、纏めて灰にしてやろうと想う。勿論、この“ガリア”も含めてな。だからあの世で王国を築いてくれ。シャルル……」

 そこまで呟いた時、ドアが弾かれるようにして開かれた。

「父上!」

 大股で入って来たのは、ジョゼフの娘であり、王女で在るイザベラである。“王族”ゆかりの長い青髪をなびかせ、ツカツカと父王の元へと歩いて行く。いつも意地が悪そうな笑みを浮かべた顔は、蒼白に歪んでいる。

「一体、何があったというのですか? “ロマリア”といきなり戦争になったと聴いて、旅行先の“アルビオン”から飛んで帰ってみれば、市内は大騒ぎ! おまけに国の半分が寝返ったという話ではありませぬか!」

「それがどうした?」

 ジョゼフは、煩そうに言った。

「……“それがどうした?” ですって? “エルフ”共などと手を組むから、このようなことになるのです! とうとう“ハルケギニア”中を敵に回してしまったではありませんか!?」

「誰と手を組もうが俺の勝手だろうが。と言うか、余程あの長耳共の方が、我々“ブリミル教徒”よりマトモな考えを持っているぞ。ま、どうでも良いことだが」

 不意にイザベラは、父王のそのような態度に対して恐怖を覚えた。

 今まで、(どこか可怪しい)、(奇妙だ)と想っていたイザベラではあったが……今日はその、奇妙さ、に色が付き、ありありとその姿を見せ付けられたような気がしたのである。

 イザベラは、物心着いた時より、ほとんどこの父ジョゼフと話したことがなかったといえるだろう。幼い頃、母が亡くなってからは、更に関係が浅くなったということができるだろう。

 そのことを、あまり不思議には思わずにイザベラは育って来た。

 “王族”というモノは、親子といえども、王と王女という関係が重視される傾向があるためである。

 沢山の召使や女官や侍従、そして御遊び相手を着けられて育って来たイザベラは、寂しいと感じる暇もなく大人になったのであった。

 たまに親の“愛”に触れてみたくなる時も勿論ありはしたが、そのたびにイザベラは「父君は御忙しいのですよ」と言い含められて来た。

 したがって、ほとんど公式の場でしか顔を合わさなかったといっても良いであろう。

 その言動、“無能王”という渾名、叔父であるオルレアン公を殺したという噂……いずれもイザベラにとってはあまり関係のないことであった。何かを望めば、ジョゼフは必ず与えてくれたからである。

 だが……飄々として捉えどころのないいつものジョゼフとは違う、素のジョゼフに触れ、イザベラは身体が震えていることを自覚した。

 眼の前にいるのは、イザベラにとって全く未知の化物であるといえるのだ。

 ヒトの姿をしてはいるが人ではない、とイザベラに感じさせた。父の仮面を冠った何か別の生き物を前にしているかのような、そのような恐怖がイザベラの身体を包んで行く。

 それでも、勇気を振り絞り、イザベラは叫んだ。

「と、父上の仰ることが、全く理解できませぬ! 王国がなくなりそうじゃありませんか!? 私はどうなるのですか!?」

「知ったことか。気に要らぬなら国を出て行け」

 イザベラは、とうとうガチガチ、と震え始めた。

「……一体、父上は何を御考えなのですか?」

「去れ。御前を見ていると、自分を見ているようで嫌になる」

 何の抑揚もないその声が醸し出す冷たい雰囲気から恐怖を覚え、イザベラはもう我慢ができなくなってしまった。あたふたと、父王の寝室を飛び出して行く。

 次いで現れたのは、黒い髪のシェフィールドである。

「“ミューズ”か」

「ビダーシャル卿より伝言です。例のモノができあがったとのことです」

 ジョゼフはニッコリと笑みを浮かべると、立ち上がった。

 

 

 

 ジョゼフと“ミョズニトニルン”は、並んで“ヴェルサルテイル”の端に在る礼拝堂を目指した。

 護衛も着けずに歩く2人の主従に、“ヴェルサルテイル”に駐屯する騎士達は直立して敬礼した。

 その手が震えているのは、彼等の主君が、彼にとって訳の判らぬ“魔法”で、裏切り者を“グラン・トロワ”ごと葬り去ったからではない。最近……“軍港サン・マロン”が反乱勢も与してからというモノ、堂々と“宮殿(ヴェルサルテイル)”で行われるようになった、研究、とそれに関わる人物が原因であった。

 研究が、“サン・マロン”の実験農場で行われている頃から、その噂は騎士団や王軍の間を流れていた。

 ジョゼフは、“エルフ”を味方に着けている。

 “ロマリア”が、それを理由に“聖戦”を発動した時も、言い掛かりだと“ヴェルサルテイル”に詰めている“貴族”や将兵達は一笑に付した。真相を知っている一部の者を除いて……。

 だが、それは嘘でも言い掛かりでも何でもないということを、彼等は知ることになったのである

 いつもと変わらぬ調子で歩き去るジョゼフと、得体の知れぬ黒いローブに身を包んだ女官……彼等が向かう先には、“ヴェルサルテイル”の礼拝堂があり、そこで“エルフ”を長とした怪しげな一団が、何やら善からぬ研究を行っているのである。

 ビダーシャルと名乗るその“エルフ”の男は、今や、長い耳を隠そうとすらもしない。城下でもそのことは、既に噂になっているようである。

「“ロマリア”が我等を“聖敵”とするの、致し方ありませんな。まさか祖国が“異教徒(エルフ)”と手を結ぶなどとは……まるで悪夢を見ているような気分です」

 そう溜息を吐いて、ジョゼフ達を見送った騎士が呟く。その顔は、かつて警邏の最中、カステルモールを見咎めた若い騎士であった。

 彼と隣で歩哨に立つ老騎士は、あの後直ぐに発見され、事なきを得たのである。

「私はあの夜、カステルモール殿の御伴をするべきだったかもしれませぬ」

「どうしてだね?」

 老騎士が、優しい声で己の生徒へと尋ねた。

「そうすれば、少なくとも神と“始祖”を裏切ることにはなりませんから。我が君は、選りにも選って礼拝堂を“エルフ”に明け渡しているのですよ?」

「ならば今からでも遅くあるまい。南部諸侯のように、“聖戦”の旗の下に参じれば良いではないか」

「貴男が、“そうせよ”、と仰るならば……」

 若い騎士が、老騎士を仰ぎ見た。そこには、父親を頼る子供のような不安が宿っているのが判るだろう。

 溜息混じりに、老騎士は言った。

「土地も爵位も持たない。わずな年金頼りの我々が、王国を離れてどうしようと言うのだね?」

 それは、“ガリア”王軍所属の、ほとんどの“貴族”の本音であるということができるだろう。わずかな時間の間に、目紛るしく変わってしまった祖国の境遇と立場に不満がない訳ではない。だが、彼等は追う国に寄生して生きているのである。寝返ったからといって、“ロマリア”がその身分を保証してくれる訳でもないのである。下っ端“貴族”である彼等など、異端審問に掛けられた後抹殺されるのが落ちであると、見えているのだ。

 同じ“貴族”といっても、領地を持つ本物ということができる“貴族”と、彼等のような軍人や官職“貴族”では、全くその立場が違うのである。

 かつて騎士勲章を受けた日のことを想い出し、目を細めながら老騎士は言った。

「良いかね君。忠誠を誓う、ということはこういうことなのだ。結局、行き場所などどこにもないのだ。沈む“フネ”から逃げ出すことなど、できんのだよ。我々はもう、汎ゆる意味で王国の一部なのだ」

「はぁ」

 若い騎士は、気のない返事をした。

「いつも通り真面目に仕事をしながら、見守ろうじゃないか。我々は何、小舟の底に張り付いた藻のようなちっぽけな存在に過ぎぬのかもしれぬ。だが……藻は枯れぬ。小舟の持ち主が変わろうが水の底に沈もうが、藻はいつまでもそこにある」

 老騎士は、遠い目をして呟いた。

「フランダール君。ただ、黙々と真面目に仕事を熟すのだ。私はそうやって、戦場で生き残って来たのだよ」

 

 

 

 歩きながら、“ミョズニトニルン”はこの1週間ほどで集めた情報をジョゼフへと報告した。

 残念なことに、情報収集に使用していた“アサシン”がいなくなってしまったがために、その収集速度や鮮度や正確さなど、色々と考慮や鑑みるべきところがあるだろう。

「死体の見付からなかったカステルモールの件ですが……どうやら生きているようです。“リネン川”に布陣した王軍の中に紛れているとのこと」

「そうか」

「シャルロット様と接触するやもしれませぬ。何らかの手を打たれた方が……」

 ジョゼフは首を横に振った。

「それには及ばぬ」

「どうしてですか?」

「希望の中でこそ、絶望はより深く輝く。奴等は、俺を斃せるかもしれぬ、という希望を抱いたまま、ただの塵に還るのだ。そんな深い絶望など、早々味わえるモノではない。羨ましいことだ」

 ジョゼフのその言葉には、本音が混じった声であるといえるだろう。

「御意」

 それから“ミョズニトニルン”は半歩下がると、ジョゼフに深々と頭を下げた。

「……申し訳ありませぬ。“ヨルムンガント”をむざむざ100体も失ったばかりに……“サン・マロン”の反乱を引き起こす結果になってしまいました」

 “ミョズニトニルン”から出る声は、流石に苦しそうなモノである。

「その件については聴いた。もう良い」

「……ですが、つつしんで罰を受けとう御座います」

「正直言ってな、罰と言われても何も想い付かんのだよ。俺が命令した。御前は失敗した。そして、国の半分が裏切った。所詮、それだけの話ではないか。それがどうしたと言うのだ?」

「御怒りではないのですか?」

「怒る? 俺がか? 怒りなどという感情を俺が持っていたら、世界を灰にしようなどとは考えなかったであろうな」

 口元に自嘲の笑みを浮かべ、ジョゼフは言った。

「では……独り言と想って、ただ御聞き届けくださいますよう。実のところ、私は焦ってしまったのです」

 “ミョズニトニルン”は、そこまで言って顔を赤らめた。焦った理由を述べるということは……内心に秘めた気持ちを公にしてしまうことに繋がるのだから。それは、シェフィールドにとって耐え難いことであるといえるだろう。

「焦った? 御前がか? 珍しいこともあるものだな」

「はい……その、見慣れぬ……強力な大砲を鉄の車に載せた兵器など繰り出されたモノですから。“オルタネーター”の能力もあります。混乱してしまったのです。前にも報告した通り、貫通性に優れたあの大砲と、“オルタネーター”の恐らく“宝具”でしょうが謎の能力で、我が“ヨルムンガント”は次々と破壊されてしまいました。“アルビオン”で多大な戦果を上げたあの妙な飛行機械と言い、奴等が“エルフ”の技術に匹敵するような武器や能力を、多量に所有していることは間違いありませぬ」

「御前の出身……“東方(ロバ・アル・カリイエ)”の武器ではないのだな?」

「はい」

 シェフィールドは首肯いた。

「我々“東方の民”は、確かに“エルフ”に対抗するために技を磨きました。しかし……結局は“エルフ”の技術の模倣に過ぎませぬ」

「かなり強力なモノと聞くが」

「幾つかは……そうかもしれませぬ。しかし、私はただの神官の娘に過ぎませんでしたから」

「そうだったな」

 興味がなさそうに、ジョゼフは視線を前に戻した。

「イザベラ様を、“愛”してはおられないのですか?」

 先程のジョゼフの態度を想い出したのだろう、シェフィールドは主人に尋ねた。

「イザベラ? まさか。娘を“愛”さない父親はいない、などと言うが、俺からすればそんなことはただの美談の一種だ。別にそのことで俺が特別とは想わん。子を愛せぬ親など、掃いて捨てるほどいるからな」

「もし“愛”しておられたなら……」

 ジョゼフは淡々とした調子で言った。

「嗚呼。真っ先に手を掛けていただろうな。だが、それに値する人間とも想えなかったのでな。所詮、ただ血を分けたというだけの他人に過ぎぬ。なまじっか俺に似ているから、どちらかと言うと不快が先に立つ」

「どうでも良いから、御手に掛けぬ。そういう訳ですか?」

「そういうことになるだろうな」

 シェフィールドは悲しげに目を伏せた。

 だが、隣を歩くジョゼフは、それに気付いた様子はない。

 季節の花が咲き乱れる、石畳の歩道を何本も抜けると、尖塔の上に“聖具”が煌めく礼拝堂の前に出た。礼拝堂の前には、警護の騎士すらいない。中で実験を行っているこの主に、護衛は必要ないためである。そこに地にある力……彼等が“精霊”と呼ぶ太古からこの地に存在する自然の力と“契約”した“先住魔法”の担い手は、ほぼ最強の存在であるといえるだろう。

 ジョゼフとシェフィールドが中へと入り込んで行くと、石造りのためだろうヒンヤリとした空気が肌を刺した。初夏だというにも関わらず、妙に肌寒いのは建物の造りの所為ばかりではないようである。

 ジョゼフは、軽く身震いをした。

「御気付きになられましたか?」

 シェフィールドが尋ねる。

「ああ。御前ほど鋭敏ではないがな。成る程、俺もきちんと“虚無の担い手”のようだ。仇敵の本当の力に身体が震ておるわ」

 シェフィールドは、礼拝堂の奥へと進むと、説教壇の後ろの緞子をズラす。

 そこには、地下へと通じる階段があった。

 そこはかつてこの礼拝堂の倉庫であったが、今は違った。

 陛下から、薄っすらと煙が昇るのが見える。そのことから、火が使われていることが判る。

 一段ずつ階段を下りるたびに、煙は濃くなる。

 半分まで下りると、奥で激しく火が燃え盛る様が見えた。バチバチと火が爆ぜる音が聞こ得出し、そのうちに激しい音へと変化した。

 そこでは、材木を積み上げて造られた櫓が燃えていた。

 3“メイル”四方はあろうかという、大きな櫓である。

 合計で4つある。

 それぞれ、倉庫の壁の真ん中に置かれて、激しく煙を噴出している。壁に造られた空気穴からは、強い勢いで空気が出入りして、まるで鞴のような音を立てている。

 驚くことに、これだけの炎を使いながら、地下室は全く暑くないのである。それどころか、まるで真冬のような寒さであるといえるだろう。

「話には聞いていたが、実に奇妙な光景だな」

「周りの熱を吸い取って、凝縮するのです。あの“火石”という奴は……」

 部屋が真冬のような寒さであるのは、そういう訳であった。

 ジョゼフは笑みを浮かべた。

 櫓の真ん中には、小さな祭壇が造られ、その前には長く透き通るような金髪の“エルフ”がいる。

 ビダーシャルである。

 ビダーシャルは、手を翳し、一心不乱に“呪文”を唱えている。

「炎よ。我が“契約”せし炎よ。我の指し示す先に行き先を変えよ」

 “先住”と呼ぶばれる口語の“呪文”を唱えるビダーシャルの手の先には、拳大ほどの小さな赤い石があった。

 赤い……というよりも、透明なボールの中に炎を閉じ込めたかのような、不可思議な光彩を放っている石である。

 ジョゼフが近付くと、ビダーシャルは顔を上げた。

「完成したと聞いたのだが?」

「そこの女に、“そろそろ使える大きさなのか?”と尋ねられたから、首肯いたまでだ。“火石”の精製に、完成という概念はない。これは、火の力を集めてできた結晶だ。小さかろうが、大きかろうが、結晶は結晶だ。何をもって、完成、とするのかは、御前達が判断することだ」

 すると、ジョゼフは大声で笑った。

「全くもって貴様等“エルフ”という生き物は融通が利かんな! そんなもの、テキトウに判断すれば良いだろうが」

「我々は曖昧さを嫌う」

 ビダーシャルの眼が細まり、ジョゼフを睨み据える。

 天然自然の“火石”は、地中の奥底で精製される。ヒトが掘り起こすことは不可能に近い深さである。“エルフ”にとっても、掘り起こすことは容易ではないといえるだろう。

 火の力を抑える結界は硬く、ヒトが扱える代物ではないために、“ハルケギニア”では知る者は少ない。だが、ジョゼフの傍らにいる女――ミューズと呼ばれる妙な女は、その存在を知っている。なおかつ、それをビダーシャルに、造らせるよう、ジョゼフに進言したのであった。

「さて、では一体これを何に使うつもりなのだ?」

「“風石”は風の力の結晶……そして“火石”は火の力の結晶。そうだな?」

 “エルフ”の中でも、高位の“精霊”の行使手は、自らこのような“先住”の力の結晶を造り出すことができる。

 ビダーシャルは、その数少ない行使手である。

「簡単に言えばそうなる。まあ、貴様達に正確な概念が理解できるとは想えぬがな」

「概念などどうでも良い。結果が全てだ。さて、この小さな“火石”……これはどのくらいの広さの土地を、燃やし尽くすことができるのだね?」

 ビダーシャルは目を細めた。ジョゼフの質問の意図を、測りかねたのである。

 “エルフ”達にとって、“火石”は恒久的に熱の力を取り出すための道具である。冬に街を暖めたり、街頭の灯りに使用したり……破壊に使うことなど、ビダーシャルは想像すらしなかったのである

「そうだな……蓄えた力をもしも一時に解放できれば……御前達の距離単位で半径10“リーグ”……いや、この大きさなら20“リーグ”は灰にできような。だが、どうやって解放するというのだ? これだけの力を閉じ込めた結界を、破る方法などないぞ」

「俺の“虚無”を使えば可能だ。そうだろう? ミューズ」

 シェフィールドは微笑を浮かべた。

「御意」

 その告白に、流石のビダーシャルも目を丸くした。

「“虚無”だと? 御前が? まさか……御前が?」

「何だ。知らなかったのか?」

「まさか。いや……そうなのか? 貴様が、“悪魔の力の担い手”なのか? 何ということだ……」

 ビダーシャルは、信じられぬとばかりに頭を左右に振った。

「一体、“ガリア”の“担い手”は誰だと想っていたのだ?」

「少なくとも、貴様ではないと想っていた。それではあまりにもでき過ぎと言うモノだ」

「何故だ? 俺は隠すような真似はしなかったつもりだが」

「我は本当に貴様が理解できぬ。人間とは、そういう生き物なのか? 良くも我の前に姿を曝せるものだ。御前達にとって、その存在は最終的な切り札ではないか? 御前達の言葉で言う、カードを曝す、ことに他ならぬ」

 初手から覚えた、生理的嫌悪の理由に気付いたビダーシャルは、忌まわしげに仇敵の姿を見詰めた。

「そうか。それでは、知った御前はどうする? 俺を殺すか? “虚無”の復活という、御前達にとっての悪夢をこの場で終わらすことができるぞ? それとも、この期に及んで“争い事は好まぬ”などと寝言をほざくつもりか?」

 心底愉しげな声で、ジョゼフは言った。

 ビダーシャルは、悔しげな表情を浮かべた。

「……新たな“悪魔”が復活するだけだ」

「ほう。興味深いな。俺が死んでも代わりはいるということか!?」

「……そういう時代なのだ。少なくとも、貴様ならまだ御せる」

「そうだな! “ロマリア”の莫迦共のような、妙に糞真面目な“担い手”が1人増えたら、貴様達にとってこれ以上の悪夢はないだろうからな! だから貴様達は、全力て俺を守られねばならない。全力で俺の意に沿わねばならない」

 ジョゼフは馴れ馴れしい態度で、ビダーシャルの肩に手を回した。

「俺はもしや、“エルフ”と1番に理解り合える人間なのかもしれぬな」

「これは、理解り合う、とは言わぬ」

 怒りを押し殺した声で、ビダーシャルは呟く。

「見解の相違だな。さて、では先程の貴様の質問に答えよう。だが、貴様ほどの慧眼の持ち主なら、俺がこの“火の力の塊”とやらを、どう使うか理解できようが」

 ビダーシャルは、一瞬で理解した。

「……本気か? 貴様。草1本、虫1匹残らぬぞ。比喩でも何でもなく、本当の意味でだ。そんなモノを、貴様は同胞に用いようというのか?」

「用いるのだ。俺は」

「悪魔め!」

「どちらが悪魔なのだ? このような恐ろしい塊を造り出したのは、どこのどいつなのだ? そして、貴様は罵りこそすれ、俺を止めようとはしないだろうが。冷静に天秤に掛けてな。所詮、俺達が幾ら殺し合いをし合おうが、貴様達はどうでも良いのであろう? そうだろう? 親愛なる“エルフ”よ」

 ビダーシャルは、怒りの色を目に浮かべた。あまり感情を表すことのない“エルフ”にとって、珍しいことであるといえるだろう。

「我はやはりこの地に来るべきではなかった」

「そうだな。己の心の中にいる悪魔に気付かずに済んだだろうしな。まあ、確かに御前の言う通り、剣や矢玉や“魔法”に罪はない。それを使う者の心掛けが、力を悪にも善にもする。面倒だからそういうことにしておこうじゃないか」

 ジョゼフはスッとビダーシャルから離れると、「同じものを後4~5個造れ。安心しろ。使うのは御前じゃない。あくまで俺だからな」と言った。



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蜜月

 眼の前には、広げた1冊の日記帳らしきモノが置いてある。

 それを眺めながら、ルイズは溜息を吐く。

 それは、ルイズが付けていた日記である。才人に関する記憶を失っている間は付けていなかったのだが、持ち物の中入れていたことを思い出し、取り出したのである。

 そこには、“アルビオン戦役”からこっち、いかにルイズが才人によってプライドを傷付けられてしまったのかが克明に記載されていた。

 同時に、才人にして貰って嬉しかったこともしっかりと書かれている。そちらは前者と比べると未だ圧倒的に数がたりなかったのだが、それでも密度が濃く克明に書かれている。

 ルイズは、ギリギリギリ、と唇を噛んだ。

「どうやって赦せっていうのよ!?」

 ルイズは日記帳を持ち上げ、バシン! とテーブルに叩き付けた。それから、顎を日記帳の上に乗せる。次いで、足をブラブラとさせながら、目を瞑った。

 日記帳の革表紙を、頬の下で感じながら、ルイズは、(……もし、この日記帳をこっそりサイトに読まれたら、私はどんな気持ちになるのかしら? あんまり、良い気はしない……記憶が流れ込んで来るということって、それと同じようなことなんじゃないかしら? いいえ、別に勝手に読んだ訳じゃないのよ。偶然目に入っちゃうのよ。でも、それでも……)と考えた。

 ルイズは、壁に付けられた鏡を見詰めた。

 そこには当然、不機嫌な女の子の顔が見える。

 ルイズは、(こんな顔してるから、サイトは他の娘の所に行っちゃうのかしら?)と想い、無理矢理に笑顔を浮かべてみせた。だが、無理矢理であるために、どうしても引き攣ってしまう。

 再び日記帳の上に横顔を置き……なんとなくルイズは窓の外を見詰める。

 そのうちに、空が白んじて来るのであった。

 

 

 

 

 

 朝……。

 才人は、眠そうな目で帰って来た。

 結局、捜しても捜しても才人を見付けることができなかったルイズも、眠れずに悶々とした一夜を過ごしてしまったであった。それ故、ルイズも目の下に隈を作り、才人を迎え入れた。

 さて、では昨晩は一体何をしていたのかと問い詰めようとルイズが椅子から立ち上がる。

 すると、才人な何やら想い詰めたような顔でその横を通り過ぎ、ベッドへと滑り込もうとした。

「待ちなさい」

 むんずと、ルイズはそのシャツの裾を摘む。

 才人は、ルイズを見詰めた後、困ったように目を逸らした。

 そんな態度が、くすぶっていたルイズの猜疑心を殊更に燃やして行く。

「さ」

「さ?」

「昨晩は、一体誰と一緒にいたの?」

 言い難そうに、才人は言った。

「タ、タバサ」

 ルイズは深く深呼吸をすると、手を振り上げた。(やっぱり! ずっと一緒だったんだわ!)と、眠ることができず、悶々と過ごした夜の分だけ、才人のことが赦せなくなったのである。そのまま平手を叩き付けようとしたルイズであるが……ルイズはどうにか想い直した。

 先日の、キュルケの「自分と同じ分だけ、相手が自分のことを考えてくれないと、ついつい怒っちゃうのよね」という言葉などがルイズの胸中に蘇ったのである。

 ルイズにだって自分の時間があるように、才人には才人の時間がある。そういった基本的なことを想い出したのであった。

 今は、このような時期であり、そのため誰かと密談する時間もまた必要であろう。

 タバサと一緒に居たからといって、それがイコール浮気ということにはならない、何か重要なことを相談して居たのかもしれないじゃない、とルイズは考え直した。

 ルイズは、(先ずはちゃんと確かめよう。怒るのは、それからでも遅くはない……)と、プルプルと震えたまま、手を下ろした。

「タバサと何してたのよ?」

 才人は才人で、ルイズからの質問に悩んだ。昨晩のタバサとの会話の内容を、正直にルイズに話しても良いモノだろうか、と考えているのである。“ガリア”軍の中に、タバサに王として名乗り出て欲しいと想っている連中がいるということ。だが、事が事だけに、ルイズに声に出して話すことさえ今の才人には憚られた。今はなるべく事を荒立てずに済ませる必要があるのだから。

 また、“ロマリア”の者が、どこで聞き耳を立てているのか判らないためでもある。

 だから取り敢えず、危険は承知で才人は少しばかり暈して言った。

「……その、何ちゅうかあいつの進路と言うか、そういう相談を受けてたんだ」

 ルイズは唇を尖らせて、才人を睨んだ。目の下の隈が痛々しい。

 才人は、気不味さを覚え、軽く俯いた。

 ルイズは、暫くジッと見詰めていたが……。

「理解ったわ」

 と言って、ルイズは横を向いた。

 才人は、当然これに驚いた。てっきり、「何してたのよぉ~~~!」などといった風に怒鳴られた上股間を蹴られてしまういつもと何ら変わら無い騒ぎが御っ始まるモノだと想っていたのだから。

 だが、ルイズは才人の言葉を信じると言う。

「な、何よ?」

「いやぁ、凄いな御前……今度ばかりは、ボコボコになると想ってた」

「はぁ? 私に怒られるようなことしたの?」

「してない! してないよ! そうじゃなくって!」

「……一体相談って、どんな相談受けてたのよ?」

 才人は真剣な顔で、唇を噛んだ。

 その様子を見て、逆にルイズは自分が心配するようなことは何もなかった、と確信することができた。

 何かあれば、才人はこういった顔をすることができないのだから。

「私にも話せない内容なの?」

「実はな……」

 と、才人は口でこそ出任せの言葉を並べ立て始める。

 が……。

『セイヴァーが言ってたこと、本当に起こったんだ』

『え?』

『俺が中洲で“ガリア”の“貴族”達と一騎討ちしてたの知ってる?』

『ええ』

『その時に、“ガリア”軍の中にいるタバサの味方から手紙を託されて……』

『それを、タバサに渡したって訳ね?』

『そうなんだ』

『で、内容が……』

『正統な王としての……それって大変なことだわ!』

『何だか、セイヴァーの言ってたことが本当に起きて、あいつの掌の上って感じで気分が悪いぜ』

『そうね……でも』

『ああ。あいつはそれを理解した上で、しっかりと話してくれた。こうなることを恐れて話さなかったんだ……だからさ……俺は信じてみることにするよ。疑うよりも信じることの方が簡単なようで難しいけどさ、仲間に対して疑いの気持ちを向けるってのもさ』

「そう何だよ、だからさルイズ」

「あんたってホント……」

 思念通話じみたことをして、ルイズと才人はそれぞれ口と心では全く違う会話を交した。

「そう。なら良いわ」

 ルイズは、(もう、日記帳を覗き込むような真似はしたくない。まあ、目に入って来てしまうのは仕方ないが……)と何であれ才人を信じることにした。それから、思念通話での会話内容についても色々を想った。

「じゃ、私寝るわ。眠いの」

 ルイズは落ち着いた声でそう言うと、横になろうとした。

 すると才人は、未だ疑われていると想い込んでいるのか、それとも芝居の方を続けているのか……ルイズの肩に手を置いて、真剣な目で顔を覗き込む。

「ホントにごめん。でも、時期が来たらちゃんと話す。約束する。ホントは御前に隠し事なんてしたくないんだ」

 ルイズは、頬を染めた。(私、大事にされてる)と想ったからである。何だか嬉しくて、頬が染まるのであった。

 だが、喜んでいると想われたくないために、ルイズは目を瞑った。それから、腕を組むと、殊更に拗ねたような、なおかつ甘えたような声を出した。

「隠し事一杯してるじゃない。良く言うわ。正直に言いなさい。ホントは、あの娘と、私に怒られるようなことしたかったんでしょ?」

 才人の否定の言葉が聞きたいがために、ルイズはついそういった質問を口にしてしまった。

 こういう時のルイズは、才人からすると何故か神掛かるほどに可愛らしく、一瞬で惹き込まれてしまうのである。

「し、したい訳ないじゃないか!」

「嘘ばっかり。したかったんだわ。妄想の中で、私にしたのと同じこと、あの娘にもしたかったに違いないわ」

 夢中になって否定して来るのが気分好く、ルイズは更に責めるような台詞を口にする。

「し、したくなかったって言ってるだろ?」

「信じられないわ。だってあんた破廉恥だもの。妄想犬だもの。それが人間様の真似して、生意気に騎士の振りしてるんだもの。笑っちゃうわ!」

 才人は、頭に来るより、何故か興奮してしまった。何だか訳の理解らない情熱らしきモノが、身体を包んでいたのである。詰まるところ……。

「理解からず屋だな!」

 才人は、ルイズの顎を掴むと、強引に唇を重ねようとした。

 ルイズはスルリと器用にそれを躱すと、逆に、才人の肩へと噛み付いた。

「いでッ!?」

 ぷはっとルイズは唇を離し、再び才人を罵り始めた。

「何しようとしたの? もしかして、夢の中で色んな娘にしたこと? 同じことを、私にもしようっていうのね?」

 だが、ルイズのその言動には、刺々しいモノは全く感じられることができない。何か独り言であるかのように、力なく呟いているのである。

 そう、まるで照れ隠しのように……。

「何よ何よ。なーにーよ。他の娘とすれば良いでしょー。何も私じゃなくたって良いんでしょー。誰だって良いんでしょー。むっ!?」

 才人がその唇を塞ぐと、ルイズは一瞬で大人しくなった。

「馬鹿。御前はこんなに可愛いのに、そんなことするかよ」

 唇を離して、才人がそう言うと、ルイズは顔を真っ赤にして「可愛くないもん……」と言うくらいしかできなくなってしまった。

 才人も、もう訳が理解らなくなってしまっていた。そのような可愛らしいルイズを前にして、才人は色々な想像が巡るのを覚えた。今は大変な時であるが、これからのこと……全てが片付いた後のことなどなど。ギーシュが「服か宝石でもプレゼントしろ」と言っていたことを想い出す。

「なあルイズ。俺、結構金儲けたんだ」

「し、知ってるわ。馬鹿じゃないの? 姫様から“自重しろ”って言われてるのに……」

「そうだけどさ。もし、この戦いが終わったら……“ガリア”との戦いも“聖戦”も“聖杯戦争”も終わったら……色んなこと、ちゃんとしないといけないだろ?」

「ふぇ?」

 意外な言葉に、ルイズは跳び上がった。

「城を買うとかレイナールは寝言言ってるけど……何だっけ、10,000“エキュー”くらいあるからさ。まあ皆で分けるにしても、2,000だか3,000あれば、屋敷くらい買えるだろ。森付きのさ」

「何よそれ!? あんた、“こっちの世界”に根を生やすつもり?」

「いや……まあ、何つうの? 帰る方法はあるんだから、ちゃんと挨拶しに帰ったりはするよ。でももう、“こっちの世界”も1つの故郷。そんな気持ちがするんだよ」

 抱き締めたルイズの香りに包まれて、才人は言った。

「……ホント?」

「ああ。そうじゃなかったら、あの時“ゲート”を潜ってた。まあ、そうしてら殺されてただろうけどな」

 才人は力強い声で言った。

「……で、御屋敷を買ったら、その」

 恥ずかしそうに、才人は言った。

「な、何よ……?」

 け……と言いそうになり、才人はどうにか口を噤んだ。それは流石に時期尚早だと、判断したのである。

「い、一緒に暮らそう。今だって一緒だけど……寮だし。もっと広い所が良いだろ? これからのこと考えるとさ」

 ルイズは、途轍もない幸せで胸が一杯に成って行くのを感じた。「将来、一緒に暮らそう」と言われて天にも昇るような気持ちに、ルイズはなったのである。輝かしい未来のことを考えると、今の辛い状況も本当に何でもないことのように思えるから不思議である。

「……か」

「か?」

「家具は綺麗なのが良いわ」

「理解った。うん。綺麗なのにしよう」

「“トリスタニア”に、とっても品の良い家具を揃えている御店があるのよ」

 それからルイズは、「壁の色は白が良い」、「庭には池が欲しい」、「馬小屋は南頭の馬が入って……」、などと細かい注文をペラペラと並べ始めた。

「でも、メイドは要らないわ」

「……ところで、御前の父さんや母さんは、許してくれるかな?」

 心配そうに才人が問う。

「平気よ。私だってもう子供じゃないもの。私が決めたことに、文句なんか言わせ無いわ。そんなことより……」

「ん?」

「別に御屋敷じゃなくても良いの。小さい、こぢんまりした御家でも構わないわ」

「どうして?」

「だ、だって……そしたらいつも近くにいられるじゃない」

 恥ずかしそうにそのようなことを言うルイズは、才人からするとどう仕様もないくらいに可愛らしかった。

 才人は、(いやもう世界中で1番可愛い。ホントに可愛い。やっぱ御主人様だわ。何のかんの言ってやっぱルイズが1番だわこんちくしょう)と想った。

「ルイズ……御前、可愛かたんだな……が、頑張ればできるじゃねえか」

「何それ? 可愛くなんかないもん」

「か、可愛いって。まるでレモンちゃんだ」

「レ、レモンちゃんじゃないわ。と言うかレモンちゃんって何よ?」

「肌が滑々で、レレレ、レモンちゃんだ」

 夢中になって、ルイズの首筋に唇を這わせながら、才人は呟く。脳内は既に花畑であり、自分が何を言っているのか、才人自身が理解できていなかった。

「馬鹿ぁ……こんなことするサイトなんて嫌いなんだから……ちょ、や、やめ……」

「わ。ここはもっとレモンちゃんじゃないか。こ、ここなんかどう仕様もないほどにレモンちゃんだ」

「はう……わ、私、良く理解んないだけど、ほんとにレモンちゃんなの?」

「そうだよ。取り敢えず、“レモンちゃん恥ずかしい”って言って御覧」

 沸いてしまっている、というレベルを光年の単位で超えている才人の茹だった台詞である。いや別に、光年は、距離の単位でも、沸いた状態を指す単位でもないのだが。

 そのような才人の台詞であるが、ルイズも根は相当アレであるために、何だかそれがとてもロマンチックな響きに聞こ得てしまった。というより一旦こうなってしまえば、結局ルイズからすると何でも良いのであった。その辺の趣味は、才人よりある意味酷いといえるだろう。

「レ、レモンちゃん恥ずかしい……」

 で、ルイズは言った。頬を真っ赤に染め、トロンとした目で、口を半開きにして。

 ルイズがそれを言ったために、才人は更に興奮した。

「可愛い! レモンちゃん可愛い! 本気可愛いよ! さ! じゃ脱いじゃおうっか! 服とか邪魔じゃない? 君の魅力を隠してしまう、いけない布じゃない?」

 と、今時三流カメラマンでさえも言わないような台詞を吐き出しながら、才人がルイズのシャツのボタンへと指を掛けた。

 その時……ベッドの脇の壁が、隣の部屋からトントンと叩かれる。

「んなッ!?」

 ルイズと才人は、抱き合ったまま固まった。

 再び壁が、トントンと叩かれる。

 ルイズと才人は顔を見合わせた。

「な、何だ?」

 脱力した声で才人が言うと、壁の向こうからマリコルヌの声がした。

「風の妖精さんから御知らせがあります」

 ルイズと才人が部屋の隣は、マリコルヌの居室である。

 というよりも、“トリステイン組”と“アルビオン”組は全員この同じ宿であるのだ。

「は、はい……」

「壁薄いんだヨ。この宿。妖精さんもビックリさ。ま、君達は“聖戦”とか薄い壁とか“貴族”のプライドとか羞恥心とかどうでも良いんだろうが、隣の部屋の人のことを、少しは考え給え。じゃ無いと、僕も飛ばしたくもない“風魔法”を飛ばさにゃきゃいかんくなる訳で」

 2人は顔を見合わせて、恥ずかしそうに俯いた。

「と言うか」

「はい」

「レモンちゃんはないわ」

 ルイズは激しく顔を茹だらせながら、怒鳴った。

「私じゃないわ! サイトが言えって言ったのよ!」

「“レモンちゃん恥ずかしい”」

「やめて!」

 急速に冷静になると、自分がとんでもないことを口にしたのだと、ルイズは気付いた。

「“レモンちゃん恥ずかしい”」

 マリコルヌは、淡々と言葉を続けた。

 そのマリコルヌの調子が、ルイズを逆上させてしまった。

「やめろって! 言ってる!」

「“レモンちゃん恥ずかしい”」

「でしょおおおおおおがぁああくぁああああああああああああッ!」

 絶叫しながら“杖”を握り締め、ルイズは“呪文”を“詠唱”した。

 “エクスプロージョン”が壁ごと隣の部屋のマリコルヌを吹き飛ばす。

 ポッカリと空いた穴を見詰め、才人は溜息を吐いた。

 瓦礫の中からマリコルヌが起き上がり、額から血をダラダラと流しながら嬉しそうに叫んだ。

「おやおや! とうとう同室だな! もう変なことするんじゃないぞ!」

 才人は、ルイズの頭をグリグリと掻い繰った。

「何してんだ御前!? 壁壊してどーすんのよ!? 甘い時間とかなくなっちゃうでしょ!」

「煩い! あんたが言えって言ったのよぉおおおおおお!」

 ルイズの“エクスプロージョン”で才人は吹き飛び、逆側の壁に打ち当たった。

 安い漆喰のそれを粉々にして、隣の部屋へと才人はすっ飛んで行く。

 そこのベッドで寝ていたティファニアが、飛び込んで来た才人に目を丸くした。

「な、何? どうしたの!?」

 寝姿のティファニアは、薄い布を申し訳程度に身体に巻き付けているだけであった。いつも寝る時はユッタリとした“エルフ”の服を身に着けているはずであったのだが、“ロマリア”軍と行動を共にしているために、その衣装は避けたのであろう。

 まるで、かつて逢ったサーシャのようなピッタリとした布に包まれたティファニアのその姿に、才人は顔を赤らめた。

 薄い布1枚のみに隔てられ、巨大な胸が存在を、これでもかと誇っているようなモノである。

「メ、メロンちゃん……」

 思わず、才人は怖ず怖ずと手を伸ばしてしまう。

 ティファニアは慌てて、その手から逃れようと身を捩る。

「私がレモンで何でティファニアがメロンなのよぉおおおおおおおおおッ!?」

 怒りと恥ずかしさなどで我を忘れたルイズは、才人へと跳び掛かる。それから、才人のその背をゲシゲシと踏みまくるのであった。

 ティファニアは、訳が理解らず頭を抱えてうずくまった。

 荒い息を吐いて才人を見下ろしながら……ルイズはヘナヘナと崩れ落ちた。それから一気に4人部屋になってしまった自分達の寝室を見て、切なげに溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 ルイズがベッドの中で不貞腐れてしまったために、才人は仕方なく外へと出た。入り込もうとすると、ルイズが歯を剥き出しにして唸るのである。あれだけのことがったのだから、仕方ないといえるだろう。

 眠い目を擦りながら、(朝飯にしようか)と才人は階下の酒場へと下りて行く。

 そこでは皆が御飯を食べている。

 先程目覚めたティファニアも、既に着替えてパンを齧っている。

 直ぐ様マリコルヌが吹聴したのであろう、才人を見るなり“水精霊騎士隊”の連中が、ぷ、と笑った。

「御早うレモンちゃん」

 才人は疲れた顔で隣に座り、肘を突いた。

「レモンちゃん、今日も出撃しようじゃないか」

 ギーシュが、才人の横腹を突いて言った。

「後3,000“エキュー”あれば、城だよ! 城! レモンちゃん!」

 レイナールもまた、顔を輝かせて叫ぶ。

「レモンちゃん言うなよ」

 憮然とした顔で、才人は言った。

 才人は昨日、タバサの話を聞いてしまったために、決闘騒ぎに興じるような気持ちには当然なることはできないのである。

 こうやって川を挟んで睨み合っているような暢気な状況であるとはいえ、その下では様々な陰謀が渦巻いているのだから

 “アルビオン”で見たような、泥沼のような戦が始まる。その前に、どうにかしてジョゼフ王を斃すべきなのだが……才人にはどうすれば善いのか検討も着かないのであった。

 兎に角、戦で決着を着ける訳にはいかないであろう。そうしてしまえば……勢いに乗った“ロマリア”は、更に“聖戦”を推し進めようとするだろうことは明白なためである。

 所詮、才人に“ガンダールヴ”や“シールダー”の力があったとしても、国同士のいざこざが相手となっては、城壁と石ころのような関係になるのである。相手はビクともしないであろう。

 兎に角今は国に帰ったアンリエッタだけが、この場にいるほとんどの者達にとって頼りであった。連絡1つ寄越して来ないため、どうなっているるのかは判らないであろうが。

 才人が、(一体いつまでここで時間を潰せば良いんだ……)とぼんやりと果汁を垂らした水を飲んでいると……。

「やあサイト」

 屈託のない声に、才人は呼ばれた。

 才人が振り返ると、ジュリオが立っていた。

 “カルカンソンヌ”に着いてからというモノ、どこで何をやっているのか、才人は1度もジュリオと会っていなかったのである。

 殺され掛けた記憶が蘇り、才人は激しい怒りが湧くのを覚えた。直ぐにでも殴り掛かりたい欲求に駆られたが、必死にその衝動を抑えた。

 ジュリオは、才人達からすると、“ガリア”の王様よりも油断がならない存在であるといえるだろう。

 また、アンリエッタが不在の今、面倒事を起こす訳にも行か無いので在る。

 “水精霊騎士隊”の面々は、才人とジュリオの間に奔った緊張に気付き、その御喋りを止めた。この2人の間に、何かあったらしいということは薄々と勘付いていたが、才人が決して喋ろうとしないために、その中身までは知りはしない。だが……才人の怒りっぷりを鑑みるに、相当の悶着があったにちがいない、と少年達は考えた。元々ジュリオのことが気に入らないということも手伝い、騎士隊の少年達は真顔になると一斉に立ち上がった。

「何が僕達に用でもあるのかい? 神官さん」

 ジュリオはひらひらと手を振ると、首を横に振った。

「用ってほどのモノはないよ。敵の士気をくじいてくれて頂いたとか。従って、教皇聖下から、君達にはこれを是非、と頼まれてね」

 ジュリオは傍らの鞄から、袋を取り出した。それをテーブルの上へと打ち撒ける。先代の“ロマリア”教皇が彫られた金貨が、ジャラジャラと音を立てて跳ねた。

「受け取ってくれ給え。神からの祝福さ」

 少年達は一瞬、黄金の輝きに目を見開きはしたが、直ぐに厳しい顔付きに戻った。

「坊さんの御布施なんか要らないよ。自分の食い扶持くらい、自分で稼ぐさ」

 レイナールがそう言うと、ジュリオは微笑を浮かべた。

「そう言わずに取って置きなよ。金はあっても困らないだろう?」

 それからジュリオは、才人へと向き直った。

「……さてと。後は君に話が有るんだ」

「何だよ?」

「ここじゃなんだから……ちょっと外まで御願いできるかい?」

 鋭い目で、才人は立ち上がった。

 騎士隊の少年達が前へと踏み出し、ジュリオと才人の間に割って入ろうとした。

「悪いね。君達の副隊長をちょっと御借りしたいんだが……」

「僕等は騎士隊だぜ?」

 そう言ったギーシュを、才人は押し止めた。

「大丈夫だよ」

 

 

 

 

 外に出ると、驚いたことにジュリオはいきなり才人へと頭を下げた。

「何と言ったら良いか判らないが……兎に角この前はすまなかった」

 才人が気勢を削がれてしまい、ポリポリと頭を掻いた。

 才人は、(どういうつもりだ? こいつが……素直に頭を下げるなんて)と想い、油断なくジュリオを見守った。

 ジュリオは顔を上げた。その顔から、馬鹿にするような笑みが消え、目に光が宿る。

 そうすると、場は、触れただけで切れてしまいそうな、鋭い雰囲気に包まれて行く。

 いつもの陽気な態度は演技に過ぎないと、そう理解させて来る、素のジュリオであった。

「……殺そうとした癖に、謝ったくらいで赦せるかよ」

「君が大事な人達を守るためなら何でもするように、僕達も“聖地”を回復するためなら。何でもする。それと同じ事だよ」

「“聖地”ってただの土地だろ? 一緒にするな」

「ただの土地じゃない。“ハルケギニア”の民の将来が賭かった土地だ」

 ジュリオは真面目な声で言った。

「民? 神様のためなんだろ?」

「君は信仰を誤解している。信徒にとって、神様のため、という言葉は、結局、自分のために、ということと同意なんだぜ」

「確かにその通りだな。最終的には……何事に於いても、自分のため、ということになる。まあ、極論だがな」

「セイヴァー?」

 “霊体化”を解き、俺は才人とジュリオの会話へと割って入る。

「想い出してみろ、才人。歴史の授業とかで学んだはずだ。宗教が関わる戦争では、基本土地の取り合いや意見主義主張の違いなどから起きることが多い。同じ宗教でも、宗派が違う、受け取り方や考え方が違うと言うだけで相争ってしまう。だが、まあ……才人の意見もまた必要であり、大事なモノだ。“聖地”とはいうが、結局のところ、ブリミルが“ハルケギニア”に来た際最初に降り立った土地というだけのこと。本来は誰のモノでも無い。強いて言えば、元々そこに住んでいた者達のモノ。いや、そう区分すること自体が烏滸がましいのかもしれんがな」

 その妙な迫力に押され、呑まれてしまい、才人は息詰まりを感じた。説得してどうにかなるだとか、話し合えば解決するだとか、そういう次元を超えた雰囲気に、才人は気圧されたのである。

「まあ、御前等が本気なのは理解ったよ。でも、何度も言ったように、“聖戦”の手伝いなんてごめんだぜ。俺には俺の神様がいるんだ。どっちかと言うと、俺はセイヴァーと同意見だからな」

 才人は、(せめて協力してるふりをしよう)と考えていたのだが、結局正直に本音を漏らしてしまった。

「今度俺とルイズ達に変なことを企みやがったら……」

 才人は、精一杯に凄んでジュリオを睨んだ。

「構わないよ。精々この胸を君の“剣”で抉ってくれ。まあ、僕も抵抗はするけどね」

「御前なぁ……」

 そんな才人とジュリオのやりとりを前に、俺は思わず微笑んでしまう。

「兎に角、君達が“この世界”にいる限り、僕達はもう手出ししないよ。今となっては、君達は僕達“ロマリア”の大事なカードだからね」

「言っとくけど、俺達が協力するのは“ガリア”王を斃すまでだぜ。それから先は、知ったこっちゃないからな」

 ジュリオは、才人のその言動に笑みを浮かべた。

「結構だ」

「アッサリ引き下がるんだな」

「何、少なくとも、君達とは話ができるからね。説得には自信があるんだよ」

 才人は、(ホントに喰えない奴だ)とジュリオに対してそのような感想を抱いた。殺すつもりで銃を突き付けて来た癖に、あっけらかんとこのようなことを言い放つのだから……。

「さて、じゃ仲直りしようじゃないか」

 ジュリオがそう言って、才人に手を差し出した。

 才人はしばらくその手を見詰めていたが、プイッと横を向いた。

「流石に握手は無理だわ」

 まあね、とジュリオが呟いた時……才人の頬を何かが過る。

「あいでッ!?」

 鋭い勢いで飛んで来たのは、1羽の梟であった。ジュリオの肩に止まると、羽をパタパタと動かしてみせる。

「おや、ネロじゃないか。御帰り」

「何だよそいつ……?」

「僕の梟だよ。おや、いけない! 血が出てるぜ」

 ジュリオはポケットからハンカチを取り出すと、才人の頬に当てた。顔を掠めた際に、爪が触れたのだろう。

「よせよ。血なんか直ぐに止まるよ」

 そうかい、と呟いて、ジュリオはハンカチを引っ込める。

「いつまで“ガリア”と睨み合いを続けるつもりなんだ?」

 と、才人が尋ねた。

 ジュリオは両手を広げ、「さあね。でもまあ、そのうち風が吹くと思うよ」と思わせぶりな態度で、去って行った。

 

 

 

 

 

 恥ずかしくて死にそうになっていたルイズは、結局、ベッドから出なかった。だが、1人でベッドの中で色々考えていた。すると結局幸せが大きくなり……レモンちゃんでも何でも良くなってしまい、今朝才人に言われた「一緒に暮らそう」という言葉が何度も頭の中を巡る。そして、頭の中が、咲き乱れる花で一杯になるのであった。

 ルイズはしばらく嬉しそうに、毛布の中でモゾモゾとうねっていたのだが、そのうちにベッドから飛び出し、いきなり日記に何やら描き始めた。

 それは、2人で暮らすための屋敷の間取りであった。

「ここがー、寝室でー、ここが居間でー。でもってここが晩餐会室でー。たまにパーティーだってするからホールも必要でー。この辺に台所とかあってー。料理人だって10人は最低必要だからこのくらい大きくないと意味なくてー」

 ゴリゴリと羽ペンを走らせ、ルイズは御屋敷を想像しながら描いた。

 だが、やはりというか、どうにも小ぢんまり、といった風情にはならない。どう見ても立派な屋敷、もとい、城である。

 ルイズはしばらくその城の間取りを見詰めて、一体何がどうして小さなスイートホームがそんなことになってしまったのだろうか、と真面目に考え続けた。

「ま、でも、兎に角メイドは要らないわ」

 目を細めて、しかしメイドは雇わず、とルイズが一文を書き加える。

 すると、才人が帰って来た。

 ルイズは慌てて日記帳を閉じた。

 だが、才人はというと挨拶もなしに、椅子へと座り込み、肘を突いて深刻そうな表情で考え事を始めた。

「どうしたの?」

 と、ルイズが尋ねる。

「ああ。あのな、さっきジュリオと話して来た」

「……何を話して来たの?」

 ルイズも真顔になった。

 才人は小さな声で、ルイズに先程のことを話した。

「兎に角“ロマリア”は、この現状に然程危機感を抱いてない感じだな。何だか嫌ーな感じだな」

 ルイズも腕組みをすると、んー、と考え込む。

 だが、2人で頭を捻りはするのだが、一体“ロマリア”が何を企んでいるのか、想い付かないでいた。

 溜息混じりに、才人は言った。

「全く、“聖地”って一体何々だよ?」

「“始祖ブリミル”が降臨した土地よ」

「そこには一体、何があるんだ?」

「さあ……? 多分砂漠の真ん中だとは想うけど……長い“ハルケギニア”の歴史で、そこを“エルフ”から奪い返したことはないから、何があるかまでは知らないわ。“始祖”が住んでた御城でもあるのかしらね」

「そんな見ず知らずの土地が“聖地”なんてね。どうでも良いじゃ成えか」

「仕方ないじゃない。兎に角大事なモノだって教えられて来たんだもの」

 才人はベッドに横になって天井を見上げる。それから、不意に、以前の出来事を想い出した。

「あれってホントなのかな?」

「あの、“エルフ”が初代“ガンダールヴ”だったって奴? ……どうなのかしらね? やっぱあんたの妄想じゃないの? 得意だし」

「でも、セイヴァーは現実だって言ってたし……そうだ、デルフに訊いてみよう」

 才人は、デルフリンガーを鞘から抜き出した。

 訊こう訊こうと想いながら、忙しくてスッカリ忘れてしまっていたのである。

「よ。伝説」

「やあ相棒。もう、俺が寂しいと言っても、誰にも届かないんだね。思念通話的な奴で、セイヴァーが相手してくれるくらいしか、俺には慰めがないぜ」

「それはすまない。で、そう言や、俺、“始祖ブリミル”の夢を見たんだよ」

「ああ。らしいね」

「あれってホントにあったこと? それとも、俺の精神状態の襞が見せたフィクション?」

「ホントのこったろ」

 才人とルイズは、デルフリンガーの言葉に、目を丸くした。

「“ルーン”が持つ記憶がな、御前さんにその夢を見せたのさ。芝居の中に登場するみたいにね……いや、より正確に言えば、“ルーン”が持つ記憶が、御前さんの意識を6,000年前に飛ばして、セイヴァーが守ってくれてたんだろうさ」

「“始祖ブリミル”が“エルフ”を“使い魔”にしてたの? 本当なの? 何てことかしら!? 重大な歴史的発見じゃないの! 何であんたそんな大事なこと言わないのよ!?」

 ルイズは興奮して叫んだ。

「だって、訊かれなかったし。後な、俺だって忘れてるんだ。でも、相棒の言葉で想い出したんだ。そう言や、そうだったなって」

「じゃあ想い出したこと、全部話しなさいよ!」

「無理だよ……何せ断片的でな。連中が朝何食ってたとか……何時に寝てたとか。そういう詰まらないことなら覚えてるんだけどね。肝心なことはサッパリさ。因みにブリミルは大蒜が食えなかったぜ」

「ブリミルさん、何か“ニダベール”とか名乗ってたよ」

「多分、若い頃の名前だな。そりゃ。彼奴も色々あったからね」

「ねえサイト。その夢っぽい中で、もっとマシなのは覚えてないの?」

 ルイズが身を乗り出して、才人に尋ねた。

「そうだな……“エルフ”の女の人、結構怖かった」

「……う。やっぱり、ティファニアみたいなのは例外なのかしら?」

「いや、そう言うんじゃなくって。ブリミルさん、“蛮人”! とか怒鳴られて、ゲシゲシ蹴られてたよ。サーシャって人、まるでルイズみたいだった」

「何よそれ、ホントつまんないことだけ覚えてるのね」

 ルイズは憮然とした。

「ああ。懐かしいなあ。サーシャだ。長い耳の高貴な砂漠の娘……」

「そうそう。そんな名前だった。でも、御前はいなかったな」

「おりゃあ、ブリミルがその名前を名乗ってた頃は、まだ生まれてなかったんさ。兎に角、サーシャとおりゃあ、良いコンビだった。2人して、散々暴れたもんだ。真っ直ぐな娘だったなあ。ちょっと気が強くって、プライドが高くって、そんで泣き虫で……」

 デルフリンガーは、遠い記憶を“愛”しむように呟いた。

「どんな冒険したの?」

 ルイズが、好奇心を剥き出しにしてデルフリンガーに詰め寄る。何せ“始祖ブリミル”の話である。興味を引かれても仕方ないといえるだろう。

「だから、一々細けえことは覚えてねえって」

 それからデルフリンガーは、どことなく寂しそうな声で言った

「ただな。ボンヤリとな……とても悲しいことがあったのだけは覚えてる」

「何があったの?」

「……判らねえ。ただ、そういう気持ちだけ覚えてるんだ。だから正直言うとな、あんまり想い出したくねえんだよ」

 それっきり、デルフリンガーは黙ってしまった。

「あんまりデルフリンガーを苛めるなよ」

 才人がそう言うと、ルイズは、(呆れた)といった表情を浮かべた。

「何言ってるのよ!? “エルフ”を“使い魔”にしてた。詰まり、“始祖ブリミル”と“エルフ”は仲良くしてたってことじゃない! 詰まり、私達が今になって喧嘩する必要はどこにもないってことよ!」

「あ」

「全く! ホントに鈍ちんね!」

 ルイズは、得意げに指を立てた。

「でも、“始祖ブリミル”が言ったんだろ? “異教徒(エルフ)聖地を取り返せ”って」

「そうだけど、どうして“始祖ブリミル”が“エルフ”と敵対するようになったのか……その辺りのことを解き解せば、私達が憎み合う必要はなくなるんじゃない?」

「そんな昔のことを、どうやって……」

「私達にはこの御喋り剣もある。あんたが見た不思議な夢もある。セイヴァーがいる。やろうと想えばできないことじゃないわ」

 ルイズは言い放つ。

 だが、流石に神話レベルのことを解明しようというのだ。それは途方もなく難しいことにはちがいないであろう。

 それでも、そういった使命に燃えるルイズは、才人から見てとても美しかった。

 ルイズは、教えられ与えられた正義ではなく、自分で見付け決めた正義に従おうというのである。

 才人は、眩しげにルイズを見詰めて首肯いた。

「そうだな……やってみよっか」

「兎に角、この件は私達にとって、降って湧いたとんでもないカードって訳よ。上手く使えば、この“聖戦”引っ繰り返せるわ!」

 才人は、ルイズの口を塞いだ。

「馬鹿。声が大きい」

「そ、そうね」

 どこで“ロマリア”の手の者が聞き耳を立てて居るのか、判らないのである。

「……兎に角、姫様が帰って来たら、この話をしようぜ。きっと、喜んでくれるよ」

 

 

 

 

 その日の夜……。

 タバサは眠ることができずにベッドに横たわって、天井の模様を見詰めていた。

 幼い頃から眠ることができない夜は良くこうやって天上を見詰めていた、ということをタバサは想い出した。

 かつて、タバサが過ごしたオルレアン屋敷の寝室の天井には、綺麗な宗教画が描かれていた。“始祖の降臨”のワンシーンとされる絵画である。

 “始祖”が天使達に祝福を受けながら、“聖地”に降臨して来る……“始祖”の顔は深くローブに包まれており、どのような顔をしているのか判ら無い。周りにいる天使達は、そんな“始祖”の両手を支え、ニッコリと微笑を浮かべているのである。

 小さい頃のタバサ―――シャルロットは、そのフードを冠った“始祖ブリミル”に恐怖を覚えていた。夜中に……そこに光る目が現れたら、怖くて死んでしまうとまで想い詰めたりもしていたほどである。

 年を経た今でも……タバサは、その絵画を見詰めることが怖くて堪らない。だが、それは、天井に描かれた宗教画に対してではなく、自分の心に対してであった。フードの中に潜む、本当の気持ち……に気付かされてしまいそうだからである。

 タバサは、(それに気付いてしまったら、自分はどうすれば良いのだろう?)と考えた。

 キュルケにも、ヒトに化けて側の床で寝ているシルフィードにも、“霊体化”しているイーヴァルディにも、そのようなことを相談することはdけいない。「応援する」と言うに決まっている、とタバサは理解していた。

 そうしてしまえば何かが加速してしまうこともまた、タバサは理解していた。やっとのことで抑え付けている気持ちが、心の底から浮かんで来てしまうのである。

 タバサは、(確かに、ルイズの扱いは非道いと思っていた。あれだけ彼は尽くしているというのに……自分なら……あんな真似はしない。でも、今となってはルイズだって大事な友人だ。彼女は危険を顧みず、自分を救けるために “ガリア”まで乗り込んで来てれた。話を聞くと、そのために“貴族”のくらいまで投げ出したと言うではないか。共に大事な人だ。その間に自分が割り込むなんて、してはいけないのだ。それは理解っているのに……どうしてだろう?)と悩んだ。

 タバサは、(目を瞑ると、昨晩の飛行(フライト)のことで頭が一杯になるのは何故?)とも疑問に想った。

 次いで、イーヴァルディへと目を向ける。

『どうしたの? “マスター”』

『何でもない』

 イーヴァルディは、横になっているシルフィードに気を遣ってだろう、思念通話でタバサへと確認をする。

 が、タバサは思念通話で、自身に言い聞かせるようにして否定した。

 それからタバサは立ち上がると、シルフィードを起こさないように、ソッと壁に取り付けられた鏡の前に立った。

 カーテンの隙間から、皓々と双月の明かりが射し込み、鏡にボンヤリとタバサの姿を描いている。

 大丈夫、と……(自分はもう16になるというのに、こんなに小さく、痩せっぽちで、幼い身体付きをしているじゃないか。1年前のルイズより……魅力なんかある訳がない。だから……大丈夫)とタバサは首肯いた。

 それから、タバサは驚いた。

 今まで自分の魅力についてなど、考えたこともなかったためである。

 タバサは、(やっぱり自分は可怪しい。矛盾している。好かれる容姿じゃない、と安心したいがために鏡を覗いたのに……)と想い、いざその事実を知ってしまうと、悲しくて仕方がないのである。

 タバサは暫く、ジッと鏡を見詰めていたが……思い付いたように眼鏡を取ってみた。

 ボンヤリと、鏡に顔が浮かび上がる。

 タバサは、そんな鏡に映る自分の姿を見て、(少しは魅力的に見えるだろうか?)と顔を近付けると、何だか潤んだ目をした少女がそこにいるということに気付いた。

 タバサは、自分がそのような目をすることが信じられず、軽く肩を抱いた。

 その時……扉がノックされた。

 タバサは、(こんな夜更けに一体誰だろう?)と想い、期待で胸が高鳴って行くのを感じた。同時に、その高鳴りを否定する。(まさか。そんな訳はない。多分、キュルケに違いない。こんな夜中に、自分の部屋を訪れる人物が、他にいるなんて考えられない)、と想い、凍り付いたように動けずにいた。

「……俺だよ」

 その小さな声で、タバサの心は跳ね上がる。慌てて眼鏡を掛けて、扉へと駆けた。

「……どうしたの?」

 そう尋ねるタバサの声は震えている。

「……話があるんだ」

 タバサは、(何だろう?)と想う間もなく、扉を開いた。

 そこに……タバサが夢で何度も逢った顔があった。

 シュヴァリエのマントで顔を隠すようにして、才人(?)は部屋に入って来た。

 タバサは、なるべく顔を見せないように、小さく尋ねる。

「……話って?」

 タバサは、横目でチラリとシルフィードでとイーヴァルディを見る。

 シルフィードは、大きく寝息を立てている。ちょっとやそっとじゃ起きないであろうことが判る。

 才人(?)は真顔になった。

「昨日の夜の話……俺、真面目に考えたんだ」

「……え?」

「ほら、タバサが王様になるって奴」

 タバサは、(一体、どうしたんだろう?)と疑問に想い、「それが?」と尋ねた。

「やっぱり、正統な王位継承者として、タバサは即位を宣言すべきだ」

 キッパリと、力強い調子で才人(?)は言った。

 タバサは、わずかに顔を曇らせた。

「“ロマリア”に説得されたの?」

「違う。全部1人で考えたんだ。どうすれば、この戦が早く終わるのかなって。やっぱり……これが1番だと想う」

「一体、何があったの?」

「そろそろ“ガリア”軍の総攻撃が始まるらしい。そうなったら、ホントに地獄のような戦になっちまう。姫様の帰りを待っている暇はもうないんだ」

 タバサは目を瞑り、(何を迷っているの? 彼が決めたことに従う。自分はそう決めたじゃないか)と想った。

「理解った」

 タバサは吐き出すように、呟いた。

「貴男がそう言うのなら、従う」

 才人(?)は、タバサを真剣な目で見詰めた。

「安心してくれ。御前が俺が絶対に守る。何があってもだ」

 タバサの心を、喜びが満たして行く。

 震える声で、タバサは言った。

「違う。私が才人(あなた)を守る」

「俺は御前も守りたいんだ」

 タバサの手を握り、才人(?)は言った。

 自身の鼓動が、タバサの耳に届いた。耳の奥から響く、激しい動悸。それが自分のモノと判ると、タバサは息が止まりそうになった。

 全てが止まってしまいそうな空気の中タバサは質問の言葉を口にした。

「……どうして?」

 タバサは、自分はどうなってしまうのか、心の底の冷静な部分がそのような疑問を抱く。

 次ぎに、才人(?)の言葉を聞いたら。

 夢の中で何度も聞いた台詞を耳にできたら。

「……好きなんだ」

 現実感がなかった。まるで、どこか遠くで鳴り響く、潮騒のようにタバサはその言葉を聞いた。完全に思考が停止して、何も考えることができなくなったのである。

 自然に、夢の中の自分と同じ言葉が、タバサの口から吐いた。

「……嘘」

「嘘じゃない。気付いたら、ずっと御前のことばかり考えてた」

「ルイズがいる」

「今は……御前の方が好きなんだ」

 タバサの中で、アッサリと何かが壊れてしまった。(そんなことはない)という冷静な叫びは、歓喜の奔流によって押し流されてしまう。それがタバサを、何も疑うことのできない無力な少女へと変えてしまった。

 才人(?)の手が伸びた。タバサの顎を持ち上げ、唇を近付けて来た。

 タバサは、拒否したい気持ちがあったが、どうにか堪えて目を瞑るだけにした。

 唇を重ねる時間は、タバサにとって無限に感じられた。

 才人(?)の唇が、タバサの小さなそれを広げ、包み、自在に形を変える。

 スッと唇が離れ、次いで才人(?)はタバサの首筋にキスをした。

 タバサは軽く才人(?)を押し退けようとした。

「嫌なのか?」

 タバサは首を横に振った。

 泣きそうな声で、タバサは床で寝息を立てているシルフィード、そして“霊体化”しているイーヴァルディを指さした。

「……起きちゃう」

「そうだな……ごめん。我慢できなかった」

 才人(?)はタバサから離れると、ドアノブに手を掛けた。

「1つ約束してくれ。この計画は、極秘中の極意扱いだ。向こうに漏れたら大変だからな。だから、どこで誰が聞いているか判らないから……俺はトコトン恍ける。理解ったか?」

 タバサは、コクリ、と首肯いた。

「数日中に、“ロマリア”の密使が来る。そいつの指示に従ってくれ」

「貴男は?」

「……また、夜に来る。その時、細かい話をしよう」

 再び、タバサは首肯いた。

 疑う、といった概念すらも、今のタバサの脳裏からは飛んでいた。

 もう、その時間だけが待ち遠しく、他には何も考えられることができなかったのである。

 

 

 

 才人(?)が立ち去って少し……。

「“マスター”」

「理解ってる……あれは彼じゃない」

 タバサは、先程の才人(?)の正体を看破していた。

 が、やはり、どうにも自身の気持ちを抑えることができないでいたのである。

 才人に対する想い、そしてそれ等への否定……才人の姿をした者による行為、例え姿や言葉だけであろうとも、恋する少女からすると、抵抗が難しくなるのであった。

「敢えて、彼の話に乗る」

「そうか……なら、僕は何も言わないよ。“マスター”の意志に従う」



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アンリエッタの外交案

 “竜籠”が“ガリア”の王都“リュティス”の上空に到着した際も、アンリエッタは毅然と前を見詰めて居た。

 向かいの席では、銃士隊隊長のアニエスが、ソワソワと腰に提げた拳銃を確かめて居る。

「どうしたのです? 隊長殿」

「いや……流石に落ち着かないモノでして」

 参った、という調子を隠すこともせずに、アニエスが言った。

 それでもアンリエッタは涼しい顔である。

 4隅を“竜”を利用して吊るした籠の窓の向こうには、併走する“ガリア竜騎士”の姿が見える。物々しい出で立ちのその“竜騎士隊”は、護衛という名目で着けられてはいるが、油断なくアンリエッタ達の“竜籠”を見張っている。

「しかし陛下……これはもう、無謀を通り越して、蛮勇、とでも言うべき事態ですな。先日、交戦した国に単身訪れるとは……」

 アニエスは溜息を吐きながら言った。

「あら? 先立って国境付近で我が騎士隊が交戦したのは、“ガリア”の反乱軍ですわ。その上、“ロマリア”が“聖戦”を発動したとはいえ、我が祖国はまだ“聖戦”を布告しておりません。従って公式には“ガリア王国”と交戦中ではありませぬ」

 アンリエッタはやはり涼しい表情を崩さずに言った。

 だが……アンリエッタのその手は微かに震えていることを、アニエスは見逃さなかった。

 気丈を装ってはいるアンリエッタではあるが、やはり不安で堪らぬのであろう。

「“水精霊騎士隊”は? “アクイレイアの聖女”に祭り上げられたミス・ヴァリエールは? 今や“ロマリア”軍の看板ではありませんか。その存在を指摘されたらどのように申し開きをするおつもりですか?」

「彼等は“ロマリア”に貸与した騎士隊ということにすればよろしいわ。例がなかった訳ではありません、ルイズは、そうね、信託により亡命した巫女、ということにいたしましょう。ええ、どのようにでも申し開きは可能です」

 アニエスは唇をへの字に曲げ、頭を横に振った。

 他に伴の姿は見えない。

 アンリエッタは、アニエス1人だけを連れたまさに、徒手空拳、でもって、今や、敵国、ともいうことができる“ガリア”に擬似的な単身乗り込みを行っているのである。

 “ロマリア”によって突然発布された“聖戦”で、“トリステイン”は上を下への大騒ぎであった。ほとんどの“貴族”や重臣は、当然眉を曇らせた。

 余程の狂信者でもない限り、“聖戦”とは悪夢と同義であるといえるモノである。国中の“貴族”が掻き集められ、槍を握ることができる若者は兵隊にされ、国庫を空にしてしまう戦であるのだから。そして……万一勝利したとしても、得るモノといえば現技術では開拓しようのない砂漠と、名誉だけである。それでは腹を満たすことはできない。

 そして、“サーヴァント”がいようとも、勝利より敗北の方が……可能性は高いのである。そう、秘密を知る者達のほとんどは考えていた。

 “聖戦”に敗退した後、潰れた小国は数に限りがない。元はといえば“ゲルマニア”が生まれたのも、“聖戦”に疲弊した諸侯が反乱を起こした結果であるのだ。

 見たこともない“聖戦”より、誰もが目先の生活で一杯であった。

 アンリエッタは帰るなり、「この“聖戦”を私が止めてみせます」と言い放ち、執務室に篭りっ切りになって“ガリア”に対する外交案を練り始めたのであった。

 1週間後、全ての計画を造り上げたアンリエッタは、重臣を集めて、「この私が、直接“ガリア”王と交渉いたします」と言い放ったのである。

 勿論、“トリステイン”の重臣やマザリーニ、引いては母后のマリアンヌまで、アンリエッタの“ガリア”行きには反対した。無理もないことであろう。これほどにきな臭い政治関係にある他国に国王自ら単身交渉しに赴くなど、“ハルケギニア”の長い歴史の中でも類を見ない冒険といえる行動であるのだから。

 アニエスが頭を抱えるのも、無理からぬことであるといえるだろう。

 アンリエッタは、「この“ガリア”行きを認めねば、王冠を脱ぐ」とまで言い張り、国内の重臣達に認めさせたのであった。

「陛下……1つだけよろしいですか?」

「なんなりと」

「“聖戦”発動に責任を感じておられるのは理解ります。ですが……陛下の御身はもう、陛下1人のモノではありませぬ。陛下に万一のことがあれば、祖国は滅茶苦茶になりますぞ。そして、その可能性は低くないのです」

「“ガリア”を斃した“ロマリア”は、“ハルケギニア”で“聖地”回復軍を組織しようとするでしょう。軍の供出を拒否すれば、私など、呆気なく追位させられてしまいますわ。詰まり、どのみち滅茶苦茶になります。それも、もっと酷い状態に……貴女は過去の“聖地回復連合軍”が、どれだけ“ハルケギニア”を疲弊させたか御存知?」

 アニエスは言葉に詰まってしまった。それは、アンリエッタの退位1つとは全く釣り合わない重大な事態であるためであった。

「私がいなくとも、国は動きます。マザリーニ枢機卿も母君も、家臣団もまだ健在なのですから。ですが……“エルフ”との大規模な戦になったら、例え“サーヴァント”がいようとも、“ハルケギニア”は潰れます」

 アンリエッタは、震え手をギュッと握り締めた。

「私の首1つで……この賭けに参加できるなら、安いモノと申さねばなりません」

「どうやら言い負かされたようですな」

 つまらなさそうに言ったアニエスの様子に気付き、アンリエッタは顔色を変えた。

「あ、すみませぬ。貴女の命をも危険に晒してしまいましたね」

「構いませぬ。軍務に服した時より、とうに覚悟は着いております。ただ、私は陛下の近衛隊長ですからな。陛下の安全を願わずにはいられないので」

「でも、負ける賭けをしに来たつもりはありませんよ。それなりの用意はして参りました。ジョゼフ王にとってのこの申し出は破格と言えましょう」

 アンリエッタは書類が詰まった鞄を握り締めると、キッパリと言い放った。

 そこに詰まった“ガリア”に対するこの外交案は、ほとんどの重臣達が反対した内容である。

 重臣達は、「ありえませぬ」と言下に切って捨てたのである。

 だが、たった1人賛成票を投じた人物がいた。

 枢機卿のマザリーニである。彼は不眠不休でこの草案を練り上げたアンリエッタの前に膝を突き、「御成長を嬉しく想います」と短く告げたのであった。

 眼科には巨大な敷地を誇る“ヴェルサルテイル宮殿”が見えて来ると、国境よりアンリエッタの“竜籠”を護衛して来た“竜騎士”達が、一斉に中庭へと着陸して円陣を描いた。

 その真ん中に、アンリエッタとアニエスを乗せた“竜籠”がユックリと着陸をする。

 控えた衛兵達が駆け寄り、扉を開いた。

 その出迎えの簡潔さに、アニエスは驚いた。

 儀仗兵もいなければ、楽団もない。“ガリア”といえば、“ハルケギニア”一の大国である。幾ら戦時とはいえ、仮にも女王を迎えるのだ。それなりの格好などがあるといえるだろう。

 が、国の半分に裏切られるということは、詰まりこういうことであるのだ、とアニエスは実感した。

 アンリエッタを見ると、まるで無表情で、“ヴェルサルテイル宮殿”をユックリと見回している。その目が一点に留まり、動かなくなった。

「どうなされました?」

 アニエスもそちらの方を見遣り、う、と息を呑むんだ。

 中庭の向こうに見えるのは、ジョゼフが暮らしているはずの本丸、“グラン・トロワ”の残骸であった。青く、美しかった宮殿は崩れ、唯の瓦礫と化しているのである。

「反乱騒ぎが起こったとの噂ですが……その所為ですかな」

 アニエスが小さな声で耳打ちをした。

 周りを囲む騎士達は、皆一様に無表情であったが、歴戦の勇士で在るアニエスには、その仮面の下の本音が見と取れた。そこにあるのは、恐怖であった。

「……交渉は吉と出そうですな」

 国は反乱に喘ぎ、数少ない騎士達の士気も下がっている。これほど“ガリア”が困窮しているのであれば提案に乗って来るに違いない、とアンリエッタは判断した。

 騎士の輪の中から、フードを冠った女性が現れた。全身黒尽くめのその姿は、見るからに怪しい雰囲気を放っている。

「ようこそ“ガリア王国”へ。アンリエッタ女王陛下の行幸を歓迎いたします」

 慇懃に膝を突き、女は一礼した。一国の主の前であるというのにも関わらず、その女性はフードを取りもしない。

 アンリエッタは礼を返す必要を感じず、女を空気のように無視した。

「こちらへ。我が君が御待ちで御座います」

 女は全く意に介さずに、立ち上がり歩き出した。

 仕方なく、アンリエッタは歩き出す。この無礼な扱いに想うところはありはするのだが、いつぞやの諸侯会議でのジョゼフの態度を想い出し、納得した。

 女の声に聞き覚えのあったアニエスは、わずかに眉を顰める。(どこだったか?)と記憶の底を漁り、それに想い当たった。

「御連の方は、以前御逢したことがあるようですわね」

 女は振り返り、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべて寄越した。

「“アルビオン”だったかね」

 アニエスは低い声で返した。

 アンリエッタが、アニエスを覗き込む。

「……ラ・ヴァリエール嬢達を幾度となく襲った女です。恐らく、あの巨大騎士人形の軍団も」

 アンリエッタは、そこで初めて厳しい顔付きになった。

「あれは“ヨルムンガント”と言うのです」

 悪怯れもせずに、女は告げた。

 

 

 女王と騎士隊長が連れて来られたのは、迎賓館の晩餐会室であった。

 長いテーブルの奥にジョゼフは腰掛け、アンリエッタ一行を待っていた。

 召使も、侍従も、衛兵すらもいない、殺風景な光景であった。テーブルの上には料理1つも用意されていない。

 フードを冠った女―― “ミョズニトニルン”――“キャスター”はジョゼフの後ろに影のようにして控える。それから、身動き1つ見せなくなった。

 アニエスが、ジョゼフの向かいの席を引いた。

 アンリエッタはそこに腰掛ける。

 ジョゼフは挨拶の代わりに、大きな欠伸をした。

「御早う。アンリエッタ殿」

「御機嫌よう。ジョゼフ殿」

 長いテーブルを挟んで、2人の王は対峙した。

 挨拶らしい挨拶はそれだけであり、直ぐに会談が開始される。

 事前に、本日の訪問については伝えてあるのである。それにしても、型通りの世間話すらもない。議事すらも書記官もない、寂しい会談であるといえるだろう。

 アニエスが、アンリエッタが持って来た鞄から書類を取り出す。其れでも礼を失わ無いジョゼフの元へと赴き、恭しく彼の眼の前に置いた。

 ジョゼフは無造作にその書類を手に取った。乱暴な流し読みで、1枚ずつ紙を捲って行く。顔色1つ変えずこともなく読み終えると、テーブルに肘を突き、アンリエッタへと向き直った。

「凄い提案だな。“ハルケギニア”列強の全ての王の上位として、“ハルケギニア”大王と言う地位を築く。そして他国の王はそれに臣従する……“ロマリア”を除いて」

「ええ。“ロマリア”教皇聖下に於かれては、我等にただ“権威”を与える象徴として君臨して頂きます」

「その初代大王に、余を推薦すると書かれているが、真かね?」

「はい。その条件はただ1つ。“エルフ”と手を切る。これだけですわ。何故貴男が“エルフ”と手を組んだのか? ジョゼフ殿、貴男はこの“ハルケギニア”の全土を我が物にしたいのでしょう? 全ての王として、君臨したいのでしょう? その望みを叶えて差し上げようと言うのです」

「まさに破格の申し出だな。しかし、“ゲルマニア”が首を縦に振るかね?」

「元より王としては、格下ですわ。皇帝、などと烏滸がましくも名乗るのは、卑しい自尊心の表れです。そんな田舎者が、“トリステイン”と“ガリア”と“アルビオン”の連合に意を挟める訳はありますまい」

「驚いたな。アンリエッタ殿。“ロマリア”と手を組んで我が国に侵攻したと想えば、逆の手で我等に連合を持ち掛けるとは! 貴女は大した政治家だ! 見損なっていたよ!」

「御褒め頂き恐縮ですわ。“エルフ”ではなく、私が貴男を“ハルケギニア”の王にして差し上げましょう」

 ジョゼフは笑みを浮かべた。

「目的は何だね?」

 アンリエッタは一瞬、迷いの表情を見せた後、キッパリと言い放った。

「貴男が“エルフ”と手を切れば、“聖戦”はここで止まります。世界を舞い込む戦選り、“無能王”を抱く方がまだ赦せるというモノですわ」

「“ロマリア”に正面から余を打つけるか。毒をもって毒を制す、という訳か?」

「同じ地獄でもまだマシな方を選びたいのです」

 ジョゼフは、満足げに首肯いた。

「政治の本質だな。宜しい。では、こちらも条件を1つ提示したい」

「なんなりと」

「余の妃となれ」

 アンリエッタの目が、大きく見開かれた。

「おや? こちらは正直だな」

 アンリエッタは、唇を噛んだ。この場で初めて見せる強い憎しみを目に宿し、アンリエッタは首肯いた。

「承りました」

「陛下!?」

 隣でジッと聞いていたアニエスが叫んだ。

 アンリエッタはそれを手で制すと、再び首肯いた。

「私で良ければ、喜んで」

 そこには力強い覚悟が満ちていることが判るだろう。

 アニエスは、この“聖戦”を止めるためなら何でもするというアンリエッタの決意が本物であるということをようやく完全に理解した。

 愉しそうにジョゼフは、そんなアンリエッタを眺めていた。が、直ぐに破顔一笑した。

 ジョゼフの笑い声が、晩餐会室に響き渡る。

「うわっはっっは! 本気にするな! 余はこれでも、気小さい方でね。好かれてもな無い女と臥所を共にするなど、できんのだよ」

 アンリエッタは、屈辱で顔を真っ赤にさせた。

 ジョゼフは立ち上がると、アンリエッタの側へと歩いた。その大きな手で、華奢なアンリエッタの顎を掴む。

 剣を抜き放とうとしたアニエスは、音もなく忍び寄って来た“ガーゴイル”に、後ろから羽交い締めにされてしまった。

「女狐ね」

 どこまでも愉しそうな声で、ジョゼフは言った。

「初夜の晩に、余の首を掻き切るつもりであろうが」

 精一杯の虚勢を張り、アンリエッタは言い返す。

「……ご、御慧眼であらせられますこと」

 ジョゼフの笑みが、引き攣るようなモノへと変化した。

「増々気に入った。増々気に入ったぞ。余は貴女を小娘などと侮っていた! とんでもない見損ないだ! 古代の大王達にも引けを取らない策士ぶりではないか! おまけに勇気と覚悟も折り紙付きだ。貴女は良い王になるだろう。アンリエッタ殿」

 ジョゼフは自分の玉座へと取って返すと、再びそこに座り込んだ、ピン、と指を弾く。すると、アニエスを押さえていた“ガーゴイル”が、その腕を解く。

 苦しそうにアニエスは咳をする。

 アンリエッタはチラッとアニエスを見遣った後、口を開いた。

「……では、早速触れを御出し下さい。“トリステイン”と“アルビオン”と“ゲルマニア”を統べる王が後ろにいるとなれば、“ロマリア”はその大義を失うでしょう」

 しかし、ジョゼフは答えない。

「ジョゼフ殿?」

 額に手をやり、どう切り出そうか迷ったような仕草を見せた挙句、ジョゼフは口を開いた。

「んー。だがな。その提案には乗れるのだよ。残念ながらね」

「何が足りないと仰るのですか? “世界(ハルケギニア)”を手に入れてなお、まだ足りないのですか?」

「余がただの欲深い男なら……1も2も無く貴女の提案に乗ったのであろうな。だがな、そうではない。そうではないのだ」

 ジョゼフは首を横に振った。それから、まるで街人の様な伝法な物言いで言い放った。

「俺は別に世界など欲しくはないのだよ」

「どういう意味ですか?」

 心の隙間に不安と云う水が忍び込み、胸の中を満たして行くように、アンリエッタは感じた。子供の頃読んで震えた、他愛もない怪談話が何故かアンリエッタの胸に蘇る。

「だが、読み違えた、などと、自分を恥じる必要はない。貴女の提示した条文は、文句の付けようのない正解だろう。俺にもこれ以上の世界は想い付かぬ。見事の一言だ。ただな……残念なことに前提が違っているのだ。恐らく神であっても、その前提は読めぬであろうよ。唯一、異邦人……こことは違う世界の人間ではない限りな」

「何を仰っているのですか?」

「貴女は先程言われたな? “同じ地獄なら、まだマシな方を選びたい”、と」

「ええ」

「俺はその地獄が見たいのだよ」

「御戯れを」

「戯れではない。俺は単に地獄が見たいだけなのだ。耐えようのない地獄が。誰も見たことのない地獄が。この胸を蝕んで止まぬ地獄が見たいだけなのだ」

 アンリエッタの全身から力が抜けて行く。

 倒れそうになるその肩を、アニエスが慌てて支えた。

 アンリエッタとアニエスの2人には、ジョゼフのその言動の意味が理解らなかった。ジョゼフは虎視眈々と“世界(ハルケギニア)”を狙う欲深い男だと、そう想っていたためである。だから何度も“虚無”を狙い、“エルフ”を手を組み、反乱軍を装って“ロマリア”に侵攻したのだと想い込んでいたのである。

 しかし眼の前の男は違う、とここでようやく2人は気付いた。

 そうではないと言う。

 ただ地獄が見たいだけ、などとアンリエッタを始めほとんどの他の者達からすると理解不能な台詞を、ジョゼフは言い放ったのである。

 だが……それが本気であるということだけは、アンリエッタは痛いほどに伝わって来て、理解した。真顔でそう言うジョゼフの顔は、どこか悲しげですらあったためである。

「だから、“聖地”などと児戯に想える地獄を創り出すことにした。貴方達の活躍の結果だよ。どうせだから見物して行き給え。アンリエッタ殿」

「成る程な。やはり、そうであったか」

「セイヴァー、さん?」

 “霊体化”を解き、俺はアンリエッタとアニエスとジョゼフとシェフィールドの4人の前へと姿を現す。

「どうしてここに!?」

「“陣地作成”が甘いぞ、“ミョズニトニルン”。これでは、“キャスター”の名が泣くではないか」

 俺は、驚くシェフィールドへと言葉を掛ける。

「おお、これはこれは!」

「こうして直に相見えるのは、あの“会議”依頼だな。久し振りだなジョゼフ王」

「そうだな。君の事はミューズから聞いているよ。“代替者(オルタネーター)”……セイヴァーと呼んだ方が良いかな?」

 ジョゼフは、突然姿を現した俺に対し、長年逢うこともなかった親友と再逢したかのように顔をほころばせ言った。

「別に、好きなように呼んでくれて構わないよ、ジョゼフ王。にしても……」

「何だね?」

「いやなに……御前を見ていると……こうして直に逢ってみると、ある男、神父のこtを想い出してしまってね」

「ほう。その男はどういった者なのだ?」

「そうだな……持って生まれた己が性に懊悩し、苦しんだ青年時代を送った男だ。晴れることのない懊悩を抱えたまま、“聖杯戦争”の開始に先立ち、父と親交のあった人物を聖杯戦争の勝者とすべく、“魔術師”として弟子入りした。アゾット剣で師を殺害。万人が美しい感じるモノを美しいと思えない破綻者。生まれながらにして善よりも悪を愛し、他者の苦痛に愉悦を感じる。悪党ではないが悪人。非道ではないが外道。若い頃は自身の本質を理解しておらず、この世には自分が捧げるにたる理念も目的もないと考え、目的を見付けるのが目的、という生き方をしていた。汎ゆることを他人の数倍の努力をもって身に着け、しかしそこに情熱はなく、時が来ればアッサリとそれを捨てて次に挑む、という繰り返しをしていた男のことをな」

「ほう……それは、どこか、妙な親近感を覚えるな」

「だろうな。今の御前は、自分というモノを捜している……いや、御前はどうすれば自分が悲しむことなどができるのか、感情が動くのか模索、探しもがいている。まあ、詰まりは……“愉悦”を知らない、と言ったところか」

「“愉悦”、だと?」

「そうだ。俺もそうなのだがね。“愉悦”とはな、“謂うならば魂の容だ。有るか無いかでは無く、識るか識れ無いかを問うべきモノだ”……“求める所を、為すが良い。其れこそが娯楽の本道だ。そして娯楽は愉悦を導き、愉悦は幸福の在処を指し示す”、とな」

「それを理解していながら、御前もその自身の“愉悦”が判らぬと言うのか?」

「そうだ。意外にも自分のことであるにも関わらず……いや、自分のことだからこそ判らないことだってある」

「興味が湧いた。で、先程の話の男はどういった“愉悦”を識ったのだ?」

「さてな」

「で、その、先程の話の男――神父は最終的にどうしたんだ? どうなったのだ?」

「そうだな……ある世界では、師に送られた短剣を、その師の娘へと渡し、その10年後に正義の味方を夢見る青年によってその短剣で突き刺され死んだ。また別の世界では、世界に破滅をもたらすであろう存在の誕生を促し祝うべく行動した後、例によって正義の味方を夢見る青年によって斃された」

 そんな俺とジョゼフの会話を、アンリエッタとアニエスとシェフィールドはただただ静かに聞き、見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 其の頃……“カルカンソンヌ”。

 最初の晩の才人と昼間の才人はやはり別人であった。夜のことなど何事もなかったかのように、食堂で屈託のなくタバサへと朝の挨拶をした。

 事実、才人は昨晩のことなど知りはしないのである。

「やあタバサ。御早う」

 タバサは本に目を通し、ただ小さくコクリと首肯いた。

 それから直ぐに才人は、“水精霊騎士隊”の中へと交じり、ワイワイと騒ぎ始める。

 ルイズは、ティファニアとシオンと一緒にパンを齧っていた。

 その2人を、コッソリと見詰め、タバサは溜息を吐いた。昨晩の才人は何者かが“魔法”で変装した別人であるということを理解はしているが、それでもルイズに対して申し訳ないと想うのと同時に、何故か嬉しいという感情もまたあったためである。

 タバサは、(もしかして、昨晩のことは夢ではないだろうか?)と考えた。だが……夢ではない証拠に、タバサ自身の首筋には、熱い感触がまだ残っている。才人(?)の唇が(なぞ)った部分が、未だに焼け付くような痛みにも似た熱さを放っているのである。別人であると理解していてもなお、どうしてもタバサの少女としての部分が、それを感じさせ、覚えさせているのである。

 また、タバサが視線を向けると、“霊体化”してはいるイーヴァルディが首肯いていることからも、昨晩のことは現実であったとうことが理解できる。

 いつしかキュルケがやって来て、そんなタバサの隣へと座り込む。親友はタバサの微妙な変化に一瞬で気付いたらしい。とうとう我慢し切れなくなったのだろう、耳に顔を寄せ、小さく尋ねて来た。

「ねえ貴女。そろそろ言いなさいよ。一体何があった訳?」

 タバサは首を横に振った。

「……別に」

 王冠を冠る決意をしたことは……況してや昨晩の出来事などキュルケに話すことができるはずもなかった。

「あたしに隠し事はなしよ。理解ってるでしょうね?」

 タバサは親友からの問い詰めを無視すると立ち上がる。今はそっとして置いて欲しいのである。

 

 

 

 

 

 スッカリ見慣れた“カルカンソンヌ”の街は、朝の陽光に包まれて輝いている。

 そんな陽光の中で、タバサはやっと自分が陽の当たる場所へと出て来られたのだと、だが、それでも未だ影の中にいるという中途半端な状態であるということを理解していた。

 タバサの心は逸り、今はただ夜が待ち遠かった。これから訪れる戴冠より、心の全部を占めていた復讐より、その喜びや戸惑いや疑問などが大きくタバサの心を占めている。

 道端に花壇を見付け、タバサは立ち止まった。

 薄いブルーに色付いた見事な“ガリアアイリス”が、何本も咲き乱れている。殺風景な自分の部屋を想い出し……タバサは1本のアイリスを手折った。自分の髪の色と良く似たブルーの花弁を見詰め、タバサは頬を染めた。

 

 

 

 

 

 その夜も扉は叩かれた。

 タバサは寝息を立てているシルフィードに、更に深い眠りをもたらすべく、眠りの雲の“魔法”を掛けた。

 シルフィードの鼾が大きくなる。

 イーヴァルディは普段通り“霊体化”している。

 もどかしげに、といった様子をわざわざ見せるようにして、音を立てながら移動し、タバサは扉を開いた。

 昨晩と同じ格好の才人(偽)がいて、いきなりタバサを抱き締める。

 タバサはその胸に、思わず顔を埋めてしまった。

 才人(偽)は何も言わずにタバサの顎を持ち上げ、唇を押し当てた。

 タバサは、相手が才人本人でないことから拒否したい気持ちではあったが、どうにか堪え目を瞑る。それから、なされるがままに身を預けた。

 才人(偽)は軽々とタバサを抱き抱えると、ベッドへと横たえさせた。

 テーブルの上の、ワインの瓶に飾られたアイリスに気付き、才人(?)は笑みを浮かべた。

「花なんかどうしたんだ?」

「……だって、この部屋何にもないから」

「こうした方が良いよ」

 才人(偽)は瓶からアイリスを抜き取ると、ソッとタバサの髪に刺した。まるで御下げを1個作ったように、アイリスはタバサの髪に溶け込んだ。

 タバサがはにかんだ様子を見せていると、スッと才人(?)によって眼鏡が取られた。

「……眼鏡」

「ない方が可愛い」

「何も見えない」

「恥ずかしくって、目なんか開けてられないんじゃないか?」

 才人(?)は覆い被さるようにして、タバサに唇を重ねて来た。

 しばらくキスをすると、は立ち上がる。

「……え?」

「そろそろ行かないと。時間がないんだ。大丈夫。心配なことは何もないよ」

 そして、来た時と同じように、才人(偽)は唐突に去って行く。

 後に残されたタバサは、ジッと才人(偽)の背を見送った。

 それから、イーヴァルディへと目を向け、互いに首肯き合う。

 しばらくして、再びドアがノックされる。

 喜び勇んだ様子をできる限り見せるようにしてタバサが扉を開くと、立っていたのはジュリオであった。

 タバサの顔が、自然と目に見えて険しくなる。

「御似合いですよ。シャルロット姫殿下」

 タバサは、思わず頭に手をやった。そこにあしらわれたアイリスを手に取り、瓶へと戻す。

 ジュリオは真顔になると、恭しく一礼した。

「御迎えに参りました。話はサイトから御聞きになっていると想いますが……」

 タバサは、昨晩才人(偽)が「いずれ“ロマリア”の密使がやってくる」と言っていたことを想い出した。

 そして、ジュリオの言われるがままに、タバサは、(白々しい)と想いながらも首肯いた。



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戴冠式

 翌朝……。

 湧き上がる歓声で、才人は目を覚ました。

「何だ……?」

 隣で寝ていたルイズも目を覚ましたらしい。眠たげに目を擦りながら起き上がると、窓を開けた。

 割れんばかりの歓声が部屋に飛び込んで来る。

 壁に空いた穴の所為で、1つ部屋になってしまったマリコルヌとティファニアも目を覚ましたらしい。

「何だこの歓声?」

「一体、何がどうしたの?」

 と言いながら、ベッドから2人は抜け出して来た。

 窓の外を眺めると、この宿を始め“カルカンソンヌ”の建物のほとんどは“リネン川”を眺望に収めるkとができるギリギリの場所に建築っているために、下の様子を一望することができた。

 草原に展開した“ロマリア”軍が、一斉に歓声を上げていたのである。

「何だあれ?」

 マリコルヌが指した。

 “ロマリア”軍の真ん中に、何やら大きな櫓が出現しているのである。というよりも、祭壇のようにも見える。

 才人は、コンサートステージを想起した。

「歌劇でもやるつもりかしら?」

 ルイズが恍けた感想を述べる。

「おいおい、銃と“杖”を突き付け合っている状態なのに、オペラなんかやるかよ」

「理解んないわ。何か説教臭い宗教劇でもやって、相手の士気を削ごうという考えなのかも……」

「そんなもん見せられたら、余計に頭に来るだろ」

 そのうちに、マリコルヌが“遠見”の“呪文”を唱えた。

「おや!? 壇の上に教皇聖下がおられるぞ! 何やら説法でも行う気かな?」

 何やら嫌な予感がした一同は顔を見合わせ、“リネン川”の辺りへとすっ飛んで行った

 途中、騒ぎに気付いた“水精霊騎士隊”の少年達や、キュルケとシオンも合流した。

 だが、タバサとイーヴァルディ、そして後1人の姿がない。

 疾走りながら才人は、「なあキュルケ。タバサはどうしたんだ?」と尋ねた。

「……さあ。あたしもさっき見に行ったら、いないのよ。あの娘、こんな朝っぱらからどこに行ったのかしら?」

 才人の中で、嫌な予感が更に大きく膨れ上がった。

 

 

 

 “カルカンソンヌ”の街から草原に続く会談を駆け下りると、一段と歓声は大きくなった。

 壇上には“聖具”を黒字に白く染め抜いた“聖戦旗”の他に、“ロマリア皇国連合”の国旗もひるがえっている。

 その隣には、“2本の交差した杖”の旗が見えた。

「どういうこと? あれは“ガリア”王の旗よ」

 キュルケが言った。

 その旗の下には、教皇ヴィットーリオ・セレヴァレが立ち、辺りを睥睨している。

 居並ぶ兵隊に閊えて、それ以上進むことができなくなった才人達は、そこで立ち止まって事の成り行きを見守ることにした。

 ヴィットーリオが手を挙げると、“ロマリア”軍から沸いた歓声は唐突に止んだ。それから、一斉に祈りのポーズを取り始める。

 ヴィットーリオは、その形の良い口から、朗々と祈りの言葉を吐き出し始めた。

「何よ。降臨のミサって訳ぇ? 何もこんな所でやらなくても……」

 と、キュルケが呆れた声を上げた。

 ヴィットーリオの祈りは、30分ほども続いた。

 その間、才人達も仕方ないので祈りのポーズを取った。

 祈りが終わると、ヴィットーリオは両手を広げた。

「敬虔なる“ブリミル教徒”の皆さんに、本日はこの私、嬉しい報せを携えて鞠ました」

 ヴィットーリオのその声は、“魔法”で増幅され、向かい岸に展開した“ガリア”軍にも届くように配慮されていた。

「対岸にいる、狂王に忠誠を誓う“ガリア”軍の皆さんにも、是非とも聴いて頂きたい」

 当然、川向うの“ガリア”軍から、野次が飛んだ。

「何だぁ!? 説教なら要らねえーぞ! 間に合ってらあ!」

「とっとと国に帰って豚に祈りでも聞かせやがれ!」

 そのような声に対してもニッコリと笑って無視すると、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「“ガリア”軍の皆さん。貴方方は間違っている。貴方方が王と抱く人物は、この“ガリア”の正統なる王ではありません」

 才人は、直ぐ様ヴィットーリオのその真意と次に出る言葉を理解し、顔色を変えた。

「何だって?」

「貴方方が王として忠誠を捧げている人物は、次期王と目されたオルレアン公を虐し、玉座を奪い取った強盗のような男です。貴方方は、そんな男に忠誠を誓おうというのですか? それは神と“始祖”への重大な侮辱であることを理解して頂きたい」

「そうだとしても、糞坊主め、御前に言われる筋合いはねえや!」

「わざわざ人の国に土足で上がり込んで来た奴の台詞かよ!? 強盗は御前達じゃねえか!」

 ヴィットーリオは、ニコヤカに笑みを浮かべた。

「私は強盗ではありません。貴方達を支配するためにこの地にやって来た訳でもありません。それどころか、貴方方の祖国に正統な王を戴かせるためにやって来たのです。神と“始祖”の僕たる私は、異教徒と手を組んだ貴方方の王を、王と認める訳にはいかないのです。それは、敬虔なる“ブリミル教徒”である皆さんも、良く御存知のはずです」

 才人は、駆け出そうとした。

 ルイズ達も事ここに至って、真実に気付いた。

 だが、直ぐに“聖堂騎士隊”が現れ、才人達を羽交い締めにした。

「騒ぐな! 聖下が御話されておるのだ!」

「貴方方が抱くべき、正統な王を御紹介いたします。亡きオルレアン公が遺児、シャルロット姫殿下です」

 壇の下から、神官達を取り巻きにして、タバサ――シャルロットが現れた。いつもの“魔法学院”の制服ではなく、豪奢な“王族”としての衣装を着用に及んでいる。眼鏡を取ったその顔には、薄く化粧さえ施されていた。

 いつもとは違うその姿は、タバサの無表情の仮面の下に隠された高貴さを、否応なしに盛り上げ、比類なき“ハルケギニア”の姫の1人へと仕立て上げている。

「タバサ!」

 キュルケが怒鳴った。

 だが、その叫ぶは歓声に掻き消されてしまい、壇上のタバサには届かない。

「シャルロット様だと?」

「まさか!? あの折に暗殺されたはずでは?」

「いや、身分を剥奪されて“トリステイン”に御留学されたと聞いたが」

 “ガリア”軍から、そのような驚愕や戸惑いなどの叫びが届く。

「偽物を用意してどうしようというのだ!?」

 怒りに我を忘れ、そう叫んで中洲まで飛んで来たのは、いつぞやそこで才人と手合わせをしたソワッソンであった。

「今は亡きオルレアン公の遺児を騙るとは! 不届き千万! 我々をそこまで愚弄するか!?」

「では、偽物かどか、確かめられてはいかがかな?」

 堂々とヴィットーリオにそう言われて、何人かの“貴族”達が名乗りを上げた。いずれも、かつてシャルロットを知る“貴族”達である。

 ソワッソンを始めとする彼等は小舟で“ロマリア”軍の陣地までやって来ると、壇上に引き上げられた。

 凡そ10人ほどの“貴族”達は、ジッとタバサを見詰めた。長い時間見詰めた後……1人の“貴族”が“杖”を取り上げる。“ディテクト・マジック”を唱え、何らかの“魔法”を掛けられていないかどうかを確認すると、彼等は一斉に膝を突いた。

 ソワッソンが、絞り出すような声で呟く。

「御懐かししゅう御座います……シャルロット姫殿下!」

 割れんばかりのどよめきが、“ガリア”軍の中から沸いた。

 思わず川の中洲に飛び出して来た“貴族”達の中には、カステルモールの姿もある。

 彼は鉄仮面を毟り取ると、腕を振って叫んだ。

「私は“東薔薇騎士団”団長、バッソ・カステルモールと申す者! 故あって傭兵に身を窶していた次第! 私はここにシャルロット様を玉座に迎えての、“ガリア”義勇軍の発足を宣言する! 我と想う者はシャルロット様の元へと集え!」

 “ガリア”軍は、当然のことながら混乱した。突然の展開に、頭が着いて行っていないのである。

 戦いの大義がぐらつき始めた“ガリア”軍に止めを刺すべく、ヴィットーリオは口を開いた。

「忠勇なる“ガリア”軍の諸君。君達の聡明で勇敢な頭脳で考え給え。君達の無垢で善良なるその良心に問うのだ。この旧い、由緒ある王国に相応しい王は誰か? “リュティス”で今もなお惰眠を貪る、弟を殺して冠を奪った“無能王”か? それとも……」

 ヴィットーリオは右手を、シャルロットの肩に添えた。

「ここにおられる、これからの聖エイジス32世自らが戴冠の儀式を執り行う予定の、才気溢れる若き女王か?」

 何人かの“貴族”や兵士が、川辺りに立つカステルモールの元に集まって来た。

 だが……流石に全軍が雪崩れ込むという事態になることはにあ。皆、あまりの出来事に思考が停止してしまっているのだから。

「良く考え給え。時間はある。だが、無限という訳ではない。今にここに“両用艦隊”がやって来る。シャルロット女王陛下となられた国王を御乗せして、盗賊から“リュティス”を奪い返すために、“始祖”と神の僕たるこの私が認めた真の国王を、玉座に座らせる他に、貴方達は、賊軍の汚名を被りたいのか?」

 未だ多くはないとはいえ、カステルモールの元へやって来る兵士、“貴族”の数は次第に増え始めた。

 “ガリア”軍の至る所で議論が発生し、騒ぎは加速度的に大きくなって行く。“杖”を抜き合う様もあちこちで見受けられる。

 才人は、(タバサが? どうして?)と震えながら見詰めた。(畜生。“ロマリア”が上手いこと言ってタバサを騙したんだ。そうに違いねえ。どんな卑怯な手を使ったのか知らねえけど、とうとうタバサの心変を引き出したんだ)と想った。

 “ガリア”軍の間に奔る動揺は目に見えて大きくなって行く。

 このままでは、“ロマリア”教皇の思い通りにことが進むであろう。アンリエッタがどれだけの計画を提げて現れようが、一旦着いた勢いはもう誰にも止めることはできない。できるとしても、それは至難の業である。

「……これでは“ガリア”は“ロマリア”のいいなりになってしまうわ。そうなったらもう、“聖戦”は止められない」

 ルイズが悔しそうに呟く。

 今、“聖堂騎士”達を振り払い、タバサに駆け寄って考えを改めさせようとしても、もう遅いであろう。時既に遅しという奴だ。

 転がり始めた大きな岩を止める術は、ないのである。

 賽は投げられてしまい、杖は振られてしまったのである。

 ヴィットーリオは、南西の空の一点を指した。

 そこに、空を圧する大艦隊が見えた。

「何ちゅうタイミングだよ。バッチリじゃねえか」

 才人が、額に汗を浮かべて呟いた。

 

 

 

 旗艦“シャルル・オルレアン号”に座上した艦隊司令クラヴィルに、傍らの艦隊参謀であるリュジニャンが呟いた。

「まさか、本当の反乱艦隊になってしまうとは、目紛るしく変わる昨今の政治状況は、まさに猫の目ですな」

 皮肉も何も混じっていない、素直なリュジニャンの感想であった。

 クラヴィルは、日焼けした肌に白く光る口髭を扱きながら、「今の我等は、反乱艦隊、ではないぞ。紛うことなき“ガリア王国両用艦隊”だ」と言った。

 ほんの数週間前までは、彼等はその“ガリア王国両用艦隊”であった。それがジョゼフの意により偽の反乱艦隊となり、次いで陰謀の失敗と“聖戦”に対する恐怖から本物の反乱艦隊へと変化を遂げたのである。そして今……正当な王を用意した、と教皇聖下から聞かされ、再び“ガリア両用艦隊”へとその名を戻したのである。

 教皇ヴィットーリオ・セレヴァレが、“サン・マロン”でくすぶる“両用艦隊”に出航を命じたのは昨日のことであった。

 反乱軍とはいえ、謂わば成り行きのことであるのだ。

 どうにもかつての同胞に艦砲を向ける気にならなかったクラヴィルがようやく重い腰を上げたのは、その報が理由であった。

 正統なる王を首都に運ぶ。

 これならば大義もある、といえるだろう。

 事ここに至ってなおジョゼフから離れない連中を同胞と見做す必要もないであろう、とクラヴィル達は判断したのである。

「1周しましたな。後世の劇作家も、実に扱いに困るでしょうな。これほどコロコロ名前を変えられたのでは……ですが、本当に“ロマリア”めはシャルロット様を見付け出したのでしょうか? まさか、偽物を用意した、などと言う落ちは無用に願いたい」

「本当だろう」

 クラヴィルは首肯いた。

「城下では。暗殺された、などと言う噂が立って置ったが……どうやら外国に追いやられていたらしい。それから、どこぞの城に幽閉されたとの話を小耳に挟んだが……御健在を聞くに、上手く御逃げになられたようだな」

「“ロマリア”の手引きですかな?」

「こうなってみると、そうかもしれんな。シャルロット様は良く良く運の御強い方と見える」

 かつて己の艦隊が、「そのシャルロット様に、救われたことがある」などと、夢にも想わぬクラヴィルは言った。彼は、シャルロットと名乗っていた頃のタバサに目通りする機会がなかったのである。

「果てさて、由緒正しき“ガリア王国”は、とうとう“ロマリア”の庭となるのですかな。かつて我が祖国を部隊に暴れ回ったかの“大王ジュリオ”より偉大ですな、教皇聖下は。何せ、大王ジュリオが“ガリア”の半分を手に入れただけでしたが、あの御若い教皇はその全土を手中に収めようというのですから」

「ふん。国王の手綱を誰が握ろうが、あの“無能王”よりはマシだ。あいつめ、“エルフ”と手を組み、“サン・マロン”で怪しげな研究を行っておった。その結晶があの騎士人形だ。今も“リュティス”でどんな悪巧みをしておるのか、知れたモノではないわ。悪魔め! どこぞなりとおちぶれて勝手なことをするが良い! それとも本物の地獄に送ってやろうか!?」

 憎々しげに、クラヴィルは呟く。今や彼は、自分がその“無能王”の陰謀に乗り、神と“始祖”を裏切ろうとしたことなど忘れていた。

「父君の名が冠された“フネ”に乗り込み、シャルロット様は“リュティス”に凱旋されるのだ。これこそ御無念が晴らされるというモノだろう。その御手伝いができる。何とも名誉なことだとは想わんかね? 子爵」

「ははぁ、それはそれは名誉なことですな」

 気のない調子で、リュジニャンは答えた。

「お、そろそろ“カルカンソンヌ”が見えて参りましたぞ。何度見ても、何故あのような場所に街を開く気になったのか、実に正気を疑う様をしておりますな」

 直線距離で10“リーグ”ほどの眼下に、うねりながらその身を横たえる“セルパンルージュ(赤蛇)”を目にして、リュジニャンが言った。

 その側を流れる“リネン川”を挟み、対峙する“ロマリア”と“ガリア”両軍の姿も見える。

 計画では、戴冠を終えたシャルロット女王陛下を座上させた後、国王旗を掲げ、なお恭順を示さない“ガリア”軍残党に艦砲を向ける手筈である。流石にそれで、残った理解らず屋も手を挙げるであろう。それでも残る者を、遠慮なく叩き潰した後、丸裸になった“リュティス”に乗り込む……。

 訓練航海より楽な任務であるといえるだろう。

 だが……悲劇は突然訪れた。

 マストに攀じ登った見張りの水平が何かを見付けたのである。

「左上方! 何やら飛んで来ます!」

「何やらとは何だ? そんな報告があるか!」

 副長が叱咤する。

「“竜”? いえ、“竜”じゃありません! あれは……“ガーゴイル”?」

 要領を得ない報告であった。

 クラヴィルとリュジニャンもまた、そちらへと目をやった。

 奇妙な翼を羽撃かせた“竜”らしきモノが飛んで来ているのである。良く見るとそれは、“ガーゴイル”であることが判る。“竜”と見間違えたのも無理はないといえるだろう。“ガーゴイル”にしては、その動きが速過ぎるのだから。

「何だあれは? 偵察か?」

 クラヴィルは、(それとも何か密書を届けに来た伝令だろうか?)と思い、見詰めた。

 その灰色の、魔除けの意味で悪魔の形に造られた“ガーゴイル”は、甲板にやって来ようとはせずに、何故か艦隊の下へと潜り込む。

 嫌な予感を覚えたリュジニャンは、大声で命じた。

「あいつを叩き落とせ!」

 だが、その命令は間に合わなかった。

 ピキッッッ……!

 卵の殻に罅が入るかのように、“ガーゴイル”が握り締めた“火石”の表面に亀裂が走る。

 ジョゼフの“エクスプロージョン”によって刻まれた目に見えない傷により、脆くなっていた結界が、とうとう内から溢れようとする火の力を押せられなくなったのである。

 無理もないであろう。

 森を燃やし尽くすほどの熱量が、わずか5“サント”の結界の中に押し込まれているのである。

 亀裂の隙間から噴出した炎は、音もなく凄まじい速度で膨張する。ほんの一瞬で、炎の玉は直径にして100,000倍もの大きさへと膨れ上がった。

 “両用艦隊”の先頭数十隻に乗り込んでいた士官水平達は、悲鳴を上げる間もなく、その巨大な炎の玉に呑み込まれてしまった。

 炎の玉は、“両用艦隊”の半分もの艦を、まるで紙屑のように燃やし尽くす。

 搭載した火薬に引火して、耳をつんざくような爆発音が、空に幾つも鳴り響いた。

 残りの艦も、巨大な炎に煽られ、被害を受けてしまった。

 地獄が、そう表現のできるモノが出現したのであった。

 

 

 

 

 

「何が半径10“リーグ”だ。今のは5“リーグ”ほどではないか」

 小型のフリゲート艦に乗り込み、遥か彼方の光景を眺めていたジョゼフが呟く。

 隣に控えたシェフィールドが、主人の不満の言葉に答えた。

「只今使用したのは、1番小さな石ではありませんか。ビダーシャル卿は、こちらの2番目の大きさのモノを指して言っていたはず」

「そうだったな」

 ジョゼフは頭を掻いた。

 後手に縛られたアンリエッタは呆然として事の成り行きを見詰めていた。

 ジョゼフの「地獄を見せてやる」といった言葉の意味を、やっとの事でアンリエッタは理解することができた。

 アンリエッタの眼の前に広がるそれは全くの比喩ではなく、直接的な意味での地獄であるためである。

 アンリエッタは、“両用艦隊”の半分を一瞬で燃やし尽くした炎の玉を見て震えた。

 アンリエッタは、かつて似たようなモノを“タルブ”で見たことがあった。“タルブ”の戦での折に見た、ルイズの“エクスプロージョン”である。

 “アルビオン”艦隊を墜落に追いやったあの“魔法”も、似たようなモノでありはしたが……規模と威力とその凶悪さは全く違うといえるだろう。

 ルイズの“エクスプロージョン”は、“フネ”の積んだ“風石”を消滅させ、マストを燃やしたものの、人を殺しはしなかった。

 対して、ジョゼフが行ったモノ……。

 小型の太陽というのは、今のようなモノを指していうのであろう。

 アンリエッタは、震えながら心の中で呟いた。半径5“リーグ”もの大きさの火の玉など、アンリエッタは想像すらしたことがなかったのである。

 剣と銃を奪われ、やはり後手に縛られたアニエスもまた同じ感想を抱いたらしい。鉄のよう、と評された彼女が、目を瞑って少女の様に怯えている。

「貴男は……何と云う事をしたのですか?」

 アンリエッタの目から、涙が溢れた。

「あの艦隊に、どれだけの将兵が乗っていたと御想いになるのですか?」

「少なくとも、このちっぽけな“フネ”よりは多いだろうな」

 ジョゼフは笑いながら言った。

 あのような光景を目にしてなお笑うことができる神経が、アンリエッタとアニエスには全く理解できなかった。

「中々の威力だな……」

「そうだろうとも。何せ火の力を凝縮させた“火石”を爆発させたのだからな。あが、これではたりないな」

「何がたりないと言うのだ?」

「力も感情も……御前とやり合うにはまだまだたりない。まるでたりない。御前は、俺の人生の中で……シャルルと同じくらい、いや、それ以上の指し手だ。それは、この世界について既に識っているからか?」

「そうだな。俺は既に未来を観ている。過去も、今も、未来も……まあ、借り物の力ではあるがな」

 地獄のような光景を前にしながら、俺とジョゼフは会話をしていた。

 このフリゲート艦には、ジョゼフとシェフィールドと、アンリエッタとアニエス、そして俺、それ以外の人間は乗り込んでいない。

 “フネ”を動かしているのは、沢山の“ガーゴイル”である。シェフィールドは、“ミョズニトニルン”として、“キャスター”としての力を利用して、“ガーゴイル”をベテランの水兵で在るかのようにキビキビと動かさせ、“フネ”を操らせているのである。

 これだけの数の“ガーゴイル”を一斉に動かすなど、どれだけ手練の“メイジ”であろうとも無理であろう。それは、シェフィールドが、“ミョズニトニルン”であり、“キャスター”であるからこそできる芸当であった。

「では、こいつの大きさを試そうか」

 ジョゼフは、「此方の2番目の大きさ」と言われた“火石”を取り出す。

「貴男が……“ガリア”の“虚無の担い手”、そして“キャスター”達の“マスター”だったのですね?」

 朗々と……ルイズと同じ“呪文”を口にするジョゼフを見て、アンリエッタは“ガリア”にいる“虚無の担い手”が、ジョゼフであることを確信した。

 同じ“呪文”を唱えているというのに、まるで違って聞こ得て来る。

 いつか聞いたルイズの“呪文”には、希望が満ちていた。明日を変えることができるだろう勇気を感じさせた。

 だが、ジョゼフが唱えるこの“呪文”は“スペル”こそ同じではあるが、そのトーンには、そういったモノが欠片も含まれていない。喩えていうのであれば、絶望であった。何かを諦めたような、そのような響きを伴っているのである。

 その絶望は、何故かアンリエッタの心を幾分か和らげ、どうにか正気の世界へと繋いでくれていた。

 混乱した状態で、(どちらが本当の“虚無”なのかしら?)とアンリエッタは今となってはどうも良いといえることを考えてしまった、

 “呪文”を完成させたジョゼフは、手にした“火石”に向けて“杖”を振った。

 威力を調整された“エクスプロージョン”の“呪文”は、強固な“エルフ”の結界に、わずかな亀裂を入れた。

 ピチチチチチチチ、と“火石”が耳を覆いたくなるような振動を開始する。中に、ギュウギュウに押し込まれた、火の力が出口を見付けて暴れているのである。

 我に返ったアンリエッタは、俺に言葉を掛けることもせず、ジョゼフの元へと駆け寄り、その手に噛み付こうとした。

 だが、呆気なく“ガーゴイル”に飛び掛かられてしまい、甲板に組み伏せられてしまう。

「折角、誰も見たことがない地獄を見せてやろうというのに、何を考えているのだ? いや、御前は見たことがあるか?」

「いや、今のところないな」

「貴男は本物の狂人だわ!」

 ジョゼフに対し、アンリエッタは叫んだ、

 “カルカンソンヌ”に展開した“ロマリア”軍の中には、ルイズやティファニアを始め、“水精霊騎士達”の少年達がいる。そして才人も……。

 アンリエッタが、彼等に知らせずに“ガリア”に乗り込んで来たのは、迷惑を掛けたくなかったためである。アンリエッタがアニエスと2人だけで“リュティス”に赴いたと知れば、彼等は危険を顧みず、“リュティス”に乗り込む可能性は高い。それは、タバサが捕らわれた時のことから、簡単に想像することができた。

 だが、その判断が裏目に出てしまったのである。

 ジョゼフがこのような、ほとんどの者達からして凶悪な技を……“先住”と“虚無”を組み合わせた、凄まじい力を誇る“魔法”を使うことなど、アンリエッタを始めほとんどの者達は想いもしなかったのである。それはもう、アンリエッタの想像を遥かに超えていたのであった。

「どうせなら、俺は狂いたかったよ。せめて狂えれば、まだしも幸せだったろうに」

 自嘲の響きを含んだ声でそう呟くと、ジョゼフは“火石”を無造作に舷外へと放る。

 すると待ち構えていた“ガーゴイル”が、その“火石”をキャッチして、飛び去って行く。

 アンリエッタは、心の中に黒い絶望が満ちて行くのを感じた。

 己の心に生じた、(せめて狂いたい)というそのような誘惑を断ち切るように、アンリエッタは大声で叫んだ。

「逃げて! 皆! 逃げて!」

「大丈夫だ。大丈夫。あの“火石”の爆発も、先程の爆発でも、死人はでない」

 俺は、そんな取り乱すアンリエッタへと、静かに強く言った。

 

 

 

 

 

 遥か南西の空に現れた“ガリア両用艦隊”が、突然大きな火の玉に包まれるのを見て、“リネン川”に布陣した両軍は、一斉に言葉を失ってしまった。

 炎の玉はまるで太陽のように膨れ上がり、唐突に消えた。

 その場にあったはずの数十隻の艦も、跡形もなく消えてしまっていた。燃え尽きたのだと理解するのに、何な聡明な人物であろうとも数十秒の時間が必要であった。

 何が起こったのかを理解することすらもできずに、全軍は呆然と立ち尽くした。

 数分後、先程より大きな火の玉が現れ、生き残りの“両用艦隊”が余さず燃やし尽された時に、やっとのことで恐慌が発生した。

 “ロマリア”、“ガリア”両軍の兵士達が、算を乱して逃げ出し始めたのである。

 敵のモノであろうが味方のモノであろうが、両軍にとってはどちらも大した問題ではなかった。湧き上がる、動物としての本能的な恐怖だけが全両軍を支配しているのである。

 だが、どこに逃げようというのであろうか。半径10“リーグ”にも達するような巨大な火の玉から逃げ出すことなど、この場にいるほとんどの者達にとって、どうにも叶わぬ相談であった。

「何だよあれ……?」

 四方八方に逃げ出す将兵の中、才人は呆然と呟いた。

 “水精霊騎士隊”の少年達は、薄い笑いを浮かべて顔を見合わせた。あのような巨大な火の玉は、冗談のようにしか想えなかったのである。

 ルイズが、そんな才人の肩を揺さぶった。

「“虚無”よ! あれは“ガリア”の“虚無”! 間違いないわ!」

「あんな“魔法”があるのか? 太陽が落っこちて来たみたいじゃねえか!」

 呆然と呟く才人の頬を、ルイズは張った。

「しっかりして! 今にここもああなっちゃうわ! 兎に角逃げましょう!」

 ルイズのその言葉で、我に返った少年達が駆け出した。

「逃げるぞ! サイト!」

 その時、ガバッ! 青い影が飛び降りて来て才人とルイズとシオンの3人を掴むと、再び上昇して行く。

「シルフィード!」

 眼下を眺めて、才人は叫んだ。

「おい! 俺達だけ救けてどうする!? 皆を逃がさないと!」

「どこに逃げるのね!? きゅい!」

 シルフィードは叫んだ、

 事実、その通りであった。“魔法”を使おうがどうしようが、先ず、あれほどに巨大な火の玉から逃げることなどできやしないのである。余程大きな力を持つ存在か、同じ力を持つ存在でないと対抗することはできないであろう。

「あれは……あれは“精霊の力”の解放なのね! 恐らく“火石”が爆発したのね! 人間達の“魔法”じゃ、手も足もでないのね! きゅい!」

 焦った声で、シルフィードは叫ぶ。

「どうすりゃ良いんだ!?」

「それを止められるのは、貴方達“虚無の担い手”と“サーヴァント”だけなのね! 今の御姉様には無理なのね!」

 シルフィードはその視力で、大空を捜索し始めた。ヒトとは比べモノにならない視力を持つ“風竜”であるシルフィードは北東の方角で遊弋する1隻のフリゲート艦を見付けた。

「あそこなのね!」

 混乱の中、飛び行くシルフィードの意を理解したのだろう、“ペガサス”に跨った“聖堂騎士”が何騎が飛び上がる。

 “ペガサス”を従え、“虚無の担い手”を抱き、シルフィードはジョゼフ元へと急行した。



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夢迷宮の出口

 己の放った“火石”が、弟の名を冠された“フネ”を旗艦とする艦隊を跡形もなく焼き払った時も、ジョゼフは何らの感慨もその顔に浮かべなかった。いや、浮かべることも、抱くこともできなかったのである。

 ただ、つまらなさそうにジョゼフは呟くのみである。

「あの艦隊を整備するのに、幾ら掛かったのであったかな?」

「“両用艦隊”は、10年前、“アルビオン”艦隊に対抗するために配備が開始されました。5年かもの間、大凡国家予算の半分を投資して建造されたと聞いております」

 シェフィールドが、淡々と答えた。

「それほどの大金が、わずか数分で灰と消えたか。呆気ないモノだな」

「御心が……痛みますか?」

「困ったな。父に勝手貰った玩具の船を池で失くした時の方が、余程心が痛んだわ。そうそう、シャルルと何度競争させたかしらんが、終ぞ俺が1度も勝てなかったな」

 “ガーゴイル”に身体の自由を奪われたアンリエッタが、苦しそうな声で水を差した。

「あれだけの艦隊……何人の……何人の人間が乗り込んでいたと御想いですか? 10,000、いいえ、数万です。貴男はそれだけの数の人間を、一瞬で灰にしてしまったのです。それを、それを池で失くした玩具に喩えるとは……悪魔でさえ、貴男の前では慈悲深く見えることでしょう」

「御前に何が理解る? 御前に、俺の心の深い闇の何が理解る? 輝かしい勝利の中、全てに祝福されながら冠を冠った御前に、一体俺の何が理解るというのだ?」

 ジョゼフは憎々しげに、アンリエッタを踏み付けようとした。

「それは止めておけジョゼフ。アンリエッタを踏んだところで、御前の心に何かが生まれる訳もない。なあ、アンリエッタ。こいつは、ジョゼフはただ……」

 俺の言葉にジョゼフは足を止め、アンリエッタは下を向いた。

 これから起こるであろう悲劇を前にして、とうとうアンリエッタの心は哀しみに押し潰されてしまったのである。心を支えていたある種の絶望が折れれ、感情の奔流が流れ込み、アンリエッタは涙を流した。

「悲しんでおるのか? 御前は……胸が痛むのか? 羨ましいことだ」

 ジョゼフはアンリエッタの頬を、掴み、持ち上げた。

「御前のその哀しみを俺にくれ。俺にくれよ。そうすれば、御前の望むモノを何でもやろう。全てだ。この王国も、世界も、全てを御前にくれてやろう」

「神よ……どうか、どうかこの男を止めてください。後生です。世界がなくなってしまう前に。全てが灰に沈む前に……」

「成らば神に見せてやろう。その世界が、灰になる様をな」

 ジョゼフは“火石”の最後の1個を、シェフィールドから受け取った。

 それは今までの2つより一回り大きい粒であった。

 ジョゼフは愛おしげに、其の“火石”を手の中で持て遊んだ。

 透明な器の中に蠢く火の結晶が妖しく輝き、ジョゼフの掌を彩っている。

 これを地面に向けて使えば……半径10“リーグ”以上の土地が、ただの焼け野原になることは容易に想像できるだろう。草も木も、人も動物も……地上に動くほとんどを燃やし尽くし、ただの塵へと還すことができるだろう。

 今もなおジョゼフに忠誠を誓う軍も、シャルルのただ1人の娘であるシャルロットも、その中には含まれる。

 ジョゼフはその情景を想像し、(俺は泣けるだろうか?)と何度も己に問うたその質問を、心の中で呟いた。それから、(今度こそ、俺は泣けるだろうか? 世界を燃やし尽くした後に……それでもなお涙が流れぬとすれば……俺はどうすれば良いんだろう?)と考えた。

 そこにあるのは……漠然たる、字義通りの虚無の世界であった。涙も、虚しさも、空しさも、哀しみも、悲しみもない、ただのゼロであった。

 アンリエッタに言われずとも、ジョゼフは理解していたのである。

 ジョゼフは、涙を流して悲嘆に暮れるアンリエッタを見下ろしながら、(別にそんなモノは見たくない。ただ……俺は……)と想い、次いで俺へと視線を向けた。そして、(俺を止めることができるのは……シャルルとこの男くらいのモノだろう。あいつの悔しそうな……俺に対する劣等感が欠片でも見えたら……俺はこんなことをしなくて済んだのに)とも想った。

 だが、神であっても無理な相談であった。シャルルはもう、この世にはいないのだから。逢うことができる可能性があるとしても、それは“サーヴァント”を始めそういった霊魂となった状態のシャルルと逢うくらいしかできないであろう。そして、この“聖杯戦争”中には無理であろうということもまた、ジョゼフは理解していた。

 ジョゼフには理解っていた。本当は知っていた。世界を灰に変えようが、己が涙を流すことなど、ありえぬ、ということに。

 だが、一抹の望みを覚えずにはいられないのもまた事実であった。

 他に、ジョゼフには方法が想い付かないのである。

 絶望を世界に撒き散らすジョゼフを動かすのは……希望、であった。他の人々が抱くそれとは違った、闇色の希望だけが、ジョゼフを前に歩かせているのである。その巨躯を支えて。

 ジョゼフは、再び“虚無”の“呪文”を唱え始めた。

 今度の“火石は”粒が大きい。結界よりも強力である。かなりの力の“エクスプロージョン”でなければ、傷を付けることは適わないであろう。

 その時。

 “フネ”が揺れた。

 ジョゼフは空の一方向を見遣る。

 青い鱗を煌めかせた“風竜”

 が、“ペガサス”を何騎も引き連れ、急速な勢いで此方へと向かって来るのが見える。

 どうやらその“ペガサス”に跨っている1騎の“聖堂騎士”が、このフリゲート艦に向かって“風魔法”を唱えたらしい。

 シェフィールドが主人の“詠唱”時間を稼ぐべく、幾体もの“ガーゴイル”を放った。“ミョズニトニルン”に操られ、その性能の限界まで引き出された“ガーゴイル”は、不粋な闖入者へと襲い掛かる。

 あちこちで、“ガーゴイル”と“聖堂騎士”の空中戦が始まった。

「さ、ジョゼフ様……」

 ジョゼフは再び“詠唱”を開始しようとした。

 が……その瞬間、眼の前で起こった爆発でジョゼフは吹き飛ばされた。後ろに吹っ飛び、フリゲートの舷縁に叩き付けられてしまう。

「ぐむ……」

 “火石”がジョゼフの手から離れ、甲板の上を転がった。

 爆発は甲板の上で、アンリエッタを押さえ付けていた“ガーゴイル”をも吹き飛ばした。

 突然自由になったアンリエッタは、甲板に転がる“火石”に気付き、それを口に咥えた。

 アンリエッタが振り返ると、“風竜”に跨ったルイズと才人とシオンが見えた。

 今の爆発は、ルイズの“呪文”によるモノだろうということが判る。

 アンリエッタは、(有難う)と心の中で呟き……甲板から身を踊らせた。

「姫様が!?」

 落下するアンリエッタを見て、ルイズが叫ぶ。

 纏わり付く“ガーゴイル”を振り払い、シルフィードが急降下する。その口に咥えようとした瞬間……素早く飛んで来た“ガーゴイル”に、その身体を横取りされてしまった。

 アンリエッタが口に咥えた“火石”を、鉤爪の付いた手で毟り取ると、もう用はないとばかりに、“ガーゴイル”はアンリエッタのその身体をポイッと放り捨てた。

 そのアンリエッタの身体を、シルフィードがやっとの想いで咥え上げた。

「御無事ですか!?」

 再逢を喜ぶ暇もなく、ルイズが叫んだ。

 シルフィードの背に持ち上げられたアンリエッタは、蒼白な顔で叫んだ。

「私選りも! あの“火石”を! 早く!」

 ルイズは首肯くと、再び“詠唱”し始めた。

 “エクスプロージョン”だ。

 先程放ったばかりであるために、余り大きなモノは撃つことはできない。あれが、限界であったのだ。この“聖戦”で、ルイズは“魔法”を使い過ぎていたのである。

 それでも必死に“精神力”を振り絞り、“虚無”の“ルーン”をルイズは口遊む。

 だが……やはり十分な威力を発揮できるところまで、“詠唱”は続かない。

 “聖堂騎士”が押さえ切れなかった“ガーゴイル”が、何体も現れ、シオン達に襲い掛かり始めたのである。

「――きゃあ!?」

 アンリエッタとルイズが悲鳴を上げる中、才人は近寄って来た“ガーゴイル”目掛けて“AK小銃”のトリガーを引き、シオンは“魔術”の1つである“ガンド”を放つ。

 才人が持つ“AK小銃”による3点の連射で、“ガーゴイル”の頭部は撃ち抜かれて行く。だが、あっと言う間に弾が切れてしまう。弾倉はこれで最後だったのである。

 シオンは、“ガンド”でどうにか近付けないようにし、上手く当たった“ガーゴイル”は地上へと落下して行く。

 空の上では、剣は役に立たないため、才人は歯噛みした。

 取り敢えず自分達の身を守るために、ルイズは“エクスプロージョン”を使わねばならなかった。小規模な爆発が、シルフィードの周りに響き、“ガーゴイル”を吹き飛ばす。

「早く! ルイズ! あの狂った男を止めるのです! 然もないと……然もないと全てが灰になってしまいます!」

 アンリエッタが叫んだ。

「俺が行く。シルフィード、あの“フネ”の甲板の上に出てくれ!」

 きゅい、と一声鳴いて、シルフィードが了解の意を示した。

 ルイズは小さなフリゲート艦を見詰めた。

 ちっぽけなフリゲート艦に乗った、者達によって、あの“両用艦隊”は灰になったのである。眼下、合計150,000以上もの“ロマリア”と“ガリア”両軍、そして民達は、今まさにその“両用艦隊”と同じ運命を辿ろうとしているように想わせる。

 “先住”の“魔法”。

 “始祖”が決して勝つことができなかったとされるその力。

 そして、それに“虚無”が組み合わさった時の破壊力……。

 その真の恐ろしさに、ルイズは恐怖した。

 

 

 

 甲板の上に、“詠唱”を続けるジョゼフの姿が、才人には見えた。

 その周りは、“ミョズニトニルン”であるシェフィールドが操る数十体もの“ガーゴイル”が守っている。

 初めて間近で見る、ジョゼフの姿であった。

 タバサと同じ青い髪……その大柄な身体。見た目は美しい。まるで彫刻のような美丈夫であった。

 その男の口からは、“呪文”の言葉が吐き出されて行く。

 皮肉なことに、その“詠唱”を聞いていると才人の心に勇気が漲って行く。自分の身体のその反応を、才人は嫌悪した。

 あの“詠唱”が完成されたらどうなってしまうのか。

 才人は、先程の火の玉を想い出し、背筋に氷の棒を突っ込まれでもしたかのような気分になった。

 シルフィードから身を踊り出し、才人は甲板へと着地した。

 間髪入れずに、シェフィールドが操る“ガーゴイル”が、才人へと襲い掛かって来る。

 “ガーゴイル”は、羊のそれのような角を生やし、筋骨隆々の肩を持ち、蝙蝠の翼を持った、禍々しい姿をしている。

 その“ガーゴイル”の姿に、才人は、ジョゼフの本質を見たような気がした。

 才人の心が、(こいつがこの心が……あの火の玉を生み出した!)と震えた。

 左手甲の“ルーン”が光り出す。

 才人は襲い掛かって来た“ガーゴイル”を、横殴りの要領で斬り払う。

 1匹の“ガーゴイル”は胴を両断され、甲板に転がった。

 1匹の“ガーゴイル”を跳ね除けたデルフリンガーで縦に斬り裂き、振り下ろす剣筋で別の1匹の頭を叩き割る。

 何な達人であろうとも見切ることができないほどの、高速の振りである。見切ることができるモノがいるとすれば、“サーヴァント”やそれに準ずる存在、また、それに匹敵する存在くらいであろう。

 怒りが沸点に達した才人の動きは切れ味鋭く、次々に“ガーゴイル”を斬り裂いて行く。数十体もの“ガーゴイル”は、僅か十数秒ほどの間に、全滅した。

「御前の武器はなくなったみたいだな」

 才人は、デルフリンガーを構えたまま、油断なくシェフィールドへと近付いた。

 だが……絶体絶命とも思えるシェフィールドの笑みは消えない。

「なッ!?」

 次に才人が目にしたのは……恐るべき光景であった。

 猟団され、転がった“ガーゴイル”の上半身と下半身が近付き、粘土人形のように繋がり、再び立ち上がったのである。

 ジョゼフの前に立つシェフィールドは、眩いばかりの妖艶な笑みを唇に浮かべてみせた。

「この“ガーゴイル”はただの“ガーゴイル”じゃない。“水”の力に特化させたんだよ。“ヨルムンガント”ほどの力はないけど、不死身に近い、どれだけ斬り裂こうが、無駄というモノさ」

 再び、複数の“ガーゴイル”は、才人へと襲い掛かる。

 倒しても倒しても、復活するのだから始末に負えないといえるだろう。

 才人は、防戦一方になってしまった。

「どうした!? やはりあの奇妙な“槍”がないとマトモに戦うことすらできないのかい!? 情けない話じゃないか!」

 そうシェフィールドが絶叫した時……軽やかな銃声が響いた。

 いつしか、才人は左手で“自動拳銃”を握り、シェフィールドに突き付けていたのである。

 “ロマリア”の“カタコンベ”にあったモノだ。

 “AK小銃”だけでなく、一丁だけ拳銃を才人は隠し持っていたのである。才人が防戦一方になったのは、シェフィールドを油断させるためでもあったのだ。

 肩に弾を喰らったシェフィールドは、その場にうずくまってしまう。

 周りの“ガーゴイル”が、シェフィールドによるコントロールを解かれ、糸の切れた人形のように甲板に崩れ落ちた。

 空の上で“正統騎士”やルイズ達と戦っている“ガーゴイル”は自動で動くが、こちらの方は強力であるが故に、シェフィールドから供給される“魔力”なしでは、動くことができないようである。

 才人は疲れた声で言った。

「そうだな……こんな“槍”がなくっちゃ、俺は戦うことができない。でも、それは御前も同じだろ、“ミョズニトニルン”」

 痛みに呻くシェフィールドを無視して、才人はジョゼフへと向き直った。

 そこで、才人は、俺がいることに気付いた。

「セイヴァー……何で?」

「ああ、俺はアンリエッタとアニエスを護衛していったって訳……まあ、下手に動くとどうなるか判ってたから隣に立っていただけだがな」

「何で、こんなことになる前に止めなかったんだ!?」

 才人が感情を爆発させ、俺へと問うた。

「そうだな。俺はただ、こいつの、ジョゼフの最期を見守るだけだ。故に、手を出さない」

「人が死んでるんだぞ!」

「いや、問題はない。先程の爆発などで、人死は出ない」

 俺がそう言った後、才人は再びジョゼフへと向き直る。

 ジョゼフは、剣戟を避けるために、後甲板の鐘楼の上で“詠唱”を続けていた。が、“詠唱”を中断し、才人の方へと振り返った。

「やあ。“ガンダールヴ”」

「その石から手を離せ。じゃないと撃つ」

 “自動拳銃”を突き付け、才人は言った。

 この男――ジョゼフが、今まで散々に才人やルイズ達を苦しめて来たのである。それは事実である。

 だが……不思議と、才人は直接相見えたことで、憎むことができなくなった。理屈では、脳裏の一番上では、燃えるような怒りが眼の前の男目掛けて渦巻いているというのに。

 才人は、(どれだけのことを、この男は自分達に、タバサ達に、“ハルケギニア”の民に行って来たのか? 何万、何十万という人間を其の手に掛け、今もなおその数を増やそうとしている悪魔のような男……どんな憎らしい顔をしているのだろうか? どれほどふてぶてしい態度で自分を威圧するのだろうか? そんな覚悟をして来たのに……)、とジョゼフを前にして想った。

 だが現実のジョゼフの顔に浮かんでいるのは、一種の寂しさであることが、才人を理解した。やっとのことで相見えた憎い仇の顔に、(“ハルケギニア”を揺るがす事件を次々引き起こした狂王とは……こんなに小さい、情けない奴だったのか?)と才人は当惑した。

「まだ若いな。幾つだ?」

 親しげに思える調子で唐突に年を訊かれ、才人は思わず返事をしてしまう。

「17……いや、18だ」

「眩しいくらいに、真っ直ぐな目をしているじゃないか。全く顔は違うが、どことなくシャルルに似ているな」

「石から手を離せ!」

 だが、ジョゼフは応じない。それどころか、懐かしむように、言葉を繰り出して行く。

「俺にも御前のような頃があったよ。己の中の正義が、全てを解決してくれると想っていた頃が……大人になれば、心の中の卑しい劣等感は消えると想っていた。分別、理性……何だろう? そういったモノが解決してくれると信じていた」

 才人は、ジョゼフの手に狙いを定めた。

 ジョゼフは“詠唱”をすることすらもせず、更に言葉を続けた。

「だが、それは全くの幻想に過ぎなかった。年を取れば取るほどに、澱のように沈殿して行くのだ。自分の手で掴み取ってしまった解決の手段が……いつまでも夢に出て来て、俺の心を虚無に染め上げて行くのだ。迷宮だな。まるで、そしてその出口はないと、俺は知っているのに……」

「全く。ジョゼフ。解決策は、あると言ってるだろう」

 俺がそう言った直後、才人は引き金を引いた。

 銃弾がジョゼフ目掛けて飛んだ。

 だが、その瞬間にジョゼフの姿が、才人の視界の中から掻き消えた。

「こんな技を、幾ら使えたからと言って、何のたしにもならぬ」

 才人の背後からジョゼフの声がする。

 才人は反射的に振り返り、右手で握っているデルフリンガーを振り払う。

 だが……そこに、ジョゼフの姿はない。

 今度は、マストの上にジョゼフは移動していた。

 カステルモールの手紙に書かれていた「ジョゼフは……寝室から、一瞬で中庭に移動して退けた」という一文を、才人は想い出した。

 才人はそのことを、夢中になっていて、忘れてしまっていたのである。己の迂闊さを、才人は呪った。

「この“呪文”は、“加速”と言うモノだ。“虚無”の1つだ。何故神は俺にこの“呪文”を託したのであろうな。皮肉なモノだ。まるで、“急げ”、と急かされているように感じるよ」

 

 

 

 

 才人はジョゼフを追い掛け、“拳銃”を撃ち、デルフリンガーを振り回した。だがそのたびに、ジョゼフは“加速”で逃げ去り、攻撃が掠ることすらない。ヒトを遥かに超えた、そのスピードは、“サーヴァント”のそれに匹敵しているといえるだろう。その速度の前では、“ガンダールヴ”や“シールダー”の力でも追い付くことが難しかった。

 徐々に才人の息が上がって行く。

「不味いな……相棒。実に不味い。厄介な“呪文”を相手にしちまったね」

 デルフリンガーが呟く。

 いつか戦った、ワルドの“偏在”を、才人は想い出した。その“呪文”が作り出す幾つもの分身の方が、未だしも組みやすいといえるであろう。幾ら数がいるようとも、己の握る“武器”の攻撃範囲に収めることができるのだから。

 だが……ジョゼフの“呪文”は違う。一瞬で移動されてしまえば、“武器”など何の役にも立たないといえるのである。

「中々楽しかったぞ。少年。俺には俺の仕事があるのだ。そろそろ終わりにさせて貰う」

 ジョゼフはスラリと短剣を引き抜いた。

 その妖しい輝きに、才人は恐怖した。汎ゆる“武器”のエキスパートということができる才人が、“メイジ”が握る短剣に恐れ慄いている……。強力な“魔法”や“魔道具”や“幻獣”を相手に打ち勝つことができて来た才人であるが、こうなってしま得ば、1本のちっぽけな短剣に手も足も出ないのである。

 速度。

 それを制された“ガンダールヴ”は、無力な存在へとなり下がってしまう……。

「参ったな」

 “ガンダールヴ”の力により、幾ら常人とは違う反射神経を持っていようとも、あの短剣を防ぐことは難しいであろう。才人は、それを肌で理解したのである。

 才人は、(ならば……)と目を瞑った。

「ほう、覚悟を決めたか。潔いな」

「あ、相棒? 目を瞑ってどういうつもりだ?」

「俺の生まれた世界には、“心眼”って言葉があってね! 掛かって来いジョゼフ! 御前の動きなんか心の目で見切ってやるぜ!」

 才人は、己の神経を研ぎ澄ませた。これからやって来る、瞬間、のために……。

「面白い。ならばやってやろう」

 ジョゼフの気配が、才人へと迫る。

 才人は、狙った1点に向けて剣を振った。

 

 

 

 硬い刃が、横腹に深々と突き刺さる感触を覚え……才人は目を見開いた。

「大した心眼だな」

 才人の左の方から、ジョゼフの声が響く。

 才人の横腹には、ジョゼフが握る短剣が埋まっていた。

 目を瞑って繰り出した才人の剣は、当然ジョゼフにかすることはなかった。

 ジョゼフは難なく剣筋とは反対側から回り込み、容易く才人の腹に短剣を突き立てたのである。

 鈍い痛みと共に、才人の身体が力が抜けて行こうとする。だが、才人は笑みを浮かべた。

 1秒あれば、それで十分なのだ。

 そう

 才人が欲っしたのは、闇の中敵を斬り裂く心眼ではなく、光の中、敵に剣を突き立てるその1秒であった。

「捕まえた」

 そう言って、才人はジョゼフの手を掴む。

 “心眼”というモノは確かに存在するが、今の才人にとってそれはハッタリも同然であった。両の目で捉え切ることができないモノを、心で捉えることはかなり難しいのである。才人は、どのような状況であっても目を見開き、物理的な視界で得らえれる状況を冷静に判断して、勝利を収めて来たのだから。

 才人は右手で握ったデルフリンガーを、左手側にいるジョゼフに突き立てようとした。

 だが……ジョゼフの表情は変わらない。

 才人の全身を痺れが包み込んだのは、その瞬間であった。

 才人は、(しまった!)と、短剣の刃に毒が塗られていたことに気付いた。才人の全身を喩ようのない脱力感が包んで行く……。

 デルフリンガーから、才人の右手から落ちた。

 ジョゼフを掴んだ手から力が抜け、才人はガクリと膝を落とし、甲板へと転がった。

 痺れと共に、苦い敗北の味が、才人の口の中に広がって行く……。

 群がる“ガーゴイル”に阻まれてしまい、シルフィードも“聖堂騎士”も、ジョゼフの“詠唱”を邪魔することができないでいる。

 ジョゼフは、“杖”を振り上げた。

 眼下で慌てふためく、150,000の人間。

 それ等が、灰に還る様を、ジョゼフは想像した。何もかも燃え尽きて……地に還る様を想像した。

 だが……それでもやはり、ジョゼフの心は震えなかった。

 何らの感慨をも、ジョゼフは抱くことができないのである。

 甲板に転がりながらも荒い息で見詰めて来る才人へと、ジョゼフは目をやった。

 横腹に短剣を突き付けられてもなお、毒が全身を犯し始めていてもなお、怒りの炎は才人のその目から消えていないということが判る。

 才人は、唇を噛んだ。ジョゼフを止められぬことが、どうにも悔しくて堪らぬ様子である。

 才人へと近寄り、ジョゼフは短剣が刺さっている横腹を踏み付けた。

「がッ……」

 才人の口から、激痛に耐え切ることができず、呻きが漏れる。

「やめろ、ジョゼフ。それ以上は、そいつが負った怪我が広がり悪化してしまう」

「悔しいか?」

 そんな俺の静止の声を無視して、ジョゼフは才人へと問うた。

「ああ……悔しい。何人もの人が殺されるのを止められない……」

 泣きそうな声で、才人は顔を歪めた。

「どうだ? 勝てるかも、と想った直後の絶望の味は。御前達は、自分達が守るべきモノを守り切れずに、その絶望の中で死ぬのだ」

 才人は痺れが限界に達した身体を騙しながらも何とか躙り寄り、俺へと目を向けながら、転がった拳銃へと手を伸ばそうとする。

 だが、ジョゼフは、(こいつめ、まだ俺に噛み付く気でいるよ。眩しいくらい、自分が正しいと信じているよ。羨ましいなあ。嗚呼シャルル、俺は……俺は何をやっているんだろうな? どうして、どうしてこんなことになってしまったんだろうな? 戻れるならば……戻りたい。もし、やり直せるモノならば、やり直したい)と想いながらその拳銃を甲板の向こうへと蹴りやった。

「だがもう……戻れぬ。出口のない迷宮を、俺は彷徨い続けるのだ」

「いいやジョゼフ。それは違う。戻ることができないのは確かだが、止まることも、方向を変えることもできる。出口へと向かうことはできる。出口はあるのだ」

 俺の言葉を聞き流し、ジョゼフは“詠唱”を再開する。“呪文”を完成させ、“火石”に“杖”を振り下ろそうとしたその瞬間……右手に嵌めた“土のルビー”が光り出した。

「ん?」

 茶色に光る“指輪”から、ジョゼフの心に記憶が流れ込んで来た。

 

 

 突然ジョゼフが放り込まれたのは、夢ということができる世界であった。

 そこは、今は亡き“ヴェルサルテイル宮殿”の本丸……“グラン・トロワ”の一室であった。

「父の執務室じゃないか」

 そこは、ジョゼフの父であるかつての王。その王が使用していた執務室であった場所である。

 家具の並びを見るに、どうやら父王が崩御するほんのわずか前の様子であることが、ジョゼフには判った。

「何だ? 一体、これはどんな冗談なのだ?」

 ジョゼフは今まさに、“エクスプロージョン”を唱えようとしていたところであった。眼下の軍勢や市民達を、ただの塵芥に変えるために……。

 それであるのに、どうしてこのような所にいるのか、ジョゼフは理解できなかった。

 だが、ジョゼフの中に焦りはなかった。ただ、ジョゼフにとって匂うような懐かしさが、そこには溢れていた。

 自分がそのような気持ちになったということを不思議に想う間もなく、誰かの足音が響くのが聞こえ、ジョゼフは咄嗟にカーテンの陰へと隠れた。何故か、姿を見せてはいけないような気がしたためである。

 現れた人物を見て、ジョゼフの目が丸くなる。

 それは……シャルル・オルレアン。ジョゼフ自らその手に掛けた、弟の姿であったためだ。

「……シャルル」

 ジョゼフは、呆然として呟く。

 その姿を見た瞬間、(どうしていきなりこんな場所にいるのだ?)といった疑問が、ジョゼフの中から吹き飛んだ。

 ジョゼフは、(一体、シャルルは父王の執務室に何の用があるというのだろう?)と想い、シャルルを見遣る。

 シャルルは、何やら険しい表情を浮かべている。

 そんなシャルルの顔を見たことがなかったジョゼフは、軽く驚いた。

 シャルルは、カーテンの陰に隠れているジョゼフには気付かずに、父王の執務室の引き出しを引いた。乱暴にそれを引き出すと、中身を全部床へと打ち撒けたのである。

 父王が所有していた宝石や、勲章や、書類などが床に散らばった。

 シャルルはその上に突っ伏すと、低い嗚咽を漏らし始めた。

 泣いているのだ。

 ジョゼフは、(どうした? 一体、何を泣いているのだ?)という疑問を抱き、飛び出して行って問い詰めたいという欲求に駆られた。

 だが……直ぐにその答えを、シャルルは吐き出した。

「……どうして? どうして僕じゃないんだ」

 ジョゼフは、そのシャルルの言葉に驚きを隠すことができなくなってしまった。

「父さん。どうして僕を王様にしてくれなかったんだ? 可怪しいじゃないか。僕は兄さんより何倍も“魔法”ができるんだぞ。家臣だって、僕を支持する奴ばかりだ。それなのに……どうして? どうしてなんだ? 訳が理解らないよ!」

 シャルルは、1個の指輪を手に取った。

 “ガリア王家”に伝わる秘宝……“土のルビー”である。

 ジョゼフが慌てて自分の手を見遣ると、同じモノが指で光っている。

 それ等を前にして、ジョゼフは、(これは……一体どういうことだ?)と疑問を抱いた。

 その時……ジョゼフの脳裏に声が響いた。

『ジョゼフ殿』

 その声に、ジョゼフは聞き覚えがあった。

「教皇? ヴィットーリオ? 貴様か!? 何だ、この茶番は。貴様の仕業か!?」

『違いますよ。茶番でも何でもありません。実際に起こったことです。私はその記憶を引き出す御手伝いをしただけです』

「何だと?」

『これは私の“虚無呪文”です』

「どういう意味だ?」

『“リコード(記録)”です。対象物に込められた、強い記憶を……念というべきモノを鮮明に脳裏に映し出す“呪文”です、今回はたまたま貴男が指に嵌めている“土のルビー”に宿る記憶を……強い念を映し出させて頂きました』

『戯けたことを。俺を止めたいならば、素直に殺せば良いだろうに』

『それでは貴男の魂は救われないではありませんか』

「これが実際に起こった光景だと? 馬鹿な!」

『貴男なら……私と同じ“虚無の担い手”なら、嘘か真か、判るのではありませんか? これが“魔法”による虚像なのか。それとも、紛うことなき事実なのか』

 ジョゼフは感覚を研ぎ澄ませた。

 ヴィットーリオの言葉は、事実であった。

 ジョゼフの眼の前の光景は、過去の出来事そのままであるのだ。ジョゼフはそれを、説明しようのない感覚で理解した。

 ジョゼフの心が、(実際に起こったことだと? では……眼の前のシャルルは、本物のシャルルなのか?)と疑問に想い、騒ぎ始めた。

 そのシャルルは辺りを憚ることもせず、両の手で指輪を胸に押し付け、再び泣き始めた。

 ジョゼフの頭の中から、教皇の存在すらも一瞬で飛んだ。

 眼の前のシャルルに、ジョゼフの意識が吸い込まれて行く。

「兄さんに勝つために、僕がどれだけ努力をして来たと想ってるんだ。僕の方が優秀だと証明するために、僕が見えない場所でどれだけ頑張って来たと想ってるんだ。全て今日の為、今日と言う日のためじゃないか!」

 ジョゼフは、ここでようやく理解した。

 これは……父王が崩御する間際の出来事である、ということを。

 あの日、父王は2人を枕元へと呼び、「次王はジョゼフと為す」と言い遺したのである。

 その後、直ぐ、シャルルは屈託のないといえる笑顔で、ジョゼフにこう言った。

 

――“兄さんが王に成ってくれて、本当に良かった。僕は兄さんが大好きだからね。僕も一生懸命協力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう”。

 

 ジョゼフは、その言葉を、全く裏表のないシャルルの本音である、と想っていたのである。どう足掻いても勝てぬその心の清らかさに打ち呑めされたジョゼフは、シャルルを激しく憎んだ。そして、とうとうその手に掛けてしまったのである。

 だが、シャルルのあの言葉は本音ではありはしたが、それが全てはなかった。自分の嫉妬を見狭いとした、シャルルの必死とでもいうことができる抵抗であったのだ……。

 ジョゼフの目から、滂沱とした涙が溢れた。

 気付くと、ジョゼフは1歩前へと踏み出していた。

「……兄さん?」

 シャルルの顔が驚愕に歪む。次いで、直ぐ様慌てた様子で、「違う……違うんだ。父君の荷物を整理していたら、慌ててしまって……」とどうにか取り繕おうとする。

「良いんだ」

 どこまでも優しい声でジョゼフは呟き、弟の肩を抱いた。

「兄さん……」

 全てを見られたということを知り理解したシャルルは、とうとうその端正な顔を泣き顔に歪めた。

「ごめんよ。僕は悔しい。どうしても悔しい。理解らないよ。どうして僕が王様じゃないんだ? 父さんはどうして、僕を王様にしてくれなかったんだ? どうして兄さんが王様なんだ? どうしてだい? 本当に理解らないんだ。僕がどれだけ頑張って来たのか、兄さんや父さんは知らないだろうね。僕がどれだけ……」

「知ってる。理解ってるよ。だからもう泣くなシャルル。俺もそう想う。どう考えたって、王に相応しいのは御前だ。だって、御前はあんなに“魔法”ができるじゃないか」

「兄さん。兄さん……」

「だからな、俺が御前を王様にしてやる。なに、父上の言葉は御前と俺しか知らぬのだから、どうとでもなるよ。御前が王様だ。俺は大臣となって、御前を補佐しよう。そうしよう。な? シャルル。それが善い。だろう?」

 ジョゼフは何度もシャルルにそう言い聞かせた。

「兄さん。ごめんよ。僕はどう仕様もなく欲深い男だよ。家臣達を焚き付けたのは、僕なんだ。僕が根回しをして、家臣達を味方に着けたんだ。裏金も使った。兄さんはそんなことしなかったのに……僕は……」

「もう良い。良いんだ。俺と御前は同じだった。それで俺には十分なんだ。だから良いんだ。もう何も言うな」

 心から、ジョゼフはそう言った。

 爽やかな気持ちが溢れ、ジョゼフの心を満たして行く。それが喜びである、ということを知り、理解するのに、ジョゼフは幾分か時間を必要とした。

「俺達で、この“ガリア”を素晴らしい国にしようじゃないか。なあシャルル。俺達で、世界をもっと良くしようじゃないか」

 溢れる涙を頬に感じながら、ジョゼフは何度も繰り返して言った。

「俺達で、この“ガリア”を素晴らしい国にしようじゃないか。俺達で、世界をもっと良くしようじゃないか。俺達成らできるよ。なあシャルル。なあシャルル」

 

 

 ジョゼフの手から、“火石”が滑り落ちた。

 膝を突き、ジョゼフは両手で顔を覆った。

「シャルル……俺達は、世界で1番愚かな兄弟だなあ」

 自分が泣いているということに気付き、ジョゼフは笑みを浮かべる。

「何だ。俺は泣いているじゃないか。ははは……あれほど疎ましく想っていた“神の力(虚無)”が出口を見付けるとは、呆気なく、何とも皮肉なモノだ。ああ、セイヴァー……御前が言った通り、出口はあったよ」

 涙は焼けるほどに熱く……ジョゼフの心を幾重にも包んで行った。

 

 

 

 

 

 タバサがやっとの思いで“聖堂騎士隊”を振り払い、“フライ”の“呪文”で駆け付けた時には、全てが終わっているといっても良い状況であった。

 小さなフリゲート艦の上では、ジョゼフが甲板に座り込み、周りを“聖堂騎士”達が囲んでいる。

 傍らに、倒れて腹に包帯を巻かれている才人の姿を見付け、タバサは顔色を変えた。

 ルイズが心配そうに見詰める中、アンリエッタが“水魔法”でその傷を癒やしていた。

 タバサは、ホッとした。

 アンリエッタが使う“治癒魔法”は強力であるといえるだろう。あの様子であれば、命に別状はないだろうことが判る。

 ジョゼフを取り囲んでいる“聖堂騎士”達は、タバサの姿を認めると、一斉に輪を開いた。

 タバサは硬い表情で、憎き叔父王の前へと進み出た。

 だが……そこにいたのは、何やら憑き物が落ちたかのような、ジョゼフの姿であった。その顔には、深い満足感などが描き出されていることが判るだろう。

「シャルロットか」

 ジョゼフが、タバサを見上げて呟いた。

「似合いじゃないか。天国のシャルルも喜んでいるだろう」

 “王族”の衣装を着込んでいるタバサに、ジョゼフはそのような感想を告げた。

 タバサは、(一体、この叔父に何があったというのだろう?)と訝しんだ。

 これまでの彼とはまるで別人であるかのように、ジョゼフは晴れやかな顔をしている。

 ジョゼフは冠を脱ぐと、それをタバサの足元に置いた。

「長いこと、大変な迷惑を掛けた。誠にすまなく想う。詫びの印にもならぬが……受け取ってくれ。御前の父のモノになるはずだったモノだ。それと……御前の母のことだが。“ヴェルサルテイル”の礼拝堂に1人“エルフ”がいる。御前は顔を覚えているはずだ。そいつに、俺からの最後の命令だと言って、薬を調合させろ。それで、母の心は元へ戻るはずだ」

「……何があったの?」

「説明はせぬよ。御前の父の名誉に関わることだからな。だがもう、終わった。全ては終わったのだ。俺はもう、地獄を見る必要はなくなった。後は、御前が俺を気の済むように扱えば、それで良い」

 ジョゼフは笑みを浮かべた。そして、タバサの前へと首を差し出す。

「この首を跳ねてくれ。それで、本当に全て終わりだ」

 タバサは、本当に叔父王の変心の理由が理解らなかった。ただ……彼は、「全て終わった」と言う。何があったのか、理由などまでは知らないが、それでもジョゼフの目的が何らかの方法などで達成された、ということをタバサは理解した。

 兎に角、父を殺した憎い仇の首が……あれほどまでに跳ねたいと想っていた首が、タバサの眼の前にあった。それだけは疑いようのない事実である。

「話して。一体、何があったというの?」

「どうしても知りたいのであれば、“オルタネーター”、いや、セイヴァーに訊くと良い」

 だがもう、ジョゼフはそういって口を開こうとはしない。ただただ、首を姪へと差し出すのみである。

 タバサは首を横に振った。ぎこちない怒鳴り声が、その喉から絞り出た。

「一体、何があったというの!?」

 “聖堂騎士”達が、そんなタバサを促した。

「さ、御早く」

 タバサは“杖”を構えた。

 “聖堂騎士”達が1歩、後ろへと退がる。

 タバサは厳しい顔付きになると、“呪文”を唱え始めた。

 だが……その“詠唱”は途中で止まる。

 自分をジッと見詰めて来る、イーヴァルディや才人達の視線に、タバサは気付いたのである。

 タバサは、(この人達の前で、ヒトを殺したくない)とそのような想いが、胸の中に広がって行くのを自覚した。

 ルイズが、首を横に振りながらタバサに言った。

「タバサ……御願い。“杖”を収めて。復讐は何も生まないわ」

 それまで黙って成り行きを見守っていたアニエスも、口を挟んだ。

「……その通りだ。貴女はこれから、“ガリア”の王となられるべき人物だ。御手を汚される必要はどこにもない。この男は、法に照らし合わせ、その法律で裁くべきだ。じゃないと……いつまでも続く鎖に引き摺られるぞ」

 “聖堂騎士”達は、(何を言うんだ?)と言わんばかりに2人を睨み付ける。

「余計なことを申すな。御心変わりがあったら何とする?」

「何よ!? あんた達、タバサを人殺しにしたいっていうの? それじゃ、この男と同じになっちゃうじゃない! 自分の目的のために、何人もの人を手に掛けた……」

 1人の年配の“聖堂騎士”が進み出た。

「“トリステイン”の御嬢さん。同じではありませぬ。シャルロット様はこれから治世を行わねばならぬ御方です。御自分の手で決着を着けねばいけないのです」

「それは詭弁だわ!」

 “聖堂騎士”と、ルイズ達は言い合いを始めた。

「止めろよ!」

 それまで黙っていた才人の声が、そんな諍いに水を差した。

 一斉に、一同は才人へと目を向ける。

「タバサは神様や死んだ人達のために復讐する訳じゃねえだろ!? 俺……良く理解んないけど、復讐って、自分のためにするんじゃないのか? そんな理屈じゃ気が済まないからするんだろ? 同じになっちまうとか、治世を行わねばならぬとか、そんな理由で止めたりやったりするもんじゃねえだろ」

 そこまで言って、才人は甲板に倒れ込みそうになる。

 慌ててアンリエッタがその身体を支えた。

 “水”の“魔法”が傷のほとんどを消し去りはしたものの、才人の身体には未だ毒が多少残っているのである。

 その場の一同は、才人のその剣幕を前に口を噤んだ。

 才人はアンリエッタの手を払い、ヨロヨロとタバサへと近付く。そして、真っ直ぐに見詰めて言った。

「やれよ。やりたっかたら、やれ」

 ルイズが、才人を窘めようと口を開く。

「あんた、何言ってるのよ!?」

 苦しそうな顔で、フラフラと才人は立ち上がった。

「横から口出すなよ。これはタバサの問題なんだよ。復讐するのも、それをやめるのも、タバサが決めることだ。そりゃ、天国の父さんは喜ばないかもしれない。手は汚れるかもしれない。復讐は何も生まないかもしれない。でも、それを決めるのはタバサだ。俺達じゃない」

 才人は、キッパリと言った。

「決めるんだ。タバサ。俺はどっちでも、御前の考えを尊重する」

 才人のその言葉に、“霊体化”しているイーヴァルディ、そして俺は首肯く。

 タバサはユックリと“杖”を構え……“呪文”を唱えた。氷の矢が、“杖”の先に渦巻いた。だが……それを振り下ろすことはない。硬直したように、タバサの手は固まって動かないのである。

 才人達が、しっかりと自分を見詰めて来ているということに気付き……タバサは結局、“杖”を下ろした。「殺せ」と言われて、殺すことができる訳がなかったのである。才人の言う通り、それはもう復讐でも何でもない、ただの死刑執行に過ぎないモノになるのだから。

 タバサは、復讐者であったかもしれない。だが、死刑執行人では、ないのであるる……。

 “杖”を下ろしたタバサを見て、才人は安堵の溜息を吐いた。

 結局……全てを終わらせたのは、“ミョズニトニルン”であった。一部の者達以外からは注意を払われていなかった彼女は、甲板の隅から不意に起き上がる。次いで、動く腕で転がった短剣を掴み、それでいきなりジョゼフの胸を貫いたのである。

 ジョゼフの口から鮮血が溢れ、アンリエッタが悲鳴を上げた。取り押さえようとした“聖堂騎士”に向けて、“ミョズニトニルン”は握った“火石”を突き付けた。

「動くな。私とて“虚無の使い魔”。全ての“魔道具を操るミョズニトニルン”だ。この“火石”をただ爆発させるだけなら可能だ」

「お、落ち着け……」

 1人の“聖堂騎士”がそう呟いたが、“ミョズニトニルン”はもう聞いていない。鮮血が溢れ出すジョゼフの口に己の唇を近付け、そこに押し当てた。

 暫く唇を重ねた後……シェフィールドは唇を離した。

 ジョゼフの血に彩られた唇から、シェフィールドの絞り出すような声が響く。

「唇を重ねるのは、“契約”以来のことですわね。ジョゼフ様……貴男はどうして最後まで、この私を見てくださらなかったのです? 私はただ少女のように、それのみを求めていたというのに……」

 ジョゼフはもう答えない。満足げな表情で、ただ、既に事切れていた。

 シェフィールドは、ジョゼフに顔を向けたまま、一同へと告げた。

「去れ。2人切りにさせてくれ」

 慌てふためいた“聖堂”騎士が、1人、また、1人と“ペガサス”に跨って“フネ”から下りて行く。

 才人達も……そのうちにシルフィードの背に乗った。

 タバサは身動ぎをすることもなく、“虚無”の主従を見詰め続けていた。

 才人はそんなタバサに何か言葉を掛けようとして、ルイズに止められる。

 そのうちに踵を返すと、タバサはシルフィードに跨った。

 誰も、タバサに声を掛ける事をはばかった。

 シルフィードは、“フネ”から離れた。

 俺もまたそこから離れる際、シェフィールドが小さく呟くようにして言った。

「108体の“ヨルムンガント”が起動したわ。ジョゼフ様が死ぬと動くように設定していたの……自律的に動くわ……頼める立場ではないのは理解ってるけど、頼めるかしら?」

「ああ。理解ったよ。“キャスター”……いや、シェフィールド」

 

 

 

 遠くの空に、才人は1匹の“風竜”を見付けた。

 ジュリオのアズーロである。

 その背に、教皇ヴィットーリオの白く長い帽子を見付け、(ジョゼフの変心を引き出したのは、あいつ等の“魔法”だ。恐らく……“虚無”、たった1つの“魔法”のみで、あいつ等はあのジョゼフを変えたんだ。何とも恐ろしい連中だ)と想い、才人は顔を歪めた。

 ジョゼフとシェフィールドを乗せたフリゲート艦は、大空の高みへとグングンと上昇して行った。最後に点のようになり……大きな爆発音と共に炎の玉に包まれて、見えなくなった。

 タバサは、その火の玉を、ボンヤリと見詰めていた。

 気付くと、タバサの両の目からは涙が溢れている。

 タバサは心の中で、(父様。終わったわ。父様。あいつは死んだ)と亡き父親へと話し掛けた。

 

 

 

 

 

 ジョゼフと父の間には、自分の入り込めない何かがあったことを、タバサは知り、理解していた。

 ジョゼフの、シャルルに対する愛憎とでもいうべきモノ……。

 その強さ、そしてその深さ。

 タバサは、(ジョゼフは父を殺したのには……何か退っ引きならない理由があったのだろう、自分には多分一生理解できない、そしてもう知る術のない理由が……だからと言って、ジョゼフを赦すつもりもない。もし、それを知ったとしても、自分は復讐を止めなかっただろう)と考えた。

 だが、それでも涙が溢れるのであった。

 タバサは、(どうしてだろう?)と疑問に思い、その理由もまた一生判らないに違いない、と想像った。それから、手にした冠を見詰め、(私は、あの火の玉を忘れないだろう)と想い、いつまでも涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 地上では、シェフィールドの言葉通り、起動した“ヨルムンガント”が108体地下から姿この街で動き始めた。この街の地下で製造されていたモノである。

 住民達を始め、それを目にした“貴族”達は“アクイレイア”でのトラウマを想い出し、恐慌状態になった。

「さて、と……彼女の最期の頼みなんだ。まあ、手向けじみたモノなんていうつもりはないが……まあ、派手にやりますかね」

 俺は、眼の前の数体を睨む。

 そして、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を“投影”する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん、これを御覧ください。紛うことなき、ジョゼフ王の冠です。先程の巨大な火の玉は、小さなフリゲート艦でやって来た彼の仕業なのです。彼は“エルフ”と手を組み、あの凶悪な炎の玉を造り出し……“両用艦隊”を壊滅させたのです。それのみならず、“アクイレイア”への襲撃時に使用されたあの騎士人形なども使用し、皆さんごとこの私を葬り去ろうとしたのです」

 “ガリア”軍に対する、教皇ヴィットーリオの演説は続いていた。

 先程、ジョゼフが放り出した冠を持つヴィットーリオの演説は見事の一言であり、徐々に“ガリア”軍の混乱を収めて行く。

 何といっても、ジョゼフの冠は動かぬ証拠であるのだから。

 初めは信じることができないでいた“ガリア”軍の将兵達も、“エルフ”と手を組んでいるというジョゼフの噂を想い出し、然もありなんと想うようになって行った。

「だが、その狂王は、先程天に召されました。皮肉にも、己が作り出した炎の玉によって……これを天罰と言わずして、何と言うのでしょうか?」

 突然ジョゼフ王の死を持ち出され、流石に“ガリア”軍はヴィットーリオの演説に疑いを抱いた。

 だが、それが本当だと知るに、然程の時間は必要とはしなかった。首都“リュティス”へと問い合わせると、「ジョゼフが、女官1人を着けてフリゲート艦に乗って出撃した」との返事が返って来たためである。

 事ここに至っては、もう、戦にならない。抱くべき王が死んでしまったのだから。それも、自分達ごと、“ロマリア”軍を葬り去ろうとして……。

 既にジョゼフに忠誠を誓う将兵は1人もいなかった。

 とうとう“ガリア”軍はその矛を収め、次々と“ロマリア”軍の下へと下って来たのである。

 ヴィットーリオの演説は続く。

「御安心を。私は皆さんの罪を問うつもりはありません。また、“ロマリア”軍の捕虜として扱うつもりもありません。皆さんはこれまで通り、栄誉ある“ガリア”王軍の一員です。我々の聖なる友人です。“聖敵”とは、先程巨大な火の玉に呑み込まれたジョゼフ王のみに向けられる言葉なのです。決して皆さん相手に用いる言葉ではないのです……」

 そんなヴィットーリオの言葉を、苦々しげに才人達は聞いていた。

 ヴィットーリオの演説は未だ続く。

「我等の真の敵は誰か? “エルフ(異教徒)”です! 彼等こそが、“無能王”を唆し、世界を恐怖に陥れたのです!」

 不安げに、ティファニアがフードを深く冠る。

 才人達は、そんなティファニアに対して、安心させるように強く首肯いた。

 あれだけの傷でありながら、才人は立つことができる程度には回復していた。

 “王族”の“治癒魔法”に、才人は感謝した。

「大丈夫。彼奴等の思い通りになんかさせるもんか」

「でも結局、“ロマリア”の思い通りになっちゃったわね」

 ルイズが、冷たい目で呟く。

「まあね。あいつ等、“魔法”1つでジョゼフの変心を引き出した。ホント油断がならねえ」

 才人も言った。

「それホント?」

「ああ。俺は見てんだ。“エクスプロージョン”を唱えて、ジョゼフがそいつをあの“火石”と遣らに掛けようとした瞬間……いきなり棒立ちになったんだ。あん時、何かの“呪文”を掛けられたに違いないよ」

「まあ、そのおかげで私達は救われたんだけどね」

「そうだけど。全部あいつ等の掌の上ってのは、どうにも気に入らないな。まあ、それでも……これもまたセイヴァーの計画通り……いや、“抑止”の存在在ってこそって奴かもしんないけどさ」

「参ったな。役者が上過ぎる。今度の教皇は、もしかしたら“聖戦”を成功させるかもしれないな」

 ギーシュがそんな恍けたことを呟く。

「おい、ギ~~~シュ~~~!」

 才人が睨むと、ギーシュは首を振った。

「冗談だよ。あの巨大な火の玉……“エルフ”の“先住魔法”なんだろ? あれこそ冗談じゃない! 良くもまあ、僕達の御先祖は、あんな恐ろしいモノを作り出せる連中と戦をする気になったもんだ!」

「教皇の計算違いがあるとしたら、そこね。そして……」

 キュルケが言った。

「どういう意味だい?」

「“ロマリア”、“ガリア”両軍150,000の将兵は、そんな恐ろしい“エルフ”の力を間近で見てるのよ。幾ら説教上手な教皇に焚き付けられたって、その気になるかしら?」

「それにもう1つ」

 ルイズも言った。

「“虚無”の本当の力の復活のためには、“4の4”が必要なはずよ。でも、“ガリア”の“担い手”は、“使い魔”ごと死んじゃった。3の3じゃあ、流石に“エルフ”には勝てないでしょ」

 ルイズとキュルケは、「そうだ! 間抜けな話ね!」と笑い合う。

 だが……才人はそのような気になることができなかった。

 ジョゼフの死は、ヴィットーリオも計算に入れているはずだと、知っているのである。何せ、ジュリオが「あの王は、決して味方にならない」と言ったのだから。

 才人は、(それでも、彼等は“聖戦”を遂行することができる目算があるんだ。間違いない)と考えた。

「ま、そんな訳で! 僕達の“聖戦”は終わった訳で! 後は勝手に“ロマリア”やってろって感じで! 何か言われたら、ごめんなさい、遠征する御金ないですぅ~~~! で! 恐ろしい“ガリア”の王様もいなくなった訳で! 国に帰ったらパァ~~~ッとやろうじゃないかね!? サイトの稼いだ金で! パァ~~~ッと!」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、ギーシュの言葉に陽気に笑い合う。

 才人も肩を叩かれて、笑みを浮かべた。

 それから才人は、(確かにヴィットーリオの陰謀は、まだその全貌が見えてない。あいつ等は油断ならない連中だ。そして、俺もまだまだだ。さっきだって、折角カステルモールさんが“気を付けろ”と書いて寄越してくれたのに……状況に呑まれてジョゼフの“呪文”の存在を忘れてしまってた。教皇の“虚無”がなければ、俺も含めた十数人の人間が灰になってたかもしれないんだ。おまけにまだまだ強い奴は沢山いて……)と想った。そして、(でも)と才人は想い直す。(俺には仲間がいる。そして……ルイズがいる)と想った。

 才人は、ルイズの肩に手を回した。

「心配すんな。これ以上、あいつ等の好きにさせるもんか」

「そうね」

「任せろ。絶対に止める。次は油断しねえ。そして、屋敷を買おうぜ。小ぢんまりした奴」

 マリコルヌが茶々を入れた。

「レモン畑も忘れるなよ」

 ルイズは顔を真っ赤にさせた。

「おいおい、レモンはねえよ。やっぱり」

 才人がそう言うと、ルイズに思いっ切り尻を蹴り上げられた。

「いてえ!? 怪我人だぞ!」

「あんたが言えって言ったんじゃないのよ!」

「やっぱそこは抵抗しろよ!」

 言い合いを始めた2人に、マリコルヌが更に言葉を投げた。

「やめてよォ~~~、そう言う予定調和は~~~!」

「予定調和って何よ!? 本気なんだから!?」

 ルイズが怒鳴ると、マリコルヌは鋭く指摘した。

「おや? だったらどうして股間を蹴らないの? 何で尻成の? 理解ってる。風の妖精さんは理解ってるよ。股間蹴ったら、レモンちゃんできなくなるからでしょ?」

 ルイズは、かは、と息を吸い込むと、才人の股間を蹴り上げた。

 悶絶して、才人は地面へと転がった。

「御前……意地で蹴るなよ」

「手加減したわ!」

 そう怒鳴った後、ルイズは更に顔を真っ赤にさせた。

 確かに、ルイズは手加減をしたようであり、思わず悶絶したものの才人は感じるはずの痛みという痛みを感じなかった。

 地面に転がりながらも、才人は、(この仲間達と力を合わせれば……“ロマリア”の陰謀だって止められる。絶対に)と想った。

「良し! 取り敢えず、三日三晩は呑み明かそうぜ!」

 才人が腕を振り上げると、おおおおお~~~―っと、歓声が沸いた。

 だが、その空気をキュルケの一言が粉砕した。

「でも、タバサはどうする気かしら? シオンみたいに、ホントに”ガリア”の王様になっちゃうの? 何かさっきの見てると、もう後には引けない気がするんだけど……」

 一同は顔を見合わせた。

 才人は、タバサがいきなり戴冠を引き受けたことに対しての疑問を、想い出した。

「まさかホントに、“ロマリア”の傀儡になる気じゃあるまいね?」

 レイナールが呟く。

 一同は、本気で心配になった。

 

 

 

 

 

 

 このヴィットーリオの演説が終わり次第、先程中断したタバサの戴冠式が再開される手筈となっていた。

 ジョゼフが先程冠っていた王冠が、そのまま使用されるのである。

 壇の後ろに造らえれたテントの中で、タバサはジッと手を握り、先程の才人の「決めるんだ。タバサ。俺はどっちでも、御前の考えを尊重する」という言葉を想い出していた。

 あのような台詞をあの場所で口にすることができる少年が、タバサに戴冠を勧めるはずもないのである

 タバサはそこで、2晩に渡ってやって来た才人(偽)が本物ではない、ということに対して確信を得た。

 何らかの“魔法”……いや、聡明なタバサにはもうその見当が着いていた。

 “スキルニル”。

 タバサ自身も使ったことがある、古代の“魔法人形”。血を使い、対象者ソックリの姿を作り出す“魔道具”である。

 タバサの心の中を、怒りが満たして行く。

 “二つ名”の“雪風”の様な……冷たい、触れたモノを凍て付かせるような怒りである。

 タバサは、(あいつ等は、私の初めての……を利用した)と想った。

 そこに、ジュリオがテントの中へと入って来た。

「準備が出来ましたよ。シャルロット姫殿下。さて、殿下、と御呼びするのも、これが最後ですね」

 タバサは首肯くと、立ち上がった。そして、(今は踊って上げる。貴方達の望むように。そして……)と考え、かつての自分の名前を反芻した。

 “北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールパルテル)”。

 タバサは、(誰に陰謀を仕掛けたのか、教えて上げる)と想いながら、ユックリと、光と歓声が溢れる場所へと歩き出した。



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戦の恩賞

「ええ、このたびの戦はまさに青天の霹靂じゃった。前“ガリア”王ジョゼフの陰謀から始まった戦は、“ロマリア”のみならずこの“ハルケギニア”を灰にしようかという、とんでもないモノであった」

 オスマンの声がホールに響く。

 ここは“魔法学院”本塔2階の舞踏会ホールである。

 着飾った生徒達が、神妙な顔でオスマンの言葉に聴き入っている。

 突然、“ロマリア”と“ガリア”の間に先端が開かれた時、彼等は恐怖した……“アルビオン”との戦は終わったばかりで、祖国はなんとも疲弊している状況であるためだといえるだろう。

 戦争など当然できる状態ではなかったのである。

 もし、このような時に狂王が率いる“ガリア”に牙を剥かれてしえば、あっと言う間に攻め滅ぼされてしまうに違いない……そう、皆想ったのである。

 だが、それは杞憂に終わった。

 “カルカンソンヌ”に於ける戦闘で、ジョゼフ王は戦死。電撃的に新たな女王が即位し、戦は終わったのであった。

「我々は恐怖した……灰になるのは堪らん。もう少し長生きしたいじゃないか。灰になったら、女性の臀部を愛でることもできん。そんなのは堪らん。実に堪らん。君達だって、嫌じゃろう?」

 会場は静まり返る。

 オスマンは、コホン、と咳をすると、言葉を続けた。

「だが! 神は我々を御見捨てにはならなかった! 狂王あればまた“英雄”あり! 狂った陰謀あらば、遮る正義の鉄槌あり! 彼等の存在が、狂王の野望を打ち砕いたのじゃ! 更には、犠牲者がジョゼフ王とその“使い魔”のみと言う奇跡も起こしてみせた!」

 生徒達は、ゴクリ、と唾を呑んだ。

 そう……その勝利に貢献したのは……。

「そう! その狂王の馬鹿げた妄想は“英雄”達によって喰い止められた! 皆の良く知る“英雄”達によってじゃ! さて! ではそんな勇者達を紹介しよう!」

 オスマンの後ろに在る緞子が、合図によって下ろされた。

 生徒達から、割れんばかりの歓声が沸いた。

「彼等こそが“ハルケギニア(世界)”を救った勇者達じゃ! “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”と、“始祖”の巫女達、そして“アルビオン”の女王とその“使い魔”じゃ!」

 そこには、正装した“水精霊騎士隊”と、ルイズとティファニア、そしてシオンと俺がいた。

 生徒達の中から、「わぁあああああ!」、「“水精霊騎士隊”万歳!」、「“トリステイン”万歳!」、「“アルビオン”万歳!」、と大きな叫びが沸いた。

 そんな叫びの中、並んだ少年少女達は誇らしさと照れ臭さなどで顔を赤らめる。

 “魔法学院”の生徒達は、自分と同じ学生の騎士隊が、このたびの“ガリア王継戦役”でどれだけの功績を上げるたのかが十二分に知らされていたのである。

「良いか学生諸君。彼等は初陣にも関わらず、大活躍を為たのじゃ。諸戦、“虎街道”と“カルカソンヌ”で強力な“ゴーレム”の部隊を粉砕為た件。“リネン川”の中洲での華やかな一騎討ち。そしてジョゼフの強力な……“エルフ”の“先住魔法”を利用為た巨大な炎の玉……“両用艦隊”を吹き飛ばした超巨大炎玉を止めたのも、彼等の活躍のおかげという話ではないか!」

 更に歓声が轟いた。

 こたびの戦での、“水精霊騎士隊”達の奮戦……特に才人や俺達の活躍は、彼等の耳に十二分に届いて居た。

 これほど鮮やかに、1人の騎士、1個騎士隊の活躍が戦を勝利に導いた例は、“ハルケギニア”の歴史の中で1つもといってもよいほどである。その上、“ガリア”の女王に即位したのはつい先日まで自分達と机を並べていたタバサという話である。学生達は、どのようなドラマがあったのかまでは知らないが、同じ学院の生徒である“水精霊騎士隊”達が、その即位に何らかの関係を持っているということだけは、理解した。

 華やかな……綺羅びやかな戦果の数々。

 そして大国“ガリア”の女王即位に関係しているやんごとなさ。

 “魔法学院”の生徒達は、そんな“英雄”と同時代、同じ場所で学ぶことができる喜びなどに打ち震え、感激しているのであった。

 俺達は、戦勝の地“カルカンソンヌ”から“ガリア”王都“リュティス”迄新“ガリア”女王シャルロットを、“ロマリア”軍と共に護衛して入城した。

 “ガリア”市民は盛大な歓声をもってこれを受け入れた。

 その後、アンリエッタを首都“トリスタニア”へと送り届け、無事にこうして帰還して来たのである。

「“水精霊騎士隊”万歳!」

 オスマンは、そんな少年騎士達や俺達の前へと立ち、次々にポンポンとその肩を叩いて祝福した。

「うんうん。儂はな、諸君等が自分のことのように誇らしいぞ。何せ、君達はこの儂! “魔法学院”学院長のこの儂が手塩に掛けて育てたのじゃからな……うんうん」

 満足げに、オスマンは首肯きながら、祝福する。

「君達は儂が育てた。うんうん」

 少年騎士達や巫女達は、顔を見合わせた。(いや……確かに学院長は学院長だけど、何か教わったっけ? ちゅうか育てられたっけ?)とそのような顔になった。

 その妙な様子に、生徒達の歓声も窄まって行く。

「は、はい! オスマン氏のおかげであります!」

 目敏いギーシュは、隙かさずフォローを入れた。ここでオスマンへと恩を売って置くのは悪いことではない、と判断したのである。

 するとオスマンは、目を細めてギーシュへと近付いた。

「ギーシュ君」

「はいっ! オールドオスマン!」

 いきなり勲章でも貰えるのかと、ギーシュは直立した。

「君は実に好い奴じゃな。御褒美を上げよう」

 ギーシュは、(“精霊勲章”に次いでの名誉だ。何だろう? 卒業時トップの生徒に与えられる、ダイヤ付きの“黄金宝杖”でも授けてくれるんだろうか? そんなモノを貰ったら、自分の出世はもう完全に約束されたようなモノだ……)と喜びに震えた。

 だが、オスマンの言葉は違った。

「抱いて良いよ」

 堂々と、そう言われた。

「はい?」

 しかし、オスマンはクイクイッと親指を自分の身体に突き立てるのみである。

 ギーシュは首を横に振った。

 次は、才人である。

「抱いて良いよ」

 才人は無言で首を横に振る。

 その次は、レイナールであった。

「抱いて良いよ」

 レイナールは険悪な顔になると、「ふざけないでください」とポツリと呟いた。

「僕達の名誉を……ば、馬鹿にして……貴男という人は……」

 レイナールは言い返そうとしたが、その時にはもう、隣のエイドリアンへと続いていた。

 エイドリアンはレイナールと同じクラスの、短い赤髪の少年である。

 彼は言われる前に首を横に振った。

 そして、アルセーヌ、ガストン、ヴァランタン、ヴィクトル、ポール……賭けを仕切っていたエルネストとオスカルとカジミールへと続く。彼等は緊張し切った顔で、首を横に振った。

 誰だってオスマンを抱こうとは思わないのである。というよりも、その意味が理解らなかった。

 異様な緊張の中、最後のマリコルヌの前へとオスマンはやって来た。

 マリコルヌは言われる前に、堂々と言い放った。

「オッケーです!」

 オスマンはしばらくマリコルヌを見詰めた後、「さて、冗談はさて置き」と切り出した。

 掴み掛かろうとしたレイナールが、左右にいる少年達に喰い止められる。

「“王政府”は諸君等に、その活躍に見合う名誉を用意した。ほれ」

 皆と同じように正装したシュヴルーズが現れた。手に何かを持っているのが見える。

 それに気付いた少年達――才人を除いた騎士隊の面々は目を丸くした。

 黒字に銀色の五芒星が光っている。

「それは……シュヴァリエのマントじゃありませんか!」

 ギーシュが、思わず叫んだ、

「然様。こたびの活躍は、隊長のギーシュ君をシュヴァリエに叙するに十分と言えよう」

 確かにその通りである。まあ、殆どは才人とイーヴァルディ俺の3人で上げた戦果といえなくもないのだが、こたび“ガリア王継戦役”に参加したのは“水精霊騎士隊”のみである。恩賞には十分値するといえるろう。そうでもしないと“トリステイン”は一体何をしていたのだ、という話になってしまう。政治的にも、彼等に恩賞が必要であるのだ。

 ギーシュは震えながら、そのマントを押し頂いた。

 騎士隊の少年達は、そんなギーシュを口々に祝福する。

「やったな! 隊長殿!」

「これで我が騎士隊も、“シュヴァリエ”を2人擁することになったな!」

「さて、流石に“シュヴァリエ”の称号とはいかんが、君達にも勲章を授与する。“白毛精霊勲章”じゃ」

 次いで、ギトーが現れた。相変わらず、ムスッとした表情である。内心は、生徒がこのような名誉に与るのがつまらない、とった様子である。

「まあ、良くやったと言えるな。ほれ」

 ギトーはつまらなさそうな顔で、少年騎士達の首に勲章を掛けて行く。

 誇らしげに、少年達は顔を輝かせた。

 名誉だけではない。勲章には年金が付くのである。ほぼ無給に近い彼ら平隊員にとって、その年金は大きいといえるであろう。

 勲章が配り終えられると、オスマンは2人の女子――巫女の前に立った。ルイズとティファニアである。

「さて、君達は巫女として従軍したために、“精霊勲章”を与える訳にはいかんそうだ。まあ、あれは軍人に与えられる勲章じゃからな。だが、君達には“トリステイン宗教庁”から、“トリスタニア”の“ジュノー管区”司教の任命状が授けられることになった。ちょうど2人ほど席の空きがあったらしいでの」

 生徒達から溜息が漏れた。

 司教の肩書を得るということは、手っ取り早い話御金持ちへの急行券であるのだ。何せ、寺院の司教ともなればほとんどの税金は免除され、逆に管区の住人達からの寺院税を得ることができるのである。詰まり、その肩書さえあれば、何もしないでも御金が入って来るということである。平司教だから実入りは少ないといえるが、それでも勲章の年金なんかの比ではないといえるだろう。

 ザッと計算すると、ギーシュは500“エキュー”、平隊員達は200“エキュー”、ルイズとティファニアは800“エキュー”といった年収が約束されたのである。

 割れんばかりの拍手が響いた。

 しかし、その場の全員が気付いた。

 才人やシオン、そして俺だけが、何も貰っていないのである。

 皆が特別に何かあるのだろうか、と想いきや、オスマンはパーティの開始を宣言してしまう。

 皆、(まあ、シオンは“アルビオン”の女王だし、セイヴァーは“アルビオン”の客将で、サイトは以前“シュヴァリエ”の称号を貰っているし……今回は据え置きなのかもしれない)と一同は妙な納得の仕方をした。

 

 

 

 華やかな宴が始まった。

 当然、“水精霊騎士隊”の周りには、生徒達が一斉に群がる。

「ギーシュ様! 是非とも活躍の御話を聞かせてくださいまし!」

「良いとも良いとも。何でも訊いてくれ給えよ」

 勢い込んで、戦場での話をし始めた時……ギーシュは遠巻きにして自分を見詰めて来ている、1人の少女に気付いた。

「モンモランシー……」

 しかし、モンモランシーはプイッと顔を背けると、会場を出て行こうとした。

 思わずギーシュは生徒達を掻き分け、後を追い掛ける。

 廊下を出た所で、モンモランシーは立っていた。ギーシュに背を向けたまま、身動ぎすらもしない。

 ギーシュはツカツカとその背に近付くと、襟を正してモンモランシーの背に向かって告げた。

「“シュヴァリエ”になったんだぜ」

「…………」

 しかし、モンモランシーは無言である。

 なおもギーシュは近付こうとしたのだが……立ち止まる。

「何てね。でも、ちゃんと理解ってるよ。自分の実力じゃない。活躍したのはサイトとセイヴァー達さ。あいつ等は全く、凄い奴等だと想う。僕はたまたま隊長だっただけだ」

 それからギーシュは、顔を上げた。

「でも、いつかこのマントに似合うような男になってみせる。君にも、似合いの男になれるように……それじゃ」

 ギーシュは踵を返し、歩き出そうとした。

「待って!」

 モンモランシーが叫んだ。

 ギーシュが振り返ると、モンモランシーがその胸へと飛び込んで来る。

「モンモン……」

「私……馬鹿ね。貴男が移り気でどう仕様もないって理解ってるのに……ちょっと気の利いたこと言われると、素敵って想ってしまうのよ」

 ギーシュは、心の中で、万歳を連呼した。

「もう風呂なんか覗かない。約束するよ」

「そうして。ホントに。嗚呼、私自分が嫌だわ。今度も心配したのよ。いきなり戦が始まるから……仲直りもできないうちに、貴男が死んでしまったらどう仕様って……」

 何気にしおらしいモンモランシーは、シクシクと泣き始めた。

 すると流石のギーシュもシンミリとしてしまう。ギーシュは、ポケットから、何かを取り出してモンモランシーに手渡した。

「……え?」

「僕だって、ずっと君のことを考えていたんだよ。貝殻を彫って作ったんだ。“ロマリア”では、これを女性に贈るんだそうだ」

 そこには、女性の横顔のレリーフが彫られている。

「君を想って彫ったんだよ」

「綺麗……貴男って、とても器用なのね」

 ウットリとした顔で、モンモランシーはギーシュを見詰めた。

 2人の目が閉じ……近付こうとしたその瞬間……ホールから数人の女の子が飛び出して来る。次いで、ギーシュに向かって叫んだ。

「ギーシュ様! 素敵な彫り物を有難う御座います!」

 モンモランシーの目がパッチリ開いて、ギーシュの身体を突き飛ばす。

「いやぁ……造り始めたら面白くて、つい沢山作っちゃって……」

「随分と器用ね。つい、作っちゃうのはアクセサリーだけじゃないんじゃない?」

 クルリと振り向くと、モンモランシーはツカツカと歩き去って行った。

 

 

 

「マリコルヌ様! 御話を聞かせてくださいまし!」

 数人の女の子達に囲まれ、マリコルヌはもう泣いていた。

 無理もないといえるだろう。

 あの女子風呂覗きの一件で、“水精霊騎士隊”の名誉は地に落ちていたのである。“アルビオン”での才人の活躍もベアトリスの“空中装甲騎士団”と互角にやり合った一件も吹き飛ぶ、地に墜ちっぷりであったのである。

 だが、再び名誉は回復されたようである。

 喜びの余り、勢い込んで話すマリコルヌの前に、黒髪の清楚な感じの少女が現れた。

「ブリジッタ……」

 マリコルヌの身体が固まった。

 ブリジッタはしばらくモジモジした後、「良くぞ御無事で……」と、恥ずかしそうに言った。

 怖ず怖ずと、マリコルヌの周りを取り巻く少女達は、その雰囲気を前にして後退る。

 マリコルヌは両手を広げ、まるでオペラの主役であるかのように、大仰な身振りで言った。

「ずっと、ずっと君のことを考えていたんだ」

「私も、マリコルヌ様のことを考えていましたわ」

 2人は、ジッと見詰め合う。

 それから、ブリジッタは決心したように呟く。

「私、友達に言われたんです。“マリコルヌ様は普通じゃないから、少しくらいのことは我慢しないと身が保たないよ”って」

「う……ごめん」

「良いんです……マリコルヌ様が戦に出掛けている間、私ずっと考えていたんです。そう言う人だから、風呂覗きくらい仕方ないんだって。いやむしろ……覗きで済んで、良かったって。我慢します。だから、非道いこと言ってごめんなさい」

 何とも健気な言葉と様子で、流石のマリコルヌも反省した。いかにマリコルヌが、己の欲望に忠実に生きて来たのかが、このブリジッタの涙で白日の元に晒されたのである。

「ごめん。ごめんよ……僕は今まで、自分の性癖を全肯定し過ぎたみたいだ。これおからは普通になる。約束する。もう、君に罵られることを望んだりはしない。僕はもう、ぽっちゃりに甘んじない」

 ブリジッタは感動した顔で、マリコルヌを見詰めた。

 そんな2人の様子を目にして察したのだろう、1人の女子が2人にワインの盃を握らせる。

「……まあ、取り敢えず仲直りの印に乾杯をなさってはいかがですか?」

 マリコルヌとブリジッタの2人はニッコリと笑顔を浮かべ、盃の中のワインを飲み干した。次いで、顔を見合わせて、笑い合う。

「まあ、もっと御呑みよ」

 マリコルヌは、ブリジッタに盃を勧めた。

「私、あまり呑めませんの」

「今日は特別だ。何せ、僕が生まれ変わった日だからね」

 ブリジッタは感動した面持ちで、盃を傾けて行く。そのうちに、「ふぁ、何だか酔いましたわ」、などと言った。

 マリコルヌは、そんなブリジッタをバルコニーへと連れて行った。

「大丈夫かい?」

「……ふぁ……タ……のおかげで酔ってしまいましたわ」

 マリコルヌは、何だか懐かしいと感じる単語を聞いた。

「ブリジッタ、今……何て……?」

「ブタのおかげで、酔ってしまいましたわ」

 マリコルヌの顔から、爪先まで電流が流れた。

「ブ、ブタ……? 僕?」

「そうよ。他に、どこに豚がいるの?」

 ブリジッタの目が据わっているのが判る。清楚な顔の中、そこだけが妙な光を帯びているのもまた、判るだろう。

 マリコルヌは、その迫力に押されてしまい、ひう、と尻餅を着いた。

「私、マリコルヌ様がいない時に気付いてしまったの。自分の趣味に……1日1回、マリコルヌ様を罵らないと、眠れないらしいのよ」

 

 

 

 隣のバルコニーで始まった騒ぎを見詰めて、才人は深い溜息を吐いた。

 そこでは、マリコルヌが這い蹲り、「生まれてごめん、豚ごめん」などと黒髪の少女に謝り続けている。

 黒髪の少女は激高し、マリコルヌを罵りまくっている。

「全く……マリコルヌもギーシュも、暢気なもんだぜ……」

「良いじゃない。ジョゼフ王は死んだ。これでやっと平和になるわ。少しくらいの羽目外しは大目に見て上げなさいよ」

 やれやれと首を傾げる才人の隣には、ルイズがいた。髪をバレッタで纏め、白いドレスに身を包んでいる。

 そのような格好をしているルイズは、いかにも“貴族”の御嬢様であるということを理解させ、才人はもう未だにドキドキしてしまっていた。

「でもな……“ロマリア”はまだまだ“聖戦”を続ける気なんだろうし……“聖杯戦争”もあるんだぜ」

「まさか。“聖地”を取り返すためには“4の4”が必要なはず。でも、“ガリア”の“担い手”のジョゼフ王は死んじゃった。続け様がないじゃない」

「でもな……あいつ等は、それでも遂行できる自信があると想うんだ」

 才人は、ずっと気になっていたことを、ルイズに言った。

「だって……絶対ジョゼフは味方にならない。あいつ等そう考えて行動してたじゃないか。詰まり、別に揃わなくてもできるんじゃないか?」

「あのねえ」

 ルイズは呆れた声で言った。

「へ?」

「セイヴァーは知ってたみたいだけど、私達が、“ガリア”の“担い手”がジョゼフ王だって知ったのは、最後の最後じゃない」

「まあ、それはそうだけどさ」

 カステルモールからの手紙などで、怪しい、と才人は想ったはいたが……本当に、ジョゼフ王が“担い手”であるとは思わなかったのである。あくまでも、可能性の1つとして考えていただけであった。

 最後の最後、才人が、“フネ”の上の対決でジョゼフ王が“虚無の担い手”であるということを知った時は、いやもう大量のヒトの命が危険に曝されていた時なので、驚く暇もなかったのだが……。

「“ロマリア”もそうだったのよ。ジョゼフ王じゃない。別の“担い手”がいると想ってた。ジョゼフ王を打倒した後、そいつを味方にするつもりだったんでしょ。でもざーんねん。“ガリア”の“担い手”はジョゼフ王でした。自分達で斃しちゃいました。まあ、あの時はもう二進も三進も行かなかったもんね。だって、斃さなきゃ自分達が殺られそうだったんだもの。最後の“ガリア”軍に対する演説だって、多分もう、精一杯の負け惜しみよ」

 才人は、そうだなぁ~~~、と唸りながら頭を抱えた。しかも、カステルモールの手紙の内容を知る者は、才人とタバサの他には先ずいないのだから。

「“エルフが敵です!” “黒幕です!” 何つって、幾ら“聖戦”を焚き付けたって、あんな恐ろしい火の玉を見た後じゃ、誰だって“エルフ”と戦おう何て思わないわ。おまけに“担い手”も欠けちゃったんじゃあ、戦い様がない。“4の4が揃わないと、“真の虚無”とやらは、覚醒めないんでしょ? あはは、そのまま寝てるが良いわ。だからタバサの戴冠式の後、とっとと“ロマリア”に帰っちゃったのよ。もう、することがないから。きっと今頃、“聖戦”なんて言い出したことを後悔してるに違いないわ。あれだけ大見得切ったのに、その手段を自分で潰しちゃったんだもの。教皇聖下、下手したらそのうちに失脚ししちゃうんじゃないの? 明日にでも、新教皇選出会議開催の報が“トリスタニア”に届くかもよ?」

 才人は、ルイズが眩しいモノのように見詰めた。

「御前……頭良いな……」

「あんたが抜けてるのよ。兎に角、私達はしばらくぶりの平和を享受しましょ」

「うん……」

 才人は、シンミリとした声で言った。

 ルイズは、得意げに指を立てる。

「これからの私達の仕事はね、“聖杯戦争”をどうにかすること、そして“始祖ブリミル”が“エルフ”を“使い魔”にしていた……それを調べることよ。きっと、“エルフ”と私達が争うようになった原因はそこにある。彼等の間に何があったのかを解明すれば、私達と“エルフ”が争う理由はなくなると想うわ」

 才人は、首肯いた。

「兎に角、今はユックリしたいの」

 ルイズは、頬を染めて才人へと寄り掛かった。

 そこに、キュルケがやって来た。

「あらら。御邪魔だったかしら?」

 ニヤッと笑みを浮かべたキュルケに、ルイズは慌てた調子で言った。

「そ、そんなことないわよ!」

 胸の大きく開いた夜会服を着ているキュルケは、辺りに色気を振り撒きながら、才人とルイズの隣で、バルコニーの柵に寄り掛かる。

「タバサの即位に乾杯」

 どことなく、寂しそうな声でキュルケは言った。

「キュルケ、タバサからは何の連絡もないのか?」

「ええ。こないだ実家から連絡があって……“ガリア”からの遣いの人が来て、タバサの母君を連れて行ったらしいわ。そのくらいね」

「水臭いな!」

 才人は言った。

「色々忙しいのよ」

 とりなすように、ルイズが言った。

 あれ以来、タバサからの連絡はないのである。

 才人達は“ガリア”を去る前に、タバサとの面会を望んだのだが……多忙の一言で断られてしまったのであった。タバサにその報告は届いておらず、家臣の一存での返答である可能性が大きいのだが……それにしても寂しい話である。

「でも、変な話だな……タバサの奴、即位はしないって俺と約束したのに……」

「きっと、あの娘にはあの娘の考えがあるんでしょ」

「あいつ、“ロマリア”に何か吹き込まれて、騙されてるんじゃないだろうな? 俺、それが心配で……」

 才人がそう言うと、キュルケは、プッ、と噴き出した。

「あの娘に限って、それはないわよ。恐らく、“ロマリア”は与しやすいなんて思ったんじゃないかしら? でも、あの娘はああ見えて、そういう駆け引きは百戦錬磨だしね。ま、私達に何か話す必要があると想ったら、向こうから連絡して来るわよ。どうしてもって言うなら、セイヴァーにでも訊いてみれば良いじゃない」

「そうか……そうだよな」

 才人は、理解った、と首肯いた。

「ま、人の心配より、自分の心配をしたら?」

 キュルケは、意味ありげな流し目で才人を見詰めた。

「へ? 俺?」

「そうよ。サイト、貴男この頃、何だか良い男になって来たわよ」

「そ、そうか?」

「ええ。ジャンほどじゃないけどね。気を付けた方が良いわ。貴男、女で大変な目に遭いそうよ」

「どーゆー意味よ!?」

 ルイズが、目を剥いて怒鳴った。

「あらルイズ。貴女も浮か浮かしてらんないわよ。出し惜しみしてると、どっかの女に奪われちゃうかもね」

 キュルケは、おっほっほ、と楽しそうに笑いながら去って行く。

「何よ~~~! あの馬鹿女!」

 そして才人がトロ~ンとした目で遠くを見ていることに気付き、ルイズはその足を踏ん付けた。

「あ痛ッ!?」

「何その顔? 何な大変な目に遭うのかな~~~って期待に震えるその目なに?」

 ルイズに睨まれ、才人は首を横に振った。

「き、期待になんか震えてないよ!」

「嘘ばっかり。絶対想像してたわ。こぉ~~~んな大きな胸した娘とかに言い寄られて」

 ルイズは両手を使って胸の前で半円を描き、こぉ~~~んな、を見事に表現してみせた。

「こうやって這い蹲って、左右からホッペを胸で挟まれて、ハグハグしちゃってもう大変って感じの想像してたわ」

 ルイズは床に膝を突くと、両手で自分の頬を挟み、ハグハグを表現した。

「あのな……ルイズ……」

「“サイト困っちゃった~~~、大きい胸に顔挟まれて困っちゃった~~~”、何よ!? 全然困ってないじゃない!」

「何その一人芝居?」

「あんたの頭の中を実演しただけよ!」

 ルイズは立ち上がると、才人に怒鳴った。

「馬鹿言うなって。俺は御前以外で困りたいなんて想ってないよ」

「何よそれ? 私でそんなに困ってるって言いたいの?」

「い、いや、そういう訳では……」

「ハッキリ言いなさいよ。誰と困りたいのか、きちんと私に言いなさいよね」

 ルイズはプイッと顔を背けた。

 いい加減、ルイズのこういった態度に慣れてしまった才人は、そのサインに気付く。

ベタに来て、である。

 ルイズは、水分を要求する育ち盛りの花のようなモノで、養分が足りないと枯れてしまうのである。枯れるというよりも、怒るのである。怒るとかなり面倒なことになるであろうことは明白でこういったサインを見逃してはいけないのである。

 才人は息を吸うと、取り敢えずルイズを褒めた。

「こんなに可愛い御主人様が側にいるのに……余所見なんかする訳ないじゃないか」

 ルイズは、う~~~、と唸った。何というのであろうか、先程のキュルケの台詞が気に掛かっているのである。

 確かに、最近の才人は妙に凛々しくなって来たといえるだろう。様々な経験によって男を磨いて来たのである。たまに羽目を外す時もありはするが、騎士隊の副隊長としてしっかり隊を纏め上げている。(そろそろ、本格的にヤバイんじゃないのかしら……?)、とルイズは不安になった。

 だが、かといって色々なことを許すつもりにも、ルイズはなれなかった。最近は色々と考えも変わって来はしたが、それでも何といっても、ルイズは“貴族”である。

 何があろうが安売りだけは許すことができないのである。

 ルイズは、(それなのに、最近の私とたら! 何だか雰囲気に流されるままに、許しちゃってる気がするるわ)などと考えたり想像したりして、耳まで真っ赤にした。

 ルイズは、(やっと訪れた平和な時間……だからこそ、もうちょっと、その辺りのことを真剣に考える必要がありそうね)と考え、いきなり焦り始めたり、顔を真っ赤にしたりを繰り返す。

 そんなルイズを見て、才人は何だか不安になった。おいルイズ、と声を掛けようとしたら……。

 ホールから、楽師の奏でる軽快な音楽が聞こ得て来た。テンポの良い、夜が楽しくなるような、そんな曲で在る。

「この曲……」

 ルイズが呟くように言った。

 才人も直ぐに気付いた。

「初めて、御前と踊った曲だな」

 フーケの“ゴーレム”を倒した後の舞踏会。あの時、才人とルイズは一緒に踊ったのである。まるで昨日のことであるかのように、才人はその夜のことを想い出した。

 どちらからともなく手を取り……2人はホールへと出て行った。それから、曲に合わせて踊り出す。

 相変わらず才人の踊りはぎこちないが、ルイズは幸せな気持ちに包まれた。

「そう言えば、御前の髪型も、ドレスも、あの日と同じだな」

「今頃気付いたの?」

「ご、ごめん」

「あんたって、ホントに鈍いのね」

 ルイズは、少しばかり拗ねた口調で言った。だが……あの時と同じ音楽に包まれて才人と踊っている。それが、ルイズを幸せで満ち足りた気分にさせてくれた。

 辺りを見回すと、様々に着飾った男女が似合いのカップルであるようにそれぞれステップを踏んでいる。

 遠くにティファニアの姿が見える。

 彼女の前には、何人もの男子が群がり、ダンスを申し込んでいる。もう、“ハーフエルフ”という理由から怯える生徒はいない。彼女が“アルビオン”王家の血を引いるということを知る生徒は少ない。それでも持って生まれた御淑やかな雰囲気と、“エルフ”の血が混じった異国情緒とその暴力的なバストにやられて仕舞う男子は後を絶たないのである。

 努力は認めることができるが、あのティファニアに似合うほどの男子は残念なことにいない。

 ティファニアの美しさと来ると、かなり神々しく、たまに女の子であるルイズでさえも気圧されてしまうほどである。ティファニアの隣に立つことができる男は、伝説の彼方にしか存在しないのでは、と想わせるほどでもある。

 ルイズは、(じゃあ、私はどうなのかしら? 自分は“トリステインの英雄”になりつつあるサイトに釣り合うんだろうか?)と胸に不意に疑問が忍び込んだ。

 今や才人の、“トリステイン”に対する功績は、計り知れないモノがあるといえるだろう。この前の“ガリア”でのことにしても、“サーヴァント”が戦っていただけのようなモノである。本来であれば、シュヴァリエどころではない。爵位をえるても何ら可怪しくはないほどの功績を、才人は立てている。伝説の“英雄”達と弾き比べても、何ら見劣りしないほどの勲功、そして成功の数々……。

 ルイズは、(それに引き換え、私はどうだろう? いつもウジウジと悩んで、逆にサイトの足を引っ張って来たのではないの? 嗚呼、自分は、司祭の肩書を得られるほどの活躍をしたかしら?)と考えた。そして、(してない)と心のどこかがルイズに囁いた。

 ルイズは、(あれだけ活躍したサイトが何も貰ってないのに……)と思い、幸せな気分が萎んで行く。それから、(私は、サイトに釣り合う女の子になれてるのかしら?)と疑問を抱いた。

「どうした?」

 不意にステップの止まったルイズに、才人が問い掛けた。

「な、何でもない」

「気分でも悪いのか?」

 ルイズは首を横に振った。

 ルイズは、(折角平和になったんだもの。要らぬ心配などしな方が良いわよね。サイトはこうやって、側にいてくれるじゃないの。それに……“屋敷を買って、卒業したら2人で暮らそう”とも言ってくれてるのよ。変な心配は、そんなサイトに失礼よ)と考えた。

「ホントに大丈夫。それより、踊りましょう」

 ルイズは澄ました顔で言った。

 だが……ルイズの心に張り付いた不安の雲は、何か上手く晴れなかった。

 

 

 

「シオン女王陛下、セイヴァー様、御話聞かせて下さいませんか!?」

 ギーシュやマリコルヌ達と同様に、俺とシオンの所へも生徒達が集り、先の戦いについて聞きに来た。

「えっと……」

 そんな生徒達を前に、シオンは苦笑を浮かべる。が、口を開こうとはしない。

 そんなシオンに代わり、俺が少しばかり口を開く。

「そうだな……実に哀しいことだった。兄弟の擦れ違いから始まった、哀しい出来事だ。だが、それもまた人間であるからこそ起きること……俺は、あいつ等のこともまた愛しい……嗚呼、あいつ等の魂が報われることを祈るよ」

 俺の言葉に、シオンを除いたこの場の皆は首を傾げた。

 それから少しして、音楽が鳴り始める。

 皆が思い思いの異性と手を取り合い、ダンスを申し込み、申し込まれ、踊り始める。

「さて、俺達も踊ろうか?」

「ええ、一曲御願いね? セイヴァー……」

 シオンは悲しげな笑みを浮かべ、俺と共にホールの真ん中へと向かった。

 

 

 

 

 

 舞踏会が終わり……生徒達が寮へと戻り始めた。

 才人達も、自室に戻ることにした。

 3階にあるルイズの部屋の前まで、才人とルイズの2人はやって来た。

 才人が中に入ろうとすると、「……気持ち悪い」とルイズがヘロヘロになりながら、肩に凭れ掛かって来る。

「ったく、呑み過ぎだっつの」

 珍しく、ルイズは潰れるほどにワインを呑んだのである。

 才人は、(酒に弱い癖に、一体どうしたんだ)と想った。

「ねえサイロォ……」

「ん?」

「ほんろに、わらしと一緒に暮らしてくれるの?」

 才人は、(何だこいつは。そんなことを心配してたのか)とホッとした。

「暮らすよ。明日は“虚無の曜日”だろ。早速、屋敷を探しに行こうぜ?」

「うん。行く」

 ルイズは拾われた子犬のような目で才人を見上げ、こくこくと何度も首肯いた。そして、ヒシッと才人へと寄り添う。

 何だかそのようなルイズがとても“愛”らしく想え、才人は満ち足りた気持ちになって行くのを感じた。

「ずっと一緒だ」

 そう言うと、ルイズはトロンとなすた目で才人を見上げる。

 何だかもう堪らずに、才人はルイズを抱き締め、キスをした。

 すると、グイグイとルイズは唇を押し付ける。

 才人が控えめな胸に手を這わせても、ルイズはもう怒らない。

「小さいから……嫌だ……」

「ち、小さくないって」

「嘘。小さいもん」

 それでもルイズは、才人の手を撥ね退けようとはしない。

 デフォルトでここまで来るのに、一体どれだけの時間が経っただろうか。

 さて、問題は次の段階へのステップなのだが……。

 数々の失敗が、才人の頭の中を巡る。いつもいつも、上手く行きそうであったのにも関わらず、才人は失敗して来たのである。

 才人は、(だがもう、失敗はしない。今日こそ、俺は……)と熱くなりつつあった頭を冷やし、冷静に思考を巡らせ始めた。そして、(俺……どうやって失敗して来たっけ?)と考える。

「小さいでしょ?」

 再びルイズが、不安げに尋ねて来る。

 才人はそこで、(嗚呼、想えば俺はこの胸ネタで相当やらかして来た。そう。兎に角ルイズの胸が小さいことを肯定してはいけない。どれだけ小さいからといっても、“うん、そうだね”、何て言ってはいけないのだ)と想った。

「俺、他の人の良く知らないけど……普通だと想うよ」

「それなら良いの」

 才人は、(良し。第一関門クリア。次に注意しなくてはいけないのは……あの魅惑のぽっちゃり、マリコルヌだ。だがしかし、ここにはいない。何せ此処は女子寮だ。神出鬼没のぽっちゃりさんだが、今日は大丈夫。うん。良し、第二関門クリア。後は……何かあったような気がするが……想い出せない。まあ、大丈夫だろう。詰まり……エンジンを掛けても良ってこと?)と頭の中で、何かが爆発した。

「良し、掛けるぞ。俺は。アクセルオン。今こそ全開だ」

「あくせる……?」

 ブツブツと、才人は思考を言葉にして言っていたようである。

 ルイズが、不思議そうな顔で才人を見ている。

 才人は首を横に振ると、ルイズに向き直った。

「いや……こっちのこと」

 才人は、(あれ……行っとく?)と心の中の黒い部分が呟く。白い部分が、必死になってそれを止める。(あれは……ないっしょ。流石に。やったら引くっしょ。アウトでしょう。でも……あれ夢じゃん。御前の夢じゃん。やりたいことに忠実になとかないと、人生に対する冒涜ってもんでしょ?)、と考え、ピキーンと音を立てて、神託のような何かが、才人へと下った。

「兎に角御前は可愛い。さて、そんな可愛い御前に御願いがあります」

 才人の目が据わっている。

 ルイズは一瞬、酔いが飛ぶかと想ったが、(サイトに着いて行くって決めた。私……何が飛んで来ても驚かないの……)と想い、持ち堪えた。

「“小さいにゃんにゃん、大きいにゃんにゃんに苛められたいにゃん”って言って御覧」

「はい?」

 ルイズは、頭の天辺から何かが急速に抜けて行くのを感じた。

 詰まり……何というか、引いたのである。

「言って御覧。と言うか、言え」

 才人は真顔であった。

 激しい葛藤が、ルイズの中で生まれた。(幾ら何でも、これはない。小さいにゃんにゃんって何? 誰のこと? もしかして私? ねえ、ことの台詞何? 母様、この人、私をどこに連れて行こうとしているの?)、と流石のルイズも、才人のその本物っぷりによって、一瞬で現実へと引き戻されたのである。

 でも……とルイズは、そのような疑問を抑えた。そして、(今はこんなだけど、さっきはサイトと一緒に踊って楽しかった。何と言うか、私は結局こいつじゃないと駄目らしいわ)と想った。

「言え。と言うか、言ってください。ごめんなさい」

「……言ったら、優しくしてくれる?」

「勿論」

「意地悪なこと言わない?」

「はい」

 仕方なしに、ルイズは首肯いた。優しいキスなどをもっとして欲しかったからである。「可愛いよ」と言って欲しいからである。才人の妄想の暴走っぷりは百も承知であるため、仕方ないとルイズは諦めることにしたのである。何のかんのいって、やはりルイズは健気であるのだ。

 で、言った。顔を真っ赤にさせて、震えながらルイズは言った。

「い、小さいにゃんにゃん、大きいにゃんにゃんに苛められたいにゃん」

「有難おぉー!」

 もどかしげに才人は、ルイズを抱き締めたまま部屋の鍵を開け、そのまま扉を開いた。

 口をポカンと開けて唖然とするシエスタと、そのメイド仲間と、おかえりなさいサイトさんと書かれた垂れ幕があった。テーブルの上には料理が並んでいる。

 才人の頭の中が、急速に冷えて行く。

 そして、(そうだ。今はシエスタが専属メイドで……だからさっきもいなかった訳で……と言うか今の全部丸聞こえだった訳で……)、と才人は気付いた。

 メイド達は、しばらく呆然としていたが、そのうちに堪らずに笑い転げ始めた。

 シエスタがどこまでも冷たい目で、ボソリと呟いた。

「おかえりなさいにゃん」

 更にメイド仲間達は、キャアキャアと笑い転げる。

 ルイズは深呼吸をすると、取り敢えず自分に恥を掻か為た才人を蹴りまくり始めた。

 

 

 

 “ガリア”で得た傷よりも、痛め付けられた才人は唸っていた。

 メイド中も帰ってしまった後、ルイズとシエスタは果てしない言い争いを繰り広げていた。

「ミス・ヴァリエールはやり過ぎです」

「はぁ? どういう意味よ? と言うか、何であんた、サイトはおかえりなさいで私は無視なのよ!?」

 ルイズは、垂れ幕を指して怒鳴った。

「え~~~、だって、私サイトさんの専属ですもん。ミス・ヴァリエール関係ないですもん。でも、御無事で何よりです」

「気持ちが込もってないわ!」

 シエスタは、そんなルイズを全く無視して、才人を介抱し始めた。

「大丈夫ですか? ホントに非道い御主人様ですね」

「ごめん! ホントにルイズごめん!」

 才人は、譫言で謝り続けた。どうやら、夢の中でも、ルイズに折檻されているようである。

「今回もサイトさんやセイヴァーさん、大活躍だったらしいですわね。ホント、自分のことみたいに誇らしいです」

「ごめんなさい! 才人生まれてごめんなさい!」

「安心してください。このシエスタは、いつでもサイトさんの味方ですから。ホントもう、何のかんの言って私が1番ですよ? 何せ余所見してもあんまり怒りませんし、他の娘とキスしてもあんまり怒りません。それ以上したら殺しますけど。でも好きですからね」

 シエスタは、「おーよしよし」と言いながら、意識を失っている才人の頭を撫でた。

 ルイズは、(何か腹立つ台詞だけど……まあ、赦してやろうかしら)と少し冷静になり、そういった気になった。何せ、卒業したらルイズは才人と一緒に暮らす予定であるのだ。(“学院”メイドのシエスタとは、必然的に御別れだものね)とそう想うと、沸々とルイズの中で優越感が湧いて来るのであった。

「何ニヤニヤしてるんですか?」

 ルイズのその様子に気付いたシエスタが、ジロリと睨む。

 椅子に腰掛けていたルイズは、思いっ切りポーズを取りながら足を組んだ。

「べーつーにー」

「言ってください」

「そこまで言うんなら言って上げるけど……まあ、今だけなら、その犬触っても良いわよって。そんな感じ」

「何ですかそれ? どういう意味ですか?」

 敵意剥き出しで、シエスタはルイズへと詰め寄った。

「いやね? 卒業したら、私サイトと暮らすしー。ま、それまではあんたも少し楽しめばって? って。そんくらいなら良いわよって。そんな感じ?」

「何言ってるんですか」

 シエスタは、呆れた顔で言った。

「はぁ?」

「サイトさんが引っ越したら、私も着いて行くに決まってるじゃないですか」

「メイドは要らないの。小ぢんまりした所で良いから」

「いやですね、それを決めるのはミス・ヴァリエールじゃないんです」

「ふぇ?」

「もう。御存知じゃないですか。私をサイトさんに着けたのは、他ならぬ女王陛下ですよ。詰まり、私は女王陛下よりサイトさんに下賜された持ち物みたいなモノなんです。勝手に首なんかしたら、逆心ありって、事になっちゃいますよ!?」

 ルイズはワナワナと震えた。

 シエスタの言う通りである。ルイズの一存で、シエスタの進退を決めることはできないのである。

 勝ち誇った声で、シエスタはルイズに告げた。

「ま、そんな訳で。御屋敷を探すんなら、もちろん御伴させて頂きますわ! 何せ、私の新しい職場ですからね!」

 

 

 

 シオンの自室にて、俺とシオンは当然だが、そこにはアサシンの姿もあった。

「で、“ロマリア”の動向はどうだ?」

「変わらずです。“ガリア”の方は、タバサ様、いえ、シャルロット様が色々と模索されている様で」

「報告有難う。また、御願いできるか?」

「もちろんですとも。にしても、この“礼装”は凄いですな。私の“気配遮断”をより高いモノに……“ロマリアのライダー”や“イーヴァルディ”殿達に全く気付かれていない様子で」

「それはそうだろう。色々と、“地球”の“魔術”と“魔法”、“ハルケギニア”の“魔法”、などを組み合わせて造ったからな」

 “暗殺者の英霊(アサシン)”であるハサン・サッバーハは、素直な感想を述べる。

 その言葉に、俺は首肯く。

 “千里眼”や“専科総般”などを用いて造り出した“礼装”なのである。目的やその用途に合わせた効果を発揮するのは当然のことである。

「残る“サーヴァント”は、俺“オルタネーター”、“シールダー”である才人、“ブレイバー”であるイーヴァルディ、“アサシン”である御前、“ライダー”のジュリオ……そして、“アヴェンジャー”……あいつはどこで何をしているのか判ったか?」

 “千里眼”で確認することができるが、敢えて俺はハサンへと問い掛ける。

「いえ、まだ掴めておりませぬ。申し訳ありません」

「謝る必要はない。全く問題はないからな。奴が動くタイミングは既に判っている。こっちがそれに合わせて動くのみだ」

「その、“眼”によるモノですか?」

「そうだ。今の所はおおむね前世で見知った通りの展開だが、行き過ぎると大きく外れてしまう。“剪定事象”から更に外れ……そうならないように俺はこの“眼”を使用して確認し、修正している。“千里眼”……“最高位の魔術師の証である、ここにいながら彼方を見据える眼”……“識る事が魔術の基本にして最奥”だ……“生まれながらにして真理に到達している”証とでも言えるか。“どれほど重厚な魔術回路を持ち、強大な魔術式を操れようと、この千里眼を持たない魔術師は最高位の座に呼ばれることはない”」

「やっぱり、セイヴァーって凄いんだね」

「借り物の力……“特典”の1つだからな……俺自ら掴み取った力じゃない。ズルをしてるんだよ、俺は。で、話を戻すが、この“千里眼”には種類がある。1つ、未来の世界を視通す。1つ、過去の世界を視通す。1つ、現在の世界を視通す。が、太陽系内のことしか知覚できない、識ることができない」

「なら、どうして“他の世界(ハルケギニア)”のことを知ることができるの?」

「先ず、第一に“ハルケギニア”の住人達は、ブリミルの子孫だ。詰まり、現在の“地球”で活動を続けている人類達の遠い兄弟や親戚だといえるだろう。そして、第二に“根源接続”……それを利用しているのさ。“根源”は、総ての始まりと終わりだ。そこと繋がっているんだから、色々と観ることができる、知ること、そして識ることが可能って訳だ」

「“根源”、か……“始祖ブリミル”もその両方を持ってたって話だけど?」

「そうだ。あいつの場合は、神によって与えられた……神話でよくあることだが、神に目を付けられたら、碌な目に遭わない。今じゃあ“始祖”何て呼ばれてるブリミルだけど、あいつは……さて、ハサン。御前にはまた別の任務を与えることになるが」

「構いません。どのような?」

「とある少女の監視と護衛だ」



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アンリエッタの憂鬱と、ルイズの不安と、才人の出世

 “トリステイン王国”首都“トリスタニア”の郊外……“ロシュローの森”を過ぎた辺りの一角。

 “トリスタニア”で“貴族”を始めとした裕福な商家などを相手にする不動産業を営む、ヴェイユ氏は頭を抱えていた。“貴族”相手の商売とはいえ、彼が扱うのは爵位が就いた所謂“領地”持ちなどではない。裕福な商人や、官職“貴族”でも買えるただの土地を扱っているのである。故に、本日の客がフラリと表れた時、ヴェイユは小躍りをして喜んだ、何せ、国でも3本の指に入る大“貴族”が相手であったためである。このような名士を客に持った、ということになれば、彼の店の名も上がるモノである。

 上手く取引を成功させれば、新しい顧客を紹介して貰うことができる可能性だってあるのだ。そろそろ事業の拡大を考えていた、遣り手のヴェイユは喜び勇み物件を扱う書類を漁った。

 だが、この大“貴族”の主従とくれば……。

「気に入らないわ」

 腕を組んで、ヴェイユが紹介した屋敷に文句を付けたのは、そのラ・ヴァリエール公爵家の3女、ルイズ・フランソワーズであった。

 彼女達が“ブルドンネ街”のヴェイユのオフィスへとやって来たのは、今朝の8時で在る。彼等は到着するなり、こう言い放った。

「屋敷を紹介してください」

 彼等は、「主従2人の生活のために、小ぢんまりしたモノでも構わない」と言った。

 その言動から、どうやら世を忍ぶ若い恋人同士、結婚前の住居を構えるつもりであろう、とヴェイユは推測した。身分違いの恋人同士が、このような隠れ家を求めに来るということは何も珍しいことではないのである。

 直ぐ様幾つかの物件を、ヴェイユは見繕い、案内に応じた。

 だが、どうにもルイズが御気に召す物件は現れないようであった。桃髪美少女の公爵家3女は、ヴェイユの紹介する物件という物件に、文句を並べているのである。

「どこが好くないんだよ? 言ってみろ」

 憮然とした声で、そう言ったのは、ラ・ヴァリエールの御伴の黒髪の少年。

 だが、ただの少年ではないということを、ヴェイユは知っていた。

 着込んだマントには銀色のシュヴァリエとしての紋が縫い込まれている。

 彼が、街で噂の、平民出身の騎士隊副隊長ヒリガル氏である、ということをヴェイユは即座に理解したのである。

 才人は“この世界”に於ける平民出だということだけはあり、ヴェイユにとって与しやすい客であるといえるだろう。ヴェイユが紹介する物件に、彼はいつも賛同の意を示していたのだから。

「別に、これで良いんじゃないの?」

 だが、彼がそう言うたびに、ルイズの眉は吊り上がるのであった。やれ「壁の色が好くない」だの、「普請がボロい」だの、「向きが好くない」だの、ついには庭に植わっている木にまで文句を付け始める始末である。

 ヴェイユにも勿論プライドというモノがある。ついには取って置きとでもいうことができる物件を選び出し、見せた。

 今、現在、才人達の前に広がっているのがその物件である。

 流石に、これに文句を付けるとはどういうことか、とヴェイユは震えた。

「若奥様。気に入らないとは、どういったことでしょう? この屋敷を普請いたしましたのは、斯の高名な建築家、“ロッサリーニ”氏で御座います。とある芸術好きな大“貴族”の依頼を受けまして、彼はその全霊をもって設計、建築したので御座いますよ!」

 確かに、その屋敷は芸術的な造りをしているといえるだろう。今まで見た屋敷が、どことなく普通のデザインであるといえるのに対して、随分と変わった形をしているのである。半球形に石が積まれ、真ん中には大きな吹き抜けと中庭がある。その中庭が森を切り取ったような風情をしていたのである。壁には花壇が造られ、様々な花が植えられている。さながら、屋敷自体が、森を切り取った風情をしているのである。

「凄いよ。何て言うかな、自然と一体化してる。うん。これは凄い」

 才人はそう言って首肯いた。

 ヴェイユはその言葉に大きく首肯いた。

「でしょう? 流石近衛騎士殿は御目が高い! これが貴男、10,000“エキュー”とは、破格も破格! これ以上の屋敷は、“トリステイン”中を探したって見付かりませんよ!」

 確かにそうかもしれない、と想っていた才人は、ルイズを促した。

「いやぁ、これ何のかんの言って凄いんじゃないの?」

「呆れた。あんたは、こういうのが好いの? どこが良いのよ? まるで花瓶じゃないの」

「面白いじゃないか」

 ルイズは呆れた顔で溜息を吐いた。

「ばっかじゃないの? そんな理由で住居を選ぶなんて、あんたはやっぱり趣味が下品ね!」

「何だと?」

 そのような言い争いを、後ろで黙って見ていた黒髪の少女が諌める。

「まあまあ、御二人共、喧嘩なんかしないでくださいな! 折角、素敵な御屋敷を探しに来たんですから……ねっ?」

「……っさいわね。あんたには関係ないじゃない」

「関係あります。だって、家事をするのは私なんですから。きちんと見ておく必要があります」

 澄ました顔で、黒髪の少女――シエスタは言った。

 ヴェイユは、ハラハラし始めた。桃髪の“貴族”少女であるルイズの機嫌が悪いのは、この黒髪少女シエスタの存在が大きいようであるということに気付いたのである。

 シエスタが屋敷を褒めると、ルイズの顔が険悪になる。そして、兎に角壁の色まで憎らしいと言わんばかりにルイズは文句を並べ立てるのである。それを少年騎士である才人が宥めると、ルイズは更に不機嫌になる。

 先程から、その繰り返しで、ヴェイユはスッカリ頭が痛くなってしまっていたのである。

 

 

 

 

 

「サイトさん! 見てください! この御屋敷の台所、とっても広くて素敵ですね~~~!」

 キャッキャッと嬉しそうに、屋敷の中を見て回る才人とシエスタの後ろを、ブスッとした顔でルイズは着いて回った。

「……メイドは雇わず、と言ったのに」

 昨晩言った通り、シエスタは堂々とくっ着いて来たのである。

 ルイズが、才人へと文句を言うと、「シエスタ以上の御手伝いさんがいるのか?」と返されたのである。

 確かに、考えてみれば、シエスタほどテキパキと火事を熟してみせるメイドは中々いないといえるだろう。その上、ホントにメイドを雇わない訳にもいかないのである。男には任せることができない仕事というモノがあるのだから。

 ルイズは、(どこの馬の骨とも知らないメイドを雇うよりは、マシなことも確かだけど)と考えた。

 だが……こういうのは理屈ではないのである。

 ルイズは、薔薇色の生活がどんどん曇って行くようにに感じられた。

「凄い、釜戸なんかこんなに大きいです! これはもう、何でも作れちゃいますね~~~。サイトさんは何が食べたいですか?」

「そうだな……でも、シエスタが作るモノだったら、何でも美味しいと想うよ」

 ルイズは、(何よあれ!? まるで新婚さんの会話じゃないの! 誰と暮らすつもりなのよぉ~~~!?)と想い、きぃ~~~、とハンカチを破れてしまうのではと想えるほどに、噛み締めた。

 何か激しく負けているような気がしたために、ルイズは頑張ることにした。辺りを探し、ルイズは絶好のモノを見付けた。

「えー。こほん。こほんこほん」

「ん? どうした?」

 才人の注目が向いた。

 ルイズは想い切り澄ました顔で、天井の一角を指さした。

「素敵なシャンデリアね。成る程、流石に芸術嗜好の“貴族”が建てさせただけあるわ。随分と前衛的な造りじゃない。でも、質素な中に気品があるわね」

 もっともらしい顔で、うんうんとルイズは首肯いた。

「……それ、野菜を干すための籠ですよ?」

 シエスタが、ぷぷぷと笑みを浮かべながら言ったために、ルイズは耳まで真っ赤にした。

「御前、面白いこと言うな。俺にだってあれは籠にしか見えなかったぜ」

「全く、ミス・ヴァリエールに任せてたら、御屋敷は選べませんね」

「常識がないからな。“貴族”だし」

 ルイズはいた堪れなくなって、床に付いた扉を開けた。

「と、地下室があるわ」

「貯蔵庫だろ? そこ」

「そ、そうとも言うわね。ねえサイト、入って見ない?」

「見ない」

 才人は膠もなく拒否すると、再びシエスタの説明に聞き入り始めた。

 すっかり屋敷選定の主導権をシエスタに握られてしまったルイズは、仕方なしに貯蔵庫に1人潜り、そこで膝を抱えて座り込んだ。

「ねえサイトさん! このオーブン最高です! 最新の造りですわ! 風穴の造りが工夫されてますの! ほら!」

「何らか理解らないけど、シエスタがそう言うんなら凄いんだろうな!」

 ルイズは、1人鼻歌を歌ったが、当然誰も聞いちゃくれない。

 そうしていると、ルイズの眼の前にピョコンと何かが不意に現れた。

「カ! 蛙―!」

 蛙が嫌いなルイズはパニックに陥り、思わず“魔法”を撃っ放してしまった。

 辺りに悲鳴と煙が舞い上がる。

 煙が晴れた後、ヴェイユは一同へとこう告げた。

「申し訳ありません。私には、ラ・ヴァリエール様を満足させるような物件を御紹介することはどうにも不可能なようです」

 

 

 

 

 

「で、結局、どこも見付からなかったって訳ぇ?」

 スカロンが、やれやれ、と両手を広げて言った。

 ルイズ達は、ヴェイユに愛想を尽かされた後、憂さを晴らすべく“トリスタニア”の“魅惑の妖精亭”までやって来たのである。

「そう何すよ。こいつがもう、我儘ばっかり言うもんだから。おまけに、終いにゃ“魔法”まで撃っ放すし。屋敷の修繕費だって、200“エキュー”も取られましたよ」

 才人が憮然として言うと、ルイズは恥ずかしそうにそして申し訳なさそうに俯いた。

「わ、私そんなに悪くないもん」

「あのな、どういう屋敷なら、文句ないんだよ?」

 心底疲れた声で、才人が尋ねた。

 メイドがいなければ何でも良かったルイズであるが、そのようなことを言ってしまえば自分の負けを認めるようなモノである、と想った。

 仕方なしにブツブツ、とルイズは間取りがどうのと、陽の入り具合がどうのと、言い始める。

 そんなルイズの様子をスカロンの側で見ていたジェシカが、重々しく首肯いた。

「詰まり、シエスタが一緒なのが気に入らないんでしょ? ルイズは」

 その場の空気が、ジェシカの敢えて空気を読まずに挟んだ言葉によって、固まった。

 才人は、薄っすらとではあるが(そうかもしれない)、と想っていたために、堪らずに青くなった。何と云うので在ろうか、後ろめたい部分にスポットが当てられてしまったような気分になったのである

 だが……ルイズとシエスタは、その辺りなんとかやるとも、才人は想っていたのである。(シエスタは純粋に自分に魅力を感じていて、詰まり恋愛感情的な好きとかそう言うのを昇華した次元であって……)、などと考えていたのである。

 そんな風に才人がしどろもどろになりながら、ルイズとシエスタを見ると、何だか冷ややかな空気が漂っている。

「さ、最近は仲良いじゃないか。キミタチ」

 ポツリとそう呟くと、スカロンがポンポンと才人の肩を叩いた。

「サイト君は、ホントに女心が理解ってないのねぇ~~~。そんなの、今だけだからじゃないの」

「え? え? ええ?」

 クネクネと動きながら、スカロンは言葉を続ける。

「いざ御屋敷を買うってことは、そこで本格的に生活が始まるってことじゃない。安心が欲しいのよ。ルイズちゃんは。でも、それはシエちゃんもおんなじね」

 いつの間にか、2人がジッと自分を見詰めているということに才人は気付いた。

 じとーっと細い目で、才人に何かを訴え掛けて来ている。

 で、どーすんの?

 2人の目の中にあるのは、そのような問い掛けである。

 最近になってやっと、ルイズの気持ちが自分に向いているということを理解できるようになった才人である。だからもちろん、ルイズ以外の女の子を見るつもりは、才人はなかった。たまに生理的に余所見をしてしまう可能性は、なきにしもあらずではあるのだが……。

 ひるがえってシエスタ。彼女のことも、才人は好きである。ただそれは、ルイズに対するそれとは明らかに違うのである。だが、彼女は「それでも良い」と言ってくれている。彼女が才人に対してしてくれたことだって、どれだけ感謝しても足りないくらいなのである。(自分の側でメイドの仕事がしたいと言うのなら、そんな願いを無碍にすることはできないしな)と想っているのである。そのようなことをしてしまえゔぁ、人としての大事な何かを踏み外してしまうような気がしているのである。

 そんなこんなで、才人はどうにもこうにも決めることができなかった。

 そんな3人を見て、スカロンはポンポンと手を打った。

「さてと、じゃあ大人な解決」

「大人な解決?」

「そうよ。このままじゃ、どうにも結論出ないじゃない」

 3人は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「えっとね。サイト君は御屋敷を買う。ルイズちゃんと暮らす。シエちゃんも雇う。これで万事解決」

 シエスタの顔が輝き、ルイズの目付きが険しくなった。

 才人は、胃がある場所を押さえた。

「どうしてそうなるのよ!?」

 ルイズが怒鳴ると、スカロンは冷ややかな目でルイズを見詰めた。

「あのね、ルイズちゃん。サイト君は今や救国の“英雄”様じゃないの」

 ルイズは、そこではたと気付いた。店の外に、見物客が沢山鈴鳴りになっているということに……。また、街に来る途中も、そのような目でジロジロと見られていたのである。

 その視線の先にあったのは……。

 見物人の中から、1人の中年女性が飛び出して来て、才人の前で膝を突いた。

「え? 何!? 何々!?」

 才人が慌てる。

「あの……貴男様はもしや、陛下の“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”副隊長、ヒリーギル様では……?」

「や。ヒラガですけど……」

 すると、見物人からどよめきが沸いた。

 ルイズ達はその迫力に恐れをなし、思わず身震いをした。

「御逢いできて、か、感激です! “平民”出身ながら、数々の大手柄! 貴男は私達の太陽です! 是非是非、この子の名付け親になってくださいまし!」

 そんな風に叫ぶ女性の後ろから、商家のなりをした男性が飛び出して来て、才人の手を握った。

 集まった人々は、口々に才人の活躍を口にし、褒めそやした。

「“アルビオン”での退却戦!」

「“虎街道”での大活躍!」

「そして、“リネン川”での100人抜き! 貴男の活躍を聞いて、我等“トリスタニア”市民はどれだけ勇気付けられたことか!」

「いや、10人ちょっとですけど……」

「それでも大変なことです! “貴族”を10人も抜いただなんて! いや! 今では貴男様も“貴族”な訳ですが!」

 どうやら才人の活躍は、尾ひれまで付きまくっているらしい。“ガリア”の“貴族”まで知っていたくらいであるのだから、“トリステイン”で才人の活躍が知れ渡っていても、何ら不思議ではないのである。

 兎に角、この前の“アルビオン”での活躍で才人の名前は――間違って伝えられながらも有名になり、今回の“ガリア戦役”でとうとう人気に火が点いたのである。

 詰まり、“魔法学院”の食堂での待遇が、街規模に、否国規模になったといえるのである。

 才人は、何だかもう照れ臭いやらどうして良いのか理解らないために、頭を掻いた。

 群がる民衆に弾き飛ばされる格好になったルイズに、スカロンが囁いた。

「ルイズちゃん、これで理解ったでしょ? 今やサイト君の人気は、この“トリスタニア”じゃ凄いんだから。多分、1人じゃ街を歩けないくらいにね」

「な、何でいきなり、こんな大人気に……?」

 こほん、とスカロンは咳払いをすると、食堂の壁に張られた広告を指さした。

 それは……“タニアリージュ・ロワイヤル座”での公演ポスターであった。

 演目を見て、ルイズは目を丸くした。

「……“アルビオンの剣士”?」

 ポスターには、剣を持った2人の男が、恐ろしげな格好をした“アルビオン”兵に立ち向かう様が描かれている。男は革の道義を着込んだ立派な偉丈夫であり、才人とは似ても似つか無いといえるだろう。

「どうせだから、皆で見物に行く?」

 ルイズは、スカロンの提案に、冷や汗を流しながら首肯いた。

 

 

 

 

 

 

「悪辣非道な“アルビオン”軍め! 掛かって来るが良い!」

 眼の前で繰り広げられている歌劇を、才人達は呆然と見詰めていた。

 剣を握った黒髪の役者と金髪の役者が、“竜”の着包みや“貴族”の格好をした役者達を前に立ち回りをしているところである。

「敵は110,000! だが我等は2人! しかし、神と“始祖ブリミル”は“トリステイン”を御見捨てにならなかった!」

 小さな声で、才人が突っ込んだ。

「11人じゃねえか」

「そんなに舞台の上に乗る訳ないじゃないの」

 冷静な声で、スカロンが言った。

「この祖国の危機に、親愛なる両女王陛下は我等を遣わされた! “風の剣士”、ヒリーギル・サートーム!」

「“光の剣士”、セイヴァー!」

「“風の剣士”て」

「名前が凄いことになってるわ」

 舞台の上の才人役らしい男達は、次に剣を振り回した。

 舞台上の着包みや、敵の“メイジ”役の役者達が、その剣を受けてバッタバッタと倒れて行く。

 1人倒れるたびに、観客から猛烈な歓声が沸いた。見ると、客のほとんどは、成る程“平民”であることが判る。

 そのうちに、するすると上から2人の歌姫を乗せた籠が下りて来て、2人の剣士を称える歌を歌い始めた。

「“トリステイン”のゆうしゃ~~~、私の勇者~~~」

 その歌に合わせて、まるで学芸会であるかのような殺陣は続くのである。

「酷いチャンバラ劇だな……」

 切ない声で才人が感想を述べた。

「批評家には偉い酷評されてるけど、市民達には大人気なの」

 そういった内容にも関わらず、成る程観客達の熱狂は収まる様子がない。口々に剣士2人を称える声が飛んでいる。

 才人は深くフードに顔を埋めた。

 剣を外してフードで黒髪を隠しているために、観客達はここにいるのが才人であることは判らないようである。

 シエスタは、そんな劇と才人を交互に見詰めながら、頬を染めてウットリとしている。

「サイトさんが出てますよ。ほら。ほらほら。やん……私のサイトさん、とうとう舞台の上にまで出ちゃいましたわ」

「俺じゃないよあれ……別の何かだよ」

「わぁ。格好良い! あんな風にして“アルビオン”をやっつけたんですね……」

 だが、そんな才人の言葉を気にした風も無く、シエスタは夢中になっている。

 舞台の上の2人の剣士は、とうとう最後の“メイジ”を協力して打ち倒した。

 すると興奮した客達は立ち上がり、大きな喝采を贈り、劇場内を木霊する。

 本来、剣士が活躍するような筋書きは、このような大劇場で催されたりはしない。道端での大芸道や、人形劇などに限られるのである。だが、この“剣士ヒリーゲル”達は“救国の英雄”ということもあり、検閲を通ったのである。

 観客の熱気に気圧されたルイズが、ポツリと呟いた。

「す、凄いわね……」

 何というのか、まるで教祖のような人気である。事実、才人の人気は、平民の間では王様以上のモノがあるだろう。

「ほら、あっちを御覧?」

 スカロンは、観客席の一角を指さした。

 そこでは、少なく無い数の若い女性が、顔を赤らめている。

 彼女達の興奮した声が、ルイズ達の元へと届いた。

「素敵ね……剣士なのに“メイジ”をやっつけちゃうだなんて。でも、所詮劇の中の御話よね」

「あら貴女、何を仰るの? ちゃんとこの主人公には実在のモデルがいらっしゃるの。彼等のおかげで、“トリステイン”軍は救われたそうよ」

「しかも、今度は“ガリア”でも華々しい武功を立てられたとか!」

 そんな御方と御近付きになりたいわあ、と女性客達は首肯き合うのである。

 ルイズは、ワナワナと震えた。いや……理解ってはいたのである。“アルビオン”で、そして“ガリア”で才人達が上げた手柄の数々……その結果がもたらすであろうモノを、ルイズはしっかりと理解していた。だが、いざそれをしっかりと目の当たりにするまで、実感がなかった……脳裏から消していたのである。

「理解るでしょ? メイドを雇おうが雇うまいが、何も変わらないの。今やもう、サイト君を狙う平民女性は星の数。そうよねえ、あれだけの手柄を立てまくって、騎士隊の副隊長にまでなっちゃったんだもの」

 それからスカロンは、声を潜めてルイズに言った。

「それだけじゃないのよ」

「え?」

「あちらを御覧なさい」

 スカロンが目をやる先には、カーテンで仕切られた2階ボックス席があった。大“貴族”達は通常、ああいった席でコッソリと観劇するのである。

 カーテンの隙間から見えるその“貴族”の顔は、明ら様に不快そうに歪んでいる。“平民”出身の剣士が、かつての敵国とはいえ“貴族”をやっつけるという筋書きつまらない……気に喰わないのであろう。

 ルイズは思わず目を細めた。

「ね? 理解るでしょ? 人気が出れば、それを面白く思わない人達だって出て来るのよ。ウッカリ知らない人間なんかを雇った日には、食事に何を混ぜられるのか知れたもんじゃない。“ガリア”の王弟殿下もそうだけど、斯の“オーギュスト伯”だって毒入りのパンで死んだんだからね。サイト君には、シエちゃんみたいに絶対に信頼できる召使が必要なの。雇い人達の間で、善からぬ企みが行われた時に、直ぐに報告してくれるようなホントの御友達がね」

 ルイズは、どうしてスカロンが「シエスタを雇え」と言うのかを、ようやく理解できた。

 崇拝者が増えれば、その同じ数だけの敵も生まれるのである。これから才人とルイズは、そういった敵からも自分達を守らねばならないのである。

「スカロン店長の言う通りだわ」

 つまらぬ嫉妬で、危険を呼び寄せてはいけない。そう想うことで、才人の隣でキャッキャと劇に興じるシエスタが、ルイズには何とも強力な味方に想えて来るのだから、不思議である。彼女であれば、何があっても才人のことだけは裏切ることはないであろう、とルイズは確信を持てた。

 ルイズがそんな変心をしつつある横で、自分自身をモデルに造られたであろうオペラを、才人は感慨深い気持ちで魅入っていた。

 才人は、(そかぁ、俺もとうとう有名人かぁ……今の状況を、“地球”の家族や友達が見たら何と言うだろう? 呆れるだろうか、喜ぶだろうか……?)と想った。

 

 

 

 

 

 劇が終わった後、才人はフードを更に深く冠って劇場を出た。ルイズ達はそんな才人の周りを囲むようにして、辺りを警戒する。まるで芸能人のような扱いであったが、まさに今や才人はこの“トリスタニア”に於いて、“地球”でいうところのスターのような位置にいるのである。

 周りでは、観劇に来た“平民”達が、興奮冷めやらぬ様子で劇の事を話し合っている。

 その間を擦り抜けるようにして、大通りに出ると……。

「おや!? ルイズじゃないか!」

 聞き知った声が響いた、

 振り向くと、それは早速“シュヴァリエ”のマントを羽織ったギーシュであった。

 隣には、“水精霊騎士隊”の面々も見える。

 こんな所で騒ぎを起こす訳にはいかないと、才人を押しやり、ルイズ達はその場から逃げ出そうとする。

 が、ギーシュ達は満面の笑みを浮かべ、近付いて来た。

「おいおい! どこに行くんだ!? 訊きたいことがあるんだよ! サイトはどこに行ったんだ!? 奴さん、今朝から姿が見えないんだ!」

 レイナールが、眼鏡を持ち上げながら呟く。

「ルイズ、知ってるなら教えてくれ。早いところサイトを見付け出さなくちゃならないんだ。驚くなよ! 良い城が見付かったんだ!」

 その名前を聞いて、何人かの市民達が反応をした。

 ヒリガル・サイトンや、ヒリーギルだのと、妙な呼ばれ方をしている才人ではあるが、発音は似ているのである。

 才人が更にフードを冠り、スボッと顔全体を隠す。

 それに合わせて、ルイズは恍けた。

「し、知らないわ。そんな奴……」

「何を言ってるんだ? 君、もしやまた記憶を消したとか言わないよな? 忘れたなら僕達が想い出させて上げようじゃないか。“アルビオン”での撤退戦! 誰かの代わりに立ちはだかった男達がいた!」

「や、やめてっ!」

 更に市民達は集まり始めた。

 ギーシュは観客が増えると、調子に乗るタイプの少年である。それはもう、圧倒的に。

 この時も、才人がそんな風に街で噂になっているなどと知らないモノだから、身振り手振りを交え、演説調でギーシュは打ち上げ始めた。

「奴の武功はそれに留まらない! “リネン川”での一騎討ち! 初手は“ガリア”で天下無双の使い手と謳われたソワッソン男爵だった! だが! サイトは一顧だにしなかった! ヒラリヒラリと逃げ回るソワッソン男爵に、風のように飛び掛かり、見事一刀でその“杖”を両断して退けた!」

 観客からどよめきが沸いた。

 それを、自分の話っぷりに感心していると勘違いしたギーシュは、更に語気を強めた。

「2番手も中々だった! だから僕等“水精霊騎士隊”は……って、もげ!?」

 ルイズは、ギーシュへと飛び掛かり、その口を押さえた。

「あんた、いい加減にしなさい」

「な!? どうしてだね!? あいつの活躍を話して何が悪いんだね!?」

 そうだそうだと野次が飛ぶ。

 シエスタとスカロンとジェシカが、才人をコッソリと連れ出そうとした時……妙に目敏いマリコルヌが、フードに包まれた才人を発見してしまった。

「おや! サイト、いるじゃないか! 何で顔を隠してるんだ? 変な奴だな!」

 そしてマリコルヌは才人に飛び付き、冠っているフードを無理矢理に上げた。

 集まった人々から、嵐のようなどよめきが沸いた。

「こ、この御方が、斯の“水精霊騎士隊”副隊長、サイトン・ヒリギット様で?」

「いかにも」

 マリコルヌが首肯くと、市民達は才人へと群がり始めた。“魅惑の妖精亭”の時とは、比べ物にならないほどの騒ぎである。

「祝福を! 祝福をくださいまし!」

「御手を触らせてください!」

「何事だ?」

 まさか、劇まで創られているほどの人気とは知らないギーシュ達は、目を丸くする。

 才人は、群がる市民達に揉み苦茶にされてしまう。

「ちょ!? どこ!? どこ触ってるの!? やめてくれ!」

 “水精霊騎士隊”の少年達も、負けじと才人へと詰め寄った。

「あっはっは! 偉い人気で何より! ところでサイト、君が儲けたあの身代金だが、まだ使っておるまいね? 屋敷なんて寝惚けたこと言わないで、城を買おうじゃないか! 凄い物件を見付けたぜ! 60“アルパン”の土地が付いた、由緒ある古城だ! 何、ちょっと幽霊が出るらしいが、そんなモノ僕達の勇気の前では些かのことでもない!」

「嫌だよそんな城! 大体なあ、御前等にも金、分けただろ!」

「ほんの2,000“エキュー”じゃないか! ほら、財布を出せ!」

「だって……あれは俺が稼いだ……って!? うわ!?」

 城を買おうと言う“水精霊騎士隊”の少年達と、ヒリガル様を連呼する市民達に挟まれ、才人は更に大変なことになってしまった。

 こうなってはもう、誰にも止めることはできない……いや、難しいであろう。津波に呑まれたようなモノであるのだから。

 才人は、“サーヴァント”の力をもってすればどうにか抜け出すことはできるだろうが、周囲は民草であるために動くに動けずにいた。

 ルイズはその様子を呆れた顔で見詰めている。

 シエスタはウットリとした顔で見詰めている。

 ジェシカとスカロンは面白そうだと見物し始めた。

 さて、人の力では到底止めることができそうにないそんな津波のような騒ぎは、1本の鋼鉄の剣によって終止符を打たれた。

「こらぁ! 何の騒ぎだ!? 直ちに解散しろ!」

 そう叫びながら、騎乗の一団が通りの向こうから駆けて来たのである。

「何でぇ! 引っ込んでろ!」

「何だと?」

 先頭の女騎士が剣を抜いた。

「陛下の“銃士隊”だ! 逆らう奴は捕縛するぞ!」

 “銃士隊”といえば、ここ“トリスタニア”に於いて、泣く子も黙る女王陛下の近衛隊である。

 若い女性だけで構成されているが故に、舐められてはならん、と隊士達は考えているのであろう。その激烈さは富に高名である。

「良し! 1人残らず“チェルノボーグの監獄”に放り込んでやる!」

 “チェルノボーグ”という名前と、その迫力あるアニエスの怒号に、市民達は蜘蛛の子を散らすかのようにして散り散りになって逃げ出し始めた。

 荒い息を吐いて地面に膝を突く才人に、アニエスが言った。

「何だ御前達か。ちょうど良かった」

「おかげで助かりました……え? ちょうど良かった?」

 アニエスは馬から下りると、才人へと1通の書状を手渡した。

「今、御前にこれを届けに行こうとしていたところだったのだ。“トリスタニア”にいたのか。手間が省けた」

「何すかこれ?」

 才人は息を呑んだ。

 “トリステイン王家”の花押が、手紙には押されているためである。

「陛下の思し召しだ。直ちに宮廷に参内しろ」

 

 

 

 

 

 アンリエッタは執務室で、1人物思いに耽っていた。“ガリア”での一件が、忘れようにも忘れられないのである。信頼を寄せていた教皇ヴィットーリオの本性を目の当たりにし、そして彼の裏切り的行為を受けてしまったのだから。いや、文字通り裏切られたという訳ではない。アンリエッタが、ただ見損なっていた――想い込み一方的に信じ込んでいたのだが。

 そして、“虚無の担い手”であった前“ガリア”王――ジョゼフ。その暗い、果てのないとでもいえる井戸の底のような暗黒の心――根本はシャルルへの嫉妬心などからではあるが、その深い虚無性に一瞬触れただけでも……アンリエッタの心は砕けそうになったのであった。その深い“虚無”と、“エルフ”の“先住”が組み合わさった“魔法”の威力は、アンリエッタ達の想像を絶していたのである……あの場から生還できたことや犠牲者が出なかったことなどが、アンリエッタには奇跡のように想えてならないのである。

 だが、そんなジョゼフは死んだ。詰まり、“虚無の担い手”が1人欠けた以上、同時にヴィットーリオの野望も潰えたことになる……“聖地”を取り戻す、という彼の大きな野望……そう、アンリエッタは想った。

「全く……“エルフ”との戦ななて、本当に馬鹿げているわ」

 アンリエッタは、小さな声で呟いた。

 “フネ”の上で見たあの巨大な炎の玉を想い出すたびに、アンリエッタは身震いをしてしまうのである。“エルフ”の“先住魔法”の結晶……あのように恐ろしい“魔法”を使う連中と戦をするということに、“サーヴァント”という切り札を持ってなお。それでもアンリエッタは恐怖しているのである。

 アンリエッタは、(だけど、“虚無の担い手”が欠けている以上、教皇聖下も“聖戦”など諦めたに違いないわ)と考えた。

「……あの“狂王”が天に召され、教皇の野望は潰えた」

 そう口に出して呟くと、やっとのことでわずかだが安心感がアンリエッタの身体の中を巡るのである。まるで酒の酔いのように、その安心を使って心を騙し、アンリエッタは“トリステイン”にとっての戦後の処理を再び考え始めた。そうでないと、自分もあの深い闇に囚われてしまうような……そのような気持ちにアンリエッタはなってしまうのだから。

 兎に角先ず新王となった“ガリア”のタバサ改めシャルロット女王との早急な会議が必要であるといえるだろう

 彼女が、つい先日まで“魔法学院”の生徒だったということを、アンリエッタは覚えている。故に、(そんな彼女が、どうしていきなり即位を承諾したのかしら?)、という疑問を抱かざるをえないのであった。

 “カルカソンヌ”では、“ロマリア”の目もあったために、アンリエッタは即位に対する祝の辞しか述べることができなかった。タバサの真意を早々と見極める必要があるのだが……“ロマリア”の操り人形――傀儡か、それとも……何か別の思惑があってのことなのかを。

 シャルロット女王の忌憚のない、真っ更な心をアンリエッタは知りたいと想った。そのためには、心を許して貰う必要があるのだが。それは……アンリエッタの力だけでは叶わないことである。

 緩衝となる人材が必要であった。

 そして、緩衝として打って付けの人物達を、アンリエッタは知っていた。その彼等を想い出すと、アンリエッタの中で必ず何かの感傷が残るのである。彼等は“ガリア”でも、アンリエッタを救ったのだから。

 あの“船”の上、ジョゼフの“詠唱”を止めたのは、やはり才人であった。

 アンリエッタは、(そのように、何度も何度も窮地を救って貰ったから、胸が震えるのだわ。それに彼はルイズの想い人じゃない。こんな風に考えること自体、冒涜と言うモノ……その上、私は彼に約束した。これからは女王の顔しか見せませぬと……)と考え、何だかもどかし気に、唇を噛んだ。

 でも……戦が終わり、わずかな安心が心に染み込んで来ると熱い情熱がアンリエッタの中で蘇って来るのである。“トリスタニア”の安宿で、“魔法学院”のカーテンの陰での焼けるように熱いキス……。

 多忙の極みの中で、それだけが清涼剤のようにアンリエッタを癒やしてくれるのである。アンリエッタは、(何故かしら?)と独り言ちた。

 アンリエッタは、(多分……きちんとした決着が着いてないからだわ)と想った。御互いの気持ちを確かめ合った結果ではなく、女王という立場、そして親友の気持ちを鑑み、アンリエッタは身を引いたのである。だが、そんなことでは、やはり一旦燃え上がった心の中の炎を消すということはできないようである。

 夜を重ねるに連れ、あのわずかな情熱の時間を、アンリエッタは想い起こさずにはいられないのである。(もし、サイト殿の気持ちが私に向いてないのであるとすれば……諦めも着くであろう、忘れもする)、とアンリエッタは想った。

 アンリエッタは、(でも、どう何だろう?)と考え、あの時のキスの表情を想い出し、クスリと笑みを浮かべた。コケットで、堪らぬ魅力が溢れる笑みであった。品の良さと色気が交り合った、全ての男を虜にしてしまうであろう香りを放っているといえるだろう。

「私に夢中だったような気がいたしますわ」

 そう言ってから、アンリエッタは顔を赤らめた。思わず辺りを見回してしまう。今のような顔を他人に見られてしまえば、大変なことになるのだから。

 それから、今仕方の自分の想像を、アンリエッタは深く恥じた。アンリエッタは女王で、才人は近衛の副隊長である。其の様な噂が立ってしまえば、洒落では済まないのだから。ただの醜聞では終わらないのだから。

 その上、才人は親友(ルイズ)の恋人……。

 アンリエッタは震えを抑えるように、己の身体を抱き締めて呟く。

「私も結局は街女や宮廷の煩い女雀達と、何ら変わるところがないのね……」

 すると、ノックの音が響いた。

 アニエスがする叩き方ではない。

 アンリエッタはわうかに顔を曇らせると、「どうぞ」と声を掛けた。

 扉が開き、入って来たのは母のマリアンヌ大后と、宰相のマザリーニ枢機卿であった。この2人が連れ立ってやって来ることは珍しい。

「御呼び頂ければ、こちらから参りましたものを」

 アンリエッタがそう言うと、老いてなお美しいマリアンヌは首を横に振った。40を幾つか過ぎたばかりであったが、その美貌は未だ輝かしい。アンリエッタからすると、母の容姿は10年前から変わっていないように想えた。

「それには及びませんよ。貴女は女王なのですから、用事があるならば、私が伺うのが筋というモノ」

「用事?」

 母后がアンリエッタに用事とは珍しいといえるだろう。

 マリアンヌは、伺いを立てるようにマザリーニを見遣る。

 彼が首肯いたのを確認すると、マリアンヌは先ず娘の頬に接吻をした。

「なんだか痩せたようね。食事はきちんと摂っているの?」

「はい。夜に果物を食べるようにしております。目覚めが良いのです」

「では心労と疲労ね。貴女は働き過ぎですよ。何でも自分でやろうとするから、こういうことになるのです」

 アンリエッタは、(母は一体何を切り出すつもりなのかしら? 何と返事をしたものか?)と迷った。

 すると、マリアンヌは唐突に切り出して来た。

「結婚なさい。アンリエッタ」

「え?」

 それは余りにも、予想外の言葉であった。

 アンリエッタが(結婚? 私が?)と戸惑いを隠せずにいると、マリアンヌは更に強い調子で言い放つ。

「貴女は世継ぎを設けなくてはなりませぬ」

「でも……」

 そこでマザリーニが、間に入って来た。

「母君の言うことはもっともですよ。陛下」

「結婚など……第一私は女王ではありませぬか」

「王配ということになりましょう。勿論、しかるべき身分でなければなりませんが……良いですか、アンリエッタ。貴女はどうにも極端なところがあります。若さ故と申しましょうか。どうにも向こう見ずなところがあって、それがとても心配なのです。貴女は、自ら危険を呼び寄せているようなモノではありませんか」

 この前の“ガリア”行きの件を言われていると想ったアンリエッタは、拗ねたような口調で言った。

「ですから、この前は警護の騎士を一名伴ったのみで“ガリア”へと向かいましたわ。万一の時も、彼女と私1人の犠牲で済みますもの」

「私が心配しているのは、貴女の身ではありません。王を失った祖国がどうなると御想いですか? 果てのない内戦……内戦です! 私は、この“トリステイン”を“ガリア”のようにはしたくないのです。弟から奪った王冠が、その娘である姪に取り返される……血を分けた肉親でさえそうなのですから、継承権を持つ“貴族”達の間で、骨肉の争いが繰り広げられるのは必死と言えましょう」

 アンリエッタは、言葉を失ってしまった。

 マリアンヌは、アンリエッタがいなくなってしまった時の可能性のことを考慮しているのである。

「娘である貴女の身を案じない訳ではありませんよ。ただ、私は太后として、“トリステイン”の母として、貴女に言わねばなりません。万一に備え、世継ぎを設けなさい。それは国王としての義務なのですよ」

「これからは、なるべく自重することにいたします」

 それでこの話は勘弁して欲しい、と言外に匂わせる口調で、アンリエッタは言った。

 マリアンヌは溜息を吐いた。

「枢機卿殿。私の口からは申し上げ難いことなので、貴男が仰って頂けませんか?」

 マザリーニは軽くマリアンヌを睨むと、澄ました顔で言った。

「陛下の御結婚には、もう1つの目的が御座います」

 アンリエッタは、(目的……“愛”し合う2人が結び付くのに、どうして目的などという言葉が出るのかしら?)と顔を顰めた。

 だが、その言葉に皮肉を投げるほど、アンリエッタはもう幼くはなかった。自分の結婚が、政治の目的以外で行われることなどありえないということを、アンリエッタは理解しているのである。

「御聴かせ下さいまし」

「では、率直に申し上げますが……癇癪を起こされてはなりませんぞ! 陛下の親政に対し、一部の“貴族”の間で不満が広がっております」

「一部とは?」

「私も、誰が、と聞いた訳ではありませぬ。それを私に注進してくれた人物は、“口が堅くなければ自然、耳が遠くなってしまう”、と考えているようで。そこは私も同意せざるをえませんな」

 アンリエッタは溜息を吐いた。

「だから、結婚するというのですか?」

 その声に不満の響きを認めたマリアンヌが、娘を諌めるような口調で言った。

「貴女は今までにない前例を多数作ろうとしています。自ら敵国に乗り込んでみたり、そして……」

 マザリーニが後を引き取った。

「近衛隊に平民を多数登用してみたり」

 アンリエッタの頬に朱が差した。

「信用できる“貴族(メイジ)”が私の側におりますれば、そのようなことにはなりませんでしたわ。それに、彼等がどれだけ祖国に貢献してくれたか御存知なのですか?」

 アンリエッタの言葉はもっともであるといえるだろう。だが、それが通じるほど、国家の運営は甘くはないのもまた事実である。

 駄々を捏ねる娘を言い諭すように、マリアンヌは言葉を続けた。

「貢献の多寡ではありませぬ。旧い“貴族”と言うモノは、何より慣習を大事にするモノです。それが彼らを支えているのですから」

「私は、そう言った、旧い慣習を壊したいと考えております」

 マザリーニは、コホンと咳をすると、アンリエッタへと向き直る。

「そういった陛下の所業を、快く思わぬ“貴族”は少なくありませぬ」

「その者達を、ここに連れて来てください。彼等に、“アルビオン”や“ガリア”での戦で、何をしているのかを尋ねて上げますから」

 すると、マリアンヌは声を強めて言った。

「“ガリア”の様に、玉座を不安定にしたいのですか?」

「そうは申しておりませぬ。ただ私は……何事も公平に行いたいのです」

「で、あるならば、先ずは敵を御味方にすることから始めるべきですな」

「敵? 敵ですって? 誰が敵になると仰るのですか?」

「戦の相手ばかりが敵ではないのです。宮中には、にこやかに近付いて来る敵もいる。陛下だって、理解っておれるでしょうに。良いですか? 陛下の御成長を喜ぶからこその注進ですぞ。陛下には、残念ながら御味方が少ない。戦が終わったからこそ、それを増やさねばなりませぬ。特に、今まで祖国を支えて来た、旧い“貴族”の御味方が何より必要です。内政には、彼等の協力が必要不可欠ですから」

 ここまで2人に言い攻められ、アンリエッタは取り敢えず聞くだけは聞くといった態度で、マザリーニを促した。

「……理解りました。そこまで貴男が仰るならば、話だけは聴くことにいたしましょう。で、誰と結婚せよと言うのですか?」

「何人か候補を上げました」

 マザリーニは、バサッと書類を机に置いた。

 アンリエッタはそれを取り上げて、目を通し始める。その顔が、目に見えて増々曇って行く。

「エギヨン侯爵に、ラ・トレムイユ殿……そしてシャレー伯爵……皆、碌でなしの木偶の坊ばかりではありませんか」

 そこに書かれていたのは、家柄自体は申し分ないのだが、有能とは決して言い難い“貴族”達であった。

「そのくらいでちょうど良いのです。陛下の夫になることで満足できるような人物でなければ、何を企むのか知れたモノではありませんから」

 国内の“貴族”達の不満を抑えるべく、彼等の1人と結婚する……母と宰相が言いたいことは、詰まりはそういうことである。2人の言うことは、一々もっともであるといえるだろう。

 次いで、止めを刺すように、マザリーニは言った。

「このたびは、あの……御贔屓にされている副隊長に、爵位を授けられるとか」

 アンリエッタは、いきなり弱点を突かれたかのように戸惑った。

「え、ええ……それがどうかしましたか? 彼が“ガリア”で果たした功績を考えれば、それくらいは当然でしょうに」

「彼の肩には男爵の紐飾りは、少々荷が重そうですな」

 髭を扱きながら、重々しくマザリーニが呟く。

「何を仰りますの? 彼の祖国への貢献を考えれば、公爵の位を与えたって……」

「違いますよアンリエッタ。枢機卿殿は、彼の身を案じているの。元“平民”を男爵などにしてしまったら、どれだけ要らぬ嫉妬を買うと御想いですか? 先程この方が言われたように、宮廷にはにこやかに近付いて来る敵もいる」

 アンリエッタは、ハッとなった。

「それは……」

「何事もほどほどに。良いですね? それと、先程の件ですが、御忘れなきように」

 マリアンヌはそれだけ言うと、マザリーニを促して部屋を出て行こうとする。

 アンリエッタは一礼すると、母の手に接吻した。

「貴女は本当に良くやるってるわ。でも、もっと周りを見ることを覚えなければなりませんよ。王の仕事とは、突き詰めればどこに何を分配するのか最終的に決定するということ。慎重に行わねば、不満は溜まる一方ですからね」

 

 

 

 

 

 才人達が宮廷へと到着したのは夜の7時過ぎであった。

 ルイズと才人は、アニエスの先導で直ぐにアンリエッタの執務室へと通される。

 ドアの向こうのアンリエッタは、少しやつれたような、疲れたような顔で椅子に腰掛けていた。それでも、才人とルイズ達が姿を見せると、朗らかな顔になった。やっとのことで心を許すことができる相手を見付けた、といったそんな表情をアンリエッタは浮かべてみせた。

「良うこそ入らしてくださいました。さあ、此方へ。祖国の“英雄”を迎えるには、穢苦しい所ですが……」

 才人は辺りを見回す。

 確かに、アンリエッタの執務室は空っぽ同然である。机と椅子の他には、本棚と燭台ばかりがあるっ切りであるのだ。家具を売り払って以来、何も揃えていないようであるということが判る。

 小姓を呼び、アンリエッタはワインとあらかじめ用意された料理を運ぶように命じた。

「ごめんなさいね。“ガリア”であれだけの活躍をした貴方方を持てなすには、まるで拙い席ですが……今、宮廷にはホントに御金がないの。園遊会を開きたいと言ったら、財務卿から御小言を受けてしまったわ」

「と、とんでも御座いません!」

 ルイズは慌てて言った。

 才人も、疲れた様子で言った。

「小ぢんまりとした席の方が好いですよ。人混みは、もう沢山です」

「あら? どうして?」

 アンリエッタが尋ねると、アニエスが面白可笑しく先程の騒動の件を報告した。

「まあ! サイト殿の歌劇まで上演されているですって? すっかり人気者になられたようで、私まで誇らしいわ」

 アンリエッタは笑った。

「笑い事じゃ無いですよ。街も歩けない」

 憮然とした声で才人がそう言った時、料理が運ばれて来た。

 金がないとは言いはしたが、かなり豪華な内容の料理である。どうやらアンリエッタも、才人やルイズに御礼を言うのは、こういう静かな席の方が良いと考えていることが判る。

 

 

 

 ワインと料理が一頻り進み、話題は直ぐに“ガリア”での戦の件へと移って行った。

「ホントに恐ろしい炎の玉でしたわ……」

 感に堪えぬ、といった口調でアンリエッタが呟く。

 ルイズと才人もあの巨大な炎の玉を想い出し、切なげに瞼を伏せた。

 一歩間違えば、皆あの豪華の中で身を焼き尽くされてしまっていたのだから。

 だが、そのようなことは起きなかった。そして、爆発したあの“両用艦隊”の搭乗員達に、犠牲者はでなかったのである。

「あのような、恐ろしい“魔法”を使う“エルフ”と争うなど、これ以上愚かしいことはありませぬ」

 キッパリとアンリエッタは言った。

「私もそう想いますわ」

 ルイズも首肯いた。

 アンリエッタはワインの盃を置くと、その顔から笑みを消した。

 どうやら才人とルイズを呼び出した本題へと入るようである。

 才人とルイズも、襟を正した。

「我々の急務は、“ガリア”が“ロマリア”の意のままになることを防ぐことです」

 同じことを考えていた才人とルイズは、首肯いた。

「でも、あのタバサがそんなことをする訳がありませんよ」

「私もそう想います。貴方方の御友人だったのでしょう? その点は信用していますが……でも、この世は何が起こるのか知れたモノではありませんから」

「大丈夫ですよ。何せ、セイヴァーが動いてくれていますから」

「で……私達に話とは?」

「貴方方を、“ガリア”王との交渉官に任命します」

 アンリエッタは、才人とルイズの2人を、“ガリア”王となったタバサ――シャルロットとのパイプ役にしようと考えているのであった。適役は、この2人を置いて、他にはいないといえるであろう

「御願いできますか?」

 そう言われて、異論もあるはずもない。むしろ、2人にとって願ったりの役であった。

「喜んで御受けしますわ」

「良かった。断られたらどう仕様と想っていたのです。まあ、今はまだユックリして頂いて差し支えありません。初めの御仕事は、“ガリア”で行われる即位記念園遊会の席で、ということになりましょう」

 ニッコリと笑みを浮かべた後……アンリエッタはサラリと言って退けた。

「さて、ルイズは兎も角……サイト殿は一国の大使としては、御名前が短過ぎるように想えるのです」

「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガでしたっけ? 十分だと想いますけど」

 “日本”の感覚でいってしまえば、それであってもかなり長いのである。名簿を作る人は苦労するであろう。

「サイトは元“平民”ですから」

 当然とばかりにルイズが言った。

「ですから、私としてはその御名前を、多少長くさせて頂きたいのです」

 アンリエッタのその言葉に、ルイズは目を丸くした。

 だが、何も気付かない、というよりも知らない才人は、恍けた声で言った。

「へ? 何ですか? 詰まり名前を長くしろってことですか? ヒラガエモンとか?」

「ひ、姫様? それは、詰まりその……それは、あの、詰まり、その……」

 顔を赤くしたり青くしたりしながら、ルイズは口をパクパクとさせた。あまりのことに、思考が着いて行かないのである。

「ええ。彼に領地を与えたいのです」

 領地、と聞いて流石に才人も、噴き出した。

「はい? はい? 領地って!? 土地っすかー!?」

 はい、とアンリエッタは首肯いた。

「“トリスタニア”の西に、ド・オルニエールと呼ばれる土地があります。ほんの30“アルパン”ほどの狭い土地ですが……」

 30“アルパン”……才人は、頭の中で計算して絶句した。

 10km四方の土地である。江戸時代などであればいざ知らず、現代“日本”でそれだけの土地持ちなどそうそういないであろう。

「せ、狭くないです! 全然狭くない! そ、そんなの良いです! 勿体ないです!」

 才人は慌てて言ったが、アンリエッタはというと澄ました顔である。

「あら? 貴方方は住む所を探しているんじゃなかったの?」

 先程の話を蒸し返され、ルイズは頬を染め、才人は更に慌てた。

「何を言ってるんですか!? 寝て起きて立って座って飯食えるスペースがあればそれで十分! 中で小旅行ができそうな土地なんか要らないですよ! 掃除だって大変だし!」

「掃除など、領民を召し上げて行えば宜しいじゃありませんか」

 素で返され、才人は隣のルイズに小声で尋ねた。

「りょうみん?」

「あのね、あんたね、領地を戴ってことは、そこの土地の王様になるってことよ。詰まりあんたは御殿様」

「御殿様? お、俺が?」

「私も、ちょっと分不相応だと想うわ」

 成る程、とルイズは想った。

 ギーシュが“シュヴァリエ”になり、ルイズとティファニアには司祭としての地位が与えられた。1番活躍したといえる才人達には何もないのは可怪しいと考えていたルイズであるが……こういう絡繰りがあったとは、とルイズは驚いた。

「分不相応な訳がありませぬ。サイト殿の貢献に報いるには、これでも少ないと言えましょう。本当なら、男爵の位でも就けたいところなのですが……」

 そこで物思いに耽るようにして、アンリエッタは顔を伏せた。

「男爵だなんて!? そんな!」

 ルイズが大声を出すと、アンリエッタは首を横に振った。

「ですから、要らぬ嫉妬を買ってはつまりませんから、今回は止めておきました。でも、良い土地ですよ。狭いながらも、実入りは12,000“エキュー”にはなりましょうか。山に面した土地には葡萄畑もあって、ワインが年に100樽ほど取れるとか」

 兎に角才人は、億万長者とでも云えるモノになるチャンスが眼の前に転がっているのである。この前の10,000“エキュー”でさえも、才人は目の玉が引っ繰り返りそうになったのだが、今度はそれ以上の年収が約束されるというのだから。

「サイトに領地が経営できる訳がありませんわ!」

 ルイズがそう言うと、アンリエッタは事もなげに言葉を返した。

「あら、それならば代官を雇えばよろしいじゃありませんか。何なら“トリスタニア”に宿を取って、後は任せっ放しでも構わないでしょう? そうしている“貴族”は沢山おりますわ。何なら、優秀な代官でも紹介いたしましょう」

 そう言われると、ルイズはもう何も言うことができなくなってしまった。

 領地の経営などを放ったらかしにして、“トリスタニア”に居座り、宮廷政治に夢中になっている“貴族”などは確かに山程いるのである。中には、1度も自分の領地に足を踏み入れたことのない“貴族”さえも存在するほどである。信用できる代官さえ置けば、後は年収だけが転がり込んで来るのだから……。

「御屋敷もありますわ。卒業したら、そこで暮らすのも良いじゃないかしら? 兎に角、1度ユックリ見て来てはいかが?」

 アンリエッタにそう言われ、ルイズは首肯いた。

 隣を見遣ると、既に才人はもう上の空といえる状態であり、何事かをブツブツと呟いている。

「俺が……御殿様……どうしよう? どうしよう……?」

 ルイズは、そんな才人の足を踏ん付けた。

「あ痛ッ!?」

「御前よ。いい加減にしなさい」

 才人はそこで、冷静になって考えてみた。(いくらなんでも、領地とは……“騎士(シュヴァリエ)”の称号でさえ、何だか身に余るように感じたのに……良いのだろうか?)、と自問した。(別に自分だけが活躍した訳じゃない。“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の連中だって、テファだって、ルイズだって、シオンだって、セイヴァーだって、キュルケやコルベール先生にタバサだって……“ロマリア”軍の将兵だって、皆それぞれ苦労したし、大なり小成な御褒美を貰った訳なんだけど……何だか自分1人、過分な褒美に浴しているみたいに想えるな)と考えた。

「うーん、何か俺だけってのが納得できないと言うか……せめて仲間達にも、もうちょっと何かあれば、良いんですが」

 才人がそう言うと、アンリエッタは興味がなさそうに付け加えて言った。

「ならば、貴男の年収から、幾許かの御金を騎士隊に回せば良いではありませんか。その辺りの塩梅は、貴男に御任せします」

 そう言われては、才人に断る理由はもうないといえるだろう。

 ルイズの方は、しょうがないわね、といった顔でコクリと首肯いた。

「……理解りました。でも、良いのかなあ?」

 才人にとって、何だか雲の上の様な話であ在った。今まで才人の年収は600“エキュー”ほどであった。それだけであっても結構な額であるといえるのに……12,000“エキュー”とう金額はもう、才人の想像を絶している。

 アンリエッタは、食事の手を止め、才人へと向き直った。

「貴男にこのくらいのことをしなければ、私の良心が痛みます。私は何より、恩知らずと呼ばれる事が我慢できないのです」

 しばらくアンリエッタと才人は、視線を交えた。

 気圧されるようにして、才人は顔を背けた。

「理解りました。有難く頂戴いたします」

「そうしてください。後で書類を届けさせますわ」

 

 

 

 再び食事が始まったが……(サイトに領地? 本気で?)とルイズは何だか気が気ではなかった。

 “貴族”は大きく分けて2種類存在するといえるだろう。領地を持つ “封建貴族”と、官職を得て政府に奉職する “法衣貴族”の2種類である。名目上はどちらも同じ“貴族”であるのだが……その実入りは全く違うのである。

 国から年金を貰うばかりの “法衣貴族”や軍人達は、その殆どがあまり金持ちではない。街の商人達の方が、余程裕福なくらいだといえるほどである。

 だが、領地を持つ“貴族”となると、その土地からの莫大な利益を享受することができるのである。もちろん、そのうちの何割かは税金として政府に納める必要がある上、領地によっては全く収入の度合いは異なって来るのだが……。

 兎に角才人は一夜で大金持ちになってしまったのであった。

 先程の、スカロン店長の「人気が出れば、それを面白く思わない人達だって出て来るのよ」という言葉が想い起こされて、ルイズは何だか不安になった。

 街で“英雄”と持ち上げらえれているだけでも、“貴族”達には疎まれているというのに……領地まで下賜される運びになってしまえば、どれだけの嫉妬を生むことになるかは想像に難くないといえるだろう。

 ルイズは、(姫様はその辺り、ちゃんと考えているのかしら?)と想った。

 同時に、(もしかして……姫様は……)という別の不安もまたルイズの胸中に浮かび上がった。

 それから、ううん、とルイズは首を横に振る。

 いつかの姫様の「寂しくて、頼れる人もそうそういなくって、きっと、困らせていたんだわ」という言葉を想い出す。それから、(だから今回も、恩返しをしたい、それ以上の意味はない、はずだわ)と考えた。

 確かに、アンリエッタには其れ以上の他意はないように見える。

 だがそれでも、(……本当にそう何だろうか?)とルイズは不安を抱いた。どれほど親しい間柄であろうとも、特殊な力を持たない限り、心の底までを覗くことはできやしないのである。

 ルイズは、(心の底が見えたら良いのに)と、ついそう想ってしまった。

 ルイズはその考えを振り払うように、首を横に振った。(姫様は親友じゃない。その親友を信用しないでどうするの?)、と考えた。

 兎にも角にも、トントン拍子に出世して行く才人は、ルイズからすると眩しかった。“トリステイン”の長い歴史の中で、ただの“平民”だった男が領地を下賜されるようなことなどなかったのである。少なくとも、ルイズの知っている限りでは。

 歴史に残るべき“英雄”、とアンリエッタは言ったが、それは比喩でも何でもない。事実、“英霊の座”に登録されているのだから。

 そして……才人の眩しさの分だけ、ルイズは寂しさを覚えた。(そんなサイトに、私は釣り合っているのかしら? 伝説の“担い手”でありながら……その力を扱いかねている自分。そんな私じゃなくって、サイトには、もっと別の……素晴らしい女性の方が御似合いなんじゃないかしら?)、と考えた。

 そのようなことを考えていると、ルイルは、自分が小さく情けない生き物になってしまったかのように感じるのであった。

「どうしたの? ルイズ」

 アンリエッタが心配そうな顔で自分を見ていること気付き、ルイズは顔を上げた。

「な、何でもありません! このワイン、実に美味しいですわね!」

 慌てながら、ルイズは眼の前の盃を開ける。

「卒業したら、貴方方は結婚するのですか?」

「え? いや、そんな! そんなことできませんわ!」

 ルイズは席を立ちかねない勢いで叫んだ。

「そ、そうなのですか?」

「そんな……一緒に住むからって結婚とか……今までの延長に過ぎません。当然じゃないですか」

 その言葉を聞いて、隣の才人はガックリと肩を落とした。

 そういう意味ではない。だが……先程の想像が、ルイズにフォローの言葉を紡がせなかった。

 妙な雰囲気が漂い始め……3人は黙ってしまう。

 少しばかり重たい空気の中、(私はサイトに釣り合うような女の子なのかしら? 私はサイトを幸せにできるの?)とルイズはずっとそのようなことを考え続けた。



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母と従姉

「報告は以上となります」

「いつも有難う」

「いえ、陛下の御役に立つことができることは、私にとってとても幸運かつ幸福なことです」

 “アルビオン”の“ハヴィランド宮殿”内の女王陛下用執務室にて、シオンと俺がおり、そこへホーキンスが入室しシオンが不在の間についてのことを報告してくれていた。

「にしても、陛下の手腕などには毎度驚かされます。反対意見を持つ“貴族”は少なく、また“平民”からの不満もあまりありません。これは歴史に残る善政ではないかと」

「ううん、これは皆の協力あってこそだから。ホーキンス将軍、貴男やセイヴァーがいてくれる、そして貴男達からのアドバイスがあるからこそ、ここまでのことができるんだよ」

 シオンは、書類へと目を通しながら、ホーキンスへの心からの労いと感謝の言葉を掛ける。

 ホーキンスの言葉は事実であった。

 “貴族”達が抱える“王政府”――シオンに対する不満など、また“レコン・キスタ”が掲げる“聖地”奪還などを始めとして始まったかつて“アルビオン戦役”と呼ばれることになった内乱及び戦争が起こった。

 だが、新しく即位したシオンが行う施政に対しての歴代の中でとても少ないといえるだろう。“貴族”か“平民”の意見のどちらかを立てるとなれば、そのどちらからか不平不満が出て来るものである。はずなのだが、それがない、あまりにも少ないのであった。また、新しい政策や法律などを考案し、発布したのであるのだが、それでも不平不満は少ない。

「そう言えばセイヴァー殿、陛下。街の方では、とある歌劇が人気を博しているとかどうとか」

「ええ、知ってるわ。“アルビオン”と“トリステイン”それぞれの“英雄”をモデルとした歌劇でしょ?」

「御存知でしたか。それぞれ、台詞や展開などは、違いがあるようですが」

「覚悟はしていたが、実際にそういったことになると、何だか照れ臭いものだな」

 “トリスタニア”や“ロンディニウム”では、今爆発的にとある歌劇が人気を博しているのである。“アルビオン戦役”での、“トリステイン”軍側が撤退する際に殿として活躍した2人の騎士を題材とした歌劇である。そう、言わずもがな俺と才人がモデルとなっている。“貴族”達も観劇するのだが、中でもやはり“トリスタニア”同様に“平民”から絶大な人気を博しているといえるだろう。ただ、“トリスタニア”とは違い、“ロンディニウム”で行われている歌劇の主役のモデルは俺であり、俺が“魔法”を使うこともできるということから、剣を持つ“メイジ”として描かれ、“貴族”達からもどちらかというと好印象な部類だといえるだろうか。

「で、セイヴァー殿。あの秘密兵器に関してですが……」

「ああ、あれか」

 話題を変え、ホーキンスは周りを気にしたように、執務室の外に誰かいる場合を考えてか小声で話し掛けて来る。

「あの、鉄の塊……鋼鉄の飛竜とでも言いましょうか。あれはホントに飛ぶのですか? 羽撃きもせず、“風石”も使わないので、そうは想えないのですが」

「もちろん飛ぶさ。君は、“竜の羽衣”を知っているか?」

「確か、“トリステイン”の“水精霊騎士隊”副隊長となられ、華々しい戦果を上げ活躍をなされているヒラガ殿が持つ飛行機械とか……」

「そうだ。それを参考にし、改良したモノ……そして、それを量産しているのだ」

「疑う訳ではありませぬが、もしや戦争などを起こすつもりでは」

「そんな訳ないだろ。あれは、きたるべき災厄に対してのモノだ」

「災厄、とは?」

「君は、ここ“アルビオン”が何故空に浮かんでいるのか知っているか?」

「いえ、存知上げません」

 ホーキンスは、俺の質問に首を横に振る。

「“アルビオン”の地下には“風石”が沢山ある……それがこの大地を浮かばせているんだ。そして、その“風石”は他の場所でも採掘が可能なのだが……」

「とすると、他の場所も浮かび上がる可能性が?」

「聡いな。だがそうはならないようにするために既に動いている」

「で、その現在量産体制に入っている飛行機械と、何の関係が?」

「今量産しているあれは、その先に起こる更なる災厄への対策だ」

 

 

 

 

 

 

 “ガリア”の首都“リュティス”。

 郊外に位置した“ヴェルサルテイル宮殿”の一角……崩れ落ちた青壁の“グラン・トロワ”の上に、新しい城が建築されつつあった。

 “ヴェダージュ山脈”拠り切り出して来た青い岩が、輸送船によって運ばれ、臨時の桟橋から滑車で下ろされて中庭に並べられている。

 “ガリア”国内から掻き集められた石工が、其の石を割り、削り、石材へと加工して行く。石工に交じって、“メイジ”の姿も見える。彼等“土”の“貴族(メイジ)”は、石工が3日経けて加工する石を、わずか数時間で次々と加工して行ってしまう。

 通常、このような建築に直接“貴族”が関わることはないのだが、王宮となれば話は別である。新しく冠を抱いた歳若い女王に取り入るべく、労働者に交じって“貴族”達も汗を流しているのである。

「おい! そこの! 手を休めるな!」

 監督官が、声を荒らげた。

 見ると、石工の一団が、木影でサボっているのである。

 そろそろ本格的に夏がやって来ようという今日、照り付けて来る陽射しの下での作業は、まさに重労働であるのだ。

「文句なら太陽に言ってくださいや。この暑さじゃ、流石に参っちまう」

 1人の石工が、汗を拭きながら言った。

 他の男達も、そうだそうだと笑いながら首肯き合う。

「こちとら“魔法”が使えないでさあ。石を切るためにはどうしても身体を動かさなきゃいけねえんで。でも、御存知の通り、生身の身体にゃ限界がありますんでね」

 監督官は、辺りに座り込んでいる石工達を見回した。

 確かに、彼等はかなりへバっているといえるだろう。単にサボっているという訳ではないことが判る。これ以上無理をさせてしまえば、本当に倒れてしまう者達も出て来ることは明白であろう。

「理解った。だが、日給は半額だ」

「そりゃ非道え!」

「仕方なかろう。おまえ達はいつもの半分の仕事もできんのだから。文句なら太陽に言うが良い」

 石工達は立ち上がった。その目が怒りに燃えている。

「旦那……そりゃあんまりってもんじゃないですかい?」

「な、何だ? 逆らう気か? 下郎共が!」

 その声で、他の場所にいた気の荒い石工達が一斉にそちらへと振り向いた。彼等職人は、プライドが高い。技術を持っているが故に、“魔法”を使う“貴族”を嫌っている者も少なくないのである。このようなかたちで、職人達と揉め事が起こるのは、割と頻繁である。

 手に石切りの道具を握り締め、石工達が集まり始めた。

 “魔法”で蹴散らすには少しばかり数が多過ぎるが、監督官は“杖”に手を掛けた。

 そのようにして不穏な空気が漂い始めた時……。

 冷たい風が、ブワッと吹き込んで来た。

「何だぁ?」

 小さな雪の粒が混じったその風は、熱く火照った石工達の身体を冷やして行く。

「涼しいぜ! こりゃ好いや!」

 身体だけではなく、その雪風は彼等の頭をも冷やしてくれたようである。石工達の顔から、険しいモノが消えて行く。

「いやあ、中々旦那型も気の利いたことをしてくれるじゃありませんか!」

 監督官は、後ろを振り向いた。そこにいた人物を見て、息を呑む。

「へ、陛下……」

 何と、そこにいるのはつい先日、冠を抱いたばかりのシャルロット女王事、タバサであった。青い髪の下に、涼し気な碧眼が光っている。小さな身体を“王家”のマントに身を包み、後ろに延臣達を何人も控えている。

 現れた人物に驚き、石工達も慌てて低頭する。

 タバサは全く表情を変えることもしないまま、監督官に向けて、たった今雪風の“魔法”を放った大きな“杖”を突き付けた。

 騒ぎを見咎められたと感じた監督官は、恭しく頭を下げると、震え出した。

「も、申し訳ありません! この者達には罰を十分に与えます故、何とぞ御容赦を……」

 だが、タバサの返事は、彼等にとって全く予想だにしなかったモノであった。

「“風”の使い手を使って、今のように石工達を冷やして上げるよう」

 石工達から歓声が沸いた。

 監督官は目を丸くする。

 確かに“風”の使い手達は、直接石を加工することもできず、そのほとんどが石工達の監督に当たっていうる。ここにいる監督官もまたその1人であった。

「き、“貴族”に、こいつ等を、“冷やせ”、と仰るのですか?」

 タバサは首肯いた。

「神から授かった、奇跡の業である“魔法”をそんなことに使うなんて!?」

 ポツリと、何の感情も込もっていないような声と調子で、タバサは告げる。

「効率が良い」

 

 

 

 直ぐ様手透きの“貴族”が集められ、要所要所に配置されて、石工達に冷たい“風”の“魔法”が掛けられた。

 涼しい風に呷られ、石工達は張り切った。何せ、日頃威張っている“貴族”達が自分達の身体を冷してくれているのである。これ以上に、彼等からして痛快なことはないであろう。作業は目に見えて捗り始めた。

「今度の女王様は、前の王様より話が理解るじゃねえか」

「“トリステイン”と“アルビオン”の女王様と言い、幼いのに大したもんだ」

 石工達の、そんな声が届いて来る。

 タバサは、そのような声や言葉を悠々と聞き流し、眠そうな目のまま、ユックリと中庭を行くのであった。

 タバサの横で、そのような様子をジッと見ていた神官服の男が興味深気に呟いた。

「陛下は中々おやりになますな」

 その男の年の頃は、20代の後半であろう。終始にこやかに笑みを絶やさない。人懐こそうな男であったが、目が全く笑っていないことが判るだろう。

「作業が捗る方法を選んだだけ」

 そうタバサが言うと、この神官服の男――“ロマリア”から派遣された助祭枢機卿であるバリベリニ卿は首を振った。

 バリベリニはタバサ即位に際して、補佐兼連絡官として“ロマリア”から就けられた人物である。このたびの政変の際、“ガリア”も“トリステイン”に倣う、枢機卿を宰相として登用することになったのだが……どうやら教皇であるヴィットーリオは腹心の人物を選んだようである。

 即位以来、“ロマリア”からの表立った干渉はない。“4の4”が揃わなければ、“虚無”の完全復活はないといえるだろう。従って“ガリア”の干渉を諦めたのかもしれないと、想わせて来るのだが……。

 まさか、とタバサは直ぐ様そんな楽観を打ち消した。

 彼等“ロマリア”の教皇とその“使い魔”であるヴィットーリオとジュリオは、未だ何かを企んでいる。それを、タバサは理解していた。だが、その真意やハッキリとした目的までは判らないが。

「“即位記念園遊会”に、間に合うと良いですな」

 タバサは首肯いた。

 “新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の完成を待って、この“ヴェルサルテイル”では大規模な絵入会が催される予定である。

 各国から大々的に客人を呼んで、正式にタバサは自分の即位を御披露目するのである。もちろんその中には、“ロマリア”の教皇ヴィットーリオや、“トリステイン”女王陛下アンリエッタ、“アルビオン”女王陛下シオンも含まれる。

 タバサは足を、“プチ・トロワ”へと向けた。

 “リュティス”に入城した際、以前そこの主であった王女イザベラはいずこへか姿を消していた。“前王派”と目された“貴族”達は、見付かり次第軒並み投獄されたり地方に追いやられたり、閑職に回されたりなどをされた。別にタバサがシャルロットとして「そうせよ」と命じた訳ではないのだが。不遇を託っていたオルレアン公派の“貴族”達が、そうしたのであろうことは明白である。

 そのような徹底した前王派狩りの最中、未だ王女イザベラだけが見付からないのであった。

 

 

 

 “プチ・トロワ”の玄関先に着くと、タバサを後ろを振り向き、一行に解散を告げた。

 これで、それまでタバサに付き従っていた廷臣達は、タバサと御別れである。鬱陶しい事この上ないバリベリニ卿も、例外ではない。

 旧オルレアン公派であった“貴族”達は、自分達を再び陽の当たる場所へと連れ出してくれたこの幼い女王へと深々と礼をすると、立ち去って行った。

 そんな忠臣達に、通り一遍の作法で挨拶を返した後、何度も“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”として幾度となく潜った“プチ・トロワ”の玄関を潜り、タバサは居室へと向かった。

 つい先日迄、イザベラが使っていたこの部屋で、タバサは幾度となく彼女から命令を受けて来ていたことを想い出す。今は主となった部屋を、タバサはユックリと見回した。

 ここでイザベラから命令を受けていた頃は、まさかここの主になる日がやって来るなどとは、タバサは思いもしなかった。あの頃は、復讐をやり遂げた後のことなど、全く考えていなかったためである。

 カーテンや緞子から、ベッドに至るまで当時のままである。

 家臣の中には、「全て入れ替えられては」と言う者も当然いはしたが、タバサは気にも留めなかった。家具は家具、誰が使っていようが、機能を喪失するという訳ではないのだから。

 タバサは無造作に冠と女王の被服を脱ぎ捨てると、部屋着に着替え、ベッドへと腰掛けた。そうすると、ようやくのことでユックリと考える気持ちになることができるのである。

 テーブルの上に置いた王冠を、タバサは横目で見遣る。

 タバサがこれを冠ることにしたのは、“リネン川”に布陣した“ガリア”軍将兵を救うためであった。偽の才人に「そうした方が良い」と諭され、それ等を十分に理解した上で行った決心であったのだが……。

 今は目的が違う。

 “ロマリア”の提唱する“聖戦”を止めるため。

 その件が片付いたら、タバサはもう女王である必要はないのである。(こんな地位など、誰かしら適当な“貴族”に譲ってしまっても構わない)、とタバサは考えている。(いや……国の舵取りなど、有力な“貴族”を集めて彼等に任せてしまっても良いんじゃないだろうか? どうして王が政を行う必要があるというのだろう? なまじこのような王冠などがあるから、父とその兄の間には自分の窺い知れない確執が生まれたのではないか……)とも考えた。

 だが、冠を脱ぐにせよ、誰かに譲るにせよ、そんな事態は未だ未だ先の話でるといえるだろう。何せ、あれ以来“ロマリア”は何も言って来ないのである。従って、タバサには手の打ちようがないのであった。

 だがそれでも、“ロマリア”はいずれ“聖戦”のために、“ガリア”へと協力を要請して来るであろうことは簡単に想像ができた。そのために自分を女王に仕立て上げたに違いない、とタバサは考えた。“4の4”が揃わないからといって、あの“ロマリア”が諦めるとは、タバサには到底想えないのである。“伝説の力(虚無)”が失われたのならば、現実の力や現存する“サーヴァント”を集めて、野望を実現することだって可能なのだから。

 その現実の力に1番適しているのが、この大国“ガリア”の陸軍であることは、先ず間違いないであろう……。

 そこまで考えていると、奥の間から、キュイッ、と聞き慣れた声が響いた。ヒトに化けたシルフィードである。

 女官御仕着せに身を包んだシルフィードは、料理の乗った御盆を抱え、タバサの前に現れた。

「あらら! 折角女王になれたっていうのに、考え事なのね!? ほら、御料理を持って来てやったのね。これ食べて元気出すのね」

 シルフィードは、タバサが女王になった後も、“使い魔”として頑張っている。だがやはり、どうにもこの衣装が気に入らないようであった。キュイキュイと喧しく文句を付けるのである。

「でも、この格好はホント窮屈なのね! 全く、何で私が宮廷付き女官なのね!?」

 学生時代とは違い、女王ともなればどこで誰がタバサの行動を見ているとも限らないのである。“竜”のままでは、行動に支障を来たすであろうことが多いために、「いつもヒトに化けていろ」と言われているシルフィードであった。兎に角、“竜”が喋っているところを他人に見られる訳にはいかないのである。

「…………」

 タバサは料理に手を付けず、考え事に耽っている。

 シルフィードは仕切りにタバサに料理を勧めていたが、そのうちに手が伸びて、ひょいぱくひょいぱくと頬張りを始めた。

「ほら食べるのね。美味しいのね。ほら食べるのね。美味しいのね」

 気付くと皿は空っぽである。

 シルフィードは首をカクカクと左右に振ると、困った顔になった。

「ほら。御姉様が食べないから、料理がなくなっちゃったじゃないの」

 タバサが返事をしないために、シルフィードは喋り続ける。

「ところで、この御城ってあんまり良い想い出がないのよね。だって、あの憎らしい従姉妹(イザベラ)が住んでた場所だから! あの威張りんぼ、一体どこに行っちゃったのかしら? 見付けたら、絶対ガブガブ噛んでやるのに!」

 そうシルフィードが叫ぶと、居室の外から衛士の声が響く。

「“東薔薇騎士団”団長、バッソ・カステルモール殿!」

 タバサは再び王冠を冠り、衣装を身に着けた。

 フラリと現れたのはカステルモールである。タバサに対して忠誠心が厚い彼は、タバサがシャルロットとして戴冠した後、“花壇騎士”として再び仕えることになったのである。

 数名に減ってしまった団員は、新たに若い“貴族”を入れて、30名程に数を増やしている。副官に団の切り盛りを任せて、団長本人はこうやってタバサ個人のために色々と活動している。

 肩書は以前と変わらないのだが、彼はより“王家”の親衛隊員としての側面を色濃くすることになったのであった。

 というよりも、タバサの忠実な手足となることを、本人が望んでいる風であるのだが。

 カステルモールは、タバサの女王姿を見て、ハラハラと落涙した。彼はタバサが“ガリア”の王である女王陛下になって以来、姿を見るたびにこうして感涙に咽ぶのである。

「亡きオルレアン公も、草葉の陰で喜んでおられることで御座いましょう……」

 そういう類の感傷に付き合っている暇はなかったために、タバサはカステルモールを促した。

 彼は喜色満面になって、手を叩いた。

 すると、部屋の外に控えていた騎士が、縄で後手に縛られた女性を引っ立てて来た。

 シルフィードが驚きの声を上げる。

「きゅい!? あの我儘王女!」

「そうで御座います。然る修道院に隠れていたところを発見いたしました。成る程! 御隠しになることは叶わなかったようで。ほら、この通りで御座います」

 縛り上げられているイザベラは、ワナワナと怒りと屈辱などを感じているのだろう、震えている。まさか、このような縄目を受けることになろうとは、つい先月までは想像すらしなかったに違いない。それに、今、イザベラの眼の前で引き合わされているのは、かつてこの場所で何度と命令を下した、タバサである。まるっきり立場を入れ替えることになった従姉妹に、イザベラは燃えるような憤りの眼差しを向けた。

「其れでは、御裁きは陛下の想うがままに」

 そう言い残し、カステルモール達は退出して行った。

 後には、縛られた元王女と、冠を冠ることになった元“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”、その“花壇騎士”の“使い魔”と、“霊体化”している“サーヴァント”だけとなった。

 シルフィードとイーヴァルディを除けば2人っ切りになると、イザベラは毒を吐くようにして、呪詛の言葉を投げ掛けた。

「さあ! 殺せ! 殺すが良い! 父にそうしたように、その娘もおまえの呪われた“魔法”で“ヴァルハラ”へと送るが良い!」

 イザベラの声に含まれるあまりの憎悪に、シルフィードは震え上がった。

 だが、タバサは全く動じた風もなく、ただジッとイザベラを見詰めるのみである。

「どうしたのだ? 父から冠を奪ったその手で、娘の首にも同じことをするが良い!」

「どっちが冠を奪ったのね!?」

 シルフィードが叫ぶと同時に、タバサは“杖”を掲げた。

 流石のイザベラもそこで目を瞑り、(風の刃だろうか、それとも氷の矢だろうか?)と自分へと襲い掛かるであろう“魔法”をイメージし震えた。

 イザベラは、首を刎ね、胸を貫く“魔法”を今か今かと待っていると、タバサは短く“呪文”を唱えた。

「……!?」

 イザベラは、手に軽い余韻を感じ、思わず目を開いた。すると驚いたことに、イザベラを縛り上げていたロープが切られ、自由に動くことができるようになっていた。

 次の瞬間、イザベラが取った行動は実に素早いモノであった。テーブルの上にあったペーパーナイフを掴むと、それをタバサへと突き立てようとしたのである。

「父の仇!」

 だがペーパーナイフがタバサの胸に吸い込まれることはなかった。

 行き先を失ったかのように、タバサの胸の前でプルプルと震えるのみである。

 タバサは避ける素振りすら見せずに、其の切っ先を見詰めて居た。

 タバサが“魔法”を使った訳でも、シルフィードが止めた訳でも、イーヴァルディが止めた訳でも無かった。イザベラが其の切っ先を、途中で止めたので在る。

 震える声で、イザベラは尋ねた。

「……どうして殺さ無い? 情けを掛けようと言うの?」

 タバサは力なく首を横に振った。

「貴女に恨みはない」

 その言葉で、イザベラはペーパーナイフを取り落とした。

「私に恨みがないだって? あれほど私はおまえも辱めたのに!? そんな馬鹿な!? 何を気取っているの? 意味が理解らないわ!」

 タバサはジッとイザベラを見詰めていたが、疲れた声で言った。

「……私には味方が必要」

「私に、おまえの味方になれと言うの? これは最高の冗談だわ! 父を殺し、冠を奪ったおまえの味方になれと!? 冗談も休み休み言うが良い!」

 高らかに、狂ったようにイザベラは笑い続けた。そのうちに哄笑は小さくなり……啜り泣きに変わって行った。

「知っていたわ」

 涙の中から、絞り出すような声でイザベラは言った。

「“エルフ”と手を組み、恐ろしい火の玉で“両用艦隊”を燃やし尽くしたことも……その“魔法”で自ら死んだことも……そして、あんたの父を殺したことも。私をちっとも“愛”していなかったことも。人らしい情愛など、何1つ持っていなかったことも……」

 でも、とイザベラは言った。

「あれは私の父だったのよ」

 

 

 

 月の光が射し込み……“プチ・トロワ”の中を照らし始めた。

 それまでジッと黙っていたシルフィードが、ワインを1本持って来た。きゅい、と一声上げて、2人にグラスを持たせ、その中に注いで行く。

 ボンヤリと、呆けた顔で其のグラスを見詰めていたイザベラは、諦めたように目を瞑ると盃の中のそれを飲み干した。それから、誰に言うでもなく、「貴女に仕えるわ」と言った。

「私、貴女にずっと劣等感を抱いていたの。父が、貴女の父……オルレアン公に対してそう感じていたように。貴女はとても“魔法”ができて、皆から“愛”されていた。私はそうじゃない。だから……その冠は貴女にこそ相応しい」

 タバサも無言で盃の中のワインを飲み干す。それから、かつての仇敵であった従姉妹に手を伸ばす。

 イザベラはその手を取ると、接吻した。

 それから2人は抱擁した。だが……どことなくぎこちない抱擁であるといえるだろう。早々、心にあるわだかまりをどうにかすることなどできやしないのだから。

 タバサはイザベラを立たせると、小さい声で告げた。

「着いて来て」

「どこへ?」

「貴女に逢わせたい人がいる」

 訝しむイザベラが連れて来られたのは、“プチ・トロワ”の奥に設けられた、ヒッソリとした離れであった。

 玄関には、兵士が1人立って歩哨を行っている。

 タバサを見ると、彼は一礼して呼び鈴を押した。

 中から返事があって、1人の老執事が姿を見せた。

「これはこれは陛下。奥様は、まだ御夕食を御待ちで御座いますよ」

「ペルスラン。もう1人御客が増えた」

 ペルスラン、と呼ばれた老執事は、タバサの後ろの客を見詰めて、目を丸くした。

「これは……!?」

 イザベラの方では、全くその老執事に見覚えはなかった。

「驚きましたな! ……これは! 実に驚いた!」

 ペルスランは、何どか“聖具”の形に印を切った。それから、ホントに良いのか? といった顔でタバサを見詰める。

 コクリ、とタバサは首肯いた。

 離れの奥の間へと向かうに連れて、イザベラの心臓は早鐘の様に鳴り響いた。なんとなく、その奥にいる人物の予想が着いたからである。

 廊下の奥には食堂があって、そこからは淡い蝋燭の炎が漏れている。同時に、美味しそうな料理の匂いが漂って来ている。

 イザベラは中に入る勇気がどうしても出せずに、廊下で立ち尽くしてしまった。

 そんなイザベラの手を、タバサは引いた。

「でも……」

 タバサは、躊躇うな、と言わんばかりに首を振る。

 観念したイザベラは、食堂の中へと入って行く。

 テーブルの上座に着いた人物が、口を開いた。

「あら? 御客様かしら?」

 その声を聞くと、イザベラの全身が震え始めた。

 それは……果たして、イザベラの父が毒を呷らせたタバサの母……オルレアン公夫人であったためである。

 だが、かつてのオルレアン公夫人とは、趣を異にしている。幽霊のような姿は、多少膨よかになり、何よりその目には生気が宿っているのが目に見えて判る。立ち振舞いにしても、高貴な雰囲気が戻っているのである。

 信じられないモノを見る目で、イザベラはオルレアン公夫人を見詰めた。

 “リュティス”に凱旋した折、タバサは未だ城に残っていたビダーシャルに命じて薬を調合させ、母の心を取り返したのである。

 ビダーシャルは役目が済むと、故郷である砂漠へと戻って行った。

 真の親子の対面は、くだくだしく語るまでもないであろう。タバサは悲願であった母を取り返すことができ、母の方でも人形ではない本当の娘を取り返したのだから。

 オルレアン公夫人の方では、イザベラを見ても何ら表情を変えることはなかった。それどころか、立ち上がると自分の姪に椅子すら引いてやったのである。

「久し振りね。イザベラ」

「お、叔母上……」

 流石に良心の痛みに震えながら、イザベラは立ち尽くした。

「そうよ。私は貴女の叔母。さて、何を突っ立っているの? 早く御座りなさい。料理が冷えてしまうわ」

 その言葉で、タバサとシルフィードが席に着いた。

 この忠実なタバサの“使い魔”は、“貴族”でも何でもないただの“竜”――“韻竜”であったが、特別に相伴を認められているのである。

 硬い表情で、イザベラは席に着いた。やっとの想いで、イザベラは言葉を口にした。

「私を……御咎めにならないのですか?」

「咎める? また物騒な! どうして姪の貴女を咎めるなければいけないのでしょうか?」

「私は、貴女の夫を殺し貴女の心を失わせた男の、娘なのですよ?」

「でも、私の心はこうして戻った」

「でも、オルレアン公は戻りません」

 深い溜息を共に、オルレアン公夫人は言った。

「ええ。夢の中のことのように、全てを覚えています。全部が現実に起こったこと……そうね。忘れようにも忘れることはできません」

「ならば! どうして?」

 イザベラは叫んだ。

「私達は未来に生きねばなりません。そのことは娘にも……陛下にも良く言って聴かせました」

 オルレアン公夫人は、タバサの方を見詰めた。

 コクリ、とタバサは首肯いた。

「貴女の父は亡くなった。数え切れぬ将兵を道連れにして……私としては、もうそれで沢山。これ以上の血は見たくありませぬ、それが、姪ということになれば、なおさらです」

「叔母上……」

「貴女達に、昔話をして差し上げましょう。夫は……オルレアン公は、生前、私に言ったものです。“この国を良くしなければならない”と。成る程“ガリア”は大国。中々総身が1つに纏まるという訳には参りません。国中の“貴族”はかつての誇りを忘れ、誰もが己の目先の利益の為に汲々としている。それを見越しての言葉でありました。そして……イザベラ。貴女の父君も、昔はそう考えていたに違いないのですよ。だが、どこかでその真心を誤った。なんとなくその理由にも見当は着きますが……今となってはそれも詮ないこと。私はただ、夫のその言葉に報いたいのです」

 イザベラは首肯いた。

 オルレアン公夫人はワインの盃を掲げる。娘と姪にも、そしてシルフィードにも、取り上げるように促す。

 盃を取り上げたイザベラは、自分達の他にもう1人分、料理の皿が並んでいるということに気付いた。オルレアン公の陰膳であろうと、イザベラは予想を着けた。

「……叔父上の膳でしょうか? で、あるならば、私は叔父上にこの盃を捧げたく存じます」

 だが、オルレアン公夫人は首を横に振った。

「この前の戦で……亡くなった将兵に捧げる膳です。彼等は、私達一族の内紛に巻き込まれたようなモノです。私達は彼等の霊を慰めねばなりません。また、決して同じ過ちを繰り返してはなりません」

 イザベラはその言葉に深く頭を下げた。

「兎に角、私達の一族はもう、この3人だけになってしまったのだから……精一杯“愛”情を注ぎ合い、仲良くすることにいたしましょう」

 3人だけ、と言う時、オルレアン公夫人の言葉が震えた。だが……激しく心を動かされていたイザベラも、タバサも、その調子には気付かない。

 気付いたのは、“霊体化”しているイーヴァルディだけである。

 イザベラはタバサと叔母を見詰めた。それから、(そう、もう私には、彼女等しか残されていないのだ。想えば私の一族は……御互いに随分と憎み合って来た。兄が弟を。従姉が従妹を……何と馬鹿げたことだろう。その憎しみが払った犠牲は、何と大きいのだろう。数多くの将兵。崩れ落ちた“グラン・トロワ”……馬鹿げた行いをした一族の生き残りとして、自分の一生は死んで行った人々に捧げなければいけない)と考えた。

 イザベラは、首を振った。ユックリと、憎しみが“愛”情へと変わって行くのをイザベラは感じた。その2つは、実に良く似た感情であることを、イザベラは理解した。

 イザベラは、叔母の言葉に突き動かされるままに立ち上がった。

 タバサも立ち上がる。

 2人は近付き、どちらからともなく抱き締め合った。

 今度は、心からの抱擁であった。

「貴女に、知っておいて欲しいことがある」

 タバサは、イザベラへとそう言って、“霊体化”しているイーヴァルディへと目を向ける。

 次いで、イーヴァルディは“霊体化”を解除し、イザベラへと挨拶をする。

 そして、食事と同時に“聖杯戦争”などについて、イザベラへと説明がなされた。

 

 

 

 

 

 食事の後、離れから再び“プチ・トロワ”に向かう道すがら……イザベラはタバサに告げた。

「ねえ、小さなエレーヌ」

 昔……幼い頃、従姉妹のように遊んでいた一時期、イザベラはタバサ――シャルロットをミドルネームで呼んでいた。先程の叔母であるオルレアン公夫人の言葉でそれを想い出し、そう呼んでみたのである。

「何?」

 落ち着いた声で、タバサが言った。

「さっきは貴女に仕えると言ったけれど……御暇を戴きたいの。良いかしら?」

「どうして?」

「出家したいの。尼になって、父が犯した罪を、償いたい。私、毎日御祈りを捧げるわ。父と、叔父上と、犠牲になった人達のために……そうするのが、1番良いと想うのよ」

 だが、タバサは首を縦に振らなかった。

「エレーヌ?」

「貴女の騎士団が、私には必要」

「“北花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”?」

「そう」

 タバサは小さく首肯いた。かつてタバサが所属していた、汚れ仕事を一手に引き受けていた暗部の騎士団……“ロマリア”に対抗するためには、タバサにとって何としてもその手駒が必要であるのだ。

「そう、それならば仕方ない。御意のままに」

 イザベラはそう言った。

 御互いの顔も知らない“北花壇騎士”達の全容を知るのは、団長であるイザベラだけである。

「でも、昔ほどの働きは期待できないかも」

 イザベラは、溜息を吐くように言った。

「どういう意味?」

「私……隠れる際に1番、手練の騎士達に連絡を取ったのだけど……どうにも連絡が付かないの。どうやら父の死を知って、雲隠れしたようね。金の切れ目が縁の切れ目って訳ね」

「手練の騎士達?」

「ええ。普通、“北花壇騎士”は単独で任務を行う。でも、そいつ等は特別でね。4人兄弟で、任務を請け負うの。ハッキリ言うけど、昔の貴女並み……いいえそれ以上に優秀だったわ。汚れ仕事に関しては、と言う意味だけど。何せ、 1度も失敗したことがなかったわ」

 タバサは軽く眉を顰めた。そのような手練の戦士こそが、1番欲しい時であるためである。

「でも、いなくなって少しは清々したかも」

「どうして?」

「あまりにも残虐で、狡猾な連中だったから。金のためなら何でもする。そんな奴等よ。恐らく、新しいスポンサーでも見付けたんでしょうね」

「彼等の名前は?」

 妙な胸騒ぎと共に、タバサは尋ねた。

「“元素の兄弟”」



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サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール

 才人がアンリエッタから下賜された“ド・オルニエール”の領地は、“トリスタニア”の西、馬で1時間ほどの距離にある。“魔法学院”から行けば、“トリスタニア”へと行くのも、“ド・オルニエール”へと行くのも時間はほとんど変わらない距離にある。

 夏休みが始まる直前の週、才人とルイズは早速その領地を検分しに出掛けた。

 2人で行くつもりにしていたルイズであったのだが、当然の如く連れが増えた。

「全く……これじゃ大名行列だわよ」

 膨れっ面で、ルイズが言った。

 才人が領地を下賜された、ということもあり、ゾロゾロと着いて来たのはギーシュを筆頭とした“水精霊騎士隊”の少年達に、“アクイレイア”から帰って来ないコルベールを待ち草臥れてしまったキュルケである。

 勿論シエスタも、掃除道具を山のように抱えて着いて来ている。彼女は逸早く、未だ見ぬ“ド・オルニエール”の屋敷を1から10まで知り尽くしたいのである。

「“ド・オルニエール”ってどんな土地なんだい?」

 道中、マリコルヌが興味津々の顔で尋ねて来る。

「知らないよ。俺が知る訳ないだろ」

 才人が答えると、レイナールが神妙な顔で問う。

「その土地の上がり(年収)は幾らなんだ?」

 アンリエッタの言葉を想い出し、「12,000“エキュー”」と才人は答えた。

 一同が息を呑む音が聞こ得る。

「諸君! 僕はサイトを我が隊の会計主任に推薦したいと想う!」

 レイナールがそう叫ぶと、一同から「異議なーし!」と声が響いた。

「会計主任って何だ?」

 と才人が尋ねると、ルイズが「取り敢えずあんたに集ろうって言うのよ」と苦々しい声で言った。

「良いよ、俺は副隊長で」

 と、才人はやんわりと断りを入れる。

 が、「サイト、実は御揃いの隊服を作ろうと想うんだが……」とギーシュが小声で呟いて来た。

「隊長のおまえが何とかしろよ。名門グラモン家なんだろ?」

「知ってるじゃないか! 僕ん家は遠征で金を使い果たして……」

「知るか。と言うかおまえ、モンモンが使っちまったあん時の500“エキュー”返せよ!」

 皆がガッカリした顔になったために、才人はやれやれと言わんばかりに言い放った。

「そんな顔すんなって。理解ってるよ。独り占めなんかにしないってばよ。別に俺1人の手柄じゃないからな。毎年、何割かは隊に入れるよ。それで良いだろ?」

「幾らだ? 幾らだサイト!」

 レイナールが勢い込んで尋ねる。

「幾らなら良いんだ?」

 レイナールが全員と顔を見合わせ、神妙な顔で言った。

「5,000“エキュー”」

「理解った。その額を毎年回すように手配しとく」

 “水精霊騎士隊”の全員が、おおおおお! とどよめいた。

 才人がとんでもなく太っ腹なところを見せたために、ルイズは青い顔になった。

「ちょっと!? あんた! ほとんど半分じゃないの!」

「別に良いだろ。俺、そんなに使わ無いし。こっちのモノなんてそんなに欲しくないし。ああ、おまえが使うのか?」

「あんたねえ、近衛の副隊長で領地持ちなんてことになったら、色々と御金が出て行くんだから! 況してや貴男は、家柄もない、後ろ盾もない、成り上がりなのよ! 張る見栄はきちんと張っとかないと、馬鹿にされるじゃないの」

 才人は、ブツブツと文句を言い続けるルイズを見詰めた。

 最近のルイズは、才人から見て何だか妙に怒りっぽいのである。出逢った当初からそうであったといえるのだが、最近は兎に角見るモノ聞くモノ全て気に入らないといった風情を、ルイズは見せているのである。

 才人は(シエスタがいる所為かな?)と最初こそ想ったのだが、どうやら少しばかり違うようであるということが判った。

 下見に行った時はギスギスとしていたルイズであるが、スカロンに何かを言い含められたらしく、その件については何も言わなくなったためである。

 だが……アンリエッタから下賜されるとなったら、再び機嫌を悪くした――何かを想い詰める様子を見せるようになったのである。

 才人は、(何で? 只だから良いじゃないか! しかも12,000“エキュー”なのに!)とルイズの御機嫌斜めの理由が判らなかった。だが、冷静になって考えてみると……(もしやルイズ、姫様との仲を、まだに邪推しているんじゃないだろうな?)と考えた。以前、舞踏会の折……カーテンの陰で姫様とのキスを見られたことを想い出したのである。それから、(だけど……あの時の姫様は普通ではなかったって言えるしな。寂しくて、誰かに側にいて欲しくて、その時たまたまそこにいたのは俺だっただけで……もちろんルイズもそれを理解ってて、でも、何だか納得できてないのかもしれないな。もし、逆の立場だったら。例えば、ルイズのそんな場面を見てしまったら? 俺もそう想うかも……)と自身も相当な焼き餅妬きである才人は独り言ちた。そして、(ホントに姫様とは、何でもないんだ。何でも……)、と考えた。

 そこまで考えた時……才人は、胸にわずかにチクリと何かが刺さったかのような気がした。

 一瞬、才人は、(へ? そんな馬鹿な。姫様は寂しくて、俺はあの高貴な色気に噎せ返っただけで……)と想った。

 だが、そんなしこりのような棘は、妙なわだかまりとして才人の胸に残る。

 そして、(おい、一体俺は何を悩んでるんだ?)と、才人はブルブルと頭を横に振った。

「あんた、何やってるのよ?」

 ルイズに言われ、才人は我に返った。どうやら悩んだ御蔭で挙動が不審になってしまっていたようである。

「な、何でもない! ホント!」

 更にルイズが問い詰めるようとすると、キュルケが茶々を入れる。

「あらルイズ。才人の御金の使い方に文句を付けるなんて、すっかり奥方気取り? 何よ貴方達、卒業したら結婚でもするつもり?」

 その言葉で、才人への疑問がルイズの中から吹っ飛んでしまう、

 周りの連中がニヤニヤと笑みを浮かべて自分達を見詰めていることに気付き、ルイズは列の最後尾までキュルケを 引っ張って行く。次いで、誰にも聞こ得無いように小声で囁いた。

「……あのね! そ、そういう訳じゃないわ。ただ私は、同居人として……」

「結婚もしないで、一緒に暮らすの? 貴女、そんなことしたら悪い評判が立っちゃうわよ?」

「ほ、他の人に何言われたって関係ないわ! 私、そんなの気にしないもの!」

「違うわよ、ルイズ」

 キュルケは、ルイズを細い目で見詰めて言った。

「サイトの方によ」

「ど、どういう意味よ!?」

「あのねルイズ。サイトは今や、“救国の英雄”で、女王陛下から領地を直接下賜されたほどの人物よ? 成り上がりかもしんないけど、その成り上がりっぷりはまさに伝説級。だって、この貴女の御国じゃ、“平民”が“貴族”になることさえほとんど不可能なんでしょ? それが貴女、近衛の副隊長になるわ、領地まで下賜されるわ、おまけに劇まで作られちゃうわで、大変な騒ぎじゃないの。そんな有名人が、結婚もしてない女の子と一緒に暮らし始めたら、そっちがスキャンダルだわ。いくら貴女が公爵家でもね」

 そこでキュルケは、おっほっほ! と笑い転げた。

 ルイズは前から気にしていた部分を不意に突かれ、声を荒らげる。

「何よ!? 私じゃサイトと釣り合わないって言ってるの?」

「わ、冗談じゃないの。そんなに怒らないでよ」

 唖然とした顔で、キュルケが言った。

 それでも、ルイズの苛立ちは収まらない。図星を指された気分で、どうにもこうにも気持ちが沈んで行くのである。

「そうよね……あんたの言う通りだわ。私、ちっぽけだし。胸なんかあんたの10分の1くらいしかないし。色気ないし。それに、自分で言うのも何だけど怒りっぽいし。半分はあいつの所為だけど嫉妬深いのかもしんないし。顔は可愛いけど性格可愛くないし。相当アレとか言われてるし……」

 ブツブツとルイズは呟き始めた。

 そんなルイズを見て、呆れ顔でキュルケが言った。

「確かに、あんたみたいな変わった娘より、似合いの娘がいるかもね。今なら、家柄も性格も器量も良い、そんな娘が選り取り見取りかも」

「馬鹿言ってんじゃないわよ! あんな成金、相手にする“貴族”の娘なんかいる訳ないでしょ! あんたの御国とは違うだから!」

「判っんnあいわよー。“英雄”で土地持ちと言うことになれば、是非家の娘を……と言って来る“貴族”はいるかもよ? 世の中、何が起こるんだか判んないんだから」

 キュルケは、ニヤッと笑って言った。

 その言葉で、ルイズは青くなった。そうすると、(そう、“ガリア”や“トリステイン”や“アルビオン”の “貴族”だけではないわ。例えば“ハルケギニア”に幾つか存在する“クルデンホルフ”のような“大公国”が、そんな才人に目を着けて……“是非家の婿に!”、なんてと言い出したらどうしよう? “行く行くは王様にしてやる”なんて、そんな台詞を言われたら? まあ、“アルビオン”にその可能性はないけど……あの御調子者は、ついつい調子の乗ってしまうかもしれないわ)といった悪い想像がルイズの頭の中を駆け巡るのである……。

 才人の内心は結構穏やかではないのだが、ルイズからすると、人の気なんかしらないで先頭で皆に囲まれてワイワイと騒いでいるように見えるのである。

「何よ何よ。公爵家の娘じゃ満足できないって訳? ふんだあんたも偉くなったものね。大したもんだわ! でもね、そんな“大公国”の御婿になんかになったら大変なんだから。毎日鎖で繋がれて、好きな所なんか行けないんだから。浮気なんかした日にゃあんた、地下牢に閉じ込められて毎日折檻されちゃうんだから、そのうちに飽きられて路頭に迷うのが関の山だわ」

 そんな風に呟いてルイズを見て、キュルケが言った。

「あんたの扱いとあんまり変わらないじゃないの」

「か、変わるもん」

「どんな風に?」

「私、浮気したら地下牢じゃ済まないもん」

 ピキピキッ、と肩を強張らせながらルイズが言った。

「あんたの方が大公家より窮屈じゃないの」

 やれやれと、両手を広げてキュルケが言った。

 

 

 

 

 

 そうこうする内に、“ド・オルニエール”の土地らしき場所に着いたのであるのだが……。

「見渡す限り荒野が続いてるんだけど」

 ルイズが訝しげに言った。

 成る程、年収12,000“エキュー”の土地にしては、何だか可怪しい、といえるだろう。豊かな畑も、牧羊地も、養魚池も、何も見当たらないのである。

 田舎道の左右には、雑草が生えた荒涼とした更地が続いているばかりである。

「ここの名物はぺんぺん草なのか?」

 才人が呟く。

 そこに、荷馬車を引いた農夫らしき男が通り掛かる。

「彼に訊いてみよう。おおい!」

 ギーシュが、農夫に手招きをした。

「何で御座いましょう? 旦那様」

 ヨボヨボの馬に劣らず、貧相といえる格好をした老人であった。

「ちと尋ねたいんだが……ここは“ド・オルニエール”の土地かね?」

「然様で御座います」

 王都に近いだけあって、老人は訛りのなく綺麗な言葉遣いで言った。

「年収12,000の土地にしては、随分と荒れ果てているように見えるんだが」

 すると老人は、ははぁ、といった顔付きになった。

「先代の領主様が亡くられたのは、はぁ、10年も前のことで。跡継ぎもおらず、この土地は御国に召し上げられることになりましたが……若い者は土地を捨てて街に出て行ってしまい、老人ばかりになってしまいました。今となっては年寄りばかりが数十人、細々土地を耕している次第で御座います」

 一同は青い顔になり、その後、同情を含んだ目で才人を見詰める。

「や、屋敷はどこなんだ?」

「御屋敷ですか? あちらで御座いますが……どうせ暇ですから、御案内差し上げましょう」

 鬱蒼とした森の中に、土地に劣らず荒れ果てたその屋敷はあった。

 10年というモノ、手入れもされずに放ったらかしになっていたであろうことが一目で判る、昔は中々立派な構えの“貴族屋敷”であったのだろうが、全ては夢の跡、窓ガラスは割れ、扉や屋根には蔦が絡まり、壁には罅が入っている。

「これは掃除のしがいがありますわね……」

 シエスタが、唖然とした声でどうにか呟く。

「女王陛下も、とんでもない物件を押し付けたもんだな」

 マリコルヌが言えば、レイナールが首を振る。

「いや、きっと陛下は知らなかったんだよ。一々ちっぽけな領地のことなんか覚えてないよ。サイトに下賜することになって、適当な領地を探してたら、誰かに“ここにしろ”と吹き込まれたんだろう」

 その話を聞いて、(まあ、姫様ならありそうなことだわ)とルイズも心の中で首肯いた。

 アンリエッタに悪気はないということは、皆理解している。ただ、やはり女王、所詮雲の上の人の感覚であるといえるのであった。誰かに「ここを用意しました」と言われたら、もうそれで終了である。「年収12,000」と言われたら、「ではここで良きに計らえ」となるであろう。自分で確かめようと想うことなど、先ずありえないのである。

 同時に、(こんな領地を寄越すくらいだから、ホントにサイトのことはただの家臣としてしか見てないのね。いくら姫様でも、好いた男に領地を下賜するなら、その土地を下見するくらいのことはするはずだもの)とルイズは何だかホッとした。

 何のかんの言って、ルイズはやはりアンリエッタに警戒心を抱いていたのである。才人の身にあまる厚遇……その寵愛。(こないだは否定したけど、やっぱり裏があるんじゃないかしら?)、と内心ドキドキとしていたのであった。

 だが、それは杞憂であったといえるだろう。

 そう想うと、ルイズは何だか心がウキウキして来るのを感じた。

 すると、(姫様は兎も角、そんじょそこ等の“貴族”や“平民”如きに、私が負けることなんてありえないことじゃないの。何せ私は、国でも3本の指に入る公爵家3女。立ちい振る舞いの優美さでは、右に出る者はいないと自負していたし、そりゃ胸はないかもしんないけど、天下に冠たる美少女じゃないか。いくら“救国の英雄”だからって、サイトに負い目を感じる必要はないわ。そりゃもう、断じてないのよ)といった風に、やっとのことでルイズの中で自信が生まれて来るのであった。

 ルイズは薄ら笑いを浮かべ、(馬鹿言ってんじゃないわよ。この私が、一緒に暮らして上げるって言ってんの。感謝されこそすれ、負い目を感じるなんてちゃんちゃら可笑しいわ)と先程までの自分を恥じ、考えた。

「これ、住めんのかよ……?」

 才人がガックリとした顔で言った。

 ルイズは、その肩をポンポンと叩いた。

「いーじゃなーい。あんたには十分じゃなーい」

「はい?」

 才人が振り返ると、何故か勝ち誇った顔のルイズがいた。先程まで元気がなくブツブツと呟いていたのが、嘘であったのではと想わせるほどの心境の変化ぶりである。

「どうしたんだ? おまえ……」

「どうもしないわ。ちょっと曇ってた天気が晴れただけ」

 才人は激しく訝しんだ。だが、そのようなルイズを見ていると、先程悩んでいたことなどを始めとしたそういったことがどうでも良くなり……才人も何だか楽しい気持ちになって来た。

「ボロくたって良いじゃない。私なら別に平気よ」

「そ、そうだよな! 住めば都って言うもんな!」

「掃除すればなんとかなるでしょ」

「ちょっと大変だけどな! あっはっは!」

「ねえ、ホントにここで暮らす気?」

 キュルケが、呆れた、といった顔で2人に尋ねた。

「折角姫様から戴いた領地に御屋敷よ。ちゃんと暮らさなきゃ罰が当たるってもんだわ」

「なあサイト。城買おうぜ城。こんな幽霊屋敷は売っちゃってさ!」

 “水精霊騎士隊”の少年達も、そう言って促したのだが、もう才人は聞いていない。

「いや……考えてみれば、城なんか買ったら御金なくなっちゃうもんな。生活費どーすんだよ? 城なんつったら維持費だって馬鹿になんないだろ?」

「そこは君、一杯手柄を立てて稼げば良いじゃないか」

「そーだそーだ」

 “貴族”の坊っちゃん達は、まるで“地球”に於けるちょっと売れ始めた芸能人みたいなことを言い始めた。

「怪我したりしたらどーすんだよ? それに、手柄を立てるチャンスなんか、そうそうある訳ないだろ。結局、しっかり入って来るのは“シュヴァリエ”の手当の600“エキュー”だけなんだからさ。そんなの、ルイズと俺が生活して、御手伝いさんとかに給金払ったらなくなっちまうじゃねえーか」

 才人は、ボロボロの屋敷を見上げて言った。

「まあ、少しはこの土地だって実入りはあるんだろうし。良いよここで。なあルイズ」

「うん」

 ルイズも首肯いた。

 シエスタは、才人と暮らすことができるだけで満足であるために、先程からニコニコとしている。

 年5,000“エキュー”の収入が、夢と消えた“水精霊騎士隊”の少年達だけが、ガックリと肩を落として項垂れた。

 

 

 

 

 

 ルイズと才人とシエスタは街の業者に頼み、1,000“エキュー”掛けて屋敷を修繕することにした。

 見た目は酷かったのだが、造りがしっかりとしているために、しっかりと手を入れれば十分住むことができるとのことであった。

 夏休みが始まる頃には、何とか暮らすことができるレベルにはなるらしいとの話である。“貴族”らしい体裁を構えるには、もう1月2月は掛かるとの話であったのだが。

 屋敷は2階建ての、“トリステイン”で昔流行ったタイプの石造りである。玄関前には扇状に広がる階段があり、重い樫の扉を潜ると、広々としたホールがある。入って右手に20人は座れることができるであろう食堂があり、その奥には厨房が控えている。左手には応接間兼書斎が置かれている。途中で左右に分かれた階段を上ると、2階に着く。そこには6つの部屋がある。

 そこの部屋を1つ、取り敢えず寝室にすることにして、才人達は大きなベッドを新調した。

 庭には馬小屋と、猟犬用の澱があった。前、ここを使っていたド・オルニエールは狩猟が好きだったらしく、どちらも立派な造りであることが判る。

 階段の下には、地下室に通じる扉があった。だが、そこは固く閉ざされている。鍵がどうにも見付からず、そこは取り敢えず放っておくことにした。

 領民達は本当にほとんどが老人ばかりであったが、それでも土地からの収入は2,000“エキュー”は確かにあった。かつての勢いはないが、痩せた土地成ので良い葡萄が採れるであろう。

 老人達はワインを造るのが上手く、少量だけ生産されるそれが、通の間では割と評判との話である。

 ルイズと才人とシエスタの3人は平日を“魔法学院”で過ごし、週末になると“ド・オルニエール”の領地へとやって来ることにした。

 修繕が進む屋敷を見るのは、3人にとって楽しいことであり、のんびりとした“ド・オルニエール”は、やっと訪れた平和な気分を満喫するにはピッタリであったのである。

 才人とルイズは、週末訪れるたびに、シエスタと一緒に屋敷を掃除したり、家具を揃えたり、辺りを散策したりした。荒れ果てた野原にしか見えなかった“ド・オルニエール”の土地も、良く目を凝らせば楽しいモノに満ち溢れていることが判るだろう。森の中の小さな泉や、谷や、野に咲く可憐な花などを、眺めながら散歩するのは、中々に楽しい暇潰しであるといえるだろう。

 夕方になると、領民達が、新しい領主様が来たというので挨拶に来る。自慢のワインや、畑で採れた作物や、焼き立てのパンや御菓子などを御土産に持って来るためしばらくは料理をする必要がなかった。

 散歩をしていると,領民達は気さくに才人とルイズ達へと声を掛けて来る。“”平民出身の近衛騎士ということもあり、まるで孫の出世を喜ぶかのように、才人に接してくれるのである。

「もしもし、是非我が家に御寄りください、若殿様」

 そんな風に声を掛け、才人とルイズ達を、貧しいながらも御茶や酒や御菓子なんかで持てなしてくれるのである。そして、才人の手柄話を聞くと、目を丸くして喜び、「今度の領主様は大したもんだ」と感心するので、才人は すっかり得意に、また調子に乗ってしまった。

 近所に住む、ヘレンと云う名前の御婆さんがいるのだが、彼女は身寄りがない。そのため、才人は彼女を御手伝いとして雇い入れた。年の割にはしっかりとした御婆さんであり、平日、才人達が留守の間、屋敷をきちんと守ってくれているのである、年の功とは言ったものであり、家事も上手な御婆さんである。

 それほど大きくもない屋敷であるということもあって、シエスタとヘレンの2人だけでも十分に手も行き届く。

 寝室のテーブルの上に、才人は“こっちの世界”に持って来る形になった“ノートパソコン”を置いて、毎日それを眺めた。今のところ、家族に自分のこの状況を知らせることができないのが、少しばかり残念なことであったのだが……それさえ除けば満足の行く生活が待っているように、才人には想えた。

 才人は、(いつか、“虚無の担い手”の誰かが……テファかルイズか判らないけれど、“世界扉(ワールド・ドア)”の“呪文”を覚えたら。その時こそ、故郷に帰って、自分の状況を報告しよう。でも、もし……覚えなかったら?)と考えた。それでも、なんとなくその時はその時で良い、と才人は考えた。だが……不思議なことに、それはないように想えたのである。何だか、才人の中に、予感めいた確信があったのである。

 才人は、(俺はいつか帰れる。でも、そんな時が来ても……俺はもうこっちの生活を捨てることはできない)と隣ですやすやと気持ち好さそうに眠っているルイズを見るたびに、才人はそう想うのであった。

 また、(“聖戦”は問題ないだろうけど……“聖杯戦争”はどうなるんだろうか?)といった漠然とした疑問が、才人の中にはあった。

 

 

 

 

 夏休みに入ると,ルイズと才人はシエスタと共に“ド・オルニエール”の領地へとやって来た。休みの間、ここで暮らすのである。卒業後の予行練習とでもいえるような、そんな時間である。

 まるでこれまでの1年が嘘であったかのような、平和で、のんびりとした生活に、ルイズと才人達は段々と慣れて行った。

 そんな時間は、張り詰めていたルイズの気持ちを、徐々に解き解して行った。

 夏休みにはいって数日目のこと……。

 才人とルイズとシエスタの3人は、「行ってらっしゃいまし」と、ヘレンに見送られ、いつものように森の中を散歩していた。

 焼けるような陽光が、木々に遮られて心地好いといえるだろう。小鳥の囀り以外には何も聞こえない中、才人と ルイズはブラブラと森の小道を行くのであった。

 後ろからは、シエスタが、籠を持ってニコニコと着いて来る。

 眺めの好い、気の利いた場所を見付けると、そこで昼食が始まる。

 御腹が一杯になると、シエスタは木陰で寝てしまう。

 すると、ルイズはシエスタを何度か木の枝で突き、本当に寝たのかどうかを確認するのである。

 シエスタの寝付きは実に素晴らしく、まさに天才的であるといえるだろう。何せ、1度寝入ったら1時間は絶対に起きないくらいであのだから。

 どうにもこうにも起きないということを確認すると、ルイズはまるで猫のように才人に凭れ掛かって来るのである。それから唇を尖らせて悩ましげに髪を弄り始める。

 どこで覚えたのだろうか、そのような仕草が、才人の脳天を激しく刺激するのであった。(嗚呼、こいつ、やっぱり可愛いなあ)なんて想っていると、ルイズはそんな才人の心を読んだかのように、更なる攻撃を繰り出して来るのである。

「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」

「い、いや……そういう訳では」

「じゃあ、どうしてジロジロ見てるの?」

 ルイズはこのような一連の台詞を、蔑むかのような細い目で才人のことを見詰めながら、興味がなさそうに冷たく言うのである。

 そうされるともう、才人は、網に掛かってしまった魚同然とでもいえ、更にルイズに対して夢中になってしまうのである。

 ワナワナと震えた声で、「か、可愛いなあと想って……」などと、才人はどうにか呟く。

 才人は兎に角、面と向かって女の子を褒めるということに慣れて居ないために、妙に自信が着いている時は兎も角、こういった不意打ちをされてしまうとしどろもどろになってしまうのであった。

 するとルイズは、更に得意になって言い放つ。

「当ったり前じゃない、知ってる? 私より可愛い娘なんていないのよ」

「そ、そう想うよ。俺も……」

 兎にも角にも、得意げになっているルイズは、当に鬼に金棒とでもいえる状態である。鬼が得意げで、金棒がルイズである。

 そのような態度がこれほどに似合っているといえるのは、“ハルケギニア”と“地球”を合わせても、ルイズだけであった。少なくとも才人が知っている中ではの話だが……。

「あんたは幸せね。そんな私の側にいられるんだから」

「そ、そうだね」

「そうだね?」

「その通りで御座います」

 ルイズは更に調子に乗り始め、優位たっぷりといった流し目を、才人へと送り始める。

 すると才人はもう、何だか我慢ができなくなってしまい、(何て自分はちっぽけな虫に過ぎないのだろう?)と自問を始め、次いでその自問がルイズへの熱い衝動へと切り替わり、思わずキスをしようと唇を近付けるのであった。

「何よ? 何するつもり?」

「キ、キスゥ……」

「誰が、誰と?」

「俺が、ルイズと」

「じゃあ言うこと利いて頂戴」

 ルイズは立ち上がると、両腕を組んだ、今のルイズは激しく調子に乗っているといえるだろう。毎回、「レモンちゃん」だの、「小さいにゃんにゃん」だの、と信じられないことを言わされていたということもあって、(今日は自分が言わせる番だ)と想ったのである。だが……(何、言わせようかしら?)と別に言って欲しい台詞などないということに、ルイズは気付く。ただ、優しくロマンチックに抱き締めて貰って、「好きだよ」……くらいのこと事を囁いで貰えれば、ルイズにとってそれで十分であるためだ。他には何も要らないといった具合である。自分のそんな欲のなさを、ルイズは多少恨んでみたが、しょうがないことである。

 それでもルイズは、それだけのことを言うのに、頬を染めて恥ずかしげな顔になった。

「ロ、ロマンチックにキスして」

「それだけ?」

「……うん」

 才人は、ルイズが想像するロマンチックというモノが判らなかったため、仕方なしに大真面目な顔をしてみせた。それから、ルイズの顎を持ち上げ、「まるで宝石のようだネ」と言ってみた。緊張していたということもあり、声は裏返り、目は明後日の方向を向いている。

 才人は(こりゃ駄目だ)と想ったのだが、ルイズはもう目をキラキラと輝かせ感動に潤ませていた。

 そんなルイズを見て、才人は、(薄々と感じてはいたが……なんて難易度の低い女なんだ)とある意味感心した。同時に、そんな難易度の低いルイズが堪らなく可愛く見えて、才人は思わず抱き締め、ルイズにキスを噛ました。

 ルイズも両腕を才人の首に巻き付け、ウットリと目を閉じる。

 すると……。

 ポキン、と何かを折る音が聞こ得て来た。

 ポキン、ポキン、ポキン、ポキン。

 恐る恐る2人が横を向くと、シエスタが物凄い形相で、枝を折っているのである。

「な、何よ!? あんた起きてたの!?」

「ええ。誰かさんと誰かさんのやりとりで、目が覚めちゃいました」

 ニッコリと笑みを浮かべ、シエスタは言った。直後、眉間に皺を寄せ、両手で握り締めている枯れ枝を打ち折った。

「な、何してんのよ!?」

「焚き火をして、御茶でも淹れようかと思いまして……」

 ルイズは、コホンと咳をして、立ち上がる。照れ隠しに、スカートの裾に付いた土などを払う。

 才人とルイズが気不味そうに固まっていると、シエスタは籠から何かを取り出した。

「御二方、御存知ですか? ティーにレモンを垂らすと、美味しくなるんです」

 シエスタが握っているのは、黄色の果実である。

「へ、へぇ……」

 誰に聞いたのかまでは知らない2人であるが、この前のレモンちゃんを当て擦っているということだけは、理解できた。

 ルイズが(何このメイド。舐め過ぎ。私のこと舐め過ぎ!)とワナワナと震えていると、「いけない」とシエスタはハッとした顔になって手を口に当てた。

「な、何がいけないのよ? 仰い」

「共食いじゃないですか……いや、共飲み? この場合」

 ルイズはそこで、くえ、と唸り声を上げた。ズンズンとシエスタに近付き、レモンを取り上げると、シエスタのその口の中に捩じ込む。

 シエスタはユックリとレモンを口から出すと、包丁でスパッと切り裂き、半分に切ったその果汁をプシュッとルイズの顔に振り掛けた。

 2人はニッコリと笑うと、直ぐ様真顔に戻り、いつもの無言の取っ組み合いを開始するのである。

 才人はオロオロとしながら、その光景を見詰めるのであった。

 美少女が穿いているスカートが翻る、男性からして何とも素晴らしいといえるショーなので、そのうちに才人は夢中になって魅入った。

 そんな才人の視線に気付いた2人は立ち上がり、「何見てんのよ? 誰の所為だと想ってんのよ?」、とか、「良い加減どちらか選んでください」などと喚きながらルイズとシエスタは、才人を蹴りまくるのである。

 するとルイズはシエスタを睨んで、「それは結論出てるのよ」などと勝ち誇る。

 シエスタも負けじと、「いやまだ決まってませんから」と言い放つ。

 で以て、2人は睨み合い乍らも、才人を惰性で蹴り続けるのであった。

 才人はもう、色々と諦めていたために、(まあこのくらいで済むんなら)と黙って蹴られ続ける。そして、(シエスタにしろルイズにしろ、とんでもない美少女だしな。そんな2人と暮らすことができるのだから、これは御色気税だな)、と妙な納得をするのであった。

 

 

 

 

 

 さて……夜になると、ルイズは昼間の疲れから、早々に寝てしまう。

 相変わらずベッドは1つだけである。

 表向きの理由は御金が勿体ないからであるのだが、裏――本当の理由はぶっちゃけ一緒に寝たいからである。

 そのベッドを買う時、ルイズは言い訳がましく「2つ買ったら高いから……」、とか、「2つのベッドは縁起が悪いから……」、などと、散々ありえないといえる理由をブツブツと並べ始めたのであった。

 その割にシエスタのベッドはしっかりと買ったために、シエスタはとうとう頭に来た。シエスタが「要りません」と言ったら、「仕事に疲れてるあんたに、寝床も用意しなかったら悪いじゃないの」とルイズは嘯くのであった。勿論、誠ではあるが、同時に別の理由などがある。

 そんなこんなで、シエスタは夜になると才人とルイズの寝室にやって来て、当然とばかりに才人の横に潜り込むのであった。

 朝起きたルイズは当然怒る。「あんたにベッドちゃんと買って上げたでしょーが!」、と怒鳴るのである。

 それでもシエスタはしれっとして、「何かのベッド硬くて眠れ無いんですー」、とか、「あの部屋御化けっぽいのが出て怖いんですー」、などと言い訳を並べ立てるのである。これもまた、勿論嘘である。

「御化けっぽいのって何よ?」

 ある朝、ルイズが目を吊り上げて尋ねると、シエスタは目を泳がせて言った。

「えーっと、何かですね。白くてですね、フワフワして、宙に浮いてるんです。すっごい怖くて……」

「嘘吐かない」

「じゃあ、今晩でも私の部屋を御使いになって、御自分で御確かめになられたらどうですか? でも、ミス・ヴァリエールじゃ幽霊怖がって出て来ないかもしれませんけど!」

「理解った。泊まるわ」

 ルイズは、ぐぎぎぎぎぎ、と歯軋りを為ながらシエスタを睨み言った。

 その夜、本当にルイズは、シエスタの部屋に泊まった。幽霊が出なければ、シエスタを取っちめてやるつもりで、だ。ルイズは「サイトも来なさい」と言ったが、「2人いたら幽霊出ません」とシエスタが言った。

 しょうがなくルイズはその晩1人で泊まった。(どうせつまらない嘘でしょうが、さて、今頃サイトに悪戯噛ましてる頃ね。こっちから出向いて取っちめてやるわ)、と起き上がった瞬間……。

 白い物体がユラリと部屋に入って来て、ルイズは跳び上がった。まさか本当に出るとは想っていなかったために、ルイズは死ぬほど驚いた。

「きぃっやああああああああ!?」

 気絶しそうになった瞬間、ルイズの大きな悲鳴に躊躇いだ白い物体は転んで、中の姿が露わになった。

 それは、シーツを頭から冠ったシエスタであった。

「あ、あんたねぇ……」

「か、軽いジョークじゃないですか」

 ルイズは怒り狂ってシエスタを追い回した。思わず“魔法”を撃っ放してしまい、ベッドへと命中した。

 結果、勿論のことベッドはバラバラになり、その晩からシエスタは本当に当然といった顔で枕を抱いて、ルイズと才人の部屋にやって来るようになったのである。

 ルイズは才人に、「ベッドを買え買え」とせがんだのだが、「また壊されたら適わん」と外方を向かれた。

 そういったこともあり、才人とルイズとシエスタは、“魔法学院”での時と変わらず、同じベッドで眠ることになったのである。

 騒がしい日常ではありはしたが、才人自身としては、それほど酷い毎日ではなかった。何といっても、今は平和なのである。精々、女の戦いが屋敷の内外で繰り広げれているだけである。人死などは当然にあ。それにルイズとシエスタも、それぞれ微妙に境界線を作ったのだろうか、それなりの所までは目を瞑ってくれているのであるる。それが証拠に、ルイズだってシエスタが同じベッドで寝ることを最終的には拒否しなかったのであるからして。

 このように、才人とルイズとシエスタの3人……いや、今やヘレンを合わせた4人は、まあまあ上手くやっていたのだ が……。

 その平和的な日常は呆気なく破られる日がやって来た。

 夏休みに入って、ちょうど1週間目のある日頃、とある訪問客が訪れたのである。

 

 

 

 いつものように散歩から帰って来た才人達は、玄関の前でオロオロとするヘレンを見付けた。

「ヘレンさん、どうしたの?」

 才人が尋ねると、「旦那様、大変で御座います。大変で、御座います」と気の良さそうな丸い顔を焦りで歪ませ、ヘレンは3人へと近付いた。

「御客様で御座います。でも、それが貴男、何とも怖い若奥様で御座いまして……どこぞの名のある御方の奥方と御見受けしましたが、これがまあ、怖いの何の。眉間にこう皺を寄せて、この私をジロリと! まさにジロリと睨んだので御座いますよ!」

「怖い若奥様?」

 と、ルイズが尋ねる。

「はい。ええと、御顔立ちはルイズ様に良く似ております」

「……髪は?」

「見事な金髪で」

 才人とエレオノールは、「エレオノール姉様だ!」と顔を見合わせた。

「ヘレンさん、あの方は独身よ。名のある御方の奥方なんて、冗談でも言わないことね。耳をちょん切られるわよ」

 ヘレンは震えながら、“聖具”の形に印を切った。

 1階の応接間で、エレオノールは一同の帰りを待っていた。

 ルイズが入って行くと、エレオノールはやおら立ち上がり、ルイズのその頬をぎゅ~~~、っと激しい勢いで抓り上げた。

「ちび! ちびルイズ!」

「痛い~~~」

「貴女はもう、また勝手なことをして! 聴いたわよ! け、け、けけ、けほぉ……」

 エレオノールは、そこで、ぜぇはぁ、と息を切らした。

「み、みず……」

 慌ててシエスタが、水を汲んで来てエレオノールへと差し出した。

 エレオノールはその水を飲み干し、言葉を続けた。

「結婚前の男と女が一緒に暮らすなんて!? 一体貴女は何を考えているの!? 勝手に戦争に行ったかと思えば、今度は同棲ですって? 貴女、そんなの私、絶対に認めませんからね!」

 エレオノールにそう言われ、ルイズはショボンと項垂れた。

「そ、そんな……同棲なんかじゃありません! ほら、“使い魔”と主人だから……仕方なしに一緒にいるって言うか……」

「駄目よ。世間様はそう見ないわ。ラ・ヴァリエール家の3女が、どこの馬の骨とも知れない男と暮らし始めたりなんかしたら、国中の笑いモノよ!」

「でも、でも……!」

 エレオノールはそこで真顔になると、「……ルイズ。貴女、伝説の力を得てるんでしょう?」とルイズに問うた。

 ルイズはコクリと首肯いた。

 以前、ラ・ヴァリエールの領地で、そのことは家族に話していたのである。

「ええ。だから、父様からは“己の信じた道を行きなさい”と言われたわ。姉様も聞いていたでしょう?」

「それは好き勝手しても良いってことではないわ。貴女はね、自分の器以上の力を得てしまったのよ」

「それは理解ってるわ」

「理解ってないじゃないの。貴女の力は貴女だけのモノではないのよ。祖国の命運を左右する、大変な力じゃないの。自重しなさい。ルイズ」

「でも……もう平気よ。大変なことにはならないわ」

「どうして?」

 ルイズは、才人の方を窺った。

 才人は、まあ良いんじゃないか、と首肯いた。

 “ロマリア”のヴィットーリオ達が掲げる野望が潰えたと想われる以上、昔ほど隠し立てする必要もないのである。しかも相手はエレオノール、ルイズの姉であるのだから。

 ルイズは、エレオノールに、この前の“ロマリア”と“ガリア”での一件を説明した。

「……そんな訳で、“始祖”の“虚無”の復活は妨げられて……“ロマリア”は“聖戦”を続けられなくなったの。私の持つ力が大き過ぎることには変わりはないかもしれないけど……だからと言ってそこまで自重する必要があるとも想えないわ」

 それに、とルイズは言葉を続けた。

「姉様の言う通り、私の力を守るためなら、なおさらサイトが必要だわ。こいつ以上に、私を上手く守れる奴なんか居ないんだから」

 感動した面持ちで、才人も首肯いた。

 言い包められたエレオノールは、とうとうルイズを怒鳴り付けた。

「屁理屈を述べないで頂戴!」

「違うわ! 屁理屈を並べているのは姉様の方よ! 何よ、伝説の力なんてホントはどうでも良いんでしょ? 兎に角、私がすることなすこと、気に入らないんでしょう? 私だって、いつまでも小さいルイズじゃないんだから!」

 そんな風にルイズに言われ、エレオノールの目が吊り上がる。確かに、ルイズの言う通り、伝説の力云々は言い訳であるのだろう。だが……結局、自分の掌の上だとばかり思っていた末の妹が、自分に何の相談もしてくれないで進路を決めてしまったということが、癪に障てしまっているのであった。いや、それだけではないだろう。エレオノールは、ルイズを“愛”している。故に、どうしても心配なのであった。が、どうにもこの姉妹、やはり不器用であった。

 なおも喰い下がろうとするルイズの首根っこを掴むと、エレオノールはズルズルと引き摺り始めた。

「じゃあ、今みたいな言い訳を、父様と母様にも聞いて頂きましょう。さあ、ラ・ヴァリエールに帰るわよ」

 才人は思わず、その前に立ちはだかった。

「あ、あの! 御姉さん!」

「何よ? 貴男に御姉さんなどと呼ばれる筋合いはなくってよ」

 ジロリと、エレオノールに睨まれ、才人は震えた。この圧倒的なオーラを前にすると、どうしても身も心も震え上がってしまうのである。

「何やら、少々手柄を立てられたようで、調子に乗っているようだけど、私の妹を誑かすなんて、赦しませんからね!」

「で、ですから! そのうちにきちんと御家にも御挨拶に伺おうと……」

「御挨拶!? 貴男が? どんな挨拶? まさか、け、け、け、結婚の申し込みとか言いませんわよね!?」

「い、いや……その……」

「あんたみたいな馬の骨に、ラ・ヴァリエールの娘が嫁ぐですって!? そんなの私、絶対に認めませんからね!」

「ま、待って!」

 ルイズが口を挟んだ。

「姉様! サイトは馬の骨なんかじゃありませんわ! 今では陛下の近衛隊の副隊長だし、しっかりこのように領地も戴いたのよ! 今じゃ、立派な“貴族”……ほらサイト! フルネーム!」

 才人は精一杯に威厳を取り繕うと、胸を張って名乗りを上げた。

「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールと申します。御姉様」

「男爵の爵位もない、ただの平“貴族”が気取るんじゃないの。兎に角! 伝説だろうが何だろうが、ぽっと出の“貴族”に、ラ・ヴァリエールの娘を嫁がせることはできません」

 そこまでエレオノールが言った時、ルイズの目が光り始めた。

「ならば……どこに出しても恥ずかしくない“貴族”に仕立て上げれば、文句はない訳ですわよね?」

「はぁ? 貴女、何を言っているの?」

「私がサイトを、立派な“貴族”にしてみせます」

「立派な“貴族”ぅ?」

 ルイズは首肯いた。

 エレオノールは才人をチラッと見詰めた。

 才人は、どこからどう見ても、ただの異国の少年である。

 “トリステイン”に於ける“貴族”というモノは作法1つ、仕草1つ取っても“平民”とは違うのである。生まれながにしての気品というモノであろうか、そういった空気じみたモノを何より重要とするのである。

 エレオノールほどの名門生まれともなれば、生半可な付け焼き刃など直ぐに見破ってしまうであろう。

 だが……ルイズももう、1度口にしたからには、何が何でも後に引くつもりはないようである。

 エレオノールは、(この娘、ホントに私に似て来たわね……)と小さく口の中で呟いた。

「理解ったわ。今度来る時までに、“貴族”の作法を叩き込んで置きなさい。もし、私が満足行かないようだったら、ルイズ、貴女は直ぐに私と一緒に実家に帰るのよ」

「結構ですわ」

 エレオノールは、そこで、ふん、と踵を返すと、才人に挨拶をすることもなく出て行った。

「嫌われたもんだなあ……」

 と、才人は、呆けっとした声で呟く。それからルイズの方を振り向き、「なあルイズ。おまえ、俺に“貴族”の作法を仕込むって言ってたけど……」と口を開く。

 が、そこでビシッと鞭が唸った。

 ルイズが、いつの間にか取り出した乗馬鞭でもって、床を叩いたのである。

「な、何すんだよ!?」

「“ミス・ヴァリエール。私に作法を一から仕込んでください”でしょ?」

「え? え? も、もう始まってるの?」

「ったり前でしょ。次にエレオノール姉様が来るまでに、あんたを爪先から頭の天辺迄まで、誰にも文句付けようのない“貴族”に仕込んで上げるわ!」



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屋敷の地下室

 “トリスタニア”の西の端に、“魔法研究所(アカデミー)”の塔はある。その名の通り、“魔法”に対する、様々な研究を行う場所である。

 ただ、それは実用的な研究というよりは、純粋に“魔法”の効果を探るモノが多いといえるだろう。

 例えば、“火”の“魔法”を用いて街を明るくしようとか、“風魔法”を利用して大量に荷物を運んだりとか、そういった研究は下賤ではしたないモノとされ、どのような“火”の形より、“始祖ブリミル”が用いたモノに近いのとか、“降臨祭”に飾られる蝋燭を揺らすための風は、どの程度が良いのかなど、“聖杯”を作るための“土”の研究など、大凡生活には役に立たないであろうモノばかりであった。ここでいう“聖杯”とは、“聖杯戦争”の賞品とでもいえる“聖杯”とはまた別のモノであるのだが。

 多くの研究は、神をより理解しその御心を探るための学問……神学の域を出なかった。変わった研究は直ぐに異端のレッテルを張られ、追放されたり研究停止になってしまうのである。

 エレオノールは、この“魔法研究所”の30人からいる主席研究員の1人である。彼女の専攻は“土魔法”……それを使用して、美しい聖像を造るための研究に従事している。

 夕方、“ド・オルニエール”から帰って来たエレオノールは、塔の4階にある自身の研究室に入ると、机に肘を突いて溜息を吐いた。

 末の妹のモノと似た、色気のあまり感じさせない研究一辺倒の部屋である。様々な土や触媒の入った壺が、壁際に並び、棚の間に御先祖の肖像画が飾られている。装飾らしい装飾はそれくらいである。

 扉がノックされ、エレオノールは顔を上げた。

 エレオノールが「どうぞ」と促すと、扉が開いて、黒髪を引っ詰め、眼鏡を掛けた妙齢の女性が姿を見せた。手には羊皮紙の束を持っている。

 エレオノールの同僚であるヴァレリーである。エレオノールと同じ、主席研究員の彼女は当年録って26歳である。彼女は、“水魔法”を用いての、“魔法薬(ポーション)”の研究をしている。

 ヴァレリーは、エレオノールの様子を見て口を開いた。

「あら? とんでもなく御機嫌斜めね。エレオノール」

「妹が……と、貴女に愚痴っても始まらないわね。ヴァレリー」

「貴女の妹さん? 陛下の女官になられて、“ガリア”でも活躍したという話じゃないの。あの……何だっけ? “平民”出の近衛騎士と一緒に」

「そう。次は “その平民出と一緒に暮らす”なんて言ってるから、御説教して来たのよ」

「あら!? 御結婚するの?」

 結婚という単語に、エレオノールはやはり敏感に反応を示した。電光石火の早業ともいえる速度で立ち上がると、ヴァレリーの喉を締め上げたのである。

「私の前で、その縁起でもない単語を軽々しく口に出さないでくださる?」

「ご、ごめん……ごめんなさい……赦して……」

「結婚は人生の墓場、と仰い」

「け、けっこんはじんせいのはかば……」

「良くってよ」

 エレオノールはそこでヴァレリーを離すと、不機嫌な顔のまま、椅子に座る。

 ヴァレリーは、ゼェゼェ、と息を切らした後、気を取り直したように言った。

「ま、まあ……女だてらにこう言った研究生活をしていると、結婚から遠退いてしまうのも致し方ないわね」

「そうよ。決して私に難がある訳ではないの。ところで、何の用かしら?」

 するとヴァレリーは、少しばかり声を潜めて言った。

「実はね、ちょっと相談があるのよ」

「相談?」

「ええ。これ、私が最近評議会から命じられた研究なんだけど……」

 評議会というのは、“魔法研究所”の意思決定機関である。研究員から選抜されたここの評議会員によって、“魔法研究所”は運営されているのである。

 エレオノールは羊皮紙に目を通した。次いで、その眉間に皺が寄る。

「何よこれ?」

「ね? 変でしょう? 体内の水の流れを変えて、“魔力”を増す“ポーション”の調合なんて……」

「これ、異端じゃないの? 大体、神の御業である“魔法”を強めるために、薬を使うだなんて……冒涜と言うモノだわ」

 顰めっ面のままエレオノールがそう言うと、ヴァレリーも首肯いた。

「私もそう想って、評議会に尋ねてみたのよ。でも、“神に近付くためだ”、の一点張りで……」

「で、造ったの?」

 エレオノールはヴァレリーを見詰めた。

 “精神力”及び“魔力”を強める、などという“魔法薬(ポーション)”は想像も着かなかったのだが……“水”の“スクウェア・クラス”であるヴァレリーは、国でも並ぶ者がいないと言われるほどの使い手であるということを、エレオノールは知っている。汎ゆる“秘薬に”精通し、医術の心得もあるヴァレリーであれば、もしかすると可能かもしれない、などと想わせるほどである。

 コクリと、ヴァレリーは首肯いた。

「実は昔……若い時分に造ってみたことがあるの。若気の至りって奴ね」

「まあ!? じゃあこれって……」

「ええ。元々私が造っていたモノよ。でも、その時は、“異端だ”って言われて、直ぐに研究をやめてしまったわ。それにあまり出来の良いモノじゃなかったし」

「どういうこと?」

「確かに“魔力”は高まるのだけど……ほら、“魔力”って感情に左右されるじゃない?」

 エレオノールは首肯いた。

「感情をも強めてしまうのよ。怒り、喜び、悲しみ……普通の“精神力”じゃ耐えられないくらいに、感情を昂ぶらせてしまうの」

 どうやら、かつてのヴァレリーはそれを自分で試したであろうことが、その言葉から推測できる。

 狂ってしまうかと想ったわ、と自嘲気味にヴァレリーは呟いた。

「そんなこんなで御蔵入りになっていた薬何なんだけど、最近になって再び研究と調合を命じられて……一体何があったのかしら?」

 エレオノールも首を傾げた。

「評議会の運営方針が変わったのかしら? それにしては、何も聞いてないし……」

 2人は、評議会のメンバーが変わったという報告も受けてはいない。今まで、異端とされていた研究を、今になって命じる理由が、2人には判らなかった。

「貴女も変に想うでしょう?」

「そうね」

「何か気付いたことがあったら、私に教えて欲しいの」

「理解ったわ。兎に角、注意して頂戴。事が事だけにね……私の方でも、調べてみる。何か判ったら、直ぐに報告するわ」

 有難う、とヴァレリーは多少肩の荷が下りた調子で研究室を出て行った。

 1人残されたエレオノールは、(異端とされていたhずの研究が、何故今になって再開されたのかしら?)と考え込んだ。

 エレオノールは立ち上がると、研究室から窓の外を眺めた。

 郊外の森に囲まれたエレオノールの職場……“魔法研究所”。

 ここから少し離れた所に、“トリスタニア”の市街が広がり……その先に王宮が見える。

 先程の話を聞いたためか、エレオノールには、いつもと変わらない風景であるのにどこか違って見えた。

 “アカデミー”の研究方針は、基本神学に乗っ取ったモノだが……たまに知的好奇心が勝り、暴走することもある。芳しくない結果に終わることの多かった、そういった幾つかの研究を想い出し、(まあ、余り気にする必要はないのかもしれないわね)と考え、(今回もその程度の暴走なら、心配はないのだけれど……)とエレオノールと想った。が、それでも、妙な胸騒ぎが収まることはなかった。

 何か良くないことが、身近な場所で起こっている。

 そんな予感に、エレオノールは身震いした。

 

 

 

 

 

 “タニアリージュ・ロワイヤル座”の2階奥に、“ボワット()”と呼ばれる特別な観賞席がある。横に長く。10席ほどが並んでいる。そこを使用することができるのは、国内でも有数の大“貴族”のみであるといえるだろう。

 開演と同時に、仮面を着けた“貴族”達が、1人、2人とフラリと現れて席に着いて行く。御互いに挨拶すらしない。

 其の内に劇が始まった。演目は、此の前と同じ“アルビオンの剣士”で在る。

 2人の剣士が、次々に“メイジ”を斬り伏せて行く場面を見詰め、右端に座っている“貴族”が、ポツリと感想を漏らした。

「昨今は……歌劇もつまらなくなったモノですな」

 冠った“魔法”の仮面は彼の声を拾い、同じ仮面を着けた“貴族”達に、その声を届ける。

 耳から届く、同志の声に、左端の“貴族”が応える。

「このような下らぬ剣劇が、伝統ある“タニアリージュ”で催されるとは……真、世も末ですな」

 右端の“貴族”が再び口を開く。

「つまらないのは、歌劇だけではありません。昨今の陛下の治世……下賤な成り上がりを近衛に取り立てるばかりのみならず、領地まで下賜になられたとか」

「私は、先々王の頃を想い出しますよ。“貴族”が“貴族”らしかったあの時代……全てのモノが、己の分を弁え、礼儀が重んじられた時代……好い時代でしたな! だが、最近では“平民”共までが調子に乗り始めているというではありませんか」

「真に然様。我等がしっかりせねば、祖国の土台が揺らぐことにもなりかねません」

 10人ほどの身なり卑しからぬ“貴族”達は、一頻り現王政府に文句を吐けた。

「だからこそ、私は皆さんに御集まり頂いたのです」

 “貴族”の背後から、声が響いた。年配の男の声である。

 一斉に“貴族”達は振り返る。

 カーテンの隙間から現れたのは、見事な黒いマントを粋に着熟した長身の“貴族”であった。

 その隣には、美しく着飾った婦人の姿もある。

 2人共、“貴族”達と同じマスクを着用に及んでいる。

 不意に誰かが、その年配の“貴族”の名を呼びそうになった。

 すると年配の“貴族”は、しっ! と声を遮るように唇に指を当てた。

「手紙に書いた通り、ここでは私をその名で呼んではいけません。私が、決して貴方の本名を口にしないように……」

「申し訳ありません。“灰色卿(グリ・シニヨール)”」

 “灰色卿”と呼ばれた“貴族”は、満足げに首を振った。

「さて、こうして集まって頂いたのは他でもありません。それぞれが名のある……あり過ぎると言っても差し支えのない、王国にとって重要な方々です。“ハルケギニア”でも優秀の旧く尊き祖国の、伝統と知性の守護者たる貴方方に、是非とも私の御話を聴いて頂きたく、手紙を認めた次第」

 前書きは良い、と言わんばかりに1人の“貴族”が手を振った。

 しかし、“灰色卿”は言葉を続ける。

「今現在……祖国の状況は目を覆わんばかりです。御若い陛下は、その衝動の赴くままに全てを破壊しようとしている。祖国がこれまで培って来たモノ……伝統、制度、そして名誉……そう言った全てのモノに唾を吐こうとされている」

 一斉に、“貴族”達は首肯いた。

「では、卿は陛下に諫言されると申されるのか?」

 “灰色卿”は首を横に振った。

 一同に、(まさか、自分達に反乱を促しているのだろうか? 先立って、“ガリア”で起こった玉座の交代劇……あれに触発されて、アンリエッタを亡き者にしようとしているのだろうか?)と緊張が奔る。

 1人の“貴族”が、重々しい声で告げた。

「“灰色卿(グリ・シニヨール)”。この名前で呼べと仰るから、そう呼ぶが……何だかこの貴方の呼び名のように、どうにもハッキリしない御話ですな。まさか、我等に反乱を唆けるつもりではありますまいな?」

 再び“灰色卿”は首を横に振った。

「では、貴方方に問いたい。我等“貴族”の名誉を保障するのは何か?」

 何を言うのだ、と言わんばかりに“貴族”達は顔を見合わせた。

 “灰色卿”は答えを待たずに、口を開いた。

「陛下です。この国の王足るあの方が、私達の名誉を保障してくださるのです。陛下あっての我等。そのことには些かの曇りもない」

 安堵したように、一同は肩を落とす。

「ですから、何より大事なのは、陛下の名誉。その名誉が発する光が、我等の頭上をも照らしてくださるのですから……詰まり、陛下の名誉にこそ、些かの汚れも赦されませぬ、それは引いては、我等全体の曇りに繋がるのですからな」

 やっとのことで、集まった“貴族”達は話の趣旨を理解した。

「“灰色卿”。詰まり、貴方は……」

「そうです。陛下の穢れを取り除いて差し上げたい。この国の伝統を守るべき、旧い“貴族”の我々の手でそれを行ってこそ、忠義と申すべきモノではありませんか?」

「その穢れとは?」

「御存知でしょう? あの“平民”の小僧です」

 “灰色卿”は、面前で行われている芝居を見詰めながら言った。

 ここに集っている“貴族”達に、異論があるはずもなかった。

 銃士隊長のアニエスも“平民”の出ではあったが……若い女の割に然程市民達に人気がない。警邏の最中の、全く愛想の感じらることができない厳しい顔付きと、苛烈なその勤めぶりは、“トリスタニア”中に広まっているのである。

 一方、才人の人気は鰻登りである。今やこのように劇まで作られる始末である。“トリステイン”大部分の大“貴族”達にとっては、まさに喉に刺さった魚の小骨のような存在であるといえるだろう。“貴族”達からすると、生死に関わるということはないものの、甚だ鬱陶しいことこの上ないのである。そして、想い出したようにチクリと彼等のプライドを刺して行くのであった。いなくなって貰うことができるのであれば、彼等からしてこれ以上のことはないであろう。

 その場の全員が、そう想っていた。

「成る程……だが、誰があの“ドラゴン”のような男を除くというのです? 2人でとは言え“アルビオン”で110,000を止め、“ガリア”では10人以上も“貴族”を抜いたという話ではありませんか。噂では、ヒトとは想えぬ動き取るとか。生半可な使い手では、返り討ちに遭うでしょう」

「理解っています。従って、一流の掃除人を用意しました」

「掃除人?」

「ええ。こういう仕事に向いた連中です。仕事は一流、依って値も張る。詰まり、皆さんにも出費を願おうと。こういう次第なのです」

「暗殺者を雇おうというのですな。だが、どれほどの使い手なモノか!?」

 そうだそうだ、と“貴族”達は声を上げた。変な傭兵を雇って、失敗でもされてしまえば水の泡であるのだから。場合によっては、自分達に雇われたということをバラす可能性だってある、と考えたのである。そうなってしまえば、ここにいる“貴族”達は皆身の破滅同然であるといえるだろう。

「ならば、その腕前を御覧に入れましょう」

 自信たっぷりに、“灰色卿(グリ・シニヨール)”は言った。

「ここでですか?」

「いえ……場所を変えましょう」

 “貴族”達は立ち上がった。

 背後の扉の向こうに、1階に下りる大きな階段がある。そこには、それぞれ連れて来た控えの騎士達が控えているのである。御忍びといえども、それぞれ名のある大“貴族”なのである。常に身辺の警戒をおこたるということはないのである。30名からの 騎士が、そこにはいる……はずであった。

 扉を開いた大“貴族”達は息を呑んだ。

 自分達の連れて来た騎士が、1人残らず、踊り場に、階段に、豪華な彫刻が施された手摺りに寄り掛かり、斃れているのである。

「これはどうしたことだ!?」

 1人の“貴族”が、場所も弁えずに大声を上げた。

 驚きはもっともであるといえるだろう。どれも名のある使い手であったのだ。御前試合で優秀な成績を残した者さえもいる。いずれも、戦場の埃を被り、数多の決闘を潜り抜けた猛者達ばかりであった。それが、まるで河岸に上げられた魚のように、床に転がっているのだから。

「死んではおりませんよ。ただ、気を失っているだけです」

「貴方の仕業か!?」

 1人の“貴族”が、“灰色卿”に詰め寄った。

「正確に言うならば、私の雇い人ですな」

 貴族達は、(では……30人からの騎士を、これほどの短時間に倒して退けたのは、“灰色卿”の言う掃除人であるのか!)と戦慄した。

 やすやすとという訳かどうかは判り難いが、それでもどういった技を使ったモノか……手練の騎士を30人も倒したのみならず、直ぐ隣の部屋にいた“貴族”達に、その戦いの音さえ届けていないのである。そのことから、相当な腕前であるということが判るだろう。

 しかし、その腕前は、陽の射さないモノであった。

 騎士達が倒れたその光景に、何やら闇の臭いを大“貴族”達は感じ取ったのである。深い闇である。その中を好んで歩く、見たこともない夜行性の生き物の姿を想像して、大“貴族”達は震えた。

「御覧の通り、名誉の欠片もない戦い方を身上とする連中です。“平民”上がりを料理するには、打って付けかと」

「“灰色卿”の仰る通りだ」

 1人の大“貴族”が言った。

 その時……終劇の合図が鳴った。

 1階の演劇席に通じる扉が開き、観客達が雪崩れ込んで来る。

 彼等は、2階に通じる階段などに倒れている騎士達を見て、当然悲鳴を上げる。

 だが、そのような悲鳴に全く動じることもなく、“灰色卿”は言葉を投げ掛けた。

「静まれ。静まれ。私は“アルビオンの剣士”を見て感動したのだよ。ちょっとそのシーンを再現してみたくなってな! このように、伴の騎士に付き合って貰ったのだ」

 観客達の驚きと恐怖の顔が、ホッとしたような笑顔に変わる。次いで、爆笑と拍手の渦が巻いた。

「いやぁ! 旦那様も粋なことをされますなあ!」

「こりゃあ傑作だ!」

 散々“メイジ”をやっつける筋書きを見て興奮した市民達は、スッカリその余興に満足したらしい様子を見せる。口々に階上の“灰色卿”達に向けて賛辞の声を投げ掛けた。

 そんな市民達を見て、大“貴族”の1人が呟く。

「下郎め! 調子に乗りおって!」

「なあに。ここは劇場です。誰もが夢に見る場所ではありませんか。民に暫しの夢を与えるのも、高貴の者の務めと言えましょう。だが、“メイジ(貴族)”が剣士(平民)に斃れされるのは、舞台の上だけで十分。私はそう想うのですよ」

 そう言うと、“灰色卿”は階下の観客達に対して、優雅に一礼した。

 

 

 

 

 

 ルイズの、才人を立派な“貴族”にする、という教育は、熾烈を極めているといえるだろう。

 才人は当初こそ、厳しいマナーでも仕込まれてしまうのかと身震いしたのだが、やはりことはそう単純ではなかった。

 基本、食事の際のマナー1つだけしかなかった。ワインを呑む前に口を拭く、である。その他、銀の食器を使う時に音を出さなければ、ルイズから特に文句を言われることはなかったのである。

 才人にとって何より大変だったことは、社交時のマナーというよりも態度であった。その立ちい振る舞い、ダンスの申し込みの仕方、暇乞いの際の丁重な仕草……其の様な何気ないといえる仕草にこそ、“トリステイン貴族”としての品が生まれるとされている。だが、才人は“地球”の“日本”で生まれ育った。そのため演技の1つも、先ず学芸会くらいでしかしたことがなかったただの人である。基本など備えようがないのである。

 ルイズから、「何でそんな風に足を動かすの?」、だの、「もっとユックリ歩け」だの、「手の挙げ方が下品だ」、などと散々に言われて、才人は参ってしまった。これならば、才人からして、未だ食事の時にフォークの使い方やらやいのやいの言われる方がマシだというモノである。

 ルイズの教育は生活一般……詰まりベッドを出てからまた入るまでの全ての時間に対して行われたのだから……。

 それでも、初めは才人も頑張ったといえるだろう。何とかルイズ……引いてはエレオノールが満足行くような、雅な動きを身に着けようと努力したのだが、物事には不可能に近いモノがある。生まれ付き持っていないモノを、身に着けるのは到底不可能に近いことであるといえるだろう。できることとできないことというモノには、明確に線が引かれているモノであり、才人にはどうにもその線を超えることが難しく、困難を極めているのであった。

「ねえ、何度言ったら理解るの? あんたの動きは、まるで牛が草をのんびり食んでいるようなモノよ。まるで品位ってモノがないわ」

 特訓を始めて5日後……そこまで言われ、才人は憤慨してしまった。

「仕方ないだろ! 御前の言ってるのはな、鶏に飛べって言うようなもんだ! そんななあ、気品たっぷりになんて言われても理解んないし、土台生まれ付き無理なんだよ! それでもやらせようとするなら、もっと理解りやすく言ってくれよ!」

「理解りやすく言ってるじゃない! ほら、こういう感じに、一礼するの」

 ルイズは、才人の前で、手本として優雅に一礼して見せた。まるでダンスでも踊っているかのような、滑らかで、それでいて止まるべきところではピタリと止まる、見事な動きであるといえるだろう。見る者全てを感じ入らせるかのような、“ハルケギニア”の“貴族”の歴史が、そして魂が込もったような一礼であるといえる。

 次に、才人がやってみせる。才人本人は、ルイズの動きをソックリ真似ているつもりであるのだが、いかんせん、先生であるルイズの方からはそうは見えないらしい。

「駄目! 全然駄目! そんなんじゃ、エレオノール姉様を納得させることなんかできないわ!」

「あのなあ……」

 才人は、そこで言い淀むと、この数日というモノわだかまっていた感情をルイズに打つけた。

「俺と一緒に暮らすのは誰なんだ? エレオノール姉様じゃないだろ。御前だ。その御前はどうなんだ? 俺に、そんな動きをさせたいのか? 勿体ぶった仕草で、御機嫌ようマダム、とか、そんな台詞を言わせたいのか?」

「そうじゃない。そうじゃないわ」

「だったら良いじゃねえか。こんなの、何の役に立つって言うんだ? そりゃ、マナーは守るし、礼儀は払う。でも、生まれ持った仕草まで変えろだなんて、そんなの可怪しいよ」

 ルイズは不満げに唇を噛んだ。

 ルイズの方では、自分の恋人が……将来伴侶となるべき男が、家族に馬鹿にされるということが堪らなく嫌なだけであるのだ。勿論、カトレアは、そういったことを気にすることはないだろうが。

 才人の方では、どうにもそれに気付いていないようである。

「私は……あんたが家族に馬鹿にされるのが嫌なだけよ」

 こう言われて、納得するどころか才人は逆にムカッとしてしまった。才人は、元々負けん気の強い方である。(なんで俺が、そこまで合わせんきゃならんのだ?)、と頭に来たのである。

「そんな動き1つで馬鹿にされるんならそれで結構。それが“貴族”だって言うんなら、御前等で勝手にやれば良いよ。でも、それに俺が合わせる必要はないだろ。別に生まれが“貴族”だって訳じゃないんだから」

「理解らず屋ね!」

「どっちが理解らず屋だよ!」

「あんたは私と暮らしたくないの?」

「そんなことは言ってなだろ! ただ、暮らすに当たって、そこまでしなくちゃいけないってのが可怪しいって言ってるんだ!」

「私と暮らすなら、ちゃんと“貴族”らしくして! そんなんじゃ、恥ずかしくって舞踏会のエスコートも任せられないわ!」

 その台詞は、ハンマーで叩かれたかのような衝撃を、才人の心に与えた。

「何だよそれ……御前は、俺の気持ちより、他の連中の目を気にするのか?」

 そんな2人を見て、シエスタはオロオロとするばかりである。

 先程まで給仕をしていたヘレンなどは、とばっちりを恐れて早々に退散してしまっている。

 結局、それ以上ルイズは何も言わず、目に一杯涙を溜めて立ち上がる。それから、走り去ってしまった。

 才人は追い掛けたが、ルイズが向かった先は寝室で、入るなり中から鍵を掛けられてしまった。

 疲れた顔で才人は食堂へと戻って来ると、ドカッと椅子に腰掛けた。

 シエスタが、緊張した顔で突っ立っている。

 気不味い雰囲気が漂う。

「なあシエスタ……今のどう思う?」

「正直申し上げれば、サイトさんの言うことももっともだと想います」

「も?」

「でも、ミス・ヴァリエールの気持ちも理解るんです」

 そう言われても、ルイズの言う「高貴の仕草」などというモノを身に着けるのには、今の才人からするとどうにも無理な相談であった。今のままでは、もしかすると1年間それに集中することでなんとかなるかもしれない、と想わせるほどである。

 だが、御勤めもあるから、掛かりっ切りになる訳にもいかないというのが現状であった。

「私だったら、そんなの全然気にしませんけど……“貴族”の方は色々と大変なんですねえ」

「ホントだよ。全く、こんな面倒なことになるんなら……」

「なるんなら?」

「“貴族”になんかになるんじゃなかった。なまじっか“貴族”になんかなちまったもんだから、あいつだってやいのやいの言うんだろ」

「まあ!?」

 と、シエスタは目を丸くした。

「どうした?」

「そんな滅多なことを、軽々しく口にするもんじゃありませんわ。“平民”から“使い魔”、そして“貴族”……大出世じゃありませんか」

「出世? 俺は別に……皆と仲良くできればそれで良いんだ。何も着飾って舞踏会に出たり、糞長い挨拶や言いたくもない御世辞を並べたりしたい訳じゃないんだから」

 見ると、才人は激しく落ち込んでいるようであった。

 ルイズも半泣きで部屋に引っ込んでしまった。

 そのため、根が陽気なシエスタはどうにもこういう重い空気が我慢できなくなり、台所からワインを1本持って来た。

「まー、兎に角こういう時は呑みましょう。それが1番です」

 シエスタがグラスを握らせ、そこに注ぐと、才人は一気に呑み干した。

「平和になったら平和で、大変なことが沢山あるんだなあ……」

 ボンヤリと才人が呟くと、シエスタも首肯く。

「そりゃそうですよ。戦は大変ですけど、敵がハッキリしていますから、でも、平和な時は厄介です。何が敵で、何が味方なのか、サッパリ判りませんからね」

 才人は、シエスタを感心し切った目で見詰めた。

「何だか大人なことを言うなあ」

「母の受け売りです」

 照れ臭そうに、シエスタは言った。

「それに……こういうのんびりした時には、自然と耳も目も鋭くなるモノですわ。今まで気にも留めなかった些細なこと……例えば、食事の時に立てる音とか、ドアの開け閉めとか……そう言う細かいことに我慢できなくなったりするものです。私、“学院”の使用人寮にいた時がそうでした。入寮した当初には、緊張もあってあんまり気にならないんですけど……慣れて来ると、同室の娘の歯磨きの音とか、洗濯物の扱いとか、そういうのが無性に気に障ったりしたものです」

「成る程なあ」

「でも、サイトさんのためなら私は平気ですけど」

 シエスタはニコッと笑うと、才人へと凭れ掛かった。

 才人がどぎまぎとしていると、シエスタは次なる攻撃を繰り出して来た。

「わぁ」

「な、何だ!? どうした!?」

 慌てた顔で、シエスタは胸を押さえた。

「む、虫が……」

「虫?」

「はい……シャツの中に入っちゃいました。取ってください」

「な、何で俺が!?」

「だって……私虫苦手で……」

 モジモジとシエスタは、シャツの第一ボタンを外した。

 それでも才人は動かない、

 シエスタは、次に、2つ目のボタンを外した。

「…………」

「どぅ!」

 そんな掛け声と共にシエスタが目を吊り上げて3つ目のボタンも外したために、才人は流石に止めた。

「無理あるから」

 はぁ~~~っとシエスタは溜息を吐いた。

「私、そんなに魅了ないですかね……? 普通ここまでしたら、虫居ないの承知で手を入れないですか?」

「違う。そうじゃないけど……」

 言い難そうに才人が呟く。

「理解ってます。ミス・ヴァリエールがいますもんね。まあ、そんなサイトさんだから好いんですけどね。でも、私に感謝してください。今の作戦は、本気じゃないですから」

「……作戦? 本気?」

 ジトッと、とシエスタは冷たい目で才人を睨んだ。それから、ゴニョゴニョとシエスタは才人の耳元で囁く。

それは、才人の妄想ほどではなかったが、一見清楚なシエスタの口から飛び出ると、無双の威力を誇るモノであった。

 才人は思わず鼻を押さえたが、つぅぅと奥から何かが垂れる。

「何考えてんのさ……?」

「“学院”での寮の、ど、同室の娘に教わったんです! 流石に私もこりゃないわって想いましたけど! はい!」

 シエスタも顔を真っ赤にして、立ち上がる。

 沈黙が2人の間に漂う。

 それから、シエスタは意を決したように息を吸うと、スカートの裾を持ち上げ、それで口元を隠しながら囁いた。

「でも、ちょっと試してみます?」

 才人は、(見てえ)という欲求を覚えた。だが、何とか才人は心の中のそんな欲求に打ち勝った。自分の太腿を抓り上げ、怒ったルイズを想像したのである。

 シエスタは愛らめると、自分のコップにドボドボとワインを注いだ。

 しばらく2人は大人しくワインを呑んでいた。

 そのうちにシエスタはテーブルに突っ伏して寝息を立て始める。

 才人は部屋から毛布を持って来て、シエスタの上に掛けてやった。それから、(さて、そろそろルイズの機嫌も直った頃かな)と想って部屋に向かったのだが、相変わらず鍵は閉じられたままである。

 段々と頭が冷えて来ると、(ちょっと短気だったかな? 間が悪かったのかな……?)と才人は思い始めた。だが、(俺と暮らすと決めたなら、家族の気持ちより俺の気持ちを優先して欲しい)とも想うのであった。

 才人としては、あそこでルイズに、エレオノールに対して「成り上がりでも、サイトはサイトです! 私が一緒に暮らすと決めた男です! “貴族”っぽくなかろうが、そんなのはどうだって良いじゃありませんか!」とこう言って欲しかったのであった。

 だが、ルイズの台詞は違った。「立派な“貴族”にしてみせます!」であったのだ。しかも、才人の立ちい振る舞いに、エレオノールが納得しなければ、ルイズは「実家に帰る」とまで言い切っているのである。

 それは詰まり……と才人は落ち込んだ。

 才人は、(俺の総てを受け入れることはできないって意味だよな……)とそんな風に落ち込み始めると、何だか底なしで、どんどんと自分の中から自信が逃げて行くように感じられた。

 最近は変わって来たとはいえ、ルイズは所詮“ハルケギニア(こちらの世界)”の人間である。“貴族”としての生き様は、骨の髄まで染み込んでいるのであろう。

 ワインを注ごうとして、瓶が空っぽになっていることに、才人は気付いた。

「もうちょっと呑みたいな……」

 才人は燭台を持って立ち上がると、キッチンに向かった。辺りの戸棚なんかを漁ってみはしたが、ワインは見付からない。

 キッチンは、ヘレンとシエスタに任せっ切りであるために、どこに何が在るのか才人には判らないのである。そうなると、余計に呑みたくなる才人であった。

 ゴソゴソとキッチンを探していると、才人は思いもよらぬモノを見付けた。

「何じゃこりゃ?」

 戸棚の奥から出て来たのは、古木瓜た鍵であった。

「鍵? どこの鍵だ?」

 その時、才人の頭に閃くモノがあった。

 階段の真下の、地下への入り口……。

 才人は、(あそこ、確か、鍵が掛かってて入れなかったんじゃなかったけ?)と想ったのである。

 取り敢えず地下はしばらく使う予定がなかったために、修繕の際にも「そこは無視してくれ」と言ってあったのである。費用を安く上げたかったという理由もあるのだが。

 真鍮のその鍵は、かなりの年代物であることが判り、随分と色褪せている。

 才人は、階段の下の扉へと向かった。それから、恐る恐る鍵を、鍵穴へと差し込み、捻る。

 すると、ガチャリ、と音が響いた。

「開いた……」

 扉を引くと、階下へ通じる階段があった。

 才人は、(一体、地下室には何があるんだろう?)と目を凝らして見る。

 階段の下は、深い闇に包まれている。

 護身用に持ち歩くようになった、“アクイレイア”の“カタコンベ”から持って来た“日本刀”の柄を、才人は思わず掴む。危険に備えるといった意味で、デルフリンガーを持ち歩かない時は、この“日本刀”と“自動拳銃”を常に携帯しているのである。当然、デルフリンガーは散々文句を言ったが、屋内で大剣を振り回すことはできないため、仕方ないとえいるだろう。

 左手甲の“ルーン”が光り、才人は少し安心した。直ぐに手を離す。“シールダー”としてであれば兎も角、“ガンダールヴ”としての力を使用できる時間には限りがあるためである。同時に、そんな風に怯えた自分を、才人は恥じた。

 理屈では、ただの地下室じゃねえか、と想う才人であるのだが、やはり何だか怖くて堪らないといった様子である。そんな恐怖が赦せず、酔った勢いも手伝ったのだろう、(幽霊だろうが“吸血鬼”だろうが、何でも出て来い。やっつけてやる。まあ、セイヴァーやイーヴァルディも幽霊みたいなもんだけど……)、と才人は階下へと1歩踏み出した。

 階段は然程長くはなかった。あっと言う間に、地下室へと着いた。蝋燭の灯りに照らされる範囲で見る限り、何てことのないただの開けた場所であることが判る。物置として使われていたのであろう。壊れた樽やら、板やら、庭の手入れ用の道具などが埃に塗れて転がっているのである。

 才人は、(もしかしたら旧いワインでもないか)と考え、ガサゴソと辺りを探ってみた。

 だが、出て来るのは埃やガラクタばかりであり、目星いものは何もない。

 どれもここを掃除しなくちゃいけないな、と考えていると……才人は、壁の隙間に、妙な突起があることに気付いた。

「何じゃこりゃ?」

 どうやら、その突起は中に沈み込むようにして動くようである。

 才人が思わず押し込むと……ズズズズ……と低い唸りを上げて目の前の壁がズレて行く。

 どうやら“魔法”を使った仕掛けであるらしいことが判る。

 才人はそこを見て、重々しく首肯いた。

「こりゃあ……あれだな。秘密の財宝の隠し場所って奴だ」

 流石は“屋敷”だと、才人は感心した。溜め込んだ財宝を隠すために、こういった仕掛けを造ったに違いない、と才人は考えた。

 才人は、(成る程。やっぱり神様は凄い。領地がしょぼかったから、こうやってその埋め合わせを用意してくれている。一体どんな財宝が……)とワクワクしながら、その中を蝋燭で照らして見た。

 そこは、石で補強された、人1人が少しばかりしゃがむことでようやく潜ることができるほどの大きさと広さの通路であった。

「この先に、隠し部屋があるってことだな」

 不気味なほどに、真っ暗であるのだが……好奇心と欲が勝り、才人は背を屈めて歩き出した。

 10“メイル”、20“メイル”……と進むと、突き当りに扉が在った。

 才人はゴクリと息を呑み……其処の扉を押した。

「……何だこりゃ?」

 其処は……才人の、“日本”人の感覚からして、10畳ほどの部屋であった。

「寝室?」

 地下に現れたにしては、可怪しな造りをしているといえるだろう。部屋の真ん中には天蓋付きのベッドが置かれ、その隣には箪笥などの幾つかの調度品が在る。

 その造りが矢やたらと豪華であることに、才人は気付いた。

 ベッドのカバーにはレースが飾られ、小物には宝石が鏤められているのである。

「確かに財宝には違い無いけど、何か変だな」

 才人は、(こんな地下で、誰が生活を送っていたんだ?)と考えた。

 最近まで使われていたのだろうか、部屋には荒れた様は見受けられない。屋敷の地下室は荒れていたのに対し、偉い違いであるといえるだろう。

「それとも、“魔法”かな……?」

 才人は、(“固定化”の“呪文”を使って、部屋を保全していたのか?)と推測した。

 どう遣ら、そちらの方が正解のようであり、部屋は荒れてこそないが人の生活の空気……そういったモノが一切感じられないのである。

 部屋の壁に、大きな姿見が設けられていることに、才人は気付いた。才人の身長ほどもあろうかという、大きな姿見である。

 才人は鏡に蝋燭を近付けた。

 すると……どうしたことか、鏡がキラキラと輝き始めた。いつぞやの“ゲート”の様に、鏡全体が光り出したのである。

「…………」

 どうやら、この鏡は“魔法”の“ゲート”であるということに、才人は気付いた。

 才人は、(どうしよう? 潜ってみるか? いや……)と首を横に振る。以前、才人はそれで“この世界”にやって来たのである。また、ルイズと“使い魔”としての再“契約”を行う際にも潜ったのだが……。

「ということは、その逆も……」

 才人は、(もしかしたら、自由に行き来ができる“ゲート”かもしれない)と少しばかりの期待を抱き、その鏡を見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 

 寝室で、アンリエッタは物思いに沈んでいた。

 先程、マザリーニとマリアンヌがやって来て、先日の結婚に対しての返事を訊きに来たのであった。

 祖国の未来は考えることができても、自分の将来のことなど、アンリエッタは考えたことはなかった。だが、その2つは今や結び付き、抗い難い鎖となってアンリエッタの身体と心を縛っているといえるだろう。

 確かに国の未来を考えれば、マリアンヌやマザリーニの言う通りにすべきであろうろう。そのことを、アンリエッタは理解していた。事実、1年ほど前、アンリエッタは言われるがままに“ゲルマニア”へと嫁ごうとしていたのだから。

 だが、今のアンリエッタは1年前とは違う。自分で決めて、その決定に従うことを覚えてしまった――成長したのである。例え、それが、他者から見て間違いだったとしても……。

 アンリエッタは、(では、自分が結婚したくない理由は何かしら? 特に恋人がいる訳でもないわ。ならば問題はないじゃないの。“愛”している男がいるから?)と考える。

 そこまで考えて、アンリエッタは思考を止めた。それから、(あれは、愛ではない)とそう言い聞かせる。

だが。

 アンリエッタは、(たった1つだけ、この自分の進退に対し我儘が許されるならば……彼等に決めて欲しい。自分自身で決めることを教えてくれた、あの少年達に決めて欲しい)とも想っていた。

「……何て我儘な女かしら」

 唇を噛み締めて、アンリエッタは立ち上がった。そのような想像が、恥ずかしくなったのである。

 アンリエッタは、女官を呼ぼうとしたが、考え直す。なんとなく1人のままでいたくて、部屋着を脱ぎ捨てて、クローゼットへと近寄った。それから、引き出しを開けて、中から寝間着を取り出そうとした時……。

 ギギギギギ……と何やら重たいモノが動く音がしたことに、アンリエッタは気付いた。

 アンリエッタが思わず振り返ると、驚くことに壁の一部が動いていた。

「え?」

 アンリエッタが呆気に取られて見詰めていると、壁の一部はまるで回転ドアの様にグルリと反転した。

 その奥から誰かが姿を見せた。

 アンリエッタは、悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 光る“ゲート”を潜った才人が目にしたのは……石壁であった。背後にある、入って来た“ゲート”のボンヤリとした明かりで、どうやら1“メイル”四方ほどの石壁に囲まれた場所に出たということが判ったのである。

「どこだここは?」

 才人が思わず手を伸ばすと、眼の前の壁が動いた。力を入れて押し込むと、壁はグルリと回転した。

 直後、才人の目に飛び込んで来たのは……蝋燭の灯りに照らされた、女性の姿であった。

「え?」

 その瞬間、女性が悲鳴を上げる。

「きぃやああああああ!?」

 その声と、薄っすらと見える顔に、才人は見覚えがあった。

「ひ……姫様?」

 アンリエッタの方でも、その声で才人に気付いたらしい。

「サ……サイト殿?」

 才人は、混乱した。“ド・オルニエール”の自身に下賜された屋敷で、地下室を見付け、そこでまたまた妙な地下通路を見付けたのである。更に、その先で今度は変な寝室を発見して、そこにあった姿見が光ったために好奇心に負けてしまって潜ってみたら……。

「何で姫様が……?」

 才人は、ボンヤリ、と呟く。

 アンリエッタはアンリエッタで、訳も判らずにポカンと口を開けるのみで在る。

 混乱する2人の耳に、アニエスの怒号が響いた。

「陛下! どうされました!?」

 ガチャガチャと、アニエスが扉を開けようとする音でアンリエッタは我に返り、才人の手を取り、ベッドへと押し込んだ。兎に角、夜更けに才人が此処に居る事を見られてしまうと、不味いことになるためである。例え、相手がアニエスであっても、だ。

 才人に布団を冠せるのと同時に、扉が開いて剣を抜いたアニエスが飛び込んで来る。

「陛下!」

 アンリエッタは才人を押し込んだベッドに腰掛け、何喰わぬ風を装った。

「陛下の悲鳴が聞こ得ましたので……駆け付けましたが……」

 アンリエッタの何でもないといった様子に当惑した顔で、アニエスが尋ねる。

「驚かせて申し訳ありませぬ……鼠がいたもので、つい大声を上げてしまいました」

 アンリエッタは、そのような言い訳を述べた。

「然様ですか……」

 アニエスは多少呆れた様子で去って行く。だが、退出する際、アニエスは何かを察した様子を見せた。

 アンリエッタは、そんなアニエスの様子に気付くことなく、ホッと安堵の溜息を漏らし、ベッドの中から才人を引き出した。

「一体どうしたのです? こんな夜中に……」

 才人ももう、何が何やら訳が判らず、目を白黒とさせるのみで在った。が……薄明かりの中、アンリエッタが肌着1枚切りであることに気付き、思わず横を向いた。

 薄いレースの下着が、アンリエッタの凸凹と女性らしいラインをした身体をクッキリと象っている。

「あ……」

 アンリエッタは頬を染めると、先程脱ぎ捨てたガウンの様な部屋着を纏った。



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元素の兄弟

「驚きましたね……まさか、城の寝室と、この“ド・オルニエール”が繋がっていようとは……」

 才人とアンリエッタは、“ド・オルニエール”の地下にある寝室のベッドへと腰掛けている。

 どうやら、この部屋にあった姿見は“ゲート”を模した“魔法”が掛けられた“マジックアイテム”である、その鏡は、この地下の隠し部屋と、遠く離れた城を繋いでいたのである。

「まるで“虚無”の“ゲート”みたいだ」

 才人が言った。

「恐らく……それを利用した古代の“マジックアイテム”なんでしょう」

 “虚無”の力を用いた“マジックアイテム”……いつ時の頃に造られたまでは2人には知らぬことではあるが、かなりの貴重品であるということだけは理解できた。このように、“虚無”の力を凝縮させて、後世に伝えた“メイジ”もいたのである。

 才人は、(それはあの時夢で見た……いや、逢ったブリミルさんだろうか?)と考えたが、当然才人にそれを知る術はない。

 一方、アンリエッタの寝室の壁自体には、“魔法”が掛かっていなかったために、そちらの出入り口は今まで発見されるということはなかったのである。“ディテクト・マジック”で発見できなければ、何も仕掛けはないと想ってしまうのが、“この世界(ハルケギニア)”の“貴族(メイジ)”という人種成のである。

「やっぱり、あれですかね? これは、秘密の抜け道って奴ですかね?」

 才人は言った。才人は幼少期、時代劇なんかで頻繁に見た隠し道……王様や殿様を始めとした偉い立場にある者達の部屋に大体こういった非常時のための脱出路が付いている、ということを想い出したのである。

 だが、アンリエッタは首を横に振った。

「私は……違うと思います。この部屋の造りを見るに……以前、この“ド・オルニエール”の土地は、父か祖父の妾宅だったのでしょうね」

「妾宅?」

「ええ。所謂……こういう言い方はあまり褒められたモノではありませんが、愛人ということです」

 愛人……その言葉の響きに、才人は頬歩を染めた。

「ただの抜け道成らば、こんな寝室を造る必要はありませんわ。恐らく……上の屋敷に愛人を住まわせ、ここで彼女と密会を行っていたのでしょう」

 成る程、見回すとここには、恋人達が喜びそうなモノで溢れているといえるだろう。細やかな彫刻が施された壁に、美しい宝石が飾られた小物……天蓋付きのベッドは大きく、布団も上等なモノであることが判る。

「父か、祖父か、曽祖父か……誰かは判りませんが、多分間違いないと想います。幾つか、城の抜け道は知っておりますが、ここは知らされておりませんでしたわ。詰まりは、そういうことなのでしょうね」

 アンリエッタは、楽しげに笑った。

「…………」

「すみません。笑ってしまって。でも、可笑しいのです。父も祖父も、厳格な王と呼ばれていました。そんな彼等にも、このような一面があったのですね」

 アンリエッタは、そのような肉親に対して不潔と想うよりも、人間味があると感じているのであった。

 謎が解けてみればなんてことはなかったが……この奇妙な空前がもたらした結果に、才人は激しく緊張していた。何せ……そのような愛人達が密会を行っていたであろう場所で、こうやって2人切りで、アンリエッタと共にいるのだから。

 アンリエッタも、そんな才人の動揺を感じ取り、感化されたのだろう、とりなすように呟いた。

「本当に、私は知らなかったのです。こんな風に、貴男に与えた土地と、王宮が繋がっているなんて……」

「理解ってますよ。大丈夫です」

「ならば良いのですが。そう言えば、貴男に与えたっ切りでしたわね。いずれ訪ねようとは想っていたのですが……住み心地はどうでしょうか?」

 才人は、答えに窮してしまった。まさか、「ほとんど実入りはありませんでした」などと言う訳にもいかないためである。そのため、才人は言葉を濁して言った。

「好い土地ですよ。散歩すると気持ちが好い」

「そうですか。それは良かった」

 しばらく……沈黙が続いた。

 才人は、横目でアンリエッタを見詰めた。

 蝋燭の灯りに照らされたアンリエッタは、ほとんどの男性からして堪らなくなるような色香を放っているといえるだろう。こればかりは、ルイズが逆立ちをしても適わないであろう部分であるといえる。しかも……ガウンのような部屋着の隙間から、胸の谷間が覗いているのである。

 才人は、先程の下着姿のアンリエッタを想い出してしまい、思わず鼻を押さえた。

 そんな才人の動揺を知ってか知らずか、アンリエッタは何気ない声で言葉を続ける。

「何だか……妙な気分ですわ」

「妙な気分?」

 才人は、(何だろう? ま、まさか……)とドキドキした。

「ええ。平和になってみれば、なってみたで、別の苦労が発生するのですね」

 シンミリと、感情の込もった声でアンリエッタは言った。

「そうですね」

 と、才人も、先程のルイズとの諍いを想い出して、相槌を打った。

 だが、平和といっても表面上のモノであり、未だ“聖杯戦争”をどうするのかが決まっていないのだが。

「あれほど待ち望んだ平和なのに、贅沢とは想うのですが……その心労は余り変わりませぬ。皮肉なモノですわ」

「心労?」

 才人が尋ねると、アンリエッタは言った。

「母と枢機卿に“結婚せよ”と言われました。国の“貴族”を纏めるために……」

 寂しいような、諦めたような、その様な声と調子でアンリエッタは言った。

 その口振りから、アンリエッタがその結婚を望んでいないということが判る。

 何と言葉を掛ければ良いのか判らず、才人は困ってしまった。

「元から、好いた相手との結婚などとうに諦めております。でも……いざとなると、何だか心が沈みますわ」

 どうやら、国内の有力“貴族”との縁談が進んでいるらしい、と才人は理解した。

 平和な時を見越して、基盤を固めて置こうというのである。

 そういった宮廷の力学は、なんとなくではあったが、それでも才人は理解できた。

「ホントに、結婚するんですか?」

「それを……決めかねていたのです」

 アンリエッタは、顔を上げると真っ直ぐに才人を見詰めた。

 その縋るような視線に、才人は息が止まるような気持ちになった。

「決めて頂けませんか?」

 一瞬、才人は、何の事だか理解ら無かった。

「何を……ですか?」

「私の行え末ですわ」

 才人は、ハッとしてアンリエッタを見詰めた。

「それは、結婚するかしないかって、そういうことですか?」

「ええ」

 コクリと、アンリエッタは首肯いた。

「どうして……俺なんですか?」

「何故でしょうね? でも、想い悩んでいると、貴男とセイヴァー殿の顔が浮かんだのです。かつてウェールズ様のあの事件で……私はもう2度と誰も愛さない、そう心に誓いました。でも……貴男方に何度も救われ、その御力を頼りにするようになってから……何故か貴男のことを考えるようになったのです。夢で、現世で……私は、ただ1度の恋しか知りませぬ。だから、この気持ちが、恋なのかどうか判りかねます。ただ……胸が震えるのは本当なのです」

 アンリエッタは、顔を伏せた。

 以前「女王としての顔しか見せませぬ」といった台詞が、ここからのモノではなかったことが窺い知れる。

「だから、俺なんですか?」

「それだけではありませぬ」

 そこでアンリエッタは、才人の手を握った。

 何気なく握られただけであるのだが……才人の胸は震えた。ルイズ、ティファニア、シエスタ、タバサ……様々なタイプの美少女をその目で見て来た才人であった。が、アンリエッタの美しさは、何だか質が違うといえるだろう。美しいだけではなく……その中に吸い込まれそうな何やら魔性とでも言えるようなモノがある、とそう才人は感じた。そして、その魔性の色香とでもいうべきモノは、明るい宮廷の中ではなく、こういった陽の目を見ない地下室や、安宿といった場所や環境の中でこそ、ありありと輝くのである。

「貴男も、私と同じ気持ちなのではありませんか?」

 そう尋ねるアンリエッタは、いつもの女王然とした顔などではなく、歳相応のただの少女のそれであった。

 才人は、息が止まりそうになった。アンリエッタの言葉は……才人の胸に残るしこりを一言で言い当てたモノであったのだから。

 そう、あの時……確かに才人はアンリエッタに対して魅力を感じ、胸を高鳴らせたのであった。

 才人が再び激しい胸の高鳴りを感じていると、アンリエッタは朗らかな笑みを浮かべた。

「あの晩のことは、とても良く覚えておりますわ」

 それからアンリエッタは、下から才人の顔を悪戯っぽく覗き込んだ。

「貴男、夢中になって私の唇を求めて来たのですよ。こんな風に……」

 アンリエッタは、才人へと顔を近付ける。

 才人は身動き1つ取ることもできなかった。

 アンリエッタは優しく才人の肩を抱くと、ユックリと艶めかしい動きで才人の唇に自分のそれを押し付けた。

 どれほどの時間が過ぎたのであろうか。

 アンリエッタは唇を離すと、自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

「結婚するなとは、言ってくださらないのね」

「……それは」

 才人は、自分の心に尋ねた。「国のために、自分を犠牲にするな」と言うだけであれば簡単であろう。だが……アンリエッタの立場を考えると、それもまた我儘のように想えたのである。それから、(でも……女王になるべく生まれたからといって、そこまで慢しなければいけないのか? セイヴァーは、こんな時どう言うだろう?)と考えた。が、(どうでも良いじゃないか、そんなこと)と才人は気付いた。そのような理屈などではなく、もっと心の深い部分で、アンリエッタの結婚を望んでいない、ということに。

 才人は、(もしかして、俺は……)と考え、そこで首を振った。次いで、(いや、俺が好きなのはルイズで……)と考える。

 そのような才人の葛藤に気付いたのであろう、アンリエッタは反省するような口調で言った。

「ごめんなさい。貴男を困らせるつもりはなかったの。本当よ」

 その、砕けた物言いが、才人の心を更に揺さぶってしまう。

「貴男に、こんな相談を持ち掛けるなんて、我儘もいいところだわ。貴男は、ルイズの恋人。それを知りつつ、貴男を誘惑するなんて……私も所詮、この部屋を造った、父や祖父と同じなのだわ」

 アンリエッタはしばらく、うつむいていたが……寂しい笑みを浮かべて立ち上がる。

「申し訳ありませぬ。忘れてください……」

「姫様」

 それから、心の中にわだかまっているモノを振り切るかのように、アンリエッタは呟く。

「結婚するわ。冷静になってみれば、それで良いのだあわ。誰も困らないじゃないの」

 才人は思わず立ち上がり、アンリエッタの手を握って叫んだ。

「や、やめろ!」

「……え?」

「そんな、したくもない結婚するってやっぱり可怪しいですよ。嫌ならやめれば良いじゃないですか!」

 アンリエッタは真顔になった。

「私を哀れで、そう仰っているの? それとも……」

 才人が答えないのを見て、アンリエッタは微笑んだ。

「貴男が何に悩んでいるのか……私には判りますわ。きっと、真面目過ぎるのね。他の殿方なら、何も悩まずに、2つの果実を手に入れようとするのでしょうに。貴男を弁護する訳ではないけれど、どちらの貴男も本当なんだと想いますよ。私もそう。貴男が親友の恋人だから、忘れようと想うのです。でも、もう1人の私は、そうは言ってくれないの。そんなのは関係無い、と言い続けるのです。でも……私は、それが可怪しいとは想いません。人間とは結局、そういう生き物なのですわ」

「…………」

「有難う。貴男がそう仰ってくれたから、結婚は断ります。でも、貴男に代わりになれとも申しません。安心して。でも……たまにこうして、ここで逢って頂けませんか? せめて私が……いえ、何でもありませぬ。そうね、友人として。それならば良いでしょう?」

 才人は……コクリと首肯いた。だが、(友人としてならば、構うまい。でも、ホントにそうなんだろうか?)と考え、自分が卑怯だと想った。だが……そう想っても、アンリエッタの言葉には抗うことができなかった。それほどに、蝋燭の淡い灯りに浮かび上がるアンリエッタは、神秘的なほどの色香を放ち、才人の本能を痛いくらいに刺激したのである。

 

 

 

 

 ドアの隙間から、一部始終を見ていたルイズは、ヘタリと地下通路の床にへたり込んだ。

 ルイズの頭の中には、(どうしてこんなことになったの?)といったことばかりが浮かんでいた。

 先程、才人と口論した後、ベッドの中でしばらく考えたルイズは、最終的に反省したのであった。(家族にサイトを馬鹿にされたくない)という想いから、つい才人に厳しく当たってしまったということを。その気持ちを、部屋に篭もる直前に言いはしたものの、(言わずとも理解って欲しい)と駄々を捏ねてい居た自分が恥ずかしくなったのである。

 感情が収まったルイズは、ベッドから抜け出し食堂へと向かった。が、そこには毛布が掛けられたシエスタが寝息を立てているばかりであり、才人の姿はなかった。

 ルイズは心配になって、屋敷を捜して見たら、地下室へのドアが開いているのを発見したのである。その後……ルイズは才人が通った道を辿り、この地下室のドアの前までやって来たのであるのだが。

 中に、才人とアンリエッタの姿を見付けた時には、ルイズは心臓が止まるのではと想えるほどに驚いた。声を掛けようと思ったのだが、声が出なかったのである。

 初め、ルイズは、アリエッタが才人にここを与えた意味を邪推した。(逢引きに使おうと、わざわざ下賜したののね)と想像したのである。

 だが、そうではなかったことが判った。

 話を聞く限り、この部屋の存在は2人共知らなかったようであるということを、ルイズは理解した。

 だが……そのようなことは、すっかり話を聞いてしまった今では、ルイズにとって関係がなかった。アンリエッタは、いつかルイズに「手を出すならば、それ相応の覚悟を持って、そういたします」と言っていたことを想い出し、(本気だったんだわ)と想ったのである。

 そして……才人の気持ちもまた、アンリエッタにも向いているということを、ルイズは知ってしまった。才人の不実を、アンリエッタの不実を詰ろうとしたのだが、(そう……きっと、姫様の言う通り。どちらの気持ちも本当なんだわ)と想い、ルイズは足を踏み出すことができなかったのである。

 才人のルイズを想う気持ちも本当であれば、アンリエッタを想う才人の気持ちもまた本当であるのだ。

 アンリエッタの友人としてルイズを想う気持ちも本当であれば、才人を想うアンリエッタの気持ちもまた本当である。

 どちらも本当で……それは何ら矛盾することなどなく、2人の中に息衝いているのである。

 それ等全部を知った時……真っ白になって行く頭の中で、ルイズは(私に、2人を責める資格はあるのかしら?)と想った。

 ルイズの中に生まれたのは、(ついさっきだって、私はサイトに上手く気持ちを伝えることができずに、怒ってしまったじゃないの)と想い、裏切られたという怒りなどではなく、そういった種類の哀しみであったのだ。

 ルイズは、(サイトはジッと我慢して、言う通りに高貴的な仕草を身に着けようと努力してくれてたのに……そんなサイトに私は何と言ったの?)と考えた。

 この屋敷に来るまで、ずっとくすぶっていた己への疑問が、ルイズの中に蘇る。プライドでどうにか押し潰していた、自分への疑問。

 今では、“救国の英雄”となってしまった才人。

 伝説の偉人にも劣らずの活躍をして退けた才人。

 ルイズは、(そんなサイトに、私は釣り合っているのかしら?)と悩みながら、来た時と同じように自室にコッソリと戻った。

 呆然とした頭の中、必死に一部の冷静な部分を働かせ、ルイズは荷物を纏めた。

 一部始終を見てしまったルイズの結論は、これであった。

 自分は、才人に相応しくない。

 それだけであった。

 今や“救国の英雄”……同時に敵も増やした才人には、真の庇護者が必要であるのだから。

 ルイズは、(“虚無の担い手”などと言われつつ、いつも足手纏いの私なんて、単に足枷になるだけだもの……姫様なら、立派に自分の代わりを務め上げてくれるわよね。何せ、この国の女王なんだもの。その彼女が後見人ともなれば、下手な“貴族”など手も足もでなくなるわ)と考えたのである。

 だが、それ等は小さな理由であった。本当の理由は、ただ1つ……。

 何より……2人は惹かれ合っている。

 ルイズは、(こうなってしまっては、私の居場所なんて、どこにあるというのかしら? 2人を責めることも、涙を見せることも、御門違いと言うモノだわ。だって、姫様は私の何倍もサイトを上手く守れるだろうし、大事にするはずだもの。そしてサイトも……ホントは姫様が好きなのに、ずっと我慢してたんだわ。私を気遣って……)と ショックのあまり、才人の気持ちを確かめることすらも忘れてしまっていた。また、才人の記憶が流れ込んで来たことによる、才人のルイズに対しての想いについてもどこかへと飛んでしまっていた。

 ルイズの目には、才人は自分より、アンリエッタに惹かれているように映ったのである。ルイズは、それが、自分の引け目が見せたモノだということに気付かない。

 ルイズはただ、(私がいなくなればそれで良いの。そうしたら、皆、幸せになれるわ。やっと訪れた平和を満喫できる。私の側にいたら、息が詰まるだけじゃない。簡単なことよルイズ。皆を大事に想うなら、こうするべきなののよ)と想い、哀しみで凍り付いた心に、そう言い聞かせながら荷物を纏め上げる。

 鞄1つ。他には何もない。

 あっと言う間に、手荷物はできあがる。

 最後にルイズは、短い滞在であった寝室を見回す。

 才人と暮らした屋敷。誰のモノでもない、2人の城……そこまで考え、ルイズは感情を振り払い、(楽しかった。だから良いわ。きっと、私には過ぎた生活だったんだわ)と想った。

 それからルイズは、(せめて置き手紙を書かないとサイトが心配するわね)と想い、ペンと紙を取った。

 何かを書こうとするたびに、ルイズの中に想いが溢れた。言葉の代わりに、とめどなく涙が溢れるのである。涙はポタポタと、羊皮紙に水玉を描いた。

 ルイズは、必死の想いで、たった一言、言葉を書いた。それ以上書てしまえば、悲しみで身体が動かなくなってしまいそうだったためである。

 その紙をベッドの上に置くと、鞄を握り締め、ルイズは目を瞑ってドアを開いて外へと飛び出した。

 ルイズは、(取り敢えず、“ド・オルニエール”の領地を出よう。後のことは、それから考えれば良いわ)と考え、厩に赴き、才人の馬に跨った。

 ルイズは、(ごめんね。後できっと誰かを通して返すから……今だけ貸して頂戴)と心の中でそう才人に詫び、双月の照らす中、たった1人馬に乗り駆け出した。

 ルイズは、(急がなくてはいけないわ。急いで、“ド・オルニエール”を出るのよ。いずれ、悲しみでこの身体は動かなくなる。そうなっては、一歩も歩くことができなくなってしまううわ)と進むたびに、屋敷から身体が遠ざかるたびに身を引き裂かれるかのような想いに、ルイズは倒れそうになったが……必死に堪え、夜の闇の中を走り続けた。

 後を追ける、黒い外套に髑髏の仮面を着けた男に気付くこともなく。

 

 

 

 

 

 アンリエッタを寝室に送った後……才人はしばらく地下寝室で頭を冷やしていた。

 1時間ほど、ボンヤリと過ごした後、才人は部屋を出た。

 通路の天井が低い為に身を屈めると、何かが落ちていることに、才人は気付いた。

「何だこれ……スリッパ?」

 そのピンク色のスリッパには、才人は見覚えがあった。才人は、(ルイズのじゃないか……どうしてここに? もしかして今の……見られていたのか? そうに違いない。ルイズはここまでやって来て、一部始終を聞いたんだ)と考え、頭から血の気が引いて行くように感じた。

 才人は慌てて、地下通路を抜け、2階の寝室へと向かった。

 鍵が開いている。

 才人は中へと飛び込んだ。

「……何だ?」

 ルイズの服が、ベッドの上に散乱している。

 才人は、(賊か?)と一瞬考えたが、違うことに気付いた。ルイズの鞄がなくあんっていることに気付いたためだ。

 そして、ベッドの上に1枚の羊皮紙を見付け、才人は真っ青になった。

 そこにはたった一言、こう書かれていた。

 

――“御免ね”。

 

 才人は泣きそうになった。先程の、自分とアンリエッタとのやりとりを見た上で、この一言を書いたルイズの気持ちを想像して、才人は目眩がした。

 その一言で、ルイズが何を想ったのかを、(あいつ……多分、俺と姫様のやりとりを見て……身を引くつもりなんだ)と才人は一瞬で理解したのである。

 ルイズの性格を、才人は良く理解している。頑固で融通が利かなくて……真面目過ぎ。でもって、誰より才人の幸せを願ってくれているのである。

 だからこそ……才人の幸せのためであれば、己を犠牲にすることも厭わなないのである。“ロマリア”では、自分の一生と引き換えにして、才人を“地球”へと帰そうとしたほどなのだから……。

 才人は、(今度もそうだ。あいつ、自分が消えれば俺が幸せになれると考えて……)と考え、側に置いてあるデルフリンガーを掴み、鞘から引き出した。

「デルフ! ルイズは?」

「んにゃあ、何だよ? 1時間ほど前に、何か泣きながら荷物を纏めて出てしまったぜ。また喧嘩したのか?」

 才人はデルフリンガーを掴んだまま駆け出した。食堂に向かい、シエスタを揺さぶり起こした。

「シエスタ! ルイズを見なかったか?」

「いえ……どうかしましたか?」

「家出しちゃったみたいなんだ……」

 まあ、とシエスタは口を開いた。それからジトッと才人を睨む。

「何したんですか? ミス・ヴァリエールがそこまで怒るなんてよっぽどだと想いますわ。あの人、何のっかんの言ってそうそう本気じゃ怒りませんからね」

 才人は苦しそうな顔をして言った。

「兎に角その話は後だ。俺はルイズを追い掛けるよ」

「私も手伝います」

「いや、シエスタはここで待っててくれ。夜も遅いし……危ないから」

 才人はテーブルの上にあったカンテラを掴み、そこに蝋燭の火を移し、外へと飛び出した。

 厩に行くと、愛馬がいないことに、才人は気付いた。

 ルイズが乗って行ったんだ、と才人は絶望に駆られながら駆け出した。

 

 

 

「今度は一体、どんな喧嘩をしたんだね?」

 背負われたデルフリンガーが、才人に尋ねる。

「喧嘩じゃない」

「だったら何だね?」

「俺が悪い。間が悪いとかじゃねえ……完全に、俺が悪い」

 才人は闇雲に駆けた。

 ルイズの行きそうな場所を、才人は想像する。

 実家、“魔法学院”……。

 だが、もし……姿を消す気であれば、そのような場所には行かないであろうということを、才人は理解した。

 

――“ごめんね”。

 

 才人には、ルイズが、完全に自分の前から姿を消す気だということが、その短い言葉だけで理解できた。そこには、才人をなじる言葉も、恨みがましい言葉など一切なかったのだから。

 才人は、(急がないと。今しかない。今、追い付かないと、ルイズと2度と逢えなくなってしまうかもしれねえ)と考え、焦った。

「そんなに急いで追い掛けても、逢ってくれないんじゃないかねぇ? かなり怒ってるんだろ? 何せ、あれだけの勢いで出て行っちまうくらいなんだから」

 恍けた声で、デルフリンガーが言った。

 才人はもう答えない。頭の中は、ルイズのことで一杯なためである。

「それに……言っちゃあなんだが、馬の足には追い付けねえよ。例え、“サーヴァント”でも、夜道を走り追い掛けるのは難しいんでねえの?」

 デルフリンガーの言う通りであろう。

 それでも、才人は駆けた。疾走らずにはいられなかったのである。

 平和で、幸せな時間が一瞬で崩れてしまったのである。それは、ただ続いて行く日常ではなかったのである。自然に、普通に、そこにあるモノではなかったのである。

 慎重に……自分の手で守り、育てなくてはいけない時間であったのだ。

 呆気なく……本当に呆気なくルイズを失おうとしてしまっている今、初めて才人はそれに気付き、理解した。同時に、どれだけ自分がルイズのことを“愛”しているのかを理解した。そして、いかに自分が軽率であったのかということも……。

 だが才人は、(違う。軽率だったんじゃない、俺は姫様の色香に魅力を感じ、自分で唇を重ねることを選んだんだ。あれだけ、ルイズに好きと言った唇を……自分の意思で姫様のそれに重ねたんだ。俺は最低だ)と想った。

 30分ほど疾走ったのだが、ルイズの姿を見付けることはできなかった。

 田舎の夜の闇は濃い。“サーヴァント”としてのヒトより優れた視力をもっても、カンテラの灯りを持って街道を歩くのは、それだけでも困難なことであった。

 才人は、(街道を逆に行ったのか? それとも、別の横道に逸れたのか? それとも、俺が追い掛けるのを見て、どこかに隠れてしまったのか?)と考えながら疾走る。

 全速力で駆けたために、才人の息が切れ始める。

 そのうちに前方から、“魔法”の灯かりを“杖”先に灯した2人組の騎乗の“貴族”(?)が現れた。2人は何やら口論しながら、才人の方へとやって来る。

「もう! ドゥドゥー兄様は本当に愚図だわ! 資料を失くすなんて!」

「すまん……」

 聞こ得て来る声から、2人の“貴族”が若いことが判る。

 才人とあまり変わらない年頃であろう。

 才人は、(良かった。彼等に尋ねよう)と立ち止まる。

「すいません! ちょっと御訊ねしたいんですが!」

 才人が羽織っているマントに気付くと、2人は馬を止めた。

「どうしました?」

 黒い羽根帽子にマントを羽織った若い男が叫び、返事をした。

「ここを、馬に乗った“貴族”の女の子が通って行きませんでしたか?」

 2人の“貴族”は顔を見合わせた。

「先程、擦れ違った女性がそうかしら?」

「桃色がかったブロンドの髪の女性かい?」

 若い“貴族”(?)の言葉に、才人は首肯いた。

「そうです! じゃあ、やっぱりこっちで良かったのか!」

 再び駆け出そうとした才人に、“貴族”の男が声を掛ける。

「おいおい! 走って追い掛けるつもりですか!? 僕等が擦れ違ったのは1時間も前ですよ!」

「どうしても追い付かんきゃならないんで! 有難う!」

 才人が駆け出そうとすると、若い“貴族”(?)は馬上から才人に告げた。

「よろしかったら、次の駅まで送ろうか?」

 駅というのは、馬を借りることができる公的な場所である。そこまで行けば、御金を払って馬を借りることができるであろう。

 すると、女の方が文句を吐けた。ヒラヒラとしたモノが付いた、黒と白の派手なデザインの衣装に身を包んでいる。レースで編まれたケープの上の顔は、まるで人形のように美しいといえるだろう。

「まあ!? 今は御仕事の最中ですのよ! これだからドゥドゥー兄様とは組みたくないのよ! やっぱり、上の兄様達と一緒に来れば良かった!」

 それでも、ドゥドゥーと呼ばれた少年は、才人を促した。

「助かります。でも、良いんですか? 御仕事があるんでしょう?」

「資料を失くしてしまって……引き返そうかと思って居たところなんです」

 馬は疾走り出した。

 少女は、ブツブツとドゥドゥーに文句を吐け続けた。

「こないだの御仕事もそうだったわ! ドゥドゥー兄様ったら途中で御腹を壊すだもの! 仕方ないから、私1人で……」

「もう勘弁してくれよ。ジャネット。御詫びに、“トリスタニア”に戻ったら、御前の望むだけ御菓子を買ってやるから……」

 すると、ジャネットという名前の少女は満面の笑みを浮かべた。

「まあ!? ホント!?」

 そのような2人の兄妹のやりとりの中でも、才人は焦ったような顔で前を見詰めるのみである。

 ジャネットが、そんな才人を見詰めて言った。

「ドゥドゥー兄様、この方に尋ねてみたら?」

「でも、軽々しく話して良いことじゃないんだろ?」

「何を言ってるの? 勝手に資料を失くしておいて!」

 何だか妙な会話であるといえるが、才人は気にしなかった。それどころではなかったためである。

 妹にそこまで言われて、ドゥドゥーは決心したらしい。後ろを向くと、才人に尋ねた。

「御訊ねしてもよろしいですか? この辺りに、シュヴァリエ・ヒリゴイール様と言う“貴族”がおられるという話なんですが……」

 更に妙な発音になってはいたが、才人は自分のことに違いないだろうと理解した。

「多分、俺だと想いますけど」

「ええっ!?」

 ドゥドゥーは、心底驚いた、といった様子を見せる。

「まあ!?」

 隣を疾走るジャネットも、目を丸くした。

 ドゥードゥーは得意げな顔になり、ジャネットに告げた。

「ほら見ろ! ジャネット! 僕はいつもこうだ! 困っていると、神様が御味方してくださるんだよ!」

「ただ、運が良いだけじゃない」

「一体、俺に何の用何ですか?」

 怪訝に思って才人が尋ねると、ドゥドゥーは振り返り事もなげに言い放った。

「君を殺しに来たんだ」

 才人の身体が固まった。冗談だと思ったのである。

 隣のジャネットが、朗らかに笑いながら言った。

「そうなのよ。それなのに、この人ったら、肝心の貴男の資料を置いて来てしまったのよ。あのね、兄様。普通はね、資料なんてモノは、空で覚えてしまうモノよ」

「しょうがないじゃないか。僕は忘れっぽいんだ!」

 口論を始めた兄妹を、才人は呆気に取られて見詰めていた。「殺しに来た」と言いながらその兄妹はいきなり口論を始めているのだから、意味が理解らないのである。

「そんな訳で、僕は君を殺さなきゃならないんだが、できれば大人しくしていて欲しい。御互い面倒だし、抵抗は無駄なだけだからね」

「そうよ。大人しくしていれば、眠っているように“ヴァルハラ”へと送って上げるから」

 才人は、低い声で尋ねた。

「冗談、じゃないよな?」

「違う」

「もう1度尋ねるけど……」

「残念ながら……」

 そこまでドゥドゥーが言った時、才人の身体が反射的に反応した。背を反らせて、馬に跨ったまま腰に提げたに“日本刀”の柄を握り、居合いの要領で抜き払ったのである。

 背中に吊ったデルフリンガーを抜くよりも、ジーンズに提した“自動拳銃”より、この攻撃が1番速いためである。抜く動作が、そのまま攻撃になっているのだから。

 だが、才人の眼の前にはドゥドゥーの姿はなかった。

 神速とでもいえる“ガンダールヴ”が放つ居合いを難なく躱し、ドゥドゥーは空中に浮かんでいる。馬上から、“魔法”も使わずに一気にジャンプしたのであろう。恐るべき反射神経と体術であるといえるだろう。

 ドゥドゥーは地面に着地した。

 そこに向けて跳び込もうとした時……右から猛烈な風圧を受けて、才人は地面を転がった。

 ジャネットが、“風魔法”を飛ばしたのである。

「くッ!」

「剣士の癖に、沢山、“メイジ”を抜いたそうじゃないか」

 ドゥドゥーは、“杖”を引き抜いた。何やら、鞭のようにしなる“杖”である。その“杖”でもって、時代掛かった仕草で、帽子の鍔を持ち上げる。その帽子の下にあったのは、才人と幾らも年の変わらない顔であった。ハンサムと言っても良い、鼻が軽く上を向いており、妙な愛嬌を発している。

 ドゥドゥーの、まるで“魔法学院”で見掛けるような“貴族”の坊ちゃん然とした風情に、才人は面食らってしまった。

 だが、全く油断はできない。彼はそんな無邪気な顔と調子で「才人を殺す」と言い放ち、恐るべき体術を見せ付けたのだから。

「誰に頼まれた!?」

 立ち上がり様、才人は刀を構えて叫び問うた。

「言っても良いんだっけ?」

 ドゥドゥーは、ジャネットに尋ねる。

「駄目よ! 全く! ドゥドゥー兄様は馬鹿じゃないの!?」

「馬鹿って言うなよ! いつも兄さん達が片付けてしまうもんだから、手順や作法を覚えてないだけだ!」

 それから才人の方を向いて、ドゥドゥーは再び言葉を掛けた。

「ごめんよ。話せないそうだ。兎に角、今の一撃は良かった! どうやら“伝説の使い魔”って話は本当らしいな」

 それからドゥドゥーは、ニヤッと笑みを浮かべた。

 その笑みの種類に、才人は懐かしいといえる何かを感じた。

 そう。今ドゥドゥーが浮かべた笑みは、昔才人ゲームセンターの対戦ゲームなどで良く見た表情のそれに近いのである。小遣いを注ぎ込んだ格闘ゲーム。沢山のゲーム狂達。彼等が、強い相手を見付けた時に浮かべた時の笑顔……。

「なあジャネット」

「何よ!?」

「愉しんでも良いかい?」

「駄目って言っても、どうせそうするんでしょう? 知らないわよ。後で兄様達に怒られるのは、ドゥドゥー兄様なんだからね!」

「いつものことだ。気にしないよ。じゃあ手を出すなよ」

 再びドゥドゥーは、才人へと向き直る。

「良かったね。君。何だっけ? ヒ……ヒル……ヒレ……」

「平賀」

「そうそう。そのヒリギ殿だ。君は運が良い。わずかな間だけど、長生きできる。金にしか興味のない兄達と違って、僕は純粋に戦いが好きなんだ。特に、君みたいに強い奴の相手のね」

「兄様達は御金が好きなんじゃないわ! 兄様達には大義が……」

「煩いな、僕に済りゃ同じことだよ」

 そのような妙なやりとりの間……才人は攻撃を仕掛けることができなかった。ドゥドゥーには、全く隙といえる隙が見当たらなかったのである。才人の額に鈍い汗が浮かぶ。

「おや? 来ないのかい? 沢山隙を見せてやったのに……変な奴だな。仕方ない! じゃあ、こっちから行くぜ! そら!」

 ドゥドゥーは、鞭のようにしな“杖”を振り下ろした。

 才人とドゥドゥーとの間の距離は20“メイル”ほど。

 才人は、氷の矢を始めとした遠距離からの攻撃“魔法”を警戒した。

 見る見るうちにドゥドゥーが持つ“杖”には“魔力”が宿り、青白く光り出し、大木のように太く長くなった。

「“ブレイド”!?」

 巨木のような“魔法”の刃が、才人の頭目掛けて叩き付けられる。

 間一髪、才人は横に跳んでその攻撃を躱す。

 その“ブレイド”の威力は半端ではなかった。地面が捲れ上がり、土埃が舞った。

 あのような一撃を刀で受けていれば……“サーヴァント”としての比較的頑丈な身体を持っていようとも、刀はバラバラにされ、身体には大きな傷を受けることになっていたであろう。

「そう。ただの“ブレイド”だよ。でも、他のよりちょっと大きいかな? それより君! 大したもんだな! 今の一撃を躱した奴は、君が初めてだ」

 才人は、(こりゃ不味い)と思いながら、“日本刀”を突き立て、背中からデルフリンガーを抜いた。

「よぉ相棒。何だか恐ろしい奴を相手にしてるね」

「……何々だあいつ。あんなでかぶっとい“ブレイド”何て見たこともねえよ」

「確かにあいつの“魔力”は尋常じゃねえな」

 だが……才人は、ここで負ける訳にはいかなかった。急いでルイズに追い付かねばならないのだから。

 そう想った時、才人の身体が震えた。

 左手甲の“ルーン”の輝きが増して行く。

 そんな才人を見て、ドゥドゥーは更に笑みを深くする。

「好いね。実に好い。流石は数多くの“メイジ”を倒して来た剣士。でも……」

 才人は目を凝らした。ドゥドゥーの動きに、全身全霊を傾けて集中する。数多の実戦の中で培って来た眼力などが、攻撃を仕掛けるべきタイミングを計ってくれているのである。

 未だ。未だ。未だ……。

 ドゥドゥーは言葉を続けた。

「君は、“メイジ”の光の部分しか知らないようだね。どうして僕達“メイジ”が、6,000年もの間君臨できたのか……その理由を教えてやろう。“スクウェア”だとか、“トライアングル”だとか、足せる“系統”の数が全てではないことを、君に教育してやろう。“メイジ殺し”の君にね」

 ドゥドゥーは、“ブレイド”を振り上げた。

 才人は、(今だ)と一足跳びに、ドゥドゥーの懐へと跳び込んだ、次いで、右手で握ったデルフリンガーを振り下ろす。

 ドゥドゥーは一瞬にして、縮めた“ブレイド”でそれを受け止めた。

 激しい音がして、火花と青白い“魔法”の光が混じり合う。

 ほぼ同時に、才人は左手で“自動拳銃”を抜いた。初段は既に薬室に装填してある。銃口をドゥドゥーの腹に突き付け、才人は引き金を絞った。目にも留まらぬといった早業で、3発を発射した。

 確かに才人は命中の手応えを感じた。

 だが……ドゥドゥーは倒れない。

「御見事! 御見事! そんなに鮮やかに剣と銃を組み合わせて、攻撃して来るなんて! でも、銃に対する防御なら、僕達は13通りも知っている」

 ポロッと、変形した弾丸が、ドゥドゥーの腹から落ちた。

「な……!?」

「1番簡単なのがこれさ。弾が当たる場所に、“硬化”を掛けてやれば良い。慣れれば、何てことない」

 才人は銃口をズラすと、躊躇いなくドゥドゥーの頭へと撃っ放した。殺らなければ殺られる。その本能的な恐怖が、身体を包み動かしたのである。

 だが、ドゥドゥーの額が銀色に光り、弾を弾き返した。

 才人は弾が切れるまで乱射したのだが、一分の隙もないようで、ドゥドゥーは“硬化”を用いてそれ等を弾いてみせた。

「連射できるなんて珍しいな! いつの間に、そんな立派な銃ができたんだ?」

 呆然とする才人の手から、ヒョイッとドゥドゥーは“自動拳銃”を取り上げる。それから、物珍しそうにそれを見詰め、才人に笑ってみせた。

「随分と精巧な造りじゃないか! こりゃ好い! 僕にくれないか?」

 才人をからかっている素振りは全くない。まるで友達に対して言うような気安さで、ドゥドゥーは言ったのである。

 才人は、ドゥドゥーが全く本気を出していないということを、その口調などから理解した。

「この……!」

 才人はデルフリンガーを両手で掴むと、力任せに振り下ろす。

 ドゥドゥーは身体を後ろへとズラし、剣先を躱してみせた。

「“魔法”を使わなきゃ、素早く動けない“メイジ”なんてのは、僕からすれば三流だ。一流の使い手というのはね、僕みたいに“魔力”を……」

 再び、“ブレイド”が唸りを上げて膨らんだ。

「全部攻撃に振り切るんだ」

 巨大な“ブレイド”の刃が、才人目掛けて振り下ろされる。

 しかし才人も然る者、それを避けて行く。避けながら、才人はデルフリンガーに尋ねた。

「あいつ……何だってあんなに速く動けるんだ!? “サーヴァント”でもない、況してや“魔法”も使わずに!」

「いるんだよ……長い“メイジ”の歴史の中じゃ、あんな風に戦うためだけに生まれて来たような奴が……何だかいつも言ってるようだが、こりゃ分が悪いね」

「それにしたって! ヒトの動きじゃねえよ!」

 躱したつもりのドゥドゥーの“ブレイド”が、才人の足を掠る。

 それだけで、才人は吹き飛ばされて地面に転がってしまった。

「おやおや!? もう御終いなんて言わないでくれよ!」

 才人は、(大丈夫、掠り傷だ、でも、次がそうだという可能性は限りなく低い)と想い、跳ね起きた。

「ん?」

 その時、デルフリンガーが、小さく言った。

「どうした? デルフ」

「成る程。関節に“先住”を仕込んでるのか。でもまた、一体どうやってそんな真似を……?」

「何だって?」

 “ブレイド”が飛んで来て、才人はそれをステップで躱す。

「簡単に言うとだな。あいつの身体は、正確に言うと生身じゃねえ。足、腕……膝、肘、手首。そういった部分に、“先住魔法”が掛けられてる。だからあんなに速く動けるんだ。でも、誰がそんな真似を……?」

「ちょこまかと!」

 痺れを切らした声で、ドゥドゥーが叫んだ。

 デルフリンガーの呟く種明かしが、才人を冷静にさせていた。そのため、最小の動きで、攻撃を躱してみせた。

「兎に角、理由(わけ)が理解れば、対処のしようもある。そうだな? デルフ」

「そうともさ。でも、そんなのは普通不可能だぜ。“エルフ”にだって、そこまで繊細な制御はできねえ。“ドラゴン”の吐く炎で、パンを焼こうってなもんだ。普通だったら黒焦げになっちまう」

「で、どうすりゃ良いんだ?」

「兎に角、俺があいつの“魔法”を吸い込んでやる。その隙に、あの相棒の国とやらの剣を拾って、突き立てな。でも……あいつの“魔力”は妙だ。強過ぎる。もしかしたら……」

「もしかしたら、何だよ!?」

「まあ、仕方ねえ。やってみよう」

 才人は、先程地面に突き立てた“日本刀”に躙り寄った。

「おいおい! まさか逃げるなんて言わないだろうね!?」

 ドゥドゥーが“ブレイド”を振り上げたその時……デルフリンガーが叫んだ。

「相棒! 今だ! 俺を地面に突き立てろ!」

 才人は言われるがままに、デルフリンガーを地面へと突き立てた。

「――んなッ!?」

 ドゥドゥーの口から、驚愕の呻きが漏れた。自分の“ブレイド”が、音を立ててデルフリンガーへと吸い込まれて行くのを目の当たりにしたためである。

 才人は、地面に立てていた“日本刀”へと飛び付いた。

「良いぞ! デルフ!」

「こ、このぉ……剣の分際でッ!」

 ドゥドゥーの顔から、余裕の笑みが消えた。

 次の瞬間、ドゥドゥーは懐から何かを取り出した。それは液体が入った瓶であった。

 何かを察知したデルフリンガーが叫ぶ。

「いけねえ! 相棒! 逃げろ!」

「え?」

 一気にドゥドゥーへと跳び掛かろうとした才人の足が、どうにか止まる。

 次の瞬間、ドゥドゥーはその液体を飲み干す。次いで、ドゥドゥーの口から、“竜”の咆哮のような叫びが漏れた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 “ブレイド”の幅が、倍に膨れた。

 才人は、信じられないような思いで、そのオーラの迸りとでも呼ぶべき、“ブレイド”を見詰めた。

 巨大な大蛇のように、“ブレイド”はドゥドゥーの周りを暴れた。

 その間合いに突っ込むことは、いかな“ガンダールヴ”であろうとも不可能であった。また、才人は“シールダー”の“サーヴァント”としての力を持ってはいるが、その力を完全に引き出すことはできてはいないに、それもまた不可能である。

 才人が、入り込むことができる隙間など全ないといえるだろう。

 だが、そんな台風のように暴れ狂う“ブレイド”を、デルフリンガーは吸い込んで行く。

 ビギッ……。

 才人は、デルフリンガーの表面に罅が入るのを見た。

「デルフ?」

「良いか相棒、良く聴け。俺があいつの“魔法”を吸い込み切ったら、その剣であいつを打った斬れ。良いな?」

「お、おい! やめろ!」

 才人は、起こりつつある事態に気付き、想い出した。

 デルフリンガーの表面に走る罅が大きくなって行く。

 思わず才人はデルフリンガーに飛び付こうとした。だが、暴れ狂う“ブレイド”の波に弾き飛ばされてしまう。

「参った……こりゃ参った。あの薬のおかげだろうが、あの野郎の“魔力”は半端じゃねえ……どうやら、俺の身体は保たねえみてえだ……」

「デルフ!」

「あばよ。短え間だったが、実に楽しかった。6,000年生きて来た甲斐があるってもんだ」

「やめろ! やめろデルフ!」

 才人は叫んだ。

 荒れ狂う“ブレイド”が一際大きくなる。

 デルフリンガーの剣身が、ボロボロに崩れて行く。

「ああーあ、セイヴァーの言った通りになっちまったなあ……相棒。あの生意気な娘っ子に、ちゃんと謝るんだぜ……」

 巨大に膨れ上がった“ブレイド”を吸い込み切ったその瞬間……ブワッと、内から膨れ上がるようにして、吸い込む限界に達したデルフリンガーがバラバラに弾け飛ぶ。

 ドゥドゥーはその衝撃で吹き飛ばされ、地面に転がった。

 才人は呆然と、キラキラと光りながら、ユックリと地面に舞い落ちるデルフリンガーの破片を見詰めた。

 何が起こったのか、才人は直ぐには理解できなかった、眼の前の世界が、一瞬で凍り付いたように感じられたのである。

 ツイッと、才人の頬に熱い何かが伝う。

 それで才人は、ようやっとのことで我に返った。戦いで培って来た冷静さが、才人に悲しみに浸る余裕を与えずに、眼の前の状況を淡々と告げる。

 デルフリンガーが砕け散った。

「デルフ……馬鹿野郎……やめろって言ったのに……」

 才人が抱える深い哀しみを受けて、左手甲の“ルーン”がこれまでになく闇夜の中鮮やかに輝いた。左手全体が光っているかのような、そのような輝きを受けて、握った“日本刀”の刀身迄が青白く光り始める。

「やめろって言ったのにッ!」

 かつてワルドと戦った時の、「“ガンダールヴ”の強さは心の震えで決まる! 怒り! 悲しみ! 愛! 喜び! 何だって良い! 兎に角心を震わせな俺の“ガンダールヴ”!」といったデルフリンガーの言葉が、才人の脳裏に蘇る。

 煩くって、能天気で、恍けた様子を見せていた、才人の相棒。

 それでも困った時は、必ずと云って良いほどに、才人を助けてくれていた。

 才人は、(何度俺は、あいつに助けられただろう? 何度俺は、命を救われただろう?)と想い、「こんなんで震えたくねえよッ!」と絶叫した。

 吹き飛ばされたドゥドゥーはやっとの思いで立ち上がった。だが、激しい衝撃で、頭がクラクラしている。

「なんて剣だ……僕の“魔法”を吸い込むなんて……くそッ!」

 頭を振った瞬間、20“メイル”離れた先に、才人が“日本刀”を構えて跳び込んで来るのが、ドゥドゥーには見えた。そして、(なに、この距離と僕のスピードなら間に合う!)と考えた。

 疾走る才人には、ドゥドゥーの動きが止まって見えた。ノロノロと腕を振り上げ“ルーン”を呟いているように、見えるのである。

 才人は、(あんな奴に……デルフがあんな奴に)と想い、身体は羽が生えたかのように軽く、逆に心は重石を載せられたかのように感じられた。目からはとめどなく涙が溢れる。荒れ狂う嵐のような激情の中、才人は、自分が呆気なく親友を失ったということを理解した。(俺がもっとしっかりしてれば……俺がもっと強ければ……俺がもっと。俺がもっと。俺がもっと……)、と自身を責める。

 そんな中、才人はデルフリンガーとのやりとりを想い出していた。

 

「おでれーた。見損なってた。てめ、使い手か」

「でも、安心しな相棒、ちゃちな“魔法”は全部、俺が吸い込んでやるよ! この“ガンダールヴ”の左腕、デルフリンガー様がな!」

「相棒、こいつをあの“フネ”の真上に持って来な。そこに死角がある。大砲を向けられねえ、死角がな」

「どう仕様もこう仕様もねえだろが。あの竜巻を止めるのが御前さんの仕事だよ。“ガンダールヴ”」

「おい、娘っ子。俺が合図したら、座席の下のレバーを引きな。あのおっさんが取り付けた最後の新兵器だ」

「相棒、兎に角真っ直ぐ突っ込め」

「自信を持て。御前は強い。今から俺が指示を飛ばす。その通りに動け。良いな? そうすれば、必ず勝てる」

「あいつはあれだ。暗殺者の動きだね」

「俺にその“解除”を掛けろ!」

 

 時間にすれば刹那、ほんの零コンマ数秒のことであろう。1歩跳ぶたびに、かつてのデルフリンガーの言葉が、才人の脳裏を過る。

 

「忘れるな! 戦うのは俺じゃあねえ! 俺はただの道具に過ぎねえ!」

 

 才人は、(何言ってんだ。御前は道具なんかじゃねえよ)と想い、いつも的確なアドバイスをくれたこと、朝に昼に夜にふざけ合ったこと、調子に乗った時も、ピンチの時にも、嬉しい時、悲しい時、死にそうになった時も、いつも側にいた、デルフリンガーのことを想った。

 だが、もういない。

 獣のような咆哮が、才人の口から溢れた。それは悲しみの咆哮であるといえるだろう。激情は才人の心を確かに震わせ、左手甲の“ルーン”を更に更に輝かせるのである。その光は握った柄から刀身にまで及び、色鮮やかに“日本刀”の刃を光らせた。

 その光は、否応なく才人の心にたった1つの事実を突き付ける。残酷に。無情に。

 デルフリンガーは、もういない。

 ドゥドゥーが再び“ブレイド”を使用した時……才人はそれ以上のスピードでドゥドゥーの懐へと跳び込んでいた。

「な……!? 僕より、速いだと?」

 才人は、柄も通れとばかりに、ドゥドゥーの腹に“日本刀”を突き立てる。

「デルフ。馬鹿野郎……」

 勝利の余韻も、哀しみの慟哭も、才人には許さることはなかった。

 次の瞬間、才人は頭に衝撃を感じ、地面に倒れ伏したのである。

 そう。

 敵はもう1人いたのである。

 急速に薄れて行く意識の中、才人は何度も己を呪い続けた。

 

 

 

 地面に倒れた兄と才人を見下ろし、ジャネットは溜息を吐いた。

「ホントに馬鹿ね。私の兄とは想えないわ。このまま放って置こうかしら……」

 そうは言いながらも、ジャネットは気を失った兄を抱き起こし、刀を引き抜いて“治癒魔法”を掛けてやった。

 致命傷にしか見えない傷であったのだが、見る見るうちに塞がって行く。

 恐るべき威力――回復力を促す“水魔法”で在ると云えるだろう。

 気を失った兄を馬に乗せると、ジャネットはチラッと倒れた才人を見詰めて呟いた。

「貴男も命拾いしたわね」

 ジャネットは、手にした書簡を見詰める。

 それは、才人とドゥドゥー2人の戦いの最中、長兄の“使い魔”が運んで来た手紙であった。そこにはこう書かれていた。

 

――“可愛いジャネットへ”。

 

――“ドゥドゥーと2人で大丈夫かい?”。

 

――“さて、君達が、仕事を終えていないことを祈る”。

 

――“先程、ジャックから連絡があって、依頼主が要求した金額を用意できないことが判った”。

 

――“その仕事は中止だ”。

 

――“直ぐに帰っておいで”。

 

――“温かいスープを用意しているよ”。

 

――“理想のために生きる”。

 

――“ダミアン”。

 

「全く……只働きじゃないの。あ、前金は一応貰ってるんだっけ? それにしても割に合わないわ」

 ブツブツと文句を言いながら、ジャネットは馬に跨った。

「ま、これが商売の難しいところよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 礼拝堂では銀髪の少女が1人、両手を合わせて“始祖像”に祈りを捧げている。

 美しく、儚げな印象を持つ少女である。

 キラキラと輝く羅紗な編み込んだような長い銀髪の隙間から見える、人懐こそうな丸い目を閉じ、まるで1個の彫刻であるかのように微動だにしない。

 美しい、7色のステンドグラスの窓から射し込む陽光が、薄っすらと礼拝堂の中に漂う埃とその少女を神々しいまでに染め上げている。

 修道衣に包まれたその身体と顔付きから察するに、年は14~15といったところであろう。

 熱心に祈りを捧げているという風情は、その口元からは感じることができる。彼女にとって、こうやって祈りを捧げる行為は呼吸と同じような日常の営みであるのだと思わせる、静かで、温かな黙祷である。

 礼拝堂の窓の外には広大な外海が広がっている。

 この“セント・マルガリタ修道院”は、“ガリア”北西部に突き出た幅2“リーグ”、長さ30“リーグ”ほどの細長い半島の先端に建てられているのである。

 その半島のほとんどはゴツゴツとした岩山で占められている。

 この修道院へは、陸路が通じていないのである。詰まり船か、飛行可能な“幻獣”などを用いなければ辿り着くことができないのである。

 観念だけではなく、物理的にも俗世と隔絶されたこの修道院では、30人ほどの修道女達が生活している。

 修道院の扉が開き、同じ修道服に身を包んだ少女が数人入って来た。彼女達は静かに黙祷する銀髪の少女を見付け、大声を上げた。

「まあ!? ジョゼットさんってば、御勤めの時間でもないのに、御祈りをしているわ!」

 彼女達は、とんでもない楽しみを見付けた、と言わんばかりに、きゃあきゃあと騒ぎ始めた。

 無理もないことであろう。外界から隔絶されたこの修道院では、娯楽といえる娯楽などないのだから。

 様々な事情からこの半島に閉じ込められている少女達にとっては、いつもと違う行動、すらもとんでもない娯楽じみた塊であるのであった。

「一体、何を御祈りしているのかしら?」

 1人の少女がそう言うと、隣の赤毛の少女が目を輝かせた。

「決まっているわ。御客様が入らしてくれるように、御祈りしているんだわ」

「何てことでしょう! 院長様に聞かれたら大変だわ!」

 少女達は、更に楽し気に笑い転げた。

「どうして? 怒られるようなことじゃないわ。だって、あの御客様は“ロマリア”の神官様じゃない。私達を導いてくださる、素晴らしい御方よ。ジョゼットさんが待ち望むのも無理もないわ。だって、1番の仲良しなんですもの」

 すると、静かに黙祷をしていたジョゼットの目が、パチリと開いた。

「失礼なこと言わないで頂戴!」

「きゃあ!? ジョゼットさんが聞いていたわ!」

 あれほどの大声で噂――会話をしておいて、聞こ得る聞こ得ないのもないといえるだろう。

 が、そんな彼女達のやりとりからして、これ等は御約束になったやりとりであろうことが判る。

「“竜の御兄様”は、本当に慈悲深い御方なの。だから退屈で死にそうな私達に、街の御話や、御菓子なんかを届けてくださるんじゃない。ただそれだけよ。特別な感情を私に抱いているなんて、無礼も同義だわ」

「おやおや!? ジョゼットさん、誰が特別な感情を抱いてる、なんて言ったの? 私はただ、貴女が1番の仲良しって言っただけよ」

 するとジョゼットは、顔を真っ赤にさせた。

「ジョゼットさんが林檎になっちゃった! 採れたての、美味しい真っ赤な林檎!」

 何が可笑しいのか、少女達は笑い転げる。

 するとジョゼットは、胸から提がった“聖具”をギュッと握り締めた。

 その銀の“聖具”は……ジョゼットが物心付いた時にはもう、首に提げられていた。

 ここの院長によると、街の救貧院の前で箱に入れられ泣いていたジョゼットの首に掛かっていたらしいのだが。たまたまそこを訪れた彼女に、ジョゼットは拾われたのである。

 ジョゼットは、この“聖具”を1度も外したことがなかった。「入浴、就寝、いついかなる時も外してはなく、それはここに住む乙女達のルールであった。

 決して“聖具”を外してはいけない。

 もし、そのようなことをしてしまえば……「“始祖”と神の恩寵を、一時に失ってしまう。もしそうなれば、命を落とす」と言われているのである。

 このような場所に建てられながらも、あまり戒律が厳しいとは言い難いこの“セント・マルガリタ修道院”に於いて、そのルールのみは国境の城砦のように、固く守られているのである。

 今や自分の分身にも感じられる“聖具”を強く握り締め、ジョゼットは呼吸を落ち着かせ、騒ぎ喚く友人達を尻目に、外へと向かった。

 礼拝堂の隣には、石造りの宿舎が見える。

 それで建物は全てある。

 猫の額ほどの土地に設けられた。何とも小さな修道院であるといえるだろう。

 風除けの壁の向こうには広漠として海が広がっている。

 横を向くと、岩山のほんの隙間を利用して、小さな畑が幾つも作られている。吹き荒ぶ潮風にも耐えることができる、“コガネソバ”の穂が頼りなさげに揺れている。

 神官以外、訪れることのできないこの修道院は、ほぼ自給自足でなりたっているのである。

 ここは、世界と呼ぶには細やかな……小さな、あまりにも小さな場所である。

 ジョゼットは空を見上げた。

 まるで囚人の暮らしのようではあったが、浮かべる笑顔は実に爽やかである。彼女はここ以外の生活を知らないし、食べる物も仲間にも特に不自由などしていないためである。

 それに……今では、待つ、喜びも覚えたのである。

 ジョゼットは、指を折って何やら数え始める。それから、(この前は、12日前に入らしたから……多分明日か明後日には来てくださるわ)と想った。

 そう想うことで、今まで感じたことのない胸のざわめきが、ジョゼットの全身へと広がって行き、不安と期待に身体が満ちて行くのであった。

 海から吹く強い風が、ジョゼットの冠ったフードを背中へと吹き飛ばした。

 長い銀髪が巻き上がり、海から吹く風に溶けた。

 

 

 

 

 

 2週間後……1匹の“風竜”が修道院の中庭へと降り立った。

 もうそれだけで一杯になってしまう。

 宿舎の中から、年老いた修道院長がやって来て、客を迎えた。

「御久し振りです。シスター」

 “ロマリア”の神官服に身を包んだ青年……いや、未だ少年の趣を顔に残している。白金の髪が眩しい美少年である。が、左右色の違う瞳――“月目”が、何か危うさや神秘的な雰囲気を醸し出している。

 ジュリオである。

 修道院長は、ペコリと頭を下げた。それから、困ったような顔で告げる。

「助祭枢機卿殿」

 “ロマリア宗教庁”での肩書で呼ばれたジュリオは笑みを浮かべて、修道院長を見詰めた。

「何でしょう?」

「御出になって早々、こう申し上げては何ですが、当院は外国の客人を歓迎するような造りにはなっておりません」

「私は“ロマリア”の神官ですよ」

 それが答えだと言わんばかりに、ジュリオは言い放つ。

 寺院の職位でいってしまえば、ジュリオとこの老修道院長との間には、天と地ほどの開きがある。その上、ジュリオは、ただの助祭枢機卿ではないのである。教皇の側に仕える神官でもあるのだから。

「そこなのです。貴男のような“始祖”に近き尊き御客様を迎え入れるには、いささか不如意に過ぎると存じます。知っての通り、ここは俗世から切り離された、身寄りなき少女達が神と“始祖”に近付くための修行場ですから……」

 修道院長の声には、恐怖が混じっていた。彼女とて昨今の“ガリア”の状況を知らぬ訳ではないのである。“ロマリア”との戦、ジョゼフ王の死、そしてその姪であるシャルロットの即位……。

 シャルロットは“ロマリア”の傀儡であるとの噂も、ここには届いていた。

 そんな折のたび重なる“ロマリア”神官の訪問……何かがある、と想うのは無理もないであろう。

「貴女が困るようなことには、決してなりませんよ。さて、教皇聖下部は貴女の献身と信仰に対して、深い感謝と友情を届けるよう、この私に御命じになりました」

 ジュリオは革袋を、修道院長に手渡した。

 そこにはキラキラと光る金貨が詰まっている。

 “聖具”の形を印を切りながら、修道院長はそれを受け取った。同時に、ガタガタと震え出す。

「御慈悲を。是非とも聖下にこう御伝えくださいますよう。私は本当に、何も知らぬ年老いたただの尼で御座います。私はただ、身寄り無き少女達を憐れみ、ここで神が与えたもう御勤めを果たしているだけで……」

「理解っています。理解っていますよシスター」

 老母を安心させるように、ジュリオは優しく彼女の肩を叩いた。

「私も孤児院の出です。貴女の行為は、本当に尊いモノだと知っています。私は、自分の妹のような少女達に、ただ夢と希望を与えたいだけなのです」

 現れた“風竜”とジュリオを見付け、宿舎から少女達が飛び出して来る。

「“竜の御兄様”! 今日はどんな御話をしてくださるの?」

 口々に少女達は叫びながら、ジュリオを取り囲む。

「こら! 貴女達! 貴女方は神に仕える身分なのですよ! 助祭枢機卿殿が呆れているではありませんか!」

 咄嗟に怒鳴り付ける修道院長であったが、少女達の興奮は治まらない。

 修道院長は、切なげな様子で“聖具”の印を切った。

 無理もないであろう。様々な事情でここにやって来た身寄りのない少女達なのである。心からの信仰を期待する訳にもいかず、また彼女達が経験して来た苦労を考えればほんのわずかな娯楽を取り上げることは偲びないのであった。多少の騒ぎは大目に見る必要があるだろう。

 ジュリオはにこやかに笑いながら、少女達に尋ねた。

「御話は後でして上げる。それより、ジョゼットはどこだい?」

 少女達は、意味ありげに顔を見合わせ合う。

「さあ? 御自分で御捜しになられたら?」

 再び、きゃあきゃあ、と少女達は騒ぎ始める。

 ジュリオは首肯くと、礼拝堂へと向かった。

 この小さな修道院で、捜す所など他にないのだから。

 

 

 

 銀髪の少女は、膝を突いて祈りを捧げていた。

 扉が開いてジュリオが姿を見せても、ジョゼットは祈りを続けている。

 ジュリオはソッと彼女の背中へと近付き、フードの横から溢れる少女の銀髪に触れた。愛しむように、その髪を暫し手の指で弄ぶように。

「修道女の髪を触るなんて、地獄に堕ちますわよ?」

 どこまでも真面目な声で、ジョゼットは言った。

「君のこの綺麗な髪を触って地獄に行くなら、本望だね」

「まあ!? なんて罰当たりな言葉でしょう! 神官様の言葉とは想えませんわ!」

「何を怒っているんだい?」

「怒るですって? まあ!? 私が? どうして私が怒るんですの? そうね、怒るとすれば、前は2週に1度は入らしてくれたのに、何故か1ヶ月後に訪問が延びたことくらいだわ。でも、それほど怒っている訳ではないの。何故って、ここは楽しみが沢山あるんですから」

「忙しかったんだよ」

「理解っていますわ。でも、今までの習慣を乱されると、待っている方はあまり面白くないのです」

 そこでジョゼットは立ち上がった。それから、満面の笑みを浮かべてジュリオに抱き着いた。

「“竜の御兄様”!」

「怒っていたんじゃないのかい?」

「そうでしたわ。でも、やっぱりどうでも良くなってしまったの。だって、私、御兄様が大好きなんだもの」

 ジョゼットは身体を離すと、ジュリオのその手を握り締めた。

 この“ロマリア”の神官……ジュリオがここ“セント・マルガリタ”へとやって来るようになったのは半年前のことである。各地の修道院を巡り、説法をしているという触れ込みであった。彼はこの、特殊な場所に位置した“セント・マルガリタ修道院”に甚く興味を惹かれたといった様子を見せている。

 ほとんど外に出ることのできない自分達を憐れんだのかもしれない、とジョゼットは想った。

 兎に角、たびたびジュリオは、この修道院へとやって来るようになったのである。

 初めはもちろん、これほど仲が良かった訳ではない。

 ジョゼットも、ジュリオの説法に目を輝かせて聴き入る修道女の1人に過ぎなかった。だが、御堅い説法が街の噂話に変わる頃、ジュリオは去り際にジョゼットへと、「これからは、君に逢いに来る」と囁いたのである。

 自分のどこにジュリオを惹き付けるモノがあったのか、ジョゼットにはサッパリ判らなかった。同年代の女の子と比べても、ジョゼットは小さめで幼く、女性らしいラインに恵まれているとは言い難いのである。髪などは、白髪に近い銀髪である。

 ジョゼットは、幼い頃から、この髪が嫌で堪らなかった。老婆のようであると、いつも想っていたのである。何せ、修道院長の白髪ソックリであったのだから……。

 他の女の子達は、金髪を始め、燃えるような赤髪、吸い込まれそうな黒髪をしている。が、ジョゼットは違ったのである。どうしても、それがコンプレックスに感じられていたのであった。

 だが、ジュリオはそんなジョゼットの髪を、「美しい」と言ったのである。

「今日はどんな話をしてくださるの?」

 目を輝かせて、ジョゼットは言った。それから、(私は、確かにこの修道院で1番彼と仲が良いと想うわ。でも、それは皆が噂するような恋人関係ではない。兄と妹……そういう関係が近いと想う。孤児の自分には兄弟はいないけれど……もしいたらこう言う感じになるなろうな)とボンヤリと想った。

「今日はね、とても大事な話をしに来たんだ」

「大事な話?」

 ジョゼットは、(一体何かしら? まさか、“愛”の告白? もし、そうだったらどんなに素晴らしいのかしら。でも、彼は神官だし、私は修道女だ。そんなことはありえないわ。神を裏切ることになってしまうもの)と考えた。ジョゼットは。世の神官達がコッソリと恋愛を謳歌しているということを知らないのである。教義の通り、自分達には無縁のモノであると想っているのである。

「仰ってください」

 真っ直ぐにジョゼットは、ジュリオを見詰めて言った。

 吸い込まれそうな“月目”。彫刻のように整った顔立ち。若い男性をほとんど見たことがないジョゼットにも、このジュリオが並外れて美しい事は理解できた。

 ジュリオは、ポケットから何かを取り出した。

「……指輪?」

 それは土色に光る宝石が嵌め込まれた、地味なデザインをした指輪であった。

「これを私にくださるの?」

 だが、ジュリオは答えにあ。ただ、真剣な目でジョゼットを見詰めていた。

「指に嵌めて御覧」

「大きいわ」

 成る程、それは確かにジョゼットの指には大き過ぎるといえるだろう。

「大丈夫。“魔法”が掛かってる」

 言われるがままに、ジョゼットはそれを指に嵌めた。すると、そうしたものか……スルスルとジョゼットの指に合わせた大きさへと縮んで行く。

「凄い」

 目を丸くして指輪を見詰めるジョゼットに、ジュリオは微笑んだ。

「君は“魔法”を使えないと言ったね?」

「当たり前ですわ。私が“貴族”の出である訳がありませんわ。でも、万一ということもありますけど!」

 それは、たまに仲間達と語り合う御伽噺のようなモノであった。夜、就寝まで短い自由時間、彼女達はそれぞれ自分の生い立ちを想像するのであった。わずかな手掛かりから想像を膨らませて、「私は“ルション”で拾われたから、 領主様の何某の忘れ形見で……」とか、「私が包まれていた布には、どこぞの伯爵家の紋章が刻まれていたとか」などを話すのである。もちろん、それ等は妄想の類に近いモノである。が、誰もそのような野暮なことを突っ込んだりはしない。

「この指輪は、一体何ですの?」

「とある王様が嵌めていた“指輪”だよ。彼が爆発して死んだ時に、目の利く僕の“アズーロ”が取り返した」

「まあ!? 御冗談を!」

 ジュリオは笑みを浮かべた。

 ジョゼットは、(とんでもないことをサラリと言う人だ)と想った。そのようなところも含めて、ジョゼットは参ってしまっているのだが……。

「そんな物騒なモノをくださるの?」

「いや……まだ君の物になると決まった訳ではない。でも、そうなってくれたら良いなって想っているよ」

 何とも意味深なジュリオの言葉である。

 再びジョゼットは“指輪”を見詰めた。

 深い、吸い込まれそうな土色をした見事な宝石が嵌め込まれている。

 ジョゼットは、(私にこの指輪を嵌めさせて、一体どうしようと言うのかしら?)と考えたが、同時に、その石を見詰めていると……何やら懐かしい気持ちに成った気がした。

 安心と不安、そして期待の入り混じった不思議な気分の中で……(でも、“愛”の告白の方が嬉しかったな)と ジョゼットはボンヤリと想った。



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才人の絶望とルイズの逃避行

「うう……」

 才人が目を覚ますと、そこは屋敷のベッドの上であった。

 窓開からは昼の陽光が漏れている。

「大丈夫ですか!? サイトさん!」

「俺……」

 朦朧とした声で才人がそう言うと、シエスタが焦った声で尋ねた。

「一体、昨日何があったんですか?」

 蒼白な顔のまま、逆に才人は尋ね返した。

「シエスタ、俺、どうなってた?」

「どうなってたって? あんまりにもサイトさんの帰りが遅いから、私捜しに行ったんです。そしたら、街道の横にサイトさんが倒れてて……ミス・ヴァリエールは見付かったんですか?」

 ズキッと、才人は後頭部に鈍い痛みを感じた。その痛みで、才人は昨晩の出来事をありありと想い出すことができた。ルイズを捜しに屋敷を飛び出したこと。“元素の兄弟”と名乗る2人の男女に襲われたこと。ドゥドゥーが操る、恐ろしいほどの巨大な“ブレイド”。そして、その“ブレイド”を吸い込んだことでバラバラに弾け飛んだ……。

「デルフ……」

 才人は、ベッドの横に立て掛けられている“日本刀”を見て、呟いた。

「デルフさん? あの剣ですか? そう言えば、どこにもありませんでしたけど……」

「もう居無い。バラバラに成っちまった」

 才人は気の抜けたような声で言った。

 シエスタは、まあ、と叫んで両手で口を覆った。あの“インテリジェンスソード”を、才人の仲の良さは、シエスタも良く知っているのである。

「そんな!? デルフさんが、し、死んじゃったんですか……?」

 才人は、シエスタに、昨晩のことを語り始めた。

 1人で呑んでいたら、台所で鍵を見付けたこと。

「ほら、あの……入れない地下室あっただろ? そこの鍵だったんだ。地下室の御国はちょっと小奇麗な部屋があって……そこは御城と繋がてって……その先には……」

 “トリスタニア”の城と繋がっていた。

 その言葉で、シエスタは察したらしい。ハッと驚いた顔になり……それから思案する様に首を傾げた。

「もしかして……?」

「じょ、女王陛下がいたんだ……」

「アンリエッタ様……ですよね。女王陛下、他にいませんものね」

 ジロリと、シエスタは才人を睨んだ。

「ああ、それで、2人してその地下室に興味を持って……見に行ったんだ。で、2人でその部屋を見物してるところ、どうやらルイズに……」

「見てただけじゃないでしょう?」

 そう強い調子でシエスタに言われれて、才人は首肯いた。

「何、したんですか?」

「キス……」

 話をそこまで聞いたシエスタは、急に厳しい顔付きになると、才人の頬を思いっ切り叩いた。

 バァーンッ! と乾いた音が、寝室に鳴り響く。

「これはミス・ヴァリエールの代わりです」

 ボンヤリとした才人の目が、驚きに見開かれた。

「で?」

「でって……?」

 ショックからまだ立ち戻ることができず廃人のような状態である才人は、ボンヤリとした声でシエスタに尋ねた。

「それからです」

 才人が訊かれるがままに、再び語り始めた。

 ルイズの置き手紙を見付け、慌てて追い掛けたこと。

 途中で妙な“貴族”らしき兄妹に出会したこと。彼等の馬に同乗すると、いきなり「君を殺しに来たんだ」と言われたこと。

 その兄の方との戦いの最中、“魔法”を吸い込み過ぎたデルフリンガーがバラバラに弾け飛んでしまったこと……。

 デルフがバラバラに……と言った瞬間、才人の中でそれが、現実になってしまった。ショックのあまりボンヤリとしていた記憶が固まり、親友の喪失が才人の心を満たして行く。

 才人の目から、ポタポタと涙が零れ落ち、頬を伝った。

「う……シエスタぁ……デルフが死んじゃったよぅ……あんな、あんな好い奴だったのに……」

 シエスタも目に一杯に涙を溜めながら、慟哭する才人の頬を再び張った。

 才人は、驚いた顔でシエスタを見上げた。何かを言おうとして、才人の口が止まる。

「なに泣いてるんですか?」

「え? だ、だって……」

「泣いてる暇なんかないじゃないですか」

 ぐしっぐっしとシエスタは、目の下を擦りながら言った。

「私だって、泣きたいです。でも、泣いてる暇なんかないから、泣きません。ミス・ヴァリエールを捜がなくちゃ駄目じゃないですか。サイトさんが襲われたってことは、もしかしたらミス・ヴァリエールにも危険が及んでいるかもしれないってことです」

 才人は、ハッ、とした。

 シエスタの言うことはもっともであるのだから。

「私……ミス・ヴァリエールとサイトさんを取り合っている仲ですけども、それでもミス・ヴァリエールが大好きです。正直憎らしい時もありますし、性格は御世辞にも良いとは言えないですけど、私はあの人が大好きです。だってあの人、“貴族”なのに私が同じベッドで寝ても何にも言わないんですよ? 恋敵の私なのに」

 才人は、ギュッ、と拳を握り締めた。握り締めた拳で、目の下を拭う。

「デルフさんが死んじゃって、私だって悲しいです。でも、ミス・ヴァリエールに万一のことがあったら、デルフさんに怒られるんじゃないですか? “相棒、何やってるんだ?” って」

 才人は首肯くと、ベッドから起き上がった。デルフリンガーの最後の「娘っ子に、ちゃんと謝るんだぜ……」と 云った言葉が、才人の胸の中で蘇る。

「……シエスタの言う通りだ。こうしてる場合じゃない」

 精一杯に力を込めて、才人はそう言った。だが……それでもやはり声は震え、身体は倒れそうであった。必死になって、(こうしている場合じゃない)、と才人は自分に言い聞かせる。次いで、ベッドの側の“日本刀”を握り、ベルドに提し込んだ。

 シエスタは、そんな才人の手を握った。

「そうです! それこそサイトさんです!」

「でも、ルイズが一体どこに行ったのか……見当も着かないからな……」

「取り敢えず、行きそうな所を片っ端から当たってみましょう」

 

 

 

 

 才人とシエスタは、素早く身支度をする。

 すると、ヘレンを呼び留守番を頼んだ。

 2人の様子にただならぬ雰囲気などを感じ取ったヘレンは、真剣な顔で首肯いた。

 ルイズが向かったと想われる方向へと、2人は街道を歩いた。

 しばらく歩くと、昨晩、ドゥドゥーと戦った辺りまで来た。

 所々地面が深く抉られており、ドゥドゥーの“魔力”の強さなどを窺わせて来る。

 才人は、デルフリンガーの破片を探したのだが……見付からなかった。そのことから、完全に溶けてしまったことが判ってしまう。

 才人は、(一体、あの兄妹は誰に頼まれて俺を襲ったんだ? だが、まあ考えてみれば俺は有名人だ。俺が知らないだけで、誰かの恨みを買ってるのかもしれねえ。と言うか、“平民”の俺がここまで出世しただけでも、妬む“貴族”は多いだろうしな。セイヴァーの言ってた通りになっちまったな……)と考えた。

 才人は、“日本刀”の柄を握り締めた。誰が襲わせたかなどを、今考えることではない、と想ったのである。何が襲って来ようとも、降り掛かる火の粉は払うだけであるのだから。

 才人は、(でも……今俺は戦えるだろうか? ルイズもデルフもいない。そんな状態で、ドゥドゥーのみたいな強力な敵に掛かられたら?)と考え、身体を恐怖と絶望が包んだ。

「……デルフ、俺、おまえに頼りっ切りだったんだな」

 才人は、(何だか、自分の身体が自分のモノじゃないみたいだ。身体の芯が、ぽっかり抜け落ちたようだ)と想った。

 

 

 

 駅まで歩き、馬を借りた才人達は、取り敢えず“トリスタニア”までやって来た。

 “魅惑の妖精亭”に顔を出すと、夜の仕込みを行っている最中であった。

「あーらサイト君にシエちゃんじゃないの!」

 そう言って出迎えてくれたスカロンであったが、才人とシエスタの顔を見て顔色を変える。

「一体、何があったの?」

「……ルイズを見ませんでしたか?」

 才人が今にも死にそうな顔でそう尋ねると、スカロンは目尻を下げ。にやりと笑みを浮かべた。

「あらあら。予行練習でもう怒らせちゃったの? それじゃ、卒業後のスイートホームなんて絶対に無理ね!」

 その言葉で、才人は膝を突いた。兎に角もう、必死に奮い立たせていた心が、スカロンのその一言でアッサリ バッサリと折られてしまったのである。

 才人の弱さを責めることはできないであろう。所詮は、まだ少年であるのだから。いや、少年であろうとなかろうと、今のような状況や状態であればこうなるのは仕方のないことだといえるだろう。

「そうです……こんなんじゃ、新生活なんて絶対に無理です……ラ・ヴァリエールの御両親に認めて貰うなんてできないし。俺、一体何やってるんだろう……? まさか、こんなことになるなんて……」

「全く。どうせ他の娘に鼻の下伸ばしたんでしょ? だから浮気はシエちゃんだけにしときなさいって。いっつも言ってるじゃないの。あらん、言ってなかったかしらん?」

 更に追い打ちを掛けようとしたスカロンを、シエスタが止めた。

「スカロン伯父さん! 止めて! サイトさんは今、親友迄失ってボロボロ何です!」

「親友って?」

「あの喋る剣さんです。サイトさん、昨晩誰かに襲われたんです」

 シンミリとした声でシエスタが言うと、スカロンも真顔になった。

「成る程……やっぱり、心配した通りになったって訳ね」

 スカロンは、なまこのように床にのたくる才人を見下ろして言った。

 “救国の英雄”といえども、こうなってしまえば唯の碌でなしであるといえるだろう。

「だから、一刻も早くミス・ヴァリエールを捜がさないと……」

 うん、とスカロンも首肯いた。それからテキパキと指示を飛ばす。

「さてさて、では先ず梟便でルイズちゃんの行きそうな所に、片っ端から手紙を出すのよ。クラスの御友達、そして騎士隊の皆、それから御実家に……王宮ね!」

 王宮と聞いて、シエスタの肩がピクンと震えた。

「……王宮には、いないと想うけど」

「どうして? アンリエッタ女王陛下とシオン女王陛下は、ルイズちゃんと幼馴染じゃなかったの?」

 それからスカロンは、床に突っ伏して「もう駄目だ。俺は駄目だ。この世に生まれるべきではなかった。時代の継子だ。“ド・オルニエール”の泥団子だ。腐った蜜柑だ。あ! My蜜柑は柳沢きみおだ。あれは面白かった」などと訳の理解らない自虐の言葉をブツブツと呟いている才人と、シエスタを交互に見詰める。それから、カパッと唇を菱形に開き、脂汗を流して小刻みに震え出した。

「も、もしかして……サイト君の浮気の相手って……いやまさか……でも昨今のサイト君の手柄を見るに……国1番の騎士と、御姫様の密会なんてよくある話で……でもそれが現実となると……嗚呼トレビアン!」

 スカロンは、感極まったようで、後ろに引っ繰り返ってしまった。

「伯父さん! しっかり! しっかりぃ!」

 シエスタに揺さ振られ、スカロンは夢見るような声で呟く。

「ミ・マドモワゼルは歴史の裏舞台に立ち逢っちゃいました! 嗚呼、トレビアン!」

 それからスカロンは、スクッと立ち上がり、シエスタの肩をポンポンと叩いた。

「シエちゃんも、もしかしたら歴史に遺るかもしれないわ。そうなったら、伯父さんに色んな御話をしてね。伯父さんそれを戯曲にして、世に出るから」

「いい加減にして! もう!」

 シエスタがそう叫ぶと、裏で洗い物をしていたジェシカが、すっ飛んで来た。

「どうしたの? 何があったの?」

 スカロンが、斯く斯く然々と説明をする。

 するとジェシカは、目を丸くして才人を見詰めた。

「ええええええええええええッ!」

 スカロンとジェシカは、密々と、「これは“トリステイン王国”最大のスキャンダルよ」だの、「この事が世に出たら“王政府”が引っ繰り返る」だの、と口々に呟き始めた。

「だから、誰にも言っちゃ駄目だからね! 戯曲にするなんてもっての外よ!」

 シエスタが、きっ! と睨むと、スカロンとジェシカの2人はやっと大人しくなった。

「そうね……なんだか命が幾つあっても足りないような事耳にしちゃったわ。誰にも言わないから安心してね?」

「そうして」

「まあ、それは兎も角、女王陛下にも御報せしておいた方が良いわ。ミス・ヴァリエールは陛下の女官なんだから、いやはや、これはもう大変なことになっちゃったわね!」

 そのような訳で、才人は何通もの手紙を書くことになった。ルイズがそっちに行ってないか? とったような内容である。

 今は夏休みであるために、生徒達はそれぞれの実家に帰っている。ギーシュ達“水精霊騎士隊”の面々もまた例外ではない。

 ルイズの実家では、才人の話をマトモに聴いてくれそうなのはカトレアくらいなモノで、才人は彼女宛に手紙を書いた。カトレア宛に手紙を書いていると、才人は胸が痛んでどう仕様もない気持ちになった、カトレアに、「ルイズは俺が守ります」と約束したのにも関わらず……逃げられてしまった――家出をさせる理由を作ってしまったためである。

 “トリステイン”には、郵便制度こそないが、梟を使った“日本”でいう宅配便のような業者が存在する。彼等が手紙や荷物などを届けてくれるといった制度であるのだ。

 “トリスタニア”にあるその梟便の事務所の1つに手紙を預けることにした。2~3日中には配り終えるができるとのことである。

 悩んだ挙句、才人は直接アンリエッタの元に赴くことにした。誰かに襲われた、ということもまた報告する必要があるためでもある。

 

 

 

 才人は、シエスタを“魅惑の妖精亭”に残し、王宮へと向かった。

 近衛の副隊長であるということもあって、才人は直ぐに謁見待合室に通されることになった。

 才人は待っている間、(一体、どんな顔をして姫様と顔を合わせれば良いんだ? いや……俺はどういう態度を取れば良いんだろう? 俺は姫様が好きなのか?)と考えていた。

 アンリエッタを見て、美しい、と思わない男はいないであろう。恋の経験が少ない――ルイズに対してのそれが初恋である才人にだって、アンリエッタの魅力が並外れたモノであることは理解できる。

 でも、と才人は想い、(そんなのはただの言い訳だ。だから、その魅力に抗えなくてもしょうがない、と俺は言いたいのか? そんなの最低じゃないか)と考えた。

 謁見待合室の扉が開き、衛士が才人を呼んだ。

「女王陛下が、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”副隊長ヒラガ殿を御召です」

 才人は立ち上がると、扉を潜った。

 そこにいたアンリエッタは、才人の想像とは違った姿を見せていた。なにやら思い詰めているような顔で、椅子に腰を掛けており、1通の手紙に見入っている。

 その隣に、シオンと俺がいる。

 才人が現れたことに気付いたアンリエッタは、顔を上げ、ニッコリと笑みを浮かべてみせた。が、その笑みには、昨晩見せた艶のある何かは含まれていないことが判る。単純に、副隊長の足労を労う笑みである。が、同時に何か悩み事も含んだ複雑な笑みでもあった。

 才人も、硬い表情を作り浮かべた。

 アンリエッタは、軽く手を振ると人払いをした。

 扉の側に立った衛士が退出して行く。

 衛士が立ち去ったことを確認すると、アンリエッタは深い溜息を吐いた。その美しい横顔には、憂いが宿っていることが一目で判るだろう。

「良かった。ちょうど貴男を呼ぼうと想っていたのです」

「俺を?」

「はい……実は先程、ルイズからこのような手紙が届いたのです。いきなりどうしたのだろうと想いまして……」

 才人は、嫌な予感を覚えた。手紙を読んで、その予感が的中したことを知る。

 そこには、「自分を“ガリア”王との交渉官から外して欲しい。及び司祭の職を返上する」との旨が記されていた。

「そして、永久に御暇を戴きたいと……」

 ルイズが、本気で姿を消すつもりであることが、それ等から理解することができた。

「実は……」

 才人がそう切り出すと、アンリエッタの肩がピクリと震えた。唇を噛み締め、恥じ入るかのように硬く身を強張らせる。そうすることで、女王としての威厳が消え失せ、歳相応の少女としての顔になるのである。そういった時のアンリエッタは、才人から見てどう仕様もないくらいに魅力的であった。

「あの部屋での一部始終を、ルイズは見ていたんです」

「そう……」

 やっぱり、といった顔で、アンリエッタは切なげに目を伏せた。

「悪いことはできないモノね」

 そんなアンリエッタの魅力から逃れるかのように、才人はキッパリと言った。

「……今日はルイズがいなくなったことを報告しに来たんです。でも、自分から姫様に家出を告げたんですね」

 才人は手紙を見詰めた。

 そこには、アンリエッタを非難するような言葉はもちろん一言も書かれてはいない。ただ、暇乞いと、今までの厚遇に関する礼が述べられているだけである。

 これを書いたルイズの気持ちを想像すると、才人は胸を締め付けられるかのような気がした

 才人は、(もう、これっきり逢えないのか?)と想うと、才人はどう仕様もない気持ちになってしまった。

「ルイズが行きそうな場所に心当たりはありますか? 一応、クラスメイトや仲間や、ラ・ヴァリエールには手紙を書いたんですけど……」

 想い詰めたかのような顔で、アンリエッタは言った。

「……女性が身を隠すとなれば、修道院と相場は決まっております。国内の修道院に触れを出して、ルイズらしき女性が門を叩かなかったかどうか尋ねてみます」

「俺は、取り敢えず……国中を捜してみます」

 そう言うと、アンリエッタは苦しそうな声で応えた。

「……ですが、国事は国事。“ガリア女王即位祝賀園遊会”までには、戻って頂かないと」

 しばし考えたが、才人は首肯いた。が、(仕事は仕事だ。それは、やらなくちゃいけないことだ。ルイズの分まで、俺が頑張らなきゃいけない。でも、もしルイズが見付からなかったら……)と不安になった。そのような状態で、上手く仕事を務めることができるのかどうか、自信がないのである。だが、(まあ、以前通りのタバサなら、俺に胸襟を開いてくれるだろう)と考えた。

「はい。取り敢えず、期日までには戻ります。それまでに見付かれば良いんですが……海に落ちた宝石を見付けるようなモノですから」

 宝石という言葉を聞いた時、アンリエッタはしめやかに目を閉じた。それでも、落ち着いた声で言った。

「そうですわね。ルイズにとって、貴男は宝石……そして貴男にとっても。私は過ちを犯したのですわ。でも……」

 アンリエッタは顔を上げると、キッパリと言い放った。

「後悔はしておりませんわ」

 才人は思わず息を呑んだ。

 アンリエッタは嫋やかな手を胸の上に置き、彫刻の様に形の良い唇を鮮やかに結んでいる。あの時才人が感じた妖艶な色気が微塵も感じることはできない。ただ、強固な意思の力が……女王として鍛えられた精神の強さが、その全身から発せられているのである。

 アンリエッタの凛々しく毅然としたその態度に、才人は激しく心打たれた。

 太陽の明かりの下で見るアンリエッタは、“聖女”のように美しいといえるだろう。

 才人は、(この人は、夜と昼の顔を持っている。自分の意思とは関わらずに、その2つを自由に引き出せるのだ。こんな魅力的な女性がいるんだろうか?)と想った。

 が、はっ! と才人は気付き、そう感じた自分を強く恥じる様子を見せる。

 才人は、(自分のこの気持ちが……ルイズを失わせたんじゃないか……最低だ。俺は最低だ)と心の中で呟き、そう想いながらも、眼の前の女性に惹かれる自分を赦すことができなかった。

「それで、その……何で、シオンとセイヴァーはここに?」

 想い出したかのように、才人は俺達へと問い掛けて来る。

「シオンとアンリエッタは会合を行っていたんだ。で、俺はシオンの護衛。にしても……“一休宗純を称えるテーマソングだって、好き好き好きと連呼した挙句、あ・い・し・て・る、と愛にまみれている”。“まさにアガペー。無償の愛であり、普及の愛でもあり、愛が多いからゼウスも浮気する。これにはヘラも激怒”」

「何だって?」

 空気を読まない風を装った俺の言葉に、皆首を傾げ、才人が問い掛ける。

「まあ、何だ……俺もそうだが、おまえ達は“愛”されている、恵まれているということだ。“照顧脚下”。“他に向かって悟りを追求せず、先ず自分の本性を良く見詰めよ。転じて、他に向かって理屈を言う前に、先ず自分の足元を見て、自分のことを良く反省すべきこと。即ち、足元に良く気を付けろという意味であり、先ずは身近なところから気を付けることを言う”のだが、これは問題なかろう。行動に移すだけだからな。で、ルイズの件だが……彼女は無事だ」

「どうして、そのようなことがが判るのです?」

「護衛を着けているからな。あ、因みにだが、先程の言葉も、あの“間が悪かった”という悟りに辿り着いた坊さんの言葉だ」

 アンリエッタの疑問に、俺は何でもない風に答えた。

 

 

 

 

 

 ルイズはトボトボと街道を歩いていた。屋敷を出る時に乗って来た、才人の愛馬は、“ド・オルニエール”を出る時に、近くの農家に預けて来たために、徒歩であるのだ。

 “トリスタニア”と、 “西シャンルー地方”に出る“ヴェル・ヱル街道”の分岐点にて、ルイズは一旦迷った。首都の方が身を隠しやすいのだが、誰に出逢うとも限らないのである。地方に向かえば、目立ってしまうが行き先がバレる心配はないといえるだろう。

 従ってルイズは、西“シャンル―地方”へと足を向けることにした。

 才人達は、“トリスタニア”へと向かったために、この分岐点はまさに運命の分かれ道であるともいえるだろう。

 夜通し歩き続けて、日が昇ると、ルイズは街道沿いの木陰で眠ることにした。

 目を覚ますと、ちょうど昼頃であり、さんさんと照り付けて来る太陽を見て、ルイズは激しい悲しみに襲われた。

 ルイズは、(もう、私が帰る場所はないんだ。サイトも、姫様も……誰も私を必要としていない。当然だわ。“虚無の担い手”などといわれながら、私はほとんどそれに値する仕事をしてない。いつも足を引っ張ってばかり。おまけに随分とサイトを困らせることもした。愛想を尽かされるのも、当然だわ)と想った。

 実際には、そのようなことは全くない。が、昨晩の才人とアンリエッタの姿を見てしまったことで、もうルイズには自分を信じることができなくなってしまっていたのである。

 ただ、大きな無力感と悲しみだけが、ルイズの全身を包んでいた。

 俯いて、ルイズは涙をポロポロと流し続けた。

 通り掛かった農夫が「大丈夫ですかな? 御嬢さん」と問い掛けて来たが、ルイズは返事もせずにただ泣き続けた。

 通り行く農民や旅人が、そんなルイズを怪訝そうに見詰めては言葉を掛けたり、掛けなかったりと、幾人も通り過ぎて行った。

 夕方頃には、悲しみは深い虚無感へと変わって行った。

 今のルイズには、帰る場所もなければ、行く宛もない。実家に戻ることは論外であった。というよりも、ルイズは知人に逢いたくなかったのである。

 かといって、ここにい続けても仕方がないであろう。

 すっかり気の抜けた調子で、ルイズはまた歩き出した。

 “ド・オルニエール”から離れるために……。

 

 

 

 その日の夜に到着した最初の宿場街で、ルイズは宿を泊った。ボロボロの旅籠ではあったが、一応個室があった。

 3日ほど、ルイズはそこで泣いて過ごした。

 そのうちに、涙も出なくなる。

 3日目の朝、ルイズは冷たい水で顔を洗った。そうする事ことで、頭が少しばかりスッキリとするのである。

 全てのポケットを探ると、100“エキュー”程御金が入っていることに、ルイズは気付き想い出した。他に持って来たのは着替えが少しと、僅かな日用雑貨。それと“杖”と“始祖の祈祷書”と“水のルビー”、そして腕輪型の“魔術礼装”のみである。

 この木賃宿の宿代は1日半“エキュー”である。食事代は切り詰めてその半分。となると、4ヶ月くらいはここで暮らすことができる計算になる。が、一箇所に留まり続ける訳にも良かないであろう。

 ルイズは、(やはり、どこかの修道院にでも潜り込むのが、1番良いのかしら?)と考えた。

「でも、そんなの直ぐに見付かっちゃうわ」

 ルイズは深い溜息と共に、呟いた。

 ルイズは、生活のために御金を稼いたことはないといって良いだろう。やってみたことがあるといえば、情報収集のために“魅惑の妖精亭”での仕事くらいである。

 ルイズは、(家出をしてみたけれど、どうやって生活すれば良いのかしら?)と考えた。

 が、そこまで考えて、ルイズは首を横に振った。

「どーでも良いわ」

 ルイズは、(そう。もうどうでも良い。こうなったらなるようになってやる)と想い、ゴソゴソと荷物の中から手鏡を取り出して覗き込んだ。鳶色の目は鈍よりと濁っており、乾いた涙が頬にこびり付いてしまっている。髪はヨレヨレであり、ここ数日櫛も入れていなかったために所々が軽くカールした状態になっている。唇は色を失っており、着たっ切りのシャツはヨレヨレである。こうなっては、天下の美少女も台なしである。

「……散々ね。ルイズ・フランソワーズ」

 ルイズは、深く溜息を吐いた。

「貴女の、渾名にピッタリの顔じゃないの。“ゼロ”。“ゼロのルイズ”……そうね、元々私は“ゼロ”だったんだわ。何もなかった。初めっから、こうだったのよ。“伝説の担い手”だの、“アクイレイアの聖女”だの、散々持ち上げられた私なんて、所詮はこれだけの女なんだわ」

 ハハン、とルイズは嘲笑った。

「其そりゃ、サイトも姫様に靡くってモノよね」

 そう呟くことで、どう仕様もない虚無感がルイズの心を覆って行く。寂しいのだが、何だかもう、心がピクリとも動かないといったようである。

「取り敢えず、御酒でも呑もうかしら……」

 

 

 

 ルイズは、階下の居酒屋で酒を呑むことにした。

 流石は木賃宿である。ギシギシと床は軋み、テーブルは埃と食べ滓だらけである。椅子の間を鼠が走り回っているのも見える。

 どう見てもやんごとない身分に見えるルイズはこの宿で、既に噂になっていたらしい。

 そこにた客達は一斉にルイズを見詰め、ニヤニヤと笑みを浮かべた。

 そのような視線を意に介した風もなく、ルイズは初老の酒焼けをした主人に、ワインを注文した。

 主人は胡散臭気にルイズを見詰め言った。

「3日も御泊りになって頂いて言う台詞じゃねえが、この宿は“貴族”の御嬢さんが、御使いになられるような場所じゃありませんぜ」

 ルイズはそこで、改めて周りを見回した。

 好奇心剥き出しといった風情の顔で、碌でもないといえる男達がルイズを見詰めているのである。

 このような所で酔っ払っていれば、あっと言う間に噂は広がるであろう。そしてそれは、ルイズがここにいるということを宣伝しているのと同じことである。

 ルイズは、「全く、御酒を呑むのも大変だわ……」とブツブツ呟きながら宿を出た。

 

 

 

 次にルイズが立ち寄った場所は、“トリスタニア”から2日ほど歩いた距離にある、“シュルビス”という宿場街である。

 伯爵が治めるこの街は、何個かの街道が繋がる、“トリステイン”の中でも有数のかなり大きな街の1つであるといえるだろう。しばし身を隠すには打って付けであるといえる場所である。

 その宿場町で、ルイズは一計を案じた。

 宿を泊ると、持って来た衣装の中で、1番派手なモノをルイズは取り出した。そして、“魅惑の妖精亭”にいた時に買い求めた化粧道具を用いて、いかがわしいということができるメイクを自身に施した。化粧道具の底に、タバサを救い出す際、変装するために使った“魔法”の塗料が残っていることに気付き、ルイズは目立つ桃色がかったブロンドの髪を、くすんだ茶色へと変えた。

「これで、私も立派な夜の女だわ」

 衣装も化粧も、全く似合ってはいないが、それでもルイズは(これで誰も、私が“貴族”の娘だなんて想わないわね)と満足した。

 夕方になると、シャナリシャナリと、ルイズは腰をクネラせながら酒場へと向かう。それからワインを注文した。

 主人は胡散臭げにルイズを見やったが、それでも黙って注文の品を寄越した。

 ルイズはコップにワインを注ごうとしたが、(今の私は“貴族”の御嬢様なんかじゃない。大人しく酒を呑みたかったら、それなりの演技をせねばならないわね)と想い直した。

「そうそう。私みたいな碌でなしは、瓶から呑むのよ」

 ワインの瓶を掴み、ルイズは直接口を付けて、そのままグビグビと飲み干した。一気に3分の1ほどを呑み干し、激しく咳き込んだ。

「げほ!? ゲホゲホ!」

 あっと言う間に、ルイズの顔が真っ赤になって行く。あまり酒に強くない――弱いルイズは、恨めしげにワインの瓶を見詰めた。そうしていることで……才人の顔が幻想として、ワインの中に浮かび出したようにルイズには想えた。

「あんたなんか大っ嫌い」

 目を細めてそう呟き、ルイズはワインを再び一口流し込んだ。だが、酔いが回り始めると、想い出すのは、やはり才人との楽しかった日々ばかりである。

 喚び出した日のこと……“ゴーレム”から救い出して貰ったこと……初めて踊った晩餐会……そして、初めて唇を重ねたこと。

 胸躍る想い出が、鮮やかに蘇って来て、ルイズは切なくなってしまった。

「忘れるわ。忘れなくっちゃ。碌でなしは、想い出でなんかに縛られないのよ」

 ルイズは、再びワインを一口呑んだ。

 奥の方で、若い酔った男が立ち上がり、そんなルイズへと近付いた。あまり人相のよろしくないといえる顔をした男である。

「御嬢ちゃん、好い呑みっ振りじゃねえか。俺にも一杯くれねえか?」

 酒臭い息でそう言われ、ルイズの目は吊り上がる。

「あっちに行きなさいよ」

 ままそう言わずに……と肩を掴んで来た男を、ルイズは思いっ切り蹴飛ばした。

「この私を誰だと想ってるの!? 恐れ多くもこうしゃ……」

 そこまで言って、ルイズは言葉を切った。“貴族”であるということがバレてはいけないのである。

 いきなり蹴飛ばされてしまった男は、目に怒りを宿らせてルイズを睨んだ。

「恐れ多くもなんでえ?」

「た、ただの夜の女よ。碌でなしとも言うわね。うおっほん」

 ルイズは手を曲げて、顎の下に置き、精一杯に夜の女を演じてみせた。

「だったらなおさら酒の相手をしろって言うんだ」

「ふざけないでくださる? 誰があんたの酌なんか……きゃっ!?」

 ルイズは悲鳴を上げた。

 男が、ルイズの手を掴んだのである。

「離して! 離しなさいよ!」

 “魔法”を唱えようにも、“杖”は部屋に置いて来てしまっている。ジタバタと暴れたが、屈強な男の力に抗う術はないといえるだろう。いや……“礼装”を使用すれば話は別である。が、今のルイズは酔いが回っているため、そこまで頭が回らないでいた。

「どこのガキだか知らねえが、生意気な娘だ。少しばかり御仕置きしてやる」

 男は、ズルズルとルイズを酒場の外へと引き摺って行こうとした。

 主人や他の客は、トバッチリを恐れてだろう見て見ぬ振りをしている。

 とうとうルイズは、酒場の外まで連れ出されてしまった。

「離しなさいってばあ!」

 ルイズは、そう叫ぶと男の手に思い切り噛み付いた。脂臭い手の味に、ルイズは思わず吐気を覚えた。

「あ痛ッ!? 何しやがんでぇ!?」

 男は跳び上がり、ルイズに向かって拳を振り上げた。

「救けて! サイ……」

 思わず才人の名前を叫びそうになってしまい、ルイズは怒りに燃えた。

「あんたなんか大っ嫌い!」

「上等だ!」

 男の拳が飛んで来たため、ルイズは身を竦めた。

 だが、男の拳がルイズを襲うことはなかった。

 空気の塊に弾き飛ばされ、男は地面に転がったのである。

「見てられませんわ。見てられませんわ。見てられませんわ」

 そんなことをブツブツと呟きながら、暗がりの中から1人の少女が現れた。白いフリルが沢山付いた黒のドレスに身を包んでいる。黒い頭巾の中の、人形のような白い顔の中、鋭い翠眼が光っている。

「な、なんでぇ!? 貴様!?」

 男は立ち上がり毒吐いたが、少女が握っている“杖”に気付いて顔色を変えた。

「き、“貴族”……」

「あら? 私は“貴族”じゃありませんわ。でも、“メイジ”だから“魔法”が使えるの。貴男にとって見れば、どちらでも同じことでしょうけど」

 ニヤッと少女は笑みを浮かべた。すると、鬼気迫る何かがその端正な顔に浮かび上がる。

 男は、「くそっ!」と舌打ちをすると、その場を離れて行った。

 ルイズはしばらく呆けた顔をしていたが、慌てて少女に頭を下げた。

「あ、危ないところを有難う……」

「良いのよ? 大丈夫? 怪我はありませんこと?」

 ルイズは首を横に振り、無傷であることを教える。

「貴女、ここで御酒を呑んでいらしたの?」

 少女は、酒場を指さした。

 ルイズは、コクリと首肯いた。

「じゃあ、私もここで戴こうかしら? 貴女、付き合ってくださる? 1人の御酒って、何だか気が滅入るじゃない?」

「え?」

 一瞬ルイズは戸惑ったのだが、返事をする前に少女はツカツカと店の中へと入って行った。そのため、ルイズは慌てて後を追い掛けた。

 

 

 

「私はジャネットというの。貴女の御名前は?」

 乾杯の後、じゃネットはルイズへとそう尋ねた。

 ルイズはジャネットを、ジット見詰めた。

 ジャネットは、まるで血が通っていないかのような白い肌をしている。人形のような顔立ちに、その服装。年の頃は、ルイズとあまり違わないように見えるのだが。

 だがジャネットは……“魔法”を使うことはできるが“貴族”ではない。

 だが、その格好から見ても、とても傭兵には想うことはできない。

 ルイズは、(一体、何者かしら?)と想った。

 ルイズが胡散臭げに自分を見ていることに気付き、ジャネットは笑みを浮かべた。

「大丈夫よ。貴女をどうこうしようなんて想っていませんわ。私はただ、ちょっと暇潰しの相手が欲しいだけなの」

 怪しいことは怪しいのだが……確かにジャネットのその様子から、他意がないということが理解る。兎に角、ルイズのことを知っているようには見えないことだけは確かである。

 それにルイズは、この少女――ジャネットの纏う、どことなく危険な空気に惹かれてしまった。年はルイズとあまり変わらないように見える少女であるが、このようないかがわしい酒場でも臆する風もなく落ち着いている。

 周りの客も、チラチラとたまにルイズとジャネットを盗み見ている。が、ジャネットが持つ雰囲気に呑まれてしまっているのか、先程のように絡んで来る輩はいない。

「私は……ヴァネッサ」

 流石に本名を名乗る訳にもいかず、ルイズは偽名を名乗った。かつて流行った女優の名前である。

 ちょうど、壁に幾人もの女優に交じって、彼女の肖像画が貼られている。

 ジャネットは、ルイズの顔を覗き込んだ。

「何だか、どこかで逢ったような気がするんだけど……気の所為よね?」

 つい5日ほど前、ルイズとジャネットは、“ド・オルニエール”の街道ですれ違っている。

 ジャネットを始め“元素の兄弟”の目標(ターゲット)であった才人が追い掛けていた少女、それがルイズである。

 だが、中止になった任務のことなど、ジャネットの頭の中から既に消えていた上、ほとんど髪の色しか覚えていなかったということもあり、“魔法”の塗料で髪を茶色に染めた眼の前の少女があの時の少女と同一人物であるということに、ジャネットは気付かなかった。

「そうだと想うわ。私、貴女のこと全然知らないもの」

 ルイズは、(何らかの理由で、私を捜しに来た人物かしら?)と考えた。(“ロマリア”の密偵か、サイト達が私を捜すために放った探偵の類かしら?)と見当を着けたのである。だが、それであれば「逢ったような気がする」などとは言わないはずである。あくまで無関係を装おうとするであろう。

 ジャネットのその言葉が、逆にルイズの信頼を得ることになった。

 その上……ルイズは誰かテキトウな話し相手が欲しかったのである。それほどに寂しさが募っていたということもあり、また、1人酒にもウンザリであったのだ。

 眼の前の気さくでミステリアスな少女が、暇潰しの話し相手には打って付けのように、ルイズには想えた。

「もう1度、御名前を伺っても良いかしら?」

「ヴァ、ヴァネッサ」

「偽名ね? 貴女、嘘を吐くのが相当御下手の様ね」

「ぎ、偽名じゃないわ……碌でなしのヴァネッサ。札付きの悪女よ。この辺りじゃちょっとしたもんなんだから!」

 澄ました顔で、ルイズはワインを呑んだ。

「貴女、“貴族”じゃないの?」

 ルイズは、ぶほっ! とワインを噴き出した。

「違う。悪女! あ! く! じょ!」

「全然悪女なんかには見えなくってよ。だって貴女……」

 ジャネットは、ルイズの頬をペロッと舐め上げた。

「殿方も知らないでしょ? 匂いと味で判りますわ。箱入りの“貴族”娘の味がするもの」

 ルイズは更に顔を真っ赤にさせた。(味で判るって……どういうこと?)、とジャネットのその妙な鋭さなどに感嘆したが、質問による羞恥がそのような疑問を上回った。

「し、知ってるもん! 毎日一緒に寝てたもん!」

「でも、抱かれたことはないんじゃなくって?」

 更に、ジャネットはルイズへと顔を近付けた。

「そんな“貴族”の貴女が、こんな所で妙な格好をして、御酒を呑んでいる。ということは、詰まり貴女はその殿方に振られた。それとも、浮気の現場でも目撃しちゃった? いやいや、もしかしたら貴女の片想い? いても立ってもいられなくなって思わず家を飛び出した。捜索隊の眼を晦ますために、そんな格好で変装したつもりになってる。そんなところじゃなくって?」

 ズバリ言い当てられてしまい、ルイズの頭は真っ白になってしまった、それでも、必死に取り繕おうとする。

「ば、馬鹿じゃないかしら? 占い師なら間に合ってるわ。他所でやりなさいよね」

「誤魔化さなくても良いじゃない。年頃の娘が家出をするなんて、理由は2つ。失恋か、御両親と喧嘩したか。そのどちらかしかありえなくってよ、で。御両親と喧嘩では、自棄酒とはいかないわね。詰まり失恋、でしょう?」

 ジャネットは、きゃっはっは、と大声で笑った。どうやらの黒白美少女は、かなり鋭いようである。

 ルイズは、フン、と外方を向いた。

「だったらどうだって言うの? この阿婆擦れのヴァネッサ姉さんは忙しいの。あんたみたいな暇人を相手にしている場合じゃないのよ。さっきは有難う。それじゃ、失礼するわ」

 何やらその鋭さに、ルイズは妙な不安を覚え、立ち上がろうとした。すると、ジャネットに腕を掴まれた。

 ジャネットはただジットルイズの目を覗き込んで来るだけである。

 その絡み付くような眼光に、ルイズは気圧されてしまった。

「貴女、気に入ったわ」

 ルイズの胸が、思わず一瞬だが高鳴った。その高鳴りを、(な、何よ……? 相手は女の子じゃ成いの……)とルイズは必死に抑えた。

 それでも、ジャネットはある種の魅力を放っている。危険性の中に、人懐っこい何かがあるのである。

 そのような人間に逢うのは初めてあったルイズは、改めてジャネットに興味を覚えた。

 ルイズは、(危険だろうが何だろうが、関係ないじゃない。もう、どうなったって構わないもの)と再び椅子に座った。

「じゃ、乾杯」

 ジャネットは、盃を合わせた。

 

 

 

「へえ、そう。親友だと想ってた御友達に……それはショックだわね」

「そうよ。あの女……色気だけは一人前なのよ。仕事は大してできない癖に、大したタマだわ! そしてあの馬鹿……ああいう危険な色気には馬鹿みたいに弱いのよ。まあ、馬鹿だからしょうがないのよね」

 ヘロヘロになりながら、ルイズはありのままをある程度誤魔化しはしながらも語った。既に、アンリエッタの事は、あの女呼ばわりである。

「こ……こうやってベッドの上で抱き合ってたわ。こうやって! ガッシリと! 冗談じゃないわ! んな、な、なんなのよぅ~~~ッ!」

 ルイズは、ガシガシと床を踏み付ける。

「それからこ、ここ、こんな風に唇を……どーなってんのよぅ~~~ッ!? あんなウットリしてぇ~~~ッ! 信じられないッ! 慾も……慾も慾もあの女……“親友”とか散々言ってた癖にぃ……どこが親友なのよ。男盗るのが親友だってんなら確かに親友ね。とゆーかあっちこっちでフェロモンを散蒔いてんじゃないわよ。正直迷惑なのよ。そんな暇あるなら仕事しなさいよ。そう言うのは1人部屋にいる時だけおやんなさいよ。ああおうよ。御好きなだけ散蒔きなさいってもんよ」

 沸々と、ルイズの中で怒りが湧いて来る。話し始めると、ルイズはもう止まらなかった。次から次へと、呪詛の言葉を吐き出し続けるのである。

 次いで怒りを宥めるように、ルイズはワインを喉に流し込む。

 それでも、ベロンベロンになったからといっても2人の名前を言うほど愚かでも酔い潰れている訳でもなかったが。

 ジャネットは、そんなルイズをニヤニヤとしながら見詰め、言った。

「女同士の友情なんて、儚いモノだわ」

「そうね……ホントにそうね」

「良いじゃない、私が御友達になって上げるわ」

 ジャネットは、ルイズに顔を近付けた。

 ルイズは、(この娘……まさか、違うわよね? 何か、話に聞くじゃない? 女なのに、女の子が好きな……)、と少しばかりたじろいだ。

「あ、貴女は何をしている人なの?」

 話題を変えるように、ルイズは尋ねた。それにまた、これもまた気になっていたこともあるのだ。

「そうね……何と言ったら良いのかしら? まあ、何でも屋みたいなモノかしら?」

「何でも屋?」

「ええ、そうよ。頼まれれば、大抵のことは引き受けるわ」

 意味有りげに、ジャネットは笑った。

 ルイズは、(何でも屋? 何それ? 一体何者なんだろう?)と疑問を抱きながら、「1人でやってるの?」と尋ねた。

「兄弟でやっているわ。今もちょうど、上の兄達が仕事の交渉をしているの。私はこの宿場街で1人で待つように言われたのよ。全く! 兄様達ったら、未だ私が子供だと思っているのよ! 失礼な話だわ!」

 ジャネットは剥れてみせた。

 そのジャネットの様子に、ルイズは、(自分も、家族達に子供扱いされて怒ったことあったっけ……)と親近感を覚えた。

 だが、そのようなことも、今のルイズには遠い昔のように感じられた。涙を流し尽くした後は、そういった想い出達も……誰かの物語の中の事であるかのように感じられるのである。

 物想いに耽って居るルイズに視線を戻し、楽しげな声でジャネットは言った。

「貴女、何かして欲しいことある?」

「え?」

「例えば、復讐とか……貴女、気に入ったから特別に安くして上げる」

「何言ってるの? 冗談言わないで」

「冗談じゃないんだけどなぁ……じゃあ、貴女はこれからどうしたいの?」

 ルイズは、溜息混じりに呟いた。

「そうね……誰も私のことを知らない土地に行って、誰にも邪魔されずにヒッソリと過ごしたいわ。でも、そんなの難しいわよね」

 するとジャネットは、「ちょっと待って」と言って考え込み始めた。

「んー、確か、そんな場所があったと想うけど……どこだったかしら?」

「ほ、ホント?」

 思わずルイズも喰い付いた。

「昔、そこにとある“貴族”の隠し子を運んだことがあるのよ。きっと、貴女の言う“ヒッソリと暮らしたい”という条件にピッタリの場所だわ」

「何処に在るの?」

「んー、どこだっけ……? 良く覚えてないのよ。兄様達に訊けば判ると想うわ。2~3日の間に来ると想うから、ここで待っていましょう」



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仲間との出逢い

 1週間程が経つと、“トリスタニア”の王宮に、手紙の返事と共に“水精霊騎士隊”の面々が集まり始めた。「ルイズを見なかったか?」という才人からの問い合わせに、驚いて飛んで来たのである。

 “トリステイン”の西の端にあるグラモン領からやって来たギーシュは、家の“竜籠”を使って飛んで来たために、それほど遅れずに到着した。

 宮廷の前庭に降り立つと、今や全“魔法衛士隊”の隊長と成ったド・セッザールが、ギーシュを出迎えた。

「グラモン殿。良いところに来られた」

「一体、何が在ったんです? 何でも、ルイズがいなくなったとか……」

「私にも何が何だか……取り敢えず彼女はほら、国家の機密に関わる人物だろう? 従って、内密に捜査を命じられたのだが……」

「見付かってないんですね?」

 コクリと、ド・セッザールは首肯いた。

「で、サイト達はどこにいるんです?」

「はぁ、で、貴殿の副隊長なのだが……それがちょっと参っておってな」

「何やら中庭で、怪しげな儀式を行っているのだよ。当人は、煩悩がどうのこうのと言っておるが……」

 ギーシュは首を捻った。(一体、サイトまでどうしてしまったというんだ?)とそうぞういながら、取り敢えず事情を詳しく訊くために、ギーシュは先ず中庭へと向かった。

 

 

 

 ギーシュが中庭に着くと、そこにはマリコルヌとレイナールとギムリがいた。彼等の実家は近いということもあり、早々に到着したらしい。

「やあ君達。サイトはどうしたね?」

 とギーシュは尋ねると、マリコルヌが指さした。

 中庭の真ん中に、才人が頭に白い鉢巻を巻いて正座をしている。その才人の周りには、丸太が何本も立っている。少しばかり離れた所で、シエスタが神妙な顔でやはり正座をしている。

「あいつは、何をしているんだね?」

「僕にも良く理解らん。何でも、心身を鍛えるためとか何とか」

 しばしの時間が流れた。

 見守るギーシュ達の間にも、何やら張り詰めた空気が届く。

 ゴクリ、とギーシュが唾を呑み込んだ瞬間……才人の肩がピクリと動き、その右手が左腰に提げられていいる刀へと伸びた。

 手が刀に触れたその刹那……才人は上体を起こし、片膝立ちになった。

 同時に、才人の右手が、ギーシュ達から消えて見えた。

 ヒュンッ! と何かが空を切る音が聞こえ、才人の四方に置かれた丸太が震えた。最後に、チン、と乾いた音がした。刀を抜いたかと思いきや、鞘に収まったままである。

 ほんの瞬きをするくらいの間の出来事であったために、一体何が起こったのか、見物をしていたギーシュには全く判らなかった。

「何だね? あれは」

「あいつ、目にも留まらぬ速さであの剣を抜いて、丸太を斬ったんだ」

 斬られた丸太の上半分は地面に落ちることなく、その下半分の上に鎮座している。が、上半分と下半分がわずかにズレていることから、4本の丸太が見事に切断されたことが判る。

「抜いた? だが、剣は、鞘に収まったままじゃないかね?」

 恍けた声でギーシュがそう言うと、レイナールは首を横に振った。

「剣を抜いて、丸太を斬って、鞘に収めたんだよ。何でも、あいつ等の国の剣技らしい。居合い、とか……」

「まあ、凄いと言えば凄いが、その剣技の失踪と、煩悩とが、どう関係しているんだね?」

「知るもんか」

 次に才人は正座へと戻る。

 シエスタが立ち上がり、ととと、と駆け寄って額の汗を拭う。

 そろそろ良かろうと、ギーシュ達は才人に近付いた。

「やあサイト。一体何があったんだね? ルイズが消えたそうじゃないか」

「いつも背負ってる剣はどうした? 何だか見たことのないい剣を提してるけど……」

 才人は唇を噛んだ。

「デルフ……あいつは……俺を庇って……くそっ!」

「庇って? どういうことだ?」

「ああ……戦いの最中、“魔法”を吸い込み過ぎて……」

「何だ何だ!? セイヴァーの言った通りになったってのか!? 穏やかじゃないな! 一体誰に襲われたんだ!?」

 少年達は、才人に詰め寄った。

「判らん。ただ、“メイジ”の2人組だった……もしかすると、“元素の兄弟”かも……」

 才人がそう答えると、少年達は、むむむ、と首肯いた。

「ふむ、誰かの雇った刺客だろうな。全く、最近の君には何だか敵が多そうだからなあ……」

「有名人だしな」

「それと、ルイズの失踪は関係してるのかい?」

 ギムリが、心配そうな声で尋ねた。

 一同は神妙な顔になって、才人を見守る。

 才人は拳で地面を叩いた。

 シエスタが、才人の代わりに口を開いた。

「いえ。サイトさんが襲われた事と、ミス・ヴァリエールの失踪は全くの無関係です」

「じゃあ、ルイズはどうして姿を消したんだね?」

「サイトさんがとある高貴な女性と、唇を重ねている所を、ミス・ヴァリエールが目撃したのです」

 シエスタはその自分の言葉で、何やら逆上してしまった。ギロリと才人を睨むと、しゃがみ込みその顔を覗き込んだ。

「ねえ、サイトさん。気持ち好かったですか?」

「心頭滅却煩悩退散心頭滅却煩悩退散心頭滅却煩悩退散心頭滅却煩悩退散……」

 才人はブツブツとそのようなことを呟き続けている。

「好かったに決まってますよね。あの御方、あんなに綺麗なんだものね。あんなに色気が凄いんだものね。わ、私選り胸だって大きくってスタイルも宜しくいらっしゃるものね」

 シエスタは、才人の首を締め上げた。

「う、浮気は私だけにして下さいねって! 言ったのにッ! 約束したのにッ! 何でサイトさんは高貴が好き何ですかぁ!? 野に咲く可憐な花での良さだってもっと知るべきですッ!」

「その辺にしておけ、シエスタ。才人は猛省している。故に、こうやって」

「セイヴァーさん……」

 突然姿を現したといっても良い俺に、ギーシュとマリコルヌとレイナールとギムリは少しばかり驚いた。

「で、一体相手は誰何だ?」

 キョトンとした顔でギーシュが尋ねた。

 シエスタは、(ギーシュさんが真実を知ったら卒倒するに違いないわ)と想い、目を細め、タラリと冷や汗を流した。

 俺達が答えないため、やれやれとギーシュは両手を広げた。

「ま、誰でも良いさ。君はホントにどう仕様もない男だなあ。少しは僕を見倣い給え。少しは」

 ギーシュがそのようなことを言ったために、レイナールが呆れた声で突っ込みを入れた。

「君を見倣った日には、ルイズは毎日家出をしなきゃいけないだろうよ」

 才人はシエスタを往なすと、ユックリと立ち上がった。それから、ギーシュ達に対して、ペコリと頭を下げる。

「兎に角、わざわざ来てくれて有難う」

 泣き出しそうな苦しい笑顔で、才人は言った。努めて爽やかさを演出しています、といったようなそのような声である。

「いや、まあ、どうせ暇だったし……」

「で、ルイズはおまえ達の所に行ってないんだな?」

「ああ」

「これで今のところ全滅か……シエスタ、“トリスタニア”の宿は全部当たったっけ?」

「はい。修道院も。全部」

 この7日間というモノ、才人は居合で精神を清めたつもりになった後、“トリスタニア”の宿という宿を捜し回っていたのである。暇な兵隊も駆り出されたのであるが、ルイズの影さえ掴むことはできなかった。それもそのはずであり、ルイズは“トリスタニア”とは逆方向の街道を行ったのだから……。

 才人が出した、「ルイズを見なかったか?」という手紙の返事も、芳しくないモノばかりであった。一様に、「見ていない」とのことであった。

 カトレアからの返事も届いていた。彼女には隠し立てをするつもりなかったために、才人は全てを正直に書いた。彼女からの返事も、「こっちには来ていない」という内容であった。より具体的には、「ルイズの身を案じていること、両親にも報告したところ、“あの娘の事だから、直ぐに戻って来るだろう”と楽観していること、でも、事が事だけに自分にはそうは想えない。早くルイズを何とか見付け出して欲しい……」といった内容の手紙であった。その返事を読んだ時、才人は涙を流した。取り立てて才人を責める様ような言葉は書かれていなかったためである。

 自分のしでかしたことで、色々な人達に心配などを掛けてしまったのだ、ということが才人の肩に重く伸し掛かって来ていた。

 そんな才人は「自分達だけで捜します」と言ったのだが、アンリエッタは当然取り合わなかった。ルイズはただの女官ではない。“トリステイン”のみならず、“ハルケギニア”にとってその存在自体が重大な、“虚無の担い手”であり、また、“聖杯戦争”に参加している“マスター”である。もし、“ロマリア”を始め、誰かに攫われでもすれば、一大事であるためだ。従って、手隙の警邏の“貴族”も使って、捜索隊が編成されたのである。

 彼等は“トリスタニア”市街と、主立った街道沿いを探索している。

 そのような立場などを考えれば、ルイズは自分の行動に対してもっと重大さを自覚するべきであるといえるだろう。

 かといって、才人もアンリエッタも、ルイズを責めることはしなかった。いや、責められるはずもなかった。今回のこれは、今回の非は、明らかに2人にあったのだから……。

「なあ、セイヴァー……教えてくれ。ルイズは今何処にいるんだ? おまえなら知ってる、観えてるんだろ?」

「そうだな。だが、教えることはできん。捜索を手伝いはするがな……」

「……理解ったよ……良し。となると、“トリスタニア”にはいないということか……じゃあ、次は街道沿いの宿を当たろう。捜索隊が、見過ごしたかもしれないし……」

 才人がそう言うと、シエスタも首肯いた。

「僕達も手伝うよ」

 心配そうな顔でそう言ってくれた友人達の手を、才人は強く握った。

「悪い……ホントすまない、救かる。恩に着る」

 その時、渡り廊下から柔らかい叫びが聞こ得て来た。

「サイト~~~!」

 振り返ると、いつもの緑のワンピースに身を包み、大きな鍔の付いた帽子を冠ったティファニアが駆け寄って来る。

「はぁはぁ、ルイズがいなくなったって……本当なの?」

 ティファニアは、夏休みの間中、“トリスタニア”の孤児院で、かつて“ウエストウッド村”で一緒に暮らしていた子供達と過ごす予定であったのだが。

「皆とピクニックに行っていたら、いきなりあんな手紙が届いたものだから、ホントにビックリしちゃって。一体何があったの?」

 さて、何と言おうかと俺以外の皆がジットリと汗を流していると、次にコルベールとキュルケが正門の方からやって来た。

「いやいや、やっとあの、せんしゃ、の運用方法を考え付いて、ミス・ツェルプストーの家で改装を行っていれば……ミス・ヴァリエールがいなくなったと言うではないかね。一体、どうしたのだね?」

 コルベールにも尋ねられ、才人は苦しそうに言った。

「俺が……その、他の女性と、その……唇を合わせているところを……」

 コルベールは一瞬だけポカンとしたが、やおら腕を組むと、ウンウンと首肯いた。

「成る程。そういうことか……まだ若い君だからしょうがないと言えばしょうがないんだが……それは傷付いただろうなあ」

 キュルケが、両手を広げて言った。

「全く、だからちゃんと忠告して上げたのに。女で苦労しそうよ、って」

 ティファニアは、怒りを含んだ目で才人を見詰めた。

 マリコルヌが近付き、ティファニアに恭しく一礼した。

「ミ・レィディ。この件についての感想をどうぞ」

 ポツリと、ティファニアは言った。

「サイト最低。ルイズが可哀想」

 才人は思わず地面に膝を突いた。

「あ、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼……嗚呼あ……」

「もっと言って上げてよ。モテねえ奴が、たまたま手柄を上げてちょっとモテるようになるとこれだからさ。ウッカリ浮かれて大騒ぎだかんな! おいおい田吾作、自分の立場忘れてんなよゥ……この成金野郎がァ……」

 マリコルヌは目を吊り上げて。ゲシゲシと才人を踏み付けた。実にモテ話に厳しいマリコルヌである。

 あぐ、ひぐぅ……と才人は情けない声を上げるばかりである。落ち込む時はトコトン落ち込む才人である。

「“天の鎖”よ」

 マリコルヌは、落ち込む才人をなおも蹴り続け、更に追い詰めようとする。

 俺は“天の鎖(エルキドゥ)”を“バビロニアの宝物庫”から取り出し、そんなマリコルヌへと向ける。

 “天の鎖(エルキドゥ)”は一瞬、戸惑ったかのような動きを見せたが、直ぐにマリコルヌを捕縛した。

 キュルケが、首を傾げて言った。

「でも……一体浮気の相手は誰なの?」

「それがこいつ、言わないんだよ」

 マリコルヌは、縛り上げられ空中に浮かびながら、才人を見下ろして言った。

「でもさ、あのルイズが家出したのよー。何のかんの言ってさ、メイドとイチャつく位じゃそんなに怒らなかったじゃないの。だから、気になるのよね。もしかして、よっぽど近い相手……とか?」

 そこでギーシュやレイナールの目の色が変わった。

「君、もしやモンモランシーじゃあるまいね?」

「ブリジッタじゃないだろうな?」

「ア、アニエスさんじゃないだろうね?」

 ギムリが、そんなレイナールに突っ込んだ。

「君はああいうのが好きだったのか」

「ち! 違う! ちょっと訊いてみただけだ!」

 顔を真っ赤にして、レイナールが叫んだ。

 そのような騒ぎを他所にして、才人は力なく首を横に振った。

「……違う」

「じゃあ誰なんだね!? 何だか気になるじゃないかね~~~!」

 ギーシュ達に詰め寄られる才人を見て、キュルケは首を傾げた。

「どうしたね?」

 隣にいるコルベールが、キュルケのその様子に気付き尋ねる。

「いや……もしかしたらって、女の勘なんだけど」

「君の勘は当たるからね。言ってみなさい」

 キュルケは、コルベールの耳元でゴニョゴニョと想い付いた名前を告げた。

「まさか!?」

「いや……だってあのルイズがそれだけのことをするには、余程信頼を寄せてた人物じゃないかなーって想うのよね」

 流石に苦いモノを噛んだような声でキュルケがそう言ったために、コルベールもまた(何だかそうではないだろうか? でも、まさか……仮にも天下の女王陛下に限って、そんな!? でも、昨今のサイト君の人気を鑑みるに、あながちありえない話でもないような気がして来たぞ。女王とはいえ、陛下は未だ18歳の瑞々しい乙女ではないか。巷で大人気の騎士に心が動いたとしても、仕方がない。そして……ミス・ヴァリエールはその陛下と大の仲良しではなかったか? となると、彼女が家出をやらかしたのも、サイト君達が決して名前を言わないのも納得できる。流石に、その名前は口に出せないだろう)、と考えた。

 自分が歴史的なスキャンダルに立ち会っているかもしれない、ということに気付いたコルベールは、ジットリと粘っこい汗が首の後で流れるのを感じた。それから、俺へと視線を向け、首肯き合う。

 このことが公になってしまえば、命を落とす者も現れるであろう。そのくらいに“王族”の醜聞というモノは、油断ができないモノである。

 少年達は、「一体誰だ!?」、「吐くんだ!」、と騒ぎ立てている。

 そんな少年達に向かって、コルベールは冷静さを装いながら、ポンポンと手を叩いて言った。

「あー、諸君。今は相手が誰だろうが、良いじゃないかね? 取り敢えずミス・ヴァリエールを捜すのが先決だ。そうは想わんかね?」

 まあそれもそうだな、と少年達は首肯き合う。それから、厩の方へと歩き出した。

 膝の埃を払い落としている才人に、ギーシュが、ポリポリと頭を掻きながら言った。

「なあサイト」

「何だ?」

「捜すのは良いんだが。もし見付かったとして、どーするんだね?」

「どーするって?」

「いやなに、ルイズにはルイズの気持ちがあるだろうさ。君とはもう一緒にいたくないってキッパリ言われたらどーするんだね?」

 才人は、しばし考えた。それから、寂しそうな声で言った。

「そん時はそん時だ。兎に角、今は逢って謝りたい」

 しばらくギーシュは黙っていたが、あまり気乗りしない顔で、「まあ、それしかないんだろうなあ」と言った。

 

 

 

 

 

 

 さて、その頃ルイズは、“シュルビス”の“陸の白鯨亭”で、ジャネットと共に、彼女の兄弟を待っていた。

 “陸の白鯨亭”は、特に上等という訳ではなく、それほど安い宿でもない、身を隠すには打って付けの宿であるといえるだろう。

 2人は、そこの部屋を1室借り切っていた。

 ルイズは酒を呑んで、ジャネットに愚痴の限りを尽くしていた。堰を切ったかのように、ルイズは想いの丈を打ち撒けた。

 ジャネットはジャネットで、そんなルイズを楽しげに見詰めながら話を聞いてやっていた。

「でね? ジャネット聞いてる?」

 ルイズの声は、スッカリ打ち解けた調子である。2日間という時間は、短いながらも、酒の力も手伝ったのであろう、ルイズから緊張と疑いをスッカリ奪っていたのであった。

「聞いてるわ」

「あいつね。私に言ったんだから。“俺が好きなのはおまえだけだ!” って! 何度も! こぉーんな顔して! それなのに! 選りにも選って私の親友とキスするってどーゆーこと? ねえッ!?」

「ほーんと、そんな奴死んだ方が良いわね」

 ジャネットが、笑みを浮かべながら言うと、ルイズはウンウンと首肯く。

「そー思うでしょ? あ、あ、あ、あの犬ッ! わ、わ、わ、私の、こ、こ、こと、こ、ここ、こぉーんな顔して、も、もも、求めて来た癖にッ! よ、よよよよ……! よ!」

 ルイズはそこで、怒りの余り激しく咽てしまった。

 ジャネットが隙かさずワインの瓶を手渡す。

 ルイズはグビグビと飲み干すと、目を回して後ろに打っ倒れてしまう。

 5分ほどピクリとも動かなかったが、やおらムクリと起き上がり、「よ、他所の女にもおんなじことしてたんだわぁ~~~ッ! わ、私だけって言った癖にッ! もうホントに想像しただけで私の頭はでんぐり返っちゃうのよッ! あの嘘吐きぃ~~~ッ!」と叫び、それからルイズは再び後ろに打っ倒れる。

 ジャネットは立ち上がり、テーブルの上にある水差しを引っ掴む。それから、ルイズの顔の上からドボドボと水を掛けた。

 するとルイズはまたムクリと起き上がり、据わった目でジャネットを見詰めるのである。

「ねえジャネット。私、何だか恥ずかしいことを沢山言ってしまった気がするわ」

「そんなことないわよ」

 と、涼しい顔で、ジャネットは言う。

「それなら良いんだけど」

 ルイズは深い溜息を吐く。

「で、いつになったら貴女の兄弟は来るのよ? いい加減、待ち草臥れたわ」

 ジャネットの兄弟が、ヒッソリと暮らせる場所、とやらを知っているために、ルイズはこうやって待っているのである。が、そろそろ2日が経とうとしていた。

「良いじゃない。ユックリ待ちましょう」

 少し酔いの覚めたルイズは、少しばかり疑問に想ったことをジャネットに尋ねることにした。

「でも、どうして見ず知らずの私のために、そこまで親切にしてくれるの?」

「貴女が気に入ったからよ」

 ジャネットは微笑を浮かべた。本当に人形のように美しい顔であるといえるだろう。そして、人形のようにその印象はどことなく冷たい……ヒトとは違う何かを感じさせて来るのである。

 それからジャネットは、ツイッとルイズの顎を持ち上げた。

「だって、こんなに可愛いんだもの、生意気そうで、でも傷付きやすそうで、それでいて真っ直ぐな目……ただ可愛いだけじゃなくって、どうにも侵し難い気品があるんだもの」

「え? え? え?」

 ルイズが目を丸くしていると、ジャネットはルイズの髪を摘む。それから、ルイズのその髪の先で、ジャネットは自分の鼻を擽った。

「それにとても細くて……綺麗な髪ね。まるで御人形みたい。貴女みたいな娘を、ホントの美少女って言うんだわ」

 ルイズは、「人形みたいなのは貴女じゃないの」と言おうとしたが……言葉にならなかった。前にも感じた疑問が、ルイズの中で膨れ上がって来たためである。それから、(この娘……やっぱり例の特殊な趣味の娘じゃないかしら?)と考えた。

 女の子で在るのにも関わらず、同性である女の子が好き。そういう特殊な人物が存在するということを、ルイズは知っていた。“魔法学院”でも、何度かそういった噂を耳にしたことがあるのである。

 それからルイズは、(だから、こんなに私に親切にしてくれるんじゃないの? まあ、見るからに“ロマリア”の手の者ではないし……)と考えた。

 ジャネットは、神や信仰とは、1番遠い所に位置しているように思える雰囲気を纏っているのである。

 そのことからやはり、(それなのに、私に親切にしてくれる。となると……やっぱり……特殊な趣味の人?)といった疑惑がルイズの中で浮かび膨れ上がるのであった。

「…………」

 ルイズは横目でジャネットを見詰めた。

 ジャネットの容姿……白い肌はまるで夜の砂漠のようであるといえるだろう。そして2つの細長い翠眼は、月明かりを受けて光るオアシスだと例えることができるだろう。

 何て綺麗なんだろう、とルイズは一瞬だが見惚れてしまう。

 するとジャネットは、いきなり真顔になって、「食べても良い?」などと訊いて来るのである。

 ジャネットのその言葉はあまりにも無邪気で「此の御菓子食べても良い?」くらいの調子の言葉であるため、ルイズは思わず首肯きそうになってしまった。

「だ! 駄目よ! 何言ってるの!?」

 するとジャネットは、きゃはははは! と大声で笑った。

「あー可笑しい! 貴女、本気にするんだもの! もう、ホント貴女って駆け引きができないタイプね。増々気に入ったわ」

 からかわれたということに気付いたルイズは、ムスッとして、「どうせ私は単純よ」と呟いた。

 その時、扉がノックされた。

 ジャネットの顔に緊張が奔る。

「……貴女の兄弟?」

 ジャネットは首を横に振り、油断なくテーブルの上に置かれた小振りな“杖”に手を伸ばす。

「王軍の巡視隊だ! ここを開けろ!」

 その声で、ジャネットはルイズの方をチラッと見詰めた。

 ルイズは、酔いが覚めたような顔をしている。

 唇の端に笑みを浮かべ、ジャネットは立ち上がると扉を開いた。

 其処には、王軍の士官服に身を包んだ2人の“貴族”が立っていた。

 1人の“貴族”が、「2人組か……」と小さく呟いた。

「一体、何事ですの?」

 ジャネットが尋ねる。

「いや……然る重要人物を捜索しておりましてな」

 ジャネットが握る“杖”から“貴族”と見当を着けたのだろ、丁寧な物腰になって男は言った。

「然る重要人物? 穏やかではないですわね」

「レディ、貴女はここで何をしておられるのかな?」

「侍女と一緒に、兄達を待っておりますの」

 素知らぬ顔でジャネットが言うと、巡視の“貴族”はルイズを見やった。

 彼等は顔を見合わせる。

「……桃色がかったブロンドの“貴族”の少女ということだったな」

「しかも1人切りだそうだ。こちらのレディは、侍女を連れている」

 それでどうやら、自分達の捜している人物ではないと2人の“貴族”は判断したらしい。

 失礼を致しました、と頭を下げ、巡視の“貴族”達は部屋を出て行った。

 ルイズは、ホッとして思わず溜息を吐いた。それから、(間違いなく、今の“貴族”は私を捜してた。髪を染めたり、下賤な格好をした甲斐があったというモノだわ。やはり……姫様は私を捜すために捜索隊を出したのね。私が“虚無の担い手”だから? それとも、友人だから?)、と考えた。

 そう想うことで、(それならば……あいつに手なんか出さないで欲しかった)とルイズの中で沸々と冷たい怒りが湧いて来るのである。

 次いで、(今頃、姫様もサイトも、後悔しているのかしら?)と想い、恐らく必死になって自分を捜しているだろう2人を、ルイズは想像した。それでも、やはり……戻る気にはなれなかった。

「貴女、随分と御偉い人なのね」

「な? 何を言ってるの?」

 ジャネットは、ルイズの髪を弄りながら呟いた。

「染めてるのね。元の色は、何色かしら……? ブロンド? 赤毛? それとも……桃色がかったブロンド?」

「……そ、それは」

「あの人達、貴女を捜してたんでしょ? 感謝して欲しいわ。話を合わせて上げたんだから」

 直ぐに気持ちが顔に出てしまうルイズは、唇を噛んで俯いた。

「良いのよ。貴女が何者だろうが、私にとってはどうでも良いこと。兎に角貴女は逃げ出して来た。それで良いじゃない。私は気にしないって言ってるの」

 ここまでは言われては仕方がないと想い、ルイズは小さく、「有難う」と御礼を言った。

 そんな素直なルイズを見て、ジャネットは笑みを浮かべた。

「ホント、貴女みたいな純な娘がいながら、浮気する男が信じられないわ」

「だからね? 別に純じゃないわ。これでもちょっとは知られたヴァネッサ姐さん……」

「もうそれは良いって言ってるじゃないの。でも、どうして逃げ出して来たの? 貴女くらい可愛かったら、男なんて直ぐに戻って来るわよ。現にああやって、巡視まで駆り出して一生懸命貴女を捜してるじゃないの」

 ルイズは俯き、目を瞑ると寂しそうな声で言った。

「……その人、私の何倍も魅力的なの。だから良いの。それにあいつには、敵が多いの。その人だったら……私の 何倍も上手にあいつを守れるわ」

 ジャネットは、ルイズを愛おしそうな視線で見詰めた。

「貴女、その人のことが本当に好きなのね。一体どんな人なのかしら? 気になるわぁ……」

 ルイズは、ワインの瓶を掴むと、今まで使わなかった盃に注いだ。それを呑み干し、物憂げに肘をテーブルに突いて、呟いた。

「好きじゃないわ。ホントに、全然好きなんかじゃないの」

 ルイズの目から、ポロッと涙が溢れた。そのまま、グシグシとルイズは目の下を擦る。

「好きじゃないもん。好きじゃ……」

 ジャネットは、そのように泣き出してしまったルイズの肩を優しく抱いた。

「本当に変な娘。貴女、どうしてそんなに自信がないの? こんなに可愛いのに……そして……」

 ジャネットは、ルイズの首筋に唇を近付けた。そして、軽くペロッと舐め上げる。

「……味で理解るわ。貴女、本当にとんでもない力を持ってるのね。1目で惹かれるはずだわ」

 泣きじゃくるルイズに、ジャネットのその声と言葉は届かなかった。



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シュルビス

 才人達は3隊に別れ、“トリスタニア”から延びる、3つの主立った街道をそれぞれ行くことにした。

 先ず、ラ・ヴァリエールに通じて“ゲルマニア”へと延びる“ロラン街道”。“ラグドリアン湖”や、途中で分岐して“ラ・ロシェール”方面へと延びる“グリフォン街道”。そして、海岸に出て、海沿いに“ガリア”へと延びる、“ヴェル・ヱルの街道”である。

 “ゲルマニア”へと向かう“ロラン街道”には、キュルケとコルベールが向かうことになった。“グリフォン街道”には、ギムリとレイナール。そして、“ド・オルニエール”の側を通るために1番可能性が高いと想われる“ヴェ ル・ヱル街道”は才人とシエスタとギーシュにマリコルヌとティファニア、そして俺が向かうことになった。もし、“トリスタニア”に来ていないとすれば……ルイズはこの街道を行ったと考えられるからである。

 アンリエッタからは、「2週間後には帰って来て欲しい」と、皆言われている。もし、見付からなかった場合は……諦めて素早く“トリスタニア”へと戻る必要があるといえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ルイズがいなくなってちょうど8日目の朝、才人達はそうそうに馬で出発をした。疾駆けで来たので、昼過ぎには“ド・オルニエール”を過ぎて、1番最初の宿場街へと才人達は到着した。

 ルイズが1週間前に宿泊した宿のある街であったが、もちろん才人間達が気付く訳もない。

 小ぢんまりとした、猫の額ほどの宿場街であるために、目星い宿は直ぐに見回ることができた。

 だが、当然ルイズの情報を得ることはできなかった。

「ルイズはこの街には寄ってないのかな……?」

 ギーシュがそう言うと、ティファニアが一軒の宿屋を指さした。

「あそこにも、宿屋があるわ」

 見るからに、ボロっちいと言える木賃宿である。

 シエスタが首を横に振り、その可能性を否定する。

「ミス・ヴァリエールが、あんな汚い宿に泊るなんて想えませんわ」

「ホントだよ。冗談は胸だけにしといてタッチ」

 マリコルヌが、そう言いながらティファニアの胸に手を伸ばす。

 きゃっ!? と喚いて、ティファニアが後ろに跳び退り、マリコルヌを恨めしげに見詰める。

「ガ、ガールフレンドに言っちゃうんだから!」

「望むところだ。言うが良いさ! あの娘はむしろ、僕を取っ締める材料ができたって喜ぶだろう。ブタ、ブタ、ちっとこぉー。ブタ、ブタ、彷徨い歩けぇ……」

 マリコルヌが遠い目になって躙り寄って来たために、ティファニアは泣きそうになった。

 そんなマリコルヌの頭を、シエスタがフライパンで殴り付ける。

 コ、コ、コォ……と白目を剥いてマリコルヌはぶっ倒れた。

 そのような騒ぎを他所にして、(いつものルイズなら、こんな所には泊まらないだろう。でも、今のルイズはきっと……いつもの、ルイズじゃない)と考え、才人は木賃宿を見詰めた。

「どう想う、セイヴァー?」

「そうだな……可能性は0ではないだろうさ」

 俺は、才人の質問に対し、ぼかして答える。

「お、おい!」

 才人がズンズンとその木賃宿に向かったのを見て、ギーシュが呼び止める。

「まあ、訊くだけ訊いてみようぜ」

 

 

 

 マントを着けた才人が入って行くと、一斉に客達が振り返る。

 店の中は、安酒と焦げた肉と、男達の体臭が入り混じっており、軽く咽そうになる。そして、濛々と、パイプ煙草の煙が溢れている。

 茶色く酒焼けした店の主人は、才人をチラリと見るなり、外方を向いた。

「ちょっと伺いたいんですが。数日前に、小さな“貴族”の女の子が来ませんでしたか?」

 しかし、主人は「知らない」とでも言うように、首を横に振るだけである。

「サイト、行こうぜ」

 ギーシュがそう言ったが、才人は椅子に腰掛ける。それから金貨を1枚カウンターの上に置いた。

 その金貨に一瞥をくれると、「注文は?」と主人は漸く口を開いた。

「いや……こいつで知ってる事が有ったら、と言う意味なんだけど」

 才人が困った声で言うと、主人は無言でワインの瓶を置いた。

「家は道案内や人捜しはやってねえ」

 主人がそう言うと、店内の男達から笑い声が飛ぶ。

 才人は溜息を吐くと、ワインの瓶を取り、一気にグビグビと呑み干した。

「行こうぜ」

 才人は立ち上がった。

「待ちな」

「あんたが捜してるのは、こうなんだ、桃色がかったブロンドの小さな“貴族”娘か?」

「そう! それだよそれ!」

 才人は思わず、カウンターに躙り寄る。

「その娘なら、何だ、ここに泊ってたぜ」

「ホントですか?」

「嘘吐いてどうする?」

「何か言ってましたか?」

「何も。毎日、部屋に閉じ籠もっていたしな。流石に見かねてな、“貴族”の娘さんが泊るような店じゃねえ、と言ったら出て行ったよ。3日か4日ほど前だったかな」

「どっちに行きました?」

「そこまでは知らんね」

 才人は礼を言うと、店を出ようとした。

 その背に、店の主人が声を掛けた。

「家の酒を呑んだ“貴族”はあんたが初めてだ」

 才人は振り返ると、マントを摘んで言った。

「こんなの着てるけど、俺は結局“貴族”にゃなれませんでしたよ。だからあいつも出て行ったんだ」

 

 

 

 店から出て来た才人を、俺を除く皆が取り囲む。

「ルイズはこの店に泊まってたみたいだ」

「おおおお! でも、なんでまたこんなボロい店に……」

「金が無かったんだろ……」

 そうは言った才人ではあるが、なんとなくルイズの気持ちを想像することができた。泊まる宿すらどうでも良くなるほどに、それくらいにショックを受けたのであろう。あの気位が高いといえるルイズが……。

「この街道で間違いないと想う。急ごう。ああ、他の街道を行った皆に、梟便で報せておかないと」

 ルイズに関する手掛かりを見付け次第、梟を使って報せる手筈になっているのである。こういう時のために、“魔法”の割札を持った相手に手紙を届ける専門の梟がいるのである。

 才人は、コルベール達とレイナール達宛に、「ルイズの手掛かり発見」、と短い手紙を書いた。その手紙を、持って来た梟に括り付けて、大空に放す。

 バッサバッサと梟は飛んで行った。

「ここから馬で半日の所に、“シュルビス”って街があるぜ」

 マリコルヌが言った。

「結構大きな街だね」

 ギーシュも首肯く。

「良し。じゃあ次はそこに向かおう」

 

 

 

 

 

 途中、何度か馬を替えながら、深夜の3時に“シュルビス”に到着した時には、一行はヘトヘトに疲れ果てていた。

 無理もない、といえるだろう。この2日間というモノ、ほとんど寝ていにあのだから。

「取り敢えずどこかに泊まろうぜ。少しは寝ないと身体が保ないや」

 “シュルビス”は“ハルケギニア”のどこにでもあるような、人口が1,000人位の宿場街である。

 宿屋だけではなく、様々な地方から運び込まれた品が集まり、広場には毎日市が立って賑わっている。

 だが、やはりこの時間にはあまり出歩く人もない。

 所々焚かれた篝火だけが、頼りげなく道を照らしているだけである。

 宿屋は街道沿いに20軒ほどありそうであった。

 “トリスタニア”の夜も、東京で育った才人からすると、まるで真っ暗であったが……地方の街であればもう闇の底だと想わせるほどである。

 この闇では、ルイズを捜すどころではないといえるだろう。

「そうだな。一休みして、朝になったら宿を当たろう」

 才人達は、手近な宿に飛び込んだ、

 “貴族の羽飾り亭”という仰々しい名前の宿であったが、中は狭い。また、あまり上等とは言い難い。

 だが、それでも皆疲れていたということもあって、空いている部屋を2つ取り、男と女に分かれてそうそうに引き込んだ。

 ベッドに飛び込んでみたものの、才人は中々寝付く事が出来無かった。

 才人は、(ルイズの手掛かりを見付かったことは素直に嬉しいけど、本当に見付かるのだろうか? それに、もし見付けたとしても、ルイズが俺を赦さなかったら? 今まで、怒りこそすれ、こんな風に俺の前から姿を消したことなんてなかった。赦してくれなかったら、どうすれば良いんだろう?)と考え込んでしまい、どうにも寝付くことができず、階下へと下りて行った。

 酒場には、人の姿は当然なかったが、蝋燭の灯りが灯っている。

 才人は、ワインの棚から1本取り出し、カウンターの上に金貨を置いた。

 才人は1人、ボンヤリとワインを呷り始めた。

 そうしていると、階上から誰かの足音がしたことに才人は気付いた。

 見ると、ギーシュであった。

 ギーシュは、コップを1個カウンターの裏から持って来ると、自分でワインを注いだ。

「眠れないのかね?」

 尋ねられ、才人は首肯いた。

「ああ」

「しっかし、一体ルイズはどうするつもりなんだ? 全く、あの我儘ルイズが1人で生きて行ける訳なんかないじゃないかね。修道院にでも入るか、どこかの御金持ちの家に潜り込んで、御妾さんにでもなるしかないのになあ」

 才人は苦しそうな顔になって、「やめてくれ……」と呟いた。

「君は我儘だな! 浮気しておいて、相手がするのは許せないだなんて!」

 そう言ってから、ギーシュは悩ましげな顔になる。

「何てな。まあ、そういうもんだな。実際」

「なあギーシュ……俺って実際何々だろうな……? あれだけルイズが好きだと想ってたのに、他の女性の魅力に、コロッと参ってしまうだなんて……」

 才人が頭を抱えていると、ギーシュが呆気に取られた顔で言った。

「そんなの、当たり前じゃないかね」

「そりゃ、おまえはそうかもしれないけどな……」

「僕だけじゃない。君だってそうじゃないか。だから、その何とかっていう高貴な女性と唇を重ねてしまったのだろう?  セイヴァーは、まあ、別だろうけどさ……良いとか悪いとかじゃなく、君や僕達はそういう生き物なんだよ。一体、何を悩んでるんだね?」

 それでも才人は、首を振った。

「そ、それじゃあ、俺は嘘吐きじゃないか……好きなのはおまえだけだって、何度も言ったのに……」

「そりゃ、その時はそう想ったんだろうさ。僕だって、別に嘘を吐いている訳じゃない。いつだって、その時は本気でそう想うんだ。君が1番だ! ってね」

「でも、それは都合の好い言い訳じゃないのか?」

 すると、ギーシュは少しばかり苛ついた声になった。

「言い訳? おいおい、馬鹿言っちゃいけない。この世にはどれだけ魅力的な女性がいると想ってるんだ? その人達に感じた想いは本物だよ。それを言い訳だって? 違うね! 強い魅力の前では、人は抗えない。それだけの話じゃないかね」

「でも、でもな……」

 頭を抱えた才人に、ギーシュは言った。

「もっと正直になり給え」

「は? 俺は正直だよ! 正直にこうやって悩んでるんじゃないか!」

「ハッキリ言うがね、君は女性に対して魅力を感じたことなんかにゃ悩んでない。保証するよ。君が悩んでいるのは、たった1つ。ルイズに嫌われたくない、だ」

 才人は真っ青になった。急速に酔いが覚めていうことを自覚する。まさに、ギーシュの言った通りであったためである。

「だろ? 君はな、心のどこかで、そういうもんだ、と想ってる。いかにそういう自分を正当化しようがか、その上でどうルイズに赦して貰うのか、そればっかり考えてるんじゃないのかね?」

「そんなことねえよ! 大体、どうしてそうなるんだよ!?」

 才人は、どん! とテーブルを叩いて怒鳴った。

 するとギーシュは、真顔で言った。

「僕がそうだったからだ。僕はね、自分で言うのもなんだが、非常に女性の魅力に敏感なんだ。綺麗な人を見ると、つい我を忘れて想いのたけを打ちまけてしまう……でもな、僕だってな、そう言う自分は不味いと想ってたんだ。だって、僕にはモンモランシーがいるじゃないか! 君は僕のことを、どう仕様もない能天気でただの御調子者だと想っているのかもしれないが、それが違うんだぞ。僕だってな、悩んだんだ」

 ギーシュはそこで、一息吐いてワインを呑み干す。エンジンが掛かって来たのだろう、更に一気に捲し立て始めた。

「だから僕は一時、綺麗サッパリ他の女性を口説くことをやめた。そりゃもう見事にやめたんだ。いつだっかな……? 兎に角、君に逢う前のことさ。僕は毎日、モンモランシーのために尽くした……綺麗な女性が通り過ぎても、“お、綺麗だな”、と想うくらいで、決して言葉には出さない日々が続いた……」

 才人は身を乗り出して、ギーシュの言葉に聴き入った。

「でもな、それは不自然な行為だったんだ。僕の心は次第に枯れていった……モンモランシーに掛ける言葉さえ次第にマンネリになって行った。“その言葉、昨日も聞いたわ”なんて言われてしまう始末さ! その時僕は想ったね。もしかして、これは、不自然な状態なんではないかと! だから僕の心は枯れて行くんだ!」

 ギーシュはそこで、才人の肩を掴んだ。

「魅力、を感じるのはどこだ?」

「え? ええ?」

「魅力的な女性に、魅力を感じるのはどこだ?」

「こ、心?」

「そうだ! 己の心だ! だが、それが誰が創ったんだ? 神様だ! 己の心は神様が創ったんだ! 魅力的な女性だって、神様が創ったんだ! それを褒めて何が悪い!? そりゃ、褒めれば自然口説きになってしまう! だから、僕は想ったね! 美しいモノを美しいと感じてしまうこの気持ちが罪ならば、神様に問うべきだと! 僕はこれでも敬虔なる“ブリミル教徒”だ。神の御心に背いては相ならん。だから神様の意に沿うことにした」

「で、取り敢えず魅力を感じたら口説きまくるって訳か?」

「そうだ」

「おまえは死んだ方が良いと思う」

「何でだね!?」

「モンモランシーの気持ちはどうなるんだよ? おまえが他の女口説くたびに傷付いてるぞ。それが原因でこの前だって振られてんだろうが」

「そりゃそうだ。これは僕の理屈で、モンモランシーの理屈じゃないからな」

 ギーシュは、そこで一旦言葉を切ると、才人へと向き直る。

「だから僕は、モンモランシーを他の女性の10倍、大切に扱う。ホントは之でも、足りないくらいなんだろうな。でも、しないよりはマシだ。現にモンモランシーは、何のかんの言って僕を赦してくれる」

「何て理屈だ!?」

「おいおい、どうして他の女性に魅力を感じてしまったんだろう? 何て、どうでも良い理由で悩んでいる君の100倍はマシだと想うがね。そんなのはしょうがないじゃないか。いや、君だってホントは、しょうがない、って想ってるんだ。それより君は、ルイズに優しくしてたのかい?」

「し、してたよ!」

 才人は叫んだ。

「きっと、ルイズの方ではそう想ってなっかたのさ。君の、優しい、じゃ足りなかったんだ。だから君の元から逃げ出したんだ」

「う……」

 才人は、ギーシュの言葉と考えに何だか丸め込まれそうになった。それから、(想えば、俺は、優しくするどころか、随分ルイズに変なことをしなかったか? レモンちゃんだの小さいにゃんにゃんだの言わせてみたり……ルイズは“ロマンチックなのが好い”っていっつも言ってたのに、俺がやってたことと言えば……)と自省し始める。

「俺、ただの変態じゃねえか……」

 すると才人は、後ろから声を掛けられた。

「違うね。君は、レヴェルの高い、変態だよ」

「マリコルヌ!」

 マリコルヌは、丁寧にパジャや姿である。おまけに枕も抱えている。

「おまえな、ホテルの食堂ってのはパジャマで歩き回っちゃ……」

 と、そのような旅行の栞に記載されているような注意を、才人が言うのだが……。

「何言ってるんだ? 君達の声で起きちゃったんだよ」

 マリコルヌは、当然文句を言った。

「さて、ギーシュはどうやら、君が優しくしなかった。おかげでルイズが逃げ出したと言ってるが、僕の意見はちょっと違うね。僕が見るに、サイトは相当良くやっていた」

「そうかね? 僕にはそう見えないが……」

 ギーシュが疑問手を呈する。

「良くやっていたさ! なあギーシュ、相手はあのルイズだぜ。考えてもみろ。確かに顔はまあまあさ。そこは僕も認める。でも何だあいつ。あの身体! 細くて痩せっぽちで、まるで板じゃないか! 子供じゃあるまいし、17であれはない。ないよ。それでもちょっとは萎らしくしてればまあ可愛いさ。でも、何だあいつ!? 二言目には犬。どんだけサイトが頑張ろうが犬。おいおい、テメエの身体鏡で見てから言えっつの。テメエの性格省から言えっつの」

「むむむ……」

 ギーシュは、マリコルヌの意見を聞いて、唸り始めた。

「そんなルイズのなのに、サイトは健気だったよ。“可愛い可愛いおまえ可愛いレモンちゃん”何つって、必死で口説いてた。さて、誓って言うが、ルイズにそんだけの価値はないね」

「おまえな……人の好きな女捕まえて、そこまで言うか……」

「言うね! 僕は予々、ルイズのどこが好いんだ? って想ってた。サイト、恥じることはないよ。君は“英雄”じゃないか。どんな女だって、今の君には靡くんだ。それなのに、ルイズ一筋だった君は偉い。と言うかありえない。ちょっとの余所見で家出をするなんて、あの女、勘違いしてる」

 才人は、ガバッと立ち上がると、マリコルヌの胸倉を掴んだ。

「馬鹿! おまえな、ルイズは可愛いんだ! 何も理解ってねえ!」

「ほう? どこがどう可愛いんだ?」

「いつもは、確かに怒りっぽいんだけどな……べ、べべ、ベッドの中だと可愛いんだ。凄い従順になって、何でも言うことを利くんダ」

 上擦った声で、才人は言った。

「ホントかい?」

「ああ。おまえだって聞いただろうが? レモンちゃん」

「レモンちゃん聞いた」

「普通は言わない」

「言わないな」

「詰まりは、そういうことだ」

「ふむ」

 それから才人は、夢見るような口調になって言った。

「あいつな、昼間は確かにおまえの言う通りかもしれん……生意気で、我儘で……でも、夜のあいつは違うんだよ……“知らない!” とか言うんだけど、目は期待に燃えてるんだ。毛布をこう、鼻の下まで冠って、恥じらいと期待が入り混じった震える目で俺を見やがるんだ。それにな、ルイズは確かにまな板かもれしれないけど、何だか妙に女っぽい身体してるんだ。腰なんかこう縊れてて、背中のラインなんかまるで神様が創ったレーシングコースだぜ? 全部が小さいんだけど、取り敢えず胸以外は妙なヴォリュームがあるんだ。それはもう、言葉にゃできないけど、何だか凄いんだ。嗚呼嗚呼嗚呼! 滅茶苦茶にしてやりたい!」

「滅茶苦茶にしたの?」

「ま、まだ……」

「ぷ。情けない」

 マリコルヌが笑みを漏らしたので、才人は掴んだ胸倉を引き上げた。

「おまえだってまだだろうが! 大体いっつも邪魔したのはおまえだろうがッ!」

 そのような騒ぎを3人の少年が起こしていると、後ろからジトーッと冷たい視線が投げ掛けられて来ていることに、少年達3人は気付いた。

 振り向くと、ティファニアとシエスタが立っており、3人へと冷たい目で見ているのである。

 隙かさずマリコルヌは、コホンと咳をする。それからティファニアに向かってペコリと一礼をした。

「ミス、感想ぞどうぞ」

「サイト最低。ルイズが可哀想」

 シエスタも、冷たい声で言った。

「そんなに魅力を感じてるのに、どうして浮気しますか?」

「ミス。もっと、もっと御願いします」

「サイト最低」

 才人は、「嗚呼嗚呼……」と頭を抱えてうずくまる。

 マリコルヌが、そんな才人の頭をゲシゲシと踏み付ける。

「なあ僕ちゃん。おまえ、ホントに変態だな! そりゃルイズも逃げ出すわ!」

 自分を棚に上げてそのようなことをのたまうマリコルヌに踏み付け乍ら、(そうだ、あんなに可愛いルイズがいながら、俺は何をやってるんだ……)と才人は切ない気持ちになった。そう想うことで、才人は自分のしでかしたことが、やはりどうにも赦せなくなって来るのである。

 ティファニアが、怒った声で言葉を続ける。

「ねえサイト。そんなに大好きなルイズに同じことされたら、どう想うの? 他の男の子と、ルイズがキスしたらどうするの? 私、きっとサイト傷付くと想うな!」

 本当にその通りであり、ワルドとルイズのやりといrなども想い出し、才人は何も言い返すことができなくなった。

「ごめん……」

「謝るのは私にじゃないでしょ? ルイズじゃない!」

 それからティファニアは、ギーシュとマリコルヌに向き直った。

「貴男達も貴男達だわ! 勝手な理屈を振り回して! 女の子を何だと想ってるの!?」

 いつもは大人しいティファニアの剣幕を前に、ギーシュとマリコルヌもタジタジとなった。

「すいません」

「ティファニアさん、格好良いです……」

 そのようなティアニアを見て、シエスタは目を潤ませて言った。

「……あう。ちょっと恥ずかしいけど、言わなくちゃって。だって、男の子達、余りにも我儘なんだもの……ねえサイト」

「はい」

 ティファニアに呼び掛けられて、才人は言葉を返しながら正座した。

「あのね、ルイズはね、サイトにその……そうゆう変なことされても言わされても、全然怒ってなかったよ? あれだけプライドの高いルイズが、だよ? きっと、それだけサイトのこと信用したたんだと想うの」

「そっか……」

 熱が冷めたかのように、才人は項垂れた。確かに、改めて思い直してみるが……才人から見ても、ルイズは怒っているようには見えなかったのである。が、改めてこのように他人の口からそうだと言われることで、ルイズの健気さを始め、自分への気持ちが浮き彫りになったように、才人には感じられた。

 才人は、(どうやって赦して貰おうか、なんて考えるのはやめよう)と窓から射し込んで来る朝陽を見ながら想った。それから、(精一杯謝ろう。赦して貰えるかどうかなんてのは、二の次だ)と考えた。

 そのような爽やかとでもいうことができる決心を人知れずしている才人の頭を、マリコルヌが踏み付けた。

「何1人で理解ったような面してるんだっつの? おまえなんかただの変態だっての」

 相手が弱っていると調子に乗るマリコルヌであった。

「良く言ったティファニア。大したものだ」

「セイヴァーさん……」

 ティファニアは恥ずかしそうに俯く。

「今のように、もう少し普段から自信を持てていれば良いのだがな。さて、マリコルヌ。その辺にしておいてやれ」

「セイヴァー。こいつに言ってやってくれよ。何をしでかしたのかを……ただの変態で、それに愛想を尽かされたってことを」

「ふむ……確かに、才人。おまえが悪いのだろう」

「う……」

「だが、おまえだけが悪かったという訳ではない。要は“間が悪かった”だけなのだ」

「でも、今回は俺が……」

「考えてもみろ。先ず、ティファニアやシエスタの考える通り、男は手前勝手な理屈で女性とやりとりをする。だが、男はそういった生き物だ。対して女性も同じだ。女性も女性で色々と自身の考えを持って行動する。男がそういった生き物だ、と知っていながらも、それ以上理解しようとはせず、そこで止まり、男女共に歩み寄ろうとしない。“貴族”を始めとした立場ある者達であればなおさらだろう。プライドや凝り固まった考えなどからどうしても歩み寄ろうといった考えに辿り着くことが先ずできない、いや、難しい。そして、おまえがキスをしてしまった、然る者は、立場が立場だ。が、他の“貴族”と比べると、率先して国のため、民のために行動に移している。それ故に色々と想いが溜まってしまう。王宮とあの屋敷が繋がっていることなどといったことに気付く者もまたいなかった。それに気付いた結果、話をする機会を得たのだ。そして、その然る女性は、才人……“この世界”の常識や慣習や風習に囚われていないおまえにだからこそ、心の中の想いを打ち明けることができたのだろう。そして、たまたま、そこをルイズが目にしてしまった。タイミングが悪かったんだ。そう……“おまえ自身の選択も―――おまえを取り巻く環境も―――おまえが良しとして、しかし手に入らなかった細やかな未来の夢も。それ等全てが、たまたまその時だけ、噛み合わなかっただけなのだ。御主の人生は、それだけの話である”。ルイズにも、その女性にもこれは当て嵌まる。“御主も悪い。だが周りも悪い。要は、全てが悪かったのだ。人生とはそんなモノだ。全てが悪いのだから、悲観するのは馬鹿馬鹿しいぞ”」

「どうせ、それも受け売りなんだろ?」

 俺の言葉に、少しばかり気を取り直したといった様子で才人が言った。

「無論そうだとも。俺の前世での経験は大したモノではなかった。だが、環境自体は恵まれていた。故に、そういった色々な考えに触れることができた。受け売りだろうがなんだろうが、それに感銘を受け、影響を受け、共感したんだ。ただ、それだけのことだ。さて、宿が開かれるまでにはまだ1時間はある。1時間だけでも横になって来ると良い。少しばかり楽になるだろうからな」

 

 

 

 

 

 さて、ちょうどその頃。

 朝も雨にけぶる“シュルビス”の街の入り口に、騎乗の2人組の男が現れた。フードの付いた灰色のローブを纏った姿は、まるで修道僧の様だといえるだろう。

 だが、2人の会話の内容は信仰とはほど遠いところに位置していた。

「全く! ダミアン兄さんは欲張り過ぎるよ! 100,000“エキュー”で十分じゃないか! それが200,000“エキュー”は欲しいだなんて……」

 背の低い方が、困った調子で言った。深く冠ったフードの奥には、好奇心の強そうな少年の顔が見える。

 先日、才人を殺そうとしたドゥードゥーである。

「俺達の計画には金が要る。おまえだって知ってるだろ?」

 隣の大男が、野太い声で言った。筋骨隆々とした、まるで“メイジ”とは想わせない男である。

 ローブの上からでも膨らませたボールを皮膚の下に押し込んだかのような、はち切れんばかりの筋肉が見て取れた。

「でもね、ジャック兄さん、僕にはダミアン兄さんが急ぎ過ぎているように想えるんだよ。良いじゃないか。100,000“エキュー”だって破格だよ!」

「あいつからは、もっと引き出せると踏んでるんだ。ダミアン兄さんの交渉術は大したもんさ! こないたおまえを苦しめたターゲット、あいつ、何だっけ?」

「そう! あいつ! 意外に強いからびっくりしたよ。ヒリガルだか、ヒラガットだか……そんな名前の奴だ。剣で僕を苦しめやがった。“英雄、英雄”と持ち上げられているのも、満更嘘じゃなかったってことなんだろうな」

「そのヒリガル殿は、依頼人達にとっては、絶対に排除したい人物だ。おまけに、そいつを殺れるのは、俺達くらいなもんだ。絶対に依頼人達は折れるよ」

「そうかなあ……?」

 ドゥードゥーは、其れでも浮かない表情を浮かべる。

 ジャックはそんな弟をチラッと見やり、言葉を続ける。

「それより、ジャネットのいる宿はどこなんだ?」

「え、えっと……」

「おい! おまえ、まさか宿の名前を忘れたとか言うんじゃないだろうな? ジャネットからの手紙を読んだのはおまえだけなんだぞ!しっかりしてくれよ!」

「ま、待って呉れよ!」

 ドゥードゥーは青くなった。

「えっと、その……あの……途中まで出て来てるんだ! 確か、海だか陸だか川だか……そんな名前の宿だったような……」

「この! 待ち合わせの場所を忘れる奴があるか!? それくらいなら、ちゃんと俺達に見せてから手紙は捨てろ!」

「“資料になるモノは全て捨ててしまえ”って言ったのは兄さんじゃないか!」

 ジャックは首を横に振ると、それからドゥードゥーの頭を掴んでグリグリと動かした。

「おまえ、このことが“トリスタニア”で交渉を続けているダミアン兄さんに知られたら、大変だぞ」

 するとドゥードゥーの顔が、目に見えて青くなっていく。

「……か、勘弁してくれよ」

「だったら、早いところジャネットの居場所を捜して来い!」

 

 

 

 

 

 結局、一睡もしないままに才人は宿を当たることになってしまった。

 才人とシエスタと俺、ギーシュとマリコルヌとティファニアの2つのグループに別れ、通りの左右をそれぞれ1軒ずつ巡って行くのである。

 才人はこの前襲われたということもあり、また才人がまだ未熟であるという理由から、俺は才人とシエスタの護衛という形である。

 対して、ギーシュとマリコルヌの2人は“水精霊騎士隊”のメンバーではあり、ギーシュはその隊長であるのだが、恨みを買うほどのことはしていない。ティファニアは秘匿されてはいるが“虚無の担い手”であり、“巫女”だ。故に、そう簡単に手を出す輩はいないであろう。ティファニアに手を上げるということは、詰まり“ブリミル教徒”に喧嘩を売るどころか、戦争を仕掛けることに繋がるのだから。

 俺達は3軒ほど回ったのだが、芳しい答えは得ることができないでいた。

「この街は通り過ぎたんですかね?」

 シエスタが言った。

「どー何だろうなー?」

 才人とシエスタは4軒目に入った。

 そこは、“我々の海亭”という、大きめの宿屋である。小さなカウンターがあり、主人がパイプを吹かしている。

 才人は何度も繰り返したように、カウンターの主人に尋ねた。

「ちょっと御訊ねしますが……このくらいの背の高さの、“貴族”の女の子が泊まってませんでしたか? 年は17だけど、もっと幼く見えます。一応、人形みたいに可愛いんだけど……」

 すると主人は、うーん、と首を振る。

「ここも駄目か……」

 才人が宿を出ようとした時に、物凄い勢いで灰色のローブ姿の男が飛び込んで来た。

「うわあ!?」

 才人とシエスタを弾き飛ばし、ローブ男はカウンターへと詰め寄る。

「おい! 親父! ここに“メイジ”の女の子が泊まって為ないか? 年の頃は17で、黒白の服を着てて、人形みたいに可愛いんだ!」

 その声に、才人は思わず振り返った。

 カウンターの親父は、首を横に振る。

「“貴族”の御嬢さんの間では、一人旅が流行っているんですかな? 今し方来た“貴族”の方も、同じようなことを訊いて来ましたな!」

 ローブ姿の男は慌てて振り返り、才人と目が合った。その顔が、しまった、という具合に歪む。

 才人は、その男を見て、口をポカンを開けた。それから、(あいつは……つい9日前、デルフをバラバラにして、俺を半殺しにした連中の片割れじゃねえか!)と想い気付く。

「てめぇ……」

「サイトさん?」

「シエスタ、セイヴァーの側にいるか、皆の所に逃げろ。こないだ俺を狙った奴だ」

「は、はいっ!」

 弾かれたかのように、シエスタは皆に報せるために駆け出して行く。

 才人は刀に手を掛けた。デルフリンガーを失った時の悲しみ、そして怒りが急速に蘇り、また膨れ上がる。それにより、才人の感情を受けたことで、左手甲の“ルーン”が強く輝き出す。

 才人はあの時、柄も通れとばかりに、刀で深く腹を抉ったはずであった。がそれでも今眼の前にいるドゥードゥーは、ピンピンとしている様子である。

 そのことから才人はあの少女が“水”の使い手であり、彼女に怪我を癒して貰ったのであろうと推測した。

 ドゥードゥーの強烈な“ブレイド”といい、2人共相当な使い手であるといえるだろう。

 油断なく周りに目を配りながら、才人は腰を落とした。

「おまえに、訊きたいことが沢山あるんだけどな」

 するとドゥードゥーは、心底参った、といった具合に手を振った。

「今日は休日なんだよ」

「人を殺そうとしといて、休日も糞もあるか」

 2人から発せられているただならぬ雰囲気に、店の主人が青くなる。

「おいあんた等! 喧嘩なら他所でやってくれ!」

 その声で、才人は顎をしゃくった。

「外に出ようぜ」

 その瞬間、ドゥードゥーは瞬時に“杖”を抜き、かなりの速度で“呪文”を唱えてみせた。

 “エア・ハンマー”。

 巨大な空気の塊に、才人は宿のドアごと吹き飛ばされて、通りに転がってしまう。

「くそッ!」

 直ぐ様立ち上がるも、ドゥードゥーが脱兎の如く駆け出して行くのを才人は見た。

「待てッ!」

 才人はその後を追い掛けた。

 

 

 

 通りの向こうから疾走って来るドゥードゥーを見て、ジャックはその巨体を竦めた。

「あいつ、一体何をやってるんだ……?」

「兄さん! 兄さん! 大変だ!」

「一体何が大変なんだ? 言ってみろ」

「えっと! その、例のターゲットがいた!」

 はぁ? とジャックは口をまん丸に開いた。次いで、ドゥードゥーの後ろから猛烈な勢いで駆けて来る剣士を見て、目を丸くする。

「おまえ、何やってるんだ!?」

「僕のミスじゃないよ! 偶然だってば!」

 “魔法”を唱えようとして、ジャックは思い直す。報酬の折り合いが着いていない今、目標である少年を殺す訳にはいかないのである。殺してしまえば、報酬どころの騒ぎでは済まないであろう。只働きになってしまう可能性があるのだから。

「ったく! 面倒なことになりやがった!」

 ジャックは短く“呪文”を唱えた。

 すると、才人の足元の地面が盛り上がり、大きな土の手となって才人の足を掴もうとする。

 だが、左手で刀の柄を握っていた才人は、“ガンダールヴ”や“サーヴァント”としての、驚くべき反応速度を見せて刀を抜き放ち、その土の手を切断する。王宮の中庭で行っていた居合の成果もあるといえるだろう。

 ヒュゥ、と軽く口笛を吹いて、ジャックは次の“呪文”を唱えた。

 地面の土が、ぼごっ! と塊ごと中に浮き上がり、何体もの“ゴーレム”ができあがる。

 戦士の格好をしたその“ゴーレム”達は、途轍もないスピードで才人に躍り掛ったが、才人は難なくその“ゴーレム”達を斬り裂いて、ジャック達へと向かって来る。

「成る程、おまえが手古摺っただけのことはあるなあ……」

 馬に跳び乗ったドゥードゥーに、ジャックは言った。

「どうしよう?」

「どう仕様もこう仕様も無ないだろう。殺しちまったら元も子もない。逃げるしかないだろう」

 事も無げに、ジャックは言った。

 

 

 

 駆ける才人は、相手が2人であるのを見て取った。

 だが、何人いようと、今の才人からすると、大したことではないといえるだろう。

 才人の中で。(あいつ等……誰に頼まれて俺を狙いやがったのか知らねえが、よくもデルフを!)と怒りなどが湧き上がり、次いで(どうして俺に止めを刺さなかったんだ? 何であれほど強力な“魔法”を操れるんだ?)といった疑問は頭から飛んだ。

 強烈な憎しみや怒り、デルフリンガーを失ったことによる悲しみなどが、才人の胸中で入り混じる。それから、戦いの経験が、その2つの感情を、冷静さ、へと変換させた。

 だが……頭の中がすぅっと冷えて行った瞬間……才人の心の中に、とある感情が滑り込んで来た。

「……くっ」

 駆ける、才人の足が鈍る。

 才人の心に滑り込んで来たのは……恐怖であった。

 あの巨大な“ブレイド”。

 そして、デルフリンガーをバラバラにしてしまうほどの“魔力”……。

 才人は、もっと大きい敵と戦って来たこともある。

 才人は、もっと沢山の敵と戦ったこともある。

 だが……彼等は違った。

 今までの敵とは、何かが違うのである。

 それを心の中のそのような恐怖などが、(俺じゃ勝てない)と才人にそう教えるので在る。

 それでも才人は、その恐怖を、(何言ってるんだ。どんな敵だって、打ち破って来じゃないか。ほら才人、あの大きい奴を見ろ。“メイジ”の癖に、あんなにデカイなんて……はは、ただの的だ!)と理屈などで抑え込んでみせた。

 だがやはり、それでも才人の中の恐怖は薄れることはない。

「くそっ!」

 才人は、(何でデルフがいないんだ? 何でルイズがいないんだ?)と考えざるをえなかった。

「確かに、1人だけど……よォ!」

 才人は、(考えろ、才人。恐怖に負けるな)と自身に言い聞かせる。

 巨体の“メイジ”は、“呪文”を唱えている。

 それを見て、(何だ? 土の壁? それとも“錬金”か? “硬化”でも使って身体を硬くする? それごと斬り裂いてやる)と才人は想った。

 才人が握っている刀は、流石はブリミルからのプレゼントといえるだろう。無銘のそれではあるが本物の打刀である。その業物に、更には“硬化”と“固定化”のおまけが付いている。

 “ガンダールヴ”であり“サーヴァント”である才人が震えば、この“ハルケギニア”のモノで、斬れないモノなどほとんどないといえるだろう。

 とうとう小刻みに、才人の身体は震え出す。

「くそッ!」

 距離が15“メイル”に達した時に、才人は跳躍した。

 ジャックの前に、分厚い土の壁ができあがり、次いでそれが輝く鋼鉄となる。

 才人は両手で握った刀で、それを難なく斬り裂いてみせた。そのままの憩いで降下し、ジャックの左腕に深々と刀を突き立てる。

 だが、ジャックは顔色1つ変えない。それどころか、刀を突き立てられたまま、左腕を振り回した。

「――何だってッ!?」

 驚いた才人は、地面に叩き付けられてしまった。

 間髪入れず、ジャックの拳が才人を襲う。

 陽光により、ジャックの拳がキラキラと輝いて見える。

 才人はそれを見て、(ただの拳じゃない!)と気付き、即座に身体を回転させ、紙一重のタイミングでジャックの拳を避けた。

 地面に、やすやすとジャックの拳は減り込んだ。

「いや、おまえ、身が軽いなあ」

 ズボッと地面から抜き出たジャックの拳は、硬い鋼鉄と化していた。

 ドゥードゥーのそのようなことをしていたことから、己の身体に“硬化”を掛けることは、彼等の得意技の1つであるということが判る。

 才人は、(しかし、さっきは左腕に刀を突き立てたはずなのに……そこから血の一滴すら流れていないとは、どういうことだ?)と疑問を抱きながら立ち上がる。

 立ち上がった才人に対して、ジャックは笑みを浮かべた。

「おまえ……随分とやるなあ。でも、まだおまえと戦う訳にはいかんのだよ」

 才人が隙かさず駆け寄ろうとした瞬間、ジャックは素早く“呪文”を唱えた。

 土が盛り上がり、一瞬で細かい塵へと分解される。単純な“錬金”であるのだが、その量と緻密さなどが違う。

 才人達を中心とした、街の一角が、濛々と立ち篭める土埃に覆われた。

「くそッ!」

 視界を遮られ、呆気なく才人は戦闘能力を失わざるをえなくなった。ここは街中である。闇雲に刀を振る舞わしてしまえば、誰を傷付けてしまうか知れたものではないのだから。

 土埃が晴れた後……ドゥードゥーとジャックは既に姿を消していた。

 まさに煙に巻かれたと云える才人は地団駄を踏んだ。

「くそッ!  くそッ! 畜生!」

 唖然とした顔の通行人達を掻き分け、ギーシュ達が現れた。

「サイト! 大丈夫か!?」

「今のが、先日君を襲った連中かい?」

「逃げられたみたいだな」

 才人は刀を鞘に収めると、痛みを気にすることもなく拳で思い切り叩いた。

「そう悔しがるなよ。またチャンスはあるさ」

 ギーシュにそう慰められたが、違う。

 才人が悔しさを覚えているのは、彼等2人を逃したことが理由ではないのである。

 才人は、(逃げてくれてホッとしている自分がいる、あいつ等と戦わなくて済んだ、そのことに安心している自分がいる。デルフの仇なのに……俺は逃げようとした。何が“英雄”だ)と想っているのであった。

「くそ……! デルフ……! 俺だけじゃ、やっぱり、あいつ等に勝てそうにねえよッ!」

 

 

 

 “陸の白鯨亭”の窓から、一部始終を見物していたジャネットは、ニタリと笑みを浮かべた。

 今し方、彼女の兄弟と戦っていたのは、“ド・オルニエール”で中断することになった仕事の、目標であったのだから。

 ジャネットは、彼がどうしてこの街にやって来たのか、その理由に気付いて笑みを浮かべたのである。

「……一体、何の騒ぎ?」

 寝惚けけ眼を擦りながら、ルイズがベッドから起き上がって来る。

 そんなルイズに、ジャネットは言った。

「何でもなくってよ。ただの酔っ払いの喧嘩」

「……迷惑ね。目が覚めちゃったじゃないの」

 眠そうな目のルイズを見て、(どこかで会ったような気がすると想っていたけど……まさか、あの時すれ違った女の子だったなんてね。詰まり、この娘が逃げ出して来た相手とは……私達のターゲット。退屈な仕事だと思ってたけど……面白くなって来たじゃないの)とジャネットは増々笑みを濃くした。

「で、貴女の兄弟はまだなの?」

「来たわよ」

「え? ホント?」

 ルイズの目が輝いた。

 その時、扉がノックも無しに開かれた。

 ジャックとドゥードゥーの姿がそこにはあった。

「あら。遅かったじゃない。御兄様方」

「こいつが、宿の名前を忘れてな」

 ジャックは、ドゥードゥーの頭を小突いた。

「でも! こうやってちゃんと想い出したじゃないか!」

「だったら初めから覚えておけ!」

 兄の叱責を他所に、ドゥードゥーはルイズを見て、目を丸くした。

「女の子だ!」

 ジャックは眉を顰めた。

「おまえ、また心を操って、人形、を作ったのか?」

 ルイズは怪訝な顔で、(人形? 一体、何を言っているの?)といった風にジャネットを見詰めた。それから、いきなり現れた2人の男を見詰めた。

 灰色のローブに身を包んだその姿は、まるで修行僧のようであるといえるだろう。だが……身に着け纏っている――放たれている雰囲気が違う。握られている“杖”を見るに、“メイジ”ではあるだろうが“貴族”ではないということを、ルイズに理解させた。

「ねえジャック兄様」

「何だ?」

「いつだかほら、どこかの伯爵の隠し子を運んだ修道院があったじゃない?」

「ああ、2年前くらいの前の仕事だな」

「あの場所、覚えてる?」

 ジャックは、チラッとルイズを見詰め、それからジェネットへと視線を戻した。

「覚えてるよ」

「良かった。教えてくれる?」

「どうしてだ?」

 ある程度を察した上でジャックは尋ね、ジャネットはニッコリと邪気のない笑みを浮かべた。

「この娘が、そこに行きたいって言うから」

 するとドゥードゥーが、呆れたと言わんばかりに両手を広げた。

「おいおいジャネット! おまえ、何を言ってるんだ? 仕事で得た情報をだな、そう簡単に教えちゃって良いと想ってるのか? 大体あの修道院は、秘密の場所で……“ガリア”の王政府だって、知ってるのは数人の……」

「そんなの関係ないじゃない」

「おまえな! いつもは僕に、仕事の秘密は守れって文句言う癖に!」

 ルイズはその兄弟達のやりとりを前に、(一体、この人達は、どんな仕事をしてるのかしら? 聞くと、“ガリア”政府の秘密の仕事をしてたみたいだけど……)と何だか目眩がしたような気がした。だが、(まあ、彼等が何者だろうが関係ないわ。私が隠遁できる場所を知っている……それで十分じゃないの)と考えた。

「良いだろ。教えてやる」

「ジャック兄さん!?」

 ドゥードゥーが叫んだ。

「ダミアン兄さんが聞いたら、怒るよ! 絶対に!」

「まあ、怒るだろうな。でも、教えなかったら、ジャネットはもっと怒るぞ。だろ? ジャネット」

 ジャネットの頬は、軽く上気している。そして、嬉しそうに微笑んでいる。

「こいつ……昔っからそうだ。気に入った人間見ると、何でもしてやりたくなるんだ。良かったな、御嬢さん」

 ジャックはルイズを見て言った。

 ルイズは、ジャックの身体から発せられる圧力のようなモノに押されるように感じ、怯えた様子で首肯いた。

 ジャックは鞄から羊皮紙とペンを取り出すと、サラサラと何かをしたためた。

「“ガリア”の海沿いの街……“グラヴィル”に行って、そこの“サンドウェリー寺院”のマチスっていう司祭にこれを見せな。多分、あんたが望む場所に連れて行ってくれるはずだ」

 ルイズに渡そうとしたその手紙を、ジャネットはサラッと取り上げた。

「おい、ジャネット……?」

「送って来わ。この娘、1人じゃ国境も超えられないだろうし」

「おまえ……仕事は? どーするんだよ!?」

「どーせ、まだ交渉の決着は着いてないんでしょ? ダミアン兄さんがいないし、それに、私がいなくたって、どうにでもなるでしょう?」

「ま、その通りだな」

 ジャネットはジャックへと跳び付き、その頬にキスをした。

「有難う! ジャック兄様。1番怖い顔してるけど、1番優しいわよね!」

 そしてジャネットは、呆気に取られているルイズへと向き直る。

「ほら。急いで支度して。直ぐに出発するわよ。さてさて、ここから“グラヴィル”まで3日って所かしら?」

「は、はい……」

「ああそうだ。深いフードの付いたローブでも羽織って、顔を確りと隠してね? どこでどんな追っ手に逢うか判らな無いから……」

 コクリと首肯いたルイズに、ジャネットは真顔になって言った。

「さてと。じゃあ最後に、これだけ訊いておくわね」

「え?」

「今から貴女を連れて行く場所は、秘密の場所、なの。この意味が理解る? 詰まり、入ったらもう2度と出られないってこと。それでも良いの? もう2度と、彼には逢えなくってよ?」

 その一言で、ルイズは青褪めた。頭の中に、氷の棒を差し込まれたように感じられたのである、芯から冷えて行った。

 才人に、もう2度と逢うことができない。

 そのkとが、やはり急に現実として、ルイズに重く伸し掛かって来るのである……。

 ルイズは、(でも……私はそれを覚悟して飛び出して来たんじゃないの。だって、サイトはもう……私より上手く彼を守れる人と、愛し合っている。サイトの側だけが、唯一の自分の居場所だと想ってた。でももう、そこには戻れない。となれば……逢ったら辛いだけよ。と言うより、もうこれ以上傷付きたくない。そんな痛みには、堪えられそうにない。あの時ルイズは死んだのよ。ここにいるのは、ただの抜け殻……)と考えた。

「構わないわ」

 ルイズがそう言うと、ジャネットは再び笑みを浮かべた。

「自分の、“愛”、に殉じるのね? 良いわ、私、そういうの大好きよ」

「ほう……“陸の白鯨亭”とは、これまた、安いが中々に洒落た宿ではないか……」

 俺のその言葉に、3人の兄妹達は急いで振り返る。それから、直ぐ側にいる俺を見て、3人は驚きに目を見開き、最大限に警戒心を向けて来た。次いで、それぞれ“杖”を握る。

 俺の姿を確認したルイズは、驚愕するが、瞬時に起伏の乏しい表情へと変化する。

「貴様……何者だ?」

「ジャック兄さん、こいつ……あのターゲットと一緒にいた男だよ」

 その兄弟のやりとりに、俺は恭しく一礼し、挨拶の言葉を口にする。

「始めまして、俺の名前は、セイヴァー」

「セイヴァー? “アルビオンの英雄”、“光の騎士”……本物だと?」

「そうだ。まあ、そう警戒するな。俺は別に、おまえ達と事を構える気は全くない」

「なら、どうしてここに?」

 ジャックとドゥードゥーとの会話をする俺に、ルイズは口を開いた。

「私を連れ戻しに来たの?」

「……いいや。それは違う。俺はおまえと話がしたかっただけだ」

「貴男の“眼”なら、いつでも見れるじゃない」

「見るだけでは駄目だ。こうやって会話した方が好いだろう?」

 兄妹達3人は、“杖”を俺へと向けて来る。

 が……。

「無駄よ。その人には、貴方達じゃ勝てない。逆立ちしても」

 ルイズは、静かに言った。

 それは、この3人共肌で、本能で理解していた。圧倒的力の差というモノ、底知れぬ“根源”へと繋がる存在を認識した。

「ジャック、と言ったか……先程の“硬化”と“錬金”は中々のモノだった。流石は……いや、ここでこの名前を口にするのは止めておこうか」

「あら? 私達のことを知ってるの?」

「もちろんだとも。ジャネット。俺は、君達4兄弟のことを、正体を、目的を、俺は総てを識っている」

 ジャネットの質問に答えた俺の言葉に、ジャックとドゥードゥーの2人は更に警戒心を強める。

 が、対してジャネットの方はというと興味深そうに俺を見詰めて来る。それから、ルイズにしてみせたように、ジャネットは爪先立ちして俺の頬をペロッと舐め上げた。

「――!? 貴男、人間なの? 途轍もない力を持ってるみたいだけど」

 驚愕から、更に興味を強めたといった様子で、ジャネットは俺へと問い掛けて来る。

 俺は、そんなジャネットに対し、笑みを浮かべ、ソッと頭を優しく撫でながら答える。

 ジャネットは抵抗することもなく、ただ俺を興味深そうに見詰めながら受け入れた。

「違うな。今の俺は厳密にはヒトではない。況してや、“ラグドリアン”のあの“水の精霊”や“亜人”、おまえ達のような存在でもない」

「で、何が目的なんだ?」

 ジャックは、冷静な様子を見せ、俺へと問い掛けて来る。

「そうだな。そこの少女と会話をしたかった。そしておまえの“メイジ”としての腕前への賞賛の言葉を掛けたかった。後は……そうだな、交渉かな?」

「交渉?」

「ああそうだ。おまえ達はとある計画、目標や目的を持って行動している。それには大量の金などが必要だろうな。だが、それでも上手くことを運ぶことができなくなった時は、“アルビオン”に来ると良い。これから先の“アルビオン”は“白の国”と呼ばれるままではあるが、敵意や害意を持たない者はいつでも大歓迎する国になるからな。少なくとも、あいつはそうしようとしている。“亜人”であろうとも、その混血種でも関係ない」

「…………」

「まあ、直ぐに決めることなどできやしないだろう。それに、今のおまえ達にはちゃんと仕事があり、長兄が交渉しているだろうからな。だから、長兄に教えてやるくらいはしてみると良い。ああ、最後に……ヴァネッサ」

「な……何よ?」

 俺には名乗っていないはずの偽名で呼ばれ、ルイズは一瞬誰のことか理解らないといった様子を見せる。が、直ぐに取り繕う。

「おまえの気持ちは判る。理解るぞ。だから何も言わない。と言うより、口を挟むつもりはない。むしろ、そんなおまえが、おまえ達のことが“愛”しいとさえ想える。が……最後に、これだけは言わせてくれ。おまえは決して独りなどではない、決してな。まあ、自身の想うままに行動し、“愛”に殉じると良い」

 俺はそう言って、“霊体化”して部屋を出る。

 後に残された人は、呆気に取られた様子を見せた。

 其れからルイズは、外方を向いた。



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修道女ルイズ

 エレオノールは、研究室にある自室の椅子に腰掛け、机の上に置かれている書類を左手でずっと弄っていた。それから、眉間に皺を寄せ、人差し指でこめかみをグリグリと捏ね回す。これは、彼女の癖である。悩み事があると、目を瞑り、眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、いつまでもといえるほどの時間の間この仕草を続けるのである。

 そのような時の顔は、末の妹であるルイズソックリである。

「しかし、あの娘……まだ帰って来ないのかしら?」

 ルイズが失踪したとの報告を実家から受けて、エレオノールが先ず思った事こと、(言わんこっちゃない)といった感想であった。

 エレオノールは最初こそ、(一緒に暮らし始めたら、色々と粗も見えたのだろう。まあ、ただの癇癪で、直ぐに帰って来るでしょう)なんて想っていたのだが、ルイズはまだ帰って来ないことを知った。

 少し心配になって来たエレオノールは、ド・オルニエールに行って、詳しいは話を才人から訊こうと考えていたのだが……。

「それどころじゃなくなっちゃったわね」

 先程から弄っていた、今朝方届いたばかりの書類を摘み上げ、エレオノールは呟いた。

「何よこれぇ……今度は私って訳?」

 その書類に記載されている内容は、エレオノールに命じられた研究内容である。

 それにしても、可怪しな研究の内容であるといえるであろう。

「“錬金を常時放出する魔法装置”ですって? 始祖像ばっかり造ってた私に、一体何をさせようと言うのよ?」

 流石にこれには何かがある……そう想ったエレオノールは、立ち上がった。それから。スラリと高く細身の身体に、壁に掛けていたマントを羽織る。机に置かれた帽子を冠ると、立派な“アカデミー”の研究員のできあがりといった寸法である。

「さてと……でも最上階って、苦手なのよね……」

 エレオノールはそのような言葉を呟きながらも研究室を出て、扉に鍵を掛ける。

 “アカデミー”は、30階もある“魔法”の塔である。円形の塔の周りに部屋が配置されており、部屋に包まれるようにして廊下が走っているといった構造である。そして塔の真ん中には、“昇降装置”がある。“風石”を使用し、各階に人を運ぶ装置である。見た目や用途こそ、“地球”にあるエレベーターと酷似しているといえるだろう。

 エレオノールが“昇降装置”の扉に設けられているレバーを下げると、籠が降りて来て、眼の前で止まる。

 乗り込んで、「最上階」とエレオノールが短く告げると、籠に取り付けられている“ガーゴイル”の像の目が光り、籠は上昇を始めた。

 最上階に達すると、エレオノールの眼の前には、五芒星が描かれた大きな鉄の扉がある。左右に控えている“ガーゴイル”の目が光ると、エレオノールに向かって光が延びた。

 光が彼女の瞳を確認すると、スゥッと扉が開く。いわゆる、“魔法”で行われる虹彩認識といったところであろう。

「…………」

 いつ来ても、エレオノールにとってなにやら慣れない場所であった。

 扉が開いたそこは、“アカデミー”の評議会長室玄関……“トリステイン”の知を司る機関の、最高責任者が執務を行う場所の入り口である。

 玄関室の左右には扉が設置されており、真正面には机がある。

 そこでは、若い女性が書き物をしている。エレオノールに気付き、女性は顔を上げる。

「あら。ミス・ヴァリエール、どうされました?」

 議会長秘書の、ミス・ヴァランタンである。理知的であり、冷たい印象を与えて来る女性だ。

 エレオノールと同年代ではあるのだが、2人はあまり親しく口を利いたことはなかった、というよりも、正直なところ、エレオノールはヴァランタンに対して苦手意識を持っている。

「ゴンドラン卿に面会したいのですけど」

 エレオノールがそう言うと、ヴァランタンは首を傾げた。

「御約束はおありですか?」

「いえ、特に」

 そうエレオノールが答えると、やはりヴァランタンは困ったような顔になった。

「となると、面会の申込みをして頂かねばいけませんわ。それが規則ですから」

 すると、エレオノールの額に青筋が浮いた。ピクッと眉を震わせ、エレオノールは議会長秘書へと詰め寄る。

「宮廷から来た監査官や、田舎から出て来た書生じゃないのよ。“主席研究員のエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールが来た”と。そう告げてくださらない?」

 それでも、ヴァランタンはこれといった反応を見せない。

「それは良く存じておりますわ。例え女王陛下が来られようが、私はこう申すだけですわ。規則ですから、と」

 エレオノールの額に浮いた青筋が増える。それから、ヴァランタンへと顔を近付け、「融通の利かない人ね」と、怒りに震える声で言った。

「ここまで我儘を通そうとなさる研究員は、ミス・ヴァリエールだけですわ。少しは他の方の行儀を見倣っては? そうすれば御結婚だって上手く行くでしょうに……」

 冷たい笑みを浮かべ、サラリとヴァランタンは、エレオノールに対しての禁句を口にした。

 エレオノールは、ニッコリと笑みを浮かべると同時に“杖”を引き抜いた。

 しかし、ヴァランタン然る者である。ほぼ同時に“杖”を抜いて、エレオノールの鼻先に突き付けていた。

「この“アカデミー”内で、攻撃“魔法”を人に使えば除名……覚えておいでですか?」

「誰も攻撃“魔法”何か使わないわ。貴女の良く利く口を閉じる“魔法”を、ちょっと唱えるだけじゃないの」

 そにょうな一触即発といった空気の中、悲鳴の様な声が、机の上に載った小さな水晶の髑髏から響いた。

「こらこら! 君達、やめたまえ!」

 髑髏に向かって、エレオノールは叫んだ。

「ゴンドラン卿。貴男の秘書に、礼儀を教えて上げているだけですわ」

「理解った理解った……仕方がないな、入りたまえ」

 すると、エレオノールの左手側の扉が開いた。

 去り際に、エレオノールはヴァランタンを思い切り睨み付けた。

 執務室の中は、様々な“魔道具”や、美術品などで溢れている。まるで玩具箱を引っ繰り返したかのような部屋の真ん中で、背の高い老紳士が椅子から立ち上がった。髪は銀色に光り、鼻の下には小さく刈り込まれた髭がある。整ってはいるのだが、あまり覇気の感じれない顔立ちをしている。それが、この老人の印象を、薄いモノにしている。彼が、“アカデミー”評議会長、ゴンドランである。

「全く……一体何の用なんだね? ミス・ヴァリエール……」

 口の中でモゴモゴとし言い難そうに呟くゴンドランに、エレオノールはツカツカと近付いて行く。

「何の用もこんな用もありませんわッ!」

 エレオノールはゴンドランへと近寄ると、思いっ切り怒鳴り付けた。

 もう、それだけで気の弱そうなゴンドランは、タジタジになってしまう。

「そんな大声を出さないでくれよ……こっちは年寄りなんだから……」

「出しますとも! 一体、この研究命令書は、どういうことなんですのッ!?」

 エレオノールは、書類を突き出した。

「ああ……これか、うん。その、あのだね、王政府の偉いさんがどうしてもって……」

「別に異端とは想いませんが、この伝統ある“アカデミー”で行うべき研究ではありませんわ!」

「まあ、確かに君の言う通りなんだが、儂にも立場というモノがだね……」

 汗を拭きながらゴンドランは、エレオノールを宥めるように言った。

「一体、王政府は何を御考えですの? この前は、ヴァレリーが妙な研究を命ぜられたし……」

「さ、さあ……儂も何が何だか……」

 腕を組み、ジロリ、とエレオノールは細い目でゴンドランを睨んだ。

「何か御隠しになっているんじゃありませんこと?」

「儂が!? 君に!? とんでもない! 何も隠してなどおらんよ!」

 ゴンドランは慌てた調子で、手を振った。

「本当ですか?」

「ほ、本当だ! うん。あのだな、君、王政府が何を企んでいるのかは知らん。きっと、彼等には彼等の考えがあるんだろう。だがな、ここで恩を売っておくことには、悪いことではないぞ。ミス・ヴァリエール、確か君は、新しい“高速魔法炉”が欲しいと言っておったな?」

「う……」

 エレオノールは弱みを突かれてしまい後退った。

 何せ、研究には金が掛かるのである。“トリステイン”の知の結晶とはいえ、予算に振り回されてしまうのはいつものことであり、仕方がないことであるのだ。

「“土”武門の研究費を引き上げるよう、評議会で根回しもしておこう。どうだね?」

 エレオノールは、こめかみに人差し指を当ててて、グリグリとやり始めた。しばらく悩んでいたのだが、恥ずかしそうな声で言った。

「で、でもですね? やはり、納得のいかない研究をする訳には……」

「何を言っておるんだね? もう学生でもあるまいに、研究にはパトロンが必要なんだ。この“アカデミー”だって例外じゃない」

「…………」

 ゴンドランは、エレオノールの肩に手を置いた。

「君のような優秀な研究員が、もっとより良い環境で仕事に打ち込めるよう、儂なりに努力しているつもりなのだよ」

 エレオノールは、苦しそうな声で呟いた。

「……マ、“マンドラゴラ”の畑があと2枚あっても良いんじゃないかと?」

「そのように取り計らおう」

 それが止めで、エレオノールは執務室をフラフラと出て行った。

 1人残されたゴンドランは、扉が閉まると、ふぅ、と溜息を吐いて椅子に腰を下ろした。

 すると、乱雑に組み上げられた棚の後ろから、小さな影が現れた。10歳くらいの少年である。短い金髪の悪戯坊主といった風情であり、全くこの部屋には似付かわしくないといえるだろう。

 少年は、楽しそうな声でゴンドランに言った。

「押されっぱなしではありませんか。“灰色卿”」

「あのミス・ヴァリエールは苦手なんだよ……腕は良いんだがね」

 それから少年に向き直り、困ったような声でゴンドランは言った。

「さてと、聞いての通りだダミアン君。君の注文をそのまま受けると、大変な御金が掛かる。200,000“エキュー”? 馬鹿を言っちゃいけない! 100,000“エキュー”だ。それが我々の限界だ」

「他の方達からの出費はもう望めないのでしょうか?」

「伝統を守るためには金が掛かる……“それ以上の金を出しては、今度は自分達の体裁が危うくなる”、だそうだ」

「“トリステイン貴族”の伝統を守りたいのでしょう?」

 ゴンドランは、深く椅子に腰掛け直した。

「ああ。だが、他の君達の我儘は全て利いたぞ。次は君達が利く番だと想わんかね?」

 しばらくダミアンは考え込んだ。

「180,000“エキュー”ですな。それ以上はどうあっても罷りません」

「120,000“エキュー”だ」

「御話になりませんな!」

 吐き出すように言い捨てると、ダミアンは首を横に振った。そのような仕草を取る彼は、やはりどうにも10歳の少年とは想わせない。

「どうにも折り合いが着かんな! しかし、どうして、そんなに金が必要なんだね?」

 呆れた声でゴンドランは尋ねた。

「夢があるんですよ」

「夢?」

「ええ。夢です」

 ダミアンはそこで、初めて、見た目の歳相応の少年のように笑った。

 

 

 

 

 

 研究室に帰って来たエレオノールは、テーブルに突っ伏した。

「なに丸め込まれてるのかしら……? 私……」

 最近の“アカデミー”は妙だといえるだろう。

 次々に命じられる、不可解な研究内容……それ等が、(王政府からの横槍? 一体誰が? それ本当なの?)とエレオノールを悩ませる。

 とはいっても、“アカデミー”で毎日研究ばかりしていたエレオノールには判るはずもないことである。

 そうだ、とエレオノールは思い直した。

 それからエレオノールは、(ルイズに訊いてみよう。あの娘、陛下の女官だっていうし……宮廷の事情には明るいだろう)と考えたのだが。

「あ」

 そこまで考えて、ルイズが現在家出の真っ最中であるということを想い出し、エレオノールはガックリと肩を落とした。

「あの娘……一体どこで何をやっているのかしら……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにもこうにも目紛しい5日間であったといえるだろう。

 “シュルビス”から3日掛けて、ルイズは“クラヴィル”に到着することができた。“クラヴィル”は海岸沿いのひなびた漁村であり、“サンドウェリー寺院”は港を臨む丘の上にあるのである。

 “サンドウェリー寺院”のマチスは、やって来たルイズとジャネットを怪訝な顔で見詰めた。が、ジャックが書いた手紙を見せると、表情を一変させた。

「そ、そんな……いやでも……」

 だが、マチスが悩んでいたのはものの数分で、直ぐにテキパキと用意をした。“竜籠”を手配し、何が何やらと戸惑っているルイズにこう言い含めた。

「今から貴女が赴く修道院は、とある事情があってそこで暮らすことを余儀なくされた女達ばかりだ。彼女達のことを深く詮索しないこと。そして……」

 ルイズは、首から提げられた“聖具”を見詰めた。どこにでもあるような、ただの“聖具”であったのだが、これを首から提げることで……何と驚くべきことに、ルイズの顔の形と髪の色が変わって行った。

 どうやら高度な“フェイス・チェンジ”の“魔法”が付与されているらしいことが判る。

「これを決して外さないこと……」

 マチスは、そうルイズに告げた。そして、「絶対の本名を名乗ってはいけない」と申し含めた。

 それ等から、ルイズがこれから行く場所は、かなり訳ありの所である、ということが理解る。そうでもなければ、身を隠すなんてことはできやしないであろう。

 “竜籠”に乗り込む時に、ルイズはジャネットに深く礼をした。何から何まで、ジャネットには世話に成りっ放しだったためである。

「さようなら。ホントにどうも有難う」

「さようなら。でもね、何だかまた直ぐに逢えそうな気がするわ」

「2度と出られないんじゃなかったの?」

 ルイズがそう言うと、「そうね。でも、そんな気がするのよ」と、本気か冗談か判り難い調子でジャネットは言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでやって来た“セント・マルガリタ修道院”は、成る程今のルイズにはピッタリの場所であるといえるだろう。

「海の風が身に染むわ……」

 キラキラと鱗のように光る外海の漣を見詰めながら、ルイズは言った。

 ルイズが、この“セント・マルガリタ修道院”にやって来てから、2日が過ぎた。

「こんな場所が“ハルケギニア”にあったのね」

 まさにここは、陸の孤島、である。

 突き出した岬の突端に位置するこの修道院には陸路が通じていないのである。切り立った岸壁には、船も近付くことはできやしないだろう。ここにやって来るには、ルイズがそうしたように空から入るしかないといえるのだ。詰まり、ヒトではここにやって来ることは先ずできない……。

 身を隠すには、打って付けの場所であるといえるだろう。

 ルイズは風に嬲られ、髪が頬に掛かる。その色は、見事なまでのブルネットであった。ルイズは、1度鏡で見たのだが、鳶色の瞳は黒目に変色し、鼻も輪郭もまるで別人のそれになっていたのである。“聖具”によって掛けられた“魔法”の御蔭だといえ、例え家族であろうとも今のルイズも見ても、ルイズだと判ることはないであろう。

 そのようにまるっきり別人になってしまうことで、ルイズは何だか覚悟も付けることができた。ルイズは、(以前の私の顔を想い出せなくなる頃には……きっとこの胸の痛みも忘れてしまえるに違いないわ)と考えた。

「スール・ヴァネッサ」

 背後から声を掛けられ、ルイズは振り返る。ジャネットに名乗った偽名をそのまま使っているのである。ここでのルイズは、スール・ヴァネッサ(修道女)である。それ以上の肩書は誰も必要としていないのだから。

「はい」

 と、振り向くと、修道院長が立ってルイズを見詰めている。

 初老の人が善さそうな女性である。

 周りを見回して、辺りに誰もいないことを確かめると、修道院長はルイズに近寄り、小さな声で言った。

「さて、もう1度念を押して置きますが……ここに来られた以上、過去は御忘れになって頂かねばなりません。私は貴女が何者で、どうやってここを知ったのか……それすら尋ねません。ですから貴女も、他の修道女の素性を探ってはなりません」

「もちろんですわ。過去を忘れるために来たんですもの」

 ルイズは言った。

 この修道院長は、到着した時も全くルイズの過去を詮索することはなかった。詰まり彼女は、余計なことを知りたくないということである。

「それと、貴女が首から提げた“聖具”ですが……ここの規則で、決してこれを外してはいけません。貴女には、その理由が御理解りですね? しかし、生まれて直ぐにこの修道院にやって来た乙女達は、その“聖具”の秘密を知りません。従って、“聖具”に掛けられた“魔法”について口外することも固く禁じます」

 ルイズは首肯いた。

「よろしい。もう私から申すことはありません。共に、穏やかに、神への祈りを捧げましょう。この身が朽ち果てるまで……」

 そう言い残すと、修道院長は去って行く。

 ルイズは、自分がこれから暮らすことになる“セント・マルガリタ修道院”を改めて見回した。

 小さな修道院と、宿舎が、狭い岬の突端の上に建っている。岩場の隙間を利用して、貯水池と段々畑が作られている。

 それ等が、“魔法学院”の中庭くらいの土地に押し込まれているのである。ここで暮らす女達は30人ほどである。週に1度、空から輸送船がやって来て生活に必要なモノを始め食料などを置いて行く……。

 ルイズは、(ここで、毎日御祈りして暮らすんだわ)と考えた。

 ほんの12日ほど前までは“ド・オルニエール”でノンビリとした日々を過ごしていたはずなのだが、今日はこの世の果てような修道院で、海を眺めているのである。

 そんな物想いに耽りながらルイズが歩いていると……。

「ヴァネッサさん!  ヴァネッサさん!」

 前から3人ほどの、若い修道女が走って来た。彼女達はあっと言う間にルイズを取り囲むと、口々に騒ぎ始めた。

「ねえヴァネッサさん、どちらから入らしたの?」

「私が尋ねるのよ!」

「ここに来る前までは、何をしてらしたの?」

 先程の修道院長からの注意が吹き飛ぶかと思えるような、質問攻めの嵐である。

 ルイズがしどろもどろになっていると、若い修道女達は更に詰め寄った。

「こらッ!」

 修道女の後ろから、怒鳴り声が響いた。

「ジョゼットさん!」

 ツカツカとやって来たのは、長い銀髪の少女である。ジョゼットと呼ばれたその銀髪少女は両手を腰に置くと、澄ました顔で言った。

「貴女達、修道院長に何時も言われてるでしょう? “俗世のことに、興味を持ってはいけませんよ”って」

 すると、少女達はニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。

「あら。ジョゼットさんにそんなことを言われる筋合いはないわ。1番俗世に興味がおありになる癖に」

「何よそれ? どういう意味かしら?」

「どうもこうもないわ。だって、ねー?」

 ジョゼットが、ジロリと睨むと、少女達はキャアキャアと喚きながら駆けて行った。

 唖然としたルズに、ジョゼットはペコリと頭を下げた。

「ごめんなさいね。悪い娘達じゃないのよ。ただ、ほら、ずっとこんな場所にいるから……退屈しているだけで」

「そうね」

 ルイズは納得した。なんとなくではあるのだが、この修道院には2種類の女がいるということに、ルイズは検討を着けていたのである。

 ルイズの同様に世を捨てたいがためにやって来た女……彼女達は、割と年配であるといえ、他人を寄せ付けない雰囲気を周りに放ち、日がな1日中御祈りばかりをしている。

 もう一方は、先程の3人の様に比較的幼く若い修道女達であり、彼女達は恐らく生まれながらにしてここにやって来てあろうことを推測させる。存在が明るみに出ると不味い、“貴族”の私生児……そのようなところであろう。

 ルイズは、朝食の席で、隣の部屋から赤ん坊の泣き声を聞いたことを想い出した。

 そういった私生児と想われる少女達は、自分がどうしてこのような所にいるのか、それすらも理解していないに違いないといえる。だからこそ、先程の少女達を始め、若い娘達の殆どは明るいのである。

 ルイズがそのような考えに耽っていると、ジョゼットは手を差し出して来た。

「私、ジョゼットって言うの。よろしく」

「……ヴァ、ヴァネッサよ。よろしく。スール・ジョゼット」

「ジョゼットで良いわよ。ここじゃ誰も、そんな堅苦しい呼び方はしないわ」

 ジョゼットは、笑みを浮かべて言った。

 

 

 

 さてさて、ルイズは何故かそんなジョゼットに、子犬の様に懐かれる羽目になってしまった。

 この修道院は、朝と夕方の2回、毎日決まった時間に食事を摂るのだが、ジョゼットは澄ました様子でルイズの隣に座るのである。

 それだけではない。

 ジョゼットは、やって来て間もないルイズの世話係に立候補して、ベッドで隣を確保までしてしまったのである。

 流石にルイズは、(折角、ひっそりと暮らしたいと想ってやって来たのに、どうしてここまで懐かれねばならないのかしら?)とウンザリとしてしまった。が、それでも善意から来るモノであるということが判るために、無碍にすることもまたルイズにはできなかった。

 ベッドが隣同士になったその晩、ジョゼットはあれやこれやとルイズに話し掛けて来た。内容といえば、他愛のないことばかりである。

「ねえヴァネッサ。私、貴女の素性は尋ねないわ。規則だから! でもね、外、の御話だったら構わないでしょう?」

「……外?」

「ええ。ねえ、外の世界では、若い女の子はどんな服を着るの?」

「そんなの、他の誰かに訊いて頂戴」

 釣れなくそう言ったルイズであるのだが、それでもジョゼットは諦めない様子である。

「じゃあ、男の子とデートしたことある? それくらいだったら良いわよね?」

 ルイズの脳裏に、“使い魔”である少年の姿が浮かぶ。(折角忘れるためにやって来たのに!)、と不意に怒りを覚え、ルイズは強い調子で言い放ってしまった。

「……いい加減にして! 眠いのよ!」

「何よ。怒らなくたって良いじゃない」

 そう言って、ジョゼットはようやっと自分のベッドへと潜り込んだ。

 さて……いざこうやって、安息の地、に着いて、少しばかりホッとするルイズであったのだが……。やはり、想い出すことは才人に関することばかりであった。

 自棄糞のように、このような辺鄙だといえる所までやって来てしまったルイズであるのだが……。

 ここで暮らす以上、基本的には、もう2度と才人には逢うことは先ずできないであろう。

 ルイズは、(想えば、いつも眠る時にはサイトが側にいた。そうじゃないと安心して眠れなかった。“シュルビス”にいた時はワインが眠りの世界に運んでくれたけどが、ここは修道院。そんなモノはないわ)と考え、酔っていない状態で才人のことを想い出すことで……針で刺されたかのように胸に痛みを感じるのであった。

 “使い魔”の気持ちが、自分に向いていない、ということが……これほど辛いことだとは、ルイズは想うことができなかったのである。たまに余所見をしても、気持ちは自分にあると想っていたためである。だが……才人のあのような顔を見てしまった後では、もうルイズにはそう想うことができなかった。

 ルイズは、(サイトが好きなのは……私じゃない。姫様。アンリエッタ・ド・トリステインその人。祖国で1番の女性。全ての“貴族”の上に君臨する、1番尊い女性……私に勝ち目なんかない)と想い、やはりどうにもこうにも、自分が、(ちっぽけなルイズ、“ゼロのルイズ”。痩せっぽちで性格の悪い女の子……)といった風にちっぽけな存在に感じて仕方がなくなってしまうのである。

「……ひっぐ。えぐ……えっぐ」

 気付くと、ルイズは嗚咽を漏らしていた。それから、周りに聞こえないようにと、毛布を冠った、泣いているところを、これから一緒に暮らさねばならない女の子達に見せる訳にはいかない、と想ったのである。

 だが、隣のベッドで寝ているジョゼットには聞こえてしまったようである。

 ジョゼットは起き上がると、ソッとルイズの毛布の中へと潜り込んで来る。

「どうしたの?」

「だ。だいじょうぶ……だから……ひっぐ」

「ごめん。私、何か不味いこと言っちゃった?」

 心配そうなジョゼットの声に、ルイズの心は増々昂ってしまう。

「ほ……ホントに、何でもない……えっぐ」

 するとジョゼットは、黙ってルイズの頭を優しく抱き締めた。

「良いのよ。御泣きなさいな」

「嫌だ……」

「どうして?」

「は、恥ずかしいじゃない……えっぐ……弱虫だと想われちゃう。ひっく」

 泣きじゃくりながらも、何故か自然と強がろうとする理由をルイズは口にしていた。

 すると、ジョゼットは優しい声で言った。

「良いじゃない、弱虫で。私だって弱虫よ」

 ジョゼットは、ずっとルイズの頭を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 翌朝……ルイズは泣き腫らした目で、ムクリと起きた。

 隣では、ジョゼットがスウスウと軽やかな寝息を立てている。

 こうして見ると、ジョゼットは幼い顔立ちをしている。とはいってもルイズと同じくその顔は首から提げられた“聖具”で変えられたモノであろうが……。

 ルイズは、(この娘は恐らく……生まれて直ぐにここにやって来たのね。だから外の世界のことを訊きたがったんでしょうね。ここでの生活しか知らない)と恐らく同年代であろう少女の顔を、ジッと見詰めた。ルイズは、今まで自分が……世界で1番不幸に近い少女だとばかり想っていたのである。

 だが、ここしか知らないジョゼット達は、自分が他人からした感覚でいう不幸であるということすら知らないのである。そのような娘に、ルイズは慰められたのであった。

 そう考えると、昨晩泣いた自分が随分と身勝手で我儘であったように、ルイズには想えた。それから、(外の世界の話くらい、何でもないじゃないの)と考えることができた。

 ジョゼットが、目を覚ましたのだろう、ユックリと身を起こした。

「ふぁあああああ……おはよう。ごめんね、貴女のベッドで眠っちゃったみたいね」

 ルイズは首を横に振った。

「良いのよ。あのね、昨晩はごめんね。外の御話で良かったら、させて頂戴。気晴らしにもなるし」

 すると、ジョゼットはキラキラと目を輝かせた。

「ホント?」

 コクリと、ルイズは首肯いた。

 

 

 

 “セント・マルガリタ修道院”での生活は、厳密に時間に縛られたモノであるといえるだろう。朝起きると先ず、修道女達は礼拝堂で祈りを捧げる。その後、掃除をして朝食。農作業や、雑務が午後の3時くらいまで続くといった具合である。それから、夕方まで自由時間があって、その後に夕食である。夕食の後は、御祈りをして、直ぐに寝てしまう。まさに夜明と共に起きて、日の入りと共に眠る生活であるといえるだろう。

 今迄“貴族”としての暮らしに慣れていたルイズには、このような質素とでもいうことができる生活があるということに、驚きを隠せなかった。

 そして、ルイズは僅かな自由時間を使って、ジョゼット達に外の世界の話をしてやるのである。彼女達は、目を輝かせ、ルイズの話をまるで英雄譚のように聴くのである。

 その日もルイズのベッドの上に集まり、少女達はルイズの話を夢中になって聴いていた。4人ほどで毛布を冠り、ひそひそとやるのである。あまり騒ぐと窘められてしまうために、こうするより他にないのである。

 蝋燭の灯りすらないために、もう真っ暗である。

「そうね、御休みの日には遠乗りをしたりするわ」

「遠乗り?」

「そうよ。馬に乗って、遠くまで駆けるの。楽しいわよ」

「ねえねえ、馬って何?」

 ジョゼットを始めとした少女達は馬を知らなかった。この狭い修道院だけが、彼女達の世界であるのだから、知らないのも無理はないであろう。

「何て言うかな……乗ることのできる動物?」

「“竜”とどっちが大きいの?」

「そりゃあ、“竜”の方が大きいわ」

「私、犬なら知ってる! この前、御船に乗っているの見たもの」

「あの、ギャンギャン吠える生き物? 煩かたわ」

「馬って、空は……飛べないんだよね?」

「似たような飛べる生き物ならいるわ。“ペガサス”とか“グリフォン”とか……」

「何それ!? どんな生き物なの?」

 日々の生活、食べ物、街の様子……そういったモノを、彼女達は熱心に聴きたがったのである。

 だが、話の途中で、ルイズは妙なことに気付いた。

 馬を知らない少女達であるのにも関わらず、妙に世間のことに関して詳しいのである。例えば、今、街で流行っている帽子の形……レースやアクセサリーを扱う店の名前だとか。“ガリア”の首都“リュティス”の街並みも良く知らないのにも関わらず、そういった街の端々のディティールに関しては知っているのである。

 そのことに、ルイズは驚いた。

「良く知ってるわね。波打った鍔の帽子が流行っているなんて」

 そうルイズが言ったら、1人の少女が得意げに言った。

「たまに入らしてくださる神官様が、街の流行を教えてくださるの」

 このような秘密の修道院であるが、訪れる客はいる。そういった人達から、外の話を聞くことくらいしか、彼女達には娯楽がないのである。

「でも、ジョゼットさんは、もっと色んなことを教えて貰っているようだけど!」

 1人の少女がそのようなことを言うと、ジョゼットは首まで赤くした。

「何を言うの!? 変なこと言わないで欲しいわ!」

「あら? 違ったの?」

 少女達はニヤニヤと笑みを浮かべた。

「ほら、ジョゼットさんが真っ赤になっちゃった! 真っ赤な林檎!」

「いい加減にして頂戴! それって貴女達、冒涜よ!」

 頬を染めて、ジョゼットは怒鳴った。

 その様子などから、ジョゼットとその件の神官が、微妙な関係であるということが判る。

 ルイズは、ジョゼットが少しばかり羨ましくなった。

「だから外の世界の話を訊きたがったのよね!?」

「違うもの!」

 ジョゼットは夢中になって否定している。

 そのようなジョゼットの姿に、ルイズはかつての自分をダブらせ、(嗚呼、私も、誰かにああやって誂われると、あんな風に夢中になって否定したっけ……)と想い出したように考えた。

 甘い記憶と鮮烈な痛みなどが入り混じり、ルイズは溜息を吐いた。

 そのようなルイズの様子を意にも介さず、乙女達は次なる質問を繰り出して来る。

「ねえ、ヴァネッサさん。キスしたことある?」

 その質問で、ルイズの心は、プツン、と切れてしまった。想い出が津波のように押し寄せ、一瞬で心が堪えられなくなってしまたのである。

 ルイズは白目を剥いて、倒れ込む。

 ジョゼットが揺すったり、擦ったりするのだが、ルイズの意識は失われたままである。

 ルイズは、気絶してしまった。

「……嫌だ。恋人同士のキスってそんなに凄いのかしら?」

 そんな風に乙女達が話していると、プハァ、とルイズは息を吹き返す。

「大丈夫?  ヴァネッサ」

「へ、平気……」

 ルイズは、首を振りながら呟いた。

 すると、他のベッドから咳払いが聞こ得て来る。

 どうやら、少しばかり騒ぎが過ぎたようである。

 少女達は、静かにルイズのベッドから抜け出し、それぞれ自分のベッドへと戻って行く。

 静けさが戻った後……ルイズは目を閉じた。

 先程の「キスしたことある?」という質問が、ルイズの頭の中で蘇る。(あるわ。何度も……想えば私達は、キスで出逢い、そしてキスで全てを失った。人生で1番嬉しかった時もキスの記憶で、悲しかったこともキスの記憶)、と想った。その2つのキスに関する記憶が入り混じり、ルイズは何だか切ないような、気怠いような、そのような気分になった。

 ユックリと指で唇を(なぞ)ると……ルイズの中で、様々な想い出が蘇る。

 ルイズはボンヤリと、(今日もサイトの夢を見るのかしら?)とそのようなことを想った。それから毛布を冠り、その中で膝を抱えてまん丸になった。

 

 

 

 

 

 それから毎晩というモノ、ルイズは夢の中で才人を見ることになった。(折角、覚悟してこんな陸の孤島のような所までやって来たっていうのに……意味ないじゃない)、とルイズは切なくなってしまった。忘れようにも忘れることができないのだから。

 ルイズが見る夢の中の才人は、とても優しく、ルイズのことを抱き締めてくれる。そして耳元で甘く、愛の言葉をルイズに囁くのである……だが、気付くと姿を消しているのである。夢の中でのルイズは、そんな才人を宛度なく捜し回るのである。場所は“学院”の中であったり、“トリスタニア”の街中であったり、何故かラ・ヴァリエールの実家だったりした。かつて、記憶を消した時と酷似した夢である。

 だが、それ等の夢、そこが何処であろうとも1つだけ共通していることがあった……。

 才人が決して見付からにあ、ということである。

 そのような訳で、ルイズは鈍よりとした空気を纏い始めることになってしまった。

 最初の頃こそ、珍しがってくっ着いていた少女達も、次第に近寄らないようになって行った。

 ただ、そのような中でも、ジョゼットだけが変わらずにルイズに接してくれていた。

「ねえヴァネッサ。ちょっと尋ねたいんだけど……」

 仲良くなって3日ほどが経ったある日、ジョゼットは恥ずかしそうな様子でルイズに尋ねて来た。

「なあに?」

「私の髪なんだけど……この髪に似合う髪型って何かしら?」

「何でも似合うんじゃない?」

 ルイズの素っ気なさに、ジョゼットは頬を膨らませた。

「相談に乗ってくれたって良いじゃない」

「……恋ね?」

 気怠げにルイズがそう言うと、ジョゼットは首を横にブンブンと勢い良く振った。

「違うわ! もう!」

「バレバレなのよ。何だけ、たまにやって来る神官さんだっけ? やめといた方が良いわ。恋なんて……」

「どうして?」

「だって、いつか裏切られるに決まってるもの」

 ルイズがそう言うと、ジョゼットは呆れた様子で両手を持ち上げて言った。

「もう、どうして貴女達“聖女”ってそうなの?」

 いきなり“聖女”と呼ばれ、ルイズは一瞬だけではあるがドキッとした。以前、ルイズは“アクイレイアの聖女”と呼ばれ祀り上げられたことがあるのである。(どうしてそれをジョゼットが知っているの?)、と不安になったのである。

「せ、“聖女”……? どうして?」

「ああ、あのね、貴女みたいにこの修道院に途中からやって来た人のことをそう呼ぶのよ。いっつも暗い顔をして、まるでこの世の苦悩を1人で引き受けているような目をしてる。別に良いんだけど、一緒に暮らしてる人のことも少しは考えて欲しいわ」

 そのジョゼットの説明から、“聖女”という言葉は、皮肉を混ぜた隠語であるということが理解った。

 そのようなジョゼット物言いに、ルイズは思わずムッとしてしまった。

「外の世界にはね、貴女の知らないことが一杯あるの。楽しいことも、悲しいこともね、もう、どう仕様もないくらいに傷付くことだってあるのよ」

 思わず、其の様な言葉がルイズの口を吐く。

「そうね、そうかもしれない。貴女の言う通り、私は何も知らないわ。ホントに、ここの生活しか知らないんだもの」

 澄ました顔と調子で、ジョゼットは言った。

「…………」

「でもね、だからって、楽しいことも、悲しいことも知らない訳じゃない。私の世界は小さいかもしれないけど、ここにだって色々あるんだから……あのね、恋じゃないわ。恋なんてしないし、してない。あの娘達はキャアキャア騒ぐけれど、理解ってる。だって、私達は修道女だもの。そんなことは許されない。でも……」

 ジョゼットは、それから、両手を組んで前に突き出した。

「あの人ね、私の髪を褒めてくれたの。この色……まるで白髪みたいで、大っ嫌いだった。でもね、綺麗って言ってくれたのよ」

 ジョットは、ニッコリと微笑んだ。

「ここには、綺麗な服はないけれど……せめて次にその人が来る時には、髪型くらいは似合いのモノにしたいのよ。それくらいだったら、神様だって目を瞑ってくださるわ。そう想わない?」

 そのジョゼットの言葉を聞いて、ルイズは恥ずかしくなった。嫉妬していた、ということに気付いたためである。

「したことあるわ」

 ポツリと、ルイズは言った。

「え?」

「キス」

 ジョゼットは、ルイズの突然の言葉にクスリと笑った。

「私には夢みたいな話だわ。恋人とキスなんて」

 ルイズは、ジョゼットの冠ったフードをズラした。

「私、あんまり御洒落のことには詳しくないけど、その髪とっても可愛いと想うの。そうね、じゃあ、ちょっと真ん中から分けてみたら?」

 ジョゼットは言われた通りに、指で真ん中から髪を分けてみた。

「どう?」

 ルイズはしばらくジッと見詰めていたのだが……。

「ごめん微妙。やっぱりそのままの方が好いわ」

 ジョゼットは笑った。

 ルイズも連られて笑った。

 

 

 

 その日の夜、ルイズとジョゼットはコッソリとベッドを抜け出した。

 別に示し合わせた訳でもなく、ルイズが就寝の後どうにも眠ることができずに横を見ると、ジョゼットも同じようにルイズのことを見ていたのである。

 並んで歩くと、ジョゼットは自分より10“サント”ほども身長が低いということに、ルイズは気付いた。

 ジョゼットのその横顔もまた、どことなく幼い……。

 宿舎を出て、2人は岬の突端に出た。

 双月が海に浮かび、キラキラと輝いている。波に散らされた光はまるで、無数に浮かんだ銀色の鱗のようであるといえるだろう。

 溜息を吐くように、ルイズは言った。

「嫌だわ」

「何が?」

「馬鹿みたいに綺麗なんだもの」

「どうしてそれが嫌なの?」

「綺麗なモノを見ると、想い出しちゃうのよ」

「悲しかったこと?」

 ルイズは、「うん」と首肯き、それから言葉を続けた。

「楽しかった想い出って、綺麗なモノに包まれてるのよ。一緒に見た風景とか、月明かりとか……」

「恋人と一緒に?」

「ええ」

「失恋したの?」

「そうかもね」

 ジョゼットは首を振った。

「失恋して悲しいのは判るわ。でも、そんな綺麗な想い出が、どうして悲しいの? 想い出は想い出じゃない」

「その想い出が、全部、嘘に成っちゃったから。たった1つの悲しい出来事が、宝物みたいな想い出を、全部嘘に変えちゃったから」

 海を見詰めて、ルイズは言った。

 光の1つ1つが、ルイズには、涙に見えた。

「それがここに来た理由?」

「そうよ」

 するとジョゼットは、ルイズの顔を両手で挟んだ。そして、ジッとルイズの目を覗き込んで来た。

「な、何?」

「私、そんなことないと想うな。全部が嘘になっちゃうなんて。良く理解らないけど、貴女が、そうだ、と感じたモノはちゃんと本物だったんだと想うわ」

「どういう意味?」

「楽しいこと。嬉しかったこと。それはきっと本物なのよ。嘘に見えてしまうのは、貴女に自信がないからだと想う」

 ルイズは唇を噛んだ。

「どうして貴女に、そんなことが判るの?」

「私がそうだから。私も、偶に想うわ。あの方は、私のことなんて好いていないって。ただ、こんな所に住んでいる私達を憐れんで、訪ねて来てくださるんだって。あの方はハッキリと、“君に逢いに来る”って言ってくれたのに……私、たまにその言葉を疑ってしまうのよ。そういう時って、決まって落ち込んでいる時。鏡でこの銀髪を見ちゃった時とか……ちっぽけな自分の身体を見た時とか。友達に意地悪なことを言ってしまった時とか。そんな時に、つい想ってしまうの」

 ジョゼットは、そこで言葉を切ると、ニッコリと微笑んだ。

「でももし、あの人が、ただ私達を憐れんでいるだけだとしても……私、傷付かないわ。だって、もしそうだとしても、この髪を褒められたことや、“君に逢いに来る”って言葉が、例え嘘だったとしても……あの時感じた、私の気持ちだけは本物だもの。それがあれば、私、生きていける。貴女みたいに、逃げ出したりしない」

 ルイズは、ジョゼットのその言葉に頭を殴られたかのような気がした。

 黙ってしまったルイズを見て、ジョゼットは恥ずかしそうに頬を染めた。

「ごめんなさい。生意気言っちゃったみたいね」

「ううん……」

 ルイズは首を横に振った。

「貴女の言う通りよ。私、逃げ出したんだわ。そうよ、貴女の言う通り。私、何があってもあいつを信じるって決めたのに……あいつの話を訊くことさえ拒否しちゃった」

 ルイズは、(話を聞いたら、もっとショックを受けたかもしれない。今以上に傷付くことになったかもしれない。でも、それでも……真実を確かめようとすらせずに、自分は逃げ出したのね)と想った。

 

 

 

 ジョゼットと一緒に宿舎へと戻って来ったルイズは、ベッドに潜り込んだのだが、中々寝付くことができずにいた。

 隣のベッドから、ジョゼットの寝息が聞こ得て来ると……どうして、そのような気持ちになったのか……自分でも良く理解らなかったのだが……ルイズは再び起き出して、ベッドの横に在る私物入れから、“始祖の祈祷書”を取り出した。一緒に入れてある“水のルビー”も取り出す。

 ルイズは、“杖”と腕輪型の“魔術礼装”、この3つだけは、結局手放すことができなかったのである。

 今では自分の分身のように感じられる、それ等の品々を、ルイズはジッと見詰めた。何やら、予感めいた何かがあって、ルイズは毛布の中で、“水のルビー”を指に嵌め、“始祖の祈祷書”を開いた。

「…………」

 どうして今なんだろう、とルイズは想った。

 ページは淡く光り、今まで白紙であった場所に文字が浮かび上がっている。

 

――“もし、4の担い手、4の使い魔、志半ばでこのどれかが欠けても、虚無を受け継ぐ者は諦めるなかれ”。

 

――“虚無は血を継ぐ他者に覚醒めん”。

 

――“虚無を担いし者は、その他者を見付け出せ”。

 

――“そして、異教より、聖地を取り戻すべく努力せよ”。

 

 デルフリンガーがいつか言っていた、「必要があれば読める」という言葉をルイズは想い出した。“虚無の担い手”が1人欠けている今、“始祖の祈祷書”は、自分達にこの情報を与える時であると判断したのであろう。

「之って……“虚無の担い手”が死んでも、別の者にその力が宿るっていうこと?」

 ルイズは、唇を噛み締めながら、そう呟いた。

 となると……才人の懸念は的中し、自分達の予想が外れているということになるのだから、

 ルイズは、(もし、このことを“ロマリア”が知っていたとすれば……“聖戦”は続行できる)と考え、毛布の中で拳を握り締めた。

 それから、(このことを、才人や姫様に報せないと……彼等はもう、“ロマリア”の野望は潰えたと見て、安心し切ってるわ。でも、どうやって報せば良いの? 私がいる場所は、陸の孤島で……今のところここから出られる術はない。でも……)とルイズは心の中で首を横に振った。また、(“ロマリア”が知ってるなんて確証も無い。自分の胸に秘めておけば、秘密が漏れる心配もない。この牢獄のような修道院で、私と共に“始祖の祈祷書”を眠らせておけば、秘密が守れる可能性だってあるもの)と考えたが、(ううん。言い訳だわ。私はただ……もう関係のないこと、と想いたがってる。サイトや姫様に逢ってこれ以上傷付きたくないから……)とも心の中で首を振った。

 ルイズは、(知りたくなかった。どうして私は選ばれてしまったのかしあr? “虚無の担い手”などにならなければ、こうやって悩むことなんてなかった。“ハルケギニア”の未来なんて、私には荷が重過ぎるのもの)と想い 首を振った。

 その時……隣のページに、文字が浮かんだ。

 古代語の“ルーン”。

 それは、新たな“虚無”の“スペル”であった。

「…………」

 ルイズは、(神と“始祖”は、この“虚無”で私に何をさせようというのかしら?)と疑問を抱いた。浮かんだ“ルーン”は、「おまえは、これほどの力を与えられながら、その力を何ら役にも立てずに、ここで朽ち果てるつもりか?」)といった風に、何だか自分を責めているように、ルイズには見えた。

 そう“始祖の祈祷書”に言われているように、ルイズには感じられた。

 それから、(……嗚呼、そうだ。そうよ。私は、何があってもサイトを信じる、と決めたことから逃げ出しただけじゃない。私に与えられた“運命”からも逃げ出したのよ)といった大きな焦燥感が、ルイズを包んだ。



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ジョゼットとルイズ、其々の決意

 昨晩、ルイズ――ヴァネッサに対してああは言ったものの、ジョゼット自身、自信など無かった。(私だって……もし彼の“これからは君に逢いに来る”なんて言葉が嘘だったら……逃げ出してしまうかも)と、想いながらも、そのようなことを認めたくないため、自身に言い聞かせるようにしてルイズにも言ったのであった。ジョゼットにとって、あの“ロマリアの神官”――ジュリオは彼女の全てであるといえるのだから。

 ジョゼットは、(自分は此の“セント・マルガリタ修道院”で、ずっと退屈な毎日を過ごす)モノとばかり想っていた。ジュリオに逢う迄は……。

 ジュリオがこの修道院に来るようになってからは、灰色だった毎日は、ジョゼットからして鮮やかな色彩を伴い出したのである。そんなジュリオとの想い出は……それほど沢山という訳ではないのだが……ジョゼットにとっては掛け替えのない宝物であるといえるだろう。

 ジョゼットは、(だから私は、あのヴァネッサの言葉に引っ掛かったんだわ。宝石のような、大切な想い出が、嘘になんかなる訳ない。何があったのかは知らないけれど、大事な気持ちや想い出は、絶対に嘘なんかにはならないわ)と考えながら、隣の席で朝食のパンを齧っているルイズを、横目でチラッと見詰めた。

 ルイズは、何やら、想い詰めたような顔をしている。心ここにあらずといった風情だといえるだろう。

 ジョゼットは、(昨日の話を、引き摺っているのかしら?)などとそのような疑問を抱いたが、直ぐに消えて行く。それから、(さてさて、そんなことより、“竜の御兄様”はいつになったら来るのかしら?)と考えた。

 最後に逢ってから、もう3週間以上が過ぎているのである。

 ジョゼットは、(宝石みたいな時間って、他の時間を石ころみたいにしちゃうんだわ)と考え、深い溜息を吐いた。それから、最後にジュリオが持って来た“指輪”を、ジョゼットは想い出した。淡いブラウンに光る大きな石の付いた、見事な“指輪”……。

 ジュリオの「君のモノになれば良いと想うよ」といった言葉が、ジョゼットの脳裏に蘇る。あの時は、ジョゼットの指に“指輪”がキッチリ嵌まったことを確認すると、ジュリオは満足げに首肯き、いつもの街の噂話もせずに帰って行ったのであった。

 あれから何の音沙汰もないのだが……ジュリオのその言葉は、ジョゼットの胸に熱い余韻を残した。(もし、“指輪”が私のモノになったら……ジュリオは私をどうするつもりなのかしら? 司祭の肩書でもくださるのかしら? それとも、何か素敵な……別のモノかしら?)と考えていた。

 そのように考えていた時だっかからこそだろう、外から“竜”の羽音が聞こ得て来たその瞬間、ジョゼットの顔は一瞬で輝いた。いつもであれば澄ました様子で内心の胸の高鳴りを抑えながら待つのだが、今日はもう我慢ができなかったのである。

 ジョゼットは朝食もソコソコにし、席を立つと、食堂を飛び出した。

 青い鱗の“竜”が目に飛び込んだ時、ジョゼットは思わず泣き出しそうになった。

 其の“竜”の上から、丈の長い白いコートを羽織ったジュリオが、トン、と飛び降りる。

 迷わずに、ジョゼットはその胸に飛び込んだ。

「御兄様!」

「おやおや、まるで修道女とは想えないね! 御祈りをしながら、拗ねた声で文句を言われるとばかり想ったのに!」

 そこでジョゼットは、ハッと気付き、ジュリオから離れる。

「そ、そうでしたわ。でもね、何だか我慢ができなかったの」

 それからジョゼットは顔を上げ、期待に震えた目でジュリオを見上げた。

「今日はユックリ滞在できるの?」

 ジュリオは残念そうに、首を横に振った。

 すると、ジョゼットの顔に憂いが差す。

「どうしたんだい?」

「いえ……何でも。昨晩、新入りの娘と話していたことを想い出しただけ。やっぱり、御兄様は、ただ私達を憐れんでここに入らしてくださっているだけなのね」

 ジュリオは笑った。

「そうだったとしたら、何が不味いんだい?」

「何も不味くなんかありませんわ。ただ、私が愚かだったというだけ」

 ジョゼットの小さい胸は、もうそれだけで潰れてしまいそうになった。「恋じゃない」などと何度も自分に言い聞かせている癖に、いざ自分が失恋するところなど想像することができないのである。

 ジョゼットは、(ヴァネッサのことを笑えないわね)と想い、首を振った。

「はいはい。人気者の助祭枢機卿様は御忙しくていらっしゃるのね。早くここでの用事を済ませになって、次の信者の所へ向かえば良いわ」

 そう皮肉っぽくジョゼットが言うと、ジュリオは笑った。

「じゃあその用事を済ませよう。ジョゼット、君を迎えに来たんだ」

「はい?」

 いきなりのジュリオの台詞に、ジョゼットは面喰らってしまった。

「色々と準備があったもんでね。訪問が延びたことは御詫びするよ」

 驚くというより、ジョゼットは腹を立ててしまった。ジョゼットは、(冗談にもほどがあるわ。そりゃあ、“御兄様と一緒に、外の世界を見られたらどんなに素晴らしいだろう!”なんて想ってけど)と想った。それはジョゼットが、1番望んでいることであるのだから。だが同時に、叶わぬ夢であるということもまた理解していた。「貴女はここから出られない。出てはいけない」、とキツく教えられて来たのだから……。

「御兄様は、冗談の才能がないのね。笑わせるなら、もっと気の利いたことを言うべきだわ」

「嘘なんかじゃないよ。僕は、これでも“始祖”に仕える神官だぜ? 嘘なんか、1度も吐いたことはない」

 ジョゼットは、目をパチクリとさせた。ジュリオの声と様子が、真剣その物であるためだ。

「本当……なの?」

「ああ。この通り、教皇聖下の御墨付を貰って来た。君は本日より、“ロマリア宗教庁”預かりになる」

 普段とは違う、ジョゼットとジュリオの様子に修道院長や女子祭達が集まって来る。

「一体、何事でしょうか?」

 不安げな顔の修道院長に、ジュリオは1枚の紙を見せた。

「こ、これは……!」

「親愛なる聖下よりの御手紙です」

「で、ですが……! 我々はこの国のやんごとない方々から、ここの管理を任されております! 預かった修道女を、彼等の許可なくここより出すことは……」

 するとジュリオは、ニッコリと笑った。

「貴女方の主人は誰成のです? 尊き神と“始祖”ですか? それとも、この国の“貴族”達ですか?」

「そ、それは……」

「人の善い貴女方は、この国の“貴族”達に体良く利用されているだけではありませんか。彼等は神を恐れぬからこそ、このような、牢獄、を造り上げたのでしょう? 恐れ多いことです!」

 すると、修道院長はジュリオの足元に平伏した。

「おおお……やはり、貴方方は全て御知りになっておられるのですね?」

 怯えて蹲る修道院長の下に、ジュリオはしゃがみ込み、その肩に手を置いた。

「秘密というモノは、隠して置くことが難しいのです。何故ならきちんと耳を持っている人間は、この世に五万といるのですから。また、人の口に戸を立てることは、この世で1番難しいことなのです」

「私は、娘達の、出自、までは知りませぬ。従ってそれを御訊ねになることだけは御堪忍下さい……」

「御安心を。私達は貴女を裁判に掛けるためにやって来た訳ではないのですから」

 ジュリオは修道院長の側に袋を置いた。

「我々を救う“聖女”の今までの養育費です」

 そしてジュリオは、ポカンと口を開けているジョゼットに向き直る。

「じゃあ、行こうか」

「え? ええ!? えええええええええええ!?」

 ジョゼットは、もう、何が何だか理解らなかった。この修道院から出ることができるという。それも、ジュリオと一緒に……。

 ジョゼットからすると、夢を見ているようであった。(もしかして、何か特殊な“魔法”でも掛けられたのかしら?)、と疑ってしまうほどである。

「どうしたんだい?」

 どこまでも優しい声で、ジュリオは言った。

「ど、どうしたも、こ、こうしたもありませんわ! そんな、いきないr……」

「そうだね、身1つって訳には行かないな。荷物を纏めておいで」

 アッサリジュリオにそう言われ、(これは現実なんだ……本当に、御兄様は、ジュリオは私をここから連れ出してくれるというのね)とジョゼットは我に返った。

 が、それでもまだ完全に信じ切ることができず、ジョゼットはもう1度確認することにした。

「本気なの?」

 そうジョゼットが尋ねると、ジュリオはコクリと首肯いた。

「困ったな。どうすれば信じてくれるんだい?」

 ジョゼットは、ジュリオを見詰めた。ジュリオが持つ左右色の違う“月目”が、妖しい魅力を放っている。その目を見ていると……ジョゼットは堪らない気持ちになってしまうのであった。それから、(これは現実なんだ)と今一度、今度こそ確信を持つことができた。

 一旦、其¥それを現実だと認識したジョゼットの行動は素早かった。

 ジョゼットは、遠巻きに自分を見詰めている修道女達の所へと駆け寄り、仲の良かった数人の元へと向かう。

 呆然と自分を見詰める友人達の手を、ジョゼットは1人ずつ握って行った。

「今まで有難う。私、そういう訳で行くね」

「え? ええ? ど、どういうこと?」

 友人達は、激しく混乱している様子を見せる。

 ここから出て行く。

 などという選択肢を、ほとんど真面目に考えて来ることなどなかった……できるはずもなかったのだから、無理もないであろう。

 ジョゼット自身、良く理解っていないのだから。というよりもジョゼットは、ジュリオが何を目的として自分を連れて行くのかさえ知らないのである。

 だが……それでもジョゼットに不安はなかった。ジュリオと一緒に行くことができる。ただそれだけで、ジョゼットはもうどうなっても良いと想えてしまっているのである。

 修道院長の元へと駆け寄り、ジョゼットはその手を握った。

「御世話になりました。育てて頂いた御恩は忘れません」

 疲れた顔で修道院長は、ジョゼットを見上げる。何か言いたそうに口を開いたのだが、直ぐに俯いた。

「……考えてみれば、私は“始祖”の御心を裏切っていたのかもしれませぬ。必要とはいえ、貴女のように若い娘をこんな所に閉じ込めておくなんて。でも、気を付けるのですよ。外の世界は、こことは違って厳しいのですから」

 ジョゼットは首肯いた。そして、後も振り返ることもなくジュリオの元へと向かう。

「荷物は良いのかい?」

「ええ。持って行かねばならぬモノなど、何1つありませんから」

「成る程。考えてみれば、君はこれから全てを手に入れるのだから、それで良いのかもしれないね」

「大袈裟ですわ! ただ、御兄様が側にいてくださるなら、私はそれで……」

「約束するよ」

 ジュリオはジョゼットを抱え上げると、“風竜”――アズーロの背に乗せた。そして、自分もヒョイッと跳び乗る。

「其れでは皆さん、“始祖”の御加護を!」

 まるで役者であるかのような大仰な素振りでそれだけを言うと、ジュリオ達は一気に上昇して行った。

 

 

 

 ジョゼットは、アズーロの背中から、15年以上も過ごして来た自分の家――“セント・マルガリタ修道院”がドンドン遠ざかって行く様を見下ろした。

 岬の突端に、へばり付く様にして建物と畑が見える。

 ジョゼットはそれ等を見て、(あれが、私の総てだったんだ)と想った。

「“どうして私を連れて行くの?” 何て尋ねないんだな」

 ジュリオが笑みを浮かべて尋ねる。

 ジョゼットは、その背にしがみ着いた。

「ええ。意味ないですから」

「気にならないのかい? もしかしたら、僕は君を騙しているのかもしれないよ?」

「御兄様が私を騙していようが、赴く先が地獄だろうが、構いませんわ。だって……この気持ちだけは本物ですから。どうしよう!? 何だか、心に羽が生えたみたい。ワクワクが止まりませんの。こんなの、生まれて初めてだわ」

「僕の言う通りにしてくれるかい? ジョゼット。そしたら、何でも言うことを利いて上げるよ」

 優しげな声で、ジュリオは言った。

「そうするつもりですわ。だって、私、外の世界のことは何も知らないんだもの」

 ジョゼットは、胸一杯に空気を吸い込んだ。

 いつしか、“セント・マルガリタ修道院”は雲に隠れて見えなくなって行った。その代わりに視界に飛び込んで来たのは……広大な“ハルケギニア”の大地であった。

「凄い……外の世界って、本当に広いのね」

「君はこれを、ポケットに入れることになるんだぜ」

 ジョゼットは笑い飛ばしたのだが、ジュリオは笑わない。

「……御兄様?」

「さあ、取り戻しに行こうじゃないか。君が手に入れるべき世界を」

 

 

 

 ジョゼットを乗せて飛び去って行くアズーロを、(ジュリオ? ジュリオよね?)とルイズは食堂の窓から唖然として見詰めていた。

 そう。間違いなくあの青年はジュリオである。あの“月目”……そして男にしておくには勿体ないとさえいるほどの美貌。おまけにあの“風竜”。間違える訳がないといえるであろう。

 ジュリオが現れた時も驚いたのだが、いきなりジョゼットを連れて行ったことに対して、ルイズはもっと驚いた。(どうして?)、と疑問が浮かび上がる。

 だが、直ぐにその理由に、ルイズは想い当たった。

 昨晩、“始祖の祈祷書”に浮かび上がった言葉……。

 

――“虚無は血を継ぐ他者に覚醒めん”。

 

 そして、恐らくは“貴族”、“王族”の隠し娘達が幽閉されているこの“セント・マルガリタ修道院”。

 その2つが、ルイズの中で結び付き、答えへと導いた。

 ルイズは、(あのジョゼットは、“虚無の担い手”なんだ。たぶん、この前死んだジョゼフの代わり……そうに違いないわ。このことを、直ぐに姫様に報せなくちゃ)と想った。

 だが、心の中のもう1人のルイズが、(その必要はあるの? 私がここでひっそり暮らしていれば……“虚無の担い手”は揃わない。誰にも知られずに……セイヴァーとシオンは知っているだろうけど……2人以外に知られずに、ジッとここで朽ち果てれば、“聖戦”を行うことは覚束無くなるわ……)と言った。

 だが、昨晩感じたように、その考えは一種の逃げである、ともルイズは想った。

 傷付きたくないから、やらねばならぬことから逃げ出している、のだと。

 ルイズは、(しょうがないとも想うわ。だって、あれだけ傷付いたんだもの。それに、もしかしたら、ここでジッとしている方が正解なのかもしれないし)と想ったが、同時に(一体、私はどうすれば善いの?)と考えた。

 その問いには、誰も答えてはくれない。

 かつてずっとそうして来たことと同様に、自分で決めるしかないのである。

 ルイズが、(どっちが正解なのかしら?)と考えたが、ううん、と首を横に振った。それから、(自分はどうしたいの?)と考え直した。

 本気でここで朽ち果てるつもりなのか。

 だがそこで、(でも、もしそうなら、どうして“杖”と“始祖の祈祷書”、“礼装”を持って来たの?)という疑問がルイズの中で浮かび上がる。そして直ぐに、(きっと、心の底で、何かがしたい、と想ってるから、持って来たんじゃないの? 心が砕けるほどに傷付いても、どこかでまだ、私は私を信じているんじゃないの? 私には、私にしかできないことがある。そして、それを必要としている人達がいる)と想った。

 ルイズは、ポケットの中から、“水のルビー”を取り出した。

 青く透き通った美しい石……ずっと振り回されていた“虚無”の力……使い熟せないと半ば諦めていた力。

 ルイズは、(でももし、使い熟せるようになったら、私には何が出来るのかしら?)と想ったが、考えることをやめた。次いで即座に、顔を上げると、呆然と地面に座り込んでいる修道院長の元へと駆け寄る。

「修道院長!」

「は、はい?」

「ここから出る方法を教えてください」

 心をここに置き忘れたかのような声で、修道院長は言った。

「ありませぬ」

「次の船が来るのはいつですか?」

「3日後です。でも、乗り込むことはできません」

 ルイズは(無理矢理乗り込むことはできるかもしれないけど、派手なドンパチになるわよね)と想い、唇を噛み締めた。

 となると……。

 ルイズは再び駆け出すと、ベッドの側の私物入れから”始祖の祈祷書”と”杖”を取り出す。次いで、もどかし気に、”水のルビー”と”礼装”を嵌める。

 それから、決して外してはいけないという“聖具”を毟り取る。

 色鮮やかな桃髪が舞う。

 そんなルイズを見て、修道女達が悲鳴を上げた。

「ヴァ、ヴァネッサ……何を……?」

「私はヴァネッサじゃないわ。ホントはルイズって言うの。“ゼロのルイズ”。あんた達の大好きな“聖女”様よ。覚えておいてね、私、世界、を救っちゃう予定だから」

 ルイズは岬の突端へと向かい、(さてさて、ここからどのくらい離れているのかしら? 3キロ“メイル”? いいえもっと? 10キロ“メイル”? 見当も着かないわ)と考えながら右端を見詰めた。

 弓形に広がる、“ガリア”の海岸が見える。

「ほーんと、何が“虚無の担い手”よ。使い辛い“呪文”ばっかり覚えさせて! ねえ御先祖様! こんなのいいから“フライ”の1つでも書いときなさいよ!」

 そう呟きながら、ルイズは“始祖の祈祷書”を見詰める。

 そこには、昨日浮かび上がった“呪文”が書かれている。

 “瞬間移動(テレポート)”。

 ルイズは、(どのくらいの距離を飛べるかしら? もしかして、一気に“ロマリア”まで飛べたりしちゃうのかしら? それとも短いのかしら? 判らない。でも、迷ってる暇はない)と考えながら、“呪文”を唱えた。

「“ウリュ・ハガラース・ベオークン・イル”……」

 そして“杖”を握り、ルイズは一気に解放する。

 その瞬間、ルイズの身体は修道院から100“メイル”ほど離れた空中にあった。

 ルイズの眼下には黒々と光る海……ルイズの身体は、重力に引かれ、当然落下する。

 その途中で、再びルイズは“呪文”を唱える。

「“ウリュ・ハガラース”!」

 それ以上唱えると海に落ちる、と考え、ルイズは遠い海岸目掛けて瞬間移動をした。

 空中で振り返り、ルイズは叫んだ。

「何よ!? ほとんど進んでないじゃないの!」

 “セント・マルガリタ修道院”からは、200“メイル”ほどしか離れていない。

 それでも諦めずに、ルイズは“呪文”を唱えた。

 このまま、“瞬間移動(テレポート)”を唱えつつ、ルイズは海岸まで移動するつもりであるのだ。だが、“精神力”がそれまで保つのかどうか……だが、一旦飛び出した以上、後戻りすることはできないであろう。

 ルイズは目を開くと、一心不乱に“呪文”を唱え続けた。

 が、遂々“精神力”が尽き、海面へと激突しそうになる。

「――!」

 ルイズは目を閉じ、着水などを覚悟した。

 が、その瞬間は来ない。

 代わりに、誰かに受け止められる感触を覚え、ルイズは恐る恐る目を開いた。

「アサ、シン……?」

「…………」

 ルイズを受け止めたのは、実体化した“暗殺者(アサシン)”の“サーヴァント”――ハサン・サッバーハであった。

「なんで、貴男が……? いえ、そういうことね……セイヴァーがいってたことって」

「然様」

「海岸まで私を運んでくれる?」

「無論、そのつもりですとも。しっかり掴まってください。ミス」

 ハサンは、海面を蹴り上げ、一跳躍だけで500“メイル”を移動してみせた。



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2本の杖と、1つの王冠

 さて、ジュリオがジョゼットを“セント・マルガリタ修道院”から連れ出してから2日後のこと……。

 “ガリア王国”の首都“リュティス”では、“ガリア”女王シャルロットことタバサが、完成なった“新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”を、家臣団と共に見上げていた。

 時は夕刻。

 そろそろ闇の帳が、壮麗なる宮殿を包み込もうとしている。それでもなお、“王家”の象徴たる青い石で組まれた宮殿は、瑞々しい美しさを誇っている。

 タバサの隣に控えたイザベラが、感嘆の声を漏らした。

「前より綺麗になったようだわ」

 タバサの代わりに、その感想を口にしたのは、その隣にいた宰相のバリベリニ枢機卿である。彼は満足げに首肯き、「新しい女王陛下を御迎えするのですから、以前のままという訳には参りません」と言った。

 イザベラは、チラリとバリベリニを見やったが、返事をしなかった。彼女は、この“ロマリア”からやって来た宰相をあまり、というより9割近く疑い、信用していないのである。

 バリベリニは、確かに仕事はできる。4日後に予定されているシャルロット“新女王即位式祝賀園遊会”の開催を取り仕切るのは、彼である。バリベリニは、古今の祭事に詳しく、出席者の招待、及び会場の席次、そして晩餐会のメニュー、果てはほぼ1週間にも渡る園遊会のスケジュールの調整から催しのダンスの演目まで、全てを卒無く熟して退けたのである。そういった作法に煩い“ガリア貴族”にも文句の付けようのない、見事な仕事ぶりである。

 だが、その隙のなさっぷりが、イザベラからすると気に入らなかったのである。有能だからこそ、油断がならないのである。下手をすると、国を乗っ取られることになる可能性だってあるのだから。

 だが……タバサの戴冠が“ロマリア”の協力なしには不可能であるということを考えると、彼を国に追い返す訳にもまたいかないのであった。そのようなことをしてしまえば、タバサは国中の寺院や信者を敵に回すことになってしまうのだから。

 当の主君のタバサはというと、そんなイザベラの葛藤知ってか知らずか、ボンヤリといった様子で新応急を見詰めている。彼女にとっては、宮殿の姿形などどうでも良いのである。

 その時、礼拝堂が、夕方6時の鐘を鳴らした。

 イザベラは、ホッとした表情を浮かべ、家臣団に向き直る。

「さて、皆様方。陛下が夕食を召し上がる御時間です」

 それは、家臣団への解散の合図でも在る。

 タバサは、晩餐をイザベラと母后の3人で摂るのが常である。そして人ではないがもう2人。タバサの“使い魔”であるシルフィード、“サーヴァント”であるイーヴァルディ。

 それ以外は、何人たりとも相伴には預かれないのである。

 大臣を始め“貴族”達は(今晩こそ招かれはしないだろうか?)と物欲しげな顔でタバサを見詰めるのだが、彼等を尻目にし、イザベラは恭しくタバサに一礼し、先に立って歩き出した。

 

 

 

 いつもの離れの食堂では、母が娘と姪の到着を待ち侘びていた。

 タバサとイザベラが入って行くと、オルレアン夫人は顔を綻ばせる。

「さあさあ娘達。席に着いて頂戴。今日は、貴女達の大好きな仔牛のフルーツソース和えですよ。ほら、ここまで好い香りが漂って来るでしょう?」

 タバサとイザベラは、オルレアン夫人を挟むようにしてテーブルに着いた。

 直ぐ様ペルスランが駆け寄り、その前に置かれた盃に、食前の発泡酒を満たして行く。

 オルレアン夫人は、ユックリと、だが確実に昔の美貌を取り戻しつつ在る。

 発泡酒が3人の高貴な女性の口を濡らして行くと、次第に口調も軽やかになる。もっぱら話題を振るのはオルレアン夫人である。余り政治的な話題に話が及ぶことはない。昔話も、余り突っ込んだモノは語られない。他愛のない、街の話や、好きなオペラの話題などといったモノが多い。

 そして、シルフィードが御得意の御喋りでキュイキュイと喚き散らす……。

 そんな様子を、ペルスランとイーヴァルディは微笑んで見守る。

 そんな時間は、イザベラから、刺さった棘のような憎しみや劣等感などといったモノを取り除いて行った。そんなモノがなくなることで、イザベラはタバサが、無二の姉妹のように感じられて仕方がなくなるのであった。

 幼い頃の一時期……本当にそう感じていたように。

 今ではイザベラは、(タバサの陰から補佐をして、その玉座を堅固なモノにすることこそが、自分の使命だ)と想えるようになっていた。

「ねえエレーヌ。よろしいかしら?」

 いつしか酔ったシルフィードがテーブルに突っ伏して寝てしまい、話題が途切れた頃を見計らい、イザベラはタバサをミドルネームで呼んだ。こういった私的な場所では、幼い頃のようにミドルネームで呼ぶのもまた常である。

「バリベリニ卿のことだけど、重要な仕事を任せ過ぎじゃないかしら? あまり、良くないことのように想うけど」

 そうイザベラが言うと、タバサは首を横に振った。

「表向きの仕事を任せているだけ」

 タバサは、肝心なことには手を触れさせるつもりはない、と言っているのである。

 その言葉に、イザベラは首肯いた。

 確かに、園遊会の式の仕切りは派手ではあるが、国政の中枢に関わるという訳ではない。

「ならば良いのだけど。あと、騎士、を使って彼の監視を行いたいのだけど、良いかしら?」

 タバサは少しばかり考えたあと、コクリと首肯いた。

「ありがとう」

 とイザベラは言った。

 が、実は既に、イザベラは何名かを彼の周囲に放っているのであった。バリベリニを訪れる客、出される手紙、果ては夕食のメニューまで、イザベラは全てを把握しているのである。

 取り敢えず今のところ、彼の周囲には怪しいところは見られないといえるだろう。だがそれでも、油断ならないのもまた事実である。“ロマリア”の光と影について、“北花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”を纏めていたイザベラは、それ等を熟知して居る。彼等は伊達に“ブリミル教”の総本山として数千年に渡って君臨して来た訳ではないのだから。

「あら貴女達。また何か心配事でもあるの?」

 優しい声で叔母に問われ、イザベラは首を横に振った。

「何でもありませんわ。叔母上」

 イザベラは、(この叔母に、心配事を掛けられない)と考えていた。イザベラはこの数週間で、この叔母に対して母親の様な愛情を抱くようになっていたのである。オルレアン夫人の方でも、タバサに対するそれと同様に接してくれているのである。

「そろそろ貴女の“即位祝賀園遊会”ですね」

 オルレアン夫人は、まるで他人事であるかのように黙々と料理を口に運ぶタバサに、言った。

「母上はやはり出席しないの?」

 ポツリと、タバサが問うた。

 オルレアン夫人は首を横に振る。

「私はもう、公場には姿を見せたくないの。許して頂戴ね」

 タバサは侘びしげに、食事との手を止めた。家臣達の前では、いつもの無表情とでもいえる起伏の少ない様子を見せる。が、ここで家族と共に過ごしている時は、歳相応の表情を見せるようになって来たタバサである。

 するとオルレアン夫人は、手を伸ばしてタバサの手を握った。

「貴女なら、この母がいなくても外国の客人達の前で立派に振る舞えますよ。それに、聞いた話では、“アルビオン”の女王は、御学友だとか。色々助け合うことになるでしょうね」

 タバサは、コクリと首肯いた。

 イザベラはこの温かな晩餐の席に着くたびに、(この親娘は、私が守るのだ)とそう想うのであった。

 

 

 

 

 

 晩餐の後、タバサは完成なった“グラン・トロワ”の自室へとやって来た。

「ふわ~~~、御腹が一杯。ではシルフィは寝るのね。女王様」

 シルフィードは部屋の隅に置かれた毛布の束の上でゴロンと横になる。それから直ぐに、寝息を立て始めた。

 ベッドの上には、昼間女官が持って来た沢山の服が無造作に放り出されている。

 “即位祝賀園遊会”ともなれば、朝、昼、晩と毎日3回は着替えることになるであろう国中の一流の仕立て屋が誂えた綺羅びやかなドレスが、主人に袖を通されるのをジッと待っているのである。

 タバサは、その1つを手に取ってみた。

 細かい網の目が、無数に走ったレースのドレス。透けてしまうのではと想えるが、要所はきちんと隠れるようにデザインされている。

 なにやら前衛的なデザインのモノが多く、幼い自分の身体に似合うのかどうか、タバサはそれが心配になった。

 タバサは、(どうして心配に想うのだろう?)と考え、直ぐにその理由に気付き、頬を染めた。

 タバサは、小机の上に置かれた書類を取り上げる。それは有力な各国の出席者の名簿である。“トリステイン王国”の末席に記載されている名前に目を留め、タバサは目を細めた。

 “トリステイン外交官”及び“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”副隊長=サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエール。

 タバサは、才人が外交官に任じられたことから……恐らく学園での自分との交友から任命されたのだろう、と推測した。その上、才人の名前が長くなっていることから、領地を拝領したことも理解した。

 タバサは、(そこはどんな土地なのだろう? 御屋敷はあるのだろうか? どのような作物があって、どういう人達が住んでいるのだろう? そして、あの怒りっぽいルイズも一緒なのだろうか?)などとまだ見たことのない、才人が所有する領地“ド・オルニエール”を想像した。

 才人達とタバサは、“リネン川”で別れてから、随分と顔を合わせていないといえるだろう。あの時、タバサは偽の才人に唆されるかたちで、それを理解した上で、王冠を冠ることにしたのである。

 そのことは、自分で決めたことではあるのだが、それでも赦すことができず、タバサはあまり才人に関することは考えないようにしていたのだが……こうして逢えると想うことで、やはりどうにも嬉しさが先立つのであった。

 才人には恋人がいる。その娘の名前も名簿に書いてある。彼女にも、タバサは友情と尊敬の念を抱いている。彼に対する扱いに関しては、多少疑問を覚えることはあったが。

 タバサは、(そんな彼女がいたとしても……一曲くらいなら良いでしょう? そう。一曲。他国の外交官と、ダンスを踊る……外交の一環だ。どこにも、可怪しいところなんかない。その時に何を着よう?)、と考えた。

 すると、先程の、網の目のようにレースが編み込まれたドレスが、タバサの目に入る。それを両手で摘み、タバサはジッと見詰めた。

 シルフィードが寝ていることを確かめ、タバサは“霊体化”しているイーヴァルディへと目を向ける。

 イーヴァルディは、壁を通り抜け、廊下へと出た。

 タバサは、ソッと着ていた服を脱ぎ、そのドレスに袖を通してみる。

「…………」

 やはり、予想していたように、ドレスはピッタリと身体に張り付き、透けた網の隙間から下着の形が丸判りになってしまっている。

 タバサは、(一体、これをザインした職人は、どんな下着を身に着けることを想定したのだろう? これは……そうだ、寝室で着けるようなモノではないのか? 寝室……)とそこまで想像して、頬を染めた。

「私、変」

 首を振りながら、タバサは次のドレスを摘む。

 それは、今着用に及んでいるそれと比べるとマシに思えるデザインをしている。黒く輝く美しい布でできたドレスである。

 だが、着てみてタバサは驚いた。

 太腿より上から、ピッタリと身体に張り付き、身体のラインをハッキリとさせてしまうようなデザインをしているのである。

 タバサは、(これでは、自分の身体付きが露わになってしまう。まるで子供で、これではダンスの相手は幻滅してしまうに違いない。でも……あの人はそう言うのが好きかもしれない。だって、ルイズだって御世辞にも体型に恵まれているとは言えない。となると、あまり気にしなくても良いのかもしれない)とそこまで考え、微笑んだ。

 それから、(もしかして……私は今、幸せなのだろうか?)とタバサは想った。

 女王としての不安は確かにあるといえるだろう。だが、“ガリア”の家臣団は層が厚く優秀で、王が替っても問題なく機能を始めている。家族との生活は温かく、タバサは楽しい日々を想い出しつつあった。

 タバサは、(“ロマリア”は油断ができないが、今のところ目立った干渉はして来ない。そして……想い人……かもしれない人にも逢える。多分、一曲くらいは踊ることもできる)と考え、頬が綻びそうになった。が、その瞬間……不意に、父と叔父やシェフィールド達の顔が過った。

 タバサは、自分のこの穏やかで緩やかな生活が彼等の死の上になり立っているということを、想い出した。その事実が窓の外から吹き込んで来る隙間風のように、タバサの心を凍らせて行く。

 タバサは、(幸せを、自分は噛み締めて良いんだろうか……?)とそのような想いに囚われた。

 その時である。

 窓、がノックされた。

 タバサは、(風の悪戯だろうか?)と一瞬思った。

 分厚いカーテンの窓の向こうは、こちらからは見えない。だが……バルコニーはある。

 一瞬タバサは、シルフィードかと想ったが、きちんと部屋の隅で寝息を立てている。また、イーヴァルディは異変に気付き、即座に部屋の中へと戻り、実体化する。

 ガンガン……。

 もう1度、窓は鳴った。

 誰かが窓硝子を叩いているのである。

 タバサはベッドに立て掛けた“杖”を握り、イーヴァルディへと目配せをした。

 タバサは護衛士を近くにおいていない。彼女自身がそこ等の護衛士より、腕が立つという理由からである。また、護衛士自体が危険な場合は少なくないのである。それに、イーヴァルディという“サーヴァント(一番のボディーガード)”が側に控えているのだから。

 静かに近付き、タバサは無言でカーテンを捲った。

 窓ガラスの向こうにいたのは……タバサソックリの人物であった。

 一瞬タバサは、自分の姿が映っているのだと思ったが、直ぐに違和感に気付く。

 服が違う。そして、窓枠の向こうに彼女は立って居るので在る。

 同じ、青い髪。そして眼鏡。まるで自分自身の姿……一瞬、“スキルニル”かと、タバサは考えた。血を吸った者の姿に変化する“魔法人形”である。それとも、“ゴレーム”か……。

 だが、タバサには理解った。其れは、紛う事無き血の通った人間で在ると云う事が。

 タバサは、(……誰? 私?)と激しく動揺し、戦士としての勘を奪われてしまう。その結果、隣の窓が開き、そこからスッと誰かが忍び込んで来た時も反応が遅れてしまった。

 隙かさずイーヴァルディが侵入者へと、剣を向ける。

 侵入者もまた、イーヴァルディへと“杖”を向ける。

 一瞬ではあったが、その出来事で、タバサは我に返り、思わず振り返る。

 侵入者は左右色の違う“月目”を持ち、それ等が光っている。

 ジュリオである。

「……貴男」

「こんな真夜中に、貴女のように高貴の女性の部屋を訪れるにしては、無作法だったとは存じますが……」

 タバサは後ろへと跳躍し、ジュリオと距離を取る。

 イーヴァルディが剣を手にし踏み込もうとしたが、ジュリオが隙かさず“ライト”を唱え、部屋の中を一瞬だけではあるが真昼以上の光が包み込む。

 その結果、目を眩ませてしまったことで、イーヴァルディとタバサは身動きを取ることができなくなってしまった。

 その隙を逃さず、ジュリオはタバサへと瞬時に駆け寄り、彼女の顔に布を押し当てた。

 その布には“眠り薬(スリーピング・ポーション)”が染み込ませてあるようであった。

 タバサは意識を失い、床に崩れ落ちた。

 その音と光で、シルフィードはやっとのことで目を覚ました。立っているジュリオと、剣を構えるイーヴァルディ、倒れているタバサに気付き、シルフィードは慌てて駆け寄る。

「な!? 何なのね!? 御姉様に……」

 次の瞬間、窓の外から部屋に入って来た影に気付き、シルフィードは立ち止まる。

「え……? 御姉様がもう1人……?」

 そんなシルフィードにジュリオは無造作に近付いた。次いでジュリオは右手を、シルフィードの肩の上に置いた。すると、手の甲に刻まれた“ルーン”が光り出す。

「そういや君は、獣だったね。“韻竜”の“使い魔”」

「きゅ……きゅい……」

 シルフィードの身体が固まったように動かなくなる。

「僕も同じ“使い魔”だ。“ヴィインダールヴ”って言うんだ。君みたいな、獣、を操ることができる。さてと……」

 シルフィードは、ジュリオのその言葉を聞き終えるのと同時に眠ってしまう。

「“ライダー”……」

「やあ。君も“サーヴァント”だね? “クラス”は……まあ、良いか。でも、理解ってるよね? この状況」

「ああ、理解しているよ」

 イーヴァルディは剣を収め、戦意がないことを示してみせた。ただし、ジュリオのことを強く睨み、タバサを案じる。

 ジュリオとイーヴァルディは其々、タバサとシルフィードをベッドの側に横たえさせる。

 そんなジュリオに、タバサと同じ姿をした少女が、怯えたように語り掛ける。

「御兄様。一体、これは……?」

「君をあそこに閉じ込めていた連中の娘だよ」

 ジョゼットは、倒れている少女を見詰めた。

 そこにいるのは、昨日鏡の中で見た己の姿と同じだといえ、ジョゼットもタバサ同様に驚いた。

 ジョゼットは、ジュリオに連れ出された後……先ず、とある寺院に連れて行かれたのであった。

 そこでペンダントを外すように言われ、言われるがままに外したのであった。

 すると……顔から何か紐が抜けて行くかのような何とも言い難い感覚が奔り……髪が光り出した。そして、ジョゼットは、鏡を見て驚いたのである。そこに映っているのは、今までとは似ても似つかない顔であったためだ。

 ジュリオはそんなジョゼットに、「君は“魔法”で顔を変えられていたんだ」、と言った。

 昨晩、鏡で見た顔。今、眼の前に横たわる少女の顔。その2つはまさに瓜二つであり、全く違いは感じられないといって良いであろう。

 ジョゼットは鏡に映った顔を見た時、(これが私の本当の顔?)と疑問を抱いた。それが……自分の顔であるという実感を持つことができないのである。透き通るような青い髪も、何だか馴染みがないのである。

 またジョゼットは今、(そしてここはどこだろう?)と考えた。

 ジュリオの“風竜”――アズーロでやって来たこの場所は……月明かりに浮かんだこの建物は、ジョゼットの想像を遥かに超えるほどに大きく、壮麗で見事であったのである。

 “セント・マルガリタ修道院”しか知らないジョゼットには、まるで夢の国とでもいえるようなモノである。

 そして、(ここで暮らす、この自分と同じ顔を持つ少女は一体……?)、といった疑問もまたジョゼットは覚えた。

「私を閉じ込めていた?」

 ジュリオは首肯いた。

「君はこの“ガリア王国”の“王族”……正確に言えば、今は亡きオルレアン公シャルルの娘だ。そして、彼女は……君の双子の姉さ」

 ジュリオの口から信じることができない言葉が次々と飛び出し、ジョゼットは(“ガリア王国”? “王族”? 双子?)と困惑した。

 が、「私は、“貴族”の何某の忘れ形見で……」などといった、寺院で少女達と語り合ったことを想い出した。

「信じられないわ。私が、“ガリア”の“王族”だなんて……」

 “セント・マルガリタ修道院”の周りを囲んでいたのは、“ガリア”と呼ばれる国であるということを、ジョゼットは理解していた。そこが、王様や“貴族”と呼ばれる人達が統括しているということも……。

 だが、自分がそこの頂点に君臨する一家の生まれであるということは、やはりどうにも中々ジョゼットには信じることができなかった。

「そりゃ信じられないだろう。でも、ホントのことなんだよ」

「私の双子の姉妹……」

 タバサの顔を、ジョゼットは見詰めた。初めて見る肉親の顔であったのだが……何もジョゼットの心に浮かんで来ない。そうなのだ、としか想うことができないのである。

「で、一体どうするの?」

「どうもこうもない。君は、今日からこの“ガリア王国”の王様になるんだ」

 御冗談を、と言おうとするが、ジョゼットは身体を固まらせる。ジュリオの目が、全く笑っていなかったためである。

「私が、王様? 無理よ! だって、そしたらこの娘はどうなるの? 私の姉という人は……」

「勿論、代わりにあの修道院へ行って貰う。ジョゼットとしてね」

 それでもジョゼットは、考え込んだままであった。

「このために、私を連れ出したの?」

 ジュリオは、コクリと首肯いた。

 ジョゼットは、急に悲しくなった。自分の正体など、どうでも良いと、ジョゼットにはいえるだろう。ただジュリオの側にいることができれば……ジュリオも、自分と同じ気持ちだとばかり想っていたのである。だが、そうではない。ジュリオは自分を利用するために……と、ジョゼットは理解したのである。

 だがそれでも、ジョゼットはそのことを口にはしなかった。

 ヴァネッサ――ルイズの(楽しかった想い出が、嘘になってしまったから)という言葉と気持ちが、今になってジョゼットには理解できた。

 ジョゼットは、(こう言うことなんだわ)と考え、綺羅びやかな想い出が、色褪せて行くように感じられた。それから、唇を噛み締めた。だが……ここで逃げ出すこともしたくなかった。それから、(私はヴァネッサと同じになってしまう。あの時感じた私の気持ちだけは本物。それだけは譲れない。絶対に。私は、彼を信じるって決めた。例え、何があろうとも……その先に、どんな現実が待ち受けていようとも……)、と考えた。

「私は、何をすれば良いの?」

 強い意志を宿らせた目で、ジョゼットは問うた。

「何も。ただ立って、話を聞いていれば良い。言われた通りに動けば良い。何かを言わねばならない時は、前もって僕が指示する。そのままを口にすれば良い」

「そうすれば、御兄様のためになるの?」

「僕だけじゃない。君のためでも……」

 そこまでジュリオが言うと、ジョゼットは首を振った。

「違うの。私のことなんかどうでも良いの。誤魔化さないで。御兄様のためになるのかどうか、それだけで良いの」

 ジュリオは、そこで初めて口元に浮かべた微笑を崩した。

「ああ。僕のためになる。僕が望む通りになる」

「ならば良いわ。ねえ御兄様、1つ約束して。これからは全てを私には打ち明けて欲しいの。想っていることを、正直に話して欲しいの。私が傷付くとか、裏切るとかもしれないからとか、そんなことは考えないで。それだけで私には十分だから」

「約束するよ」

 ジュリオは首肯いた。

「後、もう1つ」

「何だい?」

「キスして」

 真っ直ぐにジュリオを見詰め、ジョゼットはキッパリと強く言った。

 ジュリオはジョゼットの顎を乱暴にも見えるやり方で掴むと、強引に唇を重ねた。

 ジョゼットは、されるがままに、目を瞑る。

 暫く唇を重ねた後、ジュリオは言った。

「俺の女になれ」

 本気かどうか、口調からは判らないといえるだろう。

 ジョゼットは、(私を操るための言葉なのかもしれない)と考えた。が、ジョゼットにとってはどうでも良いことであった。

 満足げに、ジョゼットは言った。

「最初から、そのつもりだったわ」

 

 

 

 

 

 翌朝……。

 オルレアン夫人が朝食を摂っていると、バリベリニがやって来た。

「御食事中に失礼いたします。太后陛下」

「何か?」

 声に冷たい調子が混じったが、オルレアン夫人はそれを全く隠そうともしなかった。この“ロマリア”からやって来たバリベリニが、あまり好きではないのである。

 その時食堂には、ペルスラン1人がいる切りであったのだが、バリベリニは軽く目配せをして、人払いをするようにオルレアン夫人を促した。

「ペルスラン、庭の花の様子を見て来て頂戴。夏の暑さで枯れ掛かっているといけませんから」

 ペルスランが部屋を出て行くと、バリベリニはとんでもないことを切り出した。

「恐れながら陛下。本日はこの私、陛下に赦免を与えるために参上しました」

「赦免? こんな朝から何を申すかと思えば! 私がどんな罪を犯したと言うのですか!? 毎日、ここでヒッソリと暮らしている私が!」

「どんな人間も、知らずのうちに罪を犯すモノで御座います。ですが、“ガリア”の太后様ともなれば、話は別で御座います。よもや、御自分の罪を御忘れに為られる訳がありますまい」

「貴男は、この私が、間違いなく罪を犯したと言うのですね?」

「はい。できれば想い出して頂きたいモノで御座います」

「おやおや、“ロマリア”の枢機卿殿ともなれば、まさに何でも御見通し! そうですわね、つい3日前のことです。 私は、育てて居る花を枯らしてしまいました。何分、このような場所に閉じ籠もっておりますと、季節の移ろいを忘れるモノです。暑さに参ってしまっている花に気付けなかったのは、罪と申すモノですわ」

「花も命で御座いますが、私が言いたいのは、もう少し大きめのモノで御座います」

「おやおや! 暑さに参ったのは、花ではなく、貴男のようですわね」

「陛下。これは冗談ではありませぬ。真面目な話で御座います」

「人を呼びますよ?」

 流石に怒りを含ませた調子でオルレアン夫人が告げると、バリベリニは首を横に振った。

「先程はああ申し上げましたが、御忘れになられても仕方がありますまい。何せ、陛下がその罪を犯したのは、もう随分昔のこと……そう、あれは確か、シャルロット女王陛下が御生まれになった時のことで御座いますから」

 オルレアン夫人は、バリベリニのその言葉を聞いて、真っ青になってしまった。

「貴男は何を言いたいのです?」

「少しばかり、当時の様子を説明させてくださいませ。6,227年の、“ティール(3)”の月、“ヘイムダル(第二)”の週、“エオー”の曜日のことで御座います。風光明媚なオルレアン公の御屋敷の太陽の間で、オルレアン公シャルル殿下は、今か今かと第一子の誕生を待ち侘びておりました」

「ええ。良く覚えておりますとも、私が娘を産んだ日ですから」

 心のうちの動揺を悟られまいとして、オルレアン夫人は努めて硬い声で言った。

「公が、輝かしい赤子の泣き声を聞いたのは、午前9時の……」

「8時です。5分と過ぎてはおりませんでした」

 徐々にオルレアン夫人の声が震えて行く。

「そうで御座いましたな。だが、赤ん坊の泣き声は1つではありませんでした。その数分後、もう1つの泣き声が響いたのです」

 オルレアン夫人は肘を突き、両手で顔を覆った。それから、何度も首を横に振る。

「私は、“ガリア王家”の紋章の意味を知っております。交差した2つの“杖”は、かつてその王冠を巡り、相争い、共に斃れた何千年もの前の双子の兄弟を慰めるためのモノ……その時より、“ガリア王族”にとって双子が禁忌となったのは自然のことでありましょう。でも、親の情愛としてはいかがなモノでありましょうか? “王家”の禁忌とは言え、同じ血を分けた姉妹を……容姿まで分かち合った姉妹を、天界と地獄振り分けるのは赦されることでありましょうか?」

 オルレアン夫人は、指の隙間から絞り出すかのような声をどうにかして紡ぎ出す。

「……貴男は何者ですか?」

「陛下。あの時その場にいた全員は、固く秘密を守り通しました。ですが、人間は罪を墓場まで持って行くことはできません。私が昨年、その死に際し赦免を与えたのは、当時陛下の御娘を取り上げた産婆で御座いました」

「貴男は、聖職者失格ですわ」

「教義とは、神のために存在します。神の御ためならば、それを曲げることは罪にはなりませぬ」

「成る程、貴男はこの私に赦免を与えると仰りました。ならば謹んで赦しを請うことにいたしましょう。どうやら貴男は全てを御存知のようですから。確かに私達夫婦はあの日、2つの命を授かりました。私達に選択は2つしか有りませんでした。どちらかの命を絶つか、それとも、決して人目に触れない場所へ送るかです! ええ。そうするより他は選べなかったのです! 私達には、“王族”であることを捨てることすら許されませんでした!」

 オルレアン夫人は、その場で泣き伏した。

「神は御赦しになられます。さて、本日参ったのは、そればかりではありませぬ。そのように捨てざるをえなかった娘に、償いをして差して上げたいとは想いませんか?」

「……え?」

 次の瞬間……オルレアン夫人の眼の前に、1人の少女が姿を見せた。

 タバサと全く変わらぬ髪型を施され、全く同じデザインの眼鏡を掛けた少女である。

 だが、一目見ただけで、オルレアン夫人は彼女の正体を理解した。

「おおおお……そんな……まさか……そのようなことが……」

 フラフラと立ち上がると、呆然と立ち竦む少女を、オルレアン夫人は抱き締めた。

「……母さん?」

「赦して頂戴……母を赦して頂戴……全く無力だった母を……貴女を救うことができなかった母を……」

 永久に逢うことはないと想っていた、もう1人のシャルロット……彼女を前にして、オルレアン夫人の目からとめどなく悔恨の涙が流れ出る。名前を付けることすらもできなかった。

 呆然と立っていたジョゼットも、母娘の情愛に動かされ、涙を流した。自分には存在しないと想っていた母……物心付いてから、1度も顔を合わせたことはなかったが、ジョゼットには眼の前の女性が母であるということを理解したのである。抱き締められると、どうにも堪らず、涙が流れるのであった。

「よくぞ帰って来てくれました。この母を赦してくれますか?」

「赦すも何も、私は何も恨んではいません。昨日、真実を知ったばかりですから」

 ジョゼットがそう言うと、オルレアン夫人は首肯いた。

「もう、“王家”と言っても、今はもう貴女の姉と、従姉妹と、この私がいるっきりです。“王家”の禁忌など、これ切りにしてしまいましょう。これからは家族仲良く暮らしましょう」

 オルレアン夫人は、感動で震える声で言った。

「宰相殿。貴男には御礼を申さねばなりません。陛下をここへ呼んで下さい。3人で朝食を摂ることにします」

 すると、バリベリニは、可笑しなことを、とでも言うように首を傾げた。

「宰相殿?」

「陛下なら、そこにおられるではありませんか」

「御冗談を」

 オルレアン夫人はそう言った。

 だが、バリベリニの顔は、ちっとも笑っていない。

「冗談など言ってはおりませぬ。そこの御方が陛下であって、どうしていけないのですか? 私には全く違いが判りませぬ」

 オルレアン夫人は絶句した。

 言われてみれば、それは本質の部分であり、正解であるのだ。シャルロットと、もう1人のシャルロット。あの日どちらがその名前を付けられ名乗っていても、全く可怪しくはなかったのである。ただ、生まれた時間が数分違うというだけで、眼の前の娘と、シャルロットはその“運命”を分けただけであるのだから。

「そして、“王家”の禁忌と言うモノを軽く御考えですな! ことを公にしたら、国中の何人の“貴族”が反旗を翻すと御想いですかな? “王族”縁と言うだけで、忠誠のためにその禁忌に殉じた“貴族”は、1人や2人ではないのですぞ!」

 震える声で、オルレアン夫人は娘に尋ねた。

 ジョゼットは首を横に振る。

「まさか! そんなことは考えておりません。ただ、私の信じる人が、そうせよと仰るのです。結局、それが1番幸せなんだって。私だって姐さんと暮らしたいわ。でも、無理なんでしょう?」

 それから、ジョゼットは逆に母へと尋ね返した。

「でも、母様がそうしろと言うなら、私は修道院へ戻ります」

 それもまた、ジョゼットの本心であったが……。

 だがやはり、オルレアン夫人には、「そうしろ」と言うことなど当然できるはずもなかった。(どうして再び、あの場所へと戻れと言えるだろう? 赤子の頃から、誰も知らないような修道院で、誰にも顧みられることなく生きて来た娘に、そんなことが言えるだろうか?)と想ったのである。

 床に膝を突いたオルレアン夫人は、バリベリニへと近付いた。

「神は常に平等であれ、と教えます。自分の娘に光のみ与えることができぬのであらば、せめて光と闇を交互に分けるべきです。そうは想いませんか?」



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即位祝賀園遊会

 “アンスール(8月)”の第一週、“フレイヤ”の“ハガル(2)”の曜日のこと。

 園遊会出席のために“ヴェルサルテイル”へと向かう、“トリステイン王”政府一行は“ガリア王国”の港町、“アン・レー”へと到着した。

 大きな湖を利用して造られた港には、“ハルケギニア”各国からの“フネ”が並び、実に壮観であるといえるだろう。

 “ヴュンセンタール号”を降りたアンリエッタ女王一行は、シオンを始め俺達“アルビオン王国”の面々と合流し、それぞれ馬車を利用して4時間ほど離れた“ヴェルサルテイル”へと向けて出発した。が、容赦なく照り付ける 夏の陽射しには堪えかね、“ラ・ヴァレ橋”を超えた辺りで休息を取ることになった。

 しかし、“ガリア”からの迎えの使節も合わせれば、数百人からの大所帯である。街道沿いの其の空き地は当然の如く、まるで御祭り騒ぎとなった。先ずはアンリエッタ女王やシオンの天幕が設えられ、小姓や兵士達は近隣の家々を回って藁束を仕入れて来るのである。それを敷き詰めると、臨時のソファができあがる。

 近所の農民達が、焼き立てのパンや果物などを籠に詰めて売りに来る。ワインを売りに来る者の姿も見られる。

 あちこちで、陽気な笑い声や、歌声が起こり始める。

 “水精霊騎士隊”の少年達もまた、ワインやつまみを買って来ては、陽気に騒ぎ始めるのである。女王陛下の一行といえども、街中でもなければあまり格好を付けることなどしない。

 況してや、しばらく続いた戦も終わったばかりである。多少の羽目外しは御咎めなしであった。

 だが、そんな御祭り騒ぎの中、浮かない様子を見せる少年の姿もある。

「はぁ~~~」

 才人である。

 2週間もの間、ルイズを捜索したのだが、初めに立ち寄った宿場街から、プッツリとルイズの足跡は、彼等からして途絶えてしまったのである。捜せども、捜せども、ルイズの姿が見付かることはなかったのである。

 流石に不安になったようで、ルイズの実家であるラ・ヴァリエールの方でも捜索隊を編成したようであった。カトレアから、そのような手紙を、才人は梟便で受け取った。

 才人は、(挨拶に行こうか)と考えたが、カトレアの手紙に「父様が貴男を殺してしまってはいけないから、 なるべくラ・ヴァリエールには近付かないように」と結ばれていた。

 兎に角、「捜索は自分達に任せて、貴男は仕事に戻れ」と言われたこともあり、才人はこうやって“トリステイン”使節の一行に加わっているのである。

 それは仕方ないといえるだろう。

 才人は、ルイズの分まで、交渉官として働く必要がある。だが……2週間捜してもルイズが見付からなかったことで、(もう2度とルイズに逢えないんじゃないか?)と、そういった想いに囚われ、才人は既に公務どころではなくなってしまっていた。

 ガックリと才人は項垂れ、一行から離れた場所で、小枝を拾うと地面を突き始めるのである。

 ルイズに逢うことができない。

 そう想うことで、才人は、もう何もかもがどうでも良くなってしまうのである。自分を狙っていた連中を取り逃がしてしまったことも、今から行われる園遊会も、“聖杯戦争”も、何もかもがまるで現実感のないテレビの向こう側の出来事であるかのように、今の才人にそう想わせるのである。

 とうとう才人は、地面にルイズの顔を描き始めた。

 暗いを通り越し、才人は幼稚園の御遊戯の時間で歌った童話の歌詞を変えながら、ルイズの顔を想い出し、地面に描いていた。が、その絵は、最早ルイズではなく、宇宙人か、または、別の何かだとしか言いようがない。才人には絵を書く才人がないようである。

「桃髪のー、綺麗なー、おーんなーのーこー、だーれかさんにー、つーれられーて、いーっちゃった~~~」

 今の才人の姿を始め言動を目の当たりにしてしまえば、流石のシエスタも引くに違いないといえるだろうほどである。そのくらい、才人の堕ちっぷりといってしまえばなかったのである。

 それでも、シエスタであれば、即座に気を取り直し、才人に慰めの言葉などを掛け、共に悩むであろう。その シエスタは、今“ド・オルニエール”に戻り、残っている。

 コルベールも、もしルイズが戻って来た場合に備えて、シエスタと一緒に残っている。

「景気の悪い顔してるな! 取り敢えず呑めよ」

 マリコルヌが近付き、そんな才人の口にワインの瓶を差し込んだ。

「――ふもごごごごごごごご!?」

 ワインの瓶が一気に空になって行く。

 プハッと口を離し、才人は怒鳴った。

「何すんだ!?」

「そんな面してたってなあ、もうルイズは戻って来ないよ。諦めろ」

「そ、そんな……」

「完全に愛想を尽かされたんだよ。もう逢いたくないって。そういう意思表示なんだよ」

 才人は地面に膝を突くと、プルプルと震え始めた。

 流石に見かねたギーシュ達が、マリコルヌを才人から引き離そうとする。

「お、おい。マリコルヌ、やめろよ……」

「何言ってんだおまえ等!?」

 そんな少年達に向かって、マリコルヌは絶叫した。

「今はな、サイトが男になれるかどうかの瀬戸際だぞ? 男はな、別れを自分のモノにして、大きくなって行くんだよ。今こそ、こいつは現実を見なくちゃならないんだ」

 マリコルヌは、ウンウンと首肯いてみせた。

「何か中途半端に立派なこと言ってるけど」

 久々にタバサに逢いたいと言ってくっ着いて来たキュルケが、隣のティファニアに言った。

「ホントに困った人ですね」

 ティファニアがそう言うと、マリコルヌは首を横に振る。それからマリコルヌは、ティファニアへと神妙な面持ちを浮かべて近付く。

 サッと、ティファニアは両手を胸の前で組み、警戒心を露わにした。

「ミス・ウエストウッド、実は……」

 マリコルヌがそう言った瞬間、ティファニアは隙かさず首を横に振った。

「嫌」

「まだ何も言ってないじゃないか」

「どうせ変なこと言うんでしょう?」

 するとマリコルヌは、寂しげな笑みを浮かべた。

「参ったな……まあ、いつもの言動がああでは、仕方ないけどな……今回はちょっと真面目なんだ」

 流石にそこまで言われては仕方がない、といった風にティファニアは首肯いた。

「言ってみて」

「あいつにさ、そのでっかい胸、見せてやってくんないかな?」

 何が嫌かというと、マリコルヌが声が実に爽やかであったことである。声のトーンには、友達のためにという響きが込もっていることが判る。その顔には、純粋に友達を案じるモノが浮かんでいた。

 が、ただ言葉だけが最悪であった。

「やっぱりさ、落ち込んでいる時には胸。それもでっかい奴。それしかないんだよね。実際にはさ、胸なんて……なんて言う奴もいるけど、そんなのはミス・ウエストウッドのそれを知らないモグリであってさ」

 流石にティファニアは、(これは“虚無”かな?)と“杖”を振り上げた。

 しかしマリコルヌは言葉を止めない。

「おや? “魔法”かい? 君はあれか? サイトに元気になって欲しくないのか? 君はそれでもサイトの友達か!? 僕はだな! 純粋にサイトのためにだね!」

「えい」

 小さく“呪文”を唱え、ティファニアは“杖”を振り下ろした。

「僕、ピーヨコのピヨちゃん。ピーヨピヨ」

 パタパタと両手を振って、マリコルヌは歩き出す。

 ティファニアは才人の元へと向かった。

 ブツブツと、廃人のように才人は何かを呟いている。

 そんな才人を見ていると、ティファニアは無性に悲しくなってしまった。

「大丈夫よサイト。絶対にルイズは戻って来る。セイヴァーはそれを識ってるから何も言って来ないんじゃないかな? 戻って来たら……そしたらちゃんと謝ってね? 理解った?」

「ホントに、戻って来るのかな……?」

 才人のその言葉に、ティファニアは強く首肯いた。

「大丈夫。ルイズは、自分の仕事を放り出したりしない。絶対に、そのうち戻って来るから……」

 ティファニアは、何度もそう言って、才人を慰めた。

 

 

 

 “トリステイン”女王の天幕では、アンリエッタが早馬で到着したアニエスの報告に耳を傾けていた。

「参りましたね」

 そう言って、アンリエッタは溜息を吐いた。

 才人は、“シュルビス”の街で自分を襲って来た一味を発見したとの報告を受けて、アニエスを調査に向かわせていたのである。

 だが、その報告は芳しくないモノであった。

「“シュルビス”近辺を隈なく捜索しましたが……目当ての輩は見付かりませんでした。なお、同時にシュヴァリエ・ヒラガ殿に対し含むところを持つ“貴族”を調査しましたが……」

 アニエスの困ったような調子で、アンリエッタは察した。

「多過ぎる、そう言いたいのでしょう?」

「その通りです。“平民”上がりの風当たりについては理解しているつもりでしたが、想像以上でした。民衆からの人気が、そのまま嫉妬に跳ね返ったようです。“魔法学院”生徒を持つ家以外……全てに動機が存在すると見ても、強ち間違いではありませぬ。率直に申し上げて、御手上げですな」

 アンリエッタは首肯いた。同時に、(男爵の位を与えていたら、今頃どうなっていたことか……)と身震いした。

「ですが、1つ有力な手掛かりを得ました」

「仰って下さい」

「裏の世界で名の通った連中が、最近“トリステイン”に潜入したとか」

「裏の世界?」

「ええ。どうやら汚れ仕事を専門にやっていたようです。かなりので腕っこきで、“ガリア”はあの……“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”に所属していたとか。こたびの政変で、“トリステイン”に流れて来たようです」

 “北花壇騎士”。“ガリア”の非公式の騎士団である。

 アンリエッタもその存在は耳にしたことがあった。

 重宝、暗殺……そういった闇に位置する仕事を生業とする騎士らしからぬ騎士といえる騎士団である。

「連中、と申しましたね?」

「ええ。“元素の兄弟”と申す連中です」

 アンリエッタは、才人の言葉を想い出した。

 女の方が、男の方を、「兄様」と呼んでいたと……。

「恐らく、彼等で間違いないでしょう」

「実は私も、かつて何度かその名前は耳にしたことがあります。神出鬼没。狙った獲物は逃さない。そして……依頼された任務は失敗したことがない」

「でも、サイト殿に止めを刺さなかったのは……」

「理由は判りませぬ。脅しのみだったのかも知れません」

「それなら、まだ良いのですが」

「次は脅しでは済まないかもしれませぬ」

 アンリエッタは悔しげな顔で、首を振った。

「いっそのこと、国中の要職に“平民”を登用して上げようかしら?」

「面白いとは想いますが、内乱になるでしょうな」

 アンリエッタは、(やはり、国内の有力な“貴族”と結婚するべきなのかしら? 全く、女王などと言いながら、自分には何の力もないではないの。近衛の騎士1人が守ることができないなんて!)と想い、このような時に姿を晦ましたルイズを、初めて恨めしく想ってしまった。

「……貴女は良いわね。恋、だけに生きられて」

「何か?」

「いえ……何でもありませぬ」

 アンリエッタは、(少しは私の立場を考えてくれたって良いじゃないの。私には何もないんだから。ほんの少しの慰めも。心休まる時も……)、と想った。

 それからアンリエッタは、「あの娘(シオン)が羨ましいわ。どうやって国中の“貴族”達と“平民”達との間を上手くやっているのかしら?」、とアニエスには聞こえないように呟いた。

 

 

 

 

 

 “ヴェルサルテイル”に到着した一行は、直ぐ様迎賓館に案内された。とはいっても、部屋が容易されるのは、アンリエッタやシオンを始め大臣達などいった各国の要人のみであり、護衛を務める兵士や騎士達は周りに仮設された天幕で寝泊まりするのである。

 “ガリア”の使者は、「明日から行事が目白押しでありますから、本日はごゆっくり御休み下さい」と言い残し、迎賓館の玄関から去って行く。

 女官やアニエスを下がらせると、アンリエッタはようやく1人になることができた。

 さて、この園遊会の出席には、アンリエッタにとって様々な目的があるといっても良いであろう。

 だが、中でも1番の目的は、新女王シャルロットの真意を掴むことである。“ロマリア”の協力を得て戴冠した シャルロット女王…… “ロマリア”と協調して “聖戦”を遂行するつもりなのかどうかを見極める必要があるのである。

 そのような大事な時であるというのにも関わらず……“トリステイン”国内は纏まっていない。“平民”出身の騎士に嫉妬を抱き、あまつさえ殺し屋を雇って排除しようとしている“貴族”がいる。

 ルイズはルイズで、色々なことが重なり合った結果ではあるが、自分の任務を放り出してどこかに雲隠れしてしまっていた。

「皆自分勝手だわ。誰のために頑張っていると想っているの?」

 アンリエッタは才人を呼んで、散歩でもしようと想った。

 “ガリア”女王との会見について打ち合わせをする必要があるのは確かであり、才人を襲った連中について知らせる必要もあるのだから。

 だが、1番大きい理由は……。

 アンリエッタは、(逢いたい。なんとなく、顔が見たい)と色々理由は付けたけれど、結局それだけであるかのように想えた。

 呼び鈴を鳴らして、アンリエッタは召使いを呼んだ。

「しばし散歩をしたいから……そうね、打ち合わせすることもあるので、“水精霊騎士隊”のシュヴァリエ・ヒラガを呼んで下さい」

 召使いは、直ぐに外から才人を連れて来た。

 グッタリと、疲れた顔で才人は言った。

「御呼びだそうで」

「散歩をしたいのです。護衛を命じます」

 才人は、直立すると恭しく一礼した。

 それなりに様になっていることもあり、アンリエッタは何だか少しばかり可笑しいと想うことができた。

 

 

 

 迎賓館を出る迄のアンリエッタは厳格な女王としての様子を見せ、一歩下がって後ろから着いて来る才人に目もくれなかった。

 “ヴェルサルテイル”の迎賓館は、既に社交場と化していた。あちこちで、豪華な衣装で、着飾った大“貴族”や大使達が、ニコヤカに談笑しているのである。

 アンリエッタが通り掛かるたびに、彼等は慌てて居住まいを正して礼を寄越すのであった。

 まるで空気のように、アンリエッタはそれ等を無視して歩く。公式の場でなければ、彼等に挨拶をする必要はなく、また、実際無視していても、全く厭味には見えない。

 そうと意識したアンリエッタは、全くもって見事な女王であり、1人の人間ということを忘れてしまうだけの威厳を辺りに振り撒いている。

 後ろから着いて行く才人などには、誰も見向きもしない。

 そんなアンリエッタのことを、あの時の安宿での出来事……そして、“ド・オルニエール”の地下室で見た人物だと同じであるとは、才人には想えなかった。

 外はそろそろ、陽の落ちようかという時間になっている。

 迎賓館の外も、大勢の外国からの客でごった返している。

 アンリエッタは、ローブのフードを深く冠る。そうすると、そこにいるのがアンリエッタだとは、咄嗟には判らなくなった。

 アンリエッタは無言のまま、ドンドンと歩いて行く。

 “ヴェルサルテイル宮殿”は広く、ちょっとした街くらいの大きさである。

 そのうちに、迷路のように花壇が並んだ場所に出る。名前も知らない青い夏の花が、咲き乱れている。

 アンリエッタは、真っ直ぐにその中へと入って行く……。

 その迷路状の中庭の途中には、小さなベンチがあった。

 そこに腰掛けると、アンリエッタはフードを取った。

 咽るような花の香りと、湿気に包まれたアンリエッタの顔からは、先程見せた厳格さは既に消えていた。まるで村娘のように、伸びをする。それから、「貴男も御掛けなさいな」と朗らかな声で言った。

 才人は、アンリエッタの隣に腰掛ける。

「誰かに聞かれたくなかったモノですから」

 それから、アンリエッタは軽く慌てた様子で、「いえ、その、深い意味はありませんの」と言った。

 才人も、ぎこちなく首肯いた。

 最近、2人はずっとこのような風である。御互いに、あの出来事を話題に上げはしない。

 最初に口を開いたのはアンリエッタである。

「明日のことですが……前にも説明申し上げたように、取り敢えずシャルロット女王に、素直に御訊ねください。“ロマリアと、どのような関係を結ぶつもりなのか?”」

「理解りました」

 才人の声はどこか虚ろで、元気がなかった。

「それと……貴男を襲った者達の件ですが。“元素の兄弟”と言うそうです。“ガリア”から流れて来た、裏の仕事に長けた連中とか……」

「そうですか」

 力のnい声で才人は言った。

「何だか、他人事のようですわね。しっかりして頂かないと困ります」

「すいません。でも……何だか、力が出ないって言うか。それじゃいけないって理解ってるんですけど……」

 アンリエッタは眉を顰めた。何だか、自分が責められているかのように感じたのである。

「まるで私が悪いような言い方ですわね」

「え?」

 才人は驚いてアンリエッタを見詰めた。その目に怒りの色をハッキリと感じ取り、才人は慌てた。

「そ、そんな……違います。いけないのは俺です。俺が……」

「私達は、悪いことをしたのですか?」

 唇を尖らせて、アンリエッタは言った。

「それは……」

「ルイズがいなくなった。仕方ないではありませんか。私達はそれだけのことをしたのですから。自分の意志で、それを行ったのですから。それとも貴男は、意に沿わぬことをしたのですか? それなら、私が1人でこの罪を被りましょう。でも、もし……そうではないのなら……」

「ないのら?」

「貴男には、そのように苦悩する権利はないと想いますわ」

 才人は俯いた。

「……意に沿わなかった訳ではないのです」

 するとアンリエッタは、冷たい目で才人を睨んだ。

「……男らしくないですわね」

「な、何ですって?」

「夢中だったではありませんか? まるで私が誘惑したみたいだわ。非道い人」

「そ、そうじゃないですか!?」

「どこがそうなのか、仰ってくださいまし」

「“こんな風に求めて来たのですよ!?” って言ったじゃないですか!?」

 するとアンリエッタは、更に目を細めた。

「あれはただ、貴男の真似をしただけですわ。誘惑した訳ではありません」

「俺は、あんな風にした覚えはないですよ! あんな色気たっぷりで……」

「色気に迷っただけだと。そう仰りたいのね?」

 すると才人は、再び力なく肩を落とした。

「……何て言うか、失くしてみて、初めて理解ったんです。いかに自分がルイズに依存してたのかって。いかにルイズのことが好きだったのかって。俺は“トリステイン”を救けるために、110,000に突っ込んだ訳じゃない。ルイズを救けるために突っ込んだんです。ルイズがいるから、こっちの世界に残ることにしたんです」

「では、ルイズがいなくなったから、貴男も全てを放り出して、元の世界に帰えると仰るの?」

 才人は首を横に振った。

「いえ……それは俺の理由です。理由は理由に過ぎません。兎に角俺は一旦引き受けました。だからちゃんとやります。落ち込んですいません」

 するとアンリエッタは、少しばかり驚いた様子を見せ、次いで恥ずかしそうに頬を染めた。

「……申し訳ありません。私、つい夢中になり過ぎたみたいですわ」

「……いえ」

「あまり頼れる人がいないモノですから。つい、甘えてしまうのです。きっと、貴男にも、ルイズにも甘えていたのですわ」

 しばし、2人は見詰め合っていたが……どちらからともなく顔を逸らす。

 ポツリと、才人は言った。

「俺……向こうの世界にいる時ですけど……とってもテキトウに生きて来ました。悪いことはしなかったけど、善いこともしませんでした。何かに夢中になることもありませんでした。毎日はなんとなく過ぎて行って、ある日突然大人になって、それでも大して変わらずに、のほほんと過ごすんだろうなあ、あんて想ってました。そして、それで良いって想ってました」

「…………」

「でも、こっちの世界に来て、初めて見付かったんです。生きる意味、俺がこの世に存在する意味。すっごく単純でした。ルイズです。あんな可愛い娘見たことなかった。生意気で、我儘だけど、見てるだけでどうにかなりそうになりました。ルイズを助けるうちに、色々と手柄も立てて……皆から必要にされて、もっとその理由が大きくなりました。皆から必要とされるって、とっても嬉しかったんです。だって、今までそんなことなかったから」

 アンリエッタは、黙って才人の話を聴いていた。

「だから俺、ちょっと浮かれてたのかもしれません。浮かれて、1番大事なモノを忘れてたのかもしれません。ルイズやデルフを失って初めて、それに気付いたんです。こうなって理解ってたのに……」

 しばらくアンリエッタは黙っていたが……ユックリと目を閉じた。

「……そろそろ戻りましょうか」

「はい」

 2人は立ち上がると、迎賓館に向かって歩き出した。

 何時しか双月が現れ、夜の花壇を優しく照らしていた。

 そんな月明かりを見詰めながら、(俺がこの世界にいる意味って何だ? 自分の存在する意味。こっちの世界に来るまでは、そんなモノが……意味、なんてモノが存在すること自体、知らなかった。多分、向こうの世界にいたら、俺は恐らくそれを考える間もなく大人になり、そして死んで行っただろうな。ちょっと前まで、それは明確だった。ルイズのため。見ていると、胸のドキドキが治らなくなる女の子を守るため……でももう、彼女はいない。自分の前から姿を消してしまった。自分はこっちの世界に来て、色んなモノを見付けた。東京で過ごしている間には決して見付からなかったモノを……でも、今は何が目的何か判らなかった。世界はどうにも灰色で、何をすれば良いのか判らなかった。それでも、しなければならない仕事がある。降り掛かる危険がある)と色々と考えた。

 アンリエッタに対しては、「やります」と言った。が、そのどちらも上手く熟すことができるかどうか、才人は自信がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から、大々的に即位祝賀園遊会が開催された。

 朝から盛大な花火が打ち上げられ、楽師達は引っ切りなしに音楽を演奏する。

 完成なった“新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の前庭に集まった各国の指導者や名士達は、これほどの短期間でこれだけの王宮を造り上げてしまう“ガリア”の底力に、感嘆せざるをえなかった。

 玄関の扉が開き、シャルロット新女王(?)が新王宮から姿を見せた時、集まった名士達はその幼さに驚いた。彼女は16歳であるということを耳にはしていたが、どう見ても2つか3つは幼く見えたためである。

 また、彼女が着ている衣装も目を惹いた。

 このような場合、普通は派手で綺羅びやかな衣装を着るモノが通例である。大国“ガリア”の女王ともなれば、一流の仕立て屋が腕を振るった素晴らしい衣装を纏うであろう。現に居並ぶ貴婦人達は、新女王が身に纏うであろう、贅を凝らした衣装が一目見たくて集まったようなモノである。“ガリア”女王の衣装は、“ハルケギニア”の流行を左右するといっても過言ではないのだから。

 しかし……新女王が羽織っている衣装は、妙と言えるモノであった。

 まるで修道女が着るような、白い、簡易で質素な服である。宝石も何も鏤められていない。胸には、申し訳程度に“聖具”が描かれているのみである。

 左右に控えた御付の“貴族”が、恭しく一礼すると、芝居掛かった口調で、“ディテクト・マジック”の“呪文”を唱えた。

 これは、大事な儀式である。

 皆の前にいるのが、正真正銘の新女王であるのかどうか、証明するためのモノであるのだ。

 “魔法”を感知した反応はない。

 集まった名士達から、静かな溜息が漏れる。

 之で、女王は正真正銘、本人であるということが確認されたのである。

 新女王は、それから前庭に用意されたテーブルの最上座に向かい、そこで各国の名士達から、御祝いの言葉を受け取る段取りになっている。

 ユックリと階段を下りて来る女王の姿を、皆が想像した。

 だが……新女王は、其の場に立ったまま、何かを告げるように、右手を上げた。

 名士達からざわめきが漏れた。

「“ガリア王国”を統べる女王として、皆様方に宣言いたします。“ガリア王国”は神と“始祖ブリミル”の良き下僕として、“ロマリア皇国連合”の主導する“聖戦”に、全面的に協力いたします。“ハルケギニア”に“始祖”の加護があらんことを」

 一瞬、会場は静まり返った。それから、波のようにざわめきが広がって行く。「やはり、新政府は“ロマリア”の家来なのだ」、とか、「このために“ロマリア”は“ガリア”に侵攻したのだ」、との囁きが、会場を揺らして行く。

「何と言う……」

 会場でその宣言を聞いたアンリエッタは、顔を蒼白にして倒れ込んでしまった。

 側に控えていたアニエスとギーシュが、慌ててアンリエッタのその身体を支える。

 一歩離れた場所で、(今の言葉はどういうことだ? タバサが、“ロマリア”に協力するなんて!?)と、“水精霊騎士隊”を率いていた才人も青くなった。

 まさに、寝耳に水であったのだ。

 一瞬、才人は、(あれはタバサではなく、別の誰かだろうか? それとも、何か薬を使って……)と考えた。が、いや、と首を横に振る。

 先程、“ディテクト・マジック”で確認されたのだから、新女王本人であることだけは確かである。

 才人は、(となると、あれは正真正銘のタバサ……)と想った。

「何で修道女みたいな格好してるのかなんて思ってたら……あのちびっ娘、やっぱりそういう思惑があったのか……」

「妙だと想ってたんだよ。“ロマリア”の言うがままに即位を決め込むなんて。“ロマリア”め、上手いこと説得しやがったな」

 マリコルヌとギムリが、そのようなことを言った。

「違う」

 才人は、呟くように言った。

「何が違うんだ? 現にあいつは、“聖戦に協力する”って言ってるぜ」

「タバサがそんなこと言う訳がない!」

「そう、君に約束でもしたのかい?」

 そう問われて、才人は、ハッ、となった。考えてみれば、タバサの口から直接「“聖戦”に反対する」などという言葉は終ぞ聞いていなかったのである。才人は、自分と当然同じ考えだとばかり想い込んでいたのだが……。

「あのなあ君。政治信条と友情は別物だぜ。彼女は確かに君と仲良しだったのかもしれないが、君と考えが違ってたって可怪しくはない」

 レイナールが慰めるように言った。

 才人は、足元がグラつくかのような錯覚を覚えた。

 当の新女王は、階段を下りて、御祝いの言葉を受けるためのテーブルへと向かって行った。

 才人は駆け出した。

 

 

 

 テーブルに着いた“ガリア王国”新女王の前に、各国の名士達が順番に並んで挨拶をしている。

 膨大な列が出来ているが、才人は構わずに割り込もうとした。

 当然、他の“貴族”に窘められる。

「おい! どこの田舎者だ!?」

 才人はヤキモキしながらも仕方なくといった様子で最後尾に並ぶ。

 遠目に見る新女王に、可怪しなところは見受けられない。才人からして、多少雰囲気が変わった様子に見えるが、気の所為とも想える範囲であった。また、新女王が化粧をしていることに、才人は気付いた。

 唇に紅を差し、睫毛を巻いた程度の軽いモノであったが……雰囲気が違うように感じさせるのは、その顔に施された化粧のおかげでもあるだろう。

 1時間もすると、ようやく才人の番が来た。

 才人は眼の前の新女王を見詰めた。

 チラッと女王も才人を見詰める。

 が、その目にはかつて感じた親愛の色や懐かしいといった感情が欠片もない、と才人は想った。

「“トリステイン王国大使”、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールと申します」

 仕方なしに、取り敢えず通り一遍の作法で、才人は挨拶をした。

「御久し振り」

「お、覚えてくれてたのか?」

 当たり前じゃないかと思ったが、新女王のそのような態度を前にして、才人はついそのような間抜けじみたことを言ってしまう。

「覚えてる」

 その妙なやりとりに、周りの“貴族”達が怪訝な顔になった。

 だが、新女王の後ろにいる男が、周りに説明するように言った。

「ここなシュヴァリエ・ヒラガ殿は、陛下の御学友だった御方です。気さくに御声を掛けて頂ければ、陛下も喜びましょう」

 陽気な雰囲気を持った、神官服を着た男であった。若いのであろうが、妙に年齢が判り辛い。ガッシリとした顎が、意志の強そうな雰囲気を放っている。

 才人の視線に気付き、男は一礼した。

「宰相のバリベリニと申します。以後御見知り置きを。“虎街道”の“英雄”殿」

 才人もまた礼を返した。それから、「シャルロット女王陛下に、御話があるのですが……」と言った。

 するとバリベリニは慇懃な態度で首を横に振った。

「申し訳ありませんが、陛下は御忙しいのです」

「ええと、俺は一介の騎士ではありません。このように、“トリステイン王国”の正式な大使であり、交渉官です」

 と、才人は真面目な顔で、アンリエッタの御墨付を見せたが、バリベリニは首を横に振る。

「残念ですが……」

 取り付く島もないとはこのことであろう。

 才人は、新女王に向き直った。

「話があるんだ」

 だが、それでも新女王はキョトンとした様子で才人を見詰めるのみである。

「ヒラガ殿。失礼ですが……」

 割って入ろうとしたバリベリニに、才人は言った。

「貴男に尋ねてるんじゃない。俺はタバサに……陛下に尋ねてるんです。なあ、御願いだ。訊きたいことがあるんだ」

 だが、彼女の返事は素っ気ないモノであった。

「忙しい」

 才人は慌てた。

「なあ、さっきの言葉は本当成のか? “聖戦”に協力するって……」

 新女王は、(それがどうしたの?)と言わんばかりの様子で、コクリと首肯いた。

「おまえ……どうした? 一体何があったんだ?」

「どうもしない」

 その頃になると、妙な様子に周りの“貴族”達が騒ぎ始めた。

「大使殿。後が仕えております。御話なら、後で私が伺いましょう」

「なあタバサ! どういうことだ!? おまえ、“ロマリア”に何か吹き込まれたのか!? どうなんだ!?」

 なおも詰め寄ろうとする才人に、バリベリニは冷たい声で言った。

「それ以上、何か仰れば、貴男に異端の疑いを掛けねばならなくなりますぞ」

 それでも才人は何か言おうとした。

 だが、才人のその口が背後から押さえられる。

「ほらサイト! 行くぞ! 皆様方、御騒がせしました!」

 ギーシュである。

 見ると、周りには“水精霊騎士隊”の少年達が集まっている。

 そっと、ギーシュが才人の耳元で囁くように窘める。

「……気持ちは理解るが、自重し給え! ここは“トリステイン”じゃないんだぞ!」

 ギーシュのその言葉で、才人はどうにか落ち着いた様子を見せる。が、それでも感情などは大きく揺り動いており、どうにもままならないといった風である。

「……すいませんでした」

 が、それでも、ペコリと頭を下げて、才人は“水精霊騎士隊”の面々と共にその場を後にした。

 園遊会会場は、先程の新女王の発言に関することで持ち切りであった。

 ほとんどの“貴族”は、困ったような表情を浮かべている。

 当然のことであろう。

 彼等の記憶には、犠牲者が出なかったとはいえ、“カルカソンヌ”で“両用艦隊”を焼き尽くした炎が焼き付いているのだから。“エルフ”が用いる“先住魔法”が生み出した、巨大な炎の玉……。

 それに、“エルフ”と戦うことほど愚かなことはない、と彼等は教えられて育って来たのである。

 だが……面と向かって“ロマリア”や“ガリア”女王に逆らうことができる“貴族”などいるはずもない。

 会場内の“貴族”達は、「本当に“エルフ”と戦になるのですかなあ?」などとまるで他人事の様子に話し合うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 その日の夜……。

 “新王宮”の女王の寝室。

 ジョゼット改め名実共にシャルロット女王となった少女と、“ロマリア”の神官であるジュリオはそこで談笑をしていた。

 談笑とはいっても、今日の出来事についての話、今後についてのジュリオからの提案と説明と指示……などといったモノであるのだが。

「理解った。それで御兄様が助かるなら」

「良い娘だ」

 ジョゼットは首肯き、ジュリオは笑みを浮かべる。

「ふむ……確かに、良い娘だ。実に好い。それに、中々に面白いモノを見させて貰ったよ。ジュリオ」

「……!?」

 部屋の隅で俺は実体化し、2人の前へと姿を曝す。

「御兄様……」

「大丈夫だよ」

 突然の闖入者を前に、ジョゼットは怯え、ジュリオへと縋り付く。

 ジュリオは、安心させるようにジョゼットへと微笑み掛ける。

「女性の寝室に無断で入って来るなんて感心できないな。セイヴァー」

「それは御互い様だろう? つい先日、見事に入れ替わりをしてみせたようじゃないか。なあ、女王陛下……いや、 ジョゼットと呼んだ方が良いかな?」

「…………」

 俺の言葉に、ジュリオは笑みを崩し、硬い表情を浮かべる。

 ジョゼットは怯えと困惑の表情で、俺を見詰めて来る。

「……何故、と訊きたいのだろう? そうだな。俺は総てを識っている。例えば、“虚無”について……“4つの4”、“大災厄”……“風石”……」

「君は、何を……どこまでを知っているんだい?」

 珍しく、ジュリオは警戒心を露わに、また、怯えを含めて俺を見詰め、問い掛けて来る。

「言っただろ? 総てだ。“サーヴァントの力を手に(転生)”してからは、文字通り“根源”と繋がり、総てを識ることができるようになった。まあ、それでも知ろうと想ったことしか識れず、不器用なところとかは変わっていないみたいだがね……まあ、安心してくれ。過程は違えど目的は同じだ。だから、最終的には手を取り合うことができるだろう。ただ、今こうしてここに来たのは、園遊会の時に挨拶ができなかったからでね。それじゃ、また逢おう」

 俺は2人に背を向け、再び“霊体化”し、場を離れた。



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 同時刻……迎賓館。

 アンリエッタの部屋の摩で警護の任を行っていた才人は、中からアンリエッタに呼ばれた。

「……サイト殿」

 アンリエッタは、疲れたような声を出し、才人を呼んだ。

 才人は、一緒に立っているギムリへと目配せをし、中へと入って行った。

「御呼びですか?」

 アンリエッタは、寝間着姿のまま、ソファに凭れ掛かっている。あの、新女王の宣言を聞いてから、ずっとこうやって茫然自失の体といえる様子なのである。やっとのことで、人と話す余裕ができた、といった様子を見せている。

「……シャルロット女王に御逢いしましたか?」

 才人は首肯き、アンリエッタに説明をした。全く、取り付く島がなかったということを……。

「まるで人が変わったようでした」

「そうですか。となると、想っていたより、事態は厄介ですわね」

「一体、何があったんでしょうか?」

 才人は尋ねた。

 すると、アンリエッタは唐突に顔を押さえた。

「姫様?」

「もう沢山。沢山ですわ! なんて狡猾で巧みな連中でしょう! 嗚呼、難なく“ガリア”を手懐けてしまうなんて……」

「ですが、“虚無の担い手”は1人欠けた状態です。まだ“聖杯戦争”の途中ではありますが……諦めるのはまだ早いですよ」

 そうは言ったものの、才人の中には(もしかしたら“ロマリア”は……それもとっくに解決しているのかもしれない)といった不安があった。

 才人が(自分が死ねば、代わりの“使い魔”を“召喚”できるように……“担い手”もまた、代わりがいるんじゃないのか?)といったことを考えていると……窓が叩かれた。

 アンリエッタはビクッと身体を震わせると、才人へと寄り添った。

 才人は、(ここは2階のはずだけど……)と考え、先ず、小声でギムリを呼んだ。

 怪訝な顔で部屋に入って来たギムリにアンリエッタを任せ、才人は、刀の柄に手を置いて窓へとユックリ近付く。

 ガンガン……。

 再び、カーテン超しに窓が叩かれる。

「誰だ?」

 そう才人が尋ねると、声が響いた。

「……“トリステイン”女王陛下に宛てて、我が主人より言伝を持って参りました」

 若い女の声が返って来た。

「言伝? どうして窓から来るんだ?」

「扉より入ることができないからで御座います。現在、“ガリア”王政府は混乱を極めております。その混乱について、是非とも“トリステイン”の助力を仰ぎたいのです」

 才人は、アンリエッタの方を振り返った。

 コクリ、とアンリエッタは首肯いた。

 才人は窓を開けた。

 スルリと、まるで滑り込むかのようにして女が1人入って来た。どこからどう見ても、ただの若い街女にしか見えないであろう容姿をしている。薄茶色の服に、淡いベージュ色のスカート。だが、“メイジ”ですらないのにも関わらず、彼女は器用に壁に張り付いていたのである。驚くべき体術であるといえるだろう。

「私は、“地下水”、と申します」

 随分と妙な名前であったが、何かの通り名であろう、とこの場の3人は判断した。

 “地下水”は、懐から1通の手紙を取り出した。それを恭しく、アンリエッタへと手渡す。

 アンリエッタは、其れを一読すると眉を顰め、才人へと手渡した。

 そこには、簡単にではあるが、こう記載されていた。

 

――“畏れながらトリステイン女王陛下に申し上げます”。

 

――“ガリア王政府に政変あり”。

 

――“王は、シャルロット様では御座いません”。

 

――“詳しい話をさせて頂きたく存じます”。

 

――“この者が案内差し上げます故、使者を御遣わしくださいますよう平に御願い申し上げます”。

 

「じゃあやっぱり、あのタバサは……タバサじゃないんだな?」

「一体、差出人は誰ですか? 何故、“トリステイン”に助力を請おうというのですか?」

「詳し話は、主人依り御伺いくださいませ。さ、急がねばなりません。使者を」

 この場の皆からすると、疑わしいし、もしかすると罠かもしれないと、考えられる。だが、迷っていられる訳もなく、他に手がないのは事実であった。

 アンリエッタは、才人を見詰めた。

「御願いできますか?」

「望むところです。ギムリ、ギーシュを呼んで来てくれ」

 おっとり刀で駆け付けて来たギーシュ達に、才人は掻い摘んで説明をした。

「と言う訳で、俺はちょっと行って来る。ここは任せた。レイナール、一緒に来てくれ」

 才人は、伴にレイナールを選んだ。

 こういった任務などには、ペアで行うのが基本となっている。

 また、レイナールは腕が立ち、知恵もあるための人選であった。

 緊張した様子で、レイナールは首肯いた。

 才人は準備を整えたことを、“地下水”、に報告した。

 コクリ、と女は首肯いた。

 

 

 

 才人とレイナールは、“地下水”に続いて迎賓館の窓から外へと出た。

 そこは壁と建物に挟まれた、狭い場所である。両脇を立ち木に塞がれ、周りからは死角になっている。

 才人とレイナールの2人は、(一体、ここからどう動こうというのだろう? “ロマリア”が暗躍しいるならば、当然自分達には監視の目が光っているはずだ。城壁を越えようとしたら、直ぐに衛士が飛んで来るだろう)と考え、首を傾げた。

 だが、“地下水”は、そうはせずに、地面にしゃがみ込む。

 そこには、鉄の扉があった。恐らく、下水道か何かに通じる入り口であろうことが推測できる。

 音を立てないように、“地下水”は、扉を開くと、中へと入り込む。

 続いて、才人が、その次にレイナールが続いて入った。

 梯子で5“メイル”ほど下りると、ヒンヤリと冷たい空気が淀む場所へと出た。足元に水の感触があることに、才人とレイナールの2人は気付く。そして、汚水の臭い……。

 “地下水”は、側にあったカンテラを摘み、短く“コモン・ルーン”を唱えた。

 “魔法”のカンテラに灯りが灯る。

 確かにここは、下水道である、ということがその灯りで判る。

「此方です」

 入り組んだ迷路のような下水道を、全く迷う素振りも見せることなく“地下水”は歩いた。どうやら、己の住む街であるかのように、この下水道を把握しているようである。

 右、左、真っ直ぐ……1“リーグ”ほども歩いた頃であろう。

 1本の鉄の梯子があり、“地下水”はそこを攀じ登り始めた。

 そこが目的地であろう。カンテラの灯りを消し、3人は外に出た。

 月明かりに浮かぶそこは、どうやら打ち捨てられた寺院の中庭のようであった。“ヴェルサルテイル宮殿”は、 “リュティス”の郊外に位置している。遠くに……500“メイル”は離れた場所に、その宮殿の灯りが見える。

 寺院の中に、“地下水”は入って行く。

 ここの礼拝堂は随分と使われていないようである。中は真っ暗であるために判り辛いため、“地下水”は才人とレイナールの手を握って案内した。

 礼拝堂には、地下へと下りる階段があり、そこを下りると扉がある。

 “地下水”は、その扉の前に立つと、小さく言葉を告げた。

「“地下水”です」

 鍵が外れる音が聞こえ、扉が開いた。

 カンテラの灯りが目に飛び込んで来る。

 そこは寺院の司祭がかつて使っていたのであろう、居室で在った。ベッドと、机が置いてある。

 一行を迎え入れたのは、フードを深く冠った若い女であった。

 口元だけを覗かせ、女は才人とレイナールに向かって礼をした。

「“トリステイン王国”からの御客様ですわね?」

 女の喋り方は、“貴族”のモノであるということが判る。どうやら彼女が、“地下水”の主人のようであるということも同時に判った。

「“トリステイン王国水精霊騎士隊”のシュヴァリエ・ヒラガです。こちらは同騎士隊所属の、レイナール」

 すると女は、フードを下ろした。

 カンテラの灯りに、長い青髪が舞う。

 彼女は、焦った声で2人に告げた。

「“ガリア王国北花壇騎士団”団長の、イザベラ・マルテルと申します」

「“北花壇騎士団”だって?」

 才人とレイナールは、(それは確か、タバサが所属していた“ガリア”の秘密騎士団ではないか? 政府の汚れ仕事を一手に引き受けていたという……)と顔を見合わせた。

「御存知ですか。ならば話は早い。時間もありませぬ故、急いで御説明差し上げます。先程手紙にも書いた通り、今現在、“ガリア”女王を名乗っている娘は、シャルロット様ではないのです。別の者が入れ替わっております」

「どういうことですか?」

「私も事情は存じません。ただ、3日前の朝、シャルロット様に拝謁した際に、私は直ぐにその娘がシャルロット様ではないことに気付きました。同時に、これは何かの陰謀だと理解したのです」

「……そうだったのか」

「ですが、私はそれに気付かない振りを致しました。あの娘が、シャルロット様であるように振る舞ったのです。何か事情を知らぬかと、太后陛下にも御目通りしようと考えましたが、病に伏せたとの仰せ。仕方なしに、手持ちの騎士を用いて秘密裏に調査を開始したのです。まだ、有力な情報は集まってはいませんが……敵に気付かれる訳にはいけませんから慎重にならざるをえません。でも、恐らく“ロマリア”の手引きによるモノと想われます」

 才人は、(やはり……あのタバサはタバサじゃなかったんだ。“聖戦”を目論む、“ロマリア”の陰謀だったんだ)と理解した。

「ちくしょう……やっぱりあいつ等、碌でもないことを考えていやがったな……そしてタバサは? どこに?」

「それも判明しておりませぬ。ただ、全力をもって調査中です」

「理解りました。で、俺達は何をすれば良いんですか?」

「取り敢えず、何もしないでください。迂闊に動くことは危険です。私達に多少の利があるとすれば……入れ替わったことに気付いたことを、向こうが知らないことです。ですから、貴方方も、気付いていない振りをしてくださいますよう。では、アンリエッタ女王陛下に、良しなに御伝えください」

「理解りました」

「何かあれば、手紙で御報せします。ですが普通の手紙では、敵に渡った際に対処の仕様がありません。これを御使い下さい」

 それは、数字を利用した暗号表であった。

 才人は首肯くと、それをポケットに捩じ込んだ。

「では、貴女も気を付けて」

 そう言い残し、才人はレイナールを連れて外へと向かおうとした。

「御待ちください。“地下水”が案内します」

「あ、そうか」

 あの下水道を、案内なしに帰ることは難しい、というよりも、無理だといえるだろう。

 だが、そう言った後もイザベラは何か言いたそうな顔をしている。

「何か?」

 そう尋ねると、イザベラは才人にペコリと頭を下げた。

「私は……前“ガリア”王、ジョゼフの娘で御座います。父に代わって、御詫びを申し上げます」

 才人の身体が固まった。髪の色から、イザベラが“王族”縁の者であるということに関しては見当を着けてはいはしたのだが……。

 顔色を変えたレイナールが、何かを言おうとして、口を開く。

 才人は、スッと、それを制した。

「サイト」

 才人は、言い直そうとするように口を噤んだ。そして、しめやかな声で呟くように言った。

「御悔やみ申し上げます」

 イザベラは、ハッとしたように目を開き、深々と頭を下げた。

 

 

 

 3人が外に出ると、双月が炯々と陽光っていた。

 下水道の入り口に向かおうとすると、いきなり呼び止められた。

「おい」

 才人は、その呼び掛けに振り向いた。

 瓦礫に腰掛けていた男が立ち上がる。

 月明かりに浮かんだ其の顔を見て、才人は絶句した。

「お、おまえ……」

 そこにいたのは、“シュルビス”で才人が見た顔であった。ドゥードゥーと一緒にいた巨漢の男……。

「いやぁ、懐かしい場所だな。そう言いやなあ、俺も昔頻く、ここで依頼を受けたもんだよ。もしかしたら、おまえも“北花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”なのか? いや、まさかな……」

「ここで何をしてるんだ?」

 才人がそう問うと、男――ジャックは頭を掻いて答えた。

「野暮な質問するない。理解るだろ? やっと値段の折り合いが着いてなあ」

「こいつ、何者だ?」

 レイナールが呟くように、才人へと問い掛ける。

「俺を襲った奴の仲間だ」

「じゃ、じゃあ……刺客?」

「もっと格好良い言い方はないもんかね?」

 レイナールは青くなり、次いで顔を真っ赤にさせて“杖”を抜いた。

「おいおい、やめておけ。俺は何だ、そういうことはしたくないんだ。何だほら、目撃者を全員殺す、とかな。良いじゃねえか見られるくらい。減るもんじゃねえし」

 才人はポケットの中から暗号表をレイナールへと手渡した。

「お、おい……」

「後は頼む。こいつを陛下に届けてくれ」

「で、でもな……」

「こいつは俺にだけ用があるんだ。そうだろ?」

 才人がそう言うと、ジャックは首肯いた。

「ああ。その通りだ。他の連中に興味はねえよ。おまえさん達がここで何を企んでるのかもな」

「サイト……」

「早く。“地下水”さん、頼む」

 “地下水”はコクリと首肯くと、レイナールの腕を掴み、下水道の中へと消えた。

 才人はジャックへと向き直った。こう強がりはしたものの……いざ対峙すると、才人の身体は恐怖で竦みそうになった。次いで、“シュルビス”で、散々な目に遭ったことを、想い出す。まさか、“ガリア”に来てまで襲われることになるとは想わなかったのである……。

 一瞬、逃げ出そうかとも、才人は考えた。

 だが、ジャックは依頼を受けて来ている。ここで逃げても、いつか再び襲われることだけは確かである。

 それに、先程の言葉から、ジャックはこの辺りには詳しいのだろうことが理解る。

「さてと、何だあれだね。おまえさんも、よっぽど恨まれたもんだね。外国まで追っ掛けて殺してくれなんざ……まあ、そっちの方が都合が良いのかもしれねえけどな。こっちで殺りゃあ、国内の調査は及ばねえ。でも、まさかこんな所で出逢うとはな! 隠れ家に丁度良いと想って来てみりゃ、ターゲットのおまえさんにばったり出逢すなんざ、俺も付いてるぜ」

 才人は、(くそ、逃げても無駄だ)と覚悟を決めた。そうなると、腹を決める必要がある。

 だがどうしたことか、勇気を出そうとしても身体に力を入れることが、今の才人にはできなかった。引き攣ったように、手足は強張っている。まるで子供の頃、初めて喧嘩をした時のようである。

 才人のその様子を目にして、ジャックは怪訝な顔を見せた。

「おいどうした? 元気がねえな。この前が我武者羅に向かって来た癖に」

「な、何でもねえよ」

 ジャックは笑った。

「そうかい。そりゃ良かった。怖じ気付いた相手と闘っても面白くねえしな。さてと、俺はおまえさんを殺しに来た訳だが、恨んでくれるなよ。こりゃ仕事なんだ。好きでする訳じゃねえし、おまえさんが憎い訳でもねえ。なんだ、キッチリ引導は渡してやるから、諦めるんだな」

 才人は腰に提げた刀を抜き放った。左手甲の“ルーン”が、光り出す。

「おいおい! 死に急ぐなよ! まだ話は終わってねえ!」

「ゴチャゴチャ言わないで掛かって来いよ」

 強がってはみたものの、刀の切っ先が震えていることに才人は気付く。

「さてと、先ずはおまえさんの値段を教えてやる。俺はな、いつも仕事をする前に、そいつの値段を教えてやるのよ。自分にそれだけの価値があったと想えば、少しは気が晴れるんじゃねえかと想ってさ。おまえさんの金額は何と140,000“エキュー”だ! こいつは豪気だぜ。小振りな城が3つも4つも買える値段だ! おまえさんほどの値段の着いた奴ぁいなかった。誇りに想いな」

 才人は、そんなジャックの言動に、(ふざけた野郎だ。たぶん、失敗するなんて夢にも想って無いに違いないな)と想った。

「1人で大丈夫なのかよ?」

「まあね。この前の手合わせで、俺1人で十分だと想ったからな。言って置くが、俺はドゥードゥーの何倍も強いぜ。さてと、ホントのホントにこれで最後だ」

 首の後から冷や汗が流れて背中を伝うのを、才人は感じ、(踏み込めねえ。どうにもこうにも隙がない。こいつの威圧感は何々だ……?)と考えた。

「何か最期にやりたいことがあったら言ってくれ。この場でできることだったら何でも構わねえ。遺書だって良いぜ。まあ、書かれたら不味いことは消しちまうがね」

 才人は無言で飛び込んだ。一足跳びで距離を詰め、ジャックの足を薙ぎ払おうとしたのである。

「ったく! せっかちな奴だな!」

 しかし、ジャックは巨体に似合わぬ軽やかな動きで難なくジャンプして、足払いを躱す。

 だが、その動きを読んでいた才人はそのまま、掬い上げるようにして刀を振り上げた。

 才人はそのスピードには自信があり、(貰った!)と思った。(こいつ等は身体の各部に“硬化”を掛けて銃弾や刃を防ぐのが得意だったな。だけど、この速さでは“硬化”を掛ける暇もないに違いない)、と考えたのである。

「おお、いやぁ、凄い速さだなあ」

 しかし、才人は手応えを感じなかった。

 驚くことに、ジャックは才人が振るった刀を右手で摘んでいたのである。

「くっ!」

 クルリと器用に回転して、ジャックは地面に降り立つ。

「さて、次は俺の番だ」

 ジャックは“呪文”を唱えた。

 才人は身構えた。次いで、この前の、ジャックの攻撃を想い出す。

 ジャックは、“シュルビス”にて“土魔法”を使い、壁や礫を操っていた。

 だが……“土系統”はあまり、攻撃には向いていないといえるだろう。

 対処できる自信が、才人にはあった。

 才人は、(何が来る? 足を掬おうとする土の手か? それとも“ゴーレム”でも造り出すか? それとも、拳を固めて殴って来るのか?)と考えた。

 だが、ジャックの攻撃はそのどれでもなかった。石転を1つ取り上げた。それを無造作に、才人に向かって投げ付けたのである。

 投げるとはいっても、ただの投擲による速度ではない。ジャックのそれは、まさに戦車砲のような速度と精度を持った投石であるといえるだろう。

 デルフリンガーの、「あいつ等は、“先住魔法”を身体の関節部に……」といった言葉を、才人は想い出した。

 才人はその石を、何とか刀で弾くことに成功した。

 だが、次の瞬間、ジャックは才人の懐へと飛び込んで来ていた。

 ジャックのその拳が、才人の腹に減り込む。

 才人は刀を放り出し、吹っ飛んでしまった、

「いやぁ、おまえ、中々だったよ」

 地面に横たわった才人に、ジャックは素直な感想を口にした。

 遠くに刀が転がっているのが見える。

 才人の全身を、(負けた。こんなにも呆気無く。あいつは、“魔法”らしい“魔法”すら使っていないっていうのに……)と諦めと無力感が包んで行く……。

 やはり……どうにも才人の心が震えないのである。かつて背後にあの“詠唱”を聞いていると、幾らでも沸き起こった心の震えが全く起こらないのである。

 才人の全身を、(自分は……ルイズが居無ければ、どうにもならにあ。そりゃそうだ。“ガンダールヴ”は、主人の“詠唱”の時間を稼ぐために生み出された“使い魔”……主人がいなければ、その本分を見失うのは道理だ。駄目だ)と諦めが包んで行く。

 突き付けられる“杖”を、才人はボンヤリと見詰めた。

「さてと……じゃあもう1度尋ねてやる。何か最期にしたいことはないか?」

 死が現実に迫って来た、と才人は感じた。

 というよりも、眼の前にそれは既にあった。

 才人は、(死んだら、ルイズに逢えない。逢って、謝ることもできない)と想った。

 そう想うことで……才人は、どうにもならなくなってしまった。

「……たくない」

「何だって? 聞こえないぞ?」

「……死にたくない」

 ジャックは困ったように首を横に振った。

「そりゃあいかん。俺も仕事なんでな。他の奴にしてくれよ」

「逢いたい」

「逢いたい? 誰に?」

「ルイズに逢いたい」

「そいつもできない相談だな」

「ルイズ……」

 とうとう、才人は泣き出してしまった。

 すると、ジャックの顔に怒りの色が浮かんだ。

「な、何だ? おまえ……戦い終わって泣くのか? こ、この……俺達の戦いを侮辱するつもりか?」

「ルイズ……ごめん……俺……」

「やめろ! 泣くな馬鹿者! 140,000“エキュー”に相応しい最期を見せろ!」

 感極まり、才人は絶叫した。

「ルイズゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!」

 虚しく、才人のその絶叫は闇夜に吸い込まれて行く。

 ジャックの顔に、幾重にも青筋が浮いた。

「き、貴様……この期に及んで泣きながら女の名前を呼ぶとは……うぬ、と何という軟弱。何という貧弱。何という柔弱……」

 ジャックは“杖”を振り上げ、“呪文”を唱える。

 地面の土塊が持ち上がり、強力な“錬金”によって火薬へと変化した。

 才人は泣きながらも、這って逃げようとした。

 ジャックはその火薬を才人目掛けて放った。

「塵も残らぬようにしてくれるわ!」

 その瞬間であった。

 宙に舞った火薬の中心で、小さな爆発が発生した。

 その爆発は、才人へと向かう前に火薬を引火させた。

 巨大な爆発音が響き渡り、ジャックは爆発に巻き込まれ、後ろに吹き飛ばされてしまった。

 濛々と、煙が立ち籠める。

「…………」

 白い煙が晴れた後に……呆然と這い蹲る才人が見たモノは……。

「あんた何やってんのよ?」

 月の明かりに眩しい、桃色がかったブロンドであった。“杖”を握り、スックと背を伸ばし、自分の前に立つ、“虚無の担い手”の姿を、才人は目にした。

 才人を守るようにして、ルイズは立っている。

 才人からすると俄には信じることができないことであった。まるで奇跡のように、ルイズは一瞬で眼の前に現れたのだから。

 修道服を身に纏い、“杖”を構えたルイズのその姿は……奇跡のように神々しいといえるだろう。

 その姿を見ているだけで、才人の両目からは涙が溢れた。

「ルイズ……」

「情っけない“使い魔”。全く、私ってば、ホントついてないわ。あんたみたいな弱っちいのが“使い魔”だなんて。ったく、これじゃ、世界、を救えないじゃないのよ」

「ルイズ!」

 才人は思わず抱き着こうとするのだが、顔に蹴りを入れられてしまう。

「懐いてる暇があるんなら、サッサと剣を拾って来なさいよ! まだ、勝負は着いてないわ」

 その通りであった。

 ユラリと、煙の向こうから立ち上がる影がある。

「ぐ……何者だ? 貴様……」

「何者? 御挨拶ね。生憎と、あんたみたいな傭兵風情に名乗る名前はないわ」

「ば、馬鹿にしおって……良かろう、おまえも纏めてヴァルハラに送ってやる」

 そう言ジャックの顔に、ルイズは見覚えがあった。それから、(あいつ確か……“シュルビス”で私に“セント・マルガリタ修道院”の場所を教えてくれた男じゃないの。どうしてあの男が、サイトと戦っているのかしら? まあ、そんなことは後でサイトに訊けば良いわね)と考えた。

 刀を拾い側に戻って来た才人に、ルイズは言った。

「あんた、あんなのに負けたの?」

「あんなのって……あいつ、強いんだぜ?」

 するとルイズ、事もな気に言った。

「どこが?」

 ジャックはルイズに向けて“錬金”で造り上げた無数の鉄の矢を放った。

 軽く“杖”を降り、ルイズはその前に幾つもの、“エクスプロージョン(爆発)”を発生させる。

 鉄の矢は、吹き飛んだ。

 バラバラと地面に落ちる鉄の矢を見て、ジャックは呆然とした。

「そ、その“呪文”は何々だ……?」

 目を凝らすルイズには、ジャックが纏う“魔力”のオーラとでもいえるモノが見えた。

 成る程、確かに並ではない。だが……その“魔力”は不自然なモノであることが判る。人為的に与えられたモノ……。

 確かにその“魔力”は強力であろう。

 ルイズは、(でも、私の敵じゃない)と同時にそれもまた、理解することができた。

 今のルイズには、底なしとでもいえる“精神力”が溜まっているのであった。アンリエッタと才人の一件が、ルイズに今までで1番の感情の昂ぶりを与えてくれているのである。そう、人生の中でコツコツと溜めて来た“精神力”と同等とでもいえるほどの量が、一瞬でプールされるくらいの、感情の昂ぶりを……。

 今のルイズであれば、どんな巨大な“魔法”でも放つことができるであろう。

 同時に、“セント・マルガリタ修道院”からの脱出行……結局、最寄りの海岸までは、10“リーグ”も離れていた。が、途中まではルイズが小出しにした“瞬間移動(テレポート)”、“アサシン”の手を“精神力”が回復するまでの間だけ借りもしはしたが、そのほとんどを自身の“魔法(瞬間移動)”でもって渡り切ったのである。

 途中でハサンの手を借りはしたが、その経験がルイズに絶大な自信を与えていた。

 ルイズは、(私は、“虚無”を扱える。振り回されてなんかいない)、と自信を持つことができていた。

 沸々と、ルイズの心の底から何かが湧き上がって来る。“精神力”が“魔力”となって、ルイズの身体の中をうねっているのである。

「誰も認めてくれなくたって、私があんたを認めて上げるわ。ルイズ・フランソワーズ」

 

 

 

 眼の前に立つ桃色のブロンドの少女を見て、ジャックは目を丸くした。

「あいつ……あの時の……」

 眼の前の少女が、ジャネットが“セント・マルガリタ修道院”に送って行った少女であるということに、ジャックは気付いた。髪の色が違うが……間違いない、という確信がジャックの中にはあった。それから、(どういうことだ? 結局、向かわなかったのか? それとも、あの牢獄から脱出して来たというのか?)と疑問を覚えた。

 が、同時に、(兎に角、何という“魔力”だろう)、と眼の前の少女が放つ“魔力”に、ジャックは驚いた。

 ジャックもまた相当な使い手であることは確かである。だからこそ、ルイズの力を理解することができた。

 次いで、(あの、“常時錬金を放出する装置”とやらを持って来れば良かったな。だがあれは……ダミアン兄さんの夢に必要なモノだ。こんな所で使ってしまう訳にはいかない。となると……)とジャックは考えた。

「簡単なことだ。命と引換えにすれば良い」

 ジャックは“呪文”を唱えた。

 地面がボコボコと盛り上がり、大量の“ゴーレム”が出現する。

 それを眼の前の主従であろう少年と少女目掛けて、ジャックは“ゴーレム”達を放った。

 だが、それはただの時間稼ぎに過ぎない。

 再びジャックは“呪文”を唱え始めた。

 数十体にも及ぶ“ゴーレム”を見詰め、ルイズは、才人に命令を、“アサシン”に頼み事をした。

「ほら。雑魚が沢山。あんた達の相手よ」

 才人は首肯くと、刀を握って飛び出して行く。

 大量の“ゴーレム”が相手である。

 流石はジャックの造り上げた“ゴーレム”だといえ、動きが、ギーシュの操る“ワルキューレ”や他優秀な“メイジ”達が操る“ゴーレム”の比ではない。まるでジャックの分身であるかの様に素早く、手強い動きで才人を翻弄しようとした。

 だが……。

「“ウル・スリサーズ・アンスール・ケン”……」

 背後からルイズが“呪文”を読み上げる声が、才人の耳に届く。

 その響きは、才人に絶大なる勇気を与えてくれた。先程とは大きく違う種類の涙が、才人の目から溢れそうになる。

 響くルイズの声が、美しい鈴の音のように、才人の心に染み込む。

 才人は、(この声。そしてその姿。ルイズは美しい。この世の誰よりも美しく、俺の心を打つ)と想い、“ゴーレム”の動きの先を読んだ。未来位置を予測し、そこに刀を打ち込むのである、先程はそのような動作を想像することすらできなかった。

 だが……ルイズの“詠唱”を聞いていると、才人は何でもできるように想え、不思議であった。まるで背中に羽が生えたかのように、才人の身体が動くから不思議である。

「何だよ! 止まって見えるよ!」

 的確に“ゴーレム”を斬り裂きながら、才人は絶叫した。

 

 

 

 ルイズの耳に、ジャックの“詠唱”が届く。

 それは“錬金”であることが判る。

 研ぎ澄まされたルイズの精神が、ジャックの意図するところを正確に判断したのである。

 そして、ルイズに唱えるべき“呪文”を、自ずと教えてくれる。

 “呪文”を唱えるルイズには、もう辺りの喧騒は一切届かない。世界と或る意味切り離され、この世でたった1人になったかのような、そのような感覚がある。それでも精神と切り離された五感は、ルイズの意志とは別の所で情報を探知し続けている。

 意識の隅で、ルイズは己の“使い魔”を意識する。

 眼の前で、刀を振るい、襲い掛かろうとして来る“ゴーレム”を次々斬り伏せている“使い魔”を。

 ルイズは、(私を守るために……)と想ったその時、自分達が恋人という絆よりも、より強いモノで結ばれていることを識った。

 それは、“運命”の鎖であるといえるだろう。別れようにも、2人は別れようがないのである。どちらが欠けても、大義は果たせない……。

 ルイズは、(姫様達にジョゼットの存在を伝えに“ヴェルサルテイル”までやって来た自分が、サイトの絶叫を耳にしたのは偶然だったのかしら? 闇の中、私を呼ぶ声が、ハッキリと届き……辛くもその危機を“瞬間移動(テレポート)”と“アサシン”の跳躍で駆け付け、救うことができたのは、“運命”だったのかしら?)と考えた。

 また、それは良いことなのかどうか、自分はそれを望んでいたのかどうか、などルイズが今現在抱える様々な想いが交差し、その震えを受けてオーラが輝く。

 “虚無”のうねりが、ルイズを包む。

 “呪文”が完成した。

 

 

 

 時間を掛けて練り上げた“錬金”を、ジャックは地面に向けて放った。

 ブワッと、ジャックを中心にした同心円状に、“錬金”の効果が広がって行く。

 ジャックの強力過ぎる“錬金”は恐るべき効果をもたらした。

 半径100“メイル”ほどの空間の土が、表土10“サント”ほどの量の土が……一瞬で火薬へと変わる。残りの“精神力”を使い切って、練り上げた“錬金”である。

 これだけの量の火薬であれば、半径数“リーグ”にも爆発の影響は及ぶであろうことが推測できる。もちろん、その中にいるヒトは逃げようがない。木っ端微塵になるであろうことは明白であった。

「兄さん! 後は任せたぜ!」

 そう叫び、ジャックは“着火”を唱えようとしたその瞬間……。

 ルイズが“杖”を振り下ろすのが、ジャックには見えた。

 地面が光り輝き……火薬に変わった土が、一瞬で元の土へと変わって行く。

 “解除(ディスペル)”である。

 ボッ、とジャックが放った“着火”が虚しく地面に瞬いた。

 ジャックは、(なんという“魔力”だろう。“精神力”を使い切った……増強剤で増幅された俺の“魔力”を用いた“錬金”の効果を上回るなんて……)、と驚愕と感心を覚えながら、白目を剥いた。次いで、“精神力”を使い果たしたことで、ジャックは地面に崩れ落ちた。

 辺りに、静寂が戻った。

 

 

 

 

 

 レイナールがアンリエッタや“水精霊騎士隊”の面々を連れて来たり、“ガリア”の官憲が大挙して押し寄せて来たりしたために、辺りは一躍騒然となった。

 気を失ったジャックは、彼自身の言葉通りどうやら“北花壇騎士”らしいとのことで、取り敢えず“ガリア”の官憲が拘禁するとのことになった。

 才人は、“ガリア”の官憲に「どうしてこんな場所にいたのだ?」と尋ねられたが、ルイズを迎えに来て道に迷ったのだとはぐらかし、説明をした。以前の件も正直に話し、国内の“貴族”に命を狙われているらしいとのこともまた、合わせて付け加えた。

 急いで駆け付けて来たアンリエッタは、先ずは才人を見て、ホッとしたような表情を浮かべた。

 そして、ルイズを加えた一同は迎賓館へと戻って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタは、自分の部屋に才人とルイズのみを呼んだ。

 先ずは、情報を生理したかったためである。

 才人は、先ずこの数週間に起こったことをルイズに掻い摘み理解りやすくより正確に説明した。ルイズを追い掛けていたところ、“元素の兄弟”と名乗る一味に襲われて、デルフリンガーが砕け散ったということ。

 デルフリンガーが砕け散ったということを聴いて、ルイズも当然涙を流した。

 しばらく、シンミリとした時間が流れた。

 だが、泣いている暇はない、と才人は次々とルイズに語った。

 そして今現在、タバサが誰かと入れ替わっているらしいということ。そのシャルロットとして振る舞う女王は、“ロマリア”の手の者らしく、“聖戦”を支持する表明を発表したと云う事。

 そして才人は、アンリエッタに、改めて先程のイザベラとの会見についてを説明した。

 話を聴き終わった後、アンリエッタは溜息を吐いた。

「全く……次から次へと、よくもまあ問題が降り掛かるモノですわ……まさか、“ガリア”にいる間を狙って来るなんて!」

「どうやら“ガリア”の秘密騎士だったようです、この辺りの方が殺りやすいと感じたんでしょう」

 才人がそう言うと、アンリエッタは首肯いた。それから、少し厳しい顔になってルイズへと向き直る。

「それでは、貴女が何をしていたのかを説明してください」

 ルイズは、才人とアンリエッタに語り始めた。

 飛び出して、毎日呑んだくれていたこと。

 “シュルビス”という宿場街で、妙な少女に出逢ったこと。

 その少女の兄と名乗る人間に、秘密の修道院の場所を教わったこと……。

「ジャックという大男だったわ。で、驚くことに、そいつはさっきあんたを襲った奴だったのよ」

「ということは、おまえを“シュルビス”で匿ってたのは……」

「あんたを始末するように依頼された連中だったって訳ね。まあ、セイヴァーは全てを知ってたみたいだけど……」

 意外な繋がりに、3人は驚いた。

 そして、“セント・マルガリタ修道院”での“運命”の出逢いも、当然ルイズは話した。

「そこで仲良くなったジョゼットっていう娘が、ジュリオに連れて行かれるのを見たの。恐らく彼女が新しい“虚無の担い手”だわ」

 アンリエッタは激しく驚き、才人は(やっぱり、新しい“担い手”が……)といった様子をそれぞれ見せた。

 アンリエッタは、(やはり……“虚無の担い手”には代わりがいるのね。だからこそ、“ロマリア”はジョゼフが死んでも“聖戦”を遂行しようとしていたんだわ)と理解し、怒りと絶望が混じったが……どうにかそれに堪えた。

「となると、あのタバサそっくりの奴は……」

「恐らくはそのジョゼットで間違いないでしょうね。その修道院では、特殊な“聖具”を着けるの。それを着けると、顔が変わってしまうのよ。多分あの娘……タバサの双子の姉妹なんだわ」

 ルイズは、「それを報告するために、私は修道院を飛び出して来たの」と言った。

 話が終わった後……ルイズはスックと立ち上がった。どうにもこうにも事務的な態度であるといえるだろう。

「では、話も終わりましたので、私は失礼します。どこの部屋を使えば良いのでしょうか?」

「俺の個人天幕なら、外にあるよ。小さいけど」

 するとルイズは、ジロリと才人を睨んだ。

「どうしてあんたの天幕で寝なくちゃいけないのよ?」

「そ、それは、だって……」

 才人は、ルイズの怒った様子を前に、(嗚呼、やっぱり……戻って来たとはいえ、ルイズはあの一件を赦してはいないんだな。まあ、当然なんだけど……)としどろもどろになってしまった。

 すると、アンリエッタがコホンと咳をして、澄ました声で言った。

「部屋などあまっておりませぬ。ここは外国ですよ」

「そうですか。ならば、“リュティス”に宿を泊ることにいたしますわ」

 その冷たい態度に、アンリエッタは想うところがあったのだろう、才人へと向き直る。

「ではサイト殿。貴男の天幕をルイズに与えてください」

「え? じゃあ、俺は……?」

「私の部屋に寝泊まりなさればよろしいわ」

 アンリエッタは澄ました顔で言い放ってみせた。

 ルイズの肩がピクン、と動いた。

「えええ? でも!? そんな!?」

「私達は今、とんでもない危険に晒さられています。手練の護衛が欲しいのです。大変でしょうが、夜通し私を御守り下さい」

「で、でも……」

「良いですわね? ルイズ」

 するとルイズは、引き攣った顔で首肯いた。

「良いも悪いもないではありませんか。陛下の御衣のままに。そんなので良ければどうぞ。謹んで進呈いたしますわ」

 するとアンリエッタも、わずかに眉を動かした。

「そんなのとは……どういう意味かしら? ルイズ」

「私の御下がりの犬で良ければ、という意味ですわ」

 アンリエッタは、落ち着きが失くなって来たように髪を描き上げた。それでも何かを言ってしまえば女王の尊厳が損なわれてしまうと考えたのだろう。ユックリと才人へと向けて笑みを浮かべた。

「ではサイト殿。主人の御許しも出たことだし、そうするがよろしいわ。でも、あんなことを聴いた後なので、もしかしたら私、上手く寝付けないかもしれません。多少、御酒に付き合って頂けるかしら?」

 首肯くべきなのかどうか。というよりかもう、こういう冷たい女の闘いになるともう、才人は、どうして良いのか判らないのである。まさに火薬樽が並んだ真ん中に、松明を持って立っているかのような気分を、才人は今味わっている。迂闊に動いたら大爆発といった状況である。

 怒りに震える声で、ルイズは言った。

「姫様はおいくつになっても全く御変わりありませんわね。昔からそうよ。私が御人形で遊んでいると、“あらルイズ! 可愛いじゃない。貸して頂戴!”。そして私から平気な顔で御取り上げなさいますわね」

「子供の頃のことなど、良く覚えていますわね」

「嫌になるくらい、いつもでしたから。でもサイト、精々気を付けることね。この姫様、取り上げることが楽しいだけ。直ぐに飽きてポイなんだから」

 慌てた声で、アンリエッタは叫ぶ。

「殿方と人形を一緒にするなんて! ルイズ、貴女はどうかしていますわ」

 2人は、バチバチと火花を散らし合う。

「そ、外で寝ます。外で。姫様とルイズはそれぞれ部屋と天幕を御使いください」

「まあ! そんなことを許すことはできません。兎に角貴男には、この私の護衛を命じます。そうです。いついかなる時も。ええ、ベッドの中でも、ですわ」

 とうとうルイズは爆発した。ピクッピクッと肩を震わせ、ポツリと何事かを呟いた。

「……ったく。本当に……だけは一人前」

 アンリエッタは、ユックリとルイズに視線を向けた。その表情が、全くの無表情になっている。

 才人は、(王宮で見る顔だ)と思った。

 一触即発の空気が漂い始める。

 才人は、確かに、導火線が燃える匂いを嗅いだ、ように感じられた。

「何か言いましたか?」

「無駄な色気だけは一人前だと。そう申し上げたのです」

 アンリエッタはプルプルと震え出した。

「貴女、自分が何を言っているのか理解しているのでしょうね?」

「その御色気と同じくらい政治も上手なら、祖国も安泰でしょうに……」

 ルイズは芝居掛かった仕草で、身を捻ってみせた。

 とうとうアンリエッタは怒り心頭に爆発したらしく、ルイズの頬を叩こうとする。

 だが、ルイズはそれをヒラリと身を動かし、躱す。

「ほーんと、王様なんか御辞めになって、“タニアリージュ・ロワイヤル座”で、女優でもなさるがよろしいわ! 満員御礼祖国安泰! 全て丸く収まりますわ!」

 次にアンリエッタは、ルイズに足払いを噛ました。往年の御転婆っ振りを偲ばせる、見事な動きであるといえるだろう。

 引っ繰り返ったルイズは、ユックリと立ち上がる。それから、ジットリとした目でアンリエッタを睨んだ。

「良いのかしら? 姫様。言っておくけど、今までの成績は私の27勝25敗2分けですわ」

「いいえ。私の29勝24敗1分けのはずよ」

 2人は、「この阿婆擦れ!」、だの、「馬鹿女!」、「能なし女王」、だの、「胸なし巫女」、だのと、聞くに堪えない罵りを加えながら、散々に取っ組み合いを始める。

「やめろ! やめてください!」

 才人は見ていられなくなって、2人の間に割って入ろうとした。アンリエッタの拳が腹に減り込む。ルイズの蹴りが後頭部に飛ぶ。

 才人は、その場に崩れ落ちた。

 

 

 

 才人が気絶してしまった後も、熾烈な女の戦いはいつまでもといえるほどに続いた。

 そのうち2人は息が切れ、同時にベッドの上に横たわる。

 荒い息を吐いていたが……どちらからともなく口を開いた。

「27勝25敗3分けですわね」

「29勝24敗2分けよ」

 アンリエッタは、それから呟くように言った。

「貴女、相当非道いことを言いましたね」

「姫様も、相当非道いことを私にしましたわ」

 アンリエッタは、ポツリと言った。

「サイト殿を、彼の天幕に運んで御上げなさい」

「嫌です」

 ルイズも、意地を張って言った。

「あのですね、ちょっと、1人になりたいのです」

 シンミリとした声でアンリエッタは言った。

 

 

 

 才人が目を覚ますと、そこは自分の個人天幕であった。

 ベッドの側に折り畳み椅子にルイズが腰掛けてボンヤリと天幕の窓から外を見ていることに、才人は気付き、目頭が熱く成った。

 ルイズのその姿は、神々しいほど美しい、といえるだろう。地味な修道服を身に纏ってはいるが、それは全くルイズの魅力をスポイルしていないのである。

 ルイズは、何かを決心したように、軽く吊り上がった目を窓の外に向け、形の良い口を一文字に結んでいる。

 溺れてしまうかのような色気を持つアンリエッタも確かに魅力的である。

 だが……。

 アンリエッタの美貌が魔性であるならば、ルイズが持つ魅力は、聖、ということができるであろう。それは、才人にはいつもは見えないモノであった。ただこうやって……何かを決心した時、勇気を奮う時、ルイズはそれ等をチラッと、見せるのである。

 色気のある女の子は沢山いる。

 だが、このような顔を見せくれる女の子は才人からして、ルイズの他にはいないのである。

 喉から、絞り出すかのような声で、才人は言った。

「ルイズ……」

 すると、ルイズは振り返った。

「なに泣いてるのよ?」

「いや……だって……おまえが帰って来てくれたことが嬉しくて……」

 才人は、単純な事実に気が付いた。

 自分が、“この世界”に残ろうと決めた理由。

 ルイズがいるから。他に理由などないのである。

 そして才人は、ルイズに惹かれた理由にもまた同時に気付く。

 今まで、ずっと才人は生きるということに退屈さを感じていた。“東京”にいる時は、のほほんと、ノンビリと特にこれといったことを考えることもせずに生きて来たのである。

 だが、ルイズに出逢ったことで、才人は色々なことを知ることができた。

 楽しいこと。嬉しいこと。悲しいこと。辛いこと……。

 初めてダンスを踊った時……(可愛いな)と想うのと同時に、才人は確かにワクワクしたのである。胸を躍らせたといえるだろう。

 そして、ルイズがいなくなった途端、才人は、未来、を考えることができなくなってしまった。

 才人は、(ルイズは、俺をどこかに運んでくれそうな気がするんだ。ここじゃないどこか。今じゃないいつか。胸躍る、素敵な世界へ……)と想った。

 それは気の所為かもしれないであろう。ただの勘違いである可能性だって多いにありえる。

 だが、才人にはそう考えることが、そう想うことができたのである。感じられる。予感がする。それは何より貴重なことであるといえるだろう。

 才人は立ち上がると、ルイズを抱き締めようとした。

 だが、スッとルイズに遮られてしまう。

「甘えないで。あのね、私が戻って来たのは、別にあんたに逢いたいからじゃないわ。皆に、“虚無の担い手”が復活したってことを、報せないといけないと想ったからよ」

 冷たい声でルイズにそう言われても、ルイズに再び出逢えた事ことの喜びが、才人の中で勝った。

 才人は、ルイズをギュッと抱き締めた。

 もちろんルイズは派手に足掻く。殴ったし、蹴りもした。

 それでも才人は、強く抱き締めた。

 ルイズは、(もう。なんなのよこいつ? ホント。姫様とあんなことした癖に。私がちょっと優しくして上げたら、掌を返したようだわ。ホント不愉快。赦せない)と想った。

 だが……才人に抱き締められることで、ホッとする自分がいるということに、ルイズは気付いた。

 まるで自分がパズルの1ピースにでもなったかのように、才人のその腕の中にルイズはピタリと嵌まり込むのである。

 そして、まるで本能のように、(キスしたい)などとルイズは想ってしまうのである。

 ルイズは、(これじゃ舐められるわ。そりゃ浮気されるわ。だって、私、絶対に赦しちゃうんだもの)と想った。

 それは、ルイズにとって、泣けるほどに悔しい、事実であった。

 才人が唇を近付ける。

「駄目。嫌だ。絶対」

「好き。大好きなんだ」

「あんた姫様にもおんなじことしたじゃにあ。だから絶対に嫌だ」

 そうルイズが言うと、才人は泣きそうな顔になる。

 ルイズは、そんな才人を見て、(なんて顔してんのよ)と想った。

「御願い」

「絶対に赦さない」

「理解ってる」

「理解ってないわ。絶対に私忘れない。あんたと姫様のこと、一生忘れない。一生赦さない」

 才人は首肯き、ルイズと唇を重ねた。

 ルイズは、(こいつ、絶対に理解ってない)と想った。だが、そのキスを拒むことはできなかった。

 いつしか、夜が明けていたらしい。

 窓から黎明の陽光が射し込んで来て……ルイズの黒い修道服を瑠璃色に染め上げた。



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恋人と、特訓

 “ガリア”の首都、“リュティス”の郊外に位置した“ヴェルサルテイル宮殿”の中庭には、幾つもの天幕が張られている。

 そのうちの1つ、三角に立てた支柱に紺色の帆布が張られた小さな天幕の中で、才人とルイズは唇を重ねていた。

 “元素の兄弟”の1人であるジャックに襲われたものの、辛くも窮地をルイズに救われた才人は、眼の前の小さな身体を夢中になって抱き締める。それから、自身の唇を、その唇に押し付けるのである。

 数週間ほど逢うことができなかった時間というモノが、“愛”しさとなって溢れ出し、どんなに強く抱き締めても、才人の胸中にはもどかしさが残る。

 “セント・マルガリタ修道院”の修道服を着込んだっまのルイズは、黙って才人の腕に包まれ、なすがままになっていた。

 才人の手が、思わずルイズの控えめな胸に伸びる。

 すると、ルイズはソッとその手を離した。

「ごめん……自分勝手過ぎるよな」

 ハッとして、才人はルイズから身体を離した。何せルイズは、才人とアンリエッタの口吻を見て姿を消すことを決めたのである。あのような姿を見せておきながら、赦して貰うことなど、才人からすると虫の良い話であると想えたのである。

 ルイズは、ただジッと、鳶色の瞳で才人を見詰めている。

 才人は思わず身を竦めたが、その目に怒りの色が浮かんでいないことに気付く。

 それからルイズは、自分が着込んでいる修道服に視線を移した。

 修道服は、“セント・マルガリタ修道院”から抜け出した時から身に着けているために、あちこちが擦り切れたり、汚れたりしている。

 ルイズは、はう、と小さく溜息を吐くと、口を開いた。

「散歩したいわ」

 

 

 

 天幕の外に出ると、空には双つの月が輝いている。

 篝火に照らされてボンヤリと浮かぶ“ヴェルサルテイル宮殿”の中庭には、今才人達が出て来たような小さなモノや、10人くらいは入ることができそうな天幕などが密集して張られている。そこでは、迎賓館に入ることができなかった各国の下級“貴族”や、兵隊達が寝泊まりしている。

 今は、“ガリア”新女王の即位を祝う、園遊会の真っ最中である。

 ルイズは、そのような天幕の間を、スイスイと縫うように歩いて行く。

 才人は、半歩遅れて、そんなルイズに着いて行く格好になった。

「どこに行くんだ?」

 そう才人が尋ねたが、返事はない。

 どうやらルイズは、当て所なく歩いているようである。

 中庭、と一言で言いはするが、“ヴェルサルテイル”の敷地は広いといえるだろう。ちょっとした街くらいの大きさはある。

 いつしか天幕の群れから遠退かり、2人は大きな花壇に挟まれた場所に出た。

 “アンスール(8月)”の今は、暑い盛りである。夜といえども、辺りには熱気が漂っている。この辺りにはもう、篝火は焚かれていないために、月明かりだけが頼りとなる。

 眼の前からは、わずかではあるが水の音がする。

 近付くと、そこは噴水であった。

 ルイズは、噴水に腰掛けると、足を組んで空を見上げた。そして、呟くように言った。

「色々考えたのよ」

 才人は、(色々って何だろう? もしかして、もう俺には着いて行けないとか、そんなことを言われるのだろうか?)と不安になった。

 だが、そうではなかった。

 ルイズは考え事を整理するかのような顔になると、言葉を紡ぎ始めたのである。

「私ね、あんたと離れてる間に、一杯色んなことを考えたの。何にも考えないようにしようと想ったんだけどね。辛かったから。悲しかったから。でもね、それで気付いたの。嗚呼、私、逃げ出してるだけなんだって。嫌なことから。辛いことから……」

 それからルイズは、自分の右手を見詰めた。

 その右手には、指に嵌められた“水のルビー”、そして赤い3画の痣――“令呪”がある。

「でも、それって卑怯よね。どんなに心が潰れそうでも、私、力を持っちゃったんだもん。その力を必要としている人がいるのに、それに目を瞑ってことだもん」

 ルイズのその言葉は、いつか才人も想い行き着いたモノでもあった。

「そうだね」

 才人は首肯いた。

 ルイズは一旦逃げ出しはしたものの、それは卑怯だと自分で気付き、その意志で戻って来たのである。ルイズはしっかりと自分の力と向かい合い、答えを出したのである。

 才人は、(俺は欲望に負けて、そんなルイズを裏切ったんだ)と想った。

「俺……そんな御前にキスする資格なんてないのに……つい夢中になっちまって。ごめん」

 ペコリと才人が頭を下げると、ルイズの目がわずかに吊り上がった。

 だが、何だか疲れたように、ルイズは苦笑を浮かべた。

「そうね。私も何度も想ったわ。どうしてこの人、私を傷付けることばっかりするんだろう? って。そのたびに頭に来て、殴ったり逃げたりして。でも、そういうのにもう疲れちゃったの。だからもう、好きにすれば良いわ」

 その言葉は、最後通告であるといえるだろう。

 才人は、頭をハンマーで殴られたかのように感じられた。だが、ここで落ち込んだ顔を見せてしまうと、自分の“運命”から最終的には逃げ出さなかったルイズに何か失礼なような気がしたのである。

「……俺がしたいことは、御前の側にいることだけだよ。でも、俺はどうも馬鹿で節操がないから……俺、御前の“使い魔”で良い。それ以上なんで想わない。だから……」

 才人はそこで言い淀んでしまった。

 するとルイズは、才人に言葉を促した。

「だから、何よ?」

「もし、御前が恋人作っても、ちゃんと俺は御前を守る……って、俺、何言ってんだろ? 初めからただの“使い魔”なのに……」

 するとルイズは、呆れた様子を見せた。

「だからさ、もうそういうのやめてよ。あんた、私が恋人作ったら、命賭けなんかで守れない癖に」

「ば!? 馬鹿! そんなことねえよ!」

「そんなことあるわ。私だって、恋人でもない男に、義務感だけで守られちゃ堪んないわ」

「う……」

「そういう意味で言ったんじゃないわ。ホントに文字通りの意味で言ったのよ。貴男、私が何に我儘言っても私を助けてくれた。命まで張ってくれた。私だって、そんな貴男に意地悪い一杯したの。殴ったり蹴ったり、果ては何も言わずに逃げ出して心配掛けたり……だから御互い様なの……セイヴァーの言ってた通り、“間が悪かった”のかもしれないわ」

 ふぅ、とルイズは小さな溜息を吐いた。そして、何かを吹っ切るかのような声で言った。

「“恋人作っても”、ですって? それができるならとっくにそうしてるわ。でも、どんなに辛い所を見せられても、頭に来ても、私駄目なの」

「……駄目?」

「うん。貴男にキスされると、頭がボーってなっちゃうの。逢えない時は、いっつも貴男のことばかり考えてるの。寝てる時も、貴男の夢ばかり見るの。どうして? 貴男が私の“使い魔”だから? “マスター”と“サーヴァント”だから? いつも助けてくれたから? 何度も“好きだよ”って言ってくれたから? いっつも強く抱き締められて、キスされてから?」

 訴え掛けるようなルイズの声に、才人は大きく驚いて動くことができなくなってしまった。ルイズがそこまで自分のことを考えていてくれたとうことが上手く信じることができずに、才人は呆然と立ち尽くした。

「どれでもないのかもしれない。全部そうなのかもしれない。でも、そんなのどうでも良いわ。きっと、私がそう想うってことが全てなんだわ。悔しいけど、全部ホント。頭に来るけど、そう想っちゃうの。だから“好きにすれば”って言ったの。私、貴男が何をしても、多分きっと何も変わらないから」

 それからルイズは、ブツブツと何事かを呟き始めた。

 聞くと、「私ホントに馬鹿ね」、「最悪だわ」、「何でそんな風に想っちゃうのかしら?」、「でも全部ホントでどう仕様もなくって私の負けじゃないの」、「まあ良っか負けとか勝ちとかないから良いわ」、などと、目を細めて、恨めしげにそのようなことをブツブツと、ルイズは呟いている。

 そのようなルイズを見て、才人は、(ルイズ……そこまで俺のこと……命張った甲斐あったわ……)、と激しく感動した。それから、(嗚呼、何を言おう? もう余所見はしないとか? 馬鹿な。そんな失礼な言い草があるか。そんなのは言わずもがなの、当たり前じゃないか)と想った。

 ルイズの言葉を要約するのであれば、「何があっても貴男を想い続けるだろう」とそういうことである。

 才人は、(これほどまでに、俺を信頼し切っている女の子を、俺は何度裏切って来たんだろう? 俺のことなんか好きじゃないんだろ? とどれだけその気落ちを侮って来たんだろう?)と考え、ルイズのその言葉に何と言って応えれば良いのか、判らなかった。

「あ……俺……」

 才人は、何か言わなくちゃならない、と想い、口を開く。だが、何も出て来ない。

 そこで才人は、(そうだ。どうして俺が、こんなにルイズに惹かれるのかをちゃんと言おう)と想い、深く深呼吸をする。それから、真っ直ぐにルイズを見詰めた。

「お、俺も言って良いか?」

「ん?」

 キョトンとした顔で、ルイズは才人を見返した。

「しょ、正直に言ってしまいます」

「しまいますって何よ? キモいわね」

「キモいって言うなよ。そ、そんなキモい俺が御前は好いんだろ?」

「まあね、でもキモいわ」

「煩え。良いから黙って聴け。あのな、俺……変な話だけど、御前を見てると、“こいつ、どこか別の世界に連れて行ってくれるんじゃないか?” って。そんな気持ちになるんだよ。ワクワクするような、ここじゃないどこか。多分、良い悪い抜きにして、御前が色んな所に俺を連れ回したからだと想うけど。そりゃ、辛いこともあったし、悲しいこともあった。死にそうにもなった。でも、楽しかったのも事実なんだ」

「正直に迷惑だったって言いなさいよ。御世辞なな要らないわ」

「迷惑じゃねえよ! いや、正直言うと、少し迷惑でした」

「殴るわよ?」

「でも、それ以上に楽しかった! ドキドキした! 嘘じゃねえ! そんな気持ちになるのは、御前だけなんだ。御前は、俺をどこかに連れて行ってくれる気がするんだ」

 ルイズは、ジッと冷たい目で才人を見詰めた。

「姫様にだってドキドキしたんでしょ?」

「し、してない……」

 冷や汗を流しながら、才人は言った。

「嘘ばっかり。あんた、すっごい顔してキスしてたわ」

 キスの時の顔を想い出したらしく、ルイズの肩がピリピリと震え始めた。そして、ほあ、と息を吸う音と同時に足が持ち上がる。

 才人は、咄嗟に身を屈めた。

 しかし、いつもの蹴りは飛んで来ない。

 ルイズは上げた足を見詰めて、やれやれと首を横に振りながら、足を再び下ろした。

「蹴らんの?」

「蹴らない。だから正直に言って。姫様とキスした時、ドキドキしたの?」

 才人は俯いて、それから顔を上げて、最後に深呼吸をした。

「ちょ、ちょっと」

 再びルイズの足が持ち上がった。

 才人は、それを見て覚悟を決めたらしく、涙を流さんばかりに絶叫した。

「ど、ドキドキしました! それも凄く!」

 ルイズの全身が痙攣したかのように震え出した。何度も足を持ち上げ、蹴りを繰り出そうとするように動く。が、ルイズはどうにか堪え切ってみせた。

「ここで蹴ったら終わりだわ」

 そう呟き、ルイズは足を下ろす。

「まあね。姫様ってば、色気は無駄に一人前だかんね」

「ルイズ……」

 才人が冷や汗を垂らしながら言うと、ルイズは冷ややかな目で才人を見詰めた。

「もう、一々そんなことで怒るのをやめたの。無駄だから」

 するとルイズは、ユックリと才人へと近付いた。それから、両手を広げて才人のその顔を包み込む。

「私が1番なんだからね」

「当ったり前じゃないか」

 才人が思わずキスをしようとすると、スルリとルイズはその唇から逃れた。

 不安な顔になって、「ルイズ?」と才人は尋ねる。

 すると、ルイズはサラリと、驚くことを言って退けた。

「み、みみみ、水を浴びたいな」

「はい? 水?」

 その言葉の意味が理解らずに、才人は問い返した。

 すると今度はハッキリとした声で、ルイズは言った。

「水を浴びたいなって、言ったわ」

 ルイズのその言動は穏やかではあるが、何かを決心した声である。

「水浴びって……また、どうして?」

「だって、“セント・マルガリタ”を出てから、1回も御風呂に入っていないのよ。汗を掻くし、服だって着たっ切りだし……」

「で、でも、こんな時間じゃ風呂だって……」

 迎賓館に用意された湯浴み場は、深夜の今は閉まっているであろう。

 するとルイズは更に驚くことを言った。

「水浴び場なら、ここにあるじゃない。立派なのが。ほら、今も水をさんさんと噴き出しているじゃないの」

 と、ルイズが指さしたのは、眼の前の噴水であった。

「で、でもな? 御前、これは噴水……」

「良いじゃない。汚い水って訳じゃないんだし。それに、今は夏だし」

 そう言うと、ルイズははっしと修道服に手を掛けた。

「ば、馬鹿! 大体、ここは外!」

「良いじゃない。こんなに真っ暗で、誰も歩いてないわ。見てるとしたら、セイヴァーと月くらいよ」

 その時になって、どうしてルイズがこのような所まで自分を引っ張って来たのか、才人は理解した。

 ルイズは、キョロキョロと何かを探している様子であったが……噴水を探していたのである。

 才人がアワアワとするうちに、ルイズは肩から修道服を脱いた。

 スルッと、丸い輪になって、修道服がルイズの足元に滑り落ちる。

 シュミューズ姿のルイズが月明かりに浮かび、才人は思わず目を逸らした。

「お、御前……」

 サラッと、小さな衣擦れの音が響き、それからチャプン、と噴水に足を踏み入れる音が聞こ得て来る。

「冷たくって、気持ちが好いわ」

「は、早くしろよ」

 後ろを向いたまま、才人は言った。チラッと盗み見たい衝動に駆られはしたが、(今ルイズの肌を見てしまっては、我慢ができなくなってしまうだろう)と想い、才人はどうにか堪えた。

 “サモン・サーヴァント”からしばらくの間は、何の恥じらいもなく着替えていたルイズではあるが……ハッキリとその肌を、才人は見たことがなかった。

 そんな風に才人がヤキモキして居ると、ルイズは更に驚くべき言葉を繰り出した。

「背中洗って」

「で、でも……」

 才人が、「良いのか?」と確認のために言おうと口を開くと、「手が届かないのよ」と軽く怒ったような声でルイズが言った。

 才人が振り返ると、ルイズは噴水の中、才人へと背を向けて座っていた。

 ルイズの白い背中が、月明かりに照らされ、形の良いラインを夏の夜に浮かび上がらせている。

 細いが、妙に色気のある背中で、才人は鼓動が跳ね上がって行くのを自覚した。

 思わず唾を呑み込みそうになり、才人は堪えた。そして、一歩踏み出す。それから、噴水の縁の前で靴を脱ぎ、ジーンズを託し上げる。

 足を踏み入れると、ヒンヤリと冷たい水の感触が、才人の足をくすぐった。

 そして……見下ろすと、ルイズの美しい背中が、才人の視界に入った。長い桃色の髪は、首筋から左右に分かれ、肩から背中を彩って居る。

 才人は、何度もルイズを抱き締めたことはあるだろう。だが、直接素肌に触れたことは、ほとんどなかった。

 ユックリと手を伸ばし、ルイズの背中に触れる。ルイズの肌の感触が、才人の掌に伝わって来る。滑らかで温かく、シットリと汗ばんだルイズの素肌は、才人に強く、生、を意識させた。好きな人が生きている、とうこと が、これほど“愛”おしく感じられた瞬間は、才人にとって初体験であった。

 才人は噴水の水を掬い上げ、ルイズの背中に掛けた。そして、掌でユックリと洗う。

 才人の手が動くたびに、ルイズの背中がピクッと震える。

 才人は、喉がカラカラになって行くかのような錯覚を覚えた。このまま手を前に伸ばせば……ルイズの柔らかい、 色々な部分に触れることができるであろう。

 だが、(でも、俺にその資格があるんだろうか? あれだけ、ルイズを傷付けた俺に、ルイズの素肌にふれる資格はあるんだろうか……?)と才人は考えた。

 その時であった。

 ふと、手が止まった才人の心中に気付いたのか、ルイズがポツリと呟いた。

「ねえサイト」

「な、何っ!?」

「私、綺麗?」

 小さな、消え去りそうなくらいに小さなルイズの声であったが、才人にはハッキリと聞こ得た。

「う、うん」

 才人が思わずそう言うと、ルイズはユックリと立ち上がった。

「お、おい!? 御前!? ちょっと!?」

 才人は慌てに慌てた。一体、ルイズが何をしようとしているのか、全く理解できなかったのである。兎に角、判るのは、眼の前に何1つ身に着けていないルイズがいるということだけである。

「姫様よりも綺麗?」

 落ち着いた声で、ルイズは問うた。

「うん……だって、姫様のそんな姿、見たこtないし……」

「シエスタよりも綺麗?」

「シ、シエスタのだって、見たことないっつの」

「そうなら良いわ」

「お、おい……」

 才人が心の準備をする間もなく、ルイズは振り向いた。

 才人は、(見たら死ぬ、きっと死ぬ)と想いながらも目を逸らすことができなかった。

 夢にまで見た、ルイズの裸身がそこにはあった。

「…………」

 月明かりは、ボンヤリとではるが、だが十分に、ルイズの美しい裸体を染め上げていた。わずかに膨らんだ胸の先端も、臍の下の微かな陰りも、余すところなく才人の視線に晒されている。

「ルイズ……」

 肩の荷が下りたかのような声で、ルイズは言った。

「もうね、つまらない意地張るのやめたの。今まで、御褒美だとか何とか、散々言いたいこと言って来たけど、ホントは、私がして欲しかったの。キスして欲しかったし、ギュッと抱き締めて欲しかった。でも、言うのが恥ずかしかったから、言わなかったの」

 ルイズは顔を上げて、才人を見詰めた。

「貴男のも見せて」

 才人は、真顔になり首肯いた。そして、マントにパーカー、ズボンに下着を脱いで、噴水の縁に置いた。

 2人は、生まれたままの姿で、向かい合った。どちらからともなく手を伸ばし、固く抱き合った。

「俺……」

「なぁに?」

「この瞬間のために、生まれて来たんだな」

 どこまでも真剣な、だが温かい声で才人は言った。不思議と、先程までの興奮は治まり、穏やかで、平和な気持ちが才人の胸の中で一杯になる。

「私も、同じ気持ちだわ」

 しばらくの間、2人はそうして抱き合っていた。

 ルイズが、呟くように言った。

「ねえサイト。御願いがあるの」

「うん」

「他の娘に目移りしても良いわ。浮気したって構わない。でも……」

「でも?」

「私より、先に死んじゃ駄目よ。それだけ約束して。私、きっと、貴男がいなくなるのだけは、耐えられそうにないから」

「それは俺の台詞だ」

 才人も、言った。

「他の男とキスしたって良い。何しても良い。でも、絶対に俺より先に死ぬな」

「じゃあ、死ぬ時は一緒ね」

 才人はルイズの顎を持ち上げた。

 ルイズは、従順にそれに従うと、目を瞑った。

 唇が重なり合う。

 長いキスの後、ルイズは腰の辺りに何か違和感を感じたらしい。下を向いて、そこにあるモノを見て、顔を赤らめる。だが、決心したような顔で、言った。

「……する?」

 才人は、一瞬苦しそうに唇を噛んだが、直ぐに笑みを浮かべた。

「ううん。いい」

「……したくないの? だって、男の子って……」

「……し、したくない訳ないだろ。でも、今はまだ早い。やらなきゃならないことが一杯あるし……それに……」

「それに?」

「そういうことは、結婚してからだ」

 ルイズは、恥ずかしそうに俯いた。そして、はにかんだ声で呟く。

「有難う」

 2人は、噴水から出ると服を身に着けた。

 乾燥した“ハルケギニア”の夏の空気が、直ぐに2人の身体を乾かして行く。

 才人が手を差し出すと、ルイズはそれを握った。

「ねえサイト。さっきはああ言ったけど、私、やっぱり貴男が浮気したら怒るかもしれないわ」

「それは当然だろ。俺だって、御前が浮気したら赦さない」

「自分は散々しておいて、勝手なこと言うのね」

 少しばかり拗ねたような声で、ルイズは言った。だが、満更でもないといった様子であり、才人に寄り添う。

 2人は、ピッタリとくっ着いたまま、歩き出した。

 どこまでも幸せな気分で、才人はルイズを見詰めた。

 その時である。

 不意に。

 ほんの、不意にではあるが、才人の中で生まれた感情があった。

 才人は、(ルイズが戻って来た。そして、“俺に全てを委ねてくれる”と言ってる。凄く嬉しい。でも……何だこれ?)とそうやって満たされることで、今まで気付かなかった感情に触れたのである。

 妙に焦った顔になった才人に、ルイズは気付いた。

「……どうしたの?」

「いや……ちょっと……」

 考え込んだ才人を、ルイズは心配そうな顔で見上げた。

「真っ青なんだけど」

「いや。ホントに、何でもない」

 双月が優しく2人を照らし、染め上げた。

 

 

 

 

 

 ドアが4回ノックされる。

「どうぞ」

 と、シオンがそれに応えた。

 扉が開かれ、顔を覗かせて来たのは才人とルイズの2人である。

 2人は、扉を開くのと同時に、大きく驚いた様子を見せる。

 だがそれは、当然のことであるといえるだろう。

 2人の眼の前に広がる光景――居室は、他のどの部屋とも違い、2人が見たことのない様式の様相や調度品などがあったためである。

 “古代ギリシャ”、“古代ローマ”、“古代エジプト”……そう云った“地球”でのそう云ったモノを想像させる物品に溢れている。

「お、御前等、このへ、部屋……」

「ああ、“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”を使用したのだ」

「“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”? それって御前の“宝具”なのか?」

 疑問を口にする才人に対し、俺は答える。

「ああ、まあ……俺の“宝具”と“スキル”を利用して再現した、とある“英霊”の“宝具”なのだが……“ネロ・クラウディウス”って名前に聞き覚えはあるか?」

「……あるような、ないような……世界史で習ったはずだとは想うけど……」

「“帝政ローマ第5代皇帝”……“本名はネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス”って言うんだがな」

「勝手にこんなことして大丈夫なの?」

「問題ないだろ。シオンは“王”だ。ただ居室では待遇としては不十分。この“宝具”は、“己の願望を達成させる絶対皇帝圏”だ……“自身が生前設計した劇場や建造物を魔力で再現し、彼女にとって有利に働く戦場を作り出す”。“世界を書き換える魔術や魔法などとは異なり、世界の上に一から建築するために、長時間展開及び維持できる”。“この宝具は彼女の想像力によるモノで、それを強化するには、この宝具を豪華に作り直し、その姿を彼女の脳裏に刻む必要がある”が、想像力と魔力次第故、いかようににでもできる……調度品や模様替えなどをしたという訳ではないから安心しろ。まあ、ネロ皇帝陛下殿は御立腹かもしれないがな」

「まあ、それは良いんだけど……」

 ルイズの呆れたような疑問に、俺は答える。

「ルイズ……」

「シオン……」

 シオンはソッとルイズへと歩み寄り、真っ直ぐに見詰めた。

「凄く心配したのよ。大丈夫だって理解ってても、それでも……」

「ごめんなさい、シオン……そして、有難う」

 ルイズは誠心誠意、シオンへと頭を下げて謝罪と感謝の言葉を口にした。

 それからまた、ルイズは頭を抱えるようにしながら口を開く。

「あんたと“アサシン”……私達を守ためだってことは頭では理解ってるんだけどね……ずっと見られてるっていうの何だか気分が悪いって言うか」

「それはすまない。だが、一応身の安全のためだ。害意やそういった類のモノは一切ないことだけはハッキリと言わせて貰う」

「まあ、良いわ。それで……一発だけ、やらせて欲しいんだけど」

 そう言って、ルイズは“杖”を取り出した。

「ル、ルイズ?」

 ルイズのその言葉に、シオンと才人が驚きに目を見開く。

「ああ。俺は構わない。と言うよりも、御前達にはその権利が有る。外でやるよりも、ここでやる方が良いだろう。ここも俺も多少の“爆発”では傷1つ付かないからな」

「言ってくれるじゃないの……」

 ルイズは“エクスプロージョン”を唱えた。

 大きな爆発が起こり、濛々と煙が立ち込める中、俺の身体には傷1つない。

「何で傷1つ付かないのよ!?」

「才人にも、“虎街道”での時に言ったが……俺には、“ヘラクレス”と“アキレウス”と言う“大英雄”が持つ“宝具”を再現し、所有して居る。故に、“神性スキルを所有した者のBランク+以上の攻撃や干渉”、もしくは、“Bランク+以上かつ神性スキル特攻のある攻撃や干渉”、でないと俺には傷1つ付けることはできない。まあ、できたとしても、直ぐにそれに対する耐性を獲得するがな……」

 そこで、ルイズは目を凝らして俺を見た。その顔は、直ぐに驚愕を浮かべる。が、直ぐに元に戻った。

「まあ、良いわ……それで、えっと……」

「御帰り、ルイズ」

 俺への半端な制裁を終えたルイズは何かを決意したように、シオンへと向き直り、口を開く。

 言葉を続けようとするルイズに、その前にシオンが遮り何気ない様子で言った。

 先程とは打って変わったシオンの普段と何ら変わらない様子でのその言葉に、ルイズは一瞬だが面食らったかの様子を見せる。次いで、毒気を抜かれたかのような口調と態度で、言った。

「……只今」

 本人の弁では、「疲れた」とのことではあるが、傍から見ると、物事に折り合いを着け、憑き物が落ちた、といった様子をルイズは見せている。

「さて……御前等のしでかしたことだが……」

「…………」

 俺が口を開いたことで、才人とルイズの2人は黙り込む。

「……それ等は、全て“幸先の良い失敗だ”」

「え?」

「“例え、問題がすっかり解決しなかったとしても、じっと考える時間を持ったと言うことは、後で想い出す度に意味があったことが理解る”だろうさ……それに、“失敗したことは1度もない。10,000回も上手くいかない方法を見付けただけだ”。また、“恋は、走る火花、とは言えないが、持続性を持っていないことは確かだ。が、その恋に友情の実が結べば、恋は常に生き返る”。それ等については、既に理解しているだろう?」

「それ等も受け売りか? ほんとそればっかりだな……御前」

 俺の言葉に感心する反面、才人は呆れたといった風に言った。

「そう言えばそうだな……受け売りばかりだ……まあ、話のついでだが……才人、ルイズ……御前等にはこれからまた過酷なことが待ち受けているだろう。何度も何度も……心が折れるくらいのことなど。だが、ここはまだ途中……物語でいってしまえば、ようやく佳境に入ったといったところだ。で」

「で、何よ?」

「御前等にはより強くなって貰う必要がある。精神面の方では俺が俺自身の“宝具”で幾らでも操作できるが……肉体面の経験などによる強さや機転とかを身に着けて欲しいと想っている」

 俺はそう言って、部屋を豪華かつ色取り取りの様式の入り乱れたモノから、ローマ式のコロッセオへと変化させる。

「これも、御前が想像したってのか?」

「厳密には違う。使用したモノは確かに“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”だ。が、俺は知識内のコロシアムの構造などを全て想い出す……と言うよりも、見付け出し、ここに映し出す――“魔力”で建築したと言った感じだな……」

「で、どうするって言うんだよ?」

「まあ、ことを急くな。そうだな……御前はどういった存在だ?」

「何だよ、藪から棒に。哲学的だな……俺は俺だけど」

「そうだな……ならば、言葉を変えよう。才人、御前が持つ力は、どういった力だ?」

「そりゃ、“汎ゆる武器を扱う”ことができる……」

「そうだな。だが、それはほんの一端だ。より重要なのは……そうだな。ティファニアが唄っていた歌を想い出してみろ?」

「確か……“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”だっけか?」

「そうだ。“ガンダールヴ”……そして、その特性故御前は“シールダー”としての力も獲得した。今の御前は……その力を自由に引き出し、使用することができない。後ろにルイズがいないと力を発揮させることができない。ルイズ。御前もまた、“魔法”を唱える時間が必要であり、かなりの時間が掛かる」

「まあ、そうね。で? それがどうしたの?」

「それを克服して貰う」

 俺はそう答えて、“王律鍵バヴ=イル”を“投影”し、“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げる。

「な、何を?」

 才人とルイズの2人は狼狽した様子を見せる。

「そうだな……実践することで、実際に体験することで身に着けて貰う、どうにも俺は不器用なようでな。そのことは、“虎街道”でのことを始め、他のことでも、既に理解しているだろう?」

 俺の背後の空間が歪み、金色に輝き光り出す。その光る歪みの中から、色々な武器――刀剣類が顔を出している。

「才人。刀を構えろ。ルイズ、“呪文”を“詠唱”しろ。これから俺は、御前等を扱く。“王の財宝。その一端を見せてやる”。精々、無様に足掻くことだ」

 俺はそう言って、背後の空間から刀剣類をルイズ目掛けて射出する。

「――!? 本気ってことかよ」

 才人は隙かさずルイズの前へと跳躍し、居合いの要領で刀を射抜き、それ等全てを弾き飛ばす。

「それ、次だ。次々」

 俺は再び刀剣類を射出する。が、今度のそれは、それぞれの射出するタイミングをズラしてだ。

 それも難なく、才人は弾き飛ばしてみせる。

「なら、これはどうだ?」

 俺は、才人とルイズの全方向――2人を囲むように、空間を“バビロニアの宝物庫”と繋ぎ、そこから刀剣類を射出する。

 それに対し、才人とルイズの2人は驚き、動きと“詠唱”を止めてしまう。が、それは一瞬だけであった。どうにかして気を取り直し、再び刀を構え直し、“詠唱”を再開する。

 それをどうにかして、才人は手に持った刀で全てを弾き飛ばしてみせた。

 だが、ルイズの足元から刀剣類が射出され、ルイズは“詠唱”を中断してしまい、尻餅を着く。

「ちょ、ちょっとッ! これはないんじゃないの!?」

「戯け。戦場で、そんなことを言えるのか? “土系統”の“呪文”で足元を絡め取って来るモノもあるだろう? それ等に対しての対策と考えて、行動しろ」

 ルイズは立ち上がると同時に、“詠唱”を再開する。

 才人は刀を構え、次に射出される刀剣類に対して身構える。

「ふむ……成る程。ある程度の技量や力は既にある、と……だが、それでは“元素の兄弟”や“エルフ”から身を護るにはまだ足りないな。俺は御前等に、こう言った時のための道具を渡したはずだがな……」

 俺はそう言って、自身の左右、その上下の空間を歪め、“バビロニアの宝物庫”と繋げる。

 繋がったそれぞれの空間には、少しばかり距離がある。

 その離れた距離の間を、刀剣類が行ったり来たりなどを繰り返させる。

「さて……では、この速度に対応できるかな?」

 俺はそう言って、刀剣類を射出する。

 その速度は、先程までのそれとは大きく違い、かなりの速さを持っている。

 目視での把握は疎か、反射的に動くことすら許されないであろうほどの速度を持って、才人とルイズへと襲い掛かる。

 だが、それ等全てを才人は見事に弾き飛ばし、もしくは往なしてみせた。

 見ると、才人の左手甲の“ルーン”は勿論のことだが、彼が身に着けている腕輪が光っている。

 ルイズも同様に、腕輪を光らせている。

 その直後、“詠唱”は終わる。“呪文”が完成したようであることが判る。

 ルイズは、“杖”を俺へと振り下ろした。

 大きな爆発が起こる。

 瞬時に、俺は才人とルイズとシオンの3人の周囲に“魔力”で防壁を生み出し、展開する。

 その爆発は、“アルビオン”の艦隊を吹き飛ばした時を始めそれ等よりも大規模かつ強力なモノであった。

「うむ、実に見事だ。俺は満足したよ。才人、ルイズ……その腕輪は、身体能力や“魔力”を高めること、“詠唱”時間の短縮も可能な“礼装”だ。積極的に使って行くことだな」

 俺の左半身は吹き飛んでいる。いや、抉れているといった方が良いだろうか。本来、“神性スキル”を所有する者による攻撃、もしくは“神性特攻”による攻撃でしか、傷を受けることはない。が、それでも傷を受ける……それどころか、半身が吹き飛んでいたのである。

 その吹き飛ばされ抉れた半身は、瞬きをする間に一瞬で再生し、“エクスプロージョン(爆発)”に対する耐性を獲得させた。

 俺は大きく首肯き、戦闘態勢を解除する。

 すると、2人もまた同じように刀と“杖”を下ろした。

「御前な……不器用にもほどがあるだろ」

「そうだな……俺自身良く理解しているつもりだ。が、どうにも生来持って生まれたモノでな……その性格や人格、自身の星座などを拡大解釈し昇華させたモノが俺の“宝具”だからな……“宝具”とは、その“英霊”の人生や特徴などでもある。だから、どう仕様もないか……」

 俺は自嘲気味にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “連合皇国首都ロマリア”……。

 基盤の目のように、整然と並んだ街道に、急ぎ足の女の姿があった。

 淡い栗色の長い髪を額の真ん中で分け、眼鏡の奥の瞳を理知的に光らせ、キッと口を一文字に結んだ顔は、整っていると評するには十分であるといえるだろう。

 紺に染められたシャツに、白いスカート、手には本を数冊抱えたその姿は、一見どこかの書記官を思わせる。

 だが、何気ない足取りの中、その女は油断なく辺りに目を光らせていることが判るだろう。

 大都市“ロマリア”は、熱狂に包まれている。若き教皇、聖エイジス32世により、“聖戦”が発動されたためである。“エルフ”から“聖地”を奪回するまで終わることがないとされる巨大な祭典(戦争)である。

 壁の至る所には、義勇兵として“聖戦”参加を呼び掛けるポスターや、“エルフ(異教徒)を抹殺すべし”とのスローガンを掲げられ、“聖堂騎士”達が、隊伍を組んで大通りを歩いている。通りを行く神官達は、そんな騎士団を見掛けると立ち止まり、祝福を与えるべく、“聖具”の形に印を切るのである。

 そういった御祭り騒ぎの中、女は何気ない足取りの中に緊張を潜ませながら、1本の路地へと足を進める。

 そこは、“光の国ロマリア”の、その光が当たらない場所である。壁の隅には汚水や生塵などが溜まり、得も言われぬ臭いを発しているのである。通りのそこかしこには、各国から流れて来た難民の子供達が、薄汚れた格好で座り込んでいる。女が通り掛かると、子供達は目を輝かせて、立ち上がった。

「御姉ちゃん! 御姉ちゃん!」

 すると、女はポケットから銅貨を取り出すと、近寄って来た子供達に手渡す。あちこちから子供はやって来て、終いには十数人にも増えた。子供達は、女から銅貨を貰う順番を巡って、闘いを始める始末である。

「ほら、ちゃんと上げるから、喧嘩をして取り合ったり、盗みをしたりするんじゃないよ」

 ピョンピョンと跳ねるように去って行く子供達を、女は目を細めて見送った。それから女は、後ろを振り返り、何者にも付けられていないということを確認する。次いで、漆喰が剥がれ落ちた、ボロボロの建物の中へと入って行く。

 玄関に入ると、2階へと続く階段があり、女はそこを上った2階には、幾つも似たようなドアが並んでいる。そのことから、ここがアパルトマン(共同住宅)であるということが判る。

 一番奥の部屋へと向かうと、女はそこの扉を開いた。

 中には部屋が1つ切りである。外観と同様、随分と安普請の居室であるといえるだろう。窓の側に置かれた大きなベッドの上のシーツには、所々継ぎが当たっている。壁髪は色褪せ、元の色がどうだったのかすら判別が難しいほどになっている。

 しかし、そのボロ部屋は異彩を放っているといえるだろう。樫の木の丸テーブルの上には、本が渦高く積み上げられており、乗り切らない本が床の上にまで転がっている。まるで図書館がそのまま引っ越して来たばかりであるかのような、そのような風情であるといえるだろう。

 そして、本の山に埋もれるようにして、1人の長身の男が、椅子に腰掛けて本を読んでいる。

「無用心だね。ワルド」

 灰色の瞳を本に向けたまま、ワルドは口を開いた。

「今更、俺を狙う奴などおるまい」

 “アルビオン”で“レコン・キスタ”に参加していた頃に比べ、今のワルドは随分と痩せた以外には、ほとんど変わりがない。“平民”が着るような、簡素な衣装に身を包んでいたが、全身から発せられる空気は、歴戦の“貴族”のモノであることに全く変わりがない。

 女……かつて、“土くれ”と呼ばれた女盗賊フーケは、持って来た本をドサリとワルドの隣に置いた。

「全く。“アルビオン”での戦争が終わってからこっち、あんたは学者にでもなったみたいだね」

 ワルドはそれに答えず、別の言葉を口にした。

「また子供に金を散蒔いていたな?」

「どうして判るんだい?」

「外から声が聞こ得た。目立つことはするな、と言っているだろうが」

 するとフーケは、眉を吊り上げた。

「あのね、あの子達は、“アルビオン”からの難民なんだよ。あんた達が好き勝手やった挙げ句に、こんな碌でもない生活する羽目になってるのさ。まあ、シオン女王陛下の政策のおかげ、帰国し始めてる子供達も多いけどね……」

 “アルビオン”での敗戦の後、フーケとワルドはこの“ロマリア”までやって来たのである。

 ワルドは、それ以上、何も言わずに本を読み続けた。

 ワルドが読んでいる本は、歴史書である。

 とはいっても、ただの歴史書ではない。フーケが苦労して盗み出して来た、“ロマリア宗教庁”に眠っていた、秘伝の書である。そこには、“宗教国家ロマリア”が、過去に行って来た様々な弾圧や、対外戦争などについて記載されている本である。

 黙々と本を読み耽っている男の態度が気に障ったのだろう、フーケは苛立った声で言った。

「ねえワルド。そろそろ話してくれても良いんじゃないの? どうしてこの“ロマリア”までやって来る気になったのさ?」

 ワルドは、表情を変えることもなく本のページを捲る。

 するとフーケは、スッとワルドの胸元からペンダントを引き出した。

 ロケットになっているらしいことを、パカっと開けると、中から綺麗な女性の肖像画が現れる。

「側にいてくれる女じゃなく、母親の絵を未だに入れとくなんて。愛想尽かされても、文句は言えないよ?」

 フーケがそう言っても、ワルドは素知らぬ顔である。

「ねえワルド。私、これでもあんたの力になってやろうって言うんだよ? 一体、あんたの母親に何があったのさ? あんたが全てを捨てて“レコン・キスタ”に身を投じたのも、“聖戦”真っ只中の“ロマリア”までやって来たのも、全部それが関係してるんだろ?」

 それでもワルドが何も言わないために、フーケはとうとう業を煮やしてしまったらしい。

「あっそ。そこまで頑なに無視を決め込むつもりなら、もう良いよ。本を盗って来るのはこれで最後にさせて貰うわね。大体、こんな本なんて、幾らにもなりゃしないんだ」

 それから、と言って、フーケはワルドの耳を摘んで言った。

「抱かれるのもごめんだね」

 ワルドは本から目を逸らすことなく、口を開いた。

「俺の母は“アカデミー”の主席研究員だったんだ」

「“アカデミー”って、あの怪しげな研究をしている所かい?」

「ああ。まあ、俺の母はそこで歴史と地学の研究を行っていた。でも、ある時を境に、心を病んでね。”アカデミー”を辞めて、屋敷から一歩もでなくなった。父や親族は、”女だてらに難しい学問をするからだ”なんて言ってた。俺もそう想ってた。全く、母は可怪しくなってたよ。うわごとのように、”ジャン・ジャック、聖地を目指すのよ”って、何度も繰り返すのさ。終いにゃ、父は奥の部屋に母を閉じ込めた」

 するとフーケは、眉を顰めた。

「呆れた。母君については気の毒だけど、そんなうわごとを真に受けて、“レコン・キスタ”に参加したって訳?」

「俺も、ずっとうわごとと想ってた。そんな母を、恥にさえ感じていた。辛く当たったこともある。良い加減にしてくれ! ってね」

「どうしてまた、母君の願いを利こうなんて考えたのさ?」

 ワルドは、懐から1冊の本を取り出した。それを無言でフーケに手渡す。

「何だい? これ」

「母の日記帳だ」

「呆れた。どこまで親離れができてないのさ」

 フーケは、その日記帳に対してそう口にしながらも読み始めた。

 どうやら、ワルドが生まれてから付けられたらしい。ワルドが生まれた時の喜びが、感動に震える文章で書かれてある。

 それからは、”アカデミー”の研究員としての日々が綴られている。

 ワルドの母は、“ハルケギニア”の大地に眠る“風石”について研究していたようである。内容は難解で、日記である故他人に読ませることを考えていなかったためであろう、非常に読み辛い……が、同じ“土系統”使いのフーケには、ボンヤリとではあるがそれが理解できた。

「あんたの母君は、効率の良い採鋼について研究してみたいだね。でも、一体これと“聖地”がどう結び付くっていうのさ?」

 そう呟き、フーケはページを捲る。

 しばらく読み進めた時、フーケの指が止まった。

 そこにはたった一言、こう書かれていた。

 

――“私は恐ろしい秘密を知ってしまった。この大陸に眠っていた、大変な秘密を……”。

 

 その日を境に、日記の内容は、恐ろしい秘密に、恐怖するモノになって行った。

 

――“こんなことは誰にも話せない。私はどうすれば善いんだろう? おお神様!”。

 

 フーケは、唾を呑み込んだ。どうやら、その恐ろしい秘密とやらを、ワルドの母は誰にも話さなかったということをフーケは理解した。フーケは、(何故かしら? “アカデミー”の研究員なのに?)と疑問を抱いた。

 

――“聖地に向かわねば、私達は救われない。でも、聖地をエルフから取り返そうとすることもまた、破滅……”。

 

 恐ろしい秘密についての、具体的な記述はどこにもない。ただ、その、秘密を1人で抱えることは、心を病むには十分だったであろうということは理解できる。

 

――“可愛いジャン。私のジャン・ジャック。母の代わりに聖地を目指して頂戴。きっと、救いの鍵がある……”

 

 その日を最後に、うわごとのような散発的な記述が続くようになり……「ジャン・ジャック。“聖地”へ……」で、日記は終わっていた。

「俺がその日記帳を見付けたのは、20歳の時だ。母の部屋を整理していて、発見したんだ」

「あんたの母君を悪く言う訳じゃないけど、ただの妄想にしか想えないよ。恐ろしい秘密、なんて言われてもね。この内容を信じて、“聖地”を目指す気になった、なんて言うんじゃないだろうね?」

「信じる信じないじゃないんだ」

 ワルドは、疲れたような声で言った。

「何を言ってるんだい?」

「母は俺が死なせた」

「何だって?」

「俺はその時、12になったばかりでね。屋敷でパーティが行われた日だった。パーティの最中、どうした訳か、母は奥の部屋から出て来てしまったんだ。で、廊下を大騒ぎしながら歩いてた。俺の名を呼びながらね。俺は心底、そんな母が嫌になってね、奥の部屋へと連れて行こうとした。階段の上で、母は俺に抱き着いて来ようとした……」

 ワルドは、無表情のまま、左手を見詰めた。

「俺は思わず母を突き飛ばしてしまった。12になってな、そういう年なんだ。母の“愛”情が、鬱陶しくて堪らない。況してや、狂人のようになちまった母なんて、恥以外の何者でもなかった。ほんの軽く押したつもりだったんだが、母は足を踏み外した。階段から転げ落ちて、首がポッキリ折れちまった。今でも良く覚えてる。グンニャリと曲がった母の首……」

 ワルドは目を瞑った。

「事故ってことで、父は処理した。恐らく、父も母の扱いには困ってたんだろう。罪に苛まれた俺は何度も自分を慰めた。“母はもう、死んでたようなモノだ。俺は悪くない”ってね」

 フーケは、ジッとワルドお話に聴き入っていた。

 ワルドは抑揚のない声で話を続けた。

「それから、20歳になるまでの8年間、俺はずっと修行に明け暮れた。そうでもしないと、母殺し、の罪からは逃れることができないと想ってた。でも俺は20歳の時に、その日記帳を見付けてしまった。母が心を病んだのには、理由があったんだ。俺はそんなことも知らずに、母を唯のただの弱い人間だと軽蔑してたんだ」

 ワルドは、椅子の背に身体を預けるようにして身を沈めた。

「理解るだろ? マチルダ。俺にとって、“聖地”に向かうことは義務なんだ。そこに何があるのか、それはどうだって良いんだ。母の最期の願いだ。俺は、“聖地”に行かなくちゃいけないんだ」

 フーケ――マチルダは、手を伸ばすと、優しくワルドの首を抱き抱いた。

「やっと理解ったよ。どうして私が、あんたの側から離れられないのか。あんたは孤児なんだね。自分で自分を捨てちまった。可哀想な孤児さ。私はそんな子供を見ると、放っとけないんだよ」

 フーケは優しくワルドを抱き締めた。まるで母親であるかのような、慈“愛”が込もっている。次いで、フーケは、小さく子守唄を口遊んだ。

 それから、心配そうな声でフーケは、ワルドに尋ねた。

「あんた……“聖戦”に参加する気なの?」

「”ロマリア”の狂気に付き合うのはウンザリだが、それが1番手っ取り早いんだろうな。その前に、母をそこまで追い込んだ、恐ろしい秘密、とやらの中身を知りたくなってね」

「それで私に書物を盗ませてたって訳か。全く、“皇国図書館”に忍び込むのは、結構大変なんだよ。で、何か判ったの?」

「今のところ、それらしいことは何も判らん。“ロマリア”なら、何かを掴んでいると想ったんだが……しかし、この国も随分とえげつないことをしているな」

 “ロマリア”の秘密執行機関の記録書をテーブルの上に放り投げながら、ワルドは言った。

「弾圧、暗殺、破壊活動……疑わしいと見れば殺す。気に入らないとなると滅ぼす。“始祖”の御為とあらば、世界さえも滅ぼすんじゃないかっていうくらいの暴れっぷりだな。全く、あの“レコン・キスタ”が小物に想える」

「実際、小物だったんじゃないの」

 トントン。

 そんな会話を交していると、扉がノックされた。

 フーケはスッとみを離すと、懐から“杖”を引き抜いた。

 ワルドも立ち上がり乍ら、傍らに置いた“軍杖”に手を掛ける。

 トントン。

 再び、ドアが叩かれた。

 ワルドはチラッとフーケを見遣る。

 フーケは、心当たりはない、といったように首を横に振る。

 ワルドじゃ、ドアに向けて口を開いた。

「どなたですかな?」

「“ロマリア”政府の遣いで参りました」

 少女の声で在る。

 小声でフーケが呟く。

「……追けられるようなヘマはしてないよ」

「現に追けられているだろうが」

 ワルドはドアに近寄ると、右手を“軍杖”に置いたまま扉を開けた。

 そこに立っていた人物を見て、ワルドの目が僅かに細った。

 “ロマリア”政府の遣い、にしては、実に意外な人物であったためである。

 年の頃は、15ほどであろう。白い巫女服に身を包んだその姿は、まるで寺院の助祭のようである。

 射竦められるようなワルドの視線に晒され、少女は身を竦めた。

「“ロマリア”の政府が、一体我々に何の用でしょう?」

 ワルドが問い掛けると、少女は震える声で言った。

「あ、あの……ワルド子爵と、ミス・サウスゴータで御間違えないですよね?」

 ワルドは、少女の後ろを見やり、感覚を研ぎ澄ませた。

 廊下、そして階下……そして建物の外。

 どこにも、誰かが隠れている様子はないことが、ワルドには判った。

 こちらの素性を知りながら、少女は1人で来たらしい。

 ワルドは、少女のその勇気に対して、素直に感嘆した。(否定するより、素直に肯定した方が面白そうだ)、とワルドは判断したのである。また、(まあ、否定したところで仕方がない。最悪、騎士隊にでも囲まれる羽目になるだろう)とも考えた。

「そうですが。でも、私達はもう、”レコン・キスタ”とは何の関係もありませんよ」

「知っております」

「どうして我々を知っているのですか?」

「貴方方は有名人ですから……」

 ワルドは後ろを振り向いた。

 フーケが、やれやれと言わんばかりに両手を上げる。

「失礼ですが、あのその、貴方方が入国してから、常に監視させて頂いていました。申し訳ありません」

 ワルドは、(流石は“ロマリア”、といったところか。一応、かなり入念に変装して、身元を偽って入国したつもりだったのだが)と想い、笑みを浮かべた。

「貴方方の掌の上で、泳がされていたという訳ですな。では、我々が行っていたつまらないこそ泥も、御存知という訳だ」

 少女は、コクリと首肯いた。

「本は御返しします。もう、読んでしまいましたから。それで勘弁願えませんか? 我々は、貴方方とことを構えようという気は更々ありません。単に調べ物がしたかったのです。それに、“聖戦”も支持しております。何なら協力しても良い」

 ワルドがそう言うと、少女は、ホッとした様に溜息を吐いた。

「そう言ってくださると、助かります。実はその、貴方方の協力が欲しくて、私は主人に遣わされたのです」

「貴女の主人とは?」

 すると少女は恭しく一礼して、懐から1通の手紙を取り出した。

 差出人の名前を見て、ワルドは表情を変えた。

 

――“民の下僕。ヴィットーリオ・セレヴァレ”。

 

「……教皇、聖エイジス32世が、貴女の主人なのですか?」

 少女は、頭を下げたまま、ワルドへと告げた。

「我が主は、貴方方を御待ちで御座います」



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ジョゼットと園遊会

 “女王即位記念園遊会”が開かれて3日後……。

 “ヴェルサルテイル”の宮殿の中庭には、大きな舞台が設えられていた。

 本日はダンスの披露会であるのだ。

 着飾った“ガリア”の“貴族”達が、演目“始祖の降臨”を演舞するのである。降臨する“始祖ブリミル”を模した、歌劇のようなモノであるといえるだろう。舞台の上では、“始祖”を迎え入れる天使に扮した“貴族”達が踊っている。

 楽士達が、軽やかな曲を奏でる中、ジョゼットは袖裏の天幕の中で震えていた。

「やっぱり無理だわ。あんな、皆が見てる場所で踊るなんてできない」

 ジョゼットの役は……この演舞劇の主役――“聖女”の役である。

 傍らに控えた美貌の神官は、そんなジョゼットの頭を優しく撫でた。

「大丈夫。昨晩、一緒に練習したじゃないか」

「そうだけど……」

「皆、新しい女王のダンスを心待ちにしてるんだ。彼等の期待を裏切ってはいけないよ」

 次第に曲のテンポが上がり始める。

 いよいよジョゼットの番がやって来たのだが、それでも彼女は一歩を踏み出すということができずにいた。己が身を包む青いダンス衣装に、ジョゼットは目をやる。

 大胆に、背中と胸元が開いたドレスである。

 まるで子供のような、華奢な自身の身体に似合っているとは、ジョゼットには到底想うことができなった。この衣装も、一歩を踏み出すことができずにいる理由の1つである。

 踊っている“貴族”の女性達は、誰もが女性らしいラインに恵まれている。

 ジョゼットは、そんな女性達を見て、(あんな所で踊ったら、比べられてしまうようで嫌だ)と想っているのである。

「安心するんだ。女王のダンスにケチを付ける奴なんていないよ」

「周りの人にどう想われたって構わない」

 キッパリと、ジョゼットは言った。

「じゃあ、良いじゃないか」

「貴男に、見っともないところを見られるのが嫌なの。皆、上手だわ。皆、綺麗だわ。あんな場所で踊ったら、貴男きっと、私を見っともない女の子だって想うもの」

「まさか。君より素敵な娘なんていないよ」

 ジュリオはそう言うと、優しくジョゼットの頭を撫でた。

 もうそれだけで、ジョゼットは胸が一杯になったように想えた。

「じゃあ、僕も一緒に踊ろう」

「え?」

 驚く間もなく、ジュリオはジョゼットの肩を抱いて、舞台の真ん中へと躍り出た。

 それまで踊っていた“貴族”達が一斉に退き、観客達からは歓声と大きな拍手が飛んだ。

 その歓声だけで、ジョゼットはもう竦んでしまった。

 だが……眼の前でジュリオが踊り始めることで、その歓声がピタリと止んだ。それほどに、ジュリオの踊りは素晴らしいのである。

 ジョゼットもまた目を見張った。軽やかにステップを踏みながら、ジュリオはジョゼットに手を差し出した。

 導かれるままに、ジョゼットもダンスを踊り始めた。

 ジュリオの踊りを見ていると、ジョゼットの心の中に、温かい何かが満ちて行くことを自覚した。徐々にウキウキと心が弾んで行くことが、ジョゼット自身理解った。

 ジョゼットの頬が赤く染まって行く。

 スッと、ジュリオが頬を寄せ、「素敵だよ」と呟いた。

 ジョゼットは、(そうか)とその胸の高鳴りの正体に、気付いた。

 5秒ごとに襲って来る不安の正体。

 失いたくないと想う、この瞬間。

 軽やかな音楽。

 周りから聞こ得て来る、歓声と拍手。

 ジョゼットからして向こうに見えるのは、自分の髪の色と同じ、青い壁石で造られた綺羅びやかな王城。

 ジョゼット眼の前には、最愛の男性がいて、自分に微笑みを向けてくれている。

 頬に伝うのは涙。

 このような感情を、ジョゼットは1度として感じたことはなかった。

 ジョゼットは、(最近、時々感じるこの気分……何て言うのか判らなかった。でも、やっと今、その感情の名前が判ったわ。私、幸せなんだ)と想った。

 

 

 

 

 万雷の拍手に包まれ、ジョゼットは天幕の中へと戻って来た。

 額を伝う汗が、今のジョゼットにはとても心地好いモノであった。また、(こんなに身体を動かしたのは、いつ振りだろう?)と考えた。

「上手じゃないか」

 ジュリオが、そう言ってジョゼットを褒めた。

 ジョゼットは、はにかんだ顔で言った。

「ジュリオが一緒に踊ってくれたからよ。私、連られて踊ってただけだもの」

「皆満足しているよ。いやぁ、大したもんだ」

「次はどうするの?」

「僕達の女王陛下に於かれては、ダンスの労を癒やす休憩の時間が与えられる。その後は晩餐会さ」

「ジュリオも一緒?」

 すると、「もちろんだとも」と言ってジュリオは首肯いた。

 天幕を出ると、取り巻きの“貴族”達がワッとジョゼットを取り囲む。伴に着いているジュリオに、訝しむ目を向ける者達もいたが、当然表立って文句を付ける家臣はいない。

 自分達の女王が、誰の助けを得て冠を冠っているのか、彼等は良く理解しているのである。冠を冠る少女が“ロマリア”の傀儡であっても、旧オルレアン派の自分達を、再び陽の当たる所に連れ出してくれたということに変わりはないのである。

 そんな女王の“聖戦”支持についても、彼等のほとんどは何とも想っていなかった。相手が誰であろうとも、戦場で血を流すのは、自分達ではないためである。

 宮廷の入り口で家臣団と別れ、居室に着くと、ジョゼットはベッドへと飛び込んだ。

 それから起き上がり、チョコンとベッドに腰掛け、ジュリオに向けて両手を伸ばす。

 ジュリオはそんなジョゼットを抱え上げると、強く抱き締めた。ジョゼットがねだるように首を傾げると、ジュリオは彼女の唇にキスをするのである。

 唇を離した後、「幸せだわ」とジョゼットは思わず呟いた。

 ジョゼットは、(この世に、私より幸せな女の子はいるんだろうか?)と想った。

 こうグルリと部屋を見回してみても、素晴らしいといえる調度品が揃っている。“セント・マルガリタ”の教導部屋とは、まさに雲泥の差である。そして、ジョゼットの持ち物は、それだけではない。この宮殿。そして、引いてはこの“ガリア王国”が……。

 その瞬間……。

 ジョゼットの脳裏に、3日前の記憶が蘇る。この部屋に立っていた、自分と同じ顔の少女……双子の姉。

 ジョゼットは、(自分が感じているこの幸せは……)とそう想った瞬間、何か黒いモノが心に滑り込んで来た。それは今感じている幸せと当量の、罪悪感である。

 ジョゼットは、(そうだ、今私が感じている幸せは……)と想った。

 急に顔を曇らせたジョゼットを見て、ジュリオは首を傾げた。

「どうしたんだい?」

「私、こんな幸せを、姉さんから奪ってしまったんだわ」

 するとジュリオは、コクリと首肯いた。

「そうだよ」

 ジョゼットは、ハッキリとそう言ったジュリオを真っ直ぐに見詰めた。

「君は、姉から冠を奪ったんだ。自分の幸せのためにね」

「ハッキリ言うのね」

「嘘を吐いて欲しかったのかい? それとも何か、綺麗なことを……そうだな、幸せってのは、誰かの不幸の上に成り立っているとか、そんな碌でもないことを言って、慰めて欲しかったのかい?」

 ジョゼットは唇を噛んだ。それから、目に一杯涙を溜めると、言い放った。

「私は薄汚い泥棒よ。どんな罪深いことをしても、貴男に嫌われるのが嫌なの。そのためには、何だってするって決めたの。後悔なんてしてないわ」

 ジュリオは、しばらくジョゼットを見詰めていた。それから、小さく、「良く言った」と呟いた。

「知ってるわ。貴男が、ちっとも私のことなんか愛してないってこと。ただ利用するためだけに、私にキスしたんだってこと。それでも私良いの。側にいられるだけで幸せなの」

 ジュリオは目を瞑った。珍しく、肩が少し震えて居た。

 

 

 

 

 

 

 ジョゼットを寝かし付けた後、ジュリオは居室を出た。次いで、右手の甲を見やり、そこに刻まれた文字を見てしばし目を瞬かせた。それから、口をへの字に曲げ頭を掻くと歩き出した。

 眼の前から1人の女性が歩いて来るのに気付き、ジュリオは立ち止まる。

 長い、青い髪を持った若い女である。

 まるで侍女のような、質素な服に身を包んだその女は、ジュリオに一礼すると側を通り過ぎようとした。

 その背に向けて、ジュリオは声を掛ける。

「イザベラ殿下ではありませんか」

 イザベラは立ち止まると、振り向いた。

「何か私に御用ですか?」

「ジュリオ・チェザーレと申します。貴女と1度、ユックリと御話をしたいと想っていたのです」

「“ロマリア”の神官様にそう仰って頂けるとは。光栄で御座いますわ」

 優雅に一礼したイザベラに、ジュリオは単刀直入に切り出した。

「貴女は、騎士団を御持ちと聞ましたが?」

「騎士団? また、御冗談を!」

 イザベラは笑い出した。

 しかし、ジュリオは笑わない。

「“北花壇騎士団”。“ガリア”の“花壇騎士”は、それぞれの方角に位置した花壇の名前が付いておりますが……北側には花壇が存在しません。でも、その名前を付けた騎士団は存在する……その道では有名な話ですね」

「で、私がそこの団長だと仰る訳ですね?」

「そうです」

 ジュリオは、これ以上の問答は面倒だ、とでも言うようにイザベラを見詰めた。

 その視線を真っ向から受け止めながら、イザベラは迷った。

 それから、(彼は完全にこっちの正体を掴んでいる。そして多分、女王が入れ替わったことにこちらが気付いているのでは、と疑っている。ならば……)とイザベラは脳内で計算を巡らせた。

 結論が出はしたが、それでも口にすることは憚られた。

 それは賭けであるためだ。

 イザベラは、(これを口にすれば、自分は消されるかもしれない。だが、相手の信用を得るにはこれしかない)と考えた。口の中が乾き、鼓動が速くなることを自覚する。抑えようかとも考えたが、(これで良い。こちらを、与しやすい、と想ってくれた方が多分上手く行く)と想い直した。

 イザベラは、無理に笑みを浮かべた。無理して強がっている風になったが、それもまた計算のうちである。

「では、私も1つ、質問させて頂いてよろしいでしょうか?」

「まだ、私の質問に答えて貰っていませんよ」

 それを無視して、イザベラは言った。

「今現在、冠を冠っておられるのは、どなたなのです?」

 それは同時に、ジュリオの問への返答でもあった。

 ジュリオは、ニッコリと笑った。

「貴女だけは誤魔化せないと想っていたのですよ」

「誤解なきよう。そのことで貴方方を責めるつもりはありませんの。むしろ、感謝捧げたいくらいですわ」

「何故でしょう?」

「御存知の通り、私は全王ジョゼフの娘です。謂わば、シャルロット女王の仇の娘……その上、私はシャルロット女王が私の騎士団に所属していた際、その死を願ってかなり危険な任務に投入いたしました。従って、相当に恨みを買っております故」

 それは全く本当の話であるといえるだろう。どこまで事情を知っているのかまでは判らぬ現状では、この話を信じない理由はないであろう。

「いつ、処刑されるのかとビクビクしておりました。貴方方は、命の恩人と言っても差し支えありませんわ」

「となると、話は早い。貴女に、我々の味方になって頂きたいのですよ。もちろん、莫大な報酬と相当な地位を約束しましょう」

「興味深い御話ですわ」

「では、御味方になってくださるのですね?」

 首肯きそうになったが、イザベラは堪えた。

「その前に条件を1つ」

「何でしょう?」

「具体的な報酬の額を御訊かせ願いたいわ」

「理解りました。では、貴女が得ていた報酬の2倍を約束しましょう」

 イザベラは首を振った。

「3倍です。貴方方は、私に祖国を裏切れと言うのですから」

 ジュリオは、しばらく値踏みするようにイザベラを見詰めていた。が、コクリと首肯いた。

「良いでしょう」

「強欲な女だと想わないでくださいまいし。狂王の娘にとって、この王宮は住み好い所ではありませんの」

「いえ。ハッキリ仰って頂いた方が、こちらもやりやすいですから。では早速、貴女に頼み事をしたい」

「なんなりと」

「滞在している“トリステイン”人と“アルビオン”人の動向を伺って欲しいのです。女王から、1騎士に至るまで、全員です。特に、シュヴァリエ・ヒラガ殿と、ミス・ヴァリエール、セイヴァー殿、シオン殿……この4人からは監視の目を外さないで頂きたい」

「先日、“トリステイン”からの刺客に襲われた連中ですね。意外なことに、襲ったのは私の元配下の騎士でした。傭兵紛いのことをしていたようでしたわ」

 才人を襲ったのは、あの“元素の兄弟”の1人である。

 そのことを想い出し、イザベラは世間話のように振ってみた。

「そうだったのですか。世間は狭いですね。では、見張りの件、御願いします」

 と、ジュリオの返答はあまり興味がないように感じられた。

 そういった様子などから、どうやら、あの“元素の兄弟”と、ジュリオ達は何ら関係がないことが判る。

 イザベラは、コクリと首肯いた。

「御任せ下さい。あの融通の利かない“聖堂騎士”よりは、マシな仕事をして差し上げますわ」

「それは楽しみだ。では、御機嫌よう」

 そう言うと、ジュリオは去って行った。

 その背が完全に見えなくなった後、イザベラは大きな溜息を吐いた。

 あのジュリオは、華奢な見掛けとは裏腹に、刃のような斬れ味を秘めているのである。そのことから、女王を入れ替えるなどという大胆不敵な陰謀を任されるだけのことはあると理解るであろう。

 囁くような声で、イザベラは呟いた。

「上手く出し抜いたかしら? “地下水”」

 すると、腰に差した”インテリジェンス・ナイフ”の声が響く。

「まあまあの演技で御座いましたな」

「さて。じゃあ、動きやすくなったところで、陛下の居所を探るわよ」

 

 

 

 アニエスを連れて、アンリエッタは“ヴェルサルテイル”の中庭を散歩していた。

 シャルロット女王が“ロマリア”の陰謀で何者かに入れ替わり、“聖戦”を支持したことで、アンリエッタは意気消沈していた。

 今のところ、“トリステイン”側に打つ手はないといえるであろう。イザベラ達が、タバサの居所を捜し当てて来るのを待つしかないのだから。

 アンリエッタは、(もし、タバサ殿……シャルロット女王陛下の居所が判らなかったら……それはあまり想像したくないわ。このまま“ガリア”は、“ロマリア”の意のままになってしまうのかしら?)と考えた。

「園遊会も、後1週間ほどで終わってしまいますわね」

 アンリエッタがそう言うと、アニエスが首肯いた。

「そうですな」

「それまでに、何とかシャルロット女王を捜し出し、再び女王の座に据えねばいけませぬ。そして、“聖戦”支持を撤回して頂かねば……」

「そうですな」

 再び、アニエスは気のない調子で首肯いた。

「貴女は気楽ですわね。隊長殿」

 ジロリと、アンリエッタはアニエスを睨んで言った。

 しかし、それでもアニエスは涼しい顔である。

「貴女、之って大変なことなのよ。もしかしたら、“エルフ”達と戦になるかもしれないのよ?」

「今は待つしかありませぬ。気を揉んでみても、何かが変わる訳ではありませんからな」

「それはそうだけど……」

「気を張り詰めてばかりいたら、いざという時戦えませぬ。女王たる者、ユッタリと御構えになってください。こう言っては何ですが、人は所詮、“運命”には逆らえぬのですから」

 そう言われて、アンリエッタは、はぁ、と小さく溜息を吐いた。

「やはり、頼り甲斐がありませんか?」

「ですから、臣下にそういう質問をするのがいけないのです」

 するとアンリエッタは、唇を尖らせた。

「私だって、たまに本音を漏らしたいわ。心を許せる相手が欲しいのです」

 それでもアニエスは、澄ました顔で横を向いている。彼女は、仕えるべき主人との距離感について、己の持論があることが判る。

 アンリエッタは、(誰か、心許せる相手はいないのかしら……?)と考えた。それから不意に、心当たりを想い出す。

 “異世界”からやって来た、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の副隊長、そして“アルビオン”の客将。

 アンリエッタには、想えば彼等には何でも打ち明けられたような気がした。それから、(どうしてなのかしら?)と想い、なんとなくその理由に思い当たった。それから、(それは……たぶん彼等がこの世界の人間じゃないからだわ。彼等は今では私達の騎士として働いてくれているし、何度も手柄を上げ、私と祖国や他国を救って来た。でも、彼等はこの世界の人間ではない。まだに、異邦人、としての雰囲気が、身体から滲んでいるもの。そんな彼等だから、逆に安心できるのかもしれないわね。だから何でも話せるのかもしれない。でも、そんな彼は、親友ルイズの恋人、そしてシオンの騎士よ。寂しいから、心許せるからとって、甘えてはいけないわ)と考えた。

 先日、幼い頃のようにルイズと殴り合った後、アンリエッタは深く反省したのである。そんな昔からの友達を、傷付けるような真似はしてはいけない……と。

 そんな風に首肯きながら歩いていると、アンリエッタはとある東屋のある場所へと出た。

 茨が絡まった、感じの好い場所であるといえるだろう。

 そこのベンチに、見慣れた2人が座っているのを見て、アンリエッタは目を見開いた。

「おや。ルイズとサイトではないですか」

 アニエスが、声を掛けようとすると、アンリエッタはそれを制した。

「……んな、どうしたのですか?」

 怪訝な顔のアニエスに、アンリエッタは指を立ててみせた。

 

 

 

 ルイズと才人は、ベンチに2人並んで腰掛け、何をする訳でもなくジッと前を向いていた。何やら……2日前の夜の出来事から不器用な訓練以来、恥ずかしさからであろう御互い口を利いていないのであった。

 才人は、隣でジッと膝の上で拳を握り締めているルイズを見詰めた。

 ルイズは、わずかに頬を染め、口をへの字に結んでいる。着たっきりであった修道服を脱ぎ捨て、アニエスから借りた私服に着替えている。すっぽりと頭から冠るタイプの麻のシャツに、堅い綿の半ズボンである。

 その、地味といえる衣装の下に、眩いばかりの裸体が隠れているということを、今の才人は知っている。そう想うことで、白い何でもないシャツが、ルイズの肌を引き立てる無垢なカンバスに、才人には想えて来た。

 才人は、(嗚呼嗚呼……)と心の中で呻きを上げた。肌を見ると、いうことは、かなり距離を縮めたということになるのだが……こうやって隣りにいるというだけでも、何やら激しく緊張するのである。隣にいる女の子が、いつものルイズとは想うことができないのである。

 胸の形と色を想い出す。そして、臍の下、御尻の形など……。月明かりに照らされた、そのような部分などを想い出し、才人は息がカラカラになるかのような想いを味わった。

 何を話せば良いのか判らず、かといってそれ以上ルイズを見ているということもできずに、才人は目を逸らした。

 しかし、才人が目を逸らしたその瞬間、頭の中に飛び込んで来るのは、瑞々しいルイズの裸体であった。それが脳裏にチラチラとしてしまう自分が、何だか汚い生き物になったかのように感じてしまい、才人は無理矢理にでも別のことを考えようと試みる。

 そこで才人は、(そうだ。今はそんなことを考えてる場合じゃない。タバサと、その双子の妹とやらが入れ替わって、大変なことになってるんだ。それに、俺を襲う連中の存在……”元素の兄弟”とか言ったっけ? 考えなきゃいけないことは山程ある。それなのに、頭の中をグルグル回るのは、ルイズの裸だけだ)と考え、頭を抱えて、「のぉおおおおおお」などと唸り始める。

 そんな才人を見て、ルイズは少しばかり拗ねたような声で言った。

「何唸ってるのよ!?」

「え? いや……な、何でもない」

 誤魔化すようにそう言った才人に、ルイズは拳を握り締めて震え始めながら言った。

「……く、比べてるのね? 今まで見て来た女の子と、比べてるんだわ」

 才人は、勢い良く首を横に振った。

「え? 違う! 違うよ!」

「じゃあ、どういう感想を抱いたのか、ちゃんと話しなさいよね」

 前を見て、フンフンと鼻を鳴らしながら、ルイズが言った。

 才人は、仕方なしといった風に、感想を述べることにした。

「え、えっと……色が兎に角綺麗で……」

「色? 何の?」

「胸のさ……」

 そこまで言ったら、パンチが飛んで来たために、才人は横に転げてしまう羽目になった。

「な!? 何すんだよッ!?」

「恥ずかしいじゃないの! 何でそういうこと言うのよ!?」

「御前が訊いたんじゃないかよ!」

 う、とルイズは振り上げた拳を下ろし、ブツブツと呟き始めた。

「そうね、私訊いたわね。でも、言いようってあるわ。そう言うのは大事なの、凄く」

 そして再び、ルイズは俯いて拳を握り締めた。

「でも、良いのかな……?」

 才人は、ポツリと言った。

「ん? 何が?」

「いや……こんなに俺、幸せで良いのかなって」

「どう言う意味?」

「だってさて、今すっごい大変じゃないか。タバサは攫われてるし、“聖戦”だって始まっちまっうかもしれない。それなのに……セイヴァーだって、“佳境に入った”って言ってたし……」

 と、才人は頭を抱えた。

「良いじゃない、私達は、“ガリア女王の入れ替わりに気付いていない”振りをしなくちゃいけないのよ。逆に、こうやって十分に油断しているところを見せんきゃいけないわ。タバサの居所が判るまではね」

「違う。あのな、俺、不謹慎にも幸せなんだよ。幸せな気分で一杯なんだ」

「どんな時だって、幸せな時は幸せな気分になるモノよ。それに一々罪を感じてたら切りがないわ。って言うか、一体何がそんなに幸せなのよ?」

「御前が俺を認めてくれたってことだよ。こんなにも嬉しいなんて。嬉しくって、どうにかなっちまいそうで、どう仕様もないんだよ」

 才人はそう言うと、ルイズも口を開いた。

「認めって何よ? ちゃんと私、あんたのこと認めて来たじゃない」

「違う。俺、理解ったんだ。女の子が、男を認めたって、それしかないんだ」

「それって詰まりその、身体を許すってこと?」

「そう。いや、まだ何吐うかした訳じゃないけど。御前は良って言っただろ? ハッキリ。それが嬉しいんだ。凄く」

 ルイズは更に顔を真赤にさせた。才人がこれほどに喜ぶなどと想ってもいなかったのだから、仕方がないといえるだろう。今更、「許す」などとハッキリ言ったくらいで……。

「だから、俺、良いのかな? って。俺1人、こんなに幸せで良いのかな? って。何か不幸だったり、苦労してる人達に、すまなく想うんだよ」

 ルイズはそこで、才人の手を握った。

「良いんじゃない」

「良いのかな……?」

「私ね、たまに想うの。だって私達だって、そういう危険の上にいるのよ。今は良いけど、もしかしたら明日、タバサを救けに行った先で死ぬかもしれない。“ロマリア”の陰謀で命を落とすかもしれない。“アヴェンジャー”に殺されてしまうかもしれない……まあ、そこ等辺は、セヴァ―達が何とかしてくれるかもしれないけど……それでもよ」

 それから、ルイズは才人へと寄り添った。そして、その腕に頬を埋めて、小さな声で言った。

「だから、貴男に肌を見せたのは、私の気持ちはきっと何があっても変わらないってことだけじゃないの。時間を大事にしたいの。2人でいられる時ってあんまりないし、それにいつ死ぬか判んないから。後悔したくないの」

 ルイズのその言葉に、才人は電気で打たれたかのような感覚を覚え、思わずルイズを抱き締めた。

「あのね、別に私達が死ぬかもなんて想ってないのよ。慎重にならなきゃいけないのは理解るけど、絶対に死なない、何があっても大丈夫って、そう想ってる。でも、何て言うか、その……」

「一瞬一瞬を大事にしたいって。そういうことだろ?」

 ルイズは、才人の胸の中で首肯いた。

「うん。そういうこと」

 才人は、ゆっくりルイズの唇に自分のそれを重ねる。熱いルイズの吐息が混じったキスは、才人を夢見心地にさせた。

 息が止まるかのような幸せな時間の中で初めて、才人は、(仲間や、周りの人達にも、こんな幸せな気持ちになって欲しい)とハッキリと想うことができた。

 次いで、才人は、(だから、タバサは絶対に助ける。だから、“聖戦”は絶対に止める。“聖杯戦争”も終わらせるんだ)と想った。

 その時……不意に、昨日と同じ不安が、(でも、俺にそんなことができるのか? “元素の兄弟”に、2度も遅れを取った俺に……)という気持ちや考えなどが才人を襲った。

 それから、才人はルイズから身体を離す。

「どーしたのよ? 昨日から変よ。あんた」

「いや……」

「何よ? 私といるのに不満なの? やっぱりあんた……」

「違う違う! そうじゃない!」

「じゃあ、ちゃんと言いなさいよ」

「いやね?」

 才人は首を振りながら言った。

「俺、ちょっと弱すぎじゃねえかなって……“元素の兄弟”とかいう連中に、2回も遅れを取っちまったし……俺がもうちょっと強けりゃ、デルフを失うこともなかった。ジャックに負けて、御前にあんな見っともないところを見せることもなかった」

「誰だってたまには負けるわ。人間だもの。しょうがないじゃない」

 ルイズがそう言って慰めようとすると、才人は首を横に振った。

「いやいやいやいや。そんな呑気なこと言ってる場合じゃねえ。セイヴァーだっていつも俺達のことを守ってくれる訳じゃ無え。負けたら死んじまうだろ? 御前のことだって守れない」

「私が助けて上げるわよ」

 キョトンとした顔でルイズが言ったら、「それじゃ駄目なんだ!」と才人は強い調子で言った。

「な、何よ? 良いじゃない。“使い魔”と“メイジ”はパートナー。“マスター”と“サーッヴァント”はパートナー。そうでしょう?」

「情けねえじゃねえか」

 ルイズは、唇を尖らせてそう言う才人を見詰めた。

 折角の甘い雰囲気がどこかに行ってしまったために、ルイズは頬を膨らませた。

 才人は、こういったことをする傾向が強いといえるであろう。大好きな女の子と一緒にいるという癖にも関わらず、直ぐに自分の世界に入ってしまうという点である。

 だが、ルイズはそこで怒ったりなどはしなかった。少し前までであれば、このようになってしまえば頭に血が上っていたものだが……。

 ルイズは、(肌を見せ合ったからかもしれないわ。更に絆が深まった気がするのかしら……? だからもう、このくらいで怒ったりしないの……)、と想った。それから、ソッとルイズは、才人の肩に頬を乗せた。

 その間、才人は、(俺……もっと強くなりたい)とジッと考え続けた。負けた悔しさなどが、今頃になって膨れ上がって来て……才人はグッと拳を握り締めた。

「だからこそ……セイヴァーは、あいつは……俺等に活を入れるためにあんなことをしたってのか? にしても、不器用にもほどがあるだろうが……」

 

 

 

 才人とルイズ、その2人のそんな様子を見た後……アンリエッタはコッソリと立ち上がった。

 小さな声で、「仲がよろしいこと」と呟く。

 アニエスは、何も言葉を発さずに涼しい顔である。

 アンリエッタは元来た道を引き返すように歩き出す。

 わずかに硬い声で、アンリエッタはアニエスに尋ねた。

「何としてでも、“聖戦”は止めねばいけませんね」

「そうですな」

 と、アニエスも首肯いてみせた。



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教皇の告白

 暮明の中、タバサはまんじりともせずに、ベッドの上に座っていた。

 目覚めると、タバサはここにいたのである。

 タバサが目覚め、気付いてから丸一日が過ぎていた。

 至って普通といえる寝室のように見えるのだが、窓はない。1つだけある扉は、分厚い造りをしており、外から鍵が掛かる仕掛けになっていることが判る。

 部屋に置かれた調度品は、上等なモノであるのだが……どうやら貴人を閉じ込めて置くための部屋であることが、そういったことなどから判る。

 詰まりは、貴人用の牢獄である。

 扉は頑丈であり、叩いてもビクトもしない。

 “杖”を取り上げられてしまったタバサは、ただの少女に過ぎないといえるだろう。まるで、と言うよりも、事実上、無力な少女である。

 ジュリオに意識を失わされたことを、タバサはハッキリと覚えていた。その直前に見た、タバサ自身と同じ顔の女の子……のこともまた。

 “魔法”で造られた存在ではないということは、その時タバサは一目見ただけで感じ取り、理解していた。

 タバサは、(では、自分の双子なんだろうか? そのような存在は、聞いたことがないが……)と考えた。

 がその時、タバサは、チラリと聞いたことのある“ガリア王家”の禁忌を想い出した。

 双子は、どちらか片方だけが育てられる……。

 タバサは、(ではやはり、あの時見た顔は? 兎に角、“ロマリア”の陰謀に間違いはない。園遊会は一体、どうなっているんだろうか? シルフィードは? 母は? イザベラは? そして、“トリステイン”や“アルビオン”の友人達は?)と考えた。が、心配ではあるが、今はどう仕様もないのもまた事実である。

 扉を良く見ると、下の方に小さな別の扉がある事が判る。その前には、パンと干した果物と水差しが置かれている。

 タバサはそれを見て、(成る程、ここから食事を出し入れできるようになっているのか。間違いなくこの部屋は牢獄)と確信を持つことができた。

 それから、(一体、自分を捕らえた連中は何を企んでいるのだろう?)と考えた。

 が……。

 ぐぅううっと、タバサの御腹が鳴った。それにより、タバサは一昼夜まるまる何も食べていなかったということに気付き、扉の前に置かれた食べ物に手を伸ばす。

 タバサは、(毒が入っているかもしれない)と想い直し、パンを再び更に戻した。

 その時、足音が廊下で響いた。

 タバサは、びくっと身体を震わせると、後退る。

 鍵を外す音が聞こえ、ギィイイ、と重たげな軋みと共に扉が開かれた。

 現れたのは、何度か顔を合わせたことのある、美しい青年であった。

 タバサは軽く驚いた。

 タバサをここに連れて来た連中の背後に、彼がいるということは不思議ではなかった上、恐らくは彼の命令であろうことも判っていた。が、まさか直接こうやって姿を見せるとは想わなかったのである。

「先ずは御詫びを申し上げねばいけませんね」

 タバサは黙ったままである。ジッと、ヴィットーリオを見詰め続けている。

 若い教皇は、部屋着といって差し支えのない、ラフな麻の衣装に身を包んでいる。

 そのような格好で教皇がいるということは、ここは“ロマリア”が借り上げている宿か、大使が暮らす邸なのであろうということが想像できる。

 いや、邸であろう。でなければ、このような部屋を用意することはできないのだから。

 タバサの中では、別に憎しみなどは湧いて来ることなどはなかった。彼等は親切でタバサを女王に据えた訳ではないということを理解しており、それを理解した上で利用する積りで戴冠したためである。だがそれでも、何らかの手を打って来るであろうとは予想はしていはしたが、まさか大胆にも替え玉を用意するとは、ここま想像を超えて来るとはタバサには想うことができなかった。

 タバサは、(かと言って、何も抵抗できずに相手の策略に落ちるとは……油断していたことは、認めなくてはいけない)と考えた。

 次いでタバサは、隣で“霊体化”しているイーヴァルディを確認し、口を開く。

「シルフィードは?」

「隣の部屋で眠っています」

「ここはどこ?」

「“リュティス”に在る、“ロマリア”大使の邸です」

 淡々と、ヴィットーリオは告げる。まるで、“霊体化”しているイーヴァルディを気に掛けた様子もない。

 そのヴィットーリオの様子から、嘘ではないだろう、とタバサは判断することができた。そして、理解した。ここまで正直に話すということは、タバサを再び表に出すつもりは彼にはないということを。

「あの娘は誰?」

「貴女の双子の妹です」

 タバサの目が、ヴィットーリオのその言葉で見開かれた。先程の予想が現実を伴うことで、タバサが受けるショックは、(自分は一人っ娘ではなかったのだ。姉妹がいたのだ。同じ顔の、もう1人の自分が……)と予想以上のショックであったのである。

 だが、今はそのようなことを考え、感じ入り続けている場合ではないといえるだろう。

「私をどうするつもrり?」

「ちょっとした旅行に付き合って頂きたいのです」

「旅行?」

 タバサからすると、予想外の返答であった。

「そうです」

「どこへ連れて行くの?」

 冷たい目で睨んだタバサに、ヴィットーリオは変わらぬ優しげな抑揚で言った。

「“火竜山脈”です」

「そこで私を始末するつもり?」

「始末とは穏やかではありませんね。私達は、貴方方に味方になって欲しいのです。このような目に遭わせておいて、烏滸がましいとは想うのですが……」

 タバサは無言で、教皇を見詰めた。(御前達になんか、絶対に協力するものか)、という意志の光が、タバサのその目の奥には宿っていることが判る。

「嫌われたモノですね」

 と、ニッコリと笑みを浮かべて、ヴィットーリオが言った。

「狂信者に協力する愚か者はいない」

 敵意を隠すこともせず、タバサは言った。

 すると、ヴィットーリオは首を横に振る。

「私達は、“聖地”を取り戻さねばならないのですよ」

「そのために、どれだけの人が、死ぬと想っているの?」

「逆ですよ」

 アッサリと、ヴィットーリオは言った。静かな、やり切れない、といったような声である。

「どういう意味?」

「それを貴女にも理解して頂きたいから、“火竜山脈”へと向かうのです」

「私は、貴方達のすることが理解できない」

「貴女は、神話をそのまま信じるということをしていませんね……存在しはするが歪曲されたモノであることを理解し、また、本質的には信仰とも無縁だ。違いますか?」

 しばし考えて居たが、タバサは首肯いた。

「私も同じです。信仰の本質は、己の良心を他者に委ねることですから。行き過ぎれば容易く狂気になる。だが、狂気、と決め付けてしまうのも、また危険なことなのです。神話や信仰を、ただの嘘や盲目と切って捨てるのは容易い。だが、その2つは、確実に真実の一片を含むのですよ」

 タバサはジッと、イーヴァルディとヴィットーリオを交互に見やった。

「貴女は強い心を御持ちのようですね。こんな話をしながらも、彼や彼女等と一緒にここからどうやって逃げ出そうか。そして私達を止めようか、そんなことばかり考えている。そんな貴女だから、是非とも私達の味方になって頂きたいのです。なに、“火竜山脈”に向かえば、自然と私達の信仰について、御理解頂けるでしょう」

 そう言うヴィットーリオは、どこにも気負いがないといえる様子を見せている。間違いなくそうなる、と確信を持っている風である。

「何か“魔法”でも使って、心を操ろうというの?」

「私はこう考えております。神は人の心の中に住むと、神の僕たる私が、神の住処を汚す訳はありません」

 タバサは、(一体、私を説得するどんな自信があるというのだろう?)と考えた。元々掴み所がなさそうかつ人物であったヴィットーリオが、増々得体がしれない存在に想え、タバサはわずかに震えた。

『“マスター”。今は、彼の言葉に従おう。セイヴァーから接触がないということは詰まり』

『“剪定事象”……“抑止力”……“聖杯戦争”……それ等が関係している?』

『かもしれない』

 タバサはイーヴァルディと思念通話で会話し、身体の震えを抑え、顔を上げた。

 

 

 

 タバサの部屋を辞したヴィットーリオを扉の隣で待っていたのは、ジュリオであった。

 ジュリオは優雅に一礼すると、主人へと向き直った。

「聖下。“火竜山脈”の観測隊依り、報告が届いております」

「見せてください」

 書簡を受け取ると、ヴィットーリオはユックリと目を通した。

「以前の結果と、変わりはないようです」

「と言うと、後、4日後ということですね」

 ヴィットーリオは首肯いた。

「で、彼等に招待状を届けましょうか? “アルビオン”以外には見張りは一応、付けておきましたが……」

 ジュリオは真面目な顔で言った。

 するとヴィットーリオは首を横に振る。

「それには及びないでしょう」

「まだ御隠しになるのですか? これ以上、彼等に隠して、何の益があるというのですか?」

「できれば、偶然を装いたいのです。もう、これで信用して貰わねば、我々には打つ手がありません。それこそ、彼等を抹殺せねばいけなくなる」

「ふむ」

「見せたいモノがあるから、などと言えば、彼等はまた我々を疑うのではありませんか?  まあ、彼がいる以上、そうなることはないでしょうが……」

 疲れた声で、ヴィットーリオは言った。珍しく、この教皇の顔には憂いと疲労などが目に見えて浮かんでいる。

「まあ、そうかもしれませんね……」

 ジュリオも、悩むような仕草を見せる。

「放って置いても、入れ替わった友を救けるために、我等を追うでしょう」

「彼等が入れ替わりに気付いていれば、の話ですが」

「気付いているでしょう。彼等は我等の兄弟なのだから。この程度の陰謀は見破って貰わねば、この先が想いやられる」

 その時、とととと、と、料理の皿を抱えた1人の召使いの少女がやって来た。彼女は、教皇とジュリオに会釈をすると、扉板の下に付けられた小さな扉を開けて、中に料理を乗せた皿を差し込む。

 再び会釈すると、召使いの少女は元来た方へと歩き出した。

 その少女の腰には、守り刀のように、小さなナイフが光っていた。

 

 

 

 

 

 イザベラからタバサ発見の報が届いたのは、園遊会が始まって4日後のことであった。1通の手紙が、夕方アンリエッタの泊まる部屋に届けられたのである。

 差出人は当然書かれておらず、中には意味をなさない単語の羅列が踊っている。アンリエッタは、イザベラから貰った暗号表を頼りに、それを解読した。

「シャルロット女王陛下は、“ロマリア”公使バドリオの屋敷に囚われている。本日夜9時救出の計画を講じたく伺いたく候」

 末尾には、イザベラのイニシャルが踊っている。

 アンリエッタは、気分が優れないからと言って、夜の晩餐会の不参加を“ガリア”側に告げ、腹心の人物達を自室に呼び寄せて、イザベラの来訪を待った。

 アンリエッタが部屋に呼び寄せたのは、ルイズ、才人、そしてギーシュ。タバサの親友であるキュルケに、アニエスである。

 また、“アサシン”であるハサンの“スキル”と“礼装”などを駆使し、俺とシオンとハサンもまた同じ部屋で待機している。

「タバサの居場所が判ったんですか?」

 才人は入って来るなり、そう問うた。それから、俺とシオンとハサンへと目を向けた。

 アンリエッタは首肯いた。

「ええ。そうらしいですわ」

 スサッとギーシュは、立膝を突いた。

「ちびっ娘、いやさ、シャルロット女王陛下救出作戦は、この私の率いる“水精霊騎士隊”に御任せくださいますよう」

 そんなギーシュを、才人が諌める。

「おいおい、そんな大勢で行ってどーすんだよ? それに、公使の屋敷だろ? ここは外国だし、それに向こうも 詰まりは外国の大使館だ。まさか正面から踏み込む訳にはいかんだろ」

「サイトの言う通りだわ」

 と、キュルケも首肯いた。

「コッソリと忍び込んで、コッソリと救い出す……貴方達が1番苦手な仕事じゃないの?」

 うぐ、とギーシュが黙りこくった。

「そりゃ……正々堂々正面から打つかって相手を負かすのが騎士隊の本文であってだね」

「それに、こないだの“アーハンブラ”のような訳にはいかないわ。今度は街中なのよ? 派手なことをしたら、逆にこっちが捕らえられる」

 キュルケの言葉に、アンリエッタも首肯いた。

「“ガリア”官憲が全て味方という訳ではありませんからね」

 その時、ドアの向こうから声が響いた。

「イザベラ・マルテル嬢の御越しで御座います」

 扉が開き、夜会服姿のイザベラが現れた。先ずはアンリエッタとシオンに向かって、恭しく一礼をした。

「こうやって、私達を御訪ねになっても大丈夫なのですか?」

 挨拶もそこそこにアンリエッタが尋ねると、イザベラは首肯いた。

「実は、貴方方の監視を“ロマリア”側より頼まれているのです」

 部屋に緊張が奔る。

 ギーシュなどは、既に“杖”に手を掛けているほどである。

「誤解なきよう。私は皆さんの味方です。協力する振りをしているだけです。ですから、堂々とこうやって、見舞いを装って皆さんの所に入り込めるという訳ですわ」

 それからイザベラは、一同に説明した。

「ハッキリと申し上げますと、あの場所から陛下を救い出すことは不可能に近いです。調べたのですが、公使の屋敷にしては、信じられないほどの厳重な警備が施されています。“魔法”の障壁や罠が幾重にも掛けられているし、常に“聖堂騎士”一顧中隊が詰めています。正面から掛かるなら、優秀な騎士中隊が、3つは必要でしょう」

 一同は、愕然とした顔になった。こちらには”サーヴァント”という強力な存在はあるが、街中でそのような騒ぎを起こしてまえば大変なことになるのは明白である。

「その上、そこの屋敷には教皇も出入りしているようです」

「尋常じゃない警備は、彼の警護も務めているという訳ですわね」

 アンリエッタが眉を顰めて呟く。

「密かに潜入しての救出は?」

 と、キュルケが尋ねた。

「あれだけの警備では、私の部下にも不可能です。“地下水”と呼ばれる手練を1人潜り込ませるのが限界でした。しかし、彼1人では救出できません」

 しん……とした空気が流れる。

 それから才人は、俺とシオン、そしてハサンへと目を向け言った。

「なあ、セイヴァー。“アサシン”の“スキル”でなら、どうにか出来るんじゃないのか?」

「可能で御座います。ですが、我々は一応、“アルビオン”所属ですので」

 と、ハサンが実体化し、自らの立場を明確に口にした。

 それに次いで、俺とシオンも姿を現す。

 それを見て、イザベラは驚いた様子を見せた。

 それからしばらく考え込んでいた才人が、顔を上げて言った。

「そうなると、移送時を狙うしかないみたいだな」

 イザベラは首肯いた。

「そうですね。いつまであそこに閉じ込めておくつもりはないでしょう。必ずや、どこかに移動させるはず。その時を狙って、救け出す。それしかありませんね」

 その時……再び扉の外から、女官の声が響いた。

「御報せに御座います」

 その瞬間、再び俺とシオン、とハサンは姿を消す。

「何かしら?」

 ルイズが扉を開けると、焦った顔で女官を告げた。

「明日、教皇聖下が急遽“ロマリア”に帰られるそうです。突きましては、見送りの式を行うので、陛下に於かれては御来賓の栄を賜りし、とのことです」

 ルイズはアンリエッタへと振り返る。

 緊張した面持ちで、アンリエッタは首肯いた。

 扉が閉まる音と同時に、キュルケが口を開いた。

「まだ園遊会も途中なのに、国に帰るなんて妙ね」

 そこで、イザベラが何かに気付いたように言った。

「もしや……教皇と一緒に“ロマリア”へ連れて行くつもりでは……?」

 俺とシオンを除いた全員が、ハッとした様子を見せる。

「教皇と一緒なら、護衛も完璧だしね」

 困った声で、キュルケが言った。

「いつまでも“ガリア”に置いていく訳にもいかないだろうしな」

 と、ギーシュが言った。

 素早く決断を下したのはイザベラであった。

「衣装を用意しますので、皆さんは御着替えください」

「え?」

「明日の朝、見送りの群衆に紛れてバドリオ公使の館の近くに待機します。陛下が教皇の一行にいれば、好機を見て、道中救い出す。私の騎士団も全力をもって、この計画に参加します」

「なに、僕達だけでやれますよ」

 と、ギーシュが例によって安請け合いをした。

「それは無理です。貴方方は、この国の土地勘がない。連絡役として、私の腹心を御付けします。彼の指示に従ってください」

 と、キッパリとイザベラは言った。

 

 

 

 

 

「確かに、あの警護の群れを見ると、”サーヴァント”や彼等の協力なしでは、僕達だけではどうにもならなかったようだな」

 と、ギーシュが言った。

 数百人もの“聖堂騎士”が、屋敷の前に整列している様は、荘厳というには物々し過ぎるといえるだろう。

 翌朝……“ロマリア”へと出立する教皇聖下を一目見ようと、集まった“リュティス”市民でごった返すバドリオ公邸の前までやって来た才人達であった。

 才人にルイズ、そしてキュルケ、“水精霊騎士隊”からはギーシュとレイナールとマリコルヌ。アンリエッタは公式の席で教皇を見送るべく、ここから離れた貴賓席にいる。

 ギムリ率いる“水精霊騎士隊”と、アニエスが、その護衛に当たっている。

 そして、少しばかり離れた席では、シオンが、彼女の護衛として俺がいる。

 詰まり、俺達や才人達は救出隊“トリステイン”及び“アルビオン”班であるということである。

 俺達が姿を見せないと、“ロマリア”側に怪しまれてしまう可能性が多いにありえるために、イザベラが一計を案じていた。

 “スキルニル”と呼ばれる、その者の血を振り掛けることで、姿形がソックリに変身する人形を用いて、影武者を用意したということである。以前、“ミョズニトニルン”であるシェフィールドがそれを使用して、シエスタソックリの動く人形を造り出し、苦しめられたということを覚えていたルイズ達は、その人形の実力を良く知っている。滅多なことではバレないに違いないということを。

 才人を始め俺達はマントを外し、目立つことがないように修道士の格好に変装していた。すっぽりと冠るタイプの修道服は、中には隠しやすいために、こういった場合には好都合であるといえるだろう。

「ホントに、タバサも一緒なのかしら?」

 心配そうな声で、ルイズが言った。

「間違いないと想うわよ。だって、“ロマリア”にとってタバサは火薬樽みたいなモノよ。こんな外国に長く置いていく訳がないわ。教皇と一緒に“ロマリア”に運び込めるんなら、そうするはず」

 キュルケがそう言うと、ギーシュが恍けた声で皆からして恐ろしいことを言った。

「どうして生かしておくんだろう? 邪魔なら始末するんじゃないかな?」

「ギーシュ」

 才人が窘めるような声で言ったが、ギーシュは言葉を続ける。

「だって、生かしておく意味が、あまりないじゃないかね?」

「御前なぁ……」

 親友のキュルケを前にして、言うべき言葉か、と想った才人は呆れた顔で言った。

「そりゃそうだが。最悪の場合を考えて行動しておかないと、無駄な犠牲を生むことになる。死んでる人間のために、部下を危険な目に遭わせる訳にはいかんよ」

 真顔でギーシュは言った。

 う……と才人も黙りこくった。

「確かにギーシュの言う通り。でも、きっとタバサは生きてる」

「どうしてそう想うんだね?」

「そのつもりなら、とっくにそうしてるわ。それに、何か危険があったら、張り付いてる……何だっけ、“地下水”とかいう“北花壇騎士”が報せてくれるでしょ? セイヴァーだって何も言わないもの」

 ギーシュの疑問に、キュルケが自身の考えを口にする。

「もし、彼女が殺されたらどうする?」

 レイナールが、キュルケに尋ねた。

「“ロマリア”の奴等、皆殺しにしてやるわ」

 アッサリと、キュルケは言った。

「君、そうなったら戦争だぜ?」

 呆れた声でギーシュが言った。

「そしたら先頭に立って、突撃するわ」

「物騒なこと言うなあ」

「当然じゃないの」

 その言葉を聞いて、(もし、友達や大事な人間が殺されたら……俺はどうするんだろう? 例えば、ルイズが誰かの手に掛かったら?)と才人は考えた。

 才人の隣で、ルイズはジッと”聖堂騎士”の隊列を見詰めている。

 屋敷の前に、揃いの隊服を着て、左右に分かれて整列している様は、まるで玩具の兵隊を才人に想い出させた。

 才人は、(ルイズがもしあいつ等に殺されたら……俺は戦争も辞さずに仇を討とうとするだろうか?)と考えた。

 その問いの答えが出る前に、屋敷の扉が開き歓声が轟いた。

 教皇ヴィットーリオが姿を見せたのである。

 何台もの馬車が、通りの向こうから現れ、才人達の前を通り過ぎて屋敷の前に止まる。連れの書記官や秘書官と共に、1番大きな馬車にヴィットーリオは笑顔を振り撒きながら乗り込んだ。

 ユックリと隊列が動き出す。

 先導は“聖堂騎士隊”一顧中隊が務め、その後ろに大臣や神官団が乗った馬車が数台並んでいる。教皇の馬車がそれに続き、荷物を満載した馬車が5台ほど、その後から着いて行く格好になった。更にその後に、残りの“聖堂騎士隊”が続くのである。総勢500人近い、大所帯であるといえるだろう。流石は、教皇聖下御一行といった風情である。

 さながらその様子は、“日本”でいうところの、大名行列であろう。

「ジュリオの姿が見えないな」

 才人が言った。

 いつも影のようにヴィットーリオに寄り添うジュリオの姿がないのである。

「きっと入れ替わった偽物と一緒にいるんだわ。誰か着いてないといけないでしょ?」

 ルイズがそう言って、才人は納得した。

「その通りで御座います」

 後ろから声がして、才人は振り返った。

 そこには、メイド服の若い女性が立っていた。まるで見覚えのない顔である。

 隙かさずレイナールとギーシュが跳び掛かり、側の路地へと引き込んだ。

 マリコルヌが、“杖”を引き抜き、メイド少女に突き付ける。

「御前、何者だ?」

「イザベラ様より遣わされました。貴方方との連絡役を仰せ付かった者です」

「名前は?」

「“地下水”」

「怪しいなあ。特にこのスカートちゃんが……」

 マリコルヌは“杖”を舌で舐め上げた。どこぞの拷問官ですか? といった態度であったが、“地下水”が、クイッと身体を捻ると、腕を掴んでいたギーシュとレイナールは地面に転がる。

 同時に腰の短剣を引き抜くと、マリコルヌの腰に向けて一閃させる。

「ふえ? のぉおおおおおおおおお!?」

 マリコルヌのベルトが切れて、ズボンがずり下がる。

 慌ててマリコルヌはズボンを掴んだ。

「私の姿格好は、御気になさらぬよう」

 才人は、(“地下水”? この前イザベラの所まで案内してくれた娘は、こんな顔だったっけ?)と訝しみ、マジマジと少女を見詰めた。

「こないだと顔が違うんだけど」

 今の“地下水”の顔立ちは幼いといえるだろう。背も低く、髪の色も全く違う。

「まあ、深く考えないでください」

 “地下水”はニッコリと笑うと、再び真顔になった。

 才人は、(また“魔法”だ、何かの“魔法”だ、“魔法”の変装術だ)と納得することにした。

「シャルロット女王陛下と、その“使い魔”は、眠らされて既に馬車に運び込まれています。“サーヴァント”である彼は、私には見えませんが、恐らく、主である陛下の身を案じて共にいることでしょう」

「やはり」

「どの馬車だい?」

 皆、“地下水”が“サーヴァント”という言葉を口にしたことにまで気に回らないでいる様子である。

 “地下水”は、小さな声で言った。

「教皇聖下の馬車です」

 

 

 

 その頃、“ヴェルサルテイル宮殿”……。

 出立前のジュリオを、ジョゼットが心配そうな顔で見詰めていた。

「行っちゃうの?」

「直ぐに戻るよ」

 ジョゼットは、嫌々をするように首を横に振る。

「私、1人じゃ、何をすれば良いのか判らないわ」

「バルベリに卿がいる。彼が僕の代わりに、全て指示してくれる」

「ジュリオが良いの。違う。ジュリオじゃなきゃ嫌なの」

 幼子のように駄々を捏ねるジョゼットを、ジュリオは優しくあやすように言った。

「理解ってる。戻って来たら、ずっと一緒だ」

「ホント?」

「ああ。ホントだ。嫌でもそうなる」

 すると、ジョゼットは怒ったような表情を浮かべる。

「嫌なんかじゃないわ。でも、それ本当なの?」

「ああ」

 するとジョゼットは、顔を輝かせた。

「ホント?」

「本当だとも」

「それなら、我慢するわ」

 ジュリオはジョゼットにキスをすると、窓を開いた。

 青い鱗を煌めかせた“竜”が飛んで来て、キュワッ! と一声鳴き声を上げた。

 ジュリオは窓から身を躍らせ、“風竜”の背に跨る。

 “風竜”――アズーロは上昇し、あっと言う間に空の彼方へと消えて行く。

 ジョゼットは不安げな顔で、そのジュリオとアズーロを見送った。

 

 

 

 揺れる馬車の中で、タバサは目を覚ました。

 隣では、シルフィードが寝息を立てている。イーヴァルディは、近くで“霊体化”していることを感じ取ることができる。

 そして、タバサの正面には、本を読む教皇ヴィットーリオの姿があった。

「御目覚めですか?」

 ヴィットーリオは、本を閉じるとタバサへと向き直る。

 窓にはカーテンが掛かっており、外から中が見えないようになっている。

 天井に取り付けられている装置の“魔法”による淡い光が、馬車の中を照らしている。

 タバサは、寝息を立てているシルフィードの口元に手をやった。

 本から目を離さずに、ヴィットーリオは言った。

「これは忠告ですが、暴れたり、脱出しようなどとないで頂きたいです。この馬車の前後は“聖堂騎士”二個中隊が固めている。幾ら“サーヴァント”であるイーヴァルディ殿がいるからといって、“杖”なしに、そのようなことをしたら、貴女は命を失うことになる」

 タバサは視線を、ヴィットーリオが持つ本へと移した。

「これですか? これは名簿です。過去何度か、“虚無の担い手”と、その“使い魔”……そして“秘宝”と“指輪”、“4の4”は揃いそうになりました。何故だと想います?」

 タバサは首を横に振った。

「故郷を追われ、この“土地(ハルケギニア)”に移り住まざるをえなくなった“始祖ブリミル”は、この地がどのような力で動き、息衝いているのか、識っていたのですよ。貴女も御存知でしょう? “先住”と呼ばれる“精霊の力”……我々は幾つか、それを利用しています。“水の力の結晶”――“水石”。“ゴーレム”を造り出す際の、原料として頻く用られる“土石”。この前、ジョゼフ王が用いた“火石”。そして……」

 ヴィットーリオは、ポケットから何かを取り出した。

 それは、瓶に入ったキラキラと光る透明な結晶であった。

 ヴィットーリオが軽く瓶を降ると、結晶は輝き出す。すると、ヴィットーリオの手から瓶は浮かび上がった。

「この“風石”です。我々は“フネ”を浮かべるために用いていますね。“風”使いの貴女には、百も承知のことでしょうが」

 ヴィットーリオは、空を指した。

「シオン女王陛下が治める“アルビオン大陸”が浮かんでるのも、この“風石”の力によるモノであることは、御存知のことと想います。また、少しばかり脱線しますが、“サーヴァント”の力もまた、元々は“先住の力”と言って差し支えないでしょう」

 それでも、タバサは応えずに、ジッとヴィットーリオを見詰める。

「“先住の力”は、偉大であると同時に驚異なのです。その驚異の自然の力が、我々に牙を向きそうになった時に、“4の4”は復活しそうになった……でも、揃わなかった。それは驚異ではなかったからです。でも今は違う」

 タバサはわずかに口を開いた。教皇の話に、聴き入ってしまったのである。

「明確な危機となって、我等を滅ぼそうとしている。だからこそ“4の4”は復活し……我等は“聖地”を目指さねばならぬのです」

「……明確な危機?」

「そうです。それを今から、貴女に御見せしようというのです」



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破滅の精霊石

 教皇の一行は、速過ぎず遅過ぎずのペースで、”ロマリア”を目指していた。恐らくは3日ほどの行程であろう。 “竜籠”を用いればそれはもちろん1日で着くだろうが、教皇の行幸というモノはそう単純なモノではないのである。立ち寄った先々での“ブリミル教徒”との触れ合いもまた、教皇しての大事な仕事であるためだ。

 何せ、立ち寄った街で説教の1つでも行えば、街の人間達にとっては末代までの語り草になるであろうし、赤子に祝福を授ければ、親戚一同”始祖”と教皇の御為ならば、死をも辞さない神の戦士になるほどである。

 詰まるところ、“聖戦”を遂行しようとしている“ロマリア”にとって、この行幸は大きな政治的意味合いを持つのである。

 従って、どこに行っても教皇は当然街の人間に囲まれることになる。というより、教皇の一行が、だ。

 それが、俺を除いた皆からすると、救出作戦を難しく感じさせていた。

 下手にタバサとシルフィードを救い出そうとすれば、詰まりは、“聖堂騎士”だけではなく、街の住人までをも敵に回すことになる可能性が多いにありえるのだから。また、暗殺を恐れてだろう、“聖堂騎士”の警護は、正に蟻が忍び込む隙間もないといった風情である。流石の“北花壇騎士”にしても、その警備の編みを潜るのは不可能であるといえるだろう。“アサシン”であるハサンや俺を除けば、であるが。

 道中も、また難しかった。

 先回りして罠を仕掛ける余裕もなかったし、街道の周りはほぼ開けている。森の中で奇襲を掛けようにも、実力はあれども手勢は少ないであろう。

 救出は、粗手詰まりであるといえるだろう。

 “リュティス”を出発して2日目……。

 翌日には、“虎街道”の入り口に、教皇一行が達しようというその日……近くの宿屋で、俺達一行は作戦会議を行っていた。

 辺りは、教皇に逢いに来た住人で溢れている。修道服姿の一行など、珍しくもないために、ただ群衆に紛れる分には好都合であった。

「絶対に失敗は赦されない、って難しいわね」

 キュルケが、テーブルに肘を突いて言った。

「だが、ここ等で何としてでも救わねばならない。“ロマリア”に入られたら、取り返しが着かないからな」

 真剣な顔で、レイナールが言った。

 才人は、やきもきしながら頭を捻らせていた。

 目と鼻の先に、タバサとシルフィードがいるというのに手がないのである。

 隣では、ルイズも目を瞑り、一生懸命に何かを考え込んでいる。それでも、良い知恵は出ないのであろう様子だ。

「やはり、正面から乗り込むしかないのかな? 皆で打つかれば、1人くらいタバサとシルフィードの所に辿り着くんじゃないの?」

 マリコルヌが、首肯きながら提案した。

「そんなの無理だよ。仕方ない。なあ、セイヴァー……良い案はないか?」

「ある。が、まだ動く時ではない。動く必要がない」

 才人の問いに、俺は首を横に振りながら言う。

「こうなったら、囮作戦だ」

「囮作戦?」

「ああ」

 皆が頭を捻り考える中、才人は思い付いた作戦を口にし、首肯いた。

「俺が、他所で暴れて気を引く。その隙に、おまえ等タバサとシルフィードを……」

 すると、後ろから声がした。

「そんなことをしても無駄ですよ」

「え?」

 才人が振り返ると、屈強な身体付きの男が立っていた。

 俺とシオンとハサンを除いた皆の手が、一斉に修道服の中に潜ませている“杖”や刀へと伸びる。

「私です。“地下水”です」

 男は言った。

「男じゃないのよ!」

 ルイズが叫ぶと、「いえ。その者は紛れもなく、“地下水”です」と後ろからイザベラが現れた。

 イザベラのその後ろにもう1人、背の高い男がいる。修道服を着込み、目深にフードを冠っている。

 男がフードを取ると、才人は「あっ」と小さな声を上げた。以前、“リネン川”の中洲で決闘を装ってタバサへの手紙を渡して来た男であったためである。

 男は才人を見ると、ニヤッと笑みを浮かべた。

「久し振りだな」

「貴男は……」

「“東薔薇騎士団”団長、バッソ・カステルモール殿です」

 イザベラが、彼を全員に紹介した。

 カステルモールは、「初めに、聞いた時は信じられなかったのだがな」とイザベラを冷たい目でチラッと見詰めた。

「だが今現在、冠を冠っている少女を見て、確信せざるをえなかった。あれはシャルロット様ではない。是非とも本物のシャルロット様を取り返し、再び玉座に据えねばならぬ。“トリステイン”と“アルビオン”の騎士でありながらの助太刀を、いたく感謝する」

 カステルモールは、俺や才人達へと向かって深々と一礼した。

 イザベラは、一同を見回した。

「さて、我が方の戦力を改めて説明します。先ず私が率いる“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”が、私とここにいる“地下水”を含めて7名。、残りは、全て教皇一行の監視に当たっています。そして、 カステルモール殿率いる“東腹騎士団”、此方が20名」

「まだ実戦を経験していない者もいるが……いずれも私に忠誠を誓う者ばかりだ」

 例によって俺とシオンとハサンを除外いた集まった一同は、静かにではあるがどよめいた。

「そして、“トリステイン水精霊騎士隊”の皆さんが、グラモン隊長以下4名。そのうちの1名は、“アルビオンの英雄”ことシュヴァリエ・ヒラガ殿。“アルビオン”の女王陛下とその“サーヴァント”……かつ、ヒラガ殿と同じく“アルビオンの英雄”――“黒光の騎士”、セイヴァー殿。そして、陛下の御友人が2名。そして、もう1人の“サーヴァント”。総勢、36人以上もの“メイジ”と剣士が、こちらの手勢です」

「ちょっとしたモノだな」

 ギーシュが、感心した声で言った。

「さて、それでは指揮官として……私が指揮官で問題ありませんね?」

 イザベラは、厳しい顔で問うた。

 その場の全員が、首肯く。特に異論が有ろうはずもなかった。これは、他の元来騎士が行うような作戦ではない。“北花壇騎士団”団長という、裏の仕事に長けた人間に任せるのが1番であるのだから。

「では作戦を述べます」

 イザベラはテーブルの上に地図を広げた。

「ここで、全力をもって教皇の一行に攻撃を仕掛けます。目指すは教皇の馬車のみ。そこに辿り着いた者が、馬車の中から陛下とその“使い魔”であるシルフィードを救い出します。その後は、街の外れに用意した“グリフォン”を使って、陛下に“リュティス”まで逃げて頂く」

 唖然とした顔で、ギーシュが言った。

「“聖堂騎士”二個中隊に、“サーヴァント”がいるとはいえ、これだけの人数で攻撃を掛けるって?」

「そうです」

「全滅だよ! いや、そうならないだろうけど、どう考えたって不可能に近いよ!」

「我々は、緊密なチームではありません。それぞれ国も別、組織も別の寄せ集めです。緻密な救出作戦など立てようもないし、また連中が引っ掛かるとも想えません。兎に角馬車に取り付き、誰かが救い出す。そしてその誰かは、陛下を守って“リュティス”まで逃げる」

「確かにそれしかあるまいな」

 カステルモールも首肯いた。

「我等は騎士隊だ。正面から攻めるしか、能のない連中ばかりだ。下手に策を弄せば、逆に策に溺れることになるのが関の山だ」

 それまで考え込んでいた才人は頭を上げた。

「俺は反対だな」

「と、申しますと?」

「無駄な犠牲が出る。タバサを救けるために、皆が死んじまったら元も子もnあ無い」

 才人のその言葉に、ルイズも首肯いた。

「サイトの言う通りだわ」

「仕方ないんじゃない?」

 キュルケが、首を傾げて言った。

「何が仕方ないのよ?」

 ルイズが、そんなキュルケへと向き直る。

「だって、ここでタバサを取り返せなかったら、大変な戦になるかもしれないじゃない。そしたら、もっと沢山死ぬでしょ」

 才人とルイズは、ハッとして、その場にいる全員を見回した。

 俺とシオンとハサンを除いた皆は、何気ない顔といえはするが、誰もが真剣な色をその目に浮かべている。先程は、焦った顔をしていたギーシュやマリコルヌでさえ、そうである。

 才人は、(こっちの人間じゃない俺はやっぱり甘い。彼等は、アッサリと覚悟を決めてるんだ)と想った。何だか無性にルイズの手を握りたくなり、ソッと手を伸ばしはしたが、才人は引っ込めた。(この場にいる連中 だって、今この瞬間、誰かの手を握りたいに決まってる。俺だけがそれをするのは、何だか不公平だよな)と想ったためである。

 それから才人は、(でも、この戦、どう何だ? 勝ち目はあるのか?)と考え、心の中で、(無理だ)と首を横に振った。

 本来、10倍の敵を相手にして、勝てる訳がないのである。その上、相手はあの“聖堂騎士”である。これまでの戦いで得た経験を総動員して、才人は彼我の戦力を冷静に計算する。

が、(……どう足掻いても無理だ。馬車に近付く前に、“魔法”で蜂の巣になってしまう。10人近くは生き残ることができるかもしれねえ。でも、タバサを連れて逃げることは……“聖堂騎士”は“ペガサス”に跨っている。“グリフォン”を使おうが、空から追われて、逃げ切れるものか……ほぼ不可能に近い。でも、可能性はなくはない。もしかしたら幸運が重なり、タバサを連れ出せるかもしれない。そのわずかな可能性に、彼等は賭ようというんだよな。流石は“ハルケギニア”の“貴族”。覚悟を決めれば、そういうモノなんだろう。でも、俺は……)と才人は考えた。

 才人は次いで、ルイズを見た。アッサリではないだろうが、死を覚悟してしまった仲間達を見た。才人は彼等を見て、(死なせたくない。死んで欲しくない)と想った。

 そう想うことで、気付けば、才人は自然と口を開いて居た。

「駄目だ。そりゃあれだ。自棄っぱちって奴だ。ここで皆死んで、確実に“聖戦”が止められるってならありかもしれないけど……成功しないかもしれないだろう。いや、ほとんど無理だろ。そんな危険な博打には賛成できない」

「110,000に立ち向かった男の言葉とは想えんね」

 ギーシュが呆れた声で言った。

「あん時とは事情が違う。俺とセイヴァー2人だけじゃない。皆の命が賭かっている。理屈じゃ理解るよ。もっと大変なことになるかもしれないって。でも、だからと言って、見す見す仲間を犬死させられるもんか」

 再び沈黙が訪れた。

「では、どう仕様と言うのです?」

 沈黙を破るようにして、イザベラが尋ねた。

 その時、才人は他ならぬ教皇ヴィットーリオの、「我等は力を背にして、“エルフ”と交渉するのです」という言葉を想い出した。

 もちろん、交渉が決裂してしまえば戦となるであろう。

 だがそれでも、話をする余地はあるのである。それは、教皇自身が認めていることなのだから。

 才人は決心したように口を開いた。

「交渉してみる」

「無理だ! 何を材料に交渉しようというのだ? しかも、“聖戦”を発動してるんだ。向こうは聞く耳など持たないぞ」

 カステルモールが言った。

 才人はしばらく考えていたが、そのうちにルイズに尋ねた。

「“イリュージョン(幻影)”で、大軍を創れないか?」

「そりゃ、創れるけど……」

 良し、と才人は首肯いた。

 

 

 

 

 

 翌朝……。

 宿場街を出発した教皇一行の前衛を務めるのは、カルロ・トロンボンティーノ率いる“アリエステ修道会”付き“聖堂騎士隊”であった。

 街を出て、1時間もすると、周りは荒涼とした荒れ地となって行く。

 そろそろ“火竜山脈”も近い。

 “ロマリア”と“ガリア”を繋ぐ、“虎街道”も、もう直ぐであった。

 カルロは、憎い“エルフ”共を、聖なる“魔法”で焼き尽くす様を想像することで、胸の奥から熱い想いが膨れ上がって来るのを感じた。

 そんな風に、カルロがとんでもないといえる妄想に浸っていると、部下が震えながら前方を指さした。

「隊長殿……あ、あれ……」

「何だ? 狼狽えるな。“聖堂騎士”の風上にも置けん奴め」

 そう言いながら前方に目をやると、カルロもまた同じく目を丸くした。

「何だ? あれは……」

 彼等からして前方500“メイル”ほどの場所にいるのは、数千以上の軍勢であった。騎兵や大砲の姿も見える。

「止まれ! 止まれ!」

 カルロが“ペガサス”の歩みを止めると、隊列は当然停止した。直ぐに教皇の元へと遣いをやった。

「一体、どこの馬鹿共だ? 恐れ多くも教皇聖下の歩みを止めるとは……」

 目の利く部下の1人が、軍勢の幟に気付く。

「あれは……“ガリア南部諸侯”の紋章です!」

「南部諸侯だと?」

 この前の王継戦役でも真っ先に味方になった連中であることを想い出し、カルロは(一体、自分達を止める何な理由があって立ちはだかろうというのだ?)と考えた。

 すると、軍勢の中から、4騎が前へと出た。白旗を掲げ、教皇一行へと近付き駆けて来る。

「軍使ですぞ」

「何だ、戦のつもりか? 我等神の軍団に戦を仕掛けるつもりか!? 罰当たりめ!」

 怒りに震えながら、カルロは“軍杖”を引き抜いた。

 眼の前までやって来た4騎士は、カルロの前、20“メイル”ほどの距離で立ち止まる。真ん中の1番背の高い騎士が、ツイッと前に進み出る。

「教皇聖下の御一行と御見受けする! 我は“東薔薇騎士団”団長、バッソ・カステルモールと申す者! 教皇聖下に伺いたい議があり、こうして参った次第! 御取り次ぎ願いたい!」

 怒りに震えながら、カルロは言葉を返した。

「教皇聖下の歩みを遮るとは、不敬であろう! それに、その背後の軍勢は何なのだ!? 我等に戦を仕掛けるつもりかッ!?」

「己の主人を取り返すために集まった軍勢です。大人しく我等の主人を返してくだされば、逆に国境まで貴方方を護衛して差し上げましょう」

「寝言を申すな! どんな理由が有ろうが、我等に“杖”を向ければ、貴様等は異端ということになるぞ!」

「我等を異端となじる前に、御訊かせ願いたい。聖下はどなたを馬車に御乗せになっているのだ? 誰か其の御方を御国に連れ帰る許可を与えたのだ? 返答如何では、私はこう振り上げた腕を、前に下ろさねばならぬ」

「それは脅しか? 貴様は、教皇聖下を脅そうというのか!?」

 カルロは、“軍杖”を構えたまま、一歩前に出ようとした。

 その時、カルロの背後から声が響いた。

「何を騒いでいるのです?」

「聖下……」

 カルロは思わず膝を突いた。

 教皇ヴィットーリオは、落ち着いた表情で、カステルモールと才人と、俺と“地下水”を見詰めた。

 

 

 

 教皇ヴィットーリオに見詰められた才人は、心の底まで見透かされたかのように感じられ、(バレたか?)と想った。

 背後の軍勢は、ルイズが創り出した“幻影(イリュージョン)”である。

 才人は、(本物ソックリにしか見えないのだが、幻に過ぎない。同じ“虚無の担い手”であるヴィットーリオには、見破られてしまうんじゃないか?)と不安に駆られた。

 そうなってしまえば、そこかしこに隠れているギーシュや“ガリア”の騎士達、“霊体化”しているハサン達が、強襲を仕掛ける手筈になっている。もちろん、奇襲の効果は望めない。成功率は更に低くなるであろうことは明白である。

 思わず、才人は冷や汗を流した。

「聖下」

 才人は、冠っていたフードを脱いた。

 才人の顔を見て、カルロの顔が歪んだ。

「貴様……!」

 しかし、ヴィットーリオの表情は変わらない。

 才人は言葉を続けた。

「タバサ……シャルロット女王陛下を返してください。彼女は、貴方方の戦いに関係ないはずだ」

 ヴィットーリオは否定せずに、笑みを浮かべた。

「貴方方が、我々に協力してくださると言うなら、御返ししましょう」

 才人は言葉に詰まってしまった。

「御存知でしょう? 私は何も、“ガリア”が欲しい訳ではありません。キッチリと“4の4”の足並みを揃えたいだけなのです」

「どうして“聖戦”なんかするんですか!? 何も不自由なんかしてないじゃないですか! “聖地”なんか放っとけば良いじゃないですか!」

 ヴィットーリオは、一瞬だけ俺の方を見た後、再び笑みを浮かべて言った。

「我々には、“聖地”を必要とする理由があるのです。良ければ、1日御付き合いしてくださいませんか? 話したいことと、見せたいモノがあるのです」

 才人は、(丸め込むつもりだな)と想った。

 その時であった。

 左端に立っていた“地下水”が、いきなり“魔法”を放った。掌から、眩い光が溢れ、辺りは閃光に包まれた。

 思わず才人は目を押さえた。カルロと周りにいた“聖堂騎士”も、同じように眩しさで顔を覆う。

 どうやら“地下水”と打ち合わせをしていたらしい、カステルモールだけが素早く動いてみせた。流石は“風”の“スクウェア”ということができ、一瞬で20“メイル”の距離を詰めると、ヴィットーリオを羽交い締めにして、その首に“杖”を突き付けた。

「動くな!」

 慌てて“杖”を引き抜こうとする“聖堂騎士”達に、カステルモールは叫んだ。

「“杖”を捨てろ!」

 それから、血相を変えて集まって来た“聖堂騎士”達に向かって、カステルモールは命令した。

 ためらうように、“聖堂騎士”達は、教皇と己の“軍杖”を交互に見詰める。

 教皇ヴィットーリオは、薄い、いつもと変わらぬ温かな笑みを浮かべたままである。

「“杖”を捨てるように命令してください。さもないと、私は聖下の御命を奪わねばなりません」

 ヴィットーリオは、口を開いた。

「皆さん。この方の言う通りにしてください」

 “聖堂騎士”達は、教皇のその言葉で“軍杖”を地面へと投げ捨てた。

 素早く“地下水”が駆け寄り、其の“杖”に、“錬金”を掛けて溶かして行く。

 カステルモールは、呆然としている才人に向かって叫んだ。

「早く! 馬車から陛下を御救いしろ!」

 才人は、カステルモールのその言葉で我に返ったといった様子を見せる。(相手を人質に取ることの是非なんて、問いたっても始まらない。これは戦いなんだ。目的のためなら、手段を選ばない非情さ……俺はある程度、そのことを学ばないと、誰も救けられない)、と想い、「わ、理解りました!」と叫び、馬車へと駆け寄った。それから、馬車のドアを開く。

 中では、タバサとシルフィードが並んで腰掛けていた。

「貴男……」

 唖然としているタバサに向かって、才人は言った。

「救けに来た! 急げ!」

「きゅい! きゅいきゅい! 信じられないのね!」

 シルフィードが叫んで、才人に抱き着く。

「シルフィード、“竜”に戻ってタバサを乗せるんだ」

「了解なのね!」

 と、シルフィードは元の姿へと戻る。そして、ヒョイッとタバサを咥えると、其その背に乗せた。

 “聖堂騎士”達を尻目にして、シルフィードは空へと駆け上がる。

 その頃になると、隠れていたルイズやキュルケを始め、“水精霊騎士隊”の仲間達が駆け寄って来る。

「サイト! 大丈夫?」

「ややややや! や! やったな! サイト!」

 “北花壇騎士”や“東薔薇騎士団”の騎士達は、次々“聖堂騎士”達の“軍杖”を取り上げ、“錬金”で溶かしたり、折ったりなどをし始める。

 カルロが、苦々しげに呟く。

「貴様等……異端どころではないぞ。おまえ達のみならず、親族一同、宗教裁判に掛けてやるからそう想え。一族全員、皆殺しだ」

 そんなカルロに向かって、ヴィットーリオを人質に取っているカステルモールは嘯いた。

「生憎、私には身寄りがなくってね」

 仲間達は、1本ずつ“杖”を使用不能にしていたが……何せ二胡中隊からなる騎士達が持つ“杖”である。使い物にならなくするだけでも、かなりの時間が必要となる。

「一箇所に纏めて、燃やそう」

 追撃をされたら堪らない、といった理由などからの判断であろう。また、こちらが優位のうちに、徹底してことを運ぶ必要があるのだから。

 “聖堂騎士”から“杖”を集めようとした時……。

 上空からシルフィードの悲鳴が聞こ得た。

「きゅいきゅい!」

 見上げると、遥か上空から稲妻の様に急降下して来た1匹の“風竜”が、シルフィードに体当たりをしたところであった。

 “風竜”は、よろけたシルフィードを追い回し、その背からタバサを奪い取ろうとする。

「ジュリオ!」

 その背に跨った人物を見て、才人は叫んだ。

 “全ての獣を操るヴィンダールヴ”。“神の右手”と呼ばれる“使い魔”が操る“風竜”は、“ライダー”の “サーヴァント”が持つ“クラススキル”の“騎乗スキル”も相俟って、鮮やかかつ繊細、物理学を半ば無視したかのような動きで、シルフィードを一気に捕まえようとする。

「こっちに逃げろ!」

 才人のその声が届いたのかどうか、シルフィードはタバサを乗せたまま急降下しようとした。だが、やはり上手く行かない。

 素早い動きで、ジュリオが駆る“使い魔”の“風竜”――アズーロは、シルフィードの背からタバサを咥えて奪い取ってみせた。

 “杖”を持たぬタバサは、ただの少女である。一応、腕輪型の“礼装”を所持し着用して身体強化を行うが、抵抗という抵抗を行うこともできずに、されるがままであった。

 タバサを咥えたアズーロは、力強く羽撃き、“ロマリア”の方へと飛び去る。

「きゅいっ!」

 シルフィードが、才人の前に滑り込んで来る。

「くそッ!」

 才人はそう叫んで、シルフィードの背に跳び乗る。

「私も行く!」

 飛び立とうとしたその瞬間、ルイズも跳び乗って来た。次いで、キュルケも跳び乗る。

「3人は多いよ!」

「“レビテーション”も使えない貴方達だけで、どうするのよ!?」

 確かに、と才人は首肯き、怒鳴った。

「シルフィード! 追え!」

 きゅいっ! と喚いて、シルフィードは上昇した。

「急げ! “ロマリア”に逃げ込まれたら面倒なことになる!」

 シルフィードは力強く羽撃いた。

 ジュリオのアズーロは、既に遠くの点となっている。

 地上でその様子を見ていたカステルモール達や、“聖堂騎士”達と教皇の一行はしばらく呆然としていたが……それぞれ馬や“ペガサス”に跨ると、2匹の“風竜”と“韻竜”を追い掛け始めた。

 

 

 

「くそ! あいつ等速いな! シルフィード! もっとスピードは出ないのかよ!」

「これで全力なのね!」

 シルフィードは、“韻竜”であり、アズーロと同じ“風竜”と同等の速度で飛行することができる。が、彼女はまだ幼生である。才人とルイズとキュルケがそれぞれ腕輪型の“礼装”でシルフィードの身体能力を強化させるが、それでも“ヴィンダールヴ”のジュリオに操られた“風竜”に追い付くことは不可能に近いといえるだろう。

「これじゃあ、国境を超えられちゃうわ!」

 前方に、巨大な山の連なりが見えて来た。

 “火竜山脈”である。東西に延びて、“ハルケギニア”を分断する山脈……あの山脈の向こうは、“ロマリア”なのである。

 “火竜山脈”が見えた瞬間3人と1匹にとって恐ろしいことが起こった。ポロッと、アズーロの口からタバサが落ちるのが見えたのである。

「サイト! タバサが!」

 ルイズが悲鳴を上げた。

 アズーロは旋回して急降下すると、再びタバサを咥えた。

 が、無理に旋回したためであろう、アズーロは大幅に速度を落とすことになった。

「あの娘、わざと暴れて落ちたわね」

 キュルケが呟く。

 キュルケのその洞察と言葉に、才人は心を熱くした。

 もしかすると、地面に墜落していたかもしれない……というのに、タバサは空に身を躍らせたのである。

 才人は、(命賭けで作って貰ったチャンスを逃がす訳には行かない)と想い、「行け! シルフィード!」、と叫んだ。

「了解なのね!」

 グングンと、シルフィードは距離を詰めた。

 アズーロは加速して逃げ切ろうとするのだが、速度が上がることはない。

「シルフィード! 打っつけろ!」

「理解ったのねー!」

 シルフィードは、思いっ切り体当たりを噛まそうとした。

 しかし、アズーロはヒラリと躱す。

 だが、其の瞬間、刀を引き抜いた才人はジャンプしていた。左手でアズーロの爪を掴み、アズーロの旋回に合わせて身体を持ち上げ、背中へと飛び乗る。

 ジュリオの反応より速く、首を掴んで刀を突き付けた。

「下りろ!」

 しかし、ジュリオは涼しい顔である。

「丁度良い。君も見物して行けよ」

「ふざけるな!」

 才人は怒鳴った。

「全く……君はどうしてそう、人の話を聞かないんだ?」

「おまえ達が、勝手なことばかりするからだ。“聖戦”だの何だの、寝言ばっかり言いやがって! 良いから下ろせ!」

 ジュリオは、やれやれと首を横に振ると、アズーロを降下させた。

 地面に降り立った才人は、タバサに駆け寄る。

「タバサ!」

「……平気」

 タバサをキュルケに預け、才人は再びジュリオへと向き直る。

「なあジュリオ」

「なんだね?」

「話があるんだ」

「良いね。僕の方でも、1度君とユックリ話したいと想っていたんだよ」

「なんで“聖戦”なんかやらなくちゃいけないんだ? “聖地”なんか放っとけば良いじゃねえか」

 するとジュリオは、成績の悪い友人に教え諭す様なようになって、言った。

「僕等は1つに纏まる必要があるからさ。考えて御覧よ。どうして僕等は、6,000年も戦争を繰り返して来たんだ? 元はと言えば、皆同じ民族なのに、不毛な土地争いや面子で、随分と血を流して来た」

「知るか」

「心の拠り所を失くした状態だったからさ。“聖地”が、異教徒に奪われた状態で、一体何を信じれば良いんだ?」

「だから“エルフ”相手に戦争するって言うのか?」

「ああ。彼等は本来僕達のモノであるべき土地を不当に占拠している」

「……ったく。そんな理由で。セイヴァーだって、言ってただろ? その“聖地”ってのは誰のモノでも無えって」

 しばらくジュリオは才人を見詰めていたが、いきなり笑い出した。

「あっはっは! そんな顔するなよ!」

「なに笑ってるんだよ!?」

「いやなに。ホントは、僕もそう想うんだ。そんな理由で戦争していたらキリがないってね。“聖地”なんか放っときゃ良い。そんなことより、女の子と遊んでる方が、100倍も1,000倍も楽しいじゃないか」

「何だと?」

 才人は、(こいつは……ふざけてるのか?)と想い、青くなった。

「今までの“聖戦”だってそうさ。訳も理解らず、兎に角“聖地”を取り返さなくちゃってんで、何度も“エルフ”相手に戦いを仕掛けた。そんな面子だけで勝てる訳がない。何回僕等の御先祖様は、見っともない負けっぷりを晒して来たんだろうな」

「おまえ……馬鹿にしてるのか?」

 才人は、カッとしてジュリオを殴ろうとした。

 しかし、ヒラリとジュリオは才人の拳を躱す。

「おいおい、このくらいでそんなに怒るなよ。先が想いやられる」

 才人は、憎々しげに、ジュリオを睨んだ。

「おまえ等は……人を何だと想ってるんだ? いっつもふざけて小馬鹿にしやがって! 周りの人間を全部、自分達の駒だとでも想ってやがるのか?」

「まさか。そんなこと想っちゃいないよ」

「嘘吐くな! あのタバサの妹って娘……冠冠ってる娘だよ。あの娘は何て言って騙したんだ? 自分の姉を裏切らせたんだ。薬でも使ったんだろ!?」

 するとジュリオは、わずかにではあるが真顔になった。

「薬? 馬鹿を言うな。そんなモノ使うもんか」

「じゃあ、どうしたんだ? それとも、まさか……」

 才人は、ギリッと唇を噛んだ。

「惚れさせて、言うこと利かせてるんじゃねえだろうな?」

 するとジュリオは、両手を広げた。この青年にしては珍しく、必死な様子で繕ったかのような態度であるといえるだろう。

「だったらどうだって言うんだ?」

 憎々しげにそう言うジュリオに、才人は激高した。

「てめえ……最低だな。自分に惚れてる女の子を、利用するなんて……最低じゃねえか。おまえ等の神様が聞いたらなんて言うだろうな?」

 するとジュリオの顔色が、傍から見ても判るほどに変わった。

「なんだと?」

 目の色が変わり、ジュリオからいつもの冷笑が完全に消え失せた。

 才人は、軽蔑するかのように唇の端を持ち上げて言った。

「おまえ等の、良心、とやらはどこに行ったんだよ? それとも神様のためなら、自分に惚れてる女の子を利用しても良いってのか?」

 ジュリオは素早く動くと、思い切り才人を殴り付けた。

 才人は後ろに派手に吹き飛んだ。

「なにすんだてめえ!?」

 立ち上がり様に、才人は刀に手を掛けた。

「やる気か?」

「僕の良心がどうしたって?」

 ジュリオは全く臆した風もなく、才人を再び打ん殴った。

「てめえ……」

 刀を引き抜こうとして、才人はジュリオの顔からその様子に気付いた。

 今のジュリオは、怒りに我を忘れているといった様子である。いつもの人を小馬鹿にしたかのような口調も消えている。

「おまえ、“ガンダールヴ”の俺と、素手でやろうってのか? 獣も使わないで」

 才人は、訳も判らなくなった。ただ、判ることは、ジュリオは前後も判らなくなっているらしい、ということ。そして、兎に角素手の相手に武器を使う訳にも行かないということだけである。

 才人は立ち上がると、刀を放り上げた。

 それを、慌ててルイズが拾い上げる。

「サイト……」

「てめえなんかに俺の良心の何が理解るって言うんだよッ!?」

 ジュリオの口調や言動は、以前の――幼い頃の、ガキ大将だった頃のモノに戻っていた。

 才人はジュリオの拳を、左腕でガードした。そして、間髪入れずに右手で殴り付ける。才人は、格闘訓練もまたそれなりにではあるが行って来た。また、潜り抜けて来た実戦の数もある。“ガンダールヴ”の力を使わずとも、そこ等の奴に殴り合いで負けるつもりも、負けることもないであろう。

 だが、ジュリオもまた体術は相当なモノであるといえるだろう。才人の拳を難なく躱し、蹴りを放ったのである。

 才人はジュリオのその足を掴むと、思い切り押し倒す。馬乗りになって、ジュリオの端正な顔に拳を叩き込む。

 しかし、才人の優位も続かない。

 ジュリオは足を持ち上げると、器用に才人を引っ繰り返してみせた。

 延々と、2人は殴り合った。

 その剣幕と迫力に何も言えず、ルイズとキュルケとタバサとシルフィードは困ったように見詰めるだけであった。

 

 

 

 クタクタになるmで殴り合ったジュリオと才人は、ほぼ同時のタイミングで地面に打っ倒れた。

 ジュリオも才人も2人とも悲惨なことになっている。

 才人の顔は膨れ上がり、左目が見えなくなってしまっている。

 ジュリオは鼻から派手に血を垂れ流し、これまた頬が膨れ上がっていた。

 素手で殴り合っていたモノだから、御互いの手も膨れている。2人とも小指なんか倍くらいになってしまっており、上手く握ることもままならない状態になっている。

 荒く息を吐きながら、才人は言った。

「……可怪しいんじゃねえのか? おまえ、なにキレてるんだよ?」

 するとジュリオは、苦しそうに口を開いた。

「良いな君は」

「何がだよ?」

「何も悩まずに、人を好きになれて」

「どういう意味だよ?」

「僕が、何も感じないと想ってるのか? 必死に好きにならないように努力して……それでも、好きになっちまって。そんでも利用しなきゃいけない。そんな僕の気持ちが、おまえなかに理解るか?」

「じゃあ、利用なんかしなきゃ良いじゃねえか」

「馬鹿野郎」

「何だよ?」

「誰のためにやってると想ってるんだ? 皆、全部おまえ等の……この碌でもない土地の上に棲んでるおまえ達のためにやってることじゃないか」

 それからジュリオは泣いた。ぐしっ、ぐしっと目頭を拭い、見っともなく泣いた。

 ジュリオが泣くところなど想像したことも無かった才人は、途方に暮れてしまった。

 しばらく泣いたジュリオは、ムクリと起き上がる。

 困ったような顔をしたキュルケとタバサが近寄り、才人と2人に、拙いながらも“癒やし”の“魔法”を掛ける。どちらも痛み止め程度でしかなかったのだが、少しばかり2人とも気持ちが落ち着いたといった様子を見せる。

 ジュリオは、ポツリと言った。

「もう良いよ。おまえ等なんかどうとでもなっちまえ。ここに棲んでる連中もどうでも良い。精々、数少ない土地でも奪い合い、争って死んじまえ」

「ジュリオ、どうしたの? 何を言ってるの?」

 ルイズが、怪訝な声と様子で尋ねる。

「見てりゃ理解るよ」

 憮然とした声で、ジュリオは言った。

「何が理解るんだよ!?」

 才人がそう、ジュリオに詰め寄ったその瞬間……地面が揺れた。

 

 

 

 ヴィットーリオを人質に取ったまま、カステルモール達は才人達を追い掛けていた。騎乗した彼等の後ろから、少しばかり離れて“聖堂騎士”達も着いて来る。

 “遠見”の“呪文”で、才人達が乗っていた“風竜”を追い掛けていた“貴族”が、「おい! 着陸したぞ!」、と叫んだ。

「良し」

 と、カステルモール達は、馬の速度を速めた。

 そんな早駆けを始めてから十数分後……。

 激しく地面が揺れ始めた。

「――うわ!? 地震だ!」

 馬が足をもつれさせてしまい、次々に足を止めざるをえなくなった。何騎かが勢い余って転んでしまうほどの大きな揺れである。

「激しいぞ!」

 揺れはしばらく続き……唐突に止んだ。

「随分激しい地震だ。こんなの、生まれて初めてだ」

 カステルモールがそう呟いた時、彼の前に“魔法”のロープでグルグル巻きにされて、馬に跨っていた教皇ヴィットーリオが口を開いた。

「始まりましたね」

「何だと? 何が始まったんだ?」

「“大隆起”ですよ」

「何だそれは?」

 カステルモールが尋ねた時、再び激しい揺れが始まった。

 今度の揺れは、1回目の比ではなかった。とてもではないが、余震と言える規模ではない。

 馬は次々地面にしゃがみ込むかたちで倒れ、徒歩の人達もまた立っていることができなくなってしまった。

 それほどに激しい地震が始まったのである。

「くっ!」

 カステルモールは、跨っていた馬から放り出されてしまう。

 ヴィットーリオも、地面に転げ落ちてしまった。

 カステルモールは這いながら、ヴィットーリオの元へと向かう。

 まるでうねる海のように、地面は揺れ続けている。

「一体、之は何々だ!?」

 ヴィットーリオは答えない。ただ、真面目な顔である方角を凝視していた。

 カステルモールも、そちらの方を向いた。

 今度はもう、言葉は出なかった。

 

 

 

「な、何だこりゃ!?」

 ギーシュやマリコルヌ達も、激しい揺れで、地面に手を突いていた。側にいたレイナールが、呆然として前方を見ていることに、2人は気付いた。

「レイナール。どうした?」

 レイナールは応えない。言葉の代わりに、ユックリと指で前を指し示す。

 その光景を見て、2人はあんぐりと口を開けて、次いで御互い顔を見合わせた。

 それから、どちらからともなく手を伸ばし、御互いの頬を抓り合う。

「痛え!」

 ギーシュとマリコルヌは、泣きそうな声で言った。

「……夢じゃない」

 

 

 

 “東薔薇騎士団”、“北花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”、“聖堂騎士”達は、御互いを警戒することすらも忘れて、面前で繰り広げられている、巨大な自然の惨劇に見入ってしまっていた。

 1人の騎士が、ポツリと、誰に言うでもなく呟いた。

「そ、そう言や、“アルビオン大陸”も、元は“ハルケギニア”の一部だって……」

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、という腹の底に来るような響きが耳に届く。

 揺れは一向に治まりそうにない。

 ボンヤリとした声で、才人は言った。

「山が……浮いてる」

 遠くに見える“火竜山脈”……其の山脈が、見える範囲全て、空へと浮かび上がって行く。壮大、という言葉さえも、陳腐に想えてしまうほどの光景であるといえるだろう。

 ロケットが打ち上がるように、山脈それ自体が空へと浮かぼうとしているのである。

 その頃になってようやく、猛烈な砂埃が届き、辺りは夜のように薄暗くなる。

「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”」

 7枚の花弁が、壁となり、砂埃を弾き飛ばす。

「何だよあれ……どうなってんだよ?」

 ジュリオが、才人に説明した。

「“大隆起”だ。徐々に蓄積した“風石”が、周りの地面ごと持ち上がってるのさ」

「“風石”が?」

「……ああ。この“ハルケギニア”の地下には、大量の“風石”が眠ってる。平たく言うとだな、“風石”ってのは、“精霊の力”の結晶さ。徐々に地中で、“精霊の力”の結晶化が進み、数万年に1度、こうやって地面を持ち上げ始める」

「持ち上げ、始める?」

 ジュリオは、疲れた声で言った。

「そうだ。ここだけじゃない。今は“ハルケギニア”中に埋まった“風石”が、飽和している状態なんだ。いずれパンケーキを裏返すみたいに、“ハルケギニア”の地面はあちこちで浮き上がる。理解ったかい? 僕等が“聖地”を目指さなくちゃいけない訳が」

「どうして黙ってたんだよ?」

 吐き捨てるようにジュリオは言った。

「これだけ頭の固いおまえ達が、僕等の話を素直に信じるか? 馬鹿は現物を見なきゃ信じないだろうが。だからセイヴァー、君だってあまり話そうとしないんだろ?」

「…………」

 

 

 

 揺れが治まった30分後、教皇ヴィットーリオが、“聖堂騎士”やカステルモールやギーシュ達と一緒に、才人を始め俺達の元へとやって来た。

 “火竜山脈”で、本日このようなことが起こるのは、“聖堂騎士”達も当然知らされていなかったために、皆、一様に呆けた様子を見せている。

「驚かれましたか?」

 スッカリ気を抜かれた才人達に、ヴィットーリオは言った。

「そりゃ……山が持ち上がるところなんて、初めて見ましたから」

 才人がそう言うと、ヴィットーリオは笑みを浮かべた。

「浮き上がった大地は、徐々に“風石”を消費して、再び地に還ります。“アルビオン大陸”はかつての“大隆起”の名残なのです」

「本当に、“ハルケギニア”の大地全部が、捲れ上がってしまうのですか?」

 焦った顔でルイズが尋ねると、ヴィットーリオは首を横に振った。

「いえ……全ではないでしょう。ただ、私達が独自で行っている調査では、ほぼ5割の土地が、こうして浮き上がるとの予測が出ています。誤差があるにしても、相当の被害を被るでしょう。数十年の間にわたって、この現象は各地で続きます」

「じゃあ、住む所が失くなるってことですか?」

 唖然とした声で、ギーシュが言った。

「そうです。今日明日という訳ではありませんが、将来、この“ハルケギニア”の半分はヒトの住める土地ではなくなります。そうすれば残った土地を奪い争う、不毛の戦が始まるでしょう。それを喰い止めるために、我々は“虚無”に覚醒めたのです。そのために我々は、“異教(エルフ)”に奪われし、“聖地”を取り戻すのです」

「“聖地”には……何があるんですか?」

 アッサリと、ヴィットーリオは言った。

「“始祖ブリミル”が建設した、巨大な“魔法装置”です。“先住の力(精霊の力)”を打ち消すことができるのは、“虚無”の力のみ。我々は“4の4”を携え、“聖地(魔法装置)”を奪還する。そしてこの地の“精霊の力(風石)”を払うのです」

「こんな……こんな大事を、どうして今まで黙ってたんですか!?」

 才人は、理解していながらも、拳を握り締めて叫んだ。

 するとヴィットーリオは、先程ジュリオが言った言葉を繰り返すだけである。

「このような話を、誰が信じるというのです? 現物を見なければ、人は信用しませんからね。それに、話せば貴方方が誰かに言うでしょう。“この話は本当なのか?” って。噂は広がり、余計なパニックを引き起こす」

 そうかもしれない、と才人は想った。

 現実として、山脈が持ち上がるところを目にしなければ、このような話を聞かされても、信じる気にはなれなかったであろう。

「言ったじゃないか」

 ジュリオが、呆れた声で言った。

「僕達は、本気、なんだって。死に物狂いなんだって。“聖地”を取り返すためなら、何だってやるんだって。あの言葉は、嘘でも何でもなかったんだぜ。全く、君達は頑固だな! ホントなら、もっと初めから協力して欲しかったんだ。今日の“大隆起”は詰まり、僕達の切り札さ。君達に信用して貰うためのね」

 ヴィットーリオは、才人と俺の手を握る。

「協力してくれますね? “ガンダールヴ”と、その主人、偉大なる“英霊”よ。我々は、そう遠くない未来、子孫達に安心して過ごせる土地を残したい。“聖戦”と言っても、初めは交渉します。平和裏に“エルフ”が“聖地”を返してくれるなら、何も問題はない。そうでなければ戦いになりますが、それは仕方ない。我々にだって、生き延びる権利はあるはずですから」

 才人とルイズ達は顔を見合わせた。

 イザベラも、カステルモールも、ギーシュにマリコルヌ、そしてレイナール、タバサとキュルケも、どうして良いのか判らないといった様子を見せている。あまりにも話が大き過ぎるのであろう、意外過ぎて、頭が上手く着いて行かないといった様子である。

 だが……山脈は実際に浮き上がり、見上げると雲のような大きさで空に浮かんでいる。その光景は、事実として皆の胸に飛び込んで来る。

 だが、だからと云って、直ぐに納得できる話でもないのもまた事実である。

 今まで、“ロマリア”がして来たことを考えることで、おいそれと「協力します」、とは言い切ることはできないのだから。

 そうやって才人が悩んでいると、ルイズが才人の手を握った。

 そして、ルイズは、ヴィットーリオに向き直る。

「私達の一存では返答できません。考慮する時間を頂きたく存じます。でもその前に、条件がいくつか」

「どうぞ」

「先ず、之から私達に隠し事はなさらぬように御願い申し上げます」

「約束しましょう」

 それから、ルイズはタバサを見詰めた。

「次に、正統成る“ガリア”女王に、冠を返還すること」

「それはできません」

「何故ですか?」

「“ガリア”は大国。女王が“担い手”でなければ、末端までの士気が上がりませぬ」

 どこまでも冷静な声で、ヴィットーリオは言った。

「じゃあタバサは……」

 才人がそう言うと、タバサ自身が答えを出した。

「私は、貴方達と行動を共にする」

「良いのか?」

「初めからそのつもり。元々、冠を冠ったのも、貴方達に協力するため。私にそうしろと言ったのは、“ロマリア”の寄越した偽物だったけど……」

 そう言うとタバサは、才人の手を握った。

「“アルビオン”としても、やぶさかではありませんし、問題はありません」

「では決まりですね」

 シオンの答えを聞き終えたヴィットーリオは、周りを見回した。

「ここにいる全員が証人だ。我々は、ここで初めて真実を分かち合い、真の兄弟となった。我等の前途に、神の加護がありますように」

 周りにいた“東薔薇騎士団”と、“聖堂騎士”達は、それぞれ御互いを怪訝な顔で見ていたが、そのうちに手を取り合い、抱擁し始めた。

 才人達は、なんだか納得し難いといった様子を見せながら、そんな様子を眺めていた。

 顔を擦りながらジュリオが、そんな才人に向かって言った。

「なんだ、釈然としないって顔だな」

「そりゃそうだ。と言うか、おまえ等の筋書き通りに動かされたってのがなんだか気に入らん」

 才人は、俺の方を見て、呟く。

「そう言うなよ。これでも、こっちだって随分と我慢してたんだ」

 そんな才人の言葉に、才人の視線の先や言葉の意味に気付いていない様子で、ジュリオが言葉を返した。

「どういう意味だよ?」

「僕達は、君達を始末して、新しい“担い手”に賭けたって良かったんだぜ」

「何でそうしなかったんだよ?」

 才人がそう問うと、ジュリオは溜息を吐くように言った。

「情が湧いたんだよ」

「は?」

「一緒に戦ったり、対立したりしてるうちにね。大を生かすために小を切る。いつもそう割り切れるほど、僕達だって強くない。ったく、強くなれば、ちっとはマシだったんだろうさ」

 才人はジュリオを見詰めた。

 随分と酷い顔だといえるであろう。ところどころが腫れ上がり、血がこびり付いている。いつものクールかつハンサムさなどは、どこも見当たらない。

 そして……先程の「何も悩まずに、人を好きになれて」というジュリオの言葉を、才人は想い出した。それから、先程のジュリオの幼子のように泣いて流していた涙もまた想い出し、(こいつは……俺と変わらない年の癖に、 こんな真実に秘めたまま、あんなに飄々と振る舞ってたのか)と想った。

「畜生」

 と、才人は言った。

「何が畜生なんだよ?」

 ジュリオが、ジロッと才人を睨んで言った。

「取り敢えず、さっきはすまなかった。なんだ、おまえの良心がどうのこうのなんて。でもおまえも悪いんだからな。人を騙しやがって」

「もう騙さないよ」

 憮然とした声でジュリオは言った。

 才人は横を向いたまま、ジュリオに手を差し出した。

「なんだこれ?」

「握手だ。でもまだ協力するって決めた訳じゃないぜ」

 ジュリオはしばらくその手を見詰めていたが、やはり外方を向いていた。が、確かに、その手を握り締めた。



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我が家

「そうそう。あ! 駄目じゃない! もっと注意して操作しなさい!」

 “トリステイン”の南部に位置する“モンス鉱山”。1番深い、16番坑道の最奥部で、作業着に着替えたエレオノールが騒いでいた。

 彼女の前では、“水精霊騎士隊”の少年達が、一生懸命何かの機械を弄っている。そは、地中に眠っている“風石”の鉱脈を探す“魔法装置”であった。地中を掘り進み、“風石”の鉱脈を見付けると、こちら側のランプが光るのである。

 先端から土を取り込み、後ろから排出するのである。ミミズを参考にして造られたこの装置は、通常、200“メイル”ほどの深さを探ることしかできない。だが、この“風石探査装置”は、“土”の“アカデミー”主席研究員である、エレオノールが改造した特注品である。

 ほぼ1“リーグ”の深さまで掘り進み、“風石”を探ることができるのである。だが、その代わりにとはいってなんだが、何人もの“メイジ”が、絶えず“遠隔操作”の“呪文”を唱え続ける必要がある上、その操作は慎重さを極める。そうでないと、途中で壊れたり、動きが止まったりなどしてしまう恐れがあるためである。

 “水精霊騎士隊”の少年達は、緊張の汗を額に浮かべながら、“呪文”を唱えていた。兎に角、臨時の調査隊指揮官が怖くて堪らないのである。

 長い距離の先にまで、“遠隔操作”を伝わらせないといけないために、連携の取れた“詠唱”が必須であり……このような繊細な“詠唱”に当然慣れていない騎士隊の少年達は、先程から失敗を何度も繰り返してしまっているのである。

「ったく! なにが秘密任務よ! せめて“アカデミー”の助手くらい使わせてよね!」

 苛々としながらエレオノールは言った。

 園遊会から帰るなり、アンリエッタは“アカデミー”に“風石鉱山”の調査を命じたのである。しかも、かなり深く堀って調べろとの命令であった。その上極秘任務であり、助手には“水精霊騎士隊”の少年達を使えとのことである。

 そういったこともあり、こういった学術調査は素人である少年相手に、エレオノールは苛々しっぱなしであった。

「エレオノール様……止まってしまいました」

 マリコルヌが、プルプルと震えながら、エレオノールに告げる。

 瞬間、エレオノールの目が怒りに光る。

「はぁ? 貴男! さっきもトチ狂ったじゃなの! またなの!? どういうつもりなの!?」

 すると、更にマリコルヌは弱々しい声を出した。

「だって……僕、昨日寝てないし……それに、こ、こういう作業は得意じゃないし……」

 エレオノールの額が、ピクッ! と動いた。

 ギーシュが、(何言ってるんだこいつは)といった様子で、2人を見詰める。

 今し方のマリコルヌのような言い訳を並べると、エレオノールみたいな女性は更に怒る傾向がある。

 鈍感には自信があるギーシュにだって、そのくらいは判るのである。流石にギーシュが何か言おうと想って身を乗り出すと、レイナールに止められた。

「彼の顔を見るんだ」

「はぁ? 貴男! 今日の任務は聴いていたじゃないの!? それなのに寝てないってどういうこと!? 弛んでる証拠だわ!」

 ギーシュはマリコルヌの顔を見て、う! と呻いた。

 マリコルヌの表情は確かに震えているが、目元に浮かんでいるのは……歓喜であるということが傍目から見ても判るだろう。

「わざと怒らせてるんだ。凄いテクニックだよ」

 レイナールが顔を引き攣らせて言った。

 マリコルヌは、それから、「生まれてすいません」とか、「何だかダルいです」とか、更にエレオノールを怒らせるような台詞を連発してみせた。

「……僕、疲れちゃいました。休みくださいよ。御姉さん」

 当然のようにエレオノールは激昂した。おもむろに“呪文”を唱えると、“杖”の先に、ピキーンと鞭が伸びた。それで散々にマリコルヌを叩き始めた。

「このッ! この能なしの豚がッ! マトモに仕事もできない穀潰しがッ! “疲れた”ですってッ!? “疲れた”ですってぇえええッ!?」

「はぎッ! う、生まれてッ! 申し訳ありませんッ!」

「おまえみたいなァ! 豚の死骸はァッ! 土に還れッ!」

「ぶ、豚はッ! つ、土にッ! 地は塩にッ!」

 そのようにプレイが始まった時……坑道の上から才人が帰って来た。空のトロッコをガラガラと押している。“礼装”なしでは“魔法”を使えない才人は、排出された土石を外まで運ぶという仕事をしているのである。才人1人がやっているために、かなりの重労働であるといえるだろう。

 しかし、疲れているためによろけてしまい、才人は思わずエレオノールに打つかってしまった。

「きゃっ!?」

 勢い余って、エレオノールは頭から地面へと突っ込むかたちで倒れてしまう。

「す、すいません!」

 才人は直ぐに謝罪した。

 エレオノールは、ユラリと立ち上がる。その顔に、泥がビッチリとこびり付いている。

「うわぁ!? 女帝の御顔が! 女帝様の御尊顔に泥がッ!」

 マリコルヌが余計なことを騒ぎ立てる。

 エレオノールはユックリと顔を拭う。

 エレオノールのその雰囲気に、才人はただならぬモノを感じ取って思わず後退る。

 昔のルイズを、10倍にして100を掛けて、容赦ないという単語をスパイスにして振り掛けたかのような恐怖が、才人を襲う。

「貴男……ホントに苛々するわね」

「も、申し訳ありませんッ!」

 気付いたら才人は土下座していた。そうしなければいけない、また、そうしなければ死ぬ、という原始的な恐怖に全身を貫かれ、動かされたのである。

「そういえば、貴男には言いたいことが沢山あったわ。ラ・ヴァリエールの娘を娶りたいなんて大それた欲望を、い、いいいいいい、いだ、いだだだいて、ふぉ、ふぉ、ふぉおおおおきながら……」

 エレオノールの声が震え出したために、才人は(死ぬ)と想った。

「う、うわ、浮気をするだなんて……信じられないですけど………どうして男ってこう、“平民”も“貴族”も、さ、さささいっていなのかしら……」

「御姉さん……あの……それはその……」

「成り上がりがッ! 成り上がりの分際で浮気までしてッ!」

 エレオノールは才人を思い切り叩き始めた。

 次に現れたのはルイズである。ほとんどの“魔法”を“礼装”なしでは使用できず、

 “虚無”と“コモン・マジック”しか使えないルイズもまた、こういう時は雑用である。外から昼食の籠を持ってやって来たのであるが、才人を叩いているエレオノールを見て、驚き、駆け寄った。

「姉様! エレオノール姉様! 落ち着いてください!」

 そのように、ルイズは勢い良く、エレオノールの腰へと飛び付く。

 するとエレオノールは、ジロリと末の妹を睨み付けた。

「ルイズ! 良いところに来たわね! ちょうど良いわ!」

「ひ、ひう!?」

 ルイズはエレオノール睨まれて、びくん! と直立した。

「貴女にはプライドってモノがないのッ!? こんな野良犬に浮気されてッ!」

 その瞬間、ルイズは凍り付いた。

「ねえルイズ。貴女ね、仮にも公爵家の娘が、こんなぽっと出の!」

 エレオノールは才人を指さした。

「“シュヴァリエ”風情に舐められたのよ!」

 するとルイズは、ワナワナと震え出した。だが、勇気を振り絞って、言い放った。

「エ、エレオノール姉様には関係ないことなの。これは私達2人の問題なの。もう私、子供じゃないの」

 子供じゃないの、そう言ってから、ルイズはわずかに頬を染めた。

 その染め具合に、何かピンと来たのだろうマリコルヌが言った。

「ありゃ。子供じゃないってさ」

 “水精霊騎士隊”の少年達は熱り立った。

 慌ててエレオノールは詰め寄った。

「ルイズ! 貴女まさか! 私より先に!」

 ルイズは頬を染めたまま、横を向いた。

 才人は、緊張のあまり死にそうになった。

 そう叫んだ瞬間、エレオノールは、周りの少年達が自分をジッと見ていることに気付き、激しく顔を赤らめた。

「……な、何を見てるのよ!?」

 それからキッとなって、エレオノールは叫んだ。

「良いからほら! 作業を再開しなさい!」

 

 

 

 そうい云った一連のやりとりの後、再び“魔法装置”は動き始めた。

 エレオノールは、操作盤に取り付き、そこに置かれたいくつもの計器を見始めた。

 300……400……500……とユックリと、時間を掛けて、装置の先端は地中に潜り込んで行く。

 そして、800を過ぎた時、エレオノールの目がピクリと動いた。

「姉様?」

 不安げに顔を近づけたルイズで在ったが、エレオノールの顔は真剣そのものである。

「止めて、」

 “遠隔操作”で操っていた少年達は、一斉に手を止める。

 エレオノールは“魔法”を唱え、細やかな操作をし始めた。

 微妙に動く計器の針を見守るその顔が、見る見るうちに青くなって行く。

 その場の全員が、固唾を呑んでエレオノールを見守った。

「なにこれ……こんな大きな“風石”の鉱石が育ってたなんて……」

「ということは、やっぱり……」

 ルイズは、そして“水精霊騎士隊”の少年達は顔を見合わせた。

「深い場所に、これだけの鉱脈がもし眠っていたら……チョットしたショックで、大陸ごと持ち上がるわ」

 冷や汗を流しながら、エレオノールは言った。

 馬鹿騒ぎで恐怖心を押し殺していた少年達は、我先にと逃げ出そうとする。

「こら! 逃げない! 今日明日って訳じゃないわよ! 恐らくは、数十年……まあ、とんでもなく運が悪けりゃ数年っていうか!」

 エレオノールは、「まあ、そんでもこれはちょっと困ったわね。と言うかホントにどうしたモノかしら?」と呟き始めた。

「……こんな深くまで採掘することは不可能だし……縦しんばできたとしてもこれだけ大量の“風石”を運ぶことだって」

 少年達は、「嗚呼嗚呼嗚呼! どうしようぉおおおおお!?」と頭を抱えて絶叫を始めた。

 ルイズと才人は、そんな仲間達の様子を見詰めて、どちらからともなく手を握り合った。

 

 

 

 

 

 才人達の報告を受けたアンリエッタは、ガックリと肩を落とした。

「……この“トリステイン”でも、同様の事態が起こっているということは、やはり教皇聖下の話は本当なのでしょうか?」

 2週間ほど前、アンリエッタは帰還して来た才人達から、“火竜山脈”で起こった恐るべき事態を聞かされたのであった。

 アンリエッタは、半信半疑であったのだが……3日後、空の彼方に現れた、120“リーグ”もの長さの、新たな “浮遊島”を見るにつけ、信じざるをえなかったのである。

 現在、その“浮遊島”の帰順を巡って、“ロマリア”と“ガリア”は係争中であるという。

 才人とルイズに挟まれたかたちのエレオノールは、恭しく一礼する。

「恐らくは間違いないと想われます」

「そうですか」

 と言うなり、アンリエッタは黙ってしまった。

 “火竜山脈”で、山並みが宙に浮く、といった事件は、既に“ハルケギニア”中を巡っていた。“ハルケギニア”の市民達には、“風石”の暴走である、と真相が伝えられている。ただ、それが“ハルケギニア”全体に渡って起こり得る事件なのだということは、慎重に伏せられている。

 アンリエッタは、しばらく考えていたが、そのうちに顔を上げると毅然とした顔付きになった。

「よろしい。“トリステイン王国”は、“ロマリア”に協力することにいたします」

 それなりの葛藤は確かにあったであろう。だが、考えている暇はない、といえるであろう。ことの是非を問うても始まらないのだから。

 住む場所がなくなる。

 この事実だけは、全ての倫理に優先されたのである。

 一旦決断すると、アンリエッタの行動は早かった。

 アンリエッタは、手早く、大臣や将軍を集め、協議へと移った。

 “聖戦”を支持するからには、再び外征軍を組織する必要がある。“ロマリア”や“ガリア”や“アルビオン”、そして“ゲルマニア”、各烈強が文化統治する“アルビオン”に向けて、密書が飛んだ。そして、教皇 ヴィットーリオに向けて、近い内に各王を集めての会議の開催を打診した。

 

 

 

 3日ほど、王宮でアンリエッタの雑事を手伝ったルイズと才人は、クタクタになって“ド・オルニエール”に帰って来た。

 暦の上では、既に“アンスール(8月)”の月も半ば過ぎている。

 来月から新学期が始まるのだが、もう既に2人共、ノンビリと学院に通っていられるよう身体ではなくなってしまっていた。

 屋敷に着くと、シエスタが面々の笑みで迎えてくれた。

「御帰りなさい! サイトさん! ミス・ヴァリエール!」

 ヘレンも奥から出て来て、ペコリと頭を下げた。

「おやおや御帰りなさいまし。旦那様方」

「美味しい料理を沢山作ってってましたからね!」

 成る程、シエスタの言葉通り、食堂には大量の料理が並んで居る。そしてそこには、新しい顔もあった。

 1人の青い髪の少女が、厨房から皿を持ってやって来たのである。

 きゅいきゅいきゅい、と楽しげに唄いながら、少女のその後ろから同じように大きな鍋を頭に乗せた、長い青髪の女の子もまた現れる。

「美味しい料理~。美味しい料理~。楽しい料理~。楽しい食卓~。」

 タバサが無言でテーブルに皿を置くと、シエスタが慌てて駆け寄った。

「ミス・タバサ! 御止めになってください! そんな“ガリア”の“王族”の方に……」

 すると、タバサは首を横に振った。

「もう、私は“王族”じゃない。この家に仕える召使い」

 そうである。

 タバサは、“王族”としての権利を捨てて、本当にジョゼットに王権を委譲したのであった。シャルロットという名前と共に……。タバサの母も、イザベラも、タバサに翻意を促した。だが、タバサはこちらでの生活を選んだのである。しかし、もちろんのところ、条件は付いていた。“聖戦”が終わるまで、才人の手伝いをする。その後は“ガリア”へと帰る。が、再び冠を冠るのかどうかはまだ決めていない。しかし、双子の片方が、いなかったことにされる慣習、それだけは廃そうと決めていた。

 タバサの意を受けたイザベラが、その悪習を断ち切るために、“ガリア”で奮闘していた。ジョゼットも“ロマリア”もまたそれに対し、否定する理由もないので、容認した。“セント・マルガリタ”からは、順次少女達が生まれた家へと戻るための準備をしているところであろう……。

 “ガリア”が生まれ変わる手伝いならしても良い、とタバサは決めていた。だが、先ずは才人達の冒険を手伝うことが、タバサにとって優先され、先決であった。

 それでもオロオロとするシエスタに向かって、シルフィードがニコニコ笑いながら言った。

「気にすることないのね。御姉さまは好きでやってるのね。ほらおちび。例のアレを披露して御覧?」

 タバサはコクリと首肯くと、手に持った皿を上に放り投げた。上に乗った大きなローストビーフの塊が宙に舞う。

 シルフィードと、“霊体化”しているイーヴァルディを除いたその場の全員が、うわぁ!? と叫んだ。

 その瞬間、タバサは“杖”を振った。

 するとローストビーフが薄く切れ、それぞれの皿の上へとパタパタパタと乗っかって行く。

「凄い! 良くできました! なのね!」

 パチパチパチとシルフィードが拍手した。

 タバサは相変わらず起伏の乏しい表情である。

 才人が面白がって手を叩いた。

「やるなあ。凄いよ!」

 するとタバサの頬が、軽く上気した。

 それで調子に乗ったのかどうか判り難いが、次にパンを取り上げた。

「はい!  はい!  はい! おちびがパンをどうにかします! 成のね!」

 タバサは細長いパンを上へと放り投げた。次いで、“杖”を振る。

 すると今度は、縦に分かれて、細長いスティックとなり、次々にグラスへと刺さって行く。

 ルイズが「なんで縦なの?」と問うたら、シルフィードがグラスにクリームを注ぎ始めた。それから、「こうやって食べるのね!」、とシルフィードが美味しそうに、パンのスティックの先にクリームを付けて食べ始める。

 成る程、と感心していると、扉が開いて陽気な声が響いた。

「あら? 貴方達、やっと帰って来たの?」

「おやおや、君達帰って来ていたのかね?」

 キュルケとコルベールだった。彼等は、王政府からの依頼で、“オストラント号”の整備を行っていたのである。きたるべき“エルフ”との“聖戦”に、“オストラント号”は正式に参加することになったのであった。

「かなり色んな装備を見付けたぞ。後でユックリ披露しよう。君の、ひこうき、も運用できるようになっている他、戦車の大砲も取り付けた」

 と、コルベールは才人の肩を叩いた。

 コルベールは、“タイガー戦車”の大砲も、ソックリ艦載したのである。

 現在、“オストラント号”は近くの湖に浮いている。このド・オルニエールが、現在母港ということである。

 キュルケとコルベールの着席を待って、シエスタがワインを注ぎ始めた。

「では、皆さん! サイトさんとミス・ヴァリエールの無事帰還を祝って!」

 かんぱーい! と唱和が重なった。

 楽しい会話がしばらく続いたが、そのうちにコルベールがポツリと呟いた。

「で、王政府は決定したのかね?」

 才人はコクリと首肯いた。

「成る程。ではまた慌ただしくなるなあ」

「一体、次はどんな御仕事なんですか? また御家を空けるんですか?」

 シエスタが、キョトンした顔で才人間へと尋ねた。

「もしかして、あの噂になっていた、“火竜山脈”の浮き上がり事件が関係してるんですか? 驚きですよねー。山脈が浮いちゃうんですもん。全く自分で住んでますけど、この世界ってどうなってるんでしょうね? たまにとんでもないことが、サラッと起こりますよね」

 才人は青くなった。

 シエスタには、“聖戦”のことはまだ話していないのである。余計な心配を掛けたくなかった上、この件は極秘であるのだから。

 そのような妙に重い空気を感じ取ったのであろう、シエスタが明るい声で言った。

「まあ、なんてことないですよ。どんなことがあったってサイトさん達なら解決しちゃいます。だって今まで、大変なこと沢山あったけど、どうにかなって来たじゃないですか。だから今度の御仕事も、きっとそうです。大丈夫ですよ」

 シエスタのその言葉で、その場の全員が、なんだか救われたかのような表情を浮かべた。

「ま、暗くなっても始まらないわよね。今を愉しまないと……ね? ジャン、そうでしょ?」

 そう言うとキュルケは、コルベールの頭にクリームを掛けた。

「君は、なにかと言うと私の頭に、食べ物を載せるが……趣味なのかね?」

 タバサは黙々と食事を続けている。

「おまえは、怖くないのか?」

 と、才人がタバサへと尋ねる。

 タバサは、コクリと首肯いて答えた。

「イーヴァルディとセイヴァー、そして貴男がいる」

 そうか、と才人は首肯いて、なんだか嬉しくなった。

 隣のルイズを見ると、ワインを一口含み、ホワーッ、と息を吐いていた。それから、何かを反芻するかのように、ウットリとした顔で宙の一点を見詰めている。

 才人は、(もしかして、この前の夜を想い出しているんだろうか?)と想い、胸が熱くなるのを覚えた。

 色んな人間の顔が、才人の頭を過る。

 才人は、(そうだ。昔はいがみ合った連中だって、こうやって仲良くなれる。“エルフ”だって、きっとこっちの現状を知れば、協力してくれる。きちんと説明すれば……)と考えた。

「良し、食べるぞ!」

 才人は、夢中になって料理を食べ始めた。

 そして、シエスタに注がれるままにワインを呑み干して行く……。

 

 

 

 そのうちに才人は酔い潰れてしまった。疲れているところに流し込んだモノだから、仕方ないといるだろう。

 キュルケが欠伸をし始め、「さあジャン寝ましょ」と言って首根っこを掴んで2階の部屋へと消えて行く。

 ヘレンも、「じゃあ、あたしゃそろそろ」と言って、帰り支度をしてサッサと出て行ってしまった。

 するとシエスタは、「ほらサイトさんしっかり」と言って、腕を掴んで起き上がらせる。

「ほげ……」

「うわぁ、もう、ベロンベロンですね」

 シエスタは、才人を背負うと、よっこらしょと乙女に似合わない言葉を吐いて、2階の寝室へと運び込んだ。

「今日は久し振りですから、私が御借りしちゃいますね! ミス・ヴァリエール!」

 部屋に入って来たルイズに、シエスタは満面の笑みで告げる。

「そ。理解ったわ」

 と、ルイズは平気な顔で、髪をブラシで梳き始めた。

 シエスタは一瞬、キョトンと目を丸くした。

「じゃあ、御言葉に甘えて……」

 シエスタは寝かせた才人へと抱き着き、「きゃあきゃあ! きゃあきゃあ」と派手に喚いて頬を寄せた。

 シエスタはチラッと窺うようにルイズの方を見たが、それでもルイズに動じた様子はなく髪を梳き続けている。

 シエスタは、(どういうこと? なんでミス・ヴァリエールは平気なの?)と目を細めた。

「サイトさんにキスしちゃいますよー」

 シエスタは、寝ている才人へと唇を近付けた。

 それでもルイズは、ピクリとも動かない。

「……なに余裕噛ましてるんですか?」

「え? 別に」

 ルイズは、「どうしたの?」と言わんばかりに応えた。

 鋭いシエスタは、直ぐに何かに勘付いた。

「“ガリア”で何かありましたね?」

 そこで、ルイズはスサッと足を組んだ。そして髪を掻き上げ、心底余裕を演出する声で、「別に」と言った。

 もう、それだけでシエスタは頭に血を昇らせた。ルイズに近寄り、「何したんですか?」と目を三百眼にして言い放った。

「ホントに、何にも、なくってよ」

 シエスタは、ルイズを睨んだ。

 そんなシエスタを、ルイズは哀れみの色を含んだ目で見詰めて、言った。

「あのね? 私達、理解り合っちゃったの。何て言うの?」

「身体で?」

「下品なこと言わないで」

「合わせてしまったんですか?」

 するとルイズは、軽く唇を噛んで、横を向いた。

「軽く? 入っちゃった?」

 女同士ということもあって、言葉を選ばないシエスタである。

「馬鹿ね! してないわよ! その……」

「途中まで?」

「っん。まあ、そんなところね」

 そこでシエスタは、凶悪な笑みを浮かべた。

「なによ?」

「そのくらいで勝ち誇れるミス・ヴァリエールが可愛いです。流石は、おこちゃまの中のおこちゃま。キングオブおこちゃまですわ」

「煩いわね。余計な御世話よ。私がおこちゃまなら、あんたは色呆けメイドじゃないの。1年中発情期。もうホント、なんであんたみたいな盛りの付いたメス犬に、給金なんか払わなくっちゃいけない訳?」

「文句は女王陛下に仰ってくださいまし。あと、私が牝犬なら、差詰めミス・ヴァリエールはメスネズミですわね」

「あんたね、“貴族”捕まえてネズミはないでしょうが」

「ちゅうちゅう」

「わんわん」

 2人は御互いの声を真似て、睨み合った。

「ちゅうちゅうって言ってください。ちゅうちゅうって」

「わんわんって言いなさいよ」

 それから2人は、額を思い切り押し付け合った。

「ま、兎に角今日は私の番ということで」

 シエスタはペコリとルイズに一礼すると、才人の横へと潜り込んだ。

 ルイズはそれを見て、(やっと大人しくなったわ)とホッとした。

 と同時に、「せいっ!」とそのような掛け声が聞こ得て来た。

「はぁ?」

「とうっ!」

 見ると、シエスタが派手に下着を脱ぎ捨てている。

「ちょっとッ! あんた何してんよッ!?」

「見れば理解るじゃないですか。こういうのはおあいこですから」

「なにがおあいこよッ! メイドとしての分を弁え為さいよッ!」

 ルイズは慌ててシエスタへと跳び掛かり、ぐぐぐ、とその顔を押さえて才人から引き離そうとした。

 裸で抱き着かれ並ばれてしまうかたちになる。

 その時である。

 ばたん! と扉が開き、枕を持ったタバサがシルフィードに背中を押されて入って来た。

「はいっ! そんな修羅場に御姉様も交ぜてなのねー!」

「…………」

 ルイズとシエスタが、呆気に取られて見ていると、シルフィードはタバサを脇の下から持ち上げて、才人の隣へと押し込んだ。

「なにやってんのよ!? 馬鹿竜!」

「馬鹿竜じゃないのね。“韻竜”なのね」

「どっちだって良いわよ! あんた達には部屋を1個貸してるでしょー!」

「だって……御姉様が眠れないって……」

「言ったの?」

「いや、言ってないのね。でも、態度で判るのね。なんかモジモジして、たまにそっちの方の部屋見て……」

 そこまで言った時にタバサは“杖”でポカポカとシルフィードを殴り付けた。

「痛いのね―! 痛いのね! と言うか“使い魔”としてちゃんと御役目果たしてるだけなのねー!」

「良いから、部屋に戻りなさい」

「戻って下さい」

 と、ルイズとシエスタはタバサとシルフィードを睨んだ。

「…………」

 それでもタバサは、動かにあ。ただジッと、才人の隣で身動ぎ1つしない。

「何よ? タバサ、貴女もしかして……」

 ルイズがそう言うと、タバサはわずかに頬を染める。

「ガチじゃないですか」

 シエスタが呆れた声で言うと、タバサは恥ずかしくなったのであろう、とうとう毛布の中へと潜り込んだ。

 ルイズの目が吊り上がる。

「シエスタはまだしも、私と被る娘だ駄目」

「どーゆー基準ですか」

 ルイズは毛布を引っ剥がそうとしたが、タバサはガッシリと毛布を掴んで離さない。

「うわ、御姉さま! 正直過ぎて可愛いのねー!」

 シルフィードが嬉しそうに、きゅいきぃ喚きながら部屋の中をグルグル回り始める。

「まあ、安心するのね。桃髪ペッタン娘」

「誰が桃髪ペッタン娘よ? 馬鹿竜。調子乗ってると自然に還すわよ」

「御姉様は、おまえ達と違って、まだ初なおこさまなのね。発情期のおまえ等と違って隣で眠れるだけで幸せって年頃なのね」

「一々苛っと来る“竜”ですね」

「はい。メイドは黙っとけなのね。でも、御姉様は可哀想な娘なのね。ずっと1人で寂しい想いをして来て、やっと得られた安住の場所なのね。隣で練るくらい、我慢して上げるのね。それが大人の女の優しさってモノなのね」

 む……とルイズは唸った。確かに、今更タバサに隣で寝られたくらいで、今の才人と自分の絆がどうにかなる訳ではない、という確信と自信があった。また、ここでムキになるのも大人げない、とも想った。

 そう考えたルイズは仕方なく認めることにした。

「しょうがないわね」

 そして、才人の右側は取られてしまったために、仕方なしといった風に左側に潜り込もうとしたら、シエスタに首を振られた。

「今日は、私の隣です」

 ぐぬぬ、とルイズは唸ったが、まあ良いわと首を振る。(ま、今日くらいは我慢して上げよう)、と考えた。

 

 

 

 深夜……才人は、頭を振りながら目を覚ました。

 かなり呑んだためであろう、頭が痛い……そのことから、酔い潰れベッドに寝かされたことを、才人は理解した。

 隣から、スゥスゥと女の子の寝息が聞こ得て来る。

 才人の左側で、ピトッと腕に頬を寄せて寝ているのは、どうやらシエスタのようである。

 なんだか“愛”おしくなって、才人はシエスタの頭を撫でた。

 そして……右側から聞こ得て来る小さな寝息を聞き、才人は(ルイズだろう)と想った。そして、ソッと手を伸ばし、小さな手に触れた。(嗚呼、やっぱりルイズだ……)、と想い、更に大きな“愛”しさが才人の中に込み上げる。

 この前の……噴水での肢体を想い出し、更に才人は心を震わせた。それから、(ちょっとで良いから……触りたい。良いよな。そのくらい。あれ以来、ゆっくり2人の時間も持てなかったし)とか何とか、様々な理由を付けながら、才人は右側で眠っている少女に触れることにした。

 そろそろと才人は手を伸ばし、少女が着るネグリジェへと触れた。次いで、思い切って、胸に手を伸ばす。

 そのネグリジェ越しに伝わる感触に、(平原……だけど、なんか前はもっとあったような気がする。でも、あんまり触ったことないし)と想い直し、直に触りたい欲望に負けて、首の隙間から手を射し込んだ。

 すると、びくっ! と少女の身体が震えた。

 小さな声で、「……起きてる?」と才人が尋ねると、少女はコクリと首肯いた。

 そんな少女の反応を前にして、(やばい。キスしたい)と想い、才人は素直に言葉にした。

「……キスしたいんだけど」

 すると、しばらくの間があって、今度はためらうように小さくコクリと首肯く気配がした。

 才人はソロソロと手を伸ばし、顎と思しき部分に触れた。そのまま引き寄せる。そして、唇を重ねる……。

 どうやら少女は激しく緊張しているようであり、とても強張った雰囲気が、唇から伝わって来る。

 抱き締めたくて、才人は少女の腰に手を伸ばした。細い腰に右手を伸ばすと、少女は身体を近付けて来た。なんだか夢中になって来てしまい、才人は思わずネグリジェをたくし上げようとしてしまう。

 すると、ビクッ! と少女は震えた。そして、手を伸ばして抗おうとするのである。

「……恥ずかしいの?」

 すると少女は、コクリと首肯いた。

「……良いじゃん。1回見たんだから」

 しばらくの間があって、少女の手から力が抜けた。

 そのままゆっくりと、才人はネグリジェを託し上げた。

 小さく、少女の身体が小刻みに震え出す。

 そんな恥じらいがまた“愛”しく想え、才人は再びキスをした。

 今度は、先程よりは強張っていなかった。才人が舌を差し込むと、怖ず怖ずといった風ではあるが小さな舌を絡めて来る。

 右手を、少女の控えめな胸に当てた瞬間……。

 ビクンッ! と少女の身体が震えて、唇から声が漏れた。

「あ」

 才人の頭の中で、疑問符が巡る。

 才人は、(今の声は? ルイズのじゃない。だ、誰?)と想い、思わず少女の頭に手を伸ばす。

 髪が短い。

「タ、タバサ!?」

 思わずそう叫ぶと、「なになにどうしたのよ?」、「なんですかなんの騒ぎですか?」、とルイズとシエスタの声が左側から響いて来る。

「わ! なんでも! なんでもない!」

「なによ……もう、なにがあったのよ?」

 ルイズがそう呟きながら、“魔法”のランプを灯ける。

「…………」

 灯りの中に浮かんだのは、ネグリジェを託し上げられ、ピクピクと震えて目を瞑るタバサと、そのタバサに覆い被さるようにして腰を抱いている才人の姿であった。

 寝惚けたルイズの目が、一瞬で凶悪なモノへと変わる。

「……なにやってんの? あんた」

「い! いや違う! おまえと間違えて!」

 思わず才人が叫ぶと、タバサが(え?)といった顔になる。しばらくそのまま表情は固まっていたが、そのうちに、目から涙が1粒ポロリと落ちる。

「…………」

 無言で自分を見詰めるタバサの視線に耐え切れず、才人は首を振った。

「え? いや! そうじゃない! おまえも最高!」

 ルイズの全身が震え出す。

「な、なな、なにしてももう逃げ出さないし、あ、ああ、諦めるって言ったけどぉ……」

「ちが! ちが! ちが!」

「わ、わわ、私と被ってる娘だ駄目。立場ないじゃない。た、たた、立場が……」

「いやぁ、考えてみればミス・ヴァリエールは中途半端ですわね」

 シエスタが、両手を広げて感想を述べた。

 才人は這って逃げ出そうとしたが、ルイズに捕まってしまった。

「間違った、だけ、なのに……」

「不幸な事故ね。理解ってる。でも、やっぱり気が済まないから」

 才人の絶叫が、屋敷中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 照り付ける陽射しが、砂漠(サハラ)の大地を焼いていた。

 どこまでも続くかのように感じられる砂の海の中、ぽっかりと島のようにその泉はあった。

 直径は100“メイル”ほどであろう。周りをちょっとした森に囲まれた泉の畔には、小さな小屋がある。きめ細やかな白い塗り壁であり、ほぼ正立方体に近い形をしている。“ハルケギニア”では、先ず見ることがない造りをした 小屋である。

 小屋の前からは桟橋が延び、泉の中ほどまで続いている。その桟橋の先向こう、1人の少女がプカプカと浮かんでいる。

 なに1つ、身体に纏ってはいない。細い身体は少年っぽくも見え、中性的であろうか。だが、すんなりと伸びた手足と、長い透き通るような金髪が、彼女に健やかな色気と、妖精のような雰囲気を与えている。恐らく“ハルケギニア”の民が彼女を見れば、美の妖精の化身と見紛うような姿である。

 ユラユラと水面に浮いたまま、彼女は眠っているかのように目を瞑っている。焼け付く陽射しに炙られているというのに、彼女の肌は染み1つない白を保っている。その秘密は漂う空気にあった。

 “風石”と“水石”……時に“水精霊の涙”と呼ばれる“先住”の結晶を使った“魔法”装置により、この“オアシス”を包む空気は、余計な日光を遮断し、その上、快適な湿度と温度を保っているのである。“先住”の“魔法”――“精霊の力”の扱いに長けた、“エルフ”ならではの技術であるといえるだろう。

 水面に漂う少女の耳は、ピンと伸び、ヒトと比べると幾分鼻も高い。

 少女は、“エルフ”である。

 その目が、突然パチリと開く。薄いブルーの瞳で、空の一点を凝視する。

 空の一角に小さな点が現れ、グングンと大きくなって行く。

 それは、1匹の“風竜”であった。“ハルケギニア”で確認されている“風竜”より、幾分か大きい。

 少女の視界の中、“風竜”は徐々に大きくなり、翼をはためかせながら少女の近くへと着水した。

「――!」

 派手な水飛沫が上がり、“エルフ”の少女の身体は波に翻弄される。水の中で派手にもがいた後、水面から顔を出して、ぷは、と息を吐いた。

「ちょっと! アリィー! なにすんのよッ!?」

 少女の口から、甲高い声が響いた。

 “風竜”の上には、線の細い雰囲気の若い男の“エルフ”が跨っている。

「急いでるんだ! こんな所で寝ている君が悪い!」

 アリィーと呼ばれた男は、少女の姿を見て顔を真赤にした。

「おい! ルクシャナ! おまえ、その格好はなんだ!? ムニィラ様が知ったら大変だぞ!」

「あら? 良いじゃない。だってここは私の家よ。母様に文句を言われる筋合いはないわ」

「突然、誰かが訪て来たらどうするんだ!?」

「ここに? 貴男くらいしか来ないわよ」

 キョトンとした顔で、ルクシャナは言った。

 するとアリィーは更に顔を真赤にさせた。

「僕達はまだ婚姻前だぞ! “大いなる意思”が、御許しにならない!」

「あら貴男。じゃあ私の肌を見たくないの?」

「そ、それは……理解らない! 煩い! 大体、そんな格好でいて良い訳があるか! 我々は、この世界を管理するべく選ばれた高貴なる種族で……いつでもその自覚を持ってだな!」

 ルクシャナは、やれやれと両手を広げた。

「全く! 婚約者の貴男まで、そんな“評議会”の御爺ちゃんみたいなことを言うの?」

 するとアリィーは、増々声を荒げた。

「その仕草はなんだ!? “蛮人”のジェスチャーじゃないか!」

 すると、ルクシャナはキョトンとした顔で言った。顔の横で広げた両手を見詰め、ニコッと笑った。

「これ? 呆れた時にするんですって。この前、近くに来た“蛮人”の行商人に教えて貰ったのよ。一杯愉快な仕草を教えて貰ったわ。例えばね……」

「もう良い! 早く服を着て、出掛ける用意をしろ!」

 アリィーが怒鳴ると、ルクシャナは、つまらなさそうに唇を尖らせ、そのまま桟橋の上に上がろうとした。

「だからそのまま上がるな!」

 フンッ、と澄ました顔で、ルクシャナはアリィーを無視して桟橋を歩き出した。胸を張って堂々と桟橋を歩く様は、まさに砂漠を滑る妖精としての気品と自信に満ち溢れている。

 濡れた金髪の先から、水滴が落ちて、妖精の足跡を彩った。

 白壁の小屋の中は、様々なモノで溢れている。ベッドに机、そして奥には炊事部屋に通じるドアが見える。

 それ等の造りは“エルフ”の独自文化によるモノらしく、余り装飾の見られない、小ざっぱりとしたモノである。だが、“エルフ”の一般家庭にあるモノはそれくらいであり、後はいわゆる蛮人達の雑貨で溢れている。

 1番目に付くモノは、壺や皿などの食器である。“エルフ”が見たら、彼等彼女等からして下品な装飾としか思われない、宝石がゴテゴテ付いたネックレスやティアラなども無造作に壁に飾られている。

 奥の壁には本棚がある。御情けのように置かれた“エルフ”の図鑑や歴史書に並んで、“人間世界(ハルケギニア)”で書かれた雑多な書物が大量にある。1番多いのは、通俗的な小説や、戯曲の類である。“イーヴァルディの勇者”から、今“ハルケギニア”で流行の“バタフライ夫人シリーズ”まで並んでいる。

 床には“エルフ”が好む絨毯の代わりに、“ガリア”産のレースのカーテンが敷かれている。良く見るとカーテンだけでなく、使い方が誤っている品々が沢山あった。何故か箒が天井から大量にぶら下がっているし、傘は開かれたまま裏返しにされ、ゴミ箱になっている。

 壁際に置かれたレイピアに突き刺さっている干した果物を一切れ摘み取ると、ルクシャナはそれを咥えたまま、身体を布で拭き始める。

 肌着を着けると、アリィーが部屋に入って来て、眉を顰めた。

「……全く、いつ来ても“蛮人”の部屋のようだな」

「良いじゃない。私、“エルフ”のモノより好きよ。こうなにから、ゴテゴテしてて」

 ルクシャナは、服を着終わると、羽飾りの沢山付いたローブを頭からスッポリと冠った。

「で、評議会が一体私に何の用なの?」

「ビダーシャル様が、“蛮人”世界から帰って来たんだ」

「叔父様が!?」

 ルクシャナは、目を見開くと駆け出した。

 そして、オアシスに浮いて水を飲んでいた“風竜”に跳び乗った。

「おい! 待てよ! 僕を置いて行くな!」

 アリィーは慌ててその背を追い掛けた。

 

 

 

 “風竜”に乗って30分ほども飛ぶと、鮮やかなエメラルドブルーの海が見えて来た。そして、海岸線から突き出た、巨大な人工都市の姿が視界に浮かぶ。

 同心円が幾重にも重なったような形をした、直径数“リーグ”にも及ぶ人工島……“エルフ”の国“ネフテス”の首都、“アディール”である。

 その同心円の中心目指して、“風竜”は飛んだ。

 中心には、巨大な……としか形容ができないであろう、白塗りの建築物があった。200“メイル”近い高さのそれは、塔というよりは“地球”で言うビルディングに近い形をしている。もちろん、これほどの高さを誇る高層建築物は、 “ハルケギニア”には存在しない。

 “風竜”は、その建物の屋上に降り立った。

 そこでは、何頭もの“風竜”が繋がれて、絶えず誰かが下りたり、また、乗ってどこかに飛び立ったりなどをしている。

 この建物こそが、“ネフテス”の評議会本部……通称“カスバ”と呼ばれる“エルフ”世界の中枢である。国境という概念を持たない“エルフ”達は、数多くの部族に分かれ、広大な砂漠の各地で暮らしている。その部族達は、自分達の代表をこの首都へと送り、その種族代表で構成される評議会によって、この“ネフテス”は成り立ち動いているのである。

 そして評議会の中から数年に1度、代表達の入れ札に依り、統領を選ぶのである。

 ルクシャナとアリィーは、“風竜”から下りると、屋上にある階下へと降りるための“昇降装置”へと飛び乗った。

「42階」

 と告げると、昇降装置は動き出し、2人を目的の階へと運んで行く……。

 その階には、評議会の議員達が、それぞれ執務を行う部屋が並んでいる。

 その一室の前で、アリィーは声を荒げた。

「ビダーシャル様。ルクシャナを連れて参りました」

 すると扉が開いて、ビダーシャルが顔を見せた。

「久し振りだな。ルクシャナ」

「叔父様!」

 ルクシャナは満面の笑みで、ビダーシャルへと跳び着いた。

「ねえねえ、“蛮人”世界はどうだった? 聴かせて! なにか珍しいモノは見た? 触った? 持って来た?」

 対してアリィーは、「どうでした?」と心配そうな顔である。この婚約者の叔父が、かなり大変な経験をして来たのだということは、噂に聞いていたのである。

「テュリューク統領に、ことの次第を報告したばかりなんだがね」

 ビダーシャルは苦笑を浮かべた。そして、2人に語り始めた。

 

 

 

 話を聴き終わった2人は、顔を見合わせた。それから、信じられないというように首を振る。

「ホントに、その“蛮人”の王は、叔父様が造った“火石”で、何千人もの“蛮人”を焼き殺したの?」

「そうだ」

「どうしてそんなことをするのかしら?」

「知らぬ。私が訊きたい位だよ」

 ビダーシャルは溜息を吐いた。

「そして、その男は自分の“使い魔”に殺されたのね。でも、可怪しいわ。“蛮人”の“魔法”使いの“使い魔”って、主人に忠誠を誓うって聞いたことがあるわ。どうして?」

「私だって理解らんよ」

「もう。叔父様ったら、理解らないことばかりね。一体、なにをしに“蛮人”の国に行ったのよ?」

「だからな、私は交渉をしに行ったのだ。さっき言っただろうが」

「そして、“蛮人”の王の家来になっちゃったんでしょ? 情けない!」

「ルクシャナ」

 アリィーが、ルクシャナを窘める。

 ビダーシャルは苦笑した。

「まあな。だが、抗えぬ妙な迫力を持った男だったよ。“悪魔の力(虚無と英霊)”の使い手だけのことはあった、と言うべきかな」

「でも、その交渉の相手が殺されてしまったということは……」

「そうだ。詰まり、交渉は失敗したのだ」

 ビダーシャルの言葉に、アリィーは青褪めた。

「さて、新たなる“悪魔の力(虚無と英霊)”を得た連中は、遅かれ早かれ“この地(サハラ)”にやって来るだろう。“シャイターンの門”を開きに……」

「困りましたね……」

 悩んでしまった2人を見て、ルクシャナは首を傾げた。

「どうして困るの? また交渉しに行けば良いじゃない」

「もう、交渉する相手がおらぬのだ。で、本日おまえを呼んだ訳だが……」

 するとアリィーは、青い顔になった。

「嫌ですよ! 僕は!」

「まだ何も言ってないではないか」

「判りますよ! ビダーシャル様と、統領閣下の御考えになることなど、こちとら御見通しです!」

「なら話は早い」

 と、ビーダシャルは満足げな様子を見せる。

 1人、話の展開が見えないでいるルクシャナだけが、交互に2人の顔を見詰めて言った。

「一体、なにがどうなっているの? 私にも理解るように説明して」

「君の叔父君は、この僕に戦士小隊を率いて、“蛮人”の国に乗り込めと仰っているのだ」

「流石は、その年で“ファーリス(騎士)”の称号を得ただけのことはあるな」

 ビダーシャルは、笑みを浮かべて言った。

「え? なにそれ!? 素敵じゃない!」

 ルクシャナは夢中になって叫んだ。

「素敵なもんか! それで、“悪魔”を1人攫って来いって言うんでしょう?」

「そうだ。この仕事は、君のように若く勇気に溢れた青年にこそ相応しい」

「どうして、“悪魔”を攫う必要があるの?」

「今は……“悪魔”の復活の時代なのだ。だが、“4の4”が揃わねば、あやつ等はその真価を発揮できぬ。また、殺してしまう訳にもいかぬ。新たな“悪魔”が生まれるだけだからな」

「それで、攫うって訳?」

「ああ。生かして置くうちには、あやつ等は手詰まりになる」

「凄い! 大冒険だわ!」

 夢中になって、ルクシャナは手を叩いた。

 するとアリィーは、また眉を顰めた。

「ルクシャナ! また、君は“蛮人”の仕草なんかを……」

「ねえアリィー。それってホント素晴らしいことよ! “蛮人”世界を見られるなんて機会、そうそうあるもんじゃないわ!」

「おいおい、君はホントに無邪気だな! ビダーシャル様、私は絶対に“蛮人”世界なんかに行きませんからね! “悪魔”を攫って来いなんて命令、断固拒否します!」

「おや、それは困ったな」

 すると隙かさず、ルクシャナが言った。

「私も連れてって! アリィー! 良いでしょう?」

「君! なにを言うんだ!? ただの学者の君が参加できるような仕事じゃないんだよ!」

「なによ? 貴男、叔父様の命令が利けないっていうの?」

 ジロリとルクシャナはアリィーの顔を睨んだ。

「利けないよ! 断固拒否権を発動するね! 命がいくつあっても足りないよ!」

「そう」

 ルクシャナは腕を組んで、外方を向いた。

「良いわ。じゃあ貴男との婚約は解消ね。恋人から最大の楽しみを奪う男なんて赦せないわ。私も拒否権を発動します」

「な、なんだって!?」

 アリィーは唖然としてルクシャナを見詰め、それから何気なく窓の外へと目をやっている婚約者の叔父へと視線を移した。

「……ビダーシャル様。嵌めましたね?」

「なんのことだ? 1人の大人であるルクシャナが決めたことだ。私に口を挟める問題じゃないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アルビオン”の”ロサイス”にて、調査隊が編成されていた。

「良いか諸君。君達がこれから行う調査は、諸君等の知っての通り、浮遊した山、そしてこの“アルビオン大陸”内に眠る“風石”の調査だ。これは、“ハルケギニア”の歴史に於いてこの先重要となるであろうモノだ」

 調査隊が、それぞれあてがわれた箇所へと行き、また、別の調査隊は浮遊した山へと早速向かった。

「調べる必要はあるの? セイヴァー。調べるまでもなく、既に識ってるんじゃ?」

「勿もちろんだ、シオン。“根源接続者”である俺は、この世の始まりであり、終わりでもある“根源”と繋がっている。詰まりは、総てを識っていると言っても良いだろう。調べる必要なんてない。だが、これはあくまでポーズだ。他の国や民達に、判らないといったことを見せる必要がある」



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邂逅

 才人達がド・オルニエールに帰って来て、3日が過ぎた。

 特に王宮から連絡もなかったために、才人達はノンビリと過ごしていた。“トリスタニア”の孤児院で、子供達と過ごしているティファニアから、「御変わりない?」という手紙が来たくらいであり、比較的平穏dえあった。

 帰って来て初日の夜以来、才人の寝室は毎日戦場の様子を呈していた。

 今まではルイズとシエスタに挟まれて眠る、という、微妙な均衡を保っていたのだが、そこにタバサが加わったのである。

 夜になると、枕を持ったタバサが、シルフィードに押されてやって来る。

 さて、2人なら一応隣に入れるのだが、3人に成ると当然1人余ることになる。

 ルイズは当然のように、右隣を主張した。兎に角彼女は才人にとって1番で、未来永劫それは変わらなく、公爵家3女の彼女自身もやぶさかではないのだから、これは仕方がないといえるであろう。

 シエスタもまた当然左側を主張した。彼女の主張からすると、「自分はいつも常に御世話をしているのだから、これは当然」という訳である。それに、「他の部屋で寝たら御化けが出る」と真顔で言う始末である。

 するとシルフィードがタバサの代わりに隙かさず、「この娘はとても可哀想な境遇に育って来たのであるから、おまえ等2人は譲歩すべき」、「それにこの娘は、おまえ等色惚けと違って、ただ側にいられるだけで幸せという、今時類を見ない、良い娘である」と反論するのであった。また、「“韻竜”の世界でも人気者」だと。

 そんな会議の中で、才人は当然のように蚊帳の外であった。4人娘がきゃあきゃあわあわあぴいぴいと喚くのを、ソッと膝を抱えて見守るのである。

 もしここで、「幸せ?」と尋ねられたら、才人は「だろうね」と答えるしかない、微妙な時間だといえるであろう。

 いざ1人の女の子を決めると、何故だかモテ出した才人である。

 才人は、「そう言や昔はがっついていたな、あの頃は、地味女子にさえチョコを間違えられる俺だったのに……」と遠い過去を振り返り、(人生と言うのは、真ままならないモノであることよ)と悟りを開くのであった。

 結局、調停者を買って出ているシルフィードが結論を出した。

「理解りました。では、御姉さまは、上」

「上?」

 シルフィードは、コクリと、首肯いた。

「そうなのね。だって横がおまえ等とに取られている以上、上しかないのね」

「それは、不味いだろ」

 と、才人が言ったら、それまで黙っていたタバサが無表情のままポツリと言った。

「間違えたの?」

 才人は冷や汗を垂らした。正直に「間違えた」と言ってしまうと、タバサを傷付けてしまうのは明白である。だからといって、「そうじゃない」と言ってしまうとルイズが……。

 仕方なしといった風に、才人は首肯いた。

「じゃあ、上で良いです……」

「良いですってなんなのね? 有難う御座います、なのね。普通だったらおまえみたいなヨボヨボの人間風情が、御姉様の布団になれるなんて光栄、ありえないのね」

 そんなことを言いながら、シルフィードは、才人の頭をガシガシと噛んだのである。

 さて、そんなこんなで場所も決まり、ベッドに入ろうとした時のことである。

 いきなり、階下から扉をガンガンと叩く音が響いて来た。

「……こんな夜中に誰かしら?」

「近所の人かな?」

 才人がそう言った時、シエスタが心配そうな顔になった。

「まさか……サイトさんを狙っているという……」

 ルイズと才人は顔を見合わせた。

 “元素の兄弟”と呼ばれる殺し屋……この“ド・オルニエール”でデルフリンガーが壊れるきっかけを生み出し、そして“ガリア”でも命を狙って来た兄弟である。

 “ガリア”の官憲に捕らえられたジャックはというと、頑なに沈黙を保ち、脅そうが拷問に掛けようが、全く口を開かないという。

 才人は、目に凶暴な光を宿らせて、ベッドの側に置いてある刀を握り締めた。左手甲の“ルーン”が光り出す。

「デルフの仇を討ってやる」

 ルイズも、真剣な顔で“杖”を握り締めた。

「あっさり片付けて上げるわよ」

 タバサも、節くれ立った“杖”を無言で握り締め、“霊体化”しているイーヴァルディへと目を向ける。

「しかし、あいつ等も無謀だな……今、この家にゃキュルケもコルベール先生もいるんだぜ。飛んで火に入る夏の虫だな」

 部屋の外に出ると、既にキュルケとコルベールも、“杖”を握ってその場にいた。

 才人達は、慎重に階下へと向かい、扉の両脇に並んだ。

 ドンドンドン!

 再び扉が叩かれる。

 才人は手を伸ばし、鍵を外した。

「開いていますよ」

 そう言うと、扉が開き、誰かが飛び込んで来た。

「それッ!」

 左右から、一斉に“魔法”が飛んだ。空気のロープ、そして“ウインディ・アイシクル”……キュルケは巨大な炎の玉を“杖”の先に作り出した。

 その瞬間、“霊体化”しているイーヴァルディは、やっちゃった、といった雰囲気を醸し出す。

 が、それに気付かず、ルイズは第二陣に備え、“エクスプロージョン”を“詠唱”している。

 そして才人は跳び掛かり、喉元に刀を突き付けた。

「大人しくしろ!」

「……貴方達、どういうつもり?」

 高く不機嫌そうな声が響く。

 床に転がされた人物の顔が、キュルケが灯した炎に照らされて暗闇の中浮かび上がる。

「エレオノール姉様!」

 真っ青になって、ルイズは絶叫した。

 

 

 

「すいませんでした」

 才人とルイズは、エレオノールの前に立たされて、ガックリと項垂れていた。

 その前に、エレオノールは足を組んで座っている。エレオノールの怒りは収まらぬ様子であり、まさに女帝と云った風格を漂わせている。

 キュルケ達は、相手がエレオノールだと知ると、関係ないとばかりに部屋へと引っ込んで行ってしまった。

「全く! 私と殺し屋を間違えるなんて! 言語道断だわ!」

 プリプリと怒りを見せるエレオノールに、ルイズと才人は誠心誠意何度も頭を下げた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 エレオノールは、そんな風に「ごめんなさい」と連呼する才人とルイズを交互に睨め回した後、「御腹が空いたわ」と言い放った。

 直ぐにシエスタが急々と食事を用意する。

 はぐはぐ、と料理を口にするエレオノールに、ルイズが恐る恐る尋ねた。

「で、姉様、一体今日はどんな用事で来られたの?」

 するとエレオノールは、わずかに頬を染めた。

「まあ、用事ってほどじゃないけど。しばらくここで厄介になろうかと想ってね」

「えええええええええ!?」

 ルイズは目を丸くした。

「え? どうして? なんでまた? 御姉さん」

「だから貴男に御姉さんなどと呼ばれる筋合いはなくってよ」

 エレオノールは、ジロリと才人を睨んだ。

「ま、まあ、たまには郊外の暮らしも悪くないんじゃないかってね」

「“アカデミー”はどうするんですか?」

「ここから通うわ」

「え? どうやって?」

「“竜籠”を持って来たわ。貴方達、世話をよろしくね」

 なんだかその様子に、才人は感じるモノがあって、試しに訊いてみた。

「も、もしかして……おね、いや、エレオノールさん、怖いんじゃ……」

 するとエレオノールじゃ、びくっ! と肩を震わせた。

 ルイズも首肯く。

「ああ。そうよねー。あの話。知ってるの私達だけだし……」

 “ハルケギニア”中の“風石”が、暴走を始めて半分の土地が住めなくなってしまうかもしれない、という情報は、成る程怖いに違いない。もしかすると、明日にでも自分の真下の地面が持ち上がるかもしれないのだから。

 才人は、昔よくテレビなんかで観た“大地震が東京を襲う!”的なモノを想い出した。確かに、ああいう番組を見た後は、無性に怖くなったりしたモノである。しかも今回は、多分確実に起こるであろうモノだ。

「こ、怖く何かないわよ」

 エレオノールは、首を振って言ってみせた。だが、完全に青褪めている。

 そんな素直ではないといえるエレオノールの態度が、なんだか才人の嗜虐心をくすぐる羽目になった。

「嘘。怖いんでしょう」

「怖く無いってば」

「可愛いところあるじゃないですか」

 つい、気さくにそのようなことを才人が口にすると、エレオノールの眉が吊り上がった。

「馬鹿にしているの? 貴男」

「姉様は、昔からなにげに臆病でしたよね」

 と、ルイズが言った。

「良いからもう! 貴方達は寝なさい! 子供は寝る時間よ! あと、明日は御話がありますからね!」

 そんな風にエレオノールが叫びだしたために、ルイズと才人は慌てて2階へと逃げた。

 さて、と気を取り直して2人はベッドへと入る。

 チョコンとルイズが右隣に、シエスタが左隣に、そしてタバサがシルフィードに抱えられて上に乗せられる。

 シルフィードは、ベッドの側に丸くなると、くぅくぅと寝息を立て始める。

 才人は、(良いのかなー?)などと想っていると、タバサが顔を覗き込んで来た。

「ん、なんだ?」

「間違いなの?」

 結構気にしているらしい。いや、当然気にするであろう。

 右を見やると、ルイズが猛烈に目を細めて才人のことを睨んでいる。

 さて、そんな緊迫した空気の中、エレオノールが部屋に入って来た。

「ルイズ。私はどこで寝れば……って!? なに!? あんた達!? ちょっとぉ!?」

 同じベッドで寝ている4人を見て、エレオノールは絶叫した。

「い、一体……あんた達は……こ、婚前の男女が……というかそれ以前の……」

 と、エレオノールは泡を吹いて打っ倒れた。

 

 

 

 ルイズと才人は、1階の居間まで再び連れて来られた。

 当然、御説教である。

「流石に、一緒に寝ているなんて想わなかったわ」

 エレオノールは、これ以上ないであろうというくらいに怒っている。

「もう問答無用です。予定は変更。ルイズ、明日一緒に、ラ・ヴァリエールに帰るわよ」

「……え?」

 と、ルイズは青くなった。

「え? じゃないわよ。結婚前にベッドを共にしているなんて、“始祖ブリミル”が御許しになると想っているの? もう1度、1から母様と父様に教育して頂きます」

 すると、ルイズは必死に恐怖に耐えるようにして言い放った。

「お、御断りします」

「なにを言ってるの?」

「私、やらなきゃいけないことがあるし」

「そうよね……貴女、”担い手”ですものね」

 それからエレオノールは、深い溜息を吐いた。

「だから言っているの。貴女とそこの彼は、“伝説の力”と言う絆で結ばれているだけなの。貴女は未だ自分でも自分が良く理解っていないから、そこを勘違いしているの。これから貴女は、大事な仕事をするのだから、キチンとサポートしてkyれる男性が必要よ。“使い魔”と伴侶は、分けて考えなくてはいけないわ」

 エレオノールは、真顔で言った。勿論、才人が1度死に、“契約”が外れ、そこから更に紆余曲折あってもなお両想いであるということは知らない。

 才人は、(ここでなにかを言わなきゃ、男じゃねえよな)と意を決して言い放った。

「御姉様」

「だから貴男に、御姉様などとは……」

「いええ。言わせてください御姉様。僕は確かに、御姉様からしたら怪しい素性の人間かもしれません。でも、ルイズを守りたい、という気持ちでは、きっと誰にも負けません」

「貴男、さっき何人の女性と一緒に寝てたのよ?」

 ぐ、と才人は言葉に詰まった。(そりゃ理由はある。あるけど、それを言ったって始まらないし、なんもしてませんとか言ったって、信じて貰えそうもない。いや、正確に言えばしてる。でも、全部間違いだったり不可抗力だったり……)、としどろもどろになってしまう。

「その上浮気を噛まして、ルイズは家出したんでしょう?」

 ガックリと才人は頭を垂れた。まさにその通りであり、才人は何も言えなくなってしまった。

「ねえルイズ。これで理解ったでしょう? 彼はね、どう仕様もない男なの。こんな男が良いだなんて、なにか別の力で操られている証拠だわ」

 しばらくルイズは、言葉を選んでいるように感じた。それでも、首を振る。

「帰らないわ」

「ルイズ」

「姉様。私、もう決めたんです。なにがあってもサイトに着いて行くって。今まで色んな嫌なことあったの。何度も裏切られるようなことしたし、意地悪もされたし。正直言って、その、趣味が変だし。頭悪いし。でも、でもね?」

 ルイズは、才人の腕を握った。

「私、この人じゃなきゃ駄目なの。忘れようと思って、家出もした。でも、忘れることなんてできなかったの。毎日考えちゃったの。今、何してるのかな、とかそんなことばっかり気になったの」

「……ったく。恋は盲目って言うけど、本当ね! でも約束は約束よ。そこの貴男! 私、貴男と約束したわよね? “貴族”の仕草を身に着けるって。さあ、やって御覧なさい?」

 才人は、(そう言えばそんな約束をしていた)と想い出した。

 だが、最近は其れ処では無く、練習などは何1つ遣って居無かった。

 それから、(いや、続けていたところで無駄だっただろうが……)と才人は考えた。だがそれでも、一生懸命に一礼をしてみせた。”貴族”の魂とやらを、才人なりに込めて……。

「…………」

 エレオノールは無言であった。

 才人は、(もしかして、努力が認められてオッケー?)とわずかに震えた。

 だが当然、世の中はそのように甘くはない。

「全然駄目じゃないの! あのね、公爵家の娘が欲しいなら……」

 するとルイズは、エレオノールの言葉を遮った。

「許してくれないって言うなら、私、名前を捨てるわ」

「はい?」

 エレオノールは目を丸くした。

「“貴族”じゃなくたって良い。名前も要らない。だって、それは私が選んだモノじゃないもの。感謝はしてるし、“愛”してもいる。でも、サイトは私が自分で選んだ唯一だから」

 エレオノールは、口をぽかんと空けて、末の妹を見詰めた。

「貴女、ラ・ヴァリエールを捨てるって言うの?」

 コクリと、ルイズは首肯いた。

 エレオノールは、ソファの背凭れに体を埋めると、はぇ~~~、と溜息を吐いた。

「姉様?」

「ん。待って。考えを整理するから」

 エレオノールは眉間に皺を寄せて、親指で額をグリグリとやり始めた。それから顔を上げて、ルイズを真顔で見詰めた。

「本気?」

 ルイズは、真剣な顔で首肯いた。

「はぁ」

「姉様?」

「貴女が羨ましいわ。私には、この男の何処が良いのかサッパリ理解らないけど、貴女が良いって言うんなら、きっと良いところもあるんでしょうね」

 非道い言い草ではあったが、才人は心からホッとした。

「ルイズ」

「はい」

「きちんと、父様と母様には報告するのよ」

 ルイズの顔が驚きに見開かれた。

「姉様?」

「貴女は本当に私にソックリ。頑固で我儘で、絶対に自分の言葉は曲げないんだから。まあ、後で後悔するのも人生だわね」

「有難う! 姉様!」

 ルイズはエレオノールに抱き着いた。

「全く……ああ、これだけは約束して頂戴。今日から同じベッドは禁止。良いわね? 結婚前に、ベッドが一緒なんていけません」

 ルイズと才人は首肯いた。

「まあ、元々はベッドが1個しかなかったからだもんね」

「それから貴男」

 エレオノールは、眼鏡をツイッと持ち上げると、才人を睨んだ。

「は、はいっ!」

「明日から、ビシバシ“貴族”の何たるかを叩き込んで上げるから、そのつもりで。仮にもラ・ヴァリエールの娘を娶ろうというのだから、それなりでは困ります。家柄がない分は、気品で補って頂くわ」

「はいっ!」

 才人は最敬礼で一礼した。

 何せ才人は、2人の仲を認めてくれるのであれば、どんな難題だって呑むつもりであったのだから。

「理解ったら、もう寝なさい。ああ、私のベッドも用意しておいてね」

 2人は首肯いくと、2階へと戻って行った。

 1人残されたエレオノールは、食事に付けられたワインをグラスに注いで、呑み干した。

 ほんのりと頬を染め、しばらく空のグラスをエレオノールは見詰めていた。

「はう、どこかに良い男いないかしら……?」

 と、ボンヤリとした声でエレオノールは呟いた。

 

 

 

 2階に上がった才人とルイズは、シエスタのために用意した部屋を、エレオノールに使って貰うことにした。ベッドもしっかりとあるので、判るようにそこの扉を開けて置いた。

「サイトはどこで寝るの?」

 ルイズに尋ねられ、才人は隣の部屋を指さした。

「この部屋で寝るよ。ソファもあるし、しばらくそこで良いや」

「え? それは不味いわよ」

「良いよ。だって俺、前はずっと床で寝てたんだぜ? 藁束敷いてさ」

 するとルイズは頬を赤らめた。

「ごめんね」

「良いよ、昔のことじゃねえか。じゃ、御休み」

 扉を開けて、自分の部屋と決めたそこに入ろうとすると、ルイズが才人のシャツの裾を摘んだ。

「ん? どうした?」

 するとルイズは、恥ずかしそうに顔を赤らめ、「少し2人っ切りになりたい」と言った。

 そんなルイズは才人からして激しく、とても可愛らしく想えたので、ルイズの言う通りにすることにした。

 全く使用していない部屋であったがそれでも、きちんとシエスタやヘレンが掃除をしていたのであろう、部屋の中には埃1つ落ちていない。

 テーブルに置かれた“魔法”のランプを点けると、淡く優しい光が部屋の中に広がった。

 ルイズと才人は、壁際に置かれたソファに腰掛ける。

 するとルイズは直ぐに甘えるように、才人に寄り添った。

 才人は酷く幸せな気分を感じている。

 先程……ルイズが口にした言葉が未だ耳に残っていた。

 才人は、(この、俺に寄り添う可愛いらしい女の子は、先程“家を捨てる”とまで言ってくれた。初めて逢った時は……なんてツンケンして嫌な奴だと想ったモノだけど、今ではもう無二の存在になっていて、それが少し可笑しい)とルイズに凭れながらそんなことを考えていた。そうやって考え事をしていると、様々な事柄が、人が、才人の頭の中に浮かんで行く。

「どうしたの?」

 ルイズが、才人に凭れて目を瞑ったまま、尋ねて来た。

「ん? ちょっと考え事をしてた」

「どんなこと?」

「人間って、見えてるだけがホントじゃねえんだなって。こうなんて言うか、皆心に言いたいことがあって、でも言えなくて」

「当たり前じゃない」

「俺、その当たり前がたまに判らなくなっちまうんだよな。さっきだって、エレオノール姉さんが、俺等の仲を認めてくれるなんて信じられなかった」

「そうね。でも、私もそうだわ。エレオノール姉様が私に御許してくれるなんて信じられない。初めてよ。そんなの」

 才人は、(皆、ホントの自分を隠している。それには、多分色んな理由があるんだろう)と想った。その時、才人の頭に、ジュリオを始めとした知り合い達の顔が浮かんだ。

「そう言やさ」

「ん?」

「ジュリオの奴もそうだな。あいつにも、言いたいこととか、隠してたことがあったんだなあ。嫌な奴で、正直今でも嫌いだけど」

「そうね」

「セイヴァーもそうだ。最初の頃は、あいつ、自分1人……シオンと2人だけで隠し事をしてくれてた。到底信じられないだろうことだって理由と、俺達を想ってのことだろうけど。なあ、ルイズ」

「なぁに?」

「俺、本当のことが識りたくなった。この世界でなにが起こってるのか。どうして俺はこっちの世界にやって来たのか。そして、俺ができることはなんなのか。なにが正しいのか。正しくないのか。俺はもう、そう言うのから逃げない。俺には理解らないだの、馬鹿だからだの、理由を付けて投げ出したくないんだ」

 ルイズは、なにも言わず、ただコクリと首肯いた。

「だからルイズ。俺には全部本当のこと話してくれ。想ってることとか。考えてることとか。隠さなくて良い。気を遣わなくて良い。俺にとっては、おまえが全てだ。おまえがなにを考えてるのかな? とか、傷付けたかな? とか、嫌がっていないかな? とか、想っただけで、俺はもうなにも考えられなくなっちまう。詰まり、なんだ、止まりたくないんだ。なんか、世界が凄い速さで動いてて……きっと止まったら死んじまう。そんな気がするから」

 ルイズは、才人を見詰めた。それから、プッ、と噴き出した。

「馬鹿ねえ」

「ふざけて言ってるんじゃないよ」

「ううん。違うの。とっくに、私はもう想ったことは口にしてるわ」

「ホント?」

「うん。隠し事なんかなにもしてない。昔はしてた。して欲しいこととか、自分から言わなかったもの、ううん、言えなかったの」

「でも、今は言える」

 コクリと、ルイズは首肯いた。そして、優しい笑みを浮かべた。

 それだけで部屋の空気が変わり、才人は息が止まりそうになってしまった。いつもはボンヤリとしている、生きている、という実感に輪郭が付き、色が着いた。

 才人は、(ルイズの口って凄い形が好いな)と思った。そして、(どうしてこんなに好い香りがするんだろう? 俺をどこかに運んでくれそうになる香り)とも想った。

 ルイズの口が開いた。そして、魔法の言葉を紡ぎ出した。

「キスして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ガリア”と“トリステイン”の国境付近の街道に、その妙な騎乗の一団は現れた。一様に同じ修道服に身を包み、深くフードを冠っている。

 一行は峠道に差し掛かった。

 この辺りは物騒な所であり、国境付近を縄張りにする山賊が、幅を利かせている場所である。

 こういった国と国との境目は、盗賊や山賊が跳梁する場所である。旅人を襲い、直ぐに隣の国へと逃げ込む。もうそれで、官憲は手を出すことができないのである。

 そういったこともあり、証人や旅人達は国境を超える時、武装して護衛を着けるのが普通であるといえた。

 だが、彼等のような手動層を狙う者は少ない。僧に手を出すというこtは、詰まり神に唾を吐くのと同じことであり、また、こちらの方が大きな理由であるのだが金を持っていないためである。

 だが、今日の狼達は余程飢えているらしい。

 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた場所に入った途端、一行は10人ほどの一団に囲まれたのである。

 一団の手にはそれぞれ、物騒な獲物が握られており、剣に槍、そして銃などが見える。

「止まれ」

 修道僧は行く手を塞がれ、立ち止まる。

 剣を握った男達が近付き、「馬から下りろ」と言い放つ。

「どうして馬から下りねばならんのだ?」

 先頭の修道僧が、そう言った。

 すると、山賊達は笑い転げた。

「そりゃあ、売り物になるからだろ!」

「ということは、おまえ達は金が欲しいのだな?」

 “ハルケギニア”での共通語である、“ガリア語”であったが、独特の訛りがあることが判る。

「当たり前だろ! 金が欲しいから、こうやって一生懸命働いてるのさ!」

 すると、真ん中にいる修道僧が、大声を上げた。

「働く? えっと、貴方達にとって、こうやって他人から御金や物を奪い取るのは、職業の1つなの? それは認められているの? 貴方達は政府に税を支払っているの?」

 美しい女の声であったので、山賊達は色めき立った。

「おい、おまえ、顔を見せろ」

 すると先頭の修道僧が、苛立った声を上げた。

「よせ。金ならやる」

 そして、修道僧は懐から袋を取り出し、地面に放った。

 1人の山賊がそれに飛び付き、感嘆の声を上げた。

「うお!? 砂金だ! しかもこんなに!」

「では通るぞ」

 そのまま、修道僧は通り過ぎようとした。

 しかし、山賊達はなおも立ち塞がる。

「待ちなよ。俺達ゃ勤勉でね。頂けるもんは全部頂く主義なんだよ。馬も置いてけ。女もだ」

「断る」

「じゃあしょうがねえ。こっちで勝手に頂くぜ」

 1人の山賊が、女と思しき修道僧へと近寄った。

「さて、どんだけ上玉か、調べさせて貰うよ」

 山賊の手が、女に伸びた瞬間、先頭の修道僧は厳しい声で告げた。

「そのフードを持ち上げら、命を失くすぞ。1つしかないモノだ。大事にするが良い」

 すると山賊達は、更に大きな声で笑い転げた。

「坊さんが俺達をどうにかするってよ!」

 剣の先で、山賊はツイッと女修道僧のフードを持ち上げた。

 その下からは、妖精のよう様に美しい女の顔が現れた。

「おい! こいつぁ、値段は付かねえぞ」

 山賊達は色めき立った。

「おい。おまえ達は、人を殺したことはあるのか?」

 それまで黙っていた、女の隣の修道僧が口を開いた。

「ああ。月に1度は殺めてらあ」

 そう言いながら、山賊は女修道僧のフードを、完全に引き下ろした。

「……え?」

 フードに隠れて見えなかったモノが見えた瞬間、男の思考が麻痺した。

 耳が長い……ヒトのモノではない。

 男は、(確か、こんな耳を持つ種族が……なんだっけ? 兎に角強くて美しい……)、と想い出そうとするのだが、結論は得られなかった。

 その前に、男は音もなく飛んで来た木の枝に胸を貫かれていたためである。

「“エルフ”!」

 槍を握った別の山賊が絶叫した。

 先頭の修道僧……アリィーは、再び“呪文”を唱え始める。

「森の枝よ。矢となりて、敵を貫け」

 口語の“スペル”に反応して、近くの枝が弾かれたように折れて、高速の矢となって叫んだ山賊へと襲い掛かる。

 矢は口に吸い込まれ、山賊の頚椎を貫いた。

 銃を持った2人の山賊は、“エルフ”目掛けて引き金を引いた。

 すると女修道僧――ルクシャナの左右に控えていた“エルフ”が、“呪文”を唱える。

「風よ。盾となりて我を守れ」

 銃弾は空気の盾に阻まれ、ピキンッ! と派手な音を立ててどこかに飛んで行った。

 山賊達は我先にと逃げ出し始めた。

「エ、エ、“エルフ”だッ!」

 アリィーは悲し気に首を横に振る。

「枝よ。敵を捕らえよ」

 枝が伸び、逃げ出した山賊の腕や脚に絡まる。

 枝の矢が飛び、山賊達の喉や胸を貫いて行く……。

 全部が終わるのに、ほんの数秒しか掛からなかった。

 アリィー達は、山賊達の死体を、木の枝を己の腕のように操って、森の中へと運んだ。そして、“土”の“魔法”を使ってあっと言う間に埋めてみせた。

 全てが終わった後、アリィーはルクシャナを叱り付けた。

「おいルクシャナ! なにを考えてるんだ!? いきなりあんな質問をする奴があるか!?」

 それでもルクシャナは涼しい顔である。

「あら? 質問に感じたら、なんでも質問するのが私達学者の仕事よ」

「全く……いくら相手が“蛮人”の殺人者でも、命を奪うのは気分の良いもんじゃないんだぜ」

「理解った。気を付けるわ」

「そうしてくれ。大体なあ、海から行けば、こんな苦労はしないで済んだんだ! 陸路なんて時間も掛かるし、第一危険じゃないか!」

「だって、海路じゃなにも見られないじゃない。代わり映えの為無い海面を眺めながら旅するなんて、ゾッとするわ。海は砂漠より退屈よ」

 無邪気な声でルクシャナがそう言ったため、隣にいた若い“エルフ”の男が笑った。

「これでは、どっちが隊長か判りませんな。アリィー殿」

「イドリス、なにを言ってるんだ。ルクシャナが隊長に決まってるじゃないか。僕達は御嬢様の道楽に付き合わされる、召使いみたいなもんさ」

 苦々しい声でアリィーが言うと、ルクシャナは叫ぶように言った。

「良し! じゃあ命令するわ! 誇りある“砂漠の民”よ、世界を管理する高貴なる一族の軍団よ。前進せよ! 目標! “トリステイン王国”、ド、ド、ド……」

 ルクシャナは言葉に詰まった。

「“ド・オルニエール”だ」

 アリィーが、行き先を告げた。

「全く……“蛮人”の付ける名前は覚え難いわ。人も、土地の名前もね」

 アリィーは、呆れた声で、「君は学者だろう?」と言った。

 イドリスともう片方の“エルフ”――マッダーフは、笑い転げた。

 砂漠の妖精達は、深くフードを冠り直すと、再び街道を進み始めた。



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襲撃

 “ニイド(8)”の月の“第三(エオロー)”の週、“第四曜日(マン)”。

 “ド・オルニエール”は蒸し暑い日が続いていた。

 “ハルケギニア”の夏は、どちらかというと乾燥して居り、余り暑さは苦にならないのであるが、たまに今日のように暑くて堪らない日もある。

 何せクーラーなんてモノがない世界である。“水魔法”で冷気を送るような装置もあることにはあるのだが、高い割には途中で止まったりで性能がすこぶる悪い。“魔法”を常時放出して制御するということは難しいのである。止まるならまだしも、途中で暴走でもした日には命に関わるということもあって、部屋を冷やす目的には余り使われていないのが現状であった。

 そんな訳で、この“ド・オルニエール”の屋敷の天井には大きなファンが取り付けられている。以前から備えられていたモノを、改装の時に修理したのである。

 “魔法”で回るその羽が風を送ってくれるのだが、ルイズは寝付くことができずにいた。

 ううう……と、ルイズは額に掻いた汗を拭った。

「眠れないわ」

 この2~3日の間、ルイズは上手く眠ることができないでいた。ルイズは恨めしげに天井で回り続けるファンを見詰めた。

 その理由は、暑いからというだけではなかった。

 ルイズは、自身の左側を見詰めた。

 そこでは、黒髪の少女が口を半開きにしてくぅくぅと寝息を立てている。シエスタである。彼女は趣味が昼寝と言い切るだけのことはあり、寝付きの天才であった。世の中にもし寝付き選手権などというモノがあれば、間違いなく彼女は、上位に入るであろうほどの寝付きの良さである。寝る前は、「あー、なんか蒸し暑くて嫌ですねー」などとぶつくさ言っていたというのに、コテンと横になるなり寝息を立てたのである。凄いとしか言ようがないであろう。

 シエスタのその手首にはロープが巻かれ、ルイズの手首と繋がっている。これは、船を桟橋に繋ぎ止めておくための催合網のようなモノである。これをしておかないと、シエスタという船はこの港を離れ、別の部屋で寝ている才人という港へとフラフラ航行してしまうためであった。

 ルイズからして、全くもって、そういうのは、なしにして欲しかった。なにせ、無駄な暴力を振るわねばならなくなるためである。3人にとって実に不幸な事態というモノだ。

 ルイズは手首のロープを見詰め、それはしっかり結わえられているということを確認すると、次に右を向いた。

 そこでは青髪の少女が、両手を胸の前で組んでスヤスヤと眠っている。タバサである。彼女の寝付きもまた素晴らしいといえるだろう。成る程、過酷な日々を送って来た彼女にとって、このノンビリとした“ド・オルニエール”はまるで天国のように感じられるであろう。その手にも、やはりシエスタと同じようにロープが括り付けられており、ルイズのもう片方の手と繋がっている。彼女は1人でのこのことベッドを抜け出すということはしないのだが、強力な助っ人がいるために全くもって油断ができないのであった。

 ルイズはそれから天井を見上げ、深い溜息を吐いた。次いで、(全くこれからどうなっちゃうんだろう?)と考え、首を横に振る。

 “ハルケギニア”の地下に眠る“風石”が暴走して、此の大地が捲れ上がる。

 ルイズは、(嗚呼、もし、寝ている隙にこの地面が盛り上がったら……私は、地面ごと空に持ち上がってしまうのかしら?)と考え、それから、シオンが治める“アルビオン”のような浮遊大陸がいくつも空を漂っている様を想像した。また、そのうちの1つ……小さい浮遊島に、自分と才人が並んでいる様を想像した。小さな、100“メイル”ほどの小島である。

 小ぢんまりとした御屋敷に、小さな池……空の上であれば、左側で眠るメイドはもう忍び込むことはできないであろう。(クスクス。精々下から見上げるが良いわ!)とそこまで考え、ルイズは己の想像を恥じた。

 ルイズは、(そんな呑気な妄想をしている場合じゃないわ。住む所が失くなってしまうって、どういうことかしら?)と考え、大きな不安が彼女を包み込んだ。そうすると、もうどうにもならなくなってしまい、ルイズは才人の側へと行きたくなって仕方がなくなってしまうのである。何せこうしている間にも、地面は盛り上がり、ルイズ達を遥かな空の高みへと運んでしまうのかもしれないのだから。

 結婚前に同じベッドで寝るのは許さない、という、エレオノールのもっともな言い付けで、離れて寝ることになったのだが、結局、ルイズの不眠はそれが原因なのである。

 昔は、ルイズの寝付きだって相当なモノであった。ベッドに入るなり、寝息を立てられた。それが、才人と一緒に眠るようになり、それが当たり前になった時、自分でも気付かないうちにルイズの寝付きにはあの“使い魔”が必要不可欠になってしまっていたのである。

「エレオノール姉様も非道いわ。私、あいつがいないと眠れないのよ。このままじゃ寝不足で参っちゃうじゃないの。医学的見地から、そんなこと許されないわ」

 ブツブツとルイズは隣の部屋で寝ている姉に、小声で文句を言った。それから、ふむー、と目を瞑り、パッと開いた。

 ルイズは、(無理。眠れない。暑いし、サイトがいないんだもの。どうしたら眠れるのかしら?)とそこまで考え、軽く頬を染めた。

 それから、(キス。そうよ。軽くで良いの。ソッと触れるくらい。だって、最後にキスしたの3時間前よ3時間前。それじゃ、御休みの効果も薄れるってモノだわ。決めた。ちょっと忍び込んで、5分くらい優しくして貰おう。あいつ馬鹿だから、ゴロにゃんとか言ったら、きっと夢中になって私に激しく優しくしてくれるわ。ええと、激しいのか優しいのかどっちなのかしら……? ううん、どっちもが好いわ)と考え、激しい方の想像をして、また激しく頬を赤らめた。

「駄目よ。エレオノール姉様に殺されるわ。あの人、そう言うの許せない人だから」

 ルイズは、(兎に角5分くらいなら神様も姉様も許すべきだわ)とかなんとか想いながら、ロープを外しに掛かった。

 すると、扉がパターンと開いて陽気な声が響き渡った。

「はい。どうもなのね」

 きゅいきゅいかくかくと首を振りながら近付いて来たのは、シルフィードで在る。主人と同じ青い髪を靡かせ、タバサとルイズを繋ぐロープをパクっと咥えると、歯でもってガシガシと切り始めた。

「なにしてるのよ?」

 ルイズが目を吊り上げて問うた。

「決まってるのね。御姉様を連れて行くのね」

「どこによ?」

「おまえの“使い魔”の部屋なのね」

 ルイズは立ち上がろうとして、自分が縛ったロープに引っ張られてしまい、再びベッドへと倒れ込んだ。

 シルフィードはシルフィードでロープを上手い具合に噛み切ることができないようである。

「きゅい! なんなのねこのロープ! おいちび桃!」

「なにその呼び方?」

「髪が桃で、ちびだから」

 ルイズはカッとして、ロープをクイッと引っ張った。

 再びロープを齧り切ろうとしていたシルフィードの歯が対象を失い、ガチン! と鳴った。

「なにするのね?」

「獣の分際で、人間様の部屋に軽々しく入って来ないで頂戴」

「人間風情がなにを言ってるのね? 我々“韻竜”は、泣く子も黙る古代の眷属なのね。所詮おまえ達とは歴史や文化や積み重ねて来たモノが違うのね。意見を述べることができるのは、“英霊”達くらいなのね」

「どこが違うのよ!? ロープを歯でガシガシ切ろうとしてる癖に良く言うわ! と言うかやめなさいよッ!」

 ルイズはロープを引いた。

 流石にそれで、タバサとシエスタが目を覚ました。

「……なに?」

「なんですか? なんですか?」

 シルフィードは嬉しげにきゅぃっと鳴いてタバサに抱き着いた。

「わ! 御姉様やっと目を覚ましたのね! 兎に角これで安心なのね。シルフィが御姉様を無事解放して、行きたい所へと運んで上げるのね。背中を押して」

「どういうことですか? “貴族”同士の密約ですか? 1日交替とかそういうアレですか?」

 シエスタはルイズへと詰め寄った。

「そこの馬鹿“竜”が、勝手に余計なことをしようとしただけよ」

「余計なことじゃないのね。主人の気持ちを代弁しているだけなのね!」

「代弁しなくて良いから、外に戻りなさい。“竜”は外で寝る生き物です」

 ルイズとシルフィードが睨み合っている横で、シエスタはタバサに尋ねた。

「で、あのトンチキな“竜”は、ミス・タバサの意思を代弁してるんですか?」

 するとタバサは軽く唇を噛んで頬を染め、横を向いた。

 シエスタは、「失礼します」と頭を下げると、タバサの胸や顎の下などを両手で探り始めた。

「ミス・ヴァリエール」

「あによ?」

 シルフィードと額を押し付け合っていたルイズは、不機嫌な唸り声を上げた。

「ミス・タバサなんですが」

「あによ?」

「明らかに発情してます」

 タバサは、ハッといた顔になり、また、泣きそうになる。それから自由な方の右手で“杖”を握って、“サイレント”の“呪文”を唱え、またなにか言おうとしたシエスタの口を封じた。それだけでは飽き足らず、身振りでなにかを伝えようとしたシエスタの頭を、ポカポカと殴り付ける。

 ルイズは顔を真赤にすると、意を決したように首肯き、タバサの耳元で二言、三言、なにかを呟いた。

 するとタバサは目を大きく見開いて、ルイズの顔を見詰めた。

 そんなタバサに向かって、ルイズは大きく首肯く。

 それから再びタバサの耳元で、ゴニョゴニョとルイズは呟く。

 すると今度は、タバサの顔から冷や汗が流れ、ワナワナと震え、口がポカンと開かれた。

「理解ってるの? 貴女、こんな夜中にサイトの部屋なんかに行ったら、私と間違えられて色々されちゃうのよ。いや、あいつ本物だから、今以上ね。あくまで私と間違えて、だけどね。そんなことされたい?」

 タバサは身体を強張らせた。

 ルイズのゴニョゴニョは、まだ初心なタバサには刺激が強過ぎたのである。

「まあ、御姉様も卵を産む年頃なのね。頑張って産むのね」

 なにも気にせずに、シルフィードはロープを齧り切ろうとする。

 それから、「だから切るんじゃない馬鹿“竜”」、だとか、身振り手振りで「ミス・タバサ、良い本貸して上げましょうか?」、とかなんとか大騒ぎになった時に、扉がバターン! と開かれる。

 そこには、目を吊り上げた長い金髪の女性がいた。

「エレオノール姉様!?」

 ルイズが悲鳴のような叫びを上げた。

 ネグリジェ姿のエレオノールは、眼鏡を忙しなく弄りながら、3人と1匹を睨み付けると、大声で怒鳴った。

「貴女達! 今何時だと思ってるの!?」

 ルイズはその声にビクンと震え、背筋を伸ばして固まった。

「おや。また煩いのが来たのね」

 エレオノールはツカツカと近付くと、ビビビビビビとシルフィードを殴り付けた。

「なにするのね!?」

「御座り」

 ジロリとエレオノールが睨むと、シルフィードはなんだか怖くなってしまい大人しくなった。なんというのであろうか、エレオノールが怖かったのである。生理的に、凄く。

「こんな夜中に、一体どんなパーティを開いていたの?」

「パーティなんか開いてません」

 ルイズが空恍けて言いはしたが、エレオノールは当然聞いていない。

「さっき、発情、という単語が聞こ得たわ。ど、どういうことかしら?」

「そ、それはこのメイドが勝手に騒いだだけで!」

 シエスタは発言の必要を感じ、タバサを見詰めた。

 仕方なしに、タバサは“呪文”を解除する。

「ぷはっ。嫌だ。ミス・ヴァリエールは非道い人ですわ。貴女のためにミス・タバサのそれを報告したんじゃありませんか」

 タバサは無言でシエスタをポカポカと殴り付けた。

「兎に角、貴女達は、“貴族”の、いえ、淑女としての自覚が足りないようね」

「御言葉ですがエレオノール様。私はただのメイドで御座います」

「黙っらっしゃい」

「シルフィ何か“竜”なのね」

「御黙り」

 エレオノールは腕を組むと、緊張でかしこまるタバサを見て溜息を吐いた。

「“ガリア王族”の御方を当家で御預かりする以上、教育の責がこの私目には御座ます。朱に交わって赤くなられては、ラ・ヴァリエールの長女としての立場がありませぬ。ビシバシ行きますので、どうか御覚悟を」

 エレオノールは、スサッ! と腰から乗馬鞭を取り出すと、それで床を思い切り叩いた。

 どうやら、姉妹揃って、なにか躾や教育を誰かに施しなす時は、乗馬鞭を用いるようである。

 その場の全員が、ヒウッ!? と悲鳴を上げた。

「メイドだろうが“竜”だろうが“王族”だろうが、この家で暮らす以上、レディとそれに仕える侍女としての当然の作法を身に着けなさい。兎に角貴女達を纏めて教育して上げる。返事は?」

「は、はいッ!」

 その場の全員が、背筋を伸ばして返事をした。

 

 

 

 エレオノールの、教育、が終わったのは、それから2時間後のことであった。

 作法の教育とはいっても、眠りを邪魔されたエレオノールの憂さ晴らしであったといっても過言ではないであろう。

 取り敢えず歩き方の練習をさせられたのだが、4人共散々エレオノールの小言を浴びせられた。

 ルイズはそういう“貴族”らしい振る舞いには自信があったのだが、今日のエレオノールの御眼鏡に適わず、何度もやり直しを命じられた。

 先ずシエスタとシルフィードも眠くなったらしく、その場に倒れて寝息を立て始めた。すると、エレオノールも眠くなったらしく、自分の部屋に戻らずルイズ達のベッドへと倒れ込んだのである。次にタバサが倒れ込み、その横で眠り始めた。

 あと1時間もすれば、夜明けがやって来るであろう。

 ルイズは、(とんでもない夜だったわ)と独り言ち、やっと煩い連中が眠ったことに気付いた。

 ルイズはそっと部屋を抜け出すと、才人の部屋へと向かった。

 扉を開くと、才人はベッド代わりのソファに腰掛けていた。

「起きてたの?」

「ああ。なんか眠れなくてな。おまえもか?」

 ルイズは、コクリと首肯いた。

 才人は、先程まで考え事をしていたようで、余り見せない真面目な顔をしている。

 その様子を前に、ルイズは、才人が自身より2つも3つも年上に見えた。

 ルイズは、(確か私より1つ上でしかないのに。サイト達の世界の1年は、こっちの1年よりほんの少し短いんだっけ? でもって、1日の長さは、体感では変わらないらしいわね。人が住む場所と言うのは、どこも余り変わりがないのかもしれないみたいね。兎に角。それから行くと、私とサイトはほぼ同じ年ということになるかしら? それなのに、さっきの考え事をしているサイトは随分と大人びていたわね)と想った。

 今まで同年代の少年達が、大人っぽく見えたことは、ルイズには1度もなかった。男の子という生き物は、自分達女の子よりずっと子供で在る、と想っていたのである。いつも馬鹿なことばかり言って、単純で、ガサツで、デリカシーがない生き物、だと。だからこそ、才人に逢うまでの間、ルイズは幼馴染の間での約束事以外では、恋愛などには興味を持てずに生きて来た訳なのだが……。

 ルイズにとって、才人もまた少し前までは、馬鹿な男の子の1人に過ぎなかった。気になってはいたし、好きは好きであったのだが……大人っぽく見えるということはなかったのである。

 女の子は、確かに同年代の男の子よりは大人になる時期が早いであろう。大人になる速度は、絶対とは言い切ることはできないかもしれないが、大抵男の子選り早いのは確かである。

 だが……。

 ルイズは、(男の子は、一瞬で大人になっちゃんだわ。何が切っ掛け成のだろう? 様々なことが今までにあった。でも、今回の危険は今までのことに比べて遥かに大きい。なにせ、住む所が失くなってしまうのだから。そうした危機感 が、サイトにこんな顔をさせるのかしら?)と考えた。

「どうした? 何か話があるんじゃないのか?」

 ボーッと、自分を見詰めてなにも喋らないルイズを見て、才人が促した。

「え? あの、違うの。大した話がある訳じゃないんだけど……」

 すると才人は、キョトンした顔で言った。

「ああ、俺に逢いたかったのか?」

 以前までのルイズであれば、このように言われると、ついムキになって「そんなんじゃないわよ!」などといったことを言っていたであろう。

 だが、今は違う。

 恥ずかしげに、ルイズはコクリと首肯いた。

「俺もちょうど逢いたかった。なんつうかさ、ずっと一緒に寝てたから、いざ別々ってなんか変だよな。慣れないって言うか」

 ルイズは才人の隣に腰掛けると、最近よくするようにソッと寄り添った。そして、手を握る。

 それが合図だったみたいに、最近はルイズの顎を持ち上げた。

 それがスイッチであったかのように、ルイズは目を瞑る。

 唇が重なり合い、それと共にルイズの中に安心感が満ちて行く。

 しばらく重ねた後、ルイズは才人に尋ねた。

「なにを考えていたの?」

「そりゃ、“聖戦”や“聖杯戦争”のことだよ」

 才人は、なにやら解せないといった顔で言った。

「納できないの?」

 ルイズは心配そうな声で言った。(そりゃあ、私だって“エルフ”と戦うなんてことはしたくない。交渉が失敗すれば、戦いになる……でも、仕方ないの。そうしなければ、“ハルケギニア”の民の半分は住む場所を失う。残った人間だって、今まで通りに生活することはできないでしょうし)と想った。

「いや、教皇達の言うことは理解る。住む所が失くなっちまう。これ以上大変なことはないよ。でもさ、あんだけ強い“エルフ”達を相手にするんだ。今のままで大丈夫なのかな? って」

「そうね」

 ルイズも真面目な顔になった。

「交渉って、要はこっちにビビってくれなきゃ話にならない訳だろ? そんじょそこ等の“魔法”じゃ駄目だと想うんだけどね」

 その辺りのことは、ルイズも考えていなかった。

 だが、才人の言うことも一理あるであろう。

 ルイズは、(“4の4”が揃えば、なにか強力な“魔法”を私達は使えるようになるのかしら?)と考えた。それから、“始祖の祈祷書”に書かれた“始祖ブリミル”の言葉を想い出した。

 

――“必要があれば読める“。

 

「その時が来たら、たぶん、使えるようになると想うわ。今までがそうだったから」

「そうか……」

 才人はそう言って、少し哀しそうな顔をした。

「どうしたの?」

「ちょっとね」

「訊いても良い?」

 すると才人は、困った声で言った。

「ティファニアのことだよ。あいつ、ほら、御母さんが“エルフ”だろ? 自分の母親の国と戦わなくちゃいけないかもしれないって、辛いだろうなって」

 ルイズは、ハッとした。(確かにそうね。私達にとっては、“エルフ”は仇敵。そりゃあ確かに戦いたくはないわ。でも、感情だけで言えば、それほどの拒否感はないもの。でも、ティファニアは違うかもしれない。でも、かといってティファニアを外す訳にもいかないし)、と想った。

 才人は立ち上がると、テーブルの上から1通の手紙を取り上げ、ルイズに見せた。

「さっき、ティファニアから手紙が来たんだ」

「手紙?」

「ああ。梟で届いた」

 ルイズはその手紙を広げた。

 そこには、教皇からの指示で、「“ド・オルニエール”に向かえ」と言われたことが書いてある。

「明日、来るんだ。シオン達と同じ日に……え? ここで“使い魔”を“召喚”するですって!?」

 ルイズは驚いた声で言った。

「驚くことでもないだろ。“4の4”を揃えるってそういうことだろ。いよいよ本格的に動き出すってことだよなー。でもって、とんでもない“魔法”が使えるようになるんだろうな」

「そうだけど……」

 ルイズは、心配そうな声で言った。理解ってはいたのだが、本格的な“聖戦”がいよいよ近付いて来た、ということを実感したのである。

 “トリステイン”でも、再び外征軍の編成が始まるという。立て続けの戦続きだったということもあり、余りスムーズにことが運ぶとは考え難い。

 当たり前のことではあるが、ルイズや才人達が戦の要になるであろうことは明白である。

 ルイズは、(こんな小さく頼りない私の身体に、“ハルケギニア”の未来が……今度はホントのホントに、未来が賭かってる)と想い、緊張した。

 ルイズはなにかを言おうとした。だが、上手く言葉が出て来ない。

 そんなルイズを見て、才人が安心させるような声で言った。

「全く、“エルフ”と上手く交渉できないもんかね。あいつ等が、大人しく“始祖ブリミル”が作った“魔法”装置とやらを返してくれればそれが1番良いんだからさ」

 ルイズはなんだか自分が恥ずかしくなった。そういった事態だというのに、余り真面目に考えていなかったためである。正直に言うと、怖いのである。(どうせセイヴァーや教皇達にはなにか策があるんだわ)などと想って、考えるということを放棄していたように想えたのである。

 だが、ルイズから見て、才人は違った。才人が、自分が出来る範囲で考えている、というように見えた。そう感じられた。

 ルイズは、(これは、私達のことなんだ。誰も、なにも答えてくれない。教えてくれない。もしかすると、セイヴァーが解決策を知っているかもしれないけど……頼っては駄目。まあ、どうせ理由があって教えてくれないだろうし……私達でやらなきゃならない)と想った。

「私、“エルフ”のことを調べてみるわ」

 ルイズは言った。

 兎に角相手のことを良く知らねばならないのだから。

 その時、哀しそうな才人の顔に、ルイズは気付いた。

「戦うのは嫌?」

 すると才人は、首を横に振った。

「仕方ないだろ。そりゃ嫌だけどさ、こうなった以上、俺の好き嫌いなんか関係ない。そりゃ、先ずは”エルフ”達に俺達はこんな大変なことになってますってちゃんと説明するさ。そんでも”エルフ”が”そんなの知るか。勝手に滅びろ”なんて言うようだったら」

 才人は目を細めて言葉を続けた。

「俺は戦う。自分と仲間の幸せのためにね。そんくらいの覚悟はできてるよ」

「有難う」

「なんで礼なんか言うんだ?」

「だって、サイトに関係ないじゃない。“こっちの世界(ハルケギニア)”の人間じゃないし……」

 すると才人は、呆れた声で言った。

「未だそんな事言うのか」

「ううん。ちょっと言ってみただけ。でもホントに有難う」

 ルイズは、才人の胸に頬を埋めた。

 才人は優しくその頭を撫でる。

 しばらくそうやって撫でられていると、ルイズは(ここが私の居場所なんだ)と強く感じることができた。もちろん、そのようなことを口に出すことはないのだが。

 ルイズは、(私も戦う。この居場所を守るために)と想った。

 そして、やっとのことで眠気がルイズを襲った。

 

 

 

 

 ルイズを寝かし付けた才人は、はぅううううう、と溜息を吐いた。ルイズに言えない心配事が、まだまだあったためである。

 才人は、自分の膝の上で、あどけない顔で寝息を立てるルイズを見詰め、ポツリと呟いた。

「“エルフ”をビビらせるような、とんでもない“魔法”が使えるようになるだって? そんなの、こいつの小さい身体で耐えられるのか?」

 それが、今の才人にとって1番心配なことであった。なにせ、ルイズ達の“虚無”は“精神力”を派手に消耗するのである。あの“エクスプロージョン”でさえも、“精神力”がきちんと溜まっている状態でないと、強力なのはそうそう撃てないのだから。

 “エクスプロージョン”でそれなのである。

 “エルフ”達を屈服させることができるような“魔法”となれば、どのくらいの精神力を必要とし、消耗するかは想像に難くなかった。

 才人は、(どれだけの負担が掛かるのだろう? もし身体が危険なことになっても、ルイズは唱えようとするだろうな。自分の故郷を守るために……)と眠るルイズを見ながら考えた。

「その時になったら、俺、おまえに“止めろ”って言えるのかな……?」

 才人は、“始祖の祈祷書”に書かれた“時として虚無はその強力により命を削る”という文句を知らない。それでも、直感とでもいうべきモノで、危険ではないだろうかと考えていた。そもそも、強大な力には原則としてなにかしらの代償や制限、デメリットといえるモノが存在するのだから。

 そして、妙に責任感の強いルイズは誰が止めようとしても、例え命を失うことになろうとも、唱えるべき時はその危険で強力な“呪文”をとなるであろうこともまた簡単に想像することができる。

 そんなルイズだからこそ、才人は増々好きになったのであろうが……。

 才人は、(危険な橋は渡って欲しくない。どうすれば善いんだろう?)などと考えるのだが、いくら頭を捻っても答えは出ない。それから、(まさか唱えたら死ぬと決まった訳じゃないし。もしかしたら杞憂に過ぎないのかもしれない。セイヴァーだってなんも言って来ないじゃないか)と自信に言い聞かせるように考える。

 だが才人の中で、(でも、でも……)と、何かが危険だと、直感のようなモノが教えてくれていた。

 才人は、(俺が“ガンダールヴ”だから、“サーヴァント”だから、“使い魔”だから、そういった危険を感じるんだろうか? もっと勉強しときゃ良かったな……いや、学校の勉強あんまり関係ないな)とか考えていると、空の向こうが白々と輝きが見えた。

「ん?」

 その時。

 何か、窓の外から妙な気配がすることに才人は気付いた。

 唇の端を歪め、ソファに戻ると才人は無銘の“日本刀”を握り締める。左手甲の“ルーン”が輝き出す。

 窓を開き、才人は地面へと飛び降りた。

 着地と同時に、才人へ向かって様々な方角から“魔法”が飛んで来る。氷の矢、そして炎の球……。

 その攻撃を予想していた才人は、直ぐに飛び跳ねてそれを躱した。

 炎の球が、才人に着地した辺りに着弾して、爆発を起こす。花火のように火花が散り、辺りには煙が立ち篭める。

 氷の矢が、屋敷の壁に突き刺さり、漆喰を飛び散らせた。

 才人は姿勢を低くすると、“魔法”が飛んで来た方角に目を向けた。

 感じた怪しい気配が、敵なのか味方なのか、いるとしたらどこにいるのか、何人なのか、そういったことを確かめるためにわざと派手に2階から飛び降りたのである。

 “魔法”の威力からして、相当な使い手であることが理解る。

 ということは……。

 直ぐに才人は、(今、俺を狙う連中はあいつ等くらいなモノだ)、と相手の検討を着けた。

 才人は暮明に向かって、大声で叫んだ。

「おい! おまえ達だろ!? “元素の兄弟”!」

 しばらくの沈黙があって、返事があった。

「そうだ! 神妙に勝負しろ!」

 ドゥードゥーの声であった。

 才人は、はぁ~~~、と溜息を吐く。それから、「取り敢えず出て来いよ。話があるんだ」と声を掛けた。

 前方の茂みから、1人の少年が姿を見せた。

 そして、右側の茂みからもう1人。以前ドゥードゥーと一緒にいた少女である。名前は、ジャネット。

 その後ろからは、前にガリア”で戦った巨体の男もまた姿を見せる。

「おまえ……」

「よお」

 大男は、屈託のない笑顔を才人へと向けた。それは、才人と戦った後“ガリア”で捕まっているはずのジャックであった。

「おまえ、捕ってたんじゃないのか?」

「俺を閉じ込めておける牢獄なんて存在しないよ」

 ジャックは豪快に笑った。それもそうであろう。この“元素の兄弟”達は、いずれも相当な使い手である。“系統魔法”だけではなく、身体能力などもなんらかの“魔法”――“精霊の力”に似たなんらからの力を利用して強化されているのだから。ただの監獄では、拘置しておくのは難しいであろう。

「行くぞ! 正々堂々と勝負だ! “杖”を抜け!」

 ドゥードゥーが、顔に朱色を滲ませて叫ぶ。

 才人は頭を掻いた。

「やめとくよ」

「そうか。それならば、勝手に死ね」

 ドゥードゥーは“呪文”を唱えようとした。

「あのなあ……おまえはデルフの仇だから、俺もやりたいのは山々だけれど、正直それどころじゃないんだよ。折角だから教えてやるが、今“ハルケギニア”は大変なことになってる」

 するとジャネットが、つまらなさそうに言った。

「“大陸隆起”でしょ」

「なんだ、知ってたのか。“火竜山脈”だけじゃないぜ。この辺りもヤバイんだ」

「それがどうした!? 僕には関係ない!」

「大ありだわよ。もう、ドゥードゥー兄様、いい加減にしてよ。おかげでこの国の“貴族”共は、出兵で御金がなくなっちゃって依頼はキャンセル。只働きしてどーすんのよ?」

「やっぱり、“トリステイン貴族”の差金か」

 才人は切ない声で言った。才人の中で、(俺達は、そんな連中も救けるために、“エルフ”と戦わなくちゃいけないのか)と怒りが湧いた。

「依頼人を明かすなよ!」

 ドゥードゥーが怒った声で言う。

「あら? もう依頼人じゃないわ。どうでも良いじゃないの」

 そんなやりとりに、才人は頭が痛くなった。

「兎に角、おまえ達も逃げる準備でもしろよ。正直言ってな、おまえ達に関わり合ってる暇なんかないんだ。俺達は、そんな状況をなんとかするために働かなくちゃいけないんだよ」

 それでもドゥードゥーは聞き分けがない。

「おまえとの勝負はまだ着いてないんだ! 良いからその剣を抜け!」

 そんな自分勝手なドゥードゥーを見ていると、才人の中の怒りが増々湧き上がった。それから、(こんな奴に、デルフを殺されたなんて……今直ぐ駆け寄って、その胸を思い切り抉ってやりたい。でも、そんなことをしたら周りにいる2人が黙っていないだろう。それに、屋敷で寝ている皆も起きて加勢しに来るに違いない。そうなったら派手な戦いになる。派手だが意味はない)と考えた。

「あのなあ、いい加減にしろよ。おまえの妹や兄貴だって呆れてるんだろ?」

 才人は、苦い顔をしたジャネットとジャックを指さした。

「まあね」

 ジャックは、頭を掻きながら言った。

「だったら逃げ場所でも探せよ」

「いやぁ……どこにいたって変わらんさ。それに、どんなことになったって、俺達は生き残れる自信があるんでね」

 それは嘘ではないであろうことが、才人には理解った。同時に、(もしかして、“貴族”のほとんどもそう考えているんじゃないだろうな? どんなことになっても、自分達は大丈夫、と。全く、どいつもこいつも自分のことしか考えていない。だからたかが人気が出たくらいで、俺を殺そうと考えたんだろう。“貴族”は良い。でも、“平民”達はどうなる? “貴族”より、そっちの人数の方がずっと多いんだ)と考えた。

「6,000年だっけ? そんだけのほほんと暮らしてりゃ、なにが大変でそうじゃないかってのが、理解らなくなっちまうのかな」

「なにか言ったか?」

「別に。全く、下らない勝ち負けに拘ってどーすんだよってね」

「下らないだと? 僕はこの世界最強の“メイジ”になるんだ。その夢を下らないって言うのか!?」

 言うなり、ドゥードゥーは“杖”を抜き放ち、才人へと躍り掛った。

「やっぱ駄目か。でも、それは叶わない願いだと想うぜ。なにせ、“始祖ブリミル”やセイヴァーがいるんだからな」

 才人は、(まあ、説得してどうにかなる相手じゃない)と想い、刀を構えた。

 ドゥードゥーが振り下ろそうとしている“杖”には、以前見た時と同じような強烈な“魔法”の刃が輝いている。

 才人は横に飛んで躱す。

 同時に、ドゥードゥーは光のような速で才人の懐へと飛び込んで来た。

 だが、この前とは違って、才人の動きは更に素早かった。今の才人には迷いなどなく、屋敷にはルイズ達がいる。また、才人は腕輪が使い、“魔術”と“魔法”で身体能力を上昇させている。

 才人は後ろに飛んで躱して、ジャネットとジャックに注視した。

 2人共、腕を組んで見守るのみである。

 そんな2人の様子から、才人は、(だが、ドゥードゥーがヤバくなったら加勢するだろう。ということは、ドゥードゥーを追い詰めてはいけない)と考えた。

 そのように冷静に判断できる自分に、才人は驚いた。

 詰まり、ここは……。

「逃げるが勝ちだな」

 才人は踵を返すと、駆け出した。

「待てッ!」

 ドゥードゥーが驚いた声で叫ぶ。

 才人は、「待つ訳ねえだろ」と呟き、屋敷とは反対方向の森へと駆け抜けようとした。

 後を追おうとしたドゥードゥーの前に、青い影が立ち塞がったのはその時である。

「な、なんだおまえ達は!?」

 “杖”を構えたタバサである。逸早く騒ぎに気付き、文字通り飛んで来たのであった。

 そして、その横には“実体化”したイーヴァルディもいる。

 ネグリジェ姿のまま、タバサは目を怒りに光らせて立て続けに“呪文”を放つ。

 “ウィンディアイシクル(氷の矢)”が、タバサの怒りを具現化したような数でドゥードゥー目掛けて飛んだ。

 タバサの怒りは相当なモノであるようであり、現れた氷の矢は数十本に達している。

 それが一斉に飛び掛かったのだから堪らないであろう。

 ドゥードゥーは“杖”で矢を弾き、咄嗟に躱してみせた。が、不意打ちであったために数本を身体に喰らってしまう。

「ぐっ!」

 そう叫んで地面に転がったドゥードゥーに、タバサは“杖”を突き付けた。

「動いたら殺す」

 そう淡々と告げた声は、なんの気負いも感じられない。

 だが、その全身から漂う、氷のような冷気が、ドゥードゥーにその言葉が決してハッタリでもなんでもないとうことを教えてくれた。

 タバサは見た目は幼い少女であるが、相当の修羅場を潜って来たであろうことを感じさせる構えをしていることが判る。

 また、その隣にいる革鎧を着た青年の実力も、ドゥードゥーは理解することができた。本能的なモノであろう。鎧を着た青年は、一見無防備に見えるが、それでいて全く隙がない。

 しかしドゥードゥーも然る者である。相当の攻撃を喰らう覚悟を決め、“呪文”を放つ。“杖”の先から、猛烈な閃光と共に、稲妻が飛んだ。

 高位の“風呪文”、“ライトニング(稲妻)”である。“ライトニング(稲妻)”は、どこに飛んで行くのか予想を着けるのが難しいために、使い難いといえるであろう。撃った自分に向かって飛んで来る場合もあるためである。だから通常は、“ライトニング・クラウド”を唱え、小さな雲を作り出し、遠隔的に発射するのである。

だが、何の躊躇もなしにドゥードゥーは、稲妻を撃って退けたのである。こちらも相当な手練dえあるといえるだろう。

 タバサは咄嗟に“杖”で庇おうとする。

 が、その前に、イーヴァルディが剣を抜き放ち、稲妻から、マスターであるタバサを守護る。

 イーヴァルディが持つ剣が避雷針のように“ライトニング(稲妻)”を引き寄せるのと同時に、タバサは“呪文”を唱える。

 吹き荒ぶ風が、ドゥードゥーを吹き飛ばす。

 時間にすれば、わずか1秒程の攻防であろう。そして、3人は、十数“メイル”の距離を於いて対峙した。

「全く……だから言わんこっちゃないのよ。この屋敷には“メイジ”が一杯詰めてるからやめろって言ったのに……」

 そんな様子を見ていたジャネットは、溜息を吐く。それから、ドゥードゥーを助けるために“呪文”を唱えようとした。

「――きゃあ!?」

 だが、その瞬間、ジャネットの眼の前で爆発が起こり、彼女は後ろに吹き飛ばされる。

 濛々と立ち篭める土埃の向こうに、月の灯りに照らされ、やはりネグリジェ姿をした桃髪の少女が目付きでジャネットを睨んでいた。

「あれ? 貴女……ヴァネッサ?」

「違うわ。ルイズよ。やっぱり貴女、サイトを狙う殺し屋だったのね」

 ジャネットは、ニッコリと微笑んでみせた。

「今は違うわ。兄の付き合いで来ただけよ」

「どっちにしろ、殺しに来たんでしょ。そんなの、絶対に私が許さない」

 キッパリとルイズは言い切った。

 するとジャネットは、大袈裟に溜息を吐いてみせた。

「なぁんだ。結局、赦しちゃったんだ」

「う、煩いわね」

「なんだっけ? 親友とキスしてたんでしょー? あのサイトとか言うの。で、それが赦せなくって修道院にまで入っちゃったのに、ちょっと優しくされたら赦しちゃうんだ。へー」

 挑発するように言われて、ルイズの髪が逆立った。

「か、かんけーないじゃない、貴女に」

「かんけーあるわよ。だって私、そんな貴女のために、わざわざ修道院迄案内して上げたんだから。それなのに、こんな簡単に仲直りなんて。興冷めだわ」

「御黙り」

「安い女ね」

 呆れた声で言われて、ルイズは再び“呪文”を放った。

 パンッ! と派手な音が響いて、“エクスプロージョン”が炸裂した。

 閃光が消えた後に、ジャネットの姿はそこにはなかった。

「あれ?」

 キョトンとしたルイズの耳元に、声が響く。

「絶対に赦さないって、頑なになってる貴女が好きだったになー」

「な!?」

 ルイズは、(このジャネット、どうやって私の爆発から逃げて、側に来たの? 人間とは想えない身の熟し……“サーヴァント”に匹敵する?)と驚きながら考えた。

 そんな考え事をしていると、ルイズはヒョイッと腕を掴まれて、慌てた。

「な!? 離しなさいよ!」

「ねえ。あんな男のどこが好いの? 私、貴女のことかなり気に入ってたのよ。だってこんなに……」

 ジャネットは、ヒョイッと舌を伸ばしてルイズの頬を舐め上げた。

「凄い力持ってるんだもの」

「馬鹿にしないで!」

 ルイズは怒りに任せて、自由な方の左手でジャネットを叩こうとした。

 だが、その手もグイッと握られてしまう。

 それでもルイズは得意の蹴りを叩き込もうとしたのだが、それもまた呆気なくガードされてしまう。

「ホント面白い娘!」

 ジャネットは、満面の笑みを浮かべるとルイズに抱き着いた。

「だから離しなさいってば! この!」

 

 

 

 ジャックはいきなり現れた加勢の娘達を呆れた顔で見詰めていたが、ルイズの加勢に向かおうとしている才人に気付き、“呪文”を唱える。

「森の木々よ。我に仇なす者を捕らえよ」

 野太い声で紡がれるそれは、口語の調べであった。

 ジャックの口から出でる“先住”の“呪文”は、立ち木の枝を動かし、才人の足に絡み付いた。

 

 

 

 才人は、現れたタバサとルイズとイーヴァルディを見て一瞬驚いた顔になった。次いで、その顔が感動に歪む。(あいつ等、やっぱりいざって時には頼りになるなあ)などと目頭が潤んだ。それから、(でも、彼女達を巻き込む訳にはいかない。あいつ等が狙っているのは俺なのだから)と想った。

 タバサとイーヴァルディはドゥードゥーを押さえてくれている。だが、ルイズは……と見ると、ジャネットに両手を押さえられもがいていた。

 ルイズは大きな大砲みたいなモノだと例えることができ、唱える“呪文”は当然強力である。が、戦闘が得意という訳ではない。誰かが周りを守ってやらないと、その威力を発揮させることはできないといっても良いだろう。

「あいつめ!」

 才人は怒りに震えて駆け出した。

「――うわっ!?」

 しかし、いきなり伸びて来た木の枝に、才人の足が絡め取られてしまう。派手にすっ転んだ先に、ジャックの巨体があった。

「おまえ……これって“先住魔法”? なんで?」

「まあ、どうでも良いじゃねえか。まあ、俺はおまえになにも含むところはないが、弟想いなんでね」

「ホントいい加減にしろっての。地面が捲れ上がっちまう時に、人間同士で争ってどーすんだよ!?」

「そんなの知ったことか」

 才人は素早く跳ね起きると、ジャックを袈裟懸けに斬り下ろそうとした。

 が、巨体を軽やかに動かし、ジャックはそれを避けてみせた。

「おい、俺の相手はおまえじゃないぜ」

 そう言いながらも、才人を攻撃しようと“杖”を構えた瞬間、ジャックの周りで炎の球がいくつも炸裂した。

 そして、たっぷりと色気を含んだ声が闇から響く。

「大丈夫? サイト」

「キュルケ!」

 “呪文”を唱えようとしたジャックに、炎の形をした蛇が絡み付く。

 コルベールが炎を鞭のように操り、ジャックを牽制した。

「サイト君! ここは我々に任せろ!」

 才人は首肯くと、ルイズの元へとすっ飛んで行った。

 

 

 

 ジャネットは、暴れるルイズを愉しそうな顔であやしていた。両腕を封じ、キスをするように頬を舐め回す。

「だから離しなさいってば!」

 ルイズは抵抗しようとしたが、ジャネットはルイズのそんな抵抗を物ともしない。

 そこに才人が駆け付けて来た。

「大丈夫か!? ルイズ!」

「救けて! 此の娘妙成の! 何か変成の!」

 才人とルイズを、ジャネットは交互に眺めて、愉しそうに舌舐りをした。妙に妖艶な雰囲気が辺りに漂う。

「貴男に、この娘は勿体ないわ。私が貰って人形にするわ」

「はあ? なに言ってんだよ!?」

 才人が刀を構えると、ジャネットは笑みを浮かべた。

「おっと。それ以上近付いたら……」

「人質なんて卑怯だぞ!」

「危害なんて加えないわよ。馬鹿ねえ。この可愛いネグリジェ、取っちゃうだけよ」

「そんなの脅しになるかッ!」

 才人は怒鳴り付けて近寄ろうとするのだが、ルイズが叫んだ。

「駄目ーッ!」

「はぁ? そのくらい我慢しろよ! 今はそれどころじゃ……」

 そう才人が言うと、ルイズが恥ずかしそうに首を横に振った。

「他の人に見られるのが嫌なの……」

 才人は口をあんぐりと開けた後、顔を真赤にさせた。

「そ、そうだよね……」

 そんな2人を見て、ジャネットは唇を尖らせた。

「なんなの? 貴方達」

 

 

 

 さて、spの頃タバサはイーヴァルディと共に、ドゥードゥーと獅子奮迅の戦いを繰り広げていた。

 いや、イーヴァルディはあくまでもサポートや露払いといった様子である。

 ドゥードゥーは、タバサの“ウィンディアイシクル”で得た負傷を物ともせずに、暴れまくる。まるで痛みを感じていないかのようである。

 だが、タバサとて、かつては音に聞こ得た“北部花壇騎士(ノーブル・シュヴァリエ)”の7号である。ヒト以上の力やスピードを持つ連中との戦いなら慣れている。最初こそ多少戸惑いはしたものの、ドゥードゥーの人間離れしたスピードにも着いて行くことができるようになった。なにせ、タバサには、才人を守護る、という強い想いがあるのだから。

 その想いが、タバサの“風”を何倍にも強力にさせていた。ドゥードゥーの大振りの攻撃を躱し、わずかな隙を狙って氷の矢を叩き込む。

 そのたびにドゥードゥーは、命中部位に“硬化”を掛けて、矢を弾いた。

 だが、いかなドゥードゥーの体術をもってしても、軽やかに風を使って飛び回るタバサ、そして“サーヴァント”中“ハルケギニア”随一とでもいえる有名で“知名度補正”を得ているイーヴァルディヲ前にしては、捕まえることもダメージを与えることも難しかった。

 だが、タバサの攻撃も、ドゥードゥーを追い詰めているとは決して言い難い。タバサの弱点は、その“呪文”の威力である。立て続けに唱えるために、1発の威力に欠けるのである。弱点を狙ったとしても、その場所に“硬化”を掛けられてしまうがために、致命傷を与えることができないでいるのである。

 そんな中、イーヴァルディは変わらずにマスターを立てるかのように最低限の動きなどしかしない。タバサが避け切ることができない攻撃などを防ぎ、たまにドゥードゥーの注意を引き付けるといった具合である。

 故に、3人の戦いは、将棋で例えるならばまさに千日手という状況に陥っていた。

 

 

 

「さてと。いやはや、凄いことになってるね。どうも」

 森の茂みの中、そんな乱闘を見守る、小さな影があった。まるで12歳くらいの子供にしか見えないが、目付きは子供のそれとは明らかに違う。

 “元素の兄弟”の長兄、ダミアンである。

 彼の手には、奇妙なモノが握られていた。

 一見したところ、それは巨大な管楽器のようにも見えるだろう。カタツムリのように、真鍮でできた管が、いくつも合わされ、先はラッパのように広がっている。

 ダミアンは、管楽器であれば吸口に当たる部分にあるスイッチを入れると、先を地面へと向けた。

 低い唸りと共に、管楽器のようなそれはビリビリと震え出した。管の内側が光り出し、中から強烈なオーラが迸り出した。ラッパの先が向けられた地面が、わずかに輝き始める。迸ったオーラが地面に当たると、そこがグンニャリと変化を始めて行く。

「常時“錬金”を放出する装置か。凄いね。どうも」

 ドゥードゥーと睨み合うタバサの元に、とととと、とシルフィードが駆け寄った。

 タバサが首を横に振る。

「加勢は要らない。危険だから、貴女は空で見ていて」

「違うのね。もっと重大なことなのね」

 シルフィードは焦った顔で言った。

「あそこを見るのね」

 タバサは、(戦闘中になにを言うのだろうか?)と疑問に想いながらも、言われるがままに、シルフィードが指さす方を横目で眺めた。

 月灯りの下、ルイズがジャネットに捕まり、ネグリジェを捲くられそうになっている。才人が、「やめろ」や「放せ」などと、大騒ぎをしていた。対して、ジャネットは、なんだか愉しそうに笑みを浮かべている。

 こうやってドゥードゥーと対峙している自分達とは全く違う温度差に、タバサとイーヴァルディは拍子抜けしてしまった。

 どうやら、本気で殺り合いたいのはこのドゥードゥーだけであり、他の2人はそうでもないらしいことが判る。

「御姉様に足りないのはあれなのね!」

「え?」

「良くも悪くも、御姉様は強過ぎなのね! こういう時は、弱いところを見せて救けて貰うのね。あの娘みたいに! きゅい!」

 タバサは、ハッとした。

 才人が夢中になってルイズを救けようとしているのを見て、タバサは(私……強過ぎる?)と想ってしまった。

「なに余所見をしてるんだ!?」

 ドゥードゥーが叫んで、“杖”を振り払った。

 イーヴァルディがその攻撃を直接当たらないように防ぐのだが、風圧を防ぐことはできなかった。

 タバサは反応が遅れて、ドゥードゥーの“ブレイド”による風圧に煽られてしまい、バランスを崩した。

「貰った!」

 そこにドゥードゥーは、“杖”を叩き込もうとする。

 だがそこに間一髪で、シルフィードの叫びを聞き付けていた才人が二足飛びに駆け付け、イーヴァルディより早くドゥードゥーの“杖”を斬り落とす。

「あっ!?」

「あっ、じゃねえよ。おまえ、ホント前しか見えてねえのな。さて、神妙にしろ」

 どうやら才人は、ルイズを救ようとしながらも、しっかりと周りに注意を払っていたらしい。

 タバサは、そんな才人を眩しげに見上げた。

「くそ! こんな奴にまた遅れを取るなんて! くそ!」

 悔しげに地面を叩くドゥードゥーに、刀を突き付け、才人は言った。

「さて、誰に頼まれて俺を狙ったんだか吐けよ」

 兎に角、国の“貴族”に狙われるのは、才人からして、そうでなくとも御免であった。“エルフ”とやり合う可能性が高いというのに、後ろから狙われるのでは溜まったものではないのだから。

「くそ! くそ! なんなんだ! どうしてこの僕が!」

 だが、ドゥードゥーは才人の言葉など耳に入らない様子。まるで幼子のように、悔しいと騒ぎ立てるだけである。

 なんだか、ドゥードゥーのその姿が、この国の“貴族”達と被って見えてしまい、才人は溜息を漏らした。(俺達が救けようとしている人間の中には、こういう連中も混じっている。と言うか、この国の上層にいるのは、こういった自分のことしか考えない連中なんだろうな。姫様も大変だな)、と才人は独り言ちた。

 その時……。

 地面がグラリと揺れた。

「何だ!? 地震か!?」

 才人は、(まさか、“大陸隆起”か?)と顔が蒼白になった。

 次の瞬間、才人の身体が沈んだ。

「え? なに? 沈んでる? って言うか水? 海? なんだぁ?」

 いつの間にか、地面が水面に変わっていたのである。しかも、随分と深い。

 才人は、(こんな所に池なんかあったっけ? それとも、一瞬で移動した? 背が立たない!)と焦った。

 そんな才人の手が、何かに触れる。

 才人は、(木だ! ということはは屋敷の直ぐ側の、木立の中だ。ということは、地面が水に変わったんだ)、と気に掴まり、考える。それから、即座に周りを見回すと、月灯りにキラキラと水面が輝いているのが見えた。それを見て、昔テレビで見た、雨季のアマゾンの森の中を、才人は想起した。

 次いで、才人は、「どうなってんだ……?」と呟くのと動じに、頭の中に霞が掛かったかのような感覚に襲われた。

 才人は、(ヤバイ。こんな時に寝たら溺れ死ぬぞ)と想い、刀を木に突き立てて、柄頭に付けた縄で手首に固定した。なんとかぶら下がる格好になった時に、眠気に耐え切ることができずに、才人はガックリと項垂れてしまった。



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誘拐

「“蛮人”共め、一体なにを考えてるんだ? 自分達の大地が失くなってしまうっというのに、同族で争ってやがる」

 そう呟いたのは、薄茶色の髪に、白とも灰色とも着かない目を持つマッダーフである。彼は37歳であるのだが、ヒトの目から見ると10代後半にしか見えないであろう。

 “エルフ”の寿命は、ほぼヒトの倍近いのである。彼等の成人は遅いのだが、その分だけ、高度な教育を長い間行うことができ、受けることになる。“エルフ”がヒト達を、“蛮人”、と侮るの理由の1つは、こんなところにもあるのである。

「多分に、近視眼的なのだろうな」

 興味がなさそうに、一行の隊長であるアリィーが言った。彼はとっとと任務を済ませて砂漠に帰りたいのである。線の細い顔立ちをしており、神経質に見える。細い身体からは、彼が歴戦の戦士であるということを想像し難いモノにしている。彼は40歳になるのだが、やはりヒトでいうところの20歳ソコソコにしか見えないであろう。

「と言うと?」

 アリィーの言葉に、マッダーフが続きを促す。

「未来の大きな危機より、現在の小さな対立に目が向くんだ。要は動物なんだよ」

 アリィーは軽蔑を含んだ声で言った。

 彼が率いる“エルフ”の戦士小隊は、才人達の乱闘を、近くの茂みから見守っていた。夜の闇も、彼等にとっていささかのこともない。彼等は、“精霊の力”が組み込まれたゴーグルを着けていた。生物の体温を感知して、表示することのできる装置である。

 俗説で、“エルフ”は夜目が効く、などと言われているのだが、そういった伝説を始めとした話の数々は、こういった優れた“魔道具”によるところが大きいといえるであろう。

「そのサイナントカって奴は、どいつなんだい?」

 マッダーフに尋ねられたアリィーは、婚約者の叔父――ビダーシャルから聴いた特徴を持つ少年を探し出した。

 才人はちょうど、ジャネットに捕まったルイズを救けようとしているところである。

「あいつだな。剣を持っている。“蛮人”の“メイジ”は、武器を持たない。間違いないだろう」

「で、どうする?」

 この場にいる人間達を全員敵に回すというのは、流石に“エルフ”といえども得策ではないといえるであろう。見たところ、中々に強力な使い手達もいることが判るのだから。

 アリィーが決断しかねていると、側にいたルクシャナが頼み込むような声で言った。

「ねえアリィー」

「駄目だ」

「まだ何も言ってないじゃないの」

 ルクシャナは吊り上がった薄いブルーの瞳を、更に吊り上げて言った。細身の美しい顔立ちに、怒りの色が浮かぶ。その怒り顔はなんともストレートで、そのまま心の中身を打ち撒けたようである。だが、そのストレートさのおかげであろう、見る者を不快にさせることはない。なんとも判りやすく、また魅力的な表情であるといえるだろう。

 結局、アリィーはそんなルクシャナの素直さに参っているのである。

「どうせ、この辺りを探検したいとか言い出すんだろう?」

 するとルクシャナは、軽く舌を出した。

「だから、“蛮人”の仕草はやめろって」

「だって、さっきからジッとここで様子を窺っているだけじゃないの」

「あのなあ、しょうがないだろ。なかなか良いタイミングが掴めないんだ。他にも“メイジ”がいるかもしれないし」

 するとルクシャナは、得意げに言った。

「じゃあ私が、ちょっと周りを探って来るわ。偵察隊って訳ね」

「おいおい」

「大丈夫よ」

 こうなってしまうと、ルクシャナはアリィーの苦言を絶対に利くことはないといえるだろう。

 アリィーは仕方なしに首肯いた。

「危険だと感じたら、絶対に逃げて来いよ。イドリス、頼む」

 イドリスと呼ばれた“エルフ”は、コクリと首肯いた。丸い顔に細い目が、生真面目そうな雰囲気を醸し出している、若い“エルフ”である。

「何よ? 護衛なんか要らないわよ。1人で平気」

「イドリスは護衛じゃない。見張りだよ」

 イドリスは苦笑を浮かべた。

「了解です。隊長殿。全力で婚約者殿を御守りさせて頂きます」

 ルクシャナは、イドリスを伴うとプリプリ為乍ら暮明へと消えて行った。

 マッダーフが心配そうな顔で、「良いのか?」と尋ねた。

「どうせ止めても行くんだ。あいつは」

 困った声で、アリィーはそう言った。

 その時であった。

 才人達が戦っている辺りで、突然の変化が起こった。いきなり地面が液化し、まるで湖のようになったのである。戦っていた連中は、水に呑み込まれて慌てた声を上げている。

「なんだあれは?」

 驚いた声でマッダーフが言った。

 アリィーは全く表情を変えずに、マッダーフの疑問に言葉を返す。

「“蛮人”共の“魔法”だろう。恐らくは、“錬金”、という奴だ。土を水に変えたんだ」

「大したもんじゃないか。かなりの面積を水に変えてるぞ」

「中には、強い奴もいるんだろうさ」

 アリィーは、願ってもないこのチャンスを逃して堪るか、と“呪文”を唱え始めた。

「水よ。尊き命の水よ。あの者に、安らかなる眠りを与えよ」

 指で丁寧に印を切り、アリィーは“呪文”を解放した。

 木に掴まっている才人の元へと“呪文”は届き、周りの水を触媒として強力に作用した。

「マッダーフ、ここを確保しておいてくれ」

「理解った」

 アリィーは立ち上がると、フードを深く冠り直し、ガックリと首を落とした才人の元へと駆け出した。ジャバジャバと水の中に入って行き、泳いで側へと寄る。

 アリィーは、右手に握った刀を気に突き立てた少年をマジマジと見詰めた。

 “魔法”により、才人が深い眠りに陥っていることが理解る。その口からは軽やかに寝息が漏れており、その寝顔にはまだあどけなさが残っている。

 アリィーは、(こんな“蛮人”の少年が、あのビダーシャル様を負かして退けたとは……これが“悪魔の力”という奴か。かつて自分達の先祖を苦しめた、ブリミルの末裔。“虚無”の盾こと、“ガンダールヴ”)と想い、思わずゴクリと唾を呑み込んだ。

 ピクピクと才人の耳が動いていることに気付き、アリィーは苦笑した。

「参ったな。この僕が怯えてる」

 アリィーは、才人の腕を掴んだが、ガッチリと刀を握っていて離れない。

 仕方なしに、アリィーは刀を木から引き抜こうとした。

 しかし、刀は木に食い込んでいる。なかなか引き抜くことはできない。

 モタモタしている暇はないが、アリィーは余り“魔法”を多様することを避けたかった。“精霊の力”を借りるのにも、ヒトが扱う“魔法”と同様に“精神力”が必要なのである。

 アリィーの背後から“魔法”が飛んで来たのはその時であった。氷の矢が、アリィーの背中へと飛んで来た。

 だが、アリィーは身体の周りに、風の“精霊の力”を掛けていた。目には見えないが、まるで竜巻のような空気の流れが存在する。

 矢は、風に逸らされてしまい、明後日の方に飛んで行く。

 振り向くと、青い髪をした小さな少女が、アリィーへと大きな“杖”を向けていた。

 次いで矢が放たれる。次の矢は、防御の竜巻をきちんと意識したモノである。回転する空気の流れに横から入って行くと、高速でアリィーの周囲を回りながら、一瞬で内側へと向かって来る。

「!」

 アリィーは咄嗟に首を竦めた。

 氷の矢は間一髪頬の側を掠めて、木の幹へと突き立つ。

 だが、無事ではない。掠めた矢でフードが脱げて、長い耳が露わになった。

 青い髪の少女の表情が変わる。

 アリィーはためらわずに枝を操り、何本もの矢を飛ばした。得意の“枝矢(ブランチ)”の“呪文”である。単純ではあるが、それ故に扱いやすく強力な“呪文”である。飛んで来る木の枝は方向が読み難いために、死角を狙われると対処が難しく不可能に近い。

 タバサは咄嗟に風を操り、数本を逸らせて退けた。だが、突然現れた“エルフ”に動揺してしまったらしい。 背後から飛んで来た矢を避け切ることができない。

 そんなタバサの背後に向かう枝矢を、イーヴァルディは剣で弾く。が、体勢が悪かったのだろう、タバサを突き飛ばしてしまう。

 倒れるタバサを、泳いでいたシルフィードが見付けて抱え起こす。

「御姉様!」

「参ったな。急がないと」

 アリィーは、“魔法”を使うと、才人の刀をやっとのことで木から引き抜いた。そして、抱き抱えると“水”の“精霊の力”を使い、高速で泳ぎ切った。

 

 

 

 騒ぎを聞き付け、ルイズ達が泳いでやって来た。

「どうしたの?」

「大変なのね! “エルフ”が! 貴女の“使い魔”を連れ去ったのね! でもって御姉様が!」

「サイトが!?」

「あっちに行ったのね!」

 シルフィードはきゅいきゅい喚きながら、闇の一角を指さした。

 キュルケとコルベールが、気を失ったタバサを抱え上げた。

「ルイズ、ここは私達に任せて、サイトを追って!」

 キュルケが叫ぶように言った。

 地面が水に変わるのと同時に、襲い掛かって来ていた“元素の兄弟”は姿を消していた。

 ルイズは、(なにが一体どうなってるの? どうして“エルフ”が? この場所に?)と当然のことだが混乱した。だが、考えるのをやめた。

 才人が、“エルフ”に攫われた。

 そのことから、(成る程、向こうから仕掛けて来たんだわ)とルイズは想った。

「絶対に逃さない」

 ルイズは“エルフ”が去ったと思しき場所に向けて、“テレポート”で飛んだ。

 

 

 

 才人を抱えて、アリィーは地面へと攀じ登ろうとした。“錬金”で変えられた水面と、地面の境界線は脆く、登ろうとするとボロボロと土が零れ落ちる。

「……ったく。なんで僕がこんな苦労を」

 泥だらけになりながら、アリィーはマッダーフに手伝わせて才人を引き上げた。

「派手な騒ぎになったな」

 アリィーがやって来た方向を見て、マッダーフが言った。

「しょうがないだろ。計画に齟齬は付き物だ」

 それからアリィーは、辺りを見回した。

「ルクシャナ達は?」

「まだ戻って来ていない」

「全く……ホントに困った奴だな!」

「どうする?」

「取り敢えず、キャンプへ向かおう」

 アリィー達は、こことは違った場所に、秘密のキャンプを造っていた。森の中に“精霊の力”を利用して結界を張り、そこで寝泊まりしてチャンスを窺っていたのである。

 才人を背負い、アリィーは歩き出した。

 其の時、背後から爆発音が響き、アリィー達は3“メイル”も吹き飛ばされ、地面に転がった。“魔法”を含む飛び道具から身を護る為の“風盾”では在ったが、爆風には意味を為さ無かった。

 仕方なしに木に身体を打ち付けたアリィーは、顔を顰めて立ち上がった。

「動かないで!」

 アリィーとマッダーフがユックリと振り返ると、桃色の髪をした少女が厳しい顔で“杖”を突き付けていた。全く気配を感じさせず、彼女はまさに背後に突然現れたのである。

 少女のその全身から発される“魔力”のオーラは、小柄な身体とは裏腹に、恐ろしいまでの圧力を誇っている。

「サイトを離しなさい」

 少女は“エルフ”を見ても、怯えた様子を見せないでいる。その鳶色の瞳には、強烈な怒りが渦巻いていることが判る。

 アリィーは、直ぐに自分が連れて行こうとしている少年と、この少女の関係に気付いた。

「“悪魔”の末裔め」

 ルイズは、十分以上に美しい少女といえるであろう。“エルフ”にだって、彼女ほど美しい顔立ちをした者はなかなかにいないといえる。

 その意志の強さと顔立ちは、アリィーに何故かルクシャナを想い出させた。初めて見る仇敵の姿は、アリィーの想像から余りにも掛け離れていたのである。

 だが、その美しい外見とは裏腹に、彼女はかつて“大災厄”をもたらした“悪魔(シャイターン)”の子孫でもある、“虚無”と呼ばれる“魔法”を使い、アリィー達の先祖を苦しめた“悪魔”の末裔。

「もう1度言うわ。サイトを離して、此処から立ち去りなさい」

 “悪魔”の末裔――“虚無の担い手”であれば、殺す訳にもいかないであろ。もし、殺してしまえば、再び別の者に力が宿るのだから。

 だが、先程の“魔法”を見るに、逃げ出すことも適わないということを、アリィーは理解する。

 アリィーは、マッダーフに目配せをした。

「こいつを頼む」

 マッダーフは、才人を抱えると、首肯いた。

 アリィーは素早く“呪文”を唱えると、“枝矢”を飛ばした。

 ルイズは咄嗟に、“爆発(エクスプロージョン)”を唱えて、その矢を粉々に吹き飛ばす。

 アリィーは一瞬で間合いを詰めると、爆風の隙間からルイズに向けて蹴りを放った。ただの蹴りではない。蹴りがルイズの鳩尾に決まるのと同時に、電撃が迸る。

 ルイズはただの一撃で全身が痺れ、気を失い、地面へと崩れ落ちる。

 アリィーは拍子抜けした。

「“魔法”は強力だが、戦いは得意じゃないようだな」

 ルイズの戦い方は、まるで素人のそれである。詰まりは砲台のようなモノで、攻撃力は確かにあるが、1度懐に潜り込まれてしまうと無力化してしまうのである。

 だからこそ“使い魔”を使役して護衛に当たらせたりするのであろう、と戦いとも言えないこの短い時間の間でアリィーは推察した。

 “エルフ”は、“精霊の力”の行使だけではなく、戦士としての訓練も十分に受ける。その戦士としての教育が、ヒトの全員には行き渡っている訳ではないのである。

「なんだ、“悪魔”も大したことないじゃないか」

 やはり1発でルイズの正体を見抜いたマッダーフが、笑いながら言った。

「彼等を分離させる、というビダーシャル様の判断は正しかったな」

 アリィーは首肯くと、マッダーフと共に眠る才人を連れてキャンプへと向けて歩き出した。

 

 

 

 才人達と戦った辺りから、数百“メイル”離れた森の奥に設置されたキャンプは、森の“精霊の力”を利用して結界が張られている。一辺10“メイル”四方ほどの空間が、外からは見えないように、また他の者が入ることができないように処理されている。

 なにも知らない者が近付いても、気付かぬうちに微妙に歩く方向がズレ、決して入り込むことができないという仕組みである。

 アリィー達が決壊に近付くと、ゼリー状の空間に押し入るかのように、風景が歪んだ。

 アリィー達は中へと入り込む。

 そこには、ここ数日生活した跡が残っている。

 アリィーは、才人を自分のテントの中へと運び、寝床の上へと横たえさせた。

 才人の様子から、後しばらくの間は目を覚まさないであろうことが理解る。

 アリィーは、(こうやってなんとか捕えることができたのは、いきなり現れた水のおかげだ。地面が水に変わらなかったら、これほど強力な眠りを掛けることはできなかっただろう)と考え、この地の“大いなる意思”に感謝を捧げた。

 

 

 

 

 

 時間は少しばかり遡り、大きめの“竜籠”が空を飛んでいる。

 その“竜籠”の中には、ティファニアとシオン、俺とハサンがいる。“トリスタニア”で1度合流し、同じ“竜籠”で“ド・オルニエール”へと向かっているのである。

 もうそろそろ到着し、降り立つという時……地面が水に変わってしまったことに気付き、降下地点が変更になった。

 そして、降りるのと同時に、2人の“エルフ”と遭遇することになったのである。

 

 

 

 しばらくすると、結界が開いてるクシャナとイドリスが姿を見せた。

 アリィーは驚いた声を上げた。

「おいルクシャナ。誰だ、その2人は?」

 イドリスは、1人の少女を背負っていた。

 少女は気を失っているらしい。イドリスが才人の横に横たえさせても、ピクリとも動かない。

 ティファニアである。

 アリィーは直ぐに、彼女のその耳に気付いた。

「“エルフ”! “エルフ”じゃないか!」

「いや、純血の“エルフ”じゃないわ。たぶん、ハーフね。瞳の形が“蛮人”だわ」

 ルクシャナが、学者の顔で言った。

「どこで見付けたんだ?」

「屋敷を調べようとしたら、この娘とその男達が降りて来たのよ。恐らく、彼等の仲間なんかじゃないの?」

「おいおい、ハーフだって?」

 マッダーフが叫び声を上げた。ヒトとの混血――“ハーフエルフ”。それは、“エルフ”達にとって、忌むべき生き物の象徴であった。彼等からすると、自分達の血が汚されたかのような、そのような気持ちになってしまうのである。

「“エルフ”の面汚しめ!」

 マッダーフが、ティファニアに“魔法”を撃ち込もうとした。

 ルクシャナが、それを押し止める。

「ちょっと! 止めて!」

「どうして止める? “蛮人”の血が混じった“エルフ”なんて、恥以外の何者でもないじゃないか?」

「彼女は貴重なサンプルよ。“蛮人”世界で生きて来た“エルフ”。これ以上の研究対象はないわ。兎に角、彼女に手を出すことは私が許さないから。それに、もし本当に手を出そうとしていれば、貴男達、彼に殺されていたわよ?」

 ルクシャナのその言葉に、3人は一斉に俺の方へと視線を向けて来る。その目には、侮蔑を始めとした感情が明らかに込められていることが判る。だが同時に、侮蔑や軽蔑を始め軽く見ながらも、俺のことを畏れていることもまた判る。

 彼等“エルフ”は、ヒトの姿をしている俺に対して、理性ではヒトと同じく“蛮人”として見ていながらも、本能とでもいえる部分では俺のことを“精霊”やそれに準じた存在に近いか、それ以上の存在として認識しているのである。

「この男が? ありえないね」

「そう想うなら、そう想ってくれて構わない。考えなどは自由だからな。で、自己紹介に入らせて貰いたいだのだがね」

「……どうぞ」

 アリィーは、俺の特徴から、何かを想い出した様子を見せる。が、口を挟もうとはしない。

「では、名乗らせて頂こう。セイヴァー、と呼ばれている。いや、そう名乗ったと言った方が正しいな。ここでの“真名”など元からないのだから。名乗った名前が“真名”になるだろうしな。それじゃ、よろしく頼むよ。“エルフ”の諸君」

「おい、もしかして着いて来るつもりか? ルクシャナ! サイナントカだけではなく、この娘もこの男も連れて行くつもりか!?」

「もちろんよ。研究対象というだけじゃない。沢山訊きたい事があるもの。“エルフ”の血を引く者が、彼等と一緒にいた。どんな理由があるんだか、調べないといけないわ。この男、セイヴァーのこともそうよ。一体、どういった経緯でこれだけの力を手にしたのかを訊きたいもの」

 理解った、とアリィーは首肯いた。

「管理は君に一任する。だがもし、危険なことになるようだったら、彼女と彼は置いて行く。良いな?」

「良いわ」

 ルクシャナは、満足げに首肯いた。

「で、隊長殿。これからどうするんですか? 僕たちが彼等を攫ったことは、相手にバレてしまったんでしょう? “蛮人”共だって間抜けじゃない。今頃、大騒ぎになってますよ。無事に“サハラ(砂漠)”に帰れるんですか?」

 最年少のイドリスが心配そうな声で言った。

「この娘とセイヴァーが乗って来た“竜”を使えば良いじゃない」

 アッサリとルクシャナが言った。

 アリィーは首を横に振った。

「空は1番目立つ。直ぐに“蛮人”の“竜騎兵”に見付かってしまうよ」

「見付かって、なにか不味いことがあるの? もう私達の仕業だってことはバレてるんだから、1番早い方法で帰れば良いじゃない?」

「これだけの人数を乗せてかい? 空じゃ“精霊の力”も余り当てにはならない。賛成できないな」

 アリィーに言い負かされて、ルクシャナは唇を尖らせた。

「じゃあどうするのよ?」

 アリィーは、相手に自分達の存在が知られてしまった場合の脱出手段を想い出した。単純ではあるが、効果的な方法を。

 だが、他の2人が納得するかどうかが問題である。

「詰まりだな、“変化”で“蛮人”に化けるんだ」

 その言葉で、イドリスとマッダーフの顔が青くなる。

「“蛮人”に化けるだって? 冗談じゃない!」

「来る途中は変装して来たじゃないか」

 こちらも余り乗り気ではない声で、アリィーは言った。

 “エルフ”にとって、顔形まで“蛮人”になり切るということは、相当の抵抗があるらしい。

「良いじゃない。私、1度やってみたかったの」

 楽しげな声で、ルクシャナが言った。

「ごめんだな! 僕は!」

 それでも、プライドの高いマッダーフは吐き捨てるように言った。

「マッダーフ、“評議会”から与えられた僕達の任務は、彼を無事に連れて帰ることなんだぜ? そのためには、汎ゆる方法が正当化される。“大いなる意思”だって、御許しになるさ」

 しばらくマッダーフは、考え込んでいたが、そのうちに苦々し気に“呪文”を唱えた。

「我を纏う風よ。我の姿を変えよ」

 淡い光がマッダーフの全身を包み、中年の地味な男性の顔になった。

「良い具合じゃないか。“蛮人”を良く観察しているな」

 “エルフ”達は、次々に“変化”の“呪文”を唱え、姿を変えた。

 ルクシャナが化けた姿を見て、アリィーは思わず口を押さえた。

「なによ? なにが可笑しいのよ?」

「いや、君らしいと想ってさ」

 ルクシャナは、人間達の道化としての顔になっていた。白粉を塗りたくり、目の周りには丁寧に青く塗り潰されている。

 アリィーも、ヒトの顔貌を変えた。とはいっても、耳を縮めたくらいであり、骨格を始め余り表情は変わっていない。

「見事なモノだな。では、俺も姿を変え、2人の顔立ちなども変化させるか」

 俺はそう言って、自身の姿と才人とティファニアの姿を変化させる。

 その言葉と“変化”した姿に、“エルフ”達は驚愕と感嘆の声を漏らす。

 仲間達がそれぞれ化けたことを確認すると、アリィーは一同に告げた。

「では、直ぐに出発する。イドリス、このセイヴァーを除いた“蛮人”達に、常に“睡眠”を掛けて、目を覚まさせあいようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼頃……。

 ルイズが目を覚ますと、“ド・オルニエール”の屋敷の寝室であった。部屋の中には、心配そうな顔で覗き込んで来ている仲間達の姿がある。

 ルイズの横には、タバサが寝かされている。

 大きなベッドなので、2人並んでいても未だ余裕がある。

 タバサの胸には、包帯が巻かれて居る。

「大丈夫だ。急所は逸れてる。命に別状はない」

 コルベールが言った。

「サイトは? サイトはどこ?」

 コルベールは隣にいたキュルケと顔を見合わせ、ルイズを安心させるように言った。

「ギーシュ君達が追っている。“王政府”にも報らせた。直ぐに追っ手が出るだろう」

 ルイズは立ち上がろうとして、再びベッドに倒れ込む。“エルフ”に流された電流のおかげで、身体が未だ言うことを利かないのである。

「ジッとしていたまえ」

「こうしちゃいられません! サイトが攫われたんです!」

「理解ってる。でも、今の君は動ける状況じゃない。ギーシュ君達や、“王政府”に任せ給え」

 コルベールがそう言ったのだが、ルイズはベッドから転がり落ちると、這ってドアを目指し始めた。

 コルベールは苦しそうな表情になると、“呪文”を唱えた。

 “スリープ・クラウド(眠りの雲)”。

 ルイズの頭の周りに薄い霧の様なモノが現れ、ルイズはクラリと頭を垂れると、寝息を立て始めた。

 キュルケが、そんなルイズを抱えてベッドに横たえさせる。

 部屋の扉が開いて、ヘレンが姿を見せた。

「御食事を御持ちしましただ」

 この屋敷で唯一、昨晩何が起こったのかを知らずに済んでいるヘレンは、テーブルの上に簡単な料理を並べ始めた。

「ねえ、ティファニアは見付かった?」

 キュルケが尋ねると、ヘレンは首を横に振った。

 実のところギーシュ達は、才人の捜索には向かっていない。才人を攫った“エルフ”の追跡は、“王政府”に任せていた。闇雲に追い掛けても、少人数ではどう仕様もないと踏んだのである。

 ギーシュ達とシエスタは、ティファニアの捜索に当たっていた。あの後直ぐ放置された“竜”と“竜籠”が見付かり、その近くシオンとハサンがいたのである。そして、今朝には到着するはずであったティファニアの姿は消えていた。

 ヘレンが退出した後、キュルケはコルベールに尋ねた。

「やっぱり、ティファニアも“エルフ”に攫われたのかしら?」

「そう考えるしかなさそうだな」

「ええ。ティファニアは“エルフ”に攫われたわ」

 2人の考えを、シオンが肯定する。

「ねえ、シオン。訊きたいのだけど、セイヴァーはどうしたの? どうしてハサンと一緒にいたの?」

「簡単に説明をするけど、ティファニアとは“トリスタニア”で落ち合い、一緒に“竜籠”に乗ったの。で、到着と同時に、“エルフ”と出会したわ。ティファニアは“エルフ”に掴まって、私はハサンに連れられてその場から離れたの。セイヴァーが一緒にいるし、“本来の歴史(原作)”のことも踏まえて考えると大丈夫だけど」

 シオンの言葉に、キュルケとコルベールは一時的ではあるが安堵の溜息を漏らす。

「君達は以前、“エルフ”と戦ったことがあると言ったね?」

「ええ。でも手も足も出なかったわ」

 キュルケの返事に、コルベールは溜息を吐いた。

 才人を攫った理由はなんとなくではあるが、この場にいる皆には簡単に想像できた。真の言葉“虚無”の復活を恐れての行動であろう、と。

 “エルフ”の素早い行動と、その鮮やかな手並みに、コルベールは恐怖を覚えた。不意を突かれたとはいえ、呆気なく才人とティファニアを奪われたのである。

 コルベールは、(自分達は勝てるのだろうか? サイト君を攫った連中だけではない。“エルフ”という種族は、その全てが強力な“先住魔法”の使い手であり、優れた戦士なのだ。恐らくは、王軍の追跡も空振りに終わるだろう)と冷静な戦士としての部分が、それ以外の結論を許さなかった。がそれと同時に、(彼が側にいるのだから安全ではあるだろうが……)と信頼と安心などもまた感じていた。

 ルイズは、苦しそうな寝息を立てている。責任感の強いこの少女は、目を覚ますのと同時に、才人を救い出す為に飛び出すであろうことは簡単に想像できる。

 コルベールは、(心苦しいことだが、自分はそれを止めねばならない)と考えた。

 ルイズをも失う訳にはいかないためである。

 コルベールは、(準備が整わ無ければ、“エルフ”に手出しは出来無い……でも、準備と言うのは何を指すのだ? 何の様な準備をすれば、“エルフ”に抵抗出来るのだ? 切り札のサイト君、そして“担い手”の1人で在る ティファニア嬢が攫われた状態で、一体どんな準備が意味をなすと言うのだ? かと言って、手をこまねいている時間もない。彼がいるとは言え、いつまでも2人が無事でいるという保証もない。あの教皇には、なにか良い策があるのだろうか……?)と引くことも押すこともできない状況に押し込められたということを実感した。それから、(兎に角今は、サイト君達の無事を祈るしかない)と窓の外を眺めた。

 明るい陽射しが、カーテン越しに射し込んでいる。

 今日は快晴である。

 だが、コルベールの心に掛かった暗雲は、晴れる兆しを見せなかった。



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ルクシャナのオアシス

 才人が目覚めると、そこはなんだか妙な場所であった。

 普通にベッドがあり、才人はそこに横たえられていはするのだが……。

「なんだここは……?」

 どうにも可怪しい。先ず、“ド・オルニエール”の屋敷ではないということは確かである。

 才人は、(近所の農家か? でも、それにしても様子が可怪しいな。なんと言うか……兎に角雰囲気が、変、だ)、と感想を抱きながら周囲を見回す。

 白い壁には、様々なモノが脈絡無く飾られている。絵画、人形、タペストリー、そして宝石が沢山付いた鏡などなど……。

 それ自体はなんら可怪しいモノではないのだが、なんだか妙であるといえるだろう。

 なにが可怪しい、のかと考えて、才人は結論に至った。

 飾り付けが、可怪しいのである。ありえない、と言い換えることもできるであろうか。

 帽子掛けには、何故かバケツが冠せられている。箒が逆さに立てられ、その上に今度は羽の付いた帽子が乗せられている。

 天井からは何本もの傘がぶら下がり、ドレスがカーテンの様に窓に掛かっている。

「明らかに、キテるな」

 才人は、それを見ながら、(随分と、湧いている。この部屋の持ち主は、頭がどうにかしている)といった感想を抱きながらも、(さてと、問題がある。それは詰まり、“元素の兄弟”と戦っていたはずの自分が、どうしてこんな所に寝かされているんだ、ということだ。あいつ等に自分は捕まったのだろうか? 確かに変な奴等だったしな……)と考えた。

 そんなことを才人が考えていると、ベッドの中で何かがモゾリと動いた。才人の右隣が、妙に盛り上がっているのである。

 才人は、(む。何か、いる)と考え、恐る恐る手を伸ばした。毛布の上から、膨らんだなにかに触れる。むに、と妙な感触がして、才人は面食らった。(今のはなんだろう? 随分と柔らかかったが)といった感想を抱いたが、なんだかその手触りが堪らなく好いので、というより死ぬほど素晴らしかったために、今度は強くムニムニと触ってみた。

 才人の手が減り込む。しかし、弾力があって弾き返されてしまう。そして、幸せな感覚が才人の脳内に満ちて行き、感動で才人の胸が一杯になって行くのである。

 才人は、(これは、幸せ製造機、だ)と想った。感触だけでこれほどに満ち足りた気分になれたのは、小さい頃に窓ガラスを湧くに嵌めるパテを触った時のことであり、才人はそのことを想い出した。そして、(あの感触も捨て難いがモノがあったが、この感触はもっと素敵だ。一体これはなんだろう? どこかで触ったことがある。あるんだが……どこだったろう……? そうだ。そうだ、あれは……確か、えっと、“クルデンドルフ”の御嬢様がテファを苛めた時のことだ。え? 俺、今、誰と言った? ティファニア? あの“ハーフエルフ”? でも、この感触は、そうとしか。まさか……これは。いやそんなはずはない。テファが、どうして俺の隣で寝てるんだ? そんなファンタジー、俺は決して認めねぇぞぉおおおおお~~~~! これは現実じゃなくって、夢なんだよぉおおおお!)、などと唸りながら、ガシガシとその幸せ製造機を揉み拉いた。

 その時である。

 我慢し切れなくなったように、布団の中から声が響いた。

「ひうッ!」

「え?」

 才人が思い切って布団を捲ると、驚くことに、そこには想像通りティファニアがおり、彼女はプルプルと震えていた。

「テファ!?」

 才人が叫ぶと、ティファニアは目を開いた。

「サイト?」

 才人は、(成る程、これは実にいけない幸せ製造機ではあった。触っただけで幸せになれる、こんなマジックアイテムは、他に、ない。こんなに触れて、俺は本当に幸せ者だ)、と泣きそうになった。それから、(わざとじゃないから、神様だって赦してくれる……)とも想った。

 そこまで考え、改めて才人は己を恥じた。また、(なにを言う。俺は気付いていたはずだ。薄っすらと気付いていながら、気付いていない振りをしたんだ! 何故なら……何故なら!)と想い、「触りたかったんだ! 俺は! 俺って 奴は! 大きいこれを! だから、心に言い聞かせたんだ! “これはなに? ねえサイト、これなに?” って!」といった自身を弁護する声を響かせる。

 それから才人は、(だってルイズは、こんな幸せ製造機を持っていないじゃない。あいつの胸にあるのは、現実御報せ機だ。でも、あれはあれで、悪く、ない。悪くないだろ。可愛いだろ。ルイズっぽくて。形だって、悪くないっ吐うか。むしろ色とか。でも“愛”抜きでユーズ限定なら……いけねえ)と考え、慌てて辺りを見回した。もし今の才人の行動をルイズが見ていたら、心に浮かんだ本能がなせる妄想に気付かれでもしてしまえば……間違いなく生死に関わるためである。

 だが、どこにもルイズはいない。

 才人はホッとした。でもって、直ぐに想い出す。(なに安心してんだ俺。全然安心なんかできる状況じゃねえだろ!)と考えた。

「大丈夫? ホントに、大丈夫?」

 ブツブツ呟く才人を見て、ティファニアが心底心配そうな声で言った。心配そうなのは事実であり、それは声にしっかりと出ているのは確かである。だが、それ以上に、ティファニアは今の才人を、既に変な人を見る目になっている。

 事実、今の才人は変と言うよりも、既に救急車を呼んでも問題ない、むしろ呼ぶべきレベルに達しているのだから。

 才人は素早く土下座をした。

「ごめん……! 悪気はなかったんだ! ただ、余りにも触り心地が好いモノだから……!」

「ひう……」

「待って! 泣かないで! 泣く前に弁護させて! だってしょうがない! いけない妄想製造器ですよこれは! どう考えたってテファのここは! 偽りの多幸感を感じさせる妄想製造器! でもそれは幸せの本質かもしれない!」

 才人は、ティファニアの胸を指して怒鳴った。自分でも既に、なにを言っているのか理解できずに口にしていた。

 兎に角可哀想なのはティファニアで、散々揉まれた挙げ句に、妄想製造器とまで言われたために、余計に泣きそうになってしまう。

「ヘ、変でごめんね……可怪しいよね。やっぱり可怪しいよね。どうかしてるよね。私もそう想う。だって、こんなに膨らんでる人いないもの……私、変なんだ……サイトの言う通り、変な女の子なの……ひっぐ」

「違う! 違う! そうじゃない! 変じゃない! そうじゃないんだ!」

 才人は再び、見事だといえる動きでもって土下座した。

「ただ、それを素晴らしいと認めると、俺の中でなにかが弾けるんだ。そうすると、俺が俺で……なくなって……しまうんだ……」

 心底辛そうな声で、才人は言った。(こんな狭い部屋で、テファの胸を素晴らしいと認めたら……きっと俺は、獣に近いなにかになってしまう恐れがある。それは良くないことだし、ルイズが悲しむ)と考え、頭を抱え、「俺は虫だ。さあ殺せ。いっそ潰してプチッといわしてくれ」などブツブツと呟き始める。

 そんな才人の肩を、ティファニアは揺さ振った。

「しっかりして。ところで、ここはどこなの?」

「そうそう! 虫ってる場合じゃねえや。俺も気になってたんだ! 一体、なにがあったんだ?」

「なにがって……私は普通にサイトの御屋敷に向かっていたの。ほら、今日は私そっちで“使い魔”を“召喚”することになってたでしょ? 緊張で眠れなかったから、早くに出発したの。“竜籠”は“トリステイン”の下宿に到着してたし……シオンとセイヴァーさんとも一緒に乗って……でね、サイトの御屋敷に着いて、門の前まで行ったら、なんだか急に眠くなって……気付いたらここにいたの? サイトは?」

 才人は、ティファニアに説明をした。“元素の兄弟”に襲われたこと。いきなり地面が水になったこと。溺れそうになって木にしがみ付いたら、急に眠くなったこと……。

「私と同じだわ。もしかしたら、サイトを襲った人達に捕まっちゃったのかしら?」

「うーん、それは考え難いな。あいつ等、殺す気満々だったし。次いでテファまで攫う理由もないからな」

 そこで才人は、ティファニアが纏っている衣装に気付いた。

「テファ、その服……」

 ティファニアはいつもの草色のワンピースではなく、ユッタリとしてヒラヒラが沢山付いたローブを纏っていた。

「あれ? これ……なにかしら?」

 ティファニアは、ソッとそのローブを摘んでみた。

「見たことない服だな」

「これ……“エルフ”の服だわ」

「何だって?」

 才人は驚いた声を上げた。

「母さんの形見のローブと似てるもの」

 才人が(どうして“エルフ”の衣装なんか着てるんだろう?)、と訝しむ間もなく、部屋の扉が開いてその答えが姿を見せた。

「へうえ」

 才人の口から、気の抜けた悲鳴が漏れた。

 入って来たのは、1人の“エルフ”であったためである。そして、なに1つ身に着けていなかったためである。でもってこれが1番重要かもしれないのだが、エルフは若い女性であった。吊り上がった切れ長の瞳に、無造作に切り揃えられた長い金髪。ティファニアとルイズを、足して2割ったような容姿をしている。だが、胸はどうやらルイズ側らしい。タオルの隙間から覗く緩やかな丘で、それが確認できるであろう。

 濡れた身体でタオルを拭きながら現れたその“エルフ”の姿は、まるで妖精のようであるといえるだろう。ティファニアも妖精のようではあるるが、大きな胸が妖精感を微妙に損なわせている。それはそれで、良いのだが、現れた彼女はまさに妖精という表現がシックリと来るといえる。

「あら? 目が覚めた?」

 “エルフ”の口から漏れたのは、“ハルケギニア公用語”である“ガリア語”であった。

 肌を見られても、全く意識していないようである。才人達の返事を待たずに、“エルフ”の女性は部屋の真ん中まで行き、そこに立てられたレイピアに突き立った干した果物を1つ取ると、おもむろに齧り始めた。

 女性“エルフ”のその態度に、才人には何だか見覚えがあった。

 才人が、こちらの世界にやって来た時のルイズである。

 詰まり、彼女は、才人のことを男性として見ていないのである。

 むかっ腹が立った才人ではあるが、どうにか抑えてみせた。

 ティファニアの方はというと、怯えた様に耳を押さえている。どうやら“エルフ”が怖いのであろう。

 才人は、大丈夫、というようにティファニアに首肯いてみせた。

「俺がいる。ティファニアには手出しはさせないよ」

 コクコクと何度も首肯いて、ティファニアは才人の後ろに隠れるようにして身を縮めた。

 

 

 

 しばらく才人は、呆けっと“エルフ”の女性を見詰めていた。

 それから、(コスプレ……じゃねえよな。でも、どうしてここに“エルフ”がいるんだ? さっぱりその理由が判らない)と考え、冷静さを失わないように努めながら、“エルフ”に質問をした。

「いくつか質問があるんだけど。良いかな?」

「どうぞ。なんなりと。あ、因みに私はルクシャナって言うの。よろしくね」

 ルクシャナは、ティファニアが着ているモノを同じようなローブを羽織ると、椅子に腰掛けた。

「ここはどこだ?」

「“砂漠(サハラ)”よ。私達の国、“ネフテス”」

 才人は、一瞬、呆けたようになってしまった。

「なんだって? どういうこと?」

 その瞬間、才人は気付く。ここに“エルフ”がいる、1番当たり前の理由を。そして、(詰まり……俺達は“エルフ”に攫われたんだ! でもって、その国まで連れて来られたんだ!)と考えた。

「……嘘だろ?」

 呆然と、才人は呟いた。

「嘘なんか吐いてどうするのよ?」

 呆れた声で、ルクシャナは言った。

「しょ、証拠を見せろ」

「証拠? 面白いことを言うのね」

 ルクシャナは、クスクスと笑った。

「だって、俺は“ド・オルニエール”で“元素の兄弟”と戦ってたんだぜ! それがどうして“エルフ”の国にいるんだよ!?」

「貴方達が戦っている時に、“魔法”で眠らせたんですって」

「誰が? おまえがか?」

「私じゃないわ。アリィーよ」

「アリィーって誰だ?」

「一応、私の婚約者」

 才人は、ルクシャナのその言葉で、(あの時……急激に眠くなったのは、“エルフ”の“魔法”だったんだ)と気付き、顔面から血の気が引いて行くかのような感覚に陥った。

 ティファニアが、ギュッと才人の手を握り締めた。

「“元素の兄弟”は囮、だったのか……」

「囮? 馬鹿言わないで。どうして囮なんか使うのよ。勝手に貴方達が争ってたんじゃないの。まあ、おかげで簡単にことが運んだって、アリィーは言ってたけどね」

「ホントに、ここは“エルフ”の国なのか?」

「さっきからそう言ってるじゃないの! もう、物理解りが悪いのね。窓の外でも見るか、彼にでも訊けば?」

 そう言われて、才人とティファニアは窓へと向かった。

 蘇鉄のような木々の隙間から、広大な砂の海が2人の目に飛び込んで来る。

「……砂漠だ」

 才人は、(“ハルケギニア”から何千“メイル”か知らないけど……兎に角凄い離れた場所に連れて来られてしまったのか。その上、ここは“エルフ”の国で、詰まり周りにいるのは“エルフ”ばかり。俺達は、彼等にとって忌むべき敵。そんな敵の本拠地のど真ん中まで、連れて来られてしまったのか。一体、なにをされるんだ?)と現状に気付き、震えた。混乱が才人を襲う。なにかを言いたいのだが、上手く言葉にして口から出すことができないでいる。身体が勝手に反応したのだろう、思わず立ち上がり、部屋を飛び出そうとしてしまう。

 だが、ティファニアの存在を想い出し、才人は思い留まることができた。

「……え? 彼?」

 それから、才人は、ルクシャナが口にした「彼」という言葉に気付き、首を傾げた。

「良く堪えた、才人」

「セ、セイヴァー!? どうして……?」

「何、俺も着いて来た、というだけのことだ」

 そこで俺は“実体化”し、俺に気付いた才人は驚愕に目を見開く。

 才人が俺に文句を言いたそうに為乍らも口を閉じ、振り向く。

 ティファニアは既に気絶してしまっていた。余りのことに、心が着いて行かなかったのであろう。

 才人はティファニアを抱え起こした。

「流石に女の子が着たままって訳にも良かないから、着替えさせて上げたの」

 ルクシャナがそう言ったが、才人の耳には届かない。才人自身も、どうにかなりそうであるためだ。だが、ティファニアの存在などが、才人に平常心を取り戻させたのである。

 才人は、喉に迫り上がって来るような恐怖と不安の塊を呑み干し、(しっかりしろ才人。ティファニアだっているんだ。セイヴァーもいる)と考えた。

 才人が事態を受け入れて上手く喋ることができるようになるまで、大分と時間が掛かった。

 

 

 

 やっとのことで気を取り戻した才人は、先ず何度も深呼吸をした。それから背筋を伸ばしてルクシャナと俺に向き直った。それから、(取り敢えず、この“エルフ”の女性は、俺達に危害を加えるつもりはないようだな)と考え、まだ気絶したままのティファニアをベッドの上に丁寧に横たえ、毛布を掛けた。

「さて……何から尋ねれば良いか判んないけど、兎に角質問させて貰う。良いか?」

「どうぞどうぞ。なんでも訊いて頂戴」

 才人を興味深そうに見詰めて、ルクシャナが応える。

「今日はいつだ?」

「貴方達を連れ出してから、8日後、と言ったところかしら」

 約1週間もの間、2人は眠らされていた、とうことになる。

 次に才人は、1番気になっているであろうことを尋ねた。それを訊くには、相応の覚悟を必要とした様子で口を開いた。

「俺達を攫う過程で、誰かを殺したりはしなかったか?」

 ルクシャナは首を振った。

「恐らく、殺していないはず。でも、何人かを傷付けはしたようね」

「誰をだ?」

「直接見た訳じゃないから、判らないわ。でも、女の子と聞いたわ」

 才人の心臓が、バクンと跳ねた。

「大怪我をさせたのか?」

「多分、そこまでのことはないと想う」

 才人は、ルイズかタバサであろうことに気付き、拳を握り締めた。

 2人は、必死になって才人を救けようとした結果のことであるのだから。

 実のところ、その2人はかなりの大怪我をしってしまったのだが、それをルクシャナは知らない。

 才人は確認でもするように俺へと目を向けて来る。

「そうだな。おまえの想像通り、ルイズとタバサの2人だ。軽傷ではないが、然りとて重傷と言う訳でもない。傷は深く受けたようだが、命に別状はなく、直ぐ様治療を受けた。直に回復するだろう」

「貴方達の仲間達を傷付けたのは、謝るわ。でも、其れが私達の仕事だったのよ」

 才人は、(いずれルイズかタバサを傷付けた奴に逢ったら、ただではおかない)と決心した。

 ルクシャナは、才人と俺とを興味深そうに交互に見詰めて、足を組んだ。

 スタイルの良いルクシャナがそうしていると、グラビアのピンナップのようである。だが、余りにも堂々としている所為か、色気を感じることができない。

 俺達を見ているルクシャナの目は、研究者が珍しい動物を見る時のそれである。

 ルクシャナのその様子から、才人は、(成る程、“エルフ”ってのは昔のルイズに輪を掛けて高慢な連中のようだ。普通に嫌な奴等だな)と口の中で毒吐いた。

 ルクシャナは、相変わらずそんな己の格好を気にする訳でもなく、ただジッと好奇心に光るブルーの瞳を、俺達へと向けて来ている。

 怒りを呑み込んだ声で、才人は質問を続けた。

「どうして俺達を攫った?」

「何で理解り切ったことを訊くの? 貴男、“悪魔の守り手(虚無の使い魔と英霊)”なんでしょう?」

 才人がジッと黙っていると、ルクシャナは首肯いた。

「貴方達が復活しちゃうと困るんですって。とんでもない“魔法”で、攻められたら堪んないわ」

「で、俺達を攫ったって訳か?」

「そうよ。1人でも欠けていたら、物凄い“魔法”とやらが復活しないでしょ? 貴方達。不便よね」

 ルクシャナは可笑しそうに、クスクスと笑った。

 才人が、ゴクリと唾を呑んだ。

 “4の4”が揃えば、真の“虚無”が覚醒める。

 才人は、(“エルフ”までこうして恐れるその真の“虚無”ってなんだ? どんだけ恐ろしい“魔法”なんだ?)と疑問を抱いた。

「えっと……」

「ルクシャナよ。貴男は確か、えっと、えーと、サイ、サイ……」

「才人だ」

「“蛮人”の名前は覚え難いわね」

 取り敢えず才人は、1番肝心な質問をすることにした。

「で、俺達をどうするつもりなんだ?」

 ルクシャナの答えは、才人の予想を裏切り、拍子抜けさせるモノであった。が、同時に当然の答えでもあった。

「どうもしないわ」

「どういうことだ?」

「私達は、貴方達の力が復活しなければそれで良いの。だから逆に、死んで貰っては困る訳」

「成る程ね」

 もし誰か“担い手”が死んでしまえば、“虚無”の力は別の者に宿ることになる。

 其れを、“エルフ”達は既に知って居るので在る。

「まあね。そう言う訳で、ここで貴男が大人しくしていてくれれば、それで十分。何もしないわ」

「いつまでいれば良いんだ?」

「さあ? そこまでは私には判らない」

「一生とか?」

「そうね、可能性としてはあるんじゃない? 判らないけど」

 才人の後ろで、ティファニアが、ひう、と泣きそうな呻きを上げた。どうやら気絶から目覚めて、起きて話を聞いていたらしい。

 才人は安心させるように、ティファニアの手を握る。

 すると、ティファニアも握り返した。

「どうして俺とティファニアとセイヴァーを選んだ?」

「貴方達が有名だったから。叔父様に勝ったんでしょ? 1番強そうなのを選んだってことじゃないの? あと、セイヴァーの方は、そっちから勝手に着いて来ただけよ。まあ、私にとっては願ってもないことだけど」

 才人は、タバサを救けた時に“エルフ”と戦ったことを想い出した。ジョゼフに仕え、彼が死んた後、“エルフ”に帰って行った……。

「おまえ、あの“エルフ”の親戚なのかよ?」

「そうよ。叔父様、貴方達のことを褒めてたわ。“蛮人”の癖に、大したもんだって」

「そりゃどうも。でもどうしてティファニアまで連れて来た?」

「この娘、ハーフなんでしょ?」

 いきなりルクシャナの目がキラキラと輝き始めた。

 コクリ、とティファニアは首肯いた。

「私、すぅううううううううっごい興味あるの! ああ、貴男にも、セイヴァーにもね! この部屋を見れば判るけど、“蛮人”を研究している学者なのよ。これでも」

 ルクシャナは立ち上がると、胸を張った。

 才人は、(なんだこの“エルフ”は)、と想った。それから、ルクシャナのそのスラリとした美しい肢体に、才人の目は釘付けになってしまう。先程、チラッと見た肌が脳裏に浮かび、才人は顔を赤くした。が、同時に、“蛮人”呼ばわりがどうにも赦せなかったようである。

「取り敢えず、“蛮人”ってのはやめてくれるか?」

「あら、どうして? “蛮人”って言っちゃ駄目なの?」

 キョトンとした顔で、ルクシャナは言った。

「気分が悪いんだよ」

「そうだな。ヒトと会話をする時はその相手のことを想って言葉を選ぶべきだろうな。おまえ達だって、“精霊の力”を“先住魔法”などと言われては気分が悪いだろう? 理屈や理由はそれと同じだと想えば良い」

「へえ、そう言うモノなんだ……そう。じゃあしょうがないわね。なんて呼べば良いの?」

「名前で呼べよ。知ってるんだろ?」

「理解ったわ。サーラ? だっけ?」

「サ、しか合ってねえよ。才人だ」

 

 

 

 ルクシャナはそれから、才人とティファニア、俺の3人へと質問攻めをして来た。内容のほとんどはホントにどうでも良いといえるモノばかりである。なにを食べているのか、とか、住んでいる建物の見取り図、とか、家具の形、などの生活習慣……“ハルケギニア”の“王政”についてから始まる、農業、工業、商業、などの社会構造迄多岐に渡る内容である。

 とはいっても、才人は地球出身であるために、その説明は余り要領をえなかった。ティファニアにしても、ほとんど世捨て人のような生活を長く続けていたものだから、上手く答えることができなった。結果。答えていたのは、俺だけだといっても良いほどである。

 ルクシャナは、心底ガッカリとしたような表情を浮かべたが、「まあ、そのうち想い出すでしょ」と言った。

「なんでそんなに俺達のことを訊きたがるんだ?」

「言ったじゃない。学者だからって。だから無理言って、貴方達を預かることにしたのに……拍子抜けだわ」

「そんな言い草はねえだろ」

「なにを言ってるの? 感謝して欲しいわ。ホントは貴方達、“カスバの地下牢”に閉じ込められるところだったのよ。私が引き取るってことで、それを免れたのよ」

「勝手に連れて来ておいて、なに言ってんだよ!?」

 流石にカチンと来たのであろう、才人が言った。

 が、才人のその言葉に対して、ルクシャナはまるで無視である。

「そうか。こうしてこいつ等が安全に過ごすことができるのは、おまえのおかげか。感謝する、ルクシャナ」

「え? ああ、どういたしまして。何か調子狂うわね」

 そこで俺が感謝を述べると、素直な謝礼に慣れていないのかルクシャナは顔を赤くした。

 それから彼女は、いきなりなにかを想い付いたような顔で、次の質問をした。

「ねえ貴女。ティファニだっけ? やっぱり、ハーフって苛められるの?」

 才人はティファニアと顔を見合わせる。

 どうやらこのルクシャナは、余り人の話を利かないタイプのようである。才人がこちらに来た頃のルイズに似ているが、ルイズが劣等感の裏返しによる強がりだったのに対して、こちらは素であることが判る。

 才人は、(“エルフ”は皆こんな生き物なんだろうか……? だとしたら、交渉苦労するな)と心の中で呟いた。

 ティファニアは、才人と俺とを見詰めて来る。俺達が首肯くと、ティファニアは困ったような声で言った。

「初めの頃はそういうこともあったけど、今はあんまり……」

「ふーん。成る程ねえ」

 ルクシャナは次に才人に顔を向けた。

「私達ってどのくらい嫌われてるの?」

「嫌われてるって言うか、恐れられてるね」

「どうして?」

「だって、強力な“先住魔法”、いや、“精霊の力”を使って、“ハルケギニア”の“貴族”を散々苦しめたんだろ? 恐れられて当然だろ」

「えー。だってそっちが悪いのよ。攻めて来るから、しょうがなく応戦したんじゃないの。私達だって必死だったのよ。なんせ貴方達は数が多いし……」

「だから俺達を攫ったって言うのか? 勝手過ぎるって!」

「しょうがないじゃない! そうしなきゃ、貴方達、私達の国を攻めるでしょ?」

「だから“聖地”を大人しく返却してくれれれば攻めないっての!」

「はぁ? 何言ってるのよ? あそこは元々私達の土地なのよ。貴方達が勝手に“聖地”だなんだって言ってるだけじゃないの」

 才人は、「そうなの?」と呟いて、ティファニアを見詰めた。

「ごめん……私も良く知らない」

 才人は、(確か、“始祖ブリミル”が降臨? した土地だったような……降臨、と言うことは、やって来ただけで、元々は“エルフ”の土地だったのかもしれない。まあ、歴史ってのは自分の都合の良いように解釈したりするもんだからな……)と考えながら、俺へと目を向けて来る。

「才人。おまえは……少し前に“レイシフト”しただろうが……その時に2人に出逢っただろ? ブリミルの出身世界はおまえと同じだ。降臨した、だけなんだよ。“エルフ”は先住民のようなモノだ。故に、“エルフ”が扱う“精霊の力”を“ハルケギニア”に住む者は“先住魔法”と呼んでいるんだ。と言うか、前にも言ったと想うんだけどな」

 ルクシャナは興味深そうに俺へと目を向けて来る。

 才人とティファニアは成る程といったように首肯くが、才人はそれでも(言い負かされる訳にはいかない)と想ったのであろう口を開く。

「まあ、兎に角だ。誰のもんでも良いよ。あのなあ“エルフ”さんよ。貴方達だって鬼じゃないんでしょう? 取り敢えず、俺の話を聞いてくれよ」

「言って御覧なさい」

「あのだね、俺等の土地……って言うのも変だけど、その“ハルケギニア”がだね。大変なことになってるんだ。ほら、普通地面って上に動かないだろ?」

 才人は、テーブルの上にあった皿を、ゴゴゴゴゴゴ、と口で効果音を出しジャラ重々しく持ち上げた。

「其れが、“風石”とやらの暴走で、こうやって浮き上がっちまうんだ。洒落にならないんだよ。だから、“聖地”に眠る“始祖ブリミル”が遺したという“魔法装置”が必要なんだ」

 其れでもルクシャナは、当然キョトンとした顔で在る。

「“シャイターンの門”に、そんな“魔法装置”とやらがあるなんて聞いたことないわ」

「そ、そうなの?」

「と言うかなにがあるのかなんて知らないわ。だって普通の“エルフ”は立ち入ることもできないもの」

「それはどこにあるんだ?」

「あのねえ、言える訳ないじゃない。自分の立場を考えてよ。それに訊かない方が良いわよ。知ったら貴方達、間違いなく地下牢行きよ」

 呆れた声でルクシャナは言った。

「でも俺等が大変なことは理解るだろ? そりゃ、昔は仲が悪かったかもしれないけど、同じ大地に暮らす仲間じゃないか?」

「そんな場所に住んでいるのが悪いんじゃない。と言うか、“風石”によって大地が浮き上がることも、“大いななる意思”の思し召しだわ。貴方達がこの大地に暮らす仲間だと言うなら、それも受け入れるべきね」

 才人を始めヒトの側からすると、何とも釣れ無い返事で在った。

 すると、それまで黙っていたティファニアが口を開いた。

「あんまりだわ! 私のお母さんは“エルフ”だったけど、貴女みたいに冷たい人じゃなかったわ!」

「別に私が冷たい訳じゃないわ。“エルフ”なら皆そう考えるでしょうね。貴男はその辺りのことをしっかりと理解し、考えてるみたいだど……」

 ルクシャナは俺に目を向けながらそう言うと、立ち上がった。

「さてと、じゃあ私は少し昼寝でもして来るわ。御腹一杯になったら、眠くなっちゃった。貴方達も、この辺にあるモノを勝手に食べて良いから。あと、そのベッドは貴方達に貸して上げる。1個しかないけど、我慢してね」

 ルクシャナは、「ああそれから」と振り返る。

「逃げ出そうなんて想わないでね。この周りは砂漠よ。半日で、日干しになっちゃうわ。あと、私を襲うおうなんてことも考えない方が良い。この家は、私が“契約”してる場所。私に危害を加えようとしたら、一瞬で灰になっちゃうからね。貴重な研究対象を失いたくないから、以上2点、よろしくね」

 ルクシャナがそう言って自分の部屋に去った後、ティファニアは申し訳なさそうに首を振った。

「ごめんね。サイト、セイヴァー」

「なんでテファが謝るんだ?」

 ティファニアの謝罪に対し、才人は首を傾げる。

「だって、私にも“エルフ”の血が半分流れてるもの。私、もっと母様みたいな人達を想像してた。優しくて、話せば理解るって……」

「血が半分流れてるからって、責任なんか感じる必要はないよ。“エルフ”は“エルフ”。テファはテファだろ?」

「その通りだ。気にする必要はない。ティファニア。全く、おまえ達は本当に優しく責任感が強いな」

「……うん。有難う」

 才人は、ベッドの上に仰向けで横たわり、腕を枕代わりにして天井を見詰めた。白い土壁の天井であるのだが、まるで“地球”で生産されるプラスチックのように滑らかな質感を誇っていることが判る。この部屋の壁を見ただけでも、“エルフ”の技術が“ハルケギニア”のそれを上回っていることが簡単に理解できるであろう。

「今頃、皆心配してるだろうな」

 そう才人は呟いた。

 ルクシャナが「女の子2人が怪我をした」と言ったことから、才人は(俺が“エルフ”に攫われたということは、恐らく知ってるだろうな)と考えた。それから起き上がり、外に出た。

 ティファニアも後に続いた。

 その後に、俺も続く。

 

 

 

 扉を開いて外に出ると、先ず、直径100“メイル”ほどの大きな泉が目に飛び込んで来る。照り付ける陽射しの中、水面は真っ青に輝いている。そんな色鮮やかな泉の周りを、木々や茂みが囲い、まるで夢の国とでもいえる様相であるといえるであろうか。白壁の小さな屋敷の玄関からは桟橋が、泉の真ん中迄延びて居る。木々の隙間から、砂漠が見える。

 ここは、砂漠の中にポツンと存在する島のようなオアシスだといえるだろう。

「大して熱くないじゃないか」

 才人は言った。

 泉の側だからということもあるだろうが、砂漠の熱気というモノがまるで感じられない。

「なにが半日で日干しになっちまう、だ。ちょっと先を見て来る」

「やめておけ。ルクシャナの言ったことは本当だぞ」

 俺の言葉を聞き流し、才人は駆け出し、木々の間を潜った。才人の眼の前には広大な砂漠が広がっている。次いで、う、と言葉に詰まった。どちらに行けば“ハルケギニア”に行けるのか判らないのである。

 才人は、(後で地図か何かを探し出そう。取り敢えず、ちょっと歩けばなにかが見えるかも……)、と想い、砂漠に一歩踏み出した。サクッと、細かな砂の感触が、才人の足の裏に伝わる。

 才人の後ろからティファニアが、心配そうに声を掛ける。

「大丈夫? サイト。砂漠に出て、迷ったら大変だよ?」

「平気だよ。ちょっとあの砂丘の上に登ってみるだけだから」

 と、才人は指さして言った。

 だが、歩き出して直ぐに、才人は大変なことになった。10歩ほども歩くと、いきなり上から熱気が押し寄せて来たのを感じたのである。

 砂漠の直射日光は、まるで熱線である。

「うわ!? なんだ!? いきなり暑くなった!」

 直ぐに剥き出しの頭が、焼けるように熱くなるのを才人は感じた。

 とてもではないが、才人とティファニアの今の格好では1“キロメイル”も歩くことはできないであろうことは明白である。

 才人は這々の体で引き返して来た。

「どうしたの?」

 ティファニアが、驚いた声で尋ねた。

「いきなり暑くなった! どういうこった!?」

 引き返すと先程は気付かなかった薄い膜を潜るような感覚を覚え、また快適な気温を才人は感じた。振り向くと、まるで蜃気楼のように空気の壁のようなモノが立ち上がっているのが、才人には見えた。

 その壁は、グルリとこのオアシスを取り囲んでいる。

「これ、全部“魔法”かよ」

 唖然として、才人は呟いた。

「その通りだ」

 オアシスを日光から守るために、“魔法”が掛かっているのである。まるでドームのように、空気の壁などがこのオアシスの周りを囲っているのである。

 “陣地作成”と似た“魔法”であるといえるであろう。

「なんて技術だ……」

 才人は感嘆の溜息を吐いた。

 “ハルケギニア”にも、“魔法”を利用した道具は数々あったのだが、ここまで大規模なモノを才人は見たことがなかった。

 才人は、ルクシャナの「私に危害を加えない方が良い」と言っていたことを想い出す。それから、(あれはハッタリでもなんでもない。本当のことなんだ)と想った。

 ティファニアもその“魔法”に気付き、目を丸くした。

「“エルフ”の“魔法”って凄いのね……」

 

 

 

 その日の夜……。

 才人は桟橋に座り、ジッと夜空を見上げていた。

 傍らには“日本刀”を置いている。ルクシャナのコレクションであろう、いくつもの剣に混じって、無造作に置かれていたのである。

 こうやって、才人の武器を隠す訳でもなく置いてあるということから、才人のことを全く脅威ではないと想っているのであろう。

 才人は途方に暮れた。“ハルケギニア”に帰るどころか、逃げ出すことすらできそうにないのだから。“エルフ”を言い包めることも難しい。なんとかして、皆に状況を伝えたいと考えるが、その手段もないのである。

 詰まり、八方塞がりである。

 才人は、(呆気ねえな。“聖戦”だなんだ、俺にできることはないのか? なんて悩んでいたのが馬鹿らしい。所詮俺なんて、こうやって“エルフ”に攫われて、なにもできないじゃないか。このままここで、俺は朽ち果てるんだろうか? ルイズにも、もう2度と逢えずに……)と考えてしまった。なんだか泣きそうに成り、才人は唇を噛んだ。

 そんな風に才人が1人膝を抱えていると、後ろから声が聞こ得た。

「サイト?」

 振り向くと、ティファニアがいて心配そうな顔で才人を見ている。

「大丈夫?」

 才人は慌てて笑顔を浮かべ、取り繕った。

「大丈夫大丈夫」

 ティファニアは、チョコンと才人の隣に腰掛けた。それから、足を泉の中に入れて目を瞑る。

「冷たくて、気持ち好いわ。サイトも、セイヴァーさんもやってみたら?」

 才人は胡座を組んだまま、後ろへと転がった。遮るモノはなにもない砂漠の夜空には、星が打ち撒けたビーズみたいに光っている。

 そんな星を見ていると、才人は悲しくて仕方がなくなってしまった。

「ここが、母の生まれた国なのね。1度行ってみたいとは想っていたけれど、こんなかたちでなんてね。でも願いが叶ったらから、もう良いわ」

 それからティファニアは、うん、と首肯いた。

「ねえサイト。セイヴァーさん。御願いがあるの」

「御願い?」

 才人は身体を持ち上げ、ティファニアへと問い返す。

「私を殺して欲しいの」

 才人は、はぁあああああ? と叫ぶと、ティファニアを見詰めた。

「な、なな、なななななななななななにを言うんだよ!?」

 見ると、ティファニアは目に涙を一杯に溜めていた。

「だって、そうでしょ? 私がいなくなれば、私の力は他の別の誰かに宿るんでしょ? 私、今までずっとそうだったけど、今回もなんにもできていない。とうとう捕まっちゃうし」

「お、俺だって捕まってるぜ!」

「サイトとセイヴァーさんは逃げて。2人ならできる。だって、今まであんな凄いことができたんだもの……でも、私は違う。私には無理。きっと足手纏いになっちゃうから……」

「な、なに言ってんだよ……?」

 才人はオロオロとしながらも、ティファニアの肩を握った。

「今までずっと不思議だったの。どうして私が……こんな私が、あんな伝説の力の“担い手”なんだろう? って。皆凄いのに、私は皆に助けられてばっかりで……」

「そんなことないって! 変なこと言うなって!」

「だって、私がここでのうのうと生きてたら、皆困るじゃない。地面が盛り上がって、住む所失くなちゃって。“エルフ”相手に交渉しようにも、私達がここにいたら。力だって復活しないんでしょう?」

 ティファニアは、俺達2人を見上げた。その顔は真剣である。

「テファが死んだら、皆悲しむだろ? なに言ってるんだよ!?」

「皆って誰?」

「俺とか! ルイズとか! セイヴァーも、シオンも! “学院”の皆だよ! あとテファが面倒見てた子供達とか!」

「そうかもしれない。でも、私がここにいたら、その大事な皆が大変なことになる。迷惑を掛けちゃう。だから……でも、サイトとセイヴァーさんは逃げて……御願い……」

「逃げるんなら一緒だろ!」

「私が一緒じゃ無理よ……」

 それ以上は言葉にならなかったのであろう。ティファニアは、グスングスンと泣き始めた。余り物事に動じない、ノンビリとした性格のように見えることが多い彼女だが、色々なことを考えていたのであろうが判る。そして母の種族である“エルフ”の実体を見て、色々とショックを受けてしまったのであろう。

 そんなティファニアを見て、才人は、(俺より、テファの方が何倍もショックだったに違いない。なにせ、その身体には半分“エルフ”の血が流れてるんだから……)と考え、グッと腹に力を込めた。それから、(俺がしっかりしなくてどーすんだよ……? 女の子がこんな覚悟をしてるのに、諦めてる場合じゃねえ)と想い、ばっしぃ~~~ん! と自分の頬を叩いた。次いで、ギュッとティファニアの肩を掴んだ。

「俺に任せろ」

 才人は、(自信なんかなかった。良い策なんか想い付かない。もしかしたら、ここでティファニアと俺が命を捨てるのが、1番善い策なのかもしれない。でも、そんなのは御免だ)と想った。

「うん。じゃあ、御願い……」

 ティファニアは、目を瞑ると才人に胸を突き出した。

「違う違う、違うって! そうじゃないってば!」

 才人は首を横に振って怒鳴った。

「……え?」

「俺が、なんとか“エルフ”を説得してみせる」

「でも……」

「やるんだ。テファ。俺……いや、俺とテファとセイヴァーでやるんだ。そりゃ、俺達が死ねばことの力は誰かに宿るんだろう。もしかしたら、そっちのが合理的かもしれない。でも、そんなの冗談じゃない。誰かが俺のために犠牲いなるのも御免だし、俺が誰かの犠牲になるのも御免だ。それに、俺達の代わりに誰かが力を得たって、上手行くなんて限らない」

「でも、“エルフ”はこんなに凄いんだよ。サイトも見たでしょ? このオアシスを取り巻くような“魔法”を、たった1人が住むために使っちゃうような人達なの。私達の言うことなんか利いてくれないよ。それに私は、混じりモノ、だし……」

「そんなテファだからこそ、できることがあるんじゃないのか?」

 才人は、真っ直ぐにティファニアの目を見て言った。

「え?」

「半分“エルフ”だからこそ、できることがきっとあるはずだ。今、それを利用しないでどーすんだよ? もしかしたら、俺達が“エルフ”に攫われたのはチャンスかもしれない。もし、上手く“聖地”に潜り込めて、その“魔法装置”とやらを手に入れることができたら、“聖戦”なんて行わなくても良くなるし、テファやルイズが、とんでもない“魔法”を覚えなくても済むんだからな。それになにより、セイヴァーがいる。おまえが、なにも言わないってことは問題ないってことだろ?」

「さてな……それはどうだろうか」

 才人はティファニアから俺へと視線を移し、問い掛けて来る。

 俺は恍けてみせた。

 しばらくティファニアは、才人を見詰めていた。それから、俺へと目を向けて来る。次いで俯き、唇を噛むと首肯いた。

「そうだね。ごめんねサイト、セイヴァーさん。私、怖かったの。このままここにいたら、なにか非道いことをされるんじゃないかって。そうなる前に、私……」

「言っただろ? テファにはなにもさせない。もしなにかされそうになったら、俺がこいつで、セイヴァーと一緒になんとかする」

 才人は、傍らにある刀を指指し、俺へと目配せをして言った。そこで才人は、(あ、そう言えば……)と気付いた。

「そう言や、あいつ等、テファが“担い手”ってこと、知らないんじゃないか?」

「え?」

「だって、テファを攫った理由を訊いたら“ハーフで研究目的にしようと想った”からだろ? “虚無”がどうのこうのなんて質問、一切されてないじゃないか」

「そう言えばそうだわ」

「“杖”はどうした?」

 才人の言葉に、ティファニアは首肯く。それから、キョトンとした顔で、胸の隙間から“杖”を取り出す。これもまた奪われずに済んだのである。

 才人は、(随分と舐め切ってくれたものだ)、と呆れた。次いで、(なにができるか判らない。でも、なんとかなるかもしれない)、という気持ちが強くなって行くのを感じた。

「良しテファ。そいつは切り札だ。大事に仕舞っとけ」

 コクリ、とティファニアは首肯いた。

「良いか? 俺達はなにもできないかもしれない。でも、やってみなくちゃ判らない。だから諦めない。死ぬなんてもっての外だ。理解ったか?」

 先程より深く、ティファニアは首肯いた。

「先ずは相手のことを知ろう。あのルクシャナが、俺達のことを研究したいって言うんなら、俺達も“エルフ”のことを研究してやるんだ。敵を知らなくちゃ、話にならないからな」

「理解った」

 良し、と才人は立ち上がる。

「どうしたの?」

「先ずは泳ぐ」

「ええええ? こんな夜中に?」

「ああ。どうせなら、楽しんでやってやる。もちろん、真剣にやるけどな」

 そんな事を真面目に言うものだから、ティファニアは想わず噴き出してしまった。

 才人はそのまま泉に飛び込んだ。

「こんなリゾート、“地球”にだって中々ねえや! おーい、テファもセイヴァーも泳げよ! 気持ち好いぜ!」

「理解った」

 ティファニアは、立ち上がると、ガバっと羽織ったローブを脱いた。下着姿になると、ドボン! と飛び込んだ。だが、そのまま沈み込み、中々浮かび上がって来ない。

「テファ?」

 1分経つと、流石に才人は心配になって来た。

 次の瞬間、才人の目の前に、プハッ! とティファニアは浮かび上がって来た。

「うわっ!?」

 才人が驚いた声を上げると、ティファニアは笑った。

「前より、長く潜っていられるようになったわ」

 無邪気にそんなことを言うティファニアの姿を見て、才人は(しまった)と想った。

 月明かりと、濡れた下着が、クッキリとティファニアの暴力的なまでの胸の形を浮かび上がらせているのである。

 才人が口をあんぐりと開けていることに気付き、ティファニアは顔を赤らめた。

「ご、ごめん……」

 謝る才人に向けて、ティファニアは首を横に振った。

「い、良いの。サイトとセイヴァーさん……セイヴァーは、その、御友達だから、良いの」

 しばらくそのまま、俺達は黙りこくり、才人とティファニアは俯いていた。

 それからティファニアは、ユックリと泳ぎ出した。

 月明かりの中、水を掻いて泳ぐティファニアは、まるで絵画から抜け出て来た妖精そのものであるといえ、才人はウットリとして見詰めた。

 そして、その姿は才人に勇気を与えて行った。

 才人は、(なんとかなる。いや、するんだ。俺とティファニアとセイヴァーで。皆のために……)と想いながら、泳ぐティファニアを見守った。



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ビダーシャルとの再逢

 才人とティファニアが眠った後、俺はまだ泉の畔にいた。

 泉と家の周りに張られている結界のような“魔法”を通り抜け、俺は砂漠へと出る。靴を履いているが、それでも砂の感触を感じ取り、油断をすると足を取られそうになる。

 結界の外は、砂漠であるために、昼と夜の気温差は激しい。昼は暑く、夜は寒いのである。

 が、“サーヴァント”であり、特殊な服を着込んでいることもあって、全く苦にはならない。

 しばらく歩いた後、立ち止まり、深呼吸をする。

「さて、始めるか……」

 身体を軽く解し、構える。

 “ボッカタオ”、“バッコム”、“ダンベ”、“シラット”、“アルニス”、“パプキドー”、“カラリパヤット”、“ムエタイ”、“忍術”、“パンクラチオン”……“千里眼”や“根源接続”によって手に入れた在りと汎ゆる格闘術や武術の知識や動きを想い出し、それを再現する。

 次いで“王律鍵バヴ=イル”を”投影”し、それを使用して“バビロニアの宝物庫”へと繋げる。

 少しばかり離れた場所の空間と“バビロニアの宝物庫”を繋ぎ、その空間に2つ穴を開く。その2つの空間の穴を利用して“バビロニアの宝物庫”内の宝物――刀剣類を行き来させ、加速させる。

 加速した刀剣類を、自身の周囲360℃に展開し、射出する。

 その速度は、才人に対して行った時の優に10倍ほどの速度であろうか。

 俺は、飛んで来る刀剣類の尽くを躱すように心掛ける。が、やはり全てを躱すということは難しく、幾つかが肌を掠める。

 掠めたことで、肌に傷が付くが、“十二の試練(ゴッド・ハンド)”や“被虐の誉れ”などによって再生し、耐性を獲得する。

「今日はこのくらいにしておくか……さて、出て来たらどうかな?」

「気付いてたんだ……で、さっきの剣とかってなに!? “魔法”で出したの? あれ全部“マジック・アイテム”!?」

 木の陰からルクシャナが出て来て、俺へと質問攻めをして来る。彼女の目は既に好奇心に輝いており、流石学者と驚嘆せざるをえない様子である。

 ルクシャナの格好は、朝に見たモノと同じだと言える。恐らく、同じ服を何着か持っているのであろう。

「そうだな、どこから話したものか……才人と俺はこことは違う国、もちろん“ハルケギニア”にある国とは違う所から来たんだが、そこにある“魔術”や“魔法”を用いて出し入れした。先程の刀剣は全て伝説上のモノの“原典”……“英雄王”が集めた物だ」

「“魔術”? “魔法”とは違うの?」

「そうだな。この世界の“魔法”とも、この世界の、才人の故郷にある“魔法”とも違う……“魔術”は基本等価交換だ。そして、その時代の技術でいかようにでも再現できる術の1つ……才人の世界の“魔法”は、どの方法を用いても再現が難しい、たった1つしか存在しないとか言い換えることもできるだろうモノか……」

「“魔術”か……」

「そうだ。おまえ達“エルフ”が信奉する“大いなる意思”だが……“魔術”的観点から考察すると、“ガイア”だろうな」

「“ガイア”?」

(世界)にも意思があると考えた場合のことだがな。ヒトには集合的無意識と言うモノがある。それを“阿頼耶(アラヤ)”と言うんだが、他の生命にも当然あるだろうな。そして、(世界)の場合、その意識のことを“ガイア”と呼ぶ、のだが……まあ、ザックリと、簡単に言えば、だがな」

 この世界の、“ハルケギニア”に於ける“アラヤ”だが、ティファニアを始めとした“ハーフエルフ”や“元素の兄弟”などといった存在がいることから、純粋なヒトだけの集合的無意識ではないだろう。

「へぇ……面白いわね。“魔術”に、“魔法”……“ガイア”ね……」

「そう言えば、俺のことが怖くないのか?」

「え? なんで?」

「俺は、おまえ達“エルフ”が恐れる“イブリース”とやらだぞ。その中でも、最も強いと言えるだろうな。自分で言ってて恥ずかしいし、それ以上に申し訳なさが勝るが」

「そうね。そう言えば貴男“イブリース”だったわね。でも、それがどうしたの? 貴男からは脅威とか全く感じないわ。それどころか、友達って感じね」

「友達、か……」

「貴男は寝ないの?」

「そうだな。俺は寝る必要がないからな。話は変わるが、あいつ等はかなりしぶといと言うか、しつこい。1度決めたことを曲げることはないだろうからな。朝には面白いことを言うだろうさ」

「そう? 期待しとくわ」

 ルクシャナはそう言って、家の中へと入って行く。俺が、砂漠にいても問題がなにことに驚いた様子もなく、逃走する能力があることを理解しながらも逃げる可能性を全く考慮していない。いや、しないと理解しているのであろう。

 

 

 

 

 

 翌朝……。

 窓から射し込む陽光で、才人は目を覚ました。ベッドはティファニアに貸して、ソファの上で寝ていたのである。流石に二晩続けてティファニアと同じベッドで寝る訳にもいかないと考えたのである。

 ティファニアは、「御友達だから良いの」と言ったのだが、そういう問題ではない。

 才人は、(例えば、寝返りを打った隙に手が触れたとする。麻薬の様な其の感触に脳裏が焼かれてしまい、其の瞬間に、自分と言うモノを失ってしまうで在ろう事は自明の理で在る)、と考えたので在る。

 だからソファで寝たのだが、ティファニアのその谷間を見るたびに、才人は(自分の判断は正しかった)と想うのであった。

 ティファニアはというと、すやー、とあどけない顔で寝息を立てている。寝返りを打った時に、ユッタリとしたローブの胸元から、暴力的なまでの谷間が見えた。

 才人は目を逸らそうとしたのだが、(これは神様からの励ましだ)と想い、10秒間だけ好意に甘えるように見た。(なにせ、俺達はこれから大変な仕事をしなくてはいけないのだ。でも、好意を受け取るのは俺だけで、テファとセイヴァーは損するのではないか?)、と考えた。それから、(テファが損する……だったら代わりに俺っちのを)と考えたが、才人は直ぐに首を横に振った。

「それは、違うな」

 ティファニアは、ううん~~~、と悩ましげな声を上げると、再びゴロンと才人の方に向けて転がった。ユッタリとしたローブの首元は更にずり下がり、グランドキャニオンが現れた。

 才人は、ある種の感動を覚えて泣きそうになり、両手を合わせた。

 すると、ティファニアが、ううん~~~、と唸り、目を覚ました。開けた自分の胸と、才人の視線に気付き、頬を染めて手で隠した。

 その瞬間、才人は自分の行為に気付き、強く恥じた。それから、(ただの覗きじゃねえか! 今の俺を知ったら、ルイズがどれだけ悲しむことか……)と心の中で、恋人に向けて頭を下げた。また、(“愛”の更に下に、本能はあるんだろうか? そんで俺は人間である以上、本能には逆らえないんだろうか? だとしたら、人間てのは悲しい生き物だな)とも想った。そして、(いや、悲しい生き物なのは俺だな)と想い直す。次いで、心の中のルイズに、(もう見ないね。僕は、ルイズが1番だから……)と拳を握って、心の中で誓った。今日のルイズとの約束、その1である。(逢うことができない分、毎日約束して強く生きよう)、と心に誓った才人であった。

 才人がそんな風にしていると、ティファニアが半泣きで呟いた。

「……変だよね。絶対、私の胸可怪しいよね。気になるよね。ぐすん」

「違う! だからそうじゃないんだってば!」

 と、才人は慌てて首を振った。

「何を騒いでいるの?」

 扉が開いて、ルクシャナが姿を見せる。

 その瞬間、才人は真顔になった。

 ティファニアも、ゴクリと唾を呑んで、緊張した面持ちになる。

 次いで才人は、ティファニアに目配せをする。それから、“霊体化”している俺にも一瞬だけ目を向ける。

 ティファニアは、コクリと首肯いた。

 俺は、答える代わりに“実体化”する。

「朝御飯は食べた? この辺にある物、食べて良いわよ」

 才人は、スッと手を伸ばして、ルクシャナを制した。

 ルクシャナは、才人とティファニアの様子を見て、笑みを浮かべる。

「ん? どうしたの?」

「話がある。と言うか、交渉かな」

「なにを交渉するの?」

 キョトンとした顔を作り、ルクシャナは問うた。

「“エルフ”の偉い人と、話をさせて欲しい」

「なあに? また“シャイターンの門”が見たいとか、“魔法装置”がどうのって言うつもりなの?」

「その通りだ」

「だからやめなさいって言ったじゃないの」

 才人は、真顔のまま言い放った。

「それならば、俺は死ぬ」

「はい? なにを言ってるの?」

 次いでティファニアが、(良いの?)と言うように才人を見詰めた。

 コクリ、と才人は首肯いた。

「あ、あのっ! この人、やるって言ったらやります!」

「ああ、俺はやる」

「やるんです! 止めても無駄だよね!? ねえサイト!?」

「ああ。無駄だ」

 これが、昨日3人――主に才人とティファニアの2人で考えた作戦である。“エルフ”側からすれば、才人とティファニアが死ねば困るのである。ここでずっと生かしたままにしておかなければ、意味がない。その時に、ティファニアの“魔法”は切る札として温存しようという打ち合わせであった。人の記憶を消すことのできる、というアレである。

 そんな2人を交互に見詰め、次いで俺へと視線を向け、ルクシャナは大声で笑い始めた。

「あっはっは! 可笑しい! 貴方達って変なこと考えるのね!」

 才人は、笑い出したルクシャナを見て、顔を真赤にさせた。

「笑ってる場合か? おまえ達、俺が死んだら困るんじゃないのか? 新たな“虚無の担い手”が……」

「目を見れば判るわ。本気で死ぬつもりなんか更々ないんじゃないの?」

 そう言われて才人は、ぐっ、と言葉を詰まらせた。

 ルクシャナは、才人をジッと見詰めた。

「そんなこと、他の“エルフ”の前では絶対に言わない方が良いわよ。自殺するなんてね。言ったら貴男、心を奪われるわ」

「え?」

 心を奪われる……その言葉で、才人はタバサの一件を想い出した。“エルフ”が作成した薬を呑まされそうになったタバサ……間一髪のところ、“アーハンブラ”から救い出さなければ、彼女は心を失った状態にされるところであった。

「感謝して欲しいわ。“評議会(カウシル)”の御爺ちゃん達、貴方達の心奪えって大騒ぎしたのよ。そっちの方が安全だって。でも、私と叔父様が一生懸命反対したから、貴方達はそうやって自分達の頭で物を考えることができるのよ」

 ティファニアと才人は、青くなった。

 同時に、ルクシャナが出したもう1人の名前に、才人は引っ掛かりを覚えた。

「どうして、あいつが俺を庇うんだ?」

「さあ? 何だか、貴方達に興味を持ったみたいね。色々訊きたいことがあるって言うから、そのうちに逢わせて上げる。私の叔父様、あれでも偉いのよ。一応、望みは叶えられるってことで、あんまり変なこと考えないでね」

 才人とティファニアは、恥ずかしそうに顔を見合わせた。

 ルクシャナは再び、才人とティファニアに色々と質問をした。今日の質問は、主にティファニアに向けてのモノで在る。

「貴女の母君は、どういう方だったの? 何故、貴女が生まれたのかしら?」

 ティファニアは再び才人と俺に、伺いを立てるように見詰める。

 才人と俺は首肯いた。別に隠すことでもない、と想ったためである。そして、何よりも、これはティファニア自身が考え、決めることなのだから。

 ティファニアは、怯えた顔でユックリと自分の生い立ちを語り始めた。“アルビオン”の大公と、その妾だった“エルフ”の女性との間に生まれたこと。それを嫌った叔父王――シオンの父親が差し向けた手勢に、父親と母親が殺されてしまったということ。逃がれた森での暮らし。そして、出逢い……。“虚無”に覚醒めたこと以外は、全てを語った。

 ルクシャナは、なにやらメモを取りながら、ティファニアの話を興味深かそうに聴いていた。

「母君の名前は、なんていうの?」

「父はシャジャルって呼んでました」

 すると、ルクシャナは笑みを浮かべた。

「私達の言葉で、真珠って意味よ。きっと、美しい方だったんでしょうね」

 するとティファニアは、はにかんだような笑みを浮かべた。

「ええ。とても綺麗でした。と言っても子供の頃だったから、ボンヤリとしか覚えてないんだけど……」

「調べて上げるわ。そっちに行った“エルフ”なんて珍しいから、たぶんなにか判るんじゃないかしら?」

「本当ですか?」

 ティファニアの顔が輝いた。

「ええ。もしかしたら、貴女の親戚が見付かるかもね」

 そこでティファニアは、再び哀しそうな顔になった。

「あの……ルクシャナさん。私、想うんですけど……」

「なあに?」

「私の母と父はとても中が睦まじくって。御互い“愛”し合っていました。だから、ヒトと“エルフ”って理解り合えると想うんです」

「そりゃあ、理解り合えるでしょ。こうやって話だってできるんだから」

「だったら! 御願いです! 私達を、“聖地”に連れてってください! このままだったら、沢山の人が死んじゃうんです! 残った人も、住む所が失くなって大変なことになるんです!」

 するとルクシャナは、真面目な顔になった。言おうかどうか悩んだ素振りを見せた挙げ句に、口を開いた。

「正直に言うとね、私もそうしたって良いんじゃない、って想うわ。そりゃ“大いなる意思”の思し召しかもしれないけど、やっぱり見殺しにするのは気分が良くないもの。でも勘違いしないでね。そう考える“エルフ”はホントに少ないのよ」

「ホントですか?」

「有難う御座います!」

 ティファニアと才人は身を乗り出した。

「でもね、私達だって6,000年間、“シャイターンの門”を必死に守って来たの。そこが解放されたら、酷いことになるって言われてね」

「酷いことって、なにがあったんですか?」

 才人が尋ねると、ルクシャナは目を大きく見開いた。

「“大災厄”」

「何すかそれ?」

「6,000年前、“シャイターンの門”に、“悪魔”が現れた時に起こったとされる出来事よ」

「なにがあったんですか?」

「当時、半分の“エルフ”が死んたと言われてるわ」

 ゴクリ、と才人は唾を呑んだ。

 ティファニアも、青い顔になる。

「それ、ホントなんですか?」

「さあね。信じてない“エルフ”もいる。なにせ大昔のことだしね。でも、おかげで私達の間では、“シャイターンの門”を守ることは絶対になったわ。貴方達も大変かもしれないけど、私達も必死なのよ」

 才人とティファニアは、顔を見合わせた。そして、ずしーん、と心に重しが伸し掛かったかのように、2人は感じた。

 その時、扉の向こうから、バッシャーン! と大きななにかが着水する音が響いた。

「アリィーだわ」

 ルクシャナは立ち上がると、婚約者を迎えるために扉を開けた。

 才人達もそちらを向いた。

 大きな“風竜”が1匹、桟橋に向かって泳いで来るのが見える。

 その背には、“エルフ”が乗っているのもまた見えた。

 

 

 

 大股で入って来た“エルフ”を見て、才人は眉間に皺を寄せた。

 “エルフ”やヒトという種族の差を差し引いても、いけ好かないといえる顔をしているからである。

 線の細い顔には高慢の色が浮いており、こちらを見る目は、動物を見る時のそれである。

 そんな様子を見て、此処に居るルクシャナが随分マシだったと云う事を、才人は想い知った。

 アリィーは、部屋の様子を見て不機嫌な声で言った。

「おい、“蛮人”共に、僕のベッドを使わせているのか?」

 するとルクシャナは、唇を尖らせた。

「別に貴男のって訳じゃないわ。御客用よ」

「どの道、“エルフ”が使うベッドに、“蛮人”を寝させるってのは感心しないな」

 チラリと、アリィーは俺達を横目で見て言った。

「おいおまえ達。出掛けるぞ。用意しろ」

 才人は、(こいつが、昨日ルクシャナが言ってた婚約者か。恐らくは、こいつが俺を眠らせ、そしてルイズやタバサを……)と考え、怒りを抑えられなくなってしまった。ここで怒ってもなにも始まらない上、自分達の立場が危うくなるであろうことを理解してはいたが、我慢ができなかった。

「この野郎」

 そう叫んで、才人は殴り掛かる。

 そんな攻撃を予想していたのであろう、アリィーはすっと身を動かし、躱してみせる。次いでカウンターで才人を殴り倒した。プロボクサーのような見事な動きで、更には“サーヴァント”に匹敵する素早い身の熟しである。

 才人は派手に後ろに転がった。

 慌ててティファニアが抱え起こす。

 アリィーは、殴った拳を取り出したハンカチで拭った。

「ちょっと! アリィー! 乱暴はやめて!」

「先に手を出して来たのは彼だよ」

 才人は立ち上がろうとした。

「てめえ、よくもルイズやタバサを……」

 しかし、ティファニアが才人の腕をガッチリと掴んだ。

「やめて。サイトやめて!」

 そんな2人を無視して、アリィーはルクシャナに言った。

「僕にも、防御が反応するようにしておいてくれよ。君の家に来るたびに、こうやって襲われたんじゃ適わないぜ」

 才人は刀の柄に手を掛けた。

 それを見て、アリィーは困ったような顔になった。

「おい“蛮人”。やめておけ。それを抜かれたら、僕だって手加減できないぜ」

「おまえが、ルイズとタバサを怪我させたのか?」

「ルイズ? タバサ? ああ、確かに君を連れて行こうとしたら、邪魔して来た奴等がいたが。1人は“悪魔”の末裔だったから、殺しはしていない。安心しろよ」

 まるでそうできないことが残念だ、とでも言うような口調でアリィーは言った。

 才人は、くぬ、と唸ると、再び飛び掛かる。

 アリィーは、参ったな、というように体を撚ると、鋭い蹴りを放った。

 だが、その蹴りを才人は両手で止めた。そしてそのまま引っ繰り返し、その上に伸し掛かる。

「よくも俺の恋人に怪我させやがったな」

 才人は思い切り、アリィーの頬を打ん殴る。

 丹精なアリィーの顔が、苦痛に歪んだ。

「これはタバサの分だ!」

 再び、その頬を打ん殴った。

 アリィーは、うぬ、と呟いて“呪文”を唱えようとした。

 が、いきなり天井からぶら下がった朝が開いて落ちて来て、アリィーと才人の頭にスポッと冠さった。

 その傘を取ろうとして2人はもがいたのだが、傘はぴっちりと閉じており、中々開かない。

「貴男達、いい加減にしなさいよ! ここは私の家よ! 喧嘩なら他所でやって頂戴!」

「君は“蛮人”の味方をするのか!?」

 顔を傘で覆われたまま、アリィーが叫んだ。

「そういう訳じゃないわよ。貴男、人の家で“精霊の力”を使おうとしたじゃないの」

 ルクシャナは、ジロリとアリィーを睨んで言った。

「すまないな、ルクシャナ。才人が無礼をした」

「おい、セイヴァー! なんで謝るんだよ!?」

 謝罪する俺に対し、才人はアリィー同様に傘に顔を覆われたまま叫んだ。

「当然だろ。ここは彼女の家だ。衣食住を提供してくれている上に保護もしてくれている。なら、礼を尽くすのが当たり前だろう」

「兎に角、私の家では争わないって約束して。じゃないと、2度と扉は潜らせないわよ?」

 パチンとルクシャナが指を弾くと、スルスルと傘は天井へと戻って行く。

 アリィーは怒りを抑えられない顔で、才人に向き直った。

「貴様、覚えておけよ」

 才人も興奮治まらぬ様子で、何か文句を言おうとしたが、ティファニアに窘められた。

「気持ちは理解るけど……落ち着いて。御願い」

 ティファニアのその言葉で、才人は我に返った様子を見せ、首肯いた。

「御免、テファ、セイヴァー……」

「こんな危険な連中を飼っていて、平気なのかい? 君は」

 アリィーにそう言われ、ルクシャナは首肯いた。

「もちろんよ。沢山楽しい話を聴かせて貰ったわ」

 するとアリィーは、更に不機嫌な顔になった。

「“蛮人”被れも、いい加減にして欲しいものだな」

「それはこちらの台詞だ」

「なに?」

 俺の言葉に対し、アリィーは睨みを利かせながら向き直る。

「こいつは、恋人と友人に怪我を負わされたことで怒っているんだ。おまえだって、大切な友人や家族、ルクシャナが怪我をさせられたら怒るだろ?」

「……う……兎に角貴様等、表の“竜”に乗れ。ビダーシャル様が御呼びだ」

 

 

 

 

 ルクシャナのオアシスから、数十分も飛ぶと、砂漠の向こうに海が見えて来た。

 その海岸に突き出る形で位置した“エルフ”の国“ネフテス”の首都“アディール”は、才人の視界を圧倒した。

 海上には幾つもの同心円状の埋立地が並び、その間を無数の船が行き交っている。

 その大きさと規模に、才人は目が眩むようであった。

 隣では、ティファニアが目を丸くしてその光景に見入っている。

 中世然とした“ハルケギニア”の都市に比べると、その技術力が2歩も3歩も抜け出ているということが、肌で感じられる。

 そんな“アディール”の光景は、中東の人工都市を、才人に想い浮かべさせた。

 才人は、(海の上に浮かんだ都市……あの国は、なんと言ったっけ?)と遠くなりつつある“地球”の記憶を懐かしんだ。

 “風竜”の首の付け根には設けられた鞍に跨ったアリィーが眼の前に見える。

 才人はその背を憎々しげに睨んだ。そして、(まあ、こんだけ技術力が離れてりゃ、“ハルケギニア”の人間を“蛮人”と侮るのも無理はないのかもしれないな。でも、“地球”の技術はもっと凄いんだぜ。あの海上都市、中には背の高い建物も見えるが、“東京”とか“ニューヨーク”とかあんなもんじゃねえからな。見たら泣くかんな、この長耳野郎め、あんま調子に乗んな)と心の中で独り言ちた。

 隣にいるティファニアが、アリィーの背中を見詰めて唸る才人を見て、その手を握る。

「もう乱暴は駄目だよ。サイトが怪我したら、ルイズだって悲しむよ」

 だが、才人は中々怒りを抑えることが難しい様子である。同時に、才人はルイズとタバサのことが心配になった。(怪我をさせられて、大丈夫なんだろうか? セイヴァーは大丈夫だって言ったけど。今直ぐにでも、飛んでルイズの元に駆け付けたい……でも、こうやって“エルフ”に囚われている身ではそれも叶わない。もしかしたら、もう2度と逢うことができないかもしれない)とそんな想いが不意に胸を過り、才人は首を振った。(変なことを考えるな。絶対にまた逢える。信じろ才人……)、とそんな想像を追い出した。

 才人の様子を見て、ティファニアは安心させるように握る手に力を込めた。

「大丈夫だよ。サイト。また皆に逢える。絶対。そうだよね」

 自分に言い聞かせるような口調でティファニアは言った。

 才人はティファニアを見詰め、次いで俺へと目を向ける。ティファニアのその手を強く握り返した。

「もちろんだ」

 才人達の後ろに座ったルクシャナが、才人と俺の様子を見て言った。

「あんまり驚かないのね。空から“アディール”を見たヒト達は、余り多くないはずだわ」

 才人は、“エルフ”への反発も手伝い、大袈裟に言い返した。

「俺とセイヴァーの故郷じゃ、もっと高い建物がバンバン建ってるぜ。あんなもんで威張んなよ」

 アリィーは、(なにを言ってるんだ?)といった顔を見せる。

 が、ルクシャナは興味深そうな表情を浮かべる。

「面白そうね。どういうこと?」

「あの真ん中の建物より、3倍は高い建物とか余裕であるね」

「へえ。一体貴男達はなんていうの生まれなの?」

「“地球”。“日本”って国だ」

 ニヤリ、と才人は笑った。

 ルクシャナはキョトンとした。

「どこ? 聞いたことないわ。“ロマリア”近くの、都市国家群の1つ? 私、忘れっぽいからなぁ……」

「こことは違う、別の世界だよ」

 才人が言うと、とティファニアがその袖を引っ張った。

「サイト」

「ん? まあ、今更隠したってしょうがないし」

「別の世界? どういうこと?」

 ルクシャナは興味を引いたらしく、身を乗り出した。

「おい、ルクシャナ。“蛮人”の言うことなんか真に受けるな」

 振り向いて、アリィーが不機嫌そうな声で言った。

 べぇーっと舌を出すと、ルクシャナは才人へと向き直り小声で言った。

「その話、後でユックリ聴かせて頂戴」

「良いよ。ちゃんと信じてくれるんならね」

 アリィーの操る“風竜”が下降を始めた。

 グングンと“アディール”の中心に位置する“カスバ”が見えて来る。“エルフ”の国“ネフテス”を動かす“評議会”が置かれている場所である。

 屋上に着陸すると、何人もの“エルフ”の戦士達が俺達を出迎えた。物珍しそうに俺達を見詰め、時折ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 誰かがティファニアを指さし、一斉に“エルフ”達は驚いた顔になった。どうやら、“悪魔”の末裔と想われている才人よりも、ハーフであるティファニアの方が驚くべき対象であるらしい。

 ティファニアは、恥ずかしそうに耳を掴んで隠した。

 1人の“エルフ”が近付いて来て、ティファニアに文句を言った。が、早口の“エルフ語”で在るために、才人とティファニアには良く理解できなかった。

 ティファニアがキョトンとして居ると、“エルフ”の1人が手を掴もうとして来た。

「おい、なにすんだ?」

 才人が割って入ろうとすると、次々に“エルフ”の手が伸びて来て、押さえ込まれてしまう。

 “エルフ”達は口々に喚いた。「“シャイターン”!」、との叫びが聞こ得、どうやら罵られているということに才人は気付いた。

 1人の“エルフ”が、腰に提げた短剣を抜こうとする。

「“天の鎖”よ」

 “天の鎖(エルキドゥ)”を用いて、短剣を抜こうとした“エルフ”の身動きを封じる。

 “エルフ”達は驚き、一瞬だけ動きを止める。もちろん、アリィーも例外ではない。

 ルクシャナは興味深そうに俺と“天の鎖(エルキドゥ)”とを交互に見やる。

 我に返った“エルフ”達が一斉に短剣を抜こうとする中、ルクシャナが“エルフ語”で強い調子で叫んだ。

 しばらく言い合いになり、アリィーが間に割って入る。

 すると、“エルフ”の戦死達は憮然とした顔で矛を収める。

 俺もまた、“天の鎖(エルキドゥ)”を戻し、縛り吊るしていた“エルフ”を解放する。

 直ぐ様、“エルフ”達は離れて行った。

 ティファニアは、怯えた顔で才人の後ろへと隠れた。

「なんだ、こいつ等は?」

 と、才人がルクシャナに尋ねる。

「貴男を殺せって騒いでるのよ」

 と、なんでもない調子でルクシャナは答えた。

「成る程。過激派みたいなモノか」

 俺の言葉に、ルクシャナは首肯いた。

 才人は青い顔になる。

「俺を殺したら逆に困るんじゃなかったのか?」

「そう言ったわ。でも、貴男はここでは“悪魔”なのよ。それを忘れないでね」

 “エルフ”達の俺達を見る目には、激しい敵意が滲んでいた。

 “ハルケギニア”に来た頃の才人は、侮られこそすれ、このような目で見られたことはなかった。そのおかげであろうか、(嗚呼、敵地に来たんだ)ということを、生まれて初めて生々しく感じることができた。そして、(一体、ビダーシャルはどんな用事で俺達を呼んだのだろう? どんな話をするつもりなんだろう?)、と急に不安が高まって行くのを覚えた。

 

 

 

 ビダーシャルの執務室に通されると、警護の戦士達は姿を消し、再びアリィーとルクシャナだけになった。

 この“カスバ”という建物は、綺麗な塗り壁でできている。所々、硬く焼いた淡い色のタイルが幾何学模様を描き、殺風景な部屋に彩りを与えている。殺風景ではあるが、“ハルケギニア”では余り感じることのない清潔感に溢れているといえるであろう。

 だが、才人はどことなく居心地の悪い心持ちになった。余り生活感を感じないのである。それは、ゴチャゴチャとした“ハルケギニア”の家屋敷での生活に慣れたということもであるであろう。

 しばらく待つと、扉が開いて、懐かしのとでもいえるビダーシャルが姿を見せた。再逢するのは、“アーハンブラ”での対決以来のことであろう。

 才人は、冷や汗が流れるのを覚えた。強力な“カウンター(反射)”を使い、才人とルイズ達を苦しめた“精霊の力”の使い手である。そして、“ガリア”の“両用艦隊”を燃やし尽くした“火石”の作成者でもある。

 だが、眼の前のビダーシャルは相変わらず穏やかな態度であり、まるで恐ろしい存在には見えない。若い“エルフ”の戦士達とは違い、以前戦った才人と俺を前にしても、表情1つ変えない。

 まるでこの前の死闘がなんでもなかったことであるかのように、ビダーシャルは口を開いた。

「久し振りだな。“蛮人”の戦士達よ」

「ああ、久し振りだな。ビダーシャル。元気そうでなによりだ」

「君の方も相変わらずだな」

「おまえはルクシャナと同様に、俺達と話が落ち着いてできるから言っておきたいのだが……」

「なにかな?」

「ヒトを前に話をする時は、“蛮人”と呼ぶのではなく、個々人の名前で呼ぶべきだ。ルクシャナにも言ったが、”精霊の力”を”先住魔法”などと言われると不快に想えるだろ?」

「…………」

 ビダーシャルと俺は挨拶を交わし、また会話もした。

 アリィーが俺の言葉に対して文句を言おうとするが、ビダーシャルはそれを制した。

 才人は、ビダーシャルを前にして、(一体、なにを訊かれるんだろう?)と想わず身構えた。

 ビダーシャルは椅子に腰掛けると、俺達にも座るように促した。

 そこにあった椅子に俺達が腰掛けると、ビダーシャルは質問を開始した。

「では、単刀直入に尋ねよう。先ずは、おまえ達の……“虚無”と言ったか?」

「ああ、合っている」

「その力を持つ者の氏名を全て述べて欲しい。我々の方でも幾人かは確認しているが、全てと言う訳ではないし、確実性が欲しいのでな」

 才人は呆れた声で答えた。

「仲間のことを話す訳がないだろ」

「いくらでも聞き出す方法はあるのだ。無駄な労力を掛けるな」

 それでも才人達が黙っていると、ビダーシャルは人を呼んだ。

 入って来たのは、白いローブを纏った若い“エルフ”の女性であった。手になにかを握っている。

 どうやら、何かドロリとした液体であることが見て判る。

 なにかを呑まされる、そう直感した才人は、ティファニアの腕を引いて逃げ出そうとした。

 だが、直ぐに湯からから手の形をしたなにかが伸び、才人の足首は掴まれてしまう。次いで、壁から無数の腕のような触手が伸び、才人の身体を絡め取る。

「ぐ……」

 触手に、才人の口を抉じ開けられ、其の中に白衣の“エルフ”がドロリとした液体を流し込む。「くそ……」と呻いたが、どうにもならない。そのうちになんだか熱を持ったかのように、頭がボンヤリとして来た様子を見せる。

 ビダーシャルが再び尋ねると、もう才人には抵抗できなかった。問われるままに、“担い手”の名前を口にしてしまう。

 教皇聖下であるヴィットーリオとジュリオ、ルイズと才人、“ガリア”のジョゼット、そして隣にいる……。

「なんだ、彼女も継承者だったのか!」

 ティファニアの名前が出た時に、アリィーが叫んだ。

 ビダーシャルの顔も、成る程といった具合に変化した。

 ルクシャナが、へえ、と言い乍ら、ティファニアを見詰める。

 ティファニアは、ボンヤリとした顔の才人に駆け寄り、必死にその身体を揺さ振った。

「サイト! ねえ、大丈夫? サイト!」

 しかし才人から返事はない。ただ呆然と、視点の定まらない目で前を見詰めているだけである。

「“エルフ”の血を引く者に、“悪魔”の力が宿るとはな……」

 ビダーシャルは溜息を吐くように言った。

 ティファニアは、そんなビダーシャルを憎々しげに見詰めた。

「私、ずっと想ってた。“エルフ”は、母の様に優しい人達だって!」

「優しさ、と一言で言うが、様々な種類がある。“エルフ”のために必要と想うことを、私はしているだけだ」

「人間達だって大変なのよ? 貴方達が“蛮人”と呼ぶ種族……確かに貴方達“エルフ”に比べたら、文化も技術も劣っているかもしれない。でも、彼等にだって生きる権利がある。そうじゃない?」

 ティファニアは必死になって訴えた。

 だが、ビダーシャルの答えは決まって居た。

「“シャイターンの門”を開くことはできぬ。再び“大災厄”を引き起こすことは赦されぬ。我々はずっとそれを守って生きて来た」

「そんなの、やってみなくちゃ判らないじゃない! 伝統かなにか知らないけど、昔と今は違うわ!」

「そのような危険な賭けに、一族を晒すことはできぬ。“シャイターンの門”を封じ続ける。それは伝統などと言う生易しいモノではない。我々の義務なのだ」

「どうして自分達のことしか考えられないの? ねえ、どうして?」

 ティファニアは、(こうなったら、ここにいる連中の記憶を奪って……)と考え、胸の隙間に刺した“杖”を引き抜いた。

 だが、そんな慣れぬ冒険は直ぐに遮られてしまう。

 壁から伸びた触手に、一瞬で絡め取られてしまい、ティファニアは全く身動きが取れなくなってしまった。

「これは預からせて貰う。“悪魔”の末裔と判った今、この“杖”は危険だからな」

 ビダーシャルは、ティファニアのその手から“杖”を奪い取る。

 

 

 

 才人は、眼の前で起こっている出来事を理解することはできた。が、なんだか膜に覆われているかのように感じられたのである。その膜は、才人と眼の前の現実とを切り離し、まるで映画のワンシーンであるかのように感じさせた。

 隣ではティファニアが、壁から伸びた触手に掴まれて泣きそうな顔になっている。

 部屋の中には何人かの“エルフ”がいる。

 そのうちの1人……背の高いビダーシャルが、床にべったりと座り込んだ才人に向かって尋ねた。

「ヒトの戦士よ。私はおまえ達と戦って以来、我々の“聖者アヌビス”と、おまえ達が信じる“ガンダールヴ”の共通点に興味を抱いていてな。色々と調べていたのだ」

「はい」

 才人は、淡々と答えるのみである。意味は理解できるのだが、なんの感情も湧き上がって来ない様子である。

「“聖者アヌビス”は、光る左手を持ち、“大災厄”をもたらした“悪魔(ブリミル)”を斃して退けた。だからこそ、聖者として名を遺したのだが……もし、“聖者アヌビス”とかつての……初代“ガンダールヴ”が同一人物ならば、興味深いことだな」

 その時、扉が開いて書記官らしき“エルフ”が姿を見せた。

「ビダーシャル卿。“評議会”から、決定事項です」

「なんだ?」

 書記官から渡された書類に目を通し、ビダーシャルはわずかに眉根を潜めた。

「そうか」

「叔父様。どうしたの?」

 心配そうな表情で、ルクシャナが尋ねた。

「彼等に、“心神喪失薬”を呑ませることが決定した」

 その言葉で、ルクシャナの顔色が変わった。

「話が違うわ! 彼等は私が預かるってことで、決着したんじゃないの?」

 書記官が申し訳なさそうな顔でルクシャナに告げた。

「“評議会”の決定なんです。ルクシャナさん。やはり、汎ゆる危険性を排除したいとのことで」

「学術的見地からすると、愚かな行為としか言えないわね」

「兎に角、決定は決定なんですよ。処置は一週間後。それまで彼等は、ここに監禁されます」

 ティファニアは、その会話を聞いて、(心を奪うですって? 私とサイト、セイヴァーさんの?)と震え出した。次に想い出したのは、母の顔である。(母のような優しい“エルフ”が暮らす、夢の国……私は混じり物だから、当然差別はあると想っていた。恐らくは歓迎されないことも……でも)、と、ここまでのことは想像しなかったティファニアは、自分の中に流れる“エルフ”の血を、生まれて初めて呪った。



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ルイズの決断とロマリアの選択

 俺達が、“ネフテス”の“カスバ”でビダーシャルと会見する5日ほど前日に遡る。

「救助の隊を出せない? どういうことですか?」

 ルイズは必死になってアンリエッタに詰め寄った。

 ここは“トリステイン”の王宮である。

 才人とティファニアが連れ去られ、俺がそれに着いて行ってから、優に3日は過ぎていた。

 やっとの事で、身体の痺れが取れたルイズは、才人とティファニアを取り返しに行く許可を貰いに、王宮へと出頭していたのであるが……。

「“ロマリア”の密使から、こういう手紙が届いたのです」

 ルイズはその手紙を見せて貰った。

 教皇聖下の印が押してある。そこには、「此の件、当方に御任せ願う」と記載されている。

「では、私も奪回作戦に参加させてください!」

 ルイズは当然そう言った。

 だが、アンリエッタは首を横に振る。

「貴方達はこちら側に留めて置くよう、内密に申し渡されました」

「其れで、姫様はそれを受諾されるのですか?」

 アンリエッタは、苦しげに首肯いた。

「外征軍を組織するので、国内は手一杯なのです。貴女を随行させて、失う訳にはいきません」

 ルイズは、アンリエッタの決意が固いのを見て取った。

「恐らくは、ティファニアさんも攫われたことでしょう。正直言って、私達は、対“エルフ”に関してはまるで無知なのです。“ロマリア”の方が、まだ適任と言えるでしょう。なにせ彼等は、随分長い間、“エルフ”達のことを調べ上げて来たのですから」

 それを聞いたルイズは、思わず厳しい言葉が喉から飛び出そうになった。「姫様は、サイトがどうなっても良いの?」とか、そういう言葉である。だが、ルイズはそれをどうにか口にはしなかった。少し前までであれば思わず口を吐いたかもしれないであろう。だが、アンリエッタの立場も十分に理解できていること、成長していることもあるだろう。

 アンリエッタは女王として、時には小を切らねばならないのである。それが例え、身を裂かれるかのような想いであろうとも……。

「御立場を御察します。意思に反した言葉を口にせねばならない。さぞかし辛いでしょうね」

「ルイズ……」

「無理を申してすいませんでした。では、失礼致します」

 ルイズは、ペコリと一礼した。

 その態度で、アンリエッタはルイズがなにを考えているのかに気付いた。なにかを口にしようとしたが、(この幼馴染は、一旦決めたことを決して曲げようとはしないでしょうね)とそれを理解していたこともあり、なにも言わなかった。去り際に一言、アンリエッタはその背に声を掛けた。

「気を付けてね。ルイズ」

 

 

 

 

 

 王宮から出たルイズは、馬に跨り街道へと馬首を巡らせた。

 通りでは、新たに編成された連隊が、隊列を組んで行進している。行き先は、“シャン・ド・マルス”の練兵場であろう。壁には傭兵募集のポスターが至る所に貼られている。各連隊は、“聖戦”に備えてそれぞれ定数を補充するのにてんてこ舞いといった状態である。

 街行く人々の表情は、暗いモノではない。日常の光景には変化がない様子である。恐らく、地面が浮かんでしまう、などということを、余り上手く実感することができていないのであろう。空に浮かぶ“アルビオン”にしろ、“火竜山脈”での件にしろ、遠い国の出来事として捉えているのである。もしくは、“貴族”がなんとかしてくれると想っているのであろう……。

 通りを行くうちに、街を出て、辺りは暗くなって来る。

 ルイズは馬の首に提げられた“魔法”のランタンに灯りを灯した。

 ボンヤリとした灯りが、街道を照らす。

 雲の間に光る月を見詰めていると、ルイズの目からボロボロと涙が溢れて来た。(サイトは無事かしら? 今頃、“エルフ”に非道いことをされてないかしら?)、と不安になったのである。先程は、アンリエッタに言わなかった言葉である。(“エルフ”はサイトを殺しはしないだろう。なにより“虚無”の復活を恐れてるから……でも、心は関係ない。“エルフ”はサイト達の心を奪うかも。かつてタバサをそうしようとしたように……そうしたら、サイトの私への想いも失くなってしまう。それより嫌なのは……サイトがサイトでなくなってしまう。そんなのは、耐えれない。そうなったら、私がこの世にいる価値も失くなってしまうわ)、と考え、それが怖くて、ルイズは泣いてしまった。泣いてもどうにもならないということを理解していても、ルイズはボロボロと泣き続けた。

 “ド・オルニエール”の屋敷に着くと、当然、心配そうな顔で皆がルイズを取り囲む。

「どうだったんだ? ルイズ」

 ギーシュがルイズに尋ねたが、ルイズは首を横に振った。

「“トリステイン”からの救出隊は出せないそうよ」

「そんな! 彼奴は国の“英雄”じゃなかったのかい!?」

 マリコルヌが、残念そうな声で叫んだ。

「“ロマリア” に任せろ、だそうよ」

「“ロマリア”なんか宛に成るもんか! あいつ等のことだ、いざとなれば見捨てるに決まってる!」

 ギーシュがそう叫んだ。

 エレオノールが腕を組んで言い放つ。

「まあ、“エルフ”の国に関しての素人がノコノコ行ったって、返り討ちに遭うのが落ちね」

「なんてこと言うんですか!?」

 ギーシュがそう叫んだが、エレオノールは涼しい顔である。

「だってそうじゃない? ここにこれだけの“メイジ”がいるのに、アッサリ攫われちゃったのよ? 迂闊に隊を組んで行ったって、全滅するのが落ちだわ」

 するとルイズが、「エレオノール姉様」と真面目な声で呼び掛けた。

 シオンを除くその場の全員が、派手な姉妹喧嘩を想像して、青い顔になった。今のエレオノールの言葉は正論とはいえども、少なくともルイズの前では言って良い言葉ではなかったためである。

 だが、ルイズの言葉はアッサリとしたモノであった。

「そうね。エレオノール姉様の言う通りだわ。自分勝手な行動は許されないわね。“ロマリア”に期待しましょう」

 それからルイズは、「もう寝る」と言って立ち上がる。

 エレオノールを始め、そこにいたシオン以外の面々は、ルイズのその呆気なさに顔を見合わせた。

 

 

 

 自室にやって来たルイズは、先ず涙を拭いた。それから10秒ほど俯いていたが、おもむろに顔を上げた。そこには、先程まで泣いていた少女はいなかった。目には決意の光が宿り、唇は真一文字に結ばれている。

 ルイズは手早く荷物を纏め始めた。鞄の中に財布と、替えの下着などを詰め込む。持って行く物はそれほど多くはない。食料などは、途中で買い求めるつもりであるためである。

 だが、問題が1つある。上手く国境を抜けることができるかどうかである。

 ルイズは、(でも、これがあればなんとかなるはずだわ)とポケットの中から1通の書類を取り出した。

 それは、アンリエッタの花押が付いた通行許可証であった。

 許可証はもちろん偽造ではあるのだが、押されている花押は本物である。

 ルイズは先程、アンリエッタの元を訪れた時に、その目を盗み、テレポートで執務室まで飛び、作っておいた書類にアンリエッタの印を押したのであった。

 端からルイズは、アンリエッタの協力を当てにしてはいなかったのである。彼女の立場は重々承知していたためである。この許可証を作りに、アンリエッタの元へと行ったに過ぎないといえるであろう。後は、筋を通す必要性を感じたためである……。

 屋敷にいる皆を付き合わせるつもりは、ルイズにはなかった。これはとても個人的なことであるため……また、今の“ハルケギニア”の状況を考えれば、これは許されない行為でもあるだろうからである。“虚無の担い手”として行動するのであれば……確かに“ロマリア”の指示に従うべきであろう。

 だが、ルイズの心に不安が過るのである。

 それは、予感と言い換えることもできた。

 もし、“エルフ”が才人の心をどうにかさせてしまったら……“ロマリア”は、サイトを葬るかもしれない、という予感。“担い手”やその“使い魔”には……代わり、がいるのである。

 それは、“ハルケギニア”の未来と才人とを秤に掛けて考えるのであれば、“ハルケギニア”の未来の方が重く、正しいのであろう。

 だが、例え心を失わせれたとしても、元に戻す方法は確かにある。タバサの母親がそうであったように。

 ルイズを不安にさせているのは、“ロマリア”がそれを手間と考えてしまうことである。(救け出すことよりも、そちらの方が簡単だとすれば、“ロマリア”はアッサリとそちらを選ぶかも)、と想ったのである。

 今までの“ロマリア”の行動から考えれば、その可能性は決して少なくないといえるであろう。

 これが、ルイズが“ロマリア”に解決を任せることを拒ませた1番大きな理由である。

 ルイズは、(絶対にそんなことはさせない)と想い、荷物を詰め込んだリュックを背負う。それから、窓を開け、小さく、“テレポート(瞬間移動)”を唱えた。

 地面の上に移動したルイズは、馬小屋へと向かい、馬を啼かせないように注意をしながら、鞍を載せ、その上に跨った。

 さて出発しようとしたその時、ガサガサと茂みが鳴った。

 ルイズは、(もしや、まだ“エルフ”が?)と想い、咄嗟に“杖”を構えた。

 しかし、茂みの中から現れたのは、めいいっぱいに荷物を背負ったメイドであった。

「シエスタ?」

「はい。私です」

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも。私も連れてってください」

 どうやらシエスタは、ルイズがこうやって出発するのを感じ取り、ここでずっと待っていたらしい。

 ルイズは溜息を吐きながら言った。

「無理よ。今回は諦めて」

 ルイズは馬を進めようとしたが、シエスタが立ち塞がる。

「退きません。私も行きます」

「あのねえ。言っとくけど、今回は洒落にならないのよ。“アルビオン”の時とは訳が違うんだから」

「知ってます。“エルフ”の所に行くんでしょう?」

「そうよ。“エルフ”の怖さは知ってるでしょ?」

「知ってます。でも行きます」

 シエスタは、なにがなんでも行くつもりのようである。

「ホントに理解らず屋ね! あのね、“メイジ”でもなんでもない貴女を連れて行くことはできないの。普通に危ないのよ。理解るでしょ?」

「理解ります。でも……」

 するとシエスタは、シクシクと泣き始めた。

「なにもしないでただ待ってるなんてできないです。もし、なにかあったら……サイトさんにも、ミス・ヴァリエールにも……私、生きてる価値が失くなっちゃいます。だから御願いです。連れてってください」

 ルイズは、そんなシエスタに心を打たれた。

「でもやっぱり無理よ」

「じゃあ私騒ぎます。皆にミス・ヴァリエールの出立を言っちゃいます」

「あのね」

 シエスタは深呼吸をすると、思いっ切り口を開いた。

 ルイズは慌てて飛び掛かり、シエスタのその口を押さえた。

「……理解った! 理解ったわよ! 連れてくから、大声出さないで!」

 シエスタは勝ち誇ったような顔で手早く荷物を鞍に括り付けると、ピョコンと馬に跨った。

「さ、前へ」

 やれやれ、とルイズは馬に跨った。だが、どことなく嬉しく感じるのもまた事実であった。相手がどうであれ、1人ではない、ということは心強いモノである。

 さて、とことこと歩き出して門を出ると、今度は青髪の少女が“杖”を持って佇んでいた。

 その横には、イーヴァルディもいる。

「タバサ? どうした……」

 の? と尋ねようとすると、珍しいことにタバサは矢継ぎ早に喋り始めた。

「私も行く。貴女だけでは心許ない。“エルフ”が相手でも問題ない。私は1度戦っている。イーヴァルディもいる。シルフィードも行くから、空が使える」

 ルイズは絶句した。

 ルイズが驚いていると、空からバッサバッサとシルフィードが降りて来て、前にチョコンと座った。

「そうなのね。さ、早くそんな鈍い生き物から降りて、シルフィの上に乗るのね」

 ルイズとシエスタが呆然としていると、シルフィードはパックリとルイズを咥え、自身の背中に乗せた。

「私も! 私も!」

 シエスタが叫ぶと、シルフィードはヒョイッと咥えて、背中に乗せる。

 そして、最後にタバサが乗った。

 ルイズはただただ呆然として、タバサを見詰めた。なにかを言おうと想ったが、上手く言葉にならないようである。が、気付いたら礼の言葉が口を吐いていたといった様子である。

「有難う」

 ルイズは何だか泣きそうに成った。

 当たり前である。皆才人とティファニアが心配なのである……そう感じ、考えているのはなにもルイズだけではないのである。

 

 

 

 ルイズ達がシルフィードの上に乗り、しばらく夜空を飛んでいると……背後からグオングオングオン、となにやら爆音が響いて来た。

 思わず振り返ると、巨大な翼を広げた影が、シルフィードを追って来ている。

「おーい! ミス・ヴァリエール! 君達がいくら軽いからって、“サハラ”まで飛んだらシルフィードが疲れてしまうよ!」

 “魔法”の歓声装置から響いて来たのは、コルベールの声である。

 シルフィードは、きゅい! と一声嬉しそうに喚くと、自分達を追い掛けて飛ぶ“オストラント号”に向かって飛んだ。

 “オストラント号”の甲板には、先程屋敷のロビーに居た面々が、顔を並べていた。ギーシュにマリコルヌ、コルベールにキュルケ。シオン。そして、エレオノールの姿もある。

 ピョコンとシルフィードが降り立つと、ツカツカとエレオノールが近付いて、腕を組んでルイズを怒鳴り付けた。

「また勝手なことをして! どうして貴女はいつも私に相談しないの!?」

 ルイズは、ビクン! と震えた。

「ひう!? 申し訳ありません! でも、エレオノール姉様に言ったら反対されると想って……」

「貴女は自分の良心に背くことをするつもりなの?」

「まさか! そんなことはありません!」

「ならちゃんと報告なさいな。私だってね、なんでも反対する訳じゃないし、鬼じゃないのよ」

 エレオノールがそう言うと、マリコルヌが首を振った。

「鬼より怖いっすよね。御姉さん」

 するとエレオノールは、キッ! と目を吊り上げて、マリコルヌを蹴り付けた。

「だから貴女に御姉さんと呼ばれる筋合いはないわよッ!」

 ゲフッ! などとマリコルヌは呻いて、派手にバウンドして舷側に打つかる。

「シオン。良いの?」

「勿論。これはセイヴァーが観た展開通りだから。それに、なによりも2人は大事な友達だもの」

 ルイズは、シオンに確認のために質問する。

 シオンの答えは決まっており、強く温かな笑みを浮かべて首肯く。絶対的な信頼感と信用、そして希望を信じる瞳で、ルイズに応えてみせる。

 ルイズは、ユックリと全員を見回し、目に一杯に涙を溜め、ペコリと頭を下げた。

「皆、有難う」

 キュルケが目を細めてルイズに近寄り、その肩に手を回した。

「また貴女、自分だけ良い子になろうとしたのね?」

「ちが……そういう訳じゃ……ただ、迷惑掛けちゃいけないと想って……」

 呆れた声で、キュルケは言った。

「迷惑ですって? 馬鹿ねえ。友人1人救えないようじゃ、世界なんか救えないわよ」

 そんなルイズとキュルケを、シオンは温かく見守った。

 

 

 

 皆が船室に引っ込み、寝静まった後……。

 ルイズは1人甲板で夜空を見上げていた。

 雲の隙間から顔を見せる“双月”は、赤と蒼に輝き、夜空を彩っている。

 ルイズは、(ねえサイト。貴男も、遠い砂漠でこの月を見てるいるの?)、とその月に向かって、呼び掛けた。そして、(そうだったら良いな)、と想った。どこかで繋がっている。そんな実感が、今のルイズには欲しかった。

「ねえサイト。とても綺麗だわ。そう想うでしょう? また一緒に、“ド・オルニエール”の御屋敷でこの月を見ましょう?」

 ルイズのそんな呟きが、願いが、“オストラント号”が奏でる蒸気機関の音に重なり、夜空へと吸い込まれて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝……。

 “ロマリア皇国連合”の中心、“宗教庁”の門の前に、一台が止まった。

 扉の中から出て来たのは、長身の“貴族”である。灰色の長い髪の下には、薄いブルーの瞳が光っている。

 その後ろから降りて来たのは、鋭い目をした美しい女性であった。

 フーケとワルドである。

 2人を迎えたのは、巫女服に身を包んだ15歳くらいの少女である。ペコリと一礼すると、「我が主が御待ちで御座います」といつもと変わらぬ言葉を口にした。

「ミケラ、教皇聖下は、どんな用事があって俺達を呼んだのだ?」

 この“宗教庁”……というよりは教皇付きの修道女であるミケラが潜伏先の下宿にやって来て、ワルド達を教皇聖下に引き合わせたのは先月のことであった。

 ワルド達は(一体自分達にどんな話があるんだろう?)と緊張したのだが、教皇ヴィットーリ・セレヴァレはというと、当たり障りのない世間話と、ワルド達の行って来たことを聴くことに終始していただけである。

 そして、教皇聖下の配下として働くことを約束させられたのだが……一体自分達をどのような仕事に使うつもりなのか、検討も着かなかったのである。

「私に判る訳がありません」

 困ったような顔で、ミケラは言った。

「理解ってる。訊いてみただけだ」

 ワルドは笑みを浮かべた。

 そんなワルドを、フーケが突く。

「巫女さんを、誂うんじゃないよ」

 

 

 

 2人は直ぐに教皇の執務室へと通された。

 朝の祈りを終えたばかりのヴィットーリオは、椅子に腰掛けて御茶を飲んでいた。

 ワルド達が入って行くと、ヴィットーリオは立ち上がり、2人に椅子を勧めた。

「どうぞ。御茶でも飲まれますか?」

 ミケラは返事を待たずに次の間へと消え、御茶の支度をして現れる。

「どうぞ」

 そして、ヴィットーリオはユックリと御茶を飲み始めた。

「一体、我々にどんな仕事をさせるおつもりなのです?」

 単刀直入に、ワルドは切り出した。

「この前の、“火竜山脈”の件は覚えておられますか?」

 ヴィットーリオに尋ねられ、ワルドは首肯いた。

「ええ」

「貴男の母君が、恐れていた事態が起こることになりました」

 ワルドはわずかに目を光らせた。

「御存知でしたか」

「我々は、彼ほどではないにしろ、“ハルケギニア”の汎ゆることに目を光らせております。母君には先見の明があられたようです」

 ワルドはしばらく黙っていた。

 フーケは、そんなワルドとヴィットーリオとを、交互に見詰めた。まだ年若いこの男の本意を、フーケは掴めずにいた。まるでごろつきのような自分達を、なんら警戒せずにこうして己の執務室に通す、“ハルケギニア”に於ける才能の権力者であるこの男の本意を。

 ヴィットーリオからは、なんらの欲も、その全身からは感じることができない。世俗に塗れた歴代の教皇達とは一線を画すような清貧さを纏っている。

 “新教徒教皇”などと揶揄される、その理由をフーケは理解った気がした。だが、フーケは、ヴィットーリオのその無防備に見える仮面の下に何か不吉なモノを感じずにはいられなかった。ワルドに言うと、「女の勘とやらか?」と小馬鹿にされそうな、そんな他愛のない予感ではあるのだが……。

「母が心を病んだ理由は理解りました。母は余り強くない人間でした。このような事実を知れば、成る程耐え切れなかったでしょうな」

「単刀直入に言えば、貴男にこの事態を打破するための御手伝いをして欲しいのですよ」

「私に? 私に何ができると言うのです?」

「“聖地”には、巨大な“魔法装置”が眠っています。“始祖ブリミル”が遺した“魔法装置”です。ただ、それを取り返すためには“4の4”……詰まり、“虚無の担い手”が揃わねばなりません」

「“虚無の担い手”とは?」

「“始祖ブリミル”が、その力を受け継がせた者達です」

 ワルドは、ルイズや才人の顔を想い出した。

「私は、その“虚無の担い手”とやらではありませんよ」

「それは理解っております。そのうちの2人が、“エルフ”に攫われたのです。貴男に、彼等を救出して頂きたい」

「ほう? 誰ですかな?」

「“ガンダールヴ”及び、“アルビオン王家”の血を引くティファニア嬢です」

 ワルドは笑みを浮かべた。

 対して、フーケは少しばかり驚愕の表情を浮かべる。が、直ぐに平時のそれに戻る。

「“ガンダールヴ”、懐かしい名前ですな」

「彼と貴男の確執は知っております」

「詰まり、我々に“エルフ”の国に乗り込めと仰る訳か?」

「詰まるところ、そういう訳です」

「もし、救出が困難な場合には?」

 ヴィットーリオは、悲しみを混じえた声で告げた。

「その際には、命を奪って頂きたい」

 ワルドは笑みを浮かべた。

 フーケの表情は、表立って変わりはしないものの、内心は穏やかではなかった。

「どちらかと言うと、そちらの方が適役かもしれませんな」

「そうすれば、力は別の者に宿ります。できれば救出して頂きたいが、大義の為に少を切らねばならぬこともある。貴男には御理解頂けるかと。まあ、彼がいるので問題なく救出できるでしょうが」

「理解りました。で、出発はいつなのです?」

「今直ぐにでも。我々は“エルフ”世界へのルートをいくつか持っています。行商人として侵入して貰うことになるでしょう」

 

 

 

 ワルドとフーケが退室すると、カーテンの隙間から、左右色の違う瞳が眩しい美少年が現れた。

 ジュリオである。

「流石、“エルフ”の行動は素早いですね。折角、“4の4”が揃う矢先のことだったのに」

「そちらはどうですか?」

「接触に成功しました。彼等もこの世界では有数の掃除人ですから。ワルド子爵を合わせれば、恐らくは失敗はないでしょう。でも、再び“ガンダールヴ”や“担い手”を育てるのは手間ですね」

 ジュリオがそう言うと、ヴィットーリオは首肯いた。

「手間でもありますが……正直言って兄弟達を使い捨てにするような宿命が、心苦しくありますよ」

 すると、ジュリオは寂しい笑みを浮かべた。

「いっそ、狂信者でありたいと?」

「はい。であるならば、ただの扉をして、“魔法装置がある”などと言う詭弁を用いずとも済んだように想えるのですよ」

 ジュリオはなにも言わなかった。彼も十分に知っているのである。“エルフ”が守る土地に、“魔法装置”などというモノが存在しないということを……。

 ヴィットーリオはそれから、先程からずっと其処に佇んでいるミケラに命じた。

「ミケラ。あれを持って来ておくれ」

 コクリとミケラは首肯くと、執務室の隣にあるヴィットーリオの書斎に向かい、そこから1枚の古木瓜た鏡を持って来た。

 それは、なんの変哲もない円鏡に見える。ただ、紐模様の付いた枠の色褪せた様子が、かなり年代を経たモノであることを窺わせる。

「“始祖の円鏡”……この鏡は、どれだけの歴史を映して来たんでしょう?」

 その古木瓜た鏡こそが、“ロマリア”が保有する“始祖の秘宝”、“始祖の円鏡”である。

「この鏡は、全てを映して来ました。悲しいことも、残酷なことも。“始祖ブリミル”の人生と共に」

 ヴィットーリオは、“始祖ブリミル”に対して、人生、と口にした。

「“始祖ブリミル”の、人生、とは。不敬と言われてしまいますよ?」

「彼も人でありました。悩み、苦しみ、そして決断したのでしょう」

 ボーッと、薄い輪郭を描いて、円鏡の中に文字が浮かび上がった。古代の“ルーン文字”で、“生命”と書かれている。

 それは、ヴィットーリオが最近得た“虚無”の“呪文”であった。

 以下に、“詠唱”の文字と、その使用方法が続いている。

 読めば読むほどに、恐ろしい“呪文”であるということが理解る。4人の“担い手”が、4つの“秘宝”を共鳴させて初めて使用が可能となる強力な“呪文”……それぞれの“使い魔”の使用も、それに準じたモノである。“ガンダールヴ”は、4人の主人の“詠唱”を守る。“ミョズニトニルン”は、4つの“秘宝”を共鳴させる。そして“ヴィンダールヴ”は、“詠唱”された“呪文”の器となった4人目の“使い魔”を運ぶ役割を担う。

 4人目の“使い魔”の名称も、そこには淡々と記載されている。

 “リーヴスラシル”。

 “神の心臓”と呼ばれる、最後に明かされ、現れる“使い魔”。

「“記すことさえ憚れる”、と貴男は嘗て仰いましたね? その唄の中で……」

 ヴィットーリオは、“始祖の円鏡”に向かって、小さく呟いた。

「やはり、良心が痛んだからですか? “使い魔”だけではなく、己の血族のために、他の種族を殺さねばならないことに、貴男も苦しんだのですか?」

 だが、円鏡は当然なにも答えてはくれない。

 その問いに答えるべき男は、6,000年も昔にこの世を去っている。

 ただ、子孫であり、“担い手”である者達に、使命、のみを遺して……。

 彼の想いを知る者は、もう1人しかいない。

 “生命”と名付けられた“呪文”の“ルーン”を見詰め、ヴィットーリオは首を横に振る。

 ヴィットーリオは、(母は、私にこのような使命を背負わせることを拒んだのだろうか? だからこそ、“指輪”を持って逃げ出したのだろうか?)と想い、目頭を押さえた。

 ジュリオが、その肩に優しく手を置いた。

 ミケラも、小さな手を主人のもう片方の肩に置く。

 “始祖の円鏡”から漏れる淡い光が、そんな主従を照らし続けていた。



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囚われの2人と1人、そしてアリィーとの対決

「くそ……どう仕様もねえ」

 才人は扉を叩いて言った。

 ここに監禁されてから2日が過ぎたが、その間食事が運ばれて来るのみであり、俺達は全くの放置といっても良い状態である。

 “自白薬”により、ビダーシャルの言いなりになってしまい答えていた時の会話の内容を、才人はしっかりと覚えているのである。ここに監禁されてから薬のその効果は切れはしたが、時既に遅し、である。

 “魔術礼装”である腕輪を始め、“武器”も“杖”も取り上げられてしまい、才人とティファニアにはもうなす術もないといっても良いであろう。

 閉じ込められた牢屋代わりの部屋の設備は悪くないといえる。ベッドもしっかりと3つ用意されており、椅子も机もしっかりとある。もちろん、トイレもある。

 だが、才人とティファニアにとって、ここは監獄そのものであった。

 地下に設備されているこの部屋は、“ハルケギニア”の旧態然としたモノとは違い、ガッシリとした鉄の扉がピタリと壁に埋まり、その壁もしっかりと分厚い塗り壁である。

 どうにかして扉を開ける方法はないものか、と才人は血眼になって探したのだが、当然抜け道になるようなモノなど全く見付けることができない。

「サイト、やめた方が良いよ。疲れちゃうよ」

 ベッドに腰掛けているティファニアが、心配そうな声で言った。

 そうかも、と想い直し、才人はその隣に腰掛けた。

「本当に、心を奪われちゃうのかな……?」

 ティファニアが泣きそうな声で言った。

「やるって言うからには、やるだろ」

 才人は、もどかしい気持ちで一杯になった。心を失った状態でこのような所で一生暮らす……それは、余程の者でない限り、ゾッとする事態であり、状態である。

 才人は、(そうなったら、ルイズ達の足を引っ張ることになる。”ハルケギニア”の民は、一体どうなるんだろうか? どうにかして、ここから脱出しなくちゃいけない)と頭を捻った。

 1日2回、食事が運ばれて来るのだが、下の小さな扉からソッと食器が差し込まれるだけである。そのため、“エルフ”をどうこうするということもできやしないのである。

 才人は、(いっそ自分の命を……)、と考えたが、直ぐに首を横に振り、(それは絶対にしてはいけない。俺やセイヴァーだけじゃなく、テファだっているんだ)と否定する。だが、当然、中々に良い考えというモノは浮かんで来ない。

「“エルフ”ってのも、随分と容赦ない生き物だな!」

 そうポツリと呟いた後、才人は慌てて手を振って否定した。

「いや、テファは違うから!」

「良いの、ホントにそうだから。母と同じ種族だからって、私も優しい人達を勝手に想像してた」

 ティファニアは、寂しそうな表情を浮かべ、言った。

「ふむ……優しい“エルフ”だっているさ。現におまえの母親がそうだろ? 十人十色……それに、“エルフ”のほとんどは、容赦がないというより、高慢で保守的……訳が判らずに、理解らないからこそ“虚無”を恐れているだけだ」

 俺の言葉に、2人は首肯きはするが、やはり意気消沈としている。

「やっぱり心を失う前に……」

「変なこと考えんなよ。駄目だってば」

「でも……心を失うのって、死んでるのと同じことじゃないの?」

 ティファニアにそう言われて、才人は、「そうじゃない」と言えず、言葉を失ってしまった。

「どうせ死んじゃうんなら、皆の役に立った方が良いんじゃないかなって想うの。そりゃ、私だって、死ぬのは怖いし、善くないことだと想う。でも、それが皆の利益になるなら……そちらを選ぶべきじゃないかなって」

 2人からすると、ここから逃げ出すことができる可能性は0であり、縦しんば逃げ出すことに成功しても砂漠を越える手段がない。“エルフ”の“魔法”は強力であり、“武器”のない才人では、抵抗しても仕方がない、といったところであろう。

 そもそも、どうにかなると既に識っていることの方が可怪しいのである。

「私達が死ねば、ルイズ達は新しい“担い手”を得ることができる。でも、ここで私達がずっと心を失った状態でいたら……“ハルケギニア”に住んでる人達が皆不幸になる」

「テファ……」

「別にね、偉いことしようとか想ってる訳じゃないの。そんなね、聖女やなにかになりたい訳じゃない。なんて言うの? こう言うの、殉教者? そういうつもりは全くないの。ただ……単純に計算しただけなの。何千何万って人の幸せと、自分の命。どっちが重いのかなんて、理解り切ったことじゃないかなって」

 才人が何も言えず、俺が黙っていると、ティファニアは「私ね」と言葉を続けた。

「ホント言うとね、この力……“虚無”。ずっと重荷に感じてた。世界を救うだなんて、私には無理だと想ってたし、ううん、今でも想ってる。でも、この力のおかげでサイトやセイヴァーさんや皆に逢えたし、外の世界を見ることもできた。そういう意味では感謝してるけど……でも、私、なにもできなかった。皆が大変な時も、ただ見てるだけだった。だからね、最期くらいは役に立ちたいの。最期くらいは、“ティファニア、良くやったな”って褒めて貰いたいの」

「そんなことねえよ。役に立ってないだなんて……」

「ううん、良いの。理解ってるから。皆と仲良くなれたけど……やっぱり人間の世界も私の居場所じゃない。“エルフ”との戦いが激しくなれば、やっぱり私は疎まれる。そして、“エルフ”の世界でも居場所はなかった。最期くらい、居場所が欲しいの」

 才人は、そんなことを言うティファニアのことが可哀想に想えて仕方がなくなった。

 いつもオロオロとしているだけに見えるが……ティファニアはティファニアなりに色々なことを考えていたのである。そして、皆と仲良くなってはいても、やはりどこかで一線を引いていたのである。

 思わず才人は言った。

「居場所ならある」

「どこ?」

「俺達がテファの居場所になってやる」

 ティファニアは、キョトンとした顔になった。

「サイトにはルイズが、セイヴァーさんにはシオンがいるわ」

 才人は慌てて言った。

「ち、違……そう言うのじゃなくて。なんだその、友達として。友達だって、居場所の一種だ。違うか?」

 ティファニアは、あはは、と笑った。

「有難う。でも、友達より恋人が良いわ」

 サラリという訳でもないだろうが、ティファニアがそう言ったため、才人は面喰らってしまった。

 言ってから、ティファニアもその意味を理解し、慌てて手を振った。

「違うの。違うのよ。サイトと、セイヴァーさんと恋人になりたいって訳じゃ……ただ、私も恋人がいたら良いなあって。普通にそう想っただけで、別に、2人が良いって言うんじゃ……」

「そ、そうだよな!」

 才人は、妙な空気を振り払うようにして言った。

「あ、違うの! 違う違う言ってばかりだけど、2人が魅力ないとかそういう訳じゃないから!」

「有難う。でも、自分の程度は自分が1番良く知ってるから良いよ」

 才人は、あっはは、と笑って言った。

 ティファニアは少し怒ったような声で言った。

「あのね、駄目だよサイト」

「なにが?」

「こういう時、優しいこと言ったら駄目なんだよ」

「どういう意味?」

「……なんか、頼りたくなっちゃうから」

 ティファニアは、ローブの裾を摘んで、恥ずかしそうに言った。

「良ーいから頼れって!」

 才人は、思わずティファニアの肩を抱いた。それから、ハッとして気付く。

「いやごめん。今のなし」

 そう言って才人はパッと手を離したが、ティファニアはその手に縋った。

「ちょっと!? 不味い! テファ! ……テファ?」

 ティファニアは、泣いていた。

「……怖いよ。心が失くなっちゃうのも、死ぬのも、どっちも怖い。私、何もしてないのに……どうして? ねえサイト、セイヴァーさん? どうして?」

 ティファニアは、ずっと溜め込んで来たであろうモノが堰を切って溢れたような、そんな激しい泣き方をする。

 そんなティファニアの姿を見ていると……才人の中で、(3人で絶対に脱出してやる)という気持ちが膨れ上がった。

 才人は、(良し)と決心して、ティファニアを俺の方へと突き飛ばした。

 突き飛ばされたティファニアを、できる限り優しく抱き止める。

 唖然とした顔で、ティファニアは才人を見詰める。

「サイト?」

「痛!? 痛ででででッ!」

 才人は、腹を押さえてうずくまった。

「どうしたの? ねえサイト! 大丈夫?」

「駄目だ……腹が痛てぇ……たぶんさっき食べた料理だ……“エルフ”の食い物だ、俺には合わなかったんだ……」

 脂汗を流しながら、才人はそう言った。

 ティファニアは大声で叫んだ。

「誰か! 大変! サイトが!」

 すると、扉の向こうから見張りの声が響いた。

「どうした?」

「なんだか苦しがって……」

 見張りは、「待ってろ」と告げると、なにやら扉の横に付いている装置を弄り始めた。

 それを見て、才人は、(鍵を外してるな? 良し、入って来い……“武器”を奪って、おまえを人質に取ってやる。そして、ここから脱出する……その後のことは、その後で考えれば良い)と内心、北叟笑んだ。

 だが、響いて来たのは扉の開く音ではなく、笑い声である。

「おい“蛮人”。足りない頭で考えたようだが、こっちはおまえの体調を、備えられた“水”の“魔道具”できちんと把握してるよ。死んで貰っちゃ困るんでね。ついでに言うなら、私は“武器”を持っていない。おまえの能力は、ちゃんと理解ってる」

 才人は、くそ! と呟と立ち上がった。

「サイト?」

 どうやら本気で才人の仮病に騙されてしまっていたらしいティファニアがキョトンとした声で言った。

「ほーう……そうか、そこにあるのは体調を知るための“魔道具”か……だが、知っているか?」

「なんだ?」

 外にいる“エルフ”へと、俺は話し掛ける。

「病気と言うのは、心から来ることもある。心因性の病気については何も知らないのだな、おまえ達は」

「心因性? そういうモノもあるのか。だがそうであっても基本出すことはできない。それに、だ。感謝して欲しいモノだな。いきなり心を奪わないのは、我々のせめてもの慈悲なのだぞ? おまえ達に残されたのは、あと6日。その時間を、精々愉しむが良い」

「そりゃ、随分と御優しいことで」

 厭味たっぷりに才人は毒吐いた。それから、ガバッとベッドの上に横になる。

「なにを決めたの?」

 ティファニアが、心配そうな声で尋ねる。

 すると才人は、キッパリと言い切った。

「諦める!」

「え?」

「心を失うって言たって、元に戻る方法がない訳じゃない。現にタバサの母さんは、戻ったしな。“ハルケギニア”の将来のために、俺とテファが死ぬ。美談かもしれねえ。でも、俺はやっぱりそんなのは嫌だ。想い残すことがあり過ぎる。冗談じゃない」

「でも……」

 すると、才人は真っ直ぐに天井を見詰めて言った。

「信じようぜ。皆を、あいつ等、絶対に俺達を救けてくれる」

 才人の言葉は、なんの根拠もないといえるであろう。

 だが、そんな才人のセリフは、何故かティファニアの張り詰めた気持ちを、初めて解き解してみせた。

「居場所がないなんて、2度と言うなよ。あいつ等だって、テファの居場所なんだ。だって、皆テファのことが大好きなんだから」

「そうだね。サイトの言う通りだわ」

 ティファニアは涙を拭うと、才人に抱き着いた。

「うわっ!?」

「あのねサイト」

「な、なに? どったの?」

「大好き。有難う。セイヴァーさんも大好き。」

 ティファニアは、いきなり才人の頬にキスをした。

 当然、才人は慌てる。

「え? ええ? え? え?」

 そんな才人の様子で、ティファニア、とんでもないことを言ってしまったということに気付き、顔を赤らめた。

「あ、違うの! そうじゃなくって! 私って、直ぐ想ったことそのまま言っちゃうの。だから、その、そういう意味じゃなくって……」

 再びティファニアは、ひう、と呻いた。

「想ったこと、そのまま言ったら、詰まりその通りよね……私、サイトとセイヴァーさんのことが好きなのかな……? もしそうだったら私、ルイズとシオンに合わせる顔がないわ」

 ティファニアの長い耳が、テロンと下に垂れた。そのことから、かなり気にしているらしいことが判る。

「ま、まあ、気の迷いだよ。場所が場所だし。場合が場合だし。こう言う時は、隣にいる男が良く見えるって言うし……」

「吊り橋効果というモノだな。其れに、好き、と言っても色々と種類分けする事も出来るだろう。友達として好き、家族として好き、異性として好き、恋人として好き、親から子への好き、子から親への好き、性的対象としての好き、趣味嗜好での好き……まあ、理解り切ったことだがな。まあ、俺はおあえ達を“愛”しているぞ」

 才人とティファニアは、俺のそんな言葉に目を丸くした。

 それからティファニアは生真面目な顔で首肯いた。それでも、ティファニアは才人に抱き着いたままである。

 才人の胸には、メロンの大きさと質量を持ちとマシュマロの柔らかさを兼ね備えた奇跡じみた物体が押し付けられている。

 そんなティファニアの胸の感触は、(不思議なもんだな。とんでもなく綺麗な女の子が側にいると……どんな絶望的状況でも、なんとかなる、って想える。ここは諦める。どう仕様もねえもんな。でも、諦めねえ)、と自信と考えを才人に与えた。

 そんな2人を見守り、そして邪魔をせぬように、俺は“霊体化”する。

 そんな俺を見て、2人は、「あ!」となにかに気付いた様子を見せた。

 

 

 

 

 

 其それから6日過ぎた朝……。

 才人とティファニアは、扉が開く音で目が覚めた。

 “エルフ”の戦士が3人、部屋に入って来て、俺達を促した。

「起きろ。時間だ」

 才人とティファニアはベッドから起き上がると、顔を見合わせた。

 才人は“エルフ”達を見詰めた。

 “戦士”達は誰も“武器”を持っていない。

 才人は素早く1人に組み掛かった。無駄とは理解っていても、「諦めた」とは言いはしたが、それでも無抵抗に甘んじるつもりなどないのである。

 向こうも才人が抵抗するということに気付いていたのであろう。直ぐに反応して取り押さえようとした。

 才人は1人の腹に拳を叩き込む。

 が、腹に拳を喰らった1人が悶絶したところで、“魔法”が飛ぶ。

 空気のロープで雁字搦めにされてしまい、才人は床に転がった。

「サイト!」

 ティファニアが駆け寄るも、直ぐに同じく“精霊の力”を用いたロープで、身動きを取ることができなくなってしまう。

 才人が、「くぅ……」と呻いた先に、ツンとキツイ柑橘系の香りがするカップが才人とティファニアの2人の口元に押し付けられる。

 そのことから、ここで直ぐに呑まされるということが理解る。食事に入れる真似をしなかったのは、確実性を期してのことであろう。

 才人は必死になって口を結んだのだが、当然鼻を摘まれてしまい、堪らずに口を開ける。

 ティファニアは恨めし気に、自身を押さえ付けている“エルフ”を睨んだ。

 “エルフ”の男は、ティファニアに向かって、「“エルフ”の面汚しめ」と呟いた。

「貴男は生き物の面汚しだわ」

 “エルフ”の男は、顔に朱を滲ませ、ティファニアの口に液体を注ぎ込んだ。

 生温かくドロリとした感触に、ティファニアは咽そうになったが、無理矢理に呑み込まされてしまう。

「相手が“ハーフ”だからと下に見て、自分が同じことを言われると怒るのか……子供だな」

「なんだと!?」

 俺の挑発に、ティファニアに暴言を吐いた“エルフ”の男は俺を睨み付ける。

 俺は睨み返し、その男だけに殺気を打つける。

 すると、“エルフ”の男は、顔を青くし、1秒と待たずに意識を手放しクラリと倒れた。

「おい、どうした!?」

 “エルフ”の1人が、倒れた“エルフ”へと近付き確認をする。

「ななd? 気でも失ったか? それとも立ち眩みか? 貧血か?」

 俺はわざとニヤニヤとした笑みを浮かべながら、“エルフ”達に問う。

 当然、“エルフ”達は俺を睨み付けて来る。

「こいつに対しての対応はどうだったか……?」

「こいつ等を人質にし、常に監視、だったか……?」

 “エルフ”達は、互いを見やり、俺の処遇についてを話し合う。

 その間、才人は吐こうとしたのだが、口に含まされた瞬間に思い切り腹を殴られてしまったこともあって、想わず呑み込んでしまう。

 そのまま才人とティファニアは床に横たわり、心が失くなる瞬間……を、諦観の念で待った。

 が……。

 1分ほど経ったが、2人の身体にも心にも変化はない。

「なんだ? まだ効かないのか?」

 1人の“エルフ”が当惑の声を上げたその瞬間、部屋に備え付けられた“魔法”のランタンの灯りが消えた。

 同時に、「ぐッ!?」、「ぐおッ!?」、などと2人の“エルフ”の呻きと、床に崩れ落ちる音が聞こ得た。

 才人達が何事かと呆然としていると、小さな女の声が響いた。

「……来たか」

「ええ……静かにしてて。今、縛めを解くわ」

 ルクシャナの声で在る。

 短く“呪文”を唱える声が聞こ得、才人とティファニアは自由に体を動かすことができるようになった。

「どうして君が?」

 そう尋ねた才人に、ルクシャナは闇の中から指示を出した。

「良いから。急いで彼等の服を着て」

 才人は、手探りで床に転がっている“エルフ”のローブを脱がすと、頭から冠った。ティファニアに呼び掛けると、こちらはまだなにが起こったのか理解らずにボンヤリとしている様子であり、次の“エルフ”のローブを脱がせ、ティファニアに着るように告げた。

「あ、うん。有難う」

「貴男は着ないの?」

 才人とティファニアがローブに着替えている時、ルクシャナが俺に尋ねて来る。

「そうだな。必要がないからな。俺の服は“エーテル”で編んでいる。詰まり……ちょっと弄れば直ぐにローブへ変わる訳だ。まあ、そもそもの話、“霊体化”すれば良いのだかね」

 俺はそう言って、自身が纏っている黒い服を“エルフ”が着用していたローブへと変化させる。

 次いでルクシャナは、才人とティファニアに、取り上げられていた刀と“杖”を手渡した。

「なんで俺達を救ける?」

「貴男達、別の世界から来たって言ったわね?」

「うん」

「ああ」

「とっても興味があるのよ。それに“評議会”のやり方にも納得行かないしね」

「礼を言う可き何だろうな。有難う」

「1つ約束して。良い?」

「良いも悪いもないだろ。俺達に選択肢なんかあもんか」

「あら? そこのセイヴァーに助けを求めれば直ぐにどうとでもなるでしょうに。まあ、良いわ。話を戻すわね。私は学術的好奇心から貴方達を救けるけれど、“悪魔”の復活に協力するつもりはないの。だから、必ず私と行動を共にすると貴方達の神様に誓って。決して逃げ出したりしないと」

 思い詰めた真剣な声で、ルクシャナは言った。

 才人はしばし迷いはしたが、コクリと首肯いた。

「理解った。約束する」

「ああ、“武器”は返すけど、絶対に“エルフ”を殺さないでね。それも誓って」

「約束するよ」

「じゃあ、急いで」

 才人とティファニアは、ローブのフードを深く冠り、ルクシャナに続いて廊下へと出た。その後に、俺も殿の形で続く。

 部屋を出たそこは、全体がコンクリートのような塗り壁で出来た通路である。入って来た部屋のような扉が幾つも並んでいる。

「こっちよ」

 ルクシャナは、堂々と先頭に立って歩き出す。

 角を曲がり、しばらく歩くと、前方から偉そうな服を着た5人ほどの“エルフ”が前後に護衛の騎士らしき“エルフ”を従えて現れた。

 才人とティファニアは激しく緊張しているようだが、ルクシャナは落ち着いて立ち止まり、才人達に小声で囁いた。

「“評議会”の御爺ちゃん達よ。絶対に口を開かないで。私と同じタイミングで、頭を下げて」

 ルクシャナは、通路の壁を背にして直立した。

 才人とティファニアと俺も、横に並ぶ。

 先頭にいる初老の“エルフ”が、擦れ違い様に声を掛けて来た。

「済んだか?」

「はい」

 と、ルクシャナは堂々とした態度で一礼し、それに俺も続く。

 慌てて、才人とティファニアも頭を下げた。

「そうか。御苦労」

 そして一行は、才人達が囚われていた部屋へと向かい去って行った。

 視界から一行が消えると同時に、ルクシャナは俺達に告げた。

「走るわよ」

 ルクシャナは駆け出した。

 才人とティファニアは、緊張した顔で後を追う。

 そんな、3人の後ろを俺は早足で歩く。

 通路の突き当りに、“魔法”で動くエレベーターがある。

 ルクシャナはそこに飛び乗ると、「1階」、と口にする。

 ブン! と何だか“地球”のエレベーターとは全く違う浮遊感があり、俺達が乗った円板は上昇を始める。

 エレベーターの周りは、急に明るくなった。大ホテルのロビーのような、広大な空間が眼の前に現れる。

 俺達と入れ替わるように、何人もの“エルフ”の戦士達が円板に乗り込む。

 その時になって、ロビーに低いサイレンの唸りが鳴り響いた。

「気付かれたわ」

「まあ、そうなるな」

 ルクシャナが言い、俺は首肯く。

 あちこちから、“エルフ”の叫び声や怒号が響いて来る。

「なんだ? なにがあったんだ?」

 だが、“評議会”本部にいる“エルフ”のほとんどは事情を報らされてはいないらしい。その反応は鈍い。何人かの騎士や戦士達が走り回る中、キョトンとした顔で佇んでいる。

 ルクシャナは、真っ直ぐに何人もの“エルフ”が行き来している出口へと向かう。

 大きな石造りの玄関に近付くのと同時に、背後から声が響いた。

「玄関を封鎖しろ!」

 戦士が2~3人、玄関へと駆けて来てそう叫んだ。

「はぁ? 一体、なんの騒ぎだ?」

 玄関で受付をやっていた文官が、眼鏡を持ち上げた。

「良いから、封鎖しろと言っている! “評議会”からの命令だ!」

「命令書はあるのかね?」

「呑気なことを言うな! 急げ!」

 その間にも、当然“エルフ”の出入りは止まなかった。

 俺達は、そんな(エルフ)の流れに身を任せて、外へと出た。

 玄関を出ると、才人は一瞬其の壮麗な光景に息を呑んだ。

 巨大な円筒である“評議会”本部の周りを取り囲むように石段が伸び、その先は公園の様な空き地になっている。そこにはいくつもの花壇や植木があり、散策する“エルフ”の姿がある。

 俺達がいる石段から100“メイル”ほど向こうに、城下町が見える。

 “評議会”本部の巨大な円塔を中心として、バームクーヘンの様に街並みと運河が次々と続いている。

「凄え」

 空から見た時も驚きはするだろうが、こうやって地上で目の当たりにすることで、この街の美しさは群を抜いているといった感想を、才人に抱かせた。

 “地球”にだって、これほどに美しい街はあるかないか怪しいであろう。城下の建物はもちろん“ハルケギニア”のモノとは違っているのだが、“地球”のモノともまた違う。基本、白壁であるのだが、窓際は淡い青、屋根はオレンジで塗られている。形はそれぞれ違うのだが、程好く統一感があり、目を愉しませてくれる。

 3階建ほどの、そんな建物がズラリと並んだ様は、才人を感動させた。

 街の間を縫う運河には、小舟が幾つも行き交っている。鳥や魚、そして稲妻など、自然物を象って造られた小舟は、なんだかテーマパークのアトラクションの1つであるように想わせる。

「ほら、なにボーッとしてるの!? 早く!」

 ルクシャナに急かされ、才人とティファニアは歩き出した。

「目立たないように。走らないで。でも、急いで」

 緊張した声で、ルクシャナは言った。

 “評議会”本部を中心として、四方八方に街路は延びている。

 その1つに、ルクシャナは入り込んだ。

 街路は車道と歩道が分かれ、車道では“竜”に引かせた車が何台も行き来している。

 ガラス張りの商店がいくつも並び、才人は目移りがした。

 近世と中世が入り混じったかのような、不思議な光景であるといえるだろう。

「これが“エルフ”の街……」

 行き交う“エルフ”達は、ローブを着て深くフードを冠った俺達に気付く様子もない。

「どこへ俺達を連れて行くんだ?」

「私の旧い友人が住む屋敷よ」

 ルクシャナは、才人の質問に答えながら、通りの横から伸びる運河へと通じる階段へと足を運んだ。

 強い潮の香りが鼻を突く。

「滑りやすいから、気を付けて」

 海水が掛かる運河の道には、成る程青黒い海藻が生えている。

 何度も転びそうになるティファニアは、そのうちに才人の腕をガッシリと掴んで来た。

 バカでかい胸が腕に当たるが、今の才人にはそれを気にしている暇はなかった。

 通りの喧騒とは裏腹に、ここに“エルフ”の姿はない。

 ルクシャナは、キョロキョロと辺りを見回した。

「どうした?」

「ここに、私が用意した小舟があったんだけど……」

「ないじゃん」

「参ったわ。盗まれたのかしら?」

 15“メイル”ほど離れた運河の向こう岸から、声が響いたのはその時であった。

「小舟なら、押収させて貰ったよ」

「アリィー!」

 ルクシャナが、悲鳴のような声を上げた。

「なにをやってるんだぁああああああああああああッ! 君という女はぁああああああああああああッ!」

 アリィーは、端正な顔を歪ませて、大声で叫んだ。

 ルクシャナは、ヤレヤレと両手を広げて言った。

「だって約束したじゃない。彼等は私が預かるってね」

「“評議会”の決定なんだ! それがコロコロ変わるのは君だって良く知ってるじゃないか!」

「知ってるわ! でも、納得してる訳じゃないわ」

 堂々とした声で、ルクシャナは言い放った。

「小舟を返して頂戴」

 まるで少し前までのルイズのように、なにがあろうと自分が正しい、と言わんばかりの態度をルクシャナは見せる。

 そんなルクシャナを前に、アリィーは益々苛立ちが募った様子を見せる。

「なあルクシャナ。君は自分がなにをしているのか理解っているのか? これは重大な“民族反逆罪”だぞ? 大人しく彼等を引き渡すんだ。そうすれば、君の事は言わないでおいてやる。今なら、僕と一部しかこのことは知らないんだ」

「嫌よ」

「もう、なんなんだ君は!?」

 才人は、敵ながら、(きっと、我儘なルクシャナに振り回されっぱなしなんだろうな……まるで俺とルイズのようだ)とアリィーに同情した。

「兎に角、腕尽くでも彼等を引っ張って行くからな」

「もし、そんなことしたら、婚約解消よ。恋人の貴重な研究対象を奪う男なんて、恋人じゃないわ」

 アリィーは呆然とした顔になったが、堪えた。

「僕はこれでも、“ファーリス”の称号を持つ騎士だ。私事と使命はごっちゃにしない」

「立派ね! 私より使命の方が大事だって言うの?」

「問答無用」

 アリィーは、腰から円曲した剣を引き抜いた。朝の陽光に照らされて、まるで鏡のように刃面が輝く。

「“蛮人”、いえ、サイトだったかしら? 出番よ」

「おいおい」

「言っとくけど、絶対に殺しちゃ駄目よ。あれでも、私の大事な婚約者なんだから」

 才人は、(兎に角、あいつをどうにかしないことには逃げられないようだ)と想い、刀を引き抜いた。ギラリと、刃が陽光を受けて妖しく輝いた。

 アリィーはなにや「ら”呪文”を唱えると、一飛びに運河を越えて来た。そして、一気に剣を振り下ろして来る。

 才人はその剣を刀で受けずに、後ろに跳んで躱す。

「おい、殺すつもりか!? 俺が死んだら困るんじゃないのか?」

 するとアリィーは、冷たい声で言い放つ。

「困る。でも、勢いが余ることもあるし、もしそうなったらまた“悪魔”を連れて来るだけだ!」

 才人は、刀を構えた。それから、“エルフ”との対戦を想い出す。

 ビダーシャルとの対戦は、“反射(カウンター)”に苦戦した。また、あのようなモノを使われてもすれば、ルイズのいない今では才人に勝ち目はないであろう。

 才人は、(その前に片を付けてやる)と“呪文”を唱えさせる間もなく剣を奪い相手を気絶させるために、一気にアリィーの懐へと飛び込む。それから、怒涛の剣戟を繰り出した。

 アリィーも相当な剣士ではあるのだが、“ガンダールヴ”や“シールダー”としてのスピードは、“エルフ”の戦士を圧倒的に上回る。

 防御一辺倒に追い込まれてしまったアリィーは、あっと言う間に剣を跳ね飛ばされてしまう。

 ピキーン! という音と共に、剣が跳ね。アリィーの背後へと落ちた。

 才人はアリィーに向けて刀を突き付けた。

「勝負ありだな。さて、小舟を返して貰おうか」

 するとアリィー、ニヤリと笑った。

 ルクシャナが、あ、と気付いたような顔になり、大声で叫んだ。

「気を付けて!」

「――ぐッ!?」

 才人は呻いた。

 見ると、右肩に深々と曲刀が突き刺さっている。それは才人の肩から離れると、宙を飛んでアリィーの手に戻った。

「僕は君達“蛮人”のように、手で扱うのが得意じゃなくってね。どうやら、“彼等”の意思に添わせた方が良さそうだ」

 するとアリィーの背後から、隠し持っていたであろう別の曲刀が4~5本も浮かび上がった。其れから、フワフワとまるで蝶の様に曲刀はアリィーの周りを舞う。

「好きにやり給え。君達のやりやすいように」

 アリィーの周りを舞う曲刀達は一斉に才人に向かって飛んで来た。

 才人は刀を左手で握ると、飛んで来る剣を払った。

 だが、数が多い上に、曲刀は才人の死角を狙って飛んで来る。

 尋常ではないスピードで才人は刀を振るった。が、防戦することには成功しても、攻撃する隙を見付けることが難しいようである。

「くそッ!」

 矢のように直線的に攻撃して来るのであれば大したことはないのだが、アリィーの曲刀達は違った。それ自体が意思を持っているように、自在多彩な攻撃を繰り出して来る。まるで5人もの手練の戦士を相手にしているようなモノである。しかもその戦死は実体を持たない。

 文字通り見えない相手である。

 詰まり、才人からするとほぼ無敵の相手である。

 苦戦する才人を見詰め、ルクシャナが困った声で言った。

「あら……やっぱりアリィーの、“意思剣”が相手では分が悪いのかしら?」

「呑気なこと言ってないで、サイトを助けて!」

 ティファニアがそう言うと、ルクシャナは首を横に振った。

「無理よ。今、この辺りの“精霊の力”は、全部アリィーに取られちゃっているわ。あの人、あれで強力な“行使手”なのよ。私が割り込む隙なんかないわ。私には、ね」

 左手一本で、才人は必死な様子で戦っている。

 ティファニアは泣きそうになった。(なにか私にできることはないかしら? なにか……と言っても、私が使える“魔法”は、“忘却”だけ。近付かないと唱えられない。でも……近付いても、大丈夫なの?)と考えた が、あの剣戟の中に飛び込む勇気が出ずに、ティファニアは躊躇してしまう。

「あ、不味い」

 ルクシャナが、困ったような声を出した。

「え?」

「アリィーってば、“眠り”を使う気だわ」

 アリィーは“呪文”を唱え始めた。小さく印を切る仕草をした後、才人に向かって手を突き出す。

 すると、才人の目がトロンとし始めた。

 ティファニアは、(私が捕まった時も、多分あの“呪文”で眠らされたんだろう)と強力な睡魔を想い出し、震えた。

 才人は、今必死で耐えている。が、アリィーは更に“呪文”を強力なモノにすべく、“詠唱”を続けている。

 このままでは、才人は眠ってしまうで在ろう。

 ティファニアは勇気を振り絞って駆け出した。そして、“杖”を取り出し、“虚無”の“ルーン”を唱えようとした。

 が……。

 

――“やめときな”。

 

 その瞬間、そんな声がティファニアには聞こ得た。

「はいっ?」

 ティファニアは、キョロキョロと辺りを見回すは。しかし、運河には自分達以外の、誰の姿も見えない。

 再び声は、『あいつに“眠り”だの“忘却”だの精神系の“魔法”は効かねえ。そういう訓練を積んでいる。下手に“魔法”を唱えたら、あの曲刀が1本飛んで来て、嬢ちゃん串刺しにされちまうぜ』とティファニアの頭の中に直接響いた。

「え? え? え?」

 更に声は響く。

『眠らせねえように工夫をしなきゃいけねえ』

「どうすれば良いの?」

 ティファニアは、(取り敢えず疑問に感じてる場合じゃない)と、必死になって尋ねた。

『どーすっかな。あ、ホントに眠りそうじゃねえか。ったく、調子に乗ってねえ時はホント弱い奴だな』

「早く! なにか良い方法があるなら教えて!」

『あ、想い付いた。これだな』

 声は、ティファニアに指示を出した。

「え? はい? なにそれ?」

『まあ、効くと想うよ』

 

 

 

 才人は必死になって眠気に耐えながら、刀を振るった。少しでも気を抜くと、そのまま意識を失いそうになる。当然、動きは鈍って来る。とうとう1本の曲刀を捌くことも避け切ることもできず、右足に激痛が奔る。

「くっ!」

 激痛が奔りはしたが、眠気は覚めない。むしろ、痛みで急速に才人の意識は遠くなる一方である。

 才人が、(ヤベぇ……)と想った瞬間……。

「サ、サ、サイトッ!」

 ティファニアが声を掛けた。

 才人は、(なんだ!? テファがやられてるのか?)とそちらに目を向けると……。

「……なんだ、と?」

 才人の目に飛び込んで来たのは、2つの果実であった。巨大で、白く……そして神々しいばかりに輝かん……。

 なんと、ティファニアはローブを託し上げ、ついでに下に着ている下着も託し上げ、兎にも角にも託し上げ、惜しげもなくその巨大な胸をさんさんと輝く陽光の下に曝け出しているのである。

 しかも、ティファニアは恥ずかしげに横を向き、ワナワナと唇を噛んでいる。

 その表情と相まって、才人は思わず感動の言葉を漏らした。

パーフェクト(完璧)だ」

 才人の頭から睡魔が、朝靄が晴れるように掻き消えて行く。

「どこを見ている!?」

 アリィーの声が響き、四方から才人に向けて一斉に曲刀が斬り付けて来た。

 だが、あの胸を見て、本能で才人は、(死ねない)と想った。(心を失いたくない)とも感じた。(この甘美な記憶が失くなる。それはある意味、生命に対する冒涜だ)、と想った。想うことができた。

 是非は兎も角として、才人の左手甲の“ルーン”が輝く。ルイズ達が知れば、泣いたり怒るだろうが、輝いた。

 刀を握った才人の左手が、まるで吸い込まれるように曲刀達を迎え撃つ。

 ピキンッ! と音を立てて、曲刀達は両断された。

 ツイッと鼻血を垂らしながら、才人は呟いた。

「有難うテファ。吐か、生きてて良かった。あとルイズごめん」

 感動と感謝と謝罪を述べながら、曲刀を失ったアリィーに、才人は詰め寄ろうとした。肩からは血が流れ、右足を引き摺りながらで在る。詰め寄りながら、(もし、後ちょっと押されてたら……と想うと、冷や汗が流れる)と考えた。

 だが、その瞬間……横の運河から、潜水艦が浮上するかのように、ゴボゴボゴボとなにかが浮き上がった。

「な……なんだありゃ……?」

 ブハッ、と息を吐きながら現れたのは、銀色の鱗を持つ巨大な“竜”である。キラキラと光るその姿は、“火竜”や“風竜”なんかより、2回りは大きい。

 “水竜”は、いいなり才人目掛けて細い水流を吐き出した。

 諸に喰らい、才人は運河の壁に叩き付けられてしまう。

「今の君じゃ、このシャッラールには勝てないよ。諦めて降参するんだな」

 

 

 

「な!? あの“竜”! なに?」

 ティファニアが叫ぶとルクシャナがつまらなさそうに言った。

「なに? 貴女。“水竜”も知らないの? 海に棲んでる“竜”よ。“竜類”の中では最大。でもって最強。空は飛べないけどね。あれはアリィーが飼ってるシャッラールだわ。と言うか貴女、大きいのね」

 ティファニアは、ハッ! として託し上げたローブを戻した。

「わ、私ずっと空の上に住んでたから」

「そっか。そう言や、ヒトの世界じゃ、あんまり知られてないって聞いたわ。貴方達、余り海を利用しないもんね。でも、私達の間ではポピュラーな生き物よ。と言うか貴女、大きいね」

「どうやったらあんなのに勝てるの?」

「ちょっと分が悪そうね。成獣した“水竜”が相手では、私達“エルフ”だって中々勝てないわ。と言うか貴女、大きいのね。偽物だと想ってたわ」

 ルクシャナはどうにもティファニアの胸が気になるらしく、自分のモノとを交互に見詰めてそう言った。

「胸はもう良いじゃない! 兎に角! どうなっちゃうの!?」

「あの“水竜”をなんとかしないことには、水路を使って逃げるのは無理ね。参ったわ」

「参ってる場合じゃないでしょ!」

「ところで、ヒトの世界って、応援する時にそうやって胸を見せる訳?」

「そ、そんな訳ないわ! なんか声が聞こ得て……」

「声?」

「そうよ。“相棒には、そいつが1番だ”って……」

 ティファニアは、はたと気付いた。

 

 

 

 才人は、潮臭い石畳の上に転がり、荒い息を吐いていた。眼の前では、巨大な“水竜”――シャッラールが、口を開けて才人に狙いを定めている。

 流石の騒ぎになってしまったために、運河の上から幾人もの“エルフ”が覗き込んで来た。

「なんの騒ぎだ?」

 するとアリィーは、そんな連中に向けて手を振った。

「なんでもないよ。ちょっと僕の“水竜”が暴れただけだ。なんだか機嫌悪いらしくてね」

 アリィーにしても、騒ぎが大きくなって他の戦死や役人を呼ばれると不味いのである。もしそうなってしまえば、ルクシャナを庇うことができなくなってしまうのだから。

 かといって、才人とティファニアとルクシャナが絶体絶命なことに変わりはない状況である。

 アリィーは勝ち誇った顔で、才人に告げた。

「“蛮人”にしちゃやるな。でも、ここまでだ。さあ、その剣を捨てろ」

 だが……キッパリと才人は言い放った。

「断る!」

「なら、倒すまでだ! 恨むなよ」

 “水竜”がカパッと口を開けた。そして、喉の奥から迸る流水が見えた瞬間……。

 才人の身体が、本人の意志とは関係なく、勝手に動いて横に転がった。

 水流は石壁に打ち当たり、まるで雨の様に周りに降り注ぐ。

 才人は、(なんだ? どうした?)と疑問を感じた。

 その時、握っている刀から声が響いた。

「なにやってんのよ?」

「え?」

「折角、半分“エルフ”の嬢ちゃんが、とんでもない御宝を見せてくれたってのに倒れてる場合じゃねえーだろ」

 馬鹿にするような聞き慣れた甲高い声を聞いた瞬間、才人の目から涙が溢れた。

 懐かしい声。

 いつも戦いの時に、側にいてくれた声。何度も共に窮地を乗り越えて来た声……。

 才人にとって、まさに戦友と呼ぶべき存在……。

「デェエエエエエエルフゥウウウウウウウウウウッ!?」

 そんな声で才人が叫ぶと、恥ずかしそうな声が響いた。

「まあ俺も人のことは言えんな。あん時、この刀に乗り移ったまでは良いが、完全に乗り移るまでに時間が掛かっちまった。なんせこいつめ、何重にも鉄が折り畳まれてできってからよう……扱い難いのなんのって」

「デルフ! デルフ! おまえ、生きてたのか! なんで!?」

 興奮し切った声で、才人は叫んだ。ティファニアの胸よりも、才人にとってその衝撃は大かった。

「まあ、話は後だ。兎に角あの“水竜”をなんとかしねえとなあ」

 噴射した海水の所為で、辺りは霧が掛かったかのようになっている。

 才人は気力を振り絞って立ち上がった。デルフリンガーが生きていた、という事実が才人にそれを可能にさせた。

「あいつの弱点を教えろ。デルフ!」

「えっと、頭と心臓。生き物だかんね。でも、硬い鱗で守られています」

 霧が晴れた。

 シャッラールは、才人が生きているのを知ると、いきなり尻尾を振り上げ、叩き付けて来た。

 才人は横に転がって躱す。

 ビダンッ! と腹に響く音が響き、運河の石畳が割れ、破片が飛び散った。

 隙かさずシャッラールは、その尻尾を払った。

 才人は飛んで躱そうとしたのだが、切られてしまった右足が痛んで上手く動かすことができない。

「!?」

 だが、フワリと才人の身体は宙に浮いた。

「不足な分は、俺が助けてやる。でも、全部って訳には行かんぜ」

「助かるよ!」

 才人はそう叫びはしたが、依然どうすれば良いのか判らない。“ガンダールヴ”の強さは、やはり“武器”に依存し、“シールダー”の強さは、“盾の英霊”として守護るべき対象がいて初めて強く発揮される。

 必然的に、才人は防戦一方に追い詰められてしまった。というよりは、必死に攻撃を躱しているだけである。

 いずれこのままでは、やられてしまうであろうことは手に取るように判るであろう。

 

 

 

 才人は必死になってシャッラールの攻撃を躱し続けた。

 水のブレス、そして尻尾の叩き付け、薙ぎ払い、爪……重戦車を想起させる攻撃の数々である。

「サイト! “エルフ”の“魔法”に注意して!」

 ティファニアの叫びが才人の耳に届く。才人の視界の片隅で、アリィーが“呪文”を唱えているのが見えた。

「ヤバえ! デルフ!」

 アリィーは“呪文”を完成させ、才人に向けて手を差し伸ばした。バチバチバチ、とその手に強烈な電撃が爆ぜているのが見える。

 ルイズを一撃で昏倒させた“精霊の力”、“ライトニング(稲妻)”である。

 アリィーはこの一撃に全てを賭けたのである。持てる“精神力”の全てを使って、才人をこの“ライトニング(稲妻)”で気絶させるためである。

「くそ!」

 才人はその“魔法”を何とか躱す可く、身を縮めた。

 だが、デルフリンガーの指示は、それとは正反対であった。

「躱すな! あの電撃を俺で受けろ!」

 デルフリンガーは気付いたのであろう。

 アリィーの手から、強烈な電流が迸る。一瞬で電撃は、才人の元へと伸びた。

 電撃は、避雷針に伸びる稲妻のようにデルフリンガーに絡み付いた。デルフリンガー()が帯電して、青白く輝いた。迸る電撃が、刀の表面で爆ぜる。

「今だ! 俺を“水竜”のドタマに突き立てろ!」

 シャッラールは、再び噴射するべく、頭を才人に向けて突き出している。

 1番、シャッラールの頭が近付くその瞬間、才人は力を振り絞り、宙へと跳んだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 才人は絶叫と共に、シャッラールの頭へとデルフリンガーを突き立てる。

 分厚い鱗に阻まれて、中迄突き通すことはもちろんできない。

 だが、デルフリンガーが突き立った瞬間、デルフリンガーは自分の身体に吸い込んだ電流を解放する。

 強烈な電流が、シャッラールの身体に流れ込んだ。

 ピタッと、シャッラールの動きが停止した。バチバチ、とシャッラールの全身で、迸る電流が青白く輝く。

 強かに電撃を流し込まれたシャッラールは、気絶して白目を剥いた。そして、ユックリと、水面に崩れ落ちる。

 派手な水飛沫が立ち上がり、仰向けにシャッラールは運河に横たわる。

「サイト!」

「やるじゃない! サイト!」

 ティファニアとルクシャナが駆け寄った。

 トン、と運河の横の石畳に着地した才人は、ヨロヨロになりながら、呆然と立ち竦むアリィーに向けて剣を突き立てる。

「おまえの負けだ。小舟を返してくれ」

 アリィーは、信じられない、というように首を横に振る。

「まさか……シャッラールが“蛮人”にやられるなんて……」

「良いからアリィー。早く小舟を返してくれないと、婚約を解消するわよ?」

 ショック状態のアリィーは、ルクシャナのその言葉で口笛を吹いた。

 すると、運河の向こうから、バチャバチャと波飛沫を上げて、イルカに引かれた小舟が現れた。

 2匹のイルカは、ルクシャナを見ると、キュイキュイキューイ、と楽しげな鳴き声を上げた。

「さあ、乗って!」

 ルクシャナは、俺達を促した。

 才人は痛む身体を引き摺って、小舟に乗り込む。興奮が覚めたことや状況が落ち着いたこともあって、ドッと痛みが溢れ、才人は小舟に横たわる。

 そんな才人を、ティファニアが介抱する。

 小舟に乗り込むルクシャナに、アリィーは言った。

「……君はホントに我儘だな。もう知らんぞ。僕は」

「あら? そこが好いんじゃないの? 兎に角この件が片付いたら、結婚しましょうね! “愛”しているわ! アリィー!」

 呆然としているアリィーを尻目に、ルクシャナはイルカの鼻面に繋がった手綱を握った。

 

 

 

 

 

 2匹のイルカに引れた小舟は運河を疾走した。

 派手な水飛沫が飛び散り、擦れ違う小舟に乗っている“エルフ”達が、驚いた顔でこちらを見て来るが、ルクシャナは全く気にした素振りを見せない。

 才人、蘇ったデルフリンガーに夢中の様子である。

 蘇ったとはいいはするのだが、元々精神自体は刀に宿っており、中々喋ることができる程度の“精神力”が膨らまなかっただけであった。“魂”を移動させ、定着させることに苦労していたということであろう。

 ティファニアも、そんな喜ぶ才人を見ていると、連られて嬉しくなった。

「あれから色々あったんだぜ」

「知ってるよ。喋れねえだけで、意識自体はあったからね」

 さて……と、才人は真面目な顔になった。それから、(いつまでも浮かれていられない。デルフが復活したからって、現状が好転した訳じゃないしな。依然俺達は“エルフ”の勢力圏のど真ん中にいるし、ルクシャナだって完全に俺達の味方という訳じゃないだろ。まあ、セイヴァーがいてくれるからどうにかなるだろうけど……いや、そもそもの話、これも“原作”ってやつの展開通りなのか?)と考えた。

「なあルクシャナ」

「ん? なに?」

「で、俺達をどこに連れて行くつもりだ?」

「言ったじゃない。旧い友達の所よ」

「どこだ?」

「それは着いてからの御楽しみよ。まあ、セイヴァーは既に知ってるみたいだけど」

 ルクシャナは、ニッコリと笑みを浮かべて言った。

「おまえの言う、研究とが終わったら、俺達をどうするつもりなんだよ?」

「そうね。なにも考えてないわ」

「なんだって?」

「性格なのよね。私って、どうも想い込んだら一直線なのよ。後先のことを考えたことなんか1度もないわ」

 ルクシャナは、あっはっは! と大声で笑った。

「行動力の化身というやつだな」

 才人は、笑うルクシャナを見て、それから俺の言葉を聞いて、(なんて奴だ)と呆れた様子を見せる。

「いっそのこと、俺達に協力しろよ。既に完全な裏切り者だろ? おまえ、下手したら死刑なんじゃないの?」

 才人がそう言うと、ルクシャナは目を細めて笑みを浮かべた。

「アリィーがなんとか言い繕ってくれるわ。あの人、私にべた惚れだもの」

 才人は、苦労人っぽいアリィーの顔を想い出し、(あいつも大変だな……敵だけど)と軽く同情した。

「でも、そうね。確かに私も“シャイターンの門”になにがあるのか、興味が出て来たわ。完全に協力する訳にはいかないけど、調べるくらいなら付き合って上げても良いわ」

 ルクシャナは、才人を細い目で見詰めた。

「ま、“エルフ”のあんたにそれ以上望んだら贅沢だよな」

 才人は首肯いた。

「じゃあ、同盟成立って訳ね」

 ルクシャナは、スッと手を差し出して来た。

 才人は怪訝な目でその手を見詰めたが、少事なしに握り返す。

 次いでルクシャナは、ティファニアにも手を差し出した。

「貴女、色々言われたようだけど、私は貴女をちょっと羨ましく想わ。ヒトとの混血なんて、素敵じゃない」

「そ、そう?」

 ティファニアは、怖ず怖ずと手を差し出した。

「ええ。“エルフ”達の非礼は代表して御詫びするわ。でも恨まないでね。そういう風に教育されて来たんだから。仕方ないのよ」

 コクリ、とティファニアは首肯いた。

「でもホントに、貴女の。凄いわね。ヒトの血が混じると、こんなになっちゃう訳?」

 ルクシャナは軽く目を細めると、ティファニアの胸をハッシと掴み、グリグリと捏ね回した。

「ひう!? あう! やめて! やめて!」

 才人は先程堪能したティファニアの胸を想像して、再び頭に血を昇らせた。想わず鼻を押さえる。ティファニアと目が合ってしまい、逃げようとしたら視線は下へと向かい、そこでローブの上からでも判る巨大な山脈に行き着いてしまった。そして、(さっき、ほんの数十分前、俺はこれを……)とそんな想像が巡り、更に頭に血が昇り、才人は、(歌でも唄わねば)と訳の理解らない感情などに襲われ、そこでティファニアが顔を真赤にさせていることに気付き、頭を下げた。

「テファ……その、さっきは、あのその、有難う……おかげで、その……救かった」

「い、良いの……お、御友達だから良いの」

 と、ティファニアはなんだか納得いかないといった顔で、言った。冷静になるとなかろうとも、流石に友達だからという理由はないであう、と彼女自身感じていたのである。

「良かったな相棒! あんだけ見たかった嬢ちゃんの胸をマジマジと見ることができて!」

 デルフリンガーがそんなことを言ったので、ティファニアは更に顔を真赤にさせ、俯いてしまった。

「ば、馬鹿! なに言ってんだよ!? それじゃ俺が、ずっと前から見たいって想ってたみたいじゃねえか!」

「あれ? 違うの?」

 絞り出すような声で、ティファニアが言った。

「……そ、そうだったの? 前から、見たかったの?」

 才人は泣きそうな顔になった。(嘘は嫌いだ。人間、正直に生きなければいけないのである)と想った。

「で、貴男はどうなの? セイヴァー」

 ルクシャナの面白そうだといった表情からの問い掛けに、俺は首肯く。

「そうだな。ティファニアも君も非常に魅力的な女の子だ。世の男達は、釘付けになるだろうな。が、一部そうでもない男もいる。余程のメンタルを持つ者か、枯れている男か……そういった類の男だが……」

「で、貴男はどっちなのよ?」

「どう想う?」

 そんな会話を俺とルクシャナがしていると、才人は身を切られるかのような想いといった様子で言った。

「は、はい。見たいと想ってました! 生まれてごめんなさい! ルイズごめん! でも、それはしょーがないよ! それは反則だから!」

「身体だけって訳? 最低な男ね」

 と、ルクシャナが才人に追い打ちを掛けた。同時に、俺にも鋭い目を向けて来る。

「違う! そういう訳じゃ! 断じて!」

「まあ嬢ちゃん。また相棒がピンチになったら、そいつ見せて上げてよ。こりゃあ、最高の特効薬だ」

 ティファニアは、プルプルと震え出した。それから、振り絞るような声で、才人に尋ねた。

「お、御友達だから、見たいんだよね?」

「はい。そうです」

「御友達? 性的に興味があるからでしょ」

 容赦なくルクシャナが指摘し、ティファニアは泣きそうになった。兎に角もう、ティファニアには刺激が強過ぎる会話であるんだった。なんだかもう、頭がこんがらがり、初心なティファニアはどう仕様もなくなってしまったのである。あわわと震えながら、ティファニアは喋り始めた。

「どうかしてるの私かもしれないわ」

「テファ?」

「だってこないだは、なんか想わずサイトとセイヴァーさんのこと大好きって言っちゃうし。デルフさんに言われるままに、胸とか見せちゃうし。普通そんなことしないし。大体あれで目覚めるなんて信じられなかったし。でも、それでも良いわって想った私がいたし。御友達だからって、そんなのありえないし。御友達には見せないモノであることくらい、鈍い私にだって理解るし」

「えー、貴女、モテるじゃないの」

 ルクシャナが茶々を入れた。

 ティファニアの半泣きの独白が続いた。

「でもサイトにはルイズがいるし、セイヴァーさんにはシオンがいる。好きになっちゃいけないし。と言うか好きかどうかも理解んないし。周りに中の良い男の子がいなかったからそう想ってるだけかもしれないし。でも兎に角肌見られちゃったし。母様の言い付けを守るなら、御婿さんになる男性以外には見せてはいけないモノだし。となるとどっちかに御婿さんになって貰わないと困るし。でもサイトにはルイズが、セイヴァーさんにはシオンがいるし。どうしたら良いの……?」

「テファ」

「落ち着いて。御願い」

 うん、と一手ティファニアは首肯いた。

「良く理解んないけど、貴方達“聖戦”なんか止めてこっちで一緒になったら良いじゃないの。住む所くらい世話して上げるわ」

「ふざけたこと言うな。バカ“エルフ”」

 才人は憮然とした声で言ったが、ティファニアは「ひう!?」と呻いて後ろに倒れた。気絶したのである。

 

 

 

 気絶したティファニアは、そのうちに寝息を立て始めた。

 才人は、(色々と疲れてたんだろうな)と想い、ティファニアをユックリと寝かせてやることにした。頭の下に、手近にあった毛布を丸めて押し込み、枕代わりにした。

 小舟は、運河を抜けていつの間にか外海に出ている。エメラルドブルーの海が、陽光を受けて輝いている。水平線の向こうに、綿の塊のような入道雲が浮いているのが見える。

 才人は、(こんな時じゃ無かったら、バカンス気分で最高の眺めだったのにな)、と感想を抱いた。

 デルフリンガーを見て、ルクシャナが興味深そうな顔で言った。

「そう言えばこの剣、“インテリジェンスソード”だったのね」

「そうだよ」

「全く。真似しないで欲しいわ」

「え? 真似?」

 才人がキョトンとして言葉を返すと、ルクシャナが得意げな声で言った。

「そうよ。“インテリジェンスソード”……と言うか、剣やモノに意思を付与するのは、私達“エルフ”の十八番なのよ。さっきのアリィーの“意思剣”だってそうよ。その剣って、作ったのは“エルフ”でしょ?」

「へ? なに言ってんだ? この剣は日本刀だ。我が“扶桑日ノ本”の“武士”の魂だっつの」

 と、才人は時代劇で覚えた言葉で言ってみた。

「はあ? 容れ物の話してるんじゃないわよ。中身よ中身。そのデルフリンガーって名前の意思。そうでしょ? 違う?」

 するとデルフリンガーは、小さな声で言った。

「……そうだよ。確かにおりゃあ、おまえさん達“エルフ”が造ったもんさ」

「へ? そうなの?」

 そう言った後、才人は“レイシフト”した時のことを想い出した。“ロマリア”で、ルイズに睡眠薬を仕込まれてしまい、眠っていた時に、意識だけ6,000年前に“レイシフト”した時のことを。

 サーシャという名前の、“エルフ”の“ガンダールヴ”。

「そう言や、初代“ガンダールヴ”だったけ? おまえって、あの夢に出て来たサーシャが造った剣なのか」

 するとルクシャナは目を丸くして才人に詰め寄った。

「なんですって? 初代“ガンダールヴ”って、“エルフ”なの?」

「そう、だと想うけど……夢を見たんだ。でも、その夢が現実に起こった出来事なのかどうか……どうなんだ? セイヴァー」

「何度も言っているが、あれは現実だ。おまえの意識、“魂”だけが、“レイシフト”したんだ。本来、“魂”だけが“レイシフト”するなんて、死んだ状態くらいでしか不可能だと言えるが、まあ、いつもの“例外”だろうな」

 するとルクシャナは、更に興奮した様子を見せる。

「あのね? 私達の聖者で、“アヌビス”っていう人がいるんだけど、その聖者も、光る左手を持っていたの。だから、私の叔父様なんかは、“ガンダールヴ=聖者アヌビス説”を唱えて、学会から白い目で見られたりしてるわ。でもその話がホントなら、その説は俄然信憑性を帯びるわね」

「へえ。そう言やビダーシャル、そんなことを言ってたな。興味深いとかなんとか。もったいぶって」

「別にもったいぶってなんかないわよ。叔父様の悪口は赦さないんだから」

「でも、俺はそんなこと信じられないな。だって“聖者アヌビス”は、“始祖ブリミル”を斃したんだろ? だから聖者なんだろ? “ガンダールヴ”が、“始祖ブリミル”を斃すはずないだろ。守るのがその役目なのに」

 するとそれまで黙っていたデルフリンガーが口を開いた。

「そうだよ」

「はい? なんつったおまえ?」

「ブリミルを殺したのは、“ガンダールヴ”だ」

 その場の空気が固まった。

「はい? 何? ってじゃあ、あのサーシャが? “始祖ブリミル”を殺したって言うのか? 嘘だろ?」

「嘘なもんか。嫌だね、此処で悶々として居る間に、全部想い出したよ。ったく、ずっと忘れて居たかったぜ。なあ、セイヴァー」

「…………」

 デルフリンガーは、心底悲しそうな声で言った。

「あいつの胸を貫いたのは、他でもねえ。この俺だからな」

「おいデルフ! どういうことだ? それ!?」

 しかし、それっ切りデルフリンガーは口を噤んでしまった。

 ルクシャナと才人は、顔を見合わせた。

「……一体、6,000年前に、なにがあったんだ?」

「そんな大昔のこと、私だって知らなわよ。でも、俄然興味が湧いて来たわ。ねえ、教えてくれるかしら? セイヴァー」

 才人は、震えた。

 “エルフ”の半分が死滅してしまったという、“大災厄”。

 こちらでは“悪魔”と呼ばれている“始祖ブリミル”。

 “エルフ”であり、“ガンダールヴ”でもあるサーシャ。

 そのサーシャが、“始祖ブリミル”を殺したのである。今、ここにいるデルフリンガーを使って……。

 6,000年前の出来事が、現在、あで続いて影響を及ぼしている。そのことが、今ここにいる俺達や……“エルフ”を含む、“この世界”の全員を動かしている。

 才人は、それを肌で感じた。そして、なにか恐ろしい現実が、ヒタヒタと近付いて来る予感を覚えた。それを知った時に、冷静でいられるかどうか、今の才人には自信がなかった。

 嬲る潮風の中、才人は、桃髪の美しい御主人様で在るルイズを、“愛”らしい恋人であるルイズを、想った。(俺があのルイズの胸を貫くところなんて、想像できない。一体、なにがあったんだ?)、と想った。

 

 

 

 刀に意思を宿したデルフリンガーは、嬲る潮風に身を任せていた。想い出した全ての出来事が、デルフリンガーを悲しくさせていた。

 デルフリンガーは、(もしかしたらまた……あんな悲しいことが繰り返されるのか? 冗談じゃねえや。そうは想っても、剣……詰まり、道具に過ぎない俺にはなにもできやしねえ)と想った。

 そこに、俺は念話で話し掛ける。

『まあ、そう落ち込むな』

『今は、1人に……話し掛けねえでくれねえか。セイヴァー』

『ああ、理解った。だが、これだけは言わせてくれ。確かに、悲しい出来事や辛い出来事は沢山あった。だがな……同時に、同じくらい、嬉しいことや楽しいこと、そして美しいモノはあったはず。なによりも、今からこの先そう言ったモノを沢山見れるだろうさ』

『…………』

 視界に飛び込んで来るのは、真っ青な空である。

 空は6,000年前となんら変わらない。

 総てを見守るかのように、どこまでも鮮やかな青が続いていた。



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小舟の3人

 “エルフ”の国である“ネフテス”の首都“アディール”を脱出した俺達は、海豚が引く小舟で航海を続けていた。

 “エルフ”達に囚われていた才人とティファニアは、“心神喪失薬”を呑まされそうになったところを危うくルクシャナに救われたのである。ルクシャナの婚約者であるアリィーに襲われる――再び捕縛されそうになるも、復活したデルフリンガーの力もあり、窮地を脱することができたのであった。

 小舟の上で、才人は愛用の“日本刀”に魂を乗り移らせたデルフリンガーと、様々なことを話した。

 デルフリンガーが壊されてしまった、“元素の兄弟”と戦った晩からのこと……。

 デルフリンガーは全部を知っており、そんたびに、「あん時は……」などと相槌を打った。だが、“エルフ”のこととなると、口を閉ざしてしまうのである。

 “ガンダールヴ”であるサーシャがブリミルを殺した。

 そのことをポツリと呟いた切り、押しても透かしても、全部を想い出してしまったデルフリンガーは昔のことを語ろうとはしない。ただ、なにか深い悲しみから逃げるように、他愛のないことを饒舌に語るのである。

 

 

 

 夕方になると、デルフリンガーも軽口を叩くのをやめ、黙りこくってしまう。

 ルクシャナは小舟の上で横になり、寝息を立て始める。

 陽が落ちて、夜の海を照らすのは双の月だけとなる。

 夜の海は、月明かりで満ち、漣に反射して銀色に光る。

 そんな光景を見て、ティファニアがポツリと呟く。

「まるで光が畑になったみたい」

「ホントだ」

「そうだな」

「これから、私達、どうなるのかしら?」

 ユッタリとした“エルフ”の服に身を包んだティファニアが呟く。

「先ずは“聖地”を探す。そこになにがあるのか、突き止めるんだ。その情報を持って、ルイズ達の元に帰る」

 才人はルクシャナを見て言った。

「ルクシャナには悪いけど……それが俺達のやるべきことだと想う」

 ティファニアは、そんな才人をジッと見ていたが、そのうちに膝を抱えて腕の間に顔を埋めた。

「サイトは偉いな」

「え? なんで?」

「だって、こんな状況なのに、しっかりやることが理解ってる。私なんか全然駄目。怖くてなんにも考えられなくて……」

 そう言うとティファニアは、首を傾げて目を瞑った。どうやら、また落ち込んでしまっているようである。

「そりゃ、ティファニアは女の子だから、こんな時はしょうがないだろ」

「ルイズだって、シオンだって、アンリエッタ女王陛下だって女の子だわ。私、どうしていざって時に勇気が出ないのかな? 昨日だって、怖くてなんいもできなかった」

「なんいもってことないだろ! 俺はおかげで……」

 才人は、昨日のシャッラールとの一戦で見たティファニアの凶悪ともいえる革命的な胸を想い出し、鼻を押さえた。(正直、見てはいけないモノだと想った。ただ大きいだけではない。なんと言うか、テファのそれはバランスが絶妙だ。あの細いウエストの上に、これ以上大きいのが乗ったら漫画になる。その微妙なラインを超えずに存在しているんだ。だから恐ろしい。だからこそ、忘れられない。脳裏に焼き付いちまう……)、と想った。

「私、それだけなのかな……?」

 ティファニアの其の一言で、才人は我に返った。

「そ、そんなことないよ!」

「良いの。理解ってる」

 ニッコリとティファニアは笑みを浮かべた。

「どうしてサイトとセイヴァーさんはそんなにしっかりしてるの? 冷静に戦えるの? やらなくちゃならないことが判るの?」

 真剣な声で、ティファニアは尋ねて来た。

 才人は顎に手を置いて、考え込んだ。

「全然冷静じゃないよ。俺」

「ううん。そりゃ怖い時もあると想う。でも、サイトは、いっつもちゃんと戦ってる。自分の世界のことじゃないのに……」

 才人は顔を少し上げて、遠くを見詰めた。

 月明かりに照らされた海は、昼間見るそれとは違って神秘的な印象を与えて来る。

「たぶん、好きな人がいるからだと想う」

「ルイズのこと?」

 才人は首肯いた。

「あいつが困った顔は見たくないし、あいつの故郷は俺の故郷みたいなもんだ。それを守るためなら、命だって賭けけられる。怖いけど、震えるけど、でも、なんとか立ってられる。じゃなかったら、とっくに俺も逃げ出してると想う」

 そっかぁ、とティファニアは、理解ったといったよう様に首肯いた。

「私は、好きな人がいないから、怖くなっちゃうのかな?」

「いや……皆が同じ理由で戦う必要はないと想うよ。ただ、俺がそうだってだけで」

「もし、好きな人ができたら、私もサイトみたいに勇気が出るようになるのかな?」

「別に……テファは今のままで良いんじゃないかって想うけどな」

 ティファニアを慰めるつもりで、才人はそう言った。

「私ね、こう想うの。他の人にない力を持ってるのに、私にしかできないことがあるのに、そこから逃げることはやっぱり卑怯なんだって」

 才人は黙ってしまった。自身でもそう想って居た為で在る。

「テファは逃げてないじゃないか」

「おんなじだよ。なんにもできなくて、震えてるだけ。そっかぁ、好きな人かぁ。好きな人って、どうやったら判るの?」

 無邪気にそう尋ねられて、才人は困ってしまった。

「そ、そうだな……先ず一緒にいるとドキドキする」

「うん。それで?」

「なんか抱き締めたいって想うな」

「うん。それで?」

「抱き締めたら、ずっとこのままでいたいって想う」

 両耳を摘み、ティファニアは目を瞑った。

「……じゃあ、やっぱり私、サイトのこと好きなのかな?」

「え? ええええ? ええええええええええ!?」

 才人は慌ててティファニアを見詰めた。

 ティファニアは泣きそうな顔になって、才人を見上げた。

「だって、私、サイトの隣にいるとドキドキするんだもの」

「だから、それは今混乱してるだけで……」

「それにね、それにね……それにね?」

 ティファニアは顔を真赤にして首を振った。

 なんだかやたらと胸が大きなハーフ“エルフ”が隣でそういったことをするので、才人は劣情でどうにかなりそうになってしまった。

「見せるの、そんなに嫌じゃなかったの……」

「い、言ってたね。ホントにそうだったんだ」

「うん……最初は混乱してるからそう想うのかもって想ってたけど、冷静になって考えてみても、やっぱり嫌じゃない。ドキドキするんだけど、でも嫌じゃない……」

 隣でそんなことを言われるものだから、段々と才人も頭の中が煮えて来てしまった。

「そ、それは……好きの一歩手前と言う奴かもな」

「それ、好きとどう違うの?」

「あ、あんまり変わんないかも……」

 才人はそう言ってから、ハッとした。でも、嘘は吐けなかった。吐くことができなかった。

「じゃあ、好きってこと?」

「かもしれないってこと」

「…………」

 ティファニアは、自分の胸に手を置くと、溜息を吐いた。

「きっと好きなんだわ。これ……どう仕様? でも、サイトはルイズが好きなんだよね?」

「うん……」

「じゃあ、私の好き、駄目な好きじゃない。私、悪い女の子なんだわ。友達の恋人が好きだなんて、そんなの大自然と神様が赦さないに決まってる」

 才人は慌てた。

「そんな!? 駄目な好きなんかあるもんか! そんなの、自分じゃどう仕様もないことだよ。むしろ大自然と神様がそう言ってるんだ!」

 言ってから、しまったと才人は想ったが、他に言いようがなかった。世の中に好きに成っちゃいけないなんてことがある訳もないのだから。

「でも、ルイズが許さないし。サイトだって私のこと、好きじゃないでしょ? じゃあ、この気持ち、どこに行けば良いのかしら……?」

 そんなティファニアを見ていると、才人は葛藤に襲われてしまった。(好きじゃない、なんてことはない。テファより魅力的な女の子なんてそうそういない。だけど、そんな自分の気持ちを認める訳にはいかない。もう絶対にルイズを悲しませることはしないと決めたんだ)、と考えた。アンリエッタとの一件を想い出し、才人は心の中で首を振った。同時に、(だが、好きじゃない、と言うのもまた嘘だ。だって正直、好きは好きだ。テファは、そんくらい魅力的だ。本能には抗えない気持ちと言うモノも存在するし、それを否定するのもなんか違うような……)と感じた。そして、(となると……方法は1つ。テファの気持ちを、冷めさせないといけない。俺はこんなにどう仕様もない奴なんだと想って頂いて……)とか考えた。

「なあテファ」

「な、なあに?」

「言っとかんきゃ、ならないことがある」

「言って」

 才人はグッと拳を握り締め、苦しそうに、吐き出すように呟いた。

「俺、変態なんだ」

 しばらくティファニアは才人をジッと見詰めていたのだが、ほぼ俺と同時に噴き出した。

「ホントだって! いやそれが、マジモンで……! 兎に角格好とシチュエーションに拘りがあり過ぎると言うか……」

「有難う。サイト優しいね」

「え?」

「私がサイトを嫌いになるように、そう言ってくれたんでしょう?」

 真っ直ぐに見詰められ、才人は恥ずかしくなった。

「いや……後半はホントで……それが変態かどうかは個人の主観に委ねられると言うか……」

「大丈夫。ホントに。なんか話したらスッキリしたし。私ね、自分で頑張る。サイトのことが好きかもしれないけど、ううん、多分きっと好きなんだと想うの。でも、それと私の使命はやっぱり別」

「テファ……」

 才人は泣きそうな目で、ティファニアを見詰めた。健気な気持ちに心動かされ、ティファニアの胸とかに劣情を抱いた自分を恥じ、同時にこんなに胸が凄かったらどう仕様もないだろ、と弁護し、弁護した自分をも恥じ、気付くとティファニアの手を握っていた。

「わ」

 其の時、波を超えて小舟が揺れた。

 才人は横に倒れそうに成り、握って居たティファニアを引っ張る格好に成ってしまった。

「…………」

 才人の眼の前には、ティファニアの顔があった。

 火照った頬が、月明かりに眩しい。

 ジッとティファニアは、才人を見詰めている。

 ティファニアの青い瞳が軽く潤んでおり、才人は息が止まりそうになった。

 双つの月が雲に隠れて、辺りは暗闇に包まれる、

 すると、耳が研ぎ澄まされ、小舟が波を掻き分ける音が耳に届く。

 ふいに熱い吐息が近付き、次の瞬間、才人の唇に柔らかいモノが押し当てられる。ユックリと髪が撫でられ、才人は今ティファニアがなにをしているのかを理解した。

 唇を重ねている間、ティファニアはズッと無言であった。

 雲の切れ間から再び突きが姿を現そうとした時……スッとティファニアは身体を離す。光が辺りに戻った時には、前と同じ格好で、海を見詰めていた。

「テファ」

「気の所為だよ」

 と、どことなく満足げな顔でティファニアは答えた。

「き、気の所為には想えなかったんだけど……」

「御月様が見てない時は、夢の中のことなの。ちょっとでも夢を見られたから、もう大丈夫。平気。私、頑張るね」

「え?」

「サイトから勇気を貰ったから」

 才人は、小さく首肯くと海の向こうを見詰めた。

 海はどこまでも静かに、見守ってくれている。

 そして才人も、(頑張ろう。自分のために。ルイズのために。皆のために。そして、隣で見詰める、“ハーフエルフ”の女の子のために……)と想った。

「えっと……セイヴァーさん、ごめんなさい。貴男にも相談乗って貰おうと想ったんだけど……」

「気にすることはない。解決、はまだしていないだろうが、楽になったのだろう? なら、問題はないはずだ。それに……」

「それに?」

「なんだかんだ言って、おまえ達は強い、ということを改めて理解できた」

「私達が? サイトは強いけど、私は……」

「いやいや、俺もそんなに強くないよ。強さなら、おまえの方が上だろ」

「腕っぷしの話なら、そうだろうな……だけど、俺が言いたいのは内面の話だ。弱くて自分が嫌いで、そんな自分を変えたくて……だからこそ、“世界との契約”といったかたちで、“神様転生”をした俺とは違って、おまえ達は強い」

「なあ、いつもおまえには相談とか乗って貰ってるけどさ……おまえの方はどうなんだよ?」

「どう、とは?」

 才人は真面目な顔をして、問い掛けて来る。俺のことを慮って。

「そうだな……俺の“宝具”と“スキル”に関係することだが、全て俺の性格や星座などを拡大解釈や昇華させたモノだ。故に、流れるモノ……情報と言う情報、在りと汎ゆる情報を識り、操作することができる。そして、“根源”と繋がっている。“起源”だってそうだ。俺の“起源”は、“流転”、そして“虚無”……」

「なあ、話の腰を折って悪いけど、“起源”って……?」

「“そのモノの原初の方向性” 、“そのモノがそのモノであることを足ら占めるモノ”、“根源の渦から生じた混沌衝動”。“この世の全てのカタチあるモノは生まれた時からなにかしらの起源があり、その起源に沿って行動する”んだ。例を挙げれば、“剣という起源の持ち主は無意識に剣に対して強い執着心を持つようになり、刃物を集めて見惚れるようになったりする”、“禁忌という起源の持ち主は人間だろうと獣だろうとその種の道徳と定められたモノから外れた行為を好むようになる”、といった具合にな……“起源とはその持ち主の本能とも言えるモノで、そうであるように、仕組まれている絶対命令”と言い換えることもできるだろうな」

「それで、“起源”がどうして関係して来るの?」

「自身の“起源”を自覚し、覚醒することで、“起源覚醒者”と呼ばれる存在になるんだ。そして、その結果、“人格に歪みが生じる”。“たかだかヒトとして生きる間しか持続しない人格など、原初の始まりより生じたその存在自体の方向性の前には容易く塗り潰されるから”な。俺の“起源”はさっきも言った通り、“流転”と“虚無”だ。“虚無”は“根源”と接続していることで、“生の実感を得ることができない”……なにをしても達成感を得ることができない、とかな。“流転”の方も方で、“常に動き続ける”……“変わり続ける”……“考えが、言動が一定ではない”……」

「それって……」

「簡単に言えば、自分を持たない。流されるがまま……周囲の考えや感情、風潮、自身の感情に常に振り回されるってことだ。まあ、これが先ず1つ目の悩みだな。にしても、口を開けば出るは出るは……嫌になるな」

「で、他にもあるのか?」

「当然。いつも俺はおまえ等に講釈垂れてるがな……俺は自分を持たない。それ故に、他人の言葉ばかりを使う。中身がないんだ。言葉も行動も、言動全てが空っぽ、だ」

「でもさ、それだけ色んなモノを吸収して、広めることができるってことだろ? 偉人の言葉だって、それだけ深く、おまえの心に染み渡ったってことじゃないのか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まあ、答えは既に出ているし、識っているがな。兎に角、告白はこれで終了だ。話して楽になれたよ。有難な。わざわざ訊いてくれて」

 俺はできる限り笑みを浮かべ、2人を安心させるように言う。

「俺もヒトの子だ。悩みの1つや2つは当然ある。まあ、おまえ等のそれと比べると、下らないモノだろうがな。それでも、隣の芝生は青い……月の光で、狂気に陥れるならどれだけ楽か……いや、当の“本人”からするとそうでもないだろうがな」

 

 

 

 

 

 眩しい朝の陽光で、才人は目を覚ました。

 隣では、ティファニアがあどけない顔で寝息を立てている。

 昨日の夜の出来事を想い出し、才人は顔を赤らめ、直ぐに真面目な顔になる。(テファが夢の中のこと、と言ってくれたんだ。それに、セイヴァーも……)、とこちらへと目を向けて来る。

 と同時に、ティファニアも目を覚ました。昨日のことなどなにもなかったかのように、爽やかに挨拶を寄越してくれた。

「御早う」

「うん。御早う」

「ああ、御早う。好い朝だ」

 才人と俺がニコリと笑い掛けると、ティファニアもまた笑い掛けて来る。

 なにか言おうと想いはしたが、なにも言わない方が良い気がして、才人は水平線の方を眺めた。

 すると、水平線の向こうから、いくつもの突起が見えて来て、才人は驚いた。

「なんだありゃ!?」

 小舟を引くイルカを操りながら、ルクシャナが答えた。

「あら、起きたの? あれはね、“竜の巣”と呼ばれる群島よ」

「群島? 島にゃ見えねーぞ」

 確かにそれは島と呼ぶには、異様なモノである。細長く、畝々と動く触手のような形をした巨大な岩が、水面からいくつも伸びているのである。1つ1つが、数十“メイル”はあろうかという高さを誇っている。岩は競い合うように、四方八方に伸びている。それが延々と続いている様は壮観であるといえるだろう。

「ここに、御友達、が住んでるんですか?」

 ティファニアが尋ねると、ルクシャナは首肯いた。

「そうよ」

「ヒトや“エルフ”が住んでるようには見えないけどな」

「其りゃ、“エルフ”は住めないわ。こんな所」

「じゃあ、友達、って誰?」

 するとルクシャナは、ニヤッと笑った。

「着いてからの御楽しみ」

「なんか嫌な笑い方……」

 才人がジト目で言うと、腰に提げたデルフリンガーが茶々を入れた。

「とんでもない化物だったりして」

「え……?」

 ティファニアが、青い顔になった。

「すんごいでっかくて。目なんか青いのが4つも5つも付いてて」

「剣さん、やめて」

 ティファニアは、口元をハニャッと崩れさせ困ったような顔になる。

「蛸の10倍くらい、触手が付いてて、そいつでこうハーフの嬢ちゃんをガシッと捕まえてだね」

「ひう……」

「おいデルフ! やめろよ! テファが怖がってるだろ!」

「でーじょーぶだよ。そんなことになっても、相棒が守ってやるってばよ」

「そ、そうだよね」

 ティファニアは、ホッとしたような顔で才人を見上げた。

「なあに。相棒はやる。そういう男だ。なに、どんな化物が現れようが、嬢ちゃんのその爆発物を一発見せりゃあ……」

 デルフリンガーは最後まで言えなかった。

 目を見開いたティファニアが、顔を真っ赤にして柄を掴んで震え始めたからである。

「んっ! んっ! んっ! んっ!」

「く、苦しい……嬢ちゃん、やめて……」

 それでもティファニアは、強くデルフリンガーを締め上げた。知っての通り、デルフリンガーは今は才人の腰に提げられている。

 狭い小舟の上だということもあり、そういった行動を取ると結果、ティファニアの身体が才人に密着することになる。

 するとそのいけない2つの果実が、才人の腕や背中に当たり捲くるのである。

 才人は、(これはなにの罰か?)と泣きそうな頭の中で考えた。(俺が一体なにをしたというんだ!? 神様が俺が憎いのだろうか? そうに違いない。そうじゃなかったら、こんな悩ましいいけない2つの果実を、俺の腕や背中に打つけるなんてことはしないはずだ。だってこれは触ってはいけないモノだから……届かない永遠の地平線だから。それなのに、こうやって押し当てるということは……天罰だ)、と想い、空を見上げた。

「サイト……どうしたの?」

 才人が青い顔で、ブツブツと「天罰だ、これは天罰だ、神に見捨てられた俺は“堕天使ルシフェル”だああ、欲望の業火がこの身を燃やすよ」だのと呟いているので、ティファニアは心配になったのである。

「嬢ちゃんの所為だよ」

「え? 私?」

「そう。嬢ちゃんが、あんなモノを見せるから……」

「だ、だって剣さんが! 見せろって!」

「ホントに見せるとは想わなかった。いやはや結果オーライ。あと、おりゃあちゃんと名前が有っから……え!? ちょっと!? ちょっと待った!」

 目に珍しく怒りの炎を激しくチラつかせたティファニアが、デルフリンガーを引き抜き、海面にジャブジャブと漬け始めたのである。

「やめて! 錆びる! 錆びるから!」

 それでもティファニアは無言のまま、デルフリンガーを海水で洗い続けた。

 そんな様子を見て、ルクシャナが呆れた声で言った。

「貴方達、私の友人をなんだと想ってるのよ。失礼ね」

「じゃあ言ってよ! 気になんだよ! こんな海の果てまで連れて来てもったいぶんな!」

 才人がそう言うと、ルクシャナは、ん~~~、と首を傾げた。其れからニッコリと笑みを浮かべる。

「やっぱり、着いてからの御楽しみ」

「なんじゃそりゃ!」

「だって貴方達を見てると面白いんだもの。ヒトってホント可笑しいわね」

「こいつ等は特殊! だから錆びます! 嬢ちゃん!」

 デルフリンガーが悲鳴混じりの声を上げた。

 

 

 

 海は凪いでいる。

 ギラギラと照り付けて来る太陽を反射して、水面は鏡のように輝いている。

「此の辺りはね、巨大な火山島が沈んだ辺りなの。巨大な噴射口の上に、私達はいるって訳」

「へえ。だからこんなに波が穏やかって訳か」

 才人はそう言うと、ルクシャナは目を丸くした。

「貴男、海を知ってるの?」

「いや……別にそん成に詳しくないけど。そのくらいは学校で習うよ」

「“異世界”から来たって言ったわね? へえ、学校なんてあるんだ」

「そりゃあるさ」

 蛸の触手のような岩の間をいくつも抜けると、一際高く聳えた岩が見えて来た。

 ルクシャナなはイルカに命じると、小舟を止めた。

「着いたわ」

「は? ここ? まだ海のど真ん中じゃねえか」

 友達と言うからには、島かどこかにいるモノとばかり想っていた才人が怪訝そうな声で言った。

「だから蛸の御化けだって言ってるじゃねえかよう。きっとこのハーフの嬢ちゃん捕まえて触手でニュルニュルだよう。でもその凶悪な胸がまろび見えた途端、相棒奮起の大活躍……うご!? もが!? ごべ!?」

 ルクシャナは、説明するのも面倒だ、というような調子で言った。

「海の中からじゃないと入れないのよ」

「は? じゃあ、今から海に潜るの? どうやって?」

「もう……一々煩いわね。泳ぐことくらいできるでしょ?」

「そりゃ、できるけどさ……」

 才人は、(水泳くらいならできるが、潜るとなると話は別だ。素潜りなんかしたことない)と考え、海を覗き込んだ。

 ティファニアを見ると、ブンブンと左右に首を振っている。

「私、“アルビオン”育ちで、海なんか入ったこともない!」

「もう、しょうがないわね」

 ルクシャナは目を閉じると、掌に海水を掬い、口語の“呪文”を唱えた。

「“水”よ。身体を司る“水”よ」

 すると、ルクシャナの掌の海水が光り始める。

「これを呑んで」

 才人とティファニアは身を屈めると、ルクシャナの掌から海水を呑んだ。塩辛い味が口内を刺激する。

「で?」

「これで水中でも息ができるわ。効果は限られるてるけど」

「おい! 俺にもなんか“魔法”を掛けてくれ! この身体、錆びやすいのよ!」

「世話の焼ける連中ね……」

 するとルクシャナは、再び“呪文”を唱えた。

 鞘に包まれたデルフリンガーの刀身が、赤く輝いた。

「これで海水に触れても大丈夫よ。で、貴男はどうする? セイヴァー」

「自分でどうにかするさ。と言うか、どうとでもできる」

「そう。助かるわ」

 そう言うなりルクシャナは、ガバッと服を脱ぐと下着姿になった。細く靭やかな肢体が陽光の元に露になる。そのまま、ドボン! とルクシャナは海に飛び込んだ。

「早く貴方達も来なさいな。“水中呼吸”の効果は限られてるんだから」

 ティファニアは、心配そうに才人と俺とを交互に見詰めた。

 しょうがない、というように首を振ると、才人は服を脱いでパンツ1枚切りになった。

 それを見て、ティファニアも決心したのであろう、ユッタリとした“エルフ”の服を脱ぎ捨てる。

 キャミソールのような下着のみになったティファニアは悩ましいなどというモノではなく、才人は目を逸らした。(あれの生を)、とか考えてしまうだけで気絶しそうになるために、才人は必死になってルイズの裸体を想像した。だが、それはそれhで素晴らしいモノであるために、才人の煩悩は膨れ上がってしまい、ルクシャナにどやされる結果になった。

「良いから早くって言ってるでしょ!」

 才人は慌てて海に飛び込む。

 だが、ティファニアは中々飛び込め無い様で、ボートの上から海を恐々と覗き込んでいる。

 海面から顔を出した才人は、そんなティファニアに手を伸ばした。

「大丈夫。俺達が着いてるから」

 才人のその言葉で、ティファニアはコクリと首肯き、海に飛び込んだ。

 ティファニアの手を握り、才人は海に潜る。

 俺もまた、3人の跡を追い掛けるようにして飛び込む。

 海面から直ぐ下は陽の光が通っていて明るいのだが、少し下の方は黒々とした闇が広がっている。

 才人は、(どれだけの深さがあるのだろう?)と疑問を抱いた。

 そんな恐怖はティファニアも同じらしく、ギュッと才人の手を握る。

 才人は右手でデルフリンガーの柄を握った。すると、身体がスッと軽くなり、力が漲ってくる。だが、“ガンダールヴ”の力を借りる必要がないことが直ぐに判る。

 小舟を引いていたイルカが、ハーネスを外して、側にいたのである。

 ルクシャナは、海豚の背鰭にしがみ付き、こっちよ、と手招きをしている。

 イルカの胴に巻かれたベルトを、才人とティファニアは掴んだ。

 すると、猛烈な勢いでイルカは泳ぎ始めた。

 そんなイルカに、俺はただ泳ぐだけで追い付き、並泳する。

 ルクシャナの“魔法”のおかげであろう、才人とティファニアの2人は水中でも息ができているようである。水を吸い込むと、喉の辺りでそれがなんと見事に空気へと変わるのである。タバサ達が、空気の泡を作り出して頭を覆ったりするそれよりも、こちらの方がスマートであろう。

 最初こそ激しい違和感を覚えさせるモノであったが、才人とティファニアの2人は直ぐに慣れた。

 水中の旅は、想ったより長くはない。

 数分も泳ぐと、眼の前に黒々と海底から伸びる石柱が見えて来る。先程小舟の上から見た、一際大きい触手地味た岩であろう。

 イルカは真っ直ぐに、その中腹へと進んで行く。

 才人が、(なんだ激突すんのか!? 大丈夫かこのイルカ!?)、と慌てながら目を凝らすと、中腹に大きな穴が空いているのが見えた。

 ルクシャナが跨っている居るかが、その中へと消えて行く。

 どう遣らあの中に、ルクシャナの友達がいるらしいことが判る。

 次いで、才人とティファニアが跨るイルカが、その次に俺、と後に続く。

 

 

 

 穴の中は闇である。

 だがイルカは、超音波を利用して、暗闇であろうとも迷うことなく、一直線に進んで行く。

 上が明るくなる。

 イルカはその光に導かれるように、泳いで行く……。

 ザバンッ! と子気味良い音と共に、俺達は海面から顔を出した。

 目に飛び込んで来たのは、ちょっとした劇場ほどはあるだろう巨大な空間である。海藻の腐ったような、磯の臭いが猛烈に鼻を突く。

「なんだここは……?」

 才人は、辺りを見渡し、呟いた。

「さっきの岩の中よ」

「空洞になってたのか」

 巨大な触手のような岩の中にいるのである。

 俺達が浮かんでいるのは、井戸の様にぽっかりと口を開けた水面で、他は平らな陸地になっている。壁が淡い光に包まれているのは、発行性の苔が生えているからであろう。

 ミシッ……。

 空洞の奥から、なにか巨大なモノが蠢く音がした。

 ティファニアは、ビクッ!? として才人に寄り添った。

 咄嗟に才人も背中に吊ったデルフリンガーに手を伸ばす。

「大丈夫よ」

 ルクシャナはイルカの背から降りると、岩に手を掛けて陸地に上がった。

 すると、闇の奥から、低い大きな声が響いた。

「一体誰だえ? この妾の眠りを妨げるのは……」

「私よ。海母(うみはは)

「うみはは?」

「ああ、ナガミミの跳ねっ返り。妾の娘。良く来たね」

 ズシ、と何か巨大なモノが起き上がる気配がする。

 ミシミシ、と地面を踏みしだく音と共に、闇の中から紺色に輝く巨体が姿を現した。



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海母

 俺達の眼の前に現れたのは、巨大な“水竜”である。昨日戦ったアリィーのシャッラールよりも、遥かに大きい。立ち上がったその姿は、15“メイル”はあるだろう。紺色と見えた鱗は、良く見るとくすんだ銀色をしている。滑らかな銀色の鱗は、光の加減で様々に色を変えているのである。頭からは珊瑚の様な2本の角が生え、その付け根には巨大な藤壺がいくつも付いている。手足の間には、分厚い水掻きが見える。

「一体、何事だえ?」

 巨大な“水竜”のその口からは、明瞭な言葉が流れて来た。

 こんな風に喋る“竜”を、才人は想い出した。

「“韻竜”!」

 タバサの“使い魔”のシルフィードが、“風韻竜”である。“魔法”を操り、人語を解する“古代竜”……。

「あら。良く知ってるわね」

 ルクシャナが感心した顔付きで言った。

「いや、友達が“使い魔”にしてるんだ」

 才人がそう言うと、海母と呼ばれた“水韻竜”が笑い声を上げた。

「妾の眷属を“使い魔”にするとは……大した者じゃの」

 白い目で、海母は才人とティファニアを見据えた。

「御友達って、この大きな“竜”だったのね」

 ティファニアが、感心した様に海母を見上げる。

 すると、海母は目を細めた。

「おや、綺麗な娘じゃの。あんたは、“エルフ”とヒトの血が混じっているようだの」

「判るんですか?」

 ティファニアが驚いた顔で言うと、年老いた“水韻竜”は首肯いた。

「長く生きていると、大抵のことは判るようになるもんじゃ、でも、“エルフ”の娘やおまえさんがなにを考えているのかだけは、この海母にも判らぬ。おまえは本当に気紛れだから」

「じゃあ言うわね。私達を、しばらく匿って欲しいのよ」

「おやおや! この跳ねっ返りめ! また悪戯をしたんだね? 今度はなにをして怒られたんだい? また叔父上の本や道具を勝手に持ち出したのかい?」

「そんなことしないわよ。私はもう、子供じゃないもの」

 海母は、わずかに目を細めると、首をルクシャナに近付けtあ。

「でも、なにかを持ち出したんだね?」

「ええ。彼等をね」

 ルクシャナは、才人とティファニアを指した。

 海母は、才人とティファニアへと顔を近付ける。

 ティファニアは、ビクッと震えて、才人の背の後ろに隠れた。

「安心おし。おまえ達を食べるほど、悪食じゃないよ」

 海母はしばらく才人とティファニアを見詰めた後、「おやおや! どうやら普通のヒトじゃないようだね!」と言った。

「“悪魔の末裔”……“虚無の担い手”とその“使い魔”よ」

 ルクシャナが得意げな顔で答えた。

 海母は無言で才人とティファニアを見詰めた。

 才人は、(“この悪魔め!” とかなんとか言われて食われてしまうんじゃないだろうか?)と考え、緊張した。

 だが、海母は、「良く来たね」、と言っただけである。

「貴女は、私達が憎くないの?」

 ティファニアが尋ねると、海母は首肯いた。

「あんた達の御先祖が、この土地になにをしたのかは良く知っておるよ。そして、あんた達が再びなにをしようとしているのかも、大体判る」

「なんでそこまで知ってるの? こんな磯臭い洞窟に住んでる癖に」

 ルクシャナがそう問うと、海母は息を激しく吸い込んだ。どうやら笑っているらしい。

「祖母から“悪魔”の話は聞いたからね。それにこんな洞窟に住んで居ても、長い年月の間には色んなことが判るようになるもんじゃ」

「祖母から聞いた? 6,000年前のことを?」

「そうじゃ。祖母がまだ娘の時分にの」

 才人は、(いやはや、こいつ等長生きなんだな)と眼の前の“水韻竜”を見て深い感慨に囚われた。あのシルフィードも、何千年も生きることでこのような貫禄を出すことができるようになるかもしれない。

「だが、“悪魔の末裔”……ヒトの子等よ。妾はおまえ達が、別に憎くはないのじゃ」

 海母はそう言って、ティファニアに鼻を近付けた。

 ティファニアがスッと手を伸ばし、その鼻面に振れる。

 気持ち好さそうに、海母は目を細めた。

「へえ。流石は“韻竜“。”評議会“の御爺ちゃん達とは物分りの度合いが違うわね」

 ルクシャナがそう言うと、海母は首肯いた。

「おまえ達“エルフ”とは違い、妾は滅び行く種族。この世の全ての出来事は、“大いなる意思”の思し召しと受け止めておるのじゃ。滅び行くことも。新たなる客を迎え入れることも……あの“大災厄”でさえもじゃ」

「なにそれ? 私にはただ諦めているようにも想えるわ」

 憮然とした顔でルクシャナは言った。

「ふぇふぇふぇ。長耳の娘。妾の娘。おまえは妾に、“悪魔”を憎んで欲しいのかい? それとも、味方になってやれとでも言う気なのかえ?」

「どっちでもないわ。ただ、取り敢えず身を隠す場所が欲しかったことが1つ。そして、もう1つあるんだけど」

 そして、アッサリと、ルクシャナはその言葉を口にした。

「“シャイターンの門(聖地)”に行ってみたいの」

「おまえ達“エルフ”の方が、詳しいだろうよ」

「一部の“エルフ”しか知らないのよ。でも、貴女なら場所を知ってるでしょう? だって、この辺りの生き字引じゃない」

「そうじゃが……確かに妾は物知りじゃが、そこまでは知らぬよ」

 才人とティファニアがガッカリした。

「おいルクシャナ。話が違うじゃないか」

「なによ。別に保証した訳じゃないわよ。ねえ海母。“シャイターンの門”の場所を知ってそうな心当たりはいないの? “エルフ”以外で」

「もう付き合いの有る者も少なくなったしのう」

「使えない“古代種”ねー」

「使えないとはなんじゃ。いつしか助けてやった恩を忘れたのかえ? まあ、そこの“守護者”なら知っておるだろうよ。なあ。久しいのう、異世界からの“守護者”よ」

「俺はもう“守護者”ではない。“世界”と“契約”はしたが、“宝具”と“スキル”をフルに活用して、契約破棄してやったさ。力だけを手にし、仕事はボイコットってな。良くある例外って存在だ」

 海母は立ち上がった。

「しばらくいるのは構わん。好きなだけいるが良い。おまえ達には匂いがキツかろうが」

 そして再びミシミシと音を立てて、海母は洞窟の奥へと戻って行った。

 

 

 

 そこかしこに落ちている乾燥した海藻を燃やして俺達は暖を取り、イルカが捕まえて来てくれた魚や貝を焼いて食べた。

 洞窟内のかなりの磯臭さに閉口するだろうが、才人とティファニアにはそのうちに慣れて来た様子を見せる。ヒトという生物は、大抵のことには慣れてしまう傾向があるのだが、“ハーフエルフ”も例外ではないようである。

 そうして一息吐いていると、ルクシャナがポツリと言った。

「さてと」

「なんか良い考えがあるのか?」

 貝を食べていた才人は身を乗り出した。

「寝ましょ」

「おい!? こら! 長耳! 之からどーすだよ!?」

「どーすんだって言われてこれ、しょーがないでしょ。海母も知らないって言ってるし、セイヴァーは話す気がないみたいだから」

「……全く。こんなとこでモタモタしてる時間なんかないっつうのに」

 するとルクシャナは目を細めて、才人を見詰めた。

「暇なら、昨日の続きでもすれば良いじゃないの」

 ルクシャナのその言葉で、ティファニアが、ブホッ!? と食べていた魚を噴き出した。

「な!? な!? な!?」

 顔を真赤にして、才人は慌てた。

「チュッチュチュッチュ、してれば良いじゃないの」

「み、見てたんか!?」

「人が寝てる側でまあ、良くまあ、人の小舟の上で。セイヴァーやデルフリンガーだっているのに。やっぱり貴方達って、恥じらいってモノがないのねー」

 ルクシャナは両手を広げて言い放つ。

 ティファニアは真っ赤に成った顔を押さえて、嫌々をするように首を振る。

「覗き見すんなよ!」

「はぁ? なに言ってるの? あんな狭い場所で覗きもなんいもないもんだわ」

「俺も見てた」

 腰に提したデルフリンガーがそう言って、ティファニアが卒倒した。

「寝てろよ!」

「いやはや……相棒のね、そういうところは知ってるつもりだったけどね。今回のはないわ。ピンクの嬢ちゃん聞いたら殺されるどころじゃ済まねえわ」

「ば、馬鹿……あれは友情の一環と言うか……」

「へえ、ヒトって、友人とああいうことするんだー。へー」

「セフレって奴だな、うん」

「ち、ちが」

 その時、ティファニアがガバッと起き上がり、首を振った。

「わ、私が勝手にしたの! サイトは悪くないの!」

「どうして、あんなことをされたんですか?」

 何故かインタヴュー口調の恍けた声で、デルフリンガーが尋ねた。

「なんか! サイトの顔見てたら! なんか! 胸の中になにか溢れて! なんかもう! どう仕様もなくて!」

「惚れちゃったんですね。相棒悪い男」

「女誑しだな」

「理解んないの! ホントに!」

 ティファニアは顔を押さえた。

 俺もそうだが、デルフリンガーは更に追い打ちを掛ける。

「そんなに愛を散蒔いてどうするの?」

「散蒔いてないよ! と言うかそんな話してる場合かよ!? ったく、“聖地”って一体どこにあるんだよ……?」

「そっちでは“聖地”かもしれないけど、私達にとっては“シャイターンの門”であるということを忘れないでよ。全然“聖地”なんて良いもんじゃないらしいし」

「どっちだって良いよ……あ!」

 才人は腰に提げたデルフリンガーを引き抜いた。

「おいデルフ! おまえそう言や、“全て想い出した”って言ったよな? “聖地”の場所も判るんじゃないのか?」

「あれだろ。ブリミルが“ゲート”でやって来た場所だろ? うん、想い出したよ」

「おおおおおおおお! 早く言えよ!」

「でも、1つ問題が」

「なんだよ!? ほら皆用意しろ! 行くぞ!」

「此の辺り、砂漠っつうの? 海っつうの? 兎に角昔とかなり地形が変わってるっぽいんだよ。だから、場所が判んね」

「あれま……」

 才人はガックリと膝を突いた。

「どんな場所だったの?」

 ティファニアが尋ねた。

「そうさな……取り敢えず砂漠で、なんか岩が一杯あったような……」

「そんな場所、山程あるんだけど」

 ルクシャナが困ったような顔で言った。

「無駄に6,000年も生きやがって。糠喜びさせんな」

「でも、“エルフ達が守ってる”って言ったわよね? そんな場所で、岩山っぽい所ないのかしら?」

 ティファニアがそう言うと、ルクシャナは両手を広げた。

「大っぴらに守ったりする訳ないじゃない。“評議会”のやることよ。表向きはなんでもないような場所で、その実辺りは厳重に警備されてるに違いないわ」

 そう言うとルクシャナは乾燥した海藻を伸ばして、その上に横になる。

「なにしてんの?」

「御腹が一杯になったから、寝るのよ」

「ホントに、之からどーすんの?」

「知らないわよ。兎に角、寝て起きたら良い案も浮かぶんじゃないの?」

 ルクシャナはそう言うと、直ぐに寝息を立て始める。

 才人とティファニアは、顔を見合わせた。それから、仕方なしに、2人もルクシャナを真似て横になった。

 

 

 

 

 

 そのままなにもしないうちに3日が過ぎた。“聖地”の場所が判らない以上は、才人達にできることはなにもないのである。

 才人は「外に出て情報収集しよう」と提案するが、当然「そんなことをしたら直ぐに捕まっちゃう」とルクシャナが却下する。

 もちろん、一般の“エルフ”が知らされてない情報を、敵である才人達が集めようとしたって無理であろう。

 “ハルケギニア”に帰ることもできあに。なにせここは絶海の孤島のような場所であり、ルクシャナは小舟の使用を認めないであろう。陸地に着いたところで、ティファニアを連れて砂漠を突っ切るのは無理といっても良い。

それに、「逃げ出したりしない」と約束をした以上、また、一応体を張って助けてくれたルクシャナを裏切ることもまたできないのである。

 そうは言っても、このような洞窟で一日中なにもせずにジッとしていると、なんだかもう身体が疼いて仕方がないのであるる。底辺な時なのに、なにもできないという焦りなどが、才人をヤキモキさせるのであった。

 食べる物はイルカが捕まえて来てくれる。水は雨水でどうにでもできる。しかも、ルクシャナの“魔法”の御蔭で、美味しく飲むことができるのである。どうしても、もう少し上等なモノを食べたいというのであれば、“バビロニアの宝物庫”から失敬することだって可能である。

 才人が「ここにいたって、そのうちに誰かに見付かるんじゃないか」とルクシャナに言ったが、「この辺りの海はね、潮の流れが複雑で、“エルフ”達は余り近付かないの。いいえ、おまけにたまに大荒れするから、近付けない、と言った方が正確ね。私達だって、あの子達が船を引っ張ってくれなかったら、来ることはできないのよ。そういう場所だから大丈夫」と念を押して返された。

「私だって、どうしーよかな? とは想ってるわよ。でもね、なにも想い付かないの。こういう時は、大人しくしてるのが一番。そのうちに良い考えが空から降って来るわ」

 そしてそんなことを曰うのである。

 

 

 

 才人はすることがないので、海の中に繁く潜った。身体を動かしていない、となんだか気が滅入ってしまうのである。

 季節は夏がようやく終わる頃であろうが、海は南国のように暖かい。ルクシャナは、「“精霊の力”のおかげよ」と言った。この辺りは、“地球”でいうところの“真エーテル”が“ハルケギニア”を始めとした他の場所と比べて濃いために強いのである。だからこそ、“古代竜”である海母もここを住処にしているのであった。

 その所為だろう、ここ等の海はまさに生物の宝庫だといえるであろう。海底から伸びた石柱の周りには、様々な珊瑚がこびり付き、色取り取りの魚達が泳いでいる。

 ユッタリと泳ぐ、巨大なエイのような魚もいた。魚達は、ヒトを知らないようであり、才人達が寄って行っても、一部を除き逃げなかった。

 泳ぐことがなかったために泳ぎが苦手なティファニアも、才人に「教えて上げる」と言われて、一緒になって泳ぎ始めた。ルクシャナの“水中呼吸”のおかげもあるだろう、ティファニアは飲み込みが早く、直ぐに自在に泳ぐことができるようになった。どうやらこの“ハーフエルフ”の少女は、“水”と相性が良いらしい。

 陽光に透き通る海の中を泳ぐティファニアは、まるで人魚のようである。スゥーッと伸びやかに、ティファニアは泳ぐのである。身に纏った小さなキャミソールが水に揺らめき、実に悩ましい。

 才人は、(人魚みたいだけど、あんなに胸の大きな人魚はいない)と想った。

 

 

 

 

 

 その日も才人とティファニアは一緒に自由気ままに泳いでいた。

 俺も泳いでみようと想い、2人の側にいる。

 そのうちに、ティファニアがスイっと、才人の側に寄った。そして、ニッコリと微笑み、俺の方にも視線を向け、チョイチョイと海底の方を指した。

「そこまで行ってみない?」

 才人は首肯いた。

 この辺りは、水深凡そ20“メイル”ほど。底まで透き通って見える。

 問題などないので、俺ももちろん首肯いた。この後の展開を知った上で。

 ティファニアは、才人の手を握り、軽やかに海水を蹴った。

 ルクシャナのイルカが、そんな2人を守るかのように後ろから着いて来る。

 2人と2匹の後を、俺は追い掛けるようにして泳ぐ。

 海底に辿り着くと、まるで花畑のように珊瑚が溢れている。四方八方に枝を伸ばした珊瑚が咲き乱れる様は壮観である。

 そんな珊瑚の間を、色取り取りの魚達が蝶の様に泳ぎ舞っている。なんだかこのような光景を見ていると、“聖戦”や“ハルケギニア”滅亡、“剪定事象”などということが夢の中の世界のことであるかのように想われて来る。

 ティファニアは珊瑚の間になにかを見付けたらしく、手を伸ばしてそれを捕まえた。ティファニアが捕まえたのは、極彩色の殻を持つ大きな海老である。

「今日の昼御飯だよ」

 才人も負けじと、珊瑚の間をなにか美味しそうな物はないかと探し始めた。青い殻を持つ大きな巻き貝を見付けて、手を伸ばす。

 

 

 

 ティファニアは、そんな才人をジッと見詰め、次いで俺と顔を見合わせて微笑んだ。

 蒼く澄んだ水の中で、このようにノンビリと3人で過ごすことができる時間が、何だかとても“愛”おしく感じられたのであろう。

 ティファニアは、(ずっとこのままだったら良いのに。“聖戦”も、“ハルケギニア”も……全部忘れて、ここでサイトとセイヴァーさんと3人で、一緒に過ごせたら……)と想った。が、思わずそんなことを考えてしまった自分を恥じた。

 その時、手を珊瑚の奥に突っ込んでいた才人が、ジタバタと慌て始めた。

 ティファニアは咄嗟に泳ぎ寄った。

「大丈夫!?」

 ティファニアが肩に手を掛けた瞬間、才人は勢い良く後ろに転んだ。

 ティファニアも一緒に成って水の中で一回転してしまう。

 見ると、才人は指先を、大きな蟹に挟まれていたのである。

 ティファニアは想わず笑った。

 才人も笑う。

 そして同時に、寄り添う形でいるために、顔が近いことに気付く。

 ティファニアの頬が見る見るうちに染まって行く。そして、思わず顔を伏せた。このまえの晩はあのような大胆なことができはしたが、いざ明るい場所にいると、どうにもならなくなってしまうのである。

 才人も同じらしい。頬を染め、困ったといった顔で鼻何かを掻いている。

 そんな顔を見ていたら、ティファニアは、(勇気を貰ったからもう大丈夫なんて言い訳だわ)と想った。彼女の中で膨れ上がった気持ちはそんなモノでは収まりが着かなくなってしまっていた。ティファニアは、(勇気じゃなく、ギュッて抱き締めて、好きだって耳元で囁いて欲しい。キスして欲しい)と自分の中のそんな本能のような気持ちに気付き、泣きそうになってしまった。

 そうしてティファニアが悲しそうな表情を浮かべたために、才人は(俺の所為……なのか?)と慌てた。

 あの晩のキス以来、才人は努めて友達としての態度を取って来たといえるであろう。

 才人は、(だって、多分テファには、こういう状況で頭がテンパってるから、俺なんかが好く見えちゃう訳で……兎に角、俺はルイズを悲しませるようなとは2度としない、と誓いを立てた身だ。どんなにテファが魅力的でも、グラッと来る訳には行いかない)と想った。そして、なにかを言って誤魔化そうにも、水の中なので言葉が伝え難い。身振り手振りで意志を疎通し合うにも当然限界はある。

 そして、念話という方法を互いに忘れてしまい、その結果、見詰め合ってしまう。

 ティファニアは、まさに完璧な美少女だといえるであろう。少し垂れ気味の青い瞳を見ていると、保護欲が刺激されて守ってやりたくなるのである。

 ティファニアのその瞳が、悲しみに彩られているのだから、その想いは才人の中で更に募って行くのである。

 才人は誤魔化すように、そして精一杯の気持ちを込めて、ティファニアの頭を撫でた。

 するとティファニアは、意を決したように目を瞑ると、唇をツイッと突き出したのである。

 磁石のように、才人の唇は、ティファニアのそれに吸い込まれそうになる。だが、堪えてみせた。

 するとティファニアは目を開き、想わず取った自身の行為に気付いたのであろう。更に頬を染めるのである。その様子から、気付いたらそんな行動を取ってしまったのであろうということが判る。

 そんなティファニアが更にいじらしく想え、可愛らしく感じられて、才人は増々胸が締め付けられるような感覚を覚えた。一種の拷問であるとさえ、想えてしまうほどに。

 そんな2人を俺は、少し離れた場所から、見守る。声を掛けずに。そして、どうしても“愛”としいと感じてしまう。

(……青春、だな)

 そんなどうにもならない時間に終わりを告げたのは、頭に響くデルフリンガーの声である。

「相棒、なんか来たぜ」

 キョロキョロとあたりを見回して、才人はギョッとした。向こうから、大きな魚影の群れがこちらにやって来るのが見えたのである。

 ティファニアが、ビクッ!? と震えて才人を見詰める。

 だがその頃には、魚影の群れは才人達の頭の上まで到達していた。

 その魚のシルエットを見た瞬間、才人の背中に旋律が奔る。

「鮫だ!」

 それは紛れも無い、“地球”で見る鮫のような形をした魚であった。

 だが、頭の上には大きな突起物が出ている。まるで金槌のような形をしたその突起を振りながら現れた鮫状の魚は数十匹。

 俺は、ソッと才人とティファニアの元へと近付く。

 ティファニアは、なにあれ? と頭上を泳ぎ回る鮫を指した。海のない“アルビオン”で育ったために、鮫を知らないのは当然であろう。

 説明をしている暇がない、と才人はティファニアの頭を掴んで伏せさせる。

 その時になって、口から覗く鮫の牙に気付き、ティファニアは怯えた顔になった。才人に、ヒシと寄り添う。

 先程までの熱い空気など、どこかに消し飛んでしまった。

 俺達の頭上で、鮫達はクルクルと回転し始めた。

 あれだけの鮫が、こちらを餌だと認識してしまえば……俺は兎も角、ティファニアは勿論、水中ではいかに“ガンダールヴ”や“シールダー”の力を持とうとも生身である才人には敵わないであろうことは明白である。

「あの魚、怖いの?」

 身振り手振りで、ティファニアが尋ねる。

 才人は首肯いた。

「とても怖い」

 そのうちに、1匹の鮫が、海底にいる俺達に気付いた。どうやら頭の突起から音波かなにかを出して、意思疎通を行っているらしい。

 一斉に鮫がこちらを向いた。

 才人はティファニアを背中に隠すようにして前に出て、背中に吊ったデルフリンガーを抜いた。あれだけの数の鮫を相手にできるとは考え難いが、それでもやるしかにあ、と覚悟を決めた様子である。

 先手必勝とばかりに才人が斬り掛かろうとしたその時、横から2匹のイルカが素早く飛び掛かり、1匹の鮫に体当たりをした。

 まるで魚雷のようなタックルであり、その一撃で鮫は昏倒してしまったらしく、フラフラと円を描きながら海底に落ちて来る。

 イルカ達は次々と、鮫に体当たりを噛ました。

「イルカ強いな」

 才人、は、平和そうな顔をしたイルカの想いもよらぬ強さに驚いた。

 鮫は散り散りになって逃げて行く。

「おまえ等やるなあ!」

 デルフリンガーが、そんな才人に解説をした。

「イルカは鮫なんかより全然強いのよ。なんせ身体が柔らかいからね」

 そうだったのか、と才人は恩人たるイルカを抱き締めるべく浮上した。

 しかし、感動の抱擁はならなかった。

 2匹のイルカはなにかの接近に気付いたらしく、いきなり鮫が現れた方角へと首を向けた。そして、ダッシュで逃げ出したのである。

「なんだ?」

 そちらの方を見て、才人は、ギョッ!? とした。

 なんと、蛇のように身体をのたくらせた大きな生き物がこちらへとやって来たのである。

「鮫はあれから逃げようとしてたみたいだね」

 と、恍けた声でデルフリンガーは言った。

「なんだありゃ!?」

「“海竜”だよ」

「海母の仲間?」

「いんや。獰猛で気が荒くて、知能なんか持ち合わせちゃいねえ。でもこ、この辺りの海の中じゃ最強だろうなあ」

 現れた“海竜”は全長10“メイル”ほどの大きさをしている。鰐のような胴体に、鰭に成った四肢が付いている。細長い口吻の間には、鋭い牙が並んでいる。

 その“海竜”はジロリとこちらを見た。

「餌じゃない! 餌じゃないから!」

 才人はそう叫びはしたが、説得もなにも言葉すらも通じない。

 “海竜”はユックリと近付いて来た。

 ティファニアが才人の前に出ようとした。

「テファ、なにしてんの!?」

 才人がその肩引っ張ると、「私が囮になるから逃げて」などとティファニアは言った。

「良いから後ろに隠れてろ」

 するとティファニアは、顔を真赤にしてキャミソールに手を掛けた。

 2人共そこまで身振り手振りであるために、なんだかコントか漫才のように見える。だが、状況の方は2人からすると漫才とはほど遠い。こんなところで足止め喰らっておまけに暇潰しで海に潜っていてそれで喰われてしまうかもしれない、のだから。

「まあ、待て。囮はもちろん俺が行く」

 俺がスッと前に出ようとするが、それよりも速く才人はデルフリンガーを引き抜いて“海竜”と対峙した。

 アリィーが飼っていた“水竜”が“竜”のような姿をしているのと比べると、こちらの“海竜”はより海に適応した姿である。完全に鰭になった四肢、そして、流線型の身体付き、陸上に上がることはできないであろうが、水の中での機動力は“水竜”以上であろうことは簡単に理解る。

 詰まり、“ガンダールヴ”である才人が持つ第2の武器である機動力が水中であるために封じられており、相手の方はというとそれを存分に使えるということである。

 “海竜”は威嚇もせずに、大口を開けてこちらへと突っ込んで来る。大きな口の中には、鋭い牙がいくつも並んでいるのが見える。

 才人はティファニアを押さえ付けるようにして身を伏せ、“海竜”の牙を躱した。

 俺は、海水を蹴り、泳ぐようにして回避する。

 “海竜”はクルリと反転すると、再び突っ込んで来る。

 才人はデルフリンガーを構えた。

「この水ん中じゃ、振っても斬れねえ。突くしかないね」

 と、デルフリンガーが言った。

「理解ってる。セイヴァー、テファを頼む」

 才人はギリギリまで“海竜”を引き付けると、上に向かって跳んだ。身体を回転させて、“海竜”の目と目の間に、デルフリンガーを突き立てる。

 無理な体勢と身体を縛り付ける鎖のような水の抵抗のおかげで、突きには威力がない。結果、硬い鱗を貫くことができず、刃は滑った。

 “海竜”は其の場で身を捻らせると、尻尾を思い切り振った。

 才人は、その尻尾に強かに身体を打ち付けられてしまう。

「ぐばっ!?」

 海水と混じり、くぐもった声が喉から漏れる。

 “海竜”はグルグルと才人の周りを回り始めた。

「こりゃ、相当に分が悪いやね」

「陸上なら、あんな奴……」

「残念! ここは水中だかんね」

 その時、才人の足が引っ張られた。

 下を見ると、ティファニアが、超が付くほどに真剣な顔で才人を見ている。

「テファ?」

 ティファニアはおもむろにキャミソールに指を入れると、ツイッと引き伸ばした。

 才人からすると上から覗き込む形で、左右、例の危険な果実が露になる。

 才人の鼻の奥に、ツン、と鉄の臭いが広がる。

 ティファニアは顔を真赤にしながら、それでもどこまでも真剣な表情で、「私の全部、上げる」と言い放ってみせた。

 身振り手振り、そして口の動きでそれ等の単語が、才人の脳裏にキッカリと刻み込まれる。そして、才人の中で、(上げる……だと? 良いのか? 良い訳ねえ。でも、生きてて良かった。心底そう想う。あんなに妖精みたいな。美の化身みたいな。誰より胸の大きな。細身の身体にそれだから、強調されてもうどう仕様ないような。それでいて気立てが良くって。優しい、夢のような存在の女の子。客観的に見たら、恐らく“地球”と“ハルケギニア”を足しても最高の女の子が。俺を好きだと言っている。おまけに全部上げるとか言っている。もちろん貰う訳にはいかねえ。ル、ルイズがいるから。いるから。いるから? いるから、しょうがない! でも、でも……兎に角、俺は宇宙一の幸せ者だ。あんな海生爬虫類に良いようにやられてる場合じゃない)となにかが沸騰した。

「死んで溜まるか」

 そう口の中で、才人は呟く。

 “海竜”は大口を開けて、再び突っ込んで来る。

 興奮と冷静さが入り混じる中、才人は海流の動きを見定め、見極めてみせた。タイミングを見計らい、噛み付かれる寸前に身を沈め、デルフリンガーを突き上げた。

 “海竜”の勢いが、突きの威力を数倍にする。

 デルフリンガーの鋭い切っ先は、“海竜”の下顎を深々と貫いた。

「遣った!」

 だが、喜びも束の間である。

「抜けねえ!」

 かなり深く突いたのであろう。抜けなくなってしまったようである。

 “海竜”は痛みで暴れた。

 デルフリンガーを握った才人は一緒になって揉み苦茶になってしまう。

 次に“海竜”は、デルフリンガーが突き刺さった儘、激しい勢いで泳ぎ始めた。

「おい! こいつ! どこに行く気だよ!?」

「相棒。御願いが」

「なんだよ!?」

「手を離さないでくれよ。こいつに刺さったまま、残りの生涯を過ごすなんて嫌過ぎる」

 今ここでデルフリンガーを“海竜”に刺し放しにしてしまえば……この広い海の中で再び出逢うことは、先ず叶わないであろう。

「理解ってるよ!」

 “海竜”はもがきながら、元来た道へと向かい始めた。

 才人は、デルフリンガーを握る手に力を込めた。強く握っていないと引き離されてしまいそうになるのである。

 10分ほど、才人とデルフリンガーは“海竜”と一緒に海中を進んだ。その間、才人はなんとかデルフリンガーを抜こうとはしたのだが、硬い鱗がギュッと窄まっているのであろう刀身を挟み込まれ、どうにも抜けないでいた。また、力を込めようにも、“海竜”は泳いでいるために、水の抵抗に阻まれてしまい、踏ん張ることすらも難しい状況である。

「いやぁ、参った。こいつめ、一体、どこまで行く気だね?」

「俺が知るか! と言うかなんで抜けないんだよ!? これ!」

「相棒が深く刺すから……」

「おまえもちょっと加減しろよ」

「ありゃあ、動けねえのよ。知ってるだろ?」

 珊瑚が疎らになり、砂地になって来た。陽光が射し込み、砂地は青白く輝いている。そのうちに、砂地の向こうに岩山が見えて来た。

「あの岩に向かっているみてえだね」

「こいつの巣なんかな」

 “海竜”は真っ直ぐに岩山へと向かう。

 岩山にはビッシリと巨大な藤壺や海綿や、見たことのない生き物が生え、周りを大小の綺羅びやかな魚が舞っている。砂山の中、そこだけ生物のマンションのようになっているのである。

 “海竜”の泳ぎがユックリになったので、才人は足を掛けて踏ん張り、やっとのことでデルフリンガーを引き抜くことができた。

 “海竜”はチラッと才人の方を見詰めた。が、そのまま目を逸らして、岩山の向こうへと泳ぎ去って行った。

 才人は、溜息を吐いて、デルフリンガーを鞘に収めた。

 ホッとしたのも束の間であり、才人は、自身が随分と遠くまで来てしまったということに気付いた。ここまで泳いで戻ることを想像するとゲンナリとしてしまうほどの距離である。

 才人は、少し休もう、と想い、岩場に腰掛けた。

 すると、その瞬間に、左手甲の“ルーン”が光り始めた。

「あれ? なんで光るんだ?」

「俺は鞘に入ってますよ!」

「知ってるよ。いや、この岩に手を突いたら……」

 才人は、その時に気付いた。今迄、岩山だと想っていたモノが、実に奇妙な形をしているということに。

 自然物にしてはありえないほどに、形が良く、きちんとした円筒形をしている。そして、塔のようなモノが真ん中から生えている。

「これ……人工物だ」

 ビッシリと海綿やら藤壺やら海藻やらで覆われているために、それとは気付かなかったのだが、こんなラインを描く岩山などそうそうあるはずもないのである。

 才人の胸が、急速に鼓動を速めて行く。そして、自身の左手甲の“ルーン”が光るということから……これが“武器”であるということに思い至る。また、この形と大きさからいうと、“ハルケギニア”のモノではないことは明白であった。

 才人は、(これは。これは……)、と自身が座っているモノの正体を見極めようと目を凝らす。

 全長は100“メイル”ほどである。葉巻のような円筒形。そして、突き出たビルのようなモノ……。

「“潜水艦”だ」

 “地球”の“武器”。

 ブリミルからのプレゼント。

 “ガンダールヴ”の長い“槍”。

「ブリミルさん。“槍”にしちゃ、デカ過ぎだぜ……」

 その時、チョンチョンと才人の背中が突かれる。振り向くと、イルカの姿が見えた。

 その円な瞳が申し訳無さそうに窄まっている。

「お、追い掛けて来てくれたのか」

 その背にはティファニアも跨っており、イルカの後ろには俺もいる。

 ティファニアは、ガバッとイルカから飛び降りると、泣きそうな顔で、「大丈夫だった?」と尋ねた。

 才人はコクリと首肯いた切り、ジッと潜水艦の残骸を見詰めた。 

 海の底にヒッソリと佇む“潜水艦”は、主人の到着をジッと待ち続ける、巨大な番犬のようにも見えた。



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最後の槍と評議会(カウンシル)

 才人は、ルクシャナとティファニアと俺と一緒に、沈んだ“潜水艦”を探索することにした。

 藤壺や海藻の生えっ振りからして、10年以上前からここにあるとルクシャナと俺は結論付けた。

 “潜水艦”の全長は120“メイル”ほど。葉巻型の船体に、昔のドロップの缶を少し細くしたような艦橋が乗っている。

 才人は、なんとかこれが自分の世界のモノであるということを説明しようとしたのだが、水中なので埒が明かない。当然、身振り手振りでは限界がある。

 すると、ルクシャナは苛立たしげに“呪文”を唱えた。

「“水中話術”よ。これで水中でも言葉が通じるわ」

 感度の悪いスピーカーのような声であったが、身振り手振りよりは数段とマシであるといえるだろう。

「そんなのあるなら最初から使えよ」

「はぁ? 必要ないのに、“呪文”を使うあんて、冒涜だわ」

 才人は、取り敢えず艦橋の上部に付いた貝を剥がし始めた。中に入ってみたくなったようである。

「これ、サイトとセイヴァーさんの世界の物なの?」

 ティファニアが尋ねた。

「そうだよ」

「凄いね。これ、船なの?」

「船と言うか……海に潜るための船だな」

「鉄でできてるんだよね、これ。鉄でできた船が浮かんだ。サイト達の世界って、こんな凄いの造っちゃうの?」

 すると側で熱心に船体を観察していたルクシャナが、したり顔で言った。

「ふん。鉄でできてたって、中が空洞だったら浮かぶでしょ。無知ね。こんなの全然凄くないわ。こんなんで私達“エルフ”をどうにかしようだなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ」

 その態度が癪に障ったのであろう、才人は言い返した。

「あのな、この船は浮かぶだけじゃないんだぞ。水の中を疾走ることができるんだ。なあ? セイヴァー」

「ああ、そうだな。他にも色々な機能があるが、先ずはそれだな」

「え?」

 ルクシャナの目が丸くなった。

「あのなー、“エルフ”さんよ。エルエルさんよ、あんた達ヒトを“蛮人蛮人”言って馬鹿にしてますけどね、こんなおっきな“潜水艦”、造れますか?」

「才人、そこで挑発しない」

「潜る必要なんかないじゃない!」

 ルクシャナは悔しそうに言い返す。

「どうして海の中に潜るの?」

 ティファニアが尋ねたので、才人は知っている知識を漁り、俺に確認をしながら言った。

「敵に見付からないようにするため」

「敵?」

「戦争に使う船なんだよ。だから俺の“ルーン”が光るんだ」

「海に潜ってまで戦争するんだ」

「俺の世界は、そう言う世界なんだよ」

 そこで才人は、少し可怪しなことに気付いた。これほどまでに錆々であるというのにも関わらず、ボロボロの船体が活きている訳がない、ということに。詰まり、この“潜水艦”はもう“武器”としては役に立たないはずなのである。で、あるにも関わらず、才人の左手甲の“ルーン”が反応を示したのである。

「なんで“ルーン”が光ったんだ?」

 するとデルフリンガーが、才人に告げた。

「さっきセイヴァーが言った通り、潜ったり疾走ったりする以外にもあるんだろ? こいつの中に入ってみれば判るよ。どうやらこの船自体は死んじまってるみたいだが、中にあるモノがまだ生きてるみてえだね」

「中にあるモノってなに?」

 ティファニアが尋ねた。

「さあね。おりゃあ、そこまでは判らん。でも、なんか途轍もねえモノということは理解る。流石の俺も震えるくらいにね」

 

 

 

 ほぼは粗方剥がし終えはしたが、ハッチは錆び付いており、艦橋に張り付いていた。

 ルクシャナが“魔法”を唱えると、錆がペリペリと剥がれて行く。

「“水”を震わせて、細かい振動を加えてるの」

 そのうちに、ボゴッ! とハッチの蓋が外れて下に沈む。どうやら錆び切ってボロボロになっていたようである。

 ポッカリと開いた潜水艦の穴は、冥界への入り口のようにも見える。中から、どうにも禍々しい雰囲気が漂って来るのである。

「入るの?」

 心配そうな顔でティファニアが尋ねて来る。

 才人は首肯いた。

 ルクシャナの“魔法”の明かりを頼りに、俺達は“潜水艦”の中に入って行った。

 染み出して来た海水で、中も同様に錆びて廃墟のようになっている。

 明かりの中に浮かび上がる、いくつも並んだ計器やハンドルや止水弁やパイプを見乍らティファニアが唐突に尋ねた。

「この船も、サイトの持ってる、ひこうき、とおんなじ理屈で動いているの?」

「どーなんだろ?」

 才人は少ない知識を漁って答えようとしたが、判らない様子である。

「違うね。こいつは油なんかで動いちゃいないね」

 デルフリンガーが才人と俺の代わりに答えた。

「お、流石伝説。引っ付いてりゃ、大概のことは判るんだっけ?」

「こいつはあれだね。物質を構成する小さい粒が、小さい粒に打つかって起こるエネルギーで動いてるのさ」

「ほう。良く理解ったな」

 才人はデルフリンガーのその台詞でとある単語を想い出した。

 たまにニュースや新聞やネットで見掛ける文字で在る。

 “原潜”。

「“原子力”!」

「え? それなに?」

 才人は、(えっと、“原子力潜水艦”は確か“原子炉”で動いてるんだっけ? でも、その“原子炉”がこんな風にボロボロになってるってことは……)と想い、“放射能漏れ”という単語が脳裏に浮かんだ。

 “被爆”。

 “チェルノブイリ”。

 そういった恐ろしい単語が、才人の頭の中で瞬時に並んだ。

 才人は慌てて叫んだ。

「テファ! ルクシャナ! セイヴァー! 出ろ! ここにいたらヤバイ!」

「え? なに? どうしたの?」

「えっとな! 簡単に言うと、毒が一杯なんだよこの辺は!」

 ティファニアとルクシャナは、才人の必死さにキョトンとしていた。当然であろう。毒が一杯だ、と言われても、そういった知識がないのだから。

 才人は2人の手を握ってその場から飛び出そうとする。

 が、勢い余って才人は、計器に頭を打つけてしまう。

「いでッ!? でも“放射能”を浴びたら! こんなもんじゃなくって!」

「でーじょぶだよ。相棒」

 そんな才人に、デルフリンガーがとりなすように言った。

「なにが大丈夫なんだよ? おまえ、放射能の怖さをなんも知らん癖に!」

「いや、おりゃあ確かにそのホウシャノーとやらは理解らんけど、大丈夫だってのは判る。確かにこの船はその力で動くんだけどよ、その燃料を供給する棒っ切れがないみたいだね。だから、セイヴァーは落ち着いている。そうだろ?」

「そうだ」

「じゃあ取り敢えずは“被爆”はしないってことか」

「多分そういうこと」

「まあ、そうなるな」

「でも流石のおまえも震えるくらい、セイヴァーも認めるくらいの危険性を誇るんだろ? ここにあるもんは」

「まあね」

 “潜水艦”の内部は、幾つもの隔壁で仕切られている。

 俺達はそれを潜り、奥へと進む。

 途中で見付けたプレートに書かれた文字を見て、才人は気付く。

 それは、“ロシア”の“キリル文字”であった。

「これも“ロシア”製か」

 そして……奥へと進むに連れ、壁に触れるたびに、才人の左手甲の“ルーン”の輝きが強くなって来る。同時に、才人の胸騒ぎもまた強くなって来る。

 奥へと辿り着くと、驚いた事に其処には未だ空気が残って居た。どう遣ら、後部が持ち上がる様な格好で沈んで居る為、其処に空気が溜まったらしい。

 そこにもやはり、隔壁があった。錆びてはいるが、ルクシャナの“魔法”で振動を加えることでハンドルが回った。ボロボロと錆を落としながら、隔壁の扉を開けると、そこはいくつもの計器やスイッチやハンドルやらが並んだ、発令室のような場所であった。駅の喫茶店で見るような円形の小さな椅子や、4つばかりコンソールの前に並んでいる。

 電源が落ち、長年海の底にあっても、冷えた空気に閉じ込められ、そこは一種の静謐さを保っている。

 才人の左手甲の“ルーン”の輝きが増し、もどかしそうに点滅する。

 ここにあるモノの大きさに、想わず才人は震えた。とある予感が膨れ上がったのである。

 才人は、(ここにあるのは……もしかして……)、と錆と水滴に塗れたコンソールに触れる。同時に、このコンソールの奥にある、いくつか並んだ長方形の隔壁に収められたものの、扱い方、そして威力が伝わった。

 その威力に、才人は震えた。“ゼロ戦”や“タイガー戦車”などとは一緒にできない。できるはずもない。この奥にある、円筒形の“槍”は、そんなモノとは次元の違う威力を秘めているのである。

 この地での“魔法”が玩具に見えるほどである。

 青い顔で立ち竦む才人を見て、ティファニアとルクシャナが心配そうに声を掛ける。

「ねえサイト。どうしたの? 大丈夫?」

「どうしたってのよ? 一体」

 こういった“原子力潜水艦”に載まれる兵器の名前を、才人は想い出した。

 東西冷戦の遺物。

 人類が創り出した最強の“槍”。

 爆発すれば街1つ、まさに消滅させることが可能な、破壊力の塊。

「ブリミルさんよ。こんなモノで一体俺になにをしろって言うんだ?」

 ブリミルが遺した“魔法”でやって来た最後の“槍”の名前を、才人は呟いた。

「“核兵器”だよ。これ」

 

 

 

 

 

 探索を終え、洞窟に帰って来ると……才人は膝を抱えて隅に蹲ってしまった。見付けたモノの大きさとその可能性に、悩んでしまったのである。才人は、(……もし、あれを交渉の道具に使ったら?)とそんな考えで一杯になってしまうのであった。

 また才人は、(頑なな“エルフ”達の態度、そして、“両用艦隊”を吹き飛ばした“エルフ”の“火石”……これくらいのモノを持って来なきゃ、同じ土俵には立てないんじゃないか? でも、こんなモノを“エルフ”との交渉の道具にする訳にはいかない。なにせ、こんだけ無慈悲な兵器もない。使えば最後、なにも残らない。でも、でもでも。自分達だって大変なんだ。なにせ住む所が失くなってしまうんだ。背に腹は変えられない。ここは積極的に交渉の場に持ち出して……でも。でもでもでも。“エルフ”が断ったらどうする? そん時は、撃っ放すのか? あれを……?)と考えた。頭の中で、先程流れて来た爆発までのシステムを反芻した。流石にあの中から“弾道ミサイル”を発射することはできない。ただ、いくつかの安全装置上の問題をクリアして、直接爆発させることが可能である。

 左手甲の“ルーン”が、その方法を才人に教える。

 なんらかの方法で、サイロに詰められた“弾道弾”を運んで直接起爆させる……。

 そこまで考え、才人はハッとして掌を見詰めた。(やばい。なに考えてるんだ? 俺。そんなことをしたらあのジョゼフと同じになっちまう。どうすりゃ良いんだ?)と想い、盛大に溜息を吐いた。

 そんな様子を、ほっぺたに両手を当てて、体育座りで見詰めていたルクシャナが言った。

「あのへんちくりんな廃墟がそんなに凄いの?」

「凄いなんてもんじゃない。あ、いや……」

「ん? どっちなのよ?」

 そこまで言って、ルクシャナに言っても良いのかどうか、才人は迷った。あれだって立派なカードである。“エルフ”の手に渡ったら、と想ったのである。そこまで想い、才人は自分の考えを恥じた。

 ルクシャナは“エルフ”の中では珍しく、ヒトに寄り添っているとはいえ、才人とティファニアに協力してくれているのである。もちろん、目的は違うのだが。隠し事をして良い相手ではない。

「凄いよ」

「どのくらい?」

「街1つ……否、街どころじゃないな。都市1つ吹き飛ばせるくらい」

「そのくらい“エルフ”の“魔法”にだってあるわ。ただ、使わないだけで」

「理解ってないな。今までそっちだけ持ってたモノを、今度はこっちも持ってるってことだ。こっちがその気に成ったら共斃れなんだぜ?」

「それだけではない。爆心地を、不毛の地へと変貌させる。数十年から1世紀、もしくはそれ以上もの間、草木すら生えない土地へと変え、他の生命には癌を始めとした病気を患わせる」

「あら? そんな恐ろしいモノを使う気?」

 ルクシャナは、才人の目を覗き込んで言った。

「ああ」

 と、才人も言い返す。

 そのまま2人はジッと見詰め合っていたが、そのうちに才人が折れた。

「なんてね。そんなの使える訳ないだろ。ありゃ、封印だ」

 そのまま才人は、頭の後ろで手を組んで後ろに倒れ込んだ。そうして、(そうは言ったものの……“エルフ”に “聖地”を明け渡して貰う方法はないものか? やっぱり力を誇示しないと。でも、威嚇にせよあんな恐ろしいモノを使う気にはなれないし)と想い、「全く。こんな判断、俺には荷が重い過ぎる」と呟いた。そして、(ルイズだったら、どんな答えを出すだろうか? 多分、俺と同じで迷うだろうな。与えられた力を使わずに、眼の前の現実から目を逸らすのは卑怯なことだよな。多分ルイズも同じ考えだろうな。でも、いくら自分達が生き残るためだからと言って、あんなモノを利用するのは赦されるんだろうか? 下手したら、“エルフ”も自分達も吹き飛んでしまうような、“槍”を使うことは赦されるんだろうか?)と考えた。心のどこかが「赦されない」と言い、また別のどこかは「非常時だ。ためらうな」とも言う。だが、最終的には決める必要のることである。なにせあの“槍”を使用できるのは、扱うことができのは……“ガンダールヴ”である才人なのだから。

 そのことが、重く肩に伸し掛かって来て、才人は想わず呟いた。

「なんで俺なんだよ?」

 

 

 

 さて一方、ティファニアはそんな才人が心配でならなかった。

 才人が見付けた“潜水艦”に積まれたモノは、凄いモノで、どうやら“エルフ”の“魔法”にも対抗できる、もしくはそれ以上の力を発揮するような代物である。

 だが、その力が才人を苦しめているのである。

 なんとかして才人を元気付けてやりたいのだが……一体どうすれば良いのか判らなくて、ティファニアはちょっと離れた所でウロウロと行ったり来たりを繰り返していた。

 ティファニアは、ユッタリとした“エルフ”の服を持ち上げ、自身の左右の果実をチラッと見詰める。それから、(あ、これを見せて上げたら……)と考えたが、そのような考えに頬を染めた。

「駄目よ。なにを考えてるの? 私……」

 ティファニアは、(非常時には、なんかテンパってついつい見せたりしてしまったけど、きちんと冷静に考えてみれば、そういうことはしてはいけないわ。普通に考えて)と想い直した。そして、(でも、なんとかサイトに元気を出して欲しい。だって、サイトはいつも私が大変な時に救けてくれたから……どうすれば良いのかしら? こんな時に、慰めたり力付けたりして上げられるのは、やっぱり恋人だよね。ルイズがいればな)と考えた。(ルイズならきっと、サイトを上手に元気付けられる。でも、ルイズはここにはいない。遠い“ハルケギニア”で、きっと私達のことを心配してくれてる)、と想った。

「私がサイトの恋人だったらな……」

 そう呟いて、ティファニアは、(自分は、なんと大それたことを考えるのかしら?)と想い、再び頬を染めた。(あの晩……月が雲に隠れた晩。暗闇の中、そっとキスした時に、これで十分、って想ったはずじゃない。それなのに……なんだか、私が私じゃないみたい)、とティファニアは自身の胸を押さえた。そして、(前からボンヤリとした好意はあった、けど……呆気なく、人って人のこと好きになっちゃうものなのね。そう、だって……なんだか私、いっつもサイトのこと考えてる。キスしてから、ずっと、そうだ。一緒に海で泳いで過ごしたこの数日、ホントに幸せを感じてる。想ったら駄目なことも考えてしまった。ずっとこのままでいたい、なんて)と想った。

「こんな大変な時なのに」

 ティファニアは、このような自分の弱さではない弱さが嫌いであった。(皆苦労してる。自分だけ、のほほんと幸せ気分に浸っている場合じゃない。自分にできるようなことはなにかないかしら?)、と考えた。

 そして、はた、とティファニアは閃いた。

 ティファニアは、(そうだわ。“使い魔”だわ。私はまだ“使い魔”を“召喚”していない。もしかして、“使い魔”を“召喚”すれば……もっと役に立つ存在になれるんじゃないかしら? こんな状態なのに、喚んだらその人が迷惑? とも想うけど、どっちにしろ、いつかは喚ば為くてはいけないし、それに喚ぶことで今の状況を打開する手掛かりになるかもしれない。どんな人物が現れるかしれないけど、“ハルケギニア”の住民であるなら、迷惑だなんて言ってられないはず。だって、なにもしなければ自分達が滅んでしまうかもしれないんだし)と考えた。

 そう決心したら、ティファニアの行動は早かった。

 ティファニアは、そっと洞窟の隅に向かうと、授業で習った“召喚”の“呪文”を反芻した。“系統”に属さない、“コモン・マジック”の“スペル”を口にする。

 “魔法学院”の先生が、「口語の調べであるが故に、“呪文”の文語は自由度が効く。言葉そのものではなく、そう強く願う事が大事なのだ」と授業の際に言っていた。

 “魔法”の力は意志の力。

 言葉、その意志に意味付けをするモノに過ぎない、とも……。

 そして、今“使い魔”を“召喚”するもう1つの理由。

 “使い魔”は、“運命”が引き寄せる存在。だから才人とルイズは、あんなにも固い絆で結ばれているのである。御世辞にも性格が合うとは言えない2人ではあるが、御互いを掛け替えのない存在(もの)として意識をしているのである。

 ティファニアは、(私にも、そんな存在がいたら。そしたら、サイトへのこんな気落ちも消えるんじゃないかしら? 透明な泡になって、この海の中に吸い込まれてくれるんじゃないかしら……?)と想い、深呼吸をして“杖”を掲げる。

「我が名はティファニア・ウエストウッド。“5つの力を司るペンタゴン”……」

 “呪文”を唱えようとしたが、そこでティファニアは、(之って、逃げることなんじゃないの? 自分の気持ちから……こんな気持で“召喚”される“使い魔”も可哀想だし、良い信頼関係を築けるとも想えないわ。そんんなんじゃ、誰かの役に立つなんてこと、できそうにない)と想い直し、ボンヤリと膝を抱えた。そうしていても、当然悩みことが解決する訳もない。

 気付いたら、ティファニアは右手に挿した指輪を見詰めていた。母親から貰った指輪である。以前、そこには光る“精霊石”が嵌まっていたのだが、今は失くなり銀の台座だけになってしまっている。“アルビオン”で才人の傷を癒やすために、その“精霊石”を使ったためである。

 母の形見ということもあり、ティファニアは台座だけでも指に挿しているのである。台座は細かい網目模様が幾重にも織り込まれた独特の形をしている。恐らくは“エルフ”が築き上げた文明や文化のデザインであろう。

 指輪を見詰めていることで、ティファニアが決まって想い出すのは、母の顔であった。幼い頃に、自身を庇って、騎士の“魔法”に撃たれ斃れた母……。

 “ハーフエルフ”であったティファニアには、遊び相手もおらず、家から出ることも禁じられていた。だからいつも母が遊び相手であった。そんな母は、よく故郷である“砂漠”の話を、ティファニアにしていたのである。オアシスや大きな都市……このようなかたちで訪れることになるとは想わなかった母の故郷。

 “エルフ”は、ティファニアの母のように優しい人達ばかりではなかった。そのことを想うと、ティファニアは心が痛むかのように想えた。(“エルフ”の世界にも私の居場所はない。ヒトの世界には、私の居場所はあるのかしら? 仲間はいる。でも、でも……初めて好きになった人の側には、私の居場所はないわ。そこは、もう他の娘がいるから。固い絆で結ばれた、女の子がいるから。ヒトの世界にいても、辛い気持ちになっちゃう)、と考えた。

「私の居場所……」

 ティファニアは、(もしかしたら、母の一族なら……優しい人達かもしれない。そここそが、本当の私の居場所なんじゃないかしら? 母の一族の“エルフ”に逢いたい)と想った。

 

 

 

「放って置いて良いの?」

 少し離れた場所で、才人とティファニアの様子を見ながらルクシャナは俺に問うた。

「なに、口出す必要などないよ。2人は、自ずから解決への道を歩く」

「ふーん……信じてるの?」

「もちろんだとも。それに、なにより……俺がいなくとも、なんとかなる。やれる奴等だ。俺がいることでなにか影響を受けているかもしれんがな……まあ、そもそもの話、俺は傍観者であり、諦観者だ。脇役だ。主役はあいつ等なんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “エルフ”の国“ネフテス”の首都“アディール”。

 “評議会本部(カスバ)”の最上階にある、“評議会(カウンシル)議会室”。

 鏡合わせのように、左右の議員席が階段状に並んでいる。議会室の上座には、演台が設えられており、議長の“エルフ”が困ったような顔で左右の議員席を見詰めていた。

 向かって右の議員席に座った“エルフ”が、大声で糾弾の言葉を吐き出した。

「さて、ビダーシャル殿。このたびの失態について、どう弁明されるのだ?」

 勝ち誇った顔でそう言ったのは、評議会員の1人で在るエスマイールである。

 ビダーシャルより幾分若い彼は、短い前髪の下の吊り上がった目をギラギラと輝かせながら、政敵の失態を殊更に強調した。

「“悪魔”共を逃がしたのは、貴男の姪と言う話ではないか」

「あの“蛮人”齧れの!」

 直ぐ様、同調するような野次が飛ぶ。

 左側の議員席の真ん中ほどに腰掛けたビダーシャルは微動だにしない。表情もいつもと変わらぬ涼しいモノである。

「さて平和と秩序を重んじる議員の皆さん。これは由々しき事態ですぞ! “悪魔”の管理責任は、ビダーシャル殿、彼にある。その上、逃したのはその姪とあっては、我々は陰謀を疑わざるをえない」

 我々、という単語に力を込めるエスマイールは言った。

 するとビダーシャルは顔を上げ、言い放つ。

「我々と言うのは、具体的に誰を指すのだ?」

 エスマイールは一瞬言葉に詰まったが、辺りを見回した後に冷笑を繕う。

「ここにおられる議員の方々だ」

「だから、その、方々、と言うのは誰と誰なのだと問うている」

 エスマイールは、助けを請うような顔で、50人ほどの議員が並んだ議会室を見回した。

 先程野次を飛ばした1人が、そうだそうだとばかりに首肯いた。

 他に数人ほど、エスマイールを長とする党の党員達が手を挙げる。

 例の連中だ、とビダーシャルは頭が痛くなった。

 停滞と大敗に陥った祖国に現れた、狂信者の集団。自分達が正しいと想い込み、その他の全ての価値や思想を認めない、自我の化物……。

 “鉄血団結党”、その名が頭を過り、ビダーシャルは心の中で唾を吐く。

 だが、他にエスマイールに助け舟を出す者はいなかった。

「エスマイール殿。どうやら貴男と、その御友達だけのようだが」

 そう皮肉たっぷりでは言ったが、皆別に自身の味方をしている訳ではないということをビダーシャルは理解していた。

 ここに並んだ議員達のほとんどは、自分の任期が無事に終わることしか考えていない。その間、波風を立てないようにしたいだけであるのだ。部族の代表としてここに座っている議員達は、なにか失点があれば、すなわちそれが部族の不利益となるためである。従って、自分の行動でなにか責任を取るらされることを最も嫌うのである。

 これが数千年に及ぶ歴史を誇る、“評議会(カウンシル)”、の現実である。

 ビダーシャルは、(ヒトのことを、“蛮人”と嘲笑えないな)と想った。

 誰もが、誰かに決めて貰いたがっている、のである。

 ビダーシャルは、姪の顔を想い出した。それから、(昔の自分に良く似ているな)と独り言ちる。

 ルクシャナがヒトに興味を持つのは、なにかの変革を求めているからであるといえるであろう。

 発展もなく、驚きもない。

 ただ同じように続けば良いと考えているほとんどの“エルフ”達が、心のどこかで赦せないためである。

 ビダーシャルは、毅然とした態度で言い放った。

「とは言っても、まあ、確かにエスマイール殿の言う通りだ。“悪魔”の管理責任は“対蛮人対策委員”長である私にあるし、姪であるルクシャナの監督責任も私にある。その上、彼女を教育したのは私だ。罪を問うならば私のみに御願いしたい」

 エスマイールは、弱った獲物を見るような、意地の悪い笑みを浮かべた。

「そういう訳には参らぬ、どう考えてもこれは重大な“民族(エルフ)反逆罪”だ」

「それを決めるのは、司法局の仕事ではないのかな?」

「いやいやいやいや。貴男の姪御の逃げた先は御存知だろう? これはどう見ても、単なる“民族反逆罪”では収まらない。世が世なら……我々がまだ秩序を知らぬ時代なら、一族郎党全てが首を刎ねられていたところだぞ?」

 エスマイールのその言葉で、議員達からザワメキが漏れた。

「まさか……それは真だと言うのか?」

「いかにも議員諸君。ほら、このように水軍からの報告が届いておる」

 エスマイールは、傍らの鞄から書類を取り出した。

 隣の議員がそれを読み、目を丸く見開いた。

「なんと! “悪魔”を連れて! “竜の巣”に!」

 議会室は騒然となった。

「直ちに軍を派遣して……」

「いやはや! しかし“悪魔”を殺せば、再び復活するというではないか!」

「だが、“竜の巣”に“悪魔”を置いたままにしたらどうなるか判らぬ!」

 議会の面々の目は、それでも涼しい顔のビダーシャルに注がれた。

「これで彼の姪が犯した罪が、尋常なモノではないことが御理解頂けたかな?」

 エスマイールは、勝ち誇った顔でビダーシャルを見詰めた。

「さて、これほどのこととなると、この件が単なる頭の可怪しい少女の暴走とも考え難いのだ。ビダーシャル殿は全てを知った上で、彼女の手引きをしたのではないのかな?」

「聞き過ごせませんな。どういうことですかな?」

 アジャールが、主人の言葉を促す。

「詰まり、ビダーシャル殿は“蛮人”共と手を組み、この“サハラ(エルフ世界)”を我が物にしようとしているということだ」

「そう言えば彼は、“蛮人”の王の臣下となったこともありましたな!」

 溜息が議員達から漏れた。

 ビダーシャルは1人、話にならぬ、と首を横に振る。

「兎に角彼の一族は危険だ! 私はここに、斯の一族の追放を提案する!」

「異議なし!」

 アジャールが叫んだ。

 党員達も、当然同調する。

 残りの議員達は、どうしたものかと顔を見合わせた。腑抜けた顔ばかりが並んでいる。

 変革を嫌った者達の末路だ、とビダーシャルは想った。

 そういう意味ではまだしも口から唾を飛ばして喚いているエスマイールの方がマシであるといえるだろうか。彼は恐ろしい思想に凝り固まってしまったいわゆる狂信者ではあるが、自身で判断し、行動しているのである。だが、その思想には全く賛同などできるはずもないのだが。

 倦怠がビダーシャルを包む。

「では、私とその一族が職を辞せば、貴男は満足されるのか?」

 呆気なくビダーシャルが白旗を上げたために、エスマイールは面喰らった顔になってしまった。

「わ、私が満足すれば良いと言うモノではない。ここにおられる議員達が……」

 その時、1人の老“エルフ”が議会室に現れた。

 それまでジッと黙っていた議員達が、「遅刻ですぞ」と苦々しい声で言い放つ。

 老“エルフ”はペロッと舌を出すと、頭を掻いてみせた。

 ビダーシャルを除いた一同は、当然驚いた様子を見せる。

「“蛮人”の仕草ではありませんか」

 老“エルフ”は、悪怯れた様子も見せずに、言い放つ。

「ビダーシャル殿の姪御に教わったのじゃ。あの娘は実に“蛮人”共の作法や慣習を知っておる」

 さてと、と老“エルフ”は辺りを見回した。

「議員諸君。やりとりは見ていた。だが、儂としては、議会の諸君がビダーシャル殿の罷免決議をしようが、このたびの拒否権を発動させて貰う」

「横暴ですぞ!」

 エスマイールが叫んだ。

「これは法に基づいた統領権限じゃ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、現“ネフテス”統領テュリュークは言い放った。

「さて、聡明なる議員諸君。ビダーシャル殿を罷免すると騒いでおるが、“蛮人”世界に彼より通じている議員の方はおられるのかな?」

 一同は、ぐ、と黙ってしまった。

「彼は、“悪魔”と一戦を交えたり、“蛮人”の王にも仕えたことがあるほどの“蛮人”通じゃ。敵を知らねば戦には勝てぬ。彼より“蛮人”の扱いに長けた方がおられるのならら、今直ぐ名乗り出て欲しい」

 その言葉で、エスマイールを始め、議員達は黙ってしまった。

 ビダーシャルは、気不味そうな顔で見詰める。

 そんなビダーシャルに向けて、テュリュークは言葉を続けた。

「そう言う訳じゃ。ビダーシャル殿。まだまだ君には苦労して貰わんといかん」

 エスマイールは黙っていたが、ユックリと立ち上がる。

「良いでしょう。ですが、“竜の巣”の管轄は水軍にあります」

「君と仲の良い水軍のかね?」

「当然でしょう。私の一族と、党、が育てたようなモノですから」

「で?」

「ビダーシャル殿は、引き続き“蛮人”の、対策、をなされば宜しい。私は眼の前の危機に対処すべく、現実の力を行使させて頂く」

 

 

 

 

 

 会議が終わり、議会室を出たビダーシャルの元に、戦支度に身を包んだアリィーが駆け寄って来る。

 周りを気にしたような表情を浮かべたまま、アリィーはビダーシャルと並んで歩き出す。中々ビダーシャルが口を開こうとしないので、「で、どうなりました?」と促した。

「私は引き続き、“蛮人対策委員”長を務めることになった」

 アリィーは一瞬ホッとしたような表情を浮かべたが、直ぐに不安気な顔になる。

「で、貴男の姪は?」

「君の婚約者の“民族(エルフ)反逆罪”はこれはもう、確定だな」

「どうにもなりませんか」

 アリィーの顔から、表情が消えた。

 “民族(エルフ)反逆罪”は、いわゆる死罪であると言い換えることもできる。

「逃げた場所が問題だ。これはもう、申し開きはできん」

「あいつはなにも知らないんですよ? まさか、選りにも選って、“竜の巣”とは……」

「知らぬ存ぜぬでは、通らない場所だよ。君も理解ってるだろう?」

「随分と冷静なんですね。貴男の姪が、死んでしまうかもって時に!」

「君の婚約者が、な」

 2人はそのまま、並んで歩いた。

「全く! 逃げ出したことを知っていたんなら、直ぐに捕まえれば良いだけの話じゃないですか! それなのに見す見す泳がしたりするものだから……」

 アリィーは、あの日……逃げ出したルクシャナを補足していたのは“カスバ”の敬語任務に就いていた自分達だけだ、と想っていた。が、事実は違った。キッチリと、水軍がマークしていたのである。

「背後関係を知りたかったそうだよ」

 溜息を吐きながあら、ビダーシャルは言った。

「なんですか? それ」

「ルクシャナの単独犯行とは想えなかった、そうだ」

「で、貴男を吊し上げ、ですか」

「ああ」

 アリィーは、心底呆れたといった様子を見せる。

「なんなんですか? “大災厄”がまた起こるかもしれないって時に。部族同士での足の引っ張り合い……」

「それが現実なんだよ。我々のね」

「兎に角、やってくれましたね。貴男の姪は……」

「君の婚約者が、な」

「で、水軍はどうするつもりなんです? あの、エスマイール殿の忠実な番犬達は」

 皮肉たっぷりの口調で、アリィーは言った。

 “エルフ”の水軍は、エスマイールを長とする一派・……“鉄血団結党”の私兵集団となっていることはもう、公然の秘密であった。

「もちろん、“鉄血団結党”の親愛なる同志諸君は“民族(エルフ)”の誇りを賭けて、“竜の巣”に隠れている“悪魔”と、裏切り者、を引っ捕らえに向かうだろう」

「引っ捕らえる?」

「先程下された議会の命令はそうだが。だが彼等は、拡大解釈、を行うだろうな」

「彼等御得意の」

「その通り」

 アリィーは再び溜息を吐いた。

「“悪魔”を捕らえて、生かしたまま置いて置く。そんな考えを持っているテュリューク統領や貴男は穏健派。そしてエスマイールの率いる“鉄血団結党”は……」

「兎に角“悪魔”は皆殺し、の強弁派だね」

「復活しようがなにをしようが、そのたびに殺す。いくらでも殺す。兎に角“悪魔”は殺す。裏切り者も殺す……“砂漠の民(エルフ)”の敵は兎に角殺す。そして彼等の砂漠の民はその勢いを買って、“悪魔”共を皆殺し……その理屈から行くと、“竜の巣”は血の色に染まる訳だ」

「まあ一理はあるね。なにせ、なにも考えずとも良い」

 アリィーは、「で」、とビダーシャルを見詰めた。疲れた色は掻き消え、真剣な何かが浮かんでいる。

「僕はどうすればよろしいので?」

 ビダーシャルは立ち止まると、「君はルクシャナを“愛”しているかね?」と尋ねた。

 アリィーは遠い目をして言った。

「ここで、はい、と言えたら格好良いんでしょうけどね」

「まあな」

「正直、頭に来て判りません。ただ、言いたいことが山程あって、それを言わずに死なれたら、怒りの行き場が失くて、僕はどうにかなっちまいます」

 アリィーは、直ぐにでも“竜の巣”に向かうつもりなのであろう。そのための戦支度であろうことは、彼等の関係を知る者が見れば一目で判るだろう。水軍が到着する前に……だが、救い出した後のことはなにも考えていないであろうこともまた、直ぐに判る。

 ビダーシャルは笑った。

「さて、そんな騎士(ナイト)な君にプレゼントだ」

 ビダーシャルは懐から1通の封筒を取り出し、アリィーに手渡す。

「何ですか? これ」

「見ての通りの紹介状だ。私がヒトの国……“ガリア”で仕事をしていた際に、知り合った人物だ」

 アリィーは目を見開き、なにかを叫びそうになったが、なんとか堪えた。辺りを見回し、声を潜めて言った。

「……貴男は僕達に亡命をさせる気ですか?」

「そうだ」

「しかも“蛮人”の国に!」

「この件が片付くまでだ」

「いつになるんですか!?」

「さあな。兎に角私の姪を、よろしく頼んだよ。騎士殿(ファーリス)

 

 

 

 

 

 アリィーを見送った後、ビダーシャルはテュリュークの執務室へと向かった。

 ノックもせずに、ビダーシャルは“ネフテス”の最高権力者の部屋の扉を開ける。

 中では、テュリュークが1人、椅子に座って書物を開いていた。

「用事は済んだかね?」

「ええ」

「何事にも、保険、が必要じゃからな」

「こうするしかないでしょう。しかし、エスマイール殿にも困ったものだ」

「あれは一生懸命な男じゃよ。言うことなすこと、全く同意はできんが」

「私がもう30ばかり若かったら、彼の言葉に酔えたかもしれませんが……」

「儂は昔から、酔うのは酒だけだと決めておる」

 テュリュークは引き出しから酒瓶を取り出すと、杯に注いでビダーシャルに手招きした。

 ビダーシャルは杯を受け取ると、一気に呑み干す。

「さてと、統領閣下。本当の訳を御話し頂けますかな?」

「本当の訳、とはなんじゃ?」

「全く。そういった惚けはなしにして頂きたい、どうして私を“蛮人”世界に、ヒトの世界に御遣わしになったのか。“悪魔”との直接対決をここまで忌避するのは何故なのか」

「臆病なんじゃ、儂は、戦は嫌いなんじゃ」

「知っております。私も無益な戦は好きではない。ですが、エスマイールのような主戦派をこれ以上抑えるのは難しいですぞ。彼等は少しずつ、党員を増やしておる。そのうちに彼等の不満は他の部族にも伝染する。我等“エルフ”はヒトに負けたことがにあ。それなのに、どうして統領は戦に打って出ようとしないのだ? と」

 するとテュリュークは、ユックリと耳を弄り始めた。考え事をする時の癖である。意を決したように、口を開く。

「君は、“竜の巣”の正体を知っておるだろう?」

 “ネフテス”の一部の“評議会”議員は、“竜の巣”の本当の呼び名を知らされる。だがその秘密は当然十分に管理され、決して表に出ることはない。

「ええ。恐らくですが、彼も知っているでしょう」

「彼?」

「“悪魔”、“サーヴァント”の一騎、セイヴァー」

「“悪魔”が、救世主を名乗るとはな」

「で、”竜の巣”に話は戻るが、あの辺りでたまに見付かるガラクタのことは?」

「はい。槍や剣。鉄砲や大砲などの、ヒトの武器ですな。たまにヒトの間者がやって来て、拾っては帰って行く……」

「数十年までは、それは確かにガラクタだったのじゃ。だから我等も大して関心を払わんかった。余り警戒して、向こうを刺激するのもつまらんでな」

「どういう意味です?」

 ビダーシャルの目が光り出す。

「この数十年で、其の、“武器”、が恐ろしいほどの進歩を遂げておるのじゃ」

「初耳ですな」

「だろう。誰もが唯のガラクタとばかり想っていたのじゃから」

 テュリュークは引き出しから、なにかを取り出した。

「これは?」

「最近、見付かったモノじゃ」

 ビダーシャルは、黒光りするそれを手に取った。

 “拳銃”である。

 だが、“ハルケギニア”のそれとも、“エルフ”のそれとも違う。一目見ただけで、その技術が尋常ではないということが伺い知ることができる。

「その銃は、引き金を引くだけで連射ができるのじゃ、発射の際のガスを利用してな」

「良く出来ておりますな。だが、この程度では、我等が恐れるほどのことも……」

「それだけではにあ。もっと大きな……もっと複雑な機械も多々見付かっておる。我等には、それをどうやって使うどころか、どんな目的によって造られたモノなのかすら理解できんのじゃ」

 ビダーシャルは、(そう言えば、彼等は、妙な“魔法武器”を使い、“悪魔”同士の戦いに幾度と無く勝利を収めて来たという……たった2人で、“竜騎士”の群れを打ち破ったり、100,000ほどの軍勢を足止めしたり。果ては、私が造った“ヨルムンガント”の隊をも破壊して退けた。“悪魔”の“魔法武器(宝具)”が、それに準ずるモノの仕業だとばかり想っていたが……)、とヒトの世界で出逢い、ここに連れて来た少年、着いて来た青年のことを想い出した。

「それ等の“武器”にはなんらの“魔法”も掛けられていない。この意味が理解るかね?」

 ビダーシャルは首肯いた。

「我等はヒトの、ヒトの“魔法”などは恐れませぬ。ですが……」

「そう。技術は、恐れるのじゃ。なにせ、技術は万人が扱える。此の様な“武器”で武装した軍と、“悪魔の業(虚無と英霊)”を相手にして、我等は勝てるのかね?」

「それは……判りませぬ」

 ビダーシャルは正直な感想を口にした。

「“悪魔”を皆殺し、か。果てさて、威勢は良いが……皆殺しに合うのは、我等かも知れんのじゃ」

「ですが、奴等の軍はこのような精巧な“武器”で武装してはおりませんでしたぞ」

「それは当然じゃ。これは、奴等が造ったモノではないのだから」

「では誰が?」

「“竜の巣”……ええいまだるっこしい。君と儂しかおらんのだから、口にしても構うまい」

 ビダーシャルはゴクリと唾を呑み込んだ。緊張が彼を包んでいる。

「“悪魔(シャイターン)の門”の向こうにおる連中じゃ」

 其の事を口にする事は、最大の禁忌で在った。

 かうて、そこから連中が……“悪魔”共――ブリミル達が、この地にやって来た時……“大災厄”が起こったのだから。

「ビダーシャル君。本当に儂が恐れるのは、西の地におる“蛮人”共ではない」

「……では、なにがなんでも、“門”を開かせる訳には参りませぬな」

 するとテュリュークは首を振った。

「ことここに至っては、それが難しいことを認めねばならぬ。我等は一枚岩ですらない。そのように、国を造り上げたのは、我々なのじゃ」

 ビダーシャルは、エスマイールの顔を想い出した。

「さて、話を戻そう。西の地の“蛮人”、ヒト達……奴等は住処を失おうとしておる。先ずは、そんな奴等の目的を知らねばならぬ。本当の目的を」

「先程の議会室で仰られた、苦労、とはそれですか」

「そうだ。これは君にしかできん仕事だ」

 ビダーシャルは先程別れたアリィーの顔を想い出した。(再逢は、意外と近いな)とそんなことを想った。

 

 

 

 

 

 “アディール”の水軍司令部は、市街の中心に位置した巨大な塔、“カスバ”から、水路を使って10分ほどの場所にあった。

 白壁の建物の上には、三角の旗が幾つもひるがえっている。1番上にはためく青と黄色のモノは、此の建物が水軍司令部であることを示すモノである。青は海、黄色は砂漠を表す。2つの地を制す、“エルフ”水銀ならではの旗である。

 桟橋では、水軍の軍艦が並んで居る。“ハルケギニア”の人間が見たら、軍艦とは想え無い形をして居る。

 実際のところ、それは艦ではないといえるであろう。

 全長100“メイル”にも及ぶ、巨大な鯨のような姿をした“竜”……“鯨竜”と呼ばれる生き物である。青光する鱗を除けば、見た目はほとんど鯨と変わらない。

 水面から背中を出した状態で、桟橋に大人しく繋がれている。生き物を手懐けることに長けた、“エルフ”ならではの(わざ)であるといだろう。

 その背の上には、石を”魔法”で積み上げた艦橋が載っている。古代の”エルフ”の城を模したような、白い構造物である。”エルフ”の伝統が最も色濃く出た組織……それが”ネフテス”水軍成のである。

 その水軍の桟橋では、1人の“エルフ”の少女が厳しい目付きで、燃料補給、の作業を監督していた。

 美しく透き通るような金髪に、これまた澄んだ垂れ気味の碧眼。そうして立ってい居ると、とんでもない美少女にしか見えない。だが、済んだ瞳は冷たいなにかに彩られている。そして、氷のようにその表情は動かない。身体にピッタリとフィットする水軍ならではの士官服に身を包んだその姿は、“鉄血団結党”の理想とする、万物の指導者樽可く鍛え上げられた“砂漠の民(エルフ)”そのものであるといえるであろう。

 水兵は、そんな彼女を恐ろしげに横目で見詰めながら、軍艦に燃料を補給していた。とはいっても、相手が生き物であるので、もちろん餌であるのだが。

 巨大な盥に入れられた魚を、数に掛かりで車輪の付いた大きな脚立の上まで持ち上げ、パカッと口を開いた“鯨竜”の口に流し込むのである。

 脚立の上には滑車が付いている。それで重たい盥を上まで持ち上げるのだが、作業には熟練を要する。というと、こうした作業にはほとんど“魔法”は使われないのである。水軍では、“魔法”というモノは戦闘の際に温存をして置くモノであり、軽々しく使うモノではないと教育されるのである。

 1人の水兵が緊張に耐えかねて滑車の操作を誤ってしまい、盥を引っ繰り返してしまう。

 近くの養魚場で育てられた餌の魚が、桟橋の上でピチピチと跳ねた。

 その瞬間、士官の少女の目が吊り上がる。

「なにをしているか!?」

「ひう!? も、申し訳ありません!」

 水兵は、直ぐ様頭を下げる。

 士官の少女はツカツカと近寄ると、腰に手を置いたまま、頭1つ分大きい水兵を見上げた。

「弛んでいるから、このようなことになるのだ! 誇りある“砂漠の民”としての意識があれば、そんな単純なミスはしない!」

「以後、気を付けます!」

「そんなことで、“蛮人”共に遅れを取ったらどうする? 戦場では、ミスは命取りだぞ」

 その時、側にいた水兵が、含み笑うような仕草を見せた。古参の水兵である。

「なにが可笑しい?」

「いえ。なんでもありません。ファーティマ・ハッダード少校殿」

「言わねば、情感侮辱罪でこの場で処断する」

 ファーティマと呼ばれた少女は、腰のサーベルに手を掛けた。

 水兵は、彼女が“鉄血団結党”の党員であることを想い出す。それが脅しではないということを理解している彼は、困ったような顔で口を開いた。

「いや……少校殿は、実戦を知っておられるのかな? と想いまして」

「貴様は、知っているのか?」

「私はこれでも水軍に仕えて50年。“蛮人”の海賊相手の海戦を幾度も経験しました」

 ファーティマは冷たい顔のまま、言い放つ。

「私は“エルフ”の誇りがある。それに基づいた訓練も行って来た。その2つには、実戦の経験を超える価値があるのだ」

 そう強く信じている顔で、ファーティマは言った。

 水兵は何かを言おうとしたが、同僚に制された。

 そこに息せき切って走って来た伝令が、ファーティマを呼んだ。

「ファーティマ・ハッダード少校殿!」

「なんだ?」

「エスマイール様が御呼びであります!」

 ファーティマの顔が輝いた。そのまま、伝令伴い駆け出して行く。

 その背を見送り乍ら、水兵は溜息を吐いた。

「昔の水軍は、もうちょっと風通しの良い場所だったんだがな……」

「あいつ等が幅を利かせ始めてから、なにか可怪しくなりましたよね」

 

 

 

 ファーティマが向かった先は、司令部室であった。

 そこではエスマイールが窓の外を眺めていた。

「御待たせいたしました。エスマイール同志議員殿」

 ファーティマは水軍のそれではなく、腕を胸に当てる、党の敬礼をしてみせた。

 エスマイールは振り返ると、笑みを浮かべた。

「君に仕事を持って来た。同志小校」

「何成りと」

「“竜の巣”に向かった“悪魔の末裔”と、そいつ等を逃した裏切り者を捕まえて欲しいのだ」

 ファーティマの頬が紅潮する。

「光栄至極であります! そのような大きな任務を私めに御任せくださるとは……」

「まだ君の忠誠に疑問を抱く輩も居るからね」

 すると、ファーティマは悔しげな顔になった。

「叔母は、我が部族の恥であります。しかしながら、私は叔母とは全く違います。私は……」

「知っておるよ。君の才能と党への忠誠心は抜きん出たモノがある。私としては、そんな君に部族の汚名を返上する機会を与えたいのだ」

「有難う御座います!」

「さて、議会から水軍に与えられた命令は、“竜の巣に赴き、悪魔と裏切り者を捕らえろ”と言うモノだが……君のように“砂漠の民(エルフ)”としての自覚と誇りに溢れた若者なら、私の言いたいことは理解るだろうね?」

「はい」

 力強く、ファーティマは首肯いた。

「“悪魔”と裏切り者には死を」

「そうとも、我等鉄の団結を誇る“砂漠の民”は、“悪魔”を滅ぼし続けるのだ。復活するというなら、何度でも。それこそが、“大いなる意思”の御心に沿うことにもなろう」

「ですが……私の指揮下の隊だけでは、戦力が心許ありません」

「君は切り込み隊だったね?」

「はい」

「君達を運び、支援するための艦隊を1つ預けよう」

「私は小校に過ぎませんが?」

「では昇進だ。君は今日から上校だ。そして、この作戦の指揮を執るのは君だ」

「それでも、艦隊司令は私の上官ということになりますが?」

「忘れたのかね? 水軍では、党の序列が軍の階級に優越するのだよ」



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妖精の想い

「一体、何を悩んでいるんだね?」

 珍しく海母が尋ねて来たのは、才人が“潜水艦”を見付けた翌日の朝のことである。その日も、才人はボンヤリと悩んでいたのである。というよりも、(“核”はねえよ)と気を滅入らせていたのである。

「いや……実は俺って伝説の“使い魔”で」

「おやおや」

「“汎ゆる武器を扱える”能力なんてもん持ってて」

「そりゃ凄いね」

 海母は、抑揚のない調子で言った。

「真面目に聞いてくれよ」

「聴いてるよ。ただね、妾くらい長生きすると、大概のことでは驚かなくなるモノさ」

 馬鹿デカイ“竜”にそのようなことを言われる事ことで、才人は、(俺が抱える悩みってちっぽけなモノかもな)と想った。

「でね、俺の御主人様の大昔の御先祖がね、そんな俺のために“武器”を贈ってくれるんだよ。なんか知らんけど“魔法”でね。俺の世界の“武器”をね」

「で、その見付けた“武器”のことで悩んでいるのかね?」

「ああ」

「兎に角、おまえのために贈ってきてくれたんだろう? 嬉しいんじゃないのかね?」

「威力が問題なんだよ。俺の世界でも最強っつうか。使ったら最後みたいたな。そんなの、もう“槍”でもなんでもねえや」

「へえ。一体、どんなモノなんだね?」

「“潜水艦”って言って。ここからイルカで10分くらいの所に沈んでいるよ」

「ああ、あれかい? おまえ達の造る建物みたいな鉄の塊」

「知ってるのか?」

「そりゃそうさ。この辺りの海のことで、知らないことなんてないからね。なるほどねえ。ああいうのは、おまえさんの世界とやらの武器だったのかい」

 才人は、「ああ言うの」という海母の言葉に引っ掛かりを感じた。

「他にもあるのか?」

「ああ。見るかい?」

「見るかい? って……」

「ゴミだと想って集めていたんだけどね。まさか、“武器”だったとはね」

 海母が示したのは、洞窟の奥である。

 そこには、海水が満ちた直径20“メイル”ほどの別の穴があった。

「この先だよ」

「水の中なの?」

「いや、この先には同じような場所があるんだよ。連れて行って上げるから、妾の背に御乗り」

 妙な胸騒ぎを、才人は感じた。言われるままに、才人は海母の背に跨る。

「サイト、どこに行くの?」

 すると、才人の側で寝ていたティファニアが目を覚ました。

「どうやら、他にも“武器”が在るらしいんだ」

「私も行く」

 直ぐにティファニアは起き上がる。

 そんな2人の様子を見て、イルカと戯れていたルクシャナもやって来た。

「貴方達、どこに行くのよ?」

「いや、なんか海母が、俺の世界の“武器”をもっと持ってるって言うんだ」

「なにそれ? 私も見る。と言うかなんで私に教えてくれなかったのよ?」

 驚いた調子でルクシャナが言った。

「ゴミだとばかり想っていたからね。おまえ達“エルフ”や人間達が捨てた……」

「ゴミなんか捨てないわよ」

 ルクシャナはぷりぷりとしながら海母の鱗を掴んでその背に跨った。

「で、貴男はどうする? セイヴァー」

「暇だから着いて行こう。まあ、“霊体化”してだがね」

 俺はルクシャナの問いにそう答えて、“霊体化”する。

 俺が目視できなくなったことで、ルクシャナは当然大きく驚いた様子を見せる。

「消えた!? どうなってるの? “サーヴァント”って皆ああいうことができるの? あんたはしないの?」

「えっと、“アサシン”とかならできるだろうけど……俺は、“サーヴァント”の力を持つただの人間だし無理だな」

 ルクシャナの言葉に、才人は頭を掻きながら言った。

「まあ良いわ。ほら、その場所に連れてって。早く」

 ティファニアも、ルクシャナを真似て海母の背に攀じ登る。

 全員が乗ったことや準備ができたことを確認すると、海母はユックリと大儀そうに奥へと歩き出し、海水が満ちた穴に入って行く。

 末広がりのこの岩山の内部は、まるで蟻の巣のように洞窟が伸びているようである。潜って数十秒ほどで、別の洞窟へと浮かび上がる。

 海水が打ち寄せる外へと通じる穴があったので、比較的明るいといえるだろう。

 才人は、昔雑誌やテレビで見た、胎内巡りなどで有名な鍾乳洞を想い浮かべた。

 だが、海母に連れられて遣って来たここは、そのような神秘亭な雰囲気とはほど遠い場所である。

 そこは、生々しい現実の品々で溢れていた。

 才人は想わず息を呑んだ。

 様々な“武器”が並んでいる。

 銃、大砲、戦車……そして“戦闘機”……。

 才人は、ジュリオに連れられて行った“カタコンベ”を想い出した。あそこにも、大小様々な“武器”が並んではいたが、ここの量には遠く及ばないといえるだろう。

 しかし、見付かったのが海中だからであろう。

 そのほとんどは当然残骸で、錆に塗れて朽ち果てている。“ロマリア”が回収して来たモノは、陸地で発見されたモノであろうことが想像できるだろう。

 錆びでザラザラになったどこの国のモノとも判らない戦車を、才人は撫でた。

 饐えた鉄の臭いが鼻を突く。

 その臭いは不意に才人に、郷愁と哀愁を覚えさせた。故郷を追われ、遠い世界でなんおやくにも立てずに、朽ち果てて行く兵器達……。

 それはある意味幸せなことかもしれない、と才人に想わせても来た。誰も傷付けずに済んだ、喜ぶべきことであるかもしれない……と。

 そんな兵器と、自分が重なるように、才人には想えたのである。(俺もここに喚ばれてやって来た、“兵器”のようなモノだ……)、と感じたのである。同時に、(でも、俺は、道具じゃない。意思があり、心がある。あんな途轍もない破壊力を行使できる力を与えられて、一体、どうすれば良いんだ? こうやって、錆び付いて朽ち果てて行くのが、1番の幸せなんじゃないだろうか?)とそんなことまで考えてしまう。

 そんな風に才人がブルーに成って居ると、ティファニアがソッと才人の手を握った。

 振り返ると、ティファニアは真剣な顔で才人を見詰め、首を振る。

 ティファニアのその目は、(朽ち果てる方が幸せ)などと考えた才人を恥じ入らせるだけの力を持っていた。

「1人で悩んじゃ駄目だよ?」

 優しい声で、ティファニアは言った。

「ごめん。ちょっとね」

「どうしたの?」

「いや、俺もここに並んでる兵器をおんなじなんじゃないかって。そんな風に想っちゃってさ」

 すると、ティファニアは首を横に振った。

「サイトは道具なんかじゃないよ。人間じゃない。ただの人間じゃなくて……」

 それからティファニアは、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「私の大事な御友達、じゃない」

「その通りだ。おまえは立派な人間、“英雄(人間)”であり、“勇者(人間)”でもある。そうだな……こと“魔術”世界に於いては、“サーヴァント”を兵器として見る“魔術師”が多いが、おまえには俺がどう見える?」

「そうだな。ありがとう」

 ティファニアの気持ちと言葉、そして意地の悪い俺の言葉と気持ちに対し、才人は嬉しさからだろう笑顔を浮かべた。

 才人は、自分を奮い立たせるようにして、(なにか使えそうなモノを探すためだ。これからどうなるのか判らないけど、武器は必要だ)と考え、残骸の側へと進んで行った。

 ティファニアも才人と一緒になって、残骸の山を漁り始めた。

 ルクシャナは俺と一緒に、ボケっとそんな2人の様子を見詰めている。

「おまえ達は手伝わないのかえ?」

 海母に尋ねられ、ルクシャナは首を横に振った。

「あいつ等、私達の敵なのよ? 私達を殺すための“武器”を探すなんてこと、手伝える訳ないじゃない」

「救けて逃げて来たんじゃないのかえ?」

「それは、“評議会”のやり方が気に入らないからよ」

「おまえ達もどうしてどうして複雑な生き方をしてるねえ」

 と、ノンビリとした声で海母は言った。

「そうだな。“評議会”の連中とは直接逢ったことはないが、考えや行動が駄目、だと言えるかもな。それに、あいつは、才人は余程のことがない限り殺しはしないさ。あれはあくまでも自衛や防衛のための道具として見てる。なんてったって、“アルビオン”で100,000程の軍勢と相見えた時を始め、そういった危機的状況ですら、不殺を貫いてみせたからな。武器は向けても、殺しはしない。あいつは、“盾の英霊”だからな」

 ルクシャナは、海母と会話をし、俺の言葉を聞きながらも、ウズウズとした様子を見せている。

「一緒になって探したいという顔をしているよ」

「興味あるのよ。ああいうのに。嗚呼もう! 見てるだけだからね!」

 と、海母に指摘され、ルクシャナは駆け出した。そして、一緒になって、“武器”を漁り出した。

 

 

 

 ほとんどは錆々ののグシャグシャとでもいえる状態であるのだが、いくつかは無事なモノを見付けることができた。それはビニールでパッキングされていた“小銃”だったり、“ステンレス”製の“リボルバー”など、そういった防水処理をされているモノだ。

 一体なにに使うつもりであったのか、防水布に包まれた“ロシア”製の“ロケットランチャー”も数本出て来た。“手榴弾”や“発煙手榴弾”が1パック、“プラスチック”のケースごと出て来た時、才人は驚いた。濡れないように、と処理をされた“武器”がこれほどあるとは知らなかったのである。

 そして、1番の驚きは、1艘のボートである。

 “タイガー戦車”や“ゼロ戦”のように旧いモノではない。精々数年前に建造されたであろうそれは、まだ外観を保ち、外海と繋がる洞窟の端に浮かんでいた。

 全長は10“メイル”ほど。普通に浮いていれば、ただのボートにしか見えないが、船首の方に“機銃”が積まれている。そのことから、恐らくは港湾などを警戒するための“哨戒艇”であろうと判るだろう。

「それは最近見付けたんだよ」

 何故か嬉しげな声で、海母は言った。ゴミと言いながらも、楽しんで集めて居いたようである。コレクションを褒められた子供のような声である。

 その“哨戒艇”がどこのモノかは、悩む必要もなかった。キャビンの壁に黒い字で大きく、“U・S・NAVY”と書かれているためである。

 グレーに塗られた船体は色褪せ、所々錆び付いてはいるが、動きそうに見える。

 “哨戒艇”に乗り移り、キャビンの壁に触れることで、才人の左手甲の“ルーン”が案の定輝く。

「こいつ、生きてる」

 才人はそう呟き、操舵席へと向かった。

 ブリミルからのプレゼントであれば軍事用のはずであるのだが、あまり厳しい雰囲気はしない。レジャー用のボートのような、そのような気安さが漂っている。

 車のハンドルに似た操舵輪を、才人は握った。同時に、この艇のスペック、操作法などが鮮明なイメージとなって、才人の頭の中に流れ込んで行く。

 “ディーゼル”と、ウォータージェットで動くことが、才人には理解できた。最新型らしく、“ゼロ戦”や“タイガー戦車”の時のような苦労はないといえるだろう。機械というモノは、日々便利になるように進化している、といえるのである。

 燃料計を見ると、軽油がたっぷりと入っていることが判る。

 才人は“エンジン”始動の操作を行った。

 セルの回る音がして、“エンジン”に火が掛かる。見掛けこそ華奢ではあるが、流石は軍用だといえるだろう。整備零でなおかつしばらく放置されていたというにも関わらず、耐久性は抜群である。

 いきなり動き出した“エンジン”の音に驚き、海母が跳び上がる。

「なんだね? それは!?」

「“エンジン”の音だよ」

 いつの間にかルクシャナとティファニアが乗って来ており、物珍しそうに辺りを眺めている。

 ルクシャナがまたもや悔しそうな顔をしているので、才人はなんだか嬉しく成った。

「どうですか? “エルフ”さん。この“哨戒艇”は」

「どうって言われてもね。ところで、この音はなんの“魔法”なの?」

「“魔法”じゃないっすよ。科学です。“エンジン”って言うんですけどね。貴方方の技術はなるほど大したもんですが。こんなモノ造れますかぁ?」

 才人のその言葉や言い回しに、俺は溜息を吐く。

「その言い方やめて。なんか腹が立つわ」

 憮然とした顔でルクシャナは言った。それから取り澄ました顔で、「動かしてみて頂戴」と言い放った。

「なにが、頂戴、だ呆け。その上からどうにかしろ」

「なによ!? “蛮人”!」

 2人は言い合いに成った。

 そんな2人をティファニアがオロオロしながら見詰めている。

「まあまあ、2人共! でもサイト、これ凄いね。どうやって動かすの?」

 才人はティファニアに、操縦の方法を教えた。とはいっても、ほとんどオートマチックであるために簡単である。車の運転と然程変わらない。それでも、人間を始め汎ゆる生物や個人個人には得手不得手というモノがあるのだが。

 才人は、(できれば走らせたかったが、なるべく目立つことは避けたい)とそれを控えることにした。

 2人で楽しそうにしている才人とティファニアを見て、ルクシャナがまたもつまらなさそうに呟く。

「ふん。偉そうに。なにが科学よ。まともなのあこれくらいじゃないの。あとはガラクタばっかり」

「はぁ? これだけじゃないだろが! ほら! あのように銃や“ロケットランチャー”だって! 沢山!」

「そのくらいなら“エルフ”だって造れます!」

「どこにあるんだよ! 見せてみろ!」

 しかしルクシャナは、遠くを向いて口笛を吹き始めた。

「“エルフ”にも造ることはできるだろうな。まあ、必要がなかったから、他の方法で可能なことがあったから、こう言ったモノを造る発想などが浮かばなかっただけだろうさ」

「そうよ。その通りよ。理解ってるじゃない。セイヴァー」

 俺の言葉に、ルクシャナは口笛をやめて機嫌を良くした様子を見せる。

「腹立つ奴……」

 しかし、そこで才人ははたと気付いた。(どうしてこんなに沢山の“地球”の“武器”が? 海中なんかに?)、と疑問を抱くが、“カタコンベ”で聞いた「このような、“武器”は、主に“聖地”の近くで発見される……」というジュリオの言葉を想い出した。

 ジュリオのその言葉と、この“武器”の山が、才人の頭の中で結び付く。そして、(そうだ。ここはあれだけの大きさの“原子力潜水艦”まで、運ばれて来るような場所……“聖地”と言うからにはてっきり陸地とばかり想っていたけど……6,000年も経てば、地形も変わる。陸地だった場所が海に沈むことだって。デルフだって、ブリミルさんが来た場所は陸地で、地形が変わってるって言ってたじゃないか。と言うことは、ここは、“聖地”なんじゃ……? それともその近く……?)と考えた。一旦はそのような想像を(いやまさあ。そんなはずは)と打ち消そうとするが、やはり、(でも……もしかしたら)という想像を拭うことができずにいた。

「なあデルフ」

「あんだね?」

 大儀そうに、腰に吊り提げられているデルフリンガーが口を開く。

「おまえ、言ってたよな? “聖地”の場所。“昔と地形が違うから判んね”って」

「ああ、言ったね」

「あの……海母さん」

「なんだい?」

「この辺りって、昔、陸地だったりしない?」

「妾が生まれた頃から、ここ等は海だったよ」

「それって、いつ頃?」

「1,000年前くらいかねえ」

「もっと前」

「ああ、そう言えば、妾の祖母が言ってたような気もするねえ。祖母の祖母がいた頃は、この辺りは陸地だったって……」

 才人の中で、予感にも似た確信が膨れ上がる。

 ルクシャナが呆れた声で言った。

「馬鹿じゃないの? ここが“シャイターンの門”だって言うの? あのね、ここは“竜の巣”。誰からも忘れ去れた場所。もしここが“シャイターンの門”だって言うなら、軍が守ってるはずだわ。こんなにやすやすと私達がやって来られる訳が……」

「そんな沢山の軍隊で守ってたら、ここです、と言ってるようなもんだろ?」

「でも、だからと言ってここに私達がいることを知ってたら、こんなにノンビリ……」

「だから変なんだ。あまりにも簡単に逃げ出せ過ぎたんだよ! 俺達!」

 遠くから爆発音が響いたのはその時であった。

 なんだ? と顔を見合わせるのと同時に、海母の住処であるこの巨大な石柱の外壁に、硬いなにかが打つかる音が聞こ得て来る。まるで地震のように、洞窟内は激しく振動した。

 才人は、その音の正体が、直ぐに判った。

 “アルビオン”で、“ガリア”で、幾度となく聞いた炸裂音。

 大砲。

 その音は、才人の想像を確信へと変えた。

「しまった……!」

 才人は、(もっと早く……あの“潜水艦”を見付けた時点で気付くべきだった)と想った。それから、俺を睨む。

「え? なに? なにごと?」

 ルクシャナが慌てた声を上げた。

 ティファニアは怯えた顔で才人に寄り添う。

「どうやら俺達、泳がされてたみたいだな」

 焦りを浮かべた顔で、才人は言った。

 

 

 

「命中、3か。少し精度が甘いのではないですか? 同志艦長」

 艦橋に立ったファーティマが、着弾の様子を眺めて言った。凛然として佇むその様は、“ハルケギニア”の伝説に遺る戦乙女のようである。

 彼女が率いる“鯨竜艦”は、全部で4隻。それぞれが回転式の砲塔を持ち、艦橋を挟んで前後に1つずつ搭載されている。

 その砲塔の基部は、“鯨竜”の鰭を改造したモノで在る。詰まり、“魔法”などの動力を使わずに、頑丈な砲塔を旋回させることができるのである。

 おまけに、其の砲塔が搭載する後装式の大砲は非常に強力なモノである。50年ほど前に登場したその大砲の内部には、“ライフリング(施状)”が刻まれているのである。

 どんぐりのような形をした砲弾に回転を加えることで砲弾の射程と威力を数倍にもすることができるその大砲の存在で、“エルフ”の水軍は“ハルケギニア”各国の海軍や海賊達に幾度となく勝利を収めて来たのである。

 “ハルケギニア”の空海軍が用いる戦列艦は、百門以上の砲を持つモノもありはするのだが、そのいずれもが前装式の大砲である。“ライフリング(施状)”の技術自体は“ハルケギニア”にも知られてはいるのだが、冶金技術の遅れと“平民”の武力向上を嫌う“貴族”達の反発もあり、余り積極的には取り入れられて来なかったのである。“魔法こそが王道、武器は邪道”、と考える“ハルケギニア”の“貴族”らしい技術の遅れだといえるであろうか。

「こんなモノだよ。同志上校。8門の斉射で、命中3。上出来だ」

 艦長は、遠眼鏡で目標の様子を観察しながら言った。

 4隻の“鯨竜艦”が、それぞれ2門ずつの大砲を発射したのである。

「さて、これから我々はどうするのかね?」

 そう尋ねた艦長に、ファーティマは答えた。

「“評議会”から下された命令は、“奴等を生かしたまま捕縛せよ”だが」

「いや、党意だ」

 この艦長もまた“鉄血団結党”の一員である。

「我等“砂漠の民(エルフ)”、鉄の如し血の団結でもって、西戎を殲滅せんとす。“大いなる意思”よ、我等を導き給え」

 ファーティマは答えの代わりに党是を口にした。

 満足げに艦長は首肯くと、命令を口にする。

「砲撃続行。全門一斉射撃。ありったけの鉄と火薬を奴等に撃ち込んでやれ。ここが誰の土地か、教えてやるんだ」

 砲撃は休むことなく続けられた。

 

 

 

「ちょっと!? いきなり撃つなんてどういうことよ!?」

 何発もの砲弾が岩壁に撃つかり、天井からはパラパラと岩の破片が落ちて来る。

 直ぐ側の壁に砲弾が撃ち当たり、ぶら下がった槍のような鍾乳石が、才人達の眼の前に落ちてバラバラに砕け散る。

「取り敢えず外に出よう」

 才人はガバッと服を脱ぐと海の中に飛び込む。

 ティファニアとルクシャナも下着だけになると、才人の後に続いた。

 その後に、俺も続く。

 イルカに跨り、洞窟を出ると、俺達が出た出入り口とは逆の方から砲声が響く。

「あっちだ」

 俺達は潜水すると、反対側に回り込んだ。そして、海豚の背から首だけを出して、辺りを伺う。

 数キロ“メイル”離れた海上に、低い喫水の艦が4隻、単縦陣で並んで砲撃を加えているのが見える。

「水軍の砲艦だわ!」

「あれが砲艦?」

 あれが“エルフ”の軍艦成のか、と才人は軽く呆れた。

「そうよ! って言うか! 私までいるのにボンバカ撃つってどういうことー!?」

「其りゃ、裏切り者だからだろ。どっちかと言うと、死んだら困るのは俺達なんじゃにあの?」

 才人がそう言うと、ルクシャナが首肯いた。

「そうかもね。悔しいけど」

 その時砲弾がヒュルヒュルと飛んで来た。

 流れ弾が1発、俺達の近くに着弾する。

 巨大な水柱が立ち上がり、衝撃が水中の俺を除いて才人達を揉み苦茶にした。

「ぐわッ!?」

 ルクシャナが目に爛々と怒りの光を湛えて、大声で叫ぼうとする。

 が、才人は彼女の足を引っ掴んで水の中に引き摺り込んだ。

「もがっぷ!? なにすんのよ!?」

「見付かるだろ! 馬鹿!」

「一言言ってやらないと気が済まないわよ!」

「兎に角逃げるぞ!」

 俺達は洞窟に戻ると、才人達は直ぐに逃げ出す準備を整え始めた。とはいっても荷物などというものなどほとんどないのだが。

「どこに逃げるの?」

 ルクシャナが才人に尋ねる。

「知るか。おまえに任せる」

「任せるって言われても」

 ルクシャナはそう言いばがら、助けを求めるように俺に目を向けて来る。

 才人は、ティファニア達をイルカが引いた小舟に乗せると、自らは“小型哨戒艇”に乗り込んだ。そして、先程見付けた“武器”を手当たり次第に“小型哨戒艇”に積み込んで行く。

「なによ!? 自分だけそっちの舟で逃げる気?」

「違うよ! 俺が先に出て、あいつ等を引き付けるから、数分経ったら反対方向に逃げろ!」

「わ、私も一緒に行く!」

 ティファニアが驚いた顔で、“小型哨戒艇”に乗り移ろうとした。

 しかし、才人は首を横に振る。

「駄目だ。テファはそっちで逃げるんだ。セイヴァーが守ってくれる」

「サイト1人を囮にすることなんてできないよ!」

 泣きそうな顔で、ティファニアは才人の手を握った。

 困ったように才人は首を振る。

「駄目だ」

「御願い!」

「俺1人ならなんとかなる。上手くあいつ等を引き付けて、テファ達の後を追うことだってできる」

「私だって、なにかできるよ!」

 それでもティファニアは、食い下がろうとした。

 再び、岸壁に砲弾が着弾し、パラパラと天井から岩の欠片が落ちて来る。

「だからな! テファには危ない仕事だって言ってるの!」

「危なくたって平気! 私にだって、出来るなにかがあるはずだわ。その“武器”の使い方を教えて!」

 才人は、(正直、こんなこと言いたくねえ。でも、今はこんな問答をしている時間がないんだ。テファは、冷静な判断ができなくなってる)と想い、厳しい顔になった。そして、苦しい声で、才人は言った。

「足手纏いなんだよ」

「え?」

「ハッキリ言う。居たら邪魔なんだ。逃げてくれないと困るんだ」

 ティファニアは、(邪魔? 私が?)と呆然とした。

 才人は其のそに、ティファニアも“小型哨戒艇”の上から突き飛ばた。

「ルクシャナ、セイヴァー、テファを頼む」

 そう言い残し、才人は“小型哨戒艇”の“エンジン”を掛けた。

 キュルキュルとセルが回り、“エンジン”が掛かる。

「おーい! イルカ共! こいつを回頭させてくれ!」

 才人は、海面から顔を突き出してそんな様子をジッと見詰めていたイルカに声を掛ける。

 直ぐにイルカ達は才人の意を汲み取り、器用に鼻面でもって“小型哨戒艇”を回頭させた。

 才人は、ティファニアがルクシャナの助けで小舟に引き上げられたことを確認すると、小さく「ごめん」、と呟いて片手で拝んでみせた。

 通じたかどうかを確認するまでもなく、才人はスクリューのスロットを入れる。

 ユックリと“小型哨戒艇”は動き出した。

 洞窟の外に出ると、才人はウォータージェットのスロットルを全開にした。

 スクリューとウォータージェット、二軸の推進力を与えられた“小型哨戒艇”は猛烈な勢いで加速を始めた。

「相棒、非道いこと言うねえ」

「だって、ああでも言わなきゃ……気持ちは嬉しいけどさ。できることとできないことってあるだろ?」

「まあね」

 巨大石柱を回り込むと、あっと言う間に先程顔を出した場所まで到達する。

 4隻の“鯨竜艦”が、才人の目に飛び込む。

「さてと、こっちに注意して貰わなきゃな」

 才人は一直線に艦隊に突っ込んで行った。

 グングンと艦隊が近付く中、才人は冷静などこかで、“聖地”についてを考えていた。(もし。ここが“聖地”なら……ここには一体、なにがあるんだ? 教皇は、“聖地”に巨大な“魔法装置”が眠ると言ってたっけ? その“魔法装置”って一体なんなんだ?)、となんだか教皇達の言うことに納得できない自分がいることを、自覚した。教皇達が間違いなくなにかを隠しているであろう、ということも才人は確信した。

 そして、サーシャがブリミルを殺した。

 デルフリンガーは、“エルフ”が造ったモノ。

 才人に、(6,000年前に、一体、なにがあった?)とバラバラの謎が襲い掛かる。そして、(その謎を解き明かさないことには、真の意味で“ハルケギニア”を救えない気がする)と予感に近いなにかを感じ取り、(この微妙な違和感にケリを着けたい)とも想った。

「なあデルフ」

「あんだね?」

「ここ、“聖地”なんだろ?」

「言ったじゃねえか。それは判んねえって。ホントだよ」

「おまえって、“エルフ”が造ったもんなんだよな?」

「ああ。ルクシャナが言うには、そうみてえだね」

 “鯨竜艦”が近付く才人に気付き、砲塔を回転させる。

 それを視界に留めたまま、才人は質問を繰り返す。

「てえことは、あのサーシャが造ったってことだよな?」

「物心着いたら、確かにあいつに握られてたね」

 発射音が轟き、砲口が光る。一瞬遅れて黒い煙が立ち篭める。

 才人は操舵輪を回転させた。

 “小型哨戒艇”は、鋭く進路を変えた。

 砲弾は明後日の方向に着弾した。

 派手に水柱が噴き上がるが、それだけである。

「これは俺の想像だけどな。おまえが忘れっぽいのは、“エルフ”が造ったもんだからじゃないのかな?」

「どういう意味だね?」

「詰まり、“エルフ”にとって都合の悪いことは、あんまり想い出せないようになってるんじゃないかって」

「サーシャがそうしたって言うのかい?」

「かもしれないって。想像だよ。意図的にか、偶然か。“魔法”のことだから俺には良く理解んねえけどさ」

「もしそうだったら、どうするね?」

「どうもしねえよ。ただ、無理矢理訊いたら悪いかなって想うだけだ」

 デルフリンガーはカタカタと震えた。笑っているらしい。

「やっぱりおめえは俺の相棒だね。おめえに握られて、おりゃあ幸せもんだね。でもそうかもしれねえ。話そうとすると、妙にブレーキが掛かる。なんか黙っちまうのさ」

 “鯨竜艦”が、数百“メイル”に迫る。

 前後に配置された主砲の他に、小口径の大砲が並んでいるのが見える。

「さて、取り敢えず御喋りは終わりだ。眼の前の仕事を片付けるぞ。デルフ」

「あいよ相棒」

 ピカッと光り、舷側に並べられた小口径の砲達が斉射を放つ。

 才人は操舵輪を操り、小型哨戒艇を急回転させる。

 バッシャーン! という音と共に、先程まで“小型哨戒艇”があった場所に、小さな水柱が幾つも立った。

 才人はスロットルを固定して、側にあった“ロケットランチャー”を引っ掴み、操舵席から立ち上がる。才人は、(確かこいつは、“ロシア”製の“RPG7”という奴だよな。繁くゲームに出て来た)と想い、足で操舵輪を支えながら、赤く 塗られた弾頭を“鯨竜艦”に突き付ける。砲塔を狙おうとも考えたが、1個潰したくらいではどうにもならないであろうと思い直し、艦橋に狙いを付けた。

「“カウンター(反射)”は大丈夫かな?」

 “アーハンブラ”や“虎街道”で戦った折に、才人は全ての攻撃を跳ね返すというその“呪文”に苦しめられたのである。

 “タイガー戦車”の主砲であれば、“反射”の効力を上回る威力を出すことができたが……。

「でーじょぶだ。あれは相当の手練くらいしか掛けられねえ」

 才人は、(その相当の手練がいたらどうするんだよ)と想いながら、艦橋を狙って“RPG7”を発射した。

 シュバッ! とずっと速い速度で弾頭が飛んで行く。艦橋に撃ち当たる。

 幸いなことに、“カウンター”は掛かっていなかった。分厚い“鯨竜”の鱗に、“成形炸薬弾”は難なく穴を穿ち、中に飛び込む。爆発音が響き、中から煙と炎が噴き上がる。

 だが、巨大な“鯨竜艦”からすれば、焼け石に水である。速度が落ちる気配など当然なく、攻撃の手が緩むこともない。

「大して効かねえな」

「いや、こっちに注意を向けてくれればそれで良いんだ」

 才人は再び操舵席に座り、スロットルを入れた。加速を開始した“小型哨戒艇”は、小さな波に打つかってジャンプしながら、“鯨竜艦”の鼻先へと躍り出る。

「来い、来い……此方だ」

 “鯨竜艦”の進路が変わり、“小型哨戒艇”に艦首を向けようとして居るのが判る。

「やった」

 才人は笑みを浮かべると、“自動小銃”を取り上げた。操舵輪を片手で握りながら、後ろに向けて小刻みに連射する。こうしていれば、“エルフ”の艦隊は、才人に向けて1個の砲塔しか向けられない、といった寸法である、このまましばらく引き付けて、煙幕を焚いて全速力で逃走する。それが才人が描いたシナリオである。

 2門の大砲が光り、砲弾が近くに着弾する。

 才人は操舵輪を匠に操り、水柱を躱す。

「あんにゃろ。しっかり狙っていやがる」

 脅しにしては、狙いが正確過ぎるといえるだろう。

 そのことから、才人は、(俺達を殺したら不味いはずではなかったか?)と疑問を抱き、同時になんだか嫌な予感というモノも覚えた。

 

 

 

「そろそろかしら?」

 ルクシャナは呟いた。

 才人が出撃をしてから数分が過ぎている。

 砲声は聞こ得て来るものの、石柱に撃つかる音は聞こえなくなった。

 詰まり、才人は“鯨竜艦”を引き付けることに成功した、ということである。

「ほら! しっかりして! 行くわよ!」

 呆然として小舟の上に座り込むティファニアを、ルクシャナは叱咤した。

「私、やっぱり役立たずなんだ……」

 才人の言葉の意味を理解はしているのだが、やはり感情ではそうは上手く行かないといった様子をティファニアは見せている。

「あのねえ! 今はそんなこと気にしてる場合じゃ……」

「ない」

 良く通る声が、背後から響いたのは其の時で在った。

 ルクシャナは想わず振り返る。

 見ると、水軍の士官服に身を包んだ、髪の長い女を先頭にして、“エルフ”の一部隊が立っている。手には銃のようなモノが握られている。

 火薬ではなく、“風石”を利用して弾を撃ち出す“風銃”である。単発であることは“ハルケギニア”の銃となんら変わらないが、威力は段違いである。おまけに水に濡れても問題な無い。

 彼等はどうやら、水中からやって来たらしい。全身が濡れていることから、恐らくはイルカかそれに類した生物を使ったのであろうことが判る。

「逢えて嬉しいよ。“民族(エルフ)”の裏切り者。囮を使って逃げ出そうと考えたか。だが、我々も囮を使うとは考えなんだか」

「艦隊を囮にしたって訳?」

「だろうな」

 その士官服の腕に光る“鉄血団結党”の腕章に気付き、ルクシャナは青くなる。

 ルクシャナは咄嗟に“魔法”を唱えようとした。

 バシュッ! と空気が炸裂する銃声が幾つか響いた。

 俺は即座に、“干将莫耶”を“投影”して、それを弾き飛ばす。

「ぐッ……」

 が、全てを弾き飛ばすことはできず、ルクシャナは撃ち倒されてしまった。

 その音で、ティファニアは我に返った。倒れたルクシャナに跳び付き、傷を確かめる。

 押さえた腹から血が流れ、赤く滲んで行く。

「なにをするの!? 貴方達!」

「裏切り者を処刑しただけだ」

 冷たい顔でファーティマは言い放つと、小舟に飛び乗って来た。次いで、ティファニアの耳を見て、苦々しい表情になる。

 次いで、ティファニアから俺へと視線を向け、言った。

「貴様が“悪魔”の1人、そして貴様が“イブリース”だな?」

「“悪魔”じゃないわ。ティファニアって言うの。ティファニア・ウエストウッド。早くこの人の傷を手当して頂戴! 死んじゃうわ!」

「其奴は死んで当然だ」

 ティファニアは、何とかルクシャナの患部を看て止血しようとする。シャツを捲くり、傷跡に押し付ける。俺も手伝うが、傷は深く、噴き出る血の勢いが激しい。“宝具”を使用すれば直ぐに傷は塞がるのだが、このあとの展開のことを考えると使用する気にはなれない。

 ファーティマは、銃を構えた水兵を従えながら近付いて来る。

「“悪魔”め」

「私達を殺したら困るんじゃないの!?」

「ふん。御前達は何度殺しても別の者に力が宿り、力のみは蘇るそうだな。だが蘇るなら、そのたびに殺すまでだ」

「くく……くははははははッ!」

「なにが可笑しい?」

 俺は想わず口角を上げて笑みを零し、大声を上げて笑い出してしまった。

「これが笑わずにいられるか。正気か? 貴様等。いや、正気を問うても無意味だな」

「馬鹿にしているのか?」

「いやいやまさか。他人に言えるような立場ではないが、敢えて言わせてもらうぞ。上から目線も程々にしておけよ。でないと、滅ぶぞ?」

 俺が言い終えるのと同時に、ティファニアは立ち上がって胸に手を置いた。

「目的は“虚無”なんでしょう? だったら私を殺して。この人は関係ない。救けて上げて!」

「裏切り者は“悪魔”以上に赦せぬ!」

 ファーティマは、ティファニアの耳を掴みに掛かろうとした。が、俺が武器を持ち立ち塞がっているために、近寄ることができないでいる。ファーティマは近寄らず、ティファニアの耳を目を凝らして見た。

「“悪魔”の1人に、“エルフ”の血が混じっていたというのは本当のようだな。“悪魔”でありながら、“民族(エルフ)”の裏切り者の血を引くとは……貴様の罪は2倍だ」

 その時、ファーティマはティファニアの指に光っているモノに気付く。ティファニアの母の形見である、指輪の台座である。

「どうして貴様が、その指輪を持っている?」

「母の形見よ! 貴女なんかと違って、とっても優しい人だった! きっと母の一族も、優しい人達だわ!」

 ファーティマは、ギリッと唇を噛んだ。その唇から血が流れる。

「貴様か。貴様がそうなのか! 貴様が……貴様が!」

 ファーティマは、激しい憎悪を瞳に浮かべ、ティファニアを睨み付ける。

「その、母の一族、がどれほどの苦労をして、どれほどの侮辱を受けたのか、貴様は知らんのだろうなッ! 泥を啜るような暮らしを余儀なくされた一族! 部族全体から裏切り者の出た家だと罵られ、満足にパンも買えなかった一族のことをッ!」

 ティファニアは青褪めた。

「貴女……まさか?」

「“大いなる意思”よ。この地で“シャジャル(真珠)”の娘に出逢えたことを感謝します」

「母の一族……ッ!」

 ティファニアはなにかを言おうとしたが、銃声が響き掻き消される。

 同時に、俺がそれを弾くが、続いて何発も発射される。

 ファーティマの銃撃を合図に、他の“エルフ”等も発射し、俺はそれ等を捌くことに専念せざるをえなかった。

 右足に激痛が奔り、ティファニアは蹲る。鮮血が溢れ、小舟の上に流れて行く。

 ファーティマは、腰から引き抜いた短銃を構えており、再び弾を装填する。

「これは叔父の分だ」

 発射音が響く。

 左足の腿に受け、ティファニアは激痛を感じた。

「安心しろ。直ぐには殺さん。我が一族が被った侮辱を1つ1つ味わって、ユックリと死ね」

 再び銃声が響き、ティファニアは腹に激痛を感じた。が、これ以上はショックからだろう、痛みを感じなくなった。脳裏に霞の様なボンヤリとした膜が掛かって行くかのように感じられ、眼の前のことが現実とは想うことができなかった。ただ、鈍い絶望だけが、(私の味方はどこにもいないのね。母の一族にさえ、このような扱いを受けて……どこに行けば良いのかしら? いいえ、行き場所は決まってるわ。死の世界よ。このまま弾を撃ち込まれて、私は死ぬ)という想いだけであった。

「その辺りでやめておいてくれないか? あらかじめ、観て、知って、理解して、覚悟を決めていたとは言え、それでも眼の前のこれを……これ以上堪えることができそうにないんだ」

「安心しろ。こいつの次は貴様を殺す。そう感じるのも今だけだ」

 俺の言葉に、ファーティマは明確な殺意と敵意をもって言葉を返して来た。

「そか。なら、死ぬ覚悟は決まっているか? ……彼の“英雄王”が集めし、“王の財宝。その一端を見せてやる”。そして、疾く往ぬと良い」

 俺は、“鍵剣バブ=イル”を“投影”し、“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げる。

 俺の背後の空間は歪み、金色一色に光り輝き、そこから色取り取りの剣や槍、斧……“武器”の数々が顔を出している、その全てが一級品であり、また、“宝具”の“原典”である。

 “エルフ”達は例外なく息を呑み、驚愕と畏怖の念を抱いた様子を見せる。

「――な……!?」

 俺が“エルフ”達と相対している時、ティファニアは自身が負った傷から、死を明確に感じ取り、(嫌だ。死にたくない)と想った。泣きそうな気持ちで、そう想った。(死にたくない。サイトに逢いたい。死にたくない)、と。

 そして、無意識の内に、ティファニアは“杖”を引き抜き、“呪文”を唱えていた。呆然とした意識の中で、ただ、(サイトに逢いたい)と考えているのである。死んでしまう前に、単純に、好きな人に逢いたい。それだけを、考えているのである。

 そんな状態だからこそ、ティファニアは唱えたのかもしれない。冷静な状態であれば、絶対にといっても良いほどに唱えないであろう、その“呪文”を。

 なにせ、世界中にどれだけの人がいるのかも判らず、その中で、どういう導きによるモノか判らない上でその人が選ばれる確率は、砂漠でたった一粒紛れた砂金を探し出すのと等しいほどである。

 いや、その可能性が“ゼロ(虚無)”である、とうことをティファニアは理解していた。

「我が名はティファニア・ウエストウッド。“5つの力を司るペンタゴン”……」

 ティファニアが“呪文”を唱える間にも、恐怖に怯える“エルフ”達に依る銃声は響き続ける。が、其れがティファニアや俺に届くことはなく、剣などに遮られる。

 これ以上喰らうことはないが、それでもティファニアは死に体であるといえるだろう。それであっても、“呪文”を唱え続けた。意志の力だけが、彼女を動かしているのである。

 そんなティファニアを目にし、俺に次いで、“エルフ”の水兵達は彼女に対しても怯えた様子を見せ始める。

「“悪魔”め! なんの“呪文”を唱える気だ? やってみろ! 1度、“悪魔”の(わざ)を見たいと想っていたのだ」

 ファーティマは叫んだ。

 ティファニアは力を振り絞り、後半の言葉を紡ぎ出した。

「“我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ”!」

 “呪文”が完成した。

 小舟の上に、光るなにかが現れ、ファーティマ達は思わず目を伏せる。

 ティファニアは薄れ行く意識の中で、(救けて。サイト……救けて)と呟いた。

 

 

 

 いきなり現れた光の“ゲート”を避けることもできず、“小型哨戒艇”を操っていた才人は其の中へと飛び込んだ。

 才人は、(何だ?)と想う暇も無く、ティファニアの居る小舟の上へと瞬間移動をした。

 小型哨戒艇の速度――30ノットの速度のまま現れたために、才人は、“ゲート”の真ん前にいた俺に打つかりそうになる。

 が、俺は即座に避けた。

 そのため、才人とファーティマが打つかる羽目になり、激突してしまう。そのまま一緒に海に雪崩れ込んだ。

「何事だ?」

 水兵達が、ざわめいた。

 才人が、ガバッ! と水中から顔を出す。

 水兵達の反応は速かった。咄嗟に、才人に向けて銃を放つ。

「――うわっ!?」

 訳も判らず、才人は潜ることで躱してみせる。

「なんだ!? 一体なんだ!?」

「ありゃ、さっきの洞窟だねここ」

 デルフリンガーが恍けた声で言った時、水中にいたイルカが、才人をボールのように跳ね上げた。

 ザバーン! と飛沫を上げて、才人は小舟の上に降り立った。

 そこに広がる光景を見て、才人は息を呑んだ。

 先ず、才人の目に飛び込んで来たのは、腹を押さえてうずくまるルクシャナの姿である。そして、血まみれになって倒れている……。

「テファ!」

 才人の中から、(どうして俺が、“小型哨戒艇”の上から一瞬でここに来られたのか)などといったそのような疑問も吹き飛ぶ。思わず飛び付こうとしたその時、再び水兵達が銃を撃つ。

 当然、俺が遮っているために当たるはずもないのだが、才人は一瞬だけそちらへと目を向け、再びティファニアへと戻す。

 どう仕様もないほどの怒りが、才人を包んでいた。(こいつ等は、艦隊を囮にして、ここに少部隊を回して来たんだ。考えが足りなかった。セイヴァーがいるから、と安心し切ってた)、と後悔するが、後の祭りであることもまた理解する。

 情けなくて、悔しくて、でもどうにもならなくて、才人達は“エルフ”達を睨んだ。

「赦さねえ」

 小舟の上から、才人は一足に跳んだ。着地と同時に1人の“エルフ”を斬り下ろして殺そうとした其の時、ティファニアの叫びが脳裏に響いた。

「殺しちゃ駄目! 私達、ホントに悪魔になっちゃう!」

 才人は咄嗟に太刀筋を変え、銃を切り落とした。

 “エルフ”は次いで“魔法”を唱えようとしたが、才人に思い切り柄頭を鳩尾に叩き込まれ、悶絶する。

 残りの水兵達は銃を捨てて、曲刀を抜き放った。

 才人は、(テファはまだ生きてる!)、と喜びを感じ、幾分か冷静になることができた。

 どの道、“エルフ”の水兵が握った曲刀では、“ガンダールヴ”の人達すら受けるのは不可能で在るのだが。

 10秒も経た無い内に、“エルフ”の水兵達は獲物を叩き落とされ、這々の体で海の飛び込み、逃げ出した。

 才人はティファニアに駆け寄ろうとしたが、小舟の上に攀じ登ったファーティマが、瀕死に近いティファニアに銃を突き付ける。

「動くな! その剣、と妙な武器を仕舞え!」

 その“エルフ”の少女――ファーティマはティファニアに顔立ちが似ている、とうことに才人は気付いた。

「ちょっとでも動いたら、こいつを撃つ」

「動かなくっても、撃つんだろ?」

「おまえの銃撃と、こちらの射出。どちらが速いか比べるか?」

 冷静な声で、才人は言った。

「良いか? 長耳。良く聴け。ティファニアを撃ったら、俺はおまえを絶対に殺す。なにがあっても、絶対に殺す!」

「この!」

 ファーティマは才人に銃を突き付けた。

 その瞬間、才人は跳躍した。

 その跳躍が余りにも素早いモノであったために、ファーティマには視界から才人が消えたように見えた。肩に衝撃が奔り、ファーティマは小舟の上に崩れ落ちる。頭上から、才人に依る一撃を受けたのである。

 峰打ちではあるが、肩の骨を砕くには十分であるといえるだろう。

 激痛で、ファーティマは昏倒する。

 それには目もくれず、才人はティファニアに駆け寄った。

「テファ!」

 ティファニアが負っている傷は酷かった。身体中に銃弾を撃ち込まれ、虫の息である。

 慌てて治療を施そうとするのだが、才人は自分がなにも持っていないということに気付く。

 才人は、ティファニアを抱え起こした。

 後悔と、哀しみが一緒に襲って来て、(俺が、もうちょっと頭が良かったら……陸戦隊を寄越すことなんて簡単に予想できたのに……ちょっと冷静になってみれば判ることなのに。焦って、冷静な判断ができなくなっていたのは俺だ。せめて、せめてさっき……ティファニアの言う通りに連れて行ってれば……)と才人はどうにもならなくなってしまった。

「テファ! テファ!」

 才人が必死に呼び掛けると、ティファニアの目がユックリと開いた。ホッとしたのも束の間、その目から急速に生の光が消えて行く。

「しっかり! しっかりしろ!」

 そんな月並みな台詞しか口にできないほど、今の才人は、焦りと哀しみなどが綯い交ぜになり、訳が理解らなくなっていた。

「良かった……間に合って……」

「間に合ってないよ! 俺……馬鹿だ。テファを守れ無いで……何が“ガンダールヴ”だ! なにが“シールダー(盾の英霊)”だ! 一緒に、せめて一緒に“小型哨戒艇”で行ってれば……」

「違うの……そうじゃ無いの。私、嬉しいの……“召喚”を唱えたら、サイトが来てくれた。私の居場所……あったんだって……私とサイト、ちゃんと絆で結ばれてたんだって……」

 才人の目から涙が溢れた。(そこまで俺の事を)、と想ったことで、もうどうにもならなくなったのである。

「居場所なんか、どこにだってあるよ! だから、だから……」

 ティファニアは、咳込みながら“呪文”を唱え始めた。

「我が名はティファニア・ウエストウッド……い、5つの力を司るペンタゴン……こ、この者に祝福を与え……我の“使い魔”と……なせ……」

 弱々しくティファニアは才人の頭を抱えた。

 ティファニアのその目を見た時、どうして自分の前に“ゲート”が開いたのかを、(普通で在れば。本来で在れば……別の誰かの“使い魔”になっている俺の前に、“ゲート”は開かないだろう。でも、テファの想いは、そんな理を撃ち壊したんだ。ただ、俺との絆を得たい、という想いが、“魔法”の理を超えたんだ)と才人は理解した。

 ティファニアが首を傾げる。

 才人はユックリと、その唇に自身のそれを押し当てた。そうしなければならなかった。

 才人からすると、(之はティファニアの、最期の願いだから。此処迄俺の事を)、と其の気持ちがとても意地らしく、ティファニアの事が此の上無く“愛”しく感じられたので在る。また、それしかできないことがとても悲しく、もどかしくも感じられた。心の中で、何度も詫びた。涙が次から次へと溢れ、ティファニアの頬をも濡らして行く。

 ティファニアは唇を離すと、小さく「ありがとう」と呟き、目を閉じた。

「テファ……!」

 そう呟いた時、なにかが焼け付くような、刻印が刻まれるような激痛を、才人は感じた。

 激痛と心が潰されるような悲しみに耐え切ることができず、才人は気を失った。



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聖地回復連合会議

 “ガリア”の首都“リュティス”。

 郊外に位置した、“ヴェルサルテイル宮殿”では、“聖地回復連合軍”を組織するための会議が行われている。

 広い会議室の上座に座るのは、教皇ヴィットーリオ・セレヴァレ。その後ろには、補佐官としてジュリオが影のように立っている。

 自身の城であるにも関わらず上座をヴィットーリオに譲り、向かって右側に座っているのは、“ガリア”新女王として即位したばかりのジョゼットである。だが、彼女は今、“シャルロット女王”としてこの席に座っている。ジョゼットが、シャルロットことタバサの双子であるということは、混乱を避けるためにまだ公にはしていない。この事実を知る者は、家族――姉であるタバサ、母親であるオルレアン公夫人、タバサの“使い魔”であるシルフィード、タバサの“サーヴァント”であるイーヴァルディ、オルレアン一家の執事であるペルスラン、才人やルイズを始めとしたタバサとの交友関係を持つ“魔法学院”の面々、そして、この場にいるヴィットーリオとジュリオ、また、彼等2人の直属の部下だけである。

 ヴィットーリオの左に座っているのは、アンリエッタである。

 更にその左には、“ゲルマニア”皇帝、アルブレヒト3世の姿が見える。

 そして、各国の将軍や文官達が、末席へと続いて行く。

 が、この会議室の中に“アルビオン”女王の姿はない。代わりに、ホーキンスが出席している。

 会議は重苦しい雰囲気に包まれている。その沈黙を破るように口を開いたのは、“ゲルマニア”のアルブレヒト3世であった。

「聖下に御伺いしたいのだが、よろしいかな?」

 尊大な態度を崩そうともせずに、アルブレヒト3世が口を開いた。

「どうぞ」

「“聖地回復連合軍”を組織すると言われるが、単刀直入に勝ち目はあるのですかな?」

「勝ち目がある、ないではありません。我々は住処を失おうとしている」

「斯と言って、戦は闇雲に仕掛ければ良いというモノではない。下手に手を出して、逆に滅ぼされたらなんとする? 滅亡を早めるようなモノですぞ?」

「我々には切り札があります」

「ああ」

 と、アルブレヒト3世は鼻白むような表情を浮かべる。

「なんですかな? 使者の方より聞きましたが、真の“虚無”が復活したとか?」

「その通りです」

「“虚無”と言えば伝説の“系統”。もしそれが本当なら……」

 そこでアルブレヒト3世は、辺りの面々を見回した。誰もが真剣な顔をしている。ふむ、と髭を扱きながら、アルブレヒト3世は首肯いた。

「本当のようですな」

 アルブレヒト3世のその顔が、厳しいモノへと変わる。

「驚かれないのですか?」

 アンリエッタが、軽く驚いた顔で尋ねる。

「驚いて欲しかったのですか?」

 今まで内心小馬鹿にしていた男にそう返され、アンリエッタは恥ずかしそうに顔を伏せた。

「そりゃあ、地面が浮き上がる時代ですからな。伝説も目を醒ますと言うものでしょう。ですが、それだけで安心されよと言われても困る。私は貴方方とは違い、なるほど伝統を知らぬ田舎者。“始祖”の血を引いてはおりませぬ。で、あればこそ、伝説、などというモノに全てを賭ける気にはなりません。私はこの目で見たモノしか信じられませぬ故」

 冷徹な現実主義者の顔で、アルブレヒト3世は言い放った。彼の祖国“ゲルマニア”は、野蛮な成り上がりの国と揶揄されることが多かった。だが、その格下には格下ならではの意地というモノが、その表情には漂っている。

「“虚無”の(わざ)を見たいと欲されるのですか?」

 するとアルブレヒト3世は、その質問を待っていたと言わんばかりの顔で、笑みを浮かべる。

「“アルビオン”の艦隊を吹き飛ばしてみたり、空に幻影を浮かべてみたり……確かに派手ではある。だが、それが果たして“エルフ”に通じるかどうか。未知数でありますな」

「それが“虚無”だと、御存知でしたか」

「私だって、ただ眺めていただけではありませんからな。さて、私はこうも聞いている。あの“アルビオン”艦隊を吹き飛ばした規模の“爆発(エクスプロージョン)”は、もう撃てないと。なにせ“精神力”を消耗しますからな! 違いますかな? 我等は貴重な“精神力”を、内輪の揉め事に使ってしまったのです」

 アンリエッタは困ったように、ヴィットーリオの方を見詰めた。実のところ、アンリエッタもそれが疑問に想えてならなかったのである。ルイズやヴィットーリオが使う“虚無”。確かに強力ではあるが、“エルフ”を相手にして自由に扱えるモノであるのか、あとどれくらい放つことができるのか、という疑問を。それに加え、今は才人とティファニアが攫われ、ルイズ達はそれを救けに行っている状況である。今現在直ぐに行動できる“虚無の担い手”は、ヴィットーリオとジョゼットの2人だけである。そのような状態で、“聖地回復連合軍”を組織しても大丈夫だろうか、という疑問も、だ。

 アルブレヒト3世は、追い打ちを加えるように言葉を続けた。

「戦を決めるモノがなにか、教皇聖下は御存知か? 駆け引き。策略……恐らくはそう御考えなのだろうが、そんなモノではありません。力です。単純な力こそが1番強い。我等はその力を持っているのかどうか。私が知りたいのはそれだけです」

「聖下。私も、“ゲルマニア”と同じ考えですわ」

 アンリエッタも同意する。

「しかも、現在は“担い手”を複数欠いている状態です。このような状況で、“エルフ”相手に勝ち目はあるのですか?」

「その件については心配なさらぬよう。手は打ってあります」

「本当ですか?」

「ええ。手練の使い手を、派遣しております」

 アンリエッタは、皆のことが心配でならなった。彼女にとって、彼等はただの戦の駒ではないのである。信頼できる友人達なのだから。それから、(望みがあるとすれば……攫う、ということは、生かして置くつもりということよね。“エルフ”の地に乗り込んで行ったルイズ達はどうなったかしら? やはり、捕まってしまったのかしら?)と考えた。次いで、(首に縄を付けてでも止めるべきだったのかしら?)と唇を噛み締めた。

「なにか進展がありましたら、直ぐに私にも報せて頂けますか?」

「もちろんです。さて、先程の皆さんの疑問ですが、“4の4”が揃わずとも、我等の“魔法”は強力です。安易に使う訳にはいかぬ故、そこは信じて頂く他はない」

「どう信じろと!?」

「ここの、“ガリア”女王であられるジョゼット殿の扱う“エクスプロージョン(爆発)”は、恐らくあの当時のミス・ヴァリエールのそれを上回るでしょう」

「あれが、きちんと撃てると言うのか? もっと大きな規模で?」

 これまで黙っていたジョゼットが、口を開いた。

「はい。いくつかの“呪文”を習得しましたが、私はまだ放っておりません。ただ、この身に宿る“精神力”の高まりは、強く感じております。その威力も……」

 しばしの沈黙が流れた。

「その言葉が偽りではないという証拠は?」

 するとジョゼットは、笑みを浮かべた。

「この件で、“ゲルマニア”皇帝陛下の満足が戴けなかった場合、我が国の領土を半分、提供いたしましょう。もし、のこう領土があれば、の話ですが」

 アルブレヒト3世は、ジッとジョゼットを見詰めた。それから深い溜息を吐いた。

「……その御言葉、信じますぞ」

 ヴィットーリオは、笑顔になると首肯いた。

「結構。我等の敵地で兄弟達を奪い返し、更に強力な陣営となりて、“エルフ”の首都“アディール”を落とし、“聖地”を取り返すことでしょう」

「そして、その地に眠る“魔法装置”を作動させ、“ハルケギニア”の危機を救う。そういうことですわね?」

「ええ」

 アンリエッタは目を細めた。微妙に、ヴィットーリオの顔が曇るのを見逃さなかったのである。

「……ルイズとシオン達の帰還を待って、という訳にはいかないのですか?」

「そうできれば良いのですが」

 ヴィットーリオは瞳に憂いを込めた顔で言った。

「“エルフ”側に混乱を起こし、救出を容易くするためには、軍を侵攻させるのが手っ取り早い」

 ヴィットーリオの威勢の良いその言葉に、アルブレヒト3世は大声で笑った。

「なにか可笑しなことを言いましたか?」

「いやいや。やっと覇気のある言葉を聞けたことに安心したのです。なるほど、“竜の卵が欲しければ、竜の巣に入れ”という言葉もありますからな。よろしい。乗りましょう。どの道、他に手はないのですから」

「では引き続き、軍の編成をよろしく御願いします」

 そう言うと、ヴィットーリオは立ち上がった。

 それでもアンリエッタが心配そうな顔で見ていることに気付き、ヴィットーリオは「未だ何か?」と問い掛けた。

 いえ……と、アンリエッタは首を横に振る。

 ヴィットーリオは、ジュリオを連れて退出して行った。

 その後に、“ガリア”女王のジョゼットも続く。

 アンリエッタは、そのヴィットーリオの背を見ながら、(この人は、なにか私達に隠している。それも大事ななにかを。セイヴァーさんと同じように)と確信に近いなにかを抱いた。

 

 

 

 ヴィットーリオは、自身に用意された部屋に引っ込むと、眉間に指を押し当てる。なにかを考え込むようにした後、首を横に振った。

 そんな主人に、ジュリオは笑みを浮かべて言った。

「御疲れですか?」

「まあね」

「僕はたまに、本当のことが言いたくなりますよ」

「私もです」

「斯の地に“魔法装置”など存在しないことを。況してや“4の4”を揃えて完成する“虚無”では、この“大陸隆起”を止められないことを」

「言うべきではないですね」

「それでも我等は、“聖地”を目指す……いいえ、だからこそ、と言った方が良いんでしょうね」

「ええ」

 ヴィットーリオは首肯いた。

「地獄のような戦いが、待っているんでしょうね」

「そうだね」

 2人はしばし顔を見合わせると、くっくっくっく、と笑い出した。

「我等は耐えられるでしょうか?」

「それは、やってみなければ判らない」

 そのような会話をしているので、当然ジョゼットは唇を尖らせる。

「2人でなにを盛り上がっているの? 今日は大事な日なんでしょう?」

「そうだったね」

 ヴィットーリオとジュリオは、笑うのをやめた。真面目な顔になると、ジュリオはジョゼットに訊ねる。

「準備は良いかい?」

「私はとっくにできていますわ。でも、ジュリオ以外の人を“使い魔”にするつもりはありません」

 ヴィットーリオは、優しく諭すように言った。

「ジョゼット、ジュリオは既に私の“使い魔”なんですよ?」

「知っております。でも聖下は仰ったではありませんか。強い想いは、“使い魔”を引き寄せると」

「ええ」

「かつて、“始祖ブリミル”が最後の“使い魔”を“召喚”しようとした時……“使い魔”になっていた“エルフ”の娘が、再“召喚”された。それは、“始祖ブリミル”が、強く彼女を“愛”していたから、なんでしょう?」

「はい。そうです」

 ヴィットーリオは、伝承、に書いてあったことを想い出して言った。

 かつて、“始祖ブリミル”は、最後の“使い魔”を“召喚”した際、既に“ガンダールヴ”となっていた“エルフ”の少女――サーシャを喚び出したのである。

「“虚無の使い魔”は、2つの理由から“召喚”される。“運命”、次に“愛”。そうでしょう?」

「そうですよ」

「ならば私が“召喚”する“使い魔”は、ジュリオに相違ないわ。私とジュリオが、あの“セント・マルガリタ修道院”で出逢ったのは“運命”だもの。そして、私は誰よりジュリオを“愛”している。私のこの気持ちだけは、“始祖ブリミル”にも負けないわ」

「それはどうかな?」

 ジュリオが、からかうように笑った。

「もう! 信じないって言うの?」

「いや……ただ、そこまで人を“愛”することは難しいってことさ。君が想っているほど、君は僕のことが好きじゃないかもしれない。恋は麻疹みたいなモノって言うだろ?」

「詰まり、私が恋に恋しているって言いたいの? 貴男へのこの気持ちは、“愛”じゃないって。そう言いたいの?」

「そうじゃない。そこまで強いモノじゃないかもって。そういうことさ。あのねジョゼット。僕は君を気遣って言ってるんだぜ? もし、喚び出したのが僕じゃなかったら、君は傷付くだろうからね」

 するとジョゼットは、真顔になった。

「傷付く? もし、喚び出したのが貴男ではなかったら、私は死ぬつもりよ」

「おいおい、ふざけたことを……」

 ジュリオはそこまで言って、ジョゼットの顔がどこまでも真剣なことに気付いた。

「ふざけてなんかないわ。人を“愛”するってそういうことでしょう? 私はあの“セント・マルガリタ”を出る時に決めたの。一生貴男に着いて行くって。貴男を“愛”していたからよ。貴男への“愛”が、本物でないとうことならば、私の決心も嘘になる。そんな私に、生きる価値なんかないわ」

 ジョゼットは、裾に隠し持っていた短銃を取り出した。

「おいおい、ジョゼット。そんなモノはしまうんだ」

「もし、喚び出したのが貴男でなかったら。この場所に“召喚のゲート”が開かなかったら。私はこれで頭を撃ち抜くわ」

 ジュリオは無言でそんなジョゼットから短銃を取り上げようとした。

「近付かないで。それ以上近付いたら、私、今直ぐに自分の頭を撃ち抜くわよ」

 ヴィットーリオが、微笑を浮かべて言った。

「貴男の負けですね。ジュリオ」

 するとジュリオは、困ったように首を横に振った。それからするりと腰から剣を引き抜く。

「理解った。もし、喚び出したのが僕でなかったら、僕はおの剣で己の喉を貫こう」

「貴男は関係ないじゃない。これは私の“愛”の問題なのよ?」

「理解らない娘だな。君の“愛”の問題は、僕の問題でもあるんだぜ? そこまで言ってくれた君の“愛”が嘘なら、僕にだって生きる価値はない」

 すると、ジョゼットの目から涙が一筋、溢れた。感極まった声で、ジョゼットは呟いた。

「貴男を“愛”しているわ。ジュリオ」

「僕も君を“愛”しているよ。ジョゼット」

 ジョゼットは、左手で短銃を頭に突き付けたまま、“呪文”を唱え始めた。その口から“召喚”の“呪文”が紡がれて行く……。

“呪文”が完成するまでの間、ジュリオもヴィットーリオも口を開かなかった。

 

 

 

 “呪文”が完成すると、ジョゼットはユックリと“杖”を振り下ろした。

 時間にすればわずかに数秒の出来事ではあるが、ジュリオもジョゼットも、その間を永久の時のように感じた。

 ブワッと、そんな重い空気を押し退けるようにして、ジュリオの前に“ゲート”が開いた時……ジョゼットはユックリと床に崩れ落ちる。

「ジョゼット!」

 ジュリオは慌ててジョゼットに駆け寄った。その身体を抱え起こすと、ジョゼットの目が薄く開いた。

「安心したら、気が抜けたの……」

 ジュリオはジョゼットの手から短銃を取り返すと、部屋の隅に放った。

「馬鹿な娘だ! もし、開かなかったら、本気で死ぬつもりだったのか?」

「本気よ」

 ジュリオは立ち上がると、その“ゲート”を潜る。直ぐにジョゼットの前に現れるので、ただ光の鏡を潜ったたけに見える。

 ジョゼットは、そんなジュリオにキスをしようとしたが、ジュリオはそれを制した。

「どうしたの?」

 だが、ジュリオはそれに答えず、ヴィットーリオの方を見詰めた。

「もし、“胸”に“ルーン”が現れたら、そういうことなのでしょうか?」

「そういうことだね。でも、その可能性はないと言っても良いでしょうね。ジョゼットは、ジョゼフ王の代わりとなる“担い手”。となれば、“使い魔”もそれに準じるでしょう」

「ミス・ヴァリエールが、“ガンダールヴ”を擁するように?」

「ええ」

「……安心しましたよ。殉教はやぶさかではないが、まだやりたいことがありますので」

 キョトンとした顔で、ジョゼットが尋ねる。

「どういう意味?」

 しばらくジュリオは黙っていたが、そのうちに首を振る。

「いや、なんでもない。ジョゼットが心配しなくても良いことだ。続けよう」

 ジョゼットは、“呪文”を唱え始めた。

「我が名は“ガリア”女王ジョゼット。“5つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の“使い魔”となせ……”」

 そしてジョゼットは、ジュリオに口吻した。

 ジュリオは額に焼けるような熱さを感じ、押さえた。

「ジュリオ、大丈夫?」

 ジョゼットは、ジュリオに縋り付いた。

「平気さ……なに、胸に現れることに比べたら、額にこの痛みなんかなんでもないよ」

 その額の痛みは、ジュリオが“リーヴスラシル”ではないということを示すモノであった。どれほど熱く焼けようが、詰まりは生の痛み……。

 その生の痛みに耐えながら、ジュリオは呟いた。

「我等は確実に、“始祖ブリミル”の偉業を(なぞ)っているようですね」

「ええ。最初の“召喚”は“運命”。次は“愛”。己の“使い魔”を“愛”してしまった、“始祖ブリミル”の足跡を、私達は(なぞ)らんとしている」

 満足げに、ヴィットーリオは首肯いた。

「となると、残るはティファニア嬢の“使い魔”……皮肉なモノですね。心優しい彼女の“使い魔”が、1番残酷な“運命”を担うことになろうとは」

「全ては、我等“マギ族”のためなのです。民のためとあらば、我等はどんな残酷な“運命”をも、受け入れねばなりません」

 ジュリオは目を瞑ると、唄うように言った。

「まさに残酷な“運命”ではありますね。殺しても何度でも蘇る“虚無”」

 ヴィットーリオがそれを受けて呟く。

「蘇るのを止める方法は1つだけ」

「だからこそ、彼で成ければ成ら成い」

「ああ。彼ならば必ずや、サーシャの愚は犯さないと信じています」

「ですね」

 と、ジュリオは首肯いた。

「心配はしていません。彼はミス・ヴァリエールの為に、110,000の前に立ち塞がった男の1人ですから」

「謂わば、必ずや“愛”に殉じる男」

 ジュリオは、東に面した窓を見詰めて言った。

「上手く救出できれば良いのですが」

「そうだね。ホントに、そうだ」



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エルフの土地へ

 “ゲルマニア”の上空を、“オストラント号”は航海していた。“ガリア”の上空は“ロマリア”が押さえているために避け、“オストラント号”の所属国である“ゲルマニア”を使ったのである。

 ルイズは船首に立ち、ジッと東の地を見詰めていた。航海中、寝る時以外はズッとそうしているのである。

 その姿は、まるで伝説の“聖女”のようであるといえるだろう。新天地を求めて航海する船を導く、聖なる道標……。

 だが、そんなルイズの姿を見守るシオン以外の仲間達は気が気ではなかった。

 ルイズはなにせ、情緒不安定なところがあるためである。

 才人が“エルフ”に攫われて、もしかしたら心を失わされているかもしれない。そのような状況……ルイズにとっては、気が気ではなであろう。心配、などといえるモノではないであろう。

 いつなんどき、ルイズが絶望して“フネ”から飛び降りても可怪しくはないのである。

「あいつ、大丈夫かな? ずっとあの調子だぜ?」

 マリコルヌが、心配そうな声で言った。

 “オストラント号”が、“ド・オルニエール”を発ってから10日ほどが過ぎている。本当であれば、3日もあれば“ゲルマニア”を抜け、“未開の地”と呼ばれる森と荒野が広がるほぼ無人の地を抜け、今頃は“砂漠(サハラ)”の空の上を飛んでいるところであるのだが、途中で“風石”を補給したり、“蒸気機関”が不調をきたしたりなどをして、“ゲルマニア”の港でもって“風石”を積み込んだり、修理したりで時間が掛かってしまったのである。

 その間、ルイズがずっとこのような調子である。苛々するのではなく、取り乱すこともなく、大人しく東の地を見詰めているのである。

 そんなルイズの様子が誠に意地らしく、また健気で、同時にとても悲しく、仲間達は遣る瀬無い気分に成るので在る。

「うーん……何だか想い詰めてる様子だね」

 ギーシュは、いつだか、皆がそう言っていたために才人が死んだ、と想ったルイズが“火の塔”から飛び降りたことを想い出し、首を横に振った。

「あの時は僕の造ったサイトの像がルイズを救ったが……今回ばかりはキツイな」

「なあ。僕達で慰めてやろうじゃないか」

 マリコルヌが、慈悲溢れる笑みを浮かべて、ギーシュの肩を叩く。

「うーん、君はなにもしない方が良いんじゃないかね?」

「なにを言うんだ? 僕はこれでも、女の子を慰めたら天下一。慰めキングこと、マリコルヌ・ド・グランドブレだよ。“トリスタニア”じゃ、僕に慰められたい女の子で行列ができるほどなんだ」

 嘘にもほどがある。

 だが、確かにルイズの事を心配していることも理解るであろう。

 ギーシュは、(心のケアをしてやらんとなあ)と腕を組んで考える。

「なに善からぬ相談してるのよ?」

 甲高い、怖い声が響いた。

 振り返ると、眼鏡をキラーンと光らせて、長身、細身の女性が立っていた。

「御姉様! 僕の御姉様!」

 マリコルヌがガバッと抱き着こうとしたので、エレオノールはサッと避けると見事に足を振り回し、マリコルヌのその出張った腹に爪先を捻じ込んだ。

「フゲッ!?」

 まるで蛙が潰されたような声を上げ、マリコルヌは甲板に倒れ込む。

「だから」

 エレオノールは、マリコルヌのその腹を更に蹴り上げた。

「御姉様と」

 エレオノールは、マリコルヌのその腕を踏み付けた。

「呼ぶな!」

 エレオノールは、マリコルヌの顔を踏み付ける。

 マリコルヌはピクピクと痙攣し始めた。

 エレオノールはマリコルヌに一瞥すらくれずに、ギーシュに向き直る。

「仰い」

「よ、善からぬ相談なんかじゃないです! 僕達でルイズを慰めてやろうか、なんて相談していたんです。はい」

 冷や汗を垂らしながらギーシュは説明した。

「全く! あんた達みたいな碌でなしに、女の子が慰められる訳ないじゃないの」

 エレオノールは、キッ! と目尻を上げると、言い放つ。

「その通りです。僕達は、御姉様の足元にすら及ばない虫けらですから……」

 甲板の上をのた打ち回りながら、マリコルヌが言った。

「良いから私に任せときなさい」

「ホントですか!? 御姉様の慰めテク、拝見できるですか!?」

 マリコルヌがピョコンと立ち上がり、興奮したように捲し立てる。

 エレオノールはルイズの元にツカツカと近付いて行く。

 不安げに、ギーシュとマリコルヌがその後に着いて行く。

「ルイズ」

 エレオノールがそう呼び掛けると、ルイズは振り返った。

 ギーシュは、う、と息を呑んだ。

 ルイズの顔が、まるで悟り切ったような、穏やかなモノであるためだ。どことなく、無理をしている、とそんな空気が滲み出ているのである。

「エレオノール姉様。どうしたの?」

「あのねルイズ。男は1人じゃないのよ。世の中の半分は男。だから元気を出すのよ」

「最悪だ」

 ギーシュは呻くように感想を漏らした。

「すんごい……いきなり呑底に叩き落とすなんてぇ……流石おねえたま……ハァ。ハァハァ」

 マリコルヌは、息を荒くしながら、そんな姉妹の様子を見詰めている。

「え? え?」

 ルイズが驚いていると、エレオノールは言葉を続けた。

「私もね、かつて将来を誓い合った殿方がいたわ。バーガンディ伯爵。初めはね、運命だと想ったの……だから婚約を解消された時は傷付いたわ。でも、時が経てば理解るの。あれは、麻疹みたいなモノなんだって」

「こういう時の自分語りって苛つくもんだよね」

「うん」

 ギーシュとマリコルヌが首肯き合う。

 だが、ルイズはそんなエレオノールにニッコリと微笑んだ。

「ありがとうエレオノール姉様。私を慰めてくれようとしてるんでしょう? でも、私なら大丈夫」

「ルイズ?」

「これはもう駄目なんじゃないかって時も、何度もあった。でもそのたびに、あいつはいつも笑って帰って来たの。あいつの居場所は、私の側しかないし、私もそうなの。それはね、理屈じゃないの。決まってるの。だから絶対に、今度も大丈夫。“令呪”だってある。夢で、何度も繋がりを確認できてるわ。だから大丈夫」

 エレオノールは、はぁ、と溜息を吐いた。

 こういったことに弱いギーシュは、感極まって涙を流している。

 マリコルヌが、ポツリと言った。

「ルイズの言う通りだ。あいつは生きてる」

「マリコルヌ」

「僕は2人の“愛”に感動した。“ゼロ”だのなんだの昔は馬鹿にしてごめんな」

「ううん。良いの。私こそ、さんざん非道いこと言ったし、蹴ったり殴ったりしたわね。ごめんね」

「なに。気にしてないよ。ところであいつはなんのかんの言って、大丈夫だと想うけど。心配事が1つあるね」

「心配事?」

「ああ。あれだ。ティファニア嬢も一緒に攫わられたじゃないか?」

「そうね」

「良いか? ルイズ。冷静になって聴くんだ。セイヴァーがいるから一線を越えることはないだろうけど、そう言った極限状態では、男女の仲と言うものは深まりやすい」

「傾聴に値するわ」

 ルイズは身を乗り出した。

「これは僕の妄想だがね。まあ、こんな状態が予想される。“ああサイト。私達、これで御終いだわ”。“馬鹿を言うんじゃないテファ。希望を捨てるな”」

「続けて」

「“サイト抱いて”」

「ちょっと待って。“希望を捨てるな”と“サイト抱いて”の間が見えない」

「良いか? ルイズ」

 マリコルヌは、もっともらしく首肯いた。

「それが極限状態と言うモノなんだ。とまあそんな訳で、“テファ。胸大きいよテファ。ルイズなんかよりおっきい”。“ああサイト。ああサイト。ルイズよりおっきい胸、気持ち好い?” ――ゲフッ!?」

「殴って良い?」

「殴ってから、言わないでくれるかい?」

 鼻を押さえながら、マリコルヌは言った。

「そんなことある訳ないわ」

「いやまあ。と、これが僕の考える心配事でね」

 マリコルヌは、深い溜息を吐いた。

「あのでっかい胸を、サイトがどうにかすることを考えただけでぼかぁ、なんて言うか……」

「なんて言うか?」

「取り敢えず感想、訊いてやるぞと。絶対に」

「死んだ方が良い人って、いるのね」

「褒めるない」

「褒めてないわよ!」

「兎に角、そんなことになってたら、どうする?」

 ルイズは胸に手を置いて、首を横に振る。

「ありえないわ。あいつは私に夢中だもの」

「どのくらい?」

 マリコルヌに尋ねられ、ルイズは、最近では自分の方が夢中であるということに気付いた。気付くと、ジッと見詰めていて「チューしてくんなきゃ寝ない」くらいのことも言っているということを想い出す。

 だが、そのようなことを言って、マリコルヌに舐められるのも癪だということもあり、ルイズは得意げに髪を掻き上げた。

 次いで、ルイズは、“愛”された記憶を探る。(そうね。“ド・オルニエール”で、エレオノール姉様に怒られて、別々の部屋で練ることになった時……あいつってば、メイドやタバサを差し置いて、ちゃんと私の部屋に来たわ。それで、優しく肩を抱いて……きゃー! “俺にとってはおまえが全てだ”、なんてきゃー!)、と想い出し、(ヤバイ。私、“愛”されてるわ)と胸を押さえた。

「ルイズ?」

「“愛”されちゃってるわ。不味いわ……」

 傍から見てると、道を譲るべきほどのタイプのアレにしか見えないのだが、これはルイズの自分に掛ける呪文のようなモノである。そうすることで、天下無敵の美少女としての自信が沸々と漲って来る効果があるのであった。

 そうして、(私のサイトへの好きより、サイトの私への好きの方がおっきい。馬鹿ねー。そんなに私のこと好きでどうするのかしら? わ、私の好きなんてぇ、精々こんくらいよ。蟻の頭。あんたの好きはー、“ドラゴン”の頭)とそんな風に想うことで、どんな逆境にも負けるもんですかといったパワーが、ルイズの中で湧き上がって来るのである。

「あいつってば、2人切りになると凄いのよ。いつまでもジッと私のこと見てるの。それで“キスして良い?” なんて訊くのよ。私が、そんな気分じゃないのって断るでしょ? そしたらね、あいつどうすると想う?」

「知らない」

「土下座」

「いやいくらなんでも」

「ホントよ」

 ルイズはいきなりガバッと甲板に身を伏せた。

「“ルイズ様~、ルイズ様~。ルイズ様のその柔らかで麗しい唇に~、この犬めの~、犬めの~、唇を~、ちょっと触れさせることを御許しください~”」

 そこでルイズは、自分を見詰める多数の視線に気付き、ハッと顔を上げた。

 エレオノールとギーシュの他、いつの間にか、キュルケにコルベール、シエスタ、そしてタバサにシルフィードがいるのである。

 皆が呆れた顔で見ていることに気付き、ルイズは顔を真っ赤にした。以前のルイズであれば、ここで恥ずかしさの余り部屋に飛び込んで毛布を冠って引き篭もったであろう。が、今のルイズは違う。

 正々堂々と、ルイズは言った。

「まあ、あいつってばこんくらい私に惚れてるから。しょうがなく救けに行って上げるの。御褒美ね」

 その場の全員が爆笑した。

「そうだな。君みたいな困った女に惚れた男だものな。そんな良い奴、放って置く訳にはいかないよなー」

 ギーシュが悩ましげに首を振って言った。

「なに言ってるんですか。サイトさんがどうにかなる訳ありません。きっとティファニアさんとセイヴァーさんと3人、元気でやってますわ」

 澄ました顔でシエスタが言い放つ。彼女はどんな時でも才人を信頼し切っている。負けることなどありえない、と想っているのである。

「そうよね」

 ルイズは首肯いた。それから、(この場にいる全員が、自分の気持ちを理解ってる。シオンに“大丈夫”って言われて頭で理解はしててても、ホントは不安で押し潰されそうなこと、ホントは怖くてどうにかなってしまいそうなこと、必死になって自分を励ましてること、皆そんな自分をなんとか励ましたくって、でもどうすれば良いのか判らなくて。マリコルヌや、ギーシュや……エレオノール姉様だってそう。そうよ。絶対に落ち込んだりしない。負けるものですか。最後の最後まで、あいつを信じる。絶対に大丈夫だって。サイトとティファニア、セイヴァー……3人共、絶対に救け出す)と自分に言い聞かせた。

 でもそれでも……当然、完全に不安を拭うことなどできるはずもない。必死になって自分を奮い立たせても……もしかしたら、という、悪い想像が直ぐにルイズの頭の中を覆い尽くそうとする。消えないのである。1度は希望で満ちたルイズの心の中に、不安は直ぐに忍び寄り、そのような根拠のない、希望、を闇色に染めてしまうのである。1度そのような不安に襲われると、先程の高揚も、自信も、直ぐにどこかに行ってしまうのである。

 この1週間はずっとその繰り返しで……ルイズの心はもう限界であった。

 顔を逸らして溜息を吐くルイズを見て、コルベールは微かに眉を顰めた。それから、努めて平静を装った声で、一同に告げた。

「では諸君。前方に川が見えるだろう?」

 遥かな雲の下、地平線と平行に流れる川が見える。

「あの川を超えれば、いよいよ、“未開の地”だ。正確には“エルフ”の土地ではないが、勢力圏内ではある」

 一同は、緊張に身を硬くした。

「で、ジャン。これからどうするの?」

 キュルケにそう尋ねられ、コルベールは一同を見回した。授業で、実験のやり方を説明するような何気ない調子で、コルベールは言った。

「それでは作戦を説明する。後3時間で日没だ。夜を待って、川を超える。その後は一直線に“エルフ”の国“ネフテス”の首都、“アディール”を目指す」

 一同は息を呑んだ。

「そ、それが作戦だ」

 ギーシュが、呆れた声で言った。

 まるで猪のような猪突猛進であり、とても作戦と呼べるような代物ではないためだ。

「そうだ。“エルフ”に小細工は通じない。我々の武器はこの“オストラント号”の持つ快速と“サーヴァント”であるイーヴァルディ君とハサン君だけだ。この艦が全速力を出せば、追い付ける“フネ”は“エルフ”だって持っていない」

「“アディール”に着いた後は?」

「あの土地には、“評議会”が置かれた“カスバ”と呼ばれる大きな塔があるらしい。私も見たことはないが、恐らく城のように目立つ建物だろう。そこにこの“オストラント号”で乗り付ける」

「で?」

「一気に下船して、“エルフ”の高官を、誰でも良いから人質に取る。その人質と、サイト君とティファニア嬢、そしてセイヴァー君を交換する」

 一同は、本格的に絶句する。

「そ、そんな……敵の本拠地ですよ? どう考えたって無謀だ」

「どれだけの警備が施されていると想っているんですか?」

 エレオノールも、目を見開いて言った。

 ギーシュが、首を振った。

「“エルフ”もそう想う」

 コルベールは、淡々とした声で言った。

「まさか自分達の本拠地に、無謀にも突っ込んで来るとは考えない。“エルフ”は頭が良いから、逆になにか罠があると想って二の足を踏むだろう。なるほど、彼等“エルフ”にとって見れば、我等は蛮人かもしれぬ。だから思い切り、蛮人に成り切ってやろうじゃないかね?」

「もし失敗したら、どうするんですか?」

 と、エレオノールが尋ねた。

「その時は潔く全員討ち死にだ」

 アッサリとコルベールは言った。

「そんな無責任な!」

「だから私は強制しない。船員達も、全て此の前の港で下ろした。下りたい人間は、今の内に言ってくれ。この“フネ”ならば、私だけでも1日くらいなら動かせる」

 一同に緊張が奔る。

 だが当然、誰も、「下りる」、とは言い出さなかった。

 コルベールは、「ありがとう」と頭を下げると、歩き出した。

 キュルケがその後に続く。

 歩きながら、(なんて計画だ)、とコルベールは己を恥じた。

 こういった計画は、最低でも向こうの建物の見取り図を使って緻密な計画を立てねば、成功など覚束ないモノである。況してや、未知の土地で、そこに救出の対象が捕まっているかどうかも定かではない状況では。誰を人質に取れば良いのかも判らない。究極の行き当たりばったりである。

 皆から離れたあと、溜息混じりにコルベールは呟いた。

「私は正しいかね? どう考えても成功しそうにない。たぶん私達は死ぬだろう。そう言うくらい考えは良くないと想うんだが……冷静に考えると、他の結果が想い浮かばないよ。全くもって、“エルフ”は慈愛に満ちた種族ではない。敵に容赦はせんだろう。私だけで行こうとも考えたが、それでは万が一にも成功は覚束ない。無から、万分の1の可能性に賭ける……繰り返すが、そんな選択をした私は正しかったのかね?」

 キュルケは、そんなコルベールの肩に手を置いて言った。

「正しいか、正しくないかは、余り問題じゃあないわ。やるか、やらないかよ」

「有り難い言葉だ。でも確実に、1つだけハッキリしていることがある。私はここで行かなかったら絶対に一生後悔するということだ」

 あたしもよ、とキュルケは笑った。

「皆もそうよ。だからここにいるの。安心して、絶対に上手く行くわ。根拠なんかないけどね」

 それからキュルケは、溜息を吐いた。

「でも、あの娘、大丈夫かしら?」

「そうだな……」

 コルベールも悩ましげな顔になった。

「結局、最後はあの娘の“虚無”が頼りでしょ?」

「ああ」

「さっきは随分強がってたけど、あれで相当参ってるわよ。悲観しちゃうタイプだから」

「理解ってる」

 コルベールもそれが悩みであった。唯一、成功の可能性があるとすれば……“サーヴァント”の存在と、ルイズの“虚無”が全力を発揮することができた時……その2つが揃った時だけだからである。

 “エルフ”を本当の意味で負かせることができるのは、コルベール達が知る中では、“虚無”だけである。その“担い手”が、不安に押し潰され、実力を発揮できなかったらどうなるであろうか。

 万に1つの可能性もなくなっってしまうであろう。

 だが、こればかりは自分達ではどうにもならない、ということもまたコルベールは重々に理解していた。

 ルイズに真の意味で励ましを与える事が出来るのは……。

 コルベールは立ち止まるとキュルケに言った。

「あのメイド……シエスタ君、そしてシオン女王陛下を呼んでくれるかね?」

「理解ったわ、ジャン。そう言えば……シオン、さっきはいなかったけど、どうしたのかしら?」



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突破戦と悪魔の業

 コルベールが皆に作戦を説明している間、シオンは自室で自身が扱える“魔術”を、なにかを誤魔化すように確認していた。

 シオンもまた、ルイズと同様に不安などを覚えているのである。

 繋がっていることもあり、“原作”となんら変わりのないといえる訳ではないが、限りなく近い展開が保証され、未来(原作終了までの展開)に於いても問題などなに1つないということは、シオンも理解していた。

 が、それでも……未来が、なにか1つの出来事やズレだけで、全く違うなにかに変わってしまう可能性を、シオンは恐れているのである。そしてまた、“剪定事象”であるこの世界だが、“剪定”される時期についてはまだ知らない。いつなんどき終わるとも判らないのである。が、それは決して今ではないということもまた理解していた。それでも……(バタフライエフェクトかなにかで、今にでも、明日にでも“剪定”されてしまうんじゃ……)と云った不安が、シオンを襲っているのである。

 決して目に見えない恐怖が、シオンを包み込もうとしていた。

「大丈夫……大丈夫……」

 シオンが深呼吸をすると同時に、ドアがノックされた。

 

 

 

 

 

 “エルフ”の空中哨戒艦は、“ハルケギニア”のモノとはかなり様相が違っている。“風石”で浮かぶというところは同じだが、帆走する“ハルケギニア”のモノとは違い、まるで馬車のように“竜”に牽引させるのである。

 風任せの“ハルケギニア”の船よりも、平均して1.5倍の速度を出すことができる。

 数十頭の“風竜”によって引っ張られる船体は楕円形で、水棲昆虫のような姿形をしている。舷側には装甲が貼られ、その装甲の隙間から大砲が幾つも覗いている。帆が必要ないということで空いた甲板の上には、“鯨竜艦”のように旋回式の砲塔が備えられている。

 “ハルケギニア”の“貴族”と“エルフ”達は仲が悪いが、“平民”レベルであればそれなりに交易も行っている。“エルフ”の商船を狙って、国境沿いはヒトの空賊が繁く暴れ回っている。

 この哨戒艦達の主な任務は、そういった空賊船から“エルフ”の商船を守ることである。“エルフ”は1人1人が優れた戦士ではあるが、空賊船は数隻で船団を組み、兎に角力押しをして来るのである。そういったこともあって、商船程度であれば直ぐにやられてしまうために、哨戒艦が必要になるのである。

 “未開の地”上空を遊弋する、此の“メスディエ号”もその哨戒艦の1隻である。

 “未開の地”とは、“ゲルマニア”と“砂漠(サハラ)”の間に広がる、森と荒れ地を指す。“エルフ”とヒトはほとんど住んでいない。主に、“亜人”……“トロル鬼”や“オーク鬼”、そして“翼人”が暮らす、広大な手付かずの自然が残る土地である。

 そろそろ夜の帳が下りる頃である。だが、夜とはいっても当然油断はできない。ヒトの海賊船は、“未開の土地”に秘密の港を築き、夜の闇を利用して、“砂漠(サハラ)”に侵入して、村を襲って略奪を行ったりなどをするためである。

 “エルフ”は夜目が利きはするが、それでも昼間と同じほどには見えないのである。従って、見張り達は特殊な望遠鏡を使っている。

 “魔法”を使って、月明かりを何倍にもする望遠鏡である。

 甲板に直接取り付けられた大きなその望遠鏡で、国境付近を見詰めていた見張りの1人が、大声を上げた。

「前方から、所属不明の“フネ”が接近中!」

 甲板にいた空軍士官が、そちらに暗視用の双眼鏡を向ける。

 大きな“フネ”が、“メスディエ号”へと接近して来るのが見える。

「商船ではないな」

 というよりも、実に奇妙な形をしている“フネ”であるといえるだろう。ヒトの“フネ”に必ず付いているはずの帆が見えないのである。また、左右に張り出した翼は大きく、他の“フネ”の倍ほどはある。

「速いです!」

 見張りが驚いた声を上げる。

 凄い勢いで、奇妙な“フネ”が、“メスディエ号”へと接近する。

「停船信号!」

 甲板士官の号令で、スルスルとマストに停船旗がはためき、カンテラを使って発光信号が送られる。止まれ、というサインと何度も繰り返す。

 だが、“オストラント号”は止まらないどころか、速度を緩める気配がない。

「空賊船か?」

 士官はそう口にするが、様子が違うことに気付く。

 ヒトの空賊船であれば、“エルフ”の哨戒艦に気付くと、直ぐに遁走を開始するモノである。であるというのに、真っ直ぐ近付いて来るのだから。

 甲板士官は慌てた。

「砲戦用意!」

 だが、その命令が砲院に届く頃には、更に奇妙な形をした“フネ”――“オストラント号”は近付き、“メスディエ号”の上を通り過ぎて行った。

 大きく翼を広げたようは、砂漠に生息する巨鳥のようにも見える。だが、そのスケールは、巨鳥の比ではない。

「一体なんだ、この“フネ”は!?」

 騒ぎを聞き付け、甲板に上がって来た艦長が通り過ぎる“フネ”を見て叫んだ。

「後ろに、回転する羽根のようなモノが付いておりますな。あれで推進力を得ているのでしょう」

 甲板士官が呆然として言った。

「ええい! そんなことは見れば判る! 兎に角追え!」

 

 

 

「ジャン! あいつ等、追って来たわよ!」

 後鐘楼の上から、背後を確認していたキュルケが伝声管に向かって大声で叫ぶ。

 その声は、機関室で“蒸気機関”を操作しているコルベールや、各甲板で見張りに就いているギーシュ達に飛んだ。

「なに、追い付くものか」

 コルベールは“蒸気機関”に必死になって取り付きながら叫んだ。

 “オストラント号”に全速力を出させるために、機関に相当無理をさせているのである。“魔法”を唱えたり、放り込む石炭の量を加減したりで、缶圧を調整してはいるのだが……保って1日である可能性が高い。

 コルベールは、(帰り道を考えれば……)とそこまで思考を巡らせた後、苦笑した。突入をすれば、無人になったこの“フネ”は真っ先に鹵獲されるか、破壊されるであろうことは簡単に想像できるからである。

 だが、これだけ缶圧を高めている“オストラント号”には、いかな“エルフ”の快速哨戒艦であろうとも追い付くことはできないであろう。追い付く……追い越すことができるのは、“サーヴァント”の“宝具”くらいであろう。

 そのような想いをコルベールが密かに抱いていると、悲鳴のようなキュルケの声が響いた。

「大変よ! あいつ等、“竜騎兵”を出して来たわ!」

 コルベールはギョッとして、機関室を飛び出すと、後甲板に駆け上がった。

 5騎ほどの“竜騎兵”が、近付いて来るのが見える。

「ミス・ツェルプストー。あれだ」

 あれ、と言われて、キュルケは笑みを浮かべた。

「“空飛ぶ蛇君”ね」

 コルベールは、後甲板に備えられた大きなレバーの付いたパネルに近付き、レバーを思い切り押し下げる。

 バゴンッ! と派手な音が響き、翼の下が開いて、中から円筒状の斧が飛び出した。

 コルベールが開発した、“魔法探知誘導弾空飛ぶ蛇君”は、先端に取り付けられた“魔法探知装置”を発信しながら、ロケット推進で次々と飛んで行く。

 その発射炎を見届けたキュルケは“呪文”を唱えた。巨大な火の球が、“杖”の先に現れる。その火の球を、迫り来る“竜騎兵”に向かって放った。

 真っ直ぐに“ファイアーボール”は飛んで行き、“竜騎兵”達の遥か手前で爆発する。

 巨大な光がが、夜空に現れた。

 “竜騎兵”達は、その“魔法”を嘲笑うかのように速度を上げる。

 キュルケの“魔法”に気を取られた“竜騎兵”達に、“空飛ぶ蛇君”が襲い掛かったのはその瞬間であった。

 “空飛ぶ蛇君”は、それぞれ“エルフ”が構えた“魔法武器”に反応し、高速で近付くと、手前で爆発した。

 そのような“魔法武器”を持っているなど、想定も想像もしていなかったであろう“エルフ”の“竜騎兵”達は、強力な“魔法”を使う暇もなく、爆風と破片で、“風竜”から放り出されたり、“風竜”の翼に穴が開いてしまったり、などで次々に脱落して行く。

「やったわ!」

「駄目だ。未だ2騎残ってる!」

 まだ健在な“竜騎兵”が2騎おり、そのことからかなりの使い手であろうということが判る。

 コルベールの“空飛ぶ蛇君”の一撃を躱してみせた2騎が、グングンと近付き、“魔法”を放った。

 “精霊の力”である。

 竜巻のように回転する空気の渦が、甲板に居るコルベール達を襲う。

 コルベールとキュルケは、それを咄嗟に躱した。

 ボンッ! と空気の渦は甲板に打ち当たり、大穴を穿つ。

 その威力に、キュルケは青くなった。

「これは不味いな」

 近付かれてしまうと、“魔法”で応戦する他ない。“蒸気機関”を狙われでもすれば、一巻の終わりであることは見えている。そして、“魔法”の勝負は、“エルフ”に一日の長があるのだ。

 “エルフ”の“竜騎兵”は、御互いをカバーするように、前後に連なって一旦上昇すると、勢いを付けて再び襲い掛かろうとした。

 コルベールとキュルケは“ファイアーボール(炎球)”を唱えたが、素早く飛ぶ“竜騎兵”に上手狙いを定めることができない。

 

 

 

 “オストラント号”の上空で、シルフィードに跨ったタバサは様子を窺っていた。

 戦闘が始まるのと同時に、空へと上がったのである。

 自分が此の救出隊、で唯一の“竜騎士”である、ということの意味を、タバサは良く理解していた。

 “フネ”の上では、その実力を上手く発揮することができない。

 タバサは、月明かりに照らされないように、巧みに“風”を使い、雲を引き寄せて煙幕代わりにしていた。昼の空であれば直ぐにバレてしまう偽装ではあるが、夜空であれば通用する。

 暴れ回る2騎の“エルフ”の“竜騎兵”は、タバサにまだ気付いていない。

「おちび、2騎残ってるのね!」

「理解ってる」

「早く救けないと、大変なことになるのね!」

 タバサは2騎の“エルフ”をジッと観察した。

 “エルフ”の“竜騎兵”は巧みである。1騎が“オストラント号”を攻撃している間、もう1騎士はその上を旋回して、新手を警戒しているのである。まるでダンスを踊るかのように、リズミカルに交互に入れ替わりながら、“竜騎兵”は攻撃を繰り返す。

 タバサは、(これでは、迂闊に手を出すことができない。1騎に攻撃を仕掛けたら、もう1騎に後ろに着かれてしまう……初撃は外せない。だが、中々隙を見出せない。一瞬でもあのリズムが乱れてくれたら)と考え、焦りの汗が彼女の額を伝う。

「僕が、行こうか?」

 “霊体化”しているイーヴァルディが、タバサに声を掛ける。

 が、タバサは首を振る。

「大丈夫。なんとか隙を見付ける」

 

 

 

 キュルケは、“エルフ”の攻撃を避けながら必死になって応戦しようとした。だが、三次元機動で位置を刻々と変える“竜騎兵”に、“魔法”が掠ることがない。それに引き換え、向こうの“魔法”は、大きな“フネ”に次々と打ち当たる。

 “実体化”したハサンが短剣を一投し、“竜騎兵”を掠る。が、ダメージと云うダメージが入った様子はない。

「大丈夫かね!?」

 そこに、ギーシュが駆けて来た。

「見れば判るでしょ!? 全然大丈夫じゃないわよ!」

 コルベールは、推進装置を守るために奮闘している。

 マリコルヌとエレオノールは操舵を担当して居る為に、手が離せない。

 ルイズとシオンがなにをしているのか、キュルケには判らなかった。

 現状、キュルケとギーシュ、ハサンだけで、あの“竜騎兵”をどうにかする必要があるといえるだろう。だが、ギーシュの“魔法”は“土系統”であるために、“フネ”の上ではまるで役に立たない。

 事実上、キュルケとハサンだけでなんとかする必要があった。

「一体あの娘はなにをしているのかしら!?」

 青い髪の、小さな親友に向かって、(タバサの“魔法”があれば、これほどの苦戦は……)とキュルケは毒吐いた。

 その時、ハッ! とキュルケは気付いた。手練のタバサが、このような事態で遊んでいるはずもないのである。絶対になにか策を立てているはずだ、と確信したのである。

「空ね!」

 キュルケは、夜空を見上げて言った。

 タバサは、この夜空で攻撃のチャンスを窺っているのである。

 キュルケは、(となると、私がすべきことは……)と想い、叫んだ。

「ギーシュ! 飛ぶわよ!」

「え? ええええ!? “フライ”を唱えている最中は、他の“魔法”を使えないじゃないか!」

「良いの。タバサがなんとかしてくれるわ! それに、“魔術”が使えるでしょ? ほら!」

 キュルケは、ギーシュを甲板から突き落とした。

「なにをするんだね!? うわあああああ!?」

 落下の最中、ギーシュは“フライ”を唱えると、フラフラと飛び始めた。

 キュルケもその後を追って飛んだ。

 必死になってギーシュは飛んだ。とはいっても、ヒトの身では“竜”ほど速く、また器用に飛ぶことなどできはしない。鮫と水中で戦うようなモノである。

「うわあああああああ!? 追って来た! 追って来た!」

 あたふたと、犬掻きをするようにギーシュは逃げ惑った。

 “風竜”に跨った“エルフ”が“呪文”を唱えようとして、手を振り上げるのが見える。

「やめろ! やめてくれ! 僕は泳げにんだー!」

 と、ずれた事をギーシュが喚いていると……“エルフ”が跨っている“風竜”がビクン! と震えた。

 見ると、“風竜”の首に大きな氷の矢が突き立っている。

「“ジャベリン”? 誰が?」

 ガクッと首を提げると、“風竜”は“エルフ”と一緒に地面へと落ちて行く。

 入れ替わりに空から降って来たのは、タバサとシルフィードである。

「おおおおお! タバサじゃないかね!」

 ギーシュは喜びの絶叫を上げた。

 

 

 

「流石は、天下の“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”ね。機を見るに敏だわ!」

 1騎の”竜騎兵”が脱落したのを見て、キュルケは呟いた。

 キュルケを追い掛ける“竜騎兵”が、驚いた表情でタバサの方に顔を向けるのが、見える。

 キュルケは間髪入れずに、“フライ”を解除した。それにより身体は一瞬で重力に捉えられて落下を開始する が、戦いに慣れたキュルケは素早く“詠唱”した。

 タバサとシルフィードに気を取られた“竜騎兵”めがけて、得意の“ファイアーボール(炎球)”を、キュルケは撃ち込む。狙い過たず、炎球は“風竜”の翼に撃ち当たり、炎上した。

 熱さに耐え兼ねて、口を開いた“風竜”の口に、深々とタバサの“ジャベリン(氷矢)”が突き刺さる。“竜騎兵”はユックリと落ちて行った。

 数秒技、ふいにキュルケの身体が持ち上がる。

 素早く飛んで来たシルフィードが、その身体を咥え上げたのである。

 ヒョイッとシルフィードの背に、キュルケは飛び乗った。

 タバサは無表情に、前を見詰めている。

「御苦労様」

 そんな小さな親友の頭を、キュルケは慈“愛”の込もった目でかいぐり回した。

 

 

 

 

 

 “竜騎兵”達を撃退してから、3時間が過ぎた。

 夜も更け、雲が双月を覆い隠し、辺りは闇に包まれた。

 交替で操舵輪を操るのは、マリコルヌとエレオノールである。

 コルベールは、“竜騎兵”の“魔法”で調子を落とした“蒸気機関”の整備におおわらわである。

 キュルケは後甲板で見張りに就いている。

 ギーシュは、前甲板で同じく見張りに就いている。

 今現在は、エレオノールが操舵輪を握っている。心配そうに、エレオノールは呟いた。

「はぁ……“エルフ”の本拠地になんかに乗り込んで、私達生きて帰れるのかしら……?」

 マリコルヌは、ボンヤリとした声で言った。

「うーん、まぁ、無理でしょうねえ。普通なら」

「そんなこと言わないでよ。男でしょ? なにか考えなさい」

「は? なに言ってんすか? どうして男だと考えなくちゃいけないんですか? こういう時は男も女もないでしょう? そういう考えがね、御姉さんを不幸にしたんですよ」

「誰がどう不幸なのよ?」

「いや、ほら。婚約解消とか」

 エレオノールの眉が、ピキッと動いた。

「今、操舵輪を握っていなかったら、あんたを立てないようにしているところよ」

「知ってます」

 と、マリコルヌは夢見るような口調で言った。

「だから言ってンすよ」

「ふざけたこと言ってないで、ちゃんと見張りなさい」

「見張ってますよ。御姉さんがちゃんと仕事してるかどうか、をネ」

 その時、前方で見張りをしていたギーシュから、悲鳴のような叫び声が届いた。

「うわあ!? 前にデッカイ戦艦が! 大砲をこっちに向けてる! うわあ!」

 哨戒艦から連絡を受けた近くにいた艦が、進路を予測して待ち構えていたらしい。月明かりに浮かぶ艦影は、夜の闇と相まって、大きく不気味に見える。実際、先程の哨戒艦とは違い、かなり大きな“フネ”である。鐘楼の前後に連装砲塔を2基ずつ、計4基搭載しているのである。連装砲塔だということもあり、砲は8門である。

 その大口径砲が“オストラント号”に向いている様は、恐怖以外の何物でもない、と“オストラント号”に乗る皆には想えるモノである。アレを喰らってしまえば、装甲などを施されていない“オストラント号”は、目に見えてバラバラになる未来しかないであろう。

「なによあれ……?」

 エレオノールはブルブルと震えた。

 マリコルヌは、そんなエレオノールを見て、息を荒くした。

「どしたの? 怖い怖い御姉さん、おっきい戦艦見て怖くなっちゃったの?」

「は? ふざけてないでなんとかしなさいよ! ポッチャリ!」

「じゃあ、“おっきい戦艦駄目~~~~~!” って言えよ」

「こんな時になにふざけてんのよ!?」

「ふざけてないよ。こんな時だから、僕は御姉さんの“おっきい戦艦駄目”が聞きたいのよ。やる気出ないじゃないですか」

「あ、あんたねぇ~~~~~~!」

「おい行かず後家。“おっきい戦艦駄目ぇ~~~~―!” はどうした?」

 真性のマリコルヌは、エレオノールの耳元で息を荒くしながら言った。

「あのねえ!?」

「良いから」

「良くないわよ!」

 マリコルヌは前を見ると、おや? といった調子で呟いた。

「あ、撃ちそう」

「おっきい戦艦駄目~~~~~~!」

 エレオノールはマリコルヌの吐息に鳥肌を立てながら絶叫した。同時に、思わず舵輪をグルグルと回転させる。

 グググ、と軋みを立てて、“オストラント号”は急回頭した。

 “エルフ”の戦艦が主砲を発射したのはその瞬間である。

 急激に進路を変えた“オストラント号”の側を、“エルフ”の戦艦の主砲弾がヒュン! と唸りを上げて通り過ぎて行く。

「躱したぞ!」

 前からギーシュの叫びが響いたが、エレオノールの耳には届かない。隣にいるポッチャリに対する嫌悪感などから卒倒寸前で、舵輪を握っているのである。

「あんたねえ!? 今度巫山戯た事言ったら……」

「ああ? ちげーだろ。おっきい戦艦駄目~~~~! だろ。ほら。この前見た戦艦とどっちがおっきいんだ!? 言ってみろ!」

 同時にマリコルヌは、エレオノールの耳に吐息を掛けた。

 エレオノールは全身鳥肌を立てながら、舵輪をグルグルと回転させる。

 同時に“エルフ”の戦艦は主砲を発射。

 だが、とんでもない急回頭をする“オストラント号”には掠りもしない。敵の主砲を躱し捲くる。まさに神業のような操舵であるといえるだろう。

 だが、“オストラント号”に乗り組んだ全員は、急回頭の度に転がり捲くる羽目に成る。

「なんていう操舵してんのよ!?」

 後甲板にいたキュルケが叫んだが、もちろんエレオノールとマリコルヌには届かない。

 “オストラント号”は次々と、主砲を躱し、鋭い速度で“エルフ”の戦艦の頭上に躍り出た。

 その素早い動きに、“エルフ”の戦艦は対応することができない。“エルフ”の戦艦は、ヒトの“フネ”に頭取られる事態など想定していないのだから当然であろう。ヒトが使う帆走の“フネ”とはまるで勝手が違う速度と機動力を持つ“オストラント号”に、“エルフ”の戦艦は翻弄される結果になるのは自明の理であった。

「今だ!」

 後甲板で、タイミングを図っていたコルベールは、別のレバーを足で上げた。

 “オストラント号”の船腹が開き、中から火薬が詰まった樽が次々と落下する。

 火薬樽は“エルフ”の戦艦の甲板に撃ち当たり、爆発した。

 撃沈には至らなかったものの、砲塔は沈黙し、至る所で火災が派生し、“エルフ”の戦艦は戦闘どころではなくなってしまった。

 燃え盛る“エルフ”の戦艦を尻目に、“オストラント号”は一路“アディール”を目指す……。

 

 

 

 船室の一室で、ルイズは震えていた。先程から砲撃音が聞こ得て来たり、急激に艦が回頭して振り回されたりなどで、怖くて堪らなかったのである。

 ルイズは、(皆戦ってる。私だけ、こんなとkろで震えている訳にはいかない)、とそう想いはするのだが、身体が動かないのである。

 ルイズは、(やっぱり、サイトがいないと駄目なんだ。私。まるで勇気が出ない)とそのようにしていると、(もう駄目だ。あの“エルフ”達が、サイトとティファニアを捕まえて放って置くはずがないわ。とっくに心を奪って、人形みたいにしちゃってる……そんなサイトは見たくない。見たら最後、私は壊れてしまうわ。必死になって戦って、この場を切り抜けたとしても……)といった当然悪い想像ばかりが頭の中を巡る。

 見るのは、壊れた才人の姿。

 ルイズは、(絶対に大丈夫)と必死になって自身に言い聞かせたが、それでも心に映るのはそのような姿ばかりである。(いっそ、そんなサイトの姿を見る前に……)などとも考えるも、その勇気と呼べるモノすらも出ないのであった

 ルイズがそのように怯えて塞ぎ込んでいると、バタン、と扉が開いた。

「シオン、シエスタ……」

 入って来たのは、シオンとシエスタである。

 見ると、シエスタは御盆を持っており、その上にはパンや肉やらワインやらが乗っかっている。

「さ! 御飯ですよ!」

 どこまでも明るい声で、シエスタは言った。

 慌ててルイズは首を横に振る。

「ご、御飯食べてる場合じゃないわ。皆戦ってるし……」

「一山超えたそうですよ。今は皆食事を摂ってます。ほら、言うじゃありませんか? 腹が減っては戦はできぬ、と」

 ルイズは差し出された料理を見詰めた。

 戦闘中に食べやすいように、フォークやナイフを使わずとも食べることができるようになっている。骨付きの肉に、一口大に切られたパン。

 それでも、ルイズは全く食欲を感じられなかった。

「気持ちだけ頂いておくわ」

 そうルイズが言ったら、シエスタは首を横に振った。

「駄目です。他の誰を差し置いても、ミス・ヴァリエールとミス・エルディ、ミス・タバサは食べなきゃ駄目です」

「どうして?」

 するとシエスタは、真剣な顔で言った。

「3人はこの救出作戦の要だからです」

 ルイズは呆然として、(私が、私達が、要……?)とシエスタを見詰めた。

「そうです。驚いてる場合じゃないです。だってそうじゃありませんか。あの恐ろしい“エルフ”に対抗できるのは、ミス・ヴァリエールの“魔法”、そして“サーヴァント”だけ。ミス・エルディは、セイヴァーさんと“契約”を結び、セイヴァーさんが“契約”しているハサンさんに、セイヴァーさんと “魔力”を半分ずつ提供しているそうです。ミス・タバサは、イーヴァルディさんと“契約”して“魔力”を提供しています。さっきは上手く逃げられましたけど、逃げるだけじゃサイトさんとティファニアさんは救けられない。そうでしょ?」

 才人の名前が出た瞬間、ルイズの両目から涙が溢れた。それが引き金となり、ルイズはしゃくり上げるように泣き出してしまう。

「救け出しても……もうサイトじゃなくなってる……“エルフ”が、サイトをそのままにして置くはずがない。ティファニアとセイヴァーと一緒に、心を奪われて……私が誰かも判らなくなってて……」

 シエスタとシオンは、そんなルイズの手を握った。

 そうしていることで、増々ルイズの泣き声は大きくなった。

「嫌だ……そんなサイト見たくない。見たくないよ……」

「良いじゃありませんか」

 優しい声でシエスタは言った。

「もし心を失ってたとしても……サイトさんはサイトさん。そうじゃありませんか?」

 ルイズはマジマジとシエスタを見詰めた。

「仲良くあの“ド・オルニーエル”で、3人で暮らしましょう。もし、それじゃ困る、命を奪って教皇聖下や皆が仰るなら……私もフライパンで戦います。ミス・ヴァリエールも戦ってください。恐らく負けるでしょうけど、そしたら皆で仲良く天国に行きましょう」

 ルイズはしばらくシエスタを見詰めていた。それから、グッと唇を噛んだ。

「そうだね。それも良いかもしれないね。もし、戦いに負けて逃げることができたら、“アルビオン”に来ると良いよ。私が匿って上げるから」

 シオンも冗談めかして言ってみた。

 それからルイズは、ゴシゴシと目の下を拭う。(シオンもシエスタだってそこまで覚悟してるのに……)、と自分は恥ずかしくなったのである。

「ごめんね。シオン、シエスタ」

「どうして謝るんですか?」

「私……“貴族”なのに、“担い手”なのに。とんでもない力を持ってるのに……」

「そう言うもんですよ。私なんか、なにもできないから、こんな気楽に言えるんです。おっきな力を持ってたら、きっとそれだけで潰れちゃいます。力って、そういうもんじゃないですか? だから私、“平民”で良かったです」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわよ? 力を持つ者にはそれ相応の責任とかも確かにあるけど、怖いとかそう言った感情や本能的なモノは、誰もが持ってるもの。“貴族”だとか“平民”だとかは関係ないわ。況してや、大事な人になにかが起きてしまうかもしれないって状況ではね。だから、シエスタも無理をしないでね」

「ありがとうございます。ミス・エルディ」

 シエスタは、シオンの言葉を聞いて、はにかんだ。

 ルイズはゴシゴシと目の下を拭いながら、立ち上がった。

「どこに行かれるんですか?」

「戦って来る。皆だけに、戦わせておけない」

 シエスタの問い掛けに、ルイズは“杖”を取り出し答えた。

 するとシエスタは、ルイズの手を握って引っ張った。

「駄目です。ミス・ヴァリエールとミス・エルディの御仕事は、先ずは御飯を食べること。そして……“精神力”を温存することです。ミスタ・コルベールに頼まれたました。元気付けてやってくれって。忘れないでくださいね。ミス・ヴァリエール達は要なんです。切り札なんです。ここぞというところで御役に立ってくれなかったら、皆困るんです」

「私が、切り札? こんな弱くて情けない私が、切り札?」

「そうですよ。情けなくて、弱いミス・ヴァリエールが切り札なんです。ミス・ヴァリエールは誰よりも弱くて情けないから、神様がとんでもない力をくれたんです。だから精々、皆の御役に立ってくださいね。そのくらいしか存在価値ないんですから」

 シエスタのその言い草に、ルイズは想わず笑った。

「私、ちっぽけね」

「そうですよ。胸も性格も存在価値も全部ちっぽけです。サイトさんは、こんな人のどこが好かったんでしょうね?」

「きっと、弱くて情けないからだわ」

「私もそう想います」

 シオンは、そんな2人の会話に対し、(そんなことないけどな……)と想いはしたが、口にはしなかった。

 ルイズは首肯くと、ガシッとパンを掴んだ。それに齧り付く。味はしない。全く食欲は湧かない。が、そでも一気に水で流し込んだ。

「ぷは」

 それが呼び水で、ルイズは夢中になって料理を平らげ始めた。

 全部食べた後、ルイズはポツリと言った。

「御腹が一杯。ありがとう」

「はい。ではですね、未来の話をしましょう」

「未来?」

 シエスタの言葉に、ルイズはキョトンとした。

「こんなに状況は絶望的なのに?」

「そうです。絶望的だから、未来の話をするんです。精々、楽しいことを考えるんです。馬鹿馬鹿しいことを、真面目に議論するんです。深刻な顔したって、状況はピクリとも変わらないんですから」

 その時、再び砲声は響く。

 “オストラント号”は急回頭。

 ルイズとシエスタとシオンの3人は、船室の壁に叩き付けられてしまう。

「こんな状況で、馬鹿馬鹿しい話?」

「そうです。楽しいじゃないですか。死んだらそれまで。でも、最期の瞬間まで、私、楽しんでやるつもりです」

 鬼気迫る憩いでシエスタは言った。

「そうね。その必要はあると想うわ。それに、ピンチはチャンスって言うしね。前向きに考える事で、良い結果を招くことになるはずよ」

 シオンも、それに同調して言った。

 ルイズが、(本気だわ、この娘達)と想った瞬間、彼女の中でなにかが弾けた。

 シエスタのその超絶楽天的能天気ぶりに、ルイズは、才人に散々「桃髪能天気」と馬鹿にされたことを想い出し、(能天気さで、負ける訳にはいかない)とシエスタに対してメラメラと対抗の炎を燃やした。

 ルイズは深く深呼吸をすると、目を爛々と輝かせて言い放った。

「あいつ……私に夢中よね?」

 シエスタとシオンは笑みを浮かべた。

「はい。ホントそうですね。どこが好いのか理解りませんけど」

「そうね。貴女はとても魅力的な女の子だだからだと想うわよ、ルイズ」

「この戦いが終わたら、私、死ぬほど優しくして貰うわ」

「どんな風にですか?」

 ルイズは、シエスタとシオンに聞こ得る程度の小さな声で囁いた。

 シエスタは、うぶ、と鼻を押さえた。

 シオンは、変わらず優しい笑みを浮かべている。

「……ミス・ヴァリエールも結構エグいですね」

 それからシエスタは、ルイズとシオンに言った。

 ルイズは耳まで真っ赤にした。

「な!? なにそれ!? あんた頭可怪しいんじゃないの!?」

「ミス・ヴァリエールだって相当なモノです。ね? ミス・エルディ。と言う訳で、元気付け代として、1週間のうち3日! 3日は私に貸して頂きます」

「はぁ? 2日よ! 3日は長いわ!」

「……けち」

「なにか言った?」

「言ってません」

「あ、あいつ私に夢中だから、3日もいないと想うけど」

「地獄に堕ちろ」

「なにか言った?」

「言ってません」

 そんなルイズと、彼女を励ますシエスタによるコントのような語らいを、シオンは微笑みを浮かべて見守る。

 砲声や爆発音が響く中、2人の乙女は恋人のことを陽気にいつまでも語り合い、それを1人の少女が見守った。

 

 

 

 

 

 白々と夜が明ける中……“ネフテス”の首都“アディール”の上空には、空軍本国艦隊が集結していた。その数は、前後に砲塔を配置した戦艦が10隻。それよりも一回り地裁巡洋艦が6隻。合わせて16隻である。

 それ等の指揮を執るのは、本国艦隊司令のアムラン上将である。居並ぶ旗下の艦を見詰め、上将は鼻を鳴らした。

「全く、なんたる様だ!」

「南海で訓練を行っている第二戦隊の到着は遅れるそうです」

 そこに副官がやって来て、アムランに報告した。

「加勢など要らん。たかが“蛮人”の“フネ”を相手に、第一艦隊の精鋭を集めるなど、水軍の連中に笑われてしまうわ」

「どうやらその水軍も、例の獲物(とりもの)を失敗したそうですが……」

 すると、アムランの顔が本の少し緩んだ。

「全く! 威勢が良いのは口だけで、相変わらずからっきしの連中だな。あいつ等に出来るのは、精々長ったらしい演説だけだ」

「ですが司令、御気を付けください。報告によると、その“蛮人”の“フネ”は恐ろしいほど速く、我が方の“竜艦”では追い付けないとか。しかも、奇妙な“魔法兵器”を扱うとか……」

「“メスディエ号”は油断していたのだ」

 先立って、沈没の報が届いた艦の名前を、アムランは口にした。

 ヒトの“フネ”に頭を取られ、火薬樽を散蒔かれて発生した火災を止めることができずに、“メスディエ号”は沈没したのである。

「その上、旧型の艦だからな。仕方あるまい」

「それでも、“蛮人”の“フネ”に二線級とは言え戦艦が沈められるなど、前代未聞ですぞ」

「まあ、運が悪かったのだ。だが、この艦隊は運ではどうにもならん」

 アムランは、己が指揮する艦隊を、満足げに見回して言った。

「“蛮人”共に、格の違いと言うモノを見せ付けてやる」

 その時、1騎の“竜騎兵”が、飛んで来る。付かず離れずの距離を保ち、“オストラント号”に接触していた“竜騎兵”である。

 “竜騎兵”は着艦すると、“竜”から飛び降りてアムランの元まで駆けて来た。

「“アディール”の北北東より、敵艦侵入しつつあり!」

 アムランは首肯き、右手を前に差し上げた。

「全巻最大船速! “アディール”の郊外で敵艦を迎え撃つぞ!」

 

 

 

 “オストラント号”の甲板では、全員が並んで前方を見詰めていた。

 偵察に出ていたタバサとシルフィードが、バッサバッサと飛んで来て甲板に着陸する。

「距離40“リーグ”。敵艦隊。16隻」

「結構な数だな」

 エレオノールがゴクリと、唾を呑み込む。昨晩は一睡もしていないのである。目の下には隈ができ、髪の毛はボサボサであり、酷い顔をしている。だが、そんなことを気にしている場合ではない、ということをエレオノールは重々に理解していた。

 この場の全員が、不眠不休で戦っているのである。

「……大丈夫かしら?」

「先生」

「なんだね?」

「ここまでは正直、運が良かったと想います。でもこれは流石に無理です。どうしましょう?」

 コルベールは、コホンと咳をした。

「それではいよいよ、彼女達の出番のようだね」

 ガバッと船室の扉が開き、現れたのはルイズとシオンである。隣には、神妙な顔をしたシエスタが付き添っている。

「この一撃のために、今までミス・ヴァリエールとミス・エルディには、休んでいて頂きました。その間、ずっと“精神力”を高めて貰っていたのです」

「ルイズ……もしかしてあの“爆発(エクスプロージョン)”を撃てるのかい?」

 恐る恐るギーシュは尋ねた。

 ルイズは、それには答えず、サラリと髪を掻き上げた。その髪の隙間から、目から、足の間から、身体中の至る所か溢れ出るのは、自信、という名のオーラである。

 そんなオーラを放つルイズは、此の上も無く美しく、頼もしいといえるだろう。

 ルイズは胸を張ると、颯爽と歩き出す。そして、擦れ違い様に、ルイズはギーシュに尋ねた。

「私は誰?」

 想わずギーシュは直立して答えた。

「ル、ルイズです!」

「フルネーム」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様です!」

「そうよね。“トリステイン”の誇る、旧く由緒ある家柄。ラ・ヴァリエールの家の3女。それが私。そうよね? エレオノール姉様」

 エレオノールは、(なに、生意気……)とは想ったが、ルイズの迫力に圧倒されてしまった。

「え、ええ! そうよ。誇りと伝統あるラ・ヴァリエールの3女!」

「ラ・ヴァリエールはこの私を輩出するためにあったと言っても過言ではないわよね?」

 流石にエレオノールは、なにかを言ってやろうかと想ったのだが、コルベールとシエスタが必死に目配せをしていることに気付き、同意した。

「ええもちろん! 貴女みたいな素晴らしい妹を持って、私ってば鼻が高いわ!」

 ルイズはツカツカと歩いて行く。そして、マリコルヌの前までやって来た。

「私は誰?」

 マリコルヌは、電撃が奔ったかのように直立をして、答えた。

「天下の美少女、ルイズ様です!」

「たりないんじゃないの? 形容」

「天下無双、三千世界に名を馳せる、美の女神も裸足で逃げ出す無敵無謬深淵の中を覗き込むほどの驚きを伴う美少女、ルイズ様です!」

「まあまあね」

 どこがまあまあなのかを気にした風もなく、ルイズは歩き続ける。今度はキュルケの前までやって来た。

「私と姫様、どっちが可愛い?」

 余りにも直球の質問で、流石のキュルケもクラクラとしてしまった。だが、ここでルイズの自信を失わせる訳にはいかない、とキュルケは理解していた。

「も、もちろんルイズに決まってるじゃないの! アンリエッタ様なんて、貴女と比べたらカボチャよカボチャ!」

「当たり前よね。私の方が可愛いわ」

 次にやって来たのは、シルフィードとタバサの前である。

「サイトが好きなのは誰?」

 タバサの眉が、ピクン、と跳ねた。根は強情なタバサである。もちろんそうではないとは想ってはいても、口にせずにはいられなかった。

「わた……」

 と、タバサがそこまで言った時、シルフィードが必死になってタバサに耳打ちをする。

「……おちび! 流石に空気読んどくのね!」

 タバサは拳をグッと握り締めて、なにかを堪えるような仕草をわずかに見せた。それから、表情を圧し殺し、「ルイズ」と言った。

「好いとこあるじゃない。飽きたら上げるわ」

 タバサは俯くと、“呪文”を唱えようとした。

 必死になってシルフィードが押さえ付ける。

「言わせとくのね! 今だけは!」

 最後にルイズは、コルベールの前までやって来た。

「先生」

「な、なんだねっ?」

「こんなに可愛い、素敵な私に想われて、あの犬ってば果報者よね? あの馬鹿、私がいなけりゃなんにもできない可哀想さんだから、しょうがなく救けて上げるんだけど。ついでにティファニアとセイヴァーも」

「ああ! サイト君は天下の果報者だな!」

「たまにティファニアの胸をチラチラ見てるけど、気の所為よね?」

「偶然だろう! うん! そうでなければ私は学者として保証するが、ただの学術的好奇心だろうて!」

「てっきりそうだろうと想ってたわ」

 ルイズは首船に到達すると、スルリと“杖”を引き抜いた。

 余りにもルイズのその動作が美しく流れるようであったために、先程の言動は兎も角、一同は見惚れてしまった。

 キュルケは、呆れた声で言った。

「あにがあったの? 一体……」

 シエスタが、耳打ちするように呟く。

「一晩中、ミス・エルディと一緒に、サイトさんがどれだけミス・ヴァリエールのことが好きかを説明して上げました」

「なんて単純な娘……」

「単純で、我儘で、“愛”に貪欲過ぎて、どう仕様もない人ですよね。でもって弱いから、自信と自嘲を行ったり来たり。でも、そんな人だから、あの人は、“聖女”、になると想いますよ。ホントの、“聖女”、に」

 どことなく晴れ晴れとした声で、シエスタは言った。

 地平線の向こうから、“エルフ”の艦隊が姿を見せる。

 その数はキッカリ16隻である。遠目にも強力そうな大砲を備えた砲塔を回転させ、“オストラント号”に狙いを付けているのが判る。

 一同は、その恐ろしげな姿にざわめいた。

 ルイズは振り返ると、そんな一同に向かって一礼した。

「皆ありがとう。大丈夫。私がなんとかするわ」

 再び、ルイズは前を向いた。昂然と顔を上げる。

「さて、長耳さん達。私の“使い魔”達を返して貰いに来たわよ」

 ルイズは全く臆した風もなく、“呪文”を唱え始めた。

 

 

 

 “エルフ”艦隊を率いるアムランは、眼の前に現れた“フネ”を見て顔を顰めた。

「なんだ? あの“フネ”は。大砲も積んどらん。あんなモノに、“メスディエ号”はやられたのか」

「でも、大した速度ですな! グングンこちらに近付いております」

「速いだけではないか。真っ直ぐこっちに突っ込んで来るとは……あれではまるで砂漠豚と変わらん」

「御気を付けください。鋭い操艦で、“メスディエ号”の砲撃を散々躱したとのこと。それにもしや、なにか策があるのかも……」

「策など……如何程のモノか。我等“砂漠の民(エルフ)”が、“蛮人”如きの策に嵌まるなどということがあるものか」

「司令、その考えは、“鉄血団結党”の碌でなし共のようですぞ」

「あいつ等が碌でもない穀潰しということと、“蛮人”は“蛮人”という事実は、相反しない」

 副官は、そんなアムランを心配そうに見詰めた。

「“悪魔”が乗っているのとは、違いますかな?」

「水軍が捕まえるのに失敗した奴か?」

「いいえ、違いますでしょう。ですが、噂によると“悪魔”は何人もいるとか」

「なにが“悪魔”だ。皆大袈裟に騒ぎ過ぎだ。“”蛮人の“メイジ”は“杖”がなければ“魔法”も使えん、出来損ないの癖に、プライドだけは一人前の木偶の坊だ。どうせ、“悪魔”とて連中に毛が生えた程度だろう」

「そのうちの1人は、水軍の包囲から脱出して退けたのですぞ。どうか御油断なさらぬよう」

「君は水軍と、我が空軍を一緒にするのかね? あの水の上を跳ね回るしか能のない鈍亀共と、“竜”の化身である我等を?」

「いいえ、そうではありませんが……」

「ふん。じきに奴を粉砕してやる。“悪魔”だろうがなんだろが、これだけの艦隊の一斉射を喰らえば一撃だ。艦隊全速! あの“蛮人”共の“フネ”を粉微塵にしてやれ!」

 “竜”を操る“操竜士”達から、「了解!」との歓声が響く。

 旗艦を頭にした蛇のように、“エルフ”の艦隊は一糸乱れずに動き出した。“竜”を操るに長けた、“エルフ”成らではの技であるといえるだろう。

 副官は心配冷め止めらぬようで、望遠鏡を取り出すと接近する“オストラント号”を見詰めた。

「おや……?」

「どうした?」

「船首に、少女が立っております」

「少女? なんだ、呪いのつもりか? 生贄を捧げているつもりか? そうすれば弾が当たらんとでも?」

 自分で言ったその言葉が可笑しいらしく、アムランは笑い転げた。

「いえ……なにやら“呪文”を唱えているような……」

「唱えさせておけ。唱えさせておけ。“蛮人”に、大砲の射程より長く強力な“魔法”を撃てるものならな!」

 

 

 

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”」

 ルイズは“詠唱”を続けた。何度も唱えた、“エクスプロージョン(爆発)”である。

 シオンは、そんなルイズの“詠唱”に合わせて、腕輪である“魔術礼装”を使用して、ルイズの“エクスプロージョン”の効率化と強化を図る。

 “呪文”の調べは、既にルイズの一部ともいえるほどになっていた。

 古代から綿々と続くリズム。

 “始祖”の囁き。

 唱えるうちに、何故か感情が整理されて行くかのように、ルイズには感じられた。喜び、怒り、哀しみ……そして楽しかったこと。それ等の感情が入り混じり、出口を求めながら1つになって、ルイズの中でうねる。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ラド”」

 波のような。リズムのような。

 “魔法”は感情に比例する、といわれている、そういった感情のうねりが、爆発、だとすれば……これ以上、自分に相応しい“呪文”はないだろうというほどに、彼女は感じていた。

「“ベオーズ・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 数“リーグ”先に見える“エルフ”の艦隊を、ルイズは見詰めた。

 既に、ルイズの中には恐怖はない。

 あの艦隊を吹き飛ばし、“愛”する“使い魔”を救う。それは確定した未来である、といえるだろう。

 “呪文”を唱えるルイズには、それが理解できた。

 わずかに熱に浮かされたかのような高揚が、ルイズを包む。

 その高揚は心地好く、ルイズを更に冷静にさせた。

「“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……」

 そして、ルイズの中に不意に割り込んで来た感情があった。(私は……“聖地”に向かう)、というまるでなにかにプログラミングでもされたかのように、その単語は、ルイズの脳裏に入って来たのである。

 “聖地”。

 この“エルフ”が治める土地のどこかにある、約束の土地。

 ルイズ達の本能に刻まれた、その言葉。

 その言葉は、ルイズの感情を、この上なく落ち着かせた。全ての感情が、“呪文”に乗って、身体から出て行くかのような感覚を、ルイズは覚えた。そして、その感覚に、ルイズは身を任せる。

 “呪文”が完成して、ルイズは“杖”を振り下ろした。

 

 

 

 アムランが先ず目にしたのは、小さな光の玉であった。

 艦隊の眼の前、空の一点に現れたその光の玉は、見る見るうちに膨れ上がったのである。

 先ず、小さな太陽が現れた、と想った。

 次に、“魔法”だ、ということに気付く。

 アムランは、(“蛮人”が放った? あの船首に立つ少女が?)と疑問を覚えたのと同時に、次いで身体が猛烈な爆風に襲われた。身体を揉み苦茶にされて、アムランは甲板に叩き付けられてしまう。

「――ぐ……!?」

 アムランが痛む頭を振りながら立ち上がると、周りが滅茶苦茶になっていることに気付いた。

 至る所で火災が発生し、そこかしこで水兵が倒れている。

 あれほど従順な“竜”達が暴れ回り、てんでバラバラの方角に飛ぼうとしては、ハーネスに引き止められているために身動きが取れず、悲鳴を上げている。

 足を引き摺りながら、アムランは舷側に寄り、他の艦を見詰めた。

 艦隊の全ての艦が、勢いを失い、激しく燃え盛りながら地面へと行き先を変えようとしていた。

「……何事だ?」

 アムランは、眼の前の事態が理解できないでいた。

 先程まで、アムランの艦隊は威風堂々進撃を続けていた。ヒトの“フネ”を、一撃の下に葬り去るはずであった。

 アムランは、(それがどうして? どうしてこんなことに? “魔法”にしろ、こんな“魔法”は見たことも聞いたこともない。“エルフ”の艦隊が、“蛮人”の艦隊に遅れを取ったことなど……況してやあんな“フネ”1隻に! いや……)と考え。直ぐに首を横に振った。

「あの少女の1人に……だ」

 頭から血を流した副官が、首を振りながらアムランの方へと寄って来た。

「司令。残念ながら本艦はもう駄目です……退艦命令を!」

 副官のその言葉は、もうアムランの耳には入らない。ただ1つの単語が、アムランの頭の中を駆け巡っていた。

「“悪魔”だ。あいつめ、“悪魔”の“魔法”を放ちおった」

 アムランの座乗した旗艦が、グラリと傾いた。

 その傾き方で直ぐに気付く。

 搭載した“風石”が、軒並み消失しなければ、こういった落ち方はしないのである。

 “虚無魔法”は、“風石”から“精霊の力”を奪い取る――取り去る――消滅させたのである。

 アムランは、“虚無”の“(虚無魔法)”に恐怖した。

「“大いなる意思”よ。願わくば我等を“悪魔”の()より救い給え……」

 自分の祈りが届いたのかどうかは、アムランには確かめる術はない。

 

 

 

 “オストラント号”から、“エルフ”艦隊が落ちて行く様を見ていた一同は、声を出すのも忘れ、その様子を見詰めていた。

 この中で、ルイズの本気の“爆発(エクスプロージョン)”を見たことがあるのは、シエスタとシオンだけである。“タルブの村”で、“アルビオン”艦隊を吹き飛ばした奇跡の光……。

 ルイズの身体がグラリと傾いて、慌てて全員が駆け寄る。

「ルイズ!」

 エレオノールが、慌てた顔で妹の身体を支える。

「くぅ……」

「……寝てるわ」

 ホッとした声で、エレオノールが呟く。

「しばらく寝かせて上げよう。短い間だがね」

 コルベールがそう言って、全員が首肯く。

 “エルフ”の艦隊を吹き飛ばすことができたとはいえ、まだ終わりではないのだから。

 全速で進撃する“オストラント号”の前に、白い街並が現れた。

「あれが“エルフ”の国、“ネフテス”の首都“アディール”だ」

 コルベールが指を指して言った。

 一同の間に緊張が奔る。

「さて、いよいよ本番だ。皆準備は良いかね?」

 呆然とした顔で、ギーシュとマリコルヌが首肯く。

 エレオノールも覚悟を決めたような顔で首肯いた。

 キュルケは真っ直ぐに前を見ている。

 シエスタは、心配そうにルイズを介抱している。

 シオンは、静かに“アディール”を見詰め、それから目を閉じた。

 ルイズの“虚無”を見たためか、全員の胸には希望が生まれていた。困難ではあるが、なんとかなるのでは、という希望だ。

 もちろん、なんの根拠もない。

 ルイズは恐らくもう、しばらくの間、あのような“爆発”を放つことはできないであろう。

 だが、まだ幾つかの“呪文”は残っている。それ等は兎に角、“エルフ”に通用する。

 また、“サーヴァント”という切り札もまたあるのだ。

 そしてなにより大きいのは、ここまでやって来ることができたという事実である。

 “エルフ”は決して対抗できない相手ではない、ということを、皆理解することができたのである。

 妙な高揚と自信に包まれながら……“オストラント号”は砂漠の空気を掻き、一直線に“エルフ”の最高権力機関“評議会(カウンシル)”のある“カスバ”へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 ゴトゴトと揺れる振動で、才人は目を覚ました。薄っすらと目を開け、繭のような円筒状の船室の中にいることに気付く。才人は、壁に沿うようにして取り付けられた簡易ベッドのようなモノに寝かされていたのである。

「起きたか?」

 そう問われて、才人はガバッと跳ね起きた。

 才人の眼の前には、気難しそうなアリィーの顔がある。

「てめえ! よくもティファニアを!」

 思わず才人は殴り掛かろうとするが、隣にいるマッダーフやイドリスを始めアリィーの部下達に押さえ付けられてしまう。

「おいおい。勘違いするな。救けてやったんだぜ。まあ、ついでだけどな」

 そこで才人は、自身の反対側の壁に寝かされているティファニアとルクシャナに気付いた。

「テファ!」

 才人は想わず飛び付くように、寄り添った。

 見ると、ティファニアの全身には包帯が巻かれている。その口には“地球”でいうところの酸素吸入器のようなモノが冠せられ、全身には細い管のようなモノが取り付けられている。

 ルクシャナも同様に、ティファニアの頭側のベッドに、縦に寝かされている。

 ティファニアの目は閉じられているが、その胸は微かに上下している。

「生きてるのか?」

 才人がそう尋ねると、アリィーは首肯いた。

「ああ。後ちょっと遅かったら、ここ治療装置ではどうにもならなかったけどな。いや、こいつがいるからそんなことにはならないか。水軍の目を盗んで、君達の所に着いた時には、もう全部終わった後だった」

 ホッとしたことで、才人の目から涙が溢れた。

「良かった……良かった……」

 と、才人は何度も口にして、しばらくそのままティファニアの手を握った。

「精々、感謝して欲しいもんだな」

「どうして俺達を救けた?」

 アリィーがルクシャナを救けに来た、ということを、才人は理解した。なにせ、ルクシャナ曰く「アリィーは、私にべた惚れ」なのである。彼女が裏切り者とはいえど、彼女に対して怒りなどの感情を抱いていようとも、“愛”する婚約者が殺されることに我慢ならなかったのである。

「ルクシャナを救けたことで、僕達も既に御尋ね者だ。だから、非常に不本意なのだが、“蛮人”の国……“ガリア”に亡命しなきゃならない。でも、僕達だけで行ったら命の危険がある。君達の手引きが必要だ」

 疲れた声で、アリィーは言った。

「俺の剣は?」

 才人がそう尋ねると、アリィーはベッドの横を指さした。

 そこにはデルフリンガーと、“自動小銃”などの“武器”が幾つか置いてあった。

「おまえの“武器”も持って来た。これから必要になるからな」

「どういう意味だ?」

「水軍の企ては……おまえ達を抹殺するという企ては失敗した。今頃は血眼になって、“竜の巣”の辺りを捜索しているだろうが……直ぐに蛻の殻ということに気付く。そうなったら直ぐに追手が掛かる。いや、もう既に掛かっているだろう。楽な旅じゃないぜ。精々働いて貰うからな」

「俺達を殺したら困るんじゃないのか?」

 するとアリィーは、溜息を吐いた。

「僕達も1枚岩じゃ無いんでね。たぶん、おまえ達もそうだろうが」

 その時になって、才人は、奥のベッドに寝かされている少女に気付いた。それは、先程ティファニアに容赦なく弾を撃ち込んだファーティマであった。

「あいつもいるのか!」

「仕方ないだろう。あのままおいておく訳にはいかん」

 才人は憎らしげにファーティマを睨んだ。

 やはり意識を失っている様子で、軽く寝息を立てているだけである。

 才人は、今直ぐ跳び掛かってその細い首を締め上げたいという衝動に駆られる。だが、そのうちにファーティマの顔がティファニアに良く似ているということに気付いた。そして、(やめよう。なんにせよ、テファは一命を取り留めたのんだ。ここで怒りに任せてあの少女を切り刻んでしまえば……俺もこの娘と同じになっちまう)と才人は想った。それから、(次、なにかしようとしたら、その時は許さないけどな)と心に誓った。

 それから才人は、壁に設けられた小さな窓を見詰め、驚いた。

 窓の向こうは水である。

 そのことから、才人は、自分達が海中を進んでいるということに気付いた。

「これ、“潜水艦”かよ!?」

「せんすいかん? これは“海竜船”だ。まあ、ほとんど使われてないから、驚くのも無理はないが」

 どうやら、先立って才人が戦った“海竜”に、円筒状の船体を引かせているらしい。

 才人は、(なんでも“竜”に引かせるのが好きな連中だな)とそんな感想を抱いた。

 それから才人は、アリィーの目を見据えた。

「なんだね?」

「1つ、訊きたいことがある」

「まだ質問があるのか。面倒臭い奴だな」

 単刀直入に、才人は切り出した。

「あの“竜の巣”が、“聖地”、“シャイターンの門”なんだろ?」

 イドリスとマッダーフが、想わず立ち上がろうとした。

 が、アリィーはそれを制した。

「それを答えられる立場に、僕はいない」

 しばし、アリィーと才人は睨み合った。

 その時……ベッドに寝かされたティファニアが、わずかに口を開いた。

「サイト……」

 思わず才人は、手を握ったティファニアに向き直る。

「気付いたか? テファ!」

 だが、そうではなかった。どうやら譫言のように、才人の名前を呼んだだけのようである。

「サイト……サイト……どこ? 私を1人にしないで……」

「ここだ。ここにいるよ。もう大丈夫だ。俺が、俺達が着いてるから」

「サイト……」

 ティファニアは、再び口を閉じた。

 沈黙が船内に訪れる。

 才人は、(“ガリア”に帰ったら……“聖地”のことをルイズ達に報告しないと。アリィーやルクシャナは困るだろうが、気遣ってる場合じゃない。こいつ等もそれは承知の上で、俺達を救けたんだろうしな)と考えた。そして、ティファニアの手を握っていると、才人の胸が疼いた。恐る恐るシャツをズラして、才人は自身の胸を覗き込む。

 そこには、見慣れない“ルーン文字”が踊っていた。

「これは……?」

 才人は、先程のティファニアとの“契約”を想い出し、(“使い魔”の印、なのか……? じゃあ、あれは……本当に“使い魔”としての“契約”なのか? “二重契約”? そんなことがあるのか?)と想った。

 それから才人は、傍らのデルフリンガーを握った。左手甲の“ルーン”が光る。

 そのことから、“ガンダールヴ”としての能力はそのままであるということが理解る。

「なあデルフ。この胸の“ルーン”はなんなんだ? 俺、ティファニアの“使い魔”になっちまったっていうのか? ルイズの“使い魔”なのに?」

 だが、デルフリンガーからの返事はない。

 妙な不安が、才人を襲う。

 開かれつつある“聖地”の謎が、この胸に刻まれた“ルーン”が……どこか深い、古より続く“運命”という名前の闇の中に連れて行くような、そんな漠然とした不安が、才人を襲う。

「俺……どう成っちまうんだ? ルイズ……」

 才人は、小窓の外に向かって尋ねた。

 そこには、深い、闇のような色をした海がどこまでも広がっていた。



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聖地の謎

 陽光の射さ無い、真っ暗な海の底を、円筒形の船がユックリと進んで行く。

 “海竜”の引く、“海竜船”だ。

 水面を走るのではなく、水の中を進む、“潜水艦”のような船である。

 今から数時間ほど前……“エルフ”の水軍に追われた俺達は、ルクシャナを追って来たアリィー達に救出されるかたちで……“竜の巣”から抜け出した。

 アリィーは、“エルフ”の“評議会”に死刑を宣告されてしまったルクシャナを保護して、“ガリア”に亡命するつもりでいるのである。だが当然、“エルフ”だけで“ハルケギニア”に乗り込むということは、流石に無理がある。なので、彼等は“ガリア”王室に顔の利く俺や才人を交渉役にして、亡命を手引きして貰おうという腹積もりでいるのである。

 ゴトゴトと揺れる薄暗い船室の中で、才人はずっと、ベッドに横たわるティファニアの手を握っている。

 ティファニアの身体は“エルフ”の治療装置に繋がれ、全身を包帯で巻かれている。ティファニアは、“鉄血団結党”のファーティマに拳銃で撃たれてしまい、瀕死の重傷を負ってしまったのであった。

 “竜の巣”を脱出してから、もう随分と経つが、ティファニア達はまだ目を覚ます様子はない。

 ティファニアは時々、うわごとのように才人の名前を呟くだけである。

 才人はティファニアの手を握り、声を掛け続けた。

「テファ、ごめん……俺、テファのこと守れなかった」

 ティファニアの側に寄り添いながら、才人は何度も、(テファが撃たれたのは俺の所為だ。少し考えれば、水軍の砲撃が囮だってことくらい、予測できたはずなのに……あの時、せめてテファを一緒に哨戒艇に乗せてれば良かった。なのに、足手纏いだとか、非道いこと言って、テファを突き放してしまった……その結果が、これだ。畜生、なにが“ガンダールヴ”だ、なにが“シールダー”だよ。肝心な時に、大切な人を守れなくて……ちょっと力があるからって、俺、自分のこと過信してたんだ)と自分を責めた。才人は、何かが起こった時、他人を責めるよりも先ず、自分を責めるタイプであるようだ。

 そのことに、俺は少しばかり親近感を覚えると同時に、才人同様に自分を責めざるをえなかった。

 才人は顔を上げると、船室の奥に寝かされた、もう1人の少女を睨んだ。

 ティファニアと顔立ちの良く似た“エルフ”の少女。ティファニアを撃った張本人であるファーティマである。激昂した才人に肩を砕かれ、昏倒していたところを、アリィー達によってこの船に運び込まれたのである。

 ファーティマはあどけない寝顔で、スゥスゥと穏やかな寝息を立てている。

「そう自分を責めるな。そして、彼女を恨んでやな。才人」

「セイヴァー……」

 俺は気持ちを切り替え、実体化し、才人へと出来る限り優しく言葉を掛ける。

「彼女も色々と事情を抱えている。ティファニアと良く似た顔立ちから大体のことは想像できるだろう?」

「…………」

「それに、真に責められるべくは、俺だ。“セイヴァー”などと名乗っていながら、なに1つ救ってはいない。そもそもの話、詭弁ではあるが、救世主は、救う対象が居て初めて意味をな為し、存在しえるモノだ。俺は、やはり“英霊(彼等)”の様に上手くやれないようだ……なにより、俺は全てを識っていながらも、全く動かなかったしな……」

「なんだよ、それ……?」

 才人は声に落胆などを滲ませながら、俺に対して呆れた調子で言葉を返した。それから、奥歯を噛むと、怒りなどを落ち着けるように、深呼吸をした。(彼女はテファを殺そうとして、傷付けた。絶対に赦せない。もし……もし、あの時テファが殺されていたら……俺はきっと、怒りに任せて復讐を……でも、なにはともあれ、テファは一命を取り留めたんだ。セイヴァーの言ったように、なにか理由があるのかもしれないし。もう、やめよう。そんなことをしたって、テファが悲しむだけだ)、と考えた。

「……サイト、ねえ、サイト……セイヴァー、さん……そこにいるの?」

 ティファニアが目を瞑ったまま、唇を微かに動かした。だが、意識を取り戻した訳ではない。先程から、もう何度も、熱に浮かされたように才人と俺の名前を呼んでいるのである。

「才人、手を握ってやれ」

「ああ……大丈夫、俺は、俺達はずっとここにいる。俺は……テファの“使い魔”だから」

「サイト……」

 そんな才人の声に安心したのだろう、ティファニアはまた、穏やかな寝息を立て始めた。

 才人は握る手をそっと離すと、小さく溜息を吐いた。

「……“使い魔”、か」

 呟いた途端、胸の“ルーン”がズキリと疼いたように、才人は感じた。

 才人の胸には今、新たな“使い魔”の“ルーン”が浮かんでいるのである。

 生死の狭間にあったティファニアが、薄れ行く意識の中で唱えた“召喚”の“呪文”。その喚び掛けに応じて、才人はティファニアの元に喚び出されたのである。

 才人は、ティファニアの「私、嬉しいの……“召喚”を唱えたら、サイトが来てくれた。私の居場所……あったんだって。私とサイト、ちゃんと絆で結ばれてたんだって……」という言葉を想い出した。

 本来、既にルイズの“使い魔”となっている才人の前に、“召喚”の“ゲート”が開く道理はない。だが、才人を想うティファニアの願いは、そのような“魔法”の“(ことわり)”すらも超えて、才人を新たな“使い魔”として再“召喚”してみせたのである。いや、そもそもの話――。

 “使い魔”を“召喚”するために必要なのは、“運命”……そして、“愛”。

 だが、同時に才人の頭には、幾つもの疑問が浮かんで来て居た。

 才人の左手甲には、“ガンダールヴ”の“ルーン”が刻まれたままである……ということは、才人はルイズの“使い魔”でありながら、ティファニアの“使い魔”でもあるということになる。

 才人は、(“使い魔”の二重“契約”……本当にそんなことがありえるのか? 4番目の“使い魔”の能力って、一体どんなモノなんだ? “ガンダールヴ”は“武器”を自在に扱い、“ヴィンダールヴ”は生き物を操る、そして“ミョズニトニルン”は汎ゆる“魔法の道具(マジック・アイテム)”を使うことができる。じゃあ、4番目の“使い魔”は?)と考えた。

 鈍く疼くような痛みに、才人は何だか、妙に不吉な予感を覚え、(俺達、これからどうなっちまうんだろう?)と想った。

 才人は、船室の窓から見える、真っ暗な海に目を凝らし、(今は一体、どこを進んでいるんだろう? もう“エルフ”の国の国境を超えた頃だろうか……?)と考えた。

「ルイズ達、きっと心配してるよな……」

「だろうな」

 “ド・オルニーエル”に残して来てしまったかたちになったルイズのことを想い出し、才人は胸が苦しくなった。(ルイズ、俺の可愛い恋人。クルクルと動く深い鳶色の目。桃色掛かったブロンドの髪、透き通るような白い肌、それに、小さく控えめな胸……なにもかもが“愛”おしい。早くルイズに逢いたい……逢って、思い切り抱き締めたい)、と“ネフテス”に来てから未だ数日しか経っていないというのに、そのような強い想いが込み上げて来たのである。それから、(ルイズだけじゃない。シエスタに、タバサやキュルケ、シオン、コルベール先生、姫様、ギーシュ、マリコルヌ、それに“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の仲間達……皆に逢いたい。そうだ。俺、“ハルケギニア”に戻ったら、皆に“聖地”の事を報告しないと)、と仲間を想うのと同時に、大事なことに想い当たり、頭を抱えた。

 “聖地”。“始祖ブリミル”が最初に降り立ったといわれる土地。“エルフ”が“シャイターンの門”と呼ぶ場所。教皇ヴィットーリオ曰く、「そこに“大陸隆起”を止めるための、“魔法装置”がある」という。

 その“聖地”を巡って、“ハルケギニア”の民と“エルフ”は幾度となく戦って来た。

 才人には、(”聖地”は、あの海母の棲む”竜の巣”だ)、という確信があった。それは、”ガンダールヴ”の”槍”が”聖地”の直ぐ近くで発見される、あの”竜の巣”には“戦車”や“戦闘機”を始め“小銃”や“ロケットランチャー”を始めめ“原子力潜水艦”などの”地球”の”武器”が沢山あった、といったことから得た確信である。

 あの場所――“聖地”は、6,000年前は陸地であったのである。

 才人は、(でも、そのことを素直に話してしまって、本当に良いんだろうか? 教皇もジュリオも、なにかを隠してる気がしてならないし、“風石”の暴走による“大陸隆起”によって、“ハルケギニア”は滅亡する……それは本当だとしても、まだ、どうしても拭い切れない不信感が……もしかして、教皇は“聖地”の場所なんて、とっくに知ってるのかもしれない……あそこには、本当はなにがあるんだ? 海母は、あの海の底にある洞窟が、ただのゴミ捨て場だと想ってたみたいだし。あの場所に本当に“魔法装置”なんてモノがあるなら、それを海母が知らないのは可怪しい。セイヴァーは、きっと総てを識ってるだろうけど……訊けば教えてくれるか?)と考え、俺へと目を向けた。

 開かれつつある“聖地”の謎。新たに刻まれた“使い魔”の“ルーン”。そして、初代“ガンダールヴ”であったサーシャが、ブリミルを殺した理由……。

 そして、(6,000年前にあの場所でなにがあったのか、その謎を解き明かさ為きゃ、“ハルケギニア”を本当に救うことはできない……)と才人には何故か、そのような気がしてならなかった。

 その6,000年前のことを1番良く知っていそうな者は2人ほどおり、才人の相棒の方はもう何時間も前からずっと沈黙したままである。

 才人は、傍らの壁に立て掛けてある“日本刀”に話し掛けた。

「なあ、デルフ、頼むから起きてくれよ。おまえに相談したいことが山程あるんだ」

 だが、デルフリンガーからの返事はない。才人の胸に、4番目の“使い魔”の“ルーン”が浮かんでから、うんともすんとも返事を返すことがなくなったのである。意識を失ってしまっているのか、それとも、ただ寝たふりをして居いるだけなのか、才人には判らなかった。

「なんなんだよ……これ、そんなにヤバイもんなのか?」

 才人は増々不安になって、自分の胸元を見下ろした。それから、俺へと質問をしようと口を開く。

 その時、船室の扉が乱暴に叩かれた。

「入るぞ、“蛮人”、“イブリース”」

 扉を開けて入って来たのは、朝食の皿を2つほど手にしたアリィーであった。

 アリィーは床に座る才人と壁にもたれ掛かる俺へと一瞬目をやり、それから直ぐに、ティファニアの頭側のベッドに寝かされているルクシャナに視線を移した。

「彼女の様子はどうだ?」

 才人は首を振った。

「まだ起きてない。でも、苦しんではいないみたいだ」

「そうか」

 アリィーはルクシャナのベッドに歩み寄ると、辛そうに唇を噛んだ。

「僕に、“治療魔法”の素養があれば良いんだがな」

 ルクシャナの負った傷は深く、“エルフ”の使う“精霊の力”をもってしても、簡単には治療することができないほどであった。また、アリィー達は戦士としての訓練を受けた“エルフ”であるということもあって、治療に関しては余り得意ではないのである。

「ハーフの娘の容態はどうだ?」

「テファはずっとうなされてる。なあ、この治療装置で本当に大丈夫なのか?」

「僕達も手は尽くしたさ。でも、この船に積んであるのは、あくまで応急用の装置だからな。どこかで、もっとまともな治療を受けさせないと」

「なあセイヴァー。どうにかならないのか?」

「可能だ。今の俺には無限とも言える“英霊”達の力がある。当然、傷の治療など朝飯前だ」

「なら……」

「だが、俺は“イブリース”だからな……こいつ等がそれを受け入れるかどうか、話はそれで決まる」

「…………」

 俺と才人の会話を聞いて、アリィーは葛藤しているのだろう、苦しそうに唇を噛んだ。

 アリィーは才人の横に腰を下ろすと、朝食の皿を仏頂面で差し出した。

「イドリスが作った朝食だ。食べ給え」

 それは、薄いクレープのような生地に、炙った肉とスライスした玉葱、たっぷりの野菜の葉を挟み、赤色のソースを掛けた食べ物である。

 “ハルケギニア”では見たことのない料理ではあるが、才人はこれに良く似た食べ物を知っていた。

「“地球”の“ケバブサンド”に似てる」

「ケバブ? なんだそれは?」

 アリィーは怪訝そうな顔をした。

「俺達の故郷に似た料理があるというだけの話だ。だが、まさか俺の分まで用意してくれるとはな。“サーヴァント”に食事は要らないが、それでもモチベーショ維持の為に欲しいと想っていたところだ。感謝する」

 俺の言葉に、アリィーは面喰らった様子を見せた。

「悪いけど、食べてくれ。今は食欲がない」

 才人は首を横に振った。正直なところ、才人は今物凄い空腹を感じていた。だが、(眼の前でティファニアが苦しんでいるってのに、俺達だけが食べる訳にはいかない)と想ったのである。

「駄目だ。無理にでも腹に詰め込んでおけ」

「後で食べるよ」

「また水軍の連中と戦闘になるかもしれないんだ。おまえが動けないと、僕達も困る」

「そうだぞ、才人。腹が減っては戦はできぬ、と言うだろう? それに、食べずにいて、ティファニアが目を覚ました時に、逆におまえが倒れていては話にならん」

「……理解ったよ。食べれば良いんだろ」

 アリィーと俺の説得に、才人は不承不承といった様子でそのケバブサンドのような食べ物を掴んだ。それから、大きく口を開けて齧り付き、自棄になったかのように口の中に詰め込むと、水筒の水で、んぐ、んぐ……と一気に流し込んだ。

「んぐ、ぐ……美味え!」

「ふむ。確かにこれは……なかなかに」

 そのケバブサンドに似た食べ物は、とても美味しいといえる。甘辛のタレで味付けされた肉を野菜毎噛み千切ることで、肉汁が口の中に溢れ、玉葱の甘みと、たっぷり効かせた香辛料の香りが強烈に広がるのである。

 久々に口にした食べ物に胃が刺激されたのであろう、才人の腹はたちまちギュルギュルと鳴り始めた。まるで、自分の身体が、空腹であったということを突然想い出したかのように。

「全く、野蛮な食べ方だな。これだから“蛮人”は。そこの“イブリース”……セイ、ヴァーとかを見倣ったらどうだ?」

「うるせ。“地球(あっち)”ではこうやって食べるんだよ」

 指に付いたソースを舐め取りながら、才人は憮然として言い返した。

 

 

 

 朝食を腹に収めて一息吐くと、ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたのであろう、才人の気持ちは少しばかり落ち着いた。

 才人は窓の外の暗闇を見詰めながら、アリィーに尋ねた。

「俺達、今どの辺りにいるんだ? もう国境を超えたのか?」

「まだだ。軍船と違って、この“海竜船”はそんなに速度を出せないからな。それに、最短の海路には、水軍が網を張っている」

「連中、まだ俺達を追って来てるのか?」

「当然だろう。おまえ達は“悪魔”で、僕達は“エルフ”の裏切り者だ。水軍を牛耳っているあの“鉄血団結党”の連中は、兎に角“悪魔”を殺すことに命を賭けてるんだ。どこまでも追って来るに違いない」

 それから、アリィーは、奥のベッドで眠るファーティマに目をやった。

「人質になるかもしれないからと想って連れて来たが、正直、役に立つかどうかは判らないな。“悪魔”を殺せるとなれば、仲間でも見殺しにするだろう、そういう連中だ」

 才人は不安そうに船室の天井を見上げた。

「じゃあ、俺達、これからどうするんだ?」

「“エウメネス”を中継して、陸路で“ガリア”に向かう」

「“エウメネス”?」

「“砂漠(サハラ)”の最南端にある街だ。“蛮人”と“エルフ”が交易している」

「ヒトと“エルフ”が? そんな場所があるのかよ?」

 当然、才人は驚いた。

 基本プライドが高い“エルフ”は、ヒトと交流などを持つことがない……持とうとはしないのである。

 そのために、才人からすると、にわかには信じることができないことであったのである。

「“評議会”は認めていないがね。国境付近では、まあ、そういうこともあるのさ。ルクシャナが“蛮人”……おまえ達ヒトを研究するために、しばらく出入りしていた街だ」

 アリィーはルクシャナに視線を移した。

「“エウメネス”には、“エルフ”の治療施設がある。そこで2人を治療しよう」

 その時、船室が大きく揺れ、船のスピードがガクンと落ちた。

「どうしたんだ?」

「“海竜”の機嫌が悪いようだ。様子を見て来よう」

 アリィーは立ち上がった。

「おまえ達も少しは寝ておけ。いざという時に戦えるようにな」

「良いよ。テファが目を覚ました時、起きてないとな」

「ふん、頑固者の“蛮人”め」

 アリィーが呆れたように肩を竦める。それは、アリィーが毛嫌いしていた、“蛮人”――人がよくする仕草であった。

 と、ベッドの上で、呻くような声が上がった。

「……ん、うう……」

「テファ!?」

 才人はハッとして、顔を上げた。だが、直ぐに、その声の主がティファニアではないということに気付く。

「この、“悪魔”ど、もめ……!」

 美しい透き通るような金髪が揺れる。

 ベッドから起き上がったファーティマの碧眼が、俺と才人を憎々しげに睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “砂漠(サハラ)”の夜が白々と明けて行く……黒い煙を激しく噴き上げながら、ルイズやシオン達を乗せた“オストラント号”は全速力で飛び続けた。

 “フネ”を止めるモノは、もうなにもなかった。

 戦艦10隻と巡洋艦6隻からなる、“エルフ”の空軍艦隊は、ルイズの放った“爆発(エクスプロージョン)”によって、1隻残らずに撃沈したのである。もちろん、殺すことなく、“フネ”と“風石”のみに干渉をして。

 だが、激しい戦闘を潜り抜けた“オストラント号”もまた、既に満身創痍の状態であるといえるだろう。装甲には大きな穴が幾つも空き、無理をさせ続けていた“蒸気機関”は今や壊れる寸前である。こうして無事に飛んでいるのが、奇跡とも想えるほどである。

「ジャン、見えて来たわ!」

 キュルケが船縁から身を乗り出して言った。

「あれが“エルフ”の都市、“アディール”か」

 “エルフ”の国、“ネフテス”の首都“アディール”。

 砂漠を囲む海に突き出すような形で造られた、巨大な人工都市である。

 整然と立ち並ぶ白壁の建物。縦横に走る巨大な運河。周辺の海上には、同心円状の埋立地が幾つも浮かび、その間を多くの“フネ”が行き交っている。

 その余りの規模に圧倒され、コルベール達は想わず、溜息を漏らした。ルイズとシオンも、これ以上の大きさなどをしたモノを、夢で見たことがある。が、それでも、実際に目の当たりにしてしまうと、溜息を吐く他なかった。

 “ハルケギニア”の都市とは全く異なるその光景は、“エルフ”とヒトとの圧倒的な技術力の差を、まざまざと見せ付けているといえるだろう。

 同時に、コルベールは、(私達はこれから、こんなモノを造る連中を相手にしなくてはならない……)、といった暗澹たる気持ちになった。

 海に突き出した“アディール”の中心部に、巨大な白塗りの塔がそびえている。目測で200“メイル”近くもあるその塔は、“ハルケギニア”にあるどの建築物とも似ていない。一切の無駄な装飾を廃した、機能的な外観をしている。その建物こそが、“エルフ”の最高権力機関“評議会(カウンシル)”のある、“カスバ”である。

 “アディール”の中心部まで、後十数“リーグ”……。

 全員が緊張する中、ギーシュが口を開いた。

「コルベール先生、質問があるのですが」

「なんだね? ミスタ・グラモン」

「僕達は、どこに着艦するのですか?」

 塔の屋上には、“風竜”の発着場らしきモノがあるが、とても大型の“フネ”が着艦できるようには見えない。

「あの塔に突っ込む」

 コルベールはキッパリと言った。

 シオンは、やっぱり、といった様子を見せる。

 が、ギーシュ達は耳を疑った。隣のキュルケまでもが目を丸くする。

「ちょっと、正気なの?」

 操舵輪を握るエレオノールが叫んだ。

「もちろん、こんなのは正気の沙汰ではない」

「は?」

「だからこそ、“エルフ”を少しは混乱させられる可能性がある」

 コルベールは大真面目に言った。

 敵の裏を画く奇策、などという立派なモノではない。だが、“エルフ”と正面からまともにやり合ったところで、ヒト側には万に1つも勝ち目などないといえるのである。だからこそ、万分の1の可能性に賭ける、といった方法しか、コルベールは想い付かなかったのである。

「幾らなんでも、無謀過ぎるわよ!」

「“エルフ”の本拠地に乗り込むという時点で、既に無謀の極みでしょう」

 コルベールは言い返した。

「も、もし、失敗したら?」

「そりゃあ、木っ端微塵だろうなあ」

 マリコルヌが愉しそうに言った。

「あ、あんたね……下手すれば死ぬのよ?」

「だから、責任重大っすよ。御姉さんの操縦次第なんだから」

「甲板から蹴り落とされたいの?」

「まあ、美人の御姉さんと一緒なら、心中もそんなに悪くないですけどね」

「それは絶対、嫌よ」

 マリコルヌを船縁に転がすと、エレオノールは、覚悟を決めたように操舵輪を握り直した。

「こんな所で死ねないわよ。まだ結婚だって諦めてないんだから」

 “オストラント号”は、進路を真っ直ぐ“カスバ”へと向けた。

 険しい表情で甲板に立つコルベールの側に、キュルケがそっと寄り添う。

「ジャン、あたしは貴男に着いて行くわ。例え地獄の果てまでも」

「ありがとう、ミス・ツェルプストー」

 キュルケはふと、甲板の隅に座る青い髪の親友のことが気になった。

「呆れた。貴女、こんな時にまで本を読んでいるの?」

 タバサは本に目を落としたまま、コクリと首肯いた。

「本当、マイペースな娘なんだから」

 キュルケは、(なにがそんなに面白いのかしら……?)とタバサの背後に忍び寄り、表紙のボロボロになったその本を覗き込んだ。そして、怪訝そうに首を傾げる。

 タバサが読んでいるのは、挿絵の付いた、子供向けの本である。

「珍しいわね。いつもは小難しい本を読んでる癖に」

「大切な本」

 タバサのその言葉に、側にいるイーヴァルディは微笑む。

「ふうん」

 キュルケは興味を失ったように呟くと、今度は船首の方へと目を向けた。

 そこではシエスタの膝の上で、ルイズが眠っている。そして、その近くでは、シオンとハサンが2人を見守っていた。

 ルイズは、“エルフ”の艦隊に特大の“エクスプロージョン”を放ったことで、“精神力”が底を突き、その場で眠り込んでしまったのである。

「可哀想に。次の目覚めは騒々しくなりそうね」

 

 

 

「“蛮人”がここに攻めて来るだと?」

「アムラン上将はなにをしていたのだ!?」

 その頃……“カスバ”の“評議会”は、混乱の真っ只中であった。

 なにしろ、本国の空軍艦隊が壊滅し、ヒトの“フネ”が直接この“アディール”に乗り込んで来るのだから。長年に亘る“エルフ”とヒトとの戦争の歴史の中でも、前代未聞の大事件であるといえるほどである。

「ふむ、我々はどうやら、“蛮人”の野蛮さを少し侮っていたようじゃな」

 議長席に座る老“エルフ”テュリュークの呟きに、議員達は渋い顔になった。

「笑い事ではありませんぞ。統領閣下。連中はきっと、あの“悪魔の担い手”共を取り戻しに来たのでしょう」

 議員の1人が言った。

「まさか、この“カスバ”に乗り込んで来るつもりですかな?」

「ここにはわずかな衛兵しかおりませんぞ」

「なに、“蛮人”共など、乗り込んで来たところでなにができる」

 若い“エルフ”の議員が嘲笑い、何人かがそれに同調した。

 確かに、評議会の“エルフ”は、その1人1人が強力な“精霊の力”の行使手である。ヒトの“メイジ”に遅れを取ることなど先ずありえない。故に、そう侮るのもまた無理のないことであった。

 侃々諤々の議論の中で、テュリュークは1人、(全く、度し難い阿呆共じゃ)と内心で頭を抱えていた。

 なにしろ、この期に及んで、まだのんびりと会議をしているためである。

 数百年に亘る平和と安寧が、“評議会”を腐敗させてしまった。その挙げ句に“鉄血団結党”の如き狂信者達の台頭を許してしまったのだから。また、これは、彼等“エルフ”の民族的意識や性格……言い方はキツめだろう が、選民主義やヒトを見下す考え方などが、こういったことを招いたともいえるであろうが。

「相手が“蛮人”とて、油断は禁物じゃ。現に本国艦隊は全滅したのじゃからな」

 テュリュークが議論に水を差すと、全員が気不味そうに口を噤んだ。

「兎に角、余り“蛮人”を侮らぬ方が良いということじゃ。連中は、我々の想いもよらぬ方法で攻めて来るやもしれんからのう」

 そんなテュリュークの言葉にも、議員達は納得しかねている様子を見せる。

 テュリュークは溜息を吐くと、難しい顔で虚空を睨み、何かをジッと考え始めた。

 

 

 

「ミス……ミス・ヴァリエール、起きてください」

「う、ううん……」

 シエスタが優しく方を揺すると、ルイズは寝返りを打った。

「……サイト、だ、駄目よ、御庭で首輪なんて……もう、なに考えてるのよ……?」

「なんて夢を見てるんですか」

 シエスタはジト目になった。

 シオンは苦笑する。

「寝惚けてないで、早く起きてください。“エルフ”に対抗できるのは、ミス・ヴァリエールの“虚無”と“サーヴァント”だけなんですから」

「……ん……もう、赦せないわ……絶対、赦せないんだから。き、“貴族”の私に、そんな恥ずかしい格好、させるなんて……」

 シエスタは溜息を吐くと、ルイズの耳元に顔を寄せた。

「本当に起きてくださいよ。ほら、起きて……起きてください。起きろ、胸無し。貧乳。俎板。“タルブ”の大平原」

 シエスタが口を開くたびに、寝ているルイズの身体はピクッピクッと動く。

「ぺったん、ぺったん、ぺったん御胸~~」

 耳元で謎の歌を歌い始めたシエスタの声に、ルイズの耳がピクピクと反応をする。

「ミス・ヴァリエールの御胸はぺったんたん~、すっとんとんのぺったんたん~」

 とうとう……当然、ルイズはガバッと起き上がった。

「メイド、あ、あ、あんたね!」

「あ、やっと起きましたね。ほら、突っ込みますよ、準備してください」

「突っ込む?」

「はい。あの塔に、“フネ”ごと体当たりするらしいです」

「は?」

 ルイズの眠気が一気に吹き飛んだ。

「なに? なに言ってるの? 意味が理解らないわ」

 その時、“オストラント号”の甲板が大きく斜めに傾いた。

「――ちょ、ちょっと、なに……きゃああああああっ!?」

 ルイズとシエスタは抱き合たまま甲板の上をゴロゴロと転がり、シオンは身体能力を強化してしっっかりと足を着け、ハサンは“霊体化”している。

「突入するぞ! ミスタ・グラモン、“フネ”の舳先に“硬化”を!」

 コルベールが号令を掛ける。

 ギーシュ達は必死に船縁に捕まりながら、腕輪型の“礼装”を用いて自身や“魔法”の威力を強化し、“硬化”の“呪文”を唱え始めた。

 “魔法”の光が“オストラント号”を何重にも覆って行く。

「総員、近くの手摺に掴まれ!」

 “オストラント号”は斜めに傾いたまま、グングンと高度を下げて行く。

「ふん、こうなったら、やってやるわよ! 行かず後家の意地を見せてやるわ!」

 エレオノールが操舵輪を握りながら、自棄糞気味に叫んだ。

「その意気っすよ、御姉さん」

「御黙りなさい!」

 エレオノールはまたマリコルヌを舷縁に蹴り転がした。

 塔の“エルフ”達も、ようやく、“オストラント号”の行動の意図に気付いた様子を見せる。バルコニーに出て来た“エルフ”の衛兵達が、慌てて“精霊の力”を用いて“魔法”を唱え始める。無数の火球や光の矢、風の刃が放たれ、“オストラント号”の装甲が剥がれて行く。これだけの巨大質量を撃ち落とすことは無理であっても、せめて進路を逸らそうというのであろう。

「子豚、あれを吹っ飛ばしなさい」

「はいはい、でっかいの御見舞してやりますよ、っと」

 マリコルヌは転がるように前甲板の主砲に取り付くと、ペロッと舌を舐めた。

 砲塔にペイントされた、342、の数字。

 “オストラント号”の主砲は、もちろんただの大砲ではない。コルベールが無理矢理改造して搭載した“タイガー戦車”の“88mm砲”である。

 レンズを覗き込み、“エルフ”のいるバルコニーに照準を定めると、マリコルヌは発射レバーを思い切り引いた。

 ガウンッ!

 と、轟音が鳴り響く。

 砲身から勢い良く煙が噴出し、巨大な薬莢が排出される。同時に、真っ直ぐに飛んだ砲弾が、塔のバルコニーを粉々に粉砕してみせた。

「やるじゃない、ぽっちゃり!」

 衝撃波で吹き飛んで来たマリコルヌの頭を踏みながら、エレオノールが操舵輪をグルングルンと回す。

 マリコルヌは幸せそうな顔で踏まれるがままである。

 巨大な“カスバ”の威容がグングンと迫る。

 50”メイル”、40”メイル”、30”メイル”、20”メイル”……。

「打つかる!」

 ギーシュが叫んだ。

 次の瞬間、“オストラント号”の舳先が、塔の壁に衝突した。

 ドオオオオオオオオオオンッ!

「――きゃあああああああッ!?」

 予想以上の衝撃に、ルイズとシエスタは想わず船縁から手を離してしまった。

 “フネ”の外に2人の身体が放り出される。一瞬の浮遊感を覚え、(あ、落ちる……)と想ったその瞬間、なにかに襟首を掴まれ、グンッと持ち上げられた。

「え?」

「きゅいきゅい、全く、ちび桃は世話が焼けるのね!」

 ルイズは恐る恐る目を開けた。

 タバサを乗せたシルフィードが、ルイズとシエスタの襟首を爪で引っ掛けていたのである。

「あ、ありがとう」

 ルイズが呟くと、タバサは無表情でコクリと首肯いた。

 盛大に舞い上がった土煙が晴れる。

 巨大な“オストラント号”の舳先が、塔の中腹に埋まっていた。

 装甲の大部分は破損したものの、動力はなんとか無事なようである。もし、木造の“フネ”であれば、例え強化した“硬化”の“魔法”を掛けていようとも、ポッキリと折れていたに違いない。

「全員、無事のようですな」

 コルベールが咳き込みながら立ち上がった。

「ミス・エレオノール、実に素晴らしい操舵でしたぞ」

「もう、無茶苦茶よ……」

 エレオノールが咳き込みながら文句を言った。

「さて、これより“エルフ”の総本山へ乗り込む。君達、覚悟はできているかね?」

 コルベールの言葉に、誰もが無言で首肯くと、其々“杖”や“剣”を引き抜いた。

「よろしい」

「では、コルベール殿。行きましょうか」

「ええ。ハサン殿も、準備はよろしいようで」

 コルベールとハサンが先陣を切って、“フネ”の甲板から飛び降りた。続いて、ルイズ、シオン、キュルケ、ギーシュ、マリコルヌ、タバサ、イーヴァルディとそれに続く。

 “メイジ”ではないシエスタ、そして操舵手であるエレオノールは、“エルフ”を人質に取った後、直ぐに飛び立てるように“オストラント号”に残った。

「気を付けるのね、おちび、きゅいきゅい!」

 心配そうに鳴くシルフィードに、タバサは「大丈夫」と首肯いた。

 船縁から身を乗り出したシエスタが、ルイズ達に声を掛ける。

「ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ、絶対にサイトさんとミス・ウエストウッド、セイヴァーさんを連れて 帰って来てくださいね。約束ですからね」

「ええ、約束するわ」

「ミス・ヴァリエールも、無事に帰って来なきゃ駄目ですよ」

「もちろんよ」

「絶対、絶対にですよ!」

「理解っているわ」

「もし……もしミス・ヴァリエールが帰って来なかったら、私、サイトさんを取っちゃいますから」

「それは駄目」

 ルイズが即答すると、シエスタはニコッと微笑んだ。

「あら、足が震えてるわよ、ギーシュ」

「なに、これは武者震いと言う奴さ」

 からかうキュルケに、ギーシュは嘯いた。

「相手が“エルフ”だからなんだ。サイトは僕の“ゴーレム”に、何度叩き退めされても立ち向かって来た。“平民”が“メイジ”に立ち向かったんだ……いや、ちきゅう、出身だから“平民”とは違うのか?。まあ、それに比べれば、“エルフ”と戦うくらい、大したことはないさ」

 ギーシュは“杖”をグッと握り締めた。

「なにしろ仲間を救うために戦うんだ。そして、絶対に皆で無事に帰る。これは、名誉の戦い、だぜ? 君」

「そうそう、仲間と……おっぱい“エルフ”ちゃんだ。最高じゃないか。“ロマリア”の連中の唱える“聖戦”なんかより、よっぽど単純で好いね」

 マリコルヌが言った。

「ああ、ついでに世界も救うんだからな。君、もしここから生きて帰って来ることができたら、僕達は大層モテるんじゃないかね?」

「ギーシュ、君にはモンモンがいるだろ」

「それはそれさ。モテて困ることはなにもないだろう?」

「まあね」

 2人は不敵に笑い、肩を叩き合った。

「あんた達ね……」

 そんな2人を、ルイズがジト目で睨む。

 コルベールがコホンと咳をした。

「突入したら、なるべく、身分の高そうな“エルフ”を人質に取るんだ。そして、サイト君達との人質交換を申し出る」

「身分の高そうな“エルフ”を、どうやって見分けるの?」

 と、ルイズが尋ねる。

「少なくとも、衛兵の格好をしていない“エルフ”だ」

 “アーハンブラ”にいた“エルフ”――ビダーシャルみたいな奴ね、とルイズは勝手に想像した。

「下から上って来る衛兵は、私が引き受ける」

 タバサが言った。

「1人で大丈夫なの?」

 ルイズが心配そうに声を掛ける。

「大丈夫。単独行動は慣れてる。それに、今は……」

「1人じゃない。僕も着いている」

 イーヴァルディが剣を構え、強く言った。

「気を付けてね」

 タバサは小さく首肯くと、“フライ”の“呪文”を唱え、塔から飛び降りた。

 それに続いて、イーヴァルディが跳び降りる。

「ミス・ヴァリエール、“虚無”はあとどれくらい放てそうかね?」

「多分、数回くらいは使えると想うわ」

 ルイズは強がったが、当然、艦隊を沈めたあの特大の“エクスプロージョン”を使ったことで、“精神力”はほとんど突きている状態である。だが、絶対にサイトを救うのだ、というその想いが、ルイズの心を震わせていた。心の震えは、“虚無”を唱える“精神力”そのものであるといえるだろう。怒りよりも、喜びよりも、悲しみよりも強い……サイトを想う、その心の震えがある限り、大抵のことはどうとでもできるのである。

 それからルイズは、(サイト、待ってて……私、必ず貴男を救けるわ。もしかしたら、“エルフ”に記憶を奪われているかもしれない、私のこと、忘れてしまっているかもしれない。そうだとしても、絶対に諦めないわ。だって、私は“使い魔”であるあいつの御主人様で、こ、恋人なんだもの……そうよ、あいつと再逢したら、今度は目一杯抱き締めて貰うわ。そんで、キ、キスだってして貰うんだから……)と想った。

「ちょっと、なにぼーっとしてるのよ?」

 キュルケが怪訝そうに眉を顰める。

「ぼ、ぼーっとなんてしてないいわ!」

 ルイズの顔が真っ赤になった。

 ルイズの其の様子に、シオンは優しい笑みを浮かべる。

「では行こう。サイト君とティファニア嬢、セイヴァー君を救うために」

 コルベールが“杖”を真上に掲げて言った。

 全員、無言で“杖”の先を合わせると、塔の中に突入した。



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エルフの塔

 “カスバ”に突入したルイズ達一行は、コルベールを先頭にして通路を突き進んだ。

 壁の両脇に掲げられた、藍丹の様ような“魔法装置”が、扉の並ぶ通路を薄暗く照らしている。建物の内部は、彫刻や絵画など、無駄な装飾や遊びなどの一切が排除されており、“ハルケギニア”の宮殿とは全く異質な雰囲気を感じさせて来る。

 建物に低いサイレンの音が響く。

「足音はなるべく立て無いように。ここからは、私の指示に従ってくれ給え」

 コルベールは小声で言った。その額にジワリと汗が滲む。これまでの人生で感じたことのない、凄まじい緊張感を今覚えているのである。見取り図もない状態での、敵地への潜入。かつて、“魔法研究所(アカデミー)実験小隊”の小隊長であった頃には様々な作戦を指揮して来たコルベールではあるが、このような無謀な作戦は初めてであるのだから。しかも、相手は“エルフ”である。

 コルベールは、(果たして、生きてここから出られるだろうか? 最悪、もし作戦の遂行に失敗したとしても、生徒達だけでも逃がさなくては……)と表情を一層険しくした。

「“エルフ”達は、どこにいるのかしら?」

「そりゃあ、御偉いさんの集まる場所は大抵、建物の上の方にあるんじゃないかね?」

 小声で囁くルイズに、ギーシュが答えた。

「まあ、“ハルケギニア”では、そうね」

 更に進むと、通路の交差する広間のような場所に出た。

 コルベールは足を止め、後に続く生徒達を“杖”で制した。

「ジャン、どうしたの?」

「“エルフ”だ」

 簡潔なその言葉に、全員が息を呑む。

 通路の先に姿を現したのは、衛兵の制服を着た“エルフ”達である。“エルフ”は、たった1人でも、ヒトからすると一騎当千の戦士である。それが、3人もいた。

 既にルイズ達に気付いている様子であり、抜き取った刀剣を手に、走り込んで来る。

 コルベールは即座に“フレイム・ボール”を唱えた。

 “スクウェア・クラス”の“メイジ”の放つ炎の4乗。“炎球”選りも二回りほど大きい炎の塊が3つ、緋色の尾を曳き、“エルフ”達に襲い掛かる。

 爆発。次いで、轟音が連続して空気を震わせ、通路を激しい炎が荒れ狂う。

 温厚なコルベールの印象は掛け離れた、容赦の一切ない攻撃に、背後のルイズ達は息を呑んだ。

「人質にしなくて良いんですか?」

 マリコルヌが問うた。

「衛兵では人質にならないだろう。それに……」

 コルベールは険しい表情で、燃え上がる炎の向こうを睨む。

「手加減できる相手ではなさそうだ」

 ゴウッと風の吹くような音がした。

 すると、炎はまるで大きな渦に吸い込まれるかのようにして、たちまち消滅してしまった。

 “エルフ”の戦士達は、火傷1つ負っていなかった。

「あれが“エルフ”の“先住魔法”か……とんでもない力だ」

 コルベールは唸った。

 “エルフ”の戦士達は“エルフ語”でなにか言葉を叫んだ。

 “悪魔(シャイターン)”という単語が聞こ得て来ることから、ルイズ達は罵りの言葉であることを理解した。

「ここは僕に任せ給え」

 ギーシュが勇ましく前に出て、薔薇の“杖”を振った。7枚の花弁が宙を舞ったかと想うと、短槍を手にした7体の“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”が出現し、“エルフ”の前に立ちはだかる。

「行け、僕の“ワルキューレ”!」

 ギーシュが号令を放つのと同時に、“聖堂の戦乙女”達は真っ直ぐに突撃した。

 だが、武器を手にした“エルフ”達は当然軽々と跳躍すると、縦横無尽に剣を振るい、“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”の軍団をたちまちバラバラにしてしまった。

「おいおい、嘘だろう?」

 ギーシュの顔が目に見えて青くなった。

 コルベールの額にも冷たい汗が浮かぶ。

 華奢な“エルフ”の身体に、とてもそのような力があるようには見えない。

 そのことから、武器も肉体も、“精霊の力”で強化しているであろうことが簡単に想像できる。

「こりゃあ、逃げた方が良さそうだね」

「私も賛成だ」

 マリコルヌの提案に、コルベールが首肯く。

 ここで徹底抗戦をする意味はないのである。ルイズの“虚無”や“サーヴァント”の力であれば通用するであろうが、このような所で切り札を切る訳にもいかないのである。

「こっちにも通路があるわ」

 ルイズが反対側の通路を指指した。

「良し、急ぎ給え。ここは私が足止めする」

 コルベールがスッと“杖”を突き出した。

 その尖端から、巨大な炎の蛇が躍り出る。

 生徒達の前では決して見せることのない、感情のない冷たい笑み。

 コルベールのその触れば火傷しそうな気配に、キュルケとシオン、ハサン以外の全員がゾクリと背筋を震わせた。

 “炎蛇のコルベール”。その“二つ名”を象徴する炎の蛇は、鞭のようにしなると、“エルフ”の戦士達へと襲い掛かる。

 猛り狂う炎の蛇に、流石の“エルフ”の戦士達も、蹈鞴を踏んだ。まさか、ヒトの“メイジ”にこれほどの使い手がいるとは予想だにしていなかったのであろう。

「先生!」

「早く、行くんだ!」

 コルベールの鋭い声に、ルイズ達は慌てて通路の奥へと駆け出した。

 コルベールは後退しながら、2匹目の炎蛇を出現させた。無論コルベールは、ここでいつまでも踏み留まることができるなど、想ってはいない。なにしろ、相手は“エルフ”なのだから。

 コルベールは一瞬、通路の天井に視線を移した。そして、冷徹に計算をする。(もう少し、引き付けるべきだな)、と考え、2匹の炎蛇を絡み合わせ、執拗に獲物を追い立てる。

 攻めあぐね、業を煮やした“エルフ”の1人が、なにか“呪文”を唱え始めた。

 それがどのような種類の“魔法”であれ、完成すれば当然コルベールに勝ち目はない。強力な“精霊の力”の前では、小手先の“魔法”など通用しないのである。

 コルベールは、(そうはさせんよ)と炎蛇を消滅させると“炎球(ファイアーボール)”の“呪文”を唱えた。次いで、立て続けに3発、天井の亀裂へと向かって。

 爆発。

 天井は轟音と共に崩落し、真下にいた“エルフ”達を押し潰した。

 恐らく、“オストラント号”が衝突した時に出来たモノで在ろう。

 コルベールは後退しながら炎蛇を巧みに操り、“エルフ”達をその亀裂の下へと誘導していたのである。

 コルベールは“杖”を振り、崩れ落ちた瓦礫の山に“土魔法”の“錬金”を掛けた。

 瓦礫の山はたちまち固まり、1つの大きな塊になってしまう。

 “エルフ”達はもちろん“精霊の力”を用いて肉体を強化していた。瓦礫の山に押し潰されたくらいでは、死にはしない。だが、多少の足止めにはなるであろう。

「急がねばな」

 コルベールが急いでルイズ達の後を追おうとした、その時である。

 “錬金”で固めたはずの瓦礫の山が、まるで生き物のように、ヌルリと動いた。

 

 

 

 階下の衛兵を足止めするために、別行動を取ったタバサとイーヴァルディは、“オストラント号”の砲撃によって破壊されたバルコニーの残骸に、降り立った。

 “エア・ハンマー”でガラスの窓を叩き割り、塔の中へと侵入する。衛兵の注意を引き付けるため、わざと派手な音を立てたのである。

 タバサとイーヴァルディが足を踏み入れたのは、“魔法”の藍丹の灯りに照らされた、円形のロビーのような空間である。奥に大きな金属製の扉がある。

 と、次の瞬間、その扉が勢い良く開いた。

 現れたのは、武器を手にした6人の“エルフ”達である。

 タバサは即座に、“ウィンディ・アイシクル”の“魔法”を放った。

 鋭利な5本の矢が、“エルフ”達目掛けて飛んで行く。

 しかし、氷の矢が目標に到達することはなかった。“エルフ”達の周囲に吹く、竜巻のような風に、アッサリと弾かれてしまったのである。

 “風”の“精霊の力”である。

 だが、もちろんそれはタバサも予測していた。その腕、相手の力を確かめるために、敢えて威力の低い“魔法”を放ったのである。

 敵の中に、あの恐るべき“反射(カウンター)”の使い手はいない、と……タバサはそう判断した。

 あれほどの“精霊の力”を扱うことができるのは、“エルフ”の中でも極一部なのである。

 タバサは“杖”に“ブレイド”の“呪文”を掛ける。

 イーヴァルディが切り込み、その次にタバサも素早く斬り込んだ。

 “エルフ”の反応は鈍かった。ヒトの“メイジ”は大仰な“詠唱”をして、隙だらけ……それが“エルフ”達の常識であるためだ。素早く動き、敵に唇の動きを見せずに戦う、そんな暗殺者のような“メイジ”と戦うことなど無論、“サーヴァント”との戦闘など初めてであるのだ。

 “杖”の尖端から延びる真空の刃が、“風盾”ごと、リーダー格の軍服を切り裂く。

 “エルフ”が驚愕の表情を浮かべた。

 タバサは“杖”を素早く回転させ、至近距離で“ジャベリン”を放った。

 巨大な氷の槍が胸当てに直撃し、リーダー格の“エルフ”は吹き飛ぶ。

 “杖”を引き戻しながら、(先ず、1人)とタバサは冷静にカウントした。

 本来のタバサの戦闘スタイルは、遠距離から手数の多さで圧倒するモノである。“ブレイド”を用いた接近戦は然程得意ではないのだ。

 だが、強力な“精霊の力”を使う“エルフ”と正面切って戦っても、タバサだけでは勝ち目など絶対にない。

 故に取り得る戦法は、先手必勝。ヒトの“メイジ”を侮っている油断を突き、混乱しているうちに、倒し切ってしまうというモノだ。

 それでも駄目なら、イーヴァルディを頼る……タバサは、自身の“サーヴァント”を信頼していた。

 “杖”に更なる“魔力”を込めながら、タバサは心が冷たく凍て付いて行くのを感じた。精神が極限まで研ぎ澄まされ、周囲がスローモーションのように見える。目を見開く“エルフ”の表情までもが、今のタバサにはハッキリと知覚することができた。

 あの頃の――“北花壇騎士団(シュバリエ・ド・ノールバルテル)”の7号、“雪風”のタバサ、と呼ばれていた……あの頃の、冷徹な、絶対零度の心に戻る必要を感じ、戻ってみせたのである。

 が、それだけではなかった。

 今のタバサには、背中を任せることができる存在がいる、守りたい者達がいる、救いたい人がいる。

 故に、冷徹で絶対零度の心でありながらも、奥底には暖かいモノがあり、かつてのそれよりもはるかに素早く靭やかに、強く動くことができていた。

 タバサは背後に微かな気配を感じた。それは、長年、影の始末屋として勘を磨き続けて来たタバサだからこそ感じ取ることができた、ほとんど直感のようなモノである。

 タバサはとっさに身を屈めた。頭上をスレスレを剣の軌跡が薙ぐ。

 振り向き様に、背後に回り込んだ“エルフ”に“ジャベリン”をタバサは撃ち込んだ。

 吹き飛ぶ“エルフ”を視界の隅に確認し、タバサは残る4人へと目を向ける。

 そのうちの3人は既にイーヴァルディが昏倒させており、タバサは残る1人に斬り掛かった。だが、敵も然る者であり、不可視の刃の尖端を紙一重で躱し、“精霊の力”を行使するために“魔法”を唱え始める。

 タバサの心に、微かな焦りが生まれた。

 “メイジ”の“魔法”は基本、“精霊の力”には太刀打ちできない。

 タバサは追撃を掛けようと前に出た。

 だが、それが相手の狙いであった。

 違和感。足が沼に沈むかのような感覚。

 タバサは咄嗟に“フライ”の“呪文”を唱えた。だが、間に合わない。床から這い出て来た腕に足首を捕まれ、地面に引き摺り倒されてしまった。

 “エルフ”は何かを叫び、刀を振り下ろした。

 タバサは素早く転がり、イーヴァルディがそれを剣で受け止める。

 眼の前に刃がある。

 それが、タバサのブルーの瞳を微かに揺れさせ、凍て付いた心に恐れの感情を忍び寄らせた。

 “エルフ”の恐ろしさは、他ならぬタバサ自身が良く識っている。“旧オルレアン邸”に、たった1人で母親を救けに行ったあの時……タバサは“エルフ”に全く歯が立たなかったのであった。

 イーヴァルディが“エルフ”と鍔迫り合いをして居る。

 態勢を立て直しながらタバサは、(ここまでか……)と覚悟をして目を瞑る。

 その時、タバサの脳裏に浮かんだのは、密かに想いを寄せる少年の顔であった。

 其そ姿が、タバサが読んでいた本に出て来る、自身の“サーヴァント(イーヴァルディ)” ――主人公と重なる。

 “イーヴァルディの勇者”。

 それは、タバサが幼い頃に憧れた、物語の“勇者”である。

 タバサが読んでいた、心を失った母親に読み聞かせていたあの本……タバサの救かりたい心、母親を救けたい心、才人達のタバサを救けたい心と勇気……それ等を“触媒”とし、喚び声に応じて“召喚”された少年(イーヴァルディ)

 タバサは、(あの時は、私が勇者に救われる御姫様だった。でも、今度は、私があの人を救う。“イーヴァルディの勇者”になる。こんな所で、死ねない)と目を開き、“呪文”を唱えた。

「“ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース”……」

 “杖”の先が光を放ち、強力な風が生まれる。

 “エルフ”の顔に動揺が浮かんだ。追い詰めたはずの獲物が、再び牙を剥いたのである。いや、鍔迫り合い手の“相手(イーヴァルディ)”に負けそうなところに、更に追い打ちを掛けるような“魔法”だ。当然、動揺どころではなく、焦り冷静な判断を下すことが難しくなる。

 その結果、“エルフ”は、刀に更なる力を込め、イーヴァルディを押しやり、タバサを斬ろうとする。

 が、当然“エルフ”の思惑通りにことが運ぶ訳もなく、タバサはもう恐れることはなかった。

 タバサは冷徹な声で、“呪文”を唱え続ける。

 周囲の空気が揺らぎ、一瞬で凍り付いた。凍った空気の束が2人の周囲を回転する。

 “エルフ”は、信じられない、といった顔で目を見開いた。この距離でそのような“魔法”を使えば、タバサ自身も無事では済まないためである。

 だが、タバサはためらうことはしなかった。一切の恐怖を凍て付かせ、“呪文”を完成させた。

 “氷嵐(アイス・ストーム)”。

 “スクウェア・クラス”の威力を持つ“トライアングル・スペル”である。触れたモノを一瞬で両断する氷の刃がロビーを吹き荒れる。

 強烈な氷の竜巻が、タバサの小柄な身体を勢い良く弾き飛ばそうとする。

 が、そこにイーヴァルディが、剣を払うことで鍔迫り合いを即座に終わらせ、タバサの元へと移動し、御姫様抱っこの形でタバサを抱き抱えて後ろへと跳躍する。そして、手にした剣に力を込め、左手甲を光らせる。

 イーヴァルディが手にしている剣が、タバサに近付く氷の刃を吸い込んで行った。

「ありがとう」

「怪我がなくて良かったよ。“マスター”」

 タバサはユックリと目を開け、周囲を見回した。

 甲冑をズタズタに切り裂かれた“エルフ”の戦士が、床に倒れている。“呪文”を回避しようと咄嗟に離脱したのであろう、イーヴァルディの判断で離れことなきを得たタバサよりも、返ってダメージが大きかったようである。

 タバサは、イーヴァルディに降ろされ立った。それから、(倒した“エルフ”は6人……これほどの手練が、あとどれくらいいるのだろう?)と想い、“暗視”の“魔法”を掛け、ロビーの外の通路へとイーヴァルディと共に出た。階下から来る衛兵を、倒すとあでは行かずとも、足止めをする必要があるためである。

 その時、通路の奥で靴音がした。

 靴音は1つ、ユックリとタバサ達へと向かって歩いて来るのが判る。

 タバサは“杖”を、イーヴァルディは剣を構えた。

 と、暗闇の中から、フード付きのローブを着た“エルフ”が姿を現した。

 タバサの額を冷たい汗が流れ落ちた。

 先程の“エルフ”達とは、気配が明らかに違うためである。

 端的にいうと、先程の彼等よりも強い。

 タバサの歴戦の戦士としての勘が、そう告げたのである。

 “エルフ”がタバサ達に気付き、足を止める。

 タバサは無言で“ウィンディ・アイシクル”を放った。

 だが、タバサの放った氷の矢は“エルフ”の胸元に届く寸前で方向天下すると、タバサ目掛けて襲い掛かった。

 “反射(カウンター)”である。

 イーヴァルディは剣をユックリと払い、氷の矢を弾く。

 タバサは、即座に“ブレイド”を唱え、駆け出した。

 その後に、イーヴァルディも続く。

 ローブ姿の“エルフ”がユックリと手を掲げる。“精霊の力”を借り、“魔法”を行使するつもりであろう。

 “魔法”が完成すれば、タバサの命は危なくなる。

 タバサは風のように疾走り込み、真空の刃を纏う“杖”を、“エルフ”の首に振り下ろした。

 だが当然、真空の刃はアッサリと弾かれ、タバサは吹き飛ばされる。

「無駄だ。いかなる刃も、私の“反射”を貫くことはできない。例外があるとすれば、あの“イブリース”達くらいだ」

 フードから覗く紺碧の瞳が、床に倒れたタバサを見下ろした。

 イーヴァルディがタバサを庇うように、前に立つ。

「貴男は……!」

 タバサは固まってしまった。其の氷の様な表情に、驚きの色が浮かぶ。

「その髪、その目……“ガリア”の姫君か」

 ビダーシャル。

 “アーハンブラ”でタバサ母子を、ジョゼフの命令により閉じ込めた、“エルフ”であった。

 

 

 

「ふぅ、ふぅ……ま、待ってくれよ!」

「君、もっと早く走れないのかね? “エルフ”に追い付かれるぞ」

 早くも息を切らし始めたマリコルヌに、ギーシュが声を掛ける。

「僕は走るのは苦手なんだよ」

「床を転がった方がマシなんじゃない?」

 キュルケが言った、その時である。

 背後で轟音が轟いた。

 ルイズ達はその場で足を止め、後ろを振り向く。

「コルベール先生?」

 ルイズは心配そうに呟いた。

 鳴り続けるサイレンの音が、皆の不安を増大させる。

 だが、しばらくすると……軽快な足音が聞こえ、通路を走って来るコルベールの姿が見えた。

「ジャン……」

「“エルフ”を足止めできたのね」

 走ってコルベールの姿に、ルイズ達はホッと安堵した。

 だが、皆、(先生はどうして、あんなに必死な顔で、全力疾走しているんだろう?)と直ぐにその様子が可怪しいことに気付く。

「あ、あれは、なんだね?」

 ギーシュが青い顔で、コルベールの背後を指さした。

 全員、そこにあるモノを見て、目を丸くした。

 巨大な石の腕が、逃げるコルベールを追って来ているのである。

「な、なによあれ!?」

「なにって、“エルフ”の“先住”に決まってるだろ!」

 ギーシュが自棄糞気味に叫んだ。

 逃げて来たコルベールが、声の限りに怒鳴った。

「君達、走り給え! あれは“メイジ”の“魔法”ではどうにもならん!」

 ハサンが短剣を投げる。

 が、それは容易く弾かれてしまった。

 そもそもハサンは、“暗殺者”であり、命を奪うことに特化しているのである。“ゴーレム”を始めとしたモノには無力なのであった。

「駄目ですな……」

 ハサンのその言葉と同時に、言われるまでもなくルイズ達は一斉に通路を駆け出した。

「ど、どこまで追って来るのかしら?」

「そりゃ、僕達を潰すまでだろ」

 引き攣った顔で尋ねるルイズに、マリコルヌが言った。

「どうするのよ!?」

「なあ、ルイズ、良い作戦を想い付いたんだがね」

 ギーシュが息を切らしながら言った。

「どんな作戦よ?」

「皆で謝ろう。“エルフ”だって、話せば理解ってくれるかも……」

「そんな訳ないでしょ、“フネ”で突っ込んでるのよ? 大体、私達、誰も“エルフ語”を喋れないじゃない」

「名案だと想ったんだがなあ」

 ギーシュは走りながら、天を仰いだ。

「扉があるぞ!」

 と、マリコルヌが前方を指さした。

 通路の奥に、小さな扉がある。横道はなく、行き止まりのようである。

「あそこに逃げ込むしかないみたいだな」

「そうね……」

 背後から迫る、恐ろしい轟音は、ドンドン近付いて来る。

 ルイズ達は扉を目指して、一気に駆け込んだ。

 逸早く扉の前に辿り着いたギーシュが、思いっ切り扉を押し込んだ。

「開かないぞ。鍵が掛かってるのか?」

 引き戸であるか、横にスライドさせるのか、などと確かめている時間もない。

「退きなさい」

 キュルケが“杖”を抜き、“ファイア・ボール”の“呪文”を唱えた。

 扉が盛大に吹き飛ぶ。

 扉の奥にあったのは、数人ほどしか入ることができなさそうな、円形の小部屋であった。

 キュルケは落胆した。

「どちらにせよ、行き止まりみたいね」

 ルイズ達は背後を振り返った。

 “精霊の力”で生み出された巨大な腕は、通路の壁に引っ掛かりながらも、物凄い勢いで迫って来る。

 このままでは、皆仲良くペシャンコになってしまうであろうことは、皆簡単に想像できた。

「嗚呼、偉大なる“始祖ブリミル”よ、か弱き我等を御守りください」

「ちょっと、ギーシュ!」

 “杖”を放り投げ、床にへたり込んだギーシュの耳を、ルイズが引っ張る。

 コルベールは真剣な顔で、コベやの床に屈み込んでいた。

「ジャン、どうしたの?」

「これは“昇降機”だ」

 尋ねるキュルケに、コルベールは言った。

「“昇降機”?」

「“風石”の力を利用して、人を運ぶ“魔法装置”だ。“トリスタニア”の“魔法研究所(アカデミー)”に、似たようなモノがある」

「“エルフ”じゃなくても動かせるの?」

「ああ、なんとかなるかもしれない」

 コルベールは、床の円盤を丹念に調べ始めた。

「コルベール先生、早く!」

 ギーシュが叫んだ。

 ズシン、ズシン、と床が大きく揺れる。

 巨大な石の腕は、もう眼の前に迫っている。

 マリコルヌは立て続けに、“エア・ハンマー”を、キュルケは“ファイア・ボール”を放った。

 ギーシュは”土”の”魔法”で、眼の前に大きな壁を造り上げる。

 シオンは、ギーシュが造った壁超しに、交互に“エア・ハンマー”や“ファイア・ボール”、“ジャベリン”を放つ。

 だが、どの“魔法”も通用しなかった。

 腕は意図も容易く壁を打ち壊すと、指を開き、怯えるルイズ達を、纏めて鷲掴みにしようとする。

「うわあああああ!?」

「動いたぞ!早く乗り給え!」

 コルベールの大声に、全員、シオンを最後にして慌てて昇降機に乗り込み、ハサンは“霊体化”する。

 6人が乗り込むと、昇降機の中はたちまち、ぎゅうぎゅう詰めになった。

 コルベールが“魔力”を使って“風石”を起動する。

 ブンッ、と一瞬の浮遊感があり、円板が下降を始めた。

「た、救かったのね……」

 降りて行く昇降機の中で、ルイズ達はホッと安堵の溜息を吐く。

 だが、それも束の間であった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……! と低い唸るような音が、頭上から聞こ得て来る。

「なんだか、嫌な予感がするぞ」

 ギーシュが言った。

「奇遇ね、私もよ」

 ルイズは恐る恐る、上を見上げた。

 その瞬間、昇降機を強い衝撃が襲った。天井がグニャリとひしゃげて変形する。

「ひっ!?」

 ギーシュが頭を抱えた。

 衝撃が2度、3度と続く。

 とうとう天井が吹き飛んだ。

 同時に、昇降機がピタッと停止した。

「早く、外に!」

 コルベールが叫ぶ。

 ルイズ達は転がるように外に出た。

 直後、轟音が響き、乗っていた昇降機が、石の腕に押し潰されてしまい、ペシャンコになる。

「しつこい奴ね!」

 キュルケが毒吐いた。

「私がやるわ」

 ルイズが前に出て“杖”を構えた。

 目を閉じて、ルイズは精神を集中させた。そして、瞼に“愛”する“使い魔”の顔を想い浮かべた。(サイト……今、どこにいるの? 何をしているの?)、とルイズの脳裏に、サイトとの想い出が次々と浮かんでは消えて行く。楽しかったこと、悲しかったこと、優しくして貰ったこと、喧嘩したこと……“ヴェルサルテイル”の中庭で生まれたままの姿で抱き合ったこと……タバサと間違われてしまったこと、屋敷の地下でアンリエッタとキスをしていたこと……。が、想い出していくうちに、ルイズの中で、(あ、あいつってば、ティファニアとイチャイチャしてるんじゃないでしょうね……?)と怒りが込み上げて来た。

 大きくうねる感情の波が、渾然一体の“精神力”となり、ルイズの身体中を駆け巡る。何度も唱えた“虚無”のリズム、そのリズムに身を任せ、“呪文”の調べをルイズは解き放った。

 “呪文”が完成して、ルイズは“杖”を振り下ろした。

 シオンは、その直前に、“礼装”を用いて、自身の“精神力”から生み出される“魔力”を、“魔術回路”で生み出される“魔力”へと変換させ、ルイズの能力強化を行う。

 “エクスプロージョン”。

 “杖”の先から放たれた閃光が、派手な轟音を立てて石の腕を打ち砕いた。

「おお、やったじゃないかね、ルイズ!」

 ギーシュが快哉の声を上げた。

「やはり、ミス・ヴァリエールの“虚無”は、“エルフ”の“先住”にも通用するようだね」

「ええ、でも、もう余り使えないわ」

 肩で息をしながら、ルイズはその場にへたり込んでしまった。かなり無理をしたためである。

 そんなルイズをシオンは抱き上げ、キュルケが心配そうに声を掛ける。

「ちょっと、大丈夫?」

「ええ、平気よ・・・・…ありがとう」

「それにしても、ここは、どこなのかしら?」

 キュルケは“杖”の先に火を灯し、周囲を見回した。

 そこは、先程のような通路ではなかった。

 天井の高さが20“メイル”ほどもある。ただっ広いホールのようであった。

「どう遣ら、会議をする場所のようだね」

 コルベールが言った。

「もしかすると、ここで“エルフ”の“評議会”が開かれているのかもしれない……ふむ、だとすると、あの“昇降機”は、ここへ来る直通のモノだったのか」

 と、その時である。

 ルイズ達の真上に、突如、大きな光球が生まれ、ホール全体を照らし出した。

「え?」

 次の瞬間、目に飛び込んで来た光景に、ルイズ達は愕然とした。

「“悪魔”の(わざ)、しかと見せて貰ったぞ」

 周囲を、数十人の“エルフ”達にグルリと囲まれていたのである。

 

 

 

 階段状になった席からルイズ達を見下ろしているのは、いずれも裾長のローブに身を包んだ、身分の高そうな“エルフ”達である。そして、ホールの中心にある壇上には、立派な髭を生やした1人の老“エルフ”が立っていた。

「エ、“エルフ”が、こんなに……」

 ギーシュの声は震えていた。

 無理もないことである。ここ数百年の間に、“ハルケギニア”の“貴族”で、これほど大勢の“エルフ”を見た者は、片手で数えるほどしかいないに違いない、といえるだのから。

 そして、当然生きて帰った者はもっと少ない。というよりも、1人もいないといって良いであろう。

「なに、“エルフ”と言っても爺さんばかりじゃないか」

 マリコルヌがわざと明るい声で言った。

「1人位は、人質にできるんじゃないか?」

「そ、そうだね、見たところ武器も持ってないようだし」

「馬鹿ね」

 キュルケが呆れた声で言った。

「“エルフ”の“先住魔法”は、長寿になればなるほど強力になるのよ。詰まり……」

「詰まり?」

「ここにいる連中は皆……特にあの1番偉そうな老“エルフ”は、とんでもない行使手ということよ」

 ギーシュとマリコルヌは、ゴクリと息を呑んだ。

「”アディール”へようこそ、“蛮人”達よ」

 壇上に立つ老“エルフ”が、朗々と声を発した。

 “エルフ語”ではなく、“ハルケギニア”の公用語である。流暢な“ガリア語”であった。

「しかし、まさかこんな乱暴な方法で乗り込んで来るとはのう」

「貴男は?」

 と、コルベールが尋ねた。

「儂は“最高評議会(カウンシル)”の統領、テュリューク」

「統領……!」

 コルベールは、思わず唸った。

 “エルフ”の大物を人質に取り、才人とティファニア達とを交換する……そういう計画ではあった。がしかし、統領とは……幾らなんでも大物過ぎた。

 “エルフ”の統領であるテュリュークは、ルイズ達を見下ろしながら、諭すように言った。

「愚かな“蛮人”よ、大人しく投降するのじゃ。さすれば無碍には扱わん」

「ですってよ、ルイズ?」

 キュルケが肩を竦め、ルイズに振り向く。

 ルイズは鳶色の瞳で、テュリュークを気丈に睨んだ。

「投降はしないわ、サイトとティファニアとセイヴァーを返して」

 テュリュークは首を横に振った。

「“悪魔”の(わざ)の“担い手”と、その守り手達か。悪いが、その要求をは呑めぬ。こちらとしても、おまえ達にとっての切り札を揃わせる訳にはいかぬのじゃ」

 テュリュークのその言葉に、ルイズは少しだけではあるが安心した。“エルフ”達は、“虚無”が何度も復活することを知っているのである。そのことからも、少なくとも才人とティファニア達が生かされているということが判ったためである。

「だったら、交渉の余地はないわ。私達は、3人を助けるために来たんだもの」

 ルイズは答えると、テュリュークに対して真っ直ぐ“杖”を向けた。そのまま、後ろの4人に向かって尋ねる。

「それで良いわね?」

「訊かれるまでもないわ」

 キュルケは艶然と微笑み、“杖”を抜き放つ。

「ツェルプストーの辞書に、降伏の二文字はありませんの」

「生徒を守るのは、教師の務めだからね」

 コルベールが“杖”を抜き、ギーシュとマリコルヌもそれに続く。

 ハサンは“実体化”し、短剣を構える。

「皆、ありがとう」

 ルイズが目尻を拭った。

「別に、貴女のためじゃなてよ、ルイズ」

「ここで友を見捨てたら、僕に“貴族”を名乗る資格はないからね」

「そういうこと」

 テュリュークが残念そうに首を振る。

「それがおまえ達の返答か」

「待って」

 そこで、これまで黙っていたシオンがようやく口を開いた。

「シオン?」

「御初に御目に掛かります。“最高評議会”統領、テュリューク殿。私は、“アルビオン王国”王女、シオン・エルディ・アフェット・アルビオンと申します」

 シオンは、女王としての威厳を前に出し、一礼してテュリュークへと話し掛けた。王としての対話、ヒトの代表としての対話……皆を不安にさせぬように必死に勇気を振り絞り毅然として強く振る舞う。

「まさか、“蛮人”の王が直接此処に来るとはのう」

「少しばかり貴方方と御話がしたく、声を上げさせて頂きました。しかし、その前に1つ、“蛮人”と呼ぶのをやめて頂きたいのです。我々には、ちゃんとした名前があります。貴方方が我々を見下すのも無理はありませんが、それでも我々を“蛮人”ではなく、ヒト、人間として扱って頂きたい。貴方方も、逆にそういったことをされたりすると、嫌でしょう?」

 “エルフ”達が明らかに見下した様子を見せ、口を開こうとする中、テュリュークはそれを制した。

「黙っていなさい。で、話とは?」

「はい。貴方方がそうであるように、我々も1枚岩ではありません。私の国は、別に“聖地”、貴方方が言うところの“シャイターンの門”には興味はありません」

「ふむ」

「ですが、“アルビオン”の民を始め“ハルケギニア”に住む者達に対しての想いは誰にも負けないと自負しております。故に、東に向かいたいのです。“ロバ・アル・カリ・イエ”へ……」

「な!?」

 ルイズ達が驚いた様子を見せる。

「そのために、ここ“砂漠(サハラ)”や“アディール”を始めとした“ネフテス”を通過することを許可を頂きたい」

「…………」

 テュリュークは依然黙ったままである。

「彼女の“使い魔”ともう1人の“担い手”……2人のことは、私が責任を持って“シャイターンの門”にこれ以上近付かないようにします。彼女も同様です。どうしょう?」

 テュリュークは迷っている様子ではあるが、チラリと他の“エルフ”達へと目を向ける。それから、溜息を大きく吐いた。

「残念じゃが、それは叶わぬ」

「そう、ですか……御互い立場というモノには苦労しますね」

「そうじゃのう……本当に、難儀なモノだ」

 テュリュークはとても残念そうに首を振り、シオンと顔を見合わせて苦笑し合った。それから、壇上からフワリと飛び上がり、シオンとルイズ達のいる下の階に降り立つ。

「仕方あるまい。ここをおまえ達の墓標とするが良い」

「それは叶いませんよ。私達は必ず2人を連れ戻し、無事に帰るのですから」

 シオンは悲しそうな笑みを浮かべながらも、強く言い、“杖”を握る。

 テュリュークは両手を上げると、“精霊の力”による“魔法”を唱え始めた。

「石の“精霊”よ、固き我等の守り手よ……」

 床が激しく振動する。

 石の床が剥がれて捲れ上がり、次々と宙に浮かび上がった。

 その石の塊が、激しく打つかり合い、1つの大きな塊になる。

 シオン達の眼の前に現れたのは、全長10“メイル”ほどもある、石の巨人であった。

「な、なんだね、あれは!?」

 ギーシュが悲鳴を上げた。

「とんでもない化物ね」

 キュルケの顔から、余裕の笑みが消える。

「これが、おまえ達が不遜にも“先住”と呼ぶ、“精霊の力”じゃ。おまえ達が“蛮人”と呼んで欲しくないのと同様に、我々もまた同じくそのように呼んで欲しくないのう」

 テュリュークが拳を握って振り下ろすと、石の巨人が足を踏み鳴らした。

 床が振動し、天井から石の破片がパラパラと落ちて来る。

 議員席から見下ろす“エルフ”達の間にも、動揺が広がった。

「諸君は退がっているが良い。大いなる“精霊の力”の巻き添えになりたくなければな!」

 テュリュークが告げると、“エルフ”の議員達は慌ててホールの端に避難した。

「ミス・ヴァリエール、まだ“虚無”は唱えられそうかね?」

「1発くらいは……なんとかなると想うわ」

 ルイズは言った。だが、それが強がりであることは、誰の目にも明らかであった。

「あたし達で時間を稼ぐわ。なんとかして」

 キュルケが言った。

「頼むぞ、ルイズ。君の“虚無”だけが頼りなんだ」

 ギーシュが唇を舐める。

「ええ、理解ってるわ」

 ドンッと地響きを立てて、石の巨人が跳躍した。“ゴーレム”などとはまるで次元が違う、本物の生き物のようななめらかな動きである。それが、“ミョズニトニルン”が造り出した、あの“ヨルムンガンド”と同等かそれ以上の力を持つことを簡単に理解させた。

 ズウウウウウウウンッ! と落下して来た巨人の足が床に減り込み、粉塵が勢い良く舞い上がる。

 動きを止めた巨人の頭部目掛けて、コルベールは“フレイム・ボール”を撃ち込んだ。誘導機能を持つ炎球が3発、尾を曳いて飛んで行き、直撃する。

 だが当然、爆発は起きなかった。

 巨人の表面に淡い光が輝いたかと想うと、炎球は真っ直ぐに、コルベールの方へと向かって飛んで来る。

「ジャン!」

 キュルケが咄嗟に、同じ“フレイム・ボール”の“魔法”を放った。

 炎球同士が空中で衝突し、爆発する。

「あの巨人“反射(カウンター)”が掛かってるわ」

「“ワルキューレ”、あいつの動きを止めるんだ!」

 ギーシュが薔薇の“杖”を振った。

 巨人の周囲に“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”が現れ、短槍を投げ放った。

 しかし、その短槍も、アッサリと弾かれてしまう。

「無駄じゃよ。その巨人は“カスバ”に宿る“精霊の力”そのもの。傷1つ付かん」

 テュリュークが冷淡に告げた。

 巨人は眼下を睥睨すると、“青銅の戦乙女”を玩具のように掴み、ギーシュ目掛けて勢い良く投げ付けた。

「うわああああ!?」

 慌てて身を屈めるギーシュ。

 ギーシュの頭の上を、“青銅の戦乙女”の残骸が掠め、壁に打ち当たって粉々になる。

 巨人は咆哮すると、頭を下げて突っ込んで来た。

「散るんだ!」

 コルベールが叫んだ。

 ギーシュ達は慌てて“フライ”を唱え、空中に飛び上がる。

 巨人は頭から突っ込み、ホールの壁を粉砕した。

「自分達の建物ごと壊す気なのか?」

 2階石に降り立ち、ギーシュが言った。

「どうせ“先住魔法”で、直ぐに直せるんだろうさ」

 マリコルヌが額の汗を拭い言った。

「“精霊の力”、だよ」

 土煙の中から、シオンがそれに訂正を入れる。

「ねえ、ルイズは?」

「え?」

 キュルケは慌ててルイズの姿を探した。と、舞い上がる土煙の中に、その姿を発見する。

 ルイズは、巨人の足元に立っていた。

 その直ぐ前にはシオンがいる。

「ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ! 早く逃げるんだ!」

「そう言えば、あの娘、“フライ”が使えないんじゃ……」

 言い掛けたキュルケは、ルイズの表情を見て、(違う……逃げられなかったんじゃないわ。あの娘は敢えて逃げなかったのよ。そして、シオンはサイトの代わりにルイズを守るために)とハッとして気付いた。

 ルイズは、巨人を見上げたまま、真っ直ぐに“杖”を構えた。

「私を殺す訳には、いかないんでしょう?」

「確かに、おまえを殺せば、“悪魔”の(わざ)の“担い手”はまた復活してしまうじゃろう。だが、命を奪わずとも、心を操り、意のままにする方法は幾らでもあるぞ」

 石の巨人はルイズとシオンの身体を掴もうと、腕を伸ばす。

 シオンは即座にルイズを抱き抱えて後ろへと跳躍するのと同時に、ルイズは“魔法”を放った。

「“エクスプロージョン”!」

 巨人の胸が小さく爆発した。

 だが、それだけであった。

 やはり、“精神力”が足りないのである。

「も、もう1度……」

 ルイズは再び“虚無魔法”、シオンは迎撃するために“魔法”を唱えようとした。

 だが、間に合わない。

 ルイズとシオンの小柄な身体は、巨人の手に捕まってしまった。

「ルイズとシオンを放せ!」

 ギーシュが“魔法”を唱え、巨人の頭上に土壁を次々と落下させた。

 マリコルヌが“風”の“魔法”を唱え、巨人の腕に撃ち込んだ。

 コルベールとキュルケも、同時に“炎”の“トライアングル・スペル”を放つ。

 ハサンが、短剣を投げ、斬り掛かる。

 だが、5人掛かりの攻撃も、“エルフ”の“反射(カウンター)”を貫くことはできなかった。

 跳ね返った“魔法”に撃たれ、マリコルヌが弾き飛ばされる。

「あ、ぐ……」

 ルイズとシオンは巨人の手の中で激しくもがいた。

 だが、当然その程度ではビクともしない。

「“悪魔”の(わざ)も、満足に撃てないようじゃな」

 そう呟くテュリュークの声には、軽い失望の響きさえあった。

 巨人が力を込める。

 ルイズは恐怖に震えた。

「サイト、救け……」

 ルイズは思わず、“愛”する“使い魔”の名前を呼んでしまった。がしかし、(私はサイトを救けに来たのよ……それなのに、救けを求めるなんて)と想い、直ぐに唇を噛み締め、口を噤む。

 だが、“虚無”を撃つことはできない。

 今ので本当に、最後の“精神力”を使い果たしてしまったのである。

「た、救けてくれええ!」

 悲鳴が聞こ得た。

 見ると、ギーシュがもう片方の腕に掴まれているのである。

 コルベールとキュルケが3人を救おうと突っ込んで来るが、羽虫のように叩き落とされてしまう。

 ルイズの心に、(苦しい……呼吸ができない。このまま意識を失えば、きっと、心を奪われる。大切な記憶も想い出でも、なにもかも消されて、もう2度と、サイトに逢うことはできなくなる)と絶望が広がった。

「大丈夫、だよ。ルイズ……なんとかなる。なんとか、してみせるから……だから、諦めない、で……」

 シオンは痛みや絶望などに耐えながらも、同じ手の中で掴まれているルイズに言葉を掛ける。決して、諦めない……前を向き、最後には希望を見付け、掴み取るために。

「ごめんなさい、サイト……」

 遠退く意識の中で、ルイズは呟いた……その時である。

 ルイズは、ある変化に気付いた。

「え……?」

 身体の奥底に、なにか得体の知れない力が湧き上がるのを、ルイズは感じ取ったのである。

 ルイズは、(なに、これ……?  “虚無”を唱えるための“精神力”は、とっくに尽きてるはずよ。なのに、滾々と溢れ出て来る、この“精神力”はなんなの? まるで、どこか別の所から、流れ込んで来てるみたい)と疑問を抱いた。

 ルイズの鼓動がドクン、ドクン……と脈打つ。

 ルイズは、(なに? 一体、なんなの?)と戸惑った。

 堰を切ったように流れ込んで来る“精神力”が、その出口を求め、ルイズの中で暴れる。意識をしっかりと保たなければ、流されそうになってしまうほどの、圧倒的な力の奔流が。

 同時に、なにか強いモノに守られているかのような安心感を、ルイズは覚えた。

 ルイズは、その感覚に心当たりがあった。

 そしてルイズは、(この感じ、サイトだわ……)と確信した。

 これは才人の力である。

 “使い魔”の絆……それとも、なにか別の“魔法”かなにかか。もしくは両方か。

 ルイズは、(どんな方法か判らないけど、兎に角、サイトが力を貸してくれている……)と確信した。

 巨人が、ルイズとシオンを掴む手に力を込めた。このまま失神させるつもりなのであろう。

 ルイズは、(そうはさせないわ)と目を閉じて、“虚無”を唱えた。

 と、次の瞬間、巨人の腕から、ルイズとシオンの姿が忽然と消えた。

「――なんじゃと!?」

 テュリュークが驚きの声を上げる。

 上階から見下ろす“エルフ”の議員達も、どよめいた。

「一体、どこに消えた?」

「ここよ」

 ルイズの声は、テュリュークの遥か頭上から響いた。

 スクッと背を伸ばしたルイズとシオンが、天井から吊り下がる照明の上に立っていた。

 “テレポート”の“魔法”を使い、ルイズとシオンは一瞬で移動したのである。

「“悪魔”の(わざ)か……!」

 ルイズは“杖”を真下に向け、朗々と“呪文”を唱え始めた。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”……“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”」

 無限に湧いて来る“精神力”が……“虚無”の“呪文”となって、ルイズが持つ“杖”の一点に集中する。

 これまでに感じたことのない高揚感に、ルイズは戸惑った。(でも、サイトを側に感じる……)、とそれだけで、なにも怖くはなかった。今であれば、どんな“魔法”も使える気がするほどに……。

「“ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 何度も唱えた“呪文”の調べを、心の赴くままにルイズは紡ぐ。

 ルイズは、(恐ろしくなんてない。あんなのは、ただの石塊よ)と石の巨人を見下ろした。

「”ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……」

 “呪文”が完成する。

 ルイズは“杖”を振り下ろした。

「“エクスプロージョン”!」

 豆粒のような小さな光が、巨人の胸の辺りで一気に膨れ上がり、炸裂した。

 “虚無”の“爆発”は“エルフ”の“反射(カウンター)”を貫き、10“メイル”はあろうかという巨人を粉々に破壊した。

 砕け散った残骸が次々と落下して、床に大きな穴を開けた。

「おお、ルイズ。や、やったな!」

 巨人の腕から解放されたギーシュが、快哉の声を上げた。

「なによ、凄いの使えるんじゃない。力を温存してたのね」

 ルイズは首を横に振った。

「私じゃないわ、サイトが力をくれたの」

「どういうこと?」

 キュルケが、キョトンとした顔で尋ねる。

 皆が開催の声を上げる中、シオンとハサンだけは暗い顔をしていた。

「おお、これが“悪魔”の(わざ)か……なんと恐ろしい……」

 テュリュークが唖然とした様子で呟く。

 ルイズは動揺する“エルフ”達に向かって、サッと“杖”を向けた。

「動かなで。今のをもう1発、撃っ放すわよ」

 “エルフ”達は当然固まった。“反射”さえをも貫く、“虚無”の威力。あれと同じモノを放たれてしまえば、いかに強力な“精霊の力”であろうとも防ぎ切ることは至難の業なのだから。

 だが、彼等はこうも疑っていた。(本当に、今のような”魔法”を、もう1度放てるモノだろうか……?)、と。

 事実、ルイズは虚勢を張っていた。あれほどまでに身体を満たしていた“精神力”は、今の“エクスプロージョン”で、もう空っぽに成ってしまったのである。

 数秒間……ルイズと“エルフ”達は、巨人の残骸を挟んで対峙した。

「ふむ、頃合いかのう……」

 テュリュークが目を瞑り、誰にともなく呟いた。

 その時、突然、ホールの上にある窓が砕け散った。

 現れたのは、小柄な人影である。

 その人影は“エルフ”達が反応するよりも早く、ハサンに匹敵するほどに素早く飛び掛かり、テュリュークの首元に“杖”を突き付けた。

「タバサ!」

 ルイズは声を上げた。

「動けば、命はない」

 タバサは首元に“杖”を突き付けたまま、冷徹に言った。

「これは参った。伏兵がいたとはのう」

 テュリュークはアッサリと両手を挙げた。

「サイト達はどこ?」

 タバサは尋ねた。

「ここにはおらんよ」

 テュリュークは、首を横に振った。

「あの“蛮人”、人間達なら、“担い手”の娘と、“イブリース”……“サーヴァント”である男と一緒に、とうに逃げたわい」

「なんですって!?」



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リーヴスラシル

 ルイズ達が“エルフ”の本拠地に乗り込んでいた、ちょうどその頃……才人とアリィーは、激しく暴れる“エルフ”の少女を、船室の床に押さえ付けていた。

「大人しくしてろって!」

「むぐぐ……は、放せ、この“悪魔”共!」

 アリィーに後手を取られたファーティマは、釣り上げられた魚のようにジタバタと跳ね、罵りの言葉を喚き散らした。

「今直ぐ私を開放しろ、さもないと……」

「さもないと、どうするんだ?」

 アリィーが冷ややかに言った。

「くっ……」

 ファーティマは悔しそうに唇を噛んだ。

 “エルフ”が用いる“精霊の力”は、“メイジ”が扱う“魔法”選りも遥かに強力である。が、どのようなモノにもメリットとデメリットなどは当然存在し、どこでも無制限に使えるほど便利なモノではないのである。この船の“精霊”と“契約”しているのはアリィーなので、今の彼女では大した力を行使することができないのである。

「別に解放しても構わんが、ここは海の中だぞ」

「なんだと?」

 ファーティマは船室の丸窓を見た。

 窓の外は真っ暗な闇である。

「“海竜船”か……」

「そうだ。海に放り出されたくなかったら、余計な口を噤むことだな」

「そう脅してやるな、アリィー。彼女だって色々とあるのだ。ただ、事実などを教えてやるだけで良い。気持ちは理解るがな」

「…………」

 アリィーは黙り込み、ファーティマはようやく暴れるのを止めて大人しくなった。

「私は人質という訳か……」

「まあ、そうだな」

 アリィーは言った。

「流石裏切り者、卑劣な手を使う」

「なんとでも言えよ、おまえ達みたいな狂信者よりはマシだ」

「貴様、党を侮辱するか!?」

 ファーティマは顔を上げて叫んだ。と、その視線が、ベッドに眠るティファニアの姿を発見した。

「シャジャルの娘……まさか、生きているのか?」

「ああ、よくもテファをあんな目に遭わせてくれたな」

 才人は言った。

「ふん、当然の報いだ」

「なんだと……!?」

 才人はカッと成った。1度は抑えた激しい怒りが、(こいつが……こいつがテファを撃ったんだ)とまた沸々と湧いて来る。

「よせ、才人」

 才人はファーティマを憎らしげに睨んだ。

「“悪魔”、め、私が憎いか? ならば殺してみるが良い、このまま生きて恥を晒すくらいなら、その方がマシだ!」

「テメエ……!」

 才人は喉の奥で唸った。だが、すんでのところで思い留まってみせた。強がるファーティマの目に、微かな怯えの色が浮かんでいることに気付いたのである。

 才人は大きく深呼吸をした。

「そんなこと、しねえよ。テファが悲しむからな」

 才人は、(無抵抗の相手に復讐なんて、それじゃ、こいつ等と一緒になっちまう……)と一旦気持ちを落ち着けることで、怒りよりも、(なんで、こいつはここまでテファを憎むんだ?)と気に掛かった。

 “エルフ”とヒトが何千年にも亘って対立して来たのは事実である。

 “ハーフエルフ”であるティファニアを、混じり者、裏切り者、などと言うのも、“エルフ”の目から見れば当然のことなのである。ヒトに好意的な、ティファニアの母親やルクシャナのような“エルフ”は本当に特殊な例である。

 だが、それ等を抜きにしても、ファーティマのティファニアに対しての想いは尋常ではないといえるだろう。

「おまえさ、テファになんの恨みがあるんだよ?」

「恨みだと? あるとも、その混じり者の母親の所為で、私達の一族がどれほど辛酸を舐めて来たと想っている!?」

「一族……」

 才人はハッとした。

「おまえ、まさか、ティファニアと同じ一族の出身なのか?」

 才人は、前にティファニアから聞かされた、彼女の生い立ちを想い出した。

 ティファニアの母親は、“エルフ”の国から単身、“ハルケギニア”にやって来たのである。そして、“アルビオン”の大公である、シオンの父親の弟の御妾になったのであった。

 才人は、(そうか、テファの親戚なのか。道理で、顔立ちが良く似ている訳だ……)と感想を抱いた。

「そうだ。私の一族は、そいつの母親の所為で街を追放されたのだ。貴様等には理解るまい。裏切り者を出した一族が、“エルフ”の中でどのような扱いを受けるか……同胞に罵られ、街を追放され、辺境の砂漠を彷徨い、泥水を啜る生活を送って来たのだ!」

 ファーティマは血が滲むほどに唇を噛み締めた。

 余りに激しいファーティマのその憎悪に、才人は想わず気圧されてしまった。そして、(そうか……だから、こんなにもテファのことを恨んでるのか。そして、たぶん、その憎しみを“鉄血団結党”とかいう連中に利用されたんだろう)と考えた。

「“エルフ”が“蛮人”、ヒトと交わりを持てば、それは“民族反逆罪”になるからな」

 アリィーが言った。

「でも、それはテファの所為じゃないだろ」

 ファーティマの境遇は、確かに同情に値するモノである。

 だがそれは、シャジャルの娘であるティファニアには関係のないことである。恨みを打つける筋合いはないといえるだろう。

 だがそれでも、恨みを持つ側からすると、それこそ関係のないことである。

「ふん、裏切り者の娘として生まれたこと、それ自体が許されざる罪なのだ。聞けば裏切り者の叔母は、おまえ達“蛮人”の地で“貴族”の愛人になったそうだ。その娘は、私の一族が受けた屈辱のことなど知ることもなく、嘸や温々と育って来たのであろうな!」

 その言葉に、当然才人は、(テファが、なにも知らずに温々育って来ただって?)とカチンと来た。

「ふざけんな。おまえこそ、テファのこと、なんも知らねえだろ」

「なに?」

「“エルフ”が人間の土地で暮らすんだぞ? どれだけ大変だったと想う? “エルフ”だってことは、絶対に隠さなきゃならない。誰かに正体がバレたら即座に殺される……テファは、そんな中で子供の頃を過ごして来たんだ」

「ふん、そんなモノ、一族の受けて来た侮辱に比べれば些細なことだ」

「テファの御母さんは、人間に殺されたんだよ」

「なんだと?」

 ファーティマは紺碧の目を見開いた。

「テファと御母さんの住んでた、”アルビオン”って国の王様に、2人のことがバレたんだ。テファの御父さんは2人を逃がそうとしたけど、結局、見付かちまって……テファは、クローゼットの中で震えながら、自分の御母さんが殺される音を聞いていたんだ」

叔母(シャジャル)が……死んだだと?」

 ファーティマは、放心したように呟いた。そして、その事実を噛み締めるように口にして……突然、笑い出した。

「そうか、死んだか……叔母が……は、はは、は……自業自得だな、“蛮人”の男に甘い言葉で誘惑されて、アッサリ捨てられるとは、裏切り者に相応しい末路だな!」

「おまえ……!」

 その余りな物言いに、才人が口を開こうとした、その時である。

「……ちが……う……わ……」

 聞こ得て来たその声に、才人はハッと振り向いた。

「テファ!」

 全身に包帯を巻かれたティファニアが、ベッドの上で半身を起こしていた。

 苦しそうに喘ぎながらも、ファーティマを真っ直ぐに見詰めている。

「テファ、起きちゃ駄目だ! 寝てないと……」

 才人は慌ててティファニアの側に駆け寄った。

「ううん、大丈夫よ……ありがとう、サイト」

 と、ティファニアは弱々しく首を振る。

「なにが違うと言うのだ? シャジャルの娘」

 ファーティマが憎しみを込めた目で、ティファニアを睨んだ。

「父は、母を“愛”していたわ」

「嘘だ! “蛮人”と“エルフ”が本気で“愛”し合うことなど、ありえる訳がない!」

「本当よ。“エルフ”と人間は、ちゃんと理解り合える……“愛”し合うことだってできる、その証拠が、私だと想うの」

「そうだな。おまえ達“エルフ”が持つ常識からすると、ありえないことだろう。が、彼女の存在がそれを物語って居るのは事実だ。どのような存在であろうと、未知の存在には恐怖などを抱く。過去の出来事もあって、おまえ達互いには歩み寄ることをやめてしまった、それ故、互いが未知の存在となり、余計な尾ひれが付き、より大きな恐怖の対象になった。これは、人間側にも問題はあるが、おまえ達“エルフ”にもある。ヒトを“蛮人”と呼び見下す考え、選民思想、事勿れ主義……そう言ったモノがこういったことを呼んだ。ファーティマ、おまえはさっき“自業自得だ”と言ったな?」

「それがどうした!?」

「シャジャルの行動の結果、殺された。それが自業自得であるのは事実だろう。だが……であれば、おまえ達が追放され、泥水を啜ることになったのも、家族を見放した結果によるモノだろう。自業自得だ」

「なんだと!?」

 ファーティマは怒りの色を強く現し、俺を睨む。

「おまえ達の考えに沿って言うのであれば、シャジャルがヒトの男と結ばれたのも、俺達がこうして“ネフテス”に来て脱走したのも、“虚無”――“悪魔”が復活したのも、全て“大いなる意思”によるモノだろうさ」

 ティファニアは、ベッドの端に手を掛けた。

「うっ……」

「テファ、動いちゃ駄目だって!」

 転がり落ちそうになるティファニアの身体を、才人は慌てて支えた。

「大丈夫、よ……これくらい、は……」

 ティファニアは首を振ると、ユックリとベッドから下りて、床に跪いた。

「……あ、く……うう……」

「テファ!?」

「なんおつもりだ……?」

 ファーティマが不審そうに尋ねる。

「けれど……母が掟に外れたことをして、貴女の一族が辛い想いをして来たのは事実よ。娘として、母の罪を謝罪するわ……ごめんなさい」

 その言葉を、喘ぐように言って、ティファニアは頭を下げた。

「な……!?」

 ファーティマは目を見開き、それから、ギリッと奥歯を噛んだ。

「今更……今更そんなモノで、一族の受けた屈辱が晴れるモノかっ!」

 ファーティマはアリィーの腕を強引に振り解き、ティファニアに跳び掛かった。

「やめろ!」

 才人が素早く反応し、ファーティマの身体を押さえ付ける。

「くそっ……離せ、“悪魔”め!」

「離すかよ!」

 暴れるファーティマの腕を押さえ込む才人。

 アリィーがなにか“呪文”の様な言葉を唱え、ファーティマの頭に手を翳す。

 と、その時である。

 才人の身体に、その異変が起きたのは……。

「……あ、あれ?」

 突如、才人の全身に異様な虚脱感が襲ったのである。体温が一気に下がり、身体中の筋肉が震え始める。

 才人は、(え……?)などと想う間もなく、ドサッと床に倒れてしまいそうになった。

 が、俺が抱え止める。

 才人は、(……何だ? 俺、どうしちまったんだ?)と想った。そして、最初は、ファーティマがなにかをしたのかと想い、彼女へと目を向けた。

 が、ファーティマは既に、アリィーの“精霊の力”によって気を失っている。

「おい、どうした“蛮人”」

 アリィーが才人の異変に気付き、肩に手を乗せた。

「サイト?」

 ティファニアが心配そうに呟く。

 だが、そんな2人の声は、才人本人には殆ど聞こ得ていなかった。

 酷い目眩がして、才人の身体から力がドンドン抜けて行く。体温が奪われ、身体が冷たくなっていくのが理解る。だが、そんな中で、燃えるように熱くなっているところがあった。

 胸が……胸が、焼けるように熱く成っており、才人はその熱さに気付いた。

「なん……だよ、これ……!?」

 迸る灼熱の激痛に、才人は胸を掻き毟った。

「サイト、胸が光ってるわ!」

 ティファニアが叫んだ。

「なんだ……って……?」

 才人は自身の胸を見下ろした。

 才人が着込んでいるパーカーの下で、青く輝く文字が、激しく明滅している。

「もしかして、“使い魔”の“ルーン”?」

 ティファニアはハッとした。“竜の巣”で“サモン・サーヴァント”の“呪文”を唱え、才人と“使い魔”の“契約”をしたことを想い出したのである。

「でも、可怪しいわ。サイトはルイズの“使い魔”なのに」

「“二重契約”だよ……俺、ティファニアの“使い魔”にもなったんだ……」

 才人は喘ぐように言った。全身にビッシリと汗の玉が浮かんでいる。

「そんな、そんなことって……私、どうしよう……」

 ティファニアの顔が、ショックを受けたように青褪める。

「あ、あ、あああ……」

 激痛と苦しみの余り、才人は床をのた打ち回った。

 痛みだけではない……力もドンドン抜けて行くのである。ただ体力が失われるモノとは違い、もっと根源的な、まるで存在そのものが乱暴に剥ぎ取られて行くかのような、痛みや恐怖などが才人を襲う。

 才人は、(ヤバイ、俺……このまま死ぬのか? ルイズに逢えないまま、こんなとこで死んじまうのかよ……)と想った。

「なんてこった……ちくしょう、やっぱり、相棒がそうなのか!」

 突然、才人の耳にそんな声が聞こ得て来た。

 才人がハッと目を開いたそこに、壁に立て掛けた“日本刀”があった。

「デルフ……?」

 朦朧とした意識の中で、才人はその名前を呟いた。

 沈黙を続けていた相棒が、ようやく目を覚ましたのである。

「デルフ……なんだよ……やっぱりって、どういうことだ……?」

 才人は、息も絶え絶えに尋ねる。

「相棒、落ち着いて聞いてくれ。相棒の胸で光ってんのは、そりゃあ、“リーヴスラシル”の“ルーン”だ」

「リーヴ……スラ、シ……ル……?」

「最後の“使い魔”だよ。“リーヴスラシル”は、その命を使って、“担い手”に力を与える」

 デルフリンガーは言った。

「な、なんだよ。それ……じゃあ、この虚脱感は、俺の命が使われてるってのか?」

「ああ……“リーヴスラシル”と“契約”した“担い手”は、その命を消費することで、自分の“精神力”を使うことなく、強力な“虚無”を幾らでも使うことができるようになる。詰まり、相棒の身体は、“担い手”の嬢ちゃんの“魔力供給機”になったのさ」

「冗談だろ……」

 才人は、ゾッとした。そして、俺の方へと目を向ける。

 俺は目を瞑った。

 “虚無”の“担い手”のための“魔力供給機”。“ガンダールヴ”や“ヴィンダールヴ”、“ミョズニトニルン”とは、その役割が全く違う。主人のために命を消費する……最後の“使い魔”の能力。

 

――“記すことさえ憚れる……”。

 

 才人は、そのことを想い出すと同時に、1つ腑に落ちないことに気付いた。

「でも、テファは今、“虚無”の力なんて……」

「相棒と“契約”してる“虚無”の“担い手”は、もう1人居る」

「……まさか、ルイズ?」

「そういうこった。相棒は、元々ピンクの嬢ちゃんの“使い魔”なんだ。例え“二重契約”になったとしても、あっちの嬢ちゃんとの絆が消える訳じゃねえ」

「サイト、ごめんなさい。私が“使い魔”にした所為で、サイトが……」

 ティファニアの目に波が浮かぶ。

「違う……テファの所為じゃないよ」

 才人は必死にそんな言葉を口にした。

 そして、デルフリンガーの話を聞いた才人は、(……あれ? ルイズが今“虚無”を使ってるってことは、あいつ、ひょっとして、凄えピンチなんじゃねえの?)と想い当たった。

 なにしろ、“魔力供給機(リーヴスラシル)”となった才人の命を使わなければ足りないほどに、“精神力”を消費しているであろうことから、才人はその考えに至ることができた。

 そして、(だったら、良いか……今の俺は、“ガンダールヴ”として駆け付けることができねえんだから、この力が結果敵にルイズを守ることになるんだ。それはそれで、良いじゃねえか……)と全身を襲う虚脱感の中で、才人はボンヤリとそんなことを想った。

 才人の意識が、段々と遠退いて行く……燃えるような胸の激痛も、もう感じなくなっていた。痛みを感じる感覚そのものが、麻痺しているのかもしれない。

「デルフさん、セイヴァーさん、どうすれば良いの? 此の儘じゃ、サイトが死んじゃう!」

 ティファニアが涙混じりの声で言った。

「落ち着け、“エルフ”の嬢ちゃん。相棒はまだ大丈夫だ」

「え?」

「命を使うと言っても、“虚無”の1発や2発は耐えられる……はずだ。セイヴァーがなにもしてないってことはそうなんだろうさ」

「おい、一体なにが起こってるんだ? さっぱり理解らんぞ」

 アリィーが困惑した様子で言った。

「相棒、なんとか耐えろ。そう長くは続かねえはずだ」

「んなこと、言われても……」

 床に倒れたまま呻く才人。

 すると突然、才人の頭がティファニアにソッと抱き締められた。

「テファ……?」

 ホッソリとしたティファニアの両腕が、才人の頭を優しく包み込む。そして、不思議な弾力のある、メロンのような胸が、才人の鼻先に押し付けられた。

 普段の才人であれば、胸の感触にドキドキしているところであったが、今はそのような気力も沸かなかった。ただ、ティファニアの胸の感触に、才人は懐かしいような安らぎを覚えた。

 俺は、ソッと才人の手を取る。

 そのまま、才人がティファニアの胸に頭を埋めていると……やがて、胸の“ルーン”の輝きが消え、あの脱力感も消えていた。

「サイト、大丈夫?」

 と、ティファニアが心配そうに声を掛ける。

「あ、ああ……もう、大丈夫だと想う」

 ティファニアがユックリと腕を離すと、才人は床にグッタリと寝転んだ。

「なんだよ、“リーヴスラシル”って……こんなの、聞いてねえぞ」

 才人はデルフリンガーと俺に文句を言った。

「すまねえ、相棒、目覚めるのが遅くなっちまってよ」

 デルフリンガーは申し訳なさそうに謝った。

「そうだな。謝罪することしか俺にはできない。この先にも起こるであろう痛み、死への恐怖……すまないが、しばらく堪えてくれ」

「おい、なにがあったんだ? 僕にも詳しく説明しろ」

 1人蚊帳の外であったアリィーが俺達に詰め寄った、その時である。

 突如、物凄い爆音が鳴り響き、船が大きく揺れた。

「――きゃあっ!?」

 ティファニアがバランスを崩して床に倒れそうになるが、どうにか俺が支える。

 爆音と振動は一度だけではなく、何度も轟いた。

「今度はなんだよ?」

「不味いな、水軍の船に発見されたようだ」

 アリィーが舌打ちをした。

「なんだって?」

「こいつは水中爆雷による攻撃だよ。衝撃で爆発する、“エルフ”の“魔法兵器”だ」

「隊長、水軍の艦隊が迫って来ました!」

 イドリスとマッダーフが、慌てて船室に飛び込んで来た。

「くそっ、人質ごと沈める気か」

 アリィーは、床に転がるファーティマを苦々しく見下ろした。

 “鉄血団結党”は彼女を見捨てたようである。

「隊長、どうします?」

 イドリスが指示を仰いだ。

 アリィーはクッと歯噛みした。

 応戦することは不可能ではないが、難しいであろう。この“海竜船”は戦闘のために装備を載んではいないために、水軍の“鯨竜艦”が相手では、先ず勝ち目はないに等しい。

「どうもこうも、このまま全力で逃げ切るしかないだろう」

「逃げ切れますかね? 相手は水軍の艦隊ですよ」

「やってみなけりゃ、判らん」

「無理よ、落ち着き為さい」

 と、何処からか冷静な声がした。

 俺を除く全員が、声のする方へと振り向いた。

「ルクシャナ!」

 と、アリィーが叫んだ。

 ティファニアと同じく、ずっと意識を失っていたルクシャナである。

 ベッドの上で半身を起こしていたルクシャナは、気怠げに金髪を掻き上げた。

「もう、落ち落ち寝てもいられないじゃない」

「ルクシャナ、起きて大丈夫なのか?」

 アリィーが心配そうに尋ねる。

「今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」

 ルクシャナは痛みに顔を顰めるつつ、そう答えた。

 俺はソッとルクシャナに近寄り、彼女の肩に触れる。

 ルクシャナの表情から少しばかり痛みが消え、「このまま逃げ切るのは無理よ。ここで船を乗り捨てましょう」と彼女は、俺へと会釈してから言った。

「まさか、海岸まで泳ぐのか? それは危険過ぎる」

「海の中で沈没するよりはマシだわ」

 轟音が響き、また大きく船が揺れた。

「確かに、君の言う通りかもしれないな……」

 と、アリィーは覚悟を決めたように首肯き、才人の方を見た。

「“蛮人”……確か、サイトと言ったな? ハーフの娘を背負って、海岸まで泳げるか?」

「ああ、大丈夫だ……」

 才人は立ち上がり、答えた。

 あの脱力感は既に消えている様子であり、才人は(不思議だ……体力そのものは、それほど消費してる感じはしないな。じゃあ、奪われたのは体力ではなく、なにか別のモノなのか……?)、と考えたが、首を横に振った。

「良し、決まりだ。船を捨てて脱出するぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “エルフ”の統領テュリュークを人質に取ったシオンとルイズ達は、急いで“オストラント号”に戻ることにした。

 ホールから出る間、ずっと“エルフ”達の強い敵意を打つけられ、ギーシュなどは足が震えていた。

「なあ、マリコルヌ、僕達大丈夫だよな?」

「さあ、どうだろうね」

 テュリュークの喉に“杖”を突き付けたまま歩くタバサに、キュルケが声を掛ける。

「タバサ、御手柄だったわね」

「違う」

「え?」

「後で説明する」

 淡々と呟くタバサに、キュルケは怪訝そうな顔をした。

 対して、シオンは、成る程、といったように首肯いた。

「もう少し、ユックリ歩いてくれんかのう?」

「駄目。下手な真似したら、その立派な御髭燃やすわよ、長耳さん」

 キュルケが、テュリュークの背中にグイッと“杖”を突き付けた。

「やれやれ、なんと野蛮な連中じゃ」

「駄目だよ、キュルケ」

 シオンはキュルケを窘める。

「サイト達の元へ案内してくれたら、ちゃんと解放して上げるわ」

 ルイズが言った。

「それで、サイト達が向かった“竜の巣”っていうのは、どこにあるの?」

「ここからかなり離れた場所じゃ。だが、あの2人はもうおらんじゃろうな」

「どういうこと?」

 ルイズはテュリュークを睨んだ。

「“竜の巣”は、“エルフ”の水軍が砲撃したそうじゃ」

「なんですって!?」

 ルイズはテュリュークに詰め寄った。

「あんた達、“虚無”の“担い手”は殺さないんじゃなかったの?」

「“評議会”の命令ではない。“鉄血団結党”のしたことじゃよ」

「“鉄血団結党”?」

「水軍を牛耳っておる、“評議会”の主戦派共じゃ。ヒトとの、おまえ達との全面戦争をも辞さぬと言う、そんな勢力じゃよ。連中は“悪魔”の、“担い手”の復活を恐れないからの」

「それじゃあ、サイト達は……」

「うむ。ひょっとすると今頃、海の藻屑になっているかもしれんのう」

 テュリュークはユックリと首を横に振った。

「そうなってたら、絶対に赦さないわ」

 だが、そんな話を聞いても、ルイズは然程取り乱すことはなかった。(サイトは、生きてるわ。さっき、“虚無”を唱えた時に流れ込んで来た、あの不思議な力……あの力には、確かにサイトを感じたもの。遠く離れた場所にいても、サイトは私を助けてくれた……)、という想いと確信があったためである。

 また、“サーヴァント”とその“マスター”には特殊な繋がりがあり、“マスター”は自身が“契約”している “サーヴァント”の安否を認識することができる。そのことから、繋がりが消えていないということもまた理解るのでsる。

「きゅいきゅい! 御姉様達、戻って来たのね!」

 “フネ”の衝突で崩れた壁を這い上ると、塔の中腹に突き立った“オストラント号”の甲板で、シルフィードが出迎えた。

 

 

 

「ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ! ああ、良かった……無事だったんですね!」

 タラップを上がり、“フネ”の中に戻ると、シエスタがルイズに抱き着いた。

「ちょ、ちょっと、なによもう……」

 ルイズは顔を赤くして、シエスタを引き剥がす。

 シエスタは戻って来た一同を見回して、キョトンとした。

「あの、サイトさんとミス・ウエストウッド、セイヴァーさんは?」

「ここにはいないわ。とっくの昔に、別の場所に逃げたって」

「逃げたって、どこにですか?」

「判らないわ。でも、“エルフ”の軍隊に追われてるみたい」

「そんな……」

 シエスタは口元を押さえた。

「大丈夫何ですか? 3人は無事なんですか?」

「大丈夫よ、サイト達は生きてるわ」

 ルイズはシエスタの肩に手を乗せた。

「そんなの、どうして判るんですか?」

「サイトは私の“使い魔”よ。だから、理解るの」

 ルイズは自信満々に控えめな胸を張った。

 正直、そのようなことを言われても、当然シエスタはなにも安心できなかった。

 が、ルイズのその妙に自身溢れる態度には、希望を抱かせるなにかがり、シエスタは首肯いた。

「理解りました。私、ミス・ヴァリエールを信じます」

 ルイズ達は斜めに傾いた“オストラント号”の廊下を歩いた。

 すると、白衣を真っ黒な煤だらけにしたエレオノールが出て来た。

 “杖”を突き付けられたまま連れて来られたテュリュークを見て、エレオノールは目を丸くした。

「驚いた。本当に“エルフ”を人質に取るなんて」

「“フネ”は出せそうかね? ミス・エレオノール」

 コルベールが尋ねた。

「ええ。なんとか。でも、“水蒸気機関”が不安定になってるわ」

「それはなんとかしよう。“風石”の備蓄が心配だが……」

「先生、早く、その“竜の巣”に向かいましょう」

 ルイズが言った。

 その時である。

「そういう訳にはいかぬ」

 テュリュークが突然、口を開いた。

「あら、どういうことかしら?」

 キュルケがスッと目を細めた。

「おまえ達には、儂を“蛮人”……そこの女王以外の人間達の代表の所に案内して貰わねばならん」

「なんですって?」

 テュリュークの言葉に、シオン以外のルイズ達は眉を顰めた。

「話をする前に、先ずは、その物騒なモノを退けて貰おうかのう、ほい!」

 テュリュークが声を発すると、シオンとタバサを除いた全員の“杖”が一斉に明後日の方へと吹き飛んだ。

「なっ!? ……あ、あんた!」

「そう警戒するでない。儂は、わざとおまえ達に捕まったのじゃよ」

「え……?」

 その場の全員がキョトンとした。

 いつもと変わらぬ様子を見せているのは、シオンとタバサだけである。

「あの石の巨人は、確かに見た目は派手じゃ。だが、おまえ達を倒すだけなら、もっとスマートな方法が幾らでもあったわい。例えば、業火で跡形もなく灼き尽くすこともできたんじゃからのう」

 中々の演技だったじゃろう、とテュリュークはペロッと舌を出した。

「ど、どういうこと?」

「そこの“ガリア”の姫君と協力して、一芝居打たせて貰ったのだ」

 と、いつの間にか、1人の“エルフ”の青年が“フネ”の中に姿を現した。

 ルイズ達はその“エルフ”に見覚えがあった。

「あ、あんた、“アーハンブラ”にいた……!」

 “ガリア”王ジョゼフに仕え、タバサを救出しに行ったルイズ達を、“精霊の力”で翻弄した、ビーダシャルである。

「芝居って……タバサ、本当なの?」

 キュルケが尋ねると、タバサはコクっと首肯いた。

「“エルフ”の統領殿、これはどういうことですかな?」

 コルベールが厳しい眼差しをテュリュークに向けた。

「悪巧みなどしとらんよ。儂はの、おまえ達と和平を結びたいと想っておるのだよ」

「なんですと!?」

 シオン以外の全員が驚きに目を見開いた。

「無論、全面戦争になれば、先ず我々“エルフ”が勝つことじゃろう。だが、おまえ達があの“悪魔の(わざ)”と“イブリース(サーヴァント)”を使えば、こちらにも大きな被害が出ることは間違いない。儂はこの“サハラ”に、無駄な血が流れるのだけは、なんとしても避けたいのじゃ」

「だったら、最初からそうすれば良いじゃない。貴男、1番偉い“エルフ”なんでしょ?」

 ルイズがそう言うと、テュリュークとシオンが同時にヤレヤレと首を横に振った。

「確かに1番偉いのかもしれないけれど、それじゃ駄目なの、ルイズ。立場っていうのは権利がある代わりに、義務とかも付き纏って来る。そして、それは自由を縛る鎖になることもあるの」

「儂はあくまで“評議会”の代表じゃ。人間の王達のように、全ての決定権がある訳ではないのじゃよ。そして、“評議会”の議員のほとんどは、人間と和解することに理解を示さぬ。ことに“鉄血団結党”の連中は、徹底抗戦を唱え続けるじゃろう」

「故に、我々は“評議会”を謀る必要があったのだ」

 と、ビダーシャルが付け加えた。

「おお、では統領殿は、本当に和平を望まれているということで、よろしいですな?」

 コルベールは念を押すように言った。

「それはまだ判らぬ。少なくとも、“ハルケギニア”の代表達の考えを知らなくてはならぬ。何故ここに来て、“悪魔(シャイターン)の門”、おまえ達にとっての“聖地”を求めるのか」

「……なるほど。しかし、それは、おお、“始祖”に感謝しなければ」

 コルベールは想わず、呟いた。

 “エルフ”の塔に乗り込んだことは、この場にいる皆にとって予想外の結果をもたらすことになった。

 もし、このテュリュークと、“ロマリア”教皇の会談が実現すれば、“エルフ”との全面戦争を回避することができる可能性が出て来るのだから。

「で、でも、今は急いでサイト達を捜さないと」

 と、ルイズが口を挟んだ。

「そうです、サイトさん達、追われているんでしょう?」

 シエスタもルイズに同調する。

 だが、テュリュークは首を横に振った。

「それは無駄じゃろう。広大な海で人を探すのは、砂漠の中で一粒の金を探すようなモノじゃ。それよりも、一刻も早く和平を結び、“鉄血団結党”の暴走を抑えた方が、おまえ達の仲間を救出出来る可能性は高まるのではないかな?」

「そ、それは、そうかもしれないけれど……」

 テュリュークの言葉は、確かに理に適っているといえるだろう。

 ルイズは反論することができず、口を噤んだ。

 そんなルイズに、コルベールが声を掛ける。

「ミス・ヴァリエール、焦る気持ちは理解が、“フネ”には“風石”の備蓄もないし、この状態では長くは飛べない。 “ガリア”に帰り着くのが、精一杯だろう」

 続けて、シオンが口を開く。

「大丈夫だよ。ルイズ、シエスタ。才人は大丈夫。セイヴァーが着いてるから、ね?」

「理解ったわ……」

 コルベールとシオンのその言葉に、ルイズは消沈した様子で首肯いた。



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脱出

 “エルフ”の水軍による爆雷攻撃は、やむことなく続き……俺達はとうとう船を捨てる必要が出て来た。

 爆雷を回避しながら、なんとか入江近くまで移動すると、“水中呼吸”の“魔法”で、船から脱出をした。

 ベッドから起き上がることのできないティファニアとルクシャナは、それぞれ、才人とアリィーが背負って泳いだ。

 ファーティマは、“魔法”で眠らせたまま、マッダーフが運んだ。アリィー達は、彼女を船に置いて行くことを提案したが、ティファニアが懇願したことと俺がティファニアに同調したことで、連れて行くことができたのである。

 最後にイドリスは、荷物袋に、防水処理が施された“自動小銃”や“手榴弾”、“ロケット・ランチャー”などの“聖地”から持ち出して来た“武器”を、抱えられるだけ抱えて脱出した。

 残る俺は、イドリスが抱えることができなかった分の“武器”、“武器”以外に必要になるであろうモノを抱えるなり、他の方法を用いて持ち出し、脱出した。

 そして、俺達が脱出した直後、爆雷の直撃を受けた“海竜船”は、残骸となって海の底に沈んだのである。

 

 

 

 

 

 それから、数百“メイル”ほど泳いで、砂浜に上がった俺達は、入り組んだ海岸の岩場にある洞穴の陰に隠れた。

 洞穴の壁には浸水した跡があった。恐らく、満潮時には沈んでしまうのであろう。

 俺達はなるべく乾いた場所を探すと、ティファニアとルクシャナ達の身体を地面にそっと横たえた。

「う……」

「テファ、大丈夫か?」

「うん、サイトとセイヴァーさんがいてくれるもの」

 ティファニアは健気に微笑んだ。

 才人は想わず、ドキッとしてしまい、(水に濡れた“エルフ”の服が、柔らかそうな肢体に、ピッタリと貼り付いている……と言うか、おっぱい、透けてる。凄く透けてる。こんな時に、なに考えてるんだ俺)と想い、首をブンブンと横に振った。

「ごめん、喋らなくて良いよ」

 才人はティファニアの手を握った。

「サイト、痛みは、もう大丈夫なの?」

「え? あ、ああ……」

 と、才人は曖昧な返事をした。“リーブスラシル”の輝きは、もう消えている。生命力が一気に奪い尽くされて行くようなあの不気味な感覚も今はもうない、ということに、才人はようやく気付いた。

「心配すんな。あの痛みは、“使い魔”になった時の副作用みたいなもんだよきっと。最初にルイズの“使い魔”になった時も、凄え痛かったし」

「でも、デルフさんは、命を奪うって……」

「ああ、確かに体力をちょっと奪われたけど、今はもう平気だ」

 才人は腕をグルングルンと回してみせた。

 なにしろ、“ガンダールヴ”の力を使ったとはいえ、ティファニアを背負ってここまで泳いで来ることができたのである。

 “使い魔”の命を使い、主人に“魔力”を授けるという、“リーブスラシル”の力。

 才人は、(俺自身が“魔力共有機”になったんなら、ルイズが無茶をし過ぎて倒れるんじゃないかっていう、心配事はもうないんだ。なんだ、考えてみりゃあ、中々便利な力じゃないか。これでルイズの負担が減るんなら、そっちの方が全然良い)と切り替え早く想った。

「そう、良かった……」

 ティファニアは安心したように呟くと、目を瞑り、また眠った。

 アリィーが“精霊の力”を用いて“魔法”を唱え、洞窟の中に小さな火を熾した。

「迷惑掛けるわね、アリィー」

 岩場に横たわったルクシャナが、弱々しい声で言った。

「これで僕は“エルフ”の裏切り者だ。2度と“サハラ”の地を踏めないかもな」

「ごめんね、でも、人間の世界も、そんなに悪くないかもしれないわ」

「嗚呼、くそ……いつもいつも、なんだって僕は君を放っておけないんだ」

 そんな2人の様子を見て、才人はルイズとのやりとりを懐かしく想い出した。アリィーの気持ちは良く理解るのである。ルクシャナはなんとなく、ルイズに似ているのである。胸が控えめなところだけではなく、性格とか、そういったモノなどが。

 才人は、(俺もルイズに散々振り回されたけど、惚れた弱みだもんなあ……)と想った。そう想うと、最初こそいけ好かない奴だと想っていたこの“エルフ”の青年にも才人はなんだか親近感が湧いて来たように想えた。

 そこへ、“遠見”を使って、水軍の船を偵察していたマッダーフが帰って来た。

 迫って来た水軍の船は4隻。今もなお、蛻の殻となった“海竜船”の残骸に、執拗に爆雷攻撃を続けている。

「連中、我々が脱出したことにはまだ気付いてないようだな」

「俺達を沈めたって勘違いしてくれると良いけど」

 才人がそう言うと、アリィーは首を横に振った。

「エスマイールはそんな甘い奴じゃない。直ぐに気付くさ」

「エスマイール?」

「“鉄血団結党”の党首だよ。水軍は実質、奴の指揮下にある。なにせ“悪魔”を殺すことに命を賭けてる連中だ。僕達の死体を発見するまで、手は抜かないだろう」

「そう長く、ここに隠れてる訳にもいかないってことか」

「そうだ。海岸を虱潰しにされたら終わりだ。それに満潮になったら、ここも沈んでしまうからな」

「こんな所、満足な治療もできないですしね」

 と、イドリスが言った。

 ティファニアもルクシャナも、一応、意識を取り戻すまで回復したものの、重症であることに変わりはないのである。

「その、“エウネメス”って街は、ここから遠いのか?」

「ここから、30“リーグ”ほどだ」

「結構遠いな……」

 なにしろ灼熱の砂漠である。重症の2人を背負って歩くには厳しい距離だといえるだろう。

「この辺りの砂で、2人を運ぶ人形を造ろう。少し時間は掛かるがな」

 そう言ってアリィーは砂浜の方へと歩いて行こうとする。

 がそこに、才人が声を掛ける。

「少し待ってくれ。なあ、セイヴァー。おまえの“宝具”なら、簡単に移動できるんじゃないか?」

「厳密には、でもなく、俺の“宝具”ではないがな。そうだな……彼等“英雄”達の“宝具”を借りればできるだろうな」

「そんなことができるのか?」

「ああ。俺の第一“宝具”と“スキル”の効果で、“座”と繋がり、彼等の“宝具”を無断でコピーする。それで大抵のことなら可能になる。彼等からすると、盗人行為だろうがな」

 アリィーの質問に、俺は自嘲気味に答える。

 アリィーは驚くと同時に、口を開いた。

「そうか、理解った……それで行こう……だが、他にも用意する必要があるから、少し時間をくれ」

 アリィーはそう言うと、洞窟の外へと出て行った。

 才人は洞窟の壁にもたれた。それから、デルフリンガーを鞘から抜き、小声で話し掛けた。

「なあ、デルフ、セイヴァー」

「おう」

 デルフリンガーは直ぐに反応した。

「今の俺は、ルイズとテファの“使い魔”、“二重契約”ってことで良いんだな?」

「そうだ」

「そんなことってあるのかよ?」

 “メイジ”の“使い魔”は基本1匹……その“ルール”を壊してしまって大丈夫なのかどうか、才人は不安なのであろう。

「良く理解んね。でも、確かサーシャもそうだったよ」

「サーシャも?」

「ああ、“ミョズニトニルン”と“ヴィンダールヴ”はそれぞれ違う奴だった。でも、“ガンダールヴ”と、その、“リーブスラシル”は、サーシャだった……と想う」

「それで合っている」

 朧げな記憶を辿るデルフリンガーの言葉と、デルフリンガーの言葉を確認しようとする才人からの視線に、俺は首肯いた。

 才人は、前に“ロマリア”の大聖堂で“レイシフト”したことを想い出した。意識だけが移動した先で見たサーシャとブリミルは、才人からすると、とても仲が良さそうであった。

「デルフ、おまえ、6,000年前にサーシャがブリミルを殺したって言ってたよな? ひょっとして、その話を関係あるのか?」

「どうだろうね」

「なんだよ、歯切れ悪いな」

「うん、俺もよ、なにがったのか、本当のところ判んねえんだ。ただ、凄く悲しい出来事があって、たぶ、どう仕様もなかったんだろうね……ああ、すまねえ、限界だ。これ以上は、意識に靄が掛かったみたいになっちまう」

「例のサーシャの“魔法”って奴か」

「すまねえな、相棒。力になれなくて」

「デルフは悪くねえよ」

 デルフリンガーは、サーシャが“精霊の力”を用いて造った剣である、その辺りの話は、サーシャにとって、なにか都合の悪いことがある可能性がある。話そうとすると、妙なブレーキが掛かり、デルフリンガーの意志とは関係なしに、喋ることができなくなってしまうのである。だが、実際とのころ……。

 また、他にも理由はあるかもしれない。デルフリンガーは、意思持つ剣である。言語を解し、喋ることができ、知性があり、理性があり、感情がある……そのことから、ヒトとは身体の造りが違うだけ、だと言い換えることもできるだろう。で、あれば……精神的に病むことだって可能性としてはある。想い出したくないことを、無理矢理想い出そうとして、結果、靄が掛かったように感じる、言葉が出て来なくなる、など。

 そういった2つの理由や原因が、デルフリンガーが才人の疑問を晴らそうとする意思と行為に反した結果を導いているのであろうか。

「それは兎も角として……おまえさには、差し迫った問題が1つあるな」

「なんだよ?」

「ピンクの嬢ちゃんに、ハーフの嬢ちゃんとキスしたことがバレる」

「あ……」

 才人は、(それは不味い……とても不味い)と冷や汗を掻いた。

 才人は、眠るティファニアに目を落とした。

 ティファニアは、スゥスゥと可愛らしい寝息を立てている。ユッタリと上下する大きな胸に、柔らかそうな唇。

 想わずドキッとしてしまった自分が赦せなく想えたのであろう、才人は自分の頭を叩いた。(俺の馬鹿野郎……もう2度と余所見はしない、ルイズを傷付けないと誓ったじゃないか。でも、あの時のテファのキスが、単なる“使い魔”との“契約”のキスじゃないってことくらい、理解ってる。どんな想いで“召喚”の“呪文”を唱えたのかも……)、と想った。そんなティファニアの健気な気持ちを想うと、才人の心は痛むのである。

「デルフ、セイヴァー。俺、どうしよう……?」

「モテる男は辛いやね」

「そうだな。ハーレム系主人公でも目指してみるとかどうだ?」

「おまえ等な、他人事だと想って……」

 その時、洞窟の外からアリィーが戻って来た。

「準備ができた。出立するぞ」

「なあ、こいつはどうする?」

 マッダーフが、“魔法”で眠ったままのファーティマに目を落とした。

「その辺に転がして置けば、誰かが救けるでしょう」

 イドリスが言った。

「いや、それは駄目だ。こいつが発見されれば、僕達のことを“鉄血団結党”に報告するだろう」

 アリィーが反対した。

「しばらく同行して貰う。人質としての価値がまだあるかもしれないしな」

 

 

 

 

 

 さて、時間はその少し前に遡る……。

 “ロマリア”、“ガリア”、“ゲルマニア”、それに“トリステイン”と“アルビオン”の軍隊からなる“聖地回復連合軍”は、それぞれの君主や代表の指揮の元、“砂漠(サハラ)”に向けて進軍していた。

 “連合軍”の中には、ホーキンス率いる“アルビオン”艦隊や、“ハルケギニア”最強の“竜騎士団”であるクルデンホルフ大公家の“空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)”の姿もある。もっとも、全ての国が万全の状態での出兵という訳には当然いかなかった。“ガリア”の“両用艦隊”は、ほぼ壊滅状態であるし、“トリステイン”と“ゲルマニア”それぞれの軍も度重成る戦争で疲弊している。満足に軍を編成できたのは、密かに“聖戦”の準備を整えていた“ロマリア”軍、そしてシオンとホーキンスが再編や指導などの指示を出し即座に実行できた“アルビオン”の艦隊だけである。

 ともあれ、“大陸隆起”という未曾有の危機を前にして、ようやく、“ハルケギニア”の諸国は1つに纏まったのである。

 “ガリア”を出発した“聖地回復連合軍”は、“アーハンブラ城”の周辺に野営地を展開した。“ガリア”と “サハラ”の国境に位置するその小城は、かつて才人達が、閉じ込められたタバサ母子を救出しに行った城でもある。

 元々は“エルフ”の建築した城であったが、1,000年程前、“聖地回復連合軍”が多大な犠牲を払ってここを奪取し、更に幾度モノ戦争の末、ようやく国境線を定めたという、そのような曰く付きの場所である。

 その先には、広大な砂漠が広がっている。

 ここは“サハラ”へ向かう、最後の補給地点なのである。

 

 

 

 雲間から顔を出した曙光が、“アーハンブラ城”の美しい模様を照らし出す。城壁に施された幾何学模様の装飾は、この城のかつての主であった“エルフ”達の手によるモノである。

 アンリエッタは護衛のアニエスのみを伴い、城の中に足を踏み入れた。

 玄関ホールの崩れた壁が目に入る。其れは、才人達がビダーシャルと戦った時の破壊の跡である。

 アンリエッタは階段を上り、城の最上階にある礼拝堂の前までやって来た。教皇ヴィットーリオに、今1度、戦争の回避を直訴するつもりなのである。

「アニエス、貴女はここで待っていてください」

 アニエスは一礼すると、そこで直立不動の姿勢を取った。

 礼拝堂の扉の前には、2人の“聖堂騎士”が立っていた。

「これは、アンリエッタ女王陛下」

「教皇聖下はここにおられますか?」

 アンリエッタが尋ねると、“聖堂騎士”は恐縮した様子で言った。

「聖下は御一人で祈りを捧げておられます。今は誰も入ることはできませぬ」

「そうですか。では、ここで待たせて貰います」

 アンリエッタが扉の前に立つと、“聖堂騎士”は困ったような顔をした。

「ですが……」

 と、その時である。

「構いませんよ、どうぞ」

 礼拝堂の中から声が響いた。

「教皇聖下、しかし……」

「構いません、どうぞ御通しください」

 “聖堂騎士”達は顔を見合わせると、アンリエッタのために扉を開いた。

 薄暗い礼拝堂に、仄かな月光が射し込む。

「ありがとう」

 アンリエッタは、“聖堂騎士”達に礼を言い、中に足を踏み入れると、ヴィットーリオは穏やかな微笑を浮かべて振り向いた。

「聖下、なにを祈っておられたのですか?」

「サイト殿とミス・ウエストウッド、セイヴァー殿達が、無事に見付かることを、“ハルケギニア”に真の平和がもたらされんことを」

「では、私も同じことを祈りましょう」

 アンリエッタはヴィットーリオの隣で跪く。だが、目を閉じて祈りを捧げている間、アンリエッタが考えていたのは、別のことであった。(教皇聖下は、一体なにに祈っているのかしら?)、と考える。それは既に決まっており、“始祖ブリミル”に対して祈りを捧げている、ことをアンリエッタは理解していた。と、同時に、(でも、それだけではないのでしょうね……)とも想った。

 この若き教皇は、ただの敬虔な“ブリミル教徒”ではないのである。しかし、“ゲルマニア”皇帝のような、俗世の野心家でもないのは確かである。

 ヴィットーリオを動かしているモノは、一体なんなのか。“ブリミル教徒”としての信仰、“始祖”の意志を継ぐという使命感、それとも他のなにか……。

 祈りを捧げ終えると、アンリエッタはヴィットーリオに向き直った。

「サイト殿とティファニア嬢、セイヴァー殿は、まだ見付からないのですね」

「はい、残念ながら」

 ヴィットーリオは静かに首を振った。

「ですが、腕利きの者に捜させておりますので、御安心を」

 アンリエッタは、(安心などできるものですか。“エルフ”に“虚無”の“担い手”を奪われるくらいなら、いっそ殺してしまい、新たな“担い手”を見付けた方が手っ取り早い……“ロマリア”はそう考えているに違いありませんわ)と想った。が、そのような心の呟きを、アンリエッタは当然胸中に押し込めた。

「この“聖戦”で、どれほどの犠牲が出るでしょうか?」

「判りません。とても大きな犠牲が出るのは間違いないでしょうが、それは必要な犠牲です。なにしろ、“ハルケギニア”がなくなっては元も子もない」

「教皇聖下は、悩まれてないのですね」

 アンリエッタは、精一杯の皮肉を込めて言った。ある意味で、悩むことなく、正しいといえるであろう決断のできる眼の前の男が、羨ましいとさえ想えたのである。

「それが私の使命ですから」

「聖下、私は嘗て、多くの兵を死地に向かわせました。大切な親友さえも」

 “アルビオン”での戦争で多くの犠牲者を出してしまったアンリエッタは、今でも悩んでいた。あの戦争は本当に正しかったのかどうか、自分はウェールズを殺した者達にただ復讐がしたかっただけではないのかと……。

「アンリエッタ殿、貴女は後悔しているのですか?」

「判りません」

 アンリエッタは静かに首を横に振った。

「ですが、私が後悔をすれば、死んで行った多くの将兵達に対して、余りにも申し訳ないと想うのです。聖下には、そのような後悔はないのですか?」

「後悔……そうですね」

 するとヴィットーリオは、母の形見だという“炎のルビー”に目を落とした。

「教皇である私が、後悔、することは、決して許されないのですよ」

 その時、この若き教皇の心の奥に隠された感情が、一瞬だけではあるが垣間見えたような気がしたが、アンリエッタにはその胸中を推し測ることまではできなかった。

「聖下、私は、“エルフ”との和平の道があると信じております」

「もちろん、話し合いで済めばそれが1番善い。ですが、相手もそうだとは限りません」

「ええ、理解っておりますわ。ですが、本当に“聖地”を取り戻せば、“ハルケギニア”は救われるのでしょうか?」

 この“聖地回復連合軍”の目的は、“大陸隆起”を止めるための“魔法装置”を取りに行くことである。

 しかし、アンリエッタは、“聖地”に“魔法装置”があるというヴィットーリオの言葉に、少なからず疑念を抱いているのである。(この男は、まだなにか重大な秘密を隠している……)、と。

「私はそう信じていますよ、アンリエッタ殿」

 ヴィットーリオは穏やかな表情を崩さぬまま、そう答えた。

 

 

 

 アンリエッタが礼拝堂を退出した後……ちょうど入れ替わるようにして、左右瞳の色の違う美少年が影のように入って来た。

 ジュリオである。

 その肩には、小さな梟が止まっている。

「遣いからの報告です。“アディール”の郊外で“エルフ”の艦隊と戦闘が起きました。ミス・ヴァリエールが“虚無”を使って、艦隊を壊滅させたようです」

「彼女達は無事なのですか?」

「それはまだ、なんとも」

「そうですか……」

 “アディール”にいる密偵からの報告で、才人とティファニア達が既に“カスバ”を脱出していたという報告を、ヴィットーリオは受けていた。

 ルイズ達と合流できた可能性は低いもの、とヴィットーリオは考えていた。(彼女達が見付けてくれるのなら、無論、それが最善である)、も考えていた。

 ヴィットーリオは、祭壇に置かれた“円鏡”に手を翳した。

「“始祖の円鏡”に兆しが現れました。ついに4番目の“使い魔”が現れたと」

 ジュリオは一瞬、苦しそうに顔を顰め……また直ぐに冷静な表情に戻った。

「やはり、彼がそうなのですね」

「ええ、皮肉なモノですね、“愛”故に“召喚”され、最も残酷な“運命”を背負うとは」

 ヴィットーリオは陽光の射し込む窓辺に佇むと、“始祖”の歌を口遊んだ。

 

――“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”。

 

――“神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。汎ゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”。

 

――“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵の塊神の本。汎ゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す”。

 

――“そして最後にもう1人……記すことさえ憚れる……”。

 

――“4人の下僕を従えて、我はこの地にやって来た”。

 

「最後の“使い魔”、“神の心臓”とも呼ばれる“リーブスラシル”は、その命をもって、“4の4”による“始祖の虚無”を完成させる」

「彼の命は、あとどのくらい保つでしょうか?」

「“4の4”が揃った以上、そう長くはないでしょうね」

「残念ですよ、とても……」

 ジュリオは強く唇を噛んだ。

「僕は彼のことが好きでした。僕は……彼と友達になりたかった」

 それは、偽らざるジュリオの本音であった。

 月並みな言葉ではあるが、立場が違えば……と、ジュリオはそう想うのである。

「ですが、彼の名は世界を救った“英雄”として、永遠に語り継がれるでしょう」

「“聖女”の名と共に、ですね」

「そうです、彼の“愛”する、“聖女”、の名と共に」



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自由都市エウネメス

 太陽の照り付ける砂漠を、数時間ほど“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”を使用して……俺達は漸く、自由都市“エウネメス”に到着した。

 街の外から見える湾口には、“フネ”のマストが何本も見える。

 丁度東西の接する地点にあるため、排他的な“エルフ”の都市の中では唯一、“ハルケギニア”や、“東の世界(ロバ・アル・カリイエ)”との交易も盛んに行われている都市である。

 街は頑丈そうな石造りの市壁に囲われている。この市壁は、何百年も前に、“ハルケギニア”の軍隊と争った名残である。その市壁に設けられた、大きな門の前で、駱駝に荷を積んだ承認達が列をなしている。“エルフ”だけではなく、ヒトの姿もそこにはある。

「へえ、ホントにヒトと交流してるんだな。自由都市っつても、流石に、もっとコッソリやりとりしてるもんだと想ってた」

「ここが特別なだけよ。この街は、元々“エルフ”の流刑地だったの」

 驚く才人に、アリィーに支えられて歩くルクシャナ答えた。

 才人は、眠っているティファニアを背負って歩いている。

「流刑地?」

「ええ。部族の掟を破った者達の行き着く、最後の場所よ」

 門に着くまでの間、ルクシャナは“エウネメス”のことを話してくれた。

 “エルフ”からすれば、ここは“砂漠(サハラ)”の外れ、“大いなる意思”から見放された場所とされている。なので、罪を犯した“エルフ”の多くは、昔から此の地に追放されて来たのである。当然ながら、“砂漠”の“エルフ”達は此の街の住民を蔑み、決して交流を持とうとはしなかった。そのように孤立した場所で生き抜いて行くためには、結果“ハルケギニア”のヒト達とも交流する他なかったのである。

「まあ、流刑地だったのは、大昔の話ではあるんだが……今でも“砂漠”の民のほとんどは、ここに近寄ろうとはしない。もちろん、“純血主義”の“鉄血団結党”の連中なんかは、1人もいないだろうな」

 アリィーが言った。

「俺達、街に入れるのか? 御尋ね者だろ?」

「ビダーシャル様から手紙を預かっている。先ず大丈夫だろう」

 訊ねる才人に、アリィーが言った。

「それに、“評議会”はおまえ前達が脱走したことを、まだ公表していないはずだ。“悪魔”の末裔を逃したとあっては、“評議会”の沽券に関わるからな」

 手形を手にしたアリィーは、門の衛兵と話した後、直ぐに戻って来た。

「許可が出たぞ。先ずはルクシャナの知り合いの施療院に向かおう」

 ティファニアは、暑さにやられてしまっており、才人に背負われている。

 ルクシャナをアリィーが背負い、“魔法”で眠ったままのファーティマをマッダーフが抱える。

 イドリスと俺は“武器”などを詰め込んだ荷物袋を手に持った。

 “エウネメス”の大通りは、賑やかな活気に満ちている。“魔法学院”のある“トリステイン”とも、“アルビオン”の“ロンディニウム”、“エルフ”の首都“アディール”のような人工都市とも違う、異国情緒溢れる街並みであるといえるだろう。ふと好い匂いがするかと想えば、大きな串に刺した肉を焼いている店や、砂糖菓子の店などがあり、さながら御祭のようである。

 露店を出しているのは、ヒトの商人が多い。“エルフ”の街であるにも関わらず、自然に溶け込んでいる。“ハルケギニア”の人間はあれほどまでに“エルフ”を恐れ、“エルフ”の方はヒトのことを“蛮人”と蔑んでいるというのに。

「なんだよ……戦争なんて、する必要ないじゃねえか」

 才人は呟いた。もちろん、そのような単純な問題ではない、ということを理解した上でだ。だがそれでも、眼の前にあるこの光景に、ついそんな希望を抱いてしまったのである。

 いや、いつか未来でこのように恐れることも蔑むことなどもなく、共に暮らせる未来を観た気がしたのであろう。

「あそこよ」

 と、アリィーに背負われたルクシャナが言った。

 ルクシャナの知り合いのいる施療院は、通りの集まる広場にあった。白い漆喰の塗られた2階建ての建物であり、看板にはなにか生の葉のような模様が描かれている。

「僕達は、ここまでですね」

 イドリスが荷物袋を地面に置き、マッダーフが眠ったファーティマを入り口の側の壁に横たえさせた。

「ああ。おまえ達、良くやってくれた」

 背中のルクシャナをソッと下ろし乍ら、アリィーが言った。

「ここで別れちまうのか?」

 才人が尋ねる。

「ああ。元々“蛮人”の、ヒトの国へ行くのは、僕とルクシャナだけの予定だったしな。それに、旅は少人数の方が都合が良い」

「そういうことだ。俺達も御尋ね者であることに変わりはないが、おまえ達や、隊長ほどじゃない。熱りが冷めるまでどこかに隠れていれば、ビダーシャル殿がなんとかしてくれるだろうさ」

 マッダーフが言った。

「その、ありがとう。俺達を救けてくれて」

 アリィーの部下である2人に、才人は礼を言った。そもそも、才人とティファニアを誘拐したのはここにいる“エルフ”達であるのだが、命を救われたことに変わりはないこともまた事実であり、それを才人はしっかりと理解しているのである。

「おまえ達のためじゃないぞ、隊長のためだ」

 マッダーフはフンと鼻を鳴らした。

「では、ここでしばしの御別れだ。“鉄血団結党”の追跡には気を付けろよ」

「隊長こそ、気を付けて」

「ルクシャナさんと、喧嘩しないようにして下さいね」

「ああ……うむ」

「君達に幸運のあらんことを。アリィーとルクシャナの無事は約束するから、おまえ達も無事でいることだ」

「生意気だな。だが、頼んだぞ。“イブリース”、いや、セイヴァー」

 俺は、イドリスとマッダーフそれぞれと軽く別れの握手をする。

 マッダーフとイドリスは軍人の敬礼を取ると、その場を去った。

 才人は(なんだかアッサリしてるな)と感想を抱いたが、湿っぽい雰囲気で別れるよりはマシであることもまた理解した。

「サイト、2人を中に運ぶぞ」

「ああ」

 

 

 施療院の中に入ると、ムワッとした妙な臭いが鼻を突いた。どうやら、御香のようなモノを焚いているらしい。建物の中は見掛けよりも広く、沢山のベッドが整然と並んでいる。ベッドは余り埋まっていない様子だ。

 アリィーが入り口に掛かっている呼び鈴を鳴らすと、直ぐに裾の長いローブを着た、妙齢の女“エルフ”が奥から出て来た。

 女“エルフ”は、アリィーに抱えられたルクシャナを見て、驚きの声を上げた。

「おや、ルクシャナじゃないか! どうしたんだい?」

「久し振りね、サーラ」

 ルクシャナは力無い声で言った。

「ふうむ、今日は“蛮人”の研究で来た訳じゃなさそうね」

 サーラの目が光った。ルクシャナが怪我をしていることに気付いたのであろう。

「2人を治療して欲しいんだ。金ならある」

 そう言って、アリィーはルクシャナをベッドに下ろした。

 才人も、隣のベッドにティファニアをソッと横たえさせる。

「傷を診せてみな」

 サーラは、ベッドに寝かされた2人の身体をつぶさに観察した。

「へえ、こっちの娘はハーフなのかい? こりゃあ珍しいね」

 と、ティファニアのことを、サーラはジロジロと眺めた。

 人間との交流のあるこの街でも、“ハーフエルフ”はやはり珍しいのである。

「なんだい、この可怪しな胸は?」

 サーラはティファニアの胸を、ツンと突いた。

「ひゃうっ……な、ないをするの?」

 と、グッタリとしていたティファニアが、小さく悲鳴を上げた。

「おや、この可怪しな胸を治療するんじゃないのかい?」

「ち、違うわ!」

 ティファニアは涙目になって、才人と俺の方を見た。

「サイト……セイヴァーさん……わ、私の胸、そんなに変かしら?」

「へ、変じゃねえよ。とても……ステキなおっぱいだと想います」

 才人は慌てて言った。

「そうだな。別に可怪しな所はない。ただ、他の女性陣と比べて少しばかり大きいだけだ」

「本当……?」

「ああ、本当だ。俺達が言うんだから、間違いねえ」

「でも、御医者様は、可怪しな胸だって……」

「お、可怪しな胸なんかじゃねえって。テファの胸は、世界に誇れるおっぱい、ナイスおっぱいだ!」

「ナイスおっぱい?」

「ああ、ナイスおっぱい」

「そう、ナイスおっぱい……」

 才人がグッと親指を立てると、ティファニアは少しばかり恥ずかしそうに俯いた。

「貴方達、なにやってるの?」

 そんな2人を、ルクシャナがジト目で睨む。

「ソッとしておこう」

 ルクシャナのマトモな反応に、俺は静かに言葉を返す。

 と、傷を診ていたサーラの目が、急に鋭くなった。

「この傷、ひょっとして、銃弾かい?」

「…………」

 ルクシャナは当然口を噤んだ。

「なにがあった?」

「訊かないでおいてくれると嬉しいわ」

 ルクシャナが苦笑いを浮かべると、サーラは呆れたように呟いた。

「全く、あんたって娘は……」

 それから、薬草の置かれた棚の方へ歩き、サーラはテキパキと準備を始める。

「俺もなにか手伝うよ」

 才人が声を掛けると、「あんたは医者か? それとも“メイジ”かい?」とサーラは振り向いて才人をジロリと睨んだ。

「違うけど……」

「じゃあ、できることはなんもないよよ」

「“精霊の力”を借りる“儀式”をするんだ。僕達は邪魔なだけだ」

 アリィーが才人の肩に手を乗せた。

「私は大丈夫よ、サイト。セイヴァーさんと一緒に外で待っていて」

「……理解ったよ」

 ティファニアにも促され、才人は仕方なくといった様子で施療院の外に出た。

 入り口の前では、ファーティマが壁にもたれかかったままの姿勢で眠っている。

「僕は今晩の宿を探して来る。おまえ達はここでそいつを見張ってろ」

 アリィーは一方的にそう告げると、サッサと通りの方へと消えてしまった。

 

 

 

「見張ってろ、って言われてもなあ……」

 才人は、(入り口前に寝かせたままは不味いな)と想い、眠ったままのファーティマを抱き抱え、広場にある長椅子(ベンチ)の上に寝かせた。

 俺は、手荷物を“レビテーション”で浮かせて移動し、才人の隣へと座る。

「……罪のない顔しやがって」

 穏やかな寝顔を間近で見ていると、本当にティファニアに良く似ていることが判る。一族の中でも、2人は特に近い親類なのである。

 だが、顔は似ていても、2人には一箇所だけ大きく違う所があった。

 その大きく違う所を見て、才人はルイズのことを頭に想い浮かべた。

「ルイズ……」

 才人は、(なんだか、ルイズの可愛らしく小さな胸が……御主人様のちっぱいが懐かしい。なにせ、ここの所ずっと、テファの胸ばかり見てたもんなあ……なんと言うか、俺の中のスケール感が可怪しくなってる気がするんだ。ルイズ、待ってろよ。絶対に戻ってやるからな……)と想った。

 眼の前の広場では、“ハルケギニア”から来た商人と“エルフ”達が盛んに売り買いの言葉を交している。

 その雑多で猥雑な雰囲気は、才人が子供の頃に連れて行って貰った、“アメ横”を想起させる。

 才人は、長椅子に手を掛け、(ここじゃ、“エルフ”と人間は仲良く暮らしてるんだ……だったら、他の場所でも、同じことができるんじゃないのか……?)と考えた。それから、異国の空を見上げ、(“ハルケギニア”の空も、きっと同じ空だ。“地球”の空は、どうだろう……?)と遠い故郷に想いを馳せた。

「なあ、相棒」

「ん?」

「なんか、“エルフ”の嬢ちゃん、起きたみてえだぞ」

 才人はハッとした。

 同時、隣で寝ていたファーティマがパチッと目を開き、「“悪魔”の末裔共め、死ぬが良い!」、と脇に置いてあるデルフリンガーを掴み、才人へと斬り掛かった。

「おわっ!?」

 才人は長椅子から跳び上がり、間一髪のところ、その一閃を躱した。

 だが、ファーティマは再び剣を振り被り、猛然と才人へと斬り掛かった。

「相棒、すまねえ、避けてくれ!」

「理解ってるよ!」

 “ガンダールヴ”や“シールダー”の力がなくとも、才人にはアニエス直伝の喧嘩体術があった。ヒラリと身を躱すと、デルフリンガーを振り下ろしたファーティマの手首を素早く捻り上げた。

「くっ、は、離せっ……!」

 ファーティマは恨めし気に才人を睨んだ。どうやら、眠ったふりをして、才人を襲う隙を窺っていたのであろう。

「このっ!」

 才人がデルフリンガーを取り上げると、次にファーティマは徒手空拳で掴み掛かった。

 流石に軍人であることもあって格闘の心得はあるのだろうが、“武器”を手にした“ガンダールヴ”の敵ではない。

 才人は簡単に配い、あっと言う間に組み伏せてみせた。

「くっ……千載一遇の機会を……!」

 ファーティマは悔しそうに唸った。

「こんな所で暴れるなって」

 ファーティマを地面に押さえ付けたまま、才人は言った。

 広場の“エルフ”達が、才人の方をジロジロと眺めている。

「えっと、気にしないでください……」

 才人は一先ずファーティマを解放し、パーカーの誇りをパンパンと払った。

 ファーティマは、流石に“武器”を持った才人には敵わぬということを理解し、抵抗を諦めた様子を見せる。そして、ふと気付いたように周囲を見渡し、問うた。

「おい、ここはどこだ……?」

「“エウネメス”って街だ」

 才人は言った。

「“エウネメス”だと!?」

 途端、ファーティマは苦い顔になった。

「まさか……2度と戻るまいと想っていたのに……」

「2度と?」

 と、才人がその言葉を訊き咎めようとした、その時である。

 ぎゅるぅ~~~~と、なんとも間抜けな音が響き渡った。

「おまえ、御腹空いてたのかよ」

 才人は言った。

 先程のファーティマの動きは軍人でありながらも力がなく、空腹であったがために力が出なかったのであろうと推測することができた。

「と、違う……今のは、違う!」

 ファーティマは顔を真赤にして怒鳴った。

「へー」

「違うと言ってるだろう!」

「ほー」

 ニンマリと意地悪な表情を、才人は浮かべた。

 がしかし……実の所腹が減っているのは、才人も一緒であった。なにしろ、砂漠を歩いている間は、ほんの少しの水しか口にしていなかったのだから。

 街の広場には、食べ物の店は山程ある。

 だが、1つだけ問題があった。

 “エルフ”であるアリィーやルクシャナ達に攫われてから、才人はずっと無一文であるのだ。金を持っているアリィーもいない。そおそも、アリィーに金を借りることに、才人は強い抵抗があった。

 と、そのような才人の考えていることを察したのだろう、「相棒、金を稼ぐ方法ならあるよ」、とデルフリンガーが言った。

「ホントか、デルフ?」

「おうよ。1番大きな通りを見てみな」

 才人は、広場から見える大通りに目をやった。

 通りの中央に、なんだか大勢の人集りができているのが見える。良く見れば、なにやら“ハルケギニア”から来たと思しき旅の学芸師達が、ナイフ投げなどを披露しているようである。

 正直、それほど大した芸ではないのだが、“エルフ”達からの評判は良い。

 根っからの御調子者である才人は、(あれなら、俺の方が上手くできるんじゃねえか?)と想った。

「良し、あそこの通りでやってみるか」

 才人はファーティマの方を振り向いた。

「おまえも手伝えよ」

「誰が貴様などの手伝いをするものか」

 ファーティマは吐き捨てるように言った、その瞬間。

 ぎゅぅる~~~~、とまた大きな音が鳴る。

「くっ、ち、違う……!」

「ほら、そんなんじゃ、俺達を殺すこともできないだろ?」

 才人は足元の小石を幾つか拾うと、ファーティマに押し付けた。

「なんだ?」

「俺にその石を投げるだけで良いからさ」

「ふざけるな!」

 ファーティマは、両手に抱えた石を投げ捨てようとして……ふと、なにかを想い付いた様子を見せた。

「ふん、まあ、良いだろう」

 不敵な笑みを浮かべると、道に落ちた石を熱心に拾い始めた。

 

 

 

 通りの中央に立った才人は、デルフリンガーを振り被って大声を上げた。

「さあさあ、皆様方! これより異国の剣舞を御覧に入れますよ!」

 道を歩く“エルフ”や“ハルケギニア”の商人達が、なんだなんだ? と立ち止まる。

 やがて小さな人集りができると、才人はデルフリンガーを手に跳び回った。

「やっ! はっ! とりゃあ!」

 パチパチと疎らではあるが拍手が起こる……だが当然、この程度では、大して受けることはない。

「今のはほんの小手調べ」

 才人は、コホンと咳払いをすると、ファーティマにヒョイヒョイと合図を送った。

 ファーティマの澄んだ碧眼が、才人を睨む。

「死ね、“悪魔”め!」

 ヒュンッ、とファーティマは、才人の顔目掛け、本気で石を投げた。

「おわっ!」

 だが、才人は“ガンダールヴ”であり、また、“サーヴァント”としての力も持つ。ひょいと身を撚ると、デルフリンガーを一閃し、小石を叩き斬ってみせた。

 これには流石に、周囲の観客から大きな拍手が上がる。“エルフ”の子供達が目を輝かせた。

 才人は、ふう、と額の汗を拭った。

 “エルフ”は娯楽の沸点が凄く低いのである。“ハルケギニア”よりも娯楽が少なく、そういう種族なのである。

「くっ、万全の体調であれば、貴様など……」

 才人の抹殺に失敗したファーティマが、悔しそうに呟く。

「おまえ……殺す気かよ?」

「おう、次はこれも斬ってみてくれよ!」

 出店で果物を売っていた親父が、大きな椰子の実を投げた。

 両手で受け止めたファーティマの唇に、小さな笑みが浮かんだ。椰子の実を抱えたまま、ブツブツと小声でなにかを呟き始める……。

「相棒、ヤバイ」

「なにが?」

「ありゃあ、“先住魔法”だ」

「げっ!」

 ファーティマの周囲に、轟々と強烈な風が渦巻く。

「遍く“風”の“精霊”よ、我が仇敵を打ち砕き給え!」

 瞬間、猛烈な風をまとった椰子の実が、弾丸のようなスピードで才人へと向かって飛んだ。しかも、高速でスピンしているために、当たってしまえば、ただでは済まないであろう。

「お、おおおおおっ!」

 才人は軽く深呼吸をしてデルフリンガーを振り抜いた。

 スパーンと乾いた音がして、真っ二つになった椰子の実は明後日の方へと飛んで行く。

 弾けた汁が、才人の顔をビショビショに濡らした。

「ガ、“ガンダールヴ”、舐めんなよ……」

 才人は震える声で言った。

「危なかったね、相棒」

「おのれ、なんて奴だ……」

 ファーティマは悔しそうに地団駄を踏んでいる。

「すげーぞ、あの兄ちゃん、“エルフ”の“魔法”に勝ちやがった!」

「こんな凄い剣士は見たことがないぞ!」

 やがて周囲の人集りから、盛大な拍手が沸き起こり、金やら果物やらが次々と投げ込まれる。

「でも、“伝説の使い魔”の力を大道芸に使うなんて、ちょっとブリミルさんに悪いな」

 才人がそう言うと、デルフリンガーは懐かしそうに呟いた。

「いやいや、サーシャもブリミルも、昔は似たようなことやってたもんさ」

 

 

 

 投げ込まれた御捻りを集めると、才人はまた、俺が荷物番をしている広場に戻って来て、長椅子へと腰掛けた。

「結構儲かたな……お、銀貨もある」

 長い葉っぱのような形をした“エルフ”の通貨に、“トリステイン”で使われている“ドニエ硬貨”も沢山ある。果物の中には、才人がこれまで見たこともないような、奇妙な形のモノも幾つか見受けられた。

「これ、どうやって食べるんだろ?」

 潰れたアンモナイトのような形の果物を見て、才人は首を捻った。

 取り敢えず、と才人は齧ってみるが……当然、硬くて歯が立たない。

「それは皮だ。馬鹿か」

 ファーティマが冷たく言った。

「おまえも食えよ。ちゃんと働いたんだから」

「ふん、“蛮人”の施しなど要らん」

「あっそ」

 才人は素っ気なく言うと、硬い皮を剥ぎ取り、その果物を食べ始めた。

 シャリシャリとしたスポンジのような食感であり、水分が少ない上に、大して甘くもなく、御世辞にも美味しいとはいえない食べ物である。

 それでも才人は我慢して、然も美味そうに食べるところをファーティマに見せ付けた。

「美味え! こんな美味いもん、食ったことねえよ、なあデルフ! セイヴァー!」

「良かったね、相棒」

「ああ、一仕事終えた後であれば、嘸かし美味いだろうな」

「ふん、私の一族は、パンさえも満足に売って貰えなかった。だが、“エルフ”の誇りはあった。こんな物乞いのような真似だけは絶対にしなかった……」

 ファーティマはゴクリと唾を呑み込み、外方を向いた。あくまで、意地を張り通すつもりのようである。

「ああ、そうかよ。じゃあ、俺等が全部食っちまうからな」

 才人はムキになって、果物を手当たり次第にガツガツと食べ始めた。

 ファーティマは、しばらく、外方を向いていたままだったが……。

「くっ……寄越せ、“蛮人”!」

 とうとう我慢の限界が来たのであろう。ファーティマは、才人の手から果物を奪い取ると、貪るように食べ始める。余程腹が減っていたのであろう、軍服が汚れるのも御構いなしといった様子でむしゃぶりついた。

 やがて、御腹一杯になると、才人はふう、と息を吐いた。

 陽は落ち掛かり、夕暮れ時が近付いているが、広場は増々賑わっていくようである。

「良い街だな。なんだか活気があって」

 才人は言った。

 “エルフ”の首都“アディール”は、物凄く立派な都市ではあったが、取り澄ました感じがあり、余り好印象を抱くことができなかった。

 才人も俺も、どちらかというとこういった街の方が好みなのである。

「ふん……“エルフ”の誇りを忘れた者達が集う、不愉快な街だ」

 ファーティマは、吐き捨てるように呟いた。

「なあ、おまえ……ひょっとして、ここに住んでたことがあるのか?」

 才人は、先程ファーティマが「2度と戻るまいと想っていたのに」と口にしたことを想い出し、尋ねた。

「…………」

 わずかな間があった。

 それから、ファーティマは独り言ちるように言った。

「昔のことだ」

 てっきり無視されるとばかり想っていたのであろう、才人は少しばかり驚いた様子を見せる。

「シャジャルの罪を背負い、部族を追放された私の一族は、長く砂漠を彷徨った末に、古来より流刑の地とされる、この街に辿り着いたのだ」

 ファーティマは震える声で言った。

「そして、一族のほとんどは、この街に留まることを選んだ。流刑民の街と蔑まれ、“蛮人”共におもねりながら生きるこの街に……だが、私は違う。私はエスマイール様に見出され、この街を捨てたのだ」

 エスマイール。

「でも、あいつ等、おまえごと俺達の船を沈めようとしたんだぜ。そんな奴のこと、信じるのかよ?」

「なに?」

 ファーティマが眉を顰める。

 “エルフ”の水軍からの攻撃を受けていた時、ファーティマはアリィーの“魔法”で眠らされていたために知らないのである。

「嘘を吐くな、そんなはずはない」

「ホントだって。だから俺達、船を捨てて逃げて来たんだよ。そのエスマイールって奴さ、たぶん、おまえのこと都合良く利用してるだけだと想う……」

「違う! 例えそれが事実だとしても、エスマイール様は、私がおまえ達と一緒にいることを知らなかったのだ!」

 才人は、(いや、それはないんじゃないか……)と想ったが、口を噤んだ。

「なるほど。確かに、エスマイールは、おまえが俺達と一緒にいたことを知らなかったのかもしれない。いや、知っていたとしても、“悪魔”である俺達への対処を優先したのかもしれぬな」

「そうだ! “悪魔”は殺す。エスマイール様はなにも間違ったことはしていない!」

 俺の言葉に、ファーティマは強く真っ直ぐな瞳で言った。

 ティファニアと同じ紺碧の瞳は、どこまでも真っ直ぐに、そのエスマイールを信じ切っている。

 ファーティマは、子供の頃から迫害され、何度も酷い目に遭い続けて来たのである。その結果、ただただ憎しみなどの心だけを、ずっと育てて来てしまうことになってしまったのであろう。

 才人は、そのことに気付き、ファーティマのことがなんだか可哀想に想えて来た。もちろん、ティファニアにしたことを赦しはしないのだが。

 才人は目を瞑り、ううん、と腕組みをした。そして、俺へと目配せをする。

 俺が首肯いたのを確認すると、才人は、先程稼いだ金の入った袋を、そっくりファーティマに押し付けた。

「なんのつもりだ?」

 ファーティマは怪訝そうな顔をした。

「行けよ」

「なに?」

「早く行けって。アリィーが戻って来ると面倒だからさ」

 ファーティマの顔が怒りに染まった。

「おのれ“悪魔”が、この私に情けを掛けようというのか!?」

「ちげーよ。単なる厄介払いだっつーの。正直、おまえをずっと見張ってるの面倒くせーのよ。油断したら直ぐに殺しに掛かって来るしさ。そんな訳で、じゃあな」

 才人は長椅子から立ち上がると、ヒラヒラと歩き出す。

 俺は、才人のその後ろを歩いた。

「貴様等、後悔するぞ……」

 ファーティマは唸るように言った。

 才人はピタッと足を止め、「ただし、またテファを狙うようなことがあったら、今度は赦さねえ」と振り返って睨みながら言うと、ファーティマはビクッと竦み上がった。

「甘いね、相棒、セイヴァー」

「かもな」

 才人は肩を竦めて言った。

 

 

 

 それから、才人はまた通りで大道芸を披露して、小金を稼いだ。

「なあデルフ、俺達大道芸の才能あるんじゃないか? これで食べて行けるよ」

「どうだろうな。“エルフ”の連中は、普段から娯楽に飢えてるからね。大体、相棒はもう立派な領主様じゃねーか。あくせく働かなくたって、食うには困らんよ」

「それはそうなんだろうけどさ」

 この世界の“貴族”と呼ばれる者達は基本、大して働きもせずに良い暮らしをしているように見える。

 だが、問題なのは、才人が“地球”に帰った時のことである。やはり、今のうちに、(手に職付けておいた方が良いんじゃないだろうか……?)とついついそんなことを才人は考えてしまうのであった。

 才人と俺が“ハルケギニア”の世界に“召喚”されてから、もう1年半近くも経つ。

 “地球”と“ハルケギニア”の時間の流れは少しばかり違うが、ほぼ同じであるといえるだろう。すると、今頃“日本”では進路指導などの時期である。

 才人は、(と言うか、受験勉強とか全然してないけど、大丈夫なんだろうか……?)と異世界の異国の地で、遠い故郷の事を懐かしく想っていると、「おお、やっぱり、見間違えじゃねえ! “トリステイン”と“アルビオン”の“大英雄”様だ!」とどこからか大声が聞こ得て来た。

 振り向くと、通りの向こうから、重そうな荷物を担いだ男が走って来た。

 “エルフ”ではない、商人の格好をした50絡みの親父である。

「いやいや、こんな所で出逢うとは、全く奇遇ですな!」

「そうだな。本当に奇遇だ」

「誰……?」

 商人の親父が驚き、俺が首肯く中、才人は首を傾げながらデルフリンガーの柄を握った。“エルフ”ではないが、油断はできない、といった様子である。才人は以前、“貴族”が雇った刺客に命を狙われたことがあるのだから。だが同時に、見覚えがあるその顔を前に、才人は想い出そうと頭を捻った。

 生前――“前世”での俺であれば、記憶力が悪かったために、見覚えすらもないと感じてしまっていただろう。が、今の俺は記憶力が良く、しっかりと覚えていた。

「ええっ、旦那、もしかして、あっしを御忘れになっちまったんですかい?」

 親父はショックを受けた様に言った。

「えっと、御免為さい」

「嗚呼、之だから“貴族”様ってのは……ほら、あっしでさあ、“トリステイン”の“ブルドンネ街”で、あの御喋りな剣を売った」

「ああっ、あの武器屋の親父さん!」

 才人はようやく想い出した。

 その親父は、デルフリンガーを買った店の店主で在る。

「おうおう、御喋りな剣で悪かったな、このぼんくら店主!」

 デルフリンガーが文句を言った。

「お、な、なんだおまえ! ひょっとして、あの御喋り剣なのか? でも、あん時売ったのとは形が違うじゃねーか」

「煩え、こちとら色々あったんでい!」

 親父は才人が手にしたデルフリンガーを、ジロジロと眺めた。

「旦那、そんな喧しい御喋り剣で良いんですかい? なんだったら、もっと旦那に相応しい剣を格安で御譲りしますぜ?」

「おう、喧しい御喋り剣で悪かったな!」

 デルフリンガーが怒った。

「いや、こいつは物凄い掘り出し物だったよ。何度も命を救われたんだ」

 才人はデルフリンガーの柄をポンと叩き、首を横に振った。

「へえ、そうですかい。まあ、旦那がそう言うなら……なんたって、旦那方は110.000の軍を止めた“トリステイン”と“アルビオン”両国の“英雄”、“シュヴァリエ・ド・ヒラガ”様と、セイヴァー様ですからな。あん時は、家の剣を買った“平民”が“英雄”になったって、街の皆に自慢したもんでさあ」

 親父は揉み手をしながら言った。

「ところで、なんで親父さんがここに?」

「“聖地回復連合軍”に着いて来たんでさあ。なんと言っても、てめえでもは武器を商っておりますからな。“エルフ”と戦争が起きれば、商売のチャンスってことで、へえ」

「“聖地回復連合軍”だって?」

 才人は驚いて訊き返した。

「おや、旦那方は御存知ないんですかね? つい先日、“ロマリア”の教皇様が中心になって組織されたでさあ、いよいよ“聖地”を取り戻す準備ができたとかで、へえ」

「悪い、もっと詳しく聴かせてくれ」

「へえ、構いませんが、あっしも詳しい内情までは知りませんぜ」

 “ロマリア”による“聖地回復連合軍”が組織されたのは、才人達がアリィー達に誘拐されてから、数日後のことである。教皇であるヴィットーリオは、それはもう鮮やかな手並みで“ハルケギニア”諸国を纏め上げ、“砂漠(サハラ)”への侵攻を開始したという。

「俺達が捕まってる間に、そんなことになってたのかよ……」

 才人は呆然として言った。そして、(あの教皇、とうとうやりやがったんだ……俺達を取り戻すために、軍を動かしたのか? ……いや、きっと最初から準備を進めていたに違いない)と考えた。

「それで、“ハルケギニア”の軍隊は今どこに?」

「“アーハンブラ”に宿営地を設けたと聞きました、へえ」

 “アーハンブラ”、

 才人はその街の名前に心当たりがあった。タバサ母娘が幽閉されていた、砂漠の国境沿いの街である。

 そのことから、もう直ぐそこまで迫って来ていることが推測できる。

「ここも戦場になるのか?」

「それはないでしょう。戦略上、そう重要な場所って訳でもありませんしね」

 この街が戦火に巻き込まれ心配はないと判断し、才人は一先ず安堵した。と、そこで、あることに気付く。

「なあ、もしかして、姫様……アンリエッタ様も近くに来てるのか?」

「へえ、“トリステイン”軍の先頭で、指揮を執っておられるという噂でさあ」

「本当に?」

 アンリエッタが近くに来ている、ということは、才人にとって願ってもない朗報で在るといえるだろう。

 また、ヴィットーリオが本気で“聖地”を奪うつもりであるのならば、当然、“虚無の担い手”であるルイズ達も連れて来ているはずである、と。

 才人は、(俺、もう直ぐルイズに逢えるのか……!)、と“愛”する御主人様――“愛”する恋人、のことを考え、それだけで胸が一杯になり、涙を溢れさせ、流した。

「あ。あの。御願いがあるんですけど!」

「お、おお、あっしにできることなら、なんでも」

 詰め寄る才人に、親父は当然少し困惑気味に首肯いた。

「アンリエッタ女王に、俺達がここにいることを伝えてくれませんか?」

 

 

 

 さて、その頃……“エルフ”水軍の艦隊は、俺達が乗っていた“海竜船”を沈めた辺りの入江で、大規模な捜索を続けていた。

 艦隊の中でも一際巨大な“鯨竜艦”の甲板に、水中に潜っていた水兵達が上がって来る。

「どうだ、“悪魔”と裏切り者の死体は見付かったか?」

 上級将校の服に身を包んだ、ギラギラした目の“エルフ”が口を開いた。

 “鉄血団結党”の最高権力者、エスマイールである。“竜の巣”での抹殺任務失敗の報告を受けたエスマイールは、“アディール”の海軍司令部から、自前の艦隊を率いてここまでやって来たのである。

「はっ、“悪魔”共の船は、我が軍の水雷攻撃のよって大破しておりました!」

 水兵の1人が、“鉄血団結党”式の敬礼を取りながら報告した。

「それで、死体はあったのか?」

「そ、それが……」

「どうした? 私はおまえに、死体はあったのかと尋ねているのだ」

 エスマイールの眼光に射抜かれ、水兵は震える声で報告した。

「それが、船の中は蛻の殻でした!」

「……ふむ、そうか」

 エスマイールは静かに首肯くと、「御苦労であったな、しばし身体を休めるが良い、同志達よ」と水兵達に労いの言葉を掛け、艦隊司令室のある船室へと足を向けた。

 水兵達の間に安堵の空気が流れた。

「上機嫌ですな、同志エスマイール。“悪魔”を取り逃がしたというのに」

 と、水軍将校の1人が声を掛けた。艦隊副司令官のサルカン提督である。ヒトの海賊船を何隻も沈めて来た、歴戦の古強者である。

「“悪魔”の末裔だ。あの程度では死なんだろうとは想っていたさ」

 エスマイールは唇の端に笑みを浮かべた。

「脱出した“悪魔”共は、どこに向かうと想う?」

「“エウネメス”……あの流刑民の街でしょうな、恐らく」

 サルカンは顎髭に手を当てて言った。

「そう、生きてるとすれば、あの街に向かう筈はずだ」

「直ぐに追手を差し向けましょう」

「その必要はない」

「と言いますと?」

「“蛮人”の軍隊が、“サハラ”の国境付近に迫っているそうだな」

「は……」

 唐突に話題を変えられ、サルカンは戸惑った。それから、(“蛮人”の大軍勢がこの“砂漠(サハラ)”に攻め込もうとしている今、最早“悪魔”を追っている場合ではないということか……?)と考えた。

「“蛮人”共に、アレ、の威力を見せ付ける、好い機会ではないか」

 エスマイールはニヤリと笑った。

「実験にちょうど良いと想わんかね、あの“流刑民の街(エウネメス)”は?」

「同志エスマイール、まさか、あの街に“火石”を使われるおつもりですか?」

 豪胆なサルカンも、流石に冷や汗を浮かべた。

 ヒトの国の内乱で、“火石”が使用され、艦隊を一瞬で焼き尽くしたという報告は、当然、首都“アディール”にも届いているのである。

 その報告を聴いたエスマイールは、部下達に命じ、密かに“火石”を爆発させるための研究を進めさせていたのである。

「なにか問題があるかね?」

 エスマイールは、ゾッとするほど温度の低い声で言った。

「確かに名案ですな。しかし、あの街には”エルフ”も住んでおりますが?」

「それもちょうど良い。“エルフ”の誇りを捨て、“蛮人”と取引するゴミ共だ」

「なるほど、それもそうですな」

 サルカンは同意した。

 ヒトの絶滅と“エルフ”の純血主義を掲げる“鉄血団結党”にとって、ヒトとの交易を続けるあの街は、ずっと目の上の痣瘤のようなモノであったのだ。

「そう言えば、“悪魔”共は、同志ファーティマを人質に取っているようですが」

「ファーティマ?」

 エスマイールは一瞬眉を顰め……ああ、とつまらなさそうに口にした。

「あれは任務に失敗したのだ。所詮は裏切り者の一族の出身。少しは見所があるかと想ったが、結局、使い物にならんかったな」

 エスマイールはマントをひるがえすと、甲板の水兵達に向かって大声で命じた。

「ありったけの“火石”を用意しろ。盛大な花火を打ち上げるぞ!」

 

 

 

(“火石”で街を吹き飛ばすだって? 冗談じゃないよ!)

 物陰に隠れ、話の一部始終を聴いていた“エルフ”の顔が青褪めた。

 先程、甲板でエスマイールに報告した水兵である。

 その顔がグニャリと歪み、たちまち美しい女の顔に変化する。相方に掛けて貰った“風”の“スクウェア・スペル”の“フェイス・チェンジ”の“魔法”である。

 その正体は、ヴィットーリオの依頼で才人とティファニア達を捜していた、“土くれのフーケ”である。数日前から、“エルフ”の水兵になりすまし、“鉄血団結党”に潜入していたのである。

 だが、あんな話を聴いてしまった以上、ここにいる場合ではない、とフーケは考えた。

 才人達は兎も角、もう1人の保護対象であるティファニアは、フーケにとって、実の妹の様な存在なのである。

(急いだ方が良さそうだね……)

 フーケは水軍の軍服を脱ぎ捨てた。すると、ピッタリした布地に包まれた、スラリとした肢体が現れる。

 フーケは海に飛び込むと、船を離れた泳ぎ始めた。



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6,000年の真実

 “ラド(9)”の月の“第一(フレイヤ)”の週、“第七曜日(オセル)”。

 “アーハンブラ”を出立した“聖地回復連合軍”は、“エルフ”の本拠地である“砂漠(サハラ)”へと進軍した。

 これまでの移動に比べ、その進軍速度は遅々としたモノであった。なにしろ、“ハルケギニア”の歴史上、かつてないほどの大軍での進軍なのである。

 街道の整備されていない砂漠では、補給線の構築も当然ままならず、灼熱の太陽の照り付ける日中の行軍は、兵士達の体力を容赦なく奪って行く。

 だが、そんな過酷な状況でも、士気の落ちる様子がほとんどないのは、これが“ハルケギニア”の内戦ではなく、神の導きといえる“聖戦”であるからに他ならなかった。

「歩みを止めてはなりません! “ハルケギニア”の未来のために、今こそ、心を1つにして、進軍するのです。前へ、前へ!」

 “ユニコーン”の背に跨り、純白の戦装束に身を包んだアンリエッタは、自ら軍の先頭に立ち、“軍杖”を掲げて兵士を鼓舞していた。

 アンリエッタが前線で指揮を執るとなれば、国内の“貴族”達も後方で踏ん反り返っている訳にはいかない。我先にと前へ出て、王室への忠誠をアピールするのである。

「近頃は、女王の風格が身に着いてきたようですな」

 宰相のマザリーニが、アンリエッタの隣に馬を並べて言った。

「それは皮肉ですか、枢機卿?」

「とんでも御座いません、私はただ、陛下の御成長を喜んでいるのですよ」

「勘違いなさらないで。私は、あくまで平和的解決を望んでいるのです」

 アンリエッタはピシャリと言った。

「もう2度と、あのような愚かな戦争はせぬと、“始祖”に誓ったのですから」

「もちろん、教皇もそのおつもりでしょう。この“聖地回復連合軍”も、“虚無”の“担い手”も、あくまで和平交渉のための重しなのですから」

「だと良いのですが……」

 馬上のアンリエッタは、密かに嘆息した。結局、“アーハンブラ”での会談では、ヴィットーリオの真意を汲み取ることができなかったのである。

 ヴィットーリオが“聖地”に関して、なにか大きな隠し事をしているということに対して、アンリエッタには確かな確信があった。しかし、現実的な問題として、“ハルケギニア”に“大陸隆起”という危機が迫っていることは、厳然たる事実なのである。例え“聖地”あるという“魔法装置”の話が虚偽であろうとも、一国の女王であるアンリエッタとしては、それに乗るしかないのであった。

 しかし、あくまで、ヴィットーリオが“エルフ”との“聖戦”を断交するつもりなのだとすれば、アンリエッタは単独で“エルフ”達と交渉する覚悟でいた。かつて、アニエスのみを伴って、あの“ガリア”王ジョゼフとの交渉に赴いたように……。

 こうして“聖戦”に積極的なように振る舞っているのも、アンリエッタができる“ロマリア”に対する細やかな偽装であった。もっとも、あのヴィットーリオは、見破っているのだが……。

 雲1つない青空を見上げ、ふと、大切な親友達のことがアンリエッタの頭に過った。

 アンリエッタは、(ルイズ、シオン、私は、貴女達が羨ましい。ルイズ、貴女は“愛”する恋人を追って、自由に飛んで行くことができる。私には、幼い頃から、そんな貴女にどれほど憧れ、羨んでいたことか。シオン、貴女は信じる道を真っ直ぐ進むことができる強さを持っているわ。私のようにクヨクヨすることなんてない。見せない。ルイズに対して想っていたのと同じように、貴女のことも羨ましい……もし、“トリステイン”の王女として生まれてこなかったら……あるいは……私もルイズのように、心のままに振る舞えたのかしら? シオンのように信じて真っ直ぐに進めたかしら? いいえ、私には、ただ勇気がないのだわ。なにもかも捨てて、心のままに“愛”する人の所へ飛んで行く……確かな未来を見据え、それに向けて着実に進んで行くだけの覚悟と行動力……そんな眩いばかりの勇気と行動力は、2人の魅力であり、私には真似のできないモノ。きっと、あの娘達の、ルイズのそんなところにも彼等は惹かれたのね……)と溜息を吐いた。

 見かねたマザリーニが、小声で囁く。

「女王陛下、兵の前ですぞ」

「理解って居おりますわ、枢機卿」

 アンリエッタが馬上で佇まいを正した、その時である。

 “トリステイン”軍のはるか前方より、1騎の騎馬が、砂煙を立てて疾走って来た。

 騎馬を駆っているのは、“銃士隊”隊長のアニエスである。

「女王陛下、急ぎの報告です!」

「アニエス、何事ですか?」

 アンリエッタは威厳を損なわぬよう、落ち着き払った様子で問うた。

「斥候に出ていた“竜騎士隊”の報告です。我が軍の前方に、巨大な“フネ”を発見したと」

「まさか、もう“エルフ”の艦隊が?」

 アンリエッタの表情が強張った。

「判りません。ただ、斥候の報告によれば、“フネ”は1隻であると……」

「1隻?」

 アンリエッタは額に手を翳し、良く晴れた空を見上げた。

 しばらくすると……遥か遠方に、豆粒のような船影が現れる。

 “フネ”は黒い煙を噴き上げながら、段々と高度を落として行く。近付くに連れ、それが、今にも墜落しそうなほどにボロボロの“フネ”であることが判る。

 その船影に、アンリエッタもアニエスも、見覚えがあった。

「陛下、まさかあれは!?」

「ルイズ、シオン……ルイズとシオンだわ、直ぐに全軍を止めて!」

 

 

 

 

 

「勝手なことをして申し訳ありません、姫様。処分は謹んで御受けいたします」

 ルイズは百合紋章のマントを脱ぐと、アンリエッタの前で跪いた。

 砂漠の真ん中に、急遽、設営された“王族”用の天幕内である。

 その天幕の中に、“ハルケギニア”各国の首脳が集まり、椅子に座ってルイズとシオンを取り囲んでいる。

 アンリエッタに、“ゲルマニア”皇帝アルブレヒト・デューラー3世、“ガリア”新女王となったばかりのジョゼット、そして、教皇ヴィットーリオとその傍らに付き従うジュリオ、“アルビオン”の代表として軍を率いていたホーキンス……彼女等は、“エルフ”の首都へと乗り込んだルイズとシオンの報告を聴くために集まったのである。

「アンリエッタ女王。ルイズ・フランソワーズ達は、私が無理矢理連れて行ったのです。これは外交問題になりますので、後程……」

「今は咎めません。いいえ、そもそも咎めるつもりも追求するつもりなども全くありません。貴方方は威力偵察を行ってくれたのですから。ルイズ、シオン……貴女達が無事で良かったわ」

 アンリエッタが先にルイズの、次いでシオンの背中に、順番に手を回し、3人は固い抱擁を交わし合った。

 それから、ルイズとシオンは一同の前で救出作戦の顛末を語った。

 “エルフ”の艦隊と交戦し、それを“虚無”で壊滅させたこと……本拠地である“カスバ”に突入したものの、結局、才人とティファニア達はおらず、既に脱出した後であったことを。

 ただし、テュリュークとビダーシャルのことは、まだ伏せて、だが。

「では、サイト殿とミス・ウエストウッド、セイヴァー殿の行方は、まだ判らないと」

 アンリエッタが尋ねると、ルイズは消沈した表情で、はい、と首肯いた。

「海路となると、捜索は難しそうですな」

 アルブレヒト3世が、指先で髭を摘みながら言った。

「“ロマリア”の軍艦を3隻、捜索に向かわせましょう」

「“トリステイン”も、専門の“竜騎士隊”を派遣しますわ」

「セイヴァーは、“アルビオン”の客将、そして私の“使い魔”です。我々“アルビオン”艦隊も、軍艦を1隻と“竜騎士隊”を派遣します」

 ヴィットーリオの言葉に、アンリエッタとシオンが素早く反応した。

 アンリエッタの鋭い眼差しに、(今度こそ、捜索の主導権を“ロマリア”に握られる訳にはいかない……)という決意が表れていた。

 ルイズは顔を上げると、ヴィットーリオに向き直った。そして、口を開く。

「教皇聖下、“聖地回復連合軍”を組織したということは、聖下は、“エルフ”と戦争をするおつもりなのでしょうか?」

「いいえ、そうではありません、ミス・ヴァリエール」

 ヴィットーリオは穏やかな表情の儘、首を横に振った。

「我々の目的は、あくまで“聖地”に眠る“魔法装置”です。それを手に入れることさえできれば、“エルフ”と争う必要はありません」

「では、戦争をつもりはないと?」

 ルイズは慎重に尋ねた。

「少なくとも、戦争を回避する努力は惜しまぬつもりです。しかし、それは相手次第ということになるでしょう」

「その言葉を聴いて安心しました」

 ルイズの言葉と同時に、シオンと2人笑顔を浮かべた。

「ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ、それはどういう意味ですか?」

「聖下に、御目に掛からせたい者がいるのです」

「ほう?」

 ヴィットーリオは興味深そうに呟いた。

「コルベール先生」

 と、ルイズは天幕の外を振り向き、声を掛ける。

 すると、緊張した表情のコルベールに案内されるようにして、フード姿の人物が2人、天幕の中へと入って来た。

「ルイズ、この方達は?」

 アンリエッタが困惑顔で尋ねる。

「無礼であろう。顔を見せぬか」

 アルブレヒト3世が、不機嫌そうな声で言った。

「やれやれ、いかにも“蛮人”らしい、不遜な物言いじゃのう……いいや、我々も同じ、大して変わらんか……」

「なんだと?」

 2人は冠っていたフードを跳ね上げた。

 その瞬間、天幕の中が騒然と成った。

 露になったのは、輝くような金髪と、湖面のように澄んだ碧眼。そして、樹木の様な、流線型の長い耳……。

「エ、“エルフ”……!」

 豪胆さで知られるアルブレヒト3世も、これには、口をあんぐりと開けて固まってしまった。

 最も早く動いたのは、教皇の傍らに控えるジュリオで在る。素早く剣を抜き、ヴィットーリオを守ろうとする。

「ジュリオ、大丈夫です。この方々からは敵意を感じられません」

 ヴィットーリオは穏やかな声で、ジュリオを制した。それから、ルイズとシオンの方に向き直る。

「ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ、貴方方は“エルフ”を捕虜にしたのですか?」

 2人は首を横に振った。

「捕虜ではありません。客人です」

「客人だと?」

 アルブレヒト3世が、2人の“エルフ”を睨み付けながら言った。

 だが、そのような敵意など物ともせず、テュリュークはヴィットーリオの前に進み出た。

「そなたが、“ロマリア”の教皇殿か?」

「はい、私が“ロマリア”教皇、聖エイジス32世です、“エルフ”の客人よ」

 “エルフ”を前にしてなお、ヴィットーリオは穏やかな表情を崩さないでいる。しかし、その澄んだ瞳には、確かな興味が浮かんでいるのが判るだろう。

「御初に御目に掛かりますな、儂は“エルフ”の統領テュリュークと申す者」

「統領……」

「この方は、“エルフ評議会”の最高権力者だ」

 と、ビダーシャルが言った。

 天幕の中は再び騒然となった。

 アルブレヒト3世は低く唸り、ジョゼットは目を見開く。アンリエッタは口元を押さえ、驚きの声を押し殺した。

 そんな中、ヴィットーリオだけが、落ち着き払った態度を見せる。

「“エルフ”の統領殿が、何故、私の元に?」

「和平交渉のためじゃ」

 テュリュークは簡潔に言った。

「和平交渉……」

 ヴィットーリオは、なにかを考え込むように、ジッと沈黙した。

 代わりに口を開いたのは、アルブレヒト3世である。

「“エルフ”と交渉だと? 馬鹿馬鹿しい。それよも、折角ここまで御越し頂いたのだ。捕えて人質にすれば、“エルフ”共を黙らせることができるだろう」

「それは最も愚かな選択だと想うぞ、人間の王よ」

「なに?」

「儂は血統による王ではなく、あくまで“評議会”によって選ばれた統領でしかない。人間の人質になったとなれば、“評議会”はまた次の統領を選ぶ。それだけのことじゃ。その次の統領が、儂よりも穏健派であることは、先ずないじゃろう。そして人間の王よ。1つ言って置くが、おまえ達は決して“エルフ”には勝てぬ」

 アルブレヒト3世は一瞬言葉に詰まり、「ぐぬ」、と唸った。だが、直ぐにニヤリと笑う。

「それはどうかな? 我々には、“始祖ブリミル”から賜りし、“虚無”の力がある」

「なるほど、おまえ達の使う“悪魔の業(虚無)”は、確かに恐ろしい」

 テュリュークはアッサリと認めた。

「しかし、切り札があるのは、こちらとて同じこと。主戦論者の“エルフ”共は、おまえ達の軍隊に“火石”を使うつもりらしいぞ」

「なんだと!?」

「なんですって!?」

 恐るべきことを聞いたアンリエッタの顔が、真っ青になった。

 ルイズも之は初耳だったので、目を見開く。

 “火石”の恐ろしさは、この場にいる誰もが良く識っている。あのジョゼフの使った“火石”は、たった1つで、“ガリア”の“両用艦隊”を焼き尽くしたのだから。

 そんな中、シオンだけが静かにしていた。

「よくも……よくも私達を“蛮人”などと呼べたものね! 貴方達の方が、余程蛮人ではありませんか!」

 アンリエッタが想わず、怒りの声を発した。

「貴方方は、あの“火石”がどれほど恐ろしいものか、識っているでしょうに!?」

「正確には、識るようになった、のだ、“トリステイン”の姫君よ」

 ビダーシャルが言った。

「我々“エルフ”はこの数千年間、あのような恐ろしい“火石”の使い方など、決して想い付くことはできなかった。まさに悪魔の発想だ」

 痛烈な皮肉を返され、アンリエッタは返す言葉もなく押し黙ってしまった。

「そうね……どっちもどっち」

「そこの“アルビオン”の姫君の言う通りじゃ。なんにせよ、おまえ達が“悪魔の業”を使い、“エルフ”が“火石”を使えば、双方共に多大な犠牲が出るじゃろう。そうなれば、この“サハラ”は荒れ果て、2度と住むことのできぬ土地になってしまう……“エルフ”の長として、儂はそれを喰い止めたいと想っておる。故に、こうして危険を冒してまで、交渉をしに来たのじゃよ」

「なるほど、貴男の御考えは理解りました、“エルフ”の統領殿。無駄な血を流したくないというのは、私も同じ考えです」

 ヴィットーリオは深く首肯いた。

「聖下、では……」

 ルイズがハッと顔を上げる。

「教皇殿、まさか、本気で“エルフ”と和平を結ぶおつもりか?」

 アルブレヒト3世が、抗議するように口を挟んだ。その顔には、(今更“ゲルマニア”本国の諸侯達をどう説得すれば良いのだ?)という不満がありありと表れている。

 アンリエッタはそんなアルブレヒト3世を鋭く睨んだ。

「ですが、和平には1つ、条件があります」

 と、ヴィットーリオは言った。

「ふむ、条件とは?」

「貴方方の“聖地”を、一時的にせよ、明け渡して貰わねばなりません。それが叶わぬとなれば、我々はどのような犠牲を払ってでも、“聖戦”を続けるでしょう」

「“エルフ”が6,000年の間守り続けて来た、“悪魔(シャイターン)の門”を、明け渡せと?」

「そう、それだけが、必要不可欠な条件です」

「…………」

 テュリュークは、この若き教皇の目を、ジッと見据えた。

 緊張が天幕を包む。

 ルイズは息を殺し、テュリュークの次の言葉を待った。

 そして、無限にも想える時間が流れた後……。

「1つ、御訊ねしてお宜しいかな?」

 テュリュークは漸く、口を開いた。

「どうぞ」

「そちらにいる“アルビオン”の女王も言っておったが、おまえ達の目的は、“エルフ”の住まう、この“砂漠(サハラ)”ではないのだな?」

 ヴィットーリオは即座に首肯いた。

「我々の目的はあくまで……“聖地”の向こうにあるモノです」

 テュリュークは、なにかを考え込むように、長い顎髭に手を当てた。

 ルイズとアンリエッタは、密かに顔を見合わせ、それからシオンへと目を向ける。

 シオンは、目を閉じ、静かにことの成り行きを見守る様子を見せる。

 この場にいるシオン以外の皆は、(“聖地”の向こうにあるモノ……それは、これまでの教皇の言葉を信じるならば、“ハルケギニア”の“大陸隆起”を止めるための、“魔法装置”のことだろう)と考えた。

 が、ルイズとアンリエッタは、なにか、引っ掛かるモノがあることに気付く。

「それは、どういう意味かのう?」

 すると、ヴィットーリオは立ち上がり、テュリュークに手を差し出した。

「貴方方に、是非御見せしたいモノがあるのです」

 

 

 

 さて、天幕の中で、“ハルケギニア”の命運を握る重大な話し合いが行われている、ちょうどその頃……ギーシュとマリコルヌは、砂丘に半ば突っ込むようにして不時着した“オストラント号”の前で、仲間達との想い掛けない再逢を果たしていた。

 才人とティファニア達が“エルフ”の国に攫われたと聞き、“聖地回復連合軍”に志願して参加した、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の隊員達である。

「全く、心配掛けやがって!」

「僕達にも一言も言わずに行く何て、あんまりじゃないか!」

「すまなかったね……なるべく迷惑を掛けたくなかったんだ」

 仲間達に小突かれ、ギーシュは頭を下げた。

 だが、誰も本気で怒っている者はいない。皆、本当に、純粋に心配していたのである。

 ギーシュは、(仲間って良いもんだなあ……)と涙ぐんだ。

「ほら、こいつも寂しがってたぜ」

 レイナールが、ヴェルダンデを抱えてやって来た。

 救出作戦には連れて行くには余りに危険過ぎると想い、シルフィード以外のそれぞれの“使い魔”達は“学院”に残して来たのである。

「おお、ヴェルダンデ、ごめんよよ……」

 再逢の喜びに、ギーシュは感極まって、ヴェルダンデを抱き締めた。

 ヴェルダンデは、モグモグと甘えるように、ギーシュの顔に鼻の頭を擦り付ける。

「ああ、クヴァーシル、元気にしてたかい?」

 マリコルヌの“使い魔”の梟であるクヴァーシルも、嬉しそうに主人であるマリコルヌの周りを飛び回る。

「モンモンの奴、おまえのことを心配して泣いてたんだぜ? 最後までずっと、俺達と一緒に着いて来るって利かなかったんだから」

 ギムリが言った。

「嗚呼、モンモランシー……」

 ギーシュは恋人の名前を呟き、また涙を溢れさせた。

 実際、“トリステイン”を出立してから、それほど日々が経過している訳ではない。

 が、“学院”を後にして“フネ”に乗り込んだのが、ギーシュにとっては、まるで年々も昔のことのように想えて来るのである。

 同時に、(サイトもティファニア嬢も、セイヴァーも、もっと心細いだろうな)とギーシュは想った。それから、ヴェッルダンデの毛布に顔を押し付けて、涙を拭った。

「ところで、才人達は無事だったのか?」

 と、ギムリが尋ねた。

 途端、ギーシュとマリコルヌの顔が曇った。

「…………」

 仲間達は察して、無言になった。

「待て待て、死んだ訳じゃないぞ」

 ギーシュは慌てて言った。

「あの“エルフ”っ娘と、セイヴァーと、無事に脱出したってさ」

「そうかぁ……良かった」

 マリコルヌの言葉に、一同は皆はほっと安堵の表情を浮かべる。

「まあ、俺達の副隊長殿は、簡単に死ぬような奴じゃないよな」

「そうとも、なんてたって、たったセイヴァーと一緒に2人だけで110,000の軍勢を止めた男だぜ」

 そんな軽口を叩きながら、うんうんと首肯き合う。

 すると、レイナールが眼鏡を押し上げて、うむむ、と唸った。

「無事なのは良かったが……それ、ちょっと不味くないか?」

「なにが不味いんだね?」

 と、ギーシュ。

「だって、今、サイトはティファニアとセイヴァーと3人だけってことだろう?」

「そうだね」

「詰まり、なにか間違いがあるかもしれない、ってことさ」

 レイナールの言葉に、一同は、なるほど、と強く首肯いた。

「いや、サイトはあれで一途な男だよ」

 ギーシュは親友の名誉のあめに言った。

 実際、才人はルイズ一筋である。それは間違いなどない。

 だが、そこでマリコルヌが口を挟んだ。

「もちろん、普段のサイトなら、そうだろうさ。でも、3人で、命賭けの逃避行をしてるんだぜ? 前にも言ったが、そんな極限状態ってのは、それはもう、男女の仲を物凄く深めちまうもんなのさ。セイヴァーはセイヴァーで、面白がって放置するだろうし。それに、おっぱいちゃんのあのおっぱいだ。実際、サイトは好い奴だが、かなりおっぱいに弱いところがあるのは否めない」

「うむむ……」

 と、ギーシュは、(確かに、我が身を振り返っても、想い当たる節もないではない……と言うか、あり過ぎる。おちろん、僕にとって、モンモランシーが一番の恋人であることに変わりはない。だが、時と場合とシチュエーションによっては、それはそれ、って気持ちになってしまうことだって、それはまあ、ある。それに、サイトが幾らルイズ一筋なのだとしても、ティファニア嬢の方はどうだろう? 案外、彼女の方が、サイトに恋心を抱き、距離を縮めに行く可能性だって、あるんじゃないだろうか……?)と想い、唸った。

 ギーシュがツラツラとそのようなことを考えていると、船体の4分の1ほどが砂に埋まった“オストラント号”のハッチから、作業着姿のエレオノールが出て来た。彼女は、“水蒸気機関”の修理をしていたのである。

 エレオノールは、マリコルヌを目敏く見付けると、鋭い声で叫んだ。

「ちょっと子豚。なにをしているの!? こっちを手伝いなさい!」

「は、はい、今直ぐに! 豚めが、この豚めが参ります!」

 マリコルヌは嬉しそうに叫ぶと、船の方へ真っ直ぐに走って行く。

 その様子を見て、レイナールは染み染みと呟いた。

「あいつ、なんか幸せそうだなあ」

 

 

 

「ミス・ヴァリエール、“エルフ”との和平交渉、成功すると良いですね」

「だと良いんだけど……そう簡単にはいかないみたいよ」

 紅茶を淹れながら話し掛けて来るシエスタに、ルイズは気のない返事を返した。

 あの天幕での謁見の後……ルイズはキャンプに戻って来たのである。

 ヴィットーリオは、テュリュークとビダーシャル、そしてシオンを連れて、砂丘に停泊する教皇専用の御召艦“聖マルコー号”に向かったのである。“エルフ”達とシオンに見せるものは、“ロマリア”の最高機密に関係するということで、アンリエッタもルイズも同行を許されなかったのである。シオンは、“サーヴァント“が”サーヴァント“で在るという理由もあり、許可されたのであった。

 ルイズは、(セイヴァーとシオン、“ロマリア”の秘密主義は相変わらずよね)と紅茶のカップに口を付けながら、小さく溜息を吐いた。

「話し合い、難航しそうですか?」

「“エルフ”も一枚岩じゃないみたい。中には戦争したがってる“エルフ”もいるって」

「はぁ、“エルフ”の国も、“ハルケギニア”とあんまり変わりませんねえ」

 シエスタは砂漠の空を見上げて言った。

「ま、なんにせよ、もう私達にできることもないですし、今はサイトさんとミス・ウエストウッド、セイヴァーさんの無事を信じて待ちましょう」

「そうね……」

 風に煽られ、舞い上がる砂煙を眺めながら、(シエスタの言う通り、今はこうして、ただ待つ事しかできないんだわ。居場所さえ判れば、直ぐにでも、サイトの元に飛んで行きたいのに……)とルイズはもどかしく想った。

 それから、(今頃、サイトはどこにいて、なにをしているのかしら? 私のことを考えてくれてるかしら? それとも……)、と風に吹かれ見る見るうちに変わり行く砂漠の風景を見ているうち、なんだか、センチメンタルな気持ちになってしまったルイズの脳裏に、ふと、ある不安が過った。“アディール”で“エルフ”の艦隊と戦う前、マリコルヌの言ったことを想い出したのである。

 極限状態では、男女の仲は深まりやすい……。

 ルイズは、(あの時は、まあ、“また他愛のない馬鹿話をしているわ。男の子ってホント馬鹿ね、愚か者ね。サイトが今さら私以外の女の子に心惹かれるはずなんて、そんなことある訳ないじゃない”、って想ってたけど……良く良く考えてみれば、ティファニアほどの魅力的な女の子と、まあセイヴァーもいるけど、異国の地で2人……なのよ……全く、ありえない話、とは言い切れないかもしれないわ)と考えた。

 ルイズは、コホンと咳払いをして、シエスタの方をチラッと見た。

「メイド、あんたに、ちょっと訊きたいことがあるわ」

「なんですか?」

 キョトン、と首を傾げるシエスタ。

「やっぱり、セイヴァーもいるけど……2人切りの逃避行で、その、男女の距離が縮まったりするモノかしら?」

「あら、心配なんですか? ミス・ヴァリエール?」

 シエスタはからかうように言った。

「そ、そそ、そういう訳じゃないわ! あ、あくまで、そういうこともあるのかしら? っていう、学術的な興味よ。だって、あいつってば、あたしに夢中だもん」

「まあ、そうですね」

 意外にも、シエスタはアッサリと認めた。

「でも、どうでしょうね? セイヴァーさんもいますけど、ずっと2人切りで、ミス・ウエストウッドのあの胸をずっと見せられたら、サイトさんも、可怪しくなっちゃうんじゃないですか?」

 ルイズは、ハッとした。

 ティファニアの胸は、男からすると途轍もない魔力を秘めた、ある種の魔法兵器とでもいえる代物である。あれほどの胸を四六時中見せ付けられているとすれば、正常な思考や判断力が失われる可能性だってある、といえなくもないのだから。

「あ、うう……でも、でも……」

 ルイズは否定し切れずに、口籠ってしまう。

「ミス・ヴァリエールは、もし、サイトさんとミス・ウエストウッドが、そういうことになっていたら、どうなさるおつもりなんですか?」

「え……?」

 突然、そのようなことを訊かれ、ルイズは言葉に詰まった。

 才人が、ティファニアの胸を揉んだり、顔を埋めていたりしたら……。

 もちろん、ノーである。少し前のルイズであれば、蹴っ飛ばした上に“爆発(エクスプロージョン)”の1発でも放っていたであろう。

 だが……。

「べ、別に、胸を揉むくらいは、許して上げるわ」

 ルイズは余裕たっぷりに、桃色のブロンドの髪を掻き上げてみせた。ルイズは、(なにしろ、サイトとは互いに裸を見せ合い、気持ちを確かめ合っているもの。胸を揉むくらい、まあ許して上げるわ。それが余裕のある大人の女ってもんよ)と想った。

「ふーん、じゃあ、キスはどうですか?」

「キス……」

 ルイズは、「ううう……」と唸った。才人が、ティファニアとキスしている姿を想像して……(駄目、やっぱ駄目)とルイズは想った。正直なところ、して欲しくないのである。そこは譲れない一線だ。だが……。

「い、良いわよ……ゆ、許す……わ……」

「ええっ? 許しちゃうんですか!?」

「もちろん駄目よ。基本的には駄目だけど……い、1度だけなら、赦すわ」

 ルイズはなおも余裕を見せた。

 才人が他の女の子にフラフラしたとしても、もう怒ら無いと決めたためである。ルイズは、(サイトが無事に戻って来て来れるのなら、キスくらいは、赦して上げる。ただし、1回よ、1回だけ)と想った。

「じゃあ、舌も?」

「あんたなに言ってんの?」

「舌は駄目なんですか?」

「駄目に決まってるでしょ」

 ルイズはキッパリと言った。

「ケチ」

「あ、あんたね……」

 ルイズは声を震わせた。

「じゃあ、こんなのは……赦しちゃうんですか?」

 シエスタは、ルイズの耳元でゴニョゴニョと囁いた。

「挟む?」

 ルイズは怪訝そうな顔をした。意味が理解らなかったのである。(このメイドってば、一体なにを言ってるのかしら……? 砂漠の暑さで、頭がちょっと、やられちゃった?)、と想った。

「挟むんです。それでもって、洗うんです」

「洗う?」

 シエスタはまた、ルイズの耳元でゴニョゴニョと囁いた。

 ようやくその意味を理解したルイズは、たちまち真っ赤になった。

「ば、馬鹿っ、あんた、変態じゃ成いの!?」

「本で読んだんですよ。今度貸して差し上げましょうか?」

「え、遠慮するわ……て言うか、そ、そそ、そんなの、無理よ。できる訳ないわ。あたし、“貴族”なのよ? ラ・ヴァリエール公爵家の3女様なのよ!」

「まあ、ミス・ヴァリエールには出来ませんよね、物理的に」

 シエスタは勝ち誇ったように、ふよん、と胸を寄せた。

「な、なによ、そんなの、私にだって……」

 ルイズはクヌッと胸の谷間を作ろうとした。

「あは、ミス・ヴァリエール。それ、私がいつも使ってる洗濯板にソックリですわ」

 ニコッと笑うシエスタに、ルイズは“杖”を手にして殴り掛かった。

 

 

 

 テュリュークとビダーシャル、そしてシオンは、ヴィットーリオに案内され、教皇専用の御召艦“聖マルコー号”の中を歩いていた。

 “フネ”の中に設けられた礼拝堂に、ヴィットーリオの見せたいモノが在ると云うので在る。

「“鉄血団結党”ですか。貴方方も、一枚岩ではないという訳ですね」

「ああ、おまえ達と同じじゃのう」

「全く、返す言葉もありません」

 ヴィットーリオは苦笑しつつ言った。

「1つになれるのはいつも、共通の敵が存在する時、という訳ですね」

「ふむ?」

 ヴィットーリオのその言葉になにか含むモノを感じて、テュリュークは眉を顰め、シオンは俯いた。

 通路を奥へと進むと、2人の“聖堂騎士”に守られた、大きな扉がある。

 ヴィットーリオは“聖堂騎士”を下がらせると、扉の中央にある宝石に手を翳した。

 すると。宝石が白く輝き、鍵の開く音がした。

「どうぞ、中へ」

 ヴィットーリオに促され、2人の“エルフ”と1人の女王が、礼拝堂に足を踏み入れる。

 中を見回したビダーシャルは、意外そうに眉を顰めた。

 “ロマリア”の教皇が使うにしては、かなり簡素な造りをした礼拝堂であるためである。

 1つだけある小窓から、細い陽光が射し込んでいる。銀の燭台に、小さな祭壇、そこに置かれた小さな円鏡と、然程目を引くモノは無ない。

「それで、我々に見せたいモノとは?」

 ビダーシャルが尋ねた。

 すると、ヴィットーリオは祭壇の上に置かれた円鏡に手を触れた。

「これは“始祖の円鏡”。“始祖ブリミル”の遺せし秘宝の1つです」

「“始祖の秘宝”……“担い手”に“虚無(悪魔の業)”をもたらすという、“魔道具(マジック・アイテム)”か」

 ビダーシャルは、かつてジョゼフの手にあった“始祖の香炉”を見たことがあった。

 見た目にはなんの変哲もないその道具が、あの悪魔のような存在へと変わってしまった男に力を授けたのである。

「その通りです。しかし、この円鏡は“虚無”を授けるだけではなく……常に“始祖”と共にあり、その人生を記録し続けて来たモノなのです」

 ヴィットーリオが“虚無”の“ルーン”を唱えると、“始祖の円鏡”は淡い輝きを放ち始めた。

 対象物に込められた強い記憶を脳裏に映し出す、“虚無”の“呪文”……“記録(リコード)”である。

「貴方方は、“聖地”の本当の正体を御存知ですか?」

「なにも知らぬ、と言うのが正直なところじゃ。ただ、6,000年前にあの地に現れた“悪魔”……ブリミルとやらが“大災厄”を引き起こし、“エルフ”の半数が犠牲になったと伝え聞いておる。それ故に、我々はあの場所を“悪魔(シャイターン)の門》”と呼んでおるのじゃよ」

「ミス・エルディは、どうでしょう?」

 ヴィットーリオからの確認するかのような質問に、シオンは一拍置いた後、口を開いた。

「知っています。6,000年前になにがあったのか……あの場所がどういった場所で、どう使うことができるのか……」

「では、今ここに、6,000年の真実を御目に掛けましょう」

「なに?」

 その瞬間、テュリューク達の脳裏に、見知らぬ景色が映し出された。

 荒れ果てた大地と……そこに立つ、2人の男女。裾の長いローブを纏った小柄な金髪の若者と、スラリとした容姿の美しい“エルフ”である。

「これは……」

「“始祖ブリミル”と初代“ガンダールヴ”のサーシャ。貴方方“エルフ”が“英雄アヌビス”と呼ぶ存在です」

「“ガンダールヴ”が、“エルフ”の“英雄”、“アヌビス”……やはり、そうであったか」

 ビダーシャルが呟く。

 左手に輝く“ルーン”を持つ、“エルフ”の“英雄”。

 ビダーシャルは以前より、“ガンダールヴ”と“アヌビス”の関係性に着目し、個人的に研究していたのである。

「しかし、“ガンダールヴ”と“アヌビス”が同一の存在であるとすれば、矛盾が生じる。“エルフ”の伝承には、“アヌビスは悪魔を殺した”とあるが」

「いえ、その伝承は正しいのです」

「まさか、“悪魔の守り手(ガンダールヴ)”が、おまえ達の神を殺したと言うのか?」

 ビダーシャルの問い掛けに、ヴィットーリオとシオンはただ沈黙で答えた。

 脳裏に映し出された映像の中で、ブリミルとサーシャは共に戦っている。そして、その中に、シオンとヴィットーリオ、そしてビダーシャルの見知った顔も……だが、その頭には、大きな角があった。

 その相手は、“エルフ”でも、“オーク鬼”や“コボルド”などの“亜人”でもなく、“ヴァリヤーグ”と呼ばれる、ヒトに良く似た種族であった。だが、その時代のヒトとは違い、彼等“ヴァリヤーグ”達は、金属の武具で武装している。

 軈て、月日が経ち……ブリミルの軍勢は、次第に仲間を増やして行った。その中には、“ハルケギニア”のヒト達も、“エルフ”もいる。ブリミルが率いる軍勢は、やがて子をなして増え、至る所に街を造り始めた。“エルフ”達とヒト達は、上手く共存しているように見えた……。

 だが、次の瞬間、画面が変わった。

 広大な“砂漠(サハラ)”の風景、ブリミルがなにか“魔法”を唱えている。

 サーシャは其の足元で苦悶の表情を浮かべながら、うずくまっている。

 ブリミルとサーシャからかなり離れた場所に、シオンの“使い魔”である存在の別側面が……。

 “呪文”が完成した。

 ブリミルが“杖”を振り下ろすと、眩く白い閃光が満ち溢れ、砂漠に築かれた“エルフ”の都市が、一瞬で灰燼と化した。

 テュリュークとビダーシャルは、その恐ろしい光景を、食い入るように見詰めた。

 シオンは、静かに見守って居る。映し出される映像の中の3人を、優しく。

 ブリミルの顔には、なの表情も伺えなかった。ただ、その目には、底知れない、“虚無”が映り込んでいる。それほどの状態になるまでのなにかがあったことが窺い知れる。

 そのブリミルの胸に、サーシャがユックリと剣を突き立てる……。

 “始祖の円鏡”はそこで光を失い、同時に、脳裏に映し出された光景も消え去った。

「……之が、6,000年前の“大災厄”の真実という訳か」

 ビダーシャルが呆然として言った。

「なんという……なんという悲劇じゃ」

 テュリュークが掠れた声で呟く。

 同時に、ビダーシャルとテュリュークは、これを見せたヴィットーリオの意図を理解した。

 “ハルケギニア”の人間達が神と崇める“始祖ブリミル”が、どこからやって来たのか、本当はないと戦っていたのか、そして、その子孫である“ハルケギニア”の人間達にどんな使命を遺したのか……それを示唆したかったのであろう。

「これで、御理解頂けたでしょうか? 私達の真の目的が、貴方達の住まう“砂漠(サハラ)”などではないということが」

「なるほど。おまえ達の取り戻すべき“聖地”というのは、詰まり……」

「御察しの通りです、“エルフ”の統領殿」

 ヴィットーリオは、その先を敢えて口には為無かった。

 テュリュークは、ヴィットーリオの澄んだ湖面のような目を見据えた。

 一片の私欲もない、どこまでも純粋な信念を湛えた目である。ある意味で、“鉄血団結党”の党員達の燃えるような目よりも、危うい狂気を孕んだ目であるといえるだろう。

 テュリュークは、(決して信頼はできぬ。だが、その言葉を信用することができる)といかにも“エルフ”らしい、合理的な判断で、そう結論を導き出した。それから、シオンへと目を向ける。

 シオンもまた、テュリュークと向き直る。

 それからテュリュークは、この若き教皇に手を差し出した。

「良かろう。教皇殿の言葉が真実であるのなら、我々“エルフ”はおまえ達の“聖戦”に協力することも、やぶさかではない」

「おお」

 ヴィットーリオは、テュリュークの手を取った。

「感謝します。我々の“始祖”と、貴方方の“大い成る意思”に」

 そんな2人を、シオンは悲しげに見詰めていた。



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始祖の虚無

 “エルフ”の統領テュリュークは、“評議会(カウンシル)”の議員達を説得するため“アディール”に向かって出立することになった。

 “アディール”では“鉄血団結党”を始めとする主戦派の議員達が、“ハルケギニア”の軍隊を迎え撃つための準備をしている頃であろう。事態は一刻を争うため、ヴィットーリオはテュリュークの移送をジュリオに命じたのであった。

 テュリュークは、見送りに来たビダーシャルに言った。

「後のことは頼んだぞ」

 ビダーシャルは静かに首肯いた。

 テュリュークも、当然ヴィットーリオを全面的に信用した訳ではない。ヴィットーリオという人物を見極めさせるべく、ビダーシャルをここに残したのである。

 ジュリオとテュリュークを乗せたアズーロが、砂漠の彼方へと飛び立ったのを、ヴィットーリオとアンリエッタ、ビダーシャル、そしてシオンが見送った。

「これで、無用な犠牲を喰い止めることができましょう。ミス・ヴァリエールが“エルフ”の国へ向かったのも、あるいは“始祖”の御導きだったのかもしれませんね」

「はい、聖下」

 アンリエッタは首肯いた。が、(“エルフ”との和平は、最も望んでいたこと。なのに、どうしてこん成にも、心がざわつくの?)とヴィットーリオが口にした“聖地の向こう”という言葉に引っ掛かりを覚えていた。

「だが、和平を実現するには、1つ問題があります」

 ビダーシャルが言った。

「と言いますと?」

「水軍を牛耳っている“鉄血団結党”だ。あの連中は、テュリューク殿の説得にも耳を貸さないだろう。“火石”を使われれば、おまえ達に勝ち目はないぞ」

「なるほど、ですが御心配なく。我々には切り札がありますので」

「ほう、切り札とは……是非御見せ頂きたいものですな」

「よろしい。アンリエッタ殿、ルイズ殿をここへ呼んで頂けますか?」

 

 

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、只今ここに」

 “ロマリア”の天幕に呼び出されたルイズは、ヴィットーリオの前で跪いた。

「ミス・ヴァリエール、貴女に渡すべきモノがあります」

 そう言うと、ヴィットーリオはルイズの前に、古びた小箱を差し出した。

「これは貴女が所有すべきモノです」

 ヴィットーリオは小箱を開いた。

 箱の中から出て来たのは、古木瓜た香炉、小さなオルゴール、そして、宝石の外れた指輪の台座である。一見したところ、ただのガラクタではある。

 しかし、今のルイズには、それがただならぬモノであることが、直感で理解った。

「これは?」

「“始祖の香炉”、“始祖のオルゴール”、そして“アンドバリの指輪”の台座、全て、あの“ミョズニトニルン”から回収したモノです」

 ルイズはハッとした。

 ジョゼフ王と心中した、シェフィールド。彼女が所有していた“始祖の秘宝”を、“ロマリア”の“宗教庁”は秘密裏に捜索し、回収していたのである。

「あの、どうして“始祖の秘宝”を私に?」

「貴女に“始祖の虚無”を覚えて貰うためです。“始祖の秘宝”は、“始祖の虚無”を発動させるために必要不可欠なモノなのです」

「“始祖の虚無”?」

「はい、貴女の“エクスプロージョン”よりも、遥かに強力な“虚無”です」

「“エクスプロージョン”よりも強力な……」

 そう聞かされても、ルイズには当然其それがどのようなモノなのか全く想像することができない。

 なにせ、ルイズの“爆発”は、“エルフ”の艦隊を一撃で灼き尽くしてみせたのである。

 それ以上に強力な“虚無”があるとすれば……。

「あの、聖下は、“エルフ”と和解されるおつもりではないのですか?」

「和平が成立するかどうかは、まだ判りません。それに、“エルフ”の中には“鉄血団結党”なる者達がいるようです。彼等は“火石”を使い、この“聖地回復連合軍”を滅ぼそうとしている。“始祖の虚無”は、その脅威から、我々を守るために必要なのです」

「なるほど。あの“悪魔の光”よりも強力な(わざ)という訳か」

 と、ビダーシャルが口を挟んだ。

「そうです、ビダーシャル殿。これが我々の切り札です」

「恐れながら……」

 ルイズは言った。その手は微かに震えている。

「どうして、私なのでしょうか? “始祖の虚無”の“担い手”となるのは、教皇聖下こそ相応しいのでは?」

「それはできません」

 ヴィットーリオは首を横に振った。

「以前、話したことがありますが、“虚無の担い手”には、“系統魔法”ほどではないにしろ、それぞれ得意な“系統”があるのです、例えば、私は“移動”、ミス・ウエストウッドは“忘却”といったところでしょうか。私は、“始祖の虚無”の使い方を知りはしましたが、実際にそれを行使することはできない。その“虚無”は、“始祖ブリミル”の遺したモノの中でも、“聖杯”と同様に特別なモノ……恐らく、“ガンダールヴ”を“使い魔”とするミス・ヴァリエール、貴女にしか唱えることのできないモノなのでしょう」

 そう言うと、ヴィットーリオは、小箱から取り出した秘宝をルイズに手渡した。

 その瞬間、ルイズのマントの中で、なにかが光った。

「ルイズ、“始祖の祈祷書”が!?」

 アンリエッタが驚きの声を上げた。

「ミス・ヴァリエール、“祈祷書”を開いてみてください」

 ルイズは不安そうな顔で、アンリエッタとシオンの方をチラッと見た。

 アンリエッタはコクリと首肯き、シオンは少し間を置いた後首肯いた。

 ルイズは“始祖の祈祷書”を、マントの下から取り出した。そして、ユックリと、ページを開く。

 すると、白紙だったページに、光の“ルーン文字”が浮かび上がった。

「おお!」

 ヴィットーリオが感嘆の声を上げる。

 “祈祷書”に浮かび上がったその文字を、ルイズは読み上げた。

「“4の4が揃いし時に現れる、最後にして最強の虚無……”」

 “生命(ライフ)”。

 初めて見るその“ルーン”のイメージが、意識の中に浸透して来るのを、ルイズは感じた。

 その余りの強大さに、ルイズは、(な、なによこれ……なんて……なんて恐ろしい……)、と戦慄し、その場で愕然と崩れ落ちた。

「ルイズ、大丈夫?」

 アンリエッタが心配そうに、ルイズの肩に手を乗せた。

「え、ええ……姫様……ちょっと、頭の中が一杯になって……」

 ルイズは恐怖から逃げるように、両手で顔を覆った。

「無理もありません。“始祖ブリミル”でさえ、この“虚無”を唱えたのは、生涯でただ1度切りだと伝えられています」

「聖下、本当に……このような恐ろしい“呪文”が、本当に必要なのでしょうか?」

 ルイズは不安になって訊ねた。

「私も、その“虚無”が必要にならぬことを祈っています。ただ、私は“ハルケギニア”全塗の民を導く者の責任として、いついかなる時も、最悪の事態を想定しなくてはならないのです」

 ヴィットーリオは、声に苦渋の色を滲ませて言った。

「ミス・ヴァリエール、今は良く休息して、“精神力”を蓄えて置いてください」

 ヴィットーリオがそう言った後、アンリエッタとルイズは、シオンの様子が可怪しいことに気付いた。

 シオンの様子は、傍から見ると余り変わりはない。が、幼馴染である2人には、判るほどの変化であった。

「シオン、大丈夫?」

「え、ええ……私は大丈夫よ。貴女達と聖下の方が心労が絶えないでしょうし、大変よ。だから、自分のことを考えなさい。そして、それを使わないで済むように考え、行動しましょう」

 シオンは笑顔を浮かべてそう言ったが、その目は“祈祷書”に浮かぶ“ルーン文字”に向いており、その顔は青かった。

 

 

 

 砂漠の果てに陽が沈む……“ロマリア”の天幕を退席したルイズは、1人、喧騒から離れた寂しい場所に座り込んだ。

 “生命(ライフ)”。

 “爆発(エクスプロージョン)”とは、比較にならないほどの破滅をもたらす“虚無”。

 ルイズは、(“始祖”はなにを考えて、こんな“呪文”に生命なんていう皮肉な名前を付けたのかしら?)と考えた。

「はあ……」

 ルイズは重い溜息を吐いた。

 ラ・ヴァリエール公爵家の3女として、ルイズは之迄、力がある者はその力を大勢のために使う義務があると教えられて来た。だからこそルイズは、(私に“虚無”と言う力があるのなら、それを“ハルケギニア”のために役立てよう)と想って来たのである……。

 ルイズは、(でも、この力は、私1人で背負うには重過ぎるわ……)と想った。

 ちっぽけなルイズ。落ち零れのルイズ。“ゼロのルイズ”。

 そのように呼ばれていたルイズが、今は“ハルケギニア”の未来を背負わされているのである。

 ルイズは、どこかにいるはずの、“使い魔”のことを想った。そして、(サイトなら、どうするかしら? こんな、世界さえも滅ぼしてしまえるような力を、突然与えられてしまったら……)と考えた。

「サイト……逢いたいわ……」

 ルイズはマントの端をギュッと掴んだ、そうしていないと、寂しくて、涙が溢れてしまいそうだったのである。

 その時、ルイズの背後で、砂を踏む音がした。

 ルイズはハッと振り返った。

 そこにいたのは……。

「タバサ?」

 呟いた直後に、ルイズは勘違いに気付く。

 眼鏡を掛けていないし、羽織って居るマントは裾の長い立派なモノである。

 そして、彼女の頭には、“ガリア”の王冠があった。

「ジョゼ……シャルロット女王陛下」

 ルイズは慌てて立ち上がり、“王族”に対する礼を取ろうとした。

「ジョゼットで良いわ。ヴァネッサ」

 ジョゼットは、ルイズを“セント・マルガリタ修道院”にいた頃の名前で呼んだ。

 ルイズはちょっと困惑した。あの修道院を抜け出してから、ジョゼットとは、マトモに話したことがなかったからである。なにしろ、ジョゼットはもう“ガリア”の女王様なのである。そして、“ロマリア”に積極的に協力する彼女に対して、なんとなく、気不味い想いもあったのである。

 そんなルイズの困惑を知ってか知らずか、ジョゼットはルイズの隣に腰を下ろした。

「教皇聖下から聞いたわ。その、“始祖の虚無”のこと」

「そう……」

「戸惑う気持ちは理解るわ。私も、あの“セント・マルガリタ寺院”から連れ出されて、今では“ガリア”の女王……そして、貴女と同じ“虚無の担い手”よ」

 ジョゼットは修道院にいた頃と同じ、親しげな口調で話し掛けた。

 確かに、境遇を比べてしまえば、このジョゼットはルイズよりも遥かに激しい“運命”に翻弄されたと云えるだろう。落ち零れながらも、名門“貴族”の3女であるルイズとは違い、彼女は、生まれた時からずっと、あの狭い世界しか知らなかったのだから。

「怖くなったの、この“虚無”の力が」

 ルイズはポツリと言った。

「そうね、そんな力を突然貰ってしまったら、誰だって怖いはずよ」

「ううん、違うの。そうじゃないの」

 ルイズは激しく首を横に振った。

「こんなにも恐ろしい力、使いたくないなら、使わなければ良い。だって、私にはちゃんと意思があるんだから。でもね、私、例えばサイトを救うためなら、きっとためらわないと想うの。いいえ、ためらいはするかもしれないわ。凄く悩むかもしれない。でも、結局は使ってしまうと想うの。それが、どんなに恐ろしい破滅をもたらすモノだとしても……私は、そんな自分が怖いのよ」

 ジョゼットは、震えるルイズの手に、ソッと自分の手を重ねた。

「理解るわ。私だって、ジュリオのためなら、きっとなんでもしてしまう。実際、あの人に言われるがままに、姉の王冠を奪ったわ。私は薄汚い泥棒よ。でもね……」

 と、ジョゼットは唇を強く噛んだ。

「でも、後悔はしていないわ。あの人になにを命令されても、私は従う。死ねと言われれば死ぬわ。それが、なにもない私が与えられる、ただ1つの“愛”だから」

「ジョゼット……」

 なにか鬼気迫るモノを感じて、ルイズはジョゼットをマジマジと見詰めた。意外な印象を受けたのである。修道院にいたあの頃のジョゼットは、臆病で気弱そうな少女だったというのに。

 ルイズは、(なにが彼女を強くしたのかしら……?)と考えた。そして、(決まってる、あの“ロマリア”の神官だわ。恋はこんなにも、人を変えてしまうんだわ……)と想った。

 それからルイズは、才人のことを頭に想い浮かべた。

 ルイズだって、才人と出逢う前とは随分と変わったのである。もし、あの時、才人と出逢わなければ……“担い手”であることに気付ずに生きるか、もしくは、“ロマリア”の言うがままに“ハルケギニア”を導く“聖女”とやらになっていた世界もあったであろう。

 ルイズは、(でも、私のサイトへの気持ちは、ジョゼットの“愛”とは、少し違う気がする……私には、彼女ほどの覚悟がないのかしら?)、とそのようなことを考えてしまい、ルイズの心はまた重くなるのであった。

 

 

 

 ルイズが沈んだ面持ちで“オストラント号”の所に戻ると、ギーシュ達“水精霊騎士隊”の面々が、焚き火を囲んで呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしていた。

「僕の“ワルキューレ”が、こう、斬り掛かって来る“エルフ”共をだね、バッタバッタと! 嗚呼、モンモンに僕の勇姿を見せたかったなあ!」

「そんでもって、僕の“風魔法”がだな、“エルフ”めの石人形を、こう、ドカーンと吹き飛ばしたんだ、ドカーンとね!」

 ギーシュとマリコルヌは、“エルフ”の塔に乗り込んだ時のことを、武勇伝にして仲間達に話しているようである。が、大分脚色が入っている……というよりも、ほとんど創作である。

 コルベールとキュルケは“オストラント号”の修理をしており、タバサは火の側で興味なさそうに本を読んでいる、イーヴァルディはタバサの側で“霊体化”しており、ハサンの姿は見えない。

 そのためか、ギーシュとマリコルヌの話に対して指摘する者は誰もいない。

 もっとも、“水精霊騎士隊”の仲間達も、単に話半分に面白がっているだけのようであるのだが。

 ルイズは、(な、なによこいつ等、私がこんなに悩んでるのに)、となんだか腹が立って来るのを感じた。

「あんた達、良い気なモノね。サイトもティファニアもセイヴァーも、まだ戻って来てないのに」

「落ち込んでれば、サイト達が戻って来るもんでもないだろ」

「そうだぜ、ルイズ。なにをするにしても、先ずは英気を養わないと」

 ギーシュとマリコルヌの反論は、もっともであるため、ルイズはぐぬと唸った。

 落ち込んで悲しんでいても、別に才人達が直ぐに帰って来る訳ではないのだから。

 だが、そう想うと、ルイズは余計に悲しくなってしまうのであった。

「ほら、ミス・ヴァリエールも食べてください。沢山頑張ったんですから」

 シエスタがルイズのために木箱のテーブルと椅子を用意し、ワインと皿に盛った肉料理、煮込みやサイトベーコンのスープを持って来た。

「頂くわ」

 ルイズはスープを口にした。余り食欲はなかったが、食べているうちに段々と御腹が調子付いて来たのであろう、あっと言う間に平らげてしまった。

「美味しかったわ、ありがとう」

「私にできるのは、料理くらいですから」

 シエスタはニッコリと笑った。

 そんなシエスタが、今のルイズの目には、とても眩しかった。

「そんなことないわよ。あんた、私なんかよりずっと、皆の役に立ってるわ」

「ミス・ヴァリエールには、素晴らしい力があるじゃないですか」

「素晴らしい力……本当にそうかしら?」

 ルイズはまた暗い気持ちに成ってしまい、俯いた。

「どうしたんですか?」

「どんな凄い力があったって、結局は、その力をどう使うかじゃない。“始祖”から授かった“虚無”の力も、使い方を間違えれば、災厄を招く力になるわ。私、怖いのよ。いつか、この力に呑み込まれて、あのジョゼフみたくなるんじゃないかって」

 ルイズは、ジョゼフの最期を想い出した。

 巨大な火の玉に包まれ、消し飛んだ“ガリア両用艦隊”……。

「大丈夫ですよ」

 と、シエスタは、あっけらかんとして言った。

「へ?」

「ミス・ヴァリエールなら、大丈夫です」

「ど、どうして、そんなことが理解るのよ? 私、そんなに強くなんてなれないわ。今だって、サイトが側にいないと、なんいもできないのに」

 ルイズは、(このメイドってば、絶対テキトウ言ってるわ……)と想い、唇を尖らせて言い返した。

「だからですよ」

 と、シエスタは言った。

「ミス・ヴァリエールは、弱虫で、ちっぽけで……だから大丈夫なんです」

「…………」

 あんまりといえばあんまりな物言いに、ルイズはキョトンとした。だが、不思議と悪い気はしなかった。なんだだか、意味もなく勇気付けられるような気がして来るのであった。

「やっぱり、あんたが来てくれて良かったわ」

 ルイズは苦笑した。

 と、その時である。

 “トリステイン”軍の天幕の方が、なにやら騒がしくなった。

 見れば、“風竜”に乗る“竜騎士”の部隊が、陣営の中に降りて来るところであった。

「なにかあったのかしら?」

 ルイズとシエスタは顔を見合わせた。

 

 

 

「それは本当なのですか!?」

「へ、へえ、確かに“トリステイン”の“英雄”、シュバリエ・ド・ヒラガ殿、“アルビオン”の“英雄”、セイヴァー殿でした」

 “トリステイン”軍の陣にあ天幕の中である。

 アニエスを始めとする“銃士隊”の面々に囲まれ、1人の商人が平伏していた。

 商人は震えていた。才人達が“エウネメス”にいることを伝えるため、馬で“トリステイン”軍の元へと向かっていたところを、斥候に出ていた“竜騎士隊”に発見され、こうしてアンリエッタの前に引き摺り出されたのである。

「どう想いますか? マザリーニ卿」

「ふむ、信憑性はあるかと」

 才人達が“エルフ”に誘拐されたことは、“トリステイン”でも極限られた者しか知ることのない秘密である。

 そして、商人のこの怯えようが……報償目当ての詐欺師とは想うことができないのであった

「女王陛下の御前で偽りを吐けば、どうなるか理解っているな?」

 アニエスが剣を突き付け、鋭く言った。

「し、“始祖”と女王陛下に誓って!」

 商人は額を地面に擦り付けた。

「本当のようですな」

「結構です、この者に500“エキュー”を与えてください」

「ご、500“エキュー”!?」

 商人――店の親父は目を丸くした。なにしろ、“平民”が1年は遊んで暮らすことができるほどの大金である。

「アニエス、直ぐに精鋭の騎士を“エウネメス”へ向かわせてください」

「はっ!」

 アニエスが首肯き、天幕の外に出ようとする。

 と、その時である。

 外でなにか揉めるような声がして、ルイズが中に入って来た。

「まあ、ルイズ! 一体、どうしたの!?」

「姫様、サイトが見付かたっというのは、本当ですか!?」

 ルイズは叫んだ。

「ええ、ここから200“リーグ”ほどの場所にある、“エルフ”の街にいると」

 アンリエッタは落ち着き払った声で言った。

「たった今、精鋭の騎士を派遣するように命じたところですわ」

「姫様、私も行かせてください!」

「いええ、それはなりません」

 アンリエッタは首を横に振った。

「どうして……!?」

「どんな危険があるか判らないからです。ルイズ、理解るでしょう? 今更の話ですが、貴女のその力は、最早、貴女だけのモノではないのよ」

「でも……」

「アンリエッタ殿の仰る通りですよ、ミス・ヴァリエール」

 と、穏やかに諭すような声が聞こ得て来た。

 天幕に入って来たのは、“聖堂騎士”を連れた、教皇ヴィットーリオである。

「教皇聖下……」

「貴女は“ハルケギニア”全土の運命を握る、“虚無の担い手”、万が一にも、危険な目に遭わせる訳にはいきません」

「そんな……サイトは私の“使い魔”なのよ」

「どうか、ここは私を信じて任せてください」

 ヴィットーリオは真摯な表情で言った。

「それから、アンリエッタ殿、騎士団を動かすのは賛成できません。目立つ行動を起こせば、サイト殿とミス・ウエストウッド達を却って危険に晒すことになる」

 アンリエッタは眉を顰めた。

「では、全て貴方方“ロマリア”に任せろと仰るのですか?」

「はい、私は既に腕利きの者達を派遣しました。この手の任務請け負って来た、専門家の中の専門家」

「まあ、手の早いこと。そう言えば、諜報と暗殺は、“ロマリア”の御家芸でしたわね」

 アンリエッタは想わず、皮肉を返してしまった。

 そんなやりとりを見たルイズは、(“ロマリア”は絶対に信用できないわ……もし、サイトとティファニアの身柄を取り戻せそうにないとなったら、その専門家とやらは、ためらいなく2人の命を奪おうとするかもしれない……セイヴァーがいてはくれてるけど、どうなるか……規格外の“サーヴァント”ではあっても全能ではないし。なにもかも、貴方達の言いなりになると想ったら大間違いよ。私はルイズ……ルイズ・フランソワーズなのよ)と勇気を出して、ヴィットーリオの前に進み出た。

「聖下、サイトは私の“使い魔”です。だから、私が迎えに行きます。それが筋と言うモノですわ」

「ミス・ヴァリエール、サイト殿は、貴女だけのモノではありません。サイト殿もミス・ウエストウッド殿も、セイヴァー殿も、“ハルケギニア”全土の民にとって重要な存在なのですよ」

「3人は聖下の道具ではありません!」

 ルイズはとうとう怒鳴った。

 だが、そんなルイズの剣幕にも、ヴィットーリオは動じた様子を見せない。あくまでやかな声で言った。

「貴女は“ブリミル教徒”。であれば、“宗教庁”に従う義務があります。さもなくば、私は、貴女を異端として告発しなくてはなりません」

「なんですって……!?」

 アンリエッタの顔色がサッと変わった。

 異端。それは、“ハルケギニア”の“貴族”にとって、なによりも恐ろしく、重い言葉であるといえるだろう。

 1度異端の認定を受ければ、その罪はルイズのみならず、姉のカトレア、エレオノール、そして公爵、公爵夫人にまで及ぶのだから。

 之には、然しものルイズも、弱気になった。アンリエッタに“貴族”の身分を返上した時とは違うのである。今度は、ルイズだけの問題ではないのだから。

 ルイズは口を噤んだまま、悔しそうにヴィットーリオを睨んだ。

 と、その時である。

「聖下、それは内政干渉というモノですわ」

 ヴィットーリオに口答えしたのは、なんとアンリエッタであった。

「姫様?」

 ルイズがハッと顔を上げる。

 宰相のマザリーニが、口をアングリと開けた。

 アンリエッタは覚悟を決めた顔で、ヴィットーリオの前に立ちはだかった。

「ルイズ達は貴方方の道具ではありません。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、私の臣下です。そして、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、私の臣下であり、同時に異国の民でもあります。ティファニア・ウエストウッドは、シオン女王陛下の従姉妹、“アルビオン”の姫君です。セイヴァー殿は、“アルビオン”の客将。従って、私は“トリステイン”の女王として、彼女に騎士サイト殿とセイヴァー殿、ミス・ウエストウッドを迎えに行かせることを命じますわ!」

「姫様……!」

 ルイズは思わず、目頭が熱くなった。アンリエッタが、“トリステイン”女王としての立場も顧みず、ルイズの味方をしたのだから。

「姫様、私……」

「早く御行きなさい、ルイズ。貴女の“愛”する人の元へ」

「……はい」

 ルイズはアンリエッタにふかく頭を下げると、天幕の外へと駆け出した。

「アンリエッタ殿……」

「教皇聖下、ルイズは主君である私の命令に従ったのです。裁くのでしたら、どうかこの私を、異端の罪で御裁きください」

 アンリエッタは頭を垂れ、ヴィットーリオの前で跪いた。

「…………」

 天幕の中に長い沈黙が訪れる。

 アニエスはハラハラとした様子で見守り、マザリーニは小声でなにか祈りの言葉を唱えていた。

 ヴィットーリオは静かに瞑目し、跪くアンリエッタの肩に手を置いた。

「どうか、面を上げて下さい、アンリエッタ殿」

「聖下……」

「確かに、ミス・ヴァリエールとサイト殿は“トリステイン王家”の臣下、ミス・ウエストウッドは“アルビオン王家”の姫君、セイヴァー殿は“アルビオン”の客将であり、サイト殿とセイヴァー殿は“ブリミル教徒”ではありません。我々“ロマリア”が口を挟むのは、筋ではありませんね。それに、今このようなことで、ようやく1つに纏まった“ハルケギニア”の間に、不和の種を蒔く訳にはいきますまい」

 ヴィットーリオは、いつもの穏かな微笑を浮かべて言った。

「寛大なる聖下の御慈悲に、痛みいりますわ」

 アンリエッタが一礼すると、天幕の中を、ホッと安堵の空気が流れた。

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ルイズ」

 天幕から飛び出したルイズのマントを、キュルケが掴んだ。

 ドテッと転んだルイズの顔が砂に埋まる。

「な、なにするのよ!?」

「貴女、まさか、この砂漠を走って行くつもりなの?」

「そんな訳ないでしょ。“テレポート”の“呪文”を使うわ」

 ルイズは顔の砂を払いながら言った。

 “セント・マルガリタ寺院”から抜け出す時に実行したモノと同じ方法である。

「馬鹿ね、街まで200“リーグ”以上もあるのよ。途中で“精神力”を使い果たしちゃうわよ」

「あ……」

 ルイズは、(言われてみれば、そうね……実際、あの時は“アサシン”が助けて呉れたし……)と想った。

 と、そこへ、バッサバッサと羽撃く音が聞こ得て来た。

 見ると、タバサが乗るシルフィードである。

「乗って」

「きゅいきゅい! ちび桃! 早くシルフィの背中に乗るのね!」

「タバサ、あんた……」

「馬よりも、こっちの方が速い」

 タバサは淡々と言った。

「ありがとう……」

 ルイズは小さく頭を下げた。

「あたしも行くわ。2人だけじゃ心配だもの」

 シルフィードは2人の襟首をヒョイッと掴むと、背中の上に器用に放り投げる。

「おーい、サイト達を救けに行くんだろ? 僕達も手伝うぜ」

 ギーシュやマリコルヌを始め“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々も駆け付けて来た。

「あんた達……気持ちは嬉しいけど、あんまり目立つのは良くないわ」

「シルフィはそんなに一杯乗せられないのね、きゅい!」

「ああ、そりゃそうか……」

 ギーシュは頭の後ろを掻き、それから、真面目な顔付きで言った。

「ルイズ、サイト達を頼む」

「任せて」

 ルイズは力強く首肯いた。

「私の“フネ”が飛べれば良かったんだがね」

 少し遅れてやって来たコルベールが、申し訳なさそうに言った。

「全く……この娘はもう、勝手なことばかりして!」

 エレオノールがツカツカと歩いて来ると、ルイズをギロッと睨む。

 ルイズは、怒られる……と想って首を竦めたが、エレオノールが口にしたのは当然妹を心配する言葉であった。

「気を付けるのよ、ちびルイズ」

「エレオノール姉様……」

 ルイズは想わず泣きそうになり、目をグシグシと擦る。

「ミ、ミス・ウエストウッド、待ってください!」

 両手にバスケットを抱えたシエスタが、トテトテと走って来た。

「シエスタ、駄目よ、今回は連れて行けないわ」

「理解ってます。これ、弁当です」

 シエスタはバスケットを放り投げた。

「いざと言う時、ミス・ヴァリエールの力が出なかったら困るでしょう?」

「ありがとう、シエスタ。きっとサイト達を連れて戻って来るわ」

 ルイズはバスケットを受け取ると、コクンと首肯いた。

「全速力」

 タバサが言った。

「きゅいきゅい、任せるのね!」

 シルフィードが翼を羽撃かせると、大量の砂塵が空に舞う。

 大勢の仲間に見送られながら、ルイズ達は夕暮れの空に飛び立った。

 

 

 

「先程は、中々良い啖呵でしたぞ、女王陛下。この老骨も肝が冷えました」

 天幕の外に出て来た老宰相は、アンリエッタに苦笑を齎した。

「教皇にあれほど真っ向から歯向かった女王は、後にも先にもおりますまい」

「貴男は御叱りになると想いました、マザリーニ卿」

「いえ、寧ろ頼もしく想いましたよ。先程の女王陛下を御覧になれば、マリアンヌ様も御安心なさるでしょう」

「貴男に素直に褒められたのは、初めてのような気がしますわ」

「おや、そうでしたかな?」

 マザリーニは恍けたように首を振ると、シルフィードに乗って砂漠に飛び立つルイズ達の後ろ姿を眺めた。

「彼女達は、まるで、かつての“魔法衛士隊”のようですな」

 マザリーニは昔を懐かしむような口調で言った。

「母上に仕えた、あの伝説の勇士達のことですね」

「そう、“ナルシス”、“バッカス”、“サンドリオン”……そして、ミス・ヴァリエールの母君のカリン殿。斯の者達こそ、“貴族”が最も“貴族”らしくあった時代、旧き良き時代の、真の勇士達でした」

 風に揺れるルイズの髪を見詰め、マザリーニは眩しそうに目を細める。

 “王家”に古くから仕えるこの老宰相は、あのルイズ達の背中に、固い友情で結ばれた昔日の“魔法衛士隊”の姿を重ね合わせたのかもしれなかった。

「陛下は御存知ですかな? かつて、ミス・ヴァリエールの母君がなんと呼ばれていたか」

「確か、“烈風”と……」

「そう、彼女は“烈風の騎士姫”と呼ばれていたのですよ」

 

 

 

「御互い、皆に話せない秘密を抱えていると苦労しますね。聖下」

「ミス・エルディですか。いつの間に、という質問は無意味でしょうね。苦労……そう、ですね……」

 “トリステイン”の天幕から出て、 “ロマリア”の天幕へと戻ったヴィットーリオに、シオンが言葉を掛けた。

 ヴィットーリオは疲れた表情と声で、シオンへと言葉を返した。

「ですが、貴方達の方が色々と秘密が多いでしょう? “始祖”と共にいた“サーヴァント”の主よ」

「そうですね。ええ、全く……」

「1つ、良いでしょうか? ミス・エルディ」

「なんなりと、聖下」

「貴女は、“祈祷書”に浮かび出た“ルーン文字”を読むことができる。ですよね?」

「だとすれば、どうします?」

「なにもしませんよ。ただの確認です」

 シオンとヴィットーリオは、疲れが見て取れるほどの弱々しい笑みを浮かべる。

「でも、きっとあの人の方が辛いと想う。だって、皆を“愛”し、気遣い、それでいて、誰よりも心が弱い……少しの刺激で直ぐに崩れ去ってしまいそうなほどに……だから、力を望んだ、壊されることないように受け流すことができるように……それでも、上から目線という問題点もあるけれど……」

「…………」

 ヴィットーリオは目を閉じ、少し間を置いた後、口を開く。

「サイト殿とミス・ウエストウッド、セイヴァー殿が見付かりました。ミス・ヴァリエール達が“エウネメス”へと向かっています。貴女も、行って上げてください」

「ありがとうございます、聖下。いえ、ヴィットーリオさん」

「貴方方に、“始祖”と“大いなる意思”の御加護と導きがあらんことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕陽が沈む頃……才人に放免されたファーティマは、街の中心を通る川の橋を渡り、“エウネメス”の旧市街を訪れていた。木造の建物が密集して建つ旧市街は、元々、“エルフ”の流刑民が多く住む場所であり、かつて追放されたファーティマの一族達も、此処に居を構えていた。

 橋を渡り切ったところで、ファーティマは足を止めた。一族の復讐を遂げるまでは、もう2度と戻ることはない、と誓って決めた場所である。

 しかし、何故か自然と足が向いていたのである。

 ファーティマは、(何故、私は戻って来てしまったのだろう……?)と考え、旧市街の入り口で、頭を振った。それから、(こんな所に来ている場合ではない。早く党に戻り、あの“悪魔”共の事を報告しなければ……)と想った。

 その時である。

「これはこれは、同志ファーティマではないか」

 聞き慣れた其の声に、ファーティマはハッと振り向いた。

「ど、同志エスマイール!」

 sこにいたのは……党の親衛隊を引き連れた、エスマイールであった。

「捨てた故郷が懐かしくなったのかね? 同志ファーティマ」

 エスマイールは瞳を眇め、ファーティマをジッと見据えた。

「いえ、そのようなことは……」

 ファーティマは背筋をピンと伸ばし、党の敬礼を取った。

「ふむ、君が“悪魔”共に捕まったと聞いて、大いに心配していたのだよ」

「そ、そうでしたか、申し訳ありません」

 エスマイールの言葉に、ファーティマはホッと安堵した。だが、同時に、ふとある疑問が想い浮かぶ。エスマイールは、ファーティマが人質になったことを知りながら、船を沈めることを命令したのかどうか、という疑問が……。

 ファーティマは、(いや、そんなはずはない……)、と直ぐに胸中の疑念を打ち払った。

「それで、君がここにいるということは、もう“悪魔”共を殺して来たのか?」

 と、エスマイールは尋ねた。

「いえ……殺し損ねました」

「ほう、殺し損ねた?」

 エスマイールの目が刃のように鋭くなった。

「するとなにかね? 同志ファーティマ。君は“悪魔”共に対してなんの成果も上げることなく、おめおめとここに戻ろうとした、という訳か」

「け、決してそのようなことは……」

 ファーティマは、(同志エスマイールは、自分の忠誠を疑っている……)と想い、慌てて弁解しようとした。

「まあ良い、大事の前の小事だ。君の処遇は、花火の後で決めることにしよう」

 エスマイールは上機嫌に言った。

「花火?」

「そう、盛大な花火だよ」

 ファーティマは、エスマイールの引き連れた親衛隊が運んでいる荷車に気が付いた。

 荷車には大きな布が冠せられている。

「同志エスマイール、それはなんですか?」

「“火石”だよ」

 エスマイールはニヤリと笑った。

「“火石”? 何故そんなモノを……?」

「決まっているだろう。この街に潜む“悪魔”共を吹き飛ばすのだ」

「なっ……!?」

 ファーティマは、(一体、なにを言っているのだろう……?)、と想い、絶句した。

「お、恐れながら……“火石”の力が爆発すれば、“悪魔”は疎か、この街ごと吹き飛んでしまいかねませんが……」

「うむ、なにか問題でも?」

「え?」

 エスマイールは表情1つ変えない。

「仇敵たる“悪魔”を滅ぼせるのだ。街の1つや2つ、些細なことだ」

「し、しかし、この街には“エルフ”も大勢……」

「同志ファーティマ、この街に“エルフ”はいないのだよ」

「な……」

「この街にいるのは、掟破りの裏切り者だ。我々と同じ“エルフ”ではない」

 今度こそ、ファーティマは言葉を失った。眼の前が真っ暗になる。

 エスマイールの目は本気であり、本気でこの街を消そうとしていることが判る。

「お、御考え直しください! それは、それは余りに……」

「おや? 同志ファーティマは、“蛮人”に感化されたのかな?」

「そ、そんなことはありません!」

 エスマイールが肩を竦めると、親衛隊の“エルフ”達が冷笑を浮かべた。

「やはり、裏切り者の一族の血筋だな」

「わ、私は裏切り者ではありません!」

「ああ、君の叔母上もそう言ったに違いない」

 エスマイールが合図すると、直ぐに親衛隊がファーティマを拘束した。

「喜ぶが良い。君のこれまでの党の献身に免じて、特等席で花火を見せてやろう」



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恐るべき計画

 砂漠の向こうに陽が沈む……夕暮れ時になっても、“エウネメス”の街は静かになるどころか、増々喧騒を増して行くようである。

 大通りからは、店の掛け声や、賑やかな楽の音が響いて来る。同じ“エルフ”の街でも、“アディール”の静謐な雰囲気とはまた違う、猥雑な活気があった。

 才人と俺が施療院に戻ると、ティファニアとルクシャナは、もう手助けなしでも歩くことができるほどまでに回復していた。2人を治療した“エルフ”によれば、傷は塞がったものの、やはりかなりの体力を消耗しているため、砂漠を旅するのには、まだ静養の必要があるとのことである。とはいえ、ヒトの“メイジ”であれば、三日三晩は“水”の“魔法”を掛け続ける必要があったということもあって、流石は“エルフ”だといえるだろう。

 しかし、実際そう何日も、この街に留まっている訳にはいかないだろう。

 才人は、(例の“鉄血団結党”は、俺達の捜索をまだ諦めていないだろうし、ルイズ達が直ぐ近くに来てるなら、なるべく早く合流して、“聖地”のことを伝えないと)と想った。

 

 

 

「テファ、俺達、甘かったのかな? あいつ、テファのこと非道い目に遭わせたんだし」

 ベッド脇の椅子に腰掛け、才人は呟いた。

 アリィーが手配した宿の一室である。それほど上等な部屋ではないが、シーツはちゃんと選択されていて清潔である。窓際のベッドにはティファニアが横たわり、奥のベッドでは寝間着に着替えたルクシャナがスゥスゥと寝息を立てている。

 アリィーは砂漠を旅するのに必要な駱駝を調達するため、また直ぐに街へと出て行った。

「ううん、才人とセイヴァーさんは優しいのよ。才人のしたことは、間違ってないと想う」

 ティファニアは首を横に振った。

「そうかな……?」

 才人は自信なさそうに言った。それから、(あの時は、ファーティマを逃がすのが正しいことだと想った。でも、逃したファーティマが、もしまたテファを狙うようなことがあったら……それでもし、テファが傷付いたり、命を落とすようなことにでもなったら……本当に正しかったのか?)と考えた。

「でも、ちょっと残念ね……あの娘とは、もっと話したいことが色々あったけど」

「いつか、話せる日が来ると良いな」

「うん……」

 静かに、力強く首肯くティファニア。

 そんなティファニアを見ていると、(いつか本当に、“エルフ”とヒトは仲良く出来るんじゃないか? そう、この街だって、ちゃんと“エルフ”とヒトが共存してるんだ。“聖地”を巡る争いなんてモノが終われば、きっと……)と才人は想うことができた。

「喜べ、少年少女。話す機会は近いうちに来る。種族関係なく、仲良く暮らすことができる日もそう遠くないうちに来るだろう」

「でも、それってさ……そうなるからこそ、“剪定事象”になるとか?」

 俺の言葉を聞き、才人は、かつて俺が言った“剪定事象”についてを想い出し、指摘して来た。

「さてな……おまえはどう想うんだ? 関係していると想うか?」

「はぐらかすなよ」

 気が付けば、ティファニアは窓の外の夕暮れを見詰めていた。

「“ハルケギニア”の軍隊は、もう近くまで来ているのね」

 ティファニアはポツリと言った。

「ああ、たぶん、ルイズ達も一緒だと想う」

「それじゃあ、サイトとセイヴァーさんとの旅も、ここで御終いなのね」

 寂しそうに呟いて……ティファニアは慌てて首を横に振った。

「あ、その……ううん、こんなこと、考えちゃ駄目だよね? 遣っと皆の所に帰れるんだもの。それに、ルイズもサイトのこと、シオンもセイヴァーさんのこと、心配しているわ」

「テファ……」

 澄んだ垂れ気味の碧眼が、才人と俺を潤んだ目で見詰めて来る。

 才人は想わず、ドキッとした。

「サイト……あの、ごめんね」

「え?」

 突然、そんな風に謝られて、才人は、(ごめんね、ってどういうことだろう……?)と困惑した。それから、ちょっと考えてから、嗚呼、と気付いた。

「ひょっとして、俺を“使い魔”にしたこと、まだ気にしてるのか?」

 ティファニアは首を横に振った。

「ううん、違うの。あのね……」

 ティファニアは勇気を奮い起こすように、小さく息を吸い込み、言った。

「サイトを、好きになっちゃったこと」

「な……!?」

「うん、ホントはいけないことだって理解ってるの、だって、サイトにはルイズがいるんだもの。でも、どうしても駄目だったの。抑え切れなかったの」

 ティファニアは泣きそうな顔で言った。

「テ、テファ……」

 ティファニアの切ない表情に、才人は胸がギュッと締め付けられるような感覚を覚えた。

 才人はドギマギと視線を逸らした。このままティファニアの顔を見詰めていると……才人の方がどうにか成ってしまいそうだったためである。

 それから才人は、(でも、仕方ないよな……なんだってテファは、最高に魅力的だもん。健気で、優しくて、胸が凄い。それに、気立てが良くて、胸が凄くて……そんな女の子が、俺のことを好きだと言ってくれている……ドキドキするなって言う方が無理な話だ。でも……)と想った。

「理解ってるわ、サイトにはルイズがいるってこと」

「……う、うん」

 と、気不味そうに首肯く才人。

「だからね、私一生懸命考えたの。どうすれば良いかって」

「うん」

「えっとね、私の母も、大公の御妾さんだったわ」

「うん?」

 ティファニアの言葉に、才人は大きく首を傾げた。

「私、サイトの2番目で良い、ルイズが1番で良いわ」

「えっと、テファ、冗談だよな?」

 才人は聞き返す。

 だが、ティファニアの顔は真剣そのものである。

「ううん、ちゃんと真剣に考えたわ。それに、子供の頃、母に聞いたことがあるの。昔の“エルフ”の王様は、後宮に御妾さんを一杯囲っていたって……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 才人は慌てて遮った。

 御妾さん、愛人、二号さん……ドラマの中でしか聞いたことのないような、そんな単語が才人の頭の中をグルグルと駆け回る。

 才人は、(今までちゃんと考えたこともなかったけど、そう言うやり方もあるのか。それなら、ルイズもシエスタも、タバサも姫様も、そしてテファも、誰も悲しまないで済む……かもしれない。もちろん、道義的には駄目だ。駄目だけど……あれ、本当に駄目なのか? “地球”にだって、そういうことが許される国はあるって聞いたことがあるし……)、と一瞬、そのようなことを考えたみたものの、直ぐにブンブンと首を横に振る。

 大切な恋人の……ルイズの顔が想い浮かんだのである。

 才人は、(なに考えてんだよ、俺。そんなの、駄目に決まってるじゃないか。姫様との一件以来、ルイズが悲しむことは絶対にしないと、心に誓ったじゃないか)と考えた。

 才人は、コホン、と咳払いをして言った。

「だ、駄目! 御妾さんは、駄目!」

 すると、ティファニアは悲しそうな顔になり、問うた。

「駄目なの?」

「う……」

 上目遣いに、才人を見詰めるティファニア。

 才人の心が想わずグラつきそうになる。それでも、才人は心を鬼にして首を横に振った。

「どうして?」

 ティファニアの尖った耳が、テロン、と垂れた。透き通った紺碧の瞳が、涙で潤む。

「えっと、それは……」

 そのように、ティファニアに悲しそうな顔をされることで、才人はしどろもどろになってしまった。(ルイズを悲しませたくはない。でも、それじゃあ、テファが悲しむのは良いのか? ちゃんと話せば、ルイズだって納得してくれるんじゃ……いや、ても……)、と考える。

「サイト、私が愛人じゃ、駄目?」

「あ、愛人って、そんなの、テ、テファはそれで良いのかよ……?」

「うん、良いの、それで良いの。私、サイトの愛人になりたいの」

「テファ……」

 顔が近い。

 ティファニアの熱い吐息が、才人の頬をくすぐる。

 自然と互いの唇が触れ合いそうになった、その時。

「ねえ、いつまでやってるの?」

 目を覚ましたルクシャナが、呆れた声を上げた。

「はー、嫌だわー。嫌だ嫌だ、これだから“蛮人”わ。貴男も、そう想わない?」

「…………」

「“蛮人”すみません、ホントすみません」

 呆れて両手を上げるルクシャナに、才人はただひたすら謝った。

 ティファニアは恥ずかしさの余り、自身に宛行われたベッドの上でシーツを冠って居る。

 ルクシャナの問い掛けに、俺は必死で笑いを堪えることで応える。

「ホント、“蛮人”って、“蛮人”よねー。所構わずイチャイチャ、ちゅっちゅ」

「ちゅっちゅはしてねえよ!」

「なに? 逆ギレ?」

「ゴメンナサイ」

 才人はシュンとなって土下座した。

「ま、良いわ。貴方達ヒトのそういう行動も、私にとっては興味深いし」

 ルクシャナは肩を竦めて苦笑する。それから、急に真面目な顔になると、「それで、そのヒトの軍隊とやらは、もうこの近くに来ているのね?」と小声で尋ねて来た。

 才人は顔を上げて首肯いた。

「ああ、そうみたいだ」

「“聖地”を奪いに来たのかしら? それとも、貴方達を取り戻しに?」

 ルクシャナの表情が僅かに険しくなった。

 部屋の空気が変わったことを察したティファニアが、隠れていたシーツから顔を出す。

「たぶん、両方だと想う」

「貴方達を引き渡せば、軍隊は止まる?」

「たぶん……いや、判んねえ」

 才人は正直に言った。

「あのね、私は自分の信念と、ちょっとした学術的好奇心で貴方達を救けたわ。でも、“悪魔”の復活に協力する気はないし、もし、貴方達の仲間が“エルフ”の同胞を傷付けるなら、その時は、もう救けることはできないわよ」

 ルクシャナは、先程までとは打って変わって真剣な様子で言った。

「理解ってる」

 才人は強く首肯いた。

「なんとか、戦争を回避するように全力を尽くすよ。約束する」

 ルクシャナは目を瞑った。

「理解った。一先ず、貴男を信じて上げる。ヒトの軍隊の所に向かいましょう。それからのことは、後で考えるわ」

「ありがとう」

 ルクシャナが自分の言葉を信じてくれたことに、才人は感謝した。

「で、いつまで笑ってるのかしら?」

「そうだな……この世から愉しみが失くなる時まで、か? ……さて、答え合わせには早いが、少しばかり教えてやろうか」

「随分と上から目線ね」

 俺の言いように、ルクシャナはからかうように言った。

「それはすまないな。さて……“ハルケギニア”の連中が言うところの“聖地”、“エルフ”が言うところの“悪魔(シャイターン)の門”は同じモノだということは理解してるだろう。だが、それは、別に“魔法装置”という訳では――」

 俺が、簡単な説明と指摘をしようとしたその時である。

 宿のドアが勢い良く開かれた。

「おい、不味いことになったぞ!」

 街に出ていたはずのアリィーが、血相を変えて飛び込んで来た。

「どうしたの?」

「“エウネメス”が“鉄血団結党”に包囲されてる」

「なんだって?」

 才人は驚きの声を上げた。

「俺達がここに潜伏してることがバレたのか?」

「そうに決まってるだろ。きっと、おまえ達の逃したあの女が報告したんだろうさ」

 アリィーは、ジロリと俺と才人を睨んだ、

「それは……」

「それにしては動きが早過ぎるわよ。どのみち、私達が“エウネメス”に来ることはバレていたんでしょうね」

「バレていた、というよりも、検討を着けていた……いや、あの場所から近い街はここだけだから、当然だな」

 言葉に詰まる才人に、ルクシャナと俺は助け舟を寄越した。

「兎に角、早くこの街を出た方が良さそうね」

「そうだな。宿を虱潰しにされると不味い」

 その時、アリィーの耳がピクッと動いた。

「誰か来る」

「え?」

 才人の耳にはなにも聞こ得ない。

 だが、アリィーは鋭い目でドアの方を睨んでいる。

「アリィー、貴男、跡けられたんじゃない?」

「注意を払っていたつもりだったんだがな」

「テファ、俺の後ろに隠れてろ」

 ティファニアが首肯く。

 才人は壁に立て掛けたデルフリンガーを掴んだ。左手甲の“ルーン”が光り、才人の全身の感覚が研ぎ澄まされる。すると、才人にもその微かな足音が聞こ得た。宿の従業員のモノではないということが判る。明らかに、なんらかの訓練を積んだ者の足捌きであることが、才人にも理解できた。

 才人はデルフリンガーを手にしたまま、ソッとドアの側に近付いた。瞬間、才人はドアを開き、侵入者の腕を掴んで引き寄せると、その首元にデルフリンガーの刃を当てた。電光石火の早技だといえるだろう。

「お、おまえ……」

 刃を首元に当てたまま、才人は口をあんぐりと開けた。

 ティファニアも両手を口に当てて目を丸くする。

「ふん、中々随分物騒な挨拶じゃないか、なあ、坊や?」

 フードを冠ったその女は、才人を見てニヤリと笑った。

 “ハルケギニア”の大盗賊、“土くれのフーケ”であった。

 

 

 

「なんだ、知り合いか?」

 と、アリィーが才人に尋ねた。

「まあな……」

 才人は警戒しながらもデルフリンガーの切っ先を一旦下ろした。正直、ただの知り合いというには、色々と因縁のあり過ぎる相手ではあるのだが、ここには彼女を慕っているティファニアもいるために、才人はフーケの素性について口を閉ざしておくことにした。

 才人が、(でも、なんでこんな所にフーケが?)と訝しみ、俺の方へと目を向けるのと同時に……ティファニアがシーツを跳ね除けて叫んだ。

「マチルダ姉さん!」

「嗚呼、ティファニア、無事で良かった」

 フーケはホッとしたような微笑を浮かべると、駆け寄って来たティファニアを抱き締めた。ティファニアの髪を優しく撫でるフーケの顔に、あの冷酷な盗賊の面影は無く、2人はまるで実の姉妹のようである。

 そんな2人の再逢を邪魔するのは、少しばかりためらわれるが、「で、なんであんたがここにいるんだ?」、と才人はフーケに尋ねた。(理由によっては、また剣を抜く必要があるかもしれない)、とデルフリンガーに手を掛ける。

「ふん、御挨拶だね。“ロマリア”の依頼で、あんた達を救けに来てやったのさ」

「“ロマリア”の?」

 才人の脳裏に、あのヴィットーリオとジュリオの顔が想い浮かんだ。才人は、(なるほど、俺とセイヴァーは兎も角、テファは“虚無の担い手”だしな。“エルフ”に攫われてしまったとなれば、それはもちろん、連中は血眼に成って取り戻そうとするだろうな)、と想った。

「どうせ救出に失敗したら、そん時は殺せって命令だったんだろ?」

「御名答。まあ、そこのセイヴァーがいる限りは、失敗なんてしやしないだろうけどね」

 フーケと俺はニヤリと笑った。

 才人は溜息を吐いた。“ロマリア”のやり口は、もうウンザリするほどに識っているのである。(今更腹を立てても仕方ない)、と考えた。

「さて、そんな訳で、無事に逢えたことを喜びたいところだけど……生憎、旧交を温めてる時間はないよ。一刻も早くこの街を出るんだ」

「“鉄血団結党”が、俺達を捜してるんだろ?」

「それだけなら、まだ良いんだけどね」

 フーケは声を潜めて言った。

「連中、この街を丸毎吹き飛ばすつもりさ」

「なんだって!?」

 才人が目を見開く。

「おい、聞き捨てならないぞ。どういうことだ?」

 アリィーがフーケに詰め寄った。

「水軍に潜入してる時、“鉄血団結党”の御偉いさんが話してるのを聞いたのさ。連中は大量の“火石”を用意して、この街ごと、あんた達を消し去るつもりだよ」

「う、嘘だろ……!?」

 才人は愕然として呻いた。

 あの“ガリア”の“両用艦隊”を一瞬にして消し飛ばした“火石”。確かに、あれを使えばこのような街くらい、簡単に灼き尽くすことができるであろう。

「信じないなら、ここに残れば良いさ。ティファニアは連れて行くけどね」

「でも……この街には“エルフ”だって住んでるんだぜ?」

 才人がそう言うと、アリィーも同意するように首肯いた。

「“鉄血団結党”はイカれた連中だが、流石に同胞を殺すようなことはしないだろう」

「それはどうかしら?」

 と、ルクシャナが言った。

「“エウネメス”はヒトと交易する街よ。それに、元々は罪を犯した流刑民の地。連中にとっては、ずっと目の上の痣瘤だったんじゃない?」

「それはそうだが……いや、あのエスマイールなら、やりかねんか」

 アリィーは顎に手を当てて唸った。

「全く、“エルフ”ってのは、随分と、文明的な、連中だね」

「一緒にしないで。“エルフ”は平和と知性を愛する種族よ」

 皮肉を口にするフーケに、当然ルクシャナは抗議した。

「まあ、どんな種族にだって、色々な奴がいるということだな」

 と、俺が言うのと同時に、フーケはティファニアの手を取って言った。

「ま、兎に角、連中がここに大量の“火石”を運び込んでるってのは事実だよ。この街と心中したくなけりゃ、さっさと逃げることさ」

 だが、ティファニアはその場を動かず、静かに首を横に振った。

「駄目よ……」

「私達の所為で街が巻き添えになるなんて、そんなの、絶対に駄目!」

「あんたの気持ちは理解るよ、優しい娘だね、ティファニア」

 フーケは諭すように言った。

「でも、あの人数の“エルフ”相手じゃ、どう仕様もない。ここに残ったところで、無駄死にするだけさ」

「でも……」

「できねえよ」

 と、才人がポツリと呟いた。

「サイト……」

「この街を見捨てて、俺達だけが救かるなんて、そんなことできる訳ないだろ」

 才人は声を震わせた。賑やかな通りを行き交う商人、才人の素人芸を楽しんだ街の人達、“エルフ”の子供達の顔が、才人の脳裏に浮かぶ……。

 才人は、(この街を消し飛ばすなんて、そんなこと、絶対に許す訳にはいかない。この街は、ヒトと“エルフ”が仲良くなるための希望なんだ)と想い、デルフリンガーの柄を握り締めた。左手甲の“ルーン”が輝き、力が溢れて来る。主人を守るための“ガンダールヴ”の力、“盾の英霊”としての“シールダー”の力。才人は、(もし、自分にこんな力がなければ……“地球”にいた頃の俺なら、きっと一目散に逃げてだろうな……誰だって死ぬのは怖い。きっと誰かが、大人達がなんとかしてくれる……そう想って。でも、もう逃げることはできない。だって、こっちの世界の俺には力がある。だったら、やらなきゃ駄目だよな)と想った。想うことができた。

「“火石”は俺とセイヴァーでなんとかする。テファはフーケと一緒に街の外に逃げてくれ。だろ? セイヴァー」

「是非もなし、だな」

「私も行くわ」

 出て行こうと為る才人の腕を、ティファニアが掴んだ。

「駄目だ。危険過ぎる」

 才人は首を横に振った。

 だが、ティファニアは掴んだ手を離さない。

「御願い、サイト。1人で行くなんて、そんなの駄目だよ。私にも、なにかできることがあるかもしれないわ。それに、もう離れ離れになるのは嫌なの」

「テファ……」

 ティファニアは切無さそうな顔で、才人を見詰めた。

 才人は悩んだ。(確かに、これまで、テファに、危険から救われたことは何度もあった。それに、“竜の巣”では、彼女を置いて行った所為で、命に関わる大怪我まで負わせてしまったのだ……もうあんな後悔は2度としたくない)、と考えた。

「理解ったよ。どの道街は包囲されてるんだし、逃げるのも危険だもんな」

「サイト!」

 ティファニアの顔が嬉しそうに晴れる。

「おい、僕も行くぞ。流石に、同胞の危機は放って置けないからな」

「もちろん、私も行くわよ」

 アリィーとルクシャナも立ち上がる。

「おいおい、君も来るのか?」

 アリィーが心配そうに眉を顰めた。

「平気よ。貴方達みたいに剣を使うことはできないけれど、“精霊”の行使に関しては、それなりに自信があるわ」

 アリィーは溜息を吐いた。

「止めても、無駄なんだろうな」

「ええ。でも、貴男、そんな私に惚れたんでしょ?」

「む……」

 アリィーはグッと言葉に詰まった。

「ああそうだよ、君には逆らえないな、全く! だけど、絶対に無理はさせないぞ。君になにかあったら、僕がビダーシャル殿に殺されちまう!」

「好きよ、アリィー」

 ルクシャナはアリィーの頬に軽くキスをした。

 アリィーの顔がたちまち真っ赤になる。

 そんな2人を見て才人は、(嗚呼、やっぱり尻に敷かれそうだなこの人……)と想った。

「あんた達、正気かい?」

 フーケが呆れたように言った。

「まあ、あんた達がどうなろうが、こっちは知った来っちゃないけどね。ティファニアは駄目だ。あたしが連れて行くよ」

 と、才人からティファニアを引き剥がそうとする。

「フーケ!」

「マチルダ姉さん、御願い……マチルダ姉さんだって、本当は街を見捨てたくなんてないでしょう?」

「そりゃあ、私だって寝覚めが悪いよ。でも、私はこの街よりも、ティファニア、あんたの方が大事なんだ」

「テファは俺達が守るよ、絶対に」

 困ったように肩を竦めるフーケに、才人は言った。

「その言葉を信じろってのかい?」

「ああ」

 才人とフーケはジッと睨み合った。

 緊張が部屋を包む。

 しばらく、沈黙の時間が流れ……。

 やがてフーケは、大きな溜息を吐いた。

「やれやれ、110,000の軍を止めた”英雄”さんには、なにを言っても無駄さね」

「良いのか?」

「その娘が自分で決めたことだからね。ただし、もしティファニアになにかあったら、この私があんた達を殺すよ。良いね?」

「ふむ。その心配はない。才人は“盾の英霊”だ。そして、俺は“セイヴァー”……守ることと救うことに関しては、この世界の中で一二を争うだろうな」

「全く」

 才人とティファニアの真っ直ぐな瞳、俺の言葉に、フーケは感心と呆れた様子を見せた。

「それで、連中は“火石”をどこに運び込んだんだ?」

 宿のテーブルの上に街の地図を広げ、作戦会議が始まった。地図はフーケが水軍から盗み出したモノである。

「前に叔父様が言ってたんだけど、“火石”を爆発させるには、途方もなく強い“精霊の力”が必要になるはずよ」

 ルクシャナが言った。

 彼女の叔父であるビダーシャルは、ジョゼフの元で実際に“火石”を造っていたのだから、その辺りのことに詳しいのは当然のことである。ジョゼフは、“虚無”を使して“火石”を爆発させたが、本来、“火石”にはとても強力な結界があり、“エルフ”の“精霊の力”をもってしても、その結界を壊すことは至難の業であるといえるのである。

「この街で、それほど大きな力を集めようと想ったら……そうね、ここしかないわ」

 ルクシャナが指したのは、旧市街の外れに在る巨大な建物である。

 “ソフィア大祭殿”。

 灌漑工事をする時や、日照りが続いた時に雨を降らせるなど、大きな“精霊の力”を借りたい時に使われる特別な施設である。

「時間はまだあるのか?」

 才人は尋ねた。

「ええ。“火石”を爆発させるには、大掛かりな“儀式”が必要になるわ。それに、“儀式”が完了してから、実際に“火石”が爆発するまでの時差もあるはずよ。幾ら連中がイかれてるって言っても、流石に、この街と心中する気はないでしょうし」

「じゃあ、今のうちに街の人に知らせて、避難させたりは出来ないか?」

「無理よ。そんなことをしてる時間はないし、そもそも、“エルフ”の同胞がそんなことをするなんて、信じる訳ないわ」

「そんなことをしてたら、私達が先に連中に捕まっちまうよ」

 フーケが言った。

「やっぱり、その“大祭殿”に乗り込むしかないのか……」

「しかし、街には“鉄血団結党”の連中がウジャウジャ居るぞ。どうするんだ?」

 アリィーが口を挟む。

「仕方ないね……私が囮になるよ」

「フーケ、大丈夫なのかよ?」

「ふん、私は“土くれのフーケ”だよ。なに、“エルフ”相手にまともに戦おうなんて想っちゃあいないさ。私は撹乱の方が得意なんだ」

 確かに、フーケの“ゴーレム”は、屋内への潜入作戦には向かない。であれば、派手に暴れて注意を引き付ける方が良い。

「理解った。頼む」

「任せときな」

「で、だ。セイヴァー。他になにかあるか?」

「いや、特にないな。おまえ達が決めた方法で問題はないだろう。だが、そうだな……打てる手は打っておいた方が良い。戦いとは常に2手3手読むべきだ。そして、指針を決め行動するのであれば、常に悪い方へ考え、その対策を練る必要がある」

「どうするんだ?」

「決まってる。俺が、おまえ等をサポートするだけの話だ。それ以上でも以下でもない」

 方針が決まった。

 才人はテーブルの上の地図を丸めると、静かに立ち上がった。

「行こう」

 俺達一同は首肯き、旅装束のフードを目深に冠る。

 ふと、フーケが窓の外に目をやり、ポツリと呟いた。

「本当はあいつと合流したいところだけど……全く、どこで油を売っているんだか」



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突入戦

 街を照らす双月が、雲に隠れる。

 フード付きの旅装束に身を包んだ俺達は、夜の闇に紛れて、入り組んだ路地を走り続けた。

 “エウネメス”の街は、中心を流れる川を挟んで、旧市街と新市街に分かれている。“エルフ”の大祭殿があるのは、旧市街の方であり、こちらは人通りが少ない。

 才人はマントの下に、“竜の巣”から持ち出して来た、ブリミルからの贈り物である“武器”を隠し持っていた。“日本刀(デルフリンガー)”に“拳銃”、“手榴弾”……(まるで任侠映画のカチコミみたいだな)と才人は想った。

「連中め、随分入り込んでるみたいだな」

 路地の物陰から通りを覗いたアリィーが、小声で言った。

 薄暗い通りのあちこちで、軍服を着た“鉄血団結党”の“エルフ”達が目を光らせている。ここで見付かってしまえば、大祭殿に辿り着く前に戦闘になり、予定が狂ってしまう。

「余り時間はないぞ。一か八かで、強行突破するか?」

「いや、もう少し待とう。そろそろフーケが動くと想う」

 アリィーの提案に、才人は首を横に振った。

 しばらく、物陰で息を潜めて居ると……遠くで大きな爆発音が響いた。

 港の倉庫街へと向かったフーケが、陽動作戦に従い騒ぎを起こしたのであろう。

 通りを歩く“エルフ”達が、なんだなんだと騒ぎ始める。俺達を捜していた“鉄血団結党”の“エルフ”達も、一斉に爆発のあった倉庫街へと向かって走り出した。

「今だ、走れ!」

 俺達は混乱に乗じ、闇に紛れて通りを駆け抜けた。

 商店の密集した通りを抜け、旧市街の外れに近付くと、大祭殿の姿が見えて来る。

 異国情緒溢れるアラベスク模様の壁に、大きな円蓋型の屋根。建物の四角には、精緻な彫刻の施された尖塔がある。

 才人は、いつだかテレビのニュースで見た、中東の“モスク”を連想した。

 大祭殿の周囲は、頑丈そうな石壁で囲われている。正門の前には、“鉄血団結党”の党員と思しき“エルフ”が2人、見張りに就いている。

 門の周囲に、他に人影はない。

 ルクシャナの説明では、大祭殿は“エルフ”にとって神聖な場所であるため、近付く者は余りいないのである。

 そのルクシャナが、「参ったわねー……」と呟く。

「なにが?」

「この辺りの“精霊”が、掌握されているわ。もう儀式は始まってるようね」

「急がないと」

 ティファニアは焦ったように言った。

「番兵はどうする? 仲間を呼ばれたら面倒だぞ」

 アリィーが言った。

「俺が行く」

 才人はマントの下に隠したデルフリンガーを掴むと、左手甲の“ルーン”が輝き出す。次いで、建物の陰から素早く飛び出し、番兵の守る正門へと向かって、風のように走り込んだ。

「な、なんだ、おまえは……うぬ!?」

 夜闇にデルフリンガーの刃が閃く。

 番兵達が声を上げる間もなく、才人はあっと言う間に2人を倒してみせた。

「ちょっと、“エルフ”は殺さない約束よ。そりゃあ、こんな状況ではあるけれど」

 物陰から出て来たるクシャナが抗議した。

「峰打ちだよ」

 才人はデルフリンガーの刃をクルッと返してみせた。

 倒れた“エルフ”の頭などからは血は出ていない。昏倒しているだけである。

「……御見事」

「でも、この先は同じようにできるか判ら無え。どうしても危ないって状況になったら、俺は自分とテファの命を優先する」

 才人はキッパリと言った。

「それは止めないわ。でも、なるべく命は奪わないで」

「理解ってる。まあ、そう言った状況にはならないだろうな。そうだろ? セイヴァー」

「そうだな。そうならないようにするさ」

 俺と才人は首肯き合った。

「それじゃあ、乗り込むわよ」

 ルクシャナが“魔法”を唱えると、正門の錠はあっと言う間に溶け落ちた。

 

 

 

「う、うう……」

 頬に当たる、冷たく硬い床の感触で、ファーティマは目を覚ました。

 頭がフラフラしていることから、ファーティマは、自身が“魔法”で眠らされていたことに気付いた。

 両手足はロープで固定され、身動きを取ることができなくされている。ファーティマは、芋虫のような格好で、視線だけを周囲に巡らせる。

 そこは、大きな円蓋に追われた、かなり広い空間で、その中央には大量の”火石”を積んだ祭壇があるのが見える。

 その祭壇の前に、エスマイールと“鉄血団結党”の親衛隊が集まり、なにか大掛かりな“儀式”をしているようである。

 この大祭殿に宿る“精霊の力”が、祭壇に積まれた“火石”に集まって行くことを、ファーティマは感じ取ることができた。“精霊の力”が飽和し、“火石”を覆う結界が壊れたその時、この街は跡形もなく吹き飛ぶ様が容易に想像できる。

 ファーティマは、(そして、最初に死ぬのは私という訳か)と想い、クッと奥歯を噛んだ。

 ファーティマが目覚めたことに気付いた者は、まだいないようである。エスマイールも親衛隊も、“儀式”に集中している。

 だが、抵抗したところで、無駄なこともまた、ファーティマは十分に理解していた。エスマイールは、ファーティマとは比べものにならないほどに強力な行使手である。ファーティマの力では、ここの“精霊の力”を掌握することはできないのである。

 ファーティマは、(ここで死ぬのか? 私は……)と想った。そして、靴上に満ちた、これまでの半生が、ファーティマの頭の中を駆け巡る。街を一族ごと追放され、追放された先でも、“エルフ”の同胞に迫害され、叔父に誓った復讐を果たすこともできず、そして、信じていたエスマイールと“鉄血団結党”にも裏切られてしまった。

 ファーティマは、(やはり、裏切り者の一族の娘が受け入れられる場所など、この地上のどこにもなかったのだ……)と想った。

「さあ、同志諸君。愚かな“蛮人”共に、盛大な花火を披露しようではないか!」

 祭壇の前に立ったエスマイールが、良く響く声で言った。

 その時である。

 大祭殿の中で、なにかの爆発するような轟音が轟いた。

 

 

 

 大祭殿に突入する成り、才人は“スタン・グレネード”を投げ放った。

 入口付近にいた“エルフ”達は、炸裂した閃光と爆音で見当識を失ってしまい、大混乱に陥ってしまう。

 閃光がやんだ直後、デルフリンガーを手にした才人と剣を手にしたアリィーが中へと踏み込んだ。

 “スタン・グレネード”を喰らえば、数十秒ほどはマトモな動きを取ることができなくなる。

 混乱が続いているうちに、2人はあっと言う間に6人の“エルフ”を叩き伏せてみせた。

「便利な“魔道具(マジック・アイテム)”ね。私も今度作ってみようかしら」

 2人の後から、ルクシャナとティファニアと俺が入る。

 ルクシャナが“魔法”を唱えると、掌から光球が浮かび上がり、大きな通路を照らし出した。

「“火石”が集められているのは、この奥にある本殿で間違いないと想うわ」

 ルクシャナが言った。

「良し、行こう」

 俺達は通路を駆け出す。

 そのまま真っ直ぐに突っ切り、広間の様な場所へと出た、その時である。

 “ガンダールヴ”、そして“シールダー”としての直感で、才人はデルフリンガーを抜き放ち、暗闇から飛んで来た数本の炎の矢を叩き落とした。

「テファ、俺の後ろか、セイヴァーの後ろに隠れてろ!」

 才人はデルフリンガーを構え、暗闇の向こうを見据えた。

「ふん、仕留め損ねたか」

 通路の奥から、軍服姿の“エルフ”達が姿を現した。その先頭に立つのは、“エルフ”にしては体格の良い、いかにも古強者といった風貌の“エルフ”である。

「サルカン提督だ」

 アリィーが言った。

「誰?」

「水軍切っての猛将だ。ヒトの船を何隻も沈めてる」

 サルカンは、俺達の顔を見ると、獰猛な笑みを浮かべた。

「“悪魔の業”の“担い手”と、その守り手、わざわざ死地に飛び込んで来るとはな!」

 大振りの曲刀を抜き放ち、サルカンは才人の方へと突っ込んで来る。

 才人はヒラリと身をひるがえすことで躱し、デルフリンガーを一閃した。

 だが、その一撃は曲刀の護拳(ナックルガード)で受け止められてしまう。

「やりおるな、“悪魔の守り手”!」

 サルカンが“精霊の力”による“魔法”を唱え始める。

 才人はハッとして跳び退かった。

 なにもない空間に炎の矢が3本生まれ、才人に向かって飛ぶ。

 才人はデルフリンガーを振り抜き、炎を吸収した。

「相棒、気を付けろ。こいつ相当強いぞ」

「ああ、理解ってる。でも、セイヴァーのあの扱きと比べたらなんてことないな」

 才人は額の汗を拭い、笑った。

 サルカンは、剣の腕だけでも、アニエスや、“ガリア”の“花壇騎士”カステルモールと並ぶ使い手であろう、と才人は理解した。更に“精霊の力”もある。

 才人は、距離を取った。

「おまえ達、“悪魔の守り手”は俺が殺る。他の連中を捕らえろ」

 サルカンが部下の“エルフ”達に命じる。

 才人は、(不味いな……剣を使えるアリィー、セイヴァーは兎も角、テファとルクシャナをかばいながらでは、上手く戦えない。それに、ここで時間を消耗しているうちに、増援が来てしまう可能性が……なら……)と考え、懐から“手榴弾”を取り出し、背後のアリィーに投げ渡した。

「なんだこれは? 果物……?」

「俺の世界の“武器”。まあ、“魔道具(マジック・アイテム)”だと想ってくれて良い。持っててくれ。使い方は……」

 才人は、もう1つの“手榴弾”を手に取ると、口でピンを抜き、真横の壁に放り投げた。

 ドオオオオオオオオンッ!

 耳をつんざくような轟音が響き、石の壁が粉々に砕け散る。

 崩れて大穴が空いたその先は、別の通路と繋がっていた。

「ここは俺1人で引き受ける。皆は、“火石”の所へ行ってくれ」

「でも、サイト!」

 ティファニアが心配そうな声を上げる。

「俺は大丈夫だ。それより、“火石”を早く止めないと……」

「理解った。行こう」

 アリィーが首肯き、ルクシャナを促した。

 ティファニアはまだ心配そうに才人を見ていたが、才人が親指を立ててみせると、コクンと首肯き、穴の方へと走り出した。

「そうはさせん!」

 サルカンが“魔法”を使おうとする。

 だが、才人は、「皆を頼んだ! セイヴァー!」と叫び、床を蹴ってサルカンの懐に飛び込む。次いで、デルフリンガーを一閃した。

 それと同時に、俺は3人の後を追う。

 風のような“ガンダールヴ”、そして“サーヴァント”としての素早さに、剣を受けたサルカンは舌を巻いた。

 才人は更に踏み込み、(このまま押し切る)、とデルフリンガーを力任せに振り下ろした。

 サルカンを巻き込むのを恐れてか、部下の”エルフ”達は、”魔法”を唱えて来る様子はない。2人の剣戟に割って入る勇気もないようである。

 才人は、(真っ先に頭を潰せば、後はなんとかなる)と考え、サルカンに反撃の隙を与えず、次々と剣を繰り出した。

 その猛攻に耐えかね、サルカンの体勢がわずかに崩れる。

 才人は、(貰った……)とそう想った瞬間、剣を握る手に鋭い痛みを感じた。

 サルカンが手にしている曲刀から、激しい炎が吹き上がったのである。

「くっ……」

 才人は咄嗟にデルフリンガーで炎を吸い込んだ。

「大丈夫か? 相棒」

「ああ……デルフ、おまえも平気かよ?」

「心配すんな。まだまだ、吸い込んでやる」

 デルフリンガーが頼もしい口調で言った。がしかし……デルフリンガーの力にも当然限界がある。“エルフ”が使用する“精霊の力”を吸い込み続ければ、またあの時のように壊れてしまうのは簡単に予想できることである。

「相棒、増援が来やがるぞ」

「理解ってる」

 通路の奥から、大勢の足音が近付いて来る。

 このままでは、あっと言う間に囲まれてしまうだろう。そうなれば、流石に“ガンダールヴ”の力だけでは突破は難しくなり、“シールダー”としての力を使えばどうにか防戦と時間稼ぎをすることはできるだろう。

「どうした“蛮人”? 動きが止まったぞ!」

 サルカンが曲刀を振り下ろした。

 才人はそれを片手で打ち払った。と同時、左手で“自動拳銃”を素早く抜き、即座に引き金を引く。立て続けに3発、腹を狙って。

 だが、銃弾は尽く弾かれてしまった。

 軍服に空いた穴から、青白く輝く光が見える。サルカンは、“魔法”の帷子のようなモノを着込んでいるのであろう。

「ほう、“蛮人”の武器か!」

 叫び、サルカンがなにか“呪文”を唱えた。

 瞬間、拳銃が凄まじい熱を帯びる。

 才人は慌てて拳銃を投げ捨てた。

 真っ赤に灼熱した拳銃が空中で爆発する。

「くそっ!」

 才人は焦った。

 剣の腕そのものは、間違いなく才人の方が上である。だが、相手は剣の動きに、強力な“精霊の力”を織り混ぜているのである。そして、防御の“魔法”を使うことのできない才人は、その攻撃を1発でも貰ってしまえば、即致命傷になってしまう……その事実が、才人の剣の冴えを鈍らせているのであった。

 そして、何選り……此処にはルイズが居無い。

 守るべき御主人様が側にいなければ、“ガンダールヴ”の心は全く震えないのである。“シールダー”は、“盾の英霊”というだけのこともあり、守るべき対象が側にいてこそ力を発揮するのである。

 才人は、(この、腕輪を使えば、なんとかなるか……?)と考える。

「これで終わりだ!」

 と同時に、サルカンが、炎を纏う曲刀を大きく振り被った。

 隙の大きいその動きに、才人は想わず、踏み込んだ。

「駄目だ、相棒!」

 デルフリンガーが叫んだ。

 才人は、(しまった!)と想った。

 が、遅かった。

 “魔法”の罠により、才人の足元が爆発する。

 才人の身体は宙高く放り上げられ、そのまま、地面に思い切り叩き付けられる。

 全身がバラバラに砕け散るような衝撃に、才人は想わずデルフリンガーを掴む手を離してしまった。

「相棒、早く、早く俺を握れ!」

「デル……フ……」

 仰向けに倒れたまま、才人はデルフリンガーを握ろうとする。だが、落下の衝撃によって脳震盪を起こしてしまったらしく、指が痺れて動かない。

「見事だったぞ、“悪魔の守り手”よ。俺は寛大だ。苦しまずに逝かせてやる」

 近付いたサルカンが、才人の首筋にピタッと曲刀の刃を突き付けた。

 才人は、(嗚呼、駄目だ……ごめん、テファ、俺、ここまでだ。ここは俺1人で引き受ける、なんて格好付けちまったのかが良けなかったのかな……?)、とその刃のヒンヤリとした感触に、抵抗を諦めてしまった。

 遠退く才人の意識の中に浮かんで来るのは、やはりルイズの顔であった。桃色がかったブロンドの髪に、透き通った白い肌、魅惑的な鳶色の目、小さな可愛らしい胸……。

 才人は、(ルイズ……もう1度逢いたかったなあ、嗚呼、ちくしょう)と想った。

「おい、相棒、諦めんな! 俺を握れって!」

 デルフリンガーの喚く声が、才人には遠くに聞こえ、(……んなこと言ったってなあ、デルフ、手が動かねえんだよ。しょうがねえだろうが……)と想った。

 才人の真上で曲刀の刃が閃く。

 と、その瞬間である。

 曲刀を振り上げたサルカンの姿が、忽然と消えた。

「え……?」

 才人は目をパチクリとさせた。

 いや、消えたのではない。サルカンは、横合いから、なにか見えないハンマーのようなモノに殴られ、真横に吹き飛んだのである。

 サルカンは、壁に衝突して引っ繰り返っている。

「な、なんだ……?」

 才人は痛む頭を押さえつつ、起き上がった。

「情けない姿だな。サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ」

 聞き覚えのある声に、才人はハッと振り向いた。

「お、おまえは……!」

 

 

 

 船着き場近くの倉庫街では、フーケの造り出した“ゴーレム”達が暴れ回っていた。停泊する小船を引っ繰り返し、積み荷の箱や木樽を手当たり次第に放り投げる。更にフーケは“錬金”で積み荷の塩を火薬に変え、次々と爆発させるのであった。

 その大騒ぎに、“鉄血団結党”の“エルフ”達が続々と集まって来る。

「さて、そろそろ潮時かね。囮の役目は十分果たせただろうし」

 倉庫の屋根の上で“ゴーレム”を操っていたフーケは、やれやれ、と肩を竦めた。

 もう“魔法”を使うための“精神力”の残りも少なく、流石のフーケもこれだけの数の“ゴーレム”を1度に操るのは骨が折れるのである。

「まあ、逃してくれりゃ、良いけどね」

 フーケの声には余裕がない。逃げ隠れするのは得意ではあるが、“エルフ”相手に無事に逃げ果せることができるのかどうか自信がないのである。

「やあ、御嬢さん、御困りのようですね」

「良かったら、御手伝いするけど?」

 フーケは振り返る。

 気が付けば、倉庫の屋上に奇妙な二人組がいた。

 1人は、黒い帽子にマント姿の若い“貴族”。もう1人は、フリフリのドレスを纏った、人形の様に美しい少女である。

「なんだい、あんた達は?」

 フーケは2人に“杖”を向けた。“エルフ”ではないことは確かだが、ただの“メイジ”にしては、どうにも可怪しな雰囲気を持っていることに気付いたのである。

「君の同業者さ。“土くれのフーケ”」

「同業者?」

「“元素の兄弟”。名前くらいは聞いたことあるだろ?」

「まさか……!」

 “元素の兄弟”。

 勿論、フーケも知っている。裏の世界ではかなり有名な名前である。

 正体不明の7号と並ぶ、“北花壇騎士団(シュバリエ・ド・ノールバルテル)”切っての掃除屋。残忍あつ狡猾で、これまで任務に失敗したことは1度もないという。

 先代の“ガリア”王が死んでからは、傭兵家業に転身したという噂ではあるのだが……。

「“元素の兄弟”が、どうしてこんな所にいるんだい?」

「僕達も、“ロマリア”に雇われたのさ。“ハーフエルフ”の娘と……ヒリ……ヒレ……えーと、なんだっけ?」

「ヒラガ・サイトよ、ドゥードゥー兄様」

「そうそう、ヒリガル・サイテだ。2人の身柄を確保するようにってね」

 フーケは、(なるほど、そういうことか……)と納得した、

 フーケ達が任務に失敗した時の保険、あるいは、最初からフーケ達の方が保険だったか。

「あの教皇も、とんだ喰わせ者だね」

「因みに、僕達の報酬は、4人で300,000“エキュー”さ」

「なんだって? あたし達より、ずっと高いじゃないか」

 300,000“エキュー”といえば、領地付きの城が買える金額である。

「それだけ、僕達の腕を買ってるってことなんだろうさ」

 ドゥードゥーはふざけた調子で言った。

「ドゥードゥー兄様、無駄話してる場合じゃないわ。長耳さんがこっちに来るわよ」

 ドゥードゥーが倉庫の下に視線を向けた。

 “エルフ”達が、倉庫を取り囲んで“精霊の力”による“魔法”を使おうと“呪文”を唱えている。

「仕方ないね。ジャネット、一暴れして来るよ」

 ドゥードゥーが愉しそうな笑みを浮かべ、“ブレイド”の“呪文”を唱えた。

 “杖”の尖から、青白い光が大木のように伸びる。他“メイジ”が唱える“ブレイド”などよりも、遥かに大きい。

「なんだい、あの桁外れの“魔力”は!?」

「私達には、ちょっと秘密があるのよ」

 驚くフーケに、ジャネットは、ふふ、と微笑んだ。

 そのとんでもない大きさの“ブレイド”で、ドゥードゥーは“エルフ”達を斬り捲くる。たった1人で、“エルフ”と互角以上に戦ってみせている。

「あーあ、ドゥードゥーの奴、また勝手に始めやがったな」

 と、また別の人影が屋根に降り立った。

 今度は、巨漢の男と、妙に鋭い目をした12歳程の子供である。子供の方は、奇妙な形をした巨大な管楽器を手にしている。

「ダミアン兄さん、任務対象の2人。ここにはいないみたいよ」

「ふん、無駄足だったか」

「どうかな? 同業者さんがここにいるってことは、意味があるんだろ?」

 ダミアンと呼ばれた子供が、フーケの方に目を向ける。

「まあね、ここに“エルフ”共を引き付けとけば、2人はもっと安全になるよ」

 フーケは言った。

 だが、才人達が“火石”を止めるために大祭殿に向かったことは伏せた。 “元素の兄弟”が、フーケ達と同じ任務を受けているのだとすれば……(場合によっては、あの娘を消そうとしかねない)と想っためである。

「ふうん、それじゃあ、ここをさっさと片付けようかね」

 そう言って、ダミアンは管楽器のスイッチを入れると、ラッパの先を地面に向けた。

 低い唸りと共に管楽器が震え出し、内側から“魔法”の光が迸る。

 その光が地面に当たると、石畳はグニャリと形を変えて、沼地になった。

 倉庫の周囲を取り巻く“エルフ”達は、ズブズブと沼地に沈んで行く。

「おいおい、ダミアン兄さん。僕まで沈めないでくれよ!」

 上半身まで沼に浸かったドゥードゥーが、悲鳴を上げた。

「悪いね、この“常時錬金”、あんまり加減ができないんだ」

「やれやれ、滅茶苦茶な連中だね……」

 と、フーケは呆れ顔で呟いた。

 

 

 

「お、おまえは……」

 才人は唖然として言った。

 暗がりから姿を現したのは、鍔の広い羽根付き帽子に黒マント姿の“メイジ”……それは、あの“アルビオン”で戦った、才人にとっての仇敵であった。

 “レコン・キスタ”に協力し、アンリエッタの恋人かつシオンの兄であったウェールズを暗殺した男……“虚無”の力を手に入れるためにルイズの心を利用しようとした男。

 才人は、その名を忘れたことなどない。

 ジャン・ジャック・ワルド。

「ワルド……てめえが、なんでこんな所にいやがる!?」

 才人は、全身の痛みも忘れて叫んだ。

「マチルダから聞いていないのか? 俺達は“ロマリア”に雇われたんだ。“エルフ”に攫われたおまえ達を捜して保護するか……それが無理なら、命を奪えとな」

「なんだと!?」

 才人の心が怒りで震えた。

 才人は、(フーケばかりか、“レコン・キスタ”に協力してたこいつを雇うなんて……“ロマリア”はなにを考えてやがるんだ? こいつは、ウェールズ皇太子を殺したんだぞ)と想った。また、それと同時に、(いや、あの教皇やジュリオのことだ。あいつ等、“聖地”を取り戻すためなら、どんな汚いことだってするんだろう……でも、セイヴァーが見逃してるってことは……でも、セイヴァーもあいつ等とやってることは同じなんだよな……)とも考えた。

「だが、その様では、今ここでおまえを殺した方が楽かもしれんな」

「くっ……!」

 才人は、(こいつの前で……よりによって、こいつの前でだけは、情けない姿は見せられねえ)と想い、手を伸ばしてデルフリンガーを掴むと、ヨロヨロと立ち上がった。

「ふぬ、まだ伏兵がいたか」

 引っ繰り返っていたサルカンが復活した。

 増援の“エルフ”達も、通路の奥から続々とやって来る。

「“悪魔の守り手”共を取り囲め!」

 サルカンが命令した。

 才人達はたちまち、“エルフ”の軍人達に取り囲まれてしまう。

「相棒、喧嘩してる場合じゃねえみたいだよ」

「理解ってるよ……」

 才人とワルドは剣と“杖”を構え、背中合わせに立った。

「どうした? 震えているぞ? シュバリエ・ド・ヒラガ」

「煩え」

 腕はまだ痺れてはいるが、才人は強がってみせた。

「良いか? おまえの助けなんて要らねえ」

「それは頼もしいな」

 ワルドは“杖”に“ブレイド”の“呪文”を掛ける。

 渦を巻く真空の刃が“杖”の先に生まれた。

「マチルダはどうした?」

「フーケのことか? 外で囮を引き受けてくれてるよ」

「そうか……」

 ワルドの声に、微かな焦燥があった。

「一気に突破するぞ。私と同時に動け」

「うるせ、命令すんな」

「死にたいのか? 言う通りにしろ」

「ぐ……」

 才人は反論しかけて、やめた。

 なにしろ、ワルドは強いのである。ルイズの母親と同じ、“魔法衛士隊”の隊長だった男である。これまでに、幾つもの修羅場を潜って来たであろう。

 ワルドが動いた。“ブレイド”を纏った“杖”を手に、“エルフ”の集団へと斬り掛かる。

 才人も同時に動く。左手甲の“ルーン”が光り、向かって来た2人を同時に叩き伏せてみせる。

「近付くな。遠距離で仕留めろ!」

 サルカンが怒鳴った。

 “エルフ”達は攻撃方法を“魔法”に切り替え、四方八方から炎の矢や光の矢を放つ。

 才人はデルフリンガーを振り抜いた。

 “魔法”を吸引したデルフリンガーの刀身が、光を放つ。

 乱戦になった。

 眼の前の“エルフ”を叩き退しながら、才人は視線の端でワルドを追った。

 ワルドは、流石に強かった。

 “エルフ”を相手に、“風”の“魔法”を織り混ぜた戦い方で、集団を翻弄しているのである。剣の腕も“魔法”の威力も、“アルビオン”で戦ったその時よりも遥かに凄みを増しているのが、才人には理解できた。

 才人は、(負ける訳には行かねえ!)と跳躍し、サルカンのいる場所まで一気に跳んだ。

「おおおおおおおっ!」

 刃を打ち合う音が響き、火花が散る。

「ぬうう……!」

 サルカンは、先程までとはまるで動きの違う才人の気迫にたじろいだ。

 才人には、相手の動きの1つ1つが、ハッキリと手に取るように認識できた。また、(ちくしょう、”ガンダールヴ”の心が震えてやがるんだ……認めたくはねえ。だけど、認めざるをえない。確かデルフの言った通りなら、”ガンダールヴ”の強さは、心の震えで決まるんだっけか? 怒り、悲しみ、“愛”、喜び……なんだって良い。心震わせれば、その力は何倍にもなる)と想った。

「此の、“悪魔の守り手”めがっ!」

 動きを捉える切れぬ才人に業を煮やし、サルカンが大振りの一撃を振り下ろす。

 その瞬間、才人はサルカンの懐に飛び込んだ。“魔法”の帷子で守られた胸部目掛けて、デルフリンガーを想い切り振り抜く。

「ぐぬ……!?」

 才人の腕に、確かな手応えがあった。

 サルカンは、パクパクと空気を求めるように喘ぎ、そのままに床に沈み込んだ。

 其の光景を目の当たりにした“エルフ”達の間に、動揺が奔る。

 突破するチャンスである。

「行け。後は私が引き受けよう」

 と、ワルドが言った。

「なに?」

「早くしろ。私も“火石”の巻き添えにはなりたくない」

「ワルド、てめえ……」

 才人はほんの一瞬だけ、跳躍してから、「絶対、死ぬなよ」と言った。

「俺は、ルイズを騙したおまえのこと、絶対に赦さねえ」

「気が合うな。なら、おまえも絶対に死なぬことだ」

 才人は走った。混乱から回復しつつある“エルフ”達の間を一瞬で摺り抜ける。

 “エルフ”達は慌てて、才人を追おうとした。

 だが、ワルドは既に“呪文”を唱えていた。

「“ユビキタス・デル・ウィンデ”……」

 “呪文”が完成すると、ワルドが16人に分身した。

 “風の偏在(ユビキタス)”……“アルビオン”で才人を苦しめた、“風系統”の“スクウェア・スペル”である。

 が、その時よりも人数が増えている。

 それぞれ“杖”を手にした16人のワルドが、“鉄血団結党”党員達の前に立ちはだかる。

「来給え、諸君。元“グリフィン隊”隊長、“閃光”のワルドが御相手しよう」



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再逢

 遠くで、激しい剣戟の音が鳴り響く……。

 ティファニアは後ろ髪を引かれる想いで、本殿に続く通路を直走った。

「ここから本殿に入れるはずよ!」

 ルクシャナが“魔法”で鍵を壊し、扉を開け放った。

 外角の回廊を抜けると、花の咲き乱れる庭園に出る。その庭園の中央に、円蓋に覆われた石造りの建物がある。“精霊”を祀る本殿である。

 扉の前では“鉄血団結党”の親衛隊が守りを固めている。

「“悪魔の末裔”だ! 殺せ!」

 親衛隊は俺達の姿を見付けると、“呪文”を唱え始めた。

 庭園の周囲に生える木々の枝が、無数の槍と化し、俺達へと襲い掛かる。

 だが、その槍はルクシャナの“風盾”によって阻まれる。

「ハーフの娘、君はここでジッとしていろ。セイヴァー、君は彼女を守れ」

 アリィーが、背中に隠し持っていた、4~5本の曲刀を宙に放った。“精霊”を宿した曲刀は蝶のように宙を舞い、扉を守る親衛隊に襲い掛かる。

 アリィーの得意とする、“意思剣”である。

 白刃が夜の闇に閃き、親衛隊の“エルフ”達は悲鳴を上げた。

 “騎士(ファーリス)”の称号を持つアリィーほどの実力者は、軍の中にもそうはいない。また、ビダーシャルの姪であるルクシャナも、並の“エルフ”よりは遥かに強力な“行使手”である。

「門を固めろ! 本殿を守れ!」

 暗闇の中で声が響く。

 親衛隊は扉の前で、“石壁”の“魔法”を唱えた。

 頑丈そうな石壁が、扉の前に次々と生えて来る。

「くそ、厄介だな……」

「アリィー、サイトから貰った“魔道具(マジック・アイテム)”は?」

 ルクシャナが問うた。

 アリィーは、才人から預かった手榴弾を取り出した。

「これ、どう使うんだ? “呪文”は唱えなくて良いのか?」

「貸して」

 ルクシャナは、困惑顔のアリィーから手榴弾を引っ手繰ると、才人がした手順を想い出し、ピンを引き抜いて石壁目掛けて放り投げた。

「耳、塞いだ方が良さそうよ」

 ドオオオオオオオオオンッ!

 直後、ド派手な爆音が炸裂し、石壁が吹き飛んだ。

 “精霊の力”によ依る“詠唱”よりも遥かに早く、恐るべき威力であるといえるだろう。

「凄い威力……ヒトの技術も馬鹿にできないわね」

「まあ、“地球”の、だがな……」

 ルクシャナは耳から手を離して呟いた。

 そんなルクシャナの言葉に、俺は小さく訂正を入れる。

 地面に倒れた“エルフ”達が、苦悶の呻き声を上げる。

 石壁が衝撃を吸収したため、命に別状ないが、それでも、直ぐに起き上がることは流石にできないであろう。

 本殿の扉は、爆発の衝撃で激しく損傷して居る。

 ルクシャナが“風”の“精霊の力”で“魔法”を放つと、扉は粉々になって砕け散った。

「僕が行こう」

 アリィーが自ら先頭になり、本殿の中へと足を踏み入れる。

 すると、宙に浮かぶ“魔法”の灯りの下、1人の“エルフ”が大仰な身振りで振り向いた。

「おやおや、誰かと想えば、“悪魔の末裔”と裏切り者諸君ではないか」

 

 

 

「きゅいきゅい、エウなんとかの街が見えて来たのね!」

 双つの月が見下ろす夜の砂漠を、シルフィードは全速力で飛行した。

 遠くに見える街の灯りが、段々と近付いて来る。

「あそこに、サイトがいるのね」

 ルイズは堪らなくなって、(あの街のどこかに、サイトがいる……ようやく再逢できるのね……)と涙ぐんだ。いざ想うことで、これまで押し留めていた寂しさや不安、“愛”しさなどが、堰を切ったように溢れて来たのであった。

「嫌だ、ルイズ、なに泣いてるのよ?」

「な、泣いてないもん……」

「嘘仰い。ほら、拭きなさい」

 キュルケが苦笑して、ハンカチを手渡す。

 ルイズはグシグシと目を擦った。

 シルフィードは“エウネメス”の上空に差し掛かった。

「なにかしら? 凄い騒ぎになってるわ」

 キュルケが怪訝そうな顔をして、街の一角を指さした。

 船着場の近くの倉庫街で、大きな火事が起きているのが見える。

 しかも、ただの火事ではないことが判る。“ゴーレム”達が暴れ、到る所で派手な爆発や“魔法”の光が飛び交っているのだから。“魔法”を唱えているのは“エルフ”の軍人である。

「もしかして、サイト達が?」

 ルイズがハッとする。

「あそこへ飛んで」

 タバサがシルフィードに言った。

「無茶なのね! 近付いたら、絶対撃ち落とされるのね!」

 当然、シルフィードは全力で主人に抗議した。

「大丈夫、なんとかする」

「きゅい……御姉様は本当に竜使いが荒いのね!」

 シルフィードは諦めたように鳴くと、空中でターンして、港の倉庫街へと滑空する。

 突如、舞い降りて来た“風竜”に、“エルフ”達は当然容赦などせずに“精霊の力”で“魔法”の雨を浴びせて来た。

「きゅいきゅい! やめるのね!」

 船着き場の上を旋回しながら、回避するシルフィード。

 タバサとキュルケが、それぞれ“ウィンディ・アイシクル”や“ファイア・ボール”などを放ち、“エルフ”の“魔法”を迎撃する。

 倉庫の屋根の上に、人影が見えた。

 “エルフ”ではない……ルイズは、その姿に見覚えがあった。

「フーケ! それに、あいつ等、“ド・オルニエール”の屋敷を襲った連中だわ!」

 ルイズは叫んだ。

 4人組の方は、“元素の兄弟”と云う暗殺者達である。

「もしかして、またサイトを殺そうとしているの?」

 ルイズの胸に激しい怒りが湧いた。それから、(もしそうだとしたら……“虚無”の1発でも御見舞してやるわ)、と“杖”を真下に向けた。

「待って! あの連中、“エルフ”の軍人と戦ってるみたいだわ」

 キュルケが言った。

「え?」

「“ロマリア”の雇った腕利きって、ひょっとして、あいつ等なんじゃない?」

 ルイズは、(……なるほど。確かに、その可能性はあるわね。なにしろ、“元素の兄弟”は御金でサイトの暗殺を請け負ったもの。“ロマリア”が元の依頼主以上の報酬を出せば、寝返ったとしても不思議ではないわ。それにしても、あんな奴等に捜索を任せるなんて……やっぱり、いざとなったら、サイト達の命を奪うつもりだったんだわ!)とルイズは腹を立てた。

 シルフィードは倉庫の屋根の上に着陸した。

「おや、誰かと想えば、あんた達かい!」

 フーケが驚いたように言った。

「フーケ、一体なにが起きているの? サイトとティファニア、セイヴァーはどこ?」

 ルイズはフーケに詰め寄った。

「“鉄血団結党”の“エルフ”共が“火石”でこの街ごと吹き飛ばそうとしてるのさ。坊やとティファニア、あとあの“サーヴァント”は、それを止めに行ったんだよ」

「なんですって!?」

 ルイズ達は顔を見合わせた。

 ルイズは、(あいつってば、またなんてことに巻き込まれてるのかしら……)と心配した。

「じゃあ、3人は今どこにいるの?」

「あの大きな円蓋付きの建物さ」

 フーケの指さした建物を、ルイズの鳶色の目がジッと見詰めた。

「あそこに、サイトがいるのね」

「ルイズ?」

 キュルケが怪訝そうに眉を顰める。

 と、ルイズは大きく首肯いて言った。

「タバサ、キュルケ、私ちょっと行って来るわね」

「え?」

 キュルケが訊き返す間もなく、ルイズは“虚無”の“呪文”を唱え始める。

 次の瞬間、ルイズの姿は掻き消えた。

 

 

 

「諸君、ようこそ、花火の特待席へ!」

 党首のエスマイールは、祭壇の上に積み上げられた大量の“火石”を前にして、俺達を歓迎するように出迎えた。

 アリィーが、うぬ、と唸った。

「エスマイール……貴様、本気で街を消し飛ばすつもりなのか?」

「もちろん。党の掟は至ってシンプルだ。“悪魔”は殺す。幾らでも殺す。兎に角“悪魔”を殺す。裏切り者も殺す。当然、“蛮人”と交流するこの街の連中も、皆殺しだ」

「なんてことを……!」

 とんでもないことを平然と口にするエスマイールに、ティファニアは、(この人は、狂ってる……)と心底恐怖した。

「なるほど、確かにシンプルだ」

「ほう……“悪魔”でも理解る奴はいるものだな」

「だが、それには問題点が幾つもある。そrに気付いていて気付かないふりをしているのか、それとも本当に気付いていないのか……」

 俺の肯定する言葉に、エスマイールは敵である俺に対して少しばかり表情を和らげる。が、皮肉でもって言葉を返し、それでいて殺意などは変わらない。

「どういう意味だね?」

「なに、実に簡単なことだ。実に、初歩的なことだ、友よ。先ず直ぐに想い付くことは、おまえ達が殺そうとしている“悪魔”、俺達が、おまえ等よりも遥かに強い場合、どうするのかということだ。最悪の場合、“エルフ”が全滅する未来だってある」

「貴男みたいな人がいるから、ヒトと“エルフ”は仲良くなれないんだわ」

 エスマイールの質問に俺が答えるのと同時に、ティファニアは想いを打つける。

「ほざくな、民族の裏切り者と“悪魔”が!」

 エスマイールが“呪文”を唱え始めた。

 建物の床が一気に捲れ上がり、石礫の雨と成って降り注ぐ。

「“風”よ、堅き盾となりて我等を守れ!」

 ルクシャナが咄嗟に“風盾”の“魔法”を唱え、ティファニアを守った。

 アリィーがエスマイールに向かって、“意思剣”を投げ放った。

 飛来する6本の曲刀が、隙だらけのエスマイールを斬り刻む……と想われたその瞬間、放たれた曲刀はクルリと反転し、アリィーの方へと飛んで来た。

「ぐああああっ!?」

 不意を突かれたアリィーは、咄嗟に反応できず、ズタズタに斬り裂かれてしまう。

「アリィー!」

 ルクシャナが、血まみれになったアリィーを庇う。

 だが、宙を舞う曲刀は、そのルクシャナをも容赦などなく襲う。

 悲鳴が迸った。

 背中を斬り付けられ、ルクシャナの身体が大きく仰け反った。

「忘れたか? 私がビダーシャルと並ぶ行使手だということを」

 エスマイールが嘲笑う。

 エスマイールは、アリィーの“精霊の力”を奪い、逆に利用したのである。そのことからも、エスマイールが、かなりの行使手であることが理解る。

「入り口を固めろ。“悪魔”共が逃げられんようにな!」

 エスマイールが命じると、本殿の入り口に親衛隊が集い、逃げ道を塞いだ。

「もう直ぐ、“儀式”の仕上げだ。おまえ達はそこで見てるが良い」

 エスマイールは祭壇の上に積まれた“火石”に手を翳した。

 “精霊の力”を込められた“火石”が、赤々と輝く。

 皮肉なことに、その輝きは、とても美しい。いや、破壊をもたらすからこそ、美しいともいえるであろう。

 ティファニアは、(滅びの光だわ……)と絶望した。

 アリィーもルクシャナも、傷を負って動くことが難しい。

 動くことができるのは俺とティファニアだけだが……ティファニアは、(私の知っている“虚無”は、ルイズの使うようなモノとは違う。唯一、知っているのは“忘却”の“魔法”で、でも、それは訓練を積んだ“エルフ”相手には、全く効かない……)と考えた。

 だが、それでも、一か八か、とティファニアはエスマイールに“忘却”を唱えようとする……と。

『やめておけ。おまえの死を早めるだけだ』

 突然、ティファニアの頭の中にそのような声が響いた。

 ティファニアにとって聞き覚えのある声である。

 ティファニアは、(この声……)、と“火石”の積まれた祭壇の暗がりに、ロープで縛られた“エルフ”の少女がいることに気が付いた。

 ファーティマである。

 ティファニアは、(なんで、彼女があんな所に転がされているのかしら……?)と疑問を抱いた。

『私の方を見るな。少しで良い。時間を稼げ』

 思念通話の類で在ろう、ティファニアの頭の中でファーティマの声が反響する。

 ティファニアは小さく首肯くと、紺碧の瞳で、エスマイールを真っ直ぐに見詰めた。

「貴男は、何故、そんなにもヒトを憎むの?」

 エスマイールは嘲笑った。

「“エルフ”が“蛮人”を憎むのに、なにか理由が要るのか?」

「……可愛そうな人ね」

 ティファニアはポツリと言った。

「なに?」

「最初はきっと、小さな憎しみの火種だってのでしょうね……でも、その憎しみに撒きを焚べ続けているうちに、その火種は、貴男自身をも灼き尽くす、地獄の業火になってしまったんだわ」

「“悪魔”が、私を哀れむだと?」

 エスマイールは不機嫌そうにそう呟くと、懐から拳銃を取り出した。

「“蛮人”共の使う武器だ。裏切り者の処刑にはおあつらえ向きだろう」

 エスマイールが引き金を弾き、パンッと乾いた音がした。

 銃弾はティファニアの耳を掠めた。

「うっ……」

 赤い血がポタポタと床に滴る。

 ティファニアは右の耳を押させてうずくまる。

「エスマイール! その娘を殺せば、“悪魔の担い手”は復活するのよ!」

 ルクシャナが叫んだ。

「復活すればまた殺す。何度でも殺す。それだけのことだ!」

 エスマイールのそのギラギラと燃える目を見て、ティファニアは、(この人には、もうどんな言葉も届かないのね……)と説得を諦めた。

「次は左耳だ。汚れた血の“悪魔”が、“エルフ”と同じ特徴を持っているのが我慢ならん」

 エスマイールが、再び狙いを付ける。

「ふん、それはできん話だな」

「なんだと!?」

 俺はティファニアの前へと出て、割って入り、エスマイールへと話し掛ける。

「言ったであろう? おまえは重大なミスをしている。おまえ達”エルフ”が全員一致団結して来ようとも、勝てぬ者が”悪魔の守り手”になったとしたら、どうすると言うのだ? そして、それがここにいるとすれば……?」

「まさか……」

「まあ、俺は“使い魔”であり、“サーヴァント”ではあるが、ブリミルの“使い魔”ではないがな……」

 エスマイールは口を開く代わりに、引き金を引き、銃弾を発射した。

 が、当然、俺にダメージを与えることなどできず、銃弾は俺の身体に弾かれてしまう。

「――な、なに!?」

「“神秘”の込もっていない攻撃など、“サーヴァント”には基本効かぬ。例え“受肉”していようとも、“宝具”を所有した状態での“受肉”だ。無駄なんだよ。無断コピーによるモノだが、この身は、“ヘラクレス”と“アキレウス”を始めとする“英雄”の力の集合体みたいなモノだからな」

 この場にいる皆は当然驚いた様子を見せている。

「だが、そうだな……惚けていて良いのか? この街を吹き飛ばすのだろう?」

「そ、そうだ……貴様等ごと吹き飛ばしてやろう」

「まあ、それもまた無理だがな」

 俺がそう言った瞬間、拳銃を手にしたエスマイールの腕が、突然、燃え上がった。

「――なに……!?」

 縛られたままのファーティマが、密かに“魔法”を唱えたのである。

 そのまま、ファーティマはエスマイールに体当たりした。

 バランスを崩し、エスマイールは床に倒れた。

 ファーティマは必死に叫んだ。

「今だ! 祭壇の“火石”を打ち撒けろ!」

「貴様、“儀式”を台なしにするつもりか!?」

 激昂したエスマイールは直ぐに起き上がると、ファーティマの腹を蹴り上げた。次いで、倒れたファーティマに即座に銃口を向け、引き金を弾く。

 銃弾は、ファーティマの肩に命中し、パッと鮮血が散った。

「この私に歯向かうとは……簡単には殺さんぞ」

「やめて!」

 ティファニアは駆け出すと、銃口の前に飛び出した。そして、床にうずくまるファーティマを、庇うように抱き締める。

「おまえ……!」

 血まみれのファーティマが、驚きに紺碧の目を見開く。

「ふん……では、纏めて死ぬが良い!」

 冷たい銃口が、ティファニアの後頭部に当てられようとする。

 ティファニアは想わず、目を瞑った。

 その時である。

「テファあああああああああっ!」

 入り口を固めていた親衛隊の“エルフ”達が、纏めて吹き飛んだ。

 

 

 

 才人は風のように斬り込むと、デルフリンガーを縦横に振るった。

 本殿の入り口を固めて居た親衛隊の“エルフ”達が、あっと言う間に倒れて行く。

「おのれ、“悪魔”め!」

 エスマイールは才人に拳銃を向け、即座に発砲した。

「遅えんだよ!」

 才人は倒れた親衛隊の山を飛び越えて跳躍すると、一気に距離を詰める。そして、エスマイールが拳銃を手にする腕目掛けて、デルフリンガーを振り下ろした。

 エスマイールの右手が宙に飛んだ。

「ぬうっ……憤怒の石よ、我に仇なす敵を討て!」

 エスマイールは大きく跳び上がり、“精霊の力”による“魔法”を唱えた。

 建物の石柱がグニャリ、とねじ曲がり、巨大な腕となって才人に掴み掛かる。

 しかし、才人は難なく躱してみせ、石の腕をバターのように容易く切断してみせた。

「なんだと!?」

 右手を失ったエスマイールの顔が引き攣った。

「サイト、無事だったのね!」

 ティファニアが叫んだ。

 その声を聞き、才人は、一先ず安心する。だが、同時に、彼女の片耳が撃たれていることに気付き、激昂した。

「おい、セイヴァー! なんで守ってねえんだよ!?」

「ああ、すまないな。命に関わることはないと理解していたからな。薄情者な俺をどうぞ恨んでくれ給え」

「よくもテファを……赦さねえ!」

 才人は俺の謝罪を聞いたのと同時に、エスマイールへと向けて叫んだ。

 才人の心は、激しい怒りの感情などで震えている。“ガンダールヴ”の力は、気持ちや感情などで大きく増幅することがある。

 才人は床を蹴って、エスマイールを追い詰めた。それから、肩を狙って、素早く剣を振り下ろす。

「相棒、駄目だ!」

 デルフリンガーが叫んだ。

 デルフリンガーの刃が触れそうになった、その瞬間……エスマイールの手前の空気がブワッと歪み、才人の身体は後ろに吹き飛ばされてしまう。

 激しく床に叩き付けられそうになるが、才人はしっかりと受け身を取る。

「“反射(カウンター)”か!」

 解除する手段のない才人は、(あの時はルイズがいた。でも、今は……)と考えた

「くそっ!」

 才人は立ち上がり、俺に頼ることはせず、エスマイールに向かって再び突っ込んだ。

 もちろん考えがあってのことであり、“反射”でき来る威力にも限度があることを計算した上での行動であるといえるだろう。事実、“虎街道”での戦いで、“タイガー戦車”の主砲は“ヨルムンガント”の“反射”を貫いたのだから。

「無茶だよ相棒、やめとけって!」

「うおおおおおおおっ!」

 才人が渾身の力で振り下ろした一撃は、やはり跳ね返されてしまう。しかも、力を込めた分、返って来る威力もまた倍である。

 才人は壁際まで吹き飛ばされてしまう。

「はははっ、死ね! “悪魔の眷属”め!」

 エスマイールは凄絶な笑みを浮かべ、“精霊の力”を利用して“魔法”を唱えた。

 才人の身体を、床から生えて来た幾本もの石の腕が押し潰そうとする。

 その瞬間である。

 巨大な石の腕は、才人の眼の前で爆発し、粉々に砕け散った。

「……え?」

 才人は、呆然として顔を上げた。

 才人の目に飛び込んで来たのは……桃色がかったブロンドの髪であった。たなびく百合紋章のマント、鳶色の瞳に、透き通った白い肌……“杖”を手に凛々しく立つその姿は、まるで神々しい女神のようであるといえるだろう。

「ルイズ……?」

 才人は、これが夢じゃないのかと疑うように、頬をつねった。(信じられない。姫様達と一緒にいるはずだろ? どうしてこんな所にいるんだ……?)と想ったのである。

 だが、才人の眼の前のルイズは、確かに存在していて……。

「間に合ったみたいね」

 と、ルイズは言った。

「サイト、あんたの御主人様が、迎えに来て上げたわよ」

 その瞬間、才人の両目から涙が溢れた。今の状況も、身体の痛みも、なにもかも忘れて、才人はルイズに抱き着いた。

「ル、ル、ルイズううううううう!」

「ふ、ふああっ……や、やめなさいよ、こんな所で!」

 真っ赤になって、才人を引き剥がそうとするルイズ。

 だが、才人はルイズの身体を抱き締めたまま離さない。

「ほ、本物だよな? 幻とかじゃなくて……」

 才人は不安そうに言って、ルイズの小柄な身体をペタペタと触った。

 感触はあり、幻ではない、ということが才人には理解った。

 次に、才人は匂いを嗅ぎ、ルイズの匂いを確かめた。

「ちょ、ちょっと、サイト、もう!」

 ルイズは怒ったような、困ったような顔で、いやんいやんと身体をくねらせる。

 そんなルイズの身体を、才人は確かめるようにサワサワとする。

 そして、胸を触ったところで……才人は確信した。

「本物だ」

「どういう意味よ!?」

 ルイズは才人をゲシッと蹴り飛ばした。

 才人は、(嗚呼……夢じゃねえ。本物のルイズだわ、これ)と涙ぐんだ。それから、フラフラとよろめきながらも、デルフリンガーをしっかりと握り直す。ルイズが側にいる……それだけで、身体中から力が溢れて来るのを才人は感じ取ることができた。

「嗚呼、ルイズ……」

 と、ティファニアも安堵の微笑みを浮かべる。

 そんな3人を見て、俺の頬も少しばかり緩んだ。

 ルイズはエスマイールに向かって、“杖”の尖端を突き付けた。

「さあ、観念しなさい」

 エスマイールは、ぎり、と奥歯を噛むと、憎悪を込めた目でルイズを睨んだ。

「“悪魔”め。纏めて死ね!」

 片腕を天井に振り上げ、エスマイールは “精霊の力”で一際強大な“魔法”を唱え始める。

「サイト、あたしを守りなさい!」

「おうよ!」

 ルイズの声に威勢良く応ると、才人はデルフリンガーを手に突進した。身体はボロボロで、もう限界であったはずだというのに……まるで“風”になったように。

 エスマイールの“魔法”が完成した。

 先程のモノよりも遥かに大きな石の腕が、床から次々と生み出され、才人に襲い掛かる。だが、その動きは酷く緩慢である。

 だがそこで才人は、(いや、違うか……)と気付いた。才人の感覚と身体能力が、先程よりもずっと研ぎ澄まされ強化されているのである。

 後ろで“呪文”を唱えるルイズの声が、才人に絶大な勇気を与えているのである。

 才人は、巨大な石の腕を、斬って斬って、斬り捲くる。主人の盾となり、“詠唱”の時間を稼ぐ……そんな“ガンダールヴ”の本領を、才人は遺憾なく発揮した。

「絶好調だね、相棒」

「デルフ、俺、負ける気がしねえよ!」

 縦横にデルフリンガーを振るいつつ、才人は叫んだ。

「馬鹿な……!」

 エスマイールの顔が引き攣った。

 

 

 

 ルイズは目を瞑り、“虚無”の“ルーン”を唱えた。

 ルイズの心を、(サイトが私を守ってくれてる)という安心感と幸福感が、包み込んでいた。

 そして、(サイトに、もう1度逢うことができた……)というその感情の昂ぶりが、1度は空っぽになったはずのルイズの“精神力”を、一杯に満たしていた。

 そして、ルイズの”虚無”が完成する。

 “解除(ディスペル)”。

 “杖”の先から閃光が迸る。

 同時に、デルフリンガーの刀身が淡く輝いた。

「今よ、サイト!」

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 襲い来る石の腕を斬り払い、才人はエスマイール目掛けて跳躍した。そして、狼狽するエスマイールの肩に、デルフリンガーを振り下ろす。

 “解除”の掛かった刀身が、障壁のような“反射”をアッサリと斬り裂いた。

「ぐぬぅ……!」

 デルフリンガーの刃が肩に喰い込み、エスマイールが膝を突く。

 才人は素早く刃を返し、峰打ちをしようとした。

 と、その時である。

「おのれ……この私が、“蛮人”如きに!」

 エスマイールが、片手で懐からなにかを取り出し、才人の前に突き出した。

 才人は、一瞬、拳銃かと想った。

 だが、違う。

 透明な球体の中で、赤々と輝く美しい光……それは、拳ほどの大きさをした“火石”であった。

「なっ……!?」

 才人は思わず、固まった。

 エスマイールがニヤリと唇を歪める。

「ふ、ふははっ、“蛮人”の手には掛からんぞ!」

 エスマイールは“火石”を掲げ、なにか“呪文”の言葉を呟いた。

 すると、“火石”の表面にピシッと小さな亀裂が奔り、その輝きが激しく増した。

「な、なんのつもりだよ!?」

 デルフリンガーを振り上げたまま、才人は言った。嫌な予感を覚えたのである。

 床に倒れたルクシャナが、蒼白になって叫んだ。

「貴男……まさか心中するつもりなの!?」

「なんだって!?」

「く、く、ははははははっ!」

 エスマイールは輝く“火石”を掲げたまま、けたたましい哄笑を上げた。

 その異様な雰囲気に押され、才人は想わず後退る。

「“儀式”しないと、爆発させられないんじゃないのかよ!?」

「ただ爆発させるだけなら、“精霊の力”を込めるだけで十分なのよ!」

 才人は、(そう言えば……あの“ミョズニトニルン”のシェフィールドも、そんなことを言ってたっけ? ただ“火石”を爆発させるだけなら、そう難しくはないって……実際、“虚無”の力を使うことなく“火石”を爆発させ、ジョゼフと心中したもんな……)と想い出した。

 エスマイールは、自分と親衛隊諸共、俺達を吹き飛ばすつもりでいるのである。

「て、テメエ、正気かよ……?」

 才人は喉の奥で唸った。だが、どうすることもできなかった。ここでエスマイールを斬り捨てたところで、1度反応の始まった”火石”はどう仕様もないのだから。

「同志エスマイール、なにをなさるおつもりですか!?」

「わ、我々を巻き添えにする気ですか!?」

 才人に倒された親衛隊の“エルフ”達も、ようやく、エスマイールのしようとしていることを理解して、悲鳴のような叫びを上げた。

「“悪魔”共を滅ぼすことができるのだ。諸君も本望だろう。私も諸君も、民族の英雄として、“エルフ”の歴史に長く語り継がれるぞ!」

 エスマイールは凄絶な笑みを浮かべて言った。

 祭壇に積まれた“火石”が、激しく輝き始めた。エスマイールが手にしている“火石”と共鳴しているのである。

 エスマイールが持つ“火石”が炸裂してしまえば、恐らく、他の“火石”も連鎖的に爆発するであろうことは簡単に予想できる。

「哀れな人……そんなことをしても、この世界に憎しみの連鎖を増やすだけだよ」

 ティファニアが心底哀れむように言った。

「違うな。“蛮人”がこの世界から消え去れば、憎しみの連鎖もまた消える」

「ふん、阿呆か? 貴様。ヒトが消えたとして、次は他の“亜人”と争うことになるだろうさ。そして、最終的には身内での争いになる。他の種族の血が混じる、掟を破ったという理由で、流刑し、言い分をマトモに聴きはしないことから簡単に判ることだ。それになにより、俺と才人の故郷がそれを良く理解させてくれる」

 エスマイールの言葉に、俺は直ぐ様否定の言葉を口にする。

 だが、エスマイールの気持ちもまた十分に理解できモノであるといえるだろう。そう教え込まれて来た……そして、そういうモノだと想い込み、思考と感情がそういったモノに統一し、固定されてしまったのである。

 抑々、ヒトと“エルフ”は立場上の問題などで相争うことになっただけのことであり、エスマイールを始め“鉄血団結党”の党員達もまた、被害者なのだから。

 ピチチチチチ……と“火石”が震動する。

 それは滅びへのカウントダウン、といっても良いだろう。

 結界の亀裂が広がり、封じ込められた“火”の力が、今にも暴発しようとしているのである。

「させないわ!」

 ルイズは慌てて“火石”に、“解除(ディスペル)”を掛けようとする。

「嬢ちゃん、そいつは無理だ」

 デルフリンガーが言った。

「どうしてよ!?」

「もう反応が進んじまってる。今更、“解除”を掛けても、どう仕様もねえんだ」

「“爆発(エクスプロージョン)”で消し飛ばすわ」

「そいつは1番駄目だ。“火石”が爆発しちまうよ」

「じゃあどうするのよ!?」

 ルイズは怒鳴った。

「は、は、ふはははははははっはっ! “鉄血団結党”万歳!」

 エスマイールが狂気に満ちた哄笑を上げる。

「くそっ……どうにかできないのかよ……?」

 才人は唸った。

 “火石”はもう爆発寸前である。

 その時、ふとティファニアが立ち上がり、ポツリと言った。

「……この音は、なに?」

 

 

 

 どこからか聞こ得て来る、美しいその旋律に、ティファニアは耳を澄ませた。

 透き通った音色の、ティファニアにとってどこか懐かしいような感じのする旋律であった。

 眼の前で大変な状況が起こっているというにも関わらず、ティファニアは想わず、聴き入ってしまいそうになるほどであった。

 ティファニアは、(この音は、どこから聞こ得て来るの……?)と耳を澄ませた。

「ティファニア、どうしたの?」

 と、ティファニアの様子が可怪しいことに気付いたルイズが、声を掛ける。

「ねえ、ルイズは、この音が聞こ得ないの?」

「え?」

 ルイズはキョトンとした。

「ちょっと、なによこんな時に……」

 どうやら、ルイズにも、才人にも、この旋律は聞こ得ていないようであることが判る。

 ティファニアは、俺へと疑問の目を向けて来た。

「そうだ。おまえは、どの“系統”を扱うことができるのか、想い出してみろ」

 ティファニアは、俺の言葉を聞いて、(自分だけが聴く事の出来る、不思議な旋律……私の“系統魔法”……)、と考え、その正体に想い当たった。

「“虚無”の“ルーン”だわ……」

 その旋律は、ティファニアは幼い頃に聴いた、あのオルゴールの音に良く似ていたのである。

 ティファニアの呟きを聞いたルイズがハッとした。

「ティファニア、あんた、ひょっとして……」

 ルイズは慌てて、マントの下から古木瓜た小さなオルゴール――“始祖のオルゴール”を取り出した。

 その瞬間、指に嵌めている“風のルビー”が共鳴し、ティファニアの頭の中に、唄と“ルーン”が浮かんだ。

「ティファニア、貴女、新たな“虚無”に覚醒めたのね!」

 ティファニアはコクっと首肯いた。

 “虚無”の“ルーン”が、美しい唄の旋律と成って、ティファニアの中へと染み込んで行く……。

 ティファニアには、その“虚無”のもたらす効果が、ハッキリと理解できた。

 “虚無”は、“担い手”がそれを必要とする時に与えられる。

 ティファニアは、(この“魔法”を使えば、なんとかできるかもしれない……)と想った。がしかし、今それを使うには、1つだけ、大きな気掛かりがティファニアの中にはあった。

 ティファニアは、才人の方をチラッと見た。

 ティファニアの目、と、才人の目が合う。

 才人はわずかに首を傾げるが……直ぐに視線の意味に気付いた様子を見せる。

 そう。才人は今や、ルイズの“使い魔”であるのと同時に、ティファニアの“使い魔”でもあるのだ。そして、最後の“使い魔”である“リーヴスラシル”は、“虚無”の“魔力”供給機である……。

 ティファニアが新たに目覚めた“虚無魔法”は、“忘却”とは比べものにならないほどに強力である。

 そのようなモノを使えば、才人の身体がどうなるか……。

 だが、才人はティファニアを真っ直ぐに見詰めたまま、(やってくれ……)と首を振った。

 ティファニアは静かに首肯いた。才人のその覚悟に、応えようと想ったのである。

 狂ったように嗤うエスマイールに向けて、ティファニアは“杖”を構え、“虚無”の“ルーン”を唱え始める。

「“エオルー・スーヌ・イス・ヤルンサクサ”」

 ティファニアは、美しい調べに乗せて、“虚無”の“ルーン”を謳い上げる。

 それは、ルイズの“爆発(エクスプロージョン)”の“詠唱”と良く似た“ルーン”であった。

「“オス・ベオーグ・イング・ル・ラド”、“アンスール・ユル・ティール・カノ・ティール”」

 ただし、それは対象物を爆発させるのではなく、汎ゆる物質をその形にたらしめている理そのものを忘却させる“呪文”……。

 その理屈は理解らぬものの、ティファニアはそう理解することができた。

「“ギョーフ・イサ・ソーン・ベオークン・イル”!」

 “呪文”が完成した。

 ティファニアは、真っ直ぐに“杖”を振り下ろした。

 眩い閃光が弾けるのと同時に、エスマイールが手にした“火石”が、祭壇の上に積まれた“火石”が、細かな光の粒子となって次々と消滅して行く……。音もなく、分解される際に発生するはずのエネルギーを生み出すこともなく、消滅していく。

 “分解(ディスインテグレート)”。

 ブリミルが編み出した”虚無”の”系統”は、物質を構成する極小の粒に干渉する。

 ティファニアの唱えたその“虚無”は、単に“火石”を破壊したのではない。“火石”を構成する要素そのものを、全て部室の根源である原初の粒にまで分解してみせたのである。

 そこにはなんの痕跡も、当然残るはずもない。それが、この世界に存在したという事実さえ、記憶や記録意外には残さず、跡形もなく消し去ってしまうのである。

 ある意味で、究極の“忘却”ともいうこともできる、“魔法”である。

「ば、馬鹿な……」

「だから言っただろう? おまえ等よりも強い力を持つ者が“虚無”を手にすれば、滅ぼすことなどできない、と」

“火石”の消えた祭壇の前で、エスマイールは愕然と膝を突いた。

 ティファニアの”分解”を目の当たりにした”鉄血団結党”の親衛隊も、当然、完全に戦意を喪失し、武器を投げ出した。

 “火石”を一瞬で消滅させた、”虚無”――“悪魔の業”……、(あれを自分達に向けられたら、一体どうなってしまうのだろう? この世界から、跡形もなく消滅してしまうのでは?)という恐怖は、“エルフ”達にとって、唯死ぬことよりも、ズッと恐ろしく感じられたのである。

 

 

 

「遣ったわね、ティファニア!」

 そんな“エルフ”達の想いや、“分解”の恐ろしさなどには気付かず、ルイズが快哉の声を上げた。

「やったな、テファ……」

 才人もティファニアの方を振り返り……突然、ガクッと崩れ落ちた。

「サイト?」

 ルイズはキョトンと首を傾げる。だが、直ぐに異変に気付くと、慌てて才人の側に駆け寄った。

「サイト! ちょっと、どうしたのよ!? サイト!」

「ル……イズ……」

 取り乱して叫ぶルイズの声は、しかし、才人にはほとんど届かなかった。

 “リーヴスラシル”の“ルーン”が激しく輝き、燃えるような灼熱の激痛が才人を襲う。

 才人は、泣き叫ぶルイズの声を遠くに聞きながら、(いや、痛みのあるうちは、まだマシなのかもな。自分が生きていると感じられるもんな……でも、自分の存在そのものが奪わて行くような、この感覚は……嗚呼、ちくしょう、折角……折角ルイズに逢えたってのに……)と想い、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才人が頭を振りながら目を覚ますと……其処は大きなベッドの上であった。

 いつものパーカーではなく、ユッタリとした寝間着に着替えせられている、ということに才人は気付く。

 そして、(……? つーか、俺、なんでこんな所にいるんだ?)とズキズキと痛む頭を押さえ、才人は自分の身に起きたことを想い出そうした。

 才人は、(そう、あの時……テファが物凄い“虚無”を使って、“火石”を消したんだっけ? そして、“虚無の担い手”の“魔力”供給機となった俺は、ルイズとの再逢を喜ぶ間もなく、気を失ってしまった……そこから先の記憶がない……)とそこまで考えて直ぐ、(と言うか、ここって、ひょっとして……)と部屋の中をグルリと見回した。

 そこは、見慣れた“オストラント号”の船室であった。

「どうして“オストラント号”に……」

 才人は眉を顰めつつ、ベッドから起き上がろうとした。すると、むにゅ、とした感触が手にあることに、気付いた。

「な、なんだ……? って、ルイズ!」

「ん、うう……ん……」

 床に膝を突き、才人の枕元に寄り掛かるようにして、ルイズが眠っていた。すぅすぅと可愛らしい寝息を立てている……。

 頬に落ち掛かるブロンドの髪、透き通る様な白い肌。小さな胸の膨らみ。

 そんなルイズの姿を見て、才人は一先ず安心した。だが同時に、(ルイズ、どうしてこんな所にいるんだろう……?)といった疑問が浮かんだ。

 才人がそう想った時、ルイズは、ふぁ、と欠伸をして目を覚ました。

「ん、サイ……ト……?」

 ルイズは、トロンとした目を擦り、それから、ハッと成って身を起こした。

「サイト、目を覚ましたのね!」

「うわ、ルイズ!」

 ルイズはガバッと才人に抱き着いた。

「良かった……このまま儘、ずっと目を覚まさないんじゃないかって……」

「ルイズ、おまえ、ひょっとして、ずっと看ててくれたのか?」

「え?」

 才人がそう尋ねると、ルイズの顔が赤くなった。

「と、違うのよ? あ、あんたがまる2日も目を覚まさないから、その……セイヴァーは、大丈夫だって言ってたけど……」

 慌てて手を振り、誤魔化そうとするルイズ。

 そんなルイズを、才人はとてもいじらしく想った。

「それにしても、俺、そんなに寝てたのかよ……」

「そうよ。あんた、ずっと魘されてたわ」

「あれから、俺達どうなったんだ?」

 才人は尋ねた。

「街を吹き飛ばそうとしてた連中は、騒ぎを聞き付けた自警団が捕縛して行ったわ。あのエスマイールって奴もね。ちゃんと“エルフ”の“評議会”で裁かれるみたい」

 ルイズは、“エウネメス”での顛末を話した。

 ティファニアの“虚無魔法”に恐怖した“鉄血団結党”の“エルフ”達は、抵抗する意志すらも見せずに、大人しく捕まったのである。それから、ルイズ達は、“エウネメス”に行軍して来た“聖地回復連合軍”と合流し、気を失った才人を“オストラント号”に乗せたのである。負傷したアリィーとルクシャナは、“ロマリア”の救護船に収容された。

「テファは? この“フネ”に乗ってないのか?」

「彼女は“ロマリア”の救護船に移ったわ」

 ティファニアも、最初はルイズと一緒に才人を看護していたのだが、才人の様子が安定して来てからは、看護をルイズに任せて、“ロマリア”の“フネ”に収容された“エルフ”の娘の看護をしているのである。

 才人は直ぐに、その“エルフ”の娘が、ファーティマであることに気付いた。そして、(長年に渡って積りに積もった憎しみは、そう簡単には消えることはないだろうな……でも、あの優しい心を持ったテファなら、きっと、彼女の心を溶かすことができる……)と想い、「まあ、なんにせよ、良かったな……」と部屋の天井を見上げて呟いた。

 

 

 

 ルイズが一通りのことを話し終えると、部屋に奇妙な沈黙が訪れた。

 2人には、話したい事は幾らでもあった。なにしろ、ずっと離れ離れだったのである。だが、いざ話そうとすると、なにを話せば良いのか、判らないのである。

 2人はしばらく、無言のまま見詰め合い、やがて、どちらからともなく唇を重ねた。

「んっ……」

 そのまま、才人はルイズの肩を抱き寄せた。

 才人の心を、暖かな感情が満たして行く……(このまま、ルイズの総てを感じたい……ルイズの総てに触れたい)とそう想った才人の指先が、ルイズの控えめな胸に触れた。

 ルイズは小さく身動ぎする。が、特に抵抗という抵抗はしなかった。

 ユックリと唇を離し、才人はルイズの耳元で囁いた。

「良い?」

「……だ、駄目」

 と、ルイズはか細い声で言った。

「ご、ごめん……」

 才人は、(嗚呼、やっちまった……いつものアレだ。駄目な奴だ。俺、調子に乗り過ぎた。幻滅されたかも……)と想った。

「違うの。カーテン閉めて。恥ずかしいから」

 ルイズは頬を染め、シーツから覗く綺麗な脚をモジモジとさせた。

 才人は、(な、なんだ、そういうことか……)と安堵した。

「大丈夫だよルイズ、ここは御空の上だよ。誰も見てないよ」

「そういう問題じゃないわ。雰囲気よ」

 ルイズは顔を真赤にして言った。

「理解ったよ」

 才人は船室のカーテンをシャッと閉めた。

「そ、それじゃあ……」

 と、才人はゴクリと唾を呑み込み、ルイズの控えめな膨らみにソッとタッチした。

 ルイズがキュッと目を閉じる。

 才人は、(嗚呼、こんちくしょう。お、俺の御主人様は、なな、なんて可愛いんだろう……)と想った。

「ねえ、灯を消して」

「灯り?」

 ベッドの脇に“魔法”のランプが在る。

「嫌だ。消さない」

 と、才人は言った。

「どうして?」

「俺、ずっとおまえの顔を見てたいんだ」

「サイト……」

 ルイズは頬を赤く染め、上目遣いにはにかんだ。

 ルイズのそのような仕草も滅茶苦茶可愛らしく想え、才人はもう我慢できなくなる。

 才人が、制服の上から控えめな胸を軽く突くと「ひゃうっ」と甘い吐息がルイズの口から漏れる。

 才人は、そのまま、ブラウスのボタンを外そうとすると……。

『アーアー、“風の妖精さん”からの御知らせです。良い加減にしようね、キミタチ』

「わ!?」

 瞬間、才人はベッドから転がり落ちた。

 其の声は、船室の天井に在る伝声管から聞こ得て来て居る。

『うん、“風の妖精さん”もね、最初は大目に見ようかなって想ったヨ。なんと言っても、感動の再逢なんだしネ。でも、流石に、流石にネ……僕は我慢の限界だヨ?』

 其れは、怒りに震える“風の妖精さん”――マリコルヌの声であった。

「お、おまえ、全部聞いたてのかよ!?」

『うん、伝声管は全ての船室と繋がってるからネ。吐―か、そっちの声、艦橋にも丸聞こえなんだよ。キミタチは、あれかい? 御空の上でもレモンちゃんなのかい?』

「ち、違うわよ!」

 ルイズは伝声管に向かって怒鳴った。

『“カーテン、閉めて。恥ずかしいから”』

「ふああっ!?」

 マリコルヌが声真似をすると、ルイズは顔を真赤にして身悶えした。

『“ねえ、灯りも消して”』

「やめて!」

『“俺、ずっとおまえの顔を見てたいんだ”』

「お、おまえ……!」

 才人が文句を言おうとした、その時である。

「なになに? なんの騒ぎよ……あらま!」

 船室のドアが開き、キュルケとタバサ、シエスタの3人が姿を現した。

 キュルケはルイズの乱れたブラウスを見て、ニヤッと笑った。

「こんな昼間から、御盛んねえ。心配して損しちゃったわ」

「ミス・ヴァリエール、抜け駆けなんて、狡いですよ!」

 当然、シエスタは文句を言った。

「と、違っ……違うわ!」

 ルイズは慌てて乱れた服を直し始める。

「シエスタ、キュルケ、それにタバサも……来てくれたんだな」

「嗚呼、サイトさん……本当に、本当に御無事で良かった……」

 シエスタは涙ぐみ、才人のベッドへと飛び込んだ。

「ちょっと離れなさいよ、このエロメイド!」

「なんですか? ミス・ヴァリエール。1週間に3日は貸してくれる約束でしょう?」

「2日よ、2日! 勝手に増やしてんじゃないわよ!」

 ルイズとシエスタは、早速言い合いを始めた。

 そんな2人のやりとりも、随分懐かしく想え、才人は、(嗚呼、帰って来たんだなあ)と想った。

「おかえりなさい」

 タバサがポツリと言った。

「ああ、ただいま」

 才人がその頭にポンと手を乗せると、タバサの頬が赤くなった。

「やあ、本当かね? 我等が副隊長殿が目を覚ましたというのは」

 と、今度は騒々しい足音が聞こ得て来た。

 ドヤドヤと部屋に押し寄せて来たのは、ギーシュにレイナールにギムリ……“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の仲間達である。

「ギーシュ、それに皆も!」

「サイト、良かったな。本当に心配してたんだよ」

「悪かったな。心配掛けて」

 才人はギーシュと抱き合った。それから、“水精霊騎士隊”の仲間1人1人と抱擁を交わし合った。遅れてやって来たマリコルヌも、グエッと音を上げるまで抱き締めた。

「やあ、サイト君。目覚めたようだね」

「コルベール先生!」

 才人は大声を上げた。

「先生まで、来てくれたんだ」

「うむ、サイト君、君が無事で本当に良かった」

 才人のいる船室は、あっと言う間に“学院”の仲間達で埋め尽くされた。

 才人は、(皆、俺とテファ、セイヴァーのために、危険を冒して“エルフ”の土地まで来てくれたんだな……)と想い、目頭が熱くなった。

 だが、2人切りの時間を邪魔されたルイズは、やはり少しばかり不満そうであった。

「もう、なんなのよ……」

 

 

 

 ギーシュ達は才人を囲み、”エルフ”の首都”アディール”に乗り込んだ時の話をした。

 “アディール”郊外での“エルフ”の艦隊との決戦、ルイズの放った特大の“爆発(エクスプロージョン)”。“オストラント号”で“エルフ”の塔に突っ込んだという話を聞いた時、才人は、「滅茶苦茶するなあ」と苦笑した。

「“エルフ”達と戦ったりして、大変だったんだぜ」

「もう一生分の“先住魔法”を見たよなぁ……」

 と、マリコルヌが言った。

「ところでサイト、君達の方は、“エルフ”の土地で、ティファニア嬢とどんな冒険をして来たんだね? セイヴァーは、シオンと一緒に“アルビオン”の艦隊の方へ行って訊くことができないんだ」

「ああ、俺達は……」

 今度は才人が、“エルフ”に攫われたからのことを話した。

 “エルフ”の塔に監禁され、薬で心を奪われそうになったこと。塔であのビダーシャルに逢ったこと。“エルフ”の中では変わり者であるルクシャナに助けられ、ティファニアと4人一緒に塔を抜け出したこと。“水竜”との戦い。デルフリンガーが生きていたこと。そして、“竜の巣”に逃げたこと……。

 そこまで話した才人は、不意に、あることを想い出した。

 才人は、(つうか、なんで忘れてたんだろう……? こんな大事なこと)と想い、「そうだ。“聖地”だ! “聖地”があったんだよ! その“竜の巣”に!」と叫んだ。

「…………」

 一同は顔を見合わせた。

「あれ? 皆驚かないの?」

 戸惑う才人に、コルベールが言った。

「サイト君、この“フネ”は、その“聖地”に向かっているんだ」

 その後才人が、コルベールから聞かされたのは、“ハルケギニア”と“エルフ”との間で、一時的な和平が成立したことである。

 ルイズの“虚無”で艦隊が全滅したこと、本拠地である“アディール”に直接乗り込まれたという衝撃は、“エルフ”達にとって、かなり大きかったようであった。本国の“鉄血団結党”は、最後まで和平に反対し続けたようであるが、党首のエスマイールが“エルフ”の街――“エウネメス”を“火石”で吹き飛ばそうとしていた事実が露見すると、大きな非難を浴びて勢いを失った。

 一方、“ロマリア”教皇であるヴィットーリオは、“聖地回復連合軍”の大部分を占める地上軍の指揮をアルブレヒト・デューラー3世に任せ、“サハラ”の国境沿いまで退かせたのである。そして、ヴィットーリオ自身は、御召艦“聖マルコー号”に乗船し、“虚無”の“担い手”と共に“聖地”へと向かうことになったのであった。

 

 

 

「……俺達が捕まったりしてる間に、なんだか大変なことになってたんだな」

 その夜、才人は船室のベッドに仰向けに寝転がりながら言った。

 隣には寝間着姿のルイズがいる。「自分の部屋では“フネ”の機関音が煩く、どうしても寝付けない」と言うので、才人の部屋で寝ることにしたのである。

「でも、後は“聖地”の“魔法装置”さえ見付かれば、全部解決するんだよな?」

「サイトは、本当に“聖地”に“魔法装置”があると想う?」

 ルイズは訊いた。

 才人は首を横に振る。

「判んねえ。あの“竜の巣”に、それらしきモノはなかったし、セイヴァーもなにか言おうとしてたみたいだけど……」

「なにか条件でもあるのかしら? “4の4”を揃えないと、現れないとか?」

「さあ、どうだろう? でも、教皇もジュリオも、まだなにか企んてる気がする。セイヴァーもそうだけどさ……まだなにかきっとあるんだ……きっと」

 才人は真面目な顔で考え込む。

「サイト……」

「うん?」

 ルイズは才人の側に寄り添った。そうしていると、ルイズの心は安心するのである。(ここが私の居場所なんだわ……)と想うことができるのである。

「あ、逢いたかったわ……」

 と、ルイズはそう素直に口にした。

 1年以上前のルイズであれば、才人の前で、このように素直な気持ちを口にすることはなかったであろう。なんだかんだと理屈を付けて、自分の気持を誤魔化していたはずである。

 だが、今は違う。あの“ヴェルサルテイル”の中庭で、互いの肌を見せ合った時ら、もうつまらない意地を張るのはやめると決めたのだから。

「ああ、俺も、ずっとルイズのことを考えてた」

「そう……」

 ルイズは甘えるようにはにかんだ。

 ルイズは、(好きな人が側にいる……それだけで、こんなにも幸せなんだわ)と想い、才人の手をソッと握った。

 すると、それが合図であるかのように、才人はルイズの顎を軽く持ち上げた。

 2人は目を瞑り、唇を重ねた。これまで、離れ離れだったのを埋め合わせるように、夢中になって唇を押し付け合った。

 そうしているうちに、才人の手がルイズの控えめな胸に触れる。

「さ、触って良いか?」

 才人は乾いた声で問うた。

 ルイズは恥ずかしそうに、コクン、と首肯いた。

 また“風の妖精さん”に邪魔されることがないように、ルイズは伝声管にクッションを名一杯詰め込んでいた。「今日だけですからね。1週間に2日の約束ですからね」、と念を押しながらも、2人切りにしてくれると約束してくれたため、シエスタが乱入する必要もない。

 才人が、ブラウスの上からルイズの胸に手で触れる。その手がわずかに震えている。

 ルイズは、(サイトってば、緊張してるんだわ)とそれを敏感に感じ取った。そして、(でも、私は、もっとドキドキしてる……)と想った。

「さ、触るよ」

 と、才人は上擦った声で言った。

 才人の指先が、ルイズの胸にソッと触れる。

 ルイズはか細い悲鳴を漏らした。

「サイト、やっぱり、恥ずかしい……」

「は、恥ずかしくないよ。可愛いよ」

「でも、ちっちゃいし……」

「ちっちゃくないよ。可愛いよ、ちっちゃくても可愛いよ」

「本当?」

「ああ、本当だって……可愛いよ。ちっちゃいルイズ可愛いよ」

 才人は、ルイズの耳元で繰り返した。

 すると、ルイズは幸せな気分になり、くてーっとなってしまう。

 冷静に考えれば、今の才人は少しアレであり……ちょっと、というよりか、かなり気持ちが悪いといえるだろう。だが、すっかり頭の茹だってしまったルイズは、(良いの、今はそんなちょっとキモいところも好きなの……)と想うようになっていた。

 事実、2人は、御互いの良い部分を見ながらも、悪い部分から目を背けることはない。

 そのまま、才人はルイズを押し倒し、首筋にキスをしようとした。

 しの時。

 ふと、寝巻き姿の隙間から、才人の胸元の傷が、ルイズには見えた。

 “使い魔”の“ルーン”……。

 ルイズは、わずかに眉を吊り上げると、才人の唇に人指し指を当てた。

「ルイズ?」

「そう言えば、あんた、ティファニアの“使い魔”になったのよね?」

「う……」

 才人は、ぎく、と固まった。

「ということは、ティファニアと、“使い魔”の“契約”をしたってことよね?」

「それは……」

 才人はグッと言葉に詰まり、「し、しました! テファとキスしました。ごめんなさい!」、とベッドの上でガバッと土下座をした。

 其れはもう、見事な熟練の土下座、だといえるだろう。

「へえ、そう、正直者ね」

「ル、ルイズ……」

 ルイズが余裕たっぷりに呟くと、才人は困ったようにオロオロした。

 然し、才人が変に誤魔化さなかったのは、良い判断であった。

 実際、ルイズは本気で怒って居る訳では無かったのだから。

 ティファニアからその話を聞いた時は、当然だが、ルイズは正直ショックを受けていた。なにせ、才人はルイズの“使い魔”であり、(その絆は他の誰にもない、特別なモノ)だとルイズは想っていたのだから。

 だが同時に、(命の危機だったのなら、仕方ないわ)ともルイズは考えることができた。

 そして、(ティファニアはあくまで、生命に危機に陥ったから、“召喚”の“呪文”を唱えたのよね。そんでもって、たまたま近くにいた才人が“召喚”されてしまった。“召喚”されたものだから、仕方なく、“使い魔”の“契約”をしちゃったのよね……)とルイズはそう勝手に納得したのである。

 今のルイズは、単に拗ねて甘えてみせているだけなのであった。

「ティファニアの胸ってば、私のなんかより、ずっと大きいものね。あ、あんたの気持ちが移っちゃうのも、しょうがないと想うわ」

「違う、そ、そういうのじゃないんだ!」

 才人は当然、必死に否定した。

 それが嬉しくて、ルイズはつい意地悪をしてしまう。

「じゃあ、なによ? あのメロンみたいな胸より、わ、私の、ちったい、レ、レモンちゃんの方が、好きって言うの?」

「え? ああ、うん……」

 才人はコクコクと首肯いた。

「ホントはティファナのみたく、おっきくて、挟めた方が好いんでしょ?」

「挟む?」

 才人はキョトンとした。

「シエスタに聞いたのよ、洗ったりとか……そ、そんなの、私できないもん」

「ば、馬鹿……そんなの、良いんだよ。ちっちゃいおまえの胸が好きなんだ」

 才人がそう言うと、ルイズは嬉しそうな顔になった。だが、直ぐにツンと唇を尖らせる。

「嘘よ。“エルフ”の国にいる時、ずっとティファニアの胸ばっかり見てて、私のこと忘れてたんでしょ?」

「馬鹿、怒るぞ」

 才人は本気の口調で言った。

「俺、どんだけおまえのこと……」

「な、なによ? わ、私だって……むっ!?」

 その先の言葉を、ルイズは口にすることができなかった。

 才人が、ルイズの顎をクイッと持ち上げ、強引にキスをしたのである。

 ルイズは、(な、なによこいつ……狡いわ)と蕩けるような幸福感が全身を包み、ボッーとなった。

 才人はユックリと唇を離すと、真剣な顔で言った。

「おまえと離れてる間、俺、凄く寂しかった。ずっとルイズのこと考えてたよ」

「うん、私も寂しかった。意地悪なこと言って、ごめんね」

 ルイズはコクンと首肯くと、恥ずかしそうに、才人を上目遣いで見詰めた。

「あ、のね、んとね……」

「うん?」

「一杯、優しくして」

 

 

 

 ベッドの中で寄り添いながら、才人はルイズの背中を抱き締めた。

 桃色のブロンドの髪が、才人の頬をくすぐる。柔らかな肌の温もり。好きな人の体温を感じていると、優しい気持ちで才人の胸が一杯になる。

 才人は、ルイズの首筋に軽くキスをした。

 それから、才人は、ルイズが着るブラウスのボタンに手を掛けるが、とグッと思い留まる……本当はもっとルイズを感じたい、その肌に直に触れたい……が、理性を総動員して、なんとか堪えたのである。

 エレオノールとの約束もあり、(そう言うのは、ちゃんと結婚してからだ)と才人は想った。

 其れに、才人の腕の中で眠るルイズの顔が、余りに無垢であどけなく見え、そういうことをするのは、なんだかためらわれたのである。

「ねえ、サイト」

 と、目を開けたルイズが言った。

「な、なんだよ?」

「“エルフ”の塔に乗り込んだ時ね、サイトが助けてくれたような気がしたの。ひょっとしてあれが“最後の使い魔(リーヴスラシル)”の力だったのかしら?」

「ああ、そうかもな……」

 才人は、(たぶん、“海竜船”の中で、あの強烈な痛みの発作に襲われた時のことだろうな。あの時、ルイズは“エルフ”の長老相手に、強力な“虚無”を唱えていたんだろうな)と想った。

「でも、その“使い魔”の力って、サイトの“精神力”を使うのよね? 私が強力な“虚無”をドンドン使ったら、サイトはどうなっちゃうの?」

「うーん、まあ、そんなに使い過ぎたら、また倒れちまうかもしれないけど……」

 才人は咄嗟に誤魔化した。

 才人にはもう理解っていたのである。あの時奪われていたのは、“精神力”でも体力でもない。文字通り、平賀才人の命、存在そのものが、乱暴に奪い尽くされて行くような、そんな恐ろしい感覚から、理解ったのである。

 才人は、(あれがあのまま続いていたら、きっと……)、と背筋にゾッと悪寒が奔った。

「でも、もうあの力に頼ることなんてないだろ」

 と、才人はルイズの不安を拭うように、わざと明るい声で言った。

「どうして?」

「だって、“エルフ”とは和平を結んだんだろ? だったら、もう強力な“虚無”なんて、必要なくなったってことじゃねえか」

「そ、そうよね……」

 “4の4”が揃った時に現れるという、“始祖の虚無”……“生命(ライフ)”。

 それは大きな都市を一瞬で消し去るほどの威力がある。

 才人は、(まるで核兵器だ)と想った。同時に、“聖地”が沈んでいた、あの“原子力潜水艦”のことを想い出して、暗澹たる気持ちになった。

 だが、それはあくまで、“エルフ”との決戦のための“魔法”で在った。“エルフ”と和解し、“鉄血団結党”の脅威も去った今……。

「“聖地”に着けば、本当になにもかも解決するのかな?」

「どうかしら。でも、少なくとも、全部判ると想うわ」

 ルイズは言った。

 そう、“聖地”に着けば……全てが明かされる。

 ヴィットーリオの本当の目的も、6,000年前にあの場所でなにがあったのかも……。

 だというのに、才人の頭には、なにか得体の知れない不安があった。

 “ガンダールヴ”で在るサーシャが、ブリミルを殺した……。

 いつかデルフリンガーの言ったその言葉が、才人の頭に妙に頭にこびり付いていて、離れなかった。

 そのデルフリンガーは、また、沈黙してしまっていた。

 

 

 

 

 

 “ロマリア”軍の救護船に乗り込んだティファニアは、両手に果物の籠を抱え、ファーティマが入院している救護室を訪れようとしていた。

 救護室の前に来ると、ちょうど、フーケが出て行くところであった。

「マチルダ姉さん」

「ああ、ティファニア」

 フーケは束になった包帯を抱えていた。

 ティファニアは、(あの仲間の傭兵だという男の看護をしているのね)と想った。

「あの人の怪我、もう大丈夫そうなの?」

「まあね、世話の焼ける男だよ。全く」

 フーケは肩を竦めて言った。

「傷が癒えたら、あの坊や達と決闘するんだとさ。本当に馬鹿なんだから」

「止めないの?」

「なんでさ? 決闘して勝手に死のうが、私の知ったことじゃないよ」

「でも……その、恋人なんでしょう?」

 ティファニアがそう言うと、フーケは少し考えるように首を傾げた。

「さあ、どうだろうね? なんだか放って置けないだけさ」

「はあ……」

 ティファニアはキョトンとする。

「あんたこそ、坊やの側に居なくて良いのかい?」

 と、フーケはティファニアのでこを指先で突く。

 ティファニアは静かに首を横に振った。

「うん。私は、良いの」

 ティファニアは、(本当はサイトの側にいたい。でも、サイトはルイズと一緒にいるべき)と想ったのである。

 ルイズが現れた、あの時のサイトを見て、ティファニアは理解ってしまったのである。いや、それはもう、初めから理解っていたことである。 “エルフ”の国での冒険は、一時の夢の時間であったということを……だが、それは苦しいけれど、不思議と温かな感情でもあった。

 ティファニアの必死の想いを込めた“召喚”に才人が応えたことで、(だって、私は好きな人に、ちゃんと気持ちを伝えることができたんだもの)とティファニアは想うことができたのである。

 それだけで、ティファニアの想いは十分に報われた、といっても良いであろうか。

「マチルダ姉さん、好きって、とても苦しいのね」

 ティファニアの紺碧の瞳から、涙が溢れた。

 そんなティファニアを、フーケは優しく抱き締めた。

 

 

 

 フーケと別れ、救護室の中に入ると、ファーティマはもう起きていた。

「果物を持って来たわ。“フネ”の兵士さん達がくれたの」

「おまえの施しは受けん」

 と、ファーティマは目を逸らした。

 ティファニアは彼女のベッドの横に腰を下ろした。

 静かな救護室に、果物を剥く音が響く……。

「判らないんだ。今度は誰を憎めば良いのか」

 ファーティマは、ポツリと言った。

「…………」

「私は党を、エスマイール殿を憎めば良いのか?」

 紺碧の瞳が、なにかに縋るようにティファニアを見詰める。

 ティファニアは穏やかに微笑み、ファーティマの背中を優しく抱き締めた。彼女の心の奥底で燃える憎悪の炎を、優しく包み込むように。

 誰かを、なにかを、憎み続けるという行為は、本当に苦しいモノである。憎しみの炎は、燃やし続けているうちに、やがて自分自身をも灼き尽くしてしまうのだから……。

 だが、ティファニアだって、そうなっていた可能性がある。あの時間、フーケ――マチルダや、“ウエストウッド村”の孤児達と出逢わなければ、母親を殺した人間達に、憎しみを抱き続けていたかもしれないのだから。エスマイールのように、あるいは、あのジョゼフのような行動に走っていたかもしれない。

「大丈夫。もう、誰も憎まなくて良いのよ」

 軈て、堰を切ったように、ファーティマの嗚咽が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “9(ラド)”の月の“第三(エオロー)”の週、“第二日曜日(ユル)”。

 空に双つの月が昇る少し前、“聖地回復連合軍”の空軍艦隊は“竜の巣”の海上に到着した。

 水面には、数十“メイル”はあろうかという、触手のような奇岩が幾本も突き出している。

 そのうちの幾つかは、“エルフ”の水軍の砲撃で崩れていた。

「こんな所に、”聖地”があるの?」

 船室の窓から、海を見下ろしたルイズが言った。

「元々は陸地だったんだと想う。大昔に地形が変わって、海に沈んだんだ」

 “魔法装置”を取りに行くのは、教皇であるヴィットーリオとその“使い魔”であるジュリオ、“ガリア”女王ジョゼット、アンリエッタ、“虚無”の“担い手”であるルイズとティファニア、その2人の“使い魔”である才人、“エルフ”側の代表としてテュリュークとビダーシャル、シオンと俺が同行することになった。

「いやはや、“悪魔(シャイターン)の門”を訪れるのは、数十年ぶりじゃのう」

 テュリュークがそう言うと、全員が入ることができるほどの大きさの泡の球体を生み出した。

 前にルクシャナが使用した”水中呼吸”の”魔法”とは違い、服を濡らすことなく海に入ることができる。しかも、球体は仄かに光り、水中を明るく照らし出してくれている。

「娘達の水着が見れないのは残念じゃがのう」

 テュリュークは、ふぉふぉ、と笑った。

「テュリューク殿、御控えください」

 ビダーシャルが苦々しい顔で言った。

 “エルフ”の長老と聞いて、才人は、ビダーシャルやアリィーのような生真面目そうな人物を想像していた。が、この老“エルフ”は親しみやすさを感じさせる。

 才人は、(ちょっと、オスマン先生に似てるよな……)と想った。

 

 

 

 海の中を潜って行くと、色取り取りの魚が泳ぎ回っているのが見えた。

「綺麗ね……」

 ルイズが大きく目を見開いた。

「ええ。この世界に、こんな美しい景色があるなんて」

 アンリエッタとシオンもうっとりとして居る。“王家”に生まれた彼女達は、子供の頃から海に潜ったことがないのである。

 ジョゼットは、“ヴィンダールヴ”の力で手懐けた魚をジュリオに見せられ、嬉しそうに笑っている。

 才人は、そんなジョゼットを見て、(タバサが笑ったら、きっとあんな感じなんだろうな……)と想った。

 軈て、俺達は海底から伸びる、触手岩の根本に辿り着く。

 そこは、発光性の苔に覆われた、劇場ほどの大きさをした空間である。

 俺達が水面から上がると、洞窟の奥で、なにか大きなモノが動く音がした。

「サイト、この音、なにかしら?」

「ああ、たぶん……」

「全く、なんだい? 近頃は騒々しいね」

 ズシン、ズシン……と地震のような轟音を響かせて、全長50“メイル”ほどもある、巨大な“水竜”が俺達の前に姿を現した。

「ば、化物……!」

 アンリエッタが慌てて才人の背中に隠れる。

「おや? この私を捕まえて化物とは……失礼な娘だね。食べちまうよ?」

「“水竜”が喋ったわ!」

 ルイズが驚いた。

 シオンも驚いた様子を見せるが、直ぐに平静さを取り戻す。

「話しただろ? ここに棲んでる海母だよ」

「おや、おまえ達、もう戻って来たのかい?」

 海母は俺達をジロリと見下ろした。

「ヒトと“エルフ”を大勢引き連れて、今度はなにをしに来たんだね?」

「ごめん、巣を荒らすつもりはないんだ」

 才人は言った。

「ただ、見せて欲しいモノがあるんだ。異世界の“武器”の流れ着く場所に、案内してくれないか?」

「あんな場所に、なんの用があるんだい?」

「大事なことなんだ。俺達の仲間の命が賭かってる」

 才人の真剣な様子に、海母は、なにか切羽詰ったモノを感じ取った様子を見せる。

「……理解ったよ。着いておいで」

 海母はユッタリと背鰭をなびかせながら、洞窟の奥へと進んで行く。

 そこには、海水の満ちた、直径20“メイル”ほどの穴があった。

 この岩山の内部は、大小沢山の洞窟が蟻の巣のように繋がっているのである。

 穴の中を進んで行くと、やがて、別の巨大な空間に辿り着く。

 大きな劇場ほどの広さのあるその場所には、銃、大砲、戦車、“戦闘機”、など……錆び付いた“武器”が、山の様に積まれていた。

「まるで、“ロマリア”の“地下墓地(カタコンベ)”のようですね」

 ジュリオが言った。

「おお、この場所こそ、まさに“始祖”の降臨された“聖地”に他なりません」

 ヴィットーリオは、恭しく“武器”の前に跪いた。

 そんなヴィットーリオを見て、才人は、(崇拝するブリミルの訪れた地を見て、感傷にでも浸ってるのか?)と想ったが、そのような感傷に付き合うつもりなどはなかった。

「で、その“魔法装置”ってのは、どこにあるんだ?」

「…………」

 その場にいる全員が、ヴィットーリオに注目した。

 ヴィットーリオはユックリと立ち上がり、口を開いた。

「“大陸隆起”を止める“魔法装置”。ここにそのようなモノは、ありません」

 ヴィットーリオのその衝撃の発言に、しかし、ほとんど驚く者はいなかった。

 ジュリオとジョゼット、シオン。テュリュークとビダーシャルは、当然表情1つ変えることはなかった。

 才人とルイズ、アンリエッタも……なんとなく、そのような気がしていたため、表情を変えることはなかった。

 それが都合の良い嘘、欺瞞であること、を理解していたのである。

「あの、どういうことですか?」

 ただ1人、ティファニアだけは困惑していた。

「教皇聖下は、私達を謀っていた……そういうことですわ」

 アンリエッタは厳しい眼差しで、ヴィットーリオを睨んだ。

「貴方達に真実を伝えなかったことは、謝罪します。ですが、もし本当のことを伝えていれば、私達の足並みが揃うことはなかったでしょう」

「“風石”の暴走のことを隠してたのと、同じ理由かよ?」

 才人が言った。

「そうです。そしてこれより、我々が“聖地”を求めた、真の目的を御見せします」

 ヴィットーリオは、積み上がった”武器”の向こうをジッと見据えた。

「本来、この“呪文”は大きな“精神力”を必要とします。しかし、“始祖ブリミル”の降臨されたこの土地には、まだ大きな“ゲート”が残っている。それを開けば良いのです」

 ヴィットーリオは洞窟の壁に“杖”を向け、“虚無”の“ルーン”を唱え始めた。

「“ユル・イル・ナウシーズ・ゲーボ・シル・マリ”……」

「あの“呪文”は……」

 ルイズはハッとした顔で言った。

 それは、“ロマリア”の聖堂で、ヴィットーリオが会得した“呪文”である。

 “世界扉(ワールド・ドア)”。

 異世界に扉を開く“虚無”……。

 あの時の“詠唱”選りも長いことから、これが完全な形の“ルーン”であることが理解る。

「“ハガル・エオルー・ベオース・イング・マンスール”……」

 ヴィットーリオは壁の一点を狙い、“杖”を振り下ろした。

 虚空に、綺羅綺羅光る豆粒のような、小さな点が生まれた。

 その点は段々と大きく広がって行く。

 前にルイズ達が見た時は手鏡ほどの大きさであり、才人が見たモノはヒトが1人潜ることができるかどうか程度の大きさであったが……。

 眼の前に現れたそれは、まさに虚空に浮かんだ、扉、であるといえるだろう。

「あれは……!?」

 その扉の奥に映し出されたモノを見て、才人が絶句した。

 全員が見守る中……ヴィットーリオは穏やかに微笑み、振り返った。

「これこそ、“始祖”の悲願。“マギ族”が帰還すべき“約束の地”です」

 それは、才人と俺が良く知る“地球”の姿であった。



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マギ族

 6,000年前、“ハルケギニア”がまだ未知の土地(イグジスタンセア)と呼ばれ、“貴族”も“平民”も、“ガリア”や“ロマリア”、“トリステイン”や“アルビオン”などといった諸国家も存在しなかった時代……。

 大平原の丘の上にある、“ニダベリール”という小さな村の外れで、ローブを纏った青年が、1人の娘に別れを告げていた。

 裾余りの長いローブを引き摺った小柄な青年は、温厚そうではあるが、なんだか冴えない容姿をしている。

 一方、草色の服を身に纏った、黄金色の髪の娘の方は、神々しいまでの美しさである。

 それもそのはず……娘は、生粋の“エルフ”なのだから。

「サーシャ、道中はくれぐれも気を付けてくれよ。君の容姿は目立つから」

「あのね、私を誰だと想ってるの?」

 サーシャと呼ばれた“エルフ”の娘は、呆れたようにそう言うと、左手甲に光る“ルーン”を見せた。

「私は、貴男の“ガンダールヴ”なのよ。それに、セイヴァーにも鍛えて貰ったし」

「ああ、そうだね」

 青年は苦笑した。

 確かに、取り越し苦労であるかもしれない。彼女に宿る“ガンダールヴ”の力があれば、あの恐るべき“ヴァリヤーグ”に襲われたとしても、1人で切り抜けることができるだろう。

「頭の固い長老達を説得して、直ぐに戻って来るわ」

「頼む。我が氏族の未来は、君に賭かっているんだ」

 青年は真剣な表情で言った。

 今起こりつつあることは、あの“ヴァリヤーグ”の脅威をも上回る。この世界そのものを滅亡させかねない、“大災厄”なのだから。それを回避するためには、どうあっても、“エルフ”達と手を取り合う必要があるのだ。

「僕の方もセイヴァーと一緒に、主戦派の連中を抑えておく。最悪の事態だけは避けなければ」

「ええ、頼んだわよ」

 サーシャは首肯き、それから、ソワソワと視線を泳がせた。

「どうしたんだ?」

「もう、この唐変木」

 不思議そうに尋ねる青年に、サーシャは不満そうに頬を膨らませた。それから、細い腕を素早く、互いに首の後ろに回し、口吻する。

 しばらくして……2人はユックリと、唇を離した。

「“愛”してるわ、ブリミル」

「僕もだ、サーシャ」

 ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ。

 後の時代に“始祖”と呼ばれ、“ハルケギニア”全土の民に崇拝されることになる青年は、サーシャの体を強く抱き締めた。

 ブリミルは、“愛”する恋人の暖かな体温を感じながら、(嗚呼、僕は、なんということをしてしまったんだろう……)と想った。

 今、サーシャの身体には、“ガンダールヴ”だけではなく、新たな“ルーン”が刻まれている。

 “リーヴスラシル”。

 “愛”故に“召喚”され、最も過酷な“運命”を担う、“虚無(ゼロ)の使い魔”

 ブリミルは、(もし、“エルフ”との交渉が決裂した、その時はセイヴァーが言った通り……神より賜りし、この恐るべき力を行使することになるのだろうか……? いや、そんなことは決してなるまい……交渉はきっと成功するはずだ)とサーシャを抱き締めながら、そう、自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイト達、遅いな……潜ってから、もう随分経つぜ?」

「ううむ、鮫にでも食べられてるのかもしれないなあ」

 心配そうに呟くギーシュに、マリコルヌはノンビリと欠伸を返した。

 “ラド(9)”の月の“第三(エオロー)”の週、“第二日曜(ユル)”。

 “竜の巣”の在る海峡に停泊した“オストラント号”の甲板上で、“水精霊騎士隊”の仲間は、才人達が帰るのを待っていた。

 “自由都市エウネメス”で、才人とルイズが再逢してから、2日が経つ。才人とルイズ、ティファニア、シオン達は、“ロマリア”教皇ヴィットーリオ等と伴に、“始祖ブリミル”の遺した“魔法装置”が眠るという、海の底の“聖地”へと向かったのである。

 “虚無の担い手”たる“4の4”が揃い、その“魔法装置”を手に入れることさえできれば、“ハルケギニア”に破滅をもたらす“風石”の暴走を止めることが……。

 穏やかな風がそよぐ大海原に、双つの月の光が反射して、銀色に輝いている。

「君、少し不謹慎じゃあないかね? こんな時に」

 と、真面目なレイナールが眉を顰めた。

「ただの軽口だよ。でもちょっと、遅過ぎやしないかい?」

 マリコルヌが言った。

「いや、なにしろ、“始祖”の遺した“魔法装置”だからね。起動するにも、色々と時間が掛かるんだろうさ……まあ、気長に待とう」

 そんな生徒達の会話を聞きつつ、(“始祖”の“魔法装置”か……)と甲板に立つコルベールは眉間に皺を寄せた。“エルフ”との和平が成立し、“聖地”に到着することができた。もう心配すべきことは、“聖杯戦争”の決着だけで、他にはなにもない……そのはずであるのだが、何故か、妙な胸騒ぎを覚えたのである。

 なにせ、コルベールは“ハルケギニア”では珍しい、現実主義者である。“風石”の暴走を止める“魔法装置”などと、そのような都合の良いモノが存在するとは、どうにも、信じることができないのであった。

「ジャン、どうしたの? 難しい顔をして」

 隣に立つキュルケが、気遣わしげに顔を覗き込む。

「いや、少し、考え事をしていてね……」

「あら、髪なんてなくても、貴男は世界一の男よ、ジャン」

 キュルケは軽く背伸びをすると、コルベールの額に接吻した。

「ミス・ツェルプストー、私はそんなことを考えていた訳では……うむ」

 そんな2人の足元では、タバサが舷側にもたれかかって座り、頭の上に“明かり(ライティング)”の“魔法”を浮かべて本を読んでいた。だが、先程から、一向に頁を捲る様子は無い。たまにソワソワと顔を上げては、海の方に視線を送っていた。

「サイトのことが心配?」

 キュルケが悪戯っぽく尋ねる。

「…………」

 タバサは頬を赤く染め、本で顔を隠した。

 無口な親友のそんな可愛らしい仕草に、キュルケは苦笑した。

「皆さん、軽食をお持ちしました」

 と、甲板の上に上がって来たシエスタが、皆に声を掛けた。沢山のサンドウィッチを乗せた大皿を両手に抱え、甲板にいる“水精霊騎士隊”の隊士達に配って回る。

 キュルケとコルベールも、ありがたく頂くことにした。

「あの、ミスタ・コルベール」

 シエスタは、才人達の潜った海の方を見て、言った。

「これで、“ハルケギニア”は救われるんですよね? “エルフ”とも仲良くすることができたんですし、もう戦争なんて、起きないんですよね?」

「うむ……教皇聖下のおっしゃることが本当だとすれば、そうだね」

 シエスタはホッと安堵の息を漏らした。

「嗚呼、良かった。本当に……じゃあ、ミス・ヴァリエールは、あの恐ろしい力を使わなくても良いんですよね?」

「ああ」

 コルベールは、複雑な表情で首肯いた。

 ルイズが新たに覚えた、“虚無魔法”……それは、あの“エルフ”の艦隊を一撃で吹き飛ばしてみせた“爆発(エクスプロージョン)”をも遥かに上回る破壊力を誇る。

 コルベールの中では、(私の生徒が、そんな恐ろしい力を使うことにならなくて良かった……)と安心する、一方で、なにか言いようのない微かな不安があるのもまた事実であった。

 そんなコルベールの不安を他所に、ギーシュ達“水精霊騎士隊”の面々は、暢気に釣りをしながら軽口を叩き合っている。

「まさか、あの落ち零れのルイズが、“ハルケギニア”を救うことになるなんてな」

「我等が副隊長もだよ。“トリステイン”に帰ったら、シュヴァリエどころか、爵位だって下賜されるかもな。“平民”が爵位を授けられるなんて、これはとんでもないことだぜ?」

「男爵……いや、子爵でも驚かないな。実際、サイトはそれだけのことをしたんだし」

「セイヴァーだってそうだ。まあ、あいつは“アルビオン”の客将だから、爵位とかはないだろうけど、それでも、かなりの報酬を貰っても良いはずだ」

「おいおい、“学院”に帰れば、僕達だって、“英雄”だぜ?」

 ギーシュは、夜空に掛かる双つの月を見上げた。

「“学院”か……嗚呼、懐かしいなあ。“トリステイン”を発ったのは、ほんの2週間ほど前のことなのに、遥か昔のことに想えるよ」

 それから、「嗚呼、早くモンモランシーに逢いたいなあ……」と切なそうに呟いた。

 

 

 

「これこそ、“始祖”の悲劇、“マギ族”が帰還すべき“約束の地”です」

 “ロマリア”教皇、ヴィットーリオの穏やかな声が、海底の大空洞に響き渡った。

 才人は、光り輝く“ゲート”の前で、呆然と立ち尽くしていた。

 無理もないことである。

 なにしろ、ヴィットーリオが指さして“約束の地”と呼んだモノ……それは紛れもない、才人の故郷、“地球”の姿なのだから。

 才人は、(なんだよ、これ……どういうことだよ……)と想った。“風石”の力を消滅させる“魔法装置”の話が嘘であるということは、才人もなんとなくではあるが勘付いてはいた。皆からすると想定外と云いえるヴィットーリオの言葉に驚くのと同時に、(だから、ブリミルさんは“地球”出身だったのか)とも想っていた。だがそれでもやはり、動揺を隠すことはできないでいる。

 ルイズとティファニアは目を見開き、アンリエッタも絶句していた。ジョゼットは驚きの表情を浮かべ、ジュリオに視線を向けるが、テュリュークとビダーシャルは全く動じた様子を見せないでいる。

 シオンは一瞬驚いた様子を見せはしたが、直ぐにいつもとなんら変わらない様子へと戻る。

 才人は息を吸い込むと、震える声を吐き出した。

「どういうことですか? “地球”が……俺の故郷が、“約束の地”って……」

「え?」

 と、才人の言葉に、ルイズが反応する。

「サイトの故郷? あれが?」

 才人は無言で首肯いた。

 アンリエッタは、まあ、と口元を押さえた。

 才人の視線を受け止めたヴィットーリオは、眉1つ動かすことなく、言った。

「“約束の地”とは、そのままの意味です、サイト殿。貴男達の故郷である、あの地こそ、私達、“ハルケギニア”の民にとっての本当の“聖地”なのです」

「…………」

 どこまでも澄んだヴィットーリオの目は、一切の嘘を含まない、敬虔さと熱意に満ち溢れている。

 そのような教皇の視線に、才人は想わず気圧されてしまう。

「おそれながら、教皇聖下」

 アンリエッタは物怖じしない態度で、ヴィットーリオを睨んで言った。

「どうか、私達にも理解できるよう、ご説明ください。聖下には、その義務がおありになりますわ」

「もちろんです。そのために、貴方方をここへお連れしたのですから」

 ヴィットーリオは、“地球”の姿を映す“ゲート”の前に立つと、全員の顔を見回した。それから、ユックリと口を開く。

「さて、“聖地”の真実を明かす前に、1つお訊ねしましょう。アンリエッタ殿、現在、この“ハルケギニア”に、“魔法”を使うことのできる者と、使うことのできぬ者、即ち、“貴族”と“平民”がいるのは、何故でしょうか?」

「……?」

 その質問になんの意味が……? とアンリエッタは眉を顰めるが、直ぐに答える。

「“貴族”とは、“始祖ブリミル”の血を引く者のことですわ」

「そう、その通りです。この“ハルケギニア”に存在する“系統魔法”の力は、6,000年前、“始祖ブリミル”の光臨によってもたらされた」

 ヴィットーリオは首肯いた。

「では、その偉大なる“始祖”は、どこから来訪したのでしょう?」

「聖下、ここで神学の問答をするつもりはありませんわ」

 アンリエッタは、厳しく言った。

 だが、ヴィットーリオは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。

「いええ、神学問答ではありません。アンリエッタ殿、私はセイヴァー殿の代わりに、“ハルケギニア”の長い歴史の中に消えた真実……6,000年前の真実を明かそうとしているのです」

「…………」

「6,000年前の真実?」

「そうです。これまでの長きに渡り、“ロマリア”の“宗教庁”が隠蔽し続けて来た、真実を」

 ヴィットーリオの声が、大空洞に殷々と響き渡る。

「“始祖ブリミル”は、神が天依より遣わされた……と、教典にはそう書かれていますわ」

 ルイズが言った。

 それは、“トリステイン魔法学院”はもちろん、“ハルケギニア”のどの国でも、広く教えられている。

「ええ、“ロマリア”の教典には、確かにそうありますね……ですが、真実は違う」

 そう言うと、ヴィットーリオは“ゲート”に視線を移した。

 才人は、そのヴィットーリオの言葉と仕草に、ビクッと身体を震わせた。

 そんな才人の様子に、ルイズとアンリエッタも、ピンと来たようである。

「お察しの通りです。我等の“始祖”は、この“ゲート”の向こうに存在する、あの世界より光臨された。詰まり、“始祖ブリミル”はサイト殿と同じ、異世界の住人だったのです」

「なん……ですって……!」

 ルイズは、正直なところ、才人が言っていた「ブリミルと“エルフ”が手を取り合っていた」という発言に関しては信じていた。が、ブリミルが“地球”出身であることに対しては半信半疑であったため、驚かざるをえなかったのである。

 アンリエッタとティファニアが顔を見合わせる。

「“始祖ブリミル”が、俺と同じ“地球人”だってことは理解りました。でも……」

「正確には、ブリミルとその氏族、“マギ族”と呼ばれる者達ですが」

「“マギ族”?」

 その言葉は、ルイズ達にとっては、耳慣れぬ言葉であった。

 しかし、才人には、なんとなく、その言葉に聞き覚えがあるような気がした。そして、俺の方へと目を向けて来る。

 俺は、小さく首肯いた。

「“マギ族”は、“魔法”の力を扱うことに長けた、少数民族でした。彼等は6,000年前、“始祖ブリミル”に導かれ、この世界に移住して来たのです。その“マギ族”こそが、私達“ハルケギニア”の民と先祖なのですよ」

「私達の先祖が、サイトと同じ世界の人間……」

 ルイズが鳶色の目を見開いたまま、呟く。

「お言葉ですが、聖下。そのような話、にわかに信じることはできませんわ」

 アンリエッタが、動揺を押し殺した声で言った。

「それは承知しております。私も、これを人に伝えられたのであれば、荒唐無稽な御伽噺だと一笑に付したことでしょう。ですが、“始祖”と神に誓って、これは“ロマリア”の祖である“聖フォルサテ”の時代より、“始祖の円鏡”によって伝えられて来た、紛れもない歴史の真実なのです」

 ヴィットーリオは、胸の前で聖印を切った。それは、敬虔なる“ブリミル教徒”が、“始祖”と神に誓いを立てる時の仕草である。聖印を切った上で、虚偽を語ることは、“ブリミル教徒”にとって最大の罪であるとされている。

「サイト、君も気付いてたんだろ? “始祖ブリミル”の贈り込んで来る“ガンダールヴ”の“槍”は、みんな君の故郷からもたらされるモノだ。それこそ、“始祖”が君の故郷の人間であったという、なによりの証拠さ」

 ジュリオの言葉に、才人はグッと押し黙った。

「そうだな……おまえ達の言う通りだ。ブリミル……あいつは、“地球”から来た」

 ヴィットーリオとジュリオの言葉を肯定するように俺がそう言うと、それが確定したとばかりに皆黙り込んでしまう。

 海底の大空洞に、シン、とした静寂が訪れた。

 ヴィットーリオの口から明かされた、驚くべきといえるだろう真実に、ルイズもアンリエッタも、もう口を利くことができなかったのである。

 そんな中、怖ず怖ずと声を上げたのは、ティファニアであった。

「あ、あの……」

「なんでしょう? ミス・ウエストウッド」

「その……ブリミルさんは、どうしてこの世界にやって来たんでしょう?」

「もちろん、それには理由が有ります」

 ヴィットーリオは首肯きつつ、言った。

「“マギ族”は、故郷の世界、“地球”に於いて、“魔法”の力を持たない“ヴァリヤーグ”と呼ばれる、もう1つの種族に迫害されていました。“ヴァリヤーグ”は“魔法”の力を持たぬが故に、“マギ族”を恐れたのです。斯の者達は“マギ族”を消し去ろうと、徹底的な迫害を加えました。“ヴァリヤーグ”は“魔法”こそ使えなかったものの、圧倒的な数と、優れた技術によって造られた、恐ろしい武器を持っていた……いかに“魔法”の力があるとはいえ、少数民族に過ぎぬ“マギ族”に、勝ち目があるはずもありませんでした。その迫害から逃れるために、“始祖ブリミル”は“ゲート”を開き、一族を率いて、この“ハルケギニア”へ脱出して来たのです」

 ヴィットーリオは言葉を切ると、俺達一同の顔を見回した。

「詰まり、“ゲート”の向こうにある、あの世界こそ、私達の故郷にして、魂の拠り所。“始祖ブリミル”と“マギ族”の子孫である、我々“ハルケギニア”の民には、あの“聖地”に帰還すべき、正当な権利があるのです。さて、セイヴァー殿、間違いはあったでしょうか?」

「そうだな。幾つか勘違いをしているところがあるようだな。大まかなところは合っているが、先ず“ヴァリヤーグ”は“マギ族”を迫害などしていない。戦争をしていたんだ」

「戦争、ですか……」

「ああ。神様の代わりに戦う、代理戦争だ。駒、だったんだよ、あいつ等は。“ヴァリヤーグ”には技術という力を、一方“マギ族”には“魔法”という力を与えてな」

「そんな……」

 ティファニアの顔が蒼白になる。

 ルイズもアンリエッタも、今初めて明かされた歴史の真実に、ただ呆然とするばかりである。

「我々“エルフ”の“評議会(カウンシル)”は、おまえ達の真の目的が“砂漠(サハラ)”ではないことを知ったからこそ、和平に応じたのだ」

 “エルフ”の統領テュリュークが、静かな口調で言った。

「おまえ達ヒトが、“悪魔(シャイターン)の門”の向こうにある“聖地”を取り戻せば、最早争う必要はなくなるだろう。“砂漠”の平穏のためなら、我々も強力を惜しまぬつもりだ」

「ま、待ってください!」

 と、才人は大声で叫んだ。

「帰還するって……まさか、“ハルケギニア”の住人を、皆“地球”に送り込むってことですか?」

「もちろん、全ての民を移住させるつもりです。“貴族”も“平民”も、富んだ者も、貧しき者も、皆等しく、故郷に帰還する権利がある。血統の薄さ故、今はまだ“魔法”の力に覚醒めていない、“平民”と呼ばれる人々も、いずれ“マギ族”の血を引くことに変わりはありませんから」

「それは……そんなことは、無理なんです!」

 才人は必死に言った。

「無理、とは?」

「だって、そんな、“ハルケギニア”の全住民が住めるような場所なんて、“地球”には、もうどこにもないんです!」

 “ハルケギニア”の住人がどれくらいいるのか、才人にはそれは判らなかった。だが、今の“地球”に移住して、新しい国を造るなどということは、とてもではないが無理であるといえるだろう。まあ、不可能ではないのだが……。

 余り学校の成績が良くなかった才人ではあるが、それでも、(きっと、とんでもないことになる……)とそのくらいのことは簡単に想像し、理解することができた。

 だが、ヴィットーリオは、表情1つ変えることなく言った。

「もちろん、それは存じております。共存は不可能でしょう」

「それじゃあ……」

「ですから、正確には、帰還、ではありません。そう、あの“アルビオン”の叛徒達の言葉を借りるならば、“再征服(レコン・キスタ)”、とでも言うべきなのでしょう」

「なんだって!?」

「聖下、それは一体、どういうことですか!?」

 アンリエッタが鋭く尋ねた。

「私達は、正当な権利の元に、“聖戦”によって、故郷の土地を取り戻す。ということです。それこそ、“始祖”が我々に与えし、“神聖なる使命(グランドオーダー)”なのです」

 ヴィットーリオは、平然と口にした。いや、そのように見えるように、言ったのである。

「“聖戦”……“ハルケギニア”の軍隊で、“地球”と戦うって言うのか!?」

 才人は、ヴィットーリオの澄んだ目を見て、(この人は、本気で“地球”を征服するつもりなんだ……)と愕然とした。それから、この静かな狂気を宿した男をどうにか説得しようと、頭を振る回転させた。

「無理だ。“ハルケギニア”の軍隊じゃ、勝ち目なんてある訳ない。“地球”の武器がどんなモノか、知ってるでしょう? あの、“戦車”や“ゼロ戦”、それだけじゃない。もっとずっと恐ろしい武器だって、沢山……」

 あるんだ……と言い掛けて、才人は口を噤んだ。

 才人の脳裏に過ったのは、この“竜の巣”の海底に沈む“原潜”のことであった。あれのことは口にしない方が良い、と想ったのである。

「そう、確かに、ここ数十年の間に、“ヴァリヤーグ”の“武器”は、目を見張るほどの進化を遂げています。故にこそ、彼等がもっと破滅的な力を手に入れる前に、滅ぼさなくてはならないのです」

「だから、無理なんです! 幾ら強力な“魔法”が使えたって、関係ない。“地球”の武器は、“メイジ”が“杖”を抜く前に、簡単に殺せちまうんだ!」

 才人は必死に声を上げた。

 実際、“ハルケギニア”の“聖地回復連合軍”が、今の“地球”を攻めたところで、簡単に返り討ちに遭い、悲惨な結果になるだけである。

「確かに、“ヴァリヤーグ”は恐るべき敵です。ですが、神と“始祖ブリミル”は、それに対抗するための力を、我等にお授けになりました」

 ヴィットーリオの言葉に、ルイズがハッとして顔を上げた。

 ヴィットーリオは穏やかな微笑みを浮かべ、首肯いた。

「そうです。それこそが、ミス・ヴァリエールに授けられし、“最後の虚無”」

「そんな……」

 ルイズが、愕然とした声で言った。

 “生命(ライフ)”。

 恐るべき破滅をもたらす、“最後の虚無”は……“火石”を使う“エルフ”に対抗するためではなく、“地球”を征服するための切り札である。

「私を、謀ったのですね、聖下!」

 ルイズは声を震わせ、ヴィットーリオとジュリオに、怒りに燃える目を向けた。

「あの“虚無”の“魔法”は、“エルフ”が“火石”を使って来た時の対抗手段だったはずですわ。“エルフ”と和解した以上、あの“虚無”を使うことはないと……」

「ミス・ヴァリエール、私は、虚偽を口にしてはおりません。ですが、全ての真実を伝えなかったことは、謝罪しましょう」

 平然といえる態度でもって頭を下げるヴィットーリオに、ルイズは唇を噛む。

「お言葉ですが、聖下。私がサイトの故郷を滅ぼすなどと、そんなことをするとでも、本気でお想いなのですか? でしたら、それは見当違いと言うモノですわ」

 ルイズはキッパリと言った。

「私は、ラ・ヴァリエールの家名に懸けて、約束したんです。サイトを、必ず元の世界に帰して上げって」

「ルイズ……」

 そんなルイズの健気な言葉に、このような時であるにも関わらず、才人は(嗚呼、ルイズ、“愛”するご主人様……)と妙に感動した。

 アンリエッタも、毅然とした態度でヴィットーリオに対峙する。

「聖下、貴男は、“ハルケギニア”の民に、また多くの血を流せとおっしゃるのですか?」

 だが、ヴィットーリオは静かに首を横に振った。

「では、お訊ねしますが、このまま滅びを受け入れよと?」

「それは……」

 アンリエッタは、言葉に詰まった。

 依然、“ハルケギニア”に横たわる大問題をどうするのかと、ヴィットーリオは問うて来たのである。

「“風石”の暴走は、近い将来、必ず起きるでしょう。“ハルケギニア”中の大地が捲れ上がり、残ったわずかな土地を巡って、不毛な戦が続く……貴方方“貴族”は、生き延びることができるかもしれません。ですが、この地に住まう、多くの民はどうなるのですか?」

「確かに、“風石”の問題は、なんとかしなくてはなりません。ですが、そのために、サイト殿の故郷を征服するなどというのは、断じて、正しき行いではありませんわ」

「正しさの問題ではありません。アンリエッタ殿。滅びに瀕した私達は、どんな方法を使ってでも、生き延びるしかないのです」

 ヴィットーリオの目には、ただ決然とした意志だけがあった。

「貴男はどう考えますか? セイヴァー殿」

「どう考えても、“ハルケギニア”側の敗北だろうな。おまえはまだ、“地球”の技術についての知識がない。“戦車”や“戦闘機”、それ等に類する兵器……おまえが切り札として掲げている“生命”だが、それに匹敵する“武器”を、あっちは幾つも持っている。そして、“精神力”を溜める必要などなく、使うことができるからな。更に、例えばではあるが、“アルビオン”から“ロマリア”に直接攻撃できるほどの遠距離攻撃すら可能な“武器”も存在する。まあ、そもそもの話、おまえ達は決定的な勘違いをしている」

「それでも、ですよ」

 ヴィットーリオは、静かに強い意志で首肯いた。

「そうか……それだけの覚悟があるのだな」

「ええ。もう止まれませんから……」

 才人は、これまで幾人もの敵と呼べる者と対峙して来た、フーケ、ワルド、シェフィールド、ジョゼフ、エスマイール……だが、その純粋さに満ちた目を見て、これほどまでに恐ろしい、と想った人はいなかった。

 そして才人は、(止めないと……この男は、余りに危険だ。“地球”を征服なんて、そんなこと、させて堪まるかよ!)と背中のデルフリンガーを抜き放った。

 才人の左手甲の“ルーン”が光る。

「サイト!?」

 ルイズが叫んだ。

 ジュリオが腰のサーベルを抜き、ヴィットーリオを守るように立ちはだかる。

「馬鹿なことはやめろ。“ガンダールヴ”」

「退けよ、ジュリオ」

 才人は唸るように言った。もちろん、才人に、ヴィットーリオを殺す気など微塵もない。ただ、(一先ず、この場は人質に取って、なんとか想い留まらせよう……)と考えたのである。

 そう考え、才人が目の前のジュリオを昏倒させようとした、その時である。

「――あ……ぐ……!?」

 突然、才人の身体に異変が起こった。胸に鋭い痛みが奔ったのである……かと想うと、全身を強烈な脱力感が包み込む。

 デルフリンガーが手から落ちた。

 才人は、膝から崩折れ、地面へと倒れ込んだ。

「サイト、ちょっと、どうしたのよ!? サイト!」

「サイトさん!?」

 ルイズとティファニアが、両側から才人の身体を抱き上げる。

 才人は、全身を巡る血液が、凍った様に冷たくなって行くのを感じた。

「聖下、サイトになにをしたんですか!?」

 才人の腕を抱いたまま、ルイズはヴィットーリオを睨んだ。

「私は、なにもしておりません」

 ヴィットーリオは、才人に、憐れむような目を向けた。

「サイト殿は“聖地”の奪還に於いて、最も重要な役目を持つ“最後の使い魔”。“聖地”の“ゲート”が開けば、それに反応するのは必然でありましょう」

 ルイズがハッとして、才人の胸を見た。

 パーカーの下で、“リーヴスラシル”の“ルーン”が、光っており、その光からは不気味さを感じさせる。

「そんな……私もテファも、“虚無”の“呪文”を唱えていないのに……サイト、ねえ、しっかりして、サイト!」

 ルイズの泣き叫ぶ声が、才人には遠く聞こ得た。

 才人の視界がドンドン暗くなる。なにか見えない手に心臓を鷲掴みにされ、命そのものがゴッソリと奪われて行くような、そのような恐ろしい感覚に、才人は襲われた。

「…………」

 俺は、苦しむ才人の頭に軽く触れる。

 そして、才人の表情から苦しみが消え失せた。

 が、それでも命を消費しているのだから、意味はない。ただ、一時的に痛みを消しただけである。

 声にならない叫びで「ルイズ……ルイ……ズ……!」と叫びながら、才人の意識は真っ暗悩みの中に落ちて行った。



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レイシフト

「……イト……サイト!」

 才人を呼ぶルイズの声が遠ざかり、才人の視界が一瞬、真っ暗になる。

 そして、次に目を開けた時……才人の眼の前に広がっていたのはただっ広い砂漠であった。

「……うう……ん……うん?」

 才人は目を擦り、呆然と呟いた。

「は? なんだ? どこだよ? ここ」

 才人は、(俺は、ルイズ達と一緒に、海の底にある“聖地”にいたはずだ。そんでもって、“ゲート”が開いたり、教皇が“マギ族”がどうとか、“地球”を侵略するだとか、無茶苦茶なことを言い出したりして……)と想い出そうとした。

「それがなんで、こんな訳の判んねえ場所にいるんだよ……?」

 才人は、(つうか、ルイズ達はどこよ? ティファニアは? 姫様は? シオンは? セイヴァーは? 教皇やジュリオは……?)と考えるが、頭を横に振る。それから、半身を起こし、グルリと辺りを見回した。

 才人が今いるのは、太陽の照り付ける砂漠のど真ん中である。後ろを向くと、遥か遠く、揺らめく陽炎の向こうに、途方もなく大きな山が見えた。

 その裾野には、立派な城壁に囲まれた、真っ白な都市がある。

 だが、あのような都市を、才人は見たことがなかった。

 “ハルケギニア”の都市ではなく、誘拐されて連れて来られた“エルフ”の国の都市とも違う。

 そのことから、才人は、この状況についてますます訳が理解らなくなり、(一体、ここはどこなんだ?)とその場にドッカリと座り込み、腕組みをして考え込み始めた。

 才人は、(俺が気絶している間に、砂漠に捨てられた? いやいや、そんなはずはないだろう……だって、こんな所で、死なれたら、“ロマリア”の連中だって困るはずじゃねか。ルイズに“虚無”を使わせるにしたって、“使い魔”である俺は必要である訳で……)と直ぐに、浮かんだ考えを否定する。

 それと同時に、(そうだ。胸の“ルーン”はどうなった?)と想い出したように別の疑問が浮かび上がり、才人は、パーカーの下のシャツをズラし、自身の胸元を覗き込んだ。

 “リーヴスラシル”の“ルーン”は、もう光っていない。あの生命力を根こそぎ奪わるような、恐ろしい虚脱感も、今は綺麗サッパリ消えていた。

 そのことから、才人間は、(ひょっとして、俺、死んだのかな? でもって、ここは、“ハルケギニア”に於ける、死後の世界ってやつなんだろうか? いやいや、死んでる場合じゃねえだろ、俺)と考えてしまった。

 才人は真っ青な顔で首を横に振り、(あの教皇はルイズの“虚無”の力を利用して、“地球”を侵略しようと企んでるんだ。早く戻らないと、大変なことになっちまう……でも、どうすれば戻れるんだろう……?)と考えた。

 取り敢えず、才人はデルフリンガーの柄で、自分の頭を打ってみることにした。夢であればこれで覚めるはずだ、と。

 ゴッと鈍い音がして、才人の眼の前がチカチカとした。

「……ちくしょう。夢成のに痛えじゃねえか」

 こめかみを押しながら、才人は悪態を吐いた。

 普段通りであれば、ここでデルフリンガーが「おめえは馬鹿だね、相棒」などと突っ込んでくれるところではあるが、才人のお喋りな親友は、相変わらず口を閉ざしたままである。

 才人は、(つうか、いい加減、なにかしゃべってくれよ)と想った。

 “エウネメス”の街で、才人が倒れてからこっち、デルフリンガーはうんともすんとも言わなくなってしまったのである。

「はあ、なんなんだよ、ったく……」

 才人は溜息を吐くと、腕組みをして考え込んだ。そして、(待てよ。なか前にも、こんなシチュエーションがあったような……)とふと想い出した。

 なんとなくではあるが、今のこの状況に、才人は妙な既視感を覚えていた。

 才人は、(確か、ずっと前にも、こんな奇妙な夢? を見たことがあるはずだ。そう……あれは、“水の都アクイレイア”で、ルイズに眠らされた時……)と、“使い魔”の“ルーン”の中に眠るモノを通して、“魂”だけで6,000年前に“レイシフト”してみせたのである。

「……ってことは、俺はまた6,000年前に?」

 才人は、(きっと、そうに違いない)と確信した。

 以前、才人が“レイシフト”した時は、“ガンダールヴ”の“ルーン”を通したモノであった。もしこれが“使い魔”の“ルーン”に刻まれた“魔法”に類するモノであれば、今ここにいのは“リーヴスラシル”の“ルーン”によるモノだろう。

 背筋をゾッとするような悪寒が奔るのを、才人は感じた。

 不安に想いながら、その場にしばらく座り込んでいると、大きな砂丘の向こうから、こちらに向かって歩いて来る人影に、才人は気付いた。

 才人は、(誰だろう?)と警戒しつつ、デルフリンガーの柄を握った。

 豆粒のような人影が近付いて来るに連れ、徐々にその輪郭がハッキリとして来る。

 それは、裾を引き摺るような長いローブを身に纏った、小柄な男であった。

 撫で付けた金髪に、少し冴えない、真面目そうな風貌。

 才人は、その姿に見覚えがあった。

「ブリミルさん!」

 才人が声を上げると、ローブ姿の男が気付き、ユックリと歩いて来た。

 才人は、(やっぱり、今のこの時代、ここは、6,000年前なんだな)と確信した。

 やがて、眼の前まで来たブリミルの顔を見て、才人は想わず、息を呑んでしまった。

 ブリミルは、少し老けており、頬が痩せこけ、前に才人が見た時とは別人のようである。

 才人は、(あれから、何年か経っているのかもしれないけど、それにしても、この変わりようは……一体、なにがあったんだろう?)と考えた。

 ブリミルは、才人の顔をマジマジと見詰めると、首を傾げた。

「……ええっと、君は? 前にどこかで逢ったかな?」

「覚えてないんですか? 俺ですよ、平賀才人です」

 才人は言った。それから、(それにしても、前って、どのくらい前なんだろうか? そもそも、このブリミルさんは、前に俺が逢ったブリミルと同じブリミルさんなのか?)と考えた。

「うん、確かに逢った気がするんだが、どこだったかなあ?」

 と、才人の頭に、(そうだ、これを見せれば……)というある閃きが浮かんだ。

 才人はデルフリンガーを握り、左手甲に光る“ルーン”を見せた。

 すると、ブリミルは目を見開いて、叫んだ。

「“ガンダールヴ”! そうか、想い出した……君は、あの時の少年か!」

「はい、その節はどうも」

 才人がペコリと頭を下げると、ブリミルはほんの少し笑みを浮かべた。

「いや、すまない。あれは、僕等が放浪生活を続けてた頃だから、もう何年も前のことだね。うむ、君はあれから歳を取ったようには見えないが、実に不思議だ」

「俺は、6,000年後の世界から来た人間何です」

「そうだったね、ああ」

 ブリミルはとぼけたように笑いながら、相槌を打った。

「それで、こんな所でなにをしてるんだ? 君の主人は?」

「俺は、その、ちょっと砂漠で迷子になって……あの、ブリミルさんこそ、こんな所でなにをしてるんですか? 村の皆や、サーシャさんは?」

 才人が尋ねると、ブリミルは一瞬、表情を強張らせて言った。

「彼女は、もう直ぐここに来るはずだよ」

 

 

 

 それから、才人がブリミルに着いて歩いて行くと、木の疎らに生えた小さなオアシスのような場所に辿り着いた。

 辺りにはテントの骨組みや壊れた井戸、馬だか駱駝などの大きな動物の骨が放置されている。それ等から、捨てられた村であることが判る。

 ブリミルは、山が在るのとは反対の方向を指さして、言った。

「ここから、北に行けば、ヒトの住む土地がある。早くここから逃げた方が良い。この辺りは、直に海の底に沈むからね」

「海に沈む? どういうことですか?」

 才人は驚いて言った。

「良いかい? 先住の民? である君達は、まだ知らないかもしれないが、この世界は今、恐ろしい滅亡の危機に瀕しているんだ」

「え?」

 才人は、(滅亡の危機に瀕してるって、どういうことだ? 滅亡の危機にあるのは、6,000年後の俺達の世界じゃないか?)と想い、ポカンと口を開けた。

 そんな才人に、ブリミルは、噛んで含めるように言った。

「君は、“精霊石”と言うモノの存在を聞いたことがあるか?」

「えっと、“風石”とか“火石”とかのことですよね?」

 才人が答えると、ブリミルは、ほう、と驚くように呟いた。

「流石、“ガンダールヴ”だ。良く知ってるね。君の主人から教わったのかい?」

「まあ、そんなもんです」

 才人は曖昧な顔で言った。

「それなら、話は早い。“精霊石”と言うのは、言ってみればこの世界の“精霊の力”が凝縮したモノだ。そのほとんどは地中深くに眠っていて、先ずお目に掛かることはない」

 へえ、と才人は想った。

 ブリミルが生きているこの時代には、“精霊石”を採掘する技術は、まだないのである。

 と、ブリミルは足元の地面に目をやった。

「その地中に眠る“精霊石”の力が、今世界中で爆発しようとしているんだ」

「なんだって!?」

 才人は、(まさか、6,000年前の“ハルケギニア”でも、“風石”の暴走があったのか……?)と、想わず大声を上げた。

「そんなことが起これば、大地は引っ繰り返り、人の住む場所は失くなってしまう」

 ブリミルは暗澹たる表情で言った。

 才人は、(こっちでも、6,000年後の“ハルケギニア”と同じことが起きるって言うのかよ……ひょっとして、ルクシャナ達が言った、“エルフ”の半数が滅びたって言う“大災厄”の正体は、“風石”の暴走のことか……?)と考えた。

「でも、そんなことにはさせない。絶対に」

 ブリミルは険しい顔をして、立ち上がった。

 ブリミルのその視線は、山脈の裾に広がる都市を見据えていた。

「あれは……?」

「“エルフ”の都市だよ。“大いなる意思”に守られた、偉大な都だ」

「“エルフ”の都市、あれが……」

 そびえ立つ白亜の城壁は、山脈を囲む様に造られている。洗練された“地球”のビルディングを想起させ、“ネフテス”の“アディール”とはまた違う印象を与えて来る。

 才人は、(そりゃあ、6,000年も経てば建築様式も変わるよな)と想った。と同時に、(それにしても、6,000年も昔に、あんな立派な都市を築くなんて、やっぱり、“エルフ”は凄い)と感心した。

 その“エルフ”の都市に向かって、ブリミルは両手を突き出した。

「なにをするつもりなんですか?」

「一族が生き残るために、すべきことをする。僕はそのためにここに来た」

 ブリミルは、固く強張った表情で言った。

「生き残るために……」

 才人は繰り返すように呟き……そして、ハッと気付いた。

 ブリミルが、何故ここにいるるのか、これからなにをしようとしているのか。

 才人は、(生き残るためにすべきこと……それは詰まり、6,000年後の“ハルケギニア”で起きていることを同じじゃないのか? 住む土地の奪い合い。それが、6,000年前の世界でも起こったのだとしたら……“エルフ”の半数が滅びた、と言う“大災厄”の言い伝え。そして、デルフリンガーが言った、“ガンダールヴ”のサーシャがブリミルを殺した……と言う言葉の意味)と考え、全てが繋がったことに気付いた。

 才人は、今更ながらに、砂漠の向こうにそびえる大きな山脈の正体に気付いた。

 “地球”の“武器”が流れ着くあの場所は、数千年前には陸地であった。何千年も昔に、周囲の地形を変えてしまうようななにかがあって、“聖地”と呼ばれる場所は海の底に沈んだのである。

「ブリミルさん、貴男は、“エルフ”の都市を滅ぼすつもりなんですか!?」

「そうだ。力なき我が氏族が生き残るには、もうこれしかないんだ」

 ブリミルは唸るような声で言った。

「やめてください。そんなことしたら……この後何千年も続く戦争になるんだ!」

「君は、セイヴァーと同じことを言うんだね。いいや、逆か……でも、そうはならないよ。今日、全ての“エルフ”は地上から姿を消すのだから」

「ふざけんな……サーシャさんだって、“エルフ”じゃねえか!」

 才人がサーシャの名前を口に出すと、ブリミルは一瞬苦渋に満ちた表情を浮かべ、力なく首を横に振った。

「全てはもう、遅過ぎたんだ。これしか道はない」

「どうして……?」

 ブリミルは手を翳し、“虚無”の“ルーン”を唱え始めた。

 その瞬間、才人の胸に激痛が奔った。

 才人は呻き声を上げ、その場にうずくまる。

「……く、そ……また……」

 “ルーン”を唱えるブリミルの頭上に、眩い光が生まれた。

 才人は、(この光……ルイズの“爆発(エクスプロージョン)”そっくりだ。いや、ルイズのが似てるんだよな)と想った。

 だがそれは、“爆発”では無い……もっと、ずっと恐ろしいモノである。

 “虚無”の“使い魔”の本能とでもいうべきモノが、才人にそれを感じ取らせた。

 これが放たれてしまえば、都市など簡単に消し飛んでしまうだろう、ということを。

「どう……して……?」

 薄れ行く意識の中で、ブリミルの声が嫌にハッキリと、才人には聞こえた。

「理解り合えないからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイト……お願いよ、目を覚まして、サイト」

 ルイズは泣き腫らした目で、ベッドに横たわる才人の手を握っていた。

 “オストラント号”の中にある、才人とルイズの部屋である。

 才人が倒れたあのあと直ぐ、ルイズとティファニアはグッタリした才人を抱え、ビダーシャルの造った“魔法”の泡に包まれて、海の上に上がったのである。

 甲板にいたコルベール達は、衰弱した才人を見て、当然ビックリはしたが、シエスタが直ぐに担架用のシーツを持って来て、皆で部屋に運んだのであった。

 それから、ルイズは才人の側で、付きっ切りで看病をしている。才人が倒れてから、もう、30分も経つが、まだ意識を取り戻す様子はない。

 ただの疲労や病気ではないということは誰の目から見ても明らかである。才人が倒れた直後、直ぐにアンリエッタが“ヒーリング”を唱えたのだが、全く効果が無かったためでもあった。

 今、ルイズにできることは、こうして、手を握ることだけであった。

 もう胸の“ルーン”の光は収まっている。だが、才人の手は、生きた人間の手とは想うことができないほどに冷たい。

 ルイズは、(どうして、こんなことになってしまったの……?)と想った。

 才人が「“リーヴスラシル”の力は、“虚無の担い手”の“魔力供給機”だ」と言っていたことを、ルイズは想い出した。“契約”した主人が“虚無”の“魔法”を使う時、“精神力”を供給するのだと……。

 だからこそ、ルイズは、(“虚無”さえ唱えなければ大丈夫だ)、と安心して居たので在る。だが、あの時は、ルイズもティファニアも、“虚無”の“魔法”を使ってなどいなかった……。

 ヴィットーリオは、「“ゲート”の近くにいたから」と言ったが、ルイズからすると、やはり、あれが本当のことであるのかどうか正直疑わしいことであった。

 そういったことから、(きっと、“最後の使い魔(リーヴスラシル)”には、まだ私の知らない秘密があるんだわ……)とルイズは考えた。

 その時、ルイズが握る才人の手が、ピクッと動いた。

「サイト!」

 ルイズは慌てて、才人の顔を覗き込んだ。

 

 

 

 才人は、「う、うわあああああああああっ!?」、と絶叫して、跳ねるように起き上がった。

 その瞬間、なにかにゴツンと頭を打つけてしまう。

 打つかったなにかは、ふぎゃっ!? と潰れた猫みたいな悲鳴を上げ、そのまま後ろに引っ繰り返った。

「あ、あれ……?」

 と、我に返った才人は、周囲を見渡した。

 そこは、6,000年前の砂漠などではなく……見慣れた”オストラント号”の船室であった。

 才人が、(ブリミルさんは? 俺、あの光に呑み込まれて、どうなっちまったんだ?)と混乱していると、ベッドの下で、う~~~~っ、と恨めしげな声が聞こえて来た。

「あ、あ、あんたね、なにすんのよ!?」

 ベッドの下から這い出て来たのは、額を押さえ、涙目で才人を睨むルイズであった。

「ル、ルイズ……ごめん!」

「急に倒れたと想ったら、ずっと目を覚まさないし、こ、ここ、この……」

 ルイズはワナワナと震える拳を振り上げた。しかし、そこで、堪えていたモノが一気に溢れ出したのであろう。鳶色の瞳に一杯の涙を溜め、グスグスと泣き始めた。

「馬鹿、ひっく、馬鹿、馬鹿、馬鹿! 私、どんだけ心配したと想ってるのよぉ!?」

 ルイズは振り上げた拳で、ポカポカと才人の胸を叩く。

「ルイズ、おまえ……」

 才人は、(こいつ、ひょっとして、俺が倒れてからずっと、付きっ切りで看病してくれてたのか……)と感動した。そんなルイズのことが、もう兎に角“愛”しくて、才人はルイズの背中を抱き締めた。

「サイト……」

 ルイズは急に大人しくなると、そのまま、安心したように才人の胸に頭を預けた。

 桃色のブロンドの髪が、才人の頬の辺りをくすぐる。小柄で、痩せっぽっちなルイズの身体は、才人の腕の中に丁度良く収まった。

 ルイズが落ち着くのを待ってから、才人はようやく話し掛けた。

「……なあ、俺、どのくらい気を失ってたんだ?」

 ルイズは泣き腫らした顔をグシグシと擦り、恥ずかしそうに目を逸らした。

「30分くらいよ……胸の“ルーン”が消えた後も、あんた、ずっと魘されてたわ」

「なんだ、そんなもんか」

 才人は拍子抜けた声で言った。取り乱したルイズの様子から、もっとずっと長い間眠っていたモノだとばかり想っていたのである。

「ちょっと、なんだとはなによ……? 心配、してたのに」

「ごめん、心配かけちまって」

 才人は頭を掻きながら謝ると、天井を見上げて言った。

「……俺、また、“レイシフト”してたみたいなんだ」

「また?」

「うん、まあ……」

 首肯き、才人は額の汗を拭った。

「また、“始祖ブリミル”が出て来た……いや、逢った……」

 才人が言うと、ルイズはハッとして、途端に真剣な表情になった。

「もしかして、 “ロマリア”での時と同じ?」

 才人は首を横に振った。

「いや……あの時よりも、後の時代だった」

 ルイズは、才人の横にチョコンと座った。

 才人は、夢を通して“レイシフト”した先のことをルイズに話した。

 6,000年前にも“風石”の暴走があったこと。“聖地”が海の底に沈む前は、そこに“エルフ”の都市があったこと。そして、“始祖ブリミル”が、“エルフ”の都市に向かって“虚無魔法”を唱えたこと……。

 才人の話を聞き終えたルイズは、悲しげな顔をして呟いた。

「それじゃあ、“始祖”は、“エルフ”の土地を手に入れるために“虚無”を放ったのね」

「ああ、たbん。自分の一族が生き延びるためには、仕方ないことだって」

「それが、“エルフ”の伝承に伝わる“大災厄”の正体だったのね」

「うん……」

 ふと、才人は、前にデルフリンガーが「“ガンダールヴ”のサーシャが、ブリミルを殺した」と言っていたことを、想い出した。(”エルフ”のサーシャさんは、復讐のためにブリミルさんを殺したんだろうか? “使い魔”が 自分の主人を殺す……一体、どんな気持ちだったんだろう? 例えば、俺がルイズを殺すなんて、そんなこと、考えることもできない……)と想った。

「俺、ブリミルさんを説得しようとしたんだけど、駄目だった」

 才人は、悔しさを滲ませた声で言った。

「それはそうよ。ただ、“ルーン”に刻まれた記憶を通して“レイシフト”? したってだけでしょ? もう起こってしまった出来事なんだから。それを変えられる訳ないじゃない。できたとしても、また別の世界、へいこうせかい、が増えるだけよ」

「そうか……そりゃそうだよな」

 才人は、溜息を吐いて、項垂れた。

 と、その時、ルイズがなにかに気付いたように首を捻った。

「でも、ちょっと、変ね。計算が合わないわ」

「なにが変なんだ?」

「“風石”の暴走が起きるのは、数万年に1度だって、前にジュリオが言ってたじゃない。“始祖ブリミル”の時代から、まだ6,000年しか経ってないはずのに、どうして、今になって暴走が始まったのかしら?」

「さあ?」

「さあ……? って、なによ?」

 憮然とするルイズ。

「いや、判んねえ。セイヴァーに訊いてもどうせはぐらかされるだろうし、また今度逢った時にでも、ブリミルさんに訊いてみるよ」

「今度って、いつよ?」

「さあ?」

 才人の返事に、ルイズは呆れた様子で溜息を吐いた。

 ルイズは、(まあ、サイトの夢……“レイシフト”したってことは、間違いないわね。だとすると、また同じように“レイシフト”するかもしれないわね……でも、“使い魔”の“ルーン”はどうして、サイトを“レイシフト”させたのかしら?)とそのような疑問を抱くのであった。

 少しばかりシンミリとした空気になった後……才人は大事なことを想い出した。

「……そうだ。あれから、どうなったんだ?」

 才人が尋ねると、ルイズは短く首肯いた。

「ええ、“聖地”の“ゲート”は、直ぐに閉じたわ。教皇聖下は“精神力”を溜めて、軍隊が通れるような、もっと大きな“ゲート”を開くつもりみたい。たぶん、“聖地回復連合軍”の本体と合流したら、直ぐにでも、あんたの世界に侵攻を始めるつもりなんだわ」

「本当に、“地球”と……俺の住んでた世界と戦争する気なんだだな」

 才人は無力感に打ち拉がれた。

 “聖地”の奪還は、教皇であるヴィットーリオの悲願である、ということは、才人にも十分に理解できていた。どのように説得を試みようとも、今更考えをひるがえすことなどない、ということもまた理解していた。

「大丈夫、そんなことはさせないわ。絶対に」

 だが、ルイズはキッパリと、言い放ってみせた。

「ルイズ……」

「確かに、私は“トリステイン”の“貴族”で、敬虔な“ブリミル教徒”だったわ。でも、“ハルケギニア”を救うために、サイトの世界を侵略するなんて、絶対間違ってる。私は、神と“始祖”の御心よりも、私自身の心に従うわ」

 そう言って桃色のブロンドの髪をサッと掻き上げたルイズを見て、才人は(凄え……俺のご主人様、かっけえ)と感動を覚えた。同時に、(やっぱり、ルイズは出逢った頃と、随分変わったんだな)とも想った。

 少し前のルイズは、なによりも“貴族”としての誇りと名誉を大事にしていた。“トリステイン王家”に尽くし、“始祖”の教えを守ることが、一番大事なことだと信じていたのである。あの頃のルイズであれば、先程のような言葉は、例え天地が引っ繰り返ろうとも口にはしなかったはずである。

 才人は、(ルイズの心意気は素直に嬉しい)と想っていた。が、同時に、1つ心配事があった。

 例えルイズが拒んだとしても、教皇は、どんな手段を使ってでも、ルイズに“最後の虚無”を撃たせようとするであろうということである。例えば、“エルフ”の秘薬を使って、ルイズの心を想うままに操るなど……。

 才人がそんな心配を口にすると、ルイズは少しばかり考えてから言った。

「それは、たぶん大丈夫だと想うわ」

「どうして?」

「だって、“虚無”の“魔法”は、心の震えが力になるのよ? 薬なんかで心を壊してしまえば、“虚無”を唱えることはできなくなるわ」

「そっか……それなら、“ロマリア”の連中もそんな無理はできないな」

 才人は、(教皇もルイズと同じ“虚無”の“担い手”である以上、そのことは理解しているだろうしな)と想い、一先ず安心した。

「それに、もし教皇聖下が、そんな手段に訴えようとするなら……」

 ルイズは、覚悟を決めたような、張り詰めた表情で言った。

「私、サイトの故郷を滅ぼすくらいなら、自分の喉を突いて死ぬ方を選ぶわ」

「な、なに言ってんだよ!? おまえ……馬鹿なこと言うなよ!」

 才人は慌ててルイズを窘めた。

 だが、ルイズは首を横に振り、「私は本気よ」と、真顔で言い切った。

 ルイズは本気である。

 才人にはそれが理解った。ルイズは以前、才人が“アルビオン”で、110,000の軍に突っ込んで死んだと想い込み、本当に死のうとしたことがある。あの時は、ギーシュの作った像のおかげで、なんとか救かったのだが……。

「そんなの、駄目だ。そんなことしたら、俺も死ぬよ」

「だ、駄目よ、そんなの。あんたが死んだら、意味ないじゃない」

「じゃあ、死ぬなんて言うなよ。馬鹿」

「ば、馬鹿じゃないもん……」

 ルイズは拗ねたように唇を尖らせた。

「前に約束しただろ? 死ぬ時は一緒だ、って」

「う、うん……」

 才人が真剣な顔で見詰めると、ルイズは頬を赤く染めて首肯いた。

 2人はベッドの上で見詰め合い、やがて、どちらからともく、唇を交わした。

「んっ……」

 お互い、背中を抱く指に力を込め、唇を押し付け合う。

 ルイズは目を瞑り、才人の腕の中で従順に身を任せた。先程の才人の真摯な言葉は、意図せずして、(や、嫌だ、こいつってば、“俺も死ぬ”だなんて……ちょっと、格好良いじゃないの。そんでもって、ちょっと、私のこと好き過ぎるんじゃないの、ねえ?)とルイズの胸をときめかせることに成功したのである

 そんな感じで軽くテンパっているうちに、ルイズは優しくベッドに押し倒された。

「だ、駄目よ……こ、こんな時に」

 と、ルイズはか細い声で言った。

 もちろん、本気で抵抗している訳ではない……が、ルイズにだって、プライドと云うモノがあるのである。(そんな簡単な女だと想われては、ラ・ヴァリエールの3女としての沽券に関わるわ)と想ったのである。

「こんな時だからだよ」

「へ?」

 才人は、ルイズの顎をクッと持ち上げて言った。

「こんな時だから、ルイズのこと、しっかり抱き締めていたいんだ」

「はう……」

 真剣な声と表情で才人にそう囁かれることで、たちまち、ルイズの全身から力が抜けてしまった。

 もう、“貴族”のプライトだとかそういったモノが、全部どうでも良くなってしまったのである。

 ルイズは、(な、なによこいつ。ホント狡いわ。もう……そんなこと言われたら、私、簡単な女になっちゃうじゃないのよ……)と唇を尖らせた。

 アッサリと降参したルイズは、ウットリと目を閉じて、唇を重ね合わせる。

 さて、才人はここに来て、(ま、なんだよ、俺のご主人様、可愛過ぎだろ……)と自分の台詞が、ルイズの心をどうにかしたということを理解した。

 だが、先程のあの言葉は、全く嘘偽りのない、才人の本心であった。

 才人は、(ルイズも守るためなら、死んだって構わない。ルイズが死ぬ時は、俺も死ぬ。クルクルと良く動く鳶色の目。瞼を彩る長い睫毛。軽く上唇を噛む、その仕草。可愛らしい小さな胸。意地っ張りで、怒りっぽくて、誰よりも真っ直ぐで、誇り高い女の子……そんなルイズの総てを、命懸けで守護りたい)と想った。

「好きだよ、ルイズ」

「ホントに?」

「当たり前だろ」

「もっと言って」

「ルイズ好き、大好き」

 ルイズの桃色の髪を撫でながら、才人は耳元で何度も囁いた。

 才人は、(このまま、ずっと、大切な恋人の体温を感じていたかった。好きな人が側にいる……それだけで、身体の中から力が湧いて来る。“聖地”の奪還を目論む、“ロマリア”教皇の野望……でも、ルイズと一緒なら、今の状況だってなんとかできる)とそう想うことができた。

 

 

 

 2人はベッドの上で、何度も唇を重ね合った。

 そして、最後に、とんでもなく長いキスをした後、ルイズは言った。

「ねえ、サイト……」

「うん?」

「私、もう1度、教皇聖下の所に行くわ。聖下を説得してみる」

 才人はルイズの手を握り、首を横に振った。

「無理だよ。それに危険過ぎる」

「大丈夫よ。教皇聖下にとって、私は最重要の手駒なんだから。少なくとも、話は聞いてくれるはずだわ」

「でも……」

 言い掛けて、才人は口を噤んだ。(“レイシフト”した先で見たあのこと……あの6,000年前に起こった悲劇のことを、教皇に話すべきかもな)と想ったためである。

 ブリミルが“エルフ”の都市を滅ぼしたことが原因で、その後、数千年に渡る“エルフ”との戦争の種が撒かれてしまった。

 才人は、(もしかすると、あの“レイシフト”は、そんな悲劇を2度と繰り返さないようにと言う、警鐘なのかもな)と考えた。

「……理解った。じゃあ、俺も一緒に行くよ」

「駄目よ、あんたは寝てなくちゃ。まだ動ける身体じゃないでしょ?」

 ベッドから起き上がろうとする才人を、ルイズは押し留めた。

「私に任せて」

 

 

 

 

 

 さて、その頃。

 “ロマリア連合皇国”の旗艦である、教皇専用の御召艦“聖マルコー号”の執務室では、“トリステイン”女王アンリエッタが、毅然とした態度で、教皇ヴィットーリオと対峙していた。

「聖下、どうか今一度お考え直しください。ようやく“エルフ”との和平がなったというのに、貴男は“ハルケギニア”の民を、更なる戦争へ駆り立てるおつもりですか?」

「“聖戦”への参加は、“ハルケギニア”に住む全ての“ロマリア教徒”に課された、神聖なる義務。それを遂行せぬとあれば、それは“始祖”への裏切りです」

 ヴィットーリオは表情1つ変えない努力をし、静かに首を横に振ってみせた。

「“始祖”のために命を投げ出すのは、貴方方狂信の徒だけで結構ですわ」

 アンリエッタはヴィットーリオを睨み付け、精一杯の皮肉を投げ掛けた。

 非公式の場とはいえ、“ロマリア”教皇の御前である。”宗教庁”が聞き咎めれば、例え”トリステイン”の女王であっても、異端の罪で裁かれる恐れのある言葉であるといえるだろう。

 だが、ヴィットーリオ気分を害した様子もなく、ただ淡々と言葉を返した。

「狂信で結構。さもなくば、“ハルケギニア”を救うことはできません。“風石”による、土地の“大隆起”は、現実問題としてそこにあるのです。それとも、貴女は“ハルケギニア”の民よりも、見知らぬ、異世界の隣人を救えとおっしゃるのですか? なるほど、“博愛”の精神は素晴らしい。ですが、それを示せるのは、生きている者の特権です。我々自身の生存が脅かされているというのに、相手のことを慮れるというのは、それこそ、狂信というべきではありませんか?」

 アンリエッタは唇を噛んだ。

「では、お訊ねしますが、聖下のおっしゃる“聖戦”が、この“ハルケギニア”に“大隆起”以上の災厄をもたらさぬと、どうして言えるのですか? サイト殿とセイヴァー殿もおっしゃっていたではありませんか。向こうの世界には、恐るべき“武器”があると」

「確かに、“ヴァリヤーグ”の力は強大です。それは認めましょう、ですが、こちらには切り札がある。ミス・ヴァリエールの覚醒めた“最後の虚無”は、“ヴァリヤーグ”を滅ぼし尽くすでしょう」

「ルイズに、手を汚させるのですね」

 アンリエッタは鋭く言った。

「否定はしません。ですが、“ハルケギニア”を救うには、これしか手立てがないこともご理解頂きたいのです。本当に、都合の良い“魔法装置”などというモノがあればと、私も想います。ですが、そんなモノは存在しない。私達に与えられた選択肢は、滅びるか、滅ぼすか、それだけなのです」

「ですが……」

「アンリエッタ殿、これをご覧になってください」

 と、必死に喰い下がろうとするアンリエッタの前に、ヴィットーリオは執務机の上に置かれた、小さな小箱を差し出した。

「これは?」

 アンリエッタは怪訝な顔をした。

 小箱の中に入っていたのは、“聖人”と呼ばれる眼の前の人物が持つには、似付かわしくないモノ……拳銃であった。

 だがそれは、アンリエッタが見たこともない造りであった。アニエス達“銃士隊”に支給されている銃は、“トリスタニア”の工房で製作された最新式のモノであるが、それとも全く違うことが判る。材質は金属であろうが、しかし、ただの鉄とも違う……。

「“聖地”で見付かった、あちらの世界の“武器”です。私達の造るモノより、遥かに高度な技術で造られています」

 アンリエッタは、才人と彼が使う“武器”を想い出した。幾度もの戦争で、“トリステイン”に勝利をもたらした、“竜の羽衣(ゼロ戦)”や“鋼鉄の怪物(タイガー戦車)”……。

「それが、どうかしたと言うのですか?」

 ヴィットーリオは、重々しく首肯いた。

「かつて、“ヴァリヤーグ”は、この世界に自然発生した“ゲート”を利用し、この“ハルケギニア”に侵攻して来たことがありました。今はまだその兆候はありません。ですが、いずれは“虚無”の秘密をも、その恐るべき技術で解き明かし、この世界に再び“ゲート”を開くことでしょう。そうなれば、“ハルケギニア”の国々は疎か、“エルフ”でさえ、太刀打ちすることはできません。それだけは、なんとしても回避しなくてはならない……彼等が“虚無”の力の全てを手にするより先に、此方から攻め込んで滅びし尽くす。それこそが、“始祖”と神が私達に与えた使命なのです」

「そんなことが……」

「ない、と言い切れますか? 民の命に懸けて」

「…………」

 教皇にそう問われ、アンリエッタは口を噤まざるをえなかった。

「では、向こうの世界と交渉することはできないのですか? 仇敵であった“エルフ”とも和解できたのです。そう。それこそ、あちらの世界から来たサイト殿を、大使に立てれば良いではありませんか? 彼ならばきっと、役目を熟してくれますわ」

 ヴィットーリオは首を横に振った。

「相手が交渉に応じなければ? 我々の存在を知られてしまった時点で、敗北は必至でしょう。“ハルケギニア”の民は皆殺しにされ、為す術もなく蹂躙される。我々は貴重な先制攻撃の機会を失うことになるのです。それに、例え一時の和平がなったとしても、それが永続するとは限りません」

「ですが、聖下……」

 アンリエッタはなおも反論しようとした。民の多くが犠牲になる戦争だけは、なんとしてでも回避したいのである。だが、ヴィットーリオのどこまでも透き通った、狂気と紙一重の信仰を宿した目を見て、彼を説得しようという意志は、(この御方には、もう誰の言葉も届かないんだわ……)と敢えなく折れてしまった。

「“トリステイン王国”は、この“聖戦”から撤退しますわ」

 アンリエッタは言った。

「それを許す訳には参りません。今は“ハルケギニア”の全ての国が、一致団結すべき時なのです。さもなくば、勝てる戦も覚束きません」

「許せぬ、とはどういうことでしょう?」

 アンリエッタはヴィットーリオを睨んだ。

「“トリステイン”は、聖下の国ではありませんわ」

「その通りです。ですが、この“聖戦”を前に、“ハルケギニア”に内乱を招くとあれば、貴女の祖国は神の敵になるでしょう」

 それは、明白な脅迫であった。

 “トリステイン”は小国である。その上、度重なる戦争で大きく疲弊している。

 大国“ガリア”を手中に収めた“ロマリア”に歯向かえば、“トリステイン”という国はたちまち地図から消えることになるであろう。周辺諸国に寄って集って羽をもがれ、縊り殺された“神聖アルビオン共和国”のように……。

 アンリエッタは悔しげに唇を噛むと、声を震わせて言った、

「教皇聖下、力で人を従えることはできても、心まで従わせることはできません。私は、親友を、ルイズとシオンを信じますわ。何か目論見がおありのようですが、彼女達は、貴男の意のままには、決して成りません」

「もちろん、存じておりますよ」

 ヴィットーリオは言った。

「心を従わせることはできません。人の心にこそ、神は住んでおられるのですから」

 

 

 

 アンリエッタとの謁見の後、ヴィットーリオは1人、専用の礼拝堂に入った。

 ここで朝晩、神と“始祖”に祈りを捧げるのが、彼の日課であった。

 ヴィットーリオは、“始祖の円鏡”の前に跪くと、額に汗を流し、苦渋の表情を浮かべ、自身の罪を告白した。

「“始祖”よ。尊き神の代弁者たる“始祖”よ。我を導く偉大なる“始祖”よ。この罪深き貴男の僕を、どうかお赦しください。私は余りに多くを謀って来ました」

 ヴィットーリオが告白したのは、虚偽の罪であった。

 例え、大義のためであったとしても、その罪が赦される訳ではない。

 しかし、“ロマリア”の歴史とは、即ち虚偽の歴史の積み重ねであるといえるだろう。

 歴代の教皇達が、清廉潔白などとはほど遠い人物であったということは、“宗教庁”に秘蔵された書を紐解けば、直ぐに理解る。それどころか、“ロマリア連合皇国”の成り立ちすらも、真実ではないのである。

 初代教皇であり、ブリミルの一番弟子であった、“祖王フォルサテ”は、「“ロマリア”こそが“始祖”の没した地である」と喧伝したが、それは事実とは異なる。

 “始祖ブリミル”は、まさにこの“聖地”で、“使い魔”である“エルフ”の“ガンダールヴ”サーシャに殺されたのだから。

 だが、今ヴィットーリオが胸のうちに秘めていることは……そのような、“ロマリア”の積み重ねて来た罪全てより重いといえるだろう、“ハルケギニア”全土の民に対する裏切りといっても良いモノである。

 この“聖地”に、“風石”の暴走を止める“魔法装置”があるという話は、ある意味では本当である。それは、長きに渡り“悪魔(シャイターン)の門”の管理者であった、“エルフ”達でさえ知ることのない、“聖地”その物に関する重大な秘密である。

 ルイズの覚醒めた“虚無”の力を用いれば、差し迫った大陸の“大隆起”を止めることはできるであろう。

 しかし、それを話す訳には行かなかったのである。“始祖ブリミル”の悲願である“再征服(レコン・キスタ)”をなし遂げ、そして、全ての“マギ族”の未来を守るために。

 それは、あのジュリオにも話していないことであった。

 その秘密を聞いたところで、彼が心変わりすることはないであろう。だが、秘密を聞けば、同じように罪の意識に苦しみ苛まれてしまうことは簡単に予想できてしまう。

 “ロマリア”の孤児院で育ったジュリオは、生来、血まみれの陰謀になど向いた性格ではない。大人びて見えはするが、純粋で、傷付きやすく、真っ直ぐな心根を持つ少年なのだから。

 ヴィットーリオは、(この罪を背負うのは、私1人で十分でしょう。地獄のような戦いになるでしょうね。あの“トリステイン”女王アンリエッタ殿、そしてサイト殿とセイヴァー殿の言葉は正しい。異世界との、“地球”との“聖戦”が始まれば、“ハルケギニア”は“大隆起”以上の血が流れることになる……負けてしまう)と想った。

 それを想うと、余りの罪の大きさに、ヴィットーリオの総身が震えた。

 それでも、民を導く教皇として、“始祖”の遺した使命を果たさなくてはならない、と考えているのである。

 祈りを終えると、ヴィットーリオは、母の形見である“炎のルビー”を見詰めた。

「“始祖”よ。貴男は祈るべき神が不在であったことに、絶望していたのでしょうか?」

「そのとおりだ」

「――!?」

 突然の俺の声掛けに、ヴィットーリオは驚いた様子で振り向いた。

「驚かせてすまないな。だが、おまえの言う通り、ブリミルは、あいつは、祈るべき神がいないことに絶望していたよ」

「と、言いますと?」

「あいつは元々、才人と同じ“地球”出身だ。そして、あいつの故郷の神に、あいつ等“マギ族”は“魔法”を授けて貰った。神々の代理戦争(陣取りゲーム)の駒としてな。そして相手である“ヴァリヤーグ”の能力は、“武器”や数はかなりのモノで、苦戦を強いられ、ここ“サハラ”へ、そして“ハルケギニア”へと“ゲート”を使い逃げる他なかった」

「ええ、その話は前に聞きました」

「ああ。そうするとどうなる? あいつ等が信仰する神は“地球”にいる。ここは、あいつ等にとって異世界だ。異郷の地だ。当然、その神からのバックアップなど受けることなんてできやしない。残されたモノは“魔法”だけだ。そして、力があるだけに、それ相応の責任なども自然と生じる。故に、だからこそ、あいつは……」

「…………」

 

 

 

 

 ヴィットーリオが祈祷を終えて執務室に戻ると、扉の前で左右瞳の色の違う青年が待っていた。

 ジュリオである。彼はヴィットーリオに一礼し、報告した。

「聖下、例の“槍”の引き上げ準備ができました。海母なる“韻竜”には、少し手古摺りましたが、なんとか……“ヴィンダールヴ”の力がなければ、危なかった」

「殺してしまったのですか?」

「いえ、“聖堂騎士”隊に囲まれると、どこかへ退散して行きましたよ」

「それは良かった。あの“韻竜”は、長い間、私達に代わって、この“聖地”を守って来てくれたのですから、命を奪うのは偲びないと想っておりました」

 ヴィットーリオは安堵するように、胸を撫で下ろした。

「それで、やはり、あれは私の考えた通りのモノでしたか?」

「はい、恐らくは、そうだと想われます」

 ジュリオは声を潜めて言った。

「あれは、“始祖”の“虚無”に極近い性質を備えた“武器”。世界を形創る極小の粒に作用して、途轍もない爆発を引き起こすモノのようです。その威力は、想像することしかできませんが……“ガリア”王の使った“火石”の威力を遥かに上回るでしょう」

 それを聞いたヴィットーリオは両手で顔を覆い、苦悶の表情を浮かべた。

「おお、最も恐れていたことが起きてしまいました。“ヴァリヤーグ”は、ついに“虚無”の力を手に入れてしまったのですね」

「はい、まさかとは想いましたが……余りに早過ぎる」

 ジュリオは、顔に緊張の色を浮かべて言った。

「その“武器”は、貴男には、扱えそうですか?」

「いえ、この“神の頭脳(ミョズニトニルン)”の知識をもってしても、その余りに複雑な仕組みまでは判りませんでした。ですが、“ガンダールヴ”や彼ならば、あるいは……」

 ジュリオが言うと、ヴィットーリオは悲しげに呟いた。

「誠に罪深きことですね。私達は、そのような仇敵の“武器”を使ってでも、勝利を収めなくてはならない。この“聖戦”は、どちらかが滅亡するまで、戦い抜くしかないのですから」

「本当に、そう想いますよ」

 重い溜息を吐くジュリオに、ヴィットーリオは、先程アンリエッタに見せた拳銃を……仇敵の造り出した“武器”を手渡した。

「余り、銃は好きではないのですが」

「貴男は“メイジ”ではにあ。そのようなモノでも、身を護る役には立つでしょう」

 ジュリオは拳銃を受け取ると、外套の下に隠した。それから、窓の外に停泊する“オストラント号”の船体を見詰める。

「……あの2人は、無事に、役目、を果たしてくれるでしょうか?」

「私は、そうあってくれると信じております。彼は“愛”に殉じる男。6,000年前のサーシャの愚は犯さぬでしょう」

 ヴィットーリオは、(いえ、本当に愚かだったのは、サーシャではなく……自分の“使い魔”を“愛”してしまった、彼の方なのかもしれませんね。だが、6,000年前と同じ悲劇は、もう繰り返させない)と心の中で独り言ちた。

「“使い魔”への“愛”故に、彼女は世界にとって、正しい選択、をするでしょう」



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ルイズの決意と残酷な真実

 ルイズが部屋を出て行った後……才人はベッドの上で1人、頭の中を整理しながら、これからどうするべきなのかを、マンジリともせずに考えていた。

 明かされた“聖地”の正体。“マギ族”と“ヴァリヤーグ”の対立……。

(セイヴァーと教皇の話が本当なんだとすれば、“マギ族”は、ルイズ達“ハルケギニア”の“貴族”の先祖で、俺達“地球人”は“ヴァリヤーグ”の子孫ってことになる。でも、それってちょっと可怪しくないか? “ヴァリヤーグ”の軍隊は、“古代ギリシャ”の重装歩兵みたいな兜鎧を身に着けてたし……6,000年前の“地球”って、まだ石器時代とかその辺りだったはず……あんな装備の軍隊がいるはずないよな。ひょっとすると、“ヴァリヤーグ”ってのは、“マギ族”と同じような、かつて“地球”に存在した、超古代文明の民族なのかもしれないな……いや、確かセイヴァーが神様から力とかを貰った、って言ってったっけ?)

 と、才人は、自身の中で浮かび上がった疑問に対し、直ぐにそれに対する答えを見付け出してみせた。

(まあ、そんなことはどうでも良い。今の“地球”人が“ヴァリヤーグ”の直接の先祖であろうがなかろうが、教皇にとって、そんなことは関係ないだろうしな。ルイズはああ言ったけれど、あの教皇が、説得に応じるとは到底想えねえ。どんな手段を使ってでも、ルイズが“地球”に“虚無”を放つように仕向けようとするだろうな。つうか、“地球”にこの危機を伝えることはできねえかな?)

 と、先ず才人が想い付いたのは、そんなことであった。

 前に一度、“ノートパソコン”の電波が繋がって、“日本”にいる母親からの“メール”が送られて来たことがあった。“聖地”の“ゲート”が開けば、こちらから“メール”を送ることができる可能性があるということである。

(でも、異世界の連中が“地球”を侵略しようとしているなんて……そんな荒唐無稽な話を、誰が信じてくれるかな? いっそ、ルイズを連れてここから逃げるか? いあ、それにしたって、いつ倒れるかも判らないこの身体で、“ロマリア”の追手をどこまで振り切れる? テファやシエスタ、“学院”の仲間を人質にされたら?)

 と、才人は必死に頭を働かせる。

「ああ、駄目だ……何も想い付かねえ。いっそ、セイヴァーやシオンにでも頼るか?」

 才人は、ベッドの上でうずくまるようにして頭を抱えた。

 デルフリンガーに相談しようにも、相棒は相変わらず眠ったままで、なんの反応もない。

 その時、誰かが部屋の扉をノックした。

「サイトさん、お目覚めになったと、ミス・ヴァリエールに聞きました」

 替えのシーツを抱えたシエスタと、ティファニアで在る。

 ティファニアは才人の姿を見ると、紺碧の瞳に涙を浮かべて才人に抱き着いた。

「嗚呼、サイト……良かった……」

「テ、テファ……もが!?」

 ハーフ“エルフ”の少女の、メロンのような大きさと質量を持ち、マシュマロの柔らかさを兼ね備えた奇跡とでもいえる物体が、フヨンッ、フヨヨンッ、と才人に押し付けられる。

 真っ赤になった才人を見て、シエスタがニッコリと笑った。

「まあ、サイトさん、すっかり元気になられたようですね。ミス・ヴァリエールに言い付けますわ」

「それはやめて!」

 才人が悲鳴を上げると、ティファニアはハッと我に返り、身体を離した。

「ごめんなさい。私、サイトが無事だったのが嬉しくて、つい……」

「いや、うん、大丈夫……」

 才人が、こほん、と咳払いをすると、ティファニアはシュンとした様子で言った。

「サイト、本当にごめんなさい……」

「いや、良いって、ホント、眼福だったし……」

 才人がそう呟くと、シエスタがジロッと睨んだ。

 才人は慌てて口を押さえた。

「ううん、違うの……だって、サイトが倒れたのは、私の所為だもの」

 ティファニアの長耳が、悲し気にペタリと垂れる。

 そこで才人はようやく気付いた。

 ティファニアは、才人を“リーヴスラシル”にしてしまったことに対し、まだ責任を感じているのである。

「テファの所為じゃないよ。おそれに、テファが俺を“使い魔”にしてくれたおかげで、テファやルイズのことを守れたんだしさ」

「サイト……」

「それに、責任を感じるべきなのは、セイヴァーの方だろ。なんたって、こうなることは既に知ってただろうしさ」

 ティファニアの紺碧の目に大粒の涙が溢れた。

 と、その時である。

「やあ、サイト。目覚めたのかね? 大層心配したんだよ」

「目を覚まして早々にイチャイチャするんて、流石だね」

 開きっ放しの扉から、ギーシュとマリコルヌの2人が顔を覗かせた。その後ろには、コルベールとキュルケ、それにタバサの姿もある。

「ちょっと、皆さん、大勢で入って来無いで下さい。サイトさんは、未だ目を覚ましたばかり何ですよ!」

 シエスタが腰に手を当てて、皆に注意した。

「すまないね、サイト君に少し訊きたいことがあってね」

 コルベールが言った。

「俺は大丈夫ですよ。もう起きれますし」

「いや、そのままで結構だ。楽にしてくれたまえ」

 起き上がろうとする才人を手で制し、コルベールはベッド脇の椅子に腰掛けた。

「サイト君、“聖地”でなにがあったのか、良ければ話してくれないか?」

 才人はハッとした。

 ティファニアと目が合い、彼女は首を横に振った。そのことから、まだ詳しいことを話していないことが理解る。

「理解りました。ちょっと、信じられないと想うんですけど……その前に……セイヴァー、いるんだろ?」

「もちろん、ここにいるとも」

 才人の呼び掛けに答え、俺は“実体化”する。

 才人の説明に、俺はほんの少しばかり補足を入れることにした。

 

 

 

 才人は、“聖地”でヴィットーリオが明かした真実の全てを皆に話した。

 あの場所には、“風石”の暴走を止める“魔法装置”などなかったということ。“聖地”の正体は、才人の故郷である“地球”であるということ。“マギ族”と“ヴァリヤーグ”のこと。そして、“始祖ブリミル”について……。

「…………」

 才人が話し終え、俺が補足を入れ終えると、部屋には重い沈黙が訪れた。

「そう言えば、そうだったね。君は異世界、ちきゅう出身だったっけ?」

 ギーシュの言葉に、才人は恐る恐る首肯いた。

「ああ」

「で、君の世界に、可愛い娘はいるのかね?」

「おまえなあ」

 即座に普段と変わらぬ調子で、真顔で尋ねて来るギーシュに、才人は呆れて言った。

「だって、気になるじゃないかね?」

「ぽ、ぽっちゃりが好みだって言う女の子はいるのかい?」

「あんた達ね、そんな暢気なこと言ってる場合じゃないでしょ? そのサイトの世界と“ハルケギニア”が、戦争になるかもしれないって言うのよ」

 キュルケが鋭く睨むと、2人はシュンと大人しくなった。

 才人の話を聞いたコルベールは、ずっと真剣な顔で考え込んでいた。普段の授業などでは見せたことのない、鋭い表情である。

「コルベール先生?」

 才人が声を掛けると、コルベールは絞り出すように、ポツリと呟いた。

「勝てる訳がない」

「え?」

「サイト君の世界と戦争になれば、“ハルケギニア”は間違いなく、敗北するだろう」

「……!」

 流石、才人の世界の兵器や道具を研究していただけあって、その辺りの理解は誰よりも早く……コルベールが直ぐにその結論を出したことに、才人は驚いた。

「そ、そうなんです! つうか、絶対勝てません。今の“地球”には、“ゼロ戦”も“タイガー戦車”も目じゃないくらいの“武器”が、ゴロゴロしてるんです!」

「なあ、君、流石に冗談だろ?」

 ギーシュが言った。

「だって、あの戦車の主砲は“エルフ”の“反射(カウンター)”も貫通し、君の乗る“竜の羽衣”は、どんな“風竜”よりも速く飛ぶことができるんだぜ? あんな伝説級の“武器”が、そうそうゴロゴロしてるはずないじゃないかね」

 才人は、どう説明すれば良いんだろう? と想い、う~んと頭を抱えた。

「えーとな、“タイガー戦車”が、おまえのへっぽこな“ゴーレム”だとするだろ?」

「君、何気に失礼だな。まあ、“ガンダールヴ”かつ“サーヴァント”である君からすると、そう想っても仕方のないことなんだろうが」

「ものの例えだ。まあ、聴けよ。あの“タイガー戦車”が、おまえの“ゴーレム”だとするとだな、今の“地球”の戦車は、あの“ミョズニトニルン”のけしかけて来た“騎士人形(ヨルムンガント)”みたいなもんだ。大雑把に言えば、そんくらい性能に差がある」

「なんだって!?」

 ギーシュの声が裏返った。

 シェフィールドの造り出した“ヨルムンガント”は、ただ“魔法”で造った“ゴーレム”などとはまるで違う。ほとんどヒトと変わらない、同じ様な機動力を誇り、動きが可能であるのだ。

 戦車や“戦闘機”だけではなく、“戦闘ヘリ”、“爆撃機”、“空母”に“潜水艦”、“イージス艦”……小型の“機関銃”を始め、“ハルケギニア”の“メイジ”達が悠長に“呪文”を唱えている間に、何百人もの命を奪うことができるモノに溢れている。

 そしてなによりも、“弾道ミサイル”を始めとした長距離攻撃が可能な武器などもある。

 “聖地回復連合軍”が現れて直ぐは対応できずにいるだろうが、攻撃されたとあれば、直ぐにでも拠点となっている場所に、“弾道ミサイル”を放ち、直ぐに終わらせることだって可能なのだから。

 また、この世界の“地球”には、“魔術”が存在している。最悪の場合、“サーヴァント(守護者)”などが出っ張って来る可能性だって多いにありえるのだから。

「サイト、セイヴァー、それは本当なのかね?」

 ギーシュは引き攣った顔で言った。

「ああ」

「そうだな。勝ち目は0と言っても良いだろう」

「君達の世界には、そんな恐ろしい“武器”が、幾つもあるのかね?」

「幾つもどころじゃねえ。そんなのが、何千、何万とあるんだ。そに、あの“火石”より、何十倍も強力な兵器もあって……それは、街1つ、いや、国1つを滅ぼすことだってできるかもしれないんだ」

「それだけではない。“ガリア”や“ゲルマニア”やら“トリステイン”に直接攻め込まずとも、攻撃し、滅ぼすこともできる“武器”だってある。そして、“魔術”と“魔法”も存在するからな」

 才人と俺の言葉に、皆が一斉に沈黙した。

 “ガリア”の“両用艦隊”を一瞬で消滅させた、あの悪夢のような“火石”の威力を想い出したのであろう。

 また、その“火石”選りも何十倍も強力な兵器……余りに途方もなさ過ぎるといえ、口にした才人にだって想像することができないでいる様子である。

「それなのに、教皇には勝つ算段があるって……」

「しれって、例のルイズの凄い“魔法”?」

「たぶんな」

 才人は首肯いた。

 だが当然、ルイズの“虚無”がどれほど凄い威力を誇ろうとも、それだけで“地球”に勝つことはできるはずもないのである。

 此方で広く使用されて居る“魔法”は“精神力”を必要とする。故に、ルイズが唱えることができる回数などには当然限りがある。また、才人の命を消費したとしても、だ。

 対して、“地球”の方はそういったモノは必要とせず、必要なモノがあるとすれば、トップに立つ人の許可、経費、資源……といったとこでおあろう。

 逆立ちしようとも、勝てるヴィジョンなど浮かぶはずもない。

 その時、才人の脳裏に、(未知の場所から“虚無”の攻撃を受けた国が、“核兵器”でどこかの国に報復しようとしたら? 報復を受けた国が、また“核兵器”で報復したら? 今の“地球”には、“地球”を数百回壊せる“核兵器”があるって聞いたことがある。もし、そんなことになったら、とんでもない同士討ち合戦になるんじゃ……? ひょっとして、教皇はそこまで考えてんのか?)と恐ろしい考えが過った。

『なったとして、そうなってしまえば“地球”生命の棲める星ではなくなるな。だがまあ、そんなことにはならんさ。もし、なるとすれば“抑止力”が出張ってくる』

 そんな不安そうな才人に、俺は“念話”で軽く安心させる。

「うむ、これは、“ハルケギニア”の存亡に関わる問題のようだな」

 コルベールが、難しい顔をして唸った。

「でも、“ゲート”は海底にあるのに、どう遣って軍隊を送り込むつもりかしら?」

 キュルケがそんな疑問を口にする。

 ギーシュは両手を上げて天井を仰いだ。

「はあ、“アルビオン”に“ガリア”、“エルフ”と来て、次はちきゅうと戦争か……なんだかとんでもないことになってしまったなあ……」

 

 

 

 

 

 さて、その頃……梟を使い、“ロマリア”側の司教を呼び付けたルイズは、“聖堂騎士団”の手配した“ペガサス”で、教皇のお召艦“聖マルコー”へと乗り込んだ。

 謁見の希望は、直ぐに受理されたので在る。

 ミケラという名の若い修道女に案内され、ルイズはヴィットーリオが待つ執務室へと足を向ける。やはり、教皇の計画にとって、“聖女”であり、大事な駒であるルイズのことは、無碍にはできないようである。

 静謐な雰囲気に満ちた通路を歩きながら、ルイズは唇を噛み締めた。

 正直、1人で乗り込むことに、ためらいがなかった訳ではないのである。

 これまで、“ロマリア”がおこなって来たことを考えれば、限りなく低いが、ここで捕まって“エルフ”の薬などで理性を奪われてしまう可能性だってあったのだから。

 ルイズは、(そんなことしようとしたら、“虚無”で“フネ”ごと沈めてやるわ)と心の中で決意を固めた。

 これまで、才人は、何度もルイズのことを守って来た。

(我儘で、意地っ張りで、ちっとも可愛くない私を、命懸けで救けてくれたわ。好きだと言ってくれた。ううん、それだけじゃないわ。元の世界に帰るチャンスだってあったのに、私のために、この世界に残ってくれたもの。私、なにか返して上げれたかしら? 自分のことばかり、テファやシエスタや姫様に嫉妬して、我儘ばかりだったじゃない……今度は、私がサイトを守る番よ。約束したんだもの。あんたを、元の世界に帰して上げて……)

「教皇聖下、ラ・ヴァリエール様がおいでになりました」

 執務室の前まで来ると、ミケラが静かな口調で言った。

「お通しください」

 ミケラが扉を開き、ルイズは執務室の中に通された。

 覚悟を決めて、ルイズは足を踏み入れた。ヴィットーリオの考えが変わるまでは、断固として、この部屋を出ないつもりであるのだ。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、教皇聖下への拝謁を賜り、大変光栄に存じます」

 ルイズは、完璧な“トリステイン”の“貴族”としての礼をしてみせた。

「お待たせしました、ミス・ヴァリエール。どうぞ、おかけください」

 ヴィットーリオは立ち上がり、ルイズに椅子を勧めた。

「いえ、ここで結構ですわ、私が参ったのは、教皇聖下にお願いをするためでございます。聖下、どうか“聖戦”のことをお考え直しください。“虚無”の力で、サイトの故郷を征服するなど、私にはそれが正しいことだとは、とても想えません」

「“使い魔”のことを想う貴女のお気持ちは、良く理解できます」

 ヴィットーリオは、穏やかに微笑んだ。

「しかし、その言葉を聞き入れることはできません。確かに、正しい行為ではないのでしょう。ですが、この戦争は善悪の対立ではありません。純然たる生存競争なのです。生きるための新たな土地を手に入れなければ、我々は早晩、滅びることになるでしょう。私はただ選んだのですよ、ミス・ヴァリエール。信仰と慈悲を天秤に掛け、この“ハルケギニア”を救う道を」

 ヴィットーリオの瞳に宿る、強烈なまでの意志の光に、ルイズはたじろいだ。

 教皇の言葉が正論であるといえるだろう。このままでは“ハルケギニア”は滅びる……それは事実なのだから。そして、ブリミルから“虚無”の力を授かったルイズは、世界を救うためにこそ、その力を使うべきなのだから。

 だが、それは、どちらの世界を救うということであろうか。片方だけか、それとも両方か。

 ルイズは、退かなかった。

 彼女の中にある、曲げてはならぬ1つの信念が、その正しさを拒んだのである。

 ルイズは、挑むようにヴィットーリオを睨み、言った。

「私は聖下の野望に協力するつもりはありません。どうしても、“虚無”の力を利用しようと言うのなら、喉を突いて死にますわ」

「貴女に、それはできません」

「本気です。私の覚悟を侮らないでください」

 ルイズはキッパリと言った。

「このままでは、貴女の“愛”する“使い魔”が、犠牲になるのだとしても?」

「え?」

 ヴィットーリオの口にしたその言葉に、ルイズは目を見開いた。

「聖下、それは、どういう……おっしゃる意味が、良く理解りませんわ」

 ルイズは声を震わせた。

 なにか、途轍もなく恐ろしい、嫌な予感が、ルイズの全身を駆け巡る……。

 ヴィットーリオは言葉を続けた。

「“最後の使い魔”、“リーヴスラシル”の能力が、“虚無の担い手”の“魔力供給機”だということは、既にご存知でしょう。“リーヴスラシル”は生きてる限り、全ての“虚無の担い手”に、その命を供給し続けるのです」

「命を……?」

 ルイズは愕然とした。

「聞いていないのですね」

「だって、サイトとセイヴァーは、そんなことは一言も……」

 “最後の使い魔(リーヴスラシル)”が“担い手”に与えるのは、“精神力”ではなく、その命……。

(サイトは、気付かなかったのかしら? ううん、そんなはずない。きっと言わなかったんだわ。私を心配させないために……)

「ミス・ヴァリエール、例え、貴女が“虚無”の力を使わなかったとしても、いずれ、彼の命は尽きてしまうのです。“リーヴスラシル”という“使い魔”は、そのように“運命”付けられた存在……そして、貴女やもう1人の“契約”者であるミス・ウエストウッドが命を失ったところで、一度刻まれた“使い魔”の“ルーン”が消えることはありません」

 ヴィットーリオの言葉も、最早ルイズの頭の中には入って来なかった。

 才人が死ぬ。

 ただ、その考えだけが、ルイズの頭の中を激しく駆け巡っていた。

「ミス・ヴァリエールが“虚無”を使わずとも、いずれ彼の命は尽きる。保って、あと数日と言ったところでしょう。貴女は、彼を無駄死にさせたいと言うのですか?」

 ルイズは糸の切れた人形のように、その場へとへたり込んでしまう。

 このままなにもしなければ、才人は死んでしまう。主人であるルイズが死んだとしても、その“運命”が変わることはない……。

 才人が、死ぬ……。

 それは、ルイズにとって、世界が消えてなくなることと同じことであった。

 そんなルイズに、ヴィットーリオは慈悲に満ちた眼差しを向けて、言った。

「ただし、彼を救う方法が、1つだけあります。そして、この“ハルケギニア”を救い、“虚無”の復活を止める、たった1つの方法が」

 

 

 

 

 話を聞いたギーシュ達は、この件に関しては先ず、アンリエッタの判断を仰ぐべきだという結論に達した。それはまあ、もっともな話しであるといえるだろう。なにしろ、“水精霊騎士隊”は、アンリエッタ直属の近衛隊なのだから。

 アンリエッタは、元々“エルフ”との戦争にも反対していたし、この新たな“聖戦”を支持することは、先ずないのである。しかし、ことは“トリステイン”だけではなく、“ハルケギニア”全土の未来に関わることである。政治的な状況を鑑みても、アンリエッタが最終的にどのような判断を下すのかは、まだなんともいえないのが現状である。

 そういった訳で、皆が部屋を去った後、才人は1人、ベッドの上でデルフリンガーの刃を手入れしていた。

 才人の、お喋りな相棒は、まだ目を様子はない。

「デルフ、おまえに、色々訊きたいことがあるんだけどなあ……」

 と、そんな風に、才人が寂しく独り言ちていると……。

 おもむろに、部屋のドアがソッと叩かれる。

「サイトさん、夕食を作りました。よろしければ召し上がってください」

 入って来たのは、食器を乗せたお盆を手にした、シエスタであった。

 焦げ目の付いた焼き立てのパンと、シチューの好い匂いが漂って来る。

「シエスタ、ありがとう。美味そうだな」

 才人のお腹がギュルギュルと鳴った、少し休んだとこともあって、食欲も出て来たようである。

「鹿のお肉と煮込んだシチューと、窯焼きのパンです。この“フネ”、凄いんですよ。ミスタ・コルベールが厨房を改造してて、私みたいな“平民”でも、簡単に日が使えるようになってるんです」

 シエスタはお盆をベッド脇のテーブルに置いた。パンとシチューだけではなく、チーズの塊が一欠片と、殻を剥いた茹で卵、一口サイズに切った林檎もある。

「頂きます」

 才人は両手を合わせると、ベッドから起き上がろうとした。

 と、そんな才人を、シエスタが手で押し止める。

「あ、そのままで良いんですよ。私が食べさせて上げますね」

「え?」

 ニコッと微笑んだシエスタは、寝かし付けるように才人をベッドに押し戻した。

「い、良いよ、大丈夫だって」

「駄目です。また倒れたらどうするんですか?」

 そう言うと、シエスタは人指し指を、ソッと才人の口に当てて来る。

 才人は、むぐ……と呻き、大人しく口を噤んだ。こういう時のシエスタは頑なであり、抵抗するだけ無駄だということを理解しているのである。

 シエスタは指でパンを千切り、熱々のシチューに浸した。

 ルイズ達“貴族”は、このようは食べ方は余りしないのだが、才人はマルトーの賄いで出て来るパンを、よくこうして食べたモノである。

 シエスタは、シチューに浸したパンを、才人の口の前まで持って来ると、「サイトさん、あ、あーんをしてください」と少し照れたように頬を赤く染める。

「お、想ったよりも、恥ずかしいですね……これ」

「うん……」

 才人もドギマギとしながら、パクっとパンに齧り付いた。

「きゃあきゃあ! サイトさん、私の指まで!」

「ご、ごめん!」

「あ、良いんですよ、サイトさん。ちょっと、驚いただけですから」

 シエスタは嬉しそうに、モジモジと指を絡めた。

「えっと……お味は、どうですか?」

「うん、凄く美味い!」

 才人は素直な感想を口にした。料理のことは、余り良く理解らないが、出汁が良く効いており、とても美味しいのである。

「このシチュー、ミス・ヴァリエールの赤ワインを使って煮込んだんです」

「え? 勝手に使っちゃったのか? あいつ、怒らないかな……?」

「大丈夫です。ワインの方は、水で薄めておきましたから」

「それ、流石にバレるんじゃないか……」

 しれっとした顔のシエスタに、才人は呆れた声で言った。

「ホットワインはいかがですか? 身体が温まりますよ」

「じゃあ、少しだけ……」

 正直なところ、“地球”のことが気になり、ワインを呑む気にはなれなかったが、折角のシエスタの気遣いを無駄にしてしまうことに気が引けたため、才人は首肯いた。

 シエスタがワインをグラスに注ぎ、才人に差し出した。

 才人がグラスを受け取ろうとすると、急にフラッと目眩がして、ワインを少し零してしまった。

「あ、あれ……? ごめん」

「わ、大丈夫ですか? サイトさん! 今お拭きしますね」

 シエスタは慌てて布を取り出すと、才人の胸に溢れたワインを拭き始める。

「シ、シエスタ?」

 才人は裏返った声を上げた。前屈みになったシエスタの胸が、才人の腕にグイッと押し付けられたのである。

「わ、うわ……!?」

 控えめなルイズの胸とは明らかに違う、フヨン、と沈み込むような感触を才人は味わった。ティファニアのメロンを想起させる胸ほどではないにしろ、シエスタの胸もまた、十分な破壊力を誇っている。

 ティファニアの魔法のようなおっぱいも、それはもちろん凄い。だが、ティファニアの胸は……“日本”人である才人からすると、少しばかりファンタジーの部類に入っているというのか、余りに神々し過ぎ、非現実的な感じを覚えてしまうのであった。

 その点、シエスタは黒髪であり、8分の1ほどは“日本”人の血が混じっていることもあり、なんとなくではあるが、学校のクラスメイトにいそうな感じである。そういったこともあって、いけない感じというのか……なんというのであろうか、兎に角リアルな感覚を、才人に覚えさせるのであった。

 更に不味いことには、シエスタは今、下着を着けていないのである。

 こちらの世界の女の子は、皆ノーブラであるのだ。

 才人は、鼻の奥がツーンとなった。

「ああ、これは駄目ですね。サイトさん、服を脱いでください」

「だ、大丈夫だよ。このくらい」

「駄目ですよ。風邪を引いたりしたら、どうするんですか? ほら、さあ!」

 フヨンフヨンッ、とシエスタは胸を押し付ける。

「う、ぐぐ……」

 才人はどうにかなけなしの理性を総動員して、シエスタの波状攻撃に耐えてみせた。ルイズは今頃、才人のために、とヴィットーリオを説得しようとしているのである。それを想うと、ルイズに申し訳が立たないのであった。

 才人は、心の中で、(明鏡止水、明鏡止水……)と唱えて、心を落ち着かせようとする……が途中で、(あれ? 明鏡止水で合ってたっけ?)と考えた。

「あの、シエスタさん?」

「な、なんですか?」

「えっと……流石に、無理があると想うんだけど……」

 才人が言うと、シエスタは、はあ~~~~っ、と長い溜息を吐いた。

「理解りました。サイトさんには、ミス・ヴァリエールがいますもんね」

「……うん」

「はあ、駄目ですか……こんなにアピールしてるのに」

「ごめん」

「良いですよ。まあ、そんなサイトさんだから、好きなんですし」

 シエスタは拗ねたように唇を尖らせると、才人の隣にチョコンと腰掛けた。

 ワインをクイッと煽り、そのまま、コテン、と才人の肩に預けて来る。

「……シエスタ?」

「私だって、不安なんですよ」

 シエスタは言った。

「このままじゃ、サイトさんの……私の曾祖父(ひいおじい)ちゃんの来た世界と、戦争になるんですよね? また、1年前みたいに、あんなことになるんですか?」

 声を震わせながら、シエスタは不安そうな目で才人を見詰めた。

 そこで才人は、ハッとした。

 1年前、“神聖アルビオン共和国”の侵攻で、シエスタの故郷である“タルブの村”が灼かれたということを想い出したのである。

「大丈夫、そんなことにはさせないよ。俺とルイズ、そしてセイヴァー達皆で、なんとかするって」

「サイトさん……」

 才人は、(教皇の野望を阻止して、“地球”も“ハルケギニア”も、両方救ってみせる……)と震えるシエスタの肩を、安心させるように抱きながら、改めてそう決意した。

 そんなこんなで、しばらくすると、ワインに酔ったのであろう、シエスタは才人の胸に頭を預けて、スヤスヤと眠ってしまった。

 シエスタは、眠る事に掛けてはほとんどプロ級であるといえるだろう。1度眠ってしまうと、最低でも1時間は目を覚まさないのだから。

 才人は、「しょうがないな……」と苦笑して、シエスタを自分のベッドに寝かせてやった。このようなところを見られでもすれば、またルイズに誤解されるかもしれない、という危険性を理解しながら。

(ルイズ、まだ帰って来ないのか……)

 ふと、才人の胸のうちに、(ひょっとすると、カッとなって、教皇に“爆発(エクスプロージョン)”の1発でも撃ち噛まし、捕まっちまってるかもしれない。なにしろルイズときたら、普段は“貴族”らしい振る舞いがどうのこうのと煩い割に、一度感情が爆発すると、相手が姫様だろうが、教皇だろうが、お構いなしだ)と不安を覚えた。

 そこで、(本当に、1人で行かせて大丈夫だったのか?)と心配になった才人は、船室の窓から、“ロマリア”艦隊の集まる場所に目をやった。

 と、才人は眉を顰めた。

 真っ暗な海上に、なにか巨大な黒い塊のような物体が見えたのである。周囲の“フネ”から投射される、サーチライトのような“魔法”の灯りが、その物体を照らしている。

「……なんだ、あれ?」

 なにか嫌な予感がして、才人は丸窓に張り付いた。

 良く見れば、空中に浮かぶ4隻の“ロマリア”艦が、大量の鎖かなにかで、その巨大な塊を引き揚げようとしているのである。

 全体的に丸みを帯びた、全長100“メイル”以上はあろうかという、円筒形のシルエット。

「お、おい、まさか……!?」

 その正体に気付いた才人の顔が、見る見るうちに青褪めた。

 それは、海の底に眠っていたはずの、“原子力潜水艦”であった。

 

 

 

「……あいつ等、なに考えてんだ!?」

 才人はベッド脇のデルフリンガーを引っ掴むと、直ぐに部屋を飛び出した。まだ起き上がる体力もなかったが、“ガンダールヴ”と“シールダー”の力で、動くことはできる。

 “オストラント号”の甲板に出ると、才人は舷側に身を乗り出した。何重もの鎖でぐるぐる巻きにされた、巨大な円筒形の塊――“原子力潜水艦”が、ユックリと海上に引き揚げられて行く……。

 才人は、(“原潜”を引き揚げようとしてるんだ! “ロマリア”軍は、なんで、あんなモノを引き揚げようとしてるんだ?)とゾッとした。

 と、その時である。

 海中から引き揚げられ、宙に吊るされた“潜水艦”の周囲で、小規模な爆発が立て続けに起こった。“フネ”の甲板に整列した、“ロマリア”の“聖堂騎士隊”が、“潜水艦”に向けて一斉に“魔法”の矢を放ったのである。

「おいおい、なにする気なんだよ……!?」

 才人は顔を真っ青にして悲鳴を上げた。

 “原子力潜水艦”がそう簡単に壊れるはずもないが、このままでは時間の問題であるかもしれないといえるだろう。いずれは、どこかしらの箇所が脆くなり、そこから罅が入り、壊れてしまう可能性がある。

(あいつ等、あれがどんな恐ろしいモノか、理解してないんだ!)

 “原潜”そのものは、もう完全に活動を止めており、“放射能”漏れの危険などはない。だが、それはあくまで動力の方の話しである。中にあるアレ……“武器”は、まだ使える状態にあるのだから。

「やめさせねえと……」

 才人は焦燥に満ちた顔で、舷側の手摺りを握り締めた。“ロマリア”の船団までは、かなりの距離がある。しかも、“原潜”を釣り上げている“フネ”は、遥か空の上である。

「どうしたの?」

 と、背後から声を掛けられた。

 振り向くと、本を小脇に挟んだタバサがそこにいた。

「タバサ!」

 才人は、渡りに船とばかりに、タバサの肩を掴んだ。

 当然タバサは驚いたように目を見開き、頬を赤く染める。

「……なに?」

「あの“ロマリア”の“フネ”まで、俺を“魔法”で運んでくれないか?」

「どうして?」

「あれ、俺の世界の爆弾なんだ。早く止めないと、大変なことになる」

 タバサは“ロマリア”の船団に目を向けた。少し考えて……それから、首を横に振った。

「それは無理。許可なく“ロマリア”の“フネ”に着艦すれば、外交問題になる。貴男も私も、捕まってしまう」

「う、そりゃそうか……いや、でも、そんなこと言ってる場合じゃないんだ!」

 才人は必死に言った。

 外から壊されたからといって簡単に爆発するようなモノではないことを、才人は理解していた。だが、下手をすると、辺り一帯に“放射能”が散蒔かれてしまう可能性は確かにあり、才人はそれを危惧しているのである。

「……理解った」

 そんな才人の必死さが伝わったのであろう……タバサはコクッと首肯くと、海に向かって口笛を吹いた。

 すると、ほどなくして、バッサバッサと、羽撃く音がした。

 “フネ”の甲板に舞い降りて来たのは、翼を広げたシルフィードである。

「お姉様、どうしたのね? きゅい」

「乗って」

 タバサはシルフィードの背に素早く跨った。

 才人はタバサの腰に掴まる。

「きゅいきゅい、夜のデートなのね! お姉様、やるのね!」

 なにを勘違いしたのか、シルフィードは嬉しそうに鳴いた。

「ああ、シルフィは感動してるのね。やっと、お姉様が卵を産む気になってくれたのね。色惚けメイドと桃髪ぺったら娘なんかに遠慮する必要なんてないのね、きゅい」

「…………」

 タバサはシルフィードの頭を、“杖”でポカッと叩いた。

「なにするのね!? お姉様は、早く素直になった方が良いのね」

 ポカッ、ポカッ、とタバサは顔を真赤にしてシルフィードを叩く。

 だが、“韻竜”の頭部は硬い鱗に守られているため、シルフィードは痛くもなんともないのであった。

「早く、あの“フネ”に接近して」

 タバサは“杖”の先で、空に浮かぶ“フネ”を指さした。

「お安いご用なのね、きゅい!」

 甲板を飛び立ったシルフィードは、一瞬で200“メイル”も空を駆け上がった。流石に、“フライ”の“魔法”なんかよも、ずっと速い。風を切ってグングンと上昇すると、あっと言う間に、空に浮かぶ“ロマリア”艦の真上へと到達した。

「“風竜”だ!」

「何故、こんな所に!?」

 甲板に整列した“ロマリア”の“聖堂騎士”達は、突如、頭上に現れたシルフィードの姿に、何事かとざわめき始める。

 と、混乱する集団の中から、1人の“聖堂騎士”が進み出た。長い黒髪を額の左右で分けた、美男子といって良い顔立ちの青年である。

「あいつ……」

 才人は、その顔に見覚えがあった。

 彼は……以前、“ロマリア”の街で才人達と一悶着を起こした青年である。

「私は、“アリエステ修道会”付きの“聖堂騎士隊”隊長、カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティーノ。貴殿等に警告する。貴殿等は一体誰の許可を得て、この神聖なる“ロマリア”艦の頭上を自由に飛んでいるのか!?」

 カルロは、頭上の才人達に“聖杖”を向け、大声で怒鳴った。

「待ってくれ、俺は才人……“トリステイン”女王の騎士(シュヴァリエ)、ヒラガ・サイトだ」

「なに? シュヴァリエ・ヒラガだと……? あの“平民”共の“英雄”か!?」

 才人が名乗ると、カルロは馬鹿にしたように笑った。

「“トリステイン”の“平民”風情が、なにをしに来た!?」

「今直ぐ、あの鉄屑に“魔法”を撃つのをやめてくれ! 大変なことになっちまうんだ!」

「なんだと?」

 カルロは肩を竦め、配下の騎士達の方を振り返った。

「今、あの賊がなんと言ったか、聞こえたか?」

「風の音で聞こえませんでしたな」

 カルロはニッと笑みを浮かべた。それから、“聖杖”を指揮棒のように掲げ、配下に号令する。

「神と“始祖ブリミル”の敬虔な下僕たる諸君、撃ち落とせ!」

「んなっ……!?」

 “聖堂騎士”の騎士達が、一斉に“呪文”を唱え始めた。

「シルフィード、右に旋回。避けて」

 タバサが珍しく、焦った声で言った。

「無茶言わないで、なのね。きゅい!」

「うわ!?」

 シルフィードが急角度で旋回した。

 才人は想わず、振り落とされそうになる。

「しっかり、掴まって」

 タバサが言った。

 才人は、タバサの腰に手を回し、身体を密着させる。

 その瞬間、タバサの顔がほんのりと赤くなった。

「お姉様、積極的なのね、きゅいきゅい!」

 そんなシルフィードに、タバサは顔を赤くして“杖”で叩く。

「きゅい、お姉様照れてるのね、可愛いのね」

 “聖堂騎士”隊が一糸乱れる所作で放った、“無数”の“マジック・アロー”が、才人達目掛けてビュンビュンと飛んで来る。

 だが、タバサは普段と変わらぬ冷静さで、自分の背丈ほどもある大きな“杖”を構えた。次いで、口の中で素早く“呪文”を唱え、“魔法”を完成させる。

 “ウィンディ・アイシクル”。

 タバサが得意とする、“風”と“水”の“系統”を合わせた”呪文“である。“スクウェア・クラス“の威力を持った氷の矢が、“聖堂騎士“隊の放つ”マジック・アロー“を次々と撃ち落とす。

「なんだと!?」

「侮るな、あの“メイジ”、かなりの手練だぞ!」

「“風竜”だ、“風竜”の方を狙え!」

 強力なタバサの“魔法”を目の当たりにして、“聖堂騎士”隊の間に動揺が広がった。

「説得は無駄か。しょうがねえ……」

 才人は溜息を吐くと、デルフリンガーの柄を握り締めた。左手甲の“ルーン”が光る。

「タバサ、あいつ等の真ん中に俺を落としてくれ」

「理解った」

 タバサは短く首肯いた。

 シルフィードは“聖堂騎士”隊の頭上を旋回すると、“フネ”の甲板目掛けて急降下する。同時に、デルフリンガーを握った才人は身軽に飛び降りた。

 カルロが顔を真赤にして怒鳴った。

「捕らえろ! これは“ロマリア”への侵犯だ。殺しても構わん!」

 カルロの構えた“聖杖”に、刃渡り2“メイル”ほどもある炎の刃が生まれた。“火”の“系統”による“ブレイド”の“魔法”である。

 燃え上がる炎が、ブワッと才人の鼻先を掠める。

「このっ、話を聴けっての!」

 才人は風のような動きで“ブレイド”の刃先を躱すと、「なにっ!?」と驚くカルロの腹に、デルフリンガーの柄を減り込ませた。

「うぐ……!?」

「隊長殿!」

 指揮官をやられた“聖堂騎士”達は、当然混乱した。

 その隙に、才人は集団の中に飛び込むと、棒立ちになった連中を次々と叩き退めす。

「囲め! 囲んで押し潰せ!」

 誰かが叫んだ。

 “聖堂騎士”の構えた“杖”の先から、物凄い数の“マジック・アロー”が飛んで来る。

 才人はデルフリンガーを振り抜き、“魔法”の矢を受け止めた。

 眠った状態でも、デルフリンガーはちゃんと“魔法”を吸収してみせた。

「なんだと!?」

 “ガンダールヴ”とデルフリンガーの力を目の当たりにした“聖堂騎士”達は、想わず、後退った。

「……ったく、頭の固い連中だな」

 才人は肩で息をしつつ、周囲を囲む“聖堂騎士”達を見回した。

 普段の才人であれば、こらくらいで息が上がることなどなかったであろう。が、やはり、“リーヴスラシル”の“ルーン”による影響を受け、酷く体力を消耗してしまっているのである。

「力を貸そうか? 才人」

「セイヴァー……」

 “実体化”した俺に、才人は息を切らしながら驚いた様子で口を開いた。

「また増えたぞ!」

「なあ、聴いてくれ! あれは、絶対触れちゃいけないモノなんだ!」

「黙れ、曲者め!」

 才人が怒鳴っても、“聖堂騎士”達はまるで聞く耳を持たない。

 動きの止まった才人と俺を狙い、ピタリと揃えた“杖”の先が、赤や青の光を放つ。

「くっ……」

 才人が、デルフリンガーを両手で構え直す。

「“天の鎖”よ」

 俺は、“ギルガメッシュ”の“宝具”である“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”を用い、“バビロニアの宝物庫”から“天の鎖(エルキドゥ)”を取り出し、“聖堂騎士”達を絡め取り、動きを止める。

「――なっ!?」

 “聖堂騎士”達は、驚き、抜け出そうとするが、やはり無駄に終わる。

「“天の鎖”。この鎖は、神を繋ぎ止めるためのモノだ。“神性スキル”が高ければ高いほどに効力を発揮する。まあ、おまえ達にはそんなモノはないから、ただの頑丈な鎖ではあろうがな」

 その時……バッサバッサと翼のはためく音が聞こえた。

 才人がハッと上を見上げると、シルフィードではない、大型の“風竜”が頭上を飛んでいた。

「まあまあ、待ちたまえ。少しは彼等の話を聞こうじゃないか」

 アズーロの背中に跨った神官の青年が、陽気な声で言った。

「チェザーレ殿……」

 誰かが呟く。

 俺は“天の鎖(エルキドゥ)”を“バビロニアの宝物庫”へと戻し、“聖堂騎士”達を解放する。

 “聖堂騎士”達は体勢を立て直すのと同時に隙かさず一斉に“聖具”を構え、神官の礼を取った。

「ジュリオ、てめえ……」

 才人は、甲板に降りて来たジュリオを睨んだ。が、(いくら憎たらしい相手でも、一応は話の通じる相手だ。少なくとも、この“聖堂騎士”の連中よりはマシだろう)と考えた。

「遅いぞ」

「すまないね」

 俺はの言葉に、ジュリオは相変わらず笑みを浮かべて返す。

「にしても、だ。躾がなってなぞ。部下にしっかりと指示を出したり、簡単な説明をしたりはしてないのか? 才人の呼び掛けに対し、聞こえているにも関わらず、“風の音で聞こえなかった”などと言って攻撃するわ、その活躍振りを無視して“平民”と見下すわ、“殺しても構わない”と言うわ……“ヨルムンガント”を前に、少年少女の護衛を放り出して逃げ出しただけのことはあるな」

「それに関しては、こちらに非があるね。素直に謝罪するよ」

 俺とジュリオのやりとりに、カルロは顔を青くする。

「サイト、セイヴァー。何だって君達は、僕達の“フネ”の上で暴れてるんだい?」

「おまえ、あんなもん運び出して、どうするつもりだよ……?」

「どうするって、決まってるじゃないか。あの“武器”は、“始祖ブリミル”が僕達に贈ってくださったプレゼントだ。ありがたく使わせて貰うだけさ」

 ジュリオは平然として言った。

「使う、だと?」

「当然だろ? “ヴァリヤーグ”と戦うには、強力な“武器”が要る。まあ、仇敵の“武器”を使うことに、全く抵抗がない訳じゃないが……僕達はあくまで、現実主義者だからね。利用できるモノは、なんでも利用させて貰う」

「あれがどんなモノか、理解ってるのか? あれは……」

 とんでもんない爆弾なんだぞ、と言い掛けて……才人は口籠った。(“ロマリア”の連中に、あの中にあるモノのことを知られるのは不味い)、と判断したのである。

「ああ、それは心配ない。“魔法”で外の容れ物を壊したくらいじゃ、爆発したりしないさ。あれを使うには、恐らく、もっと大きな力が必要なんだろう」

「なっ……!?」

 ジュリオの口にした言葉に、才人は想わず、(こいつ、まさか、中にあるアレのことを知ってるのか……?)と息を呑んだ。

「僕には判るんだよ」

 そう言って、ジュリオは自分の額を指さした。

「“ミョズニトニルン”は“神の頭脳”。君の様に“聖地”の“武器”を自在に操ることはできないが、その仕組みを理解することくらいは、まあできる。その“ミョズニトニルン”の知識が教えてくれたんだ。信じ難いことに、あの円筒形の中に眠っているのは、“虚無”の力……少なくとも、それに極めて近い性質のモノだ。もしかすると、“ガリア”王の使った“火石”以上の恐るべき破壊力を秘めているんじゃないかな?」

「まさか、教皇は、アレを“地球”に使うつもりなのか!?」

 才人は、(正体を知って引き揚げてるってことは……詰まり、そういうことなんじゃねえか)と想い、叫んだ。

 だが、ジュリオは残念そうに首を横に振り、「いや、さっきも言った通り、あの恐るべき“武器”の構造は実に複雑だ。悔しいけど、僕達の持つ知識では、起爆することもできないだろうね」と冗談めかした口調で言った。

「でも、サイト、セイヴァー……もしかして、“ガンダールヴ”の君なら、“オルタネーター”の君なら、アレを上手く扱うことができるんじゃないか?」

 才人は内心で、ドキッとした。

 以前、“竜の巣”で、あの“潜水艦”に触れた時、左手甲の“ルーン”が光った。そして、才人の頭の中に、あの“武器”を扱うイメージが流れ込んで来たのであった。流石に、“弾道ミサイル”を発射することまではできないが、安全装置の問題をクリアすれば、起爆することそのものは可能である、ということを才人は理解してしまっていた。

「できるんだね」

 ジュリオの“月目”が鋭く光った。

「どうだ? サイト。良かったら、アレの使い方を僕達に教えてくれないか?」

「ふざけんな! アレはな、一度使ったらお終いなんだよ。そう言う“武器”なんだ。おまえも、あの“火石”の威力を見ただろ? 後にはなにも残らねえ」

「ああ、そうだろうね、でも、そのくらいでないと、意味がない。この“聖戦”は遊びじゃあないんだ。僕達の存亡を懸けた戦いなんだぜ?」

 ジュリオは真顔になって言った。いつものおどけたような調子は完全に鳴りを潜め、焦りの表情さえ浮かべている。

「セイヴァー、君はどうだい?」

「そうだな。おまえ達とこの世界がそれだけの危機に迫られているということは痛いほどに理解している。だが、教える訳にはいかないな」

「理由を訊いても?」

「その“武器”の威力と効果を、デメリットを識っているからだ。後にはなにも残らないと言ったが、厳密には違う。理解り易く言うとすれば、使用した後、毒が蔓延するんだ。最悪、向こう50年は、草木すら生えない……その場で生活する者を病気にし、生まれて来る子供達を生まれる前に殺してしまうほどの毒が。そも、才人に、こいつに使い方を訊くのはナンセンスだな。故郷を滅ぼす道具の使い方を教えろと言って、誰が教える?」

「…………」

 才人はデルフリンガーの柄を強く握った。(こいつ等も必死なんだ。なんせ、世界が滅び掛かっているんだもんな……)、と才人は理解することができた。同時に、(でも、こっちだって、見過ごす訳にはいかねえ。今はまだでも、いずれ、使い方を知るようになるかもしれない。あんなモノを、“地球”に対して使わせる訳にはいかない……)と考えた。

「ジュリオ、悪いことは言わねえ。アレは海の底に沈めとけ」

「断る、と言ったら?」

「そしたら……力尽くでも、止める」

 才人はデルフリンガーの刃をジュリオに向けた。

「説得は無駄みたいだな、兄弟」

 ジュリオは、やれやれ、と首を横に振ると、腰に提げた細身のサーベルを抜き放った。

 同時に、ジュリオの背後に控えた“聖堂騎士”隊が“聖杖”を構える。

「君達、手出しは不要だぜ。これは男同士の決闘だ」

「タバサ、セイヴァー。助太刀はしなくて良い」

 才人も、頭上のタバサを振り返って言った。タバサの周囲には激しい氷風が吹き荒れ、今にも、ジュリオと“聖堂騎士”隊に向けて、強力な“スクウェア・クラス”の“呪文”を撃っ放しそうであったのである。

 才人は、ここでタバサを巻き込みたくなかったのである。

「アズーロに乗れよ、ジュリオ。剣を持った“ガンダールヴ”に勝てる訳ないだろ」

「どうかな? 今の君は、相当弱ってるんじゃないか?」

 ジュリオに図星を突かれ、才人は沈黙した。

 確かに、才人の視界は掠れ、全身の筋肉は悲鳴を上げていた。sもしデルフリンガーを手放して、“ガンダールヴ”の力を失えば、たちまち倒れ込んでしまうであろうほどに。

「それでも、俺が勝つよ」

 言うが早いか、風のように才人は斬り込んだ。

 ジュリオは見事に反応した。

 神官とは想えぬほどの早業で、才人のデルフリンガーを受け止めてみせたのである。だが、その判断は間違いであった。

 “ガンダールヴ”が本気で打ち下ろした一撃は、細身のサーベルなど、簡単に圧し折ってしまう。なにしろ、才人が握った刀は、ブリミルから贈られた、無銘なれども本物の打刀である。しかも、“硬化”と“固定化”の“魔法”が掛かっているのだから。

 勝負は一瞬で決着した。

 才人はデルフリンガーの刃を、ジュリオの首筋に突き付けた。

「流石だね、“ガンダールヴ”」

「今直ぐ、アレを海の底に戻せ」

「悪いが、それはできない」

 パンッと乾いた音がした。と同時に、薬莢が排出され甲板に落ちて軽い音が鳴り、少しばかり煙くなる。

 瞬間、才人は、膝に焼けるような激痛が奔るのを感じ取った。

「……っ、な、に……?」

 才人は思わず、デルフリンガーを取り落としてしまった。その途端、全身の力が一気に抜けて、才人はその場に倒れ込んでしまう。

「油断したな、サイト。“ヴァリヤーグ”の“武器”を扱えるのは、なにも“ガンダールヴ”だけじゃないんだぜ?」

 ジュリオの手元で、なにかが光った。

 オートマチックの“小型拳銃”である。

「てめえ、銃とか、汚ねえぞ……」

 俯せに倒れた才人は、ジュリオを見上げて睨んだ。

「なにを今更。これまで、僕達は散々手を汚して、汎ゆるモノを犠牲にして来たんだ。“聖地”の奪還、その目的のためには、“エルフ”とだって手を結ぶし、仇敵の“武器”だって使う。卑怯も糞もない。これは生存競争なんだぜ?」

「くっ……」

 才人は、床に落としたデルフリンガーに手を伸ばした。

 だが、ジュリオは即座に、デルフリンガーを舷側の方へと転がした。

 その瞬間、ジュリオ目掛けて、氷の矢、が飛んだ。

 怒りの燃えたタバサが、“ウィンディ・アイシクル”を放ったのである。

「おっと!」

 ジュリオは素早く跳び退った。

「タバサ!」

 才人が叫ぶ。

 タバサは“ブレイド”の“呪文”を唱え、シルフィードの背から甲板に飛び降りた。

 怪我を負った才人を見て、いつもは冷静なタバサは、怒りに我を忘れてしまっていた。

 と、ジュリオ目掛けて疾走り込もうとしたタバサの背に、“杖”の先が触れた。

「……!?」

「……動かなないで。姉さんを傷付けたくない」

 タバサは動きを止めた。

 背後に現れたのは、タバサに瓜二つの少女、双子の妹であるジョゼットである。

 タバサは、(元“北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールバルテル)”である自分に気付かれることなく背後に回るなど、どんな手練の“メイジ”にも不可能なはず。況して、ジョゼットは訓練を受けたこともない、ただの修道女だったはず……)と戦慄した。

 が、タバサは、ふと、父親に仕えたカステルモールが、「“虚無の担い手”であったジョゼフ王は、空間を一瞬で移動する、奇妙な“魔法”を使った」と言っていたことをの話を想い出したのである。

「お願い、“杖”を収めて。ジュリオを傷付けたら、私は姉さんを赦せなくなる」

 ジョゼットは、感情を押し殺した声で言った。もし、タバサが少しでも、“杖”を収める意外の身動きを取れば、彼女はためらうことなく、“虚無”の“呪文”を放つであろう。

「…………」

 タバサは、“杖”を落とした。頭の中の冷静な部分が、ここで無謀なことをすれば、才人を救けることができなくなってしまう、と判断したのである。

「ジョゼット、救かったよ」

 ジュリオが微笑むと、甲板に倒れ込んだ才人を見下ろした。

「サイト、正直、君は僕達に協力してくれると期待してたんだけどな」

「そんな訳あるか、馬鹿野郎!」

 才人は噛み付くように言った。

「でも、君はもう、こっちの世界の人間じゃないか。おまけに“トリステイン”の“英雄”で、沢山の仲間もいる。それに、“愛”する恋人も……その“ハルケギニア”が、滅びの危機に瀕しているっていうのに、それでも君は、故郷の方が大事なのか?」

「…………」

 確かに、“地球”を救うということは、“ハルケギニア”を滅びるままに任せるということにも受け取ることができるだろう。“風石”による“大隆起”が起きてしまえば、住む場所の半分が失くなってしまうのだから。

 大勢の人達が犠牲になるかもしれない。

 その中には親しい人達がいるかもしれない。

 才人は、(だが、それでも……俺は“地球”の人間だ。父さんや母さんが、大切に育ててくれた……普通の高校生、平賀才人なんだよ。“ハルケギニア”のために、“地球”を征服させるなんて、できる訳がねえ……)と無言でジュリオを睨み付けた。

「そうか……それなら、仕方ない。君の自由だからな」

 ジュリオは、悲しそうに首を横に振った。

 そんなジュリオの様子が、才人には、気の所為か、不思議といつものポーズではなく本気で悲しんでいるように感じられた。

「さて、君はどうだい? セイヴァー。“聖地”は君の故郷ではないみたいだし、別に問題はないと想うんだけど」

「確かに、俺の故郷である“地球”とはまた別の“地球”だ。だがな、おまえ達のやり方に賛同し、協力することはできない」

「一応、訊いても?」

「やり方が駄目なんだ。やり方が。そも、おまえ達は決定的な勘違いをしている。ブリミル、あいつの本願を、それに関して、補え違えている、履き違えている」

「……サイト、セイヴァー。君達の身柄を拘束させて貰う。罪状は“ロマリア”艦船への侵犯行為と……まあ、その他諸々だ。“聖堂騎士”に楯突いて、異端審問に掛けられないのは幸運だな」

「ふざ……けんな……!」

 才人は、必死に立ち上がろうとした。

 だが、もう、身体が想うように動かない……指を動かすのが精々だという様子である。

「ジュリオ、サイトから離れなさい!」

 その時、“フネ”の甲板に、聞き慣れた声が響き渡った。

 才人は、ハッとして顔を上げた。

 視線を向けたそこには、彼女がいた。

 風にそよぐ百合紋章のマント。双月の光を浴びて輝く、桃色のブロンドの髪。鳶色の瞳に激しい怒りの感情を湛え、“杖”の先をジュリオに向けている。

 まるで、神々しい女神のような、その姿……。

「ルイ……ズ……?」

 才人は、床に這いうずくまったまま、“愛”するご主人様の名前を口にした。

 今の才人には、(なんでここにいるんだよ……?)、などと、そのようなことはどうでも良かった。彼女の姿を見ただけで、身体の中から力が湧き上がって来るのだから。

 ジュリオが両手を上げて後ろに下がると、ルイズは直ぐに才人の側へ駆け寄った。

「サイト、どうしたのよ!? 酷い怪我してるじゃない!」

 血を流した才人を見て、ルイズの瞳に大粒の涙が溢れた。

「ルイズ、どうして……?」

「あんたを乗せたシルフィードが、飛んで行くのが見えたのよ。そしたら、あんた、“フネ”の上で戦い始めて……慌てて“瞬間移動(テレポート)”で跳んで来たの!」

 ルイズは、冷たくなった才人の手を握り、ジュリオに向かって叫んだ。

「早く、サイトを治療して!」

「安心しなよ。命に関わるような傷じゃない。僕達だって、彼を殺す訳にはいかないからね」

 ジュリオのその言葉に、カルロは赤面し、下を向いた。

「良いから、早く!」

 ジュリオは首肯くと、“治療魔法”を使える“メイジ”達を呼びに行かせた。

「サイト、しっかりして……お願い、死なないで……」

 才人の手をしっかりと握り締めたまま、ルイズは祈るように呟く。

 だが、そんなルイズの態度に、才人は妙な違和感を覚えた。いや、心配してくれているのは素直に嬉しいと感じてはいるが、なにか、なにかが引っ掛かったのである。

 才人は、仰向けになって、口を開いた。

「ルイズ……」

「なに?」

「教皇との話は、どうだったんだ?」

 途端、ルイズの表情が強張った。

「……ルイズ?」

「あの、サイト……あのね、私……」

 ルイズの鳶色の瞳に、大粒の涙が溢れ出し、才人の頬を濡らした。

「え? え? ええ?」

 才人は戸惑った。

「ルイズ、おい、どうしたんだよ? ルイズ……」

「ごめん……ごめんなさい、サイト……」

「なんだよ、ルイズ……一体、なにに謝って……」

 ルイズは、握った才人の手をソッと離し、言った。

「私、サイトの故郷を征服して、この“ハルケギニア”を救うわ」

「なっ……!?」

 才人は、(だって、さっきは……そんなこと……)と絶句した。余りの衝撃に、声も出なかった。

「ルイズ……どう言う、事だよ? なあ、ルイズ……!」

 顔を背け、立ち去ろうとするルイズの背中に、才人は懸命に手を伸ばした。

 だが、傷を癒やすために呼ばれた“メイジ”達が、直ぐに才人を取り囲み、ルイズの姿は見えなくなってしまう。

「ルイズ……ルイズ……うっ……」

 “メイジ”達が、暴れる才人に“眠り(スリーピング)”の“魔法”を掛けた。

 たちまち、眠気が襲い、才人の意識は暗闇の中に落ちて行く……。

「……ごめんなさい」

 と、意識が途切れる直前、才人はそんな声が聞こえた気がした。



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監獄島(シャトー・ディフ)

 アンリエッタが乗艦する“トリステイン王国”艦隊の旗艦は、“アルビオン”攻略のために建造された“竜母艦ヴュセンタール号”である。多量の“竜騎士”を離発着させるために、長大な平甲板を備えた、この特殊な新鋭艦は、“アルビオン戦役”の後には、王家の専用艦として運用されていた。

 夜も更けた頃……海上に停泊したその“ヴュセンタール号”の執務室で、アンリエッタは1人、苦悩の溜息を漏らしていた。

(まさか、こんなことになるなんて……)

 教皇ヴィットーリオが語った“聖地”についての真実と、“地球”への侵略計画。それは、戦争の回避を望んで来たアンリエッタにとって、到底、受け入れられるモノではなかった。

 “地球”との戦争は、血で血を洗う凄惨なモノになる……いや、それ以上に悲惨なことになる、もしくは、“ハルケギニア”の完敗であることは、アンリエッタも直ぐに理解できた。

 “ハルケギニア”の歴史上、類を見ないほどの、恐ろしい地獄が生まれることになるであろう。

 そして、その戦争の旗印として立たせられることになるのは、アンリエッタの大切な親友である。

「嗚呼、ルイズ……」

 アンリエッタは目を瞑ると、両手を組んで、祈るように呟いた。

 数ヶ月前……彼女は、ほんの小石ほどの大きさをした“火石”が、“ガリア”の“両用艦隊”を灼き尽くしたのを、眼の前で目にしたのである。たった一瞬で、数万もの命を奪おうとしたのである。

 だが、ヴィットーリオは、覚悟の上で、その惨劇を上回るほどの恐ろしい殺戮を、ルイズにさせようとしている……。

(そのようなことは、させないわ。絶対に。ルイズだけではないわ。“トリステイン”と“アルビオン”の兵達にも、そして、“ハルケギニア”の全ての民のためにも、なんとしても、“ロマリア”の、彼の狂気を止めなくては……でも、どうすれば善いのでしょう? 私の力は、余りに無力だわ)

 アンリエッタは、誰か相談できる相手が欲しかった。

 敬愛する母后マリアンヌは、遥か遠い“トリスタニア”の地である。

 口は辛辣ではあるが、いつも陰でアンリエッタを支えてきてくれたマザリーニは、“聖地回復連合軍”に編入された“トリステイン”軍の本隊と共にいる。そのために、合流には時間が掛かるであろう。

 其の時、執務室の扉を静かに叩く音がした。大きく3回、次に小さく2回……その叩き方を許された者は、王宮内でもただ1人だけである。

「どうぞ、お入りなさい」

「は、失礼致します。陛下」

 息を切らして執務室に入って来たのは、“銃士隊”隊長のアニエスであった。

 普段は冷静な“銃士隊”隊長の、ただならぬその様子を見て、アンリエッタは怪訝そうに声を掛ける。

「どうしたのです? アニエス。こんな夜更けに。」

「は、申し訳ありません。何分、緊急の事態でありまして……」

「何事です?」

 アンリエッタの表情が険しくなった。

「陛下の騎士(シュヴァリエ)、サイトの身柄が、“ロマリア”の手に拘束されました」

「なんですって!?」

 アンリエッタは目を見開き、悲鳴のような声を上げた。

 

 

 

 アニエスは事の次第を報告した。

 “ロマリア”側の通達ではあるが……才人は“ロマリア”の軍艦に乗り込んで、乱闘騒ぎを起こし、数人の“聖堂騎士”を負傷させた、という。

 他国の軍艦に許可なく乗り込み、況して暴れるなど、言語道断である。それが“王家”直属の騎士となれば、“ロマリア”との重大な外交問題に発展してもなんら可怪しくはないといるだろう。

「それは、本当なのですか?」

 アンリエッタは、ショックを受けた表情で尋ねた。

「事の真偽は兎も角、問題が起きてしまったのは事実です。彼が、なにかの理由で無断で“ロマリア”の“フネ”に乗り込んだのは確か、かと……」

「そうですか……」

「また、“アルビオン”客将、セイヴァーも、捕縛された、と」

「…………」

 だが、アンリエッタは、その話になにか不審なモノを感じ取っていた。

 才人達が理由もなくそのようなことをする人間ではないということを、アンリエッタも良く知っているのである。

 アニエスの言葉からも、彼女がそれを良く理解していることが判る。

 才人は決して血気盛んな少年ではない。

(2人が、そんな行動に出たと言うことは、なにか、きっと抜き差しならぬ理由があったに違いないわ)

 話を聞き終え、ようやく冷静さを取り戻したアンリエッタは、アニエスに尋ねた。

「それで、サイト殿とセイヴァー殿達は、今どこに?」

 拘束されたのであれば、“ロマリア”の艦内にいるのが普通であろうか。

 アンリエッタの脳裏に、(まさか、あの悪名高い、“ロマリア”の“宗教裁判”に掛けられているのでは……)とそのような心配が過った。

「部下の報告によれば、“シャトー・ディフ”なる場所に移送されたと」

「“シャトー・ディフ”? なんですか、それは?」

「は。私も詳しくは存じませんが、あんでも、“エウネメス”の沖合に浮かぶ孤島に造られた、“エルフ”の監獄だとか」

「“エルフ”の? 何故、そんな場所に彼等を?」

「“ロマリア”の船に拘束したのでは、脱走される恐れがありますからな。“エルフ”の“評議会(カウンシル)”と交渉し、身柄を引き渡したのでしょう。罪状は、“アディール”からの脱走と“悪魔(シャイターン)の門”への侵入……と言ったところでしょうか。なにより、“エルフ”の虜囚となれば、こちらは外交的に手を出し難い」

「聖下は、仇敵であった“エルフ”と、随分と仲良くなったものですわね」

 アンリエッタは唇を噛み、そんな皮肉を口にした。

「至急、“ロマリア”に抗議をいたしますわ」

 アンリエッタは言った。

「“ロマリア”が話を利くでしょうか?」

「いえ、聞く耳を持たぬでしょうね」

 “ロマリア”への抗議は、あくまで表向きのモノである。

 アンリエッタには考えがあった。

(サイト殿達を、“ロマリア”の手から取り戻さなくては……)

 ヴィットーリオが身柄を押さえたのにはなにか目的がある、ということをアンリエッタは理解していた。そして、才人に関しては、彼の“使い魔”としての力が“虚無”の発動に関わって来るのであろう、とも予想を着けていた。

(ルイズに対しての人質の意味もあるのかもしれないわね。そして、わざわざ“エルフ”の監獄に移送したのは、2人を引き離す目的もあるのかしら……? 詰まり、サイト殿の身柄をこちらが押さえれば、教皇も交渉のテーブルに着かせることは、可能かもしれないわね……)

 敢えて言えば、才人よりも、“虚無の担い手”である、ルイズやティファニアの身柄をこそ確保すべきである状況だといえるだろう。だが、2人は“ロマリア”の“フネ”に行った切り、もう何時間も戻って来る気配がないのである。

 当然、アンリエッタは2人を帰すよう、“ロマリア”側に働き掛けているのだが、それは拒否されてしまっていた。

(既に、2人は教皇聖下の手中にあると見るべきでしょうね……)

 アンリエッタは、先立ってのヴィットーリオとの会談を想い出し、身震いした。

 “トリステイン”女王であるアンリエッタが、ルイズ達を救出するために動けば、間違いなく、“ロマリア”との全面戦争になるであろう。そして、“トリステイン王国”は、“神聖アルビオン共和国”と同じ道を辿ることになってしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならないことであるといえるだろう。

 そのことを考えれば、才人達が“エルフ”の監獄に移送されたのは、“エルフ”側に引き渡したかたちである。“エルフ”相手では、確かに、外交的、には手を出し難い。が、ただの囚人1人、2人を脱獄させたところで、国家間の対立に発展することは先ずないといっても良いであろう。

 危ない橋であることに変わりはないが、少なくとも、“ロマリア”側に全面戦争の口実を与えないことは、可能である……。

 分の悪い賭けではあるが、現状では、 “聖戦”を止めるために取れる手立てでは、これくらいしかアンリエッタには想い付かなかった。

 だが、それを誰に任せるべきか……それが1番の問題であった。

 ここでは、アンリエッタの指揮権は存在しないも同然なのだから。

 “トリステイン”軍の本隊は“聖地回復連合軍”に編入されており、今のアンリエッタが動かせることができるのは、直属の親衛隊である“銃士隊”のみである。しかし、彼女達はあくまで、“平民”で構成された、身辺警護の部隊。“エルフ”の監獄に向かわせることはできないのである……。

「どうすれば……?」

 アンリエッタは唇を噛み、考え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “シャトー・ディフ”とは、“ガリア語”で、“監獄島”を意味する言葉である。

 ヒトと“エルフ”の交流する都市、“エウネメス”の沖合にある、直径2“リーグ”ほどのその島は、まさに海の監獄であるといえるだろう。

 監獄島に送られるのは、“民族反逆罪”など、重大な罪を犯した“エルフ”に限られる。“エスマイール”を始めとする“鉄血団結党”の党員達も、この島に収監されている。

 この島は、“エルフ”の信仰する“大いなる意思”に見放された場所とされており、“精霊の力”は略遮断されている。なにしろ、“エルフ”は“精霊の力”を用いて“魔法”を行使するのである。“杖”を取り上げてしまえばほとんど動けなくなったのと同じ状態になるヒトの“メイジ”とは違うのである。“精霊の力”を行使できるのは、石の牢獄そのものと“契約”した衛士のみである。1度、収監されてしまえば、“エルフ”であろうとも2度と出て来ることはできない鉄壁の監獄。

 “地球”にも、同じ名前の監獄が存在する。

 “フランス”南部の“イフ島”……小説“モンテ・クリスト伯”の舞台であり、“巌窟王”の心象風景とでもいえる場所。

 異世界ではあるが、それでも何かしらの繋がりがあることが理解るこの共通点……。

 そんな、“エウネメス”沖合の“シャトー・ディフ”……才人達は、そこに監禁されていた。

 

 

 

 牢獄の設備そのものは、それほど悪いモノではないといえるだろう。

 ベッドもあるし、椅子と机に、ちゃんとしたトイレもある。窓がなく、殺風景な所を除けば、上等なホテルの個室に近いといえるだろうか。

 だが、扉は頑丈な金属製で、ヒトや“エルフ”、他“亜人種”が叩いてもビクともすることはない。外の光は一切遮断されており、部屋を照らすのは、壁に灯る小さな“魔法装置”の灯りだけである。

「くそっ、こっちも駄目か……」

 どこかに抜け道はないかと、ずっと血眼になって探していた才人は、とうとう諦めて、ドカッとその場に座り込んだ。

 例え、この牢から抜け出すことができたとしても、どのみち“エルフ”の衛士に見付かり、大騒ぎになるだけである。また、デルフリンガーも、タバサの“杖”も取り上げられているのだから……。

 才人は、(……つうか、牢屋に打ち込まれるの、これで3度目なんだよな、俺)と心の中で嘆息した。

 慣れたモノと云えば慣れたモノではあるが、“東京”では補導歴など全くなかった、平凡な高校生であった才人で在る。このような所に慣れてしまうのも、悲しいモノがあった。

「おめでとう、才人。これで3度目だな」

「全然嬉しくねえよ! なあ、どうしよう? なにか、良い方法はないか?」

 俺の茶化す言葉に、軽く怒鳴り、才人は腕組みをしたまま明かりの下に座る。それから、もう1人の囚人へと声を掛けた。

「救けを待つ。それが最善手」

 本を読んでいたタバサが、わずかに顔を上げて、言った。

 そう、タバサも、俺達と一緒にこの監獄島に投獄されてしまったのであった。才人が意識を失った後、捕まった才人を救けようとして、“フネ”の上で“聖堂騎士隊”相手に大暴れしてみせたのである。

「おまえ、凄いな……こんな時でも本を読めるなんて」

「こういう事態には、慣れている」

 才人の言葉に、タバサは淡々と言った。

「それ、なに読んでるんだ?」

「“ブリミル教”の聖典」

「面白いのか?」

 当然、タバサは首を横に振る。

 才人は、(まあ、そりゃそうだろうな)と想った。

 なにしろ、“杖”だけではなく、本も全て取り上げられてしまったのである。もちろん、腕輪型の“礼装”も取り上げられてしまった。そんな中、唯一、持ち込みを許可されたのが、この”ブリミル教”の聖典だけであった。

「悪い、俺の所為で……」

「貴男の所為じゃない」

 タバサは首を横に振った。

「私がそう望んだだけ」

 その言葉を聞いて、才人はふと想った。

「なあ、タバサ……おまえ、ひょっとして、わざと捕まった?」

「…………」

 才人が尋ねると、タバサはコクッと首肯いた。

「いやいやいやいや、なんでだよ!? タバサまで捕まることないだろ?」

「私は貴男の従者。貴男の側で、貴男を守る義務がある」

 タバサが視線を逸らすと、少しばかり早口で言った。

「そして、そんな恋するマスターを守るのが僕の役目だね」

 と、イーヴァルディが“実体化”した。

 イーヴァルディのそんな言葉に、タバサは顔を赤くし、大きく顔を背ける。

「タバサ……」

 才人の胸に、なんだか熱いモノが込み上げた。

「ありがとな」

 そう才人が声を掛けると、タバサは頬を余計に赤らめて、また本に目を落とした。

 才人は腕組みをしたまま、(さてと、なんにしても、これからのことを考えないとな……)と天井を見上げた。そして、(取り敢えず、こんな所に閉じ込めた以上、”ロマリア”の連中は、俺を殺すつもりはないってことだよだな。まあ、そりゃそうか……なにせ、俺はルイズが”最後の虚無”を放つための”魔力供給機”だしな。タバサとセイヴァーと一緒に閉じ込めたのも、万が一、俺が死のうとするのを阻止させるためか? ジュリオのことだ、たぶん、そん位は考える。でも、例え俺が死んだところで、”地球”への侵攻が少し遅れるだけだろうな。教皇は、また新たな”担い手”と”使い魔”を捜し出して、同じことをさせるに決まってる。だとしたら、まだ死ぬ訳にはいかねえよな……)、と考えた。

 それから、才人が考えたのは、ルイズのことである。

 才人は、(あいつ、今頃なにしてるんだろう……? あの時、あいつが見せた涙。あれは、どういう意味なんだ? 教皇の“地球征服計画”に反対してたはずだ。いくら“ハルケギニア”を救うためと言ったって、そんな方法は間違ってる……そう言ってたはずだ。どうして、急にあんなことを言い出したんだ? 教皇に丸め込まれちまったのか? それとも、なにかで脅されているのか……? なんにせよ、あれがルイズの本心だとは想えねえな。きっと、なにか隠してることがあるんだ。前に、俺を“地球”に送り返そうとしてくれた時だって、あいつ、あんな風に泣いてたじゃねえか……ルイズ……ルイズ……)と考え、心の中で“愛”する恋人の名前を繰り返した。

 そして、(ルイズに逢いたい。顔が見たい。触りたい。抱き締めたい。キスしたい。折角再逢できたのに、また離れ離れになるなんて、余りに辛過ぎる……)とルイズのことを考えているうちに、才人は涙が溢れて来たのを感じた。タバサに涙を見られまいと、目をゴシゴシと擦る。

 才人は床に寝転がり、天井を見詰めた。

「諦めねえ、絶対に……」

 諦めた訳ではない。

 いざという時のために、体力を温存しておくためであろう。

 次に目覚めた時に、身体を動かすことができるように。

 ルイズともう1度逢うため、逢うまで、死ぬ訳にはいかない、と。

「そうだ。それで良い。才人。おまえはそれで良いんだ。“待て、しかして希望せよ(アトンドリ・エスペリエ)”だ」

 

――“悪逆と絶望と後悔に満ちた暗黒の中にあって眩く輝く、一条の希望”。

――“人間の知恵は全てこの2つの言葉 待て、しかして希望せよに凝縮される”。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “オストラント号”の中にある小さな食堂で、ギーシュ達“水精霊騎士隊”の面々は、激しい議論を交わしていた。

 副隊長である才人が、“エルフ”の監獄に移送されたという話を聞き、皆頭を抱えているのである。

「いやはや、不味いことになったぞ。どうしたものかな?」

「決まってる。俺達で副隊長殿達を救けに行くんだ!」

 ギムリが勇ましく拳を振り上げると、おーっと無責任な掛け声が上がった。

「待った待った、落ち着きたまえよ、君達」

 ギーシュが慌てて言った。

「なんだよ? ギーシュ。君はサイト達を救けたくないのか?」

「そうじゃない。僕達がどうこうできる問題じゃないと言ってるんだよ」

 ギーシュは困ったように肩を竦めた。

「なにか理由があったにせよ、サイト達が“ロマリア”の“フネ”で暴れたのは事実なんだ。詰まり、この投獄は“ロマリア”側に正当性があるってことだ」

「うむむ……そりゃそうだが、サイト達が可哀想じゃないか」

 ギムリが不満そうに言った。

 ギーシュは、バツが悪そうに首を振った。

 それはもちろん、ギーシュだって、才人達を救けたいのは山々である。(サイト達は理由もなしに暴れたりするような奴じゃない。だから、なにかあったんだろう)と想った。

 だが、ギーシュは“エルフ”の恐ろしさを身をもって識っているのである。ここにいるのは皆、威勢ばかり良い、ただの“ドット・メイジ”である。“エルフ”の監獄などに乗り込んで、無事で済む訳もない。

 ギーシュは、隊長として、仲間を危険な目に遭わせる訳にはいかないのである。

「きゅいきゅい、なに言ってるのね。お姉様を救けて欲しいのね!」

 ヒトの姿になったシルフィードが喚き出した。タバサに命じられ、“オストラント号”に戻ったシルフィードは、“水精霊騎士隊”に救けを求めたのである。

「お姉様を救けてくれたら、シルフィが“韻竜”に伝わる感謝の踊りをしてやるのね」

「わ!? 脱ぐな脱ぐな!」

 少年達は顔を赤らめ、慌ててシルフィードを止めた。

「僕だって、救けてやりたいのは山々だがね、今回は無理だよ」

 ギーシュは言った。

「きゅいきゅい、なんなのね。お前達、いつもは“貴族”なんてえばってる癖に、肝心な時に役に立たないのね、きゅい!」

「なんだと? 君、“貴族”の名誉を侮辱するのかね?」

「喧嘩はやめろよ」

 真面目なレイナールが言った。

「なにも処刑されるって言うんじゃないんだろ? なんと言っても、サイトとセイヴァーは“ハルケギニア”の“英雄”なんだし、なに、数日もすれば釈放されるさ」

「まあね」

 マリコルヌが同調した。

「詰まり、僕達にできるのは……」

「うん」

「サイト達が戻って来た時のために、歓迎パーティーの準備をすることだな」

「おお、それだ!」

「きゅいきゅい、皆馬鹿なのね! 救けを求める相手を間違えたのね! シオンの方に行けば良かったのね!」

 シルフィードは喚くと、食堂を出て行ってしまった。

 そんな中、レイナールが溜息混じりに言った。

「皆暢気だな。サイト達の話が本当なら、もう直ぐ戦争になるんだぜ?」

「…………」

 皆急に黙り込んでしまった。

 そう、ここにいる“水精霊騎士隊”の隊士達は、皆、“タイガー戦車”や“ゼロ戦”など、“地球”の“武器”が活躍するのを間近で見て来たのである。もし戦争になれば、そのようなモノと戦う必要性が出て来る。しかし、最低でも“タイガー戦車”や“ゼロ戦”、もしくは、それよりも高性能な“武器”を相手にすることになるのだから……。

「どうなっちまうんだろうなあ? 僕達」

 マリコルヌが、ポツリと言った。

「ルイズも、帰って来ないしな」

「そう言や、そうだなあ」

「帰って来なと言えば、おっぱいエルフちゃんもだぜ」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、なんとなく、不安そうに顔を見合わせた。

 食堂がしんと静まり返った、その時である。

「あの、失礼いたします……」

 と、入り口に、灰色のフードを冠った女性が姿を現した。

 全員が、ハッとして、瞬時に“杖”を抜いた。“ドット・メイジ”とはいえ、そこは流石、実戦経験だけは豊富な少年達であるといえるだろう。

「何者かね?」

 ギーシュが“杖”を向けたまま、鋭く言った。

 “ロマリア”の手の者かもしれない、と警戒しているのである。

「あ、その、私は……」

「なんだ? 怪しい奴だな」

 マリコルヌが“杖”の先をペロッと舐めると、女の側に近寄った。

「スパイかも知れん。調べさせて貰う」

 マリコルヌが、“杖”をスカートに差し込もうとすると、「お、おやめください、無礼な!」と女性はマリコルヌの頬をバシッと叩いた。

「なに、抵抗するとは、ますます怪しいじゃないか!」

 マリコルヌは何故か興奮した様子で、グイグイと顔を寄せた。

「ひっ」

 女性が悲鳴を上げて後退る。

 フードがハラリと落ちた。

「え?」

 その瞬間、食堂にいた全員の顔が青褪めた。

「アンリエッタ女王陛下!!」

 

 

 

「こ、ここ、この度は、女王陛下にたた、大変な、ごご、ご無礼をば……」

 ギーシュが、床に頭を着けたまま、ガタガタと声を震わせた。

 隊長以下、“水精霊騎士隊”の全員が、“日本”の土下座スタイルである。無論、“ハルケギニア”に土下座などという作法はない。才人がルイズに謝る時、いつもこうしていたことを想い出し、皆其れに倣ったのである。いやもう、彼等が知る“貴族”としての作法などでは、女王陛下であるアンリエッタに対して反省の念を表現し切れることはできないだろう、と想ったのである。

 ただし、お約束なのか、マリコルヌだけはロープでぐるぐる巻きに縛られ、床に転がされていた。

「う、打首だけは、どうか、どうかああああ……!」

 ギーシュは額を床に擦り付けながら叫んだ。“貴族”だというのに、それはもう、見事な土下座であり、モンモランシーが見たとすればドン引きするほどであろう。

 ギーシュは、(嗚呼、この僕が、女性の声に気付かなかったなんて……)と己の不覚を恥じた。(どこかで聞いたことのある声だ)、とは想っていたのだが、しかし、まさか女王陛下がこのような時間に、しかも伴を連れずに現れるとは、神ならぬギーシュには想像するだにできなかったのである。

 いやしかし、これはもう、打首では文句は言えまい、という状況である。なにしろ、女王陛下に対する不敬罪であるのだから。打首であればまだマシな方であり、場合によっては、グラモン家のお取り潰しだってありえるのである。

 ギーシュは、(嗚呼、名門グラモン家が僕の所為で滅亡するのか……)と心の中で両親や兄に土下座した。

「女王陛下、悪いのは僕1人です! 僕を罰してください!」

 と、床に転がったマリコルヌが、仲間を庇って必死に叫んだ。

「マリコルヌ……」

「僕は、ど、どんな罰で受け入れる覚悟はできています! 女王陛下、こ、ここ、この疎かな豚めを、厳しくお罰っしてください! ふ、踏んでくださいいいいいい!」

「お前は黙ってろ!」

 レイナールが、マリコルヌに“沈黙(サイレント)”を掛けて黙らせた。

「あの、皆さん、どうか面を上げてくださいまし」

 と、アンリエッタは幾分戸惑った表情で言った。

 少年達は、ほんの少し、顔を上げた。

「突然、訪れた私が悪かったのです。先程のことは、不問にいたします」

 アンリエッタが首を横に振ると、ギーシュ達はポカンとして顔を見合わせた。

「不問、ですか?」

「ええ、2度は言いませぬ」

「は、ははーっ。女王陛下の寛大なるご処置、誠に、誠に……」

 アンリエッタの寛大な沙汰に、少年達は再び床に頭を擦り付けた。

 だが、マリコルヌだけは、残念そうな様子である。

「皆さんを驚かせてしまい、申し訳ありません。“ロマリア”に気取られれぬよう、隠密に行動する必要があったのです」

 アンリエッタは声を潜めて言った。

 ギーシュ達は戸惑ったように、顔を見合わせた。

「と、言いますと?」

「実は、皆さんに、お頼みしたいことがあるのです」

 その瞬間、“水精霊騎士隊”の少年達は全員、目を丸くした。

 アンリエッタが、眼の前で、深々と頭を下げるたのだから。

 

 

 

 アンリエッタは、“水精霊騎士隊”の少年達の前で、自身の考えを打ち明けた。

 ヴィットーリオが唱える“聖戦”が始まれば、多くの血が流れるであろうことは間違いなく、“トリステイン”の女王として、それだけは、絶対に回避したいということ。だが、ヴィットーリオは“始祖ブリミル”の使命に固執しており、説得の目は到底ありえそうにないということ……そして最後に、“4の4”を揃わせぬこと。才人の身柄を押さえることが、ヴィットーリオの計画を止める手立てになるかもしれない……という考えを話した。

「詰まり、陛下は、僕達にサイトの救出に向かえと仰るのですね?」

 ギーシュが確認した。

「はい、その通りです。どうか、力をお貸しください。今、この地で私が頼れるのは、貴男達近衛だけなのです」

 “水精霊騎士隊”の面々は、顔を見合わせた。

 先程まで、才人を救に行くだのと威勢の良かった者達も、いざ“エルフ”の監獄へ乗り込むとなると、やはり足が竦むのである。ティファニアのおかげで、大分慣れては来たものの、“エルフ”という言葉は、まだ拭い切れぬ恐怖の象徴であるのだから。

 沈黙が食堂を支配した。

 ややあって……。

「おそれながら、女王陛下……」

 と、ギーシュが真面目臭った調子で、口を開いた。

 仲間達は、お調子者の彼がなにを言い出すのかと、ヒヤヒヤしながら注目した。

「僕達は、“トリステイン”の“貴族”です。陛下のご命令とあらば、命も賭けましょう。ですが、その……不躾ながら、陛下にお請願したいことがあるのです」

「なんでしょう? なんなりと、申してください」

「サイトの救出に向かうのは、志願者だけにして頂きたいのです。そして、ご下命に従わなかった隊士達を、罰することのないように、お願いしたいのです」

 ギーシュのその言葉に、少年達はハッとした。凡そ、先程まで土下座をしていたとは想えぬほど、堂々とした態度であるためであった。

「それはもちろん、私の名に誓って、約束しましょう」

 アンリエッタは言った。

「これは、“トリステイン”女王としての命令ではなく、私、アンリエッタ・ド・トリステイン個人のお願いなのですから」

「請願、お利き頂き、ありがたく存じます」

 ギーシュはサッと一礼すると、薔薇の造花の“杖”を抜き、真上に掲げる。

「“水精霊騎士隊”隊長、ギーシュ・ド・グラモン。謹んで、任務を拝しましょう」

 “王家”への忠誠を示す、見事な“貴族”の礼であった。

 仲間の少年達が、次々と“杖”を抜き、同じように真上に掲げた。

「ま、隊長殿1人で行かせる訳には、いかないよな」

「うん、そうだな」

「参ったね、だって隊長殿が、1番怖がってるんだもんな」

 誰かがそう言うと、少年達の間に笑いが起こった。

 “杖”を掲げたギーシュの膝が、ガタガタと小刻みに震えているのである。

「これは武者震いだぜ? 君達」

 ギーシュは強がった。

「そうだな、武者震いだ」

 ギムリの膝も震えている。

「サイトとセイヴァーは、これまで何度も祖国を救ってくれた。あの時、2人が110,000の軍隊を止めてくれなかったら、僕達も、とっくに死んでたかもしれない」

 レイナールが言った。

「ああ、間違いないな」

 マリコルヌが首肯いた。

「“聖戦”で死ぬのはごめんだが、友を救うためなら、仕方ない」

 全員が“杖”を掲げた。拒む者は、誰もいなかった。

 少年達は、“杖”を合わせ、「“トリステイン”万歳」を唱和する。

 アンリエッタは涙を堪え、この勇敢な少年達に、深く頭を下げた。

「ところで、その“監獄島(シャトー・ディフ)”には、どのように向かえば?」

 と、ギーシュが言った。

「小型で足の速い“フネ”を1隻用意致します。それで向かってください」

 アンリエッタが答えると、「それは、あまりお勧めできませんな」と声が掛けられた。

「先生!」

 ギーシュが声を上げた。

 食堂の入り口に現れたのは、コルベールとキュルケ、それにシルフィードである。

 ギーシュ達に愛想を尽かしたシルフィードは、コルベールを連れて来たのである。

「失礼ながら、話はそこで聴かせて頂きました。“トリステイン”軍の“フネ”を動かせば、“ロマリア”側に動きを察知されてしまいますぞ?」

「コルベール殿、では、どうすれば……?」

「なに、心配はありません、この“オストラント号”の速度なら、例え動きを察知されても、追撃を躱すことができるでしょう」

 コルベールは、少し自慢げに言った。

「おお、では……」

「私とミス・ツェルプストーも同行しましょう。なに、“学院”の教師には、生徒を引率する義務がありますからな」

「あんた達に任せといたら、馬鹿みたいに突っ込んで行きそうなんだもの」

 キュルケが、“水精霊騎士隊”の少年達を見回して、肩を竦めた。

「忝ありません」

 アンリエッタは、コルベール達にも頭を下げる。

「その話、私達も乗らせて貰うわ」

 コルベール達の後ろから、1人の女性が声を上げる。

 その姿を見て、その場の皆が驚いた。

「シオン!?」

「貴女は、一国の女王なのですよ? そのようなことをして――」

「その前に、1人の人間です。そして、友人を救けるのに、大きな理由など要りません」

「“アルビオン”の政治の方は? 立場も危うくなるでしょ?」

「政治の方は、信頼できる方に任せて来ました。立場も悪くなることはありません。大丈夫ですよ。心配してくれてありがとう、アン」

 シオンは屈託のない笑みで、アンリエッタへと感謝の言葉を口にした。

 この場の皆のそのような態度を前に、アンリエッタは毅然とした態度で言った。

「ありがとう。深く、静かにことを進めてください。どうかご武運を」



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虚無の神話

 “ロマリア”艦隊の旗艦“聖マルコー号”の中に用意された貴賓室で、ティファニアは深く落ち込んでいた。

 負傷中のファーティマを見舞うため、“ロマリア”の“フネ”に戻った頃、“聖堂騎士”達に取り囲まれて半ば無理矢理ここへと連れて来られたのである。

 もっとも、ティファニアが“オストラント号”に残っていたとしても、ファーティマを人質に取られてしまっているような状態では、ずれ従う他はなかったであろうが。

 ティファニアに宛行われた部屋は、家具も調度品も揃った、立派な部屋である。だが、“魔法”は使えないようにと“杖”と“礼装”は取り上げられてしまい、許可がなければ外に出ることもできない。実質的な軟禁状態であるといえるだろう。

(どうなっちゃうのかな? これから)

 ベッドに座るティファニアは、右手に嵌めた母の形見である指輪を見詰めた。

 指輪には以前、“水の精霊石”が嵌っていたのだが、今は台座しかない。その“精霊石”は、死に掛けた才人の傷を癒やすために使ってしまったのであった。

 ティファニアの胸のうちに、(サイトの世界(地球)と戦争になるかもしれない……そして、“虚無の担い手”である私は、その手助けをすることになるかもしれない)という言いようもない不安がわだかまっていた。

(私、そんな恐ろしい事を……)

 ティファニアは、ギュッと両手を握り締めた。

 “4の4”を共鳴させて唱える“始祖の虚無”。

 ルイズがそれを唱えれば、“地球”の人々が大勢死ぬことになるのは明白である。だが、そうしなければ、今度は“風石”の暴走で、多くの“ハルケギニア”の人々が犠牲になり、ヴィットーリオの言うように、残ったわずかな土地を巡ってヒトも“エルフ”も巻き込んだ血で血を洗う戦争が始まる可能性があるのもまた事実であった。

 そう成なった時、真っ先に犠牲になるのは、ティファニアが面倒を見て来た孤児達のような、力の弱い人々であることは言うまでもないであろう。

「サイト、セイヴァーさん。私……どうすれば善いの?」

 目を瞑り、ティファニアは祈るように呟いた。

 その名前を、才人の名前を口にするだけで、ティファニアは胸が締め付けられるように苦しくなった。

(いつだって、自分の命を危険に晒してまで、私のことを救けてくれた人達。どこにも居場所がなくて、いっそ死んだ方が善いと想った時も、“俺達が居場所になる”と言ってくた人……もう、諦めたつもりだった。だって、サイトには“愛”する恋人がいるもの。その恋人は、私の大切な親友で、2人は誰も入り込めない、とても強い絆で結ばれている……)

 ティファニアは、恋をして、初めて母の気持ちが理解できた。

(母だって、理解っていたはずよ。“エルフ”がヒトと恋に落ちることが、どれほど罪深いことか……それでも、母はヒトを、人間を“愛”してしまった。サイトに逢いたい。でも、サイトは今、“ロマリア”軍に捕らえられ、遠い場所にある“エルフ”の監獄に囚われてしまった……)

「サイト……」

 ティファニアは窓の外を見詰め、不安そうに呟いた。

 その時……扉を叩く音がした。

「……誰?」

「私よ、テファ」

「ルイズ?」

 ティファニアは直ぐに立ち上がり、扉の方へ向かった。

 開けると、沈んだ顔をしたルイズが立って居た。

「嗚呼、ルイズ……心配したのよ」

「私は大丈夫。テファの方こそ、乱暴にされなかった?」

「ええ」

 ティファニアとルイズは肩を抱き締め合った。

「ルイズ、私達、これからどうなっちゃうのかしら? 皆の所へは帰してくれないし、それに、サイト達も捕まったって……」

 ティファニアがそう言うと、「……心配ないわ」とルイズは小さく首を横に振り、ハッキリとした口調で言った。

「直ぐに、全部終わるもの」

「え?」

 ティファニアは、ルイズの口にした言葉に妙な違和感を覚えた。

 ティファニアが、(……終わる? 一体、なにが終わると言うの?)と訝しんでいると、ルイズはなにか決心したような表情で口を開いた。

「あのね、テファ……私、テファにお願いがあって来たの」

「……お願い?」

「ええ」

 と、ルイズは首肯いた。

「もう1度、テファの“魔法”で、私の中から、サイトに関する記憶を消して欲しいの」

「……なんですって?」

 ティファニアは唖然とした。

「ルイズ、どういうこと? どうして、そんなこと言うの!?」

 ティファニアは、珍しく激しい感情を露にして、ルイズの肩を掴んだ。ルイズが言ったことが信じられないのである。

「……良いのよ」

「え?」

「サイトのこと全部、忘れてしまいたいの。だって……だって、私、もう2度とサイトに合わせる顔がないわ。だから……」

 ルイズは、瞳一杯に涙を浮かべ、声を震わせた。

「ルイズ、お願いだから落ち着いて。一体どういうことなの?」

 ティファニアは以前にも、ルイズに頼まれて、已むなく才人に関する記憶を消したことがあった。あの時は、才人と離別した悲しみから逃れるためであった。だが、才人に関する記憶を失ったルイズは、まるで別人のようになってしまったのだが……。

 ティファニアは、(それなのに、また記憶を消してと言って来るだなんて……きっと、なにか余程悲しいことがあったのね。そうでなくちゃ、ルイズがこんなこと、言うはずないもの……)と想った。

 ルイズは、瞳に溜まった涙を拭き、告げた。

「決めたのよ。私、この”ハルケギニア”を救うために、“聖女”になるわ」

 ティファニアの顔が、蒼白になった。

「ルイズ、其れは……サイトの世界を、滅ぼすということ?」

「ええ。皆を……この世界を救うには、それしかないわ」

 ルイズは首肯いた。悲壮な決意の込もった声で。

「……そんな!」

 ティファニアは絶句した。同時に、ルイズが本気であることもまた理解した。散々悩み、苦しみ抜いた末に、その答えを出したのであろう……ということも。

「ルイズ、本当にそれで良いの? そんなことをしたら、サイトは……」

 例え“愛”し合っているとしても……いや、“愛”し合っているからこそ、自分の故郷を滅ぼした恋人を、決して赦すことはできないであろう。

「そうね。私は、もう2度と、笑顔でサイトに逢うことはできないわ。でも、そんなことには堪えられそうにない。今だって、ずっと、決意が揺らぎそうになってるの……だから消して欲しいの。サイトに関する記憶を。この世界を救うために……」

「ルイズ……」

 ティファニアは、ルイズの悲痛な決意に胸を打たれた。だが、(サイトと、2度と逢うことができなくても……それでも、“ハルケギニア”を救うと言うの?)と疑問を抱いた。

「駄目。そんなの駄目よ、ルイズ! 其れじゃ、貴女が救われないじゃない!」

 ティファニアは必死に首を横に振った。

「優しいのね、テファ。でも、私は良いの。もう……」

「ルイズ、お願い。考え直して! なにか、なにか別の方法があるはずよ!」

「ないわ。ないのよ……私、一生懸命考えたわ。でも、なにも犠牲にせずに1番大切なモノを救う方法なんて、なかったの!」

 溢れ出した涙が、ルイズの顎を伝って零れ落ちた。

 ティファニアは途方に暮れてしまった。

 ルイズはもう、心を決めてしまったらしい、と気付いたためである。

 悩んだ末に……ティファニアはユックリと、顔を上げた。

「ごめんなさい、ルイズ。貴女のお願いを利くことはできないわ」

 毅然として、ティファニアは首を横に振る。

「どうして……?」

「私はもう、ルイズがルイズでなくなってしまうような、あんな悲しい想いは2度としたくないの。それに……」

 と、ティファニアはルイズの肩を優しく抱いた。

「“虚無”の“魔法”でも、貴女のサイトへの想いを消すことはできなかったじゃない」

 ティファニアのその言葉に、ルイズはハッとしたように、目を見開く。

「そう……そう、ね……」

 と、ルイズは唇を噛み締めた。

「無理言って、ごめんね。テファ」

 ルイズはゴシゴシと涙を拭くと、頭を下げ、足早に立ち去る。

「ルイズ、待って……」

 ティファニアがその背中を追おうとすると、「これよろい先は、どうかご遠慮ください」と通路に立つ衛士に止められてしまった。

 ティファニアは、遠ざかるルイズの背中を、ただ見詰めることしかできなかった。

 

 

 

 ルイズが去ったその後……ティファニアはしばら、呆然としていた。

 色々なことが脳裏を過り、ティファニアの頭は混乱しているのである。

(まさか、ルイズが、サイトの故郷を滅ぼそうとしてるなんて……確かに、危機に瀕した“ハルケギニア”を救う方法は、それしかないのかもしれないわ。でも、ルイズは元々、“ハルケギニア”のために“エルフ”の土地を奪うことにも、反対していたはずよ。ルイズは一体、どうしてしまったの……? まさか、なにか“魔法”か薬のようなモノを使われて、“ロマリア”に都合の良いように洗脳されてしまったの? でも、さっきの様子を見る限り、そうは想えないわ。もし洗脳されているんだとすれば、私に、“サイトの記憶を消して”なんて言うはずないもの。ルイズ、とても苦しんでいたわ)

 ルイズの悲壮な表情を想い出して、ティファニアは胸が苦しくなった。

 静かに目を瞑り、(私、ルイズのためになにができるんだろう……? サイトなら、セイヴァーさんなら、シオンなら……もしかすると、ルイズを説得できるかもしれないわ。いいえ、今のルイズを説得できるのは、その3人しかいないはず。でも……サイト達は今、遠い“エルフ”の監獄に囚われてしまっているわ。きっと、教皇は、2人を引き離しておきたかったのね……今はサイトに頼ることはできないわ……シオンは、女王としての仕事で忙しいだろうし)、とティファニアは考える。

 ティファニアの長い耳が、消沈したようにペタリと垂れた。

「ミス・ウエストウッド、新しいシーツとお召物をお持ちしました」

 扉の外で女官の声が聞こえ、ティファニアの思考は断ち切れた。

 開けると、ベッドのシーツを抱えた年配の女官が、部屋に入って来る。

「ありがとう。大丈夫よ、そん成に気を遣わなくても」

「そうはいきません、貴女様は教皇聖下の大事な賓客なので」

 女官はティファニアに顔を近付けた。

「……?」

 ティファニアが怪訝そうに眉を顰めると、「私だよ、ティファニア」と女官の顔がツルンと溶けるように消え、そのから別の顔が現れた。

「マチルダ姉さん?」

 ティファニアは驚きの声を上げた。

 女官に変装していたのは、彼女が姉のように慕っているマチルダ――フーケであったのである。

「どうして、ここに?」

 ティファニアは目を丸くして訊ねた。

「あら、ご挨拶だね。あんたが“ロマリア”の“フネ”に閉じ込められてるって聞いて、心配して様子を見に来てやったんじゃないのさ」

 と、マチルダ……“土くれのフーケ”は、肩を竦めて言った。

「嗚呼、マチルダ姉さん……」

 ティファニアはフーケを抱き締め、思わず、涙ぐんだ。

 これまで、ずっと気を張った状態であったために、心から頼ることのできる彼女に逢ったことで、緊張の糸が切れて一気に緩んだのである。

 そんなティファニアの頭を優しく撫でながら、フーケは言った。

「今直ぐ、あんたをここから連れ出してやりたいんだけど、なにせ海の上だからね。おまけに周囲を“ロマリア”の艦隊が囲んでる……流石の私でも、ちょっと準備が必要なのさ。もう少し辛抱しておくれよ」

「ええ、私は大丈夫……」

 言い掛けて……ティファニアの脳裏に、ふと閃くモノがあった。

「どうしたんだい?」

「あの、マチルダ姉さん……お願いがあるの」

 フーケは怪訝そうに眉を顰めた。

「なんだい? あんたが、お願いするなんて、随分珍しいじゃないか」

 

 

 

 用意された部屋に戻ったルイズは、そのままベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、ぎゅっと抱き締める。

 ルイズは、羞恥と自分の愚かさに、顔が熱くなるのを感じた。

 ルイズは、(テファの言う通りだわ。“虚無”の“魔法”を使ったって、私がサイトのことを、忘れられるはずなんてないのに……結局、逃げようとしていただけね。サイトの世界を滅ぼすこと……その罪悪感を少しでも軽くするために、私は“魔法”に頼ろうとした。卑怯者ね、私……)と心の中で自嘲し、(私は、この罪を一生、背負うべきなんだわ……)と想った。

 ルイズは指に嵌まった”水のルビー”を見詰めた。

 そして、これから自分がすることを想うことで、絶望に胸が張り裂けそうになった。

(サイト、私、どうすれば善いの……?)

 本当は、今直ぐにでも、“愛”する恋人の胸に飛び込みたかった。全部、なにもかも打ち明けて、才人に全てを委ねてしまいたかった。

 だが、其れは、出来無い、とルイズは想った。もし、ルイズが真実を打ち明ければ、才人は真っ先に、自分を犠牲にする道を選ぶことを理解しているのだから……。

「どうして……? どうして、私なの?」

 ルイズは、枕に突っ伏したまま嗚咽した。

(どうして、“虚無の担い手”なんかに選ばれてしまったのかしら……? 伝説の力なんて、要らなかった。普通の“4系統”に覚醒めたかった。母様と同じ“風”の“系統”か、父様の“水”の“系統”……ううん、いっそ“魔法”なんて使えなくたって良かった。どんなに馬鹿にされたって良いわ、私、“ゼロのルイズ”のままで良かった……“始祖”よ、貴男はどうして、私にこんな力をお授けになったのですか?)

 ルイズが枕を抱き締めた儘嗚咽して居ると……部屋の扉の開く音がした。

「ミス・ヴァリエール、お着替えをお持ちしました」

 勝手に扉を開け、入って来たのはシエスタであった。

 シエスタは荷物を抱えて、小さなボートに乗り、“ロマリア”の船団にまでやって来たのである。そして、「自分はミス・ヴァリエールのメイドである」と言い張り、“ロマリア”と押し問答をしていたところを、通り掛かったルイズに発見され、仕方なしに保護した次第であったのである。

 シエスタの時折見せる謎の行動力に、ルイズは呆れながらも、押し切られてしまったのである。

「ちょ、ちょっと、あんた、なに勝手に入って来てるのよ?」

 ルイズはベッドから起き上がって文句を言うが、シエスタは遠慮なく入って来て、ルイズに寝巻きを押し付けた。

「酷いお顔ですね、ミス・ヴァリエール。愛らしいお顔が台なしですわ」

「う、煩いわね」

 ルイズは目をゴシゴシと擦った。

「あんた、いつまでここにいるつもりなの? いい加減、コルベール先生達の所に戻りなさいよね」

「嫌です。私、ミス・ヴァリエールのお傍にいます」

 シエスタはキッパリと言った。

「戻りなさいってば」

「い・や・で・す!」

「もう、なんでよ!?」

 こうなると、シエスタは梃子でも動かない。

 そのことを知っているルイズは、はあ、と諦めの溜息を吐いた。

 シエスタはニコッと笑うと、ルイズに寄り添うように、ベッドに腰を下ろした。

「ミス・ヴァリエール、どうして泣いてらしたんですか?」

「な、泣いてないわよ、別に……」

「それ、無理がありますって。ほら、サイトさんにも笑われますよ」

 シエスタが取り出したナプキンで、ルイズの顔を拭こうとすると、突然、ルイズの目から涙が溢れた。

「う、うううう……」

「わ、ど、どうしたんですか? ミス・ヴァリエール!」

 シエスタはオロオロと慌てた。

 才人の名前を聞いた途端、ルイズの中で抑えていたモノが、また溢れてしまったようである。

 ルイズはしゃくり上げるように泣き出した。

「う……うう……うううう……」

「な、泣かないでください、ほら」

 シエスタは、ルイズの背中を優しくさすった。

 だが、ルイズが泣きやむ様子はない。それどころか、増々泣き始めてしまうのであった。

 シエスタは途方に暮れてしまった。

「ど、どうしましょう……ミス・ヴァリエールは泣いていると、なんだか、私迄悲しくなっちゃうじゃないですか」

 何故か、シエスタまで泣き始めてしまった。

 疲れて声が出なくなるまで、2人は泣き続けた。

 ルイズが、ようやく泣きやんだ後……。

 シエスタはなにも訊かずに、「また来ますね」と言って部屋を出て行った。ルイズが自分から話すのを待つのである。

 ルイズにとって、シエスタのその気遣いはありがたかった。

 だがそれでも、今、ルイズは誰にも話すつもりはなかった。シエスタにも、ティファニアにも、アンリエッタにも、シオンにも……。

(この苦しみは、私1人が背負うべきモノなんだわ……)

 ルイズはノロノロと起き上がると、マントの懐から“始祖の祈祷書”を取り出した。

 それから、震える手で、ページを開く。

 指に嵌めた“水のルビー”が反応し、あるページがボンヤリと光った。

 其れは、ヴィットーリオの手によって、新たに読むことができるようになったページであった。

 何度も、何度も、確認するように、読み返した、そのページ……。

 

――“記すことさえ憚られる……最後の使い魔”。

――“リーヴスラシル”。

 

――“定めし運命故に、その命をもって、最後の虚無、を完成させん”。

 

――“定めし運命を断ちたくば、使徒よ、異教に奪われし、聖地、を取り戻すべく努力せよ”。

 

――“志半ばで斃れし我とその同胞のため、神の敵対者たる、ヴァリヤーグ、を討ち滅ぼせ”。

 

――“さすれば、虚無の力は、失われ、使い魔はその運命より解き放たれん……”。

 

 このままでは、“リーヴスラシル”の力が、才人の命を奪う。

 ルイズが、“虚無”を唱えなかったとしても、才人は衰弱死してしまうであろう。

 だが、“始祖”であるブリミルの悲願である、“聖地”の奪還を果たせば……“虚無”はその力を失い、“使い魔”の”ルーン”もまた消滅する。

 “聖地”の奪還。

 それこそが、才人を死から救うことができる、方法である。

 “ハルケギニア”を救うなどと、それは嘘であった。

 本当は、才人の命を救うために、“虚無”を放とうとしているのである。

 これが、ヴィットーリオが余裕であるという素振りを見せていた理由であった。ヴィットーリオは、このことを知っていたのである。

 ルイズが才人を見殺しにすることなどできるはずもないことを。

 そして、才人の命を救うために、“聖地”の奪還に協力する、ということを……。

 

 

 

 

 

 俺達が、“監獄島(シャトー・ディフ)”に移送された、その翌日。

 “ラド(9)”の“第三(エオロー)”の週、“第三曜日(エオー)”。

 “ゲルマニア”皇帝アルビレヒト3世が率いる“聖地回復連合軍”の地上軍本隊は、“ロマリア”艦隊と合流した後、“エルフ”の国の首都である“アディール”郊外に広がる砂漠を野営地にして展開した。

 総勢300,000を超える大軍である。これは、かつて“エルフ”の国に遠征した“聖地回復連合軍”の中では、最も規模の大きいモノである。

 だが、ここに来て、“ロマリア”以外の兵達の士気は低下していた。仇敵である“エルフ”との和睦、更には、“宗教庁”を通じて発布された新たな教皇の勅が、兵や諸侯を大いに戸惑わせているのである。

 “始祖”より賜りし、虚無の力により、この世界の外にある真の聖地を奪還する”……突然、そのようなことを言われたところで、“ハルケギニア”の人間には、ほとんど理解することなどできるはずもないのである。自分達の戦う敵とは、果たして何者なのか……それがハッキリとしないために、不安と戸惑いが全軍に広がっているのであった。

 さて、その地上軍300,000の全権を預かる男、アルビレヒト3世の天幕に、1人の若者が入って来た。左右で色の違う“月目”の美少年。ジュリオである。

「ジュリオ・チェザーレです。教皇聖下の代理で参りました」

 天幕に入るなり、ジュリオは優雅な礼をした。

「ふん、喰わせ者の神官め。ここは暑くて適わぬ」

 アルビレヒト3世は不機嫌そうにジュリオを睨んだ。

「“エルフ”共の首都を目前にして、兵達は浮足立っている。このままでは、いずれ抑え切れなくなるぞ」

 和平が締結されたとはいえ、やはり“ハルケギニア”の人間の、“エルフ”への憎悪と恐怖は根深いモノがある。和平其の物に反対する諸侯も、まだに多い。特に、“新教徒”が多く、“宗教庁”への恭順意識が低い、新興国家である“ゲルマニア”では尚更であるといえるだろう。

「“エルフ”共と手を組むのは、まあ、良いだろう。しかし、異世界、への侵攻などと言う荒唐無稽な話は、どうにも信じられん。諸侯の中には、信仰心の篤い教皇聖下の妄言と言う者もいるぞ」

 全“ブリミル教徒”を束ねる長たる教皇に対して、余りにも不敬な発言で在ると云えるだろう。場合に従っては、“王族”でさえも裁かれ兼ね無い。然し、其処は“ゲルマニア”皇帝、流石に肝が据わって居ると云える。

「信じられぬのも無理はありません。ですが、聖下のおっしゃることは事実です」

「そう願いたいものだな。なに、いかに荒唐無稽な話でも、実際に分捕る領地があると言うのであれば、話は別だ。“エルフ”に勝利を収めたところで、手に入れるのは開拓しようのない砂漠と、“始祖ブリミル”の使命を果たしたという、役にも立たぬ名誉のみ。そんなモノは、兵達にとって、なんの腹の足しにもならぬ」

「確かに、閣下のおっしゃる通りです」

 余りに明け透けな物言いに、ジュリオは苦笑した。

「ですが、ご安心ください。我々の征服する約束の地は、“ハルケギニア”よりも遥かに広大で、豊かな土地です。その土地をご覧になれば、皇帝閣下も、“ゲルマニア”諸侯も、ご満足なされることでしょう」

「“聖エイジスの書”にある、“乳と蜜の流れる地”という訳か。確かに、こんな砂漠よりはマシかもしれんな。しかし……」

 と、アルビレヒト3世は言った。

「その“聖地”は、海の底にあるのだろう? 300,000もの大軍を、一体どのような方法でそこへ送り込むつもりなのだ?」

「聖下には、お考えがあります。今しばらく、お待ち頂ければと」

「ふん、その聖下は今、どこにおられるのだ?」

「聖下は“ゲート”を開く“精神力”を溜めるために、不断の祈祷をしておられます。ですが、明朝には、全ての準備が整うでしょう」

「結構。では、そのつもりで諸侯を説得しよう」

 アルビレヒト3世は椅子から立ち上がると、天幕の外に出た。

「大陸が隆起し、“虚無”の“系統”が蘇り、そして、我々は“始祖”の故郷に帰還する……信じ難いことだ。真に、我々は伝説の時代に生きているのだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地平線の端に陽が沈み、空に双つの月が掛かる頃……。

 アンリエッタの嘆願を受けて結成された、サイト達を救出するための部隊は、“オストラント号”の中で、ヒッソリと準備を進めていた。

「首尾はどうかね? ミス・ツェルプストー」

 “フネ”の旗艦室から出て来たコルベールが、煤だらけの顔で言った。

「大丈夫。まだ勘付かれていないわ。“ロマリア”の連中、まさか、“エルフ”の監獄に乗り込もうとしてるだなんて、考えもしないんでしょうね」

「うむ、それはそうだろうね」

「ねえ、ジャン。顔が煤だらけよ」

 キュルケは苦笑すると、コルベールの額にフッと息を吹き掛ける。

 と、甲板の方で、物凄い怒鳴り声が聞こえて来た。

「ちょっと、邪魔よ子豚! サッサと、退きな為さい! 此のっ、豚っ!」

「ああ、お姉様っ、そんな風にされたら、僕はもう、もう!」

「1度っ、死んどきなさいっ、豚はっ!」

「嗚呼っ、すみません。豚、生まれて来てすみません!」

 ルイズの姉であるエレオノールである。

 彼女は、嬉しそうに悲鳴を上げるマリコルヌを舷側に蹴り転がすと、鬼気迫るような表情でコルベールとキュルケの方へと歩いて来る。

 エレオノールの殺気立ったその様子に、百戦錬磨の部隊長であるコルベールでさえも思わず、息を呑んでしまった。

「あー、ミ、ミス・エレオノール……」

 コルベールは恐る恐る、声を掛けた。

「なによ?」

「その、本当によろしいのですか?」

 コルベールの質問に、エレオノールはフンと視線を逸らした。

「私も“トリステイン”の“貴族”だもの。女王陛下に頼まれてはね。それに、妹を好きに使われるのが、気に入らないわ。このまま戦争の道具にされたんじゃ、お父様達にも、申し訳が立たないもの」

 なんだかんだで、エレオノールはルイズの身を案じているのであった。

 

 

 

 その後、“水精霊騎士隊”を始めとする、救出部隊の面々は、作戦会議のために、“オストラント号”の食堂に集まった。

 指揮を執るの当然、コルベールである。

「作戦と言っても、“エルフ”相手では小細工は効かぬでしょう」

 寂しげな頭をツルリと撫でて、コルベールは言った。

「じゃあ、また無謀な賭けに出る訳ね」

 エレオノールがこめかみを押さえ、溜息を吐く。

「ええ、1度成功した、あの作戦で行く他ありません」

「あの作戦、か……」

 ギーシュは天を仰いだ。

 あの作戦といえば、1つしかないといえるだろう。

 コルベールは、“エルフ”の塔に突入した時と、同じ作戦を使うと言うのである。

「そうは言うけど、現状、これしか有効な手立てはないでしょ」

「まあね」

 キュルケに言われ、ギーシュは諦めたように肩を竦めた。

「突入後は、陽動部隊と捜索部隊に別れて行動する。陽動は私が勤めよう。捜索部隊は、サイト君とミス・タバサ達の発見を最優先に。“エルフ”と出会っても、絶対に交戦はしないように。理解ったかね?」

「先生達だけで、大丈夫なんですか?」

「ああ。君達はなるべく早く、3人を発見してくれ。そうすれば、私も生き延びる目が出て来るかもしれないからね」

 コルベールは、いつになく厳しい口調で言った。

 そんなコルベールの静かな覚悟に、ギーシュ達は居住まいを正す。

「陽動なら、手伝ってやっても良いよ」

 その時、良く通る女の声が食堂に響いた。

 シオン以外の全員がハッと“杖”に手を伸ばし、入り口の方を見た。

「あんたは……」

 キュルケはぽかんと口を開けた。

 そこにいたのは、あの“土くれのフーケ”であったのである。

 コルベールは、(一体、いつからそこにいたのだろう? 生徒達の方に注意を向けていたとはいえ、私にさえ気配を悟らせぬとは、恐るべき盗賊の(わざ)だ)と想い、うむ、と唸った。

 尤も、コルベールは、学院長の秘書として働いていたフーケに、一杯喰わされたことがあるのだが……。

 キュルケは“杖”を向けたまま、鋭く言った。

「なにしに来たの? 盗賊さん」

「そんなに警戒するんじゃないよ。“ロマリア”に雇われちゃいないさ」

 フーケはニヤリと笑った。

「ちょいと、あんた達を手伝ってやろうかと想ってね」

「手伝う? 貴女が?」

「そうさ。ま、シオンのお嬢ちゃんは別として、あんた達は、あたしのこと、言葉じゃ信用できないだろうから、手土産を持って来てやったよ」

 フーケは腰の袋を取り出すと、小さく“呪文”を唱えた。

 すると、袋の口がブワッと開き、中からドサドサと大量の武器がぶちまけられた。

 大きさを好きに変えることができる、“魔法の物入れ袋(バック・オヴ・ホールディング)”である。

 床にぶちまけられたのは、“手榴弾”や“自動小銃”、“ロケット・ランチャー(破壊の杖)”など、“ハルケギニア”では見ることのない武器ばかりである。

 “ロマリア”が“原潜”と一緒に回収していた“地球”の武器である。

 殆どは錆びて居るが、中には防水処理が施され、使えるモノもあるのである。

 と、キュルケはその中に、見覚えのある武器を発見した。

「これ、タバサの“杖”じゃない!」

「おお、サイトの刀もあるじゃないかね」

 ギーシュが、武器の山に埋もれたデルフリンガーを拾い上げた。

「“ロマリア”艦の倉庫に忍び込んで、ちょいと拝借して来てやったのさ。これで信用してくれる気になったかい?」

 キュルケは、胡乱な目でフーケを見詰めた。

「どうして、手伝ってくれる訳?」

「ちょっと、頼まれちまったのさ。あの坊やを連れ出してくれってね」

 フーケは言った。

「サイトを救けろって? 誰に?」

「誰でも良いじゃないか。それより、どうするのさ? あんた等が嫌だってんなら、私は手伝わないよ」

 一同は顔を見合わせた。確かに、戦力は1人でも多く欲しいところではある……が、なにしろあのフーケである。果たして、信用しても良いものかどか……、と。

「信用しても大丈夫だと想うよ。なにしろ、匿名希望の依頼人は私達の友人だからね」

「…………」

 シオンの言葉に、皆は少しばかり考えた。

 そこで、キュルケとコルベールは直ぐに、誰のことを指しているのか理解し、顔を見合わせた。

 それから、キュルケは嘆息し、言った。

「理解ったわよ。今だけ、信用して上げるわ」

「うむ、今は兎に角戦力が必要だ」

 と、コルベールも首肯いた。

 “水精霊騎士隊”の面々も、3人がそう言うのなら、と納得した。

「流石の私も、“エルフ”の監獄に忍び込むのは初めてだけどね」

 

 

 

 そして、真夜中……。

 “オストラント号”は夜闇に紛れて飛び立ち、“エルフ”の“監獄島(シャトー・ディフ)”へと針路を向けた。

 “水精霊騎士隊”の少年達が交代で眠る中、部屋の片隅に立て掛けられたデルフリンガーの刀身が、ボウッと光ったことに、気付く者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズはベッドの中で夢を見ていた。

 昨晩から、一睡もしていなかったルイズだが、とうとう泣き疲れて、眠ってしまったのである。

 夢に出て来た場所は、才人と剣を買いに行った、“トリステイン”の“ブルドンネ街”で、ルイズは才人と腕を組んで歩いていた。

(……懐かしいわ。もう1年半も前のことなのね)

 ルイズは頭のどこかで、これが夢であることを理解していた。

 だが、わざと気付かないふりをしていた。なにせ、夢の中の才人は、例によって優しくルイズを抱き締めるのである。ルイズだけに、笑顔を向けてくれるのだから……。

「ねえ、サイト」

「なんだよ?」

「私のこと、好き?」

 ルイズが頬を赤く染め、上目遣いに尋ねると、才人はルイズの髪を撫でて言った。

「好きだよ、ルイズ」

「ほ、ホントに?」

 ルイズは嬉しくなって、パッと顔を輝かせる。

「で、でも……」

「うん?」

「私、テファやシエスタみたいに、胸が大きくないわ」

 ルイズは、直ぐにまたシュンとした。

 才人は笑った。

「な、なによ、笑うなんて……」

 ルイズは唇を尖らせて、才人の胸をポカポカと叩いた。

「大丈夫だよ。俺、ルイズの小さな胸が好きなんだ。つうかさ、ホントのことを言うと、あんまり大き過ぎる胸は、ちょっと苦手なんだよな」

「え?」

 才人の想わぬ発言に、ルイズの顔が想わず綻んだ。

「ほ、本当? ホントの、ホントに?」

「本当だよ」

「でも、小さいにも限度があるわ。わ、私の胸なんて、ほ、ホントに、レモンちゃんだし、シエスタなんて、洗濯板って言ったのよ……」

「ああ、俺、おまえのちっちゃいレモンちゃんが好きなんだ。すべすべで可愛くて、メロンちゃんより、断然、レモンちゃん派だ」

「そ、そう?」

 ルイズは一瞬喜ぶが、また不安になって、言った。

「じゃあ、あの娘は……タバサはどうなの? 私より、ちっちゃいわ」

 ルイズは、(テファがメロンちゃんで、私がメロンちゃんなら……タバサは差詰め、オリーブちゃんってとこね)と独り言ちる。

「タバサは大切な友人だよ。でも、まだまだお子様じゃないか。お子様はちょっと、ね」

 肩を竦める才人。

 なおも、ルイズは続けた。

「わ、私、姫様みたいな色香がないわ。私、知ってるもん。男の子って、ああいうのが好いんでしょ?」

「姫様は確かに綺麗だね。でも、俺、グイグイ来るタイプは苦手なんだよな。ルイズみたく、清楚な娘の方が好きだな」

「私、他の女の子に嫉妬するわ。他の女の子と仲良くしちゃ、嫌なのよ」

「理解ってる。ルイズ、今はもう、おまえだけ見てるよ」

 首筋にキスをされ、ルイズはもう天にも昇る心地になった。

「どうして……どうして、サイトはそんなに優しいの?」

「決まってるだろ。おまえのことが、好きだからだよ」

「う、嘘……」

 ルイズの顔は真っ赤になった。

「嘘じゃねえよ」

「だって、私、胸はぺったんだし、嫉妬するし、あ、あんたのこと鞭で叩いたり、犬扱いしたり、散々非道いことしたわ。なのに、す、すす、好きなの?」

「ああ。俺、そんなルイズの全部が好きだ」

 才人は、ルイズをギュッと抱き締めた。

 それだけでもう、ルイズは、はわわわ、となってしまう。

 それから、(な、なんなの、こいつ……ホントもう、なんなのよ……でも、嬉しい)と想い、才人の胸に頬を埋め、物凄い幸せを感じた……。

「ルイズ、おまえは……俺のこと、好き?」

 才人は、ルイズの耳元で囁いた。

 ルイズはハッとした後……勇気を振り絞って、言った。

「うん、好き。好きよ、サイト……大好き」

 ずっと、言おうと想って……言えなかった、大切な言葉。

 夢の中であれば、このように一杯言うことができる。

(でも、もう2度と、その台詞を口にすることはできないわ。私に、自分に、そんな資格はないんだもの……)

 その事実に気付いた途端、ルイズの意識は、これが夢であることを誤魔化すことができなくなってしまった。

 抱き締めたルイズの腕の中で、才人は砂糖菓子のように儚く溶けてしまう。

「サイト……嫌よ、サイト……いなくならないで!」

 足元の地面がガラガラと崩れ、ルイズの身体は真っ暗な穴に呑み込まれてしまう。

 ルイズは、更に深い夢の中へと堕いて行った……。

 

 

 

 夢の中の底の底……ルイズは、真っ暗な闇の中で、才人の名前を呼んでいた。

「サイト……いなくならないで……サイト……うう……」

「そう泣くな、ルイズ」

「セイ、ヴァー……?」

 泣きながら才人を呼び続けるルイズに、俺はソっと声を掛ける。

 ルイズは、嗚咽を上げながら、顔を上げる。

「どうして、あんたがここに? ここは、私の夢よ……」

「そうだ。ここはおまえの夢の中だ。そして、俺はどの時空にも存在している。本来なら、“サーヴァント”である才人と繋がり、夢の中でも出逢うことができるだろうが、今は無理だしな……だから、俺が来た」

「だから、どういうことよ!?」

「“サーヴァント”とその“マスター”には“魔力”的なパスがある。それを伝って、本来であれば、互いが互いの夢や記憶を見るはずなんだが……今のおまえ達は、これまでと同様に、少しばかり距離ができてしまっている。故に、しっかりと繋がることができていない。で、俺は、おまえに伝えたいことがあるから、わざわざ出向いた、という訳だ」

「意味理解んない」

「まあ、良いさ。夢の中なんだから、目覚めてしまえば、基本的に忘れてしまうモノだ。それでも、失う訳ではないからな」

「で……伝えたいことって、なんなのよ?」

「俺が言えることではないが、自己犠牲は感心できないな」

「あんたになにが理解るって言うのよ!?」

「理解るとも。今の俺は、“根源”と繋がっている。故に、自由自在に世界を変えることも、他人の心にズカズカと踏み入ることだってできる。できてしまう……」

「…………」

「だからこそ、できてしまうからこそ、識ってしまったからこそ、放って置けないんだ。おまえ達のことが……それに、あいつとの約束もあるしな」

「約束? あいつって?」

「今は、関係のないことだ。さて、本題に入ろうか。さっきも言ったが、自己犠牲は余り良くない。が、まあ、今の状況や状態で考え抜いた結果なんだろう? 良くもまあ、想い付いたものだ」

「馬鹿にしてるの?」

「いいや、逆だ。褒めてるつもりだ。1人で抱えている現状、他人を頼ることもできず、考えることだけはやめなかったんだ。これは十分褒めるに値する」

「…………」

「だが、別におまえが、自分を犠牲にする必要なんてないんだよ、ルイズ」

「どういうこと?」

「なるようになる、ということだ。おまえが動く前から、俺が既に動いているからな……いやまあ、“抑止力”が、おまえを生かすだろうな。死を許すことはないだろう」

「他に方法がないのよ! なのに、どうしろってのよ!?」

「任せろ。おまえは、ただ、信じる道を行けば良い。真っ直ぐに、進み、才人に想いを打つければ良い」

「そんなの……」

「さっきできていただろ? なら大丈夫だ」

「……もしかして、ずっと見てた?」

「無論」

 ルイズは無言で“杖”を振り上げる。

「まあ、出歯亀するつもりなどはなかったんだ。赦せ。まあ、俺からの助言はこれくらいだ。助言になってないだろうがな」

「そうね、全くなってないわ」

「そうだな。今のこの状況も、状態も、言ってしまえば“間が悪い”だけのことだ。今できる最大限のことをして、“待て、しかして希望せよ”。そうすれば、“彼方にこそ栄えあり”……まあ、悪いことにはならないさ」

 俺がそう言った直後、ルイズの視界が暗転し、夢の中の世界が変わった。

 

 

 

 

 ルイズが夢を見て居たのと、丁度同じ頃……。

 “監獄島(シャトー・ディフ)”に囚われている才人も、微睡みの中、意識だけで“レイシフト”をしていた。

(……ここは?)

 真っ赤な夕陽の落ちる、どこまでも広がる砂漠の地平線。

 そこは以前、才人が“レイシフト”し、見たモノと同じ場所である。

 才人は直ぐにピンと来た。3度目ともなれば、流石に理解も速いモノである。

 6,000年前の砂漠である。

(俺、また、“ルーン”の力を借りて“レイシフト”してるのか……)

 才人はユックリと起き上がった。

(あれから、どうなっちゃまったんだろう……?)

 前に“レイシフト”した時は、ブリミルが“エルフ”の都に“虚無魔法”を放とうとしていた。

 その時、才人の胸に刻まれた“リーヴスラシル”の“ルーン”が反応し、才人はそこで意識を失ってしまったのである。

(“エルフ”の都があったのは、確か……)

 と、辺りを見回して……才人は絶句した。

 既になにもかもが終わった後であったのだ。

 “聖地”のあった山脈は、まるで隕石が衝突したかのように大きく抉れており、その麓で反映していた“エルフ”の都は、跡形もなく消滅してしまっている。できあがった超巨大なクレーターには、海水が流れ込み、入江のようになっている……。

「嘘、だろ……?」

 才人は呆然と呟き、脱力したように、膝から崩れ落ちた。

(なくなちまった……あんな大きな都市が、全部、消えてしまった)

「なんだよ、これ、こんなのって、ねえよ……!」

 喉の奥から熱いモノが込み上げて来るのを感じ、才人は嘔吐した。

 広大な砂漠にポッカリと空いた、途方もなく大きな穴。

 才人は、(まるで“虚無”そのものだ)と想った。

 ここでなにが起きたのか……混乱した才人の頭でも、直ぐに理解った。

 あの“爆発(エクスプロージョン)”を遥かに上回る破壊力を誇る“虚無”の“魔法”……“生命(ライフ)”。

 ブリミルは、“エルフ”の都市に向かって、それを放ったのである。

(ちくしょう……あいつ、本当にやりやがったんだ)

 これが、“エルフ”の半数が死んだという、6,000年前の“大災厄”の正体であった……。

 その絶望的な光景に、才人の目から涙が溢れた。才人は、かつてないほどの無力感に打ち拉がれた。怒りと、悲しみと、どう仕様もない虚しさで、胸が一杯になったのである。

(これは過去のことだって……理解ってる。でも……止められなかった……俺、あそこにいのに、止められなかった……)

「“使い魔”の少年、まだここにいたのか」

 才人の背後で、掠れた声が聞こえた。

 才人がハッとして振り向くと、幽霊のように青褪めた顔をしたブリミルがそこにいた。

「ブリミルさん……」

 才人は、押し殺した声で唸った。

「なんで……なんでだよ!? こんなやり方しか、なかったのかよ!?」

「…………」

 短い沈黙の後、ブリミルは口を開いた。

「そうだ。我が氏族が生き残るためには、こうする他なかった」

「そんなことあるかよ! もっと、話し合うことだってできたはずだろ!?」

 才人は拳を握り締め、殴り掛からんばかりの勢いで、ブリミルに詰め寄った。

 ブリミルは静かに首を横に振った。

「無駄だった。話し合いなんて、無意味だったんだ」

「どうして……」

 才人が尋ねると、ブリミルは疲れた表情で語り出した。

「君には以前、話したと想うが……我が氏族と“エルフ”が争うようになった元凶は、“風石”の暴走による大陸の大隆起で、住む場所が失くなることだ」

「ええ……」

 才人は厳しい眼差しを向けたまま、首肯いた。

「では、そもそも、その“風石”の暴走を引き起こしている原因はなんだ? と、僕は考えた。それを突き止めれば、大陸は救われ、“エルフ”と争う必要はなくなると」

「暴走の原因……?」

 才人は、以前ジュリオが話していたことを想い出した。“ハルケギニア”の地下に、“風石”の鉱脈が沢山あり、“精霊の力”を溜め込み過ぎてしまっている。そして、その“風石”が、数万年に1度、地面を持ち上げる、という話である。

 それが原因であるとすれば、人の手ではまだどう仕様もない、といえるだろう。ルイズの“爆発(エクスプロージョン)”やティファニアの“分解(ディスインテグレート)”のような“虚無”で消し飛ばすか分解するにも、“ハルケギニア”中の地下を回る訳にもいかないのである。第一、それだけ“精神力”が保つはずもないのである。

「原因は、なんだったんですか?」

 才人が尋ねると、ブリミルは才人の背後に視線を向けて、言った。

「セイヴァーの協力もあって判ったんだけけど……あの砂漠に横たわる大山脈。“エルフ”が“大いなる意思”と呼ぶ、“大源(マナ)”である“真エーテル”が集合し、滞っている場所だ」

「……え?」

 才人は思わず、声を上げて、後ろを振り返った。

 大きく削り取られた大山脈。

(あの山脈が、大陸の大隆起の原因だって……?)

 才人がぽかんと口を開けていると、ブリミルは続けた。

「あの“大いなる意思”は、それ自体が巨大な“精霊石”の塊なんだ。そして、地下の鉱脈を通じて、大陸中の“精霊石”と繋がっている。数万年に1度、あの山脈に蓄積された“精霊石”が、逃げ場を求めて大陸中に伝播し、“風石”を反応させてしまう……それが世界を破滅させる大隆起の原因だったんだ」

「そんな……」

 ブリミルが語った内容に、才人は頭を殴られたようなショックを受けた。

(それじゃあ、6,000年後の世界では海の底に沈んでる、あの“聖地”こそが、“風石”の暴走の原因だったのかよ……いや、でも、確か……ルクシャナも言ってたはずだ。“悪魔(シャイターン)の門”のある辺りの海は、“精霊の力”がとても強いって。あれは、“聖地”が、“精霊石”の塊だったからなのか? だとすると、ブリミルさんが“エルフ”の都市を滅ぼした、本当の目的は……“エルフ”の土地を奪うことじゃなくて、その“大いなる意思”を消し飛ばすことだった? でも、それなら、なにも“エルフ”を滅ぼす必要はねえじゃねえか!)

 才人は、しばらく考えた後、「“エルフ”を説得して、都市を放棄して貰うことはできなかったんですか?」と問うた。

「ちゃんと、世界の危機だってことを話し合えば、“エルフ”だって……」

「話し合いは何度も試みたよ」

 ブリミルは首を横に振った。

「でも、頑迷な“エルフ”の“評議会(カウンシル)”は、話を聞かなかった。“例え世界が滅亡したとしても、それは大いなる意思の思し召しだ”と。それに、あの大山脈の麓にある“エルフ”の都市は、世界で唯一、“風石”の暴走の影響を受けない場所だからね」

「その通りだ。俺もその話し合いに参加したが、無駄だった……聞く耳を持たない、と言ったところだな。高ランクの“カリスマスキル”を始め“スキル”や“宝具”でも使えば良かったのかもしれんが、相手の意志を捻じ曲げるのは、流石にな……」

「セイヴァー……」

 俺は“実体化”し、ブリミルの言葉を肯定する。

 才人は俺に目を向け、俺達の言葉に、う、と言葉を詰まらせた。

(確かに、それはそうなのかもしれない。ある日、突然、“自分達の住んでた場所を去れ”、と言われたら……俺だって、“ハルケギニア”が滅亡することよりも、自分の故郷を守ることを優先して考えてる。もちろん、“ハルケギニア”がどうなっても良いって訳じゃねえ。でも、そのために“地球”が滅ぼされるのは、絶対に受け入れられねえ……)

「“エルフ”との対話は平行線のまま、時間だけが過ぎ去った。我が氏族の中でも、主戦論を唱える者が多くなり、一触即発の中、それでも、僕は……僕とサーシャとセイヴァーは、最後まで道を探ろうとしていたよ、でも……」

 と、ブリミルは、吐き出すように言った。

「僕が“評議会”との交渉に赴いた、その日。全てが水泡に帰した」

「なにがあったんですか?」

「我が氏族の住む、“ニダベリール”の村が、“エルフ”に攻め滅ぼされたんだ」

 才人は、息を呑んだ。

 “ニダベリール”。

 ブリミルの故郷にして、最初の拠点……子供達が沢山いる、小さな村である。

 才人は、“ロマリア”からの“レイシフト”で1度訪れたことがあった。

「なにが発端だったのか、どっちが先に手を出したのか、今となっては判らない。なんにせよ、強大な“精霊の力”を行使する“エルフ”に対し、我が氏族は余りに非力だった。村は焼かれ、逃げ遅れた子供達も大勢殺された。あれは戦いなんてモノじゃない、一方的な虐殺だった。セイヴァーに言われて、僕が戻って来た時には、なにもかもも手遅れだった」

 ブリミルは虚ろな声で言った。

「その時、僕は決めたんだ。神より授かった、この“虚無”の力を、我が氏族を守るために使うことを……まあ、セイヴァーはそれでも止めようとしてくれたけどね」

「……当たり前だ。まあ、言葉だけだがな……どっちが始めたとしても、おまえまで手を出すようになってしまえば、それこそ収集が着かなくなる。いや、終わりはあるが、6,000年以上も続く戦争への1歩になってしまう。だからといって、無理矢理止めでもすれば、その時点で“剪定”され、詰みだからな。俺はこの世界が、今のこの世界、そしておまえ達が好きなんだ。“愛”してる、“愛”しいんだ、故に……」

「…………」

 才人はなにか言おうとして……だが、何も言うことができなかった。

 そして、(どんな理由があるにせよ、一瞬で都市を消し飛ばしちまうような“魔法”は、そんなモノは使っちゃ駄目だ……でも、考えてみりゃあ、俺だって、こっちの世界で、そんな力を振るって来たんじゃないのか?)とブリミルが贈り込んで来た、“地球”の“武器”である“ロケット・ランチャー(破壊の杖)”や“ゼロ戦”を始め“タイガー戦車”も、この “ハルケギニア”で使うには強力過ぎる“武器”である、ということを、才人は想い出した。

(俺だって、大切な人を……例えば、ルイズを殺されたりしたら、なにもかも捨てて、それこそ、戦争も辞さずに復讐するかもしれねえ。そしたら、あの“聖地”に眠ってた“核兵器”だって、使っちまうかもしれない……でも……でも、ちくしょう……)

 才人は、砂漠にポッカリと空いた空虚な穴を見詰めた。

(大勢の“エルフ”が犠牲にな成ったんだぞ……これから数千年間、“ハルケギニア”のヒトと“エルフ”は憎しみ合うようになるんだ)

 才人はただ無性に悲しくなり、拳を震わせ、涙を流した。

「才人。その気持ちは、想いは、真っ当なモノだ。抱いて当然のモノだ。大事にしておけ」

 俺が才人にそう言った直後に、地の底から呻くような声がした。

「……“悪魔(シャイターン)”」

 ゾクッとして、才人は声のした方へと振り向く。

 そこに、鬼気迫るような表情でブリミルを睨む、“エルフ”の女がいた。

 ティファニアに似た薄い金髪、長い睫毛に縁取られた透き通るような翠色の瞳。

 ブリミルの“ガンダールヴ”、サーシャである。

「サーシャさん……」

 才人は息を呑んだ。

 だが、サーシャは、俺と才人のことなど全く眼中にない様子を見せている。憎悪の込もった視線で、ブリミルを睨み、叫んだ。

「何故……何故、私の故郷を滅ぼしたの!?」

 サーシャは手にした剣を引き摺りながら、一歩、一歩と近付いて来る。

 才人は、あっ、と声を上げた。

 サーシャが手にしている剣に、才人は見覚えがあったのである。

 “元素の兄弟”の“魔法”によって壊される前の姿のデルフリンガーである。

 デルフリンガーの、「あいつの胸を貫いたのは、他でもねえ。この俺だからな」といった言葉が、才人の頭を過った。

(サーシャさん、駄目だ、それは……!)

 これから、なにが起こるのかを知っている才人は、サーシャを止めようとした。

 だが、才人の身体を俺は止める。

(お、おい!? どうしてだよ!? こんな時に……!)

 才人は愕然とした様子で、俺を見た。

「おまえからすると、これは既に起きたことだ。今ここで邪魔をすれば、未来は変わってしまう。おまえとルイズが出逢わない未来に、なるかもしれない……いいや、未来は変わらないんだ。ただ、違う方法や経緯で死ぬか殺されるかするだけで……大きな変化があったとしても、平行世界が増えるだけだ」

「呪われるが良い! ブリミル、貴男は悪魔そのものよ。私の心を奪い……そして、裏切ったのだから!」

 サーシャはデルフリンガーを、ユックリと構えた。

 彼女の胸には、才人と同じ“リーヴスラシル”の“ルーン”が光っている。

(ブリミルさんは、“リーヴスラシル”の力を使ったんだ……あの“生命(ライフ)”を放つために)

 彼女は、もう直ぐ死んでしまう。

 同じ“使い魔”である才人には、それが理解ってしまった。

「サーシャ、僕は確かに罪を犯した。償い切れぬほどの罪を」

 サーシャの左手甲の“ルーン”が激しく光る。それは最期の命の煌きのようにも見える。

「ブリミルっ!」

 才人は理解しながらも、「やめてくれ!」と叫ぼうとした。だが、理解しているが故に、口を開くことができなかった。だが、事の顛末を、しっかりと両目を開き、見守った。

 サーシャは、まるでスローモーションのような緩慢な動きで、ブリミルに歩み寄る。

 そして、ブリミルは避けようとはしなかった。

 サーシャは、ほとんど満身創痍である。

 避けようと思想えば、簡単に避けることができる。

 だが、ブリミルは、迎え入れるように大きく両手を広げ、サーシャはそのまま、ブリミルの胸にデルフリンガーを突き立てた。

「ぐっ……う……」

 血に染まったデルフリンガーの刃が、ブリミルの背中から突き出した。

「……どうして!?」

 サーシャが、愕然として翠色の目を見開いた。

 ブリミルが刃を受け入れたことに、彼女自身が、1番驚いているのである。

「僕は罪を犯した。“使い魔”である君を、“愛”してしまった」

 ブリミルは、両手を背に回し、サーシャの小柄な体を抱き締めた。

「僕は“愛”のために、自分の氏族を裏切った。僕の子孫と“エルフ”は、きっと、未来の“ガンダールヴ”であるサイト君やセイヴァーの言ったように、こ此の先何千年も憎み合うようになるだろう。僕は、世界の救世主にはなれなかった。なれるはずもなかった」

 その時、眼の前の出来事を呆然と見ていた才人は気付いた。

 サーシャの左手甲の“ルーン”から、ユックリとではあるが、力が消失して行くのである。

「ブリミル……貴男、一体なにを……?」

「でも、これで良い。これで、君を救うことができた」

 眼の前の出来事が、(サーシャを救うことができた? ブリミルさんはなにを言ってるんだ? どうして、サーシャさんに刻まれた“使い魔”の“ルーン”から力が消えて行くんだ? いや、待てよ。“ガンダールヴ”の“ルーン”が消えたってことは、ひょっとして、“リーヴスラシル”の“ルーン”も……)、と才人の頭の中で目粉るしく交錯する……。

(……考えろ、なにか意味があるはずだ。“ルーン”が俺に、この時代に“レイシフト”させた意味が)

「なあ、セイヴァー……僕の氏族の子孫達と、“エルフ”達を、頼めるかい?」

「無論、そのつもりだ。頼まれるまでもない」

 サーシャの腕の中で、ブリミルは子供のように嗚咽した。

「……くしょう、ちくしょう……ちくしょう。なんで僕なんだ……“神”よ、何故、こんな力を僕に授けた!? 教えてくれよ……セイヴァー……」

「ブリミル……」

「僕はこんな力要らなかった……要らなかったんだ!」

 ブリミルの断末魔の叫びが、陽の落ちた砂漠に響き渡った。



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監獄島からの脱出

「ブリミルさん!」

 と叫んで、才人は目を覚ました。

 荒く息を吐き、才人は辺りを見回した。

 そこは石壁に囲まれた“監獄島(シャトー・ディフ)”の牢の中である。

 才人は、自分の胸元を見下ろした。パーカーは汗でグッショリと濡れている。“リーヴスラシル”の“ルーン”が反応していないことが判る。

 そのまま、才人はしばらく呆然としていると……膝の上に、ポタッと水滴が落ちた。

「……?」

 と、才人は首を傾げた。

 水滴はポタポタと、止めどなく落ちて、ズボンの染みを広げる。

「あれ……? 俺、泣いてるのか?」

 才人は、(俺、なんで泣いてるんだろう……?)とゴシゴシと目を擦った。

 それでも、涙は止まらない。拭っても拭っても、溢れって来る。

「……あれ? あれ?」

 目を閉じれば、瞼に浮かぶのは、悲嘆に暮れるブリミルの顔であり、「ただな。ボンヤリとな……とても悲しいことがあったのは覚えてる」とデルフリンガーが言っていた言葉が、ふと、才人の頭を過った。余りに悲しくて、デルフリンガーが記憶を閉ざしてしまうような、そんな悲劇が、6,000年前にあったということを……。

(ブリミルさんとサーシャさん、あの2人は、“愛”し合ってたんだ……なのに、あんな最期になっちまった……)

 ブリミルは、自分の一族を救おうとしていただけである。そして、サーシャは……一族を滅ぼされた復讐をなす必要があった……それだけの激情に突き動かされる理由があった。

 才人は、パーカーの袖で目の下を擦った。

(そうだ、こうしてる場合じゃねえ……)

 先程“レイシフト”したことの意味を、才人は一生懸命に考えた。

 “使い魔”の“ルーン”が、才人を6,000年前に“レイシフト”させた事の意味を……。

 6,000年前、“エルフ”の半数を死に至らしめた“大災厄”。その正体は、“始祖ブリミル”の放った“虚無”の“魔法”1つ、“生命(ライフ)”である。ブリミルは、“風石”の暴走の原因である、巨大な“精霊石”の塊を消滅させるために、“エルフ”の都ごと“聖地”を吹き飛ばそうと試みたのである。

 でも……と、そこで才人の頭に疑問が浮かぶ。

(でも、それって、可怪しくねえか? だって、“聖地”は6,000根な目に消し飛んだはずじゃねえか、だったら、どうして今、また“風石”の暴走なんてもんが起きてるんだ……?)

 才人は考え込む様に、首を捻った。

(判んねえ……でも、きっと、なにか意味があるはずなんだ。どうして、消滅したはずの“聖地”が、また……いや、待てよ……)

 頭を抱えた才人は、ふと想い出した。

 砂漠に出来たクレーターと、大きく抉り取られた“聖地”の山脈。

 それが、才人の頭の中で、あの奇妙な岩に囲まれた“竜の巣”の景色と重なった。

(……そうだ。“聖地”は、完全に消滅していなかったのかも……詰まり、ブリミルさんの放った“生命”は、“聖地”を完全に吹き飛ばすことができなかったんじゃないのか……? だとすると、辻褄が合う。数万年に1度であるはずの“風石”の暴走が、何故、今起きようとしているのか……今の“風石”の暴走は、ブリミルさんが、6,000年前に消し切ることのできなかった、“聖地”の片割れが引き起こしてるんじゃないのか……? そうだよ、きっとそうだ……)

 才人は確信した。

 ブリミルは、“風石”の暴走の原因を消し去ることができなかったのである。ただ、“聖地”の半分を消し飛ばすことで、“ハルケギニア”が破滅するまでの時間を引き延ばすことに成功しただけなのであった。

(待てよ、だとすると……)

 才人は腕組みをして、更に考え込む……。

 海の底に沈んだ、“聖地”。

 ルイズの覚醒めた“始祖の虚無”。

「そうか……!」

 才人は小声で叫んだ。

(海の底に眠る、あの“聖地”を、ルイズの“虚無”でもう1度吹き飛ばせば、“風石”の暴走を止め、“ハルケギニア”を救うことができるんじゃねえか? そうすれば、“地球”と戦争して、土地を奪うなんてことは、しなくても済むんじゃねえか……?)

「行ける……行けるぞ、これ」

 才人の胸に、にわかに希望が湧いて来た。

(早く、ルイズに此の事を伝えないと……)

 と、そこまで考えたところで……才人はウッと唸った。

(この監獄の中から、どうやってルイズにそれを伝えるんだ……? “聖地回復連合軍”が合流して、“地球”への侵攻作戦が始まっちまったら、なにもかも手遅れじゃねえか……)

 その時、牢屋の隅で、パタンと本を閉じる音がした。

 見ると、タバサが怪訝そうな表情で、才人を見詰めていた。

「タバサ、起きてたのか」

 才人は慌てて言った。

 考え事に夢中で、才人は、タバサが起きていることに気付か無かったのである。

「貴男、魘されてた。夢を見ていたの?」

「うん、ちょっとな。もしかして、さっき泣いてるとこ、見られてた?」

 才人が尋ねると、タバサは少し迷うように口を噤んでから、コクッと首肯いた。

「そっか、恥ずかしいとこ見られちまったな」

「そんなことはない。誰でも、泣くことは、ある」

 タバサは首を横に振った。

 才人は立ち上がると、タバサの横に腰を下ろした。

「なあ、タバサ、セイヴァー。なんとか、ここ出る方法はないかな?」

「無理。今のところは」

「う……まあ、そうだよな」

 “霊体化”している俺とイーヴァルディへ目を向けながら、才人は溜息を吐いた。

 だが、ふと、才人はタバサの言葉が引っ掛かった。

「……今のところは、って言った?」

 タバサは首肯き、眼鏡をわずかに押し上げた。

「時が来れば、脱走の機会は来る。だから、それを待つ」

「あんまり時間はないんだけどなあ……」

 才人はボヤいた。

 才人は、自分の胸元を見下ろし、(“聖地回復連合軍”が“地球”侵攻を始める前に、ルイズにさっきの“レイシフト”で気付いたことを伝えなくちゃいけない。それに……たぶん、残された時間はそんなに多くねえ……)、と考えた。

「安心しろ、才人。間に合いはする。確実にな」

「…………」

 俺がそう言った後、タバサは無言でマントの懐からなにかを取り出した。

「なんだそりゃ?」

「今朝の食事に入ってたモノ。“北部花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノール・バルテル)”の暗号文」

「暗ご……」

 思わず声を上げそうになり、才人は慌てて口を押さえた。

「“北花壇騎士団”ってことは、イザベラか?」

 才人が声を潜めて尋ねると、タバサは無言で首肯いた。

「私が捕まったことを知って、独自に動いてくれている。暗号は、“聖エイジスの書”と対応させることで、解読できる」

 タバサは、手にした“ブリミル教”の聖典に目を落とした。

「なるほどなあ……」

 才人は、(道理で余裕があると想ったら、そういうことか。従姉のイザベラが直ぐに動くことを、あらかじめ判ってたからなんだな)と感心した。

「脱出のタイミングは?」

「次の食事が差し入れられる、その時」

 タバサが答えた、その瞬間である。

 ドオオオオオオオオンッ!

 耳を劈くような轟音が、“監獄島”を揺るがした。

「な、なんだ?」

「来たか……」

 

 

 

 

 

 凄まじい衝撃が、“フネ”の甲板を揺らした。

 コルベールの“オストラント号”が、“監獄島”の建物目掛けて特攻したのである。

「――うわあああああああ!?」

 ギーシュが情けない悲鳴を上げた。

「――ぎああああああああ!」

 “水精霊騎士隊”の少年達は、必死になって舷側に掴まり、“フネ”の外に放り出されないように踏ん張った。

 マリコルヌは舷側に打つかって跳ね返り、ゴロゴロと甲板を転がった。

 頑丈な石壁が崩れ、大量の土煙が立ち昇る。

 衝撃が収まると、辺りに一瞬の静寂が訪れた。

「全く、情けないわね。あんた達、女王陛下の近衛でしょうが!」

 操舵輪を握るエレオノールが怒鳴った。

 だが、そんな彼女の手も、僅かに震えている。

 “監獄島”の建物は背が低いため、“エルフ”の塔に特攻した時と違い、地面すれずれを飛んで突っ込むという、とんでもなく高度な操縦をする必要があったのである。

 もっとも、流石に、すれすれという訳には行かず、船底で地面を削りながら突っ込むことになってしまったのだが。

「仕方ないですよ、エレオノールさん」

 怒鳴るエレオノールに、シオンは苦笑を浮かべて言った。

「……一応、“フネ”は無事みたいね」

 キュルケが土煙に咳き込みながら言った。

「うむ、こんなこともあろうかと、船首を補強しておいて良かったよ」

 “フネ”の前甲板に立つコルベールは、自慢げに首肯いた。

 出発前、コルベールは“オストラント号”の尖端部分に“錬金”で加工した、あの“タイガー戦車”の装甲を貼り付けていたのである。“タイガー戦車”の鋼鉄の装甲は、“ハルケギニア”で造み出される金属よりも頑強であるためである。

 直径2“リーグ”ほどの“監獄島”に、低いサイレンの音が鳴り響く。

 コルベールは、崩れた石壁に向かって“杖”を向けると、“ファイアー・ボール”を撃ち込み、全員が侵入するための大穴を空けた。

「さて、諸君。準備は良いかね?」

 コルベールは後ろを振り向くと、真剣な表情で最後の確認をした。

 “水精霊騎士隊”の少年達は立ち上がり、無言で“杖”を抜き放った。怯え混じりの顔、痩せ我慢の顔なども幾つかありはするが、ここに来て、泣き言を言う者は誰1人としていなかった。彼等には“貴族”としてのプライド、そして、大切な友人への想いがあるのだから。

「ここからは時間との勝負だ。“エルフ”共が混乱しているうちに、サイト君とミス・タバサ、セイヴァー君を捜し出さなくてはならん。作戦通り、私とミス・サウスゴータとハサン殿が、“エルフ”共を撹乱して時間を稼ぐ。君達は可能な限り早く、3人を確保してくれたまえ」

「“サーヴァント”がいるとはいえ、こっちも、そう長くは保ち堪えられないよ。助かりたきゃ、急ぐことさね」

 フーケはニヤリと笑うと、たなびく土煙の中に飛び込んだ。

「あたし達も、行くよ」

 キュルケが言った。

 才人達を確保する――保護する部隊は、作戦通り、3つの班に分けられた。

 ギーシュ、マリコルヌ、キュルケ、シオン、其れに、シルフィードを加えた4人の班。そして残りは、レイナールの指揮する班と、ギムリの指揮する班である。シオン達の班は、人数こそ少ないものの、“トライアングル・メイジ”であるシオンとキュルケ、“韻竜”であるシルフィードがいるために、戦力的には十分……十分過ぎるであろうとコルベールは判断したのである。

 各班のリーダーは、それぞれ、才人に渡すための“聖地”に流れ着いた“武器”を分け合った。デルフリンガーは、キュルケが“魔法”の袋に入れて持つことになった。

「お姉様……きっと、救け出すのね、きゅい!」

 少女の姿に変身したシルフィードが、タバサの“杖”を振り上げた。

「おおい、ちょっと、待ってくれたまえ」

 と、ギーシュが、一抱えほどもある、大きなモグラを抱き抱えて来る。

 ギーシュの“使い魔”である“ジャイアント・モール”である。

「ギーシュ、そのモグラを連れて行くのかい?」

 マリコルヌが問うた。

「ああ。僕のヴェルダンデは鼻が利くからね。なにかの役に立つかもしれんだろ?」

「足手纏いになるんじゃない?」

 キュルケが眉を顰めた。

「なんの、これでも、足は結構速いんだぜ」

 ギーシュがヴェルダンデをソッと足元に下ろすと、ヴェルダンデは、モグモグモグモグ、と鼻を引く付かせた。

「3人を保護した班は、直ぐに“ヘビくん”を使って合図をするように。撹拌は、合図と共に速やかに撤退すること。また、“エルフ”に発見された場合は、交戦せずに逃げること。くれぐれも戦うな。逃げ切れない時は、投降したまえ」

 コルベールの言葉に、“水精霊騎士隊”の少年達を始め保護隊の面々は、しっかりと首肯いた。

「幸運を祈る」

 と、コルベールは最後に、そう告げた。

 

 

 

 

 

 衝撃が収まった後、才人は恐る恐る天井を見上げて言った。

「な、なんだったんだ今の……? ひょっとして、イザベラか?」

「……判らない」

 タバサは言った。

「少なくとも、“北花壇騎士団(シュヴァリエ・ド・ノール・バルテル)”は、こんなやり方はしない」

 その時である。

 金属の扉の向こうから、こちらに近付いて来る足音があった。

 才人は、“エルフ”の衛士が様子を見に来たと想い、ハッと緊張した。

 しばらくすると……外で鍵の開く音がした。

 才人が、「なんだ?」と、首を傾げていると、牢の扉が開き、通路の光が射し込んだ。

「お待たせしました、シャルロット様」

 “魔法”の灯りを手にした“エルフ”の衛士が、小声でそう言った。

「はい?」

 当然のことながら、才人はキョトンとした。

 どういうこと? と、才人が後ろのタバサへと振り返る。

「“地下水”」

 と、タバサは言った。

「ああ!」

 才人は、ようやくピンと来た様子を見せた。

 見れば、その“エルフ”の手には、見覚えのある1本の短剣が握られている。

 “地下水”とは、“北花壇騎士団”のエージェントの1人である。その正体は、握った者の精神を操ることのできる“インテリジェンス・ナイフ”なのである。

 才人も、初めはただの変装の名人であると想っていたのだが、タバサにその正体を聴いた時は、驚いたものであった。

「“エルフ”は精神支配に対抗する訓練を積んでいるので、流石に難儀しました」

「さっきの轟音は、もしかして、おまえが?」

「いえ、私にも状況は不明です」

 才人が尋ねると、地下水は首を横に振った。

「そちらの御方は既に全てを識っているようですが……どちらにせよ、今が好機であるということに変わりはありません。少し予定が早まりましたが、どうか、この際に脱出を」

 地下水は、俺へと目を向けて言った後、タバサに指揮棒のような小さな“杖”を渡した。

「使い慣れぬでしょうが、今はこれで」

「十分」

 タバサは首肯くと、“杖”をマントの懐に仕舞った。

「良し、行こう……」

 才人が立ち上がろうとした、その時……クラッと目眩がした。

 よろめく才人の身体を、タバサが直ぐに支えた。

「どうしたの?」

「ああ、大丈夫……ちょっと目眩がしただけ……」

 1人で立とうとしたその途端、全身の力が急速に抜けて、才人はその場に倒れ込んでしまった。

「あ、あれ? 足が上手く……動かね、え……」

「なにをしているのですか?」

 地下水が怪訝そうに尋ねる。

「あの、地下水さん……俺にも、なにか、“武器”ないかな?」

「“武器”、ですか」

「ああ、“武器”を握れば、動けるようになると、想うんだけど……そうだよな? セイヴァー」

「ああ。今のところはそれで動くことができるだろうよ。一時的なモノだがな」

「……十分だ」

 才人は真っ直ぐ、強い目で俺へと視線を向けて来た。

「では、私をお使いください」

 地下水は腰の短剣を抜き、才人に手渡した。

 “エルフ”の衛士は、そのまま、気を失い倒れ込む。

 才人が短剣を握ると、左手甲の“ルーン”が光り出した。“ガンダールヴ”の力を使ったところで、失った体力そのものが戻る訳でもない。だが、身体は大分身軽になったことだけは確かである。

 一先ず、動くことだけであればできるだろう……。

「行こう」

 鳴り響く轟音の中、才人とタバサと俺、イーヴァルディは、牢を抜け出した。

 

 

 

 

 

「はあ、はあ、はあ……ま、待ちたまえ、君達」

 サイレンの音が鳴り響く監獄の通路を、ギーシュ達は必死に駆け抜けた。

 コルベールの狙い通り、“エルフ”達は大混乱に陥っているようである。しかし、この混乱もそう長くは続かないことだけは明白である。

 急いで3人を保護し救出しなければ、完全に袋の鼠である。

「いやはや、まさか2度も“エルフ”の居城に乗り込むことになるとはなあ」

 マリコルヌが、額に汗を浮かべて言った。

「でも、この任務を果たせば、僕等全員、勲章ものだぜ。いや、領地だって貰えるんじゃないか? それに、アンリエッタ女王陛下の、キ、キスも……」

「生きて帰って来れたら、だろ? 僕は嫌だよ、棺桶の中で爵位を貰うなんて」

「おちび、どこなのね!? 返事をするのね、きゅい、きゅい!」

「ちょっと、そんな大声で叫んだら、見付かっちゃうでしょ!」

 先頭のキュルケが、振り返ってシルフィードに注意する。

「貴男達も、無駄話してる場合じゃないわよ。ほら」

 キュルケが“杖”の先で前方を指した。

 シルフィードの声を聞き付けた訳でもあるまいが……2人組の“エルフ”達が、“エルフ語”でなにか叫びながら、走って近付いて来る。

「良し、逃げよう!」

「賛成」

 ギーシュとマリコルヌは即座に回れ右をした。

「待って、“魔法”が来るわよ!」

 “エルフ”の衛士が“魔法”を唱える。“精霊の力”を借りた“風魔法”である。

 竜巻のように回転する空気の渦が、“エルフ”の掌から撃ち出される。

「うわああああああ!」

 動揺したマリコルヌが、咄嗟に“エア・ハンマー”の“呪文”を唱えた。

 結果的に、それが皆の命を救った。“精霊の力”による“風魔法”は物凄い轟音を立て、通路の真ん中で爆発した。

 シオン達は吹き飛ばされ、ゴロゴロと床を転がった。

「な、なんて威力だ」

 ギーシュが青褪めた顔で言った。

 まともに喰らってしまえば、木っ端微塵であろう……。

「ま、また来るぞ!」

 マリコルヌが叫んだ。

「皆先に逃げたまえ。ここは僕が足止めする」

 ギーシュは覚悟を決めたように、スッくと立ち上がった。

「貴男の“ゴーレム”なんて、“エルフ”相手じゃ、気休めにしかならないわよ!」

「まあ見ていたまえ、僕だって成長してるんだよ」

 ギーシュは、腕輪である“礼装”で自身に“強化”を掛け、“呪文”を唱え、薔薇の造花の“杖”を振った。

 宙を舞う花弁は、たちまち8体の“青銅の戦乙女(ワルキューレ)”へと姿を変える。

 それから、ギーシュはもう1度“礼装”を使い、“青銅の戦乙女”を強化する。

 “青銅の戦乙女”は、“エルフ”が放った“魔法”を受けたが、耐えてみせた。

「どうだね? いつもより堅い……ああっ!?」

 だが、続けて放たれた“エルフ”の“魔法”には耐えられず、“青銅の戦乙女”はあっと言う間にバラバラにされてしまった。

「なにやってるのよ、もう!」

 キュルケが“フレイム・ボール”の“魔法”を放った。“火”の3乗。ホーミングする炎球が3発、立て続けに“エルフ”へと襲い掛かる。

 爆発。

 監獄の中に、派手な轟音は連続して響く。

「おお、やったかね?」

「駄目よ。あたし達の“魔法”と、“先住”じゃ、力に差があり過ぎる」

 炎球が命中する直前、石の壁が出現したのを、キュルケは見逃さなかったのである。

 燃え盛る炎の向こうから、“エルフ”達の罵りの声が聞こえて来る。

「シルフィード、君はなにか使えないのかね?」

 ギーシュが焦った声で尋ねると、シルフィードは申し訳なさそうに首を横に振った。

「駄目なのね。“エルフ”に“精霊の力”を抑えられちゃてるのね。“精霊の力”がないと、シルフィードも大したことはできないのね」

「なんてこった……」

 ギーシュは頭を抱えた。

 シルフィードが“韻竜”の姿に戻ったところで、空も飛べないこのような場所では、却って動き辛くなるだけである……。

「…………」

 シオンは短く“詠唱”し、蜃気楼を生み出し時間を稼ぐ。

「兎に角、逃げよう!」

「そうね」

 キュルケが、“ファイアー・ボール”の“魔法”を放った。

 爆発の炎と音、蜃気楼で、目眩まし程度にはなるであろう

 全員で元来た通路を引き返し、十字路の曲がり角へと逃げ込んだ。

「追って来るのね、きゅい!」

 振り向き様、キュルケはまた“ファイアー・ボール”を放つ。

「ああもうっ、こんなことしてたら、直ぐに“精神力”が尽きちゃうわ」

 と、その時である。

 前方に、見覚えの有る3人の姿が見えた。

「おお、あれはサイト、サイトじゃないかね!?」

 ギーシュが叫んだ。

「きゅいきゅい、お姉様もいるのね!」

「待って! それは、違う!」

「おおい、サイト! 救けに来たぞ!」

 シオンの制止が聞こえないのか、マリコルヌが腕を振って声を上げた。

 そこで、ようやく様子が変であることに気付いたギーシュは、(そもそも、どうして3人は牢を抜け出しているんだ……? セイヴァーの力か?)と眉を顰めた。

 才人とタバサ達は、気付いた様子もなく、ギーシュ達と擦れ違った。

「は?」

 立ち止まって、振り返る。

 次の瞬間、3人は、ギーシュ達を追って来た“エルフ”の“魔法”に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 サイレンが鳴り響く通路を、才人とタバサと俺は出口に向かって走った。

 どこかでまた、爆発音が鳴り響く。

 “エルフ”達の足音と怒号が、そこかしこで聞こえて来る。“エルフ”が追っているのは、大量に散蒔かれた、才人とタバサと俺ソックリの“少魔法人形(アルヴィー)”達である。

 “スキルニル”。

 “ミョズニトニルン”であるシェフィールドが所有していた“マジック・アイテム”の一種で、血を吸った人物ソックリに化けることができる“魔法”の人形である。ジョゼフ王が崩御した際に、“北花壇騎士団”が押収した物を、地下水が持ち込んだのであった。

 囮としては十分な働きをしているといえるだろ。

 と、通路の角まで来たところで、タバサが才人を手で制した。

「止まって」

 タバサは“クリエイト・ウォーター”の“呪文”を唱え、足元の地面に小さな水溜りを作り出した。水面を鏡に見立てて、先の通路に“エルフ”の姿がないかを確認するのである。

 “サーヴァント”である俺やイーヴァルディを“霊体化”させて、斥候として放つのもありではあったのだが、身辺警護の方に重きを置くことにしたのである。

「大丈夫」

 タバサは先に進むと、後ろの才人を手招きした。

「衛士の数が少ない」

「うん……なんか、俺達所じゃないって感じだな」

 通路の突き当りに、金属製の扉があった。“アディール”にあったモノと良く似ている。“魔法”で動くエレベーターのような“昇降装置”である。

「タバサ、これ、使い方判るか?」

 タバサは首を横に振った。

「たぶん、“エルフ語”にしか反応しない」

「じゃあ、行き止まりか……セイヴァーは――」

「――装置が動か無くても、飛べば良い」

 才人が、「セイヴァーは判るか?」と言い終える前に、タバサが言った。

 タバサは、エレベーター・シャフトの中を“フライ”で飛んで行くつもりである。

 確かに、地上に出るには一番の近道であるといえるだろ。

 タバサは“呪文”を唱えると、扉に向かって“ジャベリン”を放った。

 鋭く尖った氷の槍が、扉に直撃する。

 しかし、金属製の扉はビクともしなかった。

「“先住”の“魔法”」

「壊すのは……」

「他のルートを探すしかない。それで駄目なら、イーヴァルディとセイヴァー」

「そうだな」

 タバサと才人が俺とイーヴァルディへと目を向けて言った。

 イーヴァルディは強く首肯く。

 そうそうに見切りを着けて、立ち去ろうとした、その時……。

 おもむろに、“昇降装置”の扉が開いた。

「お、タバサ、ラッキーだぞ……」

 才人が喜んだのも束の間で在る。

 開いた扉の中から、“エルフ”の衛士達が現れた。

 

 

 

 

 

「またサイトよ!」

 キュルケが言った。

「こっちにもお姉様がいるのね、きゅい!」

「ああああ、なんだね、これは!? 頭が可怪しくなりそうだ!」

 ギーシュは頭を抱えた。

 其の足元には、“少魔法人形”が転がっている。

「姿を変える“魔法人形”ね。きっと、タバサが散蒔いたんだわ」

「“エルフ”を混乱させるのは良いが、これじゃ、僕達も本物を捜し出せないなあ」

 マリコルヌがボヤくように言った。

 なにしろ、外見だけでは、全く見分けが着かないのだから。

「でも、こん成の散蒔いたってことは、3人が逃げ出してる可能性は高いわよ」

「うむむ、しかしだね、もう時間が……」

「おう、ここはどこだ?」

「なんだね今更、ここは“エルフ”の……ん、今の声は誰だね?」

 ギーシュが振り向く。

 他の3人はキョトンとした顔で首を横に振るが、シオンはデルフリンガーを指さした。

「なに? “エルフ”がどうしたって?」

「貴男、起きたのね!」

 キュルケはハッとして、手にしたデルフリンガーを抜き放った。

「おう、巨乳のねーちゃんじゃねえか。相棒はどこだ? つうか、ここはどこでい?」

「サイトのお喋り剣じゃないか! どうしたんだね、急に?」

「たった今目が覚めたんだよ。一体、何がどうなってやがる?」

「ここは“エルフ”の監獄よ」

「監獄? なんだって、そんなとこにいやがるんでえ?」

「貴男のご主人様を救けに来たのよ」

 キュルケは、才人が捕まって“監獄島”に送られたこと、自分達はそれを救けに来たのだということを、手短に話した。

 デルフリンガーは、しばらく相槌を打ちながら、黙って聞いていたが……。

「……そうか。どうも、相棒が近くにいる気がしたんだがな」

「それは、本当かね? 偽物と見分けが着くのかね?」

「おうよ。俺と相棒の絆を舐めて貰っちゃ困るぜ」

 デルフリンガーは鍔をカタカタと鳴らした。

「それは頼もしいわね」

「おや、ヴェルダンデ、なにをしてるんだね?」

 その時、ギーシュは自分の“使い魔”が床を掘ろうとしていることに気付いた。

「こんなとこに、“どばどばミミズ”はいないぜ」

 マリコルヌが言った。

 ヴェルダンデはモグモグモグモグ……と、一生懸命に穴を掘ろうしている。

 シオンを除いた皆は怪訝そうに、顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 “昇降装置”から出て来た3人組の“エルフ”達は、たちまち俺達を取り囲んだ。

 タバサがサッと“杖”を抜き、“ウィンディ・アイシクル”の“魔法”を唱える。

 不意を打たれた先頭の“エルフ”が、鋭い氷の矢の直撃を受けて吹き飛んだ。“呪文”を唱えていることを悟らせない、“北花壇騎士団”の手練の業である。

 残りの2人が、“エルフ語”で罵りの言葉を叫ぶ。次の瞬間、抜き放ったサーベルをブーメランのように投擲して来る。

「タバサ!」

 才人は素早く動いた。“ガンダールヴ”の“ルーン”が、その反応を可能にした。タバサを守るように身体を滑り込ませ、サーベルを弾く。

 だが、それで終わりではない。

 弾かれたサーベルは宙でヒラリと回転すると、才人目掛けて飛んで来る。アリィーの“意思剣”と同じような“魔法”である。

 が、才人はそれも読んでいた。初見であれば、背中からグッサリと刺されていただろうが、手のうちさえ判っていれば、それほど恐ろしいモノではない。しかも、アリィーは4~5本の剣を同時に操ったが、今回はたった1本だけである。

 返す刀で、才人はサーベルを弾くと、そのまま突進した。驚きの表情を浮かべる“エルフ”に体当たりを打ち噛まし、横転させる。

 それに合わせるように、タバサが氷の矢を放った。

 横転した“エルフ”はたちまち、四肢を氷漬けにされて動けなくなってしまう。

 最後の1人がなにかを叫んだ。

 すると、石の壁がゴゴゴゴゴゴ……と蠢き、ヒト型の石人形が出現した。

 石人形は拳を振り上げ、才人を押し潰そうとする。

「うわっ!?」

 と叫び、才人は地面を転がった。

 石人形の拳がハンマーのように振り下ろされ、床に大穴を空けた。

 タバサが即座に“ジャベリン”を放った。

 巨大な氷の槍が、石人形の頭を吹き飛ばす。

 だが、石人形は頭を失っても問題なく動き続ける。ドスン、ドスン、と才人目掛けて拳を振り下ろす。

「わっ……ちょ、待て……!」

 才人は間一髪で避け続けた。自慢の剣技も、石が相手では歯が立たない。デルフリンガーであれば、打った斬ることもできただろうが、この短剣――“地下水”では無理である。

 才人は、(……くそ、どうする?)と、額に汗が浮かぶのを感じた。

 ここで時間を掛ければ、あの“昇降装置”から、直ぐに増援が来るのは明らかである。

 いつもの才人であれば、敵が何人いようと、“ガンダールヴ”の力で切り抜けることができただろ。がしかし、今の才人は、体力を消耗し過ぎている。それに、ここには、“使い魔”の心を震わせてくれるルイズがいないのである。

 才人は肩で荒い息を吐いた。“ガンダールヴ”と“シールダー”の力だけで立ち回るにも限界がある。

 ちら、とタバサの方を見やると、珍しく焦りの表情を浮かべていた。

「セイヴァー、おまえも手伝ってくれよ!」

「いやなに、その必要はないだろう」

 俺がそう答えたその瞬間……才人の頭上にパラ、と小さな石の破片が落ちて来た。

「ん?」

 才人は上を見上げた。

 と、次の瞬間。

 ズゴッと派手な音を立てて、天井が打ち抜かれた。

「は?」

 と、才人が声を上げる間もなく、降り注いだ大量の瓦礫が、石人形ごと、“エルフ”の衛士達を埋め尽くした。

「な、何だ……?」

 才人がポカンと口を開けていると……。

 天井の穴から、丸っこいなにかが落ちて来た。

「はい?」

 才人はキョトン、とした。

 眼の前に落ちて来たのは、円な瞳をした大きなモグラである。

「モグラ?」

 首を傾げたところで……才人は、そのモグラの顔に、見覚えがあることに気が付いた。

「おまえ……ギーシュの“使い魔”のモグラじゃねえか!」

 このモグラ、“アルビオン”で命を救ってくれた上、昔、才人が落ち込んでいた時に一緒にテント暮らしをした仲間である。

 例えモグラであっても、才人は、仲間の顔を見間違えることはしなかった。

「なんでおまえがこんなとこに……」

 才人が眉を顰めていると、天井の穴から聞き慣れた声が聞こえて来た。

「おおい、そこにいるのはサイトかね?」

「ギーシュ!」

 才人は叫んだ。

「今度こそ本物かい?」

「どうも、そうみたいね」

「お姉様、シルフィが救けに来たのね、きゅい」

「マリコルヌ、キュルケ、それにシルフィードも!」

 才人とタバサは顔を見合わせ、それから俺をジト目で見て来た。

 ギーシュ達は“レピュテーション”の“魔法”を唱え、天井の穴から飛び降りて来た。

「お姉様、無事で良かったのね、きゅい!」

 シルフィードが、真っ先にタバサの首に抱き着いた。

 そのままむぎゅーっと抱き締められるが、タバサはされるがままである。

「おまえ等、どうしてここに?」

 と、才人は尋ねた。

「アンリエッタ女王陛下の御下命さ」

 ギーシュは気障ったらしく髪を掻き上げた。

「ま、ちょっと、格好を付けたくなってね……て、うわ、なにをするんだね!?」

「おまえ等ああああああああああ!」

 才人は感動して涙ぐみ、ギーシュとマリコルヌに抱き着いた。

「こら、こら、やめたまえ! 君、鼻水が付くじゃないか!」

 キュルケは苦笑して、マントの下から“魔法”の袋を取り出した。

「ほら、貴男の剣も、持って来て上げたわよ」

 キュルケは、デルフリンガーを取り出すと、才人に手渡した。

「デルフ……」

 才人がデルフリンガーを受け取った、その瞬間。

「おう、相棒、久し振りだな!」

「うわあ!?」

 驚いて、才人は思わず、デルフリンガーを取り落としてしまった。

「デ、デルフ! おまえ、起きたのかよ!?」

「おうおう、そんなびっくりすることねえだろうよ、ちっと傷付くぜ」

 デルフリンガーがいつもの調子で言った。

「なにしてたんだよ!? 話し掛けても、ずっと返事もしなかったじゃねえか!」

 才人は嬉しそうな声で文句を言った。

「悪い。ちょっと、寝てた」

「おまえなあ」

 才人は苦笑した。デルフリンガーの声を聞いただけで、なんだか元気が湧いて来たためである。

「おう、早く俺を握んな、相棒」

「ああ」

 才人はデルフリンガーの柄を握った。左手甲の“ルーン”が光り、全身に力が漲って来るのを、才人は感じた。

「なあ、相棒よお」

 デルフリンガーが、悲しげな声で言った。

「なんだよ?」

「俺、全部想い出しちまったよ。本当に、なにもかもよ」

「そっか……」

 才人は切なくなった。慰めの言葉も上手く出て来ない、といった様子である。

 なにもかもということは……6,000年前の出来事も、ハッキリと想い出したのであろう。

 サーシャが、“愛”するブリミルを刺し貫いた、あの瞬間も……。

「デルフ……俺、おまえに色々訊きたいことがあるんだ」

「ああ、判ってる、全部、話してやるさ」

 デルフリンガーは、覚悟を決めたように言った。

「セイヴァー……」

「ああ、良くやったな、シオン。頑張った。だが、ここから更に気張る時だ。ここから、更に、おまえ達にとって辛い展開になるだろからな……」

「うん……理解ってる」

「ねえ、4人共、積もる話は後にしない? 兎に角、ここを脱出しないと」

 キュルケが、申し訳なさそうに言った。

「“エルフ”の増援が来る」

 シルフィードから“杖”を受け取ったタバサが、上を見上げる。

 “エルフ”達の足音が近付いて来るのが聞こえた。

「ああ、そうだな……」

「皆に撤退の合図を送ろう」

 ギーシュが、コルベールから預かった、小さな筒――“ヘビくん”に“魔力”を点火した。

 

 

 

 

 

 ピイイイイイイイイイッ!

 頭の天辺を劈くかのような甲高い音が、監獄中に鳴り響いた。

 “歌うヘビくん”に手を加え、なん“リーグ”も離れた場所まで聞こえる音を発生させるようにした“魔法兵器”である。コルベールが“ゼロ戦”に積む為に造った兵器の失敗作ではあるが、このような所で役に立つのだから馬鹿にはできない。

「ふむ、やってくれたか」

 コルベールは額の汗を拭った。

 口調にはまだ余裕がありはするが、その表情はやはり重い。派手に立ち回り、大勢の“エルフ”を引き付けることには成功したものの、やはり、強力な“精霊の力”による“魔法”には太刀打ちすることが難しく、たちまち、逃げ場のない行き止まりに追い込まれてしまったのである。

 更には、今のコルベールは1人であり、フーケとハサンとは別行動である。

「どうやら、ここまでのようですな」

 コルベールは諦観の表情を浮かべて、呟いた。

 追って来た“エルフ”の衛士は8人。

 コルベールは唇を酷薄に歪めた。普段の温厚な教師の顔ではなく、かつて“炎蛇”と恐れられた、“魔法研究所(アカデミー)実験小隊”の小隊長であった頃の顔に戻したのである。

「諸君に恨みはないが、道連れにさせて貰う」

 コルベールは覚悟を決め、“杖”を真上に掲げた。生徒達の命を守るために、コルベールは今一度、無慈悲な“炎蛇”になるつもりであった。

 “杖”の先に、小さな火炎の球が灯る。

 それは、コルベールの切り札であった。

 “火”、“火”、“土”。“火”が2つに“土”が1つの“トライアングル・スペル”である。“錬金”により、空気中の水蒸気を気化した燃料油に変え、そこに点火するのである。一瞬で膨れ上がる巨大な火球は、辺りの酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させてしまうだろう。

 無差別に命を奪い尽くす、爆炎の“魔法”……。

 それはもちろん、“エルフ”にも通用する。

 しかし、当然ながらこの“魔法”には欠点があった。

 このような閉鎖空間で使えば、コルベール自身もただでは済まないのである。

 と、“魔法”が完成する直前。

 ボゴンッと眼の前の壁が崩れた。

「なぬ?」

 コルベールは想わず、“呪文”を唱え損なってしまった。

 “杖”の先に灯る火球が消滅する。

 監獄の壁を壊したのは、全長20“メイル”ほどもある巨大な岩の“ゴーレム”である。

「ミス・サウスゴータ?」

「なんだ、こんなとこにいたのかい? さっさとずらかるよ」

 “ゴーレム”の肩に乗ったフーケが、ニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおっ!」

 1度デルフリンガーを手にした才人は、さながら風のような機敏さで、立ち塞がる“エルフ”達の間を駆け抜けた。 ビュンビュンと飛んで来る“魔法”の矢をアッサリと躱し、デルフリンガーの刃で吸収するのである。

 いかに“エルフ”の“精霊の力”による“魔法”が強力であっても、唱えることができなければ意味はないのである。

 “エルフ”が“魔法”を唱えようとするのを見るや、才人は素早く肉薄して昏倒させてみせた。

「調子良いじゃねえか、相棒」

「ああ、やっぱ、おまえが1番だ」

「嬉しいこと言ってくれるねえ」

 デルフリンガーは笑った。

 もちろん、それだけではなかった。“ガンダールヴ”の力は、心の震えから来る。皆が来てくれた……ギーシュにマリコルヌ、キュルケ、シオン、シルフィード、コルベール、“水精霊騎士隊”の仲間達も……そのことが、才人の心を激しく震わせたのである。

 また、“シールダー”としての力も遺憾なく発揮されていた。“シールダー”は“盾の英霊”である。本来、“盾”を持たないと与えられない“クラス”ではあるが、“ガンダールヴ”に関する逸話や唄から獲得したその“クラス”の力により、主人を守る時にだけ力が発揮されていた。だが、今回の“シールダー”――“ガンダールヴ”である才人の性格や守りたいモノなどの影響から、いつしかルイズだけでなく他の仲間達を守る時にも十二分にその力を発揮することができるようになっていた。

 先頭を駆ける才人を援護するように、背後から“魔法”が飛んで来る。キュルケの火球が炸裂し、タバサの氷の矢が“エルフ”の“魔法”を正確に撃ち落とし、マリコルヌが“エア・ハンマー”で邪魔な瓦礫を吹き飛ばし、ギーシュは土の壁で背後の追手を遮る、そしてシオンがそんな皆の“魔法”の威力と才人の身体能力などを強化させる。

「シルフィは応援するのね、きゅい!」

 そのまま、疾走り抜けると、眼の前に壁が立ちはだかった。

「行き止まりだわ!」

「引き返すかね?」

「いや、そりゃ不味いよ。袋叩きにされちまう……」

 才人は、キュルケが持って来た“魔法”の袋に手を突っ込んだ。

「あった、これを使おう」

 取り出したのは、“聖地”に流れ着いた“武器”の1つである。

 “M72対戦車用ロケット・ランチャー”。

 あのフーケの“ゴーレム”を一撃で粉砕した“破壊の杖”と同じタイプである。

 才人は安全ピンを抜き、リアカバーを引き出した。インナーチューブをスライドさせ、肩に掛ける。照準を合わせる必要などはない。安全装置を解きながら、大声で叫ぶ。

「皆、後ろに立つな! あと、耳を塞いでろ!」

 才人はそう言って、トリガーを押した。

 羽根を付けたロケット上の弾頭が発射され、爆発する。

 物凄い轟音を立てて、眼の前の石壁は粉々になった。

 壊れた壁の穴の向こうに、朝日に煌めく海が見えた。

「おお、やったな!」

 ギーシュが快哉の叫びを上げた。

 20“メイル”ほど下には、監獄に突っ込んだ“オストラント号”の甲板が見えた。

 既に、他の“水精霊騎士隊”の少年達は帰還しているようである。

「ほら、飛び降りるわよ」

「え?」

 キュルケが才人の腕を掴み、真下に飛び降りた。

「うわあああああああああ!」

 才人は悲鳴を上げた。

 だが、甲板に頭から突っ込む直前、身体がフワッと持ち上がったことに、才人は気付いた。

 キュルケが“レピュテーション”の“魔法”を掛けたのである。

「おお、サイト、無事だったんだな!」

 甲板に降り立った才人は、たちまち、“水精霊騎士隊”の仲間達に囲まれた。

「ギムリ、レイナール、それに、皆も……うわっ!」

 ズシンっと地響きのような音がして、巨大な“ゴーレム”が降って来た。

「なんだ?」

 才人が見上げると、“ゴーレム”の手には、コルベールが乗っていた。

「コルベール先生!」

「サイト君、無事だったかね?」

 コルベールは甲板の上にサッと降り立つと、後甲板に向けて叫んだ。

「行けるかね? ミス・エレオノール」

「駄目、“水蒸気機関”の調子が悪いわ!」

 操舵輪を握るエレオノールが叫び返す。

 衝突した時の衝撃で、“水蒸気機関”が壊れてしまったのである。

「早く逃げないと、“エルフ”に囲まれるわよ」

 キュルケが言った。

「うむ、任せ給え」

 コルベールが“火”の“魔法”を唱え、火種を放り込んだ。

 その途端、ポンッと音がして、“水蒸気機関”が唸り始める。

「動いた、動いたわ!」

 “オストラント号”は、ユックリと浮上すると、空の大海原へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜明け頃……ルイズは、ベッドの中で目を覚ました。

 起き上がったルイズは、寝間着の袖で目元を拭った。

 夢の中で、ルイズは泣いていたのである。

 悲しい夢であった。どう仕様もなく、悲しい夢……。

 だが、何故かスッキリとした感覚もまたあった。それと同時に、ルイズの中にあった、覚悟をより一層強いモノにした。

 ルイズは余りのショックとその感覚の差に、しばらく呆然としていると……部屋のドアがノックされた。

「失礼します。ミス・ヴァリエール、起きていらっしゃいますか?」

 シエスタである。

 ルイズはフラフラと立ち上がり、ドアを開けた。

 ルイズの顔を見たシエスタは、驚きの表情を浮かべた。

「ミス・ヴァリエール、どうされたんですか?」

「なんでもないわ」

「なんでもなくないですよ。だって、泣いてるじゃありませんか」

「泣いてないわ」

「泣いてます」

「…………」

 ルイズは、ふいっと視線を逸らした。

「夢を見たのよ」

「夢? 怖い夢ですか?」

「ううん、悲しい夢よ」

 そう言うと、ルイズはシエスタが抱えているモノに目を落とした。

「その服は?」

「その、ミス・ヴァリエールがお召しになるようにと、教皇聖下が……」

 それは、“ブリミル教徒”に巫女が身に着ける、白い神官服であった。以前、“水の都アクイレイア”で、“聖女”になったルイズが身に着けた服と同じモノである。

「そう、準備が整ったのね」

 ルイズは、なにか覚悟を決めた表情で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 “ブリミル教”の神官服に着替えたルイズは、シエスタを伴い、空に浮かんだ“聖マルコー号”の甲板に足を向けた。

 晴れ渡る眼下には、千切れた雲と、“聖地”の眠る青い海が見える。

 教皇ヴィットーリオが乗る“聖マルコー号”を護衛するように、夥しい数の“ロマリア”の戦列艦が、周囲の空城を囲んでいる。

 “トリステイン”艦隊の中央には、一際目立つ“竜母艦”の姿も見える。アンリエッタが乗る旗艦“ヴュセンタール号”である。

 艦隊の総数は700隻以上にも及ぶ、“ハルケギニア史”上類を見ない大艦隊である。そのうち150が戦列艦であり、残りは兵と補給物資を運ぶガレオン船である。

 艦隊には、“聖地回復連合軍”の第一次侵攻軍80,000が乗船している。残りの軍団は、“アディール”郊外の宿営地で待機し、順次、戦線に送り込まれる手筈となっている。

 ルイズは、空を埋め尽くす大艦隊の威容に圧倒された。

「うわあ、凄いですね……」

 シエスタが口をあんぐりと開けた。

「ええ、そうね……」

 でも……とルイズは想った。

 どれだけ軍隊を用意しても、“聖地”は海の底にあるのである。

(これほどの軍隊を、一体どうやって送り込むつもりなの?)

 “フネ”の後甲板では、ルイズと同じく、“ブリミル教”の巫女服に着替えた、ティファニアとジョゼットがいた。

 ティファニアはルイズの姿を見付けると、直ぐに駆け寄って来た。

「ああ、ルイズ……」

 ティファニアは不安そうな表情で、ルイズの手を握った。

「ルイズ、本当に……本当に、貴女の考えは変わらないのね?」

「ええ」

 ルイズは首肯いた。

「“ハルケギニア”を救うには、“聖地”を手に入れるしかないわ」

「ルイズ、私……」

 声を震わせるティファニアの肩に、ルイズはソッと手を乗せた。

「テファ、お願い。私を信じて」

「ルイズ……」

 ティファニアの悲痛の表情に、(“アルビオン”の森――“ウエストウッド村”で静かに暮していたハーフ“エルフ”の少女を、こんな“運命”に巻き込んでしまったのは、私の責任だわ。こんなにも心優しい彼女に、もう悲しい想いはさせたくない……大丈夫よ、テファ。私が、なにもかも終わらせる……セイヴァーからのお墨付もあるもの。大丈夫……)とルイズの胸は痛んだ。

「あ、あのね、ルイズ、サイトが……」

 ティファニアがなにか言い掛けた、その時。

「お待ちしておりましたよ、“ハルケギニア”を救う、“聖女”様」

 微笑を讃えたジュリオがやって来て、2人に一礼した。

「間もなく、教皇聖下が祈祷を終えられます。どうぞこちらへ」

「ええ……」

 ルイズはジュリオに冷たい目を向けると、無言で歩き出した。

 そんなルイズを、ティファニアとシエスタは、不安そうに見送った。

 

 

 

 

 

 

 甲板の舳先で、教皇ヴィットーリオ・セレヴァレは、祈祷を捧げていた。

 目を閉じてひざまずき、小声で“ルーン”を唱えている。ヴィットーリオは夜通し、水さえも口にすることなく、祈祷を続けていたのである。

 祈りを捧げる教皇の周囲を、“聖堂騎士”達が取り囲んでいる。その近くには、“エルフ”の“評議会(カウンシル)”の代表者である、テュリュークとビダーシャルの姿もある。

「聖下は、なにをしているの?」

 ルイズはジュリオに尋ねた。

「直ぐに判るよ」

 ジュリオは楽しそうに笑うと、眼下の海を見詰めた。

 やがて、ヴィットーリオは静かに立ち上がった。

 舷先から海を見下ろし、両手を広げて、“ルーン”の様な言葉を呟く。

 その直後。

 ブウウウウウウウウンと、耳鳴りのような音が、辺りの空域に響き渡った。

「な、なに?」

 虫の羽音のような不快な音に、ルイズは想わず、両耳を押さえた。

「“虚無”の力……この世の全てを構成する、極小の粒同士が振動する音さ」

「“虚無”ですって?」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……と地割れの様な音が鳴り響く。

「海が、割れる……?」

 その瞬間、ルイズは目を見開いた。

 真下の海が割れ、その下から、巨大な黒い山脈が姿を現したのである。

「あれは……!」

 山脈はユックリと浮かび上がり、大量の海水が滝のように流れ落ちる。

「一体、なにが起こっているの……?」

 ルイズは呆然として呟いた。

「これが、“聖地”の本来の姿だよ」



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ゼロの使い魔

 朝陽が昇り始めた海の上を、“オストラント号”は飛翔した。

 “フネ”の“水蒸気機関”は黒煙を吐き、速度はほとんど出ていない。コルベールとキュルケが交代で火種を入れることで、なんとか飛行することができている状態である。

 俺が、“宝具”でどうにか問題を解決させる――“水蒸気機関”を修理することも可能であり、それを口にしたが、コルベールがそれを断ったために、俺は彼等2人を見守るだけにしていた。

 半壊した“フネ”の甲板の上で、才人はギーシュ達の話を聴いた。“水精霊騎士隊”の仲間達、それにコルベールと キュルケとシオンは、アンリエッタの命を受けて、才人達の救出に来てくれたということを。フーケまでいたことに、才人は驚きを隠せずにいたが、彼女はティファニアにお願いされたと聞き、納得した様子を見せた。「別にあんたのためじゃないよ」と何度も念を押されはしていたが、才人はフーケにもしっかりと感謝の意を示した。

 その後……才人は、「少し1人で休ませてくれ」と言って、皆の輪を離れた。

 機関室の扉の影で、才人はグッタリと横になった。デルフリンガーを手放して、床に置いた途端、急激な脱力感が襲って来たのである。

(デルフを握ってなきゃ、もう動くこともできねえのか……)

 燃えるような胸の痛みは、もう感じない様子である。だが、痛みを感じていた頃の方が、恐らくマシであるといえるだろう。自分の存在そのものが、徐々に失われて行くかのような感覚があったためである。表現として適切ではないだろが、その感覚こそが生きている証でもあるのだから。

「ちくしょう……さっきまで、あんなに動けてたのになあ」

「なあ、相棒」

 床に転がったデルフリンガーが喋った。

「うん?」

「その、さっきは黙ってたんだがよ」

「なんだよ、水臭え」

「実はな、さっき、おまえさんがあんなに動けたのは、“ガンダールヴ”の力って訳じゃねぇのよ」

「どういうことだ?」

「おまえさんも知っての通り、“ガンダールヴ”の能力ってのは、身軽になって、“武器”の扱いに関する達人になるってことだけだ。相棒の、失われちまった生命力を回復させる、なんてことはできねえーのよ」

「うん、そうだな」

 才人は、牢の中で“地下水”を握った時に、体が軽くなる感じは覚えたものの、体力そのものの回復がなかったことを想い出した。

「さっきはよ、俺が相棒に、ずっと生命力を送り込んでたんだ」

「なんだって?」

 才人は訊き返した。

「それって、“アルビオン”で俺を救けた時の……」

「ああ、サーシャの奴が、俺に授けた能力さ」

 この伝説の剣には、“吸い込んだ魔法の分だけガンダールヴを動かすことができる”能力が組み込まれているのである。“アルビオン”で110,000の軍勢を相手に戦いに挑み、瀕死の重症を負った才人は、デルフリンガーのその能力に命を救われたのであった。

「だからよ、相棒は、今、その……」

 デルフリンガーは言葉を濁すように言った。このお喋りな剣が、このように口籠ることは珍しい。

「俺、デルフリンガーの力がねえよ、もう歩くこともままならねえってことか」

「まあ、そう言うこったな」

 デルフリンガーが、気不味そうに言った。

「……そっか」

 才人はグッタリと横になったまま、長い息を吐いた。

「悔しいな。こんなんじゃ、俺、ルイズを守れねえ……」

「けどよ、なんか不思議な部分があるんだ」

「なんだよ?」

「今の相棒には生命力がないに等しい。けど、これ以上減ることがないって言うか、上手く行けば回復に向かうって言うか……」

「歯切れが悪いな……」

「多分だけどよ、セイヴァーの奴がなにかしたんだろうけど……」

 そこへ、“水蒸気機関”の修理をしていたコルベールが戻って来た。

「サイト君、大丈夫かね? 顔色が随分悪いようだが」

「はい、なんとか……」

 才人は曖昧に首肯いた。

 コルベール達は、才人が“リーヴスラシル”の“ルーン”に命を蝕まれていることもまだ知らない。

 才人は、皆に余計な心配を掛けたくないのである。

「コルベール先生、この“フネ”は、今どこに向かってるんですか?」

「うむ、一先ずは“ガリア”を迂回して“トリステイン”に向かう予定だ。もっとも、“水蒸気機関”の調子があれでは辿り着けるか判らんがね」

「あの、コルベール先生、お願いがあるんです」

 才人は、身を起こして言った。

「なんだね、サイト君?」

「俺を、“聖地”に連れて行ってください」

「なんですと?」

 コルベールは眉を顰めた。

「俺、あいつに……ルイズに伝えなくちゃならないことがあるんです。どうしても、伝えなくちゃならないことが。だから、お願いします。俺を、“聖地”に……」

 才人はコルベールの腕を掴み、必死に言った。

 だが、コルベールは戸惑った表情で、首を横に振った。

「残念だが、“聖地”に戻ることはできない。あそこに戻れば、“ロマリア”軍はサイト君とセイヴァー君の身柄を拘束するだろう。それに、女王陛下は、君を安全な場所へ移すようにおっしゃった。“4の4”である君が揃わなければ、教皇聖下の野望も頓挫するだろう、と」

「違うんです、先生。姫様は勘違いしてるんです。俺が、“聖地”にいなくても、教皇の計画は止まらない……でも、俺が行けば……俺がルイズと話すことができれば、“ハルケギニア”も、“地球”も救える……この馬鹿げた“聖戦”を止めることができるんです!」

「サイト君……それは、本当なのかね?」

「その通りだ。才人の言う通り、あそこに向かう必要がある」

「セイヴァー君……」

 才人の鬼気迫るような説得に、コルベールは息を呑んだ。

 そして、後ろから声を掛けた俺に、コルベールは振り向き、目で問うて来た。

 そんなコルベールに、俺は短く答えた。

「はい……まだ、俺に時間があるうちに……」

 才人が呻くように言った、その瞬間である。

 船の前甲板の方で、“水精霊騎士隊”の少年達が騒ぎ始めた。

 

 

 

 最初にその異変に気付いたのは、“遠見”の“魔法”で“聖地”の方を警戒していたマリコルヌであった。“聖地”周辺の空域には、物凄い数の大艦隊が編成されており、(一体、なにをするつもりなんだろう……?)と見張っているうちに、それが起きたのである。

「や、ややや、ま、ままままま……」

「どうしたんだね、マリコルヌ?」

 舷側にもたれ、座り込んでいたギーシュが、怪訝そうに言った。

「や、やや、山が、浮かび上がってる!」

「おいおい、突然なにを言い出すんだね?」

 ギーシュが眉を顰めると、舷側へと身を乗り出した。

「 此の前みたいに山が浮かぶなんて、そうそう、そんなこと……な、なんだね、あれは!?」

 “オストラント号”の甲板は、蜂の巣を突いたかのような騒ぎとなった。“水精霊騎士隊”の少年達は、“聖地”の方角を見て腰を抜かしてしまった。

 なにしろ、巨大な山が海の底から現れ、ユックリと空に浮かび上がって行くのだから。

「一体、なにが起きているんだ?」

 コルベールが、呆然として呟いた。

 才人も、デルフリンガーを“杖”代わりにして、身を起こした。

「な、なんだよ、あれ……」

 遥か遠くに……豆粒のような艦隊と、浮上する真っ黒な山が見える。

 以前、“火竜山脈”が浮かび上がったのを見たことのある才人ではあるが、あの山――“聖地”は、それよりもずっと大きい。

 才人が呆然としていると、「ありゃあ、“聖地”だ」とデルフリンガーが言った。

「なんだって?」

「まあ、これは俺の推測なにがだよ、“聖地”ってのは、要は馬鹿デッカイ“精霊石”の塊だ。教皇の奴は、“虚無”の“魔法”で、“聖地”の中に溜め込まれた“風”の力を反応させたんじゃねえのかな」

「“虚無”って、そんな滅茶苦茶なことができるのかよ……」

 才人は唸った。

「当然だろう。才人、おまえだって良く知ってるだろ?」

 異世界――“地球”と“ハルケギニア”との間に“ゲート”を開いたり、艦隊を消し飛ばすような爆発を起こしてみせたり、“火石”を跡形も無く消滅させる事などが出来るので在る。其れは勿論、山を浮かび上がらせる事など簡単に出来てしまう。

 才人は、“聖地”が浮かび上がる様を、(数十万の“聖地回復連合軍”を、どう遣って海の底に送り込むのかと想ってたけど、まさか、こんな方法だったなんて……)と想いながら見ていた。

 才人が着るパーカーの下で、“リーヴスラシル”の“ルーン”が明滅する。ヴィットーリオが“魔法”を使っていること、そして、浮上した“聖地”に反応しているのである。

 才人は、(急がねえと……)と想い、呆然と立ち尽くすコルベールに言った。

「先生、俺、行かなくちゃ……あそこに行かなくちゃ駄目なんです。そりゃあ、捕まっちまうかもしれない。俺が行ったとこで、なにもできないかもしれない。でも、俺にしかできないことがるなら、それ、やらなくちゃ駄目だと想うんです。俺、“地球”にいた時は、なにもできなかった。なんの力もない、ただの高校生だったら。でも、こっちでは違う。なにかできる力を手に入れちまった。だから……」

「うむ……」

 コルベールは、難しい顔で唸った。教師としての立場と、才人の友人としての立場、その両方で揺れ動いているのである。

 今の才人は、俺にとってとても眩しい存在に見えた。少しばかりズレた感想ではあるが……自身が持つ力の重大さや責任などから目を背けることなどをせず、向かい合い、前に進もうとしているのだから。

 だからこそ――。

「良く言った。俺からも頼もうか。おまえが無理だと言えばそれでも構わん。誰も責めることはしない。ただ、俺が才人を連れて行くだけだ」

 背中を押す。

 数秒間の沈黙の後……コルベールは口を開いた。

「サイト君」

「はい」

「正直、私は、君を行かせたくないと想ってる。余りに危険過ぎる」

「先生……」

「だが、どうあっても、君達を止めることはできないのだろうね。必ず無事に帰って来なさい」

 コルベールは肩を竦めると、甲板で騒ぎ立てる少年達に呼び掛けた。

「君達、ちょっと手伝ってくれ。何人か、人手が要る」

 

 

 

 才人と俺が連れて来られたのは、“オストラント号”の格納庫であった。

 タバサ、キュルケ、ギーシュ、マリコルヌ、シオンが、続いて階段を降りて来る。

「先生、これ……」

 格納庫の真ん中に鎮座するモノを見て、才人は思わず、声を上げた。

 翼と胴体に描かれた、大きな“日の丸”。

 艶消しのカウリングに白抜きで書かれた、辰、の文字。

 “ゼロ戦”である。

「これなら、直ぐに、“聖地”に辿り着けるだろう。まあ、セイヴァー君が所有するあれに比べたら、赤子のようなモノだろが」

「俺が所有している訳ではない。勝手に使っているだけだ」

「飛べるんですか?」

「もちろん、整備はしてある。“ガソリン”も満タンだ。“機銃”の弾は空のままだがね」

 才人の質問に、コルベールは首肯いた。

 才人は“ゼロ戦”の翼に触れた。

 左手甲の“ルーン”が光った。“アルビオン”での戦いで破損した機体は、“錬金”と“固定化”の“魔法”で彼方此方補修されている。

「先生、ありがとう……」

「なに、サイト君には、いつか必要になると想ったからね」

 才人は、翼から操縦席に攀じ登った。才人は、計器だらけのコックピットが妙に懐かしく想えた。

「これ、持ってけよ」

 マリコルヌが、座席の後ろに“聖地”で見付かった“武器”を積み込んだ。

「そんなに積んだら重くなるよ。これだけで良い」

 才人は、取り回しの良さそうなオートマチックの“拳銃”を懐に入れた。

「サイト、止めても無駄なんだろうから、言っておく」

 ギーシュが、コホンと咳払いをして、言った。

「死ぬなよ。絶対、死ぬな。名誉のために死ぬなんて、馬鹿らしいぜ、君。これは君が言ったことだからな」

「ああ」

 才人達皆は苦笑した。

 いつだか、“アルビオン戦役”で、“貴族”の名誉に関して、ギーシュと才人が口論になり、その時に才人が言った言葉である。

 次に進み出たのはタバサである。タバサは素早く主翼に攀じ登ると、なんと才人の頬にキスをした。

「え? ええええ?」

 才人が驚いていると、タバサは頬を真っ赤にして床に飛び降りた。

「まあ、やるじゃないの、タバサ!」

 キュルケが口笛を鳴らした。

「…………」

 タバサは無言で、才人から目を逸らしている。

「君、なにか言うことはないのかね?」

 ギーシュが才人を睨んだ。

「あ、ありがとう……」

「…………」

 やっとのことで、才人がそう口にすると、タバサの顔はますます赤くなった。

「かぁ~~~~~~~っ!」

 マリコルヌが奇声を上げた。

「なんだこれ、なんだよこれは!? ふざけんな! おう、サイト、セイヴァー、シオン、死ぬんじゃないぞ! 絶対、帰ってっ来るんだぞ! 帰って来たら、僕の“風魔法”で打っ飛ばしてやるからな。サイト!」

 暴れるマリコルヌを、ギーシュとキュルケが2人で羽交い締めにした。

「“愉快なヘビくん”の使い方は判るかね?」

「あの、悪いんですけど、兵器は外しちゃってください」

「良いのかね?」

「はい。俺、なるべく、誰も殺したくはないんでうす。その方が速度も出るし。それに、最強のボディーガードもいますから」

 “タルブ”でのあれは戦争であったから仕方がないといえば仕方のないことである。だが、これから行うことは戦争ではない。それに、才人は、コルベールの発明品を、人の命を奪うことには使いたくないのである。

「理解った」

 コルベールは首肯くと、主翼の下の兵器を手際良く外して行く。

「ミスタ・グラモン、そこの鎖を“錬金”で外してくれたまえ」

 コルベールの指示を受けて、ギーシュが“杖”を振った。

 “ゼロ戦”を固定していた4本の鎖が外れて、床に落ちる。

「滑走路もカタパルトもなしで、発艦できるんですか?」

「“風”の“魔法”でペラを回し、揚力を生み出す。“メイジ”が6人もいれば十分だろう」

 なるほど、と首肯き、才人は“エンジン”始動前の操作を行った。燃料コックを胴体のメインタンクに切り替え、混合比レバーとプロペラ・ピッチを最適な位置に合わせる。カウル・フラップを開き、潤滑冷却器の蓋を閉じる。

 コルベールが“風”の“魔法”でクランクを回した。

 タイミングを見計らい才人は右手で点火スイッチを押す。スロットルレバーを少し前に倒すと“エンジン”が始動し、ババババババッと、プロペラが回転し始めた。

 才人は計器を確認し、“ルーン”が、各部が正常に作動していることを教えてくれていることを理解する。

「機体に異常はありません」

「よろしい、嘴を開くぞ!」

 コルベールが、“解錠(アンロック)”の“魔法”を唱え、格納庫の扉のロックを外した。

 “オストラント号”の艦首が上下に開き、激しい風が吹き込んで来る。

 才人は、シエスタの曽祖父のゴーグルを装着すると、操縦席の風防を閉じた。

 ギーシュとマリコルヌが、“ゼロ戦”の車輪止めを外した。

 ブレーキをリリースしたことで、ゴトゴトと機体が動き出す。

「相棒、怖くねえのか?」

「怖えよ」

 才人は言った。

「でも、ここで行かなきゃ、たぶん、ルイズに2度と逢えねえ。あいつの笑顔を、2度と見られなくなっちまうかもしれねえ。そっちの方が、よっぽど怖え」

 “全員”が、“杖”を掲げて、“風”の“魔法”を唱えた。

 プロペラが激しく回転する。

 才人は、カウル・フラップを全開にして、プロペラのピッチレバーを離陸上昇に合わせた。ブレーキを弱め、スロットルレバーを開く。

 “ゼロ戦”の機体が、一気に加速する。

 尾輪が床を離れたその瞬間、才人は操縦桿を引いた。

 ブワッと機体が浮き上がる。

 “ゼロ戦”は空を滑空し、風を裂いて一気に大空へと飛翔した。

 才人は、後ろの“オストラント号”を振り向いた。

 甲板の上で、“水精霊騎士隊”の仲間達が、“杖”を真上に掲げているのが見える。

 “ハルケギニア”の“貴族“が、最も名誉ある行為に対して捧げる敬礼である。

 

 

 

 “ゼロ戦”を見送った後、俺とシオンのその後に続くために、“天駆ける王の玉座(ヴィマーナ)”を出す。

「それでは、行って来る」

「行って来るね」

 シオンは皆を安心させる笑みを浮かべ、“天駆ける王の玉座(ヴィマーナ)”へと搭乗する。

「サイト君達の事を頼んだよ、セイヴァー君。必ず、皆で無事に」

「サイトとあの娘のことをお願いね」

「サイト達を頼む」

 皆がそれぞれそう言ったのを確認し、俺とシオンは強く首肯いた。

 それから、音も無く“天駆ける王の玉座(ヴィマーナ)”を浮かび上がらせ、飛び立つ。

 一瞬で、“オストラント号”から離れ、“ゼロ戦”の横に並び飛ぶ。

 

 

 

 地平線の端に、朝日が昇り始めた。

 艦隊に乗り込んだ“聖地回復連合軍”の兵士80,000は、空に浮上した“聖地”に、続々と上陸し始めている。

 軍を指揮するのは、“ガリア”、“ロマリア”、“トリステイン”、“ゲルマニア”、そして“アルビオン”……それぞれの国から集った、領主諸侯達である。

 武器を持った兵隊、“メイジ”、“亜人”の傭兵団。大砲、攻城兵器。“風竜”や“火竜”に跨った“竜騎士”。“ペガサス”や“グリフォン”、“マンティコア”などの“幻獣”の姿もある。少数ながら、“エルフ”の騎士達の姿もある。“ネフテス”の“評議会”が供出した、形ばかりの援軍である。

 上陸を始めた兵達は、真っ直ぐに“聖地”の中心を目指した。

 ジョゼットが“エクスプロージョン”で吹き飛ばし、平らに均したそこは、あの“地球”の“武器”が流れ着く場所である。

 そこに、全長数百“メイル”もある、途方もなく巨大な楕円形の“ゲート”が出現した。

 “ゲート”の向こう側には、多数の兵器の集まる異世界の光景が、ボンヤリと浮かび上がる。だが、“ゲート”は未だ、完全には開通していない。向こう側の世界からは、ただキラキラ光る鏡のように見えているだけである。

 ルイズ達“虚無の担い手“は”ゲート“の前に集められ、”始祖“の”虚無“を唱えるための準備をしている。

 アルブレヒト3世、テュリュークとビダーシャル、アンリエッタ、シオンの代理である、それに、ルイズにくっ着いて来たシエスタは、少し離れた場所で、それを見守った。

「もう、なにもかも、手遅れなのですね……」

 アンリエッタが絶望した声で言った。

 アンリエッタは、一縷の望みに賭けて才人達の救出を命じたものの、なによりも恐れていた“聖戦”が、遂に始まろうとしているのだから……。

「ああ、サイトさん、ミス・ヴァリエール、ミス・エルディ……セイヴァーさん……」

 アンリエッタの横に立つシエスタが、祈るように目を閉じた。

 

 

 

 水平線の向こうに昇る朝日を横目に、才人の“ゼロ戦”と“天駆ける王の玉座”は風を裂いて飛翔した。

 陽光が金属の翼に反射して光る。

 “ゼロ戦”の計器に表示された巡航速度は180ノット。“ガンダールヴ”の操縦技術をもってすれば、まだ行ける速度である。

 航法など勉強したことなど全くない才人であるが、方角に迷うことなどなかった。視界は一面の海である。遙か先に見える“聖地”を目標に、真っ直ぐ飛べば良いだけなのだから。

「相棒、俺にしっかり掴まってろよ。つうか、絶対、手を離すんじゃねえ」

 左手に握り込まれたデルフリンガーが言った。

「理解ってる」

 “リーヴスラシル”の“ルーン”が激しく輝き、才人の体力が急速に奪われて行く。

 今の才人はもう、デルフリンガーの手助けがなければ、自分の力で動くこともできない状態である。

「そう言や、おまえさん、俺に訊きたいことがあるって言ってったな」

「うん」

 才人は“聖地”を見詰めたまま、言った。

「俺、6,000年前に、“レイシフト”って奴をしたんだ」

「そうか」

 デルフリンガーは、短く相槌を打った。

「悲しい出来事だったな」

「おう」

「でも、デルフには、どう仕様もなかっただろ。デルフの所為じゃねえよ」

「……そうかもな」

 デルフリンガーは、切なそうに言った。

「俺はよ、サーシャが、あの唐変木のブリミルのことを、どんだけ好きで、どんだけ“愛”してたか知ってた。なんたって、俺はあいつの、相棒、だったからな。だから、おまえさんとピンクの嬢ちゃんのことを、無意識に重ねてたのかもしれねえ。そんで、おまえさんが“リーヴスラシル”になっちまった時、またあんなことが繰り返されるのかって、俺は凄くよ、悲しくなっちまったんだ」

 デルフリンガーは、普段よりも饒舌に喋る。

 才人はふと疑問を覚えて、尋ねた。

「デルフ、それ、良いのか?」

「なにが?」

「いや、おまえ、サーシャの“魔法”で、昔のことは喋れないんじゃあ……」

「それ、外して来た」

「は?」

「いや、眠ってる間によ、俺の、意識みたいなもんの中に潜って……サーシャの“魔法”を外して来たのよ。えらく時間が経かっちまったが、まあ、なんとかなった」

「ずっと返事してくれなかったの、そういうことだったのか……」

 才人は、右手で握った操縦桿を倒した。

 遥か遠くに見えた“聖地”はもう、目と鼻の先である。

 あれが、6,000年前に“レイシフト”をして見た、“大いなる意志”の残骸であることを、才人は確信する。

 ブリミルの“生命(ライフ)”で破壊し切れなかった、“精霊石”の塊。もう1度、あれを吹き飛ばすことができれば、“風石”の大隆起を防ぐことができる……。

「デルフ、俺、考えたんだけどさ」

 才人は言った。

「なんだね、相棒?」

「ブリミルさんは、あの“聖地”を壊せなかったんじゃなくて……本当は完全な“生命”を唱えることができたのに、そうしなかったんじゃねえかな?」

 デルフリンガーが返事をするまで、しばらくの間があった。

「どうして、そう想う?」

「ブリミルさん、最期に言ってたんだよ。“自分は罪を犯した。サーシャを愛してしまった”って……それって詰まりさ、本当は“マギ族”を救うために、“聖地”を完全に吹き飛ばさなきゃいけなかったのに、最後の最後でためらっちまった。“生命”を撃つために、サーシャの命を犠牲にすることができなかった、ってことじゃねえの?」

「……かもしれねえな」

「なんだよ、歯切れが悪いな。サーシャのロックは外したんだろ?」

「いや、すまねえ。俺にも判んねえのよ。ブリミルがなにを考えてたか、なんてことはな。なんせ俺はほら、ただの剣だからよ」

 デルフリンガーは、冗談っぽく言った。

「それよりも、相棒」

「なんだよ」

「もう気付いてるんだろ?」

「なにが?」

「このままじゃ、おまえさん、死ぬぜ?」

「…………」

 才人は一瞬、黙り込んだ。それから、静かな口調で言った。

「理解ってる。だから、急ぐんじゃねえか」

 自分が死ぬということなど、才人は既に理解していた。

 “リーヴスラシル”の“運命”から解き放たれる時、それは原則、才人が死ぬ時であるといえるだろう。

 この“運命”は、基本的にはなにをしようとも変えることなどできない。

 救る方法は幾つかあるが、その1つは……“ガンダールヴ”が主人を殺すこと、である。

 6,000年前、サーシャの“ルーン”が消えたのは、そういうことである。

 サーシャに殺されること……それは、ブリミルがサーシャの命を救うために導き出した、唯一の方法であったのである。

 だが、才人がその方法を取ることは、絶対にありえない。

 才人は、(俺がルイズを殺すなんて……そんなこと、考えただけでも恐ろしい。だから――この“運命”は変わらない)と既に覚悟を決めていた。

「相棒、俺はよ、何千年も無駄に生きちまって、色んな奴を見て来た。でも、おまえさんみてえのは初めてだ」

「よせやい」

 才人は苦笑した。

「それに、無駄に生きた、なんて言うなよ。だって俺達、6,000年掛けてようやく出逢えたんだ。俺、ルイズに出逢えたのと同じくらい、おまえに出逢えて良かったと想ってるよ。ルイズに“召喚”されたのが“運命”だったんなら、あん時、俺がデルフと武器屋で出逢ったのも、きっと“運命”だろ」

「あ、相棒……お、おおおおおおう、おうおう」

「ど、どうしたんだよ? デルフ!」

 才人は慌てて言った。

「ちきしょう、6,000年も生きてると、涙脆くなって来やがった」

「剣も泣くのかよ……つうか、変な泣き方だな」

「いや、ほんとには泣かねえよ。錆びちまうよ」

「なんだそれ」

 才人は笑った。

「相棒」

「なんだよ?」

「おりゃあ、おめえさんの相棒になれて、良かったよ」

「俺もだよ、デルフ」

 

 

 

「“始祖”よ。尊き神の代弁者たる“始祖”よ。我を導く偉大な“始祖”よ。空に星を与えたまえ。人に恩寵を与えたまえ。そして我には平穏を与えたまえ……」

 空に浮かぶ巨大な“ゲート”の前で、ルイズは祈祷を唱えていた。

 ティファニア、ジョゼット、ヴィットーリオ、他の3人の“担い手”は、少し離れた場所に立ち、それぞれ“始祖の指輪”と“始祖の秘宝”を捧げ持つ。“ミョズニトニルン”であるジュリオは、ルイズと他3人の間に立ち、その能力で“始祖の秘宝”を共鳴させる。

 ジュリオの額の“ルーン”が輝くと、“始祖の香炉”、“始祖のオルゴール”、“始祖の円鏡”……そして、ルイズが手にする“始祖の祈祷書”が、目も眩む様な光を放った。

「今です、ミス・ヴァリエール。“生命(ライフ)”の“呪文”を!」

 ヴィットーリオがルイズに呼び掛ける。

 ルイズは深呼吸をすると、空に“杖”を掲げ、“呪文”を唱え始める。

「待って、ルイズ……!」

 ティファニアが、ルイズを止めようとして、駆け出した。

 その瞬間。

 ティファニアの指に嵌まっている“風のルビー”が、激しく光を放った。

「きゃあっ!?」

 それぞれの“担い手”の指に嵌められた“始祖のルビー”が共鳴する。そして、キーンと耳鳴りのような音が辺りに満ちたかと想うと、4つの“ルビー”が粉々に砕け散った。

 閃光が弾け、虚空の一点に収束し、小さな光球となった。

「嗚呼、ルイズ……」

 地面に倒れ込んだティファニアは、声を震わせた。

 最後の“虚無”が、始まってしまったのである。もう、止めることは、先ずできないといっても良いだろう……。

 ルイズは目を瞑り、“虚無”の調べを唱え始めた。

 

 

 

 “エンジン”の唸りを上げて、才人の“ゼロ戦”と“天駆ける王の玉座”は、大艦隊の犇く空域の突入した。

 展開した戦列艦の数は優に100隻を超える。

 たった2機の突破は、先ず不可能――自殺行為に想えるであろう。

 だが、“聖地”への上陸のため、艦が密集していたのは幸運であるといえるだろう。これでは“フネ”同士の距離が近過ぎて、侵入して来た敵機に対して、大砲を使用することができないのだから。

「相棒、セイヴァー、敵さんがわんさか来るぜ」

「ああ」

「露払いはこっちに任せておけ」

 才人は片手で、複雑な燃料系統を瞬時に切り替えた。“ガンダールヴ”の“ルーン”によって与えられた、ベテラン級の操縦技術が、それを可能にしている。

 現在の速度は240ノット。無数の戦列艦やガレオン船のひしめき合う空を、まるで曲芸飛行のような機動で突っ切る。翼の一部が“フネ”に少しでも接触してしまえば、木っ端微塵である。

 大型の“フネ”から、“風竜”に跨った“竜騎士”の一部隊が発艦した。

 此方の接近は、既に“使い魔”で在る鴉の哨戒網に捕捉されていたのである。

 “竜騎士”の部隊は、一斉に“エア・スピアー”の“魔法”を放った。

 圧縮された空気の塊が、雨霰となり降り注ぐ。

「くそっ!」

 才人はフットバーを踏み込み、機体を回転させ、風の槍を回避する。

 がしかし、いかに“ガンダールヴ”の操縦技術でも、完全に回避することは不可能であった。なにしろ、弾道さえ見えないのである。

 数本の槍が、“ゼロ戦”へと向かう。

「――甘いぞ」

 俺は“ロー・アイアス”を展開し、才人が操る“ゼロ戦”を守る。

「すまない、セイヴァー!」

「おまえは、ルイズの元へと向かうことだけを考えていろ」

 上下逆様の状態で、才人はフットバーを操作し、なんとか態勢を立て直す。左手は常にデルフリンガーを握った状態であるため、片手操縦である。

「相棒、大丈夫か?」

「あ、ああ……」

 舌を噛み切りそうになりながら、才人はなんとか返事を返す。

 だが、その様子から、意識が朦朧としていることが判る。

 “リーヴスラシル”の“ルーン”が激しく明滅し、才人の体力を容赦なく奪って行く。デルフリンガーを手放してしまえば、才人は一瞬で意識を失うであろう。

「デルフ、あのさ……」

「おう、どうした?」

「このままじゃ、意識が保たねえ……もっと、力を注ぎ込んでくれ」

「相棒の身体が保つか判んねえぞ」

「やってくれ……このままじゃ、どのみち、ルイズのとこに行く前に墜とされてお終いだ」

「理解った」

 デルフリンガーの刀身が青く光る。

 才人の心臓がドクンと跳ね、たちまち、身体に力が流れ込んで来る。

「デルフ、おまえの方は大丈夫か?」

「ああ、まだ行けるぜ。ななって、俺は、伝説、だからな」

 デルフリンガーは軽口を叩いた。

「伝説、と“英雄”、だ。なにも怖いもんはねえ」

「そうだな」

 才人は口元に笑みを浮かべると、機体を更に加速させた。

 高度をグングンと下げた“ゼロ戦”の真上から、“竜騎士”の部隊が急降下して来る。

「4騎、上から来るぞ!」

 デルフリンガーが叫んだ。

「セイヴァーの野郎! なに、遊んでんだよ!」

 左手の“ルーン”が光る。

 才人の“ゼロ戦”は、ベテランパイロットが行う機動で、“風竜”の急降下攻撃を躱してみせた。“風竜”の速度では、レシプロ機の旋回性能に追い付くことはできない。

 戦列艦の甲板に並んだ“メイジ”の集団が、数発の“呪文”を放つ。

 才人は機体を加速させ、其の全てを振り切ろうとする。

 その瞬間、“ファイアー・ボール”が至近距離で炸裂してしまった。

 爆風の衝撃で風防が割れる。“ゼロ戦”の風防は本来、防弾ガラスではあるが、それは“アルビオン”での戦闘時に割れてしまったのである。今取り付けられているモノは、コルベールが“錬金”で造り出した硝子製の風防である。

 割れたガラスの破片が才人の頬を掠め、一筋後が頬を伝った。

 コックピットに激しい風が吹き込み、才人の顔面を叩く。

 ゴーグルのレンズが割れた。

「相棒、翼に穴が空いてるぞ!」

 デルフリンガーが叫んだ。

「知らねえよ! もう、このまま飛ぶしかねえ!」

 才人は“ゼロ戦”のスロットルを全開にした。

 フルブースト。

 一気に上昇する。

 再び、艦から、“竜騎士”を始め“メイジ”の“魔法”攻撃が“ゼロ戦”へと向かう。

「させぬ」

 俺はそう言って、“ゼロ戦”への攻撃を全て撃ち落とす。

「行け、英雄(才人)。さて……おまえ達が相手をするのは、この俺だ。今のおまえ達は、“地球”の歴史、神話と“英雄”達を相手にしていると知れ」

「く、そおおおおおおおおおお!」

 才人は目を閉じて、叫んだ。

(母さん、ごめんなさい。俺、約束、守れませんでした。母さんの所に、帰れ無く成りました。でも、俺は“地球”を救います。頑張ります、俺。だから、俺は自慢の息子ですって、褒めてください。家の息子は世界を救ったんだって、皆に自慢してください。後、俺、彼女ができました。ルイズって名前の女の子です。滅茶苦茶可愛くて、小さくて、胸も小さくて、そんで俺のことが好き過ぎる、ちょっとアレな娘です。ちょっとアレだけど、大好きな恋人です。母さん、産んでくれてありがとう。父さん、育ててくれてありがとう。さようなら)

 “ゼロ戦”は雲を突き抜けてグングンと上昇し、“聖地”の真上まで飛翔した。

 才人は、割れたゴーグルを外した。

 虚空に浮かぶ巨大な“ゲート”が見える。

 そこに映し出されている光景は、“アメリカ”軍の基地である。

 才人が昔、プラモデルで作ったことのある“F16”や、最新の“F22”などの機体も見える。

 教皇ヴィットーリオは、地上で表向き最大の戦力を保有する場所に、“ゲート”を開いたのであろう。

 そして、その“ゲート”の前に、ルイズの姿がある。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”」

 “杖”を真上に掲げて、ルイズは“虚無”の“ルーン”を口遊んでいる。

 その“呪文”の調べは、“爆発(エクスプロージョン)”と良く似ている。

 “生命(ライフ)”とは即ち、“最後の使い魔(リーヴスラシル)”の命を使って放つ、超特大の“爆発”のことである……。

「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”」

 何度も唱えたその“呪文”は、既にルイズの身体の一部であるといえるだろう。

 寄せては返す波のように、繰り返される“呪文”のリズム。

 大いなる“虚無”の力が、ルイズの小さな身体に満ち溢れる。それは、1人の人間が持つには、余りにも巨大過ぎる力である。

 少しでも気を緩めてしまえば、底なしの奈落に呑み込まれてしまうほどの……。

「“ベローズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ”」

 空に浮かんだ光球は、徐々にその大きさを増して行く。

 地上を眩く照らすそれは、まるで小さな太陽である。

(もう少し、もう少しよ)

 “呪文”を唱えながら、ルイズは心の中で呟く。

 その鳶色の瞳は、眼の前の“ゲート”ではなく、どこか別の景色を見ていた。

「“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……」

 “ルーン”の調べが完成した。

 だが、これはあくまで“爆発”の“呪文”である。

 “使い魔”の命を奪う“始祖の虚無”は、最後の一小節に、“リーヴスラシル”の命を捧げる“ルーン”を付け加えることで、初めて完成する……。

「…………」

 ルイズは目を閉じて、静かに“杖”を下ろした。

「ミス・ヴァリエール、どうしたのですか?」

 ヴィットーリオが呼び掛ける。

 だが、ルイズはそのまま、なにかを待つように、空を見上げた。

「ミス・ヴァリエール、お急ぎなさい。彼の命を救いたくはないのですか?」

「ええ、救うわ。でも、もう少しお待ちになってください、教皇聖下」

 ルイズは穏やかに微笑んだ。

「待つ? 一体、なにを待つと言うのですか?」

 余裕に満ちたヴィットーリオの表情に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。

「私の……“ゼロの使い魔”よ」

 その時、バルルルルルルルッ、と唸るような“エンジン”音が聞こえて来た。



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聖女の選択

「ルイズ!」

 才人はフットバーを蹴り込み、機体を回転させた。スロットルを絞り、減速。油圧系統を操作して主脚と尾輪を下ろす。

 驚く兵士達の表情が見える。“メイジ”の集団が一斉に“杖”を向ける。“マジック・アロー”に、“ファイアー・ボール”、“エア・ハンマー”、“魔法”の一斉掃射である。

「相棒、避けろ!」

「いや、流石に無理だって!」

 “メイジ”達の“魔法”が雷雨の如く降り注ぎ、主翼を直撃した。期待は空中で大きくバランスを崩し、兵士達の間に突っ込んだ。

「――退けえええええええええ!」

 操縦桿を手前に引きながら、才人は叫ぶ。

 密集した兵士達は、蜘蛛の子を散らすように左右へ逃げる。

 機体の脚が地面に接地し、激しい火花が散った。

 才人はフットバーのペダルを踏み込み、車輪の油圧ブレーキを掛ける。

 だが、十分に速度を落とし切れなかった機体は、滑る様に地面を滑走し、斜めに傾いた主翼が地面に接触してしまい、ポッキリと折れ飛んだ。

「相棒、早く脱出しろ! 機体がバラバラになっちまう!」

「無茶言うなよ!」

 才人は、操縦席のベルトとハーネスを外した。

 “ゼロ戦”に、パラシュートは一応ありはするのだが、脱出装置などというモノは当然ないが……そもそも、そのようなモノを使っている場合ではない。

 才人はデルフリンガーを掴んだまま、滑走する機体から飛び出した。

 放り出された才人は、そのまま地面を転がる。制御を失った“ゼロ戦”の機体は、岩に乗り上げて大きく跳ね上がり、地面に激突して大破した。

「痛えええええええ!」

 才人はデルフリンガーを握ったまま、ヨロヨロと立ち上がる。

 周囲を見渡すと、“聖杖”を持った“聖堂騎士”達に取り囲まれている。

 才人の視界は既に霞んでおり、デルフリンガーの“使い手”を動かす力にも当然限界がある。デルフリンガーに蓄えられた“魔法力”が失くなれば、才人の身体は完全に動かなくなってしまうだろう……。

「相棒、でえじょうぶか?」

 デルフリンガーが言った。

「目が霞んでる……周りのもんが、良く見えねえ……」

「俺が目になるよ、相棒」

 才人は顔を上げた。霞む視界の先に、小さな太陽のような光球がある。

「デルフ」

「おう」

「俺、ルイズのとこまで、辿り着けるかな?」

「相棒ならでえじょうぶだ……とは言えねえな、正直」

「ふざけんな、正直過ぎるだろ」

 才人は苦笑した。

「なあ、デルフ。俺、死にたくねえよ。そんな簡単に、死ぬ覚悟なんてできねえんだよ。だって俺、“英雄”でもなんでもねえ、ただの高校生だ」

「うん」

「でも、でもよ……」

「でも?」

「俺、ルイズに逢いてえ」

「大丈夫だよ、相棒……必ず逢える。それに、死ぬこともねえよ、たぶんな」

 才人は、デルフリンガーを握り締めると、“聖堂騎士団”の集団の中へと駆け出した。

 

 

 

 敵の中に飛び込んでしまえば、才人は恐怖を忘れることができた。デルフリンガーが、これまで温存していた“魔法力”を、惜しみなく注ぎ込んで来れているためである。

 才人は、まるで一陣の風のように斬り込んだ。

 “聖堂騎士”達は、才人の姿を見ることなく、次々と薙ぎ倒されて行く。

「恐れるな! 賊はわずか1騎だ!」

「教皇聖下と“聖女”をお守りしろ!」

 騎士団長らしき青年が、“聖杖”を真上に掲げて怒鳴った。

 騎士達が“杖”を空に向け、“呪文”を唱え始める。“ロマリア”の“聖堂騎士”が得意とする、集団での“呪文”――“賛美歌詠唱”である。

 “魔法”の矢が一斉に放たれる。

 数百本の矢は空中で向きを変えると、才人目掛けて一気に降り注いだ。

 “フレイム・ボール”と同じ、目標を自動追尾する“魔法”である。さしもの“ガンダールヴ”のスピードでも、“魔法”の速度ほどは速くはない。

 だが、“サーヴァント”としての能力もあり、才人はデルフリンガーを振り回して、“魔法”を吸い込ませてみせた。

 吸い込んだ“魔法”の力は、才人の身体を動かす力になる。“魔法”を吸収すればするほどに、才人は恐ろしく加速した。

「おう、ありがてえな! これでまたやれる」

 デルフリンガーが言った。

「無理すんなよ」

「その言葉、ソックリ相棒に返すよ」

「まあな」

 才人は凄絶な笑みを浮かべた。

 肩に穴が空き、血が噴き出した。これが、純粋な“サーヴァント”であれば、放たれたそれ等は“神秘”の薄い攻撃でるために、痛みはあれどダメージはなかったであろう。が、才人はヒトである。流石に、数百本もの“魔法”の矢を、全て受け止め切ることはできなかったのである。

 “火竜”に跨った“メイジ”が、空から襲い掛かって来る。“火竜”の目で在れば、風のように移動する才人の事も捕捉できるであろう。

「相棒、右上だ!」

 デルフリンガーの声に反応して、才人は我武者羅に剣を振った。

 息吹(ブレス)を吐こうとして居た“火竜”は一瞬で喉を裂かれ、炎に包まれた。

(ルイズ、そこにいるんだよな……)

 才人の目はもう、ほとんど見えていなかった。

 眩く輝く、小さな太陽を目指して、前へ、前へと突き進むだけである……。

「デカイのがいる、真正面だ」

「おおおおおおおおおおおっ!」

 才人は地面を蹴って加速した。

 眼の前に立ちはだかったのは、背丈が3“メイル”もある岩の“ゴーレム”である。

 才人はデルフリンガーを両手で振り被ると、乱暴に打った斬ってみせた。

 才人の通った後は、まるで嵐に薙ぎ倒された麦穂のようである。

 その恐ろしいほどの戦い振りに、兵達の波が引き始める。

「もう少しだ、相棒」

「ああ……」

 だが、蓄積されたダメージは、徐々に才人の動きを鈍くした。

 才人の身体は、当然ながらもうボロボロである。骨は何本も折れ、致命傷と思しき傷も多数ある。

「相棒、今度は上だ。“風竜”が来る」

 才人の頭上で激しい風が巻き起こる。

 次の瞬間、才人の身体は横殴りに吹き飛ばされてしまった。

 次いで、“風竜”の鋭い鉤爪が、才人の肩を抉る。

「く……そ……!」

「相棒、早く立ち上がれ! また来るぞ!」

 才人は立ち上がると、頭上を睨む様に仰ぎ見た。

 シルフィードよりも大型の“風竜”は、旋回してまた戻って来る。

「驚いたな、サイト。“監獄島(シャトー・ディフ)”を抜け出して来るあんて。君がここいにるということは、彼も近くにいるということかな?」

「ジュリオ、てめえ!」

 聞き覚えのある声に、才人は怒鳴った。

 “風竜”は、ジュリオが操るアズーロであった。“ヴィンダールヴ”が操る“風竜”は、目にも留まらぬスピードで急降下攻撃を仕掛ける。

「デルフ、何方だ!?」

「右……いや左か? あんにゃろ、変幻自在な動きしっやがる!」

「くそっ!」

 才人はほとんど直感で飛び込み、すれ違い様に、デルフリンガーを一閃した。

 だが、刃はアズーロが持つ“風竜”の硬い鱗を1枚剥がしただけである。

「悪いけど、“聖女”、の元へは辿り着かせないぜ、兄弟」

 ジュリオが腰のサーベルを抜き放った。

 

 

 

 “聖堂騎士”が次々と薙ぎ倒されて行くように、教皇の近衛達は混乱に陥ってしまった。

 なにしろ、敵の正体がなにであるのか、全く判らないためである。

 姿を見せぬまま、徐々に近付いて来るそれは、まさに荒れ狂う旋風であるといえるだろう。

 だが、そこにいたティファニアには、その正体が直ぐに理解った。

(サイトが来たんだわ!)

 透き通った紺碧の瞳から、涙が溢れる。

「おお、あれこそ1,000の軍に匹敵する“神の左手(ガンダールヴ)”。まさに伝説の通りですね」

 ヴィットーリオが言った。

 才人がここに来ることは、ヴィットーリオにとっては計算違いの出来事であった。

 が、彼のその表情には、まだどこか余裕があるように想わせるモノがあった。

「あれは、ジュリオの手に余るかもしれません」

「ジュリオ……」

 ジョゼットが“杖”を構え、才人に向かって“虚無魔法”を唱えようとした。

 だが、同時に、ティファニアも“杖”を構え、ヴィットーリオとジョゼットに向け突き付けた。

「サイトさんには、手は出させないわ」

 ティファニアは、震える声で言った。

 それが、心優しく育ったハーフ“エルフ”の少女の、精一杯の勇気であった。

 ティファニアは、ヴィットーリオやジュリオが可怪しな動きをすれば、“分解(ディスインテグレート)”を唱えるつもりであった。

 しかし、ヴィットーリオはあくまで、余裕の表情を崩さない。

「良いでしょう。どのみち、ミス・ヴァリエールは、“愛”するサイト殿の命を救うことを選ぶのです。“始祖ブリミル”と同じ過ちを犯すことはないでしょう」

「そうね。あの娘は、ルイズは、サイトの命を救けるわ。自分の命をなげうってでもね」

「ミス・エルディ!?」

 

 

 

「満身創痍だな、サイト! そんな身体で、僕と戦うつもりか!?」

「煩え!」

 ジュリオはアズーロを巧みに操り、何度も急降下攻撃を仕掛ける。

 才人は地面を転がりながら、振り下ろされる爪を躱した。

(これが、“ヴィンダール”が操る“風竜”!)

 才人は、ジュリオと1対1で殴り合うことはありはしたが、“ヴィンダール”の力を使ったジュリオとまともにやり合ったことはなかった。ジュリオは、“魔法”を使うことはできはしないが、“メイジ”などよりも、遥かに手強い相手である。

 ジュリオの振り下ろしたサーベルの切っ先が才人の頬を掠め、血が流れた。

(ちくしょう……ルイズは、直ぐそこなのに……)

 ジュリオがまた、反転して来る。

 才人はよろめき、立ち上がった。

(次の交差の瞬間に、翼を打った斬る……!)

 だが、そんな才人の宛は外れてしまった。

 アズーロは口を大きく開くと、才人目掛けて、ブワッと炎の息吹(ブレス)を吐いて来たのである。

 “火竜山脈”に棲む“火竜”並の、凄まじい炎である。

「――おわっ!?」

 才人は地面を転がり、炎をギリギリで回避する。

 しかし、その行動は読まれていた。

 体勢を崩してしまった才人に、ジュリオのサーベルが襲い掛かる。

 才人は咄嗟に反応し、サーベルを打ち払った。

「くっ……」

「相棒、すまねえ。残念な知らせだ」

「何だよ?」

「実は、もう、相棒を動かす力がほとんど残ってねえ」

「そうか……」

 才人は、膝を突いた儘歯噛みした。

 ボロボロになったパーカーの下で、“リーヴスラシル”の“ルーン”が激しく輝いている。

(後少し、後少しなんだ……なんとか、ルイズに、俺の声を届かせる距離まで……)

 才人は、デルフリンガーをダラリと提げたまま、ユックリと前進した。

 太陽を背に、ジュリオを乗せたアズーロが滑空して来る。

「デルフ、頼みがある」

「おう、なんだ?」

「おまえの“魔法力”、全部使って、俺を動かしてくれ」

「良いのか?」

「ああ」

「良し来た」

 才人は、デルフリンガーを左手に提げたまま、ジュリオが突撃して来るのを待った

「なんだ、諦めたのか?」

 ジュリオが怪訝そうな声を上げた。

 その瞬間、デルフリンガーの“魔法力”が一気に流れ込み、才人の身体は宙高く跳ね上がった。

「おおおおおおおおっ!」

 綺麗な放物線を描き、才人はジャンプした。

「――なに?」

 ジュリオは一瞬、面喰らったものの、直ぐにアズーロを操り、旋回させる。風竜“を相手に空中から攻撃するなど、ほとんど自殺行為である。

 だが、才人は空中で、隠し持ったオートマチックの“拳銃”を取り出し、即座に発泡した。

 乾いた音と共に、ジュリオの肩から血が噴き出した。

 バランスを崩したジュリオは、真っ逆様に落下する……。

 アズーロは主人を追って飛んだ。

「これで、おあいこだな」

 才人の身体は、地面に激しく叩き付けられた。

 

 

 

 才人が落ちたその場所は、ポッカリと空いた“聖地”の中心部であった。

 がむしゃらに突き進んだ才人は、もうルイズの直ぐ側まで来ていたのである。

 白く霞む視界の向こうに、“ロマリア”の巫女服を着た、ピンク髪の少女の姿が、才人には見えた。ハッキリと顔は見えないが、ルイズであることだけは理解った。

「ルイズ……」

 才人は、喘ぐように声を振り絞った。ほんの数十“メイル”先に、ルイズがいる。“愛”しいご主人様がいる。それだけで、“使い魔”である彼の心が激しく震えた。

 才人は立ち上がった。デルフリンガーを杖代わりに、ボロボロの足を引き摺って歩く。

 教皇ヴィットーリオの近衛騎士達が、ヨロヨロと歩く才人に“杖”を向けた。

「相棒、狙われてるぜ?」

「んなこと言ったって……もう避けられねえよ」

 と、ルイズがサッと“杖”を振り、近衛達に向かって叫んだ。

「あんた達、1人でも“魔法”を唱えたら、あの“虚無”を頭の上に撃ち込むわよ!」

 ルイズの言葉に、近衛達が固まった。

 近衛達は判断を仰ぐ様に、ヴィットーリオへと視線を向ける。

 教皇が首を横に振ると、近衛達は“杖”を下ろした。頭上に“虚無”を従えた“聖女”の言葉は、ただの脅しと片付けるには、危険過ぎる賭けである。

 いや、ルイズであれば、賭けもなにも、実際に行動に移すであろう。

(……どのみち、教皇に俺は殺せねえ)

 なにしろ、才人は“生命”を唱えるために必要な、“魔力”供給機なのだから。

 才人はよろめきながら、ルイズのいる方を目指して進んだ。

(ちくしょう、身体が、想うように動かねえ……)

 “リーヴスラシル”の“ルーン”は、今も才人の体力を容赦なく削り、デルフリンガーの力も残り少ない。少しでも気を抜けば、そのまま倒れてしまうだろう。

(でも、まだ死ねない。“聖地”に“生命”を撃たせるまでは……)

 才人の視界には、もうルイズしか見えなかった。

 誰も動かず、誰も声を上げなかった。

 “聖地”の中心部に、奇妙な静寂が訪れた。

 才人は、一歩、一歩、前に進んだ。

 そして、ようやくルイズの側まで来ると、才人は力尽きるように膝から崩れ落ちた。

「ルイズ」

「サイト」

 同時に名前を呼び合った。

 ルイズの声を……愛しい恋人の声を聞いた途端、才人の胸に、なにか温かいモノが満ちる。

「サイト、待っていたわ」

 ルイズは、目元の涙を拭って言った。

「なんだよ……俺が来ること、判ってたみたいじゃねえか」

 膝立ちになったまま、才人は苦笑した。

「夢で見たの」

「夢?」

「ええ、夢にサイトが出て来たの。サイトと私の……主人と“使い魔”の絆が教えてくれたの。貴男が、きっと来てくれるって」

 そう言って、ルイズは、はにかむように微笑んだ。

「そっか……」

 そう言う、これまでにも何度かあった。

 ルイズがワルドに殺されそうになった時、シェフィールドが操る“ヨルムンガント”にルイズが握り潰されそうになった時、才人の目にはルイズの視界が映し出され共有された。ティファニアの“魔法”で記憶を失ったルイズとキスをした時、2人の記憶が伝わり合ったこともあった。

「待っててくれたんだな、ルイズ」

「ええ」

 と、ルイズは首肯いた。

 才人の胸は感動で一杯になった。

 才人は、(そうだ、早くルイズにあのことを伝えねえと……)と想い、「ルイズ……おまえに、伝えたいことがあるんだ」とヨロヨロと立ち上がり、必死に声を振り絞った。

「あのさ、俺、“レイシフト”したんだ。あの“ルーン”を通して……6,000年前に行って、ブリミルさんが教えてくれたんだ。“ハルケギニア”を滅亡させる“風石”の暴走は、この“聖地”が引き起こすモノなんだって……だから、この“聖地”を、おまえの“虚無”で吹っ飛ばせば、“ハルケギニア”を救うことが……」

「ねえ、サイト」

 唐突に、ルイズは才人の言葉を遮った。

「私とあんたが、初めて出逢った時のこと、覚えてる?」

「……ルイズ?」

 突然、そのようなとを言い出したルイズに、才人は当然戸惑いの表情を浮かべた。

「私は、良く覚えてるわ。“学院”の“アウストリの広場”で、あんたは光の“ゲート”を潜って、私の眼の前に現れたのよ。私、“平民”を“使い魔”にするなんて絶対嫌よって、コルベール先生に駄々を捏ねて、あんたのこと鞭で叩いたり、藁束のベッドに寝かせたり、食事を抜いたり……意地悪なこと、散々したわね」

 ルイズは、鳶色の瞳に薄っすらと涙を浮かべて言った。

「でも……でも、あんたは、私のこと、ずっと助けてくれた。守ってくれたわ。フーケの“ゴーレム”に潰されそうになった時、ワルドに殺されそうになった時も、私のために駆け付けてくれた。110,000の“アルビオン”軍を止めるためにセイヴァーと2人だけで頑張って、故郷に帰るチャンスもあったのに、私のために、傷付きながら、一生懸命戦ってくれたわ。それなのに、私、ずっと素直になれなかった……」

 ルイズの頬を、涙の滴が伝う。

「でお、あんたは、ずっと、そんな私の側にいてくれた。そんな私のこと、好きって言ってくれた。意地悪で、チッポケで、可愛くない私のこと、好きだって。本当に、嬉しかったわ……」

 才人は、(なんだろう? ルイズはどうして、突然、こんな話をし始めたんだ……?)と奇妙な胸騒ぎを覚えた。

「ルイズ、ごめん、今は俺の話を……」

「知ってるわ」

「え?」

「私も、あの場所にいたもの。6,000年前の“聖地”に。サイト達から、少し離れた場所にいたの」

 才人はハッとした。

(サーシャがブリミルを殺した、あの出来事を、ルイズも見てただって……? いや、でも、考えてみりゃあ……sおれおど不思議なことじゃないよな。これまでだって、俺とルイズは、視界や記憶を共有して来たんだ。なにかしらの理由で、一緒に“レイシフト”してもなにも可怪しくはない……)

「じゃあ、おまえ、“聖地”の正体を知って……」

「ええ。“聖地”を“虚無”で吹き飛ばせば、“ハルケギニア”を救うことができるわ」

 ルイズは、声を震わせながら、首肯いた。

「それじゃあ……」

「でも……しれじゃ、駄目なの」

「……? なに言って……?」

「だって、それじゃ……あんたが、救われない」

 ルイズの瞳に溢れた涙が結界し、ポタポタと落ちる。

「ルイズ……ルイズ、おまえ……」

 才人は、(ルイズは一体、なにを考えているんだ……?)と混乱した。だが同時に、この先の展開のことを予想することもできていた。が、認めたくないがために、判らなくなってしまっているのである。

「だからね、サイト……私、考えたの。1番良い方法を」

 そして、ルイズは“虚無”の“ルーン”を唱え始める。

 頭上の光球が膨れ上がり、同時に、才人の胸の“ルーン”が激しく輝き出した。

「これが、サイトを救うたった1つの方法」

 ルイズは“杖”の先を、“アメリカ”軍基地が映る“ゲート”の方へと向けた。

「……ルイ……ズ……あ、ぐ……」

 “リーヴスラシル”の“ルーン”が才人の体力を奪い、“虚無”の力を増大させる。命そのものが燃え上がるような激痛に、才人は胸を押さえてのたうち回る。

「教皇聖下と“始祖の祈祷書”が教えてくれたわ。“聖地”を征服して、“始祖”の悲願を叶えれば、この世界から“虚無”の力が消える……サイトの命を救けることができる」

 “生命”の光球が更に大きく膨れ上がる。

「や、め……ろ……」

 才人は、息も絶え絶えに声を振り絞る。

 “ハルケギニア”を救うためではない。

 ルイズは、才人の命を救うために、“地球”を滅ぼそうとしている……才人は、そう想った。

「駄目だ……ルイ……ズ……ルイズ……!」

 才人は、デルフリンガーを握り締め、必死に立ち上がった。

 6,000年前に“レイシフト”して見た、ブリミルの最期の姿が、才人の脳裏に過った。

 あの後悔と苦渋に満ちた断末魔の嘆きを、才人は想い出した。

 この時、才人の中では、“地球”を守るだとか、そのようなことは二の次に成っていた。

(させられ無えよ……ルイズにそんな悲しい想いは、させられ無え……!)

「止めろおおおおおおッ!」

 才人は、最後の力でデルフリンガーを引き抜いた。そして、今当に“生命”を放たんとするルイズを止めようと、足を踏み出した、その瞬間……。

 ルイズが“杖”を捨てて、才人の方を振り向いた。

(……え?)

 才人の頭は真っ白になった。

 振り向いたルイズは、ニコッと微笑むと……その身体をトン……と軽く投げ出した。

 それが、余りにも自然で、日常の動作となんら変わらない所作に見え、才人は反応することができなかった。

 次の瞬間、才人が握ったデルフリンガーの刃が、アッサリとルイズの胸を刺し貫いた。

「う……あ……」

 才人は、そのまま、凍り付いたように固まってしまった。

 目を見開き、呆然として立ち尽くした。

 眼の前の光景が、現実だとは、想えなかった……想いたくなかったのである。

 ルイズが身に纏う、真っ白な巫女服が、血の赤に染まって行く。

「之で、良いわ……これで良いの……」

 ルイズは血の気の失せた顔で、健気に微笑んだ。

「之で、貴男の命は救かるわ……死ぬ時は一緒ねって、その約束は果たせなかったけれど……もう1つの約束は、果たせる……貴男を、元の世界に……」

 ルイズは其の儘、才人の胸に身を寄せた。

「ルイ……ズ……」

「ほら、“ゲート”が、もう直ぐ消えてしまうわ。い、急ぎなさいよね……元の世界に戻るチャンスは、これが最後なんだから……」

「ルイズ……」

「貴男は男のだから、生まれた世界を取るべき……でも、私は女だから。“聖女”にはなれなかったけど、貴男の恋人として死ねる。幸せだわ……」

 ルイズは、満足そうなほほ笑みを浮かべ、最後の言葉を口にした。

「……好きよ、サイト。大好き」

 その瞬間、世界から、“虚無”、の力が急速に失われ始めた。



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虚無の終焉

 その頃、“オストラント号”の甲板上では、ギーシュ達“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の少年達が、心配そうに、才人達の飛び立った“聖地”の方角を見詰めていた。

「サイトの奴やセイヴァー、シオンちゃん、大丈夫かな?」

「まあ、止めても利かん奴等だからね」

 のんびりと呟くマリコルヌに、ギーシュは相槌を打つ。

「あいつは、倒されても、倒されても、僕の“ワルキューレ”に立ち向かって来たんだ。“下げたくない頭は下げられない”、ってね。とんでもない頑固者だよ」

「確かにそうだね。でも、セイヴァーやシオンちゃんもそうだよ。2人もサイトに負けず劣らず頑固者だ。他人の話は聴いて参考にしはするけど、これと決めたら話を聞くだけで自分の信じる道を行くんだから。まあ、セイヴァーの奴は、凄い力を持ってる。まあ、性格は悪いけどね」

 と、そこへ、“水蒸気機関”の修理をして来たコルベールが戻って来た。

「“聖地”の様子はどうかね?」

「変わりはありませんよ。軍隊がどんどん上陸してる……」

 “遠見”の“魔法”で“聖地”を見張っているレイナールが答えた。

「うむ、そうか……」

 コルベールが顎に手を当てた、その時である。

 同じく“遠見”の“魔法”で“聖地”の様子を見て居たマリコルヌが、突然、叫んだ。

「な、ななな、な……!?」

「マリコルヌ、どうしたんだね?」

 ギーシュが眉を顰めた。

「なんだか、“聖地”の様子が可怪しいぞ!」

「様子が可怪しいのは貴男でしょ」

 呆れたように言って、キュルケが“遠見”の“魔法”を唱えた……が、そして、まあ、とマリコルヌ同様に驚きの声を上げる。

「どうしたのかね? ミス・ツェルプストー」

「大変! “聖地”が落ちて行くわ!」

「なんだって!?」

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……と地響きのような音が、空に響き渡る。

 上陸した軍隊で溢れた“聖地”は、地獄の釜を引っ繰り返したかのような大混乱に陥った。

 浮上していた“聖地”が、ユックリと降下をし始めたのである。

 “竜騎士”や“メイジ”は短時間空を飛ぶことができるが、“平民”の兵士達は当然そうもいかない。パニックに陥った兵達は、当然先を争うように“フネ”に殺到する。

「“虚無”の力が失われる……まさか、このようなことが……」

 揺れる大地の上で、教皇ヴィットーリオ・セレヴァレは天を仰いだ。“始祖”より授かりし――隔世的に受け継いで来た“虚無”の力が、身体の内から弱まり失われて行くのが理解るのである。

「アンも言ってたでしょ? 聖下。“心を従わせることができません。人の心にこそ、神は住んでおられるのですから”、と」

 そんなヴィットーリオへと、シオンは諭すように言った。

 だが、今の彼には、シオンの言葉は届いていない。

 虚空に開いた巨大な“ゲート”が、ユックリと閉じ始める……。

 “始祖”の悲願で在る“聖地”を前に、ヴィットーリオは唯呆然と立ち尽くすのみである。

 この世界から、“虚無”の力を消す方法は、原則2つしかない。

 1つは、“聖地”の奪還。

 そして、もう1つは……“ガンダールヴ”が、その主人を殺すこと。

 ルイズは、その2つ目の方法を、行ったのである。

「彼女は、ミス・ヴァリエールは、一体どこで知ったと? いえ、今となっては、どうでも良いことですね……」

 ヴィットーリオは、自嘲するように首を横に振った。

 彼は負けたのである。最後の最後に、彼女――ルイズの“愛”に敗北したのである。

 彼女は、“愛”する少年の命と、此の“ハルケギニア”を天秤に掛け、少年を選んだのである。

 彼女は、自らの命を差し出し、少年を死の“運命”から救ったのである。

 “聖地”の至る所で地割れが起き、地面に大きな亀裂が奔る。

 混乱と喧騒の中で、ヴィットーリオは、消滅した“炎のルビー”の台座を見詰めた。

「全ての希望は潰えた。母上、私は今、貴女の御許に参りましょう」

 ヴィットーリオは“始祖”の祈祷を唱え、大地の亀裂に身を投じた。

 その後、彼の“使い魔”が、その後を“使い魔”である“風竜”と伴に追い掛ける。

 

 

 

 地面の振動も、喧騒の音も、才人には聞こえなかった。

 才人は、血に染まり冷たくなりつつあるルイズの身体を抱き締めたまま、嗚咽し続ける。

「ルイズ……なあ、ルイズ……目を開けてくれよ、なあ!?」

 ルイズは、もう息をしていない。

 クルクルと良く動く鳶色の瞳は、開かない。

 血の気の失せた彼女の顔は、微笑ま無い。

「どうして……どうしてだよ? ……ルイズ!」

 才人は、ルイズのピンクが掛かったブロンドの髪を掻き抱く。

(ルイズ……俺の恋人。大好きな、ご主人様。意地っ張りで、プライドが高くて、正義感が強くて……俺のことを、好きだ、と言ってくれた女の子……)

 ポタポタと、とめどなく流れる涙が、ルイズの頬を濡らした。

「なあ、セイヴァー! こうなるって判ってたんなら、どうして止めないんだよ!?」

 糾弾するように、才人ルイズを抱いたまま、は俺を見上げ問い詰めて来る。

「…………」

 そんな才人に、俺は言葉を掛けずただ言われるがままである。返す言葉がない……ありはするが、それでも言わない方が良いかもしれない。“情報を操り、汎ゆる事象や事柄や疑問に対する最適解を導く”効果を持つ“宝具”を持ってしても、それだけは、この時になんと口にすれば良いのかだけは判らなかった。そもそも、人とは見たいモノだけを見て、知りたいモノや知ろうとするモノしか知ることができない傾向があるといえるだろう。

 俺は、表層部分ではなにか言葉を掛けようとはしているが、深層心理の方ではそうではない、ということであろう。

 才人の左手甲の“ルーン”の光が弱まる。

「消えるなよ……なあ、消えないでくれよ……これは、ルイズと俺の絆何だ……消えないでくれ……」

 才人は、左手を押さえて叫んだ。

「ちくしょう……これじゃ、6,000年前と同じじゃねえか……」

 “ガンダールヴ”が主人を殺せば、“虚無”の力は消滅する。

 才人が“レイシフト”をして知ったことは、ルイズもまた“使い魔”や“サーヴァント”とのパスを通して同じく“レイシフト”した結果知ることができ、才人に自身を殺させるように仕向けたのである。

 それが、才人と彼の世界の両方を救う、ただ1つの方法だと信じて。

 ルイズは、自分と“ハルケギニア”の未来を犠牲にしてでも、才人を救おうとしたのである。

 才人は、冷たくなったルイズの頬に触れた。

「ルイズ、おまえさ、俺がギーシュにボコボコにされた時、三日三晩、看病してくれたよな? それから、街へ剣を買いに行ったり、キュルケやタバサと一緒にフーケの“ゴーレム”と戦ったりして……そんで、おまえ、“フリッグの舞踏会”で、初めて俺とダンスを踊ってくれたんだ。ドレスを着たおまえにドキドキしたの、今でも覚えてるよ」

 才人は震える指先で、ルイズの髪をソッと撫でた。

「それから、“アルビオン”でワルドと戦ったり、“魅惑の妖精亭”で一緒に働いたり、色々冒険もしたよな? ほら、おまえの実家に帰った時、“忠誠に報いるところが必要ね”って、そう言ってくれたじゃねえか。俺、あん時、おまえが認めてくれたんだって想って、滅茶苦茶嬉しかったんだぜ……」

 ルイズとの想い出は、尽きることなく才人の頭の中を駆け巡った。

 “アルビオン”での結婚式、“スレイプニィルの舞踏会”、皆でタバサと彼女の母親を救出した冒険、“ロマリア”でのデート、記憶を消さざるをえなかったルイズとの再逢、“ド・オルニーエル”での穏やかな生活。

(あん時は、俺と姫様がキスしたのを見て、出て行っちまったんだっけ……)

 楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと……色々なことを、才人は想い出す。

「俺、“東京”にいる時は、なにも考えずに生きて来た。毎日、学校に行って、御飯食べて、ただ、退屈に生きてたよ……」

 才人は、ルイズの体を強く抱き締めた。

「でも、ルイズ。おまえに出逢って、俺、色んなことを知ったんだ。おまえは俺を、どこか別の場所に連れてってくれるんだ。ここじゃないどこかに……」

「……イトさん! サイトさん!」

 才人が振り向くと、大地に入った亀裂の向こうで、シエスタとティファニア、それにアンリエッタが、必死に叫んでいた。

「サイト、セイヴァーさん、逃げないと! そこにいたら、死んでしまうわ!」

 ティファニアが心配そうに叫んだ。

「…………」

 才人は、ごめん、と首を横に振った。ここに残って、ルイズと一緒にいたいのである。

(理解ってる……俺が死んだら、ルイズのしたことが無駄になることも。でも、ルイズのいない世界なんて、生きてても意味がない……もう、“地球”に帰ることも、“ハルケギニア”の未来も、なにもかもどうでも良い……約束したんだ、死ぬ時は一緒だって……だから、最期はルイズと一緒にいる)

 才人は、必死に呼び掛けているシエスタとティファニアとアンリエッタに向かって言った。

「テファ、シエスタ、姫様……ごめん! 皆に、よろしく頼む!」

 3人に向かって、大声で叫ぶと、才人は、ルイズの身体を抱いて立ち上がった。

 ズズズズズズンッ……と、地面が大きく揺れ、地割れが更に広がった。

 ティファニア達は、ずっと俺達の名前を呼んでいたが、やがて、大地が完全に分断され、その姿も小さくなってしまう。

 才人には、ルイズの身体が軽く感じられた。

(こんな小さな身体で、ずっと、世界の命運なんてもんを背負って来たんだな……)

 そう想って、また才人は、涙が込み上げて来るのを感じた。

(こんなにも小さな女の子が、命を賭けて、俺と“地球”のことを救ってくれたんだ……)

 才人はルイズの身体を抱えたまま、ユックリと、亀裂の方へと足を踏み出した。

 人間としての大事なモノが欠けているのかもしれないが、俺は、そんな才人に声を掛けることもせず、ただ静かに見守った。

 この先の展開を識っているためでもあるのだが。

(ルイズ、俺の大好きな、恋人……ずっと一緒にいるよ。“ハルケギニア”に天国なんてもんがあるのか、判んねえけど……そんなもんが、もしあるなら、そこで結婚しよう)

 才人は、真っ暗な亀裂を見下ろした。

「く……」

 覚悟を決めていても、やはりいざとなると、才人の足は竦んでしまう。

「くそっ、ちくしょう……」

 才人が、恐怖感を紛らわそうと大声で叫んだ。

 その時である。

 抱き抱えられたルイズの身体が、ボウッと青白く光っていることに、才人は気付いた。

 才人は、(……なんだ?)、と眉を顰め、良く良く見詰めた。

 光を発していいるのは、デルフリンガーである。

「デルフ?」

「おう、相棒。馬鹿なことすんじゃねえぞ」

 デルフリンガーは言った。

「嬢ちゃんの意志を、無駄にすんな」

「デルフ、おまえ……」

 才人が呆然としていると……。

「想い出したんだ。俺の……最期の役目をよ」

 デルフリンガーの刀身は、増々激しく光り出した。

「最期の役目?」

「ああ、そうだ……なあ、相棒、俺はよ、ずっと不思議に想ってたんだ。“魔法力”を使って、“使い手”を動かす力……なんのために、あんな能力があるのかってな」

「なんのためって……“使い魔”を死なせないようにするんじゃないいのか?」

「ああ、俺もそう想ってた。でもよ、違った。そうじゃなかったんだ」

 デルフリンガーの放つ光は、ますます輝きを増す。

「俺はよ、ずっと、サーシャに造られたんだと想ってた」

「違うのか?」

「いや、違わねえ……違わねえんだが、正確には、俺を造ったのは、サーシャとブリミル、詰まり2人の合作だったんだ」

「ブリミルさんが?」

「そうだ。俺には、あの2人の意志が篭められてたんだ。想えば、俺の記憶をブロックしてたのは、どうもブリミルの方の意志だったらしいんだが……まあ、それは兎も角よ、ブリミルの野郎は、死の間際、俺に、“虚無”の“魔法”を込めたらしい」

「それが、デルフの“使い手”を動かす能力なのか?」

 才人は尋ねた。

「おう、そういうこった。ブリミルが俺に遺したのは、命を与える“虚無”の“魔法”。破壊を司る“生命(ライフ)”と対になる、謂わばもう1つの“生命(ライフ)”ってとこだな」

「デルフ、一体なにを言って……?」

 才人が言い掛けた、その時……。

 ビギッ……。

 デルフリンガーの表面に、小さな罅が入った。

「デルフ?」

「想えば、俺は6,000年間、この時のために生きて来たのかもしれねえ」

 表面に奔る罅が大きくなる。

 同時に、デルフリンガーの刀身から放たれる光が強さを増して行く。

「デルフ!」

 才人はハッとして、相棒の名前を叫んだ。デルフリンガーがなにをしようとしているのかに、気付いたのである。

「デルフ、おまえ、まさか……」

「そんな顔すんなよ、相棒」

 デルフリンガーは、いつもの調子で言った。

「これは、セイヴァーの野郎が識っていること、こうあるべきだと想って手を出さないでいることだぜ? それになにより、おりゃあ、相棒と出逢えて、楽しかったぜ。お別れすんのは残念だが、なに、後悔はねえさ。俺は、6,000年生きて来て、ちゃんと自分の使命を全うできた。道具冥利に尽きるってもんだ」

「……道具じゃねえ。デルフは、道具なんかじぇねえよ!」

 才人は涙声で言った。

「道具じゃねえ……おまえは、俺の親友だろがよ」

「おう、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。相棒……嬢ちゃんを幸せにするんだぜ。もう、浮気すんなよ」

「デルフ……」

 その時、才人は気付いた。

 ルイズの身体の大きな傷は癒え、冷たくなっていた身体――指先が微かに動いたことを。

「……ルイズ?」

「上手く、行ったみてえだな……」

 デルフリンガーは、呟くように言った。

「あばよ、相棒。今度こそ、本当にお別れだ」

「デルフ、待ってくれよ、デルフ……」

「おまえさんに出逢えて、幸せだったぜ」

「デルフ――ッ!」

 その瞬間、ルイズを包む光が、閃光のような輝きを放つ。

 そう想ったその瞬間に、デルフリンガーの刀身がバラバラに砕け散る……本来の歴史ではそうなるはずであった、が――。

「そりゃ無理だ。申し訳ないけど」

 俺はそう言って、デルフリンガーの刀身に触れる。

 すると、デルフリンガーの罅割れた刀身は、デルフリンガーの“魂”を保持し、造られて直ぐの状態と同じ頃にまで戻る。

 

 

 

「……ん、うん……」

 ルイズは、ユックリと目を覚ました。

 ルイズの眼の前には、黒髪の少年がいる。

 涙で顔をグシャグシャにして、少年はなにかわあわあと叫んでいる。

 ……才人である。

 才人が、ルイズの名前を呼んでいるのである。

(なに? どういうこと?)

 ルイズは当然混乱した。

(だって、私はさっき、死んだはずじゃないの? サイトの命を救うために、デルフリンガーに胸を貫かれて死んだはずよね? うん、間違いない。あの時、私は死んだ。確かに死んだわ。じゃあ、ここはどこ? どうして、サイトがいるの?)

 その時、ルイズは、ハッとした。

(もしかして、天国なの? 嗚呼、そうなんだわ、きっと。私、天国に来ちゃったのね……)

 ルイズは自己完結し納得した。

(あれ、でも、待って頂戴。ここが天国だとすると……どうして、サイトがここにいるの? 私は今天国にいて、 サイトもここにいる……ということは、詰まり、ええと……)

 ルイズは、幾秒か考えて、結論を出した。

「あ、あ、あああ、あ……」

「あ?」

「あ、あんた、なにしてんのよぉ~~~~~~~!?」

 ルイズは才人の股間を想い切り蹴り上げた。

「いってええええええええええええ!?」

 悶絶している才人を、ルイズは立ち上がりゲシゲシと容赦なく踏んだ。

「馬鹿馬鹿っ、私、あんたを救うために死んだのに、あ、あんた、わ、私の後を追って死んだのね!? 馬鹿よ、ホント、馬鹿! うわあああああああああん!」

「ま、待て! 待て待て! 落ち着け、ルイズ!」

 ルイズに踏まれながら、才人は叫んだ。

「お、落ち着けですって!? よ、よくも、よくもそんなことが……」

「おまえ、生き返ったんだよ」

「……へ?」

 ルイズは、キョトンとした。

 それから周りを見回し、先ず俺に気付き、そしてここが“聖地”であるということにも気付いた。

「……生き返った、ですって?」

「うん、信じられないかもしれねえけど……」

 才人は立ち上がると、ルイズの手を握った。

 才人の手には、しっかりと温もりがある。

「ど、どうして? だって、私、死んだじゃない……そうよね?」

 ルイズは不安そうに言った。

「デルフが、おまえのことを救ってくれたんだ」

「デルフが?」

「うん」

「そうそう。俺の、最期の役目……だと想って命を与えたんだけどねえ……」

 才人とデルフリンガーはことの成り行きを、ルイズに話した。

「デルフ……あんたは、いつも、いつも私達を救けてくれたわね」

「そうだな」

「よせやい、照れるじゃねえか」

「私も……私も、あんたのこと、大切なお友達だと想っていたわ」

「デルフ、ありがとう」

「……おう」

 真っ直ぐなルイズと才人の言葉に、デルフリンガーはどこか照れたように応えた。

「だけどよ、格好付けて“最期の役目”だって言って、死にそうになっちまったが、セイヴァーに救けられちまったなあ……」

「なに、おまえが死ぬのは今ではないというだけだ」

「でも、なんでルイズとデルフは生きてるんだ? ルイズはデルフのおかげで生き返ったっていうのは理解るけど……」

「簡単なことだ。才人、聞いたことはないか? ヒトが死んだと判断されるのは、脳死判定されてからだと」

「脳死?」

「心臓が止まってから、5分ほどは猶予がある。ルイズの場合は、デルフリンガーに貫かれたことによる、痛みと出血多量などによるショック死、その他諸々。だが、心臓や脳に直接的なダメージが行った訳ではないから、簡単に蘇生できた。そして、デルフリンガーの方だが」

 単純に|状態を――デルフリンガーの刀身の時間だけを巻き戻した《本来あるべき姿を算定して自動修復させた》、と言う前に、地面が大きく揺れた。

「な、なに?」

「“虚無”の力が消えただろ? それで“聖地”の“精霊の力”が暴走しちまってるんだ」

「そんな……」

「いや、より正確に言えば、“虚無”の力はまだ失われていない。弱まっているがな……数年後には、消え失せるだろな」

 俺の補足に納得して首肯き、才人は俺達を促した。

「行こう。死ぬ訳にはいかねえよ」

「ええ。才人、あんた身体、ボロボロじゃない……大丈夫なの?」

「ああ、“リーヴスラシル”の“ルーン”は消えたし、まだ、なんとか……あれ?」

「どうしたの?」

「いや、なんか、身体が軽いって言うか……」

「当然だ。“リーヴスラシル”の“ルーン”によるあれは消え失せたんだ。まあ、最初こそ寿命が奪われて行たが、途中から体力だけを奪うように変化させていたからな。そして、さきほど、少しばかりデルフだけじゃなく、おまえにも似たようなことをした」

 俺は少しばかり意地の悪い笑みを浮かべ、才人へと言った。

「なるほどなあ。だから、相棒の身体が変だった訳か……」

 デルフリンガーは納得した様子で言った。

 “ゼロ戦”が壊れたために使えず、他の脱出手段はないかと、才人はキョロキョロと辺りを見回した。

「……兎に角、中心から離れよう」

 才人はルイズの手を取り、俺と3人で走り出した。

 

 

 

 地面が大きく揺れる。

 なにあしろ宙に浮かんでいるために、揺れ方が地震の比ではない。あちこちに大小に亀裂が生まれ、才人とルイズは何度も転びそうになった。

「だんだん、落下の速度が上がってるわ!」

「“虚無”の力が弱まってるんだ」

 眼の前の小さな亀裂を跳び超えようとした時、ルイズの足元の地面が崩れた。

「――きゃあ!?」

「ルイズ!」

 足を踏み外してしまったルイズの腕を、才人が強引に引き寄せる。

 元の足場はボロボロと崩れ、真下の海に落下した。

「サイト、ありがとう」

 ルイズはヘナヘナとへたり込む。足がもう限界なのである。

 才人の方も、もう走ることはできそうにない様子であった。“リーヴスラシル”の“ルーン”が消え、これ以上体力が奪われることはないとはいえ、傷だらけの身体で少ない体力を振り絞ってよくぞここまで走ることができたものだと称賛すべきほどであるる。

 岩盤はどんどん崩れ、俺達は大元と切り離されて、小さな岩の上に取り残されてしまった。

「くそ、このままじゃ……」

 才人は焦り、呟いた。

 ルイズは“フライ”も“レピュテーション”も使えない。誰かが気付いて、救助しに来てくれるのを待つ、というのもあるが……。

 才人は、俺を見やった。

「なあ、セイヴァー。おまえが普段使ってる、あの黄金色の船みたいなのは?」

 それから、才人が俺へとそう問うた。

「才人、セイヴァー、あれを見て……」

 それとほぼ同時に、背後を振り返ったルイズが、上を指さした。

 “聖地”が崩落し、少しずつ降下して行く中、巨大な中心部だけは淡い光を放ち乍ら空へ昇って行こうとしている。

「ありゃあ、“大いなる意思”と呼ばれた“精霊石”の本体だな」

 “ハルケギニア”中の“風石”を共鳴させ、大陸の大隆起を引き起こす現況。

 デルフリンガーが言った。

「あんなもん、どうすりゃ良いんだよ……?」

 あれをなんとかすることで、“ハルケギニア”を救うことができるのだが……才人とルイズは、直ぐにはその方法が想い付かない様子である。

 その時。

 才人は、遥か頭上に輝く光球に気が付いた。

「“生命(ライフ)”だ……」

 才人は呟いた。

 光球はかなり小さくなりはしたものの、その輝きは衰えてはいない。“リーヴスラシル”の命と体力を消耗させてえた、莫大な“虚無”の力が、まだ残っているのである。

「なあ、ルイズ」

 と、才人は言った。

「あれ、まだ唱えることはできるか?」

「あれ?」

 ルイズは頭上を見上げると、直ぐに才人の言葉を理解した。

「……判らない。でも、やってみる価値は、あるかもしれないわ」

 真剣な表情でそう呟くと、ルイズは懐から“杖”を取り出した。

 あの大きさでは、もう、本来の“生命”ほどの威力は発揮しない。

 そもそも、ルイズは“生命”を完成させるための、最後の“ルーン”を唱えていないのである。

 詰まり、あれは“生命”ではなく、精々が、特大の“爆発(エクスプロージョン)”といったところである。

 だが、あの“聖地”の中心部を吹き飛ばすくらいのこと、簡単にできるほどの威力を持っている。

「私、やるわ」

 ルイズは、深呼吸をして、“杖”を真上に向けた。

 才人は首肯くと、腕に手を添えて、ルイズの身体を確りと抱き締めた。

 2人の間には、わずかに熱に浮かされたかのような高揚感があった。

 その高揚は、心地好くルイズを冷静にさせる。

 全ての感情が、“呪文”の調べに乗って、身体から出て行くかのような感覚を、ルイズは覚えた。

 ルイズは、その感覚に、身を任せた。

 初歩の初歩の初歩の、“虚無”の“魔法”の1つ。

 “爆発(エクスプロージョン)”。

 膨れ上がった閃光が“聖地”の中心部を呑み込んだ。

 同時に、足元の岩が崩壊し、俺達の身体は重力に引かれ落下する……。

「ルイズ、やったな……おまえ、本当に世界を救っちまったんだな……」

 才人はしみじみと呟いた。

「ええ……でも、もう……」

 このままじゃ絶対に救からない、と想い、才人とルイズの2人は目を閉じた。

「いや、大丈夫だとも。ほら」

 俺がそう言ったのと同時に、2人の身体が、グンッとなにかに引っ張り上げられた。

「な、なんだ?」

 見上げると……大きな“風竜”が、才人とルイズの身体を掴んでいた。

「やあ、中々派手にやってくれたじゃないか、3人共」

「ジュリオ!」

 2人を掴んでいるのは、グッタリしたヴィットーリオを口に咥えたアズーロである。

 俺は“フライ”を唱え、飛行する。

「これは1個、貸しにしておくぜ、サイト、セイヴァー」

「なにが賃しだよ!」

「あっはっは、しっかり掴まっていたまえ。なにしろ、僕はもう“ヴィンダール”としての力を十全に発揮できないからな。荒っぽい飛行になるぜ」

 アズーロは、きゅわっ、と鳴くと、大きな翼を羽撃かせ、大空を舞った。

 が、その時である。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 海の底から山が浮かび上がる時や巨大な“ゲート”が開かれた時よりも、大きな音が鳴った。

 いや、それはとある強大な生命の鳴き声である。

 大地や大空を震わせ、裂いて、他生命という生命に本能的な恐怖などを与える、超古代からの声。

 6,000年前よりも遥か昔に存在した、生き物。

 海を裂き、それは姿を現した。

「な、なんだよ……? あれ」

 才人達は、それを見て呆然とし、呟くしかできなかった。

 アズーロの挙動が可怪しくなる。

「さあ、ボスラッシュの始まりだ」

 超巨大な“竜”……いや、“龍”――“エンシェント・ドラゴン”が姿を見せた。



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目覚めし災厄

「……う……ううん……あれ、は……!?」

 “エンシェント・ドラゴン”の咆哮を聞き、ヴィットーリオは目を覚ました。そして、“エンシェント・ドラゴン”を目にして、驚きの声を上げる。

「一体、何が……」

「取り敢えず、艦隊に戻って合流しよう」

 ジュリオがそう言って、アズーロへと指示を出す。

 アズーロの動きはぎこちないものの、ジュリオに従い、艦隊へと向かった。

 

 

 

 艦隊の方でも、当然大混乱が起きていた。

 “竜母艦”に乗っていた“竜”達が、暴れ出したのである。

 “メイジ”達や兵達は、暴れる“竜”に振り回され、艦は暴走する“竜”達の攻撃を受け、彼方此方で火が着き、煙を上げている。

 至る所から怒号や悲鳴が聞こえて来る。

「一体、何事です?」

 “聖マルコー号”へと着艦し、ヴィットーリオは直ぐに状況を知るために近くにいる兵へと声を掛けた。

 だが、兵達は混乱しており、収集が着かない状態、状況である。

「――静まれ!」

 俺のその声が、鶴の一声となり、“聖マルコー号”に乗艦する者達は冷静さを取り戻す。

「取り敢えず、“竜”達を落ち着かせ、その後、撤退を」

 ヴィットーリオのその言葉に、皆は首肯き、行動を開始した。

 兵達は、暴れる“竜”達を“魔法”で眠らせ、他の艦に連絡を取り、一斉に撤退を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “アディール”へと後退し、即座に“評議会(カウンシル)”が使用する会議室を借りて会議が行われることになり、各国の代表者は集まった。中には、“エルフ”の代表としてテュリュークとビダーシャルもいる。

「あれは一体……?」

「あれは、恐らくですが、“エンシェント・ドラゴン”でしょう」

 皆の疑問を代弁するように、1人が疑問を口にした。

 その疑問に、ヴィットーリオは推測を述べた。

 皆一様に、恐怖などを感じている様子を見せている。

 当然であろう。

 得体の知れない存在。なおかつ、あれは文字通り、この場にいる皆とは次元の違う存在である。

「そして、今、その怪物は、ここ“アディール”へと向けて進んでいます」

 ヴィットーリオのその言葉に、皆が動揺する。

「恐れてはなりません。死力を尽くせば、必ずや討伐できます。“エンシェント・ドラゴン”がここに到達する前に、海上で迎え撃ちます。“始祖ブリミル”に祝福されし“聖堂騎士”、そして“大いなる意思”の元に戦う“エルフ”の力を見せてください」

 この会議での会話は、外にいる騎士達や戦闘に参加する“エルフ”達に聞こえている。いや、聞こえるようにしてある。

「我々の世界を守るために、そして罪なき、力なき人々を守るために」

 ヴィットーリオはそう言い、彼の言葉を聞いていた“聖堂騎士”達は雄叫びを上げる。が、それでもその声に力はない。ヴィットーリオ自身、口ではそう言ったものの、圧倒的存在を前にどうすれば良いのか判らないでいる様子である。

「発言、良ろしいでしょうか?」

 会議室にいる1人が挙手をした。

「どうぞ」

「死力を尽くすのは良いのですが、具体的にどのように?」

「…………」

 その質問に答えることができる者は、ここにはいない。

 言ったところで状況は変わらないことを理解しつつも、皆口を揃えて具体的な案を出さない者を責める始める始末であった。

 そこに、シオンが手を挙げた。

「少し、良いでしょうか?」

 皆、シオンへと注目する。

 一国の王にしては若過ぎる“ハルケギニアの三大華”とでもいうべき、アンリエッタとシオンとジョゼットだが、年齢からやはり下に見られることが多い。

 この状況でもそれは当て嵌まり、「小娘が、なにを言い出すのか?」と“ハルケギニア”の諸国代表達――王達は視線を向けている。

 アンリエッタは、そんな針の筵とでもいえる状況に陥っているシオンのことを心配そうに見詰めた。

 が、シオンは彼等の視線を真っ向から受け止め、強い瞳で見返す。

(王様が不景気な顔をするモノではない……皆を不安にさせるのは、暴君の与える恐怖以上に困りモノ、よね……)

 と、シオンは自身に言い聞かせ、口を開く。

「対抗策……いえ、あの怪物をどうにかする方法はあります」

「それは一体なんなんだね?」

「…………」

 シオンは、一息吐き、言った。

「“サーヴァント”です」

 その言葉に、会議室内にいるアンリエッタ、ジョゼット、ヴィットーリオ達が目を見開く。会議室の外で聞いていたルイズと才人達も同様だ。

「“サーヴァント”とは?」

 1人が当然の疑問を口にする。

 他の皆も同様に首を傾げる中、“エルフ”側であるテュリュークとビダーシャル、アンリエッタ、ジョゼット、ヴィットーリオは理解していた。

 ヴィットーリオが、簡単に説明をする。

 6,000年もの間、ずっと秘匿されて来た“サーヴァント”の存在、“始祖の秘宝”の1つである“聖杯”……“聖杯戦争”。

 だが、そこで当然の意見が口にされた。

「では、その“聖杯”自身に“あのエンシェント・ドラゴンをどうにかしてくれ”と願うのはどうだろう?」

「いえ、それはできません。“聖杯”は“万能の願望器”ではありますが、正確には違います。それを模したモノで、できるのは“根源”とこの世界の繋がりを確かなモノとし、“孔”を空けるためのモノ。“ハルケギニア”に於ける“聖杯”は、“サーヴァント”を喚び出し、ヒトが扱えるようにすることに限定されています」

「では、その“サーヴァント”とはなんなんだ?」

「“現在、過去、未来に存在する英雄や神様の霊”……“根源”の一部である“時空の外”に存在する“英霊の座”という場所から、“英霊”を喚び出します。その“英霊”をそのまま喚び出すことはできませんが、彼等を分け御霊のように、一部分――一側面を喚び出し、“クラス”という枠組み、役割に押し込め、限定的な力を使えるようにして、ようやく我々の前に降り立って来てくれる超常的存在……上位存在、霊的存在……」

「例えば、“アルビオンの英雄”……“ガンダールヴ”であるサイト・シュヴァリエ殿や我が“アルビオン”の客将セイヴァー、“ガリア”の姫君である姉に従う“ブレイバー”、ヴィットーリオ殿に従うジュリオ殿……」

 ヴィットーリオが“サーヴァント”に関する説明を行い、それにシオンが補足する。

「あの、“アルビオンの英雄”が?」

「だが、それは人間同士での戦いで活躍できる範囲であろう? “サーヴァント”とやらは、具体的にどれほど強いのだ!?」

「平均的な強さは、“トリステイン”に存在していた“竜の羽衣”よりも上です」

 シオンが、簡単に説明をする。

 が、やはり皆上手く理解できていない様子である。

 こうしている間にも、“エンシェント・ドラゴン”は確実に近付いて来ているのだが……。

 そこに、ヴィットーリオは自身のプランを口にした。

「“サーヴァント”は切り札です。ですので、先ずは我々“虚無の担い手”がどうにかするべきだと考えております」

 ヴィットーリオは、自身から、自分達から“虚無”が失われつつあるのを理解しながらも、そう言った。

 “始祖”であるブリミルの悲願を達成できなかったものの、それでも未だ自身に力があることに意味があるのでは……もしかすると、これこそが“虚無”の力を使うべき、この時のために覚醒めたのではと考えた結果である。

「ですが、“虚無の担い手”は私1人だけではありません。そこにおられる“ガリア”の女王陛下、ミス・ヴァリエール、ミス・ウエストウッド……そして、“サーヴァント”の“マスター”であられる“ガリア”の姫殿下の意思を確認してから計画を実行に移したいのですが……彼女達を呼んで頂けますか?」

 ヴィットーリオはそう言って、目を閉じた。

 

 

 

「教皇聖下、我々をお呼でしょうか?」

 “虚無の担い手”であるルイズ、ティファニア、そしてタバサ、“サーヴァント”である才人とイーヴァルディが呼び出しに応じて会議室へと入って来た。

 ルイズと才人からは、まだヴィットーリオに対して敵意を抱いている。いや、敵意というべきではないが、これといって適切な言葉がない、表現の仕様のない感情を抱いている様子である。ただ、余り良い感情は抱いていないのだけは確かであった。

 だが、それでも表に出すことなどはせず、ルイズは代表として、ヴィットーリオに尋ねた。

「はい。こういったことを頼める立場でもなく、権利もないと想いますが……それでも、貴方方に、“ハルケギニア”の、そして“サハラ”の未来のために協力して頂きたいのです。今度こそ、“虚無の担い手”たる我々が力を合わせる時なのです。これ以上の犠牲を出さぬためにも」

 ヴィットーリオは簡単に説明をした。

 既に、ルイズ達は知ってはいたが、齟齬などがないかを確認するために。

「……どうか、お願いします」

 ヴィットーリオは、頭を下げ、ルイズ達に頼み込んだ。

 そんなヴィットーリオの言動に、この場にいる“ハルケギニア”の王達は驚き、動揺を隠せなくなった。教皇聖下という立場の者が頭を下げたのだから、驚きである。

「確認ですが、聖下……今回の“エンシェント・ドラゴン”について、“聖地”同様になにか我々に隠していることはありませんか?」

「ありません。これについては、ただ、あの存在をそう呼称するべきだと判断したのみで、他のことについては全く」

「……理解りました。その計画、聴きますわ」

 ヴィットーリオのその真摯な言動に、ルイズ達は顔を見合わせて首肯き合い、了承した。

 事実、ヴィットーリオはもう既になにかを隠すつもりなど一切なかった。

「ミス・ヴァリエール。貴女の“呪文”、“爆発(エクスプロージョン)”は、“サーヴァント”と同じく計画の要です。大きな一撃をお願いすることになるでしょう」

「……はい」

「ですが、“ドラゴン”は“攻撃魔法”を跳ね返す瘴気の壁、“魔瘴壁”を纏っている可能性が高いです」

「“魔瘴壁”?」

「“エルフ”の“反射(カウンター)”みたいなもんだよ、相棒」

 ヴィットーリオの言葉に、才人は首を傾げる。が、そこにデルフリンガーが簡単な説明をする。

「先ず、その“魔瘴壁”を無力化せねばなりません」

「それも、私の“解除(ディスペル)”で」

「いえ、それは私が引き受けましょう。貴女の力はできるだけ温存しておきたいですからね」

 そう言って、ヴィットーリオはティファニアへと目を向ける。

「ミス・ウエストウッド」

「はい」

「先程、“聖地”の側で“竜母艦”に搭載していた“竜”達が暴れたことから推測できることですが、恐らく、“エンシェント・ドラゴン”には、他の“竜”を下僕にする能力があると想われます。貴女には、“ドラゴン”の下僕となった“竜”達に、“忘却”の“呪文”を掛けて、“聖堂騎士”達や“エルフ”達を守ってください」

「は、はい! 理解りました!」

「そして、サイト殿。貴男にもお願いせねばなりません」

「え?」

「使わせて頂きたいのです。もう1度だけ、貴男の“リーヴスラシル”の力を」

 ヴィットーリオのその言葉に、才人とルイズは息を呑んだ。

「待ってください! これ以上、サイトの命を――」

「……理解りました」

「待って、サイト。少し考えて」

「え? 考えることなんかないだろう。セイヴァーのおかげで、命じゃなくて、体力が消耗するだけになったんだし。なにより、これは文字通り世界を救うための戦いなんだぜ? “地球”を攻撃するとかじゃないんだ。なら」

 ルイズの制止を聞きはするも、才人は覚悟を決め、首肯いた。

「俺ができることなら、大体のことはします」

 ヴィットーリオは、深く深く才人に礼をした。

 そんなヴィットーリオの様子に、才人もルイズも困惑した。

 ヴィットーリオの隣にいたジュリオは、複雑な表情を浮かべていた。

「移動方法ですが、先ずはジュリオのアズーロ、そしてミス・タバサの“使い魔”である“韻竜”で行きたいと想います。アズーロは“ヴィンダールヴ”と“騎乗兵(ライダー)”してのジュリオの能力で、シルフィードは“韻竜”である故に、“エンシェント・ドラゴン”からの支配を受けずに済むと想いますからね」

 ヴィットーリオの口から出た“韻竜”という言葉に、“ハルケギニア”の王達が驚き、ざわめく。

「では、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “エンシェント・ドラゴン”の歩みは遅く、会議を終えてもまだ海の真ん中であった。

 時刻は夜であり、双月が見守っている。

 海岸の手前では、大きな道と両脇に崖が在る。それぞれの崖で兵達は待機することになった。

「“遠見”の“魔法”によれば、“ドラゴン”は32“リーグ”付近にまで近付いている! 気を緩めるな!」

 “聖堂騎士団”の団長が、叫び現状を皆に報らせる。

 そんな中、2人の騎士が、ふと湧いた疑問を口にしていた。

「しかし、“ドラゴン”は今目覚めて、どうしてこちらへと向かって来るのだ?」

「さあ? 奴を呼ぶなにかがあるのかもな……」

 上空では、“竜”達が“竜騎士”に跨がられ、旋回し、待機している。その中には当然、シルフィードとタバサの姿もある。

 少し離れた場所では、アズーロが飛んでおり、その背にはジュリオとヴィットーリオが乗っている。

「教皇聖下」

「どうしました?」

「この戦いで、サイトが死ぬことはありませんよね? 詰まり、“リーヴスラシル”の力を使うことによって……」

 ジュリオの言葉に、ヴィットーリオは笑みを浮かべる。

「嬉しいモノですね」

「え?」

「初めて逢った頃の貴男は、世界の全てを憎み、誰も“愛”することのないそんな少年でした。私と暮らすようになってからも常にどこか冷めていた。違いますか?」

「え?」

「そんな貴男が、今では恋人と友人のことを気に掛けている。きっと、彼等に逢ったことで変わったのでしょう。貴男を“魔法学院”に行かせて良かった、と私は心から想います」

 ヴィットーリオの目は、遠くを見据えており、言葉も心からのモノであることが理解る。とても、優しい……気付けば、狂信的な光は消えていた。

「貴男は、私の誇りですよ。ジュリオ・チェザーレ」

「……教皇聖下?」

 そんなヴィットーリオに、どう声を掛けるべきか、どう返すべきなのか、判りかねたジュリオはただ振り返り、彼の顔を見るのみである。

 ジュリオの綺麗な“月目”が、穏やかな笑みを浮かべるヴィットーリオを映す。

「この前説明した通り、“リーヴスラシル”の力は1度や2度使っただけでは失くなるようなモノではありません。しかし、回数を重ねれば……幾ら、セイヴァー殿が手を加えたとしても、それだけ彼の死は迫る。体力が失くなるということは、動けなくなることに等しいですからね。ですから、この1回で成功させるのです」

 ヴィットーリオは、力強く言った。

 彼もまた、才人のことを案じているのである。

 これまでの言動でも、別に才人を蔑ろにして来た訳ではない。ただ、優先順位の問題で、才人よりも“ハルケギニア”と“ハルケギニア”の民草を最優先にして来ただけなのである。故に、彼は“始祖の円鏡”を見た時や、ジュリオと2人だけの時、祈祷の時、常に懺悔し続けていたのであった。

「はい」

 ジュリオも、柔らかな笑みを浮かべる。

 

 

 

「“ドラゴン”を谷間に呼び寄せて、谷間を崩して足止めするらしいな。“魔瘴壁”が在っても、物理的な攻撃成ら通じるかもしれないってさ」

 谷間の端の方に数本だけでは在るが、木々が生えている。

 その1本の下で、才人とルイズは休んでいた。

「サイト……」

「“ロケット・ランチャー”とか“タイガー戦車”とか残ってればなあ……」

「“リーヴスラシル”の力を使うのは、これっ切りにして」

「……理解ってる。でも、あの力があれば、“虚無”の“魔法”は強力になって――」

「――その代わりに、サイトの命が……削られて行くの!」

「理解ってるよ。でも、セイヴァーのおかげでもう命は削られない。失くならない、死なないんだ。だから」

「“リーヴスラシル”の力は回復することはない。使い果たした時、その“使い魔”は死ぬのよ」

「死ぬ? なに言ってるんだよ?」

「体力が失くなるってことは、それだけ身動きを取ることが難しくなるってことよ! 貴男が1番良く理解ってるでしょ!? 実際に、動けなくなって、デルフリンガーの助けなしでは動けなかったじゃない!」

 そう言って、ルイズは、不安を掻き消そうと、才人と自身を安心させるように抱き着く。

「心配要らないわ。あいつは、私達の“魔法”だけでなんとかするから。貴男を死なせたりしない」

 そう言った直後、才人の後ろの方からティファニアが近付いて来ることに、ルイズは気付いた。

 ティファニアの方も、ルイズが気付いたことを知り、足を止める。

「テファ……」

「……私が、サイトさんを“使い魔”にしてしまったから」

 ティファニアは、先程の話を聞いてしまい、自分を強く責めてしまった。

 自分の行なったことに対して強く責任感を感じてしまっている様子であり、ティファニアの両肩は震え、涙を流した。やはり、ティファニアは、何度も自身を責め続けているのである。才人自身がどう考えていようとも、どこまでも優しい少女はどうしても自分を責めることしか知らず、それしかできなかった。

 そんなティファニアに、ルイズはソッと歩み寄る。

「あ、あのね、テファ」

「全部私の所為だわ……ごめんなさい! ごめんなさい!」

 そう言ってティファニアは逃げ出そうとする。

 が……。

「テファの所為なんかじゃない!」

 才人は振り返り、強く言った。

 その語気の強さに、ティファニアは足を止める。

「何度も言ってるだろ? テファの所為なんかじゃない。況してや、ルイズの所為でもないんだ」

 今度は優しめに、安心させるように、才人は言った。

「セイヴァーの言葉を借りるなら、まあ受け売りらしいけど、さ……“間が悪かった”だけなんだ……たまたまそうなっただけ。そう歯車が噛み合っただけ……」

「サイトは……辛く、ないの?」

 ティファニアは涙混じりに問うた。

「辛いよ。怖いよ。だけど、それだけなんだ。それ以上に、怖いモノがあるんだ」

「それ以上に?」

「ルイズが、テファが、皆が傷付くこと……死ぬこと……“聖地”でそれを良く実感したよ」

 才人は震える身体を押え込み、言った。

「死ぬのは怖い。でも、それ以上に怖いんだ」

 

 

 

 アズーロが飛行する更に上の方で、俺は“|天駆ける王の玉座”でシオンと共に待機していた。

「皆、不安そう。怖いんだね……」

「それはそうだろ。おまえもそうなんだろ? 無理をする必要なんてないいさ」

「うん、そうだね……でも、貴男の“マスター”なんだから、もっとしっかりするべきだよね?」

 シオンは、弱々しい笑みを浮かべて言った。

 2人でいる時だけに見せて来れる表情である。

 シオンは、“王族”であることから、常に気を張って生活しているのである。父親や兄が“王族”として生きていたこともあって、シオンもまたそれに倣って生きて来たのである。

 そして今では、父親が亡く成った事で女王に成ったので在る。

 周りに人がいる時は、その周りの人達を不安にさせないようにと心掛け、王として弱みを見せないように振る舞っているのである。

 “魔法学院”に居る時は、少しは気が緩む時は在るだろうが、其れでも“学院”は“貴族”の子弟達が集まり学ぶ場所で在る。其の為、常に見本に成る様にも心掛けて居た。

 そして、彼女の性格の問題もあるのだが、常に1歩引いて物事を見て考える……また、争い事を嫌うために、棘のある言動を極力取らず、なにか問題が起きればそれを解決するために首を突っ込み奔走する、例えそれが自身の能力では解決が難しくとも、だ。友人が喧嘩をしていれば、よく仲介役を買って出るなどもしていた。

 そんな彼女だが、“使い魔”であり、“サーヴァント”である俺と2人切りの時だけは、弱音を吐くことが多い。

 “地球”の、平和な時代の価値観からすると、シオンは今年相応の少女に戻ることができているのである。

 そんなシオンを見て、俺は常に、力になることができていないのでは、と不安になってしまうのだが。

「そんなことはなさ。良いんだよ、それで。もし、こんな時に不安になってないのなら……恐怖を感じていないなら、そいつは感覚が麻痺でもしてるんじゃないのか?」

「そうかな?」

「いや、そうでもないか……? アドレナリンとかが異常に分泌され、気付かない、とか? ふむ……まあ、なんにせよ、今のおまえ達の気持ちや感情は、生物なら持ってて当然、抱いて当然のモノだから、なにも恥じることはないさ」

「……うん」

 俺は笑顔を見せ、シオンにそう言ってみせる。

「ねえ、この作戦上手く行くの?」

「いや、ハッキリと言ってしまえば失敗に終わる。失敗だけなら良いが、それ以上に、皆にとって辛い展開になるな」

「そう……」

 シオンの質問に、俺は正直に答える。シオンが落ち込むのを理解していながらも。

 だがそこで、俺はふとした疑問を覚えた。

 何故これまで未来について断言することを避けてきたというのに、今こここの時、ハッキリと言った――口にしたことについて。

 だがそんな疑問を振り払い、俺はできる限りの笑顔を浮かべた。

「だけどな……最後には大勝利だ。俺がいるからな」

「そう、だね……」

 俺の言葉に、シオンは首肯いた。

 俺の力は、借り物――“英霊”達から無断借用しているようなモノである。“英霊”によっては、俺を殺したいと想うようなことばかりをしている。勝手に彼等の人生や逸話を掻っ攫う、とまでは行かずとも同じようなことをしているのだから。更には、傍から見ると、苦労せずにそういったことをしていると見られてもなんら可怪しくないということを。

 そんな俺に対し、シオンは真っ直ぐに目を向けて来ており、信頼を寄せてくれている。

「次善の策は、既に打っている……いや、準備は完了しているさ。皆にいつ話し、切るかどうかが問題だがな」

 俺がそう言った直後、空気が変わった。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 空が震え、大地が揺れる。

 鼓膜が破れんばかりの咆哮が、遠くから聞こえて来た。

 黄色く鋭い目が、谷間で待機している俺達を見ている。

「来たか……」

 

 

 

 “エンシェント・ドラゴン”は、口をユックリと開く。

 そこに、“聖地”の中心にあった“精霊石”の塊を吹き飛ばした“生命(ライフ)”と同等の大きさと威力を誇る光球ができあがり、次第に膨れ上がる。

 それが、“ドラゴン”の前方に放たれ、大地へと穿たれる。

 大地は一瞬で燃え、その巨躯をありありと見せ付けるライトになる。

 放たれた古代龍の息吹(エンシェント・ブレス)は、夜の中にありながらも真昼のように周囲を照らし出す。

 その光に照らされ、“エンシェント・ドラゴン”の躰の大きさや体表、周囲を飛行する“竜”達を浮かび上がらせた。

 

 

 

 “エンシェント・ドラゴン”の咆哮を耳にして、ルイズとティファニアは怯え、才人の腕を掴む。

 才人もまた恐怖を感じてはいるが、2人の少女を前に勇気が勝った。

 

 

 

「怯むな! 奴は直ぐにここに来るぞ!」

 騎士団長が、自身も恐怖を感じていながらも、周りの“聖堂騎士”達を鼓舞する。

「いつでも来い!」

「“聖堂騎士”の力見せて遣る!」

 “聖堂騎士”達は勇気を振り絞り、剣の形をした“聖杖”を抜き放つ。

「ルイズ、ティファニア……yあ俺遣るよ」

 才人は、静かに決意を口にした。

「戦いで死ぬのは俺だけじゃない。俺1人が怖じ気付く訳にはいかないよ」

「で、でも……サイト」

「俺だって騎士なんだ。“盾の英霊(シールダー)”でもある。だから、護らなきゃ、皆を。それに、ルイズとテファ達のことを」

「サイト……」

 ルイズとティファニアは、才人へどう言葉を掛けるべきか迷っていた。

 止めるべきか、見送るべきか、共に闘うべきか。

 だが、才人の決意は揺らがないモノであることを、護るモノを持つ者の強さを秘めていることを感じ取った。

「サイト、そろそろだ。準備は良いかい?」

「ああ」

 ジュリオが、才人へと向かって歩いて来る。

 才人は、ジュリオの確認に対し、短く確かな返事を返した。

「サイト」

「さっさと終わらせちまおうぜ。な?」

「うん」

 才人の言葉に、ルイズとティファニアは首肯いた。

 才人と同じく護るべきモノを持つ者の意志と強さを持って。

 

 

 

 夜が明けようとする中、“エンシェント・ドラゴン”が歩みを進めるたびに、地震が起きたかのように大地が大きく揺れ、木々が薙ぎ倒される。

 黒々とした“魔瘴壁”を纏い、“エンシェント・ドラゴン”は“竜”達を率いて、向かって来た。

「――今だ!」

 “エンシェント・ドラゴン”が丁度谷間に差し掛かった時、騎士団長が合図を出した。

 “聖堂騎士”達は“聖杖”を掲げ、其々が得意な“魔法”を放つ。

 剣型の“聖杖”の先から“魔法”が放たれ、向かい側の谷へと命中させる。

 谷間は崩れ、大きな岩が幾つも落下する。

 落ちた無数の岩が、“エンシェント・ドラゴン”の四肢を埋め、自由を奪った。

 だが、“エンシェント・ドラゴン”の動きを完全に封じ込めた訳ではないために、“エンシェント・ドラゴン”は首を動かし、標的を定める。

 そして、“エンシェント・ドラゴン”の口からブレスが吐き出された。

「怯むな! 攻撃を続けろ!」

 運良く“聖堂騎士”達の間を通り過ぎた直後に団長が命令を下すのだが、“エンシェント・ドラゴン”の下僕と化して周囲を飛んでいた“竜”達が“聖堂騎士”へと攻撃を開始する。

 攻撃を受けた“聖堂騎士”達は、“聖杖”で受け止めるか、避けるかなどを迫られ、攻撃を続けることが難しくなってしまう。

 だがそこに、空を飛ぶシルフィードに乗ったティファニアが“忘却”を唱え、“竜”達を“エンシェント・ドラゴン”の軛から解き放つ。

「“忘却”の“呪文”、効いたみだいだわ」

「良かった」

 “忘却”を受けて離れて行く“竜”達を見たルイズの言葉に、ティファニアはホッと胸を撫で下ろす。

「あの、ルイズ……私……」

「考えるのをやめましょう」

「え?」

「今は信じるだけ。シエスタが言ってたみたいに。皆一緒に帰れるって」

 ジュリオとヴィットーリオと才人を乗せたアズーロは、襲い来る“竜”達を避けながら“エンシェント・ドラゴン”へと向かって高速で飛ぶ。

 “エンシェント・ドラゴン”の後ろを取り、なおかつ真上に到着すると、ヴィットーリオは立ち上がり、“杖”を掲げた。それから、“浄化”の“呪文”を“詠唱”し始める。

「“カノン・ソウユ・テイワズ・イサ・ウンジョー・ケイオー・ラグズー・チョー・ダガズ”!」

“呪文”の“詠唱”が完了するのと同時に、ヴィットーリオは左手を前に翳す。

 ヴィットーリオの左手は眩いほどに光り輝き、“エンシェント・ドラゴン”を照らし出す。

 その光に気付いたであろう“エンシェント・ドラゴン”は、首を後ろに向け、口を大きく開く。

 “魔瘴壁”が上空に吸い取られるかのように剥がれて行き、毒々しい赤色をした鱗が見え始める。

「なるほど、“浄化”の“魔法”か」

「本来は癒やしの力だが、悪しき存在には攻撃上の効果があるるんだ」

 感心したように言ったデルフリンガーの言葉に首肯き、ジュリオは簡単に説明をする。

「ええ。私の持つ“虚無魔法”の1つです。では、サイト殿……どうかお願いします」

 ヴィットーリオの言葉に、才人は首肯き、立ち上がる。

「あ、はい」

 才人の胸に、“リーヴスラシル”の“ルーン”が弱々しくも浮かび上がり、光り輝き始める。

 才人は両手で、ヴィットーリオの背中に触れる。

 すると、ヴィットーリオの左手から放たれる光は寄り一層増し、目を閉じたくなるほどに輝き出す。

 それにより、“魔瘴壁”が剥がれる速度が上がり、“エンシェント・ドラゴン”は悲鳴を上げる。

(こうして居る間にも、サイトの体力が削られてる……やっぱり、そん成の嫌!)

 ルイズは、シルフィードに乗り、上空から見守って居るが、やはりサイトの事が心配な為、気が気では成無い。

「サイトさん……」

 ルイズの後ろにいるティファニアは、“忘却”を唱えながら、才人達を見守っている。

 “エンシェント・ドラゴン”の支配から逃れることができた“竜”達は、その場から逃げるように離れて行く。

「“始祖ブリミル”よ。お力を御貸しください!」

 ヴィットーリオは“エンシェント・ドラゴン”を浄化するために、更に“魔力”を“浄化”に込める。

「う……」

 だが、やはり才人の体力を消費させて強化させるために、才人は呻き倒れそうになってしまう。

「おい、相棒、大丈夫か?」

「う、くぅ……ああ、これくらい……なんでも、ねえよ……」

 苦しむ才人の声を耳にし、ジュリオは想わず振り向いてしまう。

「サイト!」

 心配するデルフリンガーとジュリオに対し、才人は痛みを耐え、強がってみせた。

 ヴィットーリオは早期決着を臨み、寄り力を込める。

 だがそれが、“エンシェント・ドラゴン”に力を解放させることになってしまった。

「――!?」

 “エンシェント・ドラゴン”の、ヒトに例えればデコに当たる部分が光り出し、もう1つの目が開く。“竜”が本来持つ両の目、そしてデコにある目の3つ目へと変化した。

 それにより、“エンシェント・ドラゴン”の抵抗力と“竜”に対する支配力は増大し、アズーロは意識を奪われてしまう。

 意識を奪われたアズーロは、ジュリオの命令とは裏腹に、ユックリと“エンシェント・ドラゴン”の方へと向かって行く。

「上昇しろ! 動くんだ! アズーロ!」

 手綱を振るい、指示を出すジュリオだが、アズーロの意識は戻らない。

「様子が可怪しいわ。シルフィード! 行って!」

 上空で旋回し見守っていたルイズが、異変に気付き、シルフィードを促す。

 前進するアズーロに向かって、“エンシェント・ドラゴン”は口を開き、ブレスを吐く準備をし始める。

「あ、相棒! 俺を使え!」

「でも……」

「相棒。たぶんだが、セイヴァーの野郎は、この時のために俺を生かしたんだと想う」

 デルフリンガーの言葉に、才人は躊躇するが、デルフリンガーはそれでもと言い続ける。

 才人はデルフリンガーが壊れてしまうのを1度経験し、ついこの前壊れそうになるのを目にしたのである。

 ルイズが1度死んだこともあり、今の才人は大切な者が死んでしまうことに強い抵抗があった。

 だが、デルフリンガーの強い意志と覚悟と言葉に、ついに才人は首肯く。

「……理解った……」

 アズーロに指示を出すジュリオの前に、才人はデルフリンガーを構えて前に出る。

 と同時に、“エンシェント・ドラゴン”の口からブレスが吐き出された。

 真っ赤な炎とでも呼べるブレスが高熱を伴い、才人達へと襲い掛かる。

 “日本刀”でありながらも、“インテリジェンス・ソード”であるデルフリンガーの刀身が、“エンシェント・ドラゴン”のブレスを吸い込んで行く。

 熱でデルフリンガーの刀身は赤々と燃えるように光る。

「相棒、すまねえ」

「え?」

「こいつは、ちっとばかし俺の手に余るみたいでよ……」

「おい、デルフ!? まさか、おまえ……待てよ、デルフ!」

「2度目だけどよ……あばよ、相棒……」

 デルフリンガーの刀身は、耐え切ることができず一気に全体に罅が入り、才人が握っている柄を除いて粉々に砕け散った。

 “エンシェント・ドラゴン”のブレスを受け切ることはできはしたが、反動と、デルフリンガーが砕け散ってしまったことによるショックで、才人は踏み止まることができずに吹き飛ばされてしまう。

「サイト!」

 吹き飛ばされた才人に、ジュリオは必死で呼び掛ける。

(デルフ……)

 吹き飛ばされた才人を、シルフィードが上手くキャッチし、急上昇する。

「サイト、しっかりして!」

 ルイズの呼び掛けにも応じえる余裕がなく、才人は呆然としてしまっている。

「このままでは」

 アズーロはなおも前進し、ヴィットーリオとジュリオに焦りが見え始める。

 “エンシェント・ドラゴン”は大口を開けて咆哮を上げる。

 それにより、ヴィットーリオの手から“浄化”の光が消え失せてしまい、ジュリオは恐怖に呑み込まれてしまった。

 が、ヴィットーリオが肩を叩くことで、ジュリオはどうにか平静さを取り戻すことができた。

「ジュリオ! 貴男は生きるのです!」

 ヴィットーリオは、振り返ったジュリオにそう言って、谷間へと彼を突き落とす。

 一瞬、ヴィットーリオは淋しげな笑みを浮かべたあと、毅然として巨大な“エンシェント・ドラゴン”のアギトを見据えた。

「――聖下!」

 ジュリオが叫んだのと同時に、ヴィットーリオと彼を乗せたアズーロはそのまま“エンシェント・ドラゴン”の口に吸い込まれるように進み、“エンシェント・ドラゴン”は口を閉じた。

「――聖下ああああああああああああっ!」

 “エンシェント・ドラゴン”は咀嚼をするように口を動かし……いや、事実咀嚼をし、黄色の3つ目が禍々しい赤色へと変色した。



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災厄への対策

 ヴィットーリオに突き落とされたジュリオを、シルフィードが回収し、再び上昇する。

「そ、そんな……」

「教皇聖下……」

 ヴィットーリオが“エンシェント・ドラゴン”に呑み込まれてしまったのを目にして、ティファニアとルイズは動揺の言葉を口にする。

 だが、この場にはそれ以上に動揺を受けてしまっている者達がいた。

「聖下が……」

「喰われた……」

 “聖堂騎士”達である彼等は、“ロマリア”の“教皇聖下”に従う騎士団であるために、ヴィットーリオは彼等の支柱といっても過言ではないだろう。そんなヴィットーリオがいなくなってしまったのだから、彼等の動揺具合はとても大きい。

 “エンシェント・ドラゴン”が天へと首を向け。咆哮を上げる。

 その咆哮によって、大地が揺れる。

 それと同時に、“エンシェント・ドラゴン”に変化が起きた。

「――て、撤退だ! 総員、撤退!」

 “聖堂騎士団”団長は、それを目にして即座に退くことを決断し、命令を下す。

 その命令を受けて、騎士達は一斉に谷間から逃げるように離れて行く。

 “エンシェント・ドラゴン”は首を上に向けたまま前進を開始した。

「……――!? サイト! サイト、駄目よ! 確りして! サイト!」

 茫然自失となっていた才人は意識を失い、ルイズへともたれかかるように倒れてしまった。

 そんな彼等の様子を、“双月”が見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイト!」

「サイト!」

「サイトさん!」

 ベッドに寝かされていた才人が目を覚ましたことで、ルイズとティファニア、シエスタが声を掛ける。

「ここは?」

「“リュテュス”の“ヴェルサルテイル宮殿”よ。戻って来たの」

「“リュテス”の? そうだ! “エンシェント・ドラゴン”は? “ドラゴン”はどうなった?」

「心配ないわ。今は……」

「え?」

 身を起こし焦る才人に、ルイズはどうにか現状を説明した。

 

 

 

 “ガリア”の“リュテス”へと各国の王達や“エルフ”の代表は移動し、“新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の会議室で現状の確認とこれからの対策方針などを練っていた。

「動きを止めた?」

「はい」

 皆の代表として問い返したアンリエッタに、ジュリオは首肯いた。

「海岸沿いの谷を抜けた所で、突然」

 今のジュリオは、主であるヴィットーリオが亡くなったことで“サーヴァント”の力も失ってしまっている。だが、現場にいたこともあって、傷心している場合ではないと会議に参加しているのであった。

 そんなジュリオにどう接すれば良いのか、ジョゼットは悩み、手を伸ばしては引っ込めを繰り返していた。

「私も見たのね! あのデカブツ、丸まっちゃって岩みたいに固まっちゃったのね!」

 ジュリオの言葉に、証人として着いて来たシルフィードが言った。今のシルフィードはヒトの少女の姿を取っている。

「教皇聖下のお力で、“ドラゴン”が息絶えたということではないのですか?」

「いえ、残念ながら。脈動が聞こえ続けております。死んだとは想えません」

「ということは……」

「直ぐに目覚める」

 ジュリオの報告と、アンリエッタとタバサの言葉に、会議室内がざわめく。

「いかにも。だがそれだけではないぞ」

 会議室内の扉が開き、1人の初老の男が入って来る。

 初老の男へと皆が注目する。

「オールド・オスマン、来てくださったのですね」

「うむ、待たせたの」

 アンリエッタの言葉に、オスマンは首肯く。

 オスマンは、アンリエッタとシオンからの報告と依頼を受けて、この“リュテス”へと来たのである。

「教皇聖下は、残念なことじゃった……お主は大丈夫かの?」

「ええ。今はなにより“エンシェント・ドラゴン”を。きっと、聖下も、それをお望みのはずです」

 オスマンは、ジュリオへと歩み寄り、肩に手を置いて優しく問うた。

 ジュリオは一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべるが、直ぐに切り替え、会議の再開を促した。

「そうじゃのう。さて、儂を呼んだのは、その“エンシェント・ドラゴン”に関してじゃな?」

「ええ、オールド・オスマン」

「貴男が“魔法学院”の職務の傍ら行って来られた研究の成果。お聴聞かせ願えますか?」

「うむ」

 アンリエッタとシオンの頼みに、オスマンは強く首肯いた。

 

 

 

「そうか。まだあいつは生きてるんだな。じゃあ次こそ、絶対斃さなきゃな?」

「え?」

 ルイズ達からの説明を聴いて、落ち込みはしたものの、才人は顔を上げて落ち込む皆に笑顔を見せる。が、それはもちろん、空元気であり、この場にいる皆もそれを理解しているために、どう返すべきか戸惑った。

「教皇の仇討ちだ! な!? ルイズ、テファ」

「え? は、はい!」

「あー、なんか腹減ったなー! シエスタ、なにか食べ物ある?」

「あ、はい。今、スープを温めて来ますね」

 大袈裟な振る舞いで才人は伸びをして言った。

「そう言や、“学院”の皆やシオンとセイヴァー達は?」

「“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の皆さんは、“トリステイン”に帰ったそうです。シオンとセイヴァーさんは、こちらで行われてる会議に参加しておられます。ルクシャナさんとアリィーさんもここにおられ、会議に参加しているそうですけど……」

 才人の質問に、ティファニアが答えた。

「え? ルクシャナとアリィーが?」

「はい」

 “鉄血団結党”との悶着により、逃げる羽目になったルクシャナとアリィーの2人は、“ガリア”に匿われることになっていた。そして“エルフ”とヒトが啀み合う必要もなくなり、更には“エンシェント・ドラゴン”という共通の敵が出て来たために、ここ“リュテス”に滞在していた。そこで、“エンシェント・ドラゴン”の件の解決のために“エルフ”の代表として来ていたテュリュークとビダーシャルと再逢し、会議に参加することを決めたのであった。

「そうか……お屋敷に帰るのは、もう少し先かな。な? ルイズ」

「わ、私……シエスタを手伝って来る」

「え? あ、う、うん……」

 ルイズは、空元気を見せる才人を見続けることができず、立ち上がり部屋の外へと出た。

「ルイズ?」

 その後を、ティファニアが追い掛け、声を掛ける。

「見ていられなくて……サイト、デルフのことを一言も言わなかったわ。セイヴァーに対しての恨み言も……本当は凄く悲しい癖に」

「それは……」

 ルイズの言葉に、ティファニアは答えることができなかった。ティファニアもまた、ルイズと同じことを考えていたのである。ここにはいないが、シエスタも同じであろう。

「強くなんてなくて良い……いっそのこと、デルフなしでは戦えないって言って欲しかった。“リーヴスラシル”の力なんて使いたくないって……」

「あ!」

「! テファを責めてる訳じゃないわ。でも私……これ以上サイトが傷付くのを見たくない。サイトを死なせたくないの。でも、無理なんでしょうね。だってあいつ、私達のことを護ろうとしてくれてるもの。デルフがいなくなっても、実際に、私が逃げ出した時、追いかけてくれた……必死に捜してくれたんでしょ?」

「ええ」

「私が戻って来てからもそうよ。貴方達が攫われて、その間、デルフが側にいなくても、貴女を護ろうと頑張ってたみたいだし……止めても無駄なんでしょうね」

 ルイズはそう言って、扉越しに才人が座っているであろうベッドの方へと目を向けた。

 

 

 

「“エンシェント・ドラゴン”について、儂以上に詳しい者がそこにおるじゃろうて。のう、セイヴァー殿、イーヴァルディ殿」

 オスマンの呼び掛けに、イーヴァルディは“実体化”し、俺と共に首肯いた。

 “イーヴァルディ”の名前に、この場の王達は動揺し、注目する。

「確認だが、あの“イーヴァルディの勇者”か?」

「はい。僕は其の“イーヴァルディ”です。タバサの、“サーヴァント”です」

 肯定したイーヴァルディの言葉に、会議室内は更にどよめく。

「では、俺から簡単な“エンシェント・ドラゴン”についての話をしよう」

 “エンシェント・ドラゴン”に関して、掻い摘んで生態と弱点などを話して行く。

「全長が300“メイル”、“魔瘴壁”を纏い、それが“B+++ランク以下(ほとんど)”の“魔法攻撃”を弾く、“|古代龍の特権《韻竜”を除くほとんどの“竜”を支配下に置く能力》”、超高熱の息吹(ドラゴン・ブレス)……そして」

 俺の説明に、皆が息を呑んで耳を傾けている。一言一句聞き間違えのないように……聞いても聞かなくても現状に変わりはないが、それでも把握できることだけはするべきであると。そして、もしかすると、なにか可能性が見出だせるかもしれない、と。

「本能的に、“虚無の担い手”とその後継を襲う」

 今の“虚無の担い手”は、ルイズとティファニア、そしてジョゼットである。

 そして、その“虚無の担い手”には後継者が存在している。ジョゼフ王が亡くなった後に、ジョゼットが覚醒めたように。

「詰まり、ルイズとティファニア、シャルロット女王、サイトさん達には、これまで以上に過酷な試練が待ち受けるのですね?」

 俺の説明とアンリエッタの確認の言葉に、ジョゼットの顔は青くなり、ジュリオへと寄り添う。

「ああ。その件について、あいつ等には俺から言っておくつもりだ」

「“四の四”をもって“ドラゴン”に立ち向かうべきだったのか……だけど……」

 ジュリオは、ジョゼットを安心させるように抱き締めながら、もしもと仮定の話をする。

「いや、揃った状況は先ずありえない。“聖地”に開いた“ゲート”で“聖地(地球)”に行こうとする際に、“ルビー”が壊れただろ? それに、“聖地”にあった“精霊石”の塊を破壊したために、その役目はほぼ終えたも同然で“虚無”は弱まっている。あの“エンシェント・ドラゴン”は、“虚無”の力が弱まったために、目覚めたんだ。そして、力を付けるために、“虚無”を狙っている。再び“竜”が覇者となるために」

「だけど、それ以外の人達になにもできなかった訳ではありません」

 俺の言葉に、イーヴァルディは補足するように否定の言葉を口にした。

「その通りだ。ここにいる皆にも、“聖堂騎士”達にも“エルフ”達にも……皆ができることがる。“エンシェント・ドラゴン”が全力を出していた時代には、“虚無”はなかった。そして、ブリミルが遺した“魔法”、今のおまえ達には国を超えた絆がある。それ等が、勝利への方程式を導くだろう」

「“アルビオン”は、全軍を挙げてこの災厄を打ち払います。皆様の協力を……」

 シオンは立ち上がり、頭を下げて願い出た。

 若き女王のその行動に、アンリエッタもジョゼットも立ち上がる。

 その際、ジョゼットはタバサと目を合わせ、首肯き合った。

「“トリステイン”も共に」

「もちろんです。“ガリア”も共に参ります」

「“ハルケギニア”の未来は、私達自身の手で守ります!」

 皆がシオン達の言葉に賛同し、これからどのようにするべきか対策を講じることになった。

 そして――。

「俺に、私に考えがあります。“アルビオン”の兵器を、私の“宝具”……そして、“地球”や“ハルケギニア”の“英霊”達の力をお借りしましょう」

 

 

 

「“ドラゴン”と戦うために“ハルケギニア”の国々と“エルフ”で連合を?」

「ええ。私とシオン、そしてシャルロット女王陛下での3人で指揮を執ることになりました」

 “新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の中庭で、ルイズとアンリエッタは情報を交換し、これからのことを話していた。

 アンリエッタの護衛として、“銃士隊”隊長であるアニエスが側で待機している。

「ですが、“エンシェント・ドラゴン”は私達“虚無の担い手”でなければ」

「ルイズ。私達は皆、“ハルケギニア”で生まれ、“ハルケギニア”に育まれて来たのです。その世界の危機に、ただ手をこまねくいていることはできません」

 アンリエッタの強い想いが籠もった言葉に、ルイズは真正面から彼女を見据える。

「例えわずかでも“ドラゴン”を斃せる可能性に賭けて、私達も戦いに赴くつもりです」

「姫様……私も命の限り、戦います! “ハルケギニア”に生まれた者として、この世界に私の総てを捧げます!」

「ありがとう! ルイズ。この危機を乗り越えましょう、必ず!」

「はい!」

 アンリエッタはルイズの手を取った。

 そして、互いに励まし合う。

「あの、それでシオンなんですけど……今どこに?」

「シオンは、セイヴァーさんと一緒に“アルビオン”へと戻りました。なにか、秘密兵器を持って来るとか……ですが、計画の要は恐らく貴女です。頑張りましょう」

(“ハルケギニア”に生まれた者として、この世界に総てを捧げる。私は“ハルケギニア”の人間だからそれで良い。だけど、サイトは……サイトとセイヴァーは、この世界に生まれた訳じゃない。巻き込んでも良いの?)

 アンリエッタに自身の意志を伝えはしたものの、ルイズの中にはやはり才人への想いと、彼を案じる気持ちがあった。

 

 

 

「やらなきゃ……」

 才人もまた、今の状況などをしっかりと理解しており、身を起こした。

「悲しんでる時じゃない。そうだろ? デルフ、セイヴァー」

 

 

 

「“シャイターンの門”に沈んでたあの鉄の筒を使うの?」

「いや、あれは“ロマリア”が回収したし、破壊力と言うか副次的なものが怖過ぎる。だから、最終手段だ」

 とある一室で、才人はルクシャナとアリィー、そしてテュリュークとビダーシャルと話をしていた。

 才人の横には、シエスタとティファニアがチョコンと座り、話を聞いている。

「“エルフ”の国、“ネフテス”に、ああ言うの他にあったりしないかな? どっかに大事にしまってあるとかささ」

「申し訳ないのじゃが、ない」

「駄目だ。ひょっとしたら、と想ったんだけどな」

 テュリュークの言葉に、才人はガックリと肩を落とす。

「“戦闘機”があったら、“エンシェント・ドラゴン”なんて一発で斃せるんだ!」

「せんとうき?」

「ああ。俺とセイヴァーの世界の武器で、凄え速さで空を飛ぶ、そんで“ミサイル”で軍艦だって沈没させるんだ」

「“ミサイル”?」

 才人の口から出た聞き慣れない言葉に、ティファニアは聞き返す。

「ふーん……そん成に凄い武器なら貴男の国に1度帰って取って来れば良いじゃない」

「え? それはちょっと……」

 ルクシャナの提案に、才人は驚き、否定する。

「ああ。貴男の国って確か……」

「うん。この世界とは別の世界だから。そう簡単には」

「だったら、ルイズ? って娘の“魔法”を使えば?」

「どんな“魔法”だよ? いや、もしかして……“世界扉(ワールド・ドア)”か?」

 そんな彼等の会話を、部屋の外でルイズは聞いていた。

 そして、聞いていたからこそ、ルイズは扉を開きこう言った。

「私、やるわ」

「え? やるって?」

「サイトの世界に、“世界扉”を繋げてみる」

 才人の質問に、ルイズは答えた。

「もし上手く行ったら、そのせんとうきを取りに行きましょう、一緒に」

「ルイズ。ああ、やろう!」

 ルイズの言葉に、才人は強く首肯いた。

 

 

 

 場所を移して、“新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の中庭。

「では、手順の確認だ。先ず、ルイズがサイトの国への窓を開く。サイトの力で、その窓を人が通れる……」

「なんで仕切ってるんですか?」

「好きなのよ。多めに見てやって」

 手順の確認をするアリィーを前に、シエスタは戸惑い隣にいるルクシャナへと訊いた。

 ルクシャナは溜め息混じりに答えた。

「せんとうきを手に入れたら、再びルイズの“魔法”で帰って来る。以上だ」

 と、アリィーはドヤ顔とでもいうべき表情で一息吐いた。

「本当に、俺の世界に帰れるのかな? 教皇聖下の時でも、辛うじて潜ることができるかどうかの大きさだったのに……いや、“聖地”では大きかったよな……でも、今は“虚無”の力が弱まってるんだろ?」

「うん、。でもきっと大丈夫よ」

「頑張ってね、サイト!」

 不安そうにする才人に、ルイズとティファニアが後を押す。

「じゃあ、そろそろ始めるわ。サイト、手を出して」

 才人の手を、ルイズはソッと握る。

「サイトの力、少し使わせて貰うわ」

「ああ」

「貴男の世界をイメージしてみて」

 ルイズの言葉に、才人は目を閉じて想い出す。

 ルイズもまた目を閉じ意識を集中させ、“杖”を構える。

「“ケン・ギョウフ・ハガラ・ソウイ・ベオ・ダイ・ラグース・チョオ・ダガス”」

(お願い、サイトの世界への扉よ、開いて!)

 そう念じ、失われつつある“虚無”の力を使い、ルイズは“杖”を真横へと振る。

「“ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ ハガス・エオルー・ペオース”」

 繋ぐ両手を通して、才人のイメージがルイズへと流れる。

 才人の胸にある“ルーン”が光るのと同時に、ルイズが振った“杖”の指す場所に“ゲート”が開かれる。

 “リーヴスラシル”の力で強化された“世界扉”は、ヒト1人が余裕で通ることができるほどの大きさで開く。

 その“ゲート”は鏡のようになっており、才人が“此の世界(ハルケギニア)”に来る前にいた“渋谷”が映像として映し出された。

「日本だ!」

「変わった建物が沢山ね!」

「これが、サイトさんの!」

 繋がったことに才人は喜び、ルクシャナとシエスタは興味深そうに、見据える。

「ルイズ、俺の世界だ!」

 才人は隣にいるルイズを見て、言った。

 そんな才人を見て、ルイズの瞳は揺れる。

「行こう!」

 そう言ってルイズの手を掴んだまま、才人は“ゲート”を潜ろうとする。

 潜った先は、ビルの屋上であり、そこから道路を走る車などのクラクションなどが聞こえて来る。

 それを耳にし、才人は帰って来たことを実感し、目を輝かせた。

「ルイズ、来いよ!」

「ねえ、サイト」

「ん?」

 だがそこで、ルイズは踏み込まずに才人へと話し掛けた。

「私……貴男のこと大好きだった。貴男と出逢えて、幸せだった」

 ルイズのその言葉に、才人は予感を覚え、口を開こうとする。

「覚えてて。貴男に見せた最後の顔は、笑顔だったって」

「ルイズ?」

 ルイズはそう言って、自ら才人と繋いでいる手を離す。

 才人は繋ぎ直そうとするが、その手は離れて行く。

「さよなら」

 ルイズは満面の笑みを浮かべ、“世界扉”を閉じる。

 だが、その笑顔はとても寂しそうであった。

「ルイズ、なに言って!? ――」

 才人は、閉じる“世界扉”に向かって走るが、無情にも閉じてしまう。

 伸ばしたその手は、空を切った。

「ルイズ……」

 

 

 

「ル、ルイズ……」

「ミス・ヴァリエール……」

 “世界扉”を閉じたルイズに、ティファニアとシエスタが声を掛ける。

「なてことするんだ!? 彼は“ドラゴン”退治に必要な存在なんだろう!?」

 そんなルイズに、アリィーが語気を強めて問い掛ける。

「サイトは、“地球(別の世界)”から来た人だもの。“ハルケギニア(この世界)”の“運命”に付き合う必要なんてないわ。例え、“虚無の使い魔”、“サーヴァント”だったとしても……」

 そう言ったルイズは、大粒の涙を流し、両頬を酷く濡らしていた。

「だがしかし……」

「アリィー」

 其れでも問い詰めようとするアリィーを、ルクシャナが静止する。

「ミス……ヴァリエール」

 シエスタはルイズへと歩み寄り、彼女の正面に立つ。

 そして、2人は互いに泣きながら抱き合った。

(ルイズ、サイトのことを本当に“愛”しているんだわ……あの時だってそう……そうじゃなきゃ、こんな選択できないもの)

 ティファニアも涙を流しながら、そんなルイズを見ていた。

 

 

 

 

 

「なんだよ?」

ビルの屋上に1人残された才人は、呆然と立ち尽くし、呟いた。

「なんだよ、これ? ルイズ……ルイズウウウウウウウウウ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイトさんが?」

「はい。サイトがいるべき世界に、私が帰しました」

 “新王宮(ヌーベル・グラン・トロワ)”の執務室に集まり、ルイズが才人を“地球”へと帰したことを、アンリエッタとタバサ、ジョゼット、ジュリオ、シルフィード、アニエス、オスマン達に報告していた。

「申し訳ありません……でも……私……私……」

 膝を折り謝るルイズに、タバサはソッと近付き同じ高さになるように同じく膝を折る。そして、言った。

「私もきっと同じことをした」

「タバサ」

 そんなタバサの言葉に、ルイズは顔を上げて彼女の顔を見た。

「そうね。これで、きっと善かったのです」

「姫様……私、誓います。“リーヴスラシル”の力を借りなくても、私自身の力で“ドラゴン”を斃します」

 ルイズは決意を新たに、言った。

「私も……私の総てを賭けて、戦いに臨みます!」

 ティファニアもまた、先程のルイズと才人とのやりとり、そして今仕方のルイズとタバサとのやりとりなどを見て、覚悟を決めた。

「よくぞ言った。では行くとするかのう?」

 そんな2人の決意と覚悟を受け入れ、オスマンは言った。

 皆が、どこに? といった表情を浮かべ、オスマンは答えた。

「“魔法学院”じゃよ。ミス・エルディとセイヴァー君もそこで集合するつもりらしいしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “エンシェント・ドラゴン”が岩へと変化した場所では、“聖堂騎士”達が見張りをしている。

「――!?」

 その大きな岩に亀裂が奔り、小さな岩の欠片が落ちる。

 その音と落ちた岩に気付き、騎士の1人が巨大な岩を見上げる。

「気の所為か……」

 それ以外の変化はないために、騎士はそう言って見張りを交代するために場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇の中を、“風竜”に乗って、ルイズとティファニアとオスマン達は“魔法学院”を目指す。

「セイヴァー君の言った通りなら、 “虚無の担い手”は“エンシェント・ドラゴン”に力を与えてしまうのじゃ。喰われることでな……」

「!?」

「“エンシェント・ドラゴン”は“虚無”を喰らって強くなる……故に、あやつは本能的に“虚無の担い手”の居場所を目指すんじゃよ」

 オスマンの言葉に、ルイズとティファニアは驚き、動揺する。

「じゃあ、“ドラゴン”が最初に“ネフテス”に向かって来たのは……」

「“虚無の担い手”が集合していることを感じたからじゃ……」

 ティファニアの予想を、オスマンは肯定する。

「そして、あやつが目覚めた時、次に狙うのは……」

「私か、テファ……そして、ジョゼットね」

「だからお主等を“魔法学院”へ連れて行くのじゃ。あそこなら、周囲に集落はないからのう。市民を巻き込む心配はない。更に、予想される“ドラゴン”の通り道に於いて、軍隊ができる限りの攻撃を加える手筈になっておる。その中には、タバサ嬢の“サーヴァント”であるイーヴァルディ君も参加する予定じゃ。効果のほどは判らんが、“英雄”がおるんじゃ。時間を稼ぐことはできるじゃろうし、上手く行けばダメージを与えることもできるじゃろうて」

 オスマンは安心させるようにそう言った。

「でも、“魔法学院”で戦ったら、“学院”の皆は……」

「案ずるな。ミスタ・コルベールが既に避難させておる」

 

 

 

「シエスタ、あんたはルクシャナ達とお屋敷に行ってなさいって言ったでしょ!?」

「でももう来ちゃいましたし」

「私がお願いしたの。“魔法学院”って一度見てみたかったから」

 “学院”の通路を歩きながら、ルイズはシエスタに言った。

 が、ルクシャナがシエスタにフォローを入れるかのように、説明をする。いや、彼女の場合は、学術的好奇心などから、純粋に興味を持ち、それを優先させただけであろうが。

「だけどここは危険なのよ! 皆だってもう避難して……え!?」

 そう言って扉を開けたルイズだが、その先の光景を見て酷く驚いた。

 そこでは、“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の少年達が、“エンシェント・ドラゴン”に対抗するための計画を練ろうと話し合いや、準備を行っていたんどえある。

 その光景に、ルイズだけではなく、シエスタとティファニア、そしてルクシャナも驚いた様子を見せる。

「あら、ルイズ、ティファニア! 遅かったわね」

 そんな彼女達に、キュルケが声を掛ける。

「僕が考えた“ドラゴン”退治のための陣形を皆に話していたところだ」

 ギーシュが今おこなっていることを、入って来た皆に説明をする。

「ほら皆、こっち来て」

「あ、はい!」

 モンモランシーの呼び掛けに、ティファニアは首肯いて歩み寄った。

「タバサさん、さっきまで王宮に」

「私が全速力で飛んだら、追い越しちゃったのね!」

 ティファニアの質問に、いつもと変わらない様子でシルフィードが元気一杯に答えた。

「すみません、オールド・オスマン。皆残ると利かなくて」

 オスマンへと近付き、コルベールが謝罪する。

 だが、その表情は、申し訳なさだけではなく、嬉しさや覚悟などが籠もっていることが、オスマンには理解った。

「はあ……まあ、こんなことじゃろうと想っとったよ」

 オスマンは、軽く溜め息を吐く。

「皆どうして!? ここにいたら死ぬかもしれないのよ!?」

「無関係でいられる訳ないでしょ?」

「私達だって、自分が生きてるこの世界を守りたいもの」

 ルイズの疑問に、キュルケとモンモランシーが笑顔で答えた。

「僕等“水精霊騎士隊”には、サイトに代わって君達を護る務めもあるからね」

「おう!」

 ギーシュの言葉に、“水精霊騎士隊”の面々は同意の声を上げる。

「それに、こう言うのちょっとワクワクするじゃない?」

 そう言って、“元素の兄弟”のジャネットがルイズへと近付き、彼女の頬を舐める。

「ジャネット!? あんた達、どうして……?」

 舐められたことで身を捩り、驚いて後ろへと跳ねたルイズが言った。

「私とセイヴァーが雇った。彼等は傭兵。誰の味方にもなることができる」

「そういうこと」

 タバサの言葉を、ジャネットが肯定する。

「味方としちゃ頼もしいだろ?」

 ドゥードゥーが自信満々に言った。

「僕等だって、世界が滅ぶことまでは望んでないんでね」

 ダミアンがそう言い終えるのと同時に、ジャネットはウインクをした。

「あんた達……」

 皆のその言葉に、ルイズの顔は緩む。

「君達も手を貸してくれるかい? “先住魔法”の“使い手”がもう1人いると色々と手間が省けるんだ」

「ええ、良いわよ。でも、“先住魔法”なんて呼び方はやめてよね? 私達は“精霊の力”を借りて“魔法”を使ってるだけですもの」

「ありがとう。救かるよ」

 ダミアンの言葉に、ルクシャナは快諾する。

 それから、ルクシャナはダミアンの後に続いて歩く。

「え? おい、ルクシャナ! まあ、“大隆起”は兎も角、ここで“ドラゴン”を喰い止めれば、“ネフテス”のためにもなるしな……」

 アリィーは、ルクシャナを止めようとしたが、直ぐに考え直し、やれやれといった様子で彼女達を追い掛ける。

「みなさーん、お夜食どうですか?」

 そこに、シエスタが手早く作った人数分のサンドイッチと飲み物を持って来る。

 丁度良いタイミングだったために、皆が歓声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1人残された才人は、夜になった街に在るビルの屋上で立ち尽くしていた。

 きらびやかな夜の街が、才人を照らす。

(俺の所為だ……きっと、俺の所為なんだ……)

 才人の脳裏に、“エンシェント・ドラゴン”と戦う前にしたルイズとの会話が蘇る。

(あの時、俺があんな情けない顔をしたから……)

 ビルを降りて、雑踏の中を歩きながら、才人は考える。

(“リーヴスラシル”の力を使わせまいとして、ルイズはこんなことを)

 才人は、“リーヴスラシル”の“ルーン”がある自身の胸を、パーカーを掴むようにして左手で触った。その左手甲には“ガンダールヴ”の“ルーン”が刻まれている。

(この力がなきゃ、“エンシェント・ドラゴン”は斃し難い……ルイズやセイヴァー、イーヴァルディ達に負担を掛けちまう。皆が、ルイズが死んじまう! いや、セイヴァーがいるんだから、死にはしないだろうけど……もしかして、これもセイヴァーの織り込み済みの展開なのか?)

 才人は、そう考え、想い出したように走り出した。

(もしかして……もしかしてあそこなら……)

 辿り着いた場所は、“ルイズ”に“召喚”される前にいた場所。

 だが、あの時と違い、今は夜であるために、店は閉まっており、人っ子一人いない。

「ここだ。あの日、光の“ゲート”が開いて、“召喚”されたんだ……ルイズ! 聞こえないのか? ルイズ!」

 通じるはずもないと理解していながらも、才人は大声で叫び呼び掛けた。

「ルイズ! おい! ルイズ!」

 夜の街は静かなため、才人の声は酷く反響する。

「なんだあれ? ルイズぅ~、ルイズぅ~」

「お気に入りのメイドさんにでもフラれたんじゃないの?」

 そんな才人に、夜の街をふらついていた3人の男が誂った。

「黙れ」

 才人は、目に涙を溜め、3人の男を睨む。

「あれ? もしかして泣いてんの?」

本気(マジ)かよ?」

「そりゃフラれるわよな」

「黙れって言ってんだ!」

 そんな3人に、才人は遂に我慢ができず殴り掛かってしまう。

 だが、今の才人は、“武器”を持たない状態では少しばかり鍛えた少年に過ぎない。幾ら、戦場で死線を潜り抜けて来たとはいえ、“武器”を持つこと前提で鍛えて来ただけである。また、相手は3人であるために、数的に不利である。また、“サーヴァント”としての力も、ルイズからの“魔力”供給が断たれてしまっているため、本来の力を発揮させることができない。そして幾ら“サーヴァント”の力を持っていても、その特性上、“デミ・サーヴァント”よりもひ弱であった。

 故に、才人は結果、負けてしまい、一方的に殴られ蹴られことになった。

「てこずらせやがって」

「一文なしじゃ絡み損だ。行こうぜ」

「ああ」

 3人の男は、一方的に才人を殴り終えた後、肩で息をしながら去って行った。

(俺1人の力じゃ、“ハルケギニア”に戻れない。セイヴァーの考えのうちだとしても、どうやって戻れば良いんだ? ……もう逢えないんだ……ルイズ……)

 才人は、空に浮かぶ1つの月を眺めながら涙を流した。

 その涙は決して、痛みによるモノだけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな岩山が震え、吹き飛ぶ。

「――な、なんだ!?」

「“ドラゴン”が……成長している!?」

「なんて巨大な……」

「皆退がれ! 退がるんだ!」

 巨大な岩山の中から現れたのは当然“エンシェント・ドラゴン”であるが、その姿は変化していた。

 背には黒々とした大きな翼が生えており、“エンシェント・ドラゴン”は力強く羽撃き、空へと上昇する。

 見張りをしていた“聖堂騎士”達は、飛び去って行く“エンシェント・ドラゴン”をただ見守ることしかできない。

 “エンシェント・ドラゴン”は再び、“竜”達を呼び寄せ、伴って飛行を開始した。

「正面からなにかが、接近して来ます!」

「正面だと!?」

「あれは……!」

「“エンシェント・ドラゴン”……!」

「飛べるなんて聞いてないぞ!」

「撃て! 今直ぐ攻撃を!」

 連合艦隊に向けて、“エンシェント・ドラゴン”は飛行し、口を大きく開けてブレスを吐く。

 そんな“エンシェント・ドラゴン”のブレスが吐かれるのと同時に、艦隊から影が1つ飛び出した。

 その飛び出した影により、ブレスは一刀両断され、辛うじて艦隊は被害を免れる。

 夜の太陽が、2つに別れて飛んで行く。

『タバサ、“真名解放”させて貰うよ』

『お願い』

 “思念通話”で遠く離れた場所にいるタバサと会話をし、了承を得たことで、イーヴァルディは“魔力”を、そして“宝具”の“真名”を解放する。

「――“皆の内に眠る勇気を揺り起こす者(イーヴァルディ)”!」

 “真名開放”により、艦隊から放たれた大砲の弾の速度が上がり、その全弾が“エンシェント・ドラゴン”に命中し、炸裂する。

 だが、“エンシェント・ドラゴン”にダメージはほとんどなく、煩わしいとばかりに咆哮を上げるだけである。

「艦隊の皆! 僕達は、“トリステイン魔法学院”で準備が完了するまでの間、時間を稼ぐよ! 時間を稼ぐだけで良い! 後は生き残ることだけを考えて!」

 イーヴァルディの叫びに、艦隊の速度が上昇し、乗員達の意欲や能力が上昇する。

 再び艦隊から弾が放たれ、落下しつつあったイーヴァルディは“八艘飛び”のようにしてそれを踏んで跳躍し、再び“エンシェント・ドラゴン”へと剣を構えながら向かった。



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エンシェント・ドラゴン

「“エンシェント・ドラゴン”は予想を上回る速度でこちらへ向かっているそうじゃ。まあ、連合艦隊の必死の抵抗とイーヴァルディ君のおかげでどうにか遅らせることはできているようじゃが」

「でも、そろそろ姫様の艦隊が」

「それが、大砲の増設に時間が掛かっているようでの」

 “魔法学院”の学院長室で、オスマンとルイズは現在の状況を“遠見”を使用して確認していた。

 だが、当然状況は芳しくない。

「“ドラゴン”が見えた! 南南東、15“リーグ”!」

 窓際で“遠見”を使用して警戒をしていたマリコルヌが叫んだ。

「艦隊は間に合わなんだか……」

「艦隊が、敗走をしながら応戦してるみたいだよ! あれは、イーヴァルディか!?」

 オスマンがそう言った直後、マリコルヌは再び叫ぶ。

 皆が窓の外へと目を向けると、驚くべき光景がそこにはあった。

 確かに先に出ていた艦隊はそのほとんどの艦を失い、敗走している。だが、それ等戦列艦などからは砲弾や“魔法”が“エンシェント・ドラゴン”へと向かい攻撃が続いており、まだ士気が落ち敗走ムードになっている訳ではないことが、遠目でも判った。

 そして、なにより皆を驚愕させたことは、イーヴァルディであった。

 既にここにいる皆は、イーヴァルディが“イーヴァルディの勇者”の主人公であるということを、“英霊”――“サーヴァント”で在ることを知っている。だが、彼の実力の全てをまだ知っている訳では、理解していた訳ではないのである。当然、タバサも知らなかった。

 イーヴァルディは、発射される砲弾から砲弾へと跳躍し、八艘飛びの要領で常に足場を確保して移動。そして、“エンシェント・ドラゴン”へと剣圧を飛ばすなどをして攻撃していた。

 当然、“エンシェント・ドラゴン”の躰は大きいのでダメージといえるようなダメージはない。が、それでも“エンシェント・ドラゴン”の気を引くこと――ある程度の誘導をすることなどは可能であった。

 イーヴァルディを目の敵にした“エンシェント・ドラゴン”の咆哮に従うように、従わされている“竜”達は一斉にイーヴァルディへと向かい攻撃を仕掛けようとする。

 だが、 “メイジ”達を始め艦隊の乗員達が“竜”へと攻撃をして絶妙に邪魔をするのである。“竜”の両翼に“魔法”で穴を空けて飛行できないように仕向け墜とす、などといった風にである。また、“エンシェント・ドラゴン”の目へと向けて砲弾を撃ち込むことで目眩ましを行うなどもまたしていた。

 そんな小さな妨害的攻撃は、“エンシェント・ドラゴン”を苛立たせるのと同時に、確かに進行を邪魔することに成功させていたのである。

 だが、そういったモノにも当然限界というモノはあり、次第に“メイジ”達の“精神力”や砲弾が尽きて行ってしまう。また、イーヴァルディの“宝具”もそう長くは続きはしない。

 “勇気”を振り絞っても、無理な時は無理、無理なモノは無理なのである。

 だがむしろ、ここまで良くやった、と褒めるべきであろう。

「艦隊の皆! もう直ぐ“魔法学院”だ! 直ぐに退艦準備をして! 時間は稼ぐから!」

 イーヴァルディは剣を振いながら、怒鳴った。

 だが、艦隊から出て行く者達は誰1人おらず、それどころか“エンシェント・ドラゴン”に向けた砲弾の発射速度や“魔法”による攻撃はより苛烈さを増す。

 言葉で語るではなく、乗組員達は行動で語ったのである。

「全く……命を大事に! だよ! 勇気と蛮勇はまた似て非なるモノなんだから!」

 そうイーヴァルディが言った直後、“エンシェント・ドラゴン”は大口を開けてブレスを吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “東京”の住宅街にある道を、才人は寂しく歩いていた。

 朝早であるために、人の影はほとんど見当たらない。

 そして、ふと足を止める。

 顔を上げた先にあったのは、一軒の家であり、表札には“平賀”とあった。

 平賀才人の家、なにより望んでいた実家であった。

 自身の家を見て、才人は帰って来ることができたことを実感し、インターホンを見る。

 そこにあるボタンを押して家の中にいる母親か父親を呼び出そうとするのだが、自身の左手甲に刻まれた“ガンダールヴ”の“ルーン”を目にし、止めた。

(“ガンダールヴ”の“ルーン”……ルイズとの“契約”はまだ残ってる……それに、まだ繋がってることが判る……ルイズにあんな悲しい顔をさせちまった。好きな女の子1人笑顔にできないなんて、男じゃねえ……)

 才人は拳を強く握り締め、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “魔法学院”は、本塔とその周囲を囲む壁、其れと一体化した5つの塔からなっている。そして、それぞれの塔は、“魔法”の象徴であり、“水”、“土”、“火”、“風”、そして“虚無”を表している。

 そのうちの塔の1つに、レイナールはいた。

「――き、来たあああ!」

「騒ぐな」

 怯えるレイナールを、ジャックがなだめ、“マジック・アイテム”を使用する準備をする。

 その“マジック・アイテム”は、杖のようであり、また銃のようでもある。だが、それ等とは全く違うということもまた一目で判るだろう。ただ言えることは、それが棒状のなんらかの“マジック・アイテム”であるということだけである。

 だが、よくよく見ると、それにはボタンが幾つかあり、先端には赤い宝石が付いている。楽器のようでもあり、やはりなにか別の道具であるとしかいえないモノであった。

 そんな“マジック・アイテム”にあるボタンの内の1つを、ジャックが押すと、先端にある宝石が光る。

 他の塔には、キュルケとジャネット、ギーシュとドゥードゥー、タバサとダミアンが待機しており、それぞれがジャックと同じ“マジック・アイテム”を所持し、準備をしていた。が、彼等が持つ“マジック・アイテム”の先端は、ジャネットが持つモノは緑色といった風に、ジャックが持つモノとは違う色をしている。

 “学院”の直ぐ側まで近付いたこともあり、“エンシェント・ドラゴン”はブラスを吐く。

 ついに、艦隊はそのブレスによって崩壊してしまう。が、どうにか乗員達は“フライ”や飛び降りからの“レピュテーション”や“フライ”などを使うことで、脱出に成功する。

 吐かれたブレスは其の儘、“学院”へと向かうが、イーヴァルディが其れを斬り裂いてみせた。

 だがそれも織り込み済みであったのか、ただもう1度吐いただけなのか、“エンシェント・ドラゴン”は再びブレスを放った。

 そんな“エンシェント・ドラゴン”のブレスを前に、イーヴァルディは宙に浮かび落ちている最中であるために、なす術もなく、見送るしかなかった。

「――うわああああああああああ!?」

 ブレスが向かって来るのを目にし、仕方のないこととはいえ、ギーシュは情けない悲鳴を上げてしまう。

 だが、そのブレスは見えなになにかに防がれ霧散する。

「“先住魔法”、“精霊の力”による“反射(カウンター)”さ」

「え?」

 驚くギーシュに、ドゥードゥーは言った。

「“精霊の力”を道具で強めるなんて、“元素の兄弟”とやらって、一体何者なんだ?」

「ホント、ヒトの国って退屈しないわよね」

 アリィーはそんな“マジック・アイテム”に対して驚き、ルクシャナは目を輝かせて言った。

「範囲が広過ぎるから余り長くは保たないかもしれないよ」

「今は十分」

 ダミアンの言葉に、タバサは短く首肯いた。

「これで艦隊とミス・エルディとセイヴァー君が来るまで、保ち堪えれば良いんじゃが……」

「見てください! “竜”の群れです!」

 学院長室で、オスマンは自身の机に座りながら目を閉じ、言った。

 だが、同じく学院長室にいたシエスタが、窓の外を指さして叫んだ。

 もう肉眼でハッキリと捉えることができるほどに、近付いて来ているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(“ハルケギニア”に帰ら為きゃ……だけど、どうやって? 考えろ、きっとなにかあるはずだ!)

 才人は必死な様相で走りながら頭を働かせた。

 そこでふと、才人は足を止め、前を通り過ぎようとしてしまった店を見やった。

 その店は、小さな売店のようで、手頃な飲食物や雑貨などが少量、雑誌や新聞などが売られている。

「――!」

 そこで才人は、想い付き、新聞を手に取り、日付を確認した。

「――え? あ、あの……お客さん?」

 戸惑う店員を余所に、才人は目を走らせる。

「そうか……今日は……でも、どうして? タイムスリップでもしたのか? いや……」

 そこに記載されている日付を確認し、才人は一瞬戸惑った。

 だが……。

(俺が“ハルケギニア”に行った日と同じ……でも、“ハルケギニア”では1年以上もの時間が経ってる……異世界だからって理由とかもあるだろうけど、これがもし“魔術”や“魔法”が絡んでるなら……)

 才人の頭の中で1つの答えが導き出された。

(――“レイシフト”!)

 それから、才人は読み終わった新聞を元の棚に戻す。

「立ち読みしてごめんなさい!」

 才人は叫ぶように謝罪の言葉を口にしながら、その場を疾走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5つの塔で使用されている“マジック・アイテム”で展開された“反射”の防御フィールドに、“竜”達は突っ込んで来る。自らの躰が傷付くのを恐れることなどないといった様子で。

「きゃあ!?」

「だ、大丈夫よ……この程度で破られたりしないはずだわ」

 怯えるシエスタに、モンモランシーは安心させるようにそう言った。だが、彼女自身も怯えは当然あり、その“杖”を握っているその手は震えている。

「――き、来たああ!」

 何匹もの“竜”達が防御フィールドに攻撃を続ける中、窓際にいたマリコルヌが歓喜の声を上げた。

「艦隊だ!」

 “エンシェント・ドラゴン”の遥か後方ではあるが、幾つもの戦列艦が向かって来ているのが見えた。

 その数は、“竜母艦”などがないために“聖地回復連合軍”の時ほどではないが、それでもかなりの数である。

 艦隊の中には、“オストラント号”の姿もあった。

「“ハルケギニア”連合軍! 全艦攻撃準備!」

 アンリエッタの号令に、艦隊の砲塔が全て“エンシェント・ドラゴン”へと向けられる。

「砲弾装填!」

 “オストラント号”に搭乗したアニエスが、“水精霊騎士隊”の少年達へと指示を出す。

「ご協力、感謝する、アニエス殿」

「奇妙なモノだな、おまえと共に戦うことになるとは」

 “オストラント号”の甲板上で、礼を言ったコルベールに、アニエスは自嘲気味に言った。

「自らの過去のためではなく、“世界”の未来のために力を尽くそう、ミスタ・コルベール!」

 だが直ぐにアニエスの顔と言葉は、過去に囚われた者のモノではなく、未来を見据えた希望有るモノへと変わる。

「……ありがとう」

 そんなアニエスに、コルベールも強く首肯いた。

「この攻撃が通用すれば“魔瘴壁”が破れるはずだ」

(そこでルイズが、“爆発(エクスプロージョン)”を放てばきっと……)

 艦隊の中心にいるコルベールとアンリエッタ、そしてジュリオは同じことを考えていた。それ故に、意思の疎通を取らずとも連携を取ることができている。

「――全艦! 攻撃始め!」

 アンリエッタの号令に、全艦隊から“エンシェント・ドラゴン”へと向けて攻撃が始まる。

 その全てが見事に命中する。

 数が数であるために、“エンシェント・ドラゴン”は悲鳴を上げて地面へと墜落するかのように降りる。

「効いているわ。第二射、発射!」

 アンリエッタの指示で、再び装填された砲弾が放たれる。

 砲弾の全てが命中し、爆炎と土煙が巻き起こる。

「動きが止まった?」

「やったぞ!」

「成功だ!」

 煙が舞い上がる中、“エンシェント・ドラゴン”は身動きの1つも見せないでいる。

 それに対し、アンリエッタは疑問を覚えるが、騎士達はただ喜びの声を上げた。

「いや……」

 だが、直ぐにジュリオとアンリエッタ達は斃すことに成功した訳ではないということに気付いた。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 躰を大きく震わせ、“エンシェント・ドラゴン”は空を仰ぎ、咆える。

 その咆哮に、騎士達を始め皆動揺を隠すことができなかった。そして、“エンシェント・ドラゴン”の咆哮により、彼等の戦意は挫かれてしまう。

 “エンシェント・ドラゴン”は口を大きく開けてブレスを吐いた。

 艦隊へと命中するかと想われたそれは、なにかに弾かれ、艦隊は守られる。

「こ、これは……?」

 アンリエッタが驚き、コルベールが振り向く。

 そこには、“エルフ”の艦隊があった。

「“エルフ”だと!?」

 アニエスがアンリエッタ同様に驚愕の声を上げた。

「“火石”に“火”の力を入れて、火の盾に……このような使い方が……」

「ジョゼフの愚行もまた、彼の言葉を借りるなら“大いなる意思”の導き、か……」

 “エルフ”の艦の1隻にいたビダーシャルは、隣にいた“エルフ”の言葉を聞き、ポツリと呟いた。

「“ネフテス”の艦隊だ! ビダーシャル卿が約束通り来てくれたんだ!」

 アリィーが喜びの声を上げる。

「ヒトとの交流に賛同する“エルフ”があんなにいるんだわ! ――ああ!?」

 ルクシャナも喜びの声を上げるが、“竜”が“学院”を襲い続けているkとに変わりはなく、彼女がいる塔の窓がある場所へと攻撃を仕掛けて来る。

「お、おい……大丈夫、なんだろうな?」

「知るもんか。ダミアン兄さんに訊いてくれ!」

 “竜”達が何度も自身の躰が傷付くのを厭わず体当たりなどをして来るのを目にし、ギーシュは不安になり言った。

 だが、ドゥードゥーもまた不安ではあるが、どう仕様もないことからぶっきら棒な返し方をしてしまう。

 “エンシェント・ドラゴン”は自ら飛行して“学院”の方へと向かい、防御フィールドが展開されている中に降り立とうとする。

 飛行した際、ヴィットーリオの“浄化”によって剥がされた部分が赤々と見えており、艦隊の砲撃のおかげでその部分がより大きくなっていた。

 想定以上の重量のモノ――“エンシェント・ドラゴン”が上に乗ったために、防御フィールドに罅が入り出す。

「――こりゃ不味いぞ! “フライ”!」

 ギーシュがいる塔の上に入った罅が大きくなり、防御フィールドは割れてしまう。

 そして、その重量故に“エンシェント・ドラゴン”は地上へと落ち、塔は崩れた。

「ギーシュ!?」

 それを目にしたモンモランシーは悲鳴を上げるが、土煙が舞い上がる崩落した塔からギーシュとドゥードゥーが“フライ”を使用して脱出するのが見え、一先ずの安堵をした。

 “エンシェント・ドラゴン”によって防御フィールドが破壊されたことで、“竜”達が一斉に塔へと体当たりをし、窓から顔を建物の中へと突っ込んで来る。

「こいつはもう用なしだな」

 ダミアンはそう言って、“マジック・アイテム”を放り捨てた。

「皆と合流する」

 タバサは“杖”を構えて言った。

「“ファイア・ボール”!」

 キュルケが“ファイア・ボール”を唱え、壁を壊して入って来た“竜”に火球を当てる。

「移動するわよ!」

 ジャネットの言葉に従い、キュルケは塔から脱出した。

「はあ……ふん!」

 オスマンは、学院長室の窓から入って来ようとする“竜”達に、“風”の“魔法”を使用して吹き飛ばす。

 壊れた窓の奥から、外に居る“エンシェント・ドラゴン”の顔が見える。

 “ドラゴン”は、“虚無の担い手”であるルイズとティファニアを見ていた。

「テファ、“ドラゴン”が狙っているのは私達よ。ここから離れなきゃ」

「は、はい!」

「シルフィード、お願い」

「任せてなのね!」

 学院長室から、イルククゥは“韻竜”であるシルフィードへと戻り、ルイズとティファニアを乗せて上空へと羽撃く。

 “エンシェント・ドラゴン”は大きく翼をはためかせ、シルフィードを追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう!」

 トラックから降りて、才人は手を振って感謝の言葉を言った。

 ここは、自衛隊基地である。

 才人は、ヒッチハイクをして、ここまで来たのである。

「ルイズ、今行くからな」

 才人は空を見上げて言った。

 空に浮かぶ太陽には黒い影が差し込んでおり、日蝕が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフィードが空へ向かい逃げるが、“エンシェント・ドラゴン”に支配された“竜”達はシルフィード――正確にはルイズとティファニアに向かって体当たりなどを仕掛けて来た。

「“ニード・イス・アルジーズ……ベルカナ・マン・ラグー”!」

 ティファニアは簡略化した“呪文”を“詠唱”し、“杖”を“竜”達へと向けて振った。

「テファ、ありがとう」

「いえ」

 “忘却”に成功した“竜”達は、自身がなにをしていたのかを忘れ、その場に留まる。

 だがそこに、“エンシェント・ドラゴン”が追い付き、ルイズとティファニア、シルフィードの後ろを飛ぶ。

「じょ、女王陛下。砲撃を!」

「なりません」

「え?」

「今撃てば、ルイズとティファニアにも危険が」

 艦の上にいた騎士の1人の提案を、アンリエッタは却下する。

 アンリエッタは、ルイズとティファニアのことを救けたいが、今できることがない、ということもまた理解しているのである。

 故に、アンリエッタは砲撃命令を下すことができず、歯噛みした。

 シルフィードごとルイズとティファニアを喰らおうとする“エンシェント・ドラゴン”から、シルフィードはどうにか逃げ切る。

 が、躰の大きさの違いがあるために、完全に振り切ることはできない。なにせ、“エンシェント・ドラゴン”の躰の大きさは、ヴィットーリオを喰らう前の3倍ほどにもなってしまっているのである。

 詰まり、“虚無の担い手”を喰らい、それを糧にすることで成長したのである。

 翼が生えただけではなく、躰もまた実際に大きくなったのであった。

「あ!」

「さっきの艦隊の攻撃で、“魔瘴壁”が消えてる!」

 艦隊の砲撃で大きく“真瘴壁”剥がれ落ちていることに、ティファニアとルイズは気付いた。

「それなら……」

 ルイズは立ち上がり、“杖”を構えた。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……“爆発(エクスプロージョン)”!」

 ルイズが持つ“杖”から光の波動が“エンシェント・ドラゴン”へと向かい、“真瘴壁”が剥がれた箇所で“爆発”が起こる。

 大きな爆発が起こり、“エンシェント・ドラゴン”の躰がよろめくのと同時に、ルイズ達の視界が光で染まる。

「……!? 生きてる……」

 だが、光が消えたのと同時に、“エンシェント・ドラゴン”はルイズへと向かって咆哮を上げながら飛んで来た。

「ルイズ!」

 ルイズは力なく座り込み、呆然とする。

「力が……」

「――!?」

 後方を明るくなったことに気付き、ティファニアは振り返った。

 振り返った先では、“エンシェント・ドラゴン”が口を開き、今にもブレスを吐こうとしていた。

 咄嗟のところでシルフィードは急上昇し、回避してみせた。それから、“エンシェント・ドラゴン”の横を通り過ぎようとするのだが――。

「――きゃあああああ!?」

 “エンシェント・ドラゴン”の尻尾で、シルフィードは叩き付けられてしまい、吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされたシルフィードから、ルイズとティファニアは転げ落ちてしまい、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才人は、コッソリと“自衛隊”基地へと忍び込み、監視カメラの死角を突いて格納庫へと向かう。

(誰も来ない……? 一体、どういうことだ?)

 疑問に想いながら、才人は格納庫の前へと到着した。

 そして、到着するのと同時に、才人は驚いた。

(――! ラッキー! 一機だけ外に置いてあるじゃねえか……)

 才人は恐る恐る近付き、コックピットの中へと入る。

 それから操縦桿を握った。

 “ガンダールヴ”の“ルーン”が、才人に操縦方法などを教えてくれる。

 才人は確認を終えるとそのまま、操縦し、太陽を目指し離陸した。

 太陽は、日蝕が始まる直前である。

(日蝕に飛び込めば“ハルケギニア”から“地球(こっちの世界)”に帰れるかもって、前に言われた……だったら――)

 才人は、操縦桿を強く握り押し倒す。

「――だったら、その逆も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を取り戻したルイズは、目を開く。

 一面に草が生えているのが、ルイズには見えた。

「テファ!」

 痛む身体を抑え、ルイズは身を起こす。それから、離れた場所で意識を失い倒れているティファニアを見付け、呼び掛けた。

「あ……くう……」

 だがそこに、“エンシェント・ドラゴン”が着陸し、ルイズの前に顔を見せる。

「い、嫌……サイト……」

 圧倒的かつ絶望的状況を前に、ルイズは目尻に涙を溜め、“使い魔”の名前を口にした。

 “エンシェント・ドラゴン”の目は、ヴィットーリオを完全に吸収し終えたためか、赤色から黄色へと戻っている。

「救けて……サイトオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 するとそこに、太陽から“エンシェント・ドラゴン”へと向かってなにかが2つ飛来し、命中した。

 命中したそれは大きく炸裂し、爆発した。

 “エンシェント・ドラゴン”は、飛来したそれ等を放ったモノがいる太陽の方を見やった。

「……え?」

 ルイズもまた、そちらへと呆然としながら目を向ける。

 そこに、意識を取り戻したシルフィードがティファニアを乗せながら、ルイズを掴み急速離脱をした。

「まさか……サイトさんが!?」

「サイトさんが帰えって来た!?」

 ティファニアとアンリエッタが、その突如飛来したそれを見て、目を大きく見開いた。

 飛来したそれは翼の生えた鉄の塊であり、どことなく“竜の羽衣”の面影がある。

「やっほおおおおお! “ハルケギニア”だ!」

 才人は雄叫びを上げ、“戦闘機”を操作した。

「こいつはおでれえた。まさかホントに帰れるとは想わなかったぜ」

「ああ、俺もビックリだよ! って、ええ!? デルフ!?」

 歓喜の声を上げる才人だが、その声は直ぐに驚愕へと変化した。

「おうよ。元気だったか? 相棒」

「“元気だったか?”じゃないだろう! どういうことだよ?」

「正直、俺っちにも良く理解んねえんだけどよ……剣、刀が壊れてからこっち、おまえさんの“ガンダールヴ”の“ルーン”の中で、眠ってたみたいだな。元々そう言った機能があったのか、セイヴァーの野郎がなにかしたのか」

「眠ってたって……? まあ良いや、兎に角生きてんだな?」

「おう! ピンピンしてるぜ!」

 才人の質問に、デルフリンガーはいつもと変わらぬ調子で答えた。

「そっか! じゃあ、いっちょ暴れっか!」

 才人はそう言って操縦桿を思い切り倒し、“戦闘機”を加速させる。

 照準を合わせた後、才人は立て続けに4発“ミサイル”を発射した。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 “ミサイル”は“エンシェント・ドラゴン”へと向かい、頭と背中にある“魔瘴壁”を見事に剥がしてみせた。

 “戦闘機”は、“エンシェント・ドラゴン”の頭上を通り過ぎる。

 後ろを振り返りながら、才人は舌打ちをした。

「くそっ、まだ“魔瘴壁”が……だったら……!?」

 そう才人が言った直後、コックピット内に小さな光が発生する。

 その光は次第に大きくなり、鏡と同程度の大きさになる。

「サイト! あんた、どうして!?」

 その鏡――“世界扉(ワールド・ドア)”からルイズが顔を覗かせた。

「ルイズ、ちょうど良かった! こっちへ来てくれ!」

「へ? ちょ、きゃああ!?」

 才人は少し驚きはしたものの、渡りに船と言わんばかりにルイズの手を引き、コックピット内へと招き入れた。

 ルイズは才人の膝の上に座る形で、コックピット内へと入った。

「ちょっと、サイト!」

「痛たたたた」

 ルイズは、才人をポカポカと場所も気にせず、叩く。

「この馬鹿! どうして帰って来たのよ!?」

「……だって!」

「私、すっごく悩んで、悩んでやっと!」

「ごめん……いや、ありがとうルイズ」

 そんなルイズに、才人は彼女の手を取り、短いながらも誠心誠意を込めて謝罪と感謝の言葉を口した。

「だけど……俺も“ハルケギニア(この世界)”を守りたいんだ。だから、あいつを斃そう! 一緒に!」

「う、うん……」

「俺はもう1度攻撃して、“魔瘴壁”を消す。そしたら、ルイズが“爆発”で」

「でも私の力はもう……」

「俺がいる」

 先程の“爆発”が通じなかったことから不安がるルイズに、才人は自信満々に言ってみせた。

「い、嫌! “リーヴスラシル”の力を使ったら、サイトは!」

 ルイズのそんな言動に、才人は、彼女が自身と同じことで悩んでいることに気が付いた。

「ルイズ、約束する」

 才人は、ルイズの手を取り、言った。

「俺は死なない」

「え?」

「大好きなルイズを遺して逝くもんか。セイヴァーが何もして来ないってことは、大丈夫だってことだろ? それに……」

「それに?」

「それになにより、俺は、ルイズの……“ゼロの使い魔”なんだ!」

 才人は、強く言い切ってみせた。

 その顔は、大好きな女の子が側にいることで、護りたい人が側にいることで、力を発揮させることができる男の子としての顔であるといえるだろう。

 また、この時、才人の中の“虚無の使い魔”である“ガンダールヴ”としての、そして“盾の英霊(シールダー)”としての力が十二分にみなぎっていた。

「サイト」

 才人はソッと目を閉じ、ルイズの唇に自身のそれを優しく重ねた。

 ルイズは、戸惑いはしたものの、それは一瞬だけであり、目を閉じて直ぐに受け入れた。

 ファーストキスから始まった2人の運命(恋のヒストリー)は、魔法を掛けられ、何度も、幾つもの問題はありはしたが、結局のところ紆余曲折を経て乗り越え、こうして結び付くモノである。“運命”は、“根源”から生まれ出たそれ等は、そういった障害を乗り越えさせ、2人を結んでみせた。

 状況が状況で在るために、一瞬だけではあるが、それだけでも2人には十分過ぎた。

 繋ぐ手を通して、“リーヴスラシル”の能力が発動し、ルイズへと“小源(魔力)”が流れる。

 だが、才人の体力はさほど失われることはなく、それどころか逆に力が余計に漲って来るほどであった。

(感じる……サイトの命……)

 2人は閉じていた目を開き、重ねていた唇を離別。

 そして、ルイズは言った。

「私、やるわ」

 ルイズは“杖”を掲げ、意識を集中させる。

 彼女の中で、“精神力”が大きなうねりとなり、また渦となる。それは荒々しくも落ち着いたモノであり、矛盾しながらも一定の法則を持っているといえるだろう。“精神力”は次第に“魔力”へと変化し、定められた式に則って彼女に“二つ名”を与えた、“虚無”の初歩の初歩の初歩を発動する準備が行われる。

「一斉砲撃を!」

「撃て!」

 示し合わせたかのように、“ハルケギニア”連合艦隊と“エルフ”の艦隊から砲撃が放たれる。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 砲弾が命中する中、“エンシェント・ドラゴン”は艦隊へと目を向け、咆哮を上げる。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド・ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ ジェラ・イサ・ウンジュー”」

 ルイズの“詠唱”は落ち着いたモノであり、その声は静謐でありながらも確かな力が込められている。彼女の口からこぼれ出る調べは響き渡り、砲撃が繰り返されているこの戦場にいる者達にもハッキリと聞こえていた。

 その“詠唱”が、戦場に連なる者達の戦意を向上させる。

「ルイズ、行くぞ!」

 才人はそう言って、シートの横に配置された脱出用のレバーを引いた。

 コックピットを覆っているキャノピーが爆薬で破壊及び取り外され、慣性の法則に従い、才人とルイズが座る座席は後方へと吹き飛んだ。

 戦闘機は、そのままの速度で“エンシェント・ドラゴン”の腹部へと突っ込み、命中し、爆発する。

 “エンシェント・ドラゴン”は、憎々しげに才人とルイズを見据える。

「“ハガル・ベオークン・イル”」

 展開されたパラシュートによって風に戦ぐ中、ルイズは才人に抱き抱えられながら、“エンシェント・ドラゴン”へと目と“杖”を向ける。

「“爆発(エクスプロージョン)”――!」

 これまでの比ではない“爆発”が、“エンシェント・ドラゴン”を襲った。

 その爆発は、ブリミルが放った“生命(ライフ)”と同程度の威力を誇る。

 だが、周辺の地形などを変化させることはなく、ただ対象に強烈なダメージを与える。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 周囲に眩い閃光が奔った。

 戦場にいる者達の目を灼くほどのその光を、皆は静かに見守った。

「なあ、ルイズ……」

「なによ?」

「シオンとセイヴァーはどうしたんだ?」

「そう言えばなにをしてるのかしらね? “秘密兵器を持って来る”とか言ってたみたいだけど……でもまあ良いじゃない。“ドラゴン”も斃したんだし……」

 まだ光が消えない中、才人とルイズは話した。

 2人の体力と“精神力”はこれまで“魔法”を放った時や“体力を譲渡した(リーヴスラシルの力を使った)”時と比べて、消耗はしておらず、0に等しいといっても良いレベルである。

 しいていってしまうのであれば、心地好い疲労感を覚えていた。

 だが、その後に再びルイズ達は絶望を前にすることになった。

「な、なによ……あれでも生きてるっていうの……?」

 光が消えた後には、まだ“エンシェント・ドラゴン”がルイズ達を睨んでいたのである。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 その身体に纏って居た“魔瘴壁”は消えてはいるが、 “エンシェント・ドラゴン”は健在を主張するかのように、咆哮を上げた。

「それはそうだろ」

「セイヴァー……? ――!?」

「……“神代”のそれ、いや、それ以上に旧い力には“神秘”が宿る。“神秘”を侮ってはならんよ」

 呆然とするルイズ達に、俺は外部へと聞こえるようにマイクをオンにして言った。

 空には、この場にいる皆にとって、想像を絶する巨大な浮遊要塞が高度7,500“メイル”の地点に浮かんで居た。

 “虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”。

 “白の国(アルビオン)”ほど大きい訳ではないが、それでも彼等を圧倒するには十分過ぎる。

 規則正しく並べられた緑豊かな浮島、外からは見えないが大理石でできた床や柱で構成されており、全体に汎ゆる種の植物が絡んでいる。混沌の醜さと絢爛の美しさが同一化しているのである。そして、連合艦隊の全ての艦を収容することができるほどに巨大であった。

 この“宝具”は本来、“魔力”による顕現は不可能であり、現実で作る必要がある。それは、本来の持ち主である“セミラミス”が実際は空中庭園など建設していないにも関わらず、彼女に関する伝説にいつの間にか組み込まれた虚偽はいつしか本物となってしまい、後付けの“神秘”として彼女自身に刻み付けられたためであった。

 この“宝具”の名前にある虚栄とは事実に反する紛い物であることを意味している。現実世界に虚偽の代物を持ち込むために、材料に関しては現実の物を使用せねばならず、“セミラミス”が生きていた土地――“イラク”の“バグダット”周辺の木材、石材、鉱物、植物、水といった材料を全て揃える必要があり、“中東”に存在するとある年代以降の遺跡から、土と石を一定量運び、それを組み上げることによってようやく発動準備が完了するのである。詰まり、お金を掛ければ掛けるだけ“神秘”が強く濃くなり、庭園は強化されるのである。

 また、3日3晩の長時間の儀式を行う必要があり、これは虚栄に真実という楔を打ち込むために必要な“儀式”だ。“セミラミス”による“詠唱”が72時間分必要である。これによって庭園としての機能を発動できるのだが、庭園を拡大すればするほどに、あちこちに楔を打ち込む必要が出て来る。

 そして、それ等の準備を行うには先に述べた通りのそれ相応の資材や資金などが必要ではあるが、“錬金”や他の“宝具”などを利用して、それ等を難なく可能にしてみせたのである。

「さて……“十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)―起動……!光栄に想え、そう見られるモノではない。神代の力で薙ぎ払ってやろう……”」

 庭園周囲には、全長20mを超える巨大な漆黒のプレート――11基の迎撃術式――“十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)”が、庭園を囲む様に配置されている。これ等は、対軍級の光弾による“魔術”攻撃を行うことが可能である。

 そんな“十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)”全ての前面に眩い光が現れる。

「“人が触れられぬ天の城塞を見せてやろう。虚栄の庭園──虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)!!”」

 それ等“十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)”から一斉に、“魔術”による光弾が“エンシェント・ドラゴン”へと向けて発射される。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

「痛いか? そうであろうな……おまえの気持ちもしようとしていることも十分に理解できる。共感もできる。だが、それはならん。ならんのだ。“竜”が世界を征する時代はもう終わったのだよ。これからの“ハルケギニア”は、それぞれの種族が共生する時代だ。“地球”では既に“神代”は終焉し、“幻想種”であるおまえ達には居場所がない。“世界の裏側”に行く他ない状況だ。そこまでする必要が無いことに、満足しろとまでは言わないが、それでも……奪い合い、殺し合うよりはマシだろうて」

「――きゃあああああああ!?」

「――うわああああああ!? セイヴァーの野郎、加減なしかよ!?」

 “十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)”から放たれた光弾は“エンシェント・ドラゴン”へと命中し、大きく爆発する。その爆発は、“連合艦隊”を揺るがすほどであり、才人とルイズ、シルフィードとティファニアを吹き飛ばすかなり遠くへと吹き飛ばした。

 更に、“虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”が浮かんでいる方角から幾つもの“戦闘機”と酷似したモノが100機近く飛来し、“エンシェント・ドラゴン”へと向かう。

 “戦闘機”と似た飛行機械は、“エンシェント・ドラゴン”の上空を通り過ぎる。その際に、幾つもの何かを落下させる。

 落下したモノは“エンシェント・ドラゴン”へと打つかるのと同時に大きく爆発する。

 絨毯爆撃を行っているのである。

 そこに、“エンシェント・ドラゴン”の元へと俺は移動する。そして、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を“投影”し、構える。

「“邪悪なる竜は失墜し、世界は今落陽に至る。撃ち落とす。幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!”」

 “Aランクに到達した聖剣と魔剣両方の属性を持ち、竜殺しをなした黄昏の剣”を再現し、それを放つ。

 “真名”を解放したことで剣を中心として半円状に拡散する黄昏の剣気を放たれる。

 剣気は“エンシェント・ドラゴン”へと打つかり、爆発を起こす。

 爆発と光が収まった先には、白くボロボロになり、力なく項垂れている“エンシェント・ドラゴン”が座り込んでいた。既に死に体であるといっても良いであろう。

「やった……やったぞ! セイヴァーの野郎、美味しいところだけ持って行きやがって!」

 才人がそう叫んだ直後、なにかが“エンシェント・ドラゴン”へと向かい飛んだ。

 それは、影であった。

 人の怨讐の塊。

 負の感情の総念。

 酷く歪んだ黒い影――“復讐者(アヴェンジャー)”は、“エンシェント・ドラゴン”を自身の影に取り込んでしまう。

「な、なんだよ……? 嘘だよな……?」

 才人がそう言ったのと同時に、アヴェンジャーはそんな才人とルイズへと一瞬で距離を詰め、殴り掛かった。

「――!?」

 2人が息を呑む。

 逃げるか避けるかすれば良いのだが、それ等を行うだけの余裕は2人にはなかった。

 眼の前にある世界の影にただ呑み込まれ、圧倒され、動けずにいたのである。できることは、ただ自身の死を確信し、目を閉じるか開けているかのどちらかだけであった。

 だが、そんな2人にアヴェンジャーの攻撃は当たらない。

「――ま、そんなこと起こるはずもないんだけどな……第2ラウンド、始めっか。なあ? アヴェンジャー」

 俺はそう言って、アヴェンジャーの拳を弾いた。



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神話礼装

 俺は、“天津・黒鎧”を纏い、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を構える。

 “天津・黒鎧”は、黒を基調とし、エングレービングは施された鎧であり、至る所に銀河を模した色取り取りの宝石が鏤められている。

「さてアヴェンジャーよ。おまえは、これまで“ハルケギニア”で、寿命を全うすることができずに死んだ者達の無念の集合体と言っても良い存在だ。ただの攻撃では通じない。意味がない。故に、“解脱”……まあ、“反英霊”として召し上げられた今となっては意味をなさないが、それ以上苦しむのも嫌であろう? “英霊の座”へと強制送還させてやろう」

 俺はそう言って、 背後に“曼荼羅”のような“宝具”である“転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”を “投影”し、上空に70kmの大輪と7キロ“メイル”の小輪の2つの輪で構成された光輪として浮かび上がらせる。

 “転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”は本来、“救世主(セイヴァー)”の“クラス”の“サーヴァント”、その資格を持つ“セイヴァー”である“覚者”が持つ“宝具”……その1つである。

「さて……少しばかりの時間がある。言葉を交わすのもありだが、今のおまえは会話をする余裕などないだろう……“武”をもって対話をしようか?」

 俺がそう言って構え直すと同時に、アヴェンジャーは俺が言ったことなど全く気にした風もなく、ただ復讐心や無念などを打つけるためだけに突っ込んで来る。

 だが、ただ突っ込んて来た訳ではなく、アヴェンジャーは自身のその身体を変化させ、向かって来た。

 アヴェンジャーの腕や脚が“エンシェント・ドラゴン”のそれへと変化し、背には翼が、尻尾が生える。そして、龍腕へと変化したその手には巨大な剣や槍が握られていた。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 咆哮を上げるのと同時に、アヴェンジャーの身体が20“メイル”ほどにまで大きくなる。

「……ふん」

 俺は双剣である“乖双弓槍剣アヴルドゥク”をそれぞれ振るい、アヴェンジャーが手にする剣と槍を受け止める。

 辺りに狂風が巻き起こり、地面に罅が入る。

「聞こえるか!? この戦場にいる者達よ! 今直ぐここから立ち去れ! 少なくとも“遠見”でこちらを辛うじて捕捉できる程度かそれ以上の距離を取れ! 巻き込まれたくなかったらな!」

 俺はそう言って、アヴェンジャーの武器を弾き、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を銃へと変形させ、“魔力”で練り上げた弾を放つ。

 が、当然意味はない。ただの牽制である。

 アヴェンジャーは戦士や獣として生きていた時の感覚から、それを躱した。

 今のアヴェンジャーは、理性ではなく、感情と本能、恐怖や復讐心、強迫観などから動いているだけである。だが、理性で動いている時と同じように、動き、判断し、向かって来るのだからそれなりには厄介である。

「偉く芸達者な奴だな」

 俺は“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を槍へと変形させアヴェンジャーを突くが、アヴェンジャーもまたそれを弾き、こちらへと攻撃を仕掛けて来る。

 俺とアヴェンジャーが何度も剣戟を行う中、皆一目散に離れて行く。

 だが――。

「セ、セイヴァー、俺も……」

「無理をするな、才人。おまえはルイズを守ることだけを考えていろ」

 まだ近くには才人とルイズがおり、援護をするためかルイズは“杖”を構えている。

 だが、才人には“武器”がなく、ルイズの“精神力”はほぼ空である。

「だけど……」

「“武器”と“盾”を持たぬ“ガンダールヴ”や“シールダー”になにができる? イーヴァルディもタバサを守るために離れている。おまえ達もそうしろ。それともなにか? ハッキリと言った方が良いか?」

「…………」

 激しい剣戟の中、チラリと才人とルイズへと目を向けながら、俺は出来る限り冷たく低い声を出して言った。

「死ぬなよ、セイヴァー」

「当然だ。まだ死ぬ時ではない。まだ、な……そう。少なくとも、今ではないからな」

 本来の歴史――正史では、“聖地”を破壊するか、“エンシェント・ドラゴン”を斃すことで完結していた。

 が、この世界では、俺という存在により、大きな歪みができてしまっている。いや、俺の存在だけによるモノではない。なにせこの世界は、本来隣り合うことすらない“ゼロの使い魔”と“TYPE-MOON”の世界が混じりできあがった世界なのだから。

 主人公であったはずの才人とルイズ達を、脇役として見守るだけのつもりであったのだが。

 故に、この世界は必ず、いつかは“剪定”される。

「……度し難いよな、俺って」

 自嘲しながら、俺はアヴェンジャーとの剣戟を繰り返す。

 だが、そこで俺は敢えて、アヴェンジャーの剣による直撃を受けた。

「無駄だ。俺の“天津・黒鎧”には貴様の攻撃は一切通じない。“ハルケギニア”を“アルビオン”から見守り続けていた、円卓、だ。この鎧、“盾”は、“ハルケギニア”の歴史。“ハルケギニア”に住む人々の歴史でもある。壊したくば、“対界宝具”や“対人理宝具”でも持って来ることだ」

 “天津・黒鎧”には当然傷1つない。付くはずもないのである。

 “ランク”問わず、“対界宝具”や“対人理宝具”以外の攻撃は決して受け付けない。文字通りの鎧。なにせ、“蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)”と“いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)”を参考にして造り出した、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”同様俺だけの“宝具”なのだから。

 俺はそう言って、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を剣として振るう。

「……ほう」

 だがそれ以上の速度で、アヴェンジャーは剣を振るい、“天津・黒鎧”の隙間にある俺の身体――首や関節などを見事に斬り裂いた。

 完全に斬り離されるほどではなかったが、断絶寸前の状態で、俺の首と腕がブラリと力なく垂れる。

「…………」

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 アヴェンジャーが、俺に傷を与えることに成功したことで、雄叫びを上げる。

 だが当然、それも想定内である。既に、観ていたことである。

 俺の身体に刻まれた全ての即死級の傷は、見る見るうちに修復されて行く。

「――!?」

 時間の巻き戻しとでも想わせるそれに、アヴェンジャーは驚いた様子を見せた。

「驚いた様子だな。だが、無理もない。先程の攻撃、並の“サーヴァント”であれば、消滅は免れようとも、“霊核”を破壊されてしまうほどだからな。だが」

 俺は“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を横に振るい、アヴェンジャーを吹き飛ばす。

「なにせ、俺の身体には、今の俺の中には“地球”の“英霊”や“反英霊”、“神霊”達の力があるからな。黙って使ってるのだから、負ける訳にはいかんよ」

 “十二の試練(ゴッド・ハンド)”による回復、そして先程の攻撃に対しての耐性を獲得する。

 “十二の試練(ゴッド・ハンド)”は、“ギリシャ神話”の“大英雄”――“ヘラクレス”が持つ“宝具”である。彼の、“逸話”や人生などが昇華され“宝具”となったモノである。

 

――“曰く、ヘラクレスは12の難行を乗り越え、その末に神の座に迎えられたという”……。

 

――“まさに、不撓不屈。人間の忍耐の究極”である。

 

「俺のこの身体には、汎ゆる耐久を与える“宝具”が宿っていた。だが、そこからある程度必要だろうモノだけを残し、他は消した。俺の身には、“ヘラクレス”の“宝具”――“Bランク以下の攻撃を無効化し、蘇生魔術を重ね掛けすることで代替生命を11個保有、また、更に既知のダメージに対して耐性を持たせ、一度受けた攻撃に対してよりダメージを減少させる十二の試練(ゴッド・ハンド)”、“アキレウス”の“宝具”――“所有する神性スキルと同等以上ランクであれば無効化でき、それ以下の神性スキルではダメージが削減される勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”、“ジークフリート”の“宝具”――“Bランク以下の物理攻撃と魔術を完全に無効化し、更にAランク以上の攻撃であってもその威力を大幅に減少させ、Bランク分の防御数値を差し引いたダメージとして計上する悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)”があるのだが……ふむ、理解っていたとは言え、それを貫通して来るとは、凄いではないか、なあ?」

 俺は素直に、アヴェンジャーへ賞賛の言葉を送った。

 だが、賞賛など意味はなく、アヴェンジャーはただ俺を憎々しげに見詰めて来るだけで在る。

 戦場で、守りたいモノを守れずに死んでしまった、自身を殺した敵を憎んで死んだ、自身を盾にした味方を恨み死んだ、健康な誰かを羨み妬み病気で死んだ、事故に巻き込まれ自身の不幸を恨み呪い死んだ……種族など関係なく、今のアヴェンジャーの中には、そういったモノが渦巻いている。

 ただそこにいるだけで、周囲にそれ等を撒き散らすことが可能なほどに。

 そして、それ等が撒き散らされることで、側にいる者達にもその感情は伝播し、互いが互いを憎み合う……そして、そうなった者の数だけ、そうなった者が抱く想いだけ強くなって行くことができる。

 故に、先程、ここから皆を離れさせたのだが、元々内包していたモノや、“エンシェント・ドラゴン”を取り込んだこと……また、今の今まで現れず、これまで潜伏為続け、少しずつ取り込んで来たそれ等の感情や想いなどで強くなっていたのであろう。

「“十二の試練(ゴッド・ハンド)”は本来、11個の代替生命を保有させるモノで、 並の“魔術師”では一生涯を掛けてもどうかというところを、“小聖杯”が持つ“魔力”を使用してようやく1個回復させることができる……そして、本来であれば“悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)”もまた背中のみ、“勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”も踵のみ効果を発揮しない。だが、その制限はないモノと想えよ? なにせ、俺は“根源”と繋がっている。必要な“魔力”はそこから引っ張り出せば良いだけだからな」

 俺はそう言って、再びアヴェンジャーとの剣戟を再開した。

 頭上の“転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”が1つ増える。

「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 アヴェンジャーは咆哮を上げ、その口から膨大な“魔力”による熱量を誇る息吹(ブレス)を吐き出した。

「どこに? なるほど、な……」

 アヴェンジャーが放った先には、連合軍が居る。

「“天津・黒鎧(ウラエウヌス・プルクス・クロノクロス)”」

 俺は“天津・黒鎧”の“神名解放”を行う。

 すると、“天津・黒鎧”は数百万ものパーツへと分解され、連合軍の前へと瞬時に移動し、再び結合して行く。そして、それ等は大きな盾へと変化した。

 盾となった“天津・黒鎧”はアヴェンジャーのブレスを完全に防ぎ切ってみせる。

 

 

 

「なんて戦いなの……」

 かなり離れた場所――“遠見”の“魔法”でようやく観ることができる距離にいるアンリエッタは、ポツリと呟いた。いや、目で追うことすらもできない戦いを前に、そう呟くことしかできなかった。

 他の者達も、同じように圧倒されている様子である。

「――きゃああああああああああ!?」

 アンリエッタが乗る“レドウタブール級”の戦列艦が大きく揺れる。

 その揺れは、風――剣圧、そして剣と剣などが打つかり合う際に発生する衝撃はなどによるモノであった。

 剣が振るわれたことで発生した風に乗り、大小様々な石や岩が艦へと向かい、飛んで来る。

「これだけの距離が離れているにも関わらず、か……“悪魔(イブリース)”……その力は、本当に“救世主”となるのか?」

 ビダーシャルもまた、驚愕を感じずにはいられなかった。

 ただ、彼等にとって、この今の光景は信じられないモノであるといえるだろう。だが、信じずにはいられないのもまた事実である。

 また、彼等は“虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”、そして繰り広げられている戦いもそうであるが、“転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”にも圧倒された。

「セイヴァー君……」

 コルベールは静かに、遠く離れながらも直ぐ近くに感じる戦場へと目を向けた。

 

 

 

 この戦いの影響は、“ハルケギニア”及び“砂漠(サハラ)”全土にも広がった。

 俺とアヴェンジャーが剣を振るたびに、“魔法学院”の建物は完全に崩壊し、“ガリア”や“アルビオン”に“砂漠”の都市の建物が大きく揺れる。

 そこに住む者達は、空を見上げ、呆然と立ち尽くす他なかった。

 空は割れ、空気――世界そのものが震えているといっても良いほどである。

 家屋の中の者達、外にいた者達は、揺れる大地や家などの中で、人々はなにが起きているのか理解らぬまま、例外なくただ怯えるしかなかった。

 だがしばらくして、割れた空に輝く光を目にし、静かに立ち尽くした。

 

 

 

 俺は軽く跳躍し、身体を回転させる。

 一瞬で30“メイル”ほど跳躍した後、アヴェンジャーへと叩き付けるかのように“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を振り下ろした。

 アヴェンジャーは当然それを受け止め、周囲に大きな火花が散る。

 アヴェンジャーの攻撃は大振りながらも、その確かな力があり、ウドの大木ではないことが理解る。“メイジ”や“エルフ”でさえ目視で捉えることが不可能なほどの速度でもって剣が振るわれるたびに、空間が裂かれ、空気が震えるのだから。

 “ヘラクレス”や“アキレウス”、“ジークフリート”達の“宝具”がなければ、確実に即死であったであろう威力を誇っている。

 だが、今の俺にはそれ等だけではなく、“A+++ランク”の“神の加護”や“頑健”、“天性の肉体”などの“スキル”もあり、単純な力比べをすることさえもできる。

 アヴェンジャーを吹き飛ばす。

 全天方位型・移動砲台である “転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”がユックリと回転しながら、光の輪をレールと見立てて、その上で砲台が移動し、大輪の中の直下で態勢を整えようとするアヴェンジャーに光の矢を放つ。

 アヴェンジャーは光の矢に撃ち貫かれはしたが、即座にその傷は逆再生するかのように消え失せる。

 “エンシェント・ドラゴン”などが持っていた強力な再生能力が働いたのであろう。

 アヴェンジャーはその攻撃を意に介した風もなく、俺へと向かって来る。

 また、元々、既に死んでいる者、傷を受け続けている者である。これ以上、傷が増えたところで、なんの問題もないのであろう。

(……先程よりも力が増したか)

 これまでと同じ力で受け止めたためか、押されてしまう。

 アヴェンジャーは“アヴェンジャー(復讐者)”であるために、恨みを忘れることはない。そして、この“アヴェンジャー”特有の“スキル”によるモノだが、受けた傷やダメージの分だけ力が増すようである。

 何度も剣戟を繰り返しているが、互いの刀剣類が刃毀れなどを起こすことはない。

 無論、こちらの“武器”などには“無毀なる湖光(アロンダイト)”を始めとした“宝具”の特性などを混ぜているためだ。

 が、アヴェンジャーのそれは怨念などが尽きない限り、壊れることはない。詰まり、剣が壊れるということは、アヴェンジャー自身もまた壊れる――“霊核”が破壊され、“英霊の座”へと戻る時である。

 俺が振るった“乖双弓槍剣アヴルドゥク”が、地面へと突き刺さってしまう。

 たった一瞬。一瞬のことではあるが、本来の戦いであれば、致命的な一瞬であろう。

 だが、これもまたミスではない。

 アヴェンジャーが振って来た剣と槍を、俺は身体をくねらせ、カポエラなどの動きを駆使して、アヴェンジャーを蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされたアヴェンジャーは、直ぐに大地を蹴り、身体を回転させる。そして、再び地を蹴り、俺へと肉薄した。

 俺は“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を取り、アヴェンジャーを上空へと弾き飛ばす。

 アヴェンジャーは、地上にいる俺へと目を向けるが、そこにはもう俺はいない。

 直ぐに気付いたアヴェンジャーは、上へと顔を向けるが、それと同時に、俺は“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を振り下ろした。

「やるな」

 アヴェンジャーは直ぐに剣と槍で防御態勢を取り、それ等で俺の攻撃を受け止めて、地面へと勢い良く落ち、打つかった。

 直ぐにアヴェンジャーは跳躍し、俺へと向かい飛んで来る。

 俺は、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”の刀身の回転を速め、暴風を巻き起こし、アヴェンジャーを吹き飛ばす。

 それから“乖双弓槍剣アヴルドゥク”の柄尻を繋ぎ合わせ、弓へと変形させ、“魔力”で造った矢を番え、これもまた“魔力”で造った弦を引き絞った。

「ふん」

 矢を放ち、それがアヴェンジャーへと真っ直ぐに向かって行く。

 アヴェンジャーそ其れを弾きながら、向かって来る。

 が、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を更に変形させ、それぞれ先端部分を尖らせ、槍として扱い、突っ込んで来たアヴェンジャーを突き、再び吹き飛ばす。

 そして――。

「――!?」

「驚いたか? それは、“バビロニアの宝物庫”から持って来た刀剣類だ。いずれも一級品だぞ? なんせ、あの“英雄王”が募集したモノだからな。“十二の試練(ゴッド・ハンド)”が“人間の忍耐の究極”であるならば、これはその真逆。“無限にして圧政の究極だ”。“英雄殺しの武器はあり余っている”」

 アヴェンジャーの周囲360度全体に渡り、空間が歪んでいた。

 その歪みはいずれも丸く金色に光っており、そこから刀剣類が顔を覗かせている。

 そのどれも、口にした通り、全てが一級品である。

 俺はそう言いながら、空間と空間を繋げ直し、“バビロニアの宝物庫”から持って来た“武器”をその空間と空間の間を行き来させ、加速させる。

「“王の財宝。その一端を見せてやろう”」

 俺はそう言って、“武器”を射出した。

 アヴェンジャーはそれ等を弾こうとするのだが、いかんせん数が多過ぎる。また、隙間などないくらいに展開され、それ等はかなりの速度で射出されている。

 結果、アヴェンジャーの身体に何本もの“武器”が刺さることになる。

「俺は“ギルガメッシュ()”ではないが、それでも力を貸してくれよ……“天の鎖よ!”」

 俺はそう言って、“天の鎖(エルキドゥ)”を出し、アヴェンジャーを拘束した。

 アヴェンジャーの中には、“神代”の神々の怨念などがあり、また、“神代”からの生き残りであった“エンシェント・ドラゴン”を吸収した。結果、今のアヴェンジャーには、高“ランク”の“神性スキル”を所有している。

 故に、“神を律する”能力を持つ“対神兵装”の1つであるそれは、遺憾なく発揮されることになる。

 アヴェンジャーの動きは完全に封じ込められ、こちらを強く睨み付け、唸るだけである。どうにか抜け出そうとするのだが、動くたびに寄り強く巻き付き、動きを制限する。

「何度もすまないな。おまえの、いいえ、貴方の意思を無視して、使い、申し訳ない。だけど……」

 俺はそう言って、軽く深呼吸をする。

「“原初を語る。元素は混ざり、固まり……万象織りなす星を生む!”……“天地は分かれ、無は開闢を言祝ぐ”……“星々を廻す渦、天井の地獄とは創生前夜の終着よ”……“死して拝せよ!”」

 俺はそう口ずさみながら、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”の刀身の回転速度を上昇させ、刀身の先に圧縮され鬩ぎ合う暴風の断層が擬似的な時空断層を引き起こす。

 “空間切断の特性故に対界宝具に分類される世界を切り裂いた剣”による“混沌とした世界から天地を分けた究極の一撃”。

 本来、“ギルガメッシュ”しか持ちえぬ“乖離剣エア”を参考にして創られたそれ。その、それぞれ別方向に回転している石版でできた刀身は、片方は上から“天”、“地”、“冥界”……もう片方は上から“金輪”、“水輪”、“風輪”を表し、それぞれが“メソポタミア”や“バビロニア”などに於ける“世界”、そして“仏教”や“ヒンドゥー”などに於ける“須弥山”を表している。

「――“天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!”」

 俺は勢い良く振り下ろし、それをアヴェンジャーへと向ける。

 刀身の先からは3層の断層が発生し、次第に時空流へと変化する。

 そして、大地が断裂した。

 その亀裂が時間と共に大地から天にまで延び拡がって行き、斬り裂かれた空間を拠り所としていた大地、空といった万物を砂時計の終わりのように崩落させ渦巻く虚無の奈落へと呑み込み消し飛ばして行く。

 “抑止”などの影響で本来の力を震えぬはずではあるが、“神代”の力を色濃く残すここ“ハルケギニア”では十分に力を発揮することができていた。

 離れた場所にいる皆にとって、これは世界の終わりとさえもいえる光景であっただろう。だが同時に、彼等は新しい世界の創造であることもまた、本能で感じ取っていた。

 時空流がアヴェンジャーを呑み込み、暴れる。

「“呼び起こすは星の息吹。人と共に歩もう、僕は。故に―――人よ、神を繋ぎとめよう(エヌマ・エリシュ)!!”」

 そのまま、俺は自身を1つでの“神造兵装”と化し、“アラヤ”と“ガイア”――2つの“抑止力”の力を取り込み、天地を貫く巨大な光の槍となる。そして、アヴェンジャーへと向かい、特攻し、撃ち貫いた。

 次第に、時空流は収まり、世界の修正力――“抑止”が働き、元の状態へと戻る。

 斬り裂かれた大地はそのままではあるが、空はユックリと元に戻って行く。

 だが当然、そういった攻撃は意味をなさず、アヴェンジャーは活動を続けている。ダメージを与えることには成功しはした様子ではあるが、それでもなお、健在であった。

「全く……俺自身も相当なモノだが、おまえも大概だな」

 俺は苦笑する。

 光輪がガコンと音を立て、鐘の音がどこからともなく鳴り響く。

「“晩鐘は汝の首を指し示した”と言ったところか……」

 空に浮かぶ“転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)”は既に7つ揃っていた。

 この7つの輪は“聖王が持つ7つの宝”と同義であり、その姿は虹を想起させる。

「“――それが、人類が悟りを得て真如へと至る道であるならば”。“我は衆生を救済すべく、(ヴァジュラ)を持ちてそれを導かん”……“転輪は時を告げる。汎ゆる衆生、汎ゆる苦悩は我に還れ。大いなる悟りの下、人類はここに1つとなる”……」

 俺は一呼吸置いて、その“真名”を開放する。

「“一に還る転生(アミタ・アミターバ)”」

 再び、光輪はガコンと大きな音を立て、1つに合体をし、高速回転する。

 そして、俺は跳躍し、転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)“は大日如来”が背負う後光の様なモノに変化し、俺の背後へと移動する。

 俺の背後に在る転輪聖王(チャクラ・ヴァルティン)から光の渦のようなモノが出現し、無数の“魔力光線”がアヴェンジャーへと向かって発射される。

 そして、それ等は1つの光の柱となり、アヴェンジャーを中心にして、ブラックホールを想わせる収束から大爆発を起こした。

 人類創生に匹敵するエネルギーを集中し、解放される。

 この時点の人類史の長さや版図の広がり、言い換えれば人口等によって威力が変動しはするものの、何十億人分ものエネルギーを受けるために理論上ではこれに耐えることができる人類は存在しない。

 そして、その人類というのは、“地球”で生まれ育った者達のことである。

 だが、そこに“ハルケギニア”に住む者達もまた含まれているのである。

 なにせ、ブリミルは“地球”から来たのであるからして。

 彼等の子孫もまた、人類史の長さや版図の広がりに影響され、含まれているのだから。

 小さなブラックホールが消えた後に残ったモノは、静寂……の筈で在った。

「ふむ、やはり駄目か……」

 俺はそう言って、肩を落とす。

 眼の前ではまだ、アヴェンジャーは健在であった。

 アヴェンジャーの身体を構成する黒い影は崩れ掛けてはいるものの、それでもまだ問題はない様子である。直ぐに欠けた部分が再生した。

 あれだけの攻撃を仕掛けたにも関わらず、斃し切ることはできなかった。

 アヴェンジャーの“霊核”には傷1つない。いや、“霊核”を破壊することには成功したものの、即座に再生してみせたのである。

 救い出す事が出来無かった、ので在る。

「やれやれ、今の俺では無理だということだな。“英霊(先輩方)”ならきっと、上手にやれるんだろうけど……はあ……」

 俺は深く溜め息を吐いて、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 シオンは静かに、“虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”の玉座からことの成り行きを見守っていた。

 そこでは、シルフィードに乗って来た才人とルイズとティファニアもいた。そして、シルフィードが何往復もしたことでタバサやキュルケ、ギーシュにマリコルヌ、レイナール達もまたいる。

 神話の再現とさえもいえるであろうほどの、想像を絶する戦い。

 文字通り、世界が裂かれる瞬間。

 神々しく荘厳な、光輪が7つ……それ等が曼荼羅から後光へと変化し、アヴェンジャーを呑み込んだこと。

 それ等はこの先、未来永劫……世界が“剪定”されるその瞬間まで、“始祖ブリミル”に関する話に続く第二の神話として語り継がれるであろうことを理解しながら。

 だが、アヴェンジャーがそれ等を受けてなお、健在であることに、皆恐れ慄いた。

 自分達ではどう仕様もない脅威を前に、皆怯える他なかった。

 そんな絶望的状況の中、シオンはただ前を見詰めていた。

 シオンだけではない。

 才人が、ルイズが、ティファニアが、タバサが、友人達が、“魔法学院”の皆が見据えていた。

「大丈夫、だよね……」

 シオンは皆に聞こえないようにポツリと呟いた。

 玉座にいる皆も固唾を呑んで見守っている。

 その時、シオンが着けていた腕輪型の“礼装”が目も灼くほどに輝いた。

 

 

 

 

 

 シオンは突然のことに目を閉じたが、それでも眩しく感じた。

 その光が消えたことを感じ取り、目を開くとそこは見知らぬ空間であることに気付き、驚いた。

「ここは……?」

 シオンは目をパチクリとさせ、呟く。

 真っ暗な空間であり、自身が今どこにいるのか判らない状態である。

 だが、地に足が着いているような感覚から、シオンは今堅いなにかの上に立っていること、少なくとも底なし沼のような場所で落ちることはないことを理解した。

「あれ……?」

 そして、視線の先に、誰かがいることに、シオンは気付いた。

 シオンはユックリと歩き、近付く。

「そこで止まってくれないか?」

 シオンの眼の前にいる男は、言った。

 其の男の容姿は醜かった。

 人間の美的感覚からいって、“トロール”などと比べるとマシではあるものの、それでも嫌悪感を感じさせるほどであろう。

 髪はボサボサ、肌はカサカサ、歯はガタガタ……。

「…………」

 だが、シオンにはそれが一体誰なのか直ぐに理解した。

 何度も夢の中で見ていたのだから。

「セイヴァー……」

「セイヴァー? 救世主がどうかしたのか?」

「私は、貴男のことを知っている。貴男は、私の“サーヴァント”。“英霊”。“転生者”……」

「俺が“転生者”? “英霊”? “サーヴァント”? ないない。そんな夢物語ある訳ないって。それに、君は俺が今見てる夢の中の登場人物だろう? 君みたいな美少女が俺にこんな親身に話し掛けてくれることなんてないはずだからな」

「本当だよ。貴男は、“セイヴァー”として“神様転生”して、私の“使い魔”、“サーヴァント”になった。貴男には何度も助けられた。救けられた。だから、今度は私が貴男を助ける。たった1度だけだろうけど、最初で最後の手伝い」

「…………」

 シオンは真っ直ぐに眼の前の男を見詰めて言った。

「まあ、そうだな。君の言う通りだ。シオン」

「セイ、ヴァー……?」

「からかうほどではないが、少しばかり面倒臭い男を演じてすまなかった」

「別に気にしてないよ」

「さて、早速本題に入るが……あれが見えるか?」

 俺は短く謝罪の言葉を口にし、遠く離れた場所に在るレリーフを指す。

「あれって……」

 そのレリーフには、俺の彫刻のようなモノが張り付いている。

「1からの説明だが、俺はおまえが知るセイヴァーではない。セイヴァーであって、セイヴァーではない。セイヴァーの本能……セイヴァーの前世の残り滓みたいなモノだ」

「それでも、貴男は私にとってセイヴァーだよ?」

「そうか。こんな不細工な俺に真っ直ぐ目を向けてさっきみたいなことを言ってくれるのはおまえくらいだよ……さて、そして、あそこにあるのは俺の理性だ。あれを壊すことで俺は覚醒める」

「壊せば良いの?」

「ああ。だがそれは決して簡単なことではない。あそこに辿り着くまでが大変なんだ。あそこに行くにはそこの道を歩いて行く必要があるが」

「どうしたの?」

「話は変わると言うか、少しばかり脱線してしまうが、“魂”とは俺達を構成するのに大切なモノだ。“第二要素” であり、“存在の雛形である本質”。“知性持つ生命に1つ1つに宿る、肉体的ではなく精神的な命”。そして、“魂”は“(こん)”と“(はく)”に分けることができる。その“(こん)”は“第三要素――時間と経験によって育まれた感情”であり、“肉体と魂を繋ぎ、個として成立させる必要な要素”を支えており、“(はく)”は“精神と肉体を繋ぎ、支える”モノだ。故に、そうだな……“魄道(はくどう)”とでも呼称してみるか」

 俺はシオンへと目を向けて言った。

「その“魄道(はくどう)”を歩くたび、異物であるおまえの身体――魂に直接ダメージが入る」

「そんなの大丈夫、だ?よ」

「そうか? あそこに辿り着く寸前になると、四肢の感覚も失って、歩けないほどに、いっそ消えてしまいたいほどの状態になるだろうけど……」

「それでも大丈夫。だって、私がここにいるってことは、問題ないって貴男が判断したからでしょ?」

「う……それはそうだろけど……理解ったよ。どのみち、意識があるのは今この時だけだ。だから、手伝うよ。君が、あそこに辿り着くまで」

 俺とシオンは横に並び、歩いた。

 “魄道(はくどう)”は“精神”も表しており、その道は凸凹であった。

 凸凹とし、坂道が幾つもある“魄道(はくどう)”は、まさに前世で感じて来た感情を表しているといっても良いだろう。それだけ、自分の弱さに振り回され、痛感し、悩んで来たのだから。

 そして、切に願い、願った展開を手にした。

 だが、それでも結局のところ、弱いままである。

「う……」

「シオン」

「大丈夫、だよ……先を進もう、ね?」

 進むたびに、シオンへ大きなダメージが入って行く。

 人体に菌が侵入し、それ等を免疫細胞が攻撃でもしているようである。

 シオンの身体に罅が入り始める。

 彼女の四肢が決壊し始め、ボロボロと崩れ始めた。

 それでもシオンは前へ進み始める。

「なあ、シオン。どうして、君はそこまでやれるんだ?」

 俺は、自身の身体が傷付くのも構わずただ管前に進むシオンを前に圧倒され、そしてなにかに触れたような気がした。

 だからだろう。

 俺は、想わずそう質問した。

「さっきも言ったけど、私、貴男に何度も何度も助けられたの。命を救けられたことだって何回もある。だから」

「だからって、そこまでする必要はないはずだ。生物ってのは本来、自己の保存を優先するだろう? 生きたいだろ? 今してることは辛いだろう? 痛いだろう? だったら――」

「――だからだよ。だからこそ、なんだよ、セイヴァー」

「…………」

「こんな痛みや辛さを貴男はずっと感じて来た。自分のことだけで一杯一杯なのに。これからもそうでしょうね。それでも貴男は歩みを止めないでしょ? それと同じなの」

 シオンは息も絶え絶えに、笑顔を浮かべながら言った。

「後悔したくない。そして、せめて、短い間だけだろうけど、それでも一緒にいる間は、そう言った辛いこととかも共有したい。1人で抱え込まないで欲しいの」

 シオンは何度も転びそうになりながらも、立ち上がり、足を動かした。

 既に感覚などないにも関わらず、前に進んでいるかどうかすらも判らないであろうほどの状態であろうとも。

 必ず、最後には希望が待っていることを信じて。

(嗚呼、くそ……眩しいな。眩しいぜ。眩しいよ……)

 俺はそう想って、今にも崩れそうなシオンを見た。

 彼女の身体は文字通り崩壊寸前である。動いているのが、不思議なくらいに。

(恨むぞ、理性の俺。こんな苦しそうにしながらも決して諦めずに前に進む女の子を見て、応援だけで、我慢なんてできるはずもないじゃねえか……)

 俺はそう想い、シオンの手を取った。

「もう少しでゴールだ、シオン。だから」

 俺はそう言って、シオンの身体を軽く押す。

 シオンは押され、足を進めざるをえなかった。

 そして踏み出した時、丁度レリーフ――“ヴィーナス・スタチュー”のある場所へと辿り着く。

「ありがとう、シオン。俺はきっと、幸せ者だろな。前世でもそうだった。幸福であることに気付きながらも、十分過ぎる環境に身を置きながらも、上手くそれ等を活用することができなかった。今回もそうだ。だけど」

 シオンの身体が元の綺麗なそれへと戻る。

「きっと、今回は上手く行く、できるだろな」

「大丈夫だよ、セイヴァー。貴男は“救世主”、主人公……“なんにだってなれる”、“なんだってできる”んだから。皆を救けることができるなら、貴男自身もまた救けることができるはず。皆を赦すことができるなら、貴方自身もまた赦せるはず」

「ありがとう。さあ、シオン。その“ヴィーナス・スタチュー”を触ると良い。そうすれば、おまえは元の世界、元の時間へと戻ることができ、表の俺も動き出すだろう」

「でも、貴男はどうなるの?」

「なに、ただ眠るだけだ。今の俺は、この間の出来事を夢として認識するさ。そもそもの話、“サーヴァント”自体が“英霊”にとって夢であり、第二の生だからな」

 俺のその言葉に、シオンは寂し気に微笑んだ。

「理解った……ありがとう、セイヴァー」

「こちらこそだ。素敵な夢をありがとう、シオン。短い、とても短い時間ではあったが、おまえとこうして話ができて嬉しかった。楽しかった。表の俺が羨ましいよ」

 握手をし、シオンはソッと“ヴィーナス・スタチュー”に触れた。

 

 

 

 

 

 目を開くと、そこには、やはりアヴェンジャーがいた。

 アヴェンジャーはこちらを相も変わらず憎々しげでありながらも、静かに見詰めて来ている。

「……ふむ」

 俺は今の自身の状態を確認した。

 着込んでいた鎧は、コートへと変わっている。ただし、色は明るめの黒へと変色し、随所には色取り取りな宝石が鏤められている点には変わりはない。

 だが、腕や脚の関節部には、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”同様に黒い石版でできた3層のそれぞれ別方向に回転し続けているなにか、防具のようなモノが付けられている。

 そしてもう1つ変化している点がある。

 それは、コートには、宝石以外にも硝子が鏤められていることである。そのガラスからは“Dランク”の“宝具”ほどの“魔力”が発せられているのである。

 宇宙を表していた鎧は、文字通り星々の大海原を表現するコートへと変化したのである。

 握っている“乖双弓槍剣アヴルドゥク”はより細身になっているが、頑丈さは変わらない。

 これまでのそれよりも“風”のように軽やかになり、より洗練され、変革されていることが判る。

(これが俺の“神話礼装”か……)

 “神話礼装”。

 “サーヴァント”の原初の力。

 “英雄”の根源とも言える力の奔流を具現化したエンジン。

 俺は軽く地を蹴り、アヴェンジャーへと詰め寄る。

 予想以上に距離を詰めることができ、驚いた。

 アヴェンジャーの方もまだ気付いてはおらず、ジッとしており、既に俺がいなくなった場所へと目を向けたままである。

 だが、俺は直感的に、“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を振り、斬り裂く。

 “神話礼装”を解放し、霊子階梯を向上させたことで、光よりも速く移動できるようになったのであろう。

 “|源流から流れ戻りし、偉大成る王すら呑み込む幸運の星《サダルメルク・グラ・アルバリウス》”は元々、前世での星座、水瓶座で在った事から手にした“宝具”である。

 在りと汎ゆる“流れるモノ”を自由自在に感知し操作することができる。

 それは、自身の能力はもちろん、戦いの流れなども当然含まれる。なにもせずとも、宇宙の膨張速度と同じ速さで強さは跳ね上がって行く。

 俺の身体は、ダンスでも踊るかのように流麗に動き、アヴェンジャーを斬り刻んで行く。

 アヴェンジャーの身体は傷が付くはずもなかった。

 だが、次元や法則などが違うのだから、アヴェンジャーにはどう仕様もない。“宝具”も“スキル”も意味をなさないのだから。

 次第にアヴェンジャーの身体には傷が生まれ、再生が追い付かなくなって行く。

 だが、アヴェンジャーは、その特異性などから、こちらと同じように力は常に増大して行く。なにせ、アヴェンジャーは、“ハルケギニア”の歴史に生み出された影そのものである。“ハルケギニア”に移住した者達や生まれ育った者達、“ハルケギニア”と呼ばれる前から住んでいた者達の負の集合体なのだから。こちらもまた、無制限に加減なく強くなって行く。

 だがおちらの速度が上であるため、当然アヴェンジャーの身体には沢山の傷が増えて行くばかりである。

「人類最終解脱、すらも耐え抜いたおまえ達はもう人類ではないのかもしれないな……だが、おまえ達は人より生まれたモノだ。故に、俺はおまえ達を人類として扱う」

 俺はそう言いながらも決して手を止めずに“乖双弓槍剣アヴルドゥク”を振るう。

「おまえ達には、無念、想いなどを晴らす権利が当然ある。だが、それでも、したところでなにも変わらない。おまえ達はこれからもそれ等と向き合っていかなくてはならないのだ。せめて、“英霊の座”にいる時だけでも」

 歩法、体捌き、呼吸、死角など幾多の現象が絡み合わせ、俺は五間―――九“メイル”の間合いを瞬時に詰め、アヴェンジャーを一閃する。

 最早次元跳躍とでもいえるその移動に、アヴェンジャーはどうすることもできやしない。

 “彗星走法(ドロメウス・コメーテース)”による神速の脚をもって、回避不可能な速度でアヴェンジャーを蹴り飛ばす。

 アヴェンジャーは、元々の筋力と光速が掛け合わされたことによる絶対に回避不可能かつ星をも砕く威力を誇る脚を腹に喰らい、吹き飛ぶ。

「“完璧なる円、完璧なる光を見せよう。清算の時だ!! 集いし藁、月のように燃え尽きよ(カトプトロン カトプレゴン)!!”」

 大型の六角形の鏡を複数展開する。

 それ等は、太陽光を反射及び増幅し、光は収束して行く。

 収束した光は、アヴェンジャーへと向かい飛び、一帯を焼き尽くした。

「“出雲に神あり。審美確かに、(たま)に息吹を、 山河水天に天照らす。これ自在にして禊ぎの証、名を玉藻鎮石、神宝宇迦之鏡なり”」

 コートに着けられた無数の鏡が、眩く光り、輝く。

 元々“根源”と繋がっているために必要のないことではあるが、“常世の理を遮断する結界”が展開され、“呪力”行使コストが0になる。

 それより、“根源”とのパイプはより一層太く強力なモノとなり、流れ込んで来る“魔力”はより多く濃くなる。

「“炎天よ、奔れ!”」

 その言葉で発生した炎に、アヴェンジャーの身体は灼かれる。

「“氷天よ、砕け”」

 その言葉で発生した氷に、アヴェンジャーは閉じ込められる。

 その氷が砕け、アヴェンジャーがタイムラグなど気にした風もなく、直ぐに俺へと向かって来る。

「彼女の才を見よ、“万雷の喝采を聞け! インペリウムの誉れをここに! 咲き誇る花の如く!───開け、黄金の劇場よっ!! この一輪を手向けとしよう。舞い散るが華、斬り裂くは星! これぞ至高の美……しかして讃えよ! ドムス・ アウレアと!”」

 高速での“真名開放”によち、かつて“ネロ・クラウディウス”によって建築された“黄金劇場”が“魔力”によって建築される。

 彼女の“心象風景”を具現した異界を一時的に世界に上書きして作り出される。

 “固有結界”とは似て非なる“大魔術”であり、彼女が生前設計した劇場や建造物を“魔力”で再現し、俺にとって有利に働く戦場を作り出されて行く。

 世界を書き換える“固有結界”とは異なり、世界の上に一から建築するために、長時間展開及び維持できる点がとても優秀である。

 そしてこの“宝具”は彼女の想像力によるモノで、それを強化するには、原点となる“黄金劇場”を豪華に作り直し、その姿を彼女の脳裏に刻む必要があるのだが、“英霊の座”と繋がり、コピーしているために、想像する必要ないといえるだろうか。

「“I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている) Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子) I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗) Unknown to Death.(ただの一度も敗走はなく、) Nor known to Life.(ただの一度も理解されない) Have withstood pain to create many weapons.(彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う) Yet, those hands will never hold anything.(故に、その生涯に意味はなく、) So as I pray,UNLIMITED BLADE WORKS.(その体は、きっと剣で出来ていた)

 同時に別の“詠唱”を行い、別の“宝具”――“固有結界”を展開(上書き)する。

「――こ、これは!?」

 これでもかというほどに驚くべ可き光景を目にし続けて来たアンリエッタ達を始め兵達ではあるが、またも彼等の中で動揺が奔る。

 完成した“黄金劇場”と展開された“錬鉄の固有結界”は、オリジナルとはほど遠く、尋常ではない大きさをしていた。

 かなりの距離を取っていた艦隊、そして“虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”を取り込むほどに大きいのである。

 “ローマ”式の劇場内に、幾つもの刀剣類が刺さっている。天井には大きな歯車があり、回り続けている。

「呑み込まれるが良い。“弁財天五弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)”」

 本来ならば、敵を身に宿している力諸共残さず溶解及び吸収するそれを物理ダメージのみにし、激流を生み出し、遥か上空に跳躍する。そして、そこから激流と共に急降下し、アヴェンジャーを溶解させて行く。

 だが当然、アヴェンジャーのその特性上まだ“霊核”を破壊するまではいってはいない。

 それでも、“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”が展開されていることで、アヴェンジャーの能力は弱体化しており、動きが鈍く、再生も全く追い付いていない様子である。

 アヴェンジャーの身体は、もう既に死に体であり、今にも四肢は砕け、千切れそうなほどである。

 こちらが甚振り、悪者であると言わんばかりの様子をアヴェンジャーは俺に見せて来ている。

 だが、俺はそんなアヴェンジャーに追い討ちを掛けるように、劇場内に在る幾本もの刀剣類をアヴェンジャーへと向けて飛ばす。

 俺の意志に従い、それ等刀剣類はアヴェンジャーの身体に刺さり、流血を促し、そして身動きを完全に封じた。

「そろそろ、今度こそ、だ……死をもって静まるが良い」

 “乖双弓槍剣アヴルドゥク”の回転速度を速める。

 再びそれぞれ二振りの刀身の回転速度が上昇し、3層の力場が発生する。

 “神代”にて“世界を裂いた剣”を模倣したそれは、オリジナルと遜色ならぬほどの力を発揮させる。

 吹き荒れる“魔力”に因り、劇場内に刺さる剣は床から離れて宙を舞い、床は剥がれて行く。

 天井に在る歯車は剥がされ、砕けて行く。

 劇場内で展開していた艦隊では、悲鳴と怒号がそこ等中で飛び交い、打つかり合う。

 床に亀裂が奔る。

 その下の大地すらも断裂し、その亀裂は次第に劇場全体から天へと広がって行く。

 世界そのものを変動させる“権能”の再現。

 事象の変動、時間流の操作、国造りといった“世界を創造しえる”レベルの力が全力で振るわれる。

「“座”へと戻るが良い。誰も起こす者はおらぬ。おまえ自身が目覚めようとしない限り、“抑止”がちょっかいを出さない限りはな」

 劇場が完全に崩壊し、元の空間へと戻る。

 そこは、割れた大地の上であり、アヴェンジャーの姿も“魔力”もない。

「……さて」

 俺が一息吐いていると、才人達が俺へと向かい疾走って来る。

 皆眩しいほどの笑顔を浮かべている。

「凄いじゃないか、セイヴァー!」

 皆俺を囲い、口々に賞賛の言葉を言ってくれる。

「…………」

「どうしたんだ? セイヴァー」

 だが、俺が無言であることに、才人は疑問を抱いたのだろ、問うて来た。

 俺は目を閉じ、それから間を置いて口を開く。

「いや、なにも……――ゴフッ!?」

 そう言った直後、俺の身体を1本の腕が貫通した。

「――!?」

 皆、一様に目を大きく見開き、驚く。

「嗚呼、やっぱり痛いな……もう少し、加減は利かなかったのか?」

「無理だと理解しているだろう?」

「セイ、ヴァー?」

「セイヴァーが、2人?」

 俺の背後に立つもう1人の俺が、悲しげな笑みを浮かべ言った。

 そんな2人の俺を前に、皆呆然と立ち尽くす他ない様子であった。



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万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)

「なんで……? セイヴァーが2人?」

 皆が呆然としている中、腕に身体を貫かれた俺と、腕で身体を貫いている俺は腕を抜き、向き合った。

「お疲れ様だ。“代替者()”。ユックリと休むが良い」

「ああ、そうさせて貰おうか。後のことは頼んだ」

 身体に大きな穴を空けた俺は目を閉じ、力を失い倒れる。それから、“霊核”は完全に壊れ、“受肉”していたはずの“エーテル”で編まれた肉体は、砕け散り、霧散した。

「なんだよ、おまえ……どういうことなんだよ!?」

 才人が代表であるかのように訊いて来た。

「6,000年ぶり、だと言うべきだな。才人」

「6,000年ぶり、だって……?」

「俺はセイヴァーであって、おまめ達の知るセイヴァーではない。我は“ビースト”。“人間の獣性から生み出された、災害の獣”が1体」

「ビー、スト……?」

「いきなりではあるが、俺はこれから世界を滅ぼすつもりだ」

「な、なにを言ってるんだね? 君は……」

「言った筈だぞ? ギーシュ。俺は獣だ。“災害の獣”なんだよ……故に、おまえ達を殺す。世界を壊す。滅ぼす。より良くするために」

「矛盾してないか?」

「そうだな。まあ、俺は癌細胞みたいなものだからな。さて、問答は終わりだ。“杖”を構えるが良い」

「待ってく――ッ!?」

 才人達がそれでも口を開き、俺を止めようとする。

 そんな皆に、俺は“魔力放出”を行い、彼等を勢い良く吹き飛ばした。

 そこに、影から1人の男が飛び出し、俺へと短刀を振りかざしてきた。

「――ぐふっ!?」

「すまないな、ハサン……俺はやはり、おまえのことを駒の1つとしてしか扱えないようだ」

 存在する為の要石のような存在(代替者である俺)が消滅したことで、ハサンもまた消滅しかかっていた。

 そして、ハサンは今の俺が存在してはならない存在であるということに気付いたのであろう。

 だが、当然ハサンの攻撃など俺に届くはずもなく、逆に俺の腕がハサンの身体を“霊核”ごと貫き、壊した。

「…………」

 そこに、遠くから炎球や氷槍、風の刃などが俺に向かって飛んで来る。

 だがそれ等は当然、俺に届く前に弾かれる。

「シオン!? 貴女、どうして!?」

「セイヴァーは、貴女の“サーヴァント”でしょ!? それをどうして!?」

 ハサンを追いかけうように疾走って来たシオン達の中には、キュルケやタバサ、アンリエッタ達もいる。

 そして、皆、俺とシオンとを交互に見やり、シオンへと問うた。

「決まってるわ。セイヴァーは死んだ。消滅したの。そして、前にいるのは、世界の敵……なら、やることは決まってるわ」

「待ってよ! セイヴァーなのよ!? それをどうして、貴女はそんな簡単に……シオン、貴女……」

 ルイズがシオンへと詰め寄り、尋ねる。

 だが、シオンのその様子から、ルイズはそれ以上言葉を続けることができなくなってしまった。

 シオンの肩は大きく震え、唇を強く噛み、“杖”を血が出るほどに強く握り締めているのである。

 どれほど悩み、苦しみ、そして今現在“代替者《もう1人の俺》”の側にいることもできず、別側面とはいえ同一存在に“杖”を向けることに対する覚悟などを感じ取ったのである。

 そんなシオンに同調するように、イーヴァルディは剣を俺へと向けた。

「イーヴァルディ?」

「マスター、皆……彼は敵なんだ」

 イーヴァルディは神とブリミルから授かったその力で、俺がどういった存在であるかを見抜いたようである。

 彼は、俺へと悲し気に目を向けて来た。

「本当に良いんだな?」

「無論だとも……さあ、どうする? セイヴァー(オルタネーター)を殺した仇はここにいるぞ? 世界の敵はここにいるぞ?」

 イーヴァルディの確認に、俺は強く首肯き、皆を促す。

 だが、皆、“杖”を握ることはない。まだ、信じられ無い、といった様子である。

 ただ、俺を敵だと認識してくれているのは、シオンとイーヴァルディだけであった。

「呆れたものだ。おまえ達には世界を守る気がないのか? それとも、“代替者()”と同じ姿をしているから、向き合うことができないのか? ……仕方あるまい」

 俺はそう言って、自身の姿の一部分だけを変える。

 いや、“災害の獣(ビースト)”としての本来の姿へと戻る。

 俺の頭には一対の大きな角が、背には大きな翼……禍々しい爪などが生える。

「な、なんだよ……その姿……?」

 文字通り悪魔の姿へと変じた俺を前に、皆先程のアヴェンジャーとの戦いのそれよりも大きく動揺した様子をみせる。

「これでどうだ? いや、それでも、か……ならば、仕方無い。ここにいる連合軍の兵達を皆殺しにしようか」

 俺がそう言ったのと同時に、イーヴァルディは左手を輝かせ、剣を俺へと振り下ろした。

「――くっ!?」

 俺は軽く右手を振るい、そんなイーヴァルディを軽く往なす。

「戦う気がないのなら、その場で人々が死ぬのをただただ見守ると良い」

「そんなことさせる訳、ないだろ」

「そうか……ならばどうする? 才人」

 才人は立ち上がり、俺を睨み付けた。

「“武器”のないおまえに、なにができる?」

「なにもできないかもしれない。けどな……世界を滅ぼすとか訳の理解らないこと言ってる友達を殴ってでも正気に戻すことくらいはやってやるさ」

「そか。ならば」

 俺はそう言って、1本の剣を才人へと放り渡した。

「こ、これは……?」

「それを持って、“ビースト()”と戦うが良いさ。だが、いきなりボスと戦うのは趣がないし、つまらん。故に……」

 俺はそう言って、“魔力”を解放する。

「な、なんだ……!?」

 立っていることだけで精一杯になるほど、地面が大きく揺れる。

「故に、おまえ達にはこれから足掻き、生き残って貰おう。そして先へ進み、俺の元へと向かって来るが良い」

 俺がそう言い終えるのと同時に、才人達の視界は暗転した。

 

 

 

「ここは……?」

「セイヴァーは、どう成ったの?」

 才人達は目を覚まし、互いに見詰め合い、周囲を見渡す。

「なんだよ、これ……建物かなにかの中か?」

「見たこともない様式の建物のようですが……?」

 才人とルイズ、アンリエッタは周囲を見渡し、呟いた。

「こりゃおでれえた。凄え迷宮だな」

「デルフ、ここがどこだか判るか?」

「いや、俺にも判んねえ……6,000年も生きて来たけど、こんな場所見たことも聞いたこともねえや。多分だが、こりゃあ、セイヴァーの“宝具”だな。いや、あいつの“宝具”を利用して造られたなにかってとこか……」

「そっか……にしても、テファやタバサ、ギーシュ達は一体どこに行ったんだ?」

 そこでようやく、この場に一緒にいるのが、ルイズとアンリエッタとシオンだけであるということに、才人は気付いた。

「分断された、ということでしょうか?」

 アンリエッタは恐る恐るそう言って改めて周囲を見渡した。

「なんか頭が……」

 ルイズはそう言って、自身の頭を押さえる。

 才人もアンリエッタも、ルイズと同様に自身の身に起こった異常に気が付いた。

「なんだよ、この感覚? 立ち止まっているのに、ずっと疾走ってるような……無理矢理頭を揺さぶられてるような」

「もしかすると、この空間にそういった効果があるのかも――気を付けろ、相棒! 娘っ子2人! なにか近付いて来るぞ!」

 デルフの言葉に、才人とルイズ、そしてアンリエッタは周囲を警戒する。

 だが、あちこちから音が聞こえて来るかのような感覚を覚え、3人は混乱した。

 それでも、なにかが近付いて来ていることだけは確かであり、才人はデルフリンガーを、ルイズとアンリエッタは“杖”を構え、互いに背を預けるように陣形を組み、待った。

「あれって……」

「ゾンビ……!」

 ルイズとアンリエッタは悲鳴を上げ、抱き合った。

 才人は2人を庇うように前に出て、デルフリンガーを構え直す。

 そんな才人ではあるが、彼もまた恐怖を覚えていた。それでも、ルイズが、アンリエッタが後ろにいるということもあって、恐怖を覚えながらもそれを呑み込み、立っているのである。

 ルイズとアンリエッタを守るため、才人は恐怖を勇気で抑え込んでみせているのである。

 シオンは、ユックリと“杖”を構え、“ルーン”を唱える。

 ゾンビは顔を覗かせ、才人達を確認するとその腐った身体で向かって来た。

 数にして、20はいるであろう。

「相棒、相手はゾンビだ。斬ったところで大して変わらないかもしれねえ。腕や脚を斬り落とすことを考えるんだ。後は、頭と胴体を斬り離すとかな」

「ああ、理解ってる。ゲームで何度も相手してたからな……まあ、ゲームとは明らかに違うから、通じるか判らねえけど」

 

 

 

「な、なんなんだね!? これはああああああ!?」

「知らないよおおおおおお!」

 ギーシュとマリコルヌを始め“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の少年達は、絶叫をしながら回廊を走り続けていた。

 後ろからは、何体ものゾンビが追いかけるようにして続いており、ギーシュ達はそれから逃げているのである。

 身体が腐っているにも関わらず、ゾンビは速く、今にもギーシュ達に追い付きそうである。

 マリコルヌやレイナール、ギムリ達は、後ろから来るゾンビ達に向かって“魔法”で攻撃をし、どうにか逃げ切ることはできないかと頑張っている。

 ギーシュは、そんな皆の周りに“青銅乙女(ワルキューレ)”を配置させ、護衛に当たらせ、また、周囲の情報を収集させていた。

「サイト達と合流をしなくちゃならないのに」

 

 

 

 展開された“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”はかなりの大きさと広さを誇り、アンリエッタはもちろん、連合艦隊の面々もまた取り込まれてしまっていた。

「これは……先程の見事な劇場と言い、見たこともない建物だが……」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? ジャン。ここから逃げるか、サイトとルイズ達と合流しなくちゃ」

「ああ、理解ってい居るよ。ミス・ツェルプストー」

 コルベールは、周囲を見渡し、大きな支柱を始め、この迷宮に圧倒されてしまっていた。

 キュルケもまた同じく圧倒されてはいたが、コルベールよりも先に気を取り直し、現状と目的を再確認した。

「皆さんもそれで良いかしら?」

 一緒にいる連合艦隊の兵士達は首肯いた。

「女王陛下は御無事だろうか?」

「早く合流しなくては」

 この集団の中には、“エルフ”もおり、ビダーシャルとアリィー、そしてルクシャナもいた。

「これは一体……先程のもそうですが、彼等はなにをしたのでしょうか?」

「恐らく、“宝具”と呼ばれるものだろう……全く、文字通り“悪魔”になりはてたか」

 アリィーの疑問に、ビダーシャルは短く答え、小さく呟いた。

「にしても、この可怪しな感覚。歩いているのに、全力で走っているみたいだわ」

 ルクシャナは肩で息をしながら周囲を見渡し、言った。

「恐らく、この建物の所為でしょうな。サイト君とセイヴァー、彼等にはいつも驚かされてばかりじゃわい。これは来世の分も驚いているかもしれんのう」

 オスマンは、髭を弄り、ルクシャナの言葉に笑いながら言った。

 この場には、コルベールとキュルケ、ビダーシャルにアリィーとルクシャナ、オスマン、そして戦列艦などに搭乗していた兵達がいる。

 そのため、ここが一番戦力が充実していると言えるだろ。

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 俺は、“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”の中にいるそんな彼等の様子を、“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”の玉座の間から見ていた。

「中々に行動が早いな。流石、と褒めるべきか。だが、それでもやはり戸惑いは消せてはいない様子。無理もない、な……」

 自然と俺の口角は上へと歪んだ。

「見せてくれよ。おまえ達の力を。実力を。可能性を……俺は見たいんだ。だから」

 

 

 

「はあはあはあはあはあ……」

 才人は肩で息をしながら、ルイズとアンリエッタの護衛を務める。

 シオンは、そんな才人のフォローをするように、才人が取り零し、向かって来たゾンビへと攻撃する。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ” ……“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……“ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ”……“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”……“爆発(エクスプロージョン)”!!」

 ルイズは“杖”を振るい、“爆発”を起こす。

 “虚無”は消えかかっているために、ルイズはその力を十分に発揮させることはできないでいた。

 だがそれでもかなりの威力を誇り、周辺のゾンビ達は一瞬で爆散するか消滅をする。

「なんだよこれ……流石にキツ過ぎるぞ。長時間全力疾走り続けながら剣を振ってるみたいだ……110,000との軍勢と戦った時の方がマシだ」

「後で絶対、セイヴァーを殴ってやるわ。ええ、絶対に」

 ゾンビは次から次へと湧いて出るかのように、才人とルイズ達がいる場所へと向かって来る。

「流石に、無限湧きってことはないよな? ない、はず……だよな?」

「それは……」

「ちょっと! 洒嫌なこと言わないでよ!」

 そんな状況に、才人は少しばかり弱音を吐いてしまう。

 そんな才人の言葉に、アンリエッタは顔を引き攣らせ、ルイズは怒鳴った。

「そうね……殴った方が良いかもしれないわ」

「シオン……?」

 ルイズの言葉に同意したシオンに、皆目が向かった。

 シオンは暴力的な事は好まない娘である。

 そんな彼女が、ルイズの言葉に同意し、「殴った方が良い」と言ったのだから、ルイズとアンリエッタは大きく驚いた。

「いつもそう。半ば……中途半端に大きな力を持ってるから、それに囚われて振り回される。前世で良識や常識を中途半端に身に着けた所為で、それに縛られてる。それでいて、過去の経験から自責の念に囚われて……」

「良く見てるのね、貴女」

「ええ。これでもまだしっかりと彼のことを理解できた訳ではないわ。だってこれは、夢を通して見たもの……彼自身になって経験や体験をした訳ではないもの」

 ルイズの言葉に、シオンは悲しげに首肯いた。

「私もそうなの。セイヴァーと同じ。だから、なんとなくではあるけど、少しだけ理解できる。だから」

「――おーい!」

 そこに、ギーシュやマリコルヌを始めとする“水精霊騎士隊”の面々が現れ、合流を果たす。

 そして、次いで、キュルケとコルベールやビダーシャル達もまた顔を出した。

「あら、ルイズ。こんなところにいたのね。皆、無事で良かったわ」

「あんたもね、キュルケ」

 ルイズとキュルケは互いにそう言った後、ルイズは皆を見回した。

「ねえ、キュルケ。タバサとテファはどこかしら?」

「そうだ! 2人はどこなんだ!? 無事なのか!?」

 ルイズの質問に、才人はこの場に2人がいないことに気付き、焦った。

「判らないわ。でも、きっと大丈夫よ」

 そうキュルケが言った直後、皆が顔を出した方とは別の通路の方から、話し声が聞こえて来た。

 その声に聞き覚えのあった、才人とルイズ、キュルケ達は顔を綻ばせる。

「やっぱり無事だったのね。良かったわ」

「タバサ、テファ。良く無事で」

 キュルケと才人は2人に詰め寄り、無事を確認し、安堵した。

「ええ。タバサとイーヴァルディさんのおかげで、私はどうにか」

「私も大丈夫。イーヴァルディのおかげ」

 ティファニアとタバサは、“霊体化”しているイーヴァルディに対して感謝した。

「私もいるのね、きゅい!」

 シルフィード――イルククゥは、胸を反らせて言った。

「そうだね。でもまあ僕の場合は、生きてた頃に似たようなことが何度もあって、経験とかしてたからね」

 そんなイルククゥの態度に対して笑いながら、イーヴァルディは“実体化”して、そう言った。

「にしても、ここまで巨大な迷宮を生み出すなんてね」

「迷宮?」

「うん。これは迷宮だよ。それもとびっきりのね」

 イーヴァルディは、首を傾げたルイズ達に対して推測を言った。

「セイヴァーの“宝具”を利用して創ったんだろうね。たぶん、“座”に干渉してる。どこかの誰か、別の“英霊”が持つ“スキル”や“宝具”を参考にしてるんだと想う。たぶ、これまでのも全部……」

「そんなことができるのかよ!?」

「できる、んだろうね……“根源”との接続……そして、彼が“代替者”であるということ……詰まりは、なににでも、誰にもなれる、無限の可能性を持ってるってことでもあるからね」

 イーヴァルディは苦い顔をして、才人の質問に答えた。

「あの、現状の確認は完了したので、そろそろ次にどうするのかを考えるべきでは?」

 そんな彼等に、アンリエッタは恐る恐る手を挙げて提案をした。

「そうだな。姫様の言う通りだ。先ずは、ここからどう脱出するのか、だ」

 才人はそう言って、頭を捻り、考える。

「迷宮ってことは、迷うようにできてるんだろう? 闇雲に駆け回っても、無駄に終わるんじゃないかね?」

 ギーシュのその言葉に、他の面々は首肯いた。

「大量のゾンビだっている。それに、今もそうだけど、頭が無理矢理揺さぶられてるような感覚……可怪しくなりそうだよ」

 マリコルヌの言葉に、皆同意し、重い空気が流れる。

「ねえ、なにか目印になるモノを置いて行きながら進むとかは?」

「ふむ……それも良いが、最悪、同じ所をグルグル回ることしかできないかもしれない。無駄に終わる可能性が高い」

「ならどうするのよ?」

 キュルケの提案に、ビダーシャルは首を横に振った。

「ねえ、イーヴァルディ。あんた、生前にこんな迷宮に入ったことがあるのよね?」

「うん。まあ、ここまで巨大ではなかったけど」

 ルイズの質問に、イーヴァルディは戸惑いながら首肯いた。

「なら、脱出方法とかなんかない?」

「単純に歩き回るだけだと無理だと想うから、風の流れや音の反響とかで把握する、とか?」

「そんなのできずはず……」

「いや、可能だ。出口まで一直線と言う訳にはいかないだろが、それでもなんらかの手掛かりを得ることくらいはできるだろう」

 その場のほとんどの者がイーヴァルディの案を否定する中、ビダーシャルは首を縦に振った。

「ふむ。“風”の流れを利用する、か……“風系統”の“メイジ”であれば、可能であろうな」

 オスマンもまた髭を弄りながら、イーヴァルディの案を肯定し、ビダーシャルに賛同の意を示した。

「なるほど。では、試してみますか。“メイジ”の皆さん、そして“エルフ”の皆さんもお願いしますね」

「お願いします」

 代表とでもいえる2人がイーヴァルディの提案を肯定したこともあり、皆はその案を試してみることにした。

 アンリエッタとシオンのその言葉に、この場の皆は首肯き、“メイジ”達は“杖”を構え、それぞれ“風系統”の“魔法”を使う。

 “風”“風”と“風”と“風”と、“風”の“スクウェア・スペル”により、“風魔法”で生み出された“風”を壁に打つけ(空気を動かして、音を発生させ)、反響させる。

 皆、発せられた音の高さや響き方に注意した。

「やはり難しいわね」

 ルクシャナは耳をピンと立て、耳を澄ませるながら苦い顔をした。

「正面行き止まり、左側元の場所に戻ります」

「斜めに行くと上方階段、です……」

 だが、何人かは音や反響の仕方などを聞き分けることができているようである。

 聞き分けることができる者達は、互いに聞き取った音などについて摺合せを行い、間違いがないようにする。そして、それをアンリエッタやシオン、ビダーシャル達に言った。

 そうして少しずつ少しずつではあるが、確実に前へと進んで行く。

「ここの行き先は、全て行き止まりです」

「では戻りましょうか」

 着実に進んでいる、そしてここから脱出できる可能性が高くなったことで、皆の中に希望が湧いて来た。

「……音が……反射しない道があります!」

 1人のその言葉に、皆から歓喜の声が上がった。

「出口、ですね!」

 そう言って、アンリエッタとシオン達を先頭にして、皆前進を始める。

 しばらく歩き続けていると、通路の先に光が見えて来た。

 だが――。

「お待ちください! 出口になにかいます!」

 1人の兵士がそう言ったことで、皆に緊張が奔る。

「もしかして、セイヴァーか……!?」

 才人が言った。

 才人のその言葉に、この場にいる皆の空気と足取りが一気に重くなった。

 アヴェンジャーとのあの戦いなどが、脳裏に蘇ったのである。

「あれって、“ゴーレム”よね?」

 待ち構えていたのは、“ゴーレム”であり、キュルケは拍子抜けしたといった様子で言った。

 だが――。

「確かに、“ゴーレム”だとは想うけど……なにか、違う、ような?」

 そこにいる“ゴーレム”は、ギーシュの言う通り、彼等が知る“ゴーレム”とは明らかに違った。

 ただ判ることは、それが“ゴーレム”であるということだけである。

「相棒、気を付けろよ。あの“ゴーレム”はこれまでのとは明らかに違う」

「ああ、理解ってる。フーケのとも“ミョズニトニルン”のとも全く違う」

 才人はそう言って、デルフリンガーを構える。

 他の皆も其々“魔法”を使うため、“ルーン”を唱え始める。

「――放て!」

 アンリエッタとシオンの号令で、“メイジ”達と“エルフ”達は“魔法”を放つ。

 そして、才人はその直後に飛び出し、“ゴーレム”へと詰め寄った。

 いくつもの“魔法”が“ゴーレム”へと命中し、爆発を起こす。

 爆炎に紛れ、才人は“ゴーレム”へと瞬く間に接近し、跳躍。斬りかかった。

「か、かてえっ!」

 デルフリンガーが弾かれ、才人はその反動で吹き飛ばされてしまう。

 体勢を崩し吹き飛ぶ才人を、“ゴーレム”は殴り飛ばした。

「ごふっ!?」

「サイトッ!」

 吹き飛ばされた才人を、“メイジ”が“風魔法”でクッションのようなモノを造り出し、優しく受け止める。

「わりぃ、助かった!」

 才人は短く礼を言うと、デルフリンガーを構え直し、“ゴーレム”を睨む。

「全く、セイヴァーの野郎、なんでこんな……」

「恨み言は後!」

 キュルケはそう言って、コルベールと共に炎球を飛ばす。

 が、当然それは命中すれど“ゴーレム”の表面を焼くことすらもできな。

「行って!」

 タバサが“氷の槍(ジャベリン)”を唱え、“ゴーレム”へと飛ばす。

 氷の槍は、“ゴーレム”に打つかり砕け散った。

「ああ、もう! ルイズ! “爆発”でどうにかならないの!?」

「今からやるわよ! “エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ” ……“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……“ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ”……“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”」

 ルイズが“ルーン”を“詠唱”している間も、後ろの方から“攻撃魔法”が放たれ“ゴーレム”を牽制している。が、尽くが弾かれ、無駄に終わる。

「――“爆発(エクスプロージョン)”!」

 ルイズが“杖”を“ゴーレム”へと向けて振り下ろす。

 “ゴーレム”を中心にして、大きな爆発が起こった。

 爆発が起きたことで、当然爆風が起こり、床や壁に罅が入り、破片がルイズ達の方へと飛んで来る。

 視界を煙で遮られ、ルイズ達は咳き込みながら様子を窺った。

「駄目みたい……」

 ルイズは消沈気味に言った。

「どうすれば……」

「私が、やってみる」

「テファ?」

 ルイズの“爆発”を耐えてみせた“ゴーレム”を前に、皆頭を抱えた。

 そんな中、ティファニアは“杖”を構え、意識を集中させる。

「“エオルー・スーヌ・イス・ヤルンサクサ”」

 ティファニアは、ルイズの“爆発(エクスプロージョン)”の“詠唱”と良く似た“ルーン”を謳い上げる。

「“オス・ベオーグ・イング・ル・ラド”、“アンスール・ユル・ティール・カノ・ティール” ……“ギョーフ・イサ・ソーン・ベオークン・イル”!」

 ティファニアは、真っ直ぐに“杖”を振り下ろす。

「――“分解(ディスインテグレート)”!」

 “杖”の先にいる“ゴーレム”が光を放つ。

 だが、それでも“ゴーレム”に変化はない。

 “分解”すらもできなかったのである。

「そんな……」

「これでも駄目なのかよ……」

 切り札ともいえる“虚無”の力をもってしても、どうすることもできあにという現実に、この場にいる皆は半ば絶望しかけてしまった。

「相棒、嬢ちゃん達! 俺に“爆発”と“分解”をかけてみてくれ!」

「デルフ?」

 デルフリンガーの提案に、ルイズとティファニア、そして才人は首を横に振った。

「なに言ってんだよ!? そんなことしたら、おまえが分解されちゃうだろうが!」

「今のおりゃあ、セイヴァーの野郎がくれた“武器”だぜ? 大丈夫だって」

「なにかの罠があるとか? 元のデルフリンガー同様に“魔法”を吸収できるとかじゃなくて、全く能力のない頑丈な剣でした、って落ちは……」

「…………」

 デルフリンガーの根拠のない言葉に、ギーシュやマリコルヌが不安げに言った。

 そんな2人の言葉に、才人は黙り、考え込む。

「……理解った。ルイズ、テファ、やってくれ」

「でも、サイト」

「大丈夫、だと想う」

 才人の言葉に、ルイズとティファニアは不安そうに見詰め返す。

 だが才人とデルフリンガーは、そう言った後、“ゴーレム”を警戒し、口を開かない。

 才人とデルフリンガーの決意が強いことに気付き、ルイズとティファニアは互いに首肯き合った。

「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ” ……“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……“ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ”……“ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル”」

「“エオルー・スーヌ・イス・ヤルンサクサ”……“オス・ベオーグ・イング・ル・ラド”……“アンスール・ユル・ティール・カノ・ティール” ……“ギョーフ・イサ・ソーン・ベオークン・イル”」

 2人の“詠唱”が始まった。

 その“ルーン”は嫋やかに朗々と響き渡る。

「――“爆発(エクスプロージョン)”!」

「――“分解(ディスインテグレート)”!」

 2人がデルフリンガーへとそれぞれ“魔法”をかける。

 装飾が少ないながらも機能美のあるデルフリンガーは、青白く光り輝く。

「行くぞ、デルフ!」

「応よ! 相棒、想い切り、行け!」

 才人は腕輪型の“礼装”で自身の身体能力を大幅に強化し、“ゴーレム”へと突っ込む。

 強化された身体能力から生み出される脚力によって、呼吸や歩法などが噛み合ってなどいないにも関わらず、才人は“縮地”に等しい速度で“ゴーレム”へと詰め寄った。

 そして――。

「喰らえっ!」

 才人は想い切り、そして勢い良くデルフリンガーを振り下ろした。

 デルフリンガーが打つかるのと同時に、“ゴーレム”の身体は爆発する。

 爆発によって才人は、ルイズ達の元へと戻されるように大きく吹き飛ばされた。

 “ゴーレム”は、身体が爆発し、粉々に砕け散る。そして、砕け散った欠片は音も無くバラバラと砕け散ち、目に見えぬ小さな粒へと分解された。

「や、やった……」

 才人がそう言った後、後ろから歓声が湧いた。



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ビースト

「凄いじゃ成いか、サイト!」

 ギーシュを始め、“水精霊騎士隊”の少年達が、才人へと駆け寄り、抱き締めた。

「いや、ルイズとテファが凄いんだよ。2人の“魔法”とデルフがいてくれたからどうにかなっただけだよ」

「謙遜することなんてないさ。なあ、君達!?」

「そうだよ、サイト」

 ギーシュやマリコルヌ達は、才人を称賛し、胴上げすらも辞さない様子である。

「待って。先ずは、ここから出ることが先決でしょ? それは後でもできるわよね?」

「ああ、まあ、うん……」

 ルイズは、ギーシュ達へと一睨みし、言った。

 ギーシュ達は圧されながら、才人から少しばかり離れ、気を取り直すかのように咳をした。

 “ゴーレム”を倒したことで、出口を守るものはいなくなった。

「では、行きましょう」

 アンリエッタの言葉に、皆が首肯き、歩を進める。

 皆明るい表情を浮かべていた。

 が、直ぐにその表情は抜けたものになる。

 迷宮の出口の先。

 それは、大きな通路であったのだ。

「これは……?」

「通路、ですね」

 その通路は、連合が横列に並びながら進んでもなんら問題などないほどに広い。また、高さもかなりあり、“エンシェント・ドラゴン”が1匹入るほどである。

 皆は其れに圧倒されたが、それ以外にも彼等には気になることがあった。

「音楽……?」

 音楽が流れ続けているのであるる。

 “死神のための葬送曲”。

 美しくも繊細な調べが、この廊下の中で響き続けているのである。

「この曲って、確か……」

 才人には聞き覚えがあり、どうにか想い出そうとして頭を撚った。

「駄目だ。想い出せねえ」

 才人は首を横に振り、再び歩き出した。

 

 

 

 そうして才人達が歩き続けていると、大きな広間へと出た。

「ここは……」

 其の場の皆が、圧倒された。

 とても広く、荘厳で、神秘的で……言葉では簡単に表せない空間がそこには広がっていたのである。

 そして、こじでも音楽は鳴り続けている。いや、むしろ、その音は大きくなった。

「ようこそ。良く来たな。おまえ達」

 堂々と玉座に座りながら、俺は才人達へと労いの言葉を掛ける。

「セイヴァー!」

 俺が声をかけることで、才人達は俺に気が付いたといった様子を見せる。

「圧倒されているようだな。まあ、無理もない。ここは、神殿のようなもの……“王の中の王”、その“神王(ファラオ)”の1人、“オジマンディアス”の“宝具”、“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”なのだからな」

「オジマン、ディアス……?」

「ああ、そうか。“ハルケギニア(この世界)”では当然知られていないものな。才人、おまえにはそうだな……こう言った方理解りやすいか? “ラムセス二世”、と」

「確か、教科書に載ってた、“エジプト”の」

「そうだ。その“神王(ファラオ)”の“宝具”だ。まあ、おまえ達が先程までた迷宮は、また“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”と言う、“ギリシャ神話”で語られる“クノッソスの迷宮”だがな。そして当然、それ等は俺好みにカスタマイズをしてある。元々、俺個人の“宝具”ではないからな」

 今の俺は“災害の獣(ビースト)”である。

 そんな“ビースト()”に対して、何故か“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”に合っている、と才人達は感じさせた。

 “災害の獣”でありながらも、神秘的……力に溢れる様子から、太陽を想起させる。詰まり、“神王(ファラオ)”である。

 他の……歴代の“神王(ファラオ)”達からすると、怒りを向けざるをえないだろうが、それでも、才人達にはそう感じることができた。

「それで……これからどうするって言うのよ?」

 そんな得意げに語る俺に、ルイズは睨みながら問うて来た。

「なに、簡単なことだ。実にシンプルだとも。おまえ達の勝利条件は、俺を斃すこと。そして、俺の勝利条件は……まあ、言うまでもないな」

「なら、早速おまえを殴ってやる!」

 才人はデルフリンガーを構え、片足を前へと進めた。

「まあ、そう急ぐな。やり合う前に、少し間引かせて貰おう」

 俺はそう言って、指をパチンと鳴らす。

 ドサッ、と一斉になにかが倒れる音がした。

 すると、才人達の後ろで待機していた兵隊達――“メイジ”達や“エルフ”達が突然苦しみ出し、意識を手放した。

 だが当然、全員などではなく、一部どうにか意識を保ち続けている者達もいる。

「な、なにを……!?」

 アンリエッタは後ろを振り返り、慌てて俺へと問うた。

「毒、さ。毒をここに充満させただけのこと」

「毒、だと……」

 ビダーシャルを始め皆の表情は当然険しくなる。

「おまえ、本当に……」

「言っただろ? 俺は、“災害の獣”……善かれと想いながらも、おまえ達に害を為す存在さ……」

 呆然と呟く才人に、俺は言った。

「改めて確認したい……」

「なんだ?」

「どうしてこんなことを……」

「“愛”故に……今の俺は“人類悪”としての側面を持ってるからな」

「“人類悪”?」

「“文字通り人類の汚点であり、人類を脅かし、人類を滅ぼす7つの災害”、“言うなれば人類史に溜まる澱みであり、人類が発展するほど強大な存在となって、その社会を内側から喰い破る人類種の癌細胞のようなモノ”……“文明より生まれ文明を喰らうモノ”、“霊長の世を阻み、人類と築き上げられた文明を滅ぼす終わりの化身”さ」

「それが……」

「そう。“人類悪”、“ビースト”。そして、それは“人が人であるが故の性質や知恵持つ生き物であるが故の切り捨てることの叶わないモノ”だ。俺達、“全人類が内包しているであろうこの大いなる悪に誰も克つことはできず、知恵を人類が捨てられないのと同じく、悪もまた捨てることができない”。何故だか理解るか?」

「そんなの、理解る訳がないじゃないか」

 俺の説明に、ギーシュは代表として言った。

 俺は嘆息し、答える。

「実に簡単なことだがな。まあ良い……その在り様は敵意によって人類を滅ぼそうとする“復讐者”や、人類に仇為す人外とは完全に逆だからだ。それ等が人類“を”滅ぼそうとする悪なら、ビーストは人類“が”滅ぼす悪だ」

「詰まり……どういうことなんだ?」

「なるほど……そういうこと、か……」

 才人達が理解らないといった様子を見せる中、オスマンやコルベール、そしてビダーシャル達は合点が行ったという様子を見せた。

「“人類が滅ぼす悪……その人理を脅かすモノの本質は人間への悪意と言う一過性のモノではなく、人理を守ろうとする願いそのもの”だと言うことだ。まあ、即ち、“人類愛”と言ったモノさ」

「より善い未来を望む精神が今の安寧に牙を剥き、やがて、人類の自滅機構――即ち自業自得の死の要因(アポトーシス)、ということじゃな?」

「然り」

 オスマンの確認に、俺は首肯いた。

「そんな……」

 皆、信じられないといった様子である。

「さて、講義は終わりだ」

 俺はそう言って、皆を見下ろす。

「で、今から始るのよね?」

「ああ、そうだとも。だけど、先程も言ったが、いきなりボス戦などと味気がないにもほどがある。故に」

 俺はキュルケの言葉に、首肯き、再び指を鳴らす。

「――な、なんだね!? あれは!?」

 ギーシュを始め、皆が驚いた。

 そこに現れたのは、大きな獣であったためだ。

 当然ただの獣ではない。

 獅子の躰と人の顔を持つ、大型トラック以上の体躯を誇る“幻想種”。

「スフィンクス、か……」

 才人は、その獣の特徴に心当たりが有り、言い当ててみせた。

「そうだ。“エジプト神話”に伝わる、“王家の守護聖獣”……“天空神ホルスの地上世界での化身”、荒ぶる炎と風が顕現した姿……おまえ達には、こいつ1匹だけで十分過ぎる。いや、もう少しばかり弱い奴を使った方が良いか?」

「なあ、セイヴァー……」

「くどいぞ、才人」

 才人はデルフリンガーを構え乍ら、俺を静かに見詰めた。

「確認だけさせてくれ。おまえは、6,000年前に俺やブリミルさん達を救けてくれた。どうしてなんだ?」

「簡単なことだ。ここで御前達の相手をするため。時間の流れを悪戯に変えたくなかっただけのこと」

「本当に、それだけか?」

「さてな……ただ、いつでもおまえ達を殺すことができたたのは事実だ。呼吸をするのと同じように、な」

 俺がそう言った直後、“スフィンクス”――“熱砂の獅身獣(アブホル・スフィンクス)”はその巨躯をユックリと動かして才人達の前に立ちはだかった。

「そうか……もう良い……おまえを、殴って止める! 最悪、腕や足を斬ってでも止めてやる!」

「は! 中々の啖呵だと想うぞ。好い。好いぞ。まあ、もっとも、王様系の“サーヴァント”達からすると、俺もおまえも落第点だろうがな」

 俺がそう言うのと同時に、“スフィンクス”は才人達へと向かって跳躍した。

「――!?」

 その余りの速度に、才人達は対応することができず、吹き飛ばされてしまう。

 ギーシュを始め“水精霊騎士隊”の少年達は、俺へとなにか言いたそうにしてはいるものの、なにも言えずに、逃げ惑うことしかできないでいた。

「“はは! 逃げろ、走れ、跳べ! 精々足掻け。喚け。叫べ!”」

 “スフィンクス”はその巨躯に似合わぬ速度で、才人達を弄んでいるかのようである。強靭な前脚を、衝撃波(ショックウェーブ)が発生するほどのスピードとパワーで振るった。大きなダメージを直接与えることのないように、加減をしながら。

「“ファイアーボール”!」

氷の槍(ジャベリン)!」

「“稲妻《ライトニング》”!」

「“エア・ハンマー”!」

「“爆発(エクスプロージョン)”!」

 炎球が、氷の槍が、電撃の帯が、巨大な空気の塊が、爆発が、“スフィンクス”を襲う。

 だが掠り傷1つ付かず、“スフィンクス”は悠々としている。

「さっきの“ゴーレム”もそうだけど、なんて固さなの?」

 流石のルクシャナも、このような事態では好奇心よりも焦りの方が当然増す。

 ルクシャナはそう言って、“精霊の力”を借りて“魔法”を行使し、“スフィンクス”へと攻撃をした。

「喰らえっ!」

 才人はデルフリンガーを振り被り、“スフィンクス”へと斬り掛かる。

 スフィンクスはそれを迎撃しようとするが、その前にアリィーの“意思剣”が“スフィンクス”から才人に向けられた意識を奪った。

「――うおっ!?」

 だがそこで、“スフィンクス”は背の翼をはためかせ、強風を起こすことで才人と“意志剣”を吹き飛ばした。

「ルイズ! テファ!」

 才人は体勢を立て直し、叫んだ。

「“爆発(エクスプロージョン)”!」

「“分解(ディスインテグレート)”!」

 ルイズとティファニアは、“ゴーレム”を斃した時のように、デルフリンガーへと“魔法”を掛ける。

 デルフリンガーが青白く光り輝くのを確認することもせず、才人は跳躍し、“熱砂の獅身獣(アブホル・スフィンクス)”へと斬り掛かった。

「“良いぞ、ハハッ! 多少はやるか”」

 本来届くはずのないそれは、“スフィンクス”の“心臓(霊核)”にまで届いた。

 結果、“熱砂の獅身獣(アブホル・スフィンクス)”の躰は崩壊する。

 完全な再現を行っていなかったために、その力は十分に発揮できなかった。が、そんな状態であっても、それなりには動き、働いたといえるだろう。

「さて、セイヴァー。後は御前だけだ」

「そうだな、その通りだ。おまえの言う通りだな。まあ、本来であれば“熱砂の獅身獣(アブホル・スフィンクス)”など捨てるほどいるが、まあ、良いだろう。1匹だけで十分過ぎると言ったからな。いや、甘く見ていたか。いやいや、期待通りと言うべきだな」

 俺はそう言って、玉座から立ち上がる。

「皆は手を出さないでくれ」

「サイト!?」

 才人はそう言って、一歩進み出た。

「“ほう、ほう。面白い!” 単騎のみで俺を相手取って見せるつもりか」

「ああ。“虎街道”での続きと行こうぜ」

「“虎街道”……ああ、識っているぞ。あれだな。あれは俺の勝利で終わったはずだがな。まあ、それでもおまえの言葉に突き動かされたのもまた事実だが」

「言ってろ。今度は絶対に勝つ」

「良いだろう。ならば存分に足掻いて見せよ」

 俺はそう言って、1本の剣を“投影”する。

「“乖双弓槍剣アヴルドゥク”は使わないのかよ?」

「必要ない。おまえには、これ1本と俺の身体のみで十分だ」

「…………」

「まあ、ただの身体ではないぞ。“ヘラクレス”や“アキレウス”の“宝具”などを宿しているからな」

 俺はそう言って、一歩踏み出す。

「なあ、サイト。せめて、これだけでも受け取ってくれないか?」

 ギーシュはそう言って、腕輪型の“礼装”で才人の能力を軒並み強化した。

 他の面々もそれに続く。

「ありがとな、ギーシュ、皆。さあ、やろうぜ、セイヴァー」

 才人がそう言ったのと同時に、左手甲の“ルーン”が光り輝く。

「ああ、始めようか。さて正真正銘のボス戦だ。精々足掻いて、世界を救ってみせろ!」

 才人は床を蹴り、デルフリンガーを振り翳す。

 自身が着けている“礼装”と皆からの強化によって生み出される脚力はかなりのモノであり、才人は瞬きをする間も与えずに俺の懐へと潜り込もとして来た。

「 “秘剣―――燕返し!”」

 だが、そう簡単に斬撃を受ける訳にはいかない。

 俺は、本来であれば“物干し竿”という“長刀”を用いて放たれる神域の技――“第二魔法級”の現象を、剣で放った。

 かつて“佐々木小次郎”と呼ばれる男が、(TSUBAME)を斬ろうとした際、空気の流れを読まれて尽くを避けられてしまったがために、編み出された剣技。

 “頭上から股下までを断つ縦軸の一の太刀、一の太刀を回避する対象の逃げ道を塞ぐ円の軌跡である二の太刀、左右への離脱を阻む払い三の太刀と、三つの異なる太刀筋を多重次元屈折現象により同時に放つことで対象を囲む牢獄を作り上げる”。

 “魔術”や“魔法”などは一切使わずにただただ剣技のみで放たれる。

 この瞬間、剣は実際に“ほぼ同時ではなく全く同時に放たれる円弧を描く3つの軌跡”が才人へと向かった。

「――!?」

 才人は目を見開いた。そして、デルフリンガーを振り翳したまま、踏み出した足で前に出るのをやめ、即座に後ろへと跳躍し、回避を図る。

「く、そっ……喰らっちまったか……」

 才人は、服の上から斬り裂かれた自身の腹へと手をやり、それからデルフリンガーを構え直す。

「今の、なに……?」

 見ていた皆は、一瞬の間に起きた出来事に目を見張った。

「あれは、回避不可能と言っても良いだろね……」

 イーヴァルディは苦虫を噛み潰したかのような表情と声で言った。

「どういうこと……?」

 タバサは静かに問うた。

「なに、簡単だ。実に簡単なことだとも。ただ、同時に剣を振っただけのことさ」

 俺は出来る限り、なんでもないように言って退けた。

「“佐々木小次郎”と呼ばれる、かつて無名のNOUMINが手にした神域の剣技さ」

 俺はそう言って、剣に付着した血を、振り飛ばした。

(可怪しい……なんか上手くように動けねえ。どういうことだ……?)

 才人は、俺が説明をし、手を止めている間、頭を悩ませていた。

「どうした才人? 先程までの威勢はどこに行った? いいや、おまえは今疑問を抱いているな? そう、どうして本来の実力を出すことができないのか、と」

「…………」

 才人は俺を睨みながら、デルフリンガーを構え直し、足を動かし、距離を測る。

「そうだな……おまえに理解りやすく言うとすれば、デバフと言ったところか」

「どういうこと!?」

 ルイズ達が疑問を覚え、声を上げた。

「おまえ達の身体的ステータス――身体能力が落ちているのさ。まあ、防御用の“魔法”も“魔術”も、鎧なども無視して微弱ながらもダメージを与え続けているというのもあるがな」

 文字通り、ここは複合神殿である。“万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)”や“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”はもちろんのこと、“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”を展開し、“死神のための葬送曲(レクイエム・フォー・デス)”や“|至高の神よ、我を憐れみたまえ《ディオ・サンティシモ・ミゼルコディア・ディ・ミ》”もまた使用し続けているのだから。

 結果、俺にはバフが、才人達にはデバフが、という風である。

 俺はそう言って、才人と同じく剣を構え直す。

「どうした? 来ないのか? なら俺から行くが」

「気を付けろ、相棒! セイヴァーの実力は未知数だ!」

「ああ、理解ってる。でも、なにかあるはずだ……なにか、弱点とか」

 デルフリンガーと才人は、挑発する俺に対して強く警戒している様子を見せる。

「弱点などというモノはないさ。それでもしいて言うのであれば、そうだな……こう、自身の弱点を的に教えるのも問題ではあるが、敢えて教えてやろう。この俺の弱点は、全力を出し切ることができないこと、そして相手をしているのが“英雄”であるということだ」

 俺はそう言って、床を蹴り、跳ぶ。

「“1歩音超え、2歩無間――3歩絶刀! 無明三段突き!”」

 俺は“縮地”をもって、歩法と体捌きと呼吸、そして才人の死角を利用し、単純な素早さなどではなく、歩法の極みで間合いを詰める。

 そして、平晴眼の構えから壱の突きと弐の突きと参の突きを含む平突きで、ほぼ同時ではなく全く同時に放った。

 放たれた3つの突きが同じ位置に同時に存在しており、この壱の突きを防いでも同じ位置を弐の突き、参の突きが貫いているという矛盾によって、剣先は局所的に事象飽和を引き起こす。

「――相棒!」

「――理解ってる!」

 デルフリンガーの叫びにも似た呼び掛けに、才人も叫び返すだけで精一杯であった。

 結果から来る事象飽和を利用しているため、事実上防御など不可能であり、無意味であるといえるだろ。

 命中してしまえば、効果範囲こそ狭いものの命中箇所は破壊を通り越して、刳り貫かれでもしたかのように消滅してしまうのだから。

 だが――。

「――うおおおおおお!!」

 才人はそれを防いでみせた。

 正確には、デルフリンガーが見切り、才人へと指示を出し、才人はそれに従っていただけなのだが。

 だがそれでも、才人は防いでみせたのである。

「ふむ……見事なものだな、才人。“ガンダールヴ”としての力をフルに使っているみたいだな。“騎士の武略”、“守護騎士”、“心眼(偽)”と“心眼(真)”、“戦闘続行”、“直感”、“不屈の意志”、“勇猛”……まさか、これだけの“スキル”を含んだ“複合スキル”だとは、夢にも想わなかったな」

 俺の口角は自然と上に歪んでいた。

「そらそら、次だ、次」

 俺はそう言って、再び才人の懐へと潜り込む。

「同じ手は――」

「馬鹿か? 同じ手を使ってばかりだと想うなよ」

 俺はそう言うのと同時に、攻撃が1つに重なるほどの高速連撃を才人へと放つ。

「ぐぁっ……く……かはっ!?」

 才人は息と血の塊を吐き出し、吹き飛ぶ。

「そら、さっさと態勢を立て直さないと、駄目じゃないか」

 俺は再び跳躍し、才人の後を追い掛け、同じく連撃を繰り出す。

「相棒、意識をしっかり保て!」

「だい、じょうぶ……なんとか、意識はあるぜ、デルフ」

 才人はフラつきながら、立ち上がり、デルフリンガーに応えた。そして、再び俺を睨み、構え直す。

「“複合スキル”だが、そのどれも“A+++ランク”ほどの効果があるんじゃないのか?」

 俺はそう言って、ユックリと才人へと歩み寄る。

「さて、才人。おまえ1人だけでは無理があることに気付いただろ?」

「…………」

 俺の言葉に、才人は無言で返す。

「沈黙は是也。さて、おまえ達。才人の手助けをすることを許可する。俺へと攻撃でもしてみると良い」

 俺は笑い、この場にいる皆を挑発してみせる。

 すると、皆俺へと攻撃を開始し、才人も観念した様子で攻撃を再開した。

 ある者は“錬金”で床を腕の形へと変形させ、ある者は炎の蛇でもって俺の動きを封じようとする。

 ある者は剣に意思を持たせ、自在に動かすことで、俺の意識を逸らそうと試みる。

 ある者は炎球を放ち、ある者は爆発を発生させ、ある“偏在(ユビキタス)”を発生させ、俺を撹乱しようとする。

 だが――。

「無駄だ。そんなモノは効かん」

 俺はそう言って身体を軽く動かす。

 俺を拘束しようとしていた腕は砕け散り、炎の蛇は千切れ飛ぶ。意思を持つ剣は罅割れ落ち、炎は消失し、爆発は消沈し、“偏在(ユビキタス)”は掻き消える。

 同時に、俺は剣を軽く振るい、剣圧で皆を吹き飛ばした。

 皆“礼装”を用いてそれぞれが強化した“魔法”でありはしたが、今の俺からすると児戯に等しい……いや、最初から――“転生”して力をえた時から、この世界の総てが児戯に思えてしまっていたのかもしれない。

 それでもまだ皆、立ち上がり、“魔法”を繰り出して来る。

 才人とイーヴァルディは連携して、皆からの援護を始めとしたバックアップの元、俺へと斬りかかって来る。

「速いがそれだけだ。真っ直ぐ過ぎる。フェイントを入れろ。まあ、好いがな」

 俺はそう言って、2人の剣を往なし、片手で炎の球を生み出して放つ。

 その炎球は放たれるのと同時に分裂し、次々とまだ立っている“メイジ”や“エルフ”達へと命中した。

 毒の影響もあって、意識を保ち続けることができず、喰らった者達は倒れていく。

「セイヴァー!」

 才人は、今の俺の状態とは正反対である、この世界に於ける名、を叫びながら剣を振りかざす。

 同時に、イーヴァルディが俺の背後へと回り込み、下から上へと逆袈裟の容量で振り上げて来る。

「無駄だ。全て観えているぞ」

 俺は軽く力を出し、2人を剣ごと弾き飛ばす。

 吹き飛ばしたイーヴァルディを、才人が飛んだ方向へと蹴り飛ばす。

 イーヴァルディは鳩尾に俺の蹴りを喰らい、勢い良く飛ばされる。

「“卑王鉄槌。極光は反転する。光を呑め! 約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!”」

 俺が手にしている剣が、“真名解放”によって俺自身の“魔力”によって黒く染まり、その“魔力”が刀身から溢れ出して光となる。

 黒い光となったそれは、収束と加速をおこなって運動量を増大させ、先端部分から光の断層による黒き究極の斬撃となり、シオンやルイズ達へと牙を剥く。

 その斬撃の前に、吹き飛ばされた才人とイーヴァルディっが体勢を立て直して、それぞれの剣を構える。

 高熱量を誇る黒い光が、才人が持つデルフリンガーとイーヴァルディが持つ剣へとそれぞれ分かれて吸い込まれていく。

 だが当然、その斬撃()を構成する“魔力”を吸い切ることができず、才人とイーヴァルディは吹き飛ばされ、同時に後ろにいたシオンやルイズ達もまたそれを喰らってしまう。

 光が収まったあと、そこにあったのは意識を手放してしまった者達と、まだ意識があるが立ち上がることすらもできないでいる者達の2つに分かれることになった。

 そんな中、才人だけが身体をボロボロにしながらも、足を震わせながらもどうにか立っていた。

「どうしたんだよ? セイヴァー……俺は未だピンピンしてるぜ? 来無いのかよ?」

「言うじゃないか。だが、どうする? 俺は攻撃を続けることができるが、おまえは立ってるのがやっとだろ?」

「そんな訳あるか! これからが本番だろ?」

 俺の言葉に、才人はニヤリと笑みを浮かべ、挑発で返して来た。

 そんな才人の言動に、俺は想わず笑みを零してしまう。

「素晴らしいな、才人。おまえは、やはり“英雄(人間)”だ、俺はそう想う。そうでなくてはな。“諦めずに、前へ、だ”。そして、“イメージするのは”」

「“常に最強の自分”だろ? 相変わらず、おまえって奴は……」

「…………」

「そんな姿になっても、受け売りとか口にするんだな」

「そう、だな……俺は空っぽだからな。だから、なにかを求め、受け容れるために、中身を満たすために“根源”と繋がっているのかもな」

 俺がそう言ったのと同時に、才人と俺は互いに床を蹴り、詰め寄った。

「どうしたこの程度か?」

「こっちの台詞だ! こんな程度かよ!?」

 ここからは単純な剣戟が続いた。

 だがそれでも、かなりの速度と威力を持っている。

 互いの剣が振るわれるたびに、玉座の間には立っていられるのが難しい――吹き飛ばされないようになににしがみ付いていあにと駄目なほどの風が巻き起こる。

 互いの剣が打つかり合うたびに、火花が散り、耳の鼓膜が破れかねないほどの音が鳴り響く。

「手加減してんじゃねえよ! 全力で来い! セイヴァー!」

「言っただろ? これで十分、だと。全力を出すことはできない、と」

 才人の挑発を軽く流し、俺は剣を振るうスピードを上げる。

 だが当然、才人もそれに追い付き、縋って来る。

「やるな」

「おまえのおかげなんだぜ? あの時、360度もの角度から刀剣類を飛ばして来たおまえの攻撃のおかげでどうにか対応することができてるんだ、ぜ!」

 才人はそう言って、俺が振った剣を弾き飛ばす。

 一瞬だけでは在るが、俺は握っていた剣を弾かれ、隙ができてしまった。

 いや、わざとそうしたのだが。

 当然才人はその隙を見逃すはずもなく、デルフリンガーを突き立て、俺の胸を深々と突貫く。

「相棒!」

「ああ、手応えありだ。けど!」

 俺の胸に深々と突き刺さったデルフリンガーを目にし、皆は息を呑んだ。

「“霊核”を破壊、できたのか……」

 イーヴァルディのその言葉に、皆顔を見合わせ、それから才人と俺へと視線を戻す。

「だが、現実はそう甘くはない」

 俺はそう言って、剣を手放す。

 俺の言葉と手放された剣に、才人の目は向かってしまう。

「――相棒!」

「しまっ――」

 デルフリンガーが叫ぶのと才人が気付き声を漏らしたのと同時に、俺は剣を握っていたのは逆の方の手で握り拳を作り、才人の腹へと叩き込んだ。

「――がはっ……」

 才人の口から声にならない声、胃液、血塊などが飛び出す。

「ボサっとするとは、そんなに死にたいのか?」

 俺はそう言って、神速の脚で才人を蹴り飛ばした。

「どう、して……?」

 蹴り飛ばされた才人は、壁に打つかり、倒れる。それから、ヨロヨロと立ち上がり、俺へと問うた。

「どうして? どうして“霊核”が破壊されたのに、無事なのか、か?」

「……っ……」

「この“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”には、所有者に対し“仮初の節の肉体を与える”力があるのさ。これがある限り、“霊核を破壊されても即座に無限再生する”んだ」

「そんな……」

 ルイズ達の中から絶望に似た声が漏れ出た。

「いや、だがおまえには驚かされてばかりだぞ? まさか、俺のこの身体を貫き、“霊核”を破壊してみせたんだからな。なにせ、“十二の試練(ゴッド・ハンド)”、“勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”を貫いてみせたんだぞ。誇れよ。誇ると良い」

 本来、“神性スキル”を持たない者の攻撃、汎ゆる“Bランク以下”の攻撃、などは完全に無効化できる身体に傷を与え、“霊核”を破壊してみせたのだから、才人の力はただの人の範疇を超えていることが理解る。

「俺だけの力じゃない、そうだろ?」

「なんだ、随分と謙虚だな。いいや、しっっかりと理解できているということか。大した者だな、おまえは」

 俺は笑いながら才人を見やり、口を開く。

「そうだ。汎ゆる偶然や力が集結したからこその結果、とでも言おうか? おまえが握る剣、デルフリンガーの意志が宿ってるその剣は俺がおまえにくれてやったモノだ。そして、それは俺が創った」

「ああ、だから、だろ? ルイズとテファの“虚無”を掛けても問題なかったこと、そして俺がこれだけ動くことやおまえの心臓を貫くことができたのって」

「そうだな。どうやら俺は無意識のうちに“神造兵装”でも創ってしまってたみたいだ」

「言ってろ」

 才人は余裕ぶりながらそう言って、剣を構え直す。

 だが、才人の心の中は焦りで一杯で在った。

(どうする? どうすれば、セイヴァーを斃すことができる?)

 才人は間合いを測りながら、思考を巡らせる。

(そう言や、セイヴァーはなんか言ってたっけ……? 全力を出せない、とか……! そうか! でも、だからってあの攻撃を弾いたり、不死の身体をどうにかすることなんて……)

「……見せてみろ、才人。おまえ達の“可能性”を」

「“可能性”、だと……?」

 俺はそう言って、再び才人へと向かって詰め寄った。

「――くそ、考える暇を与えてくれないのかよ!」

 才人はそう言って、デルフリンガーで俺の剣による攻撃を防いだ。

「どうした? 才人! おまえの力はこんなモノではないはずだ! おまえ達の力は!」

 俺は叫びながら剣を振るい続ける。

「当たり前だろうが!? 俺の、俺達の力はこんなもんじゃねえ!」

ならば、見せて見ろ! その力を!」

「――うおおおおおおおおお!」

 才人は雄叫びを上げ、デルフリンガーを勢い良く振り下ろす。

「いつもいつも、おまえは上から目線で気に喰わねえんだよ!」

「すまんな、それは性分だ」

「なんでも知ってるとか言った風を装いやがって!」

「実際に識っている、いや、識ることができるのだから仕方がないだろ」

 “虎街道”での時と同じ様に、才人は俺へと想いを打つけ乍ら剣を振るって来る。

 そんな才人へと、俺もまたその想いを受け止めながら応戦をする。

 何度かそんな剣戟と言葉の応酬を繰り返し、俺は剣を振るい、才人を吹き飛ばす。

「――この、馬鹿野郎がああああああああああ!」

 吹き飛ばされた才人は、一瞬で体制を立て直し、デルフリンガーを構えて叫びながら突っ込んで来る。

 だがそれは簡単に避けることができる、馬鹿正直なほどに真っ直ぐな突きであった。

「…………」

 そこで、俺は避ける動作を取ろうとするが、その前に、俺の顔のすぐ前で小規模な爆発が起きる。

 その爆発が、俺の視界と張力を、一瞬だけではあるが奪い去った。

「え?」

 シオンを除き、才人を始め皆の目は丸く見開かれており、ポツリと呟いた。

 皆、目をパチクリとさせ、信じられないモノを見た、といった様子を見せる。

「ようやく、か……やるじゃないか、才人……」

 俺の身体はバッサリと斬り裂かれており、最早修復不可能な状態である。

「いや、どうして? 俺にこんな力ある訳……」

「たった今身に着けたってことだ。目的達成のための手段を1つに絞ったんだよ」

「いや、それでもこんなアッサリ……」

「そんなモノだ、何事も……物事は思いの外アッサリと、呆気なく終わるモノなんだよ……ただ、おまえは、無限にarubeき未来をたった1つの結果に限定して退けた……俺の“霊核”を“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”にyoる再生能力や“十二の試練(ゴッド・ハンド)”や“勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)”、他“宝具”や“スキル”gごと斬り捨てただけのこと……いやはや、実に呆気ない、味気ない最期だな……」

「おまえなんで笑ってるんだよ……?」

 この場にいる皆は、言葉を失い、ただ静かに見守っていた。

 そんな中、才人は俺に問い詰めた。

「どうして笑ってられるんだよ!?」

「どうして、か? 決まってる。世界は守られたんだぞ? 人類は守られたんだ! 例え“剪定”されることが決まっていても、存命が決定されたんだぞ!? おまえ達がそれを掴み取ったんだぞ!? これが喜ばずにいられるか!」

「おまえ、もしかして……」

 才人を始めとした皆は、気付いた様子を見せる。

「なんだ、今頃気付いたのか? 存外、鈍いのだな、皆」

「最初から、自分が殺られるつもりで計画を立てていたんだな? 俺達におまえを殺させるように仕向けたんだな?」

「そうだ。それで? なにか、他に訊きたいことでもあるのか?」

「当然、だ。なんでこんなこと……」

「野暮なことを訊くなよ、才人。“愛”故、だと言っただろ?」

「もっと理解りやすく言ってくれ」

「……俺は“災害の獣(ビースト)”だ」

「知ってる」

「俺は、他の“ビースト”とは違う点がいくつもあるのさ。より善い未来を導こうと足掻くほどに最悪の方向(人類の滅亡――真理の破壊)に向かってしまうってな……故に、待ったんだ。おまえ達と言う“抑止”の後押しで出て来る存在を、な。“冠位(グランド)”ほどではないにしろ、おまえ達には十分な(可能性)がある。それは、生前の俺の記憶で立証されてるからな」

 俺はそう笑いながら言った。

「なあ才人。この世界は、“ハルケギニア”はどうして、“地球”に於ける“中世”の時代で止まってると想う?」

「いやそんな、急にそんなことを訊かれても……」

 俺はそんな訊かれてもないことを、意地の悪い笑みを浮かべて訊いてみた。

「実に簡単な答えなんだ。そしてこれは、さっきの戦いで、全力が出せないと言ったことの答えでもある」

「どういうことだよ?」

「俺の“宝具”は“汎ゆる流れるモノを自由自在に操作する”ことができる。それは当然、人の心や感情、思考、価値観、そう言ったモノを含む。そして、その中には時代の流れや文化や文明の進歩する速度、なんてモノも含まれる訳だ」

「それって……」

 俺の言葉を訊いた才人、そして離れた場所にいる皆は顔を青くした。

「そんな恐ろしい能力を持ってるなんて……ううん、セイヴァー。あんたは、どうしてその力を使わなかったの!?」

 ルイズは恐る恐るといった様子で、俺へと問うた。

「なに、実に簡単なことだ。既に9割近く使用していた、リソースを割いていただけのこと。さっきも言った、世界の文化や文明の流れを滞らせていたからだ。だから」

「だから、おまえは」

「ああ、それと…… “一度ビーストが顕現した世界は他のビースト達が連鎖的に顕現する宿命となる”なんて、ふざけた特性がある」

 “霊核”が破壊されたことで、俺の身体と共に此の神殿は崩壊を始めている。

 あちこちが崩れ、天井や床に亀裂が入り始める。

「そんなモノが……!」

「まあ、安心しろ。“7つの災害”のうち、5体は既に俺が斃している。こうなる未来を確定させるためにな……毒を以て毒を制す、“ネガ・ビースト”ってな……だからって、慢心とかはするなよ?」

「セイヴァー、おまえ……」

「ああ、そろそろ限界が近いな……」

 神殿が崩壊する中、気を失っていた兵達が目を覚ましたのだろ、呻き声を上げた。

「――え!?」

「どうして、生きてるの……!?」

 アンリエッタを始め皆は驚き、声の下方へと振り向く。

「毒を使ったって……?」

「ああ、毒か……確かに、俺は毒を使った。なにも嘘は吐いてないさ」

 皆が俺へと目を向けて来た。

 そして俺は意地悪く笑みを浮かべて、言い放つ。

「ただの神経毒、そして意識を失わせる程度のな。俺が消滅することで効果も失うってか。この神殿も直ぐに崩壊する。さて、ここにいると潰されてしまうだろ? 直ぐに出させてやる」

 俺はそう言って、“世界扉(ワールド・ドア)”を開き、外の空間へと繋げる。

「そんな、“世界扉(ワールド・ドア)”……どうして?」

 ルイズは愕然として呟いた。

「俺は“根源”と繋がってるんだぜ? こんなこと、簡単にできちまうのさ。さあ行きな」

 俺はそう言って、皆を“世界扉(ワールド・ドア)”の奥へと吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れ行く神殿の中、俺は崩落を始めようとしている天井を仰ぎ見た。

「ああ、これでようやく終わるんだな」

 前世ではなにもすることがなかった、できなかった俺の精神はとても脆弱であるといえるだろう。そんな心では、到底こんなことはできるはずもない。

 故に、俺は手にした力を使って、自身の心すらも操っていた。

 6,000年間、ずっと。

「全てが懐かしいな……ああ、懐かしい」

 俺の脳裏に、“現界”してからの出来事が文字通り走馬灯として奔り抜けていく。

 

 

「見てくれ、セイヴァー! 未来で、僕が造ったとされる指輪を作ったぞ! ほら、これだ! 少しばかり血を使ったから頭がクラクラするけど、なかなかの出来だろ!?」

 

「今度は、“書”と“オルゴール”、“香炉”と“鏡”を造ったぞ! だけど、この“祈祷書”になにを書こうか悩んでるんだが、なにを書けば良いと想う?」

 

「どうして、勝てないのよ!? もっ、もう一回よ! セイヴァー、正面切っての、正々堂々とした一本勝負! 高貴なる“エルフ”である私が負けるはずないもの!」

 

 楽しかった想い出が、皆の笑顔が頭に浮かぶ。瞼に浮かんで来る。

 だが、それ等は直ぐに重い表情へと変わって行った。

 

「どうすれば良いんだ? どうしたら、“大陸の隆起”を止められる!?」

「それも、“大いなる意思”の思し召しでしょうね。でも、私もなんとかしたい。そう想えるようになったわ。交渉しに行きましょう、一緒に」

 

「そんな、皆、どうして……ラグナル、シグルズール……ノルン、みん、な……どうしてこんな……」

 

「ブリミル、“生命(その魔法)”は余りにも強力過ぎます!」

「なら、どうしろと言うんだ!?」

「私に考えがあります……少し前に、まだこうなる前に貴男がおっしゃった“聖杯”……それを再現いたしましょう」

「どうやって!?」

「私と彼が“ホムンクルス”の代わりを務めます。勝手なことですが、既に彼とも話し、同意を貰っています」

「だけど、僕は……」

「ええ。理解っていますよ、ブリミル。ですからこれは、第二の選択肢。貴男が“生命”を発動しても失敗してしまった場合の保険として、是非」

 

「……“悪魔(シャイターン)”」

「でも、これで良い。これで、君を救うことができた」

 

「僕はこんな力要らなかった……要らなかったんだ!」

 

「嗚呼、終わったよ。ブリミル。全てが完了した訳じゃあないけど、どうにかなったよ。観ているかい? こんな情けない俺だが、もっとより善い方法があっただろうけど、それでも……やってみせたんだ」

 床が割れ、天井が砕け落ちて来る。

「シオン、皆……」

 瞼を閉じると、先程まで向かい合っていた皆の顔が想い浮かんだ。

「“に入らぬからこそ美しいものもある”……嗚呼、美しいな、皆……俺にはないモノをおまえ達は持っている。だからこそ、“愛”しい。故にこそ“愛”そう。おまえ達を、この世界を……俺は」



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エピローグ

 才人達が目を開くと、そこは“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”に取り込まれる前にいた空間であった。

 ゴゴゴゴゴゴと背後から音が聞こえて来ることに気付き、才人達は後ろを振り返る。

 そこでは、“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”が崩壊を始めており、少しでも触れば簡単に瓦解してしまいそうである。

 だがそれでも、“光輝の大複合神殿《ラムセウム・テンティリス》”からはかなりの威容さと神秘性を感じさせるなにかがあり、才人達は崩れ行く“光輝の大複合神殿《ラムセウム・テンティリス》”に圧倒されていた。

 そして、同時に才人達は周囲の異常に気付いた。

 大地に疾走っていた亀裂がなくなっているのである。

「どういう、ことだ……?」

 才人達は呆然として呟いた。

「なに、実に簡単なことだ。俺が周囲の状態を巻き戻しただけに過ぎん」

 俺の其の言葉に、才人達は驚いて振り向く。

「セイ、ヴァー……!? おまえ、あの“”の中に」

「あれは、“ビースト”の俺だろ? “オルタネーター”である俺は“ビースト”である俺に殺され、“ビースト”である俺はおまえ達に斃された。そして、ここにいる俺はまた別の側面を持つ」

「別の、側面……?」

「ああ。簡単に言えばだが……“英霊”にはその逸話などからいくつもの性格や側面を持つ者がいる。そして、“サーヴァント”は基本、“英霊”が持つ一側面を分霊として降ろし、そこから更に“クラス”を与えて能力に制限をかけられたモノだ。故に」

「貴男には、“代替者(オルタネーター)”と“7つの災害の獣(ビースト)”……そして、今の貴男である3つの側面がある、と」

「その通りだ、シオン」

 シオンのその言葉に、俺は優しく首肯いた。

「では自己紹介と行こうか。俺はご存知の通り、セイヴァーだ。フール・ホフナング・ダム・セイヴァー。“救世主(セイヴァー)”の“クラス”をもって“単独顕現”した」

「“救世主(セイヴァー)”……」

「恐らく、おまえ達が俺を認めてくれたこと、そして“剪定”されるまでの間語り継がれることになったことによるモノだろうな……おまえ達の闘い、実に見事、だと言いたい。良くやってくれた」

「おまえ……」

 才人達が、静かに俺を見詰める。

 その目には、色々と複雑なモノが含まれていることが簡単に判る。

「色々と訊きたい事や言いたいことはあるだろう。だが、先ずは休息を取ることを勧める」

 俺はそう言って、“トリステイン魔法学院”を指した。

「勝手ながら、少しばかり中の空間を弄らせて貰った。ここにいる全員がリラックスできるほどの広さはあるし、設備も揃えている」

 俺はそう言って、先を歩く。

 皆もまだなにかを言いたそうにはしているものの、静かに着いて来た。

 

 

 

 “学院”の窓を始め塔などは完全に修復されている。

 そのことに、兵達は驚いてはいたが、才人達はもう驚かない様子であった。

「もうなんでもありだな。君は」

 と、ギーシュは言った。

「なんでも、とまではいかないさ。これでも“サーヴァント”だからな。制限はある」

 俺はそう苦笑しながら言った。

「さて諸君。戦いの疲れを取るが良い。食事も、このように一級品のモノばかりを揃えてある」

 俺はそう言って、食堂へと案内した。

 かつて“アルヴィ-ズの食堂”と呼ばれていたその食堂は、かなりの広さを誇り、机には“ハルケギニア”を始め“砂漠(サハラ)”などの名産物などを調理したモノが並べられている。

 そのどれもが食欲を唆り、この場にいる皆の口内を唾液で一杯にした。

 兵士達は、指揮を執っているアンリエッタとシオンや代表者であるビダーシャル達へと目を向ける。

 アンリエッタとビダーシャルはなんとも言えない様子であり、どうすれば良いのか判断しかねているようである。

 皆、当然警戒しているのであった。

「頂きましょう」

 そんな中、シオンが静かに言った。

 そのシオンの言葉に、兵達は枷が外れたかのように食事へと手を伸ばす。だがそれでも、彼等には最低限のマナーを守る程度の理性はあった。

 “ブリミル教徒”である者達は、ブリミルへの感謝の言葉を口にし、そして“エルフ”達は“大いなる意志”への感謝を示す。そして、それから食事を摂るのである。

「これは……! これほどの美味しいモノを食べたのは初めてですわ」

 アンリエッタを始め、頬張るほどに皆食事に勤しんでいる。

 美味しそうに食べる様を見、出した甲斐があったと想わせるほどである。

「なあ、セイヴァー。これほどの食べ物、どうやって用意したんだ?」

「おまえ達が“ビースト”である俺と戦っている間に、少しばかり、な。先ずは周囲の大地と“学院”を元に戻し、それから食料を出して簡単にではあるが調理した。まあ、その食料も調理道具も無断での使用なんだが……彼に知られるとどうなってしまうことか……」

 俺はそう言って、“汎ゆる原典を所有する王”と相対した時を想像する。すると、背筋にゾワッとした寒気が奔った。

「儂は別に構わんが」

「いや、とある国の王様の所有物を少しばかり拝借したものだからな……知られると首が飛ぶ、か……まあ、全力で対抗するが、いやまあ……盗人なのだから裁かれて当然、だがな」

 此処に並べられて居る食料の一部は、“ギルガメッシュ”の“宝具”で在る“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”で“バビロニアの宝物庫”から取り出した食料で在る。

 そして、それ等をまた、“バビロニアの宝物庫”から取り出した“全自動調理器”で料理したのだが。

「そんな物騒な……いや、その様子からすると本気でありえそうだから怖いな」

 才人は食べながら、俺の言動から一瞬で死んだ魚のような目をして言った。

「まあ、その時はその時だ」

 俺はできる限りそんな考えを追い出すように笑いながら言った。

「因みに、どんな調理器具なの?」

「“全自動調理器”だ。“シュメール”が誇る超古代テクノロジーで作られた、全自動お料理マシーン。“ヒュドラ”肉のような危険な食材でも問題なく調理し、至高の料理を作り出す高性能機械」

 シオンの問いに俺が答えると、才人を除いた皆が目を見開き驚いた様子を見せる。

「“ヒュドラ”って、あの“ヒュドラ”かい!? あんなのどうやって斃すのさ!?」

 ギーシュが驚愕の余り、声を荒げて問うた。

「なに、やり方なんていくらでもある。因みにだが、その“ヒュドラ”肉の調理には免許が要るぞ。なにせ、毒性が強いからな。念入りに血抜きをして内蔵を取り除けばなんの問題もないが、そこまでするのにもある程度は必要だしな」

 俺はそう言いながら、“黄金の杯”に“神代の酒”を注いでそれを呑み干し、“黄金の林檎”を生でそのまま齧る。

「さて、本題に入るか……」

 俺はそう言って、周囲に座っている皆を見回した。

 俺の周囲には、シオンやルイズと才人、デルフリンガー、タバサやティファニア、キュルケとコルベール、ギーシュとマリコルヌやレイナールとギムリを始め“水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の面々、モンモランシー、シエスタ、アンリエッタ、オスマン、ビダーシャル、アリィーとルクシャナがいる。そして、タバサの側にはイルククゥとイーヴァルディ、アンリエッタの側にはアニエスが待機している。

「僕達も、良いかな?」

 そう言って、ジュリオと彼に連れられてジョゼットも来た。

「構わないとも。いや、むしろ歓迎だ。呼ぶ手間が省けたと言うものだ」

 俺は首肯いて、そう言った。

「さて、面倒な前置きなどは省いて……“聖杯戦争”に関する知識は既にあるな?」

 俺はそう言って、周囲を見渡す。

 皆、当然とばかりに首肯く。

 ジョゼットは、ジュリオからある程度は聴いていたのだろう。皆と同様に首肯いた。

「よろしい、結構だ。“この世界”に於ける“聖杯戦争”についての知識があることで説明は不要だろが、まあ復習と行こうか」

 俺はそう言って、“神代の酒”を一口呑む。そして、一泊置いた後、口を開く。

「ブリミルが遺した“秘宝”の1つ、“聖杯”……それは、“地球”で語られる“聖杯”を元にして生み出された“聖杯”を元に生み出した、レプリカの中のレプリカ……まあ、贋作だな」

「贋作、ですか……」

 俺の言葉に、皆予想も理解もできてはいるが、それでも贋作であると言われたことに、才人を除いた皆は少なからず肩を落とした。

「そうだ。“イエス・キリスト”という男が、“最後の晩餐”の際に、弟子達に“私の血である”としてワインを注ぎ、振る舞った時に使われた杯……それを参考にして、“冬木”と呼ばれる土地で生み出された“汎ゆる願いを叶える器”……その“冬木”での“聖杯”を参考にして生み出したのが、“ハルケギニアの聖杯”だ。まあ、その“最後の晩餐”にして使用されたそれも、別の“願いを叶える大釜”を元にしたとされているがな」

「おまえなら、本当かどうか、真実かどうか判るんじゃないのか?」

「当然、識っているとも。が、口にはしない。さて、話を戻そう。その“冬木の聖杯”だが……先ず、“サーヴァント”は“位が高過ぎて人間が使役するには不可能な存在”だ。故に、その“サーヴァント”を“召喚”と使役と言う奇跡の一旦を可能にしているのだから、規格外の“魔術礼装”とでも言え、それ故に“聖杯”として成り立っている」

「それをどう、模倣した?」

「簡単に言えば、ブリミルや俺は観たんだよ。その製造工程を、造りを」

 ビダーシャルの問いに俺は答えたが、やはり皆理解らないようであり、首を傾げる者もいる。

「観た?」

「そうだ。“千里眼”と言ってな、“ランク”にもよるが、ある程度の過去や未来、平行世界を観測することなどができるのさ。まあ、それでも、どれができるのか、どの程度できるのかは個人差はありはするが」

「あんたはどうなのよ?」

 ルイズが訊いて来た。

「俺か? 俺は、“根源”とも繋がっているからな……故に、そのどれもが可能だ。意識さえ向ければ、完璧に熟すことができる」

「反則じゃない」

 そんな俺の言葉に、キュルケは唇を尖らせて言った。

「そうだな。故に、俺は自身にルールを課した。“召喚及び顕現した際のみ、未来を観測する”、“それ以外で使用する場合、一定の期間内での確認のみとする”と。そして、その見る範囲は“自身と周囲の関係者が死亡するまで、または、聖杯戦争などが終決して問題が解決するまでの間”だけだとな。ああ、因みにだが、ブリミルも俺と同じ“接続者”だ」

「そうなのかい?」

 ジュリオが訊いて来た。

 彼の口調や表情はいつもと変わらないように見えるが、慣れ親しんだ者や観察眼に優れた者からすると周囲の皆と変わらずかなり驚いていることが判るだろう。

「そうだ。だがまあ、俺ほど“ランク”は高くないがな。また脱線してしまったな。その“聖杯”についてだが、造られた理由は、“虚無”の代替用品みたいなもんだ」

「それって……」

「もし、“虚無”による解決が為されず、“大隆起”が起こってしまうとすれば……“聖地”にある“精霊石”の塊をどうにもできなかったのであればどうするか……」

「それをどうにかするために、“聖杯”を。ということか」

 コルベールの言葉に、俺は首肯く。

「“聖杯”は言ってみれば“万能の願望機”だ。“サーヴァント”の“魂”がある程度貯めることで“願望機”と為し、それを使用してどうにかしようとしたのさ」

「なあセイヴァー。なら、どうしてブリミルさんは、それを使わなかったんだ? どうして、“生命(ライフ)”で吹き飛ばすなんて強硬手段に出たのさ?」

「造ったばかりだったということもあるな。“聖杯”を起動するだけの“魔力”がなかったのさ」

 俺はそう言って、“黄金の林檎”を齧る。

 他の皆も、食事を摂りながら話を聴いたり、質問をして来たりしていた。

「で、だ……その“聖杯”がどうしたんだ?」

「ああ、その話をしたかったがために復習していたんだったな。さて、“召喚”される“サーヴァント”は“願い”を持っており、“聖杯”でどれを叶えるために喚び出されるのだが……イーヴァルディ、おまえの願いはなんだ?」

「そうだね。僕の願いは既に叶っているよ。怯えている人の中の勇者(勇気)を振り起す。勇気ある者達の後押しをする。それだけだよ」

 俺の言葉に、イーヴァルディは好い笑顔で答えた。

「流石は“イーヴァルディの勇者”、だな……真っ直ぐ過ぎるよ」

 俺はそう言って、“神代の酒”を口に含む。

 周囲からは、ワイワイとした声が響いており、兵達が種族差を超えて笑い合うことができていることが判る。

 彼等はつい少し前までは憎み合うことや恐れ合っていた仲である。が、こうして少しでも協力し合う必要がある状況に陥り、実行に移したことで、互いのことを少しではあるが理解することができた。結果、こうして手を取り合い、笑い合い、談笑することができているのである。

 そもそもの話、誰も憎み合うことや恐れ合うこと、殺し合うことなど皆最初から望んでなどいないのである。そうしたことをせざるをえないのは、それだけの理由や原因などがあるだけである。

 こうして互いのことを少しでも理解り合うことができた今、誤解や齟齬などはあろうとも、それでも共存への一歩を踏み出すことができることだけは確かである。

「何故、イーヴァルディの願いを?」

 それまで黙っていたタバサが口を開き、問うた。

「簡単なことだ。本来の“聖杯戦争”では願いを叶えるために7人の“魔術師”は殺し合う。そして、“サーヴァント”もまた願いを持ち、それを叶えるために“召喚”に応じるのだからな」

「なら、おまえの願いはなんだよ?」

 説明をする俺に、才人は問うて来た。

「俺の願いか? そうだな……」

 

 

 

 

 

 世界が滅びかねないほどの戦いが終局し、1日が経った。

 “トリステイン魔法学院”と呼ばれていた建物の中は、戦に勝利したと戦後の雰囲気そのものであり、そこかしこで呑んでは食っての騒ぎである。

 だがそんな中、女王であるアンリエッタやシオンは当然浮かない顔をしていた。

 先日の戦いで世界中で異常気象が起きたのである。

 国民が不安を抱えていることや諸国への対応などを始め、色々とするべきことが多過ぎるのであった。

「さて、シオン、アンリエッタ。少しばかり付き合ってくれ。行きたい場所がある」

 顔を見合わせて悩んでいる2人に、俺は声を掛ける。

「行きたい場所、ですか?」

 アンリエッタの問いに、俺は首肯く。

「そうだ。“世界樹”に、な」

「どうしてそのような場所に?」

 アンリエッタは訳が理解らないといった様子で言った。

 だが、シオンの方は俺の目的に気付いた様子であり、アンリエッタに対して意地の悪い笑みを浮かべて黙っている。

「おまえにも、シオンにも、そしてこの世界に関係のあるモノがそこにはある」

「そのようなモノが!? 一体、それは……」

 アンリエッタはそこまで言うと、気付き、ハッとした。

「なるほど、そういうことですか。理解りました。ですが、移動手段はどのように? 我々の“フネ”はいずれもあの迷宮などに潰されてしまったので」

「その心配はない。こちらで用意するからな」

 アンリエッタの疑問に、俺は笑顔で答えた。

 

 

 

 かつて“アウストリの広場”と呼ばれた場所は、色取り取りの花々が咲き誇っている。

 その中央に大きな艦が鎮座している。

 その艦の全体は、太陽と見紛うほどの輝きを発している。

 そして、その甲板ではいつものメンバー……才人とルイズ、ティファニア、シエスタ、タバサ、キュルケ、ギーシュ、マリコルヌ、レイナール、ギムリ、コルベール、シルフィード、イーヴァルディ、他“水精霊騎士隊”の面々が待機していた。

 そして、ジュリオとジョゼットもまたい。彼等も関係者であるため、誘ったのである。

「お待たせ」

「それでこれに乗って今から行くのよね?」

 ルイズの問いに、俺は首肯く。

「そうだ。この“闇夜の太陽船(メセケテット)”に乗って行く」

「凄いな……凄い。最早、言葉が出て来ないよ、セイヴァー君!」

 コルベールはかなり興奮した様子で、俺へと詰め寄り、言った。

「それはそうでしょう。この“宝具”は、あの“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”を所有する“オジマンディアス”のもう1つの“宝具”……“太陽神ラーが復活する王を運ぶ船”……“王が空を翔ける時に使った船”だからな」

 アンリエッタとシオン、そしてアンリエッタの護衛として“銃士隊”隊長であるアニエスの3人が乗ったことを確認すると、俺は“闇夜の太陽船(メセケテット)”を浮遊させる。

 “闇夜の太陽船(メセケテット)”はその船体の輝きをより増し、太陽と同等の灼熱を周囲に発しながら移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン”が軍の“フネ”を利用する時に使用している“世界樹”へと到着し、“闇夜の太陽船(メセケテット)”は静かに着陸をした。

「さて、着いて来ると良い」

 俺はそう言って、先に進む。

 皆が着いて来たのを確認すると、“世界樹”の地面と接して居る部分に大きな穴が空いた。

「――こ、これは……!?」

「驚くのはまだ早い。さあ、中に入るぞ」

 中に入ると、そこは大きな空洞であった。

 “世界樹”の中を刳り貫いて使用しているのだから当然であろう。

 そして地面には、皆を驚愕させるモノが在った。

「こ、こんなモノが、ここに……」

 皆空いた口が閉じないでいた。

 そこには、大きな“魔法陣が”あった。

 “ハルケギニア”全土を“聖杯降臨に適した霊地に整えていく機能を持つ、超抜級の魔術炉心”。

 それは、この“ハルケギニア”はもちろん、“地球”でもそう簡単には造り出すことなど、再現することなどできるはずもない代物である。

「これが……」

 イーヴァルディは圧倒され、呟いた。

 今のイーヴァルディは、厳密にいえば“サーヴァント”ではない。確かに、“サーヴァント”として喚び出され、それに応え、“エーテル”で編まれた身体を持っていた。が、今の身体は物質化している。

「そう。これが“聖杯”……いや、“大聖杯”だ。まあ、脱落した“サーヴァント”の“魂”を貯めておく“少聖杯”の機能もあるんだがな。嗚呼、本当に久しぶりだな、2人共……」

 俺はそう言って、“大聖杯”である“魔法陣”の真ん中へとユックリと歩んだ。

「そうだ。この“魔法陣”はな、ある2人の“魔術回路()”を拡張と増幅させたモノなんだ……」

「その2人って……?」

 シオンが疑問を口にしたのを聞き、一泊置いて俺は口を開く。

「初代“ヴィンダールヴ”と初代“ミョズニトニルン”……」

 俺のその言葉に、ジュリオは息を呑んだ。

「そう。おまえの大先輩だよ、ジュリオ」

 俺は柔らかな笑みを浮かべ、ジュリオに言った。

「ど、どうしてそんな偉大な方達が、こんな姿に……?」

 ギーシュは声を震わせて言った。

「なに、簡単だ。“聖杯”を組むため、だ」

「どんな人だったんだ?」

 デルフリンガーは、懐かしむように震えており、黙り込んでいる。

 才人の問いに、俺は静かに答える。

「初代“ヴィンダールヴ”はとても優しい奴だったよ。初代“ミョズニトニルン”は頭が良い、聡い奴だった……ああ、本当に、久しぶりだ……」

「セイヴァー、貴男、泣いてるの……?」

「ああ、そう、だな……」

 シオンの言葉で、俺はようやく自分が泣いているということに気付いた。

 胸が熱い。

 2人と久しぶりに逢うことができたということだけではない。

 自身の“聖杯”に賭ける願い、それにようやく気付いたのだから。

(なるほど、な……俺の願い……望み……既に叶っていたんだな……)

 実に簡単で、シンプルな願いであった。

 別に、これほどまでに強い力などは必要なかったのである。

 ただ、自分が見聞きしたことや体験した事で感じたことなどを、悩んでいる者や苦しんでいる者達に伝え、そして踏み出す勇気などを与えたい。

 たた、それだけのことであったのだから。

「ああ、感謝するよ。2人共……おまえ達のおかげで気付くことができた」

 俺は初代“ヴィンダールヴ”と初代“ミョズニトニルン”の2人に、誰にも聞こえぬほどの小さな声で言った。

「この2人……初代“ヴィンダールヴ”と初代“ミョズニトニルン”は自ら志願したんだ。“聖杯”の“魔法陣”となることを……この未来のために」

 誰にも訊かれてなどいないが、俺は自然と口を開いて説明を始めていた。

「“ミョズニトニルン”は“英霊の座”と繋がる方法を探し、それを実行。そして、“マスター”に相応しい者達を“マギ族”の血を引く者達の中から選抜し、“聖遺物”などの“触媒”がない場合は相性の良い“英霊”を“サーヴァント”とする。そして “ヴィンダールヴ”は、“マスター”候補達に“令呪”を与え、“マスター”だけでは補えない分の“サーヴァント”が“現界”し続けるための“魔力”を用意し与える」

「詰まり、2人だからこそ“聖杯”として機能しているのね」

「ああ。まあ、参考にした“冬木の聖杯”はたった1人の“魔術回路”を拡張及び増幅させて完成したがな。さて、解体しようか」

 俺は、ルイズの問いに答える。

 そして、次に俺の口から出た言葉に、皆は驚いた。

「どうして、そんなことを?」

「当然、だろう。もう必要がないからだ」

「いや、必要ないからって……初代“ヴィンダールヴ”と初代“ミョズニトニルン”の2人がそこにいるんだろう?」

「ああ、そうだな」

「なら……」

 俺の代わりに取り乱したかのように言って来る皆に、俺は努めて平静に、言葉を選び、口を開く。

「なにか勘違いしているようだがな……2人は、このことを了承済みなんだ。“大隆起”を防ぐことができた後、2度と起きないとうにできた後に解体――楽にしてくれ、と」

「そんな……」

「本当だ。なあ、デルフ」

「ああ、そうさな」

 俺の確認に、デルフリンガーは力なく答えた。

「嘘、だろ……」

「嘘なモノか……命を奪うことに近い行為ではあるが、これは介錯のようなモノだ。それにな……これがあり続けると、2人はただ機械的にこれからも働き続けることになる。そしてまた“聖杯戦争”が起きてしまう。そうすると、どうなる? 今ここにいる俺達のように話でどうにかできるのであればなんら問題はないが、アヴェンジャーみたいな奴が“召喚”されたら……」

「…………」

 俺のその言葉に、皆は黙り込んだ。黙り込まざるをえなかったのである。

 俺は皆が黙ったのを確認すると、“魔法陣”の中心へと目を向ける。

「これまでご苦労だった。少しばかりだが、労いの言葉を贈らせて貰う。お疲れ様、そしてありがとう……」

 俺はそう言って、皆が反対する言葉を出せないでいる間に、強制的に“聖杯”の解体を開始した。

 “聖杯”として成り立たせている“魔法陣”から光が失せる際、ふと、2人から俺達へと向けられた感謝と労いの言葉が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “ラド(9)”の月の“第四(テイワズ)”の週、“第六曜日(イング)”。

 “聖地”の消滅と“エンシェント・ドラゴン”と“アヴェンジャー”、そして“災害の獣(ビースト)”の討滅、そして“聖杯”の解体から9日後のことである。

 “トリステイン魔法研究所(アカデミー)”と“アルビオン魔法研究所(アカデミー)”による共同調査の結果、“風石”の異様な成長が止まり、“大隆起”が起こることはないということが正式に確認された。エレオノールの話では、少なくとも、今後、数万年は“風石”が暴走する心配はないだろう、ということである。

 事実、“大隆起”はこの世界に於いてはもう二度と起きない。

 だが、それは世界の延命が成功しただけである。

 目指すべき目的地を失ってしまった“聖地回復連合軍”は、結果急速に結束力を失い、失意のうちに帰路に着いた。

 一方、“エンシェント・ドラゴン”を討伐した連合軍に参加した者達は、活き活きとしていた。同時に、何故生きているのだろう、という疑問もまた覚えていた。

 連日の強行軍と、慣れぬ異国の地への遠征、そして世界の滅亡の危機などにより、“ハルケギニア”の兵士達は激しく疲弊していた。無益な戦争に駆り出された諸侯の中には不満を抱く者も多くいたが、特に新興国“ゲルマニア”では、本国での大規模な反乱が勃発してしまい、アルブレヒト3世はその鎮圧に追われることになってしまった。

 “ロマリア”の権威は失墜し、ヴィットーリオが戦死したこともあり、“宗教庁”は早急に新教皇を決定する“教皇選挙(コンクラーヴェ)”の開催を決定した。

 ここに“聖戦”は集結し、一時的にとはいえ、世界の滅亡から救われたのである。

 国が乱れ、“宗教庁”の権威が失墜したさなか、混迷に陥る“ハルケギニア”の民の心に希望を齎もたらしたのは“聖女”と3人の女王の存在であった。“始祖”の“虚無”により、世界を救った“聖女”とその“使い魔”、そして2人を支援した3人の若き女王は、今や“ハルケギニア”の民全てにとっての希望であるといえるだろう。

 それから、7日後……“ケン(10)”の月の“第一週(フレイヤ)”、“第5曜日(ラーグ)”。

 才人とルイズの婚礼は、俺が知る“原作”通りに、本人達立っての希望で、ルイズが最初に才人を“召喚”した“トリステイン魔法学院”の“アウストリの広場”で開かれることになった。

 窓から見える広場には、続々と列席者が集まっているのが見える。

 寮の自室で、ルイズはシエスタに手伝って貰い、ドレスの着付けをしていた。

 婚礼のドレスは、“貴族”の仕来り通り純白である。

「胸に、詰め物をした方が好いかしらね?」

 と、自身の控えめな胸を見下ろして、ルイズは溜め息を吐いた。

「大丈夫です。良くお似合いですよ、ミス・ヴァリエール」

 コルセットの帯を締めながら、シエスタが言った。

「そ、そうかしら?」

「はい、きっと、サイトさんもイチコロです」

 シエスタはニコッと微笑んだ。

「ミス・ヴァリエールのお胸は、まるで、故郷の“タルブ”の大平原のようですわ」

「シエスタ、あんたも、気の利いたお世辞を言えるようになったのね」

 ルイズは上機嫌になった。

 ルイズは“タルブ”の村のことを余り知らないので、(きっと風光明媚な場所なのね)と想った。

「でも、良くお家のお許しが出ましたね」

「まあね。そりゃもう、大変だったわ」

 実家に結婚の報告に行った時の事を想い出し、ルイズは頭を抱えた。

 プロポーズの翌日、才人とルイズは俺とシオンを連れて4人で、ルイズの実家であるヴァリエール公爵領に行ったのである。

 2人の結婚を認めて貰うため、なんとか両親を説得しようとしたルイズ達で在ったが、ラ・ヴァリエール公爵は、頑なとして聴き入れる事は無かった。

 才人は、屋敷の庭で公爵に散々打ちのめされてしまった。“ガンダールヴ”としての力はここ数日で急速に失われつつあり、また、“シールダー”としての力は“聖杯”を解体したことで完全に失われてしまっている、そういったこともあって、才人は、死んでしまうのではと想えるほどにボコボコにされてしまったのであった。

 しかし、意外なことに、2人の結婚に味方をしたのは、エレオノールであった。

 エレオノールは、才人が“平民”ではなく、爵位を持った立派な“貴族”であること、“ハルケギニア”の“英雄”であるということを語り、公爵を見事に説き伏せてみせたのである。

 これには、“聖地”からの帰還後、アンリエッタが才人に正式な子爵の爵位を与えたということも大きく影響しているといえるだろう。“平民”としては異例の大出世であり、というよりも、“トリステイン”史上、そのように出世をした人物は誰1人としていなかったのである。

 そういったこともあり、エレオノールとカトレアの2人が味方をしたおかげで、どうにかこうにか、父である公爵を説き伏せることができるのであった。

「はあ、“貴族”の方も大変ですねえ」

「認めてくれなかったら、駆け落ちするつもりだったわ」

 ルイズは言った。

「その時は、私も連れて行ってくださいね」

「駄目に決まってるでしょ」

「ケチ」

「あんたねえ……」

 ルイズはシエスタを睨んだ。

「でも、約束は守ってくださいね」

「約束?」

「一週間に3日、サイトさんを貸してくださる約束です」

「なに言ってるの、2日よ、2日」

「あ、2日は良いんですね」

「え? だ、駄目よ、駄目!」その時、ヘレンが部屋に入って来た。

「御準備はよろしいですか、皆様お待ちですよ」

 

 

 

 婚礼のスーツを着た才人は、“始祖ブリミル”像の前で、花嫁であるルイズを待っていた。

 “アウストリの広場”には、元々生えていたモノに加え、“土”の“メイジ”達が作り出した美しい花々が咲き乱れ、コルベール特性の“魔法”の花火が打ち上がった。

 婚儀にはアンリエッタ女王やシオンも参列している。女王が婚儀に参列するなど、余程格式の高い“貴族”でなければありあねいことであるために、“学院”の生徒達は大いに賑わった。況してや、“トリステイン”の爵位持ちが結婚するというのに、他国――“アルビオン”女王であるシオンもいるのだから、前代未聞とさえもいえるであろう。

「……で、なんで神父がおまえなんだよ? 不良神官」

 才人は小声で、ブリミル像の前に立つジュリオに話し掛けた。

「まあまあ、僕にも君達の門出を祝わせてくれよ」

 ジュリオは悪怯れもせずに言った。

「ったく、しょうがねえな……」

 ジュリオには助けて貰った借りなどもあるため、才人は強く言えなかった。

「つうか、おまえの方こそ良いのかよ? おまえ達の計画を潰しちまったし、教皇は死んじまったし、ジョゼット……彼女がいるだろ?」

「結果として、“ハルケギニア”は救われたんだから今はそれで良いさ。それに、もう少しすれば、彼女もここに来て、婚儀に参列するよ」

 一瞬、ジュリオは悲しげな顔をしたが、直ぐにいつもの笑顔を浮かべてみせた。

「おまえ、なあ……」

 才人はなにか言い返そうとしたが、(結局、教皇もこいつも、セイヴァーの野郎も、“ハルケギニア”のことを考えてしたことに、変わりはないんだろうな……それに、今日はめでたい席だしな……)と想い、やめた。

「赦した訳じゃねえ。でも、今日は忘れるよ」

 鐘が鳴り響き、ラ・ヴァリエール公爵がルイズの手を引いて、広場に現れた。

 才人は想わず、息を呑んだ。

 純白のドレスで着飾ったルイズは、物凄く綺麗だったためだ。

「ルイズ、凄く綺麗だ」

「ありがとう。サイトも素敵よ」

 ルイズはニコッと、天使の様に微笑んだ。

 2人は誓いの言葉を口にして、口吻を交わし合った。

 祝福の拍手は、いつまでも鳴りやまなかった。

 花吹雪の舞う広場を歩きながら、才人は胸元に手を添えた。

「いやあ、これで相棒も嬢ちゃんも夫婦かあ。ブリミルとサーシャができなかったことをやっちまったんだなあ……長いようで短い時間でこれだけの仲になっちまうとはなあ。おでれえた、いや、めでてえな」

「そうだな。今日はめでたい日だ」

 俺に握られているデルフリンガーはそう言って、オイオイと泣き始めた。

 俺はデルフリンガーの言葉に同意した。

 

 

 

 婚礼の儀が無事に終わると、宴会が始まった。

 オスマンが広場の前に立つと、列席者の間から疎らな拍手が飛んだ。

「あー、このたび、ミス・ヴァリエールとシュヴァリエ・サイトの両人は、めでたく結婚する運びとなった。これはめでた度い、実にめでたいことじゃ」

 オスマンは広場を見回して、うむ、と首肯いた。

「先の“聖戦”の折、2人は共に手を携えて、世界を救った」

 この世界での“聖戦”は、“原作”のモノとは違う意味を含む言葉になってしまった。

 海の底にあった“聖地”での戦い、“エンシェント・ドラゴン”の討伐、アヴェンジャーとの戦闘、“ビースト”との闘争……それ等全てを引っ括め、“聖戦”と呼ばれることになったのである。

「皆と手を取り合い、そして世界を救ったのじゃ。世界を救ったということは、詰まり、遍く女性の臀部を救ったということじゃ。もし2人の活躍がなければ、今頃儂は、女性の臀部を愛でることもできなかったじゃろう……」

「オールド・オスマン、もう、その辺りで……」

 会場の雰囲気を察したコルベールが、小声で言った。

 そんな2人のやりとりに、俺は想わず笑みを零す。

「うむ、そうか?」

 オスマンはコホンと咳払いをして、ワインの杯を掲げた。

「あー、兎も角じゃ、今日は世界を救った“英雄”と“聖女”の、めでたき婚礼。大いに呑み、大いに食べ、2人の門出を祝福しようではないか!」

 最後は、大きな歓声が上がり、宴会が幕を開けた。

 広場の真ん中にはワインの樽が置かれ、参列者の各テーブルには、“学院”のコック長であるマルトーが腕を振るった豪勢な料理が並んでいる。それ等の材料やワインなどは、俺が“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”を用いて、勝手に取り出したモノである。

 また、“学院”の給仕だけでは人手が足りないため、招待客である“魅惑の妖精亭”のジェシカを始め妖精さん達が手伝っている。

 “水精霊騎士隊(オンディーヌ)”の少年達は、上等のワインでスッカリ酔いつぶれてしまっている様子である。が、それも無理はないことである。なにしろ、彼等は、このたびの働きにより、アンリエッタ女王とシオンより、1人につきそれぞえr5,000“エキュー”の恩賞、そして“トリステイン”と“アルビオン”で最も名誉ある“聖ブリミル大勲章”を賜ったのだから。ギーシュ、マリコルヌ、ギムリ、レイナール、エイドリアン、アルセーヌ、ガストン、ヴィクトル、ポール、エルネスト、オスカル、カジミール……隊士の全員が、一躍時の人になったのである。

 そんな少年達の元に“魅惑の妖精亭”の“妖精”達が群がった。

「あら、可愛い坊や、今日はサービスしちゃうわよ」

 今や“水精霊騎士隊”の少年達は、勇敢な救出作戦に関わり、神話の再現とでもいえる戦いを目の当たりにした“英雄”の一員である。“学院”の女子だけではなく、“トリステイン”中の女の子達の憧れの的であるのだから。

 少年達が良い気分にあんっていると、そこへ、野太い声が掛かった。

「んんん~~~トレビアンな男の子ね、ドンドン食べなさい」

「げっ!」

 店主のスカロンの登場に、ギムリ達は呑んでいた酒を吐き出してしまった。

 そんな仲間達の様子を見ながら、ギーシュはチビチビとワインを呷っていた。

「と、ところで、モンモランシー」

「なによ?」

 先程からも、モンモランシーはずっと不機嫌であった。ギーシュが、女の子にモテているのが気に喰わないのである。

「其の、ぼ、僕達も、もう直ぐだと、想わないかね?」

「……え?」

 ギーシュのその言葉に、モンモランシーはドキッとした。

「ぼ、僕も、もう立派な騎士(シュヴァリエ)だ。だからね、その、君と、け、結婚など……」

「……け、結婚? え? え?」

 モンモランシーは、(どうしよう……私、プロポーズされちゃった?)と口元を押さえた。そして、(ルイズも結婚したんだし、それに、ギーシュはもう、昔のギーシュとは違う。今の彼は、女王陛下の立派な騎士なのよね)と想った。

「ギ、ギーシュ、私も……」

「おい、見たまえギーシュ、“魅惑の妖精亭”に凄い可愛娘ちゃんがいるぞ」

「な、なに、それは本当かね!?」

 ギーシュの首がグルンと回る。

 モンモランシーは、ギーシュの靴を思いっ切り踏み付けた。

 

 

 

「あいつ等、もう酔っ払ってやがる」

「もう、恥ずかしいんだから……」

 才人とルイズは、ルイズの2人の姉達のテーブルへと挨拶に訪れた。

「ふん、馬子にも衣装ね」

 エレオノールは、才人をジロジロ睨み、品評するかのように言った。

「そ、その節はどうも……」

 才人が怯えながら頭を下げると、エレオノールはフンと目を逸らした。

 エレオノールはどうにも不機嫌であった。ルイズがエレオノールに投げたブーケを、よりによって、マリコルヌがキャッチしてしまったのだから。怒り狂ったエレオノールはマリコルヌを罵り、散々に踏み付けた。マリコルヌは幸せそうではあったが……。

 そんなマリコルヌのことを想い出し、(ひょっとしてあいつ、怒らせるためにわざとやったんじゃ)と才人は想った。

「ルイズ、そのドレス姿、とても綺麗よ」

 カトレアがフワリと笑った。

 そんなカトレアを前に、才人は、(相変わらず美人だなあ)と想った。

「ちい姉様、ありがとう」

「貴女も、良く似合っているわ」

 カトレアはニコッと微笑み、才人に言った。

「ど、どうも……」

 才人は照れて頭を掻いた。

「そう言えば、カトレアさん、身体の方は大丈夫なんですか?」

「ええ、セイヴァーさんや貴女達の持って来てくれた、お薬のおかげでね」

 カトレアの身体は、“魔法”でも治すことができない難病に侵されていた。

 俺が治療を行っていたこともあり、良い方向へと向かっていた。そして、それを聞いたルクシャナが、叔父で在るビダーシャルが作った“エルフ”の秘薬を手土産に持たせたため、それを処方した。結果、“エルフ”の薬の効果は絶大であり、治り掛けていたところ、“魔法”を使用しても発作が起きることはなくなり、病状は見る見るうちに良くなったのである。完全に他の人達となんら変わることのない身体になったといえるだろう。

 カトレアは、才人の目を見詰めて言った。

「ねえ貴男、“貴族”の条件、覚えてる?」

「はい」

 才人は首肯いた。

 前に、才人はカトレアと話したことがあったのである。

 “貴族”の条件は、“魔法”を使えるかどうかではない。

 カトレアが「“貴族”の条件はただ1つだけ。御姫様も命懸けで守る、それだけよ」と教えたことを、才人はしっかりと覚えていた。

「貴男は、立派な“貴族”だわ」

 カトレアは優しく微笑んだ。

 才人は思わず、泣きそうになってしまった。

 実の姉のようなカトレアに認められたとことは、才人にとって、なによりも嬉しいことえであったためだ。

「ちびルイズ、私より先に結婚するなんて、生意気よ」

「いだだだだ、姉様、いだいわ……」

 エレオノールは、そんな才人とカトレアの間の雰囲気に耐えられず、ルイズの耳を引っ張った。

 そんな仲の良い姉妹の姿を見て、才人の心にふと言い知れぬ寂しさが生まれた。

「どうしたの? サイト?」

「ん、なんでもないよ」

 尋ねるルイズに、才人は首を横に振った。

「そう言えば、公爵は?」

「お父様なら、あそこにいるわ」

 エレオノールが、広場の隅を指さした。

 そのテーブルでは、3人組の男達が管を巻き、ルイズの母カリーヌはスッカリ泥酔してしまったラ・ヴァリエール公爵を介抱していた。

「昔の、“魔法衛士隊”だそうよ」

 

 

 

 皆がワインや食事を愉しんでいる頃、タバサは木陰で本を読んでいた。

「おちび、ケーキを持って来たのね、きゅいきゅい」

「…………」

 タバサはシルフィードの運んで来たケーキを、パクっと口に放り込む。

 それから、また本に目を落とした。

「なにを読んでるのね、きゅい?」

 シルフィードは、タバサが読んでいる本を覗き込んだ。

 タバサが読んでいるのは、“トリステイン”の城下で話題に上がっている政治学の本であった。

 実は先日、タバサの故郷である“ガリア”で、一悶着があったのである。なんと、女王であるジョゼットが、ジュリオと一緒になるために、王冠を返却してしまったのであった。当然王宮は大混乱に陥り、タバサに救いを求めて来た。最初こそ戸惑ったタバサであったが、旧くから仕える家臣達に懇願され、結局は、折れることになったのである。そんなこんなで、タバサは再び、“ガリア”の王冠を冠ることになったのであった。もっとも、ジョゼットとタバサの入れ替わりは、一部の者しか知らぬことであるために、今のところは余り面倒なことは起きてはいなかったのだが……。

 そんなタバサの元に、キュルケがやって来た。

 キュルケは悪戯っぽく微笑むと、親友の耳元で囁く。

「ねえ、ホントに良いの? 今なら、まだ間に合うかもしれないわよ?」

 タバサは本から顔を上げた。視線の先には、幸せそうな才人とルイズの姿がある。

 そんな2人の姿を見て、タバサは微笑んだ。

「……良いの。あの人が幸せになってくれることが、私は、一番嬉しい」

 まあ、とキュルケは目を丸くした。

 2人を見詰めるタバサの表情は、親友のキュルケがこれまで見た事もないくらい、晴れやかな笑顔であったのである。

 そんな2人と1匹のやりとりを、イーヴァルディはタバサ達とは反対側の木陰でもたれ、微笑みながら聞いていた。

 

 

 

「テファ、楽しんでるか?」

「ええ、とても。サイト、結婚、本当におめでとう」

 広場の隅にいたティファニアに、才人が声を掛けると、彼女は嬉しそうに2人の結婚を祝福した。

 それから、才人とティファニアは、こちらでの生活はどうだとか、ファーティマと連絡は取り合っているのかとか、そんな取り留めもないことを話した。

 ファーティマは“エウネメス”の街に戻り、また一族と一緒に暮らしている。そう簡単にわだかまりが解ける訳もないが、(2人には、いつか本当の姉妹みたいに良くなって欲しい)と才人は想った。

「それにしても、この服、凄く窮屈ね」

 ティファニアはドレスのスカートを摘んで苦笑した。

 確かに、ユッタリとした“エルフ”の服に比べると、靴やコルセットなどと色々と大変である。

 特に……胸の辺りなども、彼女のメロンの如き胸が、今にも喰み出しそうである。

 ティファニアの胸のサイズに合うドレスなど、急には仕立てて貰えなかったため、従姉であるアンリエッタに貸して貰ったのである。アンリエッタの胸も十分な大きさをしているのだが、なにしろ、ティファニアの胸は魔法のバストといえるほどなのだから……。

「サイト、どうしたの?」

 ティファニアが、キョトンとした顔で言った。

「いや、その……」

 と、才人が慌てて目を逸らそうとした、その瞬間、事件は起きた。

 パツンッ、と音がしたかと想うと、ドレスの胸の部分が弾け飛んだのである。

 ティファニアのタワワな胸が、才人の前に惜しげもなく曝け出された。

「きゃああああっ!?」

 ティファニアの悲鳴に、近くにいた“水精霊騎士隊”の少年達が一斉に振り向く。

「わ、テファ、不味いよ!」

 才人はティファニアを庇おうと、咄嗟に肩を抱き寄せた。

 しかし、それが不味かった。

 ティファニアは慣れぬハイヒールの靴を履いているため、バランスを崩し転んでしまった。

 才人はそのまま、ティファニアの胸の質量に圧迫された。

「おぶっ……!?」

「サ、サイト、ごめんなさい!」

 涙目で謝るティファニア。

 ムニムニと粘土のように形を変える胸の中で、才人は昇天しそうになってしまった。

 その時である。

 才人は頭上に、ゴゴゴ……と静かな怒りの波動を感じた。

「あ、ああ、あんた……なな、なにをしているのかしら?」

 恐る恐る見上げると……果たして、鬼のような形相をしたルイズがそこにはいた。

「け、けけ、結婚式なのに、わ、わた、私の、けけけ、結婚式なのに……」

「待て、ルイズ、これは事故……」

「こ、こ、こここ、この馬鹿犬~~~~~~~~ッ!」

 ルイズが“杖”を振った。

 ボンッと、“杖”の先から放たれた衝撃に、才人の身体は吹き飛ばされる。

「え? え?」

 ルイズはポカンと口を開けた。

「今の、もしかして“エア・ハンマー”?」

「ルイズ、“風”の“系統”に覚醒めたのね! 私と同じ“系統”だわ!」

 カリーヌが駆け寄って来て、驚きの声を上げた。

 “虚無”の力は失われつつある中、ルイズは“系統魔法”に覚醒めたのであった。

 

 

 

 そんな賑やかな婚礼の様子を、“魔法学院”の塔の上で眺める者達がいた。

「花嫁さん、とても綺麗ね。ドゥードゥー兄さん」

「まあね」

 “元素の兄弟”で在るドゥードゥーとジャネットである。もちろん、婚礼に呼ばれた訳ではなく、勝手に侵入したのである。

 そんなことは、2人にとって朝飯前であった。

「まあ、あいつに見逃されてるんだろうけどね」

「そうかもしれないわね。まあ、これでしばらくは、人間の世界も見納めからしら……ちょっと寂しいわね」

 ドゥードゥーの言葉に同意し、ジャネットは薄く笑った。その口元に、小さな牙が覗く。

 “元素の兄弟”の正体、それは“魔法研究所(アカデミー)”の“魔法実験”で生み出された、“吸血鬼”とヒトとのハーフであった。彼等は、この“ハルケギニア”に“吸血鬼”の国を作るという夢のために、必死に資金を集めていたのである。先日、“ロマリア”からの報酬を受け取り、ようやく、国造りの目処が立ったところであった。

 ドゥードゥーは、幸せそうな才人を見て、フンと鼻を鳴らした。

「ヒリガル・サイテと決着を着けたかったけど……ま、流石に野暮かな」

「行きましょう、ダミアン兄さんが待ってるわ」

 2人は壁の外へ音も無く飛び降りた。

 来賓の連れて来た馬に勝手に跨ると、東に向かって馬を疾走らせるのであった……。

 

 

 

 ちょうど同じ頃、“魔法学院”から伸びる街道を走る、2頭の馬影があった。

 こちらは、一足早く結婚式を抜け出した、ワルドとフーケである。

 フーケの方は、一応、正式な招待を受けていたのだが、ティファニアの姿を遠目に見ただけで、直ぐに広場を後にした。フーケは、自分のようなこそ泥にはあのような華やかな場所は似合わない、と想ったのである。

「良いのか? あのハーフ“エルフ”の娘のことは」

 馬上のワルドが言った。

「あの娘の独り立ちする時なのさ。もう、私の助けは不要だよ」

 フーケは寂しそうに笑った。

「あんたこそ、あの坊やと、決着を着けなくて良かったのかい?」

「相手が伝説の“ガンダールヴ”でなければ、意味もあるまい」

「ふうん、男ってのは面倒だね、色々と」

 フーケが呆れたように呟くと、“魔法学院”を振り返った。

「強くなるんだよ、ティファニア。私のようには、なるんじゃないよ」

 

 

 

 

 

 婚礼の宴はいつまでも続いた。

 本日最大の出し物は、アンリエッタが2人を祝福するために呼び寄せた、“タニアリージュ”の“ロワイヤル座”の特別講演“英雄ヒリーギル・サイトームと聖女ルイズ”であった。

 それから、ルネ・フランク達“竜騎士”部隊の飛空ショー、コルベールの愉快な発明品のお披露目会と続く……お披露目会では、“ドラゴン”を模した発明品が火を噴いて爆発し、あわや大火事になるところであった。

 その後、ギーシュが土で作った“英雄”と“聖女”の像を披露した。

 これには、ルイズがまっ先にデザイン面での文句を付けた。「私の胸、こんなに小さくないわよ」という訳である。だが、シエスタが「実物通りですよ」と評価し、キュルケが「まさに、“ゼロのルイズ”ね」と呟き、才人が「実にリアルだ」と論評するに辺り、ルイズは等々キレて、ギーシュに作り直しを命じたので在った……。

 さて、そんな広場の様子を、アンリエッタは“学院”の窓から見下ろしていた。

「29勝25敗2分け……ですわね、ルイズ」

 アンリエッタは寂しそうに微笑むと、ソッと胸を押さえた。

 屈託のない才人の顔を見ていると、甘い疼きのような痛みをアンリエッタは覚えた。

 だが同時に、それが許されぬ想いであるということも、アンリエッタは感じていた。

 アンリエッタは、(さよなら、私の騎士(シュヴァリエ)。私の好きな人……)と想い、才人とルイズを見やった。

 そして、「どうか、お幸せに……」とそう呟くと、アンリエッタは、淡い恋心をソッと心の奥にしまった。

 アンリエッタには、女王として立ち向かうべき、様々な問題があった。戦費の浪費に因る国力の疲弊、諸侯の造反など、課題は山積みである。

 その時、部屋の外で、“銃士隊”隊長の声がした。

「陛下、緊急のご要件が」

「アニエス、何事ですか?」

「“ロマリア”から、遣いの者が来られました」

「なんですって?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れ頃、才人とルイズはアンリエッタに呼ばれ、“魔法学院”の貴賓室に案内された。

「姫様、内密のお話とは、なんでしょうか?」

 ルイズが尋ねると、アンリエッタは、古めかしい木箱を2人の前に差し出した。

「実は先程、教皇聖下の使者を名乗る方――ジュリオ殿に、あるモノを託されたのです」

「ジュリオ……教皇聖下が?」

 才人とルイズは顔を見合わせた。

 ジュリオと伴にアンリエッタを訪ねたのは、ミケラと名乗る側仕えの修道女であり、この箱を才人に渡すようにと頼まれたのである。

「あいつ、直接渡せば良いのにさ」

 才人はそう言って、箱の蓋を開くと、中には古木瓜た1枚の鏡が入っていた。

「これは、まさか、“始祖の円鏡”!?」

 ルイズが驚きに目を見開いた。

 それはまさしく、ブリミルが“始祖”として遺した“秘宝”の1つ、“始祖の円鏡”であった。

 歴代の教皇に継承されて来た“ロマリア”の国宝が、何故このような所にあるのか。

 それに、これを才人に渡す意味とは……。

「あの……どうして、俺にこれを?」

 と、戸惑いの表情で才人は尋ねた。

 アンリエッタは、少し躊躇うように俯き言った。

「教皇聖下の遺言だそうなのですが、“始祖の円鏡”は“始祖ブリミル”が“虚無”の“魔法”を封じた“魔法の道具(マジック・アイテム)”。その力を使えば、ちょうど1人分の小さな“ゲート”を開くことができるということです」

「なんだって!?」

 才人は想わず、声を上げた。

「どうして、そんなモノを、俺に……」

「聖下の真意は、私にも判りませぬ。ですが、あるいは、これは教皇聖下なりの、サイト殿への筋の通し方なのかもしれません」

「…………」

 才人は、ヴィットーリオのことを想った。

 彼の行動原理は、一貫して“ハルケギニア”を救うためのモノであり、その意味では、彼はどこまでも善意の人間であったといえるだろう。“地球”征服の計画が潰えたことで、そして“エンシェント・ドラゴン”が出現した際に、自身の死期を悟り、償いのために遺品として才人へ渡るように手配をしていたのである。

「えっと……この鏡を使えば、俺は、“地球”に戻れるってことですか?」

「ええ」

「サイト……」

 蒼白になった才人を、ルイズは不安そうに見詰めた。

(……おいおい、なんてことだよ。この世界で生きて行く決心をしたばかりだってのに……ルイズと結婚したのに……)

 と、様々な感情で、才人の心はグチャグチャに掻き乱された。

「あの、俺、今凄く混乱してて……ちょっと、考えさせてください」

 才人は真っ青な顔で言った。

「ええ、もちろん、そうでしょう」

 アンリエッタは静かに首肯いた。

「ですが、“虚無”の力が失われつつある今、“始祖の円鏡”の力も徐々に失われつつあるようです。余り時間はありませぬ。最悪、セイヴァー殿に助力を請うことも」

 才人は、円鏡を手にしたまま、呆然と独り言ちた。

「なんだよ……? どうしろってんだよ……?」

 

 

 

 先にルイズの部屋に戻って来た才人は、ベッドに倒れ込んだ。

 兎に角、1人に成りたかったのである。1人でこれからのことを考えたかったのである。

 ルイズも、そんな才人の気持ちを察した。

 婚礼の日は夜通し騒ぐのが、“トリステイン貴族”の慣わしであるためか、外ではまだ賑やかな宴の声が響いている。

 “水精霊騎士隊”の誰かの音痴な歌声が、夕暮れの空に響いた。

 ルイズの部屋は、才人にとって随分と懐かしさを感じさせた。

(最初に“使い魔”として喚び出された頃は、犬って呼ばれて……藁束のベッドで寝てたんだよな。それに、ルイズを着替えさせたり、下着を洗ったりしたっけ。今じゃ考えられないけど……つうか、そのご主人様と結婚しちゃった訳だけど)

 才人は婚礼の服を脱ぐと、いつものパーカーに着替えた。

(やっぱりこっちの方が落ち着くな)

 才人は椅子に座ると、月明かりの照らす部屋の中で、ジッと考えた。

 これからのこと……“地球”に帰えるのか、どうするのか……。

 帰るチャンスは、全開のルイズによる“世界扉(ワールド・ドア)”の件を除くと、才人にとって考えられる中でたった1度切り。それも、余り時間がない。

「どうすりゃ良いんだよ、本当に……」

 “ハルケギニア”に骨を埋めようかと想っていた矢先に、そのような選択肢を与えられて、才人の心は激しく揺れ動いた。

(こっちの世界には、ルイズがいる。それに、気の置けない親友や、仲間達も。ルイズを残して、1人で“地球”に戻る? そんなこと、できる訳ない。だって、結婚したんだ。ずっと、一緒にいるって誓ったんだ……日蝕の時であれば行き来することもできるだろうけど、絶対にできるって訳じゃないしな……)

 才人は顔を上げた。

(残ろう。そうだ。“地球”には戻らねえこの“ハルケギニア”でルイズと一緒に暮らすんだ)

 才人は決心して立ち上がった。

「…………」

 それから才人はそのままベッドに倒れ込んだ。

 窓の外では双月が見下ろしている。

(母さん……父さんも、心配してるだろな……)

 あれから月日が過ぎ、もう1年半以上も顔を見せて居無い。

 だが、才人のことを毎日想っていることだけは確かである。息子が帰って来ることを信じて、毎日、何通もメールを送り続けた母親。

(俺の好きな“ハンバーグ”を作って、待っててくれてる……)

 才人は、「生きていますか? それだけを心配しています。他はなにも要りません。貴男がなにをしていようが、構いません。ただ、顔を見せてください」という何度も読み返して覚えてしまった母親からのメールを想い出した。

 無口なサラリーマンである父親と、「勉強しなさい」と煩かった母親。

 どこにでもあるだろう、極一般的な日本の家庭……。

「……う、うう、う……ううう……」

 才人は、ベッドにうつぶせになって嗚咽した。

 帰れる、ということが現実味を帯びた途端……この前“地球”に少しだけではあるが戻ることができた分、実施に戻ることができるということを知り、強烈なホームシックに襲われたのである。

 “ガンダールヴ”としての力――“ルーン”が失われたことの影響もあるだろう。

 才人はもう“伝説の使い魔”ではなく、ただの高校生に戻ったのだから。

「……う、うう……母、さん、父さん……う、うううう……」

 ルイズのベッドの中で、才人は声を震わせた。

 

 

 

「サイト……」

 ルイズは、部屋の前で足を止めた。

 才人の啜り泣く声が聞こえて来たためだ。

 それだけで、ルイズは全てを察した。

(私は、両親や地位姉さま、エレオノール姉様から愛情を注がれて育って来た。厳しいけれど、大好きな家族……そんな家族と引き離されて、もう2度と逢うことができなくなってしまったら、私はどうなってしまうかしら?)

 想像しただけで、悲しくて、胸が押し潰されそうな感覚にルイズは襲われた。

(もちろん、サイトを帰したくなんてない……でも……)

 ルイズは、部屋の扉をソッと開けると、泣きじゃくる才人に寄り添った。

「ルイズ……」

 才人は慌ててベッドから身を起こし、ゴシゴシと目を擦った。

「良いのよ、サイト。男の子だって、泣くことは、恥ずかしいことじゃないわ」

 ルイズは才人の頭を優しく撫でた。

「ルイズ、俺……俺……」

「私、約束したわよね? あんたを元の世界に帰して上げるって」

 ルイズは言った。

「サイト、何度も言うけど、あんたは家族の元へと帰るべきよ。貴男の、お父様と、お母様の所に」

「でも……でも、俺……」

 才人は激しく肩を震わせた。

「俺、おまえと、ルイズと離れたくねえよ……折角結婚したのに」

「私だってそうよ」

「ルイズ……」

「でも、あんたは帰らなきゃ駄目。私、そのために命を投げ出したんだから」

 ルイズの目からも涙が溢れた。

「私、貴男を“愛”し続けるわ。もう、一生誰のことも好きにならない」

「俺もだ、ルイズ。一生、おまえだけを“愛”するよ」

 ルイズと才人はしっかりと抱き合った。

「あのね、サイト……お願いがあるの」

 ルイズはユックリとベッドから立ち上がった。

「前に、言ってたじゃない? け、結婚するまではって」

「え……?」

「私、サイトとの……お、想い出が欲しいの」

「想い出?」

 才人は訊き返した。

「想い出って言うか、その、絆……よ……」

 その瞬間、才人は息を呑んだ。

 ルイズが純白のドレスを、床に脱ぎ捨てたためである。

 シュルッとドレスがルイズの足元に滑り落ちる。

 月明かりに、下着だけになった、ルイズの裸身が照らされた。

「ル、ルル、ルイズ!?」

 才人は、(な、なな、なにしてんの……!?)と狼狽した。

 わずかに膨らんだ胸を、ルイズは恥ずかしそうに隠した。

「あ、う……」

「な、なにか言ってよね……」

「き、綺麗だ」

「それだけ?」

「だ、だって、俺……その……」

 月明かりに照らされたルイズの裸身は、神々しいほどに綺麗で……。

 才人の喉はカラカラになり、頭の中でしていた色々な妄想などは全部見事に吹き飛んでしまった。

 ルイズは恥ずかしそうに才人の服を摘んだ。

「貴男も」

「う、うん……」

 才人は、パーカーとズボン、下着を脱いだ。

 それから、2人は生まれた儘の姿で抱き合った。

 才人はルイズの控えめな胸に触れた。

「は、恥ずかしい、わ……」

 ルイズは耳まで真っ赤になった。

 ルイズの肌は滑らかで温かく、シットリとしている。

 才人は、“愛”おしいルイズの体温を感じた。そして、(俺はこのために生きて来たんだ)と心からそう想った。

「や、優しく……ね?」

「うん」

 才人は、ルイズをベッドに押し倒すと、唇の形をなぞるようにキスをした。

 

 

 

 才人とルイズは、ベッドの中で、お互いの全てを見せ合った。静かに抱き合って、“愛”する人の体温を感じているだけで、生きていることの幸せを実感することができた。

「ねえ、サイト……」

「うん?」

 才人の腕の中で、ルイズは幸せそうに微笑んだ。

「私、この時のために生きて来たのね」

「ああ、俺もだ……」

 才人は、ルイズの桃色がかったブロンドの髪を優しく撫でた。

 お返しとばかりに、ルイズは才人の首筋にキスをした。

 2人にとっていつまでもそうしていたいと想える時間が過ぎて行く……だが、そういう訳にはいかないと理解していた。

 才人は、双つの月の昇る窓の外を見詰めて、言った。

「皆と、お別れしないと」

「そうね……」

 夜更けを過ぎても、広場での宴会は未だ続いている。

 ほとんどの生徒達は寮に帰ってしまったが、酔い潰れた“水精霊騎士隊”の面々は、広場で自由に寝転がっている。

 才人から大事な発表があると告げられた少年達は、ブリミル像の前に集まった。

 なんだなんだとガヤガヤしていると、才人は息を吸い込み、切り出した。

「俺、明日、元の世界に帰ります!」

「ええええええええええ!?」

 衝撃の発表に、広場にいた全員が酔いも冷めたと言わんばかりに叫んだ。

 

 

 

 

 

 婚礼の披露宴は、そのまま、才人の送迎会となった。

 真夜中。

 既に日付は変わり、食事もワインもほとんど尽きている。

 才人達は、キャンプファイヤーのような“魔法”の火を囲み、シエスタが余りモノで作った“ヨシェナベ”を突きながら、仲間達と呑み明かした。

「サイトぼかぁね、ぼかぁ、最初は君のことを、生意気な“平民”だと思っていたよ。でも……でもな、今は、君を一番の親友だと想ってだなぁ……」

「おいおい、酔っ払い過ぎだぞ、ギーシュ」

 才人は苦笑して、ギーシュの肩を叩いた。

「まあ、呑みたまえ! 最後の夜だ、大いに呑みたまえ!」

「ああ、このワインも、“地球”に帰ったら呑めなくなっちまうしな」

「そりゃまた、どうしてだね?」

「いや、俺、まだ未成年だし」

「ふうむ……なんだか良く理解らんが、兎に角呑みたまえよ、君」

 才人はギーシュ達と肩を組み、大声で歌った。

 “トリステイン万歳”である。

 才人は、こちらの唄をそれしか知らないのである。

 “水精霊騎士隊”の少年達との想い出話は、尽きることなどなかった。“アーハンブラ”のタバサ救出作戦、女子風呂覗きに、“リネン川”での“ガリア騎士(シュヴァリエ)”との一騎打ち……皆で大笑いしていると、ギーシュは感極まったのであろう、オンオンと泣き出した。

「もう、男の子ってば、馬鹿ね」

 モンモランシーは呆れたように言った。

「ルイズ、あんた、ホントにあんなのと結婚して良かったの?」

「うん、良いの。大好きなんだもの」

 ルイズは、ボーッとした顔で才人を見詰めて言った。

 そのルイズの反応を見たマリコルヌが、ムムッと唸り、2人を交互に見交わした。

「サイト、君、まさか……」

「な、なんだよ?」

「まさか、オトナになって、しまったのかい?」

「お、おま、なに言って……」

 才人とルイズはカアッと赤くなった。

 そんな才人の反応に、少年達はざわき始めた。

「かぁ~~~~~~~っ、かぁ~~~~~~~~っ!」

 マリコルヌは2回も叫んだ。

「で、どうなんだね? おい」

「レ、レモンちゃんの、む、胸は、揉んだのかい?」

「や、やめろよ、ルイズが困ってるだろ」

 才人はルイズを庇うように立ち上がった。

 ルイズはキュンと胸を高鳴らせた。

「ふん、見せ付けてくれるじゃないか」

「オトナの証を見せて見ろ」

 少年達は才人に躍り掛り、服を脱がそうとした。

 完全に酔っ払いである。

「あんた達、いい加減にしなさい!」

 怒り狂ったルイズの“風魔法”が、少年達を吹き飛ばす。“風”の“系統”に覚醒めたばかりだというのに、流石“烈風カリン”の娘、大した威力である。

 少年達は震え上がった。(これは、“ゼロのルイズ”だった頃よりも、もっと恐ろしい存在になるんじゃないか)と想ったのである。

「サイトさああああん! 私も、私もサイトさんと一夜の想い出が欲しいです!」

「シエスタ、なに言ってるんだよ!?」

 才人は慌てて言った。

 シエスタも酔うと大概なのである。

「嫌です嫌です、じゃあ、私もサイトさんの世界に連れてってください」

「無理なんだって、1人しか通れないし、シエスタにも、親父さんがいるだろ、な?」

「ううっ……ぐすっ……サイトさん、サイトさんの馬鹿あっ、っひっく、ぐすっ……」

 才人に、いつも優しくしてくれていたシエスタ……。

 時には強く叱ってくれたこともあった。

「ほら、私の胸で泣きなさいよ」

 そんなシエスタの頭をルイズが撫でる。

「ううう……まな板」

「な、なな、なんですって!?」

 ルイズはシエスタを追い掛け回した。

 シエスタがいなくなって空いた場所に、今度はタバサが座った。

 タバサは無言で、才人のパーカーの袖をギュッと掴んだ。

「タバサ?」

「……少しだけ、このままでいさせて欲しい」

「あ、ああ……」

 才人は照れたように頬を掻いた。

 と、そこにコルベールとキュルケがやって来た。キュルケはタバサを見てニヤッと笑うと、親友の肩をツンツンと突く。

「なによ、積極的じゃないの」

 タバサは頬を赤く染めた。

「サイト君、この前のを含めて2度だけしか戻れないと言うのは残念だったな。できることなら、私も、“魔法”が存在しないという、君の世界を見て見たかったよ」

「手紙とか、送ることができれば良いんですけど」

「うむ、君に貰った、あののーとぱそこんとか言う機械を使えれば良いんだが、そのためには、やはり“ゲート”を開かねばならんのだろなあ」

 コルベールは宙を見上げて考え込んだ。

 才人は、(この先生なら、将来、本当に“ゲート”を開くような発明をしちまうかもなあ)と想った。

「サイト……」

 ティファニアも才人の側に座った。

 月の光の下で見るティファニアは、金色の髪がキラキラと輝いて、まるで妖精のように綺麗である。

「私、“エルフ”の国での冒険のこと、ずっと覚えてる。ずっとずっと、覚えてるわ」

「ああ、俺もだ。ずっと……いつまでも覚えてるよ」

 才人達は、“ハルケギニア”での冒険の想い出を、一晩中語り合った。

 こっちの世界に留まる様に引き止める者も当然いたが、最後には皆納得した。

 誰よりも才人を想うルイズが、そう決めたのだから、誰も何も言えなかったのである。

「俺、皆と出逢えて良かった。本当に、ありがとう」

 才人は泣きながら、この世界で出逢った1人1人に、別れを告げた。

 

 

 

 

 

 夜が明けて、日が昇った。

 “アウストリの広場”には、アンリエッタやオスマンを始め、“学院”の先生や生徒達全員が集まっている。

「正真正銘、これが最後の“虚無”ね」

 ルイズが言った。

「うん……」

 才人は皆のことを振り返った。

 あれだけ泣いていたシエスタは、太陽のような笑顔で見送ろうとしている。

 ルイズが、円鏡に浮かび上がった“ルーン”を唱えた。

 すると、眼の前に、最初に才人が“召喚”された時の、人が通り抜けることができるほどの“ゲート”が現れた。

 キラキラと光る“ゲート”の先は、才人が一番帰りたいと願う場所に繋がる。

 記念に色々と持ち帰ろうかと才人は想ったが、止めた。

 “ハルケギニア”での冒険は、いつだって想い出せるのだから。

 ルイズの綺麗な桃色のブロンドの髪だけを、才人は持ち帰ることにした。

「ルイズ、“愛”してる」

「私もよ」

 才人はルイズにキスをした。

 ルイズははにかむように微笑んだ。

「忘れないで……あんたは、私の“使い魔”なんだからね」

「ああ、俺はずっと、おまえの“使い魔”だ」

 想い出すのは、最初のキスから始まった、“ハルケギニア”での恋と冒険の日々である。

 才人は“使い魔”として“召喚”され、色々な経験をして来た。

 才人は、初めてルイズと逢った頃は犬扱いを受けていたし、ルイズに対して(なんてツンケンしてて嫌な奴だ)と想っていた。それに、しょっちゅう喧嘩もしたが、今では最“愛”の存在である。

 ユックリと手を離すと、ルイズは後ろに退がった。

(さよなら、“ハルケギニア”……さよなら、ルイズ……俺の大好きな、女の子)

 才人は光の“ゲート”に足を踏み入れた。

 才人の身体が光に呑み込まれる……。

「待って!」

「はい?」

 半分ほど“ゲート”の中に入った才人は、想わず、声を上げた。

 ルイズの鳶色に瞳に、大粒の涙が溢れ、頬を伝っているのが才人には見えた。

「ルイズ……?」

「やっぱり、私も、連れてって!」

「えええええええええっ!?」

 ルイズは、才人目掛けて駆け出した。

「ちょ、ちょっと、待ってください、ミス・ヴァリエール!」

 シエスタが叫んだ。

 俺とシオンを除いた皆も驚きの表情を浮かべた。

「私、やっぱり、サイトと一緒じゃなきゃ嫌!」

「お、おまえ、この“ゲート”は1人分しか……」

「安心しろ、平賀才人、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブランド・ラ・ヴァリエール」

 俺の呼び掛けに、2人は振り向く。

「“貴方の物語が、幸せな結末を迎えられますように! どれほどの悲劇でも、貴方の歩みが力強くありますように! 喜劇であれば、最後に誰もが拍手喝采できる喜劇でありますように!”」

「また受け売りかよ、セイヴァー」

「当然だ。また逢おう。2人共」

 俺がそう言った直後、才人は首肯き、両手を広げてルイズの身体を抱き寄せた。

「来いよ、ルイズ!」

「サイト!」

「あ、ちょっと、ミス・ヴァリエール、狡いですよ!」

「ルイズ、“聖女”のお役目はどうするつもりなの!? ルイズ!」

「ああ―――――っ!」

 皆が唖然として見守る中、俺とシオンは微笑む。

 そうしていると、2人の姿はアッサリと“ゲート”の向こうに消えてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白の国“アルビオン”。

 才人とルイズが“地球”へと行ってから1週間が過ぎた。

 シオンは女王としての政務を熟し、俺とホーキンスがそれを補助している際に、俺はふと想い出してしまった。いや、ようやく想い出すことができた、というべきだろうか。

「しまったな……」

「どうしたの? セイヴァー」

「いや、な。才人とルイズが“地球(あっち)”に行く際に言っておく必要のあることがあったのだが、それを忘れていたということだよ」

「なにか、重大なことなの?」

「ああ、これはあいつ等の命に関わることかもしれんからな」

「……え?」

「あそこの“魔術師”達についてのことだ。“封印指定”とかされてないだろうな? いや、近いうちに確認するか?」

「それって、もしかして、また逢えるの?」

「ああ、そうだな。皆また逢うことができるだろうさ」



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