この傷ついた女神に祝福を! (早見 彼方)
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この傷ついた女神に祝福を!

 水を司る女神『アクア』として生まれ変わる前、私は人間の女として生きていた。両親からの愛情を受けられず、一人の時間が多くて寂しい思いをした幼少期。両親の離婚によって母に引き取られ、新しい男を作った母に放置された小学生時代。母の再婚によってできた義父から虐待を受けた中学、高校生時代。

 いろいろ辛いことがあったけど、今は元気に女神として頑張っている。私の役目は死者の魂を導くこと。天国へ行くか、転生するか、それ以外を選ぶかは本人の意向を組んで決めている。私を女神に転生させた主からこの仕事を任されてもう何百年も経つから、もう慣れたものだ。女神としての後輩もできた。幸運を司る女神『エリス』という綺麗な銀髪でスレンダー体型のとても心の優しい子。以前にゆっくりと話をする機会があって、私が人間であったことは明かさずに、「とある少女のお話」と称して私の過去を話したら泣いてしまったほどだ。

「ぃ、今すぐその子を助けに行きましょうっ!」

 と、息巻いていたエリスの頭を撫でて落ち着かせた。本当に優しい子だ。でもね、その少女はもう救われなかったんだ。苦しみに苦しみ抜いて、息絶えたの。誰かに助けを求めなかった私も悪いけど、多分結果は同じだったと思う。だって、私の事情に気がついていた人達は誰も助けてくれなかったのだから。

「あの、アクア先輩?」

「エリスはいい子ね」

 私はエリスの頭を撫でた。

「どうして、泣いているんですか……?」

 どうしてだろう。そもそもこんな話するべきではなかったはずなのに、話してしまったのはなぜ? この話は主に打ち明けて気分が晴れたはずなのに、まだ私は過去に囚われているらしかった。

 その日以降、私に対して妙に心配性になったエリスを不思議に思いつつも、私は女神として沢山の魂を導いた。ときには地上の時間にして数時間かけて相手の苦難や犯した罪に耳を傾け、心を浄化してあげた。すっきりとした顔をして天国へ向かう、または転生を選んだ人々を最後まで見送るのが私の生きる意味。

「女神でも疲労はあるんですから、休んでください!」

 地上の時間にして一年以上ひと時も休まずに働いていたことがエリスに露見して、『静寂の間』という黒一色の空間に向かわされた。床も天井も壁もないこの空間では中に漂う者を癒し、魂に付着した穢れすらも浄化する。私はその空間に身を委ね、胎児のように体を丸めて目を瞑る。

 自然と、昔の記憶が甦る。抵抗しても私を傷つけた叔父。火のついた煙草。押しつけられる熱。殴られる痛み。足蹴にされた圧迫感。叔父に虐められる私を無視した母の顔はもう覚えていないのに、酷いことをした叔父の顔はまだ鮮明に覚えていた。

「っ……ぅ……」

 頭痛が起きて頭を両手で抱える。静寂の間でも、私の心は癒えない。長年心を嬲られ続けたのが原因だろうか。心の根底に穢れが沈着していて、取り除くことができない。本当の意味で癒すとなれば、私の記憶自体を消す必要がある。でも、私はそれを望んでいない。それを望めば、本当に私の人生は報われなかったことになる。

 古い記憶は心の中にしまい、肉体だけを癒してもらう。エリスが心配性なだけで、女神の体はそこまで貧弱ではない。救われなかった人々を救うために、もっとこの体を酷使してもいい。体が壊れたら、また主に直してもらえるのだから、多少の無理は利く。

 そう思って、また頑張った。百年ばかりかな。あっという間だったね。

 最近は、天国へ行くことや転生を選ばず、特殊な武器や能力などの特典を貰って異世界へ行く人が増えている。原因を調べてみると、地球では死んでからファンタジーな世界へ転移また転生をするという流れの物語が流行っているようだった。それに触発されて、誰も彼もが肉体と記憶を維持したまま異世界転移を選んだ。

「魔王を倒しに行ってきます、アクア様」

「はい。どうか、お気をつけて」

「はいっ!」

 使命感に溢れた一人の少年が、特典である魔剣を手にして魔方陣の光に包まれた。次の瞬間にはその姿は消えていて、無事に転移を果たしたことも転移先の映像を見て確認できた。

 転移先はエリスが管理する世界だ。魔王や魔物、悪魔という存在が確認できるその世界を解放するため、主の命令で死者には積極的に異世界転移を推奨している。ただ送るだけではなく、特典を与え、魔王を倒せば願いを何でも一つだけ叶えるという契約を交わしている。

 果たして、これで世界は魔から解放されるのだろうか。そもそも、魔王や魔物、それに悪魔は本当に悪い存在なのだろうか。エリスが管理している世界について詳しく知る機会がなかったからよくわからない。でも、あの優しいエリスが「悪魔はすべからく殺します」と言って殺意剥き出しだから本当のことなのだろう。

 でも、転移先のことを知らないままこの人々に転移を勧めていてもいいのだろうか。何やらエリスの根回しによって、私を女神として褒め称える『アクシズ教』という宗教が作られているようだけど、それを知ったのもつい最近だ。既に結構な数の信者が増えてしまったらしい。敬われる対象である私が、敬ってくれる人達を認識していないのはどうなのだろう。やっぱり問題だと思う。

 いつか、エリスの世界に行ってみようと思った。主からも「働きすぎだから、近いうちに必ず長期休暇を取るように」と言われているから、何かの機会にエリスの世界へ降臨してみるのもいいかもしれない。それに、人の生活に身近で触れれば、私の心にも良い影響を及ぼすかもしれない。

 そんなことを思っていると、死者の魂がこちらに向かっているのを感じた。私は執務机に座り、死者が生きていた頃からの履歴に細かく目を通す。

「サトウカズマ。表記は、佐藤和真」

 履歴によると、道を歩いていた少女を突き飛ばし、そのまま倒れてショック死したとのことだった。どうやら、少女がトラクターに轢かれそうになったと勘違いして身代わりになり、今度は自分が轢かれると思って息絶えてしまったらしい。

 少し変わった死に方だけど、勘違いして死ぬというのはよくあるから恥ずべきことではない。人の思い込みの強さは良くも悪くも現実に大きな影響を与える。熱くないと思っていれば、煙草の火は案外耐えられるのと同じ。それに、死というのは決して笑ったり辱しめたりするものではない。むしろ、誰かを助けようとして体を張ったことは称賛されるべきだ。

 でも、今回の場合はありのまま伝えるのはやめておこう。

 私は、立派な最期を遂げたサトウ様を待った。彼には祝福を、そして望む道を示してあげよう。彼はどれを選択するだろうか。天国か転生か、それとも転移か。転移だとしたら、どんな特典を持っていくのだろうか。

 いろいろと考えていた私の前に、やがてサトウ様は現れた。困惑していた彼に向かって私は挨拶をし、ほんの少し事実を歪曲させて彼の立派な最期を伝えた。世の中、知らなくてもいいことは沢山ある。穢れたことばかり知っている私だからこそ、罪なき人々に穢れたところを見せたくないと思ってしまうのだった。

 

 

 

 白色で統一された空間。壁や天井が黙視できないため、どれほどの広い空間なのかもわからない。その空間には執務机が配置されていて、椅子には一人の少女が腰かけてこちらを見ている。思わず触ってみたいと思ってしまうほど、清らかな印象を与える水色の長い髪。年齢的には俺と同じ十六、七歳くらいだろうか。ぱっちりとした目と、落ち着いていて理知的な内面を窺わせる表情と雰囲気。思わず視線が釘付けになり、息を呑むほどの麗しい美少女だった。

「サトウカズマ様。死後の世界へようこそ。私は、水の女神『アクア』と申します」

 澱みのない口調で、澄み切った水色の瞳で真っ直ぐ見つめられる。これほどの美少女にこれほど堂々と視線を合わせた経験はなく、少しどぎまぎしてしまった。それでも視線を逸らさずにいられたのは、彼女がふと浮かべた柔らかい微笑みに惹かれたからだった。

「あなたは立派な最期を迎え、短い生を終えられました」

 女神様から語られたのは、一人の少女をトラックから身を挺して救った男の雄姿だった。少女の身代わりになってトラックに跳ねられ、病院に運ばれた俺。緊急手術をするも一命を取り留めることはできず、病院に駆けつけて涙を浮かべる両親に見守られ、そのまま目覚めることはなかったという。

 まるで自分のことのように嬉しそうに語る女神様。その姿に見惚れ、俺は茫然としていた。

 その間も、話は続いていく。どうやら俺には、複数の選択肢があるらしかった。

 天国へ行くか、転生して赤子として新たな生を得るか、異世界へ転移するか。話によると、異世界転移が今お勧めらしい。強大な力を誇る武装や、超常現象を引き起こす能力などから一つだけを特典として得て、肉体も記憶も持ち越して異世界生活を送れるという。目的はあくまでその世界にいる魔王と呼ばれる存在を倒すことだが、それは別の誰かに任せればいいだろう。他にも転移者は大勢いるとのことだった。魔王を倒せば何でも一つだけ願いをかなえてくれるとのことだったが、正直リスクの方が大きいだろう。

 転移は凄く魅力的に思えた。そして、特典。考えてすぐ、結論は決まった。

 無理だと思うけど、こういうのは言ってみないとわからない。あまりにも考えなしの行動過ぎて自分でも驚いているが、それくらい俺は女神様に惚れてしまっていた。この人はあれだ。物語的に言えば、メインヒロインに位置する人なのだろう。俺みたいな人間には手の届かない存在。

 だが、褒められて調子に乗っていた俺はこの時、その女神様という存在を求めて手を伸ばしてしまった。

「異世界へ転移します」

「かしこまりました。それでは、次は特典の選択です。このカタログの中から好きな――」

「女神様が欲しいです」

「……えっ?」



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