コーヒーと一緒に、アイドルは如何ですか? (抹ッチャ)
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01 春は如何ですか?
そしたら衝動的に始めてしまった。
だが後悔はない!←無責任
ほぼ自己満足ともいえる担当に捧げる小説、スタートです。
新年度。4月第二金曜日の真昼頃、僕は大学内の大教室にいた。
「ふぁ~……ぁぁ」
大きな欠伸を溢して眺めたのは、教室の大きな窓から一望できる灰色の街並みと快晴の青空だ。ここはキャンパス内で最も高い建物の最上階にある教室でその景色も一塩だ——決して良いわけではないが。
欠伸を噛みつぶしながらスマホを点ける。大きく表示された時間は丁度12時30分を表示していた。
今は二限と三限の間の昼休み。一番後ろの端っこの席から教室を見回せば、溢れかえる大量の学生の姿。それは、昼休み後にこの教室で同じ講義を受ける予定の学生たちであり、同じように昼食も兼ねた席の確保に来た学生たちだ。
「ォエ……」
マスク越しでも伝わってくる匂いの
思わずえずく僕に何事かと前の席の学生が振り返る。彼の手元には有名カップ麺が置かれていた。先陣切った醤油の香りはお前のものか。
「ぇっくしゅんっ!」
怪訝そうに見てくる向こうから声がかかる前に、我慢できなかったクシャミが飛び出した。その音に驚いた向こうは正面に向き直り、食事を再開した。
えずいたりクシャミしたりとで怪しまれているが、そんなことを僕が気にしていられる余裕はない。
マスクの中で鼻を啜ると、再びやってくるノイズが走ったような感覚。霞みがかった、靄の中を手探りで歩いているような不安定な感じは、紛れもない鼻詰まりと酸欠が原因によるものだ。
「これだから春は嫌いなんだ……」
花粉症による目の痒みと、くしゃみの過多による腹筋とのどの痛みが体を蝕む。
あー帰りたい。こういう日は家に篭っていたい。だが単位の関係で大学には来なきゃいけないし、花粉症を理由に休むなんて不可能だ。
てか花粉症患者にとって春の外出は自ら首を絞める行為なんだぞ。その辺を周りはもっと知るべきだと思う。
—— ブブッ…… ——
『新規メッセージを受信しました』
世間への恨み言を念じているとは露知らず、どっかの誰かが僕にメッセージを送ってきた。画面の通知をスワイプしてアプリを起動すると、メッセージが表示された。
◀︎えんたー
《ボッチなう』
「知るか」
友人のメッセージに電源を切った。今のメッセージで寂しさを伝えたかっただったのだろうが、僕の知ったこっちゃない。孤独以上にこちとら体調不良だわ。目を開けているのすら辛いのに比べたら、一コマの間ボッチなんて楽だろう。
とはいえ、個人的な感情をぶつければ非難と炎上は予想できる。だからここは黙って見送ったのだが、同じグループ内の友人たちはそうではないらしい。
—— ブブッ…ブブッ……ブブブッ ——
「鬱陶しい!」
鳴り止まないバイブ音に我慢の限界を迎えた。
眉間に力が入るのを自覚しながら、起動したメッセージアプリで友人たちのログを辿る。ボッチ宣言が最後だったので、表示されるのはそれから後のメッセージだった。
《草生える(サッ)』
《全くだ(サッ)』
《可愛そうな奴(サッ)』
《オイコラ、こっち見ろオマエラ(怒)』
冒頭から下らない会話で見る気が失せた。どーせこの後も同じような三文芝居が続いてるんだろ、全員ボッチでヒマしてるから。
スクロールして流し見していると予想通り、その後のやりとりはスタンプも交えた三文芝居の続きだった。メッセージから皆が皆して別の教室で一人ずつバラけているのはわかったが、なんの得もしないやりとりにはかわりない。
◀︎えんたー
《
メッセージの最後まで辿りつくとそんな問いで連絡はピタリと止んでいた。気付けば確認中も鳴っていたバイブは止んでおり、通知時間を見るとここまで確認しているだけでだいぶ時間がかかっていた。
◀︎Saki
『一人だけど、なに?》
名指しである以上は答えてやるべきか。そう思って一言、文字を入力して送る。
反応は直ぐだった。
《え、崎本オコ? オコなの』
《あーあ、怒らせた』
《い~けないんだ、いけないんだ♪』
《せ~んせ~に、言ってやろ~♪』
《なんでやねん!』
《などと被告は供述しております』
《はいギルティ』
《お巡りさん、こっちです→』
無言で電源を落とした。次に電源を入れた時には通知数が恐ろしいことになってそうだが、それ含め何もかもが知るか。
電源を切ったスマホをリュックにしまい込み、代わりに缶コーヒーを取り出す。真っ黒なスチール缶と、金で描かれたダンディーな横顔のイラスト。
統領の名前でお馴染みのコーヒーメーカーの缶コーヒー(無糖ブラック)だ。
「あ゛ー……臭ぇ」
舌触りは慣れた苦み。しかし苦みや酸味とは違う鉄の味と、香りに混ざる鉄の臭いに顔を顰めた。
低価でそれなりの味を簡単に飲める缶コーヒーは好きだが、毎度毎度この缶の特有の匂いだけは慣れないし、気に入らない。どれだけの人間が同意してくれるか分からないが、缶コーヒー唯一の欠点は絶対にコレだろ。
「怠い……眠い……帰りたい……コーヒーが飲みたい……」
机に突っ伏しながら愚痴を溢す。なお『缶コーヒー飲んでんだろ』ってツッコミは受け付けない。僕が飲みたいのは“美味いコーヒー”であって、言葉は悪いが自販の間に合わせコーヒーじゃない。本格派の喫茶店で飲める豆から挽いたのが飲みたいんだ。
早く帰りたい。花粉もない平和な家の中でコーヒーを淹れたい。コーヒー片手に読書がしたい。
—— 着きました~。えっ? …わかりました、席を取っておきますねぇ ——
しばらくインスタントや缶だった反動だろう。今物凄くドリップした美味いのが飲みたくなってる。いっそミル買うか? ドリッパーは実家から貰ったのがあるし、豆は飲みながら好みを探しゃいいもんな。前に軽く調べた感じだと、一人分2杯〜3杯程度を引くサイズならそこそこ丈夫で安いのがあったし。
—— え~っと、空いてるのは~……あっ ——
そういえばコーヒー用のアルカリイオン水切らしてたっけ。マスクの予備も少ないし、帰りにドラッグストアにでも寄ってくか。ついでに食材を買いにスーパーにも……。
「あの~すみませ~んっ」
「ダメだ、忘れる」
買い物リスト作んねえと覚えきれん。あと書いとかないと無駄買い物する。
購入品目にリストアップをしつつ、隣の椅子に置いたリュックを漁る。都合よくメモ用紙なんて持ってないからルーズリーフになるが、メモ書きできりゃなんだっていい。
「小麦粉は家にあるから、牛乳と卵に生…「すみませんっ」あ?」
やばいと思ったが遅く、驚くほど低い声が出てしまった。くそっ…油断するとすぐこれだ…。イラついてるとはいえこんな八つ当たりみたいなことは避けてたのに……。
ほら、向こうを怖がらせて——
「わぁっ、目が真っ赤になってますよぉ! 大丈夫ですか…?」
「……は?」
怖がってなかった。それどころか結膜炎で充血する僕の方を心配していた。
マジマジと顔を見つめてくるその女の子を僕は知らない。そもそも同学科で女子の知り合い自体少ないが、それにしたってこんな娘は知らない。
「……どちら様?」
目測で50センチ。予想以上にパーソナルスペースが狭いらしい彼女は、前かがみで僕の顔を覗き込んでいる。彼女の大きな瞳には僕の面が映り込み、眉をハの字に顰めているその表情は痛ましげに見えた。
至近距離で見て思ったがこの娘、結構な美少女だ。大きな瞳と童顔にツインテールも相まって幼く見える。こんな可愛い子が同期なら、それこそ少しは知っていそうだが……。
「 私、ですか? 私は
ととき、なんて名字はうちの同期にいない。てことは他学科か新入生のどっちかってことになる。いや、去年一年間で大きな話題に美男美女関連はなかったから、新入生の方か。
新入生なら余計になんで僕なんかに話しかけたんだ? そう思っていると、とときさんは思い出した様子で困り顔で聞いてきた。
「あのぉ、ここって『
「あーそういう」
何事かと思えば教室の確認か。
まあ迷っても無理はない。このキャンパス内の建物の階層表記は頭が悪い上、加えて最上階だというのに大教室が五つもある。新入生なら迷って当然だし、実際に去年は僕も迷っていた。
「多いから間違えやすいけど、その番号ならここで合ってるよ」
「わぁ、よかった~♪ 私、この建物に来るの初めてだったので助かりました~」
手を叩いて、十時さんはホッと安堵した様子だ。心配されたと思えば、困り顔になり、そして笑顔とコロコロと表情の変化が激しい。
「あっ、そうだった! あのぉ、ここの席って空いてますかっ」
そう言って再び困り顔で聞いてきたのは僕の隣の空席のことだった。どうも遅れてくる友人二人の為に席を取っておきたいらしい。
幸いこの後の講義は僕一人で受ける予定だし、この四人掛けの席は僕以外の人間がいない。だから、余った三つの席を彼女らに譲ったとしても問題はないだろう。
「三つとも、どうぞご自由に」
「ありがとうございますっ♪」
快く譲ると気持ちのいい笑顔でそう返してくれた。別にこれくらいで礼なんていいし、最近はこうも丁寧にお礼を言う子は少ないというのに。
律儀で真面目な良い子だこと。
彼女の友人がいつ来るか分からないが、その短い間で誰かしらが座りかねない。その友人たちがきた時に荷物は動かすとして、残りの時間はどう過ごすか……。諦めてスマホ点けるか? メッセ溜まってそうで嫌なんだけど……仕方ないか。
「むぅ〜っ!」
「はい?」
リュックから取り出したスマホの起動を待っていると再び声をかけられる。みると、頬を膨らませて睨んでくるとときさんが居た。
全然怖くない。むしろ可愛くみえるんだけど……って、そうじゃなくて。なんでまだ立ってんの?
「あー、席足りないんなら退きます?」
「そうじゃなくてっ! カバンがあったら座れないですっ」
「……え、隣に座るん?」
「そうですっ!」
なんだその『さも当然』とばかりの顔は……え、マジもマジマジの大マジかよ(言語の迷子)。今時の子ってこんなに距離が近いもんなの?
(いや、きっと詰めて座るべきという考えだろ)
そりゃそうだ。何を好き好んで、わざわざ
自分の中の折り合いがついたところで、僕はようやくリュックを退かした。だがこのまま手元に寄せると奥の二つが取られる可能性がある。とときさんが隣に座ったのを確認してから、リュックを彼女の隣においた。
「……」
「どうしたんですか~?」
「……いや、なんでも」
女子特有の「それ、何が入るの?」というバッグから昼飯らしき包みを取り出すとときさんが首を傾げる。首を傾げたいのはこっちの方だ。
なんでこの子は見ず知らずの男の隣でこうも平然としているんだ。
僕の返答に不思議そうにしながらも、とりあえず納得した彼女は弁当に箸を伸ばした。
「あ~んっ♪」
美味そうに弁当を食う姿は普通だ、初対面の男の隣で食っていることを除けば。
隣で改めて彼女を見て思う。この娘はやっぱり可愛い。面食いな男どもが食いつきそうな可愛らしい美少女であるのは確かだ。加えてさっきのやり取りで、少なくとも人当たりは良く、物怖じしない性格をしているのはわかった。
(最も、この子の人目を引くところは顔や性格が原因ではないんだろうが)
ボーダー柄のワンピースは肩口が広く開いている、オフショルダーとかいうやつで、むき出しの肩からインナーらしきピンクの肩紐が見えている。
素材のせいなのか、サイズの問題なのか分からんが、やけに体にフィットしたそのワンピース姿は直視するには刺激が強い。なんせそのぴったりしたワンピースのせいで、彼女の豊満で凹凸の激しい体のラインがはっきりと現れているのだから。
(この性格で、しかもこの顔に
もしかしたら既に彼氏がいたりして? こんな娘を彼女にできる男は相当ツイているだろうな。
ま、僕には関係ないが。
口の渇きを覚えてコーヒーを飲む。相変わらずの鉄臭さはあるが、流石に慣れてきたからもう顔を顰めるようなことはなかった。
「あのっ」
特に会話をするでもなく呆然と教卓を眺めている僕に、とときさんは遠慮がちに声を掛けてきた。見ると半分ほど食べた所で、箸を咥えた状態でこっちを見ていた。
「なにか?」
「むぅ~! ズルイですっ!」
「はぁ?」
唐突にズルイと言われても困る。主語と動詞と目的とその他諸々含め、ちゃんと明確にして話してくれ。
「だって私は名前を教えたのにっ、私はアナタの名前を聞いてないってズルイと思いますっ。不公平ですっ!」
「……別に名乗るほどの者でもないんだが」
「そんなこと言わないでくださいっ。これから一緒に勉強する同級生なんですからっ」
「いや、今のは冗談というかネタふりなんだけど」
「ネタ?……あっ! そう言って誤魔化すつもりですねっ。騙されませんからっ!」」
「……
余りに純粋な目で僕の方が我慢できなかった。ネタが通じない相手にやると結構恥ずかしいんだな……。学科の連中は大体通じて慣れちまったから、この反応は予想できなかった。
「しゅうや……じゃあ、しゅうや君って呼んでもいいですか?」
「いいけど——君、それ素?」
「す?」
なんだ、なんだこの会話の繋がらない感じは。僕がおかしく思えてくる。
キョトンとした顔で首を傾げるとときさんに頭を抱える。小さい子ならともかく、この年齢でこのタイプは初めてのケースだ。対応の仕方が分からない。
誰でもいいから助けてくれ…。そんな僕の願いが天に届いたのかもしれない。
『ああ!? いたぁ!!』
突如、教室中に響き渡る大声に全員の視線が向いた。
例に漏れず、僕ととときさんも声の発生源を見ると、そこには息を切らした長身女子と黒髪ロングの綺麗系女子がコッチを指差して立っていた。誰だ?
「あ~っ、アカリちゃんにミナミちゃんですっ。こっち、こっち~!」
軽く息を切らす二人に向かってとときさんが手を振って呼ぶ。その様子から、さっき言ってた友人というのがこの二人なのだろう。
友人と合流できて喜ぶとときさんに反し、呼ばれた二人は怒ったり困ったりといった様子。はたから見ても、いい雰囲気とは言い難い。
『こっちこっち、じゃないわよ!! ちょっとアイリ、何してんのよ!?』
「ふぇ? 何って、さっき電話したじゃないですか~。席を取るって」
『違う教室の席取ってどうすんのよ!! 教室を間違えてるの‼︎』
「ええ~っ!?」
友人の指摘にとときさんは目を見開いて驚いていた。目の前で謎のコントを見せられていると、スッと寄ってきた黒髪の子が頭を下げてきた。
「社会情報学の先輩ですよね? 私は
「あの、頭をあげてくれないかな? 謝られるようなことなんて無かったんだし」
予想外の対応で面食らいはしたけど迷惑になることはなかった。なので年下の女のコに頭を下げられるのは気分が悪いし、なにより変な騒動につながりかねない。
慌てて新田さんに頭を上げてもらいながらとときさんたちのやりとりを聞く。
どうもとときさんは教室番号を間違えて覚えてたらしく、正しい教室に着いた友人二人が慌てて探しにきたらしい。
「この教室をどう間違えんだよ」
「多分ですけど、カリキュラムの一覧で教室の部分をズレて覚えちゃったんだと思います……」
原因は彼女の不注意だった。だがまあ……個人の不注意ではあるが、半分くらいは判り難い一覧を作った大学側の責任な気もする。
—— キーン、コーン…… ——
理由に呆れていると、揉めている彼女らをよそに予鈴のチャイムが鳴った。
『って、もう十分前!? あーもう! 急ぐわよ!』
「ああっ、待ってアカリちゃんっ。私まだお弁当が…」
『教室着いてからでも間に合うわよ! きっと!! とにかく教室が離れてんだから急ぐの!』
「あぁっ! 引っ張らないでぇ~!」
「アカリちゃん! 愛梨ちゃんの荷物がまだ……ってもう!」
長身女子にとときさんは強制連行されていった。荷物や弁当を放置していることに気づき声をかけようとしたが、それより早く新田さんが荷物をまとめて追いかけていった。
なお、新田さんも礼儀正しい子みたいでこちらに小さく会釈をしてから出て行った。無礼というか、余裕がないのは長身娘だけだった。
「……なんだったんだ?」
嵐のように去っていった三人を見送った僕は呆然。周囲で一部始終を見ていた人間も茫然としており、教室は嵐が過ぎ去った後のように静まり返っていた。
—— ブブッ……ブブッ…… ——
無事に起動したスマホが震える。バイブのパターンはさっきと同じで、あのメッセージアプリからの連絡だとすぐに予想できた。
◀︎えんたー
《可愛い子ちゃんと一緒にいたと聞いて』
◀︎E-sun
《弁明は?』
◀︎シュラちゃん
《ナイヨネ?』
◀︎セトゥン
《処す? 処す?』
「……。」
僕は無言でスマホを切った。
切る間際に見えた時間は58分。まもなく講義開始の鐘がなる。
窓の外に広がる青空を眺めながら、僕は缶コーヒーで流し込むのだった。
「ミル買おう……」
更新日時は狙ってやってます。
Happy Birthday! 愛梨! これからもPは誠心誠意応援するよぉ!!
次回更新は未定。
遅筆ながら続ける努力をしていく所存ですので、長い目で見て頂ければ幸いです。
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02 新学期は如何ですか?
私生活ボロボロで黙ってフェードアウトしかけてました。
ちょっとずつ、進めていきます。
大分期間が開いてしまい、申し訳ございませんでした。
第二話、どうぞ
『ブルーマンデー症候群』。週初め、仕事や学校が始まることに鬱屈した気持ちに陥ることを指す。
日曜日に、翌日の仕事のことを考えて『面倒』だと考えたりしないか? 飲食・小売なんかのサービス業に従事する人間は、月曜日に休むことに罪悪感を覚えることは? 無いなら構わない。が、中には周囲の仕事をしている姿を見て、引け目や負い目を感じる人間もいる。
そうした人間が一定数存在し、世界的にも認知され、日本国内じゃ日曜夕方の国民的アニメの名前が付けられているのが、この精神病だ。
「……今日は一段とじゃねえんだよ、クソが」
連勤明け。天気予報の追い打ち。
朝から僕の気分は最下層まで落ちていた。
疲労の残る心身を引き摺ってやって来た朝の講義室。先週と同じ最後列の一角に座って教室を眺めれば、爽やかな天候に似合わない重い空気が漂う。右も左もどこか暗い顔の学生が多く、ここにいるだけで気分が悪くなりかねない。
週初めの月曜日。生活リズムを崩させない為か、大学の意図であろうことに一限は大体必修講義で固められる。休めない上に遅刻も危ういと焦ってか、一限はギリギリ駆け込んで入室する学生が多くみられた。
『でさぁ……あ』
『おい……見るなって』
窓を眺める僕の隣を、出欠打刻を済ませたらしき学生が通り過ぎる。すれ違い様の声に視線を向ければ、目が合った2人組が気まずそうに席へと歩いて行った。彼らが居なくなると、今度は僕の背中に視線が集まるのを感じて振り返る。
だが目が合う奴は居なかった。
「……チッ」
いい加減慣れた不快な視線とはいえ、気分は悪い。今朝に限っては、ブルーマンデーの鬱憤も一緒にぶつけられている気がする。
思わず舌打ちが零れると背中に掛かっていた圧が減った。耳ざとい奴が多い。横を通り過ぎていく学生が速足な気がするが、マスク越しの聞こえるわけが無い。
そう自分に言い聞かせて、僕は眠気覚ましも兼ねたコーヒーを呷った。
「あ゛あ゛ぁー、クソが……」
コーヒーを飲む数秒、ほんの僅かマスクを外しただけで襲い来るアレルギー反応。むず痒くなる鼻孔に釣られて、気にならなくなっていた目の痒み症状までも現れだした。目がしょぼつくのは睡魔だけじゃなく、絶対に花粉のせいもある。
掻きむしらないように耐えながら講義の開始を待つ。この必修講義は外部講師が担当するらしく、しかも噂じゃ、前職はテレビ局でプロデューサーをしていたらしい。
更にはこの講義、初回を休んだ奴は落第が確定とも聞く。
「噂通りなら、この場に居ない連中は終わりだが」
他はどうか知らないが、うちの学科教授陣は『研究優先で講義は二の次。課題提出さえしていれば、最低評価でも単位を得られる』ってスタンスが多い。実際、去年受講した講義のほとんどがそんな講義ばっかだった。遅刻常習者や欠席数ギリギリの学生が普通評価を貰っていたりして、欠席が多いわりに僕と同じ評価だった学生もいる。あれには抗議したく思ったものだ。
そんなわけで。昨年は楽な方だったが、今年はそうはいかないらしい。
新学期一発目からやってくるこの外部講師、前職では鬼
「朝一でこの講義に当たるとか、ツイてねぇな」
講義のほとんどは、初回がオリエンテーションで中身に入ることは少ない。履修登録漏れなどのシステム不備を配慮してか、評価基準や提出物、教科書などの説明をするだけで、初回の欠席を甘く見る傾向がある。
必修ではその限りではない(そもそも卒業するには必ず単位を取得してなければならない)ので、今朝こうして朝の教室に空席が伺えるのは、進級不可だった奴が居たにしたって多すぎる。仕事人間が講師になったからといって甘くなるなんてのはない。今日サボった連中はきっと、進級はできないだろう。
「まあ、他人の心配をしている余裕があるのかって話だよな」
こうして受講の用意が出来ていようと、残りの講義と考査でミスれば僕とて同じ。今すぐ寝たい気持ちを抑えつけ、居眠りしないようにしなければ。
改めて気持ちを引き締めていると、教室前方の席に見知った顔がいた。
「はぁ?」
見間違いかとばかりに目を擦った僕だが、クリアになった視界に映る顔は見間違えようがない。これまでの人生で、アイツ以上にやかましい存在を僕は知らない。そもそも、大学で知り合った奴に、あれ以上のインパクトがある奴がいなけりゃ、同じレベルすら見たことがない。
間違いなく、他学部に居るはずの友人の姿だった。
「……いや、他人を気にしている場合じゃねえんだって」
なんで他学部の奴が、
なんでうちの学科生とあんなに馴染んでいるのか。
なんで朝から遠目で分かるハイテンションなのか。
ツッコミたい点は多々あるが、そんなことを指摘する精神的余裕は無い。既に僕の体力は疲労とアレルギーのせいで、イエローゾーンに突入しているんだ。
「わざわざ疲れに行くなんて馬鹿らしい」
無視することを決めたところでチャイムが鳴る。同時に、前方の扉が大きな音を立てて開き、そこから初老の背筋の伸びた男性が入ってきた。髪は少しばかりに白髪交じりだが、事前に聞いた年齢の割には体系の崩れもなく、きびきびとした足取りだった。
講師の男性が教壇に向かう間に、学生たちはゆっくりと席に座っていく。その様をジッと眺めていた男は、全員が席に着くとマイクを取りだした。
『これで全員か?』
挨拶よりも先の問いかけに、学生が誰も答えない。チラチラと左右を伺い、ボソボソと友人同士で会話を始める。
講師のこの人には悪いが、全員かどうかなんて僕らにはわからn——
反響。そして無言の絶叫。脳を指すような鋭い音が教室中に鳴り響いた。
言葉には形容しがたいその音に、全学生が耳を抑えて苦悶の表情を浮かべる。中には小さく悲鳴を上げている奴さえいた。
同じように被害を受けた僕も耳を抑え、そして思わず音の発生源を睨むように見た。
『おしゃべりは許可してないよなぁ? 先ずは、質問に答えろよガキ共』
黒板から手を放し、ドスの聞いた粗雑な声がマイクを通る。その声に反応して彼らが顔を上げると、表情に僅かな苛立ちを交えた、ヤンキーのような男がそこに立っていた。
『これで、全員か? 聞かれたんだから、手え上げるなりして答えろよ。名指し待ちとか舐めてんのか。ああ?』
もう一回やるか? とばかりに手を黒板に添える男に、ほとんどの者が身構える。さっきの音はあの引っ掻き音だったか。
『社会出てその待ち姿勢が許される思ってんのか? 自分から学ぶ姿勢を身に着けるのが大学だろうが。率先して動け! 思考し続けろ! 沈黙は金なんて格言は、仕事上役に立たねえからな!』
バンッ、と教壇を叩いて講師が叫ぶ。マイク越しの怒声が教室中に反響は、無言になってしまった学生の空気もあって一際大きく感じた。
朝一からなんで説教食らってんだろうか。そんな疑問を浮かべていると、男は大きな溜息を溢してバインダーを取り出す。
『ったく、こんな調子で半年も講義するのかよ……この講義を受けようがどうしようが勝手だが、休んだら速攻落第だ。そもそも社会に出れば理由もなく来ない奴を信用しない。雇い続けるメリットがねえからな』
そう言ってバインダーから紙を取り出すと、先頭の席に適当な束を渡す。
『冠婚葬祭や感染症等による欠席・出席停止は事前連絡と、証明書持参が必須。これも社会に出れば当然だ。遅刻したきゃすりゃいいが、欠席と同じな——覚えたな? 2度も言わねえぞ』
回ってきた紙を一枚取って確認すると、今の説明が書かれた資料だった。資料といっても、シラバスの内容に今の口頭説明が足されただけのものだが。
『話を聞かねえ馬鹿の口実にしかならん配布物は無い——そもそもそんな奴の為に骨を折る気は毛頭ない。だからここにいねえ馬鹿どもには諦めろと伝えとけ』
『毎年後になって言う馬鹿は居るからなぁ』という小さな台詞もマイクに拾われて聞こえていた。いや、あえて聞かせているのか。この様子じゃ毎年、理不尽だのと文句を垂れる学生がいるのだろう。
『紙は回ったな? なら、早速今日の内容始めるぞ。チンタラしている奴を待つ気はねえから、死ぬ気でついてこい』
そうして自己紹介すら無しに挨拶を締めた講師が講義を始める。液晶に表示されるプレゼン資料が表示され、学生達が慌ててノートやらメモを取り出し始める。だが宣言通り、講師が待つような素振りは一切ない。ツラツラと説明を始めた講師の声に耳を傾け、僕もまた必死にノートを取りだした。
おおよそ90分。腕が痛くなる講義は、余りの辛さにそれ以上の長さに感じた。
「いや~、まさかサキが一緒に受けてるなんてな! 居たんなら声かけてくれよ~」
講義を二つ受け終えて12時20分。何処にいたんだとツッコミ待ちのような学生がキャンパスを行きかう昼時に、
「そもそも、なんでオマエがサキんとこの講義受けてんの? 必修なんだろ、ソレ?」
「え、マジ?」
昼飯の弁当を突きながら思う。給食ってのは、如何に効率的で楽だったのかと。
高校卒業以降、学食なり弁当なりを利用してから考えるのは栄養バランス。給食はその辺をしっかり考えて合って、三食中一食は補完できるとあって、給食費を払うだけの価値があった。それでいざ給食が無くなると、昼飯の栄養バランスが一気に崩れる。特に、登校前にコンビニに行く、学食・売店で購入する場合なんかはとりわけ偏りやすい。
好きな物だけ食っていけたらと、弁当を用意するようになってからつくづく思うよ。
「いや申請してんだから知ってんだろ」
「正直、講師の名前と講義内容以外は見てなかった」
「見ろよ」
中規模程度の講義室を半分ほど埋める中、隅の一角に集まった友人たちが雑談を交わしている。箸を加えて首を捻る友人に、菓子パンを飲み込んだもう一人の友人が呆れている。
「こんなんで平気なん? なあ、サキ」
「受講態度は概ね好印象だったよ、残念ながら」
「……概ね?」
「一節毎に質問してくる学生を相手にして、お前ならどう思う?」
「うわぁ……」
遠目だったからハッキリとは分からないが、後半は苦虫を噛みつぶしたような顔してたっぽいんだよな。ど頭の説教よりも深い眉間のシワを作って帰ってったのは、多分肉体的な疲労だけが原因じゃないはず。
「そんな褒めんなよ~」
「日本語通じてますか?」
あの講師もこんな——こんな面倒くさい奴が受けに来るとは、想像してなかっただろうよ。
謎の言語変換をする友人に呆れ果てていると、教室へと入ってくる学生が増えていることに気付いた。時計を確認すれば、昼休みも半ばを過ぎていた。
「……そろそろ移動しないと」
「え? うおっ!? ヤッベ!!」
一足先に弁当箱を片し始めると、向かいでは慌てた様子で弁当を掻き込みだす。中規模の講義室が半分埋まっている時点で、そこそこ受講人数が多いと思っていたが、これは全席埋まるか?
「
「午前無しで昼からだけど……さっきから
「え? この時間で寝坊? まさかの?」
「いや、奴なら在りうる」
そこまで言ったらもうギャグの領域だと思うんだが?
相変わらずの朝(もはや朝と言っていい時間でじゃないの)に弱い友人を思い浮かべ、揃って溜息を吐く。去年はそれでいくつか再履修を食らってた筈だが、進級しても改善される様子が見られない。これじゃ今年も負債が積み重なりそうだな。
「アイツいないと話進まないし、
「二限からだから、昼はいるよ」
「了解。
「ンンッ!(グッ)」
口いっぱいに詰め込んで喋れない東条はサムズアップで答えた。全員の了解を得たところで、丁度チャイムが鳴る。予鈴のチャイムだ。
「ングッ——じゃ! また明日!」
掻き込んだ弁当を咀嚼しながら片付けを済ました東条は、リュックに放り込むと慌ただしく教室を飛び出した。教室前で出欠打刻をする人垣を掻き分けて、奴は別棟へと走っていた。食後に直ぐ走るとか後で後悔しそう。
「じゃ、僕も」
「うぃっす。おつかれ」
出入口の人が減ったところを見計らって、僕も教室を出た。慌ただしく教室へと入っていく学生とすれ違いながら、僕の足は迷いなく目的地へと向かって進む。
現状の履修登録では、この後一コマの空き時間が存在する。その間どこかで時間を潰そうと思った時に、僕の脳裏にはあの場所が真っ先に浮かんだ。
「……チッ」
棟の出入口である自動ドアが開いた瞬間、太陽光とは違うムワっとした空気に舌打ちが漏れる。薬の効果が切れたのか、次第に目と鼻に小さな刺激がやってくる。その衝動が大きくなる前にと逸る気持ちが、無意識に速度を速める。
見上げた先は木漏れ日。光の先の空は青く、そよ風は春の温もりを拭いながら木の葉を揺らす。
爽やかな春。しかし個人的には忌々しさしかないこの季節。
一年で最も嫌いな季節を全身で感じながら、僕は黙々と目的地へと足を進めるのだった。
お久しぶりです、抹ッチャです
ようやく更新(執筆)の目途が立ってきたので、ストックを作りつつ書き進めています。
定期更新へと移行が出来ない遅筆ですが、よろしくお願いします。
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