カンテレを弾く前に。 (桜田家族)
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二つの流派(TV版の2年前)
二つの流派 1-a


『大洗女子学園の勝利!』

 

 ガレージに一つだけぽつんと置いてある古びたテレビからは、決着を告げる審判の声と割れんばかりの歓声が響いていた。

 

 それを囲むように見ていた彼女達も、ある者は純粋にその結果に驚きの声を上げ、ある者はその熱戦が終結してしまったことを少し残念そうに息を吐く。

 そしてまたある者は、さも最初から結末は分かり切っていたと言わんばかりに膝に乗せていた弦楽器を指で弄んでいた。

 

「すごいねミカ!まさか本当に大洗が黒森峰に勝っちゃうなんて!」

 

 興奮冷めやらぬといった様子で驚きの声を上げていた、ブロンド色の髪を二つ結びのお下げに纏めた女の子、アキが弦楽器を指で弄ぶ少女に声を掛けた。

 

「……単純な勝敗だけに価値がある、というものでもないんじゃないかな?アキ」

 

 ミカと呼ばれたその少女は、膝に乗せていた弦楽器──カンテレを撫でるようにして鳴らすと、音を楽しむように目を閉じながらにこやかに答える。

 

「もー、ここは素直にすごいって言えばいいのに」

 

 ミカの言葉に話しかけていた女の子、アキは頬を膨らませながら「相変わらずひねくれてるなぁ」と不平を漏らす。

 対するミカはそんな様子のアキを見て茶化すようにカンテレを更に指で弄ぶ。

 少しずつ象られてきたその旋律はどこか讃美歌のようにも、鎮魂歌のようにも聞こえる、ミカが奏でるには珍しいものだった。

 

「ミカ?()()()のもいいが、さっさと来週の訓練日程を決めてくれないか?おかげでこっちは燃料弾薬の割り当てどころかこの前の大会で黒森峰にやられた車両の修理順すら決められないんだよ、そもそもお前のBTだが、どうすればあんなに……」

 

 そんな時、彼女達の後ろから整備班長がミカに声を掛ける。

 油や煤で汚れた、胸元に継と誂えられているジャージを着ているこのガレージの主はすっとミカの後ろに立ち、小言を連ねながらミカの肩を掴もうと手を伸ばす。

 

「ミッコ、アキ、後は頼んだよ」

 

 が、その手は急に立ち上がったミカの肩を掴むことは叶わず、そのまま空を掴んだ。

 

 いつの間にかカンテレを小脇に抱えたミカはそう言い残すと、そよ風が吹くように颯爽と、しかし素早く整備班長の横を背中までかかる栗色の長髪を靡かせながら立ち去っていった。

 

「あっ、おい! くっそ、あのバカ……」

 

「あ、あはは……」

 

 その様子の一部始終を膨れながらも見ていたアキは、ミカの額に冷や汗がわずかに流れていたことに気が付いていた。

 

 ……これは()()何か面倒事を拵えてるな、と整備班長の額に青筋が浮かんでいる事にも気づいたアキが思わずため息を吐く。

 そして足早に逃げるミカの小さくなっていく後姿を呆れを通り越して感心したように見送ると、アキも苦笑しながら立ち上がった。

 

 そして、そこで気づいた。

 

「……あれ?ミッコは?」

 

 先程まで隣で一緒にテレビを見ていた赤茶色の綺麗な髪の少女、白熱していく試合の行く末を共に楽しんでいたミッコがいつの間にかいなくなっていた。

 すると、整備班長がそういえば、とアキに伝える。

 

「あぁ、ミッコならミカが尻尾巻いて逃げ出した時、小腹が空いたとか言ってどっか行ったよ」

 

 アキの笑顔にぴしり、とヒビが入った。

 いよいよ雲行きが怪しくなってきた、とアキは冷や汗を流し始める。

 とにかく面倒事を嫌がるミカが逃げ出し、その上で野生の勘とでも言うべき直感を持つミッコが姿を消したのだ。

 

「そ、そっかぁ…… と、とりあえず私、ミカを探してくるね!」

 

 この場に残ればマズい事になる、そう考えたアキはそれとなくゆっくりと、後ろ歩きで整備班長と距離を取る。

 

「あぁ、いや それには及ばないよ」

 

 だが、アキの行動は完全に予測していたと言わんばかりに整備班長はアキに詰め寄ってきた。

 その顔は笑顔だったが、目は完全に笑っていない。

 そんな整備班長に気圧されて、アキは徐々に壁際に追いやられる。

 そして整備班長は、アキの顔の横に手を乱暴についた。

 

「もう逃がさないぞ?……ほら、一緒にお話でもしようか、お嬢さん?」

 

 時と場合と相手が違えば、アキの顔は紅潮し、目には期待から涙が浮かび、心臓は女子なら一度は憧れるシチュエーションに早鐘を打っただろう。

 しかしこの時は、アキの顔は青ざめ、目は絶望に染まったように光が消え、心臓は今までの経験から警鐘を鳴らすように鼓動を早くしていた。

 

「ふ、二人の……裏切りものぉぉぉ~~!!!」

 

 涙目のアキが最後に叫んだのは、自分だけが人柱になるよう仕組んだ仲間達への呪詛だった。

 

 

***

 

 

 ……少し悪いことをしたかな?

 

 と、ミカは誰もいない林道を歩きながら今頃謂れもない事で絞られているであろうアキに同情していた。

 恐らく全国大会2回戦時に歪んでしまった自身の搭乗する戦車、BT-42の車軸の事を伝え忘れたせいで整備班長はあそこまで怒っていたのだろう、とミカは推察する。

 

 その時、ちょうど共に戦ったBT-42がちらり、と木々の隙間から小さく見えた。

 車軸が90度ほど捻じ曲がり、転輪がまるで自動床掃除ロボットのように地面と接しているBT-42の周りには、途方に暮れた様子でそれを眺める整備士達の姿も見える。

 

 どれほどの損傷かなんて見れば分かるだろう、と連絡を怠ったせいで友人を不幸にしてしまった。これからはきちんと連絡をしよう。

 そんな幼稚とも取れる反省をミカは心の中で反芻する。

 

 そしてどれほど歩いただろうか、ふと林が開けて目の前には海が見え始めた。

 辺りを見渡すと丁度良く公園を見つけ、その中にあったベンチに腰掛ける。

 少し小高い所へ作られたこの公園は、先ほどまで歩いてきた林道はもちろん、海や街、学校等が一望できるようになっていた。

 

 いい場所を見つけた、しかしあまり長いすると潮風が弦に良くないかな?

 

 あてもなく歩いていた割にはよくこんな近場の、それもいい穴場を見つけられたものだ、とミカは上機嫌にカンテレを膝の上に置く。

 辺りに人気は無く、木々が揺らめく音と、艦に波が打ち付ける音だけが耳に届いていた。

 そんな自然の作り出す音楽を聞きながら、ミカはその細い指をカンテレに添わせる。

 

 ふと顔を上げるとそこには継続高校の校舎と、その学園艦の艦橋が視界に入った。

 改めてこうして見ると、()()に比べれば本当に小さな学園艦だな、とミカは苦笑する。

 

 ……そういえば彼女、いい顔をするようになった。

 

 弦に指を添わせたままミカは、ちょっとしたきっかけだったが脳裏に蘇った過去へと意識を傾ける。

 風と波の音を受けながら目を閉じれば、先ほどまでテレビの画面に映っていた彼女、西住まほの姿が浮かんだ。

 そして更に記憶を辿っているとある事に気付き、思わず口元に笑みが零れる。

 

 思えば、初めて出会った場所もここによく似ていたなぁ──

 

 

***

 

 

「おいお前、こんな所で何をしている」

 

 木漏れ日から射す春の暖かな陽気と、木陰にそよぐ優しい薫りのする風を楽しみながら微睡んでいた少女は、乱暴な口調で声を掛ける影と出会った。

 

 自分の失態を棚に上げて、少女は無粋な事をする奴もいたもんだと眉を顰めながら、寝そべっていた身体の上体だけを起こしその影の方を睨み付ける。

 

「もう間もなく戦車道の練習でこの辺りは立ち入り禁止になる、早く立ち去れ」

 

 新品の黒いパンツァージャケットと、まだ皺もついていないようなワインレッドのシャツに身を包んだその影──西住まほは射抜くような視線をその少女へと向けていた。

 

「……月並みだけど、私はお前なんて名前じゃないよ それに、そこまできつく言われる筋合いも無いと私は思うな」

 

 礼には礼を、無礼には無礼をといった様子で少女もまたそう言いながら同じように据えた目でまほと視線を合わせる。

 まほの着ているジャケットとはまた違う、どこか威圧感を感じさせる少女の制服は土と埃にまみれており、新品とはとても思えないほど薄汚れていた。

 

「っ…… 失礼しました、まさか上級生の方がここに迷い込まれてしまわれているとは思いも寄らず……」

 

 すると、まほは面食らったように目をぱちくりさせて数瞬呆けてしまうが、すぐに少し焦ったような様子で打って変わってぴしっとした、まるで軍人のように整った所作で丁寧にその非礼を詫びる。

 そのころころと変わるまほの雰囲気がおかしく、少女は面白そうにふっと口角の上がった口から声を漏らした。

 

「迷ったんじゃない、風に運ばれてきたんだよ」

 

「は……? っ、コホン。 繰り返しになってしまいますが、これから戦車道の練習でこの辺り一帯を使用します。危険ですので先輩は練習場の外へ移動願います」

 

 少女の突拍子も無い発言に思わずまほは再び呆気にとられていたが、すぐに自分が何のためにここにいるかを思い出しそう告げる。

 しかし先輩と呼ばれた少女は、またなにかがおかしそうにくすくすと笑みを零した。

 

「君、名前は?」

 

「え?あっ……西住まほです 本日、この黒森峰女学園高等部へ進級致しました」

 

「西住? そうか……君が」

 

 名乗ったまほに、少女は再び視線を送った。

 ただし今度は先程のように僅かばかりの苛立ちや怒りなどは微塵もなく興味深そうに、それこそ物珍しそうに少女はまほの姿態を無遠慮に眺める。

 

「あの、先輩……流石にそこまで見られると困ります」

 

 西住流という戦車道の一大流派で生まれ育ったまほは、今までもそういった好奇の目に晒される事は多かれ少なかれあることにはあった。

 だが、流石にここまで間近で、それもここまでじろじろと見られる事には抵抗を覚えるようで、手に持っていたクリップボードを盾にするように顔を覆いながらそう少女に声を掛ける。

 

「あぁ、すまないね ……それはそうと西住さん。これも何かの縁だ、帰りの道案内もお願いしたら駄目かな?」

 

 流石に悪いと思ったのか、少女は素直に謝罪して視線を空へ投げるが、直後に何かを思いついたといった表情を見せると、まほへそう問いかける。

 

「? えぇ、それくらいでしたら構いませんが」

 

「ふふっ、じゃあ行こうか」

 

 少女の様子を怪訝そうに見ていたまほだったが、その要望を断る理由も特に無かったので二つ返事で了承した。

 そんなまほの返事を受け、少女はにっこりと微笑みかけながら立ち上がると、小脇に枕代わりに使っていた小包を抱え、すっとまほの横を通り過ぎる。

 

 掴みどころがなくて少し話しづらい人だな、というのがまほが抱いたこの少女への第一印象だった。

 まほは、わずかにため息を吐いてから少女の後を追う。

 

 

***

 

 

 会話が無かったわけではなかったが、ただでさえ見ず知らずの人間との世間話が得意な方とはお世辞にも言えないまほが、この飄々とした態度を取る少女と会話の華を咲かせる事が出来る訳も無かった。

 

 不思議な空気感を二人の間に流したまましばらく歩き続けると、まほは前方に人だかりが出来ていることに気付く。

 

「……!」

 

 その人だかりを成している少女達は一様にまほと同じパンツァージャケットを身に着けており、そこが戦車用ガレージの前だと分かった。

 何故自分は校舎等へ先輩を案内することも忘れてぼーっと歩いていたんだろう、とまほは自責する。

 

「すみません先輩、今すぐ……」

 

 校舎の方へご案内します、と続けようとしたまほの口は、前に見える人だかりから風に乗って運ばれてきた会話を耳にして、思わず言葉を止めた。

 

 人だかりの中心になっている二人や周りの少女達は、近づいてくるまほ達にも気づかずに口論を続けている。

 その内容は、まほも簡単な話だけしか聞き及んでいない『とある噂』についてのようで、まほも口を噤んで無意識に耳を傾けた。

 

「隊長!私はまだ納得がいきません!そもそもこの一件、隊長の独断って本当なんですか!?だとしたらアンタ、本当に何を考えてるの!?アンタは昔からいつもいつも人の話も聞かないで一人で勝手に……」

 

「アッハッハ!いやー、まさか皆がそこまでびっくりするなんて思っても無かったね!いいサプライズになったじゃん! というかそんなに怒るとシワになるぞ~?」

 

 人だかりの中心にいた二人の内の一人、黒く長い髪を首の高さでサイドテールに纏めた少女は、自身が隊長と呼んだ相手に、黒真珠のような目を銃口のように向けながらがなり立てていた。

 

 それに対して、隊長と呼ばれた少女は竦むどころか、へらへらと笑いながら聞き流してからかってみせる。ただ自分でもこの舌戦は分が悪いことには薄々感づいているのか、目線は空の方を向いている。

 

 そしてそんな二人の周りにいる少女達は「副隊長、どうか落ち着いてください!」と言いながらサイドテールの少女を必死に宥めようとする者もいれば、副隊長に同調して説明を求める者や、ただ隊長の反応を面白がって見に来ている者など様々なで人で溢れかえっていた。

 

 そんな集団に、まほ達はさらに歩を進め近付いていった。

 すると、なんとかこの言い争いを終わらせるきっかけを求め、辺りの様子を探っていた隊長が目ざとくまほ達を見つけ、真紅色の目をきらきらと輝かせながら二人に必要以上の大声を上げて呼び込む。

 

「おぉっ!やっと来たかご両人!待ちくたびれたよ~、こっちこっち!早くおいで!」

 

「? 逸見隊長、話が見えませんが……まさか」

 

 そう声を掛けられ、まほは怪訝そうな表情を作りながらも返事をしながら近づいていく。

 だが直後にまほは、なにか衝撃を受けたように目を見開くとすぐ横に並んでいる少女の方へ顔を向けた。

 少女は相変わらず微笑を浮かべていたが、その視線はまっすぐと隊長である逸見セナを見つめている。

 

 その間にセナは、周囲の人だかりを揉みくちゃにされながら掻き分けて二人の方へ近づいていくと、まほ達の後ろに回って二人の肩を掴んで自身に引き寄せながら口を開いた。

 

「さぁ皆!今日から仲間になった子達の中で紹介してない最後の二人を発表するよ!噂の子達だぞ~? こっちが西の西住流、西住まほちゃんに……」

 

 いつの間にか周囲は静まり返り、隊長であるセナの言葉に耳を傾けていた。

 そしてセナがまほの肩を引き寄せ、頬が触れ合いそうになるほど顔を近づけながら紹介すると、大体の少女達はまほに注目する。

 

 まほは、引き寄せられて崩れた姿勢をすぐに正し、改めて自己紹介をしながら頭を垂れようとしたが、その際に副隊長を始めとした数名がまほではなく、セナに肩を抱かれたもう一人の少女に注目している事に気付いた。

 

 どうやらあの噂は本当だったのか……と頭を下げながら、まほは一緒にこの場所まで歩いてきた少女に目をやる。

 その風のように掴みどころのない少女は、小脇に抱えていた小包から黒森峰の制帽を取り出し、頭に乗せながらセナの言葉を遮って口を開いた。

 

「島田文香、どうやら皆さんから温かく歓迎して貰えているようで安心しました」

 

 開口一番、文香と名乗った少女が微笑を浮かべたまま先輩同期に口にした言葉は、誰が聞いても分かるような皮肉だった。

 

 島田文香、後にミカと名乗るその少女の言葉を受け、大多数の女生徒達は呆気に取られ、一部の女生徒はこめかみに青筋を浮かべ、まほは目を丸くして驚き、隊長は大声を上げて笑っていた。

 

 

***

 

 

 戦車道には、他の武芸と同じように『名門』と呼ばれる流派が数多く存在する。

 特に、その道に少しでも携わった事のある者であれば、必ず耳にするだろう流派は二つ挙げられる。

 

 まず西日本を代表する、「撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し」の言葉で知られ、圧倒的火力と一糸乱れぬ統制を用いての短期決戦を是とする、日本で最古、かつ最大の流派である『西住流』。

 

 そして世界に「日本戦車道ここにあり」と言わしめた変幻自在の戦術、状況に即応した臨機応変な用兵と卓越した戦技を以って敵を駆逐する、ニンジャとも恐れられる東日本を代表する流派である『島田流』。

 

 互いに相反する思想から成るこの二つの流派はもちろん馬が合うこともなく、今日に至るまで対立を続けてきた。

 

 事ここに、黒森峰女学園に至っては伝統として西住流の気風を強く受けており、殆どの戦車道受講生は西住流門下生、ないしは『西住流』と少なからず縁のある人間のみで構成されていると言っても過言ではない。

 

 そんな黒森峰女学園に良く言えば好敵手、悪く言えば仇敵である『島田流』の人間が入ればどうなるか……

 

「セナ!アンタ正気!? まさか本当に『島田』の人間を連れてくるなんて、気でも触れたんじゃないの!?」

 

「隊長聞きました今の言葉!? コイツ、うちが『西住』の総本山だっていうのにこんな舐めた口利いて……」

 

 当然と言えば当然であるが、驚愕、怒り、呆然と差はあれど、皆一様に隊長の乱心を疑いながら島田流の人間を排斥しようと口々に罵った。

 

 この中で比較的平静を保っているのは、何となく話は掴めたが周りの声の大きさに驚いて口を閉じてしまったまほと、相変わらず何を考えているか分からない微笑を湛えたままの文香。

 そしてこの状況を作り出した張本人であるのに、三人の中心で笑い続けているセナだけだった。

 

「いやっ いや~……すごい!すごいなフミちゃん! くふっ……だ、第一印象はインパクトを与えた方がいいとは言ったけど、まさかいきなり喧嘩売るとか……いやぁ、やっぱ大物だわ、アッハッハ!」

 

「い、逸見隊長 とりあえず今は先輩方を宥めた方が……」

 

「あ、あ~ そうだね……くふっ、ほ、ほら皆!まほちゃんの言う通りだ とりあえず落ち着きなって!」

 

 笑い上戸なのか未だに笑い続けているセナの耳元に、まほが手に持っていたクリップボードを立ててそう耳打ちすると、ぱんぱんと手を手を叩きながらセナがにやけた口のまま宥めようとする。

 が、一向に熱が冷めない周りを見渡すと、自身の肩までかかる銀髪を無造作に掻き毟りながらため息をつく。

 

「……はぁ……整列!」

 

 そしてため息を吐いた際に項垂れてしまった姿勢をしゃんと正すと、今までとは違う、1トーンほど声の高さを下げたよく通る声で号令をかけた。

 

 すると周りで喚き散らしていた女生徒達は反射的にぴたりと口を噤み、ザッ、ザッ、と揃った足音を鳴らしながらその場で即席の4列縦隊を形成し、踵を揃え整列する。

 およそ2秒ほどの出来事だったが、傍から見れば黒森峰の練度の高さがよく分かる所作であろう。

 

「ゲホッ!ゲホッ!……うぇっ……」

 

 その美しささえ感じる隊列の前に立っているセナが、盛大に咳込んでいなければだったが。

 

「あー、やっぱ慣れない事はするもんじゃないわ…… あ、皆落ち着いた?それじゃあ改めて この子が西住まほちゃん、まぁ知ってるか……そしてこっちが島田文香ちゃん、色々事情があってウチが引き取ることにしたから、仲良くしてよ~?というか、イジメとか許さないから。そこんとこよろしく!」

 

 改めて紹介されると、再び隊員達の中にどよめきが起き始める。

 さらっと隊長が言い放った爆弾発言は、下手をすれば黒森峰戦車道の歴史や伝統を根幹から否定する事にも繋がりかねないものであり、隊員達は酷く困惑していた。

 

「よろしくって言われても……まずその事情ってやつを説明しなさいよ」

 

 そんな中で、副隊長が指でこめかみを抑えつつも落ち着いた様子でそう尋ねる。

 するとセナは、片手で頭を掻きながらバツが悪そうに、しかし相変わらずへらへらとした様子で答えた。

 

「そう言われてもなぁ……正直、アタシもまだ全部は知らないっつうね まぁ詳しく聞きたければフミちゃんに聞いてよ!」

 

「はぁ……まぁいいわ」

 

 列の一番前にいた副隊長が呆れたように深く息を吐くと、先ほどのセナと同じように手を叩き数歩前に出てから隊列の方へ振り返る。

 

「さぁ!皆も色々思うところはあるだろうけど、まずは練習よ!二年生以上は乗車前点検!一年生は会議室に集合!では、解散!」

 

 すると、副隊長は慣れた手並みでテキパキと端的に分かりやすく隊員達へ指示を出していった。

 まるで隊長のような副隊長のキリッとした言動に、隊員達は私語を切り上げ背筋を伸ばす。

 そして副隊長の後ろにいるセナの、これ以上話すことは無いと言いたげな、満足げに胸を張って両手を腰に当てている様子を見てしまえば、隊員達はそれ以上何かを口にする事もなく、副隊長の号令に「はいっ!」と返事をして各々が号令に従い、駆け足でその場を後にした。

 

 その場に残ったのはセナと副隊長、まほと文香の4人だけになった。

 

「……新年度早々、騒がしい事この上ないわね」

 

「アタシはこっちの方がいいなぁ、何よりうるさい()()がいなくなったし」

 

「はいはい、おかげで私は喉を鍛えられそうだわ……それじゃあ二人とも、改めてよろしくね」

 

「おっ、あんなこと言ってた割には案外素直じゃん」

 

「うるさいわね 隊員達の前じゃ、ああいう風に言うしかないわよ、ったく……」

 

 マイペースに傍若無人な振る舞いを続けるセナに、副隊長はまだまだ文句を言い足りない様子だったが、一度ため息を吐き深呼吸して落ち着きを取り戻すと、まほと文香の方へと振り返った。

 思わず少し身体が跳ねてしまうまほと、僅かに目を見開いた文香、そんな二人の様子を見て副隊長は苦笑する。

 アンタのせいで怖がられちゃってるじゃない、と一瞬セナへ白い目を向けた後、副隊長は二人に対して優しく口を開いた。

 

「……西住さん、島田さん、二人とも人一倍苦労することが多いかも……ううん、色んな大変な事とか面倒な事が絶対起こるわ。けど、一緒に頑張ろうね?私も力になれることはなんだって助けてあげるから」

 

 そう言いながら副隊長は、まほと文香に対して少し屈みながら笑顔を作る。

 ようやく自分のペースが戻ってきたまほは「はい、よろしくお願いいたします」と、姿勢を正しながら静かに頭を垂れる。

 その横に並んで立っている文香も、言葉こそ「お願いするよ」と端的だが、目を閉じたまま制帽に手を掛け、一度制帽を頭上に上げ一礼した。

 

「よしよし ……さぁ、隊長。島田さんの事よりも聞きたいことが山ほどあります。まずこの今年度特別予算に書いてあるレオパルトⅡ費という項目についてですけど……」

 

「さぁ二人とも!1年生は会議室に集合だ!遅れるなよ!」

 

「あ、ちょ、待てコラァ!!」

 

 まほ達にわざとらしくそう言い残しながら走り出したセナの後を、般若のような形相で副隊長が追いかけ始めた為、ついにガレージ前の点検用広場にはまほと文香だけになった。

 

「……では、行くか」

 

「そうだね」

 

 あまりにも中等部時代に見たイメージとはかけ離れたこの黒森峰女学園高等部の戦車道専攻科に、今日だけで何度も呆気に取られていたまほだったが、襟元を正すと気を取り直して隣にいた文香に声を掛け、一年生の集合場所である会議室に向かって歩き始める。

 

 しかし、少し歩いてからふと、まほは足を止めた。

 何かひっかかる、島田流の人間が何故この黒森峰にいるのか、などといった大それたことではなく、つい先ほどあった取り留めの無いやり取りの中で気になる点が……

 

「あっ」

 

 歩みを止めて声を上げたまほの顔を、その隣で同じく立ち止まった文香が怪訝そうに覗き込む。

 

「どうかしたのかい?」

 

「……お前、先輩じゃないじゃないか」

 

 少し表情を曇らせたまほは、反感を含んだ冷ややかな目で文香を睨みつける。

 一瞬、まほの言っている事を理解できなかったのか、ぽかんとした様子で文香は呆気に取られていたが、初めての二人の会話を思い返してすぐに納得した。

 と同時に、文香は思わず口に手を添えて笑みを零す。

 

「? ……あぁ、ふふっ 過去は風に乗せて遠くに飛ばしてしまえばいいさ」

 

「またそんな事を、んっ!?」

 

 相変わらず不服そうに噛みついてくるまほの口を、文香はそっと人差し指を立てて口を塞ぐ。

 驚きで目をぱちくりさせているまほに、文香はどこか悪戯っぽい口調でそっと告げた。

 

「それに 私は一度も自分の事を、君の先輩だとは言ってないよ?」

 

 くっ、と悔しそうに声を漏らすまほを尻目に、文香は何の気なしに再び歩き出す。

 何も言い返せなくなったまほは、少し拗ねたように頬をわずかに膨らませながら、文香に対して抱く印象を改めた。

 

 やりづらい、苦手な相手だ、と心の中で呟いてから文香の後を追う。

 

 自分と同じようなショートヘアの髪を揺らしている、自分よりわずかに小さいその背中の主は、からかいがいのある良い人を見つけたと思っていることを、まほは知る由もなかった。




(寮の部屋決め)

「同室……!?逸見隊長、それだけはご容赦いただきたいです」

「いいじゃないか、たまには風の赴くがままに身を任せるのも悪くないさ」

「お前とだけは無理だ、身が休まらない……!」

「傷つくなぁ」

「……なんか、昔を思い出すわね」

「んー、なんか見てて飽きなさそうだし決定!隊長命令!」


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二つの流派 1-b

 木々の合間を縫って耳に届く轟音、鋼鉄を通じて肌に響くけたたましい駆動音。

 目を閉じれば自身の静かな吐息と車内にいる他の乗員の乱れた呼吸音も聞こえてくる。

 キュラキュラとキャタピラの独特な装軌音が、乾いた土を踏みしめる音と共に車外から伝わってくるのを文香はしっかりと感じ取っていた。

 

「ど、どうするの……?先輩達はもう殆どやられちゃったみたいだけど……」

 

 文香は不安げにこちらを見ている通信手の声に気付くと、にこっと微笑みかけながらキューポラを開けて外の世界へと身を乗り出す。

 車内から「危ないよ!」と通信手に声をかけられるがそれを手で制すると、ふと天を仰ぐ。

 

 夕陽が地平線に吸い込まれつつある、黒と赤の混じる空を文香は、その視界いっぱいに取り込む。

 砲撃音に覆われながらもうっすらと聞こえてくるのは、春の訪れを歌うようにさえずる鳥達の鳴き声や、戦車に押しつぶされる草木の悲鳴を憐れむようにざわめく、風が葉を揺らす音だった。

 

 その中で文香、後に自身をミカと名乗るようになる少女は「あぁ 今日のうちに貯めていた洗濯を干しておけばよかった、また西住さんに怒られる」と、哲学的でも詩的でもない、一日中雲一つなかった空模様を見ていれば多くの人が似たような事を考えるであろう、いたって庶民的な事を思慮していた。

 

 そんな事を考えながら少し苦い顔をしつつ車内に身を引っ込めると、その表情を見た同級生でもある通信手の顔色が泣きだしそうなものに変わる。

 

「や、やっぱりもう駄目なの……?……で、でも頑張ったよね私達……!」

 

「砲塔旋回装置は故障、変速機も故障、おまけにサスペンションまで故障 流石の島田もこれ以上は無理だろ。まぁそれでもよくやったよ」

 

 通信手の声に答えるように操縦手の先輩が諦め半分、感心半分といった声で文香に振り返りながら話しかける。

 その返事に通信手は喜びながら「そうですよね!」と同調するが、文香は違った。

 目を閉じ、再び辺りの『声』に耳を傾ける。

 砲声は止み、キャタピラが土を打ち鳴らす音は聞こえず、辺りには木々の揺れる音のみが残っていた。

 

「……どうやら、シャワーを浴びるのはまだ先になりそうだね」

 

「へ?それってどういう……」

 

「おいおい、マジで言ってるのか?島田……」

 

「風はまだ止んでいないさ」

 

 通信手は意図が読めず、ぽかんと首を傾げていた。

 しかし意味は分からずとも意図は伝わったのか、操縦手が舌打ちをしながらエンジンに火を入れる。

 辺りからは木々のざわめく音が消え、その代わりにどうしようもないほど人工的なエンジンの駆動音が自身の足元から響き渡り始めた。

 

 操縦手の背を軽く小突きながら文香は再びキューポラから身を乗り出す。

 砲塔が右30度ほどで固定されたまま故障した手負いのパンターG型は、風を切るように眼前の、先ほどまで敵が横切っていた山道へと飛び出した。

 

「──行くぞ」

 

 車体に降り積もっていた桜の花びらが一面に舞い、薄暗くなった林道に出来上がった桃色のカーテンから飛び出したパンター。

 キューポラから上体だけ乗り出した、パンツァージャケットを着ていない文香の姿は、そのワインレッドのシャツが桜吹雪の中で、ただ一点だけを狙う手負いの獣の血走った眼のように映えていた。

 

 

***

 

 

 剣呑な空気で満ち満ちていた。

 

 1年生達が入学してから二週間、ここ黒森峰女学園戦車道科には派閥と呼べるほどまでに膨れ上がったグループが出来上がってしまった。

 一つは、旧来からの伝統に則って西住流戦車道を重視するあまり、フミちゃん……島田文香の扱いに困っている『保守派』。

 次に、黒森峰戦車道科の全国大会9連覇の為に西住流でも島田流でも柔軟に取り込むべきだと主張する『融和派』。

 そして最後に……

 

「隊長! 私達はやっぱり納得いきません!」

 

「そうですよ! この黒森峰はいわば西住流を体現した集団、そんな中に島田流の……それも島田流宗家の子がいるなんてやっぱりおかしいです!」

 

「あー、はいはい……」

 

 今、執務室のデスクに座ってるアタシを取り囲んで、もう両手足の指を使っても数え切れない回数となった抗議を飽きもせず行っている、島田文香の持つ島田流という黒森峰にとって、ひいては西住流にとっての異物をとにかく排除しようとする『排斥派』。

 現状の隊員達を大別すればこの三つの派閥に分けられるだろう。

 

 アタシのおざなりな対応に排斥派の面々は腹を立てたのか、さらにヒートアップした様子で島田文香が如何に危険な存在か、何故この黒森峰に置いておいては危険かを彼女達なりの弁で主張してきていた。

 

 普段であれば真美……蝶野副隊長がそろそろ仲裁に入り、熱の入っていた彼女達も正気に戻って部屋を後にする頃だが、生憎と今は練習後のシャワーで副隊長は席を外していた。

 

 それに、こうして意見はともかく自分達なりの考えで仲間の事を想い、熱意を持って練習後毎日のように議論を持ちかけてくる姿は好感が持てる。

 フミちゃん本人の人間性自体を否定しているわけではないし、あくまで島田流という黒森峰にとって異質なものだけを排斥して自身の学園の伝統を守ろうとしているだけだ。

 そんな子達を無下にすることも出来ず、かといって疲れてる身体のままデスクワークをしている時にこうも熱い想いをぶつけられると、正直面倒くさいとも申し訳ないが思ってしまう。

 

 排斥派の面々は相変わらず、話を半分も聞いていないアタシに対して熱弁をふるっていた。

 でも、とにかく今は来月にまで迫った聖グロリアーナとの練習試合についての書類を作らなきゃ……待てよ、練習試合?

 

「……隊長?」

 

 丁度良くこの子達も一向に口を開かないアタシを見て、息を切らしながらも落ち着きを取り戻している。

 

 幸運にも頃合いのようだ。

 

 ()はわざとらしく、それはもう仰々しくゆっくりと腰かけていた椅子から立ち上がると、デスクの前に群がっている隊員達をじっと見つめる。

 なるべく感情を感じさせない無機質な、それでいてしっかりと目を見開き口を閉じて凛とした表情を作りながら。

 

 先ほどまでかったるそうに半目で口を開いたままパソコンと向き合っていた人間とは思えない、急変した私のそんな様子を見て新入生達は驚いた表情で、進級生達はこれまでの経験上から反射的に私の言葉を待ってくれた。

 

「よろしい、君達の主張も一理ある。そして聡明な君達であれば他の主義主張を持つ者達がいることも理解しているだろう。 ではそもそも、ここまで意見が大きく割れ続けるその原因はなんだと思う?」

 

 私の問いかけに誰も答えない。

 質問に対する答えを愚直に考え唸る者達、答えを用意出来ても私の次の言葉を待つ者達、今後の話の展開をなんとなく察した者達、それぞれが黙り込んだままだった。

 上々な滑り出しだ。

 

「流派の違いから生まれる戦術の綻びや隊員たちの不和を危惧してか?それに対して我が校の全国大会9連覇を掛けて更なる力を得るきっかけが生まれることを望んでか? そんな大それたことを君達は考えているのか!そうだとしたら、私なんかよりもよっぽど隊長に向いている」

 

 言葉は無い。

 だからこそ私の耳には遠くから響く、こちらに向かって廊下を歩いてくる足音がよく聞こえた。

 

「君達は恐れているんだよ、島田文香という全く新しい未知の存在に。 人というのは昔から未知を恐れる、ではどうすればいい?簡単な話だろう、彼女という人間を知ればいい。 ではどうすれば彼女という存在を理解できる?それこそ簡単な話だ。単純明快、もう私が言いたいことは理解できるな?……おいおい、そんな顔をするな これは罰でもなんでもない」

 

 言葉も無い。

 絶句した様子で進級生達の顔はみるみるうちに青ざめていく。

 同時にがちゃり、と執務室のドアが開いた。

 

「君達は戦車乗りだろう?その心はどこに置いてある? 1730時までに全員集合だ──さぁ、乗車用意!」

 

 進級生達は皆一様に頭を抑え、新入生達は皆口々に「えぇー!?」と悲鳴にも似た声を上げた。

 

「……は?」

 

 そして今しがたシャワーを終えたのか、バスタオルで髪を拭きながら部屋に入ってきた副隊長、真美は事態を飲み込めないながらもこれから何が始まるか、どうしてこうなったかは部屋の様子を見てすぐに察したようだった。

 察したからこそ特大のため息を吐き出して、濡れた髪を丁寧にバスタオルで纏めながら恨めしそうに進級生達を睨みつける。

 

 この戦闘中毒者(バトルジャンキー)に口実を与えたな?とでも言いたげな真美の横目を見て、()()()はニヤける口元を堪えようともせず、ドヤ顔で真美の方へと顔を向けた。

 

 

***

 

 

 執務室でのやり取りからおよそ15分後、ガレージに集められた全隊員達は何事かとざわついていた。

 既に本日の訓練は終了しており、各々が入浴や趣味を楽しんでいたり、これから外出して街の方で遊ぼうとしていた矢先の臨時召集にあらぬ疑惑や噂が飛び交う。

 

 中には文香に対する中傷紛いな冗談も少なからず挙がっていたが、そうこうしている内に隊長と副隊長がやって来た。

 すると誰からともなく会話を切り上げ姿勢を正して整列する。

 

「はいみんな!紅白戦しよっか!」

 

 たった一言、その言葉を言い終えるや否や黒森峰高等部戦車隊隊長、逸見セナはさっさと自身の操る戦車へと乗り込んでいった。

 まるで新品のおもちゃを買ってもらった子どものように、使い込まれた戦車に乗るセナの後ろ姿を殆どの隊員達は呆気にとられた様子で見つめていた。

 

 そしていち早く正気に戻った隊員が「どういうことですか!?」と、セナの後をついてやってきた副隊長である真美に尋ねようと口を開こうとして、口を閉じた。

 

「さっさと搭乗しなさい チーム1は奇数号車、チーム2は偶数号車。開始地点はそれぞれB地点とF地点よ」

 

 逆光でよく見えなかった真美の姿。

 シャツは洗っていた物を無理やり絞って身に着けたのか生乾きでぐしゃぐしゃに皺が寄っていて、パンツァージャケットは半分だけアイロン掛けが終わっていた、と主張するかのように片方だけの襟がぴんっと立っていた。

 なんとも不格好な出で立ちで近づいてくる副隊長を見て、隊員達は思わず吹き出しそうになる。

 

 だが、その真美の表情が見えるようになると、隊員たちは自分達の中で今の彼女の姿を笑う者が出なかった幸運に感謝することとなった。

 

「聞こえなかったの?早くしなさい は・や・く ……あの馬鹿、今日という今日は絶対に車内から引きずり出して履帯でひき肉にした後、ヴルスト用の豚のエサにしてやる……」

 

 結局半乾きのまま髪を放置することになり、ごわごわになった自慢の長髪から覗くその何かを彷彿とさせる表情は──あぁ、教科書で見た風神雷神だ。そんな顔してる──隊員達に一切の質問をさせないまま戦車へ搭乗させるに足る、100万の言葉に勝る圧力を放っていた。

 

 

***

 

 

「西住さん!今日はよろしくね!」

 

「西住!今回の指揮はお前だとさ!存分に腕を振るってみてくれ!」

 

「わ~……ほんとにあの西住さんと一緒に戦えるなんて……夢みたい……」

 

 ただでさえ高い技量を持つ隊員全員が、まるで火がついたかのように普段以上のスピードで搭乗を済ませ、ガレージから次々と飛び出していくと肝心の試合準備が間に合っておらず、各自は自身に割り当てられた開始地点で待ちぼうけを食らう羽目になっていた。

 

 そのため偶数号車の面々、今回白チームとして共に戦う隊員達は演習場のF地点で車外に身を乗り出し雑談にふけっている。

 そしてその話題は自然と、同じチームになった期待のスーパールーキー、もしくは同学年の英雄に関することで持ち切りとなった。

 

「はっ、微力ながら全力を尽くします しかし……先輩方や蝶野副隊長を差し置いて私が全体指揮を執ってもよいのですか?」

 

「あー、いいのいいの!練習試合だし それにどうせ隊長の思いつきで始まったことなんだから、こっちだって何か見てみたいもの見せてもらわないと。ねぇ?」

 

「そうそう、西住流本家本元の動きっていうか、やり方ってどうやるのか見てみたいしね! それに、副隊長はああだし……」

 

 そう言いながら3年生の先輩はちらりと、陣形からも外れ後方で1輌だけぽつんと佇んでいる副隊長の車両の方へ目をやる。

 

 そこには白チームが集合完了した時、指揮権をまるごと移譲することだけを告げた後に一言も喋らなくなった真美の姿があった。

 ホラー映画に出てくるような風貌となった彼女が乗っている戦車は、尋常じゃないほど負のオーラを纏っており、さながら幽霊船……いや幽霊戦車のようにも見える。

 そちらへ目をやった隊員は皆、こちらへ助けを求めるような目を向ける真美の車輛の乗員達と目を合わせないように、ゆっくりと視線を外した。

 

「と、ところで西住 フラッグ車はどの車両にする?」

 

「そ、そうですよ西住さん!副隊長……は駄目ですし、西住さんが自分で務めますか?それとも思井先輩のティーガーⅡに?」

 

 先ほどから場の空気を和ませようとして口数が増えているティーガーⅡを任された2年の先輩がまほに尋ねる。

 それに同調するようにまほと同じティーガーⅠに乗る、車外に出て砲塔に座り込んでいた同学年の砲手が話題を切り替えようと少し上ずった声を出しながらまほへ振り返った。

 

「そうだな……ん?」

 

 辺りを見回す、そしてまほはそこでふと目に入る。

 キューポラは閉じられ、会話にも参加せず先ほどから沈黙を保ったままの、()()()()()()()()()()が操るパンター。

 寮生活で相部屋となってから二週間が過ぎるが、未だに付き合い方を図りかねている飄々とした彼女のことがこの時、何故か無性に気にかかった。

 ただの好奇心か、それとも先ほどガレージで耳にした彼女への謂れもない言葉に対する同情心がそうさせたのか、自分自身でも分からないまま、まほは中に残って定期連絡を行っていた通信手に手を伸ばし無線機を催促する。

 

「島田、聞こえるか?」

 

 車長用の咽喉マイクを受け取るとまほはそれを自身の首に着け、自分の左手でそれを抑えながら文香を呼び出した。

 

『……どうかしたかい?西住さん』

 

 少し間が空いた後、イヤホンからは少し驚いた様子の文香の声が返ってくる。

 まさか自分に話が振られるとは思っていなかったようで、急いでまほと同じように文香が車長用の咽喉マイクを着けるガサガサという耳障りな音がイヤホンから響き、まほは少し顔をしかめるが構わず会話を続けた。

 

「今回、フラッグは君に任せたい いいか?」

 

 そんなまほの突拍子も無い発言を受け、周囲からざわめきが起きる。

 ティーガーⅡの車長は目を点にしたまま今回の指揮官を見つめ、まほ車の砲手も彼女の発言を聞き間違いかと目をぱちくりとさせていた。

 

『……私が、かい?』

 

 当の文香自身も動揺したかのように言葉を詰まらせていた。

 そんな初めて聞いた文香の声色にまほは、久しく忘れていた悪戯心に火でも付いたのか更に口を開く。

 

「そうだ 先ほど思井先輩もおっしゃっていたが折角の練習試合だ、私も自分が見たいと思うものを見てみたい」

 

「え゛っ 私のせい?」

 

 突然名前を挙げられたティーガーⅡ車長の口から素っ頓狂な声が洩れた、そんな声がその場にいる全員に聞こえるくらい、辺りは唐突な静寂に包まれている。

 それほどまでに皆が皆、この唐突な二人の会話の行く末に集中していた。

 

『……』

 

「理由という理由はないが、強いて言えばこのチーム分けには隊長の何かしらの意図を感じる。 これは恐らく私達の問題が関連していると思う」

 

 まほが私達と指したのは文香とまほの事か、それともどこか鬱屈とした雰囲気の流れる黒森峰戦車道科全体の事を言ったのかは分からないが、少女達はその言葉を聞いて改めて自分達の行いを振り返る。

 

『……閉じた窓から風は入らないよ』

 

「お前の言いたいことは分からないが、私はこの状況を打開するきっかけを作りたい それは恐らく君と足並みを揃えてみることだと思う」

 

『その行為に意味があるとは思えな……』

 

「あぁ、別に怖気づいてしまったのならいいさ いつも通り、私の事を煙に巻けばいい」

 

 まほの好戦的な物言いに周囲は息を飲む。

 中等部時代からまほと共に過ごしてきた者達は、初めて見るまほの喧嘩腰の姿勢に驚いたようでもあった。

 しかしそんな中まほだけは顔には出さないが、どこか確信めいた笑みを胸の内に浮かべている。

 二週間という短い共同生活の中で知った、文香の分かりやすい特徴の一つを確かに刺激出来ただろうと。

 

『……いいだろう、君の判断を信じよう』

 

 ふっ、とまほは思わず笑みを零す。

 思った以上に容易く乗ってきた文香の幼稚な性格に吹き出しそうにもなった。

 島田文香、彼女はあまり表には出さないがかなりの自信家だ。

 その為、少しその自尊心を逆撫ですれば、ムキになって張り合う節があることをまほは理解していた。

 いわば煽り耐性が意外に低いのだ。

 

「という訳です 副隊長、よろしいですか?」

 

 話は終わったと言わんばかりにまほは真美に無線で話しかける。

 指揮を任されたとはいえ、このチームで最も位の高い人間である真美の許可が降りなければ部隊の統率にも乱れが生じるだろうとの考えからだった。

 

 この島田フラッグ案をあまり快く思っていない者達は副隊長の言葉に期待を持つ。

 いくら表面上は中立を保っているチームでも、今ここで黒森峰戦車道科全体が抱えている大きな爆弾を刺激すればその指揮系統は大きく乱れる。

 それらを考慮して真美は却下するだろうと。

 

 そのいくらかの者達が抱く淡い期待は、次に真美が述べた言葉に悉く裏切られる羽目となった。

 

「へ?あぁ、いいから始めなさい もうなんでもいいから」

 

 今しがた車内無線機用の電源を無理矢理流用し終わって使っているヘアドライヤーとヘアアイロンを必死に髪に当てながら、真美は全く話を聞いていなかったという様子で生返事を返す。

 その様子を見た隊員達の中には、あの隊長にしてこの副隊長だなぁ、とため息を吐く者もいた。

 

 蝶野真美。

 一貫校であるはずの黒森峰中等部で第一志望はアンツィオ高校、そして単願。

 親のエゴを押し付けられて黒森峰高等部に進学した彼女は、間違いなく黒森峰一のお洒落好きだった。

 

 

***

 

 

 乗せられてしまった、文香は自身の操るパンターを配置につかせながら後悔していた。

 そして何より、自分の性格を正しく理解して手玉に取ってきたまほにしてやられたという悔しさと、単純な自分の思考の浅はかさを文香は車長席で憮然と噛み締めていた。

 

「しっかしまぁ、島田もそうだが西住も一体何考えてるか分からんな」

 

「で、でも先輩!島田さんだってすごい人なんだって西住さんが知ってるからフラッグ車を任せてくれたんじゃないですか?」

 

「どうだかな 腹の底じゃあ、うちらが早々に撃破されて後ろ指刺されるのを期待してるんじゃないか?」

 

「そんな……!」

 

「西住さんはそんな人じゃないさ」

 

 しかしそんな思考も、聞こえてくる他の二人の会話が中断させた。

 思わず口にした反論だったが、文香の本心ともいえるその言葉に他の二人は意外そうに文香に振り返る。

 

「おっと、まさかこんな短期間に友情を育むなんて お姉さん嬉しくって涙が出てくらぁ」

 

「茶化さないでください先輩! でも、島田さんがそう言ってくれて安心しました えへへ……」

 

「だが、彼女が私の事を嫌っているのも恐らく事実だよ」

 

「へっ……?」

 

 文香の言葉に通信手の席に座っていた子が言葉を失う。

 

「……私はまだ、彼女の笑顔を見たことがないからね」

 

 文香が困ったような笑みを浮かべながら零したその言葉もまた、彼女の本心を表しているような気がした。

 

「っ……」

 

「……うぅ」

 

 二人は何も言う事が出来ず、車内には何とも言えない重い雰囲気が流れ始める。

 その沈黙を保ったまま、フラッグ車を示す旗の付いたパンターは、事前にまほから指示を受けた通りの地点に到達して停止した。

 

「……ほら、到着だ! ちびちゃん!無線送れ!」

 

「は、はい! あっ、島田さん?配置完了の報告、送ってもいいですか?」

 

「もちろん」

 

 ようやく口を開けたと操縦席に座る先輩が必要以上の声量で指示をすると、無線手が文香に改めて確認してから通信でやり取りを始める。

 そして数度の通信の後、1分後に試合が始まるとの連絡を受けたことを無線手が文香達に伝えた。

 

「うん、ありがとう……さてと」

 

 無線手に一言礼を言うと、文香は狭い車内の中でゆっくりと砲手の席へ身を滑らせるように移動する。

 その様子を見た無線手はなんとも言えない表情で、無線を終えた今、砲弾を抱えながら文香に話しかけた。

 

「その……島田さん、大丈夫ですか?」

 

「なにがだい?」

 

「えっと、あの……大変じゃないかな、って」

 

「? ……あぁ」

 

 何かを言いづらそうにもじもじと話しかけてくる無線手、兼装填手の彼女が言いたいことをやや遅れて理解した文香は合点がいったように呟く。

 

 パンターG型、文香が操る戦車は本来5人乗りで運用する物だった。

 しかし今、文香を含めて車内には3人の人間しかいない。

 

 これはいじめによる嫌がらせ、などではなく文香が自分から言い出したものだった。

 そもそも文香を排斥しようとしている隊員達も、文香個人を貶めようとしているのではなく、島田流という異端を除こうとしているだけである。

 プロ意識ともいえる価値観を持っている黒森峰戦車隊の隊員達は、逆にこの文香の提案を止めようともしていた。

 

「無理に捕まえようとしても、風を空き瓶に詰め込むことは出来ないだろう?」

 

「まーた始まった……その意味わかんないのやめろって、」

 

「島田さんと組むのを嫌がる人と一緒に乗っても、お互いのためにならないってことですか?」

 

「いや意味分かるのかよ!?」

 

 ちびちゃんと先輩に呼ばれていた少女の返答に文香は微笑みで答えた。

 

「だから私には、瓶と蓋があれば充分なのさ」

 

「私は空きビンより翻訳機があったことに驚きだよ……」

 

 操縦席に座る先輩は呆れたように後ろへ座る二人の顔を見比べていたが、そんなやり取りをしていると遠くから試合開始を告げる空砲が遠くから響き渡る。

 空砲の残響が消えてもいないうちに装軌音と駆動音が辺りを包み始めた。

 

『島田、始めるぞ 私の後方に続け 他の車両は鶴翼で展開しろ。 我々第四小隊を中央に第一小隊は右翼、第二第三は左翼へ』

 

 空砲と同時にまほの声が無線機のスピーカーと、文香が付けているイヤホンから聞こえてきた。

 まほの声に了解、と答える各小隊長の声に合わせて文香も口を開く。

 

「さぁ、前進だ」

 

 文香の言葉を受けてパンターは眠りから覚めたようにゆっくりと、しかし確実に大地へ轍を残しながら進み始めた。

 

 

***

 

 

『こちら第一小隊、敵影無し』

 

『第二小隊、同じく』

 

『第三も同様です!』

 

「……妙だな」

 

 試合開始から10分後、まほは妙な胸騒ぎを感じ始めていた。

 1軍と2軍全てを投入した、20vs20という全国大会決勝戦並の大規模な数での紅白戦。

 その上、いくら広いと言えど敷地の限られた学内の演習場で未だ接敵すらしないというのは、あまりに不可解であった。

 その疑問は、まほ以外の車長を始め全員が頭に浮かべていたものでもあり、にわかに白チームは混乱の様相を呈してくる。

 

『中隊長、これ以上前進すれば隊列を組みづらい森林部に差し掛かりますが……』

 

「了解、把握している……全車停止! 方位240、500m後方の山岳地帯稜線で待ち伏せ(アンブッシュ)して待機、第一、第二小隊は斥候として2輌ずつ森林部へ前進させろ」

 

『『『了解!』』』

 

 まほは定石通り、高所より視界を確保しつつ敵を迎え撃つという、シンプルながらも強力な手を打つことにした。

 他の小隊長達も同じような戦法を考えていたのか動きは早く、それぞれが事前に打ち合わせでもしていたかのように相互支援がしやすく、それでいて自分の隊が安全に身を休められるだろう地点に後退を始める。

 

『……西住さん』

 

 ただ1輌、フラッグ車だけを除いて。

 

「どうした島田 後退しろ」

 

『……まだ気づいていないのかい?』

 

「何を言って…… っ!」

 

 その文香の一言で、まほは自身の失策に気付いた。

 

 定石とは、囲碁の世界で最善とされる()()()()()()()を指す言葉で、それが転じて長らく多くの人々が最善として取ってきた行動の事を意味する。

 つまりそれは裏を返せば()()()()()()()()、単純でワンパターンともいえる行動だ。

 

 では相手チーム、赤チームの中隊長を務めているであろうセナは、何故まほに定石通りの行動が出来るよう、伏兵に最適な土地を空けていたのだろうか。

 

 中戦車、重戦車の数が赤チームより圧倒的に多いまほ達の到着はもっと遅いと踏んだから?

 ──隊長を任せられるほどの人が自分の部隊で扱う戦車のスペックを知らないはずがない。

 

 ではまほを新入生と侮ったから?

 ──仮に侮っているとしても、黒森峰を率いる人間がわざわざ負ける可能性を自ら高める暴挙に出る訳がない。

 

 では何故?

 ──考えるまでもない。救いようのない馬鹿でなければ、()()()()()()()()()鹿()()()()事になるとすぐに気が付く。

 

「ぜ、全車全速前進!」

 

 罠だ。

 まほが思考を巡らせ、その答えに達するまで僅か3秒にも満たなかった。

 しかし、全国トップレベルの練度を持つ黒森峰戦車隊にとっての3秒は、命令を訂正するにはあまりにも長すぎる空白だった。

 

 刹那、まほの中隊の半数以上が姿を消した。

 まるで大地が割れ、()()()()()()()()()かのように。



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二つの流派 2-a

「兵は詭道なり、って良い言葉だよねぇ」

 

 自身の戦車の砲塔上部に腰かけ、口から紫煙を吐き出しながらセナは誰へ向けるでもなく呟く。

 

「戦いに勝ちたいなら相手の嫌がることをする。当たり前の事だけど、結構皆忘れがちな事でもある」

 

 咽喉マイクをオンにしたまま呟くその言葉は、セナの配下全員に聞こえる演説のようにもなっていた。

 

「『撃てば必中』?なら撃てなくすればいい。 『守りは固く』?じゃあ守れないようにするさ。 『進む姿に乱れ無し』?いいねぇ、止まればパニック起こしたヒヨコの群れって事?そんな楽な相手は他にいないね!」

 

 自身が身を置くこの黒森峰戦車道、その源流となっている西住流の鋼の掟ともいわれている信念をなじるセナの言葉を咎める者はいない。

 今、セナ達の眼前には半数以上の車両が()()()()()()()()行動不能となり、混乱を極めた『西住』まほの部隊が広がっているからだ。

 

「そして『変幻自在の忍者戦法』?これこそ敵にすらならない。我々はそれらを圧倒的に凌駕する火力と装甲を有しているのだから そんなものが日本戦車道を語るなんて、ジョークにすらならない」

 

 次にセナは胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、吸っていた煙草の吸殻をねじ込みながら島田流の信条を口にして、それを馬鹿にするように鼻で笑う。

 

「笑えお前達 今、我々の眼前には日本最大最強と呼ばれる二つの流派が、()()()()()()私達の子供だましに引っかかって慌てふためいてるんだぞ? こんなに面白い事は無いさ!ふふっ……くふふっ、あはは!アッハッハ!!」

 

 大口を挙げ、膝を叩いて笑うセナの声。

 まるで悪戯が成功した子供のように大喜びしているセナの声を聞き、ひきつった表情を並べていた隊員達も、次第につられて自然と口角を上げ始めた。

 

「あーおかしい……ふふふっ、貴女達?可愛い可愛い私だけの隊員諸君?貴女達はなに?ただの西住流の門下生? 強くて勇敢な私だけの隊員諸君?貴女達の主は誰?西住流の家元?それとも師範代?」

 

 気付けば、セナの声色が武人の猛々しさや凛々しさを持ち合わせた鋭いものから変わっていた。

 

「違うだろう?私だけの隊員諸君 貴女達は黒森峰の隊員達」

 

 それは姉のようにも、母親のようにも思える、温かく全てを包み込みそうな優しさを感じさせるものだった。

 

「そして私は、黒森峰の隊長だ。貴女達の主であり、()()()()()()隊長だよ」

 

 セナは咽喉マイクに優しく手を当てながら続ける。

 

(わら)え、()()可愛い可愛い隊員諸君」

 

 その声色は再び、冷たく鋭い、研ぎ澄まされた刃のようなものに変化する。

 

「頂点はこの場に一つでいい」

 

しかし、当の本人の言葉は心底愉快でたまらないといった感情で一杯だった。

 

「王者はこの場に一人でいい」

 

そして笑みを浮かべながらセナは隊員達に言い放つ。

 

「さぁ、黒森峰(わたし)戦車道(戦い)を始めよう。戦車前進(パンツァー・フォー)

 

『『『『『『我が隊長のために(フュア・マイン・コマンデュール)!!!』』』』』』

 

 セナの言葉に答えたのは辺り一面から幾重にも重なった、それこそ文香やまほ達にも聞こえるほどの熱に包まれた唱和だった。

 そして各小隊長が事前に決めた計画通りに部隊を前進させ始める。

 キューポラから顔を覗かせる小隊長や車長たちの顔はすっかり熱を帯び、これから蹂躙する相手の背負う看板の大きさを、そしてそれを相手する自分達がどういった存在なのかを再確認し昂ぶっているかのような笑みを浮かべていた。

 

「……あいっかわらずピエロだねぇ」

 

「んー、自分でもそう思う」

 

 そんな熱狂した空間で、セナはキューポラから顔を覗かせた通信手に話しかけられると、苦笑いをしてみせながらそう返事をする。

 前進していく戦車達を見送りつつセナは再び煙草を咥えると、慣れた手つきでそれに火を付けた。

 

 紫煙をオレンジ色の空へ立ち昇らせながら何も考えず呆けていたが、しばらく経つと自然と胸の内を中等部からの付き合いになる乗員達に打ち明ける。

 

「正直、まほちゃんとフミちゃんに勝てるとしたら今回だけだと思うんだぁ」

 

「まぁ……そうだろうね」

 

「ん、だってさ あの西住流と島田流の子達だよ?今回はまだ慣れてないアタシの練習メニューをやった後で疲れてる上に、まほちゃんは上級生も混ざった大部隊の指揮をして精神的に参ってるから騙せたようなもんだよ 現にフミちゃんは引っかかってなかったみたいだし」

 

「大したもんだよね、あれでついこの間までは中学生だったんでしょ?すごいわやっぱ」

 

「ねー ただあの二人は……っつうか、ウチ全体がまだ打ち解けられてないからねぇ……」

 

 砲塔の上で胡坐をかくように足を組み替えてからセナは紫煙を吐き出すと、その煙を目でぼーっと追いかける。

 煙が晴れ、目に入ったのは交戦が始まった山岳地帯だった。

 セナの赤チームは善戦こそしてはいるが、まほが率いる白チームの迅速な立て直しを受けて思っていた以上の戦果は出ていない。

 そしてそこには白チームのフラッグ車である文香の乗るパンターを始め、何輌かの姿が見えなかった。

 

「思いつきだったけど、今回のこの練習試合でなんとか二人が仲良くなってくれて……それにプラスで他の子達もフミちゃん達に対する印象が変わってくれたらいいなぁ」

 

「とかいって、結局お前が試合したかっただけだろ?」

 

「あ、バレた? っていうかそれはアンタ達もでしょうが」

 

 互いに気心が知れてるセナ達はお互いに笑い合った。

 折よく、丁度吸い終わった煙草の吸殻を再び携帯灰皿へ入れる。

 そしてセナは慣れたように砲塔上部から片手を支えに車長席へ飛び乗ると、煙草の臭いが移らないよう中に掛けておいたパンツァージャケットに袖を通した。

 

「まぁ、隊長として色々考えてはいるけど折角の戦いなんだ 更々負けてやるつもりもないね」

 

「お、それで二人が喧嘩したらどうする?」

 

「知らねぇよ さて、二人はどれくらい強いかな?私達は強いぞぉ ふふふっ……今のお前等程度、個々で向かってくるとすれば敵にすらならない 私達をがっかりさせないでくれよぉ?」

 

 セナのあまりに二面性を持つ発言に、セナと同じ戦車を操る乗員達はため息を吐くが、次の瞬間には車内全員が似たような笑みを浮かべる。

 大地を引き裂くように急速で前進する1輌の戦車、その中の人間達はおおよそ少女とは呼べない、獲物を前にした大蛇を思わせる笑みを浮かべていた。

 

「……で?今回は何のドラマを観たの?」

 

「スポ根系のアツいやつ」

 

「ほんっと……真美もだけど、セナも割かし影響されやすいよね」

 

 

***

 

 

『第一小隊です!方位320の交戦群、さらに規模増大!』

 

『こちら第三小隊!また1輌やられた!残存2!残存2!』

 

『すみません……第二小隊、全滅です……!』

 

「くっ……」

 

 数分前、まほは咄嗟に比較的無事だった第一小隊と、自身の第四小隊を180度ずつ展開させ全周防御に当たらせていた。

 

 しかし、ティーガーⅡをはじめとした重戦車は軒並み落とし穴に嵌って行動不能となっている。

 その不安定な姿勢からでは射撃どころか満足に防御するための姿勢も取れず、擱座した車輛は一方的に撃破されるのを待つだけだった。

 

 何とか1分でも工面出来れば、無理矢理後ろから押してでも落とし穴に嵌った車両を救出できるだろう。

 しかし、敵の砲撃は更に激しさを増してきており、そんな事をすれば格好の標的となる事も目に見えている。

 

(疲れていた、なんて言い訳にもならない!私はどうかしていた、こんな初歩的な見落としをするなんて……!)

 

 まほが自身の失態に思わず唇を噛んでいると、一つの無線が入った。

 

『西住さん』

 

「島田!小言は後にしろ!」

 

 珍しく語気を荒げるまほだったが、無線の相手である文香は気にも留めず端的に言葉を告げる。

 

『提案するだけだよ、聞いてくれるかな?』

 

「……なんだ?」

 

『私が敵を二分させる、その間に西住さんは体勢の立て直しを』

 

「……なにをするつもりだ」

 

 絶え間ない砲撃の中、隣同士に車両を止めている二人は無線で会話を続けた。

 

『言った通りさ、私が単騎で包囲網を突破して例の森林部へ逃げ込む そしたら、折角フラッグ車がたった一輌で逃げ出したんだ、向こうも部隊を割かないわけにはいかないだろう?』

 

「駄目だ、危険すぎる」

 

『大丈夫、ちゃんと出来るさ その間に西住さんはまだ戦える車両を穴から救出してほしい、砲撃も今よりはマシになっているはずだよ』

 

「だが……」

 

『ん? あぁ、天下の西住流はそんな簡単なお使いも出来ないのかい?ならこの話はおしまいだね』

 

 うっ、とまほは言葉を詰まらせ隣に並んだ文香のパンターをキューポラの覗き窓から睨みつける。

 案外根に持つタイプなのか……と、場違いな事を考えながらも、他にこの状況を打開出来るような案も浮かばない。

 まほは泥船に乗ったつもりで自身の喉元にあるマイクに手を当て文香に返答した。

 

「……分かった 島田、お前に任せる だが撃破されるなよ」

 

『任されたよ なに、なんとかなるさ』

 

 そしてそんなやり取りが済むと、隣にいたパンターが急速に発進する。

 やや斜面になっている防衛陣地から飛び跳ねるように下っていくパンターを覗き窓から見つめていると、まほは文香の操るパンターの動きを目の当たりにして目を見開く。

 

「なっ……」

 

 あれが本当にパンターの動きか?と誰にも聞こえない呟きがまほの口を動かす。

 

 実家で何度も見た、そして実際に乗り込んだこともあるからこそパンターはドイツ戦車の課題である足回りの脆弱性、特にサスペンション周りに問題を抱えていることを知っているまほは、眼前で文香が行っている機動に目を奪われた。

 

 文香のパンターは前進時の慣性をそのままに斜面を横滑りしながら下っていきつつ発砲し、当たり前のように1輌の敵戦車を撃破した。

 それに続けて山を下り切る寸前に、斜面へ対して下になっていた履帯だけを動かしてフィギュアスケートのように車体を回転させ敵の砲弾を弾き飛ばす。

 そして回転しながら発砲し、更に2輌の敵戦車を撃破すると、丁度包囲網の穴となった、たった今撃破した2輛の戦車の間を突風のように吹き抜け、木々を揺らしつつ森林部へと吸い込まれていく。

 

 僅か15秒の間に起きた、嵐のような出来事。

 文香の乗るパンターの後姿を、信じられないものを見たといった表情で、まほは呆然と見つめ続けていた。

 

『あれが……島田流……』

 

「……っ 全車、動ける車両は方位320の警戒に移れ 第一小隊は1輌選抜し、私のティーガーと共に他隊の救助に充てろ」

 

『り、了解!』

 

 一時両軍が見惚れたかのように砲撃をやめていたが、誰かの息を飲んだかのような声で正気を取り戻したまほが号令を出す。

 それとほぼ同時に敵が砲撃が再開する。

 しかしその砲撃は先ほどと比べれば、素人が見ても分かるくらい散発的な弱々しいものへと変化していた。

 

「……なんとかなる、か」

 

 弾幕が薄くなり、敵味方の詳細を確認しようとキューポラから身を乗り出したまほが苦笑しながら呟く。

 

「せめてあいつが戻るまでは……なんとかするしかない、か」

 

 まほの呟きは誰にも届かない。

 眼前に広がるのは、落とし穴に嵌って無様に車体下部を晒した数々の重戦車と、麓で整然と並んでこちらへ砲口を向ける数多の敵車輛。

 絶望的な光景を前に、まほは一瞬だけ露骨に俯き、弱々しい表情を見せた。

 

「だが、逃げる訳にはいかない 西住流としても」

 

 しかし、誰も見ていないその顔はすぐに引き締められ、長としての責任を請け負った、険しくも凛とした表情へと変わる。

 

「西住さん?」

 

「いや、なんでもない 第一小隊へ連絡、我々の一斉射の後に擱座した車輛の牽引作業を実施しろ」

 

了解(ヤヴォール)!」

 

 ふと、まほの呟きを耳にした通信手が怪訝そうに車内から見上げていたが、まほの返答を受けると特に怪しむことも無く交信作業へと戻っていった。

 搭乗しているティーガーⅠの車体に敵の撃った砲弾が命中し、金属音を響かせながら弾き飛ぶ。

 

「……私個人としても あいつには、負けたくない」

 

 直後、射撃の為に動き出したティーガーⅠの砲塔、その上のキューポラの縁をいつもよりぎゅっと力強く握りしめながら、まほは呟いた。

 脳裏を過ぎるのは、いつもいつも訳の分からない言い回しでまほの事を煙に巻く同室の少女の顔と、たった今その少女が魅せた信じ難い光景。

 文香が難無く突破した敵の車列を見つめながら呟いたその声は、僅かに悔しさの色を含んでいたが、その言葉は誰の耳に届くことなく空へと消えていった。

 

「西住さん、全車射撃準備完了とのことです!」

 

「了解、射撃用意……撃て!」

 

 まほが喉頭マイクを押さえながらそう声を上げると、ティーガーⅠの砲口から轟音を伴いながら砲弾が発射される。

 その射撃を合図に周囲の戦車も発砲を開始、それと同時にやや後方へ移動していた第一小隊の面々が穴に落ちた車輛の救出作業を開始した。

 

 

***

 

 

「あれだけの啖呵を切っておきながら、これはちょっとダサいな」

 

「そうでもないさ 現に西住さんの方は上手くやっているようだよ」

 

「こ、怖かったですぅ……」

 

 森へ逃げ込んだ文香の車両はその後、山道に近い位置で植生の濃い窪地をたまたま見つける。

 そこにパンターを停車させると、音で気づかれないようエンジンを落とした上で文香達は車外に降り、そこら辺に落ちていた落ち葉や枯れ枝を拾い集めてパンターの擬装を行った。

 

 要は戦闘を完全に諦めて静かに隠れる、逃げの一手を文香達は決め込んでいた。

 

「それにしてもちびちゃん、あの装填速度は中々だったぞ 私には及ばないけど」

 

「へ?えへへ……ありがとうございます」

 

「助かったよ ちびちゃん」

 

「あ、島田さんまでちびちゃんって呼ばないでくださいよぉ!」

 

「つうか島田、よくお前アタシの肩を蹴りながら砲手なんか出来るな」

 

「砲弾、少なくしておいて正解だったね」

 

「そういう事じゃなくて……いや、いいわ……」

 

「あはは……」

 

 恐怖心や緊張を和らげるために、三人は取り留めのない会話を続けていた。

 

「……」

 

「……」

 

「えーっと、えーっと……」

 

 が、やがて話題は尽きてしまう。

 

 辺りからは疾走する他の戦車の音がかなり近くで、それも大量に鳴り響いている。

 そして試合開始前の気まずい空気とは違う、潜伏状態のストレスが生み出す、窒息してしまいそうな沈黙が車内に流れ始めた。

 

 しかし、そんな中でも文香は相変わらず、微笑を浮かべたまま目を瞑って砲手席にもたれかかっている。

 その様子を見て、通信手と装填手を兼任している文香の同級生が、なんとか空気を軽くしようと文香へ話しかけた。

 

「……あっ、そ、そういえば!島田さんってなんで黒森峰に来たんですか?」

 

「え?」

 

 その話題は、文香が黒森峰にやってきてから初めて直接尋ねられた、文香自身に関するものだった。

 思ってもみなかった唐突な質問に、文香は少し驚いた様子で目を開く。

 

「あっ、おいバカ!」

 

 すると、何故か操縦手の先輩が慌てた様子で彼女を叱りつけた。

 

「え? ……あっ!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!!」

 

 同級生の子も、取り返しのつかない失敗をしてしまった、とでも言わんばかりに文香に目に涙を貯めて謝る。

 そんな二人の様子を見て文香は、何が起きているのか分からない、といった様子で困惑したように眉を顰めていた。

 

「? ……!あぁ、なるほど っ……ふ、ふふっ……くぅっ、あはははは!」

 

 だが、やがて二人の言動の意味が分かるとおかしそうに、目に涙を浮かべながら声を上げて笑い始める。

 

 突然の文香の変わりようにぎょっとした二人は、「大丈夫か?」「大丈夫ですか!?」と心から心配した様子で話しかけた。

 そんな二人とは対照的に、文香はまだ尾を引いている笑いを懸命に抑えつつ、二人を手で制してから口を開く。

 

「あぁ、いや すまない……どうやら私達は頭の上の眼鏡を探していたようだね」

 

「は……?」

 

「まさか、ここまで皆さんに要らない気遣いをさせていただなんて……ふふっ」

 

 目尻に浮かんだ涙を指で拭き取りながら、文香は今までの二週間の行動を改めて振り返っていった。

 

「食事の時、よく一人っきりにしてもらったね あの意図は?」

 

「あぁ、あれは島田が委縮しないようにって話し合ってな ほら、お前入学早々みんなに喧嘩売っただろ?あの後、挨拶すらしてないのにお前を追い出そうとしてた私達も悪いって話になって それで……」

 

「謝ろうとしたけど、いっつも島田さんすぐ部屋に帰っちゃうから…… だから、それまでは島田さんを怖がらせないようにしようって……」

 

「ふふっ、なるほど…… あれは皆さんの団欒の邪魔をしないようにしていたんだ、だから私も悪いね ごめんなさい」

 

「あっ! な、島田さんは何も悪くないよ!ごめんなさい!」

 

 文香のいつもとは違う、素直で直球な言葉に操縦手の先輩は驚いて閉口するが、装填手席に座っていた同級生はそんな文香の態度を気にも留めず、ただただ思った事をありのままにぶつける。

 その様子を見て、先輩は決まりが悪そうに頭を掻いていたが、やがておずおずと文香へ申し訳なさそうに話しかけた。 

 

「あー……その、謝るついでだが、最近うちらで流行ってるスラングっつうの?その中で、なんかトラブった時とかに『これぞ島田流!』っつうのがあるんだが……知ってるか?」

 

「知ってるよ、試合前も誰かがガレージで言っていたね あれは嫌味でもなんでもなかったのかい?」

 

「あー……うん、すまん 茶化して気を惹こうとしただけだったが、悪ふざけが過ぎた。 というか私も結構使ってる」

 

「……なら、普通に話しかけてくれても良かったんじゃないかな?」

 

「うっ か、返す言葉もございません……」

 

「ふふっ」

 

 文香の述べた正論を受けて、先輩は肩を縮こまらせて反省する。

 その様子を見て、文香はどこか安心した様子で口に手を当てて顔を綻ばせた。

 

「えーっと、つまり……お互い気を遣い合って、それで変に気まずくなってたってこと、ですか?」

 

「そのようだね、どうやら 中には、気になる相手にちょっかいを出すタイプの可愛い子達もいるようだけどね」

 

「……ごめん、マジでごめんって マジでちゃんと言っとくから……」

 

 互い違いの気遣いで生じたすれ違いの積み重ね、それが今の黒森峰が抱えている大きな爆弾の正体だった。

 その後も何度か文香達は今までの気まずい出来事を話題に上げては、それが誤解だと確認し合う。

 気付けば、話題はお互いの好みや趣味、世間話等のなんの取り留めのない話になっていった。

 そうしてしばらく談笑を、文香にとってはまさに久しぶりとなる他愛のない談笑をしていると、ふと文香が真剣な表情を作って二人の顔と相対する。

 

「私がここに来たのに大した理由はないよ、風に流されたようなものさ ……さて、このまま降参して、さっさと私達の大きな誤解を解くのもいいかもしれない」

 

 文香の、車長の言葉を、他の二人も真剣な顔つきで受け止める。

 そんな二人の様子を見て、文香は僅かに微笑んで話を続けた。

 

「でも、私はこの勝負を諦めたくない 西住さんが私の事を本当に嫌っているのかどうか、確かめるにはいい機会だしね」

 

 冗談っぽい言い回しだったが、これも本心なのだろうと二人は何となく察する。

 

「それに、まだ何かをやり残している気がするんだ……ついてきてくれるかい?」

 

 しっかりと二人の目を見据えて話すその言葉に、二人の乗員はしっかりとした口調ですぐに返した。

 

「勿論だ、島田 でっかい貸しもあるしな」

 

「私だって黒森峰の一員です!頑張ります!」

 

 その返答を受け、文香は満足そうに頷く。

 

「ありがとう なら……まず先輩は車両の損傷チェックを、ちびちゃんは西住さん達の状況を」

 

「おう」

 

「はい!……あっ、ちびちゃんじゃないですよ!」

 

 ──そして、文香以外の二人は絶望的な自軍と自車の状況に前言を撤回する事になるが、それはもう少しだけ後の話だった。

 

 

***

 

 

「残存している車両は私か思井先輩のティーガーの後方へ退避しろ! 各車、さらに100m後退!」

 

 全滅、その二文字がまほの脳裏をよぎる。

 文香が生み出した隙を突いて救出出来た車輛の数は、わずかな時間の間に救い出した数として考えれば十分だった。

 しかし、結局は穴に落ちた車輛の半分も救出することは叶わず、数的不利を脱却するにはあまりにも少ない数である。

 

 更に、文香を追っていた部隊が再び包囲網へ復帰、敵の砲撃の苛烈さも尋常ではないものに逆戻りしてしまった。

 まほのティーガーⅠと、先輩の操るティーガーⅡを遮蔽にするようにして後退を続ける白チームは、敵に向ける事の出来る火力が圧倒的に劣っており、ジリ貧の後退戦を強いられ続けている。

 

 だが後退しようにも、これ以上下がれば山の稜線を超えてしまう。

 超えてしまったが最後、後方で待ち伏せているであろう、小口径砲を積んだ敵軽戦車と挟み撃ちにされる事が容易に想像できた。

 いくら装甲の厚いドイツ戦車と言えど、軽戦車の砲弾を近距離戦闘で何発も被弾すれば機能不全に陥る。

 その間に、今まさに相手している敵本隊に距離を詰められてしまえば、あっという間に包囲殲滅されるだろう。

 

 だからといってこのまま防衛を続けていても勝ち筋が見えず、敵本隊に突撃して一点突破するには数が足りない。

 はっきりいえば、白チームは既に殆ど詰んでいた。

 

「せめて密集してでも横列を組めれば……うっ!」

 

 そう呟くまほのティーガーに大きな金属音が鳴り響く。

 ティーガークラスの主砲弾が飛来したようで、車体は激しく揺さぶられた。

 跳弾させることは出来たものの、先ほどから直撃弾が増えてきており、やられるのも時間の問題だなとまほは心の中で独白する。

 

「……あれだけの大口を叩いておいて、このザマか」

 

 ふっ、と自分に呆れたといった様子で苦笑する。

 まほは今この場にいない車両の事を、そしてその乗員達の事を思い出した。

 そして、どこか彼女達を当てにしている自分に気が付き、更に自分の厚かましさに呆れかえる。

 

 私が招いた結果だ。であれば、私が責任を取って血路を開く。

 

「中隊長から各車、ティーガーⅡの後方へ遷移しろ これより私が稜線を超え退路を拓く」

 

『なっ!? 西住、よせ!やめろ!……まさかお前!』

 

 その命令を受け、まほの意図を理解したティーガーⅡの車長が引き留めようと無線を送ってくるが、まほはそれを聞きたくないとばかりに耳からイヤホンを外した。

 同時にティーガーⅠは稜線を越える。

 キューポラから半身を出していたまほの目に映ったのは、星が見え始めた空に向かって()チームを示す旗を掲げるⅡ号戦車達が、まほの予想通りの位置と隊形で整然と並んでいる光景だった。

 

 これでいい。

 私なんて、所詮こんなものだったのだろう。

 

 まほは目を閉じ、自身の失態を受け入れるべく車内へと戻り、キューポラのハッチを閉じて静かに車長席に座った。

 そして、轟音が稜線先の平原から鳴り響く。

 

「……?」

 

 しかし一向に車体を揺らすはずの敵弾は飛んでこなかった。

 いくら小口径と言えど被弾すれば音は鳴るし、被弾の衝撃で車体も揺れる。

 まほは目を閉じながらも僅かに首を傾げた。

 

 そして再び轟音が複数回、敵の二号戦車が展開している平原から鳴り響く。

 しかし、待てども待てども衝撃や金属音がまほのティーガーⅠを揺さぶることはない。

 

「西住さん!」

 

 砲手の興奮したような声に思わず目を開く。

 そこには、目を輝かせながらまほの方を見る砲手の顔があった。

 

「あれ!あれ見てください!」

 

 そう促され、まほは何事かと覗き窓から外を伺う。

 そしてその光景を見たまほは、目を見開きながらもすぐにイヤホンを耳に付け直した。

 

『西住さん? ここまで無視されると流石に傷つくなぁ』

 

 まほ達が見たのは、黒煙を上げるⅡ号戦車を背に、パンターのキューポラから身を乗り出してこちらを伺う文香の姿だった。

 

「島田!?何故ここに……」

 

『風は気まぐれなものさ だが、台風の目に近づけば自ずと周りと同じように吹く……不思議なものだね』

 

「な、にを言って」

 

『西住さん』

 

 文香のパンターは砲塔が回らなくなったのか、信地旋回を繰り返しながら無理矢理照準を合わせていた。

 数発被弾しつつ、回避行動を取っていた敵のⅡ号戦車をほぼ零距離で砲の先に捉えると、すかさず発砲し眼前にいた獲物を屠る。

 その間にも文香はずっと身を乗り出し、その身に着けた服装も相まって暗闇に浮かぶ赤い眼のようにも見える姿をまほに晒し続けていた。

 

()()()()は君だ さぁ、どうしたい?』

 

 初めてあいつの言う言葉の意味が分かった、そして私から引き出したい言葉も。

 ……しかし、一度勝利を諦めた私が望んでいい願いなのか?

 

 怯えにも似た感情が思考をを遮り、まほは思わず逡巡する。

 

 しかし今一度、暗くて良く見えない闇の中でただ一点。

 暗闇に良く映える彼女の姿を、その『眼』を見れば、そんな迷いはすぐに消え去っていった。

 

 文香は、自分を(隊員)と呼んだ。

 そして、私の事を台風の目(隊長)とも呼んでいた。

 なら、隊員が諦めていないうちに隊長が諦めてどうする。

 

「……まだ、諦めたくない」

 

『気が合うね』

 

 まほは気付けば、キューポラのハッチを開いて車外へ身を乗り出し、相変わらずこちらを見つめ続けている文香と目を合わせていた。

 

「まだ、やれることは残ってる」

 

『同感だ』

 

 まほは口元に笑みを浮かべる。

 それは先ほどまでの自分の馬鹿馬鹿しさに呆れるような笑みではなく、何か大きな確信を得たような、自信が見え隠れするような凛々しい笑みだった。

 

 わずかな月光と、眩い砲炎がそれぞれ二人の姿を照らす。

 

「悔しい……いや、()()()んだよ 隊長にも、お前にも……なにより、先程までの私自身にも」

 

『おや、慰めて欲しいのかい?』

 

 ふっ、今度は私が乗せられたな。

 全く……あいつは一体、どこまで根に持つタイプなんだ。

 

 可笑しそうに口元から息を零すと、まほは砲炎に照らされた、こちらを見上げる薄墨色の目が良く見えた。

 

 その目はまるで、まほ自身を映す鏡のようにも見えた。

 まほは一度目を閉じて深呼吸する。

 

「西住流に、逃げるという道は無い」

 

 そして再び目を開けると、正しく冷静に文香達と敵をしっかりと見据えていた。

 

「──勝つぞ、島田」

 

『──うん 勝とう、西住さん』

 

 そうだ、まだ試合は終わっていないんだ。

 

 落ち着いた、それでいて勝利への熱を帯びた声でまほが宣誓する。

 それに応えるのもまた、似たような文香の声だった。

 

「弾種、徹甲装填」

「ちびちゃん、装填終わった?」

 

 なら、最後まで惨めに勝ちを狙おうじゃないか。

 

 まほは自身のティーガーⅠを山頂付近に、まるで城から平民を見下ろす万人の王かのように昂然と停止させる。

 文香はその麓で敵と敵の間を、まるで風が吹き抜けるかの如く、パンターを踊るように素早く華麗に滑らせる。

 

「照準、最左翼のⅡ号」

「よし、用意……」

 

 流派どころか、未だ何一つお互いの事を知らないこの相手と。

 

 二人は示し合わせたかのように、それぞれがそれぞれに対して火砲を向けている敵戦車に照準を合わせた。

 平原に残存する敵戦車は2輌。

 

「「撃てっ(フォイア)!!」」

 

 今はただ、もう少し文香(まほ)と一緒に戦いたい。

 

 ティーガーⅠとパンターから全く同時に放たれた2つの砲弾は、その弾頭に砲炎を纏って輝く二人の少女の笑顔を映しながら真っ直ぐと飛んで行った。

 

 

***

 

 

「うわぁぁ……めっちゃいい、すごくいい!!」

 

「うわぁ……」

 

 セナの恍惚とした声に、同行している隊員の一人がドン引きしたような声を上げる。

 

「いやすごいよ!青春だよ!ドラマみたいにそのまんま!!」

 

「分かった分かった、今のお前すっごくキモいから近寄んな」

 

「ぶふっ!!」

 

 うつ伏せで双眼鏡を構え、無線機を耳に当てたままイモムシのように悶え続けるセナをその隊員は思いっきり蹴り飛ばした。

 セナは青あざが出来る勢いで蹴り上げられた腹部をさすりながら立ち上がると、蹴られたことなど気にも留めず、スキップでも始めるんじゃないかというくらいのテンションで自身の車両へと足早に戻る。

 

「ねぇねぇ聞いた?さっきの無線!それに息ぴったりの砲撃!もう感動しちゃった!!」

 

 キューポラの縁へ飛び乗ってから急いで車長席へ座ると、興奮冷めやらぬセナが車内に残っていた隊員達にも声を掛ける。

 

「うっわキモ…… いや、今のセナ見て醒めたわ……」

 

「ひっど! まぁでも、これであの子達の青春パワーみたいなのが貯まったでしょ!」

 

 同じく乗り込んだ外での偵察に同行していた隊員は、改めて自身の無線手用の席に座るとセナが持ち出していた無線機の延長コードを手早く巻き始めた。

 

「さぁこっから!こっからだよ! 二人の芽生えかけた友情は、果たして賽の河原の鬼に壊されるか!それとも否か!試してあげよう、フォールド禁止のオールイン!勝てば総取り!負ければ何も残らない!くぅぅ~っ!いいなぁ、羨ましいなぁ!わくわくするなぁ!!」

 

 車長席で足をぷらぷらと、本当に楽しそうにセナは、()()()()のいる平原をただただ見つめる。

 そんなこの戦車の主を乗員達は呆れたように首を振るが、それを嗜める者はおらず、むしろ口元はセナと同じように歯を見せて嗤っていた。

 

「よーし出発だ!前進だ!彼女達の記憶に私達を植え付けよう!はやくあの子達のかけがえのないものを得た、嬉しそうな笑顔が見てみたい!でも、同じくらいに全て失って呆然とする二人の顔も見てみたい!どちらか一つ!半か丁か!ほーら前進、全速前進!」

 

 パンツァー・ハイとでも言うべき、ある種のトランス状態になったセナの操るレオパルト軽戦車は、自身が身を潜めていた茂みを引き裂きながら動き出す。

 そしてすっかり暗くなった山道を、黄色のラインを大きく横一線に車体へ記されたレオパルトが駆け抜けた。

 そんな軽戦車のキューポラから身を乗り出し、一身に風を受けながらセナは静かに嘯く。

 

「さぁ行こう 兵は機動なり、ってね」

 

 自身の真紅の目を煌々と輝かせながら嬉々として嗤うセナ。

 その表情は、彼女が身に纏っているパンツァージャケットの肩に縫いつけられた個人識別徽章(パーソナルマーク)に描かれている、自身の尾から口を離し大口を開け獲物に襲い掛かんとする超大蛇(ヨルムンガンド)の顔と瓜二つだった。



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二つの流派 2-b

「っ、ふぅ……二人とも お疲れ様」

 

「あぁぁぁっ……! 死ぬっ……腕攣る……足攣る……っ!」

 

「もう、なにもっ……持てませんよぉ~……!」

 

 文香は少し上がっていた息を一息ついて落ち着かせると、二人に話しかけた。

 話しかけられた内の一人である操縦手を務める先輩は、カタカナの「ヒ」を全身で表すかのように両手両足を投げ出していた。

 そしてもう一人の乗員、ちびちゃんと文香達に呼ばれている通信手を主に務める同級生も、目に涙を浮かべながら砲手席と弾薬庫の間でへたり込む。

 

「……ふふっ」

 

「はぁっ、はぁっ……あー、はは……はははっ!」

 

「う~……もう動けません……えへへ……」

 

 しかし、様子は違えど皆一様に達成感に包まれていた。

 文香達が乗っているパンターの輪郭は、周りで燃えている二号戦車に赤く照らし出されている。

 そして文香達と同じように、パンターは急停車した反動で履帯から側面装甲に跳ねた泥を、汗の如く光を反射させつつ大地へと落としていた。

 

「……ん?あれ? 島田さん!無線が入ってるみたいですよ!」

 

 そんな心地よい静けさは、床に転がっている空薬莢と同化していた通信手が起き上がると共に消え去る。

 文香がいつの間にか耳から外れていたイヤホンを付け直すと、そこから聞こえてきたのは今一番話をしたかった相手の声だった。

 

『島田?……島田、平気か?』

 

「あぁ、西住さん いい引き立て役だったよ」

 

『言ってろ……ふふっ』

 

「ふふ、やっと笑ってくれたね」

 

『あぁ、お前がそこまで意地っ張りだとは思わなかったよ ……中隊長より全車、稜線部を確保した 即時後退、稜線にて横隊で防御に当たれ』

 

『『了解!』』

 

 悪戯っぽく、年相応のあどけなさを持った文香の声にまほは思わず頬を緩めるが、すぐに表情を引き締めると隊長としての顔を作って指示を飛ばす。

 そんな緊張をほぐしてくれるやり取りを聞いていた第一小隊長や、残存した車長達は僅かに口角を上げながら久しく耳にしていなかった朗報に明るい声で返答する。

 

「西住さん」

 

『あぁ、今度は分かってる 敵フラッグ車は……いや、なんでもない』

 

「……どうやら、もう少しこの風を感じることは出来そうだ」

 

『その回りくどい言い回しはやめろ。 だが、同感だ』

 

 文香が感じていた懸念は、すっかり冴えたまほも感じていたようだ。

 戦闘が始まって以来、一度も姿を見せない敵のフラッグ車、セナの操るレオパルト軽戦車の所在を文香とまほは互いに確認し合う。

 しかし、結局その意味はなかった。

 

 木々がざわめく。

 

「探す手間は省けたみたいだね まぁ、それが良いか悪いかは分からないけれど」

 

『戦車前進 ……お前よりも、今はあの人の性格が読めん』

 

「変わった人だ」

 

『お前が言うな。 弾種、徹甲装填』

 

 会話を続けながら文香は倒した二号戦車の残骸に車体を隠しハンドシグナルで装填を、まほは無駄話の合間合間に自車の乗員へ無線を入れたまま指示を飛ばす。

 

 森の闇間から音が聞こえた。

 

『中隊長!敵部隊が接近を開始!稜線を登り始めています!』

 

『西住!なんとか遅滞攻撃は出来てるが持って5分、いや3分だ!位置を変えるか?それとも反転攻勢に……』

 

「らしいよ どうする?西住さん」

 

『要はタイムリミットか、どこまでも嫌らしい人だ ……中隊長より全車、現位置を保持しろ。敵フラッグ車を発見、可能であれば支援願うが可能か?』

 

『了解、そちらへ……うわっ!?』

 

『無理だ!敵の攻撃熾烈、反転不能!反転不能!』

 

「どうやらご希望は私達だけみたいだ」

 

『まるで子供の我が儘だな ……了解、以降稜線防御の指揮を第一小隊長に一任する。島田、サブチャンネルに無線を切り替えろ』

 

「両方聞いてるよ、こっちには優秀な無線手がいるからね」

 

『……本当に、お前も大概…… いや、なんでもない』

 

 にわかに騒がしくなった稜線上を、まほはパンターの横まで移動して停止させたティーガーⅠから見上げながら、相棒となった相手のどこまでも意地を張る性格と、これから相対する敵の性格に大きなため息を漏らす。

 

 ふと、今までずっと苦労してきたであろう副隊長の顔がまほの脳裏に過ぎる。

 苦労人、そう呼ばれるポジションにいる先輩の後を継ぎそうな未来を予見したまほの目は、これから先の自分の身を案じながらもしっかりと木々の合間から一瞬だけ見えた車体を捉えていた。

 

 森の中から聞こえるエンジン音は、そういった音は聞き慣れている文香やまほでも、聞き覚えのないものだった。

 

「行くよ、西住さん」

 

 直後、木々の間から飛び出してきた戦車は、敵フラッグ車を示す旗を翻していた。

 

『命令するな、()()()()は私だ。 行くぞ、島田』

 

 まほの予想だにしていなかった言葉に文香は、現れた敵フラッグ車をしっかりと見つめながらも思わず苦笑する。

 

「ふふっ 似合わないよ、西住さん」

 

『……う、うるさい』

 

 まほの少し恥ずかしそうな尖った声を受け、文香はさらに少しだけ口角を上げた。

 単に慣れない言い回しをするまほが面白かったのか、自分と息を合わせようとして出た彼女の言葉が嬉しかったのか、文香自身にも分からない。

 

 だが、そんな考えもターボチャージャーの音を響かせて急速に接近する、まるで獲物に飛び掛かる蛇のような機動を見せる戦車を前にすれば消え去ってしまう。

 

「さぁ、西住さん」

 

『よし、島田』

 

「『行こう』」

 

 二人が声を合わせると同時に、二人に肉薄してきたレオパルトは、砲口から煙を上げながら弾丸を吐き出した。

 パンターはその弾丸を受け流すよう車体を急速に回転させ回避し、ティーガーⅠは動かずとも迫ってきた弾丸をいとも簡単に弾き飛ばす。

 

 たった3分。

 その短い共闘は、後に全世界へその名を轟かせる編隊(セクション)にとって初めての戦いとなった。

 

 

***

 

 

「うーん……」

 

 セナは激しく揺れる車内でも極めて落ち着いた、まるで万事何が起こるか分かり切っているような様子で腕を組み、つまらなそうに唸っていた。

 

「どうしよう、勝っちゃうよこれ」

 

 キューポラの覗き窓から一度目を離したセナは、予想外に善戦する自車と、予想外に苦戦している文香達の様子を見比べて嘆息したかのように息を吐く。

 

「おいおいマジかよぉ……いくら色々弄ってるって言っても、こっちは軽戦車(レオパルト)だぞぉ?」

 

「さっきまであんなに一人で盛り上がってたのに、どうしたセナ?」

 

「いや……ここまで一方的だと酔いも醒めるっていうか……なんだろ、期待外れ?」

 

「あー、なら手ぇ抜こっか?イカサマしてる訳だし」

 

「冗談! 勝負にイカサマは付き物だし、何よりそんなのアタシのキャラじゃないっしょ」

 

 あはは、と笑いながら搭乗員の声に言葉を返すセナだったが、その顔はどこか寂しそうな表情を浮かべていた。

 キューポラから外を伺うと、そこにはまほのティーガーⅠが、文香のパンターとセナのレオパルトの間に延々と割り込むような機動を行っている様子が見て取れた。

 

 正面装甲や側面装甲を巧みに扱いレオパルトの砲撃を弾き返しているそのティーガーは、パンターを庇い続けながらレオパルトに対する砲撃を断続的に試みている。

 だが、急制動や急発進を繰り返すティーガーから放たれる砲弾は、F1レースで耳にするようなターボエンジンの爆音を打ち鳴らしているレオパルトには掠りもしない。

 

 そしてセナの落胆は、文香の操るパンターを見て更に深いものになる。

 

 先ほどから、ティーガーの影で停止したまま動かないパンター。

 恐らく砲塔旋回装置が故障したのだろう、こちらへピクリとも動かさないその砲身は、パンターの左側面を守るティーガーⅠに対してちょうど反対側の、何も無い山肌に向かって伸びている。

 

 「諦めた、かぁ……」

 

 そう呟くセナの目は、先程までの子どものような煌々とした輝きを失っており、いつの間にか普段の少し気だるげな、自分勝手だけど優しい隊長としての顔に戻って苦笑していた。

 

 正直、期待し過ぎていたのかもしれない。

 島田流と西住流、そんな大きな看板に目を奪われて、彼女達自身をよく見ていなかったのかもしれない。

 それなのに勝手に舞い上がって、こんなレギュレーション違反の改造を施した、趣味全開の私物まで持ち出して。

 そんなの、隊長として失格だ。

 

 セナは心の中で反省するように自嘲する。

 その表情は既に蛇のような禍々しい笑みではなく、年長者としての自覚がたりなかった自分への軽蔑や、彼女達への申し訳なさを含んだ寂しそうな笑顔だった。

 

「終わらせよう ……確かに期待外れではあるけど、そこらの一年生よりはよっぽど凄いね」

 

 ただ、それだけだ。

 それだけでしかない彼女達を大人げなく、全力で喰いものにしようとした己の事をセナは恥じていた。

 なんて言って謝ろうか、これから更に分裂していくだろうこの黒森峰戦車隊をどう率いて行こうか、そんな事を考えながらセナは操縦手の背中を優しく押し込む。

 

 それを受け操縦手は、レオパルトをティーガーとパンターの僅かな間に入り込ませるようバシュウッ、とブローオフ音をエンジンに吐き出させながらパンターの斜め後方から高速でドリフトするかのように滑り込ませる。

 同時に、砲手は何も言われずとも、フラッグ車である文香のパンターへ照準を向け始めた。

 

 セナは、何の気なしにキューポラから、レオパルトの左へ流れるように映るまほのティーガーⅠを見つめる。

 ティーガーは全力で砲塔をこちらに向けようとしているが、如何ともし難い機動力の差で、こちらがたった1度発砲する前にティーガーの砲口がレオパルトを捉える事は難しそうだった。

 

 そのティーガーの様子を見て、セナは再び自分に呆れ返ったようにため息を吐く。

 そうしているとレオパルトが、まるで最初からそこにあったかのようにティーガーとパンターの間で停止した。

 

 零距離射撃。

 撃てば必中となるこの位置で、砲手は射撃装置を覗き込み、()()()()()()

 

「うわっ!? セナ、右!!」

 

「んー?」

 

 砲手の急な切羽詰まった声に、セナは生返事を返しながら、ティーガーとは反対側の、レオパルトの右側に停車しているパンターへ視線を移す。

 

「……ッ!?」

 

 そして、呼吸も忘れて操縦手の背中を蹴り飛ばした。

 反射とも言えるスピードでセナに背中を蹴り飛ばされた操縦手は、レオパルトを後退させようとレバーを引く。

 ()()()()()()()

 

 直後、レオパルトの車内に激しい衝撃が走る。

 

 ()()からの衝撃に、レオパルトはけたたましい破壊音と、履帯やいくつかの転輪をそこら中にばら撒きながら来た道へ弾き飛ばされる。

 ミキサーに掛けられたかのように激しくスピンするレオパルトの車内でも、セナはただ一点だけを、硝煙を吐き出す砲口を、()()()()()()()()()()()()()()こちらへ向けているパンターだけを見ていた。

 

 セナが呆気に取られた様子で目を見開いていると、そのパンターから赤い影が伸びる。

 自身の姿を見せつけるようにキューポラから身を乗り出した文香は、セナに何かを伝えようと、口をぱくぱくと動かしていた。

 声は聞こえずとも、その呟きはしっかりとセナに届く。

 

 ──兵は詭道なり、だよ

 

 そう呟きながら微笑む文香の姿を見て、セナは身体中にゾクゾクとした、身の毛がよだつほどの()()()が巡っていく感覚を覚える。

 

 あぁ、間違ってなかった。 期待通りだ。

 

 持て余す感動と喜びを少しでも発散しようと震える手を、セナは両手で自分を抱きしめるようにして抑えていた。

 

 そうとは知らずに文香は、隣に並んでいるティーガーに向かって何かを一言、叫ぶように投げかける。

 それに応えるようにまほのティーガーⅠは、僅かにずれている砲身をこちらへ向けようとしていた。

 

 そんな彼女達の反撃に、セナは引き裂かれんばかりに口角の持ち上がった嗤いで応じる。

 

「アハハハハハハ!!!そうだ、それだよ!それなんだよ!!やっぱ最高だよアンタ達!!じゃないと、私もここまでやった意味がない!!もがいて、足掻いて、出し抜いて!自分の全てを出さなきゃ意味無いよねぇ!いいよ、いいよぉ!!」

 

 ティーガーⅠの砲口はぴたり、と88mmの眼孔でレオパルトの正面装甲を眼前に捉えた。

 その暗く深い凶悪な巨眼に晒されてなお、セナはあまりの快楽に身悶える。

 

「そう!そうそう!!そうなの!!一度限りのオールイン!!私がやりたい()()はこういうの!こういうのなんだよ!!全てを出し切って、最後は運で生きるか死ぬか!!ありがとう二人とも!!愛してる!はぁぁっ……もう、愛してるよ二人ともぉっ!!」

 

 嬌声にも聞こえる声を上げながらセナは、再び力いっぱい操縦手の背中を蹴り飛ばした。

 先ほどの本気の焦りから反射で蹴飛ばした時とは違う、久しく感じられていなかった悦びに感極まった様子で。

 

 

***

 

 

 その瞬間、文香は何が起こったか理解できなかった。

 

 レオパルトは接地面が引きちぎれた履帯を、前輪を回転させて蛇の尾の如くティーガーの砲身へ投げ飛ばす。

 半分ほどになっていたレオパルトの履帯はぐるぐると、まるで蜷局(とぐろ)を巻くかのようにそのままティーガーの砲身に巻き付いた。

 そして、レオパルトがさらに何かしようと再度エンジン音を響かせ始める。

 

「っ、西住さん!!」

 

『分かってる!』

 

 文香の咄嗟に口をついて出た呼びかけと共にティーガーが発砲すると、今さっきまでレオパルトが()()地点を砲弾で抉る。

 零距離でのティーガーの砲撃、普通なら停止状態だったはずのレオパルトが避ける事は絶対に不可能なはずだった。

 

『……っ!?』

 

「そん、な」

 

 自分が目の当たりにしている光景を信じられず、文香は思わずそう口にする。

 

 巻き付けた壊れかけの履帯を支点に、レオパルトは僅かに起動輪に引っかかっている履帯を巻き上げ、一気に自身の車体を引っ張り込んだ。

 そうしてティーガーの砲身の下部、絶対的なティーガーの射程外へ三脚のような形になるよう潜り込んだレオパルトは、その車体半分が持ち上がった状態から文香が乗るパンターの上部装甲へ砲口を向けた。

 

「あ……」

 

 完全に出し抜いたはずだった、罠にかけたはずだった。

 だが、結果はどうだ。

 

 捕らえたと思っていた獲物は、まるで舌なめずりをするようにこちらへ()を開けている。

 

 キューポラから身を乗り出していた文香は思わず膝から力が抜け、崩れ落ちるようにパンターの中へと吸い込まれる。

 車長席に座り込んだ文香の口から洩れた声は小さく弱々しい、そしてとても呆気ない一言だった。

 

「また、まけた? ……ふふっ、あはは」

 

 その呟きは誰にも聞こえず、文香はキューポラの覗き窓から僅かに見えるレオパルトを力無く見上げる。

 その笑い声は先程までの自信溢れた様子とはまるで真逆の、何もかもを捨てて諦めた乾いたものだった。

 

 全力を尽くしたのに、駄目だった。

 あの時のように。

 

 文香の頭を過ぎるのは、多くの大人や仲の良かった親戚達にまで糾弾される『あの時』の光景。

 黒森峰に来るきっかけともなった、最大のトラウマの一片を思い出してしまった文香は、()()()()()()他人を煙に巻くような微笑を顔に浮かべていた。

 

 もう、好きにすればいい。

 そんな独白と共に文香はレオパルトへ改めて顔を向ける。

 

 何も言わず、黙って砲口を文香へ向け続けるレオパルト。

 イヤホンから聞こえるまほの声、しかし頭が真っ白になった文香には何の言葉も届かなかった。

 

 

 そして次の瞬間。

 

 

 ()()()()()は、轟音と共に空高く舞い上がった。

 

 

「はは……は?」

 

 数メートルほど打ち上がったレオパルトが地面に叩きつけられると、今度は縦横斜めと縦横無尽に回転しながら平原を転げ回る。

 

 立て続けに起こる予想外な出来事に、すっかり乾いた笑いも収まった様子の文香は、大混乱する頭を必死に正気に戻そうと、まずはイヤホンを耳に付け直した。

 イヤホンから聞こえてきた無線はまほの声ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の声だった。

 

『お風呂上りにバンバンバンバンうるさいと思ったら……あなた達まだやってたの? まぁ、これで終わりね』

 

『ちょ、蝶野副隊長? 今までどちらへ?』

 

 まほの困惑したような声も続いて聞こえ、ここでやっと文香は自分の耳に幻聴が聞こえているわけではないと少し安心する。

 

『あぁ、演習場の端っこギリギリにお風呂があるでしょ?……ごめんね?』

 

『ごめんね、って…… いえ、それよりも そちらから狙撃したのでしょうか?』

 

 しかし、相変わらず状況が掴めていない文香は静かに二人の会話を聞いていたが、頭の中にはまほと同じ疑問が浮かんでいた。

 

『へ? えぇ、そうだけど』

 

 何の気なしにそう言いのける真美の言葉を聞きながら、文香はキューポラから身を乗り出すと、演習場の地形図を取り出し、真美がいるだろう方向へ双眼鏡を使い彼女の姿を探す。

 

 すると確かに双眼鏡越しに小さく、森の鬱蒼とした木々や演習用の市街地を模したハリボテなどの先に、米粒ほどにも満たないサイズで映る真美の車輛を見つけた。

 

『……その位置からですと、ここは恐らく4000mは離れているかと思われますが……』

 

『ん?そうね ()()()()より西住さん、もう夜も遅いんだから帰ってきなさい!近所迷惑!……って隊長に言っといて貰えるかしら?』

 

『え、えぇ……了解しました』

 

 まほはそう言われると、動揺した声のまま全体用の無線で両チームの全車両へ試合終了を告げる。

 文香もまた何事も無かったかのようにガレージへ移動を始めた、通常の2倍近い長さの砲身を持つ真美の車輛を双眼鏡越しに見つめながら呆気に取られていた。

 

 戦車の最大射程は、弾が飛ぶだけなら確かに十数kmにも及ぶ。

 しかしそれは、限りなく好条件のみで満たされた場合のみで実際には何も無い平原では2kmほど、市街地では数百メートル先の標的に当たれば上々と言える。

 それも、ただ当てるだけならという話であり、ましてや数km先の敵を撃破するなんて芸当は狙って出来るような事ではない。

 

 しかし真美は、()()()()()()()()()()()()()易々と、障害物越しに4km先の軽戦車という小さな目標に砲弾を命中させて撃破した。

 

 それを当たり前と感じているのか、黒森峰戦車隊の上級生達は特に何事も無かったかのように、新入生達はここで過ごせばそれが当たり前の事になるのかと感動した様子で撤収し始める。

 

 ふと、文香が双眼鏡から目を外すと、同じような様子でキューポラから身を乗り出していたまほに気が付いた。

 自分と同じく事の異常さに気が付いているだろう彼女は、視線を感じたのか文香の方へ振り向く。

 

 そして目が合ってしまった。

 

「……意味が分からない」

 

「……うん 気が合うね、本当に」

 

 先に口を開いたのはまほだったが、その放心したような声色は、後から口を開いた文香も似たようなものだった。

 そのあまりにも気の抜けた二人の声に、文香とまほは見つめ合ったまま同時に吹き出す。

 

「フッ……意味が分からないのはお前もだ、島田」

 

「ふふっ、どこがだい?」

 

「接敵中に、砲塔を直すから援護しろなんて 初めて言われたぞ」

 

「君なら出来ると思ったんだよ 現に上手くいったじゃないか」

 

「……だが、負けた」

 

「……うん、そうだね」

 

 淡々と会話を繰り返す二人の間に風が吹き、わずかに二人の前髪を揺らした。

 二人を照らす月明かりを湛える空は、既に星が満天に輝き、黒いジャケットと赤いシャツをそれぞれ纏った少女達を照らし続ける。

 

「……撤収しよう」

 

「わかった ……ねぇ、西住さん」

 

「ん? どうした、島田」

 

「新しい風は、何もない所から突然生まれるのかもしれない ……君はどう思うかな?」

 

「……」

 

 また何を訳の分からない事を、そう言おうとしたまほの口は、初めて見る文香の表情に思わず閉ざされる。

 それ程までに、まほを見つめる文香の表情は、不安や怯えといった色に染められていた。

 

「……1からやり直すのは こわいよ」

 

 絞り出すような文香の声で、まほは先程の言葉の意味に気付く。

 その言葉の真意は、今日の試合を通じて文香だけではなく、まほ自身も身に染みて感じた事だった。

 

「……分かったよ、()()

 

「?……ありが、とう? その……()()さん」

 

 少しばかり間を置いて、まほが微笑みながらそう答える。

 すると、ずっと不安そうな表情を見せていた文香だったが、その返答の意味が分からず一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、まほの温かい表情を見れば少し安心した様子で礼を言った。

 そんなやり取りの後、彼女達の車輛はそれぞれガレージへ向けて走り出す。

 

 家名(流派)で呼び合わず、名前で呼び合うようになった二人。

 まだお互いに距離感を掴めていない文香とまほは、それぞれが何かを胸に秘めつつも、肩を並べて戦場を後にする。

 

 

***

 

 

「えー、以上……ほんとにすんませんっした」

 

「は?」

 

「申し訳ありませんでした皆様!!今後はこのような事が無いよう、より一層隊長職を全うする人間としての自覚を持ち行動いたします!!あと、もうあのレオパルトはドライブ用にするから!!しますから!!」

 

 数台のスポットライトで照らされたガレージ。

 隊員達が整列している前でセナは、笑顔のまま表情を固定している真美が操る長砲身を持つティーガーⅡの履帯のすぐ脇に簀巻きにされた状態で、煤だらけのまま置かれながら全員に向けて話をしていた。

 そして時たまエンジンを空ぶかしする真美の一挙手一投足に怯えながら、セナはその話を終える。

 

 本来ならば練習試合の後はデブリーフィングを行うのが定番だが、時間も遅くなってきたからと、デブリーフィングの代わりに開かれた隊長の反省文朗読会に、隊員達はなんと言っていいか分からないといった表情を浮かべながら整列していた。

 

「ほんとに反省してるの?次は本当に許さないからね?」

 

「してます、してますから!……っせぇなブスが」

 

「はいみんな、解散していいわよ!ここからはR-18だから!」

 

「うそうそ!!冗談だって!!ごめんって、いやマジで近い近い近い!!あっああああああああ!!!!」

 

 セナの顔がティーガーⅡの履帯とガレージの床に挟まれて軽く潰れる。

 そんな二週間も経てば新入生達も見慣れた、解散の合図にもなっているいつも通りの光景が繰り広げられ始めた。

 

 そんな中、文香は普段の飄々とした澄まし顔とは違う、どこか緊張した面持ちで立ち竦んでいた。

 

 隊員達は泣き叫ぶセナの声を完全に聞き流してその場で伸びをしたり、帰り始めようと仲の良い友人に声を掛け始める。

 そう、普段通りの風景が広がっていた。

 

 ……別にこのままでもいいじゃないか、私が我慢すればいいだけだ。

 そんな考えが文香の脳裏に過ぎる。

 

 誤解されていたって、別に私以外の誰かに迷惑をかけているわけじゃない。

 先程抱いた決意が壊れそうになる。

 

 文香は何かを誤魔化すような笑みを作り、いつもの澄ました表情を浮かべようとした。

 

「文香」

 

 そんな文香に、後ろからまほが声を掛ける。

 そっと背中に添えられたまほの手から、文香はじんわりとした温かさを感じた。

 

 ……もう、逃げたくない。

 文香の顔から笑みが消える。

 

 もう、逃げ続けるのはたくさんだ。

 その表情は何かに怯えるような、しかし何か決意を秘めたようなものに変わる。

 

 それに、今は――まほさんが一緒にいてくれる。

 

「あ、あの!」

 

 ガレージに文香の声が響き渡る。

 初めて聞いた文香の大声。

 それもいつもの飄々とした声ではなく、びくびくと人の顔色を窺う様な震えた声だった。

 

 そんな文香の声に、隊員全員は何事かと一気に文香へ注目する。

 思わず文香は僅かに身を強張らせるが、落ち着かせるように優しく背を叩くまほの手の感触を感じると、なりふり構わずといった様子でさらに口を開いた。

 

「その、わたし、みなさんと! ……皆さんと、一緒に、頑張りたい、です」

 

 途切れ途切れの、声量もちぐはぐな文香の口調に全員動きが止まる。

 

「……私は、皆さんの邪魔者かも、しれません」

 

 しかし、自分の事で精一杯になっている文香は、そんな周りの様子などお構いなしに言葉を続けた。

 

「でも、まほさんと……そしてみなさんと一緒がいい、です」

 

 文香は、いつの間にか自分の足元を見下ろすように俯いていた顔を上げ、一度大きく息を吸う。

 

「迷惑かも、邪魔かもしれません! でも、がんばります!頑張ります、から……一緒に、いさせてください! おねがい……します」

 

 そう言い切りながら、文香は瞼をぎゅっと閉じながら頭を下げた。

 あまりにも拙い、そして突然の文香の言葉を受け隊員全員が、先程まで泣き喚いていたセナまでもが目を点にして固まる。

 

 その静寂が、文香にとってはたまらなく怖かった。

 

 やっぱり言わなければよかった、黙っていれば何も壊れることはないんだから。

 私が我慢すればいいだけなのに。

 

 後悔とも言える感情に支配され始めた文香は、今すぐにでもこの静寂から逃げ出したかった。

 

「……私は西住として生まれ、そこで育ってきました」

 

 そんな静寂を打ち破ったのは、まほの声だった。

 

「その環境で育った事に傲りや慢心は抱いていないものだと、自分では思っていました」

 

 淡々と、だがしっかりとした口振りで唐突に始まったまほの独白に、再び隊員達は何事かと口を閉じたまま意識を向ける。

 

「ですが、それこそが慢心だったと先ほど気づかされました 西住流などという大層な名前など、私には何の意味もないと」

 

 その中でも一番驚いたように目を見開いているのは、まほのすぐ横で話を聞いている文香だった。

 

「そんな簡単な事にも気づかない愚か者の目が醒めたのは、横にいる文香と、皆さんのおかげです」

 

 何故なら、その抑揚なく紡がれていくまほの声は、どこか文香に対して共感し、文香と同じようにどこか怯えているような色が見えたからだ。

 

「今日、今ここで私は一人の若輩者として、ただの西住まほとして、皆さんにお願いしたい事があります」

 

 そんな感情はおくびにも出さず、まほはしっかりと隊員達を見据え、凛とした表情を作った。

 

「こんな厚顔無恥な私ですが、どうか一から皆さんと一緒に勉強させてください お願いします」

 

 そして言い終わるや否や、まほは文香の横ですっと頭を下げる。

 そんなまほの様子を見て、隊員達はさらに目を丸くした。

 あまり必要以上に口を開かないまほが、すらすらと口上を述べ、あまつさえ反目し合っていると思われていた文香の為に一緒に頭を下げている光景を見て、その場にいた全員が閉口する。

 

 奇妙なまでの静寂の中で文香は、まほの指先が震えていることに気が付く。

 それを見て、先程ガレージに帰る前に言われたまほの言葉の意味に文香は気が付いた。

 まほが自分と同じような事に悩み、それでいて自分の背中を押してくれていた事に。

 

 静寂の中から一番最初に聞こえてきたのは、笑い声だった。

 

「あはは!なーに今更そんな事言ってんの 後輩なんだがら、私達が指導するのは当たり前でしょ?」

 

「ははっ!思井の言う通りだ! というか島田、もしかして帰り道ずっと黙ってたのって、これ考えてたせいか?お前、案外可愛いやつだなぁ!」

 

 ティーガーⅡの車長を務めていた2年生と、文香のパンターの操縦手を務めていた先輩の笑い声に釣られて、隊員達はぽつりぽつりと笑いだす。

 

「島田さんは悪くないですよ!元はと言えば、私達が島田さんをよく知りもしないで邪魔者にしてた私達がいけないんです……!」

 

「そうそう、というか私達がまず島田さんに謝るべきだったね というか西住さんも結構人情派なんだ、イメージ変わるなぁ……あ、いい意味でね!思ってたより話しやすいかも」

 

 それに続いてパンターの通信手の同級生や、今回第一小隊長としてまほと同じチームに参加していた先輩がそれぞれ思っていた事を口にした。

 そしてそれに同調するように頷く子や、文香に駆け寄って謝ったり話しかける子、まほの意外な一面を見て今まで話しかけられなかった子がまほに話しかけたりと、様々な少女がそれぞれ違った様子で二人に話しかけていく。

 

「ねぇねぇ島田さん!好きな食べ物ってなに?」

 

「お、西住って案外こういう趣味してんのな」

 

「島田ちゃん!さっきのドラテク、どうやってあのバカに仕込んだの?ちょっと教えてよ!」

 

「西住さん西住さん!さっきから島田さんのこと下の名前で呼んでるけど、もしかして部屋でなにかあったの!?きゃー!ちょっと教えて教えて!」

 

 セナと真美を除く隊員で出来た人だかり。

 その中に、文香を排斥しようとする声は無かった。

 

 

***

 

 そんな隊員達を遠巻きに眺めながら、セナは少し肩の荷が下りたと言わんばかりに安堵の溜息を吐く。

 

「なんだかんだ、隊長に向いてるわ あんた」

 

 ティーガーⅡの車体上面に乗って腰掛けながら、真美はセナへ話しかける。

 

「たまたま運があの子達に向いただけだよ アタシは全力を出しただけ」

 

「それが良かったんじゃないの? まぁ、私が待機してなきゃ危なかったけどね」

 

「それも含めて幸運って言うんだよ、多分ね」

 

 そう言うセナの顔は、隊員達を温かく見守る優しい笑みを湛えていた。

 その顔を車体から見下ろしながら、真美は膝に頬杖をついて愚痴を零す。

 

「……私、本当は島田さんより西住さんを心配してたのよ 大丈夫かな~あの子、ってね」

 

「ふぅん」

 

「聞きなさいって あんたも知ってる通り、黒森峰(うち)じゃ西住って苗字は特別じゃない?それが重荷になって西住さんがダメになっちゃったり、周りの子が変に遠慮しちゃって西住さんと距離を置いちゃったりするんじゃないかって思ってたの」

 

「うん」

 

「その兆候はあったのよ、島田さんの影に隠れてたけど。 西住さんに対して、上級生も下級生もみんな必要以上の会話はしないように気を付けてた」

 

「あー、やっぱそうだったかぁ……」

 

「そういう嘘はいいから、どうせ気づいて無かったでしょ? ……ま、それも杞憂で終わったみたいで良かったわ」

 

 そう言いながら真美は再び人だかりの方へ視線を向ける。

 そこには困ったような様子でてんわやんわしている文香とまほを中心に、隊員達がにこやかに盛り上がってる様子が広がっていた。

 

「……ほんっと、悔しいけどあんたの方が隊長に向いてるわ 私じゃ、こうは出来なかった」

 

「そんなことないよ、アタシは楽しんでただけだもん 真美がいてくれたから出来た」

 

「馬鹿 ……それじゃあ、私も私で楽しませてもらうわ」

 

 真美は車体の上で改めて立ち上がると、操縦手の席へ手を伸ばす。

 すると、アイドリング中だったティーガーⅡがゆっくりと、ゆっくりと前進を再開した。

 

「……真美? 照れ隠しにしては度が過ぎてない?」

 

「自家製ヴルストって、一回作ってみたかったのよね」

 

「え?……ちょっと真美さん?冗談でしょ?ほら、誰も見てないし もうジョークの域を超えて……おおおおおおいみんなあああああ!!助けて、ちょっとま、ムリムリ死ぬ死ぬ死ぬ!!あっああああああああ!!!!」

 

 

 ミシミシ、と顔から鳴ってはいけない音が鳴る。

 セナの叫び声は楽しそうな人だかりの喧騒に消え誰にも届かないまま、履帯が地面を踏み込む音の中へと消えて行った。

 

 

***

 

 

「「つ、疲れた……」」

 

 声を合わせて一緒に部屋へ入った文香とまほは、電気もつけないまま、服も着替えずにそれぞれのベッドへ頭から飛び込む。

 

 ガレージから出た後も、揉みくちゃにされる勢いで食堂や浴場で質問攻めに遭い続けた二人の表情は、今まで戦車道の訓練では見せたことの無い、疲労困憊としか形容できない色を浮かべていた。

 ぼふん、と音を鳴らしてへこむ枕に顔を埋めながら、文香は今日の出来事を思い返す。

 

「……ふふっ」

 

 たった一日、しかしその中で起きた様々な出来事はどれもこれも文香にとって予想外なものが数多くあった。

 初めて、黒森峰のみんなと話をした。

 初めて、試合中に他人と協力した。

 初めて、家族以外の人間を頼りにした。

 それに……

 

「笑うなぁ、文香ぁ…… お前だって、似たような格好じゃないかぁ……」

 

 そうやって今日の出来事を振り返っていると、まほの間延びした疲れ切っている声が聞こえてくる。

 文香と同じように枕に顔を埋めているのか、少しくぐもった彼女の声を聞くと、文香はさらに嬉しそうに年相応の少女が浮かべる、明るい笑みが顔に現れた。

 

「ねぇ まほさん」

 

「なんだぁ……」

 

「今日は、ありがとう」

 

「……んー」

 

「まほさんが背中を押してくれたから、私は逃げ出さずに済んだ でも……まほさんがああいう事を言うなんて意外だったよ、ふふっ」

 

「……ったから」

 

「? ……聞こえないよ?」

 

 既に意識が半分夢の世界へ旅立っているのか、まほは素直に思っていた事を口にする。

 

「ひとりじゃ、なかったから」

 

 その本音とも思える言葉に、文香は少し目頭が熱くなった。

 それを誤魔化すように一度咳払いすると、文香はこの共同生活で初めて本音をまほにぶつける。

 

「……私も、一人だったら何もしなかったよ まほさんがいたから……ううん、まほさんのおかげで今日、私は皆と話せたんだ」

 

「……んん」

 

「すごく怖かった、こんな事しなくてもいいんじゃないか、って思ってた ……勝手に期待されて、勝手に失望されて、」

 

「……てでいい」

 

 少しずつ熱くなっていた文香の告白は、聞き手であるまほの寝言のような声に切り上げられた。

 

「え?」

 

 文香はその声にハッとすると、いつの間にか口走りそうになっていた面白くも無い話を切り上げ、単純に聞こえなかったまほの言葉を聞き返す。

 

「呼び捨てで、いい ……おまえの、それ なんか……むずかゆくて、いやだ」

 

「……え?」

 

 普段のイメージとは真逆の、ふわふわとした声色になってきているまほの言葉に、文香は息を飲んだ。

 交友関係というものを持たずに生きてきた文香は、名前で呼び合う友人という存在に憧れてはいる。

 しかし、いざそういったものを得られる今この瞬間に、文香は怯えにも似た感情を抱いた。

 

「……っ」

 

 ただ、文香は今日みんなから、そして彼女自身からも教わった事を思い出す。

 他人を必要以上に恐れて逃げ出す事は、とても馬鹿馬鹿しい事なんだという事を。

 

「……っ ま、まほ……?」

 

「なんだぁ……」

 

「! ……一緒に、一緒に頑張ろうね まほ」

 

「んー…… がんばろ……ふみかぁ……」

 

「……おやすみ、まほ」

 

「ん……うん……」

 

「ふふっ ……あははっ!」

 

 電池が切れたかのように、寝息のようなものを立てているまほの様子を見て、文香は再び笑みを零す。

 

 それに、初めてともだちが出来た。

 

 その顔に浮かぶのは、今までの飄々とした澄まし顔とは違う、心から楽しそうに笑う普通の少女の屈託のない笑顔だった。

 

 この日、文香とまほは――親友(ともだち)とも呼ぶべき相手を得た。




(次の日、練習風景)

「まほ、まほ」

「なんだ文香 作戦会議中だぞ」

「水は止められない、いつか溢れてしまう でも流れを変える事なら出来ると思うよ」

「は? ……あぁそうか、この防御配置では第二小隊が最悪の場合孤立する……気が付かなかった、助かる」

「構わないさ、今日は私が副隊長だ」

「……」

「どうしたんだい、まほ? そんなに見つめられると照れてしまうよ」

「……名前の呼び方より 訳の分からない喋り方をどうにかしてもらうべきだったか」

「……本人の目の前で、そんなに大きなため息を吐かなくてもいいんじゃないかな?」


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二つの流派 3-a

 その影は、困ったように私へ小さく微笑むと、飄々とした様子で私を置いて炎の中へと消えていく。

 遠く離れていく影を、私は泣いて、喚いて、目を逸らすことすら出来ずに、ただ立ち竦んだままその場で見送ることしか出来なかった。

 手を伸ばしても届かない。

 声を上げても止まらない。

 どこまでも嫌いなその背中は、いくら呼び止めても振り向いてすらくれない。

 そんな彼女の背中は、どこまでも私が敬愛する御方の後ろ姿にそっくりだった。

 

 そこで、私は夢から覚めた。

 

 

***

 

 

 降りしきる雨。

 窓ガラスを叩くその水粒は、今この場にいる者達の耳に心地よい自然の音楽を届けていた。

 

「えーっと 本当にウチがそのエキシビジョンに出てもいいんですか?」

 

「はい このエキシビジョンマッチは大洗の皆さんをお祝いするお祭りの意味合いが大きいですから、継続高校の皆さんも参加していただければ更に賑わいますし大歓迎です」

 

「だってさミカ!出ようよ、エキシビジョン!」

 

 英国式の調度品で彩られているテーブルを囲みながら、オレンジペコの名を持つ少女と話していたアキが隣に座っていたミカに話しかける。

 話しかけられたミカは、雨粒が流れ落ちる窓から視線を外すとアキに軽く微笑みながらそれに返答する。

 

「ただ参加すれば良い、ってものでも無いんじゃないかな?」

 

「えー?お祭りだよ?もしかしたら美味しいご飯もいっぱいあるかもしれないじゃん!」

 

「そーだそーだ!この前だって、ミカが一人で拾ったレーション全部食べちゃったし!」

 

 ミカが口にした参加に否定的な言葉に、アキとミッコはそれぞれ少し頬を膨らませながら反論する。

 そんなやり取りを目の前で見せつけられていたオレンジペコは、何も自分達を前にして打算的に参加を決めるようなことを話さなくても、あまつさえその場で無下に参加を断るような事を言わなくてもいいじゃないか、と思わず苦笑する。

 

「継続の隊長さん?」

 

 すると、今までこのテーブルの上座で静かに紅茶を嗜んでいた金髪の少女が静かに口を開く。

 その手に持つ紅茶の名前と同じ、ダージリンと周りから呼ばれている少女は音も立てずにティーカップを皿の上に乗せると、ミカ達の方へ瑠璃色の瞳を向けた。

 

「期日はまだまだ先、お返事はゆっくりで構いませんわ こんな格言を知ってる?『焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない――』」

 

「『――焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔をつくる。』 ゲーテだね」

 

 ダージリンの言葉を遮るように、ミカは彼女が引用しようとした言葉を先に述べる。

 あら、と少し感心したように声を洩らすダージリンの横では、少し驚いた様子のオレンジペコが、見直したというような視線をミカに送っていた。

 

「……!? ……え?ミカ?えっ、ほんとにミカだよね?そっくりさんとかじゃないよね?え、何か変な物食べた?どうしよう、病院に行くお金あるかなぁ……」

 

 しかし、そんな聖グロリアーナの二人とは比べ物にならないくらい驚いた様子で椅子から転げ落ち、手に持っていた紅茶を頭から被るがそんな事もお構いなしに、恐怖にも近い驚愕した表情でミカを見上げる者達の姿があった。

 

「やばい……!やべぇよアキ……!ミカが……ミカがおかしくなったぁぁ!!!」

 

「傷つくなぁ」

 

 正気を疑うとでも言わんばかりのアキ達を見て、ミカは澄ました顔のまま、しかし軽く目尻に涙を浮かべて膝に乗せているカンテレを指で弄ぶ。

 

「ぷっ、くく…… 継続の隊長さんも、中々苦労していらっしゃるみたいですわね」

 

「……そちらほどじゃないけどね」

 

 肩を震わせるダージリンの声に、ミカはばつが悪そうに彼女と目を合わせて苦笑いする。

 

 1秒。

 

 2秒。

 

 

 3秒。

 

 

 

 ダージリンとミカは、奇妙なほどに互いの目を黙って見つめ合っていた。

 

「ウフフ…… ペコ、お二人をバスルームへお連れして? お召し物はランドリーに」

 

 そんな自身の敬愛する女王の様子に気付いたオレンジペコは、どうかしたのか尋ねるべく口を開こうとすると、突然ダージリンが自身の横で立ったまま控えていたオレンジペコに声を掛けてくる。

 

「っ、はい!分かりました ではアキさん、ミッコさん、ご案内しますからこちらへ」

 

「あ、分かりました…… ミカ?大丈夫だからね!すぐお医者さんを呼んでくるからね!?」

 

「何か美味いもん取ってくるから!!だから死なないでくれよ、ミカぁ!!」

 

 思わず少しびくっと身体を震わせたオレンジペコだったが、ダージリンの言葉を受けるとすぐ落ち着きを取り戻し、頭から紅茶を被ってびしょ濡れになっているアキとミッコを連れて、紅茶の園とも呼ばれているこのクラブハウスから出て行った。

 本気で心配している様子のアキ達の姿がカチャリ、と音を立てて閉じられた扉に遮られて見えなくなる。

 

 その光景を、ダージリンは可愛らしい物を見るようにくすくすと笑って眺めていた。

 だが、やがてその笑い声も収まると、ダージリンとミカだけになった部屋には、再び雨音が鳴り響く。

 

「変わらないのね、貴女」

 

 幾ばくか、雨音とカンテレの切れぎれとした音色だけが響いていた部屋で、最初に口を開いたのはダージリンだった。

 

「君もね グロリアーナの女王様」

 

「……相変わらず不愉快な人」

 

 話しかけられたミカはカンテレを撫でる手を止め、膝元のカンテレを見下ろしていた顔を再びダージリンの方へと向ける。

 ミカの目に映ったのは、先程までの気品溢れる聖グロリアーナ戦車隊隊長の顔ではなく、嫌悪や憎しみを孕んだ眼差しで、こちらを睨みつけてくる一人の少女の顔だった。

 そんなダージリンの様子に、ミカは困ったように眉を吊り上げる。

 

「如何なる時も優雅に、じゃあ無かったのかい?」

 

「貴女が……()()()()の言葉を口にしないで頂戴!」

 

 他の聖グロリアーナ生が見れば誰しもが驚くようなダージリンの激昂した声だった。

 だが、ミカは特に動じることもなく、静かに言葉を続ける。

 

「……まだ、怒っているのかな?」

 

「……そんな訳、ないじゃない あの時の貴女の考えも、行動も、今なら理解出来るわ」

 

 口調こそいつものように穏やかなものに戻っていたが、ダージリンの表情は痛々しいまでに悲痛な色を孕んでいた。

 スカートの裾をぎゅうっ、と握りしめながら、ダージリンは吐き出すように自分の思いを曝け出す。

 

「それでも、私の感情は貴女を許せないの そして……そんな卑しい自分が、一番許せないのよ」

 

「構わないさ 嫌われるのには慣れてる」

 

 ミカの何の気なしに言いのけたその台詞に、ダージリンは再び激怒した。

 

「っ! 貴女のそういうところも!!……そういう所も嫌いよ。 自分は大丈夫だって変に大人ぶって、格好つけて……その癖本当は自分が一番、」

 

「ダージリン」

 

 感情に任せたまま話すダージリンの声が震えてきた事に気付き、ミカは再び遮るように声を掛ける。

 

「もういいんだよ」

 

「……っ 大っ嫌い、貴女なんて」

 

 吐き捨てるようなダージリンの一言に、ミカは僅かに持ち上がった口角から息をふっ、と零した。

 

 三度、部屋は窓を叩く水音以外の音を失う。

 その雨音は、小さな嗚咽を覆い隠すように勢いを強めていた。

 

「……嫌いよ、雨も 文香さん、貴女の事も」

 

「雨が降らなきゃ虹は見れないよ」

 

「雨は、本当に必要な時に降らないもの それに綺麗な虹は今、あの子達が見せてくれているわ」

 

 ダージリンの言葉にミカと呼ばれていた少女、文香は少し驚いた様子でダージリンの顔を見据えるが、やがて何かに合点がいったかのように微笑む。

 

「……君は変わったね 君は、()()()に似て強くなった」

 

「……変わったのは貴女よ 昔の貴女は、もっと強い人だったわ」

 

 そう言われれば、今度こそ文香は口を噤んで膝に乗せているカンテレへと再び視線を落とした。

 話は終わりだと言わんばかりの文香を見て、ダージリンは少しだけ赤くなった目を雨水が滴る格子窓へと向ける。

 

 止む気配の無い大雨。

 それを黙って見つめるダージリンは、自身が今でも敬愛する()()()()の事を思い出していた。

 

 

***

 

 

 降りしきる雨。

 窓ガラスを叩くその水粒は、ダージリンの耳に心地よい自然の音楽を届ける。

 午後の授業も終わり、生憎の大雨で珍しく戦車道の訓練が中止となったため、ダージリンは紅茶の園とも呼ばれているクラブハウスで一人読書に耽っていた。

 

「ねー、ダージリーンちゃーん!何してるの?」

 

 紅茶でも飲もうか。

 そう思いながら本から視線を落としたままダージリンがテーブルに手を伸ばすと、その空いた脇から突然誰かの腕が生えてくる。

 

「っ!? きゃあああっ!!」

 

 そしてその腕は、慣れた手つきでダージリンの胸元の膨らみを揉みしだいた。

 ダージリンは悲鳴を上げながら椅子から跳ねるように飛び退くと、()()()()()()()()()()()、この無礼を働いた犯人の顔を見てやろうと物凄い速さで振り向く。

 

「おぉーう、むふふ……ダージリン、まーた育ったんじゃないの?」

 

「な、な、な、なんてことをなさるんですか!()()()()()()様!!」

 

 アールグレイ、そう呼ばれた長い金髪を靡かせる少女は、顔を真っ赤にして烈火の如く怒るダージリンに悪びれもせず、時代劇に出てくる悪代官のような表情のまま、わきわきと手を蠢かしていた。

 

「うーん、何回揉んでもこの初々しい反応……ダージリンのえっち!」

 

「は、はぁっ!?……コホンッ というより何度も何度も申し上げましたが、このようなお戯れはお止め下さいまし」

 

 アールグレイは品無く動かしていた指を止め、今度は残った何かの感触を確かめるように手を握りしめる。

 そしてそんな彼女を呆れたようにじとーっとした目で見ながらダージリンは、ようやく落ち着いた様子で乱れた襟を正していた。

 

「やよ、だって一番反応いいし それにアッサムは()()()()()で掴めないし」

 

「……今のは聞かなかったことにいたします それで?ご用件はなんでしょうか、アールグレイ様?」

 

「あ、そうそう!聞いて聞いてダージリン!ついに……ついに届いたのよ!」

 

 落ち着きなく今度はダージリンの腕に抱きつきながら、アールグレイはキラキラとした目でダージリンを見上げる。

 

「……はぁ その、何がでしょうか?」

 

 顔に聞きたい?聞きたい?と書いてあるかのようにダージリンの様子を伺うアールグレイ、その表情に思わずため息を吐いてから、ダージリンは努めて丁寧にそう尋ねた。

 

「あっ、でもどうしようかしら?教えてあげてもいいんだけどなー? ね、ね、知りたい?そんなに知りたい?」

 

「……知りたいです 教えてくださいませ、アールグレイ様?一体何が届きましたのでしょうか?」

 

 悪戯な笑顔を浮かべて勿体振るような態度を取るアールグレイに対して、ダージリンは瞼をぴくぴくと痙攣させながらも、笑顔を保って更に聞き返した。

 相変わらず面倒くさい御人だ、とダージリンは心の中で毒づく。

 

「んふふ~♪ じゃあちょっとついてらっしゃい!」

 

 そんなダージリンの気など知らないアールグレイは、鼻歌を歌うほど上機嫌にはにかみながらダージリンの腕を掴み、扉を乱暴に開けて走り出した。

 引っ張られて無理やり走らされるダージリンは、アールグレイの背中越しに彼女のその表情を睨みつけるように見て思わずため息をつく。

 

 悪い御人ではない、そうは分かっていても淑女とは到底呼べないこの人物に振り回されて1ヵ月が過ぎようとしていたダージリンは、呆れ果てながらもアールグレイにされるがまま抵抗はしなかった。

 

 

***

 

 

 はっきり言って、ダージリンはアールグレイという人物を嫌っていた。

 

 聖グロリアーナ女学院、英国式の格式高い校風と風光明媚な作りで知られ、その生徒達は気品ある優雅な立ち振る舞いを常に求められる国内有数の名門校。

 その聖グロリアーナ女学院で淑女の嗜みとも言われている戦車道を受講する者、その中でも隊長クラスの幹部や将来を有望視された者にしか入室すら許されない、紅茶の園と呼ばれるクラブハウス。

 

 憧れ、そんな安っぽい言葉だけでは片づけられない感情をダージリンは紅茶の園に抱いていた。

 淑女の慎みある言葉遣いや所作を学んだ。

 様々な作法や教養を身に着けた。

 他者を常に尊重し、己を常に律する心を育んだ。

 すると、その努力が認められたのか入学後すぐにダージリンという名を貰い受ける。

 同じ学年の中ではダージリンともう一人、アッサムと名付けられた少女の二人しかいないエリートの証。

 

 心が躍った。

 しかしその名を自慢することはせず、あまつさえ他の学友を見下すような感情などはダージリンもアッサムも持ち合わせておらず、むしろ学年の代表として聖グロリアーナの伝統と風格に傷を付けないよう一層努力しよう、とお互いに誓い合う。

 

 そして迷わず入った聖グロリアーナ女学院戦車道クラブ、その初練習の後に二人は揃って紅茶の園の扉を叩いた。

 練習後、ただでさえ流麗な雰囲気を端々から感じさせる先輩方に「私達は、あの方にならついていける」とまで言わしめた隊長に呼び出されたダージリンとアッサムは、ノックの返事を受けると逸る気持ちを抑えて静かに扉を開くのを待つ。

 

 そして扉が開き、夢にまで見た紅茶の園が目の前に現れた。

 

「ねー、いい加減諦めなさいな どう見てもチェックメイトよ?」

 

「やぁ、よく来てくれた ……ほらアールグレイ、新しい茶葉のご到着だ」

 

「あ゛っ!! ちょっ、なにボードをひっくり返してるのよ!?」

 

「あぁごめん ティーポットを置く場所が見つからなくて、つい」

 

 そこには、扉を開けてくれた副隊長が席に着きながら()()()()()()()()()()()()()()()()光景と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()チェスの駒を拾い集める隊長の姿が広がっていた。

 目に映る、自分が理想郷と夢見てきていた世界の住人達の行いに、ダージリンは扉の前で固まってしまう。

 

「もー……チェスピースって欠けやすいんだからやめてよぉ…… というか貴女、コーヒー派じゃない」

 

「ん?あぁ、ティータイムはちゃんと取るからご心配なく」

 

 紅茶は飲み物ではない、とでも言いたげな副隊長の皮肉っぽいジョークにアッサムは思わず軽く吹き出してしまうが、その隣にいたダージリンは表情を凍り付かせたまま、アールグレイのあられもない姿をただただ見ていた。

 

 なんだこれは。

 

 ダージリンは沸々と湧き上がる、言いようの無い怒りで肩を震わせる。

 先程吹き出したアッサムと肩を震わせているダージリンを見て、二人の緊張をジョークで解せたかと勘違いした副隊長が声を掛けてきた。

 

「そのドアにまだ替えはいらないよ、おいで ……あとアールグレイ、見えてる」

 

「あらららっ!? もうっ、早く言ってよ!」

 

 こっちに手招きする副隊長に促されるよう、ダージリン達は中へと足を踏み入れる。

 そんな副隊長の横で隊長、アールグレイは口に咥えていたカップを片手に持ち、空いたもう片手でスカートを抑えながら慌てたように立ち上がっていた。

 ティーカップを改めてテーブルにあった受け皿に置き直し、乱れた髪を整えながらアールグレイはダージリン達を見つけると、その口角をにんまりと引き上げる。

 

「ダージリンとアッサムね!きゃー!可愛い!……あっ、自己紹介がまだだったわね? 私はアールグレイよ!で、こっちが副隊長のモカ!」

 

「人に指を差すな、悪い癖だ えっと、君がアッサム?とすると……」

 

 嬉しそうに歯を見せてはにかむアールグレイは、褐色の肌と白くて長い髪を持つ副隊長のモカを、チェスの駒を示す時のように人差し指で差しながら紹介した。

 アールグレイに指されたモカは、ダージリンの横にいたアッサムの顔をまじまじと見つめてから、ダージリンの方をちらっと一瞥する。

 

「じゃあ貴女がダージリン?私と同じ髪型じゃない!それに同じ髪の色、仲良くできそうね♪」

 

 アールグレイはそう言いながらダージリンに手を差し伸べながら微笑みかけた。

 しかし、ダージリンはじっとアールグレイの緑碧眼を見つめたまま動かない。

 

 どこが淑女だ、何が紅茶の園だ。

 不思議そうに首を少し傾げるアールグレイを前に、ダージリンは自身が持つ瑠璃色の目を潤ませる。

 

 こんなものに私は憧れたのか。

 そう考えた瞬間、ダージリンは自分の頬に涙が伝う感触を覚えた。

 

「えっ!?ちょ、ちょっとダージリンちゃん!? 大丈夫!?」

 

「ダージリン!? ど、どうしました?」

 

 そんな唐突に流れ落ちたダージリンの涙を見て、アールグレイは仰天した様子で慌ててダージリンに詰め寄る。

 練習中に同じ車輛へ乗り込んでいたアッサムもまた、つい先ほどまで一緒に談笑していたからこそ、隣にいるダージリンの急変した様子に驚いて声を掛けた。

 

 しかしそんな中、当のダージリン本人は何が起こっているのか分からないように呆けた顔で立ち尽くしている。

 すると、ダージリンの視界は徐々に、赤い色で暗く押しつぶされていく。

 

 その後に何があったか、ダージリンは覚えていない。

 ただ覚えているのは、やり場のない怒りと悲しみと、この堕落した聖グロリアーナ戦車隊に対しての深い嘆きだった。

 

 

***

 

 

「着いたわよ!ほら、目開けてダージリン!」

 

 そう言いながらアールグレイは自身の長い金色の髪を手で翻しながらダージリンに声を掛けてきた。

 興奮しているようなその声に、ダージリンは紅茶の園を初めて訪れた翌日から欠かさずアップスタイルにセットしている髪が乱れていないか確認をしつつ、考え事をしていたらいつの間にか閉じていた目を開く。

 

「……クロム、ウェル?」

 

「そ!Mk.VIII巡航戦車、クロムウェル!苦労して手に入れた甲斐があったわ~♪ ほら、見て見てダージリン!かっこいいでしょ!」

 

 ダージリンは目の前にある2輌の戦車に思わず驚きの声を上げるが、アールグレイは気にも留めずはしゃいだ様子でダージリンの両肩に手を置いてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 しかし憧れたからこそ、聖グロリアーナ女学院の内情を事細かに調べたからこそ、ダージリンはアールグレイの振る舞いを咎める事もなく、眼前に並ぶ2輌のクロムウェルを、まるで信じられないものを目の当たりにしたかように言葉を失う。

 

「お、OG会の皆様はこの事を知っていらっしゃるのですか?」

 

 マチルダ会・チャーチル会・クルセイダー会の3つに分派している聖グロリアーナ女学院OG会。

 卒業生で構成されるこの3つの会派はその名の通り在学時代に乗っていた戦車に合わせて組織されており、ここ聖グロリアーナ女学院に対して多額の経済的支援を行っている。

 

 ここまでは問題ないが、その代わりにこの3つのOG会は学園艦の運営方針にも口出ししており、中でも最大派閥を誇るマチルダ会は戦車道チームの車両編成にまで注文をつける有様だった。

 そんな聖グロリアーナ女学院を取り巻くドロドロとした現実を知るダージリンだからこそ、この場に有るはずのない、あってはならない2輌に目を奪われてしまう。

 

 しかし導入した当の本人であるアールグレイは、なんだその程度のことか、と事も無げに笑っていた。

 

「もちろん、快く快諾してくれたわよ!」

 

「そ、そんなはずありません!だって、だってあの()()()が新規導入なんて許すはずが……」

 

「おぉ 言うわねぇ、ダージリン」

 

 あっ、と思わずダージリンは手で口を覆う。

 その様子を見てアールグレイは、後ろからダージリンを抱きしめるようにして気にしていない風に彼女の頭を撫でた。

 

「大丈夫よダージリン、今この時間は私達だけしかいないから それにしても……あのババア共の事まで知ってるなんて物知りね、尊敬しちゃうわ♪」

 

「ば、ババ……なりませんそんな言葉遣い! それより、どのようにして説得をなさったのですか?」

 

「私、()()()()()には強いから」

 

「魔法の? ……っ! いけませんわ!アールグレイ様は不良です!」

 

「んふふ~♪ ……あら?」

 

 腕の中で暴れるダージリンをアールグレイは愛おしそうに撫で続けていたが、ふとその手を止めた。

 ダージリンは怪訝な表情を見せて、アールグレイの胸元から急に撫でる手を止めた彼女を見上げる。

 そこにはスマートフォンを弄る、少し不機嫌そうに唇を尖らせたアールグレイの顔があった。

 

「アールグレイ様、どうされました?」

 

「もー、せっかくダージリンで遊んでる時に水を差さないで欲しいわね……」

 

「まさか、OG会から呼び出されて!」

 

「あ、違う違う! これよ、これ」

 

 流石に心配そうな表情でアールグレイを見上げていたダージリンの前に、スマートフォンの画面がかざされる。

 そこには、乱雑で句読点もまともに使われていない、とても聖グロリアーナ女学院卒業生が送ってきた物とは思えないメールの文章が映し出されていた。

 

「……練習試合、ですか?」

 

「そ 私の可愛い子犬ちゃんから」

 

「相手は……く、黒森峰じゃありませんか!」

 

「そうよ~ まったく、飽きもせず毎日毎日……嫌になっちゃう」

 

「それに、日取りは明日!? そんな事一度も伺っていませんよ!?」

 

「断ったら次の日に一方的に書類まで押し付けてきて……モテる女って辛いわねぇ」

 

 やれやれといった様子でダージリンの肩に頬杖を突きながらアールグレイはため息を漏らす。

 先ほどから、最近ようやく大声に慣れてきた喉を痛めつけつつ、驚きの声を上げているダージリンは、食い入るように見ていたスマートフォンの画面から目を外し、アールグレイの顔を再び見上げた。

 

「では……お断りするんですね、少し安心しました」

 

「んー……いや、受けよっか! ちょうどこの子の試運転もしたかったし!」

 

「へっ!?……コホンッ アールグレイ様、それは無理です。まだ一度もクロムウェルは動かしたことが無い上に、今日までの全体練習はずっと移動訓練だけですのよ?練習試合、それも相手が黒森峰だなんて……失礼ですが、正気とは思えませんわ」

 

 そう窘めるダージリンの言葉は、傍から見れば正論だった。

 一度も操縦したことの無い車輛をいきなり実戦で運用するというのは誰が考えても無理な話である。

 

 その上、ダージリンが言った通り今日までの訓練は部隊行進や陣地転換など、専ら移動に関する事のみしか行っておらず、行進間射撃どころか停止した標的に対する射撃すら今年度中は一度も行っていなかった。

 

 いくら経験のある上級生といってもブランクは生じるだろうし、あまつさえ新入生は入学してから初めて乗った車輛での砲撃は全く経験しておらず、練習試合どころの話では無いというのが今の聖グロリアーナ戦車隊の実態である。

 今のアールグレイの言葉を聞けば、ダージリンで無くとも動揺し同じことを言うだろう。

 

 だが、アールグレイは未読メールの通知ランプが付いたままのスマートフォンをポケットに仕舞いながら、あっけらかんとした声でダージリンに告げた。

 

「大丈夫よ 私、()()を淹れるのは上手なんだから」

 

「は、はい……?」

 

 そう言いながらアールグレイは自身の胸元にいるダージリンの頭を撫でながらはにかむと、ぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いて戦車倉庫の出口に向かって一人で歩き始めた。

 

「じゃあ私、早速予定作ってくるわね~ あ、電気消してきて頂戴ね?ダージリン?」

 

「わ、わかりました……ではありません!お待ちください! ちょ、ちょっと待って……アールグレイ様っ!」

 

 呆気に取られていたダージリンは、はっとした表情を作ると扉の向こうに消えていく背中を追いかける。

 

 やっぱり嫌いだ、苦手な御人だ。

 そう心の中で呟くダージリンは、まるで腹の内が読めないアールグレイの行動に再び大きなため息を吐いた。

 

 

***

 

 

「にしても……きったない恰好ねぇ」

 

「いやごめんって!さっきまで土いじりしてたからさぁ アッハッハ!」

 

「あら、ガーデニング? まるで女の子みたいじゃない」

 

「いや、ここんところ毎朝自分で掘った穴を埋めさせられてて…… つうか女だよ!」

 

「……貴女、自分の隊で拷問でも受けてるの?」

 

 翌日、昨日の大雨が嘘のように雲一つない快晴となった空の下へ浮かぶ聖グロリアーナ女学院学園艦に作られた演習場には、ダージリン達新入生は初めて見る黒基調のパンツァージャケットに身を包んだ集団が、自分達の車輛と共に訪れていた。

 

 そしてその隊長と思われる人物は、威圧感や聖グロリアーナ戦車隊とはまた違った高尚さを漂わせるそのジャケットに土汚れを所々付けた姿で、ダージリンの眼前でアールグレイと話を弾ませている。

 

 品の無い御人ね。

 ダージリンがそう思って目を逸らすと、自分と同じ新入生と思われる二人の黒森峰戦車隊の隊員に目が行った。

 

「文香、お前今度はどこに行って……おい、何を買ってきた?」

 

「スコーンさ まほも一つ食べるかい?」

 

「そういう意味じゃなくて……試合前に何をしてるんだお前は」

 

「スコーンが風に乗せて私に語り掛けて来たんだよ 私を食べて、って」

 

 ぴしりと黒森峰のパンツァージャケットを着込んだ彼女、同学年で知らない者はいないだろう西住まほ。

 中学生時代の煌びやかな戦績を持つ彼女は言わずと知れた西住流、その本家の長女で、卓越した能力を持つ彼女を一目見た聖グロリアーナ戦車隊の1年生達は、思わず固唾を飲む。

 

 しかし、ダージリンはその横にいる、楽しそうな笑みを浮かべながらまほとじゃれている少女に注目した。

 

 パンツァージャケットは身に着けず、ワインレッドカラーのシャツを着崩した彼女。

 中学生大会には一切姿を見せていなかった、そして西住流と対を成す一大流派である島田流宗家の長女、島田文香その人だろうとダージリンが推測する少女は、スコーンを腕一杯に抱えながら、飄々とした様子でまほの隣に並んでいた。

 

 ()()()は本当なのか、そう思ったダージリンはアールグレイ達に一礼して二人に近づいていく。

 

「そもそもそんなに買ってきてどうするんだ?そろそろ試合も始まるぞ」

 

「あぁ その事かい?」

 

「まさか食べきれるとか言うんじゃないだろうな? いや、でも普段の食事量を考えれば不可能じゃない、か……?」

 

「……たすけて」

 

「えっ」

 

「あの、もし?」

 

 軽く目尻に涙を浮かばせて震える少女と、その様子を見て固まっていたまほにダージリンは声を掛けた。

 すると二人は揃ってダージリンに顔を向け、怪訝そうにその様子を伺う。

 

「私は聖グロリアーナ女学院のダージリンと申しますわ 貴女はもしかして西住まほさんではなくって?」

 

「あぁ、いかにも 私が西住まほだ」

 

「そう ごめんなさい、お話に水を差すように声を掛けてしまって それで、そちらの貴女は?」

 

「名前……そんなものに縛られる必要は無いんじゃないかな?」

 

「……はい?」

 

 文香の突拍子も無い言葉に思わずダージリンが眉を顰めて首を傾げる。

 すると、まほが手慣れた動きで文香の頭を手に持っていたクリップボードでスパァンッ、と叩いた。

 

「コイツのことは文香でいい それに、私の事も名前で呼んでもらって構わない……よろしく頼む、ダージリン」

 

「よろしくね、ダージリンさん ……まほ、()は駄目だよ」

 

「え、えぇ……よろしくお願いするわね まほさん、文香さん」

 

 素知らぬ顔でクリップボードを小脇に抱え直したまほと、そんな彼女に涙目ながら直立不動で抗議する文香からそれぞれ挨拶を交わされる。

 調子を狂わされたダージリンは、苦笑して返事をすることしか出来ず、改めて文香がどういった人物か尋ねようと口を開いた。

 

「それで 文香さんって、もしかして……」

 

「っしゃああああ!! 頑張るぞみんなああああああ!!」

 

「きゃっ!?」

 

 しかし、そんなダージリンの質問は後ろから近づいてくる大きな叫び声にかき消される。

 急な大声に思わずびくっと飛び上がったダージリンは、息を飲みながらもその声の主を探して振り返った。

 

「あれ?なんでアールグレイんところの子がいんの? まほちゃんとフミちゃんの友達?」

 

「逸見隊長 いえ、今……」

 

「友人かどうか、それは私達が決める事じゃないよ セナさん」

 

「ん?どゆこと?……まぁいっか! ほら、もう試合始まるよ~帰った帰った!」

 

「え、えぇ……コホン 失礼しましたわ それじゃあまほさん、文香さん、また後程」

 

 近づいてくる黒森峰の隊長、セナに一礼すると顔を合わせないよう少し俯いたままダージリンはその場を返事も待たずに後にする。

 そして自身が身を置く聖グロリアーナ戦車隊の方へ戻ると、既に搭乗を開始していたようで隊員達は自分達の車輛へと歩き出していた。

 

 ちらりとアールグレイの方を一瞥すると副隊長と何かを話し合っているようだった。

 だが、そのほのぼのとした空気感を感じ取ると、どうせいつもの無駄話だろうと視線を外し、ダージリンは自らが車長を努めるチャーチルへと歩を進める。

 

 まともな訓練もしていないんだ、それに相手はあの黒森峰、勝てるわけがない。

 

 そう思いながらキューポラから車長席へと移り込んだダージリンは、座りながら車内の様子を伺う。

 

 チャーチルには同級生にして親友のアッサムと、操縦手と装填手をそれぞれ務める先輩達が既に乗り込んでいた。

 アッサムは緊張しているのか、射撃装置の点検を何度も繰り返していたが、先輩達は談笑しながら紅茶を楽しんでいる。

 

 そう、勝てるわけがない。あんな隊長の下で、こんな堕落した部隊で。

 

 膝の上に置いた手に力が入った。

 ダージリンは先輩達に聞こえないよう、こっそりとアッサムに話しかける。

 

「……アッサム、聞いて頂戴」

 

「なんですか、ダージリン」

 

 緊張からか、やや震えている声でアッサムは応じてくれた。

 先輩達はちらりとこちらの様子を見ると、それぞれのハッチから外へ出ていく。

 

 好都合だ。

 そう言わんばかりに、ダージリンはアッサムの方へやや身を乗り出して話を続けた。

 

「貴女、この学校は好き?」

 

「……なんですか?藪から棒に」

 

「お願い、答えてアッサム ……私は好きよ、ここにいる先輩方は気品に満ち溢れていて、貴女も含めて御学友の皆さんは私と同じように淑女として己を磨こうと努力するこの学校が。そしてそれを自慢せず、驕り高ぶらず、ただ慎ましく貞淑に過ごすこの学校が」

 

 突拍子の無い質問に、アッサムは最初は思わず眉を顰めたが、ダージリンの今まで以上に真剣な、そして思い詰めているような目と目が合う。

 

「……はい、私も同じですよ ダージリン」

 

 気圧されたかのように答えてしまったが、その言葉は紛うことなき本心だった。

 その返事に、ダージリンはほっとした様子で息を吐く。

 

「そう、安心したわ ……なのに、この隊の有様はなに?落ち着きが無くて、姦しくて、ただの一度も気品を感じさせたことの無い隊長。皮肉屋で、がさつで、大雑把な副隊長。そして、それに喜んで付き従う先輩方。こんなものがこの学校の花形なの?こんな醜い隊が私達の好きな学校の象徴なの?……そんなの、あんまりよ」

 

「……ダージリン」

 

 膝の上に置いた震える手に涙が零れる。

 理想だった、憧れだった聖グロリアーナ戦車隊のパンツァージャケットを、ダージリンは自分の涙で濡らしていく。

 そんなダージリンの手に、アッサムの手が重なった。

 

「ダージリン、貴女はどうしたいの? ()()は貴女よ」

 

 優しくも力強い、そんなアッサムの言葉を受けダージリンは顔を上げる。

 そこには微笑みを浮かべた、まさに優雅で温かい笑みを浮かべたアッサムがいた。

 

「……わたしは、いえ 私は変えるわ、この隊を。そしてもう二度と、私のように失望するような人が出ないようにしたい。何よりも、私が大好きなこの学校に、皆さんに恥を掻かせたくないの。その為にはなんだってするわ。辛酸を舐めるような事になっても、()()()()に歯向かう事になっても、他人を利用することになっても、あの隊長の命令を無視しても構わない」

 

 そう述べるダージリンの目に涙は残っていない。

 その目には小さな、それこそ生まれたばかりの闘志とも言うべき火が灯っていた。

 

「こんな私に、付いてきていただけるかしら アッサム」

 

 力強く、そしてどこまでも猛々しく凛々しい表情でダージリンはアッサムに問う。

 

「……えぇ、貴女がそこまでの考えをお持ちなら 一緒に背負いましょう、ダージリン」

 

 そのビリビリとした迫力を受けアッサムは再び気圧される。

 しかし、次の瞬間にはダージリンの手の甲に添えていた手をぎゅっ、と包み込むように力を入れ彼女に応えた。

 

 丁度その時、車外に出ていた先輩達も戻ってくる。

 それぞれの席に付く先輩達を横目に、ダージリンはアッサムへ一言礼を言ってから車長席に改めて座り直した。

 

「ありがとう、アッサム ……さぁ、行くわよ」

 

 試合開始を告げる空砲。

 既に乾いたパンツァージャケットの袖を伸ばし、ダージリンは前を見る。

 若く、幼い闘志を宿したどこまでも初々しいその目は、16歳の少女の顔を美しく彩った。



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二つの流派 3-b

 ──白旗が、まるで雲のように青空へ掲げられていた。

 

「ぐぅぅ……くっそぉぉぉ!!また負けたぁぁっ!!」

 

 その旗を見てセナは心底悔しそうな声で叫ぶ。

 しかしその顔はとても満足そうに、そして嬉しそうに笑っていた。

 

「ねぇ子犬(パピー)ちゃん、これで分かった?ゴールデンルールで淹れた上等な紅茶より、ブランデーを入れたインスタントの紅茶の方が美味しい場合もあるってこと♪」

 

 クロムウェルのキューポラへ前のめりに頬杖をつき、アールグレイは空になったティーカップを見せつけるかのように指で振る。

 そして、からかうようにはにかむと、アールグレイはその笑顔を崖の下で吼えているセナに投げかけた。

 

『あ……アールグレイ、さま……わた、くし、私そんな、そんなつもりじゃ……』

 

 その時、憔悴しきったダージリンの声が、セナを見下しながらスコットランドマーチを口ずさむほど上機嫌なアールグレイの耳に届いた。

 そのあまりにも打ちひしがれた、すぐにでも泣きだしてしまいそうなほど震えている声に思わずアールグレイは吹き出しそうになる。

 

 ()()()()()()でそんなに怯えなくていいのに、私ってそんな怖い顔してるのかしら?

 

 だとしたらちょっとショックね、とアールグレイは自身が身体を預けているクロムウェルの装甲にうっすらと反射する自分の顔を覗き込むように見た。

 

 うん、見惚れちゃうくらい完璧で、いつも通りの眩しくて美しい笑顔じゃない!

 

 そう自分の顔を自画自賛してからアールグレイはダージリン達の乗った、()()()()()()()()()()()()()()()チャーチルの方へその笑顔を向ける。

 

『ご、ごめん、なさ……ごめん、なさ、』

 

「ごめんダージリン、飲み終わっちゃった 帰ってティータイムにしましょ?」

 

『っ! ごめんなさい……!ごめ、んぅっ!うぁぁあああんっ!!ごめんなさいっ!!ごめんなさぃぃっ!!』

 

 ()()()()()()()()()クロムウェルから向けられるその笑顔は、女王と形容する他にない格調高雅なものだった。

 その残酷なまでに優しい笑顔を当てられ、ダージリンは箍が外れたかのように泣きじゃくる。

 

「もー、いつまで泣いてるのよ ほら帰るわよ?……あ、それより架橋設備の手配をお願いしてもいい?……ダージリン?」

 

 普段の彼女からは想像できない、子どものように声を上げて泣くダージリンの声。

 さらにその後ろから聞こえてくるアッサムの泣き声に、アールグレイは愚図る子供に困った母親のような笑みを零す。

 

『あー、るぐれ、さまぁっ!ごめんなさいっ!わたくし、もうしわけっ、うぁぁあああっ!!』

 

「あっはは……駄目だこりゃ ……あーぁ、こんな事なら追加の紅茶を魔法瓶にでも淹れて持ってくればよかったわね……」

 

 がっくりと項垂れるようクロムウェルに再び頬杖をつくアールグレイの惨めな声と、愛すべき後輩達の泣き声を聞きながら、セナの落ちた崖を囲むように展開していた他の聖グロリアーナ戦車隊の面々は微笑ましいものを見るように紅茶を楽しんでいた。

 

 

***

 

 

 ──試合の過程は、あまりよく覚えていない。

 覚えているのは、試合結果と私の粗相。

 そして、初めてきちんと伺ったあの御方のお話だけだ。

 

「落ち着いた?ダージリン」

 

「……はい、ご迷惑おかけして申し訳ありません」

 

「あっはは、いいのいいの! それにしても……ダージリンは案外泣き虫さんね」

 

「……うぅ」

 

 どこまでも続くように広がっていた空には、既に夕陽が差し込んでいた。

 辺りをオレンジ色に包み込む光は回収車に乗せられたクロムウェルと、そこへ腰を掛けて紅茶を嗜むアールグレイ達を照らし出す。

 

 行儀悪く脚を組んでいるアールグレイだったが、その横で回収車の上に体育座りをしているダージリンはそれを嗜めるような事はせず、赤くなった顔を隠すように膝へ埋めていた。

 

 回収車は学内の戦車倉庫前に停められていたが、整備などは明日行うことになり他の隊員達は既に解散し、辺りにはダージリンとアールグレイ以外の人間はいない。

 

「んー……ねぇ、ダージリン」

 

「は、はいっ」

 

 申し訳なさか、それとも恥ずかしさからか顔を上げないダージリンの様子を見て、アールグレイは唇に手を当てて少し唸るが、すぐ何かを思いついたかのように表情をぱぁっと明るくしてダージリンへ声を掛ける。

 

「貴女、チェスってやったことある?」

 

「チェス、ですか? いえ、ルールくらいは知っていますが実際には……」

 

 予想外なアールグレイの話題に、ダージリンは顔を上げて彼女の方を見た。

 アールグレイは既に飲み終わって弄んでいたティーカップを回収車の上に置くと、自身の膝に頬杖を突きながら話を続ける。

 

「そ じゃあ少しだけ教えてあげるわ。チェスってね、クイーンが異常なくらい高い価値を持ってるの。それこそクイーンを無駄に取られちゃったら即降参するくらいに」

 

「……はい」

 

 そう言われてダージリンはアールグレイの方へ向けていた顔を再び膝に埋める。

 こんな嫌味を言われても仕方がない、それほどの事をしたんだから甘んじて受け入れよう、そう考えるダージリンの目には再び涙が浮かんでいた。

 

「この学校と同じよね」

 

「……へっ?」

 

 しかし、続くアールグレイの言葉を聞くと、ダージリンは考えてもみなかったその言葉に思わず少し驚いたようにまた顔を上げてアールグレイの方を見る。

 

 アールグレイはダージリンと顔を見合わせると、いつものように無邪気にはにかんで何かが可笑しそうに話を続けた。

 

「だってそうじゃない この学校のキングは置物、実質的な権力を握ってるのはクイーンよ。知ってる?この学園艦の運用資金の半分以上がOG会からの支援で成り立ってるのよ?クイーンがいないと何にも出来なくなるのは、チェスもこの学校も一緒よ、一緒」

 

「は……はぁ」

 

「馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ、ホントに。たかが一つのクラブのOG会よ?そんな行き遅れたババァ共が私達のドクトリンに干渉して、勝手に車輛も調達して、挙句の果てにはこの学校の運営にも口出ししてるなんて……不快よ、不愉快極まりないわ。それこそ紅茶にタバスコぶっかけられるようなモンよ、っと……きゃあっ!?」

 

「アールグレイ様!? だ、大丈夫ですか!?」

 

 話をしながらアールグレイが腰かけていた回収車から飛び降りると、大した高さでも無いのに脚をもつれさせ転んでしまう。

 急いでダージリンも回収車から飛び降り、ティーカップを地面に置いてアールグレイを助け起こそうと駆け寄った。

 

「いったた……やっぱり運動は向いてないわね、私」

 

「無理をなさらないでください!お怪我をしたらどうなさるおつもりですの!?」

 

「……ねぇ、聞いてダージリン」

 

「きゃっ……!?」

 

 慌てて飛び降りた際に乱れた着衣など気にも留めず、ダージリンは地べたに膝をついてアールグレイに手を伸ばす。

 するとアールグレイはその手を掴んで思いっきり引っ張り、ダージリンを自分の胸元に引き込んで抱き抱えた。

 驚きのあまり声を失っているダージリンを、ぬいぐるみのように抱いて座り込んだまま、アールグレイは自分の顔を見られないように彼女の肩に顎を乗せて口を開く。

 

「だから、私はクイーンになるの」

 

 そう話すアールグレイの声はどこか熱の入った、おおよそ冗談を口にしているような雰囲気ではない真剣なものだった。

 ダージリンはアールグレイの顔を見上げようとするが、彼女に頭を撫でるように押さえつけられ、仕方なくアールグレイの胸元に身を預け話を聞く。

 

「私はこの学校が好きなの、こんな変わり者の私を好いてくれて、慕ってくれて、一緒にいてくれる皆が好きなの。だから恩返しがしたい、だからババァ共の言いなりになってる暇なんてないのよ、私は」

 

「……はい」

 

「この学校のクイーンに相応しいのは誰?OG会のババァ共? そんな訳ないわ。私よ、この聖グロリアーナ女学院戦車隊隊長の私が、いっちばんクイーンに相応しいに決まってるでしょう!」

 

「……っ!」

 

 ──この御人は誰よりも私に似ている……いえ、違うわ。

 腕の中で抱かれながらダージリンは一瞬そう思ったが、すぐにその考えは自身の中で取り消した。

 

「違う?違う訳ないわ、この学校の伝統を守ってる戦車隊の隊長なんだもの、誰にも文句は言わせない……なんておこがましい考えを持ってる私が、クイーンなんてなれるかしら?」

 

「なれます! アールグレイさまなら……絶対なれますわ」

 

「あら?力強い即答ね ふふっ、ダージリンにそう言って貰えると嬉しいわ♪」

 

「……本気、ですのよ?」

 

「あっはは! ありがと、ダージリン」

 

 だって この御人……いえ、この御方は――

 

「あ、そうそう チェスといえば、もう一つダージリンに教えておきたい事があるのよ」

 

「へ? わたくしに……ですか?」

 

 ダージリンの無言の独白は、鼻歌を口ずさみながら彼女の頭を撫で続けていたアールグレイが何かを思い出したかのように話しかけてきたため中断される。

 

「えぇ 貴女はまだまだポーン、はっきり言って有象無象の一つよ」

 

 アールグレイの手に込められていた力がふっと抜け、ダージリンは彼女の顔を見上げた。

 

 するとこちらを見下ろすアールグレイと目が合う。

 その表情はダージリンを責めている様子は無く、皮肉や嫌味を言っているような顔でもない、今日までの1ヵ月で見飽きるほど見せつけられた、いつものはにかんだ笑顔だった。

 

「アールグレイ、さま?」

 

「ただね? ポーンは進み続ければ、クイーンにだってなれちゃうの」

 

「……はい」

 

 ──この御方は私と違って、どんな時でもこうやって笑っているんですもの。

 ぎゅっと、ダージリンはいつの間にか軽く掴んでいたアールグレイのジャケットを握り込む。

 

「自分を信じて進み続けなさい、ダージリン。 貴女なら、立派なクイーンになれるわ……ま、私ほど立派じゃあ無いかもだけどね♪」

 

 そう言って冗談っぽく笑うアールグレイのはにかんだ笑顔が、ダージリンにとってはたまらなく眩しかった。

 

 ──全部分かっていたんだ。私がアールグレイ様を嫌っていたことも、私がこの戦車隊を軽蔑していた事も、私が命令をいずれ無視するかもしれない事も、この御方は全て見越していたんだ。

 ダージリンはアールグレイに顔を見られないよう俯き、彼女の胸元を濡らしながら今日の練習試合で目にした物全てを振り返っていく。

 

 ──それなのにわざとこの御方は、そして先輩方は私を好きにさせたんだ。

 でないと何故私がアッサムに話しかけたタイミングで先輩方が席を外したのか、何故止めることも出来たはずの先輩方が私の命令違反を見逃したのか、何もかも説明が付かないもの。

 

「……っ、はい……っごめんなさい……!」

 

「えぇっ、なんで泣くの!? かっこつけた私がバカみたいじゃない……もー、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」

 

「ごめっ、なさ……!っ、ごめっぅぁぁああっ……!」

 

「ちょちょちょ、ごめんね?ごめんね!?お願いだから泣かないで!ほらよーしよし、よーしよしよし」

 

 ──そんな御方を私は馬鹿にして、内心では自分の方が優れていると見下して……醜いのはどっちよ。

 背伸びして身に着けた所作で自分を着飾って、上辺だけの言葉を取り繕って、見せかけの気品を纏って私は何をしていたの?節穴もいい所じゃない!

 

 そう自責するダージリンは、自分の不甲斐なさや思慮の浅さに呆れるように再び声を洩らしながら泣き始める。

 するとわたわたと取り乱した、おおよそ優雅とは言えない様子でアールグレイがダージリンの頭を抱き寄せると、涙で潤んだダージリンの視界は初めて紅茶の園を訪れた時と同じように赤い色で暗く押しつぶされていった。

 

 初めてアールグレイと出会った時に見たものと同じ光景にダージリンは驚いたように泣き止み、そして涙を目に湛えながらも何かが可笑しそうに微笑む。

 

 ──あぁ、本当にこの御方はどんな時も自分を着飾らないんだな。

 

 自分とは正反対の性格を持っているアールグレイ、そんな彼女への思いを改めながらダージリンはアールグレイを見上げる。

 その時、本当に見慣れた、いつものはにかんだ顔を見せるアールグレイが少し意地悪そうな口振りで口を開いた。

 

「ふふっ 落ち着いた?」

 

「あっ…… 何度も、何度もお見苦しい真似を……申し訳ありません」

 

「いいのいいの!私ってば子育ても向いてるのかしらね? ふふっ」

 

「お、お戯れが過ぎますわ! アールグレイ様はいじわるです……」

 

「あら、いつものダージリンに戻っちゃった残念…… でもま、丁度いいし最後に一つ教えてあげる。いつかクイーンになる気があるなら覚えといて損は無いわよ?」

 

 そういってアールグレイは抱き抱えていた腕を放し、ダージリンの頭をぽんっと軽く小突いてから立ち上がる。

 

 今までだったら嫌がるように顔をしかめるダージリンだったが、今はただアールグレイの事をじっと見つめ続け彼女の次の言葉を待っていた。

 

()()()()()()()()()、そして笑ってなさい それが女王ってモンよ」

 

 夕陽に照らされながら、そういって歯を見せてはにかむアールグレイの笑顔をダージリンは一生忘れる事はないだろう。

 

 ──この御方は私と同じようにこの学校が好きで、

 私と違ってどこまでも着飾らず、どこまでも美しい人だ。

 

 アールグレイを見つめるダージリンの瞳には、紅茶の園という漠然とした存在に憧れていた頃の光が灯っていた。

 

「──はい!」

 

 ダージリンがアールグレイの言葉に心から応えたのは、これが初めてだった。

 

 後に、無冠の女王とも称されるダージリンの初戦は、味方フラッグ車誤射というあまりにも無残な結果となる。

 ただ、この日得た経験こそが後の彼女を作り上げる全ての原型ともなっていた。

 

「そういえば『涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの』……って、誰か偉い人が言ってたわ。だからダージリンなら大丈夫ね」

 

「……どなたの、言葉ですの?」

 

「さぁ?気になるなら格言集でも借りてみれば? 案外いい勉強になるかもしれないわよ」

 

 この日、ダージリンが既に最も尊敬するべき人として見ているアールグレイが適当に言い放った言葉は、後の彼女に多大な影響を及ぼすことともなった。

 

 

***

 

 

「アッサム」

 

「……ダージリン?どうかなさいました?」

 

 後日、午後の練習中にダージリンは車長席へ腰掛けながらアッサムに話しかける。

 その声はアッサムだけでなく、車内にいる他の先輩達にも聞こえるほどはっきりとしたものだった。

 

 待機中だったこともありアッサムは砲手席からダージリンの方へと振り返ると、やや険しい表情でこちらを見ている彼女と目を合わせることとなる。

 急な呼び掛け、そして少し緊張しているようなダージリンの様子を見てアッサムが怪訝そうに話しかけると、ダージリンはバッと勢いよく頭を下げた。

 

「……ごめんなさいっ!」

 

「……? ど、どうされました?」

 

 何か謝られるようなことをされた覚えもないアッサムは、更に困惑したような声色でダージリンへ問いかける。

 しかしダージリンは頭を下げたまま、それ以上何も言わないアッサムと、静かに前だけを見ている先輩達に向けて言葉を続けた。

 

「わたくし……いえ、わたしはどうしようもないほど驕り高ぶった人間よ。なんの意味もない外面だけを取り繕って、体裁だけを気にして本質も見抜けない大間抜け、ずっと近くで見ていたモノの価値も分からない愚か者がわたしよ。そんな人に、このダージリンという大層な名前は必要ないわ」

 

「……ダージリン、まさか」

 

 戦車道を辞めるつもりじゃ、そう言おうとしたアッサムだったがその言葉はすぐ口の中へ飲み込む。

 彼女にそうさせるほどダージリンの目は力強くアッサム達を見据え、その表情は毅然としたものだった。

 

「でも、私は諦めないわ。確かに私は愚か者かもしれない、未熟なんて言葉だけでは片付けられない程の無能かもしれない。けれどこの学校に、ずっと焦がれていたこの隊に入ったんだもの……ここにいれば本物というものを学べるかもしれない。そして何よりわたしはあの御方の……アールグレイ様の背を、この足で追いかけたいの。こんな我が儘なわたしが……こんなわたくしが本物のダージリンになれるまで、どうか一緒にいて アッサム」

 

 ダージリンと名を受けただけの少女の決意表明ともいえる言葉を受けて車内は静まり返る。

 アッサムは初めて見るそんな彼女のなり振り構わず、何も着飾らずに自身の胸の内を晒け出した様子に何も言えず口を閉じたままだった。

 

「……そういえば、確かタロットには愚者というアルカナが存在するのよ」

 

 すると、装填手を務める先輩が静寂の中、無線機を調整しながら口を開く。

 

「負の位置では夢想・愚行・軽率という意味が……正位置では純粋・自由・可能性、そして型にはまらないという事を意味するんですって 不思議ね」

 

「あら、急にどうしたの?」

 

「なんとなく思い出しただけよ、他意は無いわ」

 

 装填手と操縦手はただ談笑するように淡々と会話を行い、再び口を閉じる。

 ただその会話が何を意味するか、どういった意図で行われたのかはダージリンとアッサムに十分伝わった。

 

 静かに見守られていた、そしてこんな私にまだ期待してくれている。

 ダージリンが静かに目を閉じながら先輩達へ感謝の念を感じていると、ふと視線を感じる。

 その視線の方へ顔を向けると、そこにはダージリンへ微笑みかけるアッサムの姿があった。

 

「ダージリン 私は先日、貴女に申し上げたでしょう?車長は貴女だとも、一緒に背負うとも」

 

 そう言う彼女の表情は先日の練習試合が始まる前にダージリンへ見せたものと全く同じ、優しく温かい慈愛を湛えたものだった。

 

「っ……いいの? わたし、また今日みたいに間違えるかもしれないのよ?」

 

「間違いを犯さない人なんていませんよ」

 

「貴女に迷惑を掛けるかもしれない……それこそ貴女が傷つくような事に巻き込んでしまうかもしれないわ」

 

「構いません」

 

 迷いなく返答するアッサムをこれ以上直視出来ないとでもいうようにダージリンは俯く。

 その肩はわずかに震えていた。

 

「……そう、ならアッサム これからもわたしの……いえ、(わたくし)の我が儘に付き合って頂戴」

 

「はい、付き合いましょうとも ですから……それだけの御人になってください、ダージリン様」

 

「……ありがとう あり、がと……っ」

 

「もう ダージリン、そんなに泣いては癖になってしまいますよ?」

 

「泣いてなんか、ないわよ……!」

 

 少し呆れたように息を吐いてからアッサムは困ったように笑いながら、スカートを握り込んでいるダージリンの手の上にそっと手を添えた。

 そんな二人に気付かれないよう、先輩達はティーカップに口をつけながら小声で会話を始める。

 

「……ねぇ、カモミール 正位置の愚者って、たしか天才という意味もあるんじゃなかったかしら?」

 

「うふふっ、それを言うとなんとなく少し悔しいじゃない 先輩のちょっとした意地悪よ」

 

 操縦手を務める彼女の言葉に苦笑しながら通信手が無線機に手を伸ばし練習から離脱することを告げると、先輩達は再び静かにティーカップを手に談笑に耽っていった。

 

 

***

 

 

「それじゃあホントに、ご迷惑おかけしました!」

 

「いえ、そんな お見送りも満足に出来ず、申し訳ありません」

 

「ほらミカ!こーんなにお土産貰ったんだぞ!?だからもう正気に戻ってくれぇ……」

 

「心配には及ばない ただ、たまには昔の声を聞いて自分を見つめ直すのも大切なことだと思っていただけさ」

 

「「あ、良かった いつものミカだ」」

 

 止む気配の無い雨空の下、聖グロリアーナ女学院のエントランスホールに備わっている扉には6人の人影があった。

 赤いパンツァージャケットを身に着けた3人は扉の縁に立ち、外へ繋がる階段に立ってこちらへ礼を述べる水色基調の制服姿の少女達3人を見送る。

 

 制服姿の少女達の中で一際目立つ、チューリップハットを被りカンテレを脇に抱えているミカの言葉にアキとミッコは、いつもの調子で意味の分からない事を言う彼女の様子に安堵のため息を吐いた。

 しかしミカの目はパンツァージャケットを纏う少女達の中心にいる彼女、ダージリンを鋭く見据えている。

 

「……だろう?ダージリン」

 

「……そうね お陰様で一つ、大事な事を思い出したわ」

 

 会話を交わす二人は互いに微笑みを湛えながらも、その眼はしっかりとお互いの瞳を射抜いていた。

 再び一瞬の沈黙が流れる。

 ただその沈黙はすぐにミカが口を開いたため打ち破られた。

 

「それは良かった じゃあ、失礼するよ」

 

「えぇ、御機嫌よう ミカさん」

 

 互いに社交辞令を口にし、ミカが軽くチューリップハットを手で持ち上げて一礼してから背を向ける。

 それを合図にアキとミッコも振り返って、ミカに何事か文句をぶつけながらエントランスホールを後にしようとした。

 

「『二流は自己の振る舞いや言葉を着飾るが、一流は何もせずとも他者にその印象を抱かせる』」

 

 その時、ダージリンが唐突に口を開く。

 思わずぴたりと足を止め、ミカは振り返らずにそのままダージリンと言葉を交わした。

 

「……その言葉は初耳だね 誰の言葉だい?」

 

()()()()よ、今の貴女はどちらかしら?」

 

「……さて、どうだろうね」

 

 少し寂し気な声色でミカはそう言うと、今度こそアキとミッコを連れて去っていく。

 オレンジペコが見送りの為にその後ろ姿を慌てて追いかけていく光景を横目に、アッサムはどこか遠くを見つめるような目をして隣に立っているダージリンに話しかけた。

 

「いいのですか?」

 

「……なにが?」

 

「このまま文香さんを帰して」

 

「いいのよ 私、嫌いな人ほど恋焦がれるタイプみたいなの」

 

「そう言うわりには、随分と仲がよろしかったようですが?」

 

「……意地悪ね、アッサム」

 

「嫌いな人ほどお好きなんでしょう?」

 

「……はぁ 私、お蔭様で友人には恵まれたようね」

 

「今日、貴女が素直になれなかった罰だとでも思ってください ダージリン()

 

「ほんっと 嫌いよ、アッサム」

 

「ふふふっ」

 

 少し拗ねたようにそっぽを向くダージリンの様子を見て、アッサムは二人きりの時にしか見せない少し意地悪そうな笑みを浮かべながら空の様子を伺う。

 降りしきる雨。

 今日は止みそうにもない生憎の土砂降りと、親友のこじれた交友関係を重ねたアッサムは、一人呆れたように目を瞑る。

 

 

***

 

 

「誤射なんて、気にすることないさ」

 

「貴女は……島田さん、でしょうか?」

 

「文香でいいよ アッサムさん」

 

 練習試合後、撤収作業も佳境に入りダージリンを探していたアッサムは文香に呼び止められていた。

 急に呼び止められ、あまつさえ名前まで知られていた事にアッサムは少なからず驚いたが、それよりも文香の不躾とも言える歯に衣着せぬ物言いに顔を顰める。

 

「……突然、なんでしょうか あれは私のミスです。ダージリンは関係ありませんよ」

 

「あぁ、そういうつもりは無いよ ただ……目を瞑ったままだといずれ何かにぶつかってしまう、という事を言いたかったんだ」

 

「……なるほど、お気遣い感謝いたします」

 

 遠回しな激励に数瞬呆けながらもアッサムは素直に礼を言う、しかし文香は自販機の横にあったベンチに腰掛けながら更に話を続けた。

 

「それに私は、一度に29もの味方車輛を撃破したこともあるんだよ それに比べれば些細なことさ」

 

「は……?」

 

「ふふっ 冗談だよ」

 

 その突飛な言葉に今度こそアッサムは呆れたように声を洩らしたが、その様子を見た文香がくすくすと手を口に当てて笑っている様子を見て、アッサムは軽く彼女を睨みつけながら問いかける。

 

「……それで文香さん、私に何か御用が?」

 

「ううん、ダージリンさんが私に聞きたいことがあったみたいだからね」

 

「ダージリンが? ……申し訳ございませんが、日を改めて頂いてもよろしいでしょうか?今の彼女は……」

 

「彼女にも今度言うつもりさ ただ、遠目で私を見ていた君も、何か聞きたそうにしていたから声を掛けたんだ」

 

 そう言いながら、文香は手に持っていたジュースを口に付けた。

 どこかのほほんとした彼女の様子に思わず気を緩ませそうになったアッサムだったが、ダージリンと試合前に会話していた時、遠く離れた位置にいた自分の様子まで観察していたという文香に若干の戦慄を覚える。

 

 整列していたとはいえ100m程度離れた相手の様子を、それも他にも沢山の隊員がいた中で、確かに文香へ一つの疑問を抱いていたアッサムを見抜き、更にその顔まで覚えていた彼女にある種の恐怖心を抱きながらも、アッサムは臆せずにその一つの疑問を投げかけた。

 

「……文香さん 貴女は何故こちらへ進学をなさらなかったのですか?貴女のお母様は……いえ、そもそも何故黒森峰に?」

 

 島田流のお膝元である群馬県には島田流が出資している学園が存在しており、もし文香が高校に進学するとすればこの学園か、若しくは島田流現家元である島田千代の母校であるグロリアーナ女学院へ入学するだろうと予想されていた。

 

 しかし現に今、黒森峰のジャケットを腰に巻きワインレッドのシャツの袖を捲り上げている文香は答えを誤魔化すように微笑みながら口を開く。

 

「ふふっ、風は気まぐれなものさ それか……台風の目がこちらにあったからかもね」

 

「台風の、目? ……なんのことでしょうか」

 

「さぁ? 彼女が言い始めたことさ」

 

 そう言いながら文香はアッサムの後ろへ指を指す。

 アッサムが振り返ると、そこには息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくるまほの姿があった。

 

「ふみ、か……っ お前……なんで、こんな所に……」

 

「お疲れ様、まほ」

 

「お疲れ様じゃ、ない……はぁっ……はぁっ……どこまで、探したと思って……」

 

 西住まほ、アッサム達の代では名を知らない人はいないトップスター。

 冷静沈着で端正な顔立ち、そして圧倒的な実力を持っていながらもそれらを誇示しない彼女は、男性ファンよりも女性ファンの方がかなり多い。

 

 そんなイメージのある彼女が両膝に手を吐いて肩で息をしている姿を目の当たりにして、アッサムは言葉も無く目を丸くしていた。

 文香は、そんなアッサム達の様子を面白そうに見つめながらジュースを飲み終えると、立ち上がりながら二人へ声を掛ける。

 

「さ、行こうか」

 

「はぁっ……はぁ……待て、まって文香……息が……」

 

「ゆっくり整えながら歩けばいいさ どうせじっくりと見て回るんだからね」

 

「はぁ……はぁ…………は?」

 

「外泊届は出しておいたよ」

 

「待て 待て文香、話が見えない」

 

 膝に置いていた手を、今度はこめかみに置きながらまほは文香に詰め寄った。

 しかし、当の文香は澄ました顔で微笑みながら空き缶をゴミ箱に投げ捨てつつ、まほに殴られる前に腕を組んでアッサムに手を伸ばす。

 

「おい文香! こんな事、蝶野副隊長が許すわけ……」

 

「セナさんに身代わりになってもらうさ さぁ、アッサムさんも行こう。まずはダージリンさんを探しに行かないとね」

 

 そう言う彼女に差し伸べられた手を見ながらアッサムは、何を考えているのか分からない文香に問いかけた。

 

「えっと……文香さん?その、西住さんを連れて何をするつもりなのでしょうか」

 

「うん? せっかく聖グロリアーナに来たんだ、観光して帰らないと……それに、どうせなら友達も増やしたいからね」

 

「観光って、文香お前……」

 

「ふふっ 息抜きの仕方を教えるって言ったろう?たまには風に身を任せるのも大切なことだよ」

 

「……はぁ」

 

「決まりだね それじゃあアッサムさん、道案内を頼んでもいいかい?まずはダージリンさんを探さないと……校舎かな?だったら紅茶を飲んでみたいなぁ、それから……」

 

 ため息を吐いて軽く項垂れるまほの横で、本当に楽しそうな笑みを零しながらつらつらと自分のやってみたいことを述べていく文香の顔を見ると、アッサムは思わず文香の手を取っていた。

 

 雲一つないオレンジ色の空。

 その夕陽はまだ幼い少女達を煌々と照らし出しながら水平線へと消えていった。




あとがき(読み飛ばしていただいても全く問題ありません)


 おぉ……もう……(事後修正の嵐)

 まずはここまでお読みくださいまして本当に感謝いたします。
 こんな感じで既存キャラは捏造改変が目立ち、オリキャラも多数出てきますが、これから先もご愛読していただけましたら幸いです。


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二つの流派 4-a

 家族仲は悪くなかった。

 いや、むしろかなり仲の良い親子関係、姉妹関係だったと自信を持って言える。

 

 多忙な父とはあまり面と向かって話すことは無かったが、それでも時間さえ合えば家族全員で遊びに連れ出してもらっていた。

 

 戦車道の一大流派のトップという重圧を一身に受ける母は、そんな中でも私達の前では弱音など一切吐かずに、厳しくも優しい母親であり続けてくれた。

 

 少し変わった人形を好む妹は、大人しいながらもこんな私を姉としてよく慕ってくれて、二人だけで過ごす事の多かった生活も笑い声の絶えない、楽しいものだった。

 

 皆、大好きだった。

 

 

 だからこそ、私は西住みほが羨ましい。

 

 

***

 

 

 学園艦の定期的な寄港日と寄港場所は、事前に保護者や後見人達へと通知が送られる。

 それは、継続高校にとっても例外ではなく、今日の横須賀への寄港も事前に告知されていた。

 

「お久しぶりですね 継続高校戦車隊隊長、ミカさん」

 

 寄港から数時間後、都内の高級ホテルレストランの一室にミカは通される。

 その個室にはキッチンも併設されており、ミカは久しく嗅いでいなかった文明的な料理の匂いに鼻腔をくすぐられた。

 しかしその顔は固く、まるでミカに声を掛けてきた人物に対してボロを出さないよう警戒しているような表情を作って席につく。

 

「……えぇ、お元気そうで何よりです 島田流家元」

 

 一呼吸置き、ミカはいつも通りの微笑を浮かべて、目の前に座っている人物へ話しかけた。

 すると家元と呼ばれた女性、島田流宗家家元である島田千代は、何も答えずに口元へ手に持っていた扇子を添える。

 

 その仕草を見てミカは、ミカとして再び口を開いた。

 

「本日はどういったご用件で呼び出されたんでしょう、私は ……大学選抜の件でしたら、ルミさんを通して頂いた方が助かるんですけどね」

 

「ルミから聞いています ご家庭の事情で大学には行けない、と……貴女程の実力者であれば、戦車道の推薦も狙えるのではないかしら?」

 

「買い被り過ぎですよ それに、元から私は進学するつもりも無いですから」

 

 ミカがそう言っている間に、キッチンからシェフが料理を持って二人の元へやって来る。

 装飾なのか、コップに入ったロウソクが添えられたそのサーモンマリネは、オードブルと言うには少しばかり派手なものだった。

 

「そう、残念……前置きが長くなってしまったわね 今日呼び立てたのは他でもありません、継続高校にルミが私的にレンドリースしていた……」

 

 千代はにこやかに、しかし淡々と事務的なやり取りを開始する。

 その話の内容は、事前に継続高校の方へと書面で送られてきていたものであり、ミカは相槌を打ちながらも意識は他へと飛んでいた。

 そしてミカの目は、いつの間にか自分の前に差し出されていたメモ書きに向けられる。

 

 大学に行かないってどういうこと?お母さん何も聞いてないわよ?

 

 さらさらと流れるように、それでいて読みやすい綺麗な字で書かれていたそのメモを、ミカはしれっと読み流してから目の前にあるロウソクで燃やす。

 ふと、ミカが顔を上げると、そこには表情こそ何を考えているかは分からない、含みを多分に持った微笑を浮かべる千代の顔があった。

 

 しかし、その目の奥にある表情は、15年近く一緒に暮らしていた者にとっては易々と伝わってくる。

 

「……以上が、今回レンドリースを中止する理由です。 確かに連絡は取りづらいでしょうが、上の許諾を得るのも待たずに勝手な行いをしてはならないと……お分かりですよね?」

 

 うっ、とミカは声を詰まらせる。

 盗聴の恐れがある為、こんなにも回りくどい話し方をしなければならないが、最後の言葉は確実にミカ自身へ向けられたものだった。

 

 不味いな、怒ってる。

 心の中でそう呟きながらも、ミカは笑みを崩さずに口を開く。

 

「えぇ、もちろん……ただ、私はこうも考えます 道理を通す為だけの表面的な習わしより、実務的な事を優先する方が良い事もあると」

 

 そのミカの言葉に、千代はぴくりと眉を動かした。

 

「あなたの言う事も理解出来るわ、ただ大学選抜チームが特定の学校に対してだけ整備部品の供与しているというのは……世間体が保てない、というのも理解していただきたいですわね」

 

 千代は最後の台詞をトゲのある言い方で、まるで釘を刺すかのようにミカの方をじっと見つめながら言い放つ。

 事務的なやり取りの裏で行われている会話の内容は、娘の進路を心配している母親の説教という、至って普通なものだった。

 子供というのは一般的に説教を嫌う、それはミカも例外ではなく、分が悪いと分かっていてもミカは思わず反論する。

 

「世間体、というものに意味があるとは思えないですね」

 

「体面を保つというのは大事ですよ まだあなたには分からないかも知れないけれど、」 

 

「それを、貴女が言いますか」

 

「……!」

 

 本音では無い、言い争いの中でつい口を衝いて出てしまったその言葉。

 だが、千代にとってその言葉の意味は、何よりも勝る凶器であることをミカは知っている。

 

 しまった、とミカは自分が口走ってしまった事を内心で激しく後悔するが、後の祭りだった。

 それ以上の会話は無く、ミカと千代はお互いに黙りこくる。

 

 居心地の悪さを誤魔化す為に、ミカは目の前の料理に手をつけることにした。

 しかし、音を立てずにナイフとフォークを使って口に入れた料理は、不思議と味がしない。

 継続高校では絶対に味わえない、折角の御馳走を前にミカは苦笑した。

 

 ここまで気まずい話し合いは、あの日以来だと。

 

 

***

 

 

 音が……いや、声が聞こえる。

 

『よし、試合終了! みんな帰ってきなさい、ご苦労様』

 

「……あっ お疲れ様、二人とも」

 

 副隊長である真美の号令を受けて、文香はやや呆けていた意識をはっとしたように仕切り直し、一息吐きながら自身のパンターの乗員達に声を掛ける。

 

 結局、文香のパンターは定員割れとなる3名で運用される事となった。

 何人かが選抜されてはいたが、文香の用兵についていけずに辞退したり、そもそも文香についていける練度の隊員は既に他の車輛でレギュラーになっていたりと、2週間もの空白期間に生じた穴は、結局埋められずに終わる。

 

 その上、問題なく平均以上の成績を収めているとくれば、より少ないリソースで運用出来る方が、隊全体としては好都合なので隊長にそのままにされた。

 

「島田ぁ……これで私がボディービルダーみたいなガチムチ体型になったら恨むぞ……」

 

「あ、あはは……はへぇ……」

 

 乗員の疲労やストレス等は一切無視されて。

 

「うぉぉぉ!?ちびちゃん!?しっかりしろ!!」

 

 操縦手を務める先輩が、座席にぐてっともたれかかりながら天を仰いで恨み節を飛ばした。

 だが、それ以上に疲弊した様子の砲手と装填手、そして通信手を兼任していたもう一人の乗員が、装填装置の上へ白目を向きながら倒れたのを見ると、先輩は慌ててちびちゃんと呼んだ乗員を助け起こす為に、ハッチを開けて外へ飛び出して行く。

 

 その光景を文香はただ眺めているだけだったが、やがてノイズの混じった音声が、耳に着けていたイヤホンから聞こえ始める。

 

『文香、集合だそうだ 先に行くぞ』

 

「待ってよ 今日のMVPを置いて帰るなんて……」

 

『馬鹿を言うな 撃破数は私の方が上だ』

 

「へぇ…… まほは、私から横取りした獲物も数に数えるんだね」

 

『……どこかの誰かが囲まれて、危うく撃破されそうだったからな わざわざ私が支援する事になってしまった』

 

「あんなの、囲まれている内には入らないよ?」

 

『そうか?尻尾を巻いて逃げ帰ろうとしていたじゃないか』

 

「あれは、森林に誘引しようとしていただけさ 見て分からなかったかい?」

 

『まぁ、口だけなら何とでも言えるな』

 

「……ふふ、ふふふっ ……いいよ、買うよ」

 

『先に売ってきたのはお前だろうが』

 

『さっさと帰って来いっつってるでしょうが!!』

 

 副隊長の耳をつんざく怒号に、文香とまほの日課となりつつあるじゃれ合いが中断される。

 キーン、と耳鳴りが頭の中を響き渡っている中で、文香は口を尖らせながら不平を述べた。

 

「た、ただの馴れ合いに……そこまで怒らなくてもいいんじゃないかな、真美さん」

 

『そう言ってこの前アンタ達、止めに入る車輛を片っ端から排除しながら喧嘩してたじゃないの! おかげで修理費やら燃料費が嵩んで、今月の活動費はカツカツよ、カツカツ!』

 

「……あ、今日の夜ご飯は揚げ物がいいなぁ」

 

『聞こえてんのよ!!後で西住さんと隊長の執務室に来なさい!!!』

 

 文香の間の抜けた声を受けて、再び副隊長の怒号が無線に鳴り響く。

 流石に今のは自分が悪いと、文香は肩を竦めてこれ以上口を開く事はしなかった。

 

「……別に、あそこまで怒らなくてもいいんじゃないか?」

 

「んっ……ふふふっ」

 

 そんな折、いつの間にか隣にまで移動してきていたまほは、ティーガーⅠのキューポラから半身を晒して呟く。

 自分と同じような不満を漏らすまほに、文香は思わず吹き出した。

 

「……なんで笑う?お前もそう思うだろ?」

 

「い、いや……まほって結構そういう所あるよね」

 

「? どういう所だ?」

 

「子供っぽいって事だよ いい意味でね」

 

「……?」

 

 いまいち合点がいっていない様子のまほだったが、文香はまほの変な所で見せる悪戯っ子のような悪びれなさを気に入っていた。

 

「さぁ、早く面倒な鬼退治を済ませてしまおうか 今日は折角の寄港日だ」

 

「おい 今、無線は切ってるだろうな?聞かれてたらまた怒られるぞ」

 

「もちろんさ それより、この後どうしようか?まほは地元だろう?案内して欲しいなぁ」

 

「うん、それは構わないが……」

 

「おや、何か用事でもあるのかい?」

 

 文香の乗員も戻ってきたので、二輌の戦車は隣り合ってガレージを目指し走り出す。

 少し歯切れの悪いまほに、文香は首を傾げながらそう尋ねた。

 

「みほが……いや、妹が上手くやれているか気になってな」

 

「あぁ 確か、今は中等部で隊長をやっているんだったね」

 

 文香は、まほから話は聞いていた彼女の妹の事を思い出す。

 

「周りに気を遣い過ぎてないか、心配なんだ……あの子は、根が優しいから」

 

「君と一緒だね」

 

「……嫌味か?」

 

「傷つくなぁ、本心なのに」

 

「……まったく」

 

 くすくすと笑う文香を見て、まほはため息を吐く。

 しかしそんな文香を見て、まほはあまり深く考えてもしょうがないと気が楽になっていた。

 

 そして、乗員も交えた無駄話をしながらガレージに着くと、頼んでもいない出迎えが立っていることに気付く。

 

「二人とも、お帰りなさい……あぁ、他の皆は帰っていいわよ お疲れ様」

 

 はーい、と返事をしながら文香とまほの乗員達は、自らの車長を見捨てるようにさっさと立ち去った。

 そんな乗員達を咎める事もせず、二人は見事なまでに作り物だと分かる笑顔をこちらへ向ける真美から逃げようと、僅かに後ろ足をつく。

 だが、そんな虚しい抵抗はすぐに意味が無くなった。

 

「さぁ、鬼退治をするんでしょ?西住さん、島田さん? ……さ、行きましょっか」

 

 逃げられないよう首根っこを掴まれ、そのまま持ち上げられるんじゃないかというくらいの勢いで副隊長の真美に引き摺られていく中、まほと文香は視線だけで会話する。

 

 切り忘れてるじゃないか、無線。

 

 ごめんね、本当にうっかりしていたよ。

 

 

***

 

 

「えぇぇ~~~~…… めんどくさ……行きたくない……やだぁ……」

 

「嫌だ、じゃないわよ…… アンタ、これがどれだけ名誉な事だか分かってないの?」

 

「やぁだぁ~~!やだやだやだやだやだやだぁ!!!」

 

「……アンタって子は、ホントにもうっ!!」

 

 数分後。

 隊長の執務室に連れてこられた文香とまほが目の当たりにしているのは、駄々を捏ねて床でジタバタと暴れる隊長の姿と、母親のような呟きを洩らしながらそれを捕まえる副隊長の姿だった。

 

「うっ……」

 

「……わぁ」

 

 隊長の恥も外聞も無い行動は見慣れているはずの二人も、流石に少し引いたように壁際へと退く。

 

 事の発端は、まほと文香を連れてきた真美が、パソコンの前で腕を組んでいたセナを見つけた事だった。

 何事かと思い、真美がセナのパソコンの画面を覗き込むと、そこにはメール画面が。

 そして差出人の名前欄には西住しほ、とあった。

 その内容は、全国大会の前に一度お茶でもどうかというもので、真美は大層喜んでいたが、対するセナはすこぶる嫌がった。

 理由は……

 

「だって今日、やっと公開なのに!ずっと待ってたんだよ!明日でもいいじゃん、ね?ね?」

 

「それこそ映画なんかいつでも観られるでしょうが! 師範代がわざわざ時間を割いて下さったのに、アンタ馬鹿じゃないの!?」

 

「もう約束したんだってば!ほら、チケットだって買っちゃったし!!」

 

 そう言いながら、セナはパンツァージャケットのポケットから、くしゃくしゃになった映画の前売り券を取り出した。

 最早なんの映画だったかも分からないほど印刷が潰れているそのチケットを見て、真美は今年に入って何度目か分からないため息を吐く。

 

「……今時、紙のチケットを買う人もいるのね でもそれ、多分もう使えないわよ」

 

「なんで!!」

 

「そんな印刷も見えない紙切れで、入れてもらえる訳ないじゃないの……」

 

「へ?……あ、ああ……!?なんでこんなんになってんの!?うわあああ!?」

 

「ジャケットの中に、それも練習中ずっと入れてたらそうなるわよ……」

 

 泣き崩れそうになっているセナを、真美は心底呆れ返った目で見つめる。

 そしてしばらくすると、もう一度大きなため息を吐いてからセナへと話しかけた。

 

「……はいはい 今日ちゃんと挨拶に行けたら、私が新しいチケット買ってあげるから」

 

「あぁぁぁ……ぁえ? え、マジ!?」

 

「マジよ、マジ」

 

「……ぃぃやったぁぁぁ!!よし行こう! 真美、さっさと準備!遅いよ、遅い遅い遅い!」

 

 今度はまるで子供のようなテンションで着替え始めるセナに、真美は少し泣きそうになりながら呟く。

 

「……なんで、なんでこんなのが黒森峰の隊長なのよぉ……」

 

 そんな副隊長の背中に、文香とまほは深い憐みを抱いた。

 当の真美は、公用車のキーを取り出そうと机の引き出しを漁る。

 

「……あ、副隊長 よろしいでしょうか」

 

 すると、まほが哀愁を漂わせる真美へと話しかけた。

 

「……どうしたの?西住さん ああ、こんな隊でごめんね……私、もっと頑張るから……もうちょっとだけ我慢してくれるとうれしいな……」

 

「いえ、そうではなくて……もしよろしければご一緒させて頂けませんか? 実家に用がありまして」

 

「……? えぇ、いいけど」

 

 少し怪訝そうな表情を真美は浮かべるが、確かに目的地が一緒なら乗せていってあげても別にいいか、と了承する。

 すると、まほのパンツァージャケットの裾が、横にいた文香にくいくいっと引っ張られた。

 

「まほ、まほ」

 

「なんだ?」

 

「約束が違うじゃないか 今日はこの後、一緒に遊びに行こうって……」

 

「? ああ、そうだな」

 

 少しだけ睨むような目でこちらを見てくる文香に、まほは軽く首を傾げる。

 そのまほの様子を見て、文香は一つの可能性に気が付き、尋ねた。

 

「そうだな、って……もしかして、まほの家に遊びに行くのかい?」

 

「うん? うん」

 

「……本気かい?」

 

「本気も何も、遊ぶなら家しかないだろう」

 

 さらっと、何を当たり前の事をとでも言いたげな様子でまほは言いのける。

 対して文香は、少し眩暈を感じたかのように眉間を指で抑えた。

 

「……まほって、実はかなりの天然だったりするのかな?」

 

「それはお前だろう」

 

「いや、人の事言えないよ……本当に」

 

「……やはり、高校生にもなれば街で遊んだ方がいいのか?」

 

「そこじゃないよ…… いや、確かにそれもそうだけどね……」

 

 相変わらず首を傾げているまほを横目に、文香は自分の現状を評価する。

 

 確かに、学校内では針の筵どころか、友人にも少なからず恵まれ楽しい生活を送れているだろう。

 しかし世間から見れば、西住流のお膝元である黒森峰女学園に、その最大の敵とも呼ばれる島田流の宗家の長女が在籍しているだなんて、少なくとも西住流関係者からしてみれば腹の虫が収まらない事態である。

 

 この状況で、島田流の長女が西住流の宗家邸宅に出向くなど、火に油を注ぐ行為に他ならない。

 そして、そんな事が分からないほどまほは愚かでは無い。

 では、何故──

 

「あぁ……ふふっ」

 

 そこまで考えて、文香はまほの様子に気付く。

 文香を見つめるまほの顔は、ただ純粋に困惑しているようだった。

 何故なら、友人を家に連れて行くのに何か理由が必要なのか、と心の底から思っているからだ。

 

 本当に、友人には恵まれたようだね。

 そんなまほの様子を見て、文香は本当に嬉しそうに微笑みながら、まほに話しかける。

 

「ごめん、まほ 何でもないよ……じゃあ行こうか」

 

「ああ、いいのか?」

 

「大丈夫……だと祈ろうか」

 

 文香の変わり身の早さに、まほは相変わらず首を傾げていた。

 しかし、文香はそんなまほの様子を見て嬉しそうに笑う。

 

 

***

 

 

「それで逸見さん、何故島田流の教えを受けた子が黒森峰に、そしてこの場にいるのか 説明して頂戴」

 

「……」

 

「セナ?……ちょっとセナ、何黙ってんのよ……!」

 

「ほら、やっぱりこうなった」

 

「……何故だ?私と文香は友達なのに」

 

 臆面も無く言われたまほの言葉に、文香は思わず顔が赤くなりそうだったが、すぐに下を向きそれを誤魔化す。

 

 あれから1時間後、とある部屋に通された4人は静かにこちらを見据える目に射抜かれていた。 

 その部屋は、西住流宗家師範代である、西住しほの部屋。

 そして4人に相対してるのは、現在病気療養中の家元に代わり、西住流宗家を執り仕切っている西住流家元代行の、西住しほだった。

 

「ちょっとセナ……!失礼の無いように、とは言ったけど……別に喋るなって意味じゃないわよ……!?」

 

「……」

 

 しほと顔を合わせてからずっとだんまりを決め込んでいるセナに、真美は焦った様子でセナの肩を揺らしながら話しかけている。

 しかし、当のセナはじっとしほの目を見つめ続けていた。

 

「あ、いやーすみません師範代!セナ……コホン、隊長ってば緊張してるみたいで……アハハ……」

 

「……」

 

「……」

 

「あは、は……はは……いっそ殺して……」

 

 そんな黙りこくっている二人に挟まれている真美は、憔悴し切った声でそう呟く。

 

「まほ 君のお母さん、怒っているみたいだね」

 

「? いや、そうでもない むしろ……」

 

「まほ」

 

 セナや真美の後ろに座っていた文香とまほが話していると、しほが透き通った声でまほに声を掛けた。

 

「なんでしょう、お母様」

 

「そちらの方は?」

 

「友人の文香です」

 

「そう」

 

 その端的な会話を、しほとまほは真顔で何の気なしに交わす。

 

 だが、その様子を見ていた真美は、しほの一言一言に心臓が口から出てしまうんじゃないかというほど緊張していた。

 というのも先程まで、というよりこの家に着くまで西住流の宗家に文香を連れて行くということがどういう事か、呆然自失となっていた真美は気付いていなかったからである。

 

「セナ……せなぁ……お願い喋って…… 私、もう気がおかしくなりそう……」

 

 真美が我に返った頃には、しほと顔を合わせる段取りとなっており時既に遅く、真美の背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 

「文香さん」

 

「……はい」

 

「娘がお世話になってるみたいね」

 

「……私がお世話になっていますよ、いつも」

 

「そう 仲良くしてあげて頂戴」

 

「ええ、勿論です」

 

 再び、真美の魂が抜けていそうな呼吸音が聞こえるほど辺りは静寂に包まれる。

 しほは、家政婦に用意させた緑茶の入った湯飲みを手に取ると、ゆっくりと口を付けた。

 

「……それで、貴女は何故こちらへ?」

 

 そしてことり、と音を立てて湯飲みを机に置くと、しほにとっての本題を切り出す。

 

「……何故かなんて、理由はもう忘れてしまいましたよ」

 

「日本代表のテストチーム、もしかしてあれが原因かしら?」

 

「っ!」

 

 有耶無耶にして誤魔化そうとしていた文香の口は、しほの述べた一言に封じられた。

 その単語を聞き、文香はどこか呼吸も忘れたかのように動揺する。

 文香の様子を見ていたしほは、少しだけ雰囲気を和らげて話を続けた。

 

「……話には聞いています あれは貴女の、」

 

「関係ないでしょう、その話は……!」

 

 しほはどこか同情めいた声色で文香に話しかけていたが、その言葉は文香の怒気を孕んだ声に中断される。

 

「……文香?」

 

「……いや、なんでもないよ 大丈夫さ」

 

「……そうか」

 

 いつになく取り乱した様子の文香に、まほが横から声を掛けた。

 そんなまほに、文香はいつもの笑みで答える。

 まほは、その文香の表情に含まれる意味を知った上で口を閉じる。

 その表情はどこか寂しげだった。

 

「……そうね ただ、貴女はどうして黒森峰を選んだのかしら?」

 

 しかし、しほは文香に対しての詰問紛いな問いかけをやめない。

 

「戦車道を続けたいだけだったのであれば、他にも数多くの学校があったでしょう ……何故、黒森峰に?」

 

 その目は、家元としての風格を既に持っている、大きな組織の長に足る威圧感を持っていた。

 その目に、思わず文香は気圧されて圧倒される。

 

「……そ、の」

 

 口が動く。

 話したくない事を、皆に知られたくない事を、文香は打ち明けようとしていた。

 

「貴女の……真意は、何かしら?」

 

 しほの再度の問いかけ。

 しほの瞳はまっすぐと、文香の姿を捉え続ける。

 そして、文香はその瞳に映った自分自身の姿を見てしまった。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い。

 そう訴えかける自分自身の姿。

 その姿を、文香は知っている。

 そしてその自分自身の姿が、思い出したくなかった記憶を、次々と文香の奥底から呼び戻した。 

 大人達に囲まれ、大人達に嫉妬され、大人達に虐められ、最後には大人達に全力で排斥された思い出。

 

 ふと、文香は横に座るまほの方を見る。

 相変わらず文香を心配そうに見つめる、優しい目。

 その目が、唾棄すべき物を見るような冷めきった目に変わってしまう事を想像してしまい、自分の意思とは関係無く文香の手が震えた。 

 

「……っあ、あ」

 

 そして文香の心は、ついに恐怖という感情に支配される。

 呼吸をすることも忘れていたおかげで、彼女が思わず上げた絶叫は、ただの呻き声となって口を出た。

 

 いっそ、全てを言えば楽になれる。

 逃げ出してしまおうか。

 

 そんな考えが頭を過ぎる。

 そして文香は口を開いた。

 

「っ……それは、」

 

()()

 

 この部屋に入ってから、初めてセナが口を開く。

 その声に、文香は救われた。

 

「私の()()()を、訳知り顔で勝手に使うな」

 

 その声はあまりにも乱暴な、敬意というものを微塵も感じさせない口振りだった。

 

「な、な、な、な…… なんて、師範代になんて口聞いてるの馬鹿ぁ!!」

 

「黙れ、副隊長」

 

「で、でもそんな口の利き方……」

 

 セナのあまりにも失礼な物言いに、真美は慌てた様子で叱りつけようと声を荒げる。

 

「黙れ、と()は言ったんだ」

 

「……っ」

 

 しかし、まほと文香は初めて見る、そして真美は本当に久しぶりに見るセナの表情に声を失った。

 

「不愉快なんだよ 他人に私の物を漁られるのは」

 

 そのセナの声は、時折り耳にする作られた無機質な声。

 そして、いつもころころと表情を変えるセナが今見せている顔は、まるで人形のように整えられた無表情だった。

 

「師範代 貴女は今、どこに立っている?」

 

 セナの目は、まっすぐと目の前にいるしほを捉える。

 

「西住流の師範代で、今は療養中の家元の代行まで務められている、とても立派な事でしょう 私には想像もつかないくらいの高みだ」

 

 その目の中には、一切の感情が見て取れなかった。

 

「……で? それが一体、私達に何の関係がある?」

 

 だが、少しずつ目の色と声に表情が付き始める。

 

「黒森峰の戦車隊は私のもの 全て、全て隊長である私だけの物だ」

 

 そう言い放つ声は、どこか嬉しさを滲ませていた。

 

「まほも文香も他の子も、全員等しく同じ…… 私の愛する、私だけの隊員だ」

 

 そう言いながらも、その目はしほをどこまでも冷たく見つめ続けていた。

 

「私の部隊は西住のものでも、ましてや島田のものでも無い 私だけの、黒森峰(わたし)の戦車隊だ」

 

 セナの見つめる先にいるしほは、眉一つ動かさずにセナの言葉を受け止め続ける。

 

「師範代 私は貴女を尊敬しているし、小さい頃からお世話になった恩も感じています──だから、敢えて言わせて頂きましょう」

 

 まほちゃん、ごめんね。

 セナは心の中でまほに謝罪する。

 まほの実の母親に向かって言う台詞としては、あまりにも毒気の強いものをこれから言おうとしているからだ。

 しかし、そんな理性を上回って、セナの感情は怒りに満ち溢れていた。

 

「貴女の立場は今どこだ? 監督でも無ければコーチでも無い、ただの一生徒の親御さんだ」

 

 セナは立ち上がり、しほを見下ろしながら言い放つ。

 その目と声は、どちらもしほを心から拒絶していた。

 

「何故 ()()()()が私を呼び出し、私の隊に我が物顔で指図して、あまつさえ私の隊員の心の内を探ろうとしているんだ?」

 

 そして、セナの最後の一言で、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 辺りの空気が凍りついた。



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