超次元ロマン海域アズールねぷーん (アメリカ兎)
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それは超特急の出会い

キャラ紹介
主人公そのいち エヌラス/絶望の魔人……色々あってネプテューヌ達の教会で世話になっている魔人。体術から魔術まで何でもござれの戦闘能力極振りだが、生活能力が壊滅的である。目玉焼きすら焼けないくらいには壊滅的。悩みのタネは話を聞いてもらえないこと。

主人公そのに 指揮官/菩薩提督……アズレン世界の母港で艦隊を運営している責任者。いつもニコニコ爽やか青年。ネプテューヌ達が突然来訪した時も笑顔で即時対応したくらいには心が大海原並に広いが、怒らせると非常に恐ろしい。秘書艦はローテーション制。未ケッコン勢。悩みのタネは艦隊からの熱いラブコール。


 

 

 

 ──ゲイムギョウ界。超次元とも呼ばれる、四人の女神が世界を守護する世界。

 そして、女神達はとある事件によって新たな世界との邂逅を果たした。

 その名は「アズールレーン」と呼ばれ、少女の姿をした艦船達が謎の勢力「セイレーン」との戦いを続ける世界。そこへ続く次元の通り道は今もなお、開いたままだという。

 

 

 

「と、いうわけで! エヌラスも行ってみない?」

「導入くっそ雑だな。類まれに見る適当加減に草が禁じ得ないんだが、ネプテューヌ」

 プラネテューヌの教会こと、プラネタワーの最上階。紫の守護女神パープルハートこと、ネプテューヌが特大スライヌクッションに体重を預けながら教会で世話をしている絶望の魔人、エヌラスに一緒にアズールレーン世界へ行ってみないかと提案していた。

 

「いやー、わたしもさー。久しぶりに綾波とかーラフィーとかージャベリンとかーニーミとかに会いたいし。せっかくだしエヌラスも一緒に行こうよーね~え~いいでしょ~? 一生のお願いだからさ~」

「一生のお願い軽すぎないか? 大体いいのかよ、こっち」

「ネプギアがいるからだいじょーぶ! ね、ネプギアー!」

「はい。お姉ちゃんが不在の間はわたしが頑張るので安心してください」

「うんうん。やっぱりネプギアがいると安心するなぁ。ほら、ノワールたちも一緒に行くって予定だからさぁ、それならいいでしょ~?」

 あらかじめ訪問の予定が取り決められていたらしい。エヌラスはため息をつきながら考える。

 

「いいのかよ、俺も行って? 向こうに何も言ってないのに」

「いーのいーの。向こうの指揮官さん、すっごくいい人だから。挨拶したくらいだけど、プリン用意してくれたし!」

「お前の判断基準プリンかよ」

 信用ならないが、話を聞けば、突然現れたネプテューヌ達に対して笑顔で部屋を用意してくれたとのこと。それを聞く限りでは仏のような指揮官だ。一応世話になっている身分、こちらも挨拶くらいはしておくべきだろうか。

 

「まぁ、そこまで言うなら俺もついていってやるが……」

「やったー! ありがとうエヌラス! じゃあ待ち合わせ時間過ぎてるから飛んでいくね!」

「テメェのスケジュール管理どうなって、ああああああぁぁぁぁ!!?」

「いってらっしゃーい」

 女神化したネプテューヌ、パープルハートに手を引かれてエヌラスはプラネタワーから飛んでいった。

 

 

 

 ブラックハート、グリーンハート、ホワイトハートの三人と共にアズールレーン世界へ繋がるという次元の入り口を通過する。イストワールが管理しているというので安全だとは思うが……。

 

 ──抜けた先で、真っ先にエヌラスを待ち受けていたのは一面の海。大海原と突き抜けるような青い景観だった。

 青空と、青い海が地平線の彼方、水平線の彼方まで続いている。磯風と波しぶきの音を聞いて、遥か眼下に望む景色の中で水上を走る少女達の隊列を見た。こちらにまだ気づいていない。

 

「このまま母港まで行くわよ。エヌラス、しっかり掴まってて」

「あっ」

「あっ」

 言うのが遅かった。パープルハートの手から落ちたエヌラスが変神して飛行しようかとシェアクリスタルを取り出そうとするが──シェアがない。

 そのまま耐衝撃体勢で水柱を上げて海面に叩きつけられた。

 やってしまった、という顔でパープルハートが眉を寄せている。

 

「しまったわ……」

「貴方ね。こっちの世界に来たばかりの時のこと、もう忘れたの? 私も貴方もシェアがなくて変身できなくて困ってたじゃない」

「そうだったかしら? なんかノリと勢いでどうにかしてたくらいしか記憶にないわね」

「はぁ……とりあえず、エヌラスを引き上げて母港に急ぎましょ」

「そうですわね」

「だな。初っ端から濡れ鼠なんてついてねーな、エヌラスのやつも」

「ここは、やはりわたくしが連れて行くべきでは?」

「なに抜け駆けしようとしてるのよ。私が連れて行くわ」

「なんなら、あたしでもいいんだぜ?」

「ちょっと三人共。勝手なことを言わないでちょうだい、わたしが責任持って最後まで──」

 

「ごぼぼぼぼぼぼ…………」

 四人が言い合っている間に、エヌラスはなんとか海上に顔を出した。思い切り海水を飲んでしまって舌がひりつくような痛みを訴えて涙目になっている。

 そんなエヌラスを囲むようにして、少女たちが近くまで滑るようにして停まった。

 

「あの、大丈夫、ですか?」

「どこから……?」

「あ、あそこ見てください! ねぷねぷ達です! お~い、ねぷねぷ~!」

「俺を引き上げてくれ……」

 いっそのことここから泳いで母港まで行ってやろうか? エヌラスが血迷い始めた頃に、ようやく手を差し伸べられた。

 

「大丈夫か。私の手を取るといい」

「ああ、サンキュー……このまま泳いでいくところだった……」

「そ、それはすごい根性だな……」

 大きな弓を持った、銀髪の女性。肩には鷹が留まっている。しかし、一人では流石に厳しいのか大口径の砲台を背負った青い服の女性も手を貸した。

 

「災難でしたね。私達が母港まで護衛してさしあげます。それまで辛抱していただけますか?」

「願ったり叶ったりだ。もうあんな高度から海面に叩きつけられたくないからな……ありがとう、命の恩人」

「ふふ。大げさですね。申し遅れました。私はフッド」

「ヨークタウン型二番艦エンタープライズだ。母港近海の巡回も兼ねての出港だったのだが、思いの外早い帰還になりそうだ」

「迷惑掛けてごめんな……」

「お気になさらず」

 淑女らしく、やんわりとした微笑みを向けてエンタープライズとフッドの二人に連れられてエヌラスはネプテューヌ達が世話になったという母港へと向かう。その間、パープルハート達は久しぶりに出会った綾波やジャベリン、ラフィーと談笑していた。お前のせいだぞ、お前の。

 

 

 

 早々に母港へ帰還することとなったエンタープライズの率いる艦隊はすぐに他の仲間達に囲まれた。というのも、ネプテューヌ達が来たからである。

 元から人気者だったらしい女神達は再会からあっという間に溶け込んでいた。

 その一方で、頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れとなったエヌラス。黒髪、ツリ目に血のような赤い瞳。加えて左目に刀傷の黒スーツ。少々近寄りがたい風貌の成人男性だが、ハンカチを差し出してフッドが顔を拭っていた。

 

「ここの艦隊の指揮官に挨拶したいんだが……」

「その前に服を乾かさないと、風邪を引いてしまいますよ?」

「いや、服はいいんだ。すぐに乾燥させられるから。少し離れてくれ」

 フッドが二歩下がり、エヌラスは右手の魔術刻印を起動させて服を払う。そうすると、一瞬のうちにスーツの水分が蒸発して乾燥する。全身から霧を噴き出したかと思えば、元通りだ。ついでに前髪もかき上げて邪魔にならない程度に散らしておく。やや左側を隠すように伸ばした髪をセットして、準備万端だ。

 

「これでいいか?」

「……驚きました。まるで魔法のようですね」

「ああ。手品のようだ」

「いやぁ、ははは……まぁ」

 まるで、というか。まんま魔法なのだが。あんまり使うべきではないだろう。異文化コミュニケーションにも限度がある。

 

「しかし、母港近海の巡回が必要なほど危険なのか?」

「いや、そこまでの脅威は無い。散歩のようなものだ」

「散歩に戦艦と空母ってとんでもない燃費だな……」

 軍関係の知識はある程度備えているエヌラスは、二人の武装を見てそう判断した。それは当たっていたらしい。

 話を弾ませているネプテューヌ達の邪魔をするのも悪い。こちらで挨拶を済ませてしまおう、そう考えていたエヌラスの目に留まったのは、一人のメイドを引き連れた白い水兵服の青年だった。

 

 軍帽を外し、耳に掛からない程度に短く切り揃えた黒髪のショートヘアの男性は恐らくは成人済み。温和そうな顔立ちの男性はやや下がった目尻に、少しだけ幼さを残していた。

 

「おかえり、エンタープライズ。フッドも。巡回の方は途中で切り上げたんだって? なにかあったのかい?」

「指揮官。ただいま戻りました」

「無事で何より。それにしてもこの騒ぎ……ああ、ネプテューヌちゃん達か。納得」

 うんうん、としきりに頷き、指揮官と呼ばれた責任者は軍帽をかぶり直してエヌラスと向かい合う。背丈はやや低い程度。身長は恐らく一般的な数値の誤差といったところ。

 

「それで、貴方は?」

「女神様のお知り合いです。連れてこられました。お世話になったらしいので挨拶にでも、と」

「なるほどなるほど。いやぁ、その折はこちらも大変お世話になりました。固くならなくていいですよ。あっはっは、あの時は大変だったなー」

 朗らかに笑って済ませるが、隣のメイドの顔が少しだけ呆れていた。その様子から当時の苦労が窺える。

 

「おっと、自己紹介が遅れた。俺はエヌラス」

「ボクはー……まぁ、指揮官とでも呼んでください。みんなそう呼んでくれますし」

「そうか。それじゃ、よろしくな指揮官」

「よろしく。エヌラスさん。男の人が来てくれたのは多分史上初じゃないかな。いやー嬉しいなぁほんと嬉しいなぁ。そうだ、ベルファスト。早速おもてなしの用意を」

「かしこまりました、ご主人様」

「ボクはいつもどおりで。エヌラスさんは何か飲まれます? コーヒーから紅茶まで、何ならウイスキーにワインに、ビールとアルコールも多数取り揃えてますよ」

「流石に昼間から酒は呑まないな……じゃあ、紅茶で」

「すぐにご用意致します。どちらまで」

「執務室でよろしく。それでは、我が母港をご案内します──ようこそ、我が海戦(ロマン)の最前線へ」

 

 

 

 

 指揮官に案内されたのは、大食堂に講義室。道すがらに購買部。艦船達の寮舎。それからすぐに執務室へエヌラスは案内された。

 ネプテューヌは駆逐艦や軽巡洋艦達と一緒に遊び始め、ノワールは重巡洋艦達と何やら真面目な話をしている。ブランは図書室へ、ベールは空母の待機室……もといゲーム部屋へそれぞれ思い思いの行動をしていた。それに関してエヌラスは大丈夫なのか、と尋ねる。

 

「うん? 勝手知ったる人の家。ボクとしてはみんなと交流を深めてくれていたらそれでいいよ」

「指揮官。あんた聖人かなんかか?」

「顔のせいか成人済みかよく聞かれるんだよね。困ったなぁ、これでも健全な成人男性なんだけれども」

「失礼いたします、ご主人様。お茶のご用意ができました」

「早いな!?」

「メイド長としてこれくらいは朝飯前です。それとこちらは焼き立てのスコーンです。よろしければ」

「助かるよ、ちょうど小腹が空いていたんだ」

 まるでタイミングを見計らっていたかのようにベルファストが紅茶とスコーンを運んできた。執務机の書類を簡単に片付けてから、入れ替わりで手渡す。

 

「それじゃあ今度はコレを明石によろしく」

「かしこまりました。それではごゆっくり」

 会釈すると、胸元の開いたメイド服からこぼれ落ちそうな胸の谷間が覗いた。首から垂れた鎖も相まって何とも艶めかしい雰囲気だが、それを気にさせないほどの瀟洒な立ち振舞。軽やかな足取りで執務室を後にする。

 

「さて、それじゃあせっかく用意してもらったんだし美味しくいただこうかな。エヌラスさんもどうぞどうぞ、くつろいでください」

「それじゃあ遠慮なく。ぐでぇ」

「あっはっは、良いリラックスぶり。それじゃあボクも。ぐでぇ~」

 ソファーに腰を下ろしたエヌラスが肩の力を抜いてリラックスする。それに倣って、指揮官もまた執務机に突っ伏しながらスコーンを頬張った。行儀が悪い、なんて叱る艦船も此処にはいない。

 執務室に来るまで数え切れないほどの少女たちとすれ違った。笑顔で挨拶をする指揮官の苦労なんて測りきれるものではない。どれほどの激務に普段から追われているのか。付け加えてネプテューヌ達女神の面倒も見てくれたとあれば、こちらも何か礼の一つしなければ割に合わない。

 ベルファストの淹れてくれた紅茶を一口含む。上品な味わいに仕上がった茶葉に、スコーンにも手を伸ばす。くどくない甘みに、程よい熱さが紅茶を進ませる。

 

「気に入ってもらえました?」

「そりゃもう。ホント美味しいな、この紅茶もスコーンも……」

「ベルファストはうちの艦隊随一のメイドですからね」

「……やっぱり戦闘も?」

「ええ当然」

 戦闘も家事もこなしてこそメイドの務めとベルファストは言う。さすが一流のメイドは言うことが違う。見習え我が家のダメイド一号二号。エヌラスは感心しながら紅茶を空にした。

 

「さて、十分にくつろがせていただいたところで。少々折り入って話が」

「ボクに出来る範囲でよければ聞きますよ。こう見えて結構融通が聞く艦隊なので、ええ。自慢ですとも、ふふん」

「なにか俺に手伝えることはないかな、と」

「……いいんですか?」

「ネプテューヌ達も世話になったみたいだし、窮地を救ってくれた恩人ということで。女神に代わって何か恩返しをと」

「とんでもない。女神様達にはボクも大変助けられました、恩返しなんてそんな」

「そうは言われてもねぇ……」

 外から聞こえてくる「ねぷねぷ音頭」のはしゃぎっぷりときたらちょっとしたお祭り状態だ。このままでは午後の艦隊運用にも支障をきたすのではないかと思われる。

 

「ちなみに午後の予定は?」

「出撃予定でしたけど、まぁ後日でいいかな。今日はお休みで」

 そんなんでいいのか艦隊運用。適当過ぎないか指揮官。どれだけ心が広いんだ。この水平線ばりに懐が深くないか。それぐらいでなければ笑って流して事は無しなんて言えないのだろう。まさに菩薩のような指揮官だ。

 

「それじゃあ艦隊に休暇の通達をしますので……そろそろか」

 指揮官は懐中時計を取り出すと、時間を確認して頷く。視線をドアに向けると同時に三回ノックから、再びベルファストが執務室へと入室した。

 

「お待たせしました、ご主人様。紅茶のおかわりをご用意させていただきました」

「流石、時間どおり。ベルファスト、今日の出撃は中止。全艦に半休だと伝えてもらえるかな」

「ええ。かしこまりました、ではそのように伝えて参ります」

「メイド使いが荒くていつもゴメンよ」

「お気になさらないでください。主に仕えるはメイドの本懐でございます。何なりとお申し付けくださいませ、ご主人様」

「本当に助かるよ。……どうかしましたか、エヌラスさん?」

「どこか痛みますか?」

 目頭を押さえ、俯いていたエヌラスが首を横に振る。

 

「いや……そうだよな。メイドって本来こうあるべきのが正しい姿ってのを見せつけられて、なんだかこう、目が熱くなってきただけだ……気にしないでくれ」

「は、はぁ……そうですか。体調不良の際はお申し付けくださいませ」

「よくわかりませんが、エヌラスさんも苦労してるんですね」

 身内の苦労など他人には推して計れるものでもない。ベルファストの紅茶で涙を飲み干す。

 かくして──エヌラスは指揮官の運営する母港でネプテューヌ達共々世話になることとなった。



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木陰に浮かぶシルエットは間違いなく奴さ

 

 

 

 指揮官が言うには、補佐役が誰か欲しかったので丁度良かったという。それは秘書艦と何か違うのだろうか? エヌラスが気になって聞き返してみる。

 

「まぁぶっちゃけ雑用と大差ないと思うけどね。ほら、こう見えてうちの艦隊って大所帯だからボクだけじゃ手が回らないんだ。秘書艦の手を借りても限界はあるし」

「なるほど」

「そういうことだから、エヌラスさんには僕の仕事を補佐してもらおうかと。大丈夫、簡単な仕事から教えてあげますので」

「俺としては何でもいいんだけどな」

「今なんでもって?」

「言ったけど限度はあるからな!?」

 眼光鋭く揚げ足鳥。この指揮官はどうやら無能ではないらしい。すぐにニコニコとした笑顔になると、机の中から腕章を取り出して何やらマジックで書き込んでいる。

 

「はい、出来ました。これをどうぞ」

「手書きで『補佐官』と書かれてもな……」

 無いよりはマシか。さりげなく右下に小さく『(研修中)』とか書かれている小粋なジョークも忘れない。

 

「正式な手続きとかはー……なんか大本営とかと連絡するの面倒なので個人的なものとして取扱させていただきますね」

「本当に大丈夫かそれ」

「何か査察とか来たら異次元の来訪者ですー、で笑って済ませますので。あっはっは」

 本当に大丈夫かこの指揮官。一抹の不安を抱えながら、エヌラスはスーツの上着に赤い腕章を通して安全ピンで留めた。

 

「さて、それでは早速うちの艦船を簡単にご案内しますので。後は図書室などで理解を深めておいてください」

「了解、指揮官殿」

「頼りにさせていただきますよ、補佐官殿。いやぁいいなぁこういうの、懐かしいなぁ。男友達同士の、こう、そういうノリって中々難しくて」

「わかるわ」

「それなー、あっはっは」

「あっはっはっは」

 意気投合して笑い合う二人は、執務室を後に母港を再び見て歩く。

 

 

 

「よーっし、それじゃみんな! いっくよー! せーのっ!」

 

 ──ねっぷねっぷにし~てや~んよ~♪

 

「まだまだぁー!」

 

 ──ねっぷねっぷにし~てや~んよ~♪

 

「もういっちょー!」

 

 ──ねっぷねっぷにし~てや~んよ~♪

 

「うんうん、ねぷねぷ音頭もだいぶ板についてきたね! もうコレはパーフェクトハーモニーと言っても過言ではないのではないでしょうか! ね、サンディエゴ!」

「ねぷちゃんの言うとーり! もうこれは大ヒット間違いなし、売り出したらミリオンセラーも夢じゃないよ!」

「いやぁ流石わたし、プラネテューヌの女神は一味違ったかぁ~!」

「パーフェクトもハーモニーもないだろうが、何してんだお前は!?」

「ねぷっ!? この怒鳴り声は、もしやエヌラス!」

「いやぁ盛り上がってるねー。今度お祭りでも開けそうだ」

 駆逐艦や軽巡洋艦が大勢集まって母港に響き渡る「ねぷねぷ音頭(作詞作曲・ネプテューヌ)」に乗り込むエヌラスと指揮官。

 

「指揮官指揮官、しっきっかーん♪ どうどう、ねぷねぷ音頭の盛り上がり!」

「うんうん、大盛況。なんだか屋台の焼きそばが食べたくなってくるね。艦隊のアイドル、サンディエゴも一緒に盛り上げてくれたからかな?」

「でしょー? 指揮官もお仕事なんかしてないで遊ぼーよー?」

「そうしたいけれども、彼にみんなを紹介しないといけないからね。散歩がてら」

「そうなんだ、いってらっしゃーい!」

「はーい、いってきまーす。みんなー、半休だからといって羽目を外しすぎないよーにねー! はい解散!」

『はーい!』

 指揮官が手を叩くと、それを合図に和気あいあいと散開する。既にベルファストからの通達が回っているのか、特に疑問もなく広場の人がまばらになっていった。ネプテューヌは腰に手を当てて頬を膨らませている。

 

「もー、せっかく盛り上がってたのにもうお開きにしちゃうなんて」

「お前は来て早々にはしゃぎすぎなんだよ、加減しろ加減」

「遊びに全力出さなくてどうするのさ!」

「仕事しろ」

「残念ながら今回はお仕事で来てるんだな~これが。異文化、コミュニケーションていうの?」

「そのネタ通じるの総じてオッサンだ」

「なん……だと……!?」

「ネタかぶせてくるのやめような!?」

 一部始終を笑って眺めていないで止めてもらいたいのだが、エヌラスの気持ちは通じなかった。話を一度区切り、ネプテューヌと別れる。

 

「ネプテューヌちゃんと仲が良いんだね」

「そう見えるか……俺が振り回されている様を横で笑って見ていた指揮官」

「面白くて」

「ちくしょう!」

 歩きながら各陣営の説明がされた。

 ユニオン。ロイヤル。重桜。鉄血。中心となるのはこの四大陣営。未知の勢力「セイレーン」と戦っているという話は予め耳にしている。

 そして、その中で駆逐艦から戦艦に工作艦までと幅広く才色兼備の艦船を取り扱っている。ネプテューヌ達はどの勢力にも属していないため、交友関係が幅広い。

 

「──とまぁ、大まかに説明すればこんなところ。うちじゃみんな仲良くするようには言ってあるんだけどね」

 それにも限界があるのだろう。指揮官の言葉から心労を察した。

 

「困ったことに、みんなボクのこととなると目の色変えて喧嘩しちゃうし。気にかけてもらえるのは嬉しいんだけど、あんまり母港を壊さないでほしいんだよね。ほら、施設の修理もタダじゃないからさ」

「うん……うん?」

「いやぁ大変だったなー。母港を艦載機が飛び回って爆撃機が売店壊した時は流石にちょっと焦ったよ。倉庫に飛び火しなくてよかったなーあの時は」

「うんん???」

 それは笑って済ませられるレベルの損害ではないのでは? エヌラスは訝しんだ。

 

「大丈夫……だったのか、それ」

「うん。けが人も奇跡的に出てなかったし、ちょっと資金回収が難しかったくらいかな。エヌラスさんも気をつけてくださいね。特に空母には」

「肝に銘じておく」

 空母……艦載機などを搭載した航空戦力。索敵から雷撃、一番馴染み深いのは空爆だろうか。自分の持ち合わせている知識ではそのくらいだ。実際に相手したことはない。しかし、それが少女の姿を取っているとあれば話は別だ。

 

「…………?」

 ふと、人の視線を感じてエヌラスが振り返る。

 大宿舎に向けて歩いている道中、並木通りの影から大きな黒い尻尾がはみ出していた。

 

「……………………」

 恨めしそうに、警戒するようにこちらを睨みつけている。ピンと立った狐の耳はこちらの息遣い一つ聞き逃さまいとしているようだ。赤い瞳が幽鬼の如く仄暗いオーラを見せている。

 エヌラスは指揮官の肩を叩いた。

 

「指揮官。なんかめっちゃ見られてるんだが」

「うん? ああ、彼女は一航戦の赤城。うちの航空戦力の主力の一人。元々敵だったんだけどね、当時は空母が足りてなくて協力してもらったんだ。それからは頼りにしてるんだ。赤城ー」

「はぁい指揮官様~♪ 貴方の赤城がただいま参ります~♪」

 名前を呼ばれるなり、打って変わって猫なで声で赤城が駆け寄ってくる。花魁のように肩と胸元をはだけさせた赤い着物姿の空母は満面の笑みを指揮官に向けていた。

 

「お呼びでしょうか、指揮官様?」

「うん。君を紹介しておこうと思って」

「そんなぁ……赤城は指揮官様がいればそれだけで十分ですぅ」

「君が売店ふっ飛ばしたのを笑顔で許したの、ボクだってこと忘れてないよね?」

「────」

 赤城の笑顔が凍りつく。心なしか耳もへたれ、九本の尻尾も毛並みを逆立てている。だが指揮官は笑顔のまま変わらない。

 

「はい、それじゃあ自己紹介お願いね」

「──はい~。重桜艦隊所属、一航戦の赤城です。妹の加賀ともどもに、これから“程々に”よろしくお願いしますねぇ~?」

「指揮官の補佐役研修生のエヌラスだ、()()()よろしくな」

 強調された、程々、という言葉に「邪魔をするな」の意味を込めて赤城が先制攻撃してきた。それをエヌラスは丁重にスルーする。水面下で繰り広げる一瞬の攻防に、指揮官は頷いた。

 

「ご苦労さま。それじゃ今日は全艦半休だから自由に過ごしていいよ」

「はい、もちろんです♪ ですが指揮官様、どこの馬の骨とも知れない方を補佐官に任命するというのは些か不用心かと……」

「そうかな? 彼とは気が合いそうだし、ボクとしては健全に末永く付き合っていきたい所存だけど。あぁもちろん、赤城とも最後まで」

「いやですわ指揮官様、そのようなことは口に出さずともこの赤城。指揮官様と一緒になら墓の中までご一緒させていただきますぅ~。もちろん、火の中でも水の中でもお風呂でも厠でもお布団の中でもどこでもこの赤城は指揮官様とずっとずぅっと添い遂げさせていただきますわぁ。だって赤城と指揮官様は結ばれる運命にありますもの」

 これはヤベェタイプのヤンデレだ。エヌラスは赤城を要注意艦船に早くも登録しておいた。この手の相手は目標との障害を排除するのに全力を尽くすし、それによる周囲の被害など鑑みない。

 そんな吐き気すらする粘り気の感じられる激しい愛情表現に、やはり指揮官は笑っていた。

 

「トイレは勘弁してほしいかなぁ……」

(言うことはそれだけか指揮官!?)

 風呂と布団もいいのか。もっと自分の身の危険性を感じた方が良いぞ指揮官。というか牢屋に放り込まなくて良いのかこの空母は。しかし、どこ吹く風と赤城の頭を撫でて背を向ける。

 

「重桜だけじゃなくて他の陣営のみんなとも仲良くねー」

「はぁい勿論です~♪」

 背中を向けて、しかしエヌラスとすれ違った瞬間に、赤城がボソリと呟いた。

 

「指揮官様の邪魔をしたら、消すわ」

 

「…………」

「それでは指揮官様、赤城はお暇をいただきますね~」

「ごゆっくりー。どうかした、エヌラスさん?」

「いや、なんでもない」

 この指揮官、只者じゃねぇ──どんな精神力をしていたらそんな平然と笑って接することが出来るんだ。

 

「指揮官、赤城とどう付き合ってるんだ……?」

「どう? どうって、大したことはしてないですよ? 他のみんなと同じように仲良くしてるだけです。あー、でも少々オイタがすぎる時は叱ってますね」

「驚いた。アンタでも怒るのか」

「本当はボクも怒りたくないんですけどねぇ。疲れますし、なんかそういうキャラじゃありませんし。なんでか駆逐艦は泣きそうな目で見てきますし、しばらくみんなよそよそしくなりますし。でもまぁ現場の最高責任者ですから、そういう時くらい威厳を見せないとですし。つらいなー、やだなー、出来れば怒りたくないんだけどなー」

 心底嫌そうに、げんなりとした表情で指揮官は軍帽を直す。

 しかし、仏のような指揮官もちゃんと人間らしいところはあるようだ。それに少しだけ安心してエヌラスは隣に並んで歩く。

 

 

 

 大宿舎──各陣営ごとに割り当てられた寝室で艦船達は休んでいるらしい。それだけでなく艦種別の部屋も用意されており、任務や出撃で疲れた心身を癒やす。こことは別に寮舎も用意されているが、そちらはまた別な運用がされているようだ。

 とある空母達が集まっている一室を覗くと、そこではベールがロング・アイランド達に混じってゲーム三昧。

 ポテチにコーラに、食い散らかしたお菓子が散乱しているだけでなくコタツに入り込んで寝ている艦船もいた。

 

「ふふふ、パーティーゲームと言えどもわたくしは加減致しませんわよ!」

「甘く見てもらっては困る。私達だってただ食っちゃ寝してゲーム部屋に籠もり、干物艦船として自堕落的に過ごしていただけではないと証明させてもらおう」

「むむ、ロング・アイランドさんもまた腕を上げましたわね……ですが、ゲイムギョウ界の女神としてこのグリーンハート、もといベール。ゲームにおいて精神的動揺によるミスは無いと思っていただきたいですわ!」

「グワーッ! 脱落!」

 ……馴染んでいる。この上なく馴染んでいる。それどころか自堕落筆頭株主。女神としての仕事を放棄してベールの神技が冴えるゲームプレイングには対戦相手も魅了されていた。ローディングの合間にポテチを頬張り、コーラで流し込む。

 指揮官はそんな干物部屋を見渡してから、咳払いをひとつ。ようやく指揮官(と、エヌラス)の存在に気づいた艦船達が振り返った。

 

「し、指揮官!? これは、その」

「いや大丈夫。楽にしてていいよ、ロング・アイランド。みんな楽しそうでなによりだ。でも部屋の掃除はちゃんとしてくれないと困るかな。ゴミの日までに片付けておくように。頼んだよ?」

「ベール。お前はこっちでもゲーム三昧か」

「あら、エヌラス? よろしかったらいかがです。こちらも中々に味わい深いですわよ?」

「遠慮しとく。研修中だからな」

「補佐官、研修生……まぁ、そうでしたか。頑張ってくださいまし♪」

 腕章に気づいたのか、ベールが柔らかい笑みを向けて励ましてくれるが──せめて画面を見てゲームをプレイしろ。ノールックで手持ちのカードを使用して妨害行動をするな。よくわからないが阿鼻叫喚の大惨事が巻き起こって参加している艦船達が頭を抱えている。

 

「ベールさんも相変わらずですねー」

「指揮官様。ええ、ご厚意に甘えて。寛がせていただいておりますわ」

「どうぞどうぞ、ご自由になさってください。女神のお仕事、大変でしょうし」

「まぁ♪ そう言っていただいてありがたいですわ。指揮官様はゲームなどなさらないのですか? せっかくこんなに取り揃えていらっしゃいますのに」

「いやー、あっはっは。残念なことにボクはあんまり得意じゃないんですよ。昔はハマってたんですけどね。ここにあるのも要望があったものばかりですので」

「そうでしたか。ちなみに、どのようなゲームを嗜んでいたか教えていただきます?」

「そうですねー、パズル系とかFPSですかね。大した腕じゃないですけど」

「機会があればご一緒したいですわ」

「考えておきますね。さて、それじゃあ他の部屋を案内しましょう」

 指揮官とエヌラスが干物部屋を後にして、ようやくロング・アイランドが緊張の糸をほぐした。

 

「ビックリした……まさか指揮官が私達に挨拶に来るなんて思ってもなかった……」

「そういえば、前回わたくし達がお邪魔した際はゲーム部屋に来ませんでしたわね」

「うぅ、この部屋の惨状を目の当たりにしても笑って許してくれるなんて。私はこの艦隊で良かった。まさに運命の出会い……」

(……そういえば、あまり気にしませんでしたけれども)

 ここにあるゲーミングパソコンも、最新のゲーム機も、箱買いされたポテチもコーラも。それだけじゃない。モニターにマウスにキーボード、ネット環境も全種取り揃えられている。

 

(水冷デスクトップPCにタワー型。得意ではないというのもウソ、ですわね……そうでなければこれほどの機材を取り揃えられませんもの)

 これは──武者震いだ。能ある鷹は爪を隠す、そちらに明るくなければとても取り揃えられない環境を用意した指揮官との対戦をベールは心待ちにしていた。

 

「今だ、隙あり!」

「無いですわ」

「あぁぁぁんまりだぁぁぁ!!!」

 物思いに耽るベールのキャラクターに妨害行動、しかし失敗した挙げ句に反撃を食らった夕張が突っ伏している。



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指揮官主催のお急ぎ歓迎会

 

 

 

 ──指揮官とエヌラスが大宿舎を見て回っていた頃、ネプテューヌ達は自分たちの艤装を預けていた工廠へと向かっていた。

 

「やっほー、明石ー!」

「んにゃ? 騒がしいのが来たにゃ。何の用にゃ」

「わたし達の艤装を預かってるってジャベリンから聞いたんだー、どこにあるの?」

「それならちょっと待つにゃ。明石も忙しいんだにゃ」

 大きなスパナを持って歩いていた明石がネプテューヌに声を掛けられ、持っていた木箱を降ろすと袖の汚れを落としてから四人の艤装をクレーンで運んでくる。

 フックに吊り下げられたネプテューヌ達の艤装はサビ一つどころか汚れ一つ付いておらず、ゲイムギョウ界に戻ってからも指揮官の指示で整備だけは怠っていなかったと明石が話した。居ない間も余った装備などで強化などもしていた為、多少なりとも性能も向上している。

 ノワールが試しに背負ってみると、扱っていた艤装が重く感じた。

 

「んっ……ちょっと、以前とは装着感が違うわね」

「確かに。なんか重くなった?」

「指揮官が強化とかしてたからにゃ」

「いなくなった私達の艤装を勝手に強化したの? 他の娘達を優先すればよかったのに」

「明石に言われても困るにゃ」

「ノワールの言う通り、なんか前より扱いづらいかも」

「それは慣れてくしかないにゃ」

「よーし、それなら早速! ノワール、わたしと演習しない!?」

「ええ、望むところよ。こっちでも貴方に負けないんだからね」

「それはダメにゃ」

「アイエエエ!? ナンデ、明石ナンデ!?」

「そうよ! 折角整備してくれてたのに」

 乗り気だった二人だが、明石の言葉に肩を落とす。

 

「今日は明石の工廠もお休みにゃ。せっかく指揮官からもらった休みなのに仕事を増やさないで欲しいにゃ……」

「それなら明日整備してくれればいいからさぁ、いいでしょ?」

「壊れた艤装置いといたら明石が怒られるし、使った弾薬の補充もあるにゃ。明日から本気出したら明石の仕事が倍々ゲームだから勘弁してにゃ……」

「明石がこう言ってるんだから、別な機会にしましょ……やるなら、ちゃんと指揮官からの許可を貰ってからの方が思い切りやれるじゃない」

「ブランの言う通りね。そっちの方が遠慮なく暴れられそうだもの」

「暴れて母港壊すのは赤城だけで十分にゃ」

 前科持ち艦船の名前を口に出して、明石が渋い顔をしていた。壊れた備品の修理なども明石の仕事だ。ただでさえ購買部や売店の店員も兼任しているというのに仕事を増やされては堪ったものではない。自分で壊したものくらい自分で直してほしいものだ。

 ひとまず、今日のところは自分たちの艤装がちゃんと整備されていたことを確認出来ただけでも良しとしよう。

 

「じゃーねー。明石、また明日来るからよろしくー!」

「出来れば何度も来て欲しくないにゃ。一銭の得にもならないと困るにゃ」

「自分に正直なところは誰かさんそっくりね」

「えー、誰だろー? わたしわかんないなー」

「自覚ないのが尚更ね……」

 大宿舎を後にしたエヌラスと指揮官、さらに秘書艦のベルファストが並んで歩いていた。だが、指揮官と言葉を交わしてから、ベルファストが会釈して離れる。

 

「あら、エヌラス。みんなに挨拶回り? そういえばベールを知らないかしら?」

「ゲーム部屋に籠もってた」

「だろうとは思ったけど、やっぱりね……それで、こっちでもやっていけそうかしら」

「覚えることが多すぎて不安になってきた」

「まぁそこは追々、艦船達の協力を仰ぎながら。今夜はネプテューヌさん達との再会に、エヌラスさんの歓迎会も含めてパーティーを開こうかなと」

「おぉ~、さっすが指揮官! 気前が良いんだから! もちろん」

「プリンも用意しておきますよ」

「やったー!」

 両手を挙げて喜ぶネプテューヌの現金な態度に、エヌラスとノワールが同時にため息をついた。しかし、そんな急に用意をさせて大丈夫なのだろうか?

 

「クイーン・エリザベス女王陛下ご自慢の優秀なロイヤルメイド隊ですから、きっと夕飯までには用意してくれますよ。少なくともボクはそう信じてるので」

「相変わらず信頼してるのね……」

「ええ。そういえば、ブランさん」

「なにかしら、指揮官」

「例の本、続編を取り寄せてあります。新刊も用意してありますので、よかったら」

「ホント……? それは楽しみだわ」

「ええ。熱心に読んでいたと蒼龍から聞いてましたので」

「どういう本なんだ? ブランが好きそうな本だから、やっぱ歴史書とかそういう類か?」

「いえ、小説ですよ」

「そうか。どんな内容なんだ?」

「それはですね──」

 指揮官の言葉を遮るように、ブランがわざとらしく大きな咳払いを挟む。

 

「──まぁ、物珍しいという理由から読んでいるみたいですし。気にするほどではないかと」

「そうか……俺もちょっと読んでみたい気もするが、今はそれより覚えることあるしな」

「補佐官、乗り気なようでボクも助かりますよ。別に観光だけでゆっくりくつろいでいただいてもいいんですけど」

「俺だけ何もしないってのは気が引けるからな」

「あ、それなら。エヌラスさんも艤装つけて戦闘してみます?」

 冗談のつもりで指揮官は言ったのだろう。だがエヌラスは顎に手をやり、真剣な表情で考え込んでいた。

 

「……冗談ですよ?」

「そうよ。大体、貴方の場合は艦種が何になるのよ?」

「戦艦じゃない? わたし達の中にいないし」

「戦艦エヌラス……?」

「いそうで困るわね」

「なんか大艦巨砲主義の産物みたい。戦艦ポチョキムンみたいな」

「微妙に名前違くないか、それ。あと作れと言われたら、自前でやるぞ俺は」

 指揮官が珍しく驚いた顔をしている。どうやら真に受けたことだけでなく、自分で艤装を作る点にも注目したらしい。

 

「艤装の設計とか出来るんですか? それなら明石と夕張も喜ぶと思います」

「一応これでも、技術職はある程度嗜んでるからな」

「エヌラス。貴方は裏方に徹しなさい」

「え、なんでだノワール……」

「いいから! なんでも! 女神命令!」

 ノワールにキツく言われてエヌラスがションボリとした表情を見せた。どうやら暴れられないのが不満らしい。しかし、一度暴れだすと手がつけられないのもまた事実であり、駆逐艦のトラウマ待ったなし。アズールレーン世界との健全な友好関係を保つためにも裏方に徹してもらうべきなのが最良の策だとノワールは睨んだ。

 

「そんなにキツく言わなくても……」

「これは指揮官のためでもあるの。何があっても、絶対に、エヌラスは戦闘禁止! いいわね!」

「自己防衛で抜刀くらいは許可出してくれなきゃ死ぬぞ」

 主に赤城の手によって。遠からずアレとは一戦を交える気がする。

 

「それくらいならいいけど……でも、自分から剣を抜くのは禁止。わかった?」

「そこまで言われなくてもわかってるっつの」

「ノワールさん。そんなにこの人危険なんですか? 顔に違わず」

「おい指揮官」

「ええ、そうなのよ。だから取扱には十分に注意してね、指揮官」

「おいノワール」

 なんて失礼なことを言うんだ。いや、鏡を見てから同じことを言えと言われたら無理な相談だがそれにしても酷い言い草である。

 

「ちなみに、どれぐらい危険なんですか?」

「母港が焼け野原になる覚悟は必要ね」

「それはすごい。危険度三赤城くらいだ」

「なんだその単位!? 初めて聞いたぞ!?」

 というよりもそこまで危険なのか一航戦。そんなのをよく放し飼いにしていられるな指揮官──実はこの艦隊で一番危険なのは指揮官なんじゃないかとエヌラスは思い始めた。そしてその言葉にノワール達も驚きを隠せない様子。

 

「いやー、あっはっは。実はボクが着任してから間もない頃に赤城と加賀に母港吹っ飛ばされて殺されかけたんですよね」

「えぇぇぇぇぇっ!?」

「貴方それでよく笑っていられるわね!?」

「え? いやまぁ、それほどの実力があるなら信頼できるかなと思って」

「あなた、なにかズレてないかしら……」

「そうですか? そうですかね? おかしいなぁ、冷静に考えて判断したんだけど……」

「味方になったから良かったものの。もしそれを断られていたらどうしてたのよ?」

「────ご縁が無かったということで」

「そんな就活みたいな言い方で済むの……?」

 笑って誤魔化している指揮官の表情が一瞬だけ強張ったのをエヌラスは横で見逃さなかった。しかしノワール達は気が付かなかったようだ。

 

「とにかく、エヌラスさんに刀を抜かせなければいいんですね。わかりました。うちの艦隊にもそう言っておきます」

「具体的には?」

「そりゃあもちろん、これまで通り──みんな仲良くで!b」

 親指を立てる指揮官に、全員がため息をつく。本当にこの指揮官は平和主義というか、平和ボケしているというか。危機感というものが欠落してないだろうか?

 エヌラスは少しだけ不安になってきた。

 この先、自分がどれだけ苦労することになるのだろうかと。

 

 

 

 ──そして、夜。

 四女神との再会を祝し、エヌラスの歓迎会も兼ねたパーティーが開催された。元々休みを言い渡されていた艦船達はパーティー会場に集まり、騒がしい場が苦手な艦船はいつも通り食事を済ませて早々に退散している。

 マイクを片手に指揮官が壇上に立ち、マイクテストをしてから会場に呼び掛けた。

 

『あーあー、マイクテストー。よし……えー会場にお集まりの皆さんこんばんわ。ご存知艦隊の最高責任者、指揮官です。本日は歓迎会にお集まりいただきありがとうございます──ボクこういうの苦手なので手短にいきまーす!』

 緊張感の欠片すら感じられない指揮官の開会の言葉に、艦船達からは笑みがこぼれる。

 

『まずは異次元からの来訪者、四女神であるネプテューヌちゃん、ノワールさん、ブランさん、ベールさんとの再会を祝しましてー、かんぱーい。続きましてー、急なことではございますが、ボクの多大なる業務軽減のためにこのたび補佐官を雇うことにしました。三食昼寝付き……かどうかはまだ分かりませんが、新しい仲間が増えました。はい拍手ー』

 わー、パチパチパチ──。

 

『ではご紹介します。エヌラスさん、どうぞこちらへ!』

「もぐ?」

『あー、ご飯食べてました? 飲み込んでからでいいのですよ』

「もぐもぐもぐ……ぷはぁ。悪い、あまりに美味かったもので」

『それは勿論。クイーン・エリザベス陛下自慢のロイヤルメイド隊が腕を振るって用意した料理ですからね。ええ、ボクも美味しく戴いてます。この場を借りてお礼を。いつもありがとうございます』

 当然、とでも言わんばかりに胸を張るクイーン・エリザベスに、ベルファスト達が控えめに会釈する。

 エヌラスは指に付いたソースを舐め取り、手を拭うと指揮官の隣に並ぶ。

 

『えー、こちらの一見カタギには見えない黒スーツのおにいさんがエヌラスさんです』

「おい指揮官。それは冗談か?」

『ボクらがいるのは壇上ですね』

「誰が上手いこと言えと」

『ボクの中のボクですかね?』

「酒でも入ってるのかー指揮官、酔っ払ってないかーお前?」

『あっはっはっはっは、ご冗談を』

「いやこっちの台詞なんだよなぁ!?」

『とまぁこんな感じで、顔に似つかわしくないくらい親しみやすい人ですので顔で判断しないで仲良くしてあげてくださーい!』

「本人を目の前にしてよくも言ったなテメェこの野郎!! 漫才するつもりで呼んだわけじゃないだろうが!」

『はっはっは、ご冗談を』

「天丼も驚きの上乗せだな」

『でもほら、ウケてますよ? はーい拍手ー!』

 会場からの喝采にエヌラスが頭を抱える。どうにもやりにくい相手だ。マイペースが過ぎるというか、悪気がないのが一層タチが悪い。

 

「なんでこんな即興ショートコントしなきゃならないんだよ!」

『驚きの十割アドリブですもんねー、いやぁノリが良い方だ。そういうのボクはとても良いと思います』

「せめてこういう時くらい真面目にする気、ないのか?」

『無いですね! ボク苦手なので! 面倒ですし!』

「自分に正直だなぁオイ!」

『じゃあはい、マイク渡すのでご自分でお願いします。ボクちょっと飲み物とご飯食べてきますので、場を繋いでおいてください』

「そういうのはマイクを切ってから言えよ!?」

『スパッと?』

「スイッチだよ! あーもースタッフー! 飲み物と食べ物を指揮官にー!」

 そんな壇上から繰り広げられる指揮官とエヌラスによるほのぼの(?)ショートコントを眺めていた女神と艦船達だが──和やかな雰囲気の中であっても、壁際で眺めていた艦隊だけは表情をあまり変えなかった。

 貼りつけたような微笑を浮かべたままのプリンツ・オイゲン。ウォッカの入ったグラスを静かに揺らすグラーフ・ツェッペリン。料理を頬張るレーベレヒト・マース。

 

「……プリンツ・オイゲン」

「なに? グラーフ」

「楽しそうだな」

「そう見える? そうね……でも、まぁ、面白い人じゃない? 指揮官よりも」

 

『いやぁどうもどうも、ありがとう。そして、ありがとう』

「隙あらばネタを挟み込まないと死ぬ病気かなんかか指揮官!」

『この間の健康診断では驚くほど健康体でしたよ』

「診断結果を聞きたいわけじゃないんだよなぁ俺! 持病持ちか!?」

『あ、すいません。ちょっと食事するので待ってもらえます?』

「はーもー、なんていうかやってらんねぇぇぇっ!! もう俺の紹介いいだろ!? 飯食ってきていいか指揮官!?」

『そんなこと言わずに。あ、唐揚げ美味しいですよ? 食べます』

「なら一個よこせ」

『当店セルフサービスとなっておりまーす』

「俺をおちょくって楽しいか貴様ぁぁぁぁぁっ!!!」

 

「……とっても、からかい甲斐がありそうで」

「めずらひいな、お前がひょんなわらふなんへ」

「レーベ、食べながら話すな」

「ぷはっ……んっ」

 料理を頬張っていたレーベレヒト・マースの口に付いた食べかすをグラーフが拭う。まだ二人の漫才が続き、それにパーティー会場の緊張感もすっかり解されていたようだ。自分たちが出会った時から何一つ変わらない、不思議な指揮官にグラーフ・ツェッペリンもウォッカを口に含んでグラスを空にする。しかしそこで、指揮官と目が合った。

 いつものようにニコニコと笑顔を浮かべている。小さく片手を振り、挨拶された。それに仕方なく手を振り返すと一瞬だけキョトンとした顔をしていた。そんな指揮官にエヌラスが肩を組んで捕まえる。

 

「あんまり俺を怒らせないほうがいいぞぉ、指揮官。こっからお前を投げ飛ばすのなんて片手で十分なんだからな?」

『いやぁ首が飛ばされないだけボクは食い扶持に困らないのでそれくらいなら』

「お前心が広すぎるんだよ! どんだけだよ!」

『これだけしか持ってないでーす』

「カツアゲじゃねぇよ!?」

『串揚げ食べます?』

「いや油物の話しもしてないからな!?」

『じゃあ何食べたいんですか』

「食い物の話もしてないよなぁ俺ぇ!」

『じゃあ唐揚げいただきま~す! もぐもぐ』

「あ、テメ! 人の唐揚げかっさらって美味しいか貴様ぁぁぁっ!!」

『ええ、とても!』

「指揮官、どの辺に投げ飛ばされたいか言ってみろ。望み通りにしてやる!」

『お腹いっぱいになったら眠くなってきたのでベッドまでお願いしまーす』

「油断ならねぇなぁホントお前ってやつぁよぉ!!」

 

 ──こうして、指揮官主催の歓迎会は大盛況のままに終わった。終始エヌラスが振り回されてばかりだったが、その甲斐あってか艦船達から向けられる視線は親しげだった。

 同情とか、言ってはいけない。気づいても言ってはならない。思っても言ってはならない。それが優しさというものだから。



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補佐官のおしごと・そのいち

 ──補佐官生活一日目。

 

 エヌラスは目を覚まし、身体を伸ばす。指揮官からあてがわれた部屋は、元々使われていなかった宿直室だった。

 大宿舎の片隅に設けられた室内は質素なもので、布団と小さな机しかなかったのだがこの度めでたく補佐官が任命されたことで日の目を見る。それも昨日のうちにこれまたロイヤルメイド隊が必要な物を用意してくれていた。半休を言い渡されておきながらこの人使いの荒さはどうなのか。それも心配ご無用。

 本日はベルファスト達ロイヤルメイド隊は全休である。サボっていたサフォークを除いて。

 

「く、ぁ~あ……くっそねみぃ……」

 身体を慣らし、ネクタイを締めると上着を羽織りながら宿直室の鍵を閉めて執務室に向かう。

 

「あ、エヌラスさん。おはようございまーす」

「おーおはよう」

「……おはよう……ねむい……ねたい……むにゃ……すやぁ……」

「ラフィー。しっかり起きてください。おはよう、ございます。エヌラスさん」

 ジャベリン、ラフィー、綾波の三人とすれ違い、軽く挨拶を交わして片手を振る。どうやらこれから朝食らしい。

 

「……おかしい。なぜ俺とすれ違う艦船の視線が生暖かいんだ」

 気のせいか? 考えすぎか? それともなにか、指揮官のせいか? エヌラスが考え込んでいると、ノワールと曲がり角でぶつかりそうになる。

 

「きゃっ」

「おっ、と。大丈夫か?」

「驚かせないで……おはよ、エヌラス」

「おはよう、ノワール」

「そっちはよく眠れたかしら?」

「まぁな。たまには布団もいいものだ」

「まさかとは思うけど、スーツを着たまま寝てないでしょうね?」

「流石に脱いだっつうの……そこまでズボラじゃねぇよ」

 朝から顔を合わせるなり説教されては仕事に対するモチベーションも下がってしまう。しかし、すぐにノワールは笑みを浮かべて頷いていた。

 

「今日は指揮官に許可を貰ってネプテューヌ達と演習しようと思うんだけど、どうかしら?」

「どうって聞かれてもな」

「応援してくれるわよね」

「怪我だけしないように、としか言えねぇな」

 なにぶんこっちの世界はゲイムギョウ界と勝手が違う。不慮の事故が起きないように万全を期してもらいたいものだ。

 

「あら、エヌラス。それにノワールも。おはようございますわ」

「ベール。おはよう、随分早かったわね?」

「ええ、まぁ。昨夜はお楽しみでしたもの」

「……」

「……」

「──げ、ゲームの話ですわよ!?」

 誤解をまねくので言い方に気をつけてほしい。ロング・アイランドと夕張も非常に眠そうにしながらのっそのっそと亀のように歩いている。

 

「……おはよ~……」

「完徹で……眠い……」

「お二人とも、八時間耐久ゲームで音を上げていては先が思いやられますわよ。ゲームへの道は一日にして成らず、ですわ」

「でも私達、出撃もあるし……」

「体調管理も仕事のうち……明石の手伝いも……」

「それも踏まえて体力づくりですわね。さぁさ、顔を洗ってしまえばさっぱりしますわよ」

 二人の背中を押してベールはさっさと行ってしまった。廃人にならなければいいのだが、不安がよぎる。

 

 

 

 執務室の扉をノックしてからエヌラスは開けて中の様子を覗いた。すでにそこには執務机に着いて仕事に着手していた指揮官が座っている。

 

「お、いたいた。おはよう、指揮官」

「おはようございます、エヌラスさん。仕事中は補佐官殿のほうがいいですかね?」

「どっちでも好きに呼んでくれ」

「そうですか。宿直室の寝心地はどうでしたか」

「まぁまぁといったところだな。悪くはなかった」

「必要なものがあれば言ってください。用意しますので。あ、パソコンとか必要ですか?」

「いや、そこまではいらないな。俺あんまりそういうの触らないし」

「ちょっと意外ですね。てっきりベールさんみたいにハイテクな人かと」

「ああいうのは度が過ぎているって言うんだよ……」

 しかし、用意してくれるというのならばご厚意に甘えて。

 

「それなら指揮官、ひとつ用意してもらいたいものがあるんだが」

「ベッドなら取り寄せましたよ? あと部屋の改装も明石に言いつけてあるので、夜までには一回りほどスペースが確保できるかと」

「本格的すぎないか!? そこまでされるとちょっと帰りにくいぞ俺!」

「いっそ永住されてみては? ボクも嬉しいですし」

「いや勘弁。俺も色々あるし」

「そうですかぁ……それで、用意してほしいものってなんでしょうか」

「作業机が欲しいな。置いてあるやつだとどうにも小さく感じる」

「なるほど。わかりました、カタログでも見て良さげなの選んでおきます。それともご自分で?」

「あー……指揮官に任せるさ」

 執務室で話し込んでいても秘書艦が姿を見せる様子はなかった。それにエヌラスは少し拍子抜けしながら室内を歩く。

 

「今日の秘書艦、まだ来てないのか?」

「まだ朝食の時間ですからね。そろそろ来るかと」

「そうか。指揮官は食べたのか?」

「ええ。先に済ませておきました、軽くですけどね」

 壁にかけられた時計を見れば、まだ七時前だ。今頃には艦船達も朝食を摂っていると考えれば指揮官が起きたのは身だしなみを整える時間も考慮して、大体一時間前だろう。

 昨晩はだいぶ遅くまでトークショーではしゃいでいた。結局二時間ほど指揮官とショートコントしながら飲み食いしていただけにエヌラスも少し眠気が残っている。

 小綺麗な壁面に手を触れさせた。温もりの感じられる質感に、木造であることが感じ取れる。母港を破壊されて死に目に遭った、という話から執務室も吹き飛ばされて改装したのだろう。拵えられている装飾なども真新しいものだと見て取れた。

 部屋だけを見れば、確かに新米の年若い指揮官のように思える。だが笑顔で隠したのは過去の苦難だ。それを感じさせない爽やかな雰囲気を出しているだけに、底知れないものがある。

 親しみやすいのもまた事実。だが、それも過信は禁物だ。

 

「なにか気になります?」

「いや、ちょっとな。執務室も改めて見てみると随分新しく感じるから」

「吹っ飛ばされましたからねー、綺麗に。どうせなら趣味全開で改築してやろうかと思いまして」

「笑って言えることか……」

 コンコン、と二回ノックしてから執務室に入ってきたのはエンタープライズだった。指揮官の顔を見るなり右手で敬礼する。

 

「失礼する。ヨークタウン級二番艦、エンタープライズ。本日の秘書艦を担当させていただく。指揮官、ご指示を」

「楽にしていいよー」

「あっ、え……は、はぁ…」

「返事はー?」

「は、はい。毎回思うのだが、指揮官は肩の力を抜きすぎではないか?」

「仕事だよ? 真面目にやってどうするのさ」

「いや、仕事なんだから真面目にやれよ……」

「リラックスした方が上手くいくんです」

「……誰かの受け売りか?」

「ええ、まぁ」

 しかし、指揮官らしいと言えば指揮官らしい。部隊を束ねる立場にある人間の言葉とは到底思えないのだが、それがより人の良さと人間臭さを感じさせる。

 エンタープライズが咳払いを挟み、指揮官の隣に並ぶ。銀の髪をひるがえしながら、腕を組むと胸を持ち上げた。白い軍帽に、赤の裏地の黒コートのコントラストが映える。エヌラスはエンタープライズを素直に美人だと感じたが、それよりも気になることがあった。

 

「なぁ、エンタープライズ。あの、鷹はどうした?」

「ああ、いーぐるちゃんのことか?」

「……なんだって? ぷりーずわんすもあ」

「? いーぐるちゃん。私と一緒にいた鷹のことだろう? あれは姉妹で飼っている鷹なんだ」

「いーぐるちゃん」

「いーぐるちゃんだ。かわいいだろう」

 多分、ほら、あれだ。犬をポチとか、猫をタマとか名付けるのと一緒だ。ワンコとかニャンコとかと同じなのだろう。しかし、いーぐるちゃんとはまた安直な。

 

「それは置いといて……昨日はありがとうな、おかげで助かった」

「礼を言われるほどのことはしていないよ」

「ああ。ドザえもんのエヌラスさんを引き上げたのがエンタープライズだったっけ。良かったですね、エヌラスさん。エヌえもんにならなくて」

「お前ひっぱたくぞ、指揮官」

「あっはっは、ご冗談を」

「うぅん??? この流れ昨夜も嫌というほどやらなかったかぁ?」

「あっはっはっはっは」

 笑って誤魔化しやがった。次やったら一発くらい小突こう。エヌラスはそう決めた。真面目なエンタープライズはそんな和やかな空気に惑わされず、咳払いを挟んで書類を手にしている。

 

「コホン。指揮官、お喋りもいいがちゃんと任務を片付けないと」

「あ、そうだった。それじゃ早速仕事に取り掛かろう。エヌラスさんも」

「りょーかい。まずは見て覚えるさ」

 まずは備蓄資源のチェック。軍資金と燃料の確認。それだけでなく「メンタルキューブ」と呼ばれる謎の多い物体の在庫。なんでも艦船の建造に必要らしい。

 

「まぁ余裕あるし。えー本日の出撃メンバー」

「ああ」

「ま、思いつきでいいかな。後回し」

「はぁ……」

 エンタープライズが再び肩を落とす。軍帽がずれ落ちそうになって、直していた。本当に仕事は適当なようだ。

 

「本日の遠征任務はー……ふんふん。まぁこれも後回し」

「…………」

「えーと、建造任務。適当で、と」

「………………」

「出撃任務ーは、後で片付けるとして」

「……………………」

「あ、寮舎の食糧備蓄無くなってるのか。後で補充しておこう。それから──」

「なぁ、エンタープライズ」

「……なんだろうか、補佐官」

「仕事を後回しにしすぎじゃないか?」

 いつもこんな調子らしい。エンタープライズが軍帽のつばをつまんで目深に下げた。

 

「私に言われても困る……しかし気がつくと大半終わってるんだ」

「どうなってんだここの艦隊……」

「それじゃあまずエヌラスさんに任せるお仕事を探しましょう。そーですねぇ、やっぱりまずは理解を深めるべきかと思います。そんなわけで、お昼まではお勉強で」

「分かった。そっちの方が俺も何かと動きやすくなりそうだ」

「そんなわけで図書室に行きましょうか。道すがら片付けられそうな任務も片しつつ」

 片手間で任務を終わらせられるものなのだろうか。

 些か指揮官の仕事を舐め過ぎじゃないだろうか?

 

 

 

 …………そんなことはなかった。本当に執務室から図書室までの移動する片手間で指揮官は幾つかの任務を終わらせてしまっている。

 エンタープライズが書類にチェックを入れながらついてきていた。

 まず、海軍食堂で軍資金の回収。それから海軍売店で燃料も回収。戦術教室では担当艦船に渡す教科書の用意。寮舎へ補充する食糧も可能な限り準備して──あっという間に報告書が出来上がっていた。

 

「そんなこんなで到着しましたね、図書室」

「マジで片手間に終わらせやがった……」

「こんな調子だからたまに私もミスをするんだ……」

 確かにこれは、目を離した一瞬の隙に仕事が終わる勢いだ。いつもこんな調子では秘書艦も気が休まらないだろうに。

 艦船達の助力もあるが、それにしても簡単に業務をこなしすぎだ。

 

「エンタープライズとも付き合いは長いから大丈夫だと信じてるよ」

「出来るだけ私も指揮官の期待に応えているつもりなのだが、出来ているだろうか?」

「うん、出来てるよ。そんな心配しなくても大丈夫」

「そ、そうか……それなら、うん。私も安心して戦闘に集中できるな」

「これからもよろしくね」

 手を後ろで組みながら歩く指揮官に続いて、エヌラスとエンタープライズも図書室へ入る。

 蔵書の整理を行っていた蒼龍が丸メガネを直すと、持っていた本の山を下ろして指揮官に会釈した。蒼い着物が特徴的な、青髪の航空母艦からは兎の耳がピンと立っている。

 

「おや、指揮官。本日はどうされました?」

「やぁ蒼龍。補佐官殿の勉学の為に立ち寄らせてもらったんだ」

「ああ、昨夜の……」

「そのちょっと可哀想な人を見る目をやめてくれないか?」

「これは大変失礼を。私は重桜艦隊所属、蒼龍型航空母艦一番艦、蒼龍と申します。以後お見知りおきを、補佐官殿。それと指揮官? いつも言っておりますが、メガネを掛けているからといって私を先生役にするのは少々……」

「そうかな。似合ってると思うけど。エヌラスさんはどう思う?」

「え、先生じゃないのか?」

「違います」

 キッパリと断言してみせる蒼龍が再びメガネを直すと、窓から差し込む光の加減によってエヌラスの目に反射光が直撃する。思わず顔を背けてしまう。

 

「まぁ、確かに図書室は嫌いではありませんが」

「レンジャー先生はまだ来てないかな?」

「私が来たのもつい先程です。指揮官達が一番乗りですね」

「そっかー。あ、ちなみにエヌラスさん。蒼龍も元は敵でした。ね、エンタープライズ」

「指揮官の言う通りだ。辛酸を嘗めさせられたものだな」

 当事者達がうんうん、と納得したように頷いていた。

 

「重桜艦隊、敵だったの多くないか?」

「元はと言えば一航戦が……ああいや、それを言ったら鉄血の──」

「蒼龍ー?」

「あ、いや……と、とにかく。この艦隊の指揮下にある以上、指揮官のご指示に従います」

「鉄血……?」

 四大陣営の一つ。しかしまだ浅学な身分、よく理解が及んでいないエヌラスは首を傾げるしかない。それも指揮官は解説を入れることなく話を進めていた。どちらにせよ、学んでいけばいいだけの話。

 

「あら、指揮官くんじゃない。朝からどうしたの?」

「おはようございます、レンジャー先生。ちょっと補佐官殿の勉学の為にお知恵を借りようかと思いまして」

「よろしく、先生さん」

 気さくに片手を挙げて挨拶をすると、図書室に入ってきたレンジャーが小さく敬礼する。

 

「よろしくね。先生で良かったら何でも教えてあげる──べ、別に変な意味じゃないからね!?」

「ボクも手取り足取りお世話になりました」

「指揮官、意地悪が過ぎるぞ」

「流石にそれはちょっと」

「え、本当のことなんだけど」

 苦言を呈する二人がその言葉を聞いた瞬間、レンジャーが蒼龍とエンタープライズに捕まった。

 

「ひえぇ!?」

「どういうことか詳しく説明してくれないだろうか、レンジャー」

「ええ。非常に詳しくお願いします、興味がありますので」

「本当に、何も先生知らないからね!? ただ新米だった頃の指揮官くんに色々教えてあげただけで」

「その色々の部分を詳しく」

「変な意味ではありませんよね?」

「違うからね!? 健全! KEN-ZENな内容だから!?」

「指揮官、本当なのか!」

「何もやましいことはないと胸を張って言えますか!」

「強いて言うなら悩ましい事くらいかなー……ちらっ」

 エヌラスは腕を組んで事の一部始終が治まるのを待っていたが、悪乗りする指揮官が火種にしかなっていないので場が収まりそうにない。そこへ、今度はブランがやってきた。

 

「エヌラス、おはよう……何の騒ぎ?」

「よう、ブラン。いや、指揮官が先生からかって遊んでるだけだ」

「先生? ……ああ、レンジャー先生ね」

「おはようございます、ブランさん」

「おはよう、指揮官。ちょうど良かったわ、演習の許可がほしいのだけれどもいいかしら?」

「いいですよー」

「かっる!?」

 実技演習の許可を取り付けて、ブランが頷く。新刊を借りに来たらしいが、この騒ぎでは図書室の利用も難しい。

 

「そろそろ助け舟を出してあげたら?」

「見てて面白いから黙ってた」

「わかるわ。レンジャー先生、からかい甲斐があるもの。でもそろそろ止めた方がいいわよ」

「どうしてだ?」

「聞きつけると危ないのが飛んでくるわ……重桜から」

「よーし止めるか」

 赤い狐の空母が風の噂ですっ飛んできたら図書室が吹っ飛ばされかねない。エヌラスは蒼龍とエンタープライズの二人をレンジャーから引き離す。すっかり涙目で震えていた小動物のような先生に指揮官が笑顔で謝罪していた。

 

「うぅぅぅ……ぐすん、指揮官くん! ヒドイです! そんな有る事無い事吹き込むなんて! 先生怒りますよ!?」

「いやぁすいません、レンジャー先生。でもボクに手ほどきしてくれたのは事実ですし」

「それは、その、そうだけど……」

「とても助かってますよ。ええ。でも先生のスタイルが悩ましいのもまた事実ですので」

「し、指揮官くんっ!? 先生のことをそんないやらしい目で見てたの!?」

「先生もボクが男だってこと忘れてません? これでも健全な成人男性なんですよ」

「は、はわ……!?」

 今度は顔を真赤にして言葉を失うレンジャーに、エヌラスは指揮官の頭を教科書で叩く。間の抜けた顔をして振り返る指揮官に、更にもう一発軽く叩いた。

 

「あいたー」

「先生からかうのもその辺にしとけ、指揮官。俺の授業が始まらんだろうが」

「ははは、ごめんなさい。でも先生のスタイルいいでしょ?」

「そりゃあ当然だよなぁ? っていうか総じて美人揃いだろうが」

 真っ赤な顔で胸を隠すレンジャーに、エヌラスと指揮官が拳を突き合わせる。グータッチをする二人に、ブランが自分の胸に手を当ててから三人と見比べていた。

 

「くっそ……考えないようにしてたのに朝からたゆんたゆんが目の前に……!!」

「な、なんだ……悪寒が……?」

「気の所為、でしょうか……」

「冷房入ってる?」

 白の女神を前にして胸の話題は禁句である。悪寒に身体を震わせる三隻の空母はその凄まじい殺気と敵意に生唾を飲み込んだ。

 

「さて、それではレンジャー先生。お昼まで補佐官殿に講義の方よろしくお願いします。エヌラスさんも頑張ってくださいね」

「あいよー。おとなしく授業受けるさ」

「お昼休みを挟んでから、また午後からのお仕事を用意しておきますので。それじゃ、エンタープライズ。ボク達は引き続き任務を片付けていこう」

「ああ。それではな、補佐官も頑張ってくれ。色々と覚えることが多くて大変だろうとは思うが」

「命の恩人に言われちゃしょうがない。出来るだけ頑張るよ」

 蒼龍は図書室の整理に戻り、ブランは本を借りてからすぐに図書室を出ていく。ノワール達に演習の許可を貰ったことを報せに向かっていた。

 

 補佐官の今日のお仕事──まずは基礎学習から。



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いつもねぷねぷ笑顔の女神様

 母港近海。指揮官から演習許可をもらったネプテューヌとノワールがアズールレーン仕様の装備を装着して波飛沫を上げながら海面を滑るように走っていた。

 

「きゃっほーい♪ 青い空! 白い雲! 大海原にわたし! 天が呼ぶ海が呼ぶ誰が呼んだか、主人公オブ主人公、ネプテューヌ様のお通りだー!」

「ちょっとネプテューヌ! あんまり勝手に動かないでよ! まだ感覚掴めてないんでしょ」

「だーいじょうぶだいじょうぶ! ノリと勢いで何とかなるっていーすんも言ってた!」

「そう思うならそうなんでしょうね。貴方の中では。だけど、あのイストワールがそんなこと言うわけないでしょ」

 真面目で堅物、苦労人。プラネテューヌの教祖、イストワールがまさかそんなネプテューヌみたいなことを言うはずがない。

 

「前より重く感じるけれども、その分推進力も上がってるみたいね」

「ねー、ノワール。早速演習しない? ほら、十分母港からも離れたしさー」

「まずは準備体操で身体を慣らさないと何が起きるかわからないわよ」

「そんな固いこと言わないでさ。ねね、いいでしょー?」

「あーもう、いっつもそうなんだから。こっちの迷惑も考えなさいよ」

 今回はペイント弾による演習。だがまずは勝手に強化と調整されていた艤装の慣らし運転から。念の為、監視役としてジャベリンと綾波も同伴している。

 明石は宿直室増築工事のため、工廠から席を外していた。指揮官は母港の見回りついでにネプテューヌ達の演習の様子を双眼鏡で眺める。エンタープライズも索敵機を飛ばして近隣の警戒を怠らない。

 

「どうだろうか、指揮官」

「うん。ばっちり見えてる。そっちは?」

「付近に敵影は無い。砲撃も届かない距離だ。そろそろ始めてもいいんじゃないだろうか?」

「よし。じゃあ──あー、聞こえるかい、綾波。うん、演習開始だ。流れ弾に気をつけてね、こっちでエンタープライズと一緒に周囲の警戒はしてるから」

 指揮官からの無線に、綾波は相槌を打つとネプテューヌとノワールに演習開始の合図を送る。

 まずは基礎的な航行。海面で絶え間なく揺れ動く波に足を取られつつも、徐々に感覚を取り戻しつつあるのか、波をかき分けながらスムーズに航行していた。

 

「よーし、戦場の勘も取り戻した事だし! いざ尋常に砲雷撃戦、よーいっ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? まだこっちの準備が」

「問答無用ー! 先手必勝、てやー!」

「のわぁぁぁ! やったわね、ネプテューヌ! だったらこっちも容赦しないんだから! 喰らいなさい!」

「へっへーん、当たらないもんねー!」

「あーもう、なんで避けるのよ!」

「当たらなければどうということはないもんねー! 装填完了、第二射、うてーい!」

 ネプテューヌの動きに合わせて艤装の主砲が動き、ノワールに照準を合わせて砲煙と共に発射したペイント弾は海中に没する。ノワールが身体を屈めて重心を安定させながら重巡洋艦とは思えない小回りで回り込んで魚雷を投射。

 

「んもー、避けないで当たりなさいよ!」

「そんな無茶なこと言われても避けるに決まってるじゃんかー!」

「とか言ってる間に装填完了、撃てっ!」

「ねぷー!? タンマ、ストップ、ザ・ワールドだってばー! まだこっちの装填終わってないのにノワールのせっかちさん!」

「待ったを聞かなかった貴方に言われたくないわよ!」

 身体を左右に振ってノワールの主砲からのらりくらりと避けていたネプテューヌが面舵いっぱいから魚雷を発射する。進行方向から弾道を割り出して難なく避けると、再び二人の主砲からペイント弾が発射された。

 ジャベリンと綾波もその様子を眺め、エンタープライズの艦載機が上空からその様子を観察して指揮官に状況を報告する。双眼鏡で見ているが、別視点からの動きも合わせることでより立体的に戦況を読み取ることが出来るからだ。

 

「二人共悪くない動きだ。あれなら今日にでも実戦に戻れそうだが」

「そうだねぇ。でもまぁ単独行動だし、足並みを合わせて動けるかはまた別な話だと思うけど」

「協調性も問題無いと思うが、どうだろうか。無茶な動きをしているわけでもない」

「そうだねぇ」

「……指揮官、私の話を聞いているだろうか?」

「そうだねぇ」

「聞いているのか、指揮官」

「\そーですねっ/」

「…………」

「いふぇふぇふぇふぇ、ごめん、ごめんってばエンタープライズ。ちゃんと聞いてるよ」

 双眼鏡をずっと覗いていた指揮官の頬を軽くつねる。反省した様子の指揮官から手を離してエンタープライズも双眼鏡を借りて二人の様子を眺めていた。

 

「ふっふーん、無駄無駄ぁ! ノワールは重巡! わたしは軽巡! つまりわたしの方が軽くて速い! よってそんなウスノロな主砲に当たりは、ねぷーーーっ!? あっぶなっ!? 今ちょっと軽く脳天直撃コースだったよ!?」

「当たり前でしょ、狙ったんだから!」

「わたしよりも動きが良いなんて、さてはこっそりぼっちで訓練してたなー!?」

「そんなわけないでしょ! アズールレーン世界から戻った時にラステイション海軍から教わったのよ!」

「ずるーい! そんなの反則だよー! わたしにもハンデちょうだいってばー!」

「同じことを戦場で言えるのかしら! 魚雷装填、撃てー!」

 二人の動きはまるでフィギュアスケートのように円を描いてぐるぐると動いている。しかし今まであまり気にしていなかったが──エンタープライズの覗く双眼鏡からは、パーカーワンピから時々ネプテューヌの縞模様パンツが見えていた。ノワールに至っては純白のパンツがほとんど丸見えだった。静かに双眼鏡を下ろして、指揮官を睨む。

 

「……指揮官、まさかとは思うが彼女たちの下着を見ていたわけではあるまいな?」

「そんなつもりは無いんだけど、見えちゃうものは仕方ないよね。ヒドイな、エンタープライズ。ボクは決してそんな不純な動機で女神様達のことを見てたわけじゃないのに疑うのかい?」

「私もそうではないことを祈るよ。これは補佐官に報告すべきか」

「いやぁ勘弁してほしいなぁ。補佐官殿に目を抉られそうだ」

「そこまではされないと思うぞ……」

「やりそうな顔してますもん」

「いや失礼だな、指揮官」

 しかし、と。エンタープライズも補佐官の顔を思い浮かべていた。

 左目に刀傷と鋭い目つき、だけでなく黒スーツ。女神のボディーガードにしても少々雰囲気が違う。明るく天真爛漫、見ているだけで笑顔になるような雰囲気に比べて──少々血生臭い雰囲気が感じられる。確かにそういうのは手慣れてそうだが……いや、やっぱり失礼だぞ指揮官?

 

「とにかく、後はジャベリン達に任せておけばいいだろう。私達は残りの任務を片付けよう。覗きをしている暇はないはずだぞ、指揮官」

「そうだねぇ」

「真面目に話を聞いてくれ」

「なんか怒ってない、エンタープライズ?」

「怒ってない」

「そう? ほんとにー? ほんとかなー、ボクには嫉妬してるように見え──」

「……いーぐるちゃん、行け!」

「キーッ!」

「ほらーやっぱり怒ってるー、おーよしよし。いーぐるちゃんは良い子だなー」

 バサバサと翼をはばたかせながら指揮官に襲いかかるいーぐるちゃんだったが、手慣れた様子であしらわれていた。腕を差し出すと羽を休めて、クチバシを突き出してくる。そんないーぐるちゃんの頭を指で撫でると、目を細めて大人しくなった。

 顔を赤くしながらそっぽを向くエンタープライズの軍帽を目深に下げながら、指揮官は残る任務に取り掛かり始める。

 

 

 

 ──その一方で、エヌラス。

 黒板の前で腰に手を当てて立つレンジャーが教本を片手に指揮棒で指すのは、四大陣営。

 

「はい、それでは! 教えてレンジャー先生のお時間です」

(なんかベールと同じニオイがするな、この先生)

「では補佐官君。まずは私達の世界のことからお勉強しましょうね」

「へーい」

「返事はちゃんとしてください」

「はい」

 机に頬杖をつきながら、ぶっきらぼうに返事をする。

 

『アズールレーン陣営:ユニオン・ロイヤル』

『レッドアクシズ陣営:重桜・鉄血』

『セイレーン』

「ここまでは恐らく指揮官君から聞いてると思います」

「基礎中の基礎ということで、一応は」

「じゃあそれぞれの特徴とかは?」

「いやまったくノータッチです、レンジャー先生」

「艦種については?」

「あー……まぁ、ある程度の知識は」

「うーん、じゃあそれぞれの陣営の特徴でも。わかりやすいのはレッドアクシズ陣営の重桜、鉄血ね。重桜っていうのは、極東の艦艇ね。外見の特徴として、獣の特徴や角が生えてたりするわ。例えば、朝に図書室で出会った蒼龍」

「ああ。うさ耳の。そういえば赤城もモフモフだったな。尻尾」

「そうそう。次に鉄血。艤装が特徴的ね。有機的、といえばわかりやすいかな」

「ふむふむ」

 レンジャーが説明しながら黒板に書き足していく。

 まーる描いてウサギの耳をぴょこんと生やして前髪くるりん、デフォルメ蒼龍。

 鉄血の誰かはわからないが、口を開けた艤装を描いて『←危険』とだけ注釈をつける。

 

「はーい、レンジャーせんせー。質問いいですか」

「はい、補佐官君。どうぞ?」

「なんでそんなファンシーな絵柄なんでしょうか?」

「わ、私の絵心は授業に関係がないでしょ!? 授業に集中してください、もう!」

「あっはい」

 怒られたのでおとなしく授業を受けることにした。

 

 ──大体の事情は把握できた。

 謎がまだまだ多いが、必要な情報だけノートにまとめて記入していく。

 エヌラスは三ページほどみっちりと文字で埋めて、こめかみを押さえた。

 

「書いたかなー?」

「覚えることが多すぎて頭が痛くなってくる……」

「最初だけだからがんばって。ほら先生も応援してあげるから」

「これ全部指揮官も覚えたのか……?」

「うーん、どうだろう。指揮官君にも教えてあげたけど、覚えてるかな……? あ、でも指揮官として着任するより前にちゃんと試験は合格してると思うし」

「成績はともかく」

「失礼ですね、補佐官君は。ああ見えて指揮官君は優秀なんですよ」

 レンジャーが手を伸ばして黒板の文字を消していく。そりゃあ艦隊を率いる指揮官が無能では話にならない。それ相応のテストをクリアしてきているのだろう。

 

「指揮官の過去とかは」

「過去の経歴? 先生にも教えてくれないのよね。それどころか知ってる子は一人もいないんじゃない?」

「ははぁ、過去の経歴一切不明?」

「指揮官君が言うには、特に何の面白みもない過去だって」

「そういうことを言う奴は大抵ワケありだと思うんだが」

「まさかぁ、あの指揮官君よ? いつもニコニコ笑って、てきぱき任務を片付けて、仕事は定時できっかり、残業は絶対にノゥ! 誰がなんと言おうと絶対にノゥ! 前なんて──」

 

『やーだー! 絶対にいーやーでーすー、残業とか時間の割に合わないですしー、ボクの勤務時間は始業開始五分前と終業五分前って決めてるんですー、アルバイト時代からずっとそーなんでーすー。誰がなんと言おうと契約外労働はやりたくなーいーんーでーすーよー』

 

「──って、すごい勢いでダダこねてたんだから」

「指揮官としてあるまじき姿なんだがいいのか? そん時の秘書艦誰だったんだ」

「その、かわいかったし、いいかなって……」

「ア ン タ か 先生!」

「もうね、全身で徹底抗議してたの。執務机に着かせようとしたら逆に私が抱っこされてそのまま……──ち、違うからね!? 別に想像してるような変なことは何もないからね! ホントなんだから!?」

「いや別に聞いてないし、聞く気もないんで」

 エヌラスはレンジャーの話を聞き流しつつ、ノートにペンを走らせた。何度かペン先で書面を叩き、考え込む。

 

「……レンジャー先生、ちょい質問」

「はいどうぞ」

「鉄血の子とか、紹介できるか? ちょっと興味があるんだ」

「……不純異性交遊は先生許しませんからね?」

「別にそういう意味で聞いてないんだよなぁ俺はよぉ!? 純粋に艤装に興味があるからなんですけどぉ!?」

「そ、そんな怖い顔で怒らなくても

「顔が怖くて申し訳ありませんでしたね……生まれつきだっての……」

「その、左目のも? 駆逐艦の子達とかの教育にあまり良くない気がするんだけど」

「男の子だから怪我のひとつやふたつしますー!」

「……君、男の子って年齢なの?」

「そこ突っ込むところかよぉぉぉぉっ!!!」

 

 

 

 午前中の授業はここまで──続きは後日に。

 エヌラスはレンジャーの案内で鉄血の待機所に向かっている道中で、指揮官とエンタープライズに会った。

 

「やあ、レンジャー先生。補佐官殿の授業はどんな調子ですか」

「あら指揮官君。順調よ。鉄血の艤装に興味があるみたいだから、案内してあげようと」

「なるほど。それなら午後からプリンツ達に出撃を頼もうかな」

 出撃艦隊の編成を考える指揮官から視線を外し、エンタープライズが思い出したようにエヌラスに視線を合わせる。

 

「ああ、補佐官。ひとつ耳に入れたいことが」

「ん?」

「先程、ネプテューヌ達の演習をしていたのだが。指揮官が下着を覗いていた」

「!?」

「あー……見えるもんな」

「この事について何か思うところはないか?」

「そうだな、まぁ男だし。見えたら見ちゃうよな」

「そうでしょう? ほらー、エンタープライズ。言ったじゃないか、エヌラスさんは理解してくれるって、なんたって男同士ですからね」

 エンタープライズから指揮官に向けられる視線が冷たい。しかし、肩を組んでいたエヌラスが指揮官の首を捕らえると指を二本立てた。

 

「ただし、次見たらテメェの目玉えぐるからそのつもりでな」

「ほらー! エヌラスさんこういうこと言う人じゃないですかやだー! ボクの言った通りじゃないかエンタープライズ!」

「ほほう? 指揮官、つまりなんだ。そうかそうか。つまりお前はそういうことを言うやつだったんだな?」

「──あ、やっべ。墓穴掘った」

 割と本気で指揮官が焦りを見せ、初めて笑顔が崩れて視線を泳がせる。何とかエヌラスの拘束から抜け出そうとするが、まったくビクともしない。まるで生きた彫像、サイボーグにでも捕まった気分で指揮官は腕と顔を交互に見比べていた。

 

「力強ッ!? ふぬぬぬぬぬ……!」

「悪いなぁ指揮官。その気になれば俺は戦艦の装甲すら拳でぶち抜くぞ」

「エヌラスさん、左腕がサイコガンだったりしません!?」

「んなわけねぇだろ! なんだサイコガンって!?」

「ご存知ないんですか!?」

「ご存知ねぇんだよ!! テメェには昼飯食いながらたっぷり話を聞かせてもらおうじゃねえか」

「たっけてーエンタープライズー」

「……さて、私達も昼食の時間だ。行こうか、レンジャー先生」

「そうですね。いい時間ですし」

「あーれー」

 エンタープライズとレンジャーに見捨てられた指揮官は、エヌラスに片腕で拘束されたまま引きずられて大食堂で緊張感漂う昼休みを過ごす事になった。

 ──味がわからなかった、とは指揮官談。



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船団護衛とお留守番の補佐官

 

 

 

 指揮官の召集命令に集まったのは、鉄血とユニオンの混合艦隊。今回の出撃任務は母港より離れた海域で確認された敵性勢力の掃討だ。セイレーンが共通の敵という認識だったが、それ以外にも敵がいるのだろうか。

 話によれば、特定海域では艦船の同一存在──つまりは偽物だ。それが今だに世界中の海域で確認されている。

 

「そんなわけで、輸送船団護衛も兼ねてボク達の出番です」

「具体的には?」

「輸送船と合流後、機雷を排除しつつ海域を離脱までがお仕事です。なので、今回は空母と重巡洋艦でゴリ押ししまーす」

「えらい適当だな」

「失礼な。理に適ってます。それと機雷の排除のために駆逐艦も同時編成で」

「へぇ」

「前情報によれば、セイレーンが確認されたそうなのでめっちゃ気をつけていこう」

「おい? その、それはやべぇんじゃないか?」

「大丈夫です。そのための重巡洋艦」

 自分の艦隊に全幅の信頼を寄せているのか、指揮官は不安な様子を見せる素振り一つなかった。

 既に艤装を装備した状態の艦船達が待機している。一人だけ欠伸をもらしていたが、指摘する気はないらしい。

 

「彼女はプリンツ・オイゲン。それと、レーベレヒト・マース、グラーフ・ツェッペリン。あとは遅刻かな? まーいっか」

「よろしく」

 控えめな挨拶をするのは欠伸をしていた艦船、プリンツ・オイゲンだった。

 

「卿からの指示であれば、従おう」

「頼りにしてるよー、ツェッペリン」

 エンタープライズも出撃するのか、艤装を付けている。

 作戦概要としては、先遣隊が周辺の索敵と掃討。護衛部隊が機雷の排除。

 

「じゃあボクが帰還するまでの間、留守をお願いしますね」

「ん? 指揮官も出るのか?」

「そりゃあ彼女たちに指示を出すのはボクですし、戦況も確認しなきゃですし、輸送船団に挨拶がてら恩を売りつつ顔も売って媚びへつらってコネを作っていこうかなと」

「大丈夫なのか?」

「ははは、そもそも護衛対象に乗り込むので大丈夫です」

 顔に似合わず大胆な作戦の提案をする。

 

「単独か?」

「ボクを人質に彼女たちを脅すつもりなら沈没事故で一面かざります。海域でセイレーンが確認されていますので余裕です」

「具体的には……」

「そうね、指揮官ごと輸送船に砲撃して襲撃するわ。風穴開けるなら余裕よ」

 プリンツが髪を指先で弄りながら淡々とした口調で断言した。艤装が口を開けている。

 

「うんうん、そういう仕事は鉄血の子たちが適任だ。進んでやってくれるもんね」

「指揮官には当てないから安心して?」

「いや、俺が心配してるのはそういうことじゃない……」

 命の危険とか気にしないのか。プリンツは首を傾げている。

 

「なぁ指揮官。いっつもこんな任務やってるのか?」

「いえ? いつもはもっと平和ですよ。ねー」

「そうね。あなた達が来る少し前に上からちょっとした命令が出されたくらいで」

「なんかあったのか」

「大規模船団護衛は出来るだけ参加してくれ、というだけですよ」

 詳しい話はともかく、上からの命令はちゃんと片付けているようだ。エヌラスは話も程々に聞きながらも、鉄血艦隊の艤装に注目していた。

 

「……本当に動くんだな、その艤装」

「触ってみる?」

「いいのか」

 プリンツ・オイゲンの艤装に触れてみる。冷たい鉄に、生物的な動きを見せる主砲を積んだ艤装がエヌラスの手に噛みついた。

 

「あ」

「あっ」

「いぃってぇぇぇーっ!? なんで噛んだ、なんで噛ませた! どうして動いた!?」

「半分くらい私の意思だけど」

「もう半分は!?」

「……やさしさ?」

「十割お前の意思じゃねぇかよ!? おーいてぇ……」

 涙目で手を振るエヌラスにプリンツが微笑む。

 

「おもしろいわね」

「俺は楽しくもなんともねぇ……」

「さて、それじゃあボクはこれにて。みんなー行くよー」

 

 

 

 ──指揮官が艦隊を率いて船団護衛任務に赴いたので、エヌラスは母港で留守番。

 レンジャーに言われたとおりに予習しておく。ベンチに腰を下ろして教本を片手に日光浴をしていると、明石が隣に座り込んだ。

 

「ふぃ~、仕事を終えた後の酸素コーラは格別にゃ」

「おつかれさん」

「んにゃ? なんだ補佐官かにゃ」

「改築工事の調子は?」

「順調にゃ。そのせいで明石は忙しいんだにゃ」

「そりゃ悪かった」

「ふっふっふ。だけどその分、指揮官からのお礼が楽しみだにゃ……これだけ苦労させられたとなれば、明石への労いも豪華にゃ……だから頑張るんだにゃ」

 現金なやつめ。だが扱いやすいとも言えるが、身近な相手を思い出してしまう。エヌラスが思わず頭を抱える。

 

「んにゃ、どうしたにゃ? 知恵熱かにゃ?」

「お前は俺をバカにしてるのか?」

「コーラ飲むかにゃ?」

「くれるのか」

「向こうの購買部で売ってるにゃ、これは明石のだからあげないにゃ」

「生憎と金が無い」

「じゃあ我慢するにゃ。ぐびぐび、ぷにゃー」

「オッサンか」

 タオルで汗を拭いながら明石は酸素コーラを半分ほど飲んでいた。袖が少しだけ汚れているのは作業を中断してからまっすぐ中庭で休憩するために来たからか。

 

「やっほーい、明石ー! あ、エヌラスも」

「ぶにゃー!?」

「うわぁスプラッシュ」

 ベンチの背もたれから飛びつくネプテューヌの衝撃に、明石の口から酸素コーラが盛大に吹き出された。

 

「ゲフ、ゲフ!? ビックリさせるにゃ!? 何事かにゃ!」

「なに読んでるの? はっはぁん、さてはエッチな大人の本だなー? こっちに来ても相変わらずだなぁエヌラスは」

「リョナるぞテメェ」

「なにその脅し文句!? ねぷさんにそんなことしても、あ、ごめん。頭掴まないで。力入れな、いたたたた!! 痛い痛い痛い、結構本気で痛い奴だよこれー!?」

「言うべき言葉はそれだけかネプテューヌ」

「ごめんなさいー!」

「よろしい」

 素直に謝ったのでエヌラスは鷲掴みにしていた頭から手を離した。明石の隣に腰を下ろすと、ねぷ印のハンカチで顔を拭う。

 

「補佐官、エッチな本とか読むのかにゃ……」

「……言われてみれば、そんなに読んだことないな」

「ちょっとはあるんだ」

「そりゃお前、男の子だからな」

 ネプテューヌと明石が顔を見合わせて──眉を寄せていた。

 

「男の子って年齢でもないんじゃない?」

「お前絶対違うにゃ」

 今度は二人まとめて頭を鷲掴みにして万力のようにゆっくりと締め上げる。踏まれた猫のようなブサイクな鳴き声とネプテューヌの悲鳴が重なると、今度はエヌラスの頭が叩かれた。振り返るとそこにはノワールが腕を組んで立っていた。

 

「なに明石をいじめてるのよ。離してあげなさいよ」

「ぶにゃぁぁああぁぁああ~~……!!」

「いや、ブッサイクな猫の鳴き声が癖になってきてな」

「止めなさいってば。ほら、明石。大丈夫?」

「頭が割れるほど痛かったにゃ……」

「ちょっとちょっと、ノワール! わたしの心配は!? 二回もやられてるんだけど!」

「貴方の場合は自業自得でしょ、日頃の行いよ」

「納得いかないなー……」

 エヌラスの膝に落ちている教本に気づいたのか、中を開いてペラペラとページを捲る。こちらの世界の基本的な教本らしく、艦船について詳しく書かれていた。艤装とメンタルキューブの関連性などなど。世界情勢や現状の人類に開放されている海域などもある程度補足されている。

 

「へぇ、結構真面目に勉強してるじゃない。感心感心」

「たまに忘れてると思うが、俺は勉強に関しては真面目だぞ?」

「そうだったかしら?」

「えーそうだっけー?」

「そうなのかにゃ?」

「人形工学とか魔術のあれやこれやとか経絡秘孔とか薬物調合に、まぁなんだ。あぶねーのは大半だ」

(この補佐官、実はメチャクチャヤバい奴なんじゃないかにゃ……)

 それとなくエヌラスの危険性を悟った明石がさりげなく距離を取る。

 

「そういえば、人形と言えば陸のほーも何かそんな話聞いたことあるにゃ」

「オリエンタルな?」

「違うにゃ。似たようなものだけど、明石も詳しく知らないからこの話は終わりにゃ。ぐびー」

 残り少なくなった酸素コーラを飲み干して、明石が控えめなゲップをひとつ。ちゃんとゴミはゴミ箱へ。ぽーいっ。

 

「明石はこれから宿直室の改築工事に戻るのかしら」

「そうにゃ。外壁の工事は終わったから次は内装にゃ」

「ほんとにスピード工事だな……大丈夫なんだろうな?」

「指揮官からは「一晩で片付けたら特別なご褒美あげるよ」って言われてるから、がんばるにゃ」

 ふんす、と気合を入れて明石は仕事へ戻った。その後姿に手を振って見送り、エヌラスは再び教本に視線を落とす。

 

「読んで分かるの?」

「読まなきゃ分からん。一応テスト範囲くらいは読んでおかないとな」

「テストって……」

「レンジャー先生に言われたからな。こっからここまで覚えておくようにって。どうしても分からなかったら近くの子に聞きなさいとも」

「なんか普通に学生みたいなことしてるわね」

「こっちじゃ面倒事無いしな。これ以外」

「そうね、基本的には指揮官が面倒事を片付けてくれるもの。これ以外」

「あれー、おかしいなー? 別にわたしのこと言われてるわけじゃないのに、わたしが問題児扱いされてる気がするー?」←これ以外

 中庭で本を読んでいるからか、すれ違う艦船が多い。気晴らしにと外で読んでいたが、他に集中できそうな場所といえば図書室だろうか。ただ開放されている時間もある。それに蔵書を読み始めると止まらない。

 右にネプテューヌ、左にノワール。まさに両手に華状態でも見向き一つせずエヌラスは読書を再開していると、今度は膝にネプテューヌが頭を預けた。

 

「ねー構ってよー」

「勉強中だ」

「演習の結果聞きたい?」

「悔しいけれどネプテューヌの勝ちだったわ。まさか主砲の装填が遅れちゃって」

「そうか」

「そういえば指揮官は?」

「大型船団護衛任務に出撃した。前線指揮だとさ」

「そうなんだ。あれ、でもわたし達の時ってそんなことしてくれたっけ?」

「色々あるんじゃない? 指揮官も上からのお仕事で」

「うえー大変そー」

 教本を丸暗記する勢いでエヌラスが教本を見つめている。ネプテューヌが頬を引っ張るが、なんの反応もなかった。

 

「うわ、すごい集中力」

「勉強の邪魔しないの。ほら行くわよ」

「そうだ。今なら普段の仕返しも出来るかも。ふっふっふー、わたしを止めても無駄だからねノワール! 日頃の恨み、てやー!」

 ──ガッ!

 

「あれ?」

「邪魔すんな、ネプテューヌ」

「あっるぇー!?」

「だから言ったじゃない」

 再三頭を鷲掴みにされて、ネプテューヌがベンチに沈んだ。こめかみを押さえている。

 

「うぅぅ~~……んもー、エヌラスってば女神様に対する敬意ってのが足りないと思うんだけどそこのところどう思うのさー!」

「そういうお前は女神の威厳が感じられないんだが」

「それと女神としての自覚もね」

「あれー、なんかノワールにまで責められてる。おかしくなーい? わたしの場合はさ、ほら。なんていうの? 親しみやすいのがウリだから!」

「お前それラステイションでも言えんの?」

「ちょっとそれはどういう意味かしら、エヌラス? 私が近寄りがたいって意味かしら?」

「おぉ、ちょっと修羅場っぽい! いいぞいいぞー、このまま昼ドラ展開に──」

「「ならない!」」

「ねぷーん……」

 二人に強く否定されるが、今度はノワールがエヌラスに指を突きつけた。

 

「そんなことより、さっきの言葉はどういう意味なのよ!」

「そのまんまだ。ノワールは女神としての自覚も威厳も足りてる」

「……本当に?」

「そうでもなきゃゲイムギョウ界のシェアトップの維持出来ないだろ」

「当たり前じゃない。私はラステイションの為に毎日頑張ってるんだから」

「今は?」

「揚げ足を取らないの、ネプテューヌ」

「大体、俺に女神へのあれやこれやを一般人並に期待されても困るぞ?」

 紆余曲折を経て、今は守護女神達と教会で生活をしているが建前上は服役囚だ。罪状は、なんかもう色々山程ありすぎてキリがない。無期懲役刑で生涯教会に奉仕活動をすることになっている。四カ国全部で。

 種族的なものから何から何まで女神との対立関係にある。それがなぜ共闘しているかという疑問もあるだろうが──惚れた弱み。以上。

 

「さ、思い出話はともかくとして。エヌラスが珍しく真面目に勉強をしているんだから邪魔をしないの。行くわよネプテューヌ」

「はーい。じゃーね、エヌラス! またあとでねー」

「あいよ」

 適当に手を振り、教本から目を離さずに二人と別れる。

 

 

 

 その後も日が傾くまでエヌラスはずっと教本に目を通していたが、流石に眼が疲れてきたので身体を伸ばして休憩を入れた。顔を上げれば駆逐艦達が楽しそうに食堂へ向かって駆け込んでいる。もうそんな時間になってしまったのか、と硬直した腰を上げて軽くストレッチで解した。

 そこへ、ベルファストが率いるロイヤルメイド隊が通過する。目が合うと足を止めて会釈して歩み寄ってきた。

 

「ご機嫌うるわしゅうございます、補佐官様。もうじき夕食のお時間ですが、いかがなさいますか?」

「食べようとは思うが、今日は休みなんじゃなかったか?」

「ええ、指揮官様のご厚意によって本日は私達もお休みなのですが。この程度は業務のうちに入りません。お気遣いいただいてありがとうございます」

「そっちは?」

「そうですね、ご紹介致しましょう」

 ロイヤルネイビーのメイド隊。ベルファストに、その姉のエディンバラ。サボタージュの発覚したサフォークを除いて、シェフィールド、ケント。小柄な二人の少女は戦艦のクイーン・エリザベスとウォースパイトだ。これで全員ではないようだが、食堂で準備でもしているのだろう。

 一歩前に出て自信満々に胸を張るのは、クイーン・エリザベスだ。

 

「ふっふん。お前ね、昨日指揮官に遊ばれていた補佐官は。こうして近くで見るとますます庶民っぽい気がするわね」

「……」

「な、なによその眼は! この程度の挨拶でそんな睨まなくてもいいでしょ!」

「いや、別に睨んでないんだが」

「じゃあなんでそんな目つきが悪いの!?」

「生まれつきだよっ!」

「ひえぇぇっ。ウォースパイト、なんとかしなさい!」

「はいはい、陛下はお下がりください。コホン。では改めまして、ロイヤルネイビーの超弩級高速戦艦、ウォースパイトです。指揮官からお話は伺ってますよ、補佐官」

「……出来れば俺の顔の傷とかには触れてくれるな。話が長くなるから」

「ロイヤルネイビーの歴史が知りたい時は私を尋ねてくれれば教えてあげますね。もちろん自慢のメイド隊によるおもてなしも一緒に」

 それは魅力的なお誘いだ。機会があれば話を聞かせてもらうとしよう。

 

「俺は図書室に寄って、工事の様子を見てから夕飯にする。それまで残ってればいいんだが」

「ご安心ください、補佐官様。こちらで取り置きしておきますので、どうぞごゆっくり」

「それは助かる。悪いな、ベルファスト。優秀過ぎてうちで雇いたいくらいだ」

「お誘いは嬉しく思いますが、残念ながら丁重にお断りさせていただきます。今の私は指揮官様のメイドですので」

「ちょっと!」

「ええ、もちろん王家艦隊ロイヤルネイビーのメイド長でもありますし。申し訳ありません」

「ダメ元で言ったんだ、そこまで気にしなくていい」

「そうですね。もし万が一、職にあぶれた際はよろしくお願い致します」

 万が一、どころかそんな未来はとても来そうにないが。

 ロイヤルネイビーの艦隊と別れて、エヌラスは図書室へ向かった。クイーン・エリザベスだけはベルファストに隠れて睨んでいた。猫じゃあるまいし。

 

 ──図書室で読書をしていた蒼龍の案内で艤装に関する技術書を幾つか見繕ってもらい、貸出カードに名前を書いておく。軍で管理している備品のひとつなので取扱は丁寧に、と釘を刺された。

 それから、大宿舎の宿直室へ。工事の音が聞こえないということは、大掛かりな工程は終わったのだろう。

 機材の片付けをしていた明石がいたので声を掛ける。

 

「おー、明石。終わったのか?」

「後片付けまでが仕事にゃ。電気も水道もガスもネットも全部繋ぎ直しておいたから明石に感謝するにゃ。崇めてもバチは当たらないと思うけれども、どうかにゃ? にゃ?」

「そりゃすげぇな。中入っても大丈夫か?」

「内装もそれなりにやっておいたから、後は好みで変えればいいと思うにゃ。どうせ家具なんて指揮官が余らせたコインで購入して放置されてる奴があるからにゃ」

「ほんと適当だな指揮官……」

 実は片付けとか出来ないんじゃなかろうか。とはいえ、明石を連れて改装された宿直室の内装を確認してみる。

 そのまんまだった。布団が一つ、ポツンと置かれているだけで後は朝見たまま。間取りを広くした分むなしさが増えた。ついでにシャワールームやトイレも増設されている。どれだけ頑張ったんだ明石。

 

「むっふっふ、驚いたかにゃ。これなら指揮官からも臨時ボーナスで明石はウハウハパラダイス間違いなしにゃ」

「はー。こりゃほんとすげぇな。驚いた」

「本当ならお前からもお金取るレベルにゃ。だけどビンボー人のお客様なら仕方ないにゃ」

「その点は働いて返すさ。艤装とかの仕組みを勉強中だから、工廠で仕事を手伝う」

「……まじで?」

「おい明石、語尾。語尾」

「ハッ!? あまりの衝撃に付け忘れてたにゃ! 恐るべし女神の知り合い……!」

 袖で口元を隠しながら、やはりそれとなく距離を取る。エヌラスは図書室から借りてきた本もまとめてこぢんまりとした机に置いてから部屋を後にした。

 

 しっかり戸締まりもして茜色に染まる海を横目に立ち止まると、水平線に人影が見えた。出撃していた艦隊が帰投し、すぐに壊れた艤装が工廠へと送られる。多少の損害は見られるものの全員大きな怪我もなく無事に帰ってきた。

 指揮官ならぬ指揮艦から降りて、変わらぬ調子で整列した艦隊の前に立つと指揮官は笑顔で手を振る。

 

「みんなお疲れ様ー。今回も良い仕事したね、あとはゆっくり休んで明日に備えよう」

「……指揮官」

「はい、エンタープライズ」

「その前に作戦報告書の作成が先決ではないだろうか? まだ任務は終わって──」

「お腹! 空きました! みんなのお風呂とご飯が先です!」

 真面目なエンタープライズの進言も聞く耳持たずマイペース。それにクスクスと笑い声が漏れていた。

 

「仕方ない、いつもの事か……ちゃんと今日の分の報告書は作成するんだぞ。それが終わるまで私も寝れないんだからな」

「なるはやで片付けるよ。おや補佐官殿、お迎えされる立場っていうのはなんか嬉しいですね」

「よう、出撃任務ご苦労さま。メシならメイド隊が用意してくれている」

 エヌラスが右手で敬礼をすると指揮官も返し、エンタープライズ達も応える。

 

「不在の間、何かありました?」

「特に問題なし。明石が工事を終わらせて、指揮官からの豪華な報酬待ちだ」

「いやーまさか本当に一日でやってくれるとは思わなかったですよねー」

「…………」

「まぁいいや。やってくれたならちゃんとご褒美あげないと。それよりも今は先にお風呂とご飯ですねー。はいかいさーん、解散、解散です! おつかれさまでしたー」

 母港に到着するなり気を緩める指揮官の隣で、代わりに警戒するエヌラスの前を通り過ぎるユニオン艦隊。エンタープライズを旗艦にした、ヴェスタル、ホーネット、ポートランド、インディアナポリス、ラフィー。

 

「インディちゃん、今日も大活躍だったねー♪ 砲撃を防いでたインディちゃんカッコよかったよ。あ、ちゃんとかわいい写真撮ってあるから後で見せてあげるねー」

「……姉さん、うるさい」

「ねむい……ラフィー、お風呂入って……ねんねしたい……」

 終わったばかりだというのに元気ハツラツなのが約一名、目の前を通過。

 続いて鉄血艦隊。旗艦、グラーフ・ツェッペリン。残りは、Z1、Z23、プリンツ・オイゲンだけだ。

 

「いやぁ、セイレーンの艦艇を機雷で巻き込んだ時はスカッとしたぜ!」

「指揮官の機転のおかげで今回も全艦無事に帰港できましたね。後でちゃんと反省会をしないと」

「実に胸の踊る戦場だった。卿の戦場は私を退屈させてくれないな……」

「いやぁ、無茶させちゃってごめんねー。うん、でも流石はツェッペリンだ。一機残らず撃墜してくれてありがとう」

「お前なにしたんだよ……」

「うん? 海域に設置されていた機雷を敵艦にぶつけて、後は誘導して「ドカーン」です」

 思ったよりもえげつない戦闘をしていた模様。指揮官が労いの言葉を掛けながら目の前を通る艦船達に手を振る。最後にプリンツ・オイゲンが髪をかき上げてからエヌラスの前でウインクして通り過ぎた。

 

「……? 気の所為か」

「どうかしました?」

「いや、今プリンツ・オイゲンがウインクしてったような気が」

「結構小悪魔系というか、いたずら好きというか。人をからかうのが好きなんですよ、彼女」

「なるほど。お前と一緒か」

「おやー? おかしいなぁ、ボクはそんなことしてないのに」

「忘れたとは言わせねぇぞ指揮官、昨夜の漫才をな」

「…………さーてボクもご飯食べてこようかなー!」

「おぉっと、逃げられるとでも思ったか。逃さねぇぞ」

「ひえぇぇん……エヌラスさんって実はメチャクチャ根に持つタイプですか?」

「地の果てまで追い詰めて地獄でも探し出して追い詰めるレベル」

「こっわ、近寄らんとこ」

 これ以上近寄れないほど密着しているわけだが、どう逃げ出すつもりだというのか。肩を組んで首を拘束されて笑顔で固まる指揮官は唸っているものの、答えは出なかったのか両手を挙げて降参のポーズ。

 

「素直に謝るので解放してもらえませんか? ほら、ボクまだお風呂入ってませんし」

「はっはっは、水臭いことを言うなよ指揮官。男同士だ、気にすることはないだろ」

「いやまさにボクが汗臭いって話をしているわけなんですけれども!? あ、ダメだ逃げられないなこれ!」

 

 夕飯はこの後みんなで美味しくいただきました──。



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ゴミ倉庫は宝の山?

 

 補佐官として大事な基礎知識の勉強、二日目──レンジャー先生が涙目になっていた。

 

「…………」

「…………えーと、それじゃあ。補佐官君、次のページなんですけどー」

「予習済みです」

「うわーん! これじゃ教え甲斐がないじゃないー! 昨日みっちり私が用意した宿題もこれじゃ意味がー!」

 眠そうにしているエヌラスだが、それもそうだ。徹夜で教本を丸暗記してきた。その上自分で借りてきた艤装に関する技術書も頭に叩き込んである。主砲から副砲、機銃に追加装甲や燃料フィルターと魚雷に至るまで全部一通りの予習を済ませていた。

 教壇に突っ伏して泣きつくレンジャーに悪い事をしたと思いながらも、エヌラスは眠気を必死に堪えている。今日の朝食なに食べたっけ? あまりの眠さに覚えていない。

 うつらうつらと頭を揺らしていた補佐官が、頬杖から頭を滑らせて机に叩きつけた。ゴンッと鈍い打撃音にレンジャーも驚いている。

 

「…………」

「……あのー、大丈夫? いますごい痛そうな音が聞こえたけど」

「……っす、だいじょうぶです。くっそねみぃだけで痛みとか全然」

「と、とりあえず今日のところは自習にしておくね。先生も教材変えないと……」

「お疲れ様っしたー……くあー、ねみぃー……」

 身体を伸ばして教室を後にしたエヌラスは早くも工廠へ足を向けていた。

 

 そこでは、明石が指揮官に泣きついている。夕張も困った様子だ。一体何事だろうか。

 

「ふにゃー、指揮官の嘘つきー! 明石が頑張れば豪華なご褒美って言ったにゃ! 二言はないって言ってたにゃー! 明石が一晩頑張ったのにお預けだなんて酷いにゃあんまりにゃ工作艦に対する虐待にゃあぁぁぁ!」

「おや、補佐官。おはようございます、眠そうですね」

「クソ眠い頭にブサ猫の悲鳴が超うるせぇ」

「明石ブサ猫じゃないにゃ! 超絶美少女天才子猫ちゃんにゃ!」

「三味線にしてやろうか、いい声で鳴け」

「補佐官、眠気でなんかリミッター外れてません?」

 話によれば、指揮官が明石に報酬を支払わないのが喧嘩の原因らしい。鼻水と涙で顔を濡らしながら裾を掴んで離す様子がなかった。

 

「ちゃんと支払えよ。明石めっちゃ頑張ったんだから」

「いやぁ、それなんですけどね。ボクも昨日の夕方に用意したんですけれども、配送業者の方でトラブルが起きたらしくて、到着が遅れるらしいんですよ」

「それで明石がゴネてるってわけか……」

「はい。いやぁ困ったなー。艤装の修理も弾薬の補給もまだ終わってないのに作業中断されたら」

「明石は明石は報酬が支払われるまでボイコットするって思ってるにゃ! 夕張だって賛同してくれるはずにゃ!」

「え? 巻き込まれても困るんだけど」

「こぉの裏切り者ぉぉぉぉぉ!! にゃおぉぉぉぉっ!!」

 袖の中から無数の工具を見せて明石が夕張に襲いかかる。それを眺めながら顎に手をやり、指揮官は困った表情を浮かべていた。

 

「うーん、これは困ったなぁ。こうなっちゃうと明石は何をしても絶対に働いてくれないから」

「ようはなんだ。その配送業者から明石への報酬だけ受け取ってくればいいのか?」

「まぁそうなっちゃいますね」

「んで? そのトラブルってなんだ」

「民間軍事会社グリフィンの戦術人形に護衛を頼んでいたトラックが敵から襲撃を受けて撃退したものの積み荷の一部を奪われたらしいんですよねー」

「グリフィンドォォォルッ!!!」

「アズカバンッ!!」

 エヌラスが指揮官をジャーマンスープレックスで投げて、工廠の床に叩きつける。もちろん手加減してあるが、それでも人間の指揮官には十分なダメージなのかうめき声を出していた。良い子のみんなは真似しないように。

 

「冗談だよな? そういう面倒な話、俺は一切聞いてなかったんだが?」

「いぃってぇぇぇ……真面目に、痛いんですけど……!?」

「骨の一本や二本で文句言うな」

「命に関わりますからね!? とはいえ、冗談です。まぁ知り合いなんですけど。コネを使ってちょっと取り寄せようとした商品の配送が遅れてるのは事実です」

「そうか」

「あ、でも何とかなりそうなのでエヌラスさんは何もしなくて大丈夫ですよ」

「で? 明石はどうすんだ。目の前でキャットファイトなわけだが」

「どうしましょうねー、あっはっはっは」

 笑い事で済ませるな指揮官。夕張が明石に押し倒されていたが、何とか引き離すと逃げ出した。しかし工作艦がボイコットというのは艦隊運用に支障が出る。

 

「まぁ到着までのんびりボクは書類仕事でも片付けますよ。補佐官も眠そうですし、今日もゆっくりされては?」

「んー、そうするわ。とりあえず借りてきた本を返してこないとな……」

「それにしても一晩徹夜でそんな状態なんて、よっぽど慣れてないんですね」

「ひっさしぶりにやったからな。前は三日三晩寝なくても作業に没頭できたんだが、燃料切れるとダメだな……」

 勉強している間はいいが、教材が無くなった途端に糸が切れたように集中力が眠気に敗北するのは少々ツライ。内容を覚えるのは一夜漬けでできるが、それを実践しようとするだけの体力が残っていない。

 

 そんなわけで、指揮官と補佐官が仲良く工廠を後にすると明石が扉を閉めて中から鍵を掛けた。アレは本気だ。絶対に誰も入れないようにしている。この調子では購買部も今日は利用できないだろう。困ったものだ。一番の困り者は指揮官だが。

 

「指揮官しきかん、しっきっかーん! ビリー・カーン!」

「殿様殿様ー!」

「ご主人様ー!」

「お館様あああぁぁぁぁっ!!」

「おい今の真田の六文銭誰だ」

 サンディエゴ、山城、サフォークの三人が突然指揮官に向かって駆け寄ってきたかと思えば抱きついた。笑顔で頷きながら話を聞いている指揮官から目を離せば、木陰に赤城。相変わらず凄い形相をしている。般若も泣いて逃げ出す顔だ。

 

「ふ、ふふふふふ……指揮官様の周りには害虫が絶えないことですことで……やはり一度ならず二度でも三度でも「ソウジ」をする必要があるようですわ……!」

「やぁ赤城ー。そんな木陰から見てないでこっちに来たらどうかなー」

「はぁい指揮官様ー!」

 変わり身のあまりの早さに本当に同一人物か疑わしくなる。赤城が近づいてくるとサンディエゴを除いた二人がササッと指揮官の後ろに隠れた。

 

「ひえぇぇ……」

「はわわわ……」

「やっほー赤城ー☆ 怖い顔してどうしたの?」

「本日も晴天なり、良い天気ですわねぇ指揮官様。こう天気が良いと、さぞ害虫の「ソウジ」も捗ると思いませんことぉ? ええ、指揮官様が望むのであればこの赤城は今すぐにでも……!」

「掃除かぁ……良いかもね。ありがとう赤城」

「!!」

 パッと顔を輝かせて赤城が指揮官の手を取る。

 

「し、しし指揮官様? それは、本当に、良いんですか? この赤城が、指揮官様の身の回りにいる害虫を一匹残らず駆除することに許可を出されるということで!?」

「補佐官殿ー、ちょうど頼みたい仕事が出来ました。赤城のおかげで」

「なんだ?」

「倉庫の整理とか、掃除とかお願いしたいと思います。武器庫とかも設計図放置したままなのが多いんです。いやーよかった、赤城のおかげで思い出せたよ。ありがとう、赤城。流石はうちの航空戦力の要の一人だ。ここぞという時は頼りになるなぁ」

「……あの、指揮官様? あ、赤城の「ソウジ」に許可は」

「出すと思う? そんなに掃除したいならトイレ掃除でもする? 赤城はキレイ好きだからね」

 歓喜に震えていた狐耳と尻尾が萎びていく。しかし、指揮官は掴まれた手を離さない。

 

「それとも何かな? 赤城はボクの艦隊に何か不満でもあるかい。そっかぁそれに気付けなくてごめんね、ちゃんと言ってもらえればボクも配慮するよ。それで? 何か()()に言いたいことがあるか? 一航戦」

「…………ありませんですわ」

「こうして触ってみると分かるんだけど、赤城って肌キレイだね。すべすべしてる。へー、やっぱり女の子なんだなぁ。なんかボクもドキドキしてくるよ。あ、ごめん。つい」

 パッと手を離し、もはや泣き出す寸前の赤城が頭を下げて立ち去っていく。指揮官は相変わらずニコニコと笑顔を向けていた。

 

「というわけで、補佐官殿。倉庫整理と諸々、お願いします」

「んー、わかった」

「わー補佐官もねむそー。そんな顔してちゃダメだよ♪ ほらほら、遊ぼうよー! テンションガン下げ萎えぽよな顔してないでさ、笑顔でピース☆」

「エヘ顔ダブルピースとかウザ可愛いなこんちくしょう」

「当然だよーっ。なんたって私はぁぁぁ……サンディエゴ!」

 よく意味がわからないが多分眠いからだ。なんか指揮官と赤城が話をしていた気がするが眠くてよく聞いていなかった。今日の業務は倉庫整理らしいので、始める前に眠気覚ましをしておかなければ。

 

 

 

「あら、補佐官様」

「んいー」

「とても眠そうですね、どうかなさいましたか?」

 上からの便箋だろう。大事そうに封筒を持ったフッドと食堂前の廊下ですれ違う。エヌラスは欠伸をこらえて、茶色の封筒に視線を向ける。『関係者以外開封ヲ禁ズ』と赤い判の押された封筒は指揮官宛てだろう。指揮官以外に手紙が届くのかはともかく。もしかすると艦船に向けてラブレターとか感謝の手紙とか送られてくるかもしれない。

 

「指揮官から倉庫整理の仕事を頼まれたんだが、眠気に負けそうなんだ……そこで眠気覚ましにコーヒーでも貰おうかと」

「まぁ、そうでしたか。しかしコーヒーなどよりも熱い紅茶の方がお口に合うかと」

「こういう時に一番効くのはドス黒いコーヒーなんだよ……」

「はぁ……そういうものですか?」

「そういうものなんです」

 眠さのあまり口調すら安定していなかった。食堂に入ると、非番の艦船がちらほらと。その中に混じってノワールがいた。ちょうどいい。

 

「あら、エヌラス。どうしたのよ、眠そうだとは思ってたけど本当に眠そうね」

「ノワール。コーヒー淹れてくれないか……」

「自分で……と、思ったけど貴方コーヒーも自分で用意できないのよね。まったくもう、しょうがないわね。座って待ってなさい、すぐ準備するから」

「ブラックー」

「はいはい、わかってるわよ」

「あーるえっくすー」

「そんな銘柄無いんだけど!?」

 厨房に入るノワールがクイーン・エリザベスに茶菓子の用意をしていたベルファストと気さくに挨拶を交わす。

 椅子に座って天井を眺めていると、プリンツ・オイゲンが顔を覗き込んだ。垂れた髪が頬に触れてくすぐったい。

 

「…………」

「ヒドい顔。貴方見てて飽きないわ」

「俺の顔見て言うことがそれだけかプリケツ」

「あら。見たいの?」

「……悪い、名前なんだっけ?」

「プリンツ・オイゲン」

 隣の席に座ると、まじまじと見つめてくる。眠そうな人の顔の何が面白いのか、微笑を浮かべたまま崩さない。

 

「何か用か、プリンツ」

「……別に」

「そうか」

「面白そうだから、見てるだけよ」

「そっかー」

「ここで上手くやっていけそう?」

「そうだなー」

 うつらうつらと眠そうに頭を揺らすエヌラスが、目頭を押さえた。

 

「四つ数える。息を吸う」

「…………すー」

「四つ数える。息を吐く」

「…………はー」

「どう? 眠気は覚めた?」

「……腹が減った」

 ──ぐぅ~きゅるるいあふたぐぅん。

 

「…………ぷっ。何今の? お腹の音?」

「うるせ。あー、ノワール。俺、朝飯食ったっけ?」

「そんなの私が知るわけないでしょ。何言ってるのよ。はいコーヒー。熱いから気をつけてね」

 厨房から戻ってきたノワールが湯気を立たせるコーヒーを置く。砂糖もガムシロップもない黒い液体をプリンツ・オイゲンが覗いた。顔をしかめている。

 

「これ飲んで頑張れるの?」

「本人に聞いてよ」

「……ふぅん。それならいいのがあるけど、飲む?」

「んー?」

 冷ましながら口に運ぶエヌラスが横目で隣のプリンツ・オイゲンに視線を向けていると、脇の辺りのスリットを指で広げながら胸を見せる。重巡洋艦らしく大きな胸に、ホクロが目に留まった。

 

「私のミ・ル・ク♪」

「ごぶぉっぽあぁ!?」

「のわぁっ!? 大丈夫!? っていうか貴方もなに変なこと言ってるのよ!」

「ふふ、冗談よ。眠気は覚めた?」

 すぐに席を立ち、後手を振って食堂を後にする足取りは軽い。

 飲もうとした瞬間に逆流して変なところに入ったブラックコーヒーでむせる。

 母港で飲むコーヒーは、苦い。多分胃液で。

 ハンカチで顔を拭ったエヌラスは咳き込む。

 

「し、死ぬかと思った……!」

「あーもう、ほら。襟元までびしょ濡れじゃない、動かないの」

「おう……」

「まったく、プリンツ・オイゲンにからかわれたくらいで取り乱さないの。そんなのでこの先ここでやっていけるの? というか、貴方。なんで取り乱したのよ。鼻の下伸ばしてないでしょうね」

「誰でも取り乱すわここでやっけるかどうかなんて分からんしなんでって聞かれたら当たり前だよなぁ!? 鼻の下伸ばすなってのも誠心誠意努力させていただきますよちくしょーめぇ!」

 朝から食堂でイチャつく二人に、生暖かい視線が投げられていた。

 

「大体ね、あの子はちょっと苦手なの。いっつも笑ってるし、何考えてるかわからないし」

「ノワールは苦手なのか?」

「仲良くできたらいいんだけど……まさか、エヌラス。好みとか言わないわよね」

「嫌いじゃないが」

「ほら見なさい! もう知らないわよ、スーツくらい自分でどうにかしなさいよ。ふんっ」

「……いや、嫌いじゃないって言っただけでそんな怒らなくても……」

 ネクタイとボタンを外し、首元を緩めてノワールから投げつけられたハンカチで入り込んだコーヒーを拭き取る。後で洗って返そう。

 

「おーい、プリンツはいるかー?」

「ん? さっき出ていったぞ」

「なんだ。ツェッペリンが呼んでるから来たってのに、入れ違いか。ちぇ。補佐官はどうしたんだ? そんなコーヒーまみれで、寝ぼけてこぼしたのか?」

「尋ね人のジョークで自爆した結果だ」

「はっはっは、なんてザマだ」

 レーベレヒト・マースはケラケラと笑いながらエヌラスの姿を笑うが、それが身内によるものと知って一応の謝罪を挟んだ。

 

「でもアイツも悪気はないんだ。このレーベ様に免じて許してやってくれないか?」

「そこまで怒ってねぇよ、おかげで眠気もどっか吹っ飛んだし」

 しかしスーツは一張羅だ。洗濯するにしても替えの服もない。背丈が近いと言えば指揮官だが、それでも一回り小さい、かといってコーヒー臭いまま仕事もできない。

 

「まぁいいか。どうせ倉庫整理で汚れるしな……」

「……えっ」

 倉庫整理──そう呟いた瞬間、食堂の空気がざわつく。レーベが笑顔で固まった。

 

「そ、倉庫整理って言ったのか今?」

「ん? ああ、指揮官から頼まれたんだが……なんかあるのか?」

「指揮官に恨まれるようなことでもしたのか」

「いや、ジャーマンスープレックスでぶん投げたくらいしか心当たりがない。そんな、その、アレなのか。倉庫整理」

「ああ。俺達の指揮官は有能な部類だが──」

 

 

 

 レーベレヒト・マースに案内してもらった倉庫の惨状を見て、エヌラスは言葉の意味を理解した。なるほど酷い有様だ。なんだこれは。なんなのだこれは。どうすればいいのだ。どこから手を付けるべきなんだこの倉庫は。整理しろ? バカを言うな。こんなもの整理出来たら表彰物だ!

 

「……言っただろ? 見ての通りだ」

「片付けが出来ないね、はいはいはいなるほどな。ゴミ倉庫じゃねぇんだぞ!?」

 山積みにされた木箱から覗く作戦資料。戦術教科書。投げっぱなしにされた機銃に乱雑に積み上げられた主砲に絡み合った砲座。艤装だけではなく何か戦術的な何から何まで、装備設計図も丸めて突っ込まれたまま放置されている。

 

「マジかー、これ片付けんのかー。でもここだけなら何とかなりそうだしな」

「番号、見てみろ」

「番号?」

 レーベレヒト・マースに言われてエヌラスが指された番号を確認した。

 第三物資倉庫。

 

「……」

 一歩外に出て、隣の倉庫に視線を向ける。

 第二物資倉庫。

 さらに隣。第一物資倉庫。

 

 ──エヌラスは天を仰ぐ。本日も晴天なり。いやー青い空、白い雲。隣に可愛い女の子、言うことない職場だな! なんて言うと思ったかバカめ指揮官! 山程言うことあるわ!

 

「よーしわかった、何も言うなレーベ」

「何も言ってないぞー俺様」

「そうかそうか、倉庫整理って一種の罰ゲームか。ははは、あの野郎ぜってぇ許さねぇ。そのうち倉庫にぶち込んでやる」

「片付かないのは指揮官のせいだからな? 間違っても俺達のせいにしないでくれよ。これでも片付けようとしてたんだ。ただ、指揮官があんな調子で誰も近寄らないから結局こうなっちまってたってだけで」

「もういい、俺が頑張る……しばらく一人にしてくれ……」

「メシの時間になったら呼びに来るからがんばれよ、補佐官。俺は味方だぜ」

「ありがとうレーベ……とりあえず指揮官に伝言頼む」

「それぐらいなら任せな。なんて言えばいいんだ?」

「テメェの部屋見せろとだけ伝えてくれ」

Jawohl(ヤヴォール)。それじゃまた後でな!」

 コートの裾を翻しながら駆け足で去っていくレーベレヒト・マースの健康的な白い太ももが眩しい。少しだけそれに癒やしを求めつつ、エヌラスは息を吐いた。

 第三倉庫、ということは他の惨状はまだマシなはずだ。そう希望を抱いて、隣の倉庫を覗いた。

 神は死んだ。神は死んだ。おおブッダよ寝ているのですか。第三倉庫はまだマシな方だった。

 残り二つは地獄のような有様だった。倉庫に立ち入ることすら出来ないほど敷き詰められた使われるかどうかもわからない資料や艤装の山に思わず崩れ落ちてしまう。

 

「ちっくしょう誰が諦めるか! やってやろうじゃねぇかよこの野郎!!!」

 こうして補佐官(研修生)エヌラスの地獄のような耐久倉庫整理訓練が始まった。



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悪魔は一匹見かけたら大勢控室で待機なう

 執務室で指揮官が鼻歌交じりに書類を整理しつつ判を押していると、扉がノックされた。二回、それから一拍置いて入室の断りを入れてからドアノブを捻る──。

 

「やぁ、フッド」

「ごきげんよう、指揮官様。上官より便箋が届いておりますわ」

「ありがとう。なんだろう? この間の船団護衛の謝礼かなー」

「こちらになります」

 フッドから茶色の封筒を受け取り、封を切る。中の書類に目を通して、いつもより少しだけ明るい笑みを浮かべていた。

 

「何か良い報せでしょうか?」

「うん、ありがたいお報せだった。装甲空母の配属がうちに決まったって。いやぁよかったー、航空戦力欲しかったところなんだよねー」

「それは、実に喜ばしいことですね」

「うんうん。えーと何々? 重桜艦隊所属……また重桜かぁーい! もう一隻はー、ユニオン所属の空母。あーよかった、普通そう」

「重桜の艦船は個性的な子が多いですからね。指揮官様の気苦労が窺えます」

「そう? そうかな? ボクは好きだけど」

「……ん、んん! やはり、生まれ故郷の艦船が?」

「それもあるけどさ。ほらかわいいじゃん。ケモミミ」

 あっはっは、とあっけらかんと笑って見せる指揮官にフッドは何か考え込む素振りを見せる。

 

「指揮官様。犬と、猫。どちらがお好みでしょうか」

「うーん。ボクはどっちも好きだけど、やっぱ……飼うなら犬かな。好きなのはネコだけど」

「なるほど」

「あ、だからといって明石を贔屓してるわけじゃないからね」

「存じておりますとも」

「用件はこれだけ?」

「はい。偶々近くを通ったものでして、折角ならと私の手から直接。そういえば、本日の秘書艦が見当たらないようですが、どなたでしょう」

「今日の当番は重桜の予定だったんだけど。うーん、まぁいつもの争奪戦じゃないかな? ほら」

 遠くから砲撃音が聞こえてきた。艦載機のエンジン音が幾つも重なって響いている。どうやら口論でまとまらずに実力行使という名の実践演習で撃破数を競っている模様。相変わらず切磋琢磨に余念がない様子で何よりだ。

 しかし本日の工廠では明石が引きこもりボイコット実行中。

 

「あら。重桜の方々は血気盛んなようで何よりです」

「いやーはっはっは。弾薬も燃料も無料じゃないんだけどなー。まぁいっかー」

「お引き止めにならないのでしょうか?」

「うん。流石に在庫なかったら引き止めるけど今は余裕あるし、っていうか溢れてるくらいだからね。ああして使ってくれる分には特に文句はないよ。強いて言うなら秘書艦決めるの、もっと早くしてほしいなー。もうお昼前なんだけど」

 双眼鏡を机から取り出して、指揮官は演習の様子を眺める。

 駆逐艦では綾波が独走状態だ。近代化改修までされた上に、後先考えず魚雷と斬艦刀を振り回してすれ違う自爆ボート(演習用)を薙ぎ払っている。

 巡洋艦ではやはり高雄と愛宕の戦績が抜きん出ていた。流石「最強」を自負するだけはある。

 空母。言わずもがな。鬼気迫る勢いで一航戦が独走、なのだが二航戦と五航戦に叱咤していた。

 戦艦。伊勢型と扶桑型がトップ争いをしている模様。

 

「いやぁー今日は一段と過激なデッドヒートだ。すごいよ。フッドも見る?」

「では拝借致しますね。……あら、確かにこれは。ロイヤルネイビーも負けていられませんね」

「ロイヤル艦隊も近々やってみる? 大規模火力演習」

「指揮官様の許可をいただければ」

「いいよー。楽しみにしてるね。ちゃんと戦果報告も忘れずに。そうだ、戦績上位者にはボクから何かご褒美あげよっかなー」

「指揮官様は本当に心が寛大な御方ですね」

「もちろん。頑張ったらちゃんと褒めてもらいたいじゃん? じゃんじゃかじゃん?」

「うふふ、そうですね。では、私はこれにて。ロイヤルネイビーに連絡してまいります。それではまた」

 執務室から立ち去るフッドに手を振って、指揮官は再び双眼鏡で重桜艦隊の大規模実践演習(無許可)の様子を眺めていた。

 二隻の空母に、一隻の潜水艦も含めての支援。それだけの活躍を期待されているということか。

 

「そうだ新人歓迎会の用意もしないと」

 まぁそんなこと、指揮官にはあんまり関係のない話なのだが。

 

 

 

 鼻歌交じりに廊下を歩いていたプリンツ・オイゲンがレーベに一声掛けられて立ち止まる。

 

「やっと見つけた。まったくフラフラと歩いて探すのに苦労したぞ」

「あら。なにか用事かしら?」

「明日の秘書艦、鉄血が当番だから今のうちに決めておくってよ」

「ふぅん。そう……私抜きで進めてもらって構わないわよ」

「ツェッペリンにはそう言っておくけど、はっはぁん……? あの補佐官も気の毒だな」

「なんのことかしら、おチビちゃん」

「いや、別に。お前に気に入られたんじゃ、この先苦労するだろうなと思っただけだ。あんまいじめてやるなよ」

 腰に手を当てて笑いながらレーベが廊下を走り去ろうとして、ラングレーに見つかって叱られていた。

 そういえば、あの後どこに行ったのか知らない。今のところ出撃要請も来ていない。工廠でも工作艦が何か騒いでいた気がするが、関係のない話だ。

 

「あー、そうだ。補佐官殿なら倉庫整理してるぜー」

「こらー、待ちなさい! 話はまだ」

「ハハハ! 先生には悪いけど俺は忙しいんだ! Auf Wiedersehen(アウフ ウィダゼン)!」

「もう、駆逐艦の子は足が速くて困ります……」

 メガネを直しながらぷりぷり怒るラングレー先生だが、レーベレヒト・マースの足の速さに追いつけないのを知っている。追いかけても無駄なので仕方なく諦めた。

 

「……ふぅん、倉庫整理」

 初めての仕事にしては随分とまた重労働を任されたものだ、可哀想に。

 “応援”でもしてやろうかとプリンツ・オイゲンが踵を返すと、曲がり角でノワールとぶつかりそうになって立ち止まる。

 

「あら」

「のわっ。ビックリしたじゃない、もう」

「ごめんなさいね。それじゃ」

「あ、ちょっと待ちなさいよ。プリンツ・オイゲン、どこに行くの?」

「補佐官のお仕事を手伝ってあげようかと思って」

「またちょっかい出すつもりじゃないでしょうね」

「心外ね、疑われるなんて。同じ重巡洋艦のよしみじゃない」

 左手の指を唇に当ててプリンツ・オイゲンが小首を傾げた。子供っぽい仕草ではあるが、それも美貌が備われば妖艶の一言に尽きる。

 

「確かにそうだけど……さっきの前例があるし」

「ちょっとしたお茶目よ」

「お茶目ってレベルじゃないわよ」

「ふふ。大丈夫よ、女神様が気にするような関係じゃないから」

「当然でしょ。まだこっちにきて三日と経ってないんだから。いや、でも、あのエヌラスだし可能性が無いわけじゃ……いやいやダメよノワール。私がしっかり手綱を握らなきゃ何が起こるか分からないじゃない……」

「知ってる? うちの艦隊、恋愛自由って」

「!?」

「冗談よ」

「あ・な・た・ねぇ~!!」

 クスクスと笑って立ち去ろうとするプリンツ・オイゲンにノワールが続く。向かう先は手付かずの倉庫だ。

 片付けの出来ない指揮官が完全放置している宝の山のゴミ倉庫。艦隊の中ではそういう認識で固まっていた。執務室の掃除や片づけも秘書艦の大事なお仕事の一つ。指揮官の寝室がどうなっているのかを知っている艦船は一人として居ない。

 以前、赤城が潜入を試みた際は銃声が聞こえた。一週間ほど指揮官が口を聞いてくれなかったと半べそをかいていたらしい。そんな事件が起きてからというもの、誰も入ろうとはしない。

 

 ノワールの話を聞き流しつつ、からかいつつ倉庫へ向かうプリンツ・オイゲンだったがその途中でベールとすれ違った。

 

「あら、ノワール。どちらへ?」

「これからエヌラスの様子を見に行くのよ。あなたは?」

「わたくしはこれからロイヤルネイビーの皆様とお茶会ですわ。良い茶葉が手に入ったと聞いて」

「へぇ、そうなの。楽しんできてね」

「それでは失礼しますわ」

 

 ──エヌラスがいるであろう倉庫に到着したが、二人は積み上げられた木箱を見上げる。第一倉庫からはまだドッタンバッタン一人で大騒ぎしている音が聞こえてきた。

 それから開けた扉から木箱がスライドしてくる。カーリングのようにぶつかる直前で止まり、追加で更にふた箱ほど滑ってきた。

 

「すごい埃ね……」

「私が来てからずっと放置されてたから、当然ね」

 装備箱やら設計図やら、使っていない主砲やらと詰め込まれた木箱の数は十や二十では数えきれない。現在使っている装備に不満はないものの、それとこれとでは話が違う。

 

「補佐官、頑張ってるかしら?」

「あー!? 誰だよ今くっそ忙しいんだよ誰かと思えばお前かプリンツ・オイゲン! あとノワールも何しに来やがったこんなゴミ倉庫に! アホかよ何だよこの量あとで指揮官の野郎ぶん殴ってやる! きええええ!!!」

「……彼は人を笑わせないと死ぬ病気なの?」

「あなた何が面白いのよ……」

 ノワールが見渡しただけでも、人が入れるスペースが辛うじて空けられた様子。器用なことにエヌラスは階段状に積み上げた木箱に登って上の方から切り崩している。どうやって積み上げたのかすら分からない、天井スレスレまで達していた。

 飛び降りたエヌラスが静かに着地すると、珍しくプリンツ・オイゲンがキョトンとした表情を見せる。埃だらけのスーツを見てノワールが呆れた視線を向けていた。

 

「あなた、その一張羅しか無いのにそんな汚してどうするのよ」

「夜になったら洗えばいいだろ。腕の立つメイドもいることだし」

「それはそうだけど、もうちょっと遠慮とかないの?」

「俺にこんな仕事させる指揮官が悪い。ろんぱー」

「着替えないあなたが悪い。はい論破」

「おいおいおい負けたわ俺」

 そんなやり取りを無視して、プリンツ・オイゲンが歩み寄ると腕や足に触れて揉み始める。眉を寄せながら何か確かめているようだ。

 

「……?」

「な、なんだプリンツ・オイゲン。くすぐったいんだが、マッサージなら頼んでないぞ」

「貴方、何者なの。あんな高さから飛び降りて無傷とか戦術人形じゃあるまいし」

「少女前線とのコラボも明記しないの?」

「ノワール、そういうメタ発言はネプテューヌに言わせとけ。あと隠し味みたいなもんだ」

「鉄の味しかしないわよ!?」

「向こうの鉄血と私達は無関係だからよろしく」

「あ、そ……そうなの? まぁいいわ。エヌラスなんだけど、色々とあるのよ」

「ふぅん……?」

「俺の場合だと、内勁とか。まぁ発勁だな。軽身功ってやつなんだが」

「よくわからないけれど、東煌の艦船がやっている踊りみたいなのかしら」

「あー……多分そんな感じ。あと魔法とか色々」

 よくわかっていないようだが、とりあえず納得した様子で頷く。

 

「それにしても本当に片付いてないわね。ゴミ倉庫っていうのも納得よ」

「それで、はかどってる?」

「終わる気配がまったくしない。ここの掃除だけで一週間は潰れるぞ」

「一週間で片付けられるなら十分よ」

「勘違いするなよ。倉庫一つにつき一週間だ。消し飛ばしていいなら三秒で終わるが」

「だからどうしてあなたはそう危険な方向に思考が傾くのよ!」

「犯罪国家生まれ舐めんな! 大体なんだよこのゴミの山! どれが必要なのか全然わからん! さっきからゴキブリうろちょろしてるしな! ほらその辺」

「のわぁぁぁぁぁぁっ!!!??」

 ノワールがカサコソ動いている黒い物体を見た瞬間エヌラスに泣きついた。プリンツはそれを目で追いかけていたが、思い出したように逆の腕にしがみつく。

 

「きゃー」

「おっそろしい棒読みでくっつくな、プリンツ・オイゲン」

「あら、私も女の子だから怖いものは怖いのよ。きゃー」

「お前ぜってぇゴキブリ程度で怖がったりしな」

「……きゃー」

 ミシッ……。

 その細腕のどこにそんな力があるのか。エヌラスの二の腕が悲鳴を上げていた。嫌な汗がふきだしてくる。才色兼備な美少女艦船の馬力を侮ってはいけない。その気になれば指揮官など一撃だ。

 ノワールは本気で怖がっているのか、少しでも黒い悪魔が動くだけでも涙目で腕にしがみついてくる。柔らかくも痛い。まるで盆と正月がいっぺんに押し寄せてくるような気分だ。

 

「あ、あなたよくこんな環境で平気な顔して仕事できるわね!?」

「いや、そりゃ。見慣れてるし。お前そんなん言ったら人間大サイズのコックローチが人間食ってる現場とかに行かされてみろ?」

「お願いだからやめて考えさせないで想像したくないから!」

「こっちに来てるわよ」

「いぃぃぃやぁぁぁああっ!? なんとかしてぇぇぇぇ!!」

 カサコソ動き回る悪魔に、エヌラスはスーツの懐に手を入れてマグナムリボルバーを取り出すと早撃ちで木っ端微塵にする。体液と足やら何やらが飛び散っていた。

 

「ほれ、これでいいか?」

「うぅ……もういない? あの一匹だけ?」

「人前に出てきたのはアイツ一匹だけだな」

 ぐずりながら涙目で見上げてくるノワールに頭を擦り寄せながら、リボルバーをしまい込もうとしてプリンツ・オイゲンに止められる。

 白銀の手入れされた五十口径リボルバー。違法改造もいいところだ。バレル下部にバヨネットを仕込み、使用しているのも狩猟用スラグ弾。合金製フレーム強度も破格の耐久性能を誇る。

 

「……なにこれ?」

「レイジングジャッジ化け物狩りカスタム。俺の趣味」

「片手で撃たなかった?」

「俺の趣味」

「……ところで、ゴキブリって一匹見かけたら一杯出てくるらしいわよ?」

「知ってる」

 

 ガサ──悪魔の足音が聞こえてきた。ノワールが恐る恐る振り返り、顔が青ざめる。

 仲間の恨み晴らさでおくべきか、とでも言うように倉庫の奥から這い出してきた悪魔の軍勢に女神の悲鳴があがった。



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仲良しこよしの連携プレイ

 

 昼食の時間になり、大食堂には艦船たちが大挙して押し寄せてくる。そこには指揮官の姿もあった。重桜艦隊も大規模演習(無許可)の戦果報告書を手にして自分が一番だと言い争って止む気配がない。

 一番に詰め寄ろうとする赤城をすり抜けて、指揮官は綾波の手から報告書を受け取って頭を撫でた。

 

「重桜のみんなお疲れ様ー。午後からの秘書艦は綾波にお願いしようかな」

「私、ですか……?」

「よろしくねー」

「はい」

 赤城がすっごい顔をしている。眼力だけで人を三回は呪えそうな表情だ。手にしている報告書を握りしめている。

 

「し、指揮官様? 赤城などは……」

「みんな頑張ったのは見てたよ? でも、もう少し早く決めてほしかった。ので! ここはボクと付き合いの長い綾波を選ぶ! まぁ色々言いたいことはあるかもしれないけれども、戦績上位者には何か用意しておくよ」

「ですが」

「次の機会まで我慢出来るよね? 赤城は出来る空母だから」

「もちろんです、指揮官様」

 条件反射で答えてしまったことを後悔する赤城だったが、指揮官に頭を撫でられて尻尾を振っていた。とてもわかりやすい感情表現をしながら二人のもとを離れると、入れ替わるようにエヌラスが食堂に駆け込んできてテーブルを飛び越えながら指揮官に向けて飛び蹴り(ライダーキック)を放つ。

 綾波の頭を撫でていた無防備な指揮官の側頭部を直撃するが、加減したらしくその場で倒れただけに留まる。

 

「いったぁ!? えぇ!? いったぁ!? なんで!?」

「ははははははなんでだろうなぁなんでだと思う、なんでか分かるかぁ指揮官!」

「すいませんごめんなさい全く心当たり無いです」

「お前倉庫整理って、なんだよあの惨状は! 片付けるってレベルじゃねーぞ!」

「あ、やっぱそうなりますー?」

「おんどりゃああああっ!!」

「コブラァァァッ……!」

 引き上げた指揮官がエヌラスによるコブラツイストで関節を極められて悶絶していた。しかし、すぐに解放されて席につく。綾波がポンポンと頭を叩いていた。

 

「指揮官、大丈夫ですか?」

「いたたた……補佐官殿、ちょっとは手加減してくださいよ」

「アホ言うな、本気で蹴ってたら首の骨へし折れてる」

 遅れて入ってきたノワールとプリンツ・オイゲンも何事かと食堂に入ってくるが、騒ぎが落ち着くとエヌラスと指揮官、綾波と同じテーブルについた。

 大食堂と呼ばれるだけあり、学園内には艦隊全員が座れるだけの席が用意されている。本日の食事の用意もロイヤルメイド隊が腕を振るっていた。なんでも母港の雑用は大半引き受けているらしい。

 

「いただきまーす」

「いただきます。っと、レーベか。おーい」

「なんだ、補佐官も指揮官と一緒か。俺もいいか?」

「もちろんだよ。ね、綾波」

「指揮官が良いなら、綾波も構いません」

 トレイを持ったレーベレヒト・マースが指揮官の隣に腰を下ろす。エヌラスの左右はノワールとプリンツ・オイゲンに挟まれていた。気のせいかあまり顔色がよろしくない。

 

「あーそうだ、指揮官。補佐官殿はかなり怒ってるみたいだぜ? 倉庫整理」

「知ってる」

「部屋を見せてみろー、だとさ」

「えぇ~? ボクの部屋なんて面白くもなんともないよ?」

「片付けの出来ないテメェの部屋を見せてみろこんにゃろう。今夜」

「夜這いですか。ヤバイですね」

「テメェの頭がな! とにかく、倉庫整理なんだがどれが要らない物なのか分からんから手のつけようが無いんだよ。ゴキブリ出てきたし」

「ぶっ! ゲホッゲホッ、ちょっとぉ、ご飯食べてる時に思い出させないでよ!」

 ノワールが飲み込もうとしていたスープを噴き出す。エヌラスは謝りながら布巾を手元に寄せてテーブルを拭いた。プリンツ・オイゲンは淡々とスプーンを動かしている。

 

「えぇ、マジですか。フナムシとかじゃなく?」

「ああ。黒くて速くて大勢いた」

「ちなみにどうなりました?」

「全部焼いた」

「焼いた」

「こんがりと」

「こんがりと」

 オウム返しをする指揮官だったが、流石に害虫は無視できないのか唸っていた。それについては今後対策するとして。

 

「とりあえず、武装の設計図はまとめて明石に渡しておいてください。使っていない主砲とかについては、そうですねぇ~……ランクの低い物は解体しちゃっていいです」

「ランク?」

「ええ。どこかに印字されてると思うので。それも工廠で夕張に任せちゃいます。後は補佐官の判断にお任せしますよ」

「了解。午後も倉庫整理に取り掛かる」

「あ、そういえば明石はまだ工廠で閉じこもり中?」

 レーベレヒト・マースが先割れスプーンで指した方角。重桜艦隊に混じって何やらやけ食い中の明石が昼食をかき込んでいた。お前普通に出てくるんかい、子供か。

 それを見た指揮官が頷くと思い出したように綾波に視線を向けた。

 

「綾波。重桜艦隊の新しい装甲空母の配属がうちに決まったんだけど、どんな艦船か知ってる?」

「綾波も詳しく知らないです。でも、それは良いことだと思います」

「そっか。あとで赤城にでも聞いてみようかな」

「指揮官って、あの空母に付きまとわれて大変そうなのによく付き合えるわね」

 プリンツ・オイゲンは一通り食事を終えて、口元を拭いながらようやく口を開く。そういえば赤城に殺されかけたと言っていたが、とてもそんな風には見えない。関係は良好なようだが。

 

「それはそれ、これはこれ。昔のことは水に流してポイ。ちょっと愛情表現が独特で過激だけど赤城はああ見えていい子だよ?」

「目でも腐ってんのか指揮官。正気か。正気度チェックでダイスロールどうぞ」

「ファンブルー」

「ダメじゃねぇか」

「あっはっはっは、でもほら、今じゃうちにすっかり馴染んでますし」

 ホントかぁ? 疑問に思いながらエヌラスは背もたれに体重を預けて重桜艦隊のテーブルに視線を向ける。二航戦と五航戦が席を共にしているが、静かな食事風景だ。心なしか赤城の機嫌が悪そうに見えるのは、本日の秘書艦を綾波にかすめ取られたせいか。それだけでないだろうが、重桜の航空戦隊の戦績はユニオンと僅差で劣る。というのもユニオンの古株であるエンタープライズとは少なからず因縁があるらしい。

 

「ねぇ、指揮官。今日は出撃予定はないの?」

「予定してないかな。明石がボイコットしちゃってね」

「…………」

「プリンツ、言いたいことは分かる。あそこで明石がご飯食べてるのは黙っておけ」

「でも指揮官。重桜艦隊の弾薬補充は……しなくていいです?」

「無許可でやられた演習だからねー。ま、なんとかするよ。それでプリンツ、どうかした?」

「非番なら、補佐官の手伝いでもしようかと思っただけよ。おチビちゃんもどう?」

「ん、俺か? そうだな、面白そうだし俺も手伝うぜ。なんならツェッペリンも呼ぶか、それとも鉄血艦隊総動員してやってもいい」

「そこまでしなくていいぞレーベ!」

 ノワールが横目でエヌラスの顔を盗み見る。どうやら艦隊との交流は良好なようだ。特に鉄血とは。その中でもプリンツ・オイゲンとは。何か胸のあたりで少しモヤモヤするというか、気にかかるというか、引っかかるものがあるというか、とにかくスッキリしないが、補佐官としての仕事に注力しているようなら問題はない。問題ない。支障はない。特に自分が気にするようなことはないはずだが、ノワールの中で何かモヤッとした物があった。

 

「ごちそうさま」

「あ、おい。ノワール」

「なによ?」

「米粒、ついてる」

 手を伸ばして口元についた米粒を取ると、何のためらいもなく自分の口に運ぶ。それに呆気に取られていた指揮官達だが、少し経ってからノワールが顔を赤くして頬を押さえた。

 

「ちょ、ちょっとなにしてるのよ!?」

「なにが」

「だ、だって今、食べ……」

「それが? なんだよ、別に騒ぐほどじゃないだろ」

「~~~~、ごちそうさま! それじゃあね!」

「あ、おーい。……行っちまった。手伝ってくれないか頼もうと思ったのにな、ゴキブリで騒いでたから無理もないか」

 エヌラスがエビフライを頬張ると指揮官達からの生暖かい視線に眉を寄せる。

 

「……なんだ、やらねぇぞ。エビフライ」

「いやぁ、ふふふ。補佐官殿は本当に、ふふふ」

「甘ったるいです……」

「アレだな。補佐官殿は天然の“女たらし”ってやつか」

「罪深い人ね」

「うるせぇテメェ等エビフライぶつけんぞ」

「ボク尻尾食べない派なのでちょっと、あイタッ、ちょっと衣ぶつけないでください」

 

 

 

 午後からも倉庫整理の続きだが、流石に一張羅のスーツで続けるわけにもいかないので何か着替えはないかと相談。すると、指揮官が着ていた作業服があるらしい。しかし身長差からか少しだけ短く感じられた。

 

「指揮官、このサイズしか無いのか?」

「残念ながら」

「分かった」

 宿直室でツナギに着替えようとハウンドスーツのボタンを外していく。既に廊下ではベルファストが控えていた。流石仕事が早い。

 ネクタイを緩め、袖のボタンも外すと上着とベストを指揮官に投げ渡す。ワイシャツに手を掛けて素肌を見せると指揮官が驚いていた。

 

「ん、どうした?」

「……あー、いえ。すごいですね、その……身体」

「ああ。傷跡か。気にすんな、人よりちょっと“やんちゃ”なだけだ」

 胸元から腕に掛けて切り傷や裂傷など、様々な怪我の痕跡が全身に刻まれている身体だが、痛ましいというよりも勇ましさが勝る。それに比べれば指揮官の身体は小奇麗だ。目立つ怪我などは残っていない。

 ズボンを脱いでからツナギに袖を通したエヌラスは着心地を確かめるが、少しキツかった。へその辺りでファスナーを留めてから半脱ぎにして腕を結ぶ。しかし、腕の傷跡が少し見苦しいと思ったのか少しだけ考えていた。

 

「んー、どうにか出来ねえかな……」

「あまり気にするような物でもないのでは? ほら、名誉の負傷と言いますし」

「質問攻めされるのが嫌なだけだ」

 今度長袖を持ってこよう。ひとまず今日はこれで我慢だ。

 ベルファストにスーツの洗濯を頼んでから二人は別れる。倉庫整理に向かう補佐官と、綾波と一緒に雑務を片付ける指揮官。

 ──案の定、補佐官の傷跡を見て何やら悪評が広まった模様。ええい風評被害などに屈したりはしないぞ。誤解を解くのは少々難儀しそうだが。

 

「ほう。卿にますます興味が湧いてきた」

「なんだその怪我?」

「へぇ、いい身体してるのね」

「うわぁ、すごい傷跡ですね。どういう生き方してたらそうなるんですか?」

「…………」

 そして倉庫前で鉄血艦隊にとっ捕まって頭を悩ませた。いちいち質問に答えるのが面倒なので全部無視した。

 グラーフ・ツェッペリン。レーベレヒト・マース。プリンツ・オイゲン。ニーミ。以上四名。他は戦術学園や他の用事があるようで席を外していた。

 

「ええいうるせぇ、とにかく手伝ってくれるって言うなら今日中にここは片付けるぞ」

「えぇ、この量を?」

「心底嫌そうな顔をするなプリンツ。手分けするぞ」

 まず武装の廃棄班。レーベとニーミ。工廠に運ぶだけの簡単なお仕事。

 次に設計図の仕分け。ツェッペリン。番号と紐づけて整理するだけの簡単なお仕事。

 最後。倉庫から木箱を運び出す力仕事。プリンツ。本人が不服そうな顔をするが、重巡洋艦らしく馬力があるなら手伝ってくれ、という補佐官の言葉に渋々了承していた。

 

「よーし。んじゃあ、ちゃちゃっと片付けるぞ。通りがかりの艦船がいたら引っ張ってきてくれ、人手は多い方がいい」

「はい、補佐官。よろしいでしょうか」

「どうぞ、ニーミ」

「指定の艦種などはありますか?」

「とりあえず常識人枠で頼む」

「わかりました!」

 仕事を妨害しそうな相手は避けてくれると助かる。お前のことだぞサンディエゴ&ネプテューヌのはっちゃけ軽巡コンビ。一度手を組んだらノンストップでアクセル全開シンクロニシティなトロッコばりの暴走ぶりを見せるお前ら。

 倉庫整理再開。台車で駆逐の二人が木箱を工廠へ向けて運んでいる間、ツェッペリンは腰を下ろして束にした設計図の種類と番号を見ながら仕分けていく。大雑把に仕分け、それから揃った物をクリップで留めて別に木箱へ投げ入れる。

 エヌラスが山積みにされた木箱を担いでプリンツに渡し、それを入り口近くまで持っていく。

 最初は五人でやっていた作業だったが、途中からインディアナポリスと付属品の姉、ポートランドが連れて来られた。

 

「……お手伝いに来たんだけど、何をしたらいいの……?」

「インディちゃんのお手伝いに来ました~♪」

「あら、ユニオンの仲良し姉妹。そうねぇ、それじゃそこの木箱を工廠に持っていってもらえる? 廃棄品なの」

「うん、わかった……」

「は~い」

 流石に戦艦クラスの主砲は荷が重いと判断したのか、プリンツはそれを二人に任せる。補佐官の様子を見ると、倉庫の奥の方で何やら片付けている様子。

 次に連れてこられたのは重桜艦隊所属の高雄と愛宕、そしてクリーブランドとデンバーの四人。

 

「おー、なんだなんだ。補佐官は頑張ってるな」

「拙者達も手を貸そう」

「そうねぇ……補佐官、何かあるー?」

 プリンツが木箱の山に埋もれてから出てこないエヌラス補佐官に呼びかけると、少ししてから出てきた。

 

「何か装備箱とかいうやつ見つけたんだが開けられねぇんだけど! 任せていいか!」

「……あー」

「地味な仕事になりそうだね、クリーブ姉貴……」

「重桜の二人は設計図の仕分けを手伝ってやってくれ。まだまだ出てくるぞこれ」

「承知」

「お姉さんに任せて。どうも、鉄血の空母さん」

「ああ。艦載機と対空機銃の設計図はこちらで受けよう。そちらには」

「主砲に魚雷に、その他。大変よ~これは」

「指揮官が出不精でなければこのような苦労もせずに済むというのに……いざ、参る」

 高雄は真剣な表情で雑用に取り掛かり、愛宕も手早く仕分けていく。それを傍らで黙々と片付けるツェッペリンは設計図をまとめると木箱へ入れた。

 

 大人数で取り掛かったにも関わらず、その日の倉庫整理の進展は四割程度に留まる。どれだけ溜め込んでいるんだ指揮官め。エヌラスは少しだけ恨めしく思いながらその日の作業を切り上げた。

 ボイコットを満喫していた明石が工廠の扉を開けた途端に悲鳴を上げたのは言うまでもない。



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母港は快晴。本日の天候、艦載機時々指揮官

 

 本日も快晴なり。補佐官生活にも慣れてきた。赤城にだけはどうしても慣れない。なんだあの殺意と敵意。人をクマか何かと勘違いしているんじゃなかろうか。その赤城も狐の耳と尻尾が生えているのだが、美人だけに何も言えない。ちくしょう男に生まれて悔しい。でも美少女に生まれたいとは思わない。

 片付けの出来ない指揮官に代わって倉庫整理をすること一ヶ月。どうにかこうにかスッキリしてきた。気がつけば補佐官よりも倉庫番という評判が広がっているがあながち間違いじゃないのがとても困る。

 ネプテューヌ達は一度ゲイムギョウ界に戻った。しかも人に何の断りもなく。置いてけぼりを食らった俺をレーベが大爆笑したのは忘れない。あの野郎いつか泣かす。

 「KAN-SEN」との交流は大半は好意的なもので非常に円滑に仕事が進む。赤城を除いて。

 指揮官と艦隊を観察してわかってきた事がある。この母港で一番敵にしてはいけないのは重桜艦隊だ。要注意人物が一人や二人で済まない事が判明。筆頭、赤城。次いで、愛宕。そして密かに綾波も危険だったりする。意外に思われるかも知れないが、戦闘の活躍を聞くと非常に恐ろしい。単艦で敵陣深く切り込んで沈めて回る姿は「鬼神」の名に恥じない奮闘ぶりだ。ただ本人が感情を抑えているのが幸い。

 ユニオンは個性的だが、それだけに留まる。これといって危険人物は──居た。妹絡みになると誰彼構わず威嚇するポートランド。何度か他の子と口論している姿が見かけられた。妹のインディアナポリスが世界で一番と信じて疑わないのは分かるがサンディエゴに噛みつくな。話が噛み合っているようで噛み合わない会話が六時間続いた時は頭がどうにかなりそうだった。それはそれとしても妹は可愛い。俺の妹も可愛いけどな。なっ!!!

 ロイヤルネイビーは王家艦隊と自負するだけあって気品のある振る舞いをする子が多い。特にロイヤルメイド隊。ロングスカートは良い文明。ミニスカートなのもいたりするが、それはそれで。

 鉄血艦隊が一番良く分からん。なんなんだアイツ等。人を玩具か何かと勘違いしていないだろうな。お前のことだぞプリンツ・オイゲン。暇があれば人の事をからかいやがって。いつも意味ありげに微笑んでいるが勘違いするだろう、ちくしょーめぇ。かわいいのが腹立つ。あとデカイ。何がとは敢えて言わないでおくが、色々とデカイ。とても揺れる。それで思い出したが、全体的に艦隊の発育が良い。健全な青少年の何かが危ぶまれる。

 

 ──しかし一番の謎は指揮官だ。名前は教えてくれそうにないが、別に問題はない。

 関係は良好。むしろそのせいで赤城に目を付けられている。お前指揮官に近づくなら男でも女でも見境なしかこんちきしょう。ただ指揮官が牽制しているからか、まだ直接的な戦闘は行われていない。

 陣頭指揮は優秀な部類だ。仕事も出来る。ただ残業だけは絶対に何があろうと譲らないので定時キッカリ。時間に厳しいかと思えば遅刻には笑顔で許す。

 「みんな仲良く」が母港のルール。いつもニコニコと笑っている。多少のやんちゃも笑って許す姿はまるで仏様。仕事の邪魔をされても笑顔で許すが俺ならキレる。

 時々電話をかけている姿が見られるが、どうも相手は知り合いらしい。友達いたのか指揮官、等と失礼な事を考える。

 過去の話から整理すると、平凡な小中学生時代。甘酸っぱいごく普通の高校生活。バイト先の先輩に恋したりフラレたり、趣味のゲームをやりこんでいたりと特徴無し。何事もなく学校卒業、それからあちこちで仕事をしていたが特にやりがいが感じられなかったので、提督業に就いた。とのこと。今では毎日楽しいと笑顔で言っていたが本心からだろう。いやお前そりゃ楽しいだろうよ、こんな美少女だらけの生活。

 ふと気になって、誰か気にかけている子はいるかと聞いてみた。気恥ずかしそうにしながら言葉を濁されたのでコブラツイストで聞き出した。なんでも生まれ故郷の艦船ということもあってか重桜艦隊は気にかけているらしい。

 しかし、結局みんなが大事とのことなのでパロスペシャルで絞めといた。あとやたらこの指揮官はエンターテイメントに対する理解がある。ゲームにアニメに漫画に小説と、幅広い。だからか、ネプテューヌやベール、ブランとも関係良好な模様。ノワールも仕事の敏腕ぶりは評価していた。

 

 そんなわけで──本日も元気に朝から補佐官としてのお仕事が始まる。最近指揮官の仕事の補佐よりも明石の手伝いが多いのだが誰か説明してくれ。

 

 

 

「よぉ補佐官」

「なんだ、レーベ」

「ここでの生活には慣れたか?」

「一月も居たら流石に慣れる」

 朝一番に顔を見せてくれたレーベと並んで歩く。挨拶も程々に。

 本日のお仕事は、まぁ大体代わり映えのしない作業。レンジャー先生の授業は数日前に卒業してしまった。知識の吸収速度がおかしいと泣いていたような気がするが多分見間違い。

 

 平和だなー、とか思っていたのも束の間。

 目の前を駆け抜ける艦載機。走り抜ける太刀筋。咲いては散りゆく火花。早起きは三文の得とか考えたやつはどこの誰だ。朝から地獄の六文銭要求されるところだった。

 誰かと思えば、愛宕が日本刀を抜いている。飛び回る艦載機を切り落としながらその場から飛び退いた。

 こんなことをする相手といえば一人しか思い浮かばない。レーベと二人で視線を向けた先に、やはりいた。

 重桜艦隊最強の航空戦力、一航戦が赤城。いつにも増してメラメラと嫉妬の狐火が燃えている。

 

「ふふ、うふふふふ……! 獅子身中の虫とはこのことかしらぁ……」

「あらあら、ふふふ。何のことかしら~?」

 にっかり笑う愛宕と赤城。通れないので他所でやれ。

 

「レーベ。どっちか止められるか」

「駆逐艦には荷が重すぎる仕事だ……」

「だろうな、すまんかった」

「補佐官、なんとかしてくれよ」

「すまんが関わり合いになりたくない」

 エヌラスとレーベのことなどアウトオブ眼中。二人がどうするか考えていると、レーベの頭に柔らかくも重量感のある二つのお山が乗せられた。誰かと思えばプリンツ・オイゲンが眠そうにしている。

 

「おはよう。何の騒ぎ?」

「朝から重桜がハッスル中」

「俺の頭に胸を乗せるな。重たいだろ、プリンツ」

「ごめんなさいね、肩が凝るの」

 ブランが聞いたら暴走しそうな言葉に、今この場に居合わせなくてよかったとエヌラスは心底思った。

 目の前で繰り広げられる激戦に、姉妹艦である高雄と加賀も遅れて合流する。

 

「すまない、拙者の妹が……」

「姉さまが迷惑をかけて、本当に申し訳ない」

「謝罪するならどうにかしてくれ、アレ」

 とても楽しそうに笑い合いながらにらみ合う愛宕と赤城を指すが、二人は言い淀みながら顔を背けた。頼むから現実を見てくれ。お前の姉妹だぞ。

 

「補佐官、貴方が止めたらいいじゃない。できるでしょ? それとも何? 女に手は上げられないとか言っちゃう口?」

「暴れるなって女神から釘刺されてるので無理」

「今はいないでしょ。ちょっとくらい」

「告げ口されたら俺は最悪死に至る」

「変なところで真面目なのね」

「やかましいわ。お前がどうにかしろ、プリンツ」

 んー。と悩む素振りを見せているが何も考えていない。しかし、何か思いついたのかエヌラスに向けて微笑む。

 

「そうねぇ。それじゃあ……貸し、一つよ?」

 結んだ髪を指で梳きながら、プリンツ・オイゲンが無造作に踏み出すと艤装を展開した。

 衝突する二人の間に割って入り、堅牢な装甲で愛宕の日本刀を受け止める。赤城には機銃を突きつけて、主砲を左右に向けていた。

 無言でエヌラスとレーベ、高雄と加賀は耳を塞ぐ。

 

「drei.zwei.eins──Feuer!」

 よりによって実弾で。プリンツ・オイゲンは愛宕と赤城に向けて主砲を撃った。

 咄嗟に艤装を展開したことで防御した愛宕が砲煙から飛び出す。赤城もまた艦載機を犠牲にして直撃は免れていた。水を差された二人の厳しい視線を受けながらも、涼しい顔で展開していた艤装を収納する。

 

「朝から盛んなのね、重桜は」

「……言ってくれる……!」

「困っちゃうわねぇ。ええ、本当に──」

 二人の手が止まっている隙に、エヌラスは一拍。それに気づいた愛宕と赤城が艤装と艦載機を収納した。

 

「なんで喧嘩してんだ、お前ら」

「あらぁ、補佐官。おはようございます」

「ごきげんよう補佐官。加賀も一緒だなんて奇遇」

「いや、姉さま。私はさっきからいたよ……」

「事と次第によっては指揮官に報告しなきゃならないんだが──」

 サッと顔が青ざめる愛宕と赤城が顔を見合わせる。

 

「えっと、それは……」

「いやほら、補佐官だし。報告義務あるし。俺も迷惑したし、場合によっちゃ目を瞑ってもいいんだけど」

「この雌犬が」

「犬……? それは拙者達のことか、聞き捨てならないな」

「この女狐が」

「姉さまの事と分かっているが、言われると腹が立つな」

 

「うろたえるな小娘共ぉ!!」

 エヌラスが殺気立つ高雄と加賀の胸ぐらを掴んでぶん投げた。愛宕と赤城が受け止めるが、バランスを崩している。

 

「ええいなんだテメェ等、朝からそんな血の気が多くて結構だな! 低血圧気味な俺もファッキンホットだわ、眠気も冴えるわアホか! 寝起きドッキリってレベルじゃねぇぞ、うっかりしてたら巻き込まれて寝起きぽっくりだよ! そんなうまい具合に死んだら死んでも死にきれねぇよ! 地獄で同情されるレベルだっつうの! それで喧嘩の原因言ってみろ!!」

 一息にまくし立てる姿に、愛宕がポケットを探る。

 取り出したのは、一枚の男性用下着。それを見て赤城が飛びつこうとしているが、ぐっと堪えて我慢していた。

 

「指揮官の下着」

「すぅー……───しきかぁぁぁぁぁぁんっっっ!!!!!」

 あらん限りの声でエヌラスは叫んだ。

 

 

 

 あえなく御用となった愛宕と赤城を指揮官の前に突き出して事情説明。

 

「あ、ボクの下着。いやーなんか一枚足りないと思ってたんですよねー」

「言いたいことはそれだけかお前は!? 他に、なんか、こう、言うことあるよな!? いっぱいあるよな!? なんで下着盗まれてたとか色々あるだろうお前!?」

「えっ、欲しかったから盗んだんじゃないんですか?」

「お前、おまえぇぇぇえええっ!! 指揮官おまえぇぇぇあああっ!!! そうじゃないだろうよぉなんかさぁこうさぁ違うよなぁ!?」

「だって正面から「下着ください」なんて言えないじゃないですか! じゃあ盗むしか無いですよね、だって欲しいんですから!」

「アホかお前は、そんなん欲しかったらそういう関係になるまで我慢すりゃいいだろうがアプローチの仕方色々あるだろうがその過程を端折って盗み働いたらそれこそ犯罪に走ってダメだろうがちなみに言っておくと俺はそういう趣味はないからちょっと理解しがたい壁が今お前との間にできたことを報告しておくからな指揮官!!! あとお前ら二人はこの場で脱ごうとするんじゃねぇぇぇぇぇっ!!!!」

 スカートに手を入れる愛宕と赤城を止めてからエヌラスは深く息を吸い込み、四つ数えてから吐き出した。

 

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。下着くらい」

「いいか指揮官。こういう奴らは甘やかすとダメだ。とことんつけあがる。下着くらいならーとか言ってると身ぐるみ剥がされるどころか合意と見て事に及ぶ可能性があるから絶対に甘やかすな」

「ボクはどちらかというと甘えたい方ですねー」

「はっはっはっはっはっはっは、俺の話を聞きやがれぇぇぇぇぇっ!!!」

「アァァァァァッ!?」

 肩に手を置いて。それから一瞬でエヌラスは指揮官の腕をロックした。ギブアップサインに拘束を解く。

 

「お、折れるかと思った……!」

「二百本あるんだから一本くらいいいだろ」

「アレ!? えっ、あっ、はい!? アレ!? 腑に落ちない言葉が今聞こえた気がする!」

「で? どうすんだ、コレの処分」

「うーん、そうですねぇ。二人とも反省してるみたいですし、今回は厳重注意ってことで」

「はぁ~……。お前がそう言うなら、今回はそういう事にしとくか……」

「ダメだよー二人とも。迷惑かけちゃ。言うことあるんじゃない?」

『すいませんでした……』

「うん、よろしい。補佐官殿もこれで許してあげてください」

「……ああわかったよ。次から他所でやってくれ、頼むから」

 指揮官の寛大過ぎる心に愛宕と赤城が感動しながら頭を下げる。

 しかし、その直後に同時に挙手した。

 

「指揮官様! 一航戦赤城、一生のお願いがございます!」

「指揮官、お姉さんの頼みを聞いてくれない?」

「うん、いいよー。何かな?」

『下着くださいっ!!!』

「テメェ等ぶれねぇなっ!?」

「え、流石に二着はダメだけど……穿くのが無くなるし」

「お前も一着だけならいいのかよっ!? あと余分に用意しとけ!」

「流石のボクもノーパンで仕事はしたくないです。なんか目覚めそうで」

「その時は一生寝かしつけてやるから安心してノーパンで仕事しろ指揮官。そんでそこの二人は真剣な顔で「指揮官がノーパン。いやしかしそれはそれで」みたいな表情するんじゃねぇよ反省してねぇじゃねぇか! 重桜は頭の中まで春満開かよ!」

「あ、いいですねそれ。年中青春したいですねー」

「あっはっはっはっはっはっ」

「あっはっはっはっはっはっ」

「テメェも!!! 俺の!!! 話を!!! 聞ぃけぇぇぇぇぇっ!!!」

 指揮官が空高く投げ飛ばされて執務室の開いた窓に見事放るインワン。愛宕と赤城が慌てて指揮官の無事を確かめるべく執務室に向けて駆け出していた。

 肩で息を整えていると、一部始終を見守っていたプリンツ・オイゲンがやる気のない拍手をしている。レーベレヒト・マースは腹を抱えて笑っていた。

 

「お見事。すごいのね」

「ぜー、ぜぇー。つ、疲れた……!! もう俺は今日なにもしたくないくらいに疲れた……! えーと何だっけ、お前たちの言葉でありがとうって」

Danke(ダンケ)、よ」

「あーそうか、ありがとよ。ダンケダンケ。余計な体力使ったわチクショウが」

Bitte schÖn(ビッテシェーン).私も面白い物が観られたから気にしなくていいわよ」

「何が、面白いんだよ。そんでレーベはいつまで笑ってんだ……」

「アッハッハッハッハ、だ、だって指揮官、アハハハハハ! ロケットみたいに飛んでったぜ、ハハハハハ!!」

「あんまり笑ってると貴方も投げられるわよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……ふふ、あはははは、だめ、だめだ、腹いた、あはははは!」

 底抜けた明るい笑い声を聞き流しながら、エヌラスは関係者の高雄と加賀の申し訳ない気分でいっぱいな顔にこれ以上何か言う気も失せる。その気持ちは痛いほど分かるからだ。お前のことだぞネプテューヌ。どれだけこちらが振り回されたと思っている。

 顔を上げたエヌラスに、プリンツ・オイゲンが腕を組んできた。

 

「そ・れ・で。ちゃんと貸しは返してくれるのよね?」

「借りたからには返す。それで、何をしてほしいんだよ」

「今夜、付き合って」

「…………」

「お酒よ?」

「紛らわしいんだよっ!!!」



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恋の艦載機テイクオフ?

 

 夜の母港では指揮官は仕事を放り投げてすっかり気を抜いていた。執務室の片付けは本日の秘書艦に任せて、見回りに歩く。

 もうじき装甲空母の着任とロイヤルネイビーのクイーン・エリザベス主催のロイヤルメイド隊による演習の開催が控えている。

 

「いやー楽しみだなー、楽しみだなぁ。新しい子。重桜ってのがちょっと気に掛かるけど楽しみだなー、ふふふ」

 上機嫌な指揮官が曲がり角で補佐官の姿を見かけ、肩を叩いた。

 

「こんばんは、補佐官殿」

「よ、指揮官。機嫌良さそうだな?」

「ええ。近い内に重桜の新しい子が着任するので」

「まともなんだろうな?」

「多分。きっと、多分」

「不安でしか無いんだが?」

「これからどちらへ」

「ああ。プリンツに酒に誘われたんだ。指揮官は酒、強いのか?」

「いやぁ、ははは。残念なことにボクはお酒弱いので。一杯だけで十分です──え、プリンツに誘われたんですか? 鉄血の子たちはお酒強いので気をつけてくださいよ、ホント」

「任せろ、潰れるまで飲む」

「わぁ頼もしい」

 自信満々に親指を立てるエヌラスに、指揮官は小さく拍手する。

 

「何か欲しいものがあれば用意させますので」

「お気遣いどうも。ところで下着は大丈夫か」

「ええ。追加分買ってきたので」

「それは大丈夫じゃねぇよ!?」

「赤城と愛宕の二人にも困ったものです。ボクにはちょっと荷が重いと言いますか」

「直接言えよ」

「え、泣かれたりしたら困るので」

「ヘタレか貴様!」

「はい!」

 うーん、元気良い返事! とりあえず一発叩いておいた。時間までもう少々ある。せっかくなので指揮官とそれまで雑談でもすることにした。

 

「指揮官。彼女とかいたことは?」

「無いです」

「こう、女性の知り合いとか」

「友達以上になったこと一度も無いです」

「……いい人止まり?」

「はい」

「なんかすまんかった……」

 無性に申し訳ない気分になったエヌラスは謝るが、指揮官は気にしないでくれと手を振る。

 

「でも補佐官はすごいですね。みんなとあっという間に打ち解けて」

「そりゃお前、早々にあんな紹介されたらな……」

 こちらに対する警戒心も薄れるってものだ。

 

「女性に興味とかないのか?」

「ありますよ。滅茶苦茶ありますよ。男の子ですから。でも見慣れちゃったっていうか、そういう目で見るの失礼かなーとか思っちゃって」

「くそ真面目かお前」

「それを言ったらエヌラスさんは女神様とどうなんですか」

「………………どうって、そりゃお前、そりゃあ……ねぇ? どうということはない関係だよ?」

「あ、絶対なんか複雑な事情と情事とやんごとない関係ですね? 大丈夫です? 処されたり刺されたりしません?」

「殺される前に殺すからなぁ」

「シンプルに怖いんですけど」

 女神様の戒厳令につき母港では極力暴れないようにしているが、考えてもみれば指揮官を片腕で投げたりと身体能力は女神に匹敵する。魔人とは女神様から耳にしている指揮官だが、見れば見るほど何ら人間と変わらないように思えて仕方なかった。

 

「大体お前、好きな人は一人だけって誰が決めたんだ?」

「えっ、いや、倫理的なアレやコレでは?」

「うるせぇ宗教上の理由だ文句あっか、おぉん!?」

「すいませんでしたありませんですごめんなさいお金持ってないです!!」

 片手で胸ぐらを掴み上げる補佐官に、思わず謝ってしまったがすぐに下ろされる。

 

「好きなやつと全員付き合って何が悪いんだ」

「えーと、それをボクに言われましても」

「いいか指揮官。一夫多妻制とか一夫一妻とか色々あるだろうが、結局本人たちが幸せな形に収まって世間に迷惑かけなきゃ全部丸く収まるんだよ。世間体とか知るか。いいな?」

「いやぁでもほら」

「何か言われたら、俺に言え。この星から消し飛ばしてやるから。任せとけ」

「満面の笑みで言うことじゃあありませんよねぇ!? 指先一つでほあたぁみたいな!?」

「物理的に蒸発させる」

「予想の斜め上」

 確かに人体の七割ぐらい水分だが、それにしても言い方。

 

「もうちょっとお前から歩み寄ってもいいんじゃないか? 触れ合うのも交流だ」

「迷惑じゃないですかね」

「一言断ってからでいいだろ。拒否されたらすぐに身を引けばいいし。それにお前何考えてるかちょっと分からん」

「ひどいですね……ボクは正真正銘、みんなと仲良くなることしか考えてませんよ」

「仲良くって、どれぐらい」

「えっ。えーっと……日常会話レベル?」

「その、先ぃ!! 大事なのその先ぃ!!」

「そんなこと言われましてもボクとしてはよりどりみどりで誰が一番とかとても選び難い境遇でしてそのような鬼も泣き出す顔をされましても財布の中に三千円しか入ってません!!!」

「俺なんて財布すら持ってきてねぇんだよ一文無しだ文句あるかおりゃあー! あと金持ってるじゃねぇか嘘つきめがぁ!!」

 補佐官の持ち物リスト。携帯。替えの下着。以上。

 

「踏み込んだ話になるが、ボディタッチとかしないのか?」

「軽く手を叩いたりとかはしますけど……その、おっぱいとかは流石に」

「いやお前、そりゃお前……」

「上に報告されても怖いですし」

「現実的で草生えるわ」

「本当に大丈夫ですかね。SNSで晒されたり影で笑われたりしませんかね?」

「お前女性に恐怖感でも持ってるのか……? 心配するな指揮官、普段お前がゲラゲラ笑って眺めている顔も知らない相手がお前になるだけだ。何なら俺に言え。この惑星から消してやる」

「補佐官、段々ボクの中で貴方の評価が超サイ○人になってきたんですけど本当に大丈夫ですか」

「なんだ超サ○ヤ人って」

「ご存知、ないんですか超サイ○人!? あとでDVD貸すので観てくださいよ!」

「マジで? ありがとう」

「家具倉庫からBlue-rayプレイヤー引っ張り出すので。あ、そうだ薄型モニターも確か入ってたはずですのでソレも一緒に。何ならボクが以前使ってたパソコンもあるのでそっちで動画見てからでも全然構いませんけれどどうですか補佐官」

「すまんごめんノーセンキュー。モニターとプレイヤーだけでいい」

「あ、はい。すいません。お詫びにスペースコ○ラも一緒に貸しますね」

「ああ、左腕がサイ○ガンの」

「原作コミックもありますが読みます?」

「……一巻だけ」

 思わぬ会話で指揮官と盛り上がってしまったが、エヌラスは時間を確認してすっかり予定時間を過ぎている事に気づいて慌てて窓を開けた。

 

「じゃ、指揮官! また明日!」

 二階とはいえ何のためらいも無く飛び降りる姿を追いかけて、無事に着地して駆け出す姿を見て指揮官は窓を閉める。

 

「うーん、補佐官。ますます謎な人だ……良い人だけど」

 腕を組み、艦隊との付き合い方を改めてみようと考える指揮官の前にちょうど良く綾波が歩いていた。どうやら戦術学園での授業が終わってこちらを探していたようだ。

 

「やぁ、綾波」

「あ、指揮官……これからどちらへ?」

「特に行く宛は無いかな。強いて言えば母港の見回りくらい」

「そうですか……」

「……綾波もどう?」

「いいんですか」

「えーと、ほら。せっかくだし。たまには誰かと一緒もいいかなー、と思って」

「綾波で、よければ……ご一緒したい、です……」

 顔を赤らめながらそっぽを向く愛くるしい姿に癒やされながら、指揮官は綾波の頭を撫でてみる。驚いた表情を見せるが、頭を預けてきた。

 

「なんだか、今日の指揮官……いつもより優しいです」

「イヤじゃない?」

「もっと撫でてほしいくらいです」

「そっかー」

 平気なフリをしているが実は指揮官もいっぱいいっぱいである。言葉少なになって、やめるタイミングが見つけられず困っていた。しかし頭を撫でる手は止めない。

 

「……むぅ。指揮官、いつまで撫でてるんですか……?」

「いやぁ、あははは。中々やめられなくて、ごめんごめん」

「綾波は頭以外も撫でてほしいです……」

「……なんて?」

「なんでもないです。母港の見回り、行きましょう」

「そだねー、れっつごー」

「ゴー、です」

 いつもより少しだけギクシャクとした二人が賑やかな夜の母港の見回りへと向かう。

 

 

 

 ──その頃、鉄血艦隊の待機している一室では酒盛りが始まっていた。

 

「あーっはっはっはッ!!」

 ガチャン、とジョッキを鳴らしてレーベとニーミの二人が一気にグラスを空にしてテーブルに勢いよく叩きつける。

 

『ジュースだコレ!!!』

 その横でグビグビと飲んでいるフィーゼはりんごジュース。

 

 酒盛りとは聞いた。お酒に付き合え、とも聞いた。エヌラスは言われた通りに飲み場に来たのだが、まさか──ワインを樽で用意しているとは思わなかった。

 ウイスキーにバーボン、スコッチにブランデーと豊富な酒類だけでなくツマミもそれに合わせて大量に用意されており、軽い宴会状態となっている。

 プリンツ・オイゲンとグラーフ・ツェッペリンの双璧。酒が回っているのか、ジョッキを空にしてテーブルに置くなり次の酒に手を伸ばしていた。

 そんな二人に挟まれて、エヌラスはグラスのウイスキーを氷で冷やしながら一口含むと飲み込んだ。

 

「ね~ぇ~、手が進んでないみたいよぉ~?」

「ほ~、卿は酒に弱いと見えるが、いかがなものか……?」

「ええい酒の勢いで絡んでくるんじゃねぇ! いいだろ別に、自分のペースで酒くらい飲ませてくれたって!」

「そぉんな飲み方しなくてもいいでしょお?」

 身体を寄せてくるプリンツのふくよかな胸に意識を奪われつつも、逆側を見れば胸元が大きく開いたグラーフ・ツェッペリン。結果、天井を仰ぐか正面しか見れないわけで。後ろでは駆逐艦達のやんちゃな声が聞こえてくる。

 

「おいおーい、補佐官。もうちょっと楽しそうに飲んでもいいだろー」

「指揮官はお酒に弱くて、こうして飲む機会が無いんですよ」

「お前らジュースだろうが! 飲みゃあいいんだろ飲みゃあ!」

「あ」

 未開封のウイスキーボトルを開けて、エヌラスは一呼吸置いてから喉を鳴らしながら一気に飲み干した。

 

「っだぁー!! おらぁ、これでいいかチクショウ! 水!」

 一本丸ごと空にしてボトルを置く。グラスに残っていた分も追加で空にすると水を注いで飲み始めた。急速に酔いが回って軽い目眩を覚えるが、深く息を吸い込んで吐き出して分解されるのを静かに待つ。

 

「そんな乱暴に飲まなくても」

「やかまし」

「なに怒ってるの? もしかしてぇ、二人きりでお酒が飲めるとでも思ってたの?」

「お前……ほんっと大概にしろよ……!」

「残念ね、ヒック……さすがの私も、ちょっと酔いが回ってきたわ」

 グラーフ・ツェッペリンはグラスを手にしたまま固まっている。どこか目の焦点が定まっていないようにも見えるが、大丈夫だろうか。心配になったエヌラスが声を掛けると、ハッとした様子で顔を上げた。

 

「……憎んでいる、全てを」

「突然どうした、俺はそんなこと聞いていないぞ」

「ああ、だがこの甘美な宴が我を狂わせる……」

「酔っ払ってるだけでは?」

「おかわりいただこうか……」

「はいどうぞ!?」

 差し出されたグラスの中身は殆ど空になっている。どれが飲みたいのか分からないのでプリンツに聞いてみた。ツェッペリンはどれが好みなのか。

 

「そうねぇ……キッツイお酒でいいんじゃない?」

「いや完全に酔っ払ってるだろコレ……もうビールでも飲んでろよ」

 ビールサーバーからジョッキに注いでグラーフ・ツェッペリンの前に置くと、瞬きを繰り返していた。

 

「……これは卿の心遣いか? 我が目に映るのはジョッキでは? いやグラスだろうな……ではいただこう」

「完全に酔っ払ってるな」

「ぐび……ぐび……ふぅ……」

「こぼれてるぞ……?」

 ジョッキを静かに置いてテーブルの左右を見渡すと、飲みかけのグラスを見つけて手を伸ばす。そしてその中身を一気に飲み干した。

 エヌラスが飲みかけていた水に、何度も頷く。

 

「キンキンに冷えているではないか……ふふ、なんと温かい気遣いか……」

「俺のグラスなんだけどな……」

「もう一杯いただこう」

「あ、はい」

 もうダメだ、この空母手がつけられねぇ。自分のグラスが無いのに人のグラスを空にして差し出してきやがる。しかもこぼれたビールそのまんまだ。大丈夫か鉄血艦隊。助けてレーベくん。

 エヌラスが振り返るが、見慣れた光景らしく、とても暖かい視線と笑顔で三人が親指を立てていた。誰も俺を助けない。ならばとプリンツを見てみるが、唇に指を当てて小悪魔スマイル。チクショウ敵しかいねぇ。

 仕方ないのでグラス二つに水を注いで席に戻る。タオルをツェッペリンに差し出すと怪訝な顔をしていた。完全に目が据わっている。

 

「ほら、タオル。胸元の拭いたらどうだ?」

「……???」

「だから、ビールこぼれてるんだっつうの」

「我が器は此処にあるぞ……?」

「そうじゃねぇよなぁおぃぃ? プリンツも笑いこらえてんじゃねぇよぉ!! あーもー、拭いてやるからジッとしてろ」

 仕方ないのでタオルで胸元に垂れた滴を拭ってやると、何が面白いのかグラーフ・ツェッペリンは口元を弛めていた。

 

「ふふ、軟派な指揮官とは違い卿の豪胆さは気に入った……ああ、いいぞ。そのまま我が肢体を」

「テメェはもう水飲んで寝てろぉ!!!」

「へぶぅ」

 エヌラスは力の限りタオルを投げつける。ぺしんと顔にぶつけられて眉を寄せていたが、やがて指でつまむと深く匂いを嗅いで顔を拭き始めた。

 

「汗も拭えとは、その慈悲深さは感嘆に値する……」

「俺はお前の面倒臭さに涙が禁じ得ないんだけどぉグラーフ・ツェッペリン?」

「む、ビールの香り……よもや雑巾では」

「寝てくれ頼むからぁぁぁぁっ!」

「……卿がどうしてもとせがむのであれば、我は応えても良い……」

 エヌラスは顔を覆う。もうダメだ勝てねぇ。どう寝かしつけてやろうかこの空母。いっそ力づくでベッドまで運んでやろうか。

 

「すまん、プリンツ。ちょっとコイツ寝かせてくる……」

「私も交ぜてよ、誘ったのはこっちなんだから」

「さてはテメェも酔ってんなははははどちくしょぉぉぉっ!!」

 予想以上にグラーフ・ツェッペリンが重い。色々と重い。力も強く、部屋まで運び終えた後に一晩ベッドに拘束されるところだったが何とか脱したエヌラスは再び宴会場へ戻ってきた。

 

「あれ、戻ってきたのね」

「お前は俺を何だと思っていやがりますのかこんちきしょう?」

「大丈夫? 人間として軸がぶれてない?」

「振り切れとるわチクショーメェ! もういい、飲む。付き合え!」

「そうこなくちゃ♪」

 その後、プリンツ・オイゲンが酔い潰れるまで煽りに煽り、酒を飲んで泥酔させる。あとはグラーフ・ツェッペリンと同じように鉄血の控室まで運んでベッドに放り投げた。

 宿直室に戻り、シャワーを浴びてからエヌラスは朝まで眠る。

 

 夢見最悪で朝から気分はブルーだった。その日も快晴で空は青々としていたが、太陽が恨めしいと思ったのは久しぶりである。



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カムバックキャンペーン女神様

 

「やっほーみんなー! たっだいまー、いつも笑顔でニコニコ。貴方の隣にネプテューヌ!!」

「おう、よく来たなネプテューヌ」

「おーエヌラス。よかったー元気そうで」

 ゲイムギョウ界に戻っていたネプテューヌ達が再び母港へと訪れていた。というのも彼女たちは女神である以上、本業はどうしてもそちらになる。

 エヌラスは頭を鷲掴みにすると、腕を振り上げた。

 

「テメェ俺を置いて帰ったことは忘れねぇからなぁぁぁぁぁああああっ!!!!」

「ねぇぇぷぅぅぅぅうううううっ────………………!!!」

「ああ、ねぷねぷが凄い飛んでいっちゃった!?」

 通りすがりのジャベリンに犯行現場を目撃されたが、投げ飛ばされたネプテューヌが青空に向かっていき、地球の重力に従って放物線を描きながら落下していき……海面に着水。水柱があがった場所は安全海域を示すブイを越えている。

 新記録達成にエヌラスは右腕を掲げて勝者のガッツポーズ。なにと戦っているんだいったい。

 

「おはようジャベリン、お前も飛ぶか?」

「え、えぇー。ジャベリンは遠慮しておきます……」

「そうか。残念だ」

「なんでですか!?」

 泳いで戻ってきたネプテューヌはずぶ濡れになっていた。

 

「もぉ~、いくら再会できたのが嬉しいからってわたしを投げるのはどうかと思うよ!? そこのところどうなのさ!」

「お、そうだな」

「でしょー? ほら、わたし悪くないよね! どやぁ」

「だがそれはそれとしてよくも置いていきやがったなテメェェェェ!!!!」

「ねぷぅぅぅううううう────!?!?」

「わー、ねぷねぷよく飛びますねー」

 

 ──二度目の新記録達成にベールとブランから拍手が送られた。ありがとう。……なんの?

 

 

 

 指揮官と挨拶を交わした女神達は早速思い思いの行動を起こす。ベールはリーンボックス特産の茶葉を渡し、真っ先にゲーム部屋へ向かっていた。ブランは借りていた小説の返却と、ルウィーから持ってきたラノベの贈呈。ノワールはラステイション海軍から譲ってもらったレトルトカレー。

 ネプテューヌは「ねぷのプリン(手書き)」をプラネテューヌからわざわざ持ってきてくれた。それらを受け取り指揮官が頭を下げている。

 

「いやぁすいませんねぇいつもいつも」

「いえいえ、とんでもありませんわ。わたくし達もいつもお世話になっておりますもの」

「そんな、こちらこそお世話になってますし」

 

「……なにあの、ご近所付き合いのおじちゃんおばちゃんみたいなの」

「オジ……!?」

「オバ……!?」

 二人がブランの言葉に少なからぬショックを受けていた。落ち込む指揮官とベールはともかくとして、本日も母港の運営は通常営業。

 エヌラスは朝から工廠で明石と艤装の初歩的な整備と点検の実技演習。出撃に備えての燃料と弾薬の補充。遠征に出る子達の装備も一緒に点検しておく。チェック担当者は全部明石の名前にしておいた。海軍上層部に提出する書類に名前を記載するわけにはいかない。

 

 

 

 ──ベールがロングアイランドのいるゲーム部屋に入ると、いつものごろ寝スタイルで動画を漁っていたようだ。

 

「お邪魔しますわよ~?」

「おや? いらっしゃ~い」

「ふふ、相変わらずの自堕落っぷりですわねロングアイランドさん。今は何を?」

「動画を観てたんだよ~」

「どれどれ……」

 画面を覗き込むと、だいぶ古い動画のようだ。FPSのプレイ動画のようだが、動画撮影者の腕前も中々の熟練者である。中の上、といったところだ。まだまだ警戒心の浅いところや気を抜いた動きなどが見られる。しかしプレイング自体は丁寧で判断も的確だ。

 

「悪くない動きですわね。ですが少々荒削りといったところでしょうか」

「あ、違うの~。ほら、ここ。このスコア見て」

「……!?」

 ロングアイランドが画面を一時停止する。動画投稿者の敵チーム、成績トップ。キルレートが一人だけずば抜けている。ゲーム内での階級も最高ランクに位置している。

 

「良い腕前をしてますわね。ですが」

「いーい? この試合の~次が凄いのぉ」

 カチカチと試合終了までシークバーを動かし、次の試合開始から再生する。ロングアイランドの言葉に、ベールも画面に食い入るように見つめていた。

 試合風景を眺めながら眉を寄せる。

 

「こちらの動画をどうして観ていたんですの?」

「この試合、伝説の百人キルが起きる瞬間を撮った試合なんだ~。さっきの人が動画に映ってたのコレしか見つからなくて」

「百……?」

 動画投稿者のボイスチャットが何やら叫んでいた。拠点を制圧していた味方が目の前で一人、また一人と倒れていく。物陰に隠れて制圧していたがヘッドショットで倒されてしまった。それから相手が見計らったように拠点を奪い返す。

 結局その試合は拠点の差とキルデスが決定的な差を生み出し、それが埋まることはなかった。試合終了後に出る戦績で、相手のトップに輝く100キルノーデス。動画投稿者もその奮闘ぶりに画面の前で拍手を送り、チャットでそれを褒め称えていた。

 

「アレだけの腕前を持っていながら、どうして動画がこちらだけですの?」

「うーんと、その人垢BANされたらしいの~。この試合のせいでチートを使ってた疑惑とかぁ、他にも口コミで色んな人から情報を集めたら……」

 ヘッドショットを外さない死神。サイドアーム一つで分隊を壊滅させた。狙撃で戦闘機を落とす──眉唾なものから実際に可能とされる動きまで様々な噂が飛び交っていたそうだ。特に印象深いのが、常に分隊に所属しないという。戦場にふらりと現れては圧倒的なキルレートを叩き出して消える亡霊の死神(グリムゴースト)

 プレイヤー名『solo_caust』は、その数年前の動画を最後にゲーム業界から姿を消した……。今となってはその伝説の活躍が映されたこの動画だけに生きている。

 

「なんか、開発したゲーム会社の関係者とかぁ。世界大会への招待とかも断ったとかの噂もあるんだぁ~。えっとーどれだったかな~……? あった、これこれ」

「ふむふむ……」

 試合開始前の挨拶に、ソロコーストと思われるアカウント所持者に招待の手紙を送ったことと今回の大会参加を丁重に断られたものの、成功を祈る手紙。その報告を〆に世界大会が始まった。

 

「それだけ有名なプレイヤーの方なら、他にも動画があるはずですわよ」

「う~ん、それがねぇ~。なんか当時は色々不評とかもあったみたいで……チート野郎が映ってる~とかでね削除祭りだったの。この人のは多分、よく動画投稿してるからじゃないかな? 有名な人だし」

「動画タイトルもよく見ると「legend 100」ですわね……」

 この一本だけはまったくの偶然で撮れたもののようだ。動画紹介文も、伝説の最後と大仰な言葉が並べられている。コメントも批判的な物が多く、しかし動画投稿者は追記でホンモノであったと主張していた。彼こそは生ける伝説だったと。

 動画投稿者自身はいまだ最新作をプレイしているようで動画を現在も投稿している。きっとまたいつか戦場で出会えると信じてゲームを続けているのだろう。

 

「私もちょっとでも女神様に近付こうとしてて動画見てたら思い出したんだぁ」

「わたくしも一度、お手合わせ願いたいものですわね。それも叶いそうはありませんが」

「いつか見てみたいなぁ、ホンモノの死神……あ、ロングアイランドさんは幽霊だった……あぶないあぶない……それに出撃前にこんなこと言ってたらみんな不安がっちゃう……お口チャックしなきゃ……」

「あら、本日は出撃ですのね」

「そうなの~。今日は遠征任務に出なきゃなんだ~」

 大きめなシャツ一枚で寝転がって動画を観ていたロングアイランドだったが、出撃のための準備があると言ってゲーム部屋を後にしていた。今日は夕張も工廠で明石と実験があるとかで不在だ。ゲーム部屋に取り残されたベールは興味本位でパソコンの前に座り、亡霊の死神についてネットで検索する。

 世界大会未参加であるが、開発元が検証したデータによればトップランクキルレートを維持していた。最も多く使用していた武器は狙撃銃とハンドガン。しかも初期装備。ストイックなプレイスタイルであり、チームと連携を取る気が全く無い。廃ゲーマーであるベールとしては興味が湧いて仕方がなかった。

 匿名掲示板でその人物について書き込みしてみる。すると、賛否両論の話から海外からの書き込みまで雪崩込んできて軽く炎上した。

 

『彼と戦ってみたいと思いますか?』

「……さて、どう反応されますかしら」

 すると、賛成が大半。反対が少数意見だった。チートを使ってでも戦いたいと言う過激な意見まで出てきている。特定のコミュニティに所属することもなく、個人チャットなどにも参加したことがなく、ただひたすら自分のプレイングを極めることにのみ没頭していた亡霊。当時のプレイヤー情報を覗いた画像が添付された。ベールが開いてみると、何の変哲もない画像だが、明らかに初期装備だが不釣り合いなほどキルレートが高い。

 ベールはその画像を貼った人物に感謝しながら、チャットを閉じた。

 

「……わたくしのゲーマー魂に火が点いてしまいましたわ。こうなれば、今度はわたくしが伝説を越えてみせますわよ!」

 ヘッドフォン、良し。飲み物、良し。マウス、良し。キーボード、良し。ポテチ、良し。エナドリ、良し。準備万端、モニターの前に陣取り、ベールはFPSの世界へとダイブする。

 

 

 

 ノワールが重巡洋艦と挨拶を交わしながら母港を歩いていると、いつもに比べてテンションが低い鉄血の制服を見かけた。

 

「あら、どうしたのよプリンツ。今日は具合悪そうね?」

「……ん? ああ、女神様じゃない。戻ってきてたの? おかえりなさい」

「ええ。珍しいわね、貴方がそんな調子だなんて」

「ちょっと飲みすぎちゃって……」

 いつもの軽口を叩く余裕も無いのか、頭を押さえている。二日酔いだろうか。そこへ、高雄と愛宕の二人が通り掛かる。

 

「あら、女神様。こんにちは~」

「こんにちは、二人とも」

「鉄血のも一緒か。調子が悪そうだが、如何された?」

「ただの飲み過ぎよ。気にしないで」

「珍しいわねぇ、あの鉄血がハメを外して二日酔いだなんて。静かに程々、という感じなのに」

 どんちゃん騒ぎとは程遠いイメージがあったが、こんな姿を見せるのかと愛宕は不思議がっていた。プリンツ・オイゲンもそれは反省しているのか少しだけ不機嫌そうに眉をつり上げる。

 

「悪い? そんな日もあるのよ」

「別に悪いなんて言ってないわ。でもそんな飲み方をするなんて、よっぽど美味しいお酒だったか……それとも、飲まなきゃいけなかった理由でもあるとか?」

「…………」

 ──脳裏に浮かぶ飲み比べ。ネクタイを外し、ボタンを弛めた補佐官とグラスをテーブルに叩きつけてひたすら酒を飲んでいた。挑発されたものだから、らしくもなく躍起になって飲んでいた事を思い出す。

 

「私から言えるのは、あの補佐官と飲み比べだけは辞めておいた方がいいわよ。とだけ」

「酒豪、なのか?」

「そんなレベルじゃないわ。なんていうか……胃袋が宇宙にでも繋がってるんじゃないかって疑いたくなるほどよ」

「そ、それほど……?」

 ノワールには心当たりしかない。なんというか、こと食事に関して名状しがたい化物のような食欲を誇るのがエヌラスだ。それで腹を壊したことがないのだからつくづく驚かされる。

 女神に向けられる視線に、なんと答えるべきか。とりあえず本当の事を言っておく。

 

「プリンツは身をもって知ったでしょ? 長生きしたかったらアレと食べ物関連で近づかない方がいいわよ」

「そうするわ。はぁ……お酒を飲んで、ベッドに運ばれてからの記憶がないのよねぇ……」

「あら~……」

「なん……!?」

「────エヌラスは確か工廠だったわね?」

 引き止める暇もなくノワールはダッシュで工廠へ向かった。その後姿を見送ってから、プリンツ・オイゲンは身体を伸ばす。

 

「……それで真相は?」

「別に? そのまんまの意味よ。ま、レーベ達が言うにはベッドに運んでからすぐに自分の部屋に帰ったらしいけれども」

「相変わらず意地の悪い性格だ」

「ごめんなさいね、性分なの。つい、からかうのが楽しくて」

「補佐官殿も災難なことだ」

 工廠の方角から明石の悲鳴と爆発音と甲高い金属音と補佐官の絶叫が聞こえてくるが、大丈夫だろうか?

 

 

 

 ネプテューヌが母港を歩いていると、白いマントが目に入った。

 

「やっほー、クリーブランドー!」

「お、ネプテューヌじゃないか! 戻ってきてたんだな。こっちは相変わらずだ」

 モントピリアも一緒にいたが、軽い会釈だけに留まる。

 

「とぅ!」

「おっとっと、なんだ、どうしたんだ抱きついてきたりしてー? スキンシップか? なら私も負けてないぞ、お返しだ」

「あははは、くすぐったいじゃーん」

 白いケープの中に潜り込んでしがみつくネプテューヌの頭をワシャワシャと撫でながらじゃれつく二人。

 

「……姉貴、今日は出撃じゃなかった?」

「へ? ああそうだった。今日は遠征班だったな、私」

「そうなの?」

「ああ。なんかロイヤルネイビーが大規模合同演習をするから、そのための燃料と弾薬が必要らしいからかき集めなきゃいけないんだ」

「そっかー、そうなんだぁ。どんな事をするの?」

「それは私達も知らされてない。指揮官か、ロイヤルの子達に聞かないと」

「ってわけで、悪いけどコミュニケーションはここまでだ。戻ってきたらまたやろうな」

「うん、いってらっしゃーい!」

 ネプテューヌは手を振って二人を見送る。

 

 ロイヤルネイビーの予定している演習の情報を集めてみようと母港を走るが、廊下で誰かとぶつかってしまった。バラバラと床に散らばる金品の数々に目が眩みながらも立ち上がる。

 

「いったぁい!? あたたた……んもー、前見て走らないと危ないじゃんかー」

「ぶつかってきたのはそちらなのに……えっと、メガネ……あ、あれ? キラキラしててよく見えない……」

「あ、エバラ」

「エディンバラです! なんか肉の部位みたいに言わないでください!」

「うーん、お肉っていうか。タレ? はいメガネ。これでしょ?」

「ありがとうございます。ふぅ……あ、女神っぽくない方の女神様じゃないですか」

「女神っぽくない方の!? なにそれ初耳!?」

 ぶつかった相手は大きな丸メガネを掛けたエディンバラ。ベルファストの姉だが、出来すぎた妹の妹らしくない立ち振舞にちょっぴり不満がある不遇な姉である。スカートの中に金品を隠していることがあるらしく、ネプテューヌは落とした宝石やネックレスを拾い上げた。

 

「金銀財宝がザックザクー、どこから持ってきたの?」

「これは隠し財産のようなものなんです、万が一に備えての……っていいから拾うの手伝ってください。こんなのベルに見つかったらまた怒られちゃう」

「うーん、おかしいなぁ。エディンバラの方が姉なのに姉っぽくないの。わたしとしてはものすっごく親近感が湧くっていうか、身近に感じるというか」

「うぅ……そうなんですぅ。事あるごとに逐一確認を取ってくるのよアイツ。妹なのに妹っぽくないっていうか、私の方が姉なのにまるで「エディンバラ級ネームシップのベルファスト」みたいな扱いされてて……」

「うんうん、わかるわかる。わたしの方が立場が上のはずなのにいつの間にか尻に敷かれてたり身の回りのお世話されてたり……ま、楽が出来るからいいんだけどねー!」

 せっせとスカートの裏地に金品を隠すエディンバラもうんうんと何度も頷きながらネプテューヌの話に耳を傾けている。

 身の上苦労話で盛り上がっている間に拾い終わって立ち上がった二人はそのまま廊下を並んで歩き出す。

 

「あ、そうだ」

「唐突ですね」

「ねね、エディンバラ。ロイヤル艦隊が予定してる演習ってどんなの?」

「それはですね──きゃっ!?」

「ねぷっ!?」

 よそ見をしていたネプテューヌとエディンバラが再び誰かとぶつかって尻もちをついた。

 

「イタタ……もう、今日はよくぶつかる日……でもメガネは落とさなかったし」

「あら、姉さん。このようなところで油を売っていてどうされました?」

「……誰かと思えば、女神っぽくない方の女神様」

「あ、ベルファストとシェフィーだ。やっほー。今ちょうど話をしてたところなんだー」

 その横でサッと顔が青ざめるメガネのメイドが約一名。興味深そうな表情を浮かべてから、満面の笑みを浮かべてベルファストが頭を下げた。シェフィールドはいつものジト目で見つめている。

 

「それはそれは、どのようなことでしょうか?」

「あ、あわわわ……あ、あのネプテューヌさん、ソレ以上は……」

「……ん? ベルファスト、床を見て」

「あら、これは……」

「──あ、終わった」

 ぶつかった際に落とした金品が、廊下に幾つか落ちていた。それを拾い上げて見つめるベルファストの視線が姉に向けられている。

 あくまでも、笑顔で。

 

「少々お話がございます。よろしいでしょうか?」

「え、えぇ!? ほら私母港のお掃除とか陛下のお茶とか」

「シェフィールド、お任せします」

「任せて」

 そそくさと業務を引き継いで立ち去るシェフィールド。まるで取り決めていたかのようなスムーズな動きにネプテューヌはポカンと口を開けていた。そして、金品をポケットにしまいこんでベルファストがエディンバラの肩を掴む。

 

「では、姉さん? お話をお伺いさせていただきますね」

「ひ、ひぇぇぇ……!!」

「……あ、あー……行っちゃった……うーん、こうなるともうわたしからは、ドンマイとしか言えないね! プリン買ってきておいたからあとで食べてね、エバラ!」

「お心遣いは嬉しいんですけど助けてくれるともっと嬉しいですぅ~!」

 ──その後、エディンバラの姿を見たものはいない。



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補佐官ヒエラルキー急降下中

「あの野郎、ぜってぇ許さねぇ……」

 ブラックハートに襲撃されたエヌラスは作業服の上をはだけさせて肩で息を整えていた。工廠で明石の手伝いをしていたらよくわからない理由とよくわからない危機感とよくわからない罪を口走りながら大剣を振り回されて、死ぬかと思った。こなみ。

 明石が泣いていた。せっかく頑張って実験の準備を進めていたのに台無しにされて半ベソかいていた挙げ句に罪をなすり付けられる。鼻水垂らしながら迫真の表情で迫られたので平謝りを繰り返してなんとか逃げてきた。

 今は桟橋で黄昏れているエヌラスの目に青空がしみる。おかしいな、涙が出てきた。

 

「……」

「……」

「…………」

「………………」

「インディアナポリス、なんか用か?」

 小麦色の肌、小柄な背丈のインディアナポリスも隣で青空を眺める。ぽーっとした様子で相変わらず何を考えているかわからない。

 

「……ううん。お姉ちゃんから逃げてきたの」

「あー……お前の姉、アレだもんな」

「あんまりこういう言い方したくないけれど、アレだから……」

 常に脳みそがインディアナポリス怪文書で埋め尽くされているようなポートランドが脳裏に浮かんだ。

 

「で、その姉は今どうしてるんだ?」

「今日の秘書艦だから、指揮官が面倒を見てるみたい……」

「どっちかっつーと手綱を握ってるっていうか……」

 その暴走特急ポートランドも、指揮官と一緒なら多少は大人しくなる。

 桟橋に腰を下ろすと、隣にインディアナポリスも座り込んだ。

 

「インディアナポリスは、ここに来て長いのか?」

「……インディでいいよ。うん、私もお姉ちゃんもだいぶ長いの。一番古株なのは明石と綾波、それから……エンタープライズだよ」

「へぇ、そうなのか」

「私とお姉ちゃんが着任したのは重桜に母港が襲撃されてから……」

 呑気に飛び回るカモメを眺めながら、エヌラスはインディアナポリスからの話をメモにまとめてみる。経緯はどうあれ、どうも一航戦が母港を襲撃したのは事実らしい。

 詮索する気はないが少々引っかかる。メモを胸ポケットにしまいながら補佐官も空を見上げる。

 

「……カモメって美味いのか?」

「さぁ……食べたことないからわからない……」

「非番の時は何をしてるんだ、インディは」

「……お姉ちゃんの相手をしてるよ。他の子達に迷惑掛けないように」

「……なんっつーか、お疲れ」

「ううん……お姉ちゃんは私なんかよりも強いし、明るいし、スタイルも良いけど……アレだし」

「……アレ、だもんなぁ……」

 

『はぁああぁぁああ~インディちゃんインディちゃん! くぁわいいなぁ本当にもう私の妹なのが信じられないくらいか~わ~い~い~、お姉ちゃんで良かったぁインディちゃんのお姉ちゃんで私本当によかったぁ! もう世界一かわいいよインディちゃん、ちょっと私をゴミを見るような目もクールでミステリアスですっごいかわいい~! きゃー!』

 

「……」

「……」

 二人は無言で脳内でも暴走するポートランドをかき消した。だが、普段はそんなアレ……ポートランドだがいざ戦闘になると重巡洋艦らしく装甲と火力で敵艦を撃沈させる。戦闘中もインディアナポリスに思いを馳せている時があるらしいが、邪魔をされると機嫌が悪くなるようだ。その際の火力は目を見張る物がある。姉妹艦としての連携を頼りにしており、指揮官はなるべく二人を一緒に出撃させていた。

 

「お姉ちゃんは大好きだけど、それでもたまには一人の時間が欲しくなるからこうしてるの」

「そ、そうか……なんかゴメンな、一人の時間を邪魔して」

「ううん。気にしないで……でも補佐官、良い人でよかった。鉄血の艦隊と仲良いみたいだけど」

「鉄血、嫌われ者なのか? なんか、こう、あんま良い顔されないんだが」

「……よくわからないから」

 その度合で言ったらインディも良い勝負だが、エヌラスは黙っておく。インディアナポリスは口数が少ないだけであって素直で良い子だ。重巡洋艦でもプリンツ・オイゲンに比べたら全然わかりやすい。お前何考えてるかぜんっぜん分からんぞプリンツ。この母港はなんというか奇妙な関係が多すぎる。

 

「インディは指揮官のことどう思ってる? あー、どう受け取ってもらってもいいんだけどな」

「指揮官? ……良い人。ちょっと、何を考えてるのかわからないところはあるけれど。私は……好きだよ……?」

 マフラーをつまんで口元を隠すインディアナポリスの頬が少しだけ赤くなっていた。

 

「作戦指揮も的確だし。有能だと思ってるし……あの人の指揮下で、幸せ者だなって……そう思ってるけど……」

「ん、そっか」

「……補佐官は?」

「まー、なんつうか。悪いやつじゃないのはわかる。良くも悪くも、どう頑張っても“良い人”止まりなんだよなぁ……」

「わかる……」

(……ちょっとくらい意識させてみるか)

 補佐官は少しだけ間を置いて、思い出したようにエヌラスは言葉を続ける。

 

「ま、でも指揮官も男の子だしな。女の子だらけだし、色々と我慢してるみたいだぞ?」

「……、そうなの?」

「無理もない話だけどな。ほら、そういう経験が少なかったみたいだし。奥手になるのも仕方ないんだ。だから、そっちから歩み寄ってあげるといいぞ」

「指揮官の迷惑じゃないかな……」

「全然。重桜の赤城と愛宕を見ろインディ。あの調子で歩み寄っても笑顔だぞ指揮官」

「そっか」

「即答されて納得されるとなんか俺もちょっと疑問が残るんだが!?」

 艦隊名物「重桜のラブコール騒動」を知らない艦船はいない。何度か静かに頷いてからインディアナポリスは立ち上がって埃を払い落とす。

 

「……補佐官、ありがとう」

「? どういたしまして……」

 そそくさと去っていく背中を見送って、エヌラスは一人で桟橋に寝転がった。

 カモメが寄ってきた。ええい取って食うぞ貴様ら。かと思っていたらいーぐるちゃんも飛んできた。まだ死んでねーからな!? 逃げ出すかと思っていたカモメの群れだったが、どうやら顔なじみなのか逃げ出す様子はない。

 それどころか人の上でくつろぎ始めた。やめんか貴様ら。みゃーじゃねぇ。キーでもねぇ。人を止まり木代わりにするんじゃあない。

 

「…………カモメのケツってあったかいんだな……」

 

 ──なお、カモメではなく鳴いているのはウミネコである。

 

 

 

 

「指揮官。溜まってるって聞いたんだけど……本当?」

 執務室に入るなり爆弾発言をかますインディアナポリスに、ポートランドが手にしていた書類の山をその場に落とした。バサバサと音を立てて床に散らばるが、心ここにあらずという顔をしている。指揮官もいつもの笑顔のまま固まっていた。心臓とか呼吸とか時間とか色々止まっている。

 

「……私、お姉ちゃんみたいにスタイル良くないけど……それでもよかったら……頑張る、よ?」

「えー、っと? うんと? ちょっとまって? ボクいまちょっと理解が追いついてきてないから心の準備をさせてくれないかな」

「指揮官、インディちゃんに手を出すなら私もいいですか~?」

「うんんん???」

「ほらぁ、インディちゃんに触れた手で私を触るっていうことはもうこれは実質インディちゃんと裸のお付き合いってことに」

「お姉ちゃん、それなら直接私に触った方がいいんじゃ……?」

「あ、そっかぁ。インディちゃん流石~♪ じゃあ指揮官、おっぱい揉みます? 私でもいいですけどインディちゃんのも気持ちいいですよ?」

「待って待ってほんとタンマ、ストップして? えっとさ、ボクまだ、その、仕事中っていうか勤務中にそういうのダメだからね二人とも?」

「……夜なら、いいの? うん……いいけど……」

 指揮官が机に顔を突っ伏した。

 

「だ、誰か助けて……」

 

「──とぉ!!! 指揮官様の助けを呼ぶ声に一航戦赤城、推参です!!」

 ガシャンパリーン。執務室の窓ガラスを破りながら赤城がエントリーする。ガラスの破片が頭に刺さってちょっと怖い事になっているが大丈夫だろうか。愛の力で何でも解決。気合でどうにかしていた。

 

「わぁ、ビックリしたぁ」

「…………大丈夫?」

「ふふ、指揮官様の危機に比べればこの程度の怪我どうってことはありませんわ。さぁ指揮官様、ここは赤城に任せてお逃げください!」

「いや、最後の逃げ場が赤城に塞がれたんだけど?」

「………………お逃げください指揮官様!」

「すごい。現実から全力で目を逸らしてる」

「早 く お 逃 げ く だ さ い 指揮官様ぁ!!!」

「あ、うん。ありがとー」

 赤城の鬼気迫る表情に指揮官はそそくさと執務室から逃げ出す。ふしゃー、と二人を威嚇する赤城の額から垂れる血がなんとも恐ろしい。しかし、そんな赤城を心配するポートランドと視線を合わせようとせずに足を見つめるインディアナポリス。

 

「ふふふふふふふ、やはり指揮官様を惑わせる「害虫」は母港のどこにでもいるものなのですね? 流石にこの赤城の実力を持ってしても少々手こずりそうですわ」

「えっと~。それよりも怪我の手当した方が」

「お心遣いありがたく。ですがこの赤城は指揮官様への愛がある限り不滅!!!」

「むっ。それを言ったらインディちゃんがいる限り、私だって重桜の「最強」にだって負けないんだから! 邪魔しないで!」

「……えっと」

 メラメラ燃える愛の炎と嫉妬の炎に執務室が火の海に包まれていた。

 

「む、なんですかユニオンの仲良し姉妹の大人しい妹の方ことインディアナポリスさん?」

「……書類、踏んでる」

「えっ?」

「あ……」

 本日提出予定の書類が赤城の下駄に踏まれてくしゃくしゃになっている。折角指揮官が頑張って進めていた業務が水の泡だ。

 赤城の絶叫が母港に響き渡る。

 

 

 

 エンタープライズはいーぐるちゃんのご飯の時間なので探し回っていた。普段から一緒にいるわけではない。鳥笛を鳴らしても聞こえない場所にいるのか来てくれなかった。

 首を傾げながら歩いていると、瑞鶴に声を掛けられる。

 

「あ、グレイゴースト」

「ん? ああ、重桜の五航戦じゃないか。いーぐるちゃんを見なかったか? もうご飯の時間なのに来ないんだ」

「私は見てないけど……」

「そうか。一体どこに行ったんだ……?」

「いーぐるちゃんを見かけたら教えるけど、それはそれとして──今度の空母合同演習では絶対に負けないわよ」

「ああ。私も楽しみにしている。確か勝ち抜き戦だったかな。それまで残れるといいな」

「む。その、自分は絶対に優勝するみたいな自信。絶対に打ち負かしてやるんだからね! 覚悟しなさいよ!」

 よくわからないが宣戦布告されてしまった。挑戦状を受け取りながら、エンタープライズは軍帽を直しながらいーぐるちゃんを探す。

 なにやら赤城の悲鳴が聞こえてきたが、まぁよくある事だ。毎度お騒がせしております私の姉さんが、と加賀がペコペコと頭を下げて回る光景が目に浮かぶ。

 

「うーん……本当に、一体どこへ行ってしまったんだ。学園の方にいないとなれば、ドックの方だろうか……」

 工廠に足を運ぶと何故か明石が半べそを掻きながらドックの壊れた壁を直している。

 

「うっ、うっ、ひどいにゃぁ、あんまりだにゃあ……明石は真面目にお仕事してただけなのになんでこんな目に遭わなきゃいけないんだにゃあ……明石なにも悪くないにゃあぁ……」

「………………」

 見ているだけで無性に不憫に思えてならない。ガンガンとハンマーで木材を打ちつけていた。

 

「今日の明石まだ何も悪いことしてないにゃあ……」

(まだ!?)

 袖から出てくるメンテナンス道具を使いこなしながら作業に打ち込む明石に警戒しつつも、エンタープライズはここにもいーぐるちゃんが居ないので工廠から離れた。

 

「…………」

 桟橋に、なんか塊が落ちている。目を凝らしてみると、それはカモメ……ウミネコ? の群れだった。よくわからないが、何故か一箇所に集まってみゃーみゃー鳴いていた。後ろから明石がにゃあにゃあ泣いている。ドンマイとしか言えなかった。

 気になったエンタープライズが近づいてみると、その群れの中心でいーぐるちゃんがくつろいでいる。しかし、こうも一箇所に集まっているのを見るのは初めてだった。

 

「いーぐるちゃん、ご飯の時間だぞ。ほら」

 腕を差し出すと翼を広げてエンタープライズに向かって羽ばたく。それを合図に集まっていたカモメの集団が飛び立って青空へと散開した。目を細めてその光景を見つめていると、爽やかな潮風が頬と銀の髪を撫でていく。

 

「……この平和が続くといいな」

 ポツリと呟き、軍帽を目深に直した。

 ──そこで、足元に誰かが倒れていることに初めて気がつく。

 

「…………」

「…………」

 大の字になって寝転がっていた補佐官、エヌラスの赤い瞳と目が合った。潮風がマントと、スカートをなびかせている。

 無言で起き上がり、身体の埃と羽毛を払い落とした補佐官は遠い目をしていた。

 

「……エンタープライズ。下着、大人っぽいんだな」

「──~~~~、うぅわぁぁぁぁああああっ!!!」

 ぶん殴られた。全力で振りかぶった拳が頬を殴り抜け、エヌラスは大海原に吹っ飛ばされる。

 涙目で真っ赤になった顔を押さえながらエンタープライズは桟橋から走り去っていった。

 

 海面に浮かんだエヌラスのことを魚がひっきりなしにつつく。ええい貴様ら、人を何だと思っていやがる。餌じゃねぇぞこんちきしょう。

 なんか無性にやるせない気持ちになってきたので素潜りで魚を獲って母港に戻ると、原始人のような扱いを受けた。これだから海は嫌いなんだ。



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泣く子も黙らせるのはな、「鬼神」っていうんだよ

 

 ──後日。無事に上層部から重桜の装甲空母一隻とユニオン所属の空母が着任した。

 

「重桜艦隊所属、大鳳です~。よろしくおねがいしますねぇ、指揮官様♪」

「ユニオン所属の空母、エセックスだ。よろしく、指揮官」

「よろしくねー。今日は歓迎会もあるし、案内とか色々あるから大変だと思うけど、そこは我慢してくれると嬉しい」

 新しく着任した二人の紹介も兼ねて指揮官が母港を案内する。

 その姿を見ていた補佐官は、コーラ(普通の)を飲みながら嫌な予感がしていた。

 まーた問題児増えるのかこの艦隊は、などと考えながら飲み干す。ふと、横を見れば木陰に隠れた赤城と目が合った。

 

「おや、補佐官様? 奇遇ですね」

「もう俺としては見慣れた光景だから驚きもどうもしない」

「冷たいですね」

「やめろ、俺もこんな環境に慣れつつあることに戸惑ってるんだから」

 住めば都とは言ったもので。今となっては赤城がいるであろう場所すら目星判定成功するようになってしまった。やめろ、人をなんか、こう、コズミックホラー探求者みたいな扱いにしないでくれないか。そんな事を思いながらエヌラスは空っぽのペットボトルをゴミ箱に捨てる。

 

「あの装甲空母、知り合いか?」

「…………ええまぁ。同じ重桜ですし」

「なんだ今の間は」

「お気になさらず、補佐官様が気に病むようなことは決して、ええ、決して起きませんわ」

「……俺はともかく指揮官が気に病むようなことは起きる可能性が?」

「はて何のことでしょうか? ふふ、この赤城は指揮官様にご迷惑となるようなことは一度もしたことがありませんので」

 愛宕と下着を奪い合っていたのは記憶に新しいような気がするのだが気の所為ということにしておこう。

 

「補佐官様、あの装甲空母には気を休めぬようお願いします。それでは、赤城はこれにて」

「え? ああ、分かった……」

 “あの”赤城が自分に忠告をしてくれた、という事に補佐官は戸惑いを覚えながらも残っている本日の業務へ取り掛かる。

 

 

 

 古ぼけた倉庫の前に立つのはこれで何度目だろうか。今だに全部片付けきれていないことに頭が痛くなってくるものの、それは紛れもなく指揮官のせいなのでいつか仕返ししてやろうと固く誓うことにした。

 非番の子達の手を借りながら片付けていたからか、第一倉庫は終わっている。第二倉庫も折り返し地点を過ぎて終わりが見えている。第三倉庫からは目を逸らす。

 中から出した物資は青いビニールシートをかけてある。さすがに野ざらしはマズいからだ。

 

「えっさほいさ」

 そんな重労働をしていると、大抵の場合は偶然見かけた艦船が手を貸してくれる。エヌラスは持ち上げた木箱を外に下ろす。中身は戦術教科書。少し汚れているが、鉄血の軽巡洋艦に手渡しておけば授業の手助けになるだろう。

 ちなみに女神達は基本的に手伝ってくれたりしない。どうやらノワールの口から黒いアレが出る話が広まったようだ。それでも手を貸してくれる物好きが居たりする。

 

「……」

「……」

 こうして顔を合わせるのは何度目になるだろう。本当に暇さえあれば人の顔を見て薄ら笑いを浮かべるプリンツ・オイゲンが小さく手を振っていた。

 

「はぁい、順調?」

「お前が来るまではな……」

「酷い言い草ね。積極的に手伝ってあげているっていうのに」

「それは純粋に礼を言わせてもらう、ありがとな。助かってる」

「どういたしまして」

「だがそれはそれとして、この後が問題なんだよ」

 余計なやつが飛んできて作業が進まなくなったりすることが多い。人手が増えるのは純粋に喜ばしいことなので、エヌラスはプリンツと二人で作業を進めていた。

 

「それにしてもアンタも変なやつね」

「なんで。よいしょ」

「よくこんなところで仕事していられるわ。むりやり連れてこられたって言ってたくせに」

「お前、仮にも自分の職場をこんなところ呼ばわりかよ……うまくいってないのか?」

「変な気遣いしないでもらえる?」

 最近はプリンツも他人行儀な口ぶりをやめて随分とフランクに話すようになっている。親しくなった証拠なのだとエヌラスは考えることにしているが、どうにもやはり苦手意識は拭えない。

 

「あ、そうだ。それと新しいやつ来てたな」

「そうみたいね。どうせ重桜辺りがまた賑やかになるんでしょうけど、よいっしょ」

「だろうな、赤城から忠告されたくらいだ」

「アンタが?」

「俺に。珍しいだろ。明日は艦載機でも降ってくるんじゃねぇの」

「冗談やめて。本当に降るんだから」

 主に赤城と赤城と赤城のせいで。雑談を交わしながら第二倉庫の中身を空にして、掃除の準備をする。埃臭い倉庫の窓を全部開け放ち、エヌラスが肩を回して左手を倉庫に向けていた。最近は業務に限って魔法の使用を躊躇わないことにしている。片付くかこんなん。

 意識を集中させて、渦巻く風を倉庫の中に撃ち込むとスクリューのように埃を巻き上げてそのまま海に向けて吹き飛ばす。何度か繰り返して大雑把に中の掃除を終えてから必要な物資と資材だけ中に入れ直したら、廃棄品は全部工廠で解体だ。そちらはエヌラスの作業になるので後日またドックにこもることとする。明石に任せると他の業務が立て込んで遅々として進まないからだ。

 

「ほんと不思議なチカラね」

「なんでもはできねぇけどな。せいぜい電気ガス水道の代わりくらいだ」

 属性魔法が得意、というだけ。しかも全部戦闘向け。その出力を限りなく下げて、こうして掃除機代わりにしている。一歩間違えると倉庫が吹き飛んでボートハウスになるだけだ。プリンツがこうして間近でエヌラスの魔法を見るのは何度かあったが、その度に首を傾げている。

 

「それ、どうやってるのか教えてくれないの?」

「何度も言ってるが勉強してできるような事じゃないからな、これ」

「ま、なんでもいいか。アンタが便利なやつってことに変わりはないし」

 第二倉庫の片付けを終えて、第三倉庫を開けると辛うじて扉が開くほどぎっしりと乱雑に詰められたゴミと宝の山。隣のプリンツが真顔になっていた。

 

「……また今度にしない?」

「そうするか……」

「この後、暇してる?」

「んなわけあるか。さっきの廃棄品解体する用意しないといけないんだよ」

「真面目ねぇ、変なところで」

「たまに思うんだが、俺はもしかして顔で不良だと思われているんじゃないだろうか……」

「カタギだったらそんな顔してないわよ」

「お前人のこと顔で判断するなよ!? 確かになんか睦月型の駆逐艦からは避けられているけど、別に俺はそこまでヤベェことしてねぇよ!」

「指揮官を片手で投げたり、明石のこと三味線にしようとしたり、素手で戦艦の装甲ぶち抜いたりできるような人がやばくないわけないでしょ?」

「すいませんでした嘘言いましたもうソレ以上は勘弁してもらっていいですかプリンツ」

 装甲ぶち抜き案件は、廃棄品のバルジに冗談で拳を叩き込んだら打ち抜いてしまったという不幸な事故だ。おかげで一部の戦艦からも距離を置かれている。

 一言だけ弁明するのなら「ちゃうねん」とだけ言わせてくれ。

 

「アンタもしかして、自分がヤバイ人間であることを自覚してないだけなんじゃない?」

「確かに俺は人には言えないようなことしてる節がある人種なのは認める。でも流石にそれだけで不良扱いは困るんだが」

「…………マフィア?」

「言うに事欠いて悪化してんじゃねぇか……」

 お前は人のことをそういう目で見てたのか、とプリンツに非難の眼差しを向けるが、唇に指を当てて小首を傾げていた。言っても仕方ないのでエヌラスはドックと戦術学園に移動する。

 一通りの荷物を運び終えて、小休止。ベンチに腰を下ろして身体を休めると、隣にプリンツが座り込む。何か考え込む素振りを見せてから、思いついたように肩を寄せてくる。

 ええい道すがらに人をからかうんじゃねぇぞ駆逐艦共──そんな思いを込めながら睨みつけると半泣きで逃げられた。すまんごめん、俺が悪かった。心に刺さるから逃げないで。

 

「おや、補佐官殿。休憩中ですか」

「ういーす指揮官。倉庫の掃除はやっと折り返し過ぎたところだ」

「いやぁホント助かります」

「終わったらしばく」

「えぇぇぇ……勘弁してほしいんですけど」

「残念だがしばき倒す。新人二人は?」

「今は別行動中です。大体の案内は終わったので」

 指揮官は軍帽を直しながら、エヌラスに肩を寄せているプリンツの不満そうな顔を見て小さく笑った。

 

「ごめんよ、プリンツ。邪魔するつもりはなかったんだけど」

「別に気にしてないわよ、指揮官」

「そっか。それならいいんだけど」

「今日は出撃ないの?」

「うーん……そうだね、今日は出撃無しかな。自主訓練とか」

「そう」

「……プリンツ。指揮官のこと嫌いなのか?」

「嫌いじゃないわよ? むしろ好感持てるくらい」

「おや、ありがとう」

「作戦指揮も優秀だし。私は信頼してるわ」

「はは、なんか照れくさいな」

「それだけ、よ」

「はぁ……そうだとは思ったけど」

 あくまでも上官と部下の関係に留まる。プリンツはそれ以上の感情はないらしい。それなら今、エヌラスと肩を触れ合わせているのはどういう感情からだろう。

 

「じゃあ、今度はボクから聞こうかな。プリンツはエヌラスさんのこと好きなのかい?」

「そうねぇ……好きよ?」

「だそうですよ。よかったですね、エヌラスさん」

「アンタはどうなの?」

「お前のことは嫌いじゃないが、ちょっと苦手だ」

「……ふぅん」

「なんかな、どうしても俺のことをからかってるんじゃないかと思えて仕方ない。感情が読めないというか思考が読めないっつーか。性分なんだから仕方ないんだろうけど」

 スッと、プリンツが身体を乗り出してエヌラスと唇を重ねた。咄嗟のことに二人が硬直するが、すぐに口を離して髪を手で梳く。

 

「……これでも、からかってるなんて思うかしら?」

「──……いいや、流石にここまでされたら俺も考え改める」

「えー、と……ボクはまだ仕事があるのでこれくらいで。プリンツ、もし必要だったら言ってくれたら買っておくからね。指輪」

「その時はよろしくね、指揮官」

 二人を残して、指揮官は会釈すると執務室に向かった。

 

 

(いやしかし、ちょっと意外だなぁ。プリンツがあんな大胆なことするなんて)

 見せつけるようなキスにちょっとだけヤキモチを焼いたのは秘密にしておく。本人が望んだことなのだから自分が咎めるようなことはすべきではない。彼女はあくまでも艦隊に所属しているだけであり、個人の所有物ではないのだから。個人の意思と自由は尊重すべきだ。

 指揮官が執務室に向かう途中、寮舎から出てきたベールが大きく伸びをしている。

 

「おや、ベールさん」

「あら? その声は」

「ゲーム部屋にこもってたんですか?」

「ええ、お恥ずかしい事に夢中になってしまってたようで。こうして外の空気を吸いに出てきた、というわけですわ」

 少しだけ気恥ずかしそうにしながら、ベールは頭を下げた。

 

「いやぁすごいなぁ。ボクも昔はそれくらい夢中にやってた頃があったなぁ……」

「……そういえば。指揮官様はFPSが得意でしたわね」

「ええ、まぁ人並みに好きですよ。今はやってませんけど」

「では、グリムゴーストと呼ばれるプレイヤーの方はご存知ですか?」

「いやぁ最近のはちょっと疎いので」

「昔、活躍していたプレイヤーみたいですが……」

「うーん、ボクはそういうの興味なかったので本当に知らないんですけれど。すごいんですか?」

「当然、素晴らしい腕前の方ですわ。わたくしもその伝説に挑戦してみたのですが……」

「伝説って?」

「ああ! 一試合に百人キル、ノーデス。という試合記録が動画に残されていたのですわ。それを見てわたくしのゲーマー魂に火が点いてしまって」

「女神様を燃やすほどのゲーマーなら、さぞ凄いんでしょうね」

 ベールが何度挑戦しても、キル数だけなら追いつけそうではあるが味方の巻き添えなどで敗北したりとミスが目立つ。あの完璧な立ち回り、敵の装備を奪い、即座に切り替える柔軟な思考。ヘッドショットを外さないだけならばベールにだって出来る。だが、あのグリムゴーストの動きはまるで戦場で息づいているかのような実感さえ感じられた。歴戦の老兵にも思える。

 

「ですので、わたくしとしては指揮官様にもあの動画を一度拝見していただきたいですわね。元ゲーマーでしたらきっと復帰も考えると思いますわ」

「そこまで勧められると、断りにくいですね。暇があれば、今度」

「是非観てくださいまし。ではわたくしはもう少し外の空気を吸ってから、シャワーをお借りしますわね」

「ええ。どうぞどうぞ」

(わたくしの見立てでは指揮官様でしたらなにか知っていると思ったのですが……どうやら本当に知らないみたいですわね)

 指揮官はベールと別れて腕を組みながら歩く。

 グリムゴースト、なんて名前は初耳だ。そんな凄いプレイヤーがいたのか、と。

 

「……そんなに凄いなら一度でいいから会ってみたかったなー」

 残念だが、今の自分は引退した身。復帰したとしても果たして会えるかどうか。

 執務室に向かう途中の廊下では、窓掃除をしていたベルファスト達がいた。気さくに挨拶を交わしながら通り過ぎる。

 すると、扉の前で立ち止まっている綾波がいた。ノックするかどうか考えている素振りで。

 

「あれ、綾波。どうしたの?」

「! 指揮官、ですか……驚かせないでください」

「はは、ごめんねー。ボクに用でもあった?」

「えっと、その……はい」

「じゃあ中で聞こうかな。今日は最低限の任務だけ片付けて休むつもりだったからさ」

 執務室に招き入れて、指揮官はお茶を淹れて綾波に差し出した。

 

「ありがとう、です……」

「気にしないで。それで、何の話かな」

「……えっと」

 もじもじと顔を赤らめながら、綾波は言い出しにくそうに指を合わせている。指揮官は言葉を待ちながら、緑茶を口に含んだ。

 

「あの、指揮官……隣、座ってもいいですか?」

「うん? いいよ」

 ちょこん、と。隣に席を移して綾波は固まっている。どうかしたのだろうか。疑問を抱きながら指揮官が緑茶を置いた。

 

「──指揮か」

「あ、そうだ。確か茶菓子もあったっけ」

「…………」

「ごめん、何か言いかけた? 悪気はなかったんだけど」

 戸棚の中から煎餅やらクッキーやら取り出してテーブルに広げる。綾波が少しだけ眉をつり上げていた。不機嫌そうな表情に、頭に手を置いて撫でる。

 

「ごめんってば。そんなに怒らないでよ、綾波」

「……んぅ……指揮官、ずるいです……」

「そうかな」

 隣に腰を下ろし、指揮官は軍帽を外してテーブルに置いた。仕事をしないのであれば帽子をかぶっていることもない。髪をかき上げ、手櫛で梳く。ショートカットの黒髪、特に何の変哲もない。

 横顔をじっと見つめてくる綾波と視線が合う。今日はいつもより様子がおかしい。

 

「もしかして、この前のこと気にしてる?」

「……指揮官が誰かを特別扱いしないのは、知ってるつもりです。でもやっぱり、あの時みたいに触れてきてくれると……綾波は、凄く、嬉しいです……」

「そっか。すごく嬉しいんだ」

「だから、あの……指揮官。綾波に触れてもらえますか?」

「ボクは補佐官殿みたいに女の子に慣れてないからなー……どんな風に?」

「頭、撫でてくれるだけでもいいです……だめ、ですか」

 そんなことはない、と答える代わりに指揮官は綾波の頭を撫でた。目を細め、頬を赤くしながら見つめてくる。その瞳に吸い込まれそうになりながらも、柔らかい髪の手触りを楽しんだ。

 

「……指揮官は、女の子が苦手ですか」

「ちょっと苦手かな。恥ずかしい事に、ボクは異性と仲良くなったのはこの仕事をやるようになってからだから。まだみんなとどうしたら仲良くなれるかは手探り状態なんだ」

「だから、みんなに優しくはするんですね」

「上司って立場だからねー。働きやすい環境に整えるのも仕事のうちだし」

「……綾波、指揮官になら……何をされても、怒りません……」

「えっ」

 撫でていた手を取り、綾波は自分の胸に当てる。冗談のように指揮官の顔が一気に赤くなった。ふっくらとした感触に硬直している。上着越しでも確かに感じる胸の柔らかさに、息も止めているほどだ。固まった指揮官に、綾波は手を下から入れて直接触れさせる。

 

「ふ、ぁ……!? うあ、うわぁ……綾波、その……ちょっとこれは、流石に……」

「……怒ら、ないですから……」

「じゃ、じゃあ……ちょっと、だけ失礼します……」

 指をわずかに動かしてみる。ふにふに……。

 弾力が心地よい、が。指揮官はいっぱいいっぱいになっていたので、コレ以上は危険だと自分の事を冷静に分析してすぐに手を離した。深呼吸を繰り返して、爆発しそうな理性と心臓の鼓動を落ち着かせる。頬を少し膨らませている綾波だが、顔が指揮官に負けないほど赤くなっていた。

 

「いや、ごめん綾波。ほんとごめん、そういうのはもうちょっと待ってもらっていい? ボク自身まだ心の準備とか色々さ、距離感とか掴めてないから」

「むぅ……指揮官、本当にガードが硬いです。伊達に一航戦から逃げてないですね」

「別に赤城から逃げてるつもりはないんだけどなぁ……“あの時”以来」

「……すいません。余計なことを言いました」

「気にしてないよ。綾波も仲良くしてるみたいだし」

 ブラスコヴィッチ式深呼吸で落ち着いてから、指揮官は綾波に向き直る。そして、小さな身体を抱きしめた。

 

「し、指揮官……!?」

「そのー、えっとー……まだ、ああいうのボクには早い気がするから……ハグ、ぐらいで我慢してくれるかな?」

「……わかりました。綾波はいい子なので……これで、我慢します」

「…………一応聞いておきたいんだけどさ、綾波。我慢しなかったら、ボクのことどうして──」

 るっ、まで言わせてもらえずに指揮官はあっという間に綾波に押し倒される。その眼が「鬼神」状態のソレになっていた。

 

「綾波は、指揮官をこうして、ああして、欲望の限りを尽くします」

「……ハイ、よくわかりました……ステイ、してくれる? いい子だから……」

 押し退けようにも、人間である指揮官の手では駆逐艦の綾波ですら手に負えない。いや、駆逐艦の中でも上位に食い込む程の実力を持っているからこそか。

 何とか解放してもらえて、そのあとは一緒にお茶とお菓子を食べて別れた。

 ……正直、生きた心地があまりしなかった指揮官だった。



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一ヶ月全裸修行(なお極限環境限定)

 綾波が執務室を出て、ベルファスト達とすれ違う。

 

「おや、綾波様。指揮官様とのお話は終わりましたか?」

「はい」

「そうですか。このあと、ご用事などは」

「特には、ないです」

「なるほど。それでしたら、少々お手伝いいただきたいことが」

「綾波でよければ、お手伝いするです」

 なんでも、陛下──クイーン・エリザベスのことだ。今日の晩餐に何か山の幸がほしいと突然言い出したらしい。しかし、ベルファスト達は見ての通り母港の掃除や洗濯などで手が離せない状況だ。

 そこで、誰かに裏山で山菜などで良いから採りにいってもらおうと思っていたらしい。綾波はベルファストからの申し出に頷いた。一人では心細いので誰か他に誘おうと母港で暇を持て余している人物を探す。

 

「あ」

 ──真っ先に思い当たった人物は、補佐官だった。早速探すことにする。

 戦術学園の中庭で身体を休めている黒スーツの男性を見かけたので、綾波は早速声を掛けた。

 

「補佐官、ちょっといいですか?」

「ん? なんだ綾波か、どうした」

「実はですね──」

 ことの経緯を話すと、承諾して頷く。もう少し人手が欲しいところだ。

 

「んー。そうだな、裏山だろう? なら……あ、ちょうどいいところに。おーい、高雄ー愛宕ー」

 偶々歩いていた二人に声を掛けて、四人で母港の裏山へと向かう。

 

 

 

 ──この母港。当然ながら海に面しており、その敷地から少し離れた場所に山がある。たまに指揮官が川釣りをしたりするらしいが釣れないらしく落ち込む姿がよく見られるようだ。高雄曰く、小さいが滝もあるため修行にも最適と。滝行をするKAN-SENとはこれ如何に。

 生い茂った緑の海。青々と葉が色づいている。山に息づく鳥や虫たちに囲まれながらもエヌラスはずんずんと我が物顔で山を登っていく。その足取りは悪路や獣道を物ともしていない。それにちょっと驚かされながら綾波達もあとに続いていた。

 

「補佐官殿。登山は慣れているのか?」

「その昔、俺は全裸で雪山に放り出されたことがある」

「よ、よく生き延びたな……」

「ああ。凍え死ぬかと思ったが、人間の身体ってのは三時間以内なら急激な環境の変化に耐えられるらしい。俺は二時間くらい雪原を彷徨って雪男達に助けられた。身振り手振りで話しかけてくる全裸の男に憐れみの視線と共に毛皮で作ったコートを渡してくれたアイツらのことは忘れない」

「でも、なんで裸で雪山に?」

「補佐官の趣味、ですか?」

「あのな、綾波? 極限環境で全裸になる男とか正気疑っていいぞ? 修行の一環で雪山に弟子を素っ裸で放り出す師匠はぜってぇ狂気の沙汰だが」

 

 ──生き延びている貴方もだいぶ狂気的なのでは? 綾波たちは思った。だが言わないで胸に秘めておくことにした。

 

「ちなみに俺は他に砂漠に全裸で放り出されたり、寂れた漁村の新興宗教を一人で壊滅させられたりと散々な目に遭ってきた。実は俺、海が苦手なんだ。トラウマしかねぇ」

 

 ──あなた狂気と猟奇的な過去の持ち主では? 高雄達が無言でエヌラスから距離を取った。

 

「……それでも生き延びている補佐官にドン引きです」

「拙者も修行不足だな……」

「過酷な修行だったのね」

「おいやめろ、ちょっと泣きそうになるから人をそんな哀れむな。そんなクスリでもキメてるような師匠の修行を生き延びたおかげで、ちょっとやそっとじゃくたばらない俺の出来上がりってわけだ。その辺、なんか落ちてるから気をつけろよ」

「なんでそんなヤクチューな人に弟子入りしたんですか?」

「ビックリすることに薬をキメてなけりゃ狂気でもないし、正気だった」

 高雄が足元の寂れた看板を避ける。眉を寄せて、かがみ込むと土を払って掠れた文字を読み始めた。

 

「……危険、熊、出没……注意?」

「あら。熊が出るのね、この辺り」

「だけど看板、壊されててだいぶ古いみたいです」

「熊って左手でケツを拭くらしいな」

「その熊の生態、今必要ですか?」

「山の幸に変わりないだろ?」

 あ、この人出てきたら熊を食べる気だ。綾波は察した。逃げて、熊逃げて。出てこないで全力で逃げてください。

 

 高雄と愛宕は帯刀しており、綾波も念のため、後ろ腰に艤装の一つである対艦刀を帯びているが補佐官は素手だ。だが、鉄血から広まった話によればマグナムリボルバーを持っているらしい。

 レイジングジャッジ。装弾数、五発。バレルに過剰な違法改造を施し、化け物狩り用として改良を重ねた回転式弾倉拳銃。主に使用するのがゲージ弾。五十口径を片手で撃つ──らしい。プリンツ・オイゲンからの話では。しかし、過酷な自然で育った生き物を侮ってはならない。……なおエヌラスを過酷な自然で育った生き物にカウントしていいかは非常に判断に困るところである。

 山菜を採りつつ、川に出た四人。流れる清水を覗くと魚影が何匹か見えた。

 

「魚が泳いでますね」

「しかし、拙者達は釣り竿など持ってきていないぞ?」

「いや素手で捕りゃいいだろ」

「それが出来たら苦労しないのよねぇ……」

 ……まさか? と思った矢先に補佐官は川に入っていく。ゆらりと構えた右手の指を緩く開き、目で魚を追っていた。最初こそ侵入者に驚いて逃げていった川魚達だが、微動だにしない足に警戒心を薄くして近づいてくる。

 次の瞬間、エヌラスの素手が目にも留まらぬ速度で水面を叩いた……のか綾波達の目には定かではないが、一瞬だけ波紋が広がった。

 川辺でビチビチと跳ねる魚の姿を綾波達が視界の端で捉えて、視線を向けている。

 

「俺が捕るから、よろしくな」

「……熊ですか貴方は」

「ふっ──。鷲掴みとかも出来るぞ?」

「……補佐官殿を見ていると拙者の修行不足を痛感するよ、愛宕」

「大丈夫よ高雄。今のままでも十分指揮官の力になれているから……」

「全裸で雪山に放り出されて一月生き延びれたら誰でもこうなる。俺は極寒の湖で素潜りしてた男だぞ」

「補佐官、あなた不死身ですか」

「んなわけねぇだろ、何言ってんだ。死ぬかと思ったっつうの」

 会話しながらもエヌラスの手の中で魚が暴れていた。しかし、左手に力を込めると痙攣してすぐに動かなくなる。生け捕りだけでなく活け締めも片手間にやってのけていた。この人本当に補佐官として務めてていい人なのだろうか? 疑問が湧いて出てくるが、深く考えたら負けな気がする。

 

「捕ってくれるのはありがたいが、流石に山菜と一緒にするのは」

「そうよねぇ?」

 エヌラスが川辺を見渡し、木の生皮を剥いで編んでいく。手先が器用なのか、あっという間に目の粗い編みカゴを作ると、中に葉っぱを詰めて川魚を入れた。

 

「ほい」

「……もしかして補佐官。サバイバル能力カンストしてる、です?」

「俺を助けてくれた雪男達が作り方教えてくれたんだ。自分で作れなきゃ大自然で生き残れないからな。最初こそ色々と教わったが、最終的に自分でテント作ったり魚捕ったりトナカイの角とかで物々交換までしてたし、なんなら雪男達と話せるぞ俺」

「高雄、深く考えちゃダメよ。考えちゃダメ、感じるの。フィーリング。分かる?」

「なるほど。セブンセンシズという、指揮官殿の持っていた漫画のアレのことか」

「アニメじゃなくて原作版というところに指揮官のこだわりが見られるわね……」

「拙者はアニメも踏破した」

「大丈夫? 何か変なの目覚めてない? そのセブン……なんちゃらとかじゃなくて」

 約一名ほど目覚めているどころか何か人間が踏み入れてはならない領域にまで達しているが。──お忘れないように注記しておくが、エヌラスは魔人である。

 

「雪男と会話できるなんて、ちょっと……」

「ちなみに人類が発せる言語じゃないから、人間が発音しようとするとウェンディ語になるらしいぞ。彼らの移動手段は主に上位種族である飛行体で惑星を飛び回ってるから人間の目に知覚できないとか。徒歩での移動は狩りの時だな。基本的には友好的な種族だ。だが人間に対してあまり良い目はしていないな。というのも環境変化で住める過酷な環境が近年著しく減少しているかららしく惑星からの撤退も考えているとか」

「補佐官、大丈夫ですか。なんか受信してませんか?」

「いや現地人から聞いた話」

「現地人っていうか原始人ですよね?」

「原始人じゃねぇ、文化的な価値観を持つ一つの種族だ。独自の文化と文明を築いてきたのが人類の好奇心で脅かされてきた可哀想な種族なんだぞ」

「ご、ごめんなさい……です……」

 ガサゴソ、と。川を挟んだ森の中から黒い塊が顔を覗かせた。

 誰だろうかと愛宕が視線を向けると──熊だった。こちらをじっと見つめている。

 

「いいか綾波。元々惑星に生きていたのは人類じゃなくてだな──」

「はい、はい。綾波聞いていますです──」

「──バイアクヘーや古きものや奉仕種族であるショゴスだけでなく──」

「……おぉ……星の神秘、です……」

「──深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ……」

「……いあ……いあー……くとぅ」

「待て綾波! 待て! 宇宙を見たネコのような顔になっているぞ! 戻ってこい、宇宙の神秘など拙者達にはまだ早すぎる! 黄金の十二宮を越えてからにすべきだ!」

「高雄も何かずれている気がするけどぉ……それよりもお客さんが……」

 高雄に肩を激しく揺すぶられ、焦点の定まらない瞳がハッと正気を取り戻す。エヌラスはそれに舌打ちしながら、愛宕が指差す方向に視線を向けた。

 

「……熊じゃん」

「熊、出ちゃった」

「紛うことなき、熊……だな」

「……綾波、何か変な物が見えた気がするです……」

「帰ってこい綾波。3、2、1……ポカン」

「ハッ……! あ、綾波はいったい何を……?」

「悪い夢でも見たんだろ」

 黒い毛並みの熊はのっそのっそとこちらに視線を向けながら川に近づいていく。エヌラスはそれに目を離さず、川魚の入った編みかごを持って歩み寄っていった。

 

「あ、補佐官……」

「……もしかして熊と交流を?」

 この補佐官なら、或いは自然動物との和平交渉すら可能とするかもしれない──! 高雄達が固唾を飲み込み、川を渡って熊とにらみ合う補佐官を見守る。

 唸り声をあげる熊。威嚇しているが、エヌラスが網カゴから川魚を一匹投げた。鼻を鳴らしながらニオイを嗅いでいたが、やがて頬張り始める。顔を上げた熊にもう一匹。餌に気を取られている内に少しずつ距離を縮めていった。

 やがて編みかごの中身を見せて、その中に入っている川魚に熊が頭を近づけた──次の瞬間、網カゴの口から紐を伸ばして熊の頭にかぶせて引っ張る。そこからは瞬きする暇もないほどの鮮やかな動きだった。

 頭を封じて、視界を覆われた熊が暴れだすより先にエヌラスは身を翻して四つん這いの熊の背中に乗って首に手を回して背後から締め上げる。魔術回路に魔力を流し込み、全力で頭を曲げた。

 ゴギャリ、と。鈍く嫌な音を立てた熊が立ち上がり、ヨロヨロと力なく歩き出すがどこからともなく手元に日本刀を召喚すると、毛の隙間から突き立てる。うなじから脳幹を貫く鮮やかな手並みは暗殺者の手際だった。

 地に伏し、動かなくなった熊から降りて血振りをした刀を収め、エヌラスが腕を掲げる。

 

「熊、獲ったぞー」

「……」

「……」

「…………熊の首、折ったです」

「補佐官殿が味方で拙者は良かった……」

「問答無用に襲ってきてたらどうしてたつもり?」

「ぶった斬ってたな。良いか、自然動物に決して心を許すな。交流なんて出来るはずがねぇ。食うなら殺せ。容赦するな。躊躇したら死ぬ。生きるために殺せ──が、雪男たちからの教訓」

 冗談で聞いていたつもりだったが、まさか本当に雪男達と交流してたのだろうか?

 改めて魚を捕り、山菜を集め、仕留めた熊をエヌラスが担いで持って帰る。

 

 ──母港で熊を見せられたベルファストの驚きは初めて見る顔をしていた。

 なんとなく気になって、高雄達が指揮官に雪国の鹿がどんなものか見せてもらうが、泣くかと思ったほどだ。

 全長二メートル近い巨体が、人間の腰まである雪の中をトラックのように物ともせず駆け抜ける動画を見て自分たちの活動する場所が海で良かったと心底思った。



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新人歓迎会は盛大に

「エヌラス。熊を仕留めたとお聞きしましたが、本当でしょうか?」

「首の骨へし折ってやった」

 ベールからの質問に、エヌラスはあっけらかんと答えた。ゲイムギョウ界の女神様も少々信じられないといった面持ちで困惑している。

 

「アナタを野放しにしておくと危険っていうのを再認識しているところよ……」

「そうね。雪国のルウィーでもクマは出てくるけど……」

「プラネテューヌじゃ滅多に見かけないけどなー」

「リーンボックスでも出ますわね。グリズリーですけど」

「九龍アマルガムに出てくる殺人熊の話したっけ?」

 聞きたくない。ネプテューヌ達は全力で首を横に振った。

 食堂で雑談をしていたところへ、指揮官が顔を覗かせる。母港の見回りも兼ねて、休憩中のようだ。デスクワークで腰を痛めないようにこうして身体を動かして対策している。

 

「補佐官殿。熊を仕留めたとか。ベルファストが珍しく本気で困惑してましたよ。いやぁ良いものが見れました」

「おう、指揮官。なに、あれくらいだったら朝飯前だ。俺の故郷に出てきた殺人熊に比べれば」

「もしかして人外魔境の生まれですか?」

「うん? いや塵骸魔京なら近場だったが」

「え?」

「え?」

「……その、殺人熊ってのはあれですか? 人里に降りてきた熊、とかですかね」

「ああ。街に現れた熊だ。いやぁ、サイバネマフィアが十数人掛かりでも討伐できなかったとか聞いた時は冷や汗物だったなー」

「え?」

「え?」

 ちょくちょく聞き慣れない単語が出てくるが、指揮官は深く考えないことにした。

 

「討伐したんですよね」

「ああ。最後は腹をぶち抜いた」

「戦車とかですか?」

「拳」

「拳で」

 間の抜けた顔で女神たちに視線を向けると、無言で顔を横に振る。言うだけ無駄だ、諦めろ。考えるな感じろ──まるでそんなことを言いたげに。指揮官は少しだけ考えて、思考を放棄した。

 

「まぁ補佐官殿ですし、それくらいやりますよね」

「ははは。やったの俺の師匠だけどな」

「はい?」

 この人の上がいるのか。指揮官の頬が引きつった。

 

「大丈夫ですか? その人生まれる世界間違えてませんか?」

「少なくとも常識と良識を期待するだけ無駄なことは明白だな」

「…………」

「俺の師匠のことはいいや。それで、歓迎会の準備は進んでるのか?」

「あ、はい。順調みたいですよ。ただ補佐官殿が仕留めた熊を見てクイーン・エリザベスが半泣きになってましたけど」

「なんでや」

「当然ね……」

 熊を見る機会なんて早々ない。物珍しさから写真撮影とかしている子達もいる。明石がクレーン車引っ張り出して宙吊りにしているが、二メートルを超えている姿には山の幸希望と言い出しっぺのクイーンエリザベスも泣きそうになっていた。

 

「そういえば。もう一隻、潜水艦が着任予定なんですけれども遅れるらしいんですよね」

「へぇ。またなんか問題でもあったのか?」

「さぁー? ボクとしては戦力が増えるのは嬉しいので、無事に到着してくれれば」

「あ。その話題で思い出した。指揮官、明石のプレゼントってなんだったの?」

 配給会社のトラブル発生で遅れた例のアレ。ボイコットにまで発達した問題のプレゼント。ネプテューヌが興味津々といった様子で尋ねると指揮官は頬を掻きながら視線を逸らしている。

 

「大したものじゃないんですけどね。明石が以前から欲しいと言っていた工具一式なんです」

「あー。それで最近真面目に働いてるのかアイツ」

「そうなんですか? 明石はいつも真面目だと思いますけど」

 それはお前の前だと猫をかぶっているからだぞ? 補佐官が知っている限りでは、ドックの中で目を盗んで怪しげな事をしている。仕事の邪魔にならなければなんでもいいのだが。

 

「以前カタログを広げて目を輝かせて欲しいにゃー欲しいにゃーと言ってたんですけれど、当時はちょっとお財布事情が寂しかったので」

「指揮官様は優しいですわね」

「明石にはいつもお世話になってるので少しくらいは」

「いーなぁー。ねぇねぇ指揮官、わたしにもなにかないのー?」

「こら、ネプテューヌ」

「そうですねぇ。ロイヤル艦隊の実施する大規模戦術演習で良い成績出したら考えておきます」

「ホント!? よーし、頑張るぞー!」

 ネプテューヌ以外が一斉にため息をついた。これだから女神らしくない女神様は。

 

 

 

 そして、大鳳とエセックスの歓迎会が開かれる。今回はロイヤルネイビーのクイーン・エリザベスから大規模演習の詳細も発表される。

 エンタープライズとは顔なじみなのか、二人で談笑していた。大鳳はと言うと、重桜艦隊で赤城とニコニコ笑いながら話をしている。笑っているが寒気が走った。絶対にお近づきになりたくない空母だ。というかなにか、重桜の空母は頭がやべぇのしかいねぇのか。そんな事を考えながらエヌラスがテーブルの料理に手を伸ばしていると、男装姿のクリーブランドに肩を叩かれた。

 

「よっ、補佐官」

「もぐー」

「ココ最近、パーティを開きすぎな気もするんだけどな」

「俺は別に太らないからいいが」

「私達はどうなんだろう。まぁいいか。折角美味しい料理が並べられてるんだし、食べなきゃ損だしな」

「……しかし、なんで男装姿なんだ?」

「それを私に聞かれても困るんだよな……いやいいんだけどさ」

「似合ってるぞ」

「はは、ありがとう」

 素直に褒めると嬉しそうに笑いながら小皿にサラダを取り分けている。そこへ、モントピリアが歩み寄ってきた。軽い会釈をして、クリーブランドの隣に並ぶ。

 

「姉貴、あとで写真撮ってもいい?」

「ん? もちろんだ」

「一緒に写りたいんだけど」

「全然かまわないよ。何なら全員呼んで写真撮影だ。補佐官は?」

「遠慮しとく。撮る側ならいいが、写るのは苦手なんだ」

 なんで?という顔をする二人にエヌラスは自分の左目を指した。

 

「こんな面の男が、仲良し姉妹に交ざるだけで一気に不穏な写真になるぞ」

「……確かに」

「私は気にしないぞ?」

「あと俺は写真写り悪い。よく変なの写るから止めておけ」

 お祓いでもしなきゃまともな写真なんて撮れない。よく背後に女性の霊が映ったり、馴れ馴れしく人と肩を組んでいる男性の幽霊だったりとパターンは豊富だ。今度片っ端から除霊してやろうか物理的に。

 エヌラスがテーブルの料理を物色していると、新しく着任したエセックスが近かったので声を掛けてみた。

 

「よ、エセックス」

「あ……どうも。指揮官から話は聞いてました。補佐官がいる、と。貴方ですね?」

「エヌラスだ。これからよろしくな」

「はい。こちらこそ」

 軽く握手をして挨拶を交わし、少しだけ話をする。次の大規模演習の内容や、艦隊と上手く付き合っていけるかどうか。

 着任したばかりでまだ分からないが、エンタープライズが言うには、少しだけいい加減な指揮官だが前線指揮には期待してもいいと。あながち間違いじゃない。此処には一月ほどいるが、片付けができない以外は大体有能だ。

 ふと、会場の片隅を見るといーぐるちゃんともう一匹。見慣れない鷹が指揮官からご飯を貰って食べている。

 

「……なんか増えてる」

「片方は私の鷹なんだ。指揮官はいーぐるちゃんで手慣れているみたいだけど」

「おとなしそうで良い子だな。飼い主に似て」

 小さくエセックスが感謝の言葉を言っていた気がするが、エヌラスは聞こえないフリをした。

 

「そういえば、見慣れない子達がいるようだけど」

「ああ。守護女神達か」

「どうしてここに?」

「話すとちょっと長い。異次元からのお客様ってことでひとつ」

「…………なるほど?」

「案外、すんなりと納得するんだな」

「まぁ。セイレーンの実験場と呼ばれる鏡面海域というものがあるくらいだ。異次元から誰かが迷い込んできても不思議なことじゃない。貴方もその一人か」

「いや、俺は女神に拉致られた」

「……神隠しというものでは?」

 そうとも言う。というか今ちょっと聞き捨てならない単語が出てきた気がする。鏡面海域ってなんだ。エヌラスが尋ねようとして、エセックスはエンタープライズに呼ばれてしまった。そのまま離れていってしまう。

 セイレーンの脅威はどうも純粋な戦闘能力だけではないようだ。

 ふと会場を見渡してみて、鉄血の姿がどこにもないことに気がつく。

 

「ふむ……?」

 唐揚げを食べながら首を傾げていると、ベールが何か探している様子でこちらへ近づいてきていた。エヌラスに気がつくと、微笑んで柔らかい表情を浮かべる。

 

「あら、エヌラス」

「ベール。鉄血艦隊知らないか?」

「今回は不参加のようですわね。まぁ、元々あまり社交的な方たちではありませんでしたもの」

「そうか?」

「レーベちゃんやニーミちゃんは駆逐艦の子達と仲良くしてるのはよく見かけますが、他はあんまり見かけませんわね」

 言われてみれば、近寄りがたい雰囲気というか、そんな空気がある。戦術学園の方などで教師役などを務めているケルンやケーニヒスベルクなどもいる。カールスルーエはよくあちこち歩き回っているようだが、謎だ。

 鉄血のことだ。今回の歓迎会に興味が惹かれなかっただけだろう。そんな事を考えているエヌラスの顔をジッと見つめていたベールが顔に手を伸ばした。

 

「ん? なんだ、ベール」

「せっかくの歓迎会なのですし、もう少し身だしなみに気を使ってくださいまし?」

「そうは言われてもな」

「ヘアピンと、リボンでちゃんとまとめた方が男前が上がりますわよ?」

「上げてもなぁ……」

「まぁまぁそう言わずに」

 仕方なくエヌラスはスーツの内ポケットからヘアピンとリボンを取り出してベールに渡す。手櫛で前髪を整えて、刀傷を隠すように伸ばしていた左の前髪を留める。横髪も、耳を出すようにハーフアップで後ろにまとめてリボンでしっかり留めておく。ベールと同じような髪型になるが、顔立ちや髪質で印象や雰囲気が全く異なっていた。

 

「ふふ。とってもお似合いですわよ」

「そりゃどうも」

「……照れてるんですの?」

「自分でやる分にはいいが、他人にやってもらうと妙に恥ずかしい」

 前髪をかき上げながら、慣れない感覚にエヌラスが口をへの字に曲げている。ベールの顔を見れば、なにが面白いのか満面の笑みを浮かべていた。

 

「なんだよ」

「うふふ。別に大した事ではありませんわ。ただ、お世話をされて照れているエヌラスの姿が歳不相応に可愛らしいというだけですもの。お気になさらず」

「……気にするっつうの」

「あらあら、珍しい物が見れましたわ。ごちそうさま」

「~~、怒るぞ。ベール」

 口では言うが、決して手を上げないのを知ってか知らずかベールはまだ笑っている。

 

「さぁさ、もっと顔をよく見せてくださいませ♪」

「おい、やめ」

「そう恥ずかしがらずに。いいではありませんか」

 両手で頬を捕まえられて見つめ合うが、青い瞳に吸い込まれそうになるのを堪えて不意に視線を外した。それにつられてベールが顔を逸らすと、ノワールが不満そうな顔をして立っている。

 

「私のことは気にしないで続けたら?」

「見てたなら止めてくれよ、ノワール」

「あら。私の目には楽しそうに見えたから邪魔しなかったんだけどー?」

「ベールが楽しんでるだけだ」

「もぅ、ノワールったらもう少しくらいいいではありませんか」

「アナタのじゃないでしょ」

「ではノワールの、でしたかしら?」

「おーっと予期せぬ方向に舵を切るのは止めてくれ? 俺が悪かったから」

「「エヌラスは黙ってて」」

「ういっす……」

 もう勝手にしてくれ。エヌラスは睨み合うベールとノワールからそそくさと離れた。どうせ後で痛い目に遭うのは確定している。今だけでも至福の時間を味わいたい。

 食事の手を休めずにテーブルを回りながら話をしていると、今回の歓迎会の為に衣装を変えている子達をチラホラと見かける。話を聞いてみると、指揮官が以前購入してくれたものらしい。こうした衣装も全部明石が入荷しているようだ。買えるかどうかは指揮官次第。

 

 いつもの白いドレスから、青いドレスに着替えたイラストリアスが妹のユニコーンと一緒に微笑ましく歓迎会を満喫している姿に軽く手を振ってみる。それに気づいた二人が会釈した。

 

「補佐官様、こんばんわ」

「黒いおにいちゃん、こんばんわ」

「こんばんは。歓迎会、楽しんでるみたいだな」

「ええ。指揮官様はこういった催し物がお好きみたいですし」

「そういや事あるごとに宴会やってんな……」

 軍資金にも限りはあるだろうに、随分と大盤振る舞いなことで。基本的には貯蓄しているらしいが、こうした宴会で消費しているようだ。艦隊のストレス発散と交流を兼ねているのだろう。そうした面から指揮官の方針が窺えるが、評判は悪くないらしい。

 

「しかし最近ちょっと緩みすぎな気もする。俺から指揮官に言っておくか」

「そうですね。よろしくお願いします」

「……そういや、イラストリアス。そのドレスは」

「あ、ああ……これですか? 指揮官様が用意してくれた物だったので、今回は着ておこうと思いまして」

「呼んでくるか? せっかく着替えたんだ、見てもらいたいだろ」

「でも……」

 その指揮官は今、重桜の方で話をしていた。赤城と大鳳が火花を散らす中、隙を見て翔鶴が会話をしつつ、綾波が小皿を差し出している。身動きが出来るような状態ではなさそうだ。思慮深いイラストリアスには少々声をかけづらい状況だろう。邪魔をするのも気が引ける上に、空母としては一航戦達に一歩劣る。重桜艦隊の航空戦力は侮れない。

 

「できれば、そうですけれど。指揮官様のご迷惑に」

「よーし行ってくるか」

「あ、行っちゃった……」

 イラストリアスがやんわりと断ろうとしていたが、エヌラスは重桜艦隊に囲まれている指揮官のもとへまっすぐ近づいた。ぶっちゃけ逃げ出したい空気だ。あー近づきたくねぇ。

 

「おーい、指揮官」

「もぐもぐ……あ、補佐官殿。熊肉美味しいですよ?」

「マジで? 俺も貰っていいか?」

「どうぞどうぞ」

「熊肉が見当たらなくて探してたんだよ。こっちのテーブルだったのか」

「ええ。鍋とかは重桜の十八番ですからね」

「……その土鍋は?」

「明石の手作りです」

「アイツこんなの作ってたのか……」

 テーブル一つ丸ごと占領するような土鍋。中には具材が山盛り。当然仕留めた熊の肉も入っている。異文化交流における最大の難関である食文化が立ちはだかっていたが、エヌラスにはそんなことお構いなし。雑草食ってでも生き延びる男である。

 高雄がよそい、エヌラスに差し出した。

 

「仕留めた本人が口にせぬのは、良くないからな。出汁も染みて良い具合だ」

「ありがとな。そういや熊の右手は?」

「東煌艦隊が美味しく調理してすでに平らげた後だ」

「そうか。いただきまーす」

「山菜の天ぷらもあるわよぉ」

「むぐ? 誰が調理したんだ、これ? 随分と美味しいが」

「赤城や加賀です。ねー」

「うふふふ。将来指揮官様の台所を預かる身として、料理くらいはお手の物ですわ」

 その言葉に大鳳が反応したが、すぐに矛を収める。赤い着物を着ていたはずだが、今は真っ赤なドレスに着替えていた。

 

「大鳳のドレスは、もしかして指揮官が?」

「ええ。明石が用意してくれたものなのでついでに」

「ついででドレス買うのかよ。高そうだが」

「先行投資、ということで。ここはひとつ」

「ご安心ください指揮官様ぁ。この大鳳、ご信頼に背くようなことは一切しませんわぁ♪」

「期待してるよー」

 重桜の調理した和食を食べつつ、エヌラスは頃合いを見計らって指揮官を連れ出す。

 “まぁ補佐官なら”と気を許した重桜艦隊だったが、ユニオンやロイヤル艦隊と話をしている姿に少しだけ頬を膨らませつつも見守っていた。

 

 なんとか重桜艦隊から指揮官を連れ出すことに成功したエヌラスが、イラストリアスのもとへ戻ってくる。

 

「指揮官様」

「や、イラストリアス。ユニコーンも楽しんでる?」

「うん……おにいちゃん達が用意してくれたご飯、すごく美味しい」

「それはよかった。でもちょっと眠そうだね、ユニコーン」

「……ちょっと、眠いかも……でも、イラストリアスお姉ちゃんもいるし、ユニコーンまだだいじょうぶ、だよ……?」

「夜更かしは身体に悪いよー? ね、ほら」

「うん……」

 ペチン、と。エヌラスが指揮官の頭を軽く叩いた。なぜ叩かれたのか不思議そうな表情で振り返り、顎で指し示されたイラストリアスのドレスを見て、そこでようやく気づく。

 

「あ、あー。そのドレス。着てくれたんだ」

「はい。どうでしょうか?」

「いつも白いドレスだからね。青いのもすごく似合ってる」

「他には?」

「他ですか? えーと、イラストリアスはいつ見ても綺麗だから……」

「ていっ」

「おぅっふっっ……!!」

 指揮官のスネにローキックを入れて、しっかり肩を組んでエヌラスは鈍感な相手にも分かるようにしっかりと指した。

 

「いいかぁ指揮官? 今日のイラストリアスはドレスも着て、口紅も塗ってチークも入れて化粧もしっかり決めてこうしてパーティに来たってのにお前のその眼はなんだ? ん? アレか? 美人すぎて直視できねぇって言いたいのか、えぇこらぁ?」

「すいませんごめんなさいボクそういう女性用化粧品のこととか詳しく知らないんです語彙力低くて勘弁してください補佐官殿ぉぉぉ、うぉぉぉゴリラ力たけぇこの人ぉぉぉ……!!」

「ゴリラに謝れテメェ。見た目の割に慈悲深い生き物なんだぞパワーオブゴリラぁぁぁ!!」

 腕力任せのアームロックでイラストリアスに頭を下げさせて、エヌラスは拘束を解く。まったくこれだから指揮官は。

 

「いやーすまん、イラストリアス。連れてきた挙げ句にコレじゃ申し訳ねぇ」

「い、いえ補佐官様が気に病むようなことじゃないです。ほんとうに。連れてきてくれただけでも感謝していますよ?」

「指揮官はもうちょっと女性に対する理解を深めるべきだな。女所帯なんだから」

「いてて……逆に聞きますが補佐官はどうやって理解を深めたんですか?」

「…………その昔、俺は女性用下着売り場に連れて行かれたことがあってだな」

「すいませんでした! なんかごめんなさい!」

 遠い目をするエヌラスに、指揮官は何か申し訳ない気分でいっぱいになった。この人、過去に傷を負いすぎではなかろうか?



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超次元旅行計画進行中

 

 

 

 ──無事に大鳳とエセックスの歓迎会が終わり、後片付けを始めるベルファスト達。その姿を眺めながら、エヌラスは残っていた料理を食べていた。まだ食うのかと驚かれているが女神たちにしてみれば見慣れた光景なのでスルーしている。

 残飯処理じみた食事をしていると、イラストリアスが歩み寄ってきた。ユニコーンは指揮官が寝室に連れていったらしい。

 

「あの、補佐官様」

「もぐ?」

「先程はありがとうございました」

「もぐもぐもーぐ」

「……えっ、と?」

 気にするな、と言ったつもりだったが口の中のパスタが遮っている。一通り飲み込んでから片手を振った。

 

「気にすんなって」

「はい。それにしても……よく食べますね」

「その気になれば全部平らげるぞ」

 テーブルの上には中途半端に残された料理が所狭しと並べられている。だが恐ろしいのは空になった皿がすでに五枚ほど重ねられているということだ。サフォークがドン引きしながら空の皿を運んでいく。空いた場所にケントが追加の皿を置いた。

 

「Hey! 補佐官、追加のオーダーだよ! ガブッといっちゃって!」

「任せよ! もぐー!」

 運ばれてきたミートボールスパゲティがあっという間に消える。まるで手品だ。どこにその栄養が消えているのか、というよりも体積以上の質量が胃袋に収められていく様は不思議でならない。

 その皿をすぐに下げて、今度は揚げ物の盛り合わせが載せられた。重桜お手製の天ぷらである。唐揚げやらナゲットやらひしめき合っているが、エヌラスはつまみながら食べていた。

 

「補佐官様は気持ちのいい食べ方をしますね」

「ひょうか? 俺の食事なんて見てても楽しくないと思うけどな」

「どこに消えてるんですか?」

「…………体内の火力発電所? まぁちょっと色々あるんだ」

 左胸をフォークで指しながらエヌラスは唐揚げを頬張る。くすくすと笑いながら、イラストリアスはテーブルのナプキンで口周りに付いたケチャップソースを拭った。

 

「補佐官様、まるで子供みたいですね」

「むぐ……ありがとよ」

「それでは、私はこれで。今日はありがとうございました」

「ああ。おやすみ、イラストリアス」

 お辞儀をしてから、会場を後にする姿を見送って再び食べる。気がつけばテーブルには追加で山盛りのポテトサラダが載せられていた。

 

「うーし、食うぞー」

 

 ──え、まだ食べるの!? ロイヤルメイド隊がざわつく。会場に残っていたユニオン艦隊も驚いていた。

 

「補佐官の胃袋は化物か……!?」

 エンタープライズが思わず固唾を飲む。確かに体格は良い。だがそれにしても食い過ぎだ。焼きそばも丸めて口に入れている。エビフライも消えていく。ソーセージマルメターノも消える。誰が注文したのかも定かではない豚の角煮も飲み込んでから水に手を伸ばしていた。その食べっぷりは少々理解し難い。

 

「な、なぁ補佐官……そんなに食べて、太らないのか?」

「もぐむぐはぐはぐもぐむぎゅぐっ? もっきゅもっきゅ……」

「…………」

「ごくん……ぷはぁ。太らないな。いくらでも食える」

「どこに消えているんだ……いや本当に、どこに消えているんだ……」

 エンタープライズも軽く食事はしていたが、唐揚げを数個つまむ。やはり胃に重い。

 

「今の俺は人間火力発電所だ。はっはっは、こんな食うの久しぶりだな」

「何を発電してるんだ」

「……魔力?」

「いや、疑問符を浮かべられても困るぞ……」

 実際のところ、全て魔力貯蔵庫に消えている。消化を促して全て体内で魔力に還元しているので食っても食っても足りない。そのせいで暴食暴飲悪食と、強欲の限り無し。ただそれを緩めれば腹も膨れる話だが、あまりにロイヤルメイドが手がけた料理が美味しいので手が止まらない。過食症ではない、むしろこれが本来あるべき光景なのだ。普段は限りなく稼働率を低下させているからこそ少食で済んでいる。

 そんなフードファイター補佐官のもとへ指揮官が戻ってくると驚いていた。

 

「まだ食べてたんですか!?」

「馬鹿野郎お前食うぞお前俺は馬鹿野郎」

「うわぁ、こわぁい」

 指揮官もドン引きである。だがそんな食べっぷりが好評を博しているのか、他の子達も集まってきていた。

 

「指揮官様ぁ。本日は私達の為にこのような歓迎会を開いていただきありがとうございますぅ」

「喜んでもらえたのなら何よりだよ。今日はもう遅いからね、大鳳もエセックスもゆっくり休んだ方が良い」

「はい。それでは、お先に失礼します。指揮官」

 エセックスが会場を後にする。だが、大鳳は指揮官に身体を寄りかからせた。豊満な胸を押しつけるようにして、大胆に開いた胸元から零れ落ちそうになっている。

 

「────大鳳?」

「私、少々酔ってしまったみたいでぇ~……指揮官様ぁ? お部屋まで、よろしいですかぁ?」

「あー……えーと……」

 バリッ、バリバリ、ボキャ、ゴリッ──。聞き慣れない咀嚼音に指揮官が顔を向けると、エヌラスが殻ごとカニを食べていた。

 

「……あの、補佐官。普通は丸ごと食べませんからね?」

「もぎゃごがっ!?」

 煎餅のように噛み砕かれていくカニは既にハサミから両足まで全部無くなっている。だが、そのまま頭から丸かじりされていった。汚れた手を綺麗に拭き取り、カニを飲み込む。

 

「マジか。カニって丸ごと食うもんだと思ってた」

「えぇ……? 殻ぐらい剥きましょうよ、こうやって」

 指揮官がもう一匹のカニの足をもぎ、その中身だけをしゃぶるように食べる。エヌラスはそれを真似してみるが、綺麗に足だけへし折れるだけだった。

 

「めんどくせぇ、食えりゃいいんだよもぎゃー!」

「ああ、やっぱり殻ごといった!? どんだけ咬筋強いんですか! あと頑丈ですね!?」

「俺は空腹のあまり小石で飢えを凌ぐ男だぞ! なにが甲殻類だ、殻ごと食えばいいんだよ! 身を守るための栄養がこっちに固まってるなら殻ごと食った方が良いに決まってんだろうが!」

「ものすごく腑に落ちない説得力かまされましても! もしかしてジュラ紀から生きてたりしません!?」

「ちなみにちゃんと小石は吐き出したからな」

「あなたダチョウですか」

「なんだそれ、食えんのか」

 判断基準はそこなのか。

 

 ──指揮官説明中。画像検索中……。

 

「……イケる!」

「えっ!?」

 結論、食糧判定。

 自分の誘惑を振り切らせた補佐官に対し、恨めしげな視線を向けながらも大鳳は何か思いついたように笑みを浮かべる。

 

(ふふふ……私と指揮官様の邪魔をするだけかもしれないけれど、考え方次第じゃ使える人かもしれないわぁ。補佐官様も)

 

 

 

 翌日。いつものように指揮官は朝食を早めに摂って業務に取り掛かった。それから少し遅れて補佐官が執務室に入室してくる。今日の打ち合わせをしてから解散、というのが日課だ。

 

「そうだ。なぁ指揮官。ちょっと気になった事があるんだが、いいか?」

「はい。なんでしょうか?」

「俺やネプテューヌ達がこっちに来たように、こっちの艦隊を向こうに連れて行くことってできねぇのか?」

「…………その発想はちょっとなかったですね。検討してみます」

「向こうで学べる海戦とかあると思うし、小旅行みたいなものでリフレッシュもできると思うんだがどうだ?」

「全然アリだと思います。ただ、そちらの都合がどうなるかですね。女神様達にその話はしたんですか?」

「いや? いま思いついたんだが」

 しかし、それは確かに面白そうだと指揮官は考える。ただ問題は──それを上層部にどう報告するべきだろうか。休暇を申請してそれで済ませてしまうという手がある。行き先まではともかくとしてそれが一番手っ取り早いだろう。

 

「ネプテューヌ達に話して、許可が降りればという形だな」

「じゃあ、その確認はエヌラスさんにお任せしますね。ボクはこの通り」

「ああ、わかった。ところで今日の秘書艦は」

「大鳳ですね。昨日の今日でだいぶやる気があるみたいでして」

「そりゃよかった。それじゃ、またあとでな」

 エヌラスが執務室を後にすると、しばらくしてから大鳳が入室してきた。部屋に入るとすぐに頭を下げて、扉を閉める。

 

「失礼します。大鳳、本日の秘書艦を務めさせていただきますねぇ~♪」

「よろしくねー」

「補佐官様はぁ……」

「ああ、あの人はちょっと別行動。気になる?」

「いえいえ~」

 大鳳と本日の業務開始。初めての秘書艦ということで、張り切っているようだ。

 

 エヌラスはこちらの艦隊をゲイムギョウ界に連れて行ってみてはどうか、という話をネプテューヌ達に話す。目を白黒させてから、すぐにネプテューヌとベールは乗り気になった。しかし、ノワールだけは少し渋った表情をしている。ブランも考え込んでいた。

 

「悪くないかもしれないわね。指揮官ならなんとかしてくれるでしょうし」

「ちょっと、ブランまでそんな事を言うの?」

「ならノワールはなにか問題でもあるの?」

「それは、その……人選的なものよ。誰を連れて行くのかってこと」

「各陣営から数人引き抜いて、という形でいいんじゃないか。それなら艦隊運営にも支障はないだろうし、立候補なり指揮官からの推薦でもいいだろうし」

 そんな問題児ばかり誰が選ぶか。

 

「はーい。それじゃプラネテューヌにはジャベリンと綾波とラフィーとニーミがいいな!」

「勝手に決めるな。メモするからちょっと待ってろ」

「では、リーンボックスにはロイヤル艦隊がよろしいかと」

「そうね……こちらのニッポンという国では四季折々があるのよね? 寒さに慣れているなら重桜艦隊が無難かしら。問題児多そうだけど」

「……、残ってるのユニオンか鉄血じゃない」

「色が似てるからいいんじゃないか?」

「よくないわよ!」

 ノワールに怒られるが、エヌラスは首を傾げていた。一体なにが不満だと言うのか。疑問の浮かぶエヌラスにこっそりとベールが耳打ちする。

 

(最近エヌラスが鉄血と仲良くしてるから嫉妬してるだけですわよ♪)

「なんだ、そんなことか」

「ちょっとベール、余計なこと言わないで!」

「うふふ、わたくしは何も言っておりませんわよ~」

「嘘言わないでよ。あ、ちょっとどこに行くのよ! まだ話決まってないんだから!」

「わたくしは出撃の準備をしてまいりますわ。それではごきげんよう」

 ベールはそそくさと女神部屋から出ていってしまった。

 

「でもでも、きっとすっごく楽しいと思うなー。ネプギアやあいちゃんやコンパも紹介したいし」

「イストワールが何を言うかわからないわよ」

「そ、そこはなんとかしてくれるよ。だっていーすんだよ?」

「イストワールに対する信頼があるのはいいけど、あなたの信頼は落ちそうね……」

「だいじょーぶ! 多分そんなに信頼されてないから落ちないと思うんだ!」

「自分で言ってて悲しくないのかしら……」

「ネプテューヌだもの、気にしたら負けよ……」

「それもそうね」

「ま、とりあえずそういう話だけ出たから耳に入れておいてくれ。誰が来るかまではまだこれからだから、こっちの希望も伝えておく」

「ええ、わかったわ」

 エヌラスも部屋を後にすると、本日の補佐官業務に取り掛かる。今日も工廠で明石の手伝いだ。



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衝突スクランブル交差点

 

 ──エヌラスはいつものように工廠で明石の手伝いをしていた。

 余らせた袖口から無数の工具を覗かせて艤装のメンテから弾薬の補給までテキパキとこなす明石の後ろ姿を盗み見ながら、エヌラスもまた指揮官が取り寄せた作業着に袖を通して作業をこなす。

 

「補佐官は作業の飲み込みが早くて明石も助かってるにゃ」

「んーそっかー」

「一応聞いておきたいんだけど、何か企んでたりしないかにゃ?」

「してねーなー」

 話半分に聞きながら相槌を打って、エヌラスは砲身を掃除する。悪巧みらしい悪巧みなど無い。やったところで何も得るものがない以上は日々の業務に精を出すだけだ。

 油と鉄と火薬の臭いが染み付いた工廠の扉が開かれる。いつもなら夕張辺りが来るのだが、誰が来たかと思えばプリンツ・オイゲンが顔を覗かせた。エヌラスの顔を見るなり、にんまりと嫌な含み笑いを浮かべている。

 

「ハァイ♪」

「うーっす。どうした」

「別に? ただ様子を見に来ただけよ」

「冷やかしなら帰ってくれにゃ。明石は忙しいにゃ」

「いいじゃない。邪魔をするつもりはないんだから」

「イチャつくならよそでやれ、にゃ」

「そんなつもりはないのに。ねぇ?」

「俺に話を振るんじゃねぇ、キラーパスかよ」

 適当な弾薬ボックスに腰を下ろして、プリンツ・オイゲンはエヌラスの作業を見つめていた。足をプラプラと揺らしながら、時々足を組み替える。ミニスカートというにはあまりに短すぎるソレから時折覗く布に気を取られそうになりながらも作業に集中していた。

 

「ふ~ん、砲身にブラシを出し入れして掃除してるのね」

「言い方がエロいからやめれ」

「変なこと考えてない?」

「変なことを彷彿とさせるようなこと言うお前が悪い」

「いいじゃない、別に。男と女がやること。珍しくもない」

「そりゃ男と男がやったら珍しいだろうけどな!? いや女と女もそうだが」

「ぶにゃー! 工廠でエロ談義するにゃー! よそでやってくれにゃー!」

「気にすんな明石。こっちの話だ」

「そうそう、こっちの話よ。気にしないで」

「そっちでえっちな話してる奴らがなに寝ぼけたことを言うにゃ! しっしっ! よそ行くにゃ! しっしっ、ふしゃーっ!」

 明石に工廠を追い出されたエヌラスとプリンツ・オイゲンは時間を確認する。昼休みまでまだまだ時間があった。とはいえ中途半端な時間。ひとまず母港周辺の見回りでもしてみるかとエヌラスが歩き出すと、当然の如く隣にピッタリくっついてくる。

 

「……なぁ? なんで、その、腕を組むんだ?」

「面白いから」

「そうかぁ。うん、そうかー。でもできれば女神様に見つかる前にやめてくれると俺はすげぇ助かるからやめてくれねぇかなー」

「ふぅん?」

 腕を組み、胸を押しつけてイジワルな笑みを浮かべる顔に参った様子で立ち止まった。できればノワールに見つかる前に解放してくれると助かるのだが、なにぶん大きい胸に拘束されて振り解ける男というのは少ないわけで。とても悲しいことに引き離そうとするとますます腕に力を込めてしがみついてくる。どうあっても離すつもりはないようだ。

 

「お前、俺がトラブルに巻き込まれるのを期待してないか?」

「まさか。ひどいわね、私がそんなことを望んでいるように見える?」

「そんなことが起きる前に離してくれることを願う」

「あっ、女神様」

「ぬんっ!?」

 ──振り向いた先。無邪気に笑う睦月型。女神の姿など影も形もなかった。

 エヌラスがプリンツ・オイゲンをじろりと睨む。笑いを堪えていた。

 

「人の寿命を縮めて楽しいか?」

「ええ、とっても。アンタからかい甲斐があって飽きないもの」

「人を玩具にして遊びやがって……」

「悔しかったらやり返せばいいのに。しないの?」

「いや、悔しいというか」

「ん?」

「……ちくしょう、テメェかわいいから言いたいことも言えねぇわ」

「ありがと。お世辞が上手いじゃない」

「は?」

「……えっ。本気で言ってるの?」

「そのつもりだったんだが」

「……そう」

「ああ」

 微妙に気まずい空気が流れ、それを切るように「おっほん!」とわざとらしい咳払い。振り返れば、そこにはノワールが立っていた。笑顔で。

 

「ねぇ二人共? 道のど真ん中で立ってたら邪魔なんだけど」

「……すいませんでした」

「あら、ごめんなさい」

「で!? なんで腕を組んでるのよ!?」

「俺が聞きてぇよ!?」

「じゃあなんで組ませてるのよ! 引き剥がせばいいでしょ!」

「引き離そうとするとゴリラばりの馬鹿力でイデデデデデ!!」

「私かよわい女の子よ」

「か弱い乙女が大海原で戦闘するわけねぇだろ寝言は来世でどうぞ!」

 エヌラスの腕からなにか骨の軋む音が聞こえてくるが、青い顔で我慢している。プリンツ・オイゲンは怒り心頭のノワールとエヌラスの顔を交互に見比べて、それから一度腕から離れた。

 ようやく自由になった腕をさすり、痛みを和らげていると今度は体に抱きついてくる。

 

「~♪」

「なっ──!?」

「おい、ちょっと、なんだいきなり!?」

 胸元に頭を擦り寄せて上目遣いで見つめてくると、唇を少しだけ突き出してきた。目を細めて、吐息を漏らしながら顔を近づけて──ついにノワールがキレた。

 プリンツ・オイゲンをむりやり引き離すと、指を突きつける。

 

「もぉーーー!!! いい加減頭に来たわ! どうせあなた午後から時間持て余してるでしょ、模擬戦で勝負よ! 同じ重巡洋艦の艤装を扱うからこれまで見逃してたけど女神にだって堪忍袋の尾ぐらいあるわよ!」

「あのー、ノワールさーん、落ち着いて」

「落 ち 着 い て る わ よッ!!!」

「いやもう阿修羅も逃げ出す勢いで怒髪天じゃねぇか……こわっ」

「別に女神様のモノでもないでしょ? 恋人同士でもないのに、そこまで怒らなくてもいいじゃない? ねぇ、補佐官」

「だからそこで俺に話を振るな! ほらみろノワールすげぇ怖い顔で睨んでくる!」

「ぬぅ~~っ!!!」

 女神化しかねない勢いでノワールが拳をわななかせていた。

 

「おや、なにやら盛り上がってますね?」

「助け舟の指揮官、助けろ! かくかく以下略!」

「なにかありました? ──ふんふん、なるほど。じゃあ午後から演習の用意とりつけておきますね。今日のお昼は何だろなー」

「止めてあげようかなとかいう気の利かせ方とか無いのかお前はぁぁぁぁっ!!」

「そこになければないですね!」

 騒ぎに首を突っ込んだ指揮官はエヌラスの手で海に落とされる。頭からつま先まで海水でずぶ濡れになった指揮官が本日の秘書艦であるインディアナポリスに引き上げられるも、二度目の正直でまた叩き込まれた。

 

 ──お昼休憩を挟んで、母港近海の一部を演習用にセッティングする。

 

「はいっ、というわけで『第一回・KAN-SEN対女神合同演習』が開催というわけですが。司会は毎度おなじみ、ボクこと母港の責任者、指揮官が務めさせていただきまーすっ」

「なんで俺は解説席に座っているんだ。補佐官のエヌラスだ」

「今日の秘書艦だから……ゲストの、インディアナポリスだよ……」

 バッチリ観戦席まで用意してちょっとしたお祭り騒ぎだ。ネプテューヌ達も興味津々といった様子で席に着いている。

 

「なによこの騒ぎは!? どうしてこうなったの!?」

「アンタのせいでしょ? ま、やるからには全力を尽くすけど」

 手袋を詰めながら、珍しく真剣な表情でプリンツ・オイゲンが艤装を装着していた。ノワールはなぜこうも大事になってしまっているのか頭を抱えている。とはいえ、ラステイションの守護女神がアズールレーン世界で遅れを取るわけにもいかない。気を引き締めていた。

 ロイヤル陣営は紅茶片手に高みの見物。

 ユニオン陣営は興味本位。

 鉄血陣営はプリンツ・オイゲンが女神と演習ということで観戦。

 重桜陣営も物見遊山。──まぁ要は、暇を持て余している艦隊がこぞって見に来ている。

 

「ちなみに景品は補佐官殿でーす」

「テメェそれ初耳なんだけど」

「正確には補佐官のこと一日貸出でーすっ」

「だからそれ今初めて聞いたって言ってんだろおぉん? テメェの頭剥いてやろうか? イガ栗みてぇにバカッといくぞテメェこら?」

「ははは勘弁してもらっていいですかねごめんなさい。負けた方は特にペナルティないので思う存分撃ちまくってくださーい」

「えっと……勝敗は、ペイント弾で判別。多く当てるか、艤装の機関部に着弾判定がとれたらそこで試合終了──でいいの? 指揮官」

「いいよー、ありがとねーインディー。なでなでぇ」

「んっ……ありがと……」

 重桜からなぜか殺気が飛んでくるが、エヌラスは頬杖をつきながら睨み合うプリンツ・オイゲンとノワールの二人を眺めていた。

 

「なお会場のセッティングには暇していたユニオン艦隊のご協力がありましたー、重ねてありがとうございまーす。ではここで選手の紹介とインタビューに行ってみましょう、エンタープライズ。よろしくー」

「あ、ああ……なんで私が……? いや、まぁ、いいんだけど……コホン。それではまずは、鉄血艦隊所属の重巡洋艦。艦隊の中でも屈指の防御力を誇るプリンツ・オイゲンからだ。えーと……試合への意気込みとかあるだろうか?」

 マイクを持ったエンタープライズが困惑しながらもプリンツ・オイゲンにマイクを向ける。毛先をいじりながら、ノワールを見て鼻で笑った。

 

「そうねぇ、別次元の女神様とか言われてもいまいち私にはピンと来ないから……楽しませてくれれば、それだけで十分よ」

「なるほど。確かにプリンツ・オイゲンは戦艦クラスの主砲ですら耐える頑強な装甲がウリだ。それを過信して被弾数による敗北が懸念されるが、そこはどうだろうか」

「当たれば、ね? これでも長いこと戦場に立ってるんだもの、負ける気がしないわ」

「では続けて、女神陣営のノワールだ。ラステイションの守護女神、同じ重巡洋艦ということでプリンツ・オイゲンとは年季の差が出るかもしれない。だが戦闘能力は私達と違って陸海だけでなく女神化? をすれば空も制する。今回の試合の発端でもあるとか。意気込みの方は?」

「絶対に負けないわよ。戦闘経験なら私だって長いんだもの、舐めないでもらえる」

「こちらも試合に対する意気込みは十分なようだ。インタビューは以上でいいだろうか、指揮官」

「あ、それと勝った時の景品をどう使うかも聞いてもらえるー?」

 エンタープライズがものすごくなにか言いたそうにしていたが、指揮官に言われたとおりに二人にマイクを再び向ける。

 

「え~……、景品は補佐官を一日貸出ということだが……景品の使いみち、とかあるだろうかー」

「ん~……」

 プリンツ・オイゲンは唇に指を当てて小首を傾げながら見慣れたポーズで考え込んでいた。その視線は解説席で水を飲んでいるエヌラスに向けられている。

 

「丸一日、好きにしていいってことよね? それなら、フフッ……ちょっとここでは言えないような事とかしてみたいわ」

「……だそうだが、そちらは……?」

「えっ!? ここで言わなきゃダメ? え、えっと……そうね、それなら──こっちの世界で、デート……とか、じゃない?」

「それじゃ勝っても使いみちなさそうね? 普通にすればいいじゃない」

「なによ!? あなただってここじゃ言えないようなことするって、どんなことするつもりよ!」

「どうどう、まだ試合は始まってないんだから……落ち着いてくれ」

 エヌラスは不安になってきた。どっちが勝っても自分は絶対にロクな目に遭わないだろう。もうどうにでもなりやがれ。そんな心境でいっぱいだった。

 

「えー、制限時間は百八十秒。カップラーメンとか光の巨人の制限時間きっかりで」

「それじゃあ、両者……位置について……」

 睨み合って火花を散らしながら、プリンツ・オイゲンとノワールは母港から出撃する。試合中継は艦載機に括り付けたカメラで観戦するようだ。ドローンとかでいいのでは? とエヌラスは思ったが、予算の都合という指揮官の渋い一言で全てを察した。



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ブチギレムカ着火ファイヤージェノサイド補佐官

 

 プリンツ・オイゲンとノワールの演習が開戦となり、お互いに主砲から放たれるペイント弾を避けつつ確実に当てられる距離まで接近しようとしていた。次弾装填時間の煩わしさにイライラしながらもノワールは落ち着こうとする。その一方でプリンツ・オイゲンはいつものように余裕を含ませた笑みを浮かべていた。

 波しぶきをかき分けながら水上を移動して、副砲で牽制する。当然ながらそちらもペイント弾に換装済み。

 

「いやー、どう思いますかエヌラスさん」

「ノワールがやや勝ち気にはやっている感は否めないな」

「愛されてますねー」

「よせやいかち割るぞ」

「血なまぐさい照れ隠しにボクは何も聞かなかったことにします。ちなみに弾が尽きた際はそれぞれの補給地点へどうぞ!」

 赤コーナー、レーベが弾薬箱の近くで手を振っていた。

 青コーナー、高雄と愛宕が会釈している。プロレスじゃあるまいし。とはいえ、それならば弾切れの心配もない。そうと知ったプリンツ・オイゲンがますます笑みを浮かべた。

 こういう時は指揮官の心遣いをありがたく思う。

 

「そういうことなら遠慮しなくていいんでしょう?」

 加減でもしていたというのか、ノワールよりも遥かに速い装填時間による斉射が始まった。海での戦闘経験ならばプリンツ・オイゲンに一日之長がある。

 ──この艦隊に所属している経緯は、言ってしまえば成行きのようなものだった。

 ありきたりな指揮官、ありきたりな仲良しこよしグループ。ありきたりな戦闘海域。それで、良かったのかもしれない。それなりに楽しかったし、それなりに充実していた。

 重桜の一航戦が鹵獲された。そんな話を聞いて興味が湧いて、そのまま協力する形で。

 広かった母校もあれよあれよという間にすっかり大所帯。今となっては一人の場所を探すのも一苦労するくらいだ。

 とか思っていたのに。退屈しのぎを考えるのも一苦労だった毎日が、守護女神という存在が現れてから一変した。

 他の世界。異世界、というものがある。鏡面海域の存在から仮説でしかなかったソレが、実在する生きた証拠。それこそが守護女神、しかも往来も可能とくれば当然ながら興味が湧いて仕方がなかった。

 行ってみたい。見てみたい。何よりも──知りたいと思った。尽きない興味の矛先は補佐官。

 面白いやつ。からかっても、そばにいても。だから、遊んでやろうと思っていた。

 

「のわぁ!? ちょっと、貴方いきなり本気出しすぎじゃない!?」

「ふふっ……当然でしょう? だってアタシ──」

 次々と降り注ぐ砲弾にノワールが回避行動を繰り返し、プリンツ・オイゲンは笑いながら唇に指を当てる。

 

「補佐官が欲しいんだもの。女神様から奪うなんて、ロマンチックで面白そうじゃない? そういうわけだから、負けてくれない?」

「誰が!」

 弾着観測確認。誤差修正。目視で砲塔を調整し、発射されたペイント弾がノワールの艤装に着弾する。赤く染まる左舷の艤装に歯噛みしていた。

 

「おや、これはプリンツが一歩リードですね」

「熱くなりやすいからなー、ノワールは」

「なにせうちの鉄壁重巡洋艦の一人ですから、頑張ってもらわないと」

「その結果俺がどうなろうと?」

「……さぁー試合続行です!」

「指揮官、後で宿舎裏に顔貸せテメェ」

「告白イベントは是非女の子でお願いしまーす!」

 死亡フラグが着々と積み上がる中、演習は続けられる。

 ノワールの反撃にプリンツ・オイゲンは回避行動に移りながら、補給ポイントに向かう。後先考えずに斉射した結果、早々に弾切れとなった。だが、その隙を見逃すほど悠長でもない。

 至近弾の水飛沫に足を取られつつも、なんとかレーベ達の元へ辿り着くプリンツ・オイゲン。

 

「あんまり女神様をいじめてやるなよ」

「だって、ねぇ? つい、面白くって。いい反応するから」

「あとで痛い目見ても知らないからな」

「その時は、そうねぇ……補佐官殿に慰めてもらおうかしら?」

「ほら、補給完了だ。行ってこいよ、鉄血の大黒柱」

「それ、褒めてるつもり?」

 艤装がもたげた頭を撫でて、レーベが背中を押して送り出す。

 ノワールも自分が頭に血が昇っているのを自覚したのか、深呼吸を繰り返してクールダウン。これまた見事に直撃したペイント弾の痕を見つめてから、気合を入れ直した。

 

「それじゃ、第二ラウンド始めましょうか、女神様」

「……絶っ対に負けないんだから」

「勝てるといいわね?」

「あー、もー、いちいち言い方が癪に障るのよ! 人のことをからかってそんなに楽しい!?」

「面白いんだもの」

「むきーっ!」

 

「あーっと、ノワール選手逆上だー!」

「これはいけませんねぇ」

 インディアナポリスは飲み物を口に含みながら「この二人、真面目に実況とかする気ないんだ……」とか思う。だが、演習は着々とヒートアップしていた。

 互いに至近弾を避けて、魚雷で動きを制限する。

 今度はノワールが弾切れとなり、補給地点へ向けて撤退した。その間も上空から容赦なくプリンツ・オイゲンのペイント弾が降り注ぐ。艤装の装甲で受け止めることに成功したが、それが納得いかないのかますますノワールが不機嫌になる。

 

「高雄、愛宕。補給急いでもらえる!」

「任された」

「はい、お水とタオル。少し落ち着いていきましょ?」

「それはわかってるけど、煽ってくるのはどうにかなんないの!?」

「性悪だからそこは堪忍してあげてね」

「ちょっと、聞こえてるわよ重桜のー?」

「ごめんなさいねー、事実でしょー」

 新たな火花が散る音がした。気の所為にしておきたい。余計な火種を撒き散らすな重桜と鉄血。エヌラスは顔を覆った。知ってるぞ、どうぜ後始末が全部俺に降りかかるんだ。ふざけんなよ指揮官。こうなったら工房で花火大会だ、ド派手にきのこ雲打ち上げてやろうか。お前が花火になるんだよ。

 ヤケクソの補佐官はさておき、補給を終えたノワールが早速プリンツ・オイゲンに向かう。

 

 砲弾の応酬に、決着が長引いていた。集中力も体力も緊張感によってすり減ってきていたが、足を取られた隙を突かれてプリンツ・オイゲンに砲弾が迫る。直撃コースだったが、しかし──宙にかざした手からハニカム構造の防壁が展開された。その数にして三枚。

 防壁に着弾したペイント弾が霧散する。これでは無効だ。

 

「ちょっとぉ!? あれ反則じゃないの! インチキ効果も大概にしなさいよ!」

「仕方ないじゃない、だってアタシのスキルはコレなんだもの。本気って言ったでしょ、女神様」

 

「おーっと出ましたねー。プリンツ・オイゲンがうちの艦隊の中でも堅牢な理由が」

「あれいいのか、指揮官?」

「当然ですとも。正面からのガチンコ勝負ですからね」

「……お前、それ言ったら」

 わなわなと拳を震わせるノワールに、ペイント弾が迫る。

 

「──ああ、そう! そういうことなら、これも当然わたしの実力ってことで許可が降りるわよねぇ! そうじゃなきゃ筋が通らないもの!」

 怒り心頭、手にシェアクリスタルを浮かべてノワールの身体が光に包まれ──ペイント弾が切り落とされた。目を丸くするプリンツ・オイゲンだったが艤装の頭が持ち上がり、威嚇している姿に自身も青空を見上げる。

 そこに浮かんでいたのは、白髪の黒いレオタード姿の守護女神。ブラックハートだった。大剣を片手で軽々と古いながら、プロセッサユニットの青い翼を広げている。

 

「女神ブラックハート、変身完了よ!」

「へぇ……そういうことをしちゃうわけ?」

「プロセッサユニットを大幅に削って手加減してあげてるんだから感謝しなさい! 此処からが本番なんだから!」

「ねー、空飛ぶのはいいわけ? あれは流石に反則でしょ?」

「高度は落としてあげるわよ!」

「そのまま撃墜してあげるけど?」

 売り言葉に買い言葉、女神化をしたことにより、より好戦的になったブラックハートが水柱を上げて海面を高速で移動する。プリンツ・オイゲンも応戦するが、如何せん相手の航行速度が上回っていた。偏差射撃をしようにも捕捉しきれない。

 展開している三枚の防壁で大剣を防ぐものの、一撃離脱。装甲と火力が売りの重巡洋艦には少々荷が重い。こんなこともあろうかと対空砲にもペイント弾を装填していて正解だった。

 

 ブラックハートの大剣が防壁を砕く。至近距離の主砲をかいくぐって回り込むが、手をかざして左右に展開させて艤装を防御した。しかしひび割れる防壁が続く蹴り込みによって破砕される。

 貰った──! そう確信して大剣を全身で振り下ろすブラックハート。

 しかし、艤装を破壊するはずの剣が金属音を上げて何か硬いもので阻まれていた。その正体は腰部の艤装接続ユニットから伸びている鉄血特有の生体艤装。強固な顎を開けて大剣に噛みついていた。

 目の前で砲塔が旋回して副砲と睨み合うブラックハートが舌打ちして身を捩り、超至近距離からのペイント弾を回避して距離をとる。

 避けられた、というのにプリンツ・オイゲンは笑っていた。無邪気ながらも妖しさが見え隠れする淫魔のごとき笑顔を見せて、ブラックハートは対照的に睨みつけている。

 

「なにがおかしいの」

「楽しくて楽しくて、仕方がないのよ! アンタも随分と面白いじゃない、ゾクゾクするわ!」

 ユニオンやロイヤルのような行儀の良い砲雷撃戦などではなく、命懸けの白兵戦。接近戦。船でありながら人の形をした自分達にだからこそ出来る水上戦闘。

 それが、楽しい。胸の奥にある退屈さを吹っ飛ばすくらいに、熱くなる。

 

 もはやルール無用の殴り合いと化した演習に、指揮官も困り果てていた。うーん、こういう時はノックアウト方式に切り換えるべきだろうか?

 どうするか考えていた横で、補佐官がおもむろに立ち上がった。観客であるネプテューヌ達も盛り上がっているが、このままではどちらかが倒れるまで収まりがつかないだろう。

 

「──クトゥグア、イタクァ。神銃形態」

 左手に吹き荒れる暴風を。右手に燃え盛る業火を。

 

「“螺旋砲塔(ヘリクス・カノン)”──」

 相反する二属性を融合させる。エヌラスの手元に握られるのは、杖にして砲身。魔力光を放ちながら渦巻く暴威が青空をぶち抜いた。それは雲間を貫いて、青空に消える。その余波と衝撃が海上を含めて突風と共に吹き抜けていった。

 互いに取っ組み合っていたブラックハートとプリンツ・オイゲンも流石に固まる。それどころか会場が静まり返った。

 

 静寂の最中、エヌラスは口腔から白い吐息を吐き出して“排熱”しながら二人を睨んでいる。死を覚悟させるほどの冷酷な、それでいて無感情な赤い瞳。

 

「テメェら大概にしろよ、そこまでやりてぇなら二人まとめて相手してやるからかかってこい」

 消し炭にしてやる、とでも言いたげな顔をしていた。控えめにキレている。

 ──その瞬間、指揮官は思い出していた。補佐官が女神様たちから「絶対に暴れるな」と宣言されていたことを。その理由が分かった。

 この人は、火力が高すぎる。持ち合わせている暴力性に歯止めが効かない。殺意全開の威嚇射撃には流石の二人も戦意喪失していた。

 

「……はい、では今回はここらへんにして引き分けということにしておきましょうか! 次回があればもっと明確なルールを設けておきたいと思います以上解散閉廷お疲れさまでした後片付けよろしくおねがいしまーすっ!!!」

「それと指揮官。テメェやっぱ後で宿舎裏に面出せ、しめる」

「うおおおぉぉぉ……!!!」

 机に突っ伏す指揮官は死を覚悟する。絶対にもう二度と面白半分でこんな模擬演習組まないのでどうか命ばかりはご勘弁してください、まだ新作アニメ観ていないんです御慈悲を──という小一時間に及ぶ命乞いという名の正直な誠意ある対応によって一命を取り留めることに成功した。

 

 『艦隊特別教訓第一条:補佐官を絶対に怒らせてはならない』が設立されたのは、それから間もなくだった。



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雨降って地固まる?ほんとに?ぬかるんでない?

 

 ノワールとプリンツ・オイゲンによる補佐官争奪模擬戦闘は、当人のブチギレ砲撃によって幕を閉じた。指揮官はめちゃクソ怒られてすっかりしょぼくれていた。顔がしわくちゃになるくらいにはえらい怒られた模様。なんだその顔。どうやってんだ。

 そして、補佐官の砲撃の破壊力たるや凄まじく。駆逐艦からは恐れられ、戦艦にはドン引きされ、空母に至っては心なしか距離を置かれていた。毎度のことなのでエヌラスも慣れてしまっている。

 

 そんなわけで。

 例の如く工廠にて補佐官は明石のお手伝い。

 当然、ツァーリボンバ抱え込む羽目になった明石は戦々恐々としながら整備していた。

 

「明石ー」

「ふにゃあ!? な、なんですかにゃ!?」

「いや、そんな驚かんでも……そこの工具取ってもらえるか?」

「はいにゃあ!」

「ありがとよ」

 ……やりにくい。非常にやりづらい。仕事が。

 こちらの一挙動にビクビクしながら仕事をしている明石も中々仕事が進んでいない。他人の足を引っ張っているようで気が引ける。

 

「……明石ー」

「ほびゃあ!? 今度は何ですかニャ! 明石悪いことまだしてないニャア!」

「まだ!? あー、いいや……大した事じゃないんだが。倉庫整理の木箱、どれぐらい片付いたんだ?」

 いつぞやボイコットした日には工廠から脱出不可能なくらい積み上げられていた。最早そこまで来ると一種の刑罰である。

 しかし、エヌラスが工廠に来てみればその木箱が見当たらない。全て片付けたとは考えにくいのでどこかに保管されているのだろう。

 

「それはちょっと言えないにゃ」

「いいじゃねぇか。減るものでもないし」

「秘密だにゃ」

「ははは。俺が笑っているうちに尻尾もがれたくなかったら素直に話せ?」

「工廠の地下整備室に運び込んだにゃあ!! 命ばかりは勘弁してくれにゃあぁぁ、明石まだ死にたくないんだにゃあぁぁぁん!!」

「地下?」

 そんな場所があったのか。確かに雑多な工廠に置けるスペースがあるとは考えにくいが、それにしても地下とは。

 

「地下室、何に使うんだ? 秘密の仕事か?」

「それは……ちょっと、言えないにゃ」

「なら深くは聞かないが……程々にな? こっちはそろそろひと段落つくし、気晴らしに倉庫整理の続きでもしてくるかー」

「気をつけてにゃ」

 エヌラスが工具を片付け、工具箱にしまい込んで元の場所に戻す。工廠から去っていく姿を見て、余らせた袖を振りながら明石は姿が見えなくなると額を拭った。

 

「……生きた心地がしないにゃ」

 

 

 

 日帰り傾きつつある母港。昼間の喧騒も静まり返り、夜の訪れと共に眠りに就くのを待つだけ。しかしエヌラスだけは一人で倉庫整理に勤しんでいた。何故なら暴れ足りないから。何なら暴れたいから。ここ最近、戦闘らしい事も破壊活動もしていないから鬱憤が溜まっている。晴らせるものなら晴らしたい。何かこう、都合よくセイレーンとか攻めてこないだろうか。来たら喜んで打ちのめすのに。

 物騒なことを考えながらもエヌラスは埃と汚れにまみれながら倉庫を片付ける。灯りを頼りに設計図をまとめて置いて、分類出来ない物は空いた木箱にポイ。

 

「……終わらねぇなおい! いつになったら片付くんだこの倉庫!!」

 着任して以来、必要のないものばかりを詰め込んで幾星霜。一昼夜では片付け切れない指揮官の努力の賜物であるがはた迷惑である。絶対に片付けるということを知らないだろう、あの指揮官め。

 文句と不満をぶつくさと呟きながらも、ようやく折返し。

 煙草を一服、休憩していたエヌラスのもとへ近づいてくる人影があった。母港に設置されている街灯に照らされているのは、ノワールとプリンツ・オイゲンの二人だ。

 

「よ。どうした、こんな遅くまで出歩いて。巡回か?」

「こっちの台詞よ。昼間の砲撃ですっかり艦隊が萎縮しちゃってるじゃない」

 なんなら「補佐官を飼い慣らしている女神様、ヤバたにえん?」的な話によってあらぬ風評被害のそしりを受けているまである。

 

「んなこと言われても、ああでもしなかったらお前ら止まりそうになかったし」

「うぐ……まぁ、それはそうかもしれないけれど……」

「で? 二人仲良くどうしたんだ?」

「アンタを探し回って母港中歩き回ってたのよ。指揮官は今まで見たこと無いくらい落ち込んでたし、明日は暇そうね」

 身体を伸ばしながら、プリンツ・オイゲンはエヌラスが腰を下ろしている木箱の隣に座り込んだ。

 

「ロイヤルの大規模演習なんてのも、どうなるかしらね?」

「予定通りやってもらう。でもなきゃ指揮官をしばく」

「おぉ、こわいこわい。頼りになる補佐官様であたしも嬉しいわ」

「……そのー。今回は結局の所、私がムキになって騒ぎになったわけだし。あ、謝っておこうと思って……エヌラスってそういうところはちゃんとしてるし?」

「珍しく素直だな、ノワール。いつものツンはどうした」

「昼間にあんなブチギレ方されたら反省くらいするわよ。ネプテューヌじゃあるまいし」

 それもそうだ。

 

「ほら。アナタも謝りなさいよ」

「アタシも? どうして? 女神様が妬いたのが原因でしょう?」

「それはそうだけど、プリンツ・オイゲンだってからかい過ぎたってさっきはちょっと反省してたじゃないのよ!」

「そうねー。でもそれは、アンタに対してよ。補佐官に謝るようなことしてないじゃない?」

「いや、おもっっくそ迷惑掛けてたからな? 謝罪はよう」

「はいはい、ごめんなさいね。でもそれを言ったら、アンタも悪いのよ?」

「俺? なんでだよ。なんもしてないぞ」

 エヌラスの鼻をつつきながら、プリンツ・オイゲンがからかうように微笑む。

 

「アンタが。そんなふうに魅力的で、女を弄ぶのが悪いのよ。色男さん♪」

「そういうお前もそんな風に男をからかうのが悪いんだぞ。この色女」

「あはは。言ってくれるじゃない。でも本当のことよ。アタシは少なくとも、あの昼行灯の指揮官なんかよりアンタの方が好みだもの」

 腕を組んで身体を押しつけ、ノワールにこれ見よがしと見せつける。

 むっとした顔で反論しようとするが――、落ち着いて肩をすくめた。

 

「あら、なにか言いたげにしてるけど?」

「そうね。言いたいことはたくさんあるけれども、それじゃ昼間と一緒だもの。好きにしたらいいじゃない」

「……へぇ。いいの? 本当に好き放題にしちゃうわよ」

「ええ。出来るものならね」

 今度は逆に、ノワールが挑発する。エヌラスに目配せすると、呆れていた。

 

「わたしは部屋に戻って寝るわ。今日は疲れたもの」

「あー……ノワール」

「なに?」

「……まぁ、なんだ。俺も昼間はつい、やり過ぎた。そのー、なんというか……暴れられなくて苛々してたから」

「はぁ……ガス抜き、必要みたいね。最近向こうにずっと戻ってないみたいだけど、大丈夫?」

「俺のこと置いて帰った女神とは思えない気遣いありがとうよ」

 トゲのある言い方に、流石にちょっと悪いと思っているのかノワールが顔を逸らす。

 

「それは本当に悪かったわよ……謝ってるじゃない」

「今度、近い内に俺も一旦帰るからな」

「そうしてちょうだい。アナタの国がどうなってるかなんてあんまり考えたくないけど」

「……国?」

 プリンツ・オイゲンが目を丸くしていた。

 

「あれ。言ってなかったかしら? 仮にもそれ、一国の主よ?」

「…………王様?」

「信じられないでしょうけれども、王位継承者」

 エヌラスの顔をジッと見つめて――やがて、プリンツ・オイゲンが吹き出す。

 

「ぷっ……あっはっはっは、あっはっはっはっはっは! ちょっと、ほんと! そういう冗談は顔だけにしてよね!」

「無理もないでしょうけどね。私が知ってる限り最低の治安の国よ」

「俺もそう思う」

「じゃあなに? アタシがもしもコレと結婚したら私王女様ってわけ? あはははははは!」

 バシバシと、何がツボに入ったのか抱腹絶倒。腹を抱えてプリンツ・オイゲンが大笑いしている。ひとしきり笑うと、出てきた涙を拭って息を整えていた。

 

「本当に王様だって言うなら、その時はちゃんとした指輪のひとつでも贈って貰わないと」

「別にそんなん、頼まれたらいくらでも作るぞ? 時間はかかるが」

「ほんとに? ならお願いしようかしら、もちろんペアルックで」

「…………ちょっと。流石にそれは私も止めるわよ」

「あら? よいこの女神様はもうおねむの時間でしょ?」

「なんで婚約する流れになってるのよ! そんなの認めないからね!」

「ですって。残念ね、補佐官」

「そりゃまあ、そーだろな。で? ノワール」

「なによ!」

「そのー……いいのか? コレ借りて」

 プリンツ・オイゲンを指差しながらエヌラスが念の為確認を取る。頬を膨らませてはいるが、それだけに留めていた。

 

「もういいわよ。好きにしたら?」

 踵を返して立ち去ろうとしたノワールが思い出したように立ち止まる。それから、プリンツ・オイゲンに耳打ちした。

 

(言い忘れていたけど。夜のエヌラスは“スゴイ”んだから、明日歩けなくなっても知らないわよ?)

「…………面白そうじゃない」

「ま、せいぜい後悔することね。おやすみ、エヌラス。プリンツも」

「ああ。おやすみ、ノワール」

「Gute Nacht.女神様♪ じゃ、補佐官。部屋に行きましょ?」

「お前な……。ここ片付けてからだ。手伝え」

「はいはい。変に真面目なんだから」



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押したり引いたり、すったりもんだり

 

 

 

 次の日。

 ノワールとプリンツ・オイゲンによる補佐官エヌラス争奪戦は不発に終わり、母港はいつも通り。通常業務に身を入れる指揮官の浮かない顔と来たら曇り空もかくや。本日の秘書官である加賀も額に手を当てて悩んでいた。

 

「指揮官、昨日のことならもう済んだ話だ。そう気に病むことでもなかろう?」

「エヌラスさんにあの後めちゃくちゃしこたまべらぼうに怒られて僕の心はボロボロだよ……」

「そんなにか。ふむ」

 加賀はエヌラスの人物像を描き、常に大体怒ってることを思い浮かべる。そうした人物は大抵怒ってもそんなに怖くない。溜め込んでいる鬱憤を常に晴らしているからだろう。

 

「そんなに恐ろしい相手とは思えないがな」

「ふふ、そうでしょー? 僕もそう思ってたんだ。業務的に詰められるまでは」

「なんというか……」

 弾薬だの業務の滞りだの燃料費だの週次業務だの月次業務やら大講堂の教材の手配に大本営からせっつかれてる業務報告だの確定申告に倉庫整理に工廠の拡張やら倉庫拡張だの燃料備蓄に軍備の確認になんだのかんだの、とにかく重箱の隅をつつくような尋問恫喝脅迫に指揮官のやる気はオイルショック状態。もはや本日の業務に対するモチベなど海の底。

 執務室で執務机に額を押しつけている状態で書類など完全放置すること三十分、これには加賀も苦い顔をしていた。

 

「悪戯が過ぎた、ということで話が終わっているならそれでいいのではないか」

「ふふ、そうだねぇ……でもあの人なんか知らないけどめちゃくちゃウチの資材とか運営とか把握してるからばちくそ口挟んでくるんだよ……いや本人は助言のつもりかもしんないんだけどね? 僕の仕事の補佐官として滞在してくれてるんだろうけどさ」

「少しは仕事に身を入れて片付けたらどうだ?」

「……やだなぁ〜」

 本日の指揮官はダメだ。使い物にならん。加賀は早々に見切りをつけた。

 

「まったく、そんな調子では付き合っていられんな。こちらで可能な仕事を進めておくぞ、あとで目を通しておけ」

「うーん、ごめんね加賀ー。よろしく〜」

 ご立派な机に突っ伏したままの指揮官に憐憫の視線を向けてため息ひとつ、加賀は執務室を後にしようとする。だがその時、扉がノックされた。ちょうど出払おうとしていた加賀が代わりに扉を開けて毛並みの良い白い狐の尻尾がガマのようにぼわっと膨らんだ。

 

「邪魔すんぞ指揮官。今日の秘書は加賀か」

「…………あ、あぁ」

 指揮官が恐ろしく素早く姿勢を正す。余程効いているのかガチガチに緊張していた。

 

「おはようございますエヌラスさん」

「おはよう。なんだまだ仕事進んでねぇのか?」

「いえそのちょっと体調と気分とモチベが不在でして」

「やれ」

「はい、仕事します……」

「いいか、指揮官。別に俺はお前が嫌いじゃないんだ、実際この母港は居心地いいし、ネプテューヌ達も世話になったし、俺もその礼がしたいからこうして手伝いしてんだ。わかるな? 昨日のアレはてめぇまじふざけんなよ止めろや」

「おっしゃる通りですごめんなさい監督不届でした」

「ロイヤル主導合同火力演習の件の打ち合わせだのあるだろうが、そっちは進んでんのか」

「明日打ち合わせの予定ですぅ……」

「おう、そうか。んじゃさっさと今日の日次業務済ませて報告書作って寝ろ。あとこれは完全に私事だがテメェ倉庫にミリとインチの主砲混ぜて保管してんじゃねえぶっ殺すぞ」

「申し訳ありませんでした……」

 ボロクソである。ボロ雑巾である。なんならすでに指揮官は泣きそうだ。

 

「……で、俺から一個謝ることがある」

「なんでしょうか」

「今日って鉄血艦隊の運用予定あったか? 遠征任務でもいいんだが」

「いえ……基本的にうちで遠征任務に従事してもらってるのは重桜の所属艦隊なので。鉄血艦隊の運用予定は今のところは。何かありましたか?」

「そうか。うん、そうか……いや、なんだ。大した話じゃないんだが、まぁ……あー……」

 エヌラスにしては珍しく言葉の歯切れが悪い。申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「……昨日の件でちょっとばかりプリンツ・オイゲンを折檻したんだが、少しばかりそのー……なんだ。加減を間違えた、っつーかなんつーか……やり過ぎたせいで出撃できそうになくてな」

 何をしたらそうなるんだろうか。指揮官は怖くて聞くに聞けなかった。

 

「そんなわけだから今のうちに謝っとこうと思ってよ」

「鉄血艦隊は海域攻略とかそっちの運用が専門なので」

「……興味本位で聞くのだが、補佐官。鉄血の装甲艦で名高いプリンツ・オイゲンをどうしたらそうなる?」

「…………黙秘権行使で頼むわ。俺からの話はそんだけだ。お前やる気出せば午前中で業務片せるんだからがんばれよ、指揮官。んじゃな」

 エヌラスは言うだけ言って執務室から出ていく。加賀は顎に手を当てて考え込む素振りを見せるが、指揮官は深く息を吐き出して天井を仰ぎながら椅子から滑り落ちていく。さぞ生きた心地がしなかっただろう。

 

「大丈夫か、指揮官?」

「ダメかもしんない……」

「だろうな」

 加賀はあっさりと吐き捨てて執務室に指揮官を置き去りにした。

 

 

 

「あら、エヌラス。おはよう」

「おはよう、ノワール。今日も非番か?」

「今日もってなによ、今日もって。というか貴方こそ、なんでまた作業着着てるわけ?」

「なんでってそりゃ、まだ倉庫整理終わってねぇんだもん」

 母港を歩いていると寮舎から出てきたノワールに声を掛けられる。場所が変わっても生活リズムに変化なし。女神としての仕事から解放されたとしてもラステイション海軍の運営に活かせるヒントを探していた。

 

「ねぇ。プリンツ・オイゲンはあれからどうしたわけ?」

「え」

「だって気になるじゃない。姿が見えないし」

 エヌラスが硬直する。

 

「……まさかとは思うんだけど、エヌラス。貴方、プリンツ・オイゲンとあの後別れたの?」

「…………あー……」

「そんなわけないわよね。で、どうしたわけ? 一緒じゃないの?」

 目を泳がせるエヌラスの胸ぐらを掴み上げてノワールが鋭い視線で問い詰めた。

 

「──ねーぇー、エヌラスー? 貴方プリンツ・オイゲンに何をしたのかしらー?」

「笑ってるのに顔が怖いですぅノワールさんー、何ってそりゃお前……そりゃ……あー」

「これ以上怒らないから言ってみなさい?」

 怒ってるじゃねぇか。内心ツッコミつつも、観念したように喋り始める。

 

「えーとですね。はい。こっちに来てからというものろくにストレス発散していなかったわけで」

「そう。エッチなことしたのね。それで?」

 先回りされてちょっぴり泣きそうになったがエヌラスはめげなかった。

 

「久々というのもあったので、ちょっとハッスルしちゃいまして」

「…………へぇ」

「…………はい」

「はいじゃなくて。素直に答えなさい」

「──とても気持ちよかったです」

「殴られたいわけ!?」

「言えって言ったのお前だよねぇ!? 悪かったなこんなヤツでよぉ! というかコレに関しちゃ焚きつけたノワールにも責任の一端があると思うんだ! 俺 は 悪 く ね ぇ!!!」

 この男、開き直った! ノワールがガクガクとエヌラスを揺さぶる。

 

「ちょっと貴方ね!? いくらなんでもそれはないんじゃない!? い、いくら私が焚きつけたからといってなにも、そんな、そりゃプリンツ・オイゲンのほうが胸もお尻も大きいかもしんないけれども!?」

「バカ言うなまだ満足してねぇ」

「きゃーーーーケダモノーーーー!!」

「宣戦布告かテメェーーーー!!!」

 

「おー、なんだ補佐官。朝から激しいな女神様と」

 レーベレヒト・マースが笑いながら通り過ぎる。

 二人から凄まじい勢いで追い回されて半泣きになった。

 

 ──気づけば三時間ほど母港をフルマラソンしていたことに気づき、エヌラスは隣のノワール、もとい守護女神ブラックハートを睨む。

 

「飛ぶのはズルくねぇかなぁ!?」

「走れる方がどうかしてんのよッ!! どんなスタミナしてるわけ!?」

「……お前がよく知ってるんじゃねえかな」

 顎を伝う汗を袖で拭い、口をへの字に曲げて反撃に転じる。効果は絶大だったのか、反論するよりも先に顔がみるみる赤くなった。茹でダコ状態。顔面着火インフェルノ大炎上、それこそ顔から火が出るような勢いでブラックハートが押し黙ってしまう。

 

「ッ~~~~、そ、あ……っ~~!」

「よーし朝からいい運動したし真面目に仕事すっかー。ノワール」

「な、なによ……」

「テメェ後で覚えてろ」

「あ、あとでって。いつよ」

「夜」

 身体をクールダウンさせてからエヌラスは倉庫の方角へ向かって走っていってしまった。

 ノワールは後悔した。そもそもこんな女所帯の大艦隊に餓えた狼を放り込んだらどうなるかなんてわかりきっていたのに。だがそれでも、律儀に今日まで我慢していたことだけは、なぜか無性に嬉しかった。

 

「ま、まぁ? 私だってプロポーション完璧なわけだし? プリンツ・オイゲンに負けるわけにはいかないわね。ゲイムギョウ界の守護女神である私が? 一介の「KAN-SEN」に遅れを取るなんてあり得ないんだから」

「…………女神様、独り言結構大きいね」

「のわぁぁぁぁっ!!!」

 通りすがりのインディアナ・ポリスが女神の悲鳴に驚くと、ポートアイランドがどこからともなく駆けつけてきてまた一悶着。

 騒動が落ち着いたのは結局その日の夕方だった。

 指揮官は事後処理で死んだ。

 

「カニになりたい……」

「今夜は鍋だそうだ、指揮官」

 

 加賀は指揮官に同情しつつも無慈悲に書類を押しつける。



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言っていいことと悪いことがある

 

 ──ロイヤル主催、大火力合同演習はつつがなく終了。エヌラスは相変わらず倉庫整理の日々、それもやっと終わりに差し掛かろうとしていた。

 ひとまず目の前の大きな山場を無事乗り越えた指揮官も峠を越えたような心地で胸を撫で下ろす。この数週間、補佐官が鬼のような目で仕事を監視していたからだ。

 

「終わった……」

「おら腑抜けてんな指揮官、まだ仕事残ってんだよ。残業嫌いだろうがお前」

「ふえぇ……」

「コブラツイスト」

「ぐえぇぇぇ……!!」

 体罰上等。気に食わないやつはぶっ飛ばす。文句があるならかかってこい。肉体言語だけなら誰にも負けない。エヌラスは指揮官に対する指導がエスカレートしていた。なにせ事あるごとに手を抜く。やれば出来るをやらない模範的艦隊指揮者に代わって雑務をまとめていた。

 

「指揮官、テメェ今度は副砲をよぉ!!」

「すいませんでしたごめんなさいお兄さん許して!」

「三回だぞ三回わかるかテメェこの罪の重さが! ヤーポン法は滅べ!!」

 何度目かになるお説教。指揮官の隣、ベルファストは静かに佇んでいた。

 

「ひんひん……補佐官こわい……」

「申し訳ありません、指揮官様。かける言葉がございません」

「……もしかしてベルファストも同じ感想を?」

「コメントを控えさせていただきます」

 どうやらみんな思っても言わなかったらしい。それを考えると、真正面から(暴力……もとい体罰込みとはいえ)再三注意してくれるエヌラスは優しい……のかもしれない……?

 

「とりあえず設計図の仕分けは工廠に全部ぶん投げてるからまだ良いとして、倉庫にどんだけ溜め込んでんだよ。使わないなら解体しろ、他に資源回せ。母港の広さも限度があるんだから」

「仰る通りで何も言い返せないです……」

 とにかく壊滅的に指揮官は片付けが出来ない。そのくせ資材管理は出来ている。問題はそれを把握しているのが指揮官のみという点だ。エヌラスが叱りつけているのはそこである。

 

「『報連相』っての知ってるか。コイツは大事だ。めちゃくちゃ大事だ。俺がフライパンで頭ぶん殴られながらどんだけ大切か叩き込まれたことだ」

「フライパンのくだり気になるんですけど!?」

「まず報告しろ。連絡事項は周知しろ。相談はダメ元でやれ。職場で使う道具は公共の道具なんだから丁寧に扱え。使ったら元の場所に戻せ。道具増やす前に連絡しろ、増えたら伝達しろ。書類もまとめろ。控えは必ず保管しろ」

「わ、わァ……」

「ご主人様、泣かないでください」

「とにかくお前ほんっとに片付けだけは出来てねぇの何とかしろ。な? そこだけだ。まず最優先で叩き直す」

「……直せなかった場合は?」

 はっはっは、エヌラスが笑った。目だけ笑っていない。

 

「自慢じゃねぇが俺の諦めの悪さは神様が匙を投げる筋金入りだ。

 叩 き 直 す」

 指揮官は死を覚悟した。殺される。金玉が縮み上がる思いで身体が震えた。隣で佇むベルファストも同意するようにしきりに頷いている。

 

「確かに。補佐官様のような方は珍しいですね。とても貴重なご意見です。ご主人様も身に染みていると思います。少々暴力的なのはいただけませんが」

「暴力に関しては、まぁなんだ。俺も常々悪い癖だと思っているが身体に染みついてるとなると中々治せねぇんだこれがまた」

 ただそれが有効的であると判断した場合、暴力行使に躊躇はない。エヌラスが腕を組んで鼻を鳴らす。さながらバイソン。

 小言をひとつふたつ残してから、残る倉庫整理を早々に終わらせようと立ち去る後ろ姿を見送ってから指揮官は肩を落とした。落としすぎて五体投地しかねない勢いで。

 

「……とりあえず。今回の合同演習の報告書をまとめようか」

 指揮官は重い足取りで執務室へ戻る道を歩き始めた。背筋を伸ばせとベルファストに注意されてから、大きく息を吸い込んで空を仰ぐ。

 泣いてなんかないやい。

 

 

 

 ──エヌラスが不意に悪寒を覚えて振り返れば、倉庫の物陰から赤城。恨めしそうな。それでいて怒りを滲ませているようで、そこはかとなく妬みのこもった複雑怪奇な乙女の粘ついた炎を宿らせて睨みつけてきていた。実際コワイ!

 

「うおぉ……」

 その威圧感に流石のエヌラスもたじろいだ。言葉をかけようものなら歯ぎしりでも返されそうなほど犬歯をむき出しに睨みつけてくる。しかし気づいた手前、放っておくわけにもいかなかった。実際めちゃくちゃコワイ!

 

「……その、赤城。俺になんか用か?」

「……ギリィ……!」

「歯噛みで返事すんなこえーんだよお前!!!」

 唇の端を噛んで血が垂れている。眉を寄せて睨みながらもエヌラスに歩み寄ると、目尻に涙を溜めた。

 

「どうし──」

「指揮官様とあのような絡みを見せられて落ち着けるとでも!?」

「コブラツイストでそこまで恨まれなきゃなんねぇのか俺!?」

「私ですら指揮官様とはまだ手を繋いだことさえないというのに!」

「両奥手で仲が進展するわけねぇだろどっちか歩み寄れや!」

「そ、そんな……指揮官様に赤城の方からだなんて……いえ、むしろこれは補佐官から与えられた赤城千載一遇の好機……! 許可さえいただければ軟着陸も不可能ではないと!?」

 エヌラスは肩を回し始める。準備体操は大事だ。

 

「ふふ、そういうことでしたら早速今からでも」

「フロントネックロックブレーンバスター!」

「アパラチア!」

 正面から赤城の首を固め、力任せに持ち上げると地面に脳天から叩きつける。無論、まともな人間が相手なら即死級だが相手はこの程度で死にはしないが非常に痛い。赤城が頭を抱えて地面で悶絶していた。

 

「落ち着け」

「クッソ痛いですわ!」

「打ち所悪かったのかなんか微妙にキャラ崩壊してんぞ!?」

 頭を押さえる赤城は涙目になりながら立ち上がる。

 

「指揮官様にさえこんな仕打ちされたことないというのに……おのれ……かくなる上は重桜の伝統ある呪術で呪い殺して差し上げます……!」

「呪うのはいいけどよ……やる相手に知られちゃいけないんじゃねぇのか?」

「……赤城、一生の不覚!」

 打ち所悪かっただろうか。エヌラスは割と本気で不安になった。なにか話題を面舵いっぱい逸らさなければと思い立ち、母港について素朴な疑問を振る。

 

「なぁ、赤城。ちょっと聞いてもいいか?」

「指揮官様のことなら何なりと。歯ブラシを盗んだのは私ではありませんので悪しからず」

「よーし後で報告だ。それはそれとして、この母港って色んな勢力の奴らごった返してるけどお前達の拠点って別にあるんだよな?」

 目を白黒させる赤城だが、意外なことにすんなりと疑問に答えてくれた。聞けば、あくまでもこの母港という存在は「打倒セイレーン」を掲げる艦船が集まる場所。勢力や派閥などを問わず、一致団結した者たちの集まり。思惑や名目はともかくとして。

 

「それがどうかしましたか?」

「いや。どんなとこなんだろなー、と思って」

 はて、と。赤城が訝しむ。

 

「そういえば、思い返すと補佐官は母港から一歩も外に出たことがありませんわね」

「俺、海、嫌い」

「…………はい?」

 赤城がものすごい形相で聞き返した。

 

「海、嫌い?」

「別に泳げないわけじゃない。ただ俺は海が大嫌いだ。ろくな思い出がねぇんだ」

「……だから母港から一歩も外に出なかったと?」

「いや、単に倉庫整理が終わらねぇだけ」

 珍しく本気で同情された。どうして母港の中でも誰も触れなかった指揮官の闇に触れてしまったのか。だがそれ以上に倉庫整理が終わりの兆しを見せている。あれほど乱雑に詰め込まれたゴミ倉庫が今や人が通れるスペースができていた。

 不屈の精神の賜物を評価する艦船は少なくない。

 

「そろそろ終わりそうだしな。ちょっとくらい母港の外も見てみようと思ってよ。その方が補佐の幅も広がるし」

「なるほど。補佐官なりに考えがある、と」

「ま、そういうこと。それに……艤装の件もあるしな」

「もしや補佐官も戦闘に参加するおつもりですか?」

「大人しくしてる、ってのが性に合わなくてよ……」

 なんだかんだお人好しなところがある。ただ参戦するにしても女神たちから許可が降りなければならない。

 赤城は頬に手を当てて首を傾げていた。補佐官はどういうわけか、女神たちから制限を設けられている。一度だけ見せた砲撃は、確かに戦艦どころかセイレーンに匹敵していた。だからこそ重桜の駆逐艦隊は補佐官に警戒心を抱いている。

 

(確かに補佐官のあの力は見過ごせませんわね……指揮官様のためにも)

「なんだその野獣の眼光は。指揮官はともかく、女神様達の許可が降りなきゃ出撃しねぇよ」

 補佐官の手綱を握っているのは異世界からの来訪者である女神達に間違いない。だが、互いに干渉している様子はそれほど見受けられなかった。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。赤城は不敵に笑みを形作る。

 

(補佐官攻略の要は女神様、と。覚えておきませんと)

「なんか良からぬことを考えてないか、赤城?」

「ふふ、まさかそのようなことは。では私はこれにて」

 エヌラスが引き止める暇もなく赤城は思い出したように走り去っていった。

 

「……変なこと考えてねぇといいんだけどよ」

 

 

 

 ──いつもの倉庫整理に足を運ぶと、プリンツ・オイゲンが木箱に座り込んでいた。片付けを終えた倉庫にはラベルが貼られた木箱が饅頭達の手で運び込まれていく。

 

「あら。随分と来るのが遅かったじゃない」

「……この饅頭どもは何なんだ?」

「お手伝いよ。アンタ毎回殺気立った顔で片付けてたものだからこの子達も怖くて近寄れなかったみたい」

「仕方ねぇだろ、こんな雑だとは思わなかったんだから」

 立ち上がるなりエヌラスの顔を覗き込み、プリンツ・オイゲンはじっと見上げてくる。

 

「ねぇ。倉庫整理終わったらどうするの?」

「工廠に引きこもって解体と仕分け」

「……地味ねぇ」

「暴れてぇ……」

「アンタのストレス発散方法それしかないの?」

「一番手っ取り早いんだよこれが」

「ふぅん……?」

 身体を擦り寄せてくるなり、腕を組む。

 

「当ててんのか?」

「あら、当たってたかしら」

「この会話をブランが聞いてたらぶっ飛ばされるな俺……」

「ユニオンの合同演習が終わって一段落したんだからちょっとくらい気を緩めてもいいじゃない」

 エヌラスは少しだけ悩む素振りを見せ、空を仰いでから──プリンツ・オイゲンに頭を預ける。

 

「ワンちゃんみたいね」

「……わん」

 冗談のつもりで鳴き真似をしたが、思いのほか効果てきめんだったらしい。

 

「っすぅー……、購買部に首輪って売ってたかしら? あるわよね?」

「やめろや、何する気だテメェ」

「なにって──ふふ、なぁに? なにか期待してるの? いやらしいんだから」

「……人の部屋で漏らしたくせに。いぃってぇえええっ!!!」

 腰の入った回し蹴りがエヌラスの背中を強打した。



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