BYAKUYA-the Withered Lilac- (綾田宗)
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虚無との邂逅、捕食者へ

Chapter1 虚無との邂逅

 蒸し暑く、寝苦しい夜。

「……うーん、んん……」

 学生服のズボンに、胸元を大きくはだけさせたワイシャツ姿の少年は、呻くような声を出しながら、ベッドの上を何度も寝返りしていた。

 窓は開放しているが、風は少なく、部屋の温度は下がる気配がない。

 それでも少年は、ベッドの少しでも冷たい部分を求め、まるで芋虫のようにゴロゴロと転がり続けていた。

「んっ、んん……!」

 少年はとうとう、暑さに堪りかねて、腹部に僅かにかかっていた毛布を払いのけて目を覚ました。

 起き抜けで意識がはっきりしない中、少年はゆっくりと瞬きを繰り返した後、むくりと上半身を起こした。軽く目眩を感じ、額に手を当てる。

「……あれ、いつの間に寝てたんだろ?」

 まだ意識は朦朧としており、夢か現実か、いまいち判断がつかない。

 しかし、自室を見渡す内に、意識はだんだんとはっきりしていく。

 特になにもない部屋である。少年が寝ていたベッドの他には、簡素な机、その机を購入時に一緒に付いてきた本棚、もう普通には使えなくなったブラウン管のテレビ、ラックの下にはもう滅多に触らなくなったゲーム機がある。

 床に散乱しているものはない辺り、清掃は行き届いていると思われる。しかし、一つだけ無造作に放り投げられているものがある。

 それは、革製の学校指定の手提げ鞄であった。年頃の少年が持つものにしては飾り気がないが、一つ、フェルトのキーホルダーが付けられていた。

 青い生地に黒く文字が刺繍されており、それには『BYAKUYA』と記されていた。地味な鞄ながら、そのキーホルダーだけは大切にされてきた形跡があり、恐らくこれが少年の名前であると思われた。

「ああ、そうだった。寝たんだった……」

 少年、ビャクヤはだんだん甦ってくる記憶を呟いた。

「夢なら。夢でなら姉さんに会えるかもって思って寝たんだっけ……」

 ビャクヤは、大きく溜め息をつきながら膝を抱える。

 夢はビャクヤの希望を受け入れてはくれなかった。ビャクヤの見た夢、それは彼の言う『姉さん』が現れることはなく、無機質な、真っ白な世界にビャクヤ一人が立っている。それがずっと、永遠に感じるほどに続くだけだった。

――もう何回目だろうな。こんな夢見るの……――

 ビャクヤは眠る度に同じ夢を見て、そして目覚めては、希望を聞き入れてくれない夢を呪う。

 ビャクヤはふと、壁に貼ってあるポスターに目をやった。

 ポスターには、妙齢の少女の姿が写っていた。複数枚貼ってあるポスターは、全て同じ少女のものだった。

 黒いセーラー服に身を包み、頭には百合の花飾りを着けている。見目麗しく、優等生といった雰囲気の、優しい文学少女といった感じである。

 ポスター写真は、まばゆい笑顔を向けるものもあれば、はっと驚いたようなもの、更には顔を紅潮させ、下着姿で官能的な構図のものまである。

――夢でもいい。夢でもいいから。もう一度会いたいよ。姉さん……――

 写真に写るビャクヤの姉さんは、もう二度とビャクヤと会うことはできない。

 あれからもう、幾千、幾万年と時が経っている気さえするが、実際にはそんな時間が過ぎているはずがなく、ほんの数週間前の出来事であった。

 ビャクヤの姉さんは、不慮の事故により、この世を去った。

 以来、ビャクヤは茫然自失となり、無意に時を過ごしている。時間という実体のないものだけが、ビャクヤの心の傷を癒す手段であった。

 しかし、ビャクヤには待てど暮らせど、傷が癒えている感覚を得られる事はなかった。

 ビャクヤと姉さんは、いつも一緒だった。

 両親を早くに亡くしたビャクヤにとって、姉さんは姉であり、また母親のような存在であった。

 両親が亡くなり、二人は別々の親戚のもとに預けられそうになったが、ビャクヤの姉さんはそれを断固として拒否し続けてきた。

 たった一人の家族との離別を拒む彼女の意思に押し負け、親戚は子供二人暮らしを許し、親権だけを得て二人を見守ることにしたのだった。

 それからビャクヤと姉さんは、二人仲睦まじく暮らしてきた。両親が遺してくれた家を大切にし、家事も二人分担しながらこなしてきた。

 二人は姉弟というよりも、最早夫婦といえそうなほどに互いを愛し合っていた。

 また、ビャクヤと姉さんは、とても対称的でもあった。

 姉さんは交友が得意で友人は多く、また成績も常に上位に入るほどの、まさに絵に描いたような優等生ぶりであった。

 勉強と家事の両立がしっかりとできており、決して怠けた様子をビャクヤに見せたことはなかった。

 対するビャクヤは、優秀な姉さんとは正反対であった。

 容姿だけは姉さんに似て、整った顔立ちで、少しばかり色白で、それなりに背も高くすらりとした体型の美少年といった姿だったが、中身は怠惰だった。

 学業や交友全てが、彼にとっては面倒な代物だった。友達らしい友達はおらず、授業も真面目に受けない。当然成績も下から数えた方が早いほどの劣等生ぶりであった。

 周囲から蔑まれることも多々あったが、全てどうでもよいことだった。

 ビャクヤにとって、姉さんこそが全てで、生きていく理由でもあった。それゆえに、姉さんが絡めばビャクヤの怠惰な性質は変わっていた。

 姉さんがビャクヤの低成績を危惧し、指導するとなった時は、ビャクヤのやる気は上がった。下から数えた方が早い成績も上位に食い込むまでは行かないまでも、真ん中よりも少し上にまで向上した事もあった。

 交友関係が面倒で、仮病でも使って学校をさぼろうとしても、姉さんが起こしに来てくれる限りはそんなことはしなかった。

 それほどまでにビャクヤにとっての姉さんは、絶対的な存在だったのだ。

――なのにどうして……――

 ビャクヤは毎日のように、姉さんとの最期の日を思い返す。

 二人揃って帰宅しようというときに、姉さんは買い忘れたものがあると言って、ビャクヤを置いて一人でどこかへ行ってしまった。

 その時ビャクヤは、この上ない胸騒ぎを感じた。姉さんと別行動を取ることは、学校等もあっていくらでも機会はあった。しかし何故か、あのときばかりは姉さんと今生の別れになるような気がしたのである。

 ビャクヤは、姉さんの嫌がることは決してしてこなかった。困らせて、怒られるということもだ。

 しかし、あの時だけは姉さんを困らせればよかった。あの時だけは、後でいくら怒られようともわがままを言えばよかった。

「うう……っく……!」

 ビャクヤは、後悔の念がわき、あの変わり果てた姿の姉さんを思い出し、嗚咽を漏らした。

 ビャクヤは姉さんを探し回って体力尽きかけた時、街中に人だかりができているのに気が付いた。

 ただの見世物だ。どうせくだらない大道芸でもやっているのだ。そんな風に自らを騙そうとしたが、そんなものは全くの無意味であった。

 人だかりの中からは、ビャクヤに更なる追い討ちをかけるような声がした。

――はねられたのは、女の子ですって。

――私近くで見ちゃったわ。セーラー服の女子高生だったわ。

――まだ若いのにかわいそうにねぇ……

 交通事故であることは、ビャクヤには既に分かりきった事だった。しかし、被害に遭ったのは姉ではないことを最後の最後まで信じ続けた。

 人波をかき分け、救急車やパトカーが眩しいほどの赤ランプを焚いて止まっている中心部まで進んで行き、ついにビャクヤは信じがたい現実に直面することになった。

 ビャクヤの悪い予感が、残酷にも的中してしまったのだ。

 アスファルトの上に血の海を作り、そこに倒れていたのは目撃者のいう通り、セーラー服姿の女子高生であった。

 背中まで届く髪は扇状に広がっており、血に染まってしまったが、百合の花飾りも見えた。

 ビャクヤが見間違えるはずがなかった。無惨な姿で血の海に沈んでいたのは、紛れもなく姉さんだった。

「ううう……うわあああああ!」

 ビャクヤは悲しみをこらえきれず、堰を切ったように大声を上げて泣いた。

「どうしてなの。どうしてなのさ!? どうして姉さんが死ななきゃならなかったのさ!? こんなの聞いてないよ!」

 どこにぶつければいいのか分からない悲しみに、ビャクヤは慟哭した。

「なんであの時姉さんを一人にしたんだよ! 僕がしっかりしていれば、こんなことには……!」

 頭では分かっているつもりだった。このようにいくら泣きわめこうが、後悔の念を叫ぼうが、姉さんが帰ってくるはずかあるわけないことくらいは。

――……ははは。これじゃ近所迷惑だよね……――

 ビャクヤはここ数週間、このくらいの時間になると、姉さんの最期の瞬間を思い出しては、悲しみと後悔に咽び泣いていた。

 近所付き合いは姉さんのおかげで良好だった。あまりにも仲の良い二人の様子を見て、姉さんに恋人ができるのか、とも思われるほどだった。

 姉さんの死後、近所の人は彼女の死を悼み、一人残されたビャクヤは、たくさんの励ましの言葉を受けていた。

 ビャクヤの気持ちを察してはくれているのだろうが、さすがにこうも毎日のように泣き叫んでいては、近所の人もうんざりしてしまうことだろう。

 ビャクヤは、姉さんの死を完全には受け入れられていなかった。今もこうしていれば「何を騒いでいるの?」とこの部屋に来てくれるような思いがあった。

 今のこの瞬間こそが悪夢であり、朝を迎えて目覚めたら、聞きなれた声で「おはよう、ビャクヤ」と起こしに来てくれるのではないか。そう思い続けて何日も過ぎていた。

 しかし、全てはビャクヤの妄想であり、決して叶わぬ願いであった。

 姉さんのいないこの瞬間、これこそが紛れもない現実であった。

「…………」

 ビャクヤは泣き疲れ、ぼんやりと開け放たれた窓を見た。

 風が吹いていた。カーテンを揺らし、吹いてくる風は、熱くなったビャクヤの顔を僅かながら冷ました。

「……もう疲れたよ……」

 泣き叫んだ後の嗄れた声で、ビャクヤは呟いた。そして窓際まで寄って、外の風景を見る。

 深夜だというのに、街は昼間のように明るい。そういえば、とビャクヤは思い出した。

 いつのことだったか、姉さんと一緒に真夜中の街並みをこうして窓から眺めたことがあった。

 白夜って、こんな風に明るい夜なのかな、と姉さんが言った。そしていつか一緒に本物の白夜を見に行こうね、とも言っていた。

――一緒に……――

 ビャクヤは何かに気が付いたような顔をする。

「そうか。姉さんは死んだんじゃない。どこかで迷子になっているだけなんだ。どうして気がつかなかったんだ僕は……」

 姉さんは、きっとあの広い街の中をさ迷っているのだ。死んだのはただの思い込みだ。

 早く迎えに行かなければならない。きっと姉さんも、ずっと見つけてもらうのを待っていたに違いない。

「もう少しだけ待っててね。姉さん。すぐに捜しに。逝くからさ……」

 ビャクヤは何も持たずに部屋を出ていった。ビャクヤの眼には、最早生気は一欠片も残されていなかった。

    ※※※

 ただでさえ蒸し暑い熱帯夜だというのに、街の中は人々の喧騒と熱気で、余計に暑く感じた。

「姉さーん! どこにいるのー? 返事してよー」

 ビャクヤは、熱気と光に包まれた街中を歩き、姉さんに呼びかけていた。

 ずっと歩き、呼びかけ続けていたために、ワイシャツは汗で湿り、頬にも汗が伝っていた。

「姉さーん。姉さんったらー!」

 大声を上げるビャクヤであったが、その声は街の雑踏や人々の声にかき消されてしまっていた。

「姉さーん……」

 ビャクヤは息切れを起こし、両手を膝につけて前のめりになり、大きく息をついた。

 息を絶え絶えにしながら、額の汗を手の甲で拭い、ビャクヤは辺りを見渡した。

 様々な人が道を行き交い、建物の軒下にたむろしている不良集団もいる。

 道行く人の中にはスマートフォンを片手に、雑踏にかき消されないように大きな声で通話をする者。

 ただでさえ暑いというのに、体を寄せあっているカップルと思われる者。また他には集団でスーツを着た中年サラリーマンを囲む、オヤジ狩りなるものをしている者たちもいた。

 それらの誰もが、生きるに値する人間だとは、ビャクヤには思えなかった。姉さんを必死に探しているというのに、それを妨害する騒音としか思えなかった。

「……あああああ!」

 ビャクヤは苛立ちを抑えきれず、それを声にする。

「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! うるさいんだよお前ら!」

 明らかに辺りの雰囲気と違う怒鳴り声に驚いたのか、僅かばかり人の声が止んだような気がした。

「うるさい。うるさいうるさいうるさい! これじゃ届かないじゃないか。姉さんに気づいてもらえないじゃないか!」

 ビャクヤの怒りは止まらない。ここにいる者全員が、笑いあって楽しそうにしているが、その様子を見るだけでビャクヤの怒りは増幅した。

 息を切らせながら大声を上げつつ、ビャクヤは思う。

 ビャクヤを奇異の目で見ている、もしくはじっくり見ないまでも一瞥をくれる者は、数えきれないほどにいる。

 中には犯罪行為に及んでいる不良の一味すらもいる。

 これだけの人間がいるというのに、何故姉さんだったのか。何故姉さんが選ばれてしまったのか。

「どうしてお前らみたいなのが生きているんだ!? お前らが代わりに死ねばよかったんだよ! こんなクズども一人消えたところで誰も悲しまないだろ!」

 ビャクヤの狂気に、訳の分からない恐怖を感じ、ビャクヤを見ていた者たちはそそくさと立ち去っていった。

 ビャクヤの状態は、通り魔殺人でもしでかそうかというものだった。それ故に余計な被害を被らないように逃げていったとも言えるかもしれない。

「はぁん、クズどもねぇ……」

 オヤジ狩りをしていた不良は、ビャクヤの言葉が癇に障り、掴んでいた中年のネクタイを離した。

「ひ、ひいいい……!」

 解放された中年は、今だとばかりに走り去っていった。

 不良の一味の標的は、ビャクヤへと変わった。大体七、八人の不良たちがビャクヤを囲んだ。

「オレらがクズだっていうの? まあ、間違っちゃいないと思うけど、お前みたいなガキに言われると、さすがに傷つくんですけど」

「あーあ、こりゃ、ブジョクザイってやつじゃないの?」

「イ・シャ・リョ・ウ、払ってもらえる?」

 不良たちはビャクヤへと詰め寄る。

「なんだお前ら。僕は今忙しいんだ。姉さんがこの街のどこかで僕を待っているんだ。早く見つけに行くんだ。そこをどけ!」

 複数の不良に囲まれても、ビャクヤは怖じる事はなかった。

「だったら、慰謝料、そうだなぁ……。メンドイから有り金全部、置いてってくれる?」

「ふん。付き合ってられないね」

 ビャクヤは不良の間を突き進もうとした。

「待てや、コラァ!」

 不良はビャクヤの襟を掴んだ。

「止めろ。服が破けるだろ!」

 背後から掴まれているため、ビャクヤは振り払えない。そこへもう一人ね不良がつかつかと歩み寄っていく。

「ほら、暴れるなっての!」

 至近距離まで近づくと、不良はビャクヤの腹に拳をいれた。

「ぐほっ……!」

 不良の拳はビャクヤのみぞおちに入り、ビャクヤは一瞬息ができなくなった。

「ごほっ……ごほっ……!」

 急所に強力な一撃を受け、ビャクヤは悶絶した。そこへ更に不良が一人近付き、ビャクヤのズボンのポケットをまさぐった。

「はあ? なにこいつ、何も持ってねぇぞ」

「んだよ、こんなループタイなんかしてるからどっかのボンボンかと思ったのによ!」

 ビャクヤはここへは、姉さんに会いに来ていた。それはつまり、方法はなんであれ死ぬつもりだったのだ。そのような人間が財布などを持ち歩いているはずがなかった。

 しかし、姉さんが去年の誕生日にプレゼントしてくれたループタイだけは、あの日からずっと身に着けていた。

「あーあ、時間の無駄だったなぁ。マジでムカつくわー。せめてコイツボコってかね?」

「いいねー、じゃあまずはオレから!」

 不良のグループは、ビャクヤを集団リンチすることにした。

「がっ! ぐっ! うう……!」

 ビャクヤは殴られ蹴られ、踏みつけられたりと一方的に暴力を受けた。

 何発も殴られているうちに、ビャクヤは痛みを忘れていった。そして同時に、このまま死んでしまえればいいと思い始めた。

「おい、その辺にしとけ」

 不良のリーダー格の男が不意にリンチを止めさせる。

「そのまま殴り殺したらパクられんだろ。オレが止めを刺してやるよ。この能力(ちから)でな……」

 ずっとビャクヤが殴る蹴るの暴行を受けているのを、座って傍観していた不良のリーダーが立ち上り、歩き出した。

 手下たちはリーダーに道を譲る。

「リーダー、あれをやるんだな」

「リーダーの不思議な力なら、証拠が残らないしな」

 やがて不良のリーダーは、手下たちに押さえ付けられ、地にうつ伏せになったビャクヤの所まで近寄った。

 そして、ビャクヤの髪を鷲掴みにし、無理やり顔をあげさせる。

「……っく……!」

 ビャクヤは、顔の傷口から血が眼に入り、不良のリーダーの顔をはっきりとは見ることができなかった。

「小僧、冥土の土産だ。オレの能力でぶち殺してやるから感謝しろよな?」

 次の瞬間、不良のリーダーの爪が、ナイフのような鋭利なものに変化した。

 ビャクヤは、呆然とした意識のまま、己にやって来るであろう死の予感を感じた。

「くたばりな!」

 ナイフになった爪が、ビャクヤの首をかっ切ろうとしたその時だった。

「そこで何をしている!?」

 喧騒の中でもよく通る声がした。

「複数の少年らを確認。暴行を受けたと思われる被害者一名。至急応援要請、並び救急手配を要請する」

 無線機を通したノイズまみれの声が「了解」と応答するのが聞こえた。

「サツだ!」

「クソがっ! 誰か通報しやがったな。おい、テメーら、ずらかるぞ!」

 警察がやって来たのを確認すると、烏合の衆としか言えないような不良のグループが、まるで訓練された軍隊のようにすぐに撤退を始めた。

「待て! くそ、君は要救護者を。私は奴らを追う!」

「了解!」

 逃げていく不良のグループを一人の警官が追い、もう一人は地に伏すビャクヤの救助に当たった。

「君、大丈夫か?」

「……ぐぐっ!」

 ビャクヤは身体中の痛みに喘ぐ。

「意識はあるようだな。立てるか?」

 ビャクヤの救護にあたる警察官は、手をさしのべる。

「……うるさいっ!」

 ビャクヤは這い起きながら、警察官の手を振り払った。

「なっ!?」

「どうして邪魔をするのさ。もう少しで僕は姉さんに会えた。そのはずなのに……!」

 警察官はビャクヤが何を言っているのか、意味が分からなかった。

「お姉さんを捜していたのかい? だったらお姉さんの特徴を教えてくれれば、すぐに捜索届けを……」

 警察官は少し考え、ビャクヤが姉を捜している途中で不良に襲われたのだと推測した。

「……姉さんはここにはいない。誰にも見つけることはできないんだ。僕が逝かなきゃ。姉さんには会えない……」

 鈍痛に耐えながらビャクヤは立ち上がる。

「ちょっと君、そんなフラフラな状態で立ったらダメだ! 救急車が来るまで大人しく……」

 ビャクヤは血走った目で警察官を睨んだ。

「うるさいうるさいうるさい。うるさいんだよさっきから! お前ら警官がしっかりしてれば姉さんはあんな目に遭わずにすんだんだよ! この無能な警官が! どうして姉さんを助けてくれなかったんだよ!」

 ビャクヤの言葉は最早、常人には理解しかねる支離滅裂なものになっていた。

 故に唐突に、当たり散らすかのように怒鳴ってきたビャクヤに、警察官は何も言葉が返せなかった。

「……姉さん。もうちょっとだけ待っててね。すぐに会いに。逝くからさ……」

 ビャクヤは街の暗い、裏道の方に向かって歩き出した。

「あっ、待って。君……」

 ビャクヤは、まだ用があるのか、とばかりに警察官を睨んだ。その眼はすっかり濁りきっていて、生きた人間のものとは思えないほどだった。

 警察官は、ビャクヤのえもいわれぬ不気味さに完全に圧倒され、何もできずに立ち尽くすしかできなかった。

    ※※※

 街から離れ、街灯がぽつぽつと灯る暗い道。ビャクヤは闇の中をあてもなく歩いていた。

 人々の声や、店の大音量の音楽もなく、小さな風の音だけしかしない、静かな道を進んでいく。

 先ほど街で暴行を受けたときの傷が痛む。しかしそれでも、ビャクヤは歩み続けた。

 目指す先などない。ただまっすぐに歩み、暗闇の深みに入っていくだけである。

 歩きに歩いて、歩けなくなったとき、その時どうするのか。それは決めていない。歩けなくなったときに、考えればいいのだから。

「はあ、はあ……もう。どのくらい歩いたかな。全身が痛いや……」

 ビャクヤの体力は、早くも尽き始めていた。

「はあ……もう動くのもダルいな……どうしよう……」

 ビャクヤは立ち止まり、辺りをそれとなく見回す。

 ビャクヤは街からだいぶ離れた。街灯もほとんど意味をなさないほど暗い場所までやって来ていた。

――不思議だな。いくら街から遠く離れたと言っても。こんなに辺りが暗いなんて……――

 おまけにビャクヤは妙な感覚に陥っていた。

――なんだか代わり映えしない景色が続いているような。そんなまさかね――

 人知れぬ山奥ならばいざ知らず、住み慣れた街だというのに、同じ場所をぐるぐる回っているような気がしたのである。

「あはは……迷子になった姉さんを捜して僕が迷子になるなんて。しかも住んで長い場所でだよ? あははは……おかしいったらないね」

 ビャクヤは自虐的に笑う。

「はあ……」

 異様なまでの疲労感が、ビャクヤを襲う。

「疲れたな……」

 ビャクヤはその場に身を投げた。芝生の上であり、ワイシャツ一枚しか着ていないため、背中がチクチクした。

 しかし、少し時間が経つと、そのチクチクする感じにも慣れてきた。

「真っ暗だ……なんにも見えないや。まあその方がいいか……」

 ビャクヤは本当に、木々の生い茂り、空がまるで見渡せない森の奥にでもいるかのようだった。

 街灯はおろか、月明り、星すらも見えない完全なる暗闇が辺りを支配していた。

――このまま目を閉じれば全て終わりそうだ。このまま闇の中に溶けて消えてしまいたいな。姉さんのいない世界なんて。僕にはやっぱり考えられないな――

 ビャクヤの生きる目的全てが、姉さんのためのものだった。

 姉さんという存在がなくなったことで、ビャクヤは空の器となっていた。ビャクヤは、姉さんがいるからこそ自らの生きる意味を見出だしていた。まるでビャクヤは杯であり、姉さんが水、という関係だった。

 しかし、姉さんという水を失ってしまった今、ビャクヤは空の杯となってしまった。それは丁度、飲料の無くなった空の容器のようなものだ。

 空になった容器は、普通必要性はなくなる。砂漠にあれば、飲み水がない限り空の容器は当然意味がない。ビャクヤは今まさにそんな状態だった。

 そんなことを考えていると、突然真っ暗闇の中に発光する物体が顕れた。

「……なんだろう一体? 人がせっかく暗闇を堪能していたっていうのに……」

 ビャクヤは、不意に出現した発光体に口を尖らせる。

 光は真っ赤なものだった。

「これは。凶星ってやつかな?」

 しかし、光は星の放つものにしてはやたらと近い。

「誰かが懐中電灯で遊んでるのか? それとも警察がこの辺をウロウロしているのかな……っぐう!?」

 考えている間に突如として、ビャクヤは体が動かなくなった。

 縛り付けられている感覚ではなく、まるでなにかに捕まって押さえ付けられているような感じだった。

「かっ……はっ……!」

 ビャクヤは体の自由を奪われたのならず、呼吸困難に陥れられた。

 息が全くできず、まるで陸に打ち上げられた魚のように、ビャクヤは口をパクパクさせた。

「んごぉっ!?」

 ビャクヤは空気を求めて口を大きく開いた瞬間、黒いなにかがビャクヤの口に入り込み、一気に食道を通って胃にまで到達した。

 あまりの苦しさに、ビャクヤは目が飛び出しそうなくらい見開いていた。

 目の端に涙を伝わらせながら、ビャクヤは確かにそれを見た。

 赤黒く発光する物体は、ギョロりと動く眼であり、ビャクヤを押さえ付けているのは四対の内、前の二対の鈎爪のような脚であり、ビャクヤの体内に入ってきたのは牙であった。

 四対、合計八本の脚を持ち、眼と牙だけがある小さな頭胸部、そして丸々とした腹は、紛うことなく蜘蛛の姿そのものだった。

「あ……っ! がっ……!」

――苦しい。気持ち悪い。姉さん助けてよ!――

 息もできず、体の内部をまさぐられる苦痛に、ビャクヤは死の恐怖を感じた。

――……いや待てよ。僕は助かりたいのか? 姉さんのいない。こんな世界に生き残りたいのか――

 ビャクヤは、突然表れた自らの生存本能に少し驚いた。そしてとうとう、今際を迎えたと悟り、ビャクヤの心は落ち着きを取り戻していく。

 そんな時だからこそ思い出したことがあった。

 あれはいつだったか、姉さんと街のショッピングモールで買い物をした後、そこのカフェで一息ついていた時だった。

 姉さんは友達から、人を喰う影が存在し、それに喰らわれた人は数日無気力となり、その後狂い死にする、という噂を聞かされたと言っていた。

 あまりに荒唐無稽な話で、その時は二人で笑い飛ばしていたが、今その話のような状況に陥るビャクヤは全てを悟った。

――僕は。こいつに喰われて死ぬのか――

 限界を超え、ビャクヤが気を失ったのは間もなくだった。

 赤黒く輝く眼を持つ蜘蛛の影は、音なき声を発した。言葉としては成立しないが、その声にはこんな意味があった。

『空腹……捕食…………不味』

 もとより肉がなく、ここ数日まともに食事を口にしていないビャクヤは、蜘蛛の影にとって喰うに値しない体だった。

 蜘蛛の影は、ビャクヤをこれ以上喰らう事を止め、ビャクヤの口に突っ込んだ牙を引き抜いた。

 蜘蛛の影はビャクヤをその場に捨て置き、どこかへ去っていく。空腹を満たすに値する獲物の捕食を求めて。

    ※※※

 ビャクヤは、無色透明な世界に立っていた。

「あれ。ここは一体……?」

 ビャクヤが辺りを見回していると、ずっと求めていた声が聞こえた。

「ビャクヤ。ビャクヤー!」

 ビャクヤは、驚きながらも声のした方を向いた。

「その声……その姿は……!?」

 腰元まで伸び、毛先が綺麗な扇状になっている艶やかな髪をし、古風なセーラー服に身を包み、頭に純白の百合の花飾りを付けている。

 きめ細やかな白い肌であり、前髪を左に流しており、少し左目が隠れているが、とても穏やかな目をしていて、口は小さく、閉じていても自然と優しい微笑みが窺える。

「……姉さん!」

 ビャクヤの前に立つ少女こそが、ビャクヤの姉さんであった。

「おはよう。ビャクヤ。よく眠れた?」

 次の瞬間、無色透明だった世界が、まるでスクリーンへと一度に映像を写し出したかのように、様々な情景に包まれた。

「ああ……やっと会えた! ずっと捜してたんだよ? こんなところに隠れているなんて。姉さんは本当にお茶目なんだから」

 ビャクヤは、喜ぶ素振りを見せるものの、内心は冷静だった。

「……なーんて。これってもしかしなくても走馬燈ってやつだよね」

 空間を支配する、ビャクヤと姉さんの情景が記憶の走馬燈を連想させる。

 映像には様々な瞬間が映し出されていた。いずれもビャクヤと姉さんとの思い出である。

 ガーデニングの好きだった姉さんが、土いじりをしているところ、肥料の袋を持ち上げることができなかった。そのためビャクヤが袋を運んであげようとするのだが、ビャクヤも非力であり、運ぶのに相当苦労した。

 なんとか花壇まで運びきるものの、ビャクヤは腕がピクピクと震えていた。そんな状態でもビャクヤは最大限のやせ我慢をしてみせ、その様子を見て姉さんは微笑んでいた。

――ははは……そういえば姉さんの百合の花飾り。庭で育てたんだったっけ。色々手伝ったなぁ……――

 ビャクヤは、映像を見ながら懐かしんでいた。

――最期に見たのが姉さんと姉さんとの思い出なんて。神様も粋なサービスをしてくれるもんだね――

「もう。ビャクヤったらまたそうやって……遅刻しちゃうわよ?」

 ただでさえ学校が面倒なのに、低血圧で朝に弱いビャクヤは、よくいつまでもベッドから離れなかった。

 しかし、姉さんのこの二言目でようやくビャクヤは起き上がっていた。

「最期にこうして姉さんと会えた。ちょっとばかり苦しかったのには文句を言いたいけど。そこはどんな死に方でも大なり小なり苦しいだろうし。ありがたく思うことにするよ」

「ビャクヤ?」

 姉さんは心配そうな顔をした。それすらもビャクヤには可憐に見えていたものだった。

 少し体の弱いビャクヤはよく体調を崩していたが、どんな薬よりも姉さんの顔を見るのが最高の治療法だった。

「……ありがとう。影。僕を喰ってくれて。姉さん。もう僕は姉さんのいない世界で生きていける気がしないから来世で頑張るよ。来世にはもっと強くなるよ。その時にも姉さんがいてくれたら。うれしいな……」

 ビャクヤはその場に横たわった。そして目を閉じる。

 次に目覚めたとき、どこにいるのか。天国や地獄か。それともすぐに来世に生まれ変わるのか。

 そのようなことを考えながら、ビャクヤは眠りにつくのだった。

    ※※※

 朝日が昇り、その光がビャクヤのまぶたを突き刺した。

「……っは!?」

 ビャクヤは目を覚まし、体を起こす。まだまだ暑い日の続く時季であったが、早朝は肌寒く、ビャクヤはくしゃみをした。

「ずず……ここは一体? 不幸のかたまりの僕が天国に来れるはずがないし。地獄にしては明るい……」

 ビャクヤは、めまいを振り払いながら辺りを見渡した。

「ここって。僕の家の近くの公園じゃないか。どうしてこんなところに? 僕は確か……」

 ビャクヤは覚えている限りの記憶を辿ってみる。

 現実逃避して家を飛び出し、姉さんを捜すという表向きの目的を持ちつつも、野垂れ死にするつもりで歩き続けていた。

 街中の喧騒に苛立ち、周囲に当たり散らしたら、不良のグループに因縁をつけられそのまま暴行を受けた。

 その後も歩き続けていたら、光が全く射さない闇の中に入っていた。

 最初はおぼろ気だったが、ビャクヤは自身に起きた出来事を鮮明に覚えていた。

「覚えてる。覚えているじゃないか! 影に喰われて。気を失って。姉さんの走馬燈が見えて。となると影のところまでは現実……?」

 考えている内に、ビャクヤは体に変化が起きているのに気が付いた。

 これまでは、とにかくだるくて仕方なかった体が妙に軽く感じる。活力に満ちているという感じである。姉さんが死んでからずっとこのような気分にはならなかった。

――そういえば。影に妙なものを飲まされたような気がするな。あれってもしかして元気が出るクスリだったのかな? いや。まさかね……――

 姉さんの走馬燈を見たのは、ひょっとするとまだこっちに来てはだめだという、姉さんの意思のようなものだったのかもしれない。

「はあ……何だか死にそびれたな。……やめたやめた。死ぬのはやーめた。興がさめちゃったよ」

 姉さんという存在がなくなって、空の容器同然となっていたビャクヤに、謎の力が満たされた。今のこの状態であれば、ビャクヤは姉さん無しでも生きていける気がしていた。

「姉さんのいない世界で。どんな風に過ごせばいいのか分からないけど。僕なりに頑張ってみるよ。姉さん」

 ふと、ビャクヤは背中に違和感を感じた。

 芝生の上で寝ていたせいで、虫に刺されたのか、それとも草に負けてしまってかぶれたのか。

 しかし違和感といっても、痛みやかゆみを伴うものではない。背中の数ヵ所が、妙にむずむずするだけである。

「なんだ。この感じ? 変な気分だな。まるで何か出てきそうな感じだな」

 背中のむずむずする部分は、左右対称になっているかのようにそれぞれ四ヶ所。合わせて八ヶ所である。

「右側の背中。こんな感じかな?」

 ビャクヤは、全身の力、神経を全てむずむずする部分に集中させてみた。するとその部分からにゅるりと、なんとも言えない感触がしたかと思うと、ジャキッ、と金属音を立てて何かが顕現した。

「うわっ! なんだっ! 本当に何かでてきたぞ!?」

 ビャクヤは驚かずにはいられなかった。

 ビャクヤの背中から顕現したものは、刃のように鋭く、禍々しい色をした鉤爪だった。

「これは一体何だろう。まさか姉さんの贈り物? うーん。いくら姉さんからのプレゼントでも。こんな物騒なものはちょっと……」

 ビャクヤはひとまず、鉤爪を退かそうとするが、鉤爪はびくともせず、逆に握った手が切れそうなほど痛かった。

「やれやれ……とか言いつつも。姉さんからのプレゼントだと考えると。嬉しいような気がしちゃうんだよな」

 ビャクヤは同時に、この禍々しく鋭い鉤爪を姉さんだと思って、大切にしようとも考えた。

 これ《鉤爪》をあげるから後を追っては来るな、とも言われているような気もした。

 件の蜘蛛の影に、無理矢理何かを飲み込まされたもののおかげか、やはりビャクヤは満たされた気持ちでいられた。こんなに気分が楽なのは、姉さんがまだ生きていた時以来だった。

「あーあ。でもこんなところで寝てたせいかな。節々が痛いし。まだだるいな。帰って寝直そうか……」

 その前に冷えた体を少しでも暖めるべく、ビャクヤは温かい飲み物でも飲もうかとズボンのポケットをまさぐる。

「財布がない。……ああそうだ最初から持ってなかったっけ」

 第一あったとして、時期的に自販機に温かい飲み物は入っていないし、コンビニにでも寄ろうにも、こんな物騒なものをぶら下げて店内に入ろうものなら、即通報されるだろう。

 今は早朝であり、人通りが少ないためになんとかなっているが、やはり誰かに鉤爪を見られれば通報であろう。

「はあ……仕方ないな……」

 ビャクヤはため息をつき、足早に公園を立ち去ることにした。幸いにも、この公園からビャクヤの自宅は近い。

 それにしても不思議な夜だったと、ビャクヤは思った。

 どれほど願って眠っても会えなかった姉さんに、会う夢を見ることができた。

 蜘蛛の影のおかげか、それとも生死の境をさまよったための走馬灯か。何れにしても、もう一度、夢でいいから姉さんに会いたいという願いが叶った。

――あの夜(ここ)に来れば。また姉さんに会えるんだろうか? もしそうなら……さよなら姉さん。しばらくのお別れだ――

 ビャクヤは微笑を浮かべながら朝日の眩しい公園を歩いた。

「……ったく。いいムードなのにこいつ(鉤爪)のせいで台無しだな。おいお前。いい加減引っ込めよ。邪魔で歩きづら……」

 ビャクヤは鉤爪に文句を言った。するとジャキッ、という音がまた鳴った。

「うわっ! 二つ目が出てきたぞ!? ほんとなんなんだよこれ……」

 背中にある謎の鉤爪が人目に触れぬよう、注意しながらビャクヤは家路を急ぐのだった。

 

 

 

Chapter2 |捕食者(プレデター)の偽誕

 

 突如として背中から顕現した謎の鉤爪が人目に付かぬよう、注意しながら自宅へと帰り、自室のベッドに横たわるとすぐにビャクヤは眠りについた。

 鉤爪がベッドを傷付けてしまわぬよう、ビャクヤは不本意だったが、うつ伏せで寝た。最初は寝苦しく感じたが、疲れの方が勝り、すぐに眠ることができた。

 ビャクヤが眠ると、鉤爪は消えた。ビャクヤの意識が無い時には鉤爪は顕現しないようだった。

 そして時間は過ぎ、日が落ちて夜となった。

「ん……んん……あれ。もう暗いな。ずいぶんと寝てたみたいだな……」

 ビャクヤは体を起こし、暗くなった部屋を見渡した。

 ずっと開け放たれた窓からは月明かりが射し込み、風が吹くとカーテンを膨らませて狭い部屋を満たす。

――何だか夢を見ていたような。何だっけ? ああそうだ。僕を喰った影のようなやつが現れて。それで……――

 ビャクヤはずっと夢を見ていた。

 これまで、姉さんと会う事を願って眠っても、真っ白な無機質な世界にビャクヤ一人が佇んでいるのとも違い、昨日のような走馬灯を見るような夢とも違っていた。

 凶星のような二つの赤黒い光が浮かぶ、真っ暗な場所にビャクヤはいた。しかし、不思議と恐怖はまるで感じない。むしろそれが出てきたことは、ビャクヤには当然のことのようにも思えた。

――や。また会ったね

――…………

 影は言葉を発する事はなく、唸り声さえも上げることがない。

 しかし、ビャクヤの脳裏には、影のものと思われる意思のようなものが伝わっていた。

暗鈎(あんく)顕現(イグジス)、ケリケラータ』

『八裂の八脚、顕現喰らう偽誕者(インヴァース)捕食者(プレデター)

 長い時間眠っていたが、ビャクヤが見た夢はほんの一瞬だった。

――ふふ。イグジスだのケリケラータだのと意味分かんないよね。でも何となくは分かるんだ。僕はどうやら。とんでもなく滅茶苦茶な能力を授かったんだってね――

 ふと少し強めの風が部屋に吹き込んだ。

「……くしゅっ!」

 ビャクヤは体を冷やされ、くしゃみをした。気がつけば寝汗がひどく、昨日からずっと着っぱなしのワイシャツは湿っていた。

「やれやれ。こんな格好じゃ風邪を引いちゃうね。シャワーでも浴びてこようかな……」

 ビャクヤは、替えの服とタオルを持って浴室へと向かった。

 洗面所に行くとすぐに、ビャクヤは湿ったワイシャツのボタンを外し、それを脱ぎ捨てた。

「ん?」

 続いて下も脱ごうとズボンのベルトに手をかけていると、ビャクヤは妙な光を感じた。それは洗面台の鏡から反射したものだった。

「なんだ。これは……?」

 ビャクヤは驚いた。何故ならば、その光の元はビャクヤの背中からのもので、背骨を中心に左右四つづつ、放物線状に光を放つ穴のようなものがあったからである。

 位置としては、今朝むずむずする感じを受けた場所と一致していた。

――あの鉤爪が出てくる所なのか? だとしたら八本あるのかい?――

 ビャクヤは、鏡に真っ正面に向き合い、今朝やってみたように、むずむずする部分に力をいれてみた。

 ジャキンッ、と肩より下の部分、今朝初めて顕現した例の鉤爪が出てきた。

 しかし、今朝とは鉤爪の出方が違った。すぐに二本一度に出てきたのである。

 ビャクヤはそのまま、更に下の部分、背中の真ん中より少し上の所に力を加えてみた。ジャキッ、と同じような鉤爪が左右一度に顕現した。若干、長さは上二本よりもある。

 残るは背中の中心より下部分だが、普段あまり力を入れない場所だけに、鉤爪を顕現するのに苦労した。

「うっ……くっ……!」

 それでもビャクヤは何とか力を入れ、鉤爪を顕現させる。

 そしてとうとう、腰元まで力を加え、背中の光っていた部分全部から鉤爪を顕現させるのに成功した。

 鉤爪はまさに、四対八脚の鋏角類(ケリケラータ)のもののようになった。

「ふあ……これが僕に宿るイグジスとかいうものなのかな。ははっ。もしも姉さんが見たらとんでもなく驚くだろうな……」

 ビャクヤはおもむろに頭を掻いた。その瞬間、ビャクヤの手に吊られるように鉤爪も動いた。

「うわっ!?」

 鉤爪は壁を引っ掻き、大きな爪跡を作った。

「ちょっと。動くなんて聞いてないよ。あーあ。こんなになって。修理するの誰だと思ってるんだよ……」

 ビャクヤは、不意に壊してしまった壁に手を当て、ため息をついた。

 壁に手を付いていると、 ビャクヤは掌に妙な弾力を感じた。いや、弾力というよりも、粘着性のある何かだった。

「うわっ!? なんだこれ!」

 ビャクヤは驚き、すぐに壁から手を離すと、壁と手の間に糸が引いた。

 糸は、強力な粘着力を持ちながらも強固なものであり、まるでピアノ線のように、触れるもの全てを切りそうな鋭い輝きを放っている。

 鉤爪も糸も、ビャクヤの意思に反応するようで、彼の意識が驚きに満ちあふれると消えてしまった。

――暗鈎の顕現。八裂の八脚。そしてべたべたする糸……。まるで蜘蛛じゃないか――

 ビャクヤは思い出すと昨日、蜘蛛の影に喰われかかった。それが原因なのかは分からないが、もしそうならば蜘蛛のような能力を得たのは辻褄が合う。

 蜘蛛で思い出したことがあった。

 彼らは巣網を張って獲物を待ち、その網にかかったものであれば、生き物であるかぎり捕食する。世の中には、燕ほどの鳥でさえ、捕食の対象とする蜘蛛さえも存在する。

 突然、ビャクヤは空腹を感じた。これまでまるで食欲が湧かず、まともに食べ物を口にしていなかった。

――珍しい。というか。久しぶりだな。姉さんが死んでから何にも食べる気にならなかったのに。これも能力のせいなのかな? まあなんでもいいか。とりあえずさっさとシャワーを浴びてしまおう。手がべとついたままだ――

 ビャクヤはさっ、とシャワーを浴びると、次に空腹を満たそうとした。

 冷蔵庫の中身はほとんど期限が切れていた。唯一食べられそうなものは、冷蔵庫の隅に置かれたソーセージだけだった。

――今更だけど。僕よくこの数日生きていられたものだね。こんなに不摂生だってのに。……うーん。やっぱりこれだけじゃ足りないや。仕方ない。面倒だけど何か買ってこようかな……――

 ビャクヤは、一瞬にしてソーセージを食べると、近所のコンビニに行くことにした。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」

 店員の定番の言葉は適当に聞き流しながら、ビャクヤはコンビニを後にした。

 買い物袋の中身は、弁当にパンをいくつか、スナック菓子数袋にジュースと、ビャクヤの体型を考えると、本当に食べきれるのか分からないほど詰まっていた。

「やれやれ。ちょっと買いすぎたかな? 袋が重いや……ああ。そうだ」

 ビャクヤはおもむろに、鉤爪を一本顕現させた。そしてそれにコンビニの買い物袋を引っかけた。

「せっかくの能力なんだ。有効活用しないとね」

 幸いにも、鉤爪の先端以外は刃が鋭くなく、買い物袋の取っ手を切り落とすことはなかった。

 しかし、禍々しい色をした鉤爪に買い物袋をぶら下げる様子は、誰かが見ていれば通報されそうなものだった。

 帰宅後、ビャクヤはすぐに食事をした。

 元来、ビャクヤは食が細い方だったが、今は全く違っていた。

 大きめの弁当をすぐに平らげたがもの足りず、四つほど買ってきたパンも食べるもののやはり今一つ満たされず、スナック菓子にも手を出した。

 大食い、早食いの大会にでも出たら、他を圧倒するであろう食事量であった。

 二リットルのジュースも飲み干したところで、買ってきた食料は全て無くなってしまった。

「ふう……全部食べちゃった。でもなんでだろう? 昔の僕ならとても食べきれないくらい食べたのに。まだ半分ぐらいな感じだ。まさか。この能力のせいなのか?」

 ビャクヤは、捕食者(プレデター)の名を持つ能力を得ている。もしも字の通りの能力ならば、食欲がものすごいことになっていても不思議はない。

 しかし、だとすれば厄介だともビャクヤは思う。

 毎日これだけの食事をしていれば、当然食費はかさむ。自炊したところで大差はないだろうし、そもそも作るのが面倒であった。

「まったく……お前のせいで僕はいつも腹ペコじゃないか。どうしてくれるんだよ」

 ビャクヤは、背中に顕現する鉤爪に口を尖らせる。しかし、いくら鉤爪に文句を言ったところで事態は変わらないものだと思い、仕方なくビャクヤは立ち上がる。

「もう一回買い物してこようか……」

 ビャクヤは、満たされない腹を満たすべくもう一度食料を買いに出掛けた。

 同じ店に行くのは気が引けたため、ビャクヤは街に近い、二十四時間営業のスーパーマーケットに行くことにした。コンビニよりも遠いが、品数が多い上、安上がりで済むからだ。

 そのスーパーマーケットは、姉さんともよく通っていた所でもあった。川沿いの広場を歩いて十分ほどの場所に位置している。

 川沿いの広場はまた、ビャクヤらにとっては通学路でもあった。

 毎日姉さんと一緒に登校し、帰りは川に面したベンチで待ち合わせをしあったものだった。

 事故があった日も、ビャクヤは、静かな川のせせらぎを聞きながら姉さんの帰りを待っていた。あの時は、その日で姉さんとの今生の別れをすることになろうとは夢にも思わなかったが。

 あの日以来、ここを通る度にビャクヤは後悔の念に駈られてしまっていたため、できるだけこの広場には近寄らないようにしていたが、今はもうなんともない。

 あの日の姉さんを忘れてしまったわけではないが、やはり昨日の出来事以来、心に余裕がある。

――……まったく。お前には感謝すればいいのか。文句を言うべきなのか。分からないや。姉さんへの後悔を忘れさせる代わりにこの腹ペコを与えているのかい? もどかしいったらない……――

 背後に浮かぶ鉤爪に一瞥をくれながら歩いていると、ビャクヤは顔に不意の衝撃を受けた。

「あいたっ! ……ったく。虫かな? この辺藪はあるし。街灯も明るいから蛾が飛んでるんだよな。まったく。都市開発する前に誘蛾灯でも設置しろって話……」

 ビャクヤは、ぶつぶつ文句を言っていると、妙な違和感を感じた。

 時間を考えれば、人通りが少ないのは当たり前だが、街に近い以上、人はそれなりに歩いているはずである。

 それがどういうわけか、人の気配がまるで感じられない。更に気が付くと、さっきまで遠くに聞こえていた街の喧騒が全く聞こえなくなっていた。

 まるで人間の存在しない、異世界に来てしまったかのようだった。

 違和感はそれだけに止まらなかった。

 人の気配は全くしない代わりに、『なにか』の気配は辺り一面に広がっていた。

「これは……どういうことなんだろうね? さっきとはまるで違う。辺りが旨そうな匂いでいっぱいだ」

 じゅるっ、と思わずビャクヤは涎をこぼしかけてしまった。それほどまでに、辺りはビャクヤ食欲を誘う匂いに包まれていた。

 ビャクヤは、食欲という本能が赴くままに、背中に四対八本の鉤爪を顕現させた。

「そこの藪にいるね。旨そうだ。出てきなよ!」

 藪にいる『なにか』は、ガサガサと草を揺らし、ビャクヤめがけて飛び出してきた。

 それはこの世のものとはかけ離れた異形のものだった。真っ黒な球体に、口だけがあり、長い舌を伸ばしてビャクヤに襲いかかる。

「よっ!」

 ビャクヤはものともせず、鉤爪を一本突き出して、異形のものを刺し貫いた。

 ギイイ、という耳障りな断末魔の叫びのような声を発するも、異形のものはすぐに動かなくなった。いや、動けなくなった。

 ビャクヤは、鉤爪を突き刺すのと同時に、例の糸を出して異形のものを縛り付けていた。

「……いっただきまーす!」

 ビャクヤは、鉤爪に刺さった異形のものを、鉤爪ごと口元に引き寄せた。すると異形のものは、跡形もなく霧散した。

「これは旨い……!」

 直に肉を噛んでいるわけではないが、ビャクヤの舌には旨味が広がっていた。それも、これまでに味わったことのない、この世に存在するどのような美味よりも凄まじい旨味である。

 お代わりを要求するまでもなく、異形のものは次々とビャクヤに向かってくる。その度に鉤爪で仕留め、糸を絡めて口元へ運ぶ。

「一匹一匹仕留めるのも面倒になってきたな……。そうだ。コイツを使えば……」

 ビャクヤは、手の中で糸をこね回し、それを空中に放った。

「この辺に仕込んでおこうかな?」

 糸は放射状に広がる、まさに蜘蛛の巣になって空間へとどまった。

 ピアノ線のように細く、鋭い糸は、闇夜の中では視認が難しく、時おり街灯の光を僅かに反射してギラリと輝いている。

 もとより眼の無い異形のものは、ビャクヤの張った罠に気が着くはずもなく、次々と罠に嵌まっていった。

「引っ掛かったね!」

 鋭い糸は、獲物たる異形のものを受け止めると、絶対に逃がすことはなかった。いくら逃れようとしても、ピアノ線のような強度を誇る糸は、獲物の体をズタズタにする。

 ビャクヤはまさしく蜘蛛のように、巣網にかかった獲物に素早く迫り、巣網そのもので、獲物を包み込み、そして喰らった。

「……あーあ。まだ食べ足りないけど。小物には飽きてきたなぁ……」

 先に張った罠で、小物の気配はほとんどしなくなっていた。

「ここらの雑魚は喰い尽くしてしまったのかな? 場所を変えなきゃダメかなぁ……」

 ビャクヤは、しぶしぶ移動しようかと思ったが、不意に足を止めた。

――これは。この気配。この旨そうな匂い。さっきの雑魚どもとは大違いだ……――

 ビャクヤは、気配と匂いのする方向を向く。

 大型犬のような姿をした異形の存在が、ビャクヤに向かって牙を剥き、低い唸り声を上げていた。

 ビャクヤはそれを見て歓喜する。

「あははは……! こいつは物凄く旨そうだ。メインディッシュに相応しいよ!」

 ビャクヤが、最高の食材が出現して喜んでいるところに、野犬のような影はビャクヤに飛びかかってきた。

「ダメだねぇ。食材がそんなに暴れちゃあね」

 ビャクヤは、伸縮自在の鉤爪を前に出し、自らの体を包むように、鉤爪を盾にして攻撃を防いだ。

「この辺に……」

 ビャクヤは、網状にした糸を影に向かって放った。

 どれほど相手が大きくとも、蜘蛛の巣のような糸はどこまでも伸びて相手を包み込み、一切の身動きを奪った。

「あーあ。掛かっちゃった」

 影は必死に網から逃れようと暴れるが、力を入れれば入れるほどに糸は食い込み、影の体を切り裂いていった。

「このまま食べちゃってもいいけど。こんなに活きのいい食材だ。じっくり楽しみたいよねぇ……」

 ビャクヤは一工夫することにした。

「どう料理しよう?」

 ビャクヤは、鉤爪を使って影を切り刻んだ。

 鉤爪は、鋼鉄のごとき切れ味を持ちながら、まるでゴムのように伸縮自在で、鞭のようなしなりも持っていた。

 相手に取り付いた上でその身を刻む、逃れようの無い攻撃が可能であった。

「微塵切りがいいかな?」

 ビャクヤは、伸縮自在の鉤爪を振るい、影の四肢を分断した。そして、四肢を失い、身動きのとれなくなった影に止めを刺す。

「それとも八つ裂き?」

 両方の鉤爪を突き刺し、そのまま左右に大きく開いて抉った。影はまさに、八つ裂きの刑を受けたかのように、方々に散った。

「あははは……! バラバラだね。上手い具合に一口サイズにできたよ」

 散っていった肉片を糸で縛り付け、ビャクヤは鉤爪で刺して影の顕現を喰らっていく。

「これは。思った通りだよ。すごく旨い……」

 ビャクヤは影を喰らう。

 これまでの小物と全く違い、量も味も申し分ない獲物であった。

 頭の部分を喰らったことで、ビャクヤは影全てを喰い終った。

「ふう……満腹満腹。もう食べられないね」

 どれほど食べても、全く満たされなかった腹がふくれ、ビャクヤは腹をさする。

 顕現、という実物の無いものを喰らったが、ビャクヤの腹は質量のあるものを喰ったかように、満腹そのものだった。

「ここは。ひょっとしたら。神様だかなんだか知らないけど。そんなものが僕にくれた世界なのかな? 現実の食べ物じゃ腹がふくれなかったのに。あの影どもを喰ったら満腹だ。しかも。『この夜』でなら姉さんにも会えた。まさにここは僕にとっての『楽園』じゃないか」

 『楽園』、という自分から出た言葉に、ビャクヤは笑いが止まらなかった。

「アハハハハ……! 僕に取り憑いたのは。とんでもなく偏屈な神様らしい! 姉さんと暮らし続けるのが僕にとっては最高の幸せだったのに。変な能力を与えられて妙なものを喰わなきゃいけなくなる。けれどもこれが今の僕の幸せだ! アハハハハハ……!」

 ビャクヤは、辺りに全く人がいないことをいいことに、狂ったように笑い続けた。

 一頻り笑い終えると、ビャクヤは大きく息をついた。そして不気味な笑みを浮かべる。

「当面の僕の目的は決まった。ここは姉さんと会うことのできる大切な場所。そしてこの腹を満たすための狩りをするための縄張りだ。ここを荒らし回るような輩は許さない。もしもそんな奴が出てきたとしたら……そうだね……」

 不意に、喰い残しか、藪の中から例の影が飛び出し、ビャクヤに襲いかかった。

 ビャクヤは振り向くことなく、鉤爪を一つ伸ばしてそれを突き刺した。そして目の前に持っていき、糸を巻き付けた。

「……何者であろうとも喰らう。蜘蛛の巣網にかかった獲物同然に。ね」

 ビャクヤは、影の顕現を喰らおうとしたが、満腹だったため放棄した。

「キミは運が良かったね。いや。むしろ喰われた方がよかったかな? 悪いけどお腹一杯なんでね。そこで寝ててほしい。永遠に。ね」

 ビャクヤは鉤爪をしまい、『夜』を後にするのだった。

 それからというもの、ビャクヤは不可思議な『夜』へ訪れては影を喰らい続けた。普通ではない飢えを満たす狩をし、腹を満たすために。

 

 

 

Chapter3 紅き蜘蛛、ウィザードライラック

 

 ビャクヤが特殊な能力を手に入れ、影を狩って喰らうようになってから、早くも数週間が過ぎた。

 闇鈎の顕現(ケリケラータ)の力の扱いにもすっかり慣れ、八裂の八脚(プレデター)という四対八本からなる鉤爪も、まるで自分の手足のように扱えるようになった。

 鉤爪は鋼鉄のような硬度を持ち、アスファルトを抉ったり、鉄製の物さえも簡単に両断するほどの切れ味を誇る。

 そんな性質でありながら、伸縮自在で、伸ばせばビャクヤの身長を超える長さになり、ロープのように相手を絞めつける柔軟性をも持っている。

 しかし、この顕現において、最強の武器となりうるのは、この八裂の八脚ではない。むしろこっちが附属品とも考えられる。

 この顕現の本当の武器、それは、ピアノ線のような鋭さを持ちつつ、貼り付いたら決して対象を放さない粘着性も持っている蜘蛛糸(ウェブトラップ)である『忘却の螺旋』(アムネジア)

 この蜘蛛糸には、獲物を捕獲する他に、その獲物の顕現を吸い込むことができた。

 この糸で顕現を喰らうことで、ビャクヤの腹は満たされる。もちろん、普通の食事も可能であるが、完全な満腹感は得られない。

 故に、ビャクヤの食習慣は、三食人の食べ物を摂り、『夜』に本当の食事をするべく狩りに出かける、というようになった。

 尤も、三食プラス一食などという面倒なことは滅多にせず、狩りで夕食を兼ねることがほとんどであった。

「ん……うう……」

 ビャクヤは、眠りから覚めた。そして寝ぼけ眼で、枕元の携帯の画面を見て時間を確認する。

 携帯の時計は、時刻二十二時十二分を表示していた。

「うーん……」

 ビャクヤは、時刻を確認すると、携帯をその場に放り、体を起こして頭を手ぐしで撫でた。そして、口元に手を当てて、くあっ、と欠伸をする。

 ビャクヤの生活は、昼夜逆転状態になっていた。

 夜に狩りへと出掛けなければいけない都合上、帰宅するのは未明であり、日が昇るか否かの時間に眠りにつく。

 学校へは、姉さんの事故以来ずっと通っていない。ビャクヤを心配する担任教師が、何度か訪れてきた事はあったが、すっかり眠り込んだビャクヤはインターフォンにすら気が付いていなかった。

 今のビャクヤの行動する理由は、ただの食事では満たされない腹を、影を喰らうことで満たすことだった。

「……ふう。頃合いだね。お腹も空いたし。行こうかな」

 ビャクヤは、ベッドから出て、壁のフックに架かる学ランを取って羽織った。

 学生が制服姿でこんな時間に徘徊しようものなら、即刻補導の対象になりそうなものだが、ビャクヤは、服を選ぶのも洗濯するのも面倒なため、いつも制服姿であった。

 時期的には、まだ夏服で十分なのだが、獲物に気付かれないように、できるだけ黒い格好をしていた。また、未明は肌寒い事が多いために着ていた。

「今日は。あのご馳走がいたらいいな。雑魚にはそろそろ飽きちゃったからね」

 ビャクヤは、財布も携帯も持たず、更には家の鍵もかけないで出かける。こうした携行品は狩りの邪魔になる上、鍵を開け放っていても、ビャクヤの家には盗んで得をするようなものは何もなかった。

 財産は、親権を持つ親戚に管理されている。姉さんと二人暮らしをしていた頃からそうなっていた。

 しかし、ビャクヤには、絶対に肌身離せないものが一つだけある。それは、姉さんから誕生日プレゼントとして贈られた紫のループタイであった。

 ループタイが目立つように、ビャクヤは学ランのボタンを全開にしている。学校でも例外ではなく、何度も教師に咎められてきたが無視していた。その姿が姉さんに、格好いいし、背伸びをしている感じがかわいい、と褒められたからだった。

 そんなこんなで、ビャクヤは、姉さんとの思い出を懐かしみながら、狩り場である川沿いの広場へとたどり着いた。

 広場をさらに進むと、街からの音は聞こえなくなり、人の気配が全くしない『夜』へと入っていくのを感じる。

「あいたっ」

 ビャクヤの顔に、何かがぶつかるような衝撃が走る。

「……まったく。なかなか慣れないもんだね。この感じ……」

 特殊な能力を持つものが入ることのできるこの『夜』に入ると、電撃でも受けたような衝撃を感じる。ビャクヤは、これが嫌で仕方なかった。

 しかし、一度入った後はどうということはない。後は腹を満たすべく狩りをするだけだ。

「ああ。今日も旨そうな匂いで一杯だ! ……うん?」

 ビャクヤは、獲物の匂いとは違う、変な感じを受けた。

「変だな。獲物の匂いはするんだけど。なんか変な匂いが混ざってるな。なんだろう?」

 ビャクヤは、いつもと違う様子を訝しみながら、匂いのする方へと向かって歩いた。

 歩いていくと、匂いとは別に、自らに宿る能力のような、異色の何かを感じた。大音量の音の振動が空気を伝うように、皮膚を刺激されているのだ。

 やがて、この『夜』にはあり得ない音を聞き取ることで、ビャクヤは違和感の正体を掴んだ。

「人の声がする」

 それは、二、三人による会話の声ではない。五、六人、ひょっとすると、十人はいるかもしれない。

 そして、ビャクヤは声の主らの姿を捉えた。

 街灯の下に集まり、川沿いの落下防止用のフェンスに寄りかかって、何やら談笑している男たちがいた。

――何で人がこの『夜』にいるのか分からないけど。騒がしいったらない。食事の邪魔になるよ。帰ってもらわないとね――

 ビャクヤは決めると、光に群がる虫のような男たちへ、つかつかと歩み寄った。

「ああ?」

 ビャクヤの靴音に気が付き、男たちは話を止めた。そして全員がビャクヤの方を向いた。

 男たちの数は、ビャクヤの見立て通り、十人には満たないまでも、それに近い数であった。

「あれ? キミは……」

 ビャクヤは、この集団の中、見覚えのある人物を見つけた。

 それはあの日、ビャクヤが影に喰われかけた日である。自棄になって、街の中を行く人間に向かって当たり散らした時に、ビャクヤに因縁をつけてリンチした不良集団がいた。

 不良集団のリーダーと呼ばれる者が、爪がナイフのようになるという、妙な能力を行使していた。

 死に迫っていただけあって、ビャクヤは彼を覚えていた。

「や。また会ったね」

 ビャクヤは、微笑を浮かべながら軽く右手を上げる。

「ああ? 誰だテメェ?」

 不良のリーダーは、ビャクヤを全く覚えていないようだった。確かにあれから数日は経っているが、殺そうとした人間を覚えていない辺り、この男は人殺しを繰り返しているのではないかと思われた。

「覚えてない。か。まあ。僕もキミのことは興味ないから別にいいけどね。どうしてキミたちみたいなただの人間が。ここにいるのか分からないけど。帰ってくれるかい? 僕はこれから食事の時間なんだ」

 内心、言ったところで聞かなそうな連中だとは思っていたが、ビャクヤはとりあえず話し合いで解決しようとした。

「なんでオレらがテメェの言うこと聞かなきゃなんねぇんだよ?」

「メシが食いたきゃお家に帰りな。ガキがこんな時間にうろついていると、怪我じゃすまねぇぜ?」

 手下の不良は、早くも喧嘩腰であった。

「オレたちゃ、『忘却の螺旋』(アムネジア)精鋭だ。『虚ろの夜』に来られるって事は、テメェも『偽誕者』(インヴァース)なんだろうが、この数相手に勝てると思ってんのか?」

 この男の発言で、ビャクヤの頭は混乱してしまった。

「……あむねじあ? インヴァース? 何を言ってるんだい。キミ……日本語で話してくれないかな? ああでも。『虚ろの夜』は大丈夫だよ。この『夜』の名前ってところだろ?」

 ビャクヤは、バカにしたような言葉で、更に頭の悪い、かわいそうな人を見るような目を向けると、その男は激昂した。

「テメっ! ナメてっとマジで……!」

「止せって、ガキ相手に大人げねぇだろ?」

 すまし顔の男が、ビャクヤに拳を握った男の肩に触れ、制止した。

「ってことで、ボク。お兄さんが教えてあげよう。この『夜』は、ボクの言う通り『虚ろの夜』っていうんだ。この『夜』には人を喰う化け物、『虚無』がいて、こいつに襲われた人は普通は死ぬけど、お兄さんたちやボクみたいに生き残る人もいるんだ。でも喰われたところは治らないから、『虚無』の一部が入って不思議な力が使えるようになるんだよ。それから、こうして自分から『虚ろの夜』に入れるようになる。分かったかな?」

 不良にしてはやけに頭のいい男で、彼の話でビャクヤは、全てを理解する事ができた。

「なるほど。お兄さんのお陰で分かったよ。僕がここに来られるのは。僕が『偽誕者』ってやつで。僕の獲物は『虚無』っていうんだね。不思議な力ってのは『顕現』。イグジスの事かな?」

 説明をしてくれた男は、ビャクヤに拍手した。

「その通りだよ、ボク。……って、えっ!? 『虚無』を獲物にするってどういうこと!?」

 終始すまして、笑顔だった男の顔が、一気に恐ろしいものを見るように変わった。

「何を驚いているんだい? そのままの意味さ。僕はここを縄張りにして。毎晩『虚無』の顕現を頂いているんだよ。この腹を満たすために。ね」

 ビャクヤは、微笑みながら話していたかと思うと、一気に口元をつり上げて恐ろしい笑みを向ける。

「それにさ。ここでなら。姉さんにも会えるんだ。もうこの世にはいないけど。この『夜』では会えたのさ。だから。『虚無』を喰いながら『虚ろの夜』を歩き回っていれば。またいつか姉さんに会えるんじゃないかって。思ってね。そしてもしかしたら。そのまままた姉さんと一緒に過ごせるようになるかもしれないとも。思うんだ」

 ふうっ、とビャクヤは大きく息をつく。

「喋り疲れたな。お腹も空いてるし。キミたちがいるせいか。いつのまにか獲物の匂いが消えちゃってる。やれやれ。どうしようかな……」

 ビャクヤの腹は、顕現でしか決して満たされない。獲物の『虚無』がいない以上、ビャクヤの食事は抜きになってしまう。ビャクヤにとっては大問題であった。

 どうしようか、と顕現を得られる方法をあれこれ考えているうちに、ふと、ビャクヤに妙案が浮かんだ。

「そうか。別に顕現は『虚無』から取って喰わなくてもいいじゃないか。ここにこんなに顕現に満ちている『偽誕者』(獲物)がいるんだからさ」

 ビャクヤは、背中に八本の鉤爪、八裂の八脚(プレデター)を顕現させた。

「ひっ、ひい!?」

 予想を遥かに上回るビャクヤの能力に、これまで強気でいた不良たちは、一気に恐怖に陥れられた。

 ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばすと、この『夜』について教えてくれた男の腹に突き刺した。

「ぐほっ……! な、なん、で……?」

 ビャクヤは、突き刺した爪を引き抜くことなく、男の体を引き摺るように自らの目の前に持っていった。

 そして、普段は『虚無』にやっているように、手から糸を出して全身を拘束した。

「お兄さんは色々教えてくれたからね。お礼に真っ先に喰らってあげるよ!」

 ビャクヤは、鉤爪を自分の手のように広げ、拘束した男の心臓部分を口元に寄せた。

 顕現のみを喰らい、肉には一切手を付けてはいないものの、ビャクヤの行動は、まさに補食そのものだった。

 ビャクヤは、口元を離した。

「なんだいこれ? 『偽誕者』なんて言うから。顕現もさぞかし旨いのかと思ったら。食べるところが全然ないじゃないか」

 ビャクヤは、突き刺した爪を抜き、顕現が空になった男を捨てた。

 ビャクヤの意識から外れたことで、男を拘束していた糸が消え去った。

 鉤爪を刺された為に、男は腹部から血を流していた。生きているのか、それとも死んでいるのか分からない。

 仲間が突然やられた事で、不良たちに戦慄が走っていた。

「あーあ。全然食べ足りないよ。まあいいか。獲物はまだこんなにいるんだし」

 ビャクヤは、再び恐ろしい笑みを見せる。

「う、うわあああ!」

「に、逃げろー!」

 男二人が、恐怖のあまりその場から逃げ出そうとした。

「逃げてもムダさ!」

 ビャクヤは、糸を網にして放った。男たちは網にかかり、まるで身動きがとれなくなった。

「ヒイイイ!?」

 ビャクヤは、鉤爪を大きく広げながら、つかつかと彼らに歩み寄った。

「まあまあ。そう怖がらないでよ。なにも僕はキミたちを殺そうって訳じゃないんだからさ。ただキミたちの顕現を頂くだけ。ヒトの肉だの内臓だのには興味はないからね」

 ビャクヤは、鉤爪を男たちに伸ばし、刺し貫いた。糸の中で血飛沫が舞い、糸に血が滴る。

「でも。絶対に殺さない保証はできないけどね。……いただきまーす」

 ビャクヤは、鉤爪を引き寄せ、男の心臓付近から顕現を喰らう。

 蜘蛛の補食の仕方は、獲物を捕らえるとすぐに糸で拘束し、毒牙で咬んで毒を注入した後、麻痺して完全に動きの止まった獲物に、消化液を更に注入して、溶けた獲物の肉や内臓を吸い尽くす。

 蜘蛛によっては、獲物の虫の中身のみならず外も喰い尽くすが、大概は中身を吸い尽くして外は捨てる。クモの餌食となったものは、文字通り空っぽになる。

 蜘蛛のような能力を得たビャクヤの捕食も、自然界にいる蜘蛛のように、顕現という肉を、外部消化して吸うかのようにして、餌食の『器』を空にしていた。

 一人、二人、とビャクヤは次々と捕食していくが、『虚無』に比べると顕現が少なく、なかなか腹は満たされない。

「ひえええ……!」

 次々に仲間を喰われ、完全に恐怖に陥った男は、どうにかこの場を逃れようとする。しかし。

「逃げ場なんて。ないよ?」

 辺りはビャクヤの張り巡らしたウェブトラップに包まれており、彼の言う通りこの場から逃げ出す手段はなかった。

 巣網の隙間には何とか人一人通り抜けられそうな空間があるが、一歩間違えれば首を引っ掻け、そのまま切り落とされそうであった。

「みっともないったらない。大人しく喰われた方が苦しまずにすむよ?」

 ビャクヤは、つかつかと歩み寄る。

 相手はたかだか中学生くらいの少年である。そうだというのに、その威圧感は、自分の不良のリーダーさえも超えているように思える。

 男はついに、背後をウェブトラップに阻まれ、完全に逃げ場を失った。

「ひっ、ひいっ! お助けを……!」

 ビャクヤは無言で、右手を振り上げた。同時に右側の鉤爪も動く。

 三本の鉤爪を伸ばし、ビャクヤは、男の頭を三角に挟み込んだ。

「あんまり手間かけさせないでよ」

 ビャクヤは、男の体を持ち上げ、手のひらを返し、勢いをつけて地面に叩きつけた。

「ぐふっ!」

 男の体は、弾んで少し浮いた。その瞬間をウェブトラップが逃さなかった。

 これまでの男たち同様に、糸は一瞬にして獲物を拘束した。そしてビャクヤは、鉤爪を伸ばして拘束された獲物を突き刺し、その心臓部分を口元に止せて顕現を喰らう。

「ふう……なーんだこの程度? どいつもこいつも全然お腹にたまらないよ」

 気が付けば、ビャクヤは、この辺にたむろしていた不良を全て喰らっていた。ただ一人、『忘却の螺旋』に属し、この不良集団を束ねていたリーダー格の『偽誕者』を除いて。

「さてと。ねえ。残るはキミだけど。この雑魚どもに比べれば。旨そうな顕現を感じるね。がっかりさせないでよ?」

 手下が悉くやられたというのに、リーダー格の男は怒ることはせず、ビャクヤの力を恐れている様子も見せなかった。

「ふん……そいつらは、別にどうなろうが知ったこっちゃねぇ。テメェの言う通り、群れることしかできねぇ雑魚だ。そんな雑魚どもが、まともな力を持っていると思うか?」

 ビャクヤは即答する。

「思わないね。事情は大体分かったよ。こいつらはキミを勝手にリーダーに仕立てあげた。そして。キミがその力を振るうことで。他の『偽誕者』よりも優位に立っていると思っていた」

 虎の威を借る狐とは、まさにこの事だとビャクヤは思う。

「ねえ。キミの能力は何て言うんだい? 教えてよ。僕は結構手の内をみせたんだから。ここは平等にいこうよ」

「どうせこれからくたばるってのに、知ってどうすんだよ。まあいい、教えてやる。オレの能力を……」

 ずっとフェンスにもたれ、座り込んでいたリーダー格の男は立ち上がった。

 そして、手の甲をビャクヤにかざし、爪を見せつけた。

 爪は、一瞬にしてナイフのように変化した。全ての指の爪が同じようになった。

「猟奇の顕現『ジャックザリパー』。この爪の名は、『リッパーネイル』」

 リーダー格の男の能力は、かの有名な未解決事件、切り裂きジャックにちなんだものだった。

 彼の『この夜』での通り名もまた、猟奇的殺人事件の犯人の通称から、ジャックである。

 ジャックの能力を目にしても、ビャクヤは動じない。

「へえ。キミもツメが武器なんだ。しかもずいぶん曰くありげな能力だね」

 切り裂きジャックの事件は、約二百年近く経ち、様々な科学技術が発達した今でも、犯人が何者だったのか分かっていない連続殺人事件である。

「ひょっとして。切り裂きジャック事件の犯人ってキミ? いや。キミの能力かな」

 ビャクヤは、考察してみる。

 事件の犯人が未だに明らかになっていないのは、殺した犯人が『虚無』によるものだからではないか。

 犯行が『虚無』やその力の一部を手に入れた『偽誕者』ならば、能力を行使しても証拠が残ることはまずあり得ない。

 故に、切り裂きジャックは、猟奇のイグジスを与える『虚無』の仕業だったのではないかと、ビャクヤは結び付けたのだった。

「キミもその能力で。結構な数の人を殺してるんじゃない?」

「ごちゃごちゃワケわかんねぇこと並べ立ててるが、当たってる所はあるぜ。それはテメェの言う通り、人殺しは毎日やっていたことだ!」

 ジャックは爪を立て、ビャクヤを刺し貫こうと急襲した。

 ガキンっ、と鋭い音が鳴り響いた。

「まるでダメだね」

「なにっ!?」

 ビャクヤは、鉤爪で攻撃を受け止めた上で、空いた鉤爪をジャックに突き刺した。

「ぐばっ!」

 ビャクヤは鉤爪抜くと、ジャックが倒れ込む前に更なる追撃をする。

「仕留める……」

 ビャクヤは両手に糸を出し、ジャックを横切った。その瞬間に手を二度クロスさせる。

 合わさった糸は、ワイヤー以上の強度となり、ジャックの全身をきつく拘束した。

「おご、が、あっ……?」

 糸の密度も倍以上となり、ジャックは息も満足にできなかった。

「いいねぇ。その表情……」

 身動きは一切取れず、呼吸も十分にできないジャックを見て、ビャクヤは小さく笑った。

「どうだい? 苦しいかい? 怖いかい? キミに殺された人たちも。そんなふうに思ってたんだよ。人ってのは。死にそうになると誰でも怖いし苦しいんだ。僕がそうだったからね……」

 ビャクヤは、鉤爪を振るって糸を切り、ジャックを拘束から解放した。

「げほっ、げほっ……!」

 ジャックは、そのまま膝を付き、一気に肺に流れ込んできた空気にむせかえった。

 そこへビャクヤは、鉤爪でジャックの頭を挟み込み、やはり動けないようにする。

「助かったとでも思った? 残念。僕はキミみたいに人殺しの趣味はないし。死なれたら顕現を喰えないかもしれないからね」

 ビャクヤとジャックの実力差は、圧倒的にビャクヤが勝っていた。

 これまで、見るからに弱い相手を見つけては、死に至らしめるまでなぶっていたジャックは、自分より遥かに強い相手を前に恐怖を覚えていた。

「た、頼む……」

「うん? なにか言ったかい?」

「頼むから、命だけは助けてくれ! まだ死にたくねえんだよ!」

 ジャックは、恐怖のあまりに命乞いをした。

「……ぷっ!」

 ビャクヤは、この男が一瞬、何を言っているのか分からなくなったが、すぐに理解した。

 そして出てきた感情は、哀れみでもなんでもなかった。

「あっはははは……! 何を言い出すのかと思えば。命乞いなんて。ちゃんちゃら可笑しいんだけど!」

 ビャクヤは、抱腹絶倒するほどに笑った。この笑いで、だいぶ腹筋が鍛えられたような気がするほどだった。

「はあー。お腹いたい。ねえ。キミさあ。そうして命乞いしてきた相手を。容赦なく殺してきたんでしょ? 今更そんなものが。まかり通ると本気で思っているのかい?」

 ビャクヤは、鉤爪を引き寄せ、ジャックの顔を自らの顔の前まで寄せた。その距離は、お互いの息遣いが分かるほどである。

「おおお……お前は、いい、命までは取らねえんだろ? だっ、だったら、ほら、オレの顕現ありったけやるよ! そうすりゃもう殺しはできねえ! だだだ、だから見逃してくれ、いや見逃してください!」

 ビャクヤは再び、しばらくの間大きな笑い声を上げる。

「ははは……! 天罰てきめんってやつだね。これは。それじゃあキミの顕現。ありがたく頂くよ」

 ビャクヤは、顕現を喰らうための糸をジャックに巻き、これまで同様心臓部分を口元に寄せた。

「ぐっ……!」

 ジャックは、顕現を吸いとられるという、これまでに感じたことのない感覚に苦痛を覚えた。

 顕現を宿す『器』(ヴェセル)が空になっていく。『偽誕者』は『器』を満たす顕現がなくなると、能力の行使ができなくなる。

 しかし、それは一時のものであり、『虚ろの夜』に充満する顕現が『器』満たせば、時間はかかるが、再び能力は使えるようになる。

 ジャックは、この事を知っていた。

 殺しが癖になっていることもあったが、能力者同士の戦いになった時、顕現が回復するのを待って、後に報復される事を懸念して、ジャックは相手を殺していたのだった。

「ふう。さすが。まともな能力を使うだけあって。なかなか旨い顕現だったよ。ごちそうさま」

 ジャックの顕現を喰らったことにより、ビャクヤの腹は満たされた。

「おや? 何を呆けているんだい? もうキミには用はないよ。どこへでも行きなよ」

 ジャックは、顕現を奪われたせいか、体にもあまり力が入らない状態となっていた。

「ひっ、ひいい!」

 ジャックは、はっ、となり、急いでビャクヤから逃げようと背を向けた。そのときだった。

 ジャックは、背中から腹にかけて熱を感じた。同時に、おぞましい痛みが全身を襲った。

「な、なん、で……?」

 ジャックは、背中からビャクヤに、鉤爪で突き刺されていた。

「言葉が足りなかったね。キミにはこの世以外のどこかへ。逝ってほしかったのさ」

 ビャクヤは、ジャックを貫く鉤爪を抜いた。ジャックは、自らの腹から噴き出す血の海に沈む。

「よく考えたんだけど。『器』が残っている限り。キミの能力は完全になくなることはない。ということは『器』が満たされれば。またキミは人殺しをするんだろ? 僕の姉さんみたいに。不運な死にかたをする人が出てくるかもしれない。だったらここでキミを殺した方がいいかと思ったのさ」

 ビャクヤは、刺した理由を教えるが、ジャックは瀕死になっており、聞くことができないようだった。

「し、死にたくねぇ……しに、た、くねぇ、よ……」

 ジャックは、段々真っ黒になっていく視界に恐怖しながら、やがて事切れた。

「ふふふ……悪を成敗するのは。なかなか気分が良いものだね。……ふあーあ。腹も満たされたし。眠たくなってきたな。帰って寝よう……」

 ビャクヤは、一気に訪れた眠気に大きなあくびをしながら、食い散らかした死屍累々の広場を去っていく。

 広場の藪に、蠢く影があった。

『人の身でありながら、ここまで喰らうか。あの小僧、一体いかなる味がするものか……』

 異形のもの、『虚無』の姿をしたものは言葉を話すことができた。

 謎の『虚無』は、地面に転がる男たちを拾い上げ、蝕んだ。

 肉だけを食み、内臓は辺りに散らした。ジャックの周りだけだった血の海が、辺り一体を沈めた。

『……顕現が足りぬ。肉だけでは我が腹は満たされん。あの小僧、猛き虚無食い。いつかその顕現を喰ろうてやりたいものよ』

 謎の人語を話す『虚無』は翼を広げ、いずこかへと飛び去っていった。

 この晩より、世間には川沿いの広場に、猟奇的殺人犯が出没すると広められ、夜間は警察が配備されるようになった。

 しかし、能力を持つ『偽誕者』の中では、それが同じ『偽誕者』によるものであり、恐ろしい強さを持ち、顕現を喰らう『偽誕者』の存在が知られた。

 その者は、自らの考えを否定されるようなこと、ジャックのような無法者であれば、命まで奪う学生の『偽誕者』であると噂されるようになった。

 そして、鉤爪で切り裂いた返り血を浴び続けたその『偽誕者』は、いつしか赤紫に染まり、新たに別名として『ウィザードライラック』と呼ばれたのであった。

 




 どうも、作者の綾田です。
 最近ハマりにハマっている格ゲー、UNIのビャクヤがクロニクルモードの後、どのように過ごしてきたのか、いろいろ妄想しながら今回この作品を書きました。
 原作がラノベ風なのですが、かなりきつめのラノベテイストで、ルビの量が半端ないです。専門用語もなかなかハードです。
 原作ではいろいろ設定があるわりには、設定資料集のようなものがないので、本編ではけっこう捏造しています。設定資料集があるって知っている方は教えていただけないでしょうか?
 さて、私はUNIにはエクセレイトエストから入ったわりと新参者です。格ゲー自体は、電撃FCIをやったりしていましたが、UNIはいい意味でシビアなゲーム性だと思います。特に空中ガードがないのが電撃との大きな違いだと思います。下手にバッタやってると簡単に落とされるし、エスブラっぽいVOは、意外と切り返しに向かない、リフガに似ているシールドは読みを外すと割られてしばらく使えなくなったりと、上級者でも少しのミスで格下にも負けてしまうゲームバランスで、電撃よりもハマりました。
 猛練習のおかげか、ビャクヤランク一位になったことがあります。(今は二位か三位ですが)。それくらいにビャクヤ愛はあるつもりです。
 最後におまけとしてコンボレシピをのせようと思います。ぜひ参考にしてみてください。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

おまけコンボレシピ
B料理>A罠>着地>2C>5C>B罠>A派生>DB>A料理一段>A罠>A派生
 開幕で使うと意外と当たる。罠を当ててグリッドを奪い、壁際まで追い詰める。最後のA派生後はDBからA料理、C食べ頃まで繋がるが、A料理最終段まで当ててしまうとバウンドを使いきって、C食べ頃はスカるので注意。一段>C食べ頃なら繋がるが、開幕ではゲージが貯まらない。ゲージがある時にこの始動がヒットしたら、運び技だと割り切って食べ頃をC料理にした方がいいかもしれない。
 尚、B料理を二段以上ガードされると昇竜やサマーなどが確定するので、無闇に振ると切り返される。対空を持っていないキャラでも走って潜られることもあるので、罠でごまかしは難しい。一段罠も反確なので、罠を張らずに最速で5A、または2Aをすれば投げを潰せることがあるが、若干不利。

2B>B料理>A罠>2C>5C>B罠>B派生>Bスカ>2C>A料理>C食べ頃
 壁際でヒット確認後。2Cや3Cなどの下段だとB罠がスカる。2B>2Cの場合であれば、B料理を一段にすればB罠が当たる。
 ダメージアップを狙いたければ、B罠>溜3C>C罠>B派生>Bスカ>2C>A料理>C食べ頃。
 起き攻め重視するなら、B罠>D派生>2C>5C>B罠>A派生>C食べ頃。

DB>B料理>2C>5C>B罠>A派生>DB>A料理>C食べ頃
 開幕でも使える。ビャクヤのDBはかなり遠くまで届く下段なので、奇襲する時にも刺さる。しかし、垂直ジャンプでかわされると反確なので、多用は禁物。
 DB始動はコンボ補正が緩めなので、壁際だとB派生を二回使うこともできる。しかし、バウンドの上限は三回なのでB派生二回後は2Cで拾ってA料理一段>C食べ頃という流れにする必要がある。A料理一段>C食べ頃はコマンドが難しいので、練習が必要。コツとしては、236Aの後6を押しっぱなしにしてもう一度236とすると昇竜コマンドができる。ニュートラルにしない方が失敗しにくい。

固め
5B>2C>3C
5B>3C>5C>2B
5A>2C>3C
5C>2B>3C
2A>ずらし2A>ずらし2B
2B>I3C
5C>B食べ頃
5B>A食べ頃
等々。3Cを溜めるか、FFの中段を入れると崩しやすい。ただしFFはガードで反確なのでCSはほぼ必須。CS後、最速Bで空中Bが出せるので、実質二段階中段が出せる。相手の後ろに罠をはっておけば、ノックバックで相手に罠が当たるので、反確はなくなるが、壁際では複雑な罠の張り方をしなければならない上、ダッシュで逃げられるので現実的ではない。


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月との再会、隷属の蜘蛛

 顕現喰らう能力者となったビャクヤ。彼は顕現を喰らうことを食事としていた。
 『夜』に入っては出くわす『偽誕者』を相手とし、その顕現を糧とする。
 いつものように食事を終えると、ビャクヤは珍妙な気配を察知する。その気配の先を辿っていくと、ビャクヤは驚愕することとなった。
 ビャクヤが出会った者、それは一人の女である。その上、その容姿は、死んだ姉と瓜二つであった。
 この『夜』に、女にはある目的があった。しかし、彼女には、『夜』を渡り歩くには少なすぎるほどの力しかなかった。
 ビャクヤは、姉に似る女をどうしても放ってはおけなかった。説得の末、女はビャクヤの姉、『ツクヨミ』の名を名乗り、ビャクヤとある契約を結んだ。
 それは、表向きは姉弟を演じ、ビャクヤはツクヨミの剣であり盾として付き従うことだった。
 ビャクヤにとっては、姉が蘇ってくれたかのようなものだったが、ツクヨミは彼を武器としてしか見ない、冷酷さを彼に示すのだった。


Chapter4 月との再会

 

 空中に切れた糸と血飛沫が舞った。

「ハハハハ! それそれそれ! めった切りだ!」

 ビャクヤは、顔に返り血を浴びながら高笑いをあげ、ウェブトラップにかかった相手を鉤爪で切り刻んだ。

 八裂の八脚(プレデター)は、血に染まり、もとの色と合わさって赤紫色になっていた。

「ぐっ、うう……」

 ビャクヤと戦っていた者は、全身をズタズタに切り裂かれ、大量出血で気絶した。

「あれ? キミ弱いなあ……」

 ビャクヤは右手を腰に当て、伏し目がちに相対していた男を見る。

 血の海に沈む男には、まだ辛うじて息があった。生きている内でなければ、ビャクヤの腹を満たす顕現を得られない。

「まあいいや。そのまま動かないでくれ。下手に暴れられると服が汚れるんでね……」

 ビャクヤは、鉤爪で男の首を挟んで持ち上げて無理矢理立たせ、手から顕現を喰らうための糸を放って全身を縛り付けた。

 そして、まだ僅かに鼓動する心臓を口元に寄せて、その者の顕現を喰らった。

「……ふう。今日のはまあまあかな。ごちそうさま」

 顕現を喰らい尽くされ、空になった男はその場に捨てられた。

「はーあ。何だか飽きてきちゃったなぁ……」

 顕現を喰らうことは、今のビャクヤには、食事と全く同じ存在であるため、飽きの対象はこちらではない。

 数日前であったか。ビャクヤは、『忘却の螺旋』(アムネジア)という組織に属す不良集団を喰らい尽くした。

 その集団のトップにいた男、『猟奇のイグジス、ジャックザリパー』という、かのイギリスで起きた猟奇的連続殺人を想起させる能力を持つ者と戦った。

 ビャクヤは、十人は下らない人数を殺しているであろう男、ジャックを討ち倒した。

 それ以来、『忘却の螺旋』でもそこそこの実力者であったジャックを倒した、ビャクヤに挑んでみようという、『忘却の螺旋』に属す者たちと戦いの日々を過ごすことになってしまった。

 初めの内は、探さずとも出現してくれる獲物に、ビャクヤは喜んでいたものだった。しかし、誰も彼も弱すぎてしかたがなかった。

 ビャクヤに挑んでくる者たちは、皆『忘却の螺旋』の実力者を自負していたが、誰もがジャックと同等、もしくはそれ以下だった。

 加えて彼らは、ジャックと同様に殺人快楽主義者であったため、ビャクヤは、彼らがこれ以上殺しができぬよう、逃がさず止めを刺してきた。

 それが原因で、八裂の八脚は血濡れた赤になり、ビャクヤ自身も血染めになった『偽誕者』(インヴァース)を捕食してきたために、頭髪が赤みを帯びるようになっていた。

「姉さんとの思い出のあるこの場所も。ずいぶん血生臭い所になっちゃったなぁ。まぁ。僕が殺すからだけど……」

 最近では、『偽誕者』が徘徊するせいで、虚無の気配も薄れてしまっている。もうここに来ても、姉さんとの思い出の地を汚すだけかもしれない。

「はぁ……ここに来るのもそろそろ止め時かもね。退屈な日々に戻るのか。帰ろうかな……」

 辺りになんの気配もなくなったのを確認すると、ビャクヤは『虚ろの夜』を後にしようとする。その瞬間だった。

「おや? この気配は……」

 非常に微弱な顕現であるため、今まで察知することができなかったが、ビャクヤは『偽誕者』の気配を感じた。

「まだ妙なヤツが彷徨いていたのかな? ん。この匂いは……」

 この広場に集う『偽誕者』とは、まるで違う匂いを感じた。

 いつもはとにかく、好戦的な者が血の匂いをぷんぷんさせているのを感じるのだが、今感じ取っているのは、とてもよい匂いであった。

 よい匂いであるが、食指が向くような匂いではなく、嗅いでいて心地よい気分になる芳香である。

「何だろう。すごくいい匂いだ。まるで姉さんのような……」

 姉さんは、容姿端麗でとてもよい匂いをしていた。

 香りのよいものが好きで、ガーデニングで栽培したハーブをお茶にして飲むだけに止まらず、香水を自作したりもしていた。

「まさか。姉さんがこの夜にまた現れているのか……!?」

 ビャクヤは、とても落ち着いてなどいられなかった。

「こうしちゃいられない。姉さん。すぐに会いに行くよ!」

 ビャクヤは匂いを追い、足早にこの場を後にした。

 ビャクヤは、この能力を得てから、嗅覚が非常に発達していた。

 嗅覚で有名な生き物といえば、犬であり、その鋭さは人間の何十倍にも及ぶと言われる。

 ビャクヤの嗅覚も、流石に犬ほどには及ばないものの、半径にして五十メートルまで匂いを感じられ、近付けば近付くほどその精度だけは犬をも超える。

 犬に探知できるのは、精々匂いの対象の位置ぐらいのものだが、ビャクヤには匂いだけで、獲物の位置のみならず、それの大きさ、顕現の強さまでも感じとることができていた。

 ビャクヤは、姉さんによく似た匂いをたどり、その匂いの元を追いかける。

 顕現を感じる辺り、匂いの元は『偽誕者』と思われたが、ビャクヤの近くに自ら近寄ってはいないようで、集中していなければ匂いの元を見失いそうになった。

 しかしついに、ビャクヤは匂いのする位置、どれほどの体長と力を持つのか分かった。

 距離にして、もう十メートルもない。その先にビャクヤの探す者は、動くことなくそこに止まっていた。

 最早逃げても無駄と判断し、そこに立ち止まっているのか、僅かしかない隠れ場所に隠れてビャクヤをやり過ごそうと言うのか。

 いずれにせよビャクヤには、その先にいる者がどのような風体なのか、全て分かっていた。

 ビャクヤの想像通り、匂いの元は女のものであり、姉さんと同じぐらいの背丈をしている。

 そして、感じ取れる顕現は、これほどまでに近寄っても僅かでしかない。これが本当に『偽誕者』の持つ顕現なのか疑わしくなるほどである。

 だが、全ては、あと少し近寄れば明かされる。

 ビャクヤは逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと匂いと顕現の存在するところへ歩み寄っていく。

 こつこつ、と靴音を立てながらゆっくり歩み寄る様子は、さながら今から殺しを行おうかという殺人鬼そのものだった。

 曲がり角を進み、ビャクヤは十字路に差し掛かった。

 そこは木や垣根が植えられ、芝生が広がる、この都市には珍しい緑溢れる場所であった。ここであれば、多少なりとも隠れる場所はある。

 しかし、ビャクヤの鼻の前には、そのようなかくれんぼは無駄である。顕現を持つ『偽誕者』相手ならなおさらである。

「さーて。珍しい。こんなところに誰がいるのかな?」

 ビャクヤは、これから探し出すと宣言するように、大きめな独り言を言った。

「どこかなー?」

 対象の、女のいる位置はもうビャクヤには分かっている。しかし、ビャクヤはわざと子供っぽく、いかにも探している演技をして見せる。

「ここかなー?」

 ビャクヤは、女が隠れているすぐ近くの低木に鉤爪を突っ込んだ。

「あれー? いないのかなー?」

 ガサっ、と近くの低木の葉が揺れる音がした。

 ビャクヤは、腹の中で笑いながら、よりわざとらしい声をあげる。

「あれれー? なーんか今音がしたような気がしたけど。気のせいかなー?」

 ビャクヤは、音のした方へと足音高く歩み寄った。

「ここかなー? いや。あっちかなー? 暗いからよく分からないや」

 ビャクヤは、これ以上無駄なかくれんぼをしているのも飽きてきた上に、これ以上相手の女を怖がらせるのは悪趣味だと思い、この辺りで下手な演技は止めることにした。

「なーんて。最初から分かってたけどね。みーつけた!」

 ビャクヤは、鉤爪で低木を少し切り裂いた。

「…………っ!?」

 低木の先に、かなり驚いた表情で腰を抜かしていたのは、ビャクヤの思った通り、女だった。

 純白のワンピースに身を包み、腰元まである長い髪をしており、前髪は左に流していた。

「そっそんな。キミは……!?」

 ビャクヤは、ワンピース姿の女以上の驚きに包まれていた。

 女は、ビャクヤの驚き様に、怪訝そうに眉を寄せた。

「あ。ああ……!」

 ビャクヤは、震えながら両膝をついた。

「…………っ!」

 ビャクヤは、ガバっ、と女を抱きしめた。

「ああ! 姉さんっ。姉さん! やっと見つけた! やっぱりここ(この夜)にいたんだ! ずっと探してたんだよ? どこにいたんだよ!」

 ビャクヤは、もう恥も外聞もなく、抱きしめた女の胸元に額を擦り付け、その香りに浸った。

「んん……ちょっ、止めなさい……!」

 突然、訳の分からないことを言いながら襲いかかってきたビャクヤに、女は顔を紅潮させて体をよじる。

「姉さん! 姉さん! そうだ。もう一度顔を見せて……」

 ビャクヤは、女の胸に擦り付けていた顔を一度離した。そして、女の顔を再び見ると、ビャクヤは眉を寄せた。

「って。あれ? 貴女(キミ)。だれ?」

 ビャクヤが離れたかと思いきや、放たれた言葉がこれであり、女は反射的に平手を放った。

「あっ!?」

 パシンッ、と音高く平手を受け、ビャクヤは怯んだ。その隙に、女はビャクヤから距離を取り、乱れた胸元を抑える。

「……いったいなー。何するのさ」

 ビャクヤは、不意の平手打ちを受けた頬を擦りながら口を尖らせた。

「……あんなことをされたら、誰でも何かしらの反撃はするもの。あなたの言葉、全てそのまま返すわ」

 女は、ビャクヤを少し睨んだ。

「あははは。確かに。貴女の言う通りだ。ごめんごめん」

 ビャクヤは、笑いながら謝り、立ち上がって女に手をさしのべた。

「立てるかい?」

 女には、その手を取るのは憚られた。

「……また、変なことをするつもりなのではなくて?」

「ははは。まさか。僕は姉さん以外の女の人には興味はないからね」

 発言に危うさを感じるが、女はビャクヤに、能力を悪用して強姦をするような趣味はないような気がした。

 しばらく様子を見るが、ビャクヤは、さしのべた手を引く気配がなく、女は仕方なくその手を取った。

「よっと」

 思いの外ビャクヤは、女を優しく立ち上がらせた。

「あっちにベンチがあるんだ。立ち話もなんだし。行かないかい。姉さん?」

 女には、ビャクヤの意図がまるで分からなかった。

 突然、この世のものとは思えないものを見たかのような驚きを見せたかと思うと、襲ってきた。

 しかしながら、そのまま姦淫に及ぶのかと思いきや、それもしなかった。

 そして何より奇妙なのは、ビャクヤが女の事を『姉さん』と呼び続けていることだった。

「どうしたんだい。姉さん? こんな藪にいたら虫に刺されるよ? いや。虫ならまだマシか。虚無に襲われるかもしれないよ?」

「……たった今、あなたに襲われたばかりだから、私には虚無の方がマシだとさえ思えるわね。それと、あなたさっきから、私の事を『姉さん』と呼んでいるけど、私はあなたの姉ではないわよ」

 ビャクヤは、カラカラと笑う。

「あはは。分かってないなぁ。そんなの僕でも分かっているよ。貴女が姉さんじゃないことくらい。ね」

「あなたは、『この夜』でお姉さんを捜しているのかしら? どうしてこんな所で捜しているのか知らないけど、普通に失踪したのなら、警察にでも行った方がいいのではなくて?」

 またしてもビャクヤは、何が可笑しいのか、笑い声をあげる。

「あははは。全く。姉さんは分かってないなぁ。それができるんなら。とっくの昔にやっているさ。姉さんは。この世界にはいないのさ」

 女は、いちいち小バカにされているような気分に、少しばかり苛立ちを覚え始めていたが、ビャクヤの話を聞いて、ある事を察した。

「この世界にはいない? ということは、あなたのお姉さんは……」

「うん。少し前に事故でね。ずっと一緒にいようって。約束したのに。死んじゃった」

 ビャクヤは、あの日を思い出したのか、顔から一切の笑みが消えた。

「……姉さんが死んでから。僕は生きる意味を失った。だから後を追おうかと思ったら。いつの間にか『この夜』に入り込んでいた。そして人を喰う影。虚無に襲われて死にかけた。その時だったよ。それまでどんなに願っても見られなかった。姉さんの夢を見た。いや。あれは姉さんそのものだった。だから。『この夜』を歩き回っていれば。また姉さんに会えるんじゃないかって。思ってたんだ」

「……それで、あなたのお姉さんそっくりの私を見てあんなことを。そんなに私はあなたのお姉さんに似ているのかしら?」

「うん。生き写しとまではいかないけど。雰囲気や仕草が似ているんだ。今もこうして話していると。より似ている気がしてくるよ。ああでも。姉さんとは全然違うところはあるよ。姉さんは、そこまで厳しい口振りじゃないし。もっと可憐な完璧な女性さ。それに。姉さんの方が胸があったよ。ああ。この姉さんは今はいない方の姉さんであって。姉さんじゃないからね」

 ビャクヤを可哀想な少年なのだな、と思っていた女だったが、彼の余計な言葉で哀れみが消えた。

「はあ……」

 女は、ため息をつくと歩き出した。

「ああ。待ってよ。どこにいくのさ?」

 余裕の表情だったビャクヤだったが、慌てて女を引き留める。

「疲れたのよ。この先に座れるところがあるのでしょう? あなたに少し訊きたいことがあるの。いいかしら?」

 ビャクヤに笑みが戻る。

「なるほどね。それじゃあそこで待っててよ。お茶でもご馳走するからさ」

 ビャクヤは、近くの自動販売機へと向かって行った。

 女は、一人その場に残された。

 このままここを去ってしまおうかとも思ったが、隠れても逃げても、あの少年には簡単に見つかってしまうだろうと考え、それは止めることにした。

 あの少年が果たして知っているかどうかは分からないが、女には本当に訊きたいこともあった。

 今の自分には、戦う術がない。故に妙な真似をしてあの少年の気分を害する事をすれば、今度こそ力で凌辱を受けることになるやも知れない。いや、それだけならまだいい。命を取られる危険すらある。

「…………」

 女は、ひとまず事を荒立てないよう、少年の言う通りにすることにした。『虚ろの夜』にいるのだ。いつ何があってもおかしくない。

 あの少年は、見た目は、目鼻立ち整った美少年であるが、肌は透き通るように白く、眼はどこか果てしなく遠い所を見ているかのように、常に虚ろであり、病弱な印象を受ける。

 さっき襲われかけた事もあり、女はあまりあの少年とは関り合いになりたくなかった。

 ここはもう、賭けに出るしかなかった。穏便に彼から去ることができるか、それとも最悪、殺されることになるか。

――サイコロで賭博なんて甘いものじゃなく、ロシアンルーレットね。それも六分の五が弾丸の、ね――

 女は、そんなことを考えながら、川沿いに設置されたベンチへと腰を落とした。『虚ろの夜』の影響で、人工的な雑音は一切聞こえない。川のせせらぎが耳に優しく、夜風も穏やかに頬を撫でる。

――こんな時でなければ、ゆっくりと過ごしたいものね……――

「や。お待たせ」

 女の心を乱す存在が、両手に缶ジュースを持ちながら戻ってきた。

「はい。これ」

 ビャクヤが女に渡したのは、ミルクティーだった。

「姉さんの好物だったんだ。ハーブティーも好きだったけど。よく自分で淹れていたよ」

 ビャクヤも同じミルクティーを持っていた。

 ビャクヤは、フェンスに寄りかかり、缶の蓋を開けミルクティーを飲み始めた。

「ふう……懐かしいな。姉さんの事を思い出しちゃうから。ミルクティーなんてずっと飲んでなかったからね」

 女は、渡されたミルクティーには一切口をつけず、手に持っているだけである。

「あれ。飲まないのかい?」

「おあいにくさま、私は紅茶はストレートが好きなの」

 建前であった。本音は、ビャクヤから受け取ったものなど口にしたくないだけだった。

「そうなんだ。じゃあこれ」

 ビャクヤは、鉤爪に挟んだ缶を手に取り、女に差し出した。

「これは……ストレートティー?」

「お好みに合わなかったらと思って買っておいたんだ。やっぱり気が変わったりしたら。まだ他のがあるよ」

 ビャクヤは、さらにもう一本缶ジュースを持っていた。それはレモンティーである。ビャクヤは、自動販売機で買える紅茶全て買っていた。

 女は、ストレートティーを所望してしまった手前、むげに断ることができなくなってしまった。もしも断れば、ビャクヤの機嫌を損ね、無事ではすまされなくなるかもしれない。

「……いただくわ」

 女は、仕方なくストレートティーを受け取って蓋を開けた。二口、三口ほど口に含む。

 自販機で売っている紅茶にしては、味も香りもいい気がした。喉から鼻へと抜けていく茶葉の香りが、女の心を落ち着けた。

――気持ちを鎮めるには、ちょうど良かったかもしれないわね……――

「よかった。飲んでくれて。そういえば姉さ……いや。貴女は姉さんじゃないし。貴女の事はなんて呼べばいいのかな?」

「姉さん。でいいわ、もう……」

 女は、さんざん姉さん呼ばわりされてきて、今更変えさせるのも面倒な気がした。それに、ビャクヤとこうして話すのはこれっきりだろうと思い、好きに呼ばせることにしたのだった。

「やった……!」

 案の定、ビャクヤは喜色を浮かべる。

「それで。姉さんは僕に訊きたいことがあったんだよね? 何でも訊いてよ。できるだけ力になるからさ」

 ビャクヤは、仮の姉のために、何かしら役に立ちたいと張り切っていた。

 しかし、対する女の方は、あまり期待していなかった。

 探しているものが、このような不気味な少年ごときから聞き出せるとは思えなかった。

 よくて、この近辺に暴れまわるものの噂を聞き出せれば上出来である。

「どうしたの? 遠慮せず訊きなよ」

 ビャクヤは、女にニコニコと屈託のない笑みを向ける。

「…………」

 女は、もう一度心を沈めるべく、紅茶を少し口にする。

 そして、ビャクヤに訊ねた。

「あなた。最近この辺りを荒らし回っている『偽誕者』について何か知らないかしら?」

 ビャクヤは渋い顔をした。

「姉さん? ここいらにそういうヤツは。掃いて捨てるほどいるんだよ? それだけの情報じゃあ分からないよ」

 やはり知らないか、と女は思うが、同時にビャクヤの言うことにも一理あると考える。

 しかし、女は、捜している者を口外したくはなかった。

 これまでのやり取りで、ビャクヤは少し変わった少年であると考えられたが、少なくとも好戦的な性格ではないと思われた。

 しかし、女の捜す者は、全くの正反対であった。

 相手が虚無であろうと、『偽誕者』であろうと、顕現を持つものであれば、何にでも襲いかかる非常に狂暴な状態に陥っている。

 そんなものが、ビャクヤとかち合うことになれば、まず間違いなく戦い、いや、殺し合いに発展することだろう。

――ちょっと待って。このままだと?――

 女は考えながら、最悪の可能性に気付いてしまった。

 例えこの場は穏便に過ぎることができたとして、彼女について何も知らないビャクヤが出会ってしまうことがあればビャクヤに、女の捜す者が殺される可能性である。

 ビャクヤから感じられる顕現は、不気味な上に非常に強い。二人が戦い合うことになれば、間違いなくビャクヤが勝つに違いない。

 故に女は、秘匿するのは危険だと思ったのだった。

「姉さん? おーい。姉さーん」

 ビャクヤに呼びかけられ、女は、はたと我に帰った。

「姉さん。どうしたのさ? ずっと難しい顔して黙っちゃって?」

「ごめんなさい、少し考え事をしていたのでね。あなたの言う通り、これじゃ情報が足りなさすぎたわね。質問を変えるわ。この辺で女の『偽誕者』の噂は聞いたことはないかしら?」

 女は内心、この男と彼女がまっ正面から出会っていないことを祈っていた。

 ただ見聞きしたことがある。そうした情報が返ってくるのを切に願っていた。

「うーん。知らないなあ。男の『偽誕者』とは数えきれないくらい出くわしてるけど。女の人と『この夜』で会ったのは姉さんが初めてだよ。そうそう。『この夜』に来られるって事は。姉さんも『偽誕者』なんだよね? それにしてはずいぶん力が弱いけど?」

 ビャクヤの解答に、女は安堵と落胆が半々であった。

「そう。なら悪いことは言わないわ、その子に遭うようなことがあったら、逃げなさい。忠告しとくわ。それじゃ、お茶、ご馳走さま」

 これ以上、ビャクヤを詮索したところで、何も出ては来ないと思い、女はベンチから立ち上がった。

「ああ! 待ってよ。姉さん! お願いだから!」

 ビャクヤは、必死になって女を引き留めようとする。

「何かしら? 私は急いでいるの。『虚ろの夜』で暴れまわっているだろう、あの子を捜すために」

「あの子? 姉さんはその『偽誕者』を捜しているのかい?」

「いちいち下らないことを訊かないで頂戴。あなたには関係の無いことよ。さよなら」

「待ってよ! 姉さんの言ってることが本当なら。そんなのに会うのは危険じゃないかい!? 姉さんにもしもの事があったら……」

「あったら、なんだと言うの? 姉さんなんて呼んでるけど、私はあなたの姉ではない、赤の他人でしょう? 私がどうなろうと、あなたには無関係じゃなくて?」

「無関係なんかじゃないよ。やっと姉さんに会えたのに。これでお別れなんて嫌なんだ。勝手なことを言っているのは分かっている。だからもう少し話しをしようよ!」

 ビャクヤが何故、こうまでして引き留めるのか、女にはまるで理解できなかった。

 女が、ビャクヤの姉に似ているから彼は引き留めようとしているのか、と思ったが、それにしては執着が強すぎるように感じる。無事にこの場を収めるには、やはり無下にはできない。

「ふう……」

 想像していたよりも、それもまるで考えもしなかった方向への厄介な事態に、女は、大きくため息をついた。

「あなたとこれ以上話したところで、あの子の情報は得られないと思うのだけど……」

「情報ね。それはもっと話しをすれば何か分かるんじゃないかな。ああ。そうだ!」

 ビャクヤは不意に、大きな声で何か思い出したようなそぶりを見せた。

「そんな大声出して何事なの? 人をわざと驚かせるような真似は悪趣味よ」

 女は、驚きながらも、ひょっとしたらビャクヤが何か知っているのではないか、と淡い期待を抱いた。

「驚かせちゃった? ゴメンゴメン。別にどうってことないよ。ただ。自己紹介してなかったと思ってね。僕はビャクヤっていうんだ」

 微笑を浮かべながら、ビャクヤは名乗った。

 女は、ようやく少年の名前が分かった。そして同時に、ビャクヤという名の由来について考えた。

――ビャクヤ……白い夜と書くのかしら? この子らしい不気味な名前ね……――

 北極圏や南極圏にて、ある一定の時期に起こるという、日が沈まないままの夜。その夜は、日が沈まないために、いつまでも空に太陽があるという。故に、本来黒い空の夜に対して、光があるために白夜と呼ばれているらしい。

「姉さんの名前は何て言うの? やっぱり教えてよ」

「あら、急に品の無いナンパを始めるのね」

「ははは……ナンパね。そんなんじゃないよ。ただ貴女の事をもっと知りたいだけさ」

「それを一種のナンパと言うのではなくて? 残念だけど、今の私には、名乗るべき名前はないわ」

「ふむふむ。なるほどね。何か深いわけがありそうだね。僕も大人だ。あまり深くは訊かないでおくよ」

 意外にもビャクヤは、女の事を根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかった。

「それがいいわ。無用な詮索はするものじゃない。特に相手が女性ならなおさら、ね」

「姉さんも同じ事を言っていたよ。人には人のプライバシーってものがある。ってね」

 けれど、っとビャクヤは一つだけ訊ねた。

「姉さんは。あの子? っとかいう人捜しをしているんだよね? それもこんな危険な『虚ろの夜』をそんな弱い力で。姉さんは自分のしていることが分かっているのかい?」

 ビャクヤの言葉に、女は反論の余地はなかった。一言一句彼の言う通りである。

「ええ、分かっているわ。でも、私はあの子を見つけなきゃいけない。これは私の使命なのよ」

「ふーん。本当に分かっているのかい? 『この夜』には虚無がうようよしているし、『偽誕者』だって彷徨いている。猛獣だらけのサファリパークを生身で歩くようなものだよ? 本当に分かってるのかなー?」

 ビャクヤは、腕組みをし、眉根寄せながら女を見た。

 終止破茶滅茶な物言いをしていたビャクヤだったが、ここへ来て正論を並べ立てる。女は言葉につまってしまった。

 今ビャクヤの言っていることは、全て正しい。人を襲って喰らう虚無は確かにいる。むしろここは、虚無の住み処、いや、世界とまで言っても過言ではない。

 加えて、虚無の力の一部を受け取って、普通の人ならざるものになった『偽誕者』と呼ばれる者も存在する。

 超常の能力を手に入れた『偽誕者』は、そのほとんどが、自らの力を(いたずら)に試そうという者だらけである。

 もちろん例外はあるが、基本的には、『偽誕者』同士がぶつかれば戦いに発展する。それは、命までは取らない喧嘩程度ものから、殺すか殺されるかの命のやり取りまで多岐にわたる。

 それでも女には、ここでやらなければならないことがあった。自らが知らぬうちに傷つけてしまっていた『あの子』を捜さなければならない。

「……今あなたの言っていることは正しいわ。でも、それでも、私にはやらなきゃならない、捜さなきゃならない人がいる。たとえ、片腕を喰い千切られようと、この眼を潰されようと、生きてあの子に会わなければならないの!」

 物静かな雰囲気だった女が、必死の形相で声を上げた。

 ビャクヤは、女の様子に驚いていた。悲壮なまでの決意が、女から伝わってきた。

 ビャクヤは、驚きでしばらく目を見開いていたが、すぐに生気の無い目に戻った。そして特有の微笑を浮かべ、言葉を発する。

「なかなか感動的な話だねぇ。大切な人を失う悲しみは。僕には十分にわかる……そうだなぁ……」

 ビャクヤは、うーん、と何か考えるようなそぶりを見せたかと思うと、とても予想だにしない提案をした。

「そうだ。こうしよう。()()()()()()()()()

「…………は?」

 感傷に浸っていた女から、一瞬、いやそれ以上の間、一切の感情が消えた。

「な……」

――な――

――に――

――を――

――?――

 女は驚愕のあまりに、言葉さえもまともに紡ぐことができなかった。

 何が可笑しいのか、ビャクヤは微笑みを女に向け続けている。

――何を言っているの、この子は?――

 女は、やっと思考が追い付いてきた。

「どうしたんだい? そんなに難しい顔してさ。僕何か変なこと言ったかな?」

 ビャクヤは、相変わらずニヤニヤと笑う。

「……そうね。あなたの唐突さにも、そろそろ慣れてきた所だったけど、こればかりは頭が理解しきれないわ」

 今度はビャクヤが難しい顔をする番だった。何を考えているのか分かりかねるが、あーでもない、こーでもない、と唸りながら考えている。

 やがてビャクヤは、大きくひと息つき、話し始めた。

「説明するのがめんどくさいんだけど。仕方ないね。姉さんには。今戦える力がない。だけど。この虚無や『偽誕者』のはびこる危険な『虚ろの夜』でやらなきゃならない事がある。それが人捜しと来たもんだ。さぞ難儀なことだろうね」

「……ええ。私だってそこまで愚かじゃない、どれほど難儀な、いえ、命の危険の伴うことをしているのか分かっているわ」

「なぁんだ。分かっているじゃないか。そこでこの僕の出番。と言うわけさ」

 ビャクヤの言葉は、趣旨が欠落していた。

「……そこが分からないところなのよ。何故私があなたに守られなくてはならないの?」

 ビャクヤは、自分の話が分かってもらえていたつもりでいたが、女の返答に眉を曲げて口を尖らせた。

「んもー。全然分かってないじゃないか。はあ……やっぱり。これ以上は面倒だから三つにまとめるよ。いいかい? 一つ。姉さんには戦う力がない。二つ。僕には戦う力がある。そして三つ。僕らはお互いに『この夜』でなにかを探している……分かってくれたかい?」

「まさか、私の人捜しを手伝うつもりでいると言うのかしら?」

 パチパチと小さな拍手が鳴った。

「ご名答。その通り。さっきも言ったけど。『この夜』は猛獣だらけだ。そんなところを丸腰で歩いていたら。いつ喰われるか分かったものじゃない。けれども。ナイフの一本や二本あれば。猛獣とも戦えるでしょ? 猟銃でもあれば尚更心強い……」

 ビャクヤは、右手の親指と人差し指を伸ばし、バーンとね、と銃を撃つようなフリをした。

「それにさ。僕は貴女じゃない姉さんの姿を探す。姉さんはあの子とやらを捜す。利害の一致。一石二鳥。まさに両者勝利(ウィンウィン)じゃないか。まっ。僕にとってはもう一つ得がある。姉さんにそっくりの貴女と一緒にいることで。僕に生きる意味が生まれる」

 女は、だんだんとビャクヤの意図が分かり始めた。

「私を守るのは、あなたのお姉さんと私が似ているからかしら? 似ている私を守ることで、死なせてしまったお姉さんへの罪滅ぼしにでもなると思っているのではなくて? そうでなければ、そこまでしてあなたが私に付きまとう理由がない」

「うーん。それを言われると返す言葉が無いね。確かに。姉さんの言う通り。僕の自己満足なところが大きい。でも。僕という武器が有れば。『この夜』も恐くないよ?」

「……あなたから感じる顕現は、確かに強い。けれど、本当に私を守りきれるのかしら。交渉するなら、もう少し商品説明が欲しいところね」

「そうだねぇ。姉さんの言うことももっともだ。それなら……」

 ビャクヤは、口元を大きくつり上げた。そして、恐ろしい笑みを浮かべる。目は全く笑っていない。

「ここいらの雑魚。あらかた僕が喰い尽くした。虚無も『偽誕者』も。どちらも。ね」

 女はふと、捜し人について、様々な話や噂を耳にしていた。そんな中、こんな噂を聞いたことがあった。

 川沿いの広場に出没するという猟奇的殺人犯。その殺し方は、まさに残酷にして惨忍なものであり、臓腑を辺りに散らし、肉を喰われたかのような、ほとんど上半身の原型を留めないほどにバラバラにする、というものだった。

 警察は厳戒態勢で殺人犯の捜索に当たっているが、全くの収穫がないという。

 それもそのはずで、『虚ろの夜』で起こった現象は、現実世界に一切の痕跡が残らないのである。

 能力の行使をしていなければ、足跡くらいは残るのだが、能力が発動された瞬間に、そうした証拠は一切消えてなくなるのだった。

 無能力者は、基本的に『虚ろの夜』へと入ることはできない。故に、そうした死体ができるのは、虚無に喰らい尽くされたか、『偽誕者』同士の戦いの末によるものである。

 女は、その噂を耳にしたとき、『あの子』が暴れまわった跡なのではないかと考え、危険を承知で、戦う力がない状態で『虚ろの夜』へとやって来たのだった。

――まさか、最近この辺で死体が上がる事件の犯人というのは、『あの子』じゃなくてこの男だというの?――

 女は、訝しんでビャクヤを見る。

「なんだい? 疑っているのかい? だったら論より証拠。隣街にでも行って姉さんが望むだけの首を。獲ってこようじゃないか……」

 猟奇的な発言の上、『虚ろの夜』を徘徊する理由の薄さから、女はビャクヤが犯人だと確信した。

「……悪趣味ね。たとえあなたが私の身を守るに足る存在だとしても、惨忍な殺し方をするようじゃ、私の身にも危険がある、まさに諸刃の剣だわ。それなら……」

 女が言いかけた瞬間、ビャクヤは鉤爪を一本伸ばした。

 鉤爪は女の顔の横をすり抜け、女の背後に迫っていたものを貫いた。

 ギイイ、と耳障りな鳴き声のようなものを上げるそれは、小型ではあるが虚無そのものだった。

 ビャクヤは、捕らえた虚無を手元まで引き寄せると、空いている方の手から糸を出し、虚無をぐるぐる巻きにした。

「隣街まで行く手間が省けたよ。しかも。僕の力を姉さんの目の前で実演できた。これでどうかな? 僕は姉さんに危害を加えるものは何であれ排除できるって。証拠になると思うんだけど?」

 ビャクヤは、獲物を口元に寄せ、その顕現を喰らった。顕現を喰われた虚無は霧散した。

「ふう。こんな小物ではあるけど。姉さんみたいに戦う力がないんなら。やられるよ? 『偽誕者』なら分かるでしょ? 虚無の恐ろしさが」

 女は、一連の出来事に唖然としていた。

 ビャクヤは、寸分の狂い無く虚無を仕留めて見せた。少しでも位置がずれていたら、女の首も一緒に飛んでいた事だろう。

 更には、顕現を喰らう能力を有していた。顕現が著しく低下すると、『偽誕者』は能力の行使がしばらくの間できなくなる。

――これなら、力の無い私でも、あの子の『器』(ヴェセル)を壊せるかもしれない――

 女はしかし、まだ迷いがあった。

 それは、ビャクヤの奇怪な人間性である。しかしまた、無償で用心棒役をやってくれるような者は、大概まともな人間ではないのも当然の事だ。

「ねえ。考えたら。僕たちってお似合いじゃないかな?」

 またしてもビャクヤは、唐突な事を言う。

「……どう言うことかしら?」

 女はもう、ビャクヤの言葉には驚かなくなっていた。

「同じ大切なものを失った者同士。お似合いだと思ったのさ。取り戻すんだ。僕と姉さん一緒にね。僕は姉さんにずっと付いていくよ。どこまでまででも。どこへでも。ね」

「……呆れて何も言えないわね。最初に私に襲いかかってきた時点で変な子だと思っていたけど、ここまで変だったなんてね……」

 しかし女は、どこか吹っ切れたような気がした。特に何かと勝負をしていたわけではないが、ビャクヤの歪んではいるが健気な所に、根負けしたような気分であった。

「ふう……」

 女は一つ大きく息をつき、意を決して言葉を紡ぐ。

「分かったわ。あなたのお姉さんの名前、教えてくれるかしら?」

 ビャクヤは、目を見開いた。

「えっ!? それって僕の誘いに乗ってくれるってこと?」

「いちいち下らない事を訊くのね。早く教えてくれない?」

「ああ! こんなことがあるなんて。運命の神様とやらは僕を見ていてくれているようだ……!」

 女は反対に、死神にでも付け狙われている気分だった。

「自己陶酔するのは後にして。私の気が変わる前に教えなさい。あなた、女心が分からないって言われているんじゃない?」

「あらら。ごめんね。流石は姉さん。お見通しのようだね。月夜見(ツクヨミ)だよ。これが僕の姉さんの名前……」

「ツクヨミ……夜を優しく照らす月を思わせる名前ね。では、今から私はツクヨミと名乗ることにするわ」

 女、ツクヨミは新たな名前を得た。

 親友だった者に『器』を割られ、中身のなくなった女のそれは、ツクヨミという存在で満たされた。

「でも、勘違いしないことね。私はあなたの姉になるわけじゃない。あなたは私を守る剣であり盾。それ以上の何物ではない。私かあなたが死ねば、それで終わるかんけ……」

 ツクヨミは、驚いて言葉を止めた。

「ああ……あああ……! 帰ってきてくれた……」

 ビャクヤは、その生気の無い目から涙を流していた。

「姉さん……月夜見。ツクヨミ。つくよみ姉さん……」

 ビャクヤは、止めどなく流れ出る涙を拭うこともせず、ただ姉の名を口にするだけだった。

「…………」

 よほど姉との絆が深かったのか、とツクヨミは思った。

 ついさっき会ったばかりだという女が、ビャクヤの姉の名を名乗っただけだというのに、ビャクヤは肩を震わせ泣いている。

「ビャクヤ」

「……っ! 僕の名前を……」

 女はツクヨミとなり、初めてビャクヤの名を口にした。

「背中のそれ、しまってくれるかしら?」

「え? うん……」

 ビャクヤは、自身の顕現の象徴である鉤爪を、能力を停止する事で消した。

 するとツクヨミは、ビャクヤへと歩み寄り、背後へと回る。そしてビャクヤを抱き締めた。

「え……姉さん?」

「勘違いしないでちょうだい、ビャクヤ。あなたは私を守る剣。なまくらになられては困るから、今だけしっかり手入れをしてあげる。気がすむまでそうしていなさい。私が、姉さんが支えて上げるから……」

 ツクヨミは、自分でも一体何をしているのか訳が分からなかった。しかし、こうして(ビャクヤ)を宥める事、それが重要な気がしてしまったのだった。

 体を密着させ、片手でビャクヤの頭を撫でてやる。赤紫という不気味な色ではあるが、意外にもさらさらした髪で、指通りも心地よい。

――姉さんと呼ばれるのも、案外悪くないものね。でも、全ては『あの子』のため……――

「いつまでも腑抜けてないで、私のためにその力を振るい、存分に戦いなさい。我が弟、ビャクヤ」

「ああ。頑張る。頑張るさ。姉さんのためなら何だってする。この生命は。姉さんのためだけにあるんだから……」

 ビャクヤは、堰を切ったように声を上げて泣いた。

 ツクヨミは実の姉のように、ビャクヤを優しく抱き締め、その額を撫でるのだった。

 

Chapter5 鬼女、ツクヨミ

 

 窓辺から射し込む朝日に目を覚ますと、見慣れぬ天井が視界を支配した。

 ツクヨミは、ゆっくりと体を起こす。まだ眠気が若干あり、意識が定まらない。

 日の光を受ける内に、だんだん目が覚めていく。そしてツクヨミは、ここがどこなのか思い出す。

――そうだったわね……ここは、ビャクヤの家で、彼のお姉さんの部屋だったわ――

 昨晩に、ビャクヤと契りを交わした。

 外敵から身を守るため、ツクヨミはビャクヤと姉弟を装う事になった。

 それは、どのようなことがあろうと、ビャクヤはツクヨミに付き従い、ビャクヤにはまず有り得ないことであろうが、ツクヨミに害をなさず、ツクヨミの方はビャクヤに対して、どのような命令でもできる。そんな契約だった。

 ツクヨミが危険な目に遭わないよう、ビャクヤは昨晩、彼女を自宅へと連れ込み、姉が生前使っていた部屋に案内した。

 最初に会ったときの行動から、ビャクヤには、姉に対してよからぬ感情を抱いていたのではないかとツクヨミは思っていた。

 家に連れ込み、寝込みを襲うような真似をするのではないかと、ツクヨミは身構えていた。

 しかし、ビャクヤはツクヨミに対して、何もしなかった。

 姉の部屋を使うように言うと、ビャクヤは疲れていたのか、すぐに自室へと行き、眠った。

 年頃の男が、真夜中に女を自宅へ連れ込んでもなにもしないとは、不思議なものだった。もちろん、ツクヨミはそうした恥辱を受けることを望んでいた訳ではないが。

――それにしても、ずいぶんと綺麗な部屋ね……――

 部屋の主であったビャクヤの姉が亡くなってから、それほど時が過ぎていないといっても、部屋の様子はまるで、昨日まで誰かが使っていたかのように整理されている。

 たった今まで寝ていたベッドも、シーツは新しく、枕からも芳香がしていた。

 ツクヨミはふと、カーペットの敷かれた丸いテーブルの上に、フォトスタンドが置いてあるのに気が付いた。

――昨日は暗かったし、すぐに眠ったから、気が付かなかったわね――

 ツクヨミは、ベッドから降りて、テーブルの上のフォトスタンドを手に取った。

 そこに写っていたのは、男女のツーショットである。写真の右下にある日付を見る限り、写真は約一年前に撮られたもののようだった。

 片方は、ビャクヤである。昨晩会ったばかりだが、まるで別人と思ってしまうほど、キラキラした目をしている。あたかも、終わらない悪夢に苦しめられているような、疲れきって、生きる力が希薄な目をしている今のビャクヤとは大違いである。

 そして、その隣に頬笑む人物。彼女こそがビャクヤの姉さんであろうことはすぐに分かった。

 ビャクヤの姉を見て、ツクヨミは少し驚いてしまった。細かな違いこそ確かにあるが、フォトスタンドのガラスに僅かに反射して映る自分の顔と良く似ていた。

 腰元まである長い髪を持ち、前髪はツクヨミと同じく左に流している。

 顔の作りもとても似ているが、一つ差異のある所が目元である。ツクヨミに比べると、彼女の方がパッチリとして、優しそうな印象を受ける。誰にでも好かれ、包容力がありそうな感じがした。

――これだけ似ていれば、彼が肉親に見間違うのも仕方ないというもの。世の中には姿形の似ている人間は三人いるというけれど、これを見たら信じるしかないわね――

 ツクヨミは、フォトスタンドをもとの場所に置いた。

 それにしても、体がベトベトする。

 昨晩は夜遅く、すっかり疲れきった後ですぐに眠ってしまったため、ツクヨミは、ビャクヤに襲われかけた時の自分の汗の臭いを感じた。

「シャワーでも浴びようかしら……」

 ツクヨミは、クローゼットを開けてみた。中身はやはりというべきか、整理整頓がなされていた。

 ビャクヤの姉は、清楚な服装が好きだったのか、ワンピースがいくつか掛けられていた。

 ジーンズやジャージといったラフな服はなく、部屋着もネグリジェという、良家のお嬢様を思わせる服の種類であった。

 下着も派手なものはなく、控えめな色合いのものがほとんどである。しかし皮肉なことに、色は控えめでも胸の大きさは、昨夜ビャクヤが言っていたように、数センチほど大きい気がした。

「はぁ……」

 ビャクヤの言う通りだったのには若干腹が立ったが、既に亡くなっている人物に対して妬むのは、流石に大人げないと感じ、ツクヨミはため息で気分をまぎらわした。

「あなたの服、少し借りるわね。お姉さん」

 今は亡き、ビャクヤの本当の姉の写真に一言断りを入れ、ツクヨミは、クローゼットから下着と水色のワンピースを取った。

 借宿として、家の物は好きに使ってくれて構わない、とビャクヤから言われているが、ツクヨミは、一応借宿の主にも断りを入れることにした。

「ビャクヤ、ちょっとシャワーを借り……」

 軽くノックした後にドアを開けた。

 ビャクヤは、学ランを床に放り、ワイシャツのボタン全て開けて眠っていた。

 まだ暑い日が続く上、ビャクヤの部屋は西向きに面しているため、夕日によってかなり室温が上がるようになっていた。

 それ故ビャクヤは、窓は全て開け放ち、半裸で、布団もかけずに寝ていたのだった。

 ビャクヤの半裸の上半身は、顔と同じく透けるような白さで、あばらが浮いている、いかにも不健康な体つきである。

――全く、よく風邪を引かないものね。まあいいわ。起こしても別に用はないし、このままにしておきましょ……――

 ツクヨミは、ビャクヤの部屋を後にする。そして、階段を降りて洗面所に向かった。

 ここもまた、中学生の男の独りきりの家にしては、妙だと思う所だった。

 洗面台と鏡は、光沢を放つほどに清潔に保たれ、洗濯物もまるで溜まっていない。

 思い返せば、ここまで来る途中の階段や廊下も、やはり塵一つ落ちていなかった。

 炊事はどうか分からないが、掃除と洗濯はしっかり行き届いている。今時専業主婦でも、ここまで家事全般をこなさないと思われる。

 使用人を雇うような事を、ビャクヤがわざわざするようには思えない。親戚がビャクヤの面倒を見る事はあったのかもしれないが、この綺麗さは、ほぼ毎日掃除しないとここまでにはならないだろう。

 となれば、考えられる可能性はもう、一つしかない。あの寝相から怠惰の塊としか思えない男、ビャクヤがこの家を綺麗にしているのだ。

――あの子が掃除を? とても想像できないわね……――

 ツクヨミは、ビャクヤが掃除や洗濯をしている姿が全く頭に浮かばなかった。

 潔癖の性でもあるのだろうか。そう考えてみるものの、昨夜の行動を鑑みると、服の汚れ等を気にするところがあったが、最早彼自身の一部と化している、不気味な鉤爪が血濡れても気にはしていなかった。

――あんなに奇妙な性格でなければ、いい家庭を築くことができるかも知れないわね――

 ビャクヤの家事の能力の高さから、結婚するとすれば、嫁を貰うのではなく、むしろ嫁に行く側ではないかとツクヨミは思った。

 我ながらバカな事を考える。ビャクヤは自身にとっては、身を守らせる剣であり盾である。それ以上でもそれ以下でもない。

 ツクヨミは、ため息をつきながら服を脱いだ。下着姿となった自身の姿を、洗面台の鏡が写している。

 自ずと視線が行ってしまうのは、胸元である。そこには、ツクヨミにとって決して消せない烙印がおされている。

「…………」

 ツクヨミは、その烙印が目に入るとすぐに視線を反らした。そして下着を脱ぎ、浴室に入る。

 ツクヨミは、気持ちを鎮めようと、シャワーを頭からかぶるように浴びた。濡れた髪の毛が身体にへばり付く。

 顔にも髪がくっついて視界が悪くなったが、前髪のわずかな隙間から、視界にすら入れたくもない胸元の烙印がどうしても目についてしまう。

「ゾハ、ル……」

 ツクヨミは、誰かの名前らしい言葉を零した。

――いつもオーガの隣にいたのはお前、必要とされていたのはお前! お前、お前お前お前お前お前……! お前がいなければ……! お前さえいなければよかった!

――アハ、アハハハハハ……! やってやった。割ってやったわお前の『器』! これでオーガはうちのものだ! オーガの隣にいていいのは、これでうちで決まりだ!

 ツクヨミの脳裏に、あの日の出来事がありありと甦ってくる。

 ツクヨミの胸元にある、赤黒く残る刺傷。これは、ツクヨミの『器』が割られたときにできたものだった。

 傷そのものは浅いものの、漆黒の蝶のような左右対称にできた痕は、ツクヨミにとって罪の烙印そのものだった。

 あの子の気持ちに気づいてあげられなかった。これは償っても償いきれない罪であるが、自らの命を以てしても購うことはできない。

――私にできることは、罪を受け入れた上で、暴走した彼女の『器』を割る。そのためにも、少しでも早くあの子を見つけなくてはならない――

 ツクヨミは、シャワーを止め、雫が滴る前髪の隙間から、鏡に映る自分の顔を見据える。

「……そのためならば、私は鬼にでも悪魔にでもなりましょう。ビャクヤという奴隷を使役する、最悪の、ね」

 ツクヨミは、胸の傷痕を見ることで、決意を新たにするのだった。

    ※※※

 夕暮れ時、西日の照りつける部屋の温度が急上昇し、ビャクヤは堪らず目を覚ました。

「あっついなぁ……」

 ビャクヤは、顔中の汗を手の甲で拭う。汗は顔だけではなく、体にも噴き出して、前を全開にしたワイシャツを濡らしていた。

「うへぇ。気持ち悪い……」

 ビャクヤは、ワイシャツを脱いで上半身裸となる。

「うわ。最悪だな。シーツまで汗が……染みになっちゃうよ。すぐに洗わないと。あーあ。面倒だなぁ……」

 ビャクヤは、ベッドから這い出ると、タンスから適当にシャツを選び、それを着た。

「掃除もしないといけないね。面倒だけど。姉さんとの約束だからね」

 家事を片付けようとするビャクヤの部屋のドアが、ふとノックされて開いた。

「……やっと起きたようね」

 そこには、学校指定の体操着姿のツクヨミがいた。

「ツクヨミ姉さん。どうしたの? そんな似合わない格好して」

 ビャクヤの言葉には悪意はない。ただ、文学少女風なツクヨミに、丈の短い体操服は似合わない、という意思から出た言葉だった。

 ツクヨミも、年齢を考えれば、この格好には無理があるということは分かっていたが、流石にすっぱりと似合わないと言われては少し頭に来てしまう。

「御大層な言葉、どうもありがとう。ビャクヤ、あなたも動きやすい服に着替えて表に出なさい」

「姉さん。何をする気なの?」

「いいから早く着替えなさい。答えはその後に教えるわ」

 ツクヨミは、これ以上ビャクヤに何も喋らせず、学校指定のジャージに着替えさせた。

 そして二人は、庭に出た。

「……全く。急にこんな格好にさせて。僕はこれから洗濯と家中の掃除をしなきゃならないのに」

 ビャクヤは、ぶつぶつと文句を言う。

「それで。一体何するつもり?」

「あなたを鍛える。いえ、あなたと言う刃を研ぐわ」

 ビャクヤは、言われたことがすぐに理解できなかった。

 ツクヨミは、ビャクヤのそんな様子に気が付き、言葉を変える。

「言い方が悪かったわね。分かりやすく言うと、あなたには戦闘技術を身に付けてもらうわ」

 ビャクヤは、ツクヨミの言葉の意味は分かったが、そのような事をする意図が分からなかった。

「戦闘訓練? そんなことしなくても。僕には能力がある。第一。能力者同士の戦いで。人間の技が通用すると思えな……」

 ビャクヤが肩をすくめ、ツクヨミの言う戦闘技術の無意味さをだらだら喋っていると、ビャクヤは、片手を取られて腕をピン、と伸ばされて肘を極められた。

「いたたたた!? なに! なんなのさ! ギブ! ギブアップ! 折れるって!」

 ツクヨミは、手を離した。ビャクヤは、これまでに感じたことのない痛みを受け、まだ痛む肘を抑えて地面に転がった。

「今のは不意打ちだったけど、素早い手練れが相手だったら、あなたの鉤爪を掻い潜って骨の一本でもへし折るかもしれない。戦闘において片腕、それも利き手をやられたら終わりよ」

 ツクヨミも『偽誕者』ではあるが、前線に立って戦う、といった類の能力ではなかったために、後ろまで迫ってきた敵からの護身のために格闘技や古武術を身に付けていた。

「……いったいなー。でもさ姉さん。今のは不意打ちな上僕が非力だからできたんじゃないの? 本当にこれが役に立つの?」

 ビャクヤは、やられたのが一瞬のことだったために、攻撃しようとしている相手に本当に通じるのか疑問であった。

「だったら、次は私に攻撃してきなさい。ただし、能力の使用はなし。ここは男らしく素手でかかってきなさい」

 ツクヨミは、右足を後に引いた。足だけではない、右半身全てを引いた。左半身が前面に出る、左半身(はんみ)という構えを取った。

「遠慮はいらないわ。顔でもお腹でも、好きなところを殴りなさい」

 ツクヨミは言うが、ビャクヤは尻込みするだけだった。

 ビャクヤは、能力を得る前は喧嘩などからっきしであり、人を殴るような真似はできない性分であった。相手が女、しかも姉のツクヨミとあっては、尚更である。

「ねえ。やっぱりやめようよ。姉さんを殴るなんて僕には……」

 ツクヨミは、呆れたように、大きくため息をついた。

「訓練でも殴れないだなんて、先が思いやられるわね……仕方ない、ビャクヤ、自分のへそを見るように顎を引きなさい。これから何が起きても絶対に首を上げては駄目よ」

 ビャクヤは、言われたように顎を鎖骨にくっ付け、顎を引いた。どう視線を外そうとしても、視界には自分の腹が見える。

「えっと。こうでいい?」

 ビャクヤは、上目遣いでツクヨミに確認した。

「それでいいわ。後はさっきも言った通り、何があってもへそを見ていなさい」

「うん……」

 ビャクヤが視線を戻したのを確認すると、ツクヨミは、接近してビャクヤの左手を取った。

「何を!?」

「怪我したくなければ、言われた通りにしていなさい!」

 ツクヨミは、取ったビャクヤの手を両手で持って回転し、ビャクヤの肘を畳むような形にした。

 そして、畳んだ肘をビャクヤの後に突き出すように、ビャクヤの拳を真下に落とした。

「うぐっ!」

 ビャクヤは、後ろに崩れて尻餅をついた。しかし、それ以上は倒れず、顎を引いていたおかげで頭を打つようなことはなかった。

「受け身はまあまあ取れるようね。言いつけ通り顎を引き続けていたようだし、もっと素早い投げ技をかけても大丈夫かしらね?」

「いたたた……」

 頭を守れたものの、尻餅をついた上、腰まで打ち、ビャクヤはなかなか立ち上がれなかった。

「何をしているの。早く立ちなさい。まだまだ訓練は始まったばかりよ」

「勘弁してよ。姉さん。これじゃあちこち痛めて。戦いどころじゃなくなっちゃうよ……」

「甘えた事を言ってないで立ちなさい。あなたの能力がいくらすごくても、受け身もろくに取れないのでは、転んだ拍子に頭を打って、そのまま死ぬわよ」

「だけど……」

 ビャクヤは、まだ納得が行かないようだった。

「あら、私の言うことが聞けないのかしら。私はいつだってあなたの前から消えることができるのよ?」

「ぐっ……」

 ツクヨミは、ビャクヤの弱味に漬け込み、高圧的な態度を取り、そしてビャクヤにとって恐ろしい笑みを見せる。

「約束を守れないようなら、さよならよ。あなたが私に付き従う義務はないし、逆に私があなたを側に置いておく必要だってない……」

 ツクヨミは、最後の追い打ちをかける。

「ビャクヤ、これ以上は言わないわ。私の言う通りになさい。さもなくば……」

「分かった。分かったよ!」

 ビャクヤは、屈辱よりも姉の姿が目の前から消えてしまう事に、恐怖した。

「姉さんの言うことならちゃんと聞く。聞くから。僕の前からいなくならないで!」

 ツクヨミは一瞬、冷徹な笑みを浮かべた。

「それでこそ我が弟よ、ビャクヤ。さあ、夜までもう時間がないわ。訓練の続き、始めましょう」

 その後もツクヨミによる、ビャクヤへのしごきが続いた。

 軍隊格闘最強と名高い、コンバットサンボに、柔よく剛を制す、まるで無駄のない護身武術、合気道の心得があるツクヨミに、能力を発動していなければ雑兵以下のビャクヤが敵う余地はなかった。

 間合いを詰められては何度も掴まれ投げ倒される、もしくは関節を極められる。時には肋間に当て身を入れられ、後から来る鈍い痛みに悶絶した。

 それでも、ビャクヤには休む間もなく、悶え苦しむ一時すらも与えられず、ツクヨミの訓練は続いた。

 やがて日が落ちて、夜になってから、ツクヨミの鬼のような訓練は終了した。

「暗くなったわね。今日の訓練はこれくらいにしておきましょう。『虚ろの夜』に行くわよ。さっさと準備なさい」

 ビャクヤは、何度となく投げられ、地面に転がされたせいで、全身土まみれとなり、肌の露出している所は擦り傷だらけで血が滲んでいた。

「いたたたた……全身が痛いよ……」

 ツクヨミが家に入っていった後も、ビャクヤは、しばらく地面に横たわっていた。

 感じるのは、身体中の痛みだけではなかった。

 いくらツクヨミが、最愛の姉に酷似している姿であっても、本当の姉に対しては抱かなかった感情があった。

――ツクヨミ……――

 生まれて初めて姉に、実際には姉ではないものの、敬愛する者に憎しみを抱いたのだ。

――あんなやつ。姉さんじゃない……! 姉さんはいつも僕に優しくしてくれた。もちろん。時には怒られることもあったけど。ぶたれる事はなかった!――

 ツクヨミを憎みながら、ビャクヤは、痛む体に鞭打って立ち上がる。

――あんなやつ! ……あんなやつ……――

 ビャクヤは不意に、落ち着いて考える。

――彼女は。もとから姉さんじゃないじゃないか。姿は確かに似ているけど。姉さんじゃない……――

 ビャクヤは、憎しみから一転して、恐怖を感じた。

 ツクヨミを姉と認めなければ、自らは再び存在意義のない、空の『器』となってしまう。

――姉さんを姉さんじゃないと認めてしまったら。僕はまた生きる意味を失うのか……? そうなれば。また……――

 ビャクヤは、姉を失い、無意にして呆然と過ごしていた時の気分を思い出してしまった。

「姉さんがいなくなる……そんなの絶対に嫌だ!」

 かといって、今の生活が今後も続くのも嫌だった。

――僕は。一体どうすれば……――

 さーっ、と風が吹いて月が雲に隠れ、ビャクヤは暗闇に包まれるのだった。

 

Chapter6 月に牙剥く蜘蛛、月と強欲

 

 ビャクヤの奴隷のような生活が始まって、約一月の時が流れた。

 世間体を保つため、ツクヨミは、近所の人々には自身をビャクヤの従姉で、田村小夜子(たむらさよこ)という名を名乗っていた。

 ビャクヤにとって、唯一の家族であった姉、ツクヨミが亡くなり、ビャクヤの生活を援助するためにやって来た、ということにしていた。

 近所の人々は皆、口を揃えてツクヨミを、亡くなったビャクヤの姉と瓜二つだと言った。

 似ていると言われるのには慣れてきたつもりだったが、長年顔を合わせてきたであろう隣人にまで言われて、ツクヨミはやはり、戸惑ってしまう。

 ツクヨミは、本物のツクヨミと姿形こそ良く似ている。また、親戚だと辺りには言ったが、自身は生前の彼女の様子をまるで知らない他人であるため、本物のツクヨミの生前の話を引き合いに出されると困ることは少なくなかった。

 どのようにして、ビャクヤとの関係性を怪しまれないようにするかが問題であった。

「そうそう、小夜子ちゃん? 最近またビャクヤ君の大きな声が聞こえるんだけど、やっぱりまだツクヨミちゃんの事を悲しんでいるのかしら?」

 道端で話していた近所に住む主婦が訊ねた。

 ツクヨミは、少しばかりまずいと思った。それは間違いなく、ビャクヤに施している戦闘訓練の声であった。

「ごめんなさい。あの子ったら、私が来てから、通信教育の格闘技を始めたんです。何でも、私を守れる強い男になりたいらしくて……」

 ツクヨミは、苦笑を交えて誤魔化す。

「そうだったの! ビャクヤ君、あまり外で体を動かすような子じゃなかったから、おばさんびっくりしちゃったわ」

「私が来たから、あの子の中でも踏ん切りがついたみたいで。ツクヨミさんを忘れようと言うわけではないようですけど、いつまでもお姉さんに依存したくない、と言っていましたわ」

「そうなの。いずれにしても、ビャクヤ君が元気になっているみたいで、おばさん安心よ。あら? もうこんな時間。早く行かなきゃ特売が終わっちゃうわ。それじゃ、またね、小夜子ちゃん」

 ツクヨミは、去っていく主婦を笑顔で、軽く手を振りながら見送った。

 そして急いで家へと戻り、ビャクヤの部屋へと駆けた。

「ビャクヤ!」

 ビャクヤは、連日のトレーニングに疲れ果てて、ベッドで寝息を立てていた。

「んー……」

「何をのんきに寝ているの。起きなさい、ビャクヤ!」

 ツクヨミは、ビャクヤに歩み寄り、強く肩を揺する。

「……なんだい姉さん。さっき寝たばかりなんだけど……」

 ビャクヤは言うものの、既に七時間は寝ていた。

「戦闘訓練の時間。と言いたいところなのだけれど、それは取り止めるわ」

 ビャクヤは、寝ぼけて回らない頭で、ツクヨミの言ったことを考える。

「……うーん。それって。夕方に僕がボコボコにされずに済むってことかい?」

 どうにか捻り出した、ビャクヤの答えであった。

「人聞きの悪い言い方しないでちょうだい。ひとまず今日のところは、『夜』に行くまで自由にしていていい」

 ツクヨミの言葉は、ビャクヤにとって朗報に違いなかったが、それならばそれで、このまま放っておいて寝かせて欲しかった。

「……さすが姉さん……わざわざ寝ているところを起こしてまで。伝えてくれるなんて。優しいなぁ……それじゃ。お休み……」

「ちょっとビャクヤ! 話しはまだ終わって……」

 ビャクヤは既に、再び眠りについていた。

――仕方ないわね……――

 ツクヨミはひとまず、ここで自身の考えを伝えるのを止めた。

 今日の『夜』がくるまで、まだ数時間残っている。精々奴隷たるビャクヤに、ツクヨミは、束の間の急速を与えるのだった。

    ※※※

 ビャクヤは、あまりの驚きに言葉を失った。

「姉さん? 今なんて……?」

「あら、聞いていなかったの? 三回目は言わないわよ。もう一度だけ、今度は一字一句覚えるつもりで聞きなさい」

 ツクヨミの出した提案が、まるきりビャクヤの自由を奪うものだった。

 戦闘訓練を近所迷惑になると方便を使い、早朝、『虚ろの夜』に行った後に行うことになった。

 また、近隣の住人に怪しまれぬよう、ビャクヤには、長期間欠席している学校へ、訓練の後登校してもらうことにした。

 そして放課後から夜まで、ほんの束の間の休息の後に、『虚ろの夜』での、ツクヨミの用心棒として働いてもらう。

 ツクヨミの要望、というよりも命令は、このようなものだった。

「どう、理解してもらえたかしら?」

「ああ。良く理解できたさ。『夜』に行ってクタクタになっているところに。姉さんにボコボコにされて。その上学校に行けだって? 休む時間がまるで無いじゃないか!?」

「あら、休む時間なら一応あるじゃない。放課後から夜まで、ね。それから、優等生になれ、とまでは言わないけど、学校では問題を起こさないでね。始末をつけなきゃならないのは、必然的に私になる。姉弟ごっこを演じてはいるけど、素性を知られれば、私達はもう一緒に過ごせなくなるでしょうね」

 何も言い返せないでいるビャクヤに、ツクヨミは薄ら笑いを向ける。

 我ながら卑劣な手段を用いていると感じているが、ビャクヤの姉への依存性の高さは、この数日間共に過ごしただけでよく分かっていた。

 だからこそビャクヤは、この命令に背くことはないだろうと、ツクヨミは確信していた。

「さあ、この話しはおしまい。さっさと準備なさい。『夜』へ行くわよ」

 ツクヨミは、自分も準備するためビャクヤの部屋を出ていった。

「…………」

 ビャクヤは、なんとも言い難い感情に支配され、固まってしまっていた。

――姉さんは。優しかった……けれど。今の姉さんは。まるで鬼だ。そんなやつ。姉さんじゃない……!――

 ビャクヤは、爪が掌に食い込むほどに強く拳を握る。

 筆舌に尽くし難かったビャクヤの感情は、この瞬間に明らかな憎しみとなった。

「何をしているの、ビャクヤ。準備をしなさいと言ったはず……」

「……うるさい」

 着替えを終えて、再びビャクヤの部屋に戻ってきたツクヨミに発せられた言葉は、ビャクヤの初めての反抗心であった。

「今なんて……?」

 聞こえてはいたが、自らに心酔しきっていたビャクヤの反抗に、ツクヨミはすぐに理解ができなかった。

「うるさい! うるさい。うるさい。うるさい! うるさいんだよ! 人を奴隷のように扱って。蹂躙して。お前なんか姉さんじゃない。軽々しく姉さんの姿をするんじゃない!」

 ビャクヤは、背中に鉤爪を顕現させ、ツクヨミに振り向いた。

「っ!? ビャクヤ……!」

「その化けの皮。剥がしてやる……!」

 ビャクヤは、八本の鉤爪の内三本を、ツクヨミを刺し貫くべく伸ばした。

「っ!?」

 ツクヨミは、目を見開き固まった。

 鉤爪の先は、ツクヨミを挟むように二本壁に突き刺さり、残り一本は、ツクヨミの顔の横すれすれのところで外れて、いや、わざと外したように刺さっていた。

「…………」

 ツクヨミは動けず、その場に黙して立っていた。

「……僕の前から消えてくれるかい? 僕は姉さんを。お前じゃない。本物の『月夜見』姉さんを見つける……」

 ビャクヤは、俯きぎみに言いはなった。

「ビャクヤ……」

「早く消えてくれ。僕の気が変わらない内に……」

 ビャクヤは、背中の鉤爪を消し去った。

 拘束されている様だったツクヨミの体が自由になる。

「……分かったわ」

 ツクヨミは、ドアを開ける。

「さようなら。『捕食者』(プレデター)……」

 振り向くこともせず、ツクヨミはビャクヤの部屋を後にした。

 怒りの感情をそのままに爆発させたのは、ずいぶん久し振りな気がした。

 頭に血が上ったのか、それとも大声を出したせいで、頭に響いたのか。いずれにしても、ビャクヤは頭痛を感じていた。

「いたたた……あー頭痛い……頭痛薬。どこに置いてたかな……?」

 ビャクヤは、火照った額に手を当てながら、すっかり散らかってしまった部屋を見渡した。

 ビャクヤは、姉さんの死後も、生前言い付けられていたため、どれほどだるくても、掃除だけは絶対にするようにしていた。

 ビャクヤは思えば、やはり姉さんの死を受け入れられずにいた。

 家中の掃除を毎日欠かさず行っていたのも、いつか姉さんが帰ってきても良いようにするためだった。

 ツクヨミがいなくなった今、ビャクヤは再び、帰るはずのない姉さんを待つだけの生活に逆戻りしてしまった。

 ずっと待っていた姉さんに、そっくりのツクヨミがやって来てからは、部屋は、家中は荒れ放題であった。

 その様子はまるで、死ぬまで戦わされる、古代の剣闘士の獄中であり、溜まって腐り、ハエの集るゴミは、力尽きて死んだ剣闘士の屍といった様子だった。

「はあ……ダメだ。見付かりそうにない……」

 脱ぎ捨てられた服やら、コンビニの袋やらという、剣闘士の屍が散乱する中から、自身の望む物が見つかるとは思えなかった。

 掃除をしようか、とも考えるが、いかんせん頭が痛く、何かしようという気になれなかった。

「はぁ……ダメだ。もういいや。寝てれば治るだろう……」

 ビャクヤは、どさっ、とベッドに横たわった。

 ついさっきまで眠っていたため、眠れるとは思えなかったが、少しばかり目を閉じると、僅かばかりであるが、眠気を感じた。

 これも常日頃から、ツクヨミの訓練を受けていたためであろう、とビャクヤは思う。

――姉さん。いや。あいつは姉さんじゃないんだ。彼女がどうなろうと。僕の知ったことじゃない……――

 古代の奴隷と同等、もしくはそれ以上の扱いを受け続けたビャクヤは、ついに堪忍袋の緒が切れて怒りを爆発させてしまった。

 しかし、ツクヨミがいなくなり、ぼんやりベッドに体を預けていると、だんだん荒ぶっていた心が落ち着いてきた。

 ビャクヤの心には、言い過ぎてしまった、やり過ぎてしまったという後悔の念が、ほんの少し浮かんだ。

――いやいや。あれくらいして然るべきだ。僕は何も悪くない。何も……――

 ビャクヤの後悔は、少しずつ大きくなっていく。

――いや。僕は……――

 やがてビャクヤは、微睡みに沈むのだった。

    ※※※

 日が暮れて、宵闇が辺りを支配していく。その中をツクヨミは、一人歩いていた。

 自らを姉と慕い、どのような願いでも聞き入れてくれていたビャクヤに牙を、いや、鉤爪を突き立てられ、ツクヨミは再び無能力の人間に戻ってしまった。

――捕食者(ビャクヤ)を失ったのは大きいわね。彼がいる限り、少なくとも命の危険に晒されることはなかったのだけど……――

 勝手に付いてくる都合のいい武器としか、ツクヨミはビャクヤを見ていなかった。しかし、別れてしまってから、ビャクヤの重要さを痛感していた。

 特別な男に想いを伝えられず、狂い、虚無へと限りなく近づいてしまった親友を探すべく、ツクヨミは能力も使えない状態で『虚ろの夜』に足を踏み入れてきた。

 ビャクヤの顕現は、誰に対しても、どのような能力を前にしても、敵との相性が最悪であり、ビャクヤが圧倒的に有利であった。

 ビャクヤの能力は、自然界における鋏角類、とくにも蜘蛛によく似た特質のものだった。

 蜘蛛や(サソリ)といった生物が鋏角類というのだが、それらいずれにも、天敵となる生物はほとんどいない。

 天敵がいることはいるのだが、鋏角類は、時にその天敵をも捕食してしまうことがある。

 蜘蛛であれば、神経毒や糸を用いて獲物を喰らってしまう。天敵にもそれらで応戦し、動けなくしたところを捕食する。時には鳥さえも蜘蛛に敗れ、餌食となる事すらある。

 蠍に至っては、神話にもその強力な猛毒の針が記されている。

 あの星座の一種にもなっている荒神、オリオンを殺すことができたのが、たった一匹の蠍である。

 鋏角類の持つ独自な力が、ビャクヤにも能力として備わっている。能力を最大限に行使した彼が、弱いはずなどなかった。

――……失ってからしか、人は、人やモノの大切さが分からない。『あの子』の時に痛感したつもりだったのだけど……――

 懲りないものね、とツクヨミは自嘲する。しかし同時に、自身の気持ちに違和感を抱いた。

――大切な……?――

 ツクヨミは、ビャクヤと別れた事で、彼の重要性を感じていたらしかった。

 不意にツクヨミの脳裏に、会ってすぐの時期に見せてくれていたビャクヤの微笑みが浮かんだ。

――あの男が私の……? とんでもないわ。精々道具、武器として大切なモノだった。あの子を、人だなんて……――

 ツクヨミは、自己に浮かぶ考えを否定するが、ビャクヤに『姉さん』と呼ばれる姉弟ごっこも悪くないとも考えていた。これは紛れもない事実である。

 今こうして、喪失感を感じているが、何故なのかツクヨミ自身にもよく分からなくなってきた。

 様々な考えを巡らせている内に、ツクヨミは『夜』へと足を踏み入れていた。

 やはり、『器』が割れた状態では、いつ『夜』に入ったのか、明確には分からないものの、辺りの様子でここが『虚ろの夜』なのだと分かる。

 ツクヨミが当て所なく目指していた場所は、川沿いの広場であった。

 ビャクヤと喧嘩別れし、どうにも行くべき場所が分からずにいたため、ツクヨミの足は、無意識にビャクヤと初めて会った場所を目指していたようだった。

 街中に近いこの広場は、夜の店の大音量の音楽や、角にたむろしては大声で笑う若者の声が聞こえてくるが、今はそれらがピタリと止んでいる。

 普通の人の姿も消え去り、虚無や『偽誕者』のみが集まる異世界と化していた。

――これは……!――

 油断していたわけではない。出会い頭に近かった。

 この気配、『偽誕者』のものである。それもただ者ではない、偶然に能力を得てはしゃぎたてるその辺の『偽誕者』など、束になっても敵わないほどの強さである。

 ツクヨミが強力な気配に怯み、立ち止まっていると、やがてその最強を名乗るにふさわしい『偽誕者』の姿が見えた。

 その男は、すらりと背が高く、長く伸ばした前髪で片眼を隠している。

 襟が高く、裾の長いコートを、筋肉逞しい裸体に羽織り、下半身は脛を覆うほどに長いベージュのブーツを黒いズボンの上に履いていた。

 足元だけを見れば、農家の格好に見えなくもない。事実、彼の能力は、顕現という穀物を刈り取るものだった。

「おやおや、こいつは驚いた。こんな何が飛び出してくるか分からない場所に、お嬢さん一人でいるなんてなぁ……」

 両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、男は薄ら笑いで軽口を叩く。

「しかも戦えそうなほどの力を全く感じない。『この夜』に来られるってこたぁ、能力者に違いはないようだがな」

 男は、半裸にコートを羽織るような、硬派な見た目をしながらも、言動は軽いものだった。

 しかし、ツクヨミの能力を完璧に読み取る冷静さを持ち合わせている。

「久し振りね、とでも言っておこうかしら」

 ツクヨミは、男から感じる圧倒的な力に潰されまいと、口を開いた。

 うん? っと男の眉が上がる。

「久し振り、ねぇ……お嬢、うちの店に来てくれたことがあったか? 自分で言うのもアレだが、うちの店はほとんど客が来ない。店で会ったことがあるなら、忘れるはずないんだが……」

「覚えてはいないか。それも仕方ないかしらね。今の私は力がない上に、様相も違うしね……」

「お嬢、失礼だが名前は……いや、こういう時は俺から名乗るのが筋だな。俺は……」

「いえ、名乗らなくてもあなたのことは知ってるわ。『強欲』さん。『忘却の螺旋』で最強と名高い『収穫者』(ハーベスター)、名前は確かゴルドー……」

 ゴルドー、『強欲』の二つ名を持つ男は、一瞬驚いて露になっている片眼を見開いた。

 しかしすぐに、表情に余裕が戻る。

「これはこれは……こんないたいけなお嬢様にまで知られているとは、驚いたねぇ。だがまあ、それも有り得るか。俺も昔は相当ヤンチャしてたしな」

 ゴルドーは、昔を懐かしむように夜空を見上げると、すぐにツクヨミに視線を戻した。

「さぁて、別に名乗った訳じゃあないが、俺の事は知ってるんだ。次はお嬢について聞かせてくれるかい?」

 例え拒んだとしても、ゴルドーならば仕方ない、と諦めてくれるであろうが、ツクヨミもここには人捜しに来ている。名乗らないことには話が進まないであろう。

 しかし、名乗ったら名乗ったで、少し厄介な事にもなりそうな気がした。だがツクヨミは、意を決して名乗ることにした。

「……私の名はツクヨミ。『鬼哭王』(きこくおう)オーガを中心としていた組織、『万鬼会』(ばんきかい)に属していた。『生命の樹』(セフィロト)とでも言えば分かるかしら?」

 今度ばかりは、ゴルドーに余裕の表情が戻ることはなかった。

「そんなバカな、お嬢が『万鬼会』の……!? 久し振りどころの騒ぎじゃねぇぜ。ついこないだの事じゃねえか!」

「先日はどうも。とでも言っておくべきかしら? あの女、『眩き闇』(パラドクス)に借りを受けたから、ね」

 それは、ほんの数十日前の事であった。

 この街一体に、能力者の集う武力組織がいくつもあった。その中でも、飛び抜けて勢いがあったのが、『忘却の螺旋』とツクヨミも属していた『万鬼会』であった。

 自分の力がどれほどか、力試しをしたいと『万鬼会』のリーダー、オーガは、様々に乱立している能力者組織に次々と抗争を仕掛けてきた。

 オーガ率いる『万鬼会』は、『虚ろの夜』の中では古参な『忘却の螺旋』に迫る勢いであり、無名の組織は次々と『万鬼会』に潰されていった。

 やがて残った能力者団体は、『忘却の螺旋』と『万鬼会』のみになった。

 手っ取り早く『眩き闇』との対決を望み、オーガは、『忘却の螺旋』の末端の能力者をいびるように潰していった。オーガとしては、挑戦状を叩き込む目的であった。

 しかし、オーガの本当の狙いは、『忘却の螺旋』の総帥『眩き闇』を挑発することではなく、強者の集う『忘却の螺旋』に与する者と戦い、己を鍛えるためであった。

 そして程無くして、『忘却の螺旋』と『万鬼会』の頂上決戦は行われたのだった。

 結果は、オーガと『生命の樹』の力、実質二対一の戦いであったにも関わらず、その圧倒的顕現のパワーを持つ『眩き闇』の勝利に終わり、彼女に惜敗した『万鬼会』は、その日を境に自然消滅した。

 ゴルドーとツクヨミの関係は、敵対関係に近かった。

「……そうかい、『万鬼会』は……全ては『眩き闇』(ヒルダ)、あのバカ女が招いたこと。そして俺は、今は組織からは足を洗っちゃいるが、そのバカ女の下にいたことに変わりはねぇ……すまねぇ、オーガの旦那は……」

「無理に言わなくてもいいわ。もとより統率のとれた集団じゃない。いつもいつもこうるさい男で、相手をしなきゃいけない事に私もうんざりしていた。彼がどうなろうが、私はどうでもいい。それに『忘却の螺旋』に報復しようなんて残党は……」

 いない、と言いかけたところでツクヨミは、存在を頭に思い浮かべた。しかし、その者の存在をゴルドーに話せば、やはりややこしくなる。

「うん? どうかしたかい、ツクヨミのお嬢。ああ、ひょっとして『二重人格』(ドッペルゲンガー)とかいうお仲間の事かい?」

 さすが『忘却の螺旋』で最強と謳われた男である。ツクヨミが顔に陰りを見せたのは、オーガが原因ではなく、別の要因であり、しかも親友との離別が原因だと見抜いていた。

 尤も、ツクヨミが『二重人格』と親友だった事まで見抜いていたかまでは分からなかったが。

「……隠しても無駄のようね。あなたの言う通りよ。私は探し出さなければならない。私が知らぬ間に心を傷付けていた親友を、ね……」

「親友……」

 親友と言う言葉に、ゴルドーまでも顔に暗い影を落とした。そして静かにツクヨミに訊ねる。

「……お嬢のダチ公は、生きているのかい?」

「分からないわ。でも、こんな噂を聞いたことがある。あの日の戦い以来、顕現求めて『夜』を荒らし回っては、出会った『偽誕者』を片っ端から打ち倒している者がいると。私はその者が『あの子』だと信じているわ」

 ツクヨミは訊ね返す。

「でも、どうしてそんな事を?」

 ゴルドーは大きくため息をつき、やはり静かに語り始めた。

「……俺は、あの日をとても忘れられねぇ……決戦の前に、俺が迂闊にアイツを誘わなければ、こんな事にはならなかった。お嬢に話してどうにかなるものじゃねぇのも分かっている。それでも聞いてくれるかい?」

「お互いあの日の事を知っている。ここで会ったのも浅からぬ縁。慎んで聞きましょう」

「ありがとよ、お嬢。ちぃとばかし長い上情けねぇ話だが、まあ、適当に腰落として聞いてくれや……」

 ゴルドーは、その場に座り込んだ。そして同時に、空間に巨大でギラギラ煌めく鎌を顕現させ、それを担いだ。

「ああ、すまねぇ。つい癖でな。座るときゃあコイツを担いでないと落ち着かないんでね」

「それがあなたの顕現の武器……ここはいつ何が現れても不思議じゃないわ。そうして戦いに備えるのも傭兵の仕事よ……」

 ツクヨミは、生け垣を囲うレンガの縁に腰を落とした。

「悪いな、それじゃあ聞いてくれ。俺のマブダチだった、()()()()()()()()の話をな……」

 ゴルドーには、長い付き合いの親友がいた。しかし、あの戦いの日、彼の親友ロジャーは人ならざるものとなった。

 ロジャーは、オーガと『眩き闇』の激戦を、まるで格闘技の試合でも観戦するかのように見ていたが、勝敗も見え始めた戦いの佳境に、物見遊山に『虚ろの夜』の顕現が一転集中する『深淵』へと近づいてしまった。

 大して強い能力を持っていなかったロジャーは、自身のすかすかの『器』に『深淵』の周りに漂う顕現が激流のごとく流れ込まされた。

 顕現とは本来、虚無が存在するために必要とする糧である。虚無の持つ顕現を、僅かばかり身に宿しているのが能力者であり、純粋な人間ではなくなるために、そうした者を『偽誕者』といつしか呼ばれるようになったのである。

 僅かばかりの顕現で『偽誕者』となる人間の、いや、人間そのものという『器』が、限界を越える顕現を受け入れてしまえばどうなるか。

 ロジャーという『器』は、『深淵』の放つ顕現を受容してしまった。それも、彼の『器』が破れるほどに。

 顕現が人間の『器』を破るほどに流れ込んだ結果、その人間はその瞬間に虚無となる。

 ゴルドーら能力者はその様を、『虚無落ち』と呼んだ。

「……あの場に俺が戻ったとき既に、ロジャーは、俺の知るロジャーじゃなくなっていた……!」

 ゴルドーは、口惜しそうにギリッ、と拳を握りしめた。

――虚無に落ちた者の噂、どうやら本当だったようね……――

 あの戦いの日以降、どこかへ行ってしまった親友を捜すため、ツクヨミは、様々な方法で情報を探っていた。

 その中で耳にした噂として、虚無に落ちた人間の事があった。

 ツクヨミは確信した。件の戦いの後、行方不明となっている者の内、二人は死んでいる。虚無に落ちた者に殺されたオーガ、そして虚無へと落ち、人間としての死をとげたロジャーの二人である。

「……ここからが俺の人生で最悪に情けねぇ話だ。ロジャーを誘っちまったのは俺だ。全てのケリをつけなきゃなんねぇのも俺だった。虚無に落ちちまったアイツを、終わらせてやらなきゃならなかった。だが、実際はどうだい? 最強だなんだ言われながら、足が震えて一歩も動けやしなかった。テメェのダチ一人、楽にしてやれなかった。俺はとんだ臆病者さ!」

 ゴルドーは余りにも悔しく、つい大声を出してしまった。しかし、すぐにはっ、となり、すまねぇ、とツクヨミに詫びる。

「気にしてないわ。あなたの気持ちは痛いほどに分かる。私も親友を知らず内に傷付けていたことに、気が付いてあげられなかったわ。そして離ればなれに……さっきは信じてるなんて言ったけれど、生きているのかは正直なところ分からないわ……」

 ゾハルもロジャー同様、『深淵』の顕現に当てられていた。完全に落ちてしまう前に逃げ出したのか、ゾハルはまだ自我を持った人間であった。

「……あの子は、オーガに特別な気持ちを持っていた。それには薄々気付いていたわ。けれど、私の能力は顕現を強化するもの。故に、戦闘はいつもオーガと一緒で、まさに彼の右腕だった。こうして私は、あの子から恨みを買うことになってしまった……」

 ゾハルがツクヨミの『器』を割る直前、彼女は思いの丈をツクヨミにぶつけた。

 体のあちこちが『深淵』の顕現に蝕まれ、冷静さを欠いていたか、それともその顕現によって、恨みや妬みの負の感情が増幅させられたのか。深意は分かりかねたが、全てが全て顕現のせいではないように思えた。

「お嬢、アンタ……」

 ゴルドーはツクヨミが、自分と同じくらいの後悔を背負っているのだと感じた。

「あら、ごめんなさい。こんな事聞かされても、困るだけね。忘れてちょうだい」

「いや、構わねぇよ。俺の方も散々話を聞いて貰ったしな。おあいこにしようぜ……っと!」

 ふと、ゴルドーは大鎌を地面に突き刺し立ち上がった。大鎌の柄からゴルドーが手を離すと、大鎌は雲消霧散するように消えた。

「どうしたの?」

「いや、何だか今日の『夜』は妙な感じがするんだ。吸ってて気分が悪くなるような空気が辺りに充満している……」

 ツクヨミにはあまり、異常を感じることはできなかった。

「そうなの? 私には特に……」

 これも『器』が割れたせいか、ツクヨミは、顕現の変化には気付けない。

 しかし次の瞬間、ツクヨミでも感じ取れるほどの、異常な顕現の風が二人を吹き付けた。

「オイオイ、いきなり随分と風が騒がしいな……」

 ゴルドーは、軽口を叩く様に言うが、その表情は真剣そのものだった。

「っ!? この感じは……!」

 ツクヨミはその顕現に、覚えがあった。いやむしろ、忘れることなどできない、あの感じである。

「来るぞ、お嬢!」

 ゴルドーはツクヨミを横抱きにし、そのまま後ろに飛び退いた。

 シュトッ、と音を立てて、針のようなモノがゴルドーのいた地面に刺さった。

「ごーよくみぃつけた!」

 ゴルドーは声のした方を、顔をしかめて見た。

 謎の影が木の上から街灯の上へと跳び移りながら迫ってくる。

「そんな、まさか……!?」

 ツクヨミは、ゴルドーの腕の中で驚くしかなかった。

 影は地へと降り立ち、ゆっくりと歩みを進める。やがてその顔が見えた。

 その者は、短い真っ白な髪で、顕現に浸食されかけた片眼に包帯を巻いてその上に赤い縁の眼鏡をかけていた。

 赤黒く光る眼が、二人を捉え、その口元を大きく歪めていた。

 

おまけコンボレシピ

 

5A>2C>5C>3C>jc>jB>j2C>C罠>着地>A料理最終段まで>C食べ頃

 

 発生の早い5A始動。5A始動にしては総合ダメージは高い(ヴォーパル込みで3300くらい)。このコンボの難しいところとしては、空中2Cの後にC罠に繋げるところ。入力が早すぎると罠にかからない。逆も然り。空中2Cが全部ヒットしたか否かのタイミングで罠を張ると、相手が吸い込まれるように罠に落ちる。派生はせず、ニュートラルで下りること。その後はA料理で完走する。なお、A罠、B罠でも相手を引っかけられるが、高い位置に拘束してしまうので、コンボが繋がらないので注意。

 

アサルトjC>5A以下同文

 

 アサルトでも繋がるが、コンボ補正がかかり、総合ダメージが少し安くなる上にタイミングがかなりシビア。

 

2B>2C>B料理二段>A罠>2C>5C>B罠>A派生>2C>A料理>C食べ頃

 

 前回2C>や3C>を当てるとB罠が当たらないと書いたが、2B>2Cに限っては当たるので訂正する。ただし、5C>B罠はすぐさま入力しないと繋がらない。A派生することで運び能力が上がる。ダメージも実は、B派生よりも高い。C派生は当たらない。総合ダメージも3800くらいとかなり高い部類。また、2C始動でも完走でき、そうすると4000近くになる。

 

5A>2C>3C>jc>j2C>jC>A罠>A料理全段>C食べ頃

 

 5A始動の別バージョン。前述のコンボは、j2C>jC>罠ということができないので、確認のしやすさはこちら。運び能力、総合ダメージは前の方に軍配が上がるが、確実にコンボ完走したいならこちら。

 

罠の張り方

 壁際でC食べ頃の場合

C罠>D派生>上りjB罠がおすすめ。D派生でガードを揺さぶるのはもちろん、高い位置に罠を置くことで、相手のジャンプを封じ、B罠と違い屈伸で消されることもない。ワレンやカヴァには当たる。もちろんアサルトでも引っ掛かるので、相手からすると中々辛い。2369と続けて入力すると上り罠が出せる。失敗したときは深追いせず、相手の出方を見ること。どうしてもうまく行かないときは、9をしっかり押せていないので、そこを意識すれば成功しやすくなる。

 

 画面中央付近C食べ頃の時

ダッシュ>A罠>B食べ頃>上りA罠(固め意識するなら)がオススメだが、筆者は上り罠は張らない。というのも、張っている間に拘束が解けるので、寝っぱでも受け身でもFFが安全に使えるからだ。相手としては足下と背後に罠があるため、FFをガードしてもノックバックして罠をガードする硬直ができるので、反撃できない。ただしリバサ無敵はこの限りではないので注意。

 

 C食べ頃始動

明らかに相手を拘束しているが、実はあの糸は罠とは別扱い。その後B料理からB罠で拘束でき、ゲージがあれば再びC食べ頃シメができる。リバサ、もしくは隙消しにC食べ頃を出したらヒットした時に使える。ただし、コンボ補正がかなりかかるため、ダメージは低め。発生無敵もないので、むやみにリバサ狙いは止めた方がよい。また、壁際に押し込まれた時に離脱する目的で、当たらないこと前提で相手が空中にいるときに使うのもいいが、ゲージがもったいない。しかし、ビャクヤには昇龍拳がない上、C料理に無敵があるが、相手の位置が高すぎるとスカって確定をもらうので(ユズリハなどはアサルトでもスカる)、どうしても端から逃げたいときに使おう。




 どうも、作者の綾田です。
 前回まではランキング一位にいましたが、その後追い抜かれて永遠の二位のような位置にいます。だいぶネットワークが過疎化して、なかなかRIPが上がりません……おまけにvitaが主体なので尚更ですね。
 さて、ビャクヤを主人公にしたこの作品ですが、今回はビャクヤとツクヨミが出会うところ以外、かなりオリジナルになってしまいました。本当は訓練のくだりで喧嘩別れ、ビャクヤがツクヨミを救う、といった事を考えていたのですが……完結まで四部と言いながらオーバーして長くなりそうです。
 今回はツクヨミ主体のストーリーにしました。ツクヨミもなかなか壮絶な過去を持っているので、境遇の似たゴルドーと絡ませてみました。書いていて思ったのですが、この二人をコンビにするのもなかなかなのではないかと考えてしまいました。
 私は、ゴルドーはトレモ程度しか使いませんが、ワーグナーを相手にした時の彼はかなりカッコいいと思っています。いつも冷静な彼が常にぶちギレてるのにギャップを感じますね。後、ゴルドー対ケイアスの曲は、対ワーグナーの方が合うような気がします。
 それから、最近になって気付きましたが、このゲームはガードができないと相当厳しいと思いました。格ゲー全般に言えることですが……
 一時期、ネットワークカラーが赤から下がっていましたが、ガードを意識すると、超上級プレイヤーとも互角以上の勝負ができるようになりました。また、ガードが出来れば差し込みの隙も見えてくるので、尚更ガードを覚えるべきだと思いました。これを読んでいるプレイヤーの方、ガードの練習をしたいと思ったら、トレモで相手をカーマインやエンキドゥといった固めの強いキャラをCPUレベルマックスの状態にすると、いいガードの練習になりますよ! 私はこんなトレーニングの仕方で赤に返り咲くことができました。
 最後にいらないアドバイスだったかも知れませんが、この作品はまだまだ続きます。どうぞお付き合いください。
 それではまた次回お会いしましょう。


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真なる月となる空の『器(ストリクス)』

Chapter7 月と狂乱の親友、再会

 

 不気味なまでに赤く輝く眼鏡越しの片眼が、ゴルドーとその腕の中のツクヨミを捉えていた。

 真っ白なボブヘアーに赤い瞳に赤縁の眼鏡。体にぴったりとくっついた赤茶色の戦闘用ボディスーツの少女は、ゴルドーを仕留め損ねたものの、狂ったような笑みを見せていた。

「アッハハハハ……! やぁっとみつけた。ごーよく。みぃつけた!」

 耳をつんざくような甲高い笑い声を上げながら、狂った少女は先と同様にゴルドーに向けて、真っ黒な杭のようなモノを放ってきた。

「くそっ……!」

 ゴルドーはツクヨミを抱えながらも、上手く飛び退いて相手の飛道具をかわした。

 ゴルドーは、大きく飛び退きながら、敵の飛道具の射程から外れた。

「にがすかっ!」

 少女の方も射程を維持するべく、素早い動きで距離を積めてくる。

「チィッ!」

「きゃっ!?」

 ゴルドーは、ツクヨミの眼を手で覆い、近くの生け垣の中へ背中から飛び込んだ。

「にげてもむだだよぉ? ぜったいにうちがぶっコロすんだからさぁ……!」

 狂乱状態の少女は、またも耳障りな声で一人笑った。

「間の悪いときに……! お嬢、怪我はないかい?」

 ゴルドーは声を潜めて訊ねる。

「ゾハル!」

「おっ、おい……!?」

 少しでも気配を消し、戦えないツクヨミだけでも逃がそうというゴルドーの作戦は、ツクヨミのせいで台無しになってしまった。

「あれれぇ? なぁんかきこえたなぁ……」

「クソったれが……!」

 最早潜んでいても無駄だと判断し、ゴルドーはツクヨミをその場に下ろし、少女を迎撃する事にした。

「あぁ、ごーよくだぁ!」

「いかにも、俺が『強欲』の『収穫者(ハーベスター)』、ゴルドーさ。お嬢ちゃん、俺になんの用事だい? ……なぁんて、訊くまでもねぇわな……!」

 返事の代わりに、少女は例の飛び道具を放ってきた。ゴルドーは、とっさに空間に大鎌を顕現させて打ち払う。

「……オーガの旦那の弔い合戦、ってところだろ? オーガの旦那でも敵わなかったってのに、たった一人であのバカ女に楯突こうなんざ死にに行くようなもんだぜ?」

「……だまれ。パらドクすは、うちがコロす。いや、あムネジあのやつら、ぜんぶぶっコロす。オーガにもいわれた。ちょっといってごーよくをけしてこい、って。だからおまえ、ごーよくはうちがコロしてやるんだ」

 言葉の端々に、人間の出す声とは思えない声を交えながら、少女は話した。

――まだかすかに自我はあるか。ロジャーと違って、『深淵』から何とか逃げ出せたって感じだな……――

 ゴルドーは思うものの、このまま放っておけば、少女が『深淵』の顕現に全身を侵されて虚無に落ちるのも時間の問題であった。

「ゾハル!」

「なっ!? お嬢……ぐっ!」

 ツクヨミが垣根から出てきてしまった。ゴルドーは注意力をツクヨミに奪われ、ゾハルというらしい少女の飛び道具に当たってしまった。

「こんなものっ……!」

 ゴルドーは、肩口に突き刺さった真っ黒な杭を抜いた。傷口からは血が噴き出す。

「うおっ……!?」

 更に、掴んでいた杭が蛇のようなモノに変化し、細長く鋭い牙に手を咬まれた。

 毒こそは無いようだったが、痛みは激しい。しかしそれ以上にゴルドーは、異変を察知した。

――顕現が、吸いとられる……!?――

 ゴルドーは、自らの顕現が抜けていくのを感じた。それは間違いなく、今咬まれている手からであった。

「このっ!」

 ゴルドーは、真っ黒な蛇の牙を無理矢理はぎ取るのではなく、地面にぶつけて圧死させようとした。

 ゴルドーの狙いは当たり、蛇は潰されると霧散した。

「いててて……こりゃあ、一体どんなカラクリだい?」

 肩口を刺され、更に手を咬まれて出血する所は鋭く痛むが、ゴルドーは冷静を欠かないようにした。

「変移のイグジス、探抗う深杭(ピアッシングハート)、『二重身(ドッペルゲンガー)』。それが彼女、ゾハルの能力よ」

 ツクヨミが説明する。

 ゾハルという少女の『二重身』という能力は、能力の中に妙なものは数あれど、その中でも一際変わったものであった。

 顕現によって作り出した杭状のモノを敵に突き刺し、当たった後は自らの手足を動かすかのように自在に操ることができる。それにとどまらず、姿形すらも自由に変え、自分の意のままに動かせる。

 本来二つと存在しない自身でさえも、その理に抗って顕現の源を探し、そして深くその杭を穿てば、ゾハルはもう一人のゾハルを作ることさえもできた。

 ゴルドーが掴んで引き抜いた杭が蛇に変化したように、杭を人と同じ大きさで作り、それを自分と違わない姿にするのである。

「めちゃくちゃすぎるだろ、そりゃあ……」

 ゴルドーは、渋い顔をせずにいられなかった。

 ふと、ツクヨミは、つかつかとゾハルに歩みより始めた。

「おい、お嬢!?」

 ゴルドーは、驚きのあまりに叫んだ。

 かつて二人は親友だったというが、ゾハルの自我は非常に薄い。そんなゾハルが、ツクヨミを傷つけない保証はなかった。

「ゾハル。私は……」

「あんた、だれ?」

 ゾハルは、片眼でツクヨミを睨んだ。

「えっ……!?」

 ゾハルから発せられた言葉に、ツクヨミは一瞬、全ての感情がなくなった。驚くことすらもできなかった。

 それでもツクヨミは、必死に言葉を繋ぐ。

「変な冗談は止してよ。私たちずっと一緒だったじゃない!」

「あんたとうちが? しらないね。いや、でもそのこえ、さっきから……」

 ゾハルは、さっきもツクヨミの声に反応していた。

 意識、自我が崩壊しつつありながらも、ゾハルの意思にはかつての親友の欠片が残っているようだった。

「……うーん、なんだかどこかで、きいたようなきがするんだけど? まあいいわ。うちはごーよくをコロすんだ。じゃましないでよ」

 ゾハルは、これ以上邪魔するようなら、命の保証はしないとばかりに、ツクヨミへ手を向ける。

「目を醒ましてゾハル! 私よ! ストリクスよ!」

 ツクヨミが叫ぶと、ゾハルの全身がぴくっ、と動いた。

「すと、リ、クス……?」

 ゾハルは、ツクヨミに向けていた手を、そのまま自分の頭に当てた。

「思い出して、ゾハル。私の名はストリクス。貴女の親友だったでしょう? いえ、私は今も貴女を親友だと思ってる。だから思い出して! 私と、そして自分自身の事を!」

 ツクヨミという存在を内包した、ストリクスという『器』は、必死にゾハルへと呼び掛けた。

「すと、りくす……スとリくス……ストリクス……!」

 ゾハルは頭を抱え、ついに膝をついてしまった。

「あのバケモンじみたあいつを、言葉だけでひざまづかせただと……!?」

 ゴルドーは愕然とする。

「ストリクス……ストリクス! っんくっは……!」

「ゾハル!」

 どういうわけか苦しみ続けるゾハルの背中に、ツクヨミは手を当てた。その瞬間、ゾハルの体から『深淵』の顕現がツクヨミの手を伝った。

「ダメだ、そいつにさわるな!」

 ゴルドーが言うが早いか、といった所で、ツクヨミは弾き飛ばされた。

「きゃっ!?」

「ぐうう……あああ……!」

 ツクヨミは、軽く尻餅をつく程度で済んだが、ゾハルは苦しみ続けた。

「ゾハル……ゾハル!」

 ツクヨミは己が身を省みず、苦しむ親友へと這ってでも近付こうとした。

「やめるんだ、お嬢! 今のアンタに『深淵』の顕現が流れたら……」

 ゴルドーが飛ぶようにツクヨミに接近し、その両肩を押さえて動きを封じた。

「放して! 分かっているわ。あの顕現を受ければ、私は虚無に落ちる。でも、たとえ虚無に落ちたとしても! 私はゾハルの『器』を割らなきゃいけないの……!」

 ゴルドーは、思わずツクヨミを押さえていた手をはなしていた。

「お嬢……アンタ……」

 ストリクスの『器』を持つ女の、やろうとしていることは、かつてゴルドーがなし得なかった事だった。

 虚無に落ちかけている、という点で厳密には違うが、虚無落ちの親友を終わらせてやろうとしている。

 ゴルドーにはできなかったばかりか、全ての落とし前をつける立場にいながらも、足がすくんで一歩も動けず、更には『光輪(リヒトクライス)』の赤い騎士に、親友を殺された。

 彼女に恨みを持つのはお門違いなのは分かっているが、それでもわき上がる憎しみに支配されている。

 もしもここでゾハルを殺そうものなら、ツクヨミに憎しみを抱かせることになるだろう。

 しかし、このまま黙ってみていては、ツクヨミは間違いなく人としての死を迎える。

「お嬢……すまねぇ! これ以上は見ていられねぇ……!」

 ゴルドーは、大鎌を出現させてツクヨミの前に立った。

「モータル……」

「止めてっ!」

 ツクヨミが悲痛な叫びを上げたときだった。

「スとりクス……アッハハハハ! ストリクスじゃん。久しぶりぃ!」

 ゾハルの様子が突如として変わった。

 たどたどしい言葉で、人間の声とは思えない声を発していたが、ゾハルは見た目に大きな変化こそないものの変化していた。

 なによりも、ツクヨミの事をストリクスと明確に認識していた。

「ゾハル、ゾハルなのね! 私のことがわかるの!?」

「アッハハハ! 分かるよ、分かるに決まってるじゃん。お前はオーガのお気に入りだったんだ。それをどれほど憎んだことか……!」

 ゾハルはまるで、人格までも二重となっているようだった。

 主な人格は、『深淵』の顕現に当てられた殺戮者のようであるが、ツクヨミをストリクスだと分かる人格も持ち合わせていた。

「アンタのことは、『器』を割ってやるだけで許してやろうかと思ったけど、懲りずにうちの前に姿を見せるなんてね。アンタを見ているだけでイライラするわ!」

「ゾハル、違うの。私は貴女と話しがしたくて……!」

「何が違うっていうのよ!? オーガはお前の事を気に入っていた。それが許せなかった! オーガにちやほやされているお前が!」

「違う! 私はちやほやなんか……」

「だまれ! 雌狐!」

 ゾハルはまるで、聞く耳を持たなかった。

「……だけど、それももう過ぎた話。オーガは、完全にうちのモノになった……!」

 一変してゾハルは静かに語る。

「……どういうこと?」

 ゾハルは、口角をこれ以上ないほどに吊り上げた。

「フフフ……ぶっ殺す前にいいもの見せたげる。冥土の土産にね……!」

 ゾハルは、右手に巻いた包帯を解いた。右手は『深淵』の顕現に侵されてこそいなかったが、戦慄を覚えるほどのものがあった。

 それは一見、ブレスレットに見えたが、狂人の腕輪と言っても過言ではなかった。

「そいつぁ……!?」

 虚無に落ちた親友の、無惨な亡骸を目にしたことのあるゴルドーでさえも、顔をしかめずにいられなかった。

 ましてや、そういった残酷さに慣れていないツクヨミは、完全に固まっていた。

 ゾハルが腕に付けていたもの、それは、人間のものと思われる眼球であった。

 眼球を宝石に、付随する視神経を紐のように、腕に巻き付けていたのだ。

「ねぇストリクスー。覚えているよねぇ? オーガは『偽誕者』になるときに虚無に襲われて片眼を喰われちゃったじゃない?」

 忘れもしないあの日。軽薄な男が、ツクヨミ、ゾハルという女二人組に歩み寄り、声をかけてきた。

 俗にいうナンパをしかけてきたのは、オーガであった。

 ツクヨミは、まるで乗り気ではなかったが、ゾハルの方は、オーガの渋い男性的色気に心奪われ、彼に付いていってしまった。

 二人の仲を取り持つため、などではなく単に、二人の女を一度に連れていこうとするオーガの人間性を軽蔑し、ツクヨミはその場を去ろうとした。

 しかし、オーガはつれない態度を取られながらも、ツクヨミを誘い続けた。

 今にして思えば、ゾハルはオーガに一目惚れし、またオーガはツクヨミ自身に興味があったのかもしれない。

 ツクヨミたちは、散々オーガに街のあちこちを連れ回された。そうこうしているうちに、夜も更けてきた。

 それでもオーガは、まだまだ遊び足りないといった様子で、その日一日で心酔しきったゾハルは、オーガと一晩を過ごしてもいい、といったような事をツクヨミに零していた。

 流石に親友と言えど、ツクヨミはゾハルの正気を疑ってしまった。しかし、ゾハルは本気そのものだった。

 一晩で終わる仲かもしれない、とツクヨミはもう一度考え直すよう、ゾハルを諭した。

 しかし、それからだった。オーガ、ゾハル、ツクヨミ、もといストリクスが『万鬼会』なるものを立ち上げるきっかけができたのは。

 三人は、歩いている間に、知らず知らずの内に『虚ろの夜』へと踏み込んでしまっていた。

 隣でキャッキャッと笑うゾハル、女性を飽きさせないために、様々な話題を止めどなく振ってくるオーガの二人のせいでツクヨミも違和感を感じられなかった。

 気付けば、辺りが非常に静まり返っており、闇がかなり深くなり、お互いの顔を見るのがやっとの状態だった。

 そんな中、突如として闇の中から虚無が出現した。

 猿のような姿をした虚無であり、その姿通り、機敏な動きでオーガに飛び付き、その爪を振るった。

 虚無の爪はオーガの片眼を抉り、それを口らしき場所へと放った。

 片方失明という、かなりの深手を負ったオーガだったが、不幸中の幸いか、すぐにその傷口に周囲の顕現が入り込み、彼は『偽誕者』となったのだった。

「もちろん覚えているよねぇ、ストリクス?」

 ツクヨミは、はっ、と我に帰る。

 ゾハルは、ツクヨミと目があったかと思うと、腕に巻き付けた眼球をしげしげと薄ら笑いを浮かべながら眺めていた。

「……覚えているわ。あの時『偽誕者』になったオーガは、私たちをこんな場所に連れてきたけじめを付けるとか言って、虚無の群に向かっていったわね……」

 しかしオーガは、一人では虚無の群を全て倒すことはできなかった。

 虚無はツクヨミらにも襲いかかってきた。そして、彼らに付けられた傷に顕現が流れ込み、ゾハルとツクヨミも『偽誕者』となった。

「まさかゾハル、あなたのその腕にある眼は……」

 ゾハルは恐ろしい笑みと共に、ツクヨミを横目で見る。

「アハハ……! けっこう大変だったんだから。あの猿野郎を見つけ出して、ハラワタ引き裂いて、やっと取り戻したんだ! 愛しのオーガの体を!」

 ゾハルは、眼球に口づけした。

「……あの日、うちが戻っていった時、オーガはもう死んでいた。だから、オーガの身体を引き裂いて、うちだけのものにした! いつだって、オーガを感じられるように、ここにもオーガの一部があるんだよ……」

 ゾハルは下腹部をさする。そこは、女にしかない臓器のある辺りである。

「…………っ?」

 ツクヨミはまたしても言葉を失ってしまった。

「イカれてやがるぜ、アンタ……」

 ゴルドーは、ゾハルの狂気に胸を悪くしていた。

「ゾハルって言ったか? アンタ、オーガの旦那を本当に好いていたんだろうが、やっていることは正気とは思えないぜ」

 ゾハルは、これ以上ないほどに目を見開いた。

「お前は黙れ! 『強欲』!」

 ゾハルは激昂し、杭を放った。

「何度もくらわねぇぜ?」

 ゴルドーは身を翻して杭をかわした。そして反撃に出る。

「グリム・リーパー!」

 巨大な鎌を顕現させ、縦に回転させながら突進した。

「あぐっ……!」

 鎌の刃は、ゾハルの肩口を切り、血を噴き上がらせた。

「ゾハル!」

「動くな、お嬢!」

 ツクヨミは、ゾハルが切られたために、思わず駆け寄ろうとしていた。しかし、ゾハルの様子の変化に気付き、足を止める。

「ふっ……くくく……!」

 ゾハルは血の滲んだ肩を押さえながら、苦しんでいるのか、それとも笑っているのか分からない声をあげていた。

「ゾハ、ル……?」

――まずいっ!――

 ゴルドーは大声をあげた。

「そいつから離れろ!」

 ゴルドーの制止の声とゾハルの凄まじい殺気に、ツクヨミは動けなくなってしまった。

「……もういいや、おまえら、まとめてぶっコロしてやる!」

 ゾハルは、手指の爪全てに杭を顕現させ、一番近くにいたツクヨミに襲いかかった。

「シネェッ!」

「っ!?」

「お嬢っ!」

 空中に、一筋の光が煌めいた。

――殺られたか……?――

 ゴルドーは次の瞬間、ツクヨミの五体が引き裂かれ、血の海ができあがると思った。

 しかし、更なる血を流していたのは、ゾハルの方であった。

 ゾハルの爪は、ツクヨミに届く寸前のところで止まっていた。

「ぐ、グギィ! ギヤァァァ!」

 ゾハルは、耳をつんざく金切声をあげながら、身をよじっている。

 何かに拘束されたようであり、動くごとに傷が増えていく。

「あーあ。かかっちゃった……」

 変声期途中らしい少し細い声が、暗闇の中からした。

「誰だ! まさか新手か!?」

「なに? カラテカ?」

 声はゴルドーの叫びに、バカにしたように、そしてわざと聞き間違ったように答える。

「この声!?」

 ツクヨミは大きく反応する。

「僕には。そんな野蛮なことをする力はないよ。空手みたいな事ができるのは。そこにいる我が麗しの姉様だけさ……」

 コツコツ、とよく響く靴音と共に、闇の中からギラリと不気味に輝く刃のようなものを背に、声と靴音の主がだんだんと明らかになっていく。

 四対八本の鉤爪は、まさに蜘蛛を思わせる。血にまみれた顕現を喰らっていたために、その頭髪は赤紫になっている。

 その眼は、(うつつ)と夢の境など関係ない、と言わんばかりの悪夢に苛まれているかのようにまるで生気がなく、ずっと遠くを見ているようだった。

「やっ。こんばんは」

 突如として現れた、新たなる闖入者は、片手をヒラヒラとさせ、小さく笑いながら一言挨拶をした。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは思わず叫んでいた。つい数時間前に喧嘩別れしたばかりだというのに、ビャクヤはツクヨミの危機に駆けつけるがごとく出現した。

 誰もが彼の出現に、驚かずになどいられなかった。

 

Chapter8 顕現を刈る者、そして喰らう者

 

 新たに出現した少年は、謎に満ち溢れ、それ以上にえもいわれぬ不気味さを醸している。

 四対八本の鉤爪を背に顕現させ、ワイシャツの裾を出して、大きくはだけさせた胸元から覗く肌は病的なまでに白い。

 古風なループタイを首から下げ、詰め襟の学生服をただ羽織っている。

 瞳にはやはり生気がなく、顔も透き通るような白さである。

 痩身痩躯で、いかにも病弱な少年、といった感じを受ける。しかしそれはあくまで、見た目の印象にすぎない。

 長年、『偽誕者』をやっているゴルドーには、少年がやわな見た目に反して、恐ろしい力を持っているのがすぐに分かった。

――あの爪……ハッタリじゃねぇ。いや、爪は二の次だ。あの小僧、それ以上の何かを持ってやがる……――

 ゴルドーの感じた『それ以上の何か』の正体は、やがて明らかとなる。

「グガガガ……ギィッ……!」

 人が出すとは思えない叫びを上げながら、ゾハルは自身を縛る糸から抜け出そうともがく。しかし、暴れれば暴れるほどに糸は食い込み、ゾハルから体力と顕現を奪っていく。

「無茶しない方がいいんじゃない? 僕の巣網の糸は。ワイヤーよりも固いよ? あんまり動くと。腕が取れちゃうかもしれないよ?」

 ゴルドーは、キラッ、と光る細い糸が、ビャクヤの指先から伸びているのに気付いた。

――あいつから糸が? そいつがゾハルを縛り付けてんのか。糸、巣網、八本の爪……まるでクモみたいだな――

「グウウゥ……ガアアァァァ!」

 ゾハルは、身を切り裂く糸に苦しむように叫び続ける。体はもう、綺麗なところがないほどに血にまみれている。

「ゾハル! もう止めなさい、ビャクヤ! これ以上はゾハルが……!」

 ツクヨミは、ゾハルに負けないほどの大声で、ビャクヤに訴えかける。

 ビャクヤはそっぽを向いて目を閉じ、両手の人さし指を耳の中に挿していた。

「あーもう。うるさいなぁ。セミが引っ掛かった時のクモの気持ちが。今なら分かる気がするよ……」

 ビャクヤの注意力が散漫になっている時だった。

「ギィッ、ギャァッ!」

「おっとと……?」

 ゾハルは渾身の力で身を捻り、ビャクヤの糸を断ち切った。

 ゾハルは、その場にボタボタと血を滴らせ、膝をついた。そしてすぐそばにいるツクヨミには目もくれず、代わりにビャクヤを一睨みし、騒ぎながらその場から一目散に逃げていった。

「ゾハル! 待って!」

「あーらら。逃げられちゃった。あはは……まるで本物のセミだね。運良くクモの巣から抜け出して。あんな大騒ぎしながら逃げてくなんてね。あははは……!」

 ビャクヤは無邪気に笑った。

――あいつは、自我をほとんど失っていた。なのに、暴れずに逃げることを優先した。本能でヤバい相手だと悟ったってのか……――

 ゴルドーは、まだ笑っているビャクヤを見ながら思った。

――あの小僧、確かに不気味だが、そこまでの力は……いや、さっきのを見た後じゃ侮れないな……――

「あははは……ふぅ……笑い疲れたよ。さて。休憩がてら状況を説明してもらおうかな。姉さん?」

 ビャクヤは笑うのを止め、ため息をつくとツクヨミに目を向ける。

 しかしツクヨミは、ゾハルが逃げ去った事で緊張の糸が切れ、放心したように崩れて尻餅をついた。

「おーい。姉さーん?」

 ビャクヤは、つかつかとツクヨミへと歩み寄り、肩を持って少し揺すった。

 それでもツクヨミは、まるで反応を見せない。全身の筋肉が弛緩し、一切動く力を失っているようだった。

「おーい。大丈夫かーい?」

 なおもビャクヤは揺する。するとひたひた、というような音として捉えるのが難しい、非常に小さな音がした。

 それは、液体がそっと地面を流れていく音であった。液体はツクヨミを中心に放射状に広がっていく。

「えっ? ね。姉さん?」

 ツクヨミは、自らの放出するものに快楽を感じつつも、下半身を包む生ぬるさにはっ、と我に帰った。

「……いっ、いやッ! 見ないで!」

 ツクヨミは、生ぬるく濡れたワンピースの裾を掴みながら、ビャクヤから紅潮した顔をそらした。

「ふーん。なるほど。よぉく分かったよ……」

 ビャクヤは立ち上がる。

「ぷっ……!」

 ビャクヤは吹き出したかと思うと、そのまま夜空を仰いで大笑いした。

「アッハハハハハハ……!」

 何がそんなに可笑しいのか、ビャクヤの笑い声はとてつもなく大きい。

 妙齢の女が、ビャクヤの目の前で失禁したことに対するものにしても、その笑いは異常であった。

「ビャク、ヤ……?」

 さすがのツクヨミも、恥よりも畏怖めいた感情に支配され始めた。

 やがてビャクヤは、一つ大きく息をし、仰々しく両手を広げ、誰にともなく話し始めた。

「……何から何まで。夢で見た通りだ。一人で『夜』へと向かった姉さんが危険な目に遭う。さっきのセミもまるで同じだ。真っ白な頭してさ。変な格好してるんだもん。ああ。変な格好といえば。さっきからそこにいるおじさんもそうだね……」

 ビャクヤは横目でゴルドーを見る。

「裸にコートなんて。まるで露出狂じゃないか。この『夜』に来るまでによくもまあ。警察に捕まらなかったものだねぇ。まったく……つくづく警察ってのは無能だよねぇ」

 ビャクヤは、ともすれば、ゴルドーに対して挑発しているようだった。

 しかし、このような挑発に乗るようなゴルドーではなかった。

 突然現れて、あの狂気の塊たるゾハルに、本能的に訴えかけるほどの恐怖を与えた少年である。おぞましい力の源を暴き出そうと、静かに様子を見続けていた。

 先に目をそらしたのは、ビャクヤであった。そしてまた、独り言のように喋り始める。

「……僕はやっぱりだめだ。姉さんの姿がなきゃ。悪夢を見る。そう。これは果てしない。途方もないもの。運命の神様なんかじゃなく。僕に宿る顕現の獣が見せる。まさしく『終わらない悪夢』さ……」

 だけど。とビャクヤは続ける。

「そんな『終わらない悪夢』を喰らってくれるのも。そいつなんだ。悪夢を見せたかと思うと。その悪夢を喰ってもくれる。ははは。ワケわかんないよね? ん? もしかして。こう言うことかな? 姉さんを守ることが。僕の存在意義。姉さんの死は。僕にとっての死でもある。僕に死なれちゃ。僕に宿るやつも困る。ああ。だから僕はこんなとこに来てるんだろうね」

 ビャクヤは、自分自身の謎を自己完結させた。その表情には、満足げな綻びがあった。

――……この小僧、まるで分からねぇ。場所が場所だ、常識が通用しない手合いは腐るほどいる。だが、コイツは丸っきり常識で推し量れねぇ……力も妙なら、人としても妙ってことか?――

 ゴルドーも、ビャクヤに初めて会ったツクヨミと同様に、彼の奇怪さに翻弄されていた。

「ねえ。おじさーん? さっきから何で僕をじっと見てるの? まさか。露出狂だけじゃなくそっちの趣味もあるとか? うっわー。最悪。変な格好してると。趣味まで変になるのかい?」

 ゴルドーが考えていたような事を、ビャクヤも口にした。

 自分が考えた事とは言え、ビャクヤのような者に人間性を怪しまれ、さすがのゴルドーも黙っていられなくなった。

「黙って聞いてりゃ、なめた口利きやがって。お嬢、いや、てめぇの姉貴守ってやってたってのに……最近のガキは礼の一つも言えねえのか?」

 ビャクヤは目を丸くする。

「守ってた? これで?」

 ビャクヤはツクヨミを一瞥した。

「お漏らしするくらいに怯えてるのに。キミは姉さんを守ってたって。それでも言えるのかい? さすがに僕が見た夢でも。姉さんはここまで無様な姿にはなってなかったよ? 本当はさっきのセミと同じように。姉さんをいじめてたんじゃないのかい?」

 ゴルドーはだんだんと、ビャクヤと問答していても無駄だと思い始めた。

「……これ以上は埒が明かねぇ。小僧、てめぇの姉貴探しに来たんだったら、とっとと連れて帰りな。ちょいとばかり殴ってやりてえ所だが、俺にはそんな暇はない。あばよ」

 大の大人が、子供相手に本気で怒るのもどうかと思い、ゴルドーは、これ以上ビャクヤに関わらないことにした。

「あーらら。待ちなよ。僕から逃げられるとでも思っているのかい? 僕は何者であれ。姉さんに危害を加える者は許さない。現にキミは姉さんを恐怖のどん底まで陥れた。それだけで万死に値するよ」

 ゴルドーは、黙りを決め込んでいる。しかし次の瞬間、ゴルドーの前に一筋の光が走った。

「これは……!?」

 ゴルドーは足を止める。そして良く見ると、光輝くものは、放射状に広がるピアノ線のようなものだった。

「逃げ場はもうないよ。キミは既に僕の巣網にかかってるんだ。そう。キミは『まな板の上の鯉』ってやつさ。大人しく鯉こくになってよ……って鯉こくってどんな料理か知らないけどね」

 ピアノ線のような強度を誇るビャクヤの糸は、既に辺り一体に光っていた。ゾハルがかかったのは、それらの内のどれかだった。

 いよいよゴルドーも、戦わざるをえない状況となってしまう。

「仕方ねぇな……」

 ゴルドーは、大鎌を顕現させた。

「ちぃとばかし、痛い目見なきゃわかんねぇようだな。あまり大人を舐めねぇ方がいいってこと、味わってもらうぜ? それから、俺はまだオッサンって歳じゃねぇぞ」

「あはは。聞こえてたんだ。まあいいや。少しは楽しませてよね。おじさん!」

 ビャクヤは、背中の八本の鉤爪を威嚇するように広げた。

「ぬかしやがれ、行くぜ!」

 ゴルドーは、先制攻撃を仕掛ける。

「モータルスライド!」

 ゴルドーは大鎌の柄先を逆手に持ち、突き出してビャクヤを鎌の刃に引っかけ、瞬時に懐へと柄を引く。

「そんなの……!」

 ビャクヤは鉤爪を半分折り畳み、鎌の刃を防ぐ。斬激を防ぐものの、鎌を引っかけられため、ビャクヤはゴルドーの剛腕に引き寄せられる。

「足元がお留守だぜぇ!?」

「んなっ!?」

 ゴルドーは、スライディングするようにして、ビャクヤの足を払った。

 下からの思いがけない攻撃に、ビャクヤは対応できず、体勢を崩してしまった。

「そらそらどうしたぁ! もうダウンかい!?」

 ゴルドーは立ちあがり、更なるダメージを与えようと、ビャクヤへと追撃を加えようとする。

「あーらよ……!」

 ビャクヤは体をバネのように縮め、宙に向かって両足を一気に伸ばし

、その反動によって飛び起きた。

 ビャクヤは見事な受け身よって、ゴルドーの追撃を止めさせた。

「ほう、お前さん、その動き……ただ能力に頼りきりってワケじゃあなさそうだな?」

「あははは。毎日毎日。そこでちびってる姉様に。投げられ続けたからね。運動神経はそうとう鍛えられたと思うよ」

「なるほどな。こりゃあ、退屈せずにすみそうだ。だが、我が魔鎌(まれん)、刈り取るは敵の魂。『強欲』の名は伊達じゃないぜぇ? 一つ残らず刈り取ってやる!」

「そうかいそうかい。それじゃ。今度はこっちから行かせてもらうよ!」

 ビャクヤは仕掛けた。

「どう料理しよう?」

 鞭のようにしなりつつも、刃として十分な切れ味を誇る変幻自在な鉤爪が、ゴルドーに襲いかかる。

「ほう……!」

 ゴルドーは、腕に顕現を纏わせ、上下から襲い来るビャクヤの鉤爪を防ぐ。

「この辺に……」

 ビャクヤは鉤爪を引き、手を開いて網を張った。

「っ!? これは……!」

 ゴルドーは、顕現の働く腕を盾にしてビャクヤの罠を防ぐが、異変を感じた。

「……仕込んでおこうかな?」

 ビャクヤはもう片方の手も広げ、巣網の罠をゴルドーにぶつける。

 ゴルドーの感じた異変は、次第に表に現れてきた。

「くっ……クソ……!」

 ビャクヤの攻撃、特にも蜘蛛の巣のような罠を受け止める度に、ゴルドーの顕現が奪われていく。腕に纏った顕現が徐々に薄れていく。

「ほらほら! いつまで耐えられるかな!?」

「ぐっ!」

 ゴルドーの守りは消えてしまい、腕を少し切られて血を噴いた。

「こっちだ!」

 ゴルドーは堪りかね、一先ずビャクヤから距離を離した。

「おっとと……」

 ガードを崩されて怯むゴルドーを掴もうとしていたビャクヤだが、ゴルドーのとっさの回避行動によって、その手は虚空を切った。

 ゴルドーは、顕現を消され、血の溢れる腕を押さえながらビャクヤを見据える。

「お前さんのその力……確信したぜ。そのツメ、いや、糸の方だな。顕現を吸い取る力がある。そうだろう?」

「へえ……だいたいのやつらは僕の巣網にかかると。冷静さを無くすんだけど。キミは違うみたいだね。その通りさ。この糸は食事のためのものさ。顕現を奪って僕の糧とする。キミも大人しく僕の一部になりなよ」

「なるほどな。けど顕現を喰えるのはお前さんだけじゃないぜ?」

 ゴルドーは、一気に間合いを詰めた。圧倒していたと思っていたビャクヤは、不意を突かれ、ゴルドーの接近を許してしまう。

「覚悟しな……!」

 ゴルドーはビャクヤを鷲掴みし、引き寄せると、ずっとコートのポケットに入れていた右手を出した。

「なっ!?」

 ゴルドーの右手は、顕現によって変化したものだった。爪がまるで毛髪のように垂れるほどに長く、いかにも妖しい、紫色をしていた。

「俺の一部となれ!」

 その爪は、見た目に反して非常に鋭く、ビャクヤの胸ぐらに深く突き刺さった。

「アシミレイション(いただきだ)!」

 突き刺されるビャクヤであったが、血は一切出ていない。その代わりにビャクヤからは、別のものが噴き、ゴルドーはそれを掴み取っていた。

 それはまるで、人魂のように浮遊し、燃え盛っていた。ゴルドーはそれを、爪を通して自らの中に取り込んだ。

「ぐはっ! くっ……!」

 出血こそしていないものの、ビャクヤの胸には、まともにパンチを食らったような衝撃があった。

 一時的な呼吸困難にくずおれるビャクヤだったが、これ以上追撃を食らわぬよう、ゴルドーに向かって鉤爪を伸ばした。

「分かりやすいぜ!」

 ゴルドーは鉤爪をひらりとかわす。

「ごほっ……ごほっ……今のは。一体……?」

「さっきも言っただろ? 顕現を喰えるのはてめぇだけじゃないってな」

「……顕現を? ……っは!?」

 ビャクヤは、己が身を通して何が起こったのか、そしてゴルドーの言葉の意味を理解する。

 ビャクヤは、自身に宿る顕現が弱まっているのを感じた。先ほどの攻撃により、ゴルドーに奪われたのだと分かるのに時間はかからなかった。

「……なかなかやってくれるじゃないか……」

 胸に受けた衝撃の余韻も消え始め、ビャクヤは鉤爪を支えにしながら、ゆらりと立ち上がった。

「ほう……華奢な見た目と違って意外とタフだねぇ。驚きだぜ」

 ゴルドーは、まだまだ余裕といった笑みを浮かべていた。

「ふふふ……これは。まずまず楽しめそうだねぇ」

 ビャクヤは、ゴルドーの余裕の笑みに対して、不敵な笑みを返す。

――なんだ、ハッタリか?――

 不意にビャクヤは、片手を宙にかざし始めた。次の瞬間ゴルドーは、ビャクヤの行動がハッタリなどではないと知らしめられた。

「ふふふふ……」

 ビャクヤの体が、青く不気味に輝き始めた。

「な、なんだ!?」

「言ったろ? キミは既に僕の巣網にかかってる。って」

「巣網だと……!?」

 ゴルドーは辺りを見回した。

 まるで気付かなかった。ビャクヤの張った巣網は、てっきり自身を逃げられなくするためのものだとばかり、ゴルドーは思っていた。

「気付いたようだね? でも。もう遅いよ……」

 ビャクヤは己が行動によって、事前に張っておいた罠の意味を示す。

「高まるね。いろいろ……」

 罠には、とても数えきれないほどの小さな虚無がかかっていた。ビャクヤは、それらの顕現を一気に吸い取っていたのだ。

「はあああ……!」

 顕現を吸い取るにつれ、ビャクヤが纏う輝きは、激しく増していった。

――黙ってみてる場合か!? 早く終わらせねえと!――

 ゴルドーは圧倒され、動けずにいたが、ビャクヤの策をこれ以上進ませまいと攻勢に出ようとする。

「終わるわけないよねっ!?」

 ビャクヤは、纏っていた顕現を一点に集中させ、ひときわ激しい光を放った。

「ぐうっ!?」

 あまりに激しい輝きをまともに受け、ゴルドーの視界は一瞬闇に包まれた。そして耳元に囁きかけるような声がした。

「そろそろ食べ頃かな?」

 ビャクヤは両手に糸を纏わせ、目にも止まらぬ速さでゴルドーに突進し、そしてすれ違った。

「仕留める……!」

 次の瞬間、ゴルドーは全身を拘束されていた。まるで鉄線を何重にもよった縄で縛られているかのようであり、一切の動きができないばかりか、呼吸すらもできない。

「ごっ……かっ、かあっ……!」

 僅かでも息をしようとするが、その僅かすらも空気が入ってこない。

「いいねぇその表情。さて。どう味付けしようかな」

 ビャクヤはゴルドーの背後に回り、鉤爪をゴルドーのうなじに突き付けた。

「最近塩辛い味ばっかだったからね。たまには甘い味付けにしようかな? いや。酸っぱいのも捨てがたい。どうしよう?」

 ビャクヤはまるで、ステーキにどのような味のソースをかけようか、といった具合に味付けを考えていた。

「そうだ。甘酸っぱくしよう。いいとこ取りってやつだね。そうと決まれば早速……」

 ビャクヤはゴルドーの顕現を捕食すべく、その手を伸ばす。

「ごおっ! かっ……かっ!」

 ゴルドーはどうにかコートのポケットから手を出し、顕現の爪を用いて自身を縛る糸を切った。

「おや?」

 ゴルドーを縛っていた糸は、一端が切れると全てが等しく裂けていった。

 ゴルドーは、体にまとわり付く残った糸を振り払い、地面に膝付きながら拘束から逃れた。

「ゲホッゴホッ……!」

 ゴルドーはようやく入ってきた空気にむせる。

「あらら……大したもんだねぇ。まさか僕の最強の糸に巻かれても抜けるなんてねぇ……」

 ゴルドーの力ぶりに、ビャクヤは感嘆する。

「けど。強度が最強なら。その効果も最強だよ。どうだい? 今のキミにどれくらいの顕現が残っているかな?」

 ゴルドーは、酸欠状態なのもあったが、それ以上に力が入らない感じがした。

――顕現がごっそり喰われちまったのか……!?――

 ゴルドーは、自身の右手を見て驚愕した。

 敵の顕現を奪うための爪が消えてしてしまっていたのだ。ゴルドーは再び、能力の行使を試みるが、いっこうに復活しそうになかった。

――こいつぁ、いよいよあぶねぇか……!?――

 ゴルドーは立ち上がらず、真っ直ぐビャクヤを見据えていた。

 ビャクヤの力量を見誤ってしまった。ゴルドー自身も、『強欲』と呼ばれるだけの顕現喰らう能力を宿していたために、自分を超えるほどの顕現を奪える者はいない、と過信してしまっていた。

「はははは。いいねぇ。完全に絶望したって感じの顔だ。このまま食べてあげたい所だけど。あれは強いだけに連発ができないんだ。キミは運がいい。もうしばらくこの世にいられるんだからさ」

 この言葉に、ゴルドーは活路を見いだした。

「連発はできない、ねぇ。そいつはいいことを聞いたぜ……!」

 ゴルドーは、羽織っていたコートを脱ぎ、ビャクヤに向けて無造作に投げ付けた。

「うわっ!?」

 コートはビャクヤの顔に当たった。一瞬視界が完全なる闇となる。

「わりぃな、俺にはやらなきゃならん事があるんでな。流れはもう俺にはねぇ。命あっての物種だ、退散させてもらうぜ!」

 ゴルドーには、大鎌を出すための顕現も残っていなかったため、衣服を投げることでビャクヤの目眩ましをした。

 先ほどビャクヤが、大量の虚無の顕現を吸い取った時同時に、辺りに張り巡らされた罠も消えていた。ゴルドーにとってはまたとない逃亡の好機であった。

「ングっ!」

 ビャクヤは、顔に巻き付いたコートを振り払った。

 回復した視界に写るのは、半裸となったゴルドーの背中が、既に小さくなっているものだった。

「ありゃー。ざんねん……」

 ゴルドーは巨躯を持ちながらも、逃げ足は速かった。追いかけようにも、だいぶ距離を引き離された後であったため、ビャクヤは追撃を諦めた。

 しかしそれ以上に、ビャクヤにはやるべき事があった。

「まぁいいか。今は。あんなのはほっとこう。それより……」

 ビャクヤは後ろを振り返る。そこには、自ら作り出した小水の泉に浸かるツクヨミがいるはずだった。

「あれ?」

 小水の泉は確かにあったが、そこにツクヨミの姿はなかった。その代わりに、縮こまった下着が放られていた。

「やれやれ……」

 ビャクヤはつかつかと水溜りへ歩み寄り、捨てられた下着を手ではなく、鉤爪で引っかけて拾う。

「あーあ。こんなに汚しちゃって……洗濯するの誰だと思ってるのさ……。まっ。姉さんのものを捨てるなんて選択肢。始めからないけどね」

 それでも尿にまみれたものなど触る気にならず、ビャクヤは鉤爪に引っかけたままにしておく。

 そして茂みへと歩み、木陰に潜む存在に声をかけた。

「ほら帰るよ。姉さん。隠れててもバレバレだよ。出てきなって」

 今の『器』の割れたツクヨミには、十分な顕現は宿っていなかったが、顕現の捕食者であるビャクヤには、その僅かな顕現すらも感じ取れた。

 もっとも、顕現で位置を探る以前に、匂いで分かったのだが、さすがにそれは黙っておくことにした。

「…………」

 ツクヨミはおずおずと、ワンピースの裾を強く掴み、木陰から顔を覗かせる。

「おや?」

 ビャクヤはふと気が付いた。ツクヨミの後の方には、まだ張っておいた罠が残っていた。

「なるほどね……」

 ビャクヤは一人、理解する。

 ツクヨミは、逃走を試みたのであろうが、逃げた先に罠があり、その上他の逃げ道を探そうともビャクヤらが戦っていたせいで逃げられなかったのだ。

「図らずも僕の巣網が貴女を逃がさなかったってわけだ。探す手間がかからなくてよかったよ」

 ビャクヤは喜んだ。

「……私としては、あなたという蜘蛛から逃げられない獲物の気分なんだけれど。……どういうつもりかしら?」

「え? 何がだい?」

「一度、あれほど拒絶していたというのに、わざわざ私を探し、そしてまた姉と呼んでいる。あなたという人間を、分かりきったつもりではないけれど、それでもあなたの行動には疑問が尽きないわ……」

 ビャクヤは、質問の意図を理解したのか、傍目からでは分からないが、ケラケラと笑った。

「はははは。なぁんだ。そういうことか。答えは簡単だよ。貴女が僕の姉さんだから。……ていう理由じゃ。姉さん納得しないよね? 仕方がないから詳しく話してあげるよ」

 ツクヨミは、自分に限らず、ビャクヤ以外の人間であれば皆悉く理解できないであろう、という言葉が出そうになるが、ビャクヤが話してくれるようなので喉元で押し留めた。

「夢を見たんだよ。さっきもちょっと話したけどね」

「夢……?」

「そう。夢だ。それもとんでもなく現実的で。僕にとっては。それはそれは恐ろしい夢をね……」

 ツクヨミと喧嘩別れした後、ビャクヤは疲れきってって眠ってしまった。

 その時ビャクヤは、耐え難い悪夢を見た。

 髪が真っ白な女と、身長が高く、筋肉質な男によって、ツクヨミが殺される。そのような夢であった。

 状況こそ違ったが、現実と照らし合わせると、それはゾハル、そしてゴルドーとあまりにも似ていた。

「そんな夢を見てね。久々に跳ね起きちゃったよ。ただの悪い夢だって。何度も思ったけど。どうやったって振り払えなかった。後はさっき話した通りだ。急いで来てみれば。僕が見た夢の通りだった」

 ビャクヤは、自身に悪夢を見せたのは、間違いなく自身に宿る顕現の獣だと確信していた。

 何故ビャクヤに異能力を与える存在がそんなことをするのか、そこまでは分かりかねていたが、こう考える事にした。

 二度と姉を失わないために、そのような夢を見せるのだと。

「ははは。我ながら都合のいい解釈だよね? けど。あいつらは見たまんまの姿格好だった。もう。こうでも考えるしかないと思わないかい?」

「…………」

 ツクヨミには、ビャクヤの虚言であるとしか思えなかった。

 しかし、夢を見たらしい事は事実のように思えた。

 ビャクヤの人間性はまだまだ謎に包まれているが、あれほど拒絶された後で、しかも命の危機に瀕した瞬間にビャクヤは現れた。偶然にしてはできすぎた話である。

 予知夢のようなものを見たのだろうと、ツクヨミは考えたのだった。

「あなたの言いたいことは大体分かった。それで、あなたはどうしたいというのかしら?」

「そんなの。決まっているじゃないか。僕が貴女を。姉さんを守るんだ。姉さんの問いに対する答えとしてはこうだ。姉さんを守る。そのために姉さんと一緒にいたい。それが僕の願いだよ」

 死んだ魚のような目をしながらも、ビャクヤは真っ直ぐにツクヨミを見つめ、そして真っ直ぐな気持ちを伝えた。

 ツクヨミは、思わずドキリとしてしまった。

――私、何をこんなに……。この子にそんな感情は……――

 単なる利用価値のある護身用の武器だとしか考えていなかった。しかし、そんな武器同然のビャクヤが、人並みの心を以て一丁前な言葉をかけてきた。

 ツクヨミは、好意のようなものを感じ始めるが、胸に手を当てて落ち着き、自らに言い聞かせる。

――そう、彼は私の剣であり盾である存在。余計な事は口にしない。そんな存在にほだされる事などあり得ない。ただそれだけに、思いもよらない言葉に驚かされた。それだけのこと……――

 くしゅっ、とツクヨミはくしゃみをした。

 暑い夜が続く時期ではあるが、濡れたワンピースの裾が夜風を受け、ひんやりとしていた。その上、下着を着けておらず、下半身から冷えを感じた。

「ああ……」

 ビャクヤは、その手に持ち続けていたゴルドーのコートを広げた。

「ほら。着ときなって」

 ツクヨミの後ろに回り、コートを肩に羽織らせる。

「ビャクヤ……」

「なんだい? やっぱり露出狂のコートは嫌かい? けど。残念だけど今はそれで我慢してよ。家に着くまでの辛抱だ。ほらほらさっさと帰るよ!」

 ビャクヤは、ツクヨミが汚した下着を引っかけている以外の鉤爪を消し、きびすを返した。

「ああ。そうだ。一つ言い忘れてた。昼間は怒鳴ったりして悪かったよ。僕が大人げなかった。この通り。謝るよ姉さん……。さぁ帰ろうか。その服とこのパンツ。洗濯しなきゃならないからね」

 ビャクヤはそのまま振り返ることもせず、先導するように歩き出した。

 ツクヨミは、そのまま立ち去ろうと思えば立ち去れた。しかしどうしてか、そのような事をするのに気が咎めた。ビャクヤを裏切るような真似をする気に、どうしてもならなかった。

「姉さーん?」

 ビャクヤは気遣っているのか、ツクヨミの事をしっかりと見ないように、首だけを曲げていた。

「早くおいでよ。そんな格好でこんなところにいたら。姉さんまで露出狂扱いされちゃうよ?」

 この言葉には、さすがに寛容な受け止め方はできなかった。

「……誰が露出狂かしら? ビャクヤ、あなたの方こそ、女性用の下着をそんな風にぶら下げて、下着泥棒の帰りだと思われるのではなくて?」

 ツクヨミは思い付く限りの反撃を試みる。

「はいはい。言ってなよ。これは姉さんのものなんだ。姉さんのものを。弟の僕が管理するのは当然のことだし。変態扱いされるいわれはないよ。そして姉さん自身を管理するのも。いや。言い方が悪いかな。お世話するのも僕の役目さ」

 堪らず言い返してくるかと思いきや、ビャクヤにきれいに受け流されてしまった。余計に言葉につまったのはツクヨミの方であった。

「現にさ。こうやって下のお世話まできちんとやっているだろう?」

「誰が下のお世話……っくしゅん!」

「あらあら。早く帰らないと本当に風邪引くよ? 病気の看病に下のお世話。まったく。これじゃあ介護だね。まだそんなのは早いんじゃない? 姉さん」

「っ! …………」

 ツクヨミは反論したくなるが、これ以上騒ぐのは愚かだと、言葉を喉の奥で止めた。

「ほら。とっとと帰るよ」

 ビャクヤはやはり、振り返ることなく歩き出した。

 ツクヨミも仕方なく、その後を付いていくのだった。

 

Chapter9 真なる月となる空の『(ストリクス)

 

 最強の傭兵、『強欲』の名を持つ『偽誕者』、ゴルドーと接触し、ツクヨミのかつての親友、探抗う深杭、 『二重身』のゾハルとの邂逅から一夜明けた。

 ツクヨミは、病床に伏していた。

 昨晩未明より、発熱と咳があった。ビャクヤの忠告も虚しく、風邪を引いたようだった。

 変わり果てたかつての親友の姿を目にし、そして命を狙われる、といったショッキングな出来事が続き、精神的にも疲弊していたことも原因と思われた。

「ゴホッ! ゴホッ……!」

 ツクヨミは、激しく咳き込む。だんだんと咳は、湿気を帯びたものになってきた。胸に響いて息苦しさすら感じる。

「はあ……はあ……」

 ツクヨミは、口元を覆った手をそのまま額に置いた。

 自分でも恐ろしいまでの熱気を感じた。体温は推定、四十度に迫る勢いだと思われる。これほどまでにひどい風邪をひいたのは、ずいぶん久しぶりな気がした。

 ふと、部屋のドアがノックされた。

 ノックの後、ツクヨミの返事を待たずに、ドアは開けられた。

「調子はどうだい。姉さん?」

「ビャクヤ……」

 買い物の袋をさげ、ビャクヤが部屋へと入ってきた。

「どれどれ……」

 ビャクヤは、買い物袋をテーブルの上に置き、ツクヨミの首に手を触れた。

「あらら。すごい熱……ん?」

 ビャクヤは一瞬、眉根を寄せた。その様子はまるで、触診で何らかの兆候を悟った医師のようだった。

「なに……」

 ツクヨミは、焼けるような喉の痛みを感じつつも、何とか発した。

「ああいや。何でもないよ。それよりほら。薬局で体温計買ってきたからさ。熱を測ろうか」

 ビャクヤはすぐに、いつものような微笑を浮かべた表情に戻り、買い物袋をまさぐり始めた。

 取り出したのは、彼の言う通り体温計であった。しかし、それはあまり馴染みのない形式のものだった。

 ケースとおぼしきものの両端から紐が伸びている。

 ビャクヤはそれを掴み、ケースとその中身の体温計をブンブンと振り回し始めた。

「なに……それ?」

 ツクヨミは思わず訊ねてしまう。

「ええ? 見たらわかるだろう?」

 ビャクヤは、紐を両端にピッ、と引いた。遠心力によって体温計だけがくるくる回る。回転が止むとビャクヤはケースから中身を取り出した。

「ほら。体温計だよ」

 ビャクヤが差し出してきたのは、棒状でガラス張りのものだった。細かく目盛りが刻まれており、その中心には銀色の指標があった。

 今や、医療現場でも姿を消したはずの、水銀式体温計であった。

「なんでこんな昔の……」

 ビャクヤの選択にも思うところがあったが、それよりもむしろ、よくこんなものがまだ市販されていたものだと、ツクヨミは思った。

「知らないのかな? 姉さん。この体温計の方が正確なんだよ。電子体温計なんて邪道だよ。姉さん」

 そこまで言い切るに、電子体温計に恨みでもあるのか、とツクヨミは思う。昨今の技術力で、電子体温計はかなりの精度まで高められている。しかも測定にかかる時間も比例するように減っている。

 しかし、体温計ごときにぐだぐだ言う気力も体力もないため、ツクヨミは黙っていた。

「さて。測ろうか。脇の下……でもいいんだけど。本当は首の方が正確にはかれるんだけど。どうしようか?」

「……脇の下でいいわよ」

「そう? あれ。口の中の方がよかったような……?」

「早く貸してちょうだい……」

 問答しているのが面倒になり、ツクヨミはビャクヤから体温計を取って、すぐに脇に挟んだ。

「ああそうだ。検温には五分かけなきゃダメだよ? ちゃんとした温度がでないからね」

「…………」

「ちょっと姉さん。聞いてる?」

「ゴホッ……聞いているわ。喉が痛いのよ。あまり喋らせないでちょうだい……ゴホッ!」

「おっと。それはごめん。ああほら。『ひんやりんね』も買ってきたから貼りなよ」

 ビャクヤは、『ひんやりんね』なる冷却シートを取り出した。

「……どうもありがとう」

 頭も痛かったため、これはありがたかった。ツクヨミは、保護フィルムを剥がし、額に貼る。

「ほら。もう一枚。これは脇の下に貼るといいよ。今体温計はどっちに……右だね。それじゃ左脇に……」

 ビャクヤは、ツクヨミのシャツの裾に手を伸ばした。

「ちょっと、何してるのよ!?」

 ツクヨミは驚いて、大声をあげる。そしてむせかえった。

「ああもう。そんな声出すから。ほら。『ドレーエンカイザー』だよ。飲みなよ」

 ビャクヤは、袋からペットボトル入りの経口補水液を差し出す。『ドレーエンカイザー』、一口飲むだけで電解質を全身に回すのが信条、というふれこみで有名な一品である。

 ツクヨミは受け取り、口にした。僅かに塩の味がするが、後味はほのかに甘い風味が鼻腔を包んだ。

「ごほ……それくらい自分で貼れるわ。余計なことしないでちょうだい」

「そうかい? おや。そうこうしているうちに。五分たったね。どれ。熱見せてよ」

 ツクヨミは、体温計をビャクヤに渡した。

「どれどれ……」

 体温計の示す温度を見て、ビャクヤはぎょっとした。

「三十九度五分……!? 大変だ! 急いで熱を下げなきゃ! 確かあれも買っといたはず……!」

 ツクヨミの読みは大体当たっていた。それほどの高熱があるのなら、辛いのも当然というものである。むしろ、正確な体温を知ったことで、だるさが増したような気がした。

 しかし、滅多なことでは動じなくなったビャクヤが、ここまで慌てている様子を見たのは久しぶりだった。

 何を考えているのか、普段は分かりにくいものの、この時ばかりは献身的に尽くしてくれている、とツクヨミは思った。

ーーこの子、本当に私のことを心配して……?ーー

 熱でぼんやりしつつも、ツクヨミの心がビャクヤの優しさに揺れかけた。しかし、次の瞬間、その心の揺れは別のものとなる。

「あったあった。これ!」

 ビャクヤは、薬箱を取り出し、箱を開けて中身を取り出した。

 錠剤にしてはずいぶん大きく、小指の先くらいの大きさがある。そして真っ白な楕円形である。

「……っ!? ちょっとそれって……!」

「何って座薬だよ。解熱用のね。さあ。入れるから。下脱いで!」

「ま、待って、何で座薬なのよ!?」

「僕が小さい時からお世話になっている薬屋さんの薦めだからだよ。解熱剤は口からより。直腸からの方が吸収が早いってね。ほら逃げないで姉さん! これ以上熱が上がったら大変だよ!」

 ビャクヤは、布団を払い除け、ツクヨミのシャツを捲り、下着に手をかけた。

「きゃあっ!?」

 ツクヨミは、熱以外の原因で顔を真っ赤にし、ビャクヤの手首を両手で押さえ付けて抵抗を試みる。

「姉さん! 何してるのさ!? その手を離して。事態は一刻を争うんだよ!?」

「わ、分かった! 分かったから、ちょっと待って! せめて自分で……ゴホッ……ゴホッ……うっ!?」

 ツクヨミは胸元に手を当てると、どさっ、とツクヨミはベッドの上に倒れてしまった。

「ちょっと姉さん? こんなときに。何をバカな真似を……姉さん? おーい姉さん! えっ! 本当に気絶してる!?」

 高熱に加え、ビャクヤとの小競り合いで興奮したため、ツクヨミは失神してしまった。

「姉さん! 姉さーん!」

 何度呼びかけても、ツクヨミは起きることはなかった。

    ※※※

 街から離れた埠頭の倉庫に、二人の少女、一人の男が一同に会していた。

「よぉ、来てくれたか、ストリクス。それからゾハル」

 グレーのスーツに身を包み、肩には純白のストールをかけ、頭には同系色のテンガロンハット被る、隻眼の男が二人を召集していた。

「ちょっとちょっと、オーガぁ? なんでうちの事はついでみたいに言うのー?」

 ゾハル、と呼ばれた真っ白なボブヘアーに、赤縁眼鏡、真っ赤な瞳の少女は、遊び人風の男をオーガと呼び、彼の腕にすがった。

「いや、そんなつもりは無かったんだが……すまんすまん。この通り、謝るよ」

 オーガは、ゾハルの真っ白な頭を撫でる。

 するとゾハルは、まるで幼子のように機嫌が良くなった。

「うんうん。許したげる。うちの事、放っておいたらダメだよ?」

「分かった分かった……」

 オーガは、ジャケットの内ポケットから、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、残り少ない数本の内の一本を取った。

 オーガがそれを咥えると、ゾハルはどこに持っていたのか、ライターを取り出し、火をつけてオーガに差し出した。

 オーガは、その火を受けて煙草に火をつけ、ひと口吸うと、ふーっ、と二人にかからぬよう、注意しながら煙を吹き出した。

「……さて、今日来てもらったのは他でもない。いよいよ明日夜に迫った、『忘却の螺旋』との決着の作戦会議のためだ」

 オーガは言うと、ふた口目を吸う。

 その様子を見て、ストリクスは、呑気なものだと呆れを超して感心してしまった。

「どういうつもりかしら? 大きな戦いが迫っているというのに、召集をかけたのは、私とゾハルだけ。相手はあの『忘却の螺旋』最強の『眩き闇』なのよ。人員を総動員させるべきではないの?」

「まあまあ、落ち着け、ストリクス。お前の言い分は分かるが、数で当たったところで、奴には勝てねぇ。むしろ無用な被害が出るだけだ。『万鬼会』、『忘却の螺旋』っていう組織レベルの話ではあるが、双方の(ヘッド)がやりあわなきゃ意味がねぇ」

「そうだよ、ストリクス。余計な小細工抜きで正々堂々勝負する。男らしいオーガにピッタリだよ!」

 ゾハルは便乗する。それに対して、オーガは首を横に振る。

「いや、残念ながら、その逆だ。ゾハル。策に策を重ねて奴との決着に臨む」

 ゾハルは、驚いてその真っ赤な瞳を丸くした。

「どうして!? いや、オーガがそう言うならそうするけど、オーガ一人でも『眩き闇』なんかイチコロじゃない?」

「ハハハ……そう言ってくれるのは嬉しいがな、ゾハル。ちょっと俺を買いかぶり過ぎだ。情けねぇ話だが、多分、いや間違いねぇな、俺は『眩き闇』に遥かに及ばない」

 オーガは自嘲すると、煙草の灰を落とし、咥える。

「……まっ、だからこその今日のこのミーティングだ。力で勝てねぇなら、知恵比べだ。今回の戦いで重要になるのはストリクス。お前の能力『生命の(セフィロト)』だ」

 ストリクスは指名されたが、大して驚きはしなかった。

 もとより、ストリクスの能力は変わったもので、直接戦闘に関わる能力ではなかった。

 対象者の生命を顕現へと変換させるという、殊、支援には非常に適している能力であった。

「……二対一で戦うようなものじゃない。それって正々堂々と言えるのかしら?」

「まあ、そこは俺も思うところだが、戦うのは俺一人だ。ストリクスは攻撃したりしねぇからギリギリセーフってトコだろ」

 つくづく適当な男だ、とストリクスはため息をつく。

「ちょっとちょっと!」

 ゾハルは口を尖らせる。

「それじゃあ、うちの役目がないじゃん! うちはどうしろっての!?」

「いいや、ゾハル。お前は戦闘要員だ。まっ、まず間違いなく俺と『眩き闇』とのサシになるだろうが、もしもあちらさんが団体戦を所望してきたとき、戦えるやつがいないと話にならないだろう?」

 その可能性は十分にあった。

 能力者集団『忘却の螺旋』は、なにも『眩き闇』一強の組織ではない。幹部の者の中には、『眩き闇』に引けを取らない強さを持つと言われる『強欲』のゴルドーがいる。

 そして、今は前線に立つことはほとんどなくなったものの、かつて暴君と呼ばれ、恐れられていた『忘却の螺旋』のブレーン、ケイアス。

 更に、ごく最近に、『眩き闇』の目に止まり、そのままスカウトを受ける形で『忘却の螺旋』の幹部格となった男、『罪切りの獣』エンキドゥ。

 彼らの存在も加味すれば、戦力差は圧倒的に『忘却の螺旋』側が勝っている。幹部同士で戦い合わせ、『眩き闇』がオーガを倒すことで、『万鬼会』を再起不能になるまで徹底的に潰しにかかる事は想像するに難くなかった。

「メンツ的にはあちらさんの完全有利だが、戦いは勝ち抜き戦だ。俺とゾハルで『強欲』たちを相手にして、残った『眩き闇』を俺とストリクスで叩くってわけだ。ゾハルの役目は影の立役者ってところだな」

「ふーん……」

 ゾハルは、膨れっ面のままである。

「まあまあ、そう怒るなって、ゾハル。よく考えてみろ。野球だとピッチャーが目立つが、実際はショートの方が守備の要だろ? バスケだって、ポイントゲッターが活躍するには、リバウンダーの活躍が必要だ。ゾハル、お前は結構重要なポジションにいるんだぜ?」

「剣道や柔道の試合も同じ。大将戦に持ち越すためにも、三連敗すればその瞬間に終わり。もしも前の二人が負けたとしても、その流れを断ち切るために、中堅が勝つ必要がある。だから中堅は五人組の中で最も強い者が務めるべき。そうだったわね、オーガ? だからゾハルは……」

 言ってストリクスは、違和感を覚えた。

 何故かこの感じ、以前にもあったような、そんな既視感がしたのである。

 自分から出た言葉であるにも関わらず、ストリクスは、この例えがオーガから以前に出たもののような気がしてならなかった。

「……へー。なるほど。オーガとストリクスは、この時から以心伝心だったってワケか!」

 ゾハルは、突然に豹変した。

 同時に、オーガの体が土塊のように砕けて落ちた。

 ゾハルに掴まれていたオーガの腕だけは残ったが、ゾハルはそれをいとも容易く砕き散らしてしまった。

 ストリクスは、状況の理解が追い付かず、茫然と立ち尽くすしかなかった。

「……やっぱりお前は、ぶっ殺す。『器』を割るだけで放っとこうかと思ったけど、もうぶっ殺してやる……!」

 ゾハルは、能力によって杭を顕現させ、その先端をストリクスに向けた。

「っ!?」

 ゾハルは、ストリクスの心臓を貫こうと、杭を突き出した。

『始めよう……いや。終わらせよう……!』

 ストリクスに死の危機が迫った瞬間、どこからともなく声が響き、辺り一帯が鋭い光沢を放つ糸に包まれた。

「ゾハルっ!?」

「うぐっ!? があ……アアアア……!」

 謎の糸はゾハルを巻き込み、身動きを封じるのみならず、その姿が見えなくなるほど絡み、縛り上げていく。

 やがて、ゾハルは繭のようになった。内部でまだ抗っているのか、繭は振動している。

『諦めるんだね。キミはもう逃げられない。大人しくこの腹に収まりなよ』

 ゾハルを繭にした者が、足音を立ててストリクスの方へ近寄ってきた。

「誰っ!? ゾハルを放して!」

 姿を見て、ストリクスは再び言葉を失った。

 現れたのは、まさしく異形の存在であり、人の形をしているが、その顔は一切窺えず、全身が黒く、そして紅く染まっていた。

 背中から四対八本の鉤爪を生やしており、その刃は完全に血に染まった深紅であった。

 そんな異形の存在を前にして、ストリクスは何故か、その者の事を知っているような気がした。

「び……びゃく……」

 それ以上は言えなかった。

Strix Von Schwarzkeit(ストリクス・フォン・シュバルツカイト)……』

 異形の者に、先にストリクスの名を、ファミリーネームと共に言われたためだった。

『へえ。なかなか洒落た名前じゃないか。貴女(キミ)って外国人? まあいいか。安心しなよストリクス。貴女の悪夢はこれで終わりだからさ……』

 異形の者は、上体を反らした。次の瞬間、その者の頭、上体、そして鉤爪が巨大化し、それらが一体となった。

 残っていた足は、牙になった。黒と紅が混じり合う、おぞましい姿の蜘蛛となった。

『打ち喰らおう。終らない悪夢を……!』

 八本の鈎脚が、ゾハルを巻いた糸もろとも引き裂き、牙を突き立てる。

「ゾハルー!」

 ストリクスは、親友が目の前で喰われ、殺される所を最後に、意識が遠退くのだった。

    ※※※

「ゾハル!」

 ツクヨミは、叫びと共に上体を起こした。

「うわー。ビックリした。姉さん大丈夫?」

 すぐそばに、目を丸くしたビャクヤがいた。

「ビャク、ヤ……? ここは……」

 埠頭の倉庫内ではない。最早見慣れた、ビャクヤの家であり、ツクヨミの部屋であった。

「夢……」

 ツクヨミは目覚めて全てを理解した。あれは全て、熱にうなされたために見た悪夢であったのだと。

「姉さん。すごいうなされようだったよ? 一体なんの夢見てたのか知らないけど。『ぞ、はる、ぞはる』って」

「私、そんなことを……?」

 うわ言を喋ってしまっていたらしい。ツクヨミは、ビャクヤに内緒にしていた人物がバレたかと内心慌てる。

「ひょっとして。春が来そうで来ない夢でも見てたのかな? 『来たぞ、春!』なんつって!」

 ビャクヤのあまりにも無理矢理なこじつけに、ツクヨミは唖然としてしまう。

「……はっ?」

「アハハハ……! はぁ……」

 ビャクヤは少し笑ったが、すぐにくたびれたようにため息をついた。

「……なんて。無理に笑っても面白くないものは面白くないよね? 分かってる。分かってるとも。そんなことより……」

 ビャクヤは、ツクヨミの額に手を当て、もう片方の手は自分の額に当てる。

「うーん。まだ少し熱があるかなぁ? まったく。あれから大変だったんだよ? 一時熱が四十度超えちゃったから、お医者さんを呼んだんだ。それで解熱の注射を射ってもらったよ。熱はその内に引くってさ。感染症の疑いもあるっていうから。熱が下がらなければ。検査に来てほしいって言われたけど。この分なら寝てれば大丈夫かな?」

 喋りながらビャクヤは欠伸を噛み殺した。よく見ると、目の下にくまができている。

「ビャクヤ、あなた、もしかして……?」

「ああ別に。ちょっと寝てないだけさ。姉さん丸一日は眠ってたからね。寝ずに看病するのは当たり前だよ……とはいえ。さすがに眠いや。ふあぁ……」

 ビャクヤは、今度は抑えようともせずに、大きく欠伸した。

ーーStrix Von Schwarzkeit(ストリクス・フォン・シュバルツカイト)……ーー

 ふとツクヨミに、夢の中で自らを呼ぶ声が甦る。

 あの異形の者の声音は、こうしてビャクヤと話している内に、ビャクヤのもののような気がしてきた。

 夢であるからには、理屈が通っているか、など断定することはできないが、どうにもビャクヤにあの名を呼ばれたような気がしてならなかった。

「ビャクヤ、一つ訊かせてもらえるかしら?」

「なんだい姉さん? 僕に分かる範囲の事なら答えるよ」

 ビャクヤの許しを得て、ツクヨミは、意を決して訊ねた。

「私の名前は?」

「へっ?」

 今度はビャクヤが固まった。しかし、ツクヨミの言っていることは、

まだ病気であるがゆえの戯言だと考え、冷静に返した。

「まだひどい夢の影響があるのかい? 姉さんは姉さん。僕の愛する姉。月夜見(ツクヨミ)姉さんだ。それ以外の名前なんてないだろ?」

 やはりただの悪い夢だったのか。そう思いたい所であったが、ツクヨミは、どうにも思い過ごしだと考えられなかった。

 ふと、ツクヨミは、首の辺りがヒリヒリする感じがした。

「ああ。ダメだよ掻きむしっちゃ。汗疹ができてるんだ。ほら。塗り薬ならあるから」

 ビャクヤはそう言って、軟膏薬の瓶を差し出した。

「あら、塗ってあげる、とか言わないのね?」

 ツクヨミが気絶する前は、しきりに何かをしようとしていたビャクヤであったが、今回は瓶を手渡すだけで、後は自分で塗れと言わんばかりだった。

「峠は越えたからね。後は自分でもできるだろ? 献身的な看病はもう終わりだ。この抗菌薬飲んで寝なよ」

 ビャクヤはポケットからカプセル製剤を取り出した。

「…………?」

 何故か、ビャクヤの様子がまるっきり変わってしまったような気がした。無理に座薬を入れようとしてきたあの時と比べると、かなり冷めたような雰囲気であった。

「……さてと。それじゃ僕も寝るとしようかな」

 ビャクヤは、腰かけていた椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。

 自分の部屋に戻って寝るのか、とツクヨミが思っていると、ビャクヤは寝具一式を持って戻ってきた。

「よっこらせ。と……」

 ビャクヤは床に布団を敷く。

「どうしてここで……自分の部屋で寝たらいいでしょう?」

「峠は越えたとはいえ。一応は病人だ。僕の目の届く所にいてほしい。それに。僕にでも移せば。もっと治りが早くなるんじゃないかな?」

「そんな無茶苦茶な……」

「はいはい。もうおしゃべりは終わり。お休み姉さん……」

 ビャクヤは布団に横たわり、ツクヨミに背を向けて後ろ手に手を振った。やがて寝息を立て始めた。

ーーよっぽど疲れていたのかしら? こんなにすぐに寝つくなんてーー

 ツクヨミは、ビャクヤの寝顔を覗いてみた。

 すっかりと曇ってしまっている瞳は閉じられ、いつも浮かべている何を考えているのか分からない薄ら笑いがないせいか、まともな表情のビャクヤを見るのは初めてな気がした。

 生気の無い眼をしているため、ビャクヤの顔は常にくたびれた様子であったが、寝顔はその限りではなかった。

 普段の彼からは想像できないほどに安らかである。こうしてよく見ると、目鼻立ちととのった、中性的美少年だと再認識させられる。

ーー普段から、こんな顔をしていれば、少しは可愛げがあると言うものなのに……ーー

 思ってツクヨミは、はっとなった。

ーー私は何を考えているのかしら? ただの武器に愛着が湧くなんて。けれど、どうして? どうしてこの子を見ていると、胸が……ーー

 ビャクヤとの協力関係は、彼が全面的にツクヨミに付き従い、降りかかる火の粉は全て払う、といった契約の下に成り立っている。

 そして加えるならば、ビャクヤはツクヨミの剣であり盾である。壊れるようなことがあれば、破棄して新たな武器を手に入れればいい。それほどまでに、絆など生まれる事の無い関係である。

 ツクヨミは、その様にしか考えていないはずだった。

ーーこの子は、私にとって、ただゾハルを捜す為の障害を振り払うための道具に過ぎない。それ以上の感情なんて……ーー

 考えるほどにツクヨミは、胸が苦しくなる。

 ただの道具であり、奴隷同然の相手に命を救われ、程度はどうであれ、こうして病に倒れた時も、彼は自身を顧みずに看病してくれた。

 ツクヨミとて血の通った人間である以上、感謝の気持ちは浮かんでいた。

ーー感謝? いえ、違うわね。これは……そう、借りを受けただけよ。この気持ちはそんな意思の現れ。借りを返せば、恐らくは……ーー

「んー……んう。姉さん……」

 ビャクヤの顔をじっと覗き込んでいたため、ビャクヤがツクヨミの視線を感じて目を覚ましたか、とツクヨミは驚いてしまった。

「んうう……姉さん。大好きだよ……」

 ビャクヤは寝返りを打つ。どうやら、単なる寝言のようだった。

 寝言であったが、余計にツクヨミの気持ちは昂ってしまう。

ーーこれ以上を超えてはいけないわ。でも、どうしたら……ーー

 ツクヨミはふと、思い付いた。

 これ以上の関係を超えないこと、それは自らの在り方を利用することであった。しかし、それはまた、僅かに残る『ストリクス』の存在を抹消することにもなりえる。

ーーこれは、この子との姉弟ごっこを更に濃密にするためのこと。そうすることで、生まれるメリットはたくさんある。決して私だけのためではない……ーー

 ツクヨミは、自らに強く語りかける。

ーー全てはあの子、ゾハルを捜し出して詫びるため。そのためならば、『ストリクス』の私は消えてもいい。ビャクヤの親戚、『田村小夜子』でもない。ビャクヤの姉『月夜見』になる必要がある。そのために……ーー

 ツクヨミは、テーブルの上にある、ビャクヤと在りし日の『月夜見』が写る写真を見る。

ーーこれしかないわね……ーー

 ツクヨミは、何かを悟るのだった。

    ※※※

 ツクヨミがひどい風邪を引いてから、数日が経った。

 予後は極めて良好であり、熱はあの日で下がり、咳や喉の痛みもすぐによくなった。

 まだ、『夜』には赴いていなかったが、この分ならそろそろビャクヤと同行しても問題は無さそうだった。

 ビャクヤと『夜』に行かなかった理由は、療養のためばかりではなかった。

 ビャクヤが虚無や『偽誕者』を狩り、そして顕現を食すために『夜』に行っている間に、ツクヨミは密かに進めている事があった。

 ツクヨミの部屋のクローゼットにしまわれていたもの、ビャクヤの真の姉、『月夜見』が最期の瞬間まで身に纏っていたセーラー服の制服。それの修繕をしていたのだった。

 交通事故に遭い、はねられて地面に投げ出されたと聞いていたが、制服の損傷はそれほど大きくはなかった。

 彼女の死因は、頭部裂傷による脳挫傷、ならび大量出血によるものとのことだった。不幸中の幸い、というのは非常におかしな事だが、胴体の損傷が少なかったため、制服は原型をとどめることができていた。

 アスファルトに強く擦り付けられたために、制服には破れた場所がいくつかあったが、目立たないほどに縫い合わせる事はできた。

「できた……!」

 そして今宵、制服の修繕は完了した。『月夜見』の死後、すぐに制服は洗浄されており、血痕などの汚れはなかった。

 新品同然、とまでは言えないまでも、これを来て歩くぶんには問題ないほどの仕上がりとなった。

「あと用意するものといったら……」

 ツクヨミはフォトスタンドに目をやる。

 さすがにこればかりは遺されてはいなかった。事故によって頭を怪我したためか、『月夜見』の頭にある、百合の髪飾りは処分されていた。

「百合の造花、それも精巧にできたもの。あるかしら?」

 ふと、ツクヨミは思い出した。

 もう何週間も帰っていない自宅マンションに、造花を買って、そのままにしてあるものがあった。

 手芸が好きなツクヨミは、造花を使った飾りを作ろうと買っていたのだった。しかし、様々な出来事が重なったために、趣味の手芸に興じる時間がなかった。

 こうして手先の器用さを利用できたのは、この制服の修繕が久しぶりの事だった。

「明日の朝、ビャクヤが寝静まった頃に出掛けるとしましょう」

 ツクヨミは予定を決めると、制服をクローゼットにしまい、裁縫道具一式を片付けた。

 この行動は、できればビャクヤには秘密にしておきたかった。少々子供っぽいが、いつも彼の言動に驚かされることばかりなので、今回はこちらが驚かしてやりたい、という気持ちがあったからだった。

 翌日早朝、ビャクヤは『夜』から帰ってきた。

「ただいまー」

「おかえりなさい、ビャクヤ。疲れているでしょう? 今日は早く寝たらどう?」

「んー? 何だかずいぶん寝かしつけたがるねぇ? 僕が寝てる間に。何かよからぬことでも企んでいるのかい?」

 どうせ適当な事を言っているだけであろうが、企み事態はあるので、ツクヨミは内心ドキリとする。

「まあいいや。今日の……いや。昨日の夜って言った方がいいかな? なかなか手応えのある奴と会ってね。戦ったんだけど。そいつ。ちっとも顕現を持ってなくてね。骨折り損だったよ……」

 ビャクヤほどの強者を、顕現による能力ほとんどなしに善戦したという者がいるとは、とツクヨミは意外に思う。

「しかしまあ。あれかい? 最近の『偽誕者』は能力に目覚めると。露出狂にも目覚めちゃうのかい? この前の奴もそうだったけど。昨日会った奴も上半身裸でさ。どうやって警察に捕まらずに『夜』に来るんだろうね?」

「それは災難だったわね」

 ツクヨミは、当たり障りの無い返答をする。

「まったくだよ。見苦しいものを見せられてる。こっちの身にもなってほしいってものだね。……ふあーあ。眠いや。寝よう……お休み姉さん……」

 ビャクヤは眠りにつくべく、階段を上って自室へと引っ込んでいった。

ーー顕現をほとんど持たない、腕っぷしだけで戦う『偽誕者』……ーー

 ツクヨミは、そのような人物に心当たりがあった。しかし、いくらビャクヤが強大な能力を持っていたとしても、あの者が遅れを取るなど考えにくかった。

ーー思い過ごしよね。顕現が少ないけど、喧嘩は強い手合い、『夜』にはいくらでもいるはず。それよりも……ーー

 ツクヨミは、ビャクヤが眠った頃合いを見計らって出かけた。

 いつもはビャクヤと夜に来る川沿いの広場を通り、都心部にある高層マンションに久方ぶりに帰ってきた。

 七階建ての五階の三号室、そこが『ストリクス』の部屋であった。

 何週間と帰っていなかったために、ドアのポストにはポスティング用のチラシが大量に入れられていた。

 中には公共料金の受領書などもあったが、ツクヨミはまとめてゴミ箱に放り込む。

「……あった!」

 ツクヨミはクローゼットの中に、段ボールに詰め込まれた造花を見つけた。

 段ボールにはマリーゴールド、カーネーション、チューリップにカモミール、桜や椿、更には彼岸花など、和風なものも込めて、様々な花の造り物が入っている。探していた百合の造花も、その中にあった。

ーーこれで完璧ねーー

 目的のものを見つけ出し、ツクヨミは一人、小さな笑みを浮かべると、百合の造花を一輪持って部屋を後にした。

 そしてその日の晩。

「ビャクヤ、起きなさい」

 いつもは夕方に目を覚ますビャクヤであったが、その日は日が落ちるまで眠っていた。

「起きなさい、我が弟、ビャクヤ」

「……うーん。なんだい姉さん。その邪気眼みたいなセリフ……いい歳してそんなのに……」

 罹って、とビャクヤの言葉は中断された。そして目が、頭がどんどん冴えていく。

「姉さん……? 月夜見。姉さん……!?」

 ビャクヤの眼前にいたのは、在りし日の姉であった。

 古風だが品を感じさせるセーラー服に、膝下丈のスカートを穿き、頭には百合の髪飾りをしている。

「やっと起きたのね。ほら、早く支度なさい。出かけるわよ」

「姉さん。どうしてその格好を? 前にお願いしたときは。嫌だって言ってたのに」

「少しでも借りを返せればと思っただけ。寝ずに看病してくれたしね。それに、よく考えたのよ。制服姿でいた方が、より姉弟らしく見えるってね。あなたのためだけ、ってわけではないわ。勘違いはしないようにね」

 ビャクヤは、目に涙をためていた。

「……ああ。これで本当に帰ってきてくれた。月夜見。姉さん……」

 この姿になることは、思った以上に効果的だった。ツクヨミは、頑張って制服の修繕をしてよかったと達成感を持っていた。

 そして思った通り、ビャクヤのツクヨミを見る目が、より姉に対する敬愛を持ったものとなった。

ーーこれで、よかったのよね。これで……ーー

 しかし同時に、ツクヨミは複雑な気持ちにもなった。

 ツクヨミはこれで、『ストリクス』としての個が限りなく無となり、『月夜見』としての存在感が強くなった。ビャクヤの姉という地位も強まることになった。

 ビャクヤの姉という立場を確固とするために、この変身を行った。ビャクヤへの想い、それが一線を超えないため、姉という立場を強めたのだ。

 これでよかったと思う反面、ビャクヤはもう、ツクヨミを『月夜見』という姉の姿としか見てくれないという思いが、ツクヨミを形容しがたい心地にした。

ーー何を迷っているのかしらね、私は……こんな男に、そんな感情を持つなんて有り得ない。この子は私の剣であり盾。ただのモノよーー

 ツクヨミはそれ以上考えることはせず、更に前へと踏み出す。

「さあ、ビャクヤ。感傷に浸るのはその辺にしてちょうだい。私たちに立ち止まっている時間など無いのだから」

「……そうだね。僕は姉さんを守る。今度こそ守りきると決めたんだ。姉さんがそんなに僕を想ってくれているように。僕も姉さんを本当に愛してる。心からね」

 愛するなどと言われ、ツクヨミは思わず顔をそらしてしまった。

「戯言を……さっさと出かけるわよ」

「ああ。何処へでも付いていくし。どんなことだってしよう。この命。この顕現の能力。全ては姉さんのためのものなんだからさ」

 それから、噂の多い『虚ろの夜』に、新たな噂が立ち始めた。

 学生と思われる二人組の男女が、『虚ろの夜』へと現れては、出会った者を完膚なきまでに叩きのめす、という噂が。

 姉弟と思われる二人組であるが、姉の方は一切戦いに関与せず、弟の方がその得物の鉤爪を振るい、敵を切り刻み、その顕現を喰らう。

 その様子は、奴隷と君主のそれであったが、奴隷である弟は主の命令に喜んで戦い、君主である姉の方は、どこか、彼に対して慈愛を持っているようだという。

 奇妙な噂に事欠かない『虚ろの夜』であったが、この噂は広く強く、『偽誕者』たちの間に広まるのだった。

 

おまけコンボレシピ、戦術

 

5B>2C>5C>3C>jc>JB>J2C>JC>A罠>2C>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理全段>C食べ頃

 なかなか判定強めの5B始動。

 2C>5C>3Cで浮かせてエリアルにいく。ヴォーパル込みで3900位のダメージ。罠を二回当てるため、グリッドの回収もよい。前回の5A始動とやることは似ているが、こちらはJC後に罠が繋がるため少しやりやすい。また、外す危険があるが、A料理一段をすっ飛ばしてA罠を当てることも可能。ダメージが少し上がるがゲージ回収は落ちる。しかし、差は微々たるものなので、好みで使い分けても問題はない。

 

空中ヒット5B >3C>jc>JB>J2C>JC>A罠2C>(A料理一段)>A罠>A派生>DB>A料理全段>C食べ頃

 意外と5Bは上に判定が強いため、対空としても機能する。空中ヒットを確認するのは少しばかり難しいが、CS後に使うと分かりやすい。相手の甘えたアサルトを叩き落とすのに有効。3Cだと発生が少し遅いので、アサルトと相討ちになりやすい。

 

IJ2C>2C>5C>3C>jc>JB>J2C>JC>A罠>A料理一段>A派生>A料理全段>C食べ頃

 通称アハハハ始動。この始動のすごいところは、補正がほとんどかからないので2C>5C>3Cと繋がる上に、JCの後に罠が繋がること。ダメージはおおよそ3700となかなかいいダメージを叩き出す。なお、A罠の後に着地してから2Cも繋がるので、ダメージを伸ばしてゲージも欲しいときは入れるといい。

 

DB>B料理二段>A罠>2C>5C>3C>jc>ldJB >J2C>h2JC>2C>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理全段>C食べ頃

※ld=little delay ちょっとディレイ

※h2=hold 2(2押しっぱなし)

 上級者の間では基礎コンボと呼ばれるコンボ。全46ヒットでダメージ4026。難易度が高すぎるので、個人的にあまり実戦ではオススメできないコンボ。しかし、こうした上級コンボを完走できるようになれば、コンボの精度が身につくので、決して無駄な練習にはならない。

 このコンボのコツとしては、B料理で罠を張って下りた後、できるだけ相手に近づくこと。そうしないと3Cが当たらない。それから近づきすぎも×。裏回ってコンボにならない。2C>5C>3Cを連続して入れるのではなく、一個一個いい位置で当たっているのを確認しながら入れる。恐らくここが一番難しい所だが、JBを出すときジャンプしてすぐに出すと2Cの時に抜けられてしまう。ちょっとディレイのかけ方だが、ビャクヤがジャンプしきった所でようやくJBを出す。すると以降繋がりやすくなる。

 以上、非常に難しいコンボだが、これができるとアドリブが効くようになるので、ぜひ挑戦してほしい。

 

 戦術①食べ頃拾い

 ビャクヤの強みである、ガード不能投げのA,B食べ頃だが、実はこれは罠に引っ掛かった敵を拾い直す効果もある。ぐるぐる巻きになった相手を更に巻いて罠初ヒットみたいにしばらく拘束することができる。以降はコンボも可能。

 狙い目としては、壁際でC食べ頃締めをしたときに、214C>D派生>2369Bで相手の頭上、足元、少し前に罠を張った状態の時。2BキャンセルB食べ頃で拾える。

 この連携の強みとしては、たとえ2Bでシールドを取られても続くB食べ頃で割ることができるということである。もちろん、当たっていれば大ダメージをもう一度与え、更に起き攻めにいける。A,B食べ頃は、発生がとてつもなく遅く、外したら確反と扱いが難しいが、相手が防御に徹するであろう壁際で三つ罠張られている状況にて真価を発揮する。

 ジャンプで拒否しようにも、頭上にも罠があるため、相手からするとかなり辛い状況である。

 しかし、相手に2Bを当てるタイミングが早いと、カス当たりになるので注意。コツとしては、相手が相手がしっかり立った(起き上がってくらい判定が復活した)のを見極めること。なかなか難しいときは、少し近づいて2B>A食べ頃でも拾えるが、A食べ頃は2Bをシールドされた時投げられないため反撃をもらいやすい。

 ちなみに、どちらの食べ頃もそうだが、出てから少しの間ビャクヤが消えるため無敵時間がある。

 

 戦術②守りの方法

 ビャクヤは攻めについてはかなり強いキャラと言えるが、切り返しの手段に乏しいため、固めの強いキャラに転がされると、そのまま何もできずK.O.などということが起こりやすい。

 ビャクヤに限らずだが、ガードがしっかりできるプレイヤーこそが上手いプレイヤーと言える。

 ではシールドをどんどん張るべきなのか、というとそれは固いガードとは言えない。シールドは投げに全くの無力だからである。空中ガードが基本的に無理なこのゲームにおいて、ファジージャンプは危険すぎる行動。暴れようにもビャクヤ攻撃は最速でも6フレームのため、5フレームの技や、投げに潰される。無敵技があるにはあるが、暗転するタイプなので暗転返しを食らいやすい。

 となればできることは一つ。暴れたい、シールドしたい気持ちを抑え、ひたすら我慢をする事である。

 下手にガードシールドをしてもグリッドが減る上にゲージも削られてしまうが、普通のガードだとグリッドが減ることはない。相手が打撃で固めてきていると分かってからシールドを張っても遅くはないし、リターンが高い。

 追い詰められた時にこそ冷静に相手を見れば、刺し返しのタイミングが見えてくる。

 とにかく、甘えたシールドは張らないようにすること。相手は格上でまず間違いなく割りに来ると思った方がいい。

 それから、金投げは必ず抜けられるようにしよう。この場合の金投げとは、ガード硬直中に無げを仕掛けられたものである。全キャラの投げはもちろん、ワレンのBドルヒボーレン、ゴルドーのモータルスライド派生アシミ、ミカのBキャノンなどもこれに当たる。普通の投げ抜けは難しくとも、金投げは投げ抜けの猶予が長いため、見てから投げ抜けができる。これが抜けられるか否かで、次に解説するCS権に大きく影響が出る。

 

 戦術③CSを使う

 何を今さらと思うかもしれないが、このゲームにおいて最強の行動はチェインシフト、CSである。これは全国で上位にいる上級プレイヤーの言っていることなので間違いはない。

 また、これもその上級プレイヤーが言っていることだが、グリッドを腐らせるのは非常にもったいない事だという。CSを使うことをケチって負けるというのは一番よくない負け方らしい。

 確かにCSは、発生、暗転が1フレームなうえに無敵なため、やって損はないと言える。それどころか、グリッドがゲージに変換されるので、むしろ得があるくらいである。

 ではどんな時に使うのがよいのか。いざというとき、なかなか分からないものなので、個人的に思う使い所を挙げる。

 一つ目は、ダウン復帰直後、リバサで使うことである。暗転の瞬間に相手がやっていることが見えるので、切り返しがしやすくなる。しかし、ガード方向にキーが入力されていると、シールドが出るので、ニュートラルが怖い人は2を押しながらDを連打する事をオススメする。

 もう一つは、あえて技をガードさせてから使うこと。もしも暗転の瞬間、相手のガードシールドが漏れていた場合、ダッシュ投げで割ることができる。グリッドブレイクすると、しばらくDを使った行動ができなくなるため、かなり辛いのはこのゲームをやっている人ならば分かるだろう。ブレイク中にもう一度CS権がやってくることもある。ビャクヤはキャラ特性としてグリッド吸収能力があるため、システム的には優遇されたキャラといえよう。また、ビャクヤのFFはガードでほぼ全てのキャラから反撃をもらうので、FFを使うときには是非ともヴォーパル状態でいたい。

 もう一つだけ挙げるとすれば、もうどうやってもグリッドを盛り返せない時である。どうせ相手にCS権が行ってしまうのだから、せめてゲージを回収しようという目的で使う。これが一番グリッドを腐らせない方法であろう。その瞬間に、相手が何らかの行動をしておりそれに対して刺し返しが効くのであれば儲けものである。

 偉そうなことを言いながら、作者もまだまだCSの使い方が上手いとは言えないので、とりあえずCS権を腐らせない事を意識しよう。




 どうも。作者の綾田です。
 前回の投稿から約半年近くも経過していて、我ながら筆が進まないなぁともどかしく思う次第です。
 さて、ビャクヤを主人公にした物語も折り返し地点に差し掛かりました。今回はビャクヤというより、ツクヨミことストリクスが主人公っぽい物語になったと思います。
 ちなみにですが、ストリクスのファミリーネームは私の妄想ですが、ゾハルの能力、探抗う深杭(ピアッシングハート)は公式です。ビャクヤのストーリーにも、ツクヨミのクロニクルにもその名は出ていませんが、対ワーグナー戦で勝利したとき、ツクヨミがたまに言います。あんまり対戦でワーグナーに当たることがなかった時に、ツクヨミがこんなことを言い出したので、急いでゾハルについての話を修正をしました。(もっと早く言ってよ姉さん……)
 これまで愛用していたPSVITAの上キーが壊れたのと、対戦人口が少なくなってきたので、メインの対戦環境をPS4に移行しました。まだ150戦ほどしかしていませんが、VITAでやっていた時と比べ、遥かに色んなプレイヤーと対戦できて、歯応えを感じています。意外とビャクヤ使いの方が多く、このキャラを敵に回すとこんなに厄介だったのか、と思い知らされています。PSNのIDはayada-syuとそのままなので、この作品を読んでくださっている方と対戦できているかもしれませんね。プレイヤーアイコンもビャクヤなので、見たことある、という方がいらっしゃったら、間違いなく私のことです。マッチングしたら、容赦なくボコボコにしてください。キャラ対したいなーと思っていますので。
 さて、全然小説の執筆が進んでいないくせに、最近BBCTAG始めました。とはいっても、まだシステムも微妙なので、あまり対戦はしてないです。リアルに仕事が忙しくて、PS4自体にもあまり触れてないです……。
 アークシステムワークス様の格ゲーは、UNI以外ですと、アルカナハートとギルティギアしかやったことがなかったりします。P4Uはゲーセンでちょっと、BBに至っては名前しか知らないという状態でした。
 前から気になってはいましたが今回、アルカナハートが参戦した事と、コンボ動画を観て面白そうだと思って始めました。メインにハザマとオリエを使っています。はい、中の人つながりですとも( ̄^ ̄)
 劣等生の兄と優等生の妹という組み合わせがあまりにも有名ですが、私としては、妹大好き高校生と、事あるごとに相談を持ちかけるヤンデレ中学生を意識してます。キャラ的にもハザマはやられ役っぽいですし、オリエは正義正義言って刺し貫いておきながら、戦いに疑問を持つ、ちょっとアレな(オリエ好きな方、申し訳ありません!)キャラなので、彼らだと思うんですよね(^_^;)
 電撃FCIの時もそうでしたが、二人以上のキャラを選ぶゲームってなんか中の人ネタやりたくなるんです。やりたくなりません!? 中の人ネタ!
 しかしそれ以上に、私は格ゲーのキャラ選ぶときって、キャラ性能とかじゃなく、そのキャラが面白い子かどうかで選ぶんですよね。その点、ハザマは感覚的にピンと来ました。丁寧に煽る感じながら、ダメージ受けたら「参りましたッ!」「あだだだ!」「もう少し優しくッ!」と笑わせに来ているキャラだなと思いました。(バティスタの投げ食らった時の「まわるー」も面白かったですが)
 逆に主人公とか、それに類するキャラはまず選ばないです。だからUNIでは、ハイドとかリンネを選ばず、かなりキャラ的に(性能的にも)変わったビャクヤを選びました。前々回でも言いましたが、あそこまで清々しく煽るキャラは面白いですよ。UNIのキャラってだいたいみんな相手を煽りますけど、陰湿さがまるっきりないのには惚れました。(後中の人も好きなので)
 次回参戦してほしいのは、アルカナハートからシャルラッハロート、P4Uから足立透、UNIからビャクヤですね。この三人に共通している事といえば、世の中に嫌気がさしていることでしょうか。ただ、シャルが出たら、鎖使いが三人目になりますね。(ハザマのウロボロス、ラビリスのチェーンナックル)まあでも、一番は本当にビャクヤです。今まで遊んだ格ゲーの中で一番入れ込んでいるキャラなので、ビャクヤは本気で来てほしいと思ってます。(後ハザマと中の人ネタができるし……)
 さて、ただの作者の趣味や願望並べ立てただけの、最早あとがきとは言えないものになってしまっていますが、本編がシリアス路線だったので、いい清涼剤になったかと思います。後二回、できるだけ早く投稿したいと思いますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
 では、また次回お会いしましょう


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紅騎士、業火の戦い

Chapter10 紅騎士、業火の戦い

 ビャクヤとツクヨミは、日々『夜』へと踏み込んでいた。

 二人の行く手を阻む虚無や『偽誕者(インヴァース))』は、ビャクヤの鉤爪の餌食とし、二人は『夜』の奥、更に奥へと進んでいた。

 彼らは、闇雲に『夜』を歩んでいたわけではない。

 ツクヨミの指導の元、ビャクヤは彼女の護衛、そして顕現を喰らうために突き進んでいたのだった。

 ツクヨミの全ての目的は、彼女のかつての親友であるゾハルを見つけ出すこと。

 そして顕現求めて暴走するゾハルの『器』を割る。これがツクヨミの、己が身を賭してでも危険な『夜』へ赴く理由であった。

 そして、奴隷とその主人といった関係の姉弟は、今宵もまた『夜』へと来ていた。

「いやいや。これはこれは……」

 ビャクヤは、辺りの気配を感じ取りながら微笑する。

「素晴らしいね。辺り一帯。旨そうな匂いだ。これはさぞかし楽しめそうだねぇ」

 これから捕食できるであろう顕現に、嬉々とするビャクヤの隣で、ツクヨミは、『器割れ』して鈍くなってしまった感覚をどうにか研ぎ澄まし、辺りの顕現の量を探っていた。

「…………」

 ツクヨミは、ゾハルを探すという最終目標の過程として、また別の目的を持っていた。

 こうして毎日のようにやって来る『夜』は、実は厳密には『虚ろの夜』とは異なるものだった。

 迷い込んだ人間を喰らう虚無が存在し、それらから運良く生き延びた能力者のみが、自ら入り込めるという点においては同じである。しかし、こうした擬似的な『虚ろの夜』と真のそれとは、あるものの存在にて区別される。

 虚無やビャクヤのような『偽誕者』の求めるものは、顕現である。それは、普通の人間は一切持ち合わせないものであり、虚無と『偽誕者』のみが持つ力の源である。

 そうした性質であるために、虚無は共食いを辞さず、虚無同士で顕現を奪い合うのである。人間を襲うのは、顕現という食事にありつく事が保証されていないために、人間の肉を喰らう事で飢えを一時的にしのぐためなのだ。

 共食いまでなされているが、『夜』に虚無が消え失せることは有り得ない。というのも、『虚ろの夜』には、辺りを強い顕現で満たし、時として人さえも虚無に変えてしまうことのある、顕現の奔流たるものが存在しているためだった。

 能力者の中でも、とりわけ『虚ろの夜』に精通した者しか知らないが、そうした者たちにはその奔流をこう呼んでいた。『深淵』と。

 その『深淵』とは、『虚ろの夜』の中核をなすものでもあるが、大々的に存在するものではない。

 無作為に、『虚ろの夜』のある一点にのみ出現するもので、見た目の大きさは、大人が一人両手を広げた位しかない。

 しかし、この人一人ぶんほどしかないオブジェのような物体には、『虚ろの夜』を発生させられるだけの顕現が、無尽蔵に存在するのだ。

 そして、その『深淵』から放出される顕現は恐ろしいほどの量である。

 強い上に、多大なる顕現を帯びているために、顕現の扱いに慣れていない『偽誕者』が無闇に近付くと、虚無にされることがある。『偽誕者』の間ではこの事故を『虚無落ち』と呼ばれ、実際に落ちた人間も存在する。

 こうした経緯から虚無が生まれる事もあるが、虚無とは基本的に、『深淵』から溢れる強い顕現が生き物のようになって出現する場合がほとんどである。故に、『深淵』が『虚ろの夜』を作り出し、虚無を生み出すという、全ての根源と言える。

 人間や『偽誕者』にとっては危険の塊である『深淵』であるが、それは同時に、『偽誕者』へ更なる進化を与えうるものでもあった。

 この『夜』や『虚ろの夜』を創造するほどの強い顕現を宿す『深淵』の顕現を受容はしうるだけの『器』があれば、『偽誕者』は圧倒的な力を持つ存在へと至るのである。

 当然の事ながら、虚無にとっては『深淵』の顕現は、自身の力を遥かに高められる最高のご馳走となる。

 進化を求める『偽誕者』、そして極上の食事を求める虚無それぞれが『深淵』を目指して『虚ろの夜』を進んでいく。

 もしも彼女も進化を求めているのなら、必ずや『深淵』に姿を見せるであろう。

 ゾハルと再び会うための近道となるのは、『虚ろの夜』の『深淵』を見つけ、そこで待ち受けること。これしかなかった。

 しかし、今宵もまた、『深淵』の現れる『虚ろの夜』ではない。たが、このような突発的な『夜』であっても、『深淵』ほどでないにしろ、それのようなものは存在する。

「……ビャクヤ、ここは違うわ。場所を変えましょう」

 ツクヨミは、だいぶ利きにくくなった感覚を研ぎ澄まして、この日の『夜』に出現している顕現の奔流を探しだしていた。

「えー。もう動いちゃうの? せめて少しくらい食べさせてよ……」

 ビャクヤは口を尖らせる。

「安心なさい。私の言う通りにすれば、嫌になるほど虚無を貪れるわ。大人しく付いてきなさい」

 ツクヨミの願いは、ビャクヤにとって絶対に応じなければならない事だった。

「仕方ないなぁ。本当にご馳走があるんだろうね? 姉さんを疑うわけじゃないけど。腹ペコのまま帰ることになるのだけは勘弁だよ?」

「それは大丈夫、いいから付いてきなさい」

 ツクヨミが歩き出すと、ビャクヤはしぶしぶ後を付いて行った。

 そしてビャクヤは、感嘆することになる。

「これは……!?」

 普段のビャクヤの狩り場は、自宅から程近く、街にも近いため『偽誕者』の数も多い川沿いの広場であった。

 しかし、ツクヨミに引き連れられてやって来たのは、街から反対方向に行った先にある児童公園である。

 公園内は、至るところに虚無が存在していた。大小様々であるが、ビャクヤにとってはご馳走の山であった。

「すごい。すごいよ姉さん! どいつもこいつも旨そうだ!」

 ビャクヤは、はしゃいでいる。

ーーどうやら、ここで合っていたようね。私の勘は、それほど鈍ってはいないということ……ーー

 じっくりと探りに探って見つけ出したこの『夜』の『深淵もどき』であるが、実際にここに来るまで、ツクヨミは自分の感覚に確信が持てなかった。

 しかし、こうして正しい位置へと来られた。ここにいる限り、顕現求める虚無らとビャクヤが戦うことになろう。

 そして、『偽誕者』も姿を見せるだろう。その中に、もしかすると、ゾハルがいる可能性があった。

「ビャクヤ、ちょっと待って」

 ツクヨミは、背中に八本の鉤爪を顕現させ、今にも狩りをしようとしているビャクヤを呼び止める。

「なんだい姉さん? まさか。ここも違うとか言わないよね?」

「そうじゃないわ。相手が虚無だろうがなんだろうと、私を守るために喰らいなさい。けど、あまり満腹になられても困るのよ」

「ああ。それなら大丈夫さ。片っ端から喰いつくしてたら。獲物がいなくなっちゃうだろう? それにさ。腹八分が体にいいって言うじゃないか。まっ。顕現に栄養とかあるのか知らないけどね。あははは……」

「そう、それなら安心したわ」

「もしかして。僕の健康を気遣ってくれてるのかな? あはは。さすがは僕の姉さん。お優しい。あははは……!」

 ビャクヤは、本気なのか冗談なのか、なかなか判断の付かない笑みを見せる。

「そ、そんなんじゃないわよ。ただ、満腹になりすぎて、いざというとき私を守れないようじゃ困るってだけよ」

 あながち外れているわけではないものの、ツクヨミの言葉は言い逃れをしているかのように聞こえる。

「素直じゃないなぁ。まあいいや。僕は何があっても貴女を守る。安心してよ。姉さん」

 ツクヨミは一瞬ドキリとする。それは二重の理由からだった。

「あっ。姉さん。そこ危ないよ」

 ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばし、ツクヨミの背後に迫っていた虚無を仕留めた。

「ちょっとビャクヤ、驚かさないでちょうだい!?」

「しょうがないだろ。これだけ虚無だらけなんだから。さすがの僕でも。姉さんを守りながら戦うのは辛い。とりあえず。安全そうなあの辺に座っててよ」

 ビャクヤは、一口に虚無を捕食し、ツクヨミに避難を促した。

「……そうさせてもらうわ。ビャクヤ、さっき言ったこと、くれぐれも忘れないようにね」

「分かってるって。ほら。早く行った行った」

 空腹で気が立っているのか、ビャクヤは、犬や猫を追い払うように、ツクヨミに手を振った。

「まったく……あとはお願いね、ビャクヤ」

 ツクヨミは、そそくさとその場から離れた。そしてブランコの前の柵に腰掛ける。

「任せてよ。姉さん……さて。料理の時間だね……!」

 ビャクヤは両手を広げる。そして、顕現を喰らう糸を手に纏い空中に向けて放った。

「この辺に……ここにも……」

 ビャクヤの手から放たれた糸は、一瞬にして蜘蛛の巣の形となり、街灯を反射していかにも鋭いものらしく光る。

 糸は、空中を漂う虚無、地を練り歩く虚無どちらにも巻き付き、拘束する。

「いっぱい引っ掛かったね。さて。どう料理しよう?」

 ビャクヤは、糸に絡めた虚無に向けて、八裂の八脚 (プレデター)を振るう。

 八本の鉤爪は、ビャクヤの身の丈をも超える長さにまで伸縮し、鞭のようなしなりを持ちつつ、虚無の群れを切り刻んでいった。

「ハハハハ! みんな切り刻んであげるね!」

 ビャクヤは、高笑いを上げて虚無を細かく刻むと、再び糸に一纏めにし、口元へとそれらを近付けていった。

「うん。どいつもこいつも旨い。最高の食材だ。さすがは姉さん。いい所に案内してくれる」

 ビャクヤは、捕らえて切り刻んだ虚無を次々に喰らう。

 ツクヨミは、ビャクヤの戦い、もとい捕食の様子を見ながら、虚無が一匹空を飛んで行くのを見つけた。

 真っ黒な鳥のような姿をした虚無であり、さながらカラスが飛んでいるかのようだった。

 そんな虚無が、この公園の中心付近にある遊具、回旋塔の天辺に止まった。そして虚無は、青白い光を帯び始めた。

ーーあそこが今日の『夜』の『深淵』にあたる場所……ーー

 ツクヨミは、改めて自分の予測が当たっていた事を実感する。完全一致とまではいかないにしても、これだけ距離が近ければ、『器』の割れている状態においても十分たりえる結果であろう。

 回旋塔の上で光に包まれた虚無は、その体を増大させた。『深淵もどき』の顕現を吸ったために巨大化したのである。

 あの程度の虚無に喰い尽くされるような事はないだが、『深淵もどき』が消えれば今日の『夜』は終わる。そうなってはツクヨミの計画が頓挫してしまう。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは、群がる虚無を料理し、捕食するビャクヤに呼びかける。

「なーに。姉さん?」

「あれを見てちょうだい」

「あれって……」

 ビャクヤは、糸でぐるぐる巻きにした虚無を放り、ツクヨミの元へ寄った。

 そしてツクヨミが指差すと、ビャクヤはその先に目を向ける。

「なんだい? あれは。虚無が光ってるじゃないか」

「あれこそがこの『夜』の源よ。あの遊具に『深淵』が顕現している。顕現を求める虚無にとっては、あれが顕現の供給元よ」

「ふーん。ということは。やつらにとって格好のエサ場ってことかな。なるほどね。あの辺で張ってれば。動かなくても食事が運ばれてくるってわけか。それは楽でいい。しかも。あそこからはなかなか上質な顕現を感じるね。さながら。真っ赤に熟れた果物の木って所かな?」

 詳しく聞かずとも、ビャクヤはほとんどを理解した。

「察しがいいわね、その通りよ。けれど、『深淵』の顕現を喰らっては駄目よ。あなたはあれに群がる虚無(害虫)を喰らえばいいわ」

 ビャクヤは不服のある顔をする。

「そんなぁ……最高の食事を目の前にちらつかせながら。そりゃないよ。僕にも食べさせてくれたっていいじゃないか」

「それだけはダメ。何を言ったって覆らないわ」

 この『夜』の『深淵』たる顕現の源は、果樹であり、ビャクヤは、それに群がる虚無という害虫を捕食する、蜘蛛、つまり益虫のような扱いであった。

「あなたまで『深淵』に手を出すのなら、その時点であなたも私にとって害になる。仇なすものは何であれ駆除する。つまり、あなたとはお別れよ」

 ビャクヤにとって、ツクヨミとの別れはこの上ない恐怖である。故に黙って従うより他はない。

「はあ……分かったよ。分かりましたとも。お姉様の言うことは聞きますよ。まったく……」

 ビャクヤは、しぶしぶツクヨミの言うことを聞く。

「物わかりがいいわね。それじゃあ、引き続きお願い」

 ツクヨミは微笑む。

「まったく。ずるいよ姉さんは。そんな顔をされちゃあ。従わずにはいられないじゃないか。仕方ない。愛するお姉様ために頑張るとしようかな」

「それでこそ我が弟よ、ビャクヤ……」

 今宵の『深淵』である回旋塔に向かっていくビャクヤを見送りながら、ツクヨミは呟くのだった。

 その後も、ビャクヤの狩りは続いた。

 農作物を蝕む害虫、害獣のごとく『深淵もどき』に集う大小様々な虚無を相手にしながらも、ビャクヤは一匹たりとも逃さずに捕らえ喰らった。

 やがて虚無の数は減り、ビャクヤの腹もだいぶ満たされた。

「ふう……あらかた喰い尽くしたかな。残るのは。あの『深淵』とかいうものだけど。手を出すなって言われてるし。ここらで打ち止めかな?」

 ビャクヤは、背中の鉤爪を消し去った。

「ビャクヤ、まだ気を緩めないで。まだ……」

 ツクヨミは、辺りを見回した。

 顕現を求めて害虫のごとく『深淵』を狙う虚無の群れは、ビャクヤの鉤爪の前に狩り尽くされた。

 あれほどいやな気配だらけだったこの場所が、今や日常となんら変わりない穏やかな公園に戻った。

「……姉さん。もうなんにもいないじゃないか。ここでこれ以上張っててもしょうがないんじゃない? 僕のお腹もだいぶ落ち着いたし。今日はもう帰ろうよ」

「…………」

 ツクヨミは考える。

 ここに、それ以前に、この『夜』に入ってから数時間は経過している。そんな中、ビャクヤは、能力を総動員させて虚無を狩っていた。

 たとえ『深淵』が狙いではないとしても『偽誕者』であれば、一地点で虚無の気配が連続して消えていくのは感じとることができる。

 もしもゾハルがこの近くにおり、『深淵』を目指しているのなら、間違いなく現れているはずだった。

ーーあの子は現れなかった。こんな『深淵もどき』には興味がないのか、それとも、あの時、ビャクヤの力に恐れをなして接触を断とうとしているのか……分からないわねーー

 あの時、ツクヨミがビャクヤと喧嘩別れした日、窮地に陥ったツクヨミを、ビャクヤは救った。その時、不意打ちとはいえ、自我をほとんど失っていたゾハルは、糸で捕らえられ、大きな痛手を負わされた。

 その後ゾハルは、更に逆上してビャクヤに襲いかかるのではなく、一目散に逃げていった。彼女が恐れを覚えた可能性も否定できない。

「ふあー……あ……姉さん。どうするんだい? 僕は満腹で眠いんだけど……」

 ビャクヤは、いかにも眠たげなあくびをし、大きく背伸びした。

ーービャクヤを疲弊させるのもよくないわね。この子には、ゾハルを倒すという大役がある。普段のビャクヤなら、『偽誕者』相手に遅れを取るようなことはないでしょうけど、今のような状態なら、その限りではないでしょうねーー

「そう、ね。帰りましょう。あなたに疲れられては困るから」

「おや?」

 ビャクヤは少し、驚いたような顔をする。

「さっきといい。僕の体を気遣ってくれるなんて。ハハハ。最近の姉さんは優しいねぇ」

「勘違いしないで。あなたは私を守る剣であり盾。さっきも言ったけど、いざというとき役に立たないようじゃ困るの。心しておきなさい」

「なんにしたって。姉さんが僕を想ってくれているなら。それだけで僕は嬉しいよ。姉さんが素直じゃないからさ。僕はそのぶん素直でいようと思うんだ」

 普段からどこか遠くを見るような、虚ろな眼をしているビャクヤであるが、人並みな笑顔になることはできる。笑顔になれるということは、必然的にその疲れたような眼は細くなる。

 見ている方まで憂鬱な気分になりそうな瞳が閉ざされる事で、ビャクヤの生来の、よい意味でほっそりしており、色白な顔が、儚げながらも綺麗に見える。

 ツクヨミにとって、彼のその表情は、長く見るに堪えないものだった。

「バカな事を言ってないで帰るわよ! 帰ったら私の夕食の準備とお風呂の用意をするのよ。いいわね?」

「あっはは。まるで亭主関白だね。でもこれじゃ。僕の方がお嫁さんだけどね。あははは……!」

「……っ!」

 ツクヨミは言い返すことができないのだった。

 それからも二人は、『夜』に出現する『深淵もどき』を見つけては、作物を食い荒らすように集る虚無を狩った。

 どんな相手であっても、ビャクヤの鉤爪の前には無力であり、ビャクヤの腹を満たす餌食となっていた。

 毎夜『深淵もどき』を探し出しては、集まる虚無を倒す。そんな『夜』を続けて過ごすものの、ツクヨミの目的の彼女は現れなかった。

 ツクヨミはもちろん、そうすぐにはゾハルに会えないであろう事は覚悟していた。

 そのはずであったが、こうも外れが続くようでは、さすがにあらぬ不安を抱いてしまう。

 一度目の邂逅から、まだそれほど日にちは過ぎていない。この辺り、少なくとも、この街の外には出ていないであろう事は予想できる。

 ゾハルは今や、力を得るために顕現を手当たり次第喰らう、虚無とほとんど変わりない存在となっている。

 そんな状態の彼女が、たとえ本物ではないとはいえ、顕現の溢れ出す『深淵』を放っておくとは思えない。

 しかし、姿を見せない理由もまた考えられる。ビャクヤに恐れを抱いている事である。

 不意打ちに近かったとはいえ、ゾハルがビャクヤの罠にかかった時、ゾハルはかなりの深傷を負い、その怒りに任せて襲いかかるかと思いきや、一目散に逃げていった。

 本能のままに暴れるゾハルが選んだ行動というのが、命の危機を察知して逃げることだったのだ。本能に訴えかけるほどの恐怖を与えてしまった以上、ビャクヤの気配を察知すると同時に逃げるという状態にあると考えられた。

 もしもこの状態が考えられるならば、ツクヨミの策は成就し得ない。

ーーゾハル。あなたは今、どこに……?ーー

 今宵もまた出現しているであろう、『深淵もどき』を探し、ビャクヤとツクヨミは『夜』を進む。

 しかし今宵は、いつもと『夜』の雰囲気が異なっていた。

「うーん。何だか今日は暑くないかい。姉さん……?」

 ビャクヤは、はだけたシャツの胸元をはたはたと扇ぐ。

 この『夜』の環境は特殊であり、いつ来ようとも、全く苦に感じない気候であった。

 雨などが降ることもほとんどなく、日中が猛暑であった日でも、その『夜』はともすれば、肌寒く感じるほどに気温が低く保たれているのである。

 そのはずが、今宵は辺りが熱気に包まれていた。それも、異質な力を感じられる熱気であった。

「これは……確かにおかしいわね。ただならぬものを感じる。今夜の『深淵』の方向ね。ビャクヤ、気を付けて進みましょう」

「はーい。僕から離れちゃダメだよ。姉さん」

 二人は、異常な熱気に包まれた『夜』を進んでいく。

 今夜に出現した『深淵もどき』は、前に出現していた児童公園とは反対方向に位置する、雰囲気も逆の長閑な公園であった。

 その公園は、街から離れたところに位置するため、騒音とは無縁であった。そしてどういうわけか、『夜』においても虚無の出現が極端に少なく『偽誕者』たちの間で『静寂の公園』と呼ばれていた。

 そんな場所が今夜は、その名前とは全く異なった空間と化していた。

 この『夜』の中核たる顕現の『深淵もどき』は、『静寂の公園』に現れており、そこから溢れ出る顕現を求めた虚無が、群を成していた。

 『深淵もどき』を背に、少女が一人、虚無の群れの前に立ち塞がっている。

 少女は、赤と白を基調とした洋風の装束に身を包み、緋色に金の縁取がされたマントを羽織り、左腕には丸い盾を装着している。

 毛先をくるくる巻いた純粋な金髪で、すぐ傍まで迫った虚無の群れを見据える眼は、深紅の輝きを放っていた。

 少女は、大小様々で途轍もない数の虚無を前にしながらも、その表情は余裕そのものだった。それどころか、見下しているかのような傲慢さも窺える。

 少女は徐に、空いている右手を宙に翳した。

「いでよ、我が顕現たる火剣、『ファイアブランド』!」

 少女の翳した手のひらに炎が立ち上った。その炎の中には、朱色の刀身を持った小剣が浮かんでいる。

 少女はその剣の柄を握り、一振した。刃の通った軌跡に炎が上る。

「来い、犬ども! 一瞬で片付けてやる!」

 今なお鍛刀の過程にあるのか、と思えてしまうほどに真っ赤になった切っ先を向け、少女は発した。

 先陣を切ったのは、宙を浮遊する小型の蝙蝠のような姿をした虚無であった。

 それは、本物の蝙蝠と同じように素早く空を飛び、甲高い鳴き声を発しながら少女に襲いかかった。

「ふんっ!」

 空間に剣閃と共に炎が舞った。少女に襲いかかった虚無は、まさしく、飛んで火に入る夏の虫の如く燃え尽きた。しかし、虫とは違い、その身は消し炭も残すことなく消えてなくなった。

 少女は再び、切っ先を虚無の群れへと向ける。

「さあ、次に灰になりたいやつはどいつだ!?」

 意思を持った存在ではないが、虚無の群れは一体では敵わないと考えたかのように、今度は複数でかかっていく。

 数は五体である。空を飛ぶもの、地を這い回るものと約半々に分かれている。

 速さは僅かに、空を行く虚無の方が速い。

「剣よっ! ローエンシュナイデ!」

 少女は剣に炎を纏わせた。燃焼する刃はその輝きを増す。

「舞い上がれっ!」

 少女は高く跳躍し、炎を宿した剣を上空で扇状に振るった。

 炎と斬撃は空飛ぶ虚無を両断し、塵も残さず焼きつくした。

 少女が着地した瞬間を狙い、地を這う虚無が二体、挟み撃ちをしかけてきた。

「甘いっ!」

 少女は、前から来る虚無に向けて剣を突き刺した。

「弾くっ!」

 そして背後から来る虚無には、左腕の盾で薙ぎ払い攻撃をする。盾にも炎の力が宿っており、殴打された虚無は火に巻かれ、動きを止めた。

 少女は、斬撃で止めを指した。残ったのは人型をした虚無が一体、そしてそれを取り巻く大小様々な軍勢である。

 少女は、盾を前にして炎を纏い、人型の虚無に向かって地を蹴った。

「シュトルムブレハ!」

 それは、嵐の名を持つ、弾丸のごとき体当たりであった。その威力は一撃にして虚無を粉砕するものであった。

 まるで群れを統率していたかのような大物がやられた瞬間、とりまいていた虚無の集団は、たがが外れたように一気に少女へとなだれ込んだ。

 少女は、その場から一歩も動くことなく、また構えることもせず、自らの顕現を高めるべく精神を集中させる。

 顕現が最も高まった瞬間、少女は発した。

「紅蓮の炎よ!」

 少女を中心として、巨大な火柱が立ち上った。

 火柱の勢いはすさまじく、虚無の大群を一度に焼き尽くした。

 炎は止まるところを知らず、周囲の生け垣や木にまで火の手が回った。

 少女が放った炎によって、静寂に包まれた公園は一転、火の粉の飛び交う火の海と化してしまった。

「……ふん」

 少女は、辺りの惨状には目もくれず、マントを翻して向きを変える。

「弱すぎるな、この国の虚無は。我が国の虚無の方がまだ手応えがあったというもの……」

 文句を言いながら、少女は眼前の芝生に立つ低木へと歩み寄る。辺りの木々は悉く炎に包まれているというのに、この低木だけは焼けていなかった。

「これが今夜の『深淵』を宿す媒体か。ふん、我が炎にも耐えるか。偽物とは言え、曲がりなりにも顕現の源、と言うわけか」

 火の海と化し、辺りは真っ赤な光に包まれているというのに、今宵の『深淵もどき』は青い輝きを宿していた。

「待ちなさい」

 少女がそれを破壊しようとした瞬間であった。振り向くとそこには、古風なセーラー服姿で、頭に百合の髪飾りを着けた少女と、詰襟の制服の前を閉めず、中に着たシャツをもはだけさせた、色白で細身の中性的な少年が立っていた。

「うっわー。こりゃすごいね……暑いなんてどころじゃないわけだ。完全に火事じゃないか」

 少年、ビャクヤは辺りの惨状を見回していた。

ーーあの刺繍……ーー

 少女、ツクヨミは、この惨状を作り出した元凶たる少女のマントに施された紋章に見覚えがあった。

 突き立てた剣のような形をし、鍔にあたる部分に開帳した鳥の翼のような意匠が成されている。剣の刃の部分、もしくは鳥の尾と思われる所には三本の輪が描かれていた。

ーー『光輪(リヒトクライス)』の紋章、緋色の騎士服……ーー

 ツクヨミは、少女の正体をほとんど把握した。しかし、まだ確証を得るには至らない。

「何だ、お前たちは? こんな所に来られるからには、『偽誕者』に違いはないだろうがな」

 少女は、ツクヨミたちを見た。同時に、炎に包まれる剣と盾を目にすることで、ツクヨミは確信した。

「ええ、そうよ。私たちは能力者。とは言っても、私には顕現を扱えない。あなたのことは知っているわ。『光輪』の『執行官(イグゼクター)』の第四位。『紅騎士』さんでしょ?」

「ちょっとちょっと。姉さん。なんだいその横文字のオンパレードは。間違ってたら痛々しいって思われちゃうよ?」

 ビャクヤの言葉は、双方ともに無視する。

「ふん、そこまで知っているとはな。いかにも、私は『紅騎士』と呼ばれる者だ」

 少女は、自らを『紅騎士』と言うことを認めた。

「ええっ! 本当なの!? 姉さん最近すごい発言が多いんだけど。君も大概だよ?」

 能力者の力を統治する『光輪』の存在を知らないビャクヤにとっては、『紅騎士』を名乗る少女の姿格好も相まって、彼女がその手の病にあるように思えてしまった。

「ビャクヤ、少し黙ってなさい。あなたは私を守るための剣でしょ。剣が勝手に発言する事は許さないわよ」

「姉さん……分かったよ。それじゃあ僕はその辺で休んでるよ。とは言っても。快適とはとても言えないねぇ……あー。暑い暑い……」

 ビャクヤは、シャツのボタンを更に開け、ぱたぱたと扇ぎながら下がっていった。

ーーあの男……ーー

 紅騎士は、ビャクヤから目を離さなかった。『夜』の事も、それにまつわる組織の事もまるで知らない辺り、能力に目覚めたのはごく最近の事と思われたが、その力の強さにはただならぬものを感じた為であった。

「私の弟に興味があるのかしら? でも残念ね。あの子は私にぞっこんなようだから、相手にもされないでしょうね」

「くだらん。用がないのなら失せろ」

「ええ、あなたに用はないわ。私たちは、そこの『深淵もどき』に用がある……と言っても、それそのものに用があるわけでは無いのだけれど……」

 ツクヨミは、頬に伝った汗を指でぬぐった。

「……それにしても、ずいぶんと散らかしたものね。いくら『夜』で起きたことが、現実になんの痕跡も残らないとは言え、これはやり過ぎというものではなくて?」

 顕現が関連して起きた事象には、一切の証拠が残らない。故に、『偽誕者』同士の争いによって死者が出たとしても、その者の死因は不明で、殺害者を特定することは、『偽誕者』でない限り不可能である。

 しかし、物に対しては少し特殊な事が起こる。『虚ろの夜』という非日常、異世界とも呼べる空間で破壊された現実世界の物は、『夜』が過ぎれば元の世界へと戻るべく再生されるのである。

 しかし、これにも例外はあり、あまりに顕現による影響が大きすぎると、現実世界の物であった物質が、顕現を持って『虚ろの夜』の物となることがある。それはちょうど、現実世界の人間が何らかの原因で顕現を身に宿し、『偽誕者』となる事と同じことだった。

 今回の例であれば、『夜』の核が近くに出現したのみならず、紅騎士による顕現で焼かれたために、今炎に包まれている木々は『夜』の物となり、現実に戻ることは叶わなくなっているのだ。一夜にして、公園の一部分が焼けた状態で発見され、事件になることは避けられないであろう。

「……もしもここが現実だったら、あなたは放火の罪に問われるでしょうね。それも公園という公のもの。人が巻き添えになることだって考えれば、間違いなく重罪ね。極刑は免れない」

 紅騎士は、悪びれる様子もなく、鼻で笑う。

「何が言いたい? 要領を得られんな」

「これは呆れたわね。まさか自覚が無いのかしら? あなたたち『光輪』は顕現の悪用を無くすためにあるのでしょう。その『執行官』たる者、しかも第四位にいるあなたが、こんな現実にも影響しそうな事をしていていいのかしら?」

 紅騎士は、やはり嘲笑うだけだった。

「ふんっ、なんだそんなことか。お前は何か勘違いをしていないか? 我ら『光輪』の成すべき事は一つ。お前の言う通り、顕現の悪用を防ぎ、統治することだ。その為に手段は選ばん。それだけのことだ」

 目的の為ならば多少の犠牲は厭わないというのが、紅騎士の言い分であった。

「大層な心意気ね。けれど、顕現を統治しようとして、現実に悪影響をもたらすのは本末転倒ではなくて? あなたたちの目的は、虚無による現実への影響も無くすことも含まれているはずよ」

「ふん……あの優等生のような事を……お前に私をどうにかする権利は無かろう? そもそも、虚無を根絶するためには、『虚ろの夜』そのものを消す必要がある。そのような大義を成すのにちまちま事を進めていては、いつまでたっても成し得ない。現実に影響が及ぼうとも、いずれは全て無くなるのだ。同じことであろう」

 紅騎士は後ろを向き、再び『深淵もどき』を破壊しようとする。

「私には無能力者をいたぶる趣味はない。腹立たしい態度だが見逃してやる。さっさと失せるがいい」

 紅騎士が剣を振り上げた瞬間だった。

 空中に一筋の光が走ったかと思うと、紅騎士の腕を縛った。

「まあ。待ちなよ」

 ビャクヤは、手から糸を放っていた。

 紅騎士は、自らの腕を縛る糸を通して顕現を吸い取られるのを感じた。

「離せ!」

 紅騎士は、剣に炎を纏わせる要領で火を放ち、ビャクヤの糸を焼き切った。

「……お前は能力が使えるようだな。私の邪魔をするつもりか?」

 ビャクヤは、微笑を浮かべる。

「邪魔ねえ。別にキミが何をしようが。僕にはどうだっていいことさ。火事でもなんでも起こしなよ。ただし。僕の家以外でね」

 たった二言話しただけであるが、紅騎士は、目の前の少年に不気味さを感じる。

「だったら邪魔をするな。私は忙しいのだ。さっさとこの『深淵』を壊さねばならん」

「それは困るね。この辺の虚無を倒したのはキミだろ? まあ。それだけなら。別に構わない。けどその『深淵』とやらを壊されるのは困る。僕だって姉さんに止められているんだ。そこの顕現を食べちゃだめだってね」

「顕現を喰らう、だと……?」

 顕現を糧とするのは、紅騎士の知る限りでは虚無だけである。その為、ビャクヤの言っている意味が分からなかった。

「そう。顕現は僕にとっては主食だよ。食べなきゃ力が出ない。キミがこの辺の虚無を倒したせいで。今日のご飯はまた別なところに行かなきゃ食べられない。どうしてくれるのかな?」

 ビャクヤは、怒っているような口振りだが、態度は極めて冷静である。

ーーこの男、人の身でありながら虚無を喰らうのか? 虚無食いの人間など……ーー

 紅騎士は、前例の無い事に内心戸惑っていた。

「まあ。別に他の所に行けば。虚無の一匹くらいいるだろうから。そこは追求しないよ。けれど。僕が一番困るのは。『虚ろの夜』そのものを消されちゃうことさ。僕に飢え死にしろって言うのかな?」

「ふん、お前の都合など知ったことではない。全ては顕現の悪用を防ぐため。ならば元となる『夜』を消すしかあるまい」

「なるほど。それがキミの。いや。リヒトなんとか……の正義ってやつかい? 今は暑いけど。寒気のする話だよ。痛々しすぎて。ね」

「なんだと……?」

「リヒトなんとかもそうだけど。紅騎士とか第四位とかさ。僕からしたら何を言っちゃってるの。って感じなんだけど」

 ビャクヤは更に畳み掛ける。

「その格好もどうかと思うよ。コスプレかい? もしかして自前? うわー。もっと痛々しいや。『偽誕者』なのは確かに特別なことだけど。だからって格好まで特殊なのにしちゃう?」

 ビャクヤはため息をついた。

「そんな事より気になるんだけど。イグゼクター……だっけ? それの第四位らしいけどさ。全部で何人いる中の四位なのか知らないけど。キミの上には普通に考えて三人いるんだろ? それなのに四位で意気がっちゃって。しかもやることはこんな火事を起こすこと。三下もいいところじゃないかな?」

 ビャクヤは、言いたい事を全て言い終えて、大きく一息ついた。

「貴様……黙って聞いていれば、好き放題を……! 『光輪』の名、そしてこの私、名門ワーグナー家のエリカ・ワーグナーまでも愚弄するか!?」

 紅騎士、ワーグナーは憤る。

ーーワーグナー家……『光輪』創始から代々繋がりのあると言われる……ーー

 ツクヨミには聞き覚えのある名であった。

「ちょっとちょっと。なんだいそのいかにもな名前? そんな設定まで作り込んでるの?」

「……彼女の言うことは本当よ、ビャクヤ。ワーグナー家という名家も、『光輪』という組織も実在する。もっとも、『光輪』の本部は北欧にあるのだけど」

 ツクヨミは、ワーグナーを擁護するわけではなかったが、このままでは埒が明かないと思い、差し挟んだ。

「何で姉さんがそんなの知ってるのさ?」

「私は『虚ろの夜』に来るようになってそこそこだから。『夜』を行く者にとってみれば、『光輪』と『忘却の螺旋(アムネジア)』の名前は自然と入るものよ」

「ん? 待てよ……アムネジアは聞き覚えがあるような……ああ。そうだ。『偽誕者』の集まりの! そういうことかーなるほどなるほど……」

 ビャクヤは納得する。

「キミも奴らと同じ。能力で騒ぎ立てるチンピラってわけだ。どうりでやることが三下なわけだよ!」

 ワーグナーの堪忍袋の緒が、今切れた。

「貴様……! もう我慢ならん、貴様から始末してくれる!」

 ビャクヤは、両手を突き出し、ワーグナーを制止する。

「ちょっと待ってて。姉さんと相談するから」

「今更逃げられると思うなよ!」

「まあまあ。落ち着きなよ。って事で姉さん。あの人と戦っていいよね?」

 ビャクヤはツクヨミの方を見る。

「構わないわ。あれを壊されては、私の目的の邪魔になる。けど、一つだけ条件がある。彼女を殺しては駄目よ」

 いつもならば、邪魔する者ならば殺すことも厭わないツクヨミであったが、今回は命は残すようにビャクヤに命じた。

「珍しいね。もしかして。痛々しい趣味を持つ者同士だから。情でもわいたのかな?」

「誰が痛々しい趣味を持っているですって? 勘違いしないでちょうだい。ただ彼女に訊きたい事がある、それだけよ」

 ツクヨミは、重ねて趣味について否定した。

「はいはい。分かったよ。手加減すればいいんだね? というわけだ。キミは運がいい。精々退屈させないでよ?」

「ぬかせっ!」

 ワーグナーは素早く斬りかかった。

 ビャクヤは、背中に八本の鉤爪を顕現させ、左半分の四本でワーグナーの刃を防いだ。

「焦らないの。姉さんがまだ近くにいるだろう? 無能力者をいたぶる趣味は無かったんじゃないかい?」

 ビャクヤは、右半分でワーグナーを押し返した。

「というわけだ姉さん。危ないから少し離れていてくれるかい?」

「あの程度なら遅れを取るような事はないでしょうけど、気を付けるのよ。約束も忘れないように……」

 ツクヨミは下がっていった。

「もちろんだよ。姉さん。さて。どう料理しようかな?」

 ビャクヤは鉤爪を威嚇するように広げた。

「焼き殺してやる!」

 ワーグナーは、剣に炎を纏わせ斬りかかる。

「ダメだねぇ……」

 ビャクヤは、鉤爪二本で攻撃を防ぎ、六本を使って反撃に移った。

 鉤爪は、ワーグナーを左右から襲いかかった。

「ふっ、こんなもの……!」

 ワーグナーは、左からの攻撃を盾で防ぎ、右からの攻撃は剣で弾いた。

「よっ」

「っ!?」

 ビャクヤは、鉤爪を更に一本突き出した。その先端がワーグナーの顔面へと迫る。

 ワーグナーは首を曲げ、後ろに下がって突き刺しをかわそうとした。

「逃さないよ!」

 ビャクヤは、鉤爪を二本伸ばし、ワーグナーの背後へと回り込ませた。

「うっ!」

 避けきれなかった鉤爪が、ワーグナーの頬を掠めた。浅い切り傷であるが、鋭い痛みでワーグナーは固まってしまう。

 その瞬間を逃すこと無く、ビャクヤは最後の一本をワーグナーの鼻先に突き付けた。

「ふふふ……いいねぇ。その顔。信じられないって感じだ」

 ビャクヤは恐ろしい笑みを向ける。

「この八本から成る手であり脚は。どこからでもキミを狙うんだ。手足が二本ずつの生き物に。捌ききれるものじゃあない……」

 ビャクヤは、ワーグナーの鼻先に突き付けた鉤爪の先で顎を撫で、頬に伝っている血を掬い、それを舐めた。

「名前からして。キミは外国人なんだろ? けど。血の味は誰も同じみたいだね。ああ。勘違いしないでくれ。別に僕はヒトの血肉には興味ないから」

「……離れろっ!」

 ワーグナーは、大きく剣をなぎ払った。

 ビャクヤは、ワーグナーの背後に回していた鉤爪を引き戻し、剣を防いだ。

 ワーグナーは、背後が開いたのを確認すると、素早くビャクヤから距離を置く。

 ビャクヤは、全ての鉤爪を引き戻し、背中に八本置いた。

 ワーグナーは、頬のひりつく痛みを手で押さえながら、ビャクヤを睨む。

 ビャクヤの言うことは誇張でも何でもなかった。

 全ての鉤爪は別々の動きをし、彼の言う通りどこからでもワーグナーを襲うことができた。伸縮も自在であり、少しの間合いがあいているくらいでは、攻撃が余裕で届いてしまう。

ーー見た目以上に厄介だ。だが、引き戻すのに僅かな隙がある。その瞬間を狙えば……!ーー

 ワーグナーは、ビャクヤに隙を作らせるべく、目は離さずにビャクヤから飛び退いて距離を取る。

「逃げ回るつもりかい? ふふ……ムダムダ。言ったろ。こいつはどこからでもキミを狙うって!」

 ビャクヤは、背中の鉤爪を自らの前に置き、その付け根部分を握ると、投げ付けた。

「風穴空けてあげるよ!」

「なんだとっ!?」

 ワーグナーは、油断はしていないつもりであったが、さすがにこれは想定外であった。何とか当たる直前に盾を構えることができたものの、連続的であり、狂いなく飛ぶ鉤爪はワーグナーを切り刻んだ。

「ぐう……」

 飛んでくる鉤爪を防いだつもりであったが、いくつかはワーグナーの盾を抜けて、彼女の肩口を切り裂いていた。

 投げた鉤爪は自らビャクヤへと戻っていく。

「へえ。完全ではないものの。今のを防ぐなんてやるじゃない。決まったと思ったんだけどなぁ」

 ビャクヤは笑みを浮かべていた。年相応な無邪気な笑顔であるが、それがかえって、見る者には不気味に見えてしまう。

「逃げられるなんて思わないことだよ? キミはすでに僕の獲物なんだからさ!」

 ビャクヤは再び、ワーグナーに向かって鉤爪を投げつける。

「味わいなよ!」

 間合いの外から襲い来る鉤爪の投擲であったが、さすがに届く距離には限度があった。

「見切ったぞ!」

 ワーグナーは、僅かに届かない距離を見破り、鉤爪をかわした。

「制盾アンキレー!」

 ワーグナーは、炎の力を盾に纏わせた。

 ビャクヤの鉤爪を引き戻す際に発生する僅かな隙を突くべく、ワーグナーは盾を前に、剣を後ろにして突進する。

「シュトルムブレハ!」

 盾を前に置いて突進することにより、攻撃を防ぎながら前進することができる。そして、盾で相手の攻撃を受け流し、崩れた相手に向けて剣での一突きで相手に止めを刺す。この技は非常に合理的にできていた。

 鉤爪を引き戻してすぐに反撃に転じようとも、ビャクヤの攻撃はワーグナーに届かないであろう。ビャクヤの鉤爪は、見たところそう小回りの利く武器にも見えない。

 素早くビャクヤの懐へと入り込み、剣での突きを決めることができる。ワーグナーは確信していた。

 しかし、ビャクヤは慌てる様子なく、不敵な笑みを浮かべていた。

「なんだと……!?」

 逆にワーグナーの方が驚かされてしまった。

「仕込んでおこうかな」

 ビャクヤは、ワーグナーに手を向けた。そして掌から鉄線のような糸を、投網のように放つ。

 地を蹴って突進しているワーグナーに、止まる術はなかった。ビャクヤが放った罠に吸い寄せられるようにぶつかり、糸がワーグナーの全身に巻き付いた。

「あーあ。かかっちゃった……」

 ビャクヤは、ワーグナーが罠にかかることを確信していながら、さもまさかのことであるかのように驚いた素振りをする。

「……ぐっ! くそっ……がああ!」

 ワーグナーは、どうにか逃れようと身をよじるが、動くほどに糸が食い込み、傷を増やしていく。

 ビャクヤはつかつかと歩み寄る。

「あまり無理すると。体が千切れちゃうよ? 首が千切れたら大変だ。姉さんに殺すなって。言われてるからね」

 ビャクヤは、ワーグナーに、互いの息づかいが分かるほど顔を近づけた。

「いい顔だ。食べられないのが残念だよ。さて。勝負は決まった。大人しく降参してくれないかな?」

「ローエン……!」

 ワーグナーの声は、降参を意味するものではなかった。

 ワーグナーは自身に宿る顕現を炎に変え、自らを中心に一気に燃え上がらせた。

「おっとと……」

 ビャクヤは後退した。

 ワーグナーは、起こした炎で身に纏わりつく糸を全て焼き切り、拘束から逃れた。しかし、ピアノ線のように鋭利な糸に切られた傷は思いの外深い。

「はあ……はあ……」

 ワーグナーは、ボタボタと大量の血を滴らせながら、肩で息をする。

「あーらら。逃げられちゃったよ。けど。その傷じゃあもう戦えないだろ? そろそろ大人しくしてくれるかい」

「……侮るなよこの犬が! 貴様ごとき、我が力で焼き尽くしてくれる!」

「まったく……殺さないように手加減するの大変なんだよ? これ以上どう手加減しろと……」

 深傷を負いながらも、まだ降伏しようとしないワーグナーの様子に、ビャクヤは面倒そうに両手を広げる。

 ワーグナーの言葉もハッタリであろうと、まともに取り合わなかった。

 しかしワーグナーは、本当にまだ力を隠していた。

 その身に残る顕現を集中させ、一気に放った。

「見せてやる!」

 集められた顕現の量は大きく、ワーグナーを中心に爆発を起こした。

「まさか……!?」

 ビャクヤは驚く。

「これで終わりだ……!」

 ワーグナーは、爆発を起こすほどの顕現を全て炎に変えた。そしてその炎を全身に纏ってビャクヤめがけて突進した。

「ヒッツェフォーゲル!」

 ワーグナーの突撃は速く、広範囲に及び、ビャクヤはかわすことができない。

「燃え尽きろ!」

 ワーグナーは文字通り炎となり、ビャクヤを焼き尽くさんとした。炎を当てる以上、防御も無駄なものとなる。そのはずだった。

 ビャクヤは、口元を大きく吊り上げた。そして鉤爪を全て自身の前で交差させ、その中心に顕現を集中させた。

「おいでよ……」

 間を置かずその顕現の盾に、ワーグナーの炎がぶつかる。

「かかった……!」

 ビャクヤが作り出した顕現の盾とぶつかると、ワーグナーの炎は一瞬にして勢いを失っていった。

「バカな!? こんな事が……!」

 ビャクヤは、炎を消したのではない。盾を通して、炎を起こすワーグナーの顕現を吸い取って自らのものとしたのである。

 爆発的な顕現を消費し、ワーグナーにはもう、僅かしか顕現が残されてはいなかった。

「くっ……! はあ……はあ……」

 先に負った深傷も相まって、ワーグナーは急激な目眩を感じ、息を切らしてその場に膝を付いた。

 そこへビャクヤが、靴音を響かせながら歩み寄った。

「キミの顕現はすごいね。ちょっと取り込んだだけなのに。下手な虚無を喰らうよりも力がわくよ。最期に僕の顕現。味わわせてあげよう……!」

 ビャクヤは、奪った顕現、そして自らの顕現を一点集中し、一気に解き放った。

「ちょっと本気で行くよ!」

 ワーグナーがやったように、ビャクヤも顕現を爆発させた。

「さあ。僕の一部に……!」

 ビャクヤがワーグナーを切り裂こうとした。

「そこまでよ、ビャクヤ!」

 鉤爪がワーグナーに最も迫った瞬間、後に控えていたツクヨミが大声を上げた。

 ツクヨミの声に反応し、ビャクヤは伸ばした鉤爪を止める。

「ええ……もう終わりなの?」

 ビャクヤは、いかにも不服そうに口を尖らせた。

「言ったはずよ、彼女を殺しては駄目と。下がりなさい、ビャクヤ。私はこの紅騎士に、少し話があるの……」

「ちぇー……」

 ビャクヤは、仕方なさそうにツクヨミに道を譲った。

 ツクヨミは、息も絶え絶えで満身創痍のワーグナーを見下ろす。

「……『光輪』の紅騎士といえどその程度なのね。けれど、一つだけフォローをしてあげるわ」

「貴様……!」

 実際に戦ったわけではないというのに偉ぶるツクヨミに、ワーグナーは静かな憤りを見せる。

「顕現には相関性がある。ビャクヤのそれは誰に対しても相性最悪なの。この子自身の力は決して強くはない。だから落ち込む必要はないわ」

 もっとも、とツクヨミは続けた。

「……顕現の相関性がなかったとしても、あなた程度にビャクヤが遅れを取るような事はないでしょうけどね……ふふふ……!」

 ツクヨミは、最高の嘲笑をした。ビャクヤの力の強さを誰よりも理解しているが故の余裕であった。

「姉さん。確かにそいつは弱いけど。そんなにいじめちゃ可哀想だよ。あははは」

 ビャクヤも笑って便乗する。ワーグナーは屈辱の極みである。

「……さて、訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」

「…………」

 ワーグナーは答えないが、ツクヨミは話し始めた。

「"Ich denke Sie Vissen nie die Antwort auf meine Frage,die ich Sie sicher frage.Zohar das Piarcing Heart Doppel-Genger. Kennst du diesen Namen und wo ist sie jetzt?"(あなた程度が知ってるとは思えないけど、一応訊いておく。探抗う深杭(ピアッシングハート)、『二重身(ドッペルゲンガー)』のゾハル。この名と所在に、心当たりはない?)」

「えっ!?」

 突如として、ツクヨミの口からまるで呪文のような言葉が続いたため、ビャクヤは驚いてしまった。

 ツクヨミが話したのはドイツ語である。それもかなり流暢で、それが母国語であるかのようだった。

 ワーグナーにとっては馴染み深い言語であるはずだった。『光輪』のある国では、最も良く使われている言葉である。

 ワーグナーはやや間をあけた後に答える。

「……"Es weiss nie ich!"(知らんな!)」

 思った通り、ワーグナーからはドイツ語での返答があった。

「そう、残念だわ」

 ツクヨミは踵を返した。

「帰るわよ、ビャクヤ。火の手がだいぶ回った。長居は無用よ」

「待ってよ姉さん! 二人してなんて喋ってたんだい!?」

「あなたに知る必要はない。服が煤臭くなっちゃうでしょ。行くわよ」

 ツクヨミは歩き始めてしまった。ビャクヤは仕方なく後に続く。

「そうだ、これだけは伝えておく……」

 ツクヨミは振り返らず、顔を少しだけワーグナーに向けた。

「今日は生き延びられたけど、あなたは近々、ある男に命を狙われるわ」

「"Was meinen"……どういう事だ?」

 ワーグナーは、ドイツ語が出そうになるが、ツクヨミの言葉に合わせた。

「『強欲』のゴルドー。この名に覚えはないかしら? 彼の親友を斬ったそうね、あなた」

「ふん……あれか……私は役目を果たしたまで。恨まれようが私には関係無い事だ」

「これからの生き方を考え直すつもりはないようね……けど、一応忠告はしておく。命が惜しいのなら、『虚無落ち』を片っ端から斬らない事ね。たとえその者が、完全に落ちていようとなかろうと……ね」

 ツクヨミは言い終わると、ワーグナーの返答を待つことなく、ビャクヤと共に去っていった。

 パキパキと音を立てながら、燃え盛る木がワーグナーとツクヨミの間に倒れた。

 燃え盛る倒木の向こうでワーグナーがどのような顔をしていたのか、それはツクヨミには知る由もなかった。

    ※※※

 『光輪』の紅騎士、ワーグナーとの戦いから一夜が明けた。

 ツクヨミは、ダイニングテーブルに着き、スマートフォンを眺めていた。

 昨夜のワーグナーが起こした火事についての記事が、既にインターネットに挙げられていた。

 一夜にして公園の木々が全焼、しかし、火災発生の目撃者なし、という見出しである。

 今日未明、『夜』の終わった瞬間、焼け跡となった公園が巡回中の警察によって発見された。

 その警察によると、ほんの一時間前までは普通の姿をしていた公園が、巡回の帰りに寄ると、辺り一帯が焼け焦げていた、とのことだった。

 警察では、不審火事件として捜査しているが、『夜』の存在を知らぬ者に手がかりなど掴めるはずもなかった。

 しかし、一つだけ一般人でも分かることがあった。

 火災の現場には焼けた血痕があった。この事からこの火災は不審火のみならず傷害事件としても捜査されるとの事だった。

 一般人にも見つけられた血痕とは、ビャクヤとワーグナーの戦いで、ワーグナーが流した血の跡に間違いはなかった。

 しかし、付近に変死体のようなものは残っていなかったらしい。

ーーどうやら、彼女も逃げおおせたようね。まあ、あの程度で死ぬようなこともなかったでしょうけどーー

 ツクヨミは、今回の出来事を厄介だと思う。

 現実とは違う『夜』で起きた事は一般人に知れ渡ることはあり得ない。しかし、これほどまでに現実に痕跡を残してしまうような事をしていては、『夜』そのものの存在を知られることはなかろうとも、なんらかの因果関係を掴まれ、自分たちのやって来たことに足がつく可能性があった。

 ビャクヤは以前から、『偽誕者』を何人も手にかけ、ツクヨミも邪魔者の殺害を命じたこともある。

 『夜』で死んだ者の遺体は現実に変死体として発見される。故に何者かが、なんらかの方法で殺害に及んでいる、とは現実の人々にも知れ渡っていた。

ーー……足がつく可能性を考えると、当分の間『夜』の『深淵もどき』を張ってゾハルを待つ、って事はできなそうね。あの紅騎士もしばらくは動きを見せないでしょうけど、これに懲りるような性分には見えない……ーー

 やはりあの場は見逃さず、止めを刺しておくべきだったか、という考えがツクヨミの頭を過る。

 しかし、殺していたらそれはそれで、余計な敵を増やす要因になり得た。

 顕現の統治をせんとする『光輪』の幹部格を手にかけることがあれば、間違いなく『光輪』に危険視され、処分の対象になる。

 そして『忘却の螺旋』のかつての幹部、紅騎士ワーグナーを友の仇とする『強欲』のゴルドーの恨みを買う可能性もあった。

 長い目で見れば、やはり昨夜ワーグナーを殺さなかった事は益となるものだった。

ーーこうなれば、狙いを確実に定める必要があるわね。あの子も動くと思われる瞬間……ーー

 考え付く先は一つしかなかった。

 ツクヨミは、読んでいた記事のページを閉じて、ある言葉を検索する。

 月齢、ツクヨミが打ち込んだのはこれだった。表示された検索結果のトップのページを開くと、そこには月齢の表記されたカレンダーがあった。

 今日から十日後、月は満月となる。そしてそれから七日間その『夜』は真の姿となる。

ーー目指すは、『虚ろの夜』の『深淵』。そこでならきっとゾハルも……ーー

 七日間に及ぶ、『深淵』の発する顕現に満ちる『虚ろの夜』、『永劫の七日間(Seven Days Immortal)』。

 ツクヨミは、その最後の夜を狙いとするのだった。

 

Chapter Break Time UNIあるある

 

 ①ちょっと強者扱い?

ビャクヤ「さて。今日もランクマやろうかな」

 数十戦後。

ビャクヤ「ありゃりゃ。ここで負けたかー。しょうがない。今日はこの変にしておこうかな……」

 ランクマメニューを閉じて、なんとなくランキングを見る。

ビャクヤ「あれ? リプレイボードが更新されてるね。僕とフォノン? さっき戦ったような……ちょっと見てみようか」

 プレイヤーネームが一致する。

ビャクヤ「ふふふ……」

ツクヨミ「自分が討ち取られた試合がアップされたから優越感に浸っているようね。強い人だと思われてるみたい、よね?」

    ※※※

 ②誰か止めて!

ビャクヤ「今日なんだか調子がいいねぇ。負ける気がしないよ。アハハ!」

 十連勝突破、十五連勝突破。

ビャクヤ「まーた勝っちゃった。誰か僕を止めてくれよ。なーんてね。アハハハ!」

 二十連勝突破。

ビャクヤ「ちょっと待ってよ。ここまで来ると怖くなってくるんだけど?」

 二十二連勝突破。

ビャクヤ「ほんとに誰か止めて!」

ツクヨミ「連勝を重ねると、冗談抜きで止めてほしくなるわよね。でも負けたくない。こんな気分になることはないかしら?」

    ※※※

 ③勝ったと思ったら十割持っていかれる。

ビャクヤ「おっ。マッチングした。どれどれ……」

 Byakuya vs Byakuya。

ビャクヤ「同キャラだね。実は僕同キャラ苦手なんだよねー」

 開幕コンボが決まり、ビャクヤ側が有利。相手の体力は残り十パーセント以下。

ビャクヤ「これは決まったね。僕の勝ちだ」

 暴れを通されて形勢逆転。

ビャクヤ「いやいや。まだ体力差あるし。勝てる勝てる」

 その後、起き攻めを通され続ける。

ビャクヤ「こうなったらC料理ぶっぱだ!」

 普通にガードされ、逆にC料理で止めを刺される。

ビャクヤ「嘘だ! こんなの嘘だ!」

ツクヨミ「ビャクヤの性能的に、切り返しが弱いから、端に追い込まれて罠で固められると辛いのよね。VOでもなぜか罠にかかることもあるし、最大の敵は己自身、ってとこかしら?」

    ※※※

 ④僕が出られない理由

ビャクヤ「姉さん。僕思ったことがあるんだけど……」

ツクヨミ「何かしら?」

ビャクヤ「ついこの間BBTAGが大型アップデートしたでしょ? けど。僕に声はかかってないし。そもそもUNIからは一人しか参戦できてないよね?」

ツクヨミ「そうね、もっと参戦しても良かったかもね」

ビャクヤ「アカツキは。まあ。UNIのキャラ扱いでも言いかもしれないけど。あの人は原作から参戦ってことになってるよね? しかも。人の形をしてない。電光戦車と一緒にさ」

ツクヨミ「あれは確かに驚きよね。メルカヴァやワレンシュタイン、アイアン・テイガーやスサノオが可愛く見えるくらいのイロモノっぷりね」

ビャクヤ「もっとすごいのは。明らかに格ゲーのキャラじゃない人が参戦してる事だよ。それなのに僕は出られてない。姉さんは何でだと思う?」

ツクヨミ「色んな作品から参戦させる事で、幅広い層に手に取ってもらうためじゃないかしら? そもそもこの作品自体、BBの外伝作品であってUNIはその他作品の一部として参戦してるわけだし」

ビャクヤ「甘いね。姉さん。確かに売り文句としてはそうかもしれない。だけど。僕は。いや。僕らは致命的な。それでいて前提としての間違いを犯しているんだよ」

ツクヨミ「……何が言いたいのかしら? はっきり言いなさい」

ビャクヤ「まだ分からないのかい? ちょっと考えてみてよ。BBTAGのルールをさ……」

ツクヨミ「ルールって……そんな今更な。二人でタッグを組んで二対二で戦う、でしょう? それが何だと……あっ!?」

ビャクヤ「……やっと気付いたようだね。姉さん。そう。僕は姉さんと一緒じゃなきゃ戦う意味がない。つまり。誰かと組んだら。僕らは三人チーム。参戦する以前にルールを破っているのさ。そんなの最初から失格になるに決まってるじゃないか!」

ツクヨミ「そんな……私は戦う力が無いのに、そんな事でビャクヤが参戦できないって言うの!?」

ビャクヤ「その気持ちは嬉しいよ。姉さん。でも。もう僕はいいんだ。きっとクレアで強化されているはずだし。この世界で姉さんの為だけに戦うよ!」

ツクヨミ「ビャクヤ……」

ビャクヤ「……なーんてね。本当は出たいに決まってるじゃないか! 次のアップデートでは頼むよアークさん!」

ツクヨミ「…………(感動して損したわ……)」

 

おまけコンボレシピ、戦術

 

5A<2C<5C<3C<jc<JB<J2C<C罠<dlA派生<DB<A料理<A罠<A派生<A料理二段<C食べ頃

 以前に紹介したコンボの改訂版。以前のやり方だと、ゴルドーやワレンシュタインのような大きめなキャラに当たらないことがある。ビャクヤの罠派生の受付猶予はかなり長く、落下し始めた後からでも派生が出せる。ディレイA派生のディレイはかなりかける必要があり、ビャクヤが相手に最も接近した時に出す必要がある。

 なお、DBの代わりに2Cでも拾えるが、同技補正で若干ダメージが減る。

 

アサルトJC<5A<2C<5C<3C<jc<JB<J2C<C罠<dlA派生<DB<A料理全段<C食べ頃

 アサルト版。補正がかなりきつめ。

 

2B<5C<2C<B料理二段<A罠<5C<5B<jc<JB<J2C<JC<2C<A料理一段<A罠<A派生<DB<A料理全段<C食べ頃

 固めにも使える連携からのコンボ。これを基本のコンボとしたい。開幕の距離から画面端まで運ぶことが可能。2Bは発生が9フレームの下段で、意外と横にリーチがある。開幕くらいの距離からちょっとダッシュすると端がヒットする。しかし、距離がありすぎると2Cが外れる事があるので、距離感を覚えて使おう。

 

DB>A料理二段>A罠>A派生>5C>5B>jc>JB>J2C>JC>2C>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理全段>C食べ頃

 このゲームにも同技補正はあり、同じ技をコンボに使うとダメージ補正やコンボ補正がかかるが、DB始動は補正がかからず、A料理を連続してもB料理を入れた時とダメージが変わらない。どちらも発生は12フレームだが、A料理のガード硬直はマイナス6フレームである(B版はマイナス7)。たった1フレームの違いと思うかもしれないが、それ以上に、B料理は前に進みすぎる為、めり込ませてしまうことがある。そうなると手痛い反撃を貰うことになる。DBは技の性質上、必殺技でしかキャンセルが効かないので、DB自体の推進力も相まってめり込みやすい。なので、DBの後はA料理を使うようにしたい。

 

2C>5C>2C>B料理二段>A罠>5C>dl5B>jc>JB>J2C>dlC罠>C派生>DC>C罠>A派生>(C食べ頃)

 とてつもなく運べるコンボ。どれ程運べるかというと、端を背負った状態から相手の背中側の端まで運べる。端を背負った状態ならば入れ替わった方がいいが、どちらに運ぶにも微妙な位置にいた時に真価を発揮する。しかし、最後の食べ頃のタイミングがだいぶシビアなので、運びを目的とする場合は食べ頃まで出さないという手もあるので囲っておいた。

 

DC>C罠>B派生スカ>IJ2C>2C>5B>B罠A派生>DB>A料理一段>A派生<A料理二段>C食べ頃

 遠距離の相手に刺さった時に使える。IJ2Cのタイミングが早すぎると2Cが当たらない。また、A派生からA料理拾いが少し難しいので要練習。どうしても難しいようであれば、この部分を除いてもダメージは一応3000を超えるので省いてもいいかもしれない。

 

5A>2C>B料理二段>A罠>5B>JB>JC>2B>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理全段>C食べ頃

 立ち回りや暴れに有効な5A始動コンボ。ビャクヤの5Aは発生6フレームであり、リーチも長く判定もいいので、2Bと同じくらいに立ち回りの主力となりえる。小技からの始動にも関わらず、ダメージは3800を超える。

 前述のコンボとの差別化点は、こちらは5Aの先端を当てた時、あちらは密着で当てた時に別れる。

 手軽な割にダメージが高いので、これも基本コンボとして練習しよう。

 

 戦術①不利フレームを背負わせる

 ビャクヤの技には、基本的にガードさせて有利、というものはないが、罠をガードさせると二桁単位での有利フレームが発生する。IJ2Cは例外的にガードさせても攻め継続ができる。これのすごいところは、シールドを取られてもガードが間に合う所である。なかなか近寄れない時、アサルトでこれを出すと強力である。

 また、ちょっと変わった所だと、C派生もガード後攻め継続ができる。B料理をガードされてしまったとき、空中A罠 D派生で誤魔化しがちだが、これの対処法は簡単で、ダッシュすると罠にかからず、着地硬直中のビャクヤに確反を入れられる。なので、C派生をしたほうが状況は悪くなりにくい。罠派生なので、当然場には罠があるので、ガードされても罠で連続ガードになり、結果的にターンはビャクヤ側にやってくる。もしも当たっていれば、相手を吹き飛ばせ、その状態で罠に当たるとかなり補正の緩い状態でコンボができる(ダメージは4100を超える)。

 ただし、派生技全てに言えることだが、シールドを取られると着地までCS以外の行動が全て不可能になる。特に最悪の事態になりやすいのはB派生である。これは派生技唯一の中段だが、横に判定はなく、更に、ビャクヤの手軽な中段なので対処法は知れ渡っている。縦にしか判定が無い以上、ビャクヤ側としてはできるだけ高い位置から打ちたくなるが、それが仇になる。シールドを取られるとかなり手痛いダメージを受けることになるので、安易なB派生はしないようにしたい。C派生は、位置や罠によっては反撃を受けないこともあるが、やはり着地まで硬直するので、反撃されやすいと言える。

 しかし、罠はシールドを取っても不利なので、不利フレームを背負わせる事ができる。罠をガードさせたのが見えたら攻めに転じるようにしよう。

 

 戦術②ガードシールドを割る

 固められている時にシールドを取ろうとすると、先にガードシールドが出る。これはゲームシステムであり、全キャラに共通することである。ガードシールドの直後は長い硬直時間が発生し、その硬直中に対応するガードを行うとシールドが取れる。しかし、硬直中に攻撃されなかった場合、グリッドが消費されるうえ、CSも発動できない(例外としてガードスラストは出せる)。

JC等の強めの中段をシールドしようとして失敗し、ガードシールドを出してしまうと、相手は自由に動けるが、自分は行動不能な状態になる。アサルトJCでも同じことが起こり、この瞬間に投げをしかけると、抜けられない金投げとなり、投げられた側はブレイク状態になる。

 他にも相手のガードシールドを確認する手段はあり、そこに投げをしかければガードシールドを割ることができる。

 その手段の一つは、CSである。相手を固めている時に、相手がシールドしようとした瞬間にCSを発動し、近寄って投げるのである。難しそうに思えるかもしれないが、相手から黄緑の光が出た瞬間にDボタンを連打すれば簡単にできる。トレーニングモードにて、ガードシールドを発動させる項目があるので、それを三ヒットか四ヒット目かに設定した後固めれば、設定したタイミングでガードシールドをしてくるので、光ったと思ったらDボタン連打する。これで練習ができる。

 もう一つの手段としては、Aボタン攻撃を刻むことである。これは暴れ潰しにもなる。注意すべき点は、連打ではなく、少し間を開けて押すことである。連打するとスマートステアになってしまう。2Aでもできるが、ビャクヤの2Aはリーチが狭く判定も弱い上に下段ではなく、更に発生も5Aと変わらないためあまり有用な技ではない。パッシングリンクの隙消しと割り切るべきだろう。話を戻すが、Aボタン攻撃は唯一通常投げにキャンセルが効く攻撃である。相手が光った瞬間、もしくはシールドが出ている瞬間を見計らって投げを入力することでブレイクさせる事ができる。

 もう一つ手段として、ビャクヤの派生技は全て、シールドに失敗すると硬直の長いガードシールドになって隙を晒させる事ができるため、その隙に投げをしかけるのである。先ほどの話と重なるが、C派生は通常ガード硬直が意外と長めで、相手の暴れを抜けられない金投げで潰せることがある。覚えておこう。

 また、アサルトをシールドしても、意外と反撃が確定しない事があるので、無理に狙わない方がいいかもしれない。透かし投げなどもあり得るので尚更である。相手がアサルトを連発しているようなら、5Aを出した方が落とせることが多いのでアサルトに対して無理にシールドはしないようにしたい。

 

 戦術③エリアルパーツを決めておく

 コンボに組み込むエリアルパーツだが、実はそれほど数があるわけではない。ミッションモードのコンボレシピをよく見たら分かるように、大体始動技によって決まっている。

 ビャクヤを使う上で覚えておくべきパーツは三つもあれば十分である。以下に例を挙げる。

・5C>5B>jc>JB>J2C>JC>2C

・5B>jc>JB>J2C>JC>2B

・2B>jc>J2C>JC>2C

 これらを覚えておけば自らコンボを組み立てやすい。上から順にどの始動なら入るかというと、一番目は2B、2C、5C、3C、DB。二番目は5A、5B。

最後は攻撃を四ヒット以上刻んだ時、画面端でB料理二段>C罠>D派生した後に使う。

 例外的なものは一つのコンボレシピとして覚えておこう。

 

 戦術④中央でも強力な起き攻めをする

 ビャクヤといえば、画面端まで運んで拘束し、相手の頭上、足下、前の三つ罠を張って強力な起き攻めをしかけるキャラクターだとこのゲームをやって長い人に認知されているが、強力なだけあって対処法も色々と考えられている。

 確かに、端を背負わせるのはアドバンテージの一つであるが、画面端が戦闘の中心部となっていることは、裏を返すと、ビャクヤ側もなんらかの方法で端を背負わされるリスクもある。

 そこで、画面端起き攻めの対策が完璧な相手のために、中央で相手の動きを制限するという手段がある。

 ビャクヤには、ヒルダやバティスタ、セトには及ばないまでも、罠による空間制圧能力はあると言える。罠は時間経過で消滅しないため、お互いに忘れていた罠がヒットしてビャクヤにターンが回ってくるということはあり得る。特にもセトやユズリハ、ナナセのような空間を飛び回る動きをするキャラクターに対して起こりやすい。そこで中央でのC食べ頃後の罠の張り方を紹介する。

・低空A罠>dlD派生>A罠

・A罠>JC罠>D派生

・A罠>JC罠>攻撃派生無し

 他にも有用なものはあるが、ひとまずこの三種類を覚えておこう。

 まず一つ目の張り方だが、このようにすると、相手の後方、足下、目の前に罠が置かれる。その後の攻め方として、2B>5C>微タメ3C>2C>FFが強力。特にもFFが強力で、ガードされても相手の後ろの罠がカバーしてくれるので、CSせずとも攻め継続になる。FFまで凌ぎきった相手はひとまず安心するのか、その後にDB>A料理が当たりやすい。

 二つ目は低空コマンドの苦手な人向け。三つ目は確実にしゃがみガードさせたい時用。中央起き攻めをしかけるのに必要なのは相手の前後に罠がある事なので、必ずしも足下にも罠がある必要はない。

 ただし、起き上がりに技を重ねるのは、ハイドのブリンガー、ビャクヤのC料理、オリエのセイクリッドスパイアのような前に出るタイプの無敵技に弱いので、相手のゲージ状況も見つつ、様子見も混ぜるようにしよう。




 どうも、作者の綾田です。
 前回、できるだけ早く投稿すると言っておきながら半年以上経ち、年が明けてしまってから投稿するという遅さに、自分でも嫌気がさしています。ですが、この半年の間に普通免許を取ったり、転職活動していたりと決してサボっていたわけではないと言い訳させてください。
 このように多忙だったわけですが、UNIではripが160万を超え、つい最近初のネットワークカラー最上のSランク、紫になることができました(^-^)vこのゲームをPS4で始めてまだ千戦行っていませんが、VITAから始めたのを合わせれば三千戦以上はしました。なのでついになれた、といった感じですね。エクセレイトクレア発売前になれてよかったと心の底から思ってます(^o^)
 上級者の端くれくらいにはなったつもりでいるので、キャラ対策について考えるようになり、とりあえずミッションモードで全キャラさわってみたのですが、バティスタとセトが難しくてこの二人は挫折しました。私はパッド勢なので、バティスタのボタンホールド入力に物理的な不可能さを感じています。バティスタをパッドで使えている人が本当にいるんでしょうか(?_?)
 それから、BBTAGも大型アップデートされましたね。システム周りも一新されてて、今から入った人でも初期からやっている人にも追い付けそうですね(勝てるとは言ってない)。アップデート前は中の人つながりでハザマとオリエ、略してハザモリエなる組み合わせでやっていましたが、ある新登場キャラに一目惚れしました。どうせ閃乱カグラの雪泉だろうと思ったそこのあなた。……残念、答えはRWBYのニオ・ポリタンでした!(だからどうしたと)
 私はRWBYの原作を全く知らないので、そのキャラを一人も使うことがなかったのですが、ニオは対戦して一瞬で心奪われました。見た目的にルビーたちの仲間かなー、なんて思ってたらまさかの逆の敵キャラで、しかも無口なところに惹かれました。何より惹き付けられたのは喋らないけど、六千超えダメージで笑う、ダメージを受けていると小さく悲鳴を上げるという、無口だけど声は発する所と、アストラルヒートの最後のあの顔はどこかビャクヤと通じる部分があった所です。もしこれで普通に喋るキャラだったら使わなかったですね(^_^;)(どんだけ喋らせたくないんだ……)
 今回のアップデートで足立が参戦して、一応前回の願いは叶ったのですが、ニオ使うようになってから結構勝てるようになったので、足立は全然使ってないですf(^^;ハザマとの組み合わせで掛け合いがあるのもいいですね(ニオ。足立もだけど)。
 今回ちょっとビャクヤとツクヨミの茶番を入れましたが、最後のビャクヤの台詞は私の願望そのものです。是非とも次回はビャクヤとシャルラッハロートとついでにイザナミの参戦を! 余談ですが、イザナミのJ2Cがどう見てもビャクヤのアハハハ……もっと余談ですが、オリエの4Cがどう見ても蛇翼崩天刃……
 さて、本編お構い無くBBTAGの話ばかりになってしまいましたので最後に小説のお話を。今回はエクセレイトクレア発売直前なので、一度私のコンボや戦術の集大成をあげておこうかと本編は一章だけになりました。人によってはおまけが本編……なのかも知れないですね(^^;四部構成と言いつつ五部構成に、そして今回六部構成にすることをお許しくださいm(_ _)mもうちびっとだけ続くんじゃってやつです(^o^;)すみません。ですが、本当に後二回で終わりにするつもりです。(終わる終わる詐欺じゃないです。ホントに)
 今回もまたツクヨミが主人公っぽい物語になりましたが、次回はビャクヤがちゃんと主人公してます。たぶん……嘘です、必ずしてます! クレアに対応したコンボや立ち回りものせる予定です。後二回、どうかお付き合いくださいませ。
 それでは次回、またお会いしましょう!(クレアでもBBTAGでも対戦お願いします(^o^)/)


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月の因縁の終止符

 Chapter11 執拗に付き纏う虚影

 

 宙を浮遊する虚無が、鋭利な輝きを持つ糸で出来た網にかかった。

 巣網の主たる少年、ビャクヤは、罠にかかった虚無に鉤爪を突き刺し、口元に引き寄せて顕現を喰らう。

 今や、ビャクヤにとっては当たり前となった、顕現を宿すものの捕食である。しかし近頃は、一人で『夜』へと赴き、こうして虚無を喰らっている。

 先日、『光輪』(リヒトクライス)の紅騎士ワーグナーと戦ってから、ビャクヤとツクヨミは、別行動をするようにしていた。

 紅騎士ワーグナーが、現実への干渉などお構いなしに、能力で公園を焼いたため、現実世界に公園が焼け跡として出てしまった。

 普通の人間に『夜』を認識することはできないものの、これほどまで現実に痕跡を残してしまってはまずい事がたくさんあった。

 故にツクヨミは、あの夜以来『夜』へと出向かなくなり、顕現の捕食をしなければならないビャクヤだけが、こうして食事のために『夜』へ来ていた。

「ふう……」

 ビャクヤは一息つき、携帯を取り出した。取り出すと同時に点灯するディスプレイには、現在時刻が表示されている。

「二十一時五十分……やれやれ。そろそろ帰らなくちゃ……」

 ビャクヤは、時間を見てため息をついた。

 顕現の捕食は、ビャクヤにとって常人の食事に近いものである。そのため、どうしても摂らなければ腹が満たされないのだが、ツクヨミから一つ命令されていた。

 これまで『偽誕者』を殺害してきた事の因果関係を警察に掴まれないために、補導されるような時間まで『夜』を出歩くべからず、というものだった。

 相手は異能力を持った『偽誕者』であるが、人を何人も殺してきた。ビャクヤは、この事実は受け止めているつもりだが、殺人犯として捕まって投獄されるつもりはない。それ故にツクヨミの言うことはもっともだと思うのだが、『夜』に行動できる時間が減ってしまったのは辛いものがあった。

「あーあ。まだ食べ足りないんだけどなぁ……今日も。虚無二匹しかいなかったし……」

 ビャクヤの腹を十分に満たすほどの顕現を持つ虚無に、なかなか出くわさないのである。

 紅騎士ワーグナーとビャクヤの戦いが現実世界に影響をもたらしたためか、『偽誕者』の活動も減ってしまっている。尤も、ツクヨミによって、『偽誕者』との戦いも禁じられているのだが。

 ふと、ビャクヤの携帯が振動した。『LINENNE(ラインネ)』がメッセージを受信したのである。

 受信したのは、ツクヨミからのメッセージだった。

「なになに。『そろそろ時間よ、帰ってきなさい』? まったく。そんなに急かさなくてもいいのに」

 ビャクヤは、一言『はーい』とだけ返信をし、携帯をポケットにしまった。

「……さて。姉さんもお腹をすかせてるだろうし。早く帰ってご飯を作ってあげないとね」

 家事のほとんどは、ビャクヤが行っていた。

 ツクヨミが怠惰なため、家事をやらないわけではなく、彼女は彼女で、在宅の仕事をしているために家事にまで手が回らないのである。

 ツクヨミは、ビャクヤと姉弟を演じつつも、近所にはビャクヤの保護者として認識されているので、生活費を稼いでいる様子を見せるために、そのような仕事をしていた。

 家の外に出ているのはビャクヤであるため、立場としては逆ではあるが、ツクヨミが生活を支える旦那であり、ビャクヤはそれを助ける妻のようなものになっていた。

「最近姉さん野菜不足だからなぁ。今日は野菜たっぷりのスープでも作ってあげようかな? 姉さんセロリが嫌いだって言ってたけど。ちゃんと食べてもらえるように味付けを……」

 ビャクヤが、独り言と共に今晩の献立を考えていると、何かの影が街路樹の間を飛んだ。

 それは、ビャクヤの視界ギリギリに写っていた。

ーー今何か飛んでいったね。虚無? それとも……ーー

 ビャクヤは、周囲の気配を探った。

 空を飛べる能力を持つ『偽誕者』など今までに見たことも聞いたことも無いため、ビャクヤは、飛んでいたのは虚無であろうと思っていた。

 案の定、感じた気配は虚無に近いものだったが、虚無にしては妙な顕現を持っていた。

ーーこの感じ……いや。匂いだね。虚無に違いないんだけど。どうしてだろう? 『偽誕者』ともよく似てるーー

 虚無であれば、ビャクヤを狙ってすぐにでも襲ってくるはずだが、一向に攻撃をしてくる気配がなかった。

 まさか、意思を持った虚無が存在するのか、ビャクヤの脳裏にそのような考えが過るが、有り得ないと首を振る。

「なーんか見えたなぁ?」

 ビャクヤは、定かではない相手を暴くべく、わざと大きな声を出して後ろを振り返った。もしも相手が『偽誕者』であれば、隠れているのがバレたと思い、何らかの動きを見せるだろうと思われた。

 しかし、その何者かは、動きを全く見せなかった。

 ビャクヤは、街路樹の葉の中に潜む何かを見つけた。全容は定かではないものの、眼と思われる二つのものが、赤く、妖しく光っていた。

「ねえ。そこにいるんだろ? 出ておいでよ」

 ビャクヤは呼びかけるものの、やはりその何者かは動かない。目が合っているにも関わらず、うまく隠れているつもりのように見える。

「おーい。隠れてるのは分かってるんだ。大人しく出てきなよ」

 ビャクヤは、再度呼びかけるが、やはり赤い輝きは、ビャクヤを見据えたまま微動だにしない。

ーー虚無の気配に間違いないんだけど。それにしては変だね。虚無なら。人間を見つければすぐに食らい付いてくるのにーー

 虚無と思われる何かは、相変わらずビャクヤに眼光を向け続けている。

「おっかしいなー。見間違いだったのかな?」

 ビャクヤは、このままでは埒が明かないと思い、別の策に出た。

 これまたわざと大きな声で意思表示し、ビャクヤは眼光に背を向けた。もしも相手が、隠れて襲いかかるチャンスを窺っているのだとしたら、まさにこの瞬間に襲いかかるだろうと考えたのだ。

ーーさて。どう出るかな?ーー

 ビャクヤは、鉤爪に反射する敵の眼光を探る。しかし、樹上に隠れる何者かは、全く襲いかかる気配を見せなかった。

ーー一体何なんだろう?ーー

 ビャクヤは、鉤爪に写る眼光から目を逸らさず、そのまま歩き出してみる。それでもそれは動こうとしなかった。

 そのままビャクヤは、振り返ることなく歩き続け、やがて鉤爪に眼光が写らない位置までたどり着いた。

 それまでずっと、虚無と思われる謎の者は、一度たりともビャクヤに襲いかかる様子を見せなかった。ただひたすら、ビャクヤの姿を真っ赤な眼で見ているだけであった。

 それからビャクヤは、『夜』の外へと出た。

ーー何だったんだろう? 襲われるなら倒すからいいけど。ただ見ていられるだけっていうのは気味が悪いね……ーー

 こうして『夜』を抜けることで、辺りにはもう虚無の気配はなくなった。

「まあいいか。さっさと帰って姉さんのご飯を作らなきゃね」

 ビャクヤは、鉤爪を消し、帰路に着いた。

 その背後には、暗闇に蠢く何かがいた。『夜』の外に出てもなお存在し続けるそれは、漆黒の身体を真っ暗な空に溶け込ませ、空を進んでいく。

 ビャクヤは、全く気が付いていなかった。虚無の身にありながら、ビャクヤほどの虚無喰いに気付かれないような気配、匂いの消し方を持っていた。

 しかし、それはまるでビャクヤを襲う素振りを見せない。ただゆっくりと、ビャクヤの後を追うだけだった。

 やがてビャクヤは、自宅へと帰り着く。帰宅してすぐに向かったのは、ツクヨミの部屋である。

「ただいまー。姉さん。ご飯まだだよね? 今夜は野菜スープに……て。あれ?」

 ツクヨミの部屋は暗かった。彼女が仕事に使っているノートパソコンのディスプレイの明かりしか、部屋を照らすものはなかった。

 部屋の主であるツクヨミは、机に突っ伏して眠っていた。書類を机のあちこちに散らし、携帯も放られていた。

「まったく。こんなところで寝ちゃって……おーい。姉さーん」

 ビャクヤは、ツクヨミの肩を揺さぶった。

「……ん、んん……」

 ツクヨミは、起きる気配がなかった。

「やれやれ……しょうがないなぁ」

 ビャクヤは、机の上に散らばった書類をまとめるついでに眺めてみた。

 夜目の効くビャクヤは、書類の文字を見ることはできるものの、意味はまるで理解できなかった。

「ダイ? ディ? 一体何語なんだいこりゃ?」

 ツクヨミがしていた在宅の仕事は、翻訳である。ドイツ語で書かれた記事や小説、エッセイ等を日本語へと翻訳する、または逆に、日本語の作品をドイツ語にするという仕事である。

 まだ中学生であり、英語もまともに勉強できないビャクヤに、読めるはずがなかった。

 しかし、書類の右端に書かれている数字だけは理解できた。それはどうやら、年月日を示す数字のようだった。

 それを見るに、〆切の日のようで、その日にちはもう明日に迫っていた。

「だから最近パソコンに付きっきりだったのか。まったく。無計画な姉さんだね。こういうのは計画的にやらないと」

 怠惰で宿題を溜めがちだったビャクヤは、姉によく言われてきた。姉とは、ツクヨミの事ではなく、死別した姉さんの事である。

ーー姉さん。か……ーー

 あの日の事故で、ビャクヤは最愛の姉を亡くした。

 ツクヨミは、姉さんと生き写しとまではいかないがよく似ている。姉さんが生前に着ていた制服を着てくれるようになってから、ツクヨミはより姉さんに似るようになった。

 しかし、ビャクヤは最近、ツクヨミと姉さんの違いを思い知らされるようになっていた。姿形こそ似ているが、やはり姉さんとの差はあった。

 ツクヨミは、姉さんに比べれば言葉遣いがきつく、ビャクヤにべったりということはない。

 こうして、翻訳の仕事をしているところを見ると、頭の良さは同じである。しかし、当然ながら姉さんはドイツ語は使えなかった。

 いつぞや、『光輪』の紅騎士を名乗る『偽誕者』ワーグナーと戦い、彼女を下した後、ツクヨミは流暢なドイツ語を話していた。まるでそれが生まれもって親しんできた言葉であるかのようだった。

ーー姉さんは何者なんだろう? 会ってから一度も。本当の名前を教えてくれたことはないし。いや。何を考えているんだ僕は。姉さんは姉さんじゃないか。僕の好きな。世界で一番愛している人じゃないかーー

 ビャクヤは、自らに言い聞かせる。しかし、ツクヨミは姿形が似ていても、姉さんとはやはり違う。

ーーStrix von Schwarzkeit(ストリクス・フォン・シュヴァルツカイト)ーー

 ふと、ビャクヤの脳裏に、彼にとっては呪文のように聞こえる言葉が過った。

「なんだい。これは……?」

 同時にビャクヤは、めまいを感じる。

ーーZohar Shnee Darland(ゾハル・シュネー・ダーラント)ーー

 畳み掛けるように謎の言葉はビャクヤを惑わす。

ーーOhga Zweid(オーガ・ツヴァイト)ーー

「やめてくれ!」

 ビャクヤは、思わず声を上げてしまった。すると、ビャクヤを苦しめていた言葉はすぐに止んだ。

「おっとと……」

 ビャクヤは、口に手を当て、ツクヨミを見た。思わず大声を上げてしまい、ツクヨミを起こしてしまったかと思った。

 しかし、ツクヨミは、変わらず安らかな寝息を立てていた。それを見てビャクヤはひと安心する。

ーーさっきのは何だったんだろう? ストリクスなんとか。とか。ゾハル。オーガ。なんか前にも聞いたことがあるような……ーー

 ビャクヤは、曖昧な記憶をたどるが、思い出せない。だが、ゾハルという言葉は妙に引っ掛かっていた。

「ゾハル……ゾハル……はっ……!?」

 ビャクヤの脳裏に、少し前にあった出来事が浮かんだ。

 ツクヨミと一度、喧嘩別れした時の日の夜、悪夢を、予知夢を見て、『夜』へとツクヨミを探しにいった。

 そしてツクヨミを見つけた時、彼女は真っ白な頭で、眼鏡姿の女に襲われかけていた。

 ビャクヤは、顕現の糸を放ち、その女を拘束した。その後は、女の金切り声のせいで辺りの声がよく聞こえなかったが、ツクヨミは確かに叫んでいた。

ーー思い出した! あの時のセミ……!ーー

 非常に耳障りな金切り声を上げ、身をよじる度に糸が体に食い込み、血を流す様を見て、ビャクヤは、蜘蛛の巣に引っ掛かった蝉のようだと思っていた。

 その時に、ツクヨミは、『ゾハル』と叫んでいた。

ーーということは。ゾハルっていうのは。あのセミ女の名前かな? すると。さっき浮かんだのは。人の名前?ーー

 ビャクヤは、一つの考えにたどり着いた。もしも先ほど頭に響いた言葉が、ツクヨミに関する人物の名前であるのなら、ツクヨミの本当の名はどちらか、ということになるのではないか。

 オーガ、というのは違う気がした。となれば残るは一つ。

ーーストリクスーー

 ビャクヤは答えにたどり着いた。

「……これが姉さんの。本当の名前?」

 確信を得るにはまだ弱い気がするが、流暢なドイツ語を操れることを考えると、ツクヨミは外国の生まれである可能性が高い。

「だけど。どうして急に……」

 ツクヨミの本当の名と思われるものが、何故、何の前ぶりもなく浮かんだのか。その問いの答えには至れない。

「ん。これは……!?」

 ビャクヤは不意に、顕現の気配を感じた。それと同時に、強烈な視線も感じる。

 それらを感じるのは、窓の外、数件離れた所にある家の屋根の上。闇夜にその身を溶け込ませてビャクヤを凝視していた。

 この顕現の気配には十分覚えがあった。ほんの少し前、いつものように虚無を捕らえ、顕現を食していた時に現れたあの気配であった。

ーーバカな。ここは『夜』の外のはずじゃないか。どうして虚無がこんな所まで来ているんだい?ーー

 虚無が自らの意思によって『夜』の外に出るなど、『夜』の存在を知って日の浅いビャクヤであったが、あるはずはないと思っていた。

 更に挙げれば、『夜』の入口となり得るのはほとんど決まった場所であり、どこでも『夜』となることもない。故に、ビャクヤの自宅付近が『夜』になったわけではない。

 いよいよ相手が、ただの虚無ではないと思われるようになってきた。自ら『夜』から抜け出し、現実へとやって来た虚無は、最早『偽誕者』とそう違いはない。

 しかし、『夜』を抜け、わざわざビャクヤの住居の近くにやって来た謎の虚無は、やはり襲いかかる様子はなく、その真っ赤な眼光をビャクヤに向けるだけである。

「う。うぐっ……!」

 突如としてビャクヤは、体に異変を感じた。全身が熱くなり、鼓動が速くなった。

 胸を打つ鼓動は、速さのみならず強さも高まり、まるで胸から心臓が飛び出そうとしているかのようだった。

ーー暴れ……ている? 僕に。宿る。顕現の獣が……ーー

 虚無を捕食するための鉤爪が、ビャクヤの意思に反して顕現した。

ーー捕、不逃、食ーー

 言葉に表れない意思が、ビャクヤの中を駆け巡った。

「……ぐっ! 体が。勝手に……!」

 飛び出しそうなほどの激しい鼓動を感じ、身動きの取れないビャクヤであったが、いつも自分の手足として扱っている鉤爪に、逆に操られるように引き摺られた。

 鉤爪が独立して意思を持っているかのように、外にいる特異な虚無に向かって伸びた。

 虚無は、しばらくそのまま静観していた。そして翼を広げて飛翔し、夜空へと溶け込んでいった。

ーー逃亡ーー

 声無き意思がビャクヤに伝わると、全ての異常事態は終息した。

 ビャクヤは気絶していた。彼の体は、余りに突然の顕現の暴走に対応できず、酸欠状態になったのだった。

    ※※※

 目蓋を射す日の光に、ツクヨミは目覚めた。

「……んん、あれ、私ったら、いつの間に寝て……?」

 次第にはっきりしていく意識の中で、昨晩の事を思い出す。

 次の日に、もう今朝がそうであるが、迫った原稿の提出期限に向けて、急いで原稿を仕上げた。データは完成と同時に編集担当者に送信してある。

 この数日間徹夜続きであったため、原稿データの送信が完了すると同時に、ツクヨミはそのまま、眠り込んでしまったのだった。

 机に突っ伏して寝ていたため、ツクヨミは少し肩凝りを感じていた。

「やだ、顔に寝あとが……」

 ツクヨミは、机の上の鏡を覗き込む。そして鏡に写る自分以外の姿が、床に転がっているのを見つける。

「ビャクヤ!?」

 ツクヨミは、椅子から立ち上がって振り返った。

 ツクヨミは、どうしてビャクヤが自分の部屋にいるのか、という疑問もあったが、尋常ではない様子で倒れている彼に驚いた。

「ビャクヤ、ビャクヤ! しっかり……!」

 ツクヨミは、ビャクヤを揺さぶった。

「……ん。うーん」

 ビャクヤに息はあった。

「……なんだ。まだ朝じゃないか。もう少し寝かせて……」

「起きなさい! 人の部屋で何を二度寝しようとしているの?」

「……姉さんの部屋? あれ。どうして僕こんなとこで寝てたんだろ?」

 ビャクヤは、むくっ、と体を起こし、辺りを見回した。

「あいたたたた……床で寝てたからかな。体が痛くなっちゃったよ」

 ビャクヤは、肩に手を当てて首を回した。

「……体に異常はないようね。何があったのか教えてくれるかしら?」

 ビャクヤが無事であったことに、ツクヨミはひとまず安心する。

「うーん。なんだっけなー。なんかすごいことがあったような気がするんだけど……」

 ビャクヤは、昨晩の記憶が少し抜け落ちていた。そんな中、残っていた事が一つだけあった。

「んー。ストリクス? ストリクスなんたらかんたらって。何かから聞いたような?」

「えっ……!?」

 ツクヨミは、不意に名を呼ばれたように驚いてしまった。

「んー? 姉さん。何をそんなに驚いてるんだい?」

「……いえ。何でもないわ。あなたの口から外国人の、それも女性の名前が出たものだから、つい驚いてしまったわ……」

「え。これ人の名前なのかい? 僕が夢で聞いた。呪文のような言葉なんだけど」

 ツクヨミは、しまったと思った。自分にとって、非常に馴染み深い名前であるために、余計なことを口走ってしまった。

「そ、そうね。たまたま今回の仕事の原文に、ストリクスという名前の人がいたから……」

 ツクヨミは、外国の文献を扱う仕事を盾に、上手く話をはぐらかした。

「それよりも、眠る寸前の事が思い出せないのなら、その夜の事くらいは覚えているはず。ビャクヤ、昨日も『夜』に入っていたでしょう?」

 ツクヨミはその後も、半ば強引に話題を変えた。

「うーん。そうだね。変わったことか。変わったこと……」

 ビャクヤは、『夜』に行っていた時の記憶も朧気であった。しかし、落ち着いて考えていると、記憶がだんだんとはっきりしていった。

「そうだそうだ。思い出したよ。すっごく変な奴に会った。いや。目を付けられたって所かな?」

「変なやつ?」

「うん。とんでもなく変な奴だよ。姉さん。気配は虚無そのものなんだけど。どこかおかしい感じなんだ」

 ビャクヤの言葉は抽象的すぎて、ツクヨミは要領を得られない。その様子を察したビャクヤは、実際に何があったのかを語る。

「奴は木の上にいたんだ。いや。隠れてるつもりだったのかな? あまりにもバレバレなものだったから。僕の方から声をかけたんだ。けど。ちっとも動くようすがなくてね。ただの虚無だったら。声なんてかけるまでもなく襲ってくるよね? けど。奴は襲ってはこなかった。何をしても。ずっと僕を見てるだけだった」

 ビャクヤは、隠れて様子を見ているらしい虚無に、わざと背を向けたりもした。しかし、虚無は一切の手出しをしなかった。

「それから。もう一つ変なところがあったよ。虚無に違いないんだけど。『偽誕者』の感じもあったんだ」

 ビャクヤの話を聞いていて、ツクヨミはもしや、と考えていたが、虚無の気配をしながら『偽誕者』の感じもするという彼の言葉から、確信に近い考えにたどり着いた。

ーーまさかゾハルが? いえ、でも……ーー

 『虚ろの夜』の核である顕現の泉、『深淵』のもたらす強い顕現にあてられたゾハルは、虚無に落ちることはなかったものの、その体はほとんど虚無のものになっている。

 ひたすらに顕現を求め、暴れまわる内に虚無化が進んでいるのだとしたら、ビャクヤの言うような状態になっている可能性はあった。

 しかし、ビャクヤを付け狙っていたのがゾハルだとして、不可解な事がある。ビャクヤの姿を見るだけで、襲いかかる様子がまるでなかったという事である。

 ゾハルは、ビャクヤと対峙した時、致命傷に近い深傷を負い、自我がほとんど欠落している状態にありながら、本能的に逃走することを選んだ。

 今もまだ生き残っていたとして、虚無落ちが進んだ状態でビャクヤの様子を窺うだけに止まっているのが不可解である。もしも虚無に等しいまでに変貌していたのであれば、ビャクヤを見つけ次第襲いかかるものだと思われた。

「おーい。姉さん? どうしたんだい。急に黙りこくってさ?」

 ビャクヤの問いには答えず、ツクヨミ、パソコンで調べものを始めた。

 検索エンジンを通して、ツクヨミは月齢表を開いた。今日より二日後の夜、満月を迎える。

ーー満月より七日間、『虚ろの夜』はやってくる。『夜』の核たる『深淵』が現れれば、必ず『眩き闇』も動くはず。ゾハルはあの女の命を狙っている。あの女が動くのならーー

「姉さーん。聞いてる?」

「ビャクヤ、これからあなたに大仕事をお願いするわ。いいわね?」

 ビャクヤは、少し面食らった様子を見せる。

「なんだい? 急に黙ったり。かと思えばパソコンを見たりしてさ。一体何を考えてるのさ?」

「……これから頼むのは、私たちの契約の遂行よ。私はあの子を探す。そしてあなたはその過程で、私に仇なすもの全てを排除する」

「何を今さら。そんなの。これまでの『夜』でやって来たじゃないか」

 ビャクヤは、ツクヨミの意図が掴めずにいた。

「これまで行っていた『夜』と全く同じだと思ったら大間違いよ、ビャクヤ。あなたほどの力の持ち主でも、足を掬われる事は大いにあり得るわ」

 顕現が満ち溢れる『深淵』の出現する『虚ろの夜』は、様々な強者の入り乱れる場所となる。

「あなたに頼みたい大仕事。それは『忘却の螺旋(アムネジア)』の総帥、『眩き闇(パラドクス)』の討伐よ」

「アムネジアなら知ってるけど。パラドクス? っていうのはなんだい?」

「深く知る必要はない。あなたはあの女をその爪で殺せばいい、それだけよ」

 紅騎士ワーグナーとの戦いから、ビャクヤと手を組んで行ってきた殺生の足が付かないように、これまで慎重に動いてきたツクヨミにしては、急であり過激な発言であった。

「ふーん。まあ。そのパラドクスとかっていうのを殺すのは構わないけど。それが姉さんの目的とどう繋がるのかな?」

「全ては、『眩き闇』を倒せば分かること。確実とは言えないのだけど。ビャクヤ、二日後、明後日の夜に『虚ろの夜』がやって来る。その時まで『夜』に行くことを禁止するわ」

 ビャクヤは驚愕する。

「ちょっと。それって顕現の食事をするなってこと!? 飢え死にしちゃうよ!」

「たかだか二日我慢すればいいだけのことでしょう? それに、あなたの顕現の捕食は、直接生命活動に関わる類いのものではないはず」

「そ。それはそうだけど……」

 ビャクヤにとっての顕現を喰らうことは、ツクヨミの言う通り生命活動を維持するためのものではなかった。

 彼にとっての捕食とは、言うなれば、アルコールやニコチンを摂取するようなものであり、生きていくのに必須のものではなかった。

 しかし、性質もそうした嗜好品と同じであるかのように、ビャクヤは、顕現が長期間摂取されないと体に不調をきたすようになっていた。

 これは、ビャクヤの能力の元となる、顕現の獣が、顕現を欲するためであった。

「どうしたの。何か問題があるのかしら?」

「……いや。確かに飢え死にしちゃうのは言い過ぎだ。けど。顕現の欲求を満たせないと。別の欲求として。満たさずにはいられなくなるんだ」

「別の欲求? まさか……」

 ツクヨミは、ふと考える。

 生き物を生き物たらしめる欲求は三つあるが、この場合を考えるに、実質二つしかない。

 食欲が満たされないということは、生存本能として性欲が強く出る事がある。

ーーまさか私を……?ーー

 ツクヨミは、ドキドキし始めていた。

「姉さん……」

「な、なにかしら……!?」

 物欲しそうな顔で迫ってくるビャクヤに、ツクヨミは驚きを隠せなかった。

 ビャクヤは、そのままツクヨミの肩を掴んだ。

「っ!?」

 ツクヨミは、そのまま押し倒されるかと固く目を瞑る。

「……顕現を喰らえないと思ったら。すごくお腹が減ってきちゃったよ。言いつけは守るから。ご飯を作ってくれるかい? 超大盛でね」

 顕現を捕食しない事による、ビャクヤに表れる不調とは、異常な食欲であった。

 生来、食の細いビャクヤであったが、『虚ろの夜』にて虚無に襲われ、『偽誕者』となった途端、いくら食べてもなかなか満たされないほどの食欲がわくようになっていた。

「それ、だけ……?」

 ツクヨミは、このままビャクヤに襲われる覚悟をしてしまっていたため、拍子抜けしたように言う。

「それ以外に何があるって言うんだい? ほら。早く。お腹と背中がくっついちゃうよ」

 ビャクヤは、ツクヨミの肩から手を離し、待ちきれないとばかりに部屋を出てキッチンに向かっていった。

 その後、ビャクヤはおおよそ少年の、いや、大人の男の一日の食事量と比べても標準とは思えないほどの食事をした。

 買い置きしてあった食材は全て食べつくし、十キログラムの米も平らげてしまった。

「ふうー。やっと半分くらいかなー」

 ビャクヤは、皿に米粒一つも残さず食べきると、匙を置いた。

「これで半分……?」

 ツクヨミは、食器を洗いながら、最早言葉が出なかった。

 一週間分の食事の料理を一気にさせられ、疲れと呆気にとらわれていた。

「さてと。それじゃあデザートの時間だね。姉さーん!」

「……もう何もないわよ。まだ足りないと言うのなら、後は自分で何とかなさい」

「えー。しょうがないなぁ……」

 時間は既に夕暮れ時であった。

 なかなか満たされる事の無い飢えを凌ぐための食事であったが、ビャクヤは、ツクヨミの用意してくれる料理一品一品を味わって食していた。

 故に、食事の時間だけでこのような時間になってしまっていた。

「うーん。この時間なら。あっちのスーパーで安売りが始まる頃かな? よし。行ってこよう! 姉さん。何か欲しいものはあるかい?」

「いいえ、私は結構よ……」

「そうかい? それじゃあ僕は行ってくるよ」

 ビャクヤは、更なる食事を求めて出かけていった。

 ツクヨミは、ビャクヤが食べ終えた料理の食器をシンクに放り込むと、ダイニングテーブルを前に、倒れ込むように座った。

 今日、この時の食事を作るのに、かかった費用は、およそツクヨミの仕事一回当たりに貰える給料の三割に達するほどだった。

 もしもビャクヤが、普段からこれほどの異常な食欲を持っていたら、とツクヨミはふと考えてしまう。

ーー家計が火の車、などとは生ぬるいわね。家計が火達磨、いえ、真っ白。すぐに燃え尽きて灰になるわ……ーー

 ツクヨミは、まだまだシンクに溜まった食器の山を一瞥すると、テーブルに突っ伏すのだった。

 両手にお菓子のたくさん入った買い物袋を提げ、ビャクヤはスーパーから出てきた。

「いやー。ちょうどタイムセールがやっててよかった。おかげで今日の夜のおやつにも困らないね」

 ビャクヤは、さっそく袋から菓子パンを出して咥えた。

「やっぱり。姉さんの料理に比べたら。味は劣るね。まあいいか」

 買い物をするために家を出て、スーパーで買い物を終えて帰路に着くまでに、日はすっかり傾き、辺りは宵闇に包まれていた。

 今からであれば、『夜』へと赴き、虚無を狩ることはできた。

 普通の食事では、なかなか飢えを満たせないビャクヤは、近くに迫る『夜』、顕現の気配に引き付けられそうになるが、我慢した。

ーー姉さんとの約束を破ったら。姉さん怒るだろうな。食事の用意だってしてくれたじゃないか。今日のところは我慢だ。我慢……ーー

 顕現の誘惑を、咥えた菓子パンの味で振り払い、ビャクヤは家路を急いだ。

 すると次の瞬間、ビャクヤはものすごい虚無の気配を感じ取った。

「この気配……この匂いは……!?」

 ビャクヤにとって、忘れられるはずがなかった。

 ビャクヤに迫り来る気配、それは昨夜、ビャクヤを付け回し、ついにはビャクヤの中の顕現の獣を暴れさせるに至った虚無のものであった。

 ビャクヤは辺りを見渡す。ビャクヤの周辺に人はいないものの、少し離れた場所に位置する、さっきまで買い物をしていたスーパーの周りには人だかりがあった。

 ここがもし『夜』の中であれば、人の気配はなくなるはずである。それにビャクヤは、『夜』に入った瞬間に感じる衝撃も受けていない。

ーー僕ともあろう者が。知らないうちに『夜』に入るなんてあり得ない。ということは。奴はやっぱり。自分から『夜』から出てくるって事みたいだね……ーー

 ビャクヤは、更に周囲を探ってみた。強烈な顕現の気配を辿り、それの位置を突き止めた。

「いた……」

 それは、漆黒の体を夜空に溶け込ませ、赤く光る眼光らしきものをビャクヤに向けていた。

 ビャクヤは、眼光を向ける謎の存在と相対した。最早それは、隠れるつもりがないのか、ビャクヤが完全に正面に捉えても動きを見せなかった。

「ねえ。一体何のつもりなんだい? こそこそと。まあ。隠れられてないけど。付け回してくれちゃってさ」

 相手が虚無であるならば、このような問答をしたところで返事があるはずがない。しかし、ビャクヤの眼前にいる存在は、虚無に違いない匂いを放っているが、やはり、『偽誕者』と似た気配を携えている。

『…………』

 異形の存在は、一声も発しない。唸り声すら発せず、ただ静かにビャクヤに眼光を向けるだけである。

「……姉さんに虚無を狩るな。って言われてるけど。もう我慢ならないね。虚無がどうやって『夜』の外に出てきてるのか知らないけど。そうまでして僕を喰らいたいって事なんだろ? あいにく。僕も大人しく喰われてやるつもりはない。それに……」

 ビャクヤは、買い物袋をその場に放り、背中に鉤爪を顕現させた。

「……やっぱり。食事は顕現に限るんでね!」

 ビャクヤは手を広げ、投網のような顕現の糸を放った。

 異形の影は、翼を広げて空を飛び、ビャクヤの糸をかわした。そしてそのまま空を滑るように進み、ビャクヤに向かってきた。

「やっとその気になったようだね。すぐに喰らってあげるよ」

 ビャクヤは、飛びかかって来る虚無を串刺しにするべく、鉤爪の先を全て上に向けた。

「貫け!」

 鉤爪は一瞬にして倍以上に伸長し、上空の虚無を突き刺して落とそうとした。

 しかし異形の虚無は、ビャクヤに襲いかかってくるかと思いきや、そのまま上空を飛び去っていった。

「逃さないよ!?」

 ビャクヤは、糸を放って虚無を捕まえようとした。しかし、糸は僅かに虚無へとは届かず、虚無は闇夜の中に消え去っていった。

「逃したか……」

 ビャクヤは、小さく舌打ちした。

 一度ならず二度までも、『偽誕者』のような雰囲気を纏う虚無はビャクヤの前に姿を現し、そしてやはり、襲い来る事なくどこかへと消えていった。

 ビャクヤは、いよいよ虚無の目的が分からなくなっていた。

 虚無は顕現を求め、本能の赴くままにそれを喰らう。それだけの存在のはずであるのに、例の虚無は、自ら『夜』の外へと抜け出し、ビャクヤに執拗に付き纏っている。

 そうまでしてビャクヤの顕現を喰らいたいのかと思いきや、こうして遭遇する度に、じっくりと観察するような様子を見せ、そして逃げていく。

 ビャクヤは、苛立ち始めていた。

「鬱陶しい上に腹立たしいね。今だって。やる気に見せかけて逃げてったしね……」

 ビャクヤの苛立ちの原因は、顕現を喰らえない事による空腹でもあった。

 かなりの顕現を携える虚無を目の前にし、ビャクヤに宿る顕現の獣も黙ってはいなかった。顕現を求めてビャクヤの空腹感を増強する。

 ビャクヤは、先ほど地に放った買い物袋を拾い上げ、中から潰れたケーキを取り出し、それを二口で食べた。

 ビャクヤはそのまま、狂ったように買ってきた菓子をむさぼり続ける。一リットルのジュースを一息に飲み込むと、ようやく空腹感は僅かながら和らいだ。

ーー『虚ろの夜』。明後日の夜。だったかな? 姉さんが言っていたのは……ーー

 ビャクヤは、口の周りを乱暴に擦り、手に付いたクリーム等を舐める。

「……いいねぇ。決めたよ。そっちがどういうつもりかは知らないけど。僕は逃すつもりはないよ。喰らってあげよう。その肉体()ごと。綺麗さっぱり。残さずにね!」

 

 Chapter12 永劫の七日間(Seven Days Immortal)

 

 その日も暮れ、『夜』がやってきた。

 夜空には、一つの欠けもない満月が、煌々と闇夜を照らしている。

 顕現の捕食者(プレデター)、ビャクヤとその主、ツクヨミは、日が傾くと同時に家を出て、『夜』の入り口となる場所を目指した。

 ツクヨミにとっては、久方ぶりの『夜』への訪れであった。此度に『夜』に赴いたのは、『光輪』の紅騎士ワーグナーとの接触以来の事である。

 金色に煌々と輝いていた月は、ビャクヤたちが『夜』に入ると、真っ赤に変色し、かすかにかかる霧を赤く照らし、周囲を不気味な様相にしていた。

 そんな不気味な空間にも関わらず、人、『偽誕者』であるが、それの気配は方々に散り、虚無の気配は、八方を塞ぐように点在していた。

「へえ……」

 これまでも何度となく足を踏み入れてきた公園に差し掛かったところで、ビャクヤは、感嘆の声をあげた。

「これが姉さんの目指していた。『虚ろの夜』なんだ……」

 予想に反して人が多い、とビャクヤは思った。顕現が最も満ち溢れる夜だと言うからには、人よりも虚無が群がって互いに喰らいあっている。そんな風景を予想していた。

「もっと怖いお兄さんだらけの。そんな地獄絵図を想像してたんだけど……」

 ビャクヤは、歩きながら伸びをすると、頭の後ろで手を組んだ。

「これなら。いつも通りの僕で大丈夫かな?」

「ビャクヤ、油断はしないこと。これから目指す先は、『虚ろの夜』の核である顕現の泉『深淵』……」

 ツクヨミは、辺りの気配に気を付けつつ、ビャクヤに注意した。

 これまでも二人は、突発的に発生する小さな『夜』に向かっては、それを構成するだけの『深淵もどき』を見つけ、そこである目的を果たさんとしていた。

「今夜から始まる『虚ろの夜』は、紛れもない、本当の『深淵』が出現する。そこに宿る顕現は、今までの『深淵』の偽物とは比べ物にならない量よ。虚無、『偽誕者』問わず彼らは『深淵』の顕現を求め、集い、そして一様に果てていく。まるで蠱毒のように、ね……」

 ビャクヤは、乾いた笑い声をあげる。

「ハハハ。そこは無理にでも。誘蛾灯とか。もう少し優雅な表現をしてほしい」

 ツクヨミは、くだらない洒落だと一蹴する。

「精々あなたのその甘さが、命取りにならないことを祈るわ。……邂逅の運命。その扉が、私の前に開いているのなら、その先にきっと『あの子』がいるはず」

「んー。だから何度も訊いてるけどさ。結局姉さんの目的ってのはなんなのさ?」

 ビャクヤは、眉根を寄せて口を尖らせる。

「『あの子』って人を捜している以外なーんにも分かんない。二日も顕現の食事を禁止させた上に。こんな物騒な『夜』に付き合わせているんだ。そろそろ教えてくれてもいいじゃない?」

 ツクヨミは、目付き鋭く、答えを否とした。

「ええ。それは何度も答えているはず。あなたが知る必要はない、と。あなたは、私を守るための爪。私たちはそれだけの関係であるべきなのよ……」

 ビャクヤに向けた言葉であるが、ツクヨミは自身にも言い聞かせる。

 ビャクヤに情を持ってはいけない。持てば、互いにとって必ず悪いことが起こる。ツクヨミはそう思い込むのだった。

 そんなツクヨミの気持ちを知る由もないビャクヤは、やはり口を尖らせる。

「ちぇー。黙って働くのもモチベーションがさ。ろーどーいよくって大事じゃない? こういうのに」

「あら、奴隷にそのようなもの必要かしら。それに、私と共に来る事が、かなりの劣悪環境だということ、最初から分かっていたのではなくて?」

 ビャクヤは、観念したようにため息をついた。

「はいはい。そうでした。分かっていましたとも。考えてみれば。姉さんと一緒にいられる。それだけで僕にとっては。十分すぎる報酬だったよ」

 ツクヨミはふと、立ち止まった。ビャクヤは更に数歩進んでから気付き、足を止めてツクヨミを見る。

「姉さん? どうしたんだい」

 ツクヨミは、すまなそうな目をしていた。

「……ビャクヤ。頼むわね。私にはもう、あなたしかいないのだから……」

 ツクヨミがかつて所属していた能力者集団、『万鬼会』が『忘却の螺旋』によって潰された事で、ツクヨミは多くの仲間を失った。

 仲間は多かったが、ツクヨミが本当に心を許せていたのは、今もこうして捜している『あの子』、ゾハルであった。

 もう一人、よく一緒にいた仲間、『鬼哭王』オーガがいたが、『忘却の螺旋』との戦いに果てている。

 ゾハルとは、『万鬼会』発足以前よりの親友であった。『深淵』の顕現に侵され、最早元に戻る希望は無いものに等しいが、せめて、親友として終わらせてやりたい。それがツクヨミの、ただ一つの願いであった。

「何を今さら……」

 ビャクヤは、微笑んでいた。

「我が顕現は。貴女よりの贈り物。全ては。姉さんのためにあるのだから。たとえこの身が朽ち果てようとも。姉さんに襲いかかる全てを。この爪が捕らえ。喰らうから……」

 ビャクヤは前を向く。

「さあ。お喋りはこの辺にして進もうか。僕はどうってこともないけど。この空気。今の姉さんにはよくない。先を急いだ方がいい」

 ビャクヤの言う通り、今回の『虚ろの夜』には、『深淵』の顕現が方々に散っていた。

 まだ『深淵』までは距離があるものの、鼻を貫き、喉を突き刺すような、思わずむせ返るほどの異質な感じがする。

 『器』の割れているツクヨミがこの空気に曝されていれば、虚無に落ちるまでは行かないまでも、体の一部を毒される可能性は十分にあった。

「……そうね。ビャクヤ、今宵の私たちの目的は、『深淵』の側にいるであろう、『眩き闇』。できるだけ無駄な戦闘は避けていきましょう」

「そうだね。パラドクス? って言ったっけ。そいつの顕現残さず食べられるなら。雑魚を喰らってうっかり。お腹いっぱいにならないようにしないとね」

 ツクヨミは、ビャクヤの答えが意外に思った。

「ん。どうしたんだい。姉さん? 何をそんなに驚いてるのさ?」

「いえ。あなたにしては妙に聞き分けがいいと、そう思っただけよ」

「失礼だなー。僕はいつだって。姉さんの言いつけは守ってきたじゃないか。この二日間。姉さんの言う通り。顕現を喰らうのを我慢したしね」

 ビャクヤは、ツクヨミの言うことには基本的に従ってきたが、必ず一言二言、文句の言葉が伴っていた。

 今この瞬間も、辺りに漂う虚無の顕現を喰らえない事に口を尖らせるかと思われたが、ビャクヤは微笑を浮かべて、一切文句を言わない。

ーー何か企んでいるのかしら?ーー

 ツクヨミは思うのだった。

「おや。ここは?」

 二人は、とある場所にたどり着いた。

 黒焦げになった街路樹が倒れ、辛うじて立っていられた木に、立ち入り禁止の黄色いテープが巻き付けられている。

 二人にとって、記憶にとても鮮明な場所であった。

「ここ。あの時の。リヒトなんとかの。三下騎士だっけ?」

 戦いの記憶はあったものの、ビャクヤの言葉は何一つ合っていなかった。

「……『光輪』の第四位。紅騎士ワーグナー、でしょう?」

「そうそう。それそれ! 姉さんよく覚えてるねぇ。あんなに横文字だらけの名前で。いかにもその手の趣味の人が好みそうな格好してたのに」

「…………」

 ツクヨミは、一応辺りの気配を探ってみた。

 ここは、以前の『夜』にて『深淵もどき』が発生していた場所である。その上ワーグナーに焼かれた木々は、現実にも焼けた姿で見つけられるほどに顕現の影響を受けた。

 しかし、今はもう『深淵』の気配は露ほどもない。それは、ここより更に、先に進んだところにあると思われた。

「もしかして、と思ったけど、ここは違うようね。『深淵』はまだまだ先。ビャクヤ、先を急ぎましょう」

 はいはい。というビャクヤの返事と共に、二人は『夜』の更に奥へと行こうとした。その時だった。

「おい、お前ら!」

 何者かの声が、ビャクヤたちを引き止めた。

 二人は、さして驚く様子もなく、後ろを振り返った。

「怪しい連中だな。学生が制服のまま、こんな時間にこんな場所で、一体何を企んでやがる」

 二人に声をかけてきたのも、紛う事なき男子学生であった。

 改造を施したかと思われる着崩した制服姿で、ブレザーの上から巻き付けた太いベルトが特徴的である。

 ビャクヤ以上にシャツのボタンを開け、緋色のネクタイの結び目は、みぞおち辺りまで垂れ下がっていた。

 何よりこの少年を特徴付けていたのは、その髪色である。前面が金色、後は全て黒という、自然にはあり得ないものだった。

 見た目こそ真面目な男子学生といった体ではなかったが、その目はとても真っ直ぐであり、正義感の溢れるものだった。

ーー気に入らないね……ーー

 ビャクヤは、突然現れたこの少年の目が気に食わなかった。相手がただのチンピラであるなら、この場で有無を言わさず倒すだけであるが、目の前の少年は、それすらもしたくなくなるほどの嫌悪感を、ビャクヤに抱かせた。

 故に、ここは黙りを決め込んで無視しようと思ったが、ツクヨミが返事をしてしまった。

「面白いことをいうのね。それを言うなら、あなただって同じではなくて?」

 ツクヨミは、当たり障りなく問い返した。

「オレは『虚ろの夜(ここ)』でやらなきゃならない事がある。『眩き闇』をぶっ倒す。そしてこの『夜』を終わらせる!」

 少年の目的は、いつぞやの紅騎士ワーグナーと同じものであった。『虚ろの夜』の核である『深淵』を破壊するつもりであった。

「『眩き闇』を倒すだなんて、ずいぶん大きく出たものね。あなた程度が、果たしてあの女の足元に及べるのかしらね?」

 ツクヨミは、少年を挑発するような態度を取る。

「舐めんなよ。オレにだって、この『夜』に集まる奴らと十分戦えるだけの能力(ちから)がある……」

 言うと少年は、両手を合わせた。

「出ろ! 『断罪の免罪符(インスレーター)』!」

 少年の手が真っ赤に輝くと、左手のひらから刀の柄のようなものが顕現した。

 少年は、自らの手から出現した柄を取り、刀を鞘から抜くかのように、その刀身を露にした。

 少年が自らの手より抜き出したのは、刃が赤黒く、刀身の長い、鍔のない刀のような姿をした顕現であった。

「この力で終わらせる! この狂った世界全てをな!」

 少年は、抜き放った刃を振るった。まるで血のように、刃が纏っていた顕現が、空中に飛び散って消えた。

ーー『断罪の免罪符』、と言っていたわね。以前に聞いたことがある。『再誕(リヴァース)』にいたる宝具の一つだとーー

 ツクヨミがまだ、『万鬼会』のメンバーとして活動していた頃、『忘却の螺旋』との戦いに向け、『眩き闇』が何を目的として『虚ろの夜』にて最強であろうとしているのか、調べたことがあった。

 その時に、今、目の前の少年の持っている剣について知ったのだった。

 『眩き闇』の目指す、『再誕』とは、『偽誕者』を超越した顕現を宿した存在とされている。『深淵』の顕現を溢れさせる事なく受け入れられる『器』を持つ者だけが至れる領域である。

 ゾハルもまた、顕現を求め、そして『眩き闇』の命を狙っている。どこかでこの少年とぶつかっているかもしれない、とツクヨミは考えた。

「一つだけ訊きたいことがあるわ……て、なに? どうしたのビャクヤ?」

 ゾハルについて何か知っているか、訊ねようとしたツクヨミは、不意に肩をつつかれた。

「まあまあ。姉さん。相手はもう刀を抜いているから。もう無礼討ちになりそうなものだけど。今はそんな時代じゃない。無駄な時間はもったいないし。ここは平和に話し合いで解決しようじゃないか」

 ここは任せろ、と言わんばかりにツクヨミの肩に手を置くと、ビャクヤは彼女の前に出る。

「と言うわけだ少年。ここから先の話は僕が聞こう」

 ばーん、とビャクヤは言って、自らの登場を誇大なもののようにし、仰々しく両手を広げた。

「なんだ? 面倒そうなのが出てきたな……」

 今までツクヨミの後ろで、ずっとそっぽを向いていたビャクヤが、突然に出てきた。ビャクヤを見た一瞬で、少年は二つの事を見抜いた。

 一つは、見た目どおり偏屈そうな質の人間ということ。もう一つは、底知れない、途轍もない顕現の能力を有しているという事だった。

「……別に、あっちの美人のお姉さんと話したかった訳じゃないから、強くは言わねえけどよ」

 少年は、同様を悟られないように言葉を続ける。

「大体、偉そうに人の事少年って言ってるのは何なんだよ。お前の方が年下に見えるぞ。中学生か?」

「あはは。分かってると思うけど。今の姉さんに顕現(イグジス)はないからね。キミと戦うとしたら僕なんだし。僕と話しをするのは当然だろう?」

 やはり偏屈さを感じる言い方だが、ビャクヤの言葉は筋が通っていた。

「……だろうな。オレだってもう立派な『偽誕者』なんだ。力については分かってるつもりだ。お前の方がとんでもない力を持ってる、って事もな」

 ビャクヤは、少し感心した。

「誉められると。照れるね。たとえそれが。弱そうな新人から。でもさ……」

 ビャクヤは、口元を大きくつり上げた。しかし、その目は全く笑っていない。

「なんだと、テメぇ……!」

 あまりにはっきりと挑発され、少年はいきり立った。

 自分から煽っておきながら、まあまあ、とビャクヤは手を前で振る。

「姉さんの目的は人捜しみたいだけど。僕は違う……」

 ビャクヤは、少年を抑えて話を続けた。

「僕の姉さんに危害を及ぼしそうな奴を。片っ端から壊したいんだ。現にキミは。そんな刀を抜いたりしてやる気満々だ。姉さんに危害を及ぼさない可能性を考える方が難しい」

「大人しそうな顔してそれが本心ってわけか。いいぜ、オレにだって覚悟がある。お前みたいなのに舐められて黙っちゃいられねぇ。準備はできてるだろうな? 今すぐ斬り捨ててやる!」

 ビャクヤは一変して、ニッコリと笑った。

「うん。ちょっと待っててね」

 言うと、ビャクヤはツクヨミの手を握り、少年から少し離れていった。

「いちいち話し合いに戻るなよ! めんどくせぇ奴だな!」

 喚く少年を無視して、ビャクヤは笑みをツクヨミに向ける。

「姉さん。お待たせ。話がまとまった」

 ツクヨミは、ため息をついた。

「ケンカすることになった。やっつけるよ。あの辻斬り男」

「呆れた。戦うのはあなたなのだから、どうでもいいのだけど。あなたがあの程度の者に敗れるとは思えないし、ね」

 ツクヨミは、少年に少し訊きたいことがあったが、彼はビャクヤの言う通り、『夜』に来るようになって日が浅いと思った。故に訊ねた所で、ゾハルについて、いい答えは返ってこないだろう。

「そんなわけでごめんなさい、『断罪の免罪符』さん。お話ししたいこと、少しだけあったのだけど、ここでさよならみたいね」

 少年は、また喚いた。

「よく聞こえねえよ、お前らもう少しこっちで話せよ。オレのこの『蚊帳の外』感パネェぞ!」

「そう、なら、聞こえるように言ってあげるわ……」

「ちょっと姉さん?」

 ツクヨミは歩き出し、ビャクヤの前へと進み、数歩先で止まった。僅かに、少年の剣の間合いからは外れている。

「私の名はツクヨミ。そしてこの子は、私の剣であり盾である弟。名はビャクヤ。死に逝く者がその引導者の名を知らないのも不憫と言うもの。名乗っておくわ」

 言い終えるとツクヨミは、少年に背を向け、下がっていく。ビャクヤとのすれ違いざまに、ツクヨミは囁いた。

「後はお願いね、ビャクヤ」

 戦って打ち倒せ、というツクヨミのいつもの合図であった。

 ツクヨミが後ろへと下がり、丁度いい場所に腰掛けるのを確認すると、ビャクヤは少年へと向き直った。

「さて。それじゃ。消えてもらうよ。少年」

 ビャクヤは、ジャキっと背中に四対八本の鉤爪、『八裂の八脚(プレデター)』を顕現させた。

 予想だにしないビャクヤの武器に、少年は少し驚きを見せるものの、自らを鼓舞するように言う。

「いつまでも少年って呼ぶんじゃねぇ! オレにはハイドって名前があるんだからな!」

 少年、『断罪の免罪符』のハイドも名乗った。

「行くぞっ!」

 ハイドが先に仕掛けた。

「どう……」

 ハイドの剣が間合いに入る前に、ビャクヤは鉤爪を突き出した。

「なあっ!?」

 ハイドはとっさに立ち止まり、後ろに飛び退いた。

「……料理しよう?」

 刃物の鋭さを持ちながら、鞭のようにしなり、そして伸びる鉤爪が、普通では考えられない間合いからハイドを襲った。

 ハイドは、襲いかかる鉤爪を刀で受け止め、更に間合いを開けた。

 次はビャクヤが、歩み寄りながら攻撃を仕掛けた。

「微塵切りがいいかな?」

 ハイドは更に飛び退く。しかし、ビャクヤが鉤爪を先行して伸展させ、ハイドの退路を絶った。

 ビャクヤは、鉤爪を二本クロスさせ、ハイドの首を挟んだ。

「それとも。八つ裂き?」

 ビャクヤは、恐ろしい笑みを向ける。

「よ、寄るな!」

 ハイドは、刀を振り回し、ビャクヤの拘束から逃れた。

 ビャクヤは、近くにある鉤爪で刀を受け、全ての鉤爪を引き戻しながら距離を置いた。

ーーまるで素人じゃないかーー

 長い刀を武器としながら、その扱い方に全く技術が伴っていなかった。

 運動神経は悪くない。現に飛び退いた後でも、体勢に崩れがなかった。

 体の正中が崩れたその時が、死が訪れる瞬間だと、ビャクヤはツクヨミから訓練を受けて覚えていた。

 武器の扱いは素人そのものだが、体の捌き方には見込みがあるか、というのが少年への評価であった。

「このやろっ!」

 ハイドは、再び刀を振り上げながら駆けてきた。

「それ!」

 ビャクヤは、鉤爪をその場に残し、半回転しながら後ろに少し下がり、鉤爪を僅かに伸ばした。

 ハイドは寸前で立ち止まり、もう一度距離を取った。

「ねえ。キミさぁ……」

 鉤爪を背後に引き戻しながら、ビャクヤは訊ねた。

「なかなか大層なものを持ってるけどさ。それで人を殺したことはあるかい?」

「なんだと……!?」

「あるのかい。それともないのかい? 答えはこの二つに一つだ。簡単な質問だと思うんだけどなぁ?」

「ない。この力は、人を殺すための力じゃねぇ! この『夜』を消すための力だ!」

「そうかい……ふふふ……!」

 ビャクヤは、小さな笑い声を上げたかと思うと、夜空を仰いで大きく笑った。

「アハハハ! どうりで弱いわけだ。顕現を持ちながら。人を殺したことが無いだなんて。アハハハ!」

 ハイドは激昂した。

「何が可笑しい!?」

「僕は。一人。二人……いや。数え切れないね。僕の前に立ちはだかるものはなんであれ。殺してきた。この爪でね」

 ビャクヤは、鉤爪を一本引き寄せた。

「そうだ。冥土の土産ってやつだ。一つ教えといてあげよう。この辺は。ある夜明けに焼け跡となって見付けられた。キミでもそれくらいは知っているだろう?」

 紅騎士ワーグナーの顕現による能力で作り出された炎によって、ビャクヤらのいる公園の木々は、顕現を取り込んだ異物となったために、現実にも焼けた姿で現れてしまった。

 一般人には、これは不審火事件であると知らされたが、『夜』の顕現を含んでしまったため、火が出たいかなる原因は、誰にも突き止められてはいない。

「知ってる。これがただの火事なんかじゃなく、オレらのような『偽誕者』の戦いでこうなっちまった事もな。まさか、お前が……?」

「おっと。早とちりしないでほしい。僕のせいじゃない。なんなら僕は。火事を起こした悪いやつをやっつけた方なんだから」

「なに……!?」

 ハイドは信用ならなかった。

「ま。信じるも信じないも。キミの勝手さ。けど。これだけは知っておいてもらいたい。そいつもこの爪で葬った。ってことをね!」

 ビャクヤは、八本の鉤爪全ての根元を掴み、一気にハイドへと投げ付けた。

「味わいなよ!」

 八本の鋭い鉤爪の先端が、ハイドへと一挙に迫った。

 ハイドは、気を抜いていたつもりはなかったが、これは予想外の攻撃であった。

 しかし、ハイドは落ち着き払い、刀を前に置いて顕現を集中した。

ーー止める……!ーー

 ハイドの前に、白く光る顕現の盾が出現した。ビャクヤの放った鉤爪は、全てその盾の前に弾き返された。

ーー取った!ーー

 顕現を有する偽誕者ならばだれでも使えるこの盾には、攻撃を防ぐだけでない特殊な効果があった。相手の持つ顕現の一部を自らの物にすることができる。

 顕現を僅かに吸い取られたビャクヤの鉤爪は、一部が縮小してしまい、引き戻す事ができず、地に転がってしまった。

「今だ!」

 ビャクヤの鉤爪は、八本の内三本が落ちた。この瞬間を好機、とハイドは駆け抜ける。

 足早に迫られるビャクヤであったが、慌てる様子は全くない。むしろ、ハイドがこうして走ってくるこの時を待っていたかのようであった。

「この辺に……」

 仕込んでおこうかな、とビャクヤは手のひらをかざした。人の肉体など容易く断ち切ってしまう硬度の糸が、投網のように放たれた。

「なんだ!?」

 ハイドは足を止めた。ビャクヤの糸はハイドを捕らえることはできなかったが、そのまま空中に揺らめく蜘蛛の巣になった。

「へー。やるじゃない。あのまま突っ込んで。僕の巣網にかからないなんてさ」

 ビャクヤは、蜘蛛の巣の向こうで笑っていた。

「舐めんな、こんなもの……!」

 ハイドは、巣網を上から下へまっすぐに斬り下ろした。

 巣を壊されても、ビャクヤはやはり不敵な笑みを見せるのみである。ビャクヤが笑っている理由は、すぐにハイドに身を以て知らしめられる。

ーー顕現が……!?ーー

 ハイドは、自らの顕現が減少したのを感じたのだった。そして対するビャクヤの顕現が増していた。

「ふっふふふ……」

 ビャクヤは、全身に青い、顕現の光を纏い始めた。これは、ビャクヤの顕現が最も充実している事を意味していた。

「それじゃあ。再開しようか? 少年……!」

 ビャクヤは、空中に蜘蛛の巣を作る。

「ここにも……」

 ビャクヤは、巣網をあちこちに張り巡らした。不規則な張り方だが、目的は何か、ハイドには分かった。

ーーあいつめ、オレを囲むつもりだな……!ーー

 断ち切ることは容易い罠である。しかし、そうやって巣網を壊すだけでも顕現は吸い取られてしまう。

 故にハイドは、ビャクヤの張る巣網の隙間を掻い潜って離れようとした。

「逃げてもムダさ!」

 ビャクヤは跳躍した。跳ぶと同時に手から糸を伸ばし、宙に張った巣網と繋げると、瞬時に巣網に身を置いた。

「なあっ!?」

 ビャクヤは、まるで空でも飛んでいるかのように、巣網と巣網の間を行き交った。

「足下……!」

 ビャクヤは、巣網の間を跳びながら地面に向けて、何かを投げつけるような動きを見せた。

「なにっ、しまっ……!?」

 ビャクヤは、地面に罠を張っていた。地面の罠は、それ自体が生き物であるかのように、ハイドが触れた瞬間に彼の体に巻き付いた。

「ほうら。捕まえた」

 ビャクヤは笑みを浮かべ、巣網を蹴って鉤爪を全て直線に伸ばし、ハイドを突き刺そうと飛びかかった。

 ハイドは、腰元まで拘束され、その場から一歩たりとも動くことができなかった。このままではビャクヤの鉤爪に貫かれ、待っているのは死である。

 しかし、ハイドにはまだ逃れる術はあった。刀を体の前に立て、それを中心に顕現を解き放った。

「イグジス、解放……うああああ!」

 体の一点に集中させた顕現を一度圧縮し、一気に放出することで爆発を起こした。

「うわっ!?」

 ビャクヤは落下するしかなく、爆風をまともに受けてしまった。吹き飛ばされた先には巣網があり、ビャクヤはそれをクッションにして体勢を整えた。

「いったいなー」

 顕現の爆発に巻き込まれた割にはダメージが全く大きくなく、ビャクヤはかすり傷も負っていなかった。

 その代わり、体以外の部分に大きなダメージがあった。

ーー今がチャンスだ。畳み掛ける!ーー

 ハイドは、爆発し、燃える炎のようになった顕現を全身に纏い、赤い輝きに包まれていた。

「逃がさねぇ!」

 ハイドは、ビャクヤに向けて駆けた。

「懲りないねぇ。キミも……」

 ビャクヤは、まるでなんの考えも無しに走ってくるようなハイドを捕らえるべく、糸を放とうとした。

「えっ。糸が出ない?」

 宙にかざしたビャクヤの手からは、何も出なかった。

 ビャクヤがダメージを負った場所は、顕現の『器』であった。一度に強力な顕現の衝撃を受けたことによって、ツクヨミほどではないが、ビャクヤの『器』も傷付いてしまったのである。

 完全に壊れてしまったわけではないため、能力の行使の一切を断たれる事はなかったが、ビャクヤは糸を作り出せなくなってしまった。

 ハイドは、走りながら刀を逆手に持ち変えた。

「円環ノ凶渦、『ブラック・オービター』!」

 ハイドが刀を真横に振ると、その軌跡から赤黒い円盤状の弾が、ビャクヤへと向かって飛び出した。

 ビャクヤは、鉤爪を前で折り曲げ、赤黒い円盤を受け止める。

「爆ぜろ!」

 ハイドが切っ先を向けると、円盤は炸裂した。辺りに顕現が散る。

「地ヲ穿ツ影、『シャドウ・スケア』!」

 ハイドは続けて、刀を地面に突き刺した。その瞬間、先に散った顕現が槍のように尖ってビャクヤの足下から襲いかかった。

 ビャクヤは、足下から突き出る槍を一本ずつ鉤爪で打ち払っている。その間にハイドは、ビャクヤへと近付き、地を蹴って高く跳び、ビャクヤの注意力が及んでいない頭上から顕現の溜まりを繰り出した。

「深淵二咲ク黒蓮、『ダーク・ロータス』!」

「ぐっ……!」

 足下、頭上と同時に攻め立てられ、ビャクヤは守りきれなくなってきていた。

「終わらねえ!」

 ハイドは、残った顕現を刀に全て込めた。

「死ぬんじゃねぇぞ!?」

 ハイドは大きく振り上げる。

「天地斬リ裂ク荒神ノ咆哮、『レイジングロアー』!」

 ハイドが振り下ろすと、弧を描いた顕現の衝撃波が、ハイドの最大の力を持って打ち出された。

 ハイドの顕現全てが炸裂し、辺りは赤黒く染まった。

「はあ……はあ……!」

 文字通り全力を尽くしたハイドは、刀を支えにして肩で息をする。少しでも気を緩めれば、そのまま倒れてしまいそうだった。

 目眩でぐらつく視界を前になんとか前に向けると、ハイドは絶句した。

「ウソ……だろ……?」

 ハイドの思いは、声になっていなかった。

 全身全霊を込めた一撃を見舞ったはずなのに、ビャクヤは目立った傷もなく立っていたのだ。

 ビャクヤは、ニッコリと笑った。そしてつかつかとハイドの近くへ寄っていく。

 ハイドは抗戦しようとするが、顕現を使いすぎたために、立っているのがやっとの状態であった。

 ハイドがそんな状態であることをいいことに、ビャクヤは至近距離まで近寄った。そして鉤爪を三本伸ばし、ハイドの体を挟み込んだ。

「目障りだよ」

 ビャクヤは、伸ばした鉤爪をひっくり返し、ハイドを地面に叩き付けた。

「あんまり手間かけさせないでよ」

 次はハイドの顔を地面に押し付けながら引き摺り回し、まだ刀を握っているハイドの腕を踏みつけた。

 やっと刀を手放したのを確認し、ビャクヤは手を広げて巣網を顕現させた。

 ビャクヤは、地面に押し付けたハイドを鉤爪で持ち上げると、顕現させた巣網に投げ飛ばした。

 顕現の蜘蛛の巣はハイドを捕らえ、鉄線ほどの強度を持つ糸が、体に食い込むほど拘束した。

「おーい。生きてる?」

 ビャクヤは、うなだれたハイドに顔を寄せて声をかける。

「……離し、やが、れ……!」

 ハイドは、息も絶え絶えに返答した。

「よかった。まだ息があったんだね。言っておきたいことがあるんだ。もう少しだけ生きててよね」

 ビャクヤは、顔を離し、ハイドの鼻先に指をさした。

「悪気はないけれど。邪魔はさせてもらった。正義の味方面したその表情がさぁ。なんだか無性にイライラしちゃってね」

 ビャクヤがハイドに因縁をつけた理由であった。正義の味方然としていた事もビャクヤの癇に障るものだったが、ハイドの自分とは真逆の人間性にも苛立っていた。

「キミさぁ。最後の攻撃。何て言ったかな? あまりに痛々しい名前だったから忘れたけど。その時こう言ってたよね? 死ぬんじゃねぇぞ。って」

 ビャクヤは、呆れたように両手を広げた。

「殺す気でやられてれば。さすがに危なかったよ。けど。キミはそうしなかった。罪を憎んで人を憎まずってやつかい? まったく。そう言うやつを見てると。心底ムカムカしてくるよ……!」

 ビャクヤは、鉤爪を一本ハイドの肩口に突き刺した。

「がああ……!」

 ハイドから苦痛の声と共に血煙が上がった。

「ふーん。さっきのでほとんど顕現を使っちゃったのか。食べられるところがない。ついてないや……」

 ビャクヤは、ハイドに背を向けた。同時に顕現の能力全てを停止させた。

 ハイドを拘束する糸も消え、深傷を負い、支えを失ったハイドは、そのまま地面に沈みこんだ。

「食べられないんじゃ。キミにもう用はない。せいぜいそこで野垂れ死んでなよ。行くよ。姉さん」

 ビャクヤは、ハイドにもツクヨミにも一瞥をくれず、歩き出すのだった。

 

 Chapter13 眩き闇(パラドクス)捕食者(プレデター)

 

 ビャクヤとツクヨミは、『虚ろの夜』を進んでいた。

 やがて二人は、夜空に出た真っ赤で、すぐ近くにあるのかと錯覚させられる月が照らす駐車場のある場所にたどり着いた。

「すぐ近くに強力な顕現の高まりを感じる。もうすぐね。この先を行けば、今宵の『深淵』にたどり着く」

 ビャクヤは、不意に小さく笑った。

「ハハハ。『器』って割れててもそういうのは分かるんだ。風邪を引いて鼻がつまってても。強烈な匂いは分かるってところかな?」

 ツクヨミは、ため息をつく。

「……もう少し例えを選んで欲しいものね。私は顕現の察知には自信がある。あなたのように戦う力はないけれど、顕現を感じ取ることに関しては、並の『偽誕者』に遅れを取ることはないわ。言ってみれば、私の能力は精神特化(センシティブ)ってところかしらね」

「おー。でたでた。姉さんお得意の邪気眼発言」

 ビャクヤは茶化した。

「だから……! はあっ……もういいわ」

 否定しようとするツクヨミだが、言ったところで余計に状況が悪くなるだけだと思い、黙ることにした。

「そうそう。邪気眼といえば。さっきのメガネのお兄さんもなかなかすごかったよね。小難しい単語並べるくせに雑魚過ぎて。さ」

 ここに来る途中、ビャクヤとツクヨミは、ある青年と出会っていた。

 その青年は、ケイアスといい、『忘却の螺旋』における参謀と言っていた。

「そうね。参謀って割には妙に血の気が多かったわね。かつては『暴君ケイアス(ブラッディ・ケイアス)』なんて呼ばれていたけれど、異名の通りってところかしらね」

 自らを頭脳派と自称する彼の武器は、『混沌の経典(ケイアス・コード)』という、虚無を封じた書物であった。

 アジ・ダハーカという、世界中に伝わるドラゴンの伝承の中でも最強の存在の名を付けられた虚無を従え、その獣の爪牙をビャクヤへと向けた。

 ビャクヤの力を危険視した故の襲撃であった。参謀を自称するだけあって、ケイアスは、ビャクヤの能力は『眩き闇』さえも危機に追いやるのではないかと考えたのだった。

 勝負は、ほぼ一瞬で決してしまった。

 伝説上では、最強にして最悪の力を持つドラゴンの名を冠した存在であっても、虚無であるからには、ビャクヤにとっては捕食の対象に違いはなかった。

 虚無の爪も牙もビャクヤには届かず、逆にビャクヤの鉤爪の餌食となった。

 負けが分かった途端、ケイアスは逃げていった。自らの首領である『眩き闇』に危険を知らせに行ったのだった。

「しかし驚いたわね。ビャクヤ、まさかあなたがあの『罪切の獣』を倒していたなんてね」

 戦いの前に、ケイアスが言っていた。『忘却の螺旋』の幹部の一人、『罪切りの獣』ことエンキドゥという男が、名も無き『偽誕者』に敗北した。

 一命を取り留めたエンキドゥは、自分の身に起きたことを幹部全員に話し、より高みを目指すべく組織から抜けたのだった。

「うーん。あんまりよく覚えてないんだけど。倒した相手からは顕現を戴いて。後はそのままにしちゃうからね」

 ツクヨミは、いつぞやビャクヤが明け方に帰ってきた時に、顕現をほとんど持ってない『偽誕者』と戦ったと言っているのを覚えていた。

 ツクヨミはその時、ビャクヤが戦ったのがエンキドゥではないか、とふと思った。

 エンキドゥとは面識がそれほどあるわけではないが、ツクヨミは以前、『万鬼会』と『忘却の螺旋』の決戦において、彼の姿を見ている。

 戦いに先立ち、『忘却の螺旋』の幹部については調べていた。その時に、顕現をまるで持たず、己が拳にて戦うという、かなり変わった『偽誕者』の存在を知った。

「まあ、いずれにせよ、残るはあの女だけ。借りを返すには丁度いいわ」

 今宵、ケイアスと戦った事により、ビャクヤは『忘却の螺旋』の幹部全てと戦い、その全てを破った。

 そして残るはその親玉、『忘却の螺旋』の総帥、『眩き闇』ことヒルダ、彼女を残すのみであった。

「あの女の全ては、その顕現のパワー。小細工なんか一切使わずに力押しで相手をねじ伏せる。そんな女よ。力だけの女と侮り、敗れていった者は数知れないわ」

「その口ぶり。まるでそいつと。実際に戦ったことがあるみたいだね」

 いいえ、とツクヨミは首を振る。

「私自身が戦った事はない。私は、戦っている者に少し力を貸していただけよ」

「んー。よく分からないね」

「とにかく私たち、いえ、あなたにやってもらうことは決まっているわ。あの馬鹿力だけの馬鹿女には、一度馬鹿痛い目に遭ってもらうの」

 言ってからツクヨミは、少し品の無い言い方をしてしまったと思った。ついつい口が悪くなってしまうほどに、ヒルダから受けた借りは、ツクヨミにとって大きかった。

「ハハハ。何やら因縁が深いみたいだね。けど。僕そういうの懲らしめるの好きだよ。どっちがより愚か者か。見せてやろうじゃないか」

 ビャクヤに恐れる様子は無かった。

「頼もしいわね。では行きましょう。『(ひかり)(やみ)の祭壇』、と言っていたかしら? あの参謀さん」

 ヒルダがその財力と『忘却の螺旋』の組織力を以て造った特殊な施設、それが『煌と朧の祭壇』であった。

 見た目こそ雑居ビルのそれであるが、その内装は浮世離れしている。

 『忘却の螺旋』の頭脳であるケイアスが『深淵』の出現位置を予測し、急ぎ造り出したのだった。

「『眩き闇』だっけ? その人。飽きっぽい性格らしいじゃないか。早く行った方がよさそうだね」

「そうね、先を急ぎましょう。ビャクヤ」

 歩いているうちに、二人の前に『煌と朧の祭壇』を内包する雑居ビルが見えてきた。同時に顕現の高まりが更に上がった。場所は間違いないようであった。

 ビャクヤとツクヨミは、血戦の地へと歩みを進めるのだった。

    ※※※

 雑居ビルの一部を使って造られた、西洋の宮殿の一室のような場所があった。『忘却の螺旋』の総帥、『眩き闇』ことヒルダが、私財を投じて造った『煌と朧の祭壇』である。

 宙を浮遊しているかのように吊られたシャンデリアがいくつかあり、祭壇奥へと続く大きな扉へと深紅の絨毯が敷かれている。

 奥に続く扉には、『忘却の螺旋』のシンボルマークが大きく、隙間無く描かれていた。

 そんな宮殿であり、また神殿でもあるような一室にて、一組の男女が言い争っていた。

「ヒルダ、君の強さは確かだよ。それは僕も断言できる。けれど、これからやって来る彼は危険だ。顕現を喰らうんだ。いくら君の巨大な顕現で力押ししようと、彼の前では無力だ」

 先の戦いでビャクヤに呆気なく敗れ、逃走を図って祭壇へとやってきたケイアスが、ヒルダを説得していた。

 ケイアスの前にいる女、ヒルダは、左右で白黒に分かれた色をしたタイトなドレスを身に纏い、首周りには黒いファーを着けている。

 プラチナブロンドの足下まで届きそうなとても長い髪を一纏めにし、その瞳は左右違った色をしている。

 『忘却の螺旋』の総帥というだけあって、非常に豪華で、麗しい容姿をしていた。

「ヒルダ、聞いているかい?」

「はいはい、聞いてるわよ。それで、アタシに逃げろって言うつもりなのかしらぁ?」

 ヒルダは、ケイアスの説得にうんざりした様子でそっぽを向いている。

「そうだよ。命あっての物種というじゃないか。この祭壇は放棄して逃げてくれ」

「放棄なんてあっさり言ってくれるわねぇ。アタシがこの祭壇を造るのに、一体いくらかけたと思っているのかしらぁ? ま、たった一千万ぽっちだけどぉ」

「こんな祭壇、またいくらでも造ればいいだろう? アジ・ダハーカが喰らわれて戦う能力が無くなってしまったけど、僕の担当は頭脳労働だ。『深淵』が出現する位置ならまた予測できる。だから今回は……」

「あら?」

 ふと、二人は巨大な顕現の高まりを感じた。それは、紋章のある扉の奥、この祭壇の中核である『深淵』からである。

「なんて顕現なんだ……! ロジャーが堕ちてしまったのも分かる気がするよ……」

 ケイアスは、虚無に落ちて死亡したかつての仲間を思い出す。

 胸が悪くなるような顕現の量に、嫌悪を示すケイアスとは真逆に、ヒルダは歓喜していた。

「これよ! この顕現、あの時とは大違いだわ、量も大きさも! ケイアス、アタシは今夜こそ『再誕』を目指すわよぉ!」

 『深淵』の顕現を自らの『器』に取り込み、『偽誕者』を超えた存在、『再誕者』となる。ヒルダが『忘却の螺旋』という組織を作り上げたのは、全てこのためであった。

「そのためにもぉ、今こっちに向かっている子も糧としてあげましょ」

 ヒルダは、すぐそばで凄まじい『深淵』の顕現を感じながら、この場に迫っている者の存在を感知していた。

「……ヒルダ。もう君には付き合いきれない。君が『再誕者(リヴァース)』を目指すこと自体はこの組織の決まりだ、止めはしないよ。けど僕は退散させてもらうよ。君も、精々命を無駄にしないことだ」

 ケイアスは、戦いに巻き込まれるのを避けるため、そそくさと祭壇を後にした。

「全く、臆病ねぇ。仇を討つなんてガラじゃないけどぉ、アタシが倒してあげるわ!」

 どんどん近付いてくる顕現の気配を、ヒルダは嬉々として待ち受ける。

 ヒルダの野望は、まさに成ろうとしている。そのように今は、見えていた。

    ※※※

 ビャクヤが、『煌と朧の祭壇』の扉を開いた。

 外見は寂れた雑居ビルであるのに、ここだけは舞踏会に使われそうな荘厳な部屋になっている。

「これはすごいね。大金持ちの住む大豪邸みたいじゃないか」

 ビャクヤが驚いているのをしり目に、ツクヨミは部屋の真ん中へと歩く。

 そこに、女が待ち受けていた。

 この世界に於いて最強にして最大の能力者集団組織、『忘却の螺旋』のトップであり、『眩き闇』と呼ばれる女、ヒルダである。

「ようこそ我が『煌と朧の祭壇』へ。夜も更けた今、今夜の挑戦者はアンタたちで最後かしらぁ?」

 ツクヨミは、険しい表情である。

「相変わらずやることが大仰ね。無駄だとは思うけど一応言っておく。久しぶりね、『眩き闇』」

 ヒルダは、片方眉を上げる。

「久しぶりぃ? アタシ、アンタにどこかで会ったかしらぁ? なにせ刺客来客の多い身、覚えられる事は多いけど、誰かを覚えることは少ないのよねぇ……」

 ヒルダは、自らが潰した、当時『忘却の螺旋』に次ぐ勢力を持っていた組織、『万鬼会』の幹部であったツクヨミを覚えていなかった。

「まぁ、さしずめ、アタシに掃除された雑魚が恨みで復讐しに来たっ、て所かしらぁ? うふふ、そういうリターンマッチなら大歓迎よぉ?」

 ツクヨミは眉ひとつ動かさない。

「やはり覚えてはいない、か……」

 今のツクヨミは、かつて『万鬼会』に属していた頃に比べれば、かなり趣味様相が変わっていた。あの日のような戦闘服姿であれば、思い出してもらえたかも知れないが、ツクヨミにはどうでもよかった。

「私が、いえ、私たちが来たのは復讐のためではないわ。あなたを倒すのは、私の目的を達成するための過程に過ぎない」

「なんでもいいけどぉ、なんなら二人まとめて相手するし。でもアンタ、大したイグジスを感じないけど、本当に戦えるのぉ?」

「おあいにく様、私は能力を持たない一般人。無力な弱者をいたぶるのが趣味なら、好きにすればいい。今夜、あなたの相手をするのは、私ではなく、この子、弟のビャクヤよ」

 指名を受けたビャクヤは、ニッコリと笑い、照れたような仕草で片手を頭にやり、ヒルダに会釈する。

「やあやあ。どもども……」

 今度は、終始ツクヨミを見下したようなヒルダが、ツクヨミのような険しい表情をする番だった。

「……暗くて底の見えないイグジス。アタシが言うのもなんだけど、気味の悪い感じねぇ」

 ビャクヤから感じる顕現は、大して強くはないように思えた。力の強さならこちらが勝っていると、ヒルダは思った。

「けどぉ、興味深いわねぇそのイグジス! こんな時じゃなきゃ仲良くしたい所なのに」

 微笑を浮かべ、目を伏せ、ビャクヤは首を横に振る。

「美しいおねーさんに良くしてもらえるのは悪くない。けどダメだ。それはこの姉が許してくれない」

 ツクヨミは、わざと驚いたような素振りを見せた。

「あら、私は別に、あなたを縛っているつもりはないのよ? あなたが、その女の許に行きたいと言うのなら、止めるつもりはなくってよ?」

 ビャクヤもやはり、わざと悲しいような表情を作る。

「何を仰るのですか。お姉様。僕は貴女だけを愛しているというのに」

 ツクヨミは微笑む。

「正直ね、それでこそ我が誇りの弟よ、ビャクヤ」

「このアタシを前にしてイチャイチャするなんて、随分舐められたものねぇ」

 ヒルダは、二人の茶番にしびれを切らしていた。

「そのふてぶてしい態度。気に入ったわ、ズタズタにしてあげるわ!」

 ヒルダは、戦意を剥き出しにする。

「おお。こわいね。姉さんにも襲いかかってきそうだ。姉さん。こいつには手加減の必要はないよね?」

「ええ、何も気にせずに殺ってしまいなさい。そしてその女に見せてあげるのよ。この世の地獄でも、あの世の地獄でもお好きな方を、ね」

 ビャクヤは、ニッコリと笑った。

「オーケーだ。後は任せておいてよ。お姉様」

 ツクヨミは、二人から離れ、丁度いい所に腰かけた。

「と言うわけだ。僕はおねーさんに恨みはないんだけど。姉の命令(シスハラ)でね。消えてもらうよ」

 ビャクヤは、ヒルダを小馬鹿にしたように、ニコニコと笑い続けている。

「その減らず口、いつまで続くかしらね? そのにやけ面もいつまでそうしていられるかしら。……あぁ! 見てみたいわぁ! 姉弟揃って絶望し、泣き崩れる顔をね!」

 ヒルダの周りに、黒い顕現の衣が渦巻いた。剣にも槍にも、更には鈍器にも変化させられる、変幻自在の能力だった。

「さあ。今宵のラストバトルと行きましょう! 精々抗いなさい、アタシが『再誕者』へと至る糧にしてあげるわぁ!」

 人当たりの良いビャクヤの笑顔が、一瞬にして殺戮者の笑みに変わった。

「なら。精々弱々しく抗わせてもらうよ。僕もおねーさんの泣き崩れる顔。見たいからね」

 ビャクヤは、背中に四対八本の鉤爪を顕現させた。

 最強の力を持つ『眩き闇』と、あらゆる顕現を喰らう『捕食者』の決戦が、始まった。

 先手を打ったのはヒルダであった。

「刺しなさい!」

 ヒルダの周りを渦巻く黒い顕現が巨大な刃となり、ビャクヤへと迫る。

 ビャクヤは、慌てる様子もなく後退した。

「はねなさい!」

 巨大な刃は一瞬にして黒い塊となり、ビャクヤの足元から槍のように突き出た。

「ダメだねぇ……」

 ビャクヤは、下から突き上がってくる槍を鉤爪で受け流す。

「出なさい!」

 ヒルダは指を鳴らした。同時に、ビャクヤが受け流した槍が鈍器になり、ビャクヤの頭上へ落下した。

「そんなの……」

 ビャクヤは、鉤爪を頭上で交差させ、落ちてくる黒い顕現の塊を受け止めた。そして鉤爪の間に挟んだそれを手放すことなく、自身の顔の前に持っていく。

 ビャクヤが何をするつもりなのか、まるで読めずに見ていることしかできないヒルダであったが、次の彼の行動に驚くことになる。

「ふふふ……いっただきまーす!」

 ビャクヤは、塊を口元に寄せると、その顕現を吸い取ってしまった。

「うん。なかなかいい顕現だ。けど。キミの『器』に宿る顕現はこんなものじゃないんだろ? 今から食べるのが楽しみだ」

 驚くヒルダであったが、動揺を悟られまいと返した。

「イグジスを直に吸い取るなんて、戦いの最中に随分余裕じゃなぁい?」

 ビャクヤは小さく笑って、答えた。

「戦いだなんて。とんでもない。これは狩りであり食事だよ。この腹を満たすための。ね」

 次はビャクヤが攻撃を仕掛けた。背中の鉤爪を全て一直線に伸ばし、真っ直ぐにヒルダへと突き出した。

 ヒルダは、黒い顕現の衣を全身に纏い、障壁を作り出した。

 鉤爪は障壁に阻まれた。

「砕けちゃいそぅ!」

 防御は余裕であったが、ヒルダはわざとらしく言う。しかし、ヒルダが余裕でいられるのはこの一時だけであった。

「これはどうだい?」

 ビャクヤは、左半分四本の鉤爪はヒルダの障壁に当て続けながら、しゃがんで右半分をヒルダの足元に突き出した。

「ああん!?」

 ヒルダの防御は足元まではカバーしておらず、その防御が薄くなっていた足元を払われてしまった。

 そのまま前に崩れそうになるヒルダであったが、とっさに前へと顕現を出してそれをクッションすることで、転倒を避けた。

 ビャクヤは、転びかけたヒルダを見過ごすことなく、鉤爪を振るっていた。

「どう料理しよう?」

 刃物としての鋭さはそのままに、鞭のように伸縮し、しなる鉤爪がヒルダを襲う。

 ヒルダは、再び障壁を展開することで鉤爪を防いだ。

「微塵切りがいいかな?」

 ビャクヤは、大きく跳びながら回転しつつ、鉤爪を振るう。ビャクヤが一度回るだけで、瞬間的に八回以上の攻撃が同時に与えられ、ヒルダの障壁にヒビが入る。

「切り刻んであげるね!」

 ビャクヤは、着地と同時に上半分の鉤爪、合わせて四本を突き出し、ヒルダを貫いて体を引き裂こうとした。

「させないわぁ!」

 ヒルダは、ビャクヤが着地してすぐには動けない一瞬を見切り、ヒビの入った障壁を短剣にしてビャクヤに向けた。

 ビャクヤはやはり、驚く様子を見せず、伸ばしていた鉤爪、側に置いておいた鉤爪でヒルダの短剣を受け止めた。

「ナイスタイミング……」

 ビャクヤは短剣を奪い、ニヤリとした。

「こわいわぁ」

 ヒルダは後退した。

「逃さないよ」

 ビャクヤは、下がっていくヒルダに鉤爪を伸ばす。しかし、届かない。届くはずがなかった。

「えっ?」

 ついにビャクヤが驚かされる時がやって来た。

 ヒルダは宙に浮いていたのである。顕現の衣を足場とし、まるで浮雲の上にいるようである。

「随分調子に乗ってくれたじゃなぁい? まあでもぉ、アタシもまだ本気じゃなかったしぃ、そろそろアタシの強さを見せてあげるわぁ!」

「そんなところに逃げながら言われてもイマイチ説得力がないね。本当はそこに逃げるしか。できないんじゃないのかい?」

「ウフフ……」

 ヒルダは、地上にいるビャクヤに手を向けた。

「スキューア!」

 非常に速く、鋭い刃がビャクヤに迫った。

「あぶな!」

 ビャクヤは鉤爪で刃を防ぐ。

「ほらほらぁ、まだまだあるわよぉ?」

 ヒルダは、次々と高速の刃をビャクヤに打ち出した。

 ビャクヤは受け止め続けるものの、ヒルダも鉤爪の防御が及ばない位置を狙って飛ばしている。

 やがてビャクヤは、刃を防ぎきれなくなってきた。防御に回っているのが不利だと考え、ビャクヤは距離を取ろうとした。

「逃がさないわぁ!」

「あっ!?」

 刃がビャクヤの肩を掠めた。

 ビャクヤは、肩に付けられた傷に手を触れる。多少の出血をしているものの、傷口はそれほど深くはない。しかし、切り傷特有の焼けるような痛みがある。

「痛いねぇ。まったく……」

 ビャクヤは、手についた血を舐め取った。そして相変わらず、宙を浮遊するヒルダを見上げる。

「ウフフ、もっと苦しんだ顔を見せてちょうだぁい!」

 ヒルダは、こうして空中にいる限り、ビャクヤの攻撃は一切届かないものと高をくくり、余裕の笑みを見せていた。

「なに言ってるんだい? 今度はおねーさんが苦しむ番だよ?」

 言うとビャクヤは、手のひらを宙に向けて顕現の糸を放った。

 糸は一瞬にして蜘蛛の巣網となり、宙に停滞した。

「あらどうしたのぉ? 全然届いてないわよ?」

 ビャクヤの作った巣網は、攻撃のためのものではなかった。

 ビャクヤは、巣網に手を向けたまま地を蹴った。すると驚くべき速度で、巣網に引き寄せられるように、その身を巣網へと移動させた。

「空に逃げたって。ムダだよ!」

 獲物に対しては鋭い切れ味を持つ巣網だが、それを操るビャクヤにとっては、一体化できる代物であった。故に、糸と一体化しようとするとビャクヤの体は巣網に一瞬で近付く事ができた。

 ビャクヤは、巣網を足場にして更に宙を進んだ。やがてビャクヤは、ヒルダの頭上にまで迫った。

「ほうら。捕まえた!」

 ビャクヤは、真下に向けて鉤爪を伸ばした

「きゃああああ!?」

 ヒルダは身を守る術もなく、強かに地に叩き付けられた。

「この辺に……」

 ビャクヤは空中で糸を放った。できた巣網に移動し、糸一本だけを垂らし、それを伝って地に下りた。

 地に足を付けると、ビャクヤはつかつかとヒルダに歩み寄る。

「ごほっ……ごほっ……!」

 ヒルダは、体を強く叩き付けられた衝撃にむせていた。

「おーい。大丈夫かい?」

 ヒルダがはっ、と顔を上げると、ビャクヤは、覗き込むようにヒルダに顔を向けていた。

「この程度じゃ。終わらないよね?」

 ビャクヤは、一切構えずに立っている。ヒルダの呼吸が整うまで何の動きも見せなかった。

「アタシに膝を付かせるなんて……」

 ヒルダは、ショックを受けたような顔をしている。

「まさか。もう終わりなんて言うんじゃないだろうね? だとしたら。とんでもない見かけ倒しだよ。キミ」

 ヒルダの表情が一変した。

「アンチディスパーシブ!」

 ヒルダは、大波のように押し寄せる刃を放った。

 不意打ちを狙ったように見えたが、ビャクヤは鉤爪を目の前で交差させる事で突然の攻撃を受け流した。

「ふふ。そんな攻撃見え見えだよ……!?」

 ビャクヤは、鉤爪を背中に戻した。同時に驚いてしまった。

 目の前にはヒルダがいるであろうと思っていた。そのはずが、その先にヒルダの姿はなかった。

「こっちよ」

 ビャクヤの背後から、ヒルダの声と刃が襲いかかった。かわしきれないと判断し、ビャクヤは前方に巣網を張ってそれに飛びかかった。

「ハァイ」

 距離をおくことができたとばかりに思っていたビャクヤは、完全に意表を突かれてしまった。

「どこから……!?」

 ヒルダは、ビャクヤの目の前にいた。そして、巣網に乗ってすぐに動き出せないビャクヤに向けて、複数の刃を放ってきた。

 ビャクヤは、巣網を放棄し、地に下りた。ヒルダの複数の針のような刃から身をかわすことはできた。

「スキューア!」

 ビャクヤが着地してすぐに、ヒルダは例の速い刃を打ち出した。

 一撃目はどうにかかわした。しかしヒルダは、続く二撃、三撃目と、ビャクヤが鉤爪を防御の構えにするよりも先に打ち出し続けた。

「こーゆうのもあるわよぉ?」

 ヒルダは、空中で指を鳴らした。するとその瞬間、ビャクヤの周りにヒルダの顕現が影のように這い寄った。

 影は地を穿って咲く花のように姿を現し、巨大な鉾先となって、守りの特に薄いビャクヤの足元から襲いかかった。

「レバナンスピラー!」

「うわあっ!?」

 顕現の鉾先に突き上げられ、宙に浮かされたビャクヤに追い打ちをかけるように、鉾先も宙を舞い、刃を花弁とした、花のような形をした塊となった。

 ビャクヤは、ヒルダの顕現の塊に吹き飛ばされた。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは、堪らず叫び、駆け出してしまった。

 地に叩き付けられたビャクヤは、起き上がる様子が見られなかった。

「あらぁ? ちょっと本気出しすぎたかしらぁ? 子供相手に大人げなかったわねぇ……」

 ビャクヤは尚も動かない。ヒルダは、これで勝負が決したつもりであった。

「ビャクヤ、起きなさい! この程度で敗れるなど……」

「あら、随分必死ねぇ? けど、もう勝負はおしまーい。次はあなたが戦ってみるぅ? なんて!」

 ヒルダは高笑いを上げる。ツクヨミは歯噛みしてそれを見るしかなかった。

「……にょーん。と」

 これまでずっと動かなかったビャクヤが、鉤爪を伸ばしてそれを支えに起き上がった。

「気は済んだかい? それじゃあ。再開しよう」

 ビャクヤに大きなダメージは見られなかった。

「あら、まだ生きてたのね」

 高笑いしていたヒルダは一転、険しい顔になった。

「ビャクヤ、こんな時に悪趣味な! 人を不安にさせるなんて……」

「まあまあ。姉さん。落ち着きなよ。あの人の強さはどれくらいか確かめたのさ。これで分かったよ。このおねーさんは。ちっとも強くない」

 ビャクヤは、ツクヨミを宥めつつヒルダを見下した。

「……当然でしょう。あなたには、あの女を倒してもらわなくてはならないのだから」

「はいはい。ちゃんと倒してあげるから。姉さんは下がってて。危ないったらない」

 ツクヨミは、言われるままに下がっていった。

「さて。それじゃあ再開だ。おねーさんの実力はよく分かった。もうサービスはしないよ?」

 ヒルダは、ビャクヤの言うことはハッタリだと考えた。先のぶつかり合いで実力差を見せつけられ、虚勢をはっているのだと思う。

 しかし、それにしては、ビャクヤに恐れている様子が一切窺えない。ビャクヤの何を考えているのか全く分からない遠い目も相まって、真偽がまるで分からない。

「アタシも甘く見られたものね。ちょっと当たり所が良かったくらいで調子に乗っちゃって。いいわ、ならもう、容赦しないから」

 ヒルダは顕現を高め、再び宙に浮いた。

 ビャクヤは、浮遊していくヒルダに追撃しようとする素振りも見せず、ただ目で追うだけである。

 しかし、ビャクヤは不意に口元に笑みを浮かべると、宙に向けて手をかざした。

「仕込んでおこうかな?」

 ビャクヤの言葉は本当に小さく、耳元で囁くようだった。そんな声が、宙を上へ上へと行くヒルダに、届くはずがなかった。

「あら、それは何の真似かしらぁ? もしかして降参のつもり……」

 ヒルダは次の瞬間、その答えを身をもって知ることになる。

「きゃあっ!?」

「あーあ。かかっちゃった」

 ビャクヤは、空中に巣網を放っていた。その巣網は、ヒルダの体の一部がほんの少し触れた瞬間、全身を縛り上げた。

「うっ……あぐっ……!」

 ヒルダは、どうにか脱出しようと身をよじるが、もがくほどに鋭い糸はヒルダに食い込み、その身を切り裂いていく。

「ハハハ。苦しそうだねぇ。こう見えて僕は優しいんでね。必要以上に苦しめるのは気が咎める。すぐに楽にしてあげよう」

 ビャクヤは、空中に巣網を張り、そこへ飛び込んで巣網を足場とし、更に空中を進んでヒルダに接近した。

「糸を切ってあげるよ!」

 ビャクヤは、鉤爪を全て直線上に伸ばし、全方位に及ぶように回転させて振り回す。

「アハハハハ!」

 無作為に回る鉤爪は、巣網の糸をヒルダごと切り裂いた。

「ここにも……」

 ビャクヤは糸を放ち、ヒルダを再び拘束する。

「ほらほら!」

 糸を手繰り、ヒルダに接近すると同時に、ビャクヤは鉤爪を全てヒルダを突き刺すように伸ばした。

「ぐうっ!」

 ヒルダは地に落ちた。その衝撃は激しく、鉄筋コンクリート造りの床がひび割れるほどだった。

 ビャクヤは、回転しながら着地した。同時にヒルダへと歩み寄る。

「おやおや……」

 ビャクヤは少し驚いた。

 ヒルダは、巣網の糸による傷を受けているものの、鉤爪による斬撃の傷は全くといってなかった。ここまでやれば、普通の者ならば既に命はないはずであった。

「あれだけ攻撃を受けておいて。まだ生きていられるなんて。驚きだね。姉さんの言ってた通り。キミの顕現の大きさはけた違いなようだね」

 顕現を身に宿す『偽誕者』には、顕現を直に宿す『器』と、顕現による影響を抑える事のできる『生体器(バイタルヴェセル)』の二つの器が存在する。

 本来、『偽誕者』同士の戦いが長引くような事はほとんど無く、勝敗はより大きな顕現を持っている方が即座に勝つ。

 生命力に直結する『生体器』は、顕現による攻撃にある程度は耐えられる。しかし壊れてしまえば、いかにその後に受ける顕現が小さかろうとも、生身では絶対に耐えることはできない。

 故に、顕現の差が大きければ、より強い顕現の保持者の攻撃で弱い方は『生体器』を打ち砕かれる事になる。

 ビャクヤとヒルダのように、ここまでなかなか決着がつかないのは、ヒルダが持つ顕現が並外れて大きいためだった。

「いや。でももう虫の息か……」

 ヒルダの『生体器』はまだ壊れていないが、顕現の能力のダメージが蓄積していた。

 これは、ビャクヤの持つ顕現の糸が、『生体器』を通さずに直にヒルダへと攻撃し、その顕現を吸い取る事ができるためであった。

「さて。そろそろ食べ頃だね……」

 ビャクヤは、両手に糸を顕現させ、ヒルダを縛り上げ、喰らおうとした。

「屈辱……!」

「えっ?」

 ヒルダは、全身を震わせながらもなんとか立ち上がった。

「近寄るんじゃないわよ!」

 ヒルダは立ち上がると同時に、顕現を全て一点に集中し、一気に解き放った。

 圧縮された顕現は爆発を起こし、衝撃がビャクヤを吹き飛ばした。

「うわあっ!」

 爆発の衝撃をもろに受けたビャクヤは、壁面まで飛ばされた。

 ヒルダのやったことは、先のビャクヤと『断罪の免罪符』ハイドとの戦いの時にも行われた顕現の強制解放、その名を『ヴェールオフ』というものだった。

 辺りに漂う顕現さえも集中させ、爆発的な能力の上昇を行うことができるが、発動している最中は顕現を少しずつ失ってしまうデメリットもあった。

 しかし、この行動のデメリットを補って余りある追加効果として、顕現の爆発を受けた相手の顕現をしばらく低下させることができる。

 ビャクヤは、ヒルダの『ヴェールオフ』をまともに受けてしまった。即ち、この瞬間こそ、ヒルダが挽回し、ビャクヤを倒す最後のチャンスであった。

 ヒルダの持つ顕現はやはり大きく、当たってもせいぜい尻餅をつく程度の顕現の爆発が、ビャクヤをかなり遠くまで吹き飛ばすほどの爆発となった。

「ぐっ……ゴホッゴホッ! 全身が痛い……」

 背中から壁に強く激突したせいで、ビャクヤは痛みに喘いでいた。

 それでも体勢を整えながらヒルダを見ると、ヒルダは顕現を放出し、捏ね繰り回すようにして真っ黒な球体を作っていた。

「照らしてあげる、陰鬱なこの(ひかり)でね!」

 ヒルダは、漆黒に光沢を帯びる球体を放った。

「コンデンスグルーム!」

 ヒルダから放たれた闇の球体は、未だ立ち上がれないビャクヤの頭上へと浮遊した。

 そして次の瞬間、球体から数多の刃が一気に降りかかった。それはまるで、籠一杯に詰め込んだ針の山を、籠をひっくり返す事で、相手を頭から串刺しにしようという様であった。

 ビャクヤは、鉤爪を頭上でクロスさせ、迫り来る黒い刃を防ごうとした。しかし、なにぶん数が多すぎる上、刃は細かいために鉤爪の隙間を通ってビャクヤの身を掠めていく。

 付けられていく傷は全く深くないが、次々負っていく浅傷は、熱いものを当てられたような、ひりつく痛みである。

 その間にも、ヒルダはビャクヤに近付き、空中に浮いて更なる顕現を放出していた。

 やがて、針の雨は止んだ。ビャクヤは頭上に浮くヒルダを見上げる。

「うっふふ! 寂しがらなくてもいいのよぉ?」

 ヒルダは、自らの背後に闇を雨雲の如く帯びていた。ビャクヤには、ヒルダが何をするつもりなのかすぐに分かった。

「そーら、行きなさい!」

 ヒルダが顕現を解放すると、背後に雨雲のようにかかっていた闇から無数の剣が、横殴りの雨の如くビャクヤに降りかかった。

 先の針とは比べ物にならない大きさ、威力の黒い剣が断続的にビャクヤに襲いかかる。

「そんなの……!」

 大きな顕現を受けたことで、ビャクヤの顕現はある程度回復していた。回復した顕現で盾を作った。

「そんな薄っぺらいバリアーで、アタシの攻撃をいつまで耐えられるかしらねぇ!? アーハハハハハ!」

 ヒルダは顕現を更に強めた。ビャクヤに降りかかる剣の大きさ、勢いが更に増す。

 激しい攻撃を受けながら、ビャクヤはツクヨミの言っていた事を思い出していた。

 この『夜』の下、最強と謳われる『眩き闇』、ヒルダの最強の所以、それは圧倒的なパワーである。

 小細工など一切存在しない、戦術らしいものもない、ただひたすら力で圧倒する。それがヒルダの戦い方であった。

 話を聞いた時には、力押ししかできないなど大したことはないと思っていたが、今こうしてヒルダの全力を受けていると、侮れない力であったと痛感する。

ーー姉さんの言った通りだね。侮ったわけじゃないけど。これは流石に予想外だったね。けど大丈夫。顕現で押してくるだけなら……ーー

 ビャクヤの纏う顕現の盾は、小さくなるどころか、厚くなっていた。ビャクヤの能力が顕現を喰らうため、通常の『偽誕者』ならばとうに倒されている状態にも関わらず、ビャクヤにとっては逆の状態になっていたのだ。

ーー降ってくる剣が顕現の塊なら。こうやって喰らうだけさーー

 ヒルダからの攻撃を受ける毎に、ビャクヤは自らの顕現を高める。

 全ての顕現を放出し、それ以上の攻撃ができなくなった瞬間に、ビャクヤはヒルダから吸収した顕現を以てヒルダを倒そうと狙っていた。

ーーそのまま顕現を出し続けなよ。後にキミ自身の身を滅ぼす事になるとも知らずにね……!ーー

 今のところ、うまく行っている計画にほくそ笑んでいると、不意にヒルダは剣を降らせるのを止めた。

「やめやめ、やんなっちゃうわぁ!」

 ヒルダは、指を音高く鳴らした。

「ぐっ! 何が……!?」

 ビャクヤは突然、両手足を封じられ、一切の身動きが取れなくなってしまった。

「うふふ、捕まえちゃった!」

 ビャクヤは、何とか動く首だけを捻り、自分の身に何が起きたのか確認する。

ーー地面に刺さった剣が……!?ーー

 ビャクヤを外して床に刺さっていた顕現の刃が、一まとまりの闇の紐状のものになり、ビャクヤの四肢を縛っていた。

「覚悟なさい!」

 ヒルダは、減っていく顕現の残り全てを全身にまとい、炸裂させた。

数多なる眩き闇(パラドクス・アバンダンス)!」

 炸裂した顕現は、拘束されたビャクヤを取り囲む刃となり、ビャクヤから一切の逃げ道を奪った。

 そしてヒルダは、ビャクヤを捕らえた刃の檻の上に浮游し、自らの背後から先の暗雲など比にならない、深淵たる闇を放った。

「相反する眩き闇よ、この空虚なる『器』を満たせ!」

 闇はこの部屋全てを包み込んだ。一寸先もまるで見通せない、完全な暗闇の世界となった。

「ビャクヤ、ビャクヤー!」

 光が全く射さない完全な闇の中、ビャクヤが捕らえられていると思われる先に、ツクヨミは叫ぶ。

「イン・ザ・ダークネス!」

 ヒルダの体の輪郭だけが、太陽を隠す新月の如く輝いていた。

 ヒルダという新月の下、一瞬の輝きの後、すぐに消えていくものがいくつもあった。それは、ビャクヤを捕らえる檻を斬る闇の剣の煌めきであった。

 やがて完全なる闇は消失し、朧気な光のシャンデリアに照らされる部屋の姿が明らかとなった。

「うっ……」

 ツクヨミは目をそらした。いつもの状態であれば全く眩しく感じるはずがなかった。

 しかし、ヒルダが作り出した完全なる闇に覆われていたために、暗めなシャンデリアの灯りさえも太陽光を直視したかのような眩しさに目を伏せずにはいられなかったのだ。

「ビャクヤ!」

 ようやく目が慣れたツクヨミは叫ぶ。視線の先には、腕を組んで頬杖を突くヒルダが、そして地に伏したビャクヤがいた。

「ふふふ……手応えはあったわぁ。けど、あっけなかったわねぇ、ちょっと本気出しすぎたかしらぁ? アタシとしたことが、やっぱり大人げなかったわねぇ!」

 ヒルダは高笑いを上げる。しかし、その笑いはすぐに止められてしまった。全く想定していなかった出来事によって。

「……それで。気は済んだかい?」

 ビャクヤは、鉤爪を伸ばしてそれを支えに、何事もなかったかのように起き上がった。

「どうして、確かに手応えはあったのに!?」

「あはは。焦ってるねぇ。けど惜しかったよ。もしもさっき僕を縛り付けた後に首を狙われたら。さすがの僕でも危なかったかもね」

 ビャクヤは、喋りながらつかつかとヒルダに歩み寄っていた。ヒルダも迎撃しようとするが、大技で顕現を大量に消費したために、長い針ほどの大きさしか作り出せない。

「さて。そろそろ決めさせてもらうよ。飽きてきちゃったんでね!」

 ビャクヤは、顕現を一点に集め、『ヴェールオフ』を発動した。そして鉤爪を振り回しながらヒルダに連続攻撃を仕掛ける。

「ハハハハッ! それそれそれそれ! めった切りだ!」

 ビャクヤは、フィギュアスケートの技術のように回転しながら、ヒルダを切り付けた。

「うぐっ……! キャアンッ!?」

 ヒルダは、ビャクヤの攻撃を受け止めようとしたが、ビャクヤの攻撃は一回転する毎に八回の連続的なものであり、顕現をほとんど込められない守りは容易く破られてしまった。

「まだまだだっ……!」

 ビャクヤは、急停止すると同時に顕現を一気に鉤爪へと集め、瞬時に伸びたそれらを前屈姿勢になりながらヒルダに向けた。

「貫け!」

「いたぁいっ!?」

 この攻撃により、ヒルダの守りは完全に破れ、宙に吹き飛ばされた。

「ほらほら逃さないよ!」

 ビャクヤは、ヒルダの飛んでいった方に巣網を放った。巣網はヒルダを先回りして宙に広がり、ヒルダの体が触れた瞬間拘束した。

 ビャクヤは、巣網に糸を伸ばし、ヒルダに向かって跳躍した。そして、その勢いはそのままに、鉤爪を前にして体当たりした。

 ビャクヤは素早く着地し、鉤爪を足元に集めると、スライディングの要領で地面に足を伸ばした。そこへ丁度よくヒルダが落下した。

「チェックメイトだ!」

 ビャクヤは、立ち上がりながら纏っていた顕現を爆発させた。爆発に当てられたヒルダは再び吹き飛ばされ、壁に強かに叩き付けられる。

「ギャッ……!」

 ヒルダは、壁に激突すると口から血を噴き出した。既にダメージはもう、昏倒しそうなほど大きなものであったが、ヒルダは意識を失わず、前を見続けた。

 見つめる先には、もうビャクヤが寸前まで迫っていた。

 ビャクヤは、両手に大量の糸を顕現させ、ヒルダに口づけするかのように迫った。

「仕止める……!」

 ビャクヤの顔はヒルダの横を通りすぎた。耳元でささやくような声がすると、ビャクヤの姿が一瞬消えた。次の瞬間、ヒルダは何重もの糸で身動きを封じられていた。

「逃げ場なんて。ないよ?」

 ビャクヤは、ヒルダの真横にいた。

「ンぐッ……ンん!」

 ヒルダは、身動きのみならず呼吸も封じられていた。少しでも息ができるように、糸の隙間を鼻と口で探してもがいている。

「あはは。いいねぇその表情。さて。『眩き闇』なんて言われてる顕現の保持者の味。いったいどんなものなんだろうね……?」

 ビャクヤはヒルダに、止めを刺そうとした。

「待ちなさい、ビャクヤ」

 ビャクヤが止めに鉤爪を動かそうとした瞬間、ツクヨミはビャクヤを止めた。

「姉さん? 急にどうしたのさ。まさか。こいつを殺すのが惜しくなったのかい?」

「そんなはずないでしょう。最後に二言三言、話したいことがあるだけ。とりあえず顔だけ解放してあげなさい」

「はいはい。分かったよ」

 ビャクヤは、鉤爪を振るってヒルダの頭付近の糸を切った。

「ごほっ……! げほっ……!」

 ヒルダは、窒息寸前であったが、まだ呼吸することはでき、急激に入ってきた空気に激しく咳き込んだ。

「よかったわ。まだ意識はあったみたいね」

 ツクヨミは不敵な笑みを浮かべ、捕らわれたヒルダを見下す。

「応えてくれなくていいわ、ただあなたに言っておきたい事があっただけだから」

 ヒルダは、息も絶え絶えにツクヨミを睨むしかできなった。

「借りは返しておく。……別に私自身が借りたものではないのだけど。あんな男でも、嘗ての私の仲間だったのでね……」

「……一体何の事かしら?」

 ヒルダから返答があった。

「あら、まだ話せる元気があったのね。ならもう少しだけお話ししましょう。『万鬼会』、『鬼哭王』オーガ、ここまで言えば思い出したわよね?」

「アタシたちにケンカを吹っ掛けてきた……!?」

 ヒルダには覚えがあった。それもそのはずである。『万鬼会』とは、『忘却の螺旋』とどちらが強い能力者集団であるか、それを決めるため直接対決をした組織であった。

 そしてその時の戦いで、『万鬼会』は『忘却の螺旋』、というよりはヒルダ一人の力によって下された。しかし、大打撃を受けたのは『万鬼会』だけではなかった。

 あの戦いで、『忘却の螺旋』側の人間が『深淵』の顕現に触れ、虚無に落ちてしまっている。ヒルダの朦朧とする意識でも、ありありとその夜の記憶が甦った。

 ヒルダが、全てを思い出したような様子を見せたのを確認すると、ツクヨミはヒルダの耳元に顔を寄せ、囁いた。

「"Mein richtiger Name ist Strix.Strix von "Sephirot".Hast du dich an mich erinnert ?"(私の本当の名は、ストリクス。『生命の樹(セフィロト)』のストリクス)。思い出してもらえたかしら?)」

「セフィロト、ですって……!?」

 耳慣れない言葉で囁かれたが、ヒルダはこの単語だけは聞き取ることができた。

 ツクヨミは、ヒルダから顔を離し、背を向けて歩きだした。

「さあ、もういいわ。やって頂戴、思う存分味わうといいわ」

 ツクヨミは、ビャクヤとすれ違いざまに告げ、二人の戦いを見守っていた所まで下がっていった。

「ふふ……待ってたよ。その台詞……」

 ビャクヤは小さく笑うと、ヒルダの目の前に立つ。ヒルダは、これからビャクヤに捕食されようと言うのに、見ていたのは離れていくツクヨミの背であった。

「待ちなさい! あなた、助けてあげた恩を……むぐっ!?」

 ビャクヤは糸を放ち、猿ぐつわのようにヒルダの口を塞いだ。

「何を騒いでいるんだい? キミは負けたんだ。散り際は潔くするものだよ」

 ビャクヤは、鉤爪に糸を纏わせ、風車のように鉤爪を回転させた。

「さあおいで。僕の中に……!」

 ビャクヤは、回る鉤爪の中心に、ヒルダの頭から足元まで通した。鉤爪によって糸が巻き付けられ、ヒルダは最早原形が分からないほどぐるぐる巻きされた。

 ビャクヤは、ヒルダを巨大な蛾の繭のようなものにすると、風車のように纏めていた鉤爪を拡散し、四方八方、上下に至るまで繭を囲んだ。

「ハハハハハッ! 楽しいねぇ!」

 ビャクヤは、繭に向かって鉤爪を一気に突き刺した。中に囚われるヒルダはズタズタに貫かれ、引き裂かれた。

「こんな……! きゃああああ……ッ!」

 繭は一瞬にして、ヒルダの血に染まった。そして血煙とともに弾け飛んだ。

 糸から解放されたヒルダは、そのまま力無く倒れ、血の海に沈んだ。

 ヒルダは、全身をめった刺しにされ、胸元から腹部にかけてぱっかりと裂かれている。眼をかっ、と見開き、瞳孔は散大している。完全に事切れていた。

「ぷっ!」

 ビャクヤは、吹き出したかと思うと天井を仰ぎ、腹を抱えて大笑いした。

「アハハハハ……! この人すごい雑魚だよ!」

 ビャクヤは、死体を指さしてしばらく笑った。

 ヒルダの死体の上に、黒く光るものが浮かんで来た。ビャクヤは、それに向けて鉤爪を伸ばして挟み、それを自らの口元に寄せる。

「ふう……笑ったら。余計にお腹が空いちゃったよ」

 すっ、と一息吸うと、ビャクヤは黒い輝き、ヒルダの顕現を飲み込んだ。

「はい。これでおしまい。一丁上がりってヤツだ。ごちそうさま」

 ビャクヤは、中身を失って空っぽになったヒルダを見る。

「どうだい。痛いかい? 身に染みたかい? 分かっただろう。世の中にはこんな規格外(アウトロー)がいくらでもいることが。キミだけが特別強いなんてことはない。懲りたのなら。二度と稚拙な企みなど考えないことだね……」

 ビャクヤは口元を吊り上げた。

「……いや。もうしたくてもできないか。そんな孔だらけの身体じゃ……」

 ビャクヤは、恐ろしい笑いを止め、慈しむような笑みをヒルダに向け、顕現を喰らって熱を持つ、自らの腹をさする。

「安らかには眠れないだろうけど。この腹。温かさは保証するよ。おっと。お腹の中で眩く光るのは止めてくれよ? 蛍みたいになっちゃうからさ……」

「……終わりね。『忘却の螺旋』の『眩き闇』と言えど、あなたにかかればこんなもの。さすが、『捕食者』の名は伊達じゃない」

 ツクヨミは、惨死体となったヒルダを冷たい瞳で見下ろした。

「まあね。それほどでもあるかな。それにしても珍しいね。姉さん自ら死体(食べ滓)を見に来るなんて」

「……この女には、本当に大きな借りがあったのでね。せいぜい無様な死に顔を拝んでやろうと思っただけよ」

 ビャクヤに喰われた人間は、その大概が見るに堪えない惨殺体となるため、ツクヨミはこれまで、そうした人間を見ることはなかった。しかし、この女にだけは一切の同情が湧かない。

 ヒルダがいたせいで、ツクヨミは『万鬼会』の一員として戦うことになり、親友を失うことになった。

 あの時、助力するという形で共に戦った男、『鬼哭王』オーガの仇も少しはあった。

 しかし、ツクヨミを支配するのは、彼を殺されたことではなく、親友との決別を生む切っ掛けとなったヒルダへの憎しみであった。

ーーこの女さえいなければ、私たちは変わること無く一緒にいられた。オーガは別にいいけど、ゾハルとは一緒にいたかった。この女が全ての元凶……ーー

 いくら恨もうとも、死んだオーガはもとより、虚無へと落ちつつあるゾハルは戻らない。戻らないが故に、ツクヨミから、ヒルダが死んだ後でも憎しみが消えなかった。

「ビャクヤ、この女には、殺して、顕現を奪うだけじゃ足りないわ。骨の一欠片、髪の毛一本残さず喰らいなさい」

「姉さん。無茶言わないでよ。僕の食事は顕現を喰らうこと。人の血肉を食べる趣味はないんだから」

 ビャクヤの捕食は、自然界における蜘蛛とかなり似通っている。

 自然界の蜘蛛の捕食は、獲物を毒殺した上で、内部に消化液を注ぎ、溶けた中身を吸い尽くすというものである。

 ビャクヤの捕食もほぼ同様であるが、蜘蛛と違うところとして、獲物の生死は関係無い所がある。顕現という中身を啜るのだ。

 蜘蛛もビャクヤも、空っぽになった獲物には手を付けない。蜘蛛であれば、吸い尽くした死骸はそのまま放置するか、巣網にかかった場合であれば巣から放り捨てる。ビャクヤも同様に、死んだ人間の人肉を喰らう事はするはずがなかった。

「私の言う事が聞けないのかしら?」

「そうじゃなくって。ほら。僕らの普段の食事を思い出してよ。器までは食べないだろう? それと同じで……」

 ビャクヤはふと、何かがここに近付いてくる気配を感じた。

「姉さん。何かが近付いてきてる。これは……『偽誕者』? いや。それにしては……」

 苦笑を浮かべていたビャクヤが、急に真顔になった。いつも大小あるものの、ほぼいつも笑みを浮かべているビャクヤの真顔は、惨殺体を見るよりもツクヨミの背筋を凍らせる。

「なっ……急に何事なのビャクヤ! 人を不安にさせるような真似は悪趣味だとさっきも言ったでしょう!?」

 吠えかかるようなツクヨミの言葉はひとまず流し、ビャクヤは気配を探った。その正体は次第に明らかとなっていく。

ーーこれは……そうか。あの……!ーー

 ビャクヤは、迫り来るものの正体を把握した。

「姉さん。ちょっと下がろうか。片付けも。きっとあいつがやってくれるよ」

「ちょっとビャクヤ?」

 ビャクヤは、ツクヨミの手を引いてヒルダの死体から離れた。それとほぼ同時だった。

 窓ガラスが破られ、辺りに耳障りな破壊音が響いた。

 真っ黒に包まれた異形の存在は、辺りの物を破壊しながら部屋の内部まで下りてきた。

「一体なに……!?」

「しー」

 ビャクヤは、片手でツクヨミの口を押さえ、ウィンクをしながら鼻の前で人指し指を立てる。

 シャンデリアも破壊され、部屋の中は一時暗闇に包まれた。闇の中で突然闖入してきた異形は、二つの眼光と思われる真っ赤な光を持ちながら、床に転がっていたヒルダの死体をバリバリ音を立てながら貪っていた。

 ツクヨミは、混乱の中にいるしかできなかったが、ビャクヤは闇の中、大きな笑みを口元に浮かべていた。

 それは、ビャクヤがずっと待っていたものだったのだ。

 

 おまけコンボレシピ

 

 2B>5BB>2C>B料理二段>空A罠>5C>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 現環境におけるビャクヤの基礎コンボ。前作に比べるとコンボの補正がきつくなっているので、エリアルの後に拾う技はDBしか使えない。2Bや2Cでも拾えないことはないが、その後が繋がらなくなる。DB>波動コマンドと言う入力は、非常に昇竜コマンドに化けやすいので、少し練習が必要である。しかし、DB>料理の連携は、今回のビャクヤを使う上でほぼ必須なので、是非しっかりと出せるようになりたい。

 B派生後は、前作であればBを連打してJBスカを出していればよかったが、今作では派生行動の先行入力が効くようになり、発生が速くなっている。その上、JBの攻撃判定も広くなっているため、JBスカを狙ってBを連打しているとJBが当たってしまってコンボ中断となってしまう場面が増えてしまった。なので、今作ではB派生後は広く一般的に使われるJAスカができるように手癖にしたい。

 ビャクヤの新技として5BBがあり、パッシングリンクに対応している上、発生にディレイがかけられる。5Bが空振りしていた場合であっても出てくれるため、暴れ潰しに便利な技となっている。前作では2B>5C>2Cというのが固めのパーツとして鉄板であったが、この技の出現で2B>5B>dlBも強力な固めパーツである。2B>dl5Bとセットで使うことで、相手のヴェールオフを詐欺ることもできる。

 また、5BBの追加部分だけが当たると、特別なルートに移行できる。

 

 5A>5BB>2C>5C>B罠>C派生>ダッシュ>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 立ち回りの主力となる5A始動のコンボ。上への判定縮小という弱体化を受けた技であるが、発生6Fにして前に長い技なので、近距離戦をしている時には変わらず頼りになる。前作ではアサルトを叩き落とすことができたが、今作では当たらなくなっている。

 また、数あるビャクヤの弱体化点の一つとして、料理をコンボに組み込むとダメージ補正が重くなるようになってしまった。その代わりに、各種罠派生行動を当てるとダメージ、コンボ補正共に軽くなるようになっている。

 上記のコンボは、料理を入れずに派生技を組み込むというコンセプトで作った。コンボダメージの大幅減という大きな弱体化を受けたビャクヤであるが、これで3700ダメージを奪える(VP中)。なので、ビャクヤのコンボを作るときには、料理を除く、派生技を上手く使う、同技をできるだけ使用しないようにすれば、前作ほどではないにせよダメージの大きいコンボになる。

 それから、派生技を入れたコンボには微ダッシュ入力がほぼ必須となる。前方向にキーが入っているとダッシュ攻撃が出てしまうので、ダッシュ後ニュートラルにする手癖をつけたい。

 

 2C>B料理二段>空A罠>微ダッシュ>5C>B罠>A派生>5B>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 リーチの長い下段技からのコンボ。IWを組み込まないコンボとしては、ほぼ最大ダメージをとれる。ダメージはフルヒットして4100(VP中)。先ほど料理を除くとしておきながら、B料理が入っており、矛盾していると思われるかもしれないが、C系統の技が始動の時はその限りではない。

 C系統の強力な技から入った時には、上記のようにB料理からエリアルに行くまでの間に、5C>B罠という連携が組み込める。罠後の派生技を当てることでコンボダメージが伸びる。しかし、その際にバウンドを一度必ず使ってしまうので、C食べ頃で締める時にA料理三段を入れるとバウンドを使いきって繋がらない点に注意しよう。

 ちなみに、5Cの後にA罠でも繋げることができるが、同技補正でダメージが下がってしまう。この問題はその後の罠をB罠にすれば一応は解決する。どちらを先に使うかはやりやすい方を選べばよい。

 B料理からの空A罠後に、着地してすぐにダッシュを入れなければB罠が当たらないが、A罠であればキー入力しなくても当たる。相手との位置関係がとても微妙なので、場合によってはダッシュしたつもりがバクステになってしまうことがある。どうしてもバクステが暴発してしまう時にはA罠B罠を逆に使うといいかもしれない。

 

 2C>5C>C罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 今作の2Cはとてつもなくリーチが広くなった。具体的にどれくらいかというと、開幕位置からほんの少しだけ前進しただけで届くほどである。しかし、それほど距離が離れていると、料理では拾えないため、5Cに繋げてC罠を当てるしかできない。ダメージは落ちてしまうが、この技の存在だけで相手にプレッシャーを与えることができるだろう。

 安全だと思われる位置から牽制技を振る相手の隙を突くように使おう。

 

 5C>2C>B料理二段>空A罠>微ダッシュ>5C>B罠>C派生>ダッシュ>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 確反や5A>5Cの補正切りから狙うコンボ。5CやFF、DCやICJ2Cから入った時は、エリアルパーツをJC>J2C>JBという並びにすることでダメージアップできる。この並びだと約4030ダメージ。いつも通りの並びだと3980ダメージほど(VP中)。コンボダメージの低下という弱体化を受けたビャクヤにとって、50ダメージの違いは意外と大きい。是非とも狙いたい。

 

 アサルトJC>5A>5BB>2C>A罠>ダッシュ(すり抜け)>5C>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>B罠>B派生>JAスカ>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 アサルトからの崩し始動。アサルトJC以降は5A始動のコンボとほぼ同じだが、2C>5C>B罠が当たらないため、2Cで止めてA罠を当てる。ダメージは3400。VP中でなくとも3100はいくので、威力も申し分ない。アサルトして最高地点からJCを当ててもしっかり繋がる。もしも繋がっていなくても補正切りを狙える。練習の際には、ダミーを全てガードの途中からを選ぶといい。JCから繋がっていない場合はガードされる。

 

 FF>2C>5C>B罠>C派生>ダッシュ>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 強力な中段始動。ダメージは4050ほど(VP中)。今作でICFFの発生フレームが速くなったため、一歩歩いてFFか2Cで二択を迫ることができる。そこにダッシュ投げや、ICAB食べ頃等も混ぜると相手は守るのが困難になる。前述の通り、エリアルパーツの並びを変えるとダメージがかなり上がる。

 

 IC罠C派生>2C>5C>B罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 今作のビャクヤの最大の変更点とも言える、IC罠を使った下段崩し始動。モーションはICFFと非常に良く似ており、中段の鉤爪が飛んでくると思いきや、ビャクヤ本体が飛び、JCのような挙動を見せたかと思いきや、不意に足元にDBの挙動で出現する。空中からのまさかの下段は非常にガードが難しい。予測困難な下段であるためか、若干ダメージ補正はきついが、上記のルートを使うと3700(VP中)までダメージが伸びる。このような強力な技であるにも関わらず、足元に出現すると同時に出す罠がカバーしてくれるため、ガード後の隙はほとんどない。

 IC罠派生は、このC派生と足元罠を設置するだけのD派生を除くと、最大ダメージを取れるほどに補正が緩い。中段のA派生、上段ながらもめくりを狙えるB派生は軽く4000ダメージを叩き出す。A派生のみ、一切の罠を出さないので、攻撃技で拾う必要がある。

 また、この技の特徴として、最後に出した足元罠以外の罠に飛んでいくというものがある。ビャクヤの現在地よりも後ろに罠がある場合、後方へと移動する。画面端に追い詰めて、相手の頭上足元、少し前という順番で三つ罠を張ったとき、その後の固めでIC罠派生を使うと、下がると見せかけた下段、もしくは中段を打つことができる。

 BもしくはC派生を使用したとき、ビャクヤが消えている瞬間があり、この瞬間は無敵時間である。しかし、ほんの数フレームの間のみであり、派生を出してすぐに消えるわけではないので、相手のヴェールオフによる切り返しに若干弱いということに注意しよう。

 

 特別編、罠カバーFF連携

 

 2B>5BB>2C>B料理二段>空C罠>D派生>5C>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>C派生>2C>A料理一段>A罠>A派生>C食べ頃>ダッシュ>低空A罠>B罠

 

 画面端にてC派生を最大限活用した連携。これまで挙げたコンボは、動画として既に投稿しているものだが、これはこの場が初めての発表となる、この作品の読者だけの特別である。

 罠C派生を画面端で使用すると、相手を中央に戻してしまうことになるが、それを逆手に取った連携である。

 ビャクヤをメインで使う、もしくは良くビャクヤと対戦しているならば周知のことであろうが、ビャクヤのFFは強力な中段技であるため、ガードされた時の隙は大きい。画面端で使うのであればCSが欠かせないほどに大振りの技である。

 しかし、画面中央であればそれほどでもなく、先端部分をガードさせれば通常技による確反はほぼない。一部必殺技で確定を取られるが、とっさのワンボタンの反撃くらいでは、ビャクヤ側は余裕でガードが間に合う。

 だが、ビャクヤのFFはその威力に見合った発生の遅さであり、発生フレームは26である。これでは画面中央での固めで使うにはきつい所がある。相手からすれば、まだ後ろに下がる余地があり、空振りする危険がある。空振りすれば、相手はダッシュしてビャクヤに反撃を与えることができる。

 では、やはりビャクヤがどこにいようとFFを使用する際にはCSが必須なのか、というと、そうではない。ガード後の隙をカバーし、なおかつ、相手にとって後退するのがためらわれるものがあればいい。それは何かと言うと、罠である。

 相手の後ろに罠があれば、FFガードのヒットバックで罠が当たり、相手にむしろ不利を背負わせることができる。

 そんな状況を作り出せるのが、このコンボ、並びに罠を置く連携である。

 画面端でB料理を当てると、空C罠>D派生で足元罠を張れる。その後あえてC派生を当てて相手を画面端から引っ張り出し、画面端に近いが中央付近の位置でC食べ頃で拘束する。その後、相手と罠が重なるくらいの位置までダッシュして低空A罠を張り、その後地上B罠を張る。大体その頃に拘束は解除される。

 それからの起き攻めには、2Bを重ねる。もしもヒットすれば、低空罠が拘束し、コンボに行ける。ガードされていれば、ヒットバックで相手が下がるために低空罠は当たらずに残り、後ろの地上罠とスレスレの位置になる。

 その位置でFFを使うと、ガードされていれば後ろの罠がカバーし、ヒットすれば2Cで拾ってコンボに行く。ガードされていてもこちらが攻め継続となり、再び固めに行ける。この時、ずっと前に張っていた足元罠が活きることになる。もう一度罠がカバーしてくれるFFが打てるのである。

 もしも相手が後方に受け身を取っていたとしても、回数は一回になるが罠カバーFFが使える。

 長々と書き綴って来たが、私もこの連携はまだ数えるほどしか実戦投入はしていないが、この形とは違うが、罠カバーFF連携は何十戦かは試してきた。大体のプレイヤーが、FFガード後は安心するのか、その後の下段が通りやすいという感じがした。投げ択も仕掛けることができるので、使いこなせればかなり強力な連携であるという自負はある。読者の皆も是非試してほしい。




 どうも、作品の綾田です。
 いやー、ついにリリースしましたね、UNIclr!(今更すぎる……) BBTAGの大型アップデートの時もキャラクター性能の大きな変更点に興奮したものですが、UNIclrリリースはそれ以上でしたね。再戦機能が追加されたり、プレマでもトレモ待ちができたりと、対戦環境が圧倒的に快適になりましたね。
 前回UNI小説を投稿した時点では、クレアリリースまで残り三ヶ月であり、Vita版エストから数えて初の紫になれた記念として記録を残しておこうと、クレアまで対戦を禁止していました。(まあ、そんな記録はどこにも残らないんですが(-_-;))
 クレア発売後は真っ白のゼロからまたスタートでしたが、現時点ではネットワークカラー紫のrip160万で止まっています。この作品を投稿するまでは、とまたもや対戦禁止していたので……
 一時はランキング二位まで行きましたが、恐らく今ではトップ10に入っているかどうかも怪しいです。皆さんがこれを読んでいる頃には、多分赤に戻っているんじゃないかと思います。(だって、紫のプレイヤーのほとんど強すぎるんだもん……紫になると途端に勝てなくなります(>_<))
 さて、クレアになって、ビャクヤはかなりの進化を遂げましたね。料理やDBのディレイ猶予とか、2Cのリーチ延長とか、5Bの攻撃判定増加とガード硬直の減少とか、派生行動の先行入力とか……(挙げればきりがないですね……f(^_^;)
 中でもとてつもない強化点と言えるのが、やはり、IC罠とその派生行動だと思います。特にC派生、空中にいながら下段のスライディング、しかも一緒に出る罠が隙をカバーしてくれるなんて、最強技と言っていいでしょう。BBCFのイザナミの展開中浮遊のB灯雷の矛と性能的には似ていると思いますね。(ガードされてもビットを撃って隙を消せる所なんかがまんまです。もしかしてこの技、イザナミのB矛をモデルにしたんでしょうか?(?_?))
 話は急に変わりますが、クレアリリースまでの期間、BBCFを本格的に始めていました。BBTAGから本編のBBCFに入ったわけですが、BBTAGが二キャラ使えなきゃしんどいゲームだと分かって、それならハナから一人で戦う方にしよう! と思って触りだしたんですが、操作感が違いすぎて即挫折しました……。キャラはBBTAGからハザマを選びましたが、こいつのコンボがこれまた難しすぎて、即挫折に繋がりましたね。ステップBを出すのが難しいのなんのって。しかも、ウロボロスゲージの存在で、BBTAGみたいにとりあえずウロボロスで近付くというのもできなくて。
 それから約半年放置していたわけですが、クレアリリースまで暇すぎたので、またBBCFやり直そうかと思い、心機一転してキャラをイザナミにしました。(これまた難しいキャラを選んで……(^-^;)確かにイザナミは難しいキャラですが、パターンに入ってしまえば一気に持っていけるポテンシャルを秘めていると感じました。まんまビャクヤとキャラ性能が似てるんですよね。一回転ばせたらそのまま十割持っていける所が。そんなこんなで、コンボも大方できるようになりました!(まあ実戦で安定するかは置いといて……(゜゜;)\(--;)ォィ) どうやら私は、ビャクヤやイザナミといった超強力な起き攻めのセットプレイを持つキャラが得意みたいですね。BBTAGでも今はニオをメインにハザマを使うというスタイルでやってますが、ニオも超強力起き攻めキャラだと思ってます。端に追い込んでハザマ4Pを置いて、ニオの竜巻Bを入力すると、相手の無敵技をかわして手痛い反撃を与えられます。このネタがバレたとしても、ニオの竜巻AとCで中下の択を迫れるのでやっぱり強いです。(ちなみにこのタッグでマスターIVまで行きました(^^)v)
 話は戻って今作のビャクヤ。方々から火力低下を嘆く声が多くありますが、私はあまり気にしてない方です。(それでももう少しだけ火力があれば4000飛ぶのに……と思うことはあります(-.-))火力と引き換えにとてつもなく崩しのパターンが増えたので、むしろお釣りが出るくらいだと思っています。なので、今作では前作以上に起き攻めで相手を圧倒しよう、というコンセプトで色々コンボやセットプレイを考えてます。(まあ、まだほとんど実戦投入はできてないんですけどね(^_^;))これからは積極的に対戦して色々試したいと思います。
 余談ですが、この小説のタイトルの"withered lilac(ウィザードライラック)"というのは、私の使うビャクヤのカラバリです。十番目の色ですね。ですが、クレアリリースから新色に惚れ、今は"little briar rose(リトルブライアローズ)"を使ってます(三十八番)。どっちも花の名前が入ってますね(ただの偶然。今気づいたくらいです(~_~))。本当はピンク系の色が好きなんですが、ビャクヤのカラバリにはバリバリのピンクカラーは無いので、まあ、こんなもんかな? というくらいに選びました(そういう考えで行くと、やはり十番カラーの方が近いのは内緒です( ̄ー ̄)ちなみに三十八番カラーの一番強いピンク要素はIWE)。
 さて、長々色々と書いてきましたが、最後に次回BBTAGに追加キャラがあるとしたら誰か、予想を挙げておきたいと思います(予言にならないかな?)
BBCFからイザナミ、UNIからビャクヤ、アルカナからシャルラッハロート、ペルソナからマリー、メルブラ参戦してレン、天華百剣参戦して五虎退吉光(Esと中の人同じ)、以上ただの私の願望でした!(゜゜;)\(--;)ォィォィォィ
 次回でいよいよこの小説も最終回となります。本当はハイド戦辺りで終わらせて、またもうちびっとだけ続くんじゃをやろうかと思いましたが、さすがに長引かせすぎたと思って、今回はこのような終わり方になりました。次回はあのキャラを出して、最後の戦いをして必ず完結します。おまけコンボレシピも余すこと無くかなりのボリュームでお送りします。どうぞご期待ください!
 それでは次回、またお会いしましょう。UNIclr、BBCF、BBTAGでもお会いしたら対戦よろしくお願いします! 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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Little Briar Rose

Chapter14 捕食者と捕食者

 そこには、深き因縁があった。その因縁とは、ツクヨミの『眩き闇(パラドクス)』へのものであった。

 ビャクヤとツクヨミは、『深淵』を目指して『虚ろの夜』を進み、二人は『深淵』の出現する場所までたどり着いた。

 そこには、『虚ろの夜』において最強の能力を持つとされる『偽誕者(インヴァース)』であり、能力者集団、『忘却の螺旋(アムネジア)』の総帥、『眩き闇』ことヒルダが待ち受けていた。

 今や『夜』における組織は、『忘却の螺旋』の一強であるが、ほんの少し前まで、それに迫る組織があった。

 その組織の名は『万鬼会(ばんきかい)』。かつてツクヨミが身を置いていた組織である。

 その組織の長、『鬼哭王(きこくおう)』オーガと『眩き闇』ヒルダによる、激しい戦いがあった。その戦いに敗れ去ったのは、『万鬼会』であった。

 ヒルダは、オーガとその仲間の命まで取るつもりはなかった。しかし、その戦いの決着と時を同じくして、悲劇が起きてしまった。

 ヒルダとオーガの戦いのすぐ近くに発生していた『深淵』の顕現が、二人の命を奪い、一人の行方不明者を出すことになってしまったのだ。

 ヒルダが直に手を下したわけではないが、ヒルダの存在そのものが、ツクヨミにとって因縁の根源であった。

 そのヒルダは、ビャクヤの手によって倒された。これでツクヨミの因縁は晴らされた。

 そして今、ビャクヤにとっての因縁の相手が出現した。

 雑居ビルの窓ガラスを破壊し、煌と朧の祭壇に入り込んできたそれは、暗闇の中でヒルダの死体を喰らっていた。

 暗がりでよく見えないが、血が辺り飛び散り、内臓と思われる塊が、びちゃびちゃと音を立てて床に散っている。

 血生臭さが辺りに漂い、その匂いが鼻を突くと、ツクヨミは気分を悪くして、口元を押さえて膝を付いた。

「大丈夫かい。姉さん」

「……ええ、平気よ」

 ツクヨミは、ビャクヤと行動を共にしながら、いくつも人殺しの場に立ってきた。人が目の前で死んでいく事には慣れているつもりであったが、人が文字通り喰われている場面には出くわしたことがなかった。

 やがて、突然現れた何者かは、ヒルダを喰らうのを止めた。その頃には、ビャクヤとツクヨミは暗闇に目が慣れていた。

 『虚ろの夜』の真っ赤に輝く月の明かりが、破られた窓から射し込み、祭壇を赤く照らしている。

 真っ赤な月明かり射すその先に、ヒルダを喰らった異形の存在が立っていた。

 細く長い四肢を持ち、腕は地面に付くほどの長さである。体長も高いというよりは細長く、三メートルに達しようかというほどであった。

 たてがみのある頭部には、祭壇に射し込む月光と同じく、赤い眼光が光っている。

ーーあの光。間違いないねーー

 ビャクヤは、気配、匂い、そしてその眼光から、異形の存在の正体を突き止めた。以前からビャクヤに接触していた、『偽誕者』の雰囲気を持つ虚無である。

 その特異な虚無は、ゆっくりとビャクヤらへと近寄ってきた。

「さんざん追い回してくれちゃったけど。やっとやる気になったんだね? 待ってたよ。この時をね」

 ビャクヤの因縁の相手が、ついにビャクヤと対峙した。

『……驚きだな』

「……っ!?」

「えっ」

 ビャクヤとツクヨミは、この上ない驚きに包まれた。頭の中に声が響いたのだ。

『小僧。貴様の体、いや、腹と言うべきか? そこに潜む異形に驚きを隠せぬ。そして娘の方、貴様も妙な波動を携える者よ、器割れか?』

 驚きに支配された二人であったが、ほどなくして平静に戻った。

「これは。驚きで声も出ないね。心に直接語りかけられるような。この感覚」

「ええ、もう何が来ても驚かないつもりだったけど、これは流石に、ね……」

 二人は、『夜』を知ってそれほど日が経っているわけではないが、『夜』に起こりうるあらゆるケースは想定しているつもりであった。

 その二人にとっての想定外が、今目の前に立っている虚無だった。

 虚無とは、一つの意思を持つことはなく、ただひらすらに顕現を求めて『夜』を彷徨う存在である。

 そんなただの獣同然のはずの虚無が、こうして意思を持ち、声でなく、頭に響く念話でその意思を伝えてきている。

「まさか虚無が、人さながらに意思を持っているなんて、ね……」

 虚無の顔に表情など存在しないが、笑っていると思われるように、虚無は大きく口を開けた。

『若くして肝の据わった娘どもよ。この獣の身体、見せ物ではない故、いちいち驚かれぬのは喜ばしいことだがな』

「そうかい。ならこちらから本題だ。どうして今日までずっと。隠れて僕を追いかけていたのかな? まあ。隠れてたとは言っても。バレバレだったけどね」

 ツクヨミには知らないことであった。

 別れて行動していた時に、こんなものに目をつけられる真似をしていたのかと思ってしまった。

『ふん、そうだな。小僧、貴様はこの身が虚無と同様、猛き虚無食いであろう。言わずとも分かる。貴様から漂う匂い、この獣の鼻はごまかせん』

 ビャクヤは眉根を寄せた。

「うっわー。まさか僕ってそんなに臭うのかな? 姉さん。どう? 僕って臭う?」

 ビャクヤは、ツクヨミに確認を求め、片腕をツクヨミに向けた。

「……別に臭わないわよ。どけてちょうだい」

 ツクヨミは、ビャクヤの腕を押し退ける。

『それから女。貴様も興味深い。貴様は顕現を一切纏わぬが、その身の一点のみに比類なき力を感じる。どうしたわけかは、知らぬがな』

 虚無の狙いは、ビャクヤだけではなかった。

『小僧、それに女。貴様らの持つ力の源、それをこの身は欲しているのだ。そこで一口だけ味見をさせてもらえないかと交渉を考えていた次第だ。そう、あくまで紳士的にな』

「さすがは紳士。一口とはずいぶん慎ましいのね。尤もその口、人間の頭くらい一息に噛まれ、飲まれそうであるけど。……あの女のように、ね」

 虚無は突然現れたかと思うと、ヒルダの死体を一瞬にして平らげてしまった。たとえ一口と言えど、どこを噛まれても致命傷になることは免れようもなかった。

「それにものすごい悪食ではなくて? あの女を喰らったのに、まだ喰らうつもりだなんて」

『我の主食は顕現だ。血肉では我が餓えが満たされることはない。貴様ら人間で言えば、水で飢えを一時的にしのぐようなものだ』

「そいつの言う通りだよ。姉さん。あんな獣と一緒にはしてほしくないけど。僕も顕現じゃないと空腹は満たされない。死体を貪ったくらいじゃあ。全然足りないんだよ」

 ビャクヤは、一歩前に出る。

「キミの取り引きだけど。こうしないかい? 僕も一口味見をさせてもらう。ここはフェアに行こうじゃないか。味に興味があるのはこっちも同じなんでね」

 ビャクヤは、ツクヨミに振り返った。

「いいよね? 姉さん」

 ここは戦ってもいいか、ビャクヤは確認を取る。

「いいわ、ビャクヤ。面白い相手だけど気にせずにやってしまいなさい。ただし、用心はすることね。その虚無、底が知れないから」

「心配してくれるんだ? ああ。それだけで頑張れる。さて。意思を持って喋る虚無。一体どんな味がするんだろう?」

 ビャクヤが笑うと、虚無も笑ったように口を開けた。

『有難い、それでは交渉成立だ。喰うか喰われるか。なんとも原始的で粗野な争いであろうよ』

「だろう? だけど。そこがいいだろう? ああ。僕の名前はビャクヤ。そしてこちらは。僕の親愛なる姉。ツクヨミ姉さんだよ。この姉さん曰く。相手の名前も知らずに死ぬのは不憫らしいからね。名前は言っておくよ」

『ふん、ならばこちらも名乗るのが礼儀か。我はメルカヴァ。ただの獣と侮るでないぞ!』

「ははっ! それは楽しみだ!」

 捕食者同士の戦いが始まった。先手を取ったのはビャクヤである。

「どう料理しよう?」

 ビャクヤは、伸縮自在で、切れ味もすさまじい鉤爪を振るった。

 メルカヴァは、長い腕を伸ばし、手指を膜の張った羽に変え、羽ばたいて空を飛んだ。ビャクヤの鉤爪は僅かに届かなかった。

 メルカヴァは、尚も羽ばたいて滞空している。攻撃の間合いからは大きく離れ、お互いの攻撃は届かないと思われた。

「まだ逃げるつもりかな。そうは行かないよ!」

 ビャクヤは、メルカヴァに手の平を向け、巣網を放って拘束を試みる。

「キョアッ!」

 メルカヴァは羽をたたみ、滑空しながらビャクヤへと一気に攻めかかった。

「なっ!?」

 ビャクヤは防ぎきれず、メルカヴァの羽の縁に肩を切られた。

 下りていくメルカヴァは、地面が近づくと、羽に変えていた腕をもとの形に戻し、手を付くと勢いそのままに一回転して着地した。

 ビャクヤは、切られた肩を押さえながら、後ろに飛んでいったメルカヴァに振り返った。

「いきなり面白いことやってくれるじゃないか。いいねぇ。そうじゃなきゃ。僕が楽しめない……」

 ビャクヤとメルカヴァの距離はかなり開いている。ビャクヤの鉤爪は伸ばすこともできるが、さすがに届かない。鉤爪を投げ付ける攻撃もできるが、それも届くか分からない距離である。

 メルカヴァの方も地につくほどに長い腕を持っているが、そこから伸ばしてもビャクヤには届かない。

 どちらも間合いから大きく外れ、迂闊な動きの見せられない状態で、睨み合うしかないように思われた。

 そんな膠着状態を打ち破ったのは、メルカヴァの驚くべき攻撃であった。

「ギョアッ!」

 メルカヴァは、その場で腕を後ろに引き、反動を利用して物を投げるようにして腕を放った。

 放られた腕は、まっすぐにビャクヤに伸びていった。ただでさえ長いメルカヴァの腕は、三倍近く伸びていた。

「ぐっ……!」

 予想を遥かに超える攻撃であったが、ビャクヤは鉤爪で受け流した。

 メルカヴァは、弾かれた腕をそのまま、天井の梁まで伸ばしてそこを掴むと、腕を収縮させて宙を舞った。

「グアアアッ!」

 メルカヴァは、梁から手を離し、足を伸ばしてビャクヤに降りかかった。

「あぶないっ!」

 ビャクヤは、とっさに後ろに飛び退いて、メルカヴァの足から身をかわした。しかし、メルカヴァは腕を伸ばしてビャクヤに掴みかかる。

『獲物は逃がさん……!』

「しまった!」

 メルカヴァは、掴んだビャクヤを持ち上げると、頭上で振り回し始めた。

「うわああっ……!」

 空中でなす術なく振り回されるビャクヤは、天吊りされたインテリアに何度も打ち付けられた。

『我、撹拌する!』

 メルカヴァは、回転の勢いそのままに、ビャクヤを放り投げた。

 ビャクヤは壁に激突し、ずるずると床に崩れる。

「……まだまだだよ」

 ビャクヤは、鉤爪を支えにしながら立ち上がった。『生体器(ヴァイタルヴェセル)』のおかげで、ひどく叩きつけられたものの傷は浅い。

『ほう、その矮小なる体でまだ立ち上がるか。やはり貴様の力は興味深い……』

 メルカヴァは真っ直ぐ立ちながら、ビャクヤの脳に直に声を届ける。

「あはは。この程度じゃあまだやられないよ。捕食者(プレデター)は僕の方さ。捕食者が獲物にやられる道理があると思うかい?」

 ビャクヤは返した。

『ふん、なかなか面白い事を言うではないか。その通り、捕食者を打ち破る獲物は存在せぬ。即ち……』

 メルカヴァは、腕を伸長しながら揺らす。骨がない腕は、表皮共々ゴムのような伸縮性を持ち、ゆらゆら動かして生じる遠心力によってビャクヤに襲いかかった。

『我が貴様を捕獲する。貴様を喰らうのは我だ!』

 ビャクヤは、弾丸のような速さの腕を、鉤爪で挟んで捕らえた。

「そう焦らないの。お互いに食べさせる約束だったろう? まあ。生きていられれば。っていう前提だけどね」

 メルカヴァは、表には出していなかったが驚いていた。

 腕を瞬時に伸ばすという、常識から大きく外れた攻撃を受けておきながら、ビャクヤは、防ぐのみならず掴んでしまった。

「キミは手を伸ばせるようだけど。ああ。羽にもできたっけ? まあいいや。どっちにしても一本千切ってしまえばそれまでさ。千切ってとりあえずキミの腕からいただくとしようじゃないか」

 腕を一本奪われそうだというのに、ビャクヤの脳裏にメルカヴァの笑い声が響いた。

『ならば喰らうがよいわ!』

 メルカヴァは、掴まれた腕に顕現を込めると、自ら腕を千切った。

「なんだって!?」

 ビャクヤは、メルカヴァの行動に驚くしかなかった。

 メルカヴァ自身によって千切られた腕は、まるでトカゲの自切した尾のように暴れまわった。

 意思無く動き回るだけのトカゲの尾と違い、メルカヴァの腕だったものは、歯を持つ蛇のように姿を変えて、ビャクヤに纏わり付いた。

「そんなの……!」

 ビャクヤはひとまず落ち着き、纏わり付くメルカヴァの一部に、鉤爪を噛ませながらいなした。

 鋼鉄以上の硬さを持つビャクヤの鉤爪を噛むことで、メルカヴァの一部の歯は折れていった。そして全ての歯が折れると、メルカヴァの一部は消え失せた。

 ビャクヤは、視線をメルカヴァ本体に戻した。メルカヴァはまたしても、驚愕すべき事をしていた。

『我、執拗に纏わり付く。取り囲め!』

 速度が段違いであるが、メルカヴァの腕はトカゲの尾と同様に再生可能であり、メルカヴァは何度も腕を自切した。

 自切されたいくつもの腕は、口だけを持つ蟲に変化し、地面をゆっくりと這ってビャクヤに近付いた。

『ギョアアア……高ぶるぞ。ギョアアアア!』

 メルカヴァは、周囲に漂う顕現を取り込み、何度も自切して肩までの長さとなった腕を再生させていった。

「あいつ顕現を。そうはいかないよ!」

 ビャクヤも顕現を吸い取り、鉤爪にそれを込めると、地を這ってくる蟲ごとメルカヴァを切り刻もうとした。

「さて。どう料理しよう? 微塵切りがいいかな?」

 顕現を吸い取って少し大きくなった鉤爪を振るった。

 鉤爪に引き裂かれた蟲は、肉片と化して地に転がった。しかし、小さめの蟲はビャクヤの鉤爪の合間を縫って飛びかかった。

「抜けてきたっ!?」

 鉤爪を全て攻撃に使ってしまったために、蟲を切る事はできなかった。

「この……!」

 ビャクヤは、顔を狙って飛び付いてくる蟲に、不慣れな当て身を打つしかなかった。

 ツクヨミとの修行のおかげで、普通の人間を悶絶させられるほどには鍛えられていたが、虚無が相手では効果は小さかった。

 そんな当て身であるため、やはり蟲を消し去ることはできず、蟲はビャクヤの足元に纏わり付いていた。

 ビャクヤの意識が完全に足元の蟲に向いている隙を突いて、メルカヴァは腕を羽に変えて、羽ばたいて浮遊していた。

「ビャクヤ、上よ!」

 ツクヨミは声をあげた。それとほぼ同時にメルカヴァは羽を畳み、鋭く滑空した。

 蟲に足元を纏わり付かれ、その上空中からの奇襲が重なり、最早ビャクヤには防御は不能になってしまった。

「よっと!」

 ダメージは免れないであろう状態に陥ってしまったビャクヤであったが、真横に飛び込んで受け身を取った。

「キョア!?」

 メルカヴァの渾身の奇襲がかわされ、ビャクヤを掴もうとしていた腕は空を切った。

 攻撃をかわされたメルカヴァは、かなり大きな隙を晒してしまっていたが、蟲がビャクヤに纏わりついていて、ビャクヤから反撃を受けずにすんだ。

 メルカヴァは、一度地に足をつくと再び、羽を広げて空を飛んだ。そして少し飛んだ先に着地し、ビャクヤへと振り向いた。

「やれやれ……」

 ビャクヤは、鉤爪を元の長さにして定位置に戻しながらため息をついた。

「ゴムみたいにびよーんと伸びるし。コウモリの羽みたいに空は飛べるし。挙げ句の果てが自分でちょん切って生き物みたいにできる。全く。いい加減にしてほしいね。その腕」

 ビャクヤは、静かな憤りを見せていた。

 これまで色々な相手と戦ってきているビャクヤであるが、今宵対峙している虚無はかなり違っていた。

 伸縮する腕を持っているため迂闊に近付けず、近付けた所で腕を羽に変えて空に逃げられてしまう。

 普段は何を考えているか、まるで掴めないビャクヤの表情が、今は誰が見ても怒りを覚えているのが分かる様子であった。

『どうした、来ぬのか? ならばこちらから行かせてもらうぞ!』

 また伸びる腕で攻撃してくるのか。そう考えるビャクヤであったが、予想は大きく外れた。

 メルカヴァは、長い腕を縮小させ、足と同じ長さにした。そして腕を地につけると、四足歩行の獣のような姿となった。

 たてがみを靡かせ走るその姿は、まさに肉食獣そのものであった。

「どこから……!」

 完全に想定外の動きをされ、ビャクヤは反応に迷ってしまった。

 メルカヴァの走る速度は自動車並みであり、ビャクヤとの間合いは一気に詰められた。

 メルカヴァは、ビャクヤの一歩手前まで詰め寄ると、首を僅かに伸ばし、その牙をビャクヤの足元に剥いた。

「させないよ!」

 ビャクヤは上から四番目、腰元にある鉤爪を一組噛ませ、メルカヴァの攻撃を防いだ。

 さしものメルカヴァでも、牙で鉤爪を噛み砕く事はできなかった。

「隙ありだね!」

 鉤爪を噛んだ事によって、メルカヴァはすぐに離れられなくなった。その隙を逃すこと無く、ビャクヤは噛ませている鉤爪以外を立ててメルカヴァをに突き立てようとした。

 ビャクヤの狙いを読んだのか、メルカヴァは噛んでいた鉤爪を離した。しかし、メルカヴァの背後には既にビャクヤの鉤爪が回っており、下がれば突き刺さる状態になっていた。

 ビャクヤは、メルカヴァが飛翔できないように、メルカヴァの頭上にも鉤爪を立てていた。これにより、もうメルカヴァには逃げ場はなくなったように思われた。

『グワアアア!』

 しかし次の瞬間、メルカヴァは口を更に開き、一息大きく吸うと、咆哮と同時に火を吹いた。

「なっ!?」

 ビャクヤは、またしても想定外の攻撃に驚愕させられてしまった。

 メルカヴァの隙をついた反撃確定の瞬間だと思い、防御に回せる鉤爪は、メルカヴァに噛ませていた一組しか残していなかった。

 当然ながらそれだけではメルカヴァの炎の息吹を抑えきれず、ビャクヤは火に包まれた。

「ぬっ! ……ぐくっ。うわ!」

 ビャクヤは、顕現の盾で攻撃をしのごうとしたが、メルカヴァの顕現のほうが力が大きく、ビャクヤの盾は割れてしまった。

 顕現の盾を割られて体勢を崩すビャクヤに向け、メルカヴァは片腕を伸ばした。

『捕らえる』

「むぐっ!?」

 伸びてくるメルカヴァの腕は、ビャクヤの顔面を鷲掴みにした。

 メルカヴァは、ビャクヤの顔を掴んだ腕を一気に縮め、ビャクヤに接近し、ビャクヤの上半身に乗りかかった。

『いただくぞ!』

 メルカヴァは、ビャクヤの肩口に噛りついた。そして肉を少し引きちぎり、ビャクヤの血に流れる顕現の一端を啜った。

『これは格別……!』

「ぐふっ……あ。ああ……」

 血と顕現を一度に吸われ、ビャクヤはふらつき、膝から崩れた。

 メルカヴァは、崩れるビャクヤから羽を広げて離れた。

「ビャクヤー!」

 ツクヨミは、思わず立ち上がって叫んだ。

 ビャクヤは、肉を大きく削がれてはいなかったが、メルカヴァの鋭く変化する牙によって深い傷を負った。

 メルカヴァの牙は、ビャクヤの鉤爪に似て生体器を突き抜ける事ができた。故にビャクヤの受けたダメージは大きくなったのだ。

「ビャクヤ、立ちなさい! ここで敗れるなど……」

 ビャクヤはこれまで、ツクヨミをからかうように、ダメージを受けたふりをしてきたが、今回ばかりはそのような事をする余裕があるようには思えなかった。

『ふむ、少しばかり牙を強く立てすぎたか? あっけない幕切れよ』

 ビャクヤはうつ伏せに倒れ、肩口から流血し、その周囲に小さな血の海を作っていた。

『小僧は死んだ。小僧の顕現は後程じっくりいただこう。まずは娘、貴様の妙な波動を前菜としよう』

 メルカヴァは、ビャクヤが死んだものと思い、ツクヨミを向いた。

「立ちなさい、ビャクヤ! まだ戦えるでしょう? 立つのよ!」

 ツクヨミは、メルカヴァが迫っていても、地に伏すビャクヤに叫び続けた。

ーー不逃……捕食……ーー

 ビャクヤの脳裏には、声にならない意思が伝わっていた。

ーー……分かっているさ。キミの鉤爪(腕)で奴を捕らえて喰らう。けど。少しばかりダメージが大きくてね。キミの力をありったけ僕にくれないかい?ーー

 ビャクヤは、心に響く意思に問いかける。

 意思の返事はなかった。しかし、ビャクヤは力の高まりを感じた。これが意思の答えだと分かった。

 ビャクヤの肩口に穿たれた傷は、謎の力によって塞がっていく。

ーーありがとう。これで好きなだけ喰らえる。あの虚無も。彼女もね……!ーー

 ビャクヤは、ゆっくりと起き上がった。

「いったいなー。肩に孔が空いちゃうところだったよ」

 立ち上がりながらビャクヤは言う。

『なんと……!?』

「ビャクヤ!」

 ツクヨミとメルカヴァは、それぞれ違った驚きを見せた。

 立ち上がるとビャクヤは、メルカヴァに噛まれた所に触れる。

「あーあ。どうしてくれるのさ。体はなんともないけど。服には穴が空いちゃったじゃないか」

 ビャクヤは、制服の内側に手を入れ、メルカヴァの牙で空いた穴から指を出し、ため息をついた。

「姉さんなら直せるかな? この穴。まあいいか。それよりもそろそろ本気で行こうかな。約束じゃあ。お互い一口だしね」

 ビャクヤは、鉤爪を顕現させた。鉤爪はこれまでと違う姿をしていた。

 常に一回りほど大きく広がり、血濡れたような赤に変色していた。

 明らかに変異しているビャクヤの顕現の武器『八裂の八脚(プレデター)』であったが、ビャクヤは、メルカヴァを喰らうこと一心であり、特に気に止めている様子はなかった。

『見事だ。としか言えぬ。その矮小な身体にまだそれほどの力があろうとはな』

「キミは見抜いていたはずだよ。僕に宿る顕現の獣の存在をね。そしてそいつがどれだけの力を持っているのか」

 メルカヴァは確かに、ビャクヤの中を蠢く存在を見抜いていた。しかし、その力の大きさと、その限界までは分からなかった。

「さて。お喋りはここまでにして再開しよう。言っておくけど、さっきみたいにうまく行くと思わないことだね……!」

 ビャクヤは不意を突くようにメルカヴァに突進した。メルカヴァに最接近した瞬間、ビャクヤは身を低くして何かをした。

『我、穿つ! キョアアア!』

 メルカヴァは応戦すべく、高速で両腕を振り回した。しかし次の瞬間、この応戦が愚策であったと、身をもって知ることになった。

「ギャアっ!?」

 メルカヴァの腰より下の半身が、ビャクヤの糸によって拘束された。

「罠なんて張ってないよ?」

 ビャクヤは、嘘だとまる分かりの表情、仕草をした。

 そして、メルカヴァが完全に動けなくなったのを確認すると、血濡れた色の鉤爪を振るった。

「どう料理しよう?」

 左側四本の鉤爪を使い、上下からそれぞれ鉤爪をメルカヴァに突き立てた。

「微塵切りがいいかな?」

 ビャクヤは更に、右の鉤爪を斜め左右に回り込ませ、跳躍しつつ回転する動きで鉤爪の威力を高める。

「ほーら」

 身体中から黒い血を流すメルカヴァの両腕を、ビャクヤは根本から鉤爪で挟み込んだ。

「滅多切りだ!」

 ビャクヤが鉤爪を引くと、メルカヴァの腕が飛んだ。

「ギョアアア!」

 メルカヴァは、両腕の支えを失い、膝をついた。

 ビャクヤは、メルカヴァの腕が再生する前に追撃を加えた。やや前傾姿勢で足を動かす事なく、滑走するように距離を詰める。

 やられるだけのメルカヴァではなかった。腕を失って動きをほとんど封じられてしまったが、滑走してくるビャクヤに牙を剥いた。

 牙は確実にビャクヤの足元に当たったはずだったが、何故かメルカヴァに感覚がなかった。

「引っかかったね」

 滑走するビャクヤは、顕現の糸になり、実体は少し離れた所から鉤爪を伸ばしていた。

 メルカヴァは、糸に巻かれ、鉤爪を深く突き刺された。

「さて。そろそろ仕上げと行こうか!」

 ビャクヤは両手を伸ばし、同じように鉤爪の先端を伸ばした。

「姉さん! 少し下がっててもらえるかい? 巻き込んじゃいそうでね」

 ビャクヤの放たんとしていた顕現は非常に大きかった。『器』の割れたツクヨミでも危険を感じるほどだった。

「さっさと決着させなさい」

「ああ。そうだ」

 ツクヨミが離れていくのを確認すると、ビャクヤは、思い出したように告げる。

「僕がいいと言うまで。姉さんは目をそらしていてくれるかな? この食事は刺激が強すぎるからね……」

「……分かったわ……」

 ツクヨミが今度こそ下がりそっぽを向くのを確認し、ビャクヤは顕現を解き放った。

 解き放たれた顕現は糸になり、それはどんどん広がり、ビャクヤを中心とした巨大な蜘蛛の巣が形成されていく。

 まだ腕が再生しきっておらず 、動くことのできないメルカヴァは、蜘蛛の巣に捕らえられ身動きを完全に封じられた。

 ビャクヤの作った蜘蛛の巣は、四方八方、上下に至り、ドームの形を成していた。蜘蛛の巣でありながら繭の玉のようであった。

 ビャクヤを主とした巣の内部は、『虚ろの夜』の赤い月が照らす不気味な空間となっていた。

 そんな捕食者の空間の中、もう一体の捕食者は完全に身動きできぬように絞め上げられていた。

「どうだい。痛いかい?」

 ビャクヤは訊ねた。

 口も絞められていたが、メルカヴァには声を発する事なく、意思を伝える力があった。

『見事だ。この身が虚無がやられようとはな』

 メルカヴァは、意思をビャクヤの頭に伝わらせた。

「あはは。さすが変わった虚無だ。そんな状態になっても。まだ生きてられるなんてさ」

『……喰らわれる前に一つ教えてやろう。貴様がその身に宿す顕現の源、貴様ごときには最早扱いきれぬだろう』

「なにを言っているんだい。この期に及んで負け惜しみかな?」

『我が付けた貴様の肩の傷、確実に貴様の息の根を止められる深さであった。貴様はそこに顕現の源……いや、獣と言うべきか。それに更なる顕現の放出をさせた。故に貴様は生き延びたのだ』

 メルカヴァの言うことは、ほとんどその通りであった。

 メルカヴァに噛み付かれたビャクヤはその時、致命傷に近い傷を負い、血の海に沈んだ。メルカヴァを喰らいたい、という一心でビャクヤは復活を遂げたのだった。

「ふーん。面白い話だね。けど。今さらそんなことを僕に伝えてどうする気なのかな?」

『言ったはずだ。最早貴様の『器』ごときではその力を受けきれぬとな。貴様からの匂いに、深淵の顕現のものがある。何を喰らったのかまでは、知りかねるがな』

 ざくっ、と鈍い音を立てて、ビャクヤは鉤爪をメルカヴァに刺した。

「もう喋らないでくれないかな……」

 ビャクヤの頭にメルカヴァの声は届かなくなった。

「さて。始めよう……」

 ビャクヤは顕現を解き放ち、糸に変化させてメルカヴァを更に縛った。

「いや。終わらせよう……!」

 糸を何重にも巻き付けられたメルカヴァは、最早メルカヴァだった原形を止めず、大きな繭の玉になった。

「鋏角たる顕現の獣……」

 ビャクヤは、繭の玉に向かって歩き出す。

「僕に宿る鋏角獣(ケリケラータ)……」

 ビャクヤは、一歩一歩ゆっくりと、足音を立てながら繭の玉に近づいていく。

「巣より這い出討ち喰らうんだ……」

 ビャクヤは、手を少し伸ばせば届く位置で立ち止まった。すると、ビャクヤの体に変化が起きた。

 メルカヴァを初めとする虚無を彷彿とさせる真っ赤な眼光を持った双眸になり、犬歯も赤い牙に変貌した。

 ビャクヤは鉤爪で繭の玉を切り裂き、メルカヴァの首筋を露出させた。

『終わらない悪夢』

 ビャクヤは、顕現によって作った牙をメルカヴァの首に突き立て、メルカヴァの顕現を吸い取った。

 顕現を吸い取られたメルカヴァは、空っぽになった。それはまさしく、蜘蛛の巣に引っ掛かり、糧となった後の獲物の姿であった。

「……うん。思った通りだ。美味しかったよ。ごちそうさま」

 メルカヴァほど変わった虚無は、ビャクヤを満足させるに足る存在であった。

 ビャクヤは顕現を止めた。顕現を糧にして張っている糸は力を失い、支えをなくして夜空に散っていった。

 赤き輝きを持って散っていく糸は、妖しいが美しくもあった。

 そんな妖しくも美しい輝きの先、ツクヨミの姿が明らかとなっていく。

「姉さん。お待たせ」

「無事に終わったようね。それにしてもずいぶん苦戦していたわね、ビャクヤ。貴方と渡り合えるものがいるなんて、少々意外だったわ」

「はあーあ……」

 ビャクヤはため息をついて、空っぽになったメルカヴァの死骸を見る。

「こんな狂暴なのと戦えだなんて。本当に姉さんは人使いが荒いなぁ」

「因縁を付けていたのは貴方でしょう?」

「やれやれ。古代の剣闘士達だって。こんな過酷な戦いを課せられていなかったと思うよ?」

 まあいいか、とビャクヤは話題を変える。

「『眩き闇(パラドクス)』とやらは死んだ。僕の因縁の相手も既にこの腹の中だ。僕と姉さんどっちの敵もいなくなった。もうここに用はないんじゃないかな?」

 ビャクヤにはもう、この場に用はなかったが、ツクヨミは違った。

 ツクヨミには、まだ果たすべき目的がある。虚無へと落ちかけ、『虚ろの夜』にて顕現を求め彷徨う存在となった親友との邂逅である。

「もう少しだけ。まだ、本当に最後の『眩き闇』の招待客が来るかもしれないから……」

 しかしその願いは虚しく、破られたビルの窓ガラスより覗く高層ビル郡の隙間から細い光が登り始めていた。

「姉さん。今日はもう帰ろう。朝になってきた。僕はもうお腹いっぱいで眠いよ……」

 ツクヨミを守る存在である、ビャクヤの状態も万全とは言えなかった。『眩き闇』を打ち倒し、謎の虚無をどうにか退けた直後では、これ以上の戦いには無理があった。

「……そう、ね」

 ビャクヤをこれ以上消耗させるわけにもいかず、ツクヨミもため息をついた。

「帰りましょう、ビャクヤ」

 二人は、激闘の末壊れ果てた『煌と朧の祭壇』を後にした。

 二人は『深淵』の顕現する雑居ビルを出て、赤い月と群青の空が混ざった薄紫の、『虚ろの夜』の終わりかけた空のもとに立った。

 ビャクヤはそうとう疲れたのか、いつもは歩いている時には、ツクヨミに絶え間無く話しかけていたものだったが、今はまるで声を上げなかった。

「…………」

 ビャクヤは沈黙している。ただひたすらに黙って、ツクヨミの隣を歩いていた。

 やがて、『忘却の螺旋』の参謀と戦った真っ赤に染まった駐車場へとたどり着いた。

 来た時には『虚ろの夜』の月によって真っ赤に染まっていた場所だが、次第に登る朝日で本来の姿に戻っていっていた。

 今回の『虚ろの夜』も終わりを告げ、世界は全て、元ある姿となっていき、鳥のさえずりが聞こえ、遠くの方からは車と思われるエンジン音がしていた。

「……ねえ」

 ずっと沈黙していたビャクヤが、夜が明けると同時にそれを破った。そして続く言葉にツクヨミは驚かされることになる。

「ストリクス」

「っ!?」

「どうしたんだい。何を驚いているのかな? これがキミの本当の名前だろう。ストリクス・フォン・シュヴァルツカイト」

 ビャクヤの告げた名前は、一字一句違わずツクヨミの、いや、ストリクス本人の名前であった。

「……どうしてその名を?」

 ツクヨミは、自身の名を名乗った事はなかった。本当の名を知られることで姉弟を振る舞うのが難しくなると考えていたのだ。

「あはは。そうだね。強いて言うなら。コイツが教えてくれたってところかな?」

 ビャクヤは、鉤爪を顕現させた。

「いつぞやキミ。風邪で倒れただろう? いや実を言うと。あれは風邪じゃなかった。顕現に蝕まれていたんだよ」

 ツクヨミの『器』は、もう何十日にも前に割れてしまっている。そのような状態で虚無落ちしかけたゾハルに会ってしまったのが悪かった。

 暴走したゾハルの顕現の影響をうけたツクヨミは、『器』が壊れていなければ顕現に蝕まれることはなかった。しかし、顕現を受容するものが何もないために、ひどい風邪を引いたような状態になったのだった。

「キミの首に触れた時。驚きで声も出なかったよ。なんせ。『器』は壊れているくせに。大型の虚無並みの顕現を持っていたんだもの。あれじゃあひどい高熱を出しても仕方なかったよ」

「……それと私の名前を知るのになんの関係があるのかしら?」

「顕現を取り出さなければ。キミの命が危なかった。だからほんの少しずつ顕現を喰らった。なかなか大変だったよ。ああ。どうして名前を。だったね。その顕現を喰らった時に僕の中に入り込んできたって所かな?」

 しかし、ビャクヤ自身にもはっきりと伝わったのは少し後の話であった。

 ツクヨミと別行動をとっていた時に、ビャクヤはメルカヴァと遭遇した。時を同じくして、ビャクヤに宿る顕現の元となる顕現の獣が暴れ出した。そんな時にツクヨミの本名と思われるストリクスという名が、顕現の獣を通じてビャクヤの脳裏に浮かんだのだった。

「それでさ。ストリクス」

 粗方説明を終えると、ビャクヤは再びツクヨミをストリクスと呼んだ。もう何を言われようとも驚くまいとするツクヨミだったが、驚かずにはいられない事を提案された。

「もう終わりにしないかい? こんな姉弟ごっこ」

 ツクヨミにべったりだったビャクヤが、今の関係を止めにしようと言ったのだ。

 何の冗談を、とツクヨミは思ったが、ツクヨミはビャクヤの目を見て確信する。

「……その目。嘘ってまる分かりよ。どういうつもりかしら?」

「嘘なんかじゃないさ。僕が一緒にいたいのは月夜見姉さん。キミはストリクスだ。代わりなんか存在しないんだよ」

 ビャクヤはやはり、嘘で言葉を並べているようにしか見えなかった。

「そう……」

 ビャクヤの真意が分からないツクヨミは、あえて話に乗ってみた。

「確かに、貴方の言う通り。私は貴方の姉ではないわ。付き従う義務もない。私の目的の一部は今夜で果たされた。ここでさよならするのもいいかもしれないわね。今まで手荒く扱って悪かったわ」

 ふと、ビャクヤはツクヨミの手を取った。

「待ちなって。ただでお別れできると思っているのかい? 今まで散々こき使ってくれちゃってさ」

「そう、なら好きにしなさい。今の私は顕現を持たない一般人。求められるのが体でも命でも、抗う術はない……」

「体。ねぇ……」

 ビャクヤは、ツクヨミから抵抗する気力を感じず、その手を離した。

「うん。報酬としちゃそれも面白い。それじゃあ遠慮なくいただこうかな」

 ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばし、ツクヨミのセーラー服のスカーフに引っかけ、一気に引き裂いた。

 ビリッと音を立て、セーラー服は胸元付近まで切れ、スカーフは宙を舞って落ちた。

 ツクヨミは、慎ましい胸の谷間を露にしながら尻餅をついた。

 胸を抑えた腕の隙間から窺えるのは、ツクヨミにとって烙印とも言える、左右対称の黒い傷だった。

「やっぱりね……」

 ビャクヤには、ツクヨミの傷痕が、それがうっすらと持つ顕現で分かっていた。

「その胸の傷。こうして実際に見なくても分かっていた。その傷を感じる度に。僕の胸も引き裂かれそうになった!」

 ビャクヤは怒り狂った。

「だからその傷を。大切な姉さんに傷を付けた主を捜して殺したかった!」

 ビャクヤの怒りは静まることはなかった。

「殺したい。喰らいたい。殺したい。喰らいたい。……殺したい!」

「ダメよ」

 震えるほどの怒りを露にしているビャクヤに、ツクヨミは静かだが鋭く言った。

「姉さんどうして!?」

「この傷は、私の親友だった人から付けられたもの。私の不注意で彼女の心を傷つけてしまった。その罪を風化させないための烙印」

 ツクヨミのかつての親友、ゾハルは今、顕現を求めて戦いに明け暮れていて、その所在を知る由もない。

「私はその罪を償わなければならないの。あの子の『器』を割る。そして楽にしてあげなければならない。例えそれが、あの子の命をも取らなければいけないことになろうとね……」

 ツクヨミの話を聞いている内に、ビャクヤの怒りは静まり始めていた。

「それがキミの。姉さんの目的というわけか……」

「ええ、そうよ。そして叶う願いなら、以前のように親友になりたい……さて、話はここまで。私を煮るなり焼くなり好きになさい」

 全てを語り尽くし、ツクヨミは目を閉じた。

「はーあ……」

 ビャクヤは、ツクヨミに手を出すことなく、ただ大きくため息をついただけだった。

「やめたやめた。姉弟ごっこを辞めるのはやーめた。そんな話を聞かされたんじゃ。もうしばらく続けなきゃならなさそうだ」

「ビャクヤ、貴方……」

「キミのその傷。消せないというなら。僕がもう一度この爪で貫いて上書きしてやるさ」

 ビャクヤは、地面に膝を付くツクヨミに手を差し延べた。

「ストリクス。いや。姉さん」

 ツクヨミは、差し出されたビャクヤの手を取った。

 ビャクヤは、その手を引き寄せ、ガバッ、とツクヨミを抱きしめた。

「ちょっとビャクヤ、こんなところで……!」

 驚くツクヨミの耳元にビャクヤは囁いた。

「キミは姉さんの()まれ変わりだよ。僕の前から消えるなんて許さない。今度こそ姉さんを死なせない」

 その囁きは決意のこもったものだった。

「……物好きな子、ね」

 ツクヨミもビャクヤを抱き締めた。

「ただ付いてくるだけなら、好きになさい。少し鬱陶しいけどね」

「ははは。姉さん。言ってることとやってることが逆じゃないかい?」

「……うるさいわね。やっぱりここでさよならしてもいいのよ?」

 そんなことはできようがないのはツクヨミ自身がよく分かっている。ビャクヤも知り尽くしていた。

「キミの抱擁は優しいね。姉さんの抱擁は骨が折れるかと思うものだったから……」

 二人でしばらく抱き合った後、ビャクヤは、ツクヨミから離れて立ち上がり、もう一度手を伸ばした。

「大好きな姉さん。貴女(あなた)のその傷を塞ぎ癒す大役。この生命尽きるまでどこまでも行こう」

 ビャクヤの、生命尽きるまで、と言う言葉を聞いた瞬間、ツクヨミは妙な感じになった。何故かビャクヤが遠くへ行ってしまうような、そんな嫌な予感がしたのだ。

ーー気のせい、よね?ーー

 ビャクヤは、ツクヨミにとってその身を守る武器である。しかし、そのように割り切るにはずいぶん大切な存在となっていた。

「姉さん。どうしたんだい?」

「ビャクヤ、付いてくるなら約束よ。私から離れないこと。いい? 何があろうと、ね」

「変な姉さんだね。僕は姉さんをずっと見てるつもりだよ。さあ。早く帰ろう。姉さん」

 ツクヨミはビャクヤの手を取り、朝焼けの中を二人歩んだ。

 ビャクヤの戦いは続く。その(こころ)が果てるまで。

ーー全喰ーー

 ビャクヤの中を蠢く何かが、ビャクヤの魂を喰らい尽くさんとしていた。

 これから先に何が起きるのか、それは今の二人には知る由もない事であった。

 

Final Chapter その後の夜

 

 一組の男女によって、『虚ろの夜』にて最強を誇っていた女、『眩き闇』ことヒルダが倒されたという情報は瞬く間に『夜』に広まった。

 『忘却の螺旋』の総帥であったヒルダが打ち倒された事によって、事実上、組織は壊滅した。

 組織は、ヒルダをトップに三人の幹部が存在していたが皆、それぞれの理由によって組織を離れており、再結成がなされる事はなかった。

 組織としても最強を誇る『忘却の螺旋』であったが、幹部を除く末端の人間はまるで統率が取れていない烏合の衆であった。

 『虚ろの夜』を騒がせていた組織が壊滅した事により、『夜』はいくぶん静かになっていた。

 しかし、静かになったとはいっても、虚無は蠢き、顕現を追求する偽誕者は変わらず存在する。

 数匹の虚無と女の偽誕者が争っていた。

 真っ白な髪を血で濡らし、右目や腕に巻いた包帯は泥のような顕現に汚れていた。

 女は、一見死にかけの満身創痍となっているように見えるが、見た目に反して圧倒的な顕現を持っていた。

 強大な力を持つ顕現を、その小さな身体に宿しているために、女は虚無に落ちかけていた。

「ぜーんぶぶっコロす!」

 女は、五本の指に杭のようなモノを作り出し、人の運動能力を凌駕した動きで、自身を囲む虚無の群に当たった。

 女の手にある鋭利な黒い杭は、襲いかかる虚無全てを切り刻んだ。

 女は、虚無を杭の爪で鷲掴みにし、その腸ごと顕現を喰らった。

 真っ黒な血煙が上がり、顕現を奪われた虚無は、その身を霧散させていった。

 女は、杭の爪を使って虚無を捕らえ、喰らい続けた。虚無の血肉を顔中にさらしたその姿は、悪魔そのものであった。

「はぁ……はぁ……!」

 女は、興奮に息を切らす。

 不意に、辺りにパキッ、という音が鳴り響いた。

「おやぁ……?」

 女は、ぬるりとした首の動きで音のした方を向いた。

「やべっ! 逃げろ!」

 女の行動を隠れて見ていた集団がいた。その中の一人がもっと近くで見ようとして、うっかり枝を踏んでしまったのだった。

「にがさないよぉ!」

 女は杭を放った。杭は逃げ出そうとする男の一人の足に突き刺さった。

「ぎゃあああ!」

 すぐさま女は、痛みに叫ぶ男に近付いた。

「ぐうう……お、お助け……!」

「どうしようかなぁ?」

 女は、男の顔に爪を立てて掴み上げる。

「あ、そーだ。ちょーっと訊きたいことがあるんだけど?」

「わ、分かった! 知っていることは何でも話す!」

 女は、突き立てた爪をさらに深くする。傷を深くえぐられ、男は小さく悲鳴を上げる。

「蜘蛛野郎を知らない? ストリクスと一緒だったと思うけど」

 女の質問は漠然としていた。男は質問の意味も掴めていなかった。

「へ、一体何を言って……?」

「そっか。知らないんだ。じゃあバイバイかな」

 女は、空いた方の手のひらに杭を作り、男の胸を貫こうとした。

「まっ、待ってくれ! そんな感じの奴思い出したかも!」

「ふーん、じゃあ言ってみなよ」

「中学生くらいのガキと高校生くらいの女の事だ!」

 男の話は、今や『夜』では有名になっている。故に女の耳にも届いていた。

「そんなのうちも知ってるよ。バカにしてない?」

 女はすぐに男を殺さずに、突き付けた杭の先を男の胸にピタリとくっ付けた。

「待て、待ってくれ! 俺は見たことがある! 中学生くらいのガキが、背中に八本の鉤爪出してて、クモみたいな糸を使って戦って、倒した相手から顕現を吸い取っている所を!」

 男の言う話を聞いて、女は確信を持った。この男の言うことは正しい。それ故に、女はあの時、不意打ちを受けた屈辱感に苛まれた。

「そっかー。それじゃ最後にもう一個、そいつらはどこで見られる?」

「か、川沿いの広場だ。そこで虚無を喰っているっていう噂を聞いたことがある!」

 女は、知りたい情報は全て聞くことができた。

「そっかーありがと。これはお礼だよ!」

 女は、男に突き付けていた杭ごと腕を一気に突き刺した。

「ぐばっ! な、なん、で……!?」

 男は、自分の身に何が起きたのか、理解できぬまま絶命した。

 女は、男を貫いた腕を引き、男の臓腑と共に妖しく光る顕現の『器』を抜き出した。

 女は、えぐり取った臓腑はその辺に捨て、光を放つ『器』を一口に飲み込んだ。

「……んくっ、えぐってやる。むしりとって喰ってやる……!」

 女は、口の周りを濡らす血を舐めた。

「待ってろよ、蜘蛛野郎……」

 女は口角をこれ以上ないほどにつり上げるのだった。

    ※※※

 ビャクヤとツクヨミは、『夜』にて完全に有名な二人組となっていた。

 新興能力者集団、『忘却の螺旋』の『眩き闇』を討ち取った彼らは、他の偽誕者に恐れられる存在であった。

 一度顕現の食事をしようと、二人で『夜』に踏み入るとすぐに噂が広がり、『夜』から逃げ出す者がほとんどであった。

 能力に自信のある一部の者は、ビャクヤに戦いを挑むことがあったが、一蹴されるのが関の山であった。

 ビャクヤは、これまでに重ねた戦いによって、自らの能力に新たなる力を得ていた。それがビャクヤを強い偽誕者に変えていた。

 そんなビャクヤは、今宵もまたツクヨミと共に『夜』に来ていた。

「はあ……誰も彼も弱すぎてつまらないねぇ……」

 ビャクヤの姿を見て、戦いを挑んできた者が数多くいた。『眩き闇』ほどの能力を持つ者は、これまでのところ現れていない。

「あの女に、喋る虚無。それら超えた相手などそうはいないはず。それが頂点に立つ者というものよ」

「頂点。ねぇ。そんなの手に入れたって。つまらないだけじゃないか。相手がまだいるからいいけど。その内見つからなくなるだろうね」

 『眩き闇』に喋る虚無、メルカヴァという、強敵を倒し、ビャクヤは『夜』の下最強となった。

 しかし、ビャクヤにとっては全くもっていらない称号であった。

 このまま偽誕者を喰らい続ければ彼らの数が減り、比例するように虚無の数も減ると思われた。

「あーあ。どっかに強くて美味しい顕現を持った偽誕者か虚無いないかなー?」

 今の『夜』で最強となったビャクヤに及びそうな相手の存在に、ツクヨミは心当たりがあった。

 それは、今もこうして探している人物、ゾハルである。

 あの日出会って以来、ゾハルと思しき偽誕者の噂はよく耳にしてきた。

 ただひたすらに顕現を求めて『夜』を暴れまわる様子を、ツクヨミは聞いていた。

 あの時ゾハルは、ビャクヤの不意打ちで戦意を喪失し、逃げてしまったと思われたが、ゾハルの質を知っているツクヨミは、そうは思えなかった。

 ゾハルは、かなり嫉妬深い性格をしていた。その質はたとえ、虚無に落ちかけた今でも、意思を保てている間は変わっていないと思われた。

ーーこの『夜』の下、あの女亡き後、今のビャクヤの力に及ぶのは、ゾハルしかいないわねーー

 顕現を手当たり次第にその身に宿し、ゾハルはビャクヤを倒さんとしている。ツクヨミはそう考えていた。

「ビャクヤ」

 ツクヨミは歩みを止め、ビャクヤを呼んだ。

「ん? どうしたんだい。姉さん」

 ビャクヤも止まり、ツクヨミの方を向いた。

「『眩き闇』との大きな戦いがあってすぐだけど、間もなく、更に激しい戦いがあるわ」

「激しい戦いがある。なんて藪から棒に。なんの根拠があるのさ?」

「貴方は一度だけあの子に会っているわ。私の探している子、ゾハルに、ね」

 ビャクヤは覚えのない様子であった。

「なら『強欲』のゴルドー、彼の名なら覚えているかしら?」

「ごーよく……ゴルドー?」

 この二つの単語には覚えがあった。するとじわじわと記憶が甦ってきた。

「思い出したよ。半裸にコートの露出狂じゃないか。まさかあれとまた戦うのかい?」

 ゴルドーは彼自身の立場上、ヒルダの仇討ち、などということも考えられるが、紅騎士を狙っている限りその可能性はほぼない。

「彼を覚えているなら、思い出せるはずよ。彼のすぐそばにいた白髪の子よ」

 ゴルドーの事を思い出した事によって、ビャクヤの記憶はありありと甦ってきた。

「そうか! あのセミだね!」

 ゾハルは、ビャクヤの不意打ちの糸に巻かれた時、金切り声を上げ続けていた。蜘蛛糸に締め付けられ、叫ぶ様子を見てビャクヤはクモの巣に引っ掛かったセミの様だと考えていた。

「セミ? 何を言っているの?」

「そうか。やっぱりあのセミが。ゾハルっていう人だったんだね」

 ビャクヤは、自身に宿る顕現の獣によって、ツクヨミの真の名、ストリクスという名と、その他二人の名前を知らされていた。

「僕の巣網にかかってギャーギャー騒いでただろう? あれはまるっきりクモの巣にかかったセミだった。だからセミだよ」

「それでセミ……まあ、呼び方は……いえ、ちゃんと呼びなさい。私のかつての親友だったのだから」

 ツクヨミは、ビャクヤのゾハルへの呼び方を改めさせる。

「はーぁ。そんな呼び方してたら僕まで邪気眼扱いされそうなんだけど?」

 海外出身者であることを差し引いても、ゾハルという名はビャクヤにとって、口にするのは憚れるものだった。

「まあいいや。姉さんからの頼みだ。無下にはできないね」

 ビャクヤは、ツクヨミに従うことにした。

「そうそう。あの時は大変だったね。姉さんおもらしして。その上風邪まで引いちゃったからね」

 ビャクヤは、ゾハルと初めて会った時の出来事を思い出した。

 親友だったゾハルに殺されかけ、不意にビャクヤに助けられ、緊張の糸が切れたツクヨミは小水に沈んだ。

 ツクヨミにとっては思い出したくない過去であった。

「その話はやめてちょうだい。だいたい、風邪を引いてるって言ったら今の貴方でしょう?」

 ツクヨミの言う通り、ここ数日ビャクヤは、風邪を引いたように咳をしていた。

「そんなバカな。僕は愚かだからね。風邪なんか引くはずがないじゃないか……ごほ。ごほ……」

 ビャクヤはわざとらしく咳をした。

「まあ。たとえ何かの間違いで風邪を引いていたとしても。戦いには問題ないよ。さあ。そろそろ行こうか。ごほ……」

 ビャクヤの言う通り、戦うには問題はなかった。

 毎夜小さな『夜』に訪れては、虚無をその鉤爪で捕らえて喰らっていった。

 ごく稀に遭遇する偽誕者にも遅れを取るような事はなかった。

「ごほ……ごほ!」

 しかし、ビャクヤの咳は、止まる所を知らず、体力を少しずつ蝕まれていった。

 医者によると、風邪との診断であった。しかし風邪にしては、ビャクヤの症状はひどかった。それでも医者の診断は風邪であると変わらなかった。

 ビャクヤの病状とは逆に、再生しているものがあった。それは、ツクヨミの顕現である。

 ゾハルに割られた『器』が長い時間をかけて、ついに元通りとなった。

 大きな力こそないが、ツクヨミの能力『生命の樹(セフィロト)』は、他人の顕現に干渉できる能力であり、生命力を顕現に変換するか、その逆の事ができる。

 医療で分からないとすれば、顕現が関係しているものと思われた。

 そこでツクヨミは、元に戻った顕現を使用し、ビャクヤを見た。しかし、ツクヨミの能力を以てしても異常は見られなかった。

ーーこうなれば、仕方ないわね……ーー

 原因が顕現であるからには、治す手段も顕現になる。ツクヨミには、一つ考えがあった。

「ビャクヤ、ちょっといいかしら?」

 ツクヨミは、ベッドに横たわるビャクヤの元へ行った。

「どうしたんだい姉さん。あんまり僕に近寄るとうつるかもよ?」

「あなたの身体を治す方法が一つだけあるわ」

「なんだい。毎度藪から棒に」

「あなたの顕現の源、『器』を割る。そうすれば、その症状は改善されるはずよ」

「…………」

 ビャクヤは何を考えてか、しばらくの間黙り込んでいたが、やがてため息をついた。

「はぁ。姉さん。『器』を割るなんて簡単に言うけど。姉さんには『器』を割る力がないじゃないか……ごほごほ……」

 ツクヨミの、ストリクスとしての能力は、『生命の樹』と言い、対象者の生命力を糧に顕現を増幅させる非常に変わったものである。

 そのような性質上、自分自身が戦うのには向かず、他の偽誕者に術をかける使い方しかできない代物。そのはずだった。

「私の生命力を私自身にかけて、顕現を得てあなたの『器』を割る。これまでやったことがなかったから分からなかったけど、最近顕現が戻って、術を私にかけることもできるのが分かったの。だから」

「だから。どうするのさ? ゾハルだったよね。姉さんの探す人は。その力はゾハルに使うべきだよ」

「それはまあ、あなたの言う通りね。けれど今のビャクヤじゃ満足に戦えるかも分からない。今は身体を治して、その後でも遅くはないわ」

「それで僕の『器』を割るつもりなのかい。けど、ゾハルもだいぶ顕現に侵されているんだろう? 悠長な事を言ってる場合じゃない……」

 ビャクヤは、ごほごほと咳き込みながらベッドから這い出た。

 日は沈み、真っ赤な満月が空にある。『深淵』を中心とした『虚ろの夜』がやって来ていた。

「……原因がなんだろうが。病気には食事療法が一番さ。『虚ろの夜』に行こう。姉さん」

 ビャクヤは、ツクヨミの返答を待たずして部屋を出ていった。

ーー私は、どうすれば……?ーー

 ツクヨミは、今の状況下に揺らいでいた。

 ゾハルの『器』を割り、最早望みは薄いが、叶うならば以前の関係に戻りたいと願っている。

 他方で、ビャクヤの身体を治してあげたいと心から思っている。

 いつしかビャクヤは、ツクヨミにとってとても大切な人になっていた。表向きは姉弟を演じているが、本心では恋慕の情が募っていた。

 愛するまでに至った相手が、病で弱っていく姿を見ているのは辛く苦しいものだった。

 友情か愛か、どちらを選ぶべきか、ツクヨミは迷ったままビャクヤの後を追っていった。

    ※※※

 最も多くの偽誕者が集まる場所がある。それは、大きな川の近くに築かれた自然公園、名はそのままに『川沿いの広場』といった。

 都市開発が進んでおり、開発途上の高架橋が真っ先に目に入る自然と都市が融合した場所であった。

 この場所は、ビャクヤがまだ能力に覚醒する前に、生前の姉とよく来ていた所でもあった。

 ビャクヤにとって、姉との思い出の地であったが、虚無や偽誕者が多く現れるため、すっかり血生臭い場所と化していた。

 ビャクヤとしては、思い出の場所であるからこそ、そこを汚す敵は許せず、その全てを逃がさず息の根を止めていた。

 そしてビャクヤはいつしか、この場所で生涯を終えようと考えていた。

 そんなビャクヤにとって思い出の地であり、最期を迎えるべき場所に狂気の権化が彼を待ち受けていた。

「やっとみつけた。蜘蛛野郎。お前らがよく来るってきいてから、ずっとまってたよ」

 ビャクヤを待っていた狂気、ゾハルが恐ろしい笑みを浮かべている。

「ゾハル!」

 ツクヨミは、ゾハルがもしも現れるとすればこの場所だと、ゾハルから逃げ帰った事のある偽誕者から聞いていた。

「この期に及んで話し合いはムダだよ。姉さん」

 ビャクヤに言われるまでもないつもりであったが、ツクヨミは話しかけずにいられなかった。

「ゾハル、あなた……」

 ゾハルの姿は、最後に会った時と比べて、おぞましい容姿をしていた。

 髪は固まった血で完全に染まっており、所々真っ白だった面影を僅かに残している。

 腕と右目に巻かれた包帯は泥にまみれていた。

 体にピッタリした茶色の戦闘服は、ズタズタに切り刻まれ、これまで激しい戦いをしてきた事を物語っている。

「あんただれ?……なーんて、ストリクスじゃん。ひさしぶりぃ」

 ゾハルは、ツクヨミの姿を見てすぐにストリクスだと判断した。

「私が分かるのね?」

「あったり前じゃん。お前がオーガの心を得ていたんだからねぇ」

 ゾハルは、見た目とは裏腹に、以前よりも自我を保てていた。

ーー前よりも話は通じそうねーー

 ツクヨミは思うが、最早話し合いで解決など求めていなかった。しかし、ただ一言伝えたい思いがあった。

「オーガの事は……なんて、言ったところで詮無き事。だけどこれだけは言っておく。親友として、あなたの『器』を割る」

「戦うちからも持ってないくせに、どうやってうちの『器』を割るつもり?」

「ええ、あなたの言う通り、私は戦う能力は持ち合わせていない。けれど、割る力はある……」

 ツクヨミは宙に手をかざした。すると、ツクヨミの手は、顕現の青い光を帯び始めた。

 光の中から翡翠色の短剣が顕現した。ツクヨミはそれを手に取ると、切っ先をゾハルに向けた。

「これは、『セフィロトの(つるぎ)』。今のあなたには最もよく効くはず」

 ツクヨミの顕現させた『セフィロトの剣』は、暴走した生命力を顕現に変化、拡散させる能力があった。

 顕現と生命力を常に暴走させている今のゾハルに効くというのは道理であった。

「ビャクヤ」

 ツクヨミは、『セフィロトの剣』を片手にビャクヤを呼んだ。

「はーい。どうするんだい? 姉さん……ごほごほ」

 ビャクヤは、努めて明るく振る舞っているが、日を増すごとにひどくなっている咳が辛そうであった。

 今戦わせて本当に大丈夫なのか、とツクヨミはまたしても揺らいでしまう。

「おーい。姉さーん?」

 ビャクヤは、自分を呼んでおいて何も言わない、ツクヨミの顔を覗き込んできた。

「……後はお願いね」

 ツクヨミはいつものように、こう言ってビャクヤの後ろへと下がっていくしかなかった。

「任せてよ。姉さん。止めはそのナイフで刺すんだろう? 殺さないように気を付けるね」

 ツクヨミが多く語らずも、ビャクヤは彼女の目的を理解しているようだった。

 ツクヨミが、手近なベンチに腰かけるのを確認すると、ビャクヤはゾハルと対峙した。

「というわけで。ここからは僕が相手だ。セミ……いや。ゾハル」

 ゾハルは相変わらず、恐ろしい笑みを向けていた。

「やっぱりお前があいてか。あのときの屈辱、晴らす!」

 ゾハルは、ビャクヤが身構える前に手に杭を顕現させ、突き刺しにかかった。

 ビャクヤもとっさに八本の鉤爪を顕現させて応戦した。

「焦らないの。まだまだ始まったばかりじゃないか」

 ビャクヤは、ゾハルの杭を払いのけた。

 二人の間に距離が空いた。お互い攻撃を当てるには一歩の踏み込みが必要かと思われた。

 しかし、ゾハルが間合いを無視した攻撃をした。手に顕現させた杭をそのままビャクヤに向けて放った。

「そんなの……」

 ビャクヤは、杭を受け流した。

「まがれ!」

 ゾハルが叫ぶと、受け流されたはずの杭が進路を突然に変え、再びビャクヤへと襲いかかった。

「まだまだ……」

 杭の動く速度は、特別に速いわけではなく、ビャクヤは杭を難なく弾き返す。

「かわれ!」

 ゾハルは、先ほどとは違う叫びを上げた。ゾハルの声に反応を示したのは、杭そのものであった。

 変化せよ、というゾハルの命令に従い、杭だった黒いものが、蛇のような姿になった。

「ビャクヤ、下がって!」

 ゾハルの能力の正体を知るツクヨミは、ビャクヤが黒い蛇に触れないように叫んだ。

「おっと……」

 ビャクヤは後ろに飛び退き、頭上から襲いかかってくる蛇の牙をかわした。

「まとわりつけ!」

 黒い蛇は、何度も鎌首をもたげ、ビャクヤに牙を向け続けた。

 ビャクヤは、蛇の攻撃を鉤爪でいなしていたが、異変を感じた。

ーー八裂の八脚(プレデター)が……!?ーー

 鋼鉄以上の硬さを持つビャクヤの鉤爪が、黒い蛇の攻撃を受け止めている内に、ヒビが入り始めていた。

ーーまさか。顕現を吸われているのか?ーー

 ビャクヤは、ヒビが入った鉤爪をあえて噛ませ、残る鉤爪で蛇を切り裂いた。すると、切り裂いた鉤爪にもヒビが入った。

「これは驚いたね。まさか僕の爪をぼろぼろにしちゃうなんてね」

 ビャクヤは、周囲に漂う顕現を吸収した。顕現が満たされると、鉤爪はもとの姿を取り戻した。

 対するゾハルは、ビャクヤから奪い取った顕現で再び杭を作っていた。

 このままでは、堂々巡りであった。ゾハルの攻撃を受け止めていては、そこから顕現は奪われ、迎撃してもある程度顕現が奪われる。

 この状況を覆すには、先の先を取ってゾハル本人を叩くより他なかった。

 故にビャクヤが先手を打った。

「こんなのはどうだい?」

 ビャクヤは、鉤爪を倍以上に伸ばして攻撃した。先端部が僅かにゾハルに触れる。

「そんなもの……!」

 ゾハルは、顕現の盾を作り出し、ビャクヤの攻撃をしのいだ。

「こっちだよ!」

 ビャクヤは、伸ばした鉤爪を左右に分けて攻撃に使用し、左の四本をゾハルにあてがい、右の四本でゾハルの足下を払った。

「うあっ!」

 顕現の盾が及ばない足下を払われ、気を反らされたゾハルの盾は硝子が割れるように砕け散った。

 足をやられたゾハルであったが、『生体器(ヴァイタルヴェセル)』のおかげで深傷を追うことはなかった。しかし、ビャクヤに晒した隙は非常に大きかった。

「捕まえた」

 ビャクヤは、ゾハルを捕らえるために糸を投網のように放った。

「させるか!」

 ゾハルは後転し、糸から離れた。

「逃げてもムダさ!」

 ビャクヤは、先に放った糸が蜘蛛の巣状になった瞬間、糸を一本放って自身を巣へと引き寄せた。

 ビャクヤは、一瞬の動きで巣網の上に立った。

「ほーら。捕まえた!」

 後転の直後で、僅かな隙を見せるゾハルに、ビャクヤは伸ばした鉤爪で突き刺そうとした。

 ゾハルは、顕現の盾を出してビャクヤの攻撃を防ごうとしたが、先ほど割れてしまった時に顕現を放出してしまい、盾を出せなかった。

「ほらほら!」

「ぐばっ!」

 ビャクヤの攻撃はゾハルに当たった。

 『生体器』のおかげで体を鉤爪で串刺し、ということは避けられたものの、ゾハルはもんどり打って大きなダメージを受けた。

「まだまだ……ごほっ。ごほっ!」

 ゾハルに追撃を加えようと、ビャクヤは動いたが、ここ数日の発作的な咳に足を止められた。

 ビャクヤは、どうにか立ち直ろうとするものの、依然咳が続いている。

「ごほっ……ごほっ!」

「ビャクヤ……?」

 ツクヨミは心配になり、少しビャクヤに近付いた。

 するとツクヨミは、驚愕の極みに至った。ビャクヤは口の周りを血で汚していたのである。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは駆け寄ろうとした。

「そこから動かないで。姉さん!」

 ビャクヤは顔だけをツクヨミに向けて叫んだ。

「ごほ……そんな顔しなくても。僕はまだまだ戦えるさ……」

 ビャクヤは更に喀血する。そして今、自分の身に何が起きていたのかを理解した。

 ビャクヤが偽誕者の力に目覚めた時、蜘蛛に襲われた。その時に体を傷つけられ、そこに顕現が流れた。

 その顕現の他に、蜘蛛からその身の一部、卵を産み付けられていたのである。

 やがて卵は孵り、ビャクヤの中に存在するようになった。顕現の食事でなければ腹が満たされなくなったのは、ビャクヤに宿る顕現の獣、ケリケラータの存在によるものだった。

 今、十分に成長したケリケラータは、ビャクヤという『器』を破って外に出ようとしている。それ故にビャクヤは身体の内部から蝕まれていたのだった。

ーーははは。お医者さんでも分からないわけだよーー

 ケリケラータが今になってここまで活発となった理由、それはヒルダ、メルカヴァといった非常に大きな顕現の持ち主を喰らったために、ケリケラータが急成長を遂げたのだと思われた。

 そして今、ゾハルという『深淵』の顕現にあてられ、顕現が暴走している者を相手している。

 ビャクヤが、この顕現の暴走したゾハルと対峙した事で、ケリケラータの活動が更に活発化した。

 ビャクヤが喀血して苦しむ間に、ゾハルは立ち上がっていた。

「もう許さない。蜘蛛野郎」

 ゾハルは、怒り心頭といった状態だった。

「あはは。元気がいいね。その元気の源。喰らったら僕も大層元気になりそうだよ……!」

 精一杯のやせ我慢であった。ケリケラータに蝕まれ、ビャクヤにこれ以上戦う力はほとんど残されてはいなかった。

「ふん、そんな血反吐出しながら、まだ勝てるつもり?」

「キミを喰らえば全部よくなるよ。さあ。最後の勝負といこうじゃないか。負けた方が確実に死ぬ。本当に最後の勝負にね……」

 ビャクヤは、震える体をおして立ち上がる。そして八裂の八脚を顕現させた。

「最後の勝負か。いいよ、面白い。うちの最大のちからでお前を殺してやるよ!」

 ゾハルは言うと、片目を隠すように巻いていた包帯を解いた。

 出てきたのは、全てを真っ赤に塗り潰したような、おおよそ眼とは思えない代物だった。果たして、その眼を通じて物が見えているのかも分からない。

 しかし、最後の勝負に臨むに十分足り得る顕現を持っていた。

「へぇ。たいした眼を持ってるじゃないか。何ができるのかな」

「答えは死んでからあじわいな!」

 ゾハルの真っ赤な眼が光を放った。

ーー何が来る……?ーー

 何が来るのか分からず、ビャクヤは鉤爪で身を守るように身体の周りに固めた。

「曲がれ!」

「うわっ!?」

 ゾハルが叫ぶと光を受けた鉤爪が、ゾハルの命令通りひん曲げられてしまった。

「潰れろ……!」

 ビャクヤの身を守る鉤爪は、全て地面に押し込まれてしまった。

「さあ、つぎはお前だ! 曲がれ!」

 ゾハルは、真っ赤な眼光をビャクヤに向けた。

 身体にあの光を受けたら一溜りもないと直感で感じ、ビャクヤは地面の鉤爪を一本拾い上げ、それで身を守った。かなりの強度を誇る鉤爪だが、ゾハルの言った通り完全にひん曲がってしまった。

「ふう。なかなか危ない事してくれるじゃないか……ごほ」

「さいごの勝負をのぞんだのはお前だろう。それにいったハズだ。お前をもう許さないって!」

 ゾハルは眼光を放った。

ーーあれは? ゾハルにあんな力はなかったはず。一体何が……?ーー

 戦いを見守るツクヨミは、ゾハルの能力に疑問を抱いていた。

 ゾハルの能力は、彼女が『万鬼会』に所属していた頃にはなかったものだった。

「ふふ、ストリクス、知りたそうだね?」

 ゾハルは、ツクヨミの視線を感じ、真っ赤に光る眼を手で隠しながらツクヨミを見た。

「まあいいや。めいどの土産だ。教えてやるよ」

 ゾハルは、虚無に落ちかけながら数多の偽誕者、虚無と戦う内に新たな能力に目覚めていた。

 『湾曲(ベンド・シニスター)』という能力であり、ゾハルの真っ赤に塗り潰された眼の光を受けると、彼女の思うままに物体を湾曲させる事ができる。

 虚無が相手ならこの力で首を折ってやれば倒せ、生体器がほとんど空の偽誕者でも同じ方法で殺害できた。

 能力の発動には、眼光を当てた後に、物体にどうなってほしいかを言うだけである。非常に簡単であり、ほぼ無敵の能力であった。

「あはは。自分からそこまで言っちゃうなんて。相当自信があるみたいだねぇ」

 ビャクヤは、ゾハルが話している間に鉤爪を再生させていた。

「けど。話を聞く限り。僕には通用しないよ。この八本の爪があればね」

 ビャクヤは既に対策を立てていた。

「だったら、受けきってみろ、蜘蛛野郎!」

 ビャクヤが先に駆け出した。しかし、携えているのは一本の鉤爪であった。

「曲がれ!」

 一本の鉤爪はいとも容易く曲げられてしまう。

 ビャクヤは使えなくなった鉤爪は放り、二本目を顕現させる。

「潰れろ!」

 二本目も押し潰されてしまった。同時に三本目を顕現させた。

「砕けろ!」

 三本目は粉々に砕け散ってしまった。そしてちょうど半分の四本目を顕現させた。それとほぼ同時にビャクヤとゾハルは肉薄した。

「ぐっ、裂けろ!」

「チェックメイトだ!」

 四本目が縦横に裂けた瞬間、ビャクヤは残った四本を顕現させた。間合いはビャクヤの間合いになっており、ゾハルは動けなかった。

 ビャクヤは糸を手繰って少し宙に浮き、二本の鉤爪をゾハルに向けた。

「舐めるな!」

 ゾハルは顕現の盾を作り出した。

「引っ掛かったね」

 ビャクヤは、落下しながら残る鉤爪を足に纏わせて、ゾハルの腹部に蹴りを放った。

「かは……!?」

 ゾハルは、顕現の盾を二度も破られ、『生体器』もかなり消耗していた。地面に叩き付けられ、肺に残る息が全て出ていった。

「ぐっ。ごほごほ……がはっ!」

 ビャクヤは、生命を脅かされるほどの大喀血をした。ビャクヤのいう最後の勝負が終わった瞬間だった。

「ビャクヤ!」

 大量の血を吐き出したビャクヤに、ツクヨミは思わず駆け寄っていた。

「ごほっげほ!……姉さん。今がチャンスだよ。僕に構わずにそのナイフで奴に止めを刺すんだ!」

 大ダメージを負った今のゾハルであれば、ツクヨミでも『器』を割る事は可能であった。

 しかし、ビャクヤを捨て置く事はできなかった。

 ビャクヤとゾハルの二人に共通するのは、顕現の暴走である。暴走の元をツクヨミの『セフィロトの剣』で貫けば暴走は止まる。

 ビャクヤを蝕んでいるのも顕現の暴走であった。つまりビャクヤも『セフィロトの剣』で突き刺せば、苦しみから解き放つ事ができる。

 ツクヨミが悩んでいる間に、ゾハルは立ち直り始めていた。

 やはり重病人に等しい状態のビャクヤの攻撃では、ゾハルを打ち倒す事はできなかったのだった。

「何を迷ってるのさ。親友を助けるんだろう? だったら早くその剣で止めを刺すんだ。姉さん!」

 ゾハルは、体を震わせながら体を起こした。

「蜘蛛野郎……!」

 ゾハルは、恨めしい顔をビャクヤに向けると、二人に背を向けた。やはり本能的に勝てないと感じたのか、ゆらゆら揺れながら逃走を始めた。

「姉さん。追いかけるんだ! あんなのすぐ追い付けるだろう!」

「けれどビャクヤが!」

「早く行けと言っているでしょう! いつから貴女はそんなに甘くなったんだ。ストリクス!?」

「…………っ!?」

 ビャクヤがツクヨミに向かって初めて叱咤した瞬間であった。

 ビャクヤの叱咤を受け、ツクヨミは立ち上がり、ふらふらと歩くゾハルを追った。

 ゾハルに追い付くのは容易い事だった。

「ゾハル、ごめんなさい……!」

 ツクヨミは、振り上げた剣はそのままに、ゾハルに背を向けた。

 ツクヨミの向かった先は、ゾハル以上に重症のビャクヤの元であった。

「……何を!?」

 ツクヨミは、ビャクヤを押し倒し、シャツを破いて真っ白なビャクヤの胸をはだけさせた。

「ビャクヤ、私にはあなたを放っておくなんてできないの!」

 ツクヨミは、ビャクヤの顕現の元、『器』に向けてセフィロトの剣を突き立てた。

 ビャクヤの胸を穿った剣はパリン、と音を立てて『器』を割った。

「うああああ!」

 ビャクヤは、『器』を割られた痛みに叫んだ。しかし、痛みはほんの一瞬だけだった。

 顕現の消失とともに、ビャクヤを蝕むケリケラータも活動を停止した。

「ビャクヤ!」

「…………」

 ビャクヤは、茫然自失の状態であった。

 やがて穿たれた胸には、ツクヨミが持っていたものと同じ、黒い蝶のような痕ができた。

 ゾハルの気配は消えていた。どうやら逃げ果せたようである。

 虚無の気配も同じく失せていた。

「ビャクヤ、ビャクヤ聞こえてるんでしょう!? 返事をしなさい!」

 ツクヨミはビャクヤを揺り起こそうとした。

「……うるさいなぁ。聞こえてるよ」

 ビャクヤの意識はまだ残っていた。しかし、少しでも気を抜けば、眠りにつきそうなほどビャクヤは弱っていた。

「ビャクヤ! よかった……」

「ははは。この状態を見て安心するなんて。おめでたいものだね。姉さん」

 外傷はそれほど深くはなく、肺病のような症状もない。

 ビャクヤの『器』が割れたことで、ビャクヤを蝕んでいた存在も活動を止めた。しかし、完全に停止したわけではなかった。

「やれやれ。姉さんも馬鹿だね。せっかく僕が死ぬ思いでゾハルを追い詰めたのに……」

「今はあなたの命が大切よ。肩を貸すわ。ここから離れましょう」

 ビャクヤは、ツクヨミの肩を借りて何とか立ち上がることができた。

「参ったね。足がちっとも動かないや……」

 ビャクヤの様子に堪りかねたツクヨミは、ビャクヤを横抱きにして、近くのベンチに座り、ビャクヤに膝を貸した。

「ああ……」

 ツクヨミに膝枕をしてもらいながら、ビャクヤは言う。

「今ならすっと眠れそうだ。何日でも何ヵ月でも。ね……」

 そしていつか、永遠の眠りにつくであろう。ビャクヤはそう考えていた。

「姉さん。いや。ストリクス」

 ビャクヤは呼んだ。

「キミとの取引は終わりだ。もうじき僕は死ぬんだろう。キミを守ることもできなくなる。お役御免ってやつさ。僕なんか捨て置いていきなよ。姉さんとよく来ていて。ストリクスにも会えたこの場所で果てられるなら本望さ」

 ビャクヤは満足していた。

 最愛の姉を事故で亡くし、ほぼ同時期に能力を手に入れ、『夜』を歩いて回っていると、姉にとてもよく似ているストリクスに出会った。

 戦いに明け暮れる日々が続いたが、姉の姿をしたストリクスと過ごした日々は、ビャクヤの人生を満足たるものにするのに十分だった。

 しかし、ツクヨミ(ストリクス)は全く逆の気持ちであった。

「弱気な事言わないで。まだ私たちの契約は終わらない。ゾハルの『器』を割るまでが約束だったじゃない!?」

「みすみす取り逃がしたのはキミじゃないか。それに僕の戦う力も。キミのせいでなくなってしまったよ」

 せっかく命懸けで戦ったのに、とビャクヤは続けた。

「どうして僕の『器』を割ったのさ? ゾハルは虫の息だったじゃないか」

「それは……あなたが好きだから」

 ツクヨミは、初めて自らの気持ちを認めた。

「あなたのことが好きだから、助かって欲しかった。それだけよ」

 ビャクヤは、なにやら考えた様子を見せてから答えた。

「やっぱりか……」

 ビャクヤはいつからか、ツクヨミが自分を好いている事はなんとなく気付いていた。

「僕もキミが好きだ。キミは月夜見姉さんの誕まれ変わりだからね」

 だけどね、っとビャクヤは続ける

「それ以上に。僕は月夜見姉さんが好きなんだ。キミという姉さんがいながら。まだ月夜見姉さんを追いかけている。滑稽だよね全く……」

 ビャクヤは、ごほごほと血の混じる咳をした。

「ビャクヤ!」

「げほっ! げほげほ……」

 ビャクヤは、血を受け止めた手を離した。最早誰の目にも手遅れだと分かる出血量だった。

「あはは……」

 ビャクヤは、真っ赤に染まった自らのシャツを見て、小さく苦笑するしかなかった。

「とうとう終わりかな? 僕も。ああ。もう眠くて限界だよ……」

 ビャクヤは目を閉じた。

「ビャクヤ! 起きなさい、今眠ればあなたは……!」

「……もう眠らせてくれよ。ストリクス。僕はずっと前から。死ぬ運命だったんだから……」

 ビャクヤは、姉を亡くして生きる意味をも失っていた。

 死んだ姉の後を追うべく、ビャクヤは偶然にも『夜』へと来ていた。どこまでも広がる闇の中に溶けていこうと、ビャクヤはその身を地にゆだねた。

 しかし、死の瞬間は訪れなかった。代わりにビャクヤに襲いかかったのは、蜘蛛の虚無であった。

 大きな蜘蛛に捕食されかかったものの、命は助かった。

「……僕は運がよかったようだよ。ここまで生き延びるなんてね」

 人の身には余る蜘蛛の能力を使っていては、遅かれ早かれ命に関わることは、ビャクヤにもなんとなく分かっていた事だった。

「僕はね。ストリクス。キミに出会えて嬉しかったよ。月夜見姉さんと本当によく似ててさ。姉さんが帰ってきたと思えて胸がつまったよ……」

「ビャクヤ……」

「さて。そろそろ頃合いだ。僕は眠る。僕が眠ったら。ここに捨て置いてくれるかい? 姉さんとの思い出にひたりながら逝くからさ……」

 この言葉を最後に、ビャクヤは昏睡状態となった。

 ずっと向こうを見ているような遠い瞳は閉ざされて、その寝顔は穏やかな少年のものである。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは、ビャクヤを揺すった。しかし、何をしようともビャクヤの目は醒める事はなかった。

 ただ静かに寝息をたてて眠る、イバラの姫(リトル・ブライア・ローズ)のようだった。

「ビャクヤ、起きなさい! 私の言うことが聞けないというの!?」

 ツクヨミは、ビャクヤを揺り動かし続けたが、やはりビャクヤは寝息をたてるだけであった。

「ビャクヤ……ビャクヤぁぁぁぁ……!」

 ツクヨミは、自らが付けたビャクヤの胸の傷を額に当てて涙した。

 ビャクヤは死ぬ、その悲しみに暮れるツクヨミであった。

 もっと自身の愛のままにビャクヤの側にいたかった。それも最早叶わぬ願いとなってしまった。

 亡骸となりゆくビャクヤからは、まだ鼓動を感じることができた。その鼓動は、死んでいく人間のものにしては明瞭であった。

 相変わらずビャクヤからは寝息が聞こえる。

 ビャクヤは、まるで単なる眠りについているようだった。

 ビャクヤは死んだのか、それとも生きているのか。『夜』の中で『眩き闇』を倒したというビャクヤ(プレデター)の噂は一度ピタリと止んだ。

 しかし、それからすぐにまたそれらしき、古風なセーラー服姿の女と一緒の少年の噂が『夜』に広がった。

 様々な噂に事欠かない『夜』に、ビャクヤはやはり生きているのか、それとも死んだのか。それは誰にも分からない事だった。

 

おまけコンボレシピ

 

 5A>5BB>2C>5C>B罠>2B>jc>J2C>JC>2C>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 立ち回りでよく振る5A始動のコンボ。前回紹介したものよりもダメージは落ちるが、運びに重点を置いて以上のコンボにした。ダメージは落ちると言っても、3600(VP時)は与えられる。若干2Bがスカりやすいので、前後移動で間合いを調整するといい。

 

 2B>2C>B料理二段>空罠>微ダッシュ>5C>B罠>C派生>ダッシュ>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 ビャクヤを使う上で最も使われているであろう2B>2C始動のコンボ。前回でビャクヤの基礎コンボとして、2B>5BB始動を紹介したが、2Bの長いリーチに対して5Bは短いため、2Bがせっかく当たっても次にスカって状況が悪くなってしまう。故に2B以上のリーチを持つ2Cを使用してコンボをつなぐ。

 しかし、前作でやっていたコンボルートだと、ダメージは上がらない。ダメージアップを狙うなら、各種罠派生、特にもC派生が必要になる。

 派生技を当てたあとはJC>J2C>JBという特殊なエリアルパーツを使うとダメージはより上がる。(3951VP時)

 2Bは発生、持続、リーチに恵まれた技なので、立ち回りや起き攻めに是非使おう。

 

 5BB>2C>B料理二段>空罠>5B>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 置き技に便利な5B始動のコンボ。そのままパッシングリンクに対応しているので、Bまで入れ込んでしまってもいい。いかにも特殊な技に見えるが2Aで隙消しができる。

 このコンボは運び重視なので、ダメージはそこそこといったところで、2B始動と比べると火力が出ない。しかし、攻撃判定は広いのでジャンプしている相手を引きずり落とすこともできる。

 

 DB>A料理二段>空罠>2C>5C>B罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 バクステすらも引っかけられる下段技からのコンボ。クレアになってから、この技のディレイ幅が広くなっており、技の出終わり付近でさえも料理か罠、FFを出せる。この技は密着でガードされると確反だが、ディレイをかけて逆に暴れ潰しもできる。

 

 DC>C罠>着地微ダッシュ>2C>5C>B罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>B罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 遠距離でコンセ等をしている相手に刺す技。DCは全部で9ヒットするので、8ヒットしたところでC罠に引っかける。

 鉤爪と罠を当てた後の動きだが、少々シビアな微ダッシュが必要になる。行きすぎると相手と逆方向に2Cが出てしまう。ダッシュが足りなくても当たらない。微ダッシュはビャクヤを使う上でほぼ必須になるので、こうしたコンボで練習するといいだろう。

 

 IJ2C>2C>B料理二段>空罠>微ダッシュ>5C>B罠>C派生>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>DB>C食べ頃

 

 アハハハ始動の強化版。連続ヒット、相手を浮かす、ガードされても有利、とかなり強い技の始動にもかかわらず、ここまで技を詰め込んでもダメージは4000(VP中)を超える。

 2B始動の時にも同じであるが、料理二段目の空罠の後の着地後微ダッシュは、相手を→に置いたとしたら、44。←には66と入力すると微ダッシュになる。着地後の入力が遅いとバクステになってしまうので注意が必要である。

 

 A罠>dlA派生>2C>B料理二段>空罠>5C>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>A料理二段>C食べ頃

 

 クレアの新要素で、ビャクヤの罠A派生が中段技となり、三種類の派生を当てるとダメージが物凄い量になる(4150VP中)。

 特にもこのA派生はディレイをかけるとリーチの長い登り中段のようになる。

 その後の繋ぎは、前作のように料理の後にすぐにエリアルに行けば上述のダメージに届く。微ダッシュがいらない比較的簡単なコンボなので是非とも狙いたい。




どうも、作者の綾田です。
 とうとうこの作品も最終回を迎える事ができました。前作の投稿はまさかの一年以上前で私自身でも驚いています。一体何をしてここまで遅くなったのか。UNIをやってた事くらいしか思い出せません(^-^;
 さて、そのUNIですが、現在RIP170万代です。一年以上小説を放ったらかしにしてやってたわりには低いと思われるかもしれませんが、一時200万を踏んでいました。その後負けばかりで、スランプに陥り160万代まで落ちていました(T-T)メルブラが発売してからUNIに人がいなくなり、残ったのは強者でその人たちにやられる日々を送っていました。
 因みにですが、私もメルブラをやっています。しかし、システム面にやられる事が多く、若干挫折しています(-_-;)シールド周りが難しくシールドを取られてターンが変わり、そのままボコボコというのがいつもの負けパターンです。
 さて、小説についてですが、ツクヨミクロニクルに登場するゾハルをボスキャラにしました。このゾハルというキャラですが、プレイアブルになっていませんが、ゲーム内の資料でゾハルの事が詳しく書いてあったので、能力の描写に役立ちました。湾曲の能力が初期設定のようでゾハルの能力は、ツクヨミ曰く探抗う深杭(ピアッシングハート)、『二重身(ドッペルゲンガー)』らしいので、これに湾曲を含めれば、能力を二つ使えるという意味であればドッペルゲンガー感が増すのではないかと思います。
 長々と語りましたが、こうして完結までこられた事が素直に嬉しいです。電撃FCI小説を完結させて以来二作目の完結です。ここまで読んでいただいた皆さまには感謝しかありません(ToT)最後に感謝の言葉でこの作品を締め括りたいと思います。
 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました(^_^)/


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