コードキャスター (ノイラーテム)
しおりを挟む

シュポンハイムの別院にて

●陸の孤島

 とある有能な魔術師が死が確認され、形見分けが派手に行われた。

 遅ればせながらもエルメロイ教室にその話がやって来たのは、エルメロイ家に伝わる事物が関わって居たからである。

 もっとも亡きロード・エルメロイが仕掛けた厄介な罠が掛けられて居なければ、出番が回ってくることも無かっただろうけれど。

 

「判り易い田舎町ですわね」

「兄が言うには森というものは最も身近な衝立らしいからね。ちょっと何かあれば直ぐに陸の孤島になる」

 古来、村々は木々で囲まれた弧島であった。

 森と言う海に囲まれて行き帰もままならず、その小さな生活区域の連なりを、他者が便宜上から国と呼ぶに過ぎない。

「孤立し易いがゆえにさせやすい。つまるところ管理がし易い」

「マクロ・コスモスでありミクロ・コスモスでもある……でしたっけ」

 ただ一地域で全てを賄う小さな集合体。

 社会コミュニティ論にいわく、彼らは一つの地域で全てを完結する。他の地域を必要とせず自己完結するがゆえに、見慣れぬ他者を異様に警戒する。住民はすべて親類縁者で旅行者の滞在などとても珍しい。身近な他者と言うのは行商人と、……領主くらいのものだ。

 

 だからこそ……。

 

「だからこそ魔術師の棲み処には丁度いい。それだけなら特に珍しくも無い、単にビンテージものの『領地』だよ」

 ああ嫌だ嫌だ。と少女は笑う。

 此処には居ない筈なのに彼の声が聞こえた気がする。授業だとか事件だとかで彼が言いそうな……迂闊にも神秘のベールを横殴りする声が聞こえる気がするのだ。

「ではアレがシュポンハイムの別院で間違いないようですわね」

「正確には次期院長であった男の研究室の一つ(持ちモノ)というべきかな。一部の弟子と一緒に籠ることもあったそうだから、どんな研究をしていたやら」

 神秘はすべからく秘匿すべきモノだが……。

 次期院長として優遇されているのだ、修道院に用意された研究室で十分に神秘は隠せるだろう。利便性を捨ててまで隠す必要があるというのは、いかなる秘儀なのだろう。

 

「ライネス」

「何かなルヴィア」

 他愛ない思考を破る強い瞳。

 顔色こそ変えないが、少女はひどく愉快さを感じさせられた。今時、自分を呼び捨てにするなんて、オルガマリーを除けばこの女くらいだ。傲岸不遜な相手をどうにかして這い蹲らせようという暗くて浅ましい(ほほえましい)思いよりも、『今は』格上の敏腕魔術師に自分を認めさせたいという欲求の方が勝って居る。

「そろそろ、わたくしを相方に選んだ理由を聞かせて下さるかしら」

「ああ、それはね。単純に性質と才能と意志を兼ね備えている人間が身近に少なかっただけさ。三つ全部が一人前と言うのは贅沢にしても、せめて二つは揃えて居て欲しいと思ってね」

 第一条件として性質が最も重要だ。

 かといって才能が足りなければ使い捨ての駒にも成らない。それらを兼ね備えて居ても、やる気の無い者を翻意させるのは大変だ。それなら最初から全部持っている人間を雇えばいい。

 

「俄然、興味が湧いてきましたけれど……。まるで答に成って居ませんわよ。わたくしで無ければならない理由を訊かせて欲しい物ですわね」

「寄宿舎よろしく愛でも囁けば良かったかな? ……冗談だから本気にしないでくれよ」

 性質と言う言葉を初めに出したことで理解しているだろうに、つれないことだと少女は思った。

 詳細を聞き出すついでに迂闊なことでも言えば、招待状を持っている自分をも追い出す気なのだろう。油断ならないが、だから良いとすら思う辺りが我ながら救いがないとも思うのだが。

「兄が言うには鍵と言うのは二種類に別れるそうじゃないか。此処で使われている必要な鍵は、必要な属性が変化するタイプという訳さ」

「ああ、それで……。宝石魔術ならば一時的に揃えることができますものね」

 難易度が異様に高いだけで、誰もが解放可能な鍵。

 特定の条件を揃えなければ、誰であっても不可能な鍵。

 基本的にはこの二系統に分かれ、そこから条件が派生したりクロスしたりする。例えば日に寄る条件があったとして、一年に一度で済めば判り易い例だろう。

 

 それはそれとして宝石魔術が使えるならば第一条件はクリアし易いが、変更ペースによっては難易度があがる。

 そもそも属性鍵は関門の一つであって、他にも警戒要因は多々あろう。

 だからこそルヴィアはライネスを裏切る気はないし、笑顔の裏でお互いに探り合っているのはちょっとしたお遊びの様な物だ。

 

「私はエルメロイで無ければ安全に居られない場所で作業して居るから、貴女は好きにして欲しい」

「他で勝手に何をして居ようが自由にという事ですわね? 想うことはありますが、コルネリウス・アルバの遺産を手に入れられるならば目を瞑ることにしましょう」

 コルネリウス・アルバの遺産、それがこと(・・)の起こりである。

 次期院長の死による騒動は当然、蜂の巣をひっくり返したような事件になった。優秀な弟子が派閥を引き継いだり見限ったり、礼装や資料の奪い合いに始まって、ただでさえ貴重な資料が散逸するなどの失態も起きた。

「突然の死と言うやつは厄介だね、実に身につまされる。まあ……エルメロイから持ち出されたモノが却ってくるなら、ちょっとは笑顔を慎んでも良いかもしれない」

 ちっとも笑いごとではないが、他人の不幸は対岸の火事である限り笑い話にしかならない。

 自分の家で同じことがあったから同情しようなどいう、殊勝な気持ちをライネスは持ち合わせて居なかった。あえて笑顔を見せないのが淑女らしい慎みというやつだろう。

 

「それはそうでしょうけれど……。ところで顔を合わせる人間は少ない方が良いのではありませんの?」

「確かにそうだ。出逢うのが身内ばかりだったら、私も表情筋を鍛えずに済むかもしれない」

 美しきハイエナの提案を若き姫は否定しなかった。

 味方で居続けてもらうには断るのは得策ではないし、そもそもトレジャーハントであるならば、チャレンジャーは少ない方が分け前が多いのは当然のことだ。適当な理由があれば館を封鎖してしまうのは悪くないだろう。

「どうせ重要な物は既に修道院や時計塔の上層部が持って行っていかせているしな。縁があるのは私達で最後だろうから、警備の都合もあるし構わないんじゃないだろうか」

「では遠慮なく」

 姫は止めなかったという言質は取られない様に呟き。美しきハイエナは止められ無かったという言質だけは確保しておく。

 今ではない。此処ではない。

 そんな迂闊なことを二人がする訳は無い。

 

 あくまでそれも仕方無い、安全確保の為にという状況が見えたら封鎖する。

 単にその共犯になるだけで、そういう話題を造るという相談などしない。なに、どうせ有象無象の足切りレベルだ。強者が居れば勝手に入って来るし、雑魚が何人帰っても問題にもされまい。

 

●闖入者

 結論から言うと二人の企みはアッサリと図に入った。

 招待客は一通り参入しており、そもそも不審者の陰には枚挙にいとまがないくらいだ。

 館の内外を遮断する程度であれば問題無いと、肯定もされなかったが止められもしなかったという方が正しいだろう。誰も彼もがエーデルフェルトと敵対してまで、封鎖に反対する理由が無かったと言っても良い。

 

「何よコレ。話に聞いてるのと違うじゃない……」

 すごすごと引き返す者も居る中、一人の少女が結界の入り口で佇んでいる。

 協会から派遣されて来た中でも、お役所仕事の連中はさっさと踵を返して居る。何人かはチャレンジしても破れずに引き返していた。

「封鎖されてるなんて聞いて無い……。今更引き返せないのにどうしよう……」

 少女が周囲と違うのは、破るだけならば問題にしていないからだ。

 貴重さを考えないのであれば、何とかできるだけの方法(リソース)を少女は有して居た。

 

 もっとも彼女と同様の者は他に居ない訳でも無い。

 リソースという言葉は有益で消耗するがゆえに貴重なのだ。さらに結界の術者と対立するリスクを背負ってまで実行する必要性を感じなかったと言っても良い。

 

「仕方無い……」

 少女は溜息を吐いた。

 ここで引き返した連中と同じ溜息。ただ違うモノがあるとすれば……。

「母さんゴメンね。ここで使っちゃうわ。領域を設定(セット)……、侵入開始(アクセス)

 少女が周囲と違うのは、引き返す様な場所も諦めるような心も持って居ないことだった。

 持たない者特有の向こう水さと、地獄に向かって真っ逆さまでも笑える気概がソコに在る。

 

 少女はガラス板と宝石を順番に置くと、金色の髪を融かして疑似的な魔術回路を作りあげた。

 それはただの摸写、この結界の構造を映し出しただけだ。ここまでならば特に失うことを考慮はしない。

 

「やっぱり今の私のレベルじゃどうしようも無いわね。障害制圧(ルート)……裏口設置(バックドア)

 青色の瞳は状況を把握すると躊躇せずに実行に移した。

 迷うのは先ほど散々やったのだ。ならば後は確実に事を為すのみである。

「ハイ、状況終了。私は行かせてもらうわね」

「おい!? 結界をこじ開けたんじゃないのか!?」

 そんな訳は無い。

 少女は何より貴重な資産の一つを食い潰してまで行ったのだ。こじ開けるだけなんてもったいない。自分用の裏口を設置して、結界を美味しく利用させてもらっただけだ。

 

 やはりトレジャーハントであるならば、競い合うチャレンジャーは少ない方が良い。

 俺も入れろと騒ぐ連中を後にして、少女は館の方に向かって颯爽と歩いて行った。

 

 

「おや、新人さんかな、あのツインテール。私と変わらないだろうに中々腕の立つことだ」

 その光景を窓からライネスが見て居た。

 最初こそ次々に帰還する負け犬を見て暇潰しをして居たのだが、おかげで何やら礼装を取り出すところから他愛なく結界の中に侵入したところまで目撃したのだ。要するに全部見て居たと言っても良い。

「ふん。言うほどの防壁じゃなかったんじゃないか?」

「……っ」

「そうかな。少なくとも私だったらあのレベルの礼装を使い潰そうとは思わんね。今回の収入に見合うかすら怪しい。あの子の気風の良さを褒めるべきか、情報収集の甘さを笑うべきか」

 協会から派遣されており、運悪く使い走りにされている少年をルヴィアが睨む。

 自信たっぷりに張った結界を越えられて機嫌の悪い彼女に対して、少年は生来の目付きの悪さで睨み返すのだが……。ライネスはその様子すら愉しげに見つめて居た。

 

 

「今回は随分と収穫だな。いいじゃないか、殺し合うにしても愛し合うにしても楽しくやろう」

 更にその様子を楽しげに見つめる目があった。

 財宝に挑むチャレンジャー達よ。心せよ、トレジャーは財宝ばかりとは限らない。チャレンジャーもまた挑むだけの存在とも限らないのである。




 と言う訳で、ロード・エルメロイ二世の事件簿モノのシリーズになります。
今回は状況説明会で、次回は登場人物とその能力紹介回。
タイトルは『女の話をしよう』の予定です。

●現時点での登場人物
「コルネリウス・アルバ」
 シュポンハイム修道院の次期院長であったが、所用で出かけている最中に帰らぬ人と成った。
とても悲惨な死に方をしたらしく、魔術刻印は欠片も残らなかったそうである。

「ロード・エルメロイ二世」
 言わずと知れた時計塔のロードで、現代魔術科を統べる君主。
神秘の理解者であり、それゆえに破壊者とも言われる。そこにおらずとも弟子たちは論説の断片を思い出せるほどの存在感を持つ。
今回は登場しないものの、物語そのものには登場する。

「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト」
 登場人物の性格の明るい方(良いとは言って無い)。公明正大で真っすぐな気質を持っているので、怒らせなければそんな酷い目に遭うことはない(はず)。
宝石魔法を得意とし、今回の探索に必要な属性鍵を容易く突破できるレベルの使い手。
登場はして居ないが執事と共に訪れており、滞在中も優雅に暮らしている。

「ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ」
 登場人物の性格の悪い方。「そこまで行けばいっそ恰好良い」と思えるほどネジ曲がった性格をしている。
ただし黙って居れば淑女なので、怒らせなければ胃が痛いだけで済むかもしれない。どっちみち玩具にされるだろうが。
今回はアルバの遺産に関して、エルメロイでなければ突破が難しい厄介な品があったために御呼ばれされている。
もちろん真に貴重な物は強引に持って行かれているので、どちらかといえば物見遊山と経験を積む為に近い。

「金髪ツインテール」
 ルヴィアの張った結界を突破して来た少女。
貴重な財産食い潰して侵入してきたため、色んな連中に目を付けられることになる。
その正体は以下次号。

「目付きの悪い見習い少年」
 協会から派遣されて来た魔術師見習いで、基本的な魔術だけ教えられて便利に使われている。
それなりに才能はあっても血統(魔力)の問題で使い走りとみなされるタイプの人間。
その為に誰もやらなさそうな基礎系の魔術ばかりを教えられており、今回の属性鍵突破用の術を教えてもら見返りに探索に参加している。
ライネスはトリムマウを連れて居るのに、良い様に扱われているのは単に面白いからである。

「?」
 不審者です。ありがとうございました。

●属性鍵
 鍵と言うものは、つまるところ解放を前提に設置されている。
使い手の実力を越えれば突破できるモノ、条件が整わなければ使い手でも無理なモノに別れる

鍵A:解放条件は、使い手の魔術能力以上の干渉
鍵B:解放条件は、特定の状態が満たされた場合

 この場合の属性鍵とは、特定の魔術属性でなければ解放する事が出来ない物を指す。
もちろん一属性だけ、一瞬だけで済む物では無いので、逐次変更して行く必要がある。
一定のルールさえ満たせば誰でも解放できるタイプに加えて、その条件を頻繁に変更する事で解放を難しくしている。
なおルヴィアは宝石を消耗品にして宝石が持つ特定の属性を満たせる上、消耗する鍵そのものを無数に用意できるので反則級である。
凛は自前の五属性だけで可能だが、途中にアルバが掛けた魔術鍵があるのでレベル的に突破が難しい。そのたびにブースター用の宝石を使えば別だが……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

女の話をしよう

●今は遠き過去の事

 女の話をしよう。

 その家の魔術はとっくに神秘が干上がって居た。

 今時の時代に呪符学(スクロール)など必要であっても必須では無い。致命的であったのは呪刻の概念が広まってしまった事だろう、今では宝石を使うことで地道に文字を刻印する必要すら無くなって居る。

 

「軽蔑する? 時臣くん」

「最後まで根源を目指し続けただけだろう? その生き方を尊敬する事はあっても否定する気には慣れないね」

 女は一流ではあったので己の代で根源に辿りつくことを目指した。

 家の神秘は尽きて居たが、女の実力は折り紙つきだったから、魔術師に必要なスクロールを用意する業者として稼げたことも拍車を掛けた。

「しかし現実問題として実験はどうしているのかね?」

「回数を抑えて質を向上させることにしているわ。今の所は考察する角度を控えるだけで済んで居るしね」

 だが根源を目指すには足りる筈が無い。

 仕方無く辿りつく為に至る要素を絞り、可能性はあっても不確定な実験を切り捨てることで誤魔化して居た。そう……誤魔化して居たのだ。ただでさえ少ない可能性を切り捨てて居てはとうてい先を望む事は出来まい。

 

 何事にも準備を怠らず、余裕を持って当たる男にはそれが我慢できなかった。

 どうでも良い相手ならいざしらず、尊敬に値する人物がただ零落するのを見て居られなかったのだ。もっとも自分の予定が女の未来にバッティングしていたから、都合が良かったというのもあるだろう。

 出なければ魔術師が他人など早々手助けなどすることはあるまい。

 

「君さえ良ければだが雇われる気は無いかね? この屋敷の霊脈や呪物を管理できる人間を探して居たんだ」

「どういうことかしら?」

 丁度良かったと男は言うが、女は簡単に信用する事は無かった。

 当然だろう、都合が良過ぎてあまりにも奇妙だ。とはいえ魔術師ならば必要に応じて臨機応変に当たるのも当然ではあるが。

「私の家系が関与して居る儀式を知って居るだろう? 間も無く開催される手はずだが、ただ戦えば勝てると思う気は無くてね」

「時計塔で情報や呪物を集めろということ?」

 男には必勝の策があったが、それでも過信する気など無かった。

 敵を知り己を知れば百戦危うからず。その原理に基づいて、可能な限り情報や礼装の類を集める気だったのだ。

 その為には欧州に留まって情報を集め、オークションに足を運ぶ人間が必要だったという訳だ。

 

「判らなくは無いけれど信用できないわね。迂闊に管理権を委ねれば軒を貸して母屋を乗っ取られる。そんな事は当然でしょう?」

「うむ。ここからは条件交渉だ。第一に私は管理権の設定を弄る気は無い」

 女の眉がピクリと動いた。

 管理権の変更をせずに霊脈や呪物を動かす方法など、それほどありはしない。警戒を要する提案、報酬が魅力的でも断るべき提案、そして女にとっては都合の良過ぎる提案。幾つもの思考が流れて、結局は男の言葉を待つことにした。

「もし私に身を任せる気があるならば、血の契約の範囲で持って行けるモノを全て持って行くと良い」

「正気なの?」

 その提案は一般社会では破廉恥に当たることだった。

 血の契約というのは、性行為に他ならないからだ。

「そんなに良い条件を出してしまっても」

 だが魔術師の社会では逆を意味する。

 血の契約を行えば、パスを繋げるほか管理権の一部を受けることが出来る。更に男の家は上がって行くところで、女の家は逆に下がって行く一方だ。後継者を残す為の相手も、年々難しくなって行くばかり。

 もちろん女の実力と容姿を考えれば、本当に手段が無い訳でもない。

 名家だが一流の血が出なくなった家に嫁ぐだとか、権門の家の愛人になるだとか。しかし前者は更に未来が無くなるだけで、後者はやはり後継者争いを避ける為に様々な誓約を貸される羽目になる。

 

 ここで決断を分けたのは、女は自分一代で何とかするつもりだったことだ。

 男の提案は女に手段を用意してくれ、かつ、次の世代へ保険をくれるということだ。ほぼ同レベルの相手だから、後継者問題で誓約を受けることも少ないだろう。ならば愛人として手下として扱われることなどに問題はありはしない。

 

「その代わりに子供が生まれた場合には、男でも女でもリンと名前を付けてくれ。ただし、漢字を習った場合でも文字を選ばない事」

「漢字……東洋の象形文字だったわね。真名を使った呪術防御……」

 男には子供が居て、名前をリンと言う。

 その子には漢字で名前が付いているので、真名として機能する。だが生まれて来る子には存在しないので、名前と血統で呪術が掛けられた場合にはその子に呪いが向かうだろう。

「まあただの保険だがね。もちろん……君がこの提案を断ったとしても私は気にしない」

「未来の無くなった女魔術師には過ぎた提案だわ。前向きに考えさせてもらうわね」

 こうして契約は完了した。

 しかし男には甲斐性があったので、女の研究の為に日本の魔術資料を用意してくれた。東洋における呪符学の中で用意できる物を集めてくれたのだ。

 もちろん有益なデータは共有していたはずであるが。

 

 そして女というのは母の事で、男と言うのは父にあたる人物の事だ。

 父が迂闊だとしたら、母が本気で自分に惚れるなどとは思ってもみなかったことだろう。用意周到な父の事だ、知って居たら某かの配慮をくれたかもしれない。

 だが母は律義だったので父の家系の話はしてない。父が夢半ばで倒れたらしいことと、形見として連絡用の宝石ペンの片割れをくれたくらいだ。

 

 結局のところ母は根源に至ることは無く、私は才能だけあって家財も無い状態で放り出されることになった。

 フリーの魔術師として生きることにした私は、いつか時計塔に招かれる為に研讃を積まなければならない。

 そして今ここに至る訳である。

 

●新人たちの顔合わせ

 最後の客人が館を訪れる。

 時間が迫ればやがて通達なり会議でも開かれるだろう。

 

「エインズワース。あの子に茶でも出してやってくれ。ああ、私には良いぞ」

「っ!? 自分のところのメイドにでもやらせろよ。それとも作法まではインプットできてないのか?」

 ライネスが目付きの悪い少年に声を掛けた。

 見習いではあるが彼女付きでもなんでもなく、協会から派遣されて居るだけの彼としては命じられる言われもない。

「判って居ないな。君の所はポっと出だろう? 一つでも魔術を覚える機会を得、有能な魔術師と知り合うチャンスを逃すものでは無いと思うのだが?」

「俺をコキ使いたいだけだろう……とことん意地が悪いなっ」

 だがそれは真実だった。

 目付きの悪い見習いの少年……ジュリアン・エインズワースは魔術の家を興したばかりだ。

 元は金持ちが護身用に手習いを受ける程度の間柄で、時々金を払って警護させたりする程度のものだった。

 

 それが運命を変えたのは、彼に才能があったことと家庭内の問題が原因と言う判り易いものだ。

 そのまま諍いをもたらすよりも、魔術師へ弟子入りした方が良いと思える程度の知恵が彼にはあった。そうすれば家を魔術的に助けることは、以前よりも容易くなるのだから。

 

「優しいのね、ライネス」

「なに、情報収集は必要だろう? さっきの娘がどこの誰なのか知っておいて誰も損はしない」

 ライネスがジュリアンにやらせたのには理由がある。

 協会の使い走りとして連れられている以上はどうせ何か命じられるのだろうし、それが招待されている自分がやって悪い道理は無い。彼としてもただの下男として働かされるよりは、他の魔術師と交流できる方が良いだろう。

「わたくしの腕前に彼が文句を付けた事を言っているのですけれどね」

「そちらはただの趣味だよ? うん。どうせ誰かにイビられるならば私がやっても良いだろう?」

 先ほどルヴィアに口答えして苛立たせていた。

 だから代わりにイビってやったのだとライネスは薄く笑う。放っておけばルヴィアが制裁するか、協会の中に居る狐が意を汲んで意地悪をするだけだろう。ならば自分が状況をコントロールすれば四方八方win-win……。

 と言う訳では無く、単に生意気な奴を使い倒したかっただけである。

 ゆえに趣味だと正面切って告白したのだ。

「ジュリアンに同意してしまいそうですわね。良い性格をして居ますわ」

「それはありがとう。良く言われるんだ」

 ライネスが皮肉を笑って受け取ると、ルヴィアは珍しく難しい顔を浮かべた。

 性格の悪い連中の中でナンバーワン。そう言うことは図らずも自分の性格の悪さを認めることであるのだから。

 

 

「コーヒーとコーヒー、どっちが良い?」

「美味しい方」

 答え難い質問に少女は真理で応えた。

 正解の無い質問へ真面目に取り合う必要も無い。

「名前……家名だけでも教えくれたら良い情報をやるよ」

「ヘザークリフ家のリン。これで良いかしら?」

 リンと名乗った少女はコーヒーをブラックのまま手を付けると、角砂糖をツマミに啜って行く。

 ジュリアンはどっかりと座って、残ったもう一カップにミルクを注いで行った。

「スコットランド出身?」

「家系はね。……ところで情報とやらはいつくれるの?」

 ヘザーというのはヒースのことだ。

 そう呼ぶのはスコットランド出身者なのを思い出したが、イントネーションやコーヒーの呑み方があちらの人間とは異なっている。本当かはともかくとして尋ねておくべきだろう。

 

「意地の悪い女狐に目を付けられたぞ。悪いことは言わないからとっとと帰れ」

「ふうん……。でもお生憎さま、帰れるもんならとっくに帰ってるわよ」

 案外、優しいじゃない。

 そう言おうとしたが止めておいた。

「最低でもここで名前を上げて協会に入っておかないと、後のち厳しいのよね」

「なんだ、同類か。また会う事もあるかもな。俺はジュリアン・エインズワース」

 招聘されないような魔術師は、誰もが似たようなものだ。

 苦労して入っても下働きが精々。それでも協会に居ると居ないとでは資料や機材の面で段違い。いずれフリーになるにせよ時計塔に居たことがあるとないとでは、待遇すら変わってくることもある。

 

『さっきの手品は何だ?』

 ジュリアンは結局その質問を出す事は無く、リンも殊更に答える事も無い。

 魔術師にとって神秘の秘匿は前提であると同時に、何が出来るかという切り札は最重要の情報なのだ。今はその辺りの常識が通じる相手だと、顔繋ぎで留めておく。

 

 もっとも早い段階で、お互いのことを知り合う羽目になるのだが……。

 

●事件の幕開け

 ジュリアンが先輩達に押しつけられた雑用込みで片付けて、ライネスの元に訪れた時にはとっくに幕が上がって居た。

 ざわつくホールの中央で、司会を務める鮮やかなドレスの女が対応に追われている。

 

「何が起きたんです?」

「こういう遺産分けの時にはよくあることだよ。聞きたいかい?」

 質問に質問で帰って来るドレスコード違反の笑顔。

 とびっきりの美少女ではあるが、これっぽちも信用できなかった。優れた魔術師には必須とされる豊かな感受性を持ってジュリアンはただ事ではないことに辿りついた。

「お願いしますレディ。可能な範囲でご助力いたします」

「つまらないな。ここで噛みついたら囮にしてやるつもりだったのに。……良いニュースと悪いニュースのどっちから聞きたい?」

 ここは頭を下げてでも素早く情報を得るべきだ。

 例え後から同じことを先輩から聞くにせよ……。それを既に知って居たことと、押しつけられることでは意味が百八十度異なるのだから。

「貴女にとって面白い方で」

「ふっ、はは……。これは気の効いた答だね。その意気に免じて教えてあげよう。変死体が出たんだよ、連続でね」

 くすくすと笑う声は淑女と言うよりは童女のものだ。

 冴えた回答例をカンニングした身としては、ささやかな御礼を同類の少女に届けてやろうと思うくらいの義理をジュリアンは感じた。もちろんライネスに気に入られた場合は、有難迷惑を押しつける為だ。

 

「罠……じゃないですよね」

「鍵役を押しつけられた君を置いてかい? だとしたら死んだのも頷ける惜しくも無い奴だね」

 危険な罠があると最初から判って居るのだから、罠に引掛ったくらいで大騒ぎになる訳が無い。

 馬鹿が何人か居ましたと、食事の時にでも笑い話にするくらいだ。

「ということは一人はウチの上ですか?」

「それが判るならギリギリ及第点かな。誰かまで特定できていたら待遇改善を考えてあげても良かったのだが」

 ジュリアンが鍵役の一人を務めるのは協会だ。

 だから協会から派遣されて来た魔術師が死んだというのは、まあ想像力があれば判ることである。だがもっと特定する様な情報が今の言葉の中に在っただろうか?

 

 一番上では無いだろう。

 責任者が死んだのであれば去就を確認する為に、協会組全体が動いている筈だ。下働きであるジュリアンが知らされるかは別にして、もっと色んな用事を言い渡されている。

 

「エリアの中に侵入してもおかしくはなく、探索チームを縮小せざるを得ない状態なら……」

「ヒントをあげ過ぎたかな? と言う訳で私が君の上司だ、確りと励みたまえ」

 ジュリアンがライネスの元で働かされるから、待遇問題が出て来る。

 そう考えれば逆算することが出来る。戦闘面を担当していた魔術師が死んだのだ。ゆえにチームを縮小し、守り切れないメンバーを帰還させるか、交流のある場所に落しつけることになる。

 

 その前提がある上で、他の招待客の元でも同じ様な事態が起きて居たらどうだろう?

 あるいは恩義を売る相手が減って居たら、ライネス……この場合ならエルメロイ家の元に貸し出される可能性はある筈だ。

 

「事情は判りました。ただもう一つだけ聞かせてください。何故……」

「どうして我々が疑われないということかな? それは簡単だよ」

 探索チームが減ったのであれば、ライネス達が疑われない筈は無い。

 であれば、何故スムーズに話がまとまったのだろう? そのことに気が付いたことで笑顔はグっと強い物になった。

「死体を確認してみたらまあ大変、首筋に穴があったんだ。もちろん転化しないように封印はしてあるそうだが」

 血を吸う魔物。

 かつて人であったモノ、死にぞ来ない。

 

「修道院を襲う死徒とは、こいつは気が効いている」




 という訳で事件簿物の第二話になります。
事件の内容というよりは、登場人物の紹介回になります。ボーイミーツ・ガールかは不明。
今回は最初の構想なので速かったですが、次回は他のシリーズを書くのでやや時間が掛るかもしれません。
第三回は『死徒の跳梁』。戦闘回なので、事件簿というよりはfateや月姫よりの展開になる予定です。

●キャラクター紹介
「リン・ヘザークリフ」(名前・設定は未出に付き、ほぼ捏造)
 エクストラのリンの先祖(という設定)で、廃れた家系に属して居た。
スクロールという魔術師には有用なアイテムでも、既に必須では無いアイテムを扱っていた家系。
現在では幻想種の皮を使ったスクロールや、年月の経ったスクロールよりも、最初から年月の経過した宝石を利用する宝石魔術を利用する事が多くなっているので廃れて居る。
もちろんそうでないスクロールの家系もあるのであろうが、リンの家系はちょうど被って居るといえる(という設定)。
 代わりに東洋の呪符の知識を組み合わせることで、符蟲道のような能力を織り交ぜて居る。
ただしこの技術は母親が苦労して作りあげたもので、現在のリンには実現不可能である。よってこの能力は使えば使うほど、リソースが張って行く。
(同じ術が白黒兼ねるとか、同じ術を重ねると一角増えるごとに+1修正とか、そういう和風呪術モノになります)
その為、まずは時計塔に入って能力を磨きつつ、様々な呪物を集めるのが目標である。根源? 凛が目指して居るくらいには目指しているかもしれません。

「ジュリアン・エインズワース」(この世界にはエインズワースという魔術の家が無いそうなので、ほぼ捏造)
 表の名家から裏の魔術師の世界へ流れて来た少年。
元は金持ちが自衛を兼ねて手習いに魔術の知識を覚え、必要ならば護衛に呼んでいた程度の関わりであった。
だが彼の才能が高かったことと、そして家庭内に出たとある問題から、ジュリアンは魔術師としての道を目指す。
とはいえ彼レベルの才能など掃いて捨てるほど居るのが時計塔であり、現在は見習いとしてコキ使われている。

「派手なドレスの女」
 シュポンハイム側と思われる。

「死徒?」
 一同が居るシュポンハイムの別院を襲撃して居る。

●現在の館の状況
 協会込みで複数の探索チームが襲われ、死徒が相手だと推測した段階。
既に楽に回収できる物は回収して居るので、撤退するチームは多数。協会は縮小してライナス達に人員を提供して恩を売って居るところ。
ぶっちゃけ事件簿的内容の本編に入る前に、人数多いのが面倒なので減ってもらいました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死徒の跳梁

●君は何を得るのか

 死徒が居る。

 恐ろしい事実である筈なのに、ライネスは平然と微笑んで居た。

 

「随分と余裕だな」

「これでも私は当主だからね。籠城を決め込ませてもらうに決まって居るだろう? とはいえ……」

 聞きたいことは聞いたとジュリアンが元の口調に戻る。

 そんな様子も含めて愉しそうにライネスは笑った。嘲笑ったと言い換えても良い。

「一人で安全地帯に籠るのも気分が悪い。解決に向かう道筋くらいは示してあげようじゃないか」

「矢面に立たないことは否定しないんだな」

 当たり前だろう、私が居て何の役に立つ。

 そう傲然と微笑みながらライネスは指先をタクトの様に振った。

 指揮者が指差すのは、向こうの方で準備を始めているルヴィアの姿だ。

 

「時間がくればルヴィア(あの女)が何もかもを吹き飛ばして解決する。それまで彼女の負担を減らすのが君の役目だ。もし場所を特定できれば、ちょっとは被害が減るんじゃないかな」

「エーデルフェルトの宝石魔術か。見たくはあるけど物騒で困るな」

 ライネスは最初、ルヴィアの宝石を鍵にするつもりだった。

 探索作業も並行せねば名がすたるが、相手が死徒とあれば彼女とて全力を振るわねば勝利は確定できまい。ならばその代わりにジュリアンが鍵を務めれば良いという訳だ。

「具体的には何をすればいい?」

「自分で考えたまえ。ああ……そうそう。こちらのチームの安全と、お宝の回収に繋がるなら私の名前を出すのは構わない」

 淑女の微笑みから悪戯娘のニヤニヤ笑いに変わる。

 知らないが知って居ても答えない。あるいは最初から関わる気の無いという風情だ。まあ本来はエルメロイのロードはこの娘なのである。働けと言うのは筋違いなのだろうが……。

 

「勘違いして欲しくないが私が無事であり続けることは重要なんだよ? 籠城をして居るなら兄は援軍を出すに決まって居るし、協会だけではなく教会が来てしまったら交渉できるのは私だけだ」

 くつくつと喉の奥で笑う押し殺した笑い。

 この娘が見て居る出し物は自分なのだとジュリアンは悟る。一挙一投を監視され評価……ではなく見世物として愉しんで居るのだ。

「大惨事になっても構わないってのか?」

「死徒なんてモノが出た時点でとっくに大惨事になるのは決定して居るとも。シュレーディンガーの猫なら到死性の毒薬でも半分は生き残るんだろうがね」

 大惨事であろうとも、自分だけは生き残って成果を掴み取る。

 そう信じて居る者だけがこの場に残っているという訳だ。あとは自分と相手の実力を勘違いして居た者と、運の悪い奴が死んでいく。

「運に頼るのが嫌なら精々可能性を積みあげないといけない。重要なのは……」

 二人の会話と同じ様な言葉が、少し離れた場所でも行われていた。

 笑顔など無かったけれども。

 

 

「重要なのは何を残すかではなく、何を得るかですわ」

「判ってるわよ、そのくらい……」

 ジュリアンと同じ様にリンもまた危険の臭いをかぎ付けた。

 協力を申し出た彼女にルヴィアが要求したのは法外な取引だ。結界を踏破した術式の内容の説明、場合によっては礼装……リンにとって残された家財を譲り渡せと言うのだ。

「死徒を倒せる腕前というのを買いたい人も居るでしょうけれど、その先はどうしますの?」

「どうせ私が死徒と相対したら、倒せたとしてもコレは無くなっちゃう」

 問題なのはリンが再現できないということだ。

 母親が造り上げた礼装ゆえ、今のリンでは再生産できない。死徒を倒した業を見せてくれと言われても、また同じことをやってくれと言われても無理だ。

「自分で倒すもよし、功績が欲しい人に協力してもよし。……ただ私に譲り渡すならば同じモノを定期的に供給してあげてもよろしくてよ」

「増えるのは嬉しいけど……。ソレをやってしまったら、もう私の家の魔術じゃなくなるわね」

 ルヴィアに売り渡した場合、選択が増える。

 解析した後にエーデルフェルト家で再生産して、その報酬の一環として礼装を受け取るのだ。現時点で再生産の目途が付かないリンにとって、報酬込みで喉から出る内容ではある。

 

 しかしソレをやってしまったが最後、母親が造り上げた礼装はエーデルフェルト家の物だ。

 場合によっては他の魔術師にも供給されてしまうだろうし、協会が買い挙げる可能性もある。事実、そうやって世間を巡った礼装や魔術と言うのは多かった。

 もちろん売った方に最初以上の見返りがある筈も無い。どうしてもというならば、手下になって使い倒されるくらいの覚悟で契約する必要があるだろう。

 

「それが判って居るなら判断は早い内にすることですわ。貴女に取って後悔しない道筋を、ね」

「協力だけなら勿論するわ」

 速やかな回答を求められない内からリンは即決した。

 そのスピードにルヴィアは満足そうに頷いた。相手が死徒であればソレが一番の自衛手段だ。迷っている時間も、交渉して値段を釣り上げられる相手では無い。

「特別な指示が無い限りチャンスがあったらコレをぶっ放すし……特殊な能力があれば情報はちゃんと伝える。今のところはこれでOK?」

「それが正解ですわ」

 エクセレント♪

 そう言わんばかりの表情でルヴィアが微笑む。チャンスがあれば躊躇しない事、そして最重要なのは情報であることをちゃんと理解して居るからだ。

「私は自力で倒すつもりですし、死徒の能力で一番厄介なのは文字通り死に損なう(アンデッド)ということですからね」

「後は……死徒の居場所を特定するってことで色を付けて欲しいわね」

 一般的に死徒退治で困るのは、相手の居場所が判らないことだ。

 これに加えて不死性が輪を掛けた難題で、倒しても倒し切れないという事態が多々ある。とはいえ有名な死徒(ランクA以上)がこの辺に居ると聞いては居ないので、『リンの切り札を浴びてどう生き残ったか』をしれば、おのずと対処手段が見つかるだろう。

 

 だ、それは実戦慣れしてないがゆえの甘い認識だ。

 死徒というものはそんなに甘くない。そのことを思い知らされるまでそれほどの時間は掛らなかった。だからこそルヴィアは倒してしまおうとする覚悟よりも、情報を渡そうとする重要性を評価して居たのである。

 

●領域の設定

 ライネスに預けられた魔術師や、協力を申し出るフリーの魔術師たちが集う。

 ジュリアンやリンもその中に参加しており、先輩達の言葉に可能な範囲で答えて居た。

 

「結局、エーデルフェルトの張った結界は破壊して居ないんだな?」

「そうよ。元もとあの結界は修道院のソレを利用したものなの。だから壊すのは簡単じゃないし、私も相乗りしただけ」

 死徒対策の最初の一歩は大抵が居場所の特定から始まる。

 入念な防護も受け身に回っては穴を見抜かれ易いし、そも結界を破るノウハウなど古今東西に存在するからだ。ならば先に相手の行動を把握する他あるまい。

 把握さえしているならば防御に入っても攻勢に回っても良いのだ。

「なら霊的防御を越えて出入りできまい。あくまで修道院の中と言う訳だ」

「招待客の確認は済んでるわよね? ということは未知の区画の何処かで決まりよ」

「じゃあ警戒しながら探索を続ければ良いってことだな」

 そして話の流れは協会に属する中から腕の立つや古株の者が握り、フリーの者にも作戦の内容を任せるという風に振って行った。

 

(「ねえ、アンタが話を持ってきたんだと思ったけど?」)

(「その通りさ。話を持って行っただけ。まあ俺は見習いだし、こうなるのは当然の結果だな」)

 ジュリアンは激し易い性格の割りに意外と冷静だった。

 権限から功績からみんな持って行かれている筈なのに、まるで動じた風はない。最初から気にもして居ないという感じだ。

(「責任を果たして終わりワケ? ちょっとは上を目指そうっていう気は無いの?」)

(「素人同然の俺が先輩達の手並みを拝見出来るだけありがたいさ。それに……」)

 ライネス(おひめさま)の言い付けをこなして満足なのか?

 報酬を確約されたわけでもないのに。そう尋ねるリンに対し、ジュリアンの方はあくまで平静だった。根底から考え方が違っていると言っても良い。

 

(「……何があるってのよ)」

(「いや、知ってるなら教えて欲しいくらいなんだけどな」)

 あまりにも無関心なのでリンは更に追及して行く。

 ジュリアンの方は知ってか知らずか、頬に手をついたまま気の無い返事を返す。

(「なんでこいつら吸血鬼相手に楽勝できる前提なんだ?」)

(「そりゃ神秘の存在強度(ねんげつ)が低い相手だから、自分達の攻撃が通じ……る」)

 魔術師にとって神秘の強度(ふるさ)は再重要だ。

 多少の格差ならばともかく、大きな差があるとちゃんと攻撃したのにまるで通用しないことがある。

 

 対して今回の死徒は有名な死徒(ランクA以上)でも、自然現象に近い規格外(ランクEX)ではない。

 しかし死徒を吸血鬼と呼んでしまうほど素人なジュリアンにも判ることがある。

 

(「攻撃を喰らったら死ぬってごく当たり前の状態になっただけだ。だいたいゾンビ映画よろしく戦闘担当が奇襲で殺されたとは限らねえだろ」)

 時計塔から派遣されたチームは戦闘担当が殺されている。

 他のチームで殺されている魔術師は雑多だが、それでも弱いと決まった訳でもない。奇襲であえなく殺され得たならば良い、だが実力勝負あったらどうする気なのだろう。

(「で、でも。それほど強い相手が今更何しに来たって言うのよっ」)

(「だからだろ? 強さを証明する為か、それとも足りない神秘を補強する為に着てるのさ」)

 死徒の目的は狩り、ここは猟師の狩り場である。

 でなければ危険であることを承知で魔術師のたむろする修道院に来るわけがない。魔術師たちが死徒を倒せば名声を挙げられると思っている様に、死徒もまた彼らの生命と礼装を狩りに来て居るのだ。

 だからこそライネスやルヴィアは油断して居ないし、特定し次第最大級の攻撃を叩き込むつもりなのである。

 

●狩人の時間

 そして、その予感は当たって居る。

 そこではない何処かで、死徒は自分を探しまわる気配に気が付いた。

 

『向かって来るか、それもよろしい』

 死徒を倒す名誉の為、あるいは自衛の為に。

 それぞれの目的で魔術師たちは協力し合う。なまじ死徒のことを知って居た為に、彼らは致命的な勘違いを犯した。

『ならばチキンレースといこう。君たちが先に私を追い詰めるか、私が先に君たちを追い詰めるかの勝負だ』

 死徒が隠れるのは逃げる為ではない。

 獲物を追い詰める為の捕食行動である。そのことを理解する前に彼らは行動を始めてしまっていた……。

 

 

 さて、この館は例外を除いて区分けされたエリアに居続けることができない。

 絶えず変わりゆく属性鍵に対して、対応する属性を持った者が対応する必要があった。部屋に限らず直進して居るはずの道すらも分断されており、隣のエリアがどうなっているか覗いてみないと判らないという仕掛けだ。

 

「見付けたぞ!」

「やっぱりここだな!」

 よって真っ直ぐに進む事すら協力し合わねば困難。

 独りであれば、おのずと死徒が潜んで居る場所は特定できる。移動できる方向に逃げるにせよ、その次の場所に逃げるにもルールが合致してないと無理だ。

「追い詰めたぞ! 逃がすな、とり囲んで……」

本当に(リアリィ)?』

 見付けられた当人、ダークスーツの男はむしろ驚きの方が強かった。

 この程度の腕前で。あるいは、この人数で。どちらでも良いが、まあ結果は同じことだ。

 

「減らず口をほざくな! 烈風よ!」

『術そのものは悪くないスピードだが、いかんせん使い手が悪いな』

 ワンカウントで放たれる烈風を軽快なステップで回避。

 その瞬間に魔術師たちは気が付いた。凶悪な死徒であれば踏みつけて魔術を崩壊させるだとか、極端な相手であれば涼風同然なこともある。

「だがやれるぞ! 距離を詰める時間を与えるな!」

「炎よ!」

「光よ!」

 この死徒は倒せる。

 ならば遠慮は不用と壁ごと火球が炸裂し、光の矢が無数に撃ち込まれる。ファンタジーゲームの様な攻撃に隠れて影が蠢き、あるいは直接効き難い呪訴に呪物を捧げてインスタントの儀式を行っていた。

 

『温いな。それとも私が魔術の一つも……』

「そんな事は先刻承知よ! 烈風よ荒れ狂へ、大河が時として大地を呑み込むように。風もまた森を呑み込まん!」

 カウントは四つか五つか。

 最低源で最大限の強化が施され、指揮を取って居た男が隠れて練り上げた魔術を行使する。ワンカウントの魔術攻撃と防壁がぶつかり合っている間に完成させたのだろう。

「足を止めたが貴様の不覚よ! コレを受けては……」

『狙いは悪くなかったのだがね。それならば味方ごと撃たねば駄目だよ。安全地帯が丸判りだ』

「なに、何時の間に!?」

「ひぃ!?」

 死徒は一足飛びに魔術師の一人に組みついていた。

 後ろから優雅に抱き付いてとはいかないが、それでも恐怖を思い起こさせるには十分だ。

 

 そして非情なセリフを口にする死徒に、油断も隙もあるものか。

 安易な捕食行動に出ることなど無く、強引に腕を掴んで放り投げたのである。

 

「ぎぃ……あ……」

「避けろ! いや、その前に奴を……」

『遅いね。まあ月並みだがそれ以外に言葉は無いよ』

 死徒の剛力が容易く人体を宙に回せる。

 ワンハンドであるはずなのに何と言う剛速球。しかもその直ぐ後に走り出すという人外い振りを発揮して居た。

「烈風よ!」

『勲章代わりにソレはもらっておくとしよう』

「あっ……」

 死徒は平然と指揮を取って居た魔術師に接近した。

 相打ち、あるいは相殺し合わないようにして居る為、それが最も安全なコースだ。もちろん人間には不可能な再生力があったればこそであるが。

 

 死徒の体が再生して行く。

 烈風が切り裂いた胸の傷だけではなく、手や足の関節に筋肉なども含めて一気に。人間では自滅しかねない程の身体強化も、死徒の前にはただのダッシュに過ぎない。

 シンプルな貫手が魔術師の胴を貫き、心臓でこそないが何処かの臓器を露出させた。

 

『なんとも不甲斐ない。しかし何だな……。今後に備えて私も幾つか反省すべき点もあるか』

 もし場所を予測して、罠を張って居たら危険だったかもしれない。

 もし相討ち覚悟で仲間の放つ魔術に対し、十分な防御を張って居たら乱戦だったかもしれない。死徒は不敵にもそんな予習復習をするほどの余裕を見せていた。

「き、貴様! 貴様ほどの死徒が何でこんな所に!?」

『……? 決まって居るだろう、依頼だよ』

 最後の一人を捕まえ首筋に牙を突き立てる。

 溢れ出す血潮がダークスーツを濡らすが、僅かな時間が経つと何も無かったように染みは消えて行った。

 

 捕食自体は死徒であれば普通の行為。

 しかし不思議なことが一つあるとすれば、彼は『依頼』と言ったのだ。財宝などではなく……。




 と言う訳で第三話になります。
今回と次回は事件簿というよりはfateとか月姫よりのストーリーでしょうか。活躍するのは味方じゃないですけれど。
戦闘の解決回は12-13日予定で、『切り札(エース)捨てる(つかう)時』になります。

●ダークスーツの死徒との戦闘
 比較的に若い死徒なので、強力な魔術が当たれば普通に倒せます。
それはそれとして弱いという訳ではないのと、本人は別件で来ている戦闘重視型なので、探索のついでに戦闘を試みた連中よりはよっぽど強いです。
二十七祖な連中と比べたら常識の中ですが、まあそう言うのと比較する方が悪いので。

●館の問題
 一定エリアごとに特手の属性を要求する鍵が付いています。
問題なのはこの鍵が時間経過ごとに変化することで、同じ場所に居続けることができません。
例外というのはホール周辺、そしてアルバやその弟子たちの研究室でのこと。つまりはそれぞれに替えようがない条件鍵が存在することになります。
条件鍵の一つがエルメロイの血族であることで、これは新しく弟子になった……引き抜かれたエルメロイの縁戚の魔術師が持ち込んだモノ。
ライネスはその部屋に籠った上で、水銀ちゃんに守ってもらっているので、ほぼ安全な状態。同じ様な条件はありませんが、これは単に持ち込む前に先代が施したキーが強大なだけで、他のキーは部屋の中に居ると発狂するとか、体が融けるとか防御できないと危険なモノばかりになるとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

変わりゆくモノ

微妙に予定を変更して、戦闘は次回に。


●アルバの遺産

 一つの報告が探索隊に届けられていく。

 それを悲劇と呼ぶか喜劇と呼べばその人の性格が判るだろう。大抵の人間は黙して自分の情報を隠すのだから。

 

「討伐隊が全滅しました」

「ちっとも笑えねえ冗談だな」

 アグリッパと呼ばれる派手なドレスの女が静かに言葉を告げる。

 ジュリアンは不機嫌な様子を返し……彼はいつもこの調子だが、決して笑顔を浮かべない訳でもない。単に現実が滑稽なだけだ。

「別に冗談を言ってる訳でもないと思うわよ」

 リンが弁護にもならなら相槌を打つと、小さく皮肉げな笑いが帰って来る。

「誰も討伐隊なんぞ組んじゃいねえんだがな。要するに、抜け駆けした連中が居たわけだ。これを冗談と言わずになんて言うんだ?」

 そうなのだ。対策会議以上の事をしてはいない。

 場所を特定し追い詰める為の筋道を立てて、討伐する為の用意をするところだった。いつかはそうするにしても、今はまだ確実に居場所や移動経路を抑える為の段階だった筈だ。

「何が一番笑えねえかと言うと、連中が素直に協力してればとっくに事件は終わりってことだな」

「そこは弁護の使用も無いわね。まあ弁護する義理も無いけど」

 現実は酷く単純で滑稽だった。

 皆で結集してエーデルフェルトが順当にトドメを指したという結末ではなく、少数精鋭で駆逐しましたという名声欲しさにマヌケが出た訳だ。

 

 もっとも成功すれば下働きも卒業とあれば気分が判らない訳でもない。

 問題なのは死んだマヌケの中には、おそらく死徒の位置を特定する事が出来る術者が居たという事。

 それが失われこれからの捜索が面倒になった上に、ベースキャンプであるホールを守る為の人数まで減ったと言っても良い。

 

「まあ泣き言を言ってるような余裕は無いとして……。現場を見せてもらっても?」

「構いませんが原則として鍵はご自分でご用意ください」

「ちょっと、こんな時くらいマスター・キーを使いなさいよね」

 アグリッパという女は静かに首を振った。

 原則を曲げることは無い。ソレはルールの順守を怪しくさせる行為であり、同時に侵入者を引き付ける行為だからだ。

「そもそもマスター・キーは存在しません。グランド・マイスターと各マイスターはその都度に鍵を生成されておられました」

「徹底してるのね。……判ったわ。できれば案内して欲しいんだけど」

 堅い調子で説明され、ためいき突きながらリンも納得の表情を示した。

 だがその顔が歪んだのは、僅か後の事である。

 

「構いませんが原則として鍵はご自分でご用意ください」

「あ……?」

 なぜここで同じ言葉を繰り返す必要があるのか?

 怪訝な顔で尋ね返そうとすると、やはり同じ様な流れで返答が返ってくる。

「どういうこと……?」

「マスター・キーは存在しません。よって皆さま方は各自で鍵をご用意ください」

 疑問と答えがイコールで結ばれない。

 まともに考えれば、リンの問いが『何故、鍵の用意の話』を繰り返す必要があるかだと判断できるからだ。何故こんなに杓子定規に回答する必要があるのだろう? これではまるで……。

 

「アグリッパさん……。いや、答えろアグリッパ。お前は人形だな?」

「その通りです。個体名アグリッパと申します」

「うそ……。こんなに表情が豊かなのに……」

 白磁の肌に蜂蜜色の髪や青い瞳、こんなにも美しいのに人形であるのか。

 いや、それとも美しさの代名詞を並べ立てただけだから、やはり人形なのか。言われてみれば造り物めいた笑顔を浮かべたままだ。

「オートマター……」

「正確には人体の再現性を確保する為、ホムンクルスを主原料にした生体式人形です」

 人体では強度が足りないならば、その部分は機械であれば良い。

 人間として見るならば違和感が出るならば、人間に極めて近い存在を使えば良い。ホムンクルスならば性能としても魔術の馴染みも上々だ。だからこそパっと見では人間に見えるほどの出来なのだろう。

 

「なるほど。ようやく先輩達の気持ちが判った。……お前も遺産だな?」

「その通りです。最も貢献した魔術師に譲渡が決定しております」

「だから先走ったマヌケが出たのね。これだけの作品が前菜なら、残っている遺産にも期待できそうだもの」

 もちろん上層部ならばこのレベルの物を作れるだろう。

 だがこの場で探索を行っている者にとっては垂涎の的だ。アルバの研究の一端を垣間見れる上に、もっと素晴らしい遺産も残って居るかもしれない。

「個体名アグリッパ、生体式人形です。食事として摂取は……」

「あーもういいわ、いきましょ。……こういうところは人形なのね」

 まだ若く未熟な二人にとってショッキングな出来事だった。

 ある程度納得したし理解もする。だからこそ見逃してしまった。裏の常識に慣らされた他の魔術師と違って違和感を持ちながら……『誰が譲渡条件を決めた』のかを尋ね損ねたのである。

 

置換魔術(フラッシュエア)

 赤いコートに着替えたアグリッパに道を教えられ道を進んだ。

 ジュリアンが先頭に立ち、探索や護衛を兼ねてリン達が付いていく。

 

「ねえ、参考までになんでそんな事をやってるわけ?」

「人の魔術を尋ねるのは御法度じゃねえのか?」

 嫌そうな顔をしてリンが尋ねると、ジュリアンはいつもの不機嫌な調子だ。

 それもそうだろう。彼は説明が好きではない上に、普通は尋ねることではないからだ。

「判らない事を聞く気は無いわよ。なんでそんな馬鹿な事をしてるかって言いたいの」

「仕方無いだろ。俺が習ったのはこの方法だけで、宝石魔術なんて高尚なもんは知らないんでな」

 彼が使用したのは金色のカード・キー。

 道をねじまげる空間に出逢う度に、彼はそれを使用してこじあける。そのたびに金色のキーは徐々に鈍い色に代わり、ついには鉛色になってしまう。

 

 誰でも判る遠回り、それだけがジュリアンの知っている方法だった。

 彼はこんな調子で何枚ものカード・キーを消費し、その都度に少なくない財貨……材料である金自体の消費を行っているのだ。

 

「置換魔術が悪いだなんて言って無いわよ。ただね、その方法は間に一手間かますの。あんたここに来るまでに一体幾ら使ったのよ」

「それの何が……俺が副業で稼いだ金を浪費しただけだろう」

 無駄使いであることはジュリアンも否定はしなかった。

 ただ、それを指摘してくれる人間など彼には居なかったし、見習いである彼にとってまずは使い勝手を試してみる段階でしかなかった。

「ふ~ん。浪費ってことは認めるのね? じゃあ私が間にかます触媒を売ってあげようか?」

「チッ。足元を見やがって。だが、それだけだとお互いに割りに合わうとは思えねえな。そうだな、せめて……」

 悪戯っ子のようなリンの笑顔だが、不思議とライネスのような意地悪さは無い。

 共通するのは後を引かないところだが、おせっかいなリンに愚痴を言うべきか、それとも明確な悪意を載せておいて文句のつけようの無いライネスを呪うべきか判らなかった。

 

 判って居るのはジュリアンはまだ未熟であり、差しのべられた手は例え罠でも貪欲に受け入れるべきだということだ。

 今は損をする事があっても、現状の危機を生き延びる手段であり、将来に芽を伸ばす為に仕方無いと割り切れる感性と判断力が彼にはある。

 

「ちゃんと過程と費用を説明した上で、浮いた金を折半ってことなら構わない」

「~♪ 随分と太っ腹じゃない。いいわ、そのくらいの魔術なら教えてあげる」

 メンツの問題か、それともプライドか。

 リンは思わずはしたなく口笛を吹くが、聞くのがジュリアンと人形のアグリッパだけなら問題無い。

「…もし時計塔に入れたら、あんたに色々教えて小遣いでも稼ぐのも悪くないわね」

「言ってろ。何年もしねえ内に、習うもんか無くなるだろうよ」

 リンの軽口にジュリアンはそのまま切り替えした。

 簡単に魔術を教えるようだと、手持ちのカードが無くなるぞと忠告めいて悪態を突く。

 

 だがその裏で、自分が何も知らないことは否定しない。

 妙な正直さとプライドを垣間見て、リンの微笑みは止まらない。

 

「男の子って大変ねぇ。まあいいけど……エインズワースってそんなにお金持ちなのに、何も知らないの? 聞いたこと無いけど分家なのかしら」

「正式には俺が始めみたいなもんだからな」

 いつもは不機嫌なジュリアンがその時ばかりは無表情だった。

 ぶっきらぼうに人に語るべきではないことまで喋ってしまう。まるで自分の事など、どうでも良いという風に。

「驚いた。それにしては筋が良いのね」

「元を辿ればメディチにも連なる家系と聞いてるが、眉唾だな。どこかで魔術師の血でも混じったんじゃねえか」

 滅びたメディチ家は表でも裏でも大家だった。

 古くは行商人として道なき道を駆け抜けるマレビト。

 そして医師であり錬金術師であり聖職者であり、都市すら金融で支配した大商人でもある。……要するに凄腕の魔術師だった。

 

 もし真実そうであるならば、ジュリアンもきっと救われたことだろう。

 だが彼が信じているのは、むしろ後半部分。どこかで魔術師の血が入り込んだ可能性。……最悪、自分は巣を手に入れようと企んだカッコウだとすら窺っているかのようだった。

 

「そこは『我こそはメディチの再来だ』とでも言っておけばいいんじゃない? 置換魔術にも適性あるみたいだしさ」

「なんだよソレ。天才の自称なんぞ馬鹿馬鹿しくてできるか」

 ソレができないからこそジュリアンは不機嫌なのだ。

 彼は自分自身を誇ることができない損な性質で、オマケに他者を騙して自分を誇る様な性質でも無い。要するに男の子は大変なのである。

「自分の事だもの、好きにしたら? ……それじゃ、さっそくレクチャー始めるわよ」

 リンはくすくすと笑いながら即席の抗議を始める。

 もちろん時計塔の専門家であれば恥ずかしいレベルだが、それでも素人のジュリアンには十分役に立つだろう。

 

「まずは今習ってる置換魔術の概念から。これは錬金術から派生して、その価値を別の何かに置き換える物」

「その程度は知っている。置き換える度に劣化して行くって事もな」

 ここまでは良いわね? というリンの言葉に不機嫌そうに頷いた。

 いつもの調子が戻ってきた。……という風には知らないが、それでも元気を取り戻したことくらいは判る。

「あんたが習ったのは不変の価値を持つ黄金を元に、幾つかの置換を経て求められる属性を得ている。まっ何処に行っても通用する、『万能の鍵』を教えてもらったんだと思えば意味はあるんだけどね」

「なるほど。万能ゆえに効率が悪いってか」

 今度はリンが満足げに頷いた。

 ジュリアンの呑み込みは悪くない。むしろ鋭いくらいに感受性が高い。まあでなければ豊富な魔術回路があるからと言って、一代で魔術師になろうとは思わなかったろうが。

 

「価値を基準にするなら、それこそ魔術基盤ごとの貴重性重視で良いのよ。例えばナポレオン帝政時代の価値観を持つ触媒を使えば、アルミニウムで金以上の価値を持たせられるわ」

「要するに自分用の賢者の石を造れ、必要に合わせた杖を振るえって事だな」

 よくできました。との言葉にジュリアンは顔を歪める。

 そしてお返しとばかりに一つ尋ねることにした。発想や説明といった考え方の基盤と言うモノは、その顕わし方で根本が露わになるからだ。

「おまえの魔術は転換がベースか?」

「鋭いのね」

 意外なことにリンは指摘されても顔色を変えなかった。

 秘密だからと隠すのではなく、むしろあっけらかんと表に出して来る。

「と言っても私も私の代で始めた分野だけどね」

「お前も?」

 だからこそジュリアンは思わず尋ね返す。

 本来は人に話す事ではないからだ。彼が自分の身の上を語ったのは、それこそどうでも良いと思っていたからに他ならない。

 

「そっ。うちの家の神秘はとっくに枯渇して居るのよ。だから新しく色んな魔術を組み入れたんだけど、一番しっくり来たのは転換だったってわけ」

 語りはしなかったが、それは父親に当たる人物が残した資料だ。

 ソレを覚えてから皮肉なことに、彼女の家のお家芸である呪符を駆逐した……宝石魔術が新しく彼女の力になった。

「お前も苦労してんだな」

「まあ私は良いのよ。物心着く頃には見切りが付いて、新しく方策を探して居た時期だったから。苦労したのは母さんの方じゃないかな」

 まさに発想の転換だった。

 宝石を使って呪符を造る。呪符の効果を宝石やその他の触媒で高めて行く。いわば電子回路の様な魔術に発展した。領地替えで失われた魔術基盤も、東洋の呪術である符蟲道で補えたのは幸運だったろう。

 

「それはそれとして……」

「そろそろ着きますよ」

 それまで黙って居たアグリッパが声を掛ける。

 そんな風に必要な事以外は無関心で喋らないところは、なるほど人形の様だった。最初こそ人間と間違えたが、細かな仕草は確かに人ではない。

「それならさっさと調査しちゃいましょ。講義はまたの御愉しみって事で」

「その前に、先客が居る様だな。……意外だな。アトラスの連中が事件解決に手を貸すなんて」

 そこに居たのは褐色の肌を持つエジプシャンの美少女だった。

 騒々しくなった場を気に掛けるでもなく、そのまま調査を続けている。肌をさらして居るのはムスリムではないからか、それとも単に魔術から来る必要性なのだろうか?




 と言う訳で第四回の追跡回であり、キャラ紹介の続きと成ります。
説明が長くなったので、後でするつもりだった内容を先に入れて、戦闘解決は次回に持ち越しとなった感じです。

●二人の事情
 リンとジュリアンの家設定は捏造なので、ここで簡単に説明。
ジュリアンの方は血筋のどこかでダリウスの血が入り、魔術師の能力を得ていた。
家でも色々あって、飛び出してきた感じです。
リンの方はエクストラのコードキャストに繋ぐ予定なので、遠坂の転換・宝石を混ざった段階。今から発展して行く感じになります。

●アグリッパ
 派手なドレスを来た人形。機械人形おいうよりはホムンクルスを材料にした生体人形である。
外見はタイプムーンエースに登場した女アルバのイラストのまんま。
冷静な思考というよりは、いまいち人間に成りきれない精神性を持つ。というかあんまり自分で考える方では無い。

●エジプシャンな美少女
 アトラスから回収に来た。という理由で実際には別の用事があった模様。
優れた演算力で今回の事件もあらかじめ予想して居たのかもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

切り札(エース)捨てる(使う)

●後の事件に至る鍵

 事件現場に訪れる度に何かが見える。

 だから何度も確認しろとは言うが、これほど犯人とかけ離れた相手と遭遇するのも珍しい。褐色の肌を持つ美少女が床に手を突き何やら探っている。

 

「アトラスの連中が捜査に協力するなんて珍しい事もあるもんだ」

「訂正を要求します。当方の観測対象であるかどうかを確認しているだけです」

 ジュリアンが面倒そうに放った質問へ少女は立ち上がることも無く答えた。

 そして一定の成果を得たのか、白衣を羽織ると器具をポケットにしまい込む。

「それで何か判ったのか?」

「当方の観測対象で無いことは確認しました。事件収束後に観測対象が起動するか、持ち出された事を確認するまでホームに居ます」

「承知いたしました。ラニⅥ。良い御時間を」

 言葉の半分はジュリアンに、残り半分はアグリッパに聞かせていたようだ。

 必要最低限だけを告げると、ホールの方へ向かい始める。

 

 ジュリアンは舌打ちをすると少女の後頭部を一瞬だけ見た後、視線を手元に移して言葉を掛ける。

 

「死徒が出歩いているというのに随分と不用心じゃないか?」

「その件は直ぐに収束するでしょう。出逢う事も無い相手を警戒するのは無意味です」

 身も蓋も無い言葉が返ってくる。

 だが少女の言葉は色々と示唆に満ちている。おそらく先ほどジュリアンが逡巡したのは、どうやったら事件解決へ向けた言葉が引き出せるかを考えたのだろう。

「ってことは居場所が判ったんだな? 倒す方法も」

「ミス・エルメロイの元にエーデルフェルトが居るとか。ならば解決は自明の理です」

「ちょっと、それじゃあ意味が判んないでしょうが。あんただけ判って居ても仕方無いのよ!」

 態度はYes。

 しかしその後に続く言葉は無い。ジュリアンが何度目かの舌を打つ前に、リンが続けて言葉を放った。

 

「先ほどの言葉をミス・エルメロイにお伝えください。それで事件は解決します」

「はあ!? あんた私の言ってることが聞こえたの!? 一人で納得してんじゃないわよ!」

 なんとさっきの言葉が答を兼ねていたらしい。

 しかしながらサッパリ判らない。というよりも言葉が少な過ぎて解釈が他に出来るとは思えないのだ。

「お前にとって事件は解決した、もう口を挟む気は無いということだな?」

「正確には事件には最初から口を挟む理由がありません。しかしながら計測のついでで判明したことですので、アンサーを口にしたまでです」

「だーかーらー! んっとにもー頭きた! あのね……むぐ」

 ジュリアンは前に会った事があるのか、慣れたように言葉を遮る。

 むしろ先輩を制止するのと違って、リンの口を素早く塞いで考えを巡らせる余裕すらあった。

「なら提案だ。終わった後でいい。お互いの協力できる範囲で探索の……いや、あんたが観測する対象への危険対策をしねえか?」

「貴方が理解できているかは別として、非常に魅力的な回答です」

 ジュリアンは探索に関しての協力要請は行わなかった。

 遺産を分けあう事を決める権限など無いし、そもそもアトラス院から派遣されて来たチームは興味がなさそうに見えたからだ。

 

 ならば協力対象は、彼女達が確認した対象に関して。

 もしそれが危険なモノであるならば、対策を一緒に練ろうと持ちかけたのだ。仮に死徒以上の危険であれば、この一言だけで情報収集としても協力要請としても十分だ。

 

「ミス・エルメロイにもう一つお伝えください。ウェイバー・ベルベットと名乗って居た男性の協力を仰げるのであれば、こちらとしても情報を開示する事はやぶさかではないと」

「「ウェイバー・ベルベット?」」

 事情を良く知らない二人は、今ではあまり聞くこともない名前に首を傾げた。

 ただ一つ判ることは……。

「ホントーに自分が言いたいことだけ喋っていったわね」

「仕方ねえな。ありゃホムンクルスだろう。アグリッパ(こいつ)を見るまで気が付かなかったけどな」

 言われてみればラニの言葉も姿もシンプル過ぎた。

 知性も容姿もかなりの物だが、必要以上を行おうと言う気がそもそもない。機能として兼ね備えているが、対応しようとしないという点でアグリッパに良く似ていた。

 

 あえて違いがあるとすれば、意図して観測や計算を行うことくらいだろう。

 二人は釈然とし居ないままに現場のデータを集め、一度キャンプ地であるホールに戻るのであった。

 

●その時、何が起きたのか? これから何が起きるのか

 ジュリアンはホールに戻った後、定められた手順でライネスに報告を送った。

 現時点で少なくない魔術師が死んだことや、ラニⅥと名乗るホムンクルスからの伝言を伝える為だ。

 

「本当にその名前を?」

「ああ、ウェイバー・ベルベットの協力が得られるならば。とな」

 ホールに現われたライネスの唇は奇妙に歪んで居た。

 面白い事を見付けた微笑みであり、同時に面倒な事になったという態だ。

「知ってるの?」

「知って居るもなにも兄の本名だよ。エルメロイを一時的に継がせる前は、そんな誰も知らない名前だったのさ」

「ロード・エルメロイ二世か。確かに協力させることを確約なんぞできねえよな」

 意外なことにライネスは首を振った。

 ロードの中でも今をときめくロード・エルメロイ二世といえば、魔術師を育てる教師(・・)の天才として知られているのにだ。今も忙しくしているはずで、此処に来るのも遅れているくらいだった。

 

「どうしても必要だと言えばあの兄ならば文句は言わないさ。それにアトラス相手の学術談義程度ならば問題にもならない」

「……なるほど。問題なのは学術的な助言じゃねえってことか」

 今度こそライネスは頷いた。

 何かの魔術をアトラス主体で実現する為に、ちょっとした助言をする程度の内容に収まらないからだ。

「そもそも魔術の開発だろうが礼装の開発だろうが兄には無理だ。アプローチが間違っているとか正しいとかの助言は可能だがね」

「それはそれとして、理解できるだけでも凄いことだと思うんだけれどね」

「じゃあ何がマズイんだ? やっぱり他の組織と協力態勢を築くことか?」

 進まない話にジュリアンが強制的に鞭を入れる。

 他愛ない御話を終えて、ライネスはトントンと机を叩きながら口を開く。もうちょっと引きのばしておちょくってやりたかったのだろうが、まあ仕方あるまい。

「それも問題だがね。……そもそもウェイバー・ベルベットの名前を指定したのが問題なんだ」

「本名が知られて無いから、表沙汰にせずに接触したかったとか?」

「いや、そうじゃない。それなら他の名前でも良い筈だ。その名前の当時に起きたことが関係している……」

 その通り。

 だから困って居るとライネスは楽しそうな顔で答えた。

 

「とある問題を引き起こす為にウェイバー・ベルベットは日本まで出向いた。帰還ルートでも色々やらかしたかもしれないが、まあ些細なことだ」

「まさか……」

 ライネスの言葉にリンが僅かに顔を青ざめた。

 もし聡明な姫君が気がつかなかったとしたら、ソレはあまりにも語り慣れたできごとと、良く見た変化だったかもしれない。

「聖杯戦争……」

「極東で行われた儀式と言う名前の殺し合い。まあそこで起きた秘儀にせよ、サーヴァントにせよ、研究対象にするとしたらロクなもんじゃないな」

「ふん……なるほどな」

 少女二人が話し込む中で、ジュリアンは得心いったと頷いた。

 そして肩をすくめながら、まだ見ぬ脅威に思いを馳せたのだ。

「ということは死徒の次はそのサーヴァントとやらが出て来る可能性があるってことか。面倒ってのは中々収まらねえもんだ」

「だからこそ困って居るのさ。嫌だと突っぱねるのは簡単だが、サーヴァントが出て来る可能性があると判っては無碍に断れん」

「ちょっと! サーヴァントって大事じゃない!」

 そこからは三者三様だった。

 サーバントという単語を確りと理解してはいないジュリアン。知っているからこそ困っているライネス。そしてとてつもない脅威だとだけ知っているリン。

 

 もはや死徒など山の前の丘に過ぎず、いかにして大過なくやり過ごすかが問題となった。

 

「サーヴァントが何か知って居るのかリン?」

「知ってるけど後でね! ……まずは死徒を片付けないとゆっくり寝てなんかいられないわよ?」

「ああ、そっちは半分解決した。君達の伝言のおかげだな、ありがとうとでも言っておこうか」

 もはや興味が無いのか、ライネスは死徒に関しては投げやりだった。

 確かにサーヴァントと比べたら大したことは無いかもしれないが、笑って見て居られる相手ではないはずなのだが。

「見付けたのはアトラスのホムンクルスでしょ? 褒めるんなら出逢った時にでも言ってあげたらどうよ」

「言われて判ったことなんだがね、時間の問題だったからさ。もし君達が尋ねなければそうだな……数日後に犠牲者を大量に出して倒したんじゃないかな」

「ということは居場所の検討が付いたという訳か? だとしたら……」

 妙な公正さでラニの事を告げるリンに対し、ライネスは笑って二人の影響だと切り替えした。

 ジュリアンはそのことから、告げられた内容に関して精査を始める。

 

『ミス・エルメロイの元にエーデルフェルトが居るとか。ならば解決は自明の理です』

 

 これがラニの言った全文だ。

 直球過ぎて謎を入れる余裕も無い。

 となればライネスが口にした、数日後には確実に判ると言う言葉が最大のヒントだ。

 

「あんたかエーデルフェルトならば確実に思い付く場所。あるいは虱潰しにすれば必ず辿りつく場所に死徒は居る」

「そういう事だね。言われなければ疑わなかった自分が恥ずかしい」

 穴があれば入りたい、入って隠れて居たいものだとライネスは笑った。

 もちろん穴を見付けられたら簡単に殺されてしまうのだけれども。

「ここは霊的加護付きの修道院だから霧になって隠れるのも不可能。ゆえに可能性は二つ。一つ目は推理小説よろしく死徒が殺した魔術師の死体。これと入れ替われば盲点だ」

「はぐらかすな。それだったらとっくに見付けてるよ。基本中の基本つーか、転化しないように術を施したっていう話だからな」

 そう、推理小説と違って死体は入念に調べられる。

 モノが吸血鬼としての特性を備えた相手だけに、ゾンビならぬ低位の死徒に転化されては困るからだ。何度もチェックするし、場合によっては焼却してでも処分するだろう。リスクが大きいどころの話ではない。

 

「ならエルメロイでなければ無事で居られない部屋に貴女が居たように、他の弟子の部屋に潜んで居るってこと?」

「まあ、そういうことだね。言われてみればとてもあっけない」

 ゆえに死徒の件は、ほぼ解決して居るのだ。

 後はルヴィアが宝石を山の様に使って仕留めるか、死徒の方が先に気が付いて情けなくも逃げるかのどちらかになるだけだ。

「死徒が何をしにやって来たのかという『ホワイダニット』が判らなかったが、まあサーヴァントが絡むならば聖遺物の可能性が高いな」

「サーヴァントとやらを呼び出せるようなブツってことか」

「ここにそんなモノがあるってことね。とんだ遺産だわ。それともまさに遺産として相応しい……かしら」

 聖遺物級の品であれば死徒が挑むのも納得が行く。

 魔術師だらけの場所に危険を承知で飛び込んでも、『そのくらい』でお釣りが来るほどの対象だ。サーヴァントを呼べる可能性を抜きにしても、強力過ぎるアイテムだからだ。

 

(「もう一つ不明なことがあったか。死徒は誰に……」)

 口にしても解決できない推論だ。

 ゆえにライネスは言葉には出さなかったし、ラニⅥもまた告げなかったのだろう。まずは死徒を倒す為の戦いに全力を向けることに成ったのである。

 

●仕組まれた戦い

 もし正面から死徒と戦えば、危険どころでは済まなかっただろう。

 仮にも魔術師の集団を瞬殺しており、単純な戦闘力だけならば相当な能力を持つタイプだからだ。そんな相手を前にして、一流の魔術師と言えど楽勝というのは難しいだろう。

 

 だが何事にも例外はある。

 もし黒幕がこの戦いの事を仕組んで居たら?

 もし特異な能力を持つ魔術師たちが手を組み、黒幕が想定する以上の能力を示したら?

 その答がここに、この時にある。

 

「珍しいな。爪に化粧なんて」

「何を言ってるのよ。今時の女の子は普通にしてるわよ。それにコレは礼装だし」

「まあ体色に近いとか、桜色とかまあ良くある色合いだけれどね」

 恐ろしいことに姫君であるライネスが戦場に居た。

 もちろんエルメロイの血が必要なのではなく、楽勝で倒す事にしたからだ。そしてもう一つの条件を叶えつつ、見たいモノ……見ておかねばならないモノがあるからに他ならない。

「ではラニ君。今回の周知を頼む」

「了解しました。ミス・エルメロイ」

 白衣のラニが注釈する姿は学会か何かを思わせる。

 無論、こんな少女が論文を立ち上げ吸血鬼に関する作戦を読み上げるなど、科学者から見れば噴飯物ではあろう。だが魔術師の中では普通の光景だ。弁者がアトラスのホムンクルスだとあればむしろ当然の帰結とさえ言える。

 

「死徒は捜索の盲点を突き探索を確実とする為に、マイスターの間(弟子たちの部屋)の一つを占拠して居ます。そこは複数ある罠の内、最大級のモノを死徒であれば無効化出来る場所です」

「エルメロイの御姫様がやってる事と、ほぼ同じことをしてるって訳よね」

 コルネリウス・アルバは俗物的だったので弟子は結構居るが、この別院に居たのは四人ほどだ。

 それぞれが頭のおかしい仕掛けを施して、当然ながら他にも仕掛けた罠と合わせて万全の態勢を敷いていた。何しろ弟子同士だからといって、魔術師相手に油断するほど愚かな奴は居ない。

後から加えられた四人目(エルメロイの血族)を除けば、水没した部屋(アクアリウム)思考が漂白される部屋(サナトリウム)正しく認識できない部屋(アナモルフォーズ)の三つがあります」

「それで何処の部屋が確実なの?」

 いずれも極め付きのトラップ部屋だ。

 一番まともそうなのが水没した部屋というのが、まったくイカれている。しかし死徒は水に弱いという伝承もあるので、系統にも寄るが無いだろう。何しろソレを基盤に魔術を撃ち込まれたら、アッサリと存在が瓦解しかねない。

 

「知って居れば対処できる唯一の場所が、思考が漂白される部屋です。あそこは居るだけで狂気に陥る部屋ですが、そもそも思考を停止してプログラム通りに動けば問題ありません」

「そんな事ができるのは、てめえ達だけだよ」

「ありがとうございます。ミスター・エインズワース」

 褒めてねえよ。とジュリアンが苦笑を洩らした。

 平然と常人には出来ない事を口にするホムンクルスのラニⅥと、人間とはそもそも違う思考で動く人形のアグリッパ。確かに二人からすれば意識が漂白されて器物に成る程度の事はいつも通りなのだろう。

「勘違いとか目算違いって路線はねえのか?」

「正しく認識できない部屋では外の様子を把握する事も、指定した時間に出る事も不可能です。これでは何のために探索に訪れたのか意味すら無くなります」

「共犯がいて撹乱の為に参加したとしても、その役にも立たないって訳ね」

 極論を言うと認識が歪んで居るので中がまともかも判らない。

 もしかしたら内部空間の直進性すら歪んでおり、仮に部屋全域に魔術を掛けても聞かない可能性があるのだ。

 

 一時的な退避を行ったつもりで数年後に出てこれれば運が良い方だろう。埋葬機関にでも襲われない限りは逃げ込む場所ではない。

 

「……此処に間違いはねぇ。そして中に居る奴は魔術的にプログラムされた通り、逃げ出して来るってことだな?」

「その通りです。しかしプログラム内容に迎撃もあるかもしれません。貴方の決断は危険だと申し上げておきます」

 ジュリアンの思考を先読みしてラニが懸念を伝えた。

 彼女としては可能性レベルであったが、それでもゼロではない以上は忠告しておくべきことだった。

「ねえよ。エーデルフェルトに狙われて巣に籠ったまま死ぬなんざ、真っ平御免だろうさ。どうせなら戦って勝利を奪うって方が面白そうだ」

「なるほど、思考をトレースされたのですね」

「置換を応用したの? むちゃくちゃな事するわね」

 ジュリアンの言動を上回るペースでラニが先を口にした。

 何故断言できるのかという疑問を踏まえたうえで、思考をトレースしたのだとさらりと口にする。それがとんでもないと知って居るリンは思わず二人の話を遮った。

 

「普通はね。対策をした上で一時的なモノである投影で済ませるの。人格置換なんかしたら。制御技術も無いのに人格が汚染されるわよ」

「生憎と他に方法は知らねえんでな。それに……ウッお!?」

「確かに漂白されるならば同じことですね。判りました、では私も本格的に協力するとしましょう。問題ありません」

 人格が汚染されると言う事に対して三人のスタンスは違っていた。

 リンはとんでもないことだと思っているし、ラニは良くあることだと精神洗浄込みで手段を許容して居る。そしてジュリアンに至っては自分を大切にすると言う気持ちが無い。

「てめえ、何を、しや……」

「既に答はインストールして居る筈です」「貴方に接続して」行動をプログラム」」方法はエーテライト。「貴方が人格を置換した様に、私もまた「「演算によってトレース」「再現」「問題ありません」

 ジュリアンの思考は突如として間延びし始めた。

 正しくはラニの思考と接続し、並列思考の中に巻き込まれたのだ。普段からこのスピードで演算して居る彼女に合わせて居ては、ジュリアンがただで済む筈は無い。

 

『問題ありません』

『確かに漂白されるならば同じことですね』

『判りました』

『これが私が本気で協力するということです』

 先ほどの言葉が順番を修正されてジュリアンの脳裏に蘇る。

 どこまで覚えて居ないか判らないが、漂白された人格を幾つか上書きして行く。

 

「大丈夫ですの? 今更準備を無駄には出来ませんわよ?」

「問題ありません。私はトートの詠唱(さえずり)。我が遡る砂時計により、万事は滞りなく」

 動きを止めたジュリアンを見て、精神を出有させて居たルヴィアが口を開いた。

 敵対者であれば失われても気にしないだろうが、流石に協力を申し出て、彼女達の代わりに危険な場所に飛び込むと言う男を見殺しにする気は無い。それではエーデルフェルトの名が泣こうと言う物だ。

「簡単に説明しますと、彼の動きを七刻分まで制御しています。あくまで彼の能力内ですが、出口に向かう動きくらいはかわせるはずです」

「やれやれ相手次第か。仕方無い、少し守ってやれ。お前なら問題無いだろう」

『イエス→マイ↑ロード↓』

 また何か妙な動画でも見たのか、トリムマウが奇妙な発音(日本英語)でライネスのポケットから滲みでた。

 それは姫君を守っている本体の一部なので守ることはできないが、イザとなればジュリアンを押し倒すくらいは可能だろう。ライネスの掛けたささやかな保険と言う奴だ。

 

 そしてジュリアンの思考が漂白される心配そのものは気にしないことにした。

 ラニが直接操っている状態であり、思考が消えるとしても彼女の与えたプログラムの方が先だろう。そのくらいの優先順位を割り振ってあると保証されたようなものだ(脳機能に支障をきたしたら、補填にアトラスが術式でもくれるだろう)。

 

「出て来ます。今から皆さんに移動場所を送りますので各自行動してください」

「わぁおう。何これ、あんたこんな風に世界を見てるわけ?」

「っ!」

 ラニの声にリンは声を漏らし、ルヴィアは呻き一つで耐えきった。

 脳内に直接画像が飛び込み、相手が行うモーションを表示したのだ。画像が粗く音の方が鮮明なのは、部屋に飛び込んだジュリアンの能力限界だろう。

「ちょっとした3D画像だね。映画で見たことくらいはあるが。まあ科学が魔術に追いついたと思っておこう」

「来るわよ!」

 動けば動くほど画像が鮮明になる。

 それは一挙手一挙到ごとに演算をし直して居るせいだろう。相手の思考をエミュレートし、ルヴィアやリンが牽制に撃ったガンドを計算に入れて再調整して居るのだ。

 

「まずはこれでも喰らえ! 釣瓶打ちよ!」

「ガンドなど……。ぬっ!」

 魔力で編まれた呪いを弾いた瞬間に、リンが向けたネイルアートが輝く。

 そこで停滞したのは僅かな時間であるはずなのに、まるで判って居たかのように五色の魔術弾が飛来する。

「温いわ!」

「怨敵退散! グッバイ、アディオス、さようなら! アデューやヴォナノッテも良いけどね!」

 死徒が張り巡らせた魔力の鎧が魔術弾をことごとく防いだ。

 しかしその効果はそこからだ、五色の色彩が魔力の鎧ごと周辺を縛り上げ始めた。

 

「私の行動がことごとく読まれている!? 馬鹿な、こんな小娘一人に!」

 これが集団で魔術砲撃を掛けたのであれば判る。

 強力な結界を築くためにこちらもかかりきりになるし、大きなステップで良ければそれはそれで待避先を読まれ易くなる。

「解せん! ……これは時間の掛る呪訴だろう! どうして……」

「呪訴というよりは秘儀ってやつよ。うちの家財全部持って逝きなさいな」

 リンが放ったのは繰り返すたびに強度を増す魔術式。

 たが一度繰り返すごとに、ルールを変える必要がある。五倍掛けであれば五つのルールが必要なのだ。簡単に実行できるような魔術ではない。

 

 異なる言語で五度、五つの異なる色彩で放たれる魔弾。五つの方位に放ち……。

 咄嗟に判断できたのはそれだけだが、こんな少女が一瞬にして判断したというのは無理がある。

 

「動け、動け、動け……」

「無駄ですわ」

 ルヴィアが先ほどは成ったガンドは牽制ではない。

 マーカーであり、リンのソレと重ねることで魔力的に感染する補助式でもある。既にリンの魔術攻撃が当たった以上はもう外す事は無い。

「この矢は当たりますわ。必ず、何をしようが」

「宝石の形状をした弓だと!」

 左手はガンドの指先、右手に大粒の宝石を握り込む。

 周囲に配置した煌びやかな宝石たちがプリズムのように光を放てば、極光にも似た輝きが矢を形成し、地面には影がエイワズのルーンを刻んで居た。

 

「まさかイチイバ……」

「いいえ……これぞエーデルフェルト流射弓術! まだ(・・)その域には届きませんわ」

 ルヴィアがくすりと笑った時。

 小粒な宝石が次々と砕けて、直撃した光の矢に力を載せて行ったのである。

 

 こうして死徒の跳梁は計画通りに終了した。

 それが黒幕の予定の内か、それともライネス達の計画の内かは別にして。




 と言う訳で死徒との戦闘回を終わります。
なんというか場所を見付けたら終わりと言う、謎解き回に近くなってしましました。
次があればもっと直接対決っぽくしたいと思います。

●ラニⅥとその能力
 アトラス院のホムンクルスで、彼女達の演算通りかを観測しに来ている。
徹頭徹尾自らの研究と、その成果を確認する為に行動して居る。今回協力したのも、結果をより良い方向に修正する為。
分割思考と未来予測を行うのみで、実質何もせずに死徒を倒し、ジュリアンやライネス達の協力を得た。

能力:『七刻の予見』、『遡る砂時計』
 相手の生体波長などを七回分予見する能力と、味方の行動を七回分修正する能力。
簡単に言うと運命やテンションによる行動誤差がサイコロの様な物だとして、そのサイコロの目を記録、そして味方であれば修正できる。
ただしこの能力には大きな制限があり、あくまでサイコロの目の分だけで、能力値修正が大きい場合にはあまり意味が無い。
相手が何秒後に大きく態勢を崩すと判って居ても、そのタイミングで確実に成功する行動を取って居ては意味が無いというもの。
とはいえこのまま戦えばどうなるか予想が出来るし、敵の不調と味方の絶好調を組み合わせれば、高い確率で勝利を得ることが出来るだろう。
この能力は互いが互角である時、明確な相性がある時、そしてとえもウッカリな味方が居る時などに役立つ能力である。

モデルはTRPGのイースRPGと、カードゲームの紋章喰らいの一部

●リンの切り札
 東洋の呪術である符蟲道を織り込んだ物で、その秘儀を呪符(と宝石魔術)でアレンジしている。
今回は繰り返せば魔力強度・神秘強度を増すという秘儀を使用しており、本来は勝てる筈の無い呪訴合戦に勝利した。
この秘儀は強力な半面、一度繰り返すごとに別のルールを繰り返す回数分だけ上乗せする必要がある。
今回は方位(図形)・色・指・言葉・香りの五つを使用しており、それをネイルアートに落とし込む事で一瞬では判らないようにしている。
以前から繰り返す様に、この術用の礼装は今のリンには使用できない。

モデルはテーブルトークのAYURAファンタジー退魔戦記の一部

●ジュリアンの人格置換
 思考をトレースし仮構築した人格を自分に上書きする事で、敵ならばどう動くかをプロファイルしている。
本来は投影であるとか、他の魔術を使用するはずだが、今の彼は属性鍵を間に合わせる為に、置換魔術を教えてもらっただけなので、この方法を取って居る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。