姫補助プレイは世界を救う (フォーサイト頑張れ)
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Prologue

 Prologue 1

 

 

 

 

「オオオオァァァアアアアア!!」

 

 

 悍ましい咆哮が鼓膜を(つんざ)く。

 威嚇交じりの喜々としたこの叫びは、獲物を前にした強者特有の舌なめずりのようだ。

 化け物の咆哮に、自分は恐怖していると自覚する。

 逃げるべきだ。そう脳が判断するよりも早く、闇夜と濃霧に身を隠すようにその化け物は姿を消してゆく。

 震える両足が、自分は臆しているのだと証明している。

 極度の緊張下の中、化け物の邪悪な気配が脳裏に焼き付いて離れない。

 一体、前世でどのような悪事を働いたら、この未来が待ち受けていると想像できただろうか。

 現世においても請負人という職業に就いている以上、汚れ仕事は免れない。そんな事は百も承知だが、仕打ちにしては随分と過剰という言葉が当てはまる。

 例えるなら死の騎士とも呼べるアンデッドは、少女の胸に突き刺したフランベルジュを抜き放つ。少女の小さな体には聊か大きすぎるその剣は、風穴というには風通りが良すぎる程の空洞を胸に開けてしまう。

 鮮血が迸り、大地に伏せた少女が紅に染まる姿を見て、自分は役割を果たせていなかった事を認識した。

 

 ――前衛の自分が易々と抜かれていた。なんてザマだ。

 

 怖気を憤怒で消し飛ばすように、吠える。

 

「――糞ッたれ!! ロバー! 早く回復魔法をかけてやれ、死んだら終わりだぞ!!」

「わかっています! イミーナ、サポートをお願いします! 一度引きますよ!」

「わかってる! アルシェ、あと少しだけ耐えて!」

 

 止まっていた歯車が即座に回りだす。

 少女はもはや虫の息。神官の男が少女を抱きかかえ、死の騎士から距離を取ろうと走り出す。

 

「――今行く!」

 

 死の騎士に距離を詰めようと、大地を蹴り上げる。

 ここは仲間が一命を取り戻す程度まで回復する、その距離と時間を自分が稼がなければならない。囮という意味合いが強いかもしれないが、仲間はそれだけ自分を信頼し、そして自分もまた、仲間を信頼しているからこその状況判断と連携だ。

 

(もう間違いは犯せない! 何が何だろうと食い止めねーと……)

 

 剣の間合いまでもう少し。彼我の距離、そして仲間との距離を確認し、死の騎士を見据える。

 

(な、なんだ? 俺に気づいていない? ……い、いや違う!)

 

 死の騎士の取った不可解な挙動の意味を理解してしまったからこその恐怖を覚える。

 逃げる仲間と、向かってくる自分。どちらを優先すべきか迷っているのだ。

 その姿はまるで狩人そのもの。しかしそこに情があるのが恐ろしい。もちろん温情などではなく、悪感情に違いない。

 狐が兎を狩るのとは根本的に異なる。何故なら狐は食すために兎を狩るのだ。狐に悪の感情はない。

 自分達など大して脅威とも思われていないのだろう。それならば逃げる人間を先に殺し、最後に向かってくる自分を殺したほうがより大きい絶望を与えられるとでも考えているのだろう。生者を憎む、アンデッドに相応しい思考回路故の行動というわけだ。

 

「舐めやがって……」

 

 仲間を庇う覚悟の現れと、前衛としての役割を果たせなかった憤り。様々な感情が入り交じった怒号を上げる。

 

「俺だよ! 馬鹿野郎!」

 

 アンデットに挑発が通じるかなんて、よもや考えてはいない。

 ただ叫ばずにはいられなかった。

 疾風の如く間合いに踏み込み、腐った頭部を目掛け剣を突き立てる――よりも速く、死の騎士の巨大な盾によって剣は弾かれた。

 後方に大きく弾き飛ばされ、その隙に逃げる仲間に駆け寄る死の騎士を自分は宙で眺めることしかできなかった。

 

(どうしてこんな事になった……? カッツェ平野のアンデット退治なんて、飽きるほどこなしてきたはずなのに……)

 

 どんな苦難な道もこのチームで踏破してきたし、乗り越えてきた。助け合ってきた。

 これまでも、そしてこれからも同じ。きっとこの窮地も乗り越えられるはず。

 そう信じていた。

 だが分かってしまった。

 本能的に理解してしまった。

 これが狩られる側の景色。今まで自分たちが狩り殺してきた者が見ていた情景なのだ、と。

 

 世界は単純だ。

 強者が弱者を食う。即ち、弱肉強食だ。

 世界の心理だ。

 それが今回は運悪く、自分たちが食われる側に回っただけ。

 

 そう頭の中で理解しつつも、その現実を簡単に受け入れられるほど人間という種族は賢くはないし、強くもない。

 仲間に向けて叫ぶ。それは悲鳴に近い。時間すら稼げずに脅威を寄せてしまった事に対する懺悔の如く。

 

「撤退だ!! 俺に構わず逃げろ! 逃げてくれ!」

 

 仲間の狙撃手が踵を返す。接近する死の騎士をまっすぐ見据え、弓の弦に矢を番える。

 

「馬鹿! イミーナ、逃げろ!」

「あんたを置いて逃げられるわけないじゃない!」

 

 狙撃手は弦を限界まで引き絞る。瞳に涙を浮かべながらも、そこに怒りを宿して。

 狙撃手の矢は死の騎士の頭部に刺さる。

 しかし損傷を受けた様子はない。

 それどころか構わず走り続ける死の騎士は、フランベルジュを大きく構え狙撃手に振り下ろす。

 この瞬間、まるで走馬燈を見ているようだった。

 振り下ろされるフランベルジュ。震える手に持つ弓を捨て、懸命に短剣を抜こうとする狙撃手の姿が、何度も、ゆっくりと、再生、逆再生を繰り返している幻想に囚われた。

 

(糞! 間に合わねえ! 何か、何か手はないのか……?)

 

 神官は立ち止まれず先を走ってしまっていた分距離が開いている。今から抱えている少女を下ろし、狙撃手の援護に入るには時間が足りない。

 自分も現在、盾に弾かれてしまって距離がある。己の脚力を以てしても、狙撃手と死の騎士の間に割り込むには今から体勢を立て直して走ったとしても間に合わないだろう。

 八方塞がりだった。

 全ては運のせいにしたかった。このようなアンデッドがカッツェ平野に出現していると聞いていたら絶対に自分達は仕事を請け負わなかっただろう。

 これは請負人の仕事の範疇に収まるようなアンデッドではない事は明白。国を挙げて討伐すべきアンデッドに違いない。

 

 やはり運が悪かったのだ。

 己の運の悪さを憎みたい。

 

(――なんて簡単に諦められるほど、人間、賢くはないと言ったはずだ!)

 

「――イミーナあああ!!!!」

 

 迷いは一瞬。両足を地面に踏み込ませ、割れんばかりに蹴り上げる。

 目的は一つ。自分の仲間を、そして自分の女を助けるために。

 

 

 そして瞬きを一つ。

 

 

 ――その瞬間、ヘッケランの視界は閃光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

プロローグ②

 

 

『記憶』

 

 この『記憶』という概念が、私こと旧名、沙友里はどうしようもなく嫌いだった。

 すでに溢れている水槽に、更に上から水を流し込むようなものだと思う。

 日常生活においても、その水は次から次へと水槽に流し込まれ、溢れだし、過去の記憶が忘却される。

 なんて不便で不都合なシステムなんだろう。

 もちろん全てが完全忘却するわけではない。しかしそんなところがまた、どうしようもなく嫌いだ。

 ふとした事で嫌なことばかりを思い出し、記憶の反芻によって完全定着する私の脳味噌を叱りつけてやりたい。もっと楽しかった記憶を定着してはくれないだろうか。

 

 何が言いたかったのか。

 そう、つまるところ現在の私の脳内ストレージは限界に達しているにも関わらず、ここ最近になって過大なプログラムを次々とインストールしてしまっているのだ。

 ここらで一度、外部ストレージに保存しておかなければならない。でなければ自分が誰だったのか、どこから来たのか、そしてその名前すらも忘却してしまいそうだったので、ここに書き綴る事にした。

 

 子供の頃の話をしよう。

 私は先天性の病気で目が見えなかった。いわゆる全盲というやつだ。

 全てが黒に染まっている世界に私はいたのだろう。いや、今思い返すと『黒』という色の概念すら無かった気がする。しかし当時の私にとってはそれが普通であり、それが私の世界だった。

 当然ながら両親の顔を見たことがない。というよりも、私には両親の記憶が全くない。

 私の記憶によると、最初に思い出せるのは施設での幼少時代。恐らく六、七歳の頃だろうか。

 当時、目の見えない私と仲良くしてくれた子供が施設を出て行った。

 何故、施設からいなくなったのかと先生に尋ねると、里親に引き取られたという。

 その時、私は初めて親という概念が誰にでも存在している事を知った。

 私の親はどこにいて、何をしているのだろう。

 何故、私の親は私を迎えに来ないのだろう。

 そう疑問に思った私は、子供ながらに泣きじゃくった。本来あるものが無い事にセンチメンタルになってしまったのだろう。

 目が見えない事による盲目だった感情が、この施設に来てから少しづつ芽生えてきた。

 その感情は悲壮感だけではなかったのは確かだ。楽しかった事も、嬉しかった事もあったはずなのだ。それでも私の記憶には、両親が迎えに来ないという寂寥感だけが酷くこびりついている。

 景色や風景、情景などの記憶が一切無い変わりに、感情という想いがより強く脳に記憶されてしまっている。

 それでも全盲について、私は幼いなりに受け入れようとしていた。

 

 そんなある日、施設の先生が急いで私の元へ駆け寄り、こう言った。

 

(あなたにステキなサプライズがあるわ。一緒に行きましょう)

 

 荒い息遣いと乱れた足音に、ただ事じゃないと察した私は、警戒心を抱きながらも車に乗った。

 車に揺さぶれること数時間。何かよからぬ事が起こるのではないかと恐怖していた私は、行き着いた場所で泣いてしまった。

 知らない声が聞こえる。様々な足音が聞こえる。

 私の知らない場所だった。沢山の人がいる場所に怖気ついてしまった私は、先生に抱き着いて懇願した。

 

(早く帰ろうよ。怖いの)

(大丈夫、泣かないで。ここであなたは、初めてあなたに会うのよ)

 

 意味がわからなかった。初めて私に会う? 何を言っているのだろう。

 私は先生の手を強く握り、建物の奥へと進んだ。

 ドアが開く音がした。先生が部屋へと入り、連られて私も一緒に入った。 

 先ほどの場所と違って物音がほとんど聞こえない静かな部屋だ。

 先生が誰かと喋っている。断片的だが会話の内容が私の記憶に残っている。

 

(――それで、見えるのですか? この子でも)

(はい、大丈夫ですよ。まずは写真を撮りましょう。初めまして、沙友里ちゃん。私はこの病院の先生だよ、よろしくね)

 

 私は知らない声の人に急に名前を呼ばれて驚いた。透き通った、奇麗な声だったのを覚えている。

 

(沙友里ちゃんとお写真を撮りたいの。いいかしら?)

 

 泣いていた私は目を擦り、コクンと頷いた。

 

(ありがとう。それでは付き添いの先生も一緒に映ってください。いいですか? 撮りますよ)

 

 私の両肩に並んで三人で写真を撮った。そんなことをして、何の意味があるのだろうと私は首を傾げた。写真を撮ったところで、結局私は見れないのではと疑問に思ったからだ。

 

(それでは先生、沙友里ちゃんをこちらのベッドに寝かせてください)

 

 そう言うと、私は持ち上げられてベッドに寝かされた。

 

(最初は驚くかもしれないわ。でも驚きすぎるとダメだから、落ち着いて、ぼんやり見ててね)

 

 そう言いながら、私の頭に何かの装置が被せられた。

 頭の装置がピ,ピ,ピと音を鳴らす。

 その瞬間、私は驚きのあまり、打ち上げられた魚のように飛び跳ねてしまった。

 困ったように先生は私に声をかけた。

 

(リンクが途切れたみたいね。大丈夫? 何も怖いことはないから、落ち着いて眺めてみてね)

 

 私は驚愕によって乱れた呼吸を整えようと、胸に手を当て大きく深呼吸をする。

 確かに今、私は『見た』のだ。

 それは黒の中に浮かび上がる不鮮明な白ではなく、真っ白な世界を。

 

(落ち着いたみたいね。それじゃ、もう一度行くわよ?)

 

 私は再び頷き、意識を集中させる。

 脳内に浮かび上がる景色に、体を強張らせてしまう。

 初めて見たその景色には、色彩が溢れていた。

 真っ白な空間から始まり、色鮮やかな文字が視界のそこかしこに浮かび上がる。

 その時の感情を私はうまく表現できない。

 夢でも見ているのだろうか。いや、夢の中ですら見たことが無いその色彩を、私は今『見て』いるのだ。

 あれは何色なんだろう、あれはなんて文字なんだろう。

 そんなことを考える。

 十年近い年月を暗闇の底で過ごした私にとって、見えるもの全てが新鮮だった。

 

(もしもし? 聞こえてるかしら? そのまま楽にしててね、今から撮った写真を見せるわ)

 

 どこからか聞こえてくる先生の声を、私はぼんやりと聞いた。

 そして確かにあの時、私は初めて私を見たのだ。

 脳内に浮かび上がる一枚の写真。

 初めて見た自分は、目元が赤くなっていて、目を瞑りながら泣いていた。

 不思議な気分だった。そこに映っているのは自分のはずなのに、まるで自分ではないように思えてしまう。精神と身体が一致していないような感覚だった。

 世界はこんなにも色で満ち満ちていたのだと、私は感情を抑えられずに再び泣いてしまった。

 

 最先端の医療技術。サイバー技術とナノテクノロジーの粋を終結した脳内ナノコンピューター網――ニューロンナノインターフェイス。

 脳に直接リンクすることによって仮想空間を作り出すサイバーテクノロジー技術。

 その科学技術の進歩が私に色彩を与えてくれた。

 私の未来を照らしてくれた。

 私は今でも、あの時の感動だけは忘れていない。

 

 (――ありがとう)

 

 そう、この時、私は初めて心からのお礼を先生に伝えた。

 

 そこから私はこの病院に通うため近場の施設に移動した。この医療技術は、当時はまだ開発されて間もない代物であり導入されている病院が少なかったからだ。

 そこの病院では一般的な視覚障害の治療及びリハビリに加え、仮想空間での学習、体の平衡感覚などを鍛えるためのスポーツ、運動など、様々な治療が行われた。

 

 しかし、進歩した医学の力を以てしても、先天性によって失われていた私の視力は戻らなかった。

 

 私が十八歳になり施設を出る頃だろうか。この頃にはすでにこの技術は様々な分野で目まぐるしい進化を遂げていた。

 機材を安価で買えるようになり、仮想空間なのにまるで現実にいるかのように遊べる体感型ゲームまで出ていたほどだ。

 技術の進歩は日々進化しているのだなとこの時、私は実感した。

 

 当時私は整体師になろうと病院の紹介で専門学校に通っていた。

 もちろん自宅でのリハビリも私は欠かさなかった。決められた課題をこなしていく日々を過ごしていた。

 一人暮らしを始めて数年が経過した頃だろうか。一人でいる時間が長くなり、日々の生活に退屈してしまっていた。

 

 そこで私は出会ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 そう

 

 

 

 

 

 ――<YGGDRASIL>(ユグドラシル)

 

 

 

 

 

 私はもうすぐ二十九回目の誕生日を迎えます。

 この二十九年、私は私なりに苦労してきたし、辛い思いもしてきた。

 生き物には必ず、そこに歴史が存在すると思うわ。

 アンデッドに変わり果ててしまった貴方にも、変えることの出来ない人間だった過去の歴史があるはずだわ。

 もし貴方が、痛む良心すら失くしてしまったというのなら、私がいつか、その心を取り戻してあげるわ。

 

 

 

 

 

 その時は、どこかで一緒にお茶でもしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ねぇ? モモンガさん?

 

 

 

 

prologue end



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Chapter 1

chapter1

 

 

 

「……そろそろね」

 

 コンソールの時刻を確認する。

 思ったより余裕がない。

 本当はあまり出向きたくなかったが、他に行く当てもなかったし、特にやりたい事もない。

 ならば挨拶ぐらいはしとこうか。そんな軽い気持ちで彼女はギルドの指輪を装着する。

 目的地はアースガルズにおける最強のギルド拠点。

 空に拠点を構えるギルド『INFINITY』(インフィニティ)の拠点。

 通称、天空城

 これから会うだろう面々の顔を思い浮かべる。どれも曲者揃いであり、YGGDRASIL(ユグドラシル)における屈指のプレイヤー達だ。

 

 「あの二人が来てくれてるといいけど……しょうがないわね」

 

 

 ――彼女は指輪の効果を発動させた。

 

 

 

 

 

 

「懐かしいですね。八人全員がここに揃うのも」

「ここも昔と変わらんなぁ。この景色を二度と見れなくなると思うと、やっぱり寂しい気持ちになる」

「随分長い間ログインしてなかったのか?」

「二年ぶりくらいだ」

「無駄話はいい。それより招集を掛けた訳を教えてくれないか?」

「昔話に花を咲かせるために集めたのでは? ユグドラシルを代表する俺たちならではの昔話なら、配信すれば視聴者も喜ぶのではないかな?」

「ふんっ! ワールドチャンピオンを八人も集めておきながら、ユグドラシルの一つも制覇出来ないお前らと話す昔話などないわ!」

「なら来なきゃいいのに……」

「結局、過去最高でギルドランク三位でしたからね。トリニティとワールドサーチャーズを出し抜けませんでしたから」

「個人の実力を考えればPVP部門ではどう考えてもうちが一番なんだけど……誰かさんたちが足を引っ張り合うから」

「あ? なんでこっち見るんだ? お前も大概だっただろう!」

「そういえばエドワードさんは今、何のゲームをやってるんですか? ユグドラシル三指に入る屈指の天才さんがやるゲームだ。参考にしたいなあ」

「……挑発か? その喧嘩を買ってやってもいいが、どうする?」

「やだなあ、まだ根に持ってるんですか? 彼に勝ち逃げされた事」

「彼?」

「ああ、確かたっち・みーだったか? どこのギルド所属だったか忘れたが、奴ならこの招集に呼ぶ価値のある男だろう。大歓迎だ」

「こんな顔ぶれじゃ向こうが嫌がるでしょうよ……」

「確かに君と一緒にされたらワールドチャンピオンの響きが安っぽく感じてしまいますね」

「……その言葉、忘れるなよ?」

「君こそオムツの紐をしっかり結んでおいて下さいね?」

「まぁまぁみんな! 落ち着いて! 今日はわたしから重大発表があるよっ!」

「お、なんだポチ子ちゃん。誰かに告白でもするのか? 俺はいつでも大歓迎だぜ?」

「ポチ子さんは唯一の女性ワールドチャンピオンです。そんな彼女がゴルフさんのように脳みそが筋肉で出来てるような輩は絶対に選ばないと誓って言えますね」

「鳩ノ助……サービス終了までに必ず泣かせてやるからな。覚悟しておけ!」

「はいはいっ! みんな! 喧嘩はやめてっ! 重大発表っていうのはね! 実は私…………」

「――男だったのでーす!!」

「…………ん? ぇ?」

「う、嘘だ!」

「という夢を見たんだな……」

「最後にちゃ悪い冗談だな……いや、冗談だろ? なぁ? 冗談だろう?!!」

「すまんがマジだ。俺はいわゆる両声類ってやつでな。女の声を出すなんて朝飯前。いやー、ずっと黙ってて悪かったな!」

「き、きさまあああ! 俺の純情を弄びおってええ!!」

「僕らの輝かしい冒険の日々は……甘酸っぱい青春は一体なんだったんだ……」

「そんな馬鹿な……も、もしかして、由依ちゃんやミドナちゃんも……お、男だったりするのか?」

「いや、由依っちは絶対女。ミドナっちも多分女。ネカマの俺が言うんだ。あの声は作り物じゃねえと思う」

「あの二人までネカマだったら、俺はもう誰も信用出来ないぞ……」

「それよりお前の男声、なかなかイイ声をしているな……!」

「……残念だが、ネカマプレイしてたとはいえ俺はノーマルだ。おっさんに言い寄られても困るぞ」

「いつも俺たちに言い寄られて喜んでたじゃねえか!」

「ネカマの極意は、貢がせ遠ざけ近づけ貢がせだ。残念だったなおっさん。また遊んでやるよ」

「お前まじで覚えておけよ……この屈辱、未来永劫忘れねえからな……」

「そろそろいいかお前ら。他のギルメンも集まってくる頃合いだろう。最後にワールドチャンピオンが集まるギルドらしく、ドンと終わろうじゃないか」

「と、言いますと?」

「お題は『ワールドチャンピオンガチンコ対決☆ユグドラシル最強の男決定戦!』だな」

「それ配信して金に換えるのか? 流石配信者、小銭稼ぎはお手の物っすね!」

「ええい黙れ! ちゃんと優勝者には賞品も用意してる! このゲーム会社のリアルマネーポイント三万円分だ! 別のゲームで使えるぞ?」

「ヒュー! 流石は有名配信者にしてインフィニティのギルマス、エドワード様!」

「よっ! 男前!」

「急に調子よくなったなお前ら……」

「しょうがねえな、最後くらいユグドラシルにでっけえ花火打ち上げてやろうじゃねえか」

「異論はありません。して、勝負の方法は?」

「それはだな――」

 

 

 

 

 

 

 

 ギルド『INFINITY』(インフィニティ)とは総勢百名のギルドメンバーが集うユグドラシル屈指の実力派ギルドであり、このサービス終了間際にしても二十というギルドメンバーを招集していた。

 九つあるワールド間に各一名ずつ存在するワールドチャンピオンの八名が在籍するこのギルドは、名実共にユグドラシル最強のギルドのはずだった。

 

「でもその実態は、派閥争いから始まり、仲間内で足の引っ張り合い、ラストキルの奪い合い、レアドロップの争奪。全くもって連携の出来ないギルドだったってわけね」

 

 天空城の庭園に備えられたベンチに腰を下ろし、女性アバターのエルフが呆れるように呟いた。

 

「そういうことだね。ギルドを纏める八人の個性が強すぎて、手に負えないっちゅうね……」

 

 エルフの隣に座った女性アバターの人間が額に手を当てる仕草を見せる。処置無しと言いたげだった。

 

「正直、由依ちゃんたちに誘われなかったら絶対にこんなギルドには入らなかったわ」

「そう言わないでよ、ミドナ。かおちゃんがエドワードさんと友達だったんだし」

「まぁ私もかおちゃんにはお世話になったし、それはいいのだけど…………ところで、あれは何してるの?」

「ああ、あれはね――」

 

 ミドナと由依の視界の先には、中央広間にて壮絶な戦いが繰り広げられていた。

 『ワールドチャンピオンガチンコ対決☆ユグドラシル最強の男決定戦!』とやらは、要は変則1vs1をトーナメント式によって優勝者を決める戦いらしい。

 集められたギルドメンバーが様々な範囲魔法や超位魔法、範囲スキルなどを無造作に放ちまくる中、それらを躱しながら対面の相手を叩きのめす、という趣向らしい。

 こんな芸当が出来るのはワールドチャンピオンクラスのプレイヤーだけであり、全くもって参考にもならなかった。

 

「それであの戦いに、なんの意味があるのかしら?」

 

 まるで興味のないミドナは頬杖を突きながら隣の由依に質問する。

 

「なんか配信してるっぽいよ? エドワードさんが人気配信者で、ユグドラシル最後の配信って名目で視聴者も多いんだって」

「ふーん……だからヒーラーと剣士の私たちは特にする事も無く後ろで傍観ってことなのね」

「そういうことっ! かおちゃんも来れたらよかったんだけど」

「そういえば彼、元気なの?」

「元気だよ。毎日仕事でヒィヒィ言ってるけど。帰ってきたらすぐ飯! って煩いの。旦那というより子供ね」

「かおちゃんらしいわね」

 

 クスクスと笑ったミドナに、釣られるように由依も笑った。

 

「なんだかこの感じ懐かしいわ」

「そう? 私たちがあまりログインしなくなってからどのくらい時間経つっけ?」

「さあ……二年も経ってないと思うけど」

「そんなに経つの?! となると私たちもかれこれ六年ぐらいの付き合いになるのか……歳くっちゃったな……」

「まったくね」

 

 ピョコンと感情アイコンの一つ、泣きの顔文字が由依の頭に浮かぶ。手のひらで顔を隠しながら「もうおばさんだよ」と悲観する由依の姿に、ミドナは思わず言葉に詰まる。

 

(確か由依ちゃんって私より二個くらい下だったような……) 

 

 共感というよりは、失笑の意味を込めてミドナも苦笑いの顔文字を浮かべた。

 

「そういえば私たちの出会い、覚えてる?」

「え? ……ええ、もちろん覚えてるわ」

 

 懐かしい記憶だった。

 チーム掲示板のヒーラー募集で出会い、仲良くなって固定チームを組んで三人でよく遊んだこと。

 天真爛漫なかおちゃんと、しっかり者のように見えて実は天然の由依。この二人と組んでからというもの、時間の流れが唐突に早く感じた。

 ここにはいないが、特にかおちゃんの破天荒ぶりには、腹がよじれるほど笑い合ったものだ。

 

(私たちが絶対に無理と言ったのにも関わらず、意固地になってワールドエネミーをソロ攻略しようとしてたっけ。二十回目くらいで諦めてたけど……)

 

 結局三人で挑んでみたものの、当然一回ではクリア出来ず、討伐報酬より消費アイテムや課金アイテム、経験値のデスペナルティの被害のが甚大だった。

 プレイ内容はお世辞にも効率的ではなかった。しかし非効率ながらもロマンを追いかけるそのエンジョイっぷりに、ミドナはいつしか二人に惹かれていた。

 だがそんな思い出のゲームもサービス終了と共に全て消え去るのだろう。そう思うと、虚無感というナイフで胸を抉られてる気分になる。

 

「本当に楽しかった。本当に……懐かしいわ」

「ミドナのお陰でゲームが楽しくなったし、感謝してるよ? 夫婦……当時はカップルだったね。その間に入ってきてくれる人ほとんどいなかったし。また次のゲーム探して一緒にやろーよ!」

 

 ミドナの感傷的な気持ちに気が付いたのだろう。由依が気遣ってくれている事に、ミドナはすぐに勘付いた。それだけに、どこか心苦しくなってしまい、返答を濁してしまった。

 

「そろそろお腹の子供生まれるんでしょ? あんまりゲームばかりしてちゃ駄目よ?」

「最近はすぐお腹痛くなるし、気持ち悪くなるからゲームやってないよ。それよりミドナも早くいい人見つけなよ! リアルじゃぼっきゅっぼんのお姉さまなんでしょ?」

「……余計なお世話だし、どんな脳内設定よそれ。それに私に結婚は無理よ。向いてないわ」

「そんなことないでしょ! 探せばイイ男見つかるって!」

「そ、そうなの……?」

 

 この手の会話は慣れていないため、ミドナは毎回困惑してしまう。お決まり女子トークをリアルで実践してこなかったからだ。

 

「それって探して見つかるものなのかしらね……それより、別の場所いかない? 最後に色々見ておきたい所があるのよ」

「え? う、うーん……でももうすぐかおちゃん帰ってくるし、そろそろ私落ちるよ。ご飯作らないと!」

「……そう。なら仕方ないわ。かおちゃんによろしく言っといてね」

「うん! またメッセ飛ばすね! 次のゲーム何にするか、考えておいてね!」

 

 またね、と言い笑顔の顔文字を浮かべる。そのまま由依はログアウトしていった。

 

(いいなぁ。私も由依ちゃんのご飯食べたい。かおちゃんが羨ましいわね…………あれ? でも普通これ逆なんじゃないかしら? 私の性別的に由依ちゃんを羨ましがるべきよね)

 

 終わったか、女の私……などと思いながら肩を落とす。

 しかし夫婦の仲に違和感なく入れて、尚且つ平和的に過ごせていたのは、自分の無欲な性格が幸を呼んでいたのかもしれない。

 もしくは自分という女に一切の自信が持てなかったからこその諦めから来ているものなのかもしれない。

 

(どちらにしても褒められた事じゃないわね……それよりこの後どうしようかしら)

 

 話し相手を失ったミドナの視線の先には、どうやら一回戦の決着が付いたらしく、勝者のゴルフがミドナの元へ歩み寄ってきた。勝者故の大柄な歩き方と、ワールドチャンピオン専用装備も近くで見ると大迫力で圧倒されそうになる。

 

「どうだいミドナちゃん! 俺様の雄姿をその瞳に刻んでくれたかい?!」

「え? えぇ……凄かったわ」

 

 正直、魔法の炸裂で目がチカチカするので、あまりよく見ていなかったのが本音だ。

 

「――節操のない男ですね、君は。ポチ子さんがネカマだと分かった途端、次はミドナさんですか?」

 

 ゴルフの背後から、鳩ノ助が声をかけてくる。この二人は昔から妙に仲が悪く、事ある事に口喧嘩を始め、PVPで締めるというコントを披露してくれる漫才師だ。

 

「ていうかポチ子さんネカマだったの? 可愛い声だったじゃない、本当なの?」

「ああ、奴は俺たちの純情を傷つけた……絶対に許さねえ、絶対にだ」

「全く、そこには同意ですね。あんな声を出しておきながら、下には立派なバベルが建設されていたなんて、誰が想像出来るでしょうか」

「でもそれって凄い特技じゃない? 少し羨ましいわ」

 

 自分の声とポチ子の声を比べると、可愛らしいと思えるのは圧倒的にポチ子だ。アニメ声で、どことなく守ってあげたくなるような可憐な声だったのを思い出す。

 比べてミドナの声は、よく言えば聞き取りやすい澄みやかな声だが、悪く言えば聞き流されてしまうような声だ。

 

(そういえば昔、由依ちゃんに眠くなる声って言われたことがあるけど、あれはどういう意味だったのかしら。まぁあの子の場合は天然だし、多分そのままの意味なんでしょうけど……)

 

 男性にまで女として敗北感を味合わされ、ミドナは意気消沈してしまう。落とした肩が上がる事は、ここにいては無いだろうと悟った。

 

(もうここにいる意味はないわね……そんなにこのギルドに思い入れも無いし。それに一人でいたらそれはそれで、周りに気を使わせてしまうかもしれないわ)

 

 このままどこかへ転移しようと思ったが、六年も在籍し続けたギルドだ。数える程度ではあるが、直接世話になったギルドマスターくらいには挨拶をしてから去ろうと思い、ミドナはベンチから立ち上がる。

 しかし庭園の奥に広がる中央広場を見渡しても、エドワードの姿は見当たらなかった。

 

「エドワードさんはどこにいるの?」

「ああ、確かマジックアイテムを取りに本城の宝物殿に行ったな。なんでも準決勝からは貯め込んできたアイテムを存分に使っていくらしいぜ」

「まぁ、残しておいても二時間後には消えてしまいますからね。僕らのこの装備も……嗚呼、なんて儚いんだ!」

 

 二人の装備は大会優勝者に与えられる唯一無二の物だ。その性能も規格外のチート級を誇る。ユグドラシル全盛期の頃にその姿を人前に晒せば、誰もが羨み、妬み、尊んだことだろう。そんな思い出深い装備も残り僅かな時間で消えてしまう事に、鳩ノ助は嘆いた。

 

「そ、そうね。悲しいわよね。それじゃ私は用事があるからエドワードさんに挨拶して落ちるから、またどこかで会いましょう」

「ええ?! ミドナちゃんいなくなったら『ドキッ☆男だらけの最終決戦』になっちまうじゃねえか!」

「そもそもこのギルド、百名も在籍しているのに、何故に女性が二名しかいないのでしょう……?」

 

 鳩ノ助の疑問に、ゴルフも激しく同意する。

 しかしミドナにはその理由が分かる。というよりも、少し考えればわかる事だった。

 それは、ここのギルドメンバーのほぼ全員がガチ勢だからだ。少しの間違いで場の空気が悪くなるようなギルドに、ゲームに疎い割合の高い女性がおいそれと加入してくる訳がない。

 そして最大の理由は、ぽち子という最強の姫がいたからこそだろう。ユグドラシルの女帝と呼ばれていた彼が君臨していた以上、女性からしてみれば近寄りがたく感じてしまうのは無理がない。

 

 そんなことを知る由もない彼らを横目に、ミドナは天空城の第八本城――宝物殿前の最奥宮殿に転移しようと指輪の効果を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 八つの城が互いに隣接し合う、この天空城の最奥に構える第八本城は、ギルド最終防衛拠点となっている。

 ギルド攻防戦の際、攻め側のプレイヤーは第一城から順に攻略していく事になっている。

 ユグドラシル全盛期の頃は、メンバー全員に招集がかかり、ミドナも防衛戦に幾度も参加した。

 このギルドの凄い所は、この第八本城以外にはトラップ等のギミックが一切存在しないことだ。それどころか、道順までしっかり親切に書かれているのだ。

 第八本城だけはトラップギミックやNPCが存在するが、それ以外は基本的にステージフィールドのような城がほとんどだ。

 つまり、全て自分たちの手で攻め側を撃退してきたということになる。

 これにはいくつか理由があるが、大きな理由は二つ。

 一つ目は、ギルド攻防戦を自分たちも楽しみたいからというのが最大の理由だ。難攻不落であっては、攻め手がいなくなってしまう。集団PVPを楽しみたい人たちの集い、それがこのギルドの正体だ。よって凶悪なギミックによって防衛側有利にしてしまっては、面白くないだろうという意見を取り入れられた結果なのだ。

 二つ目は運営維持費の節約だ。多くのギミックやNPCを配置すると、馬鹿にならない額の維持費が宝物殿から差し引かれる。ギルドが成長するほど、その維持費も比例して高くなっていくのは当然だ。

 NPC制作可能レベルも上限の三千を保有しているが、作られたNPCは僅か三十体。使用しているレベル配分も千五百と半分だけ。それもコストパフォーマンスが良いと言われている天使の兵士を第八本城の所々に警備兵という名目で配置しているのみである。

 

 

 第八本城の最奥宮殿に転移したミドナは辺りを見渡す。

 フランスのヴェルサイユ宮殿の鏡の間をモチーフに制作されたこの部屋は、数少ない外装制作担当のメンバーが手掛けた芸術だ。

 縦に伸びた長方形の部屋の壁には、いくつもの大きな窓が設置され、豪華な装飾が施されている。天井から彩られる無数のシャンデリアの光が、金の柱をよりいっそう輝かせていた。

 百人程度ならば悠々と入るこの部屋の奥には、インフィニティのギルド武器『エッジ・オブ・インフィニティ』が飾られており、その両脇に二つのワールドアイテムが並べられている。

 ギルド武器は各ギルドに一つだけ所有することが可能で、攻防戦の際はこれを奪うことにより、拠点の所有権が移り変わる。破壊された場合は拠点が瓦解し、システムが再構築されると共に未発見時のダンジョンの状態に戻ってしまう。その際、拠点に置かれていたアイテムなどは全て消えてしまうので、基本的にギルド武器は壊すのではなく、奪うことが主流だ。

 ワールドアイテムはゲーム内に二百と存在する、オンリーワンの性能を持つアイテムだ。その内の二十と呼ばれるアイテムは使い切りであり、通常のワールドアイテムと比べ、より強力な力を行使することが出来る。

 インフィニティがギルドで管理しているのは通常のワールドアイテムである『無銘なる呪文書』と、二十の内の一つ『五行相克』だ。そんな超級のアイテムたちも。一度も使われることがなかったためか、哀愁すら漂っているように見えた。

 ちなみに外装に手が込められていると感じられる部屋はこの宮殿だけであり、他はほとんど手付かずとなっている。

 これも理由は簡単で、制作に恐ろしいほどの金と時間が必要とされるからだ。そして外装ギミックはゲーム内金貨ではなく、リアルマネーでの課金によって装飾データの追加、変更が可能になる。

 つまり、部屋の外装に金をかけるくらいなら、自身の装備品やアイテムに金をかけたほうが有意義であると思うプレイヤーが大多数なのである。

 ごく一部のプレイヤー達が、ふんだんに金を使ってギルド拠点の内装を豪華に飾った画像をミドナは見たことがあるが、個人的な感想は『正気の沙汰ではない』に尽きる。

 

(余程のお金と時間を持て余しているのか、もしくはそれだけ思い入れが強いのかしらね。どちらにしても、攻防戦で負けたら取られてしまうものに大金を注ぎ込む度胸が凄いわ) 

 

 物好きは少なからず存在するのだなと感心し、ミドナは宝物殿へと足を進める。

 そこにはエドワードと一体のNPCがいた。

 コンソールを開き、保管してあるアイテムを取り出しているところだった。

 

「エドワードさん、少しいいかしら?」

「ああ、ミドナさんか。少し待ってくれ…………これで良し。何かあったのか?」

「いえ、そろそろ落ちようかと思い、最後に挨拶しとこうと思ったの」

「最後まで残っていかないのか? まぁ皆忙しい中、時間を作って来てくれたんだ。君も来てくれてありがとう」

 

 インフィニティのギルドマスター、エドワードは右手を差し出す。ミドナもその手を取り、最後の握手を交わす。

 エドワードは八人のワールドチャンピオンの中で数少ない常識人だ。ユグドラシル三指の一人であり、このギルドの発起人だ。

 ギルドの管理運営、配信による広告塔、イベントの攻略動画制作など、様々な事務を手掛ける無限スペックと謳われた男だ。

 彼が唯一恵まれなかった事は、集めたワールドチャンピオンメンバーの個性ぐらいだろう。

 ミドナの仲間内の一人、かおちゃんと交友があり、ミドナも何度か高難易度のクエストを手伝ってもらったりしていた。

 ワールドチャンピオン八人の内、ポチ子を除いて他七人の種族は人間だ。ポチ子のみエルフであり、八人全員が剣士である。

 その中でもエドワードの実力は更に頭一つ抜けている。

 彼は本当に『ゲームが上手い人』なのだろう。恐らくどのジャンルのゲームをやらせても、上位ランカーになってしまうような類の人種だ。

 かおちゃんの実力も、ユグドラシル全体で見れば上の中プレイヤーであり申し分ないのだが、彼と比べると赤子と獅子の差を感じてしまうほどだ。

 自分も補助職ではなく剣士を選択していたら、彼のようになりたいと理想を抱いたかもしれない。もちろん、分不相応だと十分承知しているが、届かない理想だからこそ、憧れるというものだ。

 

「こちらこそ、ありがとう。昔は色々手伝ってくれて、助かったわ」

「気にすることはない、俺も好きでやってたんだ。それに感謝するのはこちらも同じだ。ミドナさんの補助には何度も助けられた」

「あいにく、これしか出来ないからね」

 

 ミドナの自虐じみた返答に、エドワードは笑って見せた。ミドナの言葉が、本心からではないと理解しているからだろう。

 ミドナはユグドラシルにおいて、絶滅種と言われている純正ヒーラーだ。

 自身や仲間を回復するために、クレリックの職業を取る事は大して珍しくはない。魔法職を選んでいる者ならば、回復出来る一つの手段として取得するのは間違ってはいないからだ。

 しかし純正ヒーラーは高位の攻撃魔法を一切取得せず、援護のみに徹する事になるため、チームを組む事が前提になる。

 補助と回復しか使えないとなると、当然レベリングのための狩りや、日課イベント周回などでもチームを組まなければならないため、俗に言う『マゾプレイ』になってしまう。

 そのため、ほとんどのプレイヤーが補助職の他にも、全く別の職業を取得する。『回復も出来ますよ』というスタンスで行くのが、ユグドラシルにおけるクレリックの王道だ。

 しかしミドナの取得職業、装備構成、ステータス配分などは、全て補助特化されたものだ。

 自らが戦うことを一切想定していないビルド構成、仲間に寄生するようなプレイング。これを俗に『姫プレイ』という。

 そこまでしてマゾプレイに徹したミドナが、補助しか出来ない自分を本心から皮肉る事はないと、エドワードは直感したのだろう。

 

 ミドナは視線をエドワードから泳がす。宝物殿がある事は聞いていたが、実を言うと入ったことが無かった。

 宝物殿なんて言うからには、財宝や金貨で埋め尽くされているようなイメージを持つかもしれないが、このギルドの宝物殿はかなり質素だ。

 というのも、ほとんど装飾されていない真っ白な部屋の中央に、長方形の黒いテーブルがあるのみ。そのテーブルの上に、一つの宝箱が置いてあるだけだ。

 

(なんとも味気ない……攻防戦で勝った攻め側の人たちがこれを見たら落胆するんじゃないかしら。いや、絶対に負けない自信があったからこそなのかもしれないけど……ん? そういえば――)

「そういえば、こんなNPC居たかしら? 初めて見たわ」

「ん? ああ、こいつか」

 

 エドワードの横に佇む一体のNPCにミドナは注目した。

 純銀の全身鎧を着て、ロングソードを装備している。背中には六枚の純白な翼を生やしていて、羽ばたかせると美しい羽根が舞い散る姿に、思わず見惚れてしまいそうな見事な造形をした天使だ。

 第八本城に配置されている他の天使とは、外装が全く異なるのが一目瞭然であり、手が込められて制作されたのだと感じさせるNPCだ。三十体いるNPCの外装は全て同じであり、初期データのままなのが見て取れる。

 ミドナがまじまじとその天使を見ていると、エドワードは嬉しそうに語った。

 

「こいつは俺が作ったNPCだ。いや、というかNPCは全部俺が作ったんだが……こいつは宮殿の守護者で、天使の纏め役みたいな設定だ。しかし、作ったはいいが使い用途が宝物殿のアイテム管理くらいしかなくて、ずっとここに配置しっぱなしだったんだ」

 

 このギルドは第四城までしか攻め込まれた事がないので、使い用途が無かったのは当然と言えば当然だろう。

 言ってしまえば、このNPCを足して三十一体のNPC、その全てが無駄であり、むしろ消したほうがその分維持費が安上がりになるというものだろう。

 

(……エドワードさんも、割とクリエーター気質なところがあるのかしらね)

「そういえば名前はなんて言うの?」

「なんだっけか、ミカエルだったか?」

 

 随分安直だな……などと感想を抱く。

 ミドナはコンソールを操作し、ミカエルの種族や職業、ステータスを閲覧しようとした。

 それを見たエドワードが、ミドナに声をかける。

 

「見てくれて構わないが、俺はそろそろ広間に戻るぞ? 二回戦の準備があるんだ。それに配信しているから、視聴者を待たせてはいけなくてな」

 

 そうだった。ここには挨拶しに来たのだ。別に引き留めていたわけではないが、ミドナは謝罪を込めてお別れを言った。

 

「ごめんなさい。時間取らせちゃったわね。それじゃ、またどこかで会いましょう」

「ああ、ミドナさんも元気でな。機会があったら、また別のゲームで会おう」

「ええ、その時はよろしくね」

 

 エドワードは右手を上げて、そのままギルドの指輪で転移していった。

 

(いい人なんだろうな、きっと。こんな時まで私と律儀に話してくれるんだから)

 

 個人的に話したことなど今まで一度も無かったな、と振り返る。

 そもそも百人も在籍しているギルドで、交友していたのは僅か二人だ。その二人のログイン頻度が落ちれば、当然自分は一人になってしまう。

 

(こういう所が私の欠点なんでしょうね……もっと輪を広げていればよかったのかも……)

 

 攻防戦の招集や、ギルド全体で行われるイベントなどに呼ばれない限り、ミドナはギルド拠点に足を運ぼうとすらしなかった。

 理由は単純で、由依とかおちゃん以外、友達と呼べるような人がいなかったからだ。

 孤独感というのは、一人でいる時よりも、集団の中で一人でいる時の方がより強く感じてしまうものだ。

 

(基本的に受け身なのが悪いのよね。私に自分から行く勇気があれば…………いや、今更過ぎるわ)

 

 次の機会があれば頑張ってみよう。そう心に留めておきつつ、ミカエルのデータを閲覧する。

 百レベルのNPCで、天使のクラスは熾天使。そのレベルは五だ。つまりは天使の中で最上位ということになる。

 剣を装備しているが、魔法も使えるようなクラスも取得している。

 ステータス配分も、剣士のテンプレのような隙のないガチ構成だ。

 

 ここまでは割とよくある普通のNPCだ。

 しかし次の項目を見たミドナは目を疑った。

 

「全身神器級(ゴッズ)装備じゃない! どれだけ贅沢なNPCなのよ……」

 

 装備の外装データが変えられていて今まで気が付かなかったが、とんでもない装備構成だった。

 恐らく、エドワード自身が使っていた装備品なのだろう。彼はワールドチャンピオンだ。専用装備を運営から配布されているので、それまで使っていた装備をNPCに使いまわしたのだろう。

 

「それにしたっていくらなんでもこれは……」

 

 ミドナの装備も全身神器級(ゴッズ)で一式揃えているが、これを作るのにどれだけ苦労したことか、今でも鮮明に思い出せる。

 通常、ゲーム内で店売りされているのは最上級クラスまでであり、一段上の遺産級(レガシー)クラスにするには、容量の大きいレアなデータクリスタルを使わないとならない。

 百レベルになっても全身が遺産級クラスなんてことは割とよくある話であり、それぐらいユグドラシルの装備強化は骨が折れると酷評されている。

 遺産級(レガシー)の装備を更に強化すると聖遺物級(レリック)になり、伝説級(レジェンド)神器級(ゴッズ)と続く。

 先ほど述べた通り純正ヒーラーは絶滅種だ。専用の装備品がマーケットなどで売りに出される事など、遺産級ですら滅多になかった。

 つまり、一から全てを自作するしかないのだ。

 しかし、純正ヒーラーが素材を一人で集められるわけがなかった。

 装備の敷居はとんでもなく高い上に、回復補助しかできない手数の少なさ。何よりそのプレイングは、やってて『つまらない』と酷評される。不人気の理由は明らかだ。

 素材集めを二人が協力してくれたからこそ作れたものの、一人では絶対に作ることが出来なかっただろう。

 基本的に自作する場合、満遍なく装備のレベルを上げてゆき、長い年月と莫大な資金をかけて一式揃えることが出来る。それが神器級アイテムなのだ。

 

「それをNPC如きに装備させるなんて……いや、考えるのはよそう……」

 

 どの道、残り僅かの時間で全てが無となるのだ。ミドナはコンソールを操作して、下位項目のNPC設定を選ぶ。

 そこに記されていたのは、たったの一文だった。

 

『いつの日か、皆が戻ってきてくれる事を願う者』

 

 ミドナはコンソールをそっと閉じる。

 どうにも、いたたまれない気持ちになったからだ。

 これはミカエルの設定というよりは、エドワード自身の想い(願い)だったのかもしれない。

 エドワード自身、ギルドの復興を望んでいたのだろう。その証に、ミドナは彼が毎日定時にログインしていたのを知っていた。

 ギルドの運営や、攻防戦の申請が来ていないかの確認など、事務的な事だけ行っているのかと思っていた。

 しかしそれは間違いだったのだ。

 本当の目的は、誰かが遊びに来ているのではないか、そう期待して彼はログインしていたのかもしれない。

 ミドナはこのサービス終了の時まで毎日とログインしていたのにも関わらず、ギルドに顔を出す事も無ければ、挨拶すらしてこなかった。間違いなく不快に思っていた事だろう。

 

(それなのにあんなに優しく接してくれたって事は、こんな私でも来てくれて嬉しかったという事なの? …………なのに私ときたら)

 

 仲良かった友達がログアウトして、居心地が悪くなったからログアウトすると嘘までついて拠点から離れようとしていた自分を嫌悪する。

 彼は長い間、ずっと待っていたのだ。そして最終日に二十というメンバーが集まったことに、表には感情を出さないが、恐らく喜んでいるはずなのだ。

 そんな彼の気持ちを、ミドナは無意識に無碍にしてしまっていたのかもしれない。

 

(……いつだってそう。私は自分のことばかり考えて、他人の気持ちを考えようともしていない)

 

 一番辛いのは自分だと思っていた。

 自分だけが辛いものだと、ずっとそう考えていた。

 しかしそうではなかった。

 皆、同じなんだ。

 自分だけが特別に不幸なわけじゃない。

 百人いれば、百人全員にそれぞれ悩みがあり、それぞれ辛い思い出がある。

 そんな当たり前の事を今更になって気が付くなんて、自分はどれほど自分勝手な人間だったのだろう。

 自分には視力がない。

 現実では暗闇の中で生きている。

 仮想空間の中でしか、物を見ることが出来ない。

 ずっと目が見えない事を自分は不幸だと思っていた。

 でもそれは違ったんだ。

 目が見えないことを言い訳に、人を見ようとしてこなかった。

 その人が何を考え、何を思い、何がしたいのか。

 全く考えてこなかった。

 

(自分の殻に閉じこもり、最後には人の心を踏みにじってしまう……最低ね……)

 

 強く握った拳を、そのまま脇腹に叩きつける。当然、痛みはない。

 ここは仮想空間であり、その瞳に涙を浮かべる事もない。

 

 ミドナは<転移門>を発動させた。

 行先はお気に入りの草原。

 ここ数年、特にやりたい事もなく、眠くなるまで空を眺め続けた、いつもの場所。

 雲一つない夜空に浮かぶ満天の星空。いつもの景色。

 広い草原の真ん中で、ミドナは仰向けにゴロンと転がる。

 土の香りがするわけでもなく、白いローブに汚れがつくわけでもない。

 風になびく草の音が聞こえるが、気持ちがいいと感じる事もない。そよ風が与える影響なんて、せいぜい白金色の長い髪を揺らす程度だ。

 

「偽物……嘘つき……嘘だらけなんだ」

 

 ここは仮想空間であり、現実の世界ではない。

 

「…………嘘つきは私か」

 

 見慣れた夜空に浮かぶ月の光が、ライトグリーンに輝く瞳に反射する。

 そのまましばらく、ミドナは夜空を眺め続けた。

 

 

 ――まもなくユグドラシルは終焉を迎える。

 

 この世界のお陰で、最後に自分の愚かさに気が付けた。それだけで十分だ。

 変わらなければならない。人の心の痛みに気が付ける、そして手を差し伸べられる、そんな人間になりたい。

 そう、ミドナは思った。

 

 時刻を確認する。

 23:58:30,31,32,33……

 

 もうこんな時間か。呆けていたからだろうか、結構な時間が経過していた。

ミドナは最後にやろうとしていた事を思い出す。

 何故、自分がここまでヒーラーに固執してきたか。

 それは『好きだから』だけではない。

 続けていれば、いつか自分の目も治るんじゃないか。そんな淡い希望を抱いていたからだ。

 

 ミドナは魔法を選択する。

 補助職を極めた者だけに出現する職業。それを習得することにより得られる、ヒーラーの最終奥義とも呼べる五つの魔法の内の一つ。

 ユグドラシルには隠し職業というものが幾つも存在する。人気な職業には目もくれず、我が道を行くような者に低確率で出現するシークレットクラス。それを発見出来た者は、ほとんどが偶然の重なり合いによる巡り会いだ。

 ミドナが取得している職業の中の一つに、『パナギア』というレア職業がある。五レベル分を上げることが可能であり、一レベル上げる毎に、一つの魔法を取得出来る。

 その中の一つの魔法を発動させて、ミドナはユグドラシルを締めようと思っていた。

 

 23:59:50,51,52.53……

 

 ミドナを中心に、半径二十メートルほどの魔法陣が地面に形成される。

 真っ白な魔法陣は次第に透明になってゆき、辺りに白く輝く結晶が浮かび上がる。まるで白い蛍がゆらゆらと飛びまわるようだった。

 闇夜に包まれていた草原は、いつしかミドナを中心に辺りを白く染め上げてゆく。

 

 この魔法をミドナが気に入っているのは、

 まるで夢の世界に導かれるようなこの幻想的な美しさが、

 黒に染まっている現実の自分を、

 白に染め上げてくれるのではないか、

 

 そう、思ったからだ。

 

 

 

 

 23:59:56.57.58……

 

 

 

 

 ミドナは瞳を閉じる。

 

 

 

 

 

 23:59:59……

 

 

 

 

 

神に祝福されし領域(God Blessing Area)

 

 

 

 

 

――00:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その想い(願い)は、聞き遂げられた。

 

 

 

 chapter1 end



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Chapter 2

chapter2

 

 

「――な、なんだこれは!!」

 

 目の前の光景に、ヘッケランは声を荒げる。

 眩い閃光が突如と広がり、視界の全てが白に染まる。まるで雪の中に埋もれてしまったかのように思えたが、体は凍えるどころか、むしろ包み込まれるような暖かさを感じさせる。

 そうだ、これは冬の日の朝に感じたことのある温もりだ。外は寒いので、いつまでも毛布に包まって温まっていたいと思う感覚と似ている。そのままでいると、隣で寝ていた女が「いつまで寝ている」と叱咤するまでが一連の流れだったとヘッケランは回想する。

 いや、しかし今はそのイミーナが危機に陥っている真っ最中だったはずだ。余計な事を考えている場合じゃない。

 いつの間にか夢の中に引きずり込まれてしまっていた気分だ。瞑ってしまっていた目を、ヘッケランは無理やり開けた。

 その目が最初に映したのは死の騎士ではなく、一人の女だった。白いフード付きのローブを羽織り、白金色の長い髪がフードから零れるようになびいている。闇夜の暗がりの中にいるはずなのに、彼女だけは白く光明しているように見えた。

 

(――化け物が消えた? どうなっているんだ!)

 

 死の騎士がいた場所に突如と現れた女は、後ろにいるイミーナ、そしてロバーデイクとアルシェに視線を向ける。そのまま辺りを見渡し、空を見上げた。

 

「………………」

 

 妙な空気が漂っている。ヘッケランはこの一変した状況が呑み込めず、まずは自分たちの身に何が起こっているのか情報を集める。

 彼女が敵なのか味方なのかさえ判別出来ないこの状況は、あまりに危険すぎる。

 もし、先ほどのようなヘッケランの知識にない『何か』をされた場合、どういった対処をしていいか皆目見当も付かない。

 今はとにかく、後ろの仲間たちと合流しなければならない。しかし、下手に動くと返って状況が悪化してしまうかもしれない。

 イミーナとロバーデイクも同じ考えなのだろう。二人ともその場を動かず臨戦態勢を取って彼女を注視している。

 

 沈黙した状況が続く。

 

 (このままでは埒が明かないか……)

 

 気を失っているアルシェも気がかりだ。ロバーデイクに回復の魔法を急かしたい。

 ならばまずは前衛の自分に意識を向けさせなければならない。そう結論を出したヘッケランは、彼女に話しかけようと決意する。

 

「失礼ですが、貴女は一体……?」

 

 ここは下手に出るべきだと判断する。

 その呼びかけに、彼女はヘッケランに振り向いた。フードを深くまで被っていたために見えなかった顔の輪郭が、こちらを向いたことにより露わになった。

 月の灯りにも劣らぬ美しいライトグリーンの瞳がヘッケランを映し出す。

 美女と呼ぶべきなのだろうが、体のラインが細く、どこか幸の薄そうな女だった。

 魅惑的というよりは、どこか神秘的な印象を持つ彼女は、困惑した様子で呟いた。

 

「あ、あれ? どうしたのかしら? ――ダウンが延期? ……あれ?」

 

 独り言のようだった。所々の箇所が聞き取れなかったが、何やら困っているのは間違いなさそうだ。

 ブツブツと独り言を続ける彼女が、何かを断念したのか、ようやくこちらと意思の疎通を取ることにしたようだった。

 

「あの……もしよろしければ、ログアウトの仕方を教えてくれませんか?」

「…………はい?」

 

 その言葉の意味が、ヘッケランには分からなかった。

 極度の緊張下に置かれていた反動だったのだろう。こちらが意図していた答えとは全く異なる質問に、ヘッケランは間の抜けた顔をしてしまう。

 すると彼女は突然驚き、ヘッケランを鋭く射抜く。

 何か失礼があったのだろうか。確かに初対面の人に見せる表情ではなかったかと思うが、そこまで睨まれる筋合いはないのではと、ヘッケランは身構える。 

 彼女はこちらに歩み寄り、そのまま至近距離で顔をまじまじと観察されてしまう。

 

(――顔が近い!!)

「……ちょっと失礼」

「――ぉうわ!」

 

 反射的にヘッケランは仰け反ってしまい、されるがままに頬をこねくり回されてしまった。

 

(な、なにが起きているんだー!)

「表情がある! 驚いたり、嫌がったりしてる顔だわ!」

(そりゃ驚くわー! は、離せー!)

 

 あまりの不可解の連続により緊張が解れたのだろう。後ろで見ていたイミーナもこちらに走ってきた。

 

「ちょっとちょっと、あんた! 何してんのよさっきから! ヘッケランを離しなさいよ!」

「――え? ああ、ごめんなさい。驚きの連続で気が動転していたわ……」

 

 彼女はヘッケランの頬から手を放し、胸に手を当てて大きく息を吸う素振りを見せた。

 すると後ろで呆けていたロバーデイクが、慌ててこちらに走ってくる。

 

「――大変です! アルシェが!」

 

 抱えているアルシェを、「見てください」と息を荒げてこちらに見せてくる。

 その姿は、気を失っているというよりは、『安らかに眠っている』という印象のが近かった。

 ヘッケランは目を見開き、心臓の鼓動を大きく一つ打ち鳴らす。

 

「お、おい! 生きてるのかこれ! アルシェ! 大丈夫か?!」

「ちょっとこれ、一切の未練もないぐらい安らかに眠っているように見えるけど! 死んでるんじゃないの?!」

「生きていますよ! ちゃんと脈がありますから。というより見てほしいのは寝顔ではなく、化け物に貫かれた胸の傷のほうですよ……」

 

 頓珍漢な問答に、ロバーデイクはため息をついた。しかし、すぐに神妙な顔つきに戻る。それどころではないといった感じだ。

 

「見てください。あの時、確かにアルシェは剣で胸を貫かれたはずです。しかしあんなに大きな穴が胸に空いていたにも関わらず、その傷が見当たらないどころか、破れた服の跡すらありません」

 

 ロバーデイクの言う通り、アルシェの胸に傷のようなものは一切見当たらない。それどころか、アルシェの姿はアンデット討伐をする前――つまりカッツェ平野に出掛ける前の姿のように、体や服に汚れ一つとなかった。

 

「お前が治したわけじゃないんだな?」

「私の魔法では、ここまでの即時性は出せません。あなたも知っているでしょう。それに回復魔法で衣類まで修復してしまうなど、聞いたことありませんよ」

 

 ロバーデイクの言う通り、そんな魔法は聞いたことが無かった。

 回復魔法は通常、自身の魔力を消費させて対象の生命力を回復させる。死にかけていたアルシェを全快させるには、相当の時間と魔力消費が伴うはずなのだ。しかし見たところ、ロバーデイクに疲れの様子はない。

 

「それに感じませんか? 我々はここで数多くのアンデットを倒している最中、あの化け物に出会いました。本来ならば疲労しきっているはずです。しかし今はそれが全くないことに」

 

 未知との遭遇の連続、緩められない緊張のせいで気が付かなかったが、言われてみれば、確かに疲労感がなかった。

 イミーナは体のあちこちを手で触る。それに習ってヘッケランも己の体の状態を確認する。

 

「確かに疲れがない。それどころか出発前より体が軽くなってる気がするし、力も湧いている気がする……」

「そうです。なんだか何かに鼓舞されているような気さえしてきます。今ならあの化け物を倒せるんじゃないかと思えるほどに」

「ちょっとロバー、流石にそれは勘弁してほしいわ……でも今なら確かに……」

 

 奇妙な感覚。というよりも、通り越して不気味だった。

 自分たちはもしかしたら、悪夢を見せられていたのではと錯覚してしまっても仕方がなかった。

 しかし、あれが夢ではなく、紛れもない真実だと言える証拠が二つある。

 それはこのカッツェ平野の霧が、妙な晴れ方をしているからだ。

 突如現れた彼女を中心に、半径二十メートルほどの霧だけが円形状に晴れている。

 地面の足跡には、死の騎士のものと思われる跡も残っているのだ。

 

「あの化け物は確実にいたはずだ。夢ではなく、現実にな」

「ええ、間違いありません。だとするとやはり、そちらの方が『何か』をしたのでしょう。違いませんか?」

 

 こちらの様子を伺っていた彼女は、再び困った様子で辺りを見渡し始める。

 体を触ったり、叩いてみたり、その都度何かを考えている。

 やがて決心したのか、彼女は口を開いた。

 

「話を聞いていたけど、あなた達はモンスターに襲われていて困っていた。間違いないかしら?」

「ああ、その通りだ。そしたら急にあんたが現れて、気が付いたら化け物が消えてたんだ」

「理解したわ。ならあなた達は私に助けられた、と解釈してもいいのかしら?」

「……あんたが俺たちに手だししないって言うなら、そういうことになるな」

「もちろん約束するわ。それじゃ恩を返してもらう意味で私の質問に答えてくれるかしら?」

 

 こちらの質問には一切答えない彼女に苛立ちを覚えるが、自分たちは救われた身だ。穏便にいこうとヘッケランは手で促す。

 

「まず一つ目、あなたたちは――」

「……? ――ここは?」

 

 ロバーデイクに抱えられていたアルシェが目を覚ましたようだ。目を擦りながら、何故自分は抱えられて寝ていたのだろうと、不思議に思っている顔をしている。

 

「――ロバー、もう大丈夫。なんだか怖い夢を見ていたみたい」アルシェがロバーデイクの腕から降りる。

「夢ではありませんよ。あなたは確かに化け物に殺されそうになっていました。ですが、こちらの方が助けてくれたのです」

 

 アルシェは自分の胸のあたりを摩る。首を傾げて、何かを疑問に思いながらもロバーデイクの言葉を理解しようとしていた。

 やがてアルシェは振り返り、彼女に感謝を伝えた。

 

 

「――どうもありが、おげぇぇぇぇ!」

 

 

 

 

 

 

 突如嘔吐し始めた少女を見て、ミドナは驚きを隠せなかった。

 当たり前だ。どういう人生を歩んできたら、初対面の人に顔を見られて吐かれることがあるのだろうか。失礼を通り越して無礼、いや、ドン引きだ。

 ほとんど液体の吐瀉物が地面に零れていき、周囲が酸っぱい匂いで包まれる。

 

「なにをしたの!」

 

 見ていた人間、いやハーフエルフだろうか。先ほどからミドナを疑心暗鬼して警戒していた彼女が、敵意を剥き出しにして睨みつける。

 

「――ちょっとまって! 一体どうしたの? あなた大丈夫?」

 

 例え初対面で吐かれてしまっても、少女を気遣えた自分を褒めてあげたい気分だった。

 これがアバターの顔ではなく、現実世界の自分の顔を見て吐かれてしまったら、恐らく立ち直れないくらい精神的ショックを受けていた事だろう。しかし、そう、これはアバターなのだ。例えここが夢の中、仮想空間が現実になった、よくある異世界転生の世界にぶち込まれてしまった、などの推論を否定しきれていない自分がいるが、そう、これはアバターだ。本当の自分の顔ではない。

 そう心の中で自分を慰めながら、ミドナは少女に歩み寄る。

 

「――寄るなああ! 皆、逃げて! そいつは化けも――おええぇぇぇ!」

 

 ぴしゃりと歩を止めたミドナは全身を硬直させてしまう。

 瞳の先に涙を浮かべて叫ぶいたい気な少女に、『化け物』と言われて傷つかない人間がいるだろうか。いや、いない。

 もはやトラウマレベルの事案だ。しかも理不尽極まりないところが、より一層ミドナの心を抉っていく。

 

(いや、落ち着け私……そもそも何故この子は私を見て吐いたり化け物と言っているのかがわからないと、解決のしようがないわ……)

 

 他の三人の様子を見てみるが、特に気分を害している者はいない。いや、この少女の言葉に、ミドナを再び警戒し始めてしまっている。

 ミドナは少女に直接話しかけるのを諦める。隣にいる恐らくこのチームのリーダー的な男を仲介に入れようと試みた。

 

「えっと、確かヘッケランさんでしたっけ? あなたにも私が化け物に見えてるのかしら?」

「い、いや、俺にはわからねえな。恐らくアルシェにはあんたがどのくらいの階位魔法を使えるのかが見えているから、吐いちまったのかもしれないな」

「――ヘッケラン! 逃げてぇぇ! 戦っちゃ駄目! 力の桁が違う! 化け物なんていう言葉で収まるような存在じゃない!」

 

 発狂したように頭を振る少女を、ハーフエルフの女が強く抱きしめる。

「落ち着いてアルシェ! ロバー!」

「分かっています! <獅子の如き心>(ライオンズ・ハート)

 

 神官の魔法により、恐怖状態から回復した少女は持っていたロッドを杖替わりにして立ち上がる。

 

「――皆、逃げるべき! あれは人が勝てる存在じゃない! 信じられないような化け物!」

「…………落ち着けアルシェ。お前が警戒するのはわかる。だがこの人はお前の命を救ってくれたんだ。悪人だと決めつけるには早計だ」

 

 ミドナは隣にいる男、ヘッケランを横目で窺う。

 彼を仲介役に選んだのは正解だった。恐らく自分のことを化け物だと認識した上で、穏便に物事を運ぼうとしている。

 今のところミドナは何もしていない。だからこそ、怒らせるような事をしたくないと思っているのだろう。

 

(それと先ほど言っていた、私の使える階位魔法を見て彼女は吐いてしまった、という台詞。彼女が探知魔法を使っているのなら……)

 

 ミドナは無限の背負い袋からアイテムを取り出そうと試みる。ミドナの思考を読み取ったのだろうか、空中に手が入り込み、目当てのアイテムを取り出せた事に安堵する。

 ユグドラシルにおいて情報系スキルや、探知魔法は重要だ。敵にアサシンなどが存在する場合、透明化される場合などがあるからだ。

 遠視などにも役に立ち、様々な魔法やスキルが存在するのだが、『相手の使用階位を調べる』なんて事は基本的に誰もしない。

 答えは簡単で、魔法職を取っている者ならば、誰でも第十位階魔法まで使えるようになるからだ。

 しかしアルシェと呼ばれる少女は、第十位階魔法を使えるミドナを見て、『化け物』だと言う。もしかしたら他にも要因はあるのかもしれないが、この世界の魔法詠唱者の水準は低いのかもしれない。

 ミドナは取り出した探知阻害の指輪を装着する。低レベルのアーティファクト装備だが、使用階位の透視くらいならばこの程度の指輪で十分なはずだ。

 こちらを伺っていた少女は少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。それでもこちらを睨みつけて警戒していることに変わりはないが。

 

「落ち着いて。えっと、アルシェさん? 私はあなたや他の三人に危害を加える気はないわ」

「――皆、聞いて! 私はあいつが信じられない力を持っているのを見た……あいつが本気になれば、私たちはまず間違いなく死ぬと思う。だから逃げるべきだと私は判断する!」

「……だが、手は出さないと言っているぜ?」

「そうですよ。とりあえずは信じるしかありません」

「……そうね。助けられたのは事実なわけだし。とりあえず挨拶でもしとく? 私はイミーナ、よろしくね」

 

 イミーナが右手を差し出す。その手を取るのを、恐れるようにアルシェが注意深く見つめる。

 

(一体彼女は何を見たのかしらね……おっと――)

「よろしく、イミーナさん」

「イミーナでいいわ。それよりあなたの名前は?」

 

 イミーナの質問に、ミドナは頭を悩ませる。

 本名を名乗ったほうがいいのか。それともハンドルネームでいいのかと。しかし、ここの四人は全員横文字の名前だ。ならば日本名を名乗るのは不自然だと思い、後者を選択する。

 

「…………ミドナ」

「ミドナ? 下の名前は?」

「……ないわ。ただのミドナね」

「なら私と一緒ね、私もただのイミーナよ」

「俺はヘッケラン・タ―マイトだ」

「私はロバーデイク・ゴルトロンです」

 

 三人と握手を交わし、ミドナはアルシェに向き直る。

 ビクッと体を震わせる少女は、もはや小動物のようだった。

 

(人の顔を見て吐かれ、化け物と言われ、睨みつけられる。普通に考えれば私は何も悪くないはずなのに、なんでこんなに罪悪感を感じるのかしら……可愛いは正義なんて言葉があるけど、真理なの? 私が悪かったの?!)

 

 まだ心に刺さった棘は抜けない。しかしミドナは二十八歳だ。対してこの少女は十五、六といった所だろう。大人にならなければならない。根に持つような事ではないと、心の中で自分を励ます。

 譲歩しようという気持ちに嘘はない。しかし、自分から名乗れない小さな自分に少しだけ嫌気が差したので、ミドナは先に右手を差し出す。

 その手を見つめ、ゆっくりと少女は手に取った。

 

「――アルシェ・イーブ・リイル・フルト」

「……? え? 何?」

 

 声が小さくて聞こえなかったのもある。しかしそれ以上に、長すぎて覚えられなかったので、つい聞き返してしまった。

 少女を見ると、俯きながら顔を赤くしていた。

 

「アルシェ! イーブ! リイル! フルト!」

「――おおぅ! アルシェイーブリイルフルトさんね! あるしぇりいぶりいるふるとあるしぇりーぶ……」

 

 自分だけ長い名前なのが恥ずかしかったのだろうか。何度も連呼するミドナをプルプルと震えながら睨みつける。

 子供らしい一面もあるじゃないか、なんてミドナは思い、続くアルシェの言葉を待った。

 

「――さっきは、化け物とか言ってごめんなさい」

「……気にしてないわ」

 

 もちろん嘘である。どんな理由があれ、自分の顔を見て吐かれ、化け物と罵倒されたことによる精神的ショックは、そう簡単には拭えない。

 ミドナはアルシェから手を離そうとする。しかし、彼女の震える手は、力を緩めようとしなかった。

 

「――それと……助けてくれて……ありがとう……」

 

 林檎のように赤らめた頬が、よりいっそう赤くなっていく。

 

(……困った、困ったな)

 

 先ほどまで刺さっていた棘が、気が付いたら抜け落ちていた。

 異世界生活一日目にして、ミドナは真理に辿り着いた。

 そう、可愛いは正義。

 この法則は、どの世界においても共通の認識であり、世界の真理の一つであると。

 

 ミドナは屈託のない笑顔を、アルシェに贈った。

 

 

「どういたしまして」

 

 

 

 

 

 

 どうやら和解できたのだろうか。後ろで見守っていたヘッケランは、安堵の息を小さく吐き出す。

 ひとまずは安心……とまではいかないが、とりあえず死と隣り合わせの状況からは抜けだしたと思いたい。

 

(まだ警戒しておくべきか。アルシェが見たものは恐らく真実だし、このミドナって女が化け物級の強さを持っているのは確実か……)

 

 自分たちが手も足も出なかった死の騎士を一瞬で消し去ってしまうほどの魔法詠唱者だ。帝国の首席宮廷魔術師――三十魔法詠唱者のフールーダ・パラダインよりも、その魔法の実力は上だと言うことなのだろうか。

 

(確か第六位階魔法を行使出来るとか聞いたことがある。魔法学院に在籍していたアルシェなら<生まれながらの異能>でフールーダ・パラダインを見たことがあるはずだよな?)

 

 ということは、アルシェが吐き出してしまったのは、フールーダ・パラダイン以上の魔法のオーラを見てしまったからだろう。

 過去に大陸を荒らした魔神たちは、第七位階魔法という神の御業によって消滅させられたと聞いたことがある。つまり、魔人をも超える領域に足を踏み込んだ人物だと想定していい。

 

(詮索してみるか? いや、下手に探りを入れて反感を買うような事はしたくない)

 

 もし正直に答えてくれたとしても、後になって状況が変わり、言葉通り『消される』かもしれないのだ。世の中には知らなかった方が良かった事など山のようにある。

 

(そもそも、そんな化け物が人の世界に居ていいわけがない。命の恩人ではあるが……とりあえず、一緒に行動するのは危険か? どんな魔法を使ってくるのか想像も付かないしな……)

 

 もしこの場にアンデットが現れて、ミドナが魔法を放ったとし、それに巻き込まれて死なないと誰が言い切れるだろうか。魔神を倒すほどの実力者というのなら、自分達はまだ死と隣り合わせの状況から脱出していない。

 

 ヘッケランが思考の渦に飲まれていると、隣でイミーナが怒った様子でこちらを睨んでいた。

 

「――ちょっとヘッケラン? 聞いてる?!」

「おっとごめんな、考え事してたわ」

「しっかりしてよね? そろそろ帰ろうって話してたのよ!」

「ああ、そうだな。 こんな所にいつまでもいるべきじゃない。撤収だ皆」

 

 と言ったものの、特に準備するものはない。霧が掛かっていない近くの森に馬車を止めているので、そこまで歩いて行くだけだ。

 

「それじゃ、ミドナさん。ありがとうございました。もしよろしければ、帝国に来ていただければ是非お礼をさせていただきます」

 

 化け物ではあるが、命を救ってくれた恩人だ。出来る限りの礼を尽くさなければならないので、建前上ではあるが誠意を見せる。

 ヘッケランはミドナにお辞儀をして、感謝の意を伝える。

 すると、それを見たミドナが慌てだす。

 

「――ちょ、ちょっとまって!」

「……どうされましたか?」

 

 視線を泳がし、あたふたしているミドナを、とりあえず警戒しながら返事を待つ。その姿や仕草は普通の人間と何ら変わらない。しかし、真実とは得てして、驚くようなことばかりだ。見た目と実力は比例しないものだと考える。

 やがてミドナは小さく呟いた。

 

「今帰られてしまうと私は困ってしまうというか……じ、実は私……迷子なの……多分、うん……そう、迷子! 迷子なのよ!」

「は、はぁ……」

 

 迷子ってなんだっけ? なんて気持ちになったのを、誰が責められるだろうか。他の三人も、頭にクエスチョンマークが浮かび上がっているのが見て取れた。

 

「それで、ほら。私、迷子じゃない? だから、少しだけ匿ってほしいというか……」

「…………とりあえず、歩きながら話しましょう」

「え、ええ……そうしましょう」

 

 命の恩人に『匿って欲しい』なんて言われたら、断ることなど出来ない。

 しかし相手は人間の皮を被った化け物に等しい。自らの懐に厄介事を持ち込むなど御免被りたい。

 ならばここは、あやふやに話をもっていき馬車で別れるべきだとヘッケランは判断した。

 

 

  ヘッケランとミドナを先頭に、後ろの三人が後に続いて歩きだす。

 霧の中に再び入り、警戒しながら歩を進める。前衛という役目を担っている以上、警戒を怠るわけにはいかない。

 今回は運がよく助かったが、次はないかもしれないと、心に強く留めておく。

 

(いや、運とかそういう話じゃない気もするが……彼女はどこから来たんだ? むしろどうやってここに来たんだ? 聞いてみるか? それぐらいならいいか?)

 

 頭の中で問答を繰り返し、とりあえず聞いてみる事にした。しかし、絶対に深くまで詮索しないとヘッケランは心の中で誓った。

 

「まず、ミドナさんはどこから来たのですか?」

「――え? どこからって……あっ! そうよ、忘れていたわ。質問! 質問に答えて! 約束したでしょう?」

「は、はぁ……どうぞ」

 

 そういえばこの女、出会ってから一度もこちらの質問に答えたことが無いな……なんて思いながら促す。

 

「まず一つ目、ユグドラシルって知ってるかしら?」

「ユグドラシル? 聞いたことが無いですね。皆はどうだ?」

 

 首を横に振る三人の姿に、ミドナは何度か頷いて見せた。

 

「どこかの地名とかですか?」

「――え? い、いや……あっと、それじゃ二つ目の質問するわね」

 

 またしてもこちらの質問を交わす。ここまでくるとミドナの性格というよりも、何か話せない訳があるのだろう。

 話せないような話など、正直聞きたくはなかったので構わないと、ヘッケランは質問を促す。

 

「あなた達はどんなモンスターと戦っていたの? 私が倒したのよね?」

「――え?! 知らずに倒してたのですか?」

 

 まさか気が付かず倒していたとは。どんな魔法詠唱者だよと心の中でぼやいてみる。

 そもそも本当に倒したのだろうか? 魔法によって死の騎士は倒されたものだと思っていたが、その場合、自分たちが無事なのはどういうことなのだろうか。

 

(範囲魔法ではなかった? だとしたら俺たちが回復しているのは何故だ? ……範囲回復魔法と対象攻撃魔法を同時に行った? そんな事が可能なのか?)

 

 考えれば考えるほど謎が深まり、眩暈してしまいそうだ。ヘッケランは考えるのを辞めて、戦っていたアンデッドの特徴を話す。

 

「我々が戦っていた化け物は……名前までは知りませんが、黒くて大きいアンデッドです。フランベルジュとシールドを持っていて、騎士っぽい風貌でした」

「そのアンデッドは魔法とか使っていたかしら?」

「いえ、特には使ってなかったと思いますが……」

「うーん……アンデッドねぇ……」

 

 どうやらミドナ自身も、どうやって倒したのか理解していない様子だった。

 

(そんな事が可能なのか? マグレなんて事は……ないよな。この女が化け物級の力を持ってるのは確実なんだ……)

 

 話を聞いていたアルシェが、ヘッケランの裾を引っ張ってきた。

 

「――私も質問したい。ミドナは何の魔法を使ったの?」

「お、おい! アルシェ!!」

 

 アルシェの口を慌てて塞ぐ。踏み込みすぎだとヘッケランは判断したのだが、零れてしまった言葉は戻せなかった。

 ヘッケランは恐る恐るミドナの様子を伺う。何やら思考に夢中でこちらの事など気にしていないようだ。聞いていなかったのなら万々歳だったが、淡い期待はしっかりと裏切られた。

 

「……私が使ったのは<神に祝福されし領域>(God Blessing Area)っていう魔法よ。知ってるかしら?」

 

 聞いたことがない魔法だった。たいそうな名前の魔法だな、なんて感想を心中で呟きながら、首を横に振った時だった。

 

「それは第何位階の魔法なの?」

「――イミーナああ!!」

 

 問題児二号の口を慌てて塞ぐ。考えなしに発言しないで頂きたいと心から願うヘッケランだったが、その質問もしっかりとミドナの耳に届いていた。

 

(少しは危機感を持ってくれよ! この化け物が本気になったら間違いなく俺たちは殺されるんだぞ?! 後で消されても知らないからな?!)

 

 そんなヘッケランの心配をよそに、ミドナは顎に手を添えながら我先と歩いて行く。どうやらしっかりと考えて発言しているようなので、後で消されるような事はないと願うばかりだった。

 

「その質問に答える前に、アルシェさんに質問してもいいかしら?」

「――アルシェでいい。私もミドナと呼んだから、そう呼んでほしい」

「それじゃアルシェ。あなたは第何位階まで使えるの?」

「――第三位階まで使える」

「……第三位階」

 

 この問答に、一体何の意味があるのだろうか。ヘッケランは見守るように二人の様子を伺い続ける。

 

「そ、それは凄い……わね? あなたより強い魔法詠唱者はいるのかしら?」

「――帝国の皇帝の側近に、第六位階まで使える魔法詠唱者がいる。知らないの?」

「え? ……し、知らないわ、多分……その人は有名なの? どのくらい凄いのかしら?」

「――逸脱者。英雄の上の領域」

「……んん? 逸脱者? 英雄?」

 

 何やら理解出来ていない様子のミドナに、言葉足らずだったとロバーデイクが補足する。

 

「帝国に首席宮廷魔術師と呼ばれる魔法詠唱者がいまして、名はフールーダ・パラダインと言われています。逸脱者とは第六位階まで到達した者を呼び、第五位階で英雄と呼ばれています」

「……なるほどね。それで逸脱者の上はなんていうのかしら?」

「逸脱者の上……ですか? 寡聞にして存じませんのでなんとも言えません。第七位階の魔法詠唱者など、御伽噺でしか聞いたことがありませんので」

「まさに神の領域って感じか? 八欲王の御伽噺じゃ第十位階まであるって話だが、眉唾もいいとこだしな」

 

 ヘッケランも一緒に補足しておく。多くの情報を与えて、ミドナが口を滑らすような事が無いようにと祈りながら。

 

「……なるほど。概ね理解したわ。私が使った魔法の階位は恐らく聞かないほうがいいかもしれないけど……それだと信用してくれない?」

 

 歩きながら話す会話の内容じゃないと、ヘッケランは額に汗を浮かべる。

 全くもって聞きたくなどなかった。

 例え第六位階と言われても、第六位階の魔法などヘッケランは知らない。

 それに帝国最強の魔法詠唱者よりも上位の魔法を行使出来るだろう人間が、第六位階の魔法を使いましたと言われても、その言葉を鵜呑みにできるはずもない。

 結局この質問に意味などないのだ。聞いたところで、何一つと真実が明かされることなどないし、証明することも出来ない。

 

(いや、この話の流れは……まずいな、これは……頼むぞ皆……黙ってろよ……)

 

 やはりこの状況は危険すぎると、ヘッケランは危惧する。

 これは帝国に戻ったら早急に報告しなければならない事案だ。

 先ほどの質問は、絶対に答えてはいけない。

 この化け物が自分達に付いてきてしまい、帝国に持ち帰るようなことなど絶対にあってはならない。

 もし帝国に持ち帰った上で国に報告したとしよう。その結果、万が一国が騎士団やフールーダ・パラダインを連れてミドナを拘束しようものなら、この化け物は帝国で暴れて国を亡ぼすだろう。自分達は国を亡ぼす要因を持ち込んだ一種のテロリストになってしまう。

 国に報告しなかったとしても、この化け物と交友関係が結べるとは思えない。機嫌を損なわせてしまい、殺される未来は想像に難くない。

 今は何かを起こす気はないようだが、力を持っている以上、傍にいるだけでも危険だ。超越した存在とはそういうことだ。歩く災害のようなものなのだ。

 先ほどの質問に答えさえしなければ、『信用しない』とこちらが暗に答えたことになる。

 殺される可能性はある。しかし、今何かをする気がないのであれば、ここは黙っておくべきだ。少なくとも、帝国に持ち帰ってしまう可能性は減るだろう。

 

 ヘッケランは後ろの三人を窺う。

 全員理解している様子だった。

 ならばあとは、無事に馬車までたどり着き、そこで別れるまでの辛抱だ。

 

(向こうは俺たちが拒否したことを理解しただろう……ならばこれは賭けだ。馬車まで生きていれば俺たちは生きることを許されたと思っていい…………まだか……まだかなのか)

 

 

 馬車までの道のりまではそう遠くはないはずだ。しかし、異常なまでに長く感じるのは、ヘッケランの気のせいであってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 黙々と歩く四人の背中を見ながら、ミドナは最後尾を一人歩く。

 後ろに回ったのは、寂しさで胸が苦しくなってしまい目を合わせるのが辛かったからだ。

 先ほどの質問を沈黙で返されたという事は、これから先、ミドナが何を言おうと信用しないという意思表示に等しい。

 

(…………仕方がないのかもしれない。彼らの力の水準を知った今、私は確かに化け物なのかもしれない。人と化け物が一緒になんて暮らせないか……)

 

 化け物だと知られてしまった以上、この四人と交友関係を結ぶのはまず不可能だろう。

 ここが夢の世界ではなく、現実の異世界ならば彼らは生きているのだ。過去の記憶を持ち、個人の思考で物事を考えることができる自分と同じ人間だ。

 仮に自分と彼らの状況を置き換えれて考えれば、彼らが自分を怖がる気持ちは理解できる。自分だって化け物と一緒になんて暮らしたくはないのだから。

 ならば、知られなければいいだけだ。

 正体を隠して、どこか別の街で暮らすことはできるだろう。そこで新しく仲間を作って過ごせばいい。

 せっかく目が見えるようになったのだ。自分の姿見もそれなりに悪くはないはずだし、体の肉付きは……エルフなのでお察しだが、どこか素敵な男性を見つけて、女としての幸せを手にするのも悪くない。

 この四人と分かり合えなかったのは、単に巡り合わせが悪かった。

 運がなかっただけで、次は絶対うまくできるはずだ。

 

「………………」

 

 強く握りしめていた拳を、脇腹に叩きつける。

 

(……痛い)

 

 あの時は痛くなかったのに、と心の中で呟く。

 自己嫌悪で吐きそうだった。

 『次は』という言葉を、後何回言えば自分は気が済むのだろう。

 天空城であれだけ後悔したばかりだというのに。

 

(……あの時、私は後悔した。もっと人の気持ちになって考えようと。この人たちの気持ちを考えるならば、私は消えたほうがいい……)

 

 その考えは間違っていないと、ミドナは心の中で何度も言い聞かせ続けた。

 

 

 気が付くと辺りの霧は晴れていた。

 前方に森が見えてきて、そこには一台の馬車が止まっていた。

 彼らの馬車なのだろう。

 ここで彼らとはお別れになる。

 自分はどこか別の街にでも行って、異世界を謳歌すればいいじゃないか。

 目が見えるのだから、どんな職業にだって就けるだろうし、仲間を作って冒険に出かけてもいい。

 やり直せるはずだ。

 笑い合えるはずだ。

 

 ――例え中身が化け物であったとしても。

 

 

 馬車の前まで到達した四人の後ろを、少し離れてミドナは佇む。

 何を話していいのか分からない自分がそこにいた。

 今の自分が彼らに何を言おうと、それは全て嘘のように感じてしまうだろう。

 ならばいっそのこと、何も言わずに去ってはくれないだろうか。そんなことを考えていた。

 そんなミドナの想いは聞き遂げられず、ヘッケランがこちらに振り返る。

 別れを告げられると思ったが、彼は何故だか驚いていた。

 それに気が付いた三人も、同じような表情をしている。

 

「ど、どうしたんだ? ミドナさん?」

「どうしたの? なんで泣いてるの?」

 

 イミーナの問いを、ミドナは理解出来なかった。

 泣く? そんなエモートを出した記憶はない。

 

「――何かあったの?」

「大丈夫ですか? どこか悪いのですか?」

 

 怪訝と心配が混ざり合ったような、そんな言葉だった。

 ミドナは訳も分からず瞬きをすると、初めて自分の瞳に涙が浮かんでいることに気が付いた。

 それは、初めての体験だった。

 瞳に涙が溜まると、視界が霞むのだ。

 瞬きをするたびに、涙がどんどん溢れてくる。

 止めようと試みる。

 

 ――無理だった。

 

(……泣いてるの? なんで? どうして?)

 

 何故、涙が零れてくるのかわからない。

 そういえば、涙を流したのはいつぶりだろうか。

 子供の頃はよく泣いていた記憶がある。

 目が見えなかったからじゃない。

 寂しかったからだ。

 両親がいなくて、寂しくていつも泣いていた。

 最近はあまり泣いていない。

 いや、心はいつも泣いていたのかもしれない。

 天空城の時に後悔した。

 人を思いやり、人の気持ちになって考える。

 良い事じゃないか。

 立派な事だ。

 それで誰かが幸せになれるのならば、自分はいつだって人の気持ちを優先しよう。

 それで自分も幸せになれるのだろう。

 いや、なれるはずがない。

 自分を偽っているからだ。

 正直に生きようと決めたはずだ。

 嘘はもうやめようと。

 この涙に嘘はつきたくない。

 ここで自分の気持ちを伝えられないようでは、現実だろうが異世界だろうが、自分は永遠に孤独のままだ。

 

 ミドナは決心する。

 正直な気持ちを伝えようと、止まらない涙を手で拭う。

 化け物と拒絶されるのが怖かった。

 

 ――それでも、伝えるだけ伝えてみようと、ミドナは大きく息を吸った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ゴロンと寝返ると、腰のあたりが痛かった。

 いや、腰だけではない。体の節々が硬直しているようだった。

 関節を伸ばそうと、思いっきり両手を上げてみる。

 

「……いってえ」

 

 まだ眠っていたい。しかし、その気持ちとは裏腹に、眠気はどんどん覚めていく。

 何故だろう。そう疑問に思ったが、結論はすぐに出た。

 

「……なんで俺は床で寝てるんだ?」

 

 硬い床で寝続けていられるほど、ヘッケランの睡眠は深くない。

 観念したように床に手をついて、ヘッケランは起き上がる。

 いつもの宿屋だ。

 歌う林檎亭の二階の一室。

 なのに何故、自分は床で寝ていたのかと疑問に思い、いつものベッドに目を向けて驚愕する。

 そこで寝ていたのが、普段隣で寝ている女ではなく、別の女が眠っていたからだ。

 美しい白金色の長い髪、色気が皆無の細い肢体、溶けてしまいそうなほどの白い肌。垂れ下がった大きな耳。

 超級の力を有する一人のエルフが、掛け布一枚という無防備な姿で熟睡していた。

 寝ぼけた脳味噌をフル回転させようと、ヘッケランは必死に思考する。

 

「……そうだった。昨日泊まるところがねえからって、ここに泊めたんだった……そういや、イミーナがいねえな」

 

(私とミドナがベッドで寝るから、あんたは床よ!)と言われたのを思い出す。しかし、そのイミーナが消えている事を不思議に思った途端、バタンと大きな音を当てて扉が開いた。

 

「――ちょっと! いつまで寝てるの?! ってヘッケラン! 何してるのよ!」

「――え?」

 

 何をしてるって、寝ているミドナの前に立ってただけなんだが……などと思ってミドナを見ると、知らぬ間に寝返っていたのか、掛かっていた布が落ちていた。

 露わになったミドナの姿が、裸同然だったため、ヘッケランは慌てて顔を背ける。

 

「――うぇ?! なんでこんな格好で寝てるんだ! ち、違うぞイミーナ! 別に厭らしい目で見ていたわけじゃないぞ! 本当だ! 信じてくれ!」

 

 鬼の形相で詰め寄ってくるイミーナに、抵抗する術などヘッケランには持ち合わせていない。勢いよく胸倉を捕まれ、鬼すらも逃げだしてしまいそうな剣幕で睨まれる。

 

「……浮気したら、殺すわ」

「存じております! イミーナ様!」

「本当に?! わかってるわよね?!」

「わ゛が゛て゛ま゛ず」

 

 苦しいから襟首を締めるのをやめてくれ! と懇願しようとした時、後ろに投げ飛ばされる。

 イミーナはヘッケランに暴力を振るう時だけ、アダマンタイト級の力を発揮する。これからは君が前衛だ! と言いたくなったが、ここは自重するべきだと判断した。

 

「ちょっとミドナ! いつまで寝てるの! ていうか私が貸してあげた服、なんで脱いでるのよ!」

「うーん、由依ちゃんもう帰ろうよー……」

「誰よゆいちゃんって! ちょっと聞いてんの! 起きなさいって!」

「……んん? あれ? 由依ちゃんじゃない。あなたはイミーナ?」

「何寝ぼけてるのよ! そんなことより早く起きて支度して!」

「……支度?」

「あんた覚えてないの? うちのチームに入ったんでしょう? 今日からバリバリ働いてもらうわよ! 馬車馬の如く働いてお金を稼いでもらうんだからね!」

「……はぁい」

「あんた寝起き悪すぎよ! あとヘッケラン! あんたも支度しなさい! ミドナを着替えさせるから外で着替えてね!」

「――ちょ! おい投げるなって! わ、わかった! わかったから、俺の装備を投げないでくれ!」

 

 荷物を抱えて部屋の外に追い出されたヘッケランは、大きくため息をついた。

 これから始まる超級の魔法詠唱者との生活に、大きな不安と、若干の期待を込めて。

 

(まぁ、なるようになるのかな。――さて)

 

 急いで着替えて装備を整える。一階に降りると、すでにアルシェとロバーデイクがカウンターで談笑していた。

 

「おはようさーん」

「――おはよう」

「おはようございます、ヘッケラン。よく眠れましたか?」

「いんや、全く」

「でしょうね」

 

 ロバーデイクがお気の毒に、と笑いながら励ます。

 

「他人事だと思って……お?」

 

 二階でバタバタと足音が鳴り響く。階段を勢いよく降りてきたイミーナとミドナは、どこか既に疲れている様子だった。

 

「まったく、しゃきっとしてよね……ほらミドナ、挨拶!」

「……ええ、そうね。今日からここでお世話になるわ……その、よろしくお願いするわね」

「なんでちょっと上から目線なのよ! 一番の新入りでしょーが!」

「うるさいわね! 一番強いんだからいいじゃない!」

「何よ! あんたの強さなんて、私の偉さに比べたらまだまだ下よ!」

「ヘッケランがリーダーなんでしょう?! なんでイミーナが偉いのよ!」

「あー……そろそろいいか二人とも。打ち合わせを始めたいのだが……」

 

 これが第十位階を超える、第十一位階――ミドナ曰く『超位魔法』――という御伽噺の世界ですら聞いたことが無い魔法を行使することができる、伝説中の伝説、神の領域の魔法詠唱者の姿だとは、ヘッケランには到底思えなかった。

 こうやって見ていると、子供にすら見えてくるのだから不思議なものだ。

 

(一人は寂しいと泣いてしまう最強の魔法詠唱者か……まぁ、仲間に入れてしまったからには仕方ない。うまくやっていくしかないか……)

 

 それでも、あの時のミドナは真に迫るものを感じた。

 寂しいという気持ちに、嘘偽りがないとヘッケランは感じた。

 だからこそ、ヘッケランは三人を説得してミドナをチームに入れたのだ。

 もちろん不安は山ほどある。

 神の如く力を有する仲間が、果たしてチームに調和することができるのだろうか、と。

 しかし、蓋を開けてみたらこの調子だ。

 イミーナと喧嘩して、怒りながらも皆と笑い合っているミドナの姿を見たヘッケランは、杞憂だったと思いなおす。

 

(きっと大丈夫だ。――よし!)

 

 歌う林檎亭一階、いつものテーブルにて、ヘッケランは普段より少しだけ気分良さげに宣言した。

 

 

「うんじゃ、俺たち『五人』のフォーサイト、打ち合わせを始めるか!」

 

 

 

chapter2 end



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Chapter3

7000文字程度と少し短めです。区切らないと凄い文字数になってしまうと思い、二話に分けました。
話が全然進んでない上に説明文ばかりで文章が読み辛く感じてしまうかもしれません。申し訳ございません、善処します。



 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタールの中央道路をイミーナは軽快に走る。人々が行き交う煩雑した道路も彼女にしてみれば道行く人など石造と同義だ。まるで蛇のようにするりと人々の隙間を走り抜けていく彼女の様は見る人々を感嘆とさせる。もちろん彼女の存在に気が付くことができる者――職業軍人や冒険者、同業者である請負人(ワーカー)くらいにしか彼女を目で追い感嘆することは叶わなかったが。

 

 イミーナは狙撃手として弓の扱いに長け尚且つ盗賊のスキルも習得している。俊敏を生業とする盗賊は戦闘において様々な状況に置いて小回りが効き万能性に富む。彼女の機転で危機的状況が好転したことは数知れずだ。更に半森妖精(ハーフエルフ)ということもあり、森妖精(エルフ)ほどではないが常人より遥かに耳が良くレンジャーとしてチームの索敵探知も担っている。そんな彼女はフォーサイトにとって必要不可欠な目と耳であり、有能な俊敏なる射手と呼べるだろう。

 

 そんなイミーナの表情は軽快な足運びとは裏腹に険しい。ムッツリ顔にへの字口で走る彼女の表情を見た人々は思わず道を譲ってしまうのではと思うほどに。もちろん湖面を滑るように走る機敏な彼女の表情を伺える者は少ないため、彼女に道が開かれるようなことはないのだが。

 

 帝都の大通りを抜け路地に入り、道なりに幾つもの店の前を通りながら進んでいくと、やがて見慣れた看板が姿を見せた。

 看板には『歌う林檎亭』と書かれており、イミーナとヘッケラン、そして最近チームに加入した森妖精(エルフ)が住んでいる酒場兼宿屋だ。

 太陽の日差しが直下を迎える昼時という相乗効果もあり、若干の空腹感がよりイミーナを苛立たせた。

 イミーナは宿屋の扉をくぐり店内に居るだろう森妖精(エルフ)の姿を探す。店内にある影は一つだけであり、その姿はすぐにイミーナの視界に入った。

 

「ちょっとミドナ! 今日は大丈夫なんでしょうね?!」

 

 イミーナの一喝に気が付いた森妖精(エルフ)のミドナはカウンター越しに微笑む。森妖精(エルフ)ではあるがフードを被っているため知らない人からすれば単なる人間にしか見えない彼女は、ライトグリーンに煌めく瞳を輝かせながら自信あり気に頷いた。

 

「おかえりなさいイミーナ。今回はバッチシよ! 中々良い仕事を取ってきたわ」

「ふーん、聞かせてくれる?」

「なんでも新しくできた教会の信徒を集めることによって私の生活が豊かになるらしいわ。私が誘った信徒が教会にお布施すると私にもお金が入るらしくて、その信徒が誘った新たな教徒がお布施すると更に私にもお金が入って来るらしいの。これは画期的なシステムだと思うわ! 最初に入教金として金貨十枚必要になるけど今なら特別サービスって言われて五枚でいいらしいの。いずれは元が――」

 

 饒舌に喋るミドナの口を手で遮るようにイミーナは止めた。聞くに堪えない内容だったからだ。

 

「アホか! それは悪徳宗教の詐欺紛いな勧誘よ! 騙されてる上になんで私達が教徒になって詐欺の片棒を担がなきゃならないのよ!」

「え? これ詐欺なの? 上手くいけば働かないで永遠にお金が入ってくると思わない?」

「……本当にそう思っているの? 救いようがないわね……」

 

 呆れるように額に手を伸ばしたイミーナの苦悩は他でもない。フォーサイトに加入して一週間の新人――神の如く力を有する魔法詠唱者のミドナは、請負人(ワーカー)としてはまるで使えない能無しだったからだ。

 

 請負人(ワーカー)は冒険者とは違い仕事を斡旋してくれる組合が無く自らが仕事を請け負ってくるのが基本だ。もちろん請負人(ワーカー)として名声を得られればチームに名指しで依頼が舞い込んでくることもあり、中でもフォーサイトは帝国でも有数の実力と実績を誇る上位の請負人(ワーカー)チームだ。依頼を直接頼まれることも少なくはなかった。

 しかしそれはミドナを除く四人で積み上げてきた名声であり、請負人(ワーカー)として駆け出しのミドナにはまず依頼を請け負ってくることから始まった。どのような依頼を受けるべきなのか、その『目利き』を鍛えるためだとヘッケランが提案するまではよかった。問題は請け負ってくる依頼がどれも請負人(ワーカー)の仕事では無く街の手伝いのような内容が殆どだった。

 

「犬の散歩から始まり、子供の遊び相手、日雇いの道路整備に街のゴミ拾い……挙げ句の果てに詐欺紛いの悪徳勧誘に引っかかる……絶望的ね」

「……酷い言い草ね。そもそも私はセールスなんてしたことないのよ? 会社勤めだってしたことないし、そんな私にいきなり仕事を取ってこいって言われても無茶って話よね」

 

 やれやれと首を横に振るミドナの姿にイミーナは辟易とする。

 

「何も物凄い危険な仕事を取ってこいって言ってるわけじゃないのよ? もう少しワーカーらしい仕事を引き受けてきてくれない?」

「って言われても、ワーカーって何をするのかイマイチ私には分からなくて……汚れ仕事? って言われても、トイレ掃除くらいしか思い浮かばなかったわ」

「他人がやりたがらない仕事って意味では間違っちゃいないけど……もっとこうあるでしょ? 頼みにくい仕事とか色々と」

「犯罪に手を染めろって言うの? そんなこと私にはできないわ!」

「あんたさっきはその犯罪紛いなことをしようとしてたこと理解してて言ってるの……?」

 

 イミーナの問い詰めに、ミドナは首を傾げる。やはり理解していない様子だった。

 

 冒険者は人類の守り手であり正義の味方と人々から認識されているが、請負人(ワーカー)はそんな冒険者の光の面とは反面して影の面を求めた者たちの集まりだ。報酬によっては如何なる仕事も請け負うのが請負人(ワーカー)であり、その内容は国の要人暗殺――つまり殺人や危険なモンスターの討伐などその依頼の内容は多岐にわたる。つまり犯罪に手を染めてしまうのもその請負人(ワーカー)次第ということだ。

 フォーサイトはチームの意向として人を殺すような仕事は引き受けないようにしている。人の恨みを買うような行為は避けるべきだとリーダーであるヘッケランは考え、その成果あってか実際にフォーサイトは敵の少ない請負人(ワーカー)チームと言えた。

 

「別に自ら犯罪の片棒を担ぐような仕事をしたいとは思ってないわよ。ただ世の中奇麗事だけじゃ済まされないから請負人(ワーカー)がいるの。冒険者組合では引き受けないような仕事を私達がやっている。それだけよ」

「……それならそれでいいけど、私本当に人殺しとか嫌よ? 多分、見たら卒倒してしまうかもしれないわ」

「どんだけ(やわ)なのよ! あんた本当にそれで最強の魔法詠唱者なの? どういうことよ!」

「残念ね、イミーナ。私が最強なんじゃなくて、私が最強にするのよ」

 

 自慢気に語るミドナの顔を、イミーナはぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。

 

「誰が最強にするって?! まともな依頼も取ってこれないペーペーのくせして偉そうにするんじゃないわよ!」

「何ですって!」

「何よ!」

「何やってるんだお前ら……」

 

 徐々にヒートアップしてきた二人の間にヘッケランが水を掛ける。ヘッケランが宿屋に戻ってきていたことに気が付かなかったイミーナは、頭に血が上っていて冷静では無かったと反省して心を落ち着かせた。

 

「その様子だと、今日もまともな依頼は取ってこれなかったみたいだな」

「私は良い仕事だと思ったわ」

「……ヘッケラン、諦めたほうがいいわ。ミドナに仕事の請け負いは向いてない。ミドナの言う通りにしてたら私達は人々に邪教徒と指を指されることになったでしょうね」

 

 邪教徒? と不思議な顔をしたヘッケランはチェインシャツの上に着ているベストの内から手紙を取り出した。

 

「まぁミドナの件はゆっくりやっていけばいいんじゃねえか? 焦る必要なんてないだろ。それよりホレ、仕事の依頼だ」

 

 カウンターの椅子に座るイミーナの隣にヘッケランは腰を下ろすと、手紙を二人の前に置いた。カウンター越しにいるミドナにヘッケランは水をくれと頼む。

 

「というかなんでウェイター側にいるんだ? 店の主人はどこ行ったんだ?」

「買い出し行くからって店番頼まれたのよ。それにウェイトレスって夢だったのよ私。可愛い店で可愛い服着て働くって素敵よね。まぁここは薄暗くてお洒落な雰囲気は全くないけど……それでも一つ夢が叶ったわ」

 

 そういえば最初に妙に上機嫌だったのはウェイターを任されたからだったのだろうとイミーナは回想する。

 水をグラスに注ぎヘッケランに渡すと、ミドナは手紙に手を伸ばす。「読んでいい?」と許可をもらい、封を開けて中身の用紙を取り出した。

 

「…………なるほど、読めないわ」

「……貸して」

 

 呆れ顔でミドナから手紙を受け取る。目線が手紙の上から下まで行ったところでイミーナは要約した。

 

「帝国の商人からの依頼ね。このグランって家の父親と娘、それと使用人がリ・エスティーゼ王国のエ・ランテルに行ったきり戻ってこないんだって。野盗に襲われた可能性もあるから王国に調査を依頼したんだけど、向こうの冒険者組合は(ゴールド)級や(シルバー)級の冒険者を雇ったらしく、不安なので仕方なく請負人(ワーカー)である私達にも依頼したみたいね」

「そうだ。つまり王国の領地内での揉め事で帝国は好き勝手に調査できないから俺達に依頼が来たってことだ。それにしても向こうさんも人手不足なんかね」

「かもね。(ゴールド)(シルバー)クラスしか手が空いてなかったんでしょ。グラン家もお気の毒よね。それで私達の仕事は行方不明になっているグラン家の人達を探すってことなんだろうけど……」

 

 イミーナの顔つきが険しいものへと一変する。

 

「もし本当に野盗に襲われていた場合、娘はともかく他は殺されていてもおかしくはないわよね?」

「下賤な野盗共だったら全然あり得る話だな。娘の方も物も同然のような扱いを受けて、殺した方がマシだと思える状態になってたら胸糞悪くなっちまうな」

 

 徐々に二人の表情が暗いものへと変わる。その内情は言うまでもなく怒りや苛立ちといった負の感情だろう。

 しかしヘッケランはすぐに平常心を取り戻す。今は怒っている場合ではなく、依頼内容について検討すべきだと悟る。

 

「野盗に捕まっていた場合、相手の人数が多くやむを得ない状況だったら殺さざる負えないこともあるかもしれねえが、依頼主は出来る限り無力化に抑えて救出してほしいんだってさ」

「王国側にも依頼してしまった手前、皆殺しにしたら依頼主にケチが付くと思ってるとか?」

「恐らくな。向こうも下位の冒険者とは言え依頼主の要望に応えてるんだ。それに泥を塗ったら商人としての家の顔にも泥を塗っちまうってことなんだろうよ」

「そんな甘っちょろいこと言ってられる敵ならいいけど……そもそも野盗に容赦なんてしなくていいでしょ? 無力化なんて甘いこと言って、足を掬われてこっちが殺されるなんてことはゴメンだからね?」

 

 イミーナの言葉は正論であり、ヘッケランもそこには同意する。しかしフォーサイトの実力は冒険者でいう所のミスリル級であり、そこらの野盗など容易に倒せてしまうぐらいの力は有している。彼らの腕であれば野盗の無力化程度ならば難しい話ではないだろう。細い肢体のイミーナですら、暴力を生業とする成人男性を容易く捻じ伏せてしまうだけの実力を持っているのだから。

 

「もちろん仕事を引き受けるならしっかり警戒はするさ。ロバーとアルシェに依頼人の背後関係を洗ってもらっている最中だが……まぁ依頼を引き受けるのかは全員揃ってもう一度検討してみないことには今は何も言えねえな」

「そうね。うちチームに敵は少ないとはいえ、罠ではないと言い切れないからね」

 

 今はロバーデイクとアルシェの帰りをただ待つだけだった。しかし今まで黙って話を聞いていたミドナが口を開いた。

 

「罠じゃなかったら当然引き受けるんでしょう?」

 

 その言葉にヘッケランは瞠目する。しかしミドナの怪訝な表情を見て、冗談を言っているわけではないと判断する。だからこそヘッケランはミドナに煩わしさと似た感情を抱いてしまった。

 

「ミドナ、フォーサイトに加入した時の条件を覚えているか?」

「もちろん覚えているわ。魔法の使用階位は有事の際を除き第三位階まで、でしょう?」

 

 これはミドナがフォーサイトに加入する際にヘッケランが提示した条件だ。第十位階――とまではいかなくとも、あまりに超越した魔法はチームに被害を及ぼす恐れがあるので当然と言えば当然の縛りだ。しかし本当にこれでミドナがチームに調和できるのかと言えば、全くもってそうではない。例えば第一位階魔法に<魔法の矢>(マジック・アロー)という魔法が存在するが、これは使用者の実力によって出現する魔法の矢の数は左右される。つまりミドナの使用する第三位階魔法は、自分達の物差しでは測れないのだ。ミドナは大丈夫だと言っているが、まだ碌に戦闘もしていないので何とも言えない。つまり自分の背中を預けるにはとてもじゃないが信頼できる状況ではないのが現状だ。

 

 この使用階位の縛りもそうだが、ヘッケランが聞きたかったのはもう一つの条件――というよりも約束事だ。

 

「もう一つの方だ。俺達はチームとして依頼を引き受けるんだ。お前一人の意見を聞いて、はい受けましょうとはいかないんだ。チームとして意見を出すのはもちろん構わないが、ミドナ個人としての欲望を承諾するわけにはいかないからな」

 

 ヘッケランは断固たる口調で告げる。その言葉の裏に隠された意味は『注意』などという生温いものではない。これは『警告』だ。

 

 冒険者や請負人(ワーカー)には共通認識としてやってはいけないことが幾つもある。その中の一つに欲望を晒すという行為がある。例えば毎日金が欲しいと言っている仲間がいれば、大金の掛かった依頼は是が否でも受けたがるだろう。しかしその仲間の言葉をどれだけ信用できるだろうか。目先の金に目が眩んでいるのではと疑われてしまうのは当然だ。ミドナの先ほどの発言はこれと同義であり、これ以上の私欲を含む発言をするようではチームに置いておけないと、ヘッケランは暗に警告したのだ。

 

 その言葉の意味を理解したミドナは、深呼吸と共に吐き出した息に緊張という感情が溢れでているのが、ヘッケランに伝わった。

 

「……そうね、私が悪かったわ。反省します、ごめんなさい」

 

 ミドナが真剣に謝罪していると二人は理解した。ミドナの言葉に怒りや執拗といった禍根を残すような感情は一切見受けられなかったからだ。ここで拗ねるようならこの先チームとして組んではいけないだろうと考えていたので、ヘッケランは安堵の息を零した。

 

「いや、分かってくれたならいいんだ。悪かったな、脅すような口調で言って」

「悪かったのは私の方よ。ヘッケランが謝るようなことは何もないわ」

 

 ミドナはそう言って微笑んだ。そしてヘッケランは少しだけだが理解した。ミドナという女の性格の一端を知れたことを。それだけでもこの会話の意味はあったのだとヘッケランは考えた。

 腹芸は苦手そうだが、素直な良い奴なんだろう。そうヘッケランは印象付けられた。

 

 しかしミドナの次の発言は、ヘッケランには思いもよらない言葉だった。

 

「でも一つだけ伝えておきたいことがあるわ。チームの意思に私は尊重するし逆らったりしない。でも私は助けられる命はなるべく助けたいと考えているの。それが例え悪人であるなら更生させてあげたいと思うし、善人なら尚のことよ。誰かが困っていたら、手を差し伸べてあげられる人になりたいと思っている……」

 

 ふぅ、とミドナは息を吐く。その様子をヘッケランは真剣に伺っていた。

 突然何を言い出すのだろうか。先ほどの警告を理解していないとは思えない。これはその警告を受けた上での発言に違いないのだ。ならば真剣に聞くべきだろう。これから続く言葉によっては共に居られることが叶わなくなってしまう可能性もあるのだから。

 ヘッケランはミドナの表情を伺う。その顔つきは真剣そのもの。これから続く言葉は、その覚悟の上での発言なのだろうとヘッケランは気を引き締める。

 

「もちろん、それはあなた達も同じ。私はあなた達にどんなことが起ころうと必ず守ってみせるし、救ってみせるわ。絶対に見捨てたりなんかしない。それが私の意思であり、補助職を極めた私の傲慢(プライド)よ」

 

 それを聞いたヘッケランは、隣に居るイミーナと顔を見比べる。どうも間の抜けた顔をしてしまっているらしい。お互いの顔を見合した二人には、小さな笑みが浮き出ていた。

 

「……だってさ、イミーナ」

「あんたの気持ちは理解したわよ、ミドナ。それで私達から一つ言いたいことがあるわ」

 

 イミーナは突如鋭い目付きでミドナを射抜く。一言言ってやるつもりなのだろう。そうヘッケランは感じ取り、肩の凝りをほぐす様に腕を回した。

 

「新米のペーペーが誰を守るって?! 己惚れるのもいい加減にしなさいよね! 私達はチームなのよ? 互いの背中は互いで守り合うの。決してあんた一人が守るものではないのよ! わかる?!」

「そういうことだ。がら空きのお前の背中は、俺達が守ってやるから安心しろ! つーことだ。わかったか?」

 

 チームとはそういうものだろう。互いの背中を預け合い、助け合って生きていく。ごく普通の常識だ。そんな常識も知らない世間知らずの駆け出し請負人(ワーカー)に、『必ず守るから安心しろ』なんて言われたら先輩であるこちらの面目は丸潰れだ。少しは言葉を選んで発言して欲しいものだと、ヘッケランとイミーナは立腹した。

 こんな台詞が返ってくるなど想像すらしていなかっただろうミドナは、目をパチクリと開き瞬きを繰り返す。そんな表情もまた実に腹立たしかった。

 イミーナは拳に力を入れてプルプルと震えている。放っておくと右手がミドナの顔面に炸裂する恐れがある。

 

 

 しかしこの時ばかりは、ヘッケランはイミーナを止めたいとは思わなかった。

 

 

Chapter3 end

 




次回、可憐なる吸血鬼シャルティア様が登場してくれるはずです。
スレイン法国の黒の方々や、純銀の鎧の方も登場してくれることでしょう。


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Chapter 4

長いです…

前回のあらすじ

野盗に拐われてしまった商人を救出する依頼を引き受けたフォーサイトは、リ・エスティーゼ王国の領地、城塞都市エ・ランテルへ向かうため準備に取り掛かった。



◆その日の真夜中 番外編 ※流し読み可

 

 

「早く支度してよね! ロバーとアルシェが来たら出発するんだから!」

 

 

 (イミーナ)が過ぎていった。眠気で冴えていない頭の中でミドナはそんなことを考える。

 むくりとベッドから起き上がり窓の外を眺めてみても未だ空は真っ暗だ。街路地を闊歩する人の姿も見受けられず、街灯の灯りだけが地面を悠々と照らしているだけの静かな夜だった。

 

(もう少し優しく起こしてくれてもいいのに……それなら少しは気持ちのいい目覚めを迎えられる気もするわ……)

 

 寝起きが悪いのは異世界に来ても変わらなかったことに不満を漏らし、ミドナは自室をぼんやりと見渡す。部屋のあちこちに散乱している大量の衣服――ユグドラシルの装飾アバターを細目で眺めた。

 異世界に来てから悩みの種である衣装選びがミドナの朝をより辟易とさせる。溜息を吐いて、焦点が合った服をおもむろに掴んだ。

 

(こんなミニスカートもう履く機会ないわね。ユグドラシルなら中はデフォルメされて真っ黒に表示されたけど……こんなの着て動き回ったらパンツ見てくださいって言ってるようなものね……)

 

 掴んだ白のフリル付きスカートを投げ捨てる。

 

 ユグドラシルでは公式で様々な課金装飾アバターが売り出されていた。一切の補正値が付与されていない完全無欠のお洋服(ファッションアイテム)だ。ミドナも着せ替え人形の気分で大量に購入していたのだが、現実に着て公衆の面前に立つには聊か生き恥にも似た羞恥を患ってしまいそうな派手なアバターばかりだった。

 

(その時は可愛いと思ってつい買っちゃうのよね……由依ちゃんに『迷ったら買え』って強く言われたからかもしれないけど、今となっては後悔しかないわ……)

 

 毎日と同じ服を着るわけにもいかない。ミドナは森妖精(エルフ)であり、当然、体からは老廃物が出るし、埃などの外的要因でも服は汚れるのだ。

 

 ミドナはおもむろに服を選んでいく。今日は普段通りの服装ではいけない。王国の近辺を荒らす野盗の塒まで出向いて、恐らく攫われているであろう雇い主の身内を救出する依頼を受けているのだから。なるべく地味目の暗い服を着るべきだと品定めしていく。

 

 ちなみに恋仲にあるヘッケランとイミーナの部屋にいつまでも居候するわけにもいかなかったので、彼らの隣に部屋を借りたのだ。帝国通貨を一切と持ち合わせていなかったミドナの食費や雑費、宿代など全てヘッケランに拝借させてもらってる状況だ。現在、せめてもの誠意を見せようと日雇いの道路整備の仕事で稼いだ銀貨四枚を返済しただけである。しかしそれも今日この依頼で得られる報酬で全額返済できるだろう。そう思うと、少しだけホッとする。

 

 異世界に来てからの悩みの種はまだある。それは装備品だ。

 上からサークレット、ネックレス、上着、マント、小手、ブーツ。この装備品の着脱行為が億劫なのだ。寝る前に外し、起きたら付ける。この一連の動作が無駄のように感じてしまう。

 

(そもそも別に私、異世界に来てまで戦いたいとも思ってないし……皆と楽しく毎日過ごせればそれでいいんだけどね)

 

 戦う気がないのなら、この装備品全てがガラクタである。そもそも帝国近辺の水準を考えれば装備の補正値を期待せずとも百レベル分の能力値(ステータス)だけで十分戦えるだろう。だからこそ、ミドナはこの装備の着脱行為に不満を漏らす。

 しかし戦わない訳にもいかない。ミドナが所属しているフォーサイトは請負人(ワーカー)だ。危険なモンスター退治のような依頼もこの先あるだろう。どれだけ能力値(ステータス)が高いと驕ろうが、ミドナは単なる人間種である森妖精(エルフ)だ。首が飛んだら普通に死ぬだろうし、そもそも人間だった頃と比べても体に何の変化も感じられない。目に見えて変わった事と言えば、文字通り目が見えるようになったことくらいだろうか。

 

(そもそも私が異世界に来た理由って何なのかしらね。もし仮に神様が私に何らかの使命を与えているのだとしたら……)

 

 補助や回復に重点を置いた自分にできる事と言えば誰かを守護する事ぐらいだろう。フォーサイトのメンバーを守るために異世界に君臨したのだろうか。神様が何を考えているのか、ミドナには皆目見当も付かなかった。

 

 地味目の衣装を選び、装備品を装着して鏡の前に立つ。普段の白のローブも暗褐色のローブに変えてあるので、信仰系魔法詠唱者というよりは、魔力系魔法詠唱者のような様相が怪しい雰囲気を漂わせる。

 

(そういえば私この世界に来てからずっとスッピンよね? 化粧品なんて持ってないし、スキンケアとかしなくていいのかしら……?)

 

 異世界に来て容貌が変わったとはいえ、ミドナはこれでも二十八歳だ。良い歳した成人女性が化粧もせずに公共の場に出るのは聊か品が無いように思われた。

 

(次の休みにイミーナとアルシェに買い物付き合ってもらえないかしら……そ、そうよ! 目が見えるようになったんだし、友達と仲良くショッピングなんて最高じゃない! お洒落なカフェとか、映画とか……映画館なんて無いか。舞台? ならあるのかしら? とにかく色々やってみたい遊びは沢山あるわ!)

 

 明るい未来に心を躍らせていると、再び部屋の扉が開かれる。この部屋の合鍵を持つ者は一人しかいないので、誰が入室して来たのかを、ミドナはわざわざ確認するまでも無いと決めつけた。

 

「遅い! いつまで支度してるの! 朝食冷めちゃうんだけど?!」

 

 夜中なので声を殺しながら器用に怒鳴られるミドナは気怠そうに振り返る。

 扉の前で仁王立ちするイミーナをぼんやりと眺めていると、この状況に思い当たる節があると思考を巡らす。

 

 もしかすると、これが夢にまで出てきた光景なのではないだろうか。

 

「……何? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「…………なんでもないわ。それより今日の朝食は何?」

「いつものパンとスープと野菜よ。昨晩店の主人に頼んで作り置きしておいて貰ったのよ」

「また? たまには別の朝食が食べたいわ」

「贅沢言わない! そんなセリフは自分で払えるようになってから言ってよね!」

「ふふっ、そうね」

「……どうしたの? なんか変な物でも食べたんじゃない?」

「気にしないで。さて、行きましょう」

 

 こんな会話のやり取りを、ミドナは人生で一度も交わしたことは無かった。

 もし自分に母親がいるとすれば、きっとこんな感じで口うるさいのだろう。そんな妄想していると、どこか暖かい気持ちになった。

 

「イミーナ」

「何?」

「ありがとね」

「……やっぱ変じゃない? 熱でもあるんじゃないの?」

「そういう時は、どういたしましてと言って欲しいわね」

 

「……どういたしまして!」

 

 

 次の日の真夜中 end

 

 

 

 

 バハルス帝国の東西門を二台の馬車が通り過ぎる。

 

 フォーサイトの面々が二組に分かれて乗るこの馬車は依頼主である商人のグラン家から借り受けたものだ。各馬車の御者台にはヘッケランとイミーナが座り、馬の手綱を握っている。

 バハルス帝国から城塞都市エ・ランテルまでは丸一日近く馬車を走らせなければならないため、恐らく到着も夜になるだろう。

 

「夜のほうが影に身を隠しやすいですし、潜入には向いているということです」

「なるほどね、理解したわ」

 

 イミーナが操縦する馬車の中にはロバーデイクとミドナが座っている。アルシェはヘッケランの操縦する馬車の中で恐らく寝ているのだろう。

 寝れる時は寝ておくべきだ。これから丸一日かけて馬車を走らせなければならない。途中で操縦を変わらなければならないので尚更だ。現地に到着して睡魔が襲ってきましたでは話にならないのだから。

 馬車が二台なのは野盗に囚われている人の数が多かった時のためと、グラン家の者を帝国まで連れて帰るためだ。しかしグラン家の者を保護したとしても一度エ・ランテルまで行く必要がある。グラン家が王国の冒険者に依頼をしてしまっている手前、勝手に連れ出すわけにもいかないのだ。身元を確認させた後にこの馬車で共に帝国まで帰還することになっている。

 

「私達が捕らえた野盗達はどうするの? 無力化で留めておくんでしょう?」

「近辺に王国の冒険者がいるようであれば彼らに任せます。いないようであればエ・ランテルまで行って憲兵を呼んでこなければなりませんね。ですが私達は冒険者ではありません。なるべく素性を隠さないといけない身ですので、その場に冒険者の方々が居ることを願いましょう」

「助けた人達も冒険者任せってことでいいのね。それでグラン家の人達を帝国に連れて帰るのも理解した。でもこの衣装は本当に必要だったの……?」

 

 そう言ってミドナは横に置いてある布袋を指差す。

 布袋の中には丁寧に畳まれたグラン家の使用人の衣服が入っている。昨日、グラン家から渡された執事服とメイド服だ。

 

「恐らく必要なのでしょう……商人様の身元引受人を演じなければならないのですから、装備を纏ったままでは色々と疑われてしまうのではないかと思います。問題は誰が着るかってことです」

「私は嫌よ? いや、そもそも私には無理よね? ほら、耳の大きさで森妖精(エルフ)だってバレるでしょうし」

「確かにそうですね……だとするとヘッケランとアルシェでしょうか?」

「ヘッケランだと違和感あるんじゃないかしら? 頭に赤のメッシュが入った執事ってどうなの?」

「ですよね……となるとやはり私ですか……」

 

 数々の戦闘によって鍛え上げられた大きな体躯に若干の違和感を感じるが、それでも執事服を着せるならヘッケランよりもロバーデイクのが幾分とそれらしく見えるだろう。

 

 ミドナは馬車の窓から外を眺める。まだ夜空に浮かぶ月は消えそうにない。馬車は走り始めてまだ間も無いのだ。恐らく長い一日になるのだろう。

 

「……野盗に襲わてしまった人達、生きているといいわね」

「そうですね。無事だといいのですが……希望は半々と言ったところでしょうか」

「でも意味も無く攫った人を殺してしまうなんてこと、いくら野盗でもしないんじゃないかしら?」

「……どうでしょうか。金品を奪って解放しているようなら私達はここにはいませんし、口封じに殺してしまう事もあり得るのでは?」

「本当に? 人が人をそんな簡単に殺せてしまうものなの? その人に何か恨みでもあったのなら話は分からなくもないけど……」

 

 そういった事件は現実(リアル)でもよく聞いたことがある。誰かが殺されたり攫われたり、まだ歳場もいかない幼子が被害に遭ったニュースを聞くと、被害者もそうだがその家族の心情を思うと酷く心を痛めてしまった経験は誰にでもあるだろう。

 だが大概の殺人の動機は私怨なるものだ。無差別殺人なんて事件は稀有であり、余程の精神異常者が一人で引き起こしてしまうものだ。

 比べて野盗は集団だ。心有る人が殺しは辞めようと、止めてくれはしないのだろうか。

 

(いや、治安の悪い国ではよくあることなのかもしれない? 環境こそ悪かったものの、日本はそれなりに平和だったってことなのかしらね……)

 

 誰かを殺したいほど人を憎んだことはない。だからこそ、人を殺すという行為に及ぶ真相心理をミドナは理解できなかった。

 

(ここは異世界で人を食べるモンスターも沢山いる。話によると帝国と王国は毎年戦争してるらしいし……だから命の価値を軽く見てしまうの? ……だとしても人が人を簡単に殺せてしまうのはやっぱり理解できないわ。捕まえた野盗から話を聞いてみようかしら……)

 

 人の死について悲嘆していると、どこか哀傷的な感情になっていたようだ。難しい顔をしていたミドナを心配そうに伺っていた年長者の存在に気が付く。

 気遣わせてしまった心苦しさから、ミドナは意図的に笑顔を作った。

 

「ロバーも睡眠を取っておいたほうがいいんじゃないかしら? 寝てないんでしょう?」

「ええ、今日の準備に色々と時間が掛かってしまいましたから」

「私は馬車の操縦なんてできないし……私にも何か役に立てることはないかしら?」

「ミドナさんには馬の疲労を回復させる役目があります。それで十分だと思いますよ」

「そう……? でも先は長いし、私に気を遣わないで寝てくれていいのよ?」

「……そうですね。ではお先に失礼します」

 

 そう言ってロバーデイクは腕を組み、馬車の内壁に体を預けて目を閉じた。

 

 まだまだ先は長い。そう思い、ミドナも再び眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 陽が登り、そして沈み、再び月が夜空に浮かんだ静かな夜。碌な休憩も取らずにひた走り続けた二台の馬車は、エ・ランテル辺境の森と平原の境に停められた。

 人気を全く感じさせない森の中からは、木々の葉が風に揺られる音しか聞こえてこない。

 

 人間の種族的な強さはこの世界では下位序列に位置するため、広い平原のような場所にしか生存圏を獲得していない。森林や山脈、海などの様々な地形は上位種族の縄張りであり、そこに人間が暮らす余剰など存在しない。人間には暗闇を見通す目も持たないため、闇夜に包まれる森の中に人の気配がないのは至極当然の事なのだろう。

 

 馬車から降りたヘッケランは狐の顔が絵描かれている、どことなく怪しげな面を四人に手渡す。

 

「これで顔を隠して仕事をするわけだが、王国の冒険者を見かけたらまず身を隠す。姿を見られて警戒された場合は交戦の意思が無い事を証明するためにも面を外す。いいな?」

「了解」

「んじゃロバー、頼む」

「ええ、〈暗視〉(ナイト・ビジョン)

 

 ロバーデイクの魔法により視界がさながら昼時のように照らされる。魔法の効果時間はそれほど長くないため、その都度掛けなおす必要があるのが玉に瑕だが、それも必要な魔力消費と言えた。危険に身を置いてきた彼らは常人よりも夜目が利くとは言え、野盗が周到な罠を仕掛けている可能性も考えらる。ここは惜しみなく魔法を使っていくべきだろう。

 

「ミドナ、お前は後衛って事でいいんだよな?」

「ええ、私は皆のバックアップに徹するわ」

「んじゃ隊列は俺に続いてイミーナ・ミドナ・アルシェ・ロバーの順で行く。何か異論はあるか?」

 

 四人が沈黙で返す。特には無いようだった。

 

「よし、手筈通り森が切り開かれている場所を探していくぞ。洞窟を塒にしている場合もあるから注意しろよ?」

 

 四人が頷くのを確認すると、ヘッケラン達は森の中へと歩を進めて行った。

 

 

 

 

 しばらく歩き続けていると、突然イミーナの足が止まった。

 

「――ストップ。何かがこっちに走ってくる」

「全員茂みに隠れろ」

 

 五人は身を低くしより深い影に隠れて姿を隠蔽させる。嗅覚に優れたモンスターであった場合は意味を成さない行動だが、相手が人間であれば十分にやり過ごせるだろう。

 

「何が向かってきているか分かるか?」

「この足音はモンスターではないと思うけど……」

「ええ、恐らく人間よ。何かに怯えて必死に逃げて来ている様子ね」

「――なぜそこまでわかる?」

 

 アルシェの問いに、ミドナが自分の耳を指差す。

 

「私は森妖精(エルフ)なのよ? 半森妖精(ハーフエルフ)のイミーナより耳が良いのは当然よ」

「私のアイデンティティの一つを奪わないでくれる……?」

半森妖精(ハーフエルフ)にも長所(メリット)はあるわ。森妖精(エルフ)に課せられた種族故の短所(デメリット)を半減してくれるから、最終的にはバランスの取れた能力値(ステータス)配分ができるはずよ。でも特化型には向いてないわ」

「その話は後回しだ。それで距離はどの程度だ?」

「もう近いわ」

 

 この静かな夜には似合わない、まるで地獄の底から逃げてきたような、恐怖に怯えきった男が武器を胸に抱いて必死に走ってくる姿が見えてきた。

 

(どうする?)

(このまま待機だ)

 

 五人はそのまま男が走り去って行くまで身を屈め続けた。

 やがてその背中が見えなくなった頃、ヘッケランが立ち上がった。

 

「もういいだろ。それより何だったんだ?」

「知らない。何か『俺は馬鹿だ』って小さく呟き続けてたけど……」

「――泣いてた? 冒険者って恰好ではなかった」

「恐らく野盗の一人だったのではないでしょうか? 何があったのか聞いてみるべきだったのかもしれませんね」

「どうだろうな。止めたところで喚かれたら面倒だぜ?」

「とりあえず彼が来た方向に野盗の塒があるって考えてもいいんじゃない?」

「それはそうだと思うが……何か嫌な予感がしないか?」

 

 ヘッケランの言葉にミドナを除く三人が息を飲む。

 請負人(ワーカー)として長年、戦場に身を晒してきた彼らだからこその経験からくる悪寒。直感とも呼べる第六感が警告している。この先にはかなりの危険が待ち受けていると。

 仮想空間で気ままに遊んでいたミドナには決して身に付かない感覚だ。何も感じられなかったミドナは彼らの判断を待った。

 

「モンスターでも出たのか? 金級(ゴールド)の冒険者にあそこまで怯えるってことはないよな?」

「恐らく可能性は高いでしょう。ですが野盗の強さもピンキリです。人喰い大鬼(オーガ)巨人(ジャイアント)相手に逃げてきた可能性もあるのでは?」

「――それはあまり考えられない。あの人が胸に抱えていた武器は南方から伝わる『刀』。武器はその人の格を現す。つまり相当な手練れなはず」

「かなりヤバい化け物が出たってこと……?」

 

 イミーナの一言に四人は一週間前に起きた過去の記憶が蘇る。自分達が成す術も無く蹂躙される光景、悍ましい咆哮に狂気的とも感じられる残虐性。今でも悪夢によって再現されているこの記憶はまだ新しい。

 

 ――だからこそ、その時、誰が忽然と姿を現したのかを思い出す。

 

 四人はミドナに視線を送る。彼女ならば再び『奇跡』を起こしてくれるのではと希望を抱いてしまったが、ヘッケランは首を振った。

 

「……いや、冷静ではないな。あの時のバケモンみたいな可能性もある。幸いにも俺達はあの体験をして生きて帰ってこれた。ならその経験を生かすべきだろ。撤退するべきだ」

「野盗に囚われている人達はどうするのですか? 見捨てて帰ると言うのですか?」

「――正体不明のモンスターが出現しているのなら生きているかもわからない。助からなかった命だと考えるべき」

「……そうね。自分達の命に勝るものなんて無いし、気の毒かもしれないけど賢明な判断だと思うわ」

 

 ヘッケラン、アルシェ、イミーナの冷徹な判断に、ロバーデイクは苦渋の様相を見せる。理解しようと心の内で葛藤しているようだった。

 彼らはそこに自分達では到底太刀打ちできないような危険があると危惧しながらも火の中に飛び込むような愚者ではなかったということだ。請負人(ワーカー)として一流である事を証明させた決断であり、ここで歩を進める行為は真っ先に身を亡ぼすだけの蛮勇と嘲笑然るべき愚かな行動と言えただろう。

 

 ただ一人だけ、無言で彼らを見つめる森妖精(エルフ)がそこに居た。面をしているのでその表情までは伺えないが、どことなく悲壮な雰囲気を漂わせている。

 

「……本当に見捨てていいの?」

 

 その一言に顔を落としたのはロバーデイクだった。

 彼の性根は偽りのない善人なのだろう。無辜の民を救えない自分に憤りを感じているからこそ、その一言がより彼の胸の内を抉った。

 

「……まだ助けられる可能性もあるかもしれないわ。それなのに何もしないで帰るの?」

 

 表情こそ見えないが、寂しいという気持ちが声色で伝わってくる。

 

 ヘッケランとイミーナは知っているのだ。彼女の想いを。

 そして伝えてもあるのだ。チームの意向に従うようにとも。その意思を乱すようなミドナの発言に、ヘッケランは憤りを感じる。

 

「ミドナ、お前の力を信用していないとは言わない。だが不確定要素が多すぎるからこそ、次は助からないかもしれないと俺達は懸念したんだ」

「ええ、それにミドナでも勝てない相手だったらどうするの? 次はミドナまで死ぬかも知れないのよ?」

「――助けてもらった恩を忘れてはいない。でもこれとは話が別。チームの意思に従って欲しい」

「……帰りましょう、ミドナさん」

 

 そう言ってロバーデイクは手を差し出す。

 ミドナはその手を取らない。ただ、見つめているだけだった。

 

「……ここで帰って、私達は明日も笑い合えるの? 胸を張って生きていけるの? 答えて、ヘッケラン!」

 

 ミドナは真っすぐヘッケランを見据える。

 

 くだらない戯言だと、ヘッケランは苛立ちにも似た感情を抱いた。

 

 請負人(ワーカー)がどんな胸を張って生きろと言うんだ。もともと日陰者であり、どんなに名声を上げても英雄などと称賛されることはない。そんなに名声を上げて脚光を浴びたいのならば冒険者にでも成ればいい。

 

 強く握った拳をそのままに、ヘッケランは唇を噛みしめた。

 

 仕方がないではないか。己に勝る存在など世の中には五万といるのだ。全てを己がままにしてしまうのは一握りの存在だけだ。自分達は違う。請負人(ワーカー)としては上位に属しているのかもしれないが、世界的に見れば自分達など矮小な存在だ。だからこそ知恵を絞って生きてきたのだ。この判断は絶対に間違ってはいない――そう、強く言い聞かせた。

 

「……俺達は金で依頼されただけに過ぎない請負人(ワーカー)だ。今回の依頼は野盗の制圧及び囚われている人の救出であり、危険なモンスターの討伐ではない。それに自分達の命を投げ売ってまで誰かの命を救おうとは思わない。これが答えだ」

 

 嘘偽りのない当然の答えだ。自分達の命に勝るものなどはない。チームの仲間に対して命を掛ける行動ならまだしも、赤の他人に対して己の命を賭ける奴がどこの世界に居るというのだろうか。

 この言葉を笑って貶すような奴は、口だけの賢者か、本物の英雄、もしくは自己犠牲心の強い利己主義者(エゴイスト)くらいなものだろう。

 

 ヘッケランの返答にミドナは俯く。

 

「……皆も同じ考えなのね?」

 

 三人は沈黙で返す。

 

「……私は誰かが困っているのなら、手を差し伸べてあげたい」

 

 そう言って、ミドナは狐の面を外す。

 木々の隙間から漏れる月光が、ミドナのライトグリーンの瞳を艶やかに照らす。

 

「……皆は先に帰ってて――」

 

 

 そう告げると、ミドナは一人、森の中を歩いて行った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ちょっとミドナ! …………行っちゃったよ」

「……どうするんです?」

「知るか! 付き合いきれねえよ」

 

 ヘッケランは地面を蹴り上げる。どうにも腹の虫が収まらなかった。

 チームにとって最善だと思われる選択肢を提示してきた。潜在しているかもしれない危険に対し憂慮できた事は褒めて然るべき英断であり、ヘッケランは何一つとして判断を誤ってなどいない。

 誰もがそう理解しているし、リーダーとしてチームを引っ張ってきた彼を皆は信頼してくれている。

 ミドナの独断的な行動は連携に軋轢を生じさせる危険な行為であり、チームの規律が形骸化してしまう恐れがある。端的に言うと容易に許されるような問題ではないということだ。

 

「――何がミドナをあそこまで駆り立てている?」

「さーな。人助けが趣味なんじゃねえのか?」

「強者が弱者を救う姿勢は正しい行いだと思いますが?」

「チームの調和を乱してもか? あいつと組んでたら命が幾つあっても足りないだろうよ」

「……ミドナ」

 

 イミーナはミドナが歩いて行った方角を目で追った。

 

「本当に一人で行かせていいのですか? ヘッケラン」

「というか私は捕まってる人達よりも、ミドナの方が心配よ……」

「――何やらかすか分かったものではない」

 

「……はぁ」

 

 冷静ではないなと、ヘッケランは再び首を振る。

 この仕事をやり遂げられれば請負人(ワーカー)としてではなく、人として胸を張って生きて行けるのだろうか。この荒んだ心も晴れやかな気分になるのだろうか。ミドナの扇情的な行動はそう心に訴えかけてくるものがある。人の心を動かす何かがあるのかもしれないな、とヘッケランは俯瞰する。

 

 ミドナは決して利己的に動いているわけではない。それを承知しているからこそ、ここまで勝手な真似をされても自分達は憎めずにいるのだろう。

 全てはあの時、彼女を拾ってしまった事から始まった因果なのだろうか。いや、突然と姿を現した時にはもう運命の歯車は回っていたのかもしれない。

 

 ヘッケランは不服な態度でぶっきらぼうに言い放つ。

 

「しょうがねえなぁ……どうなっても知らないからな?」

「何かあったら、そんときゃ腹括るしかないわね」

「――私はできれば生きて帰りたいのだが……」

「信じてみましょう、アルシェ。彼女の力を」

「やっぱりあの女には一言ガツンと言ってやらねえと気が済まねぇな……」

「言っておやりなさい。私達の分も頼みますよ、リーダー」

 

 全く毎度毎度と世話の掛かる新人だと、ヘッケラン達はミドナの後を追った。

 しばらく走り続けると、こちらを向いてミドナが佇んでいた。耳が良いのだろう。自分達が近くまで来ていることを予め察知していた。

 

(……後ろから蹴り入れてやろうと思ったのに)

 

 そんな事をヘッケランは考える。

 呆気に取られたような顔も苛立たしい。しかし今は隠密行動中であり、怒鳴るわけにはいかなかった。

 

「勘違いするなよ? 俺達はお前がヘマをやらかさないか見張りに来たんだ」

「……いいの? 私の我儘に付き合ってくれるの?」

「一回だけだ! この一回だけお前を信じてやる! これから先、チームを組むに値するのかをこの目で見定めさせてもらうからな?」

「それにあんたを一人にしたら、何しでかすか分かったもんじゃないからね」

「素直に心配だったと言えばよろしいのではないですか……?」

「――私は何としてでも生きて帰りたい。だからミドナ、私達をしっかり守って欲しい」

 

 アルシェが右手を差し出す。出会った時とはまるで正反対だ。そんな不思議な状況に、ヘッケランは思わず笑い堪えた。

 

「…………ええ、アルシェ。任せてちょうだい」

 

 瞳の端に涙の雫を浮かべながら、ミドナはアルシェの手を取った。

 恥ずかしい奴め、全く……。そう思うと、やっぱり場を和ませたくなる男がそこにいた。

 

「それにあれだ。お前に貸した一週間分の生活費、しっかり返してもらうまで逃がさないからな?」

 

「そこなの?!」

 

「当たり前だ! 借りた金はしっかり返せよ?」

 

「ふふっ、そうね。ありがとね、ヘッケラン」

 

 五人の小さな笑い声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

「少し待って――」

 

 再び五人で歩き始めようとした時、ミドナは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から小さな布袋を取り出した。中に黄色い砂が入っており、それを辺りに振りまいた。

 

「それは?」

「簡単な消費型探知アイテムよ。一定時間内に付けられた足跡を可視化してくれるわ。これで逃げてきた人の足跡を辿りましょう」

「便利なアイテムだな」

飛行(フライ)の魔法や足跡を残さないような暗殺者(アサシン)相手には全く効果は無いわ。万能とは言い難いアイテムよ?」

 

 対人に置いて足跡などの形跡を残すようなプレイヤーはユグドラシルでは格好の獲物だ。PK(プレイヤー・キル)して下さいと自ら言ってるようなものだった。このアイテムはユグドラシルではモンスターを効率よく狩るために多くのプレイヤーが愛用していたものであり、対人(プレイヤー)を追跡するにはもっと上位の魔法や特別なアイテムを使用するのが基本だ。

 

 五人はそのまま男が残した足跡を辿り続ける。すると草や木の根で上手く隠匿されていたであろう穴が見つかった。ちょうど人一人が通れるような小さな空洞だ。

 

「足跡が増えてるわ。一つはさっきの男のものだけど……もう二つは別の方向に行ったみたいね」

「ここから出てきたってことか?」

「恐らくそうね。入っていく形跡は無いし、裏口みたいな隠し通路なのかもしれないわ」

「どうしますか? 二つの足跡を追ってみます?」

「いや、俺達は野盗に囚われてる人の救出に来たんだ」

「――間違いない。中に入ろう」

 

 天井の低い洞穴の中を進んでいくと、やがて人の手が加えられたと一目で分かる程度には整備された通路に出る。やがて松明で灯された大きな広間に出た五人の視界の先には、地獄のような惨状が広がっていた。

 

 そこには人間だと思われる死体が幾つも転がっていた。余りの悲惨な殺され方に人の形状をほとんど保っておらず、すぐには人間だと判別できない状態だった。

 ある者は臓物を引きずり出され、ある者は頭蓋骨を砕かれ脳漿を床に飛び散らせ、ある者は血液を吸い尽くされたのかカラカラに干からびている。その死体は慈悲などという甘い言葉は微塵も感じられない惨状であり、薄暗い広間には死臭がどんよりと漂っていた。

 

「こ、こりゃ一体……ここで何が起きたってんだ?」

「腐敗臭はしてませんし、まだ死体は新しいようですね。それにしても酷い……残虐的な殺し方です」

「――大きな口で齧られたような跡がある。モンスターの可能性が高い」

「大口のモンスターってこと……? でもこっちの死体は干からびてるけど?」

「足跡は二つだったんだろ? 別々のモンスターが共闘した可能性もあるか……となると知能が高いな」

 

 血を吸われている事からモンスターの片割れは吸血鬼(ヴァンパイア)の可能性があるとヘッケランが考えていると、広間の入り口で口元を抑えて狼狽えているミドナの姿が目に入った。

 

「――ああぁあぁあ人が人が人が人が人がううぅ……うっ……」

 

 よろよろと後ずさり、どこからか取り出した水差しをそのまま口に持っていく。口元から零れる水など意も介さず、溺れるように水を煽ったミドナは大きくむせ返った。

 

「……うぅ、ごめ……なさ…うっ……」

「お、おい! しっかりしろ! 大丈夫か!」

 

 胃の中からこみ上げてくる物をミドナは必死に押し留める。洞窟内に篭る死体臭がミドナの嗅覚を刺激する。残虐な惨状と異臭によってミドナの精神は極限にまで蝕まれていた。

 

「た、たすけなきゃ……うぅ……」

 

 よろめきながら一人の死体に近づき両手を翳す。その手をヘッケランが咄嗟に掴んだ。

 

「待て、ミドナ! 何をしようとしている?」

「なにって……そせいにきまっ……てるでしょ……うっ……」

「――待て待て待て! いいから待て! 今、蘇生って言ったか? 蘇生魔法が使えるのか?」

「――蘇生……魔法……?」

 

 ミドナの発言に四人は目を見開き瞠目する。信じられない台詞を聞いてしまったので、もう一度お聞きしてもよろしいですかと尋ねたい気分になったが、返ってくる言葉はきっと同じだろうと悟る。

 何をするのかと思えば突然と蘇生魔法を行使しようとするミドナの手をヘッケランは無理やり挙げさせた。

 

「とりあえず待ってくれ! 落ち着けミドナ、少し待て!」

「そうよミドナ! 早まらないで! もう一度水を飲みましょう? ね? 落ち着いて!」

「……な、なにを……うっ――」

 

 イミーナが無理やりミドナの口元に水差しを運ぶ。もはや頭から水を被せた方が良いと思われたが、水差しの中身は水滴が滴るほどの冷水のようなのでイミーナは思い留まった。

 

「その蘇生魔法は第何位階なんだ? ……い、いや、今はそれどころじゃないか……えっと、蘇生魔法ってつまり人が蘇るんだよな……? 蘇らせた場合、そいつの体は奇麗に元通りになるのか?」

「……わから、ない、こっちに、きてからまだ……つかったことはない……わ」

「……とりあえずロバー、ミドナの精神を安定させてくれ」

「え、ええ……〈獅子の如き心〉(ライオンズ・ハート)

 

 ロバーデイクの魔法によって落ち着きを取り戻したミドナは飲み過ぎた水を吐き出すように咳き込んだ。

 

「……た、助かったわロバー。ありがとね」

「いえ、構いません。死体を見るのは初めてだったという事ですか?」

「……そうね、グロ系は免疫無くてキツいわ。それより蘇生しちゃ不味いのかしら……?」

「不味いってそりゃ……不味いよな?」

 

 蘇生魔法を行使できる人間をヘッケランは一人しか知らない。王国のアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇のリーダーである神官が行使できると噂で聞いたことがあるが、それ以外には誰一人としてヘッケランは知らない。

 

「例え奇麗元通りに生き返らせられるとして、記憶はどうなるんだ? こいつら野盗だよな? モンスターに殺された記憶が残っていた場合、蘇生された事を自覚しなかったとしても自分が生きていることを不審に思うんじゃないか?」

「どうなんでしょう……全員生き返らせれば夢オチだったと思ってくれは……しませんよね」

「――この人達を生き返らせるのは得策とは言えない気がする。彼らは人里離れたこの場所で悪事を働きモンスターに襲われた。因果応報とも言える」

「……そうね。蘇生させた場合、間違いなく面倒事に巻き込まれるわよ? 生き返らせるなら依頼主の関係者だけにするべきじゃない? 感謝の鎖で縛りつけて黙っててくれないかしら?」

「――ミドナなら記憶も操ってしまいそうだけど?」

「……そういう魔法も確かに存在するわ。でも私は精神系魔法を習得していないの。残念ながら使えないわ」

「だとしたら野盗の蘇生は賛成できないぜ? 蘇生魔法を使える人間が居るって情報を喜んで売るような奴らだと思うぞ」

「で、でもあまりに不憫よこれじゃ……可哀想じゃない……」

「――この人達を蘇生させた場合、また無関係な人達が襲われる可能性だってある」

「そうよミドナ。そうなったら間接的にミドナが人攫いの手助けをしたことになるのよ?」

「彼らは然るべき報いを受けたという事なのでしょう。残忍な殺され方ではありますが……」

「……そう。なら囚われている人を探さないと」

「――向こうに暖簾が掛かってる、奥につながる道があるみたい」

 

 アルシェが指差す方向には、入り口に続く洞窟とは別の空洞があるようだった。簡易的な寝処になっている小さな広間には、人間の女性の死体が四肢をもがれて乱雑に転がっていた。頭部や腕や脚などの数から推測すると四人分くらいの死体の数だ。女性たちの衣服が見当たらないところを察するに、恐らくここに囚われていたのだろう。

 

「……こりゃひでえな」

「どれが依頼主の娘なわけ? 誰が誰だかわからないわよこれじゃ」

「どの部位に魔法を掛ければ、その人が蘇るのでしょうか……?」

「――頭部ではないかと予想する。間違ってたらごめん」

「彼女達は蘇生させても問題はないわよね?」

「……どうだろうか。でも彼女らは野盗達に姦わされて憔悴しきってた所をモンスターに殺されたって仮定した場合、死んだことにも気が付かないであの世に行っちまったとも考えられないか?」

「死んだときの記憶が曖昧であれば、自分達が蘇生された事すら気が付かないってこと? 物凄い希望的観測ね」

「――やってみる価値はある。そもそもミドナが蘇生魔法についてよく知らないみたいだから、実験的な意味合いでもやってみるべき」

「実験って……結構酷い事をさらっと言うわね、アルシェ」

「――私は現実を見ているだけ。夢は見ない主義」

「……そう。それじゃ、蘇生させるわよ?」

 

 ミドナは四人が賛同するのを確認し、死体の頭部に手を翳す――そして一つの懸念が頭を過った。

 

「……この子たちのレベルっていくつなのかしら?」

「レベル? レベルってなんだ?」

「……質問するわ。野盗の人達は誰かが蘇生させない限り、絶対に生き返ることは無いのかしら?」

「……何言っているんだ? 当たり前だろ」

「その人がどれだけ強くても?」

「さぁ……逆にミドナは蘇生魔法が無くても生き返るのか……?」

「……そうよね。多分だけど生き返らないわ」

「……?」

 

 意味不明だと言いたげな表情を作る四人を一瞥し、ミドナはユグドラシルの仕様について思い返す。

 

 ユグドラシルではプレイヤーのHP(ヒット・ポイント)が〇になった場合、気絶という状態が三十秒間続く。気絶した場所に留まり続け、そのままカウントが過ぎた場合は街などで復活するのだ。気絶した状態時に蘇生魔法を掛けると、そのプレイヤーは復活するシステムだ。

 プレイヤーは気絶状態から蘇生されると、行使された蘇生魔法の階位と己のレベルの高さによって経験値消費(デスペナルティ)の量が上下する。カウントが過ぎて街に戻ると、より多くの経験値消費(デスペナルティ)が発生する。

 

(確か低レベルの場合は蘇生魔法を掛ける意味すらなかったはず……ある程度のレベルまで上げない限り、デスペナは発生しなかったんだから……)

 

 例えば三レベルのプレイヤーに蘇生魔法を使った場合は意味も無く蘇生の代償として経験値消費(デスペナルティ)を課してしまうため、低レベルのプレイヤーが気絶した場合は街に戻るのが基本だった。しかしこの世界には気絶も街戻りも存在しない。HP(ヒットポイント)が〇になった瞬間に死亡だ。

 

 蘇生魔法もMP(マジックポイント)があれば無制限に使えるわけではない。魔法の階位によって金額は変わるが金貨を消費する。MP(マジックポイント)を消費している分、短杖(ワンド)(スタッフ)を購入する金額よりは安く済むとは言え、それでも高位の蘇生魔法は多大な金貨を消費するのだ。

 

(ユグドラシル金貨で蘇生できるなら、別にそれは構わないけど……もし蘇生による経験値の消費が本人の保有する経験値を上回ってしまった場合はどうなるのかしら……その階位魔法では『生き返らない』で終わってくれればいいけど、もしそうではなかったら……)

 

 ミドナは女の死体から目を離し、ヘッケランに向き直る。

 

「この子たちを生き返らせるのには、恐らく低位の蘇生魔法では生き返らない可能性がある。第九位階魔法〈真なる癒し〉(トゥルー・リザレクション)を使う許可が欲しいわ」

 

 それを聞いたヘッケランは思わず額に手を伸ばす。第三位階魔法どころの話では無くなったことに、強烈な頭痛と眩暈に襲われた。

 他の三人も同じような反応を見せる。

 第九位階という言葉に、一気に疲労してしまったヘッケランは草臥れた様子で質問した。

 

「一応聞かせてくれ……なぜその魔法なんだ?」

「経験値消費を極力抑えるため……ね。低位の蘇生魔法だと蘇らない可能性があるわ。あくまで私の憶測だけど……」

「ああ、そうかい……まぁこれは有事の際だし仕方が無いか。いいよな、皆?」

 

 全員で顔を見合わせ、頷いた。

 

「よし、やっちまえ」

「わかったわ――」

 

 ミドナが翳した手に白い魔法陣が形成される。すぐに魔法の効果が発動し、洞窟の上空に天使が出現すると翼を大きく広げた。すると役目は終えたと言わんばかりに、天使は光の粒となって消えていった。

 天使の姿に見惚れていた四人は、無残な姿だった死体が目を離した隙に本来の美しい女性の姿に戻っていた事に感嘆の言葉を口々にする。

 

「凄いなこりゃ……まるで魔法だ」

「いや、魔法でしょ。何言ってんのよ、ヘッケラン」

「本当に生き返っているのですか……?」

「恐らく……アルシェ、脈があるか確認してみてくれる?」

「――了解した…………大丈夫。ちゃんと生き返ってる」

「よかった。ならあと三人分ね」

 

 次の死体に手を翳し蘇生魔法を行使する。消費金貨は一人につきユグドラシル金貨一万枚だ。これは〈真なる癒し〉(トゥルー・リザレクション)で蘇生させた場合に消費する金貨においては最低額であり、高レベルのプレイヤーを蘇生させる場合はより高額になる。

 

(この依頼の成功報酬が概ね三百金貨だから、物凄い赤字ね……)

 

 合計四万枚の金貨がミドナの財布から消え去った頃、そこには四人の女性が全裸で寝転がっているという摩訶不思議な光景が広がっていた。

 

「……流石にこのまま持っては帰れないわね」

「あんまり見るんじゃないわよ、ヘッケラン!」

「ばっか、お前! 仕事中だぞ! 弁えてますとも」

「衣類は持ち合わせていないので、とりあえず馬車まではこの姿で我慢してもらいましょう。アルシェ、お願いします」

「――わかった」

 

 アルシェは一本の巻物(スクロール)をポーチから取り出す。この依頼のために購入した魔法の巻物(スクロール)であり、付与されている魔法は浮遊する板(フローティング・ボード)だ。

 アルシェは巻物(スクロール)の魔法を発動させると半透明の板を空中に出現させ、そこに眠っている彼女達を乗せて布を被せた。

 

「さて、ここからが問題だ。外には野盗達を殺し尽くしたモンスターがいるはずだよな?」

「――馬車まで戻って、エ・ランテルまで行くのは危険?」

「間違いなく危険でしょう。それに保護できたのは女性だけです。他の方はどこにいるのでしょうか?」

「……多分、洞窟内にはいないでしょ。殺されてどこかに埋められてる可能性のが高いと思うわ」

「……まぁ、そうだよな。洞窟内にほっといたら腐っちまうし……なら諦めてもらうしかないか」

「――それなら帝国まで一直線に帰還するべき。まずは私達の身の安全を考えて、彼女達の事はその後で考えよう」

「……そうだな。なら馬車まで彼女達を運搬しよう」

 

 話が決まったところに、ミドナが横から発言する。

 

「――待って。モンスターの正体を突き止めておきたいんだけど、チームを分けられないかしら?」

「……どういうことだ?」

「そうね……」

 

 ミドナは四本の巻物(スクロール)とクラッカーの形をしたアイテムを二つ取り出す。

 

「この巻物(スクロール)に今から篭める魔法は〈伝言〉(メッセージ)よ。これで離れていても意思の疎通が可能になるわ。このマジックアイテムは下の紐を抜くと上空に光球が打ちあがるから、それが信号になって自分の居場所を仲間に伝える事ができるアイテムよ。彼女達を馬車まで運搬するチームと、モンスターを探すチームに分けましょう」

「戦力を二つに分けるのは危険じゃないか?」

「だからこそこのアイテムで緊急時は知らせてくれってことでしょ? でもお互いの居場所が遠かったら手遅れになるけど?」

「私は転移魔法が使えるから、何かあったらすぐに飛んでいくわ」

「て、転移魔法……?」

 

 一々驚くのも疲れてきたので敢えてここは脳死することにした。虚栄を張らない普段の彼女の姿を見ていると、超ド級の魔法詠唱者だという事を忘れがちになってしまうのだ。

 

「すぐに対応してくれるならいいけど……でもモンスターの退治なんて依頼されてないし、今やるべきことではないと思うけど?」

「倒せそうなら倒してしまいたいけど、無理そうなら戦わないわ。私は補助職だから、戦闘手段をほとんど持っていないの。だからこそ、どんなモンスターなのか把握しておきたいのよ」

「――どうする、リーダー?」

 

 特に有力な反対意見が出なかったので、四人はヘッケランの答えを待った。

 

「……まぁミドナの言う事も一理ある。それに王国の冒険者も気掛かりだ。ならミドナと俺で周辺を見て回るから、三人で馬車まで行ってくれ。巻物(スクロール)とアイテムはお互いに持っておこう」

「馬車まで無事に辿り着いたら〈伝言〉(メッセージ)を送ればいい?」

「そうだ、何かあったらすぐに連絡してくれ」

「――了解、そっちも気を付けて」

 

「んじゃ、最後の仕事と行きますか――」

 

 パチンと手を合わせたヘッケランは、野盗の洞窟を後にした。

 

 

 

 

 

 

 二手に分かれたヘッケランとミドナは周辺を捜索していく。

 ミドナは探知用のアイテムを再び使用したが、洞窟内で時間を掛け過ぎたために足跡が消えていた。

 

「この洞窟に入る前に見た足跡はここから北に向かっていたわよね?」

「そうだったな、行ってみるか」

 

 まっすぐ森の中を走り続けると平原に出てしまった。しかし二人の視界の先には、洞窟内で見た惨状と似たような光景が広がっていた。

 

 またもや人間が殺されている。平原に転がる死体の数々にミドナは体を震わせる。

 

「なんてこと……」

「これは……プレートを付けているから王国の冒険者だな。間に合わなかったか……」

 

 死体を数えてみると六人ほどだろうか。ただ一人だけ人の姿を保ったまま奇麗な姿で転がっている女性の姿が目に入った。赤い髪をした、どことなく活発そうな女性だ。

 

「この人は……生きているわ」

「起こして何があったのか聞いてみるか?」

「そうね……でも先にこの人達を蘇生してあげたいんだけど」

「――待て! 頼むから待ってくれ……」

 

 ヘッケランは慌ててミドナを抑止する。毎度の如く自分ばかりが頭を悩ませていることに不平を喚きたくなったが、ここは忍耐するべきだと不満は後回しにして思考を切り替える。

 

 ここで死んでいるのは冒険者であり、モンスターに殺されたのは間違いないだろう。まだ自分達は蘇生された者の記憶がどのような状態になっているのかについて確証を得られていない。死の直前にモンスターに殺されたと自覚していたら厄介だ。そんな者達を蘇生させてしまったら、目を覚ました彼らは己が生きていることを絶対に不審がるだろう。

 

「……危険だ。蘇生させた場合に生じるデメリットのが遥かに大きい。その力はなるべく隠しておきたいんだ。必ず面倒事に巻き込まれるし、騒ぎになるのは明らかだからな」

「で、でも……この人達は何も悪い事をしていないのよ? 冒険者は人々を守る良い人達なんでしょう?」

「だとしてもだ。冒険者と言えどモンスターの命を奪っているんだぞ? その冒険者がモンスターに殺されるのは、ある意味仕方がないとさえ言えるんだ」

「そんな……同じ人間種じゃない……お願いよ、ヘッケラン。この人達を救えるのは私しかいないのよ……?」

「モンスターに命を奪われる冒険者は何もこいつらだけじゃない! お前はそんな人達の全てを救おうとでも言うのか?」

「……私は見て見ぬフリをしたくないだけ。助けを求めているのなら、その手を取ってあげたいの……」

「モンスターだってこいつらを殺さないと自分が殺されるんだ。その理屈だとモンスターも助けないと筋が通らないことになるが?」

「……わかんないよ、何が正しい行いなのかなんて……ただ私は信念を貫きたいだけ。やらない後悔はしたくないの」

「……堂々巡りだな」

 

 はぁ……とヘッケランは息を漏らす。

 周囲を伺ってみるが他に人が居る気配は感じられない。

 ミドナがここで蘇生魔法を行使し、この寝ている女性だけを起こした場合、死んだ仲間が生き返っている姿を見たら何を思うんだろうか。こちらが何かをしたと考えてしまうのが道理だろう。

 

 しかし自分達は面をしていて誰にも素顔までは見られていない。この依頼を受けた自分達は帝国でも非公式であり、その素性を暴くのは容易ではないはずだ。依頼主であるグラン家の者が口外しなければの話だが……。

 

 ヘッケランは自分達が厄介事に晒される危険性とミドナの想いを頭の中で天秤に掛ける。

 自分達もミドナに救われた口だ。そう思うと、無碍に否定することはできなかった。

 

「……なんとかなるのかね。だが、これっきりにしてくれよ? 俺達は慈善団体じゃないんだからな?」

「……そうね。なるべくそうするわ」

「あんまり信用ならねぇなぁ……まぁいいや。やっちまえよ」

「――ありがとう、ヘッケラン!」

 

 ミドナは蘇生魔法を発動させる。ただしヘッケランが先ほど洞窟内で見た第九位階魔法<真なる癒し>(トゥルー・リザレクション)とは異なる魔法のようだった。

 装備こそ破壊されているものの、その冒険者達の姿は洞窟内での光景と同じように奇麗さっぱり元通りに蘇生された。

 

「よかった。この階位魔法でも蘇生できるのね」

「第九位階の魔法とは違ったようだが?」

「ええ。一段下げた蘇生魔法を使ったわ。彼らは冒険者だから、経験値を多く保有していると思ったの。それより早く彼女を起こして話を聞きましょう」

 

 そうかい、とヘッケランは頷き、寝ている女の肩を揺さぶる。やがて彼女の瞼がゆっくりと見開かると、体に電流が走ったかのように突然と上体を起き上がらせた。

 

「――ひ、ひいいいい!! やてえぇぇ! 殺さないでえぇぇ!」

「――っうお! ビックリした!」

「だ、誰よあんたたち! さっきの化け物の仲間?! や、やめてよ……お願いだから……」

 

 女の冒険者の慌て方を察するに、恐らく殺される直前だったのだろう。何らかの理由があって、彼女だけは見逃されたようだ。

 彼女は慌てながらも周囲を見回すと、死んだ仲間が生き返っている事に気付いたようで、頭を抱えながら動揺していた。

 

「……えぇ? 何これ? どうなってるの? まさか、夢?! なわけないわよね? なにこれ……」

「……察しがいいな。もちろん夢だ。お前達は悪夢を見ていたんだ……いいな?」

「――え? で、でも……」

 

 バラバラに破壊されている彼らの装備に彼女は注目したようだった。流石に夢だと言い切るには無理があったようだ。しかし夢で通さなければならないと思ったヘッケランは強引に話を進める。

 

「お前が見ていた夢の内容を聞かせてくれないか? 俺達はそれが知りたいんだ」

「……あんたたち何者? エ・ランテルの冒険者じゃないわよね?」

「……質問に答えてもらおうか? こう見えても忙しい身なんだ。話をしたくないと言うのなら、その体に直接聞いてみることになるが――」

 

 ヘッケランは腰に携えた剣に手を伸ばし、静かに殺気を放つ。

 少し前に死の恐怖を体験した人を脅すような真似はしたくはなかったが、今は一刻を争う場面だ。致し方がないと心の中で謝罪を入れる。

 

「は、話すわ! 話すから手荒なことはやめて!」

「よし、わかった。こちらも正直に話してくれるなら何もしない。それで、どんなモンスターに襲われていたんだ?」

「……吸血鬼(ヴァンパイア)よ。それも普通の吸血鬼(ヴァンパイア)じゃなかった。こちらの銀武器が全く効かなくて……凶悪な大口をした…………あれ? でも……」

「……どうした? 大口をした?」

「……可憐な女の子の姿が記憶にあるわ。彼女も吸血鬼(ヴァンパイア)だったのかしら……」

「二体目ってことか?」

「……どうだろう。そこまで覚えていない。ただ、綺麗な女の子だったわ。この世の者とは思えない絶世の美少女で……ボールガウンのような美しいドレスを纏っていたわ」

「……吸血鬼(ヴァンパイア)にドレスのモンスターねぇ。どうだ? 心当たりあるか?」

 

 ヘッケランは黙って聞いているミドナに質問する。腕を組みながら逡巡しているミドナは、首を横に傾げた。

 

「さぁ……吸血鬼(ヴァンパイア)もお洒落をする時代なのかしら?」

「何言ってんだ……? まぁいい。それでなんでお前だけ生きてたんだ?」

「――え? なんでって……あっ! そうだった、赤色のポーションを投げたら、急に動きを止めたの」

「……赤色のポーション? 青じゃなくてか?」

「私も詳しくは知らないけど、エ・ランテルで新しく冒険者になった人から貰ったのよ」

「赤色のポーションねぇ……どうだ? 何か知ってるか?」

 

 再びミドナに聞いてみると、先ほどとは違って若干の動揺が見受けられた。面をしているのでその内情までは読めなかったが、一週間という短い時間だが共に過ごしたヘッケランだからこそ分かる程度の小さな動揺だ。

 何か思い当たる節があるのかと思い、再びミドナに質問する。

 

「……おい? 何か問題があるのか?」

「……い、いえ、なんでもないわ。いや、なんでもあるわね……そ、その、ポーションは普通は青色よね?」

「あ、ああ……そうだが?」

「そうよね……いや、まさか……」

 

 不思議な挙動を察するにミドナは何かを知っているようだった。自分以外にもここには冒険者が居るので話せない内容なのか、もしくは自分にも話せない内容なのかは不明だったが、とりあえず現時点では喋る気は無いようだった。

 

「……その吸血鬼(ヴァンパイア)はどこに行ったか分かりますか?」

「え? い、いや、わからないわ」

「……そう」

 

 何かを探す様にミドナは周囲を見渡した。

 

「申し訳ないけど、あなたは先に馬車に戻ってて。私は奥の森を少しだけ見てくるわ」

「――お、おい!」

「すぐ戻るから、絶対に付いてきては駄目よ! 何かあったらすぐに〈伝言〉(メッセージ)で教えてちょうだい!」

 

 そう言ってミドナは森の中へと走り去って行った。

 

「……なんだってんだよ一体――」

「――ん……? こ、こわ……?」

「あ……」

 

 どうやら蘇生された冒険者の一人が目を覚ましたようだった。

 

「な、なん、だ……? ここは、しごのせ、かいか?」

「……ちょうどいいや。お前に一つ質問したい」

 

 よろよろと上体を起き上がらせた男にヘッケランは言葉を投げかける。

 

「お前が寝ていた前の記憶を教えてくれないか?」

「ま、まえのきお、く……? あ、あああ!!!」

 

 急に頭を抱えて地面に縋りつくようにうずくまる男にヘッケランは動揺を隠しきれない。

 

「……だ、大丈夫か? 安心しろ。もう化け物はいねえよ。お前達は悪い夢を見ていたんだ」

「……ゆ、ゆめ? ゆめなは、ずが……」

「――夢だ。誰が何を言おうと夢なんだ。それで夢の最後はどんな状況だったか覚えているか?」

「……え、さいご……って、お、れはばけ、もんにかまれて……ころされ……たんだ」

「……ふむ」

 

 どうやら殺される前までの記憶はしっかり残っているようだ。 

 厄介だな……。とヘッケランは今後の事態を懸念する。

 記憶が残っている以上、この冒険者達と長く居続けるのは危険だろう。余りこちらの情報を与えるわけにはいかなかったので、ヘッケランはこの場を立ち去ろうとする。

 

「……ま、まって、くれ。なぜお、れはいき、ている?」

「だから夢を見ていたと言ってんだろ?」

「……嘘よ。私は彼らが殺されているところも記憶に残っているのよ! あんたたちが何かしたんじゃないの?!」

 

 はぁ、と溜息を一つ吐く。面倒事になる予感しかしないのは、きっとヘッケランの気のせいでは無いだろう。

 

「さぁな。俺は悪夢を見ていたとしか言えないが……まぁ、そうじゃないと思うんだったら――」

 

 

「――どっかの女神様のお恵みでも賜ったんじゃねえのか?」

 

 

 その言葉を残し、ヘッケランは馬車へと走り出した。

 

 

 

 Chapter4 end




早くナザリックに行きたい。


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Chapter 5

前回のあらすじ

野盗に囚われた女性を蘇生させ、吸血鬼に殺された冒険者も蘇生させたミドナは、「赤いポーション」という女の冒険者から出た言葉に疑念を抱いて奥に続く森へと走り出した。


 

エ・ランテル辺境の森の中に十二人の男女がいた。

 

 在る者は樹木に体を預け、在る者は呆然と面前を眺め、在る者は丁寧に地に伏せられ、また在る者は地に伏せてられた人物に手を翳し魔法を詠唱している。

 各々の表情は疎らではあるが、その背中からは隠しきれない悲壮感を漂わせていた。

 

「ダメです隊長。第八席次と第九席次は既に死亡しております……」

 

 信仰系魔法詠唱者である女の手には仲間の血がべっとりと付着していた。普段は美しいであろう彼女の長く伸びた金髪の毛先にも、今は血で赤く斑に染まっていた。

 青褪めた顔色に緊張が走る。彼女は地に伏せられた人間の生死を報告すると、隊長と呼ばれた男が黙祷するかように瞼を閉じた。

 

「……カイレ様の様態は?」

「重症ではございますが一命は取り留めております。『傾城傾国』(ケイ・セイ・コウク)も特に外傷など見受けられません」

「……そうか、御苦労だった第四席次。死体は本国に持ち帰り復活の儀式を挙げて頂くので丁重に運べ」

 

 つい先刻に吸血鬼(ヴァンパイア)の強襲を受けた彼らは、隊員の内二名が死亡、護衛対象の人物が重症の怪我を負うという甚大な被害を被っていた。

 『破滅の竜王』(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活が懸念されて出撃したまでは良かったが、不幸な遭遇戦によってその足並みは止められていた。

 

「撤退する他ないか」

「あの吸血鬼(ヴァンパイア)は放置するんですか?」

「精神を完全に支配できていないから致し方ないだろう。また暴れられても被害が増すだけだ」

「エドガールの捕縛も効きませんでしたし……糞ッ!」

「名で呼ばないで第六席次。任務中よ」

「す、すまん第七席次……」

「カイレ様ももう少し粘ってくれれば十分に力を発揮できたのにねぇ」

「不敬だぞ第二席次。守り切れなかった我々にこそ落ち度があるのだ」

「はいはい、気を付けますよ、第十席次さん。それで吸血鬼(ヴァンパイア)の追撃はもう終わりかい、第十一席次さん?」

「……はい。あの二体の吸血鬼(ヴァンパイア)が最後だったようです。周囲に張り巡らせている探知魔法に反応はありません」

「んじゃカイレ様もあの様子だし、さっさとお国に帰りましょうか、隊長?」

「……ああ、そうだな。各員、撤退の準備に取り掛かれ」

 

 随分と早い帰還だな……と誰かが小さく呟き、仲間の死体を安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)に包もうとした瞬間――どこからか見知らぬ声が聞こえてきた。

 

 

「――大丈夫ですか?! 」

 

 

 

 

 平原で倒れていた女の冒険者の口から出た『赤色のポーション』という言葉に疑念を抱いたミドナは、奥に続く森へと走り出す。

 赤のポーションはユグドラシルで使われていたポーションの色であり、この世界の一般的なポーションは青色だと聞いていた。

 

(ユグドラシルのポーションを投げたから吸血鬼(ヴァンパイア)があの人の命を取らなかったのよね? なぜ……? 偶然? いや、まず絶対にユグドラシル産とは限らないわよね? あの人は王国で新しく冒険者になった人から貰ったと言っていた。それならその冒険者は遠い異国の国から来たと仮定して、その国のポーションは赤色だとも考えられる……?)

 

 その確率は低そうだなとミドナは考え直す。

 

(それよりは私の他にもこの世界にユグドラシルのプレイヤーが転生したと考えたほうが自然? 最近冒険者になったばかりなら、転生した時期は私と被っている……私以外にもこの世界にプレイヤーが……? いや、例えそうだったとしても、王国で冒険者をしているなら人間種よね? 経緯は知らないけど現地の人にポーションを渡している事を考慮すれば良い人だと予想できる。なら吸血鬼(ヴァンパイア)と関連していないと言い……切れない? うーん……)

 

 思考の渦の中で溺れてしまったようだ。考えを整理するためにも、今現在、直面している問題についてミドナは考える。

 

(その吸血鬼(ヴァンパイア)がプレイヤーなのかってことだけど……ありえないわよね? だって中身は人間なのよね? 絶対にありえないわ。人が人に齧り付いて殺すなんて考えられない。もしプレイヤーだったら常軌を逸しているわ……)

 

 あまり考えたくはないが人肉嗜食のような思想の持ち主だったらあり得る事なのかもしれないが、そんな大昔のカニバリズムが現代社会のましてや日本に残っているとは思えなかったので、吸血鬼(ヴァンパイア)はこの世界に元から存在していたモンスターだとミドナは断定する。

 

(問題はその吸血鬼(ヴァンパイア)の数と個体の強さね。この世界の水準を考えるならレベルは差ほど高くはないと思えるけど……もし百レベル級の強さだったら? ……いや、倒せないだろうけど、易々と殺されたりはしないはず……よね? 大丈夫よね? 私戦えるよね……?)

 

 ミドナは現実(リアル)で誰かと格闘したことなど一度も無い。せいぜい幼少時代に他の子供と喧嘩したことがある程度だ。それも記憶に残っている限りでは口喧嘩だ。誰かを殴ったことなど一度も無い。この体が本当にゲームのように動いてくれるのかと疑問を抱く。

 

(自信ないわ……そもそも上限が百レベルとは限らないし……でも吸血鬼(ヴァンパイア)を止めないと他の誰かが犠牲になってしまうし……私がやるしかない……?)

 

 そう思ったら今するべき事が自然と頭に入ってきた。

 魔法詠唱者が戦闘を行う前にしなければならない事。それは自身を強化する魔法を唱えること。

 ミドナは自己補助魔法を詠唱する。

 

「〈ダーナの祝福〉〈エルピスの防壁〉〈ニーケの魔防結界〉」

 

 ユグドラシルで狩場に出掛ける際に愛用していた魔法を発動させる。能力値(ステータス)上昇、物理攻撃のダメージカット、魔法攻撃のダメージカットの効果を持つ神聖補助魔法だ。

 

「姿も消しておいた方がいいわよね……?〈完全不可知化〉(パーフェクト・アンノウアブル)

 

 ミドナの姿が魔法によって透明化される。

 

 高位の探知魔法や上位職の特殊な能力で看破されない限り、まず身の安全はこれで約束されただろう。透明化を発動させている間は他の魔法が使えないが、まずは武装などを観察して敵の強さを推測しなければならない。透明化していれば先手を取られてしまう可能性も減るだろう。

 

「六十レベルくらいだったら私でも倒せるのかしら……? まぁいいわ。無理そうなら王国で新しく冒険者になった人がプレイヤーだったら、頼んで一緒に戦ってもらいましょう」

 

 ミドナ個人の強さはユグドラシルの中で最弱を誇る魔法詠唱者だ。仲間を守る事を第一に考え組まれた職業構成であり、自ら唱える事ができる攻撃魔法は第六位階の神聖魔法がミドナの最大威力を誇る矛である。つまり自らが戦う事を一切と想定していない。

 しかし逆に強いプレイヤーが味方にいればミドナの存在感は一気に膨れ上がる。それは守る対象が多ければ多いほど、相手に人数差を付けられようと打開できる守護力を有しているのだ。

 

 以上の事柄を頭に入れてミドナは森の中を探索する。タイムリミットはヘッケランが馬車に戻るまでの僅かな時間しか猶予がない。

 そう思いながら走っていると、森の奥に人間の姿がミドナの視界に映り込んだ。

 人間の数を数えてみると十二人。その者達の武装を目にしたミドナは、やはり、と心の中で呟いた。

 

(……ユグドラシルプレイヤーよね? 日本の女子高生みたいなアバターの人もいるし、どれも伝説級(レジェンド)並の装備にも見えるわ。私以外にもこの世界にプレイヤーが来ていたなんて……)

 

 そう考えると、どことなく気分が舞い上がる。だとすればミドナが所属していたギルド『INFINITY』(インフィニティ)のメンバーもこちらの世界に来ている可能性も考えられる。

 

(最後までログインしていたプレイヤー全員がこちらに来ているなら望みはある。エドワードさんにあの時の事を謝りたい……でも礼儀知らずだった私を許してくれるだろうか……いや、まずは謝罪するところからよね。ちゃんと謝って、フォーサイトの皆を紹介して大勢でこの世界を旅してみるのも面白そう!)

 

 心の内で花火を打ち上げていると、彼らに動きがあった。

 挨拶しに行くべきだろうか。そう迷っていると、一人の人間が大きな袋のような物を取り出した。その袋の中に地面に伏している人間を包み込んでいく。

 

 その時初めてミドナは、伏している二人の人間が負傷――もしくは死亡している事に気が付いた。

 

(胸に大きな傷を負ってる……? まさか吸血鬼(ヴァンパイア)と戦ったの? 負傷しながらも勝利を収めたって考えていいのかしら……いや、他に生きている人がいるのだから、討伐したって考えてもいいはずよね。だとしたら向こうで寝ているチャイナドレスのアバターの人も負傷している……?)

 

 彼らの武装を見比べてみると、一人だけ信仰系魔法詠唱者の様相をした女性がいる。彼女では治せなかったのだろうか。

 

  知らないプレイヤーだろうが、中身は人間であり、同じ異世界に飛ばされた同志である。仮想空間が現実になってしまい、胸に大きな傷を負ったらどんな気持ちになるのだろう。いや、痛いに決まっている。想像を絶する激痛に襲われているのではないだろうか。

 

 

 ――そう思うと、居てもたってもいられなかった。

 

 

 

 

 聞き慣れない女の声が突如と付近から聞こえだし、こちらに向かって走ってくる姿が見えてくる。

 暗褐色のローブとフードで身を包み、狐の面をしたどことなく怪しげな存在に、隊長と呼ばれていた男が横の隊員に小さく呟く。

 

「……探知魔法を張り巡らせているのではなかったのか?」

「た、只今感知しました……何か特別な魔道具を持ち合わせている可能性があります」

「……まぁいい」

 

 隊長はこちらに走ってくる女を油断なく見据え、十分に引き付けた瞬間――疾風の速さで間合いに入り込み女の腹を蹴り上げた。

 

 手応えは十分だった。恐らく致命傷だろう。

 

 女は成す術も無く後方の木に激突し、地面に伏せて倒れ込んだ。

 

「あーあ、御愁傷様だね」

「さっきの吸血鬼(ヴァンパイア)の仲間か?」

「分からないです。でもどの道、私達の姿を目撃してしまった者は始末するしかないですし、仕方がないことです」

「そういうことだ。第十席次、一応、生死を確認して確実に止めを刺しておいてくれ」

「了解しました」

 

 第十席次と呼ばれた男は大きな(アックス)を構えて倒れた女に近寄っていく。

 すると女はのろのろと立ち上がり、付けていた面を地面に投げ捨てた。ライトグリーンの瞳は暗く濁っており、怯えた様子でこちらを伺っている。顔を見る限り、恐らく人間種なのだろうか。いや、相手が人間種だったことよりも、驚くべき事態はそこではなかった。

 

「……嘘でしょ。隊長の蹴りを食らって生きてるなんて……」

「あの吸血鬼(ヴァンパイア)級の化け物だってことか?!」

「加減したんですか、隊長?」

「破裂しない程度には蹴り込んだつもりだが……」

「んじゃ、殺しますよ? いいですよね?」

「ああ、致し方ない――やれ」

 

 隊長が右手を挙げて合図を送ろうとした時、女は口から零れる血液を吐き出しながら苦しそうに呟いた。

 

「――ま、まって……なんで……わ、わたしは……」

 

 蹴り込まれた腹部を両腕で抱えながら彼女は言葉を紡いだ。

 

「わ、私は…………そこの三人の怪我を……治そうとしたのよ……悪気は……ないの……」

 

 必死に訴えてくる姿が痛ましかったが、情に流されるような人間はこの場には存在しない。

 

 彼らはスレイン法国の特殊部隊、六色の内の黒を戴く漆黒聖典の隊員であり、その存在が明るみに出る事は決して許されていない。中でも隊長と呼ばれる男の存在が公になれば『真なる竜王』との決戦に発展してしまう恐れがある。こちらの存在を認識してしまった以上、何者だろうが否応なく命を奪う他ならない。

 

「お前があの化け物と……いや、関係ないな、失言だった。我々の存在を知ってしまった以上、生かしておけないんだ。お前にどんな事情があろうと関係のないことだ」

 

 隊長がそう告げると、女は目を大きく見開き瞠目する。信じられないといった表情を浮かべ、酸素を必死に取り込もうと深呼吸を繰り返す。

 

「……どういうこと? なぜ私を殺そうと……? 私はそっちの負傷者を助けようとしただけ!!」

 

 歯に衣着せない女の必死な弁解を鑑みると、本当に敵意は無かったようだと感じさせた。

 

「……何度も言うようだが、お前の都合など関係ない。お前をこのまま生かして置けないのが我々の都合だ。理解したか?」

 

「……本気で言っているの?」

 

「申し訳ないことにな」

 

 どうやら理解してくれた様子だった。有無を言わず殺してしまってもよかったが、同じ人間のようだったのでせめてもの情けを掛ける。

 

 隊長は再び右手を挙げて、隊員に合図を送った。

 

 

「――包囲しろ、確実に殺せ」

 

 

 

 

 ミドナは腹部の痛みに気を取られながらも、己を取り囲む三人の戦士に気を配る。包囲しながらこちらの様子を伺っているところを見ると、下手に手を出してこない程度には警戒されているようだった。自分を蹴り込んだ男は、現時点では手を出さないようだ。

 

 ミドナは自身の手が震えている事を自覚した。

 

 大勢の人から命を狙われているこの状況に恐怖している自分がいる。腹部に受けた一撃の痛みの恐怖も、未だ脳内に焼き付いて離れない。

 なぜ自分はこんな目に遭っているのかも理解できない。自分は負傷している彼らの仲間を助けようとしただけなのに……。

 

(一体、私が何をしたっていうのよ……)

 

 こんなに理不尽な状況に置かれているのにも関わらず、不思議と彼らに敵意を向けられない自分がここにいる。痛みに戦慄してしまい牙を抜かれてしまったわけではない。彼らには彼らの都合があると、頭のどこかから自分に語り掛けてくるのだ。

 怒りの感情も確かにある。こんな所で死ぬのは御免だ。ただその怒りをどこにぶつけていいのか分からない。彼らに向けるべき感情であるはずなのに、自分は彼らを諭したいと考えてしまう。

 

(でもこのままでは……)

 

 今現在、明白にされている事項は、このままでは殺されるということ。

 そしてもう一つだけミドナは気が付いた事がある。それは彼らの取った行動から予測できることだった。

 

(……この人達はプレイヤーではない可能性が高い。いや、仮にプレイヤーだとしたらお粗末にも程があるわ。もしくは舐め腐ってるかのどっちかね……)

 

 こちらが殺される理由は未だ分からない。だからこそ、ミドナは最後に語り掛けた。

 

「……最後に教えて欲しい。この行動にはどんな大義名分があるのかしら?」

 

「……教えておこう。我々は人類を守護するために存在している。以上だ」

 

「……そう。なら私も私の都合を通させてもらうわ」

 

 

 そうミドナは宣言し、魔法を詠唱した。

 

 

 

 

「これは一体……?」

 

 包囲した女を中心に半径二十メートルほどの真っ白な魔法陣が地面に形成される。魔法陣から沸々と浮き上がるように幾つもの光球がゆらゆらと飛び交う幻想的な光景に隊長は思わず目が奪われてしまう。

 

(嗚呼、美しい……)

 

 このような魔法陣はスレイン法国の巫女姫達の大儀式ですら形成することは叶わないだろう。周囲を見渡せば全ての隊員が女の周囲で舞い踊る鮮麗な光球に見惚れていた。処刑の現場であったはずの厳粛な空気は、静謐という静かで穏やかな空気に一瞬で塗り替えられていた。

 

 しかし今は幻想に魅了されている場合ではない。魔法の詠唱を止めなければこちらの身が危ういのは明確。この場に居る全ての人間がその魔法陣の範囲内にいることを危惧し、喝を入れるように檄を飛ばした。

 

「――魔法詠唱を止めろ! 前衛は斬り掛かれ!」

 

「〈疾風走破〉〈急所知覚〉 ――ッ!!」

 

 隊長の一喝に、真っ先に我に返り突撃したのは第二席次。部隊の戦士の中で隊長に次ぐ実力を持つ彼の剣技は本物だ。英雄級を凌駕した彼のレイピアによる突きを見切れる者はスレイン法国でも極少数だ。

 白黒のレイピアを前に突き出し、人ならざる速さで突きを繰り出し――弾かれる。

 

「――な、なんだ? 何が起きた!」

 

 誰もが女の胸部を貫いたと幻視した。女が一歩と動けなかったのは、彼の速さを視認できずにいるのだと感じさせた。

 しかしレイピアは何かに弾かれたのだ。

 まるで女の周りに見えない壁でもあるかのようだった。いや、見えなかったわけではない。弾かれる瞬間に翼のような効果(エフェクト)が一瞬だけ目に入った。その翼が彼の体ごと後方へと弾いてしまったのだ。

 

「〈能力向上〉〈能力超向上〉〈不落要塞〉――いくぞ!」

 

「〈疾風走破〉〈流水加速〉〈剛腕剛撃〉――おう!」 

 

 第六席次と第十席次が同時に攻撃を繰り出す。彼らは部隊の中でも二位、三位を誇る攻撃力の持ち主だ。闇属性の巨大な(アックス)と光属性の大剣を同時に繰り出すこの一撃は、どれほどの堅牢な盾でさえも容易く砕いてしまうだろう。

 

 そんな彼らの攻撃も、見えない翼によって再び弾かれた。

 

「――くそっ! 貫通しない!」

 

「この武器を凌駕する魔防壁ということか……」

 

「――下がれお前達! 第三席次!」

 

「お任せを――〈魔法解除〉(マジック・レリーズ)

 

 魔法を行使したのは第三席次の老人。彼の年齢はその見た目よりも更に長く生きており、魔法で延命してまで部隊を支えてくれている魔力系魔法詠唱者だ。バハルス帝国が誇るフールーダ・パラダインよりはその魔法の実力は劣るものの、英雄級以上の実力を持つ彼は部隊の中でもトップクラスの魔法詠唱者だ。

 

 そんな彼の魔法も虚しく、未だ魔法陣が地面に形成され続けていた。

 

「……レジストされましたな」

 

「――ちっ! 時間がない、俺がやる!」

 

 第一次席である隊長は二本の槍を携えて謎の魔法詠唱者に突撃する。

 彼の正体は六百年前に現れた六大神の血筋を受け継ぐ『神人』だ。六大神の子孫である神人はその血を覚醒させると驚異的な身体能力を得られ、この部隊に置いて二位と大差をつける程の実力者であり、もはや他の隊員と比べる事すら烏滸(おこ)がましいと言えた。

 

 隊長は使い慣れている槍を選択する。もう片方の槍はスレイン法国の最秘宝であり、己が死ぬ寸前まで使用することを国から禁じられている最後の手段だ。今この手札を切る事は許されていない。

 しかし隊長は自身がこの危険な状況に置かれているのにも関わらず、不思議と危機感が込み上げてこないことに違和感を感じる。それどころか魔法の詠唱が進むに連れて、心が安らいでいくような安寧感を感じてしまっているほどだ。まるで母親によしよしと頭を優しく撫でられているような奇妙な感覚に心を惑わす。

 

(――俺達は一体、何を相手にしているんだ!)

 

 右手の槍を強く握りしめる。削がれていく戦意を持ちなおそうと歯を食いしばる。魔法の発動は間近なのだろう。女を中心に集結していく光球が眩く輝き始める。閃光に視覚を奪われそうになりながらも、彼は雄たけびを上げて突撃した。

 

「――うおおおおおおおおおお」

 

 突き出した槍は案の定、見えない翼によって弾かれる。しかし女の様子に変化があった。一歩、二歩とよろめくように後退し、右手で頭を抱えて狼狽する。

 

 

 その姿を最後に、彼の視界は閃光に染まっていった。

 

 

 

 

 眩暈のような感覚に襲われながらも、ミドナは魔法の効果が発動されたことに安堵する。

 ここに至るまでに蘇生魔法の連続使用、上位の強化魔法、透明化、そして現在、発動させた二つの魔法の使用によってMPを消耗させ過ぎたのだろう。

 強化魔法や透明化は差ほど気にならない魔力消費だが、高位の蘇生魔法は多くの魔力消費を伴う。

 そして今回発動させた魔法〈最後の生命への恵み〉(Last Blessing Revive)と〈アルテミスの守護翼〉の使用によってミドナのMPは残り僅かとなっていた。

 

(危なかった……〈アルテミスの守護翼〉の使用は本当に諸刃の剣ね……でもこれで……)

 

 ミドナは周囲を見渡す。倒れている三人の姿を横目で確認すると、ミドナは隊長と呼ばれていた男を見据える。

 

 この男の強さは間違いなくプレイヤー級だ。〈アルテミスの守護翼〉は発動している間は自身の意思とは関係なく物理攻撃を自動的に防御してくれる魔法であるが、防いだダメージ分はMPに換算されて差し引かれる。他の人間の攻撃はそれほど削られなかったのに対し、この男の攻撃はミドナのMPを多く消耗させた。

 〈アルテミスの守護翼〉は便利な魔法のように思えるが、発動している間も魔力消費を伴うため、常時展開することができない。攻撃を弾くというノックアップの恩恵があるとはいえ、袋叩きにされるとすぐにMPが枯渇してしまう燃費が悪い自己防御魔法だ。

 

(ユグドラシル時代であれば、私が攻撃を受け続けるなんて状況になったら負け戦もいいとこだったわね――ん?)

 

 頭の中から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。すぐにその声の主を言い当てる。

 

「アルシェ? 何?」

『――ミドナ、今どこ?』

「どこって……ちょっと今立て込んでて」

『――すぐに戻って来て欲しい。もうヘッケランも戻ってきた』

「わかったわ」

 

 〈伝言〉(メッセージ)を切り、再び意識を彼らに集中させる。

 発動させた魔法の効果を理解していないのか、周囲の状況を確認しながらも再びミドナに敵意を向ける。

 

「さて、私の都合は通させてもらったし……」

 

 ミドナの緊張を解すような態度に、隊長は疑心の目を向ける。

 

「……お前は一体何者なんだ?」

「ただの通りすがりのお節介さんよ……邪魔したわね」

「――まて! 逃がすな!」

 

 ミドナがこの場を立ち去ろうとすると、彼らは再び戦闘態勢を整える。

 再びミドナの周囲を取り囲もうとする彼らの姿に、はぁ、と息を一つ吐き、ミドナは人差し指を隊長に向けた。

 

「最後に一つだけ忠告。魔法詠唱者をPKする際はまず転移阻害を張ること。『包囲しろ』なんて片腹痛いにも程があるわ。それじゃあね――〈上位転移〉(グレーター・テレポーテーション)

 

 

 それだけ言い残し、ミドナは馬車へと転移した。

 

 

 

 

 謎の魔法詠唱者の姿が消え去り、途方に暮れる彼らは静寂に包まれる。

 魔法の発動を許してしまったが、特に被害を被ったわけでも無ければ、何かが変化した様子もない。何の魔法であったのか、未だ不明のままだった。

 

「……第十一席次、奴はどこに消えた?」

「……わかりません。探知魔法に反応が無いことから、恐らく範囲外に消えたと考えられます」

「…………」

 

 逃げられた――この結果がどれほどの災いを招いてしまう事になるのか、隊長は頭の中で危険な思考を試みる。超人的な力を持つ彼でも、母国を滅ぼしかねない事態を想像すると、その恐怖から思わず身震いしてしまう。

 国に帰還したらこの一連の出来事を上に報告せねばならない。国は自分にどんな罰を課せるのだろうか。命で償えるようなら安いものだと考えるが、今回の己の失敗は『真なる竜王』とスレイン法国の決戦を招いてしまう可能性がある。決して自分一人の命で償えるようなものではないだろう。

 失敗は誰にでもある、なんて甘い言葉が一切と通じないのは十分承知しているが、とにかく今は一刻も早く国へ帰還して報告せねばならない。

 

「……各員、何か異常がないか調査せよ」

「……隊長。第四席次の様子がおかしいです」

「何だと?」

 

 見ると彼女は地面に跪き、両手を合わせて敬拝している。一点の曇りも見受けられない輝く瞳からは涙を流し続け、神に祈りを捧げる一人の敬虔な信仰者がそこにはいた。

 

「嗚呼……神よ……私達はなんて愚かな行為を……どうかお許しください……嗚呼……」

「ど、どうした第四席次! 何があった!」

 

 正気の沙汰ではない彼女の様子に、隊長は動揺する。

 先ほどの魔法に何か仕掛けがあったのだろうか。他の隊員を見比べてみるが、特に変わった様子は見受けられない。彼女だけに魔法を行使したのだろうかと考えてみるが、ここに居る全ての人間が巨大な魔法陣の範囲内に居たはずだ。それは考え難い。

 

「第四席次、返事をしろ!」

「た、隊長? ……隊長はあの神聖なる魔力の波動を感じられなかったのですか……? 生の神が六百年の時を超えて現世に再び君臨されたのですよ!」

「……な、何を言っている? お前の言動は六大神様が一柱、アーラ・アラフ様を侮辱する背徳行為だと理解して言っているのか!」

「……嗚呼……お許しください……我が神聖なる神よ……」

 

 取り付く島もないようだ。やはり洗脳されたのだろうかと疑っていると、後ろの隊員達がざわつき始める。第二席次が腰を抜かしたのか地面に尻餅をつき、指を震わせながらそれを差した。

 

「お、おい……あれ……」

 

「――こ、ここは……一体? ……ど、どうしました第二席次?」

「……な、何かあったのですか……?」

 

 死体であったはずの第八席次と第九席次が上体を起こす。愕然としている隊員達の奇妙な雰囲気に呑まれたのか、状況を理解できていない二人は互いの顔を見合わせ首を傾げた。

 

「う、嘘……生き返ってる……」

「どういう事だ……確かに死亡していたよな……?」

「――ま、まさか……」

 

 隊長は重体だったカイレの姿に視線を向ける。

 予想通り吸血鬼(ヴァンパイア)に潰された左肩の傷跡は見受けられなかった。青褪めていた老婆の顔色も、すっかり元に戻って健やかに寝息を立てて眠っているほどだった。

 奇々怪々な体験と不可思議な光景を目の前にした彼らは再び静まり返る。己の頭脳では解明できない事態の連続に、隊長は耳に凧ができるほど吐いた台詞を呟いた。

 

「な、何が起きているんだ……」

 

「――嗚呼!! 神よ!! 愚かな私達に罰を与えるどころか、このようなお情けまで頂けるなんて……嗚呼! 我が神聖なる神……いえ――女神様!!」

 

 

 狂った第四席次の声だけが森の中で響き渡った。

 

 

 

 

 野盗に囚われていた女性達に簡単な衣服を着せて馬車に乗せ終わったヘッケラン達はミドナの帰りを待っていた。

 

「彼女達は目を覚まさなかったのか?」

「――今騒がれると危険だから〈睡眠〉(スリープ)の魔法を掛けておいた」

「間違いないな。目を覚ましたら怪しい仮面を付けた集団が目の前にいたら誰だって怖がるだろうよ」

「この子達はどうするわけ? 冒険者は死ぬ前の記憶を維持していたんでしょ? この子達も起きたら不審に思うんじゃないの?」

「あぁ、グラン家の娘以外にはこちらの素性を知られるわけにはいかねえな……いや、冒険者を生き返らせてしまった以上、それすらも危険か? 自分が死んだことに気が付いてなきゃいいんだが……」

「例えそうだったとしても、王国の近辺で囚われていた彼女達が目を覚ましたら帝国に居るわけですから、帝国内で何かしらの噂が立ってしまうのではないでしょうか?」

「――依頼主の娘以外が王国の民だった場合、彼女達は王国に戻ったら必ず誰かに事情を話すと思う。そうなると最初に足掛かりになるのは『帝国で目を覚ました』という情報」

「冒険者を蘇生させちまってるしな。彼女達と冒険者の話の辻褄が合っちまうと、帝国の誰かが蘇生させたと考えるのが道理か?」

「そうですね。そして帝国で依頼を非公式で受けられるのは請負人(ワーカー)くらいですから、そこまで一気に絞られてしまいます」

「……どうにかしてグラン家の娘以外を王国に置いてこれないか?」

「どうなんでしょう。ミドナさんならできそうではありますが、どの方が依頼主の娘さんなのかも分かりませんし……そもそもあの中に居るのかもわかりませんよ」

「――例えわかったとしても依頼主の娘をこのまま帝国に連れて帰るのは危険。依頼主は王国の冒険者組合にも依頼の要請をしてしまっている以上、一度エ・ランテルで身元を確認させてからでないと彼女を帝国に帰すべきではない。彼女だけが知らない間に帝国に戻ってきていると王国側に知られたら、そこから私達の足が付く恐れがある。つまり、誰一人として帝国に連れて帰るべきではない」

「なるほど……」

 

 助けたのはいいが、この後どうしたものかと頭を悩ませていると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「待たせたわ」

「ああ、ミドナか……って大丈夫か! 何があった!」

「え?」

 

 きょとんとしているミドナの口元には吐血の跡が残っていた。ヘッケランが指摘すると、ミドナは口元の血痕をローブの裾で拭った。

 

吸血鬼(ヴァンパイア)と戦ったのか?」

「…………そうね。恐らくだけど倒せたと思うわ」

「あぶないなー。勝手なことばかりして……次からはちゃんと協調してよね?」

「……そうね。少し身勝手な行動が過ぎたわ。ごめんなさい」

「妙に素直だな? 何かあったのか?」

「私はいつも素直ないい子じゃなかったかしら?」

「……今日の出来事を思い返してもう一度そのセリフを言ってみてくれ」

「…………ごめんなさい」

「わかりゃいいよ。んで問題があるんだが――」

 

 ヘッケランは四人で話し合った内容をミドナに伝える。

 

「……なるほど。なら私に任せて欲しいわ」

「何か策はあるのか?」

「転移魔法でエ・ランテルの都市内に誰にも見られず彼女達を転移させてしまいましょう」

「他人も転移させられるの?」

「ええ。でも見たこと無い場所には転移できないから、一度私はエ・ランテルに出向かないとダメね。どこに彼女達を置いてくればいいかしら……やっぱり神殿? でも姿を晒すわけにはいかないし……宿屋に侵入してお金だけ置いてくるとかアリ?」

「検問はどうするんだ? 姿を晒すのも危険な状況だぞ?」

「その辺りは抜かりなくやるわ、造作もないことよ。それよりこの場所は危険だから、今は帝国の近辺まで転移して帰りましょう」

「馬車はどうするんだ?」

「問題ないわ」

 

 そういってミドナは魔法を詠唱した。

 どこまで行っても終わりがなさそうな、薄っぺらい楕円の形をした光の門が地面に浮かび上がる。天国に繋がっているのではないかと思うその神秘的な門に、ミドナは手招きして自分達を(いざな)った。

 

 まだ事後処理が残っている。しかしやっとこの仕事の終わりが見えてきたことに、ヘッケランは口元を緩ませた。

 

「ははっ……とりあえず問題は片付いたってことでいいのか?」

「ええ。不可解な現象が起きてしまうことに変わりはありませんが、私達に足が付く確率はかなり減ったでしょう。ですが依頼は失敗という形になるのでしょうね」

「――私達が帝国に連れて帰れない以上、致し方ない。雇い主には野盗の居場所は掴めなかったと伝えるべき」

「じゃあ前金も返すことになるの?! そんなぁ……」

「小銭にもならない人助けだったな……」

 

「――何してるの? 早く帰りましょう」

 

 光の門から半身だけ覗かせてミドナが呼びかける。

 

 何の利益にもならない人助けに無情の喜びを感じられるほどヘッケランは善人ではない。ましてや今回においては誰からも感謝すらされることはないだろう。

 

「これで喜べるなら偽りのない善人ってことなんかね……まぁ、いいか……」

 

 疲れた……と肩を落としつつも、ヘッケランの足は不思議と軽かった。

 

 

◆ 

 

 

 エ・ランテルの近郊の森の中に一つの影が潜んでいた。

 白金の全身鎧を纏い、フルフェイスヘルムを装備している彼の姿は、誰が見ても『人間種』だと認識されることだろう。

 そんな重鎧を纏った彼の視界の先には四人の男女が森の入り口で談話している。

 彼の目的はスレイン法国の特殊部隊――漆黒聖典を尾行することであり、今すべきことはこの人間達を観察することではない。

 しかし真夜中の森の中で何をしているのだろうと気になった彼は、少しだけ様子を伺っていると、一人の人物が突如と彼らの元へ転移してきた。

 

(転移魔法……? インベルンかな? ……いや、違うようだ)

 

 彼の知人は吸血鬼(ヴァンパイア)であり、不死者であることから体の成長が子供の頃から止まっている。魔力系魔法詠唱者という様相に共通点を感じたが、知人と彼女の体躯が全く異なることに、彼は眉根を顰めた。

 

(……私の知人以外にも転移魔法の使い手が?)

 

 そのまま伺っていると、彼女は何もない所に手を翳し、光の門を形成した。

 

(〈転移門〉(ゲート)……? スルシャーナと同じ魔法?)

 

 彼の知る〈転移門〉(ゲート)は漆黒で禍々しい印象であったのだが、形状は何ら変わらず性質も恐らく同じ魔法だろうと考察する。

 そのまま彼女達は光の門の中へと消えて行った。

 

「……横顔しか見えなかったけど、人間種のようだったかな? 百年の揺り返しというわけか? 今回のユグドラシルプレイヤーも世界に協力的だと願うばかりだね……」

 

 思わぬ遭遇に驚いたが、今は他にやらなければならないことがある。彼は再び森の中を走り出した。

 

 

 

 

 コンコンと、部屋の扉がノックされる。

 アインズは己の心の内の感情を誤魔化す様に、鷹揚な声で応えた。

 

「どうぞ」

「失礼します」

「よく来てくれました。入ってください」

 

 入室してきたのはつい先日までアインズの先輩だった女の冒険者だ。

 彼女はアインズが纏う漆黒の鎧の胸元にあるミスリルのプレートに目を配る。(カッパー)のプレートをしていた者が、突然ミスリルのプレートに昇格していたが故の畏敬と驚嘆からくる眼差しを向けられる。

 

「あの、私に聞きたいことがあると組合長に呼ばれて来たのですが……」

「ええ、先日の吸血鬼(ヴァンパイア)の事件であなたにお聞きしたいことがありまして」

 

 アインズが彼女を呼び出したのは他でもない。

 つい先ほどエ・ランテル近郊に出現した吸血鬼(ヴァンパイア)の対応の件についてミスリルの冒険者、冒険者組合長、魔術師組合相、都市長との会合が行われていたのだが、そこでアインズは奇妙な話を耳にした。何でも吸血鬼(ヴァンパイア)と対峙して生還した冒険者達が、口を揃えて「生き返った」だの「悪夢を見ていた」だのと妙な妄言をしていたと冒険者組合長であるアインザックが語っていた。

 その会合では吸血鬼(ヴァンパイア)の得意とする魅了(チャーム)の魔法によって精神を操られていた、もしくはその魔法の後遺症のようなものだろうとこの話題は簡単に流されたのだが、その真実を確かめるためにアインズは冒険者組合の応接室に彼女を呼びつけたのだ。

 

「どうぞ、お座りください。ブリタさん」

「あ、ど、どうも」

 

 ブリタはアインズの向かいのソファーに腰を下ろした。

 

「何やら大変な目に遭ったらしいですね」

「……ええ、思い出すのも嫌なくらい……私はもう冒険者を引退するつもりです。どこか辺境の村にでも越して静かに暮らそうと思っています」

「……そうですか。ですが私達はこれより吸血鬼(ヴァンパイア)の討伐に出向かなければなりません。辛いとは思いますが、最後に教えてください。そこで何があったのかを」

「……わかりました。ではまず――」

「――ああ、いやいや、何も喋らなくて結構です。後はこちらで勝手にやらせてもらいますので」

「え?」

 

 アインズは立ち上がり、ブリタの顔の前に手を翳す。

 

「――〈支配〉(ドミネート)

 

 アインズの魔法に、ブリタの瞳が虚ろに変わっていくのを確認する。

 

「よし、部屋の外にはナーベラルを立たせているし問題ないな」

 

 アインズは全身鎧の姿から普段の骸骨の姿に戻る。鎧を纏ったままでは使える魔法が限られてしまうためだ。

 

「――〈記憶操作〉(コントール・アムネジア)

 

 魔法を発動させ、ブリタの記憶の一部始終を覗き込んだ。

 

(…………なるほど。確かに冒険者達はシャルティアによって殺されているな…………俺が渡したポーションを投げたからシャルティアはこの女を殺さなかったのか? ……あ、シャルティアの〈魅了〉(チャーム)で記憶が途切れている…………――なっ! 本当に冒険者達が生き返っているじゃないか! この二人は一体……一人は剣士で、もう一人は魔法詠唱者か? 仮面をしていて顔が見えないな。冒険者ではなさそうだが…………『赤いポーション』に反応した? 仮面の女が森に走っていったが…………後は割とどうでもいい情報だな。とりあえずこの女の記憶からシャルティアの情報だけは弄っておかないとまずいな……)

 

 記憶の操作を終えて、ふぅ、と息を吐く素振りを演じてアインズはソファーに座り込む。アンデットに疲労は感じないが、魔法によって膨大な魔力を消費させてしまったが故の行動だ。

 

(やはり記憶の操作は魔力消費が激しいな……それにしても何者なんだ? 蘇生魔法は最下位でも第五位階からだよな? 王国では第三位階でも習得は難しいと聞いていたが……こいつらにプレイヤーの可能性があると考えたほうが自然か? シャルティアの件と何か関係しているのか? 少なくとも仮面の女は何かを知っている様子だった。こいつは最近冒険者になった者から貰ったポーションだと仮面の女にヒントを与えてしまっている……危険だな。まさかあの時渡してしまったポーション一つでここまで事態が悪化するとは……)

 

 アインズは己の軽率な行動の数々に怒りを覚える。

 

 確証は得られていないが、仮面の女がプレイヤーであった場合、何らかの力を使ってシャルティアを洗脳した可能性も考えられる。ユグドラシルのポーションでシャルティアがブリタの命を取らなかった不可解な行動を推測されてしまうと、冒険者モモンと吸血鬼(ヴァンパイア)には何らかの関係性があると疑いを持たれてしまうだろう。そして泣きっ面に蜂とも言える最悪の問題点はポーションの事柄から冒険者モモンはプレイヤーだと仮面の女に教えてしまっているということ。登録したばかりの冒険者が一気にミスリルまで駆け上がるという偉業を成し遂げたアインズは注目の的だ。少し調べれば容易に己がプレイヤーだと断定されてしまうだろう。完全にこちらが後手に回っている危険な状況であると、アインズは眩むように骨の手で眼を覆った。

 

(……失態だ。今さらこの女を始末したところで遅すぎる……しかし冒険者を蘇生する意味はなんだ? どんな利益があるんだ? 俺だったらユグドラシルのポーションの存在に気が付いた時点でこの女諸共始末するのに……だってそうだよな? こいつらを蘇生したから俺に知られてしまっているわけだし……そのぐらいは容易に想像つくよな? ではなぜだ? 何の意図があって蘇生した? …………あー! わからん! 何かの陰謀か? 敢えてこちらに存在を教えることで、俺を嵌めようとしているのか……? くそ! わからん……) 

 

 言葉通り空っぽの脳味噌をフル回転させたことによりアインズは倦怠感を覚える。しかし今は時間に猶予がない。間もなくミスリルの冒険者達と共にシャルティアの偵察に行かなくてはならないのだ。長時間の思考は許されていない。

 

「……まぁいい。とりあえず黒いローブに身を包んだ仮面の魔法詠唱者だけはしっかり覚えておかないとな。それより問題は俺の失態から来ているこの一連をどうアルベドとデミウルゴスに相談するかだよなぁ……あー胃が痛い……」

 

 再び鎧を纏い、忘れかけていたブリタの存在に煩わしく思いながらも精神支配の魔法を解除した。

 きょろきょろと周囲を見渡す彼女を見ていると、アインズはどこか虫唾が走るような苛立ちを覚えて拳を強く握り締める。

 

(あーこいつのせいだ。こいつさえいなきゃ……あー殺してしまいたい……)

 

 

 胸の内に宿る黒い感情が、アインズの心の中に渦巻いた。

 

 

 chapter5 end

 

 




早くアインズ様に会いたいです。


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