Re:Fate (言乃葉)
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プロローグ

 

 

 

 記憶の中で思い返すのは五年前。中央アジアの荒野――そこで少女は父と呼べる男を殺した。

 

 その土地はかつて社会主義国家が無理に推し進めた開発の爪痕が残る地だった。強引な灌漑事業が世界第四位の広さの湖を干上がらせ、地表に浮かび上がった塩分は作物を枯らし、水気を失った大地は急速に砂漠へと変わった。

 事を起こした国家が崩壊した後も末代まで残る人の恥の地。そこはそんな場所だった。

 

 湖が干上がった事で、操業していた漁船が荒野の上に打ち捨てられていた。昔はこの場所まで水が広がっていたはずだったが、現在の湖畔までは十数㎞は離れている。

 乾燥した大地はひび割れ、水気を感じさせない。そこにぶちまけるように赤い液体が降りかかった。

 乾いた土は液体を貪欲に吸い取り、しかし倒れた人物の血量では地を潤すことなく渇いていく。

 

「……ああ、これでいい。君に教える事は、もう無い……」

 

 倒れた人物は本当に思い残す事は無いような口調をしていた。

 人物は男性で、四十を前にしているアジア系。医療の進歩で人の寿命が延びている現代において、三十四十などまだまだ働き盛りで脂が乗っている年齢のはずなのに、彼の纏う雰囲気は余生を過ごす老人よりも生気がなかった。

 彼はこの当時よりさらに五年前、ある戦いで呪いを受けた。それは死に至る呪詛でこうして誰かに殺されることが無くても、早晩呪いで命を刈り取られる運命にあった。

 つまり彼はすでに寿命を迎えていて、少女が撃ち込んだ銃弾はそれを少々早めたに過ぎなかった。

 

切嗣(キリツグ)……」

「……すまない、僕は君が幸せになれる道を用意できない駄目な大人だったようだ」

 

 五年もの間、育ての親だった彼の名を少女は口にした。返ってきた言葉は酷く穏やかで静かな謝罪。

 この男は戦闘訓練、魔術鍛錬の際には極めて容赦が無く、実地においては冷酷非道な殺し屋の顔を持っていた。――だが彼、衛宮切嗣はいっそ哀れなぐらいに優しすぎる本性を持った男だった。

 そうでなければ、五年前のあの場所で拾われた少女をここまで育て上げ、教え込み、そして最期の時を見せようとしないはずだ。

 切嗣の言葉に少女は否定の意味を込めて首を振った。

 

「そんな事はない。そんな事は……」

「泣いているのかい?」

「――え?」

 

 問われて初めて気がついた風だった。荒野の空気で乾燥した頬を伝う水、涙の存在に少女自身が驚いた。

 切嗣が課す課題は本当に苛烈で、泣く間もなかった。泣き言は許されない、そんな中で育った少女は五年間まともに泣いた覚えが無くてこの事態に驚き戸惑ってしまう。

 でも彼は一層優しげな笑みを浮かべ、傍に来るよう少女を手招いた。倒れた彼の横に膝をつくと、手が伸びてきて頭の上に置かれた。

 

「――――あ」

 

 撫でられている。頭に感じる暖かな重みがゆっくり、あやす様に動く。

 少女にとってコレが養父に撫でられた最初で最後の記憶だった。

 それからしばらく、一頻り少女の頭を撫でた切嗣の手は力なく落ち、彼の呼吸も荒くなってきた。

 

「……さ、君の務めだ。楽にしてくれ」

 

 切嗣の腹に食い込んだ二発の九ミリパラベラムのホローポイント弾は、彼のバイタル部分に命中している。話している間も出血は続き、このまま放っておいても死は確実だった。

 だが、死に瀕した敵が相討ち覚悟で襲い掛かってくるのは鉄火場において良くある事、相対した敵は確実に無力化せよとは他ならない切嗣の教えだ。それに、これ以上彼を苦しませる気は少女にはなかった。

 永別の時は自らの手で。ここまでずっと手に持っていた拳銃、FN・ハイパワーは弾薬が減っているにも関わらず今まで以上に重く感じた。

 

 切嗣自らとの対決。その最後の課題で消費したハイパワーの弾薬は十発。弾倉に残った弾数は三発。倒れ伏した人間に止めを刺すには充分な数だった。

 体に馴染んだ銃を彼の頭に向け、後は引き金を引けばいい。間違いなく即死、念を入れて三発全て撃てば確実だ。

 なのに、引き金がとても重い。指が無くなったかと錯覚するほどに感覚がない。

 

 理性は彼に速やかな死を与える事を望み、感情は彼の生を望む。板ばさみになった体は静止してしまった。

 切嗣に銃を向けて体が固まってしまい、どれほど時間が経過したか――

 

立香(りっか)……」

「――っ」

 

 不意に少女は名前を呼ばれた。

 

「さようならだ」

 

 だからだろう。続く彼の言葉に当時の少女は素直に頷いてしまった。

 

「うん、さようなら父さん」

 

 手に返ってきた銃の反動、耳に残る銃声、鼻を突く硝煙の臭い。これで彼の人生に終わりが打たれた。

 荒野に少女以外の人は無くなった。地平線の向こうに沈んでいく太陽は、風で舞い上がった塩の砂のせいで異常なほど紅く染まっている。まるで空まで鮮血に染まったみたいだ。

 

 血に染まった空の下、衛宮切嗣という父を殺した。それが五年前、衛宮立香の過去だった。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――プロローグ 了

 

 

 



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召喚の夜

 

 衛宮立香が覚醒して一番に目にしたのは、窓から入る光にうっすらと照らされた土蔵の中だった。

 整理整頓がされてスッキリした室内は冬の空気の中で冷え切っている。もちろん彼女は寒さ対策をしていた。床に敷いたレジャーシートの上で野外用の本格的な寝袋に入り、使い捨てカイロも入れて万全な態勢だ。寝袋の中は外の寒さとは無縁である。

 母屋に自室もあるのにわざわざ土蔵で寝ているのには当然ながら意味があった。

 

(――午後十一時ちょうど。頃合いは良いな)

 

 カシオ製の厳つい腕時計で時刻を確認すると眠気を感じさせない動きで寝袋から抜け出し、手近にあったスイッチで土蔵の照明を点ける。天井に後付けされた蛍光灯が灯り室内を明るく灯した。ただ、蛍光灯の明かりのせいか寒々しさは増している。服装はすぐに行動に移れるよう、カーゴパンツと長袖のシャツとカジュアルな装いだ。この土蔵がある土地でならこの程度の服装でも充分寒さをしのげる。さらに念を入れて赤い革のジャケットを羽織れば万全だ。用意していた器具を棚から取り出していき準備を始める。

 これから彼女が行うのは現代からは忘れられ、秘匿された神秘――すなわち魔術の実践だ。そしてこの土蔵は彼女の魔術の実践場所である工房となる。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)……繰り返すつどに五度、ただ満たされる刻を破却する――」

 

 程なく準備を終えた立香はさっそく事に移った。

 呪言を唱えながら試験管に入った水銀で工房の床に陣を描く。魔力の使用こそしていないが、この段階からすでに魔術儀式の一環なので手は抜けない。

 コンディションを万全にするため彼女は自分の工房のある土蔵に寝具を持ち込んで仮眠をとり、魔力がもっとも充実する時刻にこうして儀式に臨んでいる。

 度重なる訓練と実戦により年頃の少女のものとは思えないくらいに逞しくなっている手。それは実に器用に動いて陣を描き出していく。その甲には入れ墨のような刻印がある。それがこれから少女が挑む戦いへの参加証だ。

 

「――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ王冠より出で、王国に至る三叉路を循環せよ……こんなところか。知ってはいたけどこんな単純な陣とは」

 

 陣が完成してすぐに歪みや欠落がないかチェックする。床に描かれた召喚陣はシンプルで、魔術を知っている者ならこんな簡単なもので目的のものを喚べるのか不安になってしまうほどだ。

 立香が聞いた話では呼び出しの多くの部分が大本で処理されるため、召喚者は大がかりな儀式を必要とせずに目的の召喚を成し得るという。必要なのは呼び出した存在を現世に繋ぎ止めるだけの魔力供給ぐらいだ。

 陣を描き終えると腕時計で再度時刻の確認。すぐに次のステップに入っても問題はないと判断した。

 

 陣の前に立ち、体調を確認――心身ともに問題なし。

 陣を挟んで対面には召喚の触媒となる物品も配置した。信頼できる人物から譲られた物で由縁としては一応問題無い。それが対面に置いた小さな台座の上に載っている。小さな古いコインらしきそれは、さる土地から出土した魔術的価値のある一品だ。

 立香の脳裏にさっき夢で見た五年前の情景が過ぎる。夢を見ること自体が珍しい彼女にとってそれは過去の回想に過ぎない。だが、十年近く磨き上げ研ぎ上げてきた成果を前にした感慨はそれなりに湧いてくる。

 それら感情を今の一時忘れ去る。これより彼女は儀式を成す一部品となるのだ。余計な感傷は邪魔でしかない。

 紋様の浮かぶ手を前に突き出し、自己変革のワード(呪文)を口にした。

 

「――同調・開始(トレース・オン)

 

 ガキンと銃の撃鉄が撃針を叩くイメージで回路が起動した。呪文(スターター)で始動した回路をスロットルで回転数を上げるようにして回していく。

 通常の神経から神秘の回路へと反転する伝達系。背中にある魔術刻印が補助として独自に詠唱を始めたので心拍数も勝手に上昇していく。

 体のあちこちで感じる幻肢や幻痛は人間であるかぎり逃れられない魔術の感覚だ。それら全てを飲み込み、踏破し、征服して立香は本命の呪言を紡ぎ始めた。

 

「告げる――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 いかなる魔術であろうともしくじれば命に関わるのが魔道。ましてや彼女がこれから参加する儀式は、『戦争』と銘を打つだけあって命のやり取りが露骨に行われる狂宴(サバト)だ。熟達した魔術師であろうとも二の足を踏む者がいる血で血を洗う宴。そこへ立香は気負い無く乗り込む。

 抑揚なく淡々と記憶した呪文を読み上げていく。それに伴い床に描かれた陣に神秘の光が宿り始め、呪文を一節唱えるごとに輝きを増していく。

 

「聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ――」

 

 召喚によって遙か彼方の座標に向かって呼びかけの声が飛ぶ。時空の彼方へ嘆願を受け取るのは『英霊』と呼ばれる存在。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者――」

 

 神秘を成す部品となった彼女はひたすらに詠唱に集中する。いまこの時だけは頭の中から全ての事象を追い出していた。

 大気から取り込んだマナが肉体を犯す。背中に刻まれた魔術刻印が援護の詠唱をして身体を苛む。神秘と肉体の軋轢が体を刺激する。それら全てを立香は無視した。

 彼女の視界は肉体の影響で暗く狭まりだす。それでも詠唱が止むことはなく、口の奥で歯を軋ませて食いしばり詠唱は最後まで続けられる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――っ!」

 

 呪文の結びで立香は魔術回路、魔術刻印ともにフルスロットルに回転を上げた。身体を流れる魔力の奔流を加速させ、限界まで回路を振り回す。

 陣は今や燦然と輝き、土蔵の中には局所的な嵐が荒れ狂う。目を開けているのも難しい風が立香の衣服や髪を乱暴にはためかせ、小さいながら稲光すら走った。

 そして嘆願は受け入れられ、陣の経路は彼方へと接続。輝きの向こうから伝説の幻影が具現する。

 

 かつて人の身で人を越え、その力を精霊の領域にまで押し上げられた者。超常の霊長は『英雄』と呼ばれ、人々の信仰、夢によって編まれて『英霊』となる。

 抑止の力の座より召喚に応じ来る英霊。地上に降臨した奇跡は、今現世に確固たる存在を獲得して召喚者へと誰何の声をかけた。

 

「ほいほい、オレなんかを喚ぶ物好きなマスターはオタク?」

 

 こうして、少女は運命と会った。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――召喚の夜 了

 

 

 




 一子相伝であるはずの魔術刻印がなんで養子の衛宮立香に受け継がれているかは後述します。ただ、抜け道ってあると思うんですよね。アポで獅子劫さんも養子に刻印を継がせようとしていますし―ただし遠縁で血のつながりはあるそうで―、あくまで原則でしょうね。
 このように独自の解釈も入っていますのでご了承を。


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夜道

 

 

 

 夜の冬木は(シン)と静まりかえっている。大きめの地方都市であり夜でも人が出歩いている事の多い冬木ではあったが、今は道に人影ひとつなく深夜営業のコンビニでは店員が暇そうにしていた。

 魔力の気配など感じられない普通の人々であっても、不穏な空気を感じ取って家に閉じこもっているみたいだ。聖杯戦争によって魔境の地となった夜の冬木は人に根源的な恐怖を呼び起こすのかもしれない。

 人通りも車両の通行も少なくなっている冬木の夜道を一台の国産車が走行していた。マツダ社のデミオ。一時期のヒットもあって国内では珍しくないコンパクトカーは、閑散とした道を走っていても誰の目にも留まることはなかった。

 その車内。一人の少女がハンドルを握り、助手席には男性がやや居心地が悪そうに座っていた。

 

「……私は衛宮立香、呼び方は好きなようにして構わない。それで貴方のクラスはアーチャー、で良いの?」

「ああ、そうだぜ。確かに今のオレはアーチャーのサーヴァントとして現界している。というかオレ、アーチャー以外で喚ばれる可能性なんて無いと思うぞ。ま、どのくらいの付き合いになるか知らんが、よろしくマスター」

「そう……よろしく」

 

 運転手の立香は召喚したばかりのサーヴァントの返答に軽く頷き、目的地へデミオを走らせる。ほぼ狙い通りの召喚が成功したので満足はしているが、戦いはここからが本番だ。

 マスターに与えられる透視の力で、隣のシートに座っている存在の能力は把握している。けれど確認の意味で先程の質問をしていた。

 立香としては扱いやすいだろうアサシンやキャスターを喚びたかったのが本音だった。しかし召喚に使用する触媒で、手に入る物は先の召喚で使用した物以外に無く、それで喚べるクラスは高確率でアーチャーになるだろう事も知っていた。立香としては本命ではなくとも何とかなると考えての召喚だったのだ。

 目の前にいるアーチャーのサーヴァントに悟られないよう注意しながら、立香は先の召喚をそんな風に振り返ってハンドルを握っていた。

 

 召喚早々に彼女は呼び出した存在と一言二言言葉を交し、手早く契約の言葉を言い終えると用意していたこの車に乗って移動していた。

 立香の家となる衛宮邸は魔術師が隠れ潜む拠点では悪くなかったが、この時点で少なくとも二組の勢力に屋敷の存在は知られている。立香の戦闘方針には工房に篭もる魔術師的な籠城戦はあり得ない。よって市街地に潜伏するべく召喚してすぐに移動を開始していた。

 

 召喚される英霊は英霊そのものが現界している訳ではない。奇跡を起こす大本であってもそこまでは不可能だった。

 ここにいる存在は『座』と呼称されるポイントに在る英霊から分離し、大本が用意した『クラス』という器に収まった分身体である。大本も無制限に英霊を召喚できるはずもなく、用意できる器も七つとされる。

 剣の英霊・セイバー、槍の英霊・ランサー、弓の英霊・アーチャー、騎手の英霊・ライダー、魔術師の英霊・キャスター、暗殺者の英霊・アサシン、狂戦士の英霊・バーサーカー。

 この七つの器に呼び出された英霊の分身体が適したクラスに収まり、『サーヴァント』と呼ばれる存在になり現界する。この内でセイバー、ランサー、アーチャーの三つのクラスを三騎士と呼称し、総じて能力が高いと過去からの聖杯戦争により認識されていた。

 そして契約した魔術師を『マスター』として他のサーヴァントを狩り尽くし、この儀式の大本になっている『聖杯』を手にする。それが聖杯戦争の概要だ。

 

 立香が召喚で呼び出し、契約を交したサーヴァント。日本の女子平均より長身の彼女よりもやや上背でコーカソイド系の顔立ち、くすんだ茶色の髪、緑一色の動きやすそうな衣装は森に溶け込むには最適だろう。

 森に潜み獲物を狩る狩人、もしくは軍勢を相手に少数で挑むゲリラ兵、アーチャーを見た立香の第一印象はそういうものだった。

 隣のシートに座る二〇代前半から半ば程に見える男性――サーヴァント・アーチャーは触媒の入手ルートが正しければ立香の思っている通りの英霊のはずだ。それを確認の意味も込めて会話によって聞き出す。

 

 通常では英霊の出自を問うなど面倒な事などしない。する必要もない。なぜなら召喚に際して魔術師側が英霊に縁のある器物を触媒にして呼び出すからだ。よほど酷い物を掴まされない限りは目的の英霊をサーヴァントとして呼び出せるのが普通である。

 立香の場合も信用に足る人物から触媒を入手していたが、万が一思っていた相手とは違うものが喚ばれた可能性もゼロではない。だからこそ確認は必要だ。

 強力なサーヴァントよりも扱いやすいサーヴァント。こちらのサーヴァントの性能が劣るなら敵のマスターを抹殺するれば事足りる。それが立香の戦闘方針だった。

 

「貴方の真名を確認したい。アーチャー、貴方は『ロビンフッド』?」

「あー、まあ一応はな。正確にはちょいと違うんだけどね……」

 

 立香からの問いにアーチャーは少し言い淀むような雰囲気を出した。

 躊躇するのは無理もない。英霊というのは歴史に名を刻む過程で偉業と同時に弱点さえ人々に知れ渡っているからだ。英霊を特定されれば対策をとられる。だからサーヴァントを呼ぶときはクラス名が基本だ。

 イングランドのノッディンガム近郊にあるシャーウッドの森を拠点に活動していた義賊『ロビンフッド』。彼には特に逸話となるほどの弱点は無いはず、と立香は記憶しているが、それでも真名は伏せておくに越したことはない。正体が分からないというのはそれだけで脅威になるからだ。

 そして言い淀むアーチャーに対し、立香は相手が慎重な性格であると考え、同時にマスターさえ信を置く気がないのかと警戒した。どうも場合によっては裏切られる事も考慮した方が良いかもしれない。

 

「こうして移動する密室を用意しているから盗聴への警戒は無用と思うし、私の力量不足から漏れることを警戒しているなら言わなくても――」

「いやいや、悪いね。そういう事で言葉濁らせている訳じゃないんだわ。オレっていう英霊を説明するのにちょいと言葉が必要になっちまってさ。それを考えていたんですよ」

「説明? 複雑な出自があるとでも」

「ああ、その複雑と言えば複雑ですかね」

 

 嘘か本当か、アーチャーは適当な語彙を探していたらしい。

 目的地まではまだ少し車を走らせる必要があり、多少話が長くなっても問題ない。目線は前に向けたまま立香は無言で彼の話を促した。

 了解した緑の弓兵は自らの出自を語る。

 

「――無名?」

「そうですよ。確かに生前には名はあったが、英霊としての銘は複数いるロビンフッドの内の一人に過ぎない。だからオレ個人で言えば無名って訳っすよ」

 

 名など無い。その余りと言えばあんまりな答えに立香は呆気に取られて、思わず隣のアーチャーに顔を向けた。そのせいで赤信号の交差点を通過してしまったが、幸いにして夜の道路上に彼女の信号無視を見咎める存在は無かった。

 助手席の彼は無名である事にどこか自嘲する皮肉げな笑みを口元に浮かべている。それはまるで自らの生涯を嗤っているようなものだ。

 英雄の生涯は晩年ほど酷くなる。栄光の後の没落、古今東西よくある筋書きだ。この男もそんな経験を思い返しているのかもしれない。

 けど、他人の事情は所詮どこまでいっても他人の事でしかない。隣にいる弓兵がどの様な生涯を送って来たにしろ、こうして立香のサーヴァントとして喚ばれた以上は従って貰う。重要なのは使えるか使えないかだ。

 呆気に取られたのも数秒、アーチャーが立香に視線をやった時には先程と変わらない面持ちでハンドルを握っていた。

 

 そうして召喚から三十分が経過して、二人を乗せたデミオは冬木の街を二分する未遠川を渡り、都市開発著しい新都へと向かっていた。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――夜道 了

 

 

 



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少女の武装

 

 

 

 立香が運転するデミオは冬木の都市部、新都と呼ばれる地域に入ると迷い無く目的地を目指して疾走する。

 まだ夜は更けていないが新都でも交通量は少なく道は空いていた。再開発により未来的な外観を得るまでになった新都の街路は、人の不在で冬の空気とは異なる寒々しさを見る者に与える。

 天を突くようにそそり立つビルディングの数々は窓から漏れる明かりも無く並び立つ墓標を思わせる。人気の無い街並みはそのような魔的な空気を感じさせた。

 デミオはその墓標と墓標の隙間を縫うようにして駆け抜け、冬木の駅近くにあるビジネスホテルの駐車場で停車した。

 

「ここが今のところのセーフハウス……潜伏場所になる。部屋に着くまでは姿を見られないよう霊体化して」

「りょーかい」

 

 マスターの命を受け軽い口調で返したアーチャーは、魔力で構成された肉体を解き霊体へと変ずる。こうなったサーヴァントは通常の手段で目視は不可能になり、物理的な干渉も受け付けないため触れることもできない。名称の通りに幽霊のようになってしまうのだ。

 この状態には幾つかのメリットがある。サーヴァントの肉体を維持する魔力を使わないのでマスターにかかる負担は軽減し、目視も物理干渉も出来ないので軽い偵察や一般人からの隠匿も容易くなる。

 こうして立香はアーチャーが霊体化を終えるのを待ってから車を降りた。一月の冷気がドアを開けた瞬間から吹き込んでくる。過ごしやすい冬が長く事から街の名前がついたといわれている冬木だが、それでも夜は刺すような寒さになってしまう。寒さから思わず口元を引き締め、着ているジャケットの前を閉めた。

 

 ホテル内部に入ると再び暖房の効いた空気が立香を包み込む。彼女は誰もいないロビーを軽く見渡して不審なところがないのを確認、そのままフロントを素通りしてエレベーターに乗り泊まっている部屋へと向かった。

 このホテルを潜伏場所にするに当たって街の有力者とのコネクションを使っており、滞在中は部屋の鍵を持ったまま、掃除やサービスの一切を断る要望を実現させていた。

 その理由は魔術の隠匿に関するものもあるのだが、一般人に対してはより見られては不味い物の数々が部屋に転がっているからだ。

 

「着いた。ここが私達の当面の(ねぐら)よ」

「なんて言うか、寝るためだけの部屋だな。一応聞くけどオレの分のベッド無いの?」

「無い……適当に待機していて。こちらはまだやることがある」

「へいへい、サーヴァントらしく大人しくしてますよっと」

 

 ビジネスホテルのシングルルーム。一人の人間が寝起きするためだけの機能しかなく、それ以外の余計なものは存在しない。サーヴァントには睡眠は不要で、休むにしても霊体化すれば効率的だ。よってベッドは自分一人用で事足りる。立香としては必要充分な設備だ。

 その考えを読んだのかアーチャーの皮肉じみた声が発せられたが、立香は無視して何度か寝起きしてシワが出来ているベッドに手を伸ばし、そこにある器物の点検を始めた。

 その器物達には魔術師が用いる礼装や薬草、霊石といった魔術品の類は一切含まれていなかった。むしろ魔術とは対極に位置する現代科学によって作り出された兵器の数々がそこにあった。

 

「これは、また……オタクは殺し屋か何か?」

「似たようなモノだよ」

 

 ベッドの上に並べられた現代兵器の数々にアーチャーは呆れ混じりではあるものの驚きの声を出している。立香はその声に端的に答えつつ、今回の戦いのために用意した武装をチェックする。

 これらの武装は立香個人のコネクションを使って海外の武器商人から買い付け、信用できる運び屋によってホテルに届けられていた。

 すでに梱包は解かれて状態のチェック、調整も済ませているが再度確認する。二重チェックするぐらいの慎重さは立香のような人間にとって必須とされる。

 

 今回用意した武器の中でメインとなるのはシグ・ブレイザーR93ライフル。スイスの銃器メーカーシグ社の傘下にあるブレイザー社が同じく傘下にあったヘンメリー社と共同開発したボルトアクションライフルだ。

 モジュール構造のストックは従来のライフルとは一線を画した外見を演出し、射撃のためだけに他の全てを削ぎ落とした非常にソリッドな外観を持っていた。

 弾薬は遠距離からの確実な殺傷のために大口径の.338ラプアマグナムを使用。この弾薬を使えば条件によるが2000m越えの狙撃も可能になる。

 

 サブアームに用意したのはFN P90。一応の分類としてはサブマシンガンではあるが、使用している弾薬が通常の拳銃弾よりも貫通力を重視した5.7㎜弾になり、一部では新分野のPDW(個人防御火器)と見なされている。これも外見は従来の銃器のイメージからかけ離れたもので、本体がプラスチック素材を多用しているためにオモチャに見える。もちろんその火力はオモチャみたいな外見を覆して余りあるものだが。

 

 ブレイザーにしてもP90にしても外見こそ従来の銃器から見ると奇異なものだが、すでに各国で使用されて実績は充分積まれて良好と評価されている。

 立香の武器選択の判断基準はある程度以上の実績と戦場の状況、あとは実際に使用してきた経験からだ。彼女はこの二種の銃器を過去に何度か使用した経験があって、今回の戦いに使えると判断して取り寄せていた。

 他にも各種手榴弾、トラップ用のワイヤー、ナイフ、対人地雷、弾薬、爆薬などを立香は丁寧に検分していく。信用できる取り引き相手だけあって欠品や不良品は取りあえずなさそうだ。

 

 そして武装の確認としては外せないものが最後に一つ。それは幾らでも代えが利く武装とは違い魔術師としての一品物の武装、魔術礼装だ。

 ベッドの下に手をやり、紫檀の箱を取り出す。フタを開ければ昔ながらの木と鉄で作られた古色が薫る一挺の銃が収まっていた。ベースとなっているのはトンプソンセンターアームズ・コンデンターピストル。競技用で中折れ単発のその姿は大昔の前装式ピストルに似ていた。

 銃身と撃鉄に魔術処理を施し、専用の弾薬を使用することで真価を発揮する対魔術師用の礼装。立香にとっては背中の魔術刻印と同じく養父切嗣が遺してくれた遺産であった。

 

 手に取り、用心鉄を兼ねるスプールを引いて薬室を開放。銃がかくんと曲がり、バレルの後方の口腔を覗かせた。そこに7.62×63㎜、30-06スプリングフィールド弾を入れる。フルサイズのライフル弾は微かに擦れる音をたてて薬室に飲み込まれる。

 丁寧に手で銃身を持って曲がりを直す。金属が噛み合う音と共に薬室は閉鎖された。そして立香は銃弾が入ったコンデンターを漫然と前へ構える。

 近くにいるアーチャーは立香が集中していると感じ取り、声をかける愚は犯さない。静かに動きがあるのを待った。

 

 ゆったりとした静から動へ。変化は一瞬だった。

 素早くスプールを引いて薬室開放、反対の手はすでに別の弾薬を持っている。薬莢のリムに爪を引っかけて弾薬を引っこ抜いて、すぐさま代わりの弾薬を入れる。最後に手首のスナップを利かせて強引に銃身を跳ね上げて薬室を閉鎖し、また構えた。

 手元の時計ではタイムは一秒。調子が良いと一秒をも切る。悪くはないタイムだ。

 

(ようやくスタートラインに立てた訳か。長かった、かな?)

 

 ここに至るまでに要した時間は十年。これを長いと見るか短いと見るかは人それぞれだ。

 立香にとってはもう数年欲しかったと思うけど悔いはない。これが今の能力だというのならそれで目標を達成できるようにするだけだ。

 覚悟なら十年前に済ませている。目標達成のためならあらゆる手段を肯定してきたし、それでこの十年を生き抜いて牙を研ぎ続けてきた。どんな悪辣、非道、外道な手段でも効率に見合うなら躊躇無く採る。この聖杯戦争でもそのスタイルを崩すつもりはなかった。

 問題は目の前にいる緑衣のアーチャーが彼女の流儀に付き合ってくれるかが問題だ。騎士が暗殺者の方針に従うとは考え難く、ましてや真名がかの有名な義賊ロビンフッド。複数いたと言われるロビンフッドの中の一人だと言うのだが、その性質を考えれば非道な命令を下すのに一苦労しそうな予感がしていた。

 

 何となく立香の意識は手の甲に刻まれた刻印に向いた。

 令呪――聖杯戦争においてマスターたる魔術師に与えられる参加証と同時にサーヴァントを律する三回限りの命令権がこれになる。

 魔力とともに令を発すれば、サーヴァントとマスターの能力が許す限り様々な奇跡を可能にして、様々な枷を与えるのも可能にする。

 これをもってすれば、立香の外道な作戦にもサーヴァントを従事させられる。だが、これは本当に最後の手段としたい。話し合いや取り引きでも解決可能な事案に貴重な命令権を使いたくない。

 

 立香の属性と起源を示すかのように刀剣をモチーフにした図柄の令呪。それを指先で軽く撫でて、意識を切り替えた。

 武器弾薬に魔術礼装、サーヴァントと己の肉体。これで戦争に必要な道具は揃った。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――少女の武装 了

 

 

 





 登場した銃器のセレクトは完全に筆者の趣味です。ヨルムン、ガンスリの影響がマシマシ。


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出撃

 

 

 

 決意を新たにした立香の耳に素っ気のない電子音が入ってきた。音源はサイドテーブルの上。そこには複数の携帯電話が充電器のスタンドにセットさせている。

 他人名義の足の付かない携帯電話を用意するのは仕事をする上での常套手段のひとつだ。この聖杯戦争に際して彼女は、プライベート用とは別に使い捨て用に幾つかの端末を用意していた。デフォルト設定の電子音を鳴らしているのはその内の一つになる。

 二つ折りの背面に油性マーカーで『3』と番号の書かれた携帯電話をスタンドから引き抜いて、畳まれた本体を開いて画面を見る。表示された番号は知己のものだ。

 

「はい。ええ――そう、分かった。ご苦労さま。じゃあ」

 

 一分に満たない通話を終えると、今度は壁に張り出された冬木市の大きな地図に視線を向ける。地図には幾つもの書き込みがあり、立香がすでに何組かの陣営の動きを掴んでいるらしいのは端で見ているアーチャーにも察せられる。

 思考していた時間も短い。一分ほど地図とにらめっこして動きを止めていた白羽は、首を回して横にいたアーチャーに顔を向けた。

 

「アーチャー、早速だけど仕事よ」

「召喚早々にお仕事か。うちのマスターは中々に好戦的だこと。で、相手は?」

「こいつ。推測だけどキャスタークラスのサーヴァントらしい」

 

 アーチャーの問いに立香はテーブルの上にあった資料の中から一枚の写真を抜き出して彼に渡した。

 映っているのは遠くから撮影したと分かる不鮮明な画像。画素数の少ないデジタルカメラで撮影したものをプリントアウトしたもので、撮影者の技量の低さもたたって今一つ画像の人物が分かりにくい。

 でも特徴的なローブ姿や相手の性別、大まかな体格ぐらいは判別できるので問題はなかった。

 

「さっき情報提供者からの連絡があって判明したけど、どうやらマスターとサーヴァントが仲違いを起こしたみたい。サーヴァントが円蔵山の方向に向っているところまでは分かっている。アーチャー、先回りして仕留めて」

 

 立香は命令を端的に伝えて、冊子型の地図を渡す。アーチャーは地図を受け取り、壁に貼られた地図と見比べる。

 やがて納得したのか大きく一つ頷いた。

 

「了解。元よりサーヴァントの相手をするのはオレの役目、命令には従いますよ。んで、その間にマスターは?」

「こちらも敵を抹殺する」

 

 アーチャーが地図を見ている間に立香は素早く戦闘の用意をしていた。

 今ベッドにあるブレイザーとP90はすでに照準は調整し終えている。今回想定されるのは屋内戦、だからP90と予備弾倉を複数手に取った。さらに冬木のあちこちに武器弾薬を収めた倉庫を用意しているので予備の武器調達には全く問題ない。近場の武器庫の内容リストを思い浮かべつつ、白羽は服装を整えて戦闘に意識を向けた。

 持っていく武器はコンデンターとP90にナイフ。後は武器庫から調達する。

 

 相手は外来とはいえ魔術師、その拠点を攻めるには立香の装備はあまりにも軽装過ぎる。アーチャーが心なしか心配するような視線を投げてきているのに気付いた彼女だったが、結局声をかけることなく用意を済ませた。

 サーヴァントの召喚で魔力はいつもの半分で魔術戦になると不利だが、そこは相手の土俵に立たなければ良いだけだ。立香には物理的な攻撃手段に事欠かない。何より敵を抹殺する好機を逃したくない。せっかく敵が隙を見せたのだつけ込まない手はなかった。

 第一、準備と言うならば立香は何年も前に済ませていた。外来のマスターが泊まりそうな宿泊施設には魔術、科学両方の罠が立香によって仕込まれている。使い魔と同時に街中に設置された防犯カメラも彼女の手中にあった。

 修行と仕事の合間を縫い、折りを見ては冬木の街中に仕込みを作って十年。この冬木は立香にとって最高の戦場に仕上がっている。

 

「こちらは敵のマスターを狩り、そちらはサーヴァントを仕留める。シンプルな方針でしょう」

「確かに。んじゃ、命令が下ったのでぼちぼち行ってきますわ」

「確実に仕留めること。そのための方法、手段は任せる」

「了解了解」

 

 立香のオーダーにアーチャーは軽く頷き霊体化、その気配は急速にホテルから離れていく。彼の様子を最後まで観察して、当面は問題なしと判断した。

 召喚される英霊にも聖杯に託す願いがあるという。そのためにはマスターである魔術師の指示に従うし、令呪などの縛り(ルール)にも同意するのだ。きっとアーチャーにも何らかの願いがあって立香をマスターとして扱っているのだ。あの様子なら自分自身の願いのために大人しく命令に従ってくれそうだ。

 アーチャーを見送ると、立香も早速行動に移る。穿いているカーゴパンツのポケットからデミオのキーを出し、ホテルの鍵とまとめて手に握って外へ。

 まず向う場所は近場にある貸倉庫。そこで武装を整えて敵の拠点を叩きに行く。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――出撃 了

 

 

 



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ある末路

 

 体は炎に飲まれて燃え盛り、皮膚はすでに炭化、筋肉や骨まに至るまでローストされている。だが彼、アトラム・ガリアスタはまだ生きていた。

 彼が召喚したサーヴァント・キャスターに裏切られ、貴重なはずの三つの令呪を無為に消費してしまい、彼自慢の工房もろとも肉体を焼き尽くされようとしていた。意識は残っていても余命は僅か、それでも彼は生きていた。

 余命が延びている理由は簡単だ。彼の肉体に刻まれた魔術刻印が肉体の危機に反応して自動的に治癒をしているからだ。魔術師としての歴史は百年ほどと浅く、知識や魔術界隈での地位も金で買ったような家柄がアトラムの家系だったが、だからこそ自己保存、自己保身に関して保険はかけていた。魔術刻印による自己治癒もその内の一つで、先祖が特権階級の嗜みとして子孫に遺した魔術ではあるが、そこに自己防衛の意味合いもあったらしい。

 自己治癒で肉体が内側から再生し、一方で外からは炎で肉体が炙られる。今は均衡が保たれてアトラムの命はまだ奪われていないが、体内の魔力が尽きればその均衡も崩れて今度こそ彼は焼き尽くされる。余命が尽きるのは時間の問題だった。

 

(くそくそくそくそくそぉぉぉぉお……魔女め魔女め魔女めぇぇぇっ!)

 

 再生で内側から、炎で外から痛みに襲われながらアトラムの思考は裏切ったキャスターへの憎悪で染まっていた。

 彼が聖杯戦争に参加する目的は『箔を付ける』ためであった。先述したようにアトラムの家系は歴史が浅く、知識や地位もアラブの石油王という立場で手にした巨万の富で賄った物。歴史の旧さ、知識の深遠さを重視する魔術師達には何かと侮られているのが我慢ならなかったのだ。ならば聖杯戦争という『戦歴』をもってそれらを黙らせるというのが彼の目的だった。

 そのためにサーヴァントを召喚する触媒を探し始めたのだが、振り返ってみるとそこから躓きが始まっていた。当初は『邪竜の血を受けた菩提樹の葉』を求めたのだが、それはすでに別の魔術実験で焼失。ならば『竜を行使する』サーヴァントを召喚しようと今のキャスターを召喚したのだったが、期待は大幅に外れてその宝具は彼女の裏切りの逸話を象徴する短剣だった。加えて魔術の腕は神秘溢れる神代の時代にあって魔女と謳われるほど。アトラムの魔術を非効率、収支が合わない、三流、と批評されこれまであった自負を木っ端微塵にされてしまう。

 

 もはや、あんなサーヴァントはいらない、そう考えたアトラムが下した結論は自らのサーヴァントの謀殺。

 アトラムが聖杯戦争に参加したのは割と早い時期で、前回とは異なってサーヴァントの席が埋まるペースもゆっくりとしたものだった。何しろ六十年周期だった聖杯戦争が、イレギュラーで前回から十年という短さで開催されているのだ、準備も未だ整っていない陣営も多いだろう。

 だからその埋まってないサーヴァントの席にアトラムは改めて座り直そうと考えたのだ。だけどそのためには今のキャスターを殺しておく必要がある。令呪で自害を命じるのが確実だが、それで三画あるうちの一画を使うのも躊躇われる。

 そこですでに召喚されている陣営に渡りをつけて、他のサーヴァントに殺して貰う手段に出たのだ。もちろん敵の陣営に直接交渉を持ち込む馬鹿な真似はせず、その仲介役として聖杯戦争の監督役といわれる聖堂教会に話を持っていくとした。

 

 ところがここでもアトラムの期待は外れた。冬木市での聖堂教会の拠点たる冬木教会はすでに何者かによって襲撃を受けていたのだ。教会ではすでに事後処理が行われているらしく、聖堂教会の者らしき人員が何人か後処理の作業を行っていた。

 聖杯戦争の参加者という立場を使って彼らに話を聞いてみると、ここの監督役である言峰綺礼という神父が何者かの襲撃を受けたというのだ。多量の血の跡は残されているが、死体は発見できずに生死は不明だという。一応監督業務である脱落した際の保護は行うので、心配しなくていいとも言われた。

 監督役の不在。これでは謀殺の仲介を依頼するなど期待できなかった。今回の参加者の内、同じ魔術協会からの出場であるランサーのマスターは知っているが、直接交渉しようにも現在の所在は知らないし、知っていても交渉する気は無かった。見返りに何を求められるか分かったものではない。他の参加者についても以下同文だ。

 

 そして途方に暮れて拠点に戻ってみるとこれだった。財と知識を尽くした工房は燃え、その中で佇むキャスターは効率の悪い工房は処分したという。

 もはや躊躇っている場合ではない。そう思い、令呪をもってキャスターに自害を命じた。しかし、反応は無い。もう一画、最後の令呪を使っても同様。キャスターは宝具をもって契約を断ち切っていたのだ。自らの存在を維持できなくなるのもお構い無しで。

 気が付けば、アトラムの体は燃やされていた。途中で何か恐ろしい幻覚を見せられた気がするが、それすら炎と一緒に焼け落ちた。魔術による高温の炎は工房は勿論、一緒に同行した一族の者、魔術のために用意した何十人もの生贄すらも焼き尽くし、生き残っているのはアトラム一人となっていた。

 

(こんな、ところで終わってなるものか、まだ戦ってもいないのに、くそ、何故だ、何故何故何故!)

 

 召喚はしたのに聖杯戦争の闘争を始める前に脱落する我が身が納得できない。その一心で炭化する体を動かし始めたアトラムは、ずりずりと体を引きずって最寄りのエレベーターへと移動していく。電源はまだ生きているし、火災も工房内で収まっている。エレベーターに乗って、自室で本格的に治療、その後に脱出して、と考えを回していく。

 魔術刻印の自己治癒はまだ健在、魔力も残っており、いつも身に付けている魔力の結晶をバックアップに回せば万全だ。確かにこのままここにいれば余命幾ばくもないが、移動してしまえば幾らでも手を打ちようはある。キャスターへの憎悪に染まった思考は一方でこんな風に冷静な部分をもって現状の打破のために動いていた。

 

 (この窮地を脱したら、別のサーヴァントを召喚して……いや、令呪を使い切ってしまったから別の陣営に頼み込んででもキャスターを殺す。自然消滅なんて許すか、自分を裏切った罪を償わせてやる)

 

 けれどもやはり憎悪で煮え立ったアトラムの思考はまともではなく、キャスターへの憎しみで体を動かしていた。自らもキャスターを謀殺しようとしていたはずなのにだ。

 皮肉なことに憎しみを原動力にした運動は無駄ではなく、アトラムはエレベーターの近くまで這いずる事が出来た。操作ボタンへ手は届かないが、魔術による遠隔操作程度の初歩の魔術は今の状態のアトラムでも使える。さっそくボタンを押そうと魔術回路を回し始めるが、そうする前にエレベーターの方から扉が開いた。

 エレベーターから降りる誰か。炎に包まれている工房にも関わらず、躊躇いなく歩を進めており、頑丈な軍用ブーツが床を叩く。脚も丈夫そうな生地のカーゴパンツ、上着はシャツの上に赤い革のジャケット、魔術師の目で良く見ればジャケットに使われている革は魔獣の物で魔術的な防御力が高い代物だ。外見だけなら日本の都市部で見られるカジュアルな若者の服装に見える。そんな服装を身につけた人物の顔をアトラムは知っていた。

 

「え……えみ、や」

 

 そう、アトラムが聖杯戦争に参加する何ヶ月か前。出入りする機会が多かった現代魔術科の研究室で見かけた顔だ。そこで生徒としてかのロードの授業を受けている傍らで、賞金稼ぎをやっている魔術師の少女だ。東洋人で、珍しい身の振り方をしているため名前だけは覚えていた。確か、衛宮立香。

 赤みがかった髪に縁取られた少女の表情は、何の感情も窺えない。無感情にアトラムを一瞥し、その後工房内の様子をぐるりと首を巡らして見渡し、どこか納得したような、呆れたような表情になった。

 

「た……助けて……くれ……」

 

 熱で喉を灼かれて掠れ声しか出てこないアトラムだったが、しっかりと届くように声を出した。卑賤な賞金稼ぎに助けを求めるのはアトラムとして業腹も業腹だったが命には代えられない。一時的にもプライドを飲み込むぐらいは出来るし、代価を求められてもある程度は応じるつもりだ。何はともあれ自分が助からない事には始まらない。

 この危機的状況にやって来た衛宮立香という少女は、アトラムにとって卑賤ながらも救いの手に見えた。――実際には止めを刺しに来た処刑人だったのだが。

 何かが弾ける音が数回、アトラムの耳に聞こえた。その後彼の意識は瞬く間に漂白されて、何も考える事が出来なくなった。

 これが、キャスターのマスターとして聖杯戦争に参加したアトラム・ガリアスタの最期だった。

 

 

 

 Re:Fate/stay night  ――ある末路 了

 

 




 今回でストック分が切れました。
 次回投稿は未定です。

 2018/12/19 若干の修正。


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邂逅成らず

 

 

 

 一歩、歩くごとに偽りの肉体は薄れていく。肉体を維持するための魔力は希薄で、現世に縁を繋ぎ止めておく要石(マスター)は自らの手で殺した。今回の聖杯戦争においてキャスターのクラスで呼ばれたサーヴァント、真名メディアの命運はここに尽きようとしていた。

 

 神秘溢れるギリシャの神代において魔女と呼ばれ、人々に恐れられてきた彼女だったが、その実態は英雄と神々に振り回される人生だった。

 さる英雄が先頭に立ち、多くの英傑達と共に海を越えてメディアの住まう国にやって来た。そこで英雄は国の宝を所望する。当然国の王は拒否するが、英雄を贔屓にする神々は王女であったメディアに目を向けていた。メディアと英雄を強引に接近させ、色香に惑うメディアを利用して宝を手に入れさせたのだ。

 その後もメディアは英雄と共に彼の故国に行き、しかし英雄の目的が果たせず国を逃げ、逃げた先で英雄に裏切られ、彼を見限るまで激動の生を送った。

 彼女は望んで激動に身を投じたわけではない。神々に偽りの恋心を植えつけられ、一目惚れをした英雄のために様々な策略を練り、手を染めてきた。被害者が加害者になっており、気が付けば戻れない場所に来ていた。

 

 帰りたい。全てが終わってしまった後、彼女が望むのは故郷コルキスへ帰ることだけだった。

 英雄に会う前、神々に偽りの気持ちを植えつけられる前、叶うならその時に帰りたかった。そんな都合の良い夢はどんな神秘をもってしても叶えられないのは優れた魔術師であったメディア自身良く分かっている。それでもそんな願いを持ってしまうのは止められなかった。

 だからこそ彼女は聖杯という奇跡に見初められたのかもしれない。

 万能の願望器、超級の魔力炉、神代の魔女と恐れられたメディアでもあるいはと思わせる器物を巡る戦いに彼女は応じた。もしかすれば本当に帰れるかもしれない。そんな淡い期待を持って。

 

 そして淡い期待を持って召喚に応じたメディアを待っていたのは、生前と同じ道筋と末路だった。

 どういう運命の皮肉か、彼女を召喚した魔術師は生前に彼女の人生を狂わせた英雄に良く似た男だった。容貌もその中身も良く似ており、メディアは内心でうんざりとした気持ちを抱いていた。運命や神々を呪うほどの気力はすでに生前で使い果たしている。

 彼女が振るう魔術に対する恐れ、その逸話に対する侮蔑に嘲り、サーヴァントという存在に対する優越感、マスターが見せる表情や感情さえも生前に接した英雄に似ていた。だからこそマスターがメディアに見切りをつけて殺そうとしているのはすぐに察しがついた。

 だから裏切られるよりも早く、メディアの方からマスターを裏切ったのだった。

 

 そうしてキャスターたるメディアはここに行き着いた。生前と似たような末路を迎えて。

 夜中から振り出した雨が彼女の体を濡らしていく。冬の雨は刺すように冷たく、吐く息の白さも濃い。霊体化すれば寒さ冷たさから解放されるだろうが、現世での要たるマスターを失ったサーヴァントが霊体化すればそのまま消滅してしまいかねない。だから彼女はここ円蔵山の霊地まで歩いて来たのだ。

 マスターを始末したメディアは、消滅を免れるために冬木の霊地である円蔵山、そこに建てられた柳洞寺を目指すことにした。冬木市街地を偵察していた時に発見した魔術工房を作るのに良好な土地で、サーヴァントのような霊体の進入を遮断する結界もあって守りは堅く、一度中に入ることが出来ればメディアにとって最高の立地になる場所だ。

 結界の中に入れれば、消滅までの時間はまだ少し延びるし、その時間を使って柳洞寺にいる誰かを操り仮初のマスターにして、魔力は聖地に集まる地脈を使って市街地にいる人々から集められる。

 まだ聖杯戦争は終わっていない。メディアは自身の運命に関しては諦めていたが、この聖杯戦争はまだ諦めてはいなかった。

 魔力の消費を抑えるために神代の魔術をほとんど封じ、衆目を集めないための視線避け程度の魔術だけでここまで歩いてきた。

 

 帰りたい。ただそれだけの願いのために。

 

「――あ」

 

 円蔵山の山林部分に差し掛かり、地面は舗装されたアスファルトから剥き出しの未舗装の大地になった。そのせいでメディアは地面に出ていた木の根につまづき、そのまま力なく転がった。神代の魔女と恐れられても彼女はあくまで魔術師であって戦闘者ではなく、さらには魔力不足からくる身体能力の低下も合いまって無様に転ぶ結果を生んだ。

 仰向けになったメディアの顔に冷たい冬の雨が当たっていく。

 

「――ふ、ふふ……」

 

 不意に今の状況がおかしくなってきて、口から嘲りの笑みがこぼれ出る。余りにも惨め過ぎるがために。魔力は枯渇寸前、泥まみれ、それでもまだ諦め切れない生き汚さ、他者から見ればさぞ滑稽に映るだろう、と自嘲する。

 でも滑稽でもまだメディアは聖杯戦争を続けるつもりでいた。

 

「……帰りたい」

「そうかい。でもアンタはここで終わりだ」

「――っ!」

 

 口から漏れた呟きにあるはずの無い返事が返ってきた。力の出ない体を無理に起こし、次に神言を口にすべく口を開く。メディアの魔術は神代のもので、現代の魔術師が瞬間契約(テンカウント)と呼ぶような大魔術さえ神代の力ある言葉、神言を一言口にするだけで成してしまう。

 魔力は枯渇していても、まだサーヴァントの一騎程度は仕留められる余力は残していた。この周到さが彼女を英霊たらんとせしめる部分だ。戦闘は不得手でもあらかじめ用意した罠や策略でもって事を成していく謀略家。聖杯戦争となれば、敷いた陣地を中心に優位な状況を作り上げていって最終的な勝利を目指す戦い方をするだろう。

 ただ、そんなifはすでに存在しない。

 

「がっ……!」

 

 神言を唱えようとした口が物理的にふさがれた。どこからともなく飛来した矢がメディアの喉を射抜き、その衝撃を自覚する前に更なる矢が別の方向から飛んできて彼女の手を撃ち抜き、魔力で構成された仮初の肉体が痛みを覚える時には第三の矢がまたもや別方向から飛んできて胸に突き刺さった。

 魔術を行使する喉と手を潰し、致命傷になる心臓への一射。メディアにとっても一瞬にしか感じ取れない間に放たれた三連射は、彼女を完全に戦闘不能へと陥らせた。

 

「――っ! ――っ」

 

 痛く熱い感触と衝撃に再び地面に体を倒したメディア。喉が射抜かれ神言どころかまともな言葉さえ出てこず、ひゅーひゅーと息が漏れる音だけが口から鳴るばかり。神言が駄目でも簡単な魔術なら指を振るえば行使できるが、手も同様に射抜かれておりまともに動かせない。痛みをこらえてやろうと思っても動かず、妙な痺れさえ感じる。もしかすると毒の類が矢に塗られているのかもしれない。

 そして胸に刺さる矢は致命傷だ。サーヴァントが現世で存在する上でもっとも重要な部位、霊核が射抜かれており修復不可能なダメージを負っていた。ただでさえ魔力が枯渇状態のところにこのダメージは止めを刺すに充分過ぎるものだった。

 魔力で構成された肉体は崩壊を早め、末端部分から消滅していく。その速度は速くメディアが抵抗する時間さえ無い。数秒で体幹部分も消滅し始め、最後に頭部が消滅して後には何も残らない。

 消滅寸前、メディアの口が開いて何かを呟いたが声になることはなく、彼女は聖杯戦争における最初の脱落者となった。

 

 

 その数分後――メディアが消滅した場所に一人の男がやって来ていた。

 彼は聖杯戦争とも魔術の世界とも一切関わりのない無関係の人物で、夜遅くまで職場で残業をしていた帰りにここに立ち寄っていた。ここは彼が居候している柳洞寺のふもとで、通り道から外れた地点だ。普段なら足を踏み入れる機会の無い場所だったが、男は何らかの異常を感じてここに足を運んでいた。

 しかし、男が来たときにはすでに事が終わった後のようで、雨に塗れた地面に何かが倒れたような痕跡がある他は何も無く、感じ取った異常もすでに霧散していた。柳洞寺の方向を見ても異常は無い。ならば男に出来る事は何も無く、ここで何があったか考えるよりも速やかに帰宅して明日の仕事に備えたほうが理に適っている。男はそう結論を下して住まいのある柳洞寺へと歩み去っていった。

 別の世界線において運命の邂逅があったかもしれないこの場所も、ここでは一騎のサーヴァントの消滅地点としかならない。聖杯戦争は冬木の地で余人に知られることなく今夜も密やかに進行していた。

 

 

 

 Re:Fate/stay night  ――邂逅成らず 了

 

 





 若奥様ファンの方々にはスイマセン。この話には若奥様なメディアさんは登場しません。

 若干の修正した際、立香の革ジャケの色が赤色に変更しました。ジャケットのイメージとしてはCCCの紅茶さんか空の境界の式さん。

 近日中に次の投稿もする予定です。


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雨と紫煙

 

 

 

 静か過ぎる夜の空気にサイレンがけたたましく鳴り響く。一つではなく幾つも連なるようにドップラー効果を引き連れて夜の街を騒がす音源は何台もの数で走る消防車両と救急車両、警察車両といった緊急車両の車列だ。

 人気が無く、車の通りもほとんどない道路を車列は猛スピードで走っていく。残業や夜勤で街にいる人々が何事かと窓から様子を伺っているのが見えたが、それもごく僅かな数に留まっている。大多数の人にしてみると所詮は他人事で、無視しても問題の無い出来事だからだ。

 そういった都市の無関心さに守られて立香は現場を悠々と離脱していた。目撃者無し、監視カメラの位置も把握して離脱ルートはクリア。仮にキャスターのマスター殺害で警察が捜査に動いても立香に繋がる証拠は出てこない。それ以前に聖杯戦争を監督する聖堂教会が介入して不幸な事故として処理されるだろう。

 教会の人員の旗振り役であり監督役の神父、言峰綺礼が不在でも教会は問題なく機能する。キャスターのマスター、アトラム・ガリアスタの遺体を始め、工房施設、一族の遺体、その他魔術に関わる神秘の痕跡を完璧に消してくれる。

 今回は死体処理の必要が無くて楽だな、と立香は歩きながら思う。時として死体を隠匿したり、焼却処理、薬品で溶解処理、信頼できる死霊術師(ネクロマンサー)に売りつけたりしてきた経験からすると後始末が楽なのは喜ばしい事だ。

 ふと後ろを振り返り、自分が歩いてきた新都のビル郡を見やる。墓標のように林立するビルの中、一つのビルから一筋の煙が立ち昇っているのが見える。アトラムの工房から出火した火災は、本格的に建物内部を燃やし始めたようだ。先程すれ違った緊急車両の車列はその火災現場へ向かっている。

 

 あのビルはアトラムが石油王の財を使って一棟丸々買い上げた建物だった。内装を変えて魔術的な工房へと仕立てており、その際に不審物などは徹底的に除去されている。立香はあのビルにも買い上げられる前に爆薬を仕掛けており、魔術師が陣取ったらビルごと爆破できる仕掛けを施していたが見事に対処されていた。予備策として空調にも仕掛けがあり、ビル丸ごとガス室にするトラップもあったがこれも同様だった。

 罠が解除された時は攻略に手間がかかるな、と考えていたのだが終わってみれば相手の自爆というあっけない幕切れだった。肩から提げたドラムバッグに詰め込まれた武器の数々もほとんど使うことなく、幾らかの魔力と数発の弾薬を消費しただけで終わってしまった。

 サーヴァントという規格外の霊体で内側から強引に破壊された結界は侵入するのに容易く、行く手を阻むはずの数々の魔術的トラップも機能不全、敵マスターもサーヴァントに裏切られて虫の息、例えあの場に立香が居なくても火に巻かれて死ぬか、別のマスターに襲われて死ぬ未来しかアトラムには残されていなかっただろう。

 準備は入念にやっていたようだが、肝心のサーヴァントに裏切られては話にならない。立香としても他人事ではないので教訓として受け入れ、顔見知りであったアトラムの死を糧とした。

 

 夜半から降り始めた雨は止むことなく、しかし強まることもなく静かに降り続けている。手がふさがるのを嫌って傘を差さずに歩いている立香の体はすでに全身しっとりと塗れていた。冬の冷たい雨は立香の体を芯から冷やしていく。けれど彼女は顔色ひとつ変えずに夜の新都を誰の目にも留まらず歩いていく。程なく新都の一画にあるコインパーキングに着き、移動に使ったデミオに戻ってきた。

 デミオの後部座席にドラムバッグを入れて運転席に入ろうとする前、立香は何気なく動きを止めた。自然と口から溜め息が漏れ出る。冬の冷たい大気の中で溜め息は白く染まり、暗い空へと昇って消えていく。その様子を立香は何となく見詰めた。

 

「――まずは一人、か」

 

 召喚初日にマスターを一人仕留められたのは僥倖で、幸先の良いスタートと言える。その事に何か思う部分があるのか立香の口から言葉が漏れる。が、続く言葉は発せられることはなく言葉は白い吐息と一緒に消えた。

 立香は新都の狭い空を見上げたまま、手をジャケットのポケットに入れてオイルライターを取り出した。ハチドリの刻印があるシンプルで飾り気の無いデザインで、使い込まれているのが一目で分かるくらい古びているライターだ。反対の手もジャケットの別のポケットをまさぐるが、求めていた物の手ごたえが無い事で止まる。

 

「そういえば日本に来る前に吸い尽くしていたんだった……どうしたものか」

 

 立香は養父切嗣の影響、その後に師事した人物の影響もあって喫煙者である。といっても影響を与えた人物達ほどに吸う本数も頻度も多くはない。魔術的な呪具として使う時、独りでくつろぎたい時、そして今のように『仕事』で一区切りをつけた時に一服つけるのが彼女のスタイルだ。それはもしかすれば、古いタバコのキャッチフレーズにあるように人生に句読点をつける意味合いからかもしれない。

 立香がこれまでの人生全てをかけて挑む聖杯戦争であってもこのスタイルは変えるつもりはなかった。しかし冬木に来る前にタバコを切らしていたのをすっかり忘れていた。元々吸う頻度が低い事と、準備に追われていつの間にか忘れていたのだ。

 タバコの銘柄に強いこだわりはない。何なら近場のコンビニで買ってきても良いが、立香は未成年で間違いなく断られる。偽造した運転免許証を提示するか、簡単な暗示の魔術で誤魔化すという手段も取れるがタバコを買うためだけに危険な橋を渡るのは違うと思う。しかし長年染み付いたスタイルを崩すのも気分が悪かった。

 思わず口に出るくらいに困った立香は手を未練がましく胸ポケットの辺りに持っていく。すると手ごたえがあった。取り出してみると求めていたタバコが出てきた。日本では馴染みの無いデザインのパッケージで、大きく『煙龍』と銘柄が表示されている。立香には買った覚えのない物だ。

 

「……あー……そういえば、貰ったなあの魔術師から」

 

 立香は聖杯戦争に向けて己を強化、鍛錬するため有用な魔道技術を求めてつい最近まで世界を飛び回っていた。その中でルーンにまつわる技術を求めた際にさる魔術師と接触し、対価としてある古刀の修復を手がけ大変喜ばれた記憶がある。このタバコは上機嫌なその魔術師が去り際に寄越した物だ。

 何でも台湾製で職人が気まぐれで作った物らしい。その時は手持ちのストックがあったので吸う事なく、いつも着ているジャケットにしまいそのまま現在に至っている。その事を立香は思い出したのだった。

 せっかくだし、という気持ちで『煙龍』の封を切ってオイルライターで火をつけて一服つける事にした。

 

 ――不味い。タバコの銘柄にこだわりが無い立香でも積極的に吸いたいとは思わない風味が彼女の肺腑に広がる。工場で製造される安定した品質の銘柄に慣れた立香にとって職人の手作業で作られた物は厳しかったようだ。

 別の世界線でとある死霊術師が吸うたびに世界への無常感を抱いてしまうと評したタバコの風味が立香の肺腑を汚す。紫煙が加わり、より濃く白くなった吐息はゆっくりと空へと昇る。不味くても吸うのを止めない立香は、デミオに背を預けて一時だけ気を緩めた。

 これまで築き上げてきた聖杯戦争への準備、敵である他の陣営の動き、用意した各種武器のストック、考えるべき事柄は山のようにあってしかも制限時間つきだ。けれど、この一時だけは全てを忘れて肺に入る紫煙と顔に当たる雨の感触だけに身を任せる。火に包まれていた工房から出てきたので冷たい雨が心地よく感じられた。

 

「風邪ひいちまうぜマスター」

 

 不意にすぐ傍からかけられた声に立香は驚くことなく、首だけを動かして横を見た。いつの間にか居た緑衣のアーチャーが彼女のすぐ横に現れており、立香と並ぶようにデミオに背をもたれかけている。アーチャーは身に纏っている深緑のマントに付属しているフードをかぶっており、表情はいまひとつ窺えない。けれど立香には確かに視線は感じられ、それは彼女に向けられている。より正確には彼女の手元に集中していた。

 思ったより早かったな、などと予想より早い帰還に立香は内心感心しつつ、しかし表には一切出さずに口を開いた。

 

「報告して。仕留めた?」

「ああ、きっちり後腐れなくな。首とか耳とか証明出来るものがあったら良かったんだろうが、生憎とサーヴァントだと死体も綺麗さっぱり消えちまうから信じてもらう他はないんすけどね」

 

 問題なくサーヴァントを仕留めてきたと言うアーチャーの報告を立香は信用する。召喚初日のこの時点でマスターを裏切る意味など無いし、キャスター側から何らかの交渉を持ちかけられた可能性もアーチャーの戦闘スタイルを考えれば薄い。アトラムの工房に突入するのに集中して視覚共有で状況確認は出来なかったが、アーチャーの言動は問題ないと判断した。

 

「分かった信じる。こちらもマスターに止めを刺してきたし、初日から陣営を一つ潰せるのは幸先が良い。……ところで、吸う?」

「お、いいのかい」

「さっきから物欲しそうな目をしていた。それとも気のせい?」

「いいや、気のせいじゃないさ。そんなにバレバレな目をしてたのかオレ」

 

 立香が『煙龍』のパッケージを向けて勧めてみると、アーチャーはどこか嬉しそうに一本抜き取って口に咥える。そこに立香がオイルライターで火が点けた。

 オイルライターのレバーが引かれると本体のカバーが上がって、レバーが内蔵されたバネの力で勢い良く戻ればヤスリがフリントを削って火花が散る。着火した火にアーチャーは一瞬だけ目を白黒させたが、結局はそういう便利な道具だとすぐさま理解して咥えたタバコに火を点けた。その態度からすると彼にとって、魔術の火もライターの火も大差ないもののようだ。

 程なく空へ立ち昇る紫煙が二本になった。

 

「お、悪くないな」

「……本気? これ、現代の基準だと不味い分類なんだけど」

「そうかい? ドルイドが焚く香の類に比べればずっとマシだぜ」

 

 アーチャー曰く、生前の育ての親がドルイド僧で魔術方面も齧っていたという。そのため薬用や祭事で乾燥させたハーブ類を焚き染めたり、煙を吸引したりする事もあったそうで、その時の物と比べれば『煙龍』の不味さは気になるレベルではないそうだ。

 美味そうに『煙龍』を吸うアーチャーを見ていると、不味そうに吸っている自分が酷く損をしている気分になる立香だった。その不味そうにしている顔を見られるのが何となく嫌だったので、アーチャーからを顔を逸らしつつ不意に思い浮かんだ事を口にした。

 

「アーチャー、貴方はなぜ聖杯を求めるの?」

「ん? 今聞くんすか、それ」

「今急ぎの用件は無いし、聞く時間はある。マスターとサーヴァントは必ずしも協力する必要は無いけど、協力したほうが勝率が上がるならコミュニケーションの意義はあると思う。後は利害の確認かな」

「勝つため、利害の確認のためっすか。徹底してるねぇマスターは」

 

 立香の実利一点張りの質問に呆れ半分で苦笑するアーチャー。それでも答える気はあるらしく、「そうっすね……」と呟きながら空を仰ぐ。釣られるようにして立香も空を見上げる。新都の高層ビルで狭められた空は重苦しく閉塞感を覚え、低く垂れ込んだ雨雲もそれを助長させている。

 空を二人して見上げてしばらく、立香の咥えたタバコが若干短くなった頃にアーチャーは言葉を紫煙と一緒に口から漏らした。

 

「実のところ、どんな願いも叶える万能の願望器って物には疑いをもっているんすよ。世の中美味い話には裏があるって良く言うでしょ? ……ただ、万能とはいかずともちょっとでも願いが叶うならオレもおこぼれに預かりたいもんだ、って程度の気持ちで参加したわけですよ。――それで、マスターとしてはどうなんすか? 自分のサーヴァントがこの位の気持ちで聖杯戦争に参加しているってのは」

 

 自らの発言を茶化すようにした回答をよこすアーチャーに、立香は問題なしと判断を下した。

 聖杯戦争に招かれる英霊は様々な願望を抱えて現世にやって来る。強者との戦い、誓いを果たすため、存在意義のため、等々動機や理由は英霊によって様々だ。このロビンフッドの名を襲名した青年の場合だと、万能の願望器には疑いを持っているが、わずかでもご利益があるならマスターのおこぼれに預かって懐を暖められればラッキーといった程度だという。

 聖杯を心から望む真っ当な英霊が聞いたら怒りだしそうな動機だ。良くも悪くも小市民的な感覚で彼はアーチャーのクラスに収まったらしい。

 このアーチャーの参加理由なら利害がぶつかる事はないだろう。もし違った場合でもその時に対応すれば良い。そのための令呪だ。聖杯を前にして主従が対立する可能性は減ったと判断した立香は、デミオのドアを開けながらアーチャーに答えた。

 

「問題ない。利害がぶつからず、私が求める戦力になるんだったらどんな動機でもね。さっきも言ったけど私が確認したかったのはアーチャーと私の利害が衝突しないかどうかだったの。乗って、ホテルに戻る」

「……りょーかいりょーかい、色々と素っ気ないねえマスターは。せっかくの美人さんなのに、そんなんじゃ男が寄り付かないぜ」

「それも問題ない。色恋を覚える事より戦闘技術を習得する方に意義を見出す人間だよ、私は」

「そんなもんですか。もったいねえな」

 

 立香の答えに釈然としないままアーチャーはデミオに乗り込み、それを見計らって車は発進してコインパーキングを後にする。

 新都に響くサイレンの音はまだ鳴り止まず、深く静かな夜に溶けていった。

 

 

 

 Re:Fate/stay night  ――雨と紫煙 了

 

 




 今回の投稿はここまで。次回は未定ですが、本年中の投稿はないでしょう。
 またストックが溜まり次第投稿いたしますので、どうかよろしく。


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その一週間前

 

 

 

 石造りの質素で厳粛な雰囲気の室内、その雰囲気を壊さない色調の電灯の下で一人の男が机に向かって書類を読んでいた。

 三十代後半、身長二mに迫る長身に加えて着ている法衣(カソック)の上からでも分かる鍛えられた肉体は見る者に圧力を感じさせる。さらには纏っている雰囲気までも厳粛で、彼が居を構えているこの冬木教会の重苦しい空気と非常にマッチしていた。

 彼は先述したように事務仕事で使う木製の机に着いて、ある書類に目を通していた。それはこの冬木の街で余人に知られる事なく開催された聖杯戦争に関連した報告書であり、書類の提出者は冬木の街に複数いる教会の協力者からだった。

 

「――――ふむ」

 

 一通り目を通した男、言峰綺礼(ことみね きれい)は口から軽くため息を吐いて書類を机に置いた。書かれている内容は彼の関心を引いていて、読み終わった言峰は視線を部屋の天井に向けてここではないどこかに思いをはせていた。

 報告内容は数日前に冬木市の新都にある公園で起こった小火(ボヤ)について。深夜に起こったため発見が遅れた割に火災は広がらず消火も速やかに終わり、騒動としては極めて小さなものだったが、現場で魔術の痕跡が確認されたため教会の構成員が動いた。この時期に魔術となれば聖杯戦争に関わっている可能性は大きいからだ。

 

 小火の原因は人為的な放火によるもので、用いられた道具の写真も書類に添付されている。相当な高温で原型もなく溶けているが、辛うじて残っている塗料や表面に書かれている文字から推測は可能だ。

 米軍で使用されている焼夷手榴弾。テルミット反応によって1000℃という高温の炎を発する代物で、軍隊では強力な火付けとして使われている。

 これだけだったら警察の出番だったが、この小火の現場周辺には人除けの結界の痕跡もあった。発見が遅れたのはこの結界のせいで、教会が動いたのもこのためだ。神秘の漏洩を防ぐのは魔術協会、聖堂教会双方に共通した行動原理だ。

 結界に囲われた場所での火の使用。何らかの魔術儀式が行われたかと調査したが、どうやら燃やされたものが問題だったと分かった。

 

 これも極めて高温で焼かれたため原型を推測するのが困難だったが、焼夷手榴弾で燃やされたのは何らかの生き物だった。

 それも甲殻や焼け残った脚などから大量の虫だと推測。魔術的な改良が加えられた痕跡もあって、使い魔の妖蟲の類と報告書には書かれている。

 この冬木で蟲を使う魔術師、言峰に心当たりは一人しかいなかった。

 

 間桐臓硯(まとうぞうけん)。この冬木の聖杯戦争を始めた三つの魔術師の家の一つ、間桐家のご隠居。500年も生きている一種の妖怪だ。そんな人物がどうやら襲撃を受けたらしい。

 臓硯はすでに全うな肉体は持っておらず、使い魔の蟲に魂魄を移しており、その本体の蟲を潰さない限り群体の蟲をいくら潰したところで無意味だ。10年前に対峙したこともある言峰はそのことを知っているが、この襲撃者は間桐臓硯のそういった部分まで知った上で実行したのだろうか?

 報告書には現場からは他にも有機リン剤が撒かれた形跡もあったと書かれている。殺虫剤の一種だ。間桐臓硯がどういう存在なのかは理解しているようだが、対処法がいちいち魔術師らしからぬ手法だ。

 そしてこの魔術師らしからぬ魔術師についても思い当たる人物が言峰にはあった。その人物に対峙したのもの10年前だった。彼が今現在どうしているか、興味を失ったために調べていなかったのが今更のように悔やまれる。

 

 10年前、それは前回の第四次聖杯戦争があった時だった。

 言峰は前回の聖杯戦争に参加した元マスターだった。その戦いの中である解答を得て、さらに求めるものが見つかった。その求めるもののために今回の聖杯戦争も参加するつもりだった。

 聖杯戦争を監督する立場を利用して暗躍する算段を立て、マスターならぬ身でサーヴァントに対抗する手段も手にする予定があった。ただ、言峰が思い当たる人物が再び聖杯戦争の場に出てくるのならば予定は大幅に変えなくてはいけないだろう。

 

 当初は外来の魔術師として魔術協会から参加する魔術師のサーヴァントを奪って聖杯戦争に参加する予定だった。研究職が多い魔術師の中でも武闘派のひとつ封印指定の執行者がその魔術師なのだが、言峰とは顔見知りでありどこか心を許している節があった。武闘派魔術師とはいえ付け入る隙は幾らでもあると彼は見ている。

 すでに冬木に到着しており、市街地にある協会管理の建物に居を構えているのも言峰が知るところだ。到着のタイミングで霊器盤に動きが見られ、召喚されたクラスがランサーであるのも分かっている。生憎とどんな英霊が召喚されたかまでは霊器盤で知る事は出来ないが、偵察要員と割り切ればどんなサーヴァントでも言峰にとっては問題なかった。

 後はどの時期にその魔術師からサーヴァントを奪うか。そう考えていた矢先にこの報告、言峰にとっては出鼻をくじかれた気分だった。加えて昔の古傷を抉られたような苦い気分も混じる。

 この襲撃者が間桐臓硯を完全に殺しきれたかどうかも不明だ。ただ、聖杯戦争の裏事情を知っているだろう臓硯を襲撃する辺り襲撃側も聖杯戦争の事情をある程度知っていると考えるべきだろう。予定の変更は慎重に行うべきだ。

 

 机に向かってしばし今後の予定を思案していた言峰。その耳に物音が聞こえた。それは礼拝堂の扉が開閉する音。彼がいる部屋と礼拝堂との仕切りは意図的に薄くなっており、来訪者をすぐに察知できるようになっている。手近にある置時計が指し示す時刻は午後6時過ぎ。冬の季節ならば外はすっかり暗く、夜の帳が降りている時間だ。

 この日この時間に来訪する予定の人物に心当たりはない。急な来訪者、しかもこの時期となれば聖杯戦争関係者か、と当たりをつけつつ言峰は対応するため礼拝堂へと向かった。

 しかし礼拝堂に現れた来訪者の姿は言峰の予想を若干外すものだった。

 

「……あ、この教会の神父さんですか? 夜分にすいません」

「そうだが、学生の君が教会に何の用かな? 神の家は広く開かれているものだが、用件を伺いたい」

 

 来訪者は一人の少女だった。しかも着ている服装は言峰が見慣れている学園の制服だ。ブラウスの上にベージュのベストとブレザー、丈の長い黒のスカート、赤いリボンタイに袖口や襟の赤いラインがアクセントになって冬木のみならず県内でもお洒落だと評判になっているデザインの制服。私立穂群原学園の女子制服を少女は纏っていた。

 言峰が後見人を務め、魔術の妹弟子でもあり、今回の聖杯戦争では参加予定者でもある遠坂凛(とおさか りん)が通っている学園の生徒。年の頃も妹弟子と同じであり、体捌きや足運び、纏っている雰囲気などから魔術に関わりのない一般人だと思われる。やや強いオーデコロンの香りが言峰の鼻についたが年頃の少女の嗜みと考えれば気になるほどではない。

 総じてこの教会に来るのが不思議に思える一般人だった。熱心な一般信徒だとしても教会が開くミサはしばらく予定にないし、この時間帯に来る意図も分からない。なので言峰は少女に尋ねることにした。

 穂群原の女子生徒は、言峰の問いにやや躊躇いがちな所作を見せつつ自身の手の甲を掲げて見せた。

 

「これについてなんですけど……これを見た遠坂さんが、ここの教会にいる言峰神父を尋ねてみなさいって……」

「……ほう」

 

 少女の手の甲にあったのは三画の魔術的な刻印、令呪だ。これがあるという事はこの少女は魔術師で、聖杯に見出された戦争参加者のマスターという事になる、と考えるの普通だが、目の前の少女からは魔術師らしい気配も感じられず、言峰の目にはごく普通の日本の一学生にしか見えない。

 事情を訊いても突然手の甲に入れ墨みたいな紋様が現れて混乱して、そこに妹弟子が冬木教会に行くよう助言をしてくれた、という以上の話は聞けなかった。

 ならば考えられるのは、偶発的に魔術の素養を持ってしまった突然変異か、魔道を捨てて在野に下った魔術師を先祖に持つかで、たまたま聖杯に選ばれてしまった不幸な少女である可能性だ。前回の聖杯戦争にもそういった手合いが居たのを知っている言峰は、この少女の経緯についてすぐに察しがついた。

 大方、発現してしまった令呪を妹弟子が見つけてしまい、この少女から事情を聞いた彼女は後始末を言峰に押し付けたのだろう。彼女自身も参加者であるため準備に忙しいと聞くため、適切な処置をするなら教会に託してしまおうという考えだ。それなら妹弟子自身が付き添いで来ないのが気になったが、これも言峰の顔を見たくないからなどで、深い事情は無いのだろう。

 ここまで考えた言峰は、少女には聖杯戦争の事は話さず令呪を移譲してもらい、少々記憶処理を施した上で帰してしまおうと処置を決めた。何も知らない一般人の少女が血生臭い魔術師の世界を知る必要は無い。聖杯戦争で物騒にはなっているものの、穏やかな日常に一般人を戻すのは聖職者としての勤めの内だと考えたのだ。

 言峰という男は性格に致命的な歪みを抱えてはいても、聖職者としては極めて正調で真っ当な人物だ。魔術の気配が無い一般人には聖者のごとき振る舞いを見せることもある。

 言峰は少女を安心させようと努めて穏やかな表情と声で話し始めた。

 

「確かに、それの処置を私は出来る。そのままにしておくと君にとっては不利益な出来事が起こるだろう。そこの椅子に座って待っていなさい。準備をしてくる」

「あ、あのお金とかは?」

「不要だ。確かにこの言い回しではいかがわしい霊感商法の類に思えるだろうが、その刻印を消去したほうが君のためになるのは間違いない。その時に料金は一切請求しないと主に誓おう。まあ、寄付や布施をしたいというなら受け付けるが」

「あ、ありがとうございます」

 

 言峰の冗談めかした台詞に少女は心のガードをやや下げたのか、軽く微笑みを見せた。これで良し、と踏んだ言峰は必要な道具を持ってくるため礼拝堂から出ようとする。令呪の移譲自体はこの場ですぐに出来るが、記憶の処置ともなれば相応の礼装を必要とする。それを取ってこようと言峰は少女に背を向けた。向けてしまった。

 

 この時の言峰綺礼に不備は無かった。油断も無かった。彼が所属する聖堂教会は世界的な宗教の裏側に位置する組織で、異端と認定した存在を相手に日々激闘を繰り広げている。魔獣や死徒と呼ばれる吸血種、そして魔術師。戦い方も撃滅、封印、交渉と様々な形で渡り合う。

 言峰はそういった激闘の前線を担う代行者(エクスキューター)だった前歴がある。現在は一線を退き、冬木教会に収まっているが鍛錬は怠らず、その鋼の肉体を維持していた。

 そんな経歴がある言峰が、目の前の少女は仮に敵対しても害にならないと判断してしまった。魔術師や死徒を相手取る代行者という戦闘者は決して甘い存在ではなく、裏組織の聖堂教会の中でも一際血生臭く、異端討伐の修羅であり一級の殺戮者で人間兵器とも言うべき存在に与えられる称号だ。一度でもその称号を得た言峰は今でも戦闘者としての牙を持っている。

 だが、彼は一線を退いており、肉体は鍛錬で維持していても勘の働き、咄嗟の判断は鈍っており――なにより少女の擬態能力と一瞬の隙を嗅ぎつける嗅覚は、言峰の察知力を超えていた。こうなった原因を答えるならこれに尽きる。代行者の前歴をもった一級の戦闘者の判断を誤らせるほどの擬態能力、わずかに見せた隙を嗅ぎつけ容赦なく突ける躊躇いの無さ、少女は暗殺者としてそれほどの能力を保有していた。

 

 ヒュン、と空気を軽やかに切る音が礼拝堂に鳴った。その瞬間言峰は自らの体のバランスが崩れたのを感じた。具体的には右腕の重さが無くなった。

 言峰が首を巡らして見てみると、右腕が肩口から無くなり血を噴き出していた。彼の目には腕を切り取った肉厚の刃が見え、その柄を少女が握っていたのを認めた。

 そこまで視認した言峰の行動は極めて迅速だった。切り取られた腕からくる痛みを無視して跳躍、間合いを取り、残った左腕の袖口から黒鍵と呼ばれる投擲用の剣を三本取り出して刀身を展開。ここまでわずか数秒、代行者の前歴に相応しい水際立ったものだ。

 言峰の本来の戦闘スタイルは中華拳法を主体としたクロスレンジでの格闘戦だが、片腕がもがれた上に出血も勘案すると格闘戦は厳しいと判断した。黒鍵で牽制し速やかに離脱、すぐに止血などの処置をするべき。言峰はほんの僅かな時間でそこまで考え行動した。

 だが、暗殺者の少女は言峰の行動を待つわけがなく、取り出した黒鍵を構える前に次の行動を起こしていた。

 

 少女の刃を握る手とは反対の手が上がる。光を反射しない黒い小さな塊、拳銃だと言峰は一瞬で判断した。少女の握る拳銃の銃口が言峰に向けられる。

 黒鍵を強化魔術で肥大化させそれを盾に防御するか? 却下、予備令呪抜きでの瞬間的な魔術は精度に不安が残る上にこの距離では間に合わない。この一瞬なら防御しつつ間合いを詰めてカウンターを取るべき。銃口を前に瞬間的に言峰はそう判断した。

 言峰が着用している法衣は聖堂教会から支給されている戦闘用のものだ。ゲプラー繊維で編まれ、防護呪札で隙間なく裏打ちがされ、物理的にも魔術的にも優れた防御力を発揮し、9mmの拳銃弾なら至近距離でも防ぐ性能を持っている。それでも肉体に伝わる衝撃は鍛えあげられた肉体で緩和しうる。ただし刃物による切断には弱く暗殺者の刃で切り裂かれてしまったが、拳銃程度ならばと言峰は片腕で頭部を守る防御姿勢をとった。

 しかし、ここでも言峰の考えを読んでいるかのように少女の策は彼を追い詰める。

 

 発砲。礼拝堂に響く銃声より速く銃弾が幾つも言峰めがけて殺到する。少女の連射能力は高く、拳銃はマシンガンのように瞬間的に幾つも弾丸を吐き出してきた。

 防御する言峰の体に次々と着弾する銃弾。法衣越しでも伝わる衝撃。そこまでは想定していた彼でも続く出来事は予想外だった。

 銃弾は法衣のゲプラー繊維の守りを貫通し、裏打ちした防護呪札も貫通、鍛えた肉体の守りもわずかな抵抗にしかならず、言峰のバイタル部分である内臓に到達。さらに弾丸は質の悪いことに言峰の体内で横転し、運動エナジーが無くなるまで暴れまわった。

 少女が使用している拳銃はFNファイブセブンピストル。同時期に開発されたFNP90のサブアームとしてP90と同じ弾薬5.7mm弾を使用している。この弾薬は、開発経緯からしてボディアーマーを着用したテロリストを殺傷することを目的としており、ゲプラー繊維の法衣であっても貫通しうる能力を持っている。さらにストッピングパワーを持たせるため、敵の体内で横転しやすい構造にもなっていて殺傷力も充分だった。

 少女は言峰の装備を知っているために、それを貫ける武器を持ってこの場にいる。この場での優位は情報の差でもあった。

 

 ダメージを受けて膝をつく言峰。そこに止めを刺そうと少女は拳銃を構えなおす。腕を切り取った刃はどういう仕組みか魔力の燐光を残して消え去り、ファイブセブンのグリップを両手で保持する。そこに淀みも余計な力みもなく、熟達したガンスリンガーの姿があった。

 さっきまで言峰が感じていた無害な一般人の学生の姿は消え去り、戦闘術に長けた暗殺者が代わりにいた。魔道の気配もかすかに感じられ、言峰はここでようやく少女が魔術に関わる暗殺者だと判断した。

 

『……くっ。因果な』

 

 少女を通して過去の記憶を再び思い出した言峰は、一瞬だけ自嘲とも苦笑ともつかない笑みを浮かべた。

 ダメージは深刻。片腕がないばかりか銃弾で内臓まで損傷している。出血も激しく手当てをしなければ一時間と持たない。そんな状態でも動ける辺り言峰の身体能力は超人的であり、代行者の前歴は伊達ではなかった。

 少女も言峰の能力を高く見積もっており、そのために確実な止めを刺すべく弾倉に残った銃弾全部を撃ち込もうとした。

 

「騒がしいな。貧相とはいえ、王の閨と知っての狼藉か、雑種」

 

 耳が聞こえる者全ての動きを止め、注目を集める王の声、そう評すべき言葉が礼拝堂に響いた。

 少女が首を横に振って、声の出所に視線をやる。礼拝堂に幾つも設置されている信徒のための長椅子。その内の一つに一人の男がいた。黒い高級そうなライダーススーツを身に纏い、鮮やかな金髪をもった偉丈夫。そして放つ雰囲気は人の領域を超えた巨大な何かだ。

 金髪の男は今しがたまで寝ていたかのように長椅子に寝そべった体勢で、今は上体だけを起こして少女を見やっている。男の赤い目に射抜かれた少女は、酷く重い重圧感に晒される。魔術的なものではなく、男が持つ超人的な威圧、一種の気当たりである。

 少女は男の事を知っている。勝ち目が無いことも。だからこそ男が居ないタイミングで仕掛けたが、どこかで読み違いが起こってしまったらしい。少女はそこまでを考えると、思考を全て撤退に回した。

 

 男の威圧を受けているにも関わらず、少女は素早く行動を起こす。前を開いたブレザーから円筒形の物体を取り出し、付属していたピンを抜き取ると安全レバーがバネの力で弾ける。

 男と言峰が何らかの行動を起こす前に少女はそれを軽く放る。それは床に落ちるなり爆発的な勢いで白い煙を噴き出した。米軍が採用している発煙筒。化学反応によって噴き出した白い煙が急速に礼拝堂を覆いつくす。少女はその白い闇に乗じて逃げるつもりらしい。

 直後にガラスが割れる音が響く。教会の窓を破って少女はまんまと逃げおおせたようだ。男にはそれを追う気配は無い。

 

「無粋な。服が汚れるではないか」

 

 本当にそれだけが原因と言うかのように男は不機嫌そうに振る舞い、長椅子から言峰の居る場所まで歩を進める。

 発煙筒で白く煙る中でも男は言峰の様子を見て取ることが出来、彼の容体は危篤状態だと分かった。それでも男は悠然と言峰の前に立って見下ろす。王が臣下に裁定を下す様に、あるいは学者が観察対象を見るかの様に。

 

「ひどい有様だな綺礼。医学は門外漢だが、それでも後僅かの命だと(オレ)にも分かるぞ。それでどうする? 一応手はあるが、縋るか」

「……何時か言った言葉だが、私はあの怪異な解答を導き出した方程式を、明確な理として問わなくてはならない。それまでは死ぬつもりは無い。手があるなら遠慮なく縋るつもりだ」

「ハッ、あの時からそれなりに時間も経っておろうに、お前ときたらそれか。ああ……それでいい。見届けると言ったのは我だ。こんな下らぬ事を最期とは我は認めん」

 

 少女が去った白煙に煙る礼拝堂。屋内であるせいか発煙筒の煙は長く留まり、礼拝堂の内部にいる言峰と男がどうなったかは外部から窺い知る事は出来ない。

 こうして第五次聖杯戦争は教会の表立った監督役が不在のまま行われる運びとなったのだった。

 

 

 Re:Fate/stay night  ――その一週間前 了

 

 



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その後、夜が更ける

 

 

 

 走る(ラン)奔る(ラン)颶風る(デスパレート・ラン)

 冬木教会から脱出した立香は教会のある丘を駆け下り、逃亡に全力を傾けていた。この時点での立香はまだサーヴァントを召喚しておらず、手持ちの火器や魔術ではあの男に敵わないと知っているから迷いなく逃げを打ったのだ。

 強化魔術で身体能力の一時的な強化に加え、早駆けのルーンを刻んで脚力の上乗せ、整備されたトラックなら100m5秒未満で走り抜けるスピードで立香は教会のある丘から脱出する。

 丘に幾つも林立する様々な立木や、生い茂る下草、行く手を阻むように生える藪、それをすり抜け、踏み越え、跳び越えて丘の麓へと走り続ける。その様子を見る人がいれば林を駆ける若い鹿のようだと評するかもしれない。それだけ彼女の疾走は淀みなく、迷いが無かった。

 

 疾走することしばし、幾つもの樹木を躱し、藪を跳び越えた先、丘の崖面にある擁壁(ようへき)の上から飛び降りて教会近隣にある住宅街の街路に立香は降り立った。

 すぐさま振り返って追跡が無いか確認する。強化によって性能が上がった目を凝らしても、耳を澄ましても、嗅覚を使っても、魔術的な感覚を研ぎ澄ましても追手の気配は無い。あの男はどうやらも自分よりも言峰綺礼の方に関心があって、こちらは放置されたのだろう。あの男が立香の知る通りの存在ならこうして逃げることもままならないはすだ。

 今回の不手際はあの男の行動を捉えきれなかった点に尽きるだろう。聖杯戦争が始まるので冬木市街にいるのは分かっていたが、姿を現すは戦争終盤であらかたの大勢が決した辺りだろうと踏んでいた。それがこんな戦争前夜の段階で、と立香は思わぬ計算違いに内心頭を抱え、ここからは見えない冬木教会の方角を睨みつけた。

 

 とにかく今は逃げて召喚する時まで市街地に潜伏するのが先だ。いくらこちらに関心がなくても、いつまでも近くをうろついていればどうなるか分からない。教会の監視の目も掻い潜らなくてはいけない。そう頭を切り替えた立香は住宅街を見渡して現在地を確認した。

 日本の一般的な住宅街が立香の前にあった。再開発が進められている新都が近いせいか比較的新しい住宅やアパート、マンションが目立ち、まだ夜の浅い時間帯だから多くの窓から明かりが漏れていた。しかし道を行く人影はなく、住宅街であるためか車両の通行もない。まばらにある街灯が照らす夜の街は立香にとって中央アジアの原野よりも荒涼として殺風景に見えた。

 周囲の風景から現在地がどの辺りかはすぐに分かった。逃走中でもある程度方向に気を遣っていたから、目的地からそれほど離れてはいなかった。徒歩1分、住宅街の中にある月極駐車場に到着した。

 

 どこの街にもある何の変哲もない駐車場。ここに立香はあらかじめ用意しておいた車両を止めていた。今回の聖杯戦争のために彼女は何台か車両を用意しており、市内市外にある貸しガレージやこうした月極駐車場にそれら車両を配置していた。その用途は今回のような逃走用、移動用、あるいは攻撃用というものまで揃えていた。

 駐車場に入り、何台かある車の中から立香は迷いなく一台に近付く。日産・キューブ。ヒットからくる生産台数の多さで日本国内では目立たず、長期間駐車していても不審に思われないためのチョイスだ。スカートのポケットから取り出したキーでドアロックを解除、ドアを開けて中へと身を滑り込ませた。

 シートに座った立香はようやくここで一息ついた。あるいは車の中という閉鎖空間が彼女に安心感を与えたのかもしれない。そのままシートをリクライニングで倒して眠ってしまうのも良いかもしれない。そんな欲求に襲われるも、必死に振りほどいてキーを鍵穴に差し込み回す。聖杯戦争前に配置した全ての車両は整備点検を済ませているのでエンジンは何の支障もなく始動した。

 

 立香の着ている服は穂群原の制服のため、警察に見つかると面倒な事になる。言峰を油断させる小道具として調達したのだが、神父の観察能力を高く見積もっていたため新品だと怪しまれると考えたからだ。

 偽装は服だけではない。相手の嗅覚を誤魔化すために念入りに体を洗った上でオーデコロンを強めに吹きつけ、ガンオイルと火薬の臭いを隠した。加えて足運びや体捌きを素人のものに偽装して無害な一般人を演じた。その成果が充分ではない事に立香は不満だったが、すでに結果は出ている。考えるべき事柄はすでに次の予定だ。

 市内の穂群原の生徒の住居から無断で調達してきた制服だったが、警察に見つかると二重に面倒臭くなる。マンションの12階によじ登ってまで手に入れた擬装用の制服だったが、用が済めば面倒の種にしかならない。車内には予備の服も用意しているので適当な場所で廃棄しようと立香は次の予定を決めた。

 シフトをパーキングからドライブへ。ヘッドライトを点灯させて車を発進させる。念を入れて再度周囲を見渡したが、最後まで追手の姿はなかった。

 

 

 ――立香の運転するキューブは市内の道を縫うように滑らかに走る。まだ夜が浅い時間帯のため幹線道路の交通量は多く、道を行き交う人も多かった。キューブはそれらを避けて路地を縫うように進む。近年街のあちこちで防犯目的で設置されるようになった防犯カメラの位置も把握しており、それらに映らないルートも彼女は心得ていた。

 車を走らせること一時間。最短ならば二十分もかからない場所に冬木市の海の玄関口があった。冬木港は貨物港としての性格が強く、プレハブ倉庫やコンテナ、ガントリークレーンが幾つも立ち並ぶ光景がキューブの車窓からでも窺える。

 港湾労働者はすでに業務を終えて、後は守衛が数人いるだけの広大な貨物港は人気が希薄になっている。見回りの守衛さえ気を付ければ人目を忍ぶのは簡単だ。

 立香がここに来たのは、市街地に潜伏する前にやるべき事があったからだ。そもそも言峰綺礼を襲撃した目的の一つがそれになる。

 

 キューブを倉庫街の一画に停車させる。ここでも守衛のルート、監視カメラの位置を把握した上での位置取りだ。当面誰もやって来ないし誰の目もない街中にできた空白地である。

 停車した車内、立香の視線は外から中へ、さらに横のナビシートへと滑る。そこには穂群原学園のブレザーに包まれた棒状の物体――言峰綺礼の切り取られた腕があった。彼女は冬木教会から逃げる際に小脇にこれを抱えてここまで持ってきていたのだ。

 切り取られてまだ時間が経っていないせいか言峰の腕はまだ仄かに体温を残しており、切り口からが血がこぼれて包んだブレザーとナビシートを汚していた。これが終わったら制服と車は処分しないと、と立香は次の予定を頭の中で決める。事件性のある物品は残さないのが鉄則だ。

 

 ブレザーを払って中身を露わにする。切り取られた時のまま、法衣の袖に包まれた人の腕。袖部分を果物の皮を剥くように抜き出せば、たゆまぬ鍛錬で筋肉質かつ筋張って、戦いの跡か古傷が幾つもあり、素手での戦いを心得ている者らしく拳ダコがあり、指と指の間にあるタコは聖堂教会の武装の一つ黒鍵を握った痕跡か、そして手の甲から肘にかけて幾つもの魔術の刻印が刻まれている。

 預託令呪。聖杯戦争の監督役が持つ令呪のストックだ。これまで複数回開催された聖杯戦争において、使われないまま回収された令呪の管理は監督役が一手に担っている。令呪は発現するのは奇跡だが、一度現れれば魔術よって運用できる外付けの魔力タンクでもある。そのため他者への譲渡、強奪も可能だ。前回の第四次聖杯戦争では参加者への褒章としても機能したと立香は聞いている。

 

 立香の手が切り取られた言峰の腕に触れる。聖杯戦争関連の知識では、この預託令呪は教会の聖言の秘蹟により守護されており奪い取る事は不可能だとされている。なので彼女としては言峰の持ち札を一枚でも減らせれば御の字程度に考えていた。加えてあのまま出血多量で死んでくれれば言うことはないが、そう都合よくいかないだろう。

 ただ言峰綺礼の性格を考えた場合、ある可能性が浮かんだため切断した腕をこうして持ってきている。手の甲から肘にかけて、ギザギザと荒く太い線が不規則に走る複数の令呪。その部分に立香の指は触れて、魔力を通わせた。

 

 ――同調、開始(トレース・オン)

 

 魔術回路を起動させるイメージは撃鉄(ハンマー)。銃の撃針を叩く物、鍛造で焼けた金属を叩く物、そのイメージで魔術回路を叩き起動させる。手応え………………あり。己の推測、仄かに期待していた事が図に当たり、立香の口元が知らず綻んだ。

 預託令呪を守護する聖言の秘蹟は無かった。この聖言は言ってみれば金庫の鍵だと立香は推測している。頑強で、マスターから切り離されても機能する高性能な金庫。ただし、金庫に仕舞いっぱなしでは令呪を使用できない。預託令呪を使う際には聖言の秘蹟は解除しなくてはいけない、そう彼女は推測していた。

 さらに言峰綺礼は前回の聖杯戦争に引き続いて今回の聖杯戦争にも参加する気がある。でなければ教会に現れたあの男を今も現世に残している理由がない。そして参加するとなれば預託令呪を使用する機会も沢山あるだろう。聖言という金庫にしまったままのはずがない。

 聖言が無ければ令呪の移植は簡単だ。心霊医術に心得があればマスターの同意を得て簡単に移譲ができるし、マスターの被害を考えなければ同意がなくても魔術回路から引き剥がして移植できてしまう。そして立香のように令呪のある腕を物理的に切断してしまえば移植の難易度はさらに低くなる。

 養父切嗣から教育を受けて戦いの中で実践的な魔術を魂に刻んできた立香にとってこの移植の難易度は低く、属性、魔術特性から使える魔術は偏りがちな立香でも問題なく令呪は移動した。

 

 手の甲に発現した令呪。そこに預託令呪が加わって令呪の形状が変化する。刀剣をモチーフとしたような形状のテーマ性はそのままに、預託令呪で長く伸びる刀身が形作られる。あたかも手の甲を柄として切っ先を胴に突き刺す剣が現れたかのようだ。

 預託令呪8画、与えられた令呪と合わせて11画。

 袖をまくって令呪を確認した立香は、言峰を仕留め損なった不手際とで差し引きゼロだろうと考える。どういうサーヴァントを召喚するにせよ、令呪の弾数が多くて損は無いし、サーヴァントと接続を切ればあらゆる魔術に利用可能な無色の魔力としても使える。サーヴァント、マスター双方にとってのブースターになる代物だ。

 これで一枚切り札が増えた。今回の襲撃は目的を果たせず失敗といっていいが、悪運には恵まれている。これを次にどう繋げるか、頭の中で思考を回し始めた立香はキューブを発進させた。車と腕と服を処分するために。

 この時聖杯戦争はいまだに始まってはなく、立香もサーヴァントを呼んでさえいなかった。しかし、戦争前夜の暗闘は冬木の内外で密かに繰り広げられており、魔術師達の夜はこの日も更けていった。

 

 

 Re:Fate/stay night  ――その後、夜が更ける 了

 

 

 




 預託令呪に関して独自の解釈が入っているとお断りしておきます。
 加えてここの立香は切嗣より教育を受けているため、原作士郎よりも魔術の腕はあるものとしています。ルーン魔術を使っているのは作者の趣味。


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赤い魔術師の朝

 

 

 この日の遠坂凛(とおさか りん)の目覚めはいつも通りのものだった。つまり気だるく、重たく、眠気が大層残って目覚まし時計の世話にならないと学校に遅刻してしまう。

 凛は世を忍ぶ魔術師一族の若き当主。魔術師の活動時間からして夜が多くを占め、彼女自身の魔力のピーク時間も夜中になっている。だから朝が弱いのは仕方ない。しかし仕方ないといっても表向きの学生としての生活を疎かにするつもりは微塵もなく、二度寝の誘惑を振り切って起床した。

 身支度を整えてリビングへ。凛の自宅である遠坂の家屋は大きく広大で、日本の一般的家屋からはかけ離れた立派な邸宅だ。しかしそこに居住している人間は凛一人。邸宅の多くの部屋は空き部屋になっている。現在より10年前の第四次聖杯戦争の際に凛の父親で前当主の遠坂時臣が命を落とした。このとき当主の引継ぎが不十分で、遠坂家の財は縮小、雇っていた使用人達にも暇を出していた。そのような経緯で広大な屋敷に凛一人の生活が10年続いている。

 リビングからキッチンへ、湯を沸かし何時も使っている茶葉の缶とカップ、ポットを用意する。凛は基本的に朝食は食べずに紅茶の一杯で済ませている。本格的な食事はランチからになる。

 淹れたての紅茶をもってリビングへ。紅茶の芳醇な香りが凛の意識を本格的に覚醒させていく。一口飲めば程よい苦味と酸味と甘みが頭脳を賦活さていく。身体にエンジンがかかってきたところで凛の思考は今後について思いを巡らした。

 

 聖杯戦争が始まる。60年周期だというのに50年も前倒しでその時期がやって来た。これについて凛の兄弟子にして後見人である言峰綺礼は、前回の聖杯戦争が不完全な状態で終わったためその余剰が繰り越しているのだろうと語っていた。

 以前までなら自分の子か孫辺りが参加するかも、と考えていた凛だったがこうして当事者になると奮い立つものがある。父が亡くなった聖杯戦争での一族のリベンジとか、願いが叶うという聖杯の獲得、という目的が無いわけでもないが、それ以上に戦いがあるから凛は臨む。一族の悲願だったりは彼女にとっては理由付けのひとつだ。純粋に己がどこまで戦えるか、その戦いの途中での命のやり取り、己の死すら織り込み済み、そういう闘争心で彼女は聖杯戦争に参戦する。彼女の場合、聖杯すらも勝者へのトロフィーに過ぎない。

 こんな風に凛の聖杯戦争へかける意気込みや覚悟は十二分にある。しかし、準備となればそうはいかなかった。

 

「――やっぱり、触媒は前回の時に使い切ってしまったのかしら」

 

 ポツリとカップ片手に呟く。カップの中身、まだ残っている紅茶の水面に映っている凛の表情は憂鬱なものだ。聖杯戦争に参加する絶対の条件たるサーヴァント。その召喚に用いる触媒の調達に彼女は手間取っていた。

 召喚に使う触媒とは、召喚する英霊にまつわる物品だ。例えばその英霊が纏っていた外套の切れ端とか、その英霊が振るっていた武具の破片とかがこれに当たる。しかしそういった品物は魔術的に見ても希少なもので、大抵は魔術の総本山たる時計塔に収蔵されているか、どこかの魔術師の一族の倉に厳重にしまい込まれているかで、そういった方面に伝手や人脈のない凛にとって触媒の調達は厳しかった。

 一応は、後見人の言峰ならば教会への伝手を使って聖堂教会収蔵の触媒を手に入れることが出来るかもしれない。ただ、言峰は聖杯戦争の監督役で中立、凜にそういった助力はしないと以前に明言していた。なにより、言峰に昔から不信感や敵愾心を抱いていた凜は仮に助力を得られても縋る気は全く無かった。なのでこの線での触媒入手はありえない。

 ならば遠坂家のご先祖様を頼らせてもらおう、とばかりにここ最近の凜は自宅の邸宅を色々と探っていた。魔術師一族の邸宅だけに魔術的に隠蔽された空間や物品はかなりある。それらの中に召喚に使える物があるかもしれない。そう考えての行動だった。

 結果は良くない。屋敷のあちこちを探ってもこれといった物は見つからず、唯一暗号で守られた箱を見つけるに留まった。この箱の中身が触媒であるのを祈るばかりだが、そう都合良くいかないのが現実だと凜はよく弁えていた。

 

 いっそ触媒なしで召喚してしまうのもありかもしれない。芳しくない結果に凜はそう思うようになる。

 実のところサーヴァントの召喚に触媒は必須ではない。触媒なしで召喚した場合は召喚者に近しい英霊が選ばれる。凜の知りえない事だが前回の聖杯戦争にそんな参加者もいた。

 触媒なしでの召喚は賭けの要素が強く、どんなサーヴァントが呼ばれるのか分からない。弱かったり、制御ができなかったり、どんなイレギュラーがあるか分からない。だからこそ安定した召喚のために触媒は求められる。もちろん凜はそのことを忘れてはいなかったが、そんなことを考えるくらいに行き詰っていた。

 紅茶を飲み干し、もう一杯と思いポットに手を伸ばす。学校までの時間には余裕はまだまだある。ついでにテレビの電源も入れた。魔術師の家といえど現代で暮らす以上家電ぐらいは置かれている。

 

 ――新都でビル火災。

 

 テレビに映った朝のニュース番組。そこでは冬木の新都で起こった大規模なビル火災について報じられていた。

 ビルの上層階が焼失。所有者は外国人だが、行方不明。火元や被害者も詳しくは不明。不明点の多い報道だ。凜はなんとなく感づいた。これは魔術関連の事件で、時期を考えれば聖杯戦争と無関係ではないだろうと。

 すでに他の陣営が水面下で動き出している。凜の胸の内で焦る気持ちが少し湧いてきた。マイナスの気持ちが一度湧けば際限は無い。軽く頭を振って、不安な気分ごと紅茶で飲み干した。

 (とき)を告げるように屋敷の一画からベルが鳴ったのはこのタイミングだった。

 

「こんな朝早く……まさかあんたか、綺礼」

 

 電話のベルを聞いて真っ先に思い浮かんだ相手は言峰。この時期にこの時間帯に嫌がらせのように電話をかけてくる人間を凜は一人しか知らない。

 ベルが鳴る電話を前に凜は取るべきか躊躇する。電話越しとはいえ朝から言峰の重苦しい声を聞きたくないし、聖杯戦争の件で召喚を急かされているのも承知している。けれどここで電話を取らなかったら後で嫌味の一つも言われる。それが我慢ならない凜は意を決して受話器を取った。

 果たして電話の相手は凜の予想外の人物からだった。話をして、約束をして、受話器を置いた時には時計の針が凜の登校時刻を差していた。魔術師として考えることやるべきことは多いが、学生としての生活もある凜は、ひとまず学園へと登校するのだった。凜の魔術師としての時間はまだ先だ。

 

 

 Re:Fate/stay night ――赤い魔術師の朝 了

 



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赤い魔術師の放課後【表】

 

 

「遠坂さん、一緒に帰りませんか? 今日部活動がなくて薪ちゃんと鐘ちゃんも一緒なんですけど」

「ありがとう三枝さん。ですけどごめんなさい、今日は人と会う予定があってお付き合いできそうにありません」

「そ、そうなんですか……」

「落ち込ませたようでごめんなさいね。また懲りずに声をかけていただけたら嬉しいです」

「い、いえいえ! 気にしなくてもいいです。こっちが勝手にしている事だし」

 

 本日の授業も何事もなく終わり、ホームルームも終了して担任教師の葛木の一声で今日の学校生活は終わって放課後になる。

 授業が終わった解放感から賑やかになる穂群原学園2年A組の教室。帰り支度をしている凛のところにクラスメイトの三枝由紀香(さえぐさ ゆきか)が声をかけてきた。一緒に帰らないかという誘いだったけど凜は断った。朝方にかかってきた電話の相手と会うため予定があるという言葉に嘘はないのだが、三枝という少女といると学園にいる時に張り詰めていた気がつい緩み、地が出てしまうのを凜は恐れているのだ。

 学園にいる時は遠坂の家訓にもある優雅さを損なわない所作を心がけており、文句なしの優等生というのが穂群原学園での凜の評価だ。それを自分から崩す気は彼女には無い。

 

「ごめん、ダメだった」

「だから言ったろ、遠坂の奴は基本的にこういうのにのってこないんだって。んじゃ、行くか」

「待て薪の字。まずはこちらの用事が終わってからというのを忘れてないか?」

「ああ、確か新しく買い直した制服を取りに行くんだっけ。今更だけど氷室の制服を盗むなんて、どんなマニアさ。しかもマンションの12階に上ってきてだろ? 執念半端ないな、大丈夫か」

「そのマニアというくだりには色々と言いたい事があるが、心配してくれたのは分かった。一応警察に話は通したのだが――」

 

 三枝、薪寺楓(まきでら かえで)氷室鐘(ひむろ かね)。陸上部で一緒の三人はプライベートでも一緒にいることが多いようで、部活が休みの今日は何か用事を済ませつつ一緒に帰るらしい。

 話し込む三人に凜は別れの挨拶をして教室を後にする。残念そうな三枝の表情に罪悪感と言い知れぬ嗜虐心が沸き上がるのを抑え、凜は足早に学園から出ていく。学園での彼女の友人は弓道部所属で陸上部と同じく休みのはずだが、部長の立場で生徒会と話し合いがあると聞いている。他にも知人や交友のある人物もいたが、今日は不思議と誰にも出会うことなく凜はスムーズに学園から出て待ち合わせの場所へと向かった。

 その道中――

 

「うん? あれは……使い魔?」

 

 自分に向けられる視線に気になるものがあったので辿ってみると、それは電線に止まった一羽の鴉だった。首に何か機械めいた物を付けた普通とは違う姿をしていて、薄く魔力の気配も感じたのでまず間違いない。

 魔術師が情報収集のために動物などを使った使い魔を放つのは常套手段だ。すで聖杯戦争は前哨戦が始まっている。それぞれの陣営が情報を得ようと使い魔を飛ばしたり、あるいは斥候向けのサーヴァントを偵察に出したりもするだろう。あの鴉もそういった目的で飛ばされたものに違いない。

 さらに言えば、凜の家である遠坂は聖杯戦争を始めた三家の内の一つで、屋敷の所在もマスターになる人間も簡単に分かる。なのでこうして使い魔の偵察がやってくるのは当然の事だった。

 凛と使い魔の鴉の目が合う。おそらく使い魔を通して敵になる魔術師も見ているだろう。よく見れば鴉の首に付けられているのは小型のカメラのようだ。機械に疎い凜でも向けられるカメラレンズの存在からどういう物か推測できる。

 

「使い魔にカメラって、どんな神経した魔術師よ」

 

 神秘の成果物である使い魔に現代文明の機器である小型カメラの組み合わせは、凜の目には酷くシュールで受け入れがたい姿だ。何となくではあるが想像できる。きっと魔術を探求のためではなく、便利な道具とみなす手合いがあの使い魔を操っているのだろう。

 そういう手合いを魔術使いと呼んで一般的な魔術師からは蛇蝎のごとく嫌われているという話を凜は聞いたことがある。話を聞いたとき彼女はどうとも思わなかったが、こうして魔術と現代科学による道具作りを目の当たりにすると嫌悪感が先立つ。それだけ遠坂凜という少女は魔術師として完成しているのだ。

 そして使い魔にカメラを仕込むような推定魔術使いが聖杯戦争に出てくるかもしれない。そう思うと凜の中で嫌悪感を押しのけて闘争心が湧き上がってきた。こんな奴に負けられないと。偵察したければどうぞご自由に、けれど最後に勝つのは私よ、と闘争心の炎が凜の内側で燃え上がる。

 程なく飛び去っていく鴉を凜は見えなくなるまで睨みつけてやった。負けられない理由が自分の中で増えた感触を彼女は感じた。

 

 

 

「お久しぶりです、と言うには少々早いですかね。ともあれお元気そうで何よりですお嬢様」

「年始にそちらへ顔を見せたからね。それと、お嬢様呼びはもういいわ。今の貴方は遠坂の使用人じゃないんだし」

「確かに遠坂の者ではなくなりましたが、お嬢様は私がお仕えしている禅城ゆかりの方でもあります。不敬な態度は出来ません」

「硬いわね秋巳さんは。だからこそお父様が信頼していたのでしょうけど」

 

 穂群原学園から歩いてしばらく深山町の商店街、マウント深山商店街の奥まった一画にある喫茶店に凜と待ち合わせをしている人物がいた。

 モダンな内装でまとまっている喫茶店の店内。そこで慇懃な態度で凜と接する50代の男性。私服でいるはずなのに背筋の伸びた姿勢がフォーマルな印象を見る人に与える。凜に秋巳と呼ばれたこの男性は、凜の母親の実家である禅城の家で使用人を勤めている人物で、かつては遠坂の家に仕えていた者でもあった。

 魔術師の家に仕える者は神秘に対する心構えや対応は出来ているのだが一般人である事が多い。そのため第四次聖杯戦争当時は使用人に暇が出され、当主の時臣亡き後は別の家へと仕える先を変えた。時臣のそばに仕えていた秋巳も例外ではなく仕える先を禅城へと変えて10年になるのだが、凜への態度を変えない辺り彼の頑固さが窺える。

 

 一通りの挨拶が終わって、二人は喫茶店の席に対面に座る。やって来た店員に注文を済ませて凜は軽く周囲を観察した。

 レンガ風の壁と近代的ながら落ち着いた内装、店内に流れる音楽が気にならない程度の音量で流れ、今は客の数は少ない。店の広さはそれほどではないが、大きな窓とレイアウトで開放感があって息苦しさは感じられない。今どきのお洒落な喫茶店、モダン調を意識した雰囲気で凜の感性では悪くない店だ。

 魔術の気配はなし。あの使い魔を飛ばしてきた推定魔術使いが見ている可能性はゼロではないが、そこは気にしたら負けという論理で押し通す。とりあえず目に付く危険はないと判断した。

 凜はしばらく秋巳とお互いの近況を話して、注文した紅茶に口を付ける。紅茶は凜の舌に合ったもので結構美味しいお茶だ。もしかしたらこの辺りも考慮して待ち合わせの場所を選んでくれたのかもしれいと秋巳の心遣いに内心感謝する。

 

「それで、私を今日呼んだ用件は?」

「はい……聖杯戦争、に関わることです」

「っ! そっか、秋巳さんは前回を知っているんだっけ」

「はい。ただ、私はあくまで使用人ですし、時臣様からは早々に暇を出されましたが」

 

 先述したように魔術師の家に仕える者は神秘側の事情を心得ている。歴史ある魔術師の家にもなると仕えている人間も魔術師で、代々の魔術回路を主家の魔術回路と同調させて主人の所在や体調を察知するという使用人の一族まであるほどだ。

 遠坂家は流石にそこまでではないが、信が置ける使用人には神秘側の事情を開示されており、秋巳が聖杯戦争の事を知っていても何ら不思議ではなかった。

 

「前回の折に時臣様から預かった品がございます。聖杯戦争が始まったのを察したならばその時の当主に渡せと」

「お父様が……」

「はい。私は子や孫辺りがお嬢様のお子様やお孫様に渡すものだと思っていました。こんなに早く渡す時が来るとは思っていませんでした」

「それは私も思っていた。でも、遠坂である以上は避けて通るつもりはないわ」

「そうですか」

 

 秋巳は決意を口にする凜を前に眩しいものを見たかのように目を逸らす。その心中にはどれほどの葛藤があるのか凜にはうかがい知れない。

 使用人としての矜持か、秋巳はごく短時間で思い悩むような様子から切り替えて本題の物を凜の前へと出して見せた。テーブルの下から上へ、大きな荷物が現れてテーブルの上を占拠した。重量はそれほどではないようだが、サイズが大きく他の客の目を引いてしまうかもしれない。

 凜は念を入れて視線避けの簡易な魔術を施すことにした。テーブルに手を置いてそこを起点に二小節、この程度なら宝石を使うまでもない。魔術での人目の配慮を察した秋巳は軽く一礼して「お手間を取らせます」と礼を述べる。

 そうしてテーブルの上に載ったのは大型のアタッシュケースだ。アルミ製で黒い外装をして横に長いのが特徴的だ。見た目は大きさ以外は何の変哲もない物で、秋巳がここまで持ってきても誰の目にもとまらなかっただろう。

 

「私は中身は見ておりません。ですが、魔術師ならば聖杯戦争のあるなしに関わらず無視できない物と聞き及んでいます」

「そ、そう。じゃあ、開けるわね」

 

 味も素っ気もない見た目のアタッシュケースと自らの父親とのイメージが合わない事に若干の違和感を覚える凜だったが、そこは一般人の使用人に預けるのを考慮したためだろうと一人納得した彼女はケースの蓋を開ける。中に収められていた物は凜の想像を遥かに超える代物だった。

 ケース内部の衝撃吸収素材に埋もれていたのは剣の鞘、だった。金の地金に青の琺瑯(ほうろう)で装飾された豪奢な拵え、武具と言うより王権を示す冠や錫杖の趣きを見せる。中央には失われたといわれる妖精文字が彫り込まれ、これが人ならざる手による工芸品であると主張している。

 これを見た凜はしばらく超域の神秘に目を奪われて短くない時間呆けてしまった。しかしその後すぐに我に返って、慌ててケースの蓋を閉めて周囲を見やる。自分で設置した視線避けの魔術のお陰で誰の注目も浴びていないと分かり、ここでようやく落ち着いて、数分前の自分の判断を自画自賛で褒めた。

 

「……秋巳さん、コレ、何? 何かトンデモナイ代物が入っていたんだけど」

「私も詳しくは。しかし、コーンウォールより発掘された騎士王の鞘とだけは教えられています」

「っ! それは……お父様も凄い物を用意してくれたのね」

 

 秋巳に今見た物の詳細を訊いてみれば、返ってきた内容は凜にとってはまたとんでもないもので、思わず息をのんでしまう。

 召喚されるサーヴァントは召喚される土地での知名度によってステータスに補正がかかり、召喚地の冬木でも名前が知られている英霊を喚ぶのが理想的だ。ただし、この冬木の聖杯戦争では召喚術式を設置したのがアインツベルンであるためか日本の英霊を喚ぶことは無理らしく、国外の英霊が召喚の対象になっている。

 そうなると日本でも知名度のある世界有数の英霊が望ましく、それを召喚するための触媒も当然ながら入手困難になるのだった。凛が触媒を手に入れるのに苦労している原因のひとつといえよう。けれどそれもこの瞬間までだ。

 英国が誇るかの騎士王の知名度は日本においても高く、知名度によるステータスの補正も充分。加えて7つあるクラスで最優といわれるセイバーに据えることができたのなら望みえる最高のサーヴァントが召喚できるだろう。込み上げてくる興奮でアタッシュケースに置かれた手が強く握られた。

 ここまで思考が及んだ凛だったが、ふとある疑問が浮かぶ。

 

「こんなに凄い触媒があるんだったらお父様はなぜこれを使わなかったのかしら?」

 

 前回の聖杯戦争でこれを使って騎士王を召喚していれば遠坂の勝利は確実のような気もしてくる。なのに凛の父はこれを使わずに戦い、そして敗北して亡くなった。10年も経過しているので気持ちの整理はすでについているが、こんなに凄い聖遺物があるのに使わない不合理さに疑問が湧いてくる。

 半ば独り言みたいな台詞だったが、遠坂の元使用人はこの疑問にも答えた。

 

「この触媒は時臣様にとってはあくまで予備だったと聞いております。本命が入手できなかった際の、そして自身が敗北した際には次に繋げるための保険だったそうです」

「騎士王でも保険扱いの本命って……しかもそれでも負けたのよね」

「それだけ前回の聖杯戦争が苛烈だったということでしょう」

「……そっか」

 

 騎士王以上のサーヴァントを召喚したであろう凛の父。それでも敗北してしまった聖杯戦争の苛烈さ。凛はそれらに一時思いをはせて場に沈黙が降りた。気持ちを落ち着けようとまだ残っていた紅茶に口をつけたが、すっかり冷めてしまって渋みばかりが強くなっていた。

 対面に座る秋巳の表情は冴えない。仕えていた主人の娘が死地に赴くのを後押ししてしまった後悔などを感じているのかもしれない。前回も知っている彼にとっては親子二代で聖杯戦争に関わるのは悲劇に見えるのだろう。その心中はかなり複雑なはずだ。

 そこまで秋巳のことを考えた凛は、努めて明るい顔で彼の手を取って礼を口にした。

 

「ありがとう秋巳さん。貴方の遠坂への至心は確かに伝わったわ。お父様の分も含めてお礼を言わせて。私は貴方のくれたこれを使って絶対勝ってみせる」

「凛、お嬢様……すいません」

「謝るところじゃないわよ秋巳さん」

 

 感極まったのか、顔を伏せる秋巳を見て凛の中で負けられない要素がまた一つ増えた。上等! むしろ俄然やる気が出てくる。聖杯戦争に向けて凛の闘争心に燃料がくべられた。

 それからしばらくして秋巳と凛は軽く雑談を交わし、呼び立てた手前と言って秋巳が喫茶店の会計を持つことになり、凛は先に店を後にした。手にはかの王の聖遺物が入ったケースを持って。時間にして1時間に満たない会談だったが、彼女にとっては大いに実りあるものだった。聖遺物を遺してくれた父親と、それを今まで保管して届けてくれた元使用人に心からの感謝も忘れない。彼らの思いに応えるためにも聖杯戦争では無様な真似は出来ない。絶対勝ってやると凛は決意を新たにした。

 軽やかな足取りで喫茶店を去っていく凛。その姿は喫茶店の大きな窓からも見えて、秋巳はその背中を罪悪感がこもった目で見送る。

 

「本当に申し訳ございません、お嬢様。私は仕える者として失格です」

 

 凛が窺い知ることが出来なかった秋巳の伏せられた顔には、後悔と罪悪感といった感情がたっぷりと浮かんでおり、彼の懺悔するような呟きは店内の誰の耳にも届かなかった。

 赤い魔術師は知らない。自分が手にした聖遺物がどんな経緯で届けられたかを。それがどんな意図でもたらされたかを。彼女の周囲は彼女の知らないところで変容しており、すでに穏やかな日常は終わっていた。

 遠坂凛の聖杯戦争は実はすでに始まっていたのだ。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――赤い魔術師の放課後【表】 了

 

 

 




 喫茶店のイメージはアニメ『衛宮さんちの今日のごはん』11話。


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赤い魔術師の放課後【裏】

 

 

 

 遠坂凜が去っていった喫茶店の店内。秋巳は後悔の滲む目で凜が座っていた向かいの席を見つめていた。

 すでに事は終わってしまった。これはかつて仕えていた家への明らかな背信行為であり、どう言い繕っても罪である。やり直す機会はすでになく、今から凜を追いかけて事情を話す選択も取れない。

 秋巳が出来るのは罪悪感に苛まれながら一時の安堵を得ることだけだった。

 深くため息を吐いていると、内ポケットに収めていた携帯電話が着信の振動を発した。マナーモードで振動する携帯を秋巳は慌てたように取り出して通話ボタンを押した。

 

『目標を達成したのを確認した。その店の裏にある路地に来い、娘を開放してやる』

「わ、分かった」

 

 若い男の声がほとんど一方的に話の内容を伝えてきて、返事を待たずに通話を切った。秋巳は急いで席を立って、会計を済ませると早足で喫茶店のある建物の裏手へ回る。

 そこは都市の死角。人目も監視カメラもなく、古い街並みが残る深山町の中でも一際目立たない領域になる。通り一本入っただけで秋巳はそういう場所に行きついた。

 秋巳は周囲を見渡しながらここまでの経緯を罪悪感と一緒に思い返す。彼が今の状態になるまでに24時間と経っていない。つい昨日まで彼は平和な日常を過ごしていた。

 

 異変は唐突に彼の日常を巻き込んできた。彼の7歳になる娘が友達の家からの帰り道で誘拐され、それを画像添付のメールにて知らされた。犯人の要求は身代金ではなく、送られてきたケースをかつて仕えた遠坂家の令嬢に渡す事。

 遠坂家という魔術師一族の事情を知っている秋巳は、これが聖杯戦争に関わる何かだと察したが抗う真似は出来なかった。かつて仕えた家の令嬢と遅くに生まれた愛娘を天秤にかけられて彼は娘を選んだのだ。

 凜にケースの中身について問われた場合の応答の仕方までメールで指示され、加えて今もどこかから監視されている。裏路地を歩く秋巳の足は、後悔と娘への感情で動きがぎこちなかった。

 

 程なく秋巳の視界に一台の車両が入った。トヨタ・ノア。近年のミニバンブームで街中で頻繁に見るようになった車種だ。街中を走っていても目立つことはない。

 そのスライドドアが開かれており、そこに彼の幼い娘、その背後に誘拐犯らしき人物が居た。犯人は特徴のない服装に目出し帽といういかにもな姿をしており、体格から男であると推測する程度しか出来ない。

 その男は秋巳の姿を認めると彼の娘の背中を軽く押し、車から出るよう促した。彼の娘はすぐさま動き出し、車と父親の間にあった10mほどの距離をあっという間に縮めて飛びついた。

 

「パパぁ!」

「……大丈夫だったか?」

「……うん」

 

 父と娘の再会。秋巳は飛びついてきた娘をしっかりと抱きしめ、再会を心の底から喜んだ。この瞬間だけは胸の内から罪悪感が消えていた。

 その喜びに水を差すように声がかかる。若い、しかし暴力慣れしたドスの利いた声だ。

 

「分かっていると思うが、この件は警察はもちろん遠坂凜にも知らせるな。我々は見ているぞ」

「あ、ああ。言わない、言わないさ」

 

 男は釘を刺すように忠告の言葉を言うとドアを閉める。やはり秋巳の返事は待たない。間を置かずにミニバンは発進し、表通りの車道へと消えていった。目立たない車種だけにあっという間に区別がつかなくなってしまった。

 仕えた家への背信行為。代わりに得たのは家族の安寧。おそらく生涯悔やみ続ける選択をしたのだろうと、秋巳は思った。――それでも、たとえ傲慢で今更な想いであっても願わずにはいられない。

 

「お嬢様、どうかご無事で」

 

 秋巳の小さなつぶやきは腕に抱いた娘にも聞き取れないほど小さく、何者にも聞かれることなく消えていった。

 

 

 

 秋巳親子の再会の場面は一人の観察者が持つ双眼鏡によって遠くから見られていた。秋巳が行くよう指示された路地は観察者が遠距離から見やすいよう、しかし周囲からは目立たない環境を考えた上で指定されていた。

 秋巳親子がいる地点より直線距離で数百m離れた場所にあるマンションの屋上。深山町には高い建物がほとんどないため、地上五階程度の場所ででも観察者は充分視界を確保できていた。

 観察者は双眼鏡を横にスライドさせて視線を秋巳親子から遠坂凜へと変える。喫茶店を出てからそれほど時間は経っていないので、彼女はまだマウント深山商店街の中を歩いている。手には大きなスーツケースを大事に持っており、表情も心なしか興奮気味に見える。

 無理もない。あれだけの神秘を手にすれば魔術師ならば心を揺さぶられて当然だ。むしろ表面だけでも取り繕えるだけ凜の自制心は強いといえる。観察者はそんな感想を胸中に漏らし、策が上首尾で終わったと確信した。

 観察者は手元に引き寄せたラップトップパソコンを操作してネットバンキングの画面を呼び出す。指定の操作を行い、やはり指定された口座に報酬の金額を入金した。モバイル環境と少しの技術があればどこでもコンピューターネットワークの恩恵に与れる。2000年代の時代はそういう技術の黎明期だ。

 パソコンでの操作が終わると観察者は再び双眼鏡を目に当てて、そのまま片手でポケットから携帯電話を取り出してコール。相手は一回のコールで出た。

 

「目標の達成を確認した。後金は指定の口座に振り込んでいる」

「確認しました。この度はジャガーノートをご利用ありがとうございます衛宮様。またのご利用をお待ちしております」

 

 観察者――衛宮立香はコールに出た相手の言葉を待たずに仕事の成功を伝え、報酬の支払いを済ませたと知らせれば、向こうは慇懃な営業口調で返事を返し、それだけで通話は終了した。こちらも向こうもビジネスとして動いており、必要以上のやり取りをする意味がないのだからこのようなものになる。

 二つ折りタイプの携帯電話をパクンと閉じる。背面には『1』とマーカーで数字が書かれている。幾つか用意した携帯電話のひとつで、誘拐ビジネスを営む業者との連絡用に使っていたものだ。目的を達成した今は速やかに廃棄した方が良いだろう。

 廃棄予定の携帯電話をしまったタイミングで立香はすぐ後ろから気配を感じた。気配とレイライン越しに接続されている感触で自身のサーヴァントだとすぐに理解したため、驚くことなく振り返り彼と顔を合わせた。

 

「ずいぶん遠回りな真似をしてるんすね。あの嬢ちゃんに渡した物、ここまで手の込んだ真似をする必要があったんすか」

「直接渡して素直に受け取る訳がない以上、一手間かけないと」

「それで関係ある人間の誘拐、と。しかも人を雇ってやらせている」

 

 霊体化を解いて姿を現したアーチャーは開口一番に誘拐について迂遠な手だと言ってきた。それは立香も承知しているが、あのケースの中身を確実にかつ疑われず遠坂凜に渡すためこんな回りくどい手を打った。

 遠坂凜の縁者で渡せば疑いなく受け取ってくれる人物。そんな人物を割り出してその関係者を誘拐した。しかも誘拐するに際して人を雇った。東アジアでは珍しく誘拐ビジネスをやっているその業者は金を払えばキチンと仕事をしてくれるし、今回のような変わった条件を付けても応えてくれる本物のプロだった。

 誘拐にかかる手間と時間を肩代わりしてくれるし、仮に警察が動いても立香に捜査が及ばないよう動いてくれる。そんなプロに今回動いてもらった。結果は上々、無事ケースは遠坂凜の手に渡った。

 

「これが私のやり方だよ、反対なら今の内に言って。七騎の枠がまだ埋まっていないから貴方を自害させて次の方針に切り替える」

「いやいや、反対なんてしてないですよ。目的のために手段を選ばずの姿勢は感心しているし、方針も似通っているから俺たちは上手くやっていけそうとか思っているところ」

 

 どこまで本気なのか、アーチャーはいつもの軽い調子で応えつつ秋巳親子のいる方向に目を向けた。双眼鏡で観察している立香に対して裸眼のアーチャーだが、サーヴァントの優れた感覚ならば離れた距離でも子細に見ることが出来るだろう。

 立香も優れた視力に加えて魔術による強化を施せば数㎞先まで見通せるはずだが、魔術師を相手にすれば視線にこもったささいな魔力で察知される可能性があるため、極力文明の利器を使っている。サーヴァントの超視力も感知される可能性はゼロではないため、立香は一応注意をした。

 

「アーチャー、遠坂凜を見るならこちらの存在を察知されないよう気を付けて。魔術師の中には視線から居場所を割り出してくる手合いがいるくらいだから」

「おっと……それで、あのお嬢さんに何を渡したんで?」

「貴方の国の英雄、騎士王の鞘」

「……………………………………………………マジで? つーか、何でマスターそんな代物持っているんすか? 持っていたらそっち召喚しません? 俺なんかよりずっと強力なサーヴァント呼べるんすよ?」

 

 遠坂凜に渡したケースの中身を言えば、アーチャーは心底驚いた顔をした。短い付き合いだがアーチャーがここまで取り乱した様子を見せるのは滅多にない事なんだろうとは察せられる。無理もない。かの王の名は時代や国を隔てても響くものであり、ましてアーチャーにとっては自分の国の英雄だ。驚くなと言う方が無理がある。

 普段は軽めながらも落ち着いた雰囲気があるアーチャーが大げさに両手を振っているのを見て、立香は問い詰められている本人なのに他人事のような感覚を持ちつつ彼の問いに答えていった。

 

「なぜ持っていたかは経緯が少し複雑で立ち話では済まないから後で。なぜそれを触媒にして召喚しないかについては、召喚される相手が私と相性合わないからだね」

「相性?」

「うん。私の戦闘方針や手段は暗殺者とか殺し屋のそれだ。召喚される騎士王がそれに付き合ってくれると思う?」

「あー、納得。今の誘拐だけでも一悶着起きそうだ。清純な英雄様ほどマスターとは相性が悪いと」

 

 仮に騎士王を召喚していたら最初の部分からつまづいていただろうな、などと立香は思いつつ双眼鏡を遠坂凜に向ける。彼女は商店街を抜けて自宅への道を歩いている。もう間もなく建物の影に消えてこの監視活動も終了だ。

 

「私では相性が悪いなら、相性が良さそうなところに放り込んで囮にすればいい。遠坂凜の性格と魔術師としての能力、召喚される騎士王の性能、併せて考えればかなりの好相性になると思う。そうなれば他の聖杯戦争参加者の注目を集める大輪の花になるでしょうね」

「でもって、俺たちは囮に目がいって背中を見せている相手をブスリってところですか」

「正解。戦闘方針については概ねそんな予定だけど、問題ある?」

 

 聖杯戦争に参加するのが確定している遠坂、間桐、アインツベルンの御三家の動向調査は基本だ。その調査の中で遠坂凜についての様々な情報を立香は入手していた。基本的なプロフィールに家族構成、交友関係、趣味嗜好、病歴、魔術師としての能力、いままで購入してきた魔術に関わる品の履歴、等々下手したら彼女自身が自覚しているものより深い情報を知っている。

 立香は『仕事』をする際、状況が許す限り標的に関する情報を仕入れる。それら情報を組み合わせ、相手の心理を読み解き、次に移る行動を類推する。立香でなくとも職業的暗殺者が取る手法の一つだ。親しみさえ覚えるくらいに相手のことを知った上で殺す。この工程を立香は切嗣より教わって以来続けている。我ながら最高に最悪なマゾヒストでサディストな行為だと彼女は自身で評していた。

 そんな立香の脳内遠坂凜情報と召喚されるだろう騎士王の能力を考えれば、今次聖杯戦争における優勝候補の一角になるだろうと結論が出ている。他の参加者の目は確実に惹けるだろう。そしてその時にがら空きになった背中を立香は容赦なく突くつもりだ。

 これが立香の聖杯戦争で取る戦術の一つになる。もちろん上手く事が運ばなかった場合の予備の戦術や次に繋げる方策も用意しているが、今のところはこれをメインの戦闘方針に据えていた。

 ただ、この作戦には幾つか問題があり、なかでも――

 

「これ、あのお嬢さんがこっちの存在に気付いて向かってきた場合どうするんすか? 騎士王と真っ向から勝負なんておっかな過ぎっすよ」

「気取られないよう隠蔽には注意するけど、それでも戦闘がある場合はマスターの遠坂凜に対して幾つかアプローチの方法はある。それに騎士王に対しても無策じゃない」

 

 アーチャーが言った問題、囮にした遠坂陣営が向かってきた場合の懸念にも立香は方策があると言う。彼女はここでようやく双眼鏡から目を離して、入金に使ったラップトップのパソコンの下から書類の束を引っ張り出してアーチャーに手渡した。

 

「これは?」

「騎士王は前回の第四次聖杯戦争にセイバーのクラスで召喚されている。その時のデーターをプリントアウトしたもの。召喚されるクラスは現時点では不明で、マスターも違うからステータス面における変動はあるだろうけど参考にはなる。どうかな、アーチャーならそのデーターから対騎士王の戦術は出来そう?」

「……まあ、こんだけ情報が出揃っているなら出来ると思うが。というか、騎士王って女なのか!?」

「みたいだね」

 

 アーチャーに渡された書類には前回の聖杯戦争にセイバーのクラスで召喚された騎士王のデーターが記載されていた。基本的なステータスに始まり、保有スキル、保有宝具、その宝具の性能、威力と有効範囲、騎士王自身の人格的傾向とかなり詳細なデーターがそこにはあった。

 さらに書類には写真まで添えられており、青い戦闘衣に白銀の鎧をまとった姿やダークスーツを着た男装姿がそこに映っていた。そう男装だ。写真越しでも凛々しい雰囲気が伝わってくるが、その姿はあくまでも小柄な少女のそれであり、世界的な知名度を誇る英雄の一人アーサー王その人とはとても思えない。

 けれど、歴史というものは往々にして曲解や隠蔽された真実やらが多々あるもの。騎士王が実は女性だったなどは可愛い部類かもしれない。ましてアーサー王にはかの宮廷魔術師がついていて、性別を偽るぐらいは朝飯前だったかもしれない。だから立香はこの件に関しては「そういう事もあるだろう」とあまり驚いていなかった。

 

「前回のサーヴァントの情報がなんでこんなに詳しく分かっているのか、は聞いて良いもんか?」

「良いよ。私の父がマスターだったから」

「……なるほど」

 

 ここまで詳細なデーターが記されていることに疑問をぶつけてきたアーチャーは、立香の素っ気ない回答に納得のセリフを口にして以降は深く聞いてこない。他人の事情に深入りしないのがアーチャーのスタンスなのだろう。弓兵だけに距離をとるのが上手いものだ、そんな風に立香は思い双眼鏡を構えなおす。

 双眼鏡で拡大された視界では、秋巳親子が連れ立ってその場を立ち去り、遠坂凜は建物の影に入って姿が見えなくなっていた。こちらの存在を気取られた様子は今のところなし、遠坂凜の性格を考えるなら今夜にでもサーヴァントの召喚をしてもおかしくない。明日以降も街中の監視カメラを使ったり、使い魔を使った監視行動を継続するべきと今後の行動を決めた。

 

 ともあれ、これで仕込みが一つ完了した。立香の中で聖杯戦争のスケジュールの針が一つ進んだ感触を覚えた。

 

 

 

 Re:Fate/stay night ――赤い魔術師の放課後【裏】 了

 

 

 



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