クソッタレな御伽噺を覆すために黒兎が頑張るそうです (天狼レイン)
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『I』序章
1.Re:start



 何を血迷ったか、リィンアル小説執筆と相成りました。
 いつも通りの作者、天狼レインです。黒歴史製造機です。
 あらすじやタグで分かる通り、ネタバレご注意な作品となっていることを再三警告致します。

 さて、今作品は閃の軌跡IVノーマルエンド後の話となります。タグで分かる通りの展開が既に予想されていると思いますが、何卒よろしくお願いします。ちなみに私は逆行モノに少々疎いため、アドバイスがほしい有様です。親切に感想欄や評価時に教えてくださると助かります。

 忘れないうちに宣言しておきますが、今作品は伏線を張りながら、それを回収していく流れとなっていますので、ここに至るまでの過去明かしを早々に求める我慢強くない方はブラウザバック推奨です。

 少々登場キャラの魔改造チックな展開もありますが、そこは原作よりも難易度を上げたりして対応しようと考えておりますので悪しからず。タグにてオリキャラとありますが、これは作品の流れの幅を広げるためです。原作キャラのみ投下も考えましたが、少々力量不足を感じましたので、お許しください。




 

 

 

 

 

 

 

 リィン・シュバルツァーは、呪いの本体———《黒きイシュメルガ》の悪意を抑えることが出来なかった。

 

 その可能性は、残念ながら誰もが絶対に無いとは断言できないものだった。ギリアス・オズボーン———前世では、かの大帝ドライケルス・ライゼ・アルノールであった彼ですら蝕み続けたそれを、未だ若輩の身であるリィンには抑え込むことすら出来なかった。元より〝贄〟として選ばれていたことも原因だったのだろう。

 

 積もりに積もった悪意の化身。それは以前から———《北方戦役》時からリィンの身体を蝕み続けていたこともあり、引き受けた直後その身への侵食はあっという間に加速した。起動者(ライザー)である彼がそれほどの代償を受けた以上、当然彼が駆る他の同類を下した《騎神(エクセリオン)》たるヴァリマールの身体にも、誰の目から見てもその影響が顕著に現れていた。それが最早手遅れであることは、《根源たる虚無の剣》となったミリアム・オライオンは無論、唯一最後まで共に戦った起動者である不死者———クロウ・アームブラストの口から語られた。

 

 誰もがその事実を是としなかった。

 誰もがその真実を信じたくなかった。

 誰もがその絶望を認めたくなかった。

 

 ———けれど、現実は優しくなかった。

 

 リィンは分かっていた。

 こうなる可能性があったことを。

 最後まで諦めないと宣ってみたが、結局妥協しなければならなかったことを。

 己が身に集った絶対悪の結晶。それが放つ呪いが、今こうして背負ったことで、最早地上に残すことすら許されないことを。

 

 残された選択はただ一つ。

 大気圏外へと飛び立つことで、その悪意を地上から遠ざけること。

 そうすることでしか、大切な人達を守れないと分かってしまったから————

 

「そんなの駄目だよ!!」

 

「何か方法はあるはずだ!!」

 

 エリオットさんが叫ぶ。

 ———その選択が如何に残酷な結果を齎すのかを悟ってしまったから。

 マキアスさんが手を伸ばす。

 ———まだ諦めてはいけない。君もそう言っていただろうと。

 

「てめええ!!

 ふざけんじゃねえぞコラアア!!」

 

「教官、嘘ですよね!?」

 

 アッシュさんが咎める。

 ———たった一人で犠牲になろうとしている彼の在り方を。

 ユウナさんが問う。

 ———そんな選択しか選べなくなってしまっていたのかと。

 

 そして———わたしも、何も出来なかった。

 

「い……や……。

 ……嫌です……そんな………」

 

 リィンさんとの思い出が、大切な日々が脳裏に浮かびあがる。〝人造人間(ホムンクルス)〟として生まれて、これまでの人生の大半以上を過ごしてきた大切な人が、手の届かない場所に行ってしまう———。それがどれだけ恐ろしいことか。寂しいことか。悲しいことか。辛いことか。苦しいことか。全て、分かってしまった。

 

 あの夜交わした言葉が、約束が胸の奥で強く痛みを発する。レオノーラさんと話して漸く理解でき始めたこの想いが———彼のことが〝すき〟という〝感情〟が、その切なさを増していく。暖かく、それでいてもやもやするのに、とても嬉しくて、でも泣きたくなるような———この想いが苦しくて仕方がなかった。

 

 ずっと一緒にいると、見届けてほしいと約束したのに———それが叶わなくなる。もう二度とリィンさんの声が、温もりが、優しさが感じられなくなってしまう。その現実がとても怖かった。

 

 他の皆さんの声が聞こえなくなるほどに動揺していた。胸の中で渦巻く〝感情〟に流されそうになる。離れたくない。離れたくない。お願い———わたしを、独りに、しないで………。

 

 その間にも、リィンさんは———ヴァリマールと共に空へと飛び立つ。その後を、クロウさんが、《蒼の騎神》オルディーネと共に舞う。その手には、ミリアムさん———おねえちゃんもいて。

 

『ま、付き合うぜ。

 こっちも予想通りだ。……旅は道連れってな』

 

『ニシシ、ボクもタイムリミットみたいだし』

 

『クロウ、ミリアム……。

 ———ああ、それもそうだな』

 

 二人は既に死者だ。この《黄昏》が終わると同時に消滅してしまう存在。このまま地上にいても、その結末は変わらない。それも、分かってはいた。誰もがそうなることも予想できていた。

 けれど、それでも———

 

「クロウまで……」

 

 エリオットさんが涙ぐむ。

 ———お別れは済んでいたはずだった。でも、やっぱり悲しくて。今度こそ会えなくなるんだと分かっているから。

 

「ミリアム、俺は……!!」

 

 ユーシスさんが手を伸ばす。

 ———ずっと支えてくれた少女が何処かへ行ってしまう。何気ない気遣いをしてくれていた彼女が消えてしまう。

 

「……おねえちゃん……!」

 

 やっと素直に呼べるようになったのに……。リィンさんだけでもなく、彼女も行ってしまう———。

 その事実が、真実が重みとして強くのしかかる。

 

『悪い、抜け駆けするぜ』

 

 こちらに振り返ったまま、クロウさんが告げる。

 

『みんな、元気でねー!』

 

 おねえちゃんがお別れを告げる。

 

 そこでわたしは耐えられなくなった。《クラウ=ソラス》を呼び出し、その腕に乗ってリィンさん達の元へ行こうとした。地面が遠ざかり、三人がいる場所へ飛び立つ。皆さんが驚愕の声を上げ、制止するのも無視して、ただ彼らの元へと———しかし、それは叶わなかった。

 

『アルティナ』

 

 リィンさんがわたしの名を呼んで———行く先を阻むようにヴァリマールの手を伸ばし、制した。それはまるで、()()()()()()()()()()()、と言っているかのように。

 その行動は、言葉となって現れた。

 

『君には、残ってほしいんだ』

 

「……え…………」

 

 訳が分からなかった。どうして。どうして一緒に行かせてくれないのか。わたしはリィンさんと———ずっと一緒にいたいのに。独りになりたくないのに、何故………。

 

「……何故……ですか……。

 わたしは……一緒に行けないんですか……」

 

『……ああ。俺の悪い癖なのは分かっているさ。

 でも、君まで巻き込みたくないんだ。この呪いは、俺がどうにかしなくちゃいけない。だから———ごめん、約束守れなくて』

 

「——————」

 

 いつも……そうだ。

 また、わたしを巻き込まないと。個人的な用事だから、自分のやらなくちゃいけないことだと言って、独りで抱え込もうとする。

 いつかの時のように、また———

 

「———ふざけないでください……!

 わたしは……まだリィンさんに庇われ続けるほど弱いんですか……! これからもずっと……一緒にいたいのに、そんなことすら……許されないのですか……!」

 

 〝感情〟が爆発する。また置いていこうとするリィンさんへの怒りと、一生離別してしまうかもしれない悲しみと、クロウさんとおねえちゃんへの嫉妬と———最早言葉にできないほどのたくさんの想いがせりあがって、制御できないほどに膨れ上がる。怒っているのか悲しいのか苦しいのか辛いのか悔しいのか……もう何が何だか分からないまま、わたしは叫び続けるしかなかった。

 

 そうしなくちゃいけないというリィンさんの言葉も、考えも、想いも本当は分かっている。分かっているのに———わたしは()()()()()()()()()()

 張り裂けそうなこの想いが、〝感情〟が冷静さを失わせているのも分かっていながら、それでも———わたしは……貴方と一緒にいたかった……!

 

「……わたしは……リィンさん……と……いっしょに………」

 

 震える手を伸ばす。———この手を握ってほしくて。

 震える手を伸ばす。———一緒に連れていってほしくて。

 震える手を伸ばす。———これからもずっと一緒にいてほしくて。

 

 けれど———

 

『———ごめんな、アルティナ。やっぱり連れていけない』

 

 申し訳なさそうに、リィンさんはそう告げた。

 その言葉が耳朶を震わせた時には、糸が切れるように身体が崩れ落ちた。腕の上に立ち上がっていた身体を、辛うじて《クラウ=ソラス》が抱き止めるのを理解する。精神的に負担がかかりすぎて限界が近かった身体は、もう一度立ち上がる力も残っていない。

 下降するわたしとは裏腹に上空に佇むリィンさん達を見つめる。ああ……わたしは独りになるんだと、虚ろな瞳で最後の彼の姿を捉えようとする。

 そんなわたしの様子を見ていたのか、リィンさんは優しく安心させるように、今度こそと宣言する。

 

『でも、大丈夫だ。安心してくれ。

 ———いつかきっと()()戻ってくる。だからその時まで、こんな俺の帰りを待っててくれないか?』

 

 とても優しく、蠱惑的な言葉。

 置いていかれるわたしに、わたし達に向けられた次の約束。守れなかった先の約束の代わりに結ばれる、〝今度こそ守ってみせる〟という想いが込められたもの。

 

 ああ———本当にリィンさんは……卑怯です。

 とても不埒で、呆れるくらい朴念仁で、よく子供扱いする———でも、やっぱりわたしはどうしようもないくらいそんな彼のことが〝すき〟なんだと。今の言葉を信じてみたいと、心の底から思ってしまった。

 ヴァリマールの中にいる彼の顔は見えない。見えないというのに———優しくて、不埒で、守りたいリィンさんの笑顔が見えた気がした。

 

 その笑顔に、わたしが返せるものはほとんどない。

 でも、()()()()()()()()()

 だから、わたしは自分にできる最高の笑顔と、今度こそ約束が果たされるようにと、精一杯の言葉を絞り出して———

 

「……はい……待って……います。……ずっと、ずっと……わたしは……待っていますから……。……必ず……帰ってきてください………!」

 

 無事にリィンさんとまた再会できる日を待つことにした。

 彼が残してくれた、新しい約束を胸に———いつか訪れるその日まで生き続けてみせると、返した言葉の言外を自分に言い含めて。

 

『———ああ、必ず帰ってくるよ』

 

 そう言って———リィンさんは、

 

『それじゃあ、また。

 ———ありがとう、楽しかった!』

 

 皆さんの方にも向き、心の底からの感謝の言葉を告げて、大気圏外へと。

 クロウさんとおねえちゃんを連れて———リィンさんは飛び立っていった。

 

 その背を見送ることにして、なおやはりわたしは悲しかった。寂しかった。苦しかった。辛かった。

 けれど、約束をした。リィンさんは、必ず帰ると()()()()()()()

 だから———信じられた。信じて待とうと思えた。帰ってきてくれた時にとびっきりの笑顔を見せられるように。あの夜約束したことを守れるように。リィンさんが〝すき〟なこの想いが変わらないように。彼が帰ってくるその時まで、ずっとずっと待ち続けようと心に決めて———わたしは前を向いて歩き続けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————()()()()()()()()()()()()()()………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 その覚醒は、造り上げた者達からしても異常なものだった。本来この時目覚めるのは、ミリアム・オライオンとなる少女だけ。その予定に変更はない。あるはずがなかった。こののち、彼女の記憶消去を行い、かの《鉄血宰相》へと貸与する。その予定だった。それこそが計画された流れの一つであった。

 

 しかし、その予定は明らかに狂った。目覚めるはずのない《Oz74》———のちのアルティナ・オライオンの覚醒。この場にいる誰もが余計なことをしてなどいない。その覚醒は、意図的に目覚めさせられたものとは違う。まさに偶然の産物。女神の嫌がらせかと思えるほどに、彼らは戸惑いを覚えた。それがどれほど、計画を狂わせたのか。その心境はそう理解できるものではない。

 けれど、狂った以上は僅かな誤差と修正を要された。無理やりにでも元に戻す必要があった。

 

 《黒き終焉》のアルベリヒは言う。

 ———もう一度眠らせ、覚醒を予定通りの時期に戻すべきだと。

 

 しかし、かの《鉄血宰相》は言った。

 ———全てが予定調和であることは有り得ない。ならば、私は()()()()()()()()()、と。

 

 下された主の決定に、彼は逆らえなかった。渋々といった様子でそれに従い、しかし、記憶消去だけは滞りなく済ませることだけは確実なものとした。この場所は秘匿されている。この地を知っている者は、それこそ主とそれに従う我ら。そう在るべきと、彼らは躊躇うことなく二人のオライオンに記憶消去の処置を行った。特にアルティナ・オライオンとなる少女には念入りに行った。その異常な覚醒が不安を掻き立てたためだろう。

 

 

 

 そうして———アルティナ・オライオンは、二度目の覚醒の時を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————ん……」

 

 意識が表面へと浮き上がる。

 口許から僅かな息が洩れる。呼吸音が小さく音を出す。

 五感が少しずつ働き始め、始めに聴覚が、嗅覚が、触覚が動き始める。重い瞼の存在を自覚し、それが持ち上がる。飛び込んできた情報の群れに、一度は眼を瞑る。眩しいと感じたのだろう。とはいえ、それは僅かな間だけ。ゆっくりとそれが当然であるかのように慣れていき、しっかりと瞼が持ち上がりきった。視覚が働く。脳が目で捉えた視覚情報を処理していく。

 

 まず、色と運動、輪郭などが抽出される。

 続けて、位置や形がハッキリとなる。

 そして、上下左右の反転などを経て、複雑な情報が目に映る光景と化した。

 

 そこにいたのは、一人の男性だ。持ち得る最低限の知識から、その男性がなかなか高齢であることは分かる。恐らく四十後半か。そうしている間に、その男性はこちらが目覚めたことに気づいた。振り返ったその男は髭を蓄えていた。憮然と、それでいて毅然とした風格ある人物。鍛え上げられた肉体が服の上からでも窺えるのは、彼が元はそうしなければならないような環境に身を置いていた証なのだろうと、〝わたし〟はふと思った。

 

 何処か他人事のようなこの感覚は、仕方がないことだった。〝わたし〟は自分が何なのかすら覚えていないのだから。記憶を消去され、貸与されたことすら〝わたし〟はまだ知らない。本来なら、それを知ることになるのはもっと後のことだ。

 

 だが———

 

「————目覚めた気分はどうだ?

 〝()()()()()()()()()()()〟君」

 

 ()()()()()()()()

 それが———覚醒条件(トリガー)だった。見た目に何らかの変化は無かった。変化があったのは内面だ。何かが間違いなく起きていた。手を頭にやり、響くような頭痛に顔を顰める。歯を食いしばり、その痛みに耐える。その間にも、それは起きていた。

 起きていたのは、()()()()()()。記憶消去によって喪われた、工房での記憶だけではない。〝()()()()()()()()。その全てが取り戻されていく。

 ———否、その全てを()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ミリアムさん(おねえちゃん)()()()()()()()()

 

 《()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ()()()()()()()()()()、全てを思い出した。

 

 

 

「——————」

 

 頭痛は止んでいた。もう全くと言っていいほど痛くない。顰めていた顔はすでに無く、手は頭から離れ、先程と同じ体勢へと戻っている。何もかもが元通りのはずだった。

 

 だが、()()()()()()()

 

「————成功、した………?」

 

 第三者から見れば、何故彼女が驚いているのかすら分からない光景がそこにはあった。ただ自分の両手をじっと眺めている。それは全く以て異質だろう。歪であり異常だ。その口から洩れた言葉が、さらに気味の悪さすら感じさせるだろう。

 目の前に自分以外の誰かがいることすら忘れ、()()()は記憶にある思い出を一つ一つ思い返していく。誤認がないか。誤差がないか。違いはないか。全く同じか。おかしな点はないか。全て確かめていく。

 

 そして———確信する。

 ()()()()は、間違いなく成功したのだと。

 それを実感すると、小さくガッツポーズを取りたい思いに駆られた。半ば無意識にその行動を取ろうとして———我に返った。

 

「————あ………」

 

 漸く、わたしは気がついた。

 こちらを見る誰かの目があることを。

 それが、《鉄血宰相》と呼ばれたギリアス・オズボーン———リィンさんの父であることを。

 

 完全な失敗。犯してはならない過ちだった。

 あらゆる手を尽くして繋いだ成功を、たった一瞬で無駄にしてしまったと、わたしは理解した。やってしまったと。やらかしてしまったと。ことこの時だけはおねえちゃんに文句は言えないと思ってしまった。

 

「フム」

 

 焦るこちらに対し、オズボーンは興味深そうに眺めていた。それは、慌てるわたしの様子に人間味を感じたことだけではない。アルベリヒから記憶消去の措置を念入りに行ったという連絡を受けたはずが、それが為されていないような様子を見せるわたしに関心を抱いたからであった。正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろうか。

 

 その間にも、わたしは次の行動を考えるしかなかった。ここからすぐさま離脱し何処かに潜伏し機会を待つ方法や、ここで上手く演じる方法など。いくつかの案が出たが、残念ながらそれもほとんど叶いそうにはなかった。

離脱するにしても、目の前に立つ宰相閣下に防がれる可能性が高かった。彼の実力は知っている。それがどれほど高いものか、恐ろしいものかさえも。離脱は不可能。

演じるにしても、先程口にしてしまった失言が明らかな怪しさを生んでしまっている。そもそも、彼に演技が通じるとは思えない。ルーファス卿の策略を見抜くのも造作ではない人物だ。これも不可能だろう。

 

 瞬間的に浮かび上がった策の全てが通じない。意味を為さない。初手を間違えることがどれほど痛いことか、改めて痛感する。このままでは、せっかく予想し対策していた記憶の再構成の意味もなく、わたしは《工房》へと戻され、全てを忘れてしまう。あの約束も、誓いも。何もかも————その事実に恐怖を覚えた。

 

 身体が震えているのを自覚する。目の前に立つ宰相が、より恐ろしい何かに見え始める。これから先に起こるだろう地獄を知りたくない、認めたくないと心が叫ぶ。数分前の自分の愚かさを呪いたくなる。後悔しても遅いのだと分かっていながら、そう思うしかない。きっと、今頃わたしの顔は恐怖に彩られたものに変わってしまっているのだろうと他人事のように感じながら、彼の言葉を待つしか残されていなかった。

 

「確かにこれは異常だ。何も覚えていないはずの者が、記憶を取り戻しているか。その顔が出来るということは、つまり()()()()()()だろう。どうやらアルベリヒは一本取られたらしい。それが君の手によるものか、或いは《結社》どもか、果ては女神によるものか。何にせよ、本来ならば、即座に《工房》へと送り返すのが懸命な判断だろう」

 

 そう言いながら、オズボーンは目を伏せる。考えを纏めているのだろうか。畏れを抱くわたしはふとそんなことを考える。

 僅かな思考時間。それは五秒にも満たなかったが、次にその瞳がこちらを見る頃には、先程とは違うものが浮かんでいた。

 

「————()()()()()()()()異例(イレギュラー)()

 

 何処か愉しそうに、それでいて何処か嬉しそうに、彼はわたしを見てそう告げた。浮かんでいた表情はやはり複雑なものではあったが、そこには確かな柔らかな笑みが含まれている。それは驚くべきことに、リィンさんの浮かべるものとそっくりだった。確かに彼があの人の父親であることを再認識できるほどに、とてもよく似ていて。

 

「アルティナよ」

 

 名前を呼ばれた。それも先程とは明らかに違う。わたしの知らない、しかし、暖かさを感じ取れる優しい声音だ。そこでふと《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》がどういうものかを思い出す。世間的には彼らは彼の子飼いだ。道具であり、手駒であるのは間違いない。反面、そこに属する者達にはそれ以外の関係性を見出していることをわたしは知っていた。ルーファス卿は彼を〝真の父〟と称した。おねえちゃんは〝オジサン〟と称した。どうしてそう感じたのか、そう思えたのか。それが恐らくギリアス・オズボーンという人間が、一人の父親として振る舞えなかったことが所以なのだろうと、わたしは推測していた。つまり、今こうして接してくれたのもまたそういうことなのだろう。

 

 そんな彼がその声音を保ちながら、不敵な笑みを微かに浮かべて、わたしに訊ねた。

 

「嘘偽りなく答えて貰おう。

 ———リィン・シュバルツァーを知っているな?」

 

 瞬間、心臓が直接掴まれたような衝撃が走った。どうして解ったのですか、と訊ね返したくなるくらいだった。心を読まれたと錯覚するほどの———否、もしかしたら、本当に読まれてしまったのではないかと思うほどに、それは間違いなくここにいるわたしを狙って放たれた言葉だった。例えかつてのわたしであっても、動揺を隠すことは出来なかっただろう。向けられた問い掛けは、間違いなく確信から至ったものだ。下手に隠そうものなら見抜かれるのは自明の理。はぐらかすこともできないのは明らかだ。答えなければ、《工房》に引き渡されるかもしれない。仮に答えたとしても、《工房》に引き渡されないとは限らない。完全に詰んでいる。そのことを自覚した事実すら拒絶することも許されない。

 最早、嘘偽りなく答える以外の選択肢が残されていなかった。

 

「………………はい。

 わたしは、リィン・シュバルツァーを———リィンさんを知っています……」

 

 わたしは震える身体を両手で抱き締めて、掠れた音を鳴らす喉から必死に声を絞り出した。それしか残されていないということが、どれほど辛いことかを思い知らされながら。

 対峙する宰相閣下は、わたしの返答に嘘も偽りもないことを見抜きながら、そうか、と何かに納得した様子を見せた。それから、こちらに歩み寄っていく。

 

 ひっ、という悲鳴がわたしの口から洩れた。思えば、こんな声は初めて洩らしたかもしれない。みっともなく後退りをし、彼から距離を取ろうとする。《クラウ=ソラス》をそばに感じない。まだ接続されていないからだろう。ここで捕まってしまえば、()()()()()()()()()()。それどころか、わたしはわたしを喪ってしまう。それが恐ろしかった。怖かった。恐怖に駆られ、後退りを繰り返し———ついに背中は壁を感じ取った。途端に焦燥の色が浮かび、すぐさま背後を振り返る。先程は感じ取った壁が確かにそこにあった。逃げ場はもう無い。追い詰められたことを自覚する。

 

 そして———目前にまで、彼が迫っていたことに気がついた。

 

「……ぁ………」

 

 諦観にも似た声が僅かに口許から零れた。浮かべた表情には絶望のような色合いが見て取れる。初手に起こした致命的な失敗もあったが、恐らく、それが無くとも避けられなかった展開なのだとわたしは再度認識した。やはりこの人と腹の探り合いなどできるはずもなかった。実力ですら圧倒的な差がある。あの時も結局は新旧VII組とクロウさんで漸くといった具合だった。とどのつまり、最初から詰んでいたのだと。わたしは〝あの時〟から成長した。だから何とかなるはずだと甘く見ていたことを痛感した。

 

 鍛え上げられた体躯から伸びる剛腕が迫る。掴まれれば逃げることなど叶わない。退路を失った以上、逃げ出すことも至難だ。迫る凶手を躱せるほどの身体能力は()()()()()()()()。回避は不可能。撤退も不可能。抵抗もまた不可能。何も為さないまま、わたしは終わる。過ぎった絶望と眼前に広がる人の手に怯えて目を瞑った。これが悪い夢でありますようにと、それは奇しくもかつてわたしが制圧したカイエン公と同じように祈りながら————

 

 

 

 ————迫っていたその手が、優しくわたしの頭を撫でている感覚を理解した。

 

「……ぇ………」

 

 訳がわからないといった顔をしたわたしに対し、宰相閣下は何処か申し訳なさそうに、しかし、揶揄い交じりの口調で答えた。

 

「フム、どうやら不安を煽らせたようだ。過度な威圧をしたことを謝罪せねばなるまい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。むしろ、今し方の問いで幅が広がったと考えるべきだろう。なに、今更《工房》などには送り返さんよ」

 

 それだけを告げると、酷く不慣れなのか雑ではあったが、彼はわたしの頭を撫でた。リィンさんに撫でられた時とは比べようもないほど下手だ。撫で慣れているか否かの違いが顕著に出ている。

 けれど、酷く安心を覚えたのは嘘ではなかった。撫でるのは下手でも、やはりリィンさんとよく似ている。父親なのだから当然だろうという思いも過ぎっていたが、それだけではない何かをわたしは感じ取っていた。

 

 僅かな間ではあったが、彼がわたしの頭を優しく撫で終えた。それから閉じられていた扉へと向かうと、それに手をかけながら言った。

 

「さて、()()()()()()()()()()()()()()今は君を新たな《子供たち》として迎えよう。まずは彼らから色々学ぶといい。

 ———尤も君のその様子では、学ぶだけでは飽きたるまい」

 

 厳かに押し開けられた扉からは新たな光が差し込むかのように隙間から眩しさを伴った。未だ目覚めたばかりで明るさに慣れない目が反射的に瞑ろうとするが、微かに視界に捉えた小さな黒い影が容赦無くこちらに突進してくるのを映していた。思っていたよりも反応速度が遅いこの身体では対応し切れず、わたしはその黒い影に押し倒された。なかなかの勢いで突っ込んできたことを身体で理解する。何となくこんなことをしそうな人物をピックアップしながら、漸く眩しさに慣れたその眼を開いて———懐かしさが込み上げた。

 

「えへへ〜! 待ちくたびれちゃったよ! はじめましてだね!」

 

「———……はい、はじめましてですね…………」

 

 わたしには聞いていて泣きたくなるような、それでいて嬉しくなるような、そんな元気に満ち溢れた優しい声。間違いない。〝あの時〟喪ってしまった彼女の声だ。無論、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それでも、やはり嬉しいことには嬉しかった。また出会えて良かったと心の底から思えるほどには、この気持ちに嘘偽りはない。

 

 わたしと似たような体躯。水色のショートヘアーに、黒い帽子を被り、無邪気で素敵な笑顔を振り撒いている。いつも無茶苦茶で、元気溌剌としていて、みんなを良い意味でも悪い意味でも振り回し———けれど、憎めない。そんな存在を体現した少女は、眩しいくらいの笑顔を見せながら名乗りを上げた。

 

「ボクはミリアム。ミリアム・オライオン。よろしくね!」

 

「……わたしは、アルティナ。アルティナ・オライオン。よろしくお願いしますね、ミリアムさん(おねえちゃん)

 

 

 

 

 

 

 





 注意書き
 あらすじやタグの時点でお分かりかと思いますが、今作品に登場するアルティナは逆行者です。目的は文中でも出ています。
 本来なら出荷後の目覚めは「I」のケルディック前後なのですが、とある理由でそれが早まっています。それこそ、ミリアムとほぼ同タイミングです。まずはそこのあたりを留意下さい。
 他にもネタバレにならない程度であれば、質問返答なども受け付けております。矛盾点や違和感などもあれば、どうぞお書き下さい。確認したのち、修正いたします。



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2.わたしに与えられた〝要請(オーダー)


 なかなか迷走しまして時間がかかりました。
 閃の軌跡IVのせいでオズパッパが、以前までの『圧倒的ラスボス臭。コイツ絶対強敵でヤベー奴』のイメージがさらに強まった反面、『実は無茶苦茶頑張ってた優しいパッパ』のイメージが出現・強くなってきました。いやまぁ、それでも新旧VII組で頑張っても三戦連続で戦い抜けるような化け物ですけどね。やはり年長者は強い。
 この作品では、そういうシーンが原作通りのタイミング以外で出るかは未定ですが、代わりに〝常識の外を行くもの〟に興味を示し、期待を抱くパッパの姿は見れます。原作でいうあの二つの存在と同じですね。一応文中にも出ます。




 

 

 

 

 

 

「かのドライケルス帝がノルドの地で挙兵したのち、帝都を解放。《獅子戦役》が終戦したのは、七耀歴何年でしたか?」

 

「ななひゃくろくじゅーさーん!」

 

「……952年ですよ、ミリアムさん」

 

「正解です、アルティナちゃん」

 

「あれー? そうなの?」

 

「おかしいですね。この問題は先週の勉強会で一度出されたはずですが……。———ところで、その〝763〟という数字はいったい何処から出てきたのですか?」

 

「えっとねー、ボクが復習してる時にねー。レクターが『おう、そうか。困ったら〝763(南無三)〟って言っとけー』って教えてくれたんだー♪」

 

「……クレアさん。これはレクターさんへの制裁が必要だと思われますが———《クラウ=ソラス》の鉄拳一発に値しますね」

 

「……ええ、そのようです。アルティナちゃん、少し手を貸して頂けますか? ———彼にはお灸を据えなければならないようですからね。手早く済ませてしまいましょう」

 

「……あはは………えーっと、ボク言っちゃいけないこと言っちゃったかな?」

 

 七耀歴1202年。

 ミリアム、アルティナの二名が〝二度目の覚醒〟を果たしてから、はや数ヶ月が経った頃。二人は、一般的な知識教養、及び理解力を身につけるために、同じ男の元に集った一人であるクレア・リーヴェルト少尉———まだ、大尉ではなかった頃の彼女から勉学の手解きを受けていた。それには勿論、宰相ギリアス・オズボーンからの命もあったのだろう。

 しかし、その考えも少しばかりが経つ頃には消えたのだろうか、今では彼女はごく自然に二人の教育係として以上に関わりあうようになっていた。彼女の過去を知るアルティナからすれば、自分達が実の妹のように見えているのだろうことは分かっていたが、そこに不満など一つもなかった。事実、彼女は良くしてくれたのだ。そののち、見捨ててしまったことをずっと悔いていたぐらいには善人である。例えいずれその姿をこの目で見ることになるということを知っていなくとも、今こうして向かい合ってみるだけで伝わってくる。彼女はどう足掻こうとも悪人にはなれないのだ。

 

 実のところ、〝あの時〟までの記憶を持つアルティナからすれば、彼女から勉学の手解きを受けることは実に都合が良かった。いくらミリアムよりも後の製造番号を持つ自分に一般的な知識教養が基本搭載(プリインストール)されているとはいえ、それこそごくごく普通のヒトのように分かっていては不自然だっただろう。彼女の思いを利用しているようで気が引ける自分もいることをちゃんと理解しながら、そんな思考を一度気持ちの外へと追いやって、一生懸命アルティナはその好意に答えることにしていた。週に一度の勉強会というのも楽しいものであり、またこうしてミリアムと共にいられる時間も大切なものにしたいと思っていたから———。

 

 そうして、今ここにはいない《子供たち》の一人であるレクター・アランドールの行ないに対する制裁措置が二人の間で確立したところで、一旦そのことは傍に置いたクレアがニコニコとした笑顔を見せる。

 

「それにしても、アルティナちゃんは覚えるのが早いですね。もしかして自習を欠かさずしていたりしますか?」

 

「あ、それボクも気になってたんだー♪ ねーねー、アーちゃん。ボクにもヒケツ教えてよー」

 

「……特別大したことはしていませんよ? ちょっとした小噺と共に覚えてみたり、語呂合わせで覚えてみたり、近い年号のものと合わせて覚えてみたり……などでしょうか。復習に関しても、毎日コツコツやっていますね。

 とはいえ、同じ部分を毎日復習するのは効率があまり良いとは言えないので、本来なら期間を一週間ほど空けるのですが、一週間に一度クレアさんに教わるので三日ほど期間を空けて再度確認する、などと言った方法を取っているくらいです。他には———……あの、どうかされましたか?」

 

 日頃どうやって復習や記憶しているのかということに滔々と説明していたアルティナが、ふとそれを聞いている二人へと視線を向けてみると、一人は何やら「私がいなくともアルティナちゃんは問題なさそうですね……ふふふ………」と呟きながら若干泣きそうな顔をし、もう一人は遠い目で「さっすがアーちゃんだよね……ボクにはちょっとムリかなぁ………」などと既に諦めた様子を見せていた。

 当然、そんな二人に首を傾げる少女もいるわけで。「しっかり勉強していることは良いことだとリィンさんに褒められたはずなんですが……」と、かつて学んだことが何故か通じていないような複雑な心境に至っていた。

 

 何故このようなことになったのかなど、それは三人の心境はそれぞれすれ違っている状況にあるのだが、当人達はそれに気付く様子もない。クレアはアルティナに対し勉強でも世話を焼きたくて、ミリアムはアルティナみたいに勉強できる一面を少しでも見せてお姉ちゃんらしく見せたくて、そしてアルティナはリィンに褒められた姿勢をこれまで通り行っただけに過ぎなかっただけである。

 

「そういえば———」

 

 ふとアルティナが何かを思い出したかのように切り出す。

 

「リベールの方でも何か起きていると聞きましたが……」

 

 〝かつて〟はあくまで知識として〝識っている〟だけだったが、念のためアルティナは不自然さがないように情報を得ようと試みる。別に勝手に調べて知りましたというのも問題ではないが、消去したはずの検索履歴から逆探知されない可能性も無いとは言えなかった。特にクレアという人物が〝総合的共感覚〟という才能を開花させていることからも、ごく自然と訊ねることで悟られないようアルティナは警戒していた。加えて、もう一つ訊ねる()()がそこにはあった。

 

「ええ、そのようですね。アラン・リシャール大佐と情報部クーデター未遂事件。現時点では不明瞭なところは多いですが、やはり何かが動いていることは確かでしょう。

 ……それに先日起きた《帝国遊撃士支部連続襲撃事件》———リベールにて名を馳せるS級遊撃士カシウス・ブライト氏の活躍によって解決されましたが、やはりその事件が起きたタイミングも考慮してみると、偶然なのか怪しいところです」

 

 耳が早いですね、とクレアはアルティナの積極的な情勢把握に感心を抱いた後、《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》としてその情報を共有する。クレアの推測、着眼点は間違っていない。事実、〝識っている〟側であるアルティナが真実を語っても問題ないのであれば、その動きが何者によって起こされたものであったかなど、強い納得がいくことだろう。その後の対応も対策も万全となる。

 しかし、

 

「(……それでは大きく変わってしまいますね)」

 

 アルティナは誰によって引き起こされたことなのか、果ては誰が何を望み、何を為そうとしているのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 時を遡る者———いわゆる〝逆行者〟。

 言うまでもないが、アルティナはそれに当たる。そして、そのことを本人も自覚している。その危険性もまた把握している。

 彼ら〝逆行者〟は基本的に未来からやってきている。その目的は、だいたいは一つに集約し———〝未来を変えるため〟というその一点に尽きる。つまるところ、彼女には目的がある。目的達成のためには、ある程度〝あの未来〟と同じ筋書きをなぞらなければならない。何故なら、下手に未来が変えてしまえば、彼女自身が知っているはずの展開・事象が起こらないからだ。

 

 しかし、全て筋書き通りという訳にもいかない。アルティナが体験した〝あの結末〟は、最後のみを覆せば何とかなってしまうようなものではない。未然に防ぐことは間違いなく不可能。その結末の寸前へと至るまでに、あらゆる布石を敷き、手を尽くし、全力を以て当たらなければ変えられないほどだ。それは、未来において協力者であった〝()()()〟と言葉を交わした結果、漸く判明した真実だった。

 

 つまるところ、アルティナは多くの制限が課せられた上で、〝出来る限り多くの協力者の力を借り〟〝出来る限り対策を引っ提げ〟尚且つ、〝あの結末の時よりも強くならなくてはならない〟のだ。

 

 当然その条件を全て達成するのならば、アルティナの知る未来(けつまつ)に至った筋書き通りではどうにもならない。あれでは不足だったのだ。そうなると、あそこに至るまでの道のりは変えてはいけないが、それでも協力者を得なければならない。矛盾にして無茶、無謀にして無理があるのは誰の目から見ても明らかだった。

 しかし、例えそれがどれほど矛盾であろうとも、彼女はどうにかしなければならなかった。

 

 明らかな歴史改変となるものを除いて、まず始めにアルティナは何処までならその改変が大きな影響を及ぼさないかというギリギリのラインを知らなければならない。

 その試しとして、すでに彼女は改変を行っていた。それは自身の目覚めが早まったことだ。本来であれば、七耀歴1204年での出来事である自身の目覚め。それがミリアムと同じ1201年へと3年も早まっているのだから、これは明確な改変だろう。

 とはいえ、歴史そのものを覆すほどではないことは今こうして確認が取れていた。問題なく———と表現するのはあまりにも不謹慎なことだが、確かに変わらず事件が起きている。小さな改変程度ならば致命的な誤差は生じないことはこれで明らかとなった。

 

 賭けだった。下手をすれば、これが全てが無に帰してしまってもおかしくないほどの危険な行為だった。その心中は決して穏やかではいられなかったはずだろう。クレアからクーデター事件のことを聞いている間、アルティナは漸く安堵することができていた。賭けに勝てたことが嬉しかったのだ。

 

 しかし、こと《リベールの異変》規模となれば話は別だ。あの事件は起きるべくして起きるものであり。未然に防がれてはいけないものだ。仮にもし防がれてしまえば、恐らく《結社》の行動は想像もつかないものへと激化する恐れもある。それこそ、《使徒》第七柱《鋼》のアリアンロード卿をかのリベールの地に送り込んでもおかしくないだろう。《執行者》No.II《剣帝》レオンハルト。彼を含めた一行が失敗したとなれば、それに()()()()()()()()()()()が確実に一人はいる。彼まで参戦すれば最早人も大地もただでは済まない。〝未来〟を知るアルティナからすれば、あの暴虐なカグツチが被害を広げることは想像に難くなかった。

 

「(やはり念入りに気をつける必要がありそうですね……)」

 

 変えてはいけないモノは何なのか。何処までなら筋書き通り進行できるほどに問題ないと判断されるのか。まるでそれが分からない。今のアルティナが置かれている状況は正しく地雷原に丸腰で放り出されたのと何ら変わりがないのだ。そのことを再度客観的にも確認する。

 

「ねーねー、アーちゃん」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「このあと、予定とかあるかなー? ボク、アーちゃんとおでかけしたいんだー♪」

 

「そうですか。お誘いは嬉しいのですが、すみません。実はこの後、宰相閣下から話があると言われているので……」

 

「むー、オジサンからかぁ……。それなら仕方ないかー……」

 

「代わりと言ってはなんですが、今度わたしから誘ってもいいですか?」

 

「え、ホント!? アーちゃんからボクを誘ってくれるの? やったー! うん、ゼンゼン良いよ! 楽しみにしてるね!」

 

 はしゃぎ、飛び跳ね、全身で嬉しさを表現するミリアムに、アルティナは優しく微笑む。そばではクレアも実の妹達を見るように、その仲睦まじい姿に笑みを零していた。

 

 ふと、アルティナは思う。〝本来在るべきこの頃のアルティナ・オライオン〟には出来なかったことがごく自然にできる。それはリィンや皆が望んでくれていたことだ。きっと前の彼女を知る者がこの時系列帯にいてくれたのなら祝福してくれたかもしれない。〝変わった〟ことを自分のことのように喜んでくれたはずだろう。

 しかし、残念ながらこの時系列帯に〝かつてのアルティナ・オライオン〟を知る者はいない。またヒトと同じように笑い、悲しみ、喜び、怒るというその成長ぶりを誰かに見せることが無くなってしまったことはとても残念なことなのだろう。それでも彼女にとって、こうしてまた過ごせる時間は尊いものに違いはない。それこそ、いずれ来たる《黄昏》が如何に残酷で、苛烈で、気の抜けないものだということを忘れてしまうぐらい、ずっとこんな優しい日常を享受したいと心から願うほどに。

 けれど、

 

「(……今は程々にしておかないといけませんね。まだ救わないといけないあの人(リィンさん)を救っていませんから……。……それまでの辛抱です………)」

 

 〝逆行者〟となった理由を忘れてはいけないと自分を戒めるようにアルティナは心のうちで再度目的を再確認する。あくまでも最優先は目的の達成だ。幸福はそれを達成した後に味わえばいいと、弱い自分を包み隠そうとするかのように、彼女は独り静かにそっと(つぶや)いた。

 恐らく《黒の工房》は何かがおかしいと思い始めるだろう。覚醒のタイミングが早まったことを皮切りに計画とは僅かな誤差が生じ続けるかもしれないと。いずれそれがバレることは分かっている。それでも、今は、少しでも気取られないように、悟られないように、浮かべた表情を仮面と変えて———

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 

 P.M.15:50————

 

 アルティナは宰相執務室へと向かっていた。バルフレイム宮城内に存在するその場所は、その名の通り宰相が座す部屋であり、帝国の政治を操る中心点と呼ぶべき場所でもある。当然その場所だけでなく、バルフレイム宮とは生粋の政治家達やそこに務める者達の職場であることは無論、皇族である《アルノール家》の住まいであるため、彼女の存在は酷く浮いたものだった。なにせ、まず疑うまでもなく彼女は子供だ。未成年であり、職場に務める者としても不相応。政治が動く場であり、税が動く場であり、法や律が立案される場である宮城内に我が子だからといって立ち入らせるような馬鹿はいるはずもない。国家にとっての頸動脈に等しい場所に、テロリストは無論関係者でもない者を一人でも入れてしまえば、それこそ大問題となるだろう。本来ならば、近衛兵がすぐさま駆けつけ取り押さえられても文句は言えまい。それが為されないのは、偏に彼女が宰相ギリアス・オズボーン直属の配下であるが故だろう。

 

「(……今度は細心の注意を払って当たらなければいけませんね………)」

 

 思い出されるのは、二度目の覚醒を迎えた時のこと。記憶の再構成も含めて逆行が成功した直後にうっかり喜んでしまい、致命的な失敗を晒したことはアルティナにとってトラウマにも似た恐怖体験となった。果たして、何故見逃されたのか。それは未来から来た彼女と言えど、ヒトの心のうちまで覗ける訳ではない以上、その全てを察し切れないものだったが、どういうものか分かるような気がしていた。

 

「(……宰相閣下も、ずっと以前からリィンさんのことを心の何処かでは気にかけていた………)」

 

 彼曰く、覚えていた記憶の断片にあった宰相閣下の姿は紛れもなく父親の顔であったという。加えて、各地の霊窟と連動した水鏡を通して得た《黒の史書》の欠片———帝国の歴史の裏に存在した真実からギリアス・オズボーンという人物が辿ったこれまでの人生や転機、事象は何が起きたかを物語っていた。かの呪いを滅ぼすために心を鬼にし、自らを犠牲にしてでも動き続けていたこともまたアルティナは知っている。当然だが、悪魔と揶揄するのも生温い《黒きイシュメルガ》に肉体どころか魂の一片に至るまで全てを差し出してリィンを救おうとした事実から、間違いなく彼は愛されていたのだ。

 そして、今も宰相閣下の望みが変わらず、〝かの呪い〟の消滅にあるというのなら———

 

「(……わたしは、そのために必要な駒という訳ですか………)」

 

 結局のところ、製造された理由であり、計画の要である《根源たる虚無の剣》として生かしておいたのだろうか———とそこまで考えたところで明確な疑問が生じた。

 

「(……それなら、わたしの記憶を消しておく方が計画通りに事が運びやすいはずでは———)」

 

 アルティナの知る〝未来〟において、最後の最後でミリアムが犠牲とならなければ、その目的は達せられたはずだった。今回も同じ筋書きであっても問題ないだろう。例え〝未来〟を知らなくとも、なるべく彼らにとっては計画通りに事が運ばせる方が堅実であることに違いないはずだ。消した方が良いはずの記憶に一切手をつけず、そのまま配下に置くことにした宰相の狙いはいったい何なのだろうか……とアルティナはそこまで思考を巡らせる。

 

 そして、まさかと息を呑む。

 

「(————()()()()()()()()()()()()()()………?)」

 

 たった一度とはいえ、イシュメルガの眷属と成り果てた《地精》の長である《黒》のアルベリヒを出し抜いた異例の中の異例。本来ならば、出し抜くどころか何もできるはずがない()()()()()()()()()()()()()人造人間(ホムンクルス)〟が成し遂げたそれは、全くと言っていいほど予想外に違いない。そんなことが起きるはずもないと頭から考えもしなかった想定外の存在の登場に、誰よりも聡明且つ常識外れで〝あの未来〟においても、災厄を招く呪いの狙いより一歩先を見通していたギリアス・オズボーンという人物が何らかの期待を寄せることにしたとしてもおかしくはない。そう、《千の陽炎》やオリヴァルトの《光まとう翼》という想定外を上出来と評した彼ならば————()()()()()()を考えていても有り得ない話ではないのだ。

 

「(……いずれにせよ———)」

 

 わたしの方も出来ることや打てる手は全て打っておこうと、アルティナは移動中ずっと考えて続けていた長い思考を止めた。長い廊下の先にあった目的地に辿り着いたからだ。目の前には、〝宰相執務室〟と書かれたプレートがかけられた扉があり、その横には事務官が立っている。

 

「オズボーン宰相閣下からお話があるということで伺いました。アルティナ・オライオンです」

 

「ええ、閣下からお話は伺っております。少々お待ちください」

 

 そういうと事務官の男は、事前に宰相が話を通していたのかアルティナの存在に何の違和感も感じることなく、こちらに背を向けると、扉を軽くノックし、中にいる彼に声をかける。

 

「閣下、失礼します。

 ご客人がお見えになっておりますが……」

 

『———ああ、入って頂きたまえ』

 

 部屋の中から厳かな声が返ってきた。その声音が間違いなく宰相であるギリアス・オズボーン本人のものであることは疑うまでもない。特別聞き慣れた訳ではないが、《クラウ=ソラス》を使って部屋の中を索敵する必要もなかった。無論そんなモノを呼び出したら大騒ぎになるだろうが。

 

「かしこまりました。

 ———それでは、どうぞ中へ」

 

「はい」

 

 促されるまま、アルティナは扉に手をかけ———

 

「失礼します」

 

 一言断りを入れてから部屋に入った。

 扉の向こうには、個人の一室としては広すぎるほどの室内が広がっていた。部屋の壁にはいくつかの絵画が飾られ、右の方のスペースには来賓を迎えるためのソファーとテーブルが置かれている。他にも各地のことを記した本が所狭しと並べられた大きな本棚が二つあり、一貫して部屋の色合いは静粛さを感じさせる黒を基調とし、部屋から外を眺めるには些か解放的ではないかと思えるほどの大きな窓が備わっている。一国の(まつりごと)を預かる身の宰相の部屋としてはあまりに無駄がない。侮られない為の最低限、執務を行う為の最大限が尽くされた一室にその男はいた。

 

 膨大な書類の山を全て片付け、ちょうど休憩中と思わしき様子に、まずアルティナはこの男の仕事ぶりに改めて戦慄を覚えた。宰相の前歴は武官だ。それも帝国正規軍准将だ。その位がどれほど高いものかは言わずとも理解できよう。武官と文官は相入れぬ存在であり、その両立などそう出来るものではない。その彼が今や政治を預かる文官としても恐ろしいまでに有能であるというのだから、文武両道の極みと評しても差し支えあるまい。彼を知る文官達が、対峙する貴族達が、彼を〝化け物〟と畏れるのも無理はなかった。

 もしも彼の前世が、かの《獅子心皇帝》ドライケルス・ライゼ・アルノールと知ろうものなら一頻り驚愕し、次第に納得し、瞠目して———一周どころか何周も回って笑いが込み上げてくることだろう。

 

 その彼が、こちらを振り向く。

 

「よく来たな、アルティナ」

 

「……はい」

 

 放たれる威圧感はやはりそう慣れるものではない。いくら彼が根本的な部分では〝味方〟であろうと畏れを抱くなという方が無茶だ。それでも、アルティナは屈することなく真っ正面から目と目を合わせる。この時系列帯での初の邂逅とは違い、もう怯えてなどいない、臆してなどいないと訴えかけるように。

 

()()()()()()()()()()()()()。未だ君の———否、お前の〝目的〟がどういうものかは分からぬが、覚悟を決めた者としての風格を感じよう」

 

 歴史に名を轟かせた皇帝であった前世を持つが故に、ギリアス・オズボーンという一国の宰相が放つ風格、覇気、闘気は尋常ならざるものだ。ただそこに在るというだけで畏怖させる。しかし、忽ち者共を集わせるカリスマ性もまた、彼が前世より持ちうる類い稀なる才覚であり、今や政界どころか世界にすら振るわれる辣腕と伴っていることがルーファスやレクター、クレアを強く惹きつけたことのだと窺えた。

 他者を見極める鑑識眼は無論のこと、今この時も例えそれが上から目線で物を語られたとして、そこにそうそう不快感を感じさせないというのは、やはり人を惹きつける才たる一つなのだろう。むしろ、向けられた相手が光栄にすら感じてしまうほどなのだ。こういう者の在り方に魅入られてしまえば、心酔してしまう者に際限がない。

 こればかりは、流石のアルティナも僅かながらに仕える者としての悦びを覚えそうになっていた。辛うじて彼女を踏み止まらせたのはここに至るまでに歩んだ道のりと()()()()()()()()()だった。

 

「っ……失礼を承知で訊ねさせてもらいます。

 ———宰相閣下、わたしを呼び出した用件はなんですか?」

 

「フム。目覚めた際の不手際のせいとはいえ、警戒されても仕方ないか。焦燥に駆られるのは良いこととは言えんが、まあ良いだろう。話が早くて助かる。これでも忙殺されかねん時間管理を徹底しているのでな。

 ———アルティナ。お前をここに呼んだのは、私からお前に〝要請(オーダー)〟があるからだ」

 

「……閣下直々に、わたしへ〝要請(オーダー)〟………?」

 

 〝要請(オーダー)〟。

 最早、それは聞き慣れた言葉だった。〝かつて〟何度も何度もリィンと共に行動し続けてきた際に、帝国政府が———この男が、彼を動かし続けてきた唯一の手段を表す言葉であり、命令書。任務、ミッションとは違った意味合いを持つそれは、基本的にリィンが断らない状況下に追い込まれた際に突きつけられてきたものだ。第II分校に所属してからも、その光景を何度も目にしてきた。今やアルティナにとっては懐かしいものでもあるが、同時に彼が辛そうな顔を見せる原因の一端を担っていたこともあり、心境としても複雑なものだが———だからこそだろうか、耳朶を震わせたその言葉には驚きを隠せなかった。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「………ぇ……………」

 

 今、彼はなんと言った? リィンさんの護衛の任に就け?

 普段なら間違いなく落ち着きを保ちながら正確に聞き取れていたであろうものが、たったそれだけで容易く冷静の皮を剥かれ、耳に届いた言葉が本当なのかを疑ってしまう。心の内の揺らぎは当然、表面にも形として現れる。面食らったような顔をしたアルティナに対し、やはりかと納得した様子を見せると、オズボーンは告げる。

 

「先日の問い掛けにて、お前が〝リィン〟のことを知っていることは判明している。どういう理由があるかは兎も角、その様子からしてやはりそうなのだろうな。お前にとって、その者が如何に大事かは見て取れたというだけに過ぎん。念のため、再確認として少々わざとらしいが釣らせてもらったという訳だ。無論、《黒の工房》が待ち構えているという罠でもなければ、貴族共にしてやるような策略でもない。どうやら()()()()()()()()()()に向けた、望む物を与えてやろうという単なる私の気まぐれだ。

 そうだな、私からの〝宿題〟だと思ってくれて構わんよ。この機会を生かすか殺すかはお前の手に委ねるとしよう。

 ———さて、異存はあるか? アルティナよ」

 

 ああ、やはりこの人は恐ろしいヒトだとアルティナは思う。

 しかし、同時に———優しいヒトだとも思った。〝宿題〟だ何だと言ってはいたが、その実はきっと子供を心配する親なのだと何処か羨ましくすら感じる。母を持たず、父を持たず、そうして生まれてきた〝人造人間(ホムンクルス)〟である自分には無い、親という概念。ギリアス・オズボーンとリィン・シュバルツァーの関係は、本来あるべき父と子の関係としては酷く希薄だ。ごく当たり前のように僅かな愛情を求めることすら叶わない状況などそうそう有りはしない。

 けれど、〝あの未来〟においても、リィンはオズボーンという男が実の父であることを実感したと公言するほどとなった。そこには忌避感などなく、むしろ納得がいった様子すらある。その光景をそばで見てきたからこそ、アルティナにはとても眩しく羨ましいものに映っていた。

 

 だからこそ、だろうか。

 わたしもまた、大切なあの人を取り戻したいと願った。

 そのために、色んなものを犠牲にしてここに戻ってきた。彼を救うために戻ってきたのだ。断るつもりは微塵も無い。予定よりも早く彼と接触する機会が与えられたというのなら、それを十二分に使わせてもらうことにしましょう、とアルティナは結論付け———

 

「いえ、異存はありません。

 その〝要請(オーダー)〟———しかと承諾致しました」

 

 〝大切なあの人(リィン)〟と同じように右手を左胸に当てて敬意を示しながら、こくりと頷いた。

 その姿に、宰相は興味深そうに微かに笑みを浮かべると、一言忠告のように言葉を添える。

 

「曲がりなりにも護衛の任に就くのだ。冬が来るまでの間に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。他に必要なものがあるならば、クレアを通じて求めても構わん。可能な限り用意してやろう」

 

「分かりました。

 ———それでは早速ですが、先に用意して頂きたいものが一つあります」

 

「フム、()()()()()()()()()

 

「ええ、わたしも少々ミリアムさんを見習うことにしました」

 

「なるほどな。妙に納得がいったとも」

 

 そうして、アルティナはミリアムさんに少し失礼かもしれませんが、と優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 





 何気にオズパッパに気に入られて予定を大幅ショートカット成功して、早めにリィンに会えるようになった逆行アルティナの図。おら、そのまま外堀埋めてしまえ(外道)
 次回は七耀歴1202年初冬ユミルの話となります。次回の話から、逆行したこのアルティナが原作閃の軌跡IVノーマルエンド後と何か変わっている点が大きく目につくと思います。
 具体的にどう変わっているか、何があったのかをじっくりと明かしていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。



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3.初めまして、リィンさん


 あまりにも昨日投稿した第三話が酷すぎたので書き直しました。読み直した際にも「んんん???」ってなるレベルって投稿しちゃダメなものと何ら変わりませんからね……ホントあれを投稿した自分の頭がどうかしてたんじゃないかと思いましたよ、ええ。
 そんな訳で、後半だけ完全にリテイクしました。多分きっと微笑ましくなれると思います。前回のあれはマジで忘れてくださいホントにすみませんでしたァッ!




 

 

 

 

 

 

「……やはりこの季節のユミルは冷えますね………」

 

 七耀歴1202年、11月上旬。

 宰相ギリアス・オズボーンから直々に〝要請(オーダー)〟を受けたアルティナは、目的の地であるユミル———その付近にある渓谷道の奥地に降り立っていた。辺りはすでに雪が積もり、素肌を刺すような肌寒さが感じられる。任務時の特務服は機能性としては優れているが、これから一年間も滞在するのだからその格好からして適していないのは明らかだった。そのため、彼女が身に纏っているのは全く別のもの。少し気は早いかもしれないが、厚手の黒コートに黒マフラー、その下は年相応ではあるものの落ち着いた色合いの私服という構成だ。細かいチョイスに関しては、クレア少尉によるもので、曰く「アルティナちゃんは女の子ですから、任務とはいえ一年間も滞在するのでしたらお洒落は大事です!」とのこと……らしい。着せ替え人形になった本人からすれば、何やら彼女が少々暴走しているようにしか見えなかったのだが。

 

 とはいえ、これだけ対策をしてきてそれでもほんの少し寒い。それもそのはずで、この地の気温はアルティナが降り立った奥地に存在する大きな滝ですら、ものの見事に凍らされてしまっており、今では巨大な氷の彫像と化していた。大自然が齎す絶景と言うべきそれは正しく圧巻の一言に尽きる。〝あの未来〟においてもリィンや新旧VII組の人達と共に各地を回っていたが、こと寒冷地ではこれほどの景色を見たことがなかった。

 

 ユミルという土地は、こうした大自然の中に存在する集落だ。人が存在し住んでいる場所としても稀有なもので、人々はこの気候に適応して生きている。未だ本番を迎えていない状況下でこのような景色を拝むことができるというのだから、いざその時が来れば辺りがどうなってしまうのか想像に難くない。そんな環境の変化に屈することなく、こうして人々が住むことができるのは、それ相応の知識があるということを明らかなものとしている。特にユミルと言えば、真っ先に思い浮かぶものがある。それは温泉だ。

 

 こと温泉郷において帝国内でユミルの右に出る場所はない。帝国内に限れば、温泉と言えばユミル、ユミルと言えば温泉と豪語しても問題ではない。大陸全土に広げれば対抗馬としてリベールにあるツァイス郊外のエルモ村が出てくるだろう。あちらも評判の良い温泉宿がある場所で、アルティナも()()()()訪れたことがあった。それも修行を兼ねた温泉巡りの一環としてである。曲がりなりにも彼女は温泉マニアであるリィンのパートナーだったのだから、温泉に興味を持つようになってもおかしくない。むしろ、彼の影響もあって趣味の一つとなってしまったくらいだった。

 

「……懐かしいですね」

 

 白い息を吐きながら、アルティナはそっと呟く。

 初めてこの地を訪れたのは、ルーファス卿から命を受け、保護という名目の元、アルフィン・ライゼ・アルノール殿下とその友人エリゼ・シュバルツァー嬢を攫った時である。思えばそれが最初にリィンと出会った時であり、全く相手を知らない者同士の出会いとしては最悪のスタートと言えた。なにせ彼からすれば殿下や妹を連れ去った相手であり、そもそも敵の一人であったのだから超弩級のシスコンである点から見れば恨むに値する相手である。そんな少女を一度だけ怒り、それから許し、その後は共に〝要請〟を達するパートナーとして歩み、教官と生徒という不思議な関係になり、お互いに支え合うようになり、あの夜大切な約束を交わし、あの時約束が果たせなくなり、代わりにもう一度別の約束を交わした。

 

 そして————

 

「っ………」

 

 グッと拳を握り、唇を噛む。頭を左右に振り、過ぎった()()を必死に振り払う。考えてはいけない。諦めてはいけない。そう自分に言い聞かせながら何とかそれらを思考から放り出すと、少しずつ寒さで(かじか)んできた両手の指先をじっと見つめてから吐息を吐き掛ける。厚手の手袋などで耐寒対策を取ろうかと考えたが、この手に握ることになる()()のことを考えると繊細な指先の感覚が少しでも遠退いてしまうそれを着けることはできなかった。尤も寒さで悴んでしまうのもまた問題であることをアルティナは忘れ気味になってしまっていたのだが、それに彼女自身が気付けなかったのはかなり浮かれてしまっていたからなのだろう。

 

「リィンさんが、ユミルにいるんですね……」

 

 アルティナにとって、リィン・シュバルツァーという人物はかなり特別なヒトだ。パートナーであり、教官でもあり、支えてあげたい人でもあり、そして何より掛け替えのない大切な人でもある。とても不埒で、それでいてかなり致命的な自己犠牲癖があるのが玉に瑕だが、そんなところも彼女にとっては愛しく、何より守りたいと思える点でもあった。抱いた〝感情〟の名前を知らなかった頃でも、そこは変わっていない。むしろ、彼と共に過ごしてきたことが萌芽となったのだろう。強く、けれど脆い。堅実なようで、しかし危うい。そんな姿をそばで見てきたからこそ、芽生えたのだと今のアルティナには確信に近いものがあった。

 

 だからこそなのだろう。

 この胸に燻る〝感情〟が、想いが、願いが———最後に見たリィンよりも遥かに弱々しい〝かつての彼〟を守りたいと切に願っていた。それはかつてそうしてもらったからという、恩返しのような義務的なものではない。ただ自分がそうしたいという気持ちが溢れんばかりに強まっていたからだった。

 

 〝要請(オーダー)〟を達成するにも一先ずはユミルへと向かうことが先決だ。不思議とこの足が生き急ぐように早まっていく。外気に触れ冷たくなっていくはずの素肌が熱を帯びる。心臓が早鐘を打ちつつも、それが心地良いとすら感じる。会いたい。逢いたい。再会し(あい)たい。〝あの時〟喪ってから一度として見ることが叶わなかった大切な人の顔を見たい。言葉を交わしたい。もう一度名前を呼んでほしい。パートナーとして接してほしい反面、生徒として接してくれても悪くはない気がしていた。ただ、そばにいたかったのだ。それだけに尽きる。たったそれだけのためにアルティナは旅をしてきたようなものだった。その旅は決して長いものではない。

 けれど、その旅が間違いなく彼女の想いを強めたのは事実だ。勿論、時を遡ってまで戻ってきた目的はそれだけではない。彼女はもう一度彼の顔を見ることができたら満足できてしまうようなもの者ではない。〝ずっと見守っていてほしい〟と約束した者なのだ。

 だからこそ、それが果たせなくなってしまった原因であり、元凶を———《黒きイシュメルガ》を決して許さないと誓った。

 

「邪魔をしないでください———!」

 

 ユミルへと向かう渓谷道を中程に過ぎた辺りで、アルティナの行く道を阻むかの如く魔物達が姿を現した。雪飛び猫にスノーウィスプ、ニクスクリオンといったこの渓谷道では珍しくないそれらは、総じて〝個〟としての強さは大したものではない。そうは言っても武の心得を持たない一般人からすれば脅威足り得る存在であることは確かだ。

 そして、その数は十。無視して突破できるほどの数ではなく、《クラウ=ソラス》で空中から押し通る方法も考えられた。

 

 しかし、渓谷道を半分以上踏破した以上、下手に頼ろうものなら偶然空を見上げていた誰かさんに見つかって、〝謎の飛行物体がユミルで発見!〟……などと帝国時報に載りかねない。〝あの未来〟において、ミリアムが同じようなことを起こしてしまった話を聞いていたからだ。またステルスモードを行使するのも選択肢にあったが、リィンにまた会えることで頭がいっぱいになっていた彼女は、焦燥感に苛まれてそこまで知恵が回らなかった。

 そうなれば、次にどの行動を取るかなど考えるまでもない。ものの見事に道を塞いだ隊列に彼女はついに得物を抜いた。

 

 その手に握られた得物は、黒塗りの拳銃。それも二丁。実弾を装填・発砲できることは無論、戦術オーブメントさえあれば連動させ、発動中の〝導力魔法(アーツ)〟の威力・効果を内包した特殊弾丸を精製・発砲できる、物理と魔法の両方を兼ね備えた特殊な武装であり、その特殊性は大陸各地に存在するどのメイカーにも登場していないものだ。これが以前、アルティナが宰相ギリアス・オズボーンに用意してもらった《()()()()()()()()()()である。無論、発注者の名前は彼女ではない。下手な愚は起こしまいと少し手を入れている。

 

「やぁぁぁぁぁ————!」

 

 立ちはだかる魔物達に、アルティナは容赦なくトリガーを引いていく。その弾丸一つ一つが()()()()()()()()脳天を穿つ。それはまぐれではない。こと戦闘を《クラウ=ソラス》とアーツに絞っていた彼女だったが、リィンを喪って以降それだけでは何も為さないと判断。この時間軸に遡るまで、二丁拳銃を扱えるように特訓していたのである。期間はそう長いものではないが、学習・成長の余地がある点において、彼女の右に出る者はいない。元より己が身で戦うといったことをしていなかったせいか、彼女は正しく真っ白なキャンバスに等しかった。それこそ、もし仮にユン・カーフェイ老師と出会うことができていたならば———もし仮にその際彼に才有りと判断されてさえいれば、その身に彼と同じ《八葉一刀流》を叩き込まれていたやもしれないほどにだ。

 

 とはいえ、アルティナはそれほど近接戦闘に向いた者ではない。その事実は、彼女自身が何らかの武器を手に取ることを選んだ際に自覚している。そういう意味では、結局大切な人と同じ得物を取ることはできなかっただろう。元よりその小さな体躯では、それほど重いものを持てるもの道理はなかった。それこそ扱うことができる者の服の下はきっと筋肉が見て取れるほどに浮かび上がっているくらいだろうが、せいぜい40アージュとちょっとほどしか泳げなかったことを考えると、そこまで彼女が己が肉体を魔改造するのもなかなかどうして無理があった。

 そういった観点から彼女が選び取ったのが、〝二丁拳銃〟と言われるものである。

 

 勿論、二丁拳銃もなかなかに重い武器だ。そもそも拳銃自体が金属の塊のようなものであり、それを片方ずつとはいえ二つも持つのだからアルティナには厳しい時期があった。そこまで非力ではないと思っていた矢先である。戦闘中はずっと持ち続けるだけではない。トリガーを引き、弾丸を装填(リロード)し直し、走り回る。強者と戦うならば尚更だ。純粋に体力不足も響いてくる。たかだか40アージュとちょっとしか泳げないという状況ではまるで駄目だということを認識し、集中的に体力増強に努めた時期も短くはない。血の滲むような努力もしてきた。そんな努力も時間を遡ったこともあり、せっかくの体力はかつてのものに戻っていた。当然、せいぜい数ヶ月程度では逆行前までの体力・筋力を取り戻せるはずもない。少なくとも、40アージュとちょっとほど泳げるようになった頃よりは体力がある程度だし、筋力も鍛える前に比べればそこそこという程度に過ぎない。つまるところ、彼女が二丁拳銃を扱って戦える時間は限られているということになる。

 

 しかし、いくら戦闘続行可能時間があるとはいえ、この程度の相手に苦戦を強いられるほど、アルティナ・オライオンという少女は弱くはなかった。いつの間にやら銃声を聞きつけ、闘気を感じ取った魔物達がさらに群れを成して駆け付けようと、彼女は忽ち葬り去っていく。一度としてヘッドショットを外すことなく、一発の弾丸でその背後の敵まで撃ち抜くという所業まで他の魔物達へと見せつけた。〝かつて〟の練度には及びはしないが、それでもある程度実戦には使えることを再認識すると同時に、さらにその妙技を苛烈なモノへと変化させ、無慈悲な弾雨を降り注がせた。名にして『バレットダンサー』。〝弾丸の踊り手〟と揶揄されるその戦技(クラフト)は、自身を中心とした全方向、周囲一帯の敵対エネミーに向けて的確に弾丸を叩き込んでいくというモノであり、その姿が踊り子のようであることからその名がつけられたのだが、勿論アルティナが意図してつけたものではない。

 

 けれど、その命名は決して間違ってはいない。今この時、彼女は正しく踊り子のようであり、その動きに無駄はない。弾丸は的確に脳天のみを穿ち、貫通力は彼女の意志に応えるように増していく。続々と増えたはずの敵対勢力がみるみるうちに減らされている状況に、ついには本能が危険を察知したのか魔物達の中には戦意喪失して逃亡という選択肢を迷いなく選び始め、全力で逃げようとするところにまでなっていた。その行動は伝染していき、彼女の前から敵対行動を取った魔物達は残らず姿を消していた。戦闘開始から追加で現れた援軍の掃討・戦意喪失まで僅か三分ほどのことであったが、辺りには倒した魔物の屍山血河が成されている。

 

 だが、数ヶ月の間を必死に体力増強に努めていたとはいえ、アルティナの疲労は顕著に表れていた。的確に脳天を穿つという神業は当然脳への負担が重かったし、集中力を酷使し続けていた影響か本人が思っていたよりも体力が消耗している。肩で息をしていることからもそれが真実であることは明らかだ。自覚せざるを得ない。ゆっくりと呼吸を整えながら、彼女は自身の現状を把握して悔しそうに顔を歪めた。

 

「……体力が……まだまだ、足りま……せんね……」

 

 未だ体力の足りない己の未熟さを痛感する。

 しかし、それと同時に逆行前にも確信したことを再認識する。

 

「———いえ、やはり……それだけでは、なさそう……です……。そもそも……前に出て戦う……そのこと自体……わたし達には……()()()()()()………」

 

 《Oz》———それは造られたヒト。俗に〝人造人間(ホムンクルス)〟と表現するに値する存在。それこそがアルティナやミリアムが如何なる生まれかを指し示すモノだ。製造された目的の一端を担う戦術殻と完全同期することを除けば、何らヒトと変わらない彼女達の身体はそれこそ同じ耐久性を持つ。当たり前のように傷を負えば血を流し、命だって簡単に落とすこともある。生身の肉体は当然のように脆い。その弱点を補うように用意されたモノが戦術殻であり、それは脆いヒトと相反するようにその身は硬いが、しかし金属のような質感からは想像できない柔らかさを兼ね備えている。いとも容易く敵を屠ることができるほど強力な武器であり、化け物と呼ぶに値する外敵を除けば、完全に攻撃を防いでみせる盾すら保有するそれは、正しく攻防一体と謳うに値する武装であろう。人智を超えた技術を誇る《黒の工房》だからこそ成せたそれは、条件を満たして製造目的を果たすべきその時を迎えるまで死なせる訳にはいかない彼女達素体が持つには打ってつけのモノだろう。

 

 ことアルティナの場合では《クラウ=ソラス》がそうだ。戦うにしても、守るにしても、常に前線に立つのは脆く柔い肉体を持つ彼女ではなく、硬く耐久性で勝る戦術殻であり、己は後衛としてその背後でアーツを使い援護することが当然とすら思えるほどに、与えられた武装は強力なモノだった。せっかくそんなモノがあるというのに、ヒトと同じく簡単に傷を負い血を流すその肉体をわざわざ前衛に躍り出してまで近接戦闘をするのかと問われれば、効率とリスクをそれぞれ天秤にかけて聡明な彼女達は即座に否と答えてしまうだろう。死の危険性を冒してまで前に出る必要はないと、戦いは自分達ではなく戦術殻が担うべきモノなのだと次第にその考えが定着し、いつの間にか自分達の戦い方はこう在るべきだと思い込んでしまう。もし仮にそれではいけないと考えることがあるかもしれないが、その考えはあっという間に駆逐される。なにせこうして与えられた(ぶき)は自分自身が前に出て戦って得た戦果と比べてしまうと圧倒的に差が出てしまうほどに優れている。わざわざ迷う必要などありはしないのだと暗に問われているかのような無言の圧力がそこにはあるのだ。

 

 そして、それ以前にこの身体は酷く貧弱だ。ヒトと同じこの身体は決して戦術殻のそれとは比べるまでもないほどの耐久性しかない。それどころか向こうは体力などという概念が存在せず、こちらは体力という概念が存在してしまうのだから、その時点でどうしようもない差がある。アルティナが逆行してから鍛え上げようと努めた期間はそう長くないとはいえ、遡る以前は必死に体力増強に邁進した時期が今以上にあった。にも関わらず、それでも最低限前衛に立つ者としては体力が不足していたと断言できる。真に強者と戦うのなら、先程の戦闘時間程度で呼吸が乱れることはあってはならないし、僅か三分程度で尽きる体力などそれこそ無いに等しい。逆行前とは明らかに体力に差があるとはいえ、以前の体力ならどれほど戦えるのかと問われれば、それでも圧倒的に足りないと頷かざるを得ない。身体能力の成長速度はヒトそれぞれではあるが、アルティナは比較的遅い分類であるのだろう。逆行以前ですら体力不足を痛感せざるを得なかったというのだから、その可能性は非常に高いと見て間違いない。

 

 その一方で、彼女は〝人造人間(ホムンクルス)〟。酷い話は天然物であるヒトのように必死に鍛え上げれば、戦闘続行可能時間が明確に増え続けるとは限らないかもしれないのだ。そう思ってしまうのは、製造時に限界を決めつけられていないとは断言できないことにある。無論、造られたヒトにおける体力増強の限界を突き止められた訳ではない。そればかりは造り出した者である《黒の工房》に———《黒》のアルベリヒにしか分からないだろうが、もしかしたら制限されてしまっているという可能性がない訳ではない。

 

 けれど、アルティナの身体にその制限さえ無ければ、身体能力の成長の可能性は大きく広がることだろう。そもそも《Oz》とは技術の粋を集めたモノだ。時にクロスベルの錬金術師———恐らくクロイス家から〝人造人間〟の技術を盗み。時に暗黒時代の魔導師達に魔煌兵の技術を与えて発展させ。時に超一流の猟兵達に武器を渡してその戦闘データを取り込み。時に技術力の最高峰と言うべき《結社》が誇る《十三工房》に参画し、かの《導力革命》を起こした天才エプスタインの高弟に取り入り。時に大陸最大の重工業メイカーとなったラインフォルトの力を利用してきたと、あの男は宣言した。言葉として羅列されたそれらは、それなりに〝裏の世界〟を知っている者が聞けば、忽ち度肝を抜かれることだろう。よもやそこまで妄執に囚われていようとは思いもしないはずだ。クロイス家も相当だったが、900年もの間をかけて準備をしてきた《黒》のアルベリヒもまたなかなかどうして執念深い人物だったことがよく分かる。

 

 故にこそ、アルティナには確信に近い推測があった。それは、あの男が果たして計画に必要ない余剰なモノを本当に付け加えるのかという疑念である。今や僅かにしか残されていないだろうフランツ・ラインフォルトとしての面が表出しているなら兎も角、全てを《黒きイシュメルガ》のための〝贄〟としか考えていない状態ならば、死ぬことが前提の道具に無駄なモノは必要ないと断ずるだろう。妄執に囚われ、妄執に生きるあの男にとって、不確定要素ほど恐れるものは存在しない。彼からすれば《Oz》など、目的が果たされる時まで生きて〝感情〟を育んで死んでくれればそれで良いのだから、必要以上に与える必要など何処にもありはしない。むしろ、余剰な性能を付け加えて、いざ死んでほしい時に死なないようなしぶとさを発揮されては敵わないだろう。そう、あの男の考え方や宿願に則って客観的に考えてみれば簡単に分かることなのだ。

 

 だからこそだろうか。

 

「……それ、でも……わたしは……()()()()()()……()()()()()()………」

 

 アルティナは———意固地になっていた。《黒》のアルベリヒの———奴らの思惑通りになって堪るものかと言わんばかりにその手の中にある二丁の拳銃を強く握り締める。今の戦闘もそうだ。本来のように《クラウ=ソラス》メインで立ち回れば、疲れる要素も無かったはずだった。そうだというのに、彼女は二丁拳銃のみでの戦闘行動へと走った。製造され覚醒を経て、常にそばにいたはずの戦術殻の使用を拒むようにすら思える様子は、ハッキリ言って異常だろう。その姿を仮にこれまでの彼女を知る者達が知れば、きっと見ていられない。そんな心配とは裏腹に、彼女は自分が近接戦闘に向いていなくとも構わないからと逆行以前においても技を磨き上げてきた。必死に、直向(ひたむ)きに、愚直なまでに。例え不向きだろうが無茶だろうが、それでもきっとその可能性を信じていたかった。身体能力にまだまだ成長の余地が残されているんだと。限界なんて何処にも無いのだと信じたくて。戦術殻だけに頼っているだけではいけないと、自分自身にも出来ることがあるはずだと二丁拳銃を握り続けた。どれだけ自らが傷付こうとも、誰かをこの手で守れるほどに強くなろうと足掻きに足掻いている。奇しくもそれは酷く似ていて———

 

「……心拍安定。疲労()()。ユミルまではあと半分もありませんし、問題なさそうですね……」

 

 冷たい空気を吸い込みながら、アルティナは自身の状況を把握し、その手に握られた得物を仕舞う。それからもう一度だけ念入りに呼吸を整えるために深呼吸を図る———

 

 

 

 

 

「———驚いたな。まさか君が全部やったのか?」

 

 

 

 

 

 そのはずが、ユミル方面の警告道から聞き慣れた声が耳朶を震わせた。突然のことに過剰反応を示したその身体は、流れるような動きで先程仕舞ったばかりの二丁拳銃を声がした方向へと構えた———次の瞬間

 

「———ぇ……」

 

 アルティナは、言葉を失っていた。息を吸い吐くことを忘れ、ただただ息を呑んだ。そこにいたのが、半ば強制的にそうせざるを得ないような絶世の美少年だとか美少女だったという訳では決してない。無論、そこにいた人物は同年代の者達と比べれば、それこそ上位に食い込むだろう容姿をしていた。言葉を交わせば為人(ひととなり)は良いものだと理解できるし、自らの姓を鼻に掛けるようなことは決してしない。明確な問題点を一つあげるとすれば、アッシュ曰く「一番質の悪い天然タラシ野郎」になってしまう———というより既になっているかもしれないということだけだろうか。

 

 けれど、それだけではアルティナが言葉を失っていた理由にはならない。そうなってしまったのは、(ひとえ)にそこにいた人物が時を遡ってでも彼女がずっと会いたかった人であり、救いたかった人であるということだ。温泉郷ユミル領主テオ・シュバルツァー男爵が養子リィン・シュバルツァー。〝あの未来〟において、アルティナが喪った大切な人、その人である。

 

「……リィン……さん………」

 

 喉元で詰まりかけた言葉を辛うじて音にして、アルティナはそこにいる人物の名前を呼ぶ。視界に映る彼の表情が驚きに満ちたものへと変わる。その反応もやはり変わっていない。例え何年前の彼だとしても、彼は彼なのだと心から安堵する。きっとこの頃から不埒な人なんだと何処か複雑な心境と共に考える冷静な自分を置き去りにして、身体は愚直なまでに動いていた。手に握られた二丁の得物を雪の上に落としたことさえ気にすることなく、先程まで息が上がってしまっていたことも忘れたまま、昂ぶった〝感情〟を抑えることすらできない。目尻からは次々と涙が零れ落ち、止めどなく嗚咽が洩れる。何度も目の周りを手で拭うも、それは止まらない。そんな自分の様子に面白可笑しさを感じてしまったのか、クスリと小さく笑って———ただ真っ直ぐに、そこにいる()耀()()1()2()0()2()()()()()()()へとタックルを仕掛けた。

 

 突然のことに対応し切れず、彼はアルティナに押し倒された。〝かつて〟は勇気が必要だった行動だったが、今この時に至っては自然と行えた。半ば無意識に、タックルとは嬉しさを表現する行為ではないか?という明らかにズレた議題が彼女の脳裏に浮かんでいたが、それも今は詮無きことだ。すぐそこにある彼の胸板に顔を何度も擦り付け、ぎゅっと抱き締め、触れられなかった数年もの間を埋めてしまおうと言わんばかりに続けた。第三者から見れば多少なりとも不思議な光景だが、上に跨る少女の姿から察するに義理の妹なのではないか?という疑問が浮かぶ程度にしか見えないだろう。無論、そもそも武を嗜まない一般人はこんな渓谷道にわざわざ足を踏み入れるような真似はそうしまい。

 

 数分間たっぷりと昂ぶった〝感情〟の赴くままに身を任せたアルティナは次第に冷静さを取り戻していく。ゴシゴシと目元を擦り、真っ赤に泣き腫らした顔で、まだあんまり上手ではない———と本人は思っている笑顔を見せる。驚きの連続に晒されていた彼が、ついには(ほう)けた顔をする。突然自身を押し倒した少女が浮かべた表情にだ。そんな彼の慌てふためく姿すら彼女には心地良かったし、嬉しかった。もう少し揶揄ってみたいとも思う。もし目の前にいる彼が数年後の彼ならば、きっとミュゼに似てきたんじゃないか?と言うに違いない。そこへ何処からともなく風の噂を聞きつけたクルトさんやユウナさん、アッシュさんやミュゼさんも続々と集まってくる。そんな当たり前の優しい日常。わたしには勿体無いくらいの暖かい日々。そんな世界に入ることができた切っ掛けとなった人の上でアルティナは懐かしんだ。胸の奥に暖かいものが広がっていくのを感じて。

 

「……すまない、喜んでくれているところ悪いんだが………」

 

 ()()()()()()()リィンが、申し訳なさそうに口を開く。

 

「———君は、誰なんだ?」

 

 その言葉でふと忘れかかっていたことを思い出した。

 

「(そういえば、そうでしたね)」

 

 今は七耀歴1202年の11月。アルティナが初めてリィンと出会ったのは七耀歴1204年の内戦中だ。当然、彼が自分のことを知っている訳がない。相手からすれば全く知らない少女に押し倒され、泣かれたりしている訳だからさぞ困惑していることだろう。時を遡ったのは彼女ただ一人である以上、あくまでこちらが一方的に知っているだけに過ぎないということを彼女はすっかり忘れてしまっていた。

 

 すぐにリィンの上から移動すると、アルティナは手を差し出す。押し倒してしまったことへのお詫びと言わんばかりのその行動に未だ困惑気味の彼だったが、素直にその手を取って立ち上がった。手早く服についた雪を払うと、ぺこりと頭を下げた。

 

「すみません、探していた人とよく似ていたので勘違いしてしまいました」

 

 ちくりと胸が痛む。それを堪えて嘘を悟らせないように、逆行以前に会得した技術で見抜くことがなかなか難しいほどに表情を取り繕う。すると、彼は納得がいったらしい少しばかり苦笑いのようなものを含んだ表情を浮かべた。

 

「そうだったのか。まさか名前まで同じなんて思っていなかったよ」

 

「そうでしたか。それは偶然でしたね」

 

 決して偶然ではない。けれど、今は偶然だと言おう。特別、情報を洩らしてはならないという条件のない〝要請(オーダー)〟だが、伏せておいた方が良い情報をアルティナは知り過ぎている。ここにいるのは貴方の父親からの命です……などと言えるはずもないのだし、これを引き受けている間は彼のそばに居られると分かっている以上、下手なことをする必要もない。

 

 取り敢えず、今は———

 

「わたしはアルティナ。アルティナ・オライオンです。

 ———貴方の名前を聞かせてもらってもいいでしょうか?」

 

 半ば〝要請(オーダー)〟そっちのけな感じが否めないことを自覚しつつも、彼のそばに居られるよう想定した遣り取りに持ち込むしかないと考えたアルティナは、何処か某宰相じみた策略を脳裏で巡らせる。一先ず余計な警戒心を二段階に分けて完全に削いでおこうとする辺り、念入りに対策を講じていることが分かるが、実際は余程彼が余程怪しまずにはいられないような相手や敵対心剥き出しではない限り対策を練る必要は全くなかったりする。むしろ、対策が必要なのは別の箇所で———

 

「俺はリィン。リィン・シュバルツァーだ。君の探している人と同じ名前みたいだし、少し紛らわしいかもしれないな」

 

 わたしが探していた人は貴方ですよ、リィンさん。

 ———などと言う訳にもいかないため、アルティナはこくりと頷いた。お互い自己紹介を終えたところで、先程から気になっていたらしいことを聞きやすいように導く。

 

「先程の質問ですが———」

 

「ああ、そうだったな。これは君がやったのか?」

 

「そうですね。野宿する場所を探していたところに囲まれてしまったので」

 

「そうだったのか。それは災難だった———ん? ちょっと待ってくれ。えっと、アルティナ? 今なんて言ったのかもう一度教えてくれないか?」

 

「野宿する場所を探していたことでしょうか?」

 

「出来れば聞き間違いであってほしかった……。もうすぐ本格的に冬になる。雪も降り積もったりしてもっと寒くなるんだ。俺達でさえ気をつけなきゃいけなくなるぐらいなんだから、野宿なんて危ないに決まっているだろう? それに君は女の子じゃないか」

 

「……ですが、実は何処かでお財布を落としてしまったので、宿に泊まるお金も無いのですが……」

 

「それは災難だったな……。

 ———ところで、どれくらいユミルに滞在するつもりだったんだ?」

 

「一年です。どうやら探している人がユミルに訪れたことがあるようなので、ここで張っていようかと」

 

「一年!? 一年も滞在する予定だったのか!? ……それは参ったな。数日程度ならどうにか『鳳翼館』に泊めてもらえるよう頼もうかと思ったんだが……」

 

 参ったな……と唸るリィンとは裏腹に、アルティナは内心で謝罪する。言うまでもないが、ここまでほぼ全て嘘である。元からユミルにある宿『鳳翼館』に泊まる予定はない。そもそも一年間護衛の任に就くのだから、そんなことをすれば出費は馬鹿にならないし、流石に政府からの任で一年中一部屋貸切……なんてことにする訳にもいかない。そんなことをすれば、きっと男爵家にも話が伝わることだろう。問答無用で怪しまれるに違いない。そういう点からも、彼女は最初から何処へ泊まるか。どうすればそこに泊まれるかという作戦を立てていた。これはその作戦遂行の一環であった。言ってしまえば、わたしの知っているリィンさんの性格なら、きっと……という形の、最早希望的観測に近いものである。

 とはいえ、それもなかなか馬鹿にはできないようで———

 

「———仕方ない。少し父さん達と話をしてくるよ。一旦ユミルまで一緒に戻らないか?」

 

 目的通りの答えが彼の口から飛び出したことで、危うく小さくガッツポーズを取りかけてしまいそうになった。それを何とか耐えると、アルティナは彼の顔を見る。

 

「もしかして泊めていただけるのでしょうか?」

 

「女の子を野宿させる訳にもいかないからな。まだ話をつけてないけど、うちはいくつか部屋が空いてるし、父さん達も事情を知れば泊めてくれると思う。もし無理だったとしても、他のみんなに泊めてあげられないか聞いてみるよ」

 

 そう言って、リィンはアルティナの頭に手を置いて優しく撫でた。とても久しぶりなせいかとても懐かしくて思っていたよりも心が落ち着いているのだと自覚できた。もしかすると、わたしはこの人に撫でられることが好きになってしまったのかもしれないと思う反面、以前から彼が女性の頭を撫でることが癖になってしまっているのだということを情報だけでなく、この目と頭で確認する。

 やはり、この人は変わらない。優しくて、格好良くて、それでいて———

 

「聞いていただけるだけでも、とてもありがたいです。

 ———ところで、この行為に何らかの不埒な意味は?」

 

「ありません」

 

 

 

 

 

 

 





 懐かしき閃の軌跡II幕間の会話から最後のセリフを拝借しました。やっぱりアルティナといったらこれだよなぁ!?とかいう謎テンションで書きました。……昨日投稿したアレの方が謎テンションでしたけどね。ホントあれ何だったんだ……。ついてしまった無言低評価爆弾は、その報いかな!?(白目)



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4.繋がりは確かなもの


 一週間に一つのペースという、レゾデトを知っている方からすれば早いのか遅いのか分からない微妙な速度で頑張ってます。
 そんな訳で前回の大修正を経て、今回の話となりました。まあ、相変わらずアルティナの危うさはすごいですが、それでも多少なりとも今後はほのぼのしていけるのではないかと。
 今回の話は前回の続きですね。ちょいと展開早いかもしれませんが。




 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、アルティナ・オライオンです。これからよろしくお願いします」

 

 その日の夜。アルティナは歓迎パーティーと称した、質素を心掛けるシュバルツァー男爵家では珍しい豪華な夕食が並べられた場で舌鼓を打つ前にもう一度礼を述べることにした。

 

 

 

 

 

 時は夕刻。渓谷道でリィンと再会し(出会っ)た彼女は、彼に連れられて温泉郷ユミルへと向かうこととなった。その道中で何度か魔物とは遭遇したものの、アルティナの素早い対応と長年住んでいることでこの地に慣れているリィンが見せた《八葉一刀流》の妙技により危なげなく辿り着いた。彼の故郷に足を踏み入れたのは七耀歴1204年の内戦中でアルフィン殿下とエリゼ嬢を攫った際だけだった。いくらそのことを自分以外の誰も知らないとはいえ、足を踏み入れてもいいのかという多少の迷いがそこにはあったのだろう彼女は申し訳なさを感じていた。

 

 その反面、祝賀会の際にリィンと彼女から歓迎させてもらうとの言葉を貰っていたことを思い出して懐かしさを覚えたのも確かだ。結局〝あの未来〟ではその約束()果たされることはなかったが、今こうして果たされているのではないかと考えると心なしか嬉しくもあった。因果は巡るということかもしれないと、そんなことを考えながら、申し訳なさを感じる心はそのままに、先を行くリィンの後をしっかりと付いて歩くことにした。

 

 渓谷道から出て右手にあり、そこに建つ大きな屋敷が彼の住む男爵家屋敷である。外観からして一般的な貴族のイメージとは違った民に寄り添った質素さが見て取れるものであり、むしろ飾り付けるだけの者達と比べれば、それだけで違った風格・味があるというべきそれはユミルの地にあって当然とすら思える。

 無論、この地を治める領主テオ・シュバルツァー卿も民に慕われるほどの人格者であり、実力もまたかの《北の猟兵》を数人同時に相手取ることが出来るほどであった。リィンさんから聞いた話では、彼はオズボーン宰相とは幼少期を共に過ごした仲だと言うのだから、世間は広いようで狭いのかもしれないと、アルティナは思う。

 

「ただいま。渓谷道で聞こえていた銃声の件を確かめてきたよ」

 

 そういってリィンが屋敷の扉を開けて中へと入る。それに続くようにアルティナもまたお邪魔すると、彼の声を聞きつけてちょうど玄関先に集まっていたらしい三人と目があった。テオ・シュバルツァー男爵とルシア・シュバルツァー男爵夫人、そして———彼らの子女であるエリゼ・シュバルツァー嬢だ。

 

「おかえりなさいませ、兄様———あら?」

 

 リィンの義妹である彼女が、彼を出迎えに来たと同時に背後にいたアルティナに気付く。ユミルでは見たことがない少女の姿に、観光客かと考えるが、すぐその考えは消える。何故なら自分の兄は手当たり次第に屋敷に客人を迎える人でもないことを知っているからだ。それでは、何か困ったことがあるのではないか?と思考がそちらへと向かった彼女は、自らの兄へと問う。

 

「兄様、その子は?」

 

「ああ。さっき向かった渓谷道の方で会ったんだ。どうやら人を探しているらしくてさ。遠くから来たそうなんだが、財布を落としてしまったらしい」

 

「……それは困りましたね」

 

 連れてきた事情の一端を知り、エリゼは納得する。

 しかし、まだ気になることはあった。

 

「それで兄様は、この子をどうなさるおつもりなのですか?」

 

「そのことに関してなんだが———みんなに話があるんだ」

 

 そう言うとリィンは横に退いてアルティナの方へと向き直った。

 

「改めてここにきた経緯や理由を話してくれないか?」

 

「分かりました」

 

 こくりと頷き、アルティナは巻いていたマフラーを取ると、それを手に持ってから話し始める。

 

「———わたしはこの地に人を探しに来ました」

 

 彼女の口から語られたのは、遠方の土地からやってきたことから始まり、義理の兄であるリィンという人物を探しに来たということ———ただし、ここにいる彼ではない———やその彼がこの地に訪れたことがあること。財布を落としてしまったこと、そして一年ほどこの地に滞在して張ってみるつもりだったことなど、情報としては多いながらもとても纏まったものだった。

 無論、ほぼ全て嘘だ。遠方の土地とは言ったが帝都から来た程度であり、彼女の探していた人はそこにいるリィンで間違いない。探していた人がこの地を訪れたといったが、その人は元々この地に住んでいる人である。財布はそもそも持ってきていなかった。

 

 唯一真実があったとすれば、ユミルに一年ほど滞在するということだけだ。なかなかどうして理由としては苦しいような気もしなくはないが、アルティナは身につけた技術でそれら全てを嘘だと見抜かれないよう、表情などに工夫を凝らすことしかできない。元々〝感情〟が乏しかった時期もあったせいか、この手の演技はそれこそ超一流とは言えないが、レクター少佐———この時は少尉だったが———やオズボーン宰相ほどの難敵でない限りはどうにかなることは理解していた。

 

 そして何より、アルティナには嘘をついてまで悪さをしようという気持ちは微塵もない。例え悪意に敏感であろうとも、こればかりは問題ないだろうと確信していた。最後にリィンに言っていなかった他にも色んな土地を回ったことがあることも追加で話し終えると彼女は一礼する。

 

「———わたし自身、一年は流石に長すぎると思っています。だから、せめてこの冬を越すまでで構いません。料理も手伝えますし、裁縫や狩りも一通りこなせます。

 どうか泊めて頂けないでしょうか———」

 

 アルティナは心からそう願う。これだけは嘘偽りのない本心であった。彼女にとってリィンを守ることは絶対の目的であり、例え〝要請(オーダー)〟が無くともこの地に駆けつけるつもりだった。滞在するに差し当たって異様に目立つ特務服を持ってきていない以上、彼の言う通り現地民であるユミルの民ですら危機を感じるここの冬を越すことはできないだろう。体力も余程激しい戦闘をしなければ暫くは持つだろうが、いずれ食料が尽きるのは目に見えているし、この地で自給自足の生活を送ることも不可能ではない。とはいえ、現実的ではないことも事実だ。そういう意味では、せめて冬だけは越さなければならない。果たしてその願いが叶うか否か———

 

「そうか……なるほど。アルティナ君だったな。遠方から遥々ユミルに良く来てくれた。滞在期間は一年ほどだったか。

 ———空いている部屋がいくつかあるはずだ。そこを使ってくれて構わない。私も以前義理の兄がいたのでな。その気持ちはよく分かる。どうか気が済むまで滞在してくれ」

 

 その言葉を聞いて、アルティナは頭をあげた。浮かんでいたのは、驚きの色。まさか好きに滞在してくれて構わないとの返事が貰えるとは思っていなかったと言わんばかりの顔だった。

 

「本当にいいのでしょうか……?」

 

 恐る恐る彼女は聞き返す。泊めてもらおうという算段であったが、本当にいざ泊めてもらえるとなると戸惑ってしまっていたせいか、途中から演じることなど忘れていたのだ。

 そんなアルティナに対して、ルシア夫人は笑顔で答えた。

 

「ええ、良いんですよ。出会ったばかりですが、不思議と貴方は放っておけないと感じてしまいましてね。それに、私達の息子が泊めてあげたいと頼んできてくれたのは、今回が初めてだったのですよ?」

 

 男爵共々優しく微笑む姿に、アルティナはリィンの優しさが生まれた理由を知ったような気がした。きっと彼はこの二人の元で育ったからこそ、わたしの知るリィン・シュバルツァーに成れたのだろうと。

 

 そして———

 

「私もですよ、アルティナさん。貴女と同じように私も兄を持つ身です。もしも兄様が行方知れずとなってしまったらと思うと胸が引き裂かれる思いになるでしょう。ですから、是非協力させてください」

 

 エリゼもまた自分がその立場だったら?という視点から考え、アルティナの置かれている状況に納得し、躊躇うことなくそう答える。そこに利があるとか無いとかいう損得勘定はまるでない。ただ同じ境遇にあるだろう少女の苦労を自身に重ねて心から心配しただけに過ぎない。その純粋な思い遣りの言葉と精神に、彼らを騙している状態にある彼女は胸の奥でズキリと痛むのを堪えながら、もう一度一礼する。

 

「……ありがとう、ございます。これからお世話になります」

 

 頭を下げ、お礼を告げながらアルティナは、いつか嘘を()いてしまったことを———本当の理由を告げる日が来るようにと願うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 

「……ルシアさんのご飯、美味しかったですね………」

 

 これから一年ほど自分のものとなる借り部屋で、アルティナはベッドに腰掛けながら夕食で食べた料理を思い出す。精がつくということで用意されたキジ肉のシチューを筆頭に、自家製のハーブを使った料理の数々は、〝あの未来〟において、いつの日かリィンに手料理を振る舞えるようになりたいと特訓してきた彼女が問答無用で白旗を上げなければならないほどの練度の差が感じられた。食べながらおいしいと感じる反面、今の自分の料理ではこのレベルの料理を食べ慣れている、及び帝国男子の中では作り慣れている彼の舌を唸らせることが出来そうにないと悔しさもあった。戻ってきた彼の驚く顔が見てみたいと思い、料理を含めた様々なことにも挑戦してみたが、もっと精進しなければという決心を改めて固め直す。

 

「《クラウ=ソラス》」

 

『Х・VкёёГ』

 

 渓谷道に降り立った後はステルスモードで待機させ続けていた黒い戦術殻の名を告げ、呼び出す。応じたそれが鳴らしたのは、目覚めてまだそう長くはないがしかし時を遡ってきた彼女には聞き慣れた電子音。耳に届いたことに謎の安心感を覚えながら、そのボディの表面を撫でる。

 

「……やはり、わたしは貴方に頼るべきなんでしょうね……」

 

 触った質感は凡そ金属とは思えないモノ。されど、その身は遥かにヒトのそれより強固で、生半可な得物では傷一つ付かない堅実な盾。そこにバリアなんて機能もついているのだから、その安心感は凄まじいものだろう。なにせいざとなれば、()()()()()()()()()()()。自分は安全圏から援護をし続けるだけで敵が倒せるのだから御の字と言える。危険を冒さなくてもお前には強靭な武器があり、それを手足のように使えるのだから他の者より恵まれているのだぞ?と言外にそう告げられている。前衛に出なくとも役には立てるはず———

 

「……ふざけないでください……」

 

 脳裏に僅かに巡った甘えに揺れてしまった弱い自分に、アルティナは〝甘えるな〟と一蹴する。〝かつて〟のわたしならそれを甘んじたことだろう。納得し、安堵し、それ以上考えることも無かったはずだ。自分の持つ可能性を探すこともせず、与えられた力に満足し、それを引き出せればこれから先もやっていけるのだと本気で信じていることができた。それで彼の隣に立ち、背中を預け合い、共に在れると()()()した。忘れるなと彼女は自身に戒める。思い出せと自身に告げる。自分が何者であるかなど、〝あの日〟知ったはずだろうと。わたしはホムンクルス。《黒の工房》が———《黒》のアルベリヒが900年かけて造り出した〝人造人間(ヒトならざるヒト)〟であり、もし本当に制限されていなければ()()()()()なのだと言い聞かせる。

 

 ふと渓谷道での戦闘を思い返してみる。体力不足の課題がまだ深刻に残っているとアルティナは再認識した。

 しかし、それは反面、この身体はまだ下地が出来切っていないのだということの証明でもあった。逆行以前も体力不足を感じていたのだから、つまるところその時もまだまだ鍛錬が足りなかったのだと改めて考え直してみる。

 

「……もう少しメニューを増やしてみましょうか」

 

 正直なところを言えば、ここに来る以前に数ヶ月間で体力を戻そうと立てた現時点で設定したメニュー全てをやり終えた後は疲労困憊ではあった。初めの頃は立てなくなったこともあったし、今でも筋肉痛に悩まされることが無い訳ではない。その鍛錬の様子を見に来たクレア少尉から何度も止められたこともあったし、代わりに見に来たレクター少尉からも本気で大丈夫か?といった顔をされたが、それでも()()()()()()()()。鍛える環境がしっかり整っている帝都ほどではないが、ここ温泉郷ユミルは自然環境に直接曝されることもあって有効な手だ。むしろ、普段なら鍛えることができない直感などもここでなら育てることも出来る。滞在する一年ほどの間に、護衛の任に付きながらもしっかり頑張れば、きっとリィンさんと同じように強くなれるはずだとアルティナは確信する。

 

『Ё・VЯжёйа?』

 

「……それは無茶ではないのか……ですか?

 ———いえ、これではまだ足りないんです。わたしはもっと強くならなくちゃいけませんから」

 

 わたしは強くなかったから失敗した。言外にそう告げながら、アルティナはベッドから立ち上がり、()()自分の得物である二丁拳銃に手を伸ばす。黒塗りのそれはヒトを殺せる武器らしく冷たくて、温かみなど何処にも感じられない。まるで彼と出会う前のわたしのようだと思う。そんなわたしがここまで変われた切っ掛けとなった人物が近くにいる。()()()()()。守らなきゃと(わたし)が告げて、強くならなきゃと(わたし)が責め立てる。もう喪いたくない。奪われたくない。その想いが強く膨れ上がる。その気持ちに押し潰されてしまわないよう、ぎゅっと鉄の塊を胸に抱いて目を伏せた。静かに息を整える音だけが静まり返った部屋に残る。その間に《クラウ=ソラス》は気を遣ってくれたのかステルスモードへと移行し姿を消す。

 

 それからどれだけそうしていたのだろうか。漸く心が落ち着きを取り戻した頃には、時計の針が思っていたよりも進んでいた。流石に一時間は経っていなかったが、それでも時間をかけていたことは間違いない。胸に抱いたその得物を机の上に置いて、持ってきた荷物に手をつけた。中には替えの衣服や下着、弾薬にメモ、何冊かのノートなど、一年間滞在する上で必要だろうと思われたものがほとんど入っている。それらを丁寧にベッドの上に並べて効率よく仕舞えるようにそれぞれを分類分けしてから、借りることになった部屋の机や棚、引き出しにタンスの中へと仕舞っていく。

 

 量はなかなかに多かったが、分類別に分けていたこともあって特別重たいものは弾薬ぐらいしかないせいか作業は思っていた以上にすぐ片付いた。

 

「こんなところでしょうか」

 

 ざっと自分の部屋を見渡してみる。元々空き部屋だったことも相まって、ほんの少し物が増えた程度だからか寂しい感じもする。第II分校時代に使っていた自室のように置き物や飾りを添えてみれば変わるだろうか。

 

「……ぬいぐるみを作ってもいいかもしれませんね」

 

 そういえばミリアムさんがよくぬいぐるみを部屋に飾っていたという話を耳にしたことがあるとアルティナは思い出した。実際ぬいぐるみというのは女の子らしさを異性に感じさせるものだと聞く。まあ、自分達の容姿ではせいぜい子供らしさが際立つかもしれないが、それでも部屋に飾るものとしては十分すぎるだろう。幸い彼女は、料理以外にも裁縫の腕もある。これまた必死に練習したものだが、良いタイミングでそれを活かす時が来たと言える。

 

「そうと決まれば早速棉と布を用意しましょう。糸や針はルシアさんにお願いすれば借りることができるかもしれませんし」

 

 そうと決まったら早速行動を起こそう。そんな意気込みと共に部屋から出ようとドアノブに手をかける———ところで、コンコンと扉がノックされた音が聞こえた。続けて聞き覚えのある声が響く。

 

『アルティナ。少し話があるんだが、今大丈夫か?』

 

 扉の向こう側にいるのはリィンのようだ。何か話があるらしい。アルティナの中でルシアさんから糸と針を借りてもいいかという許可を得ることと、リィンさんと話をすることの二つが天秤に掛けられる。僅か一秒にも満たない間ののち後者に天秤が傾いたことで、彼女はドアノブを回して、扉を開けた。

 

「構いませんよ。立ち話もなんですからどうぞ入ってください。特別これといったものは置いてませんが」

 

 そう言ってアルティナはリィンを自室に案内しながら、ふと気付く。

 

「(……いくらリィンさんだからとはいえ、自室を見せるというのはなかなか〝恥ずかしい〟ことなのでは……?)」

 

 特に何も置けていない状態だが、それでも自室は自室だ。今回ばかりは借りたばかりというレンズがセットされているお蔭で何もなくてもおかしくないという結論に至れるだろうが、それでもやはりというべきか一度でも異性に自室を見せたというのは、それこそ他者からすれば驚かれることだろうと思っていると、アルティナはあることを思い出した。

 

「(以前パンタグリュエル艦内でも似たようなことがあったので今更でしょうか……)」

 

 あの時はリィンさんが寝ているわたしの部屋に無断で入ってきていましたね、と振り返る。理由がどうあれ許可なく異性の部屋に立ち入った挙句、それもその人物が寝入っている状態でと考えれば、かなりとんでもないことをしでかしているような気もしなくはないが、まあそれは不埒なリィンさんなら普通ですし、と大雑把に納得だけしておくことにする。その納得の仕方が大いに不味いことに全く気付いていなかったが。

 

 アルティナに案内された室内でリィンは立ったままで話をしようとするも、彼女がせっかく善意で持ってきてくれた椅子を拒む訳にもいかないため、大人しくそれを受け取って腰掛ける。対する彼女の方はと言えばベッドの上に腰掛けて向き合う形を取っていた。

 

「……さて、要件というのは?」

 

「ああ、実は気になったことがあってさ。それを訊ねに来たんだ」

 

「気になること、ですか?」

 

「アルティナが探しに来た人———義理のお兄さんだったか。その件で気になることがあったんだ」

 

 その言葉を聞いてどきりとする。やはり設定に無茶があったのかもしれないと内心焦る自分がいることをアルティナは自覚しつつも、動揺を表に出すことなく耳を傾ける。騙し続けることには胸が痛いが、それでもどうにかしてこの場を切り抜けなければいけない。きっと糸口は彼が作り出してくれるはずだと希望的観測と共に待ち構えた。

 

「俺に似てるって言ってたよな。君のお兄さんと俺は」

 

「そうですね。確かによく似ています。他人の空似と言っても過言ではないかと」

 

「そんなに似てるのか……。それなら君があんなことをしてきたのも確かにおかしくないよな……」

 

 うーん……と腕を組んで考え込むリィンに、アルティナは《八葉》を受け継いだ者達が持つ驚異的な〝直感〟が芽生えているのではないかと焦りを覚える。もしかすると、わたしがこの時間軸に遡行し、ここに現れてしまったことで彼の能力が開花したのではないかという疑念が脳裏を過ぎる。

 

 そこへ改めて何か聞くことを思い付いたらしいリィンが再度質問を投げかける。

 

「そういえば名前も同じなんだよな?」

 

「そうですね。本当に同じだとは思いも寄りませんでしたが」

 

「………………」

 

「……もしかしてですが、わたしのことを疑ってますか?」

 

「……いや、そういう訳じゃないんだが……」

 

 そこでまたリィンが考え込んでしまった。どういう狙いがあって尋ねに来たんだろうかとアルティナは思考する。どうやらわたしを貶めるためではなさそうですしとまず始めに見抜かれたという可能性を排除する。先程はその可能性を怪しんでいたが、どうやらそうではないらしい。こうして目に映る彼の姿や反応から察するに、疑ってかかっているのとは縁遠いことが判明していた。そうなると、他には何が考えられるだろうか。もう一度思考の海に身を沈める。次に考えたのは、彼自身が一度出会っていたりしないかと記憶を探っている状態なのかもしれないということだ。無論、彼女の探していた人物は目の前にいる訳で、何処を探せども見つかるはずもない……と思う。それこそ真に他人の空似と言える人がいれば話は別だが、アルティナが知るリィンは一人だけだ。そう考えるとこのまま行けば、やはり疑われてしまうのではないかという気がしてくる。聞くところに寄ると、《怪盗紳士》も何度も見抜かれてしまっているようだから、一度疑われてしまうとなかなかどうして厄介であり、今後にも支障が出かねない。そうなると、せっかくのユミル滞在交渉が無駄に———

 

「———アルティナ?」

 

 どうしたんだ?とこちらに顔を近づけていたリィンに、漸くアルティナは気付く。顔が近い、そんな思考が脳裏を過ぎってしまったせいか顔が熱を帯び始めているような気がしてくる。どうしてこの人はこういうことも平気で行えるんだろうかと思う一方で、何とかそれを悟られないよう冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら返答する。

 

「すみません、少し考え事をしていました。

 ———あの、リィンさん」

 

「ん? どうかしたのか、アルティナ?」

 

「先程の質問ですが、どういった意図で投げられたものなのか教えてもらっても構いませんか? いまいちリィンさんの考えていることが分からなかったので」

 

「……ああ、そうだよな。突然質問ばっかりしてごめんな」

 

「いえ、特に気にしてませんから」

 

 その言葉を聞き、リィンは安堵する。機嫌を損ねてしまったのではないかという懸念があったのだろう。それから数秒ほど悩みに悩んでから———彼は口を開いた。

 

 

 

「———実はさ、小さい頃の記憶がないんだ」

 

 

 

 それは、リィンがリィン・シュバルツァーとなった日の話だった。吹雪の中で雪道に捨てられていた浮浪児が義父となったテオ・シュバルツァー男爵によって拾われ、養子となったことが滔々(とうとう)と語られた。既にその過去を知っていたアルティナだったが、いざ本人から———まだその事実と向き合い切れていない頃の彼の口から聞いてみると、重く感じられた。当然当事者ではない彼女には、その心境を深く推し量ることなど出来はしない。

 

 しかし、どうして彼がこのタイミングでそのことを話してくれたのかだけは何となく分かる気がしていた。

 

「だから、今日君に出会って名前を呼ばれた時にさ。もしかしたら、記憶を喪う前の俺のことを知っているんじゃないかって思ったんだ。……いや、それだけじゃないな。あの時出会った君が———」

 

 一拍が置かれ、そしてその続きが言葉となる。

 

「———記憶を喪う前の俺の妹だったんじゃないか……って。そう……思ってしまったんだ」

 

 そこには、もしかしたら……というIF(イフ)が込められていて。彼からすればそれに値する存在であるアルティナは何とも言えない複雑な気持ちを抱いた。

 

(そういう関係もきっとあったんでしょうね)

 

 静かに、優しく、彼女は呟く。その声は彼には辛うじて届くことはなかったが、それでも何かを呟いた少女の浮かべた表情に何かしらの影を落としていることを悟らせた。慌てて余計なことを言ったことを謝罪しようとリィンが言葉を発する———

 

「リィンさん」

 

 その前に、アルティナがそれを制した。決してそれはピシャリと言葉を断つようなものではなかったが、それでも言外に謝らなくても構いませんよという言葉が含まれていた。ただ、代わりに彼女の口からは別のものが飛び出した。

 

「仮にわたしが貴方の妹だったなら———また会えたことを一先ず嬉しいと思います。勿論、一緒に過ごした記憶があるならそれに越したことはありませんし、当時のことを覚えていたなら更に嬉しいです。なにせ、その場合は〝はじめまして〟ではありませんから」

 

 それは、アルティナの心境そのものと言っても過言ではない。時間を遡行しやってきた彼女には、周りの誰もが知っている人であることが多い。関わりがあった人の中には親友と呼べる者もいたし、姉と呼んだ人もいた。他の誰よりも大切に感じた人だってここにいる。

 

 けれど、その人達はまるでアルティナを知らないのだ。まだ出会っていないはずである以上、それは当然のことではあるが、〝かつて〟はずっとそばにいた大切な人にも〝はじめまして〟と言わなければならないのはハッキリ言って苦痛だ。重く辛く痛くて哀しい。その痛みと嘆き、苦しみと哀しみは、一度でも当事者とならなければ推し量れるものではない。忘れられてしまったという体験は早々出来るものではないし、体験するべきではないだろう。故に彼女の言葉は、経験から生じた重みあるものだ。例え相手が知らなくとも、突き付けられるそれらには決してそれを嘘だと断ずることのできない深みが存在している。今こうしている間も聞かされているリィンにはそれを聞き入るしかない。

 

 そして今、アルティナは語りながら再考する。もしもわたしが貴方の妹だったら———それはどれほど甘美な響きだろう。〝人造人間(ホムンクルス)〟である以上、父も母もいない身。製造順の最後であるが故に姉こそいたが、兄も弟もいなかった。その片方だけでもいてくれるのなら、きっともう少し家族というものを知ることができたのかもしれない。リィン・シュバルツァーの妹としての人生。少し考えてみるだけでも胸が温かくなる。ほぼ確実にエリゼと同じように悶々とした日々を送ることになるのは間違いないだろうが、それでもきっとその日常は優しくて温かくて幸せに満ちたものになるだろう。

 

 しかし、だからこそだろうか。アルティナはそんなIF(もしも)を享受したいとは思わなかった。何故ならそれは———

 

「(わたしはリィンさんの妹でいることに満足できないでしょうね)」

 

 ———()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アルティナは知っている。

 ———複雑な想いが渦巻いた胸の切なさを。

 アルティナは知っている。

 ———背中を預け合い、支え合った日々を。

 アルティナは知っている。

 ———強いあの人でも弱い部分があることを。

 

 きっとそれら全てが、彼の妹としてそこにいたなら味わえないものだと分かっていたから。彼のシスコンぶりはそれこそ剣聖クラスだ。もし妹という立場であろうものなら同じ場所で戦うことすら叶わないかもしれない。

 

 リィン・シュバルツァーは不埒な人だ。強くて優しくて、誰よりも大切な人だ。そばにいるだけで安心させてくれる人だ。

 それと同じくらい、一人にしておくことができないくらい危うい人だ。自己犠牲が極まっていることもそう珍しくない。そうでなければ、〝あの時〟も自分一人で背負いこもうとしなかったはずだから。

 

 だから、今こうして彼が話してくれたことは嬉しかった。それが例え偶然だったとしても、ちょっとしたきっかけで繋がりを深めることができたのだ。既に知っていたとはいえ、いざそれを耳にしたせいかアルティナは改めて強く思った。支えてあげたい。守ってあげたい。その想いは〝かつて〟リィンが抱いたものと同じものであり、いつの間にか彼女自身が思うようになっていたもの。遡行を果たしてから胸の奥に燻っていたものに大きく火が着いたような気すらした。

 

 その勢いのまま、アルティナは彼のためになるようにと言葉を続けた。

 

「———ですが、それはあくまでも〝IF(もしも)〟に過ぎません。実際にわたしは貴方の妹ではありませんし、今後そういう人が現れるかもしれません」

 

 だから聞かせてください、リィンさん。

 そう告げて、アルティナは意地悪な質問を問いかける。

 

「本当に〝かつて〟の妹さんがやってきたとして、彼女が実家に戻って一緒に暮らしたいと言われたとしましょう。リィンさんはここでの暮らしを———テオさんやルシアさん、エリゼさんを、()()()を捨てて、その人に付いていきますか?」

 

「——————」

 

 あまりにもぶっ飛んではいるが、しかし、有り得ない訳ではないその質問にリィンは面食らう。確かにそういうこともないとは限らない。記憶を喪う前の家族であった妹が迎えに来たとして、その彼女が今の彼の家族を是とするとは断言できない。むしろ、もしも彼が高潔な生まれで、当然その妹である彼女はプライドが高いかもしれない。挙句の果てには、高々男爵程度では認められないと傲慢にも言い放つような輩ではないと言い切れない。そうなったら———本当に付いていくのか?

 

「———付いては……いけないな。どれだけその子が俺のことを兄だと思ってくれても付いていけないと思う」

 

 だってそうだろう?とリィンは続ける。

 

「俺にはその頃の記憶がないんだ。……いや、例えあったとしても、ここで過ごした日々は掛け替えのないものだった。凍死しかけていた俺を救ってくれた父さんや、今まで育ててくれた母さん。それにずっと一緒にいてくれたエリゼだっている。みんなにもずっと助けてもらっていた。そんなみんなを———ユミルを捨てて、またやり直そうっていうのは流石に都合が良すぎるし、()()()()()()

 

 最後に紡がれたその言葉に理屈なんてない。最早気持ちの問題でしかない。けれど、ヒトが何かを決める際には最も重要なものだ。それだけで明確な答え足り得る。

 それに、と彼は続けて———

 

「俺が他の誰でもない、父さん達の息子でエリゼの兄の———リィン・シュバルツァーだから、かな」

 

 気恥ずかしそうにリィンは言い切った。そこに揺らぎも迷いもない。その答えに嘘は無く、偽りも無い。紛れもなく彼自身が今ここで出した答えなのだと真偽を見抜くまでもなく分かる。返ってきた答えにアルティナは心から安堵する。

 

「安心しました。もしもリィンさんがここで付いていくと答えた場合、徹底的に性根を叩き直さければいけないと判断せざるを得ませんでしたから」

 

「え゛」

 

「冗談です。せいぜい色々と悟りを開いてもらう程度ですので」

 

「いやちょっと待ってくれアルティナ。それかなり洒落にならないものなんじゃないか……?」

 

「それは……そうかもしれませんね」

 

 命拾いをしたような心地を味わうリィンに対し、アルティナは目の前にいる彼が自分の知っている彼と根本から違わないことを再確認する。自分が遡行したことで発生するかもしれない〝予想外の何か〟。もしかしたらと思い、それがリィン・シュバルツァーという存在に致命的な影響を与えたりしないかと心配だったのが、漸く払拭できた気がした。このまま筋書きが覆ることがなければ、きっとわたしの知っているリィンさんになるのだろうと思う反面で、やはり何処か寂しさを覚えた。チクリと胸が痛むのを感じながら、ふと彼女は気になったことがあったことを思い出す。

 

「そういえば、リィンさん」

 

「ん? どうかしたのか? アルティナ」

 

「大したことではないのですが……どうして、初めて会ったばかりのわたしにそんな大事なことを?」

 

「………………」

 

 訊ねた途端にリィンが何処か言いづらそうな顔をするが、先程と違い、話すのにそこまでの間は開かなかった。

 

「俺も少し変だとは思うんだけどさ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妹じゃないにしても()()()()()()()()()()()()()って……」

 

「——————」

 

 今度はアルティナが面食らう番だった。凡そそんな言葉が飛び出すと思っていなかったのもあるが、今の彼女にとってそれは嬉しさを通り越していた。呆気にとられて物も言えないまま、まるで別の生き物のように冷静だった脳裏に〝やはりリィンさんは不埒ですね〟とだけ浮かび上がっていた。

 僅か十秒弱ほどだったが、たっぷりと再起動に時間をかけてから、アルティナは大きく溜息を吐いてからジト目で———

 

 

 

 

 

「やはりリィンさんは不埒ですね」

 

 

 

 

 

「どうして今の話から俺が不埒だってことになるんだ!?」

 

 

 

 

 

 

 





 やっぱりリィンは不埒だよなぁっ!?という謎テンションで最後書きました。いやホント、〝君とは初めて出会った気がしない〟とかいうセリフはどう考えても不埒ですね(アルティナ基準)
 そんな不埒なリィンとの本編開始前の序章段階ですが、皆さんはお忘れではありませんよね? ユミルには何がありますか? まあ、まずスノーボードありますし、雪ありますし、釣りがありますよね? そして定番のアレもありますよね? 書くことありすぎて次回はどれとどれをピックアップするか悩みそうです。というか〝鬼の力〟の話を少し繰り上げてもいい気がしてきました。



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5.ある冬の日の出来事 前篇




 書き上げた頃には投稿日になってた駄目な作者は自分です。
 少しゆっくりし過ぎましたね、あと少し内容が薄いかと。普段よりも二千文字足りてないんですよね。何とか後半で取り返すつもりです。日常回ですよーなんてTwitterにほざいておきながら、少しシリアス混じりというね。ホントどっちかにしろよと。





 

 

 

 

 

 

 

「これから鍛錬ですか? リィンさん」

 

 そんな声が耳に届いたのは、ある日の早朝だった。まだ日の出を迎えていない薄暗い時間に、普段からの日課である早朝の鍛錬を行おうと外に出たリィンを迎えたのは、少し前にシュバルツァー男爵家に滞在することとなった客人のアルティナだった。まさか他に起きている人がいるとは思ってもいなかった彼は二度見どころか三度見する勢いで時計を確認する。もしかして時計が止まったり早まったりしていないだろうかと考え確認するが、どうにも間違っていないらしい。すると、彼女の部屋の時計だけズレているのではないかと考えた後———

 

「ああ、そのつもりなんだが———まだ日の出前なのにこんなに早く起きて大丈夫なのか、アルティナ。君ぐらいの年齢だと睡眠時間はかなり大事なものだと思うんだが……」

 

「まあ、()()()()()

 とはいえ、わたしにとってこの時間の起床はいつも通りですし、下手に二度寝すると流れを崩してしまうかと」

 

「そう言われたらぐうの音も出ないな……」

 

 同じく習慣化しているリィンは、アルティナに習慣だからと言われてしまい下手に強く出れなくなる。説得しようとして早々に失敗した彼は肩を落としていたが、それからふと何故彼女がこの時間に起きているのかが気になった。よく見てみると、見覚えのある黒い二丁拳銃が仕舞われている。

 

「もしかしてアルティナも鍛錬なのか?」

 

「ええ、そのつもりです。ユミルは大自然に囲まれた土地なので、普段では行えない鍛錬が積めそうですし、せっかく一年ほど滞在するので、この地で出来ることはやり尽くす勢いで徹底的に行おうかと」

 

「はは……ほどほどに、な?」

 

「……分かりました。ご迷惑をおかけしないよう善処します」

 

 こくりと頷いたアルティナに、リィンは苦笑いを浮かべた。妙に善処という言葉が引っかかったからだ。それを耳にすると、どうしてだろうか不思議と心配してしまう。そこにいる少女は半端者の自分よりも強い。それは分かっている。戦うまでもなく圧倒されることは想像に難くないし、いざ戦えば早い段階で地に膝をつかされることだろう。それほどまでの練度・実力の差をあの日出会った時から感じていた。なにせ彼女は、あの時渓谷道にいた魔獣———()()()近い全てをヘッドショットしていたような実力者だ。明らかに歳相応で考えるべきではない。

 

 しかし、自らを半端者と蔑むリィンですら、どういう訳かアルティナのことが心配で仕方がなかった。何処か危うさを感じるというのか、或いは———()()()()()()()()()()()()()()()()。果たしてどちらか確定だと言えるほどではないし、深くは分からないが、兎も角気になることは間違いなかった。

 

 そんな自らの気持ちに身体が応えるように、リィンはアルティナに声をかけていた。

 

「良ければ、一緒に鍛錬をしないか?」

 

「一緒にですか?」

 

「ああ、実は少し行き詰まっててさ。客観的な目線からアドバイスが欲しいんだ。……いや、ダメなら別にいいんだが———」

 

「構いませんよ。わたしも少し見てほしいものがあったのでちょうど良かったです」

 

 そういうと心なしか嬉しそうなアルティナが「場所は渓谷道で構いませんか?」と訊ねてくるので、リィンは「ああ、そうしよう」と返事をすると、頷いた彼女はそちらに向けて歩き出した。その後を付いていく。二人が目指す目的地は渓谷道の中腹。以前魔獣を大量に駆逐したポイント付近だ。そこまで歩いて移動するため、少しばかり時間があった。いつもなら黙々と登るリィンだったが、せっかくアルティナがいるので軽く話をしたいと思い、声をかけてみる。

 

「あれから少し経ったけど、大分慣れてきたんじゃないか?」

 

「そうですね。最初は豪雪地帯だと聞いていたので不安もありましたが、エリゼさんから頂いたこの服装も暖かいですし、ルシアさんやテオさんにもよくしてもらっています。それにユミルの皆さんも優しい方ばかりでしたから、想定していたよりも早く慣れました」

 

「それは良かった。安心したよ。俺はあまりそういうことをしてあげられていないからな……」

 

「いえ、リィンさんには一番助けられてますよ」

 

「え……そうなのか?」

 

「ええ、あの時わたしに泊まる場所を与えようとしてくれたのは貴方です。恐らく他の人ではこうならなかったと思いますし、本当に出会えて良かったと思っています」

 

 しれっと恥ずかしがることなく言い切ったアルティナに、リィンは頰を掻く。こうも至近距離で、それでいて少ししか一緒にいない誰かに善意を向けられることなどそうなかったせいか、妙な気恥ずかしさを覚える。それは普段自分がやっていることを真正面から返されているだけなのだが、当の本人には気付く様子はない。ちらりと一瞥したアルティナは心のうちで溜息を吐きながら「やはりリィンさんは不埒ですね」と少しズレたことを呟いた。

 

 そうしている間に、二人は目的地へと辿り着く。足場も十分あって広く整ったその場所は、気が向いたら一戦仕合うことにも使えそうなほどだ。少しばかり雪ではなく氷になっているが、それは多少の誤差だろう。むしろ、この地の特徴・気候が及ぼす影響を如実に表していると言っても過言ではない。豪雪地帯ではこういうことは当たり前なのだと改めて実感させてくれる。実際に戦闘行動を取った場所が何の不自由もない平地だけであるはずもないことを知っているアルティナにはちょうど良かった。

 

「それでは鍛錬を始めましょう。

 ……ところで、リィンさんは普段どのようなことをしているのですか?」

 

「まず基本の素振りと《八葉》の技を一通りかな。毎日振っておかないと感覚を忘れてしまいかねないからな」

 

「なるほど。やはりその辺りが妥当ですね」

 

「アルティナは?」

 

「わたしは———」

 

 そう言ってアルティナはユミルを訪れる前に普段行なっていた鍛錬の数々を口にする。武器を持ったまま走り込みを行なったりすることやプールで一定の距離を泳ぎ続けることなど、()()()()()()()()異常なメニューが明らかとなっていく。無論、それら全てを朝に行う訳ではない。

 しかし、それらを聞いてリィンが思ったのは、明らかに無茶だということだった。見ていられないと初めてそう思うくらいには。

 

「……本当に毎日そんなことをしていたのか?」

 

「ええ、最初のうちは動けなくなることもありましたし、今も筋肉痛に悩まされることはありますが。それでも、()()()()()()()()()()()()

 

 迷うことなくアルティナは言い切る。そこに自分の身体を労わる気持ちなど微塵もないかのように。

 だから、彼は真剣な表情で少女に向き直った。

 

「……アルティナ。悪いが君の鍛錬には無茶がありすぎると俺は思う」

 

「……そうですか?」

 

「……ああ、下手をしたら身体を壊しかねないくらいだ。俺でも流石にそのメニューは熟せない。もし老師が聞いていたら堪らずお怒りになってもおかしくない。どうしてそんなに無茶なことをするんだ?」

 

 貴方を守りたいからです。

 そう答える訳にもいかないアルティナは、守りたい人に真正面からそう言われてしまい、口を噤んだ。反論の余地なんてない。自分では無茶ではない、まだ出来るはずだと信じ続けていたが、いざ大切な人にこう言われて無視することなど彼女には出来はしない。直視しないようにしていた現実を叩きつけられたような錯覚を覚えながらも、何とか思い浮かんだ言葉を口にした。

 

「———守りたい人がいるからです」

 

 決して嘘ではない言葉。誰を守りたいのかという点は言及していないが、それでもそれはここにいるアルティナ・オライオンという少女の目的や願い、覚悟を一言で表したものだった。あんな想いは二度としない。喪うのは懲り懲りだと。言外にそう示している。

 

「そのためにわたしは強くならなきゃいけないんです。例えそれが無茶だとしても、簡単に引き下がるつもりはありません」

 

 あまりにも真っ直ぐに返されたその眼光にリィンは驚く。彼女ほどの齢の子供はユミルにもいるが、最早歳相応に考えることすら間違いだと思わされる。音として耳に届いた言葉には力強さがあり、決して引けないという覚悟が滲んでいる。自分にはない〝強さ〟が、目の前にいる少女にはあるのだと言外に示されている。眼光一つで全てを推し量れるほどリィンは世間を知っている訳ではないが、それが〝武人〟———戦う覚悟を持つ者が見せるそれであることだけは理解できた。敵わない、というのは分かっていたが、心構えからして負けていることを自覚する。恐らく、半端者の俺では彼女の決めたことに指図することなど出来ないだろうと思う。

 

 けれど———誰かが無茶をして辛い目に遭うことだけは認められなかった。

 

「……分かった。君がそう言うのなら俺も納得する。

 でも、これだけは言わせてもらうし、させてもらう」

 

「………………」

 

「その人だって君が無茶をして身体を壊すようなことになったら悲しむはずだ。それだけは間違いなくそうだと俺は思う。だから俺はその人の代わりに君が限度を超えて無茶をしようとしたら、否が応でも止めさせてもらうからな」

 

 こればかりは譲らないぞと告げるリィンに、やはりリィンさんは変わりませんねとアルティナは納得する。恐らくまだ出会って少しであろうとも、家族の一員のような間柄となった自分が倒れた場合、彼は心配してくれるだろう。必死になるだろうし、手を尽くしてくれるのは間違いない。彼の義妹もそうだし、彼の家族も心配するはずだ。今のわたしが置かれている状況は、一人で生きていた〝あの頃〟とは全く違うのだともう一度再認識する。何より、彼を心配させることはもう二度としないと約束したのだから守りたいと思う。例え、その約束をした相手がそんなことがあったと知らなくとも———

 

 目を伏せ、それから言葉を発する。

 

「……出会って間もないリィンさんにそこまで心配されるとは思いませんでした。そうですね……気にして頂けている状況で無視を貫くのもどうかと思いますし、無理をしない範囲に変更しましょう」

 

 そうと決まれば、とアルティナは自分にとっての最優先が何かを再確認して目先のそれを捻じ曲げる。

 

「そもそも、ここでは以前と違い出来ないことがいくつかありましたし、変更は余儀なくされていたでしょうから。

 リィンさん、鍛錬メニューの相談に乗ってもらえますか?」

 

「え……あ、ああ……それぐらいなら構わないけど……。……なあ、アルティナ?」

 

「どうかしましたか?」

 

「……あっさりと聞いてくれたが、不満はないのか?」

 

「ええ、特にありません。今回の場合、リィンさんの方が正しいことを言っていることは誰の目から見ても明らかでした。もし仮にわたしが倒れてしまうと、あなたに迷惑をかけてしまいますし」

 

 クレアさんやレクターさんが心配していた理由が、つまるところリィンさんの言っていることなのだろうし、なによりもまず———

 

「今までのメニューではただ疲れるだけで効果があまり出ていないように感じたので、この辺りで一新するのも悪くないかと」

 

 あれだけ熟して体力が足りないように感じるのなら、効果がそれほど出ていないということに違いないはずだからとアルティナは確信する。負荷がかかるほどヒトの身体はそれに耐えられるように成長するはずだが、もしかすると負荷がかかりすぎて成長が追いついていないのでは?と思考が及んだのだ。どうしてそれに気がつかなかったのかと思うところはあったが、きっとそれはわたし自身も未熟だから気付けなかったのでしょうと考えておくことにする。

 

「兎も角、今日は手探りの状態になると思うので、まずはリィンさんの鍛錬を観察していても良いですか?」

 

「ああ。何か悪いところがあったら教えてくれると助かるよ」

 

 そう言ってリィンが離れる。周りに動きを阻害するものがない辺りに辿り着くと、腰に携えた鞘から使い慣れた太刀が引き抜かれた。〝あの未来〟に至るまでずっと使い続けてきた愛用の得物。クロウやミリアムと共にヴァリマールに連れられて大気圏外へと消えていったモノ。

 

「——————」

 

 それを見てアルティナは息を呑む。見慣れたはずのモノなのに、久しぶりに目にしたような錯覚を覚える。思えば、こうしてまじまじと眺めたのは久しぶりかもしれない。綺麗だと思う。眩しいと思う。不思議と羨ましいとすら思う。

 そこでふと気付く。道具であるそんなものにまで羨ましさを何処か覚えてしまった。果たしてどうしてだろうかと思考するも、やはりそれが何なのかはまだよく分からない。むすっとしたりすることは何度かあったし、モヤモヤしたことは両手の指の数では足りないくらいだ。それにとてもよく似ているような気もするが、ついには彼の鍛錬が一通り終わるまでそれが何なのか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 

 二人が朝の鍛錬を終えたのは、沈んでいた日が昇った頃だった。朝ご飯に遅れまいと急いで帰宅すると、そこにはちょうど朝ご飯を作り終えた母親の姿があった。それを手伝う妹の姿があり、新聞片手に待っていた父親の姿がある。いつものように席に着き、他愛もない会話を交わす。質素な暮らしながらも愛情のこもった朝餉を口にする。有り触れていることではあるが、それでも十分すぎるぐらいの幸福を日々実感しながら、ふとリィンは少し前まで誰もいなかった場所に座る滞在人を見る。

 

 アルティナ・オライオン。

 渓谷道で出会った12歳だという少女。綺麗で透き通るような銀の長髪と若菜色の瞳を持つ、精巧な人形のような完璧なほどに整った容姿は、ユミル一の才女であり美少女とリィンが太鼓判を押しているエリゼでさえ敗北感を覚えたほどだった。もしも仮に血筋や生まれでそこまで整った容姿を持つのならば、きっと彼女の生まれはシュバルツァー男爵家を上回るような一族であるに違いないだろう。

 

 しかし、そこで彼は違和感を覚えた。果たしてそうだと仮定して、何故彼女が自らの足で探し続けているのだろうかと。男爵以上の地位にある貴族であったならば、人捜しなど任せることが出来るはずだ。彼女ほどの容姿に傷をつける訳にはいかないという者だっていてもおかしくない。蝶よ花よと育てられても何ら不思議ではないはず。そんな少女が自らの手で足でここまでやってくるというのは、どれほどの深い事情があるのだろうかと思うことはある。義理の兄を探しにきたという言葉が嘘だとはリィンは欠片も思っていない。こんな小さな女の子を疑うほど、疑心暗鬼になったつもりはないからだ。

 

 ご飯片手に少しばかり思考してみる。彼女は義理の兄を探していると言っていた。義理の兄。つまり、血は繋がっていないことになる。その兄は果たして貴族なのだろうか。昨今ではシュバルツァー男爵家のような貴族は珍しいという。ほとんどの貴族は平民との間に壁を設けている。それは物理的にでもあり、精神的にもである。我らは尊き者(ピアー)、奴らは卑しい者(コモナー)といったように。彼女の兄が後者であったのなら、きっとどれほど望もうとその願いを叶えてもらえないだろう。そんな現実を知ったからなのか、歳相応にも思える豊かな〝感情〟とは裏腹に、時折見せる影の差した憂いの表情はそれを裏付けているようにも思えた。そんな自分の家に愛想を尽かして自力で探しに来ているとすれば———

 

「———さま、兄様」

 

「あ……すまない、エリゼ。少し考え事をしていたんだ」

 

「そうでしたか……。私はてっきり体調が悪いのではないかと思ってしまって」

 

「いや、問題ないよ。父さんも母さんもごめん、ご飯の途中に考え事なんかして」

 

「分かっているのならいい。考え事も大事だが、まずは母さんの料理が先決だということを忘れないようにな」

 

「次から気をつけてくださいね、リィン」

 

「ああ、気をつけるよ」

 

 どうやら食事をすることが疎かになっていたらしい。そのことをリィンは自覚する。そうしている間にもアルティナはよく食べている。その小さな体躯には見合わないほどのご飯を胃の中へと収めながらも、数日前と比べてみるとその量は少なめだ。鍛錬メニューの一新に伴い、いつもよりも軽く身体を動かした程度だからだろうか、必要なエネルギーがそこまで多くなかったのだろう。一先ず考え事は後にしようとご飯を口に運んでいった。

 

 朝食を食べ終えると、各々ここから先は自由な時間が待っていた。さて、これからどうしようかとリィンはその場で考え始める。まず特別急ぎでやらなければならないことはない。そうなると、今日一日は普段以上に自由な時間ということになる。山道の方には雪も積もっていることだろうし、スノーボードをするもことだって出来る。ヴェルナーさんの元で料理研究に励むのも良し渓谷道に出て釣りをしてくるのも良しという具合だ。さてどうしたものかと思っていると

 

「リィンさん」

 

 自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。振り返ってみると、やはりそこにはアルティナがいた。真っ直ぐにこちらを見つめる若菜色の瞳と目が合う。それからふと、何やら背中の方に何かを隠し持っていることに気が付いたが、一先ず要件を聞くことにする。

 

「どうかしたのか、アルティナ」

 

「少し訊ねたいことがありまして。少々お時間頂いても構いませんか?」

 

「ああ、特に何かしようと考えていなかったから時間は有り余ってるけど……」

 

「そうでしたか。実は、この板の使い方を教えてほしいのですが……」

 

 そう言って取り出されたのは、先程まで背中に隠されていた大きめの長細い板。表面と滑走面が一体となったものに、ブーツをボードに固定する為に使われるバインディングと呼ばれる留め具が直接取り付けられるようになっているそれはユミルの子供達に馴染みの深いものだった。

 

「俺のスノーボードじゃないか。よく見つけてきたな。ひょっとして遊び方を教えてほしいのか?」

 

「スノーボード……? それはどういった遊びなのですか?」

 

 興味津々といった様子を見せるアルティナに、リィンは何処かエリゼに何かを教える時のような心地で説明する。

 

「ああ、その板の上に乗って雪の斜面を滑り降りる遊びなんだ。確かにこれは雪がよく降って積もるユミルならではの遊びだから知らなくても無理はないな」

 

「なるほど、興味深いですね。それはわたしにも出来ますか?」

 

 期待の眼差しを向けるアルティナに、リィンは答える。

 

「ああ、少し練習したらある程度感覚は掴めるはずだ。慣れてきたら色々できるようになると思う。俺のものだと大きいだろうし、アルティナの身体に合ったサイズのものがいくつかあったはずだからそれを借りよう」

 

「そうですか。では少しだけ待っていて貰えるでしょうか? ルシアさんに話したいことがあるので」

 

「分かった。ゆっくり話してきてもいいからな」

 

「そこまで時間はかからないと思います」

 

 そう言うとアルティナはルシアがいるキッチンの方へと向かっていった。その後ろ姿を見送ったリィンは何を話しにいったのだろうかと考えてみるが、特別これといったものは思いつかなかった。

 

 少しほど経って、アルティナがキッチンの方から戻ってきた。心なしか嬉しそうにも見える。何を話してきたんだろうかとリィンは気になり、訊ねてみることにする。

 

「何を話してたんだ?」

 

「秘密です。夕方まで楽しみにしていてください」

 

「夕方まで……?」

 

 はて、夕方に何か特別なことがあっただろうかと唸るリィンの手をアルティナが握る。

 

「昼食まで時間はありますが、午後からは少しやっておきたいことがあるので早速ですが山道の方へ行きましょう」

 

 どうやら普段とは違い最低限の鍛錬しかしていなかったアルティナは元気が有り余っているらしい。グイッと引っ張る手に力強さを感じられる。そんなに楽しみなのかと期待した様子の少女の姿に、リィンは微笑ましそうに頰を緩めた。玄関の扉を開け、外へと出る。見慣れたユミルの里の光景が広がっている。日が沈んでいた早朝に比べると少しばかり暖かいが、それでも誤差だ。防寒対策は万全にしておかなければならない。特に元よりこの地に住んでいないアルティナは滞在を開始してから少ししか経っていないこともあり、ユミルの住民基準で下手に測ると風邪を引かせてしまうかもしれないと思ったリィンは、もう少し寒くなってから自分が愛用しているマフラーを手に取ると

 

「アルティナ、ちょっとこっちを向いてくれるか?」

 

 振り向いた少女にそれを見せた上で手慣れた動きで首にマフラーを巻いていく。首元が寒くないように、けれど、首回りが苦しくないようにという絶妙な加減で。やや黒っぽいそのマフラーは、不思議とアルティナの銀髪と合っていて、とても似合っているようにも思えた。巻いてもらったそれを手に取り、アルティナは少しばかり見つめるとこちらを向いた。

 

「どうも、ありがとうございます。……これはリィンさんのものですよね?」

 

「驚いた……よく分かったな。……もしかして嫌だったか? それなら今からでもエリゼに頼んで借りて———」

 

 慌てるように急ぎ行動へ移そうとするリィンの姿に、この人は相変わらずですねとアルティナは溜息を吐いた。

 

「いえ、その必要はありません。せっかくの厚意を無駄にするのもどうかと思いますし、それ以前に特に気にしてませんから」

 

「……そうなのか?」

 

「ええ、気にしてませんよ。むしろ、すぐに気遣ってくれたことの方が嬉しいですし」

 

 まるで妹が兄の服の袖をギュッと掴むようにマフラーを握って優しく微笑むその姿に、リィンはホッとしたような気持ちになる。安堵を覚え、しかし何処か庇護欲を唆られるような複雑な何かが心の底から湧いてくる。遥かに自分よりも強いはずの少女が、本当は弱いのではないかという、杞憂に終わるに違いないことを考えてしまう。

 

 その一方でアルティナは、首に巻かれたリィンのマフラーを嬉しそうに撫でた。なんだか彼の腕の中で包まれているような気がする。気持ちが落ち着いて、心がいつもよりとても安らいでいるというのに、心臓は少し五月蝿い。これが不埒な気持ちなら、悪くはないと思えるほどに身も心も暖かくて。

 もう少しこうしておきたい気がしたが、先程時間は有限だと言ったばかりのアルティナは、いつもの調子を取り戻して声をかける。

 

「さて、それでは行きましょう。リィンさん」

 

「ああ、そうだな」

 

 そうして二人は山道の方へと歩いていき———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやっほーう」

 

「「………………(パクパク)」」

 

 教える立場であったはずのリィンが困惑する羽目となった。

 山道について借り物のスノーボードを受け取ったアルティナは、当初の予定通り彼の説明を受けることになった。専門用語がいくつか飛び出したこともあり、逐一それが何なのかを訊ねることを繰り返すこと数分後。その頃には、アルティナは初心者とは思えない滑りを見せつけていた。一から全てを教える気でいた経験者リィンは勿論、冬を迎える度に山道の方を確認しに行きゴーサインを出す管理者のようなポジションにあるジェラルドですら、このまさかの光景に開いた口が塞がらない状態へと陥っていた。特に後者に関しては、ユミルの子供達を含む若い衆を長年見守ってきた大人であるため、過去に前例がなかったここまでの滑りに驚きを隠せないのだろう。無論、本当は初心者ではないのでは?という考えも浮かんでいないはずはない。

 

 しかし、彼は長年見守ってきた立場である。アルティナが初心者かそうでないかの区別はつく。そもそも、最初はスノーボードに足を固定する方法もぎこちなかったのだから、これが初心者でないはずがない。スタートラインに着くまでの動きも慣れていないことがよく分かるものだった。間違いなく彼女は初心者だ。初心者であるはずなのだが……

 

「……なあ、リィンよ」

 

「……ジェラルドさん、初心者ってなんでしたか……?」

 

「……言うな。今必死に定義を思い出そうとしているところだ」

 

 初心者とは何か、という定義がたった一度の滑りで根底からぶっ壊されてしまったような気持ちになった二人は、遠い目で一番下まで滑り降りていく少女の姿を見守ることしかできずにいた。本当に経験がないのかを問い質したくなるような心境にあったが、自分達の知っている初心者が取る行動という定義がそれを未然に防ぐ。第一、二人掛かりで小さな少女を質問責めというのは、第三者視点から考えてもかなり洒落にならない光景だろう。渓谷道のように目先の危険があるなら兎も角、ここは遊び場の一つだ。他の誰かが立ち寄るのは当たり前である。

 

 ……などとそんなことを思っていると、滑り終えたアルティナが戻ってきた。顔を見ただけで分かるほど、とても楽しそうである。

 

「これはなかなかの爽快感ですね、リィンさん。雪山を滑るというのは初めてでしたが、気に入りました」

 

「……あ、ああ……それは良かったな……」

 

「……なあ、嬢ちゃん。本当に……初心者か?」

 

「はい。スノーボードは間違いなく今回が初めてかと」

 

 そう、それだけは間違いない。そもそもアルティナがユミルに訪れたのは、遡行前は後にも先にもたった一回だけだった。遡行を経て、今回で漸く二回目である以上、スノーボードという遊びの経験などこれが初である。

 とはいえ、流石に何もかも知らないという訳ではなかった。

 

 ですが、と区切り、言葉を付け加える。

 

板状の何か(変形したクラウ=ソラス)に乗って動くという経験なら何度かありますね」

 

 つまり、そういうことである。

 アルティナが内戦時において放っていた必殺級戦技(Sクラフト)『ラグナブリンガー』。その最中に彼女が変形(トランスフォーム)した《クラウ=ソラス》に乗っていたという経験が活かされたというだけなのだ。無論、そんなことをしていたことを知っているのは彼女だけである以上、他の誰かが具体的な詳細を知ることはないだろうが。

 

 いざそういう経験があると聞いたリィンとジェラルドは、なるほどな、といった顔をしてから心底安心したような様子を見せた。どうやら初心者とは何かという定義が粉々になる未来だけは阻止できたらしい。どうしてそんな顔をするのか分からないアルティナは首を傾げるばかりである。

 

「コホン」

 

 何はともあれ、と咳払いをしたリィンがスノーボードを雪面に置く。

 

「それじゃあ、今度は俺の番だな」

 

「ええ、スノーボード経験者の実力を拝見させていただきます」

 

 初心者(?)アルティナの滑りに触発された経験者リィンが、教える必要がないと分かったことで自分も思う存分楽しんでやると言わんばかりに意気込む。それはまるで負けず嫌いな子供のようにも思えて。

 

「———なんだか少し可愛らしいですね」

 

 いざ男性が耳にしたら恥ずかしい思いをするようなそんなアルティナの一言は、ちょうど滑り降り始めたスノーボードの滑走音に呑まれていった。

 

 

 

 

 

 

 







 次回は夕方からの話になります。
 プロットに若干満足できていないので早めに手をつけます。
 一週間に一度の更新だけど、早く次の話を仕上げられるようにしたいですね。旧第三話みたいなアホやらかさない程度にね!




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6.ある冬の日の出来事 後篇



 一週間に一本投稿を破った作者です。ホント申し訳ない。色々と手間取りました。調べ事多かったですしね。何とか仕上がったのでこの通りです。次回に繋げるための回でもあったので、こういう感じになりました。





 

 

 

 

 

 

 

 アルティナ・オライオンという少女が、自主的に料理をするようになったのは決して特別な理由があった訳ではない。とてもありふれた、それこそ陳腐というに値するものだ。自分の作った料理を食べてもらいたかった人がいたという、ただそれだけのことである。そして、その相手が誰であるかは語るに及ばないだろう。

 

 初めてそう思うようになったのは、〝彼〟が大気圏外へと旅立ち消えていった翌日のことだ。必ず帰ってくると約束したあの人が、自分達の元に帰ってきた時にはきっとお腹を空かせているだろうと思い、どうせなら手料理を食べさせてあげたいと考えたのがキッカケだった。

 

 料理というのは、自分で作れるようになるまで時間のかかるものだ。中にはどれだけ頑張っても上手く作らないという人もいるくらいで、文武同様どれほど極めても頂きに達することができないものである。齢14ほどの少女であったアルティナは、その齢では珍しく最低限作ることが出来るぐらいの技量こそ持ち合わせていたが、一口に得意と断言できたものはお菓子だけであった。

 

 ちょっとした間食が欲しいという時などに出すなら兎も角、かなりお腹を空かしている相手にお菓子を出すというのはなかなかに厳しいものがある。どうせならこれでもかというぐらいお腹一杯になるまで美味しいものを食べさせてあげたいと思うのが心情だ。そういう面からも、一先ずレシピにある料理を一通り作れるようになろうとした。

 

 その結果として、紆余曲折の末にアルティナが一般的に料理が出来るという者達よりも遥かに美味しいものを作ることができるようになったのは言うまでもないことだった。

 

 

 

 

 

 温泉郷ユミル。そこを治めるシュバルツァー男爵家の厨房では、珍しいことに常にそこに立ち続けていたルシア夫人以外の人物の姿があった。長い銀髪に若菜色の瞳を持つ少女。アルティナ・オライオン、彼女である。つい先程まで()()()()()を済ませていた彼女が、今はその厨房に立っていた。夫人にお願いして借りることができた少し大きめの三角巾とエプロンを身につけているその姿は、見た目通り小さな子供が頑張って背伸びをしているようでとても可愛らしい。もしここに可愛い女の子をこよなく愛する某先輩(アンゼリカ・ログナー)がいようものなら、その餌食になってもおかしくないだろうほどである。

 

「早速作りましょうか」

 

 そう言ってアルティナは右手に包丁を、左手にほっくりポテト二つを手に取ると、まな板の上でそれを四等分に切る。続けてしゃっきり玉ねぎ二つもくし形に切り、皇帝人参を乱切りに、ブロッコリーは小房に分けて下茹でにしていく。

 

「次はキジ肉の下味でしたね」

 

 ルシア夫人曰く「精のつくものだからとあの人(シュバルツァー男爵)が仕留めてきてくれた」というキジ肉を一口大に切る。それを粗挽き岩塩で下味をつけ、取り出したフライパンで軽く焼き色をつけてから一度取り出した。

 

「下味はこれで完了ですね。そろそろ鍋の方に取り掛かりましょうか」

 

 コンロの方に鍋を置かなきゃと仕舞ってある大きな鍋を手に取る。

 

「……少し重たいですね。完成した後はわたしだけでは運べそうにありませんね」

 

 流石に齢12の体躯では少し重く感じた鍋だったが、何とかコンロの上に乗せて調理を再開する。バターを大さじ一杯、魔獣の油脂を中火で熱し、先程切ったしゃっきり玉ねぎを入れてサッと炒める。そこに同じくほっくりポテトを加えて炒め合わせ、乱切りした皇帝人参も加え、全体に油が回るまで炒めていく。

 

「これぐらいでしょうか」

 

 全体に油が回るまで炒めると、一旦火を止めて小麦粉を振り入れ、全体を混ぜてから中火にかけて炒める。そこへ新鮮ミルクと水を2カップと半分ほど、香辛料各種を加えて煮立たせていく。

 それからポコポコ煮立つくらいの火加減にし———

 

「15〜20分ほどほっくりポテトに火が通るまで、ですね」

 

 あとは途中で底をかき混ぜることさえ忘れなければ問題ない辺りまで到達したアルティナはここで一息つく。

 

「……そういえば、ミリアムさんは元気でしょうか?」

 

 ふと今も国内各地で諜報活動をしているだろう姉のことを思い出してみる。水色の短髪に山吹色の瞳を持つ少女。実の姉妹というには些か無茶があるほど容姿・性格が共に似つかない二人だが、〝形式番号〟では一個違いであり、彼女の方が先に造られた以上は、必然的にアルティナはミリアムの妹という立ち位置であった。〝あの未来〟において、慣れないうちは妹扱いされることに抵抗があったが、今ではそれも慣れたものだ。

 とはいえ———

 

「やはり、〝アーちゃん〟というのは気恥ずかしいですね」

 

 〝アーちゃん〟の他にも〝アル〟や〝アル吉〟に〝チビ兎〟エトセトラエトセトラ……と呼ばれてきたアルティナだったが、やはり擽ったいような気もする。〝アル〟に関しては分校にいた頃は常に呼ばれてきたため慣れてしまったが、特にランディからの〝アル吉〟は何とも言えないものがあった。そういえば、渾名の付け方がかなり独特だという話でしたね、と思い出す。

 

「今度手作りのぬいぐるみでも送ってみましょうか」

 

 流石にシャロンさんほどではありませんがと呟きながら、アルティナは軽く鍋をかき混ぜる。

 

「どういったものなら貰って嬉しいでしょうか……」

 

 ミリアムさんならどういったぬいぐるみが欲しいでしょうかと相手の立場になって考えてみる。〝あの未来〟において、アルティナは彼女から貰いっぱなしだった。お揃いの兎型トイカメラはその例だ。

 ならば、兎のぬいぐるみはどうだろうか? 雪兎のように白い兎を模したそれなら一方的に覚えているだけにはなるがトイカメラのお返しになるだろう。聞くところによると、ギリアス・オズボーン宰相から任務達成のご褒美として大きなクマのぬいぐるみを買ってもらったという。白兎のぬいぐるみを貰っても喜んでくれるに違いない。

 違いないのだが———

 

「……何か違うような気がしますね」

 

 喜んでくれることには間違いないが、どうせならもっと喜んでもらえるものをあげたいという気持ちが胸に湧いてきた。どうしてそんな気持ちになったのか。かつてのアルティナならば、取り敢えず喜ばれるものを適当に用意して送っただろうが、今の彼女はミリアムという存在がまだ〝在る〟ことを心から喜んでいる。あの時伝え切れなかった言葉や感謝がたくさんある以上、こういった機会に伝え尽くすつもりでいたいと思ったのだ。

 底が焦げないように定期的に鍋をかき混ぜながら、考えること数分。漸く〝最適解〟を思いついたアルティナは、浮かんだアイデアに少し恥ずかしさを感じながらも決めた。

 

「仕方ありませんね……。()()()()()()()()()()、次に会うのは早くともノルドになるでしょうし」

 

 ミリアムが旧VII組と初めて接触したのが、ノルドでの特別実習を行っていた時期であることを情報局のデータベースで逐一確認して知っているアルティナは、それまで再会できないことを理解していた。名目上は宰相からの〝要請(オーダー)〟、本音は喜んでユミルに滞在している以上、こちらは何一つ不満などないのだが、ミリアムからすれば、妹に一年以上出会えないのだからきっと寂しいと思うことだろう。そう思うと、少し恥ずかしいくらいは我慢できる。明日棉と布を買い足しておこうと決めて、鍋をかき混ぜるのをやめた。

 

「そろそろ時間ですね。ほっくりポテトに火が通っているか確認しましょう」

 

 竹串を取り出し、それをほっくりポテトの中心辺りまで突き刺してみる。ゆっくりと引き抜いて先端付近を唇に当てると熱かった。ちゃんと中まで火が通っている証拠だ。

 

「ちゃんと火が通ってますね」

 

 ほっくりポテトに火が通っていることが確認できたアルティナは、下味をつけたキジ肉を鍋へと入れ、粗挽き岩塩を小さじ一杯と胡椒を少々加えて五分ほど煮ていく。

 

「あとはブロッコリーを入れ直して、バターと白ワインを大さじ一杯……」

 

 待ち時間の間に用意しようとして、そこでピタリと動きを止める。

 

「……白とはいえ、ワインを入れても大丈夫なんでしょうか……」

 

 料理の研鑽を積んできた過程で、アルティナは料理に使ったワインがどうなるかを知っている。強火で加熱することで殆どのアルコールが飛ぶことは料理をする者なら誰もが知っていることだ。それは強火でなくとも加熱することで多少時間はかかるものの、同様の効果を得られることも知識としてある。

 しかし、同時にいくら加熱してもアルコールの全てを飛ばすことができないことも知っていた。第II分校に所属していた頃ならリィンは成人していたが、今はシュバルツァー男爵とルシア夫人以外の三人が未成年だ。飲酒に当たるかもしれないと思うと入れてもいいのかと思ってしまう。仮に入れた場合、将来的にリィンは酒に弱い訳ではなかったので問題ないだろう。

 しかし、気になるのは———

 

「エリゼさんとわたしがお酒に弱すぎないかどうか……」

 

 ほんのちょっとしか残っていないアルコールで酔ってしまうほどならば、キジ肉のシチューを食べ終わる頃には出来上がってしまう可能性が高い。そうなった場合、色々と迷惑をかけてしまうかもしれない。世の中には泣き上戸や笑い上戸、抱き上戸に甘え上戸と、様々なパターンを見せる人がいると聞く。果たしてその中に自分が入っているのではないかと不安になっていた。

 とはいえ———

 

「……途中で火を止めてしまうのもどうかと思いますし……」

 

 質問をしに行くために火をつけたコンロをそのままにして厨房から離れるというのは、一料理人として安全管理を怠っていると言える。そのため、火を止めてから離れることが当然のことなのだが、困ったことにまだ仕上げ前の五分間を煮ていない。大事な仕上げ前の工程を崩してしまうとせっかくの料理が台無しになってしまう。料理とは、最初から最後まで完璧に工程を通す必要があるものだ。終わり良ければ全て良しなどという甘えは早々通じない。声をかけて呼んでみる、という方法も無くはないのだが———

 

「……なんというか、負けたような気分になりますね……」

 

 つまるところ、意地がそこにあってしまったということである。同じ料理を作る者として負けたくない。〝あの未来〟では叶わなかったことを今試してみたい。リィンとスノーボードをしに行く前に何とか話をつけて手に入れた、今日の夕食を一人で作るせっかくのチャンスを十全に活かしたいという様々な思いがあったのだ。そういう動機も相まって、アルティナが出した結論はというと

 

「———味見をして問題がないか確認しましょう」

 

 料理を完成させる上で大事なことの一つ、味見。それを以て判断するという答えを出した。

 

「……そもそも大さじ一杯程度の上に、この量のシチューに加える時点でそこまで気にする必要なさそうですし」

 

 よく考えてみれば、そのまま大さじ一杯を口にするのとは話が違う。シチューに溶けて混ざっていて、更には加熱するのだからそこまで深く考え過ぎる必要がないのだ。そこで漸く、流石に気にし過ぎでしたね、とアルティナは悩むのをやめて、ちょうど五分を過ぎた辺りでブロッコリーを入れ直した上で、少しずつバターと白ワインを鍋へと加えて、味見をすることにした。

 

「……あともう少し足りない気がしますね」

 

 ほんの少しだけ小皿に入れて口にしたシチューの味にそう評価を下すと、ほんの少しだけバターと白ワインを加え直して、少しほど待ってから再度確認する。

 

「これなら出せますね」

 

 口の中に広がった味に納得が出来たのか、アルティナは頰を緩める。

 

「お口に合うといいのですが……」

 

 少し不安はある。どうしてそう思うのか、それはあくまでアルティナ・オライオンという少女の味覚センスでしかないのだと分かっているからだ。もしかすると、質素倹約を心掛けるシュバルツァー男爵家のキジ肉のシチューの味というのがもう少し大人しいのではないだろうか?と考えてしまう。

 と、そこでふと教官だった頃のリィンの笑顔が思い浮かんで———

 

「……賭けというのはあまり好きではありませんが、仕方ありませんね」

 

 美味しいと言ってくれる彼の笑顔と、頑張った方じゃないか?と言ってくれる彼の顔。少なくとも彼女自身が不味いとは思わない味なのだから、どちらに転んでも勝ちではないのか?とアルティナの思考がそこに至った。

 コンロの火を止めて一先ず料理の完成を実感すると、まずは一言

 

「《クラウ=ソラス》」

 

『Х・VкёёГ』

 

 漆黒の戦術殻《クラウ=ソラス》を呼び出して

 

「今からシチューを運ぶので手伝ってください」

 

 と、命令なのかお願いなのか分からない言葉を告げた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 シュバルツァー男爵家の食卓に、漆黒の戦術殻(クラウ=ソラス)がシチューの入った鍋を持って現れたことで大騒ぎになってから数時間後。何とか上手く誤魔化すことに成功した……はずと思うアルティナは、ルシア夫人の勧めでユミルの名物である温泉を満喫するため、着替えとタオルを持って『鳳翼館』へ足を運んでいた。

 

 聞けば、ここにも料理を作る人———というより本職の料理人の方がいるとのこと。その話を耳にした彼女は、先に話だけでも聞いておきたいと思う一方で、やはりせっかく勧められたものを先に満喫する方がいいのではないかと、揺れに揺れた末に露天風呂の方を優先することにした。バギンズという老紳士風の支配人に今使えるかどうかを確認し、使えるということなので場所は何処かを教えてもらいながら、右手奥にある脱衣所に向かうことにする。女性用の赤い暖簾を潜ると、そこには例に及ばず用意されている衣服などを入れる籠がある。その中に身につけていた服や下着を畳んで入れながら、着替えと身体を拭く用のタオルをその隣に置くと扉を開けた。

 

「これは……すごいですね」

 

 〝あの未来〟において、アルティナはユミルや人知れぬ秘境にある場合を除くほぼ全ての温泉を巡った経験を持っている。リィンの温泉マニアに感化されて目覚めた影響もあり、温泉を見る目も肥えていた。そういうこともあり、帝国屈指の温泉と太鼓判を押されるこの地の温泉には興味があったのだが、流石にこれほどとは予想していなかったと舌を巻いた。

 

 リベールのエルモ村にある『紅葉亭』のそれより大きく、エマやヴィータの故郷であるエリンの里、そこにある《妖精の湯》よりも東方の文化に影響されているのか、そちらの風情があった。自然を生かした造りとそれを支える風景。しかして、人工的らしさを極力感じさせないとなると、なるほど、これは確かにユミルが温泉郷と謳われる所以(ゆえん)だろう。

 

「リィンさんの話によると、確か万病に効くそうですね」

 

 かつて、教官であったリィンからユミルの温泉の効能などを耳にしていたアルティナは、(かね)てより興味が湧いていたこともあってか急かされるように早く入りたいと思うものの、〝まずは身体を洗ってから〟という自身の決め事に従って、先に身体を洗うことにした。

 

「石鹸も天然素材ですか。これはかなり徹底してますね……」

 

 やはり帝国屈指の温泉は格が違うという、若干リィンの故郷だからという色眼鏡も含めながらも、アルティナは初めて入ったユミルの風呂に感心する。身体に掛け湯をかけ、まずは長い銀色の髪から洗っていく。

 

「……髪の手入れはしておいた方が良いのでしょうか……」

 

 かつて、クラスメイトであったユウナが髪の手入れを行なっているという話をお風呂場で聞いたことがあったアルティナはふと思い出す。確かあの時は「アンタみたいに手入れもしないで髪も肌もツヤツヤな子とは違うの!」とのことだったと思う。とても羨ましそうな、同時に恨めしそうな顔をされたのをよく覚えている。その言葉や他の女性陣から考えるに、一人の女として髪や肌の手入れは必須なのかもしれない。

 

「……あとでエリゼさんやルシアさんに訊いてみましょうか」

 

 特に前者はその辺りを強く気にしているのではないかと考えたアルティナは訊ねる相手を定める。髪を洗い終わり、桶に入れた湯で汚れと共に泡を流すと、次は首へと移る。至極当たり前のことだが、身体は上から下へと洗うのが一番良い。下手に下から洗おうものなら流し切れなかった汚れが残ってしまうからだ。そうして、首から肩へ、肩から胸や脇、腕へと洗っていき、下半身を洗い終わる。後は先程と同じように洗い流せば、後はゆっくり温泉を堪能するだけ。

 

「そういえば———」

 

 チラリと女風呂の奥にある扉に目がいった。

 

「とても大きな露天風呂があるという話でしたね」

 

 祝賀会の時に耳にしたユミルについての話を思い出す。曰く「至福というか、まるで天国にいるような……」とのこと。その言葉を聞いて大いに興味を抱いたのをよく覚えている。内戦中にリィンがエリゼにそこで励ましてもらったという情報も知っていたアルティナは、何らかの効能の他にも勇気を出すことができるような未知の効能もあるのではないかと考える。

 

「……そちらに浸かってみるのも良いかもしれませんね」

 

 露天風呂である以上、混浴だというが今のアルティナはそんなことを気にすらしていなかった。思い立ったが吉日とでも言うかの如く、用意されていた湯着を身に纏い、ズレ落ちたりしないかだけを確認した後、奥の扉に手をかけた。

 

「……この気配は……」

 

 そこで扉の奥から覚えのある気配を感じ取った。遡行による昔の自分に戻ったことで発生した身体能力の低下の影響か、漠然としたものしか感じ取れないが、少なくともそれが誰なのかということだけは不思議と分かってしまっていた。アルティナにとって、その人の気配までもが強く印象に残りすぎていたせいだろうが。

 

「……まあ、今更ですね」

 

 最早こちらが覚えているだけでしかないが、散々エリンの里で一緒に温泉に浸かったのだから湯着を纏った身体くらいなら見られても特に問題などないだろうと思い至ったアルティナは、ごく自然にその扉を開けた。

 

 そこに広がっていたのは、先程までの風呂とは桁違いの大きな露天風呂だった。とても広く、そして、日が沈んだことでライトがついた灯りが見せる仄暗さはとても風情があった。幻想的と言うべきそれは、なるほど確かに美しいと言えよう。大自然が近い土地では、朝昼夜で様々な顔を見せるため、風景一つとっても侮れないものだというが、大陸各地の温泉を堪能してきたアルティナでも、改めてそれを再認識した。

 

「これは……確かに凄いですね。勧められた理由が分かります」

 

 どうせなら約束が叶ってほしかった。そう思うくらいには。

 ほろりと無意識に目尻にほんの少し涙が浮かび、それが零れた。叶わなかった約束は、それこそ内容は変わってしまったが、確かにアルティナはこの地にやってくることができた。残念ながらここに来ることが出来たのは彼女一人だけになってしまったが。

 

「その声……もしかしてアルティナか?」

 

 湯煙の中から、先程扉の前で感じ取った気配と同じものを感じた。耳にした声でやはりと確信しながら、アルティナは目尻を軽く拭ってから答える。

 

「はい。その声はリィンさんですか?」

 

「ああ……———って、アルティナ!?」

 

「……ええ、間違いなくアルティナですが……。やはりまだ声だけでは分かりませんでしたか」

 

「わ、悪い。そういうつもりじゃなかったんだ。ただ少しボーッとしててさ……」

 

 不機嫌そうな顔をしたアルティナに対して、リィンは失言を謝罪する。どうやら少し惚けていたのだという以上は、それなら仕方がないのかもしれないとすぐさま切り替える。

 

「せっかくルシアさんに勧められたので、露天風呂に入ってみようと思いまして」

 

「そうか、今回が初めての露天風呂なんだよな。一人でゆっくり浸かりたいだろうし、俺はすぐに出て行くから———」

 

「……はあ、別に出て行かなくてもいいですよ。個人的には一人で静かに入るよりも、誰かと話をしながらの方が楽しめますから」

 

「そう……なのか?」

 

「ええ、だから気にしなくて結構です」

 

 湯から上がろうとしたリィンを留めさせると、アルティナはゆっくりと湯の中に足先から沈めていく。問答の間に外気に当てられて冷え始めた身体には、露天風呂の熱めの湯が沁みるように感じた。徐々に慣らしながら肩まで身体を沈めると、自然と息が漏れる。

 

「……なるほど、確かにこれは勧める理由が分かりますね」

 

「はは、気に入ってくれて何よりだ。ここはユミルの名物だからな。自慢話になるが、『鳳翼館(ここ)』は時の皇帝陛下に恩賜されたくらいの施設でさ。俺達の誇りでもあるんだ」

 

「そうでしたか。それなら、納得ですね」

 

 少しずつ移動しながらアルティナは言葉を交わして、リィンの隣に落ち着く。彼は驚いたような顔をしたが、「顔を見て話していると安心するので」と言われてしまい、早々に諦めをつける。

 

「そういえば、今日の夕食はアルティナが作ってくれたみたいだな」

 

「はい。リィンさんとスノーボードをしに行く前にお願いをしてました。……その……味の方はどうでしたか?」

 

「ああ、とても美味しかったよ。本当に12歳なのかって驚いたくらいだ」

 

「そうでしたか。それは良かったです」

 

 そう言って、アルティナは嬉しそうに頰を緩めた。この状態が〝かつて〟と同じなら、きっとユウナさんやミュゼさん辺りに揶揄われるでしょうね、と頭の片隅で思いながらも、無意識に頰はまだ緩む。少しだけプイッと顔を背けて、気持ちが落ち着くまで意識を別のことに集中させる。例えばそれは、ミリアムに送る手作りのぬいぐるみの制作期間計画案だったり、或いは———

 

「リィンさんはいつから剣術———《八葉一刀流》を?」

 

 そこでふと、アルティナは今の彼のことが知りたくなった。

 

「……今から五年前になるな。

 というか、アルティナは《八葉一刀流》を知っているのか?」

 

「はい、ある程度は」

 

 貴方の技をそばで見てきましたから。

 本当は口に出したいくらいのその想いも、心の中でそっとそう呟いて我慢する。ここにいるリィンとアルティナの知っているリィンは厳密には違う。同じ世界の、それこそ彼女がこの時間軸に遡行せず同じ筋書きを辿れば、恐らく全く同じリィンになるだろうほどに誤差など存在しない。途中で何を選択するかで多少なりとも変わることはあるだろうが、それでも根幹は決して変わらないほどだ。故に、ここにいるリィンはアルティナの知っているリィンになる可能性を秘めた存在とも言えた。

 

「ユン・カーフェイ老師でしたか。リィンさんはその人の弟子で合っていますか?」

 

「……ああ、修行を打ち切られてしまった未熟者だけどさ」

 

「未熟者……ですか」

 

 記憶にあるリィンの姿をアルティナは思い浮かべる。最初に出会った時、隙だらけであった彼は確かに一線を張る武人として見れば未熟者だったのだろう。もしあそこで鎮圧しろと命令されていれば、人質に取った二人を盾に優位に立つこともできていたのは事実だった。命令こそ無かったから手を出さなかった程度の相手。

 

 その認識が崩れ始めたのは、二回目の出会いだった。ノルドの監視塔での戦い、そこで繰り広げた戦闘の末、一度でも膝をつかされたことは忘れることのできないことだ。仲間との絆と力があったからこそ。そういう見方もできるだろうが、それだけではないと断ずることすらできる強さの変容。間違いなく、あの時点でリィンは強くなっていた。

 

 そして、三回目。ここで認識は完全に覆された。戦闘前に色々と不埒な目に遭ったことはさておいても、〝鬼の力〟を制御することができるようになったことで、彼の実力は跳ね上がった。直前の〝お姫様抱っこ〟からの〝アレ〟で僅かに隙が生じたとはいえ、《クラウ=ソラス》共々刀一つで弾き飛ばされた経験などある訳がない。色々と評価を改める必要があることに気付けたのはそれがキッカケだった。

 

 そうして出会う度に、共に肩を並べる度に、共に過ごす度に、リィンは更に強くなっていった。ついには《理》にすら至るまでになってみせた〝未来〟を知っているアルティナからすれば驚かざるを得なかった。しかし、その反面、納得もいった。誰しもが最初から強かった訳ではない。誰しもが迷わなかった訳ではないのだと、改めて理解したからだ。

 

「(わたしはこの頃のリィンさんをよく知らない……)」

 

 今ここにいるのは〝かつて〟のリィン・シュバルツァー。自らを未熟者と卑下する頃の、原点たる姿。教官だった頃とは真逆の、或いは教え子だったアルティナとほとんど同じ位置に立っている頃なのだと。むしろ、今に至ってはわたしの方が彼よりも先にいる立場なのだと認識する。

 

 だからだろうか。———少しだけ欲が出た。

 

「(わたしが、リィンさんが一歩でも進むためのキッカケを作ってみたい……)」

 

 それは一種の好奇心のようでもあり、一種の想いでもあった。

 しかし、その行動が少しだけ〝未来〟を変えてしまうことを薄々分かっていた。分かっておきながら———それでも、アルティナは

 

「———それでは、明日の鍛錬からわたしと戦ってみませんか?」

 

 その小さな手を差し出さずにはいられない。共にほとんど同じ場所から強くなっていくことができると思った時には、そういう未来も悪くないと感じていた。今度はきっと置いていかれずに済むはずだからと。

 

「模擬戦……ということなのか?」

 

「はい。恐らくですが、リィンさんは対人戦の経験が乏しいと考えられます。わたしも大して強くはありませんので、互いに悪くない話だと思われますが……」

 

 実際のところ、アルティナは身体に対人戦の感覚が染み付いていない状態にある。〝あの未来〟においては、これでもかというほど対人戦の経験が確かにあったが、遡行した以上はその感覚も漠然としたものになっている。経験と定着が乖離しているのだ。それは、頭はそう念じていても身体が追い付いていない状態と言える。何事も気合でどうにかできるほどヒトは強くはない。想いだけでは為せないことがある。それを身を以て知ったアルティナは、物は試しとリィンにも示してみる。無論、手合わせをするという方言の中に消えてはいるが。

 

 一先ず思考はそこまでに留め、ちらりと彼の方を見る。悩んでいた。果たしてそれは、〝かつて〟ほど自信がないが故なのか。自信を未熟者と卑下する今の彼には少し重い提案だったのかとアルティナは思う。が、しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()。強く在ってほしいと思うし、優しく在ってほしいとも思う。

 

 だから、少しだけ意地悪をする。

 

「———リィンさんは、どうして剣を執るのですか?」

 

 それは、一人の少女としての言葉。疑問から生じたもの。アルティナはこの頃のリィンを知らない。武人としての芯が通っていない、あまりにも不安定なその姿を今こうして目にしたばかりだ。彼のことは情報局のデータベースで大方調べ尽くしたことだってあった。

 けれど、やはり情報は所詮、情報。そういうことがあった程度しか分からず、それ以上のことは決して分からない。東方には〝百聞は一見に如かず〟ということわざがある。これはまさにその通りだろう。

 

「それは……」

 

 答えを出せずにリィンは言い噤む。それは答えがわかっているのに言えないのか、答えがわからなくて言えないのか。

 恐らく、彼は前者だろう。幼少期に発顕した〝鬼の力〟。いっときの強い感情で自我を失い、しかし、その力は凄まじく鉈で魔獣と思われる巨大なクマを一方的に惨殺したほどだという。剣術も何も学んでいなかったはずの子供がそれを成したというのだから、なまじ剣術を学んだ今暴走したらどうなるのか。彼はきっとそれを恐れている。

 何度も暴走しかけた、或いは暴走した姿を見てきたアルティナは、どうして彼が自らに枷を嵌めてしまうのかということにも理解があった。

 

「リィンさんのことですから、成り行きで———ということは無いでしょうし、そこに理由やキッカケがあるのは分かっています」

 

 それは例え〝未来〟を知っているからというアドバンテージがあるかないかではなく、何らかの直感が優れている者なら何かがあることを見抜いてしまえるくらいには。

 

「出会って少ししか経っていない赤の他人にこれ以上内情を探られるのも気分が良くないとは思うので、話を変えますが———」

 

 目を伏せ、そして告げる。

 

 

 

「———リィンさんは、悔しくないのですか?」

 

 

 

 それはあまりにも実直で、真っ直ぐで、婉曲や回りくどさも全くない。むしろ、分かり易いにも程があると言えるくらい明確な問いだった。単純であるが故に答え易く、そして、同時に本音も言い易い。理屈なんて何処かに置いて、貴方の気持ちはどうなのですか?と真正面から問われているような気すらするだろう。それを証拠に、これまでとは違う反応をリィンが見せた。

 

「……ああ、悔しいさ……。……すごく……悔しいよ……」

 

 それはよく分からない〝ナニカ〟に屈してしまっている今の自分の情けなさに向けられたものでもあり、今こうして赤の他人に見抜かれ問われるまで自分自身にすら本音を偽ってしまっていたことにも向けられていた。

 

 リィン・シュバルツァーは、いつの日かまたその〝ナニカ〟に呑まれ自我を失い暴れてしまった時、今の関係が壊れてしまうのではないかと恐れていた。あの時を境にエリゼを———みんなを護りたいと願い、その為に学び始めた《八葉一刀流》。これを修めることができたなら、その時はきっとみんなを護ることが出来ると信じていた。師ユン・カーフェイ。彼が生み出したその流派は、どれか一つを取っても全てが超一流と言える。大陸最高峰の剣術と謳われるのは決して伊達ではない。

 

 だからこそ、リィンはある時ふと気が付いた。もしもこの剣を学んだ上でまた自我を失い暴れてしまったら———と。そう、それが今の彼を作った。護る為の剣は、いつしか己を抑え込む〝枷〟へと姿を変えてしまった。そうとしか見ることができなくなり、ひたすら本当にこのままで良いのだろうかという迷いに囚われ続けた。それが原因で修行を打ち切られたことを、彼自身理解している。《八葉》の名を汚す愚か者だと自らを責め立てて、それでも剣を捨てることができない。故に未熟者であると。

 

 また深く、昏い、自責の底へと沈みかける。

 

「そうですか———それなら、安心しました。悔しいと思うことが出来るだけ、リィンさんはまだ這い上がれますよ。本当に諦めてしまった人は、悔しいと思うことすらできませんから」

 

 そこへ優しく手が差し伸べられた。

 いつの間にか俯いていたらしいリィンが、アルティナの方へと顔を上げる。少女の心から安堵したような表情が彼の目に映った。どうしてそこまで心配してくれるのだろうと思う。俺と君は少し前に()()()()()()()()()()()()———と。

 疑問は確かにあった。それでも、今は彼女に告げられた言葉の方が腑に落ちたのが早かった。

 

「……そうか……ああ、そうだよな」

 

 ほんの少しだけ、靄が晴れたような気がした。全てではない。

 だが、以前よりも向上心を持ち続けていようと思えるくらいには、迷いが無くなった気がした。

 目を伏せて、そっとリィンは呟いた。

 

「……確かに、今まで銃を持った相手と戦ったことがなかったから、ちょうど良かったかもしれない。それに……思っていた以上に腑抜けていたのかもしれないな」

 

「では———」

 

「ああ、明日の鍛錬からだったな。お手柔らかに頼むよ」

 

 リィンの了承を得られたことで、アルティナはコクリと頷く。頷いて———そっと一言だけ洩らす。

 

「まあ、少しやり過ぎてしまうかもしれませんが」

 

「え゛」

 

 

 

 

 

 

 

 






 と、いうわけで次回から対人戦となります。
 まあ、ここまで来るとアルティナが何をしでかすかは分かるんじゃないかと。というか一番謙遜してるの君だよね……? 間違いなーく、君だよね? 《クラウ=ソラス》と二丁拳銃、アーツまで並行処理できるようになったら、余裕でIVの時よりもスペック高いからな!? ぶっちゃけた話、このまま原作よりも強いアルティナを推して、とんでも試練にぶち当たるまで放置してもいいのか悩みどころではありますが。



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7.支える者の覚悟


 投稿無茶苦茶遅れましたね、ホント申し訳ないです。
 指が進まなくて娯楽に走ってました、ゴメンナサイ。
 プロットと下書き4回くらい書き直しました。出来としてはそこそこが関の山ですが。




 

 

 

 

 

 

 

 アルティナ・オライオンは、決してリィン・シュバルツァーの言うこと為すこと全てを肯定するだけの存在でいるつもりはない。

 

 確かに彼女は彼のことが何よりも大切だと即答できる。可能な限りは支えてあげたいし、その背中を守ってあげたいと思う。その想いの極端たるや、時間を遡行してまで救おうとするほどだ。実は愛が重いんじゃないのか?だとかそういう論点は一旦隅に置いておくとして。

 

 彼女にとって、リィン・シュバルツァーは〝初恋(はじまり)〟だ。ただの肉人形と言っても間違いなかった〝人造人間(ホムンクルス)〟の少女が、心と感情を手に入れるキッカケを得、それを彼と過ごすことである程度育み、その過程で様々な人々との軌跡を経て、そして———最早ヒトと違わないほどにヒトであると断言できるほどにまで至った。そこに恩義を感じない訳はない。きっと彼は照れ臭そうに笑って自分だけが君を成長させた訳じゃないと言うだろうが、原点は間違いなく彼だ。感謝の想いはいつだって抱いている。貴方に会えて良かった。ずっとそう想っている。

 

 重ねて告げよう。リィン・シュバルツァーは、アルティナ・オライオンにとって掛け替えのない存在だ。彼女を今の彼女足らしめる唯一無二のヒトであり、必要不可欠と断言できるほどに大きくなり過ぎた大切な人だ。

 

 しかし、あくまでそれはそれだ。それを免罪符とばかりに何でもかんでも彼の言うこと為すことを肯定するようなイエスウーマンになるつもりもない。大切なのは決して変わらないし、強欲にもまた〝あの頃〟のように———と思うこともある。

 

 だからと言って、嫌われたくないからとご機嫌に頷き、与えられた命令を熟し、違えることなくキッチリと守り、ただ望まれたことを全て叶えて、報酬のように褒めてもらいたいとは決して思わない。

 今のアルティナにとって、ただ与えられたモノを達成して褒めてもらうと言う至極当たり前に過ぎないことは遠に過ぎ去った喜びだったし、彼が望んだのはそんな退屈なことではない。彼女自身が自ら考え、自分から行動し実行することこそ、何よりも喜んでくれたし褒めてくれたのだ。

 

 ありとあらゆる行動の中に〝アルティナ・オライオンが自分でそうすることを選んだ〟という事実が存在するということ。それこそが、教官であったリィン・シュバルツァーが求めたことだからだ。

 

 そうして自分で何事も考えるうちにアルティナは理解した。

 イエスウーマンには絶対にならないと誓ったのも、そうしなければ、彼は道を踏み間違えてしまうと考え、確信したからだ。己を殺し、求められるままに生きる。偶像、或いはそんな傀儡のような人生を送ってほしくない。今だからこそ、彼女は〝かつて〟の自分自身と、《灰色の騎士》と呼ばれていた頃の彼の在り方を思い出してそう思う。

 だから、常に彼らしく在ってほしいとも願うのだ。

 

 そのためには決して力を惜しむつもりはない。支える時は支えるし、優しくしたい時は優しくする。特に傷付いている時は大抵そうしてあげたい。

 

 きっとこれからも、彼は迷うだろう。立ち止まるだろう。苦しい目に遭わされ、辛い思いをし、挫折と後悔に彩られながらも前を向こうと必死に足掻く。彼の人生は決して優しいものではない。悪意によって操られた運命が齎す絶望の連鎖。その応酬を受け続けることとなる。七耀歴1207年9月1日———〝あの時〟までそう長くはない。

 

 だから、アルティナは急ぐ。

 もう二度と喪ってなるものかと、あんな想いはもうごめんだと。そう言わんばかりの気持ちと、積み重ねてしまった罪業と共に———第一の試しを行うことにした。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 七耀歴1202年11月下旬。

 ある日の早朝。アルティナとリィン、二人の姿は渓谷道の最奥に在った。氷結した滝を目を引くその場所は、監視、及び護衛任務と称してここに派遣された彼女が最初に降り立った地。精霊信仰の名残だろう石碑と先程の滝、アイゼンガルド連邦へと向かう道を除けば他にこれと言ったものがない場所だが———

 

「ここなら広いですし、思う存分に動き回ることができると思います」

 

「そうだな。……まあ少し広すぎる気もしなくはないけどさ」

 

 辺りを見渡しながら、リィンが苦笑と共に頰を掻く。そう思うのも無理はない。実際その場所は、《灰の騎神》ヴァリマールが仰向けに寝転がったとしても、あと二、三体は同様のことが出来る程の広さがある。ヒトよりも遥かに大きな騎神でその結果になるのだから、手合わせ程度に使うにしては広すぎると言っても過言ではない。

 

「まあ、それに関しては手合わせをしていくうちに範囲を狭めたりしてみることにしましょう」

 

 実際に戦うことになれば、場所の良し悪しはほとんど選べない。広すぎるせいで遠距離攻撃が可能な武器を持つ相手に有利を取られることは無論、光源も少ない闇夜で一流の暗殺者と命の取り合いに応じなければならないような状況に陥る可能性が決してないと果たして誰が断言できよう。……尤も、確率とはしてはかなり低いことに間違いない上に、この頃のリィンやアルティナが狙われる理由などありはしないのだが。

 

 一先ず遠距離武器の脅威を知ってもらうことにしようと、アルティナは黒塗りの二丁拳銃を手にする。装填されているマガジンを取り出すと、中に入っている実弾を全て抜いて、その代わりに非殺傷用のゴムで出来た弾丸をマガジンの中に込め直して、それを装填する。持ってきたマガジンにも同様のものが入っていることをもう一度念入りに確認し、最後にポケットに入れた〝ある物〟を起動して、手合わせ前の準備を完全に終えた。

 

「リィンさん、そちらの準備は良いですか?」

 

「ああ、問題ないよ」

 

「まずは制限無しで手合わせをしてみましょう。装填されているのはゴム弾ですが、当たると痛いのは言うまでもありませんし、可能な限り実弾だと思って対処してください。飛んでくる銃弾を真っ二つに切れ、なんて無茶なことは言いませんから」

 

「ああ、そうしてもらえると助かるよ。……というか、その言い方だと、まるで飛んでくる銃弾を切ることが出来る人がいるって聞こえるんだが……」

 

「……気にしないでください」

 

「……いや、それは無茶じゃないか……?」

 

 少しずつ教官だった頃のリィンに近い口調が垣間見えたアルティナはそれを懐かしみつつも意識を切り替える。これから行うのは殺し合いではないが手合わせだ。気持ち的にも軽く行う程度のもの。やり過ぎは御法度だ。

 とはいえ、忘れてはならないことがある。いくら手合わせとはいえ、これは互いに武器を握って交える戦いの一種だ。戦闘である以上は気の緩みなど許されない。目の前のことに集中していなければ想定以上の怪我をすることだってある。それを念頭に置いておかなければならない。

 

「それでは始めましょう、リィンさん。勝敗は?」

 

「〝得物を失う〟か〝急所に攻撃を当てられる〟、あとは〝気絶する〟のどれかが起きた時点で負けにしよう」

 

「了解です。開始はリィンさんに任せます」

 

「分かった」

 

 勝敗の基準を決め、両者は互いに離れていく。その間隔は凡そ八アージュほど。初期位置としては少し広すぎるくらいの場所に着くと、向き合って一礼をしてから得物を構えた。

 

 はらりはらりと新雪が舞い、静寂が訪れる。刺すような冷たさを他人事のように感じながら、目の前に立つ相手だけに集中して、手に握る得物の感触を確かめる。刀と拳銃。片や近距離戦特化遠距離不利、片や中遠距離戦特化近距離不利。どちらにも分があり、どちらにも苦手とするものがある。この手合わせに《クラウ=ソラス》を参戦させていない以上、アルティナに絶対の盾はない。

 あくまでこの手合わせはリィンに遠距離武器との対処法、対人戦の経験を積ませるもの。一方でアルティナは、当時の彼の実力と対人戦の経験を身体に定着させるための一戦となる。それ以上でもそれ以下でもない。互いに深呼吸をし、一度目を伏せて———

 

「———行くぞ、アルティナ!」

 

 彼の口から開始が告げられた。

 まずは素人が遠距離武器を扱う時の典型的な例としての動きを再現するかのように、アルティナは淡々とトリガーを引き続ける。その中をリィンは何とか潜り抜けようと必死に動く。無論、素人の動きなど見ていれば何処に隙が生じているかなど一目瞭然だろう。銃弾が魔弾の如く異常な角度に傾いてくる訳でもないのだから、拳銃が向いている方向にしか銃弾は放たれるはずもない。

 果たして、そこに彼が気付けるかどうか———

 

「ッ! 弐の型《疾風》!」

 

 ()()()()()()()()()()()。嬉しさに口角が上がる。迫る白刃に恐れることなく、何処から攻撃が来るかを素早く想定し、確実に対応する。一撃離脱を重んじる弐の型《疾風》。発展形として《裏疾風》という戦技が存在するその型は、七耀歴1202年現在クロスベルに名を轟かせる《理》到達者。リィンの兄弟子にも当たるアリオス・マクレインが最も得意とする型であり、彼はその型を修めた剣聖でもある。その絶技を()()()()()()()()()()()他、同じく《理》に至ったリィンのその技をそばで見てきたこともあってか、攻撃範囲と攻撃開始タイミングを含めた全てを完全に見切っていた。

 

「な———」

 

「まだまだ速度が足りませんよ、リィンさん。少しずつで構いませんので確実に早めていきましょう」

 

 そう言って、明らかに体躯に差があるはずのアルティナが、全身全霊で振り切られたリィンの太刀を真っ向から二丁拳銃を交差することで受け止めた後、いとも容易く弾き返す。

 

「……はは、驚いたな。見切られていたのも正直びっくりさせられたんだが、どうやって弾き返したんだ……?」

 

「特別大したことではありませんよ。〝氣〟はご存知ですか?」

 

「確か《泰斗流》の基本だったよな。……まさかその歳で修めているのか?」

 

「いえ、そういう訳ではありません。わたしの場合は、あくまでも触りだけです。ちょうどその時は時間もありませんでしたので、一番基本的な〝氣〟の制御を覚えるのが精一杯でした」

 

 とはいえ———

 

「瞬間的になら、リィンさんにも負けない程度に筋力を底上げすることもできます。それに、もしもの心配はしなくても結構ですよ。()()()()()()()()()()()()()方法は用意してきていますから」

 

 まだ幾分か剣に迷いがあったのを感じ取ったアルティナが諭すようにそう告げると、少しだけギアを上げるかのように空気に緊張感が走った。それを受け、リィンもまた太刀を握り直して構える。

 

「今度はこちらから行きますね。油断しないようにお願いします」

 

 告げるや否や、お手本を見せるとばかりに致死の風が吹き荒んだ。

 

「———『ノワールバレット』」

 

 対峙していた少女の姿が一瞬でリィンの視界内から搔き消える。言霊のように発された音もすぐさま静寂に呑まれて消え、あまりにも達者な〝気配遮断〟とその動きに瞠目した。何よりも驚いたのは、その挙動が弐の型《疾風》と恐ろしく酷似していたことで———

 

「わたしは目の前にいますよ、リィンさん」

 

 次に彼女の言葉を耳にした時、不思議とそれは死神が得物を獲物の素っ首に振り下ろす直前にも思えた。ぞわりと背中が寒気立つと共に、全身が急激に硬直した気持ち悪さを味わいながらも、即座に対応せんとリィンは太刀を振るうが間に合わない。直後には、装填されたゴム弾が数発ほどガラ空きの胴体に叩き込まれたのではないかと錯覚した。

 

「ぐっ———」

 

 直撃したのは間違いない。

 しかし、彼が幸運だったのは当たった場所だ。急激に身体が硬直した後に無理矢理対処しようとしたことで大きく態勢を崩しており、そのせいかゴム弾は脇腹の方を掠めていた。実弾であったとしても、これなら致命傷からは遠い。このまま戦闘続行も可能だろう。手合わせだったこともあってか、そこから意地の悪い追撃は入らず、一旦アルティナは距離を取る。荒くなった呼吸を整えながら、リィンは起き上がりながら今目にしたものに対する疑問を口にした。

 

「……今のは、まさか……弐の型《疾風》なのか……?」

 

「はい、あくまで()()()()()()()。残念ながら、わたしは師事したことがないのでせいぜい上手く真似をしただけの紛い物ですが」

 

 大切な人を喪って二丁拳銃を手にするようになって、アルティナが真っ先に身につけようとしたのはこの戦技(クラフト)だった。モデルとなったのは言わずもがな弐の型《疾風》。これと同様に、敵対象単体に一瞬で接敵し、ガラ空きの胴体に銃弾を叩き込んで離脱するというその技は、遡行以前最も使い慣れていたこともあり、奇襲としても有能なものへとなっていた。最盛期よりもまだ遅いが、それでも今のリィンには見切れる道理はない。例え彼でなくとも意表を突かれるだろう。中遠距離用の武器で近距離に殴り込んでくるのだ、正しく初見殺しの戦技(クラフト)とも言えよう。無論、初見殺しの戦技(クラフト)という訳ではないが。

 

 ほんの少しだけ脱力し、それからアルティナは口を開く。

 

「絶対に勝つ———そのつもりでかかってきてください、リィンさん」

 

 迷いを捨てろ。武器を執れ。己の中にある〝ナニカ〟に恐れるな。貴方はただ真っ直ぐに敵を見て、ただ勝つために必死で諍ってほしい。つまるところ、そういう類いの意味合い全てが言外に含まれている言葉だとリィンは悟った。何とかなく分かっていた漠然とした観測が、疑いようのない確信へと移り変わる。

 

 この手合わせは、根幹のところ、リィンが対人戦の経験に乏しいからやってみようとなったものではない。あれはあくまでも建前に過ぎず、実際には腰が引けた情けない状態に幕を引こうと尻を蹴り上げにきたようなものに近い。要は、荒療治だ。それも物理的にである。

 

 聞いていると何とも脳筋的思考に思われるだろうが、ひたすら言葉だけでとやかく言っても変わることができない相手には、まず言葉を述べた上で自分からそのことを挑み乗り越えるチャンスを与えてみるしかない。そこにはただ強引で無茶苦茶な、これといった打算がない訳では決してなく———むしろ、自尊心が低くなっているリィンのために用意した方法・対応であり、流石に何から何まで最適解という訳ではないだろうが、それでも今の彼には必要な処置と言えるだろう。

 

 当然、それを察することができないほどリィンは鈍くなかった。他者からの好意などには滅法鈍いという朴念仁極まる有様ではあるが、流石にそればかりは気付いていた。歳下の少女にこうも言われて、それでも情けない姿を晒し続けることができるほど自尊心を捨ててはいない。何とか呼吸を整えて、しっかりと太刀を構える。

 

「———ああ、流石に押されっぱなしじゃいられないからな!」

 

 死人めいた諦めの色は薄れていた。ただ真っ直ぐにこちらを見て、その動きから次の行動を見抜こうとしている。見切れなくとも、何かしらのヒントを得よう。そこから次に活かすための経験を積もう。少しずつ前に進まなければ成長なんて出来るはずもないのだと。そこには確かにそういった考えが巡らされた様子があった。

 

 それを見て、アルティナは安心する。向上心は間違いなく回復したらしい。その場でひたすら足踏みして、ほとんど進もうとしなかった昨日までの彼はそこにはもういないのだと確認しながら、ならばこちらも彼の成長に繋がるために全力を尽くそうと二丁拳銃を構え直した。

 

 最早これ以上言葉は必要ない。己に出来る全てを発揮して勝ちにいく、たったそれだけなのだから。

 

 ゴム弾が飛び交う中を少年と白刃が閃光と迸り、しかして、少女は接近を許さない。壁は高い。齢など関係なく聳える歴然とした実力差。リィンはそれを痛感する。立ち止まっている間に彼女は研鑽を積み重ねたのだろうと思った。事実それは間違っていない。一年にも満たない僅かな時間、それだけの期間にアルティナは自己を苛め抜いていた。〝氣〟の制御は無論、二丁拳銃の扱い、体力の増強など、〝かつて〟に及ばずとも今の実力に至るまで、その全てが現時点の肉体の限界を超えて培われたものだった。

 それを知ることになるのは、果たしていつになるだろう。分からないがしかし、それでも今だけは忘れられたことがある。

 

 

 リィン・シュバルツァーは、己が半端な未熟者であることを。

 

 

 アルティナ・オライオンは、その身に絡み付いた罪業と願いを。

 

 

 互いが自由に、自在に、自分自身を曝け出していた。

 だからこそだろうか、リィンは油断していた。目の前にいる彼女ではなく、自身の奥底に眠る〝ナニカ〟を抑えることを忘れ、明確な〝前兆〟を感じることもなく———途中からその意識を失っていた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 次に意識を取り戻した時、まずリィンの目に映ったのは見慣れた天井だった。ユミルを治めるシュバルツァー男爵家の自身の部屋。早朝に目覚め、夜に寝付く前にもう一度見る天井。それが視界に入った。

 

 おかしい。そんなはずはない。もう一日経っている訳がない。目覚めたばかりだというのに、しっかりと覚醒していた意識と脳がそう告げる。どういうことだと家族に事情を訊ねようと起き上がろうとするも、突然全身が鋭い痛みを発し、顔が痛みに歪んだ。苦悶の声をあげることしかできない。自力で無理矢理起き上がろうものなら、この激痛と格闘することになるのは明らかだ。

 

 困ったなと思いながら、リィンはまず記憶を遡ることにした。

 

 始めに今朝のことだ。早朝、鍛錬の代わりに行うことになった模擬戦のために起きたことは覚えている。アルティナと一緒に渓谷道を歩いたことも忘れていない。最奥部で言葉を交わし、ルールを決め、得物を構えて戦ったことも間違いない。《疾風》の動きや足運びを基礎にした戦技(クラフト)を目の当たりにして驚いたことも、絶対に勝つつもりで来てくださいと言われたことも思い出した。その後、果たして軍配はどちらに上がったのか。それを思い出そうとして———

 

「———どっちが勝ったんだ……?」

 

 思い出せなかった。より正確に言えば、途中からその記憶がない。恐らく戦っていたのは間違いないが、どちらが勝って負けたのかということがこれっぽっちも思い出せない。アルティナが新雪の上で膝をついた姿も見たことがなく、リィン自身が雪の上に大の字で転がされた覚えもない。全く覚えていないのだ。何があったのか。何があって、今ここで目覚めたのかすら。

 

「………………」

 

 頭に手を遣りながら、もう一度思い出そうと頑張ってみる。眉間に皺を寄せながら、必死に記憶の連続性の繋がりを探す。何処かで繋がりが切れてしまっているのかもしれないと信じて丹念に探し続ける。何処かにあるはずだ。間違いない。そうでなければならないんだと繰り返す。

 

 リィンの経験上、記憶がない時があったという例がある場合は、かなりの緊急事態が起きていたことを意味している。

 最初に記憶の欠落が起きていたのは、シュバルツァー男爵家に拾われた時だ。拾われる以前の記憶が全くと言っていいほどないのが疑いようのない記憶喪失の例と言えよう。とはいえ、これが再び起きていたのなら今頃こうしている暇もなかっただろうが。

 次に記憶の欠落が起きていたのは、エリゼを守ろうとして〝ナニカ〟に身を任せてしまい、巨大なクマの魔獣を鉈で解体し尽くした時だ。具体的に何をしたのかどうやって殺したのか、といった一部始終を覚えていないことが記憶の欠落を明らかにしていた。彼が必死に思い出そうとしている理由はこの後者が起因していた。

 

 また暴走したのか? それも〝かつて〟のように呑まれて、その勢いのまま———と、そんな自分がまた姿を見せてしまったのではないかという恐怖が込み上げていた。同時に、あの場に一緒にいた一人の少女の姿をまだ見ていないことがより不安を強めた。まさか傷付けてしまったのか。まさか大怪我を負わせてしまったのではないか。まさか、まさか、まさか、まさかまさかまさか————

 

 

 

 

 

「———目が覚めたみたいですね、良かったです」

 

 再び自己嫌悪の闇にその身を投げようとしかけた直後、自室の扉が開き、そこから聞き覚えのある声が耳朶を響かせた。脊髄反射よろしくと言った速度でそちらを振り向こうとして、身体が悲鳴をあげるのも気付かないほどにリィンは縋るような思いでそちらを向いて———心から安堵した。

 

「……ぁ…………」

 

 透き通るような長い銀髪。こちらをしっかりと見つめる若菜色の瞳。齢以上に落ち着いた雰囲気と礼節正しい言葉遣い。間違いない。アルティナ・オライオン、彼女本人だ。その手には、簡単に食べられるものがあった。

 一気に緊張が解ける。全身の痛みを改めて実感し、顔を歪めながらも辛うじて優しく笑ってみせる。良かった、本当に良かったと何度も内心では連呼しながら、心の隅々まで安心感を行き渡らせていく。無理にでも起き上がった姿を目視していたアルティナは溜息交じりにジト目で告げた。

 

「……そこまで安心してくれたのは嬉しいですが、リィンさんはじっとしていてください。目立った外傷はないとはいえ()()()なのですから」

 

 心の中を見抜いたようにこちらの内心を読み取り答えたアルティナに、リィンは驚きながらも頷いた。それから首を傾げる。

 

「やっぱりこの痛みは……」

 

「大半が筋肉痛でしょう。あんな無茶苦茶な動きをしていましたし、無理はないかと。……あと、お腹の方は痛くありませんか?」

 

「……いや、それ以前に全身が痛くて確認できないんだが……」

 

「……それもそうですね」

 

 アルティナはその手に持っていた軽食をベッドの隣に置くと、リィンの方へと向き直る。

 

「聞きたいことがあるのではありませんか?」

 

 どきりと心臓が跳ねる———と同時に再び恐怖が押し寄せた。アルティナは無事だ。しかし、安否を確認できただけで安心できるのかと問われれば否だ。〝正体不明の力(アレ)〟を見たのか見ていないのか。更には見て怖い目に合わせたのではないか。本当はここにいるのも辛いのではないのか。それらの不安が確かにあった。

 ちらりとアルティナの様子を窺うように見ようとし———あることに気付く。早朝には無かった絆創膏が左頬に貼られている。意識を失うまでの間のリィンの記憶にはあんな傷をつけた覚えは全くない。極々自然に無理もなく話せている辺り、傷自体に大事はなさそうだが、恐らくその傷が誰に付けられたものなのかは考えずとも分かった。

 リィンは恐る恐るアルティナに聞いてみる。

 

「アルティナは……その……()()を……見たのか? それに……その傷は……」

 

「はい、確かにこの目で。普段のリィンさんとはまるで別人のようでしたので驚きましたが。頰の傷に関してはほんの少し動きに遅れた結果ですね」

 

 〝鬼の力〟。その本流は、この地に蔓延る〝呪い〟そのもの。真実、鬼と呼ばれる本物(オリジナル)とは一切関係ないが、そう称するに値するほどに獰猛さと苛烈さ、その他諸々を兼ね備えるそれをアルティナは知っている。完全に暴走した姿を見たのは、これで三度目だろうか。最初はミリアムが死んだ直後。二度目は救出作戦の際に。そして今回。どれもこれも何も知らない一般人には理解し難いものがあるだろう。規模や危険性で言えば最弱だろうが。

 頰に付けられた小さな切り傷に関しては、斬撃による剣風が掠った結果ついたものだった。決して油断していた訳ではないが、少し甘く見ていたのかもしれないとアルティナは痛感していた。

 

 暴走したことを肯定され、リィンは項垂れる。

 

「……そう……だよな……ごめん……怖がらせた……よな……」

 

 そう言うリィンの姿は、呼吸をする度に謝罪をしそうなほどに弱々しく見えた。あまりにも記憶にある彼の姿とは差異が大きすぎて〝似ていない〟とすら思えてしまう。恐らく、〝かつて〟の彼もこのような時期があったはずなのだから、トールズに入学し内戦が始まるまでの数ヶ月間にあれほどまでに変わることができたのだろう。未来を知るが故に、下手なことをしなければよかった———そう思う自分がいて、しかし、同時にだからこそ少しでも早く今から変わることができるようにしてあげたいと思う自分がいることにアルティナは気付いた。気付いたとあれば、行動に移さなければならないと口が開く。

 

「怖くはなかった———というのは確かに嘘になりますね」

 

 何かを恐れる心は必ず存在する。恐怖がなかった、というのはヒトである以上嘘である。故に恐怖心そのものを抹消することなど出来はしない。だからといって怯えるばかりがヒトではない。克服することぐらいはできる。アルティナの取った行動が正しくそうだ。暴走直後から沈静化させるまでの間、恐怖を克服し続けながら対処し続けることで、被害を()()()にとどめていた。

 

「———ですが、恐怖は何も悪いことばかりではありません」

 

 確かに恐怖は判断を鈍らせてしまうことが多い。立ち向かう勇気を挫くこともまたある。

 けれど、恐怖から来る臆病さは悪いことばかりではない。引き際を正しく弁えることができ、臆病な自分に打ち勝ちたいと言うキッカケにもなる。無謀を否とし、生き残ることを最善とする。ヒトがヒトである以上、自分の生死を大事にしない輩を埒外と切り捨てて考えれば、酷く当たり前の生存本能に過ぎない。

 

「お蔭でわたしはまた一つ土壇場に強くなれましたし、それに———」

 

 アルティナにとっては、最も知りたかったことを知ることができた。

 

「例えリィンさんがその得体の知れない〝ナニカ〟に呑まれたとしても、()()()()()なら止めることができると分かりましたから」

 

 〝かつて〟とは混じっている度合いが明らかに違うとはいえ、《北方戦役》の時のように暴走した後の被害に恐れ続けた彼に、例え暴走したとしても、今度こそわたしなら止めることができますと言えるかもしれないと、きっと少しだけでも彼を安心させることができるかもしれないとそう思えた。そして、それは完全に呑まれて名前すら失ってしまった時の彼が相手だったとしても、今度は一人で止められるようになれるかもしれないとすら思えるほどに。

 アルティナは、いつものように優しく微笑みながら———

 

「例えまた暴走してしまったとしても、わたしは変わりませんよ。リィンさんの中にある〝ナニカ〟が怖いから避ける、なんてことは絶対にありませんし、事前にわたしは何か理由があるのではないか、というところまでは何となくですが察していましたから。

 だから———」

 

 筋肉痛とその他諸々に陥って痛みを発している彼の身体を、痛みを感じない程度に優しく抱き締めて、それから、いつも彼がしてくれるように頭を撫でた。

 

「リィンさんは自分らしく在ってください。ただ怯えるばかりではなく、なりたい自分になれるように。そのためなら、わたしは出来る限り支え続けますから」

 

 今度は絶対に一人で逝かせはしないと心の奥に(ひそ)んだ〝モノ〟を言外に含ませながら、しかし、同時に〝かつて〟の自分と彼が置かれていた状況を思って、今度こそは〝らしく〟在れるようにという想いも込めていた。 齢12歳が願うには重すぎるものではあるが、それでも掛け替えのない人を喪った痛みをずっと強く感じている以上は仕方ないと言えた。真実を知っているか知らないかでその言葉の重みは歴然とした違いを感じさせるだろう。

 

 とはいえ、それ以上に気になることはあったが。

 色んな意味で鈍いリィンも流石にそれには気付いたのか、ぽかーんと口を開けた後に気を取り直して、未だに動揺しつつも訊ねた。先程まで自責の念に駆られていたことすら忘れて。

 

「…………な、なあ……アルティナ……?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「い、今の言葉って……」

 

 出来る限り支え続ける。そう告げた先程の言葉は、今のアルティナだからこそ口に出来た言葉であることは明白だ。〝感情〟を手に入れ、〝心〟を学び、それこそ一人のヒトとして立派に成長した彼女が出せる精一杯の励まし。しかし、悲しいかな。先程のそれはどういう訳かプロポーズとも取れるほどに天然タラシの殺し文句と酷似していて彼女自身そのことに気付いていない。誰のせいでそんな影響が出てしまったのかなど考えるまでもないのだが、ここに知っている者がいようものなら、即座にその原因たるお前が言うなと投げ返されることになるだろう。無論、そんな人物はこの場にいないどころかこの世界にいないのだが。

 

「今の言葉……? もしかして、わたしが何かおかしなことを言いましたか?」

 

「……いや、やっぱりなんでもない」

 

 気付いていないのならそっとしておいた方がいいかもしれないと、この時ばかりは気が利くのか利かないのか分からない様子を見せるリィンは改めて先程の言葉を反芻する。

 〝なりたい自分になれるように〟。つまるところ、それはリィン・シュバルツァーが心から思い描いた理想(ゆめ)を体現できるようになってほしいということ。心を見抜かれているような気がして、少しだけリィンはアルティナという少女にまた一つ興味を抱く。見抜かれた恐怖とは別に、湧き上がった好奇心と言うべきそれと共になった彼は思い出す。大切な人々を護れるようになりたい、それが《八葉》を学び始めた原風景。〝ナニカ〟を知り、エリゼを護る力すら無かった自分を戒め、護る術を手にしようとして〝ナニカ〟に怯えて挫折し修行を打ち切られたこと。あくまでのそれは今の自分自身に過ぎない。

 

 そこでリィンは自問自答する。

 なりたい自分はどういう自分なのか。

 それに見合う努力はしてきたのか。

 果たして今の自分はそれに値するのかと。

 繰り返し、繰り返し訊ねに訊ね、問いに問い、答えに答えて———その度に、励ましとして与えられた言葉が腑に落ちていく気がした。

 

 不思議な話だと思う。

 初めて会ったはずの少女がどうしてここまで腑に落ちる言葉をかけられるのだろうかと。以前感じた初めて出会った気がしないという直感は間違っていないのではないかと思い始める。

 そこで意識が明確に思考を加速させる———はずだった。

 

 急激に睡魔がリィンを襲った。全身が筋肉痛になるほどに暴走したことで体力をほとんど使い果たしていたことや、未だ起きてから何も口にしていないことによるエネルギー不足も相まってか、思っていた以上に疲労が溜まっていたことをうとうとしながら実感する。優しく抱き締められていたことも相乗効果になったのかもしれない。ヒトの熱を直に感じることで得られた暖かさやパンケーキのような甘い匂いに包まれていたことも疑いようのないほどに眠気を促進していた。

 

 疑念を抱いた思考は放棄され、生物の本能に従って、休息を身体が自然と取り始める。うつらうつらと船を漕いで、瞼が何度も落ちながら、再び意識を失う直前にリィンは「おやすみなさい、リィンさん」というアルティナの言葉を耳にした。

 

 

 

 

 

 

 





 暴走リィンとの戦闘描写を書かなかったのは、もう少しだけ伏せておきたいことがあったからです。今回だけでも逆行アルティナがどれだけ原作IIの時点よりも強くなっているのか、技術が多彩になっているのかがわかると思いますし、下手にこれ以上追加追加といくと、あとあとで淡白になってしまう気がしたので。ただただ無双シーン垂れ流すのもどうなんだろそれって話ですし。そんな感じで今回はカットしました。カットした部分はいずれ何処かの回想で使うかもしれませんね。



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8.確かな燈



 えー皆さん。お久しぶりです。
 こちらのアカウント、復帰しました。
 深夜にパッとパスワードかもしれないものを打ち込んだところ、
 見事に復活させることに成功しました。マジで予想外です。
 色々とお騒がせしました。《灰兎》√はいずれやりたいと思います。
 こちらの垢ではすごく久しぶりの投稿ですが、またよろしくお願いします。




 

 

 

 

 

 

 七耀歴1203年 11月7日 A.M.8:00————

 

 

 

「お久しぶりですね、レクターさん」

 

『久しぶりだなァ、チビッコ。ホントに久しぶりじゃねぇか? そんなに忙しかったのかよ。大変そうだなァ。元気にしてるかー?』

 

「はい、色々ありましたが以前よりも元気です。お世話になっている方々は皆良い人ですし、余計な仕事を増やす同僚がいた頃に比べれば、快適に過ごせていると言っても過言ではありませんね」

 

『お、おうよ。さらっとオレに毒を吐く辺り、マジで元気そうだな……』

 

 少しずつ冷たい空気に晒され始める初冬間際の頃。

 だいたい一年振りくらいになる声を耳にしながら、小型通信機器を通してアルティナは軽い挨拶を交わす。

 

 シュバルツァー男爵家邸宅の一室。今ではアルティナの自室となったその部屋で、彼女は窓の外を眺めながら通信機に声を掛けていた。

 通信の相手は〝父〟を同じくする《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の《かかし男(スケアクロウ)》レクター・アランドール。いつぞやミリアムに変なことを教え、主に同僚のクレアに折檻されていたあの人である。

 そんな彼の飄々とした声音は久しぶりに聞いても相変わらずだった。

 

「にしても、お前さんが用意させたこの通信機は気が楽だわ。前の奴じゃここまで気を許せなかったもんなァ。オマケに使い心地も良いと来た」

 

「そうですね。これに慣れすぎるのもいざという時に危険ではありますが、それでも以前に比べて、より安心感は違っていると思います」

 

 そう言って、視線を通信機へ落とす。

 その手に握られているのは、既に《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンが掌握した《黒の工房》、彼女の発想を基に設計され、オーダーメイドで作られた小型遠距離通信機器。その通信性能は機密性・完全性・可用性に比重を置いており、通信可能距離こそ《ARUCSII》に辛うじて及ばないものの、《ARUCS》を上回るほどの通信領域の拡大といくら盗聴されようと直接通信した相手を除いて通信内容を自動で秘匿し、盗聴に使われた機器を逆に混乱させると言った、対盗聴にも適応した機能を様々に重ね持つ高性能さである。通信後の音声データも当事者であっても一人では確認できないよう、互いに開示コードを取り決め、片方ずつ管理する為、普段ならコードネーム必須な会話もこの端末があるお蔭でこうして本名で呼ぶことが出来ていた。

 

 詳しい原理こそ、黒い戦術殻《クラウ=ソラス》をそばに控えているアルティナだから解るものだが、その手の知識が有ろうが無かろうが首を傾げざるを得ないものとも言えた。特にアリサやティオ、ティータ辺りの技術者の面々ならば、嬉々として解析させてほしいと言うだろう。

 無論、今のアルティナにとって《黒の工房》——強いては《黒》のアルベリヒは決して隙を見せてはならない相手である以上、細工が施されていないか穴が開くほど確認済みである。

 

『あ、そうだそうだ。ガキンチョが寂しがってたぜ? 「アーちゃんはいつ帰ってくるのさー!」ってな。ククッ、懐かれてるなァお前』

 

「まあ、姉妹ですから。

 ところで、先日贈ったぬいぐるみは届きましたか?」

 

「おうよ、ちゃんと届いてるぜ。いやぁ、しっかし驚いた。お前さん、裁縫も出来たのかよ。それに、デフォルメされてるとはいえ、()()()()()()()ぬいぐるみってのは勇気が必要だったんじゃねぇか?』

 

「ええ、それはまあ。ミリアムさんのためとは言え、少しばかり恥ずかしいですし……色々と複雑な気持ちではあります」

 

 シュバルツァー男爵家の夕食を初めて作った日に調理の片手間に思考し、作って贈ることにしたぬいぐるみ。それはミリアムが寂しさを少しでも和らげることができるようにとアルティナが手ずから製作した、デフォルメされた自分自身というものだった。

 いくらプレゼントとは言え、アルティナが自分を模したぬいぐるみを作っている心境など恥ずかしさも相まって複雑なものに違いない。何せ、滞在しているこの家には不埒な人が居るのだ。何かの偶然で見られたら……という心配もある。咄嗟に説明をすれば良いのだが、その瞬間、家族関係などを詳しく言っていないため、逆に下手なことを言うと怪しまれるのは間違いない。それどころか足が着くのは明白だ。隠せる範囲は自然に隠しておきたいのが本音と言えよう。

 それにミリアムが寂しそうにしている姿を思うと、それくらいの恥ずかしさなら我慢しようと思う自分もいたのだ。決してシスコンという訳ではない。単純に任務を頑張る姉へのご褒美みたいなものなのである。

 

 通信の向こう側でアルティナが自らにそのように理屈詰めをしていると、楽しそうに笑い声を洩らすレクターの声が耳に届いた。

 

『この間会った時なんかガキンチョのヤツ、肌身離さず持ってやがったぜ? 見たところオッサンからのプレゼント以上じゃねぇか?』

 

「作り手としてはとてもありがたい反応ですが……帰投した時が怖いですね。暫く自由にして貰えない気がします」

 

『ククッ、まあしゃあねぇわなァ。

 ——で、そっちどんな感じだ。一年間休暇取ったようなもんだろ?』

 

 こちら側の様子をある程度話し終わった辺りでレクターは、今度はそっちの番だぜ?と言わんばかりにアルティナへと訊ねる。あまりにも自然な話題転換に流石の一言を飲み込みながら腹の中では警戒を引き上げる。

 

「宰相閣下から直々の〝要請(オーダー)〟なのですが……」

 

『悪い悪い。でも実際のとこ、護衛しなきゃなんねぇようなトンデモ魔獣とか一線級の猟兵が紛れ込んだワケじゃねぇんだろ? お前さんの実力なら余裕すぎねぇのかって思ってな』

 

 現時点でアルティナの実力は未だ全盛期には届いていない。体力もまだ足りず、練度も劣り、意志に身体が追い付いていない不安定な状態にある。

 だからといって、木っ端に過ぎないそこらの猟兵に劣ってしまう訳ではない。己の身一つで集団と殺り合う方法や技術、経験を持っている以上は数の差に押し負けるなどという情けない体たらくを見せることもないと断言できる。

 その点からしてみれば、レクターの言う通り一線級の猟兵——具体例を挙げれば、《西風の旅団》と《赤い星座》。この二つのような名を轟かせる団の主だった実力者とさえ相対しなければ、押し負けてしまうという問題などこれっぽっちもないだろう。

 もし仮に、このユミルの地で遭遇し彼らが足を踏み入れ、尚且つ焼き討ちでもしようと試みている場合。それはほぼ間違いなく裏で多額のミラが動いていることと同義である。そう言ったものは、余程隠蔽工作が綿密に行なわれていない限り、《帝国政府》——《情報局》か、この男が気付かないはずはない。

 

「……確かにそうかもしれませんね。強敵と相見える環境としては少し不足を感じることもあります。

 とはいえ、一年間の休暇というのは甚だ遺憾ですね。〝要請(オーダー)〟である護衛は確かに全うしていますし、一度でも定期連絡を怠ったことはありません。それに強敵と相見えることが出来なくとも、体力面や技術面を磨くことはできます」

 

 この地に来てから一年が経とうとしているが、体力面や技術面は訪れる前よりも格段に向上しているのは事実だ。冬は雪や氷に辺り一帯を覆われ、春を迎えれば環境が一変し、夏は帝国内でも涼しく過ごしやすく、秋もまた思わぬところで自然の中にあることを実感させられるユミルは、ヘイムダルでは体験することのできない得難い経験を培うことができる。その推測は正にアルティナの予想通りであった。

 加えて、あれから身体に負担を掛け過ぎることは激減したこともあって、僅かばかり身長の方も伸びていたりもする。ただこれは、次に再会した時のお楽しみとするため口にはしていないでおくことにしていた。

 

 そうして、やや不機嫌そうに言い返すと、向こう側では意地悪な物言いをした元凶が少しばかり沈黙した後、面白可笑しそうにくつくつと笑うのが聞こえた。

 

『驚いた驚いた。別に馬鹿にしてる訳じゃないぜ? お前さんがムキになって返してくるとは思ってなかったんだわ。電話越しでどんな顔してやがんのか見れねぇのが残念だ』

 

「…………全く。あれからまたクレアさんに折檻されたと聞いて多少変わったのではないかと思っていましたが相変わらずで呆れました」

 

『おうよ、あの程度でどうにかなるほど俺はチョロくねぇぜ?』

 

「今の話念のため録音したので、後で《鉄道憲兵隊(TMP)》宛に送っておきますね」

 

『おいちょっと待て。それだけはマジで勘弁してくれ』

 

 何回かお灸を据えて貰った方がこの人の為になるのでは?という考えを頭の中で過ぎらせる一方で、逆に綺麗なレクター・アランドールが出来た場合を想像して、即刻アルティナはその考えを無かったことにする。決して綺麗なレクターが気持ち悪かったとかそういうことではない。

 

 軽く咳払いをし、それから一通り決まった定期連絡を伝え終えると、アルティナは()()()あることを確認することにした。

 

「そういえば、あれからリベール方面では何かあったようですね。わたしがこちらに来てから帝国南部でも導力が停止する謎の現象が起きていたみたいですし、国内はリベールの新兵器ではないかと不安に満ちていましたが」

 

 暫く耳にしていなかった国外の情勢。その情報を、恐らく現場に近い場所周辺に構えていたであろう同僚に訊ねる。彼女が知る歴史通りならば、同年の2月から3月にかけてリベールを中心に帝国南部でも『導力停止現象』が『リベル=アーク』出現に伴い、引き起こされていたはずだ。ここしばらくの帝国南部リベール方面についてで、それらしい噂や情報こそ行き交っていたが、外交関係に長けたレクターにそれを確かめておきたかったのだ。

 

『おっと、相変わらず鋭いな』

 

「と、いうことはやはり?」

 

『ああ、()()()()()()()()()()が起きてたぜ?』

 

 レクターの口から伝えられたのは、アルティナの想定していた通りのの出来事だった。無論、時間遡行による()()を下地に、少しばかりの拡大縮小を推定したものだったが、結社《身喰らう蛇》の暗躍とそれを阻止せんと動いたリベールの遊撃士たち。オリヴァルト皇子ほか、リベールに集った猛者。彼らの活躍によって、『リベル=アーク』は崩壊。《幻惑の鈴(No.6)》は生死不明となり、《剣帝(No.2)》と《白面(第三柱)》は死亡した——何一つズレのない残酷な筋書き(うんめい)であった。

 

 それを耳にしてアルティナは内心で安堵を覚えた。

 今にして思えば、リィンさんの護衛・監視、並びにユミルへの一年間に及ぶ滞在は余りにも大きな一手だった。〝前〟の歴史では起こり得なかった縁。内戦以前に彼との出会いを経るという大きすぎる違いが、後の流れに多大な影響を与えてしまうのではないか、と。この一手だけで歴史が変わってしまうのではないか、と不安な日々が続いた程だった。

 無論、ずっと不安だった訳ではなく、リィンさんと一年間を過ごせることがついつい嬉しくて、時折忘れかけてしまうところではあったが。

 何れにせよ、安堵を覚えたのはあの一手では大きな違いは起きていないのだと、その不安が今漸く杞憂に終わったのだと解ったからだった。

 

 思わず通信機越しにガッツポーズを取り掛けた自身の早る気持ちを抑え、そうしていつもと変わらない口調と声音で返事をする。きっとレクターさんには見抜かれてしまうだろうが、何処に喜んでいるのかだけは伝わらない——()()()()()()()()()以上は、きっと勘違いしてくれるだろうと。

 

「そうですか。こちらに大きな被害が出なかったのは幸いでした」

 

『だなァ。あの結社を相手にして誰も死んでねぇのは大戦果だろうよ。まー、その後の事後処理が大変だったんだがなァ』

 

「そこは仕方ないかと。そちらはレクターさんや宰相閣下の領分ですし」

 

『まぁな。手腕の見せ所って奴なんだろうよ。現にオッサンは相変わらずだったぜ?』

 

「流石としか言えませんね。そちらはある程度伝え聞いています」

 

『リベール方面での大きな話はこんなところだ。後はいくつか気になることがあるにはあるが、そこは、まー、今はこんなもんだろうよ』

 

「ええ、助かりました。また何かあれば教えてください。《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》として適した行動をするためにも必要ですから」

 

 聞きたいことも聞くことが出来た、そう判断したアルティナは安心したように息を吐く。そのまま定期連絡を終わりにしようと別れの挨拶に続ける——

 

『ああ、待て待て。まだ通信切るなよ?』

 

 慌てて制止するレクターの声に、通信を切る寸前だったアルティナは小首を傾げる。はて、何かまだあっただろうか? 定期報告はこれで終わったはず……と思考を巡らせながら、次の言葉を待つ。

 

『実はな、オッサンから伝言を預かってるんだが……』

 

「宰相閣下からの伝言ですか? 拝聴します」

 

『ちゃんと聞いてろよー? オレだって仕事の合間なんだからなー』

 

 茶化すようにそう言ってから、レクターは軽く咳払いをする。

 

『そろそろ一年間の監視・護衛任務が終了だろ? だから、一旦帰投しろってさ。オレたちとの土産話もそうだが、オッサンとしては任務だけでなく、お前さんの成長とかも確認しておきたいんだろうよ』

 

 そう、もうすぐ終わりを迎えるのだ。

 一年間に及んだ、このユミルでの——リィンさんと過ごした日々は。

 予定が所狭しと記入されたカレンダーを反射的に確認してしまう。そこには11月7日と、確かにこの任務の終わりが近付いていることを示している。それはまるで伝言を頼まれたレクターの言葉を通して、オズボーン宰相から突き付けられたようにも感じられた。

 

「……そうでしたね。もう一年ですか」

 

 胸の奥に寂寥感が去来する。満たされていた日々が過ぎ去っていく。

 研鑽と思い出に満ちた一年間が終わりを迎えようとしている。

 けれど、アルティナの口許は優しく綻んでいた。

 

「(とても充実した日々でした。ええ、とても楽しかったです)」

 

 冬山での再会を皮切りにシュバルツァー家へお邪魔した日々。

 大切な人との混浴に修行。スノーボードや釣り、内緒話……。

 もう一つの居場所を与えてくれたシュバルツァー家の人々。

 見知らぬ旅人のようなアルティナが相手でも、同じ地に住む同郷の者として接してくれたユミルの人々。

 どれを取っても暖かく優しい日常。心の底から求めていたもの。

 そして、何より——リィン・シュバルツァーと過ごせなかった多くの日々がここにはあった。

 もっとユミルで過ごしていたい。

 もっと皆の元で甘えていたい。

 もっと彼の傍で安らいでいたい。

 そんな気持ちが欠片もないはずがなかった。

 それでも——

 

「(今は……これだけで十分頑張れますね)」

 

 胸の奥に火が灯る。より良い明日(みらい)へと進む為の燈。

 〝これ〟があればきっと大丈夫、そう信じられると微笑を浮かべた。

 欲しかった思い出の一部を胸に秘め、アルティナは力強く返答する。

 

「了解しました。では、三日後に帝都へ帰投します。わたしも宰相閣下に直接お話ししたいことがあるので、可能であればレクターさんからその旨を先にお伝え頂けますか?」

 

『ったく、オレを顎で使おうとは良い度胸だチビッコ。ま、良いぜ。キチンと伝えておいてやるよ。どうせオッサンもお前さんがそうしてくるんじゃねぇかって日程の準備くらいしてそうだしなァ』

 

 レクターの呆れた様子が通信機を通して伝わってくる。果たして何処に呆れたのかはさておき、アルティナもまた同意する。オズボーン宰相の手際の良さか、或いは、そんな彼に利用されるばかりの駒にならないよう動かんとしている自分自身の無謀さか——

 

「では、次は直接顔を合わせてお話ししましょう、レクターさん」

 

『おう。あともう少しだからって最後まで気を抜くんじゃねぇぞ、アルティナ。締めをミスるとかちっとも笑えねぇからなァ』

 

 そう軽く別れの挨拶の後、通信機は短い音を鳴らして通信を終える。

 

「そろそろわたしも動き出す必要がありますね。まずは——」

 

 通信機をポケットに仕舞い込む。

 ぐーっと体を伸ばし、今後の予定を脳裏に巡らせる。

 ここからが大切な準備期間なのだと意識を切り替えていく。

 ふと窓の外を見ると、慣れ親しんだ景色に大切な人の姿があった。

 朝の鍛錬を終えたばかりの彼は、郷の人々に挨拶を返している。

 僅かにでも悩みが晴れたその姿は遠目から見ても幸せそうに見えた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 同日 P.M.9:00———

 

 

 

 レクターとの連絡を終えてから半日以上が経過した頃。

 シュバルツァー家邸宅の一室では、荷造りを行なうアルティナの姿があった。纏められた荷物は全て一度ベッドの上に置かれ、状態が確認しやすいよう整えられていた。

 

「これでほとんど片付きましたね。あとは念入りに掃除をしておきたいところですが……」

 

 鞄を閉じ、一仕事終えたアルティナはぐーっと体を伸ばす。大小様々なものを効率よく詰め込むという作業は頭を使う。一種のパズルゲームを思わせる感覚のようだが、その感覚で楽しいのは最初だけであった。

 無論、アルティナはそうならない為にも一回で効率よく済むよう思考を巡らせていた訳なのだが、当然その弊害が一切出てこないという道理はなかった。

 

「……猛烈に甘いものが食べたくなってきました……」

 

 ジトーっと半目のまま、溜息交じりに一人呟く。糖分補給がしたくて堪らないのだと体が訴えかけてくる感覚に、解っていたが困った様子でアルティナは時計と睨めっこを始める。

 時刻は21(フタヒト):05(マルゴ)。紛うことなき夜である。夕食を済ませてから、一時間以上が経過しているものの、お風呂に入る前というこのタイミング。そもそも健康の上で夜食を摂って良いものなのかと理性的に思考する。

 その一方で、甘いものを食べたいという欲求に負けそうな自分がいるのも事実であった。脳裏に甘くて美味しいパンケーキが踊るように群れを為し何処かへ歩き去っていく珍妙な光景が浮かんでもいたのだ。

 

「………………流石に我慢しましょう。ええ、我慢します……」

 

 危うく甘いものを夜食として食べる方向に傾きそうになった自らを理性で抑え込むことに成功したアルティナは、緩くなった口許に気を付けながら、纏めた荷物を全て部屋の隅に移動させてベッドに寝転んだ。

 慣れ親しんだ少し硬めのベッドが返してくる弾力。これがもう暫くもしないうちに遠いものになる。そう思うと、何だか寂しさがまた込み上げてくる。民に寄り添い、共に冬を乗り越え、日々を共にするシュバルツァー家の質素な在り方が恋しく感じていたのだ。すっかり身も心もユミル色である。

 

「……む、今のは何だか不埒でしたね」

 

 脳裏に平然と「アルティナもすっかり家族だな」と、とんでもないことを言ってくるリィンさんの顔と姿が浮かび上がったアルティナは、〝前〟での経験もあってか動揺した様子はなかった。それでも恋人関係にまで発展したこともあって、()()()()()()に咀嚼した頭のせいで頬は僅かに赤らめていた。

 

「…………何故か腹が立ってきました」

 

 頬に触れた手がほんのりと熱さを感じ取る。恥ずかしさを感じているのだと理解すると、自然と負けたような気がして悔しくなった。これだからリィンさんは不埒なんです、と枕で口元を隠しながら愚痴を零して、アルティナはベッドの上でパタパタと足を動かした。

 

 一頻り発散し終えた頃、部屋の扉をノックする者がいた。

 音に続く声はそれこそ聞き慣れた人のもの。聞いていると安心させてくれるあの人の、アルティナを訊ねる声だった。

 

「アルティナ、少し話をしたいんだが、入っても良いだろうか?」

 

「見られて困るものは広げていないので大丈夫ですよ、リィンさん」

 

 部屋主の許可を得た後、扉が開く。廊下からリィンが部屋へと入ってくる。その表情には寂しさの色が浮かんでいた。これから彼が口にする第一声の予測など容易く出来てしまうほどに。

 そうして、予想通りの言葉が紡がれた。

 

「実家の方に帰るんだよな……」

 

「はい、大事な用事が出来てしまいましたから」

 

 アルティナの帰郷が伝えられたのは夕食が済んだ頃だった。

 突然、ユミルを離れることを伝えられたのである。幸いすぐにこの地を去る訳ではなく、明後日の早朝だった為、見送りを行なえる余地があった。それでも、一年間を共に過ごした家族の姿が、このユミルの何処にも見られなくなるのは、寂しいと感じて当然というものだろう。

 無論、何故ユミルを離れるのかという正確な事情をアルティナは自らの口で全て話してはいない。ただ最初に訪れた際の話から彼らがそう解釈しているのだ。都合が良いのは間違いないが、所属と事情が難しい《黒兎(ブラックラビット)》としては心を鬼にしてそれを利用するしかなかった。

 

「一年間の滞在という約束もありましたし、そろそろ頃合いだったのだと思います。寂しくない、遣る瀬ない……と言えば嘘にはなりますが」

 

「そう、だよな……探しに来てたんだもんな、アルティナは」

 

 こくりとアルティナが頷く。表向きの名目上はそういうことなのだ。

 リィン・シュバルツァーとは異なる義理の兄リィンを探し求め、その人がユミルに立ち寄る瞬間を待つべく一年間もこの地に滞在した。それが小さな捜索者アルティナ・オライオンの設定である。

 そんな彼女に遣る瀬ないと感じたことがあるとすれば、目的半ばで実家に戻るしかないことしかリィンには思いつかないのだ。

 

 だからこそ、なのだろう。何よりも他人を大事にし、思い遣る気持ちに溢れたリィン・シュバルツァーが取る行動は一つしかなかった。

 

「アルティナが良ければ、オレにその人探しの代わりをさせてくれないか?」

 

「えっ……と……」

 

 そこでアルティナは自らの失態に気付く。考えてみれば当然のことだ。世話焼きなリィンがここでその申し出を願い出ない訳がなかったのだ。こうなってしまうと、正当な理由がない限り、彼はなかなか引き下がってくれない。余計なお世話だとしても、相手を思う気持ち一つで行動してしまうことがあるのだから。

 

「あ、その……です、ね……リィンさん」

 

「俺もそんなに長くは出来ないけど、遠慮しないで頼ってくれても良いからな」

 

「いえ、その……そうではなくてですね」

 

「そうじゃない……?」

 

 頭に疑問符を浮かべるリィンの姿にアルティナは心を痛める。全てを話してしまいたい。弱音を吐き出し楽になりたいという弱い自分が大きくなっていくように感じる。表情を何とか偽りながらも、その裏には今にも彼の優しさに溺れてしまいそうになっている。

 けれど、そうもいかない理由がアルティナにはいくつもあった。

 

 その一つが時間遡行を果たした目的である、あの結末を覆すこと。覆す為の手は〝前〟のうちにいくつか考えついているが、あくまでもそれに繋がる布石は未だ不足していて余裕は全くと言って良いほどない。その為、これ以上の余裕を失わないように可能な限り同じ道を辿らなければならなかった。下手に動いて大きく未来が変わってしまえば想定しておいた対応や対策では間に合わなくなってしまうからだ。

 加えて何よりも、今のリィン・シュバルツァーに自分と向き合うことやVII組としての悩み以上に大きな負担を与えたくなかったからだ。秘密主義によって後手に回り続けた結果、出遅れることになった魔女たちとは違う理由でアルティナはどうしても動くに動かなかったのである。

 

 眼前には続く言葉を待つリィンの姿。いくつもの不幸に見舞われ、大人に成らざるを得なかった頃とは違う、悩み多き少年の頃。

 これから学生となるリィンさんの邪魔をしたくない。少なくともその道から続く出会いを、VII組としての日々を守ってあげたい。

 そして、何よりもこの人の結末を変えてあげたい。幸せに生きる明日がないなんて、あんな最期はあまりにも酷すぎるから——

 どうすれば良いのだろう。どうすれば正解なのだろう。いったいどうすれば、この人を——リィン・シュバルツァーを救えるのだろう。

 

「(孤独(ひとり)の戦いがこんなにも心細いなんて、全く想定していませんでした……)」

 

 決して一人で戦うことは初めてではない。

 例えば、貴族連合——ルーファス・アルバレアに貸与され、()()()()()()内部工作を行なったように。

 

 しかし、それらは全て誰かが背後に控えていたり、仲間たちが何処かで戦っていた。つまり、何らかの形で繋がりがある状態に過ぎない。

 本当の意味でアルティナが孤軍奮闘せざるを得ない状況に陥ったのは、正真正銘これが初めてだったのだ。よりにもよって、大切な人の未来が懸かった、失敗の許されない一発勝負の今である。

 当然、これから先、信頼のおける仲間たちと再会することだろう。二度目の初対面を経て、共に日々を過ごしながら一つ一つを積み重ねて。

 

 だが、それはあくまでもこの先であった。

 今を失敗すれば到達できない過去(みらい)に過ぎない。

 だからこそ、ありふれた一手が首を絞める危険性は計り知れない。

 ここで目の前の大事な人に全てを吐き出してしまえば、何かの拍子にどうしようもない事態に繋がってしまうかもしれない。

 それは同時にリィン・シュバルツァーを信用していないことの裏返しのようで、その痛みがアルティナの心を苛んだ。身を引き裂かれるような痛みが蓄積していくのに、和らげることは決して出来なかった。

 

「————アルティナ」

 

 優しい声が耳朶を震わせた。

 一瞬だけ胸の痛みが何処かへと消える。

 反射的に見上げた先には、大事な人の心配する顔があった。

 

「何か任せられない事情があるんだな?」

 

 胸の奥を見透かされたような気がした。

 その瞬間だけ、リィンに誰かの姿が重なった。

 この感覚をわたしは覚えている。あの時と同じだと思った。

 けれど、宰相閣下に問われた時と違うのは、まだそこに相手を思い遣る気持ちが強く籠っているからなのだろう。

 だからだろうか。アルティナは自然と首を縦に振った。

 

「そうか……それなら良いんだ。あれから少しは成長したとはいえ、まだまだ半端者の俺には任せられないってことなんじゃないかと思ってしまってさ」

 

「い、いえ、そうではなくてですね……」

 

「大丈夫だ、言わなくても良いから。今は話せないことなんだろう?」

 

「はい……今はまだお話し出来ません」

 

「それだけ解れば十分だ。父さんたちにも俺から話をしておくから」

 

「あ…………」

 

 ああ、なんてこの人はずるいのだろう。

 あまりにも優しい。優しくて隙だらけすぎる。

 だからこそ、心から信じたくなって甘えてしまう。

 あの親にしてこの子あり、とでも言うべきか。無意識に相手を絆してくる。まったくこれだから、この朴念仁さんは、とある種感心する。

 

「アルティナ?」

 

 どうしたんだ? とリィンが声をかけてくる。若干心配そうな声だ。

 安心させるようにアルティナは、大丈夫です、と返事をする。

 

「ちょっと考え事をしていました。そうですね。

 もうリィンさんたちに隠す必要はありませんね」

 

「隠す? 何か言えないことでもあったのか?」

 

「ええ、ちょっとだけ言いづらいことがありました。

 でも、問題ありません。今から話したくなったので」

 

 そう言って、ベッドから立ち上がる。浮んでいるのは優しい笑み。

 信頼と安心感に満ちたその表情は、見ていて可愛らしいものがあった。

 それを見て、リィンは不思議な高鳴りを覚える。

 

「リィンさん、皆さんを呼ぶのを手伝ってもらっていいですか?

 話せる限りの、大事な話をしたいと思っているので」

 

「あ、ああ……解った。ちゃんと聞かせてもらうよ」

 

 大切な人たちに誠実でありたい。アルティナの弱さは強さでもあった。

 これも全て彼から貰ったもの。貰ったもので今度は助けたい。

 確かにイシュメルガのことは絶対に許せない。

 それでも、その気持ちだけに囚われて、何事にも盲目にはなる訳にはいかない。

 だから、この気持ち(おもい)がある限り、前を向いて進もう。

 アルティナはその想いを胸に抱きながら、彼らに話せるだけの話をするのだった。

 

 

 

 

 






 隠し事がかなり無くなりました。
 具体的にはアレですね。逆行者とか目的とかそういうのは伏せてます。
 話せたのは、ある人からリィンを見守っててほしいということ。
 リィンという名のとある人はちょっとした嘘だったこと。
 それでも、何から何まで嘘ではなく大切な人を失った経験はあること。
 などなどですね。その為、エリゼからの印象も変わってないです。
 一度帝都に戻る流れですが、話をトールズまで飛ばすかもしれません。
 不定期ですが、今後もよろしくお願いします。



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