エスケイプ・フロム・DZ (sako@AWとか)
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エスケイプ・フロム・DZ

エスケイプ・フロム・DZ

―I"Division"W ―

 

 

――ライカーズの通話記録

「知ってるか?」

『何をだよ?』

「出るんだよ」

『出るって何が? ゲップか?』

「バカ、違ぇよ、モンスターだよモンスター」

『ハァ?』

「コリアンタウンのストリート辺りに出るらしい」

『キムチモンスターか? それかヌードルモンスターか?』

「だから違ぇよ。ニホンから来た奴が言うには火車ってヨーカイ……ニホンのモンスターのらしい」

『(ため息の音)』

「嘘じゃねぇし。何でも墓場から死体を盗んでいくモンスターらしい。で、死体を盗まれた家は呪われて……」

『突っ込みどころしかねぇ。なんでニホンのモンスターがコリアンタウンに出るんだ。ここはニューヨークだぜ。コリアとニホンにしても違う国じゃねぇか』

「違う国なのか…? いや、そこはどうでもいい。ティムの奴が見たんだ。明け方に女の死体を漁ってるネコみたいな耳をした奴を。そいつ、ありえねぇ事に首を幾つも腰にぶら下げてたんだってさ」

『(盛大なため息の音)』

『馬鹿馬鹿しい。死体あさりなんてここじゃ……ダークゾーンじゃ珍しくもない。死体の首をぶら下げて歩くような変態もな……』

 

 

◇◆◇

 

 

 犯罪者集団・ライカーズの一員、マクハガーは興奮していた。だが、なんとかその興奮を自制させ落ち着こうと努めていた。分厚いレスラーマスクは息苦しく、今すぐ脱いでしまいたい衝動に駆られていた。だが無理だ。マスクには衛生局員から強奪したフィルターが仕込んであるし、何より荒々しい吐息で相手にこちらの存在を悟られたくなかった。

 暗闇と深々と降る雪の向こう、物陰に身を潜めながら通りを進む人影があった。

 最初はこの辺りを調査しに来て仲間からはぐれたJTFの所員か何かかと思った。仲間のライカーズはあんなにコソコソ行動したりはしない。忌々しいクリーナーズの連中もあんな動き方はしない。クソ雑魚の暴徒連中は隠れるなんて脳は持ち合わせていない。

 JTFなら絶好のカモだ、とマクハガーは銃を構え銃弾のシャワーを浴びせてやろうとした。

 けれど、そのタイミングで人影が明滅する街灯の下に躍り出た。一瞬、その姿が露わになる。

 人影は女だった。JTFのあの薄汚れた緑色のベストは着ていなかった。華氏30度(摂氏0度)を下回る夜も多いというのに半袖でいる。それよりもマクハガーが驚いたのは女がマスクをつけておらず、更にその頭にネコ科を思わせる耳があったからだ。

 いや、あれはああいうヘアスタイルかもしれないとマクハガーは一瞬、思った。けれど、どうでもいいそんな考えをマクハガーはすぐに振り払った。次に彼が感じたのはやっと自分にもツキが回ってきたという想いだった。

 アレは間違いなく最近、噂になっているモンスターだ。あのモンスターを殺れば自分も有名になれる。そうマクハガーは興奮していたのだ。

 アウトブレイク後のニューヨークでは有名であることが何より重要視されていた。いや、それはアウトブレイク前でも一緒であった。ハリウッドスターやラッパー、ロビイスト、ユーチューバー。より多くの人間に名前を知られている奴はより多くの人間に優位に立てる。ドルインフルによるアウトブレイク後もそれは一緒だった。ただ、現在、隔離地域と化しているこのニューヨークで有名になるということはTVに出ることでも政治家とお友だちになることでもなかった。なにかとんでもないことをやり遂げることが有名になることなのだ。

 マクハガーの兄貴分、通称"ゴリアテ"はたった一人で五人ものクリーナーズを相手に立ち回り、そのすべてを片付けた。火炎放射器で皮膚を炙られながらもリーダー格のクリーナーズの脳天に五発(五発も!)弾丸をぶち込み、彼は本名であるジョン・ブラウニーではなく"ゴリアテ"と名付で呼ばれるようになった。

 もっとも"ゴリアテ"はその後、クリーナーズの復讐に逢い、ドラム缶に詰められてやり過ぎた燻製にされてしまったのだが。

 それでも兄貴分"ゴリアテ"はしばらくの間、大手を振るって通りを歩くことが出来た。彼の姿を見掛ければ血気盛んで後先考えない暴徒たちでさえ逃げだし、見逃して貰おうと命より大事な食料を差し出してくる奴さえいた。

 その"ゴリアテ"と同じように有名人になりたいとマクハガーは考えていた。常日頃から。そうして、ついにその絶好の機会が訪れたのだ。

 有名になるには殺しまくればいいという訳ではない。いや、何十、何百と殺せば有名になれるかもしれないがそれには時間がかかるし、返り討ちに遭う可能性もある。ゴリアテのように危機的状況から逆転できれば有名になれるかもしれないが、それもリスクが高い。手っ取り早いのはやはり既に有名になっている奴を殺すことだ。

 マンハッタン島にはアウトブレイク後、とんでもないことをしでかして有名になった奴が何人かいる。猛吹雪の中、三ブロック先の相手の眉間を撃ち抜いたスナイパー。女だてらにサブマシンガン片手に砲火の中突っ込んでいく猛獣、オレンジ色に光る腕時計の連中……

 マクハガーが尾行するモンスター、ニホンのヨーカイ、火車もその一人だ。

 火車は何かとんでもないことをしでかした女だという噂は聞いたことがない。それでも、この寒空の下、特徴的なヘアースタイルで、あろうことかマスクもなしに歩き回っているという時点で極めて異常だ。それだけで今のニューヨーカーからすればとんでもないことをしでかしているに等しい。何よりとんでもないのはそんな目立つ格好の女が何日もここニューヨークで生き延びているということだ。実はウイルスに耐性のある凄腕のエージェントだという噂がある。ドルインフルのウイルスも鉄砲の弾も効かない本物のモンスターだとも。マクハガーはどちらでもいいと考える。重要なのは火車を狙っているのが自分一人で相手にはまだ気付かれておらずコレが絶好のチャンスだということだ。

 注意深く、かつ何かあればすぐに銃弾を弾倉がからになるまでブチ込めるように気を張りながらマクハガーは尾行する。

 そうしてついにチャンスが訪れた。火車が足を止め、跪き何かをし始めたのだ。道ばたに無造作に捨てられている死体を調べ始めたのだ。

 チャンスだ、と注意深く観察するマクハガー。死体からチョコバーでも盗んでいるのだろう。そう考えた。だが、実際は違った。火車が何をしているのか理解し、マクハガーはマスクの中でもどしかけた。

 あろうことか火車は大ぶりの軍用ナイフで死体の首を切断しているのだった。

 逃げ戸惑う市民を背中から打ち、撃ち殺したJTF所員の亡骸を更に痛めつける残虐さをもつライカーズのマクハガーをしてそれは恐ろしさに嘔吐するような行為だった。

「狂ってやがる……」

 マスクの下で顔を歪めるマクハガー。アウトブレイク後、狂った輩はごまんと見てきたが死体の首を落とすような気違いは初めて見た。

 マクハガーは寒さで凍え始めた指を握っては広げを繰り返し、気を落ち着かせて火車の背中に歩み寄った。すでに初弾は装填してある。

 火車が切断しようとしている死体は女の死体だった。その首が胴体から離れた瞬間、

「じ、地獄に墜ちろ化け物め!!」

 至近距離。火車の後頭部に向けてマクハガーは引き金を絞った。一度、二度、三度、四度。遊底がロックされ、引き金を引いてもそれ以上弾が出なくなるまで撃ちまくった。

「ははっ、ざまぁみろ……!」

 マスク越しに荒い息をつきながらマクハガーは冷たい路面に伏した火車の死体を見つめた。ピクリとも動かない。当然か。後頭部に何発も銃弾を浴びせてやったのだから。

 実際のところマクハガーが持つ拳銃の装弾数15発のうち、頭に当たったのは最初の一発、それから三発ほどで殆どは外れたか身体の別の部位に当たっていた。それでもヘルメットも被っていない人間が頭に三発も銃弾を受けて無事でいるはずがない。動かないのは当然の話だ。

「あ、ああ、そうだ。何か戦利品を持って行かないと」

 小躍りしたい気分を押さえてマクハガーは冷静にそう考えた。殺したと自分で吹聴しても信じてくれる人はそう多くないだろう。そこでものを言うのが戦利品だ。殺した火車から取ってきたといえば誰でも信じるようなものがいい。

「なにか妙な拳銃を持ってるって聞いたな、そういえば」

 火車にまつわる噂話を思い出し、マクハガーはそれを戦利品にしようと考えた。何処だ、と火車の死体を物色し、地面に置かれているのを見付けた。その銃把には火車の手が添えられていた。

 はて、とマクハガーは疑問符を浮かべる。

 コイツは死体の首を切ろうとしていたんじゃなかったか。片手にナイフ、片手に首を持って。それがどうして、今まさに銃を握ろうとしているタイミングで事切れているんだ。

「拳銃じゃないニャ!!」

 その疑問符の回答は怒声とネコ科を思わせる俊敏な動き、そうして、一凪の銃弾の連射によって答えられた。

 強烈な衝撃。だが、死ぬようなダメージでは無かった。以前、撃ち殺したJTF職員から奪い取ったレベルⅡ-Aのボディアーマーをジャケットの下に忍ばせてあった。

 けれど。げふ。衝撃でマクハガーの口から押さえていた胃の内容物があふれ出した。フィルターが目詰まりし呼吸が出来なくなる。

 いや、それも問題なかった。

 身体を反転させつつ銃撃を行ったIDWはそのまま起き上がるとゼロコンマの速度でマクハガーに肉薄。逆手に持ったナイフを無防備な首筋へと突き刺した。更に手首を捻り傷口を広げる。マクハガーの身体を突き飛ばし、ナイフを抜いたところで鮮血がほとばしった。黒いアスファルトを白く染め上げつつあった雪をその上から血の赤が汚していった。

 余り必要はないが、メンタルモデルを落ち着かせるためIDWは深く息を吐いた。腰を降ろして休みたい衝動に駆られる。だが。

「聞こえたか!」「あっちの服屋の通りだ!」

 何処からか怒声と多人数が走り回る音が聞こえてきた。畜生ニャ、と悪態をついてIDWは装備をしまった。血だらけのナイフを鞘に収め、空になった弾倉を交換する。これで予備弾倉はなし。補給の望みは薄いので、現地調達するしかない。

 最後にIDWは入手したアイテムを手に取った。

「ごめんニャ……」

 それは首だ。死体から切り取った首。正確に言うならば機能停止した戦術人形から人格データのバックアップが収められた頭部パーツだ。

 m45。同じ第五部隊の仲間の首。IDWは泣きながらm45のその長い三つ編みをバックに括り付けると足早にその場から立ち去った。

 

 

 事の発端は一週間前。ニューヨーク上空を飛行するヘリ機内から始まる。

 

 

◇◆◇

 

 

「傾注(アハトゥンク)! 作戦の概況を説明するわよ」

 ヘリのローター音にかき消されないようハンドガン・ワルサーPPKは大声を上げた。

「あっ、ここのブティック、行きましょ行きましょ行きましょうよ。カワイイ服がいっぱい売ってそうです!」

「私はこのユニオンスクエア側のベイカリーに行きたいですね。ガイドブックによるとチョコレートを何層にも折り込んだブレットが絶品で…はわわわ。絶対においしいです、これは」

「そこもええけど、ウチとしてはこっちのシカゴピザってのが…ああ、でもこげなもん食べたら体重がが増えてまうかもしれんなぁ」

 けれど、誰もPPKの言葉を聞いていなかった。揺れるヘリ機内にも関わらず戦術人形たちはガイドブックを広げ談笑にふけっていた。

「貴女たちねぇ、遊びじゃないのよ」

 肩を落とし、情けない有様の仲間たちに侮蔑と諦念を含めた視線を投げかけるPPK。

「わかってるって」

 そう鼻を鳴らしたのはアサルトライフルのガリルだ。PPKの言葉に応えつつも半分に折った雑誌から目を離さない。

「イッペン、SAAちゃんが自慢してた本場のコーラを飲んでみたかったんだよなぁ」

 持参したのであろう。栓抜きをくるくると回してみせるガリル。

「哨戒任務ですよね。あっ、終りましたらココとココとココに寄ってもいいですか?」

 そんな申し出をしてきたのはサブマシンガンのm45だ。広げてみせたマンハッタン島の地図に幾つも赤丸がついている。

「ニューヨークはおいしそうなベーグルのお店が一杯で、もう、ほんとうに何処から行ったらいいのか迷うぐらいなんです」

 ガクリとPPKは肩を落とした。

「わたしとしては~、いや、それよりなんか寒くないですか、いや寒いですね、寒すぎですよこれ」

 はしゃぐ声をあげたのはPPKと同じハンドガンのC96だ。寒い寒いといいながらジャケットの前をはだけ水着……そうビキニスタイルの水着である、を見せつけながらそんな事を宣っている。

「取り合えずダウンジャケットを買いに行きたいですね。あとデニムのパンツ。こうすっごーくすごーくすっごくダメージって感じであんまり肌が隠せてない感じのが欲しいですね」

 おぼろ昆布みたいにボロボロなの、などと世迷い言を宣っている。

「まったくもう…IDW。このボンクラどもになにか言ってあげなさい」

 この世の終わりのようなため息を漏らし、PPKはこの乱痴気騒ぎにおいて未だに一言も発していない仲間の最後の一人に声をかけた。

 一人黙りこくり、仲間たちの会話に参加していなかったサブマシンガン、IDWは俯いていた顔をあげてPPKを見据えた。そうして…

「気゛持゛ち゛悪゛い゛ニャ゛…!」

 その場でもどした。

 床を吐瀉物で汚されヘリ本体と直結されている自動運転システムがあろうことか運転を誤る。嵐の夜に難破した漁船のように大きくヘリは揺れた。「きたねぇ!」「マジマジマジですか!?」「エチケット袋。エチケット袋…!」ぎゃぁぎゃぁと叫び声が上がる。激しい揺れ、悪臭、叫きちらす戦術人形。機内はちょっとした地獄と化す。いや、本当の地獄はこれからだった。

「アンタたちねぇ…」

 肩を落とし俯いたままPPKがワナワナと震えていた。

 これはマズいと騒いでいた連中も一瞬動きを止めた。だが、遅かった。

「だからぁ……遊びじゃないって言ってるでしょう!!」

 BANG! BANG! BANG!

 いきなり銃を乱射し始めるPPK。狭い機内に9mmkurzが跳弾する。わぁっ、と悲鳴を上げて戦術人形たちは黒いGから始まる虫でも現れたかのように飛び退いた。

「いいこと、ボンクラたち」

 ふっ、と銃口から立ち上る紫煙を吹き消すPPK。

「遊びじゃないのよ。あいにくだけれど、貴女たちがさっき言ったお店は多分、どこも閉店中よ」

 窓の外を見てご覧なさい、とPPKは顎をしゃくってみせる。全員が言われたとおりにヘリの外に目を向けた。

 巨大な木のように立ち並ぶビル群、摩天楼。そのあちらこちらから黒煙が立ち上っているのが見えた。

 普段、紛争地域で活躍する彼女らからは見慣れた光景だ。だが、それが、それこそが今現在のニューヨークが戦争用に最適化された自分たちが否応がなしに活躍する場所なのだと理解せしめた。

「これは酷いニャ…」

「道に死体が幾つもあったぜ。なんで誰も弔ってやらないんだ」

「HELPって空き缶とかホウキで書かれてるのを見付けました。近くにその…倒れてる人も」

「気のせいかな気のせいかな、気のせいじゃないよね。風に乗って銃声も聞こえてきてたよ……」

 仕事半分遊び半分だった戦術人形たちも全員が葬儀めいた顔をし始める。これ以上、窓の外を見ていられないと機内に視線をもどす。それを見てPPKは再び口を開いた。

「今、ニューヨーク、マンハッタン島はこの世の地獄よ」

 今度こそ全員が静粛にPPKに傾注する。

「ハドソン川は渡航禁止、マンハッタンに至る83の橋とトンネルはすべて封鎖。治安レベルは紛争地域なみに低下し日常的に強盗・殺人が起きているわ。その原因を作った致死性のウイルス、通称"ドルインフル"は沈静化の兆しすらみえていないわ」

 一同を見回し、PPKは説明を続ける。

「私たちに与えられた任務は治安の回復よ。ウイルス蔓延で人が死にまくってインフラが壊滅状態に陥って、暴徒やギャングが暴れ回っているニューヨークの治安回復よ。具体的には街を巡回し、市民が困っていれば手助けし、反社会的な連中を見付ければ追っ払い、場合によっては撃ち殺す。そういう任務よ。撃ち殺す相手で多いのは先に貴女たちのSSDに送ったデータにあるクリーナーズ、それにライカーズと呼ばれる連中よ。クリーナーズは消防士や清掃業者だった連中で火炎放射器で武装しているわ。ライカーズは元囚人。刑務所に収監されていた連中が脱走、徒党を組んだって話よ。どちらも正規の軍隊じゃないわ。テロリストでもない。マフィアとかヤクザとか、そういうのと一緒の連中よ。もっとも、見分ける必要は余りないと思うわ。自分か誰かに発砲している連中を見掛けたら殺す。そういう話よ」

 PPKの言葉に全員が頷く。危険な任務だ。敵が誰なのか分からず、また守るべき相手も曖昧としている。

 PPKは一同を見回し、「何か質問は?」と訪ねた。

 C96が肩の高さに挙手する。

「任務の期間は?」

「三週間。場合によっては一週間の延長があるわ。それでも最大、一ヶ月ね」

「現地の協力者はおるんかな?」

 続いたのはガリル。こちらは挙手していない。

「今ニューヨークの治安はJTFって組織が担っているわ。現地警察とか州兵の人とかでできた組織みたい。一応、私たちはそのJTFさんと協力し合って任務に当たる予定よ。あくまで協力だから相手の依頼を断ることもできるわ。でも、私たち第五部隊は友好的な警官役よ。基本的に依頼は断らないわ。向こうの第四部隊はその逆で独自行動優先。そういう決まりよ」

 今回、グリフォンは二部隊をニューヨークに派遣していた。それぞれ五機ずつ。二台のヘリに分かれて移動している。

 他には、とPPKは一同を見回す。

「その…見間違いかも知れないんですけれど…」

 おずおずとm45が申し出てきた。

「さっき、外を見ていたときに…壁、かな。ニューヨークの真ん中にそういうのが見えたんです。ガイドブックにはあんなの載ってなかったと思うんですけど…」

 m45の質問に仲間たちが同調する。「IDWもみたニャ」「なんやろな」

「アレは……」

 戦術人形たちの質問にハキハキと答えていたPPKが急に歯切れの悪い返事をしだす。

「アレは、ダークゾーンよ」

 ダークゾーン? と仲間たちはオウム返しする。

「ドルインフル感染者を隔離しようとした地域…らしいの。詳しいことは私にも知らされてないわ。指揮官もカリーナも教えてくれなかったの」

「ニード・トゥ・ノット・ノウって?」

「ええ、そうよ。絶対に入るな。入ったら最後、私たち戦術人形でも出てこれないという説明だけは受けたわ。ニューヨークの他の区画とは比べものにならないほどウイルス汚染の濃度が酷く、暴徒の数もとんでもないって話よ」

 ぶるり。メンバーの中では比較的気の弱いm45は身体を震わせた。陽気なC96も肝が据わっているガリルも背中に氷柱を突っ込まれたような顔をする。

「ま、まぁ、近づかなければいいんだニャ」

 アハハハと場を和ませようとしてかIDWが笑い声を上げた。もっともソレは引きつった笑いだったが。

「他に質問は?」

 ややあってから再度、PPKはそう訪ねた。誰もそれ以上、手を上げるものはいなかった。

「それじゃあ、最後になるけれど、今回私たちには一時的に"ディヴィジョン"という職位が与えられるわ」

「なになに、なにそれ?」

「米国の国家安全保障大統領指令51号に基づき極秘裏に設立された部隊よ。普段は市民の一員として生活しながらも有事の際には緊急招集され任務に当たる。この職位が与えられることによって我々は治安維持、回復に係るあらゆる行動が許可されるわ。様は邪魔だと思ったら勝手に撃ってもいいって訳よ。一方的にでもね。まぁ、細かいことはどうでもいいわ」

「いや、細かくあらへんやん。なんでアメリカさんにとったら外国人のウチらにそげな大層な権限が与えられるん? あきらかおかしいで」

 ガリルのもっともな疑問に返事をしたのはPPKではなかった。あー、とマズいレーションでも食べたかのような声をあげたC96であった。

「わかったわかった、わかっちゃいましたよ。あっ、分かったから黙っておきます。どう考えても厄ネタですよね」

「だから、G41やんやFALやのうで、四軍、五軍のウチらが駆り出されたってハナシか」

 肩を落とすガリル。彼女ら所属する第五部隊、もう一チームの第四部隊は新兵教育や遠征任務を担当する謂わば予備役に近い部隊だ。逆説、主力ではない。

「……ちょっとちょっとパン屋ちゃん。ええっと、つまりどういうことニャ」

 m45の袖を引っ張り小声で訪ねるIDW。m45は少しだけ困った顔をして「私にもよく分からないんですけれど」と口を開いた。

「たぶん、そのディヴィジョンが機能していない状態なんだと思います。失敗してしまったんだと。でも、それが公に出来ないから成功に見せかけるために、外部から人員を補充したんじゃないかな、と。つまり私たちのことです」

「今まで他人の尻拭いでまともな任務があったかしら子猫ちゃん」

 m45とIDWのヒソヒソ話を聞きつけたPPKがそう口を挟んできた。IDWは「猫じゃないニャ!」と声を荒げたがPPKは無視した。

「兎に角、"細かいことはどうでもいい" いいわね。どうでもいいの精神よ」

 念を押すPPK。全員が雨の中の野営が決定したような顔をした。

「それでこれがそのディヴィジョンの証よ。一人一セットずつ取って頂戴」

 椅子代わりにしていた携帯コンテナを開きそれを隊員の前へ移動させるPPK。中には端末機器と腕時計が入っていた。

「えーっ、男物じゃん。厳つすぎるよ」

 早速、腕時計を取って身につけるC96。「端末もよ」とPPKが叱責する。

「この端末と腕時計はセットよ。私たち"ディヴィジョン"の行動を管理・サポートするAIとのインターフェイスの役割も果たすわ。一部、拠点などの扉はこの端末・SDHテックとSDHテックウォッチがないと開かないわ」

「うわっ、何コレ何コレ何コレ。ものすごいプロテクトかかってる!?」

「コラ、早速ハッキングしようとしない。兎に角、これはなくさないようにしっかり肌身離さず身につけておいて頂戴。借り物で返さなきゃいけないという点も考慮しておいて。噂じゃコレ一セットで代用コア一〇個相当の価格になるそうだから……」

 そこまで説明して、不意にPPKは神妙な面持ちになった。視線が何故か左上に向けられる。通信を受け取っている反応だ。何かあったのだろうか。隊員たちの顔に不安が浮かぶ。

「攻撃されたって、どういうことよ!? アフガニスタンじゃないのよここは! ちょっと、ピンク眼鏡!?」

 第四部隊、リーダ・FNP9からの通信に応えるPPK。顔には激しい焦りが浮かんでいる。何かあったのだ。

「あれ…? あれって……」

 何かを感じ取ったのだろうか。窓の外に目を向けたm45が疑問符を浮かべた。

「あの……」

「PP2000! ガバメント! ああっ、もう誰でもいいから返事しなさいよ!」

「あの…PPKさん……ちょっと」

「なによ、今忙しいの」

「あれって第四部隊の方が乗られてるヘリじゃ」

 m45が窓の外を指さす。全員がそちらに視線を向ける。見えたのは第五部隊が乗機するヘリに迫るもう一台のヘリの姿であった。

「……! 総員、対ショック防御!!」

 その叫び声が機内で聞こえたの最後の言葉であった。

 

 

◇◆◇

 

 

「い、生きてるニャ……」

 ダウンしていたシステムの再起動が完了し、IDWは瓦礫の山から身体を起こした。

 システムログを確認。<<軽微の損傷>> <<メンテナンスの要あり>> <<若干の問題あり>>等の文字が並ぶ。だが、まだ動ける範囲の損傷だ。

 身体を起こし、上を見上げる。部屋の中なのに天井がない。暗い夜空が見える。天井に大穴が開いている。そこから吹雪が流れ込んできている。

 少し考えて思い出した。衝突した瞬間、IDWほか第五部隊の戦術人形たちの多くは機体の外へと放り出されてしまったのだ。断片的な記憶ではあるがIDWは給水タンクにぶち当たり、そこからピンボールよろしく弾き返され、この建物の屋根めがけて落ちたのだ。IDWが落ちてきた建物はビルの屋上部分に違法増築された物置のようで、作りは素人らしくひ弱なものだった。それが功をせいしたようだ。壊れやすい作りがむしろ衝撃吸収の役に立ったようだ。部屋の中に詰め込まれていた各種ガラクタもその手助けになったらしい。

 状況確認もそこそこにIDWは装備品を探す。銃はすぐに見つかったが、戦術人形用の携帯糧食、予備弾薬などは見当たらなかった。代わりに…

「これは?」

 機内でPPKから配られた腕時計、テックウォッチを発見した。なくすな、という厳命を思い出し左腕につける。適当に触っていると、電源が入った。文字盤がオレンジ色に光る。だが…

「あれ?」

 エラー発生という電子音声による警告の後、すぐに光は消えてしまった。

 ただし、一瞬、矢印のようなものが表示された。読み取れたのは仲間という文字であった。

「誰か近くにいるのかニャ…?」

 少しだけ考えるとIDWは装備をまとめて、IDWは外へ出た。すぐに矢印が何を指していたのか理解した。隣接するビルの屋上にヘリが墜落していたのだ。闇夜に溶け出すような黒い煙をあげている。

 ニャ、と濁音付の声をあげるとIDWは駆け出した。仲間がいるかもしれないのだ。

 隣のビルへは一端、地上まで降りて再度上がる、などというまどろっこしいやり方はしなかった。三メートルほどの高さに人一人は通れそうな大きさの窓があるのを見付けた。IDWはビルの壁面を蹴って三角飛びで窓枠に取り付くと銃把でフレームを叩き壊した。

 <<器物破損>> <<不法侵入>>のアラートがシステム表示されたが無視した。

「今は有事ニャぁぁ!」

 階段を駆け上がる。鍵の掛ったドアを戦術人形のパワーでこじ開け、屋上に出る。

「誰かいないかニャ!」

 声を上げる。ヘリは幸い燃えていない。バッテリー駆動だ。漏電、溶液による化学汚染の心配はあるが火災はめったに起きない。そこまで考えてのことかどうかは分からないがIDWは無防備に墜落したヘリへ近づいていく。

「PPK、C96、ガリル、m45、誰かいないのかニャ」

 ヘリの中を覗き込む。誰かの足が見えた。足だけだ。ボディはない。ううっ、とIDWは顔をしかめた。

 と、何か虫の知らせめいたものを感じてIDWはヘリ機内から顔を上げた。虫の知らせではない。通信だ。短いテキストデータが送られてきている。

<<こっちよ。貴女の後ろ>>

 振り返ると果たしてそこにはPPKが倒れていた。

 いや、倒れているという形容は相応しくない。コンクリートの壁にめり込んでいた、が正しい。首はあらぬ方向にひん曲がり、片方の足が太もも付け根からなくなっていた。ヘリ機内に残されていたものだ。

「PPKちゃん!」

 慌てて駆け寄るIDW。だが、PPKはピクリとも動かない。言葉も返さない。

<<サボモーターが軒並みおシャカになってるの。発声インターフェイスもそれでエラーを起こしてるわ>>

 人間からすれば即死しているような有様だが、一応、CPUやSSD等電子的な機能は稼働しているらしい。それでテキスト通信を行っているようだ。

「あわわわ。と、とりあえず応急処置をして、それから」

<<無駄よ>>

 慌てふためくIDWを足蹴にするようなテキスト通信。

<<貴女、現状を正しく把握できていないようね。ここは内側よ。機内で説明したでしょ>>

「うち…がわ?」

 PPKが何を言わんとしているのか、ハッと気がつきIDWは目をこらした。遠くへ。隣のビル、その向こう、更にその先へ。戦術人形の機動力を持ってしても、登ることは不可能な壁が街を区切るように建っていた。

<<ダークゾーン、DZよここは。危険隔離区画。暴徒とウイルスだらけの街。入ったら二度と出てこれないって噂の>>

 PPKの言葉にIDWの顔が絶望に浮かぶ。危険。ウイルス。出られない。二度とネコ缶が食べられないのか。絶望と混乱のあまり、幼稚なことを考えてしまう。

<<冗談じゃないわ>>

 そんな彼女の考えを読んだのだろうか。威圧的なテキストがPPKから送られてくる。

<<なんとしてでも帰るわよ。その為には手段を選んでいられないわ。いいこと猫ちゃん、もうここは敵地のど真ん中だと認識しなさい。そんな場所で動かなくなった人形を抱えて行動するなんて撃って下さいって言っているようなものよ>>

 そう叱咤する言葉を送ってくるPPK。続くテキストは<<だから>>という短いものだった。

<<だから、私の首を切り落としなさい>>

「ふぇつ!?」

 驚きに声を上げるIDW。

「な、なんでだニャ」

<<首だけなら軽いものでしょ。持ち運びできるわ。それで安全が確保できたら今度は頭からSSDを取り出して。バックアップの人格データがあるから、それを復元して>>

 PPKの説明に顔を引きつらせるIDW。いや、PPKの説明が不可能だと思っている訳ではない。PPKの首を切り落として持ち運ぶのは別段、不可能なことではない。合理的でさえある。

 そうしてSSD内に保存されている人格データの復元も不可能ではない。学のないIDWでもその理屈は理解していた。技術的に可能だと。だが、やっているという話は聞いたことがない。

 通常、SSD内の人格データのバックアップは戦術人形が完全破壊された場合、その戦闘ログを確認するためだけに使用されるものだ。復元し、再度、素体にインストールするという事はしない。

 これは彼女たち下級の戦術人形があずかり知らぬ情報ではあるが、一度、戦死した戦術人形の人格データを再利用するのは多数の実例により危険だと判断されているからだ。再利用された人格データは思いもよらぬ不具合を発生させることがあるそうだ。曰く、人形が幻覚を見るようになる。不意に理由もなく混乱したからでもなくフレンドリーファイアを行うようになる。自殺衝動に駆られ、実際に実行する。etcetc……。

 人間に当てはめてみれば当然か。一度死んだ人間を生き返らせているのだ。神話やおとぎ話ではあるまい。死んだ者を生き返らせてもロクな事にはならない。そういう話だ。

 だが、やはり、ソレとは別に倫理的、或いは精神的な側面でIDWは首を切り落とすことを躊躇ったのだ。

<<早くして頂戴。プロトコル走らせ続けるのも結構苦痛なんだから…ああでも、いえ、今は感じてる場合じゃないわね。高周波ナイフがあるわ。それで……>>

 テキスト通信が止まる。どうしたことだ。IDWが疑問を口にするより先に、動けないはずのPPKが動いた。腕を持ち上げ、銃を連射する。

「うニャっ」

 驚きの声を上げこそすれ、今度は迅速な動きをみせるIDW。PPKに倣い装備のサブマシンガンを抜きながら振り返り、構える。銃をゆらすように動かし、照星の先に対象を捉えようとする。だが、IDWが撃つ必要はなかった。

 振り返ったIDWが見たのは、扉から出てきた男が前のめりに倒れる瞬間であったからだ。

 男は覆面姿で手に銃を持っていた。そんな男が走りながら扉から飛び出してきたのだ。明らかに怪しい男。暴徒に違いなかった。

「銃声が聞こえたぞ!」「やっぱり上だ!」「行くぞ!!」

 何処からか荒々しい言葉が聞こえてくる。激しい足音も。一つや二つではない。暴徒の集団がこの屋上目指してやって来ているのだ。

<<早く…して、頂戴。今ので…電力が…>>

 PPKから送られてくるテキストが断片的なものになる。IDWは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。だが、躊躇っている暇はなかった。PPKが持っていた硬化セラミックスのナイフを抜く。闇に溶け込むような黒いつや消しのナイフ。PPKの身体を床に横たえると頸椎にナイフを突き立てた。人工筋肉や金属骨格、神経網のような極細配線、衝撃吸収用の高粘度有機ジェルを切り裂いていく。血のように赤い電解質の溶液があふれ出す。

「ううっ、ううっ、ううっ」

 IDWの手は震えている。寒さのせいか、それとも。飛び散った溶液のせいでナイフが滑る。光ファイバーやシリアルATAケーブルを切断する。その度にPPKの身体は痙攣を起こす。ガチン、ガチンと時折、刃先が固い者に触れる。人工骨格のフレーム。溶接箇所か駆動部分に刃を通さないと切れない。何度も突き刺し位置を変えて、IDWはPPKの首を切り落とそうと尽力する。

 そうして……

「見ろよ、ヘリが落ちてるぜ。こりゃスゲぇ」

 五分後、屋上に四人組の暴徒たちがやって来た。先に来ていた男の亡骸などには目もくれない。仲間ではないのだろうか。いや、この街で一匹狼は生き残ってはいけない。間違いなくPPKに撃ち殺された彼は遅れてやって来た連中の仲間だったのだ。まだ身体が温かく、鉄砲が撃てて、仲間の盾になれる状況であったのなら。冷たくなった今、彼は壁の落書きやゴミ、そして多くの遺棄されたままの遺体と同じくただの日常の風景と化したのだ。

「こっちには、うへぇ、女の子の首なし死体が落ちてるぜ。エグいな」

「んなもんより食料か武器だ。このヘリ、どう見ても軍用じゃねぇか。きっとスゲぇ武器とか落ちてるぜ。ガドリングガンとかミサイルランチャーとかよ」

「そんなもん持ち運べるかよ。おっ、見ろよチョコバーだぜ。甘いものとか何ヶ月ぶりだよ」

 墜落したヘリの物資を漁る悪漢たち。

 余談ではあるが彼らの多くは数日後、死亡した。原因は重度の下痢と嘔吐による体力低下からの衰弱死だ。戦術人形用のレーションは彼女たち用に超高カロリーの食品となっている。人間の胃は受け付けられないのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 それが一週間前の話。

 PPKの首を抱えたままIDWは壁に囲まれた街をさまよい歩き、何度かの暴徒からの襲撃から逃れ、やっと落ち着ける場所に辿り着くことが出来た。一階部分がバリケードで完全に封鎖されたマンションだ。中に入るには隣の建物から飛び移るしかない。人間にはなかなか難しいだろう。

 そこを拠点にIDWは仲間を探し、ダークゾーン内を歩き回った。

 ガリルを見付けたのが四日前。地下の超重度汚染区画に隠れていた。だが、脱出の際にしんがりを務めていたガリルが負傷。地下道を爆破し、道を塞ぐことでなんとか撤退は出来たがガリルは機能停止に陥ってしまった。PPKと同じようにIDWは泣きながらガリルの首を切り落とし、拠点へと帰還した。

 そうして今日、道に無造作に遺棄されていた死体の山からm45を発見した。パン屋ちゃんとIDWが愛称で呼ぶ彼女は乱暴されていた。性的な意味でだ。当然ながら負傷していようと人間の男が戦術人形を強姦することは出来ない。大人と子供よりもパワーに差があるのだ。仮に背後から不意を突かれ組み伏せられても次の瞬間、男の股間を蹴り潰すだろう。そうならなかったのは、m45が既に機能停止していたからだ。死体となった人形を相手に乱暴を働いた男がいるのだ。その事実に怖気、嫌悪、恐怖、そうして拳を振わせるほどの怒りをIDWは覚えた。

「地獄ニャ。ここは地獄ニャ」

 一刻も早く、ここから脱出しよう。m45の頭部を解体し、SSDを抜き取りながらぼやく。この街の寒さも、暴徒たちの狂気も、己が行っていることのおぞましさも何もかもが嫌だった。

「ただいまー無事戻りましたー」

「にょあぁぁぁ!?」

 驚き、ナイフの刃を滑らせ、危うく自分の手を捌きかけるIDW。硬化セラミックスは戦術人形の皮膚を容易く切り裂く。

「ししし、静かにするニャ!!」

 ビークワイエット、と大きな声で叫ぶIDW。それを物資不足で仕方なく作られた焙煎麦コーヒーでも飲んだような顔で見つめたのはC96だった。

「うるさくてさわがしくてかしましいのはIDWでしょ」

「うっ、わかってるニャ。でも、脅かせないで欲しいニャ」

 C96とは運良く合流でき、この隠れ家まで連れてくることが出来た。ただし、C96は五体満足ではなかった。ヘリ墜落の際に左腕を失っていた。今は切断面をマンションの中で入手したダクトテープでミイラのように覆っていた。

「それよりそれよりそれよりもビッグニュース、ビッグニュースだよ!!」

 またも大きな声を上げるC96。対抗するようIDWも大声を上げかけたる。だが、唇に立てた人差し指を当てて『静かに』という意味の万国共通のジェスチャーをする。

「それで、どうしたニャ」

「やっと出口を見付けたんです」

 またも意識せず大声を上げそうになって慌てて口を押さえるIDW。やや興奮気味のC96もそれに倣う。

「出口って…本当かニャ」

「ホントもホント、マジマジ」

 極力声を抑えて会話する二人。この辺りを徘徊する暴徒やクリーナーズ、ライカーズは非常に耳ざとい。まるでハイエナのように僅かな銃声や人の声、足音を聞きつけどこからともなく現れる。二人が拠点にしている部屋も防音と光源対策にカーテンを引きその上から更にダクトテープを張り巡らせてあった。

「ちょっとテーブルの上、片付けて。あっ、m45さん、見つかったんだ」

「……うん、そうニャ」

 乱暴されていたことはIDWは黙っておくことにした。

 テーブルの上からm45の頭蓋をどけ、ベッドの上に置く。そこには先に二つの頭があった。PPKとガリルのもの。二人の頭部からはSSDを既に抜き取っているので頭蓋骨は不要ではあった。だがIDWたちは捨てることは出来ずにいた。床の隅にほうっぽりだすこともできず、こうしてベッドの上に並べ置いている。結果、IDWたちは休息を取る際は床で寝る羽目になってしまったが。

「ええっとええっとね、ここ、ここ」

 片付け終えたテーブルの上に地図を広げるC96。街の雑貨店だった場所からもらってきたものだ。店主らしき死体に一言断ってきたから問題ない、とC96は言う。

 広げられた地図にはC96による手書きの注釈が多数、加えられていた。IDWが仲間の捜索、および仲間が行動不能の場合は人格データの回収を行っている最中、C96は周辺状況の確認、情報収集、そして脱出経路の探索を行っていたのだ。これはハンドガンであるC96の方が情報処理に秀でていることもさることながら物理的な理由も存在した。仲間の首を切り落とし、持ち帰るには腕が二本あった方が何かと不便ではないからだ。

「コリアンストリートからまっすぐ行ったところ。この辺り」

 ダークゾーンの壁を表す太い線の上にマルを付けるC96。

「ここで人が出入りしているのを見たって話を聞いたんです」

「聞いたって…誰にニャ?」

 ダークゾーン内に墜落してから街の住人とはついぞまともなコミュニケーションが図れた試しはなかった。この街の基本言語は怒声で、そこに銃声が混じる。対話はほぼ不可能で、出会い頭にすることと言えば銃撃だ。

「ええっと……死にかけてた人がいたので、ちょっと、そこまで連れて行ってあげるからって言って」

 そうして、その話を聞いた人物がいないのはそういう事なのだろう。IDWは頭を抱えたが、何も言わなかった。この街に来てから自分も何人も人を殺してきているからだ。

「その人が言うには出入りしてたのはヘンテコリンな光る腕時計をしてたそうなんです」

「それって……」

 墜落してからこのかた付けっぱなしのテックウォッチに視線を向ける。

「これがあれば脱出できるって話かニャ」

 二人の手元にウォッチはIDWのもの一つしかない。C96がヘリ機内で颯爽と身につけていたものは彼女と腕と共に何処かに失われてしまった。

「わかんないです!」

 IDWの質問に、けれどC96は満面の笑みでもって応えた。ガクリ。肩を落としうな垂れるIDW。

 いや、実際のところそうだ。二人はまともな情報も与えられるままこのダークゾーンに放り出されたのだ。

「とにかくとにかく、兎に角ですね、ここまで行けば光明が見えるって算段です」

 トントンと丸を付けた箇所を指で叩くC96。俯いていたIDWは顔を上げた。その表情は優れないものだったが、すぐに破顔した。光明、外に出られる、この地獄からの脱出。それだけで気分が高揚した。けれど、IDWは逸る気持ちを抑えた。ここで準備を怠り、無防備に飛び出しても失敗するだけだ。

「明日の夜に出発するニャ」

「そうですね。もう今日は疲れました……」

 ふぁぁぁ、とC96は生あくびを漏らす。IDWも眠そうにまぶたをこする。

「でも、やっとここから出られる」

 ニャ、というIDWの特徴的な語尾は窓ガラスが破砕する音でかき消された。何かが窓から投げ込まれたのだ。それは手榴弾だった。立て続けに割れた窓から吹き込む冷気を伴って手榴弾が二個、三個と投げ込まれる。伏せるニャ、などとは言えなかった。SMGとして反射神経に秀でるIDWとて、その場から飛び退くのが精一杯だった。今夜まで静かだったIDWたちの臨時拠点に耳をつんざく大轟音が響き渡った。

「耳が…キーンってする、ニャ」

 投げ込まれたのは破片手榴弾だけでなかったようだ。強烈な音と閃光を放つフラッシュバン、そして激しく燃焼する燐を使用した黄燐手榴弾であったようだ。

 身体を起こしたIDWが見たのは燃え上がるカーテンや壁紙、消し炭となった地図……そうして、糸の切れた人形のような格好でベッドにもたれ掛かるC96の姿であった。

「だ、大丈夫かニャ」

 ふらつく頭を押さえながら、C96に駆け寄る。抱き起こしたC96はまるで丘に打ち上げられた鯉のように口をパクパク開閉させていた。その顔は半分が崩れていた。爆発をもろに浴びたせいだろう。

「あ、あああ…」

「しっ、しっかりするニャ!」

 今にも強制シャットダウンしそうになっているC96を励ますIDW。だが、はたしてその声は届いているのか。耳…集音器の半分は爆発で完全に破壊されてしまっていた。

「い、や…だ、いやだいやだ…死にたくない、死にたくないよ。助けて……」

 ノイズ混じりに「助けて」「助けて」「助けて」と繰り返すC96。機能不全に陥った手がIDWの袖を掴もうとする。その手に指は二本、薬指と小指しか残されていなかった。むき身の配線が火花を散らしていた。

「ううっ、うううっ」

 泣きそうな顔で半死半生のC96を見つめるIDW。C96も見つめ返してくる。恐怖、絶望、驚愕、嘆き。様々な感情が入り交じった瞳。血の涙を流し、生への渇望を訴えている。

 だが、IDWにその願いを聞き届けることは出来ない。C96の命は、コンデンサに残った僅かな電力はあと何秒持つ。これだけの重傷を治せる設備が近隣にあるのか。ほぼ身体を動かすことが出来ぬC96を抱えて紛争地域も斯くやの危険地帯であるニューヨークを移動できるのか。或いは奇跡のように仲間が助けに来るのか。

 ありえない。ありえない。ありえない。どれもあり得ず、不可能であった。

 急かすよう外から大穴が開いた窓枠目掛け銃弾が浴びせかけられる。暴徒たちにこの隠れ家の存在が露見してしまったのだ。

 もはや、残された手は一つしかなかった。

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 吠えるように叫び、IDWはナイフを抜いた。光を反射させぬ黒塗りの切っ先を半壊したC96の頭部に突き立てる。

「ぎゃっ!? や、やめ……!!」

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 もう四個目だ。どこに突き刺せばいいか十分に理解していた。頭蓋骨/金属フレームを砕き、大穴をあける。その最中、ついに硬化セラミックス製のナイフは砕けた。構わず雄叫びを上げ、頭蓋骨を砕く。

「……! ……!」

 もはや謝罪の言葉すら出てこない。激しくなる銃声をBGMにIDWは狂った作業を続ける。

 そうして、なんとかC96の人格データが収められたSDDは抜き取ることができた。

 他の三人のデータを収めてあるサイドポーチにC96の分も入れる。これでついに第五部隊の生き残りはIDWだけとなった。つまり、彼女の機能停止が完全なる第五部隊の機能停止と同義になった。

「行くニャ、行くニャ。行くニャ!。絶対に、絶対に脱出してみせるニャ!!」

 叫び、IDWは拠点から飛び出した。「あっちに逃げたぞ」「追え、追え」と暴徒たちの叫びが夜の街にこだまする。

 

 

◇◆◇

 

 

「うあぁぁぁぁ!!」

 叫び声を上げてコンクリート製のブロックにスライディング。身体がその横を通り過ぎる刹那、ブロックを掴み円心の動きでもってその後ろに隠れる。ブロックに背中を押しつけると狙いも定めず、腕だけを影からだしてトリガーを引いた。「ぎゃっ!?」「撃たれた!!」「畜生!!!」まるで狙いのない乱射であったがIDWを追う暴徒の数人に弾は命中したようだ。体感ではあるが僅かに暴徒たちの進軍が緩んだ気がした。そのタイミングを狙ってIDWは次の遮蔽物めざし、全速力で走る。暴徒たちの放った銃弾が身体を掠める。否。何発かが背中に命中する。人に比べれば戦術人形の身体は頑強ではあるが、それでも銃弾を受けて無事では済まない。前のめりに倒れそうになる。それを必死にこらえて、打ち捨てられた車の下に滑り込む。そこへ雨あられと銃弾が浴びせかけられる。

「クソっ、油虫みたいに湧いて出るニャ」

 逃走の最中、確かにIDWは暴徒の数名を行動不能にした。明らかにヘッドショットと思わしき必殺の一撃をたたき込んだ相手もいた。だが、追跡の手は緩まず、またその人員も減るどころか増え続けている。銃声に導かれるよう、周辺の暴徒たちが集まってきているのだ。「あり得ないニャ」とIDWは自分の常識に則って驚愕する。

 普通、銃声や叫び声、明らかな戦闘の音が聞こえた場合、人は隠れるかそこから距離を取るものだ。訓練された兵隊や戦闘用コアを挿入された戦術人形でもおいそれと戦闘区域には近づかない。

 だが、ダークゾーンの暴徒やクリーナーズ、ライカーズは違った。一度、大きな音を耳にすれば夜の灯りに集まる蛾のようにあちらこちらから戦闘区域に集まってくるのだ。異常、異常だ。その異常さにIDWは恐怖する。やはり地獄だ。ここは地獄だ。早く逃げ出したい、早く脱出したいと残り一になった弾倉を交換する。

 呼吸を整え、激しい駆動で要冷却温度まで上昇してしまった体内循環溶液をクールダウンさせる。冬のニューヨークの冷たい外気に今回ばかりは助けられた。三つ数えて、身体が落ち着いたところで車の影から飛び出した。

 飛び出したIDWの身のこなしは俊敏なネコのソレだった。その影を追いかけ、豪雨じみた暴力が浴びせかけられる。銃弾がアスファルトの地面を穿ち、車のボディに無数の穴を開け、土嚢を爆ぜさせ、IDWの身体に強烈な衝撃を与える。

「痛ッ!?」

 左腰から右肩にかけて撫でる様な連打を受けるIDW。暴徒が出鱈目に乱射していた拳銃の軌跡ではなかった。倒れざまに自分を撃った敵の姿を確認する。カラシニコフらしき銃身が見えた。この街の暴徒は突撃銃なんてものを所持しているのか。しかも民間用のスリーバーストモデルでさえない。受け身さえ取れず、雪がうっすら積もり地面に顔面から突っ伏す。

「ううぐぐぅ…」

 すぐに身体を起こす。だが、身体機能を管理するOSのログはオレンジやレッドのアラートで一杯だった。要約すれば<<早急に修復が必要>>ということ。言われなくても分かっていることだった。

「うわぁぁぁぁ、死に晒せニャラァァッ!!」

 身体を起こしざまに銃をカラシニコフ持ち目掛けて攻撃する。だが、アサルトライフルを持った相手はIDWの反撃を受けるより先に柱の陰へと逃げ込んだ。そうして、IDWが銃を引き駆け出した瞬間、相手は撃ち返してきた。相当の手練れ。身体に更に数発の弾丸を浴びながら道のど真ん中に鎮座しているコンテナの影に隠れる。

「くそったれニャ」

 予備弾倉ゼロ。最後の一つを交換し、軽くなってしまったポーチに不安を覚える。

 コンテナには間断なく銃撃が浴びせられている。集中砲火。顔を出し、威圧射撃を行う隙さえない。いや、焦りは禁物だ。コンテナに命中した銃弾が瞬かせる火花に目を覆いながらもIDWは機会を待つ。

「死ねやオラァァァァ!!」

 その集中が危機を招いた。逆側から暴徒が近寄ってきていたのだ。ゴルフクラブを携えた鉄砲玉めいた男。クラブの柄はひん曲がり、先端のアイアンは血で汚れていた。拙いニャと身体を反転させる間もなくIDWは頭部に手痛い一撃を受けた。膝が折れる。倒れそうになる。

「死ぬのは手前だニャ!!」

 否、倒れたのはゴルフクラブだった。

 折れそうになる膝をこらえ、IDWは出鱈目に銃を乱射した。何発かがゴルフクラブの太ももや膝を穿った。IDWにもたれ掛かるように倒れるゴルフクラブ。IDWはその身体を支えると銃を押しつけトリガーを引いた。腕の中でゴルフクラブの身体が撥ねる。全弾を撃ち尽くし、ゴルフクラブの身体を押しのける。接射による銃弾のミキサーにかけられたゴルフクラブの内臓が飛び出す。暖かな腸がニューヨークの夜気に湯気を立てる。

「ハァハァ…クソッ、ニャっ」

 荒い息をつき、自分の早まった行動に悪態をつく。残弾ゼロ。ナイフは折れ、武器は最早なかった。どうすると周囲に目配せする。目に付いたのは今し方、殺した男が握っていたゴルフクラブだ。そんなもの何の役に立つのだ。だが、ないよりマシだ。IDWはそれを拾い上げると物陰から飛び出した。

「撃て撃て撃て!」

 駆けるIDWに銃弾が驟雨の如く撃ち付けられる。命中の度に身体が傅く。激痛に顔をしかめる。機能障害のアラートが鳴り響く。ネコ耳のように尖らせていたヘアースタイルが銃弾に穿たれる。黄色の毛が雪に交じって散る。それでもIDWは脇目も振らず走り続ける。

「もう…すこし、ニャ」

 アラートで真っ赤になった視界の先、そびえ立つ黒い壁に一つ扉があった。C96が伝えてくれたダークゾーンの『出入り口』らしき扉。弾はなく、味方は全滅、助けが来る望みもない。助かる道はそこへ辿り着くことだけだった。

「逃がさねぇぞ!!」

 IDWの進行を妨げようと暴徒が一人、飛び出してきた。暴徒が銃を構えてくる。まるで様になっていないいい加減な構え方。ウイルスによるパンデミック以前は銃など握ったこともなかったのだろう。だが、それでも、素人が撃った銃でも当たるときは当たる。IDWと暴徒の距離が近かったのも要因だ。暴徒が放った銃弾はIDWの左肩に命中した。火花が散り、IDWの身体が風にあおられた花のように揺れた。撃たれた腕はあり得ない方向までねじ曲がってしまった。そして、そのまま糸が切れたように身体にぶら下がっているだけの状態になってしまう。銃弾がちょうど、内部装甲が弱い箇所に命中したのだ。サーボモーターが破壊され、ケーブル類も断線する。自分がIDWに強烈な一撃を与えたことに暴徒がほくそ笑んだ。

「舐めるニャァ!!」

 その脳天にIDWはゴルフクラブを振り下ろす。全力でだ。戦闘用にリミッターを外された人形のパワーを前に人間の頭部強度などフルーツのソレだ。ザクロのように頭蓋をかち割られ、脳漿をまき散らす暴徒。下顎にゴルフクラブのアイアン部分がすっぽり収まる。ホールインワン。クラブから手を離し、倒れゆく暴徒の脇をすり抜ける。

「あと、すこし…ニャっ」

 残り10メートル。ゴルゴダの丘へ至るような長い距離。

「つぁぁぁ…!?」

 残り5メートル。鋳薔薇の野を歩く苦行。

「追い詰めたぞ!! 殺せ殺せ殺せ!!」

 残り1メートル。七人の天使の祝福のラッパの音が聞こえる。

 そうして、

「ついた…ニャ」

 扉に体当たりするIDE。けれど、その痛みは銃撃に比べればさほどで、ついに逃げ切れたという安堵の前にはかき消される衝撃だった。

「脱出成功ニャ!」

 ドアノブらしきものは見当たらず、IDWは扉を押した。だが、扉はびくともしない。戦術人形のパワーでもっても軋みさえ起こさない。引き戸か、と凹凸に指をかけるが開かない。泣きそうにIDWは顔をしかめる。壁や扉に撃ちつけられる銃弾が焦りに拍車をかけさせる。

「なんで、開かないニャっ!?」

 何処かに開閉スイッチか何かがあるのか。焦りを押し殺し扉を観察する。だが、それらしきものはない。扉の中央に光学式の読み取り装置があるが、一体、なんのリーダーなのか見当も付かない。いや。そうではない。扉に走らせていた視線が自分の腕に止まる。腕時計型端末。SDHテックウォッチ。ヘリ機内でPPKが説明していた言葉、『一部、拠点などの扉は――』

「これニャ!」

 テックウォッチを扉中央の装置に近づけるIDW。

 けれど、それでも何も起らなかった。開閉を知らせる電子音も、気圧差によるプシューッという音も、油圧でシリンダーが動く音も、聞こえない。

「どうして、どうしてニャ!?」

 ウォッチのボタンを出鱈目に押したり、何度も何度も読み取り機に近づけたりするが反応はない。

「ねぇ、開けてよ。開けてよ。ねぇったら! わ、私は敵じゃないニャ! ここに迷い込んだだけニャ! お願いだから、ねぇ、ねぇ!!」

 テックウォッチではこの扉は開けられない。

 それを悟ったのか、IDWは大声を上げ、扉を叩き、懇願する。けれど、扉は沈黙を守ったままだ。開く気配は微塵もなかった。

 と、

「……ニャ?」

 IDWは自分を狙い鳴り響き続いていた銃声がピタリと止んでいる事に気がついた。次いで何者かの気配も。恐る恐る振り返る。へっへっへ、という下衆な笑い声。自分を取り囲むよう暴徒たちが集まっていた。誰も銃を構えていない。ただ、テーブルの上にドンと置かれたTボーンステーキの山でも見るように舌なめずりをしている。

「よ、寄るニャ!!」

 IDWは叫び、銃を抜いた。だが、誰も後ずさったり、背中を向けたり、物陰に飛び込んだりはしなかった。暴徒たちは理解しているのだ。IDWの銃が弾切れを起こしていて、今や文鎮にしかならないことを。

「近寄るニャって言ってるニャ。撃つぞ、本当に撃つぞ!!」

 銃口を右に左に、一歩ずつにじり寄ってくる暴徒に向ける。けれど、その穴はただの節穴で何の抑止力も持っていなかった。

 なんなのだ、コイツらは。なんなのだ。なんなのだ。なんなのだコイツらは。どうして自分を付け狙う。どうして攻撃してくる。どうして仲間が何人も死んでいるのに逃げ出さない。どうして。どうして。

 暴徒たちの狂気に気圧され、呑まれ、IDWは自我を失いつつあった。極限のストレス。身体のダメージがそれに拍車をかける。

「ううっ、ううっ、ああああああ」

 仲間の姿がフラッシュバックする。糸が切れた人形のようなPPK。背中から大穴を開けられたガリル。死んでから汚されていたm45。顔半分を吹っ飛ばされたC96。仲間の死に顔がフラッシュバックする。自分もそうなるのだと実感し、絶望し、諦め、IDWは、

「あ、ああああああ…」

 構えていた銃を下げた。

 

 

 

 

 

 

<<通信障害発生>>

<<近接通信のみ有効になります>>

<<通知。電源供給が中止されます>>

<<バックアップを起動。システムを再起動>>

 

<<ダークゾーンに侵入>>

 

 

 

 

 絶望の深淵へと落ち込んでいたためIDWは自分の肩に力強い手が触れるまで気がつかなかった。後ろ向きに引っ張られる。どうやっても開かなかったダークゾーン出入り口の扉が開いており、そこに投げ込まれる格好になる。

 その瞬間、IDWは見た。オレンジ色に輝く腕時計を。

 丁度、昇ってきた朝日の眩しさで腕時計をした誰かの姿はおぼろげにしか分からなかった。しかし、彼、或いは彼女が戦っているのは分かった。IDWに襲いかかってきた暴徒を、街の治安を脅かす悪を、手にした銃で瞬く間に仕留めていく。

 それがIDWが初めて目にした本物のディヴィジョンだった。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「いやぁ、しかし驚いたよ。人形のエージェントなんてのもいるんだな」

「ニャ、ニャははは。そうニャ」

 ドール技師に暴徒に身体の具合を見て貰いながらIDWは笑い声を上げた。誤魔化しのための引きつった笑いだったが、それでも狂気から滲み出た笑いなどよりはマシなものだった。

 ここはニューヨークの各所に臨時に設けられたセーフハウス。怪我をした市民や復興作業に当たっているJTF、ディヴィジョンエージェントが利用する一種の拠点。そうして、ダークゾーンの外側だ。

 あれからダークゾーンを命からがら脱出したIDWはDZ検問所のJTF職員から話を聞き、パンデミック前は病院として使用されていたこのセーフハウスまでやって来たのだ。

 その道中も決して安全なものではなかったが、なんとか満身創痍のIDWはここまで辿り着くことが出来た。そうして運良く、このセーフハウスを訪れていた人形技師に自分の身体を診て貰っているところだ。

「よし、これでどうだい?」

「おおっ、動くニャ!!」

 技師に直して貰った左腕の具合を確かめるIDW。手を開いたり閉じたりする。2、3fpsラグがあるように感じられるが現地修復では贅沢も言っていられない。身体があるだけマシだ。

「お仲間の方はすまねぇ。ユーラシアと違ってこっちの方はあんまり人形は流行ってねぇんだ。パーツぐらいならあるんだが……」

 肩を落とすIDW。自分の身体は直ったが仲間の蘇生は難しそうだ。現在のニューヨークは人間用の物資でさえ不足している状況だ。その人間のサポートを行う人形など二の次、三の次だろう。

「うーん、サックス・フィフス・アベニューとなりのショップなら…あるかもしれねぇな」

 ええっ、と顔を輝かせるIDW。

「それって何処ニャ!?」

「五番街だから、イエローキャブでも捕まえれば15分で……いや、今は歩いて行くしかねぇか。兎に角、北だ。何事もなきゃ30分も歩けばたどり着ける」

 だた、と人形技師は言葉を句切った。

「ここから2ブロックほど進んだところはライカーズの本拠地があるらしく、マスクマンがうじゃうじゃしてやがる。その先、国連本部ビルらへんはLMBって名前の軍隊もどきが支配してる。安全に行くのは無理だ」

 ハッキリと断言する技師。いや、事実なのだろう。今やニューヨークはこの世の地獄で銃声が聞こえない日はない。

「いくらダークゾーン帰りのアンタでも、難しいだろうな」

「ニャははは、そんな危なっかしい場所、行かないニャ」

 もとよりバックアップ復元などは専用設備と高い技術力を持った人形技師の存在が必要不可欠だ。グリフィン本部に戻るしかPPKたちを生き返らせる術はない。

 IDWが笑い声を上げたことでこの話題はもう打ち切りだと技師は感じたらしい。「そういえば」と話を変える。

「アンタ、ダークゾーン帰りならアレを見たんじゃないのか?」

「アレ? 何ニャ?」

 ダークゾーン内は余りに危険で息つく暇もなかった。観光などとてもではないが出来る状況ではなかった。

「アレだよアレ。ヨーカイ。ニホンのモンスター。何でも火車っていうネコのモンスターが出るらしい。死体を漁って持ってっちまうらしい」

 ジーザス、と身体をわざとらしく震わせる技師。そうしてHAHAHAとアメリカ人男性らしく大声で笑い始めた。

「何だよネコのモンスターって。せめてジャガーかピューマだろ。それともニホンじゃネコが危険な生き物なのか」

 笑い続ける技師。だが、IDWはとても笑える状況ではなかった。まさか自分が、仲間の人格データを回収していた自分が妖怪に間違えられていたとは。或いは暴徒に執拗に狙われていたのはその噂のせいだったかもしれない。

「そういや、アンタ、ネコっぽい髪型をしてるな。まさか…?」

「あはははは、あははははニャ」

 IDWはひとしきり笑った後、ガクリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<接近中のエージェントを確認>>

 

 

 

 

「ニャ?」

 セーフハウスで新調して貰ったSHDテックが電子音声で警告を告げてくる。テックウォッチも反応を示す。コンパスのようなリングが発生し、病院の入り口に矢印を向ける。

 院内には数名、正規のディヴィジョンエージェントがいた。彼らのSHDテックも反応を示している。エージェントたち全員が入り口に視線を向けた。IDWもそれに倣う。入ってきたのは二人の女性だった。

 否。

 人形――戦術人形だった。

「HK416、それにG11…?」

 グリフィンの戦術人形。しかも、特別部隊・404小隊所属の人形だ。

 IDW所属の第五部隊、未だ行方不明のままの第四部隊とは比べものにならない高練度、高性能の人形。同じく高練度・高性能の人形チームである第一、第二部隊とは別行動を取っている事が多い。IDWの様な下っ端は噂程度でしか知らないが、表に出せない秘密作戦に従事しているという。そんな彼女たちがどうしてニューヨークに?

 IDWは仲間が来たという安堵は余り感じなかった。それよりも疑問、そして、大きな危機感を憶えた。その直感は正しかった。

 416はIDWの姿を認めると病気に罹っている捨て猫でも見たような目をした。つまり嫌悪の目を。そうして、ワンアクションで銃を構えると躊躇いなくトリガーを引いた。

 耳をつんざく激しい銃声。高速射出された5.56mm×45NATO弾は瞬きより早く院内を突っ切る。

 だが…

「ちっ、ネコはやっぱりすばしっこい!」

 弾丸が穿ったのはベッドと医療機器だけだった。直感的にIDWは近くにいた技師の身体を押さえるとベッドの下に潜り込んだのだ。

 続く対応も迅速であった。

「口を大きく開けるニャ!!」

 無理矢理技師の顎を押さえて口を開かせるIDW。余りにつよく押さえてしまったため技師の歯が一本折れる。だが、構っている暇はない。銃声に続いて今度はポンという少々マヌケな音が聞こえてきた。そうして、次の瞬間、耳に届いたのは鼓膜を破壊する大爆発であった。院内の椅子やテーブルが吹き飛び、蛍光灯が破砕され、未だ何が起ったのか理解出来ていなかったJTFスタッフや一般市民が爆発をモロに浴びた。416が殺傷榴弾を発射したのだ。

「最後の一呼吸は……もう済んじゃったか」

 銃を下ろし、小さくため息を漏らす416。粉塵が舞い上がり、院内の有視界は殆どないが、動いているものは絶無だった。

「あぶない416っ!」

 と、G11が416の腕を引いた。次の瞬間、416の身体があった位置を銃弾が撫でた。

「アイ・ディ・ダブリュー!!」

 粉塵の中から身体を起こし、IDWが銃を構えていた。負傷はしているが行動に制限はないようだった。そのまま壁に隠れた416目掛け制圧射撃を続ける。

「回避だけが取り柄のサブマシンガンが私と撃ち合おうっていうの。いいわ、相手になってあげるわ」

「わーっ、駄目だって416」

 飛び出そうとした416の袖をもう一度引っ張るG11。それが功をせいした。IDWのもの以外に火砲が一つ、二つと加わる。ディヴィジョンエージェントだ。彼らもIDWと同じく危険を察し、物陰に隠れたり伏せたりするなどして榴弾のダメージを最小限に抑えていたのだ。そして、反撃に転じたのだ。

「このッ…人間のくせに!」

 SHDテックを起動させる416。ディヴィジョンスキル。偵察用電磁パルスが広がり、範囲内の動いている物体の位置を精査する。

 と、一人、仲間の制圧射撃の援護を受け、突撃してくるエージェントの動きを把握した。

 突き出してきたショットガンの切っ先を自分が持つアサルトライフルの銃身で逸らす416。構わずショットガンエージェントはトリガーを絞った。G11がもたれ掛かっていた壁のすぐ側に大穴が開く。その反動で出来た隙を狙って416はエージェントに肉薄。銃床を振り上げ、強烈な一撃をショットガンエージェントの顎に見舞う。のけぞるエージェントの身体。更にもう一歩、足を踏み出し416はショットガンエージェントの身体を抱きかかえた。彼の身体を盾にし、院内に突入。仲間を撃ってしまうと一瞬の躊躇いを見せてしまったエージェントたち。そこに416が正確無比な射撃をたたき込んでいく。遅まきながら反撃に応じるエージェントたち。だが、416の前には分厚い肉の壁があった。

 その肉の壁、ショットガンエージェントが目を見開いた。血走った目。苦悶にゆがむ表情。だが、それよりも416に対する強烈な怒りがあった。他のエージェントと応戦し合っている416に気付かれないよう、ショットガンエージェントはサイドアームに腕を伸ばした。大口径のハンドガン。戦術人形の内部装甲でも破壊可能だ。それを……

「だーかーらーもう!」

 先にショットガンの眉間を撃ち抜くG11。自分が危なかったのだと気がつき、一瞬、416は足を止めた。押さえていたショットガンの身体が崩れ落ちる。

 刹那の判断で416は物陰に飛び込む。その残像を複数の銃弾が通り過ぎていく。

「G11、援護して。邪魔っ気な人間を片付けるわよ」

「えーっ、無理。さっきのヘッドショットで気力を使い果たした」

 馬鹿なことを言うんじゃないわよ、と416が銃声に負けない怒鳴り声を上げる。

「それに時計、腕時計見て!!」

「時計?」

 言われて416は自分が身につけているSHDテックウォッチを確認する。アラートが表示されていた。

<<警告、現在ディビジョンに対して敵対行動を取っています>>

<<あなたはローグに認定されました>>

 ローグ。裏切り者。離反者。優先的処罰の対象。討伐者には報償が出る。つまり、多くのディヴィジョンエージェントに命を狙われる状況になってしまったということだ。

 続いて偵察用パルスの効果が切れる。こうなればまた霧の中で撃ち合うような状態だ。

「……チッ」

 盛大な舌打ち。屈辱と怒りで416は奥歯を砕きそうなほど強く噛み締める。

「撤退するわよG11」

 416の言葉に「やったー」とG11は両手を挙げて喜んでみせる。

「援護して」

 が、続く言葉で閉店シャッターのように両手を下ろした。

「3…2…1、行くわよ!」

 416は銃を出鱈目に乱射し威嚇を行ってから物陰から飛び出す。呼応するよう柱の後ろに隠れていたG11が文句を言いながらも半身をさらけ出してきた。後方に下がる416のため援護射撃を行う。飛び出した416の背中を撃とうとしたエージェントに真新しい穴を三つこしらえる。それ以外の相手にも頭を上げさせないよう、モンスターじみたエイムをみせつける。

「退避完了」

 姿勢を低く自分の影を残すような速度で416が滑り込んできた。援護射撃を行っていたG11の背中を叩く。合図。G11は片手でライフルを構え残りの弾を撃ち尽くす勢いでトリガーを引いた。そうして逆の手でエージェント装備の一つとして受け取った武器、吸着式爆弾の発射装置を構えた。病院の奥の壁を狙い爆弾を発射する。百戦錬磨のエージェントたちは自分たちが今いる位置まで爆風が届くことを瞬時に悟る。全員が安全地帯へと飛び出していく。混乱と生存への尽力。それがG11の狙いだった。吸着爆弾でエージェントたちを仕留めることは出来ないだろうが、自分たちへの攻撃を邪魔することは出来る。

 二人は吸着爆弾の爆発音を背に、病院から脱出した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「こちら416。……失敗したわ。ターゲット・ツナマグロを逃がした。オーバー」

 病院での強襲から15分後、裏路地へ裏路地へと逃げ続けた416はエージェントの追跡がないことを確認し仲間に連絡をとった。屈辱で腸が煮えくりかえそうだったが仕方がなかった。

『あーこっちも失敗』

 が、連絡先の相手もまた悪びれず同じ言葉を返してきた。『メンゴ、メンゴ』とまるで謝っている様には感じられない通信は同じ404小隊のUMP9のものだ。

「ハァ? そっちも失敗って、何してるのよ!!」

 通信機に向かって怒鳴り声を上げる416。捨てられた車にもたれ掛かって眠っていたG11の鼻ちょうちんがそれで割れる。G11はそれでも眠り続けていたが。

『仕方ないでしょう。こっちは二人もいたんだから。というか戦力的に逆にすべきだったわね』

「……」

 同じ戦術人形とはいえアサルトライフルである416たちとサブマシンガンであるUMP9たちでは単純な戦闘能力においては前者の方が上だ。殺害すべきターゲットの数が多い方により戦闘能力が高い人形を当てる、というのは真っ当な考えだろう。

「G11がそっちの方は遠いから行きたくないって駄々をこねたんだから」

『まぁ、こっちも有名なタイムズスクエアの電飾看板が見たかったからいいんだけれどね。生憎と停電してたけど』

 それはご愁傷様、と416。

『兎に角、合流されたら面倒だわ。警戒されてるからもう強襲は無理ね。先にこっちが合流して戦力集中。各個撃破を狙いましょ』

 アイアイサー、と416は返答する。

「どっちから叩く?」

『うーん、そっちからにしましょう。ダークゾーン帰りなんでしょう。手強そうだわ』

「そうね。思った以上に……手強かったわ」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 同刻、溶けて泥水になり始めた雪を踏みつけながらIDWは歩いていた。

 何処へ?

「しっかりするニャ!!」

 兎に角、この人を治せる施設がある場所へ、だ。

 IDWが肩を貸しているのは自分を直してくれたあの人形技師だ。技師は自分の脇腹を押さえていた。そこは赤い液体でぐっしょりと濡れていた。416たちの流れ弾が当たったのだ。

「へへ、人形を…直す人が、壊れてちゃ世話ないな……」

「黙ってるニャ。いいから歩くニャ」

 技師を叱咤するIDW。だが、徐々に技師の歩みは力ないものに変わりつつあり、今では老人のそれだった。

 そうして、何の前触れもなく技師は倒れた。IDWの肩に回していた腕から力が抜け落ち、まるで技師の身体は砂が一杯詰まった袋のようになってしまった。そうして、そのまま泥水の中へ突っ伏す。

「おじさん!!」

 慌てて技師の身体を抱き起こすIDW。声をかけ揺さぶるが反応はない。IDWは恐る恐る自分の耳を技師の口に近づけた。弱々しい吐息さえ感じられなかった。技師は死んだのだ。

 IDWは身体を震わせ、涙を流そうとした。だが、堪えた。開かれたままだった技師の瞼を優しく閉じさせる。そうして、ぐったりとし最早動くことはなくなった身体を抱きかかえると、道端に設置されていたベンチへと技師を横たえさせた。道に倒れたままにしておくのは余りに忍びないと思ったからだ。

 それから技師の服を探って何か使えそうな物を探した。精密ドライバーやケーブル類、ニッパー。財布の中から奥さんと子供らしき写真を見付けると、IDWはそれを技師に握らせた。奥さんたちは生きているのだろうか。それとも。

 技師から必要な物を貰うとIDWはSHDテックを起動させた。ニューヨークのマップを確認する。

「サックス・フィフス・アベニュー。隣のドールショップ……」

 目的地をマークする。それ以外にも技師から聞いた危険な地域の確認もしておく。

 自分が助かるにはそこに辿り着くほかなかった。

 416たち404小隊はIDWの様な下っ端戦術人形よりも余程、グリフィン司令部に近しい場所にいる。その彼女らが襲撃を仕掛けてきたということはつまりそういうことだ。

「上は私たちの処分を決定しているニャ」

 理由は分からない。だが、本部に帰還するというという事は既に完全失敗という意味での作戦終了を意味していた。

 ここ半日は止んでいた雪がまた降り始めてきた。IDWは一度、空を見上げてから歩き始めた。銃を抜き、いつでも撃てるようにしておく。

「なんとしてもこの地獄から脱出してみせるニャ。みんなと一緒に」

 

 

END




ツイッターで「今(18年10月頃キューブ作戦開催中)ドルフロのログイン画面ってディヴィジョンぽくない」という呟きを見掛けたので書いてみました。ちょうど、両方ともプレイ中なので。


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