駆逐艦響戦闘詳報 (Вер提督)
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第一報告:昭和一九年 三月一八日 インドネシア/セレベス海南西部

拙作は「艦隊これくしょん-艦これ-」の二次創作であり、作者が練習で書いたものです。
ただ史実をなぞるだけの内容なため、大変読みづらくなっております。また艦艇(艦娘)の轟沈(死亡)描写が多々ありますし、歴史を見ればどういう結末になるかは御存知でしょうから、注意してください。
過去の人物を侮辱していると捉えられかねない表現が多々ありますが、あくまでもフィクションとしてお楽しみください。実在する或いはした人物団体その他のいかなるものに関係ありませんし、また特定の思想を植え付ける事を目的にしていません。当方にそういった意志は一切ありません。
あと、作者の文章力と語彙力は大変に見苦しいものであり、またウィキペディアの記述を中心に話が作られているので「これ間違ってるよ!」「ここおかしくない?」とかあったら優しく教えてください。


 

第一報告

 

昭和一九年 三月一八日

インドネシア/セレベス海南西部

 

 

 時は昭和一九年、大東亜戦争のまっただ中。

 戦端を切って落とした真珠湾強襲から既に二年と三ヶ月が経過していた。

 劈頭(へきとう)こそ優勢であった戦いは、連合国の果敢な反撃により劣勢に立たされている。

 

 大日本帝国はソロモン海戦及びレンネル沖海戦を経て、奪還は絶望的となったガダルカナル島からの撤退を決定。去年の二月にケ号作戦が発動された。

 捲土重来に由来するその作戦は成功を治め、万にものぼる兵が救出された。だがそれは捲土重来を期するというよりかは、ただ惨めに敗者が逃亡するかのようにしか見えず、半年にも渡る膠着により失った戦力は米豪両軍より限界が低い日本にとって致命的な損害である。

 そしてその五ヶ月後、乾坤一擲を意味するもう一つのケ号作戦、即ちキスカ島撤退作戦が発動した。潜水艦による補給を行った第一期作戦では潜水艦三隻を失ったものの、水雷戦隊による守備隊撤退を行った第二期作戦は大成功。アリューシャン方面の重要拠点であったアッツ島及びキスカ島を放棄したことは結果として北方部隊に余力を持たせることになり、南方の諸島のような泥沼を避けることを達成していた。

 しかし、食糧不足を皮肉り()島と呼ばれたガダルカナル島、敵国に暗号が殆ど解読されていたが故に起こった山本五十六大将の戦死、そしてアッツ島守備兵たちによる萬歳突撃(玉砕)

 敗戦の足音は明瞭に聞こえるようになっていた。

 

 

 最前線最大基地であるブイン、ラバウル、ショートランド。そしてそれらを支えるフィリピン、インドネシア各島が太平洋における日本の生命線だ。

 そしてインドネシアを構成する島の一つ、セレベス島。「K」の字に棒を乗せたような形をしている島である。

 その北部に位置するセレベス海を三隻の軍艇が駆けていた。

 

 額の真ん中で茶髪を分け、前髪の下に鉢巻きを巻いた女性(空母)

 そして彼女より頭一つ以上小さい、白髪と茶髪、二人の少女(駆逐)

 

 輸送作戦を遂行中の千代田(ちよだ)、そしてそれを護衛する第六駆逐隊所属の(ひびき)(いなづま)である。

 

「どうするのです?」

 

「どうするもこうするもないさ。目的地まで、あと300、いや290ってとこかな。引き返すほどの事じゃない」

 

 何の前振りもなく、要領を得ない問いかけを電が発した。

 しかし、それに響は直ぐに答える。

 そして千代田も一拍遅れて続いた。

 

「……どうかしたの二人とも。周囲に敵影無し……もしかしなくても潜水艦?」

 

「その通りなのです千代田さん。……あぁもう、気づかれてるみたい」

 

「ああ。恐らく、結構遠いけど近づいてきている。狙われてると見て良いだろう。電、爆雷の準備を」

 

「もう始めているのです。安心してください、千代田さん。絶対に沈ま(死な)せないですから」

 

「……はは、ありがと。魚雷の一発や二発で沈む気はないけど。こんなところで死ぬわけにはいかないもの、よろしくね」

 

 そう気丈に振る舞う千代田の顔は若干引きつっている。潜水艦の脅威を知らぬ者は聯合艦隊に居ない。

 

「ここまで来たら泊地まで接敵しなければよかったのに」

 

「そんなに甘くはないさ」

 

「言ってみただけなのです」

 

 呉から今まで遭遇が無かっただけに電の気落ちは大きいようだったが、しかし電も日帝海軍が誇る歴戦の特型駆逐艦。響の言葉に、直ぐさま緊張感を取り戻す。

 

「……電、威嚇で数発撃とうか」

 

「了解なのです!爆雷投射始め!」

 

 電の艦尾に設置された九四式爆雷投射器が起動し、潜水艦を沈めるための爆弾が放られる。

 とはいえ、その射程は数百mほど。何km(五海里)も先にいる潜水艦には決して当たらない。そもそもこの距離で気づけた事が幸運であったと言うべきであろう。九三式水中聴音機の性能は決して良いとは言えないからだ。

 だが、こうする事でこちらが敵潜水艦の接近に気付いていると相手に知らせる事ができる。

 

 結局、敵潜水艦は何もせずに去って行った。

 緊張を一瞬解いた電は張り詰めたままの響を見て再び対潜警戒を強める。千代田も水上艦がいないかどうか、水平線を見渡している。

 速力を大きく上げ、目的地へと急いだ方が良さそうだった。

 

 一隻の油槽(ゆそう)船と共に、四人で呉を出発したのが三週間前。

 真っ直ぐ南下しサイパン、西へ向かいマニラ、そこから南東にあるパラオと寄港し、その途中で油槽船とは別れた。

 そして今、バリクパパンに到着する。セレベス島のすぐ西、カリマンタン島の東南海岸に位置する港だ。

 

 誰一人として欠ける事なく無傷で入港でき、ようやく響は緊張を解いた。

 途中、響と電、合わせて計一六発の爆雷を消費してしまったが無駄とは思わない。 

 響が護衛しているのは貴重な空母なのだ。ミッドウェー島沖で空母四隻(一航戦と二航戦)を一挙に喪失してから、その価値、戦術的有用性は一層高まっている。

 キスカの撤退作戦から現在までで、響は龍鳳(りゅうほう)飛鷹(ひよう)海鷹(かいよう)と三隻の航空母艦を護衛してきた。その経験から、響は空母の護衛は輸送船のそれよりも精神を消耗すると思っている。

 こちらに航空支援が無く敵に有るなら負け、逆ならば勝つ。今はそういう時代だ。

 日帝海軍は方向性を間違えた。もしかしたら、現在も大艦巨砲の幻想に捕らわれた将校がまだ上に残っているかもしれない。大艦巨砲はもとより、夜間に奇襲し雷撃を放つ時代もとうに終わっているというのに。

 

 思考が負の方向へ落ち込んでゆく事を自覚しながら、響はそれを止める事ができない。

 ソロモン海戦で()()んだと聞いてからずっとこの調子だ。

 これでも大分回復してきた方だが、そろそろ切り替えなければならない。あれから一年以上が経つのだ。

 電は変わった風を見せないし、今は別行動をしている雷もしっかり前を見据えていた。同じ悲哀を抱いている筈の妹たちは、響と違って強い。

 

 情けないな、そう自虐する。

 

 四人しか居ない特Ⅲ()型駆逐艦だからこそ、姉妹を失った哀しみが少ないのだ。

 十何人と姉妹がいる他の駆逐艦はもっと多くの哀しみを背負っているというのに。

 それでも、瞳に火を灯し戦っているというのに。

 嗚呼情けない。これが大日本帝国が誇る聯合艦隊附属艦の姿か。

 

「……響ちゃん、大丈夫です?入港作業終わったよ?」

 

「ああ」

 

 自分でも驚くほど低い声が出た。

 妹に不機嫌をぶつけてはいけないと、響は自制する。

 (あかつき)亡き今、第六駆逐隊の長女は次女()なのだ。

 情けない姿を見せる訳にはいけない。少なくとも、これ以上は。

 妹たちを支えるのは自分なのだと自らを奮い立たせる。

 

「響ちゃん」

 

「大丈夫だ、電。心配は要らない」

 

「響ちゃん」

 

「何だい。次の作戦?」

 

「四日後にパラオへ出港だそうです。引き続き千代田さんも一緒に。……響ちゃ」

 

「そうか、戻るのか。パラオへ着いたら呉へ帰投かな。工廠にもっと良い対潜装備を要求しないと」

 

「響ちゃん」

 

「しつこいよ、電。まだ何かあるのか?私は大丈夫だと言ってる」

 

 反射的に電を睨めつけ、すぐに後悔した。

 響は電を支えたいのであって、傷つけたいのではない。

 

「っすまない、疲れているみたいだ」

 

「大丈夫、響ちゃんは悪くない……もう休みましょう?明日は補給もありますし、少しは疲れも取れると思うのです」

 

「……すまない、気を使わせてしまって。やっぱり、悪いのは弱い私だ」

 

「響ちゃん……」

 

「……おやすみ」

 

「……おやすみなさい」

 

 電が何かを言いかけたのを見て、響は有無を言わせぬよう目を閉じる。

 それから三夜過ごしたバリクパパン泊地は、響から疲れを全く取り去ってくれなかった。

 




お読みいただきありがとうございました。


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第二報告:昭和一九年 四月一四日 日本/呉海軍基地

第二報告

 

昭和一九年 四月一四日

日本/呉海軍基地

 

 

 アッツ島沖海戦、そしてキスカ島撤退作戦を経て、長女を欠いた暁型三名が所属する第一一水雷戦隊は聯合艦隊直属になっていた。

 これは第六駆逐隊を柔軟に運用するためであって、特に任務内容が変化するものではない。

 しかし、遠くない未来において発生が予測される海戦に備え、六駆には活躍しうるだけの対空充実が求められていたのだ。

 

 四日前の事である。

 輸送任務に従事する千代田と彼女を対象とした護衛作戦に従事する響と電は、パラオ=バリクパパン間を更に往復。ダバオを経由し呉への帰投を完了した。

 

 第二砲塔撤去。代替として25mm単装機銃二基二門を増備。また、電探などの調整。

 呉工廠へ戻った響と電には直ちにこれらの修復・小改装作業が開始された。

 

 前線基地とは違い、本土は心地よい。

 ずっと気を張り詰めなくてよく最高に素晴らしいというのが、響を始めとした聯合艦隊の統一見解だ。

 呉軍港での改装は疲労が溜まっていた響にとって良い薬となり、電はそれに安堵していた。

 

 かつて。一年と少し前、軽巡洋艦龍田(たつた)率いる第一一水雷戦隊として訓練に励む日々を送っていた。

 暁が沈み、響は今より荒れていた。電と雷が内南洋部隊所属で別行動だったため本当に酷かったと自身で認識している。しかし龍田は微笑んで迎え入れてくれた。彼女も最愛の(天龍)を亡くした筈なのに。いや、だからだろうか。

 キスカ島撤退作戦への参加要請やら色々あったが、呉にほど近い柱島を拠点とする一一水戦は訓練部隊だ。それ故に次々と()が入れ替わる。今月の一日附けで、また再編があった。

 旗艦龍田の文字に心躍らせながら帰投したら、除籍が済んでいないだけで先月の昨日に亡くなっていたと聞いた時の衝撃たるや。

 もし彼女が帰投した響を変わらない微笑みで迎えてくれたなら、響の精神は完全にとは言わないまでも回復していた事は想像に難くない。

 

 一一水戦に編入されてくる艦はどんな性格なのだろうかと、響は思考を廻らした。

 三人の新鋭駆逐艦が入ってくるらしい。気が合うだろうか。

 前に所属していた艦を思い出してみる。

 玉波(たまなみ)は明るい、良い子だ。だが響に気圧され会話を避けていた。さもありなんと言ったところか。

 島風(しまかぜ)は飄々というか、何者にも捕らわれないところがある、良い子だ。だけれど、彼女は姉妹を持たないが故に姉妹を失う哀しみを理解できなかった。しようとしていなかった。彼女はその悲しみを背負う事を拒否して、孤高を気取っている。

 八ヶ月ほど前に新月(にいづき)は海に消えた。良い子だったのに。深い関わりがあった訳では無いので、そこまで思い入れは無いにしても仲間には違いない。既に数回している黙祷を再び行う。

 龍田。暁が居なくなったばかりの響の面倒を見たのが龍田だ。今の響は荒れておらず穏やかだが、ただ単に凪いでいるだけ。まだ頭が現実に追いついていないのだ。彼女の死はまた響の心に嵐を起こすだろう。

 

 そういえば、一一水戦の構成員ではないが、北方戦線へ向かう途中でちょっとだけ話す機会があった最上(もがみ)は響の心裡を理解を示してくれた。彼女も相棒である(三隈)を失ったそうだ。しかも、自分の不注意で衝突し沈没させてしまったらしい。三隈(みくま)は最上を赦したそうだが、それでも懺悔の念しかないと言う。

 

 いーい、響っ!私が長女なんだから、私より先に死ぬなんて許さないんだからね!

 

 頭の中で姉の声が再生される。

 あれは、撤退が行われるより半年くらい前のキスカ沖で掛けられた言葉だったろうか。

 重傷を受けた響を曳航しながら、暁はずっと涙を堪えていた。

 

「暁…………」

 

 艤装から取り外される12.7cm連装砲をぼうっと眺める。

 慣れ親しんだ二番砲塔の行く末に思考が飛んだ。

 要塞砲としてどこかの基地に配置されるのだろうか。他の艦が使うのだろうか。溶かされて誰かの一部になったり、砲弾になったりするのだろうか。

 意味も、取り留めも無い思考。

 暁や龍田の事を考えるのに疲れたからだろうか。最近、こういった思考の纏まりの無さが目立つ。

 

 ふと、響の思考は現実に引き戻された。

 幾ら気が緩んでいようとも、響も一角(ひとかど)の武人である。誰かが近づいてくる気配に気づいたのだ。

 目を開けると長髪の少女が近づいてくるのが見えた。

 体の隅々から初々しさが感じ取れる。

 少し青みを帯びた、紫にも見える黒い髪は暁を彷彿とさせた。髪型や長さは似ても似つかなかいが。

 

「夕雲型駆逐艦一八番艦、秋霜(あきしも)です。四月一日附けで聯合艦隊直下第一一水雷戦隊へ配属されました。始めまして、よろしくお願いします響先輩」

 

 ビシッと音が聞こえそうな教本通りの敬礼。

 

「……響でいいよ。よろしく、秋霜」

 

「いえ、私はまだ竣工から一月(ひとつき)も経っていません。呼び捨ては気が引けます」

 

「戦場じゃ同艦種での上下関係は殆ど無い。慣れた方がいいよ」

 

 やけに秋霜の表情が硬い事が気がかりであったが、とりあえず先輩としての助言だ。

 姉妹関係や先輩後輩関係は、心の拠り所には丁度良いが依存しすぎると今の自分()のようになってしまう。否、ほとんどの艦がそうなっていると言っても過言ではない。

 それに、軍艦は兵器だ。古い者より、新しい者の方が基本的に強い。その力関係の溝は、練度のみで覆せる程浅くないのだ。

 

「響、さん。……これで構いませんか?」

 

「まぁいいんじゃないか。電も軽巡以上にはさん付けだし」

 

 そう言うと、少しだけほっとした表情になるがまだ硬い。

 その硬さは先輩に顔見せする事への緊張からくるものではないようだと響は判断した。

 

「で、本題は何かな」

 

「えっいや、そのっ……あの、訃報です。あの……驚かないでください……」

 

 訃報。そう聞いて響の顔が強ばる。

 こういう事は今まで何度もあった。しかし、今だに慣れない。

 誰だろうか。今度は誰が沈んだんだ。

 今まで肩を並べて共に戦った誰かだろうか。護衛した油槽船だろうか。まさか島風?それとも霞だろうか?

 

「あ、あの……電先ぱ、電さんのところには姉が行っています……」

 

 そう聞いた途端、響は意図的に目を背けていた最悪の可能性に思い至った。意識せざるをえなくなった。

 いや、もしかしたら千代田かもしれない。なんせつい先日まで電と共に彼女の護衛をしていたのだ。響にわざわざ報せる可能性は、ある。

 

「先日、油槽船山陽丸を護衛しつつサイパンへ向かっていた――」

 

 嫌だ。それ以上言うな。

 響が心で叫ぶ。

 

「――雷さんが、敵潜水艦の雷撃により轟沈しました」

 

 暁型三番艦、雷。響と電の間の姉妹艦だ。

 

「………………………………」

 

「……あ、あの?響さん?」

 

 (まさ)しく恐る恐るといった体で秋霜が響の顔色を窺う。

 

「……………………そうか」

 

 予想外に、響は不思議と静かだった。

 激昂する事無く冷静に、秋霜に問いを投げかけた。

 

「その時の状況は?乗員はどうなった?」

 

「いえ、その、すみません……詳細までは……。ただ、乗員は……全滅、との事です……」

 

「そうか。……そうか」

 

「あの…………、あ、すみません」

 

「君が謝る事じゃない、秋霜。それは雷の自己責任だ。……悪いけどもう戻ってくれ。一人にしてくれないか」

 

 響は静かにそう言った。

 秋霜を意識の外に追いやる。

 そして意識を奥底へと沈めていった。

 

 気づくと、秋霜は居らず電が心配そうに響の眼を覗き込んでいた。

 

「ああ……電か……」

 

「やっと気づいたのですか?三分くらい前から居るのです」

 

「そうか……すまない……」

 

 響の声には覇気が無い。

 電は響の隣に座り込み、響の手の甲に手を重ねた。

 そして、優しく語りかける。

 

「雷ちゃんは、電と別れる前に言っていたのです。響をよろしく頼むわよって」

 

「そうか……暁もな、言っていたんだよ。私が死んだら、私の代わりに雷と電の面倒を見るのは次女の響よって。それなのに……」

 

「響ちゃん。電は思うのです」

 

「……何をだい?」

 

 電の手を握り返して、響は電の言葉を待つ。

 響のこんな顔を見るのは初めてだと電は思った。

 

「雷ちゃんは、響ちゃんがどんなに頑張ってもどうしようもできない遠くにいたのです。だから、電ちゃんが沈んじゃっても、それは響ちゃんの所為じゃないのです」

 

「だけど」

 

「響ちゃんは暁ちゃんの言葉を忠実に守っているのです。響ちゃんは真面目だし、優しいから。でも、必要以上に言葉に捕らわれすぎなのです」

 

 忠実、それは愚直と言い換えられる。

 

「……暁は、死んだ。だったら、遺した願いは……叶えないと」

 

「電は……たぶん雷ちゃんもですけど、響ちゃんがアッツで大怪我を負って大湊に行った後、暁ちゃんに言われたのです」

 

「……なんて?」

 

「響が死ぬなんてダメよ、私より先に逝っちゃうだなんて、絶対許さないんだからっ!って」

 

 似たような事を自分に言っていたと先ほどの思考を思い出した。さっき、自分はその言葉にどう思っていたのだったか。

 

「暁は……ズルいね」

 

「そうですね。……この苦しみを味わわないために、先に沈んじゃったんじゃないかって疑いたいくらいなのです」

 

 それは無いだろうけれど。

 そう思いつつ、脳天気に笑う姉の顔を思い描く。

 同時に、やはり自分だけではなく電も辛いのだと気づいた。

 電も辛いし、電も響を支えたいのだ。

 響と、同じように。

 

「とうとう、六駆も半分になっちゃったな……」

 

「思えば、六駆が揃ったのはあの時(アッツ)が最後だったのです」

 

「そうだね。私は修理でガダルカナル島方面には参戦できなかったから。……もしあそこで爆撃を避けれていたら、暁と同じ戦場に立てたのかな」

 

 そして、暁を救えたのだろうか。

 或いは、自分が身代わりに。

 

 口には出さなかったが、その想いははっきりと電に伝わった。

 暁と共に第三次ソロモン海戦に参加した電と雷は、同じ戦場の、しかもすぐ近くにいたにも関わらず、暁が沈むその瞬間を見届ける事ができなかったのだ。暗い闇を探照灯で切り裂き敵を照らした暁は、集中砲火を受けあっと言う間に小さな躯を散らした、らしい。

 悔いる気持ちは電も同じ。

 

「響ちゃん、〈たられば〉は禁止なのです」

 

「……そうだったね。この話は止めよう」

 

 もしああしていたら。

 もしああする事ができれば。

 そんな事を考えれば、切りが無い。かつて暁によって禁止されたそれは、今も六駆の共通認識であった。

 

「なぁ、電」

 

「何ですか、響ちゃん」

 

「雷のさ。乗員全滅だって、聞いた?」

 

「はい」

 

「雷はさ。電と一緒に敵もいっぱい救助したんだよな」

 

「はい」

 

「それを聞いたとき、私は感嘆の言葉しか無かったんだ。ああ、凄いなあって」

 

「はい」

 

「なのに、一人も助からなかったんだな」

 

「……そうなのです」

 

「ままならないな」

 

「はい、電もそう思うのです」

 

 その一言に、無念の感情が凝縮されていた。

 無念を吐き出した事で悲哀の感情が露出したのだろうか、響の声色が悼むものから変化する。

 

「暁も、龍田も……雷も。皆死んでく。なぁ、電」

 

「何ですか、響ちゃん」

 

「上も、私たちを分けて使おうとはしないだろう。……あの時(アッツ)みたいに、私が怪我をしなければ」

 

「そうですね。でも響ちゃんも油断しなければそうそう怪我しないのです」

 

「……私なんて、所詮…………買いかぶりすぎさ」

 

 響は自己評価が低い。

 自分は弱いと思っている。思い込んでいる。

 それはある種の自己防衛であり、暁と共に居れなかったという悔やみから解放されない原因でもあるのだ。

 

「だからさ、電。手の届くところに居れば、私は電を護れる」

 

「そうなのです。電も響ちゃんを護れるのです」

 

「電……私を、独りにしないでくれ……生き残りだなんて称号は、要らない……欲しくないんだ……!」

 

「響ちゃん……」

 

 懇願する響、そして一瞬戸惑いを見せた電。

 電の戸惑いの理由は簡単だ。

 ここで自分は死なない、響と共に在ると言うのは簡単だ。

 だが、絶対というものは戦場……否、全てにおいて存在しない。電が沈む事なんて、平気で起こるかもしれないのだ。

 だから。もし、電が響を残して海の底へ旅だったならば、響は電を護れなかった自分を責め続け、暁を、そして暁との約束を守れなかった自らを責める今よりも酷い状態になってしまうだろう。しかも、その時響の隣にいるべき姉妹は、居ないのだ。

 

 だから、電は、こうするしかなかった。

 

「響ちゃん、私は、自分が死なないと約束するのはできません。だけど、響と私が死なないよう全力で努力する事はできます」

 

「……ああ」

 

「だから、響も私と響自身を全力全霊で護ると約束してください。最善で、それでもどちらかだけが沈むのならば、それは敵が強大すぎたという事。私たちの所為じゃありません」

 

「……ああ、そうかもな」

 

「だから、響。約束してくれますか?」

 

「ああ。約束する。私は、電を絶対に死なせない」

 

「……それはよかったのです。これで、電は大丈夫なのです」

 

 それは一時的な処方箋だ。

 だが、死の淵を覗き込んだままそこに留まっている響を脱出させようとも、電にはこれしか思い浮かばなかったのである。

 処置は成功している。電への依存度が高まった気がするが、そう、電が沈まなければいいのだ。

 これで、響は大丈夫。

 

 電は失念していたのだ。

 否、失念していたのではない。目を背けていたのだ。

 戦場を体験した軍人ならば、それを誰しもが理解している。

 

 電は目を向けようとしなかった。

 電も響と同じ。彼女もまた、度重なる戦闘行為に、仲間との別れに疲弊しているのだ。

 電は響を支えようとしているだけ。電を支えようとしている響と同じなのだ。

 電は自分と同じ事をしようとしている響の事を理解していたが、響と同じ状態である自分も響と同じように、或いは響以上に疲れているという事に。

 

 約束を交わそうと、誓いを契ろうと。

 戦場において、死はあらゆる者の前に等しく訪れる。

 電も響も、それは例外では無いのだ。

 



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第三報告:昭和一九年 六月一四日 フィリピン/ダバオ基地

誤字報告ってこんな感じになってるんですね。今まで使ったことのない機能だったので新鮮でした。


第三報告

 

昭和一九年 六月一四日

フィリピン/ダバオ基地

 

 

 あの誓いを響と電が交わし合って既に二ヶ月が経つ。

 響は、誰が見ても解る程に困憊していた。

 

 一ヶ月前、つまりは五月の今日の事だ。

 電が死んだ。

 それも、響の目の前で。

 

 神や仏が居るのならば、そいつはよほどの加虐趣味者らしい。

 どれだけ奪えば気が済むのか。

 姉たち、理解者たる上司、そして同僚たち。

 皆死んでいった。

 響の力不足ではないというのは、頭では理解しているつもりだ。

 

 しかし、それでこの呵みの響きが頭中を離れる訳ではない。

 

 電との約束を守れなかった。誓いを果たせなかった。

 だが、約束は「電と響を全力で護る」。

 響は死ぬわけにはいかなかった。

 電を護れなくとも、己くらいは護らねば、電に向ける顔が本当に無くなってしまう。

 それはこじつけだったが、電亡き今拠り所が響には必要だったのだ。

 

 つい四日前、電が除籍された。

 そしてそれに伴い、響だけになった第六駆逐隊は解散。

 響は、これで書類上でも独り。

 

 響は自らを壊すように、自らの思考を嘲っている。

 雷が死んだ時もそうだ。千代田の死を願ったのは気の迷いではないだろう。

 醜い。

 響は己の弱さと同じくらい、己の醜さを嫌っている。

 

 姉妹を奪った米英への憎しみというのは浮かばなかった。

 唯々(ただただ)、自らの無力さに嘆き、我武者羅に生きるしかなかった。

 米英は敵だ。

 仲間を何人も殺しているし、被害は響たち艦艇だけに留まらない。

 そしてそれを響が言う資格はない。

 響も、米艦隊に攻撃した事は何回もあるのだから。

 

 これは戦争だ。

 国を護る戦いなのだ。

 相手も、自らと同じように考えているはず。

 

 敵だけに憎しみを向けるのは間違っている。

 ならばこれを命じた、この状況を作った上を憎むべきなのか?

 天皇陛下、政府、大本営、()しくは――米国の(大統領)

 

 否、否、否。

 彼らもまた、国を護る戦いをしているのだ。

 自分たちは彼らの手足となり()を構えるだけである。

 響は軍人だ。日の本に生まれたという、()民の誇りもある。

 軍人の役目は民と国を護る事だ。それを(ないがし)ろにしていい筈がない。

 だからこそ、かもしれない。民を()兵とするのは間違っていると響は思っているのかもしれない。

 

 その考えに、今まで至らなかった事にふと疑問を持った。

 だが直ぐに(こうべ)を振ってその考え(危険思想)を消し去る。

 

 響は誇り有る軍人だ。響に限らず、聯合艦隊の艦にそうでない者は居ない。

 軍艦、駆逐艦、輸送船。

 皆、国の為に戦っているのだ。天皇陛下の御為(おんため)にと。

 皆、誇り有る軍人として生まれたのである。

 その存在意義を、忘れてはいけない。

 疑いを持っては、いけないのだ。

 

 響はそこで一旦思考を中断した。

 これ以上踏み込んではいけない気がしたからだ。

 だからこそ気づけない。

 艦たちを誇り有る軍人として設計し、創り出した存在がいるのだ。彼らが彼らに都合が悪い事態になる事を予想し対策しない筈がないのだ。

 彼らは艦たちに命令を下し、艦は逆らう事無く命令を遂行しようとする。

 彼女たちは、その態勢に疑問を抱けない。抱くことを、必要とされていない。

 

 

 あ号作戦。

 グアム、サイパン、テニアンの戦力を強化し、パニラに誘い込む。

 そして第一機動艦隊と第一航空艦隊を主力とする基地航空隊により撃破するという作戦である。

 五月二〇日に旗艦大鳳(たいほう)が開始を宣言した。

 

「皆さん。今回の任務に退くという選択肢は在りません。私たちにどんな被害が出ようとも、どれほどの損害が出ようとも、戦闘を止める事はありえません。

 負けはありません。勝てない私たちに存在意義は無く、敵艦隊の撃滅を以てこれは証明されます。

 必要ならば……誰かを囮部隊として使う事を。また、旗艦の不全、通信機器の故障などで連絡系統が途切れた場合、各艦独断による行動を許可します。

 ……それでは、皆さん。健闘を」

 

 大鳳は表情を崩さずそう宣った。

 だが響には解る。大鳳も辛いのだ。

 後ろに控えていた一航戦の緑髪の方が不満げな顔をしていた事が印象強い。

 戦局だけではなく、聯合艦隊全体の精神も摩耗している。

 いつまで持つか。あと一年くらいではないだろうかと響は予想していた。海も陸も、兵も資源も足りていないのだから。

 

 響は本隊への補給を担当する第一補給部隊に配属された。

 響の他には、浜風(はまかぜ)時雨(しぐれ)白露(しらつゆ)、秋霜が配属されている。

 秋霜にはあの時悪い事をしたと響は思う。雷の沈没を教えてくれた時だ。

 そして時雨。彼女には興味がある。ちゃんとした会話も交わした事はないが、それなりに気が合うと思う。

 あと、白露か。彼女も、自分と同じように疲れ切っているのが一目で解った。彼女も響を見て同じ事を思ったようで、皮肉げに口端を一瞬曲げたのを響は認めた。

 白露は長女だ。(とお)いた白露型も今や片手の指で足りる。第二七駆逐隊は一週間前の春雨の戦闘不能状態で三人になっていた。その心労は察するに余りある。

 同族なのだろう、響はそう考えていた。姉妹の最期に立ち会えない悲しさに無意味な後悔心を募らせ、救えなかった無力感に身を浸らせる。

 ただ白露が響と違う点は、響で言う電が、妹がまだいる事だ。

 故に、白露はまだ立ち直れると、響は自らを諦めながら、無責任に思った。

 

「やぁ響」

 

「……やぁ時雨」

 

 いつの間にか背後まで接近していた時雨の気配を感じ取れなかった事に抱いた焦りのようなものを隠しながら、挨拶を返す。

 これから輸送護衛任務だというのに、気が緩んでいると響は気を引き締めた。

 

「準備はできてるかい?」

 

「ああ」

 

「それは良い。もう少しで出撃だからね」

 

「……白露から目を離してていいのかい」

 

「大丈夫だよ、白露は。僕は信頼してる」

 

「信頼、……信頼か」

 

「うん、その通りだ。姉を信じるのも、妹の務めだろう?」

 

「否定はしないよ」

 

 私は裏切られたけど。

 そう続けようか迷ったが、止めておいた。時雨の姉は生きているのだ。

 ただ、信じるだけでは何も変わらないという事を、暁を(うしな)った響は知っている。

 響だって、姉を信じていた。

 

「白露には僕と五月雨(さみだれ)がいる。それよりも、僕は君の事が心配だな」

 

 七人も沈んでいるのに、気楽な事だ。

 いや、覚悟だろうか。

 時雨はソロモンで戦った側だ。損傷で戦いを許されなかった響とは違うものを見ているのかもしれない。

 全て奪われた響とは違い、時雨は前を向いている。まだ希望を持っている。

 

「私は大丈夫だよ、時雨。私に構っている暇があるのなら、白露と一緒にいてあげた方がいい」

 

 まだ出港までは時間が少しある。

 

「……そうか、君が言うならそうするよ。でも、君も僕たちの仲間なんだ。それを忘れないでくれ」

 

 姉妹と共に居れる時間は尊い。失ってからは遅いのだ。

 それを時雨も理解しているからこそ、響の言葉に頷いた。

 時雨は、白露と似たような状態である響が死なないかどうか心配だったのだろう。白露には自分がいるが、響には既に姉妹がいない。楔を作ろうとしたのだ。

 

 響は既に電との誓いという楔を持っていた。

 非常に不安定で危ういものではあるが、時雨の予想に反し響は生を諦めようとは一切思っていなかった。

 電との約束こそが響の拠り所。約束は、響が諦めぬ限り決して潰えない。

 そこは、白露と違う点かもしれない。

 

 響の目から見て。

 白露は、限界が近いように見える。

 死相。そう言う訳ではないが、覇気と言うか生気と言うか、そう言ったものが決定的に失われている。

 

 姉の下へ向かう時雨の後ろ姿を眺めながら、その考えを仕舞い込んだ。

 



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第四報告:昭和一九年 六月一五日 フィリピン/ミンダナオ島沖北東方面

皆さん。祥鳳さんの秋刀魚絵ご覧になりましたか?私はギャップ萌えで死にました。


 

第四報告

 

昭和一九年 六月一五日

フィリピン/ミンダナオ島沖北東方面

 

 

 三隻の油槽船と五隻の駆逐艦が輪形陣を組み航行している。

 

「私が先頭に立ちます。清祥丸、日栄丸、国洋丸はその後に。白露と響はその両翼に。時雨と秋霜が殿をお願いします。時雨は秋霜の補助もお願いしますね」

 

 浜風がそう言ったため、そのように陣を組んでいた。

 既に正午は過ぎ、之字運動も滞りなく保てている。

 本隊の出撃準備として対潜哨戒をしていた駆逐が数隻、逆に潜水艦にやられたと聞いていたため強く警戒していたものの、今まで異常無し。

 しかし誰も気は緩めていなかった。

 疲労の色濃い響と白露には心配があったが、時雨と秋霜がカバーできる位置にいる。実に合理的な配置と言えた。

 

 それでも。

 いくら努力しようと、工夫を廻らそうと。

 天命には敵わない。

 小さな悲劇は、容赦なく起こった。

 

「魚雷!?っ、いつの間に!回避行動!」

 

 驚愕する白露。

 

「白露さん之字運動を保ってください!」

 

 焦る日栄丸。

 

 先頭の浜風はスコールに気を取られ気づかない。

 浜風だけではない。

 時雨も。秋霜も。勿論、響も。気づいていなかった。

 

 潜水艦による雷撃を躱そうとした白露。

 面舵を取ったが故に之字運動を保っていた部隊の真ん中を横切る形になってしまう。

 結果、白露が清祥丸に衝突した。

 

 一瞬の出来事。

 そして白露は、あっけなく海の中へと消えていった。

 

 スコールを抜けて直ぐ異常に気づいた浜風は救助活動を開始した。

 日栄丸は清祥丸に大丈夫かと聞いている。

 不幸中の幸いと言うべきか、清祥丸の被害は若干の浸水のみであった。

 

 白露乗員を掬い上げていく浜風を横目に見ながら、響は周囲を警戒する。潜水艦の気配は感じなかった。

 混乱している秋霜にも対潜対空警戒を強めるよう頼み、時雨に声をかけるかどうか迷い、そしてやめた。

 電が轟沈した時の自分もこんな感じだったと思ったからだ。

 時雨の分も自分が警戒すればいいだけ。

 白露()が死のうとも、時雨にはまだ(五月雨)がいる。

 響は己を時雨に重ねていた。

 

 電が沈んだ日の事だ。

 いつも通り輸送船の護衛任務だった。

 あの時。電と位置の交代を済ませた直後。

 電の腹部と後部に一本ずつ魚雷が突き刺さった。

 死にゆく妹を視界に捕らえながら、響は呆然とその様子を眺める事しかできなかった。頭が白く塗りつぶされる感覚がした。

 電が謝罪の言葉を口にしてようやく動き始める事ができた。

 せめて、もう少し早く動けていたら。電は救えずとも、電の乗員たちをもっと救助できていた筈なのに。

 救えたのは121名。失われた命は169名。

 多い、少ない。そういう問題ではないのだ。

 

 悔やんでも悔やみきれない。

 もしあの時、交代をせずにいたら、或いは遅らせれば。

 ここに立っていたのは響ではなく電だっただろう。

 そして、彼女は持ち前の明るさと優しさで以て、無愛想な響とは違い時雨に親身になって相談に乗るはずだ。

 ここに居ていいのは、生き残っていいのは自分なんかでは無いはずなのだ。

 なのに。

 

「何が起こったんだ!」

 

 血相を変える時雨に、全てを目撃したらしい日栄丸が説明している。

 そういえば、電が沈んだ時の護衛対象の一隻がこの日栄丸だった。

 ただの油槽船にしておくには勿体ないくらい気を使えるいい子だ。

 あの日も響が一人で居たかったのを見抜いていたように思える。

 動揺していた時雨も日栄丸の静かな声色に冷静さを取り戻していったのだった。

 

 救助活動を終えた浜風が海域離脱を提案する事によって、一人を失った第一補給部隊は目的地へ向け航行を再開した。

 

 その後は何事も無く泊地に到着できた。

 しかし時雨はずっと自失しており、響は時雨が白露と同じ末路を辿らぬよう注意を払っていた。

 埠頭に立ちながら、白露に黙祷を捧げる。

 彼女もまた日帝の誇り在る艦艇だ。いくら彼女の最期が精彩を欠いたものであったとしても、その勲功が色褪せる訳ではない。

 そして、彼女は妹の死に心を痛める一人の少女だった。

 その死は決して穢されてよいものではない。

 

 何人目かすぐには数えられない同僚の死への追悼を終え、響は立ち上がった。

 彼女の無念は時雨が継ぐだろう。そこに響が入り込む余地は無い。

 だから、ここからは二七駆たち白露型の問題だ。

 

 夜の軍港は風が心地よい。

 色素の薄い響の髪が闇中に(なび)く。

 そろそろ寝ようか、そう思った時、後ろから忍び寄る気配を察知した。

 

「……時雨?」

 

「あ、あぁ響か。こんな時間に奇遇だね」

 

「……眠れないのか」

 

 当然だ。

 響も姉妹が沈んだ向こう三日は瞼を閉じても微睡みは訪れる事がなかった。

 時雨もそうなのだろう。

 

「うん。風に当たろうと思って」

 

「そうか」

 

 白露にも思ったが、今の時雨も響と似ている。

 境遇、纏う雰囲気。そういったものが、だ。

 

 響の相槌を最後に会話が途切れる。

 (しばら)く無言が続いた。

 

「響は、さ」

 

「何だい?」

 

「解っていたのかな」

 

「……何を?」

 

「白露の事」

 

「……それは、死んでしまうって事?」

 

「そうだ」

 

 響は改めて時雨に向き合う。

 時雨の瞳からは詰責の感情が見え隠れした。

 これを八つ当たりだと認識しているからだろう。

 

「私なんかが、人の生き死にを分かるなんてあるわけないだろ。……ただ、あの状態ではそう長くは保たないだろうと思っただけだ」

 

 起こるべくして起こった事件だろう。

 戦場は腑抜けが生き残れるほど(ぬる)くない。

 ただ、想定より早かったが。弱った得物を見逃す程、死神は優しくないらしい。

 

「……そうか」

 

「そうだ。あの事故はどう捉えても白露の過失だ。むしろ、清祥丸が海の底まで巻き込まれなくてよかったと思うべきだ」

 

 昔の話だ。まだ()大国(亜米利加)との戦争をしていなかった頃。

 電が深雪(みゆき)と衝突し轟沈させるという事故が起きた。

 同じ特型(従姉妹)を自らの手で沈めてしまった事に電は酷く動顚し、暁はそれを支えた。

 響は何もできなかった。

 

 衝突は致命傷を負った僚艦を介錯(処分)する事よりも辛い。

 なまじ練度不足、注意不足など努力でどうにかできた、そう思えてしまうので(たち)が悪いのだ。

 そして戦場で死なせられない事も辛い。戦士としての相手を侮辱するかのようだ。否、侮辱している。

 最上は三隈を手に掛けた時を思い出しながら響に語ってくれた。

 

 衝突事故を起こしてしまった艦を必要以上に責める者はいない。

 それで沈んでしまった艦も、沈めてしまった艦を責めたりしないだろう。

 白露を責める者はいない。被害も白露の轟沈を除けば軽微だ。

 ただ、白露は誰かに衝突され沈んだのではなく、自分から衝突して自分だけ死んでいった。

 

「…………」

 

 だからこそ、時雨はやりきれないのだろう。

 白露がどんな片言隻語を遺したのかは知らないが、響には白露が耐えきれなくなり先に逝ったようにも思えた。白露の最期の表情を見たわけではないため断言はできないが。

 

 響の言葉を受け時雨の瞳には様々な感情が弱々しく浮かんでは消えてゆく。

 時雨は相当滅入っているようだ。

 響は何か言葉を掛けようとして固まった。

 自分は何を言おうとしたのだろう。

 励ましだろうか。慰めだろうか、それとも。

 

 響は時雨に親近感を抱いていた。

 似たものであると思っていた白露が死んだ途端こう思い出した自分に失笑しながら、理由を探る。

 一番に思い浮かんだのが、第三次ソロモン海戦。その第一夜戦。

 あの日喪失した駆逐艦は暁型一番艦暁と白露型三番艦夕立だ。

 大怪我で内地に留まっていた自分と、夜戦に参加していなかった時雨。

 やはり、状況は似ている。

 

「僕はさ。白露が死ぬなんてこれっぽっちも思ってなかった」

 

 続けて、と目配せする。

 自分はいつも不安で不安で仕方なかったと響は思い返した。

 暁。雷。電。

 彼女たちが沈む映像(姿)を鮮明に想像しては震え、夢に見ては(おそ)れた。

 

山風(やまかぜ)も、夕立(ゆうだち)も、村雨(むらさめ)も、江風(かわかぜ)も、涼風(すずかぜ)も、海風(うみかぜ)も。春雨(はるさめ)、そして……白露も。

 皆、それぞれの強さがあったし、実力もあった。白露型は戦争を潜り抜けるだけの力があると思っていた。死んでいった妹たちには運が無かったと自分を納得させた。だから、絶対に白露だけは沈まないと思っていた。根拠なんて、無いのに」

 

 一気に言い切って、一息ついてまた喋り出す。

 

「妹たちがいなくなるたび、白露の顔は暗くなっていった。僕はそれが嫌だった。僕は白露に求めすぎていたんだ。僕は二番艦(次女)だ。白露(長女)をちゃんと支えてあげるべきだった」

 

 時雨が吐露した悔恨は、響には贅沢に思えた。

 決戦の場で支えようと思っても、隣に立つ事すらできなかったのが響だ。

 妹たちから死んでいき、姉妹の核となる長女(ネームシップ)が居たのが時雨で、長女が真っ先に死んだのが響だ。

 同じ次女でも違う。

 悲劇の対比ほど無意味なものはない、比べられない事だと解ってはいても、思考は止まらない。

 

「僕は白露に大きく依存していたのだとようやく自認できた。夕立が逝ってからかな、こうなったのは。夕立とは特に仲が良かったから。どうして目を離した途端に居なくなってしまうんだと思ったもの」

 

 そこも、時雨と響の違うところだ。

 雷と電は特に仲が良かったから、自然と響は暁と仲が良くなった。それだけ。

 もともと人付き合いが得手ではない響にとって、自分の手を引いてくれる姉はとても有難かった。

 

「別に、それは君に限った話じゃない。今生きている艦は皆別れを経験しているんだ」

 

 何様のつもりでこんな言葉を吐けるのかと、響は響を唾棄した。

 

「……そうだね」

 

 悲劇は平等に降りかかる。

 不平等な点は、遺された側の哀しみを遺していった側が味わわない事だろう。

 仲間、そして姉妹の死を皆見てきたのだ。

 

 例えば、浜風。

 つい五日前だ。彼女の一個下の(谷風)が沈んだのは。あ号発動の下準備として下令された対潜掃討任務で潜水艦に返り討ちにされたそうだ。

 浜風は何でもないように振る舞ってはいたが、押し殺した嗚咽を船渠で響は聞いてしまっていた。

 

「皆凄いよ。この哀しみを乗り越えて戦うなんて、僕には無理だ」

 

「乗り越えている人はほとんどいないんじゃないか。

 これは戦争だ。他の姉妹を遺して逝けないから、必死で生きようとしているんだ」

 

 響も、電が沈むまではそうだった。

 あの約束は、それをはっきりとさせた。

 

「じゃあ、姉妹が居なくなってしまったら?五月雨が死んだら。……いや、僕が死んだら五月雨は独りだ。五月雨は強い。僕なんかよりずっと。でも、支え(五月雨)無くなった(沈んでしまった)ら一体どう保てばいいんだ」

 

 その質問に、響は口を閉じる。

 だが時雨はそれを許さなかった。

 

「無礼は承知だ、教えてくれ響。君はどうして生きていられるんだ?僕だったら命を絶っているかもしれない」

 

 響は、答えようか答えまいか迷った挙句、本音を伝える事にした。

 一人にくらい、自分を知っておいて欲しいと思ったからだ。

 

「私はさ。電と約束したんだ」

 

「……〈死なない〉って?」

 

「ああ。でも、私は長くは()たなかった。だから…………」

 

 誓約の内容は「響と電が死なないよう互いに尽力する」だ。

 電は死に、響は響が死なないよう尽力しようとした。だが半月ほど経てば限界を迎えた。

 既に電は亡く、誓約は崩壊しているからだ。

 死はどうしても尾を引く。爪痕が癒える事は無い。

 

「だから、諦めたんだ」

 

「……?」

 

 電との約束もあり、無為に死ぬつもりはない。

 だけれども、何かを遺せるのなら。希望を紡げるのなら。未来を託せるのなら。

 その為になら、死んでもいいと考えている。

 

「死に場所を探してるのさ。国の為に戦い続けるなんて、私には無理だ」

 

 響は生きるために戦っているのではない。

 軍人として、暁型駆逐艦として。国の為に戦ったと胸を張って姉妹に誇れるよう、響は戦っている。

 極限まで戦い抜き、生に執着せず身を滅ぼす。

 

「私は死にたいんだ。けど、卑劣に臆病に沈むなんて暁たちに顔向けできない」

 

 時雨が気圧されたように喉を鳴らした。

 

「だから殉職したいのさ。誇りある死、私はそれを求めている」

 

「でも、それは」

 

「解っているさ。これは真に戦って死んでいった戦士たちへの冒涜だ。だけど、私も戦士の端くれだから。戦士として死にたいのさ。これは〈駆逐艦響〉の、最後に残った誇りだ」

 

「……そうか」

 

 参考には余りできないけど、この事は誰にも言わないようにするよ。

 悲しげに、しかし満足げに時雨はそう言って去って行った。

 

 響は今度こそ床につこうと、最後に頭を廻らし海とその表面を揺れる波を一瞥した。

 白露や電を呆気なく飲み込んでしまう雄大な海と、跡形も無くしてしまう静かな波を。

 

 

 翌々日、時雨と浜風、秋霜の三隻は響たち第一補給部隊から離れ、機動部隊本隊に合流。

 それが、響と時雨の今世の別れであった。

 



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第五報告:昭和一九年 七月二七日 日本/呉海軍基地

10回くらい見直しして誤字なんてないやいと威張っていた登校前の自分をはっ倒したいですね。報告ありがとうございます。


 

第五報告

 

昭和一九年 七月二七日

日本/呉海軍基地

 

 想定と違う海域での決戦、アウトレンジ戦法の失敗。

 他にも様々な要素が絡み合い、六月中旬に発生した後にマリアナ沖海戦と呼ばれるその海戦は大敗北を喫した。

 この決戦による大日本帝国海軍の喪失艦艇は航空母艦三隻、潜水艦八隻、油槽船二隻。あ号作戦準備段階での轟沈を含めればさらに膨れあがる。

 虎の子である空母を失った事に加え、450機以上の航空機の損失は戦争継続を危うくするほどの被害であった。破損した艦も多いのに対し米国側の被害は僅か。

 これにより日本は制空及び制海権を大きく失い、日本列島近海を敵潜水艦が闊歩する状態になってしまった。マリアナやビアクの失陥を許したため、フィリピンや台湾、沖縄への侵攻は時間の問題と思われる。

 軍部だけではなく内政も揺らぎ、東条英機内閣の総辞職など日本そのものが大きく軋んでいた。

 

 25mm単装機銃一二基一二門、そして一三号対空電探。

 防空性能の強化として響に施された増備工事の内訳である。

 響だけではなく他の様々な艦にもこのような対空性能の強化が計られているようだった。

 

 航空隊が壊滅した今、基地隊は勿論、空母所属隊にすら満足に機体が配備されない。

 貴重な空母はただの置物と化したわけだ。

 防空性能に特化した設計の秋月型も数多くが失われ、改秋月型の計画は中止された。残存する駆逐艦に機銃を増設しても焼け石に水。

 一応悪いニュースばかりではなく、日振型海防艦の量産体制が整ったようだが、それも最早遅い。

 戦況は完全に傾いてしまった。

 そうならないためのあ号作戦だった筈なのだが、その嚆矢(こうし)は敵では無く自分に刺さったという訳だ。

 

 上はこれをどう挽回するつもりなのか。

 陸海軍合同の元帥会議が開催されたらしいが、その内容は下には伝わってこない。

 ただ、劣勢を打破できる新兵器の開発を奮進すると聞いた。

 聯合艦隊全体に暗い雰囲気が漂っている。その新兵器によってこれが解決されればよいのだが。

 暗い雰囲気を発生させている一人である自分が言うのも烏滸がましいかと微苦笑したが、響だけでなく皆がそれを望んでいた。

 

 

 マリアナ沖海戦で、響たちは一度空襲を受けた。

 敵空母部隊の艦載機と思われるそれによって、乗員が四名戦死した。

 乗員が死亡するのは久しぶりの事で一瞬放心してしまったが、五体満足でマニラまで撤退する事ができた。声を掛けてくれた雪風(ゆきかぜ)や旗艦の速吸(はやすい)のおかげだ。

 だが敵の襲来はそれだけで、響は本格的な砲雷撃戦に巻き込まれなかった。後方支援である補給部隊所属であったため当然と言える。

 しかし響は不満であった。

 

 沈む(死ぬ)のならば、誇り高い往生を遂げたい。

 船団護衛ばかりではその目的を達せないと響は考えていた。

 これは決して船団護衛を軽視しているという訳ではない。戦う力を持たない油槽船を護衛するのも小型艦である駆逐の役目であると、響は正しく認識していた。

 だがそれとこれとは別問題。水雷屋として一度は艦隊決戦を経験したい。華と謳われた二水戦のように、戦場(いくさば)で散りたい。

 

 しかし、機を失してしまった。

 もう艦隊決戦なんて起こらないだろう。サイパン島の陥落を受けてどう作戦立案するかによるが、しても一度。

 海戦の時代は変わった。艦載航空機を失った聯合艦隊に未来は無い。空母から敵機が飛来し、瞬く間に味方が爆沈してゆく様子が容易に想像できる。

 響の望みが叶う事はない。響も空から襲われ海の底へと墜ちる事になるだろう。

 

 暁型駆逐艦を含む特型駆逐艦は軍縮条約下で設計された。

 当時は革新極まりない高性能だったがそれは過去の話であり、太平洋で繰り広げられる緒戦では既に旧型と化していたのだ。性能不足、それ故に専ら油槽船の護衛として用いられていた。

 艦艇として生を授かった身は規格を超えて強くなる事はできない。

 今日までやっていた機銃増備といった小改装を繰り返すしかないのだ。

 

 練度は十分、しかし根底にある性能が向上しないのなら、もうどうしようもない。

 ソロモン海戦に参加できなかったのも、電の死を目前に何も出来なかったのも、全て響のせいではないのではないのか。

 否、否、否。

 そんなわけがない。

 努力する事が無為であっていい筈がない。無為である筈がない。

 アッツ近海で空襲を回避できなかった事も、電へ魚雷を放った潜水艦に気づけなかった事も。

 それらは全て響の実力が不足している所為だ。

 響が弱いから起こった事だ。

 

 だから、もっと私に力があればと歯噛みしてきたのだ。

 決して、響にはどうしようもなかった事ではない。

 姉妹の、仲間の死がそんなものであっていい筈がない。

 当然だ。

 でないと。響の、いや生き残っている艦たちの想いはどうなる。

 あの時力が足りなかったから、もう仲間を失わない為に、必死に前を向き足掻いているのに。

 

 嗚呼、世界は残酷だ。

 響はそっと瞼を閉ざした。

 その思考を頭から追い出し、目前の任務に備える。

 

 昨日、支那方面艦隊への転勤を命じられた。

 あと数日もしたら、再び輸送船団を護衛し出撃する事になるだろう。

 門司から沖縄(那覇)を経由して上海まで。

 護衛対象のモ05船団には輸送船五隻が所属していると聞く。

 それを護衛する駆逐艦は響だけだ。哨戒艇や敷設艦が援護につくというが、どこまで頼れるか。

 聯合艦隊が人手不足に陥っている事が如実に顕れているなと苦笑した。

 これが最期の任務になるかもしれない、ぼうっとそう考えた。

 望んでいた事が漸く近づいているが、何となく実感がない。

 

 そういえば、船団の中でも対馬丸と和浦丸、暁空丸の三隻は途中で分離し沖縄の民間人を長崎へと輸送するそうだ。

 沖縄という日本最後の防衛ラインも脅かされている。

 戦火が着々と本土へ近づいている事を実感できる。

 響たち軍人(軍の艦艇)も兵ではなく民間人を護衛する日が来るのかもしれない。

 そうなっても終戦はしないだろう。

 既に後戻りできない段階にまで、日本は追い込まれていた。

 




悲劇の船と名高い対馬丸。彼女は同年八月二十二日、学童疎開輸送任務の途中、米駆逐艦により撃沈されました。


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第六報告:昭和一九年 九月六日 台湾/高雄基地

前話までの誤字すべて修正しました。


第六報告

 

昭和一九年 九月六日

台湾/高雄基地

 

 響は後悔していた。

 また、だ。

 またやってしまった。

 嫌な予感しかしない。

 自分の望みが遠ざかり、同時に死が遠のく。

 死の淵にありながら、響は絶望した。

 

 少し前、九時半頃に起きた出来事だ。

 先月から行っていた東支那海での護衛任務を果たし、ミ15船団からタマ25船団に護衛対象を入れ替えたのだ。高雄を出撃し、内地へ帰投しようとしていた。

 そろそろ沖縄島の南方方面海域に差し掛かるという所で、護衛対象の一人であった永治丸が突如として文字通り真っ二つになった。

 響は動揺を抑えながら、爆沈した永治丸から脱出した輸送中の陸軍兵を救助しようと接近したのだ。

 それが間違いだった。

 

 否、行動自体は誤ってはいなかった。

 だが周囲を警戒すべきだった。

 警戒はしていたが、不足していた。

 

 響の艦首で爆発が起こった。

 触雷したのだ。

 そう理解した時には遅く、艦首だけでなく第一砲塔付近の左舷部も大破した。

 事態を重く見て高雄(ここ)まで戻ってきたのだが、予想以上に傷は深かったのだ。

 これでは捷号(しょうごう)作戦に参加できない。

 

 サイパン陥落を切っ掛けとして、テニアン、グアムと次々に重要拠点が落ちている。

 日本が設定していた絶対国防圏は崩壊した。

 故に大本営は決戦が想定される四つの海域にそれぞれ作戦を練った。

 それが捷号作戦だ。

 一号が比島(フィリピン)方面。

 二号は九州南部、南西諸島及び台湾方面。

 三号が本州や四国、九州、小笠原諸島方面。

 四号が北海道方面。

 最も可能性が高いのは連合軍総裁(マッカーサー)軍による比島方面侵攻であり、その準備が着々と進められていたのである。

 艦艇のみならず乗員も不足している今、響も動員される筈だった。

 その筈だったのである。

 

 また、だ。

 ありえない。

 また修理で死に場所を逃すのか?

 ありえない。

 ありえてたまるか。

 一瞬の気の緩みがこの有様だ。

 ああ畜生。

 どうして、私はこうなんだ。

 

 響の頭の中では、ずっとその言葉が反復して消えては浮かびを繰り返していた。

 

 只管(ひたすら)に無念であった。

 

 

 九日から一一日にかけて響に応急修理が行われ、第一砲塔は撤去された。

 二八日に馬公へ送られ引き続き修理を行ったが、入渠中など知らぬとばかりに来襲する米艦載機と対空戦闘を繰り広げるなど行程は一向に進まなかった。

 捷二号作戦警戒発令、そして台湾沖航空戦、レイテ沖海戦を経た一一月五日、基隆に下がる。

 ただ何もできず訃報を聞く日々は響に尋常ではない心労を与えていた。

 レイテ沖海戦。史上最大の海戦と後に呼ばれる海戦である。この戦いで、聯合艦隊の名簿から戦艦三隻、空母四隻、重巡六隻、軽巡四隻、駆逐一一隻、潜水艦三隻の名が除かれた。そこには極秘建造されていた大和型戦艦武蔵(むさし)や嘗ての聯合艦隊旗艦山城(やましろ)、開戦から戦線を支え続けた航空母艦瑞鶴(ずいかく)などが含まれている。

 そして一水戦も旗艦阿武隈(あぶくま)轟沈を始めとして壊滅的な被害を受けた。かつてマリアナ沖海戦の直前に行動を共にした彼女(時雨)だけが生き残ったようだ。

 だが姉妹の全滅(五月雨の死)、そして僚艦の全滅(部隊の死)を見届けてしまった彼女は自分と同じになってしまったらしい。即ち、目が死を追いかけているのだ。

 時雨は何を思っただろう。あの時、響が投げかけた言葉の意味を時雨は理解してくれただろうか。きっとしてくれただろう。

 響とは違い、砲雷撃戦の中で仲間を失ったのだ。それはきっと、響のそれよりも力不足を突きつけられる感覚が強かったに違いない。

 いずれにしても、響に出来る事は戦士たちの冥福を祈る事だけだ。

 後は任せてくれ絶対に勝つ、何て口が裂けても言えない。同情は抱かない。それは、戦って死んでいった彼女たちへの侮辱だから。

 

 そして、響の身は予想だにしなかった災難に見舞われた。天候不順により乗員たちが赤痢を(わずら)ってしまったのだ。損傷は回復しきっていないというのに。

 本土へ戻る事にしたが、ついでとばかりに爆撃により速力が低下していた運送船護国丸の護衛を命じられ、一一月七日、護国丸と共に出港したが間もなく赤痢は響乗員の間で蔓延。

 

「すまない、護国丸。急がないと危ない。先に佐世保へ行かせて貰う」

 

 足をやられていた彼女を置いていくのは心苦しかったが、一刻の猶予も許されない状態であり、歯噛みをしながら護国丸に告げた。

 快諾してくれた彼女と別れ、佐世保へ。そして呉を経由し一六日に横須賀に帰投した。

 

――まずい、隔離して消毒急げ!

――検疫錨地に回航だ!

 

 満身創痍であった響は磯子区長浜に隔離された。

 響と別れた護国丸が単独航行中に潜水艦の雷撃を受け沈没した事を知ったのは随分後になってからであった。永治丸に続き護国丸まで。二人に心の中で謝罪する。

 護衛任務すら満足に(こな)す事ができない自分が海戦に駆り出される事は無いだろう。

 現状は人手不足であるため、そうとも言い切れないが。

 

 翌年。

 昭和二〇年一月。

 検疫が終了したため修理が再開された。

 取り外した第一砲塔は中旬に帰投した駆逐艦(うしお)のものを譲り受け、移設。

 修理完了後、響は呉に回航され聯合艦隊附属から第二艦隊第二水雷戦隊第七駆逐隊に編入された。

 〈華の二水戦〉と過去に謳われた第二水雷戦隊に嘗ての力は無かったが、響は昔冗談半分に夢想した事が現実のものとなり、乾いた声を溢した。

 ここで移籍になるという事は、何かが近いうちに起こる。

 

 そして、響の中の昏い感情は増した。

 知識としては聞かされていた。だが自分が扱う事になると、やはり嫌な気持ちしかない。

 特殊兵器〈回天〉。九三式酸素魚雷を改造して作られた、人間入り自爆兵器だ。

 

 これが「劣勢を打破できる新兵器」とやららしい。

 回天との協同訓練を行いながら、響は激情を押さえ込んだ。

 この頃から、響の表情は固まり動かなくなっていた。

 




明日の6時、12時、18時に三話投稿して、拙作の幕を下ろさせていただく予定です。


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第七報告:昭和二〇年 三月二九日 日本/瀬戸内海周防灘

今日はイベント最終日ですね。私はこれが投稿される少し前にようやくE4を突破したところです。マエストローエ欲しかったのでこれで満足。
ゴトランド?すまねぇ、亜米利加語はさっぱりなんだ。


第七報告

 

昭和二〇年 三月二九日

日本/瀬戸内海周防灘

 

 三日前、天一号作戦が発令された。

 

 天号作戦。

 発動される事のなかった捷号作戦を練り直したものである。

 沖縄方面に迫った米艦隊を食い止める最後の戦いだ。

 

 響は25mm単装機銃などの増備工事の途中であったが、それは打ち切られ呉を出港した。

 つまり、漸く響にもお呼びがかかったのである。

 

 戦艦大和(やまと)

 それを護衛する、旗艦矢矧(やはぎ)七駆(潮、響)一七駆(磯風、浜風、雪風)二一駆(朝霜、初霜、霞)四一駆(冬月、涼月)から成る第二水雷戦隊。

 大戦を生き延びてきた歴戦の兵で構成された部隊だ。

 

 正しく最終決戦。

 不謹慎ながら、響は久方ぶりに昂揚していた。

 これは艦隊決戦だ。

 敵には空母も戦艦もいる。

 あの回天のように、自分たちも特攻を仕掛けるのだ。

 聯合艦隊の誇りを胸に、突撃するのだ。

 

 大和をちらりと盗み見る。

 その面持ちを見ずとも判る気迫溢れる気配。

 彼女は今まで活躍の場が無かった。

 大艦巨砲主義は終焉を迎え、余りにも燃料効率が悪い大和が運用される筈が無かったのである。

 

 この上ない晴れ(散り)舞台、焦がれ続けた死に場所(最期の海)

 

 やっと望みが果たせそうだ。

 皆、生きて戻れるとは思っていないだろう。

 我らの死は歴史に刻まれ、日本国の礎とならん。

 

 この戦いが戦局に与える影響は微々たるものだ。

 無いと言っても過言ではないかもしれない。

 だが、これは無意味なものではない。無価値では、ない。

 

 大和たちは聯合艦隊が持つ最後の力だ。

 長門や伊勢は動けず、雲竜型の空母も艦載機が無く無力。

 駆逐艦や海防艦、哨戒艇などは若干残存しているが、それも米国の大艦隊の前には無力だ。

 それでも、水雷戦隊の旗艦能力を持つ最後の艦として、矢矧の妹である軽巡洋艦酒匂(さかわ)は最も敵襲されづらい舞鶴基地にて待機を命じられていた。

 酒匂にとってそれは意に反するものであったようだ。矢矧に縋り諭され、大和に一喝され、ようやっと後ろ髪を引かれる思いで絞り出したであろう「御武運を」で彼女は通信を切った。

 彼女も響と同じように、〈出撃できない〉側だったようだ。

 

 だが響は今回出撃する。今度こそ、出撃する。

 二水戦の一員として、旭日旗に恥じぬ戦いをご覧に入れよう。

 響の意気込みは、今まで参戦できなかった鬱憤を晴らすかのように鬼気迫るものがあった。

 

「ひ、響ちゃん」

 

 潮が躊躇しながら響に声をかけた。

 

「何」

 

 響は言葉少なく返答。

 

「あの、ちょっと……殺気立ちすぎというか……少し落ち着いた方が……」

 

「そうか。気をつける」

 

 ぶっきらぼうに返事をしたが、響は潮を悪く思っている訳ではない。

 潮はレイテ沖海戦で壊滅した一水戦の生き残り。

 響に砲塔を提供し、居なくなった姉たちの席(第七駆逐隊)を響に貸してくれた。

 感謝はすれど、という奴だ。思えば、響の仲間にはそういう人しかいない。皆、優しく微笑んで響を暖かく包んでくれた。

 

 潮は何かと響に気を配っていた。

 同じ特型である事も一因なのだろうが、彼女の思いを無下にしたくなかった。

 

 何より、電に似ているのだ。言動も、心の優しさも。

 

 この特攻作戦で、死なせたくなかった。

 ()はこんな戦争で死んで良い人間じゃない。

 だが、彼女も響と同じく誇りを胸に戦う軍人なのだ。その覚悟を穢す事は能わず、止める事など出来ようもない。

 

 潮の目は疲れていた。

 雷轟沈の報せより後、響がふと電を見やると浮かべていた表情と同じ。そして響が見ている事に気づくと、僅かに間を置いて笑ってみせるのだ。その姿は弱々しく、今にも折れそうで、響は自らに怒りを覚えずにはいられない。

 電に、潮に。彼女たちにそんな顔をさせる自分が許せない。

 何よりも、姉妹たちを、仲間たちを殺した敵が許せない。

 

 ……嗚呼。赦せる筈が無い。

 

 特攻だ。

 どうせもう戦争には()()()()

 

 そう考えた途端、響は真っ()になった。

 嗚呼、特攻。いいじゃあないか。

 私たちを殺した鬼畜米英を、少しでも。

 

 潮は「殺気立ちすぎ」と言った。

 確かにそうかもしれない。

 今までが自堕落だったのか解らないが、項垂れ罪悪感を吐き出しながら謝罪を念ずるしかなかった。

 だが今は。敵意を抱きこそすれ、ここまで明確な殺意を燃やした事は無かった。

 沸騰した血で脳が沸き立つ。

 

 故人は戻らない。

 否、戻す事も場合によってはできなくもないが、かの米国と違って日帝にその力はない。

 ならば。この鬱憤を、悲憤を、私憤を。少しくらい敵兵に向けても許されるだろう。

 いや、赦されないだろう。当然だ。その刃は自分に向けて跳び還ってくる。

 素晴らしい。

 巡洋艦を、駆逐艦を、潜水艦を、航空機を。

 魚雷で、艦砲で、爆雷で、機銃で。

 墜とそう。沈めよう。殺そう。

 

 既に呉を出撃して幾許か経つ。

 元は潮の手にあった艤装(砲塔)を強く握りしめ白い眼を紅く滾らせる響を、潮は哀感の目で見る事しかできない。

 しかし、大和も、矢矧も、他の駆逐艦たちも何も言葉を発しない。

 航行中なのだから当然と言えばそうなのだが、余裕が極端に失われている。無理からぬ話だが他人を慮る程の余力が無い。

 皆、姉妹の全て、或いは殆どが英霊となったのだ。

 

 姉妹が、戦友が、僚艦が。

 死に逝くのを目の当たりにし、無力を噛みしめてきた。

 脳裡にちらつく惨劇を、悲鳴から目を逸らしながら今まで戦ってきた。

 

 だが、それも今日までだ。

 この艦隊は、死地に赴いているのでは無い。

 更にその先。亡き者たちの元へ、靖國に向かっている。

 

 御国の為にと敢闘し奮闘し力闘し。

 そして最期に華々しく散る。

 

 軍艇として、聯合艦隊最後の力として()めを果たしながらも、この呪縛から解放される事ができるのだ。

 敵艦隊も大戦力で我らを攻めてくるだろう。

 大日本帝国海軍聯合艦隊の落日に相応しい舞台を米海軍(ネイビー)どもに見せつけてやる。

 我らの死、沖縄諸島の陥落を以て米軍は本土に侵攻してくる。

 そして日帝にはそれに抗う力は無い。敗戦濃厚、然し只で死んではやらぬ。

 我らは最後の刃となり、敵に切り傷を残してやろう。

 意気込みは十二分、戦意は揚々、弾薬燃料も戦闘に支障がない程度にある。

 これで戦果を挙げられぬようでは、戦士を名乗れない。

 母港に別れを告げいざゆかん、目指すは南西。

 

 

 そして。

 血走った眼を滾らせる響を災難が襲った。

 本人の油断と言えばそうなのかもしれない。注意不足と言われても反論できない。

 そう、災難だ。

 

 端的に言うと、響は触雷した。

 後ろの(ほばしら)直下付近にそれは当たり。

 しまった、そう感じる時間すら無かった。

 機雷だったのか、潜水艦の魚雷だったのかは判らない。

 しかし、米国の魔の手は無慈悲に響の意識を刈り取った。

 

 駆逐艦響、自力航行不能。艦電源切断。

 



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第八報告:昭和二〇年 八月一五日 日本/新潟港沼垂岸壁

E5戦力一本目周回してたらオイゲンが来たので満足です。


第八報告

 

昭和二〇年 八月一五日

日本/新潟港沼垂岸壁

 

 運命のあの日、響が痛恨に堪えない失敗で意識を失った日。

 響は朝霜(あさしも)に護衛され呉に戻る途中で目を覚ました。

 自分は最後の戦いに参加すらもできないのかと失意のまま、呆然としたまま、気づいたら呉に帰ってきていた。

 もう二度と戻る事は無いと思っていた場所に戻ったまま、船渠入りした。

 朝霜と途中で別れた事に気づいたのは随分と経ってからで、傷が癒える頃には全てが終わっていた。

 

 四月の七日。

 もうあれから四ヶ月も経つ。

 大和、轟沈。

 矢矧、同上。

 冬月、中破。

 涼月、大破。

 磯風、処分。

 浜風、轟沈。

 雪風、損害軽微。

 朝霜、落伍後轟沈。

 初霜、損害軽微。

 霞、大破後処分。

 大和以下十隻から構成される部隊は坊ノ岬沖で起こった海戦にて壊滅。

 帰還した艦は四隻のみであった。

 

 戦力が失われた第二水雷戦隊及び所属第七駆逐隊は解隊。

 第六駆逐隊の次に与えられた響の所属は須臾にして消えた。

 響の傷は深く、艦体全体の歪みと重油タンク破損による漏油の影響は通常航行すら支障ありと判断された。

 修理を終えた後は舞鶴に回され、七月の頭にはここ新潟湾の防空砲台となる。

 航行できない環境は響の精神をさらに摩耗させていた。

 

 

 胡乱な目で空を眺めていた響の視界に異物が入り込んだ。

 米機。紅く眼を迸らせ響は須臾に迎撃態勢へ移行する。

 機銃を構え、発射。

 久しぶりに艤装が駆動し、増設を重ねた25mm機銃が火を噴く。

 憎き爆撃機。

 響たちが立ち入れない(おか)で民を襲う敵の尖兵。

 戦争とは兵と兵が戦うものだ。

 工場や軍基地だけならばまだしも、無辜を殺すとは何事か。

 多少は過ちがあるのは仕方が無い。だが襲撃を繰り返し、そしてあの原爆とかいう戦術兵器。大量破壊、大量殺戮を目的とし土地を毒する悪鬼の如き閃光。

 非常に腹立たしく、そして忌々しい。

 自分の無力さを更に突きつけられる形となった訳だ、怒気はもはや諦念と化していた。

 まだ、敗北しきったわけではない。

 

 そう、まだ。

 

 結局、あのB-27には逃げられてしまった。

 戦闘音を聞きつけた整備兵が慌てたように出てくる様子を斜眼に見ながら舌打ちする。

 満足に動けないこの体では、航空機一機すら仕留められない。

 艤装から海中に垂れ下がる錨をじゃらりと鳴らした。

 体を動かす事すら気怠く感じる。戦闘行動がままならないのも当然だ。

 

 あの艦載機が去る姿が脳裡から離れなかったので、響は昇ったばかりの太陽を睨めつけた。

 それで何か変わるという訳ではないが、光で印象を塗りつぶそうと思ったのだ。

 時刻は七時ちょっと。天候は少し曇りのある晴れ。

 響が行った機銃発射は、大日本海軍聯合艦隊最期の対空射撃となった。

 

 

 響は新聞(特報)を読んでいた。

 内容は昨日、そして今朝ラヂオで国全体に通達されていた事と同じ。

 

 けふ正午に重大放送

 國民必ず厳肅に聴取せよ

 

 繰り返し、そして一般()民にも伝える事。

 そんなの、ひとつしかないじゃないか。

 とうとうこの時が来てしまったのだ。

 響は新聞紙を握り潰した。

 

――只今ヨリ重大ナル放送ガ有リマス。全国ノ――

 

 正午、放送が始まった。

 街中の、否国中の人々が固唾を呑んでラヂオを見ている。

 響は彼らを遠くから感情の覗かせない瞳で眺めていた。国歌(君が代)が流れ出しても只ぼうっとするのみで、そんな響に誰も注目していなかった。

 

――朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ――

――朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ――

――然ルニ交戦――

――世界ノ――

――朕ハ――

 

 そして、玉音が放送された。

 街からは泣き声が聞こえた気がする。しかし響には音が何も入ってこない。

 

――御名御璽。昭和二〇年八月一四日――

――謹ミテ天皇陛下ノ玉音放送ヲ終ワリマス――

 

 気付くと終わっていた。

 全く頭に入ってこなかったが、矢張り()戦したという事は解った。

 陛下の詔書を、偉い人が再び読み上げたがそれも頭に入ってこない。

 

 響の中で燻り続けていた僅かな火が、消えていく。

 執念、闘争心、復讐心、使命感。そういったものが。

 無くなってゆく。失われてゆく。絶えてゆく。

 

 響の心には、何も残らない。

 

 じゃらりと錨に繋がる鎖が音を出す。

 耳障りだ。

 

 穏やかな波が砕ける音が聞こえる。

 耳障りだ。

 

 啜り泣く国民の声が聞こえる。

 耳障りだ。

 

 ラヂオから放送が聞こえる。

 耳障りだ。

 

 響ちゃん?大丈夫なのです?

 響?元気出しなさい!一体どうしちゃったの?

 響!疲れてるのなら休んだ方がいいと思うわ!私が言うんだから間違いないわよ!

 

 懐かしい声が聞こえた気がする。

 みみ、ざわりだ。

 

 心を閉ざす。

 耳を塞ぐ。

 思考を止める。

 帽子を目深に被り直し、光を遠ざける。

 

 もう、何も感じたくない。

 哀しみも。憎しみも。絶望も。悔いも。焦りも。苛立ちも。

 

 忘れてしまおう。

 誇りも。親愛も。名誉も。安心も。勝利も。

 

 否定する。

 自分を。喪失を。安寧を。感情を。

 

 自然と目から水滴が生じた。

 響はそれに気付かない。

 乾いた頬を伝り、顔からぽたりと下に落ちる。

 塩風に晒され続けたために草臥(くたび)れ、少し(ほつ)れたところもある水兵服に吸われて消えた。

 

 僅か一滴のみで響は涙を涸らした。

 流すべき涙は、もう無い。

 



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最終報告:昭和二二年 七月二二日 ソビエト連邦/ウラジオストク泊地

最終報告

 

昭和二二年 七月二二日

ソビエト連邦/ウラジオストク泊地

 

 南の海を見る。

 新潟湾。あの敗戦の日、響が固定されていた岸壁が見える気がしたからだ。

 もうすぐ一年になる。

 

 響たち生き残った艦艇は武装解除を命じられ、戦争の後始末をさせられた。

 太平洋各所に散らばった陸軍たちの復員、都市から地方へ疎開していた民の復員。

 この任を完了したら、それぞれがそれぞれ、最期を迎えた。

 

 解体される者、処分される者、防波堤となる者。

 そして、敵国に引き渡される者。

 

 米国、支那国、そして蘇連。

 響は蘇連に渡る事になった。

 不可侵協定を突如破り北方を侵略してきた痴れ者の国。

 少なくとも、かつて帝政だったころの大艦隊の精強さは今の露西亜から失われたようである。

 それを聞いたとき、響に一瞬怒りの感情が生じたが、すぐに消え去った。

 敗戦の日から、響の心は動かない。

 ただただ言われた事を淡々とこなすだけだ。

 

 修理を何回も重ねた響はその体を動かすのが精一杯の状態だった。

 武装解除により艤装も奪われ、航行するだけで歪んだ船体が軋む。

 さらに、もう特型駆逐艦は最新鋭艦型ではない旧型艦だ。

 こんな自分を蘇連に渡しても、双方に利益がないだろうと嗤ったが、それは自分が決める事ではない。

 練習艦程度なら務める事もできるだろう。と言っても、日帝の駆逐艦の居住性の()()は悪名高い。どう運用するかは連邦(ソビエト)次第だ。

 ただ蒸気式の缶本(タービン)が採用されていないこの寒い国は、自分をさぞ持て余すだろう事は想像に難くない。

 実際、ここの技術兵たちが響を見て頭を抱える様子は少し可笑しかった。その感情もすぐどこかへ行ってしまったが。

 

 水平線から目を逸らし、手にある露西亜(ロシア)語教本を眺める。

 意思疎通が出来ないと不便極まりないという事で渡されたものだ。

 そこには見慣れない文字で新しい自分の名が書かれている。

 Верный(ヴェールヌイ)

 真実の、だとか信頼できる、とかいう意味らしい。

 つい先程改名されたのだ。

 自分のどこが信頼できるのかヴェールヌイには解らなかったが、もう自分が日の本の軍人ではないのだという事を突き付けられた気がして嫌悪感しか湧かなかった。

 自分にはその資格が自分にないと思い、ヴェールヌイは何も言わなかったが。

 時間が経てば、この名前にも誇りを持てるのだろうか。響という名に抱いていたそれは捨ててしまったヴェールヌイには、判断の出来ない事であったが。

 

 思えば響は、負傷し治療している間に、何もかもが終わってしまう。

 肝心なところでの詰めの甘さが、響の()生を決定づけた。

 最初は、皇紀二六〇〇年の記念艦覧式だった。あの時はただ残念というか悔しいだけだった。

 その次は第三次ソロモン海戦。暁を失ったあの戦いから全てが崩れ始めた。

 雷が沈んだときは電と共に対空強化改装を受けている時だった。

 レイテ沖海戦では自分と似ているようにも感じた時雨が死んだ。

 天一号……いや、菊水一号作戦の坊ノ岬決戦は。参加できなかったがこれ以上無いほど悔やまれる。大和や矢矧は満足に死ねただろうか。ヴェールヌイに海戦の詳細は知らされていない。

 

 何て自分は罪深いのだろうか。

 そもそも参加しなかったという理由で生き残ってしまったのだ。

 自分にはかつての時雨や、響と同じく残存した雪風のように武勲があるわけでもない。

 自分が参加して残した勲功はキスカの撤退作戦くらいなものだ。 

 つくづく自分が嫌になる。

 

 そして居なかったことを言い訳にしてたまるかと、すぐ傍で起こった電と白露の轟沈が響に突き刺さる。

 

 自分には祖国を懐かしむ資格すらないのだ。

 もう一度、祖国がある方角を見たあと、ヴェールヌイは配給されたばかりで糊がとれていない帽子を目深に被った。

 帽子につけられたソビエト連邦所属を示す星と交差する農具の二つの赤い徽章(バッジ)が、海面に照り返す僅かな陽光に反射して煌めく。

 

 ヴェールヌイの白い瞳に再びものが映るのは、何年か先のことである。

 




これにて拙作、そして駆逐艦響の物語は終幕です。
状況解説がごちゃごちゃとあり読みづらかったと思いますが、読んでいただきありがとうございました。
以下はおまけです。響及びヴェールヌイの轟沈ボイスのネタバレを含むのでご注意ください。



謎の文書
平成■■年 ■月■■日 ■■/■■島■■■泊地


――数ある特型駆逐艦の中で、最後まで生き残ったのが、響。

 色素が薄い髪を青い海の上に踊らせて。

――その活躍ぶりから不死鳥の通り名もあるよ。

 白い瞳を嬉しそうに細める。

――不死鳥の秘密は修理のタイミングにもあるんだよ。

 小さな口を動かして姉妹と言葉を交わし。

――賠償艦としてソ連に引き渡され「信頼できる」という意味の艦名になったんだ。

 無表情にも見える顔は喜色に彩られ。

――Верный、出撃する。

 頭の上には星と工具の徽章がついた帽子が誇らしげに乗る。

――私は任務中に眠くならない。

 躯の上に〈妖精〉を乗せ。

――信頼の名は伊達じゃない。

 背には艤装。

――良いな、Спасибо(ありがとう)

 足で波を乗り越える。

――静かな海は……嫌いじゃない。

 人の姿を得た悲劇の軍艇たちは人類の危機に現れた。
 海を赤く染める深海の怪物たちを討つために。

――до свидания(さよなら。再開を祈って)……

 かつては実現しようもなかった配属に、作戦に、共闘に。
 艦娘たちは仲間との再開に噎ぶ。

――私の……最後(本当)の名は、Верный()………………

 海に還るその時まで。

――司令官、作戦命令を。



あなたも、改造で装備を持ってこない以外に欠点が無い響を育てましょう。
対潜高いし大発も積めるよ!


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