NSCI kai (草浪)
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NSCI kai #01 再編

国会での爆発事故。

多くの議員がいた国会で、謎の大爆発がおき、多くの死傷者を出したと報道されています。原因は不明とされ、テロだという声も上がりましたが、あくまでも事故だという結論が出され、世間にはそう報道されています。

深海戦争から十年、国民はそんなことがあったことも忘れています。だからこそ、事故だという結論でも満足したんでしょう。

野分はその時、青葉さんの指示で現場にいました。というのも、日向さんに取材をする為です。近々、野分がいた海軍特別捜査局捜査一課七係が再建されるという情報を得たからです。情報を得た、というよりも日向さんからの内示が野分に出たからです。

そして、日向さんにお会いする直前に起きた爆発事故。これは偶然と言えるでしょうか。

そんなはずがない。

これが日向さんに対する誰かからの宣戦布告であることは明確でした。

 

ーーーー

 

「こちら野分。指定のポイントに着きました」

 

本来は稼働している筈がない廃工場。カビと埃、そして普通に生活をしていれば絶対に嗅がないであろう臭いが充満する排気ダクト内を進んだ野分は事前のブリーフィングで指定された場所になんとか辿り着きました。ダストマスクを着用しているのにも関わらず、この頭が痛くなる様な臭いがするのです。これを外したら間違いなくこの場で気を失うでしょう。

足柄さんがどんなハイテクよりも信頼性と押し付けられた新しい装備、UMP45を背中に背負っているせいで狭いダクトの天井に当たり何度かガンガンと音を立てましたが、何とか無事に辿り着くことができました。

 

『了解。見えているわ』

 

インカム越しに矢矧さんの凜とした声が聞こえます。

暗いのにサングラス。野分にとってこれは邪魔以外何者でもないのですが、このサングラスに内蔵された小型化カメラの映像を矢矧さんは見ています。野分の暗い視界もこのカメラに補正されてミラーレスカメラのEVファインダーの様に見えます。

 

『こちら足柄。用意よし。いつでもいいわよ』

 

足柄さんも配置に就きました。

野分は内部の空気を外に吐き出すための穴から少しだけ顔を出し、中を伺いました。

頭がおかしくないそうな匂いが少しだけ緩和されますが、しないわけはありません。

 

「こちら野分。内部映像を送ります。捜査対象であるかどうか確認をお願いします」

 

『間違いないわ。そこに置かれている車両は全て盗難車よ。ご丁寧にナンバーもそのまま。間抜けな連中ね。仕事が楽で助かるわ』

 

『あら? 仕事の楽さは終わってみないとわからないわよ? それに、現場の映像を見ながら指示を出すだけの仕事じゃない。楽なのは当然よ』

 

足柄さんが嫌味を言います。

というのも、矢矧さんと足柄さんはとても仲が悪いからです。

 

『そんな大口を叩くなら仕事を完遂して頂戴。二人のタイミングで突入して頂戴。あとの指揮は足柄に任せるわ。誰一人殺さないで頂戴。話が出来ればどうなっていても構わないわ』

 

「『了解』」

 

野分は腰につけたラペリング用のケーブルの先端につけられた吸盤をダクト内に貼りつけました。いくら元艦娘だと言え、この高さから何もなしで降りれば怪我はします。

 

『のわっち。あなたのタイミングで初めて頂戴。こっちはいつでもいいわ』

 

「了解しました。降下中はどうしても無防備になるので援護をお願いします」

 

『わかってるわよ。のわっちには指一本触れさせないわ。あなたの突入の少し前にこっちは入るわ』

 

「指じゃなくて弾が飛んでくるのですが……」

 

足柄さんにのわっちと呼ばれるのは久しぶりですね。

 

『二人ともふざけないで真面目にやってくれるかしら?』

 

『こういう時、日向だったら冗談の一つでも言って場を和ませてくれるんだけどねぇ』

 

多分日向さんも「真面目にやれ」と言うと思いますが。

足柄さんはどうかわかりませんが、野分はこうして足柄さんとまた仕事が出来ることに少し浮かれています。

 

「いつでも行けますよ」

 

『合図を』

 

「降下5秒前……4……3……」

 

『出るわ!』

 

下で走る車と車がぶつかった様な派手な音がなりました。

 

「特捜よ! 大人……」

 

足柄さんが言い切る前に発砲音が響きました。野分はそのタイミングでフェンスを外し、中に突入しました。重力に身を任せ、一気に降下します。

 

「足柄さん!」

 

『無事よ! のわっちは!?』

 

「こっちも降下しました! 無事です! 見えたのは8人です!」

 

地面に着地し、ラペリング用のケーブルを切って背中に背負っていたUMPを構えます。

 

『全部で8人よ。気を付けて』

 

矢矧さんがそう言います。これは降下している野分からの映像を見て確認したのでしょう。

 

『もうのわっちが教えてくれたわ。二人やったわよ』

 

残り6人。久々の鉄火場にUMPを持つ手に力が入りますね。

 

 

ーーーー

 

事故の後、野分が呼び出されたのは鳳翔さんのお店でした。

いつも掛かっているはずの暖簾も外され、休業日と書かれた張り紙がしてある扉を開けて中に入ると、厨房に立つ鳳翔さんはいつもの笑顔で「いらっしゃい」と声をかけてくれました。

 

「もうみんな来てますよ」

 

「まだ20分前だと言うのに……皆さん好きですね」

 

鳳翔に会釈をし、奥のあがりの襖をあけると、足柄さんがブスッとした顔で日本酒を飲んでいました。

 

「お久しぶりです」

 

「久しぶりね」

 

「やっと来たか……」

 

靴を脱いで座敷に上がると、車椅子姿の日向さんが見えました。

頭には包帯を巻き、顔の半分が隠れています。腕と足にはギブスをはめ、何とも痛々しい姿でした。その横に正座をして座っている矢矧さん。

 

「日向さん……」

 

「まぁ、座れ」

 

日向さんに促され、足柄さんの横に座ると、矢矧さんが車椅子の日向さんにビールの入ったグラスを渡しました。足柄さんも野分にビールを注いでくれました。

 

「揃ったことだし始めよう。もう始めてるやつもいるが気にしないでくれ。乾杯」

 

「「「乾杯」」」

 

こういう時、誰よりも燥ぐ足柄さんが静かにおちょこを掲げ、そのままグビッと飲み干して手酌で注ぎなおしました。

 

「野分もわかっているとは思うが、七係が再編されることになった」

 

日向さんは矢矧さんに飲み終えたグラスを渡すと、足柄さんの飲んでいた日本酒の入った徳利を指差しました。

 

「病人なんだから大人しくしていてください」

 

矢矧さんがそう言うも、足柄さんは何も言わずに日向さんに徳利ごと渡しました。

 

「……お前は上司にこれごと飲めというのか?」

 

「どうせ飲むんでしょ? わざわざ注ぎにいくのもめんどくさいわ。のわっち。二合頼んで」

 

「足柄さん……程々に……」

 

「いいからいいから。のわっちも好きなもの頼んでいいわよ。あちらさんの奢りだって言うんだから」

 

妙に機嫌の悪い足柄さんに促され、野分は鳳翔さんにお酒と食べるものを適当に頼みました。

 

「足柄には軽く話したが、そろそろ本題に入ろう。矢矧」

 

日向さんがそう言うと、矢矧さんは頷き、野分の方を見ました。

 

「七係再編にあたり、私も編入される事になりました。よろしくお願いします」

 

「こちらこそよろしくお願いします」

 

野分がそう頭を下げると、足柄はそっぽを向いてしまいました。

足柄さんと矢矧さん、そんなに仲が悪かった印象はありませんが。

 

「お二人には私の指揮のもと動いて貰います」

 

「……日向さんは?」

 

「日向さんは議員さんになられるそうで、私達を票集めの為に利用するそうよ」

 

「……それは本当ですか?」

 

そうだとすればがっかりです。お二人は何も言いません。

 

「そうですか……野分はこの話、辞退させて頂きます」

 

野分がそう言うと、足柄さんは嬉しそうな顔をしました。

 

「だそうよ。また新しい子を探せばいいじゃない。あなたに従順な子たちをね。のわっち。あっちで二人で飲み直しましょ。私の奢りよ。好きなものを頼みなさいな」

 

足柄さんに促され、席を立ちました。

 

「待ちなさい!」

 

矢矧さんがそう怒鳴りましたが、足柄さんは睨むように二人を見ると、野分の背中を押しました。その時、日向さんの聞き慣れたため息が聞こえました。

 

「お前たち……しばらく会わないうちに随分変わったな」

 

「あら? 私はここであなたに会うまで変わらなかったわよ? 変わったのはあなたの方ね」

 

「野分もそうです」

 

「じゃあ聞くが。お前たちは口下手な私が選挙で勝てるとでも思っているのか?」

 

そう言われ、少し考えます。

選挙の車の上で、ハチマキを巻いた日向さんが演説している姿を想像してみて、違和感を感じます。

 

「あれね。緑の法被を着てそうね」

 

「そうですね……そしてひたすら瑞雲の良さを喋ってそうです」

 

「お前たちが私のことを馬鹿にしているのはよくわかった」

 

日向さんはまた盛大なため息を吐くと、「座れ」とあの時の様な口調で言いました。

なんとなく、そう言われると野分も足柄さんも素直に応じてしまいます。

 

「足柄。そこの私の鞄に入っている名簿を出してくれ」

 

「ちょっと! 勝手なことをされたら困るわ!」

 

矢矧さんが立ち上がり、足柄さんを止めようとしました。ですが、立ち上がった矢矧さんの腕を日向さんが掴みました。

 

「これでいいのかしら?」

 

「それを野分と二人で見てくれ」

 

そう言われ、足柄さんの手元の名簿を覗くと、そこには知っている名前が並んでいました。

 

「この名簿は?」

 

「未だに艦娘としての力を有している者の名簿だ。それは公式のもの。3枚目を見て欲しい」

 

足柄さんは野分がざっと目を通したのを確認して、三枚目まで捲ると、また同じ名前が載っていました。でも1枚目、2枚目には載っていない人もいました。

 

「そこからは非公式のものになる。つまり、記録上は解体されたが解体されずに今を生きている者達だ」

 

「こんなにたくさん……それで、これがなんだって言うのよ」

 

「日向さん。これ以上話せばあなたの立場が危うくなることぐらいわかっていますね? この再編の話、あなたが通したわがままも通らなくなりますよ?」

 

矢矧さんがそう言うと、日向さんは鼻で笑いました。

 

「わがままか……私の中でこの二人以上の人選はないと思うがな」

 

「それは私が判断することです」

 

「そうか。なら私の後釜の話、無かったことにさせてもらうぞ。足柄。すまないが私を背負ってくれ。野分は車椅子を頼む。向こうで飲み直そう。私の奢りだ。好きなものを頼め」

 

よく話が見えませんね。

足柄さんは日向さんの言うがまま、日向さんを車椅子から担ごうとしています。

 

「待ちなさい! 話はまだ終わっていません!」

 

「話も何も、こいつらが聞こうとしないんだから仕方ないだろう? 私は昔の部下との団欒を楽しむ。お前はこの結果を大和に報告しなくてはならない。この場はお開きになるだろう?」

 

足柄さんに抱えられた日向さんは自信たっぷりという顔で矢矧さんを見ました。

野分は言われた通り、日向さんの車椅子を持ち上げて座敷から下ろしました。そこに、足柄さんが日向さんを乗せます。

 

「矢矧よ。足柄も野分も元捜査員だ。その気になればお前達が隠し通そうとしていることなど一瞬で見抜かれるぞ」

 

先ほど野分が注文したものは、近くのテーブルに綺麗に並べられていました。鳳翔さんがしてやったり顔でこちらを見ています。

 

「全てを、七係の長であるお前が二人に説明すべきだ」

日向さんがそう言うと、足柄さんは日向さんの車椅子を押し、料理が並んだテーブルまで運び、日向さんの横に座りました。野分は日向さんの対面に座ります。

 

「……わかったわ。全てを話すから……私の言うことを聞いて頂戴」

 

矢矧さんはそう言うと、仕方なしといった様子で野分の横に座りました。

 

「そもそも気に食わなかったんだ。どうして私が車椅子だと言うことを知っていて座敷なんだ。料理も飲み物も取れないじゃないか」

 

「仕方ないわね。私が取ってあげるわ。何が食べたいの?」

 

「そこの唐揚げをいくつか取ってくれ。この体になってから揚げ物が出てこなくてな」

 

先ほどの不機嫌はどこにいったのか。足柄さんは上機嫌で日向さんの取り皿に唐揚げを乗せていきます。

 

「私の話を聞く気はあるのかしら?」

矢矧さんが睨むように足柄さんを見ます。

 

「あなたの話は小難しそうだから、要点だけ言いなさいよ。うちのボスみたいに」

 

 

ーーーー

 

UMPを構えて狙いを定める。

照準器はついていませんが、野分のかけているサングラスとリンクしているのでどこに照準しているのかが表示されるようになっています。便利な世の中になったものだと感心しますね。目的は殺害ではなく無力化することです。

弾が当たっても致命傷になり得ない部位に狙いをつけて引き金を引きます。

 

「まず一人」

 

引き金を引くと前のベクターよりも力強い反動が肩を押します。

けど、しっかり保持はしているから大丈夫。そう思っていたはずなのに弾は何故か野分が狙った二の腕ではなく、脇腹に弾が当たりました。

 

『野分! ちゃんと狙いなさい! 殺したら何も聞き出せないわ!』

 

「すいません……」

 

大丈夫だと思っていても、勘が鈍っているのでしょうか。

これがカメラだったら絶対に外しません。しっかりとフレームに収めています。

向こうの銃撃を避けて、足柄さんと合流すると、足柄さんはかけていなきゃいけないサングラスを頭に乗せて、アイアンサイトで狙いをつけていました。

 

「足柄さん……これ……」

 

「私はこっちの方が見やすいからこうしてるだけよ」

 

「そうですか」

 

もう一度、しっかりと構えなおし、狙いを定めて撃ってみる。

幸いにも向こうは銃の扱いにはなれていません。こっちに飛んでくる弾はすべて見当はずれな方に飛んでいきます。

 

「もう一人」

 

完璧に捉えた。

そう思ったはずなのに弾は当たりませんでした。

 

「ズレているのですか……」

 

けれど、捜査上の記録は残さないといけません。頰付けをしっかりして、アイアンサイトを覗き込みます。

 

「見辛い……」

 

光学機器に慣れすぎたこと。アイアンサイトも丸の中を覗くことに慣れていたこと。拳銃と違って相手を指差すように狙いがつけられないこと。野分の訓練不足は別として、持っている装備をちゃんと確認しなかったことを後悔します。

青葉さんが、カメラは見なくてもちゃんと操作が出来るようになるまで練習すると言っていたことを思い出します。

 

「のわっち。前進するからカバーして頂戴」

 

「わかりました」

 

ある程度なら狙いはつけられます。

足柄さんが前進する間、相手に撃たせなければいい。後は前進した足柄さんを狙う無防備な相手を撃てばいい。簡単なことです。自分にそう言い聞かせます。

両手でしっかり構えて、飛び出そうとしている足柄さんのお尻を膝で軽く蹴ります。

それと同時に足柄さんが飛び出す。そのタイミングで野分は牽制射撃を加えます。

 

『よくこんな技術知っていたじゃない!』

 

嬉しそうな足柄さんの声が無線越しに聞こえます。

 

「なんとなくです。日向さんに叩き込まれた技術を体が覚えていたのでしょう」

 

『さすがはのわっちね。頼りになるわ』

 

結局、足柄さんがほぼ全てを制圧してしまい、野分が倒したのは一人だけでした。

 

「ハイテクよりも信頼性……ですか」

 

足柄さんの言っていた意味がわかりました。

今回は相手が素人だから何とかなりました。けど、次はどうなるかわかりません。

 

「のわっち。お疲れ様。助かったわ」

 

「こちらこそ助かりました。駄目ですね。このままじゃ」

 

「ゆっくり思い出していけばいいわ。日向に教わったことは忘れていないようだしね」

 

足柄さんはそう言って野分の頭を軽く叩くと、無力化した相手を捕縛しに向かいました。いけない。野分も手伝わないと。



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NSCI #02 再始動

オフィスは以前と同じく、捜査局建物内の小さな部屋ですが、以前よりも殺風景になりました。足柄さんが溜め込んだ書類の山も、野分が書いてきた書類も全て処分された棚は当分は手荷物置きになりそうです。そしてなによりも七係の重鎮がいません。

 

「足柄捜査官。この間違いだらけの書類はなんですか?」

 

それまで日向さんが座っていた席に座るのは、黒いパンツスーツを着込んだ不機嫌そうな矢矧さん。そして、その前に立つのはこれまた不機嫌そうな足柄さん。

 

「間違い? その書類に書いてあることは全て事実よ」

 

足柄さんは片眉を吊り上げ、挑発するように言いました。矢矧さんは足柄さんじゃらちがあかないと思ったのか、野分の方を見ました。

足柄さんが矢矧さんに提出した書類の作成には野分も関わっています。ですが、その報告書は内々に済ますものでは無く、矢矧さんが非公式に義務付けた大和さんに提出する書類です。

 

「野分もその内容で間違いないと思います」

 

野分はそこにあったクリアファイルで顔を隠しながらそう言いました。

ですが、クリアということは透明です。少しだけ視界がボケますが、矢矧さんが不機嫌極まりない顔をしているのがはっきりとわかります。

 

「私もあの現場にいたのよ? これが事実ではないことはわかっているわ」

 

「ならあなたが書けばいいじゃない。私達は大事なお昼休憩を潰してまでそれを書いたのよ」

 

書類の作成の指示は今朝言い渡されました。先日の廃倉庫の捜査に関するものです。

それを昼までに仕上げろと言われた足柄さんと野分は大急ぎで仕上げました。書類の作成自体は一時間もあれば終わるものですが、何を書くか。それを選ぶのに時間がかかりました。

 

「中に突入したのはあなた達よ。あなた達の名前が必要なの」

 

矢矧さんも食い下がりません。

 

「私は大和に事の詳細を報告する義務があるの。あなた達が今こうして捜査出来るのも大和のおかげだということを……」

 

「私は日向に言われたから仕方なくここに戻ってきたの。のわっちもそうでしょ?」

 

「話の流れはそうなっていますね」

 

正直に言うと、野分も矢矧さんのことは信用していません。

矢矧さんは規則に則った当たり前のことを言うだけで本心が読めません。野分は青葉さんの下でジャーナリストとして様々な人と話をしてきましたが、矢矧さんは基本的にこちらの言うことを聞こうとはしません。腹を割って話すということを極端に嫌う人です。

 

「今の七係は私の指揮下にあります」

 

「だから何よ?」

 

「私の命令に従いなさい。別にあなた達を悪いようにはしないわ」

 

矢矧さんがそう言うと、足柄さんは鼻で笑いました。

それもそのはずです。日向さんの時も足柄さんは好き勝手やってましたし、野分も自由にやらせて貰いました。それに日向さんには有無を言わさない迫力がありました。それに慣れすぎたのでしょう。

 

「日向があなたを選んだ理由がわからないわ」

 

足柄さんはそう言うと、踵を返し部屋から出て行きました。

野分と矢矧さんだけが取り残された部屋で、矢矧さんは疲れ切ったため息をつきました。

 

「あなたも私じゃ駄目だと思っているの?」

 

「別にそうは……」

 

思っていないわけじゃありません。そもそも野分は矢矧さんのことをよく知りません。

 

「正直に……」

 

「のわっち! ご飯に行くわよ!」

 

部屋に戻ってきたの足柄さんはハンカチで手を拭きながら野分にそう言いました。

チラッと矢矧さんを見ると、矢矧さんは黙って頷きました。

 

「わかりました。行きましょう」

 

矢矧さんに一礼し、部屋を出ようとした時、矢矧さんの何度目かわからないため息が聞こえました。

 

ーーーー

 

足柄さんにご飯と言われて連れてこられた場所。それは野分達がお昼休憩と称し、いろいろ仕事の話を日向さんと足柄さんと気兼ねなく話していた気軽な会議室、行きつけのファミレスでした。

店員さんも野分達のことを覚えていてくれたのでしょうか。他の席から目のつきにくいいつものボックス席に案内されました。適当に注文を済ませると、足柄さんはお冷を飲み干し、足を組み替えると腕を組みました。足柄さんが苛々している時にする動作の一つです。

 

「のわっちは今の環境、どう思っているの?」

 

足柄さんは野分と顔を合わせようとはせず、ジッと窓の外を、野分達の海軍特別犯罪捜査局の立派な建物を見ていました。

 

「やりにくい、ですね。日向さんの考えていたことはわかりませんでしたけど、目指す場所は明確でしたから。まぁ、あの時の野分は日向さんと足柄さんについて行くのが精一杯でしたから偉そうなことは言えませんけど」

 

「私はやり方が気にくわないわ。日向は日向の信じる正義の為にやっていた。けど矢矧は違う。大和の理想の世界を作り上げる為に私たちを利用しているようにしか思えないわ。人に利用されるのは構わないけれど、信じろと言われるのと、やれと言われるのであれば断然前者がいいわ」

 

店員さんが足柄さんのカツカレーとおかわり自由の珈琲を持ってきました。

いつものごとく、足柄さんはスプーンで器用にカツを一口サイズに切り分け、ご飯とカレー、そしてカツとバランスよく食べます。

 

「その点に関しては野分も同感です。日向さんは野分や足柄さんがやりことに関して、日向さんの立場が悪くなるかもしれないのを承知してやらせてくれましたからね」

 

別に好き勝手やっていたわけではありません。

足柄さんも野分も、日向さんならどうするか、それを考えて行動をしていたような気がします。無口で無愛想。けど、それは頭の中で野分が解けない問題を解こうと必死に考えていたのではないでしょうか。

 

「あの頃は日向の言うことを聞いていればよかった……そういう言い方は癪だけど、良くも悪くも、日向は私やのわっちのことをよく知っていた気がするわ。だから私、足柄という一員を動かすことに長けていたし、私も不満は感じたけどやりやすいように仕事をさせてくれている実感もあったわ」

 

それにしても、いつもここは野分のパスタを出すのが遅いですね。しばらく来ないうちに野分が好きだったナポリタンが値上がりしていたことには驚きましたけど、提供するまでの時間の遅さは変わりませんね。

 

「けど、野分達を矢矧さんの七係に配属を決めたのも日向さんです。きっとそのうち戻ってきそうな気もしますけどね」

 

「だといいけど……そういえば、この前の強制家宅捜索の矢矧が書いた報告書、あれ読んだ?」

 

「いえ、野分はまだ……というより、あれは矢矧さんが考えたプレス向けのカバーストーリーでしょう?」

 

「読んでるじゃないの」

 

「ざっくりと読んだだけで、熟読はしてません」

 

確か、矢矧さんは海軍関係者向けの覚せい剤の密造工場を検挙したと書いていたはずです。野分と足柄さんに命じられたのは反抗する容疑者の無力化だけでした。その後の捜査からは外され、矢矧さんが指揮していた捜査班と入れ替わり、足柄さんの車で家に帰ったのは覚えています。

 

「捜査対象のブツ、私の昔の上司曰く結構厄介なものらしいのよね」

 

「ただの覚せい剤ではないと?」

 

「そうみたいね。私も詳しい話は知らないわ。けど、いずれそれが欲しいが為に犯罪を犯す子が出てきてもおかしくない、と言っていたわ」

 

足柄さんは犯罪を犯す子、と言いました。

野分にはそれが妙に引っかかりました。足柄さんの昔の上司というのは恐らく陸奥さんのことでしょう。もし仮に陸奥さんがそう言い、足柄さんも聞いたセリフをそのまま言ったのであれば、子という表現は若い人のことを指しているのかもしれません。

やっと運ばれきたナポリタンを一口食べて、スプーンの上で麺を絡ませたフォークを回す。綺麗な一口サイズになるように整える。

 

「私、何か変なこと言ったかしら?」

 

「いえ、何も……どうしてですか?」

 

「もう十分一口で食べられる量が巻きついてるじゃない。いつまで回してるのよ?」

 

「……最近、口が開けられなくなりまして」

 

「考え事をすると、手を動かす癖は昔と変わらないみたいね」

 

まさか足柄さんにそんなことを言われるとは思いもしませんでした。

苦笑いを浮かべ、フォークに巻きついたパスタを口に運びます。

 

「もしそうだとすれば、日向が私たちをここに戻した理由はそれに関わることなのかもしれにないわね」

 

足柄さんはそう言うと最後の一口を食べ、店員さんにコーヒーのおかわりを貰いました。

よくカレーをコーヒーで食べれますね。野分には考えられませんが、カフェインで動く足柄さんにとってはそれが重要なのかもしれません。

 

「別に急かすわけじゃないけれど、あの厳しい矢矧さんのことだからあんまりゆっくり食べてるとお小言いわれるかもしれないわ」

 

足柄さんの言葉にハッとした野分は慌ててパスタを食べ始めました。

そんな野分を足柄さんは懐かしそうに見ていました。

 

ーーーー

 

デスクに戻り書類作成の仕事をしていると、携帯の着信音が二つ鳴り響きました。

一つは野分の、もう一つは足柄さんのものです。足柄さんは携帯のディスプレイを見ると、心底嫌そうな顔になり、ひとつ大きなため息を吐くと携帯を持って部屋から出ていきました。

 

「もしもし?」

 

『日向だ。急を要する事件が起きた。足柄と二人で急行してほしい』

 

野分はチラッと矢矧さんを見ました。矢矧さんは野分のことを不思議そうに見ています。矢矧さんから顔を背け、携帯のマイクを手で隠し小声になりました。

 

「日向さんの命令でも、さすがに矢矧さんの指示も出ないまま出動するのはマズイかと……」

 

『連絡系統に遅れが生じているんだ。直に矢矧の耳にも入る。だが、それでも矢矧は動かん。先にお前たちが行動を起こせ。動ける手配は既にしてある』

 

「わかりました……矢矧さんにはなんと?」

 

『特に何も言う必要はない。お前たちが手柄を立てれば矢矧の評価はあがるだろうし、失敗すれば独断専行でお前らが罰せられる。うまくやれよ』

 

「了解しました……万が一の時はよろしくお願いします」

 

『私は出来ないことを押し付けない主義でな』

 

日向さんはそう言いのこし電話を切りました。そのタイミングで足柄さんも部屋に戻ってきました。

 

「…………ねぇ、のわっち。気分転換にドライブにでもいかない?」

足柄さんのあからさまな嘘に矢矧さんは目を細め、訝しげに足柄さんを見ました。

 

「……そうですね。とりあえずこっちも一区切り着きましたし……お腹も空きましたし、出かけましょうか」

 

野分にしてはうまくやったと思っています。

矢矧さんの野分達に対する不信感は拭い去るどころか、ますます強いものになった気がしますが。

 

「野分はともかく、足柄。あなた一区切りどころか手もつけてないんじゃないの?」

 

「失礼ね……少しはやってるわよ。ただのわっちが大変そうだからここは先輩として面倒を見てあげなきゃいけないでしょ?」

 

「却下です。二人とも席に……」

 

座りなさいと言いかけた時、矢矧さんの電話が鳴りました。矢矧さんが電話に気を取られた一瞬の隙をつき、足柄さんと野分はすばやく部屋から退出しました。

 

ーーーー

 

「のわっちの方は日向からかしら?」

 

駐車場のあるフロアまで階段を全力で駆け下りながら足柄さんは普通に話しました。

 

「そう……ですね……日向……さん……から……です!」

 

それに対して野分の息は切れ切れです。

もし矢矧さんに勝手に出動することを知られたらエレベーターを止めかねない。という判断です。

いくらなんでも、そんなことはしないだろう。そうお思いでしょうが、先ほど放送でトラブルの為にエレベーターが全て止まっているというアナウンスが流れました。

これが偶然というのなら、矢矧さんは余程の幸運の持ち主でしょう。

 

「しかし……よく……矢矧……さんが……そんな……ことを……」

 

「のわっち、無理して話せば余計に辛くなるだけよ。矢矧は保守的だけどなんとなく日向に似てるのよ。だからやりかねないと思ったの。それに、むかし髪が白い腹黒空母に自分が制御出来ない物よりも自分の手足を頼れって教わったのよ」

 

髪が白い空母の方で腹黒い方なんていましたでしょうか。翔鶴さんは優しそうですし……てことは雲龍さんのことを言っているのでしょうか。

 

「あなたは知らなくていい世界のことよ」

 

足柄さんはどこか遠い目をしていました。

 

「しかし……よく……そんな……走れますね……」

 

「これは性悪戦艦のおかげよ。もう少しだから頑張って」

 

ーーーー

 

なんとか駐車場までたどり着くと、それまで七係の捜査車両が置いてあった場所に置かれていたのは大きなスポーツカーでした。

 

「あの性悪戦艦め……」

 

足柄さんはそう悪態をつきましたが、口元が緩んでいました。

足柄さんの後に着いていくと、足柄さんはスポーツカーの後ろに回り込んで下を覗き込むと、テープで底に貼られていた何かを剥がしました。

 

「あえて、3000GT……それもVR−4を選ぶとはあれがやりそうなことね」

 

足柄さんはそう言うとテープから車のキーを剥がしてボタンを押しました。

キュッキュッという解除音とがし、この3000GTという車はハザードを二回点灯させました。

足柄さんはそのままトランクを開けると、中には野分達が昔よく見ていたハードケースが二つ。丁寧に名前まで書いてありました。

のわき、とひらがなでかかれたケースを足柄さんから受け取り、中身を改めるとそこには野分の想像していたものと同じものが入っていました。

 

「小銃と……シグですね」

 

小銃の方はわかりませんが、拳銃は野分が昔使っていたシグっぽいものが入っていました。けど、握り心地は野分が使っていたシグで間違いありません。スライドにイカリのマークなんて入っていたでしょうか。

 

「のわっちのはE2をベースに変えてあるのね。グリップも細身だし、日向がくれたシグと同じだから握りやすいでしょ」

 

「よくわかりませんけど、この感じは野分のシグですね」

 

そう言って足柄さんの方を見ると、足柄さんは長い小銃を入念にチェックしていました。

 

「足柄さんのと野分のは形が全然違いますね」

 

「私のは16の銃身を切り詰めたものだから。やっぱりこれよ……まぁ、あの性悪戦艦のセンスがいいのが気にくわないけど」

 

足柄さんは何度か構えたりして具合を確かめているようでした。野分も小銃の方を手に取ると、ずっしりと重たいそれを落としそうになりました。

 

「のわっちのと私のでは使う弾が違うから共有は出来ないわね。けど、扱いに慣れていないのわっちにとっては丁度いいかもね」

 

足柄さんはそう言うと、野分の小銃を興味深そうに見ていました。

 

「これは何ですか?」

 

「MASADAのAKMよ。私も実物は初めて見たけど、西側諸国が作ったAK程度に覚えておけばいいんじゃない?」

 

「マサダさんのえーけーえむで、ニシさんのえーけーなんですか」

 

足柄さんの言っている意味が全然わかりません。

足柄さんは苦笑いをもらすと真面目な顔になりました。

 

「いい? 貫通力が高いからボディアーマーも貫くことができるわ。けれど、だからと言って無闇矢鱈に撃っちゃだめよ。しっかり狙って、引き金を引く。これは拳銃と変わらないわ。あの性悪戦艦、のわっちに過保護すぎたわね」

 

「よくわかりませんけど、これは指示があるまで使わないようにしておきます。足柄さんのは何となく見たことがある気がしますが……」

 

野分がそう言うと、足柄さんは野分に足柄さんのを持たせてくれました。

 

「バディに使っている武器のことを知っておいて貰うのはオペレーションがしやすくなるから説明するわ」

 

足柄さんのは野分のと違って派手な装飾品はついていませんでした。とれもスマートな仕上がりに見えます。

 

「私のは弾をばら撒くというものでは無く、確実に必要な場所に弾を送り込む仕様になっているわ。のわっちのはドットサイトがついていたけど、私のにはスコープがマウントされているし、バレルものわっちのCQB仕様よりも長い16インチになっているわ」

 

「つまり狙撃手、ということですか?」

 

野分がそう言うと、足柄さんは自信たっぷりに首を横に振りました。

 

「これでも、スピードシューティングに関しては性悪戦艦よりも、腹黒空母よりも早いのよ。スコア勝負では負けるかもしれないけど、速さなら負けないわ」

 

足柄さんのは言っていることがよくわかりません。

野分が首を傾げて足柄さんを見ていると、足柄さんは困ったような苦笑いを浮かべました。

 

「そうね……私のはよくあるM4のカスタムだと思ってくれていいわ」

 

「よくわかりませんが、覚えておきます」

 

新しく配備されていた車両にはその他必要なもの、ボディアーマーであったり、戦闘服であったり、予備の弾倉であったりと必要なものは全て積み込まれていました。あらかたの点検を終え、足柄さんが乗ってと言うので、助手席側に回ろうとすると、何故か足柄さんとドアの前でかち合いました。

 

「これ、日本車だけど輸入車だから左ハンドルなのよ。のわっちは右側に座って」

 

「すいません。何と無くいつもの癖でこっちに来てしまいました」

 

見ればわかるものも、それまでの認識で確認せずに動く。

これは日向さんがいたら怒られていたでしょうね。

 

「ベルトを締めて……じゃあ行くわ……よ!?」

 

ガンッ!

足柄さんがエンジンをかけた途端、この車のボンネットを叩いた一人の重武装の兵士。

銃を肩肘で下げ、ヘルメットを被り、戦闘服を着込んでこちらを睨む女性。

 

「「矢矧ッ(さんッ)!?」」

 

矢矧さんは肩で息をしていて、慌ててここに来たということはすぐにわかりました。

足柄さんが窓を開け、顔だけ出すと矢矧さんに怒鳴りました。

 

「ちょっとッ! 危ないじゃない! それにその格好は何なのよッ!?」

 

「さきほど……捜査局長官から……直々に出動命令が下りました……あなた達だけを現場に向かわせるわけには行かないわ」

 

「そうなの? じゃあ装備を取ってこないと」

 

足柄さんがそう言うということは、恐らくトランクの装備は非公式に配備されたものなのでしょう。足柄さんと野分も降りると、足柄さんは車の鍵を締めました。トランクの中身は外から見えないように蓋がされています。

 

「ついでに日向からも……連絡がありました……二人の装備は既に手配してあるからお前は早急に現場に迎えと……処理は上手いようにやれと言われました」

 

少しずつ呼吸を整えた矢矧さんは凛とした態度で野分達にそう言いました。

 

「そうなの? じゃあ……」

 

「私はこの命令を無視します。私はあなた達と一緒に現場に突入します」

 

野分と足柄さんは顔を見合わせてしまいました。

しかし、矢矧さんの顔と服装を見る限り、それが冗談ではないことはすぐにわかりました。

 

「私だってやればできる。そういうところを見せないといけないようだから」

 

「……艦娘時代の戦闘とは何もかもが違うわ。それを承知で私たちと行動を共にするというのね?」

 

「そんなことわかってるわよ」

 

妙に強気な矢矧さんに足柄さんはため息を吐くと、車の鍵をあけました。

 

「そんな格好をしている女性を助手席に乗せる趣味はないわ。狭いだろうけど後ろに乗って頂戴」

 

「わかったわ」

 

少しだけ嬉しそうな矢矧さん、それを横目にまたため息をつく足柄さん。

昔はよく嬉しそうな足柄さんに日向さんがため息をついていましたけど、足柄さんも日向さんに少し似てきた。ということでしょうか。



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NSCI kai #03 再会

 足柄さんの運転で横須賀からお台場まで。

 休日は家族連れやカップルで賑わうここも、平日は外資系に勤めるスーツを着たおじさんが多いです。これは野分の勝手なイメージかもしれませんが、他の場所よりもお洒落にスーツを着こなしている方が多いような気がします。

 

「……はぁ」

 

 足柄さんは突然大きなため息をつきました。

 

「急にどうしたのよ? まさか、仕事で来たくはなかった、なんて言うんじゃないでしょうね?」

 

 後部座席に座るお洒落とはほど遠い格好をした矢矧さんが茶化すように言いました。

 

「そういうんじゃないわよ。ただ会いたくないやつに会う気がしてね。それと、あなた強がってはいても声が震えているわよ。無理しないで、安全な場所にいた方がいいんじゃない?」

 

 野分も矢矧さんが緊張しているのは知っていました。

 ここまで来る道中、何度も深呼吸をして自分を落ち着かせていましたし。

 

「元艦娘よ。なめないで」

 

 矢矧さんはそう言うと、また大きく深呼吸をしました。

 

「はぁ……もう、本当にめんどくさい……」

 

 足柄さんは諦めきったようにため息をつくと、ガッとアクセルを踏み込みました。

 急加速した足柄さんを、矢矧さんはどういう顔で見ているのでしょうか。

 

 

ーーーー

 

 助手席から外を眺めていて気がつきましたが、いくら平日だとはいえ人が少なすぎます。というより、出歩いている人がいません。

 

「……そういえば、今回はどういった事件ですか? 積んであった装備を見る限り、相当危ないヤマだということはわかりますが」

 

 野分は日向さんから詳しい内容は聞かされていません。

 ただ、足柄さんと現場に行けとしか聞いていませんですから。

 

「日向から何も聞いてないの?」

 

 足柄さんは何度目かわからないため息をつきました。

 野分はそれに黙ってうなずくと、足柄さんではなく、矢矧さんのため息が聞こえてきました。

 

「元阿賀野型軽巡洋艦の能代が営む喫茶店を元艦娘と思われる容疑者一名が襲撃したのよ。幸いにも今のところ怪我人はなし。容疑者が店内に入った時、能代が危ない気配を察知してその場にいた客、従業員を外に出したの。いまのところ、店内には能代と容疑者の二人だけよ」

 

「それで日向さんは矢矧さんに知られる前に動けと言ったんですね」

 

 少し薄情かもしれませんが、日向さんの言っていた意図がわかりました。

 矢矧さんは動かない。これには少し語弊がありますね。

 矢矧さんの性格からして、慎重に考え、行動に移すはずです。能代さんのことをよく知っている矢矧さんだからこそ、持てる時間はめいっぱい使うでしょうし、慎重に行動を起こすはずです。

 

「それで、うちのチームの長として、あなたは私たちになんと命令するのかしら?」

 

 足柄さんはバックミラー越しに矢矧さんを見ました。

 

「能代の安全を確保した後、容疑者を拿捕するわ」

 

「確認するけど、能代の安全が最優先、ということでいいのかしら?」

 

 足柄さんのバックミラーを見る目が鋭くなります。

 

「そう言ってるじゃない。日向は1から10まで説明していたのかしら?」

 

 矢矧さんが不満そうな声を漏らしました。

 まるでわかっていないと言わんばかりに。ですが、わかっていないのは矢矧さんの方です。 足柄さんの元上司である、陸奥さんが用意した装備は確実に相手を殺傷できる物であると考えられます。

 能代さんの安全を最優先に確保する、ということは容疑者である元艦娘、昔の仲間を殺傷しても構わない、という意味合いも含まれています。

 

「ならいいけど」

 

 足柄さんはそれ以上は言いませんでした。ただ小さくため息をつき、気が重いわ、と野分に聞こえるか聞こえないかぐらいの独り言を言いました。

 

ーーーー

 

 こんな場所には似つかわしくない、地味な塗装を施されたバスの横を走ると、黒い戦闘服を着込んだ長身の女性に車を止めるように指示をされました。

 

「はぁ~~…………」

 

 足柄さんはハンドルに突っ伏すようにため息をつくと、長身の女性が運転席側の窓を軽くノックしました。しかし、足柄さんは横目でその女性を見ると、再び突っ伏してしまいました。

 

「はやく開けないとこじ開けるわよ」

 

 窓の外からくぐもった聞き覚えのある声が聞こえます。

 足柄さんは観念したように窓を開け、その女性を睨みました。

 

「なんであんたがここにいいんのよ?」

 

「あら? いちゃ悪いかしら? 野分久しぶりね」

 

「陸奥さん。お久しぶりです」

 

 黒い戦闘服を着た陸奥さんは野分にウィンクをすると、横目で矢矧さんを見ました。

 矢矧さんは軽く会釈で返し、陸奥さんはつまらなそうな顔をしました。

 

「あら? あらあら? 矢矧さんじゃないの。そんな格好してどうしたのかしら?」

 

「今回の案件は私たち特捜が引き受けます。陸奥さん達、公安は一般人の安全の確保をお願いします」

 

「遅れてきたのに随分な言い方をするわね。私は足柄と野分に応援要請は出したけど、あなた達に出動要請はお願いしてないわよ?」

 

「正式な命令が私たち特捜に下りました。今回の件は私たち特捜預かりとなるはずです」

 

 矢矧さんと陸奥さんはしばらく睨みあいました。

 

「まぁいいわ。行ってらっしゃい。足柄。私たちはいつでもあなた達をカバー出来るようにしておくわ。あなた達の捜査であれば、こっちが使った弾薬から燃料代、人件費まですべて請求するつもりでいるから」

 

「……その申請を通すの私の仕事になるんだけど。通らなかったら。私の少ないお給金からさっ引かれるんだけど」

 

「そうならないようにせいぜい頑張りなさい。装備も用意してあげたのだし、あなたと野分がいれば楽な仕事でしょ? まぁ……」

 

 陸奥さんは面白い物を見る目で矢矧さんを見ました。

 

「期待しているわ」

 

「どうも」

 

 陸奥さんが言わんとしていることは野分にもわかりました。

 足柄さんは陸奥さんに軽く一礼し、車を発進させました。

 

「……見てなさい」

 

 矢矧さんの独り言は野分にも聞こえましたし、足柄さんにも聞こえていたでしょう。

 

 

ーーーー

 

 能代さんが営む喫茶店はどこにでもある喫茶店のチェーン店でした。

 そのせいか、野分が想像していたこじんまりとしているものではなく、道路に面し、大きな駐車場を備えた大きな店舗でした。シャッターがすべて降りているので中の様子を探ることはできません。

 足柄さんは少し離れた路上に車を止めました。真横に駐停車禁止の標識が立っていましたが、封鎖されている今、その標識はなんの効力も持たないでしょう。

 車を降り、野分が座っていた助手席を前に倒して矢矧さんが出られるようにすると、すでに準備が整っている矢矧さんはやる気に満ちた顔で車を降りました。

 

「それで、どうやって中に入るのよ?」

 

 足柄さんはトランクを開け、防弾ベストを着込みながら矢矧さんに声をかけました。

 

「あの建物の構造はこれに入れておいたわ」

 

 矢矧さんはそう言うと、タブレットを起動し図面を野分たちに見せてくれました。

 

「侵入できる箇所は表の入り口、テラスの窓、そして裏の勝手口ね」

 

「どこから入ってもすぐに気づかれますね」

 

 野分があらかたの準備を終えると、矢矧さんはサングラスをかけろ、というジェスチャーをしました。その指示通り、サングラスをかけると、レンズ面に矢矧さんの持っているタブレットの画面と同じ物が映し出されていました。

 

「まずは中の様子を探るわ。この小型のドローンで……」

 

 矢矧さんが手に持ったラジコンの様な機械からの映像でしょうか。野分と足柄さんの姿がレンズに映りました。サングラスをかけている野分の横に、サングラスを頭に乗せ、呆れた表情の足柄さんが見えます。

 

「却下。私たちは陸奥の部隊と違って強引に物事を推し進めて解決するんじゃないの。まずは馬鹿やってる子を叱る必要があるわ」

 

「野分も足柄さんの意見に賛成です。中に二人しかいないとなればきっとものすごく静かでしょうし、元艦娘であれば、そのドローンの音も察知出来るかと思います。いたずらに刺激するのであれば、最初から野分が中に入って説得します。お二人には万が一野分が失敗したときのバックアップをお願いします」

 

「部下を危険にさらすわけにはいかないわ。その作戦でいくなら私が最初に中に入るわ」

 

「あなたじゃ役不足よ。いいから私の後ろにつきなさい」

 

 足柄さんがそう言うと、矢矧さんはムッとしたような表情になりました。

 

「帰ったら役不足って辞書で引いてみなさい。悪口を言っているわけじゃないわ」

 

 

ーーーー

 

 野分が提案したとおり、野分が正面から入り、野分のサングラスから送られる映像を元に足柄さんと矢矧さんが配置につく手筈になりました。

 マサダさんを背中に背負い、ホルスターにシグを納め、両手を挙げて正面の出入り口に近づきました。

 

「能代さん! お久しぶりです! 野分です! お茶を飲みに来ました!」

 

 外には監視カメラがあります。野分の姿もばっちり映っているでしょうし、中のお二人もこの映像を見ていることでしょう。

 しばらくすると、能代さんの叫ぶような声が聞こえました。

 

「野分!久しぶり! せっかく来てもらって悪いけど、今日は早じまいなの! ごめんね! また今度来てもらえる?」

 

 当然の反応ですよね。

 けれど、野分は中に入らなくてはいけません。

 

「いえ、野分も忙しいので出来れば今日がいいです! 長居はしませんから! お邪魔しますね!」

 

「来ないで!」

 

 陸奥さんが用意してくれた突入用の小型爆弾薬シャッターに貼り付けました。

 

「強引ですが入らせていただきます! ですが入ってどうこうしようとは思っていません! 何もしないで待っていてください!」

 

「ちょっと待ってもらえるかな? それ、剥がして」

 

 野分のすぐ目の前。シャッターを挟んだ向こう側から聞き覚えのある声が聞こえました。

 容疑者は元艦娘。これは間違いなさそうです。

 

「わかりました」

 

 野分は言われたとおりに爆薬を剥がしました。少しすると、そのシャッターが開きました。中から野分をのぞき込むように見ているのは最上さんです。間違いありません。

 最上さんは野分の襟首を掴み、強引に中に引きずり込むとすぐにシャッターを下ろしました。

 

「そんな格好でお茶を飲みにくるなんて、野分も変わってるね」

 

 どこか危なげな雰囲気を醸しだす最上さんは厨房まで歩いて行きます。

 両手をあげて、ゆっくりとその後に続きました。

 お店の中央に近い場所の席に座らされると、向かいに能代さん、その横に最上さんが座りました。

 

「ほら。能代。野分に自慢のコーヒーを淹れてあげなよ」

 

「野分……どうして……」

 

「能代さんの淹れるコーヒーがおいしいと評判だったので。最上さんはどうしてここに?」

 

 まるで偶然喫茶店で会ったように振る舞うと最上さんは笑い出しました。

 少し相手を馬鹿にしているような演技に野分も失敗したかと思いましたが、今の野分が圧倒的不利なのは変わりません。

 

「さすがは日向の部下だね。この状況下で顔色一つ変えずにそんなとぼけたことが言えるなんて。どうせ足柄も後で来るんでしょ? それまで少しお話しようよ。能代。僕にもコーヒーを淹れてよ」

 

 能代さんは野分の方を見ました。野分は黙って頷き、言われた様ににするよう促しました。

 能代さんが厨房に立つ間、最上さんは手に何かを持ち、能代さんの後ろにずっと立っていました。

 

「それは……15.5センチ砲ですか?」

 

「そうだよ。懐かしいでしょ」

 

 野分が訪ねると最上さんはうれしそうにそれを野分に見せてくれました。

 けど、その目は常軌を逸しています。まるで子供が新しいおもちゃを買って貰ったような、そんな楽しそうな目をしていますが、どこを見ているのかわかりません。

 

「どうぞ」

 

 能代さんは二人分のコーヒーを野分が座る座席においてくれました。

 再び二人が席に着くと、最上さんは野分にコーヒーを飲むように勧めました。言われたとおり、一口飲むと、飲んだことがある味がしました。

 

「どう? おいしい?」

 

「はい。他のお店とは違いますね」

 

 コーヒーにうるさい足柄さんなら違いがわかるのでしょうけど、野分にはよくわかりません。

 

「そんなに違う? 僕には同じ味に思えるんだけど」

 

「全然違いますよ」

 

 目の前に作ってくれた人がいるのに、どうしてそんなことが平気で言えるのでしょうか。野分には今の最上さんが人として何か欠如しているようにしか見えません。

 

「そんなの背負ってて肩こらないの?」

 

「お構いなく」

 

「ふぅ~ん……それで、野分はそれ飲んだら帰るの?」

 

「いえ、せっかくですしお話でもしようかと」

 

 だいたい最上さんがお話ししたいと言ったんじゃないですか。

 あえて口には出しませんけど。

 

「そっか。日向は元気にやってるの?」

 

「えぇ。元気にしてますよ。もう野分の上司ではありませんけど」

 

「へぇ~……そうなんだ。むかつくなぁ~」

 

 最上さんはそう言うと空いている方の手で頭をかきました。

 

「むかつく? なんかあったんですか?」

 

「あいつがやったことすべてにむかつく」

 

 最上さんは睨むように野分を見ました。敵意むき出しのその目に思わずシグに手が伸びそうになります。

 

「あいつは正義のためだとか言って、僕たちから自由を取り上げたやつらに荷担して、僕たちをないがしろにしているんだ。ひどい話じゃないか」

 

「……野分は自由に暮らしてますよ?」

 

「野分はさ、艦娘の時の方がよかったって思わない?」

 

 最上さんはそう言うと、ポケットからたばこを取り出し火をつけました。

 このお店は全席禁煙のはずですが。それにこの頭の痛くなるような臭い。あの廃倉庫で嗅いだ臭いに似ています。

 

「思うときもありますが、野分は今の生活も気に入っています」

 

「そんな貧相な武装を振り回すだけの生活で満足なんだ。海上を疾走して、自慢の魚雷で的を粉砕してあの時よりも今の方がいいんだ?」

 

 昔の最上さんはこんなに好戦的な方ではなかったはずです。

 それに、どんどん目が充血していきます。呼吸も荒くなっていきます。

 

「ねぇ、野分」

 

 最上さんは充血した目で野分を見据えると、にっこりといやらしく笑いました。

 

「僕は野分に仲間になってほしいんだ。だからここに入れてあげたの。この会話は足柄も聞いているんでしょ? 二人とも僕たちの仲間になって、あの時の栄光を取り戻そうよ」

 

「仰る意味がわかりませんが?」

 

「野分もこれを吸ってごらん? あの時の感覚を思い出すから。必要なものはこっちで調達するよ」

 

 最上さんはそう言うと、吸っていたたばこを野分に強引に咥えさせようとしました。

 反射的にシグに手が伸びます。

 ですが、最上さんは野分の目の前に15.5センチ砲の砲門を構えました。砲門内の施条がはっきりと見えます。

 

『5』

 

「野分。今の野分に出来ることは二つに一つ。僕たちの仲間になるか、僕に頭を撃ち抜かれるか。どっちを選ぶ?」

 

『4』

 

「野分だって元艦娘です。そんな脅しには屈しませんよ」

 

『3』

 

「元、でしょ? 今の野分にこれの直撃に耐えられる力があると思う?」

 

 ないですね。そもそも、艦娘の時でさえ、こんな至近距離で撃たれたことはありません。

 

『2』

 

「僕は本当に撃つよ」

 

『1』

 

「なら野分も撃ちます」

 

「いいよ。やってごらん」

 

「『ブリーチンッ!』」

 

 足柄さんの叫び声が聞こえたと同時に、野分は瞬間的に机の下に潜り込みました。それと同時に背負っていたマサダさんを手に持ちました。

 頭の上を大きな熱量をもった何かかが通り過ぎましたが気にしません。そのまま机越しに最上さんに数発発砲。机の下から飛びつくように能代さんに飛び込みそのまま倒れ込みました。

 この時野分は冷静でした。

 思いっきりぶつけた頭がじんじんしてものすごく痛かったです。



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