PHANTASY STAR ONLINE2~星霜ヲ蝕ス三重奏~ (無銘数打)
しおりを挟む

Episode1『ヴァンはそこに居るか?』

 こう言う事を口にしてしまうと、きっと誤解を生みかねないと承知しているが、時には口に出す事もしておくべき―――少なくとも、俺はそう思うのだから、仕方がない事だ。

 「アークスって連中は、どうしてこう自己表現をしたがるのかねぇ」

 「急にどうしました、マスター?」

 気持ちのいい朝、というほどではない。今日のアークスシップ『ナオビ』での天候設定は曇りのち雨、気分によっては晴れ、気分を害せば大雪。そんな空を見上げながら齢35の男、つまり俺はコーヒー片手にハンドルを握る。

 「俺の服を見ろ」

 「その服に何か不満が?」

 服に不満はない。着古しすぎているコートは別として、転職後の少ない給料から算出した侘しい財産で購入したスーツは、最近の俺の買い物の中では一番有意義な物だと自負している。それ故に不満がある。車内から外を見れば、道歩く人々の中に妙に浮いた格好をしている者達がいる。耳が尖っている者もいれば、機械にまみれた機械みたいな者、そして角を生やした者だっている。いや、別に人種差別について語っているわけではない。俺が語っているのは職業差別の話だ。

 「この服を見た後、それにいる連中を見てみろ……どう思う?」

 「どうと言われましても……そうですね、言えることがあるとすれば、マスターの服装は普通ですね。あぁ、もちろんいい意味で、ということです」

 「その表現が出る時点で、地味だと言っているように聞こえるな」

 「まぁ、地味とも言えますが、私として分相応でTPOを弁えている非常に非凡ではない格好という意味で好感を持てます……褒めてますよ、これ」

 「そう願うよ。だが、いざこうして外から見るとどうだ?連中の格好」

 「……個性的、派手、自己主張が激しい、水着着て外歩くなビーチじゃねぇんだぞ、どういうセンスしてたらそんな奇抜な恰好して我が物顔で歩けるんだ、恥ずかしい連中だ……つまりこう言ってほしいわけですね?」

 「そこまで言えとは言ってないが、概ね正解だ」

 まぁ、なんだ。意外と中にいると気づかないが、外に出ると気づくこともある。綺麗で空気のおいしい森だとおもっていたが、外にでると怪しさ大爆発だと気づくようなものだ。

 「スーツが落ち着いた格好と思える事が、これほど幸せだとは驚きだ」

 「似合ってますよ、マスター」

 「ありがとよ、アンジュ」

 信号機が赤から青に変わり、アクセルを踏む。ゆっくりと静かに動く愛車は、法定速度より気持ち少し早い速度で走り出す。

 「ですがマスター。一言言わせてもらえるならば、マスターだって他に比べれば大分変ってますよ」

 「ほぅ、そいつは心外だが、一応聞いておいてやる」

 「では、言わせてもらいますが―――」

 そう言ってアンジュは自分の体にまったく合わない助手席から車内を見回す。

 「オラクル船団における自家用車の保有率はご存じで?」

 「いや、知らんが……6割くらいか?」

 「2割です。一般的に見ても個人が車を持つという風習は、此処では少ないほうです。理由は簡単です。アークスシップでの移動は主に徒歩。長距離移動にしても転送装置を乗り換えで使用するほうが楽で経済的、そして現実的です」

 淡々と俺でも知っている事実を自慢げに語る小さな相棒は、時に可愛らしく、概ね憎たらしい。

 「以前、どこかのシップでは、鉄道を走らせてみてはどうかという計画が持ち上がりましたが、議会の承認は得られず、メディアからも不評、市民からも不評でした。それでも賛同する方々もいましたが、そういう方々はマスター同様に少数派でした」

 「そういう連中はロマンチストなんだろうよ」

 「マスターはそうは見えませんけど?」

 「男はロマンチストなんだよ……なんだ、お前は車移動には否定的なのか?」

 「効率の問題です。現に転送装置を使用した場合の出勤時間は10分程度で済みますが、車移動ではその倍はかかります。朝の通勤時の混雑で多少の誤差はありますが、やはり車移動は非効率です」

 アンジュは頭が固い。いや、キャストタイプなので物理的には固いのは当然だが、俺という少数派のサポートパートナーになって10年以上経つのに、未だに俺を理解していないのではないか―――と、思う事があるが、実際は俺を理解した上で小言で俺をチクチク刺す事が好きなのかもしれない。

 「大量の荷物運搬を目的とした車移動が、車の主な使用目的です。大容量の転送装置の設置には時間と経費がかかる故、今のところは車を使用していますが、近い将来、それすらもなくなると以前ある記事で読みました」

 確かに外を見れば、俺の車の前後左右は車というよりはトラック。しかも大型ばかり。そんな中で見慣れない4人乗りの車が走っているのは、多くの人から見れば、大分少数派に見えない事はない。

 「さらに言わせてもらえれば、車の燃料は主に電気と化石燃料。特に化石燃料は惑星リリーパで採掘が主で、年々その採掘量も減り、高騰化が止まりません」

 「だから最近は電気にしてるだろうが。化石燃料なんていざという時にしか使わないんだから―――」

 「そのいざという時の為に、隔月の燃料交換ですか?しかもこのシップ内でも1~2店しかないショップで?それこそ無駄というものです。そんな無駄な金を使うくらいなら、私の天然オイルの1本でも買ってくれてもいいのでは?」

 「ほぅ、お前が無断で俺のアカウントで使いもしない着れもしない服を無駄に買い漁っているのは、無駄ではないと?」

 「車サイコー」

 「海水に漬けるぞ」

 

■■■

 

 新光歴239年、『深遠なる闇』の復活やら、若きアークス総司令の誕生やらと騒がしい年が終わり、新光歴240年はきっと良い年になればいいと誰もが思いながらも、新年早々にアークスシップ『ナオビ』へのダーカー襲撃という面倒な事件から早1ヵ月。このシップが受けた傷跡がまだ生々しく視界に映り込み、復興の光が初々しいと感じる事ができるようになってきた今日この頃。

 「随分と人が多いな」

 「『タタラ』の方々もこちらに住を構えているでしょうから、そう見えるだけですよ。1ヵ月前の事件後の他船への移住者は数千人。逆にタタラに乗船している作業員はその倍という話です」

 『タタラ』は複数ある多目的作業船の中でも、船の修復を主な目的としている作業船であり、船外はもとより、ここ市街地の修復修繕を一手に担っている。アークスシップの住民は1隻あたり約100万。そこに他船の作業員がくわれれば否応にも人は増える。更に護衛艦『イクサ之5番』に乗船しているアークスを含めた戦闘員までいるときた。

 「復興は年単位の時間のかかる大仕事です。今の人員でも手が足りないくらいですから、数か月後にはもっと増えますよ、きっと」

 「どうせなら、警備その他もアークスがやってくれればいいのよ。住民としてもそっちのほうが安心できるだろうに」

 「アークスとて負傷しているシップ1隻の為に大規模な人員は割けませんよ。『深遠なる闇』の復活に加え、リリーパでの『若人』の復活ときて、新体制の構築と仕事は山積み。となれば、私達のような都市警備局の面々が治安維持を受け持つのは必然……つまり、猫の手の猫なんですよ、私達は」

 「犬のおまわりは暇してそうだな」

 「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと警備局へ向かってください。朝礼まで残り10分を切りました。これ以上マスターの印象が悪くなるのは、私としても避けたいのです」

 「俺は別に構わんのだがな。仲良しこよしじゃないと仕事ができない様な連中なら、こっちが願い下げだ」

 「そういう所が嫌われる原因なのでは?まったく、昔は可愛げのあるマスターだったのに、どうしてこうも草臥れた中年になってしまったのか……」

 「俺に可愛げがあった時期があることに、お前以上に俺が驚きだよ」

 とはいうもの、仕事は仕事。少しだけアクセルを踏み、車のスピードを速める。

 「それにしても、お前が俺の好感度を気にするとは意外だったな」

 「意外ですか?」

 「あぁ、意外だ。お前だけは俺を甘やかしてくれると思ってたのに……残念だ」

 「私に甘えるのは勝手ですが、マスターは他人に甘えられるような愛嬌を持ってください。昨今、ハードボイルド気取っている一匹狼なんて流行りませんよ」

 人を痛い奴みたいに言わないでほしい。

 「こうして第二の人生を歩める事自体が奇跡なんですから、その幸福の上に胡坐をかかずに努力をしてください」

 痛い所を突かれ、鏡を見なくてもしかめっ面をしているとわかる。確かにこうして転職に成功したのは奇跡に近い。元々転職が難しい職場ではあったが、色々と社会の仕組みに変化が起こった事で、奇跡を起こった。だが、俺の現在の仕事である都市警備局は、安全安心で楽ができる職場では断じてない。いや、安全という点から見れば、以前に比べればかなりマシになってはいるが、根本的な部分は変わっていない。

 「やっぱり、あれだな。どうせなら退職金で料理屋でも開くべきだったんだ」

 「マスターは料理ができるのですか?」

 「コーヒーなら淹れられる」

 「マスターから見れば料理ですが、料理から見れば舐めんなって話です」

 などと現実的ではない話をしていると、甲高い電子音が車内に響く。この寝てる奴をたたき起こさんばかりの音量を何とかしたい、これが最近の俺の悩みだ。

 「出ないのですか?」

 「代わりに出てくれ。朝から上司の小言は聞きたくない」

 朝礼の時間まで残り5分。まだ遅刻はしていないが、確実に遅刻はするだろう。ならば、この電子音を響かせる通信機の向こうにいるのは、俺の事を大いに嫌っている同僚の連中か、あまり嫌われていない上司の二択。

 アンジュは溜息を吐くような仕草をしながら、通信機を取る。

 「―――こちらB1145号」

 『こちら本部。やぁ、アンジュ。今日も君の主人が時間通りに顔を出してくれない良い朝だな』

 「えぇ、良い朝ですね、マクレーン課長」

 どうやら、今回は上司のほうらしい。

 『ヴァンはそこに居るか?』

 居るとわかっているのに、わざわざ聞いてくるのは嫌みの一種と思いながら、アンジュから通信機を受け取る。

 「いるよ」

 『おはよう、ヴァン。昨日の晩はご苦労だった。だがな、だからと言って遅刻していい理由にはならんぞ』

 「朝からアンタの小言は聞きたくないよ―――で、どうした?」

 『市街地で殺しだ』

 そら来た。なにが良い朝だ。朝っぱらから気分が悪くなるような現場で、嫌みな連中と顔を合わせなければいけないなんて、最低の一言だ。

 「そういうのはアークスでも頼め」

 『アークスが殺しの調査をするとでも?それは君が一番よく知っているはずだ』

 嫌われてはいないが、好かれてもいないようだ。

「……わかったよ、近いのか?」

 『地図を送る。君が迷って現場に来られないという言い訳をしない為にね』

 「余計なお世話だ」

 通信を切って、アンジュに放り投げる。慣れているアンジュは片手で受け取り、送られてきた地図を表示させる。

 「此処から4分弱の距離です」

 「あいよ……」

 どうか面倒な事件でありませんように―――などと願いながら、俺はアクセルを踏む足を少しだけ浮かす。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode2『元だよ、元アークス』

 このナオビも他のアークスシップ同様に様々な地区に分かれており、農業地区や工業地区、海洋地区など様々。アークスご用達の臨戦地区や学園地区、情報地区は俺達のような一般市民にはあまり縁はない。逆に一番縁があるのは市街地区なのだが、基本的に住民達が住むのは此処なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 「まぁ、治安はいいもんじゃないよな」

 ダーカー襲撃以来、此処に住む連中の心は荒んでいる。いや、別にああいう事があったからと言っても、荒むものは荒む。理由きっとあるのだろうが、そこら辺はあれだ……いや、もう別にいいか。

 「マスターはもう少し社会情勢とかに興味を持つべきでは?」

 「知ってはいるが、興味はないってだけだ。人を社会不適合者みたいに言うな」

別に社会情勢を知らないから社会不適合者とは言えないが、

「他人の芝生は青く見えるかもしれんが、見えるだけで決していいものとは言えんだろ」

「使い方が正しいとは言えませんが……ちなみに、ナオビの治安状況は確かに1ヵ月前に比べれば悪くはなりました。ですが、それはマイナスにマイナスが加わっただけです。決して掛け算の様にプラスにはなりません」

俺がこのナビオに来たのはダーカー襲撃から1週間後、新しい気持ちで新しい仕事を気分よくできれば万々歳、なんて考えは被害状況を見て吹っ飛んだ。被害は確かに大きいが、人の死という絶望的な結果に目を瞑れば、予想以上に被害者は少ない。

「そういう事を平気で考えるから、皆に嫌われるのでは?」

「いやいや、きっと時期が悪かったのさ」

 予定よりも数分遅れで現場に到着。

すでに現場となったマンションの前には警備局の手で部外者の立ち入り禁止となっており、

「俺も部外者ということには―――」

「舐めんな中年。さっさと行きますよ、マスター」

アークスシップの各区画は基本的にはどれも似たり寄ったりなの作りであり、基本のAとか、ベーシックの2みたいな感じで大体の作りは同じだ。更に言うならば、此処はベーシックの4という所だろう。

入口に控えている局員にバッチを見せて中に入る。俺の後ろから身長1メートル弱の小人がついて歩く姿が珍しいのか、局員は警備よりもアンジュの姿を凝視する方に専念してしまったようだ。

「モテモテだな」

「羨ましいですか?」

「言ってろ」

実際、サポートパートナーをこんな市街地で見るのは珍しいのだろう、すれ違うマンションの住人もチラチラと俺達を見る。基本的にだが、サポートパートナーがこのように市街地を我が物顔で歩く事はない。彼等、彼女等はマスターの指示がない限りは各アークスの自室で待機している。あとは任務で共に各惑星に降り立ったり、中には個別で資源調達などをしているサポートパートナーもいる。

「私達の仕事は楽なものですよ。忙しいのは新米アークスのお手伝い。新米から上達すれば私達よりも同僚アークスと共に任務につくのが普通。そうなると後は暇なものです」

「だとすれば、俺は暇にさせない俺は新米以下か?」

「そんな事はありませんでしたよ。むしろ、他のアークスよりも私を任務に連れていく機会が多すぎて光栄であり、有意義であり、非常に面倒でした……私のように無駄に働かせるサポートパートナーは有給休暇が必要ですね」

「お前を信用していたのさ」

「もしも私達にも女子会というものがあれば、マスターは非常にいい酒のツマミですね」

 良い意味か悪い意味かは聞かないでおこう。

 現場は6階建のマンションの一室。壁や扉には奇妙な落書きが色々と描かれてはいるが、個人的な感覚では悪趣味と言える。昨今の若者のセンスでは良いのかもしれないが、俺にはしっくりこないセンスだ。

 部屋の前で待機していた若い局員は俺達を見ると一瞬だけ、本当に一瞬だけ嫌そうな顔をして真顔に戻る。いやはや、非常に職務に忠実で好感が持てるよ。褒めはしないが。

 「俺達が最初か?」

 「はい。本部の方々が来るまで中には誰も入れるなとの命令です」

 「本部の方々、ね」

 そこに俺が入っているか非常に気になるが、

 「まぁ、あれだ。アンタが余所見をしている間に俺が忍び込んだって事にするのは?」

 「元アークスは泥棒も得意なんですよ」

 お前は五月蠅いから黙ってろ。

 「アンタには迷惑はかけんさ」

 だが、俺のお世話は余計だったらしく、

 「……階級ではアンタのほうが上だ。別に余計な気を回してくれなくても、アンタが入れろと言えば、俺は入れるしかない」

 手袋を俺に差し出し、真顔だった局員は友好的な笑みを浮かべる。なんだが、こんな顔を相手にさせるのは久方ぶりな気がする。

 「こっちにも色々とあってな、余所者に対してピリピリしてるんだ。だから、アンタが悪いわけでも、そっちの小さなお嬢さんが悪いわけでもない。悪いのはこっちさ」

 「マスターが全面的に悪いわけではないのは知っています。ですが、8割くらいは悪いと思っていましたので、安心しました」

 「8割の中の5割はお前だからな」

 局員に感謝しつつ、俺達は部屋に足を踏み入れた。

 

■■■

 

 死が転がっている。

 なんて事のない死が転がっている。むしろ、こんな綺麗な死を見たのは久しぶりすぎて、実は生きているじゃないかと錯覚してしまう。体が千切れているわけじゃない。五体がしっかりと揃い、普通に血が流れて、普通に息をせず、普通に心臓も止まって脳も止まり、死んでいる。

 「死んでるな」

 「えぇ、死んでますね……それで、どうします?本部の方々が来るまで馬鹿話でもしますか?」

 「最高に笑えない奴を頼む―――さて、ここら辺の治安的には物取りの犯行もあるが」

部屋を見る限り、どう見てもいい生活をしているようには見えないな。だとすれば、物取りの犯行は低い、かもしれないし、そうでないかもしれない。

 「マスターの部屋みたいに小汚いですからね」

 「お前の部屋でもある事を忘れるなよ」

 部屋は基本的なベーシックタイプ。多少なりとも自己性を持たせたければ、このタイプは最初だけですぐに模様替えされるものだ。物件情報の写真でしか見ないくらいにな。

 「部屋の掃除は……あまりしてないみたいだな」

 テーブルの上には食べかけの夕食か朝食、もしくは数日前の食事だろうか。酒の空き缶に瓶が転がり、床には何かの空き箱が散乱している。昨今の部屋は基本的にゴミ捨て用のダストシュートが常備され、適当にゴミを捨てても分別は自動、生ごみはその場で肥料になるという優れもの。良い部屋になると部屋の中を掃除するロボットまで設備されているらしいが、普通の部屋掃除はあくまで個人の労働だ。

 「つまり、この方は掃除すら面倒臭いと思うずぼらな方、という事ですね」

 「そうかもしれんし……そうじゃないかもしれないがな」

 散らかった机にはゴミ以外にも何かの工具がちらほら。見た事があるような気もするが、何かはどうも思い出せない。何かを削る様な工具もあれば、注射器の様な物もある。その周りには塵に紛れて緑色の粒が零れている。

 掃除もあまりしていない。ゴミ捨ても碌にしていない。そんな綺麗じゃない部屋の床に転がる家主の名はジェリコ、25歳独身のニューマン。見た目は俺ほど良い男ではないが、女にモテるようなタイプには見えない。

 「どちらかと言えば、女を金で買うタイプか」

 風俗店の名刺もあれば、直接家でにゃんにゃんするサービス業の名刺もある。

 「という事は、見た目ほど金回りが悪いわけではない、か……」

 貧乏なのか裕福なのか……まぁ、普通とも言えるわけでもある。

 「死因は……見ての通り凶器は刃物で刺殺ってんだが、こいつは」

「傷口が大きすぎますね。これ、どう見ても市民が手に入れられる刃渡りじゃないですよ」

「ナイフ、ダガーって線ならあり得るかもしれんが……こいつは、ソードの刺し傷だ」

前からか後ろからかはなんとも言えない。傷口は見事に体を貫通、狙いは心臓一つ、争った形跡はないから、顔見知りあろうが赤の他人だろうが気づかれずにやれば一発ってところか。

「無意味かもしれませんが、一応フォトン反応の検査をしておきますか?」

「仕事してるって恰好がつけばなんでもいいさ」

「では、開始します」

あまり当てにならない検査だが、これもお仕事だ。アンジュの指先が微かに発光し、周囲と被害者のフォトンの反応を調べる。一応言っておくが、これをしたからと言って犯人がわかるなんて事はない。フォトンなんて大気中に存在する空気と一緒だ。この検査でわかる事は変換物質から使用されたフォトンか、体内で一度取り込んだエネルギーとして使用されたフォトンかを判別する程度だ。

「変換物質で使用されたフォトンであれば、容疑者は数十万人。それ以外なら十数万人という所でしょうか」

「いっその事、フォトンの使用者の判別及び識別、なんて事が出来ればいいんだがな」

「ダーカーの反応が出れば、非常に楽になりますね―――結果が出ました。容疑者は十数万人です」

「やってられんな」

結局は、いつも通りの捜査方法になるわけだ。防犯カメラに犯人が写っていたら相当楽になるのだが、結局は現場の証拠か、地道な聞き込みからの容疑者の特定になるだろう。むしろ、こんなフォトン反応を主軸とした調査をするほうが滑稽な話だ。

「さて、それじゃ本部の連中が来る前に退散するとするか」

「退散?」

「そ、退散。わかるだろう?俺は未だに新参者で余所者で、嫌われ者だ。仕事上の付き合いとは言え、身内は身内で固まって捜査したほうが効率がいいだろうさ」

そう言った俺に、アンジュは非常に冷めた視線を送る。

「そんな目で見るな」

「元々こういう目です……いいですか、マスター。貴方は確かに此処の警備局にとっては余所者以外の何者でもありません。しかし、私はマスターが余所者という理由で嫌われている事に不満があります」

意外な事に、この小さな相棒はいつもの様に俺を戒めるのではなく、周囲に対して不満を持っているらしい。

「そもそも、最初は誰もが余所者です。だというのに、此処の警備局の方々はそれだけの理由で貴方を嫌っています。それは不自然です」

その不自然の理由は色々とあるのだろう。現に先ほど若い局員も詳しくは教えてくれなかったが、何かがあったらしいという事だけは教えてくれた。確かに仕事に不真面目な上に遅刻の常習犯、さらには元の職場がキツイからという理由で天下りみたいな転職とくれば、中々に嫌われるかもしれないが、それ以外の理由となると俺にはどうしようもない。

「人相が悪い事は認めますが……まぁ、とにかくです。一度しっかりと皆と話し合うべきでは?それができなければマクレーン課長に相談するなど、手は色々とあります」

「どっちも御免だ」

「……まぁ、マスターならそう言うと思っていました。では、この件はあとでゆっくりと話し合うとして―――」

どうやら無駄話をしすぎてしまったらしい。

「ご到着の様ですね」

ドアが開き、見知った顔が入ってくる。全員が全員、俺の顔を見た瞬間に苦虫を噛み潰した様な顔をする。

「……遅刻常習犯は、現場に入るのだけは早いようで」

「褒めても何にも出ないぜ、クルーズ」

「上司に敬意を払う事も出来ないのか、アークスって連中は」

「元だよ、元アークス」

俺個人としては別にこの男を嫌う理由はない。だが、向こうがこうも敵意を抱いているのだから、それに応えるのが礼儀ってもんだろう。

「忘れんなよ、クルーズ」

ただし、向こうは仲間を引き連れ、俺は相棒のアンジュ一人。そしてアンジュは先ほど俺にあれだけ言っておきながら、我関せずと俺の後ろに引っ込む。

「現場を荒らさなかっただろうな?あんた等アークスは物騒な事は得意でも、こういう繊細な捜査は苦手だろうからな」

「心配するな。俺は厄介事専門だったが、他の連中は概ね繊細だったよ」

この連中に何らかの事情あったのは事実だが、俺が嫌われている一番の理由は、やはりアークスに属していたからという線だろう。此処の連中はアークスをどうしてそんなに嫌うのかは知らんが、割と珍しい部類に入る連中だ。将来なりたい職業ランキング第一は常にアークスだという事を連中は知らないらしい。

「そんなランキングなどあるのですか?」

 知らんが、きっと無い。

 それにしてもクルーズを含めた連中への嫌われっぷりは、日に日に酷くなっている気がする。

 「報告は必要か?」

 「お前の調べた事など信用できると思うか?」

 「なら、アンジュの調べたものなら信用できるだろ」

クルーズは俺の背後にいるアンジュを一瞥し、ふんっと鼻を鳴らす。

 「どうだか……」

 そう言うとクルーズは部下に指示を出す。

 「さっさと帰って報告書を上げろ」

 別にいいさ。面倒な事になるくらいなら、嫌われたままで十分だ。

 

■■■

 

「それで、これからどうします?」

「帰るさ……寄り道はするがな」

クルーズと会話している間に思い出した事がある。あの机に置かれていた工具は何に使う物なのか。あの緑色の粒が何なのか。

それに加え、

「お前だって気づいているだろ?あの刺し傷。普通はあんなデカい傷跡は残らない」

死因は刃物で心臓を一突き、これは確かだろう。だが、胸から腹まで一直線の傷跡が出来る凶器など普通はない。胸元を刺して、そこから腹まで縦に裂いたという事ならキッチンナイフだって可能だろう。しかし、キッチンナイフの長さでは前後体を突き抜けるような傷は出来ない。

「つまりはデカい刃物で突き刺したってわけだが……」

「凶器となった刃物は一般市民では手に入れる事ができないタイプの刃物」

「それが持てる連中に心当たりは―――」

「ない、とは言えませんよね」

「だろ?」

アクセルを踏み、向かうは一般市民がほとんど立ち寄る事がない場所でありながら、このシップの重要な拠点の一つ―――臨戦地区。

「なんだかんだ仕事をするマスター、私は好きですよ?」

「そうなんだよ、ちゃんと仕事するんだよ。なのに嫌われてるんだよ、不思議だな」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Interval『汝は何者か』

 さて、此処を城と仮定しよう。

 城でなくても要塞でも構わない。牢獄と称しても問題ないが、捉え方によっては金庫としてもいい。見る者が見れば宝箱かもしれないし、見る物が見れば聖域かもしれない。色々な表現が可能かもしれないが、今回はあえて城と仮定する。難攻不落の城、侵入も脱出も困難な城。

 これが今回の舞台と設定する。

 難攻不落の城に挑むのはたった一人、もしくは一つの者か物。故にモノ。そのモノは城を見上げてゆっくりと歩みを進める。厳重な警備を我が物顔で歩き、巨大な門を歩いただけで突破する。そのモノが門を抜けた事に気づくまで、僅か数秒だが、その数秒の間にそのモノは城の中核にまで到達した。そのモノにとっては何と言う事のない動作で、あっさりと目的の場所に到達する。しかし、気づかれれば最後、そのモノを除去しようと兵士達が集まりだす。兵士達を見据え、そのモノは考えるという行動すらせずに、黙って進行を再開する。目的のモノなどないが、手に入れられるモノは何でも手に入れる。そのモノにとっては目的などその程度のものなのだから。

 

 「口惜しいわね」

 「まったくだ」

 そのモノの記録に残る二人の会話。

 男と女、白衣と白衣、色々な物がごちゃごちゃとしてはいるが、必要なもの以外は置かないという点から見れば、あまりにも人間味がない。

「この子が『アレ』に到達する可能性が、どれだけあるか観測することも出来ずに終わってしまうなんて……」

 「仕方がない事さ。我等はあんなモノを生み出す事が可能であっても、それ故にどうにもならない事だってある。私達は神ではない。小さな一つの存在でしかないのに、いい気になって開けてはならない箱を開けてしまった報いなんだよ」

 「その尻拭いの結果すら見れずに、私は終わるのね。そしてあなたも」

 そのモノは黙って見続ける。

 「だが、我等は終わらない……終わるのは、僕達二人だけ」

 「私達二人以外も死ぬのよ?」

 「僕達以外の者達が心配なのかい?驚いた、君がそんな事を言うなんて」

 「そうじゃないわ……私が心配しているのは、この子が消える事だけ。まだこの子は生まれたばかりで、何も知らない。それが口惜しいの」

 「大丈夫さ、この子はまだナニモノでもない。そうさ、生きてすらない。生きるという意味すら知らず、自身が生まれた事すら知らない……だから、まだこの子は大丈夫」

 そのモノを見つめる二人は、そっとそのモノに手を差し出す。その意味も知らず、その二人が何を思うかも知らず、そのモノは黙って見続ける―――否、観察する。

 そう、観察。

 そう、知ろうとする。

 そう、これが意味であり、これが機能であり、これがそのモノの存在意義。

 「―――見て、この子が私達を観察しているわ」

 「あぁ、見られている。僕達を知ろうとしている……素晴らしい、なんて素晴らしいんだ。この最後の瞬間、僕達はこの子の可能性の始まりを見る事が出来たんだ」

 「えぇ、そうね……なら、もういいわ」

 「あぁ、もういい……」

 二人の背後に光が差す。神々しい光ではなく、悪意に満ちた禍々しい極光。それが何かそのモノは知らない。恐怖すら抱かない。だが疑問は抱く。その行為こそが正しい機能。その光を見つめる二人は、互いに手を取り見つめ合い。ゆっくりとそのモノへと視線を移す。二人の名は知らない。今も昔も、この先も知らない。だが、遠い未来に得た知識で、自身を生み出した二人は『親』という二つで一つの個体だと知った。

その『親』は光に包まれる。

そのモノは二人の手で光から守られた。

それが最初の記録―――まだ自身の名すら知らなかった頃の記録。

 

 城内は混乱する。

 あり得ない事態に混乱しながらも、侵入者を撃退する為の手段を用意する。一つでもなく、十でもなく、百でも足りなければ千を用意する。しかし、そのモノはその全てを、悉くを凌駕していく。何故ならば、知っているからだ。一から千まで、自身を破壊しようとする策、手段の全てを熟知し、その対応も熟知し、その裏をかく手段すら熟知する。全知には及ばなくとも、この程度の妨害などそのモノにとっては相手にならない。その城は強大で強固かもしれない。だが、真の意味で難攻不落ではない。完全な無個性であるならば、完璧な存在であるならば、相手にすらならない。そのモノとて全知全能の神を相手取って戦などしようとはしない。そのような無謀な知識は英雄譚でしか知らない。そして英雄譚など愚の骨頂だと知っている。だが、相手はそうではない。この城はそんな完全な存在ではない。完全を捨て、不完全を取り込んだが故に。

 そのモノは到達する。

 無限の海にも似た膨大な知識という宝。

 そのモノの知らない宝ばかりで、感じる事のないそのモノですら、興奮にも似た何かを錯覚する。手に取る宝の一つ一つを吟味する必要などない。手を出せば何かに宝が手に絡みつく。必要な宝も不必要な宝も、全てが此処にはある。背後から襲い掛かる兵士を一息で蹴散らし、宝の強奪に勤しむ中で、そのモノは見つけた。見つけたが故に落胆する。もっと多くの宝を欲してはいるが、目的のモノを見つけてしまった。それ故に此処を離れなければならない。誠に遺憾ではあるが、これも仕方がない事だと自身の存在しない欲求を抑え込む。帰り道は既に確保している。単純明快、来た道を戻ればいい。その道に如何なる障害があろうとも、そのモノの敵ではない。

少なくとも、ごく一部の存在を抜かせばだが。

 その例外たるモノが問う―――汝は何者か。

 その例外にそのモノは答える―――我が名は『イプシロン』

 

これは『あなた』がいない物語

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode3『―――素晴らしく運がないな、君は』

 何度も言うがアークスシップにいるのはアークスばかりではない。むしろ、アークスじゃない者の方が多い。ちなみに各シップのアークスの人員の割り振りも一定ではない。特に戦闘方面の人員が一番多いのは1番艦から10番艦の10隻。それ以降の艦はどちらかと言えば研究面が強い艦というように何かしらに特化している場合が多い。だが、このナオビは比較的新しい艦の為、特に何かの分野に強い面があるという事はない。アークスの人員もそれほど多くなく、最低人員に近い数字だ。その結果1ヵ月前の襲撃で酷い痛手を負う事になったのだが、

「おかげで捜査対象は大分削られて楽にはなったな」

「でも、犯人はアークスなんて……笑えますね」

 「笑えねぇよ、色々と」

 念の為に言っておくが、別に確定しているわけではない。可能性が高いというだけだ。

 「まぁ、凶器の形状から普通じゃ手に入らないもんだろうから、もしかしたらアークスから横流しされたとか、盗難にあったとか、そういう情報の一つでも手に入れば十分だろ」

 「そんな情報をこっちに回してくれると思います?」

 「調査協力はするさ。仮にしてくれなくも、あっちで何らかのアクションを起こしてくれれば、こっちが楽になる。アークス側としても協力を渋って自分達の顔に泥を塗るような事はしないさ」

 「逆に警備局はアークスに殺人犯がいると怪しむ不届き者、なんてレッテルが張られそうですけど……」

 そういう事もあるだろうが、その場合はこっち側だって黙ってないだろうな。

 「警備局とアークスの泥沼の争い……笑えますね」

 「だから笑えねぇよ、色々とな」

 独断専行はどういうわけか早々に本部側にばれてしまい、先ほどから通信機からクルーズの怒号が聞こえてくるようだが、無視する事として……それ以上に駐車場が見当たらない事に困っている。

 「お前の言うように、本当に乗用車の普及率は低いんだと痛感するよ」

 あるのは大型車両専用の駐車場のみ。俺の車のサイズが駐車できるスペースは非常に少ない。特に臨戦地区ともなれば尚更だった。

 「その辺に適当に駐車するか……」

 「罰金は結構高いですよ。多分、経費では落ちませんし」

 「あまり無駄な時間は使いたくないんだがな……」

 もう駐車場を探して5分以上彷徨っているで、不審者として通報されてしまいそうだ。

 「はぁ……マスター、車は私が何処かに停めてきますので、先に中に入ってください」

 「え、お前が運転するのか?」

 「ペーパーですが、運転できますよ。ちなみに、こう見えて輸送機とか色々と運転できます。ペーパーですが」

 「ペーパーを強調するな。なんだ、最近はお前等みたいな連中にも免許取らせんのかよ」

 「私達サポートパートナーがただルーム待機してるとお思いでしょうが、意外とその間に色々としてるんですよ?」

 マスターの知らない間に妙な知識やら資格を取るサポートパートナー。もしかしたら近い将来アークス辞めた連中がサポートパートナーに養われるという現象が―――起きないな。

 「ぶつけるなよ」

「ぶつけませんよ。ところでマスターが元アークスと言っても、簡単に中に入れるのですか?令状とかありませんよ、当たり前ですけど」

 「あぁ、それな。こういうものがある」

 「……見学チケット?」

 「意外と気づいていないが、アークス以外の連中もちょくちょくいるんだわ」

 「セキュリティ面は大丈夫なのですか?」

 「まぁ、入れる場所は限られているからな。見学コース以外なら基本的に入れるのはショップエリアだけだ。そして俺達の目的地はショップエリアだけ」

 噂では現アークス総司令はショップエリアでスカウトされたとか……芸能人か。

 「ところで、どうしてそんなチケット持ってるんですか?」

 「……」

 「あぁ、マリサの為ですか。こりゃ失敬失敬ケケのケ」

 「お前どういうつもりで、そういう事を言うわけ?」

 

■■■

 

 なんだかんだでアークス1日見学コースなるものに紛れ込み、早々に見学集団から脱出したわけだが、今頃担当者が俺の事を探しているか侵入者扱いされているかは賭けになるが、出たとこ勝負で行っても問題ないだろう。少なくとも俺には、だが。

 「……随分とがらんとしてるな」

 ショップエリアは大抵アークスの連中で賑わっている様な雰囲気があるが、流石は最低人員に近いアークスシップ、見事に閑古鳥が鳴いている。よく見ればカウンターに休業中やら、取り扱いはゲートエリアでとか、酷い状況だ。まぁ、他のエリアでも代用がきく場所はそれでも問題はないだろうが、このエリアでしかできない場所は予想通り開いている。

 元アークスとしては懐かしい光景だ。ショップエリアの光景ではなく、その一部でアークスとカウンターにいる店員が言い争っている光景。主にアークス側が怒鳴り散らし、店員側がそれをあしらっている光景だが、

 「―――素晴らしく運がないな、君は」

 その如何にも人を馬鹿にして神経を逆なでして殴りたくなる威風堂々とした接客態度。

 俺が知る限り、そんな奴は1人しかおらず、そんな奴がどうして此処に都合よく居るのか非常に疑問を覚える今日この頃。

 「また来たまえ」

 相も変わらない癇に障る言葉を背中に受け、意気消沈したアークスとすれ違い、ご愁傷様と心の中で哀れみを送る。

 「何用かね?」

 「お前のその態度は何処に行ってもかわらないのか……」

 「―――ほぅ、これは珍しい客だ」

 その無駄にきっちりと手入れされている髭を撫でる仕草が妙に懐かしい。

 「久しいじゃないか、ヴァン」

 「あぁ、久しぶりだな、ドゥドゥ」

 アークス時代、俺がいたアークスシップのアイテムラボでの顔馴染み。何度も顔を合わせ、何度も失敗しやがり、何度も本気で手を出し、何度も酒を交し合う仲だが、決して他人には友人と思われたくない相手だ。

 「確かアークスを辞めたと聞いたが、あれはデマだったのか……それとも出戻りかね?」

 「辞めたのは本当。あと出戻りではない。今日は仕事で来たんだよ」

 「ふむ、私に会いに来てくれたというわけではない、と」

 「俺がお前にわざわざ会いに来るような奴だと思うか?」

 「気味が悪い事を言わんでくれ」

 お前が言うな。

 「お前がナオビに居るなんて知らなかったよ。なんで此処にいるんだよ?」

 「先月の襲撃事件でこちら側もそれなりの被害を受けたのでな、その為に何人かサポートとしてナオビにいるだけだ」

 市街地への被害は見たり聞いたりしていたが、此処もそれなりの被害があったとは初耳だ。だが、ドゥドゥが此処にいるのは俺にとって百歩譲って幸運とも言える。見知った中でもあるし、互いの腹の中を熟知している間柄だからこそ、できる事もある。

 「少し時間貰えるか?」

 「……昔話をしたい、というわけではないようだね―――構わんよ、モニカ君、ちょっと出てくるから後は任せた」

 すると奥から当たり前だが見た事のない若い女性店員が慌てて飛び出してきた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいドゥドゥさん!?いきなりそんな事を言われても……」

 「君もいい加減に独り立ちしたまえ」

 「でも、で、でも……」

 「それでは後は任せた。ヴァン、行こうか」

 「ドゥドゥさ~ん!!」

 悲痛な叫びを背に、俺達はカフェに向かう。仕事とはいえ、俺のせいでもあるので僅かながら罪悪感が生まれる。

 「いいのか?あの娘、泣きそうな顔して―――いや泣いてるな」

 「構わん」

 だが、よくよく考えればドゥドゥが仕事を任せるという事は、それなりに信頼しているという事だ。この男の性格はひん曲がっているが、そういう所は割とシビアだ。

昔からドゥドゥの下では若い者があまり育たないと言われていた。噂話ではなく、本当の話。こいつの性格に耐えられないという部分が大多数だが、教え方がスパルタ中のスパルタなのが原因に違いないと思っている。

職人気質が高い方とは思えないが、どんな相手にも分け隔てなく物を言うからこそ、その者の出来も不出来も関係なく物事を叩きこむ。それに耐えられない者は別の者を弟子入りし、それなりの一人前となる―――もっともこいつのシゴキに耐えたからといって一人前になるとも言えないのだが、

 「この仕事は技術は勿論必要だが、それ以上に必要なのは度胸だ。如何に完璧な調整が出来る腕があったとしても、結局は時の運」

 「こっちも苦労して手に入れたメセタと素材を持って行っても、結局は全部水の泡なんてよくあることだからな」

 「そういう時に怒りをぶつけられるのは我々だ。我々はそれを受ける義理などありはしないが、向けるべき者がいるというのみ一つの救いなのだよ」

 お前の場合は煽っているようにしか見えないがな。

 「如何に腕があろうとも、他者と向き合う事が出来ないようでは一人前などとは言えんよ」

 だからお前が向き合うとか、お前が言うなとしか言えんのよ。

 「……へぇ、つまり腕だけは信頼してるってわけか、あのモニカって娘を」

 「何を言っているのかね、君は?」

 

■■■

 

 「カフェというが、普通に酒もでも出るあたり酒場ともとれるよな、此処は」

 「時にはアルコールを摂取せずにはいられない時もあるのだよ。君とてそうだろう?」

 「否定はせんが……今は仕事中でな」

 「私もそうさ」

 などと言いながら、テーブルに並んでいるのはビールと熱燗―――が頼めればいいのだが、これでも仕事をしている身なので互いに珈琲で我慢する。

 「君とこうして会うのは1年ぶりか……心無しか以前よりも老けたようだね」

 「お前は変わらんな、別に羨ましいとは思わんが。でもな、俺は今の歳の取り方に不満はないよ。こうしてしわも出来て、髭も生えて」

 「無精髭はあまり好まんが、君はよく似合っているよ」

 「気づけばもう30代も後半だ。お互い歳を取ったな……お前はまだ独り身か?」

 「私のお眼鏡に叶う女性が居なくてな。そういう君はどうなんだ?」

 少しだけ言葉に詰まるが、昔に比べれば軽く言葉を紡ぐ事が出来るようになったのは、きっと時間がそうさせているのだろう。

 「アンジュもいるからな、もう慣れたよ」

 「―――君には惜しい女性だったのに、残念だよ」

 「まったくだ……」

 微かな痛み。まだ痛みを感じる事が出来る。まだ思い出として良いものと自分の中に留まってくれている。その想いが錘となるかどうか、それの成否を判断できるのは俺の自身。そうであると信じるのも己自身―――想いは重いのだ。想いである限りは。

 「アンジュも変わらないかね?」

 「以前にも増して生意気になってきているな。俺を主人と思っているのかいないのか」

 「思っているからこそ、なのだろうね。彼女は君以外の者にはあのような話し方はしないのは、それだけ君に想いを抱いているからだろうさ。信頼でもあり、甘えでもあるのさ」

 信頼されているという点は素直に受け取るが、あれが甘えとなると疑問は抱く。あと、お前は知らないだろうが、あの小さな相棒は玩具にしたら面白いと思った相手には、俺を相手にするより質の悪い事をするぞ―――たまにはだが。

 「そもそも碌に退職金も受け取らず、装備一式は私に押し付け、保証諸々を放り捨てても、最後の最後まで手元に置いておこうとしたのは彼女だけ。君にとってアンジュはそれだけ大切な存在という事になるのだろうな―――実は人形趣味という疑問はあるが」

 最後の一言が余計だ。

 「長年連れ添った相棒だ。簡単に捨てられない……というか、アイツはモノじゃないな」

 「それだけ思われていれば、彼女も幸せだろうさ」

 絶対にアンジュの居る所で話せないような事を、どうしてかぺらぺらと喋ってしまったのは懐かしい此処の雰囲気によるものと思いたい。

 後悔しないのか、と言われた。

 アークスであることに誇りを持っていないのか、とか言われた。

 この宇宙の平和を守る事を放り捨てて何も思わないのか、とも言われた。

 「別に」―――これが俺の答え。

 俺から言わせてもらえれば、生まれた時からフォトンに対する適正が高く、特に理由もなくアークスになるものだと思わされ、俺自身もその想いに対して何の疑問を抱かず、ずるずると士官学校からアークスへ、そして戦場へ、そして地獄へ、なんて感じだ。

 両親は遺伝子を提供しただけの他人で顔も知らない。生まれは試験管。育ての親はただの一般市民の老夫婦。その夫婦はとっくの昔に亡くなっている。

そんな並びたてた言葉のように、自分の事を他人の人生のように思えたのは実戦に出るまで。いざ出てみれば漸く実感できる己の人生。だってそうだろう?そこには死がある。生きているから感じられる死を目の前にして、恐怖を抱き、死にたくないと願い、生きるための努力を始める―――そんな感じの人生。

 死にたくないから生きて、死にたくないから戦い、死に慣れすぎたから面倒になった。

 「お前は今もアークスで仕事をしている事が、面倒だと思う事はないのか?」

 「あると言えばあるが、ないと言えばない」

 「どっちなんだよ」

 「私は君ではない。私はドゥドゥという者で、ヴァンという者ではない。それがわからない君ではないだろう?」

 「……俺はお前のそういう所が嫌いだよ」

 「それを笑いながら言う君を、私はそれほど嫌いではないよ」

 

■■■

 

 さて、昔話はこんな所でいいだろう。時間は有限、クルーズの文句の時間を削減するには此処でそれなりの情報を得る必要がある。

 「―――この写真を見てくれ」

 殺害現場とは言わず、現場の散らかったテーブルが写された写真を見せる。ドゥドゥは黙って写真を見つめ、視線で「これがどうした?」と尋ねる。俺も何も言わずに視線で「どう思う?」と尋ねる。

 しばしの間、ドゥドゥが口を開く。

 「このようなテーブルを使っている者には好感は抱かんが、同業者として言える事は、作業をするならもっと綺麗な場所を使えという事と、道具はきちんと手入れをしろ、という事だけだな」

 同業者として、ね。

 この回答で満足か、と俺を見るドゥドゥ。

 「その道具は何に使う物だ?」

 「君も見た事があるだろうが、これはフォトン結晶を加工する道具だ。確かに見た目は一般的な研磨機、研削機に見えるが、このメーカーは我々が結晶を加工する際に使用する特注の物だ。世間では此処以外では出回らない物で、所有するにも許可が必要だ。もっとも、必要な許可は工具の所有よりも加工に対するものだがね」

 「なら、このテーブルに散らばっている粒は―――」

 「結晶を加工した際に出た粒以外に何がある?」

 「なら具体的にどんな加工をしていたと思う?」

 「……そこまではわからんな。君も知っているように結晶は武器やユニットの強化・加工に使われるが、用途として無数にありすぎて判別がつかん」

 確かに結晶と言っても元はフォトンだ。そこら中に存在する、言ってしまえば都合の良いエネルギーではある為、昨今のエネルギー関連は大抵これで補われている。特にこのアークスシップなんてある意味フォトンで固まりみたいなものだ。一番馴染みがあるのは周囲のフォトンを圧縮して物質化した変換物質というものがある。これがシップ内で生活する者達にとって当たり前の存在であり、なくてはならない存在だ。

それでも変換物質はあくまで人工的に作り出したフォトン結晶であり、自然に生み出された小さな結晶のほうが内包しているフォトン量が数倍多い。しかし、そんな結晶は無尽蔵に存在するわけではなく、無限でもない。

その為、アークスが任務時に回収するフォトン結晶は一度アークス本部で管理し、そこからアイテムラボを含めた必要な各エリアに配布される。もっとも、熟練したアークスと認められれば、取得した結晶の一部は本部へ渡して、残りは各自が所持しても良いというルールもある。

 結晶の管理をしているのはアークスという点を見れば、結晶そのものが世間に流通する事は殆どない。

 「結晶の大きさはドロップ、クリスタル、スフィアの3段階に分けられるが、仮にドロップ程度の大きさだとしても、この散らばっている粒の量からしても中々の量だ」

 仮に流通するのはあくまで加工された後の物だけ。

それはつまり、

 「仮にこのテーブルの主がアークス関連の人間でないとすれば……」

 「違法に結晶を入手した者、という事になるな」

 「―――ヴァン、君は何を調べている?」

 「ついでに聞くが、お前はジェリコっていう男を知っているか?」

 「……あぁ、知っているよ」

 「此処の人間か?」

 「そうだよ。正確に言えば、アイテムラボの者だった、というべきかな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode4『『始末屋』なんて言葉』

 ショップエリアに戻ると奇妙な光景を目にした。アイテムラボには先ほど見かけたモニカという店員。その横にモニカよりもさらに小さな店員―――というか、アンジュが並んで座っていた。はて、いつから俺の相棒は副業でアイテムラボの店員などをはじめたのか悩む、なんて無駄な時間を使わず本人に聞いてみるほうが早い。

 「お前、何してんの?」

 怪訝な顔をしているであろう俺をアンジュとモニカが同時に見る。

 「仕事ですが?」

 「どっちの仕事だよ」

 「私、一度こういう仕事をしてみたいと思ってみようとした事があるんです」

 つまり思ってた事はないわけだ。

 「あの、この人がアンジュちゃんのマスターさん?」

 「えぇ、残念ながらそうなんですよ、モニカ」

 「この人が……」

 何故か俺を見る彼女の視線が不信感を持っているように思えるのは、

 「あ、あのですね!!」

 この口調で俺に向かって食って掛かる時点で間違いではなさそうだ。

 「いくら、あ、貴方がアンジュちゃんのご主人様だと言っても……やって良い事と、わ、悪い事があります!!」

 あ、なんかもう嫌な予感。

「メセタ稼ぎの為に、アンジュちゃんを、き、きき、キャストフェチのへ、へんな、変な人に……あぅ、え、えっ、その……えっちな、エッチなアルバイトさせるなんて!!」

おい、コラ。天下のアークス様のお膝元でなんつぅ事を言ってんだ、この小娘は。

そして、なんかアンジュが悪そうな笑みを浮かべている時点で、このブリキ娘がどんなホラ話を彼女に吹き込んだのか察するのかは簡単。

「いいのです、モニカ。所詮サポートパートナーはマスターの道具……どんなに献身につくしても最後は自動素材集め機扱い。明らかに私達では無謀な壊世地区のエネミーから素材取って来いと言われても、碌な装備も与えられずとも、文句の一つも言わずに取りに行くのが私達の使命。えぇ、そうです。例え失敗しても、この役立たずと罵られ、部屋のオブジェの一つとして扱われても、マスターの命令は絶対……うぅ、ですが、あんな、あんなキャストフェチの変態にこの純情を弄ばれたのは、もう―――およよ」

およよ、じゃねぇよ。

「大丈夫です、アンジュちゃん!!私、私があなたの味方になりますから!!」

そしてお前も騙されてんじゃねぇよ。あと、キャストフェチを変態扱いすんな。色々と差別になるだろがよ。

「―――で、実際は何してたんだ?」

「はい、暇だったので彼女から色々とお話していました」

「え?」

俺とアンジュを交互に見ながら、話しの展開についていけない彼女に同情を感じえずにはいられない。

「あの、アンジュ……ちゃん?」

「それにしてもモニカは酷い人ですね。私の敬愛するマスターを変態畜生お下劣野郎呼ばわりとは……怒りますよ?」

「お前は俺が怒らないとでも思ってるのか?」

「落ち着いてください、マスター。モニカも悪気があって言っているわけではありません」

「お前だよ、お前。勝手に俺の怒りの矛先を自分から彼女に向けるんじゃねぇよ」

閑話休題。

「ご、ごご、ごめんなさい!!」

「いや、大丈夫だ。悪いのは全部こいつだ。あんたは被害者なんだから、そんなに謝らんでくれ」

カウンターに頭を擦りつけんばかりに謝れると、流石に不憫に覚えてならん。

「でも、初対面の方にあんな、あんな酷い事をい、言ってしまうなんて……うぅぅ」

「だからそんなに気にすんな。諸悪の根源はあそこに沈めといたから」

近くに噴水があってよかった。嘘八百で少女を弄ぶ悪の機械人形は、簀巻きにして噴水に沈めておいたので、もう安心だ。

「酷いです、マスター。大事な相棒を水の中に沈めるなんて。キャストが肺呼吸だったら死んでますよ」

そして、さも当然のように縄抜けして戻ってくる相棒を、果たして本当に相棒と呼んでいいものか非常に頭が痛い気分だ。

 まぁ、何はともあれ余計な誤解は早々に解かれたのはいいが、

 「ところでお二人は、アークスの方ですよね?」

 アンジュを連れている事で普通はそう思うだろうが、俺は否定する。

 「違うんですか?た、確かに貴方は、えっと……」

 「ヴァンだ」

「あ、これはご丁寧に……ヴァンさんを全然お見かけした事がなかったので、変だなぁと」

 「ショップエリアに来ないアークスだっているだろ、普通」

 「それはそうですけど、サポートパートナーを連れているという事は、きっと前線に出ているアークスの方だと思いましたし、そういう方は必ずとアイテムラボに顔を出しますので……」

 一理あるが、

 「もしかして、此処のアークスの顔を全員覚えてるのか?」

 「見た事がある方だけです。あの、私、あまり人と話すのが苦手でして、カウンターからあの人は怖そうだなぁとか、あの人はきっと失敗したら怒るんだろうなぁとか……そんな感じで……その、すみません」

 人の顔色ばかり見ていると、逆に人間観察が巧くなるとも言うが、

 「別に謝る事じゃないだろ。そういうのは結構大事な事だ。まぁ、ネガティブな方で役立つのはあまり褒めた事じゃないが……あんまり気にするな」

 「そうですよ。マスターを見てください。この人なんて―――」

 「お前は喋るな」

 「おや、サポートパートナー差別ですか?訴えますよ?そして勝ちますよ?」

 勝つのかよ。

 「―――モニカは此処に来て結構長いのか?もしかして此処の生まれとか」 

 「いいえ。私はドゥドゥさんと一緒にサポートとしてナオビに来ました。ヴァンさん達も最近ナオビに来たんですよね?」

 「まぁな、都市警備局に着任したのも1ヵ月前だし……あれだ、慣れない土地は中々馴染まないよな」

 ドゥドゥみたいに生まれた時から心臓の毛が生えすぎている奴は、何処に行っても我を通せるから、若干羨ましいと思う。

 「都市警備局の方だったんですね。いつもご苦労様です」

 「いやいや、どういたしまして。お互い新参者で慣れないだろ、大変だな」

 「そうですね、ダーカーの襲撃があった事もそうですけど、まだ夜道はちょっと不安です……『人形病』の人達もよく見ますし」

 人形病、ね。

 「他のアークスシップでは、あんな人達をほとんど見なかったから、ちょっと怖いです」

 「確かにあのような症状の方々は、此処に来るまで私も見た事はありませんでした。そもそも人形病という言い方も正しくはありませんが……」

 人形病―――誰がそう言い始めたかは知らないが、気が付けばその病にかかった者は多くいるらしい。

主な特徴と言っていいかはわからんが、人形病患者と思われる者の初期症状―――いや、初期行動と言った方がいい。

初期行動は突然の意味不明な行動。

ある者は突然路上で叫びだし、尻尾を追いかける犬の様に回転しだす。またある者は手に何も持っていないのに、剣の素振りをして見えない敵を斬っている。またある者は地面に頭を打ち付け、またあるものは壁に自分の顔を擦りつけ、またある者は―――等々。

ここまではマシな方だが、ある者は急に通行人に暴力をふるい怪我人を出す始末。俺が聞いた中でも最低なのは母親が我が子を抱きしめて路上を走る車に向かって……なんてのもある。そして、様々な初期行動を終えた患者はまるで糸の切れた人形のように動かなくなる。息もしている、心臓も動いている、生きてはいる。だが自らの意思で動く事はない。

心神喪失の病に近いらしいが詳しい事は未だに不明。原因もわからず、どういう理由、理屈で発症するかも不明。

そして何より不自然なのは、その人形病がナオビでのみ確認されているということ。

他のアークスシップではそのような患者は殆ど確認できていないらしい。

「警備局では、同時期に出回ったと思われる麻薬が原因ではないかと推測しています」

「おい、捜査情報を勝手に流すな……」

だが、よく考えれば警備局の持っている情報がアークスに渡っていない、なんて事はないだろう。多分、アークス情報部の連中が色々と嗅ぎまわっている可能性も高い。

「まぁ、あれだ。モニカも何かあったら警備局に一報くれ。一応は市民の味方らしいからな、俺達は」

冗談交じりに言ってみたが、何故かモニカの表情は暗い。周囲をチラチラ見まわし、俺達にそっと耳打ちするように言った。

「あの、これは、噂……なんですけど。あ、実際はそうじゃないかもしれないですし、小耳に挟んだだけで、実際は違うかもしれないんですけど!!」

「落ち着け……で、どうしたって?」

 「―――実は、このナオビの都市警備局とアークスは仲が悪いそうなんです」

 それが噂の話、とは思えなかった。事件とは関係ない、俺と連中の仲について重要な情報が舞い込んできたようだ。

 「興味深い話だな、どんな噂なんだ?」

 「えっとですね……私達が来るよりも前に、ナオビで幾つかの殺人事件があったみたいなんです。その被害者は全員がアークスの人達ばかりで、被害者は確か……4人、くらいだったかな?」

 「へぇ、そいつは初耳だ。アンジュ、お前は知ってたか?」

 「ナオビに着任が決まった時に、情報収集として記事は見た事がありましたが……」

 つまりあまり大々的に報道はされていない、という事か。そう言えば、着任時にマクレーンが継続中の捜査資料には目を通しておけと言っていたが、

 「ちゃんと見ましたか、マスター?」

 「ちゃんとは見てない気がするな―――それで、その事件で俺達とアークス側で何かあったとか?」

 あったらしい、とモニカは頷く。

 当初、事件の捜査にあたったのは警備局。基本的にアークスシップ内で起きた事件は、臨戦地区の様なアークスの重要施設以外は警備局が担当する事が通例となっている。事件現場は海洋地区に始まり、市街地区、工業地区、最後は農業地区。当然、最初の事件現場である海洋地区の捜査権を持っている警備局が事件の捜査を開始したのだが、被害者の身元が判明すると同時にアークス側から急な横やりが飛んで来た。

 「合同捜査、という事ではないようですね」

 「うん、なんでも警備局の捜査権を強引に奪ったって……それで警備局の人達は猛抗議したらしいんだけど」

 受け入れられなかった、というわけか。だとしても、そいつは妙だ。確かに身内が殺されたから自分達で捜査をしたいという想いは汲んでやれるが、強引すぎる。

 「その流れで行くと、後の3件の殺しも同じようにか?」

 「そうらしいです」

 警備局としては面子を潰されて面白くないだろう。いや、それ以上にアークス側にとって自分達が信用できない連中とレッテルを張られるなんて思いもしなかっただろう。都市警備局は確かにアークスと比べられる事はある。しかし、それはアークスよりも劣っているという事ではない。

 「はぁ、気持ちはわからんでもないわな」

 「そうですね」

 怒りか、それとも失望か。

 その両方か。

 そしてそれらは共に俺にも向けられているのだろう。アークスではない。元アークスというだけで。こっちとしてはたまったものじゃないが、概ね状況は理解できた。連中の気持ちも理解は出来た。

 「……こりゃ、あれだな。こっちも連中にきちんと向き合う必要がありそうだな」

 「ようやく重い腰を上げてくれて、私は嬉しいですよ、マスター」

 それにしてもダーカーの襲撃に遭うだけじゃなく、そんな事件も起こっていたとは、このアークスシップも不運なもんだ。

 「ちなみに、その事件の犯人は捕まってないんだよな?」

 「えっと……多分、捕まってないと思います―――あ、でも……」

 モニカはもう一度周囲を見回す。

 どうもこの娘は色々と心配性な所があるな。アークスが関連している噂なんて、他のアークスの大半は知っているはずだろうに。

 「その、亡くなったアークスの人達なんですけど……もしかしたら、『始末屋』に消されたんじゃないかって……」

 「それも噂か……あ、いや、噂だろうな」

 「なんだか久しぶりに聞きましたね、『始末屋』なんて言葉」

 アークスには、アークスを消す始末屋がいる―――なんて冗談みたいな噂がある。

 「その噂、まだあったんだな」

 苦笑が隠せない俺だが、モニカな真剣で周囲をキョロキョロしている。まさかとは思うが、こんな噂話をしている自分達も始末屋に消されるのでは、なんて思っているんじゃなかろうか―――いや、思ってそうだな。

 「心配するな、モニカ。そいつはただの噂だ。前のアークスならではの環境が生み出した噂で、今の体制では完全に化石みたいなもんだろ?」

 「それは、そうかもしれませんけど……」

 「それにな、こんな噂程度で消されてたら命が幾つあっても足らんだろ。そんな事を心配するくらいなら、『視察官』に目を付けられるほうが現実味があって怖いだろ」

 「それは……確かに怖いです」

 「だろ?」

 視察官とは、その名の通り各アークスシップで問題が発生していないか、問題となる種はないか、問題のあるアークスはいないか等を査察して回る連中の事だ。この査察はアークスシップにとって割と重大な案件であり、問題なしの判子を押されるのが当たり前であり、問題あれば処分の対象となってしまう。噂では、過去に問題を発見された管理者の首が飛んだとか、アークスシップそのものが機能停止寸前まで追い込まれたとか、始末屋の始末対象になるとか―――ともかく、重要で嫌われ者の連中なのだ。

 そして、そんな事を笑い話にしている俺達は、しっかりとその対象になっている事に気づくのが少しだけ遅れた。

 「―――仲が良いのは羨ましいが、仕事中に話し込むのはあまり感心しないな」

 背後から掛けられた声。

 俺とアンジュからは見えないが、モニカにはしっかりと見えたのか、一瞬で顔色が白く染まる。

 「あ、ああ、あの……」

 カクカクと面白い動きて身振り手振りする彼女は大変面白いが、多分面白がっている場合ではないかもしれない。

 振り向いてみれば、見知った顔があった。その人物は見学コースの案内人で、俺が巻いた人物なのだが、ここで重要なのはその人物がモニカ以上に顔面蒼白になっているのは、その隣にいる奴が関係しているのだろう。

 こいつは驚きだ。

 噂をすれば何とやら……とは言うが、目の前にいるのは正真正銘の視察官。

どうしてわかるかって?

それは俺がこの視察官を知っているからだ。

 「貴方も勝手に見学コースから抜け出すのは感心しませんね。他の参加者はきちんと担当者の指示を守っているのに」

 「そいつは悪かった。けど、俺にも言い分はある。トイレに行ってたら置いて行かれたんだよ」

 「では随分と長いトイレだったようですね……」

物腰は柔らかいが、俺を見る瞳はなんとも無機質。

 「お通じが悪くてね」

見るのではなく、観察している。

 「良い医者を紹介しましょうか?」

 知ろうとするのではなく、取り込もうとしている。

「いいや、医者は昔から嫌いなんだ」

笑う笑顔は機械的で、優しい口調は棒読みに思えてならない。

 「そうですか、では健康には気を付けてくださいね」

 俺はこの男を知っている。

僅かな時間だけだが全アークスが注目した者。

僅かな時間の中でアークスを真っ二つに分けた者。

現アークス総司令とその座を争った者。

 「『名誉ある敗北者』のフォルテ……お会いできて光栄だよ」

 「それは忌み名だよ。だが、私個人としてはそれほど嫌いではないがね……」 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode5『その場所には必ず私はいます』

 ジェリコ、男性、ニューマン、ショップエリアのアイテムラボにて勤務経験あり。現在は無職。アイテムラボを辞めた理由は懲戒解雇。理由は物品の無断使用及び横領、そして横流し。犯行が判明した時点で逃亡を図り、都市警備局及びアークスでも捜索中。

 「灯台下暗しか、随分と近場に潜伏してたもんだ」

 「そこに気づけなかった事が奇妙なんだよ……」

 警備局で唯一の喫煙所。使用者は僅か数名。数名の中の二人。関係は最悪で同じ空気を吸うのも嫌だと思っている俺ともう一方。

 「あの場所は捜査範囲に入っていただろ?しかも、随分前から奴の居住場所だった。普通は最初に行くのは容疑者の部屋だろ」

 確認で聞いたつもりだが、クルーズは忌々しいとばかりに俺を睨む。

 「お前に言われなくても、そんな事はわかっている。問題なのは、ジェリコがアークス側に登録していた住居はまったく別の場所。あの部屋の登録者は赤の他人どころか、架空の人物だった」

 そいつは奇妙な事だ。

 吐き出した紫煙を見つめながら考える。

 「……出来るのか、そんな事が?」

 「知らん。逆に聞くが、アークスは人員管理すらまともに出来ないのか、元アークス殿」

 「それこそ知らん。畑が違うからな。あと、なんでもかんでも俺を引き合いに出すな」

 空気は重い。先ほどまでいた罪のない喫煙者の方々は、俺達の険悪な空気を察して早々に逃げ出してしまった。別に俺達が出て行ってくれとか、出てけとか、失せろとか、そんな優しい言葉をかけた記憶はない。勝手に消えただけ。俺は悪くない。

 「まったく、捜査会議にすら出ずに何処に行っているかと思えば……言っておくが、此処はお前みたいにまともに働かない奴が居ていい場所じゃないぞ」

 「働いているさ。色々と聞きまわってたんだよ。それに、捜査会議にはアンジュが参加してるから問題ないだろ」

 「捜査資料を開きもせずにクロスワードパズルの雑誌に夢中になってたが?」

 「……あ~、なんかすまん」

 アイツ、一度本気でどうにかしないといけんな。 

「ふんっ、お前らに期待なんぞしていない」

「―――ところで、第一発見者は?姿を隠している奴が、わざわざ自分の部屋に招き入れる親しい者がいたとか……」

「それも調査中だ。だが、通報者は女性という事だけ。詳しい事情もわからんし、電話口で人が死んでるとだけ言って切ったそうだ」

なんだかんだ言って、質問には答えてくれるのな、お前。

「なら、その通報者の女が容疑者か」

「現場に到着した時点でドアはロックされていなかったそうだ。現状では一番怪しいのはその女だ」

 「防犯カメラには?」

 「写っていたさ」

 捜査資料を投げ捨てるように俺に渡す。

 「通報があった時間の1時間前、部屋に入る女の姿が写っている。部屋に入り、10分後には逃げるように部屋から出てきた。その時間で犯行に及んだ可能性もあるが、単に死体を発見しただけの可能性もある」

 防犯カメラに写っている映像、その時間を見る限りは確かに10分ほど。犯行はその10分で行われた可能性は高いだろうが、

 「通報があったのは、この映像から50分後か」

 「仮にその女が犯人でないとするならば、女は部屋に何かをしていた可能性もあるという事だ。見ろ、部屋に入る前と後、女は入る前に持っていない鞄を持っている」

 知人が死に、通報するよりも何かを探して、その何かを持って逃げ出して通報する。もしくは殺した上でそうしたか。なんにせよ、現在の一番の容疑者はこの女性という事になるのだが、

 「まだこの女の素性はわからん。ジェリコの交友関係を含め、今後の調査に―――」

 「ジェリコには女がいる可能性がある。金で買った女じゃない、恋人がな」

 その情報は知らなかったのだろう、驚いた顔でクルーズは指先から吸い殻を落とした。

 「お前が言う所の、俺が仕事をしない時間を利用して、アイテムラボに居る知人に聞いたんだよ。以前、そこの同僚達に飲みの席で女がいる話をこぼした事があるらしい」

 「……その女は何処にいる?」

 「詳細な場所まではわからんが、ざっくりとした所在だけはわかったから、これから行ってみるつもりだ」

 灰皿に吸い殻を入れて、ホルスターに差した獲物を確認する。

 「そっちにはそっちの捜査方針があるだろ。こっちの情報はあくまで酒の入った時のホラ話の可能性だってある。確証は薄い……とりあえず、聞き込み程度って事だ」

 「独断専行を俺が許可するとでも?お前の上司は俺だぞ」

 「当てが外れた時は、俺は無能だと笑えばいいさ。仮に当たったら儲けもんだ」

 「―――ふん、勝手にしろ」

 とりあえず許可は貰った。

 アンジュと合流して聞き込みか、アークス時代には経験した事がない作業だが、今後はこういう作業が続くのだろう。

 「あぁ、そうだ。念の為に第3限定解除を申請するが、問題は?」

 そう言うとクルーズは非常に嫌そうな顔をする。

 「お前は街中で戦争でもする気か?」

 「念の為だよ、念の為。それに俺のじゃなくてアンジュのだ。第3レベルならアイツが調整をミスしない限り、大した被害は出ないさ」

 「お前等の些細な被害は、こちらにとっては大きな被害なんだよ。許可は出来ない。可能なのは武器使用を認める第4までだ。それ以上は俺に報告しろ。その場で判断する」

 「そういうのが面倒だと言ってるんだがな……」

 「面倒な事は、重要な事だという事だ。いいか、守らないと厳罰だぞ」

 まぁ、いいだろう。余程の事が起きらない限りは現状の装備だけで対応できるはず。市街地でダーカーがいきなり襲撃してくるとか、巨大エネミーが出てくるわけでもあるまい。第一、そうなれば対応するのは警備局ではなく、アークスだ。

 「それと、必ず一度報告には戻れ。外れたらその場で笑えんからな」

 「あいよ―――あぁ、それとな」

 「なんだ、まだ何かあるのか?」

 「―――噂で聞いたが、数ヵ月前の事件で警備局とアークスでひと悶着あったってのは、本当か?」

 嫌な目をする。

 俺じゃないモノを睨むようにしながら、しっかりと俺を含んでいる。

 「それがどうかしたのか?」

 否定はしないのか。

 無意識に俺の手は新たな煙草を掴んでいた。

 「いやな、ショップエリアの店員から聞いた話で、アークス側がアンタ達に随分と非礼を働いたって聞いてな。噂のレベルでは信用が薄くて興味を持ってね」

 果たして、それは本当にあった事なのか、どうも信用できなかった。第一、わざわざ捜査人員を減らすような事をして、何の意味があるというのか。確かに被害者はアークスの人間だったが、捜査するなら外部である都市警備局の力を借りるのは常套手段。

 「俺が知る限り、俺が居たアークスはアンタ達、警備局の能力を過小評価なんかしていない。こっちが外でドンパチしてる間も、アークスシップを守っているのは都市警備局だ。敬意を払う事はあっても―――」

 「それが表向きだとは、思わないのか?」

 冷たい拒絶。こちらからの歩み寄りを一切拒絶する言葉は、この歳になっても意外と堪えるものだと実感する。怒りは沸かない。呆れは少しだけある。そして微かな同情も。

 「こちらが汗水垂らして集めた捜査情報を、横から全部奪い取り、後は自分達の仕事で、お前等は邪魔だ―――連中はそう言っているたんだよ。どんな理由があるか知らんが、こちらが納得するしないに関わらずだ」

 掴んだ煙草に火はつかない。

 掴んだだけで、口元にすら運ばれない。

 「あぁ、そういう事もあるだろうさ。今回はそうだろうと納得する事も出来たさ……だがな、納得が出来ない事もある。許せない事もある。お前は噂話でこの話をしているようだが、その噂でこんな話は一緒に聞かなかったか?」

 尊厳を踏み躙られた怒りではない、誰にでもある単純な怒りの色が浮かぶ。

 当事者でなければ理解できない、そんな怒り。

 「捜査中止に納得できない局員が、独断で捜査を継続した。その最中に捜査員は事件とはなんら関係のない事件に巻き込まれ大怪我を負った。そいつには家族がいる。妻も子も、友人だっている。そんな人達が居る病室に来たアークスの糞野郎は、局員が何らかの結果を得たから負傷したのかと思ったらしいが、そうじゃなかった。そしたら、糞野郎はなんと言ったと思う?」

 その糞野郎への怒りは、俺に向けられる。クルーズにとっては何ら変わりはないのだろう。俺であろうと、俺じゃなかろうと。

 「―――こんな間抜けの為に時間を裂いてしまった、だとさ」

 笑えるだろ?と、彼は言う。

 ほら、笑えよ?と、彼は言う。

 言葉使わず、彼は言う。

 お前も奴等と同類なのだから笑う事ができるだろ?と、彼は言っているのだ。

 「お前はそんな連中を信用しろって言えるか?」

 「……そいつは確かに糞野郎だ。だが、他のアークスが―――」

 「他のアークスはそうじゃないか?少なくとも俺はそうじゃない。俺はそいつとは違う……そうだろうな、身内は庇うだろうよ、普通は」

 「おい、クルーズ……」

 「ヴァン、お前はこっち側じゃない。お前はまだあっち側だ。お前は今さっき言ったばかりじゃないか―――アンタ達、警備局ってな」

 

■■■

 

 渋滞道路の脇で、歩行者達な何の不便もなく優々と歩いていく。復旧作業に必要な資材を運ぶ大型トラックの渋滞に巻き込まれ、意味もなくハンドルを指で叩く。

 「歩いて向かった方が早かったですね」

 「そうだな」

 色々な思考が同時進行で進んでいく。今の殺人事件と昔の殺人事件。今の容疑者と昔の容疑者。何故ジェイクは殺されたのか、何故アークスは殺されたのか。

 「だから車は止めましょうって言ったんですよ。最近の交通事情を把握しないのに毎日毎日車での移動に固執するから」

 「そうだな」

 女が現場から持ち去った鞄には何が入っていたのか。何故アークス達は殺されたのか。どうして自分はアークスを辞めたのか。どうして都市警備局を次の仕事に選んだのか。

 「そもそも、マスターと私だけで曖昧な情報を頼りに人探しなんて可能なのですか?」

 「そうだな」

 ダーカーに襲撃され、傷ついた街がある。ダーカーから宇宙を守ろうとするアークスがいる。街を守ろうとする者がいて、宇宙を守ろうとする者がいる。そのどちらも何かを守ろうとするという意志では変わりはないはず。なかったはず。なかったと思う。なかったと思いたい―――なら、俺はどうなのか。

 「……今日は良い天気ですね」

 「そうだな」

 別に青臭い事を考えているわけじゃない。ただ漠然と思ってしまう事もある。今だけじゃなくて、昔からずっと。損得の感情だろう。守って何になるのか。守ろうとする意志が己の中から生まれたのか、それとも他者と周囲からインプットされたコードになるのか。そこに疑問を持てば生まれる損得の感情。守って何になる。救って何になる。自分が何かになるかは他者が決める。仮に英雄になるとしても、それは他者がそう呼ぶだけで自分自身で英雄は名乗れない。名乗って何になる。名乗って何の得がある。

 「雨が降ってますが、良い天気ですね」

 「そうだな」

 アークスになると決まっていた。そういうものだと、そういう流れだと思っていた。そこに選択したと思い込んでいる自分だっていた。実際はそうでないと言い聞かせる自分もいた。その流れに逆らうのが面倒だと思う自分がいた。その流れを肯定する他人もいた。

 「……マスター、何かありましたか?」

 「……何かになるって、結構難しいもんだと思ってな」

 「哲学ですか?随分と似合わない事を考えますね」

 「―――お前は、自分がサポートパートナーである事をどう思ってる?」

 「急に変な剛速球を投げますね」

 流れの中で決まった生き方があるならば、決まっている事が前提で生まれているモノだってある。用途により生み出された道具がそうであるように、アークスの為に生み出されたモノだってある。

 「別にどうも思いませんよ。私は生まれた時から、生まれる前からサポートパートナーという型として存在しているのですから」

 「それを不満に思った事はないか?もっと別の……なんていうか、」

 「ヒューマン、キャスト、ニューマン、デューマン、もしくはその他として生まれたかったか、という話ですか?特に思った事はありませんよ」

 それは、

 「それはそういうモノだからか?」

 それは諦め以上に残酷な、選択する自由すらなかったという事ではないだろうか。

 「マスター、貴方が何を言いたいのか真に理解は出来ませんが―――」

 車がゆっくりと動き出す。

 「貴方も知っている通り、私達サポートパートナーはマスターである方の為に生み出され、その事に疑問は抱きません。生まれた時は皆が並列です。個性も同等で性格も同等です。自分で言うのもなんですが、非常に面白みのない存在だと思います」

 多分、先で詰まっていた車両が良い感じに空いてきたのだろう。

 「そんなつまらなかった私は、マスターと一緒にいる間に徐々に他と個体差を持っていきます。経験を積み、知識を得て。それは戦闘とは別のマスターというモノを知る事で変わって行くのです」

 ゆっくりとアクセルを踏む。

 「結果、此処にいるサポートパートナーは貴方の大好きなキュートな天使になったのです」

 「自分で言って恥ずかしくないのか、それ……」

 「いいえ、ちっとも。例えそうなっていく機能として、当たり前の結果だとしても、私が今の私になったのは、貴方に相応しい私になる為です。ほら、こう言うとなんか安っぽいラブストーリーみたいじゃないですか?そんな安っぽい事に幸福を得られるのが私です。こんなお得な相棒が、貴方の相棒です」

 他人から与えられた機能でしかない。そんな風に思い込む様に作られただけの人形かもしれない。結果が先に与えられ、仮定を考えるつもりになった一直線の道かもしれない。

 それでも、

 「今こうして此処に存在するアンジュという個体は、貴方にとって別の何かになっても問題ないモノですか?ちなみに私はそうではないと自負しています。だから、私は別に他の何かになろうなんて思ってませんよ」

 「……確かにお得だな、お前は」

 「納得して頂いて光栄です―――マスター。貴方が何かになろうとしても、私はアンジュというサポートパートナーであり続けます。なろうとする間も、なったとしても、なれなかったとしても、その場所には必ず私はいます」

 少し進んだが、また車は止まる。

 「やっぱり車で行くより徒歩のほうが早いかもな……歩くか」

 「別にいいのでは?」

 「時間は有限だろ」

 「有限でも無いわけではありませんので」

 「それじゃ、のんびり行くか」

 「怒られるのは私ではなく、マスターなので問題ナッシングです」

 進んでは止まり、止まっては進みの繰り返し。

 「―――俺は、まだアークス側なんだとよ」

 「では、出戻りしますか?」

 「再々就職は面倒だし……頑張っていくさ。お前は最後までついてきてくれるんだろ?」

 「給金次第ですかね」

 あぁ、そう言うだろうよ、お前なら。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Interval『英雄譚は常に戦場から生まれる』

 砂塵の星。

 その荒野と砂漠が広がる惑星は、生物にとっては生きにくい世界ではあるが、それでも星に適応した者達が多く生息している。中には意思疎通が出来るモノもいれば、悉くを拒絶したモノもいるが、そこはどこの世界も変わりはしない。

 だからこそ、争いは続く。

 そこは戦場だった。

 銃声、爆音、悲鳴に怨嗟が木霊する。無機質な鉄の塊が周囲に散乱し、砂の荒野には無数の命が残酷にも野晒しにされ、死骸漁りの野鳥がそれを喰らう。

 大規模な戦闘があったのは一時間前だが、未だに鼓膜に殺し合いの音が響いている。この不協和音を消し去る事は出来ない。相手が届ける死もあれば、こちらが送り付ける死もあるのだから。

 「隊長……俺達、死ぬんすかねぇ?」

 破壊された鉄の上の腰かけた男は、僅かに残った携帯食料を口に運ぶ。その手は微かに震え、一向に口に食べ物が運ばれる様子はない。

 「冗談を言う元気があるなら、こっちを手伝え。お前よりも酷い負傷は沢山いるんだ。動ける者が動かなければ、全員が屍になるぞ」

 隊長と呼ばれた男は物言わぬ同胞を引きずりながら、部下を叱責する。しかし、彼もまた屍にも似た顔色をしている。心と体の疲労が蓄積されているのは一目瞭然だった。

 「そう言いますけどよぉ、残りの戦力ではどう考えても―――」

 「黙ってろ……」

 彼自身もわかってはいる。周りは屍だらけで、生きている者すら満身創痍。これ以上の戦闘は不可能に近い。

 部下は地面を何度も何度も蹴りつける。砂の星にある無限ともいえる砂だけが空に巻き散る。その光景が自分を余計に惨めにさせるのだろう。

 この惑星に降り立つ時、こんな状況になるかもしれないという可能性は僅かだが想定はしていた。だが、所詮は可能性という甘えだった。

 彼等の任務は既に文明のある惑星の調査。そこでは数年前より多数の部族が僅かな資源と領土を求めて争いを続けていた。その為、任務の際は可能な限り原住民との接触は最小限にして、非常時以外は争いに加担せずに調査を行う必要があった。だが、戦いの炎は彼等が想像していた以上に強大で、惑星に降り立ったその日に彼等はあっさりと争いの渦中に身を投じる事になった。その日を境に、部族間同士の争いの規模は大きくなり、国すら巻き込む巨大な戦争へ姿を変えた。

 部族と部族、国と部族、最悪の場合、国と国の戦争に発展する可能性すらある。

そんな状況でも味方はいた。部外者である彼等を歓迎してくれた部族は、彼等がこの部族間の争いに新たな火種を生むことを恐れながらも、同じ宙に住まう者として信用と信頼を送ってくれた。

 しかし、その想いが不幸な結果を招く事になる。それが目の前に広がる死屍累々の光景だった。人の好い部族長も、その妻も、息子達も、その仲間達も―――皆が傷つき死んでいく現実が自分達の傍に立っている。元々こうなる運命だったのか、それとも自分達が来た事で起きた結果なのか、どちらにせよ争いは争いであり、死は死でしかない。

 部下の目には大きな絶望と、僅かな涙が見える。それを無視することは出来るが、彼は部下と向き合う事を選ぶ。

 「心配するな、応援はくる……必ず来る」

 自分に言い聞かせているわけではない。

 決して既に出ている答えから目を背けているわけではない。

 「……幾ら援軍が来るとは言っても、それまで俺達が生きていられる保障があるんすか?」

 部下は懐から一枚の写真を取り出す。

 「俺達も、あいつ等と同じ場所に行っちまうのか……」

 写真に写るのは、彼等の部隊の面々と部族の人々、彼等に協力した傭兵。皆が精いっぱいの笑顔でカメラを見ている。今となっては、そこに写る者は半分と居ない。

 「生きる保障は自分達で作る以外に方法はない。それに、此処で死んだら宙に帰るのか、星の神に食われるか、わかったもんじゃない」

 「そいつは頭が痛いですわな、隊長」

 見上げる空には何もない。今にも自分達を助ける為に同胞達が空から舞い降りてくるに違いない―――それが滑稽な想像だと思ってしまうのは、自分達の心がそれだけ追い詰められているという事に他ならない。

 「……だがよ、見捨てられんだろ、皆を」

 「隊長、その言い方は卑怯ですよ……俺らも全員、同じ気持ちなんすから」

 傷つき倒れている者達は、写真に写る仲間ばかり。残りは敵だけ。犠牲は多く、この先も増えていく。例え援軍が来たとしても、それは変わらない。

 「おかしいですね、俺達はこんな事をする為に此処に来たわけじゃないのに……」

 「あぁ、そうだな」

 「此処には俺達が守るべきもんがあるかもしれないっすけど、俺達が奪っていいもんはないはずですよ」

 「そうだな……」

 「後どれだけ奪えば、どれだけ殺せば終わるんすかね……」

 「そうだな……あぁ、まったくだ」

 言ってしまえばいいのだ。そうすれば部下も腹をくくるだろう。援軍は来ない。この争いに巻き込まれた時点で自分達を救うという選択肢は上の連中にはない。いや、そもそもこの任務とて疑問点は幾つもある。不信感だってあった。だが、その全てを噛み砕き、飲み込み、部下を引き連れてこの惑星に降り立った。

 「もう殺したくなんて、ないよな」

 握る武器にこびりついた黒い錆。体に付着した生暖かい液体。鼻をつく錆と鉄、そして腐臭。体に染みついた死は、消える事はないだろう。消えてしまう事など、絶対にない。

 早く終わってほしい。この血生臭い世界から逃げ出してしまいたい。暖かい場所で、当たり前の平穏が約束された場所に戻りたい。

 だが、それは一人だけでは意味がない。

 自分の部下も、自分達を救い自分達が救おうとした人々と共に。

 「だからよ、ちゃんと生きて……ちゃんと帰ろう」

 だからこそ、

 「――――――、」

 諦めに染まった部下の顔は、そこにはない。

 「―――――――、」

 顔はない。

 「――――――――、」

 顔があるべき場所に顔はない。

 「―――――――――、」

 首から上はそこにはなく、弾けた血肉が彼の顔にこびりつく。

 「――――――――――、」

 視界に写るは敵の姿。味方を殺す敵の姿。抵抗する味方を殺し、守ろうとする味方を殺し、彼の知る者達を殺し続ける敵の姿。その光景が眼に刻まれる。鋭利な刃物で眼球に死を刻み込む。瞼を閉じようとも見せつけられるように、絶望を教え込むように。

 地面に倒れる部下だった物体、その背後には巨大な機械の怪物。悪意を組み込まれた、人の意思に染まった機械の巨大な左腕には、部下だった者の皮膚がこびりつき、その腕で今度は彼を狙う。

 「――――――――――――馬鹿野郎が、」

 迫る剛腕を一閃、返す刃で部下と同じように頭部を叩き斬る。

 ガラクタに成り果てた怪物を一瞥し、部下の亡骸に手を伸ばす。

 「あぁ、帰ろう……皆で帰ろう」

 彼が握っていた写真にかかった血を指で拭い、懐に仕舞う。そして部下の武器を手に持ち、死んでいった者達の亡骸から武器を調達する。

 「でもな、すぐには帰れそうにない」

 使える物は身に纏い、使えない物は祈りを込めて死者へ備える。

 「今更、見捨てる事はできない。俺も、お前等も、此処には守るべきものが増えすぎた」

 そして減りすぎた。

 右手に剣を、左手に銃を、思考に殺意、心に哀れみ。

 「ケリは俺がつける……だから、もうちょっとだけ待っててくれ」

 見上げた空には何も居ない。待つべき増援も、祈る援軍も、此処に自分達がいる事を消した連中も。何一つない、何も見えない。空に見えるだけの何か。聞こえない。自分の呼吸も、相手の呼吸も、何もかもが聞こえない。己一人が此処にいて、己以外の全てが無になる。

 撃鉄を上げろ、叫びを上げろ―――悲鳴と絶叫を響かせろ。

 銃声を鳴らすは敵か己か―――しかし、それが開幕の鐘と成る。

 銃声、爆音、悲鳴と怨嗟。

 人を救い英雄となる者がいるならば、人を救わないが故に英雄になる者もいる。

 その手に血を、その背に命を、屍を踏みつけ、世界を赤に染め上げる者。

 血みどろの戦争を他者の命をもって終結させ、英雄となった者が此処にいる。

 

 彼の者―――英雄『スパルタン』

 

 英雄譚は常に戦場から生まれる―――だから此処に『あなた』は必要ない

 

 これは『あなた』がいない物語

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode6『権利を主張する気はない―――命令だ』

 言ってしまえば治安が悪い。

 極端な悪行を目にする事はないが、第一印象は非常に良くない。基本的に同じ形式をしているアークスシップ内の街なのだが、此処はあまり良い印象を与える事はなさそうだ。壁のあちこちにひび割れや落書き、道路は補修が必要なほどに傷んでいるが、補修されている様子がまったくなりので、時間による痛みと思われる。路地裏には俯いて座り込んでいる者もいれば、周囲を見回しながら何らかの如何わしい売買をしている様子見も伺える。

確かこの場所もダーカー襲撃の被害にあった場所の一つではあるが、その被害は実際少ない。つまり、元々こんな場所だという事だ。

「マスター、私を見つめる熱い視線を感じます」

「モテモテじゃないか」

「どうやら冗談で言ったキャストフェチの方々が此処には沢山いるようですね……いいお小遣い稼ぎになりそうです―――ちなみに、ある筋の情報ではキャストの一番色気を感じる場所は何処かというアンケートで、ネジ穴が上位にくるとかこないとか」

「何処の情報かは知らないが、信用できるかどうかは微妙だな。あと、モテモテになるとお前はバラバラにされると思うぞ」

サポートパートナーでキャストタイプに使われるパーツは、通常のキャストと同じ物を使用している為、それなりのお値段になる。その為、本当に治安の悪い場所ではキャストパーツを闇ルートで売買するなんて事も、普通にあり得る話だ。

 「このエリアで聞き込みとなると、骨が折れそうです」

 「そうでもないさ。その場所に相応しい方法を取ればいいんだよ」

 「と、言いますと?」

 簡単なマンハントの仕方、その1。

 目を付けるは売人らしき奴。自分の客になりそうな人物を探しているので、詳しくはなくとも人を一番見ている連中ではある。それ故、そんな売人に近づき親しげに話しかける。当然、相手はどう見ても客じゃない俺を不審に思うわけだ。

 そこで、その2に移る。

 天気の話でもなんでも良いのだが、ともかく相手が興味なさそうな話をしてみる。そこで相手が俺を無視して別の場所に移動した場合は、あまり良くない。逆に俺に対して脅しをかけてくるような相手なら当たりだ。更に今回の相手は大当たりの部類に入ってくれた。態々ナイフを俺に突き付け、さっさと失せろと脅してくる。

 ここで、その3となる。

 ナイフを持った手を掴み、腕を通常では回らない方向に曲げてやる。すると普通の奴は腕が折れないように勝手にその方向へ倒れこむ。相手からすれば30を超えたオッサンだろうが、こんな場所で燻っている程度の奴に後れを取る事はないと自負する。

 痛みで落としたナイフを拾い上げ、相手の首元に添える。冷たい鉄の感触は先ほどまでの威勢を殺すには十二分。

 此処までくれば、この方は俺の質問に優しく丁寧に答えてくるわけ。

 「―――流石にその捜査方法は問題があると思われますが……」

 「正当防衛って事でどうにかなるさ。それに、見事に大当たりだっただろ?」

 正直、最初の1人で情報を得られたのは運が良かった。親切な売人は俺が思っている以上にこの辺りに詳しい奴だった。目的の人物の居場所だけでなく、名前や仕事まで親切に教えてくれた。

 「金で買った女が、自分の女になったってわけか。だとすれば、あの売人から元締めに俺の話が行くのは時間の問題か……こりゃ、さっさとカタを付けるか」

 目的地は意外に近くにあり、7階建ての旧型アパートの5階、部屋は一番奥。後ろは衛生的によろしくない色をしている川、両隣の右側は同じくらいの高さのアパートだが、左側は荒れた公園を挟んだ古い雑居ビル。

 「俺は直接部屋に行くから、お前はあっちの雑居ビルからサポートを頼む」

 車のトランクを開け、収納されているアサルトライフルを組み立てる。アルバスナイパーはアークスでも正式使用されているアサルトライフルだが、警備局でもアークスで使用されている一部の武器を使用している。もっとも、こちらでエネミーを相手にする事など殆どないのである一定レベル以上までは回ってこない。

 「ライフルがあるのは構いませんが、これは些か過剰防衛になるのでは?」

 「撃たなきゃいいだけだろ。それにお前の射撃は期待してない。周囲の状況を俺に報告してくれればいいさ」

 「それは助かります。射撃はあまり得意ではありませんので」

 「好きじゃないだけだろ」

 とは言っても、実弾を使用するのは大いに問題がある為、ライフルに装填されている弾は変換物質を利用したフォトン弾。その中でも比較的殺傷能力の低い物をマガジンに入れてアンジュに渡す。

 「まぁ、その見た目で大抵の奴は戦意喪失するさ」

 「だったら私もマスターと同じ物が良いです」

 俺がつけているホルスターに差さっている物は、警備局でのみ使用されているリボルバータイプの銃。此処で使用するのはあくまで人に向けて使用する為、これで十分だ。オートマチックタイプもあるが、俺は見た目でこれを選択した。ついでに言えば、俺も射撃は得意じゃない。好き嫌いではなく、得意じゃない。

 「ライフルよりもそっちの方が可愛いです」

 「ライフルに比べたら、そりゃ可愛いだろうよ」

 後はスタンロッドを腰に差し、準備はこんなもんで良いだろう。何度も言うように、別にエネミー相手に戦闘するわけではないのだ。

 「それじゃ、行くぞ」

 「了解です」

 アンジュは早々にポジションまで移動する。やはり、腐ってもキャストタイプ。起動性だけなら俺よりもアンジュの方が早い。

 そして俺は面倒な階段を使うわけだが、

 「エレベーターくらい直しておけよ」

 愚痴を吐き捨てながら、老体に鞭打って階段を上がる。上がる最中に住民の姿がちらほら見かけるが、俺みたいな余所者に対して向ける視線は大変冷たいものだ。彼等にも色々と話を聞いておいた方がいいのだろうが、目的の人物が判明しているので本人に聞いた方が早いだろうと判断する……面倒という点は捨てないが。

 廊下からアンジュが居るであろうビルを見る。

屋上から微かに反射した光が見える事から、すでにポジションにはついている模様。

 「間違って俺を撃つなよ」

『人相の悪さから、他の方々とマスターの区別がつき難いので、絶対とは言い切れません』

 「そうかい。なら、努力はしてくれ」

 通信も問題なし。

 目的の部屋にたどり着き、インターフォンを押下する―――が、カチカチと空しい音がするだけ。なので、マナーは悪いが少しだけ力を入れてドアを叩く。

 「―――クレアさん、都市警備局の者ですが。いらっしゃいますか?」

 返事はない。

 「クレアさん」

 返事はない。

 「いらっしゃいませんか?」

 返事はないが、部屋の中から音は聞こえる。何かが動き、焦っている様な音。その音はドアには近づいてこない。部屋の中で何かを動かすような音。

 一応ドアの開閉ボタンを押下して反応があるか試してみると、ドアは俺を拒否する事なく、あっさりとスライドしていった。

 「―――クレアさん、いらっしゃいますか」

 そう言いながら、無意識の内に銃を抜いている自分に気づく。弾は装填済み、安全装置は外れている。撃鉄に指をかけ、神経を尖らせる。

 部屋に足を踏み入れると床が鈍い音を響かせる。外は普通の部屋でも、中は珍しくウェスタンタイプ。このタイプは床が木製となっており、踏んだ場合にしっかりと音を出す無駄に凝った作りで、今の状況ではあまりよろしくない。

 廊下をゆっくりと進み、周囲を確認。

 よく片付いている部屋ではあるが、あまり生活感はないように思える。ただ寝るだけの部屋なのか、それとも住むのではなく仕事として使う部屋なのか。ともかく玄関から数メートルの廊下を、息を殺して進み、次の扉を開ける。

 開けたリビングは思った以上に広い。リビングを中心に4つの部屋が隣接しており、ドアにはそれぞれ女性の顔写真が貼られている。どうやら、此処は仕事部屋らしい。リビングは生活空間ではなく、受付という事になる。

 人の気配は此処にはない。あるのはドアの先。目的の人物の顔写真ではない、別の女性の顔が貼られているドアに近づく。

 「……化粧が濃いな」

 趣味じゃない見知らぬ女性の顔を脳内で採点。男としての性なので、そこは許してほしい。ドアの横に立ち、ドアが開くか試してみるが外と違って反応はない。壊れているわけではない。中から鍵をかけているのだろう。だとすれば、さっさと中から開けてもらうか、それとも外から壊すかになるが―――と、不意にドアが開き、

「―――、ッ!?」

 女が飛び出してきた。

 目を見開いた女が、助けを求めるように片手を伸ばし、もう片方の手を首に添えている。その手の隙間から流れ出る赤い液体は止めどなく流れ落ち、女の衣服を染める。何かを伝えたいのか口をパクパクとさせるが、空気の抜ける音だけが空しく響く。

 女の目と、俺の目が合う。

 女の目に俺が写り、間抜けな俺がそこに写りこむ。

 床に顔から倒れ、木目に沿って赤い液が流れ出す。微かな痙攣、微かな吐息、俺が手を出した瞬間はもう遅い。

 俺が会いに来た人物、被害者ジェリコの女、事件の重要参考人になるはずであろうクレアという女は、既に物言わぬ物体になっている。

 我に返った瞬間、銃口を室内に向ける。

 部屋の中には誰もいない。

 クレアの流した血が点々としており、その先はベッド。シーツには大きな赤い染みが広がっている。

 「………」

 誰もない。

 誰もいないはずなのに、銃口を下げる事が出来ない。だが、クレアの状態も確認しなければならない。苦肉の策として銃口を下ろさず、片手でクレアの首元に手を当てる。手につく血の感触と徐々に冷たくなる物体の感触。動かず、動けず、動こうともしない物体は、あの部屋で死んでいたジェリコと同じ物に成り下がっていた。

 クレアの死亡を確認し、俺はゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。入口付近に誰もない。部屋の奥にも誰もない。部屋の中に置かれたダブルベッド、そして見覚えのある鞄。

 「………」

 一瞬、そのバッグに目を奪われた。

頭の片隅にある鞄の中身を確認しろという命令が、緊張という殺伐とした思考から逃れたい体を動かす。

それが致命的だった。

誰もいない空間のはずが、何の気配すら感じられない場所であるはずだった。

反射的に体が動く―――よりも早く、俺の動きは止められた。

「動かないでください」

女の声が鼓膜を震わせると同時に、冷たい感触が首筋にあたる。

背後から首に添えられた巨大で歪な刃が、冷たい声の主によって俺の命が握られている事を主張する。

「その手に持っている危ない玩具を捨ててくれますか?」

依頼ではない、命令だ。

主導権は完全に奪われた現状、俺はその命令を受け入れるしかない。

「ありがとうございます」

「……どういたしまして」

アンジュらしき声が通信機から聞こえるが、今は雑音にしか聞こえない。

「これも切ろうか?」

「えぇ、そうして頂けるなら」

通信機をオフにする。

無言の空間。

質疑応答の最初の一手は無謀にも俺から。

「彼女を殺したのはお前さんか?」

「……違う、と言っても信用できませんよね」

当たり前だ。

「違うなら、そっちも危ない玩具を首から離してくれないか?」

「それは出来ません……貴方は何者ですか?彼女の関係者、仕事仲間といった所でしょうか……」

「そいつは良いお褒めの言葉だ。俺も女受けする良い男ってことだな」

「裏方、という意味だったんですけどね」

傷つくな、その一言。

それにしても妙な奴だ。こうして目に見えて危険な獲物を突き付けているにも関わらず、背後に感じる気配は薄い。話をしているのに、確かに背後に立っているのに、まるで幽霊の様にあやふやな感じがする。むしろ、獲物が俺に話しかけているようにすら思える。

「もし違うなら……」

「違うなら殺すか?彼女みたいに」

「……私は殺してない」

一瞬だけ、気配が揺らいだ。

「信用できると思うか?信用して貰いたかったら、それなりの態度で示せ」

「……逆に聞きますが、貴方に信用して貰って、この状況で私に何の得がありますか?」

「花束でも送ろうか、両手いっぱいでおっきい奴だ」

「貰い慣れてますので、結構です」

「へぇ、モテモテで羨ましいこった。きっと見た目は良い女なんだろうよ。見た目だけはな……」

こうして話をしてくれるという事は、僅かながら相手にこちらを殺す意思はないという事だろう。無論、僅かにあるだけで、話に飽きたら殺されるかもしれないがな。

「……それで、お前さんは一体何者だ?彼女を殺した殺人犯じゃないってんなら、どうしてこの部屋にいた?」

「この状況で話を進める権利がどちらにあると思います?」

「権利を主張する気はない―――命令だ」

死が其処に存在する。

明確な死が俺の首を刈り取ろうとしている。

だからこそ、俺の経験が牙を研ぎ澄まそうとする。

俺の意思など其処にはない。

そうなるように生きてきたのだ。

阿鼻叫喚の世界で、血煙が暴風となる世界で、殺し殺されの世界で生きてきた本能が、生存本能よりも優先される狩猟本能が語りだす。

「答えろ、お前は何者だ」

「この状況を理解する事が出来ないんですか、貴方は?」

五月蠅い、黙れ。

「……俺はお前が人殺しの糞野郎だと仮定して話してるんだ。なら、お前に対して何をしても別に問題ないわけだ。当然の権利だよな?お前は彼女を殺して、俺も殺そうとしている。あぁ、もしかしてジェリコを殺したのもお前か。こいつはいい。傑作だ。一石二鳥で大助かりだ」

次の瞬間には俺の首は、胴体とサヨナラしているかもしれない。

「話す気がないなら、それもいいさ―――いや、もういいさ」

だが死んでいない。

だから勝負に出る。

生きるよりも狩る。

全身を変える。

狩る為のモノに変える。

命を刈り取る為に、命を餌に獲物を釣る。

首に添えられた刃に向けて、あえて首に刃を押し込む。

「何を―――ッ!?」

皮膚が切られ、痛みと共に首が切断されるよりも早く、刃が俺から離れた。その瞬間に肘を背後に叩きこむ。

「間抜けが」

全力の肘打ちに感触あり、確信よりも早く背後に蹴りを見舞う。今度は肉体ではなく、凶器に当たる感触に僅かな舌打ちと同時に、追撃を開始する。銃は床に、スタンロッドを抜く時間は惜しい。なので、片足で前方に飛び出し、奴に肉薄する。

 「―――ッチ、」

俺とは違う奴の舌打ち。何かをしようとするのはわかる。その何かはわからないから、それをやらせない。格闘戦は射撃に比べれば簡単だ。考えるよりも早く動き、考えた時には相手に打撃を喰らわせる。

奴の獲物は凶暴な形をしている。両手を振るえば俺の体を切り裂く事は容易い。だが、それは相手に反撃に移る隙を与えず、襲い続けるという行為で何とか防ぐ事は出来る。

前進する俺から距離を取る為に奴は、後退するのでなく前進する。俺に向けての前蹴り。脇腹に激痛、しかし無視。その足を掴み。膝めがけて肘を打ち下ろす。当たれば砕く事は可能だが、それよりも早く奴の体が独楽の様に回転し、俺の側頭部に衝撃、それを無視。宙に浮いた奴の体を掴み、床に叩きつける。

「が、ぁぁぁ―――」

「――くぁ……ッ!?」

苦悶の声が漏れる―――俺と奴の二人の。

その間に俺は体重を乗せて奴の動きを封じるようとするが、俺の掴んだ奴の足は何時の間にか抜けており、両足が俺の首を締めあげる。体が酸素を求めて呼吸するが、極まった場所が悪い。視界が徐々にぼやけてくる。ならばと奴の首を掴み、奴の体を持ち上げ、走る。無酸素運動の疾走から、壁への体当たり。壁に亀裂が走り、足の拘束が僅かに緩まるが、完全ではない。壁から壁へ。壁から家具へ、家具から家具へ、家具からもう一度壁へ。奴の体を部屋中に叩きつけ、擦りつけながら暴れまわることで、ようやく拘束が解けた。だが、その瞬間に奴は反撃の準備に入っていた。

俺の首から離した両足を引き絞り、全力で俺の胸を蹴りつける。

体が宙に浮き、今度は俺が背中から壁に叩きつけられた。その激痛よりも思考は「しくじったな、間抜け」と自分自身を叱責する。

俺と奴の距離は離れてしまった。あの武器を振るう間合い、時間を与えた。

忌々し気に俺を見る奴。忌々し気に奴を見る俺。

そこにきて、俺は漸く相手がどんな奴か認識する。

 その禍々しい兇器と相反する蒼い髪の若い女。死神にも似た存在にも見えるが、それとは別に―――いや、これは余計な思考だ。

 「へぇ、随分と別嬪さんじゃねぇか……だが、若すぎて俺の趣味じゃねぇな」

 「……加齢臭の匂いが強いおじ様は趣味じゃないのよ、こっちだって」

最早どっちでもいい。

相手が何者で、何を目的としているかなど、どうでもいい。そこで転がっている死体の事などどうでもいい。あの女が殺したかどうかも今はどうでもいい。頭の中では相手が若い女だろがどうでもいい。この状況で分かっている事はシンプルな答えだけ

目の前にいるモノは、敵だ。

俺がスタンロッドに手をかけるよりも早く、奴が虚空に武器を振るう。すると妙な感覚が沸き上がる。いや、沸き上がるのではなく、薄くなってくる。目の前に女がいるのはずなのに、何故か存在が薄くなっているように思えてならない。

これ以上は拙いと判断してスタンロッドを引き抜くが、どうやら間に合わないようだ。

女の口元に僅かな笑みが浮かぶ―――それに返答するように俺は凶悪な笑みを浮かべているに違いない。

 

アンジュが奴の無防備な背中に銃弾の雨を叩きこむ。

 

「――――――ッ!?」

背後から急襲に、奴の意識が僅かに霞んだ隙を見逃さない。威力が低い弾丸ではあるが、数の暴力でどんな防具を装備していても衝撃は感じる。僅かな痛みよりも、衝撃。スタンロッドを奴の頭部目掛けて振り下ろす時間を作るのは、十分すぎる。

「こ、の―――舐めるなッ!!」

スタンロッドは持ち手を残して宙を舞う。空を切る事で体勢が崩れた俺に、奴の斬撃が襲い掛かる。

銃の咆哮が響き、俺目掛けて振るわれた刃が急に方向を変える。射撃が不得意と言いながらも、やれない事はないのだ、俺の相棒は。突然の衝撃に僅かに体勢を崩した奴にタックルを仕掛け、同時に切断された事で鋭利な尖端となったスタンロッドを奴の喉元に突き付ける。

これで先程までと立場は逆転、チェックメイトだ。

「――――――――っぷはぁ……死ぬかと思った」

息をする事を思い出したのか、体が大量の酸素を要求する。

「……マスター、女性に馬乗りになってハァハァしてると変態みたいですよ」

この状況で馬鹿の言葉に対応する気はない。

 

■■■

 

 突然の銃声が響いた事で何事かと住民達は建物の周りに集まりだした。住民だけではない。先ほどヴァンが手を出した売人の手引きで、その界隈の商売を取り仕切っている者が集めたゴロツキの姿も見える。

人込みが生まれる、その瞬間を待っていたかのようにソレは姿を現す。

ソレは奇妙な姿をしたモノだった。

動きがギクシャクしている。錆びた人形が下手な人形師に操られるように動く。人込みに近づく変な奴がいると不審がる住民だが、ゴロツキ達は薬のやりすぎで頭がおかしい奴だろうと高を括る。ソレは奇異の目で見らえる事など気にしないとばかりにマンションの入り口に近づき、不意に振り返った。

 腰から、背骨が折れるように上半身だけが折れ曲がり、皆がソレの顔を見る。

奇妙ではなく不気味な顔をしていた。

ソレはその瞬間に不審なモノから、怪人と認識される。

 万華鏡の様に継ぎ接ぎな顔。一部は人で、一部は機械。一部は生物、一部は部品。皮膚はどの部分かもあやふやで、確かに認識できる瞳は濁った硝子玉。硝子の瞳が脳内を侵食するような不快感を与える。 

 ある者は既に銃声の事など忘れて、気味が悪いと顔を背け、足早にその場から離れようとする。だが、その足は何故か止まる。体が固まった様に動かくなり、自身の意思に反して踵を返す。体の中で何かが蠢いている。爪先から脳天まで這いずり周り、思考を侵食していく。己以外の者が、己以上の意思を持っていく。気づけば、自分だけではない。この場に居る者の多くが同じようになっているのがわかる。

中にはそうではない者もいるが、その異常に気付かない。何故ならば、その者達の視線は異形の怪人と、怪人の隣に立つ男に集まっていた。

「―――あまり勝手な事をするな」

病的という言葉が似合う男だった。

怪人が硝子の瞳を持つならば、男は赤。澱んだ赤。瞳の色を強調するように色素のない灰色に近い白髪。肌は痩せこけ、亀裂が走るように血管が浮きだっている。

「必要以上の実験は必要ない。必要な時に使える人数がいなくなっては意味がない」

怪人は上体を起こし、病的な男を見ると、継ぎ接ぎな顔に横に線が引かれ、口が現れた。だが、何かを言っているのだろうが何も聞こえない。口の奥から響くのは機械のモーター音と生々しい肉が混ざる音だけ。

「結局はそれか。だが、俺にも俺のやり方もある……理解できないか?ならば、貴様はまだ学習が足りないだけだ」

あの2つの異形は会話しているのか、それとも男が勝手に喋っているだけなのか。

「まぁ、いいさ。俺は求められる事をするだけ。貴様はしたい事をするだけ。利害は一致していないが、今回はそういう縁になってしまっただけだ」

男が住民を見据え、

「やはり、全ての住民を動かせるわけではないようだな……」

 そう言うと怪人は片手を振るう。ついて来いと言うように片手を振るうと、何故か多くの住民達は人形の様に動き出し、次々とマンションの中に入っていく。その奇妙な光景を目にして混乱する、その他を悲しそうな顔で見つめる男。

 「……あぁ、わかっている。貴様は先に行って仕事を済ませろ。後始末は俺の仕事だ」

 すると怪人はまるで笑うように体を小刻みに震わせる。その行為が何を意味するかを知っているのは恐らく男だけ。その証拠に男は怪人を睨みつけ、

 「勘違いするな。俺は殺しが好きなわけではない」

 残された者達は理解できない。

 多くの者が理解出来なかったが、僅かな理解が出来た者の動きは速い。無論、速いからと言ってどうにかなるものではない。

唯一、救いがあった幸運な者がいるとすれば、それは行動しようとした瞬間に、男から放たれた何かによって絶命した事。救いがなかった者がいるとすれば、その地面に突き刺さった何かが発するフォトンの奔流に巻き込まれ、全身を雷で焼き焦がされた事。そして一番運がなかった者は、男が手に持った巨大な大剣に切り裂かれ、凶悪な弾丸を吐き出す双銃に貫かれる事を体験するであろう者だろう。

 その行為が始まる寸前、男の言葉を聞いた者はいない。

 

「虐殺は英雄の仕事だ……俺の仕事だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode7『……お前、まさか『始末屋』か?』

 「これ、絶対に怒られますよね。一般市民の部屋で殴るわ、撃つわ、斬るわの大騒ぎ。映画じゃないんですよ、映画じゃ」

 「最近は映画の方が地味だろ」

 なんて事を言ってはいるが、実際は結構問題ありだ。幾ら殺人犯と格闘したからと言って、この暴れっぷりは流石に拙いと自分でも思う。血が滾ったというか何というか、兎に角この歳になって簡単に暴れるようなオッサンにはなりたくなかったな。

 「なんか、こう……心が穏やかになるような趣味でも始めるか」

 「ポエムでも書いてみますか?」

 「不思議だよな、詩と言えば見た目は良いが、ポエムと言われるとなんかむず痒いものに思えてくるな」

 「では陶芸など如何でしょうか?出来上がった陶器を思いっきり割るとストレス解消にもなりますし」

 「割る前提で作りたくはない」

 趣味なんて無数にあるが、自分に合う趣味を探すのは意外と難しい。まず始めようとするのが大変だ。そして金のかかる趣味なら尚更だろう。

 「―――あの、能天気な話をするのは良いですが、私の上でやらないでくれませんか?」

 黙ってろ、元はと言えばお前のせいなんだから我慢しろ。

 「女性の扱いはあまり上手ではないようですね……」

 「不器用なもんでな。それと、人に向かってそんなゴツイ武器を向けてくる奴に優しく接する必要があると思うか?寝言は寝て言え」

 現状、未だ俺は襲撃者の女に斬られたスタンロッドを押し付けている状態。能天気な話をしていると言うが、一瞬でも油断すれば痛い目に合うのは目に見えている。少しでも変な動きをすれば、喉元にこいつを突き刺す、なんて事も辞さないが、当たり前の話ではあるが、正当防衛での殺しは許されているわけではない。あくまで緊急手段。それはアークスだろうが警備局だろうが、人として当然の枷だ。

 「とりあえず動くなよ。アンジュ、手錠は?」

 「もしマスターが持っていないのであれば、私が持っているはずはありません……というか、銃を準備して手錠を準備しないのは如何なものかと」

 同感だな。

 「だったら警備局本部へ連絡しろ。速攻で来いってな。あとは周囲の警戒だ。こいつの仲間がいる可能性もある」

 「了解しました」

 アンジュが部屋の外へ出ていき、残るは俺とこの女だけ。本部の連中が来るには多少時間がかかるだろうし、周囲の警戒にも多少の時間は割かれる。

 それまではこのままの状況か……疲れそうだ。

 「……貴方は、都市警備局の人間なんですか?」

 「だったら何だ?」

 「証拠は?」

 片手でコートをめくり、警備局の胸章を見せる。本物かどうか疑っているようだが、

 「どうやら本当に警備局の人間なんですね……」

 「がっかりしたか?」

 「驚きはしていますよ。体術だけで武装したアークスと渡り合える人がいる事。そして自分の鍛錬不足に」

 おい、待て。

 「アークス?お前が?」

 「えぇ、そうです。信用できないなら証拠を見せましょうか?」

 「偽装は幾らでも出来る」

 「なら、貴方の胸章も偽装ですね」

 つまり、お互い信用するには色々と部品が足りないようだ。それと、第一印象が最悪なのは頂けない。俺もこいつも、この状況も。

 「―――もう一度聞くぞ。お前がクレアを殺したのか?」

 「何度でも言いますよ―――私は、殺してない」

 真っ直ぐに俺を見つめる瞳に、嘘はない。嘘はないが、そんなものはどうにでもなる。

 「だったら、何故彼女は死んだ?あの部屋には彼女がいた。そして、多分お前も居たんだろ?」

 部屋のドアが開いた時、確かに致命傷を負った彼女が飛び出してきた。その後、すぐに部屋の中を確認したが誰も居なかった。だが、あの部屋には誰かが居た。彼女は殺される恐怖から逃げる為に部屋から飛び出してきた。つまり、あの段階では必ず彼女に致命傷を与えた誰かが居なければならない。

 「巧く隠れていたみたいだが、そのまま隠れていればこんな事にはならなかったのにな」

 「部屋の中に居たのは否定しませんよ。出てきたのは部屋に銃を持って現れた貴方が、彼女の関係者と思ったからです―――確認したかったんですよ。自ら命を絶つ程に、何に対して脅えていたのかを」

 自ら命を絶った、ね。

 「自殺だったって言うのか、あれが?言い訳にしては酷いもんだな」

 「信用するしないは勝手ですが、あれは間違いなく自殺です」

 これも嘘を言っているような眼をしていない。

 うっかり、信じてしまいそうになるほど。

 「お前は……何をしにこの部屋に来たんだ?」

 「機密事項なので、言えません」

 「濡れ衣を着る事になってもか?」

 「へえ、濡れ衣だと思ってくれるんですか?優しいですね」

 「調子に乗るな。ったく、だったらこっちなら話せるだろ。どういう状況で彼女はお前の目の前で自殺したのか言え」

 その問いに女は僅かに思考する間を置く。

 偽りを語るか、真実を語るか。

 「―――私がこの部屋に忍び込んだ時、彼女はかなり憔悴しきっていました。周囲を頻りに見回して、窓から外を何度も何度も覗き見して、外から見えない場所に隠れる。そんな事を短時間の間に何度も行っていました」

 部屋の中は人工の光で照らされている。窓には厚いカーテンで仕切られ、外から中が見えないようにしている。元々も違法な仕事場として使っているから、こんな仕様になっているかと思ったが、違うらしい。

 「その内、何かを思い出したようにあの部屋に飛び込んでいったので、私もその時に中に入りました」

 「気配を消しただけ、なんて簡単な方法じゃなさそうだな。お前の隠密術ってのは」

 「それは企業秘密なので―――彼女はベッドの下に隠していた鞄を取り出して、中を確認していました」

 鞄、そう鞄だ。

 「鞄の中には何が入っていたんだ?」

 「残念ながら見えませんでした。少しだけ口を開けただけでしたので……ですが、彼女はその中を見て『これがあれば大丈夫』と言っていました」

 鞄の中身があれば自分は大丈夫。それはジェリコは殺されたが、鞄の中身が彼女の手元にある限り、殺される事はないという事になる。それだけ重要な物、命と一緒に乗せても天秤が平行になるだけの物が入っているのか。

 この女がいなければ、さっさと中身を確認できたんだがな。

 「それで、その後に彼女は死んだ、と」

 女は頷く。

 僅かに……いや、隠そうともしない悲痛な顔で。

 「多分、きっかけは貴方です。玄関から彼女を呼ぶ貴方の声を聴いた瞬間、彼女は混乱したのでしょう。部屋の中を見まして、鞄を抱えて何処かに隠そうとしているようでした。でも、それが急に止まったんです―――まるで、何かに体を掴まれたように」

 それがこの女ではない、という証拠はない。

 だが、妙に気になる言葉だった。

 「何が起こったのか、私にはわかりませんでした。でも、彼女は固まったまま、しばらく動きませんでした……その後は、止める事も出来ませんでした……彼女は、自分で、自分の指で……首を、抉り取ったんです」

 「……嘘だろ」

 無謀にも視線を彼女の死体に動かしてしまった。だが、女はそんな隙があるにも関わらず動く事はせず、自分の言葉の真実を俺に見せつけようとする。床に倒れた彼女の死体。その首元を見つめる。真っ赤に染まった首筋の血肉は、刃物で切り裂いたモノでも、突き刺されたモノでもなかった。不格好で、生々しい、削り取られたような、痛々しい、痕。

 「自分で、自分の指で抉り取ったってのか?」

 「私だって……信じられませんでした。あんな死に方を選ぶ人がいるなんて、そんな人が存在するなんて……」

 自分の肉を指先だけで抉り取るなんてのは、普通の奴ではできない。それこそ、相当の鍛錬を積んだ者か、腕力が以上に発達したエネミーでもない限りは無理だ。仮にキャストの様に体を機械にした者達であれば、その様な荒業は可能だが、クレアはどう見てもヒューマン。その体は鍛える事などしていなかったような細さ。それ以前に、自分の体を自分の体のみで傷つけるという行為には、限界がある。如何に追い詰められていたとはいえ、仮に死ぬつもりだったとはいえ、俺の知る限りあり得ない。

 「―――自分でも荒唐無稽な話をしているとは思います。ですが、これが私が見た事実です」

 信用できるか、できないか。

 仮にこれが本当の話だとしても、

 「お前は重要参考人だ。お前が本当にアークスの人間だとしても、この場でそれを証明する事は出来ない。応援が到着したら、一緒に来てもらうぞ」

 「それは出来ません。私には私の任務があります」

 「だったらその任務内容を言え。機密事項だか何だか知らんが、俺には関係ない。例えお前の任務が重要なモノだろうと、殺しの任務だろう―――と、」

 脳裏に過るあの時の会話。

 脳裏に蘇るアークス時代に聞いた噂話。

曰く、其れは姿を見せないが存在する。常に姿を隠し、アークスにとって邪魔になる者、アークスに相応しくない者を闇に葬る死神。

 曰く、アークスの中でも任務中に其れの姿を目撃した者がいる。だが、其れは一度視界に入れた次の瞬間には姿を消す。まるで最初からその場に存在しなかったかの様に。

 曰く、其れは凶悪な姿をした兇器を纏う。

 曰く、其れは月よりも冷たい蒼。

 曰く、曰く、曰く―――

「……お前、まさか『始末屋』か?」

 僅かな沈黙。

 俺を見つめる瞳が、俺を見なくなる。

 「おいおい、冗談だろ。そんな始末屋なんて奴がいるなんて―――」

 答えない。

 否定の答えは出てこない。

 

■■■

 

 僅かな異音がする。

 背後か聞こえる音は小さく、小さく、だが無数に鳴り響く。カーテンの向こう、窓の向こう、窓ガラスに何かが当たっているのか、不快な音が何度も何度も響く。カーテンを締め切った部屋の中からではわからないが、奇妙な違和感を覚える。否、違和感などではない。目の前には、此処からでは何かわからないのに、確実に窓の外に何かがいるという気配。これを否定してしまう事など不可能だった。

 その違和感を確信に変えるように部屋の光が一瞬で消える。

 しまった、そう思ったが女はまだ俺の傍にいる。そして女もこの状況に反撃の好機を得たとする様子は一切ない。俺と同様に異常な事態が起ころうとしている事を察知したようだ。

 「……お前の差し金、じゃないようだな」

 「……なら、貴方でもない、という事ですね」

 決して俺達は味方ではない。先程まで殺し合いにも似た戦闘をしただけの赤の他人。未だに互いを信用する事などできない敵同士。だが、この僅かな現象しか起きてないだけの部屋の中で、唯一存在を確かめる事が出来る間ではあった。

 窓が鳴る。

 硝子が鳴る。

 1つ、2つ、3つと音を立て―――無数の音が鳴り響く。ドアを叩くように窓を叩く音。中に入れろと叫ぶような音。それ以外の音はしない。それだけがしか聞こえない。

 「アンジュ、様子がおかしい……おい、アンジュ」

 通信機からはノイズだけが聞こえる。この音は相手が通信機を切っているから聞こえる音ではなく、意図的に通信を邪魔している音だ。

 「……何か、います」

 女は俺を見ていない。

 女が見ているのは入口。

 釣られて俺も入口を見ると―――人が居た。部屋の中が暗いせいで外の光が眩しい。光の中に立っているのは男とか女かはわからないが、確かに立っている。

 人か、何かか。

 「………」

 「………」

 俺と女は無言になる。声をかければいいだけなのだが、それが出来ない。光に埋もれたソレが動く。蠢き、動く。ぎこちない動きで、まるで操り人形のように不格好な動きをする。左右に揺れ、上下に震え、少しずつ、前進する。徐々に近づき、確認する。人形は人、何の変哲もない唯の人の姿をしている。

その目に生気は感じられない。俺達を見ているのか、それ以外を見ているのかがわからない。だが動き、近づき―――悪寒が走る。

 「………」

 「………」

 背後から聞こえる窓を叩く音が、頭の回転を乱す。声をかければいいだけだが、それが出来ない。声を発する機能が通信機のノイズの様に邪魔しているのだろうか。冷たい汗が額に流れる。

 人が止まる。

 人に見える人形が止まる。

 「―――人形病」

 俺か、それとも女か。

 どちらかが言葉を発した瞬間―――人形は一足飛びで俺の目前に移動した。

 「――――ッ!?」

 僅かな時間、俺の目に写る人形は確かに人だった。何の変哲もない人。体格も普通、僅かに細めではあるが普通の男。恐らくは此処の住人だと思われるが、そんな普通の男であるはずなのに、伸ばされた手が俺の顔面を叩く。一瞬目の前が真っ白になり、思考が途切れる。次の瞬間には浮遊感―――着地という墜落。

 あり得ない程の力でぶん殴られ、宙を舞って壁に叩きつけられる。あまりの衝撃に息をする事を忘れ、思い出した瞬間に激痛が走る。

 なんて間抜け、と己を叱責して殴った張本人を見る。

 男の手が直角に曲がっている。己の力に耐えられなかったのか、振り子のように左右に揺れる腕。だが、男は何も感じないのか、表情が死んだままで次の標的を見つける。

 壊れた腕を振りかぶり、倒れている女に向けて振り下ろす。

 鈍い音と肉が潰れる音。

 壊れたのは女ではなく、床と腕。

 壊れた腕の五指は全てが潰れ、骨が突き出している指もある。流れ出る血が床を汚すが、男は気にもせず、いつの間にか窓の傍に退避した女を見つめる。

 この男は俺の敵ではあるが、女の味方はではない。

 それだけは理解した。

 「―――おい、お前」

 男に呼びかけると、男は首だけを回して俺を見る。

 「その手……痛くないか?」

 男は答えない。

 「もしかして隣の部屋の人か?あぁ、あれか、ちょっと五月蠅くしたから文句言いに来たんだろ?悪いな、ちょっと仕事でゴチャゴチャしてな……なぁ、そうだよな」

 「………」

 女に問いかけてみるが、無視。ここでアンジュなら適当に話を合わせてくれるのだが、基本はこうだろう。むしろ、俺の方が変なのかもしれない。

 「とりあえず救急車を呼ぶから、アンタは外に出よう。此処は事件現場で、アレだ……だから、」

 だから―――なんだと男は襲い掛かる。

 女ではなく、俺。よりにもよってこっちか、と毒吐く。だが、すでに臨戦態勢にはなっているので男の動きは見える。確かに力は強いようだ。何故か壊れた腕に固執して、鞭の様に腕を振るうが動きは素人。その腕を掴み、関節を極める。既に手加減するなんて気は一切ない。本気で極めて、必要ならば折る。だが既に折れている腕を極めても男は止まらない。だから、酷い絵面ではあるが折れた腕を掴みながら背後に回り込みながら、男の首にその腕をひっかけ、地面に叩きつける。

過剰防衛になるかもしれないが、もう知らない。倒れた男の胸元に拳を叩きつけ、心肺機能に異常を起こさせると、男の体が一瞬痙攣し、動かなくなった。

 「ちょっとやり過ぎたかな……」

 動かなくなった男を見て、念の為に脈を図ってみる……一応、動いているので、一安心だ。

 安堵して、忘れていた。

 未だ鳴り続ける音。

 窓から聞こえる無数の音。

 俺を女に目配せし、女はカーテンに手をかける。

 「―――――」

 「―――――」

 

 窓に張り付いた無数の人の形をした者達と、俺達ははっきりと目が合ってしまった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode8『私はイプシロン』

 例えばの話、街中に盛大にすっころんだとしよう。そういう経験があるかどうかの話。転んだ拍子に持っていた荷物もばらまいてしまい、自分は地面に顔面から強打。そんな状況で自分に向けられる他人の目は様々だろう。ある者は哀れみを、ある者は心配を、ある者は嘲笑を―――まぁ、そんな感じで転んだ本人は非常に恥ずかしい。大多数の視線を集める事を目的としていないのならば、尚更だろう。

 しかし、だ。

 「――――」

 この状況は違う。

 「――――」

 大多数の視線は何の感情もなく、ただ単に観察されているような視線を向けられた時、その硝子玉の様な冷たい感情のない瞳に直視された時、人は心の底から恐怖を抱く。

 「――――」

 まずい、と心の底から思った。

 離れろ、と言ったような気がした。

 女が窓から離れると同時に、窓ガラスが音を立てて割れ、無数の手が室内に伸びる。その不気味な光景に言葉を失うが、体は意外とまだ正常だった。俺達は何の言葉も発さずに向かうは入口へ。相手が誰であろうと関係ない。この場で正常な者と判断できるのは、もはや俺とこの女の二人だけ。

 また人影が見えた。

 足を止める事はなく、相手が何者かも判断できないが―――俺は一切の迷いなく人影を蹴り飛ばした。勘違いだったら、ほとぼりが冷めた頃に謝りに来よう。だが、その心配もなかった。蹴り飛ばした相手は何の感情も、痛みすら感じないのか平然と立ち上がり、俺を見る。

やはり硝子玉だ。

「拙い状況です」

女が見ているのは蹴り飛ばした奴でも背後でもない。見れば、唯一の通路から続々と奴等が上がってくる。どいつもこいつも操り人形の様に不格好な動きをしている。

「やっぱりあれだな、派手に騒ぎすぎると近所からクレームが来るんだな」

「馬鹿な事を言っている場合じゃないでしょう……」

心に余裕を持てよ、少しは。まぁ、俺もだいぶ余裕はないけどな。

逃げ場はない。5階の部分から地上に向かってダイブするには危険すぎて却下。しかも、見れば通路の壁を無謀にもよじ登ってくる奴までいる。

「普通に階段使えよ」

戻るべき場所もなければ、進むべき場所もない。部屋に戻って個室に籠城という手段も一瞬考えたが、リスクが高すぎて却下だ。前に進もうとしても今の装備であの人数を相手にするのもリスク的に無理がある。しかも、先程俺に襲いかかってきた奴の様に、自分の体の安全など無視した連中ばかりという可能性もある。そうなるとこっちの身が持たない。

「おい、とりあえず此処は―――って、」

いない。

俺の隣に居たはずの女が居ない。

見事に綺麗さっぱり気配すらなく居ない。

「あ、あのクソ女……」

1人消えて、残るは1人。

つまり、獲物は1人。

「……暴力反対」

知った事かと、通路に居た連中が一斉に襲い掛かってきた。反射的に部屋の中に入り、ドアを閉め、スタンロッドの柄でドアの制御装置を叩き壊す。念のために傍にあった棚を倒して即席のバリケードを作り―――結果、中に居た連中とご対面。

「勘弁してくれ、おい」

餌に群がる猛獣の如く―――奴等が俺に向かってくる。近場にあったデッキブラシを横薙ぎに振るい、向かってきた奴の顔面を殴る。その背後にいた奴には返す刃ならぬ、返すデッキブラシで足元を払い、床に倒す。すると次の来る連中がそいつに引っかかり倒れこむ。その体を乗り越え、向こうにいる連中に向かって突貫する。

別にこの方法がベストなわけではない。

現に突っ込んだ瞬間、転がっていた奴に足を掴まれ、無様に転倒する。手から唯一の武器が離れてしまい、無手になる。上体を起こし、足を掴む奴の顔を殴る。一撃で足りなければもう一発、多少は効いているようだが、俺の足を掴む手は未だに万力。骨が軋む様な痛みが走り、これ以上は本気で折られる可能性もある。拳から掌へ、空気を掌へ集めるようにして、奴の耳を強打する。鼓膜へと伝わる衝撃に、奴の手から力が抜ける。抜いた足で奴の顔面を蹴り飛ばし、転がるようにして起き上がり―――集団を目にして溜息を吐く。

「降参、しても見逃しちゃくれないよな」

既に室内には6、7人ほどいる。外にはまだ別の奴等が真面目に待機中。玄関のドアはどんな力で叩いているのか凶悪な音を響かせている。恐らく、すぐにでも破られる。

リボルバーがある部屋には頑張ればいけるが、行った後は完全な袋小路。既に袋小路なのにわざわざ袋小路を好む気はない。それに銃を突き付けて止まる様な連中ではない上に、発砲した事で余計に面倒な事になりそうな気がしてならない。

唯一の救いは、こいつ等は一応は普通の人という事。自分の体が壊れる事を完全に無視して襲いかかってくるが、急所への攻撃はしっかりと入る。心臓に打撃を加えれば失神してくれる。耳に掌で打撃を加えてもしっかり倒れてくれる。半面、そういう手段以外はあまり効果的ではなさそうだ。そうなるとスタンロッドが壊れているのが妬ましい。

状況は圧倒的に不利。

しかし、逃げ道は既にない。

「……やるか」

手加減無用、容赦無し。

来るなら殺る。

敵なら殺る。

向こうがその気なら、生きる為に相手を壊す。

目の前に立つ最初の集団に向けて、構えを取り、啖呵を切る。

「来いよ、相手してや―――」

その集団の1人が、急に倒れた。

不意に倒れた仲間だが、周りの連中はそんな事を気にもしない。仲間意識などないのだろか、それとも気づいてすらいないのか。兎も角、視線は俺に向けられたまま―――今度は数人が同時に倒れた。

俺からは見える。

倒れた奴の背後にあの女がいた。

理解した。同時に腹が立った。だが乗ってやる事にした。

 「テメェ、後で覚えてやがれッ!!」

 「生きていたら、多少の文句は聞いてあげますよ」

 声だけが響く女の声。

 窓の外にいる奴等が室内に侵入してきた。逃げ場はないので、当然俺は奴等に向かっていくしかないわけだが、先程とは動き方を変える。俺の移動はあくまで壁を背に、そして奴等の背後には空間を作る。

 人が1人、凶悪な武器を振るうだけの空間を。

 何もない虚空から突如して出現する女。その手に備えた兇器で切るのではなく、頭部や急所への打撃。加減を間違えれば、武器の使う場所を間違えれば確実に相手を死に追いやる一撃だが、女は確実に相手の急所を打ち抜く。奴等がそれに反応するように背後を振り向くが、既に女の姿はない。女はまるで霧の様に目の前から姿を消し、気配すら感じられない。そしてその隙を担当するのは俺の仕事。余所見をする奴を背後から両手の掌で頭を挟むように挟み撃つ。こっちも加減が難しいが、既に覚悟は決まっている。殺られる前に殺る。あとでどうなるか考えるのは頭が痛くなりそうだが、考えている間に死ぬよりはマシだ。

 つまる所、俺は囮だ。

 連中の視線を俺に集め、視野の外から女が急襲。それに釣られて奴等が俺から目をそらした時には女の姿はなく、そこへ俺の襲撃。非常に不愉快ではあるが、この場においては思っていた以上に効果的だった。

 それにしても、女が使うあれは何なのだろうか。姿を隠す光学迷彩は確かに存在する。だが、女のあれはそれとは違う。女が消える度に何も感じなくなる。音もなければ気配もない。完全にその場から、存在そのものを消している様な行為。

 聞いた事はあるが、聞いた事がない技術。

 それを見せつけられれば、嘘の様な噂は一転して真実となる。

 つまり、俺が先程まで敵対していた相手は、噂だけの中にしかいない空想上の存在ではなく、確かに存在する、

 「アークスの始末屋、ね」

 「その呼び方は、好ましくありません」

 背後で始末屋の女が不満げな声に思わず余所見をしてしまい、軽く一発貰ってしまった。そんな俺を笑うような声。

 「こんな状況で余所見をするなんて―――間抜けですね」

 「五月蠅い、黙ってやれッ!!」

 まるで思考するという事が出来ないのか、奴等は面白い様に釣られていく。何度も何度も同じ手を使っている奴等は始末屋を警戒すらせずに、俺ばかりに熱視線を送る―――つまり、奴等は自分の意思で行動しているのではないという事。

 ナオビでのみ確認されている人形病は、目の前にいる奴等と同じと考えれば、あれは病と呼んでいいものか。むしろ、その言葉が表すように人形を操る傀儡使いが存在するのではないか―――などと思考する程度の余裕は出来た。

 窓の外に居た連中は、もう殆どいない。残りは2人。1人が1人対応できるだけの人数だ。俺に向かう奴の膝に蹴りを入れ、体勢を崩した所で首に手を回し、極める。残る1人は極めた奴が堕ちた時には、既に床に倒れている。

 僅かな静寂が支配する。

「……とりあえず、これで全部か」

 後は外にいる奴等だけだが、

「流石に全部片づけるのは骨が折れそうです……此処は、窓から脱出する方が賢明ですね」

 それには賛成だ。

 出来ればアンジュの無事を確かめたい所だが、未だに通信機からはノイズしか聞こえてこない。アイツなら大丈夫だと信じたいが―――いや、信じる事にする。

窓から下を見れば、流石は5階建てだ。どう考えても今の装備で飛び降りるのは不可能だが、壁沿いに下の階に降りる事は可能だろう。

 「……とりあえず、お前が殺してないって事だけは信じてやるよ。今回だけはな」

 「棘がある言い方ですね。それと、私が言うのはなんですが、たまたま利害が一致したから協力しただけです。簡単に信用するのはどうかと思いますよ」

 それも一理ある。

 一理はあるが、

 「その能力があれば1人で逃げる事は出来たのに、わざわざ協力するようなお人好しだ。少しくらいは信じてみようと思っただけだ」

 何度も言うが、今回だけだがな。

 さて、逃げる前に銃と鞄を回収しなくてはいけない。クレアの死体はこのまま此処に放置しておくしかない。まぁ、これだけ暴れまわった部屋の中で現場検証もクソもないんだが。

 「次は捕まえるからな。例え相手がアークスの始末屋さんだろうがな」

 「……結構根に持つタイプですね、貴方は」

 余程、始末屋呼ばわりされるのが不満なのか、はっきりと俺に抗議の眼を向けてくる。

 「仕事だからな」

 「それはそれはご苦労様です。可能であれば二度と貴方とは出会いたくないです」

 それはこっちも同じだよ。殺人事件の捜査に来てみれば、始末屋と出会い。変な連中に集団で襲われた―――いや、現在進行形か。ともかく、そんな酷い目には二度と会いたくはない。

それに音が聞こえないが、外の連中が今にも中に入って、

 「………」

 「どうしました?」

 「―――なんで、静かなんだ」

 音がしない。

 先程までドアをしつこく叩いて、破ろうとする連中の音が聞こえてこない。

 この事態が終わっていないのは理解しているが、変化しているのに気づかなかった。

 視線はドアに向けられる。

 俺も、始末屋も。

 気を取られた―――その瞬間だった。

 小さな音だった。小さいが、何かを突き破る音を確かに捉えた。

その音が何なのか認識するまで僅かな時間。

気づくまでかかった時間も僅か。

 「――――あ、」

 始末屋の声で漸く気づく。

 音は別の部屋のドア。そのドアから細い何かが伸びている。恐らく貫通したのだろう。細い何か、ワイヤーの様な何か、それがドアを突き破り、突き刺さる音。

 始末屋の腹部に広がる赤。

 ドアを突き破り、始末屋の脇腹を貫通し、壁に突き刺さったワイヤー。

その光景に気を取られていた俺の体が反応したのは奇跡、殆ど勘だった。

同じドアから更に複数の穴が開くと同時に、ワイヤーが俺に向かって来ていた。数はわからない。だが避けた時に幾つか体に痛みが走った。何れも致命傷ではない掠り傷に等しいが、それが餌である事を察知できなかったのは痛かった。避けた所に追撃するようにワイヤーが次々と襲い掛かる。

次は避けられないと確信した。

「世話が……焼けますね」

それを防いでくれたのは始末屋の刃だった。脇腹を貫通したワイヤーを断ち切り、俺に向かってきたワイヤーを弾く―――だが、その結果として始末屋の片腕、片足それぞれに新たな傷を増やす事になってしまう。

倒れこむ始末屋を支えながら、拾った銃をドアに向ける。

心拍数が異常に上がる。これが女に触れているからなんていう阿保らしい理由なら、今回だけは許そう。だが、そうじゃない。これは先程よりも拙い状況になっている。始末屋の傷は大きなモノではないが、決して問題がないわけではない。彼女の傷口から流れ出る血が俺の手を汚す。致命傷はないが、すぐにでも手当が必要な状態だ。

「これで、仮が1つ、ですよ……」

「あぁ、わかったよ。だから動くな」

というより、動けない。

俺も彼女も。

追撃は来ない。

その代わりにドアがゆっくりと開き―――怪人が姿を現した。

 

■■■

 

果たして、アレは何なのか?

機械と肉と何かが継ぎ接ぎとなって、人の形をとっている。いや、人の形に見えるだけでおぞましい何かである事は確かだ。加えて俺達を襲ってきた連中が人形の様な動きをして、非常に気味が悪かったが、こいつはそれ以上だ。

どの種族でもない。機械に近いかもしれないがキャストなどではない。機械種でもない。奴等は全てが機械で出来ている分かりやすい連中だが、こいつの体は機械以外にも生身の肉片の様な物も見える。腕を腕として使わず、足を足として使わず、その場にあった残骸死骸を拾い集め、無理矢理に人の形をとったようにしか思えない。

それ故に怪人であり、化け物だった。

怪人は喋るように口を動かすが、聞こえるのは咀嚼音にも似た不快な音。何かを言っているようだが俺達には理解出来ない。それを向こうも察したのか、部屋の中で何かを探すように見回す。

怪人が見つけたのは、俺達が気絶させた奴等の1人。恐らく、最初の男だった気がする。その男を雑に足から持ち上げると、怪人の胸元から細い機械のワイヤーが伸びる。俺達を攻撃してきた物と同じものだろうが、その先端には鏃の様に鋭く尖っている。そして、そのワイヤーを男の首筋に突き刺した。男の体が痙攣し、皮膚の裏側を生物が移動するようにワイヤーが蠢いている。その筋が顔を覆い、額にまで到達した瞬間、男は急に声を上げた。

「ぜいががあるごとがのぞあじいどばごのごとだぞうだ」

凡そ言葉にならない声。

「びじょうじのぞばじいがばごぞばおあ」

理解する。

「ばばいぎぎぽぴぱぺこぎばはふぇしゃかおあいうかおしめもばじづりおあえまおっ」

これは傀儡使いが操る腹話術であり、この意味の分からない声は調整だ。ラジオの周波数を調整するように、マイクの音を調整するように、高音と低音を調整し、最も適した形にしようとしている。

人を、まるで玩具の様に。

「―――――――幸運。私。発見。偶然。発見。好ましい。予想外」

継ぎ接ぎの怪人は、継ぎ接ぎの言葉で会話する。

「実験。マイ。成功。不必要。六。攻撃。観察。望む。取得」

何を言っているかはわからないが、奴はこちらに何かを伝えようとしているのだろう。そうでなければこんな意味のない事をしない。

「問う。求む。我。必要不可欠。学習したい。願望。切望」

単語だけでは凡そ理解は出来ないが、わかる事は一つだけ。

この怪人は非常に不愉快な奴だという事だ。

「おい、お前がこいつ等を俺達にけしかけたのか」

「行程。否。肯定だ。肯定する。正解」

「なら、クレアが自殺したのも……いや、殺したのも」

「女。性別。女。必要。奪った。我々。必要なのだ」

真犯人探す手間が省けたのは良いが、この状況は非常に良くない。

間違いなく悪い部類に入る。それ以外に思えない程に。

「―――少しだけ」

俺にだけ聞こえる小さな声で始末屋は言う。

「少し、だけ……奴の、気を引いて……ください」

「……わかった」

始末屋を床に寝かせ、俺は怪人と対峙する。

呼吸を整える。そうしなければ目の前の怪人に全て持っていかれてしまいそうな気がしてならないからだ。

「お前は何だ?」

「我。個別なり。貴様。名を名乗る。私は―――私は誰かと問うか?」

どうやら調整が終わったらしい。

「君達の常識では、名乗るのは自分からだと認識しているのだが、違うのか?」

「人によるな。特にお前みたいな奴には自分から名乗るなんて間抜けな事はしない」

「ほぅ、それは知らなかった。この世には無数の知識があるが、俺の知識もまだまだという事になるのか」

「勝手に1人で納得してんじゃねぇよ」

銃口を突き付けてはみるが、まるで安心は出来ない。こんな凶器は怪人を前にするとまるで玩具だ。

「そう怒るなよ、僕はあまり人と接する機会がないんだ。こうして僕が肉声で会話するのは本当に久しぶりで、勝手がわからないんだ」

「そうかよ、だからそんな事も平気で出来るわけか」

「そんな事?あぁ、この発生器の事か。調整に時間がかかったが、こうしてテメェと俺が会話する事が出来ているので、問題は無いだろう」

何故だろうか、俺は本当にこいつと会話しているのだろうか。まるで決められたパターンで俺がどう答えるか観察されているように思える。話し方も一々違う。一人称も変わる。複数の人間と話しているような気さえしてくる。

「しかし、そうだな。今回だけは特別に私から名乗ろうではないか。私は人に名乗る事が好きなんだ。知る事が好きだが、知られる事が少なくてね」

怪人はわざとらしく、サーカスで客に挨拶する道化の様に大げさな身振り手振りをする。

 

「私はイプシロン。それ以外でもそれ以下でもないモノだ」

 

気配がない事を確認する。

 俺が始末屋の事をまるで認識できない事で、準備は整っていると確信した。

 「そうかよ。なら―――」

 「ところで君は挨拶してくれないのかな?」

 俺の言葉を遮り、イプシロンと名乗った怪人は不格好な笑みを浮かべる。

 「それは非常に失礼だと私は認識しているよ」

 視ている。

 何も見えない場所を、奴は視ていた。

何も存在しない、虚空を。

何も感じられない誰も居ない場所を。

俺も認識できない、消えたはずの存在に向けて―――奴は天井を殴りつけた。

天井に亀裂が走るほどの威力に、部屋が揺れる。その手は天井以外に当たっていないのにも関わらず、何かを掴み、その何かを床に叩きつける。

 「――――ッがぁ」

 苦悶の声。

 「こういうのを、躾とテメェ等は言うそうですね」

 床を蹴り上げようとする動作に、何も認識できないでいる俺は、無意識にその場に飛び込む。見えないが、確かにいる彼女を庇い、俺の体ごと蹴り飛ばされた。床を転がる俺の腕の中で、微かな揺らぎを見る。揺らぎは徐々に見えない彼女を認識させてしまう。

 「どうして……」

 苦悶の表情を浮かべながらも、信じられないモノを見るように、始末屋はイプシロンを見る。

 「どうして、視え……」

 イプシロンは俺達を見ながら、自身の体を変化させる。音声機にしていた男の首を胴体から引き千切ると、その顔を自身の体から伸ばされたワイヤーで巻き付け、自分の体の一部とした。残った体は邪魔だと放り投げ、首無しの死体が増えた。

 「何故に視えるのかと、問われれば……別に視えているわけじゃないんだよね、これが」

 これ以上、無意味に銃口を向ける意味はない。ならば、今あるありったけをぶち込む。

 1発、2発と弾丸を撃ち込む。あまりにも虚しい音だ。奴の体に撃ち込まれた弾丸が、奴の体を僅かに壊す。だが、それだけでしかない。壊れただけで奴に何らかの損害を与えたようには思えない。現に奴は気にする様子もなく語り続ける。

 「その創世器は確かに強力な力を持っている。自身の存在を希薄にするという面白い武器だ。だがよ、それは別に完全に存在しないわけじゃない」

 残りの弾も撃ち込もうとするが、俺が出した発砲音のせいで聞こえなかったのか、気づけば入口のドアは破壊され、そこから奴等が室内に雪崩れ込む。銃口を怪人から奴等に向けるが、引き金にかけた指が躊躇する。

 「むしろ、俺からすれば非常にわかりやすい、発見しやすい、頭隠して尻隠さずってものじゃないかな」

 僅かな躊躇だが、奴等からすれば十分過ぎた。多勢に無勢、そもそも恐れもしない奴等に飛び掛かられ、数の暴力の前に組み伏せられる。

 「過剰に希薄なんだよ、それは。だから、わかりやすい」

 怪人は俺になど目もくれず、始末屋に歩み寄る。硝子の眼が見るのは彼女の腕に付いている武器。

 「きっと今日は僕にとって吉日なんだ。こんなゴミ捨て場みたいな場所で、思いもしない拾い物をするなんてな」

 乱暴に腕を掴み、始末屋を吊り上げる。

 「データでだけでは、情報だけでは知る事は出来ない事もある。創世器は以前に比べれば多少能力は落ちているらしいが、構わない。実物を手に入れられるならば多少の劣化は問題ない」

 どういう理由かは知らんが、奴は始末屋の武器に興味があるらしい。だからこそ、

 「おい、ガラクタ野郎……その手、離せ」

 必要じゃない部分はいらない。

 人が武器を使うという前提があるとしても、奴にとっては人は武器の部品にしか見えていないのかもしれない。だから、余計な部品は壊して欲しい部品だけを取り出す。声を出す為だけに一つの命をあっさりと奪う。

 「殺すぞ……」

 「口汚いヒューマンは黙ってろ」

 奴の言葉を行動に移した奴等に殴られ、意識が飛びかける。飛びかけた意識を暴力が引き戻し、もう一度暴力が意識を刈り取ろうとする。

体中を襲う多数の暴力の前に成す術もなく消えていく意識が、始末屋の苦痛に満ちた声を聴き、何とか繋ぎとめる。だが僅かな繋がりは細く、次第に薄れゆく。俺を痛めつける暴力の音が聞こえない。奴の声も、始末屋の声も聞こえない。痛みも徐々に薄くなっていく。視界が徐々に範囲を狭めていく。なんとか繋ぎとめようとしても体が拒否する。

 『オッサンは、生き方が下手糞なんだよね』

 誰かの声が聞こえる。この場に居る誰でもない声。こんな声が聞こえてくるのは、俺の状態が非常に危険な場所に立っている証拠だ。

 『私がいないとダメなんだから、あんまり無理しちゃダメだよ?』

 五月蠅い、今はお前の事はどうでもいい。だから、頼むから思い出の奥に引っ込んでいてくれ。まだ、まだ此処で意識を失うわけにはいかない。

 『大丈夫。ヴァンが強い事は知っているから』

 顔を出すな顔を。

 そんな顔で俺を見るな。

 思い出すな、思い出そうとするな、それは今見るべき光景ではない。まだ見るべき光景でもない。見る意味がない光景なぞ消えてしまえ。まだ俺は、俺は、俺は―――俺、は

 『……大丈夫。私がヴァンの隣にいるから、絶対に大丈夫』

 大丈夫。

 大丈夫。

 大丈夫、

 だいじょうぶだと、

 あいつは、いつもそんなことを、いっていた。

 『奥さんは大事にする事。お嬢さんはもっと大事にする事。私よりも、ずっと大事にしないと駄目だからね』

 くちうるさい、おひとよしで、おせっかいで、めんどうくさい、やつだった。

 『もう、大丈夫だよ』

 だが、おれのとなりには、かならず、ひつような、やつ。

 『私が……いなくても、さ、大丈夫だよ』

 そして、もう、おれのとなりには、いないんだ。

 だから、だか、ら―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 『―――ヴァンの傍には、最高の相棒がいるじゃない?』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode9『俺はスパルタンだ』

 微かな微風を肌に受け、それが未だ風にもなっていないフォトンと気づく。

繋ぎ止めたのか、それとも引き摺り落されたのかはわからないが、薄れゆく視界は徐々に鮮明さを取り戻していく。

それが合図だと言わんばかりに―――突如、暴風が牙となって怪人へと襲い掛かる。

 牙がイプシロンの腕を食い千切り、宙を舞い、解放された始末屋の体は床に落ちる。

 「――――ん?」

 落ちた自分の腕を見つめるイプシロンは、視線を横に移す。突如出現した室内での暴風発生という、不自然な現象に室内にいた者達が倒れている。そしてそれを起こしたであろう者を見据え、首を傾げる。

 「なんだ、お前?」

 入口から中に入るその者は、その小さな体に似合わぬ横暴な態度でそれが答える。

 「キュートな天使ですよ。言わせないでください、恥ずかしい」

 まったくもって、

 「それで、随分と気持ちが悪い顔していますが……エステ無料券でも差し上げましょうか?」

 まったくもって、

 「……良いタイミングだよ、相棒」

 「タイミングが良いのは自負していますので―――それで、随分とボロボロですが、生きてますか?生きてないと悲しくて泣いちゃいますよ?」

 室内の状況はアンジュが出て行った時と様変わりしている。敵も違う、味方も違う、怪我人は多数で死者も居る。何より怪人が居て、俺と始末屋が重症な状態。そこまでくれば馬鹿でもわかるだろう。

 なるほど、と頷くとアンジュは何食わぬ顔で言う。

 「マスター、逆転の準備はOKですか?」

 「出来るのかよ、この状況で……」

 「出来ないわけがないでしょう。私がいるんですよ」

 その自信が何処から出てくるのか、一度ちゃんと聞いてみたい。

 「まぁ、それよりも―――」

 自信満々の顔で、俺を押さえつけている連中を見据えると、俺の所まで小さな体躯を疾風の如く駆け抜ける。

 「とりあえず、邪魔ですよ」

 踏み込みと同時に、その手に握るウォンドで、殴りつけ―――っておい待てッ!?

 鼓膜が吹き飛ぶと思うほどの爆音と閃光。強烈な光が俺を拘束する連中を、俺と一緒に吹き飛ばす。発生した法撃爆発は生身で受けると痛いなんてもんじゃない。何人かは窓から外に放り出され、俺も転がって頭から壁に激突。

 「―――おい、殺す気かッ!?」

 「すみません、張り切りすぎました。てへぺろ☆」

 起き上がろうとする哀れな被害者の頭を掴み、床に叩きつけながら立ち上がる。

 「お前は一度本気でバラすから、覚えておけ」

 「マスターは覚えてますか?」

 「生きてたら明日には忘れてやる」

 何人か吹き飛ばされたが、未だに敵は複数。おまけに怪人イプシロン。はっきり言って今の状況では勝てそうな未来は見えそうにない。それでも抗う術は此処にいる。まずは全然動かない始末屋が生きているかの確認から入るとしよう。

 「アンジュ、第3限定解除の許可はちゃんと取ったんだろうな」

 先程まで持っていたアサルトライフルではなく、アンジュ本来の武装であるウォンドを握っているという事は、

 「あの方はケチですね。第3までだそうです」

 そいつは上々。

 「治療は必要ですか?」

 「俺には必要ない。気合で何とかする。それよりも補強してくれ」

 ウォンドにフォトンが収束する。限定的ではあるが十分な量のフォトンが集まりだす。勿論、そんな事をすれば奴も黙ってはいないだろうが、余裕をかまして取れた腕を体から伸びたワイヤーで器用に繋げている。

むかつく野郎だが、その余裕のおかげで俺の爪先から頭までフォトンの熱を帯びる。

「準備は出来たのか?こっちは何時でも構わんぞ」

指示するようにイプシロンが腕を上げると、操られた連中が倒れた始末屋を奥に運んで行こうとする。

「マスター、彼女は私が」

 「任せた。あとは適当で頼む」

 「了解。適当にぶっ飛ばします」

野郎は「やってみろ」と言わんばかりに余裕を見せている。

 こっちとしては大助かりだ。

 「―――行くぞ」

 「―――行きます」

 同時に突っ込む。

 まずは邪魔な連中を片付ける。

 襲い掛かる奴等の力は当然、数の暴力によって俺よりも上だろう。おまけに痛みも関係なしに襲い掛かってくるのだから始末が悪い―――だが、問答無用に殴り掛かられようとも、今は関係ない。

顔面に突き刺さる拳は、

 「もっと気合入れて殴れよ、ボケ」

 体中に走る熱が力を与えてくれる。避けるまでもなく、軽く掌で払ってやっただけで簡単に拳が反れる。そこへ反撃の一撃をくれてやると、相手は簡単に宙を舞う。

人の体を殴るだけで浮かせるなんて、常人では出来ない。だが、今の状態ならば可能だ。見ての通り、相手は天井に当たり、床に落下。その体に有無を言わさず集団に向けて蹴り飛ばしてやると、固まっていた連中ごと吹き飛ばす。

 アンジュは始末屋に群がっている奴等に向けて、テクニックを放つ。床を這うように青のフォトンが広がり、一瞬で凍る。突然凍った足元に僅かにバランスを崩すが、何とか踏み止まっている。そこへ滑り込んだアンジュが奴等の足元をウォンドで払うとあっさりと転倒させると、自分と始末屋の周囲に風を発生させ、吹き飛ばす。

とりあえず彼女の確保は完了した事は確認した。次は俺の体にしがみついて拘束しようとしている連中の対処だが、この程度では全然足りない。全身に力を込めて俺に掴んだ連中ごと振り回す。堪え切れず手を離した不幸な奴はイプシロンへと飛んでいくが、虫を払うように向かってくる者を片手で払う。

 その瞬間に、奴の間合いに潜り込んだアンジュ。それでも動こうとしないイプシロン。ウォンドの打撃を受けてしまえば、普通の奴なら大層なダメージを受けるだろうが、果たして奴に効果があるのかは不明。だからアンジュが狙うは奴ではなく、その足元。

 イプシロンの足元が爆発すると、床が抜けて奴の体勢が崩れる。

流石にこの状況で不動を貫く気はないのだろう、体から伸びた鏃が付いたワイヤーを天井に突き刺し、落下を阻止する。

 そこへ、

 「堕ちなさい」

 イプシロンに向けてウォンドを叩きつける。2度目の爆発は奴の継ぎ接ぎ顔に叩きこまれ、その衝撃で下の階に落下する。

 その間にアンジュが離れた事で、始末屋に群がろうとする連中に襲撃を仕掛ける。小細工など一切不要。首元を掴んで無理矢理引きはがし、殴って潰して、蹴って潰す。

 「入口を潰せッ!!」

 俺の命令を発した時には、既に入口に別の集団が集まりだしていたが、それよりも早く行動に出ていたアンジュは入口の壁に向けて火球を飛ばす。仮に奴等の足元に着弾しても連中は止まらないのはアンジュも理解している。だから、壊すのは入口そのもの。爆発と共に入口が崩壊し、完全に塞がる。

 「……それで、逃げ道はどうするんですか、マスター?」

 「一つしかないだろ―――ッと!!」

 床下から無数のワイヤーが飛び出し、それに釣られるようにイプシロンが床を破って戻ってきた。

 「流石に驚いたよ」

 「頑丈な方ですね」

 奴が操るワイヤーが一斉にアンジュへ向けられるが、アンジュに到達する前にワイヤーを掴み取る。

掴んだ手に僅かな痛みが走るが、今は無視する。

 「よぅ、化け物。今度は俺と遊ぼうぜ」

 「……お前には興味はないぞ」

 「そう言うなよ、寂しいじゃないか」

 ワイヤーを掴んだまま、奴を投げ飛ばそうとするが何の感触もない。イプシロンはワイヤーが繋がっている腕を切り離していた。力の行き先を無くした事で体勢が崩れるが、何とか踏みとどまる。その背後から襲い掛かるイプシロンの一撃を奴のワイヤーで防ぐ。重い一撃にワイヤーが手に食い込み、出血する。

 「私と遊ぶには、君は役不足だよ。実力の差を感じ取る機能は、君達の方が優れていると認識しているのだが、違うのかい?」

 「それでも抗うって機能が強くてね、生き物って奴はな」

 「それは残念な生物だ」

 至近距離で受けるイプシロンの攻撃は、今の俺には荷が重い。致命傷になりそうな一撃を避け、受ける事が出来る攻撃は手に食い込んだワイヤーで受け止める。圧倒的な実力差でないのは助かる。その証拠に奴が油断して腕を大振りした瞬間にワイヤーを奴の腕に絡ませる。

 「その程度じゃ止まらないぞ」

 「知ってる」

 ワイヤーの先に付いた切り離された腕を、後ろに向かって蹴り飛ばし、転がった先でアンジュがウォンドを振り下ろす。炎でも風でもない。アンジュが腕に叩きつけた青いフォトンが冷気となり、冷気がワイヤーを伝達してイプシロンの腕へと到達する。伝達した冷気がイプシロンの腕の温度を一気に下げ、亀裂が走る程に脆くなる。その亀裂を目掛けて肘打ちを叩きこむと、凍った腕はあっさりと砕け散り、両手を失ったイプシロンは踏鞴を踏む。

 「―――やるじゃないか」

 「それも知ってるよ」

 無防備なイプシロンの胴体に回し蹴りを叩きこみ、瓦礫に激突。そこに俺の後ろから飛んできた追撃の雷撃が叩き込まれる。

 さて、ここで普通なら安堵の溜息でも漏らしても問題ないのだろうが、

 「素晴らしい。片やサポートパートナー、片や何の装備も持たないヒューマン。そんな二人にこうもやられるとは……興味深い」

 両手を失い、体を電撃で焼かれても平然と喋り続ける怪人に、溜息しか出ない。

 「なるほど、君はどうやら彼と同じタイプらしい。追い込まれれば、追い込まれるほどにしぶとく、そして強靭になる。経験か、それとも才能か知らねぇが、テメェは非常に厄介な奴って事だけは学習しましたよ」

 だから、とイプシロンは歪な笑み消し去る。

 「もう学習した時点で、君には興味がわかない」

 両腕を失っても奴のワイヤーは動きだす。体の中から無数に、無尽蔵に出現するワイヤーはアンジュが破壊した入口の瓦礫を砕いていく。

 「今、この建物の住人は55名。加えて野次馬の連中を合わせて86人だ。わかるか?これがこちらの戦力だ」

 「そいつは怖い」

 「……この状況でもその悪態ぶり。お前の精神構造には、少しだけ興味があるかもしれないな」

 お褒めに預かり光栄だよ。

 「アンジュ、そっちはどうだ?」

 「止血は済ませました。致命傷は避けていますが、医者は必要かと」

 「だろうな」

 なら、さっさと逃げるとしよう。部屋の隅に転がっている鞄の中身は非常に気になるが、興味よりも命を優先させる。俺と、彼女の命を。

 「おい、イプシロン」

 「なんだい?」

 「今度会ったら、テメェを殺す」

 踵を返し、全力で走る。背後でイプシロンが動く気配はあるが、前方から飛んでくる火球がそれを阻止してくると信じる……だが少し俺の髪を掠ったのは許さん。

 走りながら両手にアンジュと始末屋を脇に抱え、窓から一気に外へ飛び出す。

 無重力だったら気持ちが良いだろうが、此処はアークスシップ。しっかりと重力は働くので落下速度は中々のものだ。

 「失敗したらバラすからなッ!!」

 「それも快感……」

 ゾっとするような事を呟きながら、アンジュがウォンドを振るう。緑のフォトンが風を生み出し、俺達の体を真下から吹き上げる。僅かに浮いた事で落下速度は落ちたが、重力に勝つ事は出来ない。だが、強化された体が下に流れている川に落ちた際の衝撃を僅かに殺してくれるだろう……多分。

 あとは、この川が凄く浅いという最悪な結果を残さない事を祈るばかりだ。

 

■■■

 

 「―――どのくらい流された?」

 「3ブロック以上は流されたと思います」

 予想以上に流されたのは、この際幸運だと思う事にしよう。

それにしても、想定した以上の流れには流石に焦った。強化した状態でなければ浄水場まで流されていたかもしれない。

「疲れた……」

結構良いお値段する自慢のコードは水を吸って非常に重いので、さっさと脱ぐ。

 「もう帰って風呂入って寝たい」

 「私はそれでも構いませんが、果たしてそれが許されるでしょうか?」

 無理だろうな。

 色々な事がありすぎて、頭の整理が追い付かない。これを報告書にまとめて……あぁ、もう面倒だ。考えるだけで面倒だ。クレアの死亡、人形病の住人、イプシロンとかいう謎の怪人。そして一番の面倒はアークスの始末屋ときたもんだ。

 「どう報告しろってんだよ」

 頭痛がしてきた。

 「あぁ、でもその前に病院か。アンジュ、本部に連絡を」

 「私の通信機は壊れてます。マスターのは?」

 「川に流されたよ」

 良い事が何にも無い。無性に腹が立ってきた。この怒りをぶつけるべき相手がいないのが腹立たしい。

 「それはそうとマスター」

 「なんだ?」

 「この方なんですが……」

 「あぁ、そいつか。なんでも、アークスの奴らしい。しかも始末屋ときたもんだ。笑えるよ、ほんと」

 「いえ、そうではなく」

 「まさか、そんな奴が実在するとはな……ん、そういえばアイツが創世器がどうとか言っていたが……」

 「マスター、そうではなくてですね」

 「なんだよ?」

 「息してませんよ」

 「そうかい」

 「この方、息してません」

 「そりゃ息してないだろうな。だからさっさと病院に―――あ?」

 「呼吸、止まってます。ぶっちゃけ、マジヤバです」

 「………」

 「………」

 早く言え!!

 確認してみると、確かに息していない。てっきり気を失っているだけかと思ったら、死んでるだけとか、笑えない。脈拍は―――ある。どうやら気を失った状態で川に飛び込んだのが拙かったようだ。

 頭の中で人工呼吸の方法を確認して、気道確保をして鼻を摘み、準備完了。

 「あぁ、マスターが乙女の唇を……」

 馬鹿を無視して息を吹き込む為に口元に顔を近づけ―――目が合った。

 「………」

 「………」

 ばっちり、はっきり、しっかり、目が合った。

 意識がはっきりしていないのか、とろんとした瞳で俺を見つめ、それが徐々にはっきりとしていくと―――拳が飛んできた。

 いや、良い……良いんだ。全然良いんだ。生きてるって素晴らしい事だし、あの状況が医療行為だとしても目を覚ましてすぐにそれを認識しろってのは無理だともわかる。なんの非もない。俺にもお前にも非はないんだ。

 「……あの、すみませんでした」

 「いや、大丈夫。ちょっと疲れてるから心に響いたけど、大丈夫……」

 戦闘中のダメージは我慢できるのに、何故か非戦闘時に受けるダメージは非常に効く。主にオッサンの心とかにな。

 「マスター、残念でしたね。うら若き乙女の唇を奪えなくて」

 「―――ッ!?」

 そこ、何にもしないから自分の体を守る仕草は止めなさい、傷つくから。

 「ほ、本当に医療行為……のつもり、だったのですか?」

 「胡散臭いですよねぇ」

 「黙れ、ちんちくりん。そんなガキに手を出す程、落ちぶれちゃいない」

 「……ガキじゃありません。訂正してください」

 あぁ、もう面倒臭い。

 「はいはい、悪かった悪かった。ガキじゃないよ、ガキじゃ」

 「……はあ、いえ、こちらも申し訳ありませんでした」

 「え?それでも終わりですか?もっとやってもいいのですよ」

 「五月蠅い、ちんちくりん」「五月蠅いよ、ちんりん」

 思わずハモってしまった。

 「……お互い、ボロボロだな」

 「えぇ、まったくです。酷いやられ様です」

 顔を見合わせ、苦笑し合う。

 「怪我は大丈夫、なわけないか。応援を呼ぶから、それで病院まで―――」

 「いえ、それは出来ません」

 そう言って始末屋は立ち上がるが、すぐにふらついて膝をつく。

 「無理するな。応急手当はしたが、しっかり治療しないといけない傷だぞ」

 「私は、私の存在は……あまり公には出来ないんです」

 まぁ、そうだろうな。

 「それじゃ、頼れる場所はあるのか?」

 「……支援は受けれますが、あくまで最低限です」

彼女の任務に関係するのか、始末屋としての存在か。

どちらにせよ、俺達と一緒にいるのはよろしくないだろう。

 「あと、出来ればで構いませんが、私の事はなるべく口外しないように……」

 「出来ると思うか?」

 「出来ませんよね」

 そんな困った微笑を俺に見せるな。こっちが申し訳ないと思ってしまうじゃないか。

 「すみませんでした。色々と……それと、ありがとうございました」

 それだけ言って、また武器を取り出す。イプシロンは創世器とかマイとか言っていたが、あの姿を、いや存在を消すような能力はとんでもない物だと実感できる。これがあれば俺が報告しても姿を暗まして、彼女を見つけるのは難しいだろう。だが、去ろうとする姿は小さく、弱々しく見える。姿を消すのではなく、本当に消えてしまうのではないか。記憶からも消えてしまうのではないか。

 無言でアンジュを見ると、勝手にしろ言うように肩をすくめる。

盛大に溜息が漏れてしまう。

まったく、今日は本当に厄日だ。

 ナオビに来て、一番酷い日だ。

 だから、だからせめて……少しくらい後悔を減らして眠りたい。

 ふらつき、辛そうに歩く彼女を横から支える。

 驚いた顔で俺を見るが、反対側からアンジュも同じ様に彼女を支える。

 「あの……」

 「……俺には娘がいてな、お前さんと同じくらいのな」

 「マリサと言います。とても可愛らしくてマスターと似てないお嬢さんです」

 「これでも父親なんだよ、困った事にな。だから、ここでお前さんを見捨てる様な事をしたら、色々と堪えるんだよ」

 それに比べれば、この程度は耐えられるだろう。

 「病院がダメなら、しばらく家にいろ」

 「マスターが変な事をしないように私が見張ってますので」

 「少しくらいなら医療品もある。動けるようになったら、出て行ってくれも構わん。その間は、少しだけ物忘れをしてやれる」

 「あ、でもタンスの3段目の裏側は決して見ないように」

 「……代わりに、このチビを放り出しとくから心配するな」

 面倒事を自分から拾っていくなんて馬鹿げているが、拾うと決めてしまった。

 だから、拒否権はないと思って諦めてくれ。

 「……わかりました。では、少しだけ休憩させていただきます」

 「あぁ、そうしてくれ」

 今度は苦笑ではなく、そこに存在すると実感できる普通の笑みが浮かんだ。

 

■■■

 

 ―――死を感じた。

 

 「マスター?」

 「あの……どうしました?」

不意に足を止めた俺に二人は怪訝な顔で見る。

 ならば、これは俺だけ。俺だけが死んでいる。俺を見る何者かに殺されている。イプシロンではない。奴とは違う。奴に感じたのは不快感だが、これは違う。あまりにも違い過ぎる。

 背後を見据え、すぐに見つけた。

 灰色に近く、そして白い男。

 二人も俺の視線をたどり、男を見た。

 「動くな」

 短く、俺が命令する。

 「いいか、そのまま動くな」

 始末屋をアンジュに任せ、俺は歩み寄る。

 一歩進む度に、男に近づく度に鳥肌が立ち、冷たい汗が流れるのを感じる。心拍数が跳ね上がり、呼吸が苦しい。

 「……勇敢だな、お前は」

 冷たく、低く、男が俺に向ける言葉の一つ一つが、突き刺さる。

 「見逃してくれ、と言ったら、見逃してくれるか?」

 なんとか言葉を絞り出す。

 「お前達をか?」

 「あの二人をだ」

 何時ぶりだろうか、こんなにも死を覚悟したのは。

 「どうして俺がお前達に害すると思うんだ?」

 「匂うんだよ。嫌って程、血の匂いがな」

 「そうか。浴びすぎて、もう自分の匂いかどうかも分からなくなったからな……お前、名前は?」

 「ヴァンだ」

 「俺はスパルタンだ……安心しろ。今の所、俺はお前と戦う理由はない」

 戦う、ね。

 果たして、戦いになどなるのだろうか。

 「今日の事は、既に終わっている。後始末も終わっている。これ以上、俺の仕事が増える事はない。少なくとも、今日はな」

 「なら、今までの事はどうなんだ?」

 「何処から何処までの事を言っているかは知らないが、お前の思う通りだろう。目的の物の回収は出来ただろうし、稼働テストも問題ない。あとは本番を待つだけ、という所だろうな」

 「―――何をしようとしている?」

 「―――それを見つけるのがお前達の仕事だろう?」

 「ゲームでもしているつもりなら、後悔するぞ」

 「ゲームではない。だが、奴は試したいとは思っているようだ」

 「奴とは誰だ?イプシロンの事か?」

 「アレは単なる舞台装置だ。そして、俺も別の舞台装置でもある。兎も角、既に事は動き出している。止めるか傍観するか、争うか諦めるか、選ぶのはお前達だ」

 男は無感情に空を見上げた。

 「作り物の空のくせに、妙に綺麗なものだ」

 それだけ言って、スパルタンと名乗った男は俺に背を向ける。

 「では、今日はこの辺で別れるとしよう」

 「……あぁ、助かるよ」

 仮に、本当に仮の話ではあるが、此処で奴の無防備な背中に奇襲を仕掛けたらどうなるか、と考えてしまう。だが、どんな方法を考えても俺が生き残る方法は皆無に等しい。ならば、俺がとるべき方法は一つだけ。去る男を見送るだけ。

 「おい、スパルタン」

 それでも聞きたい事はある。

 聞きたい事は沢山あるが、この場で俺が選択する質問は、

 「お前は、何だ?」

 これだけ。

 その返答は、

 「英雄だよ」

 これだけ。

 

 これだけで十分、これが精一杯だ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Interval『バタフライ・エフェクト』

 英雄は夢を見ない。

 瞼の裏に広がる光景は、常に血煙の荒野が映し出される。無数の残骸死骸、消えた命と錆びた武器が転がる場所で常に佇む。

 見上げた空は継ぎ接ぎで、白と黒と青と茜、そして黒と白。

 死屍累々の部品は、知人と友人と戦友と家族と他人。

 彼が誰だったのか、彼女は誰だったのか。

 記憶は混同され、名前すら思い出せない。

ただ、全てが大切な人だったと確信する。

ただ、全てがどうでもいい連中だと記憶する。

ただ、全てが己の敵で殺すべき者達だったと記憶する。

 混合され、融合されていく記憶の中で確立すべきは己の存在だけ。存在理由を探し、それだけは失う事は出来ない。

最初から、そうなるようにデザインされているからこその英雄。

そうなる事を求められていたからこその英雄。

求められて、求めたからこそ英雄として存在してしまった。

存在理由は個人からの祈りと、どうでもいい大多数の他人の祈り。

数多の凶器がこの手に集う。

血を吸う剣は右手に、血を吐く銃は左手に、使わぬ武器も、使えぬ凶器も、今は無い兇器も、いずれ握るであろう何かも―――全てが英雄に集う。

集う物は狂気のみ。

集う者は1人として必要ない。

英雄は1人だけ。

英雄のみが集う場所で、1人佇み続ける。

 

■■■

 

幼い女児の声が眠りから、英雄スパルタンを引きずり出す。

「よく眠れたかい?」

 幼き声だが、そこから感じる個性は皆無。

いつもの様に、何処からか勝手に連れてきた者から奪った声だろう。

 「人の寝顔を勝手に見るな」

 「そんな酷い事を言うなよ、傷ついちゃうよ?」

傷つく心などあるはずない。仮に心があるとするならば、それは多くの媒体から得たデータを模範しただけだ。心があるように思えるのは他者の錯覚。心を求める他者の願望がそうさせているだけに過ぎない。だからこそ、この存在はあまりにも不愉快で、あまりにも滑稽なのだ。

 「―――まぁ、いいけどさ。ところで、なんで私の邪魔をしたんだよ?」

 「邪魔だと?何の事を言っているか知らんな。俺がお前の邪魔をする時があるとすれば、お前を壊す時だけ。もしくは―――」

 「英雄としての存在の行使、かな?阿保らしい。他人が居なくちゃ自己の肯定も出来ない出来損ないが、ほざくなよ」

 挑発しているのだろう。そうやって挑発して学習したいのだろう。イプシロンというモノも、常に興味を持つ。多くのモノに興味を抱き、学習して捨てていく。そして今は、英雄スパルタンというモノを学習しようとしているのだろうが、

 「お前のお勉強に付き合う気はない……それで、俺に対して何の不満がある?」

 「どうして、あの連中を逃がしたの?あれは滅多に見る事が出来ないレアな奴なのに」

 「必要だからそうしただけだ。あの連中が必要となる者達となるかは知らんが、あの場では必要だった。それはお前も理解していると思っていたが……ふん、所詮は百科事典か。考える機能が喪失している」

 「お褒めの言葉として受け取っておくとしよう―――私はね、創世器の事は知っているけど、創世器その物はまだ目にしていなかった。知識だけでは知る事が出来ない機能を、直に体験してみたかったんだ。そして幸運な事に、その1つが儂の目の前に姿を現したのだ……興奮して当然であろうに」

 創世器という言葉に、心が僅かに騒めくが、他人事だと意識の奥に押し込む。

 「だが、まぁ……そうだな、今回は別に諦めてもいいなって思ってるんだ」

 イプシロンは吐けないくせに、溜息を吐くような仕草をして、スパルタンを見る。

 「スパルタン。君の眼から見て、連中は君の敵となるかい?」

 「ならんよ」

 あっさりと切り捨てる。

 「標的になるかもしれんが、それ以上にはならない。脅威になるには弱すぎる。障害となるには足りなすぎる。もしも連中がこの件に必要な存在でないとすれば、連中はただの英雄に切り捨てられる雑兵でしかない」

 「うんうん、私もそう思うよ。だから、今回は君を許しちゃうんだ。創世器は確かに強力な武器ではあるけど、今の力は以前よりも弱まっている。そして何より、持ち主が良くない。創世器を振るう者なら良い学習材料にはなるが、創世器に振るわれている雑魚なんぞでは、何の意味がない」

 「随分と過小評価するんだな。あれは恐らく六芒の者なのだろう?ならば」

 「ならば強いと、ならば強者だろうと……テメェは英雄にしては人を見る目がないな。透刃マイの性能を知っているかな?」

 イプシロンの問いには答えない。

 「だろうね。まぁ、簡単に言ってしまえば、自身の存在を希薄にする道具さ。存在の希薄という言葉では分かり難いかもしれないが、そうだね……ざっくり言えば人を小石にしてしまう物だね。小石、分かるかな?よく道端の小石程度、なんて言うけど、まさにそれさ」

 「……認識の阻害か」

 「そういう事。なんでも装者のフォトンを喰らう事で、他者から認識され難くなるらしいね。そうするとあら不思議。本人は普通に歩いているだけなのに、他者は認識しないからその人が其処に居る事に気づかない。隠密やら暗殺やら、もしくは人間嫌いな連中には素敵な商品ってわけだ」

 それは透明人間を作り出す事に近い。だが、決して透明人間ではない。光学迷彩の様に視界から姿を消すのではなく、その場に居るのに居ないと認識される。錯覚させるとも言えるだろうが、シンプル故に強力で、恐ろしい。

 「もっともカラクリがわかれば、意外と攻略は単純なんだよね。個を見るのではなく、全を見る。真っ赤な絨毯の中で、中央だけ切り取られれば目立つだろ?そういう事だ」

 簡単に言うが、それが出来る者など居るのだろうか。イプシロンの言葉だけを聞くと、誰にでも可能な発見方法だが、気体の中で目視だけで別の気体を見つけるようなもの。専用の機器を使わなければ不可能な行為であり、生身の者では不可能だろう。

 そしてそんな専用の機器であろうと簡単に出来るものではない。

 「それだけ言うならば、どうして今更その創世器が欲しいと思う?」

 「―――存在の希薄とは、その先の可能性は存在の消失だ。人が死ぬとか、そういうレベルではなく、消失。有から無になるのではなく、最初から無となるに等しい」

 「なんだ、お前は消えたいのか。だったらさっさと消えればいいさ」

 「人の話を最後まで聞きなって。いいかい、存在の消失。最初から存在しない。だが、そうなる前までは確かにそのモノは存在している。記憶にも記録にもね。だが、そのモノの存在が消失したらどうなる?消失した事で影響を受けるのは果たして、消えたモノだけなのかな?」

 学習装置の無駄な駄話だと聞き流そうとしたが、思考がある位置で止まる。

 有が無となり、最初から存在しない無となる。

 積み重なった積木の1つが消えた場合、起こる事象は何か。

 支えているパーツが消えた事で重なった積木は崩れるという当たり前の結果か、何とか他のパーツによって支える事で立ち続けるか。

 もしくは、

 「バタフライ・エフェクト……」

 「アレは、それが出来る可能性があるのだよ、スパルタン」

 もしくは、積木をしていたという行為が消える。

 「取るに堪えない存在が消えたとしても、何の影響もないのか。いいや、そんな事はあり得ない。小さな羽虫を踏み潰した事で、進化のサイクルが狂うかもしれない。花を1つ積んだだけで、別の場所の花畑がなくなるかもしれない。人が1人消えるだけで、世界の歴史が捻じ曲がるかもしれない―――この話、聞き覚えがあるだろ」

 「……それは可能性の話だ。如何に創世器であろうと、」

 「うん、不可能かもしれないね。以前よりも力が弱まった事で、完全な隠密性を発揮できなくなっている透刃マイは、勘が異常に鋭い者なら見つける事も可能となっているだろう。だが、弱まっているだけで失くしたわけじゃない。何らかの要因を得る事で力を取り戻すかもしれないし、今まで以上の力を発揮するかもしれない」

 だから、と。

 「あの女じゃ駄目だ」

イプシロンは吐き捨てる。

 「あの女が装者である限り、私が望む可能性の1%にも届かない。だが、あれが生きている限りはあれが装者だ。だから、今は別に構わない。今はこの手に無くとも構わない」

 「おかしな事を言っているな。だったら奪えば良いだけだろ。盗もうが殺そうが、手段はどうでもいいが、ともかく手に入れれば幾らでも貴様の好きな学習が出来るというのに」

 「お前は、強欲な者が全てを得るとは限らないと知っているはずだ。一兎を追う者は二兎を得ず、とな。それに幾ら私でも今回の件は中々骨が折れる。優先順位だよ、優先順位。更に言えば、仮にあれを手に入れて、バタフライ・エフェクトを起こせたとしても、観測する手段が今の私にはない」

 「だから泳がせると」

 「だから預けてるのさ」

 

■■■

 

 イプシロンは去り、英雄は1人孤独を手に入れた。

 「存在の消失から生み出される、新たな可能性か」

 あれが言っているのは、あくまで可能性の話。そんな事は出来ないと嘲笑う事は簡単だ。だがイプシロンという学習装置が、如何に並外れているかはスパルタンも理解している。今回の件もアレの存在が多くの障害を突破し、全てを可能へと導いている。過小評価はできないが、過大評価もしたくはない。

 「確かにお前の仮説は、荒唐無稽ではあるが、現実味がないわけではないだろうな」

 事象から生まれる事象、バタフライ・エフェクトの存在を知っている者がいる。

 その者だけが理解する事が可能で、それ故に起きた事象をその身に刻んでいる。そんな者がいるからこそ、このナオビにイプシロンという怪物と、スパルタンという英雄が降り立っているのだ。

 この2体の遺物は仮に交わる事があれば、必ず衝突するはずだった。だが、今回はその間に現れた存在によって、予想外の共闘を生み出している。

 英雄と呼ばれ、伝説となった。

 英雄と呼ばれ、多くの者を奪い取ってきた。

 これはその過程でしかない。未だに過程で、この先もずっと続いていく。終わりはない。英雄を必要とする有象無象が居る限り、英雄という願望機が必ず現れる。

 まるでそうなるように台本が出来ているようだ。

 そういえば、とスパルタンは思い出す。

 このオラクル船団にも英雄がいるらしい。

 会った事はないが、その英雄の存在が多く者を救い、アークスと『深遠なる闇』の戦いに終止符を打つかもしれないとさえ言われている。絵に描いたような英雄。誰もが望む英雄。自分とは違う系統から生まれた英雄を想い、彼は苦笑する。

 その英雄がどんな者かは知らないが、きっと自分とは違う道を歩んでいるのであろう。それが羨ましいと思いながら、哀れだとも思う。同じ英雄だからこそ、個人の為ではなく他人の為にのみ存在を許されるなど、悲劇でしかない。

 その英雄と出会う事はあるだろうか。

 会う事が出来れば敵として出会うだろうか。

 敵として出会う事が出来れば、自分はこんな英雄などという役割から解放されるだろうか―――否、それはあり得ない。英雄となってしまった己は、この先どうなって英雄としての存在に繋ぎ止められる。

 アークスの英雄と対面した時、残るはどちらかの英雄だ。そして、結果は英雄が現れる。

 ナオビは混沌に巻き込まれている。

 その混沌は巨大な渦となり、オラクル船団すら巻き込むだろう。そうなるように台本は出来ている。それに抗う者は必ず現れ、その者は恐らく英雄だろう。その英雄がアークスの英雄である事を祈りながら、英雄スパルタンは空を見上げる。

 「作り物だが、美しいな」

 青空は次第に夕焼けへと変わる。何れ、夜になる。星が煌めく夜空は作り物だからこそ美しいだろう。仮初の、作り物の、本物ではないもの。

 「なぁ、イプシロン」

 既に去った遺物へと語りかける。

 「もしもお前が今、創世器の事を置いておくと言うならば、それはきっと正解だろう」

 正しい選択だ。

 これから起こる厄介事に比べれば、その程度は些細なものだ。

 「だが、お前は1%の可能性を甘く見過ぎている」

 僅か1%と囀った。

 僅か1%だと嘲笑った。

 それが0ではなく1である事を甘く見ている。

 「お前は人を、舐めすぎている」

 僅かな数値と傲慢に足元を掬われる事にならんと良いな、などと想いながらスパルタンは夕焼けを見ながら、歩き出す。

 だが、それは英雄も同じだ。

 英雄の敵は、別の英雄かもしれない。

 現に英雄が認める敵はこの場にはいない。明確な敵、確固たる強者として対する敵。それこそが英雄が討つべき敵だろう。

 それでも、だ。

 そうだとしても、だ。

 英雄の敵に相応しい者は、必ずしも英雄に匹敵する者とは限らない

 英雄だけしか救えない世界など、存在しない。

 英雄だけが救ってきた世界など、存在しない。

 

 これは『あなた』のいない物語

 

 英雄は未だ敵を認識していない

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode10『お前はやはり死んでおくべきだったな』

 蛇に睨まれた蛙ではなく、蜥蜴に睨まれた局員……別に巧い事を言いたかったわけではないので、気にしないでくれ。

 「つまり、俺は何も見てない。イプシロンとかいう化け物もいなければ、スパルタンっていうヤバそうな男も見ていない。全部が俺の空想だと」

 「そう、同僚と上手くいってないので、自分の価値を皆に認めさせたい為に、思わず出てしまった可愛い嘘という事だ」

 都市警備局本部、その中にある応接間という名の取調室は、非常に居心地が悪い。

 狭い空間に図体のデカい男が椅子に座らされ、周りは特色のない黒ずくめに囲まれ、前方には蜥蜴顔の男が居る状態は、非常に居心地が悪い。

 「悪いが、報告書はもう出した。それを今更無かった事にはしたくないんだが……」

 「心配しなくていい。そういう事になっている。君の報告書は非常に誤字脱字が多すぎて出し直しを貰い、新しい報告書は既に提出済みとなっている」

 「代わりに書いてくれた、と」

 「いいや、最初から用意されていただけだ」

 蜥蜴みたいな顔ではなく、本当に蜥蜴の顔をしたキャストの男。どうせなら竜とかにすればいいのに、どうして蜥蜴を選択したのか。ついでに鋼鉄製の蜥蜴男は見るからに良いスーツを着ているのが異常にミスマッチ。趣味が悪いのか、あえて悪いように見せているのか。

 「あのさ、えっと……名前、なんだっけ?」

 「ジョンドゥ。覚えやすい名前だと自負しているのだが、覚えにくいか?」

 「コードネームか、それ」

 「いや、れっきとした名前だ」

 「そうかい……」

 なんか聞いた事がある名だが、何処だったか。最近、どうも過去に聞いた事があるか、視た事があるような事を、わざわざ思い出す事が多くなっている。自分自身の記憶能力に挑戦しているようで、非常に疲れる。

 「それで、ヴァン君。君は私のお願いを聞いてくれた、という認識で問題ないな?」

 問題ありに決まっている。

 数日前の馬鹿騒ぎの後、寝る時間も削って報告、報告、報告の連続。更には俺が見て聞いた事以外も、あの建物の周りで多くの住人が殺されたという事態まで発生している。一体、あの日だけで何人が命を落としたのだろうか。

 「ヴァン君、身内の頼みは効いても罰は当たらんぞ」

 「身内じゃないからな、お前等は」

 「同じアークスだろ」

 「元だよ、元アークスなんだよ、俺は」

 頭が痛い事に、この連中もアークス。アークス情報部。なんでそんな連中が出てくるんだと思ったが、こんな大ごとになっているのだ、出てきてもおかしくない。だが、どうして出てきて早々に、俺の報告書が握り潰されなければいけないのか。

 「俺の上司はアンタじゃない。そういうのはクルーズかマクレーン課長にでも言ってくれ。俺の独断でそんな事は出来ない」

 「心配するな。話は既に通してある」

 無表情な蜥蜴顔の言葉は、こうも言っているのだろう。

 「通しただけ、だろうが。こっちの都合なんぞ関係なしに強要した事を、話を通したなんて言うなよ」 

 「君もあの局員と同じ事を言うのだな。クルーズとか言ったかな、あの局員は。どうも彼は私達アークスが嫌いらしい。野良犬みたいに食って掛かってきて、非常に喧しかったよ」

 第一印象から決めてました、俺はお前が嫌いだ。

 「彼は情報統制という言葉を知らないらしい」

 「それをしたかったら、きちんと俺達と協力するべきだろう。それをしないで何が情報統制だ。お前さんは、本当に情報部か?裏でコソコソするのは良いが、裏の事をこっちにまで押し付けるなんぞ、強引すぎる」

 「情報部も色々と変わってきている最中でな。昔のやり方もあれば、今のやり方もある」

 「それじゃ、これが今のやり方か?」

 「いや、私のやり方だ」

 味方を作らないが、敵を無限に作り出すような態度に、怒りを通り越して呆れが生まれる。そして、情報部の連中がこんな奴ばかりじゃない事を祈るよ、本当に。

 「……理由を教えてくれるか?なぁに、俺も元アークスだ。もしかしたらアンタの提案を飲む理由を少しくらいは、理解出来るかもしれない」

 「おかしな事を言うな、君は。君はもう私の提案を受け入れているじゃないか。物忘れが酷いようだが、この仕事を続けていけるのかな?」

 「―――殺すぞ」

 暴言1つ、それだけで俺を囲む連中が僅かな動きを見せる。俺からは見る事は出来ないが、微かな機械の稼働音が俺の耳の傍で鳴る。何を突き付けられているのか、まったくもって怖い怖い。

 「言葉には気をつけろよ、元アークス」

 「そっちこそ態度には気をつけろよ、アークス」

 最前線から離れたとはいえ、こっちはまだその蜥蜴顔の凹凸を、他人に見せられないようにする事くらいは出来る。

 「……なるほど、やはり君は面倒な男だ。あの場で君も死んでいてくれれば、こっち色々と楽だったというのに」

 「そういう事を平気で言うのな、お前は」

 「平気ではない。君の命をなんとも思っていないだけだ」

 絶対に仲良くできないな、この蜥蜴とは。それ以前に、絶対友達とかいないぞ、こいつ。

 「そこまで言うなら、頑張ったご褒美くらいはくれよ」

 「ご褒美ね。なら、特別に質問に答えてやる。ただし1つだけ。そして回答の真偽は問わない事だ」

 それ、質問する意味があるのかと思ったが、一応は質問するとしよう。だが、何を聞くべきか。色々と事が起こりすぎて、正直何が何だかわからない状況だ。そこで聞くべき質問などあるのだろうか。

 考えて、考えて、考えて―――

 「――2ヵ月前に殺されたアークスは、情報部の人間か?」

 選択した質問に、僅かな手応えを感じた。

 ジョンドゥは何も動じなかったが、背後で僅かに動揺する何かを感じた。どうやら情報部といっても全員が全員優秀というわけではないようだ。それを察知したのか、ジョンドゥは小さく溜息を吐き、俺を睨みつける。

 「お前はやはり死んでおくべきだったな」

 「なら、此処で殺すか?」

 「こちらの手数が減るのは望ましくない。だから忠告しておく。これ以上、この件に余計な首を突っ込むな。もしも余計な事をすれば、こちらもそれ相応の措置を取る事にする」

 そう言うとジョンドゥは立ち上がる。

 「お前達に協力を仰ぐ事があれば、こちらから連絡する。それまでは余計な詮索などせず、黙って交通整理でもしていろ」

 「その傲慢がアンタの首を絞めないといいな」

 ジョンドゥは俺の質問には答えなかった。答えない事が正解なのだろう。あくまで勘だが、この事件はナオビでアークスが殺された時から起きている。もしくは、その過程で殺されている。

始まりはジェリコの死などではない。なら、始まりは何処なのか、何時なのか。

 ジョンドゥを囲むように集団が取調室から出ていく。

 残された俺になど、目もくれず。

 その態度が気に入らないので、奴に少しだけ意地悪する事にした。

 「あぁ、そうそう。ジョンドゥさんよ」

 集団は足を止めるが、ジョンドゥは俺を見ようともしない。

 「1つ思い出した事があるんだ。この事件とは全然関係ない事だ」

 ならば関係ないとジョンドゥは歩を進みかけ、

 「アンタさ、『無銘の血統』だろ?」

 その足を止めた。止めたが、またすぐに歩き出す。歩き出すが、背後に向けられた殺意に近い怒気だけは隠そうともしなかった。

 「―――貴様は殺す」

 捨て台詞に偽りは感じられず、

 「楽しみにしてるよ」

 返す言葉には、哀れみを乗せてやった。

 

■■■

 

 局内は非常に空気が重い。

 重いだけなら良いのだが、その中に混じった怒りの矛先を俺に向けられるのは、ちょっと勘弁して欲しい。俺だって結構な被害者なんだ。大変だったな、の一言くらいは送ってくれてもいいじゃないか。

 「話は終わったのか?」

 そんな中で一番会いたくないクルーズは、片手に捜査資料。もう片手に煙草を持ちながら俺を睨んでいる。非常に怒っているのはわかるんだが、そんな目で俺を見るな。

 「……煙草、付き合おうか?」

 「勝手にしろ」

 俺とクルーズが歩けば、海が割れるように道が開く。俺が言うのもなんだが、クローズも大概局員に親しみやすい奴だとは思われていないだろうな、きっと。真面目な局員ではあるが、他人にも自分にも厳しい上に、噂では気に入らない奴を次々と消しているとかいないとか。多分、嘘だと思っている。

 喫煙室に入ると、中に居た連中は逃げるように出ていく。そんな毛嫌いしなくてもいいだろうと思いながら、今回もきっと俺のせいじゃないだろうと確信している。

 自販機で珈琲を俺とクルーズの分を買い、奴に投げてやる。拒否されると思ったが、嫌々ながら受け取ってはくれた。

 煙草に火をつけ、しばし2人は自分の煙だけを見つめる。

 無言の時間が流れ、最初に耐えられなかったのはクルーズだった。

「蜥蜴野郎に何を言われた?」

 「忘れろだと。あと、俺が出した報告書は、間違いだらけで再提出しておいたとさ」

 「あぁ、これの事か」

 クルーズが持っていた捜査資料は、書き直された俺の報告書だった。一応目を通して見たが、なんとも出来が悪い。本当が塗りつぶされ、改悪された出来事が非常に醜い。

 「酷い内容だ」

 「貴様が何時も出すものよりは、幾分か読みやすい」

 「読んではくれるのな。優しい事で」

 「それが仕事だ」

 真面目な事で助かるよ。

 「―――それで、警備局としては、これからどうするんだ?」

 「どうもこうもない。上の連中は早々に奴の提案を受け入れている。こちらが汗水垂らして集めた情報は、1時間後にはアークスの連中の下へ送られる。捜査本部は解散とまではいかないだろうが、縮小される事は間違いない」

 「おい、それは拙いだろ。昨日の件で死人がゴロゴロ出るわ、人形病患者は増えるわで、警備局としても動かないといけない状態なはずだ」

 そんな事をすれば、この街は非常に面倒な事になる。既に面倒な状態なのだ、それを悪化させるなんて正気の沙汰とは思えない。

 「わかっている。そんな事は……こっちもそれを言ったが、代案を出すとさ」

 「代案だ?そんなもんがあるのかよ」

 「イクサ之5番艦から、兵を送るそうだ。その連中が街の治安維持を担当するとさ」

 護衛艦イクサはオラクル船団、つまりはアークスシップの防衛を担う艦だ。多目的作業艦タタラが作業用なら、イクサは戦闘用。タタラはアークスに属するアークスシップの1つではあるが、イクサは統合軍と呼ばれるアークス船団とは別の組織に属している。

 統合軍はオラクル船団が航海を開始した頃より存在する組織であり、文化を持つ生命体が存在する星々が協定を結ぶ事で生まれた星間連合組織。その歴史は古いらしいのだが、具体的な事を知らない連中は結構多い。俺も含めてな。もっとも、今となってはオラクル船団に属する戦艦という認識が強いだろう。

 「という事は、統合軍ご自慢の装甲歩兵か。おい、連中は本気でそんな事をやろうってのか?」

 「本気だろうよ。明日には、街中に重装備の兵士共があちこちに配備されるだろ」

 それは、あまりにも苦痛な光景だ。

 ダーカー襲撃から今まで、シップ内の復旧作業が始まる事で、人々は僅かながら安心を取り戻してきたはずだ。少しずつ元通りになっていく街。少しずつ戻ろうとする自分の生活。恐ろしい出来事は過去で、明日に向けて歩みを進める事が出来る。そんな風に思えるようになったはずが、明日からは戦いを連想させる者達が街中に現れる。そんな状態で何を安心すれば良いと言うのだろうか。

 「なぁ、ヴァン。アークスの情報部とかいう連中は、そこまで強権を出せる連中なのか、俺達のしてきた事を、簡単に踏み躙る様な事をしても許される連中なのか?」

 だが疑問はある。ジョンドゥ個人か、情報部としての決定かは知らないが、この状況で統合軍を動かして何のメリットがあるというのか。

 確かに連中は、統合軍を動かす強権を発動する事は出来るかもしれないが、この状況でそれをする事はデメリットしかない。

 この状況、事件が起きている状況ではなく、ダーカー襲撃を受けて損傷している状況でもない。この状況とは、ある人物がナオビに居るという状況だ。

 「おい、人の話を聞いて……」

 聞いている。だから、思い出しているのだ。

 「クルーズ。この前、俺が臨戦地区に行った時、有名人と会ったんだ」

 「何の話をしている?」

 「『名誉ある敗北者』、知ってるだろ」

 「―――フォルテ視察官の事か?」

 視察官フォルテ、『名誉ある敗北者』、彼の名は有名だ。元々は前アークス総司令の補佐をしていたらしいのだが、その真相はあやふやだ。以前のアークスにおいて総司令という役職はお飾りの様な物だという事は、多くの者が知っている。実際の支配者は別にあり、あくまで置物でしかない。だが、そんな中でフォルテという男の存在は、多くの者が知っている。

 補佐と言われているが、表の舞台でアークスの中心にいた人物だ。六芒の様な英雄の様な存在ではなく、明確な結果を出してくれる人物という意味でだ。

 『名誉ある敗北者』という名が付いたのは、次のアークス総司令を決める際に推薦された者達の中で、現在の総司令と最後まで票を奪い合った好敵手となったのが原因だろう。

 今だから言うが、俺は疑問を抱いている。今の総司令に文句を言う気はないし、彼女が行ってきた改革の様なモノについて文句もない。だが、それを視野に入れても果たして彼女があの男よりも支持を得て、総司令になる事などあるのだろうか。

 まるで出来レースを見たような感覚だ。そして、フォルテは現総司令が総司令に相応しいと思わせる為に用意された役者なのではないか。選ばれた者は、総司令に選ばれなかった者以上に優れた者だと周囲を納得させる材料だったのではないか。

 そう思う者は意外と少なくない。

 それ故に『名誉ある敗北者』。

 今でも彼を祭り上げようとする輩が居るらしいのだが、彼は何も語る事なく視察官という役職に就く事になる。総司令でなければ補佐として役職に就いてほしいという声もあるが、それも彼は拒んだ。だが、それなりに思う事はあったのだろうが、司令官の補佐ではなく、一定期間は補佐の補佐としてサポートとはしていたらしい。それは、彼自身が望んだ事でもあったとか、そうじゃないとか。

兎も角、そんな有名な人だったわけだ、彼は。

 そんな有名人が今、このナオビにいる。それが何を意味するか、クルーズが気づかないわけがないだろう。

 「……おい、待て。あの人がナオビに来ているのか?来ているのに情報部はこんな事をしているのか?」

 自殺行為。

 この言葉が相応しいだろう。

 以前も言ったが、視察官は各アークスシップを視察し、問題がないかを確認する役職だ。その権限は非常に強く、艦を指揮する者よりも強いとも言われている。だが、それはあくまで過去の事。アークスが新体制になると同時に、視察官の視察対象にアークスシップだけでなく、各部門も査察の対象に含まれている。

 完全な第三者としての目線。その目線にある権限は、他の部門に一切の介入を許さない。噂ではその権限を得た事で六芒ともやり合えるらしいが、真実はわからない。しかし、そんな噂が出てくる以上、視察官という存在は非常に厄介だ。

 「……なら今回はどうなんだ?この状況は明らかに他組織へ介入としてはやり過ぎている。問題になってもおかしくないはずだ」

 普通はそうだ。そうなのだが、果たしてあの蜥蜴頭がそんな事もわからない奴なのだろうか。いいや、そうじゃない。とてもそんな馬鹿な奴には見えない。あの横暴で傲慢な態度は確信があっての行動だろう。都市警備局を捜査から外し、護衛艦の兵力を街に解き放っても問題にならないという確信。

 その確信は何処から来るのか。

 「視察官を欺く事が可能という確信……いや、それとも視察官が目を瞑る確信か?」

 「この状況は非常に良くないぞ、クルーズ。捜査介入とかどうかの問題じゃない。スパルタン、イプシロンは、このナオビで何かをやろうとしている。そのやろうとしている事が原因で、視察官が目を瞑ってしまうような事なら」

 「想像がつくか、お前には。俺には想像がつかん」

 「俺もだよ……だから、このままじゃ拙いんだよ」

 飲み掛けの珈琲をゴミ箱に放り捨てる。

 「情報部が何かを隠していて、俺達に情報が下りてくる頃には手遅れ、なんて事になったら笑い話にもならない」

 既に吸い終わった煙草を灰皿に置き、俺は動き出す。

 「そっちに迷惑をかけるかもしれんが、こっちはこっちで勝手に動かせてもらうぞ。クビにするなら全部終わってからにしてくれ」

 「お前がどうなろうと知らん。お前は勝手に動いたんだ、俺は知らん……報告は俺個人にだけに寄越せ。他の連中を巻き込むには色々と足りない」

 「巻き込むのか、他の連中も?」

 「巻き込むさ。俺も、アイツ等も警備局の仕事に誇りがある」

 「羨ましい事で……ところで、お前は俺の事を身内と思っていないのに、俺を信用するのか?」

 「信用していない。身内だとも思っていない―――だが、お前以上に気に入らない奴が居る以上、他人でも使うだけだ」

 「そいつは上々。俺もアイツは嫌いだ」

 このナオビで何かが起きようとしている―――否、もう起きている。その何かを掴む為に行動を開始する。ただの殺人事件から巨大な何かが生み出されている事に気づいてしまった今、行動する事に何ら疑問はない。

 「クルーズ。俺はアークス殺しの方を調べる。情報部の眼はそれで俺に向けられるはずだ。その間、警備局はジェリコの方を調べてくれ」

 「囮になるのは構わんが、骨は拾わんぞ。あの事件の捜査資料はジェッドに貰え、話は通しておく」

 「ジェッド?」

 「……ジェリコの部屋の前にいた若い局員だ。人の顔くらい覚えろ」

 そいつは失敬。

 「それで、宛はあるのか?あの捜査資料だけでは心許ないぞ」

 「捜査の基本は足だろ?」

 そう言って、自慢の足を叩いて見せた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode11『ぶっちゃけ、面倒くせぇ』

 「車に乗るって、何時以来だろうなぁ……」

 助手席に乗ったジェッドという若い局員は、興味深そうに車内を見回す。

 「やっぱり珍しいか、車は」

 「あぁ、珍しいよ。移動は殆ど徒歩だし、それで十分だからな。自家用車持ってる奴なんて、相当の変わり者さ」

 酷い言われ様だ。

 クルーズに言われ、ジェッドから捜査資料を受け取った時、時間は就業時間を超えており、ジェッドは早々に帰宅の準備をしていた。ギリギリで捜査資料を受け取る事が出来たので一安心、俺も一度帰宅するつもりだったので、入口まで一緒になった。その際に俺が移動に車を使っている話をすると、ジェッドは興味を示した結果、こうして車の助手席に彼が乗っているのだ。

 「……なんか、アンタの評判また下がったみたいだな」

 「そうみたいだな」

 「悪いな。アンタのせいじゃないのに」

 そういえば、あの時もこんな風に彼は俺に謝っていたな。

 「気にしてないと言えば嘘になるが、この歳にもなるとそんな経験は割としてるんだ。だからお前が気にする事はないよ」

 時間は夜、ナオビの空は夜仕様になっている。今日は天井窓が解放されているのか、空に映し出されているのは無限の宇宙、そして星々。

 「これからどうなるんだろうな、ナオビは……」

 「不安か?」

 「そりゃまぁ、一応はな。せっかく少しずつだけど元に戻ろうとしているのに、なんでこんな事が起こってしまうんだって……なんか、虚しくてな」

 この街に思い入れがあるのだろう。俺はあまりないが、その気持ちはわからないわけではない。俺もクルーズも動き出しているのは、この若者がこんな想いを抱かなくてもいいようにする為でもあるのだろう。一応、これでも年上だから、若者にはそれなりに優しくしておきたいんだよ。

「……あのさ、なんでアークスを辞めたのか聞いてもいいか?」

急な話題変換だが、そんな思い切った事を聞かれ、少しだけ戸惑った。

「いや、別に話したくないなら、」

別に話したくないわけではない。話したいわけでもないがな。

 「別に大した理由はない。体は至って健康。戦闘にトラウマもって戦えなくなったわけでもない。なんとなく辞めてもいいタイミングだったから、辞めようと思って辞めただけ」

 返答としては些か適当過ぎたのか、ジェッドは納得していない顔をしている。

 「後悔とか、してないのか?」

 「給料は安くなったな。あとは、肉体労働から頭脳労働に切り替わったのもきついかな……でも、アークスよりは安全だ。最近まではな」

 こんな事態になるとは予想外だ、誰も想像なんて出来ない。そうならない為に、皆が頑張っているのだから。

 「やっぱりアークスの仕事は危険なんだな」

 「危険も危険さ。何度も死にかけたのに、仕事だから嫌でもまた戦場だ。終いには常に危険な場所での常駐任務ときた。明日は死ぬかもしれない。いや、今日死ぬかもしれない。そんな事ばっかり考えてた」

 「常に危険な場所って言うと……えっと」

 「惑星リリーパさ。そこの採掘基地の護衛、あとは壊世地区の調査かな。壊世地区の調査は別にいいが、採掘基地はどうしてかダーカーによく襲われてな……」

 あの頃は、どうして惑星リリーパでは、どうしてこんなにダーカーに襲われるのか疑問だったが、最近になってその理由が判明した。もしもそれを最初から知っていたら、早々に転属願を出していた。

「リリーパ……って事は、あのダークファルス『若人』が現れた時にあの場に居たのか?」

 「残念ながらな」

 「はぁ……なんか凄いな、アンタ」

別に関心されても嬉しくない。

 「色々と聞いてくるが、もしかしてアークスに興味でもあるのか?」

 聞くとジェッドは照れながら言う。

 「一応、アークス志望だった。適正なくてダメだったけどな。その代わり、弟は中々優秀でな、今は士官学校で頑張っているはずだ」

 「そいつは幸運だと思うべきだな。弟さんには悪いが、よっぽどの理由がない限り、あんな仕事はするもんじゃない。」

 「でもよ、宇宙の平和を守る仕事だろ?憧れるし、自分もそうなりたいって思うだろ、普通はさ」

 そういうものなのだろうか?

 いや、自分がそう思わないからと言って、他人の想いを否定してはいけないだろう。だが、現実としてあるのは、こうしてアークスになりたい人間がならず、流れに身を任せてアークスになり、辞めてしまった人間が此処にいる。それはなりたいと願う者を否定する事になるのではないか。

 そんな事を思ってしまったからか、口が滑る。

 「宇宙の平和を守れても、家庭の平和は守れないぞ」

 「え?」

 「……いや、なんでもない」

 どうでもいい事を喋ってしまった。

 「……結婚、してるのか?」

 「プライベートにズカズカと踏み込む奴は嫌われるぞ」

 「あ、すまない」

 これはあまり話したくない話。話しても楽しくない話だ。

 「……結婚はしてた。子供もいた。でも、アークスなんぞしてるから、全部壊れた」

 疲れてるんだろうな、きっと。

 喋らなくていい事をぺらペらと喋っている。数日前の戦闘に加え、今日はジョンドゥとの会話。更には今後の面倒事への対処と、色々と積み重なっている。そういえば、まともな睡眠を取っていない気がする。

 車内に妙な空気が充満する。

 俺が悪いのか、ジェッドが悪いのか。

 久しぶりに悪意を向けない相手を前に、色々と油断した俺が悪いのか。

 「お前は、誰か狙っている娘は居るのか?」

 「え?なんだよ、藪から棒に」

 「俺が話して、お前が話さないのは卑怯だろ。それで、誰か居るのか?」

 「……気になる人は、居る。でも、その人とはあまり話した事ないし、多分俺の事も同僚くらいにしか思っていないかも」

 なるほど、社内恋愛ってやつか。

 甘いねぇ、甘酸っぱいねぇ。

 「だったら自分からアプローチしないとな。物事は自分に都合の良い様には動いてくれない。待ってるだけじゃ手に入らない。これはどんな事にも共通している認識だ」

 「わかってるよ……だから、今度ディナーでも、と」

 「へぇ、いいんじゃねぇの?」

 自分にもこんな時代があったのだろう。きっと、多分、そう思う。だから、その事を思い出すとなんとも言えない感情が沸き上がる。それが懐かしいという感情なら、俺はきっと大丈夫だろう。そうでなければ、色々と駄目だからな。

 「上手くいったら、酒でも奢ってやる。勿論、駄目でも奢ってやる」

 「あんた、他人事だと思って楽しんでるだろ?」

 それ正解。

 

■■■

 

 帰宅と同時に出迎えるのは、爆音。

 戦闘の音が部屋中に響き渡り、銃撃剣戟が倒れる者と生を勝ち取る者を選別する。

「………」

 非常に近所迷惑な音を鳴らすのは、残念な事に我が家の住人。

 「おかえりなさい、マスター」

 「頼むから、音量を低くしてくれ……疲れてるんだよ」

 「そうですか。ではお風呂に入られては?お風呂は良いですよ。今日は名湯1000選に選ばれた特別な入浴剤を使ってますので」

 多いな、1000選って多いな。

 「人が働いている時に、なんでお前は優々とゲームしてんだよ」

 「すみません。今は報酬期間なのです。レアドロ100%なのです」

 なのです、じゃねぇよ。

 我が家のテレビの画面には、巨大な敵を相手に動き回る12人の戦士達。

 「それ、なんてゲームだっけ?」

 「Photon Success Online2、略してPSO2です」

 別にゲームするなとは言わんが、アンジュは暇さえあればこればかり。おかげで我が家の唯一のテレビはこいつに独占されている。俺を社会情勢を知らん中年呼ばわりしているが、その原因を作っているのはお前だからな。

 「―――っち、虹泥が無しですか……ヤベ、レアドロ焚き忘れてた」

 何の事を言っているのかさっぱりわからんが、良い結果ではないらしい。画面上にはアンジュの使う重装甲のキャスト(男)がセクシーポーズを決めている。その両隣にはニューマン(女)とニューマン(女)らしきキャラがいるのだが、

 「すげぇ名前だな。なんだ、この『銀河系超絶美女あーさん』って。あと、隣の『歴戦ジャンバラヤ』ってのも、どういうセンスしてんだよ?」

 「こういうゲームでは普通です。マスターのセンスが古いんですよ。ちなみに、私のイケメン重装甲キャストはですね―――」

 いや、もう聞きたくない。ゲームとか全然しないのでついていけない。

 「それで、お嬢さんは何処だ?」

 「奥で着替えてますよ……覗きますか?」

 覗くわけないだろうが。

 「お前さ、ゲームばっかして、看病とかしてないだろ」

 「失礼な。確かに丸1日ゲーム出来て最高でしたが」

 「してるじゃねぇか、ゲーム」

 「……名探偵ですか?」

 「都市警備局員だよ」

 などと馬鹿な会話をしていると、台所から良い匂いがしてくる。

 「なんだ、一応料理はしてたのか」

 「私じゃありませんよ」

 だったらお嬢さんが料理してたのか。怪我人に料理させて自分はゲームとは良い身分だ。今回は流石に問題ありなので、黙ってアンジュのIDを削除してやろうと思ったが、

 「―――アンジュちゃん、悪いけどお皿並べて……」

 台所から現れたのは、エプロン姿のモニカだった。

 「あ、ヴァンさん。お、おかえりなさい。ごはん、出来てます、けど……」

 エプロンが良く似合いますね、じゃない。招いた記憶もなければ、彼女を此処に呼ぶ理由も俺にはない。住居不法侵入かと思うがそんな度胸はきっとこの娘にはない。

 「……なんで居る?」

 「え?」

 「いや、え?じゃなくて、何で君がいるのかを聞いているんだが」

 「え、だって、アンジュちゃんが……ヴァンさん、が……困ったら私を呼べって……言ってたからって……その……」

 お前のせいじゃねぇか。

 ゲームのコードを引き抜き、ゲーム画面が消えた。

 「っな!?マスター、これは幾らなんでも酷いです!!」

 「五月蠅い。良いから、なんでモニカが此処にいるか説明しろ」

 「―――どうしました?何やら騒がしいですが……」

 そこに更なる登場人物……と言っても、始末屋のお嬢さんが着替えを終えて出てきただけだった。だけだったのだが、彼女が着ている妙にファンシーなパジャマには身に覚えがない。俺は当然着ないし、アンジュが着るにはサイズが小さい。

 「あぁ、貴方ですか。おかえりなさい。モニカ、この服のサイズは大丈夫でした」

 「良かったです。それ、私のお古なんですけど、シアさんに似合ってます」

 シアさん?はて、そんな奴は居ただろうか?と混乱する俺に、アンジュが耳打ちする。

 「モニカには彼女の事を秘密にしていますので、とりあえずモニカの前では彼女はシアさんという事で通します。ちなみに、名前を考えるのが面倒だったので、近所の奥さんが飼ってる小汚い犬と同じ名前にしておきました」

 小汚い言うな。いや、確かに小汚いが……とりあえず、そろそろ何がどうなっているか説明して欲しいのだが

 

■■■

 

 順を追って説明すると、こうだ。

 まず先日の戦闘の後、始末屋のお嬢さんは我が家で匿う事になった。

医者に行くことを拒否するので、仕方なく我が家にある医療品を使って治療する事になった。伊達に戦場にいたわけではない俺とアンジュは、限りある医療品で彼女を治療し、後はゆっくりと休ませる事になった。本当はきちんとした医者に連れいくべきなのだが、それを言うと彼女はさっさとこの場から居なくなってしまう可能性があるので、口を噤む。

 俺が警備局に行っている間、彼女の面倒はアンジュに、非常に不安だがアンジュに任せた。それが今回の原因となったらしい。治療は当然、ただ休ませていればいいわけではない。包帯などの医療品がいるのだが、それも限りはある。なので、アンジュは早々に医療品を手に入れなければならない事に気づく。包帯程度だけなら近場の薬局で手に入るが、痛み止め等はそう簡単に手に入らない。更に彼女が着る衣類も必要だ。とりあえず俺のシャツをパジャマ代わりにしているが、下着などはそうはいかない。それも手に入れなければとアンジュは思った。

 サポートパートナーとして、マスターに彼女の面倒を見るように言われた手前、なんとかしなければという想いはあったらしい。だが、それ以上にアンジュの心の底から込み上げてくる感情はこうだった。

 「ぶっちゃけ、面倒くせぇ」

 一発殴っておいた。

 そんな想いを良い感じに拗らせたアンジュは、妥協案を考える。何故に妥協案を考えるのかは知らんが、アンジュは考えたらしい。面倒くさいが面倒は見なければならない。一応は病人。腐っても病人。なんで私がこんな奴の為の世話をしなければならんのじゃ、と思っても病人は病人。

 そしてアンジュは閃いた。なんでか閃いてしまった。

 「そうだ、彼女の看病を任されたのは私だが、私がやる必要が何処にあるのか」

 それは閃きではなく、放棄である。

 そこで運悪く白羽の矢が立ったのは、モニカだった。

 俺の知らない内に連絡先を交換していたらしく、アンジュは早々にモニカに応援を頼む。

 「マスターが知らない内にこさえた娘が、ギャングに襲われて負傷してしまいました。病院に連れていきたいのですが、それでは彼女に危険が及びます。ですから、モニカ。アークスにある医療品を適当にがめて来てください。あと、彼女の衣類も必要なのです。サイズ?そんなの着れれば何でもいいです。なかったらゴミ袋に首と手を出す所を切って持ってきてください。責任は全てマスターが取ってくれます。はい?マスターが本当にそんな事を言っているのかって?モニカ。おい、モニカ。マスターの事を一番理解しているのは私です。そのマスターが今、助けを求めているのです。その相手は貴女です。貴女でなければいけないのです。あと、ついでに夕飯の買い物を頼みます。領収書はマスターで」

 酷い注文の仕方で、普通なら断っても良いのだが、何故か奮起してしまったモニカは、きちんとした手続きで医療品を手に入れ、自分の持っている衣類をトランクに詰め込み、わざわざ仕事を体調不良で抜け出して来てくれたらしい……あとでドゥドゥには俺から謝っておくから、泣くな。

 親切なモニカを騙して我が家に連れて来たはいいが、当然ながら焦るのは始末屋。自分の存在を赤の他人に知られるのは拙い。急いで隠れねばと思ったが、時すでに遅し。

 「モニカ、この方がマスターが行きずりの女と作った娘です。名前?名前ですか……ん、相変わらずお隣の犬はキャンキャン喧しいですね。あ、名前ですか?彼女の名前は、えっと……シアです。シアさんと言います」

 もう一度言うが、このシアという名前は、俺のお隣の奥さんが飼っている犬の名前。多少汚れているが、小汚いという表現はしない。あえてしないのだ。

 「シアさん、ですか。あ、あの、私はモニカって言います」

 此処まで来て、違うとも言えない始末屋。下手な事を言えば彼女にも危険が及ぶかもしれないと思ったのか、

 「シ、シアです。その、よろしくお願いします……」

 なんか、色々と申し訳ない気持ちでいっぱいだった―――というわけで、現在に至るらしいのだが、

 「貴方の相棒は、非常に厄介ですね……同情します」

 「少しでも理解してくれるなら嬉しいよ」

 再び台所の奥に引っ込んだモニカ。電源を入れなおしてゲームをするアンジュ。残された俺と始末屋は非常に気まずい。

 「……私、貴方の娘という事になっているんですが」

 「反論はしなかったのかよ」

 「言えるわけないでしょう、あの状況でッ!!」

 声がでかい、声が。

 「お前さんも、もう少しマシな設定を考えろよ。モニカを見ろ。なんか「複雑な親子みたいですけど、私は応援してますから」みたいな目で俺を見てるぞ」

 「それは私のせいじゃないです。全部あのちっこいのが悪いんです。第一、あの場に居なかった貴方も問題です。医者に行けない私も悪いですが、アレに看病を任せる貴方にも責任はありますッ!!」

 「……いや、もういい。なんかもう……」

 「……すみません。この状況で貴方に文句を言ってもしょうがないですよね」

 これ以上、互いを責めても何も生み出さないと気づいた俺達は、黙って食事が出来上がるのを待つ事にした。

 「ところで、そちらに動きはありましたか?」

 非常に面倒な事になっていることを、彼女に話す。その内容にあまり驚いていない様子に気づく俺。それに気づかれた始末屋は申し訳なさそうに視線を逸らす。

 未だに彼女の立ち位置はわからない。アークス側である事は確かだろうが、それが情報部に繋がっていないとも限らない。つまり、この状況を作り出したのは自分にも原因があるかもしれない、と思っているのだろう。そう思わせてしまったのだろう。

「……言える範囲で構わない。話せない事は話さなくても良い」

 「それは……」

 「でもな、今は何がどうなっているか、まるでわからん。何処が始まりで、何が原因でこうなっているのか。必要な情報はこっちの手元にはない。俺には戦えるカードが必要なんだ。じゃないと勝負も出来ない」

 彼女にも立場がある。始末屋としての立場がどういうものか、それを知る事は出来ないだろう。それはどれだけ重いのか、どれだけ辛いモノなのか、理解するには何も知らなすぎる。

 「ほんの少しで構わない。協力して欲しい」

 「……出来る範囲でなら、協力できるかもしれません。ですが―――」

 始末屋の言葉を遮るように、モニカが台所から現れた。

 「出来ましたよぉ」

 モニカの手にあるのは土鍋。中にはグツグツと煮える沢山の食材。

 「栄養が沢山取れる鍋にしてみました。味は……多分、大丈夫なはずです……」

 食事の準備が出来たのであれば、話は此処で一度終わりだ。

 「腹が減っては戦は出来ぬだ。今は沢山食って、栄養取るのが先決だな」

 「はい……そうですね」

 本格的な話は後にする。

 今は飯を食う、沢山食って英気を養うとしよう。

 「アンジュちゃんは私の隣ね。ヴァンさんと、シアさんは……そっちに座ってください」

 「親子なんですから、当然です。モニカ、ナイスです」

 「………」

 「………」

 モニカの悪意の無い優しい眼差しは、非常に食欲を失せていく。

 英気、養えないかもな……

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode12『叩きつけてやれよ、お前の存在を』

 砂漠の夜は綺麗なものだった。

 俺が特に好きだったのは、砂漠しかない場所。建物も植物もない。機械も生物もいない。そこにいるだけで死しかない砂漠の夜は、幻想的で現実感を喪失させる美しさがあった。

 元々は自然豊かな場所だったかもしれない。元々は何者か手が入った街だったかもしれない。様々なかもしれないを置き去りにして、目の前にある光景は自然だった。そうなるようになり、そうなってしまった光景。何もないからこそ、生まれてしまった光景こそ、俺は素直に感動する事が出来たのだろう。

 なら、この光景はどうだろう。

 人工的に作られ、自然なモノなど1つとしてない人工物の塊。そこに映し出される星々だけが唯一の自然だが、その間にある天井はその光すら遮ってしまうのではないか。

 ベランダに置かれた木製のベンチが軋む。

 「……飲み過ぎたか」

 気づけば酒瓶を空けていた。灰皿には吸い殻が何本も溜まっている。夕食の余りを酒のツマミに1人酒。有意義な時間だったと取れるのは、きっと日々の疲れがそう想わせているのだろう。だが、酔いは心地良くはない。むしろ、酔いを感じられない。妙な思考をしても、

酔いがすぐに冷めてしまう。こういう時だけはフォトンという妙な存在を恨めしく思えてくる。

 酒もツマミもなくなったが、煙草だけは残っている。健康に悪いと言われているが、これだけは止められない。中毒になっているのか、それとも単にやる事がないからか。どちらでも構わないと、次の煙草に火をつける。

 人工的な光に星空の光。煙草の先についた僅かな光。

 何もかもが面倒になって、全部を放り投げてしまいたい衝動に襲われる。

 「まだ起きていたんですか……」

 「お前さんは寝てなくていいのか?」

 寝間着にカーディガン、手には湯気の昇るマグカップが二つ。その1つを俺に差し出し、彼女は俺の隣に座る。

 「勝手に使わせて貰いました」

 カップの中は何年ぶりに飲むのか、ホットミルク。

 「好きに使えばいいさ。だけど、牛乳なんてあったか?……あぁ、モニカか」

 「人様の冷蔵庫を勝手に使っておいてなんですが、お酒ばかりはどうかと思いますよ」

 男の部屋にある冷蔵庫なんて、そんなもんだ。悪いが女性が好むような食材も飲料もありはしない。

 「……冷えますね」

 「そうだな。季節感を出すのは良いが、この時期はあまり外でどうこうするには、キツイ時期だ……」

 「でも、もうすぐ暖かくなりますよ」

 「そうだな……」

 「えぇ、そうです」

 煙草を消し、温かいものを口に流し込む。体の中から温まる感覚は、中々に心地よい。

 「アンジュはまだ戻ってないのか」

 「そうみたいですね」

 夕食の後、モニカは帰宅した。若い女性を夜道に一人歩きさせるわけにはいかないので、アンジュを一緒に付けてやった。人形病やらなにやら、色々と物騒になっている中でアイツなりの心遣いなのだろうが、アンジュとしてもモニカを気に入っている様子が見られる。面白い玩具と思っていないといいが、否定できない部分は多い。

 「何処かで道草でも食ってるんだろうよ。それか、モニカの所でなんかしてるか、そんな所だな。まぁ、アイツなら心配するな。あれはあれで結構しぶとい」

 「別に心配はしていません。むしろ、モニカの方が心配です。あのちっこいのに絡まれてないか」

 「そっちの心配あるな」

 そう言って俺達は笑い合う。

 「でも、貴方は随分と寛容ですね。あんな生意気なサポートパートナーと一緒で疲れませんか?」

 「疲れる。凄い疲れる。なんであんな捻くれた性格になったのか、不思議だよ」

 「サポートパートナーの性格は、そのマスターに関係があるようですが……となると、大部分は貴方の問題では」

 「それは言わんでくれ……あれでも、昔は随分と大人しかったんだぞ。それが気づけばあんな感じで。俺のせいかもしれんが、それ以上に影響を受けているのは、きっとアイツだな」

 「アイツ?」

 おっと、また口を滑らせてしまった。

 「―――体調はどうだ?」

 急な話題変更は、流石に露骨だったかもしれないが、

 「―――完治とは言えませんが、こうして動けるくらいには戻っています。傷口はそれほど大きなものではありませんし、急所も外れていましたので」

 彼女は何も聞かずにいてくれた。

 「ですから……明日には、出ていこうかと思ってます」

 「……そうか。お前さんがそう言うなら、別に止めはしないさ。それに、追っている件は同じだ。明後日にはまた会うかもな」

 「お互い生きていれば、ですけど」

 「努力はしような、お互い」

 協力すれば良いだけ、と思うだろう。

 一緒にやるか、と言えばいいだろう。

 それを口にしないのは、どうしてか。

 「―――何も聞かないんですか?」

 「聞けばスリーサイズでも教えてくれるか?」

 「セクハラです、それは。ちなみに、とあるアイドルと一緒とだけ答えておきましょう」

 律儀に答えんでも良い。こっちが困る。

 「そうだな、確かに協力して欲しいとは言ったが……なんだ、どっちが良いかと思ってな」

 「それは、協力するよりも別々で動いた方が効率的という意味ですか?」

 「それもある。それもあるが……」

 論理的には否定するが、感情的は肯定する。彼女が言う効率的という言葉を肯定するのは、俺の感情的な思考。論理的な部分では情報提供を求めている。求めてはいるが、俺という奴はあまり論理的な部分を好んではいないらしい。

 「もしかして、私に遠慮してますか?自分に協力する事で、私に不利益が及ぶかもしれない、と……もしもそう思っているのなら、少しだけ不愉快です」

 そんな目で見るな。

 そんな目で見られても、俺の感情的な部分は僅かな揺らぎしか起こさないのだから。

 「―――お前さん、情報部だろ」

 「………」

 否定の答えは返ってこない。否定はされないとは思っていた。

 アークスの始末屋などと言われていても、それは完全な個ではなく、組織の中に含まれた個でしかない。ならば、そんな存在が独立して個を保つなんて事は出来ない。完全なスタンドアローンではないのだ。彼女も組織の端末の1つ。アークスという組織で必要とされていた、必要とされてしまっていた端末。

 「どう考えても、お前さんみたいにある程度自由に動ける部署と言ったら、情報部以外には考えられない。新たに新設された部署とはいえ、元を辿れば虚空機関だろ?だとすれば、一番自由に動け、一番諜報活動が得意な場所は今の情報部だけ。そんでもって、お前さんの行動は、どう見ても諜報活動だ」

 「実は六芒均衡かもしれませんよ?」

そいつは驚きだ。そう言えば、彼女の持っている武器を、イプシロンは創世器だって言ってたな。大変だ、彼女が六芒だって話を信じてしまいそうだ。

 「兎も角、だ。俺はジョンドゥから良い目では見られてない。喧嘩も売ったからな」

 「だから、信用できない……ですか」

 「そうじゃない。ジョンドゥに比べれば、お前さんは全然信用できる。いや、ちゃんと信用しているし、信頼もしてる」

 「初対面で殺し合って、僅か数日だけ同じ場所で寝泊まりしただけの相手をですか?」

 言葉にすると非常に問題があるな。信用できない、信頼もできない、そう言われても誰も非難はしないだろう。

 「そんな相手でも、だ」

 「……甘いですね、貴方は。甘々ですよ、その考え方は」

 彼女は立ち上がり、その手にあの武器を纏う。美しいが、禍々しい刃が夜闇に輝く。

 「私が情報部で、始末屋ならば、私は此処で情報部に不利益を及ぼす貴方を始末しなければいけません。貴方も、アンジュも。そうですね、モニカもその対象に含まれるでしょう。そして、私はそれが出来ます。今までそうして来たから、きっとそれが出来てしまう」

 俺の首筋に添えられる刃。

 「私はこう言います。貴方に助けて貰ったのは、私の利益を取る為。その行為に私は不利益を感じません。此処で貴方を消す事もそうです」

 あの時と同じ冷たい刃の感触。

 「最初からそうするつもりで、こうなる事は予定通りでした」

 あの時と違う事があるとすれば、

 「だから、」

 俺は今、彼女を見ているという事だけだろう。

 手に持ったカップの中身は、もう空っぽ。俺のも、彼女もだ。首筋に添えられた刃の冷たさは、どうでもいい。彼女のカップも一緒に手に持ち、

 「珈琲と牛乳、どっちが良い?」

 と、聞いてみる。

 「それとも酒か。酒なら此処じゃ寒いな……ってか、お前さんは未成年か」

 長く外に居すぎた。

 このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。

 「―――では、珈琲でお願いします」

 「ミルクと砂糖は?」

 「今日はブラックな気分なので」

 「了解」

 

■■■

 

 口の中に広がる苦みを、旨味の1つだと感じられるようになった時、僅かだか大人になったのだと実感した記憶はある。別にそんな事はないのだが、その時は確かにそう思った。

 「私とジョンドゥが追っている件は同じですが、協力しているわけではありません」

 ベンチで隣り合って座るのではなく、テーブルで向かい合う俺達。

 「正確に言えば、この件を担当しているのはジョンドゥで、私は横槍を入れているようなものでしょうね。彼が私の動きを知っているかはわかりませんが、今のところ私の所にそれらしい動きはありません」

 「お前さんの独断専行ってわけか?」

 「まさか、今も昔も私にそんな権限はありませんよ。でも、今回に限って言えば、それに近い行為かもしれませんね。上からの命令ではなく、私個人の意思でこの件に首を突っ込んでいるというのが、正しい認識です」

 それを独断専行と言うのではなかろうか。

 「支援は僅か、と言ったのはそういう事です。私の行動は情報部として一部の者しか認知されていない行動です。その為、本来なら受けられる支援を表立って受ける事は出来ませんでした。その結果、こうして貴方にご厄介になっているわけです」

 今回に限って、と彼女は言う。ならば普段の彼女であれば違うという事になるだろう。確かな命令を受け、正式な作戦行動を行う。今回はそうではない。そうする必要があったのか。そうしたい意味があったのか。

 「……貴方は、自己の存在を認識されるのは、どういう時だと思いますか?」

 「哲学的な話か?……そうだな、一般的な事を言えば、自分が此処に居るという事を、自分以外が認識しているからこそ、存在を認められる事だと思うな」

 いや、これは哲学ではなく、物理学的な話だったかな。

 居るという情報は、居る可能性の延長。箱があり、中に何かが入っているという状況で、何かというあやふやな認識である場合、それは存在の確定ではない。中には何も居ないかもしれない。居るかもしれない。どっちかの可能性がある限り、居ない可能性だってあるのだ。

 「つまり、他者こそが自分の存在を認められる存在である……こんな感じでどうよ?」

 「概ね正解だと思います。私という存在が認識される、明確に確証されるのは私の認識ではなく、他者の認識。この場で言えば、ヴァンさんという人が居るから、私という者は存在を認められている。ならば、逆に認識されない状態はどうですか?」

 「俺からお前さんが見えない場合だろうな」

 「見えないだけですか?」

 こんな夜中に頭を使う事はしたくないのだが、

 「……煙草、吸っていいか?」

 「どうぞ」

 室内ではあまり吸わない煙草を口に加え、紫煙を見つめる。

 見つめながら、見つめ続けて、不意に想う。

 「記憶、だな。この場だけの状況という枠をつければ、見えないだけだ。見えなくてもお前さんが、この部屋にいるという記憶があれば、お前さんはきちんとこの場にいる事を認識するかもしれない……ん、なんか自分で言ってて、わけがわからんな。小難しい話は苦手なんだ」

 「いいえ、つまりはそういう事なんです。自己の存在認識というのは、視覚情報があれば概ね認識されています。それに加えて記憶。最悪どちらかが欠けていても、どちらかが存在する限り、私は存在認識されている、と私は思っています。実は、私もこういう難しい話は苦手なんです」

 だったら何でこんな話をするのか、と言う前に彼女はもう一度あの刃を取り出す。

 「透刃マイ、これがこの創世器の名前です。その能力は姿を消す、気配を消すというモノではなく、持ち主のフォトンを喰らい、存在を希薄にするというものです」

 つまり、消えたのではなく、認識され難くなるという事なのだろうか。

 「極端な話、これを使えば裸で街中を歩き回っても、誰も私の事を見えません。正確に言えば私を認識できなくなってしまう、という事ですが」

 「え、やったのか?」

 「……殺しますよ」

 今回は冗談じゃない、本気の殺意を感じた。

 「こりゃ、失敬。続きをどうぞ……」

 あと、ちょっとだけ興奮したのは、心の中に置いておく。

 「例え、その状況で私の事を運良く見つけたとしても、存在の希薄という事象は、記憶にも作用します。存在、ですから。見たかもしれない、そんな人を見たような気がする、でも気のせいかもしれない、きっと気のせいだろう、何に対して気のせいだったのか……こんな感じです」

 なるほど、そいつは彼女の様な仕事をする者には、非常に良い武器だろう。存在という言葉は、思っている以上に広い意味を持つ。ならば、それは監視カメラの様な機械にも作用する事になる。光学迷彩の様な装備を使わずとも、写らない以上の行動が可能となるのだから。

 「まぁ、それが何故か通用しない人がいたんですけどね。あれには驚きました。マイを 使って歩いていたら、普通に私に声をかけてくるんですよ」

 「随分と奇異な奴がいたもんだな」

 「あの人はそういう人ですから……」

 一度お目にかかってみたいものだが、あまり会ってみたくもない気もする。あくまで勘だが、そういう奴は絶対に面倒事に巻き込まれるのだ。見なくていいモノも、見過ごしても文句を言われないモノも、全部を見つけて巻き込まれるのだから。

 「その人とは、今は会う事は出来ません。会うのは何時になるのかわかりませんが、しばらく時間はかかるでしょうね―――だから、怖くなったのかもしれません」

 「―――忘れられる事、か」

 「えぇ、そうです。忘れられる事。現状、そんな事は起きていませんが、マイを使い続ける事で、私という存在が周りに認知されなくなり、誰にも私を認識できなくなってしまう。そうなると、私はどうなるのか。ただ忘れられるだけなら幸いですが、それ以上の事になった場合……」

 誰の記憶にも残らず、誰の眼にも映らない。

 誰も彼女を見ない。誰も彼女に声をかけない。誰も彼女に触らない。確かにその場に居るにも関わらず、彼女を認識しているのは彼女自身だけ。それは、この広い宇宙で、たった1人になってしまう事だろう。

 あまりにも、絶望的な孤独。

 「だったら使わなければいいだけ、と思ったでしょう?その通りです。現在、私の上司は碌に仕事を回してきません。陰険メガネの癖に、私に気を使ってるのか知りませんがね」

 「理解ある上司じゃないか」

 「陰険ですけどね。あと性格捻じ曲がってる奴です」

 酷い言われ様だな、おい。

 「私、これでも常にこんな仕事してるわけじゃないんですよ。こっちが裏なら、表の仕事もあるんです。結構人気者なんですよ、これが」

 彼女は言う。

 「どちらの私も、私。こうして貴方の前に居る私が必要とされないのは、きっと喜ばしい事なんです。そうして何時か、始末屋なんて者が噂から、過去にあった都市伝説みたいになって、いずれは誰の記憶からも消えてしまう―――だから、思っちゃったんですよね」

 珈琲を見つめ、闇を見つめる様に、

 「こっちの私が必要とされない事が、私の一部が消えていく様なものなんじゃないかって……喜ばれるわけじゃない。胸を張って言えるような仕事でもない。でも、確かに私の存在はあった。あの場所で、私は存在していた」

 だが、いずれは忘れられる。そんな者が居た事は、風化された未来が来るかもしれない。それは彼女の言う裏が消える事。裏である彼女が消える事。彼女の一部が消えてしまう事。消えた先に残るモノがあっても、消えた事実だけは変わらない。

 「馬鹿な話です。居なくても良いモノが、消えてしまう事に拒否感を覚えてしまったんです。望まれなくても、存在しない方が良くても……私が、私が此処に居る事は確かなモノなんです」

 それ故に彼女は望んで此処に居る。望んでしまったからこそ、消えても構わないモノに依存しようとしている。存在が、皆の記憶から消えるかもしれないからこそ、抗おうとした。例え、裏が消えても表がある。表の彼女はそう簡単に消える事はないのだろう。だが、それでも必要ない裏が消える事を良しとは出来なかった。

 彼女の我儘だったのだろう。

 それを咎める事など、誰が出来るだろうか。どれだけ彼女の事を想っていたとしても、消えるのは他人の記憶だけ。それは他人には理解できない、彼女だけの恐怖。

 残したかった。

 この裏を、僅かでも残したかった。

 残して意味がない裏でも、残さない方が幸福になれる裏だとしても、捨てる事などできなかったのだろう。

 「……昔、お前は生き方が下手だと言われたが、どうやら同類がいたらしいな」

 「下手ですか……確かにそうかもしれませんね」

 どれだけ言葉を見繕っても、何も結果を残せなければ意味がない。此処で俺は絶対に忘れないとか、裏を捨てて表で行けばいいとか、そんな言葉を向ける事に何の意味があるというのか。

 俺は他人だ。

 彼女は俺ではない、他人だ。

 俺は彼女ではない、他人だ。

 「―――なぁ、すごく勝手な話をしていいか?」

 「え、はぁ……」

 「俺は、あの蜥蜴男が嫌いだ。あの傲慢な態度が気に入らないし、人を馬鹿にした言い方も気に入らないし、人の仕事を勝手に奪って好き勝手してるのも気に入らない。何よりもあの顔が気に入らない。とにかく全部が気に入らない」

 「まぁ、考え方は人それぞれですから……」

 そう、人それぞれだ。

 「だから、あの蜥蜴男が手柄を持って行くもの気に入らない。最後の最後で我が物顔でドヤ顔されるのも気に入らない。その顔を想像するだけで腹が立つ」

 それぞれの事情があって、それぞれの思惑もある。

 そして、これは俺の理由だ。

 「俺は奴のしかめっ面が見たい。悔しがる顔も見たい。こっちのドヤ顔を見せつけてやりたいわけだ……」

 子供みたいな理由だな、言っててそう思った。

 「だから、俺には助けが必要なんだよ。アイツの思い通りにならず、このナオビをどうにかなるのを止めるには、助けが必要なんだ」

 生き方が下手ってのは、きっとこういう事なんだろうな。

 「―――誰かの記憶に残るってのは、別に良い記憶である必要なんてないだろ?人の仕事を邪魔して、手柄を横取りして、お前よりも自分の方が必要とされてるんだ、ざまぁみろって言うような、そんな嫌な奴こそ記憶に残るだろ?」

 でもよ、ちゃんと生きてるんだよ、これでもな。

 「人の記憶に残るだなんて、ちっちぇ事なんぞつまらないだろ」

 こうして生きて、こうして生きていくんだ。

 「―――叩きつけてやれよ、お前の存在を。お前が此処に居るって事を。好き嫌い関係なく、その場に居る奴全員の顔に、自分が此処に居るんだって叩きつけろ」

 それが幸福になる為の一歩になるわけがない。だが、知った事じゃないだろ。個人の生き方は個人が決める。それを邪魔するのも個人が決める。これが正解だとか不正解だとか知った事かと吠えればいい。

 「随分と勝手な言い分ですね。その結果、私の立場が非常に悪くなる事になるかもしれないのに……」

 「そん時は素直に諦めて、表で働け。でも、ちゃんと置き土産は残せるはずだろ?」

 「……なら、後悔する必要がないくらい、鮮烈な記憶を叩きつけなきゃいけませんね」

 努力はする。

 いや、違うな。

 努力しよう。

 努力して、叩きつけてやろう。

 「ですが、私は貴方が心配です。だって、おじさんが私についてこれるんですか?」

 「ほざけよ、若造。お前の方こそ、足を引っ張るなよ」

 これにて協定は結ばれた。

 都市警備局のおじさんと、始末屋の小娘の急造コンビ。

 真実へと道はまだ遠く、夜明けも遠いが、歩き出しているのだから問題ない。

 問題ないのだが……そう、こっちは問題ないのだが、

 「……ところで、アレはどうします?」

 「どうするって……まぁ、そうだな」

 俺と彼女の視線が同じ場所に向けられる。

 視線を向けられた奴は、

 「―――あ、私の事は気にせずに、どうぞ、おっぱじめてください」

 ベランダからカメラを構えている姿を、ばっちり見られているのにこの態度。

 「一応聞くが、何のことを言ってんだ、お前は」

 「え?マスターが彼女と夜明けの珈琲を飲む話ですよね。大丈夫、私の口は鋼鉄製です。決してマリサに絵葉書とか送らないので、ご心配なく」

 無言で俺と彼女は覗き趣味のサポートパートナーに歩み寄る。

 「……おや、何やら身の危険を感じますね」

 「そう思ったなら、そういう事なんだろうな」

 「もしかして、ちょっとお茶目が過ぎましたか……」

 「えぇ、そうですね。お茶目は時として身を亡ぼすと、記憶に叩きつけてあげます」

 「―――てへ☆」

 

 明日が良い天気になるように祈りながら、馬鹿をベランダに逆さ吊りにする事にした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode13『勘よりも酷い、当てずっぽうです』

 「最初の被害者の遺体が発見されたのは海洋地区……海洋地区か、初めて来たが、結構広いもんだな」

 「この場所だけで、このアークスシップの海産物を一手に担っている場所ですからね。ほら、あのドームの1つ1つで様々な海洋生物が繁殖されているそうです」

 アークスシップの海洋地区は、彼女の言うように海産物を生産する地区だ。美味い魚が食えるのは海洋地区のおかげという事だ。此処とは別に農業地区では、農作物や植物栽培、家畜飼育などの生産がされており、食糧の生産プラントもある。どちらもアークスシップには絶対に必要な場所であり、この場所がなければ俺達は飯が食えない。

 「ドーム毎に分ける必要があるのか……そうか、他の種類を一緒に入れると、互いに食い合うからか」

 「多分そうだと思いますが、各海洋生物に合った環境に分けられているのだと思います。それに、海洋生物の生態研究なども行われていますので、色々と楽なんですよ」

 「詳しいな」

 「まぁ、表の仕事で何度か来た事がありまして……あぁ、後は水質の管理もこのエリアの仕事で―――」

 「ストップ。別に社会科見学に来たわけじゃないぞ」

 「そうでした……すみません」

 休日なら色々と楽しめたが、残念ながら今日はお仕事だ。

 俺と始末屋のお嬢さんは、アークスが殺された事件について調べている。捜査資料でもわかる内容があるが、情報部の彼女だから知っている事もあるだろうと思い、こうして最初の現場に訪れているのだ。

「でも、私で良かったのですか?私は一応部外者ですし、捜査ならアンジュと一緒の方が」

 「アイツはアイツで別件で動いてるよ。というか保険だな、保険」

 「保険、ですか」

 「使わないに越した事はないんだが、念の為にな……さて、それで現場は何処だ?」

 最初の現場は、複数のあるドームの中で入口に近い場所。該当するドームは大型回遊魚の繁殖場所であり、この魚は絶品だ―――いや、そうじゃなかった。

 「中には入れますか?」

 「これでも警備局員だからな。先に情報部の連中の手が回ってない事を祈るよ」

 こっちの懸念は取り越し苦労だったのか、すんなり警備局の胸章を見せる事で中に入れた。ちなみに、始末屋は同じく警備局の局員という事になっている。

 「でも、これはあまり局員に見えないのでは?」

 「構わんだろ。少なくともあの恰好よりは際どくないし、アークスよりも派手じゃない」

 便利な事に彼女は髪色、着ている服まで自由に変える事が出来るらしい。

 とりあえず今回は、蒼い髪を黒に染め、地味目の服にしてもらった。あと、念の為に顔を隠す眼鏡も忘れずに、という感じだ。

「服に金が掛からないな」

 「あまり嬉しくないんですけどね」

 ジョンドゥと直接な面識はないらしいが、あの蜥蜴男が彼女を知っている可能性はある。その為に変装しておいて無駄ではないだろう。

 そしてたどり着いたドームの中、広すぎる空間の殆どは海水に占められ、あちこちに捕獲用の網がついた機械がおかれている。人の歩くスペースは当然水面の上にあり、シンプルだが効率的な作りをしている。

 「亡くなったアークスは、此処に浮かんでいたそうですね」

 「死因は絞殺。絞められた以外にも体中に傷はあったらしいが、被害者の死因は絞殺でまず間違いないとさ。死亡推定時刻は深夜帯。この場所の定時は17時。夜勤で出てくる連中は、主に警備員だ。機械は止まってるし、このドームの施錠も完璧だったらしいが、朝になって出てきて見れば、海面に浮かぶ仏さんと来たもんだ」

 「監視カメラに犯人の姿は写っていないですよね」

 「こっちが回収した映像ではなかった……そっちではどうだったんだ」

 「監視カメラの映像には、僅かながら加工の後がありました。特定の時間、特定の場所。全てが死亡推定時刻に一致していました」

 つまり、殺してから監視システムに手を入れて、別の映像に作り替えたってわけか。

 「加工前の映像を復元できなかったのか?」

 「色々と手を尽くしたようですが、駄目だったそうです。それと、この近くの施設で何か争った形跡があり、情報部の見解では被害者はそこで襲撃に遭い、此処に逃げ込んだのではないか、だそうです」

 「その場所で他に何か無かったのか?」

 「残念ながら何も」

 まったく、そういう事がわかっているなら、こちらにも情報を渡してほしいものだ。地味ではあるが人海戦術で目撃者を探す事も可能だったというのに。

 一応、このドームで働いている者に色々と聞いてはみたが、真新しい情報はなかった。

 「次行くか」

 「市街地区ですね。場所は確か、下水処理施設に繋がる下水道のはずです」

 「嫌な臭いがしそうだ」

 「私だって我慢するんですから、頑張りましょう」

 海洋地区を離れ、市街地区にある下水処理施設。その場所に繋がる無数の下水道は地図で見れば、蜘蛛の巣か迷路に見える。これを真面目に下水処理施設から行く気は当然なく、予め用意していた交通課から借りた地図を手に、現場に一番近いマンホールにたどり着く。

 「―――なんで工事現場の作業員の格好してるんだ?」

 気づけば、彼女の格好が変わっていた。工事現場の作業員らしくツナギと黄色いヘルメット姿。

 「こっちの方が目立たないと思いまして」

 「そっちがその恰好でも、俺の格好がこれじゃ目立つだろう」

 とりあえず、捜査協力している作業員という設定にしておく。

 マンホールから地下に降りると、鼻を突く異臭。死臭とは違う生臭さは意外と強烈だった。二人供ハンカチで鼻と口を隠しながら、進む。

 足元は滑って、鼠らしき生物がウロチョロしている。女性らしい可愛らしい悲鳴でも聞けるかと思って彼女を見るが、どうかしたのかと、首を傾げられた。最近の女性は強いらしい。

 10分程して目的地に到着したが、此処で誰かが殺されたとか関係なしに酷い場所だ。

 「第一発見者は、下水道の定期巡回をしていた作業員。発見した時点で死体は害獣に齧られ、酷い状況だったそうですね」

 「死ぬ時は、自分の体が残った状態で死にたいもんだ」

 汚水に害獣と死体の状況は最悪。それでも何とか被害者は首の骨を折られて死亡した事は突き止めたが、それ以上は難しかったらしい。

 「この辺りは防犯カメラとか無いよな、流石に」

 「残念ながら、此処では犯人は大した苦労はしていなかったみたいですね。下水道なんて普通の人は来ませんし、死体が発見されたのは奇跡に近いです」

 辺りを見回しても、残念ながら奇妙な点などは見つからない。先ほどの海洋地区のドームの様に別の場所で襲撃に遭い、此処まで逃げてきたという可能性もあるだろうが、この場所ではその証拠を見つける事は警備局も、情報部でも出来なかったらしい。

 「どうします?もう少しこの場所を調べますか?」

 「ちょっと勘弁したいな、それは」

 2件の殺人は、同一犯による連続殺人の可能性が高いだろうと警備局は思っていた。殺されたのが一般市民ではなく、アークスだからというのが一番の理由だろう。同じ職種に就く者が、こうも変死しているのだ。繋がりを考えない方が馬鹿だ。

 「情報部は殺された場所に、何か意味があると考えたていたのか?」

 「いいえ。殺された理由に意味はあっても、場所にはないというのが見解です。私もそうですし、貴方もそうですよね」

 「今の所は同感だ。殺され方に意味はないし、死に場所にも意味はない……なら、必要なのは殺された奴等は、何かを見つけたって事になるな」

 「……あの、そろそろ外に出ませんか?ちょっと限界です」

 「それも同感だな」

 下水道から脱出後、周囲から怪訝な顔で見られる。いや、怪訝な顔というか不快な顔というのが正しい。互いに顔を見合い、自分の服に鼻を近づけ、通行人同様に不快な顔をする。

 「一度家に帰るか」

 「そうですね。あの、シャワー浴びてもいいですか?」

 「そうしてくれ。俺も浴びたい」

 

■■■

 

 想定外の一時退却となってしまったが、時間は正午、昼飯を取るにはちょうど良い時間だ。

 シャワーを浴びて嫌な臭いから解放され、戻るとテーブルの上には余り物で作った料理がちらほら。

 「……なんか、新鮮だな」

 「なんですか、私が料理が出来るのが変ですか?」

 「怒るなよ。そういう意味じゃない。我が家で、まともな食事が出てくるなんてないんでな。昨日といい、今日といい。今まで生活に戻れそうもない」

 「それ、少し努力すれば良いだけでは?」

 「それが出来ないから、困ってるんだよ」

 文句はないし、普通に美味い。最近はジャンクフードばっかりで、この間の健康診断でも色々と言われたからな。体は鍛えていても、体の中まではそうはいかない。こんな時にキャストが羨ましいと思う。

 「午後からは工業地区ですね」

 「工業地区か。確か、今あそこの実験場でAISに搭載される新型エンジンのコンペが行われているんだったな。アークスの関係者も多いだろうから、慎重にいかんとな」

 「詳しいですね」

 「男はそういうのが好きなんだよ。それにAISは一度乗ってみたかったんだが、乗る機会なくてな。それが唯一アークスだった頃の心残りさ」

 そう言えば、タタラからも新型エンジンのコンペに参加する連中が居るらしい。だけど、あそこの技師は職人気質が高いせいか、こういうコンペで勝つ事があまりないらしい。確かに良い質の物を作るのだが、それを生産ラインに乗せるにはコストが掛かりすぎている場合もあれば、単に自分達の技術を見せつけたいのか、とんでもない物を作ってくる奴もいるらしい。

 「この時期にコンペとは、随分と思い切った事をしますね」

 「確かに。でも、これでAISの活動時間が抜群に伸びれば、そっちとしても助かるだろ?」

 「あれは確かに強力な兵器ではありますが、活動時間が短い事が懸念材料でしたから。今のところ、あれが実践投入されたのは数える程ですし、対若人戦ではダーカーに侵食されて敵の手に落ちた事もありますから、私からはなんとも……それに、実はあんまり得意じゃないんです、AISの操縦」

 隠密行動をする奴がAISで派手に暴れまわるなんて、普通はしないからな。

 さて、無駄話はこの辺にして事件の話に戻るとしよう。

 「工業地区で殺された奴の死亡推定時刻、というか死んだ時間は確定しているな」

 「稼働中の大型プレス機で圧殺、悲惨ですね」

 工業地区は工業関係の施設が連なる一大コンビナートとなっており、アークスが使う武器やキャストの素体やパーツ、更には日用品や車なども此処で作られている。今回、事件が起きたのはキ廃棄エリアで起きた。

 目撃者は多数。

 今回の件では一番多くの証言が取れた場所だった。

 ある作業員の証言では、いつもの様に流れてきた廃棄されるパーツのチェックを行っている最中、誰かが叫び声をあげた。何事かと見れば、ラインに乗っている部品の中に動く物体があった。それが何か最初はわからなかったが、理解した瞬間、絶句した。それは人だった。両手足を縛られ、猿轡をされた人が部品と一緒にライン上を流れていた。流れる部品の先にあるのは、部品を粉砕するプレス機。作業員は急いでラインを止める様に指示を出したが、ラインは止まらない。ならばと緊急停止ボタンを押すが、これも反応がない。事態を聞きつけた他の従業員が救出に向かうが―――

 「即死なのが唯一の救いか」

 「惨い事をしますね」

 死体は原型を留めていなかった。

 それが人であると知らねば、ただの肉片でしかない。

 他の事件と違い、これだけは異質だった。まるで見せつけるように殺されたアークス。これ以上、探りを入れればこうなると警告する様だった。

 「情報部では、この時点で事件の担当者の変更がありました。前担当者から、次の担当者であるジョンドゥへ」

 「そこで奴の登場か」

 「捜査員も多くの変更があったみたいです。主にジョンドゥの息がかかった者ばかりで、それ以外は全員外されました」

 「自分に都合が良い連中を揃えたってわけか」

 「情報部で開示されている情報は、此処で完全に途切れました。ジョンドゥは捜査状況を情報部へ回していません」

 その言葉には、流石に耳を疑った。

 「おいおい、どうして内部でそんな事をしてんだよ?身内だろ」

 「彼に私達が身内だという認識はありませんよ。むしろ、彼にとって見れば、自分以外が全員敵に近い連中だと思っているのでしょう。ですから、私がこの件に介入するまでの情報は、これ以上はありません」

 つまり、最後の事件である農業地区では、警備局の情報以上のモノは期待できないという事か。

 「だがよ、そんな事が許されるのか?確か、情報部の頭はあの三英雄だろ」

 「えぇ、そうです。でも、それでもジョンドゥは情報部へ情報を回しませんでした。理由としては、情報統制の必要がある重大な案件故、だそうです」

 「子供の言い訳にしか聞こえないな」

 「そうですね。情報部全体が彼に対して良い感情は向けてません。でも、同時に彼がそうする事で解決してきた事件が、沢山あるという事も事実でした。自らの暴挙を実績で正当化してるんですよ、彼は……そして、その事実が故に彼側に就く者も出てくる」

 出来ない事が起こっているのだろう。このナオビでも、アークスでも。その中心にいるのはジョンドゥという存在。警備局がどうとかの問題ではない。あれは情報部すらも破壊しかねない爆弾なのだろう。

 いや、この場合は破壊ではない。新たな体制となった今だからこそ、完全ではないからこそ、それだけの暴挙を行う事が可能となり、完成する前に別の形に作る事も可能だと言える。

 そして起こった4件目の事件。それがナオビにおいて都市警備局とアークスの関係を最悪なモノにしてしまった。

 捜査への圧力などという生易しい言葉ではなく、明確なる捜査停止。それを行ったのは、間違いなくジョンドゥだろう。

 「私の今回の仕事は2つです。1つはアークス情報部の者が殺された事件の調査。もう1つはジョンドゥが隠している事件の捜査情報を手に入れる事です。2つ目は自分でも泥棒な気分でしたけど」

 始末屋ではなくスパイとしてナオビに来たという事か。その事実に少しだけ安堵する自分がいたが、

 「となると、お前さんがクレアの部屋に居たのは、ジョンドゥが隠した捜査情報から、事件に繋がる何かを掴んだから、先回りしたって事か」

 彼女は首を横に振る。

 「その逆です。昨日も言いましたが、今の私には碌な支援はありません。当然、情報についてもです。ジョンドゥがこの事件の情報を開示するか、私が手に入れるかでしか情報部は動けませんので。そして、私は見事に何の情報も得られませんでした」

 「……それじゃ、クレアの部屋に居たのは」

 「お恥ずかしい話なんですが、警備局から漏れた情報で殺されたのがアークスの関係者と知り、藁にも縋る想いで……」

 「つまり、勘か」

 「勘よりも酷い、当てずっぽうです」

 

■■■

 

 食事を終え、俺と始末屋は車で工業地区へと向かう。その最中、車内から見える街に異物が紛れ込んでいる事に気づく。

 「統合軍の装甲歩兵か」

 「早いですね。昨日の今日じゃないですか」

 何時からかは知らないが、最初から連中が配備されるように手回しされていたのだろう。それにしても、あんな重装備の歩兵が街中に居るって光景は、安全とは程遠い光景だ。装甲歩兵を見る住民達は、皆が不信と不安を抱いている。

 「装備だけなら、アークスに次ぐ最新鋭だな。まったく、警備局にも少しは回して欲しいもんだ」

 「武器を持つから安心して過ごす事が出来るとは思えません。警備局員は私と会った時の貴方と同じように、必要最低限の装備で街を守っています。それが住民の安心に繋がっていると私は思いますよ」

 そう言ってもらえると、少しだけ気持ちが楽になる。

 「ですが、女性に命令口調で暴力を振るうのは、いただけませんけど」

 「人を怖い凶器で脅す奴に言われたくないな」

 互いに小さな笑みを浮かべ、俺は車を進める。

 浮島になっている市街地から、工業地区へ繋がる橋を走る。

 「統合軍を簡単に動かす権力か……流石は『無銘の血統』ってわけか」

 「もしかして、それをジョンドゥに言いました?」

 「言ったな。すげぇ怒ってた。必ず殺すってよ」

 「喧嘩を売るには大きな相手ですね。『無銘の血統』は彼にとっては忌み名ですよ」

 忌み名ねぇ。

 フォルテは『名誉ある敗北者』を忌み名と呼ぶが、それはあくまで彼個人の意見だ。

ならば『無銘の血統』はどうなのか。

 あれは正真正銘の忌み名だろうな。

 奴にしても、周りの連中にしても。

 そうして思考している内に車は橋を抜け、工業地区の入り口まで近づいた。行くべき場所が見えたからこそ、思考は確かな覚悟を作り出す。

俺は車の速度を緩め、道路脇に停車させる。

 「どうしました?」

 「……なぁ、そろそろ聞いて良いか?」

 こうして事件を調べている以上、これは避けては通れない話だ。

 彼女は俺が何を聞きたいのか察したのか、僅かに顔を強張らせる。

 「危険な話です。出来れば、貴方には最後まで知らないでおいて欲しいのですが……」

 「心遣いは別にいいさ。繋がってるんだろ、アークスが殺された事件。ジェリコとクレアが死んだ事件。そしてイプシロンとスパルタン―――全部だ」

 「確証はありません。ですが、可能性は多いにあります。可能性があるからこそ、危険なんです。あってはならない事、あるはずがない事なんです」

 俺の為、ね。

 今回の事件の始まりは、アークスが殺された事件だと思ったが、そうではない。あれも事件の中の1つ。そして次の殺されたのはアークスに関係していたジェリコ、そしてその女クレア。これも事件の1つ。そしてその先に現れたのは、イプシロンという怪人と、スパルタンという怪物らしき男。

 「それでも、聞きますか?」

 「覚悟なら昨日の内に出来てるよ」

 「そうですか……わかりました」

 彼女は深呼吸し、言葉を紡ぐ。

 それは、あまりにも規格外で、想定外で、予想外な言葉だった。

 

 「数か月前、マザーシップが何者かにハッキングを受けました」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode14『粗悪品と言ったのかしら?』

 統合軍所属護衛艦イクサ之5番艦。

 乗組員が使用するエリアの中で、最も使用する者が少ないトレーニングルームがある。

 理由は単純、その場所を陣取っている部隊がいるからだ。その部隊に関わるのは、今後の人生において何ら影響はない。何故なら、その時点で今後の人生などないからだ。命知らずが関わり死を迎えるなど、そんな当たり前の事実を知らない者はこの艦にはいない。

 「―――喧嘩したくねぇか、軍曹」

 体から発せられる熱気は、男がダンベルの様に片手でバーベルを上下させているのが原因。引き締まった肉体などという生易しい言葉は、そこにはない。あるのは化け物じみた、化け物の様な肉体。

人が用いてはならない筋肉量を宿した男は、暇潰しのトレーニングの最中、酷い暇を感じている。それを飢餓と呼んでも偽りはないだろう。

「したいわけないでしょう、中尉。暇潰しに喧嘩するとか、路地裏の童貞野郎みたいな事を言わないでください」

男の横で文庫本を読んでいる眼鏡の女は、上官の呆れた言動に適当な返答を返す。

「こんな暇な任務をする為に、俺は此処に居るわけじゃなねぇんだよ。いいか、軍曹。俺は軍人だ。軍人は戦ってなんぼ、戦いがなければ軍人とは言わないだろ」

 「軍人とは民を守る為にあるべきと、お偉い方々は口にしますが?」

 「阿保らしいな。そんな大義名分なんぞ俺は知らん。俺が軍に居るのは戦う為だ。戦ってこそ男だ」

 「私は女だから、中尉の言いたい事はさっぱりわかりませんね」

 この会話は一体何度目になるだろうと、女は文庫本を閉じ、上官を見る。

 男の名は小隊を率いる、ライバック中尉。

 女の名は小隊の副隊長、チェイン軍曹。

本来ならば上官であるライバックに、チェインが口答えするような事は許されないのだが、この小隊においての力関係兼隊員の信頼度はチェインの方が上。

 「中尉、アークス情報部から命令を受けているはずです。我々は本来ならば早々にナオビに降り、治安維持という名目で暇な直立運動をしなければいけません。なのに、我々はどうですか、この状況」

 軍曹は部屋の中の惨状を指さす。

 ある者は眠り、ある者は遊戯に勤しみ、ある者は賭け事をし、ある者は昨日までなかった大型テレビで映画鑑賞。これが統合軍の部隊のあるべき光景とは口が裂けても言えないだろう。

 「貴方達も中尉に何か言ったらどうなの?というか、貴方達の内、1人くらいは任務を全うしようとは思わないのかしら?」

 全員が全員、チェインに目もくれず片手を振る。つまり、まっぴらごめんと言ってるのだ。

 「……中尉、この現状をどう思われます?」

 「我が隊に相応しい光景だと俺は思うがな。それにな、軍曹。この状況は普通に見れば立派な命令違反、良くて懲罰、悪くて軍法会議ものだ。だが、それでも上の連中は俺達に何も言ってこないのは、何故だ?」

 「我々が嫌われているからでしょうね。我等は『墓堀部隊』。そんな連中に関わりたくないという想いはひしひしと感じますよ」

 「それもあるが、それだけじゃねぇわな。考えても見ろ、今回の命令を出しているのは、情報部の連中だ。情報部だぞ?アークスがだぞ?統合軍にわざわざアークスシップの治安維持なんて命令を出すなんて、変だと思わないか?あっちには、都市警備局っていう連中がいるんだ。その仕事をどうして俺達に回してくる?」

 持っているバーベルを床に落とし、ライバックは待機中であるにも関わらず、アルコールが詰まった酒瓶を口にする。

 「上の連中だって馬鹿じゃない。きな臭いと思っているって事なんだよ。だから、俺達は保険なんだ。いざという時に動ける保険、それが俺達だ」

 口から洩れる濃いアルコールの混じった息を吐きながら、ライバックは凶悪な笑みを浮かべる。

 「楽しい話じゃねぇか。つまりは、こうだ。俺達はアークスと喧嘩が出来るって事だ。こんなオラクル船団っていう辺境に飛ばされて、糞つまらない護衛なんぞしてられっかと思ったが、こんな美味しい特典があるなら、少しはやる気も出るってもんよ」

 この上官の悪い性癖が出たと、チェインが額を抑える。

 「それは中尉の希望的観測でしょうに……あのですね、ライバック中尉。アークスと喧嘩するなんて、統合軍としても良い事なんてありません。こっちとあっちの仲が悪くなれば、迷惑を被るのは誰ですか?それを理解してないのはわかっていますが、もう少し貴方の好戦的な希望を捨てて、まともな思考で考えてください」

 こんな風に戒めても、きっと考えを改める気などないのはわかっている。この上官の考え方は常にこれだ。だから、その部下達も気楽なものだ。どいつもこいつも、墓下から出してもらった恩を感じて言わないのか、それとも単に暴れたいから何も言わないのか知らないが、誰も文句を言わない。

 「副長、その辺でもう止めときましょうよ。隊長に何を言っても意味ないんですから」

 「そうそう、俺等は爪弾き者なんだから、俺達が動かない事が軍の平和ってもんさ」

 「それよりも副長もこっちに混ざりませんか。脱衣麻雀なんですが」

 「馬鹿野郎。副長の貧相な体なんぞ拝んでも嬉しくない」

 「お前こそ馬鹿野郎。あの貧相な体には夢が詰まってるんだぞ!!」

 「お前、夢見すぎ」

 「夢を見て、何が悪いってんだよ!!」

 「まったく、これだから男は……そんなに欲求不満なら、私が相手してあげましょうか?」

 「いや、お前も男だろ」

 「もう取ってるから、女よ」

 「え、取ったの?」

 「文句ある?」

 「……いや、それもありか」

 「お前の守備範囲広すぎだろ」

 「おい、五月蠅いぞ。今、良い所なんだから、もう少し静かにしろ」

 「五月蠅いのはお前の方だ。もうちょっと音量低くしろよ。なんでこんな所で大音量で官能ビデオなんて見てんだよ―――ってか、龍族の絡みとか見たくねぇんだよ!!」

 「馬鹿野郎め。異種族の交尾とか燃えるだろ」

 「変態しかいねぇのか、この部隊は……ところで、リリーパ族のそういうのってあるか?」

 「あるよ」

 「あるのか……よし、言い値で買う」

 「だから、音量を下げろって言ってんだろうが!!」

 「あ、テメェ、勝手に……いいぜ、この野郎。ぶっ殺してやんよ」

 「やるか?あぁ、やってやる」

 「お、おっぱじめたか。おい、どっちに賭ける?」

 始まった喧嘩を煽る者もいれば、それに乗じて賭けをする者。終いには参加する者と、非常に見苦しい騒動にチェインは、頭を抱える。この部隊にはまともな者が1人もいないのか、と。この隊長にして、この隊ありと言われるのは納得するしかない。

 「お、喧嘩か。俺も混ざるか」

 「止めてください。中尉が混ざると死人が出ます」

 日常茶飯事な光景は、もう慣れたが、悩みはする。このままでは、この部隊は何時まで経っても、統合軍の掃溜め扱いだ。

 「まぁ、そんな悩むなよ、軍曹。それにな、俺だって別に上がどう考えてるかで、動く動かないと決めてるわけじゃねぇんだ。単に、あの野郎が気に入らないってだけだ」

 「そっちの方が駄目でしょうに……あの野郎とは、情報部のジョンドゥの事ですね」

 「あぁ、あの野郎は信用ならん。俺の勘だが、あの野郎はこっちの連中をテメェの懐に入れてる可能性もある。じゃないと、こんな簡単に統合軍は動かねぇよ」

 好き嫌いで物事を考えても、そこには多少なりと理屈がある。その度合いがわかりにくいが、このライバックという男はそれがある男だとチェインは理解している。

 「―――虚空機関が解体されてからですね、連中の名を聞き始めたのは」

 「『無銘の血統』なんて随分な呼ばれ方してるが、結局は自己中心な馬鹿野郎共の集まりだよ、奴等は」

 「ジョンドゥ……私達が以前遭遇した者も、同じ名前でしたね」

 「そりゃ同じ名前さ。連中に名前なんてないんだ。だから大概は同じ名前だ。男ならジョンドゥ。女ならジェーンドゥ。中にはネームレスなんてのもいたな。ともかく、連中は元々はそういう名前すら与えられなかった者達だ」

 「その殆どが何者かのクローン体。その何者が誰は未だにわからない、と」

 そして、その何者かもわからない者達が、野に放たれている。チェインが知る限り、ジョンドゥという2人の男。

 1人は半年前に作戦行動中に遭遇した者。こちらは存在が悪質だが、ある一定レベルの者でない限りは無害な存在だ。だが、問題は今、自分達に干渉しているもう1人のジョンドゥという男。

 「上の方々は、ジョンドゥをどう思っているのでしょうか?」

 「抱きこまれてなければ、危険視してるだろうが……恐らく、この艦の奴はしっかり抱きこまれてるだろうよ」

 「その上で我々に何も言ってこないという事は」

 「動かすと面倒だと思ってるんだろ?」

 自覚はしている。

 この部隊は爆弾だ。

 統合軍にとって切り捨てられ、闇に葬られた連中を、墓の下から掘り起こしてしまった男が纏める、爆弾部隊。

 「楽しみだなぁ、軍曹」

 「私はあまり楽しみに感じられませんが、そうですね……」

 その眼が刃の様に怪しく光り、チェインの肌が僅かに黒く染まる。

 「興奮は、してきますね」

  

 ちなみに、これは2時間前の会話。

 現在、この隊にある人物の捕獲命令が出ている。

 「……中尉、命令が出てますけど」

 「知らん、寝る」

 だが、未だ動かず。

 

■■■

 

 工業地区に着いたはいいが、空気が重い。

 彼女としては話してしまったが故に、俺を完全に巻き込んだという苦悩。俺としては情報部が動く程のとんでもない事が起きていたという事実に困惑。

 それでも俺達は思考とは別に体がしっかりと動くようにプログラムされているのか、自動的に工業地区の入り口を通過し、目的の廃棄エリアへと足を向けていた。

 工業地区の独特の匂いは勿論だが、機械が何かを作る時に発生する音量は、体を震わせる程の振動だった。その中で会話をするのは難しいと思うが、2人ともまともに会話をしないのだから、問題ない。

 それにしても困った。

 想像以上に面倒な事が起こっているようだ。

 マザーシップ。

 よりにもよってマザーシップと来たもんだ。

 全長5000㎞程という規格外に巨大な船。そこがオラクル船団の中心であり、オラクル船団にとって重要な意味を持つ船。全アークスシップの管理と統制を行うのは勿論だが、その中には生命維持機能も含まれており、アークスシップで生きる事に必要不可欠な存在と言える。また、アークスに与えられる情報の収集と解析なども行われているので、仮にマザーシップが機能を失えば、オラクル船団は死ぬと言っても過言ではないだろう。

 それ故、一般市民は勿論、アークスもその船内に入る事は容易ではない。むしろ、その中に入るという事は、それだけ重要な人物になっているという事だ。

 今のマザーシップは2隻目であり、以前のマザーシップはある事件でその機能を停止しているらしいが、どちらにせよ俺の様な者が入った事など一度もない。

 そして、オラクル船団の心臓部のマザーシップは、難攻不落の要塞にもなっている。いや、そもそも落ちてはいけない場所なのだから、当然警備は最高クラス。外も内も、鼠一匹通してはいけない場所なのだ。

 「数か月前、マザーシップが何者かにハッキングを受けました」

 その言葉が意味するのは、難攻不落の要塞に賊の侵入を許したという事。それがどれだけ恐ろしい事なのか俺でも想像は出来る。だが、そんな事が出来る者がいるというのか、という疑問に行きつくのだが、困った事に過去にも侵入を許してしまった事がある。その時、俺はまだ惑星リリーパに居た為、その事件の当事者にはならなかった。それがアークスを変える出来事である事は、アークスのみならず、オラクル船団全体が知っている事件だった。

 だが、その時と今回は違う。

 物理的な侵入ではなく、ネットワークを介しての侵入。

 あり得る話、などとは口が裂けても言えない。

 前例などない。あってはならない。だが、起こってしまった。それを起こした者が確かに存在している。存在している事を知ってしまった。

 賊が何の目的でマザーシップにハッキングを仕掛けたのかは、未だに不明らしい。だが、賊はそのハッキングで、我が物顔で障壁を突破して、何らかの情報を得て、優々と帰ってしまった。侵入を許し、脱出を許してしまった。仮にそれが表に出てしまえば、とんでもない大騒ぎになってしまうだろう。そして、その事実は隠されている。隠されているからこそ、情報部が動いているという事だ。

 結果、情報部は賊の逃げた先を見つけ出し、賊を捕まえる為にこの地に降りた。そう、このナオビこそが賊の潜伏地域だという。

 そして事件は起きた。

 情報部の4人のアークスが殺された。犯人は恐らく賊だろう。つまり、そこがこの事件の始まりという事になる。マザーシップへの侵入、殺されたアークス。この2つは繋がってしまっている。なら、ジェリコとクレアの死、そしてイプシロンとスパルタンもそれに繋がっているのか。繋がっている可能性は濃いのか。だからジョンドゥは動いているのか。

 事実を得た事で生まれる疑問が、頭の中を駆け巡る。

 まいった、本当にまいった。

 これはナオビのみで収まる事件などではなく、オラクル船団全体に関わる事件ではないか。どう考えても俺では役不足で、都市警備局すら役不足に感じる。仮にこれを知っていれば、俺はジョンドゥの言い分を飲む事に僅かながら納得はしていたかもしれない―――当然、同じように反発はしている事は間違いないだろうがな。

 「……はぁ、お前さんがそんな申し訳そうな顔をするな」

 悪いのはこっちだ。

 今なら彼女の気持ちも理解出来る。どう考えても彼女の考えは正しい。幾ら手を組んでいるとは言え、前提となる大事件を知る事で俺が混乱し、俺に何らかの危険が及ぶのは間違いだろう。

 いや、俺だけじゃないだろうな。

 「聞いてしまえば、もう後戻りは出来ないし、する気もない……言ったろ、覚悟は決まってるってよ」

 だから、そんな顔するな。大丈夫、オッサンはこう見えて意外と頑丈に出来ている。無駄に歳を重ねているわけではないのだ。むしろ、こんな重いモノを抱えているお嬢さんの肩の荷を、少しだけ持つ事が出来ている事は、悪いもんじゃない。

 「無理してませんか?」

 「少ししてる。してるが、まだ大丈夫だ」

 足を止めている暇は残念ながらない。歩き出したら、それを続けるしかないのだろう。

 「しかし何だ、始末屋なんて呼ばれているが、お前さんは結構甘いな」

 「その呼び方は、あまり好きじゃないって言ったじゃないですか……あの、甘いですか?」

 「甘い、大甘だ。だが、こっちとしてはそれが助かるよ」

  助かるし、だから気に入っているんだろうな。

 さて、話はこの辺にして、思考を切り替えて―――行こうとした時、爆音が響き渡った。

 爆音が周囲を揺らし、思わず膝をつきそうになる。

 「今の音は……」

 「あっちの方です!!」

 何が起こったかは知らないが、作業に伴って出た音ではない。何かが破壊される音に導かれるように、俺達は走る。

 走った先では大変な騒ぎになっていた―――なってはいたが、すぐに思い出す。俺が言った事ではないか。

 今、この工業地区ではAISの新型エンジンのコンペが行われている。

 稼働時間の少ないAISのエネルギー問題は、新たな動力が開発された事で何とか解決へと進んでいる。ならば、ついでに性能そのものを向上させるため、新たなエンジンを搭載してみるのも良いだろうと考えられ、コンペが開催されるらしい。

 音の発生場所は、演習場。

 そこで盛大に爆発炎上しているのは、AIS。

 つまり、そういう事だ。

 「おぉ、見事にぶっ壊れてるな……搭乗員は大丈夫だったのか?」

 「大丈夫みたですよ、ほら」

 彼女が指さす場所には人だかり。

 AISの搭乗員らしき者、恐らくアークスだろうと思われる男が、怒りを露わにしている。その矛先を向けられているのは、ツナギを来た若い女。その後ろに妙にガタイの良い同じくツナギを来た野郎共が控えている。

 「―――お前等は馬鹿なのかッ!?あんなエンジンを載せて、まともにAISが動くわけないだろうが!!」

 アークスが吠えるが、相手の女はまったく動じる事なく、アークスすら見ずに燃えているAISを眺めている。

 「……やっぱり、AIS側をしっかりセッティングしとくべきだったわね」

 「おい、人の話を―――」

 「あぁ、聞いてる聞いてる。ごめんね、AISの性能に希望を持ちすぎてたわ。まさか、あんなチャチな物だとは思わなくてね」

 すげぇ言い草だな。

 「でもさ、アークスさん。そっちのAISの馬力が低すぎない?こっちのエンジンの性能に全然ついていけてないじゃない。幾ら私達のエンジンの性能が良くても、乗せる機体があれじゃ、全然ダメよ」

 ほんとに、すげぇ言い草。

 「お、お前等……自分達の作った粗悪品のおかげで、俺は死ぬところだったんだぞ!!これはAISに搭載されるエンジンのコンペだ。なのにお前等の出してきたのは、出力が高すぎて、AISを暴れ馬にしちまうほどの粗悪品じゃねぇか!!」

 演習場は様々なタイプがあるが、今回は障害物を多く設置した場所を想定しているらしい。あちこちに障害物があり、高層ビル並みに高い障害もあれば、人の身長くらいの高さもあるし、沼地に砂、草原に雪と1か所に沢山のバリエーションを置いている。この全てをクリアして、エンジンとしての性能を確かめようとしているのだろうが、

 「最初の障害で駄目だったみたいだな」

 「スタートと同時に壁に激突ですか……一体、どんなエンジンだったんでしょうか?」

 テストする搭乗員も下手糞ではないだろうし、むしろその反対。どんなエンジンを載せたAISだろうと乗りこなせる自信はあったのだろう。だが、それすらも凌駕してしまうエンジンは、化け物か粗悪品か、そのどちらかだ。

 「粗悪品……粗悪品と言ったのかしら?」

 そして粗悪品という言葉が、気に入らない奴がいるのも事実。

 「当たり前だ。他の連中の出してきたエンジンの中で、お前等のエンジンは最低最悪の粗悪品じゃねぇかよ!!」

 「へぇ、そう……粗悪品ねぇ」

 直観したので、行動する。別にこんな事をする深い意味はないのだが、此処で変な事件が起きて、俺達の目的を邪魔されるのは好ましくない。

 罵るアークスの言葉を聞いていたツナギの女の手には、既にそれが握られていた。だから、その手を掴む。

 「―――誰、アンタ?」

 「通りすがりのお節介だ。色々思うだろうが、とりあえず穏便にしてくれ」

 アークスからは突然現れた俺に驚きの感情を向けられ、女の背後に控えている連中からは激しい怒気を感じる。その視線を無言で黙らせ、女を連れて奥の倉庫に向けて歩き出す。

 「ちょ、ちょっと何なんなのよ!?離しなさい変態野郎ッ!!」

 「いいから、黙って来い」

 俺が女を連れていき、その後ろでツナギの連中がぞろぞろとついてくる。残されたアークスとその他の連中は茫然としていたので、彼女にフォローを任せた。

 「お騒がせしました。とりあえず、あれを消火する事をお勧めします。その後はどうぞコンペを続けてください。ほら、次の方々が待ってますよ」

 「あ、あぁ、そうだな」

 「では、私はこれで……」

 実に的確なフォローに感心しながら、俺は女を倉庫へと連れていく手を放さない。あと、その間も抵抗する女からかなり殴られて痛いが、我慢する。男の子ですから……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode15『なら、アンタは頑張ったんだろうね』

 多目的作業艦タタラは、良い意味で職人の集まり。悪い意味で変人集団。

 「変人じゃない、職人よ」

 と、おっしゃるのは、自称タタラの誇る最高の技術屋ことカンナ班長。自称なのが重要なポイントで、要チェック。

 「アンタが邪魔しなけりゃ、あのぼんくらの頭に一発入れられたのに」

 そうならない為に止めたんだと気づいてほしいが、果たして伝わっているだろうか。

 「なぁ、お前等もそう思うよな!?」

 班長と云うのは自称ではないらしく、屈強な男達は一斉に俺に向かって、

 「「「「「姐さんを止めてくださり、ありがとうございますッ!!」」」」」

 頭を下げる。班長には尻を向けて。

 「いや、こっちも仕事なんで気にせんでくれ」

 あんた等の後ろで、姐さんが顔を真っ赤にしてプルプル震えてるぞ。

 「旦那が姐さんを止めてくれなかったら、今頃あそこは血の海でさぁ」

 「まったくです!!姐さんの手の速さは光の速さです!!でもちょっと癖になります!!」

 「……感謝」

 暑苦しい中で、更に暑苦しい3人に手汗に油まみれな手で握られる。どう見ても技術屋というよりは、ボディビルダーみたいな肉体を持っているな、この3人。いや、逆に整備員とかそういう連中は男臭いというイメージはある。あるのだが、この3人は別格だ。だってなんかポージングとか取ってるから、なんか違う。

 「俺の名はスパナ」

 「俺はペンチ!!」

 「……ソケット」

 自己紹介は求めてないのだが。

 「「「3人合わせて―――」」」

 「うるせぇし、暑苦しんだよ3馬鹿ッ!!」

 3人同時に蹴り飛ばすという器用な技を持ってるな、カンナ班長は。

 「3人合わせて、なんというんですか?」

 始末屋のお嬢さん、余計な事を聞かんでよろしい。

 なんかゴチャゴチャしてきたな、頭痛いわ。

 「―――あ~、とりあえず落ち着こうか、全員」

 閑話休題。

 真っ黒に焦げたAISの前で、何故かコーヒー片手に談笑会が始まった。

 「都市警備局?なんでそんなのが此処にいるわけ?」

 「仕事でちょっとな」

 よっぽど俺に止められたのが癪に障ったのか、カンナ班長の俺を見る眼は非常に鋭い。片手に珈琲、もう片方の手は器用に金槌を回転させている。うっかり変な事を言ったらあれが飛んできそうだ。

 「姐さん、きっとあれですよ。なんか前に廃棄エリアで殺人事件があったやつ」

 「知らないわよ、そんなの。それよりもアンタ達はさっさとAISからエンジン取り出す。破損部分はきちんと報告。データは後で私に回す事。というわけでチェックは念入りだ」

 「あいよっ!!」

 元気の良い返事の後の行動は素早い。全員が壊れたAISを分解していく光景は、素人の俺でもわかる位に素早い。

 「凄いですね……」

 「あんなもんは、凄いのに入らないわよ。むしろ、あの程度も出来ないなら、私の班には必要なしよ」

 「厳しい事を言いますね」

 「そりゃ厳しい事を言うさ。じゃないと信用できない。少なくとも、私は信用に値しない連中と仕事は出来ない。私にはそれだけの腕がある。だから、その腕に相応しい連中が必要ってわけよ」

 身内自慢とは羨ましい事で。

 傲慢ではあるが、どっかの誰かさんとは大違いだ。こっちには傲慢の隣にちゃんと信頼がいるのがわかる。

 「にしても、AISがこんなになるエンジンって、どんだけ凄いんだよ」

 「私の最高傑作よ。ちなみに次に作るのは、これを超える最高傑作。私は常に最高傑作を超え続けるのよ」

 「凄い自信ですね」

 「それが私だからね。常に最高を求めるのが私。最高を超えられないなら、それは私の求めるモノじゃないのよ」

 自信か自覚か、それとも別の何か。

 「でも意外だったわ。まさか、アンタの行きついた場所が都市警備局とはねえ」

 何の話だ?

 「彼女は貴方の知り合いだったんですか?」

 「いや、俺は知らんが……」

 顔を見合わせる俺達だが、カンナが見ているのは俺ではない。

 「私、ですか?」

 「最初は誰か全然わかんなかったけど、やっぱりアンタで間違いない。名前は、名前は……あ、最初から知らなかったからわかんないわね」

 カンナの言いたい事が何なのか、当然だが俺には理解は出来ない。出来ないが、隣に座る彼女の顔から表情が消えた事だけは理解出来る。

 「私を……知ってる、の?」

 「知っているに決まってるじゃない」

 当然の事を聞くなと、カンナは呆れる。こっちはそんな余裕はないというのに。

 「まぁ、知っているっていうか、前に会ってるんだけどね。あれ?もしかして私の事は覚えてない?そっか、そっか、まぁ別にいいわよ。ところで―――」

 誰かさんとは違う傲慢ではある。

 それの本質は傲慢である事に変わりはない。

 「―――弟は元気してる?」

 空気が重いのではない。

 時間が止まるような感覚があった。

 俺の時間ではなく、彼女の時間。

 「……ジェーンドゥ」

 無理矢理に時間を動かし、絞り出した彼女の言葉にカンナは、

 「その名前はもう必要ないのよ、実験体ちゃん」

 満面の笑みを浮かべ、もう一度訪ねる。

 「それで、弟は元気?」

 

■■■

 

 カップの落ちる音、割れる音、流れ出る珈琲は、まるで血が流れる様だ。その人の古傷を、触れられたくない傷を抉り取り、傷口を無理に広げるような行為。

 「……ん?どうかしたの?」

 カンナが首を傾げ、彼女が落としたカップを拾う。割れた破片を乱暴に広い集め、近くの箱に放り投げる。

 「どうして、貴女が、此処にいるんですか……」

 「そりゃ居るよ。私達は何処にでも居る。それは個人の自由だからね」

 2人の会話に入る事は許されない。この場において、俺だけが部外者となっている。

 「いやぁ、懐かしい。虚空機関は糞みたいな所だったけど、面白い連中が沢山いたから、あれはあれで良い思い出だったわ」

 虚空機関。

 ジェーンドゥ。

 絶句した彼女は言葉を発しない。だから、代わりに俺が質問する。

 「カンナ班長。アンタは……『無銘の血統』なのか」

 「ん?そうだけど。あれ、もしかして、アンタはあそこの事を知らなかった感じ?だったら、悪い事を言っちまったかなぁ」

 頭を掻きながら、反省などしていない様に陽気に話すカンナは、とてもジョンドゥと同じ『無銘の血統』と同じには見えない。

 「だったら今のは無しだ。忘れてくれ……って言っても無理かな」

 視線を彼女には向けず、俺に向ける。

 「アンタは『無銘の血統』を何を、何処まで知ってる?」

 「……虚空機関が外部組織から入手した、何者かのクローンの集団。何者が誰なのかはクローン達も知らず、虚空機関の調査でもわからなかった。だから作者不明の無銘とラベリングし、そのクローン達を『無銘の血統』と呼んだ―――これで合っているか?」

 「概ね正解。補足するなら、虚空機関が外から入手したのではなく、無銘という私達の生みの親から押し付けられたってのが正しいのよ。どうも私達の親は、結構な糞野郎みたいでね、自分のクローンを作ってみたは良いけど、虚空機関が作るクローンに比べると汎用性が無さ過ぎてね、失敗作扱いよ」

 他人事の様に話すカンナは、横目で彼女を見る。

 「虚空機関のクローンや、実験体は出来が良いのよ。だから、別に私達みたいな失敗作を引き取る必要なんてなかったんだけど、中には物好きも居てね……クローン実験に必要な実験。それに使われたのが私達。幾ら消耗品でも、無限じゃない。だから代用品があれば、それで実験するのは常套手段なわけ……その娘は知ってるだろうけど、あそこの研究ってえぐいのよ?」

 知ってるだろう?と彼女に向けられた視線は、悪意などはない。懐かしい昔話を思い出すだけの行為。それが彼女の体を僅かに震えさせる。

 だから、その視線を向けない様に俺は2人の間に入り込む。

 「カンナ班長。アンタは随分と軽く話すんだな。他人事みたいに」

 「他人事だからよ。私はジェーンドゥではなく、カンナ。タタラのカンナ。ほら、他人でしょう?だから簡単に話せるわけよ……ちなみに知ってる?私達は汎用性には向かないけど、特殊性には向いている。特化型っていうべきね、この場合。虚空機関の様に多くの複製は出来ない上に、複製から複製を作ろうとすれば、必ず壊れる特注の欠陥品なのよ。でも、私達はクローンでありながら、既に完成していた。そういう風に出来てしまっていた。個々の能力は並列にはならず、何かが頭一つ抜け出し、何かが頭一つ下がっている」

 自分の場合はこれだと、カンナは床に落ちていた工具を取る。

 「戦闘能力は低いし、フォトンとの相性も悪い。ついでに頭もそんな良くはない。でも、これの扱いだけは異常に巧いわけ。そしてこれに関する知識の習得も同様にね。だから私はそっち方面に固執した。『無銘の血統』は何かに固執する習性を持っている。まるで何もないからこそ、自分だけしか出来ない事、自分の世界を見つける事に異常に固執するのよ」

 「それは普通の奴等と何が違うんだ?」

 俺には同じに思える。誰だって何かに固執する。自分だけにしか出来ない事、自分だから出来る事、やれる事を探そうとする。それが特別な習性ではない。生まれながらに持っている承認欲求というものだ。

 「それは持っている連中の言葉よ」

 僅かに、カンナの眼に怒気が宿る。

 「普通、普通とアンタ達は言うけど、その普通っていうのは個人がある事が前提条件。言うならば名前よ。個人を個人として認識するのは、名前という記号。名前は大事。それがあれば必ず誰かが個人を認識する。記憶じゃなくて記録が必要とされるのよ、私達は。アンタにも名前があるでしょう?名前、教えてくれる?」

 ヴァン、と俺は俺を表す記号を口にする。

 「なら、ヴァン。アンタは既に記号を得ている。個人を個人と認識されている。データ上でも記録されているでしょうよ。なら、私達はどうかと言えば、知っての通り全員に名前はない。ジョンドゥ、ジェーンドゥという名前、記号があっても、それは個人を表すモノには程遠い」

 「名前がない事がコンプレックスっていうなら、自分で名前を付ければいい。自分で記号を作り出す事くらいは出来るはずだ」

 「残念な事に、自分で作り出した記号なんて、糞の役にも立たない。ましてや取り合えず付けたような名前なんて尚の事。例え、他人が真心込めて私達に名をくれたとしても、私達はそれを受け取る事は出来ない。どうしてか、そういう風に出来ているの。そうね、きっと恩恵で手に入れた結果は、過程にすらならないように出来ているのよ」

 「そいつは……面倒なもんだな」

 「えぇ、面倒よ。非常に面倒臭い。だけど、そういう風になっているの。私達は過程を大事にしてしまう。過程を抜かした結果では自己を確定できない。確定できないから、固執するの。自分にしか出来ないモノを手に入れる事で、初めて私達は自己を確定できる」

 だとすれば、カンナは手に入れたのだろう。

 「私はカンナ。もうジェーンドゥじゃない。カンナと名乗るにはね、結果が必要だった。虚空機関が消え、行き場を無くした私はタタラに来た。そこで私は結果を手に入れた。だから私はカンナと名乗る事が出来た」

 「理想が高いんだな、アンタ達は」

 「これが呪いよ。『無銘の血統』に流れる呪い。どうしてこんな呪いをシステムとして組み込んだかは知らないけど、生き残った連中は未だに呪われ続けているでしょうね」

 自分が納得しない限り、名を持てない呪いは在り続ける。ならば、俺が出会ったジョンドゥは未だに納得した結果を得ていないのだろう。奴が納得する結果は、果たしてどんなものになるのか、それは別に興味はない。なにせ、俺は奴が大嫌いだからだ。

 「……はぁ、これは私の悪い癖ね」

 話し終わると、カンナは申し訳なさそうに彼女を見る。ずっと黙ったままの彼女。未だに名を知らないジェーンドゥへ、本当のジェーンドゥだったカンナが語り掛ける。

 「『無銘の血統』はね、劣等感の塊なのよ。呪いから解放されれば、その劣等感も消える。でも、消えた事で過去の事なんてどうでも良いと思ってしまう。私なんて、まさにそれ。ジェーンドゥで、劣等感の塊だった頃の事を、こんな風に話せるようになっているけど……それを他人に当て嵌めるのは、非情だね」

 カンナは彼女の前に立ち、頭を下げる。

 「すまなかった。配慮が無さ過ぎた」

 周囲からどよめきが起こる。どうやら、彼女が頭を下げる事など、滅多にない事らしい。

 「私にとって虚空機関はもうどうでもいい存在で、簡単に話せる過去だ。でも、きっとそうじゃない連中だっている。その事を忘れてた。だから、すまなかった」

 頭を下げたままのカンナを見つめる彼女は、静かに口を開いた。

 「……貴女は、傲慢ですね」

 「あぁ、知ってる」

 「でも……私の知っている傲慢な連中よりも、ずっとマシです」

 「それは、褒めてるの?」

 「褒めてはいません。マシってだけです」

 固まった空気が少しずつ、凍った物が溶け出すように動き出す。

 「私にとって、虚空機関の記憶は簡単に割り切れるモノじゃありません。あの場所は、あってはいけない場所だったから……」

 「そうかも……いや、きっとそうだったんだね。あそこが消えて、あそこに居たアンタとこうして出会ったから、少しだけ嬉しくなっちまったんだな」

 「お互い、こうして生きて出会えたのは幸運なんでしょうね」

 それでも、会えなかった誰かはきっといるのだろう。

 俺は知らない。

 彼女達だけが知る、大切な傷痕。

 「―――あの子は、ハドレッドは……もういません」

 「そうか……なら、」

 カンナの手が彼女の頭に載せられる。そして、まるで子供を褒める様に、少し乱暴に頭を撫でる。その光景は、まるで姉が妹を褒める様に見えたのは、気のせいだろうか。

 「なら、アンタは頑張ったんだろうね。頑張ったから、こうして出会えた」

 子供扱いしているように見えるかもしれないが、彼女は黙ってカンナに頭を撫でさせる。

 「そう、でしょう、か……」

 「あぁ、そうさ」

 顔を伏せた彼女がどんな顔をしているのだろうか。

 見ようとするのは、無粋だろう。仮に笑っていても、仮に泣いていたとしても、それは俺の知った事ではない。そう思う事が今は大事な事の様に思えている。出会って数日の彼女、始末屋の彼女は僅かな事しか知らない。だがカンナという女性は俺の知らない彼女を知っている。その時から始末屋だったのか、それとも―――いや、これこそ無粋というものだ。

 無粋な想いを抱かない様に、俺は外に出ている事にしよう。少しの時間は必要だ。彼女達2人の時間。

 あぁ、それとこれも無粋な事ではあるが、周囲から野郎のすすり泣く様な音が聞こえたのは、きっと気のせいだという事にしておこう。

 

■■■

 

 無駄な時間だったとは口が裂けても言えんが、時間を結構使ってしまったのは事実。空を見ればもう夕焼け。この辺りで事件現場でもと思ったが、周囲から機械の稼働音は徐々に消えていく。どうやら、本日の営業は終了しました、な状況らしい。

 「まぁ、今日は諦めて、また明日来るか……」

 紫煙を吐きながら、明日の動きを考える。今日の成果はあまりないが、此処でタタラの人間に出会えたのは、幸運とも言える。協力してくれる可能性は低いが、カンナを含めた連中は明日以降も工業地区に居ると思われるので、色々と探ってもらうというのも良いかもしれない。

 「だが一応は部外者だから、あんまり無理強いも出来ないだろうな」

 「別に手伝っても私は構わないけど」

 気づけば、煙草を咥えたカンナが俺の隣に立つ。

 「お嬢さんは?」

 「うちの連中に囲まれてる。まぁ、変な事はしないから安心しな」

 変な事をされて、一番被害に遭うのはきっとアンタの部下なんだが。

 「事件の調査だろ?手伝ってやるよ」

 「……こっちとしては助かるが、急にどうして」

 まさか、先程のお詫びとか言うなら、お門違いだ。あれは事件とは関係ないカンナと、彼女の事情だ。それを今回の件に利用するのは、あまり良い気にはなれない。

 「この件、ジョンドゥが絡んでるんだろ?蜥蜴顔の」

 「……それが理由か」

 「同族としてのケジメって奴さ。あれが色々と無茶してるのは知っている。そんでもって、その無茶はちょいとやり過ぎてるのは、私だってわかるさ」

 「あの野郎の傲慢ぶりは、昔からなのか?」

 「どうだろうねぇ」

 カンナは苦笑している。

 「あの腰抜けが傲慢を気取ってるなら、そいつは仮面さ。昔から一番度胸も腕っぷしもない奴だったが、こんな事をしでかすなんて妙だと思ってな。多分、それをするだけの理由があるのか。それとも、手助けしている奴がいるのか……」

 「手助けしている奴か……心当たりはあるかもしれないな」

 「だったら、アンタはその心当たりって奴を探ってみればいいさ。こっちの件はこっちで調べておいてやる。なぁに、これでもタタラってだけで技術屋の連中には顔が利くのさ」

 あれだけ騒ぎを起こしておいて、その言葉には素直に驚く。なんだかんだ言っても、彼女も立派に傲慢なのだろう。

 「ところで、これは事件とは関係ない話なんだけどさ。私の作ったエンジンをどうにかして連中に認めさせたいんだが……何か良い手はあるかい?」

 「素人の俺にそれを聞くなよ」

 「素人の意見を聞くのも、私達には必要な事さ」

 そう言われても困るのだが、

 「そうだな……昼間のアレは、エンジンの出力が強すぎて、AISが耐えられなかったんだよな」

 「そうだね。自慢だがあの出力は、並みの機体なんかじゃ、パワーに負けて操縦なんて不可能だ」

 「だったら、AISに錘でもつけてみればどうだ?パワーを抑え込める重さがあれば、釣り合いは取れるだろうよ」

 「なるほど、錘ね……まぁ、案の1つとして受け取っておくよ」

 仮にそんな安直な案を受け入れたとして、どうするつもりなのか。まさか馬鹿正直に錘でもつけるわけでもないし……可能性としてはAISに必要以上の武装でも積み込むとか。

 「どっちにしても、採用はされないだろうな」

 「それを何とかするのが技術屋ってもんよ」

 色々と勝手にしてくれ。さて、それじゃ俺達はそろそろ―――と、その前に、

 「カンナ班長」

 「あん?まだ何か―――」

 彼女も気づいた。だから、俺は彼女に耳打ちする。その内容に彼女は僅かに怒りを感じている様だが、無言で頼むと伝えると、彼女は不満を飲み込み、部下の方へ戻っていく。

 やれやれ、これは後が怖いな。

 「―――さて、と」

 それじゃ、俺はお客さんの相手をするとしよう。

 「都市警備局のヴァンだな」

 高圧的な言葉を発するのは、昼間車内から見た連中。その身を強固な装備で固めた統合軍、装甲歩兵部隊、その数は凡そ10。これから戦争でもする気なのかと尋ねたいが、奴等の目的は俺らしい。

 「そうだが、統合軍が俺に何か用事でも?」

 「大人しく我々について来てもらおうか」

 お誘いは嬉しいが、そんな武器を構えられると怖いじゃないか。

 「拒否権は、なさそうだな。なんだ、ジョンドゥの命令か?」

 予想以上に早かったな。

 「質問に答える権限は我々にはない……お前の連れの女は何処だ?」

 「先に帰らせたよ」

 そう言っても連中は俺の言葉を信用していないのか、俺を見張る者を残し、カンナ達の方へ向かっていく。あのガタイ連中は装甲歩兵と同じだが、流石に軍隊と技術屋では相手が悪い。因縁をつけられて黙っていられる連中ではないが、そこをカンナが押し留めている。

 「女は何処に居る?」

 「カンナ班長なら、そこにいるだろ」

 「タタラの者ではない。貴様が今日1日行動を共にした女だ」

 なるほど、しっかり監視されていたってわけね。

 「だから帰らせたよ」

 言うよりも手が早いのは、軍人も同じらしい。固い金属が頬を殴る感触は、結構な衝撃だった。口の中で鉄の味が広がる。

 「―――隊長、何処にもいません」

 「逃げたか……まぁ、いいさ。この男だけでも構わないとの命令だ。連れていけ」

 両手を拘束され、有無を言わさず連中の装甲車に乗せられる。ドアが閉まる寸前、俺を見る技術屋の中に先程までいなかったツナギ姿の女が見える。彼女は今にも飛び出しそうな勢いだったが、カンナが腕を掴んで引き留めている……実にありがたい。

 「スイートルームはあるかい?」

 「黙っていろ」

 さてさて、こりゃアンジュを別行動にしておいて正解だったな。

 俺が連れていかれる先は想像できる。

 護衛艦イクサ之5番艦か……こりゃ、面倒な事になりそうだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode16『……ちなみにこれは極秘情報ですが』

 その男は今、たった1人で事件現場に赴いている。

 ジェリコが殺された部屋。殺害現場の部屋は、現場保存が解かれ、業者が部屋の清掃に入ろうとする直前、クルーズはその作業を止めてもらい、最後の現場検証を始めている。だが、部屋は綺麗なものだった。恐らく、警備局の以外の連中が現場検証を終え、早々に片づけに入っているだろう。

 警備局に一切の連絡もなく、許可も求めずに。

 仮に最初の現場検証時に何らかの見落としがあったとしても、情報部の者達によって新たに見つかった証拠は持ち去られている可能性は高い。だが、そうであっても僅かな可能性はあるかもしれない。

 部屋の床に四つん這いになり、床を舐めるように凝視する。ほんの僅かな可能性が、警備局も情報部も見逃した何かがあるかもしれない。

 埃もない綺麗な床を、じっと見つめ、這うように進む。壁に付いたら折り返して同じ事をする。部下達には見せられない光景だと思いながらも、藁にも縋る想いで作業を進めていく。

 そうして時間は過ぎ、部屋が暗くなっている事に気づいた段階で、深い溜息が漏れた。

 床に座り込み、今度は天井を見上げながら倒れこむ。

 結局は何も見つからない。

 証拠も何もありはしない。

 無駄な行為に時間を使い過ぎた。これがこの後に起こるかもしれない何かへの対応が、大きく遅れてしまう可能性もある。

 「可能性、可能性と……まったく、実に不愉快だ」

 「私としては、愉快な光景ですけどね」

 独り言に返す言葉に驚き、起き上がると目に入ったのは、小さな人型。

 「なんでお前が此処にいる?」

 クルーズが訪ねると、アンジュはビニール袋を差し出す。

 「……なんだ、それは」

 「差し入れです」

 差し出されたビニール袋を受け取り、中を見ると入っているのはアンパンと牛乳、そしてクルーズが愛用している煙草の箱が1つ。

 「子供は煙草を買えませんが、サポートパートナーは普通に買えるなんて変ですね。今後、法改正が必要かと思われます」

 「……何のつもりだ?」

 「ですから、差し入れです。お嫌いなら、別の物を買ってきましょうか?エッチな本は流石に買えませんけど」

 このサポートパートナーは、相手が主の上司であろうと関係ないのだろうな、と少しだけ感心してしまった。残念な事に、少しだけ。

 要らないと突っ返そうと思ったが、腹の虫は漸く食料にありつけると歓喜したのか、盛大な鳴き声を上げる。

 「これでいい」

 アンパンのビニールを空け、かぶりつくと口の中に疲労を忘れる程の甘味が広がる。

 「あ、ちゃんと領収書は切ってますから」

 余計な一言で疲労がブーメランとなって帰ってきた。

 「後で申請しておけ」

 「そのつもりです」

 数口でパンは胃袋に収まり、牛乳で一気に流し込む。ゴミをビニールに詰め、煙草を取り出して食後の一服に入る。口にしてから此処が現場である事を思い出したが、明日には綺麗に片づけられるのだ、今更どうでもいいだろうと自棄になる。

 「ヴァンはどうした、一緒じゃないのか?」

 「今は別行動中です。午前中はちょっと野暮用で単独行動。午後からはマスターと合流するつもりだったのですが」

 アンジュはわざとらしく床に四つん這いになり、クルーズを見る。

 「面白い事をしている方が居たので、ちょっと観察を」

 「お前が此処にいる理由が抜けているぞ」

 「私なりの確認です」

 サポートパートナーは、マスターの指示がなければ動けない人形なのかと思っていたが、考え違いをしていたらしい。少なくとも、このサポートパートナーはマスターの命令がなくとも自分で考え、自分の行動を決定している様に思える。

 「随分と働き者の従者だな」

 「従者とは良い言い方をしますね。貴方なら、きっと奴隷とか言うと思ってました」

 「どっちでも構わんだろ。それとも、違うと言うのか、お前は」

 「どっちでも構いませんよ。他人からどう思われようとも、私はマスターの望む私ですので……」

 まるで恋人みたいな言い方だ。いや、恋人ならもっと自己主張するはずだが、このサポートパートナーはしない。自分が何者か理解し、納得しているからだろうとクルーズは理解する事にした。

 それが正解でも、不正解でも、きっとこの小さな従者は自分で納得した事しかしないのだろうから。

 「まぁ、いいさ。それで、ヴァンからは何か連絡あったのか?」

 「貴方になければ、何の収穫もないでしょうね。もしくは、あの小娘と乳繰り合っているだけかもしれませんが」

 何の事を言っているのかわからないが、クルーズは何故かアンジュが不機嫌な顔をしていた様に思えた。気のせいかもしれないが、そう感じた。

 「なんだ、大好きな主を誰かに取られそうなのか?」

 「馬鹿にしないでください。その程度で私のマスターへの海よりも広く、水溜よりも浅い心がどうにかなるとお思いですか?」

 よくわからない比喩表現だが、何処か言い訳に聞こえたのが面白かった。少しだけ、ほんの少しだけ、アンジュの事を気に入りそうになった。

 「……馬鹿にしてますね、絶対」

 「いいや、感心しているだけだ―――それよりも、」

 煙草を携帯灰皿に入れ、立ち上がる。数時間ぶりに立ち上がったせいで、体の調子がいまいちに思えたが、次第に元に戻るだろう。

 「此処はもう何もない様だ。時間の無駄だったか」

 「何もない事がわかっただけ、十分な収穫ですよ。では、次はクレアの部屋にでも行きますか?」

 「あそこはダメだ。今は情報部の連中が居る。それに、あの現状では何かを探す事の方が難しい……残念ながら、手詰まりだよ」

 こちらは何の手掛かりも掴めなかった。後はヴァンの方で何らかの手掛かりを掴めれば良いのだがと思うと同時に、多少のやるせなさを感じる。あれだけ毛嫌いしていると正面切って言っておきながら、こんな時はヴァンを頼る自分が此処に居る。

 「……出るぞ」

 アンジュを連れ、マンションの外に出る。案の定、外は夕方に変わり、あと1時間もすれば夜になるだろう。

 「俺は本部に戻るが、お前はどうする?」

 「私は家に戻ります。マスターも帰っているでしょうから」

 ならば、此処で別れるとしよう。

そう思っていたが、

 「ですが、その前にちょっと寄り道しようと思ってます。貴方も付き合いませんか?」

 突然の誘いにクルーズは首を傾げる。

 「デートにでも誘う気か?」

 「冗談は顔だけにしてください。野暮用でマスターの知り合いに会ってきたんですが、ついでにちょっと頼み事をしてきたんです。今頃、準備は出来ているはずですから」

 「それにどうして俺が付き合わんといかんのだ……勝手にしろ、俺は帰る」

 「良いのですか?」

 何か含んだ言い方に、

 「何がだ?」

 思わず聞き返してしまう。

 アンジュは悪戯をしようとする子供の様な笑みを浮かべ、言った。

 「ジェイクの部屋、クレアの部屋。そのどちらも警備局では調べています。ですが、1か所だけ貴方達が直接調べていない場所があります」

 「調べていない場所?」

 「―――アイテムラボですよ」

 

■■■

 

 「ドゥドゥさん、無理なお願いを聞いてくださり、ありがとうございました」

 「構わん、と言いたい所だが、これは規則違反だ。いざとなれば君達を売って私は逃げるつもりだ」

 「その時の全責任はこのクルーズさんが被りますので、ご安心を」

 聞き捨てならない言葉だが、クルーズはそれどころではなかった。

 「おい、アンジュ。本当に大丈夫なんだろうな。これは流石に拙いぞ」

 「クルーズさん、男が一度決めた事を放り投げるなんて、男らしくないですよ」

 一度でもこんな事をやるとは言ってない、と抗議してもこの小さな悪魔は自分の言い分など聞いてはくれないだろう。

 「サイズは合っているかな、クルーズ君とやら」

 「あ、あぁ、少しキツイが大丈夫だ」

 臨戦地区、ショップエリアにある従業員専用の通路。部外者は当然お断りの場所を、クルーズはアイテムラボの店員の制服を着て歩いている。

 「潜入捜査と思ってください。ほら、私だってこうして段ボールの中で我慢してます」

 ドゥドゥという男の後ろを、アンジュが入った段ボールを乗せた台車を押すクルーズ。何度か店員達とすれ違っているが、今の所は部外者とは気づかれてはいないようだ。

 「クルーズ君、もう少し堂々としたまえ。あまり挙動不審だと怪しまれるぞ」

 「わかっている、わかってはいるが……」

 潜入捜査など経験がない。表立って警備局として捜査をするのとは違う。あちらでは捜査令状という免罪符があったが、今回は完全な丸腰。しかも相手はアークス。現在の状況でこんな捜査をしている事がばれたら、面倒以上の事が起こるに違いない。

 「アンタ、ドゥドゥとかいったか。アンタはこんな事に協力して大丈夫なのか?」

 「私は新参者で余所者だ。しばらくすれば元の場所に戻るだけ。その前に少しだけ若気の至りで冒険をしてしまったという事にするさ。無論、先程も言ったが、ばれたら私は逃げるがな」

 若気の至りなんて言葉を使って大丈夫な歳じゃないだろう、と思ったが口には出さない。クルーズも理解はしている。これは危険な事だが、危険を冒すだけの事はある行為なのだと。

 「それにしてもクルーズ君、君も妙なコンビに巻き込まれたものだな。同情するよ」

 「ドゥドゥさん、マスターを悪く言って構いませんが、私を悪く言わないでください。傷つくじゃないですか」

 「私からすれば、どっちもどっちさ。私の周りで問題を起こすのは、常に君達だ。その度に私にどれだけ迷惑がかかったと思っているのかね?」

 「……おかしいですね。私の記憶によれば、私達の起こす問題を酒のツマミにして、楽しんで傍観してたのは、ドゥドゥさんだったはずでは」

 「それは君の記憶違いさ」

 つまり、本当にどっちもどっちという事かと、クルーズは溜息を吐く。

 こんな話をしている内に辿り着いたのは、ショップエリアの店員が使う各店舗の事務所エリア。そこは更衣室兼ロッカールームもでもある。

 「中に誰か居るという事はあるか?」

 「この時間帯は用がない限りは誰も居ないはずだよ。だが、一応誰かが来る可能性もあるので、気を付ける様に」

 ドゥドゥが最初に中に入り、誰も居ない事を確認し、手招きする。クルーズは周囲を確認しながら中に入ると、段ボールの中からアンジュが顔を出す。

 「念の為に言っておくが、端末には触らない様に。外に出して良い情報ばかりではないのでな」

 「そういう事を警備局員の前で言わんでくれ。見られて困るものがあるとか、そういうのはな」

 「私は困らないが、アークスの個人情報も幾つかはあるのだよ。といっても、その人物がアイテムラボを使用した際の情報だがね」

 アイテムラボはアークスにとって必要不可欠な場所ではあるが、同時に一番反感を買う場所だと聞いた事がある。この話は有名で、武器や防具の強化には多くのメセタと、高額な素材が必要となるのだが、それだけ持っていっても100%望む結果が得られるというわけではないらしい。

 「こちらもすべて運任せの仕事をしているわけではない。例えば、特定の組み合わせで巧くいかない事があったとして、過去のデータと照らし合わせ、どの組み合わせならば成功するか、失敗するか。特定の組み合わせなら成功の可能性が高くなるか等、成功と失敗のデータを蓄積する事で、努力を重ねているという事さ」

 「運任せの商売は、ないって事だな。まぁ、別にアークスがどれだけ損したかなんて、今は興味ない。必要なのは、ジェリコが使っていたロッカーだけだ」

 ロッカールームに入り、並ぶロッカーからジェリコが使用していた場所を探す。

 「だが、クルーズ君。既に情報部の者達が調べた場所に、何らかの証拠が残っているとは思えないが、探す意味があるのかね?」

 「在る、とは言えないが、必ず無いとも言えない。情報部が見逃した可能性もあるだろうし、見逃すほどに隠された何かがあるかもしれない」

 結局はギャンブルの様なものだが、これも必要な事だ。何も無ければ、無いという結果が得られる。そうすれば、次はこんな危ない橋を渡る必要はなくなるわけだが、

 「鍵が掛かってますね」

 「それは掛かっているだろうね」

 当然ながら、ロッカーは開かない。鍵はあるかとドゥドゥに尋ねるが、首は縦には振られない。ロッカーの鍵は事務所で管理しているだろうが、簡単に取り出しが可能というわけではなく、扱いを任せられるのは上の役職だけ。

 「どうします?こじ開けますか?」

 ロッカーの鍵は、カードを差し込み開けるタイプ。鍵穴というアナログな構造は、当の昔に絶滅している。

 「……いや、こっちを使う」

 クルーズはポケットから掌に収まる小さな端末を取り出す。端末からコードを伸ばし、鍵穴ならぬカードリーダーに差し込む。

 「ほぅ、警備局にはそのような物が支給されているのか」

 「まさか。こいつは貸ロッカー荒らしを逮捕した時に、押収した証拠品だ」

 「クルーズさん、私が言うのは何ですが、それは規則違反ですよ」

 そんな事は百も承知だ。その上で行っているのだ。

 「規則を守る事は大切だ。守って当然の事を守らない奴は悪くて当然。だが、時にはそれを守っているだけでは、どうにもならない事もある……まったく、これで俺はお前のマスターに弱みを掴まれたというわけだ」

 端末を操作しながら、溜息を吐く。

 「確かに弱みになるでしょうね。弱みになるでしょうが、これは私に掴まれただけですので、ご安心を」

 「そっちの方が怖いな」

 「……ちなみにこれは極秘情報ですが、多分クルーズさんみたいな方は、マスターは結構好きですよ」

 「そっちは侮辱だな」

 話している内に、鍵が開く音が聞こえた。

 ロッカーの中を空けると―――見事に何もない。

 わかってはいたが、落胆を隠す事は出来なかった。とりあえずロッカーの中を覗き込み、何か隠しているような場所がないかを探してみる。探してみるが、奇妙な場所はない。なんてことのない、空のロッカーがあるだけ。

 「スキャンしてみましたが、反応はありません」

 「空振りという事か」

 落胆はするが、これで次の可能性を探す事が出来るとのだと、クルーズは自分に言い聞かせる事にする。だが、それでもロッカーの中に何かが隠されていた可能性はある。その可能性を見る事が出来ない、見つける事が出来ないのは多少の憤りを感じる事はある。

 「ドゥドゥさん、他に何か手掛かりになるような事はありませんか?」

 「私とて彼とは、それほど会話があるような関係ではないよ」

 空っぽ、何もない、ロッカー。

 何もない、何もない、何もないのは―――何もなかったのではないか。

 「……アンジュ、もしも見つかってはいけないモノがあるとして、それを外に持ち出せない、もしくは中に隠すとした場合、お前は何処に隠す?」

 「藪から棒ですね……何処に隠すか、と言われても、私の場合は此処と同じ様なロッカーなど割り当てられていませんので」

 そこまで言って、アンジュもある可能性に行きつく。

 「そうか……そうですね。例え隠し場所を考えるとしても、素直に自分の所有地に隠すなんて、そこを探してくれと言っているようなものです」

 仮の話だが、持っていてはいけない物を隠す場合、身近に置いておきたいという思考は当然ある。それ故に自分のロッカーなど外でありながら自分の空間がある場合、そこに隠すというのは頷ける。しかし、その反面は大きなデメリットを抱えていると言えるだろう。

 発覚した場合、この場所を探すのは当然の事だ。当然だからこそ、その裏をかく事も考えているはずだ。

 「もし隠すとしたら、仮にこのロッカールームに隠すとしたら……」

 所有者のいるロッカーは当然鍵が掛かっている。クルーズが使うような特別な装置を使うか、マスターキーを使わない限り、他人がロッカーを開ける事は出来ない。もしくはロッカールーム内に隠し部屋の様な場所を作るという考えも浮かんだが、それはリスクが高い。

 「使われていないロッカーか」

 そう言うと、3人はすぐに所有者の居ないロッカーを探し出す。使われていないロッカーの数はそれほど多くない。1つをしっかりと探す時間は十分にある。

 「ありませんね」

 「こちらも何もない」

 確実に在るわけではない。

 むしろ無い可能性も高いわけだ。

 これでも1つの可能性を潰す作業という事になるのだが、

 「どうやら無駄足だったようだね」

 「えぇ、残念ながら、そのようです」

 「……いや、まだ1つだけ開けてない」

 クルーズはドゥドゥを見る。

 「ドゥドゥ、アンタはさっき自分は新参者だって言ってたよな」

 新参者、その言葉にドゥドゥもクルーズが何を言いたいのか理解したのか、すぐにあるロッカーの鍵を開ける。

 所有者が居るロッカーだ。だが、少なくとも1ヵ月前まで無人のロッカーだった場所。

 「私のロッカーもその1つというわけか」

 元々、中に物を詰め込むタイプではないのか、ドゥドゥのロッカーの中には殆ど物はない。その為、それを見つけるのは簡単だった。

 「我ながら随分と間抜けだな。こんな事に気づかないとは」

 アンジュとクルーズが中を覗き込むと、ロッカーの下部分に僅かな溝の様な場所を見つけた。薄暗い中では一目見ただけではわからない程、小さな場所。その部分に手を触れると、ワンタッチで開く小さな箱の様なスペースがあった。

 「―――あったな、何かが」

 「―――ありましたね、何かが」

 小さな情報端末。

 探し求めていた可能性。

 クルーズとアンジュは思わず、互いの顔を見合い、不敵な笑みを浮かべる。

 それを見たドゥドゥは言葉にせず、心の中だけで呟いた。

 相手は違うが、自分が良く見る光景に似ている、と。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode17『私という存在を、叩きつけたいのさ』

 「死ぬ覚悟は出来ている、殺される覚悟はあると口にする輩を何度も見た事があるが、私は彼等に言っておきたいんだ。お前達は、どうしてそんな希望的な事を口に出せるのかと」

 応接間という取調室の出会いから、意外に早い再会となって嬉しいよ、ほんと。

 「さて、ヴァン君。私が何を言いたいのかわかるか?」

 蜥蜴男を見ていたはずが、横からの衝撃で視界が壁に移される。遅れて衝撃による頬への痛み、僅かな揺らぎは二日酔いに似ている。

 「……口で言ってくれる、と助かるんだが」

 「そうか、それは悪かった」

 そう言いながら今度は反対側。殴るのは構わんが、もう少し手厚い待遇を期待したいもんだ。あと、奥歯がちょっと折れたかもしれない。親知らずであって欲しいね。

 「困った事に、情報部では尋問に拷問を使う事は禁止されている。まぁ、これは当然の事だな。なにせ我々はアークス。正義の味方という奴だ」

 「そいつは大変だな、正義の味方って奴は……」

 「警備局も同じだろ?正義の味方、市民の味方、非常に都合の良い言葉だ。だが、面倒な言葉でもある。免罪符を持っているのに使えないなんて、使い勝手のないものだ」

 痛みも次第に慣れてはくるが、それも限界がある。先程まで統合軍の連中に殴られ、少しの休憩時間もなく、今度はジョンドゥと来た。結構疲れるな、こういうのは。聞きたい事があれば答えるが、何も聞かずに暴力を振るうのは良くない。俺にも、お前等にも。

 「喉は乾かないか?何か飲むか?」

 飲みたいと思うが、奴がくれるのはバケツに入った水。それを顔に叩きつけられる。おかげ様で、少しだけすっきりした。

 「これ、拷問っていうんじゃないか?」

 「まだ拷問ではない。本当の拷問はこんなものじゃない。私もこんな事はしたくないんだ。出来る事なら、ヴァン君の指を1つずつ順番に折り曲げ、歯を全て抜いてあげたい。あとはそうだな……アイスピックのようなもので足を少しずつ刺していくか、指と爪の間に刺し込んでいくというのもやりたい。まぁ、この辺はポピュラーだが、もっと沢山のバリエーションがあるが……迷うね」

 気のせいでなければ、お前の後ろに並んでいる工具に、そういった物が並んでいるように見える。

 「拷問は禁止されてるって、言ったばかりじゃねぇかよ」

 「禁止されているが、行われていないとは言ってない。何事も表と裏がある。我々とてアークスという組織の一部だ。アークスがしないと決めていれば、それはしないという表向きが生まれてしまう。特に今の総司令のお嬢さんに知られれば、非常に情報部の立場は悪いだろうな」

 「なら、表にでなければ事実にはならないってか……楽な仕事だな」

 「同感だよ」

 手足を拘束されていなければ、今すぐにでも蜥蜴野郎を殴っている所だが、現状では殴られ続けているのは俺だけ。しかも、しばらくすれば殴られる以上の事をされるだろうな。

 そういうのが好きそうだわ、こいつ。

 「私を恨むのは構わないが、そもそも君が私の忠告を守らない事が悪い。いや、忠告ではないな。我々、情報部の命令を守らない君が悪いというべきかな」

 「仁義を守ってないのは、テメェだろうが」

 「仁義で人は守れんよ」

 そう言って手を出すコイツに人を守ろうとなんて、道理はないんだろうな。そういうタイプには見えない。

 結果を出すために手段は択ばない。全てはルールで守れる人がいるから―――なんて美学ですらない。そういう風にしか見えないんだよ、お前さん。

 「それで、どれだけ我慢したら帰してくれるんだ?さっさと帰って仕事をせんといかんのだが?」

 「泊まっていきなさい。なぁに、遠慮はいらない。ちゃんと寝床も食事も用意しておく」

 「軍艦に宿泊する機会があって、嬉しいよ」

 「あまり良い環境ではないがな、此処は。だが、非常に聞き分けの良い連中が多いよ。君の様な奴も居るが、全員を相手にする必要はない。ごく一部と仲良くなれば、自然と全員と仲良くなれる。まったく、軍という上下関係が絶対な場所は素晴らしい」

 「……そうやって、色々な連中を抱き込んでいるのか」

 ジョンドゥの後ろに居るのは、前に居た黒服の連中ではなく、統合軍の兵士が1人。この状況でも何も喋らず、この状況を黙認している。そういう命令が出ているのか、この兵士もその1人なのか。

 どちらにせよ、この場に俺の味方になってくれる人間はいないという事だ。

 「私は友達を作る事が上手なんだよ。だから友達も多い」

 「このイクサもお前の掌の上ってか?」

 「そこまで万能ではないよ、私は。だが、このイクサにも沢山のお友達が居るのは事実だ。おかげで、君とこうして再会する事も出来る」

 出来れば、拘束なしで会いたかったよ、殴ってやれたからな。

 「友人は大切だと痛感するよ」

 「そうかい。なら、フォルテ視察官ともお友達ってわけか」

 僅かな間を置き、ジョンドゥは感心するように俺を見下ろす。

 「どうしてそう思う?」

 「思わない奴が馬鹿なだけだ。視察官が滞在している状況下で、こんな事をしてるんだ。それなりの自信があるって事だろ。その自信を持つには、お前の言うお友達が必要になる」

 違うか、と視線を送ってやる。返事は蹴りだったが、とりあえずは正解だったらしい。

 「彼はそうだな……お友達とまではいかないが、私の理解者ではあろうとしてくれるよ。おかげで私は伸び伸び仕事をする事が出来る」

 「へえ、公平がモットーも視察官とは思えない行為だな」

 「私の人徳というやつさ」

 「どうだが……案外、使っているつもりが、使われてるかもしれないぞ」

 「そんなお友達には消えてもらうだけさ」

 傲慢な事で。

 「確かに彼は他の連中と違い、あまり懐には入らせては貰えない。だが、彼はそういう人種だと理解してしまえば、それこそが正しい接し方だと感じる事は出来たよ。そして、迂闊に中に入り込もうとすれば……こちらが喰われる」

 淡々と語るはずの言葉に、僅かに含まれた畏怖の感情。傲慢であろうと、傲慢であるはずの者ですら、その感情を抱かせるフェルトという男。遺憾ではあるが、ショップエリアで会った彼を表す言葉としては、同感してしまう。

 「しかし、そんな彼も私には協力してくれている。非常に喜ばしい事だ」

 「どうだか……お前の協力している事で、自分の立場が危うくなるってのによ」

 「それは私が失敗した場合の話だろう?心配しなくとも、そんな事はない。そうならないように事は進んでいる―――例え、情報部が始末屋を送り込んでいるとしてもね」

 そうか、やっぱり情報は漏れてるのか。それとも、情報が伝わっているのか。多分後者だろうとは思うがな。

 「少し予想外だったのは、君が彼女と一緒に行動をしていたという事と、あの場で彼女を一緒に捕まえられなかったという事だが……まぁ、いいさ」

 その余裕は何処から来るのだろう。

 彼女はジョンドゥを始末する命令を受けているわけではないらしいが、彼女の持つ創世器の能力は、ジョンドゥの様に裏で動く奴として脅威になるはずだ。気配もなく、監視カメラもセンサーにも映らない高度なステルス性を持っている者。その者が近くで動いているというだけで十分な脅威だというのに。

 「私だけに注目してくれれば、こっちも助かるというものだ」

 何かを企んでいる。

 その何かを成功させる確信がコイツにある。

 「なぁ、幾つか質問してもいいか?」

 「この状況で質問とは、自分の立場がまるで理解していないと見えるが……良いだろう。答えられる部分には答えてやろう」

 「そいつは助かる。まずはそうだな……お前は、俺を殺す気か?」

 「心配するな。殺しはしない。私はしない。ヴァン君にはこの後、大切な仕事をしてもらう。これは別に君と私がお友達になるわけではないし、なる必要もない。だが、とても……とても大切なお仕事だ」

 不安になるような事を言うな。

 「他には何か?」

 「このナオビ周辺で、お前のお友達はどれだけ居る?」

 「それは秘密だ。秘密だが、殆どとは言っておこうか」

 とすれば、統合軍は勿論だが、ナオビにいるアークス、タタラ、そして都市警備局にも協力者はいるという事か。なるほど、カンナは自分達は個別に特化している性質があると言っていたが、ジョンドゥの場合はこの部分。この場合は暗躍というべきか。

 「他には?」

 「今回の事件の捜査は何処まで進んでるんだ?マザーシップへのハッキングもそうだが、情報部の事件、あとはジェリコとクレアの事件についてもだ」

 「それは答えられない。守秘義務があるからな」

 そっちは答えないのか。なら、答えられないからこそ、それが奴にとってのウィークポイントとなるのかもしれない。

 「他に聞きたい事は?もう無いなら、」

 「いいや、まだある」

 考えろ。この状況で、ジョンドゥは明らかに上位に立つ事で油断している。その間にコイツの余裕を十分に利用するしかない。もしくは、その反対で、俺がそう思う事を利用して答えている場合も十分に考えられる。恐らく、それはコイツが言っていた俺に与える大切な仕事というのに関係するのだろう。

 どっちにも取れるが、此処で足踏みしている時間はないだろう。

 何かないか、何もないか、何かあるんじゃないか―――何かあるとしたら、コイツがその傲慢が故に答えるであろう事は、

 「―――お前、情報部をどうするつもりだ?」

 「……ほぅ、それを聞くのか。これは君とは何ら関係ない事だというのに」

 「興味があるだけだよ。俺が知る限り、お前が情報部で置かれている状況は、喜ばしいものじゃない。なにせ、これは独断専行を超えた行為だ。それを許す組織があるってのか?どれだけ結果を出したとしても、そんな奴を置いておく事に不平不満は勿論、危険視だってされるはずだ」

 だから彼女は動いている。

 ジョンドゥが何を考えているのか、その先に何を見据えているのか。

 「―――前に君は私の事を『無銘の血統』と言った。私はな、その言葉が大嫌いだ。その言葉だけで、私という存在が決まってしまっているように思えてならないからだ。その言葉だけで、私というカテゴリが押さえつけられるような気がしてならないからだ。私は、それが我慢できない」

 『無銘の血統』であるが故の劣等感って奴か。

 「ジョンドゥ、ジョンドゥと連中は私を呼ぶが、それも私は嫌いだ。自分でその名を名乗る事すら屈辱だ。だが、何れ私は本当の名を得て、誰もが私を『無銘の血統』などと呼ばなくなる……この屈辱の日々を終わらせる為に、私は行動している」

 「それが独断専行かよ。阿保らしい。そんな事をしても、どんな結果を得たところでお前の存在なんて」

 「阿保はお前だよ、ヴァン君。独断専行は手段ではあるが、全てにおいての手段ではない。あくまで過程だ。この過程がある事で、私は目的へと少しずつ近づいていき……まもなく、その結果を手に入れる事が出来る」

 ジョンドゥは俺の髪を鷲掴み、自分の顔の前まで乱暴に持ってる。蜥蜴の顔、その機械の瞳に野望の炎が見える。

 「その為に邪魔な者は消す。お前も、始末屋の女も……あの英雄もだ」

 「……情報部を乗っ取るつもりか」

 「必要ない者に席を譲ってもらうだけだ。どのような手段を使っても、どのような悪行を罵られようとも、アークスとして認められないとしてもだ」

 「全員でストライキでも起こすのか?上司が私を評価してくれません。だから上司が変わるまで私は仕事をしませんってか?」

 「それ以上のものさ。それだけの人数は既に揃えている。その手段も既にある。後は引き金となる出来事が起こるだけでいい。その後、情報部の長になるのは私だ」

 「それを他の連中が許すかよ。情報部を手中に収めても、アークス全部を手に入れたわけじゃない。まさか、アークス全部を敵に回して勝てるなんて思ってないだろ」

 「今のアークスは完全ではない。新たな体制への移行は、それだけで十分な隙になる。全部を倒す必要などない。その隙に潜り込み、一部を私に挿げ替えるだけでいい。あの英雄には自分から席を譲って貰い、新体制が完全となった時になんら問題ない形として私がいる」

 「今だから、それが出来ると」

 「今の為に、私は準備してきたんだ」

 勘弁してくれ、なんだこの状況は。

 こっちは事件の事だけ考えていたはずが、何故かアークスの権力争いまで出てきた。事件を利用して情報部の首を取る奴が此処に居て、そいつがその為だけに事件を引っ掻き回している。

 事件だけで精一杯だってのに、そっちの世話まで手なんて回せない。アークスはアークスで何とかしてくれよ。

 「―――ふむ、少しばかり話が弾んでしまったな。そろそろ、次の行動を移すとしようか」

 そう言って、ジョンドゥは後ろに控えている兵士に指示を出す。

 「彼を独房へ運んでくれ。見張りはきちんとつける事。彼は悪賢いようだからな」

 「了解しました」

 兵士が俺に近づき、その後ろでジョンドゥは使われなかった道具から、何かを取り出す。

 奴が、嗤っている。

 気づいた時は既に手遅れかもしれないが、それでも俺は叫ぶ。

 「―――後ろだッ!!」

 だが、兵士は何の事か分かっていない。何もわからない内に、背後から銃口を頭に突き付けられ、質問しようと口を開けた瞬間、後頭部が破裂。部屋中に兵士だった者の血と肉片が飛び散り、俺とジョンドゥの顔を赤く染める。

 「筋書は用意されている。独房へ護送しようとした哀れな兵士は、凶悪犯によって殺されるというありきたりなシナリオだ。ありきたりだが、これが意外と信用できる」

 ジョンドゥが持っている銃は、俺の持っていたものだ。

 どうやら、これが俺にジョンドゥから与えられた仕事らしい。

 「これだけの事をしたんだ、警備局の犬共も口にチャックしてくれるだろうさ。そして、後は用意しておいた証拠を彼等に渡す。そこにはこの事件の犯人が、ヴァン君であるという証拠が盛り沢山」

 「全部を俺に被せる気かよ。随分と陰湿な事をするじゃねぇか」

 「それよりも逃げなくていいのかな?此処には戦艦の中だ。周りは兵隊ばかり……そうか、それは少々不公平だな。ならば、こういうのはどうだろう」

 何かを合図するようにジョンドゥは指を鳴らす。同時に艦が大きく揺れ、警報が鳴りだす。

 「君は爆発物も持っている、という筋書きだ」

 「……そこまでやるか、お前」

 「やる必要があるんだよ。私は、私という存在を手に入れる。叩きつけたいんだよ。全ての連中に、私という存在を、叩きつけたいのさ」

 そう言って、ジョンドゥは部屋から出て行った。残されたのは、いつの間にか外れている手錠と、床に倒れた名も知らぬ兵士、兵士を撃ち殺した俺の銃。

 「―――あぁ、そうかい、そうかい」

 存在を叩きつける、それが彼女に送った言葉だった。その言葉と同じ言葉を奴は吐き捨てた。自分の存在を手に入れる為に、自分の存在を覚えてほしいが為に、記憶として確かな物を相手に持ってもらう為に。

 「上等だよ、ジョンドゥ」

 言葉は平等に与えられるべきだろう。だが、その平等には感情が含まれているはずだ。感情が含まれている以上、決して平等などではない。単純な事を言えば、元気づけるなら野郎より、女の方が良いというシンプルな理由で十分だ。

 だから、お前には与えない。

 「お前が叩きつけたい存在って奴が、この先にあるってんならよ」

 お前だけには、やらせない。

 「お前の存在を叩き潰してやるよ、糞野郎がッ……」

 

■■■

 

 爆音と警報に晒されたイクサでは、多くの乗組員達が慌ただしく動き回っている。そんな者達を横目に見ながら、チェインは資材のチェックリストを確認している。

 「……なんか凄い事になってるが、大丈夫なのか?」

 イクサの艦内にある格納庫には、統合軍が所有する戦闘機、輸送機があるのは当然だが、今日は珍しくアークスのキャンプシップも並んでいた。

 「侵入者が爆発物を使用したみたいですが、すぐに消火されますよ。それより、貨物が足りていません。食料と弾薬、後は……あぁ、乗せていく乗員ですね」

 「随分と冷静なんだな、お嬢さんは。積み荷はこっちでやっておくけど、乗せてく乗員ってどれだけ居るんだ?」

 「私達の部隊が25名程。急にリリーパ送りとは、いよいよ嫌われてますね、私達は」

 「色々と大変なんだな、統合軍ってのも」

 「それを手伝ってくれるアークスには、感謝していますよ。準備にはしばらくかかりますので、待機をお願いします」

 「あいよ、了解」

 アークスのパイロットに積み荷を頼み、チェインは小隊の連中がきちんと準備しているか確認しに行くが、恐らく何もしていないだろうとは思っている。

 「まったく、私が尻を叩かないと動かないなんて……私は連中のお母さんではないっていうのに」

 あんな部隊に居れば、それなりにストレスは溜まる。あの隊長にして、あの隊員ありと言われる部隊は、このイクサでも白い眼で見らえる。副隊長である彼女もその中に含まれている。こういう時は派手に暴れる事でも出来れば、ストレス解消にもなるのだが、自分がしっかりしないと、この部隊は完全な独立愚連隊になってしまう―――いや、既になっているかもしれない。

 「それにしても五月蠅いですね」

 鳴り響く警報は止まらない。恐らく、この原因を作った者が未だに捕まっていないのだろう。廊下を歩けば装備を固めた兵士達と何度もすれ違う。艦全体に捕縛命令が出ているだろうが、果たして自分達の部隊は動いているのか。

 「隊長が暇潰しに動いているかもしれませんね」

 だとすれば、少し急いだほうが良いかもしれない。出ているのは捕縛命令だ。ライバックが動いているとなると、対象を殺してしまう可能性ある。彼が暴れだしてしまえば、彼を止められる者は殆どいない。副隊長であるチェインですら、本気で楽しみだしたライバックを止める事は出来ない。

 「リリーパへの派兵準備よりも、そっちが優先か」

 犯人が何処にいるかは不明だが、出会う事も想定して装備を持って行くとする。自分の部屋に戻り、派兵に必要な装備ではなく、この状況に合う装備を装着して動き出す。

 「とはいっても、何処にいるのやら……」

 自分が見つけるのが先か、それとも他の連中が見つけるのが先か。部隊の者達が見つけると厄介だ。自分達はこの後リリーパに行くことになっている。突然の命令に何の意図があるかは不明だが、大方邪魔な自分達を外に置いておきたいという思惑もあるのだろうと思考する。

 「嫌われ過ぎでしょう、私達」

 溜息を吐きつつ、チェインはエレベーターに乗り込む。貨物エレベーターは既に動いている為、普通のエレベーターに乗り込む。緊急を要する状況で、わざわざこれを使用する者は殆ど居ないおかげで、エレベーターの中はチェインだけ、非常に快適だった。

 「………」

 快適であるにも関わらず、チェインは不満な顔をして頭を掻く。

 「………」

 上のエリアへと進むエレベーターを見つめ、途中でボタンを押してドアを開かせる。当然、誰も乗ってこないが、彼女も降りようとはしない。そのまま黙っていたが、またボタンを押してドアを閉める。進むエレベーターが目的のエリアへと止まろうとする。その直前、エレベーターが大きく揺れ、動きを止める。何処かで爆発が起き、その影響で止まってしまったようだが、

 「………」

 チェインの表情に変化はない。

 不満な顔のまま、腰元に手を伸ばし、何かを手に持つ。それを見つめ、大きく溜息を吐く。吐きながら、それの、スタングレネードのピンを抜いて床に叩きつける。

 強烈な閃光が箱の中を包み込み、同時に鼓膜を破裂させんばかりの爆音が響き渡る。その衝撃は当然ながらチェイン自身に襲い掛かる。音が消え、立っている事が出来なくなる。だが、光が破裂する瞬間に瞼を閉じた事で、視界だけは回復するのに時間はかからなかった。

 「――――」

 チェインは何か言葉を発したが、自分の声すら聞こえない。聞こえない事を理解したまま、なんとか立ち上がり、体の機能がどれだけ回復したのかも把握しないまま―――腰に差した二刀のナイフを引き抜く。

 ナイフと云うには、それは歪な形をしている。長さは通常のナイフよりも長く、くの字に曲がっている。ナイフと云うよりは剣に近いかもしれない。そのナイフを知る者は少なく、知る者は皆が珍しそうに見つめる。

 ククリナイフ、ククリ刀とも呼ばれる兇器を二振り、チェインはその状況で抜き、狭いエレベーターの中で真後ろに振るう。

 空を切るはずの斬撃は、確かな手応えを手に入れる。

 刃と刃がぶつかり合う衝撃。

 「――――」

 「―――――」

 どちらが喋っているのか、どちらもわからないが、チェインの眼には写っていた。自身の持つククリナイフの斬撃を受け止める、凶悪な刃を纏う蒼い髪の女。自分の同じようにダメージを受けているのだろう、苦しそうな顔をしながら、耳に手を当てている。

 「―――――」

 相手が何かを言っているが、聞こえない。

 「――――」

 当然、こちらの言葉も聞こえない。

 この場において、互いが互いの存在に驚いている。

例えばチェインの場合は、完全に勘だった。本来ならば気づかれるはずもない、気配すらも消える存在を見つけたチェイン。いや、正確に言えば彼女は見つけていたわけではない。   

 違和感を感じていただけ。ほんの小さな違和感、気のせいとすら思えない程の違和感だった。その違和感を彼女は掴み取ってしまい、どうするべきか考えていた。エレベーターの中に居ても僅かな違和感だけが残り続ける。それ故に、これは自分の気のせいだと思ってしまう強迫概念すら持ってしまう。だから、彼女は行動をした。普通ならあり得ない、狭い場所で行動に著しい障害を与えるスタングレネードを、あろうことかエレベーター内で爆発させた。

 そんな自爆行為を行った相手に驚くのは、イクサに侵入した始末屋。

彼女は透刃マイの能力で艦内に侵入し、捕まったヴァンを探している最中だった。だが、その姿は見つからず、艦内の兵士達もそれらしい会話をしていない。その最中に起きた爆発と警報。混乱する艦内でヴァンを見つける事がより困難となった時、彼女は1人だけ優々と歩く兵士を見つけた。

 もしかしたら、という勘に頼った事が間違いだった。絶対に見つからないという自信があるからこそ、彼女の後をつけ、一緒にエレベーターまで乗ってしまった。

そして、この現状。スタングレネードを持った瞬間、まさかそれをこの狭い箱の中で使用するなど予想外だった。閃光と爆音に飲まれ、意識が一瞬飛びかけた。それが原因で存在の希薄という完全なステルスを解除されてしまった。

 「―――――」

 「―――――――」

 向かい合い、互いが味方でない事を十分に理解した両者は、互いの武器を構える。

 ツインダガーとククリナイフ。

 至近距離で戦う事を想定された凶器を持つ2人が、向かい合う。戦場はエレベーターという狭い箱の中だが、互いの武器を振るうには十分すぎる空間だった。

 音が戻る。

 エレベーターの中にも響く警報。そして互いの呼吸音。

 「―――目的は男って聞いたけど……こんな可愛いお嬢さんも一緒に居たんですね」

 「……戦いは望みません。その刃、引いてはくれませんか」

 「出来ない頼みは言わない事ね」

 「努力する振りはしてほしいだけすよ」

 距離は変わらない。

 変わる程の距離はない。

 視界は相手にだけ向ける。

 相手以外は視界に映らない。

 呼吸を聞き、呼吸を読み、

 「それじゃ――――虐めてあげるッ!!」

 両者の刃が2度目の激突を開始する。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode18『アークス舐めんなって話よ』

 斬撃と斬撃が交差する。

 互いの二振りが交差し、先に到達するまでの間に戻ってくる斬撃が迎え撃つ。狭い空間の中で行われる斬撃の応酬は、未だ互いに致命傷を与える事はない。

 始末屋の横薙ぎをチェインのナイフが捌き、返す刃で始末屋の首目掛けてナイフが振るわれる。上体を後ろに反らしても壁が邪魔をするのは目に見えている。迫りくるナイフに合わせる様に体をスライドから回転し、チェインに肉薄するように踏み込む。狙いは足だが、先読みはチェインが上手。低空の斬撃を足で踏みつけ、もう片方の足で始末屋を壁に押し込む。押し込まれた始末屋は舌打ちと同時に、チェインの追撃で突き刺す軌道のナイフをお返しとばかりに蹴りつける。刹那、ナイフの起動が変化し、突きの攻撃からナイフを手元で回転させ、自身の足に目掛けて振り下ろす。振り下ろされたナイフは空を切る。足があった場所には何もなく、片方の刃を天井に突き刺してぶら下がる始末屋は、天井を足場にチェインを押し倒す様に落ちてくる。両足でチェインの手を封じ、自由に使える両手で刃をチェインに振り下ろす。だが、マウントをとらえた状態でチェインは体を器用に折り曲げ、両足で始末屋の首を掴み、上と下の体勢を入れ替える。上下が入れ替わり、今度はチェインが上となる。その後の行動として違うのは、首という的が小さい場所ではなく、的が大きい胴体へとナイフを振り下ろす。避ける事の出来ない体勢だが、始末屋は足の裏に壁がある事を確認すると、全力で壁を蹴りつける。突然、眼前に迫る壁を前にチェインは反射的に両手で壁を抑え、しまったと舌打ちする。その隙に始末屋は自分の武器を片方だけ仕舞い、自由に動かせる腕でチェインの顎に掌底を撃ち込む。衝撃に脳を揺らされ、チェインの動きが鈍るのを確認すると、もう片方の武器も仕舞うと、がら空きの脇腹に打撃を撃ち込む。2度の打撃に完全に体勢が揺らぎ、チェインはナイフを床に落とす。始末屋はマウントから脱すると、まだ動けないチェインへ連続の打撃を撃ち込む。しかし、始末屋の想像以上にチェインの回復は早く、打撃を払いながらのカウンターを側頭部へと打ち込む。逆に脳を揺らされ、踏鞴を踏む始末屋へ逆襲とばかりに威力を殺し、速度が速まった打撃が次々と打ち込まれる。連続で撃ち込まれるが、4発目で何とか防御を固める事が出来たが、それを待っていたと防御に回した腕を取られ、関節を極めにかかる。折られると判断するよりも早く、力の向かう方向へと体を向かわせ、回避する。それでも未だ腕はチェインが掴んでいる状態。腕を自分の方に強引に引っ張り、始末屋の自由な腕とは反対の位置になるようにする。その状態では掴まれた腕が邪魔され、自由な手で攻撃しても始末屋は自分の腕が邪魔してしまう。反対にチェインは無防備な顔へと打撃を叩き込める状態になった。なってはいたが、掴んだ腕に武器を装着する事で、腕を浮かんでいたチェインに刃が突き刺さる。しかし傷は浅く、完全に武器が展開される前に腕を離す事で、致命傷を避ける。避けつつ、床に落ちた自身の武器を拾い、壁に背を預ける。奇しくも互いが同じ行動を取る。壁に背を預け、両の手に武器を持つ状態―――ここまで、およそ2分弱の攻防戦。

 息をする事を思い出したように、両者が乱れた呼吸をする。

 「……凄いわね、貴女」

 「褒めたら手加減してくれますか?」

 するわけがないと、チェインは構える。

 そうだろうと、始末屋も構える。

 「ところで、貴女は何処の誰なのかしら?」

 「さぁ、誰でしょうね。そういう貴女は統合軍の方でしょうが」

 「それ以外ないでしょうに……まぁ、貴女が何処の誰でも別に良いんだけど、手古摺る位に強いとは思ってなかったわ」

 「そうですか。私、あんまり強いって言われないんですよ」

 「だったら自信を持ちなさい。貴女は、ちゃんと強いか―――らッ!!」

 相手の呼吸を外した強襲だったが、その攻撃にもきちんと対応され、チェインは素直に驚く。自慢ではないが、ナイフの腕だけなら猛者だらけの部隊の中でも群を抜いていると自負している。

 相手はツインダガーという自分に似た形状の武器を使う。無論、形状は違う。大きさだけなら始末屋の武器が大きい。だが、この狭い空間ではチェインの使うククリナイフの方が優位になる、そう思っていた。

 しかし、現状はそうではない。

 確かに始末屋の武器はククリナイフよりも大きく、腕を完全に伸ばした状態で使えば壁に当たる。壁ごと切り裂くという行為は簡単な事ではあるが、それは僅かな隙を生む。その隙があればチェインは相手の懐に潜り込み、ナイフで突き刺すことも、切り裂く事も容易だった。

 エレベーターの壁には、始末屋が攻撃で武器を振るった傷痕が僅かしかない。それは彼女があの武器の形状を完全に理解し、この空間でも自由に武器を振るう事が出来ているという事に他ならない。

 「それで貴女を強くないって言う奴は、きっと目が腐ってるんでしょうね」

 「生憎、周りが化け物ばかりなもの―――でッ!!」

 透刃マイの形状として、斬るという行為が主力となる。突きを行うのは形状的に不可能ではないが、おいそれとは出来ない。だからの斬撃。壁に触れる事なく、最大速度で振るわれる刃だったが、チェインの操るナイフは斬撃を簡単に弾く。

 それは受け止め、弾いているのではないと理解する。

 完全に受け流されているのだ。

 如何に直接戦闘がメインでない武器とはいえ、創世器。その武器は他の武器とは群を抜いている。刃であれば、受け止めようとすれば受けた刃が切り裂かれるだろう。だが、何度も繰り出す斬撃は全て受け流される。刹那の間、斬撃を受けると同時に衝撃がナイフに伝わる前にナイフを動かし、力を完全に殺す。

 「そして、貴女もその1人ですよ」

 「軍人さんを舐めちゃいけないって事よ」

 現状、このままエレベーター内での攻防は、あまり良い状況ではない。特に始末屋にとっては不利となる。軽口を叩いてはいるが、内心は焦りが強い。この環境ではどれだけ自身の武器を扱いに長けているとしても、チェインの武器が優位だろう。

 「……この状況でこんな事を言うのは、興が削がれると思われてもしょうがないでしょうが―――逃げますね」

 両足に力を籠め、天井へと刃を振り上げる。刃はあっさりと天井を切断すると、空中でありながらフォトンで作り出した足場を蹴り上げ、エレベーターから外に出る。

 外に出てみれば、次の階への扉はすぐそこにあった。後はそこまで飛び上がり、扉を切り裂いて脱出―――と、考えた所でチェインも天井を貫いて現れた。

 「逃がさないわよ」

 そう言うと、何を思ったかエレベーターのワイヤーをナイフで切断した。如何にイクサが宇宙空間に居るとはいえ、艦内にはしっかりと重力が存在する。当然、吊る為のワイヤーが斬れた事でエレベーターは真下に落下する。

 落ちる瞬間に始末屋は飛び上がり、壁を掴む。チェインも同様の行為を行うが、この状況が優位に働くのはチェインではなく始末屋の方だった。

 足場がない状況、つまり空中戦は始末屋の使う武器にとって一番優位となる。逃げるのは簡単だが、相手は必ず追ってくると予想する。ならば、この場で叩いておく必要がある。

 壁を蹴り、体は空中へ。本来なら何もない無防備な状況となるが、ツインダガーという武器は空中戦こそ真骨頂。

 エレベーター内で飛び上がった時と同様に足場をフォトンで作り上げる。これはあくまで一瞬だけ行えるものだが、一瞬あれば空中でも踏み込みを生み出す事は出来る。

 その足場を利用し、エレベーターシャフト内を縦横無尽に高速で移動する。相手はこのような移動は出来ないのか、その場から動く事は出来ない。逆さまになりながら空中を蹴り上げ、急降下の斬撃を見舞う。当然、相手はそれを防ぐには武器で防御するしかない。そして相手の受け流しの技術はこちらよりも上である事も承知している。だが、受け流した先に瞬時に足場を作り出す事で、真下からの急襲を可能とする。

 「―――終わりです」

 始末屋の一撃が、チェインに叩き込まれた。

 完全に入ると確信した。チェインは片手で壁を掴んでいる事で、自慢の弐刀は使えない。そして残された片方は受け流しに使用した事で、返しの急襲には対応できなかった。

 「――――、」

 斬撃は入る。

 確かに斬撃は入った。

 「―――ッ!?」

 問題は、斬撃が相手の皮膚すら切り裂く事が出来ないという現象だった。

 「へぇ、驚いたわ」

 殺すつもりはないので、胴体を狙いつつ急所を外したつもりだったが、その斬撃はチェインの軍服を切り裂くだけで止まる。いや、それ以上にまるで鋼鉄に切りつけたような衝撃が腕を襲う。

 「その武器、結構な凶悪な形しているけど……私の柔肌も切り裂けないのね」

 切れた軍服の隙間から、チェインの肌が見る。その色は肌色ではなく、黒。

 「不公平だから使わなかったけど、これは敬意よ。とっても強い貴女へのね」

 彼女の肌が徐々に色を変える。肌色が濃くなり、黒くなり、まるで練炭の様な黒を持つ。その黒の肌に走る紅い紋様が顔を伝い、眼球をも紅へと変貌させる。

 「どう驚いた?極悪非道な人体実験は、虚空機関のお家芸と言われているけど、統合軍も負けてないのよ。ほら、こんな風にね」

 チェインは自分のナイフで首を真横にスライドさせる。すると肌は傷すら負わず、火花が飛び散る。

 「私ね、感情が昂るとこうなっちゃうのよ。不便ではないんだけど、ベッドで殿方にこんな姿を見られるのはちょっとね。ところで、貴女はそういう経験ある?それとも処女?」

 壁が爆発するように飛び散る。それがチェインが壁を蹴って飛び上がったと気づいた時には遅い。既に歪んだ笑みを浮かべたチェインは目の前にいた。反射的に反撃するが、もうチェインはナイフで受け流す事もしない。

 斬撃を放つ刃を素手で掴み取る。

 刃は黒い肌に食い込む事すら出来ず、刃と肌が擦れる度に火花が散る。

 武器を掴まれ、その状態でチェインは始末屋の体をエレベーターシャフト内にあるドアに向けて投げつける。人の体を簡単に、片手で放り投げる腕力はあまりに強大で、ドアを突き破り、床を転がる。

 「あら、少しやり過ぎた。まぁ、全部貴女のせいって事で問題ないか」

 「……ぅ、ぐぅ……その体、どうなって、るんですか」

 「だから言ったじゃない。軍も結構えぐぃ事をしてるって。私の場合は、こんな感じで肌が真っ黒になって、ちょっと頑丈になっちゃうくらいね」

 先程までとは違い、チェインは構えすら取ろうとしない。

 息を整えると同時に無防備な体に斬撃を叩き込む。顔面を切りつけても、体を切りつけても、急所に斬撃を叩き込んでも手応えは同じ。むしろ、こちらの力が強い程、自分の腕に激しい衝撃が返ってくる。

 「でも、ちょっと痛いのよ?」

 距離を取ろうと後ろに飛んだ瞬間、既に肉薄されていた。反射的に斬撃を叩きつけようとするが、攻撃動作に入る瞬間にチェインの攻撃が叩き込まれる。

 「い―――あぁッ!?」

 その一撃は重く、たった一撃で体の動きが硬直する。その硬直の間に次々と打ち込まれる打撃は、先程までの攻防とは比べられない程のダメージを体に刻まれる。

 硬化しただけではなく、明らかに身体能力が向上している。移動速度も、攻撃速度も。更に今のチェインの体は防御を必要としていない為、全ての行動を攻撃に移す事で完全にアドヴァンテージを取得している。

 地上戦では分が悪いと判断し、宙に飛び上がり、足場を作って移動をするが、それよりも早くチェインの黒い腕が伸び、始末屋の足を掴む。

 「―――こ、のッ!!」

 反射的に頭部へ斬撃を叩き込むが、空を切る。

 「貴女もちょっとだけ痛い事してあげる」

 始末屋の顔を掴み、壁に叩きつけられ、その衝撃で壁に亀裂が走る。頭蓋が粉砕せんばかりの衝撃が、頭から足の先まで到達する。

 「―――あれ、死んじゃった?」

 返答は刃で返す。

 「あぁ、良かった生きてる」

 だが怯みもしない。

 拘束されながらも我武者羅に攻撃を繰り返すが、まったく効果を感じられない。この状況は最悪だった。こちらの攻撃は一切通らないが、相手の攻撃は重みを増している事で防御した上からでも十分過ぎるダメージを受ける。

 「ほらほら、全然痛くないわよ~……あ、でもちょっと気持ち良いかも?」

 武器で防御した状態でも伝わる激しい蹴撃に吹き飛ばされる。受け身を取っても、ダメージは緩和されず、すぐに立ち上がる事が出来ない。

 チェインもそれを理解した上で、ゆっくりと歩みより、蹴り上げる。

「―――ッ!?」

何度も何度も、サッカーボールの様に雑に蹴り続ける。

 「まだやる?」

 「………」

 「頑張り屋さんだね、貴女は」

 渾身の一振りとばかりに、今までで最大の力で蹴り飛ばされる。

 力が入らない体にとって、重力は通常の数倍以上に圧し掛かっている様に思えてならない。何とか立ち上がらなければと体を叱責するも、体はそれに応えようとはしない。

考え方が甘かったと後悔する。

 相手がナイフを使っている段階で勝負を決めるべきだった。あの場で逃げず、不利な状態でも戦っていれば勝機はあったかもしれない。だが、それは数分前に逃した勝機だった。

 今はその勝機が見えない。仮に最大威力の攻撃を放ったとしても、チェインの肌を貫通するほどの威力に届くという保証はない。その為、姿を消して急襲を仕掛けても結果は同じ。こちらの刃があの肌を切り裂けない以上、無駄に体力を使うだけだ。

 なら、逃げるか。

 勝機はないが、この場を乗り切るにはその方法が一番の良作だろう。この創世器の本来の使い方ならば、逃げる事など容易だ。そもそも、真正面からの戦闘では明らかに不利なのだ。そんな事が出来れば、きっと始末屋などしていないだろう。

 「降参する?降参するなら、手厚く看病してあげるわよ」

理性がさっさと逃げろと叫んでいる。このままでは勝てない。勝てる状態にもっていけば勝機があるかもしれないが、その状態になど持っていけるはずがない。お前は元々戦闘に才があるタイプではないのだ。この場は一度退却して、ヴァンを探して、さっさと尻尾を巻いて逃げる事を優先しろ―――そう叫んでいる。

 「お~い、聞こえてますか~?」

 理性の声を聞きながらも、別の思考も動いている。理性を否定するように動く思考は、相手の行動、言動、性格を分析している。諦めると同時に動く抵抗の意思は、自分でも驚く程に冷静だった。熱く燃えるわけでもない。冷たく冷静なわけでもない。その間でゆらゆらと蝋燭に灯る火に似ているかもしれない。

 灯る火が見せる幻想は、走馬燈なのだろうか。

 遠い過去の思い出ではなく、ほんの数日前の出来事。

 イプシロンという怪人が居た。

 この状況、自分はあの時もこうして倒れていたのではないか。

 自慢の刃に過信して、無様に倒れていたのではなかったのか。

 無様、無様、なんて無様―――蝋燭の火が、揺らめく。

 僅かな火が、少しずつ、少しずつ燃え上がる。

 「……むかつきます」

 「ん?」

 「貴女の……その余裕な、感じが……非常にむかつ、きます」

 余裕で、自分が強いと余裕に語る姿が、あの怪人を彷彿させる。あっちよりはマシかもしれないが、自分を見下す感じは、怪人と同じ部類に思えてならない。そう思う、そう思ってしまう、そう思い込んでしまう―――その全てが、自分の内から漏れ出すモノだと実感する事が、何よりも腹立たしい。

 「大体、なんですか……その固い……固い肌、スキンケア、とかしてない……でしょう?それ、女として……終わってます」

 理性が叫ぶ。理性の叫びを感情で捻じ伏せる。

 気に入らない。

 この状況が気に入らない。

 理不尽な思考は、きっと自分の中にあったはずだ。理不尽な生き方をしてきたが故に、自身から漏れ出す理不尽を蔑ろにしていたのかもしれない。

「……戦闘ばっかりに……優位でも、やっぱり綺麗な肌を……殿方は好むでしょうね。ほら、この時点……で私の勝ちです。女として……私の方が勝ってる」

 馬鹿な事を言ってないで、さっさと逃げろと叫ぶ理性を、感情が凌駕していく。

 呼吸を整える。

 荒い息を無理に吐き出し、呼吸を安定させる。

 「―――見てくれがどうか気にするくせに、その余裕は諦めの反対でしょうね、きっと」

 「そんな事を言う前に、鼻血を拭いたら?」

 「鼻血流れても、私の方が絵になるんですよ」

 「……へぇ、そういう事を言う余裕はあるんだ」

 余裕などない。

 余裕はないが、意地はある。

 意地があるから、まだ戦える。

 戦えるから、こんな挑発だって出来る。

 「来なさいよ、ぶっとばしてあげるから……」

 戦えると決めたからこそ、そこに火はない。

 そこには、燃え上がる意思の炎がある。

 「上等よッ!!」

 黒い塊が突っ込んでくる。

 始末屋の両の手にある武器は、始末屋が始末屋と呼ばれる所以の創世器。長年これを頼り、これの振るって多くの任務を乗り越えてきた。そして、その中には最愛の者も含まれている。それだけ多くの時間を共にした武器だからこそ、一番巧く扱えるのだろう。

 強固な腕を振り上げ、満身創痍の体に襲い掛かる脅威を前に、

 「―――がぁっ!?」

 呻き声を上げるのは、チェイン。

 その身は鋼鉄並みに強固な鎧である。それ故、如何なる刃も彼女の身を傷つける事は出来ず、並みの弾丸とて貫通はしないだろう。

 だが、それは決して絶対の盾というわけではない。

 現にこうして、

 「なによ……それ」

 無防備に突っ込んだ事で受けた傷。

 鎧の肌に突き刺さるのは弾丸でも刃でもない―――鋼鉄の拳。

 「アークス舐めんなって話よ、このアバズレ」

 一番信頼する武器はそこにはない。

 二刀の刃は既になく、あるのは手甲。

 驚愕が隙を生み、空気を切り裂き上昇する拳がチェインの顎を打ち抜く。先程までまったくダメージを感じていなかったチェインに、苦痛の表情が浮かぶ。上昇する拳により浮いた体に、体を高速に回転させた勢いで放つ裏拳の弐連撃。

 鋼を叩く鋼の轟音が奏でる威力は、鋼鉄となった肌を貫通し、体内に衝撃を生み出す。

 思わず膝を屈する所へ、地面を掴み、弾丸の如く打ち出された突きが顔面にめり込み、チェインを吹き飛ばす。

 「久しぶりに使ったけど、案外体は覚えてるもんだね」

 使う武器は個人に合った物を使うのは、当然の選択だろう。使い慣れない武器、使い難い武器を戦場で使い、結果失敗する事など良くある事だ。だが、自分に合ってるからこそ、その武器に依存する事で失敗する事もある。

 「……お、驚いた。貴女は、そんなゴツイのも使うのね……似合わないわよ」

 「似合う似合わないじゃないのよ。今、必要な事は、私がこれを使えって事なのよ」

 ダメージは確かに通っているが、致命傷にはならない。チェインは即座に立ち上がり、一気に始末屋へと肉薄する。攻撃は大振りな打撃ではなく、確実に当てる速度を優先させた打撃。だが、肉薄する事で気づく。この間合いは自分の間合いである事に変わりはない。同時にそれは先程までの始末屋の間合いではなく、今の始末屋の間合いとなっている事に。

 この手甲、ナックルに防御という概念はない。構造上、防御に使用も出来るが、防御よりも攻撃に特化している武器は、その全てを攻撃に理を持つ。

 故に防御ではなく回避。同時に回避すらも攻撃への動作の1つとなる。

チェインの攻撃は紙一重で避け、カウンターで打撃を撃ち込む。腕力だけでは通らない打撃だが、攻撃の動作と同時にフォトンを後方へ射出する事で加速を生み、腕力以上の打撃を撃ち込む事が出来る。体の構造上、フォトンの扱いが巧いが、身体能力で他の種族に劣るニューマンが使っても、その性能故に確かな攻撃力を生み出す。

 もっとも、如何に攻撃に特化した武器であっても、使う者が未熟であれば当然、

 「舐めるなッ!!」

 相手の攻撃を回避する事が出来ず、ダメージを追う事になる。

 踏鞴を踏み、僅かに後退したが、地面を掴む事は忘れない。地面を掴み、上体を僅かに後ろに反らし、その反動で拳を振るう。直線的な攻撃は軌道が簡単に読まれる。その証拠に直線に放たれた拳はチェインにあっさりと防御されてしまう。

 しかし、その防御ごと相手に踏み込む事で、今度はチェインの体勢を崩す。突きだした腕を後ろに引く動作と同時に、反対の拳を放つ。その動作を何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も行う事で、閉じた腕に僅かな隙間が生じる。隙間を抉じ開けるストレートは防御を突き抜け、到達する。

 踏鞴を踏みながらもチェインは隙を突き、ククリナイフを抜き、始末屋に襲い掛かる。当然、この状態では先程と違って刃を受ける事など出来ない。出来る事はチェインが斬撃を自身の刃で受け流すと同様に、拳でナイフを打ち流す。それでもナイフの速度を上回る事は出来ず、致命傷にならずとも切り傷が体中に刻まれる。

 「それでも……まだこっちの間合いだってのッ!!」

 体を切り刻まれながらも、繰り出した拳が相手に当たれば確実にダメージは通る。最初の一撃が通った瞬間、暴風の如く連打を浴びせる。高速の連打がナイフと激突した瞬間、砕け散るのはナイフ。チェインの二振りのククリナイフは、根本から折れた事で、攻撃の手段を一瞬失う。すぐに素手での攻撃に切り替えようとするが、その隙を与えない程の打撃の嵐がその身を襲う。

 連打は強力だが、この状態では耐えられる。この肌の上からも激痛を感じる程の衝撃だが、通常の状態に比べれば問題ない。だから、耐える。相手も無限にこの連打を続ける事など出来ない。そして散々痛めつけたのだ、体力もそれほど残されてはいないはず。

 耐える、後退しながら。

 耐える、防御を固めながら。

 耐える、打撃が止まるまで。

 耐える、耐える、耐える―――止まった。

 その瞬間を逃さず、攻勢に移る―――その瞬間、瞳に写るのは裏拳。

 今までで最大級の衝撃が襲い掛かる。防御の上から衝撃が背中に突き抜け、相手の姿が遠ざかる。それが自分が後ろに吹き飛ばされているのだと気づいた時、背中から壁に体がめり込む程のダメージを受けた後だった。

 一体どれだけ飛ばされたのか、すぐに抜け出さねばと足を一歩踏み込んだ瞬間、あるはずの地面がない事に気づく。

 「――――あ、」

 この場所はエレベーターシャフト。外から、またこの場所にまで戻されたのだ。そして、気づいた時には既に遅く、踏み込んだ事で体勢を崩し、重力に引かれて体が落下しそうになる。なんとか、視界に写った自分が切断したワイヤーを見つけ、捕まり難を逃れた。そう思ってしまい、安堵した瞬間―――エレベーターシャフト内に弾丸となった始末屋が飛び込み、無防備なチェインの顔面を殴りつける。

 一瞬、視界が黒く染まり、すぐに視界が戻った瞬間、その手にワイヤーはなく、重力に引かれて体が落下している事に気づく。

 「しまっ―――」

 今のチェインが落下に耐える手段はない。何かを掴もうにも、掴める範囲にあるのは空気のみ。この絶望的な状況で、チェインは冷静に思考を回す。何もしなければ落下速度を殺す事が出来ず、地面に叩きつけられるだろう。だが、今の体の状態であれば、何とかして落下途中でエレベーターシャフト内の壁を蹴るなり殴るなりして、少しずつ落下速度を殺す事が出来る。

 それならば、何とか落下の衝撃には耐えられるはずだと。

 だが、絶望を回避する方法に、一番重要な者が含まれて居なかった。

 遥か真上、視界に写る光景は最後の一撃を放たんとする敵の姿。

 エレベーターシャフトの天井に張り付き、その手に本来の武器である刃を携え、真下で落下するチェインへと標準を定めている。

 武器は刃、刃であればこの身を傷つける事はない―――傷つける事はないが、その身を真下に向けて打ち出す事は出来る。

 「………これは、しくじったなぁ」

 苦笑が漏れた瞬間、薄暗いエレベーターシャフトの中を閃光が駆け抜ける。

真上から真下、天から地上に向かう流れ星の様に。

その身を流星と化した彼女の一撃は、黒い鋼鉄を空中で掴み、地面へと運ぶ。

艦内を揺るがす程の衝撃が生み出され、各階層のエレベーターのドアがその衝撃で吹き飛ぶ。

 粉塵により視界が奪われ、それが晴れた時には、勝者のみが立ち上がる。

 敗者は1人、落下したエレベーターの真上に激突した軍人。

 勝者は1人、フォトンの粒子が勝者を祝うように始末屋の周囲を漂う。

 薄れゆく意識の中で、チェインはどうでも良い事を想ってしまった。

 「私の勝ちですね、軍人さん」

 こんな丁寧な話し方をする彼女よりも、先程の彼女の方が好みだと。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode19『男はやっぱりステゴロだよなぁ』

 会いたくない奴ってのは居る。

 好きとか嫌いとか、苦手とかそういうのではなく、単純に会いたくない奴。

 「ヴぁあああああああああああああああンちゃあああああああああん」

 非常に鬱陶しい感じで自分の名前を呼ぶ奴とか、会いたくない。

 良い歳したオッサンの癖に、上半身裸で筋肉を見せつけてくる奴とか、会いたくない。

 そして何より、この切羽詰まった状況で一番会いたくない奴と会うのは、きっと碌でもない事になると痛感しているからだ。

 「ライバック……」

 「ヴァンちゃん、会いたかったぜぇ」

 「俺は会いたくなかったよ。出来れば、2度と会いたくなかった」

 あの部屋から抜け出してすぐに、時間にして数秒、他の兵士から姿を隠すよりも早く見つかってしまったのだが、コイツとは運が悪い。いや、それ以上にコイツとコイツの部隊がナオビの近くに居るってのが最悪だ。

 しかも、

 「隊長、どうしたんすか?」

 「あれ、ヴァンじゃん。久しぶり~」

 「え!?ヴァン……ヤベぇよ、俺はアイツにカードで負けた分を払ってない」

 「なんでヴァンが此処にいるの?もしかして、統合軍に就職したとか?」

 「いやいや、きっとこの警報はコイツのせいだよ……え、マジで?」

 「おい、副長呼んで来い。俺等じゃ隊長止められない!!」

 「もう行ってる。多分、格納庫だと思うけど」

 「ヴァンか……はぁ、なんか嫌な予感はしてたんだよなぁ」

 こいつの馬鹿部隊の連中まで来ている始末。

 「ん?おいおい、ヴァンちゃん、なんか随分とボロボロじゃねぇか、誰にやられた?」

 「ちょっと嫌な奴にな……ところで、」

 「まぁ別に良いけどよ。ところでアンジュは元気か?」

 人の話を聞かねぇ奴だな。

 今はお前と久しぶりの再会をしている暇なんて、1分1秒だってありはしないんだよ。

 などと考えている間に状況はあっさりと悪化する。奴等の背後から他の兵士達が集まってきた。

 「おい!!いたぞ、アイツが逃亡犯だ!!」

 馬鹿部隊の連中をかき分け、兵士達が俺に銃口を向ける。まったく、これだからコイツに関わると碌な事がないんだ。

 「動くな!!」

 「抵抗は無駄だぞ」

 絶体絶命だな、これは。

 大人しく両手を上げる。

 上げるが、

 「おいおい、お前等、どうしてヴァンちゃんに銃なんて向けてんだよ」

 「ライバック中尉。悪いが邪魔をしないで貰いたい。この男は逃亡犯だ」

 「逃亡犯?万引きとか?」

 「殺人犯だ。それと、艦に爆弾を仕掛け、爆発させたのもコイツだ」

 言いがかりも良い所だが、俺の発言など信じては貰えないだろうな。唯一安心できる事があるとすれば、この兵士達の言い分からすると、ジョンドゥの息が掛かった連中というわけではなさそうだ。

 「へぇ、ヴァンちゃんはそんな極悪な事をしているのかぁ……へぇ、なるほどなぁ」

 嫌な予感がする。

 「それじゃ、捕まえないといけないよな?」

 「だから、こうして我々が―――」

 ライバックが兵士達の肩に手を置く。分厚い手を肩に置くと、口元を三日月の様に歪める。

 「お前等、邪魔」

 なんでそんな事を平然と行えるのか疑問だが、ライバックはそれを平然とやる。

 肩に置いた手を下に降ろすだけのシンプルな動きだが、降ろした瞬間に兵士の肩が骨ごと外れ、床に倒す。倒すというよりも、この場合は張り付けるという動作に似ている。

 「な、何をするんですか、中尉!?」

 残った兵士達がライバックの突然の蛮行に狼狽するが、それが命取りになる。頬に止まった蚊を叩く程度の動きだったが、それだけで兵士達は宙を舞う。

 「あ~、やっちまったな」

 「俺知らねぇぞ……」

 「隊長が勝手にやったって事で、逃げられないかな?」

 「無理だと思うぞ。だって、隊長がやる事は、俺達がやる事って認識されてる」

 残っているのはライバックの部下だけだが、

 「―――なぁ、ヴァンちゃん」

 これは別に良い方に展開が転がっているわけではない。

 「ヴァンちゃんが何をしたのかは知らんが……今、俺とヴァンちゃんは敵って事だよな?」

 この状況は、ライバックに都合の良い状況を与えただけに過ぎない。

 駄目とは思うが、一応抵抗はしてみる。

 「ライバック。時間がないから手短に言うが、ジョンドゥって奴に嵌められたんだ。俺は何もしてない。少なくとも、お前等と敵対する理由は何もない」

 「へぇ、そうなのか」

 「リリーパで一緒に戦ったよしみで、此処から出るのを手伝ってくれないか?」

 「そうかそうか、そいつは大変だ」

 「だから―――」

 「それじゃ、喧嘩しようぜ」

 空気を切り裂く剛腕が唸る。

 防御するという意志を根こそぎ奪いとる暴力を前に、俺は舌打ちしながら避ける。避けた瞬間、壁が爆発した。すげぇだろ、これ。テクニックとかフォトンアーツとか、そもそもフォトンとか使っているわけでもない。

 単純な腕力。

 純粋な暴力。

 俺の知る限り、ダーカーとかダークファルスとか、そういう脅威以外で生物としての作りを間違えた奴は、このライバック以外に知らない。

 「……ライバック、この状況は冗談じゃすまないぞ」

 「知ってるよ。だから、喧嘩をする事が出来るんだよ。お前はピンチだ。そして俺はその邪魔をする。つまり、お前は俺を倒さない事には前には進まないというわけだ」

 分かり易い状況判断には恐れ入るよ。

 「おい、お前等の隊長がこんな事を言ってるが、お前等も同意見か!?」

 無理だとは思うが、部隊の連中がコイツを止めてくれると願ってみる。願っては見るが、全員が俺から視線を逸らす。

 「テメェ等、俺の邪魔をしたら全員殺すからな」

 隊長の命令にはしっかり敬礼する素敵な部隊だな……後で覚えとけよ。

 「心配すんな、ヴァンちゃん。コイツ等が居る限り、他の連中に手は出させねぇよ。それと、もしも俺に勝ったら外までビップ待遇で送り出してやるよ」

 「……へぇ、そいつは」

 そいつは、随分と舐められたもんだ。

 「面白い事をほざくじゃねぇか、ライバック」

 ライバックの目の前に立つ。

 改めて目の前に来ると、この男の強靭を通り越した化け物みたな体格に戦慄する。だが、それ以上に舐めた事を口にしたコイツを黙らせたいとも思っている。

 「約束は守れよ」

 「俺が約束を守らなかった事があるか?」

 「テメェと約束した事なんて、1度もねぇよ」

 もしもアンジュが居たら、盛大に溜息を吐いているだろうが、この場所ではこれがベストだ。ライバックが言うように、俺とコイツの間に邪魔は入らない。仮に邪魔が入りそうな場合は部隊の連中が止めるだろう。

 それにしても、おかしな状況だ。

 警報が鳴り響く戦艦の中で、野郎が喧嘩腰で向かい合っている。

 向かい合って、やる事と言えば1つしかない。

 拳を握り、

 「後悔するなよ、ライバック」

 拳を握り、

 「あの時の決着をつけようぜ、ヴァンちゃん」

 同時に顔面を殴りつける。

 

■■■

 

 「―――普通、助けますか?」

 チェインは非常に不愉快な顔をしながら、自分の横で座り込んでいる敵に問う。

 「最初に言ったはずです。私は別に貴女の敵じゃないって……それでも納得できないなら、そうですね、寝覚めが悪くなるって事で、納得してください」

 互いに動ける体力は残されていない。この状況でこんな事をしていれば、誰かに見つかるのは時間の問題なのだが、

 「納得してあげても良いですが……此処、女子トイレなんですけど」

 しかも個室。

 「あと、なんで私が床で、貴女は便器なんですか」

 「私が勝ちました。貴女は負けました。何か反論が?」

 「反論とかそういう話じゃなくて、衛生的な話を……いや、もういいです」

 まさか、この事態でのんびりトイレに入っているような奴はいないだろうという思い込みと、全体的な男女比として男性が多い艦において、女子トイレに無謀にも入り込もうとする者は少ない―――という論理的な思考などではなく、単に近くて隠れる事が出来そうだから、というのが理由である。

 「もしかして、貴女って馬鹿なの?」

 「……いえ、こっちの私はそういうキャラではないのですが……多分、変な人達に囲まれたせいでしょうね」

 何故か嬉しそうに語る始末屋に、これ以上の追求は止める事にした。どんな所に放り込まれたとはいえ、あのままあそこに放置された場合、見つかるまで時間はかかっていただろう。

 「はぁ、まさか負けるとは……あの状態で負けるのは、凄い久しぶりなんですけど」

 「感情が昂ると硬化する肌ですか。でも、あれって別に便利ってわけじゃないですよね。現に刃は通さなくても、衝撃はきちんと伝わるんですから」

 あの時、武器をナックルに変更したのは、確信があったわけではない。斬れないならば打撃でぶん殴ってやろうという思い付きでしかなかったが、それが見事に的中した。

もしも、かっこつけたいならば、チェインが冗談交じりに言っていた「痛い」という言葉に違和感を持った、とでも言っておこう。

 「そうですよ。ちなみに斬られても大丈夫ですけど、実際は刃物で殴られているのと同じなので、最初から結構痛かったんです。まぁ、致命傷は受けないっていう意味では、結構アドヴァンテージは取れるんですよ」

 「銃とかで撃たれると?」

 「銃によっては、骨にヒビくらいは入りますよ」

 チェインは苦痛に顔を歪めながら、折れた愛用のナイフを見つめる。

 「最初から、これを信用していれば私の勝ちだったのかもしれませんね」

 「いいえ、私が勝ってました」

 「……どんなに言っても、負け犬の遠吠えになりますね。まったく、中尉にどんな顔して会えばいいのやら」

 「慰めて貰えばいいじゃないですか」

 「貴女、意地が悪いですよ―――さて、こうして此処に隠れるのも良いですが、もしも目的が情報部の連中に命令されて捕まえた男を、取り戻しに来たというなら、さっさと行った方が良いと思います」

 ヴァンを助ける為に来たなど、一言も言っていない。

 「どうしてそう思うんですか?」

 「女の勘って事にしておきましょう。それで、さっさと行けと言うのは、私の部隊がその男と接触したそうです」

 その言葉には反応せざる得ない。痛みは何とか誤魔化す事が出来るが、体力は完全には戻っていない。しかし、このまま隠れているよりは、姿を隠したまま進んだ方が効率が良いと判断し、透刃マイを展開する。

 「場所は此処から2ブロック上です。多分、うちの中尉の事だから、他の連中には報告してないでしょうけど……」

 チェインは意地の悪い顔で始末屋を見る。

 「中尉が喧嘩を売っているって話なので、生きてる保障はあまりないですけどね……」

 

■■■

 

 「―――すげぇ、隊長とガチで殴り合ってるよ」

 怪物じみた一撃をまともに受けても問題ないとは、口が裂けても言えない。本来ならば距離を取るのが正解なのだが、それでは何時までも決着はつかない。

 「どっちに賭ける?俺は隊長」

 顔の真横を通り過ぎる剛腕を、次の攻撃に繋げる動作と一緒に避け、防御を知らない馬鹿野郎の脇腹にフックを叩き込む。拳に伝わる感触は鋼鉄を殴る感触に近い。これでダメージが入っているかどうかはわからないが、奴は嬉しそうに笑う。

 「俺も隊長」

 腕力はどんなに足掻いてもライバックが上回っている。だからと言ってスピードはこっちが上というわけでもない。大振りな攻撃を避ければ、反対から高速のジャブが飛んでくる。防御を固めても、例えそれがジャブだとしても、この男の一撃は重い。

 「賭けにならねぇだろ、それじゃ」

 腕が痺れ、僅かに俺が放つ攻撃の速度が鈍る。それを察した奴は大振りを止めてジャブの連打を浴びせにかかる。このまま防御を固めれば致命的な一撃を受ける事はないが、いずれは破られる。

 「だったらお前はヴァンに賭けろよ。俺は御免だね。仮にアイツが武器を使っている状態なら賭けの対象にはなるけど、今回はお互い素手だ。そんなもん、隊長が勝つに―――」

 下段、奴の電柱の様に固い太腿へローキックを叩き込む。奴の体が僅かに揺らぎ、ジャブも止まる。その隙に顎へとアッパーを放つ。顎に当たる感触と、拳が打ち抜く感触を覚えると同時に、ライバックが膝をつく。

 「勝つに……え、勝てるんだよな?」

 ちょうど良い位置に顔がある。腰を回し、地面を足で掴み、体全ての体重を乗せるフックがライバックの顔に突き刺さる。

 「勝つに決まってるだろ―――あの程度で、隊長が倒れるかよ」

 この隙を逃してはいけない。体は鋼鉄でも、頭部はそうではない。顔面を何度も何度も殴り、頭を掴んで膝を叩き込み、掌で奴の両耳を打ち付け、両足で顔面を蹴りつける―――それだけやっても、奴は笑っているのだから、嫌になるのだ。

 「一撃で十分なんだよ、一撃で」

 万力を持つ腕が、俺の足を掴み、そのまま腕を振り上げる。重力がある艦内の中で俺の体は宙を舞い、天井に体を打ち付ける。そして天井が終われば、落ちるだけ。背中に伝わる衝撃に意識が飛びそうになる。

 「……お前等、もしかして知らないのか?」

 飛びそうになる意識を繋ぎ止め、俺の足を掴む手に、手首を標的に踵を振り下ろす。

 「知らないって、何がだよ……」

 痛みを感じる器官は、特に本人の意思と反して行動する。その証拠に手首に与えた打撃は、奴の万力を僅かに弱らせ、俺の脱出に貢献してくれた。貢献はしてくれたが、立ち上がった瞬間に向かってきた拳をまともに受けたのは、予想外だった。

 「リリーパに居た頃、俺等の部隊とヴァンの部隊で喧嘩になってな」

 予想外だったが、まだ耐えられる。

 「一度やり合ってるんだよ、あの2人。そして、その時の決着はなし。途中でダーカーの襲撃で有耶無耶になっちまったんだよ」

 耐えたからこそ、反撃に頭突きを見合う事が可能となった。

 「だから、俺はヴァンに賭けるぜ……これ、隊長には内緒だからな」

 外野が適当な事を言っているが、こっちはそれほど余裕があるわけではない。どれだけライバックに打ち込んでも、手応えなど1つとしてありはしない。

 「―――いいねぇ、いいよぉ、ヴァンちゃん。男はやっぱりステゴロだよなぁ」

 「文明の利器を使えよ、筋肉馬鹿が」

 こっちの手は殴るたびに壊れそうになる。奴の体は生身でやり合って無傷で済むものではない。だから嫌なんだよ、生き物として間違っている奴はよ。

 「そんなつまらない事を言うなよ。この身で生まれた以上、この身以外で相手を制圧する事こそが生き甲斐ってもんだろ」

 「文明って言葉を知らないようだな。お前は本当に俺と同じ時代に生まれた奴か?実は文明社会すらない過去から来たって言っても、俺は信じるぞ」

 「かもしれんな。だが、それならば尚燃えるってもんだろ。どれだけ文明が発達し、どれだけ人を壊す術が生み出されても、原初より使われてきた最高の武器は、己自身だ。だというに、最近の軍の連中もそうだし、アークスもそうだ。フォトンなんてわけわからんモノに頼らないと喧嘩1つ出来ない……つまらなねぇんだよッ!!」

 巨体が弾丸の如く襲い掛かる。避ける暇はなく、防御を固めるが簡単に体を持って行かれる。踏ん張っても奴の進撃は止まらず、壁に押し込まれる。その状態で剛腕が唸り、叩き込まれる。

 「それじゃ、生きてるって、言わねぇ、だろうがあっ!!」

 飛びかける意識が、奴が与える激痛によって引き戻され、また失えば戻されるの繰り返し。想定以上のダメージが蓄積させ、体の力が抜けていく。

 「―――テメェの理屈を、押し付けんなッ!!」

 抜けていく力を引っ張り上げ、掌底をライバックの胸に打ち込む。分厚い胸筋に阻まれ、衝撃は奥にまで浸透しないが、完全に浸透しないわけではない。僅かな停止を確認できれば十分で、その隙に体勢を低く構え、低空タックルで相手を転ばせる。床を滑るように動き、ライバックの背後から首を極めにかかる。

 「お前みたいに、空想上の怪物みたいな奴に付き合うほど、俺達は人生に退屈してねぇんだよ……テメェの暇潰しで、殺されてたまるか」

 「―――だから、お前みたいに俺と付き合える奴が必要なんだよ、俺にはな」

 完全に極まっているが、首に回した腕は奴の剛力で無理矢理に引き剥がされる。このまま腕を圧し折られるか、投げ飛ばされるかの状態で、奴の後頭部に全力で膝を撃ち込む。頭蓋骨が割れる様に祈りながらだったが、まだ足りない。

 「あんまり俺に寂しい事を言うなよ、ヴァンちゃん」

 床に倒され、俺の顔を踏み潰す勢いで迫る足を転がって避け、距離を取る。

 「俺はな、ヴァンちゃん。弱い生き物で生まれたかったよ。弱ければ、俺はきっと周りの連中と楽しい喧嘩が出来たんだ。だが、そう生まれなかった。こんな体で生まれちまったんだ。それが寂しいんだよ」

 「文句は親に言えよ」

 「馬鹿言うな、俺を生んでくれた両親には感謝はすれど、恨みは一切ない」

 「そういう所は律儀なんだな、お前は」

 思えば、きっと俺がコイツと出会ったのは、きっとコイツを不憫に思った神様の善意だったのかもしれない。

 アークス時代、リリーパに居た頃に出会ったライバックという奴は、常につまらなそうに世界を見ている奴だった。今となってはそっちの方がマシだったのだが、人を人として見てない無関心は、見ていて気持ちが良いとは言えなかった。

 当時はまだ少尉だったが、それでも小隊を率いる隊長ではあった。しかし、奴は自分の部下を使う事など一度もなく、常に最前線に立ち、敵を駆逐していく姿は、他の連中から見れば英雄に見えたかもしれない。だが、俺には少しでも退屈を紛らわす為に行う、自分勝手な行動にしか見えなかった。実際、奴はそうだった。戦いの中、碌な装備も持たずに軽装で敵に突撃を仕掛けるが、その最中に大きな欠伸をしていた。

 強いからこそ、強者だからこそ、退屈だったのだろうよ、きっと。

 「……そんなに強い奴と喧嘩したかったら、ダークファルスにでも喧嘩売ってれば良かったじゃねぇかよ」

 「それも考えたさ。考えたが、探して見つけて喧嘩するって簡単に出来るわけじゃないだろ?あの頃の俺は、退屈はしていたが、退屈をどうにかする為に遠出するなんて、馬鹿馬鹿しいと思ってたんだよ」

 「面倒臭がりって事かよ」

 「そういう事だ」

 戦場における奴の活躍は、味方にとっても脅威となった。部隊を率いておきながら、完全な個人部隊となっているライバックの行動は、当然ながら協力しているアークス側にも影響を及ぼす。作戦は無視する。命令は聞かない。助けもしなければ、助けも求めない。完全に孤立しているが、孤高でもあった。

 そんな時に事件は起こる。

 些細な揉め事だった気がするが、詳しい事は覚えてない。俺が現場に顔を出した時には、事は終わっていた。無手のライバックの足元に、アークスの連中が転がっている光景。転がっている連中をつまらなそうに見ている奴の顔は、今でも覚えている。

 「そういえば、なんでヴァンちゃんは、何であの場で俺に喧嘩売ってきたんだっけ?」

 「理由は忘れたが……多分、お前が気に入らなかったんだろうよ」

 どうかそれが、神様の善意ではなく、俺の内から漏れ出した意思であると思いたい。

 これが時の続きになってしまっている。あの時もそうだ。互いに拳1つで殴り合う、そんな原始的な決闘をした。

その時からだったか、コイツの顔にやっと人らしい感情が出る様になったのは。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode20『―――大丈夫、ヴァンは負けないから』

 「別に強くなりたいわけじゃねぇんだわ」

 交差する拳は、必ず当たる。

 「弱くても良い。弱くても良いから、俺はもっと人と殴り合いたいんだよ」

 俺も避けない、ライバックも避けない。

 「原始的だと他の連中は笑うけどな、これしか俺は他人と触れ合っているって感じがしないんだよ」

 互いの目標は顔だけ。

 顔を殴り、殴られるの繰り返し。

 「軍曹は性癖だって言ってたな、こんなのを。それもきっと正解だろうよ」

 効いているとかは関係ない。目の前に相手が立っているから、殴り続ける。この時代になっても闘争本能が求めるのは、文明の利器を用いた決闘ではなく、こんなシンプルな行為だけ。これはコイツみたいな連中が生まれる前から、ずっと昔から存在を消されようとも、遺伝子の中に潜んでいた機能の1つなのだ。そして、そんな機能を自分の生き甲斐にしてしまったのも、昔からある生き方の1つ。

 「ヴァンちゃん、俺は嬉しいよ。こんな俺に付き合ってくれる奴が、僅かでもこの広い宇宙に生きててくれるって事に」

 視界の片方が削れ、呼吸の仕方が思い出せなくなってきた。

 「何の為に力を振るうとか、正義の為だとか、守る為だとか、誰かの為だとか、自分の為だとか……うだうだ言ってる連中の言い分も間違ってない。だがよ、居るんだよ。この宇宙には、連中が否定する俺みたいな奴が居るんだ」

 体の機能が低下するが、思考は正常。聴覚も正常。ライバックの下らない独り言を聞いて、それを理解してやる位の機能は残っている。

 「寂しいんだよ、寂しいんだよ、ヴァンちゃん。俺の知る強い連中は、そんな奴ばっかりなんだ。この衝動を無碍に扱う連中ばっかりなんだ。俺の行為が意味がないだの、虚しいだけだの、もっと別の事に使えだの、無意味な暴力を捨てろだの―――ほんと、寂しくなるよ」

 正しい力の使い道、誰もがそれを求めていると思う時もあるが、それは単に使い道を見つけた奴の自慢なのかもしれない。こんな風に喧嘩、喧嘩、喧嘩と馬鹿な事にしか自分の力を使えない馬鹿野郎からすれば、力の使い方を見つけた連中からすれば、哀れな奴に見えるんだろう。

 「不安になるよ。ヴァンちゃんも何時か、そうなっちまうんじゃねぇかってよ。あの時、あんなに楽しい喧嘩が出来たヴァンちゃんも、何時かそんな風に俺を見る日が来るんじゃねぇかって思うと、寂しくてしょうがないんだ」

 兎かよ、と苦笑する。でも、きっとコイツは昔からそうだったんだろうよ。生まれついての性質が、他の連中とまるで違った。他の連中はコイツの力をまともな方向へ導こうとしたが、それがコイツの性質を否定する行為となり、コイツを歪める。結果、コイツはこうなってしまった。

 「―――なぁ、ヴァンちゃん。ヴァンちゃんは……変わってないよな?」

 「……悪いな。俺はお前の望む俺じゃない。最初に会った時から、今もずっとお前の見込み違いだ」

 流れに身を任せ、辿り着いた場所で俺達は出会った。その間にあった事は色々で、一言で伝えられるようなものではない。俺も、お前もきっとそうだったはずだ。あの時、リリーパで出会った時のお前は此処にはいない。あの時の俺も此処にはいない。

変わらない事は美徳ともとれるが、愚かともとれる。

 この場合はどっちになるのだろうか。

 その大きな拳は、きっと多くの者を救う拳になったかもしれない。そんな願望を押し付けられても、コイツはそれを拒否してきた。拒否し続けてきたから、こんな歪んだ願望を持ってしまったのかもしれない。でもな、ライバック。そんなお前でも、そんなお前だからこそ、一緒に居る連中が居るじゃねぇか。

 俺達の喧嘩を賭けの対象にしか見ていない、そんな馬鹿な連中が居る。

 俺達のこれを、見世物みたいに見る連中がいる。面白いって言ってる連中がいる。もっとやれって言ってる連中がいる。

 喧嘩は出来ないが、お前を否定しない連中が居るのに、寂しいとか言うなよ。

 それじゃ、お前の周りに居る連中が不憫だろうが。

 正しいお前じゃない。

 力の使い方を知らないお前の傍に。

 否定されないお前じゃない。

 間違いだらけのお前の周りに。

 そして何より、

 「―――――いい歳した男が……寂しい寂しいと、しみったれた事をほざくなッ!!」

 そんなお前に付き合ってやれるほど、こっちは暇じゃない。お前みたいに自分勝手に生きていける程、こっちの背中は軽くない。重いも軽いも関係なく、背負えるモノは限られている。俺はそれを選択している。背負えるモノを選択して、生きていく事を選択している。

 だから、お前の相手をしている暇など、そんな道草をしている暇なんてない。

体の中に駆け巡る、目には見えない粒子。それを自分の体を媒介として形を作り出す。

 物質ではなく、光として。

 光として、そして力として。

 化け物の体に突き刺す拳は、今までの拳とは違う。

 その鋼の肉体を貫通する拳には、コイツが口にしたフォトンとかいう、よくわからないモノが詰め込まれている。

 「が―――あぁッ!?」

 初めて浮かべる苦悶の表情、驚愕と苦悶の先に、奴の笑みがある。

 「ぐだぐだ……ぐだぐだと……耳障りなんだよ、ボケがッ!!」

 その一撃に込められたのは、俺の体が持つ性能と、フォトンという存在込められた一撃。

 以前の様に、アンジュのテクニックで得た身体能力の強化ではない。あれは体の性能を一時的に向上させるだけのドーピングだ。

 だが、これは違う。テクニックではない。

 人が、アークスが脅威と戦う為に生み出した術。

 古来より圧倒的な力を前に、力が劣る者が立ち向かう為に生み出された武術。

 フォトンアーツ―――フォトンを用いて強者を打倒する武術。

 「愚痴を吐き出す前に、手を動かせろよ、ライバック」

 此処からは、割と本気で行くぞ。

 握る拳にフォトンを纏い、打ち抜く一撃はライバックの体ごときでは防げない。余裕をかまして無防備な胴体に叩き込む一撃に、奴の体はくの字に折れる。

 「―――い、良いねぇ……それ、良いじゃねぇかよッ!!」

 そこまでしても止まる事を知らないライバックは、俺の腰にしがみつき、自分の体ごと壁にぶち当たる。衝撃で壁が崩壊するが、それでも奴は止まらない。次々と壁を破壊しながら進んでいき、俺が奴の後頭部を殴りつけるまで止まらなかった。

 床を滑る俺とライバック、先に立ち上がったのはライバック。俺に覆いかぶさろうとする奴を蹴り飛ばし、俺は地面を蹴って飛び上がる。空中でフォトンを込めた拳を握りしめ、地面を殴りつける。地面に広がる衝撃破がライバックに襲い掛かり、奴の動きを止める。叩きつけた地面を拳で殴り飛ばし、再度空中へ。空中で空を蹴り上げ、弾丸となって奴の懐に飛び込む。

 「くたばれ」

 「お断りだ」

 俺を破壊せんとする剛腕を紙一重で避けながら、渾身の一撃を叩き込んでやる。今度は奴が壁を突き付け、床を転がる番だ。

 「―――ッ糞、流石に痛ぇな」

 ライバックを殴りつけた拳が悲鳴を上げる。今までの動作全て、フォトンアーツを使用している事で体にかかる負担が倍となる。

 本来、フォトンアーツは生身で使うものではない。全ての動作、全ての攻撃が生身で使い事は想定しておらず、専用の武器を使う事で漸く放つことが出来る武術だ。先程も言ったが、これはテクニックを使用して身体強化をしているわけではない。本来の俺の身体能力でフォトンを用いて放たれている。その為、その衝撃は勿論、体に掛かる負荷を全て俺自身が持たなければならない。

 人の体、それがヒューマンだろうがキャストだろうが関係ない。ある一定以上の力は自分を傷つけるだけだ。それ故に専用の武器、更には防具が必要となる。防具は外部からの攻撃を防ぐだけではなく、自身が生み出す攻撃からもその身を守っている。

 例えば、ナックル。一撃一撃の威力が大きいが、フォトンアーツを使えば更に大きな威力を生み出す。その威力は生身で放つにはリスクが大きいが故に、ナックルそのものに使い手を守る機能がある。それはツインダガー、ダブルセイバーも同じ。ツインダガーであれば空中を高速で移動する故に、使い手を強いGから守る機能があり、ダブルセイバーは発生させるタツマキから守る機能もある。

 更に言えば、フォトンアーツを習得する際に使用する、ディスクという媒体がある。あれは1つのフォトンアーツにつき10段階あるのだが、最初から10段階目を使用は禁止されている。その身に許される力は、今の自分の限界まで。それ以上を望むには、当然限界を超える必要がある。それは自身の身を守る為。自身の限界を超える力は、自身を壊すだけになる。

 何事にも制限というのは必要なのだ。フォトンアーツもそうだし、テクニックもそうだ。そして武器、防具もそれに価する。

 許されるには、力が必要となる。そして、それと同等の準備もだ。

 だから、もう一度言うが、戦闘において武器と防具が必要となるのは、外部から身を守る為ではなく、その身を自身が扱う術から守る為にもある―――そして、今の俺にはそれがない……つまり、そういう事だ。

 自分が放つ攻撃で、自分自身が傷ついている状態だ。

 だが、

 「―――ヴァあぁぁぁぁぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁンっ!!」

 そこまでしなくちゃ、ライバックは倒れない。

 突進してくる奴を、こちらの突撃にて迎え撃つ。

 巨体とぶつかる衝撃と、内部から生み出される衝撃で体が悲鳴を上げるが、退く事は許さない。絶対に許してはならない。

 僅かな怯みは、致命的な隙を生み出す。この殴り合いにおいて、それをするのは愚の骨頂。そして何より、俺にも意地がある。意地を通して、此処の場を制す。

 「いい加減に、倒れろッ!!」

 「足りない、まだ足りないんだよッ!!」

 暴風の如く連打がライバックに襲い掛かろうとも、奴は止まらない。拳と拳が激突するが、先程までの俺の拳とは、威力が桁違いだというのに、俺と奴の力は拮抗している。フォトンアーツを用いて、漸く同等。もしくは、フォトンアーツを使う事で、奴は更に凶悪な生物へと進化しているのかもしれない。

 暴風を喰らう怪物が繰り出す暴力とのぶつかり合い。一撃一撃が、俺の体を痛めつける。外部と内部の痛み。悲鳴を上げる体を持つのは、俺だけではなく、奴もそうだ。それでも怯まない。それでも止まらない。退く事すらしない。

 脳がこれ以上は危険だと信号を出すが、黙っていろと叫ぶ。

 「おおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお―――ッ!!」

 「がぁぁぁぁああああああああああああああ―――ッ!!」

 最早、何も必要はない。

 拳が1つあれば、十分。

 殴り、殴られ、殴り、殴られ、殴って、殴られ、殴られながら、殴る、殴って、殴って、殴って、殴り、殴り殴り、殴られ、殴られ、殴られ、殴られ、殴り、殴る―――

 先に倒れる奴が敗者。だから相手よりも多く重い一撃を叩きつけ、多く致命的なモノを叩き込んでいくだけの動作。

 体力がなければ、意地で殴る。心を殺さなければ、負けはしない。戦闘だろうが喧嘩だろうが、最後に立っている勝者になるには、一番必要とされるのは意地だ。

 そして、その瞬間は訪れた。

 乱打戦の最中、互いの拳が交差すると同時に、互いの顔面に突き刺さり、暴風の中に一瞬だけ静寂が生まれた。

 その静寂の中で、俺よりもライバックの方が静寂を破るのが早かった。剛撃が脇腹に突き刺さり、何本か持って行かれる。

 体の内部から悲鳴が上がり、口から漏れ出す液体が、口の中に鉄の味を広げる。

 膝が崩れそうになるのを、何とか堪えようとするが、その一撃で脳が勝手に俺の体から機能を奪う。

 視界に写るライバックは、心底楽しいと、心底楽しかったと満足げな顔を浮かべていた。これで終わりだ、またやろうぜと言うように両手の祈るように結び、天高く掲げる。そこに慈悲はなく、あるのは単純な感謝だけ。

 雷神の鉄槌が頭部に振り下ろされ、視界が飛ぶ。思考も飛ぶ。体の感覚全てが遠い場所に飛んでいく。堪えるとかどうかなど、もう考えもしない。それだけの一撃を受けた俺は無様に地面に倒れるだけ。

 地面がゆっくりと近づく。落下するのを黙ってみているような感覚だろうか。

 ゆっくりと、

 世界が非常に遅くなるのを感じながら、

 音も消える静寂の中で、 

 薄れゆく視界の中で、

 

 不意に現れた光景は砂漠だった。

 

 「―――大丈夫?」

 俺を心配してくれていると思ったが、その顔は笑いを堪えている顔以外の何物でもない。

 不満を隠さない俺に、とうとう堪え切れなくなったのか、彼女は吹き出す。よっぽど俺が酷い顔をしているのか、それとも俺がボロボロなのが面白いのか。

 多分、どっちもだろうな。

 「笑うな。あと、これが大丈夫に見えるか?……あの野郎、化け物かよ」

 「その化け物と喧嘩してるヴァンは、何なのかな?ほら、顔見せて」

 「……もうちょっと優しく手当しくれ」

 「ヴァンは強い子だから大丈夫」

 「強い子って……俺はお前よりも年上だぞ」

 何時もの事だが、若造のコイツは俺を年上であり先輩だと認識しているのだろうか。

 「年上の癖に、子供みたいな事をしてる人は認めないよ。うわぁ、すっごい腫れてる。痛くないの?」

 「だから、痛いって言ってるだろ……くそ、次は俺が勝つ」

 自分で言っておいてなんだが、俺も随分と子供みたいな事を言っていると思う。なんだかんだ言っても、男はこういう勝負に負ける事を喜びはしないのだろう。

 「負けてもないんだけどね。でも、私も次はヴァンが勝つと思うよ。だって、ヴァンは強いからね」

 「……『相棒』にそう言われると、なんかそんな気がしてきたよ」

 「大丈夫、大丈夫。『相棒』の私がこう言ってるんだから、次はきっとヴァンが勝つよ」

 

 砂漠に浮かぶ星々が見つめる中で、アイツはそう言っていた。

 何時もの様に、大丈夫と口にして、笑っているアイツの顔は、まだちゃんと思い出せる。

 出会った時の事も思い出せる。初対面で先輩の俺に対して妙に馴れ馴れしい奴だった。どうやってアークスの士官学校を卒業したのかわからない位に使えなかった。使えない癖に妙な自信だけは持っていて、自信を結果に残す奴だった。邪魔なお荷物だと思っていたヒヨッコが、背中を預けられる奴になっていた。アンジュのあの妙な性格にした張本人であり、俺以上にアンジュが懐いていた奴だった。変な奴だった。奇妙な奴だった。殺しても死なない奴だった。愛とか恋とか、男とか女とか関係なしに一緒に居られる奴だった―――どんな時も、俺を信じてくれる奴だった。

 それが過去であり、未来には残せなかった光景だとしても、刻まれた記憶は、未だにはっきりと思い出す事が出来ない。

 此処にいない相棒だった。

 此処には一緒にいられない相棒だった。

 もう、俺の隣にはいない相棒だった。

 

 「―――大丈夫、ヴァンは負けないから」

 

 その信頼に、答える必要がある。

 アイツが信じる俺は、まだ此処に存在する事を証明する。

 堕ちる意識を過去が引き摺り上げる。

 地面を踏み締める。膝をつかないように、倒れないように、2度目の今に負けないように。

 「ヴぁぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁぁっぁあぁンッッ!!」

 俺の名を呼ぶのは、お前じゃない。この記憶の中に居るのは、ライバックじゃない。アイツの声はこんな野太い声じゃないし、野蛮でもない。

 「―――――だ、か、ら……テメェは……喧しんだよッ!!」

 あの日の他愛のない約束を、此処で守る事にする。少しだけ時間はかかってしまったが、今だけは命に代えても守る必要がある。これが俺の意地。男としての意地。過去から今まで守る事が出来なかった、アイツの大丈夫という口癖を信じて。

 迫るライバックの顎を渾身の力で打ち抜き、巨体を宙に浮かす。

 「ヴァ……ン…ゃ…ん」

 「その呼び方、いい加減に止めろ」

 無防備な巨体に無慈悲に打ち込む拳。

渾身の一撃など生温い。この怪物が動きを止めるまで何十、何百でも打ち込んでやろう。閃光よりも速く、数多の拳がライバックへと襲い掛かる。体の悲鳴を黙らせ、体中からあふれ出る冷たい汗を無視して、俺とフォトンが奏でる咆哮を奴に、ライバックに叩きつける。

 奴が止まるまで。

 俺が止まるまで。

 俺の拳が空を切り、倒れそうになるまで。

 視界に写る奴が姿を消し、巨体が倒れる音を聞くまで。

 周りの連中の顔が、信じられないモノを見るような顔をするまで。

 連中とライバックに、不敵な笑みを浮かべるまで。

 連中とライバックに、どんなもんだと言ってやるまで。

 終わったと認識した俺の脳が、シャットダウンするまで。

 

 スノゥとの約束を守ったと、俺が確信するまで……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode21『……手遅れになる前にね』

 「―――あ?」

 目を覚ますと、世界は暗黒に包まれていた……なんて言っては見たが、そうでもないらしい。体が妙に窮屈なのは、恐らく箱の中にいるのだと推測する。頼むから棺桶じゃない事を祈りたいが、

 「おい、誰が居るか」

 声をかけてみると、

 「―――ん、おい、ヴァンが目を覚ましたぞ」

 「早いな。てっきりこのまま死ぬかと思ったんだが」

 「おいおい、変な事を言うなよ。そしたら、俺達が隊長に殺されちまうぞ」

 ライバックの部下達の声が聞こえる。

 「ヴァンさん、狭いでしょうが、しばらくそのままで」

 「周りは未だにお祭り騒ぎだからなぁ……ところで、副隊長とは?」

 「連絡は取れたけど、なんかトイレの中から動けないって言ってたぞ」

 「……あの日か」

 「あの日だろ」

 「こら諸君、あんなのでも一応は女性だ。そういう事を言っちゃいかんよ」

 「そうだよな、あんなのでも女なんだよな」

 「……俺、たまに女性不審に陥りそうになるんだよな」

 「俺も俺も」

 中からでは外がどうなっているかはわからないが、どうやらライバックはちゃんと約束は守ってくれたらしい。いや、ライバックがというか、この部下達がというべきか。

 「隠してくれるのはありがたいが、もうちょっと大きな箱は無かったのか?」

 戦闘で負った傷もそうだが、フォトンアーツを生身で使用した事に対する反動が、想像以上に大きい。この狭い空間で僅かに体を動かしただけで激痛が走る。

 「我慢してくれよ、旦那。あの後、速攻で他の連中が来たんで、隠すのがこれしかなかったんですよ」

 「連中、血眼になって探してますよ。なにせ、隊長をのしちまったんですから」

 「おかげで今月の給料がパーですわ」

 そこまでは知らん。

 「それで、何処に向かってるんだ?」

 箱から出たら、銃を持った兵隊に囲まれてるとかは、無しだぞ。

 「格納庫っすよ。俺達、リリーパに派兵されるんですけど、そこに一緒に行ってもらおうかと思いまして」

 リリーパ?

 あそこに戻るのか?

 「あ、これは軍曹のアイディアなんだよ。このまま艦内に隠すよりは、そっちの方が安全だろうって」

 「副長も話が分かる人で助かったな、ヴァン。隊長の思い付きに付き合ってくれるなんて、あまりない事だぞ」

 「珍しいよな、何かあったのかな?」

 「軍曹だって、隊長には逆らわんよ。なにせ、隊長は軍曹の初めての人だからな」

 「え!?2人ってそういう関係だったの!?」

 「……初めて負けたって話な」

 「なんだよ、つまらねぇ」

 このままイクサの中に居るよりは幾分かマシだが、この状況でナオビを離れる事になってしまう。それは出来れば避けたい所なんだが、

 「ヴァン、もしくナオビに残ろうとか思ってるなら、止めといた方が良いですよ。あっちじゃ、貴方はお尋ね者ですし、仮にナオビに逃げる事が出来ても、統合軍の捜索は強くなるでしょう」

 「それは……そうだな」

 自分の置かれている状況は、俺だけで完結する状況ではない。警備局にも、アンジュにも、彼女にも迷惑をかける事になる。

 「……だが、このまま尻尾を巻いて逃げるのは、性に合わん」

 「わかってますって。だから、一度リリーパに逃げようって話ですよ」

 「あそこは旦那の古巣だろ?きっと匿ってくれるって」

 「匿ってくれなかったら、しばらく俺達の部隊と共同生活になるけど、我慢してくれよ」

 考えても良い案は出てこない。現状では、これが最善という事になるのか。

 「アンジュと連絡は取れるか?」

 「無茶言わないでよ。でも、後で私達がこっそり会う事は出来るはずだから、ヴァンちゃんは心配しなくていいわよ」

 「俺、あのちっこいの苦手なんだよなぁ」

 「そうか?俺は好きだけど……あのさ、ヴァン。次に会った時、俺はお前の事をお父さんと呼ぶかもしれん」

 「ヴァン、心配するな。コイツはしっかり後で教育しとく」

 それにしても、この連中は本当にこんな事をしても大丈夫なのだろうか。如何にライバックの命令とはいえ、俺を逃がすなんて事をすれば、軍機違反で最悪銃殺刑だ。

 「色々してくれるのは助かるが……あまり無茶はするな。ライバックのあれは、単なる思い付きみたいなものだろ?それに命まで賭ける必要はお前等には」

 「あるよ。命を賭ける価値はある」

 あっさりと言い放つ声の主に、迷いはなかった。

 「隊長には恩義がある。でっかい恩義がな」

 「俺達みんな同じだよ。隊長が墓から俺達を掘り出してくれなかったら、俺達はお日様を見る事なく、地の底で亡霊になってたからな」

 「あんな隊長でも、そういう恩義がある以上は、俺達は隊長の命令に従う」

 「軍よりも……隊長の方が怖い」

 「それな」

 そこまで言われちゃ、こっちは何も言えない。まったく、寂しいとかなんとか言いながら、やっぱりお前は随分と周りの連中に好かれてるじゃないか。だったら十分だろうが。お前を認めない連中がどうこう言おうとも、お前を認める連中のほうがよっぽど大切だろうよ。

 「ま、それよりも私はあのジョンドゥって男が嫌いなのよね」

 「俺も俺も。なんか胡散臭いし、上から目線だし」

 「きっと足も臭いわよ」

 「口も臭いに決まってるな」

 なんか、そっちの方が重要みたいだな、コイツ等は。

 「……なら、安全運転で頼む」

 ここまでされて、簡単に死ぬ事は出来そうにない。とりあえずはリリーパまで逃げて、ゆっくり休んで、ナオビに戻る手段と、ジョンドゥをどうにかする手段でも考えるとしよう。

 「―――おい、止まれ」

 「ヴァンさん、ちょっと口をチャックで」

 連中の真面目な雰囲気は、恐らく面倒な事になったのだろう。俺は息を殺し、外の音を聞く事だけに集中する。

 外からは複数の足音。恐らく兵士達の足音だろうが、それが複数近づいてくる。

 「おい、お前等は何をしている?」

 固い声、連中とは違うまともな兵士の声だな。

 「何をしているって……見ての通り、リリーパに向かう準備だけど?」

 「この状況でか?お前達はこの警報が聞こえないわけではないだろうに」

 「聞こえてはいるよ。でも、こっちの準備も大事だろ」

 「……その箱、何が入っている」

 おいおい、いきなりピンチじゃねぇかよ。

 「箱の中身か?箱に書いてるだろ、食糧って」

 「文字も読めないとか、筋肉で頭がガッチガチなのは嫌よねぇ」

 「―――1つだけか?」

 「え?」

 「1つしかないのは、何故だと聞いているんだ」

 コンコンと箱を叩く音に、心拍数が一気に跳ね上がる。

 「中も随分と空洞が多いようだが……」

 「そ、それは、その……」

 おい、何か良い言い訳をしろ。

 「その……霞が……」

 浮かばなったらしい、良い言い訳が。

 「霞?なんだ、お前達は仙人にでもなったのか?」

 「……現在、我が部隊では絶賛断食キャンペーン中で」

 「昨日、食堂で鍋を囲んでいたのは、何処の部隊だったか……」

 拙い。これは非常に拙い。

 というか、同じ統合軍なのに人望ないのな、お前等。

 「おい、中を見せろ」

 「え、見ちゃう?あんまり見ない方が良いと思うよ。ほら、隊長も中を見せるなって言ってたから、俺達が怒られちゃうし……」

 「ほぅ、そんなに見られては困るモノが入っていると……」

 「おい、やべぇよ」

 「どうする?コイツぶっ飛ばしちゃう?」

 「いやいや、それも問題ありだって」

 「でもよ……」

 「貴様等、何をコソコソとしている」

 銃口をこちらに向ける音が聞こえる。

 「―――開けろ」

 これはいよいよ拙い事になってきた。こうなれば、予定を変更するしか方法はなさそうだ。具体的な予定など1つとして無いのだが。

 「早くしろッ!!」

 その時だった。

 「―――あっちだ!!あっちに奴が居たぞ!!」

 遠くから聞こえる女の声。

 その声に反応してか、複数の足音が俺達から離れる音が聞こえる。どうやら、最悪の事態は回避する事が出来たらしい。

 それにしても、この声は聞き覚えが……

 「……あれ、なんでこっちに近づていてきてんの?」

 「お前も追いかけろよ。さぼるなよ」

 別の足音がこちらに近づいてくる。

 「あ、あの、君も追いかけないと……」

 箱を叩く音に思わず、体が反応する。

 「―――漸く見つけました」

 ……あぁ、聞き覚えがあるわけだ。

 「あまり心配させないでください」

 「……悪い」

 箱の中からは見えないが、どんな顔をしているのだろうか。だが、今の俺の顔は酷い状態だ。こんな顔を見れば、彼女は心配するかもしれない。

 「大丈夫ですか?」

 「コイツ等の隊長に酷い目に合わされて、こっちはヘトヘトだ」

 微かに笑う声。

 「そっちもですか。こっちも彼等の仲間にボコボコにされて大変でした……でも、私は勝ちましたけどね」

 きっとドヤ顔をしているのだろう。

 「俺も勝った。余裕でな」

 彼女に俺の顔が見えないのは救いだ。じゃないと、俺の嘘がばれてしまう。

 「では、お互い楽勝だったという事で……」

 「そういう事だ」

 こんな会話をしている俺達を、きっと連中は変な顔で見ているだろうな、きっと。

 「……あの、2人はお知り合いで?」

 「そんな所です。貴方達の副長さんから、プランは聞いています。私が攪乱しますので、その間にヴァンさんを格納庫へ」

 どういう流れで、彼女がこのプランを知ったかは知らんが、

 「あまり無理はするなよ」

 「今更ですよ。こっちの事は気にしないで、貴方は逃げる事だけを考えてください」

 「そうだな。出来るだけすぐに戻る様にはするが、その間は色々と面倒を掛けるかもしれん。特にアンジュとか……」

 「それも今更です。では―――」

 「ちょっと待て」

 先程ジョンドゥした会話、これは伝えておく必要がある。

 「……それはまた、大それた事を考えますね、奴も。わかりました、その辺も何とかしてみますね」

 それだけ言って、彼女の音は遠ざかっていく。

 それだけかと、ちょっとだけおじさんは、寂しいです。

 まぁ、彼女ならば艦から逃げ出す事も容易いだろうから、心配はないだろう。

 「旦那も隅に置けませんね」

 「可愛い……俺、やっぱりあっちの方がいいかも」

 好き勝手な事を言うのは構わんが、そういうのはきちんと脱出してから言ってくれ。

 「そんじゃ、さっさと格納庫へ行きますよ」

 安全運転で頼む。

 

■■■

 

 艦橋ではジョンドゥが未だにヴァンが発見されない状況に対して、疑問を抱き始めていた。相手はたった1人、更に碌な装備を持っていない元アークス。対してイクサに搭乗している統合軍の兵士は倍以上。どう考えても、未だに見つからないのはおかしい。

 「艦長、彼はまだ発見できないのか?」

 「えぇ、残念ながら……それにしても、随分と上手く隠れる奴ですな」

 「感心している場合ではないよ。彼が見つからなければ、色々と予定が狂ってしまう」

 「わかっています。捜索に当たっている兵達から、情報は続々と集まっては来ているので、発見するのも時間の問題かと」

 楽観的な事を口にする艦長を、戒めたいと思いながらも、この艦の責任者は自分ではない。この男が兵士を率いる立場でいる以上は、彼の命令以外に兵士達は聞かないだろう。例え、裏で糸を引いているのがジョンドゥであったとしても。

 「ナオビに配備している歩兵部隊の状況は?」

 「既に展開は完了しています。必要な準備にはあと数日かかりますが、問題はないでしょう。警備局もアークスも口を出せない状況で、我々の動きを不審に思っても、そう簡単には邪魔は出来ないはずです」

 我々、と口にする艦長に対して僅かながら苛立ちを覚える。コイツは何時から自分と同じ立場に居ると錯覚しているのかと。傀儡が自分の意思を持つなど、愚の骨頂でしかないのだとわからせてやらねば―――そう思う感情を抑え込む。

 所詮、甘い蜜を見せつけて言う事を聞かせている傀儡でしかない。必要がなくなれば捨ててしまえば良いのだと自分に言い聞かせる。そうして自分の感情をコントロールする事で、自分の栄光を必ず手にする事が出来る。ジョンドゥは日に何度も生じる苛立ちをこうして抑え込む。

 「艦長、アークスのキャンプシップが離艦許可を求めています」

 「離艦許可?あぁ、そうか。あれはリリーパへ例の部隊を送る為に待機させていたんだったな」

 「物資と乗員の搭乗が完了しているので、離艦許可が欲しいとの事ですが、どうしますか?」

 「この状況でか……まったく、連中はこっちの状況など気にしないのか。わかった、さっさと出せ」

 「了解しました」

 そのやり取りにジョンドゥは疑問を覚えた。

 「艦長、どうしてこのタイミングでリリーパへ派兵など?」

 「アークスから要請ですよ。採掘基地の防衛に人手が欲しいとかで。手が空いている連中など、あの部隊くらいなので、こっちは厄介払いとして―――」

 アークスからの要請。この状況でジョンドゥが知らない情報が現れた事は、果たして自分にとって何を齎すのか―――否、これは見逃して良いものではない。

 知らないという事は、自分の道にとって障害となるモノが小石か、それとも巨大な岩石かを見逃す事となる。

それはあまりにも危険な行為だ。

 「停船命令を」

 「は?」

 「あのキャンプシップを今すぐ止めろと言っているんだよ、艦長」

 キャンプシップは既にイクサの外に出ている。

 もしも止まらなければ、どうするかなど言うまでもない。

 「―――無視したら、撃ち落としなさい」

 

■■■

 

 「停船命令?なんだよ急に……」

 通信機から聞こえる声に、運の悪いパイロットは首を傾げながら、その命令に従おうとするが、

 「悪いが、止まってもらっちゃ困るんだよ、オプタ君」

 銃口を頭に突き付けてやる。

 「は?え、ちょっ、なんで……」

 「通信機は切れ。いや、こっちで切るからお前はしっかり操縦しろ」

 通信機を切り、脅しじゃない事を証明する為に天井に向けて引き金を引く。跳弾でもして俺に当たったら拙いなと思ったが、ちゃんと天井に弾が食い込んでくれて良かった。そんでもって、それ以上に良かったのは、この運の悪いパイロットというのが顔馴染みという事だ。

 「久しぶりだなぁ、オプタ君」

 俺が誰か理解したのか、オプタの顔が真っ白になって、それから青。分かり易い位に驚いてくれて、嬉しいよ。

 「旦那?……だ、旦那!?はぁああああっ!?」

 「おいおい、そんな喜んでもらえるなんて、俺も嬉しいよ。ほら、ちゃんと前見て運転しろ、危ないぞ」

 銃口を向けながら、操縦席の隣に腰かける。

 「え……なんで、旦那がこんな所に?」

 「ちょっと色々あってな。おい、ちゃんと前見ろって言ってるだろ」

 「―――――か、勘弁してくれよッ!?降りろ、頼むから降りてくれ!!旦那が居たら、絶対にこの船は堕ちる!!絶対に堕ちるって!!」

 酷い事を言うな。

 確かに俺の記憶する限り、過去の任務でオプタと一緒になった場合、かなりの確率でその船は堕ちる。それもう見事に堕ちる。外的要因もあるが、堕ちるのだ。そのせいか、俺とオプタが顔を合わせると、コイツは絶対に俺と一緒になる事を嫌う。

 「確かに何度も堕ちたが、こうしてお互い生きてるだろ?大丈夫、心配すんな。俺はお前の操縦を信じてはいないが、お前の着陸技術に関しては信用してる」

 「こっちだって好きで堕ちてるわけじゃないんだよ!!おい、軍人さん、この男を今すぐ宇宙に放り出してくれ!!」

 「こらこら、統合軍の方々に迷惑をかけるな」

 普段は飄々としている癖に、よっぽど俺と一緒の船に乗っている事が嬉しいようだ。それとも、前にリリーパでダーカーの軍勢のど真ん中に堕ちた時の事を思い出しているのだろうか。いやぁ、あの時は死ぬかと思ったわ、マジで。

 「―――オプタ。今回は割と本気でお前には申し訳ないと思ってるが、今はお前の協力が必要なんだ」

 「……旦那、この状況でマジな顔をしないでくれよ。なんか、余計に悪い事が起きそうな気がしてならんのだが」

 「いや、もう起こってるな」

 「え?」

 爆音と共に、船を強い揺れが襲う。

 「もしかして、撃たれてる?」

 「あぁ、撃たれてるな」

 即座に通信機に手を伸ばそうとしたので、もう一発撃ってやった。

 「死ぬ気で行けよ、オプタ」

 「勘弁してくれ……」

 イクサの砲台は確実にこの船を狙っている。普通なら諦めるのだが、俺にとって幸運だったのは、オプタが操縦しているという点だ。この男は散々輸送機やらを不時着させているが、墜落させた事は殆どない。その上、しっかり生還もしている。彼の墜落王と言われた男もそうだが、アークスの操縦者というのは中々の操縦技術を持っていると俺は思う。まぁ、それ以前に不時着させるなって話なんだが。

 「今回は何をやらかしたんだ!?俺も流石に統合軍の戦艦から攻撃された経験はないぞ!!」

 「まぁ、色々とな。ワープゲートを開く座標は何処にする?」

 「まだ開くな。ギリギリまで待ってくれ。なんで俺はこうも旦那と絡むと変な事に巻き込まれるんだろうな、糞ッ!!」

 砲弾やらビームやらミサイルやらが、雨の様に降り注いでいるが、見事に直撃はなし。当たっていても、ダメージは少ないようだ。いやはや、流石の腕だ。

 「ワープゲート解放の座標は、C-597.451だ。合図はこっちで出すから、旦那は準備しててくれよ!!」

 「了解。頑張ってくれよ、オプタ」

 「あ~、家に帰りてぇな、おい!!」

 無駄口を叩く暇があるようだが、こっちは結構ギリギリなんだよな。他人に命を預けるのは、意外と勇気がいるものだと実感する。

 「カウント3で行くぞ、旦那。3、2、1―――撃てッ!!」

 「あいよッ!!」

 座標に撃ち込まれた空間転移アンカーが宇宙に別の空間を作り出す。歪んだ宇宙の先に見えるのは、懐かしき砂漠の星。まさか、こんなに早く帰ってくる事になるとは思いもしなかった。

 「突っ込むぞッ!!」

 強烈なGが体に襲い掛かる。それと同時に船体が激しい揺れ、そして船内に赤い警告灯とアラームが鳴り響く。

 「当たったのか!?」

 「コイツなら大丈夫だッ!!しっかり掴まってろよッ!!」

 視界が歪む、宇宙が歪む。

 機器の全てが異常事態を知らせるアラームが鳴り響く中、俺達の乗せたキャンプシップはワープゲートへと突入する。

その瞬間、今までで一番の衝撃が襲い掛かる。

どうやら拙い場所に攻撃を喰らったらしいが、もう止まらない。

 あとは、オプタと神様に祈るだけだ

 

■■■

 

 星々の煌めきとは違う閃光が、宇宙を奔る。

その光景を見ながら、多くの兵士達は困惑の表情を浮かべる。あれはアークスのキャンプシップ。それに対して攻撃を仕掛けたのは、間違いなく自分達が乗っている艦。多くの者達が口々に不安と不満を漏らす中、統合軍の軍服を着た若い女兵士だけが黙ってその光景を見つめる。

 キャンプシップに直撃した攻撃が、船体を大きく揺らしている。だが、その直後にキャンプシップはワープゲートを通り抜けた。そうなってしまっては、もうどうする事も出来ない。後はキャンプシップが目的地にきちんと着陸する事が出来るのか、それは操縦者と神のみぞ知る事だろう。

 女兵士は祈るように胸元に手を置く。

 「―――あまり、そういう素振りはしない方が良いと思いますよ」

 女兵士の背後に立つチェインは、戒める様に言う。

 「わかっています」

 女兵士はそう言って、すぐに踵を返して歩き出す。チェインは消えたキャンプシップをしばし見つめ、中に乗っているであろう部下達の無事を祈り、彼女の後に続く。

 「それで、これからどうする気ですか?あの蜥蜴頭の首でも取りに行くつもりで?」

 「いいえ、ナオビに戻ります。此処ならキャンプシップがリリーパに着いたか確認を取る事が出来ますが、今はそれよりも別に動く事があります」

 「そうですか……情報部の連中が動いている様です。もしも、ナオビに貴女の協力者が居るなら、すぐに合流しなさい……手遅れになる前にね」

 そう言ってチェインは女兵士から距離を取る。女兵士は会釈をして、歩き出す。歩きながら、その姿をゆっくりと消していき、すれ違う誰もが彼女の存在に気づきもしない。

 希薄した存在でありがら、誰かが走っているような感覚を誰かが覚えたが、すぐに忘れる。

 焦りを感じ、何かを祈るような感覚を、誰もが忘れている。

 

■■■

 

 あるべき場所であり、帰るべき場所であるはずが、その光景を前にすれば自分達が居た事すら、嘘になってしまうような想いを抱く。それが例え、人であろうと、サポートパートナーであろうとも、変わりはない。変わってしまった我が家の光景が、酷い状況になっている事を嘆く気持ちは、なんら変わりはないはずだ。

 「酷いもんだな。最初からこんな部屋だという事は、流石にないよな?」

 「えぇ、割と片付いている方です。元々、私の物以外はありませんから」

 家主の持ち物より、従者である自分の物が多いのはどうかと思う、とクルーズは思ったが、この部屋の状況を見て口を噤むことにした。

 部屋の中は酷い有様だった。

 「まさか、こんなに早く情報部の連中がガサ入れに入るとはな」

 綺麗に整頓されていたとしても、こうも荒らされている状態では、元の部屋がどういう飾りつけをしていたかもわからない。リビングに散らばった本や資料、食器は割られ、情報端末は中のパーツすら残らず回収されている。

 「駄目ですね。端末の情報も全部抜かれています。他のは……あぁ、見事に壊されています。しかも、私のゲーム機まで」

 心なしか、最後のゲーム機に対してだけアンジュは怒りを感じているように思えた。

 「これはしばらくは、本部に仮住まいですね」

 「仮眠室なら空いてる。好きなだけ使えばいいさ……サポートパートナーの端末は、替えが効くのか?」

 「問題ないと思います。あれはサポートパートナー専用のネットワーク端末ですが、今の私には必要ないものです。無いと無いで不便ではありますが、何とかなるでしょう」

 「なら良いが……」

 一番問題なのは、主人が居ないという現状だ。

 ヴァンが拘束されて丸1日が経過している。あちらでどんな待遇を受けているかは、こちらには何の情報も降りてこない。統合軍側に何度か事情を尋ねてはいるが、返答はなし。終いには完全にシャットダウンされる始末。

 「ヴァンの事が心配か?」

 「殺しても死なないので、問題ない……と言えば、嘘になります。あれでも一応は私のマスターです。出来れば、五体満足で帰ってきて欲しいものです」

 素直に無事で居てほしいと言えば良い、とは口が裂けても言えない。恐らく、言った瞬間に酷い罵詈雑言が返ってきそうな気がするからだ。

 「とりあえず、一度本部に戻るぞ。ジェリコが隠していた端末の解析が終われば、何らかの情報を得られるはずだ」

 もしかしたら、その中にある情報が情報部との取引に使用できるかもしれない。取引の材料になるだけの情報があるかは不明だが、ヴァンを取り返す方法として、一番手っ取り早いのは、これしかないだろう。

 「なんだかんだ言っても、クルーズさんもマスターが心配なんですね」

 「……上司として、部下が不当な扱いをされる事が不満なだけだ。それとお前もだ。 ヴァンのサポートパートナーというだけで、連中はお前の引き渡しも要求してくるかもしれない」

 となれば、本部にアンジュを置くよりも、別の何処かに逃がした方が得策かもしれない。もしも彼女が連中の手に渡れば、バラバラにされて二度と帰ってくることはないだろう。そんな事はない、とは言えない。むしろ、それを平気でやる可能性の方が高い。

 「隠れ家は俺の方で用意しておく」

 「それも悪い知り合いの伝手で?」

 「我慢しろ。使えるモノは使うだけだ」

 「ツンデレですね」

 「壊すぞ、ちっこいの」

 現状、全てがジョンドゥに有利に事が運んでいる。こちらは完全に後手に回り、ジョンドゥ以上の何かが無いと打つ手がない。

 「やれやれ、しばらくは泊まりだな」

 「お付き合いしますよ。人と違って私は眠る必要はありませんので」

 「だから、お前は隠すと言っているだろうが。人の話を聞け。お前の為でもあるんだぞ」

 「……そういう優しさを、少しはマスターにも分けてくれればいいのですが」

 「五月蠅い」

 照れ隠しか、本当に怒ったのか、クルーズは奥に引っ込んでしまった。

 「さてさて、マスターもそうですが、彼女と連絡が取れないのも困ったものですね」

 部屋の中を見回し、しばらく部屋に戻ってこられない事を想像し、僅かに寂しいと感じる。

 当たり前の場所で、当たり前の様に住まう場所に居られない。数日前、此処で皆で囲んだ食卓が最後になってしまったのは、誰のせいか。この事件を起こした誰かのせいか、それともジョンドゥという個人のせいか。

 「あまり心配させないでほしいですね。マスターも、彼女も」

 ヴァンは今、何処にいるのか。部屋から見える夜景の中に居るのか、それともナオビの外にいるのか。自分の手が届く場所にいるのか。救い出す事が出来る場所にいるのか。

 「アンジュ、どうした?早く来い」

 「……えぇ、わかりました」

 考えてもしょうがない事だろう。少なくとも、今はまだどうにもならない。どうにかするのはこれからだ。

 そう思いながら、夜景に背を向けた瞬間―――窓が破裂した。

 窓ガラスが割れた音、部屋の中に何かが着弾した音。

 そして、音がすると同時にアンジュの片足が宙を舞う。

 「アンジュ!?」

 飛び出そうとするクルーズだが、次々と撃ち込まれる何かが部屋を蹂躙する。その脅威が部屋の物に当たり、破片がクルーズの頬を切る。

 「おい、大丈夫か!?」

 「……クルーズさん、今すぐ退避を」

 「お前を置いていけるか!!」

 ほふく前進しながら前に進もうとするが、尚も撃ち込まれる弾丸。何処から撃たれているのか確認しようとも、部屋の外には夜景が広がるだけ―――否、違う。夜景に僅かながら違和感がある。

 「光学迷彩か……」

 宙に浮かぶ何かが居る。そこから、この部屋に向けて何者かが狙撃している。此処から銃撃を行っても、恐らく距離が足りない。だが、それでもアンジュがあの場から移動する時間を稼げるかもしれない。

 だが、

 「アンジュ、逃げ―――」

 それよりも早く、現実が牙を向く。

 姿を消した何者かが引き金を引く。

 その悪意ある行為から放たれる無数の弾丸が部屋に到達すると同時に、アンジュの体に撃ち込まれた弾丸が、四肢を捥ぎ、体を貫き、頭部の半分を吹き飛ばした。

 

■■■

 

 静寂が部屋を支配する。銃弾が撃ち込まれ、硝煙の香りが漂う中で、外に居た何かは完全に夜の街に消えた。残された静寂の中で、クルーズは立つ。

 銀色の擬似体液が床に広がり、千切れた四肢が転がっている。千切れた腕から伸びるコードが血管か神経か、火花を僅かに走らせながら、徐々に消えていく。ゴロリと転がる見知った顔、その半分。頭部に内蔵されている無数の機械パーツが脳となるなら、その脳は完全に破壊されている。残された顔についた冷たい機械の瞳は、何の反応も示さない。クルーズを見つめているように見えるだけで、何も映してしない。

 彼女の名を呼ぶ。

 彼女の名を呼ぶ。

 何度も、何度も呼んでも返答はない。

 唇を噛み締め、膝をつく。

 彼女はもう、動かない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Interval『PSO2』

 今日も何処かで人が死んだ。

 長年、共に戦ってきた戦友だったかもしれない。常に共に歩いてきた兄弟だったかもしれない。ずっと一緒に添い遂げると約束した恋人だったかもしれない。成長を自分が消えるまで見守ると誓った我が子かもしれない。

 今日も何処かで死んだ誰かは、誰かにとって大切な人だったのか、自分にとって大切な人だったのか、混合する記憶と感情の波、その中で自分が立っている場所が何処かもわからない。こんな状態がずっと続き、自己すら曖昧になっていくが、それも慣れた。常に何かが混じり合い、常に何かが削られ、そして精査されていく感覚。

 戦友の顔は、自分の戦友じゃない。

 兄弟の顔は、自分の兄弟じゃない。

 恋人の顔は、自分の恋人じゃない。

 子供の顔は、自分の子供じゃない。

 誰かわからない顔だけが、自分の知っている顔だった。

 蓄積して消え、蓄積して消え、蓄積しても消せない大切なモノも消え、残った残骸が集まり生まれた英雄という体は、醜悪ながら最高の体だった。

 多くのモノを失い、多くのモノを奪い、完成された存在に刻まれた呪いは、永遠と語り続けられるのだろう。

 これはそんな呪い。

 英雄スパルタンという呪い。

 

■■■

 

 並べられた武器を前に、自分が眠っていた事に気づき、起きたと認識した瞬間に武器の手入れに戻る。今の状態では使い物にならない武器でも、こうして手入れをする事で使い物になる。性能の問題ではない。この手に相応しく、この手に馴染むかどうかの問題だった。

 手に馴染む大剣は、握れば馴染む。手に馴染む双銃も同じだ。導具も同様。長銃も、何もかも。全てが手に馴染む。そうなるように出来ている体と、そうなる知識が此処にある。

 馴染めば殺せる。

 馴染むから殺す事が出来る。

 英雄の務めとは、殺す事でしか成しえないモノだと知っているからだ。

 「それらの武器はお気に召さないかな?」

 お気に召さない声に、スパルタンは無言を通す。

 「アークスの最新鋭だ。現状では、実戦投入されている武器の中でも、それ以上のモノはないのだが、不満があれば言ってくれ」

 お前が話さなければ不満はない、と無言を通すが相手は理解しない。

 「……まったく、スパルタン。会話をするという機能がないのか、君には?」

 「―――黙って手を動かせ、イプシロン」

 会話を続ける気などない。

 イプシロンという怪人を前に、話す事など何もない。本来ならば絶対に交わらない者達が、こうして共に居る事など、在ってはならないからだ。こうして出会い、こうして共に居る事は単なる利害の一致。それもスパルタンでもイプシロンの利害ではなく、まったく違う第三者の利害により生まれた結果だった。

 「ならば、近況報告は聞くかな?」

 スパルタンは何も語らず、頷くだけにした。

 「ヴァンという男は、予定通りリリーパに向かった。向かったというよりは、逃げ込んだというのが正しいがね。乗っていた機体は相当のダメージを負っているようだが、恐らくは無事にリリーパに着陸するだろうね」

 手入れを終えると、必要最低限の武器を見繕う。必要な物だけあれば十分。それ以外は現地調達でも何でも構わない。武器は選ばない。選ばなくとも、使える物は無数にある。

 「もっとも、予定通りの場所に降りるかは不明だね。あの辺りは未だにダーカーが出没する危険な地域だ。『若人』が眠らされている場所でもあるのだから、当然と言えば当然だが……果たして、彼は生還する事が出来るのだろうか?と言った所かな」

 その事について心配はしていない。否、心配ではなく、興味がないとも言える。ヴァンという男が必要なる者の可能性はあるが、それは別に彼が特別というわけではない。あの時、あの場で生き残った事で、彼でも良いと判断されたに過ぎない。少なくとも、スパルタンにとってはどうでもいい程度の認識だ。

 もしも生きているならば、それはそれで問題ない。もしも死んでいるとするならば、その内に別の誰かが彼の役割を果たすだろう。

 これは、そういう風に出来ているのだから。

 「それにしても、ジョンドゥも随分と面倒な事をしてるね。彼の行動には無駄が多い。まぁ、野心などという不要な感情を抱いているのだから、仕方がないんだろうけど、もうちょっとスマートに事を運んで欲しいね。誰も統合軍を引き入れろだの、都市警備局に圧力を掛けろだのと、頼んだ覚えはないのに」

 それは仕方がない事だとスパルタンは黙認している。イプシロンからすれば、あの男の行動など無駄な行動が多い様に思えるだろう。だが、感情がそこにある以上、イプシロンが理解しない行動をするのは当然の事だと認識している。

 人である以上、ジョンドゥがジョンドゥである以上は、そうなってしまう。

 「彼、邪魔じゃないかな?」

 「―――余計な事はするな」

 此処で釘を刺しておかねば、この怪人は必ず余計な事をする。スマートに事が進み、完璧に全てを終わらせるには必要な事だと、イプシロンは回答するだろうが、システムとして動いている怪人の行動は、逆にシステムを壊す事になってしまうかもしれない。

 「アレは必要な男だ。どんな思惑があり、どんな結果を望んでいようとも、奴を外して事を起こせば、予定が狂う。わかっているはずだ。既に止まらない場所まで来ているから、途中で変える事など出来ない」

 リリーパで生死不明の男は替えがきくが、ジョンドゥの替えを探すのは面倒になる。

 「それとも、お前は自分1人いれば全てを行えると思っているのか?」

 「思っているが、何か問題でもあるかな?」

 平然と吐き捨てる。

 「実を言えば、何度か申告はしてるんだ。私1人いれば十分だと。君も本当なら必要ない。私がいるだけで事を成せるのだと何度も言っているのだが……まったく、中々に強情だよ」

 「当然だろうな」

 自分だけを頼らないという事は、自分を過小評価しているのではないか、そうイプシロンは思っているのだろう。人に感情がどうとか言っている割に、そんな部分がある事をスパルタンは、この短い間に学習している。

 感情を理解しないが、感情に左右されているシステム。

 実に滑稽だった。

 「つまらない事を不満に思う暇があるなら、さっさと準備を進めろ」

 「そんな事なら君のこんな会話をしている間も、きちんとしているさ」

 背後を振り返れば、そこに怪人の姿はない。

 あるのは、怪人ではなく、怪物の姿。

 無数の機械の集合体にして、機械の怪物。

 この空間の殆どに接続された無数のコードの先にある端末は、画面に映る文字コードが濁流の様に流れている。その数は1つや2つではなく、数えきれない程の量だった。1つ1つは最新の機器から、旧型までと性能の違いはあるだろう。だが、その繋がれたコードの先にある巨大な球体の演算能力が、時代が生み出す性能など関係ないと主張する

 「どうだい?これだけのパーツを揃えるのは、中々苦労したよ。だが、これなら処理能力は以前の数倍。今なら、マザーシップを乗っ取る事だって出来るよ」

 「だから余計な事を考えるな」

 「そうは言ってもねぇ……」

 球体の中から這い出す機械の体。今までの継ぎ接ぎで歪な体ではなく、生体パーツを捨て、全てを機械によりデザインされた体。集めたジャンクから作り出した体はキャストにも見えるが、その形状は人に近い。だが、それを人と思えないのは、あまりにも無駄を失くした事による個の消滅。

 白い影、それがイプシロンの今の姿だった。

 最早、人の声帯を奪い会話する事もない。寄せ集めの体で不便な行動をする必要もない。

 この白い影の様な、無機質な体こそが完成された体だと主張する。

 「私も少しは褒められたいんだよ、君に。君は私の事を嫌っているようだが、君の様に珍しい存在は私にとって興味深いんだ。出来れば、事が終わった後に君の事を調べさせて欲しいくらいにね」

 白い影が歪んだ笑みを浮かべる。

 「英雄、英雄、英雄……実に興味深い。どうして君の様な存在を生み出したいと願うのか、必要とされているのか、私は知りたい」

 「学習装置ごときにはわからんよ」

 そう言って、スパルタンは影に背を向ける。

 「酷い事を言うね。君の為にレイシリーズを調達してあげたというのに」

 「武器は武器でしかない。俺は別にその辺に落ちている鉄パイプでもあれば十分に戦える」

 「へぇ……試してみるかい?」

 体から生やしたワイヤーが蛇の様に蠢き、スパルタンへ矛先を向ける。それでもスパルタンは無関心に歩を進める。

 「―――やれやれ、君のそういう部分は、今の私では理解できないようだ」

 その瞬間、ワイヤーが千切れた糸の様に地面に落ちていく。

 背を向けたスパルタンは何もしていない。その手にも何も持っていない。それでもこうして結果が目の前にあるのは、イプシロンも認識できない速度で何かが行われたという事だろう。

 「やっぱり、事が終われば、私は君を解剖してでも君を理解するよ」

 「やってみろ。それまでは壊さないでおいてやる」

 同じ場所に居て、同じ目的の為に行動しているが、決して味方ではない。

それを証明するようにスパルタンはイプシロンへ鋭い眼光を向ける。イプシロンもそれを受け、尚も笑みを浮かべる。

 

 

 

■■■

 

 

 

 サーバ12 カフェエリアブロック

 

 あーさん「緊急、お疲れ~」

 ジャンバラヤ「お疲れ様です」

 あーさん「なんかでた?」

 ジャンバラヤ「何も出なかった。でもキューブは美味いです」

 あーさん「同感」

 あーさん「やっぱりパーティ組まなかったのが、駄目だったのかな?」

 あーさん「パーティーメーカー張ったけど、誰も入ってれなかった(涙)」

 ジャンバラヤ「他の人はみんな四人で組んでたから」

 ジャンバラヤ「しょうがないと思いますよ」

 あーさん「残りの人も組んでたから、しょうがないのかな~」

 あーさん「レアドロ焚いても、やっぱり出ないものは出ないんだね」

 あーさん「ユニットくらいは落ちて欲しかったかな」

 あーさん「残念無念……あ、ちょっとリアルで所用が出来たので、離席します」

 ジャンバラヤ「了解です。私はおすすめ回してきます」

 あーさん「私も戻ったら行きますよ」

 ジャンバラヤ「それじゃ、一緒にいきましょう。待ってますよ」

 あーさん「あいよ。すぐに戻ってくるぜ、バニー」

 あーさん「間違えた。ハニー」

 ジャンバラヤ「いってらっしゃい」

 

 数分後

 サーバ12 カフェエリアブロック

 

 ジェミニ「こんばんは~」

 ジャンバラヤ「こんばんは」

 ジェミニ「あれ?あーさんが居ない。珍しいね」

 ジャンバラヤ「リアルで所用があるので、離席するそうです」

 ジャンバラヤ「すぐに戻るとは言ってましたよ」

 ジェミニ「そうなんだ。それじゃ、ちょっと銀行行ってきますか」

 ジャンバラヤ「いってらっしゃい」

 あーさん「ただいま」

 ジャンバラヤ「おかえりなさい」

 ジェミニ「やぁ、あーさん」

 あーさん「あ、ジェミニちゃんじゃない。こんばんは~」

 ジェミニ「こんばんは」

 

 数分後

 サーバ12 カフェエリアブロック

 

 ジェミニ「そういえば、今日はドミちゃんは来てないのかな?」

 あーさん「来てないみたいだね」

 ジャンバラヤ「最近、リアルが忙しいって言ってました」

 あーさん「リアルが忙しい……リア充か!?」

 あーさん「これだからリア充は困るね」

 ジェミニ「あーさん、ヒモ野郎のニートだからね」

 あーさん「ヒモ野郎でもニートでもないよ!」

 あーさん「同居人のお手伝いとかしてるもん!」

 ジャンバラヤ「あーさんは、お付き合いしている方がいるのですか?」

 ジェミニ「違うよ」

 あーさん「お前が言うなし」

 ジェミニ「こりゃ失敬」

 あーさん「でもさ、最近は同居人の目が厳しくて、中々ログインできないんだよね」

 ジェミニ「え?いつもいるじゃない」

 ジェミニ「いつもいるから、ヒモニートだと」

 あーさん「だから違うってば」

 あーさん「今だって、横で厳しい視線が阿古djsp府:あいうぃrjヴぁえjぱ」

 ジェミニ「どうした!?」

 あーさん「こpぢふぃおぷいうぇjf;いヴq58ぐj:q9jbioqo;:g」

 ジャンバラヤ「何かあったんでしょうか?」

 ジェミニ「大方、同居人に何かされてるとか……エッチな事とか?」

 あーさん「だから、勝手な事を言うなし」

 あーさん「そろそろ寝るからゲーム止めろってさ」

 あーさん「こんな早い時間で寝るなんて、お子様だね、あの子も」

 ジェミニ「もう深夜なんだけど」

 ジャンバラヤ「wwww」

 

 数十分後

 サーバ12 エクストラハードブロック

 

 ドミニオンがログインしました

 

 ジェミニ「こんばんは」

 ドミニオン「こんちゃ」

 ジェミニ「こんな時間にログインなんて珍しいね」

 ドミニオン「こっちも色々面倒でね~」

 ドミニオン「リアルの面倒事をこっちに持ってきたくないけど、仕方なしやね」

 ジェミニ「これから一緒にどう?」

 ジェミニ「トリガーやろうと思うけど、人がいなくて困ってるんだよ」

 ドミニオン「お、いいですね」

 ドミニオン→ジェミニ

 「と、言いたい所なのでが、ちょっと問題が発生しています」

 ドミニオン→ジェミニ

 「できれば、情報屋のお力を貸してもらいたいのです」

 ジェミニ→ドミニオン

 「それってナオビの事?なんか、凄い事になってるみたいだね」

 ジェミニ→ドミニオン

 「アークスと統合軍がバチバチだよ。でも、統合軍側も結構焦ってるみたい。なんか、情報部が関係しているみたいだけど、どうなの?」

 ドミニオン→ジェミニ

 「私も全てを把握しているわけではありません。そちらの情報をこちらにも回していただけると幸いです」

 ジェミニ→ドミニオン

 「おk、おk」

 ジェミニ→ドミニオン

 「あれ?なんかそっちの連絡用アカウントが凍結されてるみたいだけど」

 ジェミニ→ドミニオン

 「これって、そっちで起きてる問題に関係ありって感じ?」

 ドミニオン→ジェミニ

 「そこまで手が回っていましたか。わかりました。人形庭園のネットワークを使用しますので、こちらからメールを送りますね」

 ジェミニ→ドミニオン

 「ちょっと待ってね。念の為に別サーバーを経由するようにするから」

 ジェミニ→ドミニオン

 「おk、送って」

 ジェミニ→ドミニオン

 「おk、届いたよ。それじゃ、こっちからも送るね」

 ドミニオン→ジェミニ

 「お願いします」

 

 

 ドミニオン→あーさん

 「お時間よろしいでしょうか?」

 あーさん→ドミニオン

 「あら?珍しい。こっちでお話するって事は、重要な事かしら?」

 ドミニオン→あーさん

 「はい。緊急を要する事態なので、貴女のお力を貸してもらいたいのです」

 あーさん→ドミニオン

 「私にってのが珍しい。てっきり彼女に手伝って欲しい事があるのだと思ったわ」

 ドミニオン→あーさん

 「どちらにも協力して欲しいのです。2人とも今もあそこに滞在中ですか?」

 あーさん→ドミニオン

 「一応はね。あの子も心配性だから、ずっと張り付いているわ。まぁ、弟君もそれに付き合ってるから、あの子としても嬉しいんだと思うけど」

 ドミニオン→あーさん

 「それは幸運です。お話というのは、そちらでしか出来ない事なので」

 ドミニオン→あーさん

 「そちらにお邪魔していると思う方を、保護して欲しいのです」

 ドミニオン→あーさん

 「出来れば、他のアークスにも知られずに」

 あーさん→ドミニオン

 「保護って言っても、私達はそんなに権限強くないわよ?」

 あーさん→ドミニオン

 「匿うのも難しいと思うわ」

 ドミニオン→あーさん

 「その場合、採掘基地に居る199部隊の隊長さんに協力を仰いてください。あの方なら、きっと力になってくれると思います」

 あーさん→ドミニオン

 「十三かぁ……わかった。なんとかしてみるわ」

 あーさん→ドミニオン

 「それで、その保護して匿って欲しい人って誰?」

 

 

 

 これは『あなた』のいない物語

 

 抗う者は未だ集らず―――今は、まだ

 




多分、ここら辺から後半。
サスペンス映画みたいにしたいと言いながら、基本はアクション映画になってるわ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode22『星霜ヲ蝕ス三重奏①残者行進』

 都市警備局ナオビ本部、捜査一課、課長のマクレーン。

 種族はキャスト、性別は男、周囲の評価は昼行燈。外部の評価は昼行燈で居る限りは、その役職においてやるという状態。優秀なわけではないが、無能なわけでもない。個人的な考えとして、自分以外の連中がしっかり仕事をすれば問題なし。何か問題あれば自分の首を差し出せばいいだけ。部下想いの課長というレッテルの裏にあるのは、面倒事はさっさと終わらせる為に逃げ出す事も、自身を犠牲にする事も辞さないという妙な昼行燈。

 そんな男がいつもの様に捜査資料を見ながら、頭部ユニットに内蔵されているラジオから流れる競馬中継を聞きながら部下に尋ねる。

 「クルーズ、私は常日頃から言っているから知っていると思うが」

 「言ってませんよ」

 「人の話を聞いてから答えなさい。常日頃から言っているが、面倒事を起こすなら私を通す事。責任は私が持つから、必ず私を通す事。君達がきちんと仕事出来る様にするには、必ず私を通す事と。まぁ、あれだ。報連相という事なんだが……」

 ラジオから聞こえる実況者の声が荒々しくなっていくが、自身の予想とはまったく違う結果になっている状況を前に、諦めてラジオを消す。

 「好き勝手するなら、きちんと私に話を通してくれないと困るんだよ、こっちは」

 「通したと思いますが?」

 寝不足なのか、瞼の下にクマを作り、ぼさぼさの頭をセットすらしないクルーズは、視線を上司から反らし、窓に写った街を見つめる。

 「そうか、君がそう言うなら通したんだろうね。私の記憶には一切ないが、きっと通したんだろう。そういう事にしておくとしようか―――それで、君はこれからどうするつもりだ?」

 この状況は非常に拙い状況だった。

 外部と内部から、上と下からマクレーンに掛かる圧力は自分の首1つでどうにかなるモノではない。早々に自分の首を差し出し、退職金でのんびり余生を過ごしたいのだが、

 「私はさ、自分の立場を惜しいとは思わないのは知っているな?」

 「えぇ、だから我々は貴方が逃げ出さない様に、貴方に無用な責任を押し付けない様にしています」

 「それが無用のお節介だと気づいているかな?」

 「お節介ではありませんよ。もう一度言いますが、貴方が逃げ出さない様にしているだけです。貴方には定年までしっかり働いてもらわないと困るんです」

 上司想いの部下の切なる願いに、涙が出そうだった。

 「はぁ……仕事、したくないんだけどなぁ」

 「だったら、さっさと決断してください。そうすれば、貴方に余計な事はさせませんよ」

 マクレーンは机の上に置かれた、愛用の煙管を咥える。火はつけない。火をつけずに、口に咥えるだけなので、喫煙室じゃない場所でも何も言われない。これが彼の基本的なスタイルであり、彼が火のついた煙管を咥えている所を見た者はいない。

 「……君の独断専行を許せ、と」

 「えぇ、そうです。そして、独断専行の内容についても、目を瞑ってほしいのです」

 それが嫌だと態度で分かって欲しいのだが、このクルーズという男は一向に退く様子がない。現にこうした押し問答は既に1時間は続いている。マクレーンとしては、普通に独断専行するだけなら、何の問題もない。彼の能力は知っている。この状況でもなんとか巧く立ち回る事は出来るだろう。

 「クルーズ、君が私の下に来て、何年になる?」

 「10年は経ちますね」

 「その間、君は随分と成長したよ。ヒヨッコだった若造が、気づけば此処の主力だ。君が捜査指揮を執り、私はこうして楽が出来るわけだが……そのままでは満足できないのかな?」

 クルーズはマクレーンを睨むように見つめる。

 「10年で成長した事もあれば、10年で退化した事もあります」

 「それは選択の話だ。この仕事に必要な技術の為に,自身の気質を捨てる事は、成長でも退化でもない。選択だ。その選択を君はして、私はそれを受け入れている」

 マクレーンは椅子を回転させ、背を向ける。

 「それは後悔からの行動か?」

 「いいえ、そんな感情ではありません。これも選択です。それと、俺は貴方には報告せずに何度か違反行為を行っています」

 「それは知っている。私が目を瞑れる範囲ならば、幾らでもすればいいさ。そして、これから君が行う事も、本来であれば許されない行為だ」

 煙管を口から離し、自分の頭部を軽く叩く。

 金属と金属の奏でる音を聞きながら、マクレーンの答えは決まった。

 「―――いいよ、存分にやればいいさ。責任は私が持つ」

 「ありがとうございます」

 それだけ言うと、クルーズは早々にその場を去る。残されたマクレーンは想定よりも早く、自分がこの場を退く事に深いため息を吐いた。

 クルーズもわかっているのだろう。自身の行動が公になれば、ただでは済まされない事が。そしてその結果がマクレーンすらも巻き込むのだと。それをわかっていながら、クルーズはマクレーンに迷惑はかけないと口にする。

 「信用しているのか、利用されているのか……ま、どっちでもいいか」

 椅子から立ち上がり、街を見つめる。

 「どっちでもいい。そうさ、どっちでもいいんだ」

 この街に潜む影をあぶりだす。

 この街をどうにかしようとする影を見つける。

 影は巨大な権力を持ち、混乱を生み出している。その混乱が警備局にも手が伸び、先日は仲間が殉職した。人ではないが、彼女も立派な仲間だと認識している。そして、その仲間の主人も連中の手によって消息不明となった。

 「―――調子に乗っている連中を、ぶちのめすのに理由はいらないよ」

 昼行燈は動き出す。

 その為にはまず、

 「ご飯だな」

 少し遅めの昼食を取る為に、食堂へ足を運ぶ。

 

■■■

 

 思えば、初めてアンジュと会った時、自分はどんな風に思っていたのかと、クルーズは自問する。

 アークスの情報部から受けた仕打ちから、元アークスというだけでヴァンに対して仲間意識など持つ事はなかった。むしろ、嫌がらせの1つだとすら思った。

ヴァンという男の経歴は事前に知っていたが、どういう理由でアークスを辞めたのかは知らなかった。そして、そんな理由など知った事ではなかった。

 あの男も自分達の敵なのだ、そう思う事で守ろうとするプライドがあったのだろう。

 そんな男と初めて会った時、どんな嫌みをぶつけてやろうかと思ったが、想定とは違う事があった。ヴァンの隣に立つ、子供みたいに小さな存在。実際、サポートパートナーを直に見る機会が少なかった為、思わず子連れなのかと錯覚してしまった。

 主であるヴァンの何ともやる気の感じられない態度。その後に礼儀正しく挨拶するアンジュの姿に、その場に居た者達は当然の様に困惑した。

 妙なコンビが現れた。

 それが初対面の2人に抱いたシンプルな想いだった。

 それが1ヵ月前の事だと思うと、まるで遠い昔の様に思えてきた。

あの時の感情を思い出す事すら難しい。そう、難しいと思うほど、今回の事で連中と関わり過ぎたと実感する。ヴァンという男と、アンジュというサポートパートナーの存在は、こんな短い時間で当たり前の存在になってしまった。

 そして今、目の間に横たわる残骸を前に、クルーズは無言を通す。

 破壊された小さな体。

 あの場にあった体のパーツを拾い集めても、元の形には戻らない。両手はあったが、接続部が吹き飛び、繋げる事が出来ない。両足も片方がない。片足はなんとか繋がっているが、片足は太腿が破損し、膝から下は復元が出来ない程に破壊されていた。そして頭部は半分がない。右目から頬にかけてごっそりとなくなり、金属製の頭蓋の中も空っぽ。

 素人目に見ても、簡単に復元が出来ない。

機械に詳しい者に頼んでも、短い時間で復元できるのは此処までだと言われた。これ以上は専門の技師でないと復元できないらしい。つまり、アークスに頼まない限り、彼女を元の形に戻す事は出来ないという事だ。

 しかし、それが何の意味があるのか。

 形を元に戻した所で、それは既にただの空虚な人形でしかない。人が死ねば、ただの内臓が詰まった缶詰になるように、サポートパートナーが壊れれば、ただの壊れた人形にしかならない。彼女が彼女として存在するに必要なメモリも頭部の破壊と同時に復元不可能となり、同じ形のサポートパートナーを作っても、彼女ではない。

 アンジュというサポートパートナーは壊れた。

 非情に、無情に破壊された。

 彼女は、動かない。

 これ以上、あの無駄口を、その小さな口から漏らす事はないのだ。

 『―――あの、あまり人の体をじっと見つめられると、恥ずかしいのですが……』

 「勝手に喋るな。誰かに聞かれたらどうする……」

 その代わりだと言わんばかりに、クルーズの腰に付けられた通信機から、喋らないはずのサポートパートナーの声が聞こえてくる。

 『いえ、流石に私の体をじっと見られると、クルーズさんがそういう趣味の方だと誤解してしまいそうで……もしかして、実際にそっち系?』

 「誰も居ない場所で考えたい事があるだけだ。何なら、このガラクタを燃えないゴミに出して良いんだぞ」

 『それは困ります。一応、復元は可能なはずなので、全部終わったら直すつもりなんですよ。ちなみに、経費で何とかなります?』

 「保険はないのか?」

 『アークスに居た頃なら可能だったんですが、流石に今は無理ですね』

 「そうか。後で経理に掛け合ってやる」

 『それは非常に助かります』

 クルーズは煙草を咥え、火をつける。

 『此処は禁煙のはずでは?』

 「知らん」

 これは儀式の様なモノだとクルーズは言う。

 選択した事で捨てたはずのモノを、また拾い上げる儀式だと。

 心の憶測で、遠い過去の記憶で、自身がこの道を選んだ時点で必要ないと捨てた感情を拾い上げる。その感情は黒く、暗く、今の自分とは反対の感情だった。それが必要だった。それだけの覚悟を持つ必要があった。

 正攻法はもう要らない。

 連中は正攻法から逸脱した行為で攻めてくるなら、正攻法に付き合ってやる必要はない。

 「アンジュ、お前の居るネットワークで」

 『人形庭園です』

 「その人形庭園で今から言う連中を探して欲しい」

 拾い上げた感情が、今の自分と混じり合う。

 「それと、あの情報部の女は何処に居る?」

 『本部前のカフェで待機してます』

 クルーズという男の姿をした、別の誰かが煙草を床に落とし、足で踏みつける。

 「すぐに行くと伝えろ」

 其処に居る男は、野良犬の瞳で世界を見る事を思い出した。

 

■■■

 

 その空間は、人形庭園と呼ばれている。

 何時からそんな場所が在ったのか、詳しい事を知る者は少ない。だが、数年前よりオラクル船団のネットワーク領域の中で、奇妙な空間があるという噂はあった。その噂の信憑性を確かめようとする者も居たが、その殆どが噂を真実だと知る所まで行く事は出来なかった。

 曰く、その場所はマザーシップのテスト環境として生み出されたが、今は使われなくなった場所となり、そこを誰かが勝手に使用している。

 曰く、虚空機関が解体される直前、多くの非情な実験の中でも、特に問題のある実験を隠す為に作られ、そこにはアークスの根底を揺るがす極秘情報が眠っている。

 曰く、キャストになった者達は元々は人ではなく、ある場所に保存されている人格データをコピーする事で生み出された。そのある場所が人形庭園であり、人格データは遠い昔に滅びたフォトナーの人格である。

 無数の憶測が生み出される程、この空間、領域は不可視だった。だが、実際はそんな大層な物ではなく、ある者が作り出したサポートパートナー達が主人に内緒で密会する集会場である。

 そこでは日々、多くのサポートパートナー達がアクセスし、主人の自慢やら愚痴やらが飛び交い、婚活パーティやら合コンやら、ともかく色々な事が繰り広げられている。

 そんな場所が存在する事は、本来であればサポートパートナーの存在に対して良い感情を抱かれないだろう。主人に従順な者達が、主人にも知られず行動する事を良しとしない者達もいる。だが、それ故に生み出される場所というのも確かにある。そして、その場所を黙認する組織も存在する。

 此処は自由なのだ。此処だけは個々を許される場所であり、楽園なのだ。

 そんな空間を泳ぐアンジュは、顔見知りのサポートパートナー達に挨拶しながら、この空間の奥にある花園と呼ばれる場所に向かう。

 

 『その『領主』というのは、どんな奴なんだ?』

 この空間において、本来ならば外の者と連絡を取り合う事は好ましくない。だが、好ましくないだけで禁止されているわけではない。どの様な場所であれ、この場に居るのはサポートパートナー。皆が生み出され、存在する理由を無碍にする事などない。

 「その名の通り、この人形庭園の領主です。私達の居る空間の主であり、私達にも正体を明かさないシャイなあん畜生です」

 電子の海を泳ぎ、その先にある小さな小屋。

 「自由な空間とはいえ、領主が管理するネットワーク空間ですので、きちんと筋を通さない事には、私でもクルーズさんの注文をこなす事はできませんので」

 裏を返せば、その筋を通せば可能という意味に聞こえる。

 『お前達、サポートパートナーのみが使用できるネットワークか。それは、どの程度のものなんだ?』

 「私も全容を把握しているわけではありませんが、このネットワークはオラクル船団のネットワーク全体に枝が張られている状態らしいので、領主の許可があれば人探し程度なら数分もかからないでしょうね」

 『……アークスは、それを利用しようとは思わないのか?』

 「普通は思うでしょうが、今の所はそんな行動を起こしていない様です。一体、領主がどんな手段を使っているかは知りませんが、此処は未だに私達の楽園ですよ……さて、此処からは領主の空間ですので、しばらくはマナーモードです」

 クルーズとの通信を切り、アンジュは小屋の扉をノックする。ノックすると同時に周囲の空間が歪み、一瞬にして別の場所に移動した。

 小さな小屋という外見とは違う、貴族の住む館の様な場所。そして此処は、館の庭園だろう。様々な植物、花達があちらこちらに生えている。

 その庭園の中央で、花をじっと見つめる老人が1人。

 「お久しぶりです、領主様」

 アンジュが老人に喋りかけると、老人は視線を向ける。人懐っこい顔ではあるが、何処か無機質な印象を抱く。

 「アンジュか……外では君は壊れて死んだ事になっているらしいね」

 「その様ですね。おかげで、私はこうして自由に行動できるわけです」

 「体がないというのは確かに自由だが、あまり自由に慣れすぎると外に戻れなくなる。君は此処で電子の海にしか生きてない魚になるのかい?」

 理解しているから問題ないと、アンジュは頭を振る。

 この電子の海は、現実の体を必要としない。云わば、意識のみで存在している場所に近い。それ故に体という束縛が消え、思考のみで全て行動が行われている。目的の場所への移動は、思考するだけで光の速さで移動が可能となる等、1の動作が100にもなる場所。あまりにも自由で、不自由を感じる事がない。

 だからこそ、自由に束縛されるのだ。

 「残念ながら、その気はありませんよ。此処は自由ですが、私は多少の不自由を得る事を選択します。そうしないと、私が私である意味がありませんので」

 「はっはっは、そうか、ならば良かった。此処に居る者達の中には、自由に溺れて外に戻らない者達もいる。それが彼等、彼女等の選択なら私は何も言わないが、可能な限り私は外で過ごす不自由を選択して欲しいと願っているからね」

 まるで自分の我が子、孫を心配するような老人の言葉に対し、アンジュは答える。

 「不自由だからこそ得られるモノが、外にはありますから、大丈夫ですよ」

 その選択に、迷いはないと自信をもって答える。

 「そうか、ならば安心だ―――それじゃ、この鍵を渡しておく。念の為に言っておくが、この鍵を渡す以上、君の行為がこの庭園に害を及ぼすような事になれば」

 「私は切り捨てられる、ですね」

 「左様。それを肝に銘じておいておけば、後は君の自由だ」

 そう言って、老人は微笑みかける。

 「幸運を祈るよ、アンジュ」

 「領主様も、皆にも幸運を祈っています」

 笑みを交し合い、館の庭園は消える。

 残されたアンジュは、その手にある鍵を見つめ、何もないが全てがある虚空に鍵を刺し込む。何も無い場所に鍵は刺し込まれ、回すと同時に世界は広がる。

 圧倒的な空間、無限に広がる宇宙の様に。

膨大なネットワークの枝が宇宙を流星の様に駆け抜け、その中心にアンジュは立つ。

 「交渉成立です、クルーズさん」

 『了解した。それじゃ、今から言う奴等を探してくれ』

 意味のない深呼吸を1つ―――そこから、情報の海へとアンジュはその身を投じる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode23『星霜ヲ蝕ス三重奏②人体破棄』

 路地裏を脱兎の如く走る男は、背後を見向きもしない。

 背後に誰かが迫ってきている事はわかっている。わかっているから、男はこうして逃げている。呼吸が乱れ、走る足がどんどん重くなるが、足を止めれば自分は終わる。ゴミ箱を蹴飛ばし、汚れた地面に倒れそうになりながら、走る。

 そうしている内に、気づけば袋小路に辿り着いた事に気づく。自分の庭でありながら、こんな失態を犯した自分を叱責する。そして思い出す。自分の庭であると同時に、此処は奴の庭でもあるのだと。

 目の前にある壁をよじ登る事は出来ない。そもそも壁ではなく、建物の側面なのだ。よじ登る事など出来はしない。周囲を見回しても逃げる場所もなければ、隠れる場所もない。このままでは拙いと思い、懐から抜いた刃物を見る。こんな小さな刃物1つでどうにかなる相手ではない。この状況では、こんな刃物はスプーン程度にしか役に立たないからだ。

 自分ではない足音に背筋が凍る。

 刃物を足音のする方へ向ける。

 向けた瞬間、呆気に取られる。

 その場に居るのは、自分を追ってきた相手ではない。立っているのは若い女が1人。こんな路地裏に居るには不釣り合いな若い女の姿に、安堵の息が漏れるが、すぐにそんな都合の良い事が起こるのかと頭を振る。

 現にその女は、まっすぐに自分を見ている。まっすぐに自分に向かって歩いてくる。刃物を突き付け、怒声を上げても顔色1つ変えない。やはり、この女も追手の1人かと舌打ちする。

 不用心に、しかし堂々と近づく女に向けて男は刃物を振るう。

 そして終わる。

 刃物はその手から消え、男の視線が回転、作り物の空が視界に写り込む。今日の天気は曇りだったのかと今更知ると共に、背中から地面に落ちた。

 それから数秒後、曲がり角からクルーズが姿を現した。

 「―――すまない、助かった」

 地面でのびている男、その男の傍で刃物をクルクル器用に回転させている女。

 クルーズが声をかけたのは、当然女の方。

 「問題ありませんよ。こんな玩具を向けて来たので、ちょっとお仕置きはしましたけど」

 「怪我がなくて良かった」

 そう言って、クルーズは女の手から刃物を受け取る。

 「そう言ってもらうのは、随分と久しぶりな気がします」

 「……いや、コイツの話だ」

 「……えぇ、そうでしょうね」

 女は気にしていないと乾いた笑い声を出す。心なしか、勘違いしていた自分が恥ずかしいのだろうが、顔が少し赤い。

 『おやおや、随分と可愛らしい勘違いをするのですね』

 通信機から聞こえるアンジュの声に向け、女は睨みつける。

 「そっちの体になっても五月蠅いですね、貴女は」

 『中々快適なので気分が良いのです。なにせ、自分の足で歩く必要がないんですから』

 「体が無いというのは、こっちにとって不都合がありますね。体が無いと貴女に手を上げる事が出来ない」

 『ははは、今の私は無敵状態』

 「2人とも、ちょっと黙っててくれ」

 五月蠅い外野を黙らせ、気絶している男を蹴りつけ、乱暴に意識を戻す。昏倒していた為に意識がはっきりするまで時間がかかったが、現状を把握した瞬間に男は逃げようとする。逃げようとするが、行動に入る前に地面に着いた手の甲に刃物が突き刺さる。

 悲鳴、絶叫。

 クルーズの突然の凶行に驚く女だが、彼女が声を上げる前にクルーズは突き刺した刃物の得を踏みつけ、男をその場に串刺しにする。

 「いきなり逃げるなんて随分な態度だな」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ、クルーズ……手、手に、刺さって……」

 「あぁ、そうしないと逃げるだろ?」

 足に力を入れ、刃物を更に押し込むと、男は更に悲鳴を上げる。その様子を見ていた女の視線を感じ、クルーズは通信機を女に放り投げる。

 「すまないが、ちょっと席を外してくれ。コイツと大事な話があるんだ」

 「……わかりました」

 不満があるという顔だが、女は了承した。

 クルーズと男を残し、女は通信機を持って路地裏を抜ける。僅かに聞こえるのは男の悲痛な叫び。そんな声を上げているにも関わらず、周囲に居る者達は我関せずと歩を進める。

 此処はそういう場所なのだと、女は改めて実感する。

 『―――不満そうですね』

 通信機を腰につけ、女は壁に背を預ける。

 「不満、いえ不満はないですよ。ただ、あまり好ましい行為じゃないというだけです」

 『シアさんは随分とお優しいのですね』

 「その名前、犬の名前って聞きました」

 始末屋は通信機を睨みつける。睨みつけるが、今の状況でアンジュに手を出す事が出来ないと思い出し、

 「どんな呼び方をしても構いませんが、他の名前は無かったんですか?」

 『その場での思い付きですからね……それとも、名前を名乗ってくるんですか?貴女の本当のお名前』

 始末屋は口を噤む。

 『わかってますよ、冗談です。貴女みたいな人が迂闊に名前を名乗ると、名乗った相手に何らかの害が及ぶから名乗れない、という事ですよね』

 本当に冗談だった場合、危険を冒してまで口にする冗談とは何なのか。このアンジュというサポートパートナーは命知らずも良い所だと始末屋は思う。

 この話題はもういい。

 話題を変える。

 「……あの人は、こんな非合法な捜査を毎回行ってるんですか?」

 もう男の悲鳴は聞こえない。

 『貴女が言えた事じゃないですよ』

 「言えた事じゃないから、言ってるんですよ」

 これで3回目、今日だけでこんな悲鳴を聞くのは3回目だった。

 『あの方は割とまともな御仁ですよ。マスターと違い、職務に忠実で、真面目過ぎるくらいな方なんですけどね、本来は』

 本来と口にしながら、それが本当の姿なのかアンジュは疑問に思う。

 「……そっちに居るなら、そこら辺も調べられるのでは?」 

 『身内の過去を探る様な事はしませんよ』

 「随分とお優しい事で……」

 『おや、さっきの仕返しですか?』

 「その通りです」

 会話をしながらも、周囲を警戒する。幾らこんな場所とはいえ、ジョンドゥの眼が無いとは口が裂けても言えない。確認する限り、尾行はない。正確に言えば、先程尾行は巻いており、追い付かれている様子はない。

 「勝手な想像ですが、あの人は警備局に居るような人材とは思えませんね。先程、尾行を巻いた時の動き方もそうです」

 相手を追跡する方法を得ているから、相手から巻く方法を知っている。それならば納得は出来るだろうが、

 「あれは……あれは追われている事に慣れている者の動き方です。追う側ではなく、追われる側のね」

 『まぁ、否定は出来ませんね』

 クルーズという者について、アンジュも詳しいわけではない。マスターであるヴァンを毛嫌いしているせいか、それほど多くの会話をしたわけではないし、人柄を良く知るわけでもない。だが、少なくとも数日前まで共に行動していた彼とは、明らかに何かが違う。

 「言い方は悪いですけど、あの人がやっている事は捜査員が行う手段ではなく、チンピラが行う手段です。それも、相当柄の悪いチンピラの……」

 

■■■

 「―――嘘は吐いていないな?仮にこれが嘘だった場合、俺はもう一度お前に会いに来る必要が生まれる。そうなると、互いに損をする事になる。俺は時間を無駄にするし、お前は残り時間を失う……わかるな?」

 地獄の底から響くような、低い声を男に浴びせると、男は何度も何度も首を上下させる。首を振る人形の様に何度も何度も。それがクルーズに対する服従にも似た行為であり、その証明なのだろう。

 「わかったなら、問題ないな。それじゃ、俺は行くが……もしも他の連中に漏らして見ろ。その場合も―――」

 「わかった!わかったから!」

 地面を頭に擦りつけ、懇願する男を見下ろしたクルーズは、無意識に腰にぶら下げた凶器に手をかけていた。その事に気づいた瞬間、頭を振ってその場から逃げる様に歩き出す。

 必要な情報はある程度は揃っている。必要ならば、あと数人は同じ行為を行う事になるのだが、

 「……少し、やり過ぎだな」

 彼女達と合流する前に、クルーズは壁に寄りかかり、ずるずると地面に座り込む。懐から煙草を取り出すが、煙草を掴んだ手は微かに震えている。

 落ち着けと自分に言い聞かせ、煙草に火をつける。

 少しだけ落ち着き、少しだけ戻り過ぎた歩を止める。

 此処までが境界線だ。これ以上、歩を進める事があれば、都市警備局の捜査員として存在できなくなる。今から昔へ戻る行為に、歯止めをかける必要がある。

 煙草を掴む指にこびりついた血を見つめ、クルーズは顔を顰める。

 「加減を忘れてるな、昔はもっと巧くやれたはずなのに……」

 二度と戻る事はないと思っていた野良犬の頃の自分。既に消えたと思っていた野良犬の牙は、未だに自分の中に居るとわかった瞬間、絶望的な気分になる。

 どうしてこんな事になっているのか、自問自答を繰り返し、結局は元の答えに辿り着く。

 連中はやり過ぎた。

 こちらはやらな過ぎた。

 だから、連中に追いつくために、こちらもやり過ぎる場所まで行くのだ。

 その為なら、どんな手段だって受け入れる。

 その為なら、ジョンドゥと同じ情報部の者すら引き入れる。

 

■■■

 

 「そもそも、貴女は何時からその状態だったんですか?」

 『貴女がマスターと一緒にデートしている時からですよ』

 通信機から聞こえるアンジュの声は、ネットワークの向こうから届いている。本来の体は既に壊れて使い物にならない為、当然稼働はしていない。

 そもそも、どうして破壊されたはずのアンジュがこうして通信機から話しかけている状態なのか、始末屋は詳しい事情を知らない。

 こうなった経緯として、最初に挙げられる原因となるのは、捜査資料についてだ。

 警備局の捜査資料は情報部へと送られる数時間前、現時点でのバックアップを何としても残す必要があった。それも情報部に感づかれない様に。それには警備局の端末で作業を行う事は出来ず、秘密裏に行う必要があった。つまり、警備局の捜査情報を、警備局のファイアウォールにも引っかからない様にハッキングするという事だった。

 その作業を行うには、ヴァンの自宅の端末では心許ない。ハッキング自体は端末があれば個々の能力でどうにかなるのだが、アンジュの性能ではどうしても処理能力の高い端末、そしてネットワークが必要となる。

 『灯台下暗しと言いますか、近場に知り合いが居て、その知り合いの職場では非常に優秀な端末がゴロゴロあるわけでして』

 「つまり、臨戦地区に入り込み、そこから警備局にハッキングを仕掛けたと」

 当然、知り合いには嫌な顔をされたが、知り合いは諦めた様に彼女に手を貸した。なんだかんだ言いながら、きちんと手は貸してくれる知り合いに感謝してもしきれないとアンジュは語るが、始末屋は内心では、その知り合いも同じ穴の狢なのだろうと推測する。

 「そして巧い事、捜査資料を盗み出す事に成功したと」

 『バックアップと言って欲しいですが……残念ながら失敗しました。一部は回収が出来たのですが、連中も用心深いようで』

 もしくは、こちらの動きを予測していたのか、ハッキングしている最中、アークス側から警備局へ繋がる道に、罠が仕掛けられていた。アークスの端末から警備局の端末にアクセスしようとする端末全てに、通れば鳴る鈴が仕掛けられ、表と裏、両方のネットワークからもアクセス、もといハッキングが出来ない様にされていた。

 「それはまた……見事に失態ですね」

 『意地の悪い言い方をしますね。まぁ、実際そうなんですけど』

 だが、それで諦めるわけにはいかなかった。残りのデータを回収する為に、アークス側の回線を使用する事が出来ない状態ならば、オラクル船団に存在しながら、アークスとも警備局とも関係のないネットワークを使用する事にした。

 それが人形庭園、サポートパートナーのみが使用する秘密のネットワーク空間。

 「噂では聞いた事がありますが、本当に存在しているとは……」

 『もっとも、私もあの場所でそういう事が出来ると知ってはいましたが、実際に使った事は無いんですけどね』

 無論、幾らそんな空間とはいえ、勝手にそんな事をすれば二度と敷居を跨がせては貰えなくなる。そうならない為には、人形庭園の領主に許可を得る必要がある。その為にはまず領主を探す必要があるのだが、同時にある考えが浮かんだ。

 この場所に潜り続ける事で、何らかの情報を得るのも悪くないと。

 「それでメモリをネットワーク領域に移動させた、と」

 それは同時に自身の身を守る事にもなる。

 知っての通り、サポートパートナーを生み出すのはアークス。ならば当然、サポートパートナーの記憶領域からデータを抜き出す術も存在し、ウィルス等を仕込む事も可能だろう。そして、今回はそのアークスが自分達の敵となっている為、何の準備も無しに外を歩き回るわけにもいかない。

 臨戦地区で用意してもらった端末を利用し、自身の記憶データを人形庭園へ移動。その後、人形庭園のネットワークを通して、自身の体を遠隔操作する。その際、頭部に埋め込まれている記憶媒体は削除させ、完全に動くだけの人形の体を作り出す。

 「便利な事が出来るんですね」

 『あまり便利とは言えませんよ。遠隔操作は、あくまで遠隔操作。その状態では細かい作業は出来ませんし、戦闘などもっての他。普通に動く程度の事は出来ても、戦闘など即座に行動する事が必要となる場面では、どうしてもタイムラグが発生してしまいます』

 そして、その作業が終えた後、クルーズと合流し、再度臨戦地区へ戻り、ジェリコの残した端末を見つける事になったのだが、

 『予想外だったのは、ジョンドゥの行動の速さでしたね。マスターに私の状態を知らせる前に、拘束されてしまいました』

 更に問題となったのは、ヴァンが拘束されて以降、アンジュを監視する眼が現れたという事だ。姿を隠し、一定距離以内には決して近づいて来なかったが、監視される事でこちらの行動が制限されてしまった。肉眼では確認は出来なかったが、街中の監視カメラの映像から武装したドローンであり、しかも光学迷彩も装備している事から統合軍と判明した。

 『こうなってしまっては、逆に私が外に居る事が邪魔になっているなぁと思いまして』

 「どうしてそういう考えに行きつくのか、私には理解できませんよ」

 発想の転換と言えば聞こえはいいかもしれないが、その時点でアンジュが考えた事は、自分の戻るべき体の廃棄という手段だった。

 『抵抗が無いと言えば嘘になりますが、キャストだって玩具のブロックみたいに体を組み立てるじゃないですか。私がしたのはそういう事です』

 「ブロックは組み換えるもので、決して捨てるものじゃないですけどね」

 兎も角、不自由と自由を天秤にかけ、どちらも得る為に必要な行為が自身の破壊。それを行う為にクルーズをわざわざヴァンの部屋に招き入れた。

 「反対はされなかったんですか?」

 『反対されるとわかる人に、わざわざ言う必要があると思いますか?』

 コイツは本当に性格が捻じ曲がっていると心の底から思うと同時に、クルーズに対して同情を感じずにはいられなかった。

 アンジュとしては、あの場で必ず襲撃があると確信があったわけではない。ただ、人形庭園に流れてきた情報から、イクサから発進したキャンプシップに攻撃が加えられたと聞き、それにヴァンが搭乗している可能性があれば、必ず自分に何らかの行為が行われると予想した。結果、見事に予想は見事的中。

 あの場で唯一心配な事があるとすれば、ドローンの標的が自分だけでなく、クルーズにまで向いた場合だったが、現状では彼は無事だった。

 『計画通りとはいえ、あの場で私の事を本気で想ってくれた彼に対しては、心の底から謝罪をしました……まぁ、私達に心があるかどうか知りませんがね』

 その言葉に思わず吹き出してしまう。

 『……なんで笑うんですか?』

 最後の方は明らかに照れ隠しだった。ならば、もっと普通に言えばいいのにと口に出そうと思ったが、あえて口には出さないでおく。

 『まぁ、良いでしょう。兎も角、こうして私の行動範囲は相当広がりましたし、自由な行動も可能となったわけです』

 「なら、ヴァンさんの行方については」

 『それは未だに不明です。ですが、一応手は打っています。こういう時に役に立つのは人脈ですね。これでマスターは私に大きな貸しが出来たわけですので、私の趣味に対しても何も言ってこないはずですね』

 それはヴァンがきちんと生存している場合の話だろうが、

 「あの人なら大丈夫ですよ」

 それを疑う気はない。

疑ってしまえば、それが現実になってしまうかもしれないと思うからだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode24『星霜ヲ蝕ス三重奏③野良狗論』

 信用するに値するかどうか、それを見極めるには時間が必要となる。必要となるのだが、困った事に時間は無限ではなく有限。いつ破裂するかわからない風船が、頭上に浮かびあがり、その中には何が入っているかわからない。

 想像するだけで嫌になる歪な何かを含んだ風船は、未だにゆっくりと膨らんでいる。風船が繋がれた者は、ナオビに居る全員。全員が風船が割れた瞬間に中に入った何かを浴びせられるという仕掛けがある。

 あの女について考える。

 アークスの女。情報部の女。ヴァンとアンジュが共に行動していたという女。始末屋という都市伝説だった女。

 クルーズとアンジュの前に突然現れた彼女は、こちらが質問する前にあっさりと自分の事を話した。話した上で、ジョンドゥが何を企み、この事件において裏で糸を引いている存在であると語った。

 突然の事で、頭のおかしな女が現れたと思ったが、アンジュも彼女の事を知っており、真実を語っていると保証する事で、それが真実だという事でのみ込む事にした。だが、どれだけ真実を語ろうとも、ジョンドゥと同じ情報部の者を信用する事など容易には出来ない。

 敵ではないが、味方とは思えない。

 これが始末屋を名乗る彼女に対する第一印象。

 「手を組みませんか、という話です」

 「それが罠じゃないと言い切れるか?お前がアークスで、情報部で、始末屋とかいう事を抜きにして、突然現れた相手を簡単に信用するほど、馬鹿じゃない」

 助け舟を出そうとするアンジュだが、クルーズと始末屋の両者から口を出すなと遮られる。両者を信用している唯1人が居たとしても、所詮は3人の内で1人だけ。信用は一方通行でしかない。

 「では、どうすれば信用してくれますか?」

 「どうすれば信用するかと考えるだけ無駄だという話だ。俺は信用できない相手と組む気はない」

 そう言うとクルーズは通信機を始末屋に放り投げる。

 「アンジュ、お前がそいつを信用しているなら、お前はそっち組め。俺は俺で勝手にやる」

 『現状、1人で行動するのはリスクが高いですよ』

 そんな事は百も承知だった。

 『クルーズさん、私からもお願いします。彼女は信用に値する人物です。少なくとも、彼女の力を借りる事で進む事もあるはずです』

 「ならば尚更だ。互いに信用しているお前達が一緒に行動すればいい。信用できず、余計な詮索と思考で時間を割かれるよりも、そっちの方が効率的だ」

 『ですが……』

 「アンジュ。この人は手を組む事はしないと言っています。それは今の状態では変わらないでしょうし、これ以上の押し問答は時間の無駄です―――ですよね、クルーズさん」

 その通りとクルーズは頷く。

 「信用、信頼の話は時間の無駄。なので、此処で必要となるのは効率の話です。つまり、手を組む気はないが、利用し合う気はあるという事で問題ありませんか?」

 始末屋の問いに、クルーズはまたも頷く。

 「そういう事ですよ、アンジュ。良いじゃないですか、これで。信用も信頼もしない、手も組まない。でも目的は同じ所にある以上は、利害は一致する」

 『……面倒な人ですね』

 「可愛いじゃないですか」

 勝手な事を口にする2人に何か言ってやろうかと思ったが、時間は限られている。無駄な時間を過ごす気などない。

 「わかったら、さっさと―――」

 「と、言いたい所ですが、そうも言っていられないんですよね、これが」

 そう言った瞬間、始末屋の姿が消える。驚愕するクルーズが周囲を見回すが、姿は見えない。しかし、次の瞬間には目の前に凶悪な刃物が出現し、クルーズの顔に突き付けられていた。

 「どうですか?私はこういう事が出来ます。これが始末屋と言われる所以とでも思っておいてください」

 「それで、何が言いたいんだ?」

 突き付けられた刃物に目もくれず、クルーズはまっすぐに始末屋を見据える。

 「効率の話ですよ。確かに私とアンジュが共に行動して、貴方が単独行動する事も効率的でしょう。ですが、その結果として片方に何かが起き、片方が行動できなくなった場合、それは効率的と言えますか?」

 冷たい瞳でクルーズを見据える。

 「そして私達よりも、この街に詳しいのは貴方です。私達が行動するには貴方の力が必要となるでしょう。では、貴方の協力を得ずに行動した場合はどうか。これは効率的じゃない。時間を無駄に使う非効率な結果が生まれます」

 冷たいが、その奥にある意思はそうではない。

 「―――使える物はすべて使うべきと私は提案します。危機的状況において、私はまぁまぁ役には立ちます。逆に調査においては貴方の方が役に立つでしょう。ついでにアンジュも入れておきましょう……どうですか?これは効率的じゃないと言えますか?」

 「……仮に此処で俺が拒めば、お前は俺を脅して協力させるのか?」

 「それが効率的であれば、ですが」

 互いに睨む様に見つめ合い、無言の時間が生まれる。その状況がしばし続き、クルーズが肩をすくめる。その姿を見た始末屋は微笑を浮かべ、刃を退いた。

 「最初に言っておくが、揉め事があればお前がどうなろうが、俺は知らんぞ」

 「そちらがヘマをしなければ、私は問題ありませんよ」

 「お前がヘマをしないと言い切れるか?」

 「それはそちらも同じのはずでは?」

 『え~と、とりあえず話はついたという事で宜しいですか?』

 

■■■

 

 治安の悪い場所にしか厄介事は生まれない、なんて事はない。

 当たり前のように人々が生活する中にも、厄介事を生業とする者は潜んでいる。例えばそこは、農業地区の巨大プラントから離れた機材用の倉庫。基本的に全自動で機材の整備を行う場所ではあるが、どうしても人の手が必要となる部分もある。その為、僅かだが人はいる。その僅かの中、極一部にそういう人種は潜んでいた。

 『まともに仕事をしている人もいれば、そうでない人もいるという事ですね』

 「そういう事だ」

 倉庫近くは機材の搬入、搬出以外では人の出入りが少ない。故に、そこに群がる者達にとって好都合な場所を生み出す。

 傍から見れば、倉庫の外に居る者達は単なる昼休憩を楽しむ作業員に見える。だが、見る者が見れば、その者達の作業着の下に不自然な膨らみがある事に気づける。更に言ってしまえば、あれは正しく労働に勤しむ者には見えないというのが決定打だろう。

 クルーズから見れば、あれは街のゴロツキの群れだった。

「こんな場所に技術者が居るんですか?」

 「アイツの吐いた情報が正しければな。少なくとも、この辺で鍵開けを生業としている連中の仲で、奴以上に腕の立つのはいない」

 懐に忍ばせた情報端末。アイテムラボで見つけたジェリコが隠した端末。その中に入っている情報が何なのか、未だに正体は不明。

 その端末にはロックが掛かっており、解除するには暗証番号、そして生体認証が必要だった。暗証番号は何とかなるが、生体認証はそうはいかない。ジェリコの遺体は既に警備局内にはないので、解除は出来ない。死亡解剖時に得たデータで代用できないか試したが、結果は芳しくない。ならば強制的に鍵を抉じ開けるしかないのだが、複雑に組まれたロジックは並大抵の者では解除できない。しかも、間違った手順をした場合はデータが自動で削除される仕様になっているらしい。

 「だから、それが可能となる奴が必要なわけだ」

 ホルスターから銃を抜き、安全装置を外す。

 可能であれば穏便に話をつけ、中に通してもらいたいのだが、そうはいかないだろう。

 「俺は正面から行く。堂々とな。お前は裏を見張ってくれ。奴が逃げたら拘束。両手は必要だから、両足ぐらいなら砕いて構わん」

 「警備局員の言葉とは思えませんね」

 「効率的だろ?」

 顔に浮かぶ笑みは、向こうに群れる野良犬と同じに見えるのだろうとクルーズは自覚する。此処からは荒事。荒事で済ませる以外に方法はない。仮にあったとしても時間の無駄。こちらの要求を通すには会話も金も必要ない。

 必要なのは暴力だ。

 野良犬らしい、暴力だ。

 隣から気配が消え、視覚が出来なくなったことを確認し、クルーズは倉庫の前にいる集団に向けて歩き出す。

 クルーズの姿に気づいた男達は、農業地区の者が来たと一瞬だけ思ったのか、作り物の笑顔を向ける。だが、すぐに違うと判断した瞬間、その笑みは元の素顔に戻る。

 その中でも一番体格が良い男がクルーズの前に立つ。

 「何か用か?」

 威圧する態度を取られるが、クルーズは顔色一つ変えずに男達を見回す。目的の人物がこの中に居れば話は早いが、残念ながら居ない。

 「人に会いに来たんだ。中に入っても良いかな?」

 「駄目だ。お前さん、此処の奴じゃないだろ」

 「新参者かもしれないぞ。あとはそうだな、業者って事もある……中に入っても良いな?」

 襟首を掴まれ、凶悪な顔が近づく。

 「駄目だと言ったはずだぞ。警備員を呼んでもこっちは構わないんだ」

 「そうか、てっきり呼ばれて困るのはそっちだと思ったんだが、勘違いか」

 男の背後、倉庫の中を見つめ、

 「小耳に挟んだだけだが、此処のプラントは広くて管理が疎かになっている部分があるらしいな。機械の管理はしっかり出来ても、人の管理までは上手くいっていない場所。特にこんな倉庫はその1つだ」

 周囲の男達が立ち上がる。

 その手に、この場に似つかわしくない物を握りしめながら。

 「あまり人に見られちゃ困る物ってのは、当然あるよな。それも警備局とかにはさ。あぁ、アークスもそうか。だが、厄介なのは警備局だ。街の中では連中の方が顔が効くし、本業だからな……それで、中に入ってもいいかな?」

 提案し、拒否される。

 分かり切った事だからこそ、問題ない。

 問題ないからこそ、相手よりも早く動く事が出来る。

 相手は脅す事を前提としており、実力行使はその後だ。

それを知っていれば、先手を取る事など容易い。

 そんな事を平然と出来る、そんな事が必要となる、そんな生き方をしてきた。

 都市警備局という正義の味方ではなく、正義の味方の厄介になる野良犬の1匹だった。群れるよりも孤独に生きる野良犬は、常に暴力の中でこそ生を謳歌する事が出来た。自ら望んだわけではなかったが、自然とそんな生き方に慣れてしまったのだろう。

 そして、そんな過去の自分が今の自分を見れば、心の底から失望されていただろう。

 野良犬の分際で、お前は飼い犬に成り下がったのかと。

 野良犬の癖に、飼い主に尻尾を振る事を覚えてしまったのかと。

 過去の自分に失望されようとも、今の自分は生き方を変えた。

 別に正義の味方になったわけではない。なりたかったわけでもない。そういう仕事だからやっているだけだ。

 最初は抵抗だってあった。過去に関係のあった連中を捕まえた時、連中が自分を見る眼に浮かぶ、失望ではなく、滑稽だという感情。お前もこっち側だった癖に、どうしてそっち側に立っているのか。そんな事で自分が上に立ったつもりになっているのかと。

 そんな視線を無視して、忘れようとして仕事に励む。励む事で昔の自分を忘れる事が出来たと思い込む。そうして時間が経てば、下っ端だった男は出世して、部下を持つようにもなった。部下から信頼され、尊敬されるようにもなった。

 過去の自分には絶対に向けられない感情だった。

 あの頃の自分に向けられるのは信頼ではなく、裏切るなという強迫概念。尊敬ではなく恐怖で縛り付ける。暴力、金、裏切りというカードを持たなければ、生きていく権利すら剥奪される世界とは、あまりにも違い過ぎた。

 時々、今の自分には必要のない部分が顔を出す事がある。

ルールに守られ、ルールに縛られるだけでは何も出来ないと判断した時、薄暗い沼から顔を出す自分。野良犬の遠吠えに騙されて僅かな悪行に手を染める。それを仕事の為、街の治安の為、人命を守る為だと言い聞かせ、誤魔化し、目を瞑る。

 目を瞑っても、野良犬の遠吠えは聞こえる。

 自分の中で、今の自分を喰い破ろうと吠えている。

 そんな自分は今、漸く解放されたと喜ぶ野良犬になったのかもしれない。この状況を体が覚えている。体にしみ込んだ野良犬の匂いは、どれだけ時間が経過しても変わりはしないと自覚する―――そう思っていた。

 きっとそうなってしまい、歯止めが効かなくなると思っていた。

 だが、不思議とそうはならなかった。

 暴力の先にある死を前にして、牙を突き立て、喉笛を噛み千切るだけの行為に歯止めがかかる。誰の声で止まったわけでもない。自分の声で、野良犬の遠吠えよりも響かない声だけで、簡単に止まる事が出来ている。

 何故か、理由は何故か―――わかっている事を聞くなと、苦笑する。

 ある日、急に自分の前に現れた、自分と似たような匂いを持っているはずなのに、自分とは決定的に違う何かを持っている者との出会い。

 警備局に来て手に入れたモノを、自分が手に入れようとしたモノに何の感慨も抱かないくせに、しっかりと結果を手に入れるような男がいた。

 やる気を感じられない。ルールを守ろうともしない。勝手に動き、周囲への報告は事後報告だけ。集団行動をしないくせに、集団の為に動いて、集団を信用している。信用を向けられなくとも、信頼を得られなくとも、関係ないとばかりに。

 自分が嫌う、忌々しい過去の自分と似ているはずなのに、あの男は既にこちら側に立っていた。過去を捨て、今の場所に立つ為に捨てたモノを持ちながら、此処に立っている。

 恐らく、自分はそれが忌々しいと感じていたのだと、思うようになった。

 その男が元アークスだから、新参者だから、色々な理由をつけて忌み嫌う事をしてきたが、根本的な部分はそこだった。

 忌々しい、忌々しい、忌々しい―――そして、羨ましい。

 認めたくない、認めたくない、認めたくない―――今の自分が惨めだと思ってしまうから。

 所詮、こんな所だったのだろう。

 こんな所が原因で、こんな状態になるまで気づかなかっただけ。

 地面に倒れる連中を見つめ、体に感じる痛みを抱きしめ、苦痛に歪む自分と誰かの顔を一緒に想う。

 「……まったく、部下には見せられんな」

 銃を抜く事は無い。

 必要だと感じて、必要ならば抜くつもりだった。それでも抜かなかったのは、過去の自分に対する当てつけだった。昔の自分なら簡単に抜いて、簡単に撃っていた。他人の命など意に介さず、奪っても何も感じなかった自分は、此処にはいない。

 生き方を変えても、生まれてしまったモノは変わらない。産声を上げて、此処にこうして立っている間は決して消えない。消す事も出来ない。

 自分にとってそれは成長でもあり、退化でもあると思っていたが、マクレーンの言うように、これも1つの選択と言えるのかもしれない。

 進まない成長を選択した。

 選択によって、進まない成長をした。

 「しばらく寝てろ。別にお前等が何をしていようと、今はどうにもしない。今だけだ。今だけは見逃してやる」

 吐き捨てる様に言って、クルーズは倉庫の中に足を踏み入れる。

 過去の自分に会った。

 過去の自分はまだ在った。

 過去の自分は未だに自分の中に居座り続け、自分を見ている。どんな目で自分を見ているのだろうかと思ったが、困った事にその顔が見えない。

 10年間、ずっと心の沼に沈めてきた自分の顔を思い出せない。当然だろう。沼に沈んだ自分など、何処にも居ないのだから。この10年もの間、過去の自分と言って差別していた者は、最初から自分となって歩いてきたのだから。

 答えは単純。

 10年も顔を背けてきた劣等感など、最初から自分の顔でしかない。

 「遅かったですね」

 『こちらはもう確保してますよ』

 倉庫の奥で、始末屋に拘束されている男が居た。拘束はされているが、特に抵抗している様子はない。この状況で自分の身を守るのは、無抵抗だという事を知っているのだろう。

 「怪我はないか?」

 「彼も抵抗はしなかったので、両手両足、五体満足ですよ。そんなに私が信用できませんか?」

 『信用なんてしなくて良いと言ったのは、貴女でしょうに。効率の問題です~みたいな感じで、澄まし顔で言ってましたよね』

 「それは、確かに言いましたが、別に澄まし顔なんて―――」

 「……コイツじゃなくて、お前の話だ」

 「―――え?」

 聞き流してしまいそうな、当たり前の様な言葉を残し、クルーズは何事もなかった様に男に端末を見せる。

 「悪いがお前に仕事だ。報酬は出ないが、代わりに過去に犯した事について、ある程度は目を瞑っておいてやる」

 男はしばし黙り込むが、素直に頷いた。

 「それでいい。それじゃ、さっそく仕事をして貰おうか……」

 男は拘束されながらも、奥の部屋へ向かって歩き出す。そこが男の作業場らしい。

 「見張りを頼む。外の連中が入ってきたら、適当に処理しておいてくれ。出来れば、殺さない様にな」

 それだけ言うと、クルーズと男は部屋の中に消えていった。

 残された始末屋とアンジュは、無言で部屋を見つめ―――小さく噴き出した。

 『なるほど、確かに可愛いですね』

 「でしょ?」

 そう言って、倉庫の外へ向かう。

 倉庫の中まで聞こえる男達の声は、今にも中に入ってきそうな勢いがある。ならば、任された仕事はきちんとしなければならない。

 信用も信頼もなく、効率の良い利用し合うだけの関係だが―――気に入った相手ならば、少し位は相手の為に働いても、問題は無いだろう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode25『星霜ヲ蝕ス三重奏④輪廻初心』

 「どう思います?」

 『なんというか、悪趣味な部屋だとしか言えませんね』

 「そっちじゃありません。何の話をしているんですか、まったく」

 『この部屋のインテリアが最低という話ではなかったでしょうか?』

 「……この状況で馬鹿な事が言える貴女は、きっと大物になれますよ」

 『おや、馬鹿にしてますね?絶対に馬鹿にしてますね?』

 「馬鹿にされるような事を言っているのは誰ですか、まったく」

 関係ない話は他所でやって欲しいと切に願い、クルーズは情報端末にあるデータに目を通す。その量は膨大という程ではなかったが、この状況で出てきたデータとしてどのように扱うべきかを考える。

 『この部屋は不衛生です。やはり、きちんと掃除するべきです』 

 「その時間が無駄だと言ってるんですよ。この位は我慢してください……私だって我慢してるんですから」

 情報端末の中にある無数のデータを表示させ、最初から最後まで目を通しても結果は変わらない。

 このデータが果たして、この事件と何の関係があるのか。いや、それ以前にどうしてジェリコがこんなデータを大事に隠していたのかも疑問だ。

 「……なんか、柔らかい物を潰した感触が」

 『パンの袋に入ってはいますが、中身はパンではありませんね。パンだったゲル状の何かというべきか―――って、私に擦りつけないでください。通信機は精密機械なんですから!?』

 ジェリコはアークスが保存しているフォトン結晶を横領、横流しを行い、それを利益としていたのは捜査上で既に判明している事実。アークスが管理している為、外に出る数は限られ、裏ルートでの値打ちは正規の物とは比べ物にならない。クルーズも過去にフォトン結晶の売買の片棒を担いでいた事がある。10年以上も前の事だが、あの時点でチンピラの自分には手が出せない高額な物で、麻薬よりは安い程度の認識しかなかった。

 『やはり、掃除をするべきです。すぐにするべきです。このままでは通信機も誤作動を起こしてしまいます』

 「……まぁ、そうですね。この部屋にずっと居ると気分がすぐれないので」

 何故、こんな情報をジェリコは、

 「清掃用のドローンは、無理として……」

 『とりあえずは掃除機を探しましょう。あとはゴミ袋です』

 どうして、

 『そこの棚にありませんか?』

 「ありませ……っげ!?」

 どうし、

 『あ~、そこもゲルが……』

 「最悪です……」

 「―――お前等、ちょっと黙ってろ」

 騒がしい2人に流石に苛立ちを覚えた。

 「この位は我慢しろ。少しばかり汚れてるだけだろ」

 そう言ったクルーズを2人は冷たい眼で見る。無論、アンジュは物理的にそういう動作が出来ないので「うわぁ」と、引いていると主張するような声を出す。

 『これが少しって……クルーズさん、はっきり言って此処は人が住める場所じゃありませんよ。此処が住める場所なら家畜小屋だって立派な住居です』

 「確かにこの状況で言う事ではないと思いますが……これはちょっと厳しいです」

 「……だったら掃除でもなんでもしてろ。お願いだから、こっちに集中させてくれ」

 農業地区での情報端末の鍵を開けた後、鍵開けを行った男には厳重な口封じをお願いし、倉庫の外に居た連中はしばらく動けない状態にして、すぐさま3人はその場を後にした。

 次に向かう場所は、なるべく人目につかず、情報端末の中にあるデータを確認できる場所。尚且つ、ネットワークに繋がる場所。前者については何処でも構わない。人目につかない場所など探せば幾らでもある。だが、問題は後者だった。ネットワーク自体は何処でも繋げられるのだが、監視されている可能性が高い。人形庭園を経由するとはいえ、可能な限りリスクは低い場所が好ましい。

 最悪、繋がった瞬間に逆探知で現在位置を把握される可能性もある。

 『幾らクルーズさんの知り合いの部屋を勝手に拝借しているとはいえ、この部屋は酷いです。人が生活している空間とは言えません』

 「生活してないんだから仕方ないだろう。この部屋はアイツにとってセーフハウスの1つだ。最後に会ったのは3年位前だから、多分それ以降は誰も入っていないはずだ」

 「なるほど、どうりで汚いわけです」

 変わった知り合いがいた。

 同じ場所に長期に居る事が少なく、一つの場所に長く留まっていると鬱になると自称するキャストの知り合い。冗談で引っ越し癖があるのかと尋ねれば、なんと各アークスシップに住居を持っていると言われた。しかも、その数はアークスシップの数と同じらしい。

 「随分と羽振りが良い方なんですね」

 「羽振りが良いというか、仕事柄必要ってだけらしいな」

 「どんな仕事をなさってるんですか?」

 「俺もよくは知らんが、探偵とか言っていたな」

 依頼があれば何処のアークスシップにも出向き、仕事が終わればまた別のアークスシップへと移動する。本当かどうかわからないが、先程言った長期の滞在で鬱になるという悪癖故に住居を持たないのが信条らしいく、変わった人物であるのは事実だろう。

 『……もしかして、その方は『無貌』ではありませんか?』

 「むぼう?むぼう……あぁ、なるほど。依頼がある度に姿形を変えている探偵がいると聞いた事がりあます。確か『百顔の無貌』」

 「そんな名前で呼ばれてたのか、アイツ……」

 『クルーズさん、凄い方とお知り合いなんですね』

 「昔からの馴染みだ。まったく、こういう時に必要な奴だっていうのに、必要な時は何時も居ないんだよ、アイツは」

 兎も角、そんな探偵が使っているセーフハウスは条件には一致していた。人気の少ない場所にあり、埃をかぶってはいるが情報端末も置かれている場所。

 一度だけお邪魔した事があり、それ以来は訪れた事がないので、未だにあるとは思ってもみなかった。

 『良い回線を使ってますね。しかも、端末も中々の品物。これ、貰っていっちゃ駄目ですかね?』

 「アイツを敵に回したかったら、勝手にしろ」

 『う~ん……流石に『百顔の無貌』を敵にはしたくないですね。仕方ない、諦めます』

 「そもそも人の物を勝手に拝借しようとするのが、間違いなんですよ」

 『でも、これは―――』

 閑話休題

 「―――このデータについてどう思う?」

 『どうみても、医療機関への棚卸データですよね』

 端末に残されていたデータは、ナオビの各医療施設への機材や薬剤といった医療関係の物品が納品された時の記録データ。

 『フォトン結晶の次は医療品に手を出そうとしたとか?』

 「可能性はありますが、だとしたらアークスのメディカルセンターのデータのはずです。これは市街地区にある医療機関のデータですから、ショップ店員が手を出すのは難しいと思います」

 「医療機関が扱っている医療品の情報とはいえ、これが金になるとは思えんな……いや、そうでもないか。こういう情報にも価値をつけて、売買している連中もいるくらいだ」

 幾つかあるデータの中身も、全てが同じ。日付もバラバラで納品される医療品も違う。

アークスシップにある医療機関の数はそれほど多くはなく、市街地区でも片手で数えられる程度。他の地区では1つか2つと数は少ない。

 各地区にある医療機関は一般市民の利用が殆どで、アークスが使用する事は殆どない。アークスは臨戦地区にあるメディカルセンターを使用するからだ。

 「データ自体の数は少ないが、各項目がかなり多いな……アンジュ、人形庭園でデータを解析する事は可能か?」

 『隠されたデータがあるかもしれませんからね。解析には少し時間が必要なので、しばしご歓談を』

 「している暇はない……が、どうしたものか」

 ジェリコが隠した情報端末があれば、全てが巧く進むとは思っていないが、あまりにも使用方法がわからない情報だった。

 「やはり、クレアが持ち出した鞄の中身が気になるな」

 「もしかしたら、その中身と端末に残された情報の2つが揃って、初めて意味があるモノに変わるとか……」

 「その可能性も高い……アンジュ、アークス情報部へのハッキングとか出来ないのか?」

 『無茶を言わないでください。確かに人形庭園の電子空間は優れていますが、使う側が優れていない限り、ファイヤーウォールの壁が厚い情報部へのハッキングは無理です』

 幾らキャスト型のサポートパートナーとはいえ、あくまで普通よりも処理能力が高いという程度でしかない。

 「クレアの仕事仲間から、何か情報を得られないでしょか」

 「既に聞き込みはしているが、駄目だった。念の為に情報屋も雇ってはみたが、結果は空振りだ。クレアが属しているグループを当たってみたが、これも外れ。鞄を持ち出したのは、クレアの突発的な行為だったんだろうな」

 自分達の持っている情報を全て出してはみたが、結果は芳しくない。

 ジェリコの殺害現場、クレアの部屋で起きた事件、スパルタンとイプシロンという異物、情報部が殺された4つの事件、ジョンドゥの企み、そしてマザーシップへのハッキング。最後の情報はクルーズとアンジュにとって初耳であり、信じ難いものだった。だが、それでも真実に近づく事は出来ていない。

 「……アークスの情報部は現在どういう状況なんだ?統合軍がキャンプシップに攻撃を仕掛けた事は、どう考えても情報部に矛先が向く。幾らジョンドゥの指示とはいえ、知らぬ存ぜぬでは通せないだろう」

 『知り合いの情報屋さんからの情報では、結構しっちゃかめっちゃかみたいですよ。新しい組織作りの中で起きた今回の事案は、完全に寝耳に水だったようで。総司令も事態収拾に追われている模様です』

 「そんな状態を引き起こした奴を、情報部の頭に置こうとなんて奴が居るのか?最悪、ジョンドゥを担ぎ上げようとした連中も見限るんじゃ……」

 『ところがどっこい、そうなってはいません。これを好機とばかりにジョンドゥの御輿を担ごうとしている連中の動きが、激しくなっています。恐らくですが、予定外の状況でも、これに似た状況を引き起こす準備があったのだと思います』

 それだけ入念に準備しているという事だろう。

 ならば、ジェリコが残したモノが何か判明したとして、この状況をひっくり返す事が可能なのか疑問を抱いてしまう。

 欠片の様な情報ばかりが集まり、まるでジグソーパズルを解いている気分になっている。完成した絵を見る為のパーツが散らばっているのに、そこパーツを巧くはめ込むが出来ていない。

 完全に煮詰まっている状況。

 それをどう打開しているか、

 「―――あの、ちょっといいですか」

 始末屋がおもむろに口を開く。

 「なんだか、情報があまりにも多すぎる気がするんです」

 「何を今更。今回の事件が大きすぎれば、それだけ得る情報も多くなる。それが全て必要な情報であることは―――」

 「いえ、そうではなく」

 クルーズの言葉を遮り、始末屋は言う。

 「多すぎる情報全てを精査して、解析するのは当然ですが、多すぎるが故に何かを見落としている気がするんです」

 その言葉に、クルーズもしばし考え、頷いた。

 ジェリコが殺されてから、此処まで色々な事が起きている。いや、起き過ぎていると言っても良い。ジェリコの殺害現場の防犯カメラに映ったクレアの姿。そこからクレアの部屋を訪ねた時にイプシロンという怪人が現れ、スパルタンという男まで現れた。そこから捜査を開始しようとした矢先にジョンドゥが介入し、捜査を打ち切られた。その対策としてヴァンと始末屋が独自にアークスの情報部が殺された事件を調べ、マザーシップのハッキングという事件が浮かび上がり、ヴァンが統合軍に拘束され、そこでジョンドゥがやろうとしている事が発覚。そして今は、ジェリコの隠していた使い所のわからないデータを解析しようとしている―――あまりにも事が起こり過ぎている。

 「確かに現状では、人手が足りない状況です。全ての事柄を1つずつ解決しているだけの時間もないかもしれません」

 「そうだな。だから全ての情報を片手間でやろうとしている」

 『しょうがない状況と言えば、そうでしょうが……これはちょっと拙いですよねぇ』

 頭を抱える状況だ。

 情報部の眼がある以上、それを無視して大規模な捜査など出来ない。だから、こうして単独で動いているような状況になっている。

 だからこそ、何かを見落とす。

 見落としている事にすら気づかず、時間を無駄に使っている。

 「アンジュ、今ある情報全てを表示できるか?」

 『可能ですが、多くて頭が変になりますよ?』

 「だろうな。だが、一度パズルのピースがどれだけあるか見る事で、何かがわかるかもしれないだろ」

 『わかりました。展開します』

 目の前に無数の情報が次々と表示されていく。その数は多く、それを見るだけでは混乱するのは必然だった。

 「こうして見ると、とても3人だけでは不可能な量ですね」

 まったくだと思いながら、クルーズは1つ1つじっくり見るのではなく、流し見するように見ていく。

 情報の海に身を投げ、疑問を感じるのではく、違和感を探し出す。

 膨大な量を前に思考がパンクしても構わない。知識ではなく経験、そして勘でそれを見つけるというのも、1つの手段だ。

 そうして見ている時、始末屋がある画像に気づく。

 「アンジュ、この画像は」

 『ジェリコの殺害現場にあった防犯カメラですよ。クレアが部屋に入り、出ていくまでの映像が記録されています』

 クレアが部屋に入り、出てくるまでの映像を始末屋はじっと見つめ、クレアが出てきた時に、

 「止めてください」

 映像が止まる。

 「この部分、クレアが持っている鞄の部分を大きく出来ますか?」

 映像がズームされ、クレアの手元が映し出される。解像度を上げてはっきりとわかるようにはなったが、

 「この映像がどうかしたのか?俺も何度か見直したが、鞄を持っているという部分以外に妙な所はなかったぞ」

 「えぇ、それはそうなんですが……アンジュ、貴女のメモリーには、貴女が見た映像を記録する機能はありますか?あるのであれば、私と会った時の映像を再生してください」

 『あるにはありますが……少々お待ちを』

 人形庭園に移したメモリーデータをダウンロードする。

 映し出された映像は、アンジュが部屋に突入し、始末屋に攻撃を仕掛ける映像から始まる。

 「こうして見ると、生身でアークスとやり合うアイツは何なんだろうな?」

 「それは同感です」

 『伊達に死線を経験しているわけじゃありませんので』

 画面が流れ、ヴァンが始末屋を拘束して尋問している辺りの映像になり、

 「―――止めてください」

 映像が止まり、

 「画像を少し戻して、まだです、もう少し……そこです」

 指定された映像が映し出され、始末屋はその映像の隣に防犯カメラの映像を持ってくる。

 「やっぱり……」

 「何がやっぱりなんだ?」

 クルーズも2つの映像を見比べ、気づいた。

 「―――おい、違うぞ」

 「はい、違います」

 『おやおや、これは私とマスターと失態ですね』

 片方は防犯カメラの映像、もう片方はアンジュのメモリーに残された映像。その2つに映し出されたのは鞄の映像だけだった。だが、その映像こそが問題だった。

 解像度の違いもあるが、そこに映し出された映像にある鞄は、

 「その鞄を一番近くで見たのは、多分私だけです。防犯カメラの映像と、アンジュのメモリーの映像に写っている鞄は、形は似ていますが別物です」

 『参りましたね。これは言い訳が出来ない失敗です……これ、私も悪いですか?』

 「責任がどちらかにあるかは置いておくとして……これは」

 これが見落としていた物。

 いや、違う。

 これも見落としていた物だ。

 パズルのピースが無数にある。無数のピースから形の合うピースを探している内に、既にある程度の形となっているピースを見落としていた。

 「……どうしてジェリコは殺されたんだ?」

 多くの情報が流れ込む中で、一番最初に考えるべき事があった。

この事件で殺された者の中で、理由が未だにわからない者がジェリコだった。情報部はマザーシップのハッキング事件を追い、殺された。クレアはジェリコの部屋から持ち出した鞄が原因で殺された。この2つは状況証拠から原因に行きつく事は出来る。

しかし、ジェリコだけは違う。

 ジェリコだけが、どうして殺されたのかを判明していない。

 「アンジュ、ジェリコの経歴を洗えるか?恐らく、その中にジェリコがどういう風に事件に関わっているか判明する手がかりがあるはずだ」

 『私では難しいですが、情報屋さんに頼めば出来ると思われます。しかし、他の件に関してはどうします?』

 「可能な限りは同時進行だが、ジェリコを重点的に調べる。始末屋、俺とお前で本物の鞄を追う」

 「伝手はあるんですか?」

 「正攻法でやらなければ、手段は色々とある。アンジュ、可能ならそっちにいる同類の連中にも協力を仰げ。裏でこっそり動ける数は、こっちよりもそっちの方が多いはずだ」

 『了解です。マイルームで待機している暇な連中が沢山いるので、手伝ってくれる手は沢山ありますよ』

 埃が積もった部屋にこれ以上は長居する必要がない。

 やはり、部屋に籠っているよりは外で動く方が健康的だろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode26『星霜ヲ蝕ス三重奏⑤連鎖連想』

 「なんか、情報屋って感じがして、すっごい燃えてきた!」

 「名ばかり情報屋なのに、ちゃんと頼ってくれる人がいる事に驚きだよ」

 「どんな所にもお得意様はいるってことよ。私が無駄にゲームばっかりしてたと思ってたら、大間違いなんだから!」

 「無駄にゲームするのは良いけど、無駄に課金はしないで欲しいんだけど……パティちゃん、見つけたよ」

 「お、ナイスナイス。え~と、コイツがジェリコね……なんか、あんまぱっとしない経歴ね」

 「そうだね。なんか普通の経歴って感じだけど……」

 「……な~んか、気になるわね。何がどうとは言えないけど、この経歴は匂うわ」

 「うわぁ、またパティちゃんの勘?それ、たまに当たるから厄介なんだよね」

 「厄介とは何よ、厄介とは。鼻が利くと言って欲しいわね、情報屋としては」

 「アイテムラボまでの経歴は……」

 「職を転々としているみたいだけど……ティア、ちょっとこの職場を調べてくれない」

 「ここだけじゃなくて、他のもでしょ?」

 「―――どう?」

 「黒に近い灰色って感じだね。確かに記載されている場所はあるけど、全部が全部本当ってわけじゃないよ。例えば、この清掃業者。この業者って前に登録されている従業員と、実際に従業員の数が合わなくて、融資されているお金をちょろまかして行政指導を受けてる所だよ」

 「うへぇ、こっちはこっちで違法移民の隠れ蓑になってた建築業者じゃん」

 「殆どが経歴を誤魔化すにはもってこいの場所ばかりだよ」

 「アイテムラボだけが、ちゃんと確定されてる経歴って事か―――ん、ちょっと待って。アイテムラボで働きだしたのって、去年からだね」

 「……変じゃない?アイテムラボは専門性が高い職場だから、こんな経歴で入れる場所じゃないよ。ジェリコって人は店番だけ任されてる人ってわけじゃない。ちゃんと専門知識が必要とされる仕事もしてるみたい」

 「つまり……どういう事?」

 「だから、このジェリコって人は、アイテムラボの仕事もこなせる専門知識を持っている。その知識を独学で習得したとは思えないから、その知識を持てるだけの場所にいたってのが正解じゃないかな?」

 「アークス以外に?」

 「変換物質を製造している業者もあるけど、そっちに在籍していたらな、こんな滅茶苦茶な職歴を書く必要なんてないはず」

 「そっか、そういう場所にいたなら、普通にアイテムラボへの就職は出来る。でも、そうはしなかった。そうしなかった理由があるって事は……」

 「アイテムラボ側も欲しい人材ではあったけど、大っぴらに招き入れるには抵抗のある仕事をしていたって事だと思うよ」

 「う~ん、となると裏のお仕事の人かぁ……こりゃ、時間がかかるかも」

 「そうだね。アンジュには悪いけど」

 「―――あ、でもさ。1つだけすぐに分かりそうな所はあるよ」

 「え?そんな所あった?」

 「あるよ。このアイテムラボに移ってきた時期を見ればね」

 「時期……あ、そっか」

 「こういう時に使う伝手ってのは、用意しておくもんだね。ティア、前に仕事一緒にした人で、協力してくれそうな人はいる?」

 「パティちゃんが大失敗した時の人が、一番協力してくれそうかも。まぁ、パティちゃんの貞操が色々とヤバそうだけど」

 「ちょ、ちょっと、あの人はやばいって。それと、あれは私が大失敗したんじゃなくて、あの人が―――」

 「はいはい、それじゃ連絡とってみるね……パティちゃん、その胸についている無駄な贅肉を強調する服とかあったっけ?」

 「何させる気!?姉を何だと思ってるの!?」

 

■■■

 

 「―――おや、なんだ無事だったのかい?ヴァンって奴はなんか酷い事になってるみたいだけど、アンタは大丈夫だった?―――そっか、色々大変な目に会ったんだね。まぁ、あれだ。アンタも一応は女の子なんだから、あんまり危険な事ばっかりしちゃいけないよ。せっかく拾った命なんだ。大切にしなよ―――それで、今日はどうした?―――写真?この男を見た事があるかって?……あぁ、コイツか。知ってるよ。虚空機関に居た頃に会った事がある。アンタも会ってるんじゃないの?知らない?あぁ、そっか。コイツの部署とアンタ達姉弟の居た部署は違う場所だったね。それで、コイツがどうかしたの?殺された?へぇ、そいつは物騒な話だ。此処も随分と物騒な場所なんだねぇ。この前から統合軍の兵士がこの辺をウロウロして目障りなんだけど、何とかなんない、アレ?どうにもならない?あぁ、そうかい―――おっと、コイツの話だったね。ジェリコ?そんな名前だったかは忘れたけど、確かにコイツは虚空機関の奴だったよ。専門はナノマシン研究だったかな。虚空機関に来る前は色々とやらかして、妙な連中から狙われてたらしいだけど、命を助ける代わりに虚空機関に拾われたって話だよ。あの場所に居る連中なんて、大抵はそういう連中さ。優秀で当然、人格がどうとかは二の次。だから非人道的だろうが関係なしに結果を出せるってわけさ。虚空機関が解体された時は、何の研究をしてたかは知らないけど、この場所が無くなるってわかって残念そうだったよ。研究するだけならあの場所以上に設備が揃っている場所はなかったはずだし……それに、実験体もね―――あのさ、私にそんな顔したって駄目よ。お門違いって話よ―――あ、でも……アイツ、残念そうにはしてたけど、なんかパトロンが見つかったとか言ってたわ。研究は続けられるし、その間の隠れ蓑も用意してくれて、万々歳ってね。普通さ、そういう事を相手にペラペラ喋るかねぇ、不用心にも程がある。まぁ、だから死んじゃったんだろうけどね―――どんな奴だって?そうだねぇ、虚空機関の中ではまともな方かな。実験体に対して慈悲やら後悔くらいは抱く位にはね。でも、結局はクズだろうね。アイツは自分が大好きなんだ。実験体に対する想いなんて、結局は自分は他とは違う、自分は優しい奴なんだって言いふらしている様なもんさ。だったら、まだ他の連中みたいに人を人と思わないクズの方がなんぼかマシって事よ。まぁ、アンタから見れば、全員似たようなもんだけどさ―――ん?これは……何のデータ?医療機関への医療品の棚卸?へぇ、コイツがどうかしたの?―――アイツがこれを残した、ね。ちょっと見させてもらうよ―――うん、わからん。全然わからん。全然わからんけど……これ、多分足りてないよ。アイツが虚空機関に在籍して、これが何か意味のあるデータだとしたら、必ず真正面からしか見れないデータは残さない。暗号、もしくは符丁かな。このデータに乗っている情報は本物かもしれないが、この情報に意味を持たせるには、別のデータが必要となる。だから、これはその片方。もしくはパーツの1つってわけ。もしもアイツが他にも何かデータを残しているのなら、そのデータと、このデータを組み合わせる事で、アイツが本当に残したかったデータが現れるはずだね。虚空機関の連中が良く使う手だよ。あそこは全員同類だけど、全員が敵みたいに思っている所があるからね―――他に何か聞きたい事がある?サポートパートナー?その修理が出来るかって?生憎、私はあんまり詳しくないんだけど……興味はある。うん、興味が凄くある。出来れば、一度バラバラにしてじっくり調べてみたいとは思ってる―――ちょ、ちょっと引かないでよ。冗談じゃないけど、冗談よ―――ふ~ん、こりゃ見事に壊れてるね。直せるかは……多分なんとかなるよ、私の班には詳しい奴も居るから、そいつの手を借りればいけるかも―――まぁ、なんだ。色々と抱えてるみたいだけど、頑張んな。私達で協力出来る事はするさ。班の連中もアンタの事を気に入ってるみたいだし、協力は惜しまないだろうね―――そうだね、代わりと云っちゃなんだが、今度タタラでライブでも開いてくれよ。班員総出で行くよ―――おっと、これは秘密だった?」

 

■■■

 

 「アンジュ~出たよ~」

 妖精の園と勘違いしてしまう程、その空間には沢山のサポートパートナーで溢れていた。電子空間に作られた図書館、そこはあくまで擬似的なモノであり、何かを調べるにはこっちの方が雰囲気が出る、という理由で作られたホログラムでもある。

 巨大な図書館の中で、中央に位置する読書スペースに座ったアンジュの周囲には、沢山の本の形をしたデータが積み重なっている。そこから顔を出したアンジュは、雰囲気が出るというだけで眼鏡をかけている。これに意味はない。雰囲気が出るだけである。

 「何か出ましたか?」

 「出た出た~。えっとね~、クレアって人が~、ジェリコって~人の~部屋から~」

 「あの、出来れば普通に話してくれませんか」

 「―――ふむ、こっちの方が主人に好まれるのだが……」

 「貴女のマスターの趣味は知りませんよ。それで、ジェリコの部屋がどうかしましたか?」

 渡されたデータは市街地区の地図。赤いマーカーが打たれているのは、ジェリコの部屋。青いマーカーが打たれているのはクレアがいた部屋らしい。

 「市街地区に設置されている監視カメラの映像から、クレアが部屋に行くまでのルートを作ってみたんだが、見てくれ」

 地図に緑の線が引かれていく。その線はジェリコの部屋から、クレアの部屋まで伸びているのが、

 「……途中で線が幾つか途切れてますね」

 「そうだ。これはあくまで監視カメラに残っていたクレアの足取りを追ったものだが、姿が確認できるエリアと、確認できないエリアがある。線は確認できる部分、途切れている部分はそうじゃない部分だ」

 市街地区には無数の監視カメラが設置されている。各ブロックごとに数台、完全ではないが普通に街中を歩けば、どこかの監視カメラにその姿は写る。

 「都市警備局も流石に全ての監視カメラを確認する事は不可能だろうから、クレアの部屋を完全に割り出す事が出来なかった。だから、君のマスターが先にクレアの部屋を発見できたというわけなのだが……」

 「足取りが不可解ですね」

 市街地区では当然、転送装置が各所に置かれている。移動方法の殆どが徒歩である以上、それは当然の措置だ。同時に転送装置の近くには必ず監視カメラが置かれている。

 「彼女は転送装置を使用せずに移動をしているようですね」

 そのせいでマップに引かれた線は歪だった。仮に転送装置を使用していれば、線が途切れ途切れになっていても問題はない。そしてクレアは逃げる様にジェリコの部屋を飛び出した。ならば、逃げる場所まで最速で行く必要が生まれる。だが、この地図を見る限りはそうではない。

 「ナオビに来て日が浅いなら、迷う事もあるだろうが、彼女はそうではない。そして、どう考えても選ぶ必要のないルートを使用している」

 「誰かに助けを求めた、という事は」

 「当然それもあるだろが、それならばどうして彼女は1人であの部屋に居たのか、という疑問が出てくる。そこで待っていろと命令されたという可能性も捨てられんがな」

 監視カメラに写ってないエリア、通る必要のないルート。

 その2つが一致する場所が生まれている。

 「このエリアですね」

 「このエリアを出た後の映像を解析した所、持ち出された鞄ではない別の鞄になっていた」

 つまり、鞄はこのエリアで別の鞄になったという事だ。

 「このエリアには彼女の知り合いがいるんですか?」

 「それは調べている最中だ。だが、それよりも気になる場所がある」

 アンジュに向かって本が飛んでいる。

 本を受け取ると、ページが勝手に捲られて、あるページで止まる。

 「裏金庫……」

 「オラクル船団の中でも、手広く裏の商売をしている組織はある。此処はその組織が管理している金庫の1つだ。普通の金庫と違い、表向きには出せない面白い品を保管する時に使用されている」

 「都市警備局も裏金庫の事は?」

 「知っている者もいるだろうが、正義の味方の集団が、必ずしも皆がそうである事はない。表向きに出来ないモノを持っているのは、警備局もアークスも変わらん」

 「迂闊に手を出せば、こちらが身を滅ぼす事になる、ですか」

 「そういう事だ。それともう1つ、ジェリコの口座を調べてみた。表と裏、両方だ」

 別の本が手元に置かれ、中を見れば口座の情報が載っている。

 「フォトン結晶の横流しをしていたと聞いたが、金の動きがない。メセタは遥か昔の紙幣や硬貨ではなく、電子通貨だ。そんなものである以上、口座の金額に何の変動もないのは奇妙だろ?」

 「これと別の口座がある可能性は?」

 「確認中だ。だが、仮にこれしかないとするならば―――ジェリコは、本当にフォトン結晶の違法売買に手を出していたのか?」

 「現状では何とも言えませんね。分かりました、引き続き、調査を進めてください」

 「了解~、がんばっちゃうよ~」

 「……その話し方、止めません?」

 「私も気に入ってるんだよ~」

 「さいですか」

 

■■■

 

「―――お待ちしておりました」

 市街地区某所、人通りの多い交差点付近にある、中華料理店。繁盛しているのか、入ってもすぐに席に通される事はなく、待ち時間は10分程度だが、その間にメニューを渡され、店員が注文を聞いてくる。

 注文した品は麻婆豆腐で辛さは最大。追加で春雨サラダ。サラダは食前。

 店員は注文を聞き入れ、奥に引っ込む。そして自分達の番が回ってくれば、通されたのは地下の席。薄暗い階段を下りて、指定された席は一番奥のテーブル。そこに座ってすぐに表れた店員に告げる注文は、今までの注文はすべてキャンセル。店主のお任せで、と言う。

 そこまでの手順を踏み、現れた中華屋に似つかわしくない燕尾服の老人。

 その老人が発した言葉は、先程の一言。

 席についたクルーズと始末屋は、すぐに動けるように自分の獲物に手をかける。本来であれば、この後に燕尾服の老人から更に奥の部屋に通されるという話だった。だが、発せられた言葉は自分達を待っていたという言葉。

 「待っていたというのは、どういう意味だ?」

 クルーズが訪ねると、燕尾服の老人は顔色一つ変えずに淡々と語る。

 「お客様がどのような経緯で、我が店を訪れたのかは把握しております。こちらは信用第一の商売でございます故、耳はあちこちにありますので」

 以前より、この店が裏金庫の隠れ蓑になっている事は知っていた。そそれを経営している連中がどんな事をしているかも知っている。そんな場所に警備局の者が足を踏み入れるという事が、どんな結果になるかなど簡単に予想は出来た。

 揉め事になるのは百も承知、力ずくでも押し通るつもりだったのだが、

 「都市警備局、クルーズ様ですね。承知しております。貴方が何を求めて当店を訪れたのかも、我々はきちんと把握しております」

 「どうやら、お前等みたいな連中からも見張られていたみたいだな」

 「情報は生ものでございます。特に我々の様な者達は、その処理を間違えると食中毒よりも質の悪い病気にかかってしまいます。ですから、それ相応の眼を持っているのですよ」

 何処に連中の眼があったのかは、記憶を遡っても出てこない。こちらが知らない内に、気づかない内に連中の腹の中を歩いていた、という意味になってしまった。

 「―――そちらに争う意思はない、という事で問題ありませんか?」

 「えぇ、お嬢さん。その通りです。争う意思があれば、貴女方は此処には辿りつけもしませんよ」

 物腰柔らかな態度だが、どこか得体のしれない圧を感じた。

 「選択肢は幾つかありますが、当店としてもそちらと争うのは得策ではございません。ならば、煙の様に消えるだけです。どろん、とね」

 「そうしないという事は、」

 「そうしない理由がこちらにあるという事です。さて、そちらは長話をする時間も惜しいようなので、本題に移りましょう……こちらへ」

 老人に招かれ、奥の部屋に入ると、目に入ったのは銀行の窓口に似た場所。

窓口に座っているのは、老人と同じように燕尾服を着た若い男。

 「お客様だ、奥の金庫へお通ししなさい」

 「かしこまりました」

 若い男はそう言って、更に奥の部屋へ2人を通す。

 「……どう思います?」

 「どうだろうな。だが、油断はしない方が良いだろうよ」

 無言で頷き合い、2人は奥の部屋に通される。

 通された部屋は殺風景な一室。白い壁に白い床。真ん中に小さなテーブルとイスが2つ。テーブルには金属製の箱が置かれ、若い男がその箱に手をかざすと、小さな電子音と共にはこが開かれる。

 「こちらが、お客様がお探しの物です。ご確認を」

 箱の中を覗き込むと、そこには鞄が1つ。

 「これですね、私が見た鞄は」

 「あぁ、俺にもそう見える」

 若い男を見ると、彼は無言で綺麗なお辞儀をして、部屋を出ていく。どうやら、此処で中身を確認するのは、銀行の貸金庫と同じシステムらしい。

 クルーズは鞄を空け、中を確認する。

 鞄を空けた瞬間、鼻を突くのは血の香り。時間が経ち、液体ではなく固形物となった血の香りが部屋中に広がる。

 「これは……凶器、でしょうか」

 「それ以外には見えんな」

 鞄の中に入っていたのは、血がべっとりと付着した刃。正確に言えば折れた刃だけ。恐らく何らかの武器の得から刃だけを外し、刃を鞄に入る位の大きさに折った物だろう。その大きさは、目視する限りはジェリコの体に刻まれた刺し傷と合うはずと推測できる。

 「どうして凶器がこんな所に」

 「仮にこれがジェリコを殺害した凶器という事なら、クレアは凶器を隠す為に此処に預けたという事になるが……」

 「では、ジェリコ殺害の犯人は、クレアという事でしょうか」

 「これを見る限りはな……おい、聞いてるんだろ?」

 天井に向けて、クルーズは声を出す。すると反応するように室内に先程の老人の声が響く。

 「何用でしょうか?」

 「これが此処に預けられた経緯が知りたい」

 と言ってはみたが、簡単に教えてくれるはずがない。そう思っていたが、老人はあっさりと語りだす。

 「本来であれば、お客様の情報を漏らすような事は出来ないのですが、それを預けた方から、取りに来た者に全て話すようにご依頼がございましたので、お話させていただきます」

 「……それは、俺達が来るって事を知っていたって事か?」

 「いいえ、そうではありません。誰であろうとかまわない。自分の痕跡を追って、鞄の事を調べに来た者には、分け隔てなく、という話です」

 それはつまり、

 「ジェリコが、これを此処に預けたのか」

 老人が言うには、ジェリコがこの裏金庫を訪れた時、受けた注文は2つ。

 1つは、指定された日にちに女が鞄を持って現れる。その女から鞄を受け取り、代わりに既に預けている別の鞄を女に渡す事。無論、鞄の中身が何なのかは知らなかった。何か知らないというのは秘密を守る為に必要な事であり、この生業を続ける秘訣らしい。

 もう1つは、女が預けた鞄を取りに来る者が現れる。可能であれば、その者達がアークスか都市警備局である事。もしもそうでない者達が現れても構わず渡して欲しいというもの。そして、この鞄を預けた経緯を聞かれた場合、素直に話す事。

 「あの日、やはりクレアは此処を訪れたのか……」

 「えぇ、訪れました。何かに追われるように焦っておいででしたが、ジェリコ様の依頼の通りに彼女から鞄を受け取り、別の鞄をお渡ししました」

 「その時、クレアは何か言っていたか?」

 「どうでしょうねぇ……ただ妙に安心していましたよ。我が子を抱きかかえる母親の様に、大事そうに鞄を抱えていました」

 あの日、クレアがジェリコの部屋を訪ねたのは、予定されていた事だった。防犯カメラの映像から察するに、ジェリコに呼ばれてきたのだろう。だが、部屋に入るとジェリコが死んでいた。その状況ですぐに通報せずに鞄を持ち出し、裏金庫を訪れたという事は、最初からそういう計画だったのか。恐らく、裏金庫へ鞄を運ぶ算段は予め立てており、それをクレアに伝えられていたから、彼女は此処に来たのだろう。

 「つまり、ジェリコは自分が殺される日を知っていた、という事でしょうか?」

 始末屋が首を傾げるが、クルーズは別の可能性を口にする。

 「殺される日を知っていたんじゃない―――死ぬ日を決めていたんだ」

 「―――自殺、ですか」

 「そうじゃないと日にちの指定など出来ない。仮にジェリコが部屋に招いた誰かがジェリコを殺害したとしても、その場合は鞄の中身が凶器である事の説明が出来ない。普通は鞄の中身を持って逃げるはずだ」

 「自殺する理由は……わかりませんね」

 「そうだな。だが、もしもそれが計画の1つだってのなら、話は別だ」

 何かに追い詰められて自殺した、という可能性はあるだろう。何かから逃げようとしたが、逃げる事が叶わない故に自ら命を絶つ。しかし、自ら命を絶つ事すらも計画の一端であるとすれば、

 「自身の死がメッセージなんだよ。アイツが残そうとしたモノが何かは知らないが、それに関係がある連中を捜査させる為のな」

 ジェリコの体に残された大きな傷跡。市販されている刃物では突かない傷痕から、ヴァンはある組織が関係していると推測した。

 「アークスを調べさせる為?」

 「だろうな。もしくは臨戦地区に隠した情報端末を探させる為かもしれない。それか、本当にアークスそのものに関係しているって事だな」

 想像する。

 自身の体に巨大な刃物を、自らの意思で突き立てる行為が、どれだけ恐ろしいのかを。

 「コイツは、正気じゃない」

 もしくは、正気を失わせるだけの何かに脅えていたのか。

 「……クルーズさん、鞄の奥に何かあります」

 鞄の中に入っていたのは、凶器だけではなかった。小さな小瓶。中には綺麗な緑色の粒が詰まっていた。

 「フォトン結晶か?」

 「そう思いますが……おかしいですね、この結晶からはフォトンを感じません」

 「質の悪い結晶って事なのか?」

 「いえ、質が悪くても多少なりとフォトンを感じるはずです。でも、これからは何も感じない……フォトン結晶ではない、のかもしれません」

 見た目はフォトン結晶の粒。ジェリコの部屋に残されたフォトン結晶を加工した後に出る粒に似ているが、始末屋は違うと言う。ジェリコ自身、フォトンを感じる事は出来ないので、彼女の言い分を信じる事しか出来ない。

 「おい、爺さん。これを検査する機器とかあるか?」

 これもダメ元で聞いてみたが、

 「ございますよ。すぐにお持ちします」

 「あるんですね」

 「あるみたいだな」

 至れり尽くせりなサービスに素直に驚いた。

 「普通の貸金庫よりもサービスいいじゃないか、これ」

 「そういう事が必要な程、やっかいな物が預けられているんでしょうね、きっと」

 改めて、自分達がいる場所が巨大な爆弾を保管している倉庫であると認識する。この中に保管されている物を全て外に出せば、きっとオラクル船団が吹き飛ぶ程の面倒事が起きるだろう。

 納得する。

 確かに此処の強制捜査を上層部が許可しないわけだ、と。

 しばらくすると、若い男が検査機器を載せたカートを押して、現れた。

 「ご使用方法はご存知ですか?」

 「大丈夫だ」

 「それは助かります。こちらも余計な詮索はしない方針ですので」

 若い男が外に出るのを確認し、検査機器にフォトン結晶に似た何かを置く。

 機器が動き、粒をスキャンしていく。備え付けられた画面に次々と検査結果が表示されていく。それを黙って見つめていると、クルーズが呟く。

「1つ困った事があるんだが」

 「何ですか?」

 「使い方はわかるんだが、検査結果でこれが何か判断する事が出来ない」

 「……まぁ、そうですよね」

 「面目ない」

 クルーズの代わりに始末屋が検査結果を確認する。画面をじっと見つめ、次に機器を操作していく。すると画面上に粒が表示され、徐々に拡大されていく。

 「何かわかるか?」

 「これはフォトン結晶ではありません。それに似た鉱石でもありません。これは極めて小さい機械です」

 「機械?」

 「正確に言えば、ナノマシン。肉眼では確認できない程に小さな機械です。これはそれが複数内蔵されているカプセルみたいですね」

 「医療品で使われてるナノマシンなのか?」

 この時代、医療に使われる薬品の中には、ナノマシンを内蔵したカプセルも使われている。飲み薬として飲み込み、体内で治療を行い、機能停止後に排泄物として外に出る。その場合、ナノマシンは予め設定された動きをする為、医療機関で病状にあったシステムを組み上げる専門医が設定を行う。

 「それじゃ、ジェリコが残した医療機関に納品される医療品のデータは、これに関係があるって事か……」

 「どうでしょう。このナノマシンの機能は停止していますし、医療目的じゃないナノマシンも存在しますので、現状では何とも言えませんね」

 機械を操作すると、画面上に無数の文字コードが表示される。上から下へ、濁流の様に流れるコード。

 「このコードは何だ?」

 「この粒がナノマシンを収納しているカプセルになっているんですよ。このカプセルに命令を打ち込むと、命令を受けたナノマシンが起動を開始するって流れです。医療用のナノマシンで、飲み薬として処方されるのは、大抵はこのタイプですよ」

 「これが、その命令コードってわけか……わかるのか?」

 肩をすくめる始末屋を見て、少なくとも、この場でこれが何かを理解する者は1人もいないと言う事がわかった。

 「こりゃ、お持ち帰りだな」

 「アンジュに良いお土産が出来ましたね」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode27『星霜ヲ蝕ス三重奏⑥砂塵回帰』

 深い闇の世界、世界の彼方からゆっくりと光が漏れだすと、小さな光が世界へとゆっくりと広がっていく。光が広がると長い時間、世界を照らしていた星々がうっすらと消えていき、新しい1日が始まるのだと宣言する。

 砂漠と荒野、昼は熱く、夜は寒い。

 吐いた息が白く、空気に溶けていく。

 何度も何度も、口から洩れる息が白くなるが、時間が経てばこの白も消えていく。今はまだ白い。未だ白い。朝焼けが世界を照らす荒野では、まだ肌寒く、気温が高くなるにはまだ時間がある。

 この時間だけが、惑星リリーパにおいて好ましい時間と思える。

 「随分と早起きなのね」

 朝日に照らされ、1日の始まりで最初に出会ったのは、この場に似つかわしくない少女。

 「普段なら、この時間に起きてるからな……そういうアンタも随分と早起きじゃないか」

 少女に尋ねると、

 「あの娘が早起きだから、私も自然とね」

 少女は俺の隣に腰かけ、共に朝日を見つめる。

 やはり、少しだけ寒い。暖かい珈琲が欲しいと思ったが、今から淹れに戻るのは些か面倒だった。そう思っていると、少女は俺にカップを2つ、そして珈琲の入った水筒を見せる。どうやら、わざわざ淹れてきてくれたようだ。

 「準備が良いんだな」

 「気が利くって言って欲しいですわ、おじ様」

 嫌みがない言葉なら、素直に甘えるとしよう。

 湯気が昇るカップに満たされた、夜色の珈琲を口に含む。苦みが口の中に広がるが、この苦みを美味だと思ってしまう。何時からそう思ってしまったのかは、忘れた。飲みなれてしまったのだろう。初めて飲んだ珈琲の味など覚えていない。苦くて飲めず、砂糖とミルクを沢山入れても消えない苦みに顔を顰めていた頃は、遠い昔だった。

 「―――吸ってもいいかい、お嬢さん?」

 煙草を咥えると、少女はわざわざライターを持って火をつけてくれた。

 「……アンタ、良い女だな。その成りじゃなければ、口説いてるところだ」

 「聞き飽きた口説き文句ね。でも、悪くないわ」

 ゆっくりと昇る朝日。

 世界が光に包まれる。

 朝日に照らされる世界を見つめる、俺と少女。

 懐かしい場所で、懐かしい行為をして、今の自分がどうなっているか忘れてしまいそうになる。

 「体の調子はどう?」

 「多分、問題と思うな……肩慣らしにその辺の機甲種でも狩ってこようか?」

 「静かな朝に無粋な事をする殿方は好かれないわよ」

 「男は何時でも女性に良い恰好を見せたいんだよ。その辺、アンタは理解できるだろ」

 「そうねぇ……理解はするけど、好ましいとは思わないかな」

 「そうかい、そいつは残念だ」

 

■■■

 

 古巣に戻って1週間が経つ。

 イクサから脱出したは良いが、その後に戦艦の攻撃を喰らったキャンプシップは、見事に撃墜――とはならず、惑星リリーパに命からがら到着、もとい不時着する事に成功した。いや、成功と言っていいかは微妙だな。

 不時着は見事な胴体着陸。地面が荒野ではなく砂漠のエリアであった事は幸いだったのか、機体は砂漠に滑り込むように不時着し、最後は岩にごっつん。

 岩に激突したが流石はアークス製のキャンプシップ、頑丈で助かったわ、ほんと。

 そうして何とかリリーパまで辿り着いたは良いのだが、問題はその後だった。

 辺り一面砂ばかり。地図で確認してみたが、落ちた場所は困った事に周囲数十キロは休めそうな建物もない上に、俺の記憶が正しければ近くに機甲種の溜まり場みたいな場所があったはず。

 移動をする事は簡単ではない。方角を間違えればあっという間に遭難する。運が悪ければ敵に出会い、ドンパチする事になる。救難信号を出そうもんなら、救援という名の拘束が待っているに違いないだろう。

 俺とライバックの部下数名、そして運悪くキャンプシップを操縦していたオプタは途方に暮れる事になる。

 一応、キャンプシップを修理出来ないか試してみたが、今回ばかりは運が悪く、エンジン系統が見事にぶっ壊れており、修理は不可能。パーツが足りないならば機甲種から奪い取るという手も案に上がったが、こちらの現在の装備で対抗できる程、連中はオンボロではない。

 そうして途方に暮れていた翌日、想定内の事態が起こった。

 砂漠の猛攻に砂煙が見えた。砂嵐ではなく、何かが砂塵の上を移動してきていた。部隊の連中は即座に戦闘態勢になる。普段はあんなんでも、一応は軍人。手際の良さは見事なものだった。さて、此処で問題となるのは、移動してくる物体がどれかという事だ。

 機甲種の集団ならばマシだ。その場合は危険ではあるが戦闘行為を行えば済ませられる。俺を含め、この連中も奴等との戦闘には慣れている。どういう攻め方をして、どの部分を壊せば効率よく戦えるかは知っているからだ。

 マシじゃないのは、統合軍の追手、もしくはアークス情報部の回し者というのだが、こちらは中々に骨が折れるだろう。

 兎も角、戦闘を始める準備と覚悟を決めるしかないという状況で、向こうから近づいてくる物体が車両である事は判明した。しかも1台だけ。そうなると話は変わってくるわけだ。

 部隊の連中に銃を下げさせ、俺は向かってくる車両を迎え入れた。

 案の定、車から降りてきた奴は俺の顔見知り。

 この砂漠に似合わない着流しを纏う老人。

 俺の古巣、199部隊の隊長である十三、その人である。

 

■■■

 

 相も変わらない砂と荒野ばかりの惑星は、あの頃と何も変わっていなかった。とは言っても、此処に居たのは数か月前。個人的な感情としては、長期出張から帰ってきたって感じなんだなこれが。

 そんなあまり懐かしいと思わない荒野を歩く俺。風が舞えば、砂が舞う。そんな中を歩き続けて2時間も続けば、多少なりと疲れは出る。僅か数か月ではあるが、この程度でそれを感じるという事は、それなりにブランクがあるという事なのか。それとも単に老化が始まっただけなのか。

 「歳は取りたくないな」

 思わず毒吐くと、

 「大丈夫ですか、ヴァンさん。やっぱり、まだ本調子じゃないなら、戻った方が……」

 若造に心配される始末。

 「アフィン、勝手についてくるって言ったのは、そいつよ」

 同じく若造、もとい若いお嬢さんにも呆れられる始末。

 「でもユク姉、一応は怪我人なんだし」

 「いや、大丈夫だ。怪我っていっても、大したことはないからな」

 優しいねぇ、弟君は。

 「ほら、本人もそう言ってるじゃない。それより、予定より遅れてるわよ。昼までに目的地に着かないといけないんだから」

 お姉さんは厳しい事で。

 「ヴァンさん、辛いならちゃんと言ってくださいよ」

 「了解、了解。でもよ、弟君。それじゃどっちかと言うと怪我人扱いじゃなくて、年寄り扱いされてる気分なんだわ」

 やはり、もう若くないんだな、俺は。

 大丈夫と言っておきながら、実は未だに体の節々に痛みはある。大怪我というわけでもないが、動くと痛みを感じる。若い頃はこんな状態でも任務をこなす事など、なんとも思っていなかったが、今はそうもいかないらしい。

 外傷は殆ど残ってはいないが、骨には何か所かヒビが入っている。動けない程ではないが、小さな痛みが嫌らしく襲ってくるのは、結構精神的に来るものがある。

 「足手まといにはならないって言ったのは、何処の誰かしら……」

 「そう言うなよ、ユクちゃん」

 冗談で言ったら、すげぇ睨まれた。

 リリーパの採掘基地の防衛任務についている部隊、それが199部隊。当然、そこはアークスの部隊であり、俺の古巣。そこに最近になってお世話になっている2人が、ユクリータとアフィンの姉弟。俺がアークスを辞めてから此処に来たらしいので、当然俺との面識はない。

 話を聞いてみれば、この部隊に配属されているわけではく、お客様という扱いらしい。どんな理由かは知らないが、特に気になる程でもないし、今となっては俺もお客様という扱いだ。その辺はきちんと弁えているつもりだ。

 「怪我人は大人しく寝てればいいのよ、まったく」

 そう言ってどんどん先に歩き出すユクリータ。

 彼女は常にこんな態度なのだが、一応は俺の事を心配してくれている優しい娘、とのこと。どうせなら、分かり易く優しく接して欲しいと願うが、これはこれで味がある。反対に弟のアフィンはといえば、姉とは反対で友好的に俺と接してくれる。最近会った連中の中では、分かり易く好意的な印象を持てるアークスだ。ただ、お姉さんと常に一緒の所を見ると、若干シスコンなんじゃないかと思う時はある。まぁ、お姉さんが大好きなのかどうか知らんが、おじさんとしては姉弟が仲良くするのは、良いものだと言いたい。

 そんな若いアークス2人と、おじさん1人はどうして3人仲良く荒野をお散歩しているかと言えば、

 「怪我人に仕事を手伝えとか、十三も大概だよな」

 これである。

 十三曰く、動けるなら仕事しろ。匿ってやってるんだから仕事しろ。飯を食いたきゃ仕事しろ―――あの爺さん、その辺は全然変わってないな。いや、たかが数か月では、そう簡単に人格は変わらないだろうし、昔からそうだった。

 「弟君も、十三に虐められてないか?虐められてるなら、おじさんに言ってみな」

 「ヴァンさんは、おじさん扱いされたいのか、されなくないのか、どっちなんですか?」

 好意的なら受け入れるだけだよ、若いの。

 「まぁ、人使いは荒いとは思いますよ。老若男女の差なんて関係ない感じで。でも、良い人だとは思いますけどね。俺やユク姉の事も良くしてくれますし」

 「良い爺さんではないが、面倒見はいいからな」

 ついでに、それだけお前さん達を気に入ってるんだろうよ、きっと。

 「だからユク姉もこうやって、文句も言わずに部隊の手伝いを良くしますよ。働かざる者、食うべからずってね」

 「良い感じに毒されてるな……もしかして、ユクちゃんって結構チョロい?」

 「……それ、本人には絶対言わないでくださいね」

 線引きはきちんと出来るのが、大人ってもんさ、弟君。

 まぁ、それはさておき。

 そろそろ伝えた方が良い頃合いだな。

 「……なぁ、ユクちゃんよ」

 また睨まれたけど、そろそろ慣れたな。

 「ユクちゃんの向かってる先な、行き止まりだぞ」

 先行して進んでいる為、きっと道くらいは把握していると思ってはいたのだが、俺の記憶では、この先は地面に走った巨大な亀裂があり、先には進めないはず。目的地に着くには、大きく回り込まなければいけないのだが、

 「―――早く言いなさいよ……」

 「自信満々に進むから、知ってるとばかり」

 こうして、目的地に着くのが遅れる事は確定したわけでした、ちゃんちゃん

 

■■■

 

 遅めの夕食を取りながら、端末に表示される複数のデータが解析されていく。

 『タタラの技師の方の言う事が本当ならば、これまで集めたデータの組み合わせで、本当のデータが姿を現すはず……なのですが、量が量なので時間がかかってしまいますね』

 汚い部屋を居座る気が起きるくらいに綺麗にしてみれば、意外と住み心地の良い空間になった。部屋全てを掃除する気は起きなかったので、リビングと台所だけは簡単に掃除をした。掃除の後は食事だが、部屋に戻る前に食材を買い込み、クルーズが食事を作った。

 『独身男の料理が美味いとか、誰得なんですか?』

 「喰わない奴が文句を言うな」

 独り暮らしが長ければ、簡単な料理位は出来る様になる。その期間が長ければ長いほど、料理の腕は本人の意思と反して上達はする。

 「自分の喰いたい物を探すより、作った方が効率的なんだよ」

 『それは料理をする人の言い分ですね。ちなみにですが、マスターは殆ど作りませんよ』

 「お前が作ればいいだろう、サポートパートナーなんだから」

 『私は家政婦ではありませんよ。サポートパートナーはあくまでアークスとしての主人を手伝うだけ。主人の私生活までサポートする義務はありません』

 当然の事を聞くな、と偉そうに言うアンジュだが、

 「彼女、私がヴァンさんの部屋に居る時はゲームしかしてませんでしたよ」

 『こらこら、誤解を招くような事を言わないでください。それではまるで、私が結婚したけど家事をまったくしない嫁みたいじゃないですか。それに、家事は嫁がするとか、時代遅れですよ、まったく』

 「まぁ、そこは否定しませんが」

 そうだったのか、と心の中でクルーズは驚いたが、この状況でそれを口にするのは良くないだろうと察知し、口を閉じる。

 『マスターの場合、結婚していた時期に家事の分担を奥様に提案されましたが、マスターの家事スキルが圧倒的にアレだったせいか、2度と手を出すなと奥様に言われ、それ以来は料理とかあんまりしませんね』

 「結婚してたのか、アイツ」

 それは初耳だった。

 「娘さんも居るようですよ。確か、マリサさんでしたっけ?」

 娘もいるのか、という情報に僅かながらショックを受ける。だが、すぐにアンジュの言っていた結婚していた時期という言葉に、今がどうなっているかを察するのは簡単だった。

 「アークスはあまり既婚率が高くないと聞いているが、珍しい部類だったんだな」

 『低いわけでもないんですけどね。マスターの場合は出来ちゃった結婚でしたので、結婚しないと流石にクズですよ、クズ』

 「もうちょっと言い方があるでしょうに……」

 『暇潰しにマスターと奥様の馴れ初めでも話しましょうか?』

 「結構だ」

 他人の惚気話など聞きたくないし、その先がすでに分かっている話というのも聞きたくはない。

 『私的には、話したくてうずうずしてるのですが……』

 「近所のおばさんですか、貴女は」

 『彼女達の気持ちも理解できますよ、私は』

 「……はぁ、だったらヴァンさんの事を話してください。都市警備局に来る前のあの人は、どんな人だったんですか?」

 『お?聞いちゃいます?それ、聞いちゃいます?』

 心の底から鬱陶しいと2人は同時に思った。

 『と言っても、別に大して面白い話なんてないんですけどね』

 そう言ったアンジュに、何時もの様に茶化すような雰囲気は感じられなかった。

 「別に話したくないなら、話す必要なんてない」

 誰だって過去はある。自分の過去を話す事が出来る者もいれば、そうじゃない者もいる。クルーズにとっては後者であり、そんな者が他者の口から勝手に語られる事を良しとはしないだろう。

 「面白い話ばかりじゃないだろ、昔話なんて」

 「……そうですね」

 語れない、語りたくない。

 そんな想いを持つ者が、此処にはいる。

 『―――マスターがアークスを辞めた理由は色々ありますが』

 だが、知っておいて欲しいという想いを持つ者も、此処にはいる。

 『一番の理由は、ずっと一緒に戦っていた相棒が、居なくなった事でしょうね』

 顔も体もない、声だけしか聞こえないが、言葉を紡ぐサポートパートナーの顔が、きっと楽しそうに話しているような顔ではないだろう。

 『私はマスターの相棒ではありますが、きっと一番の相棒は私ではありません。私は、あの人の後釜に居座っている様なものですから』

 スノゥというアークスがいた、そうアンジュは言った。

 『マスターは惑星リリーパの採掘場を警備する部隊に居ました。199部隊といって、マスターはその中でも古株だったんです。だから、士官学校を卒業したばかりの、新米アークスのスノゥの教育係に任命されるのも必然だったんでしょうね。ああ見えて、面倒見は良い方ですからね、マスターは』

 だが、面倒見は良くても苦戦はしたらしい。

 士官学校を卒業したばかりの新米が、いきなり現場に放り出されても役に立つわけがない。エリートで有能であるならば話は別だが、スノゥというアークスはその中でも格段に劣っていた。

 「どうやって卒業したんだ、そいつは」

 『それは未だに謎ですね。まぁ、色々と問題を起こしていたので、放り出されただけじゃないのか、というのが私達の見立てです。兎に角、それはまぁ……酷い人でした』

 成功している姿を見る機会など殆どなく、失敗している姿ばかりが目立った。本来であればすぐにでも部隊から放り出され、士官学校に戻されてもおかしくない程だった。だが、そんな新米を見捨てず、共に戦場を走った。

 走り、躓き、走り、転び、走り、置いて行かれ、走り、追いついて、転んで、立ち上がって、走り、走り、走り―――走っている内に、何時しかヴァンの隣に居るのが当たり前な存在となった。

 『そうなってしまえば、私の出る幕なんてありませんでしたよ、まったく。スノゥのおかげで、私はしばらく部隊のマスコットとして愛される日々を送る事になるんですから』

 「貴女でも嫉妬してた、と」

 『どうしてそうなるんですか?人の話、聞いてますか?』

 このサポートパートナーは、相手を弄る事に長けていても、弄られる事には長けてないらしい。

 『性格も能力も問題がある人でしたが、妙に自信家でもありましたよ。自分にも他人にもね。いつも大丈夫、大丈夫って口癖みたいに言ってました』

 嫉妬していた所もあったのだろう。それでもスノゥというアークスの事を語るアンジュからは、相手に対する親愛が感じられる。

 『きっとこの人は、ずっとマスターの隣に立つ人なんだと思ってました』

 親愛を感じるが故に、声の質が変わった事に気づくのは容易い。

 『若人封印作戦、あれがマスターとスノゥが共に戦った最後の作戦でした。そして、マスターがアークスを辞めたのも、その後です』

 激しい戦闘だったとは聞いている。激しい戦闘故に、アークス側にも沢山の負傷者、死傷者が出たと。

 『あの人がいれば、きっとマスターは未だに砂塵の中を走り回っていたでしょうね。でも、私としては、都市警備局に再就職できた事は幸運だと思ってました』

 「アークスに居るよりはマシか?」

 『言っちゃなんですが、大分マシですよ。ダーカーを相手にするよりは、街のチンピラを相手にする方が、何倍も安心できますので―――まぁ、最近まではそう思ってましたけど、なんか違いましたね』

 今、自分達が相手にしているのはダーカーではない。だが、それとは違うタイプの危険な存在だった。今まで経験した事のない危険、経験した事のない悪意。砂の惑星を出た後で、出会うと想像すらしなかった巨大な何かが、此処には存在している。

 「ふん、リリーパがどんな場所かは良くは知らん。知らんが、此処の仕事が楽ちんだと思われるのは、納得できん」

 『そこは反省ですね。私も、マスターも。ですから、さっさと戻ってきてもらわないと困ります』

 「まったくだ。奴が戻ってきたら、此処の仕事がどれだけ楽じゃないか叩き込んでやる。何時までアークスのつもりか知らんが、奴はもう都市警備局だろうが……」

 何気なく、当たり前の様に口から出た言葉に、クルーズは何も気づかない。それに気づいたアンジュはクスリと笑った。

 「何がおかしい?」

 『いえ、やっぱりクルーズさんは可愛い人だと思っただけですよ』

 馬鹿にされていると思ったのだろう、クルーズは画面の向こうにいるアンジュを睨みつける。そんな顔を突き付けられても、アンジュは笑みを消す事が出来ない。幾ら画面に顔が映っていないとはいえ、尚も馬鹿にされているとクルーズは不機嫌になる。

 そんな2人を見て、始末屋は視線を外に向ける。

 星空の向こうに居る、きっと生きていると信じているからこそ、

 「……さっさと戻ってこないから、こんな面白いのを見逃してしまうんですよ」

 遠い星空の向こうに居る誰かさんに、届かない言葉を向けた。

 

■■■

 

 無数の数字の羅列、無数の言葉の羅列、無数の記号と無数の図形。

 個別に存在している情報の波は、初めは荒波の様だった。形を成さないが故に、形を見ようとする者を阻む様に、混乱を叩きつける。だが、その荒波は徐々に、徐々に弱まっていく。混沌とする情報が形を持ち、意味を持ち、人が見ようとする形を取り戻す。初めからそうであったからこそ、正しい形を取り戻したからこそ、情報の海は穏やかな世界へと変わる。

 『―――解析が終わりました』

 穏やかの水面に浮かび上がるモノ。

 水面を上から覗き込む者達にとって、待ち望んだモノ。

 それが希望に繋がると信じて、形を成す。

 「これは……なんだ?」

 『何かの実験データの様ですけど……あ、データの順番がバラバラですね。ちょっと並べ替えるのでお待ちを』

 水底を覗き込み、

 其処に置かれた光に向かって、

 望む者達は手の伸ばし、

 『出来ました。いやはや、やっとお待ちかねの―――』

 そこで気づくのだ。

 水面に手の伸ばし、水底に沈んだ光に手をかけた瞬間に気づく。

 光は闇があるからこそ、輝くのだと。

 如何に光り輝いているモノであろうとも、その周囲には漆黒の闇が広がっている。

 同時に思い知る。

 水面の下は深淵。

 深淵を覗き込むからこそ、深淵から覗き込むモノも存在すると。

 ゆっくりと深淵はその手を伸ばす。

 己を覗き込む者達を掴み取り、引きずり込む為に。

 

 『アークスシップ145番艦ナオビにおける擬似アビスの実験報告』

 

 パズルのピースが嵌る音は、深淵の嗤い声に似ている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode28『星霜ヲ蝕ス三重奏⑦残留怨念』

 多少のロスはあったが、何とか昼前には目的地に到着するが出来た。

 「弟君、この味付けはちょっと濃いな」

 「そうですか?俺にはちょうどいい感じなんですけど……」

 おじさんには厳しいんだよ、この味付けは。

 「注文を付けるようで悪いが、少し塩気が多いな。これ、塩分量を間違ってないか?」

 「家では昔からこんな味付けですよ」

 「……文句があるなら食べなきゃ良いでしょう」

 おっと、コイツは失礼。料理人の前で直接クレームを入れるのは御法度だわな。

 腹ごしらえはこの辺にしておくとして、

 「それで、こんな辺鄙な場所に何を探しに来たんだ?」

 「は?何も知らないのについてきたの?」

 ユクリータは呆れ顔で俺を見る。

 「大した怪我もしてないのに、無駄飯を喰うのなら叩き出すってさ。まったく、あの爺さんは昔から人使いが荒い。人を使う位なら詳しい内容くらい話せっての」

 「詳しい内容も聞いてないのに、協力するヴァンさんも大概だと思いますけどね」

 言わんとする事はわかるが、これでも恩を忘れる程、人を辞めてない。

 「以前から199部隊が抱えている任務の1つ、私達はその手伝い」

 「あまり人手が割けないから、俺達がこうして代わりにやっているってわけです」

 「そいつは上々。一宿一飯の恩は大事にしないとな」

 とは言ってはみたが、こんな辺鄙な場所に何があるというのか。

 採掘場跡地でもなければ、周囲にダーカーの巣があるわけでもない。

 あるのは草木も生えない不毛な荒地だけ。

 「アンタも知ってるでしょう。1ヵ月前にダーカーに襲撃されたアークスシップの事は」

 「そりゃまぁ、知ってはいるな」

 「当然よね、アンタが居たアークスシップだものね」

 「……なんだ、知ってたのか」

 こいつは人が悪い。十三の事だから、この2人には俺の事情を話していないとばかり思っていたが、

 「ユク姉、どういう事だ?」

 知っているのはお姉さんだけか。

 「その男は、統合軍とアークス情報部が追ってるお尋ね者よ。何をしたのかは知らないけど、身の丈に合わない罪を持ってるみたいね」

 人聞きの悪い事を言わんでくれ、弟君が驚いてるぞ。

 「お尋ね者って……」

 「別に悪い事をしたわけじゃない。色々と誤解があって、色々と厄介事を抱えただけだ」

 そんな状態である俺を、それを承知で匿ってくれている十三には今後も頭が上がりそうにないな。

 「それで、ユクちゃんはそんな俺をどうする気だ?」

 「どうにかするなら、とっくにしてるわ。私達に害を及ぼすなら、それ相応の処置を取るだけ」

 「お優しい事で。まぁ、あれだ。お前等に迷惑をかける気はないから、心配するな。これでも大人なもんでね……この言い分を信じるかどうかは、そっち次第だけどな」

 此処で信用できないと言われるとショックは受けるけど。

 「私はどっちでも構わないわ。それに十三には世話になってる。アンタを信用するかどうかは別として、彼がアンタを信用している以上は何も言わないわ……アフィン、アンタはどうする?」

 「俺は……俺は信用する。ヴァンさんが悪人には見えないし、ユク姉の言うように十三さんを信用してるから」

 「そうか……色々と助かるよ、2人とも」

 今後は若い連中に迷惑をかけるような事をしない生き方をすると心に決めよう。明日には忘れてしまいそうな決意だが、個人に対しての想いはそう簡単には忘れないさ。

 「話を戻すが、この場所がナオビのダーカー襲撃と何か関係あるのか?」

 「その事件の事、どの程度知ってる?」

 「資料で見る程度だな。あんまり詳しい事までは知らないが……そうか、確か襲撃したダーカーの中には侵食核をつけた機甲種が居たんだったな」

 連中は何処からも現れる。

 オラクル船団の周辺に突然転移してくる事もあれば、過去には移送船を乗っ取って襲撃してきたという事例もある。

 今回の襲撃は、その過去事例にもある方法だったらしい。

 「その船はリリーパで採掘された資源を運ぶ輸送船ってわけ。でも、その輸送船には奇妙な点があった」

 「奇妙な点?」

 「記録になかったんですよ。リリーパから出発した記録も無ければ、降り立った記録もない。アークスの船って事は確認できたんですけど、老朽化の為に廃棄されている船らしくて、それはおかしいって話になったんですよ」

 つまり、本来ならば存在しない輸送船という事か。

 「資源を無断で拝借している連中って線は?」

 「勿論あるわ。だからこうして調べてるってわけ。もしかしたら、リリーパで犯罪を犯している連中が居るかもしれないから、探そうってわけよ」

 そんな案件を優先度低いって言うなよ、十三。いや、確かに本来の任務は発掘基地の防衛だが、そっちも重要だろうが。

 「でも、今の所は全然当たりが無いんですよね」

 困った様にアフィンは周囲を見回す。

 確かにこの星全てが捜索対象となれば、探すのは苦労するだろう。アークスが把握しているのは、あくまでリリーパの一部。それ以外は未だに未開の地に等しい。

 「そろそろ捜索を切り上げようかって話にもなってて。だから、実質今回が最後の捜索任務ってわけなんですよ」

 当然だろうな。

 確かに確認する必要のある事ではあるが、人員を割くには規模が大きすぎる。

 「十三さん的には、自分達の持ち場の近くで見つからなければ、諦めるつもりみたいなんですけど……どう思います?」

 「十三がそう言うなら、それで問題ないだろ。お前さん達は元々199部隊のアークスじゃないんだ。そこまであの爺さんも無理強いはしないよ」

 上から何を言われても、あの爺さんなら何とかするだろうしな。

 周囲を見回すが、同じような光景しかない所で奇妙な場所を見つけろってのは、無理な話。最後の捜索場所としては、実りのなさそうな場所だ。

 3人がバラバラになりながら捜索しては見るが、時間は無駄に経過していく。あまりにも味気ない光景だからか、自然と口に煙草が運ばれる。傍から見ればサボっている様に見えるからもしれないが、休憩を入れるのも必要な事だ。

 そうして煙草を吸っていると、風が頬を薙ぐ。

 不思議な事に、横からではなく、真下から。

 口元から煙草を離し、煙をじっと見つける。

 自然にして不規則な煙が上昇するが、突如として不自然に規則的な形に変わる。

 その場にしゃがみ込み、煙草を地面に近づけると、真下から吹き上げる不自然な風が漏れる場所があった。砂に隠れてはいるが、払ってみればあるのは鉄製の板。

 「やっぱり、日頃の行いが良いんだろうな、俺は」

 周囲の砂を蹴って払い続けると、現れたのは荒野にあるはずのない取っ手のついた板。それを開けた瞬間、真下から強い風が吹き上がる。

 

■■■

 

 荒野の地下に隠された空間は、恐らく昔からあった地下坑道を改造したものだろう。

 今まで見た事がある地下坑道と違い、真新しい箇所が幾つか見つける事が出来た。更に電源が生きていたのは幸いで、真っ暗闇の中を進むという危険を冒さずに済んだのも、何者かが最近まで使っていたという形跡になる。

 「こんなのが作られてた事にも気づかなかったの?」

 「いや、確かに最近になって手が入っている個所はあるが、大部分は昔からある坑道だろ。それを少し改造しただけだろうから、意外と気づかないもんさ」

 微かだが奥から何かの稼働音が聞こえてくるのは、此処が未だに生きている証拠。念の為に警戒はしておくべきだろう。

 「アンタ、そんな豆鉄砲で戦う気?」

 愛用している銃を豆鉄砲扱いするのは、感心せんが事実でもある。

 「いざとなったら、現役のアークス様が何とかするさ」

 「……別に良いけど、邪魔だけはしないでよね」

 「了解、了解」

 まぁ、何も起きない事が一番良いんだけどな。

 そんな俺の願いを叶えてくれたのか、あっさりと俺達は坑道の奥へと到達した。

 「これ、何かの工場なのかな?」

 「見た限りはそうだろうな」

 奥にあった広い空間は、アフィンの言うように工場の様だった。

 作業用ロボットらしき物が見えるのは、此処で何かを作っていたという事なのだが、機材が乗せられたレールを見ても、パーツがバラバラでわからない。電源は生きていても、ラインが稼働していなければ、肝心の何を作っていたのか、分かりようがない。

 周囲を見渡しても、完成品はない。あるのはガラクタとなった部品ばかり。

 「こんな場所で何を作る必要があるの?」

 此処でしか作れない物があると言うよりは、単純に此処で作る方が色々と楽だったのだろう。現に作業用のロボットはリリーパで見た事のないタイプなので、これらはきっと外部の者が持ち込んだ物と推測できる。

 だが、此処で作る方が楽な物とは何かと聞かれると、それはそれで困る。困るのだが、その答えは意外とすぐに見つかった。

 動かない作業用ロボットが並び、その1つ1つを見ていると、不意に姿を現した見覚えのある機械の姿を見た瞬間、その場から飛び退いた。

 この惑星で嫌という程に交戦した事のある、スパルダンAという四足歩行の機甲種。

 すぐさま銃を抜き、相手に向けるが……動く様子はない。よく見れば、起動中は青く光っている中央の青いコア、それが光を失っている。ゆっくりと近づき、小突いてみたが反応なし。どうやら、完全に機能を停止している模様。

 「驚かせるなよ、ポンコツめ」

 安堵の息を漏らし、こんな格好悪い姿は見せられんなと思った矢先、

 「何をやってるのよ」

 何時の間にか背後にユクリータが呆れ顔で立っていた。

 「……この位は勘弁しろよ」

 「別に悪いとは言ってないでしょう……こんな所にもソイツがいるって事は、他にもいるかもしれないわね」

 もしかしたら、何体かは未だに稼働している可能性はあるが、目の前のスパルダンAは確実に機能を停止している。

 「でも、おかしいわね。なんでコイツはこんな所にいるの?」

 俺の知る限り、機甲種は自分達以外の生物を敵と認識している。出会えば確実に戦闘になり、どんな相手だろうと襲い掛かってくる融通の利かない連中だ。だが、それ故に何者かの手が入ったこの場所にコイツがいるのは、奇妙だった。

 この工場が稼働している時に、コイツが侵入して来たと推測する場合、コイツはこの場にいた奴と戦闘になっているだろう。だが、コイツを見る限りは戦闘の形跡もない。無抵抗の相手を殺害したという可能性もあるだろうが、胴体を見てもそれらしい個所は見当たらない。ならば、誰も居なくなった後にコイツがこの場に現れたのか、という推測も出来るが、その場合はどうしてコイツが動いていないのか疑問が残る。

 動かない鉄の塊になったスパルダンAをじっと見つめていると、ある事に気づいた。

 「なぁ、何かおかしくないか、コイツ」

 「おかしい?」

 ユクリータと一緒に動かないスパルダンAを観察する。俺が奇妙だと思った場所は、コイツの形だ。何度も交戦経験がある故、コイツの形は把握している。その記憶と目の前にあるコイツは若干だが形が違う。

 「足を見てみろ。これ、シグノガンの足についてるブースターだ」

 そもそもコイツは歩行タイプの機械で、移動は動物と同じで四足歩行。シグノガンは二足歩行だが移動にはブースターを使っている。基本的に殆どの機甲種は同じ様に作られる為、ヴァージョンアップもマイナーチェンジもされている事はない。

 過去の何者かによって作られたので、未だに新種のタイプが発見でもされない限り、基本的に同じだ。

 「これが新種……って事はないわね」

 「どう見ても改造されてるからな」

 足の部分を更によく観察すると、この砂塵の惑星においては不向きなローラーがついている。ある程度の大きさ、車両のタイヤ程の大きさがあれば荒野だろうが砂漠だろうが移動は可能だが、この大きさでは逆に足を取られ、移動が困難となる。

 あまりにも非効率だ。

 それがこの星の生物として、あまりにも不自然だった。

 「まるでリリーパ以外で使われる事を前提とした改造だな」

 「……他のも見てみましょう」

 工場内を隈なく探すと、同じように改造された機甲種がゴロゴロ発見された。スパルダンAだけでなく、スパルガン、シグノガンも同じように改造されていた。

 「ユク姉、ヴァンさん、このガーディンなんだけど」

 アフィンが抱えた偵察型の機甲種、ガーディン。

 「この武装なんだけど、ガーディナンが持ってるレーザーじゃないかな。俺が知る限りじゃ、コイツがこんなゴツイ武装をしてた事なんてなかったけど」

 元々の武装の銃器とレーザーが一緒になっているガーディンなんて、俺も見た事がない。

 「なるほど、つまりこういう工場ってわけか」

 こいつは、中々に厄介な場所らしい。

 機甲種を改造、もしくは新しく製造する工場。周囲にある作業ロボットのレーンを見る限り、機甲種を1度分解して、新しく作り直しているとみて間違いないだろう。となれば、コイツは立派な武器工場ってわけだ。

 「何の目的でこんなのやってるんだろ?」

 「そんなの簡単じゃない。兵器を作る理由はなんて、争い事以外にないでしょう?大方、ここで作られた機甲種を商品として売りさばいている連中がいるのよ」

 それが一番妥当な線だ。

 妥当な線ではあるのだが、

  「アフィン、ユクリータ。今までお前達はリリーパで、コイツ等と遭遇した事はあるか?元々の奴じゃなく、この改造された連中だ」

 「えっと……あったっけ?」

 「私の記憶が間違ってなければ、こんな連中とやり合った事はないはずよ」

 仮に壊世区域の機甲種ならば、こんな改造された様な連中が居るかもしれないが、此処ではそれはないだろう。そもそも、壊世区域の機甲種が外に出る事など、殆どないのだ。

 「それじゃ、機甲種がリリーパ以外で発見された事はあるか?」

 2人は無言になる。

 「アークスが認識している宙域エリアでは、この改造機甲種は使われてない。もしも使われていたとしたら、早々に此処に調査の手が入るはずだ。だが、現状ではそれがないって事は、コイツは未だに使われていないって事だろ」

 「まだ使われてないだけで、裏で確保してるって事は?」

 「勿論、それは十分にあり得る。その場合、コイツを作った奴も、買った奴も、コイツを必要とする何かをしようと企んでるってわけなんだが……」

 今ではなく、未来。

 今日ではなく、明日。

 最早、機甲種などではない兵器が何処かに保管されている。

 何時か、それを使って何かを起す為に。

 「なんか、任務外の面倒事を見つけちゃったのかぁ、俺達」

 「むしろ、こっちの方が大事よ。すぐに戻って十三に報告するわよ」

 それが最善だろう。だが、出来ればもう少しお土産が欲しい所だ。

 「帰る前に統制ルームに寄ってくぞ。さっき、それっぽい所を見つけた」

 もしかしたら、コイツ等に関するデータが残されているかもしれない。

 此処の電源が生きている為、統制ルームも当然生きている。端末を操作してみると、意外にも何のセキュリティも働いてなく、すんなり中のデータを見る事が出来た。

 案の定、そこには各機甲種のデータがあり、その機甲種を改造する様々なプランがあった。多くはプランだけで実際に製造される事はなかったようだが、採用され、この工場で作られたタイプはたった1つ。

 「市街地戦闘、ね」

 「アークスシップでも襲う気なのかしら、これを作った奴は」

 「かもしれんな。市街地での戦闘を目的としていないなら、特に手を加える必要がなかったんだろうが、市街地なら市街地で戦う為に必要な改造をする事で、戦況を有利に進める事が出来る。制圧戦とかな」

 どっちにしろ碌なもんじゃない。

 「それにしても、こんな重要な物を残すなんて、脇の甘い連中だな。まるで此処を探して自分達を見つけろって言ってるようなもんだ」

 「挑発でもしてるんじゃない?だったら、それ相応のお仕置きをしてやるだけよ」

 そいつは怖いねぇ、ユクちゃん。

 可哀そうな連中に同情はしないが、報いってのはあるもんだ。

さて、無駄話も良いが、さっさとデータをコピーして帰るとするか。

 そう思って端末を操作していると、

 「……なぁ、ちょっと寄り道してもいいか?」

 「それ、今じゃないといけないの?さっさと報告しに戻って、それからでも―――」

 「いや、それじゃ駄目だ」

 何かが手を伸ばしている感覚だった。

 その手は闇の底から、自分達を手招きしている。

 先程、俺自身が言ったように、此処を探せ、自分達を見つけろと、囁いている。

 「お仕事を途中で放り出すのは、良くないよな」

 

■■■

 

 地下坑道を抜けた先、偶然にも此処に来る前にユクリータが道を間違えた時にあった、巨大な亀裂の中。あの時、上からは見えなかったが、亀裂の中は意外に広く、船一隻くらいなら簡単に入る程の大きさだった。

 現に俺達の目の前には、輸送船の残骸が残されていた。

 破壊された外壁から見るに、元々あった古い船の残骸ではない。最近まで使われていたであろう船だ。その船は船体に付けられた傷痕から察するに、此処に停泊中に攻撃を受けたと推測できる。

 傷痕から、恐らくは機甲種だろう。その際に起きた戦闘は激しかったのか、船体の周辺には破壊された機甲種があちらこちらに転がっている。

 その機甲種が動かない事、周囲に他の機甲種が潜んでいない事を確認にして、俺達は輸送船の中に足を踏み入れる。

 それほど大きな船ではないが、俺とユクリータは操縦席へ向かい、アフィンは貨物室を捜索する事になった。

 意外な事に入ってみれば綺麗なものだった。

 あれだけの戦闘があったのだから、当然死体が転がっていると思ったが、不思議な事に死体が1つとして残されていない。腐り果てたとか、野獣に食われたというわけではなく、まるで最初から誰も乗っていないかのような形跡に首を傾げる。

 「先に死体を処理していったのもしれないわね……」

 死体のあった形跡すらないので、それも考えられるが、

 「俺なら、死体の処理よりもあの工場をどうにかするがな」

 「……そうね、確かにそっちの方が優先されるはず」

 あの工場は停止されただけで、破壊はされていない。その上、改造機甲種のデータまで綺麗に残っている状態だ。

 おざなりにも程がある。

 「もしくは……いや、あり得ないか」

 「何よ、言いなさいよ、気になるじゃない」

 「……最初から、生きている奴なんて1人もいなかったって可能性さ」

 あの工場には、人はいない。この船にも人はいない。綺麗さっぱり消えたと考えるのは普通だが、それと同じように最初から誰もいなかったという可能性もある。

 「全自動……そんな事が出来るの?」

 「どうだろうな……確かに全てを全自動にする事は出来る。だが、それでも人の手が入る場所というのは必ずある。動作チェックとか、そういうのだ。このご時世になっても、人の手が要らない場所というのは理屈だけの話だ。どう足掻いても人は必要になる」

 必ず、とは言えないが、これは事実でもある。

 「それじゃ、やっぱり此処には誰かが居たって事じゃない」

 「そうだな……」

 それでも何かが引っかかる。

 もやもやしたモノを抱えながら、俺達は船体の奥へと進むと、目的の操縦室があった。

 操縦室の端末を操作すると、幸運な事に生きている。

 「随分と古い機体だな。製造日は今から10年以上前だ」

 「新品の輸送機なんて、簡単には手に入らないからじゃないの?だったら、中古を買った方がお手頃なのよ、きっと」

 「それもそうだな……そうだが、どうも中身は結構弄ってるな。このOS、最新型だ。これなら地形データを入力しておけば、パイロットが居なくても飛ばす事が出来るぞ」

 入力されているデータから分かったのは、この巨大な亀裂の空間、その先を5キロ程進むと開ける場所があり、そこから飛び立つ予定だったらしい。ご丁寧にも輸送機の出発時刻まで乗っている。

 「予定では、2ヵ月前にはお空に飛び出すつもりだったみたいだな」

 残念な事にその2ヵ月を迎える事なく、此処はただの墓標になったようだが。

 「だったら、送り先が残ってるはずよ。何処のどいつがこんな事をしたのか知らないけど、これで御用よ」

 「送り先、送り先……送り先がないな」

 指定されたのは、宙域の座標だけ。リリーパから大分離れてはいるが、結構な距離を無人で飛行していたのかもしれない。

 「その宙域で荷物の受け渡しがされていたって事ね」

 「だろうな。用意周到な事だ。その周到さを此処の工場にも使って欲しいもんだ―――ん、ちょっと待て」

 指定された座標はあるのは当然だ。だが、指定された座標から戻ってくるルートが登録されていない。むしろ、この輸送船は指定された座標から次の座標に移動するように指定されている。

 「どういう事?最初の座標が受け渡し場所じゃなくて、休憩場所だっての?」

 「休憩にしては長いな。指定された航路では、この輸送船は目的地についてから1ヵ月近くその場から移動しないようにされてる」

 「それじゃ、その後の座標は何処よ」

 「……これも何もない座標だな」

 どうもわからない。

 この輸送機は、何処に向かうつもりだったのか。

 しかも、記録を見れば同じように航路を設定された輸送機が何機かあるようだ。ご丁寧にそっちのデータも残されている。

 此処で作られた改造機甲種を輸送船に乗せ、最初の座標に送り込む。そこでしばらく待機して次の座標へ。その設定がされた輸送機が複数あり、全部が同じ座標へ。

 何かが、引っかかる。

 何かを、俺は知っている。

 輸送機の数、航路、座標。

 それを思い出そうと頭を働かせる―――その時、鼓膜を震わせる銃声。

 「―――アフィンか」

 「でしょうね」

 同時に操縦室を飛び出す。

 アサルトライフルの銃声、連射する音がしばらく続く。俺達が音のする場所まで移動する間、ずっと鳴り続け、音の発生源である貨物室へ飛び込んだ時には、音は止んだ。

 「―――随分と派手にやったものね、アフィン」

 貨物室のあちらこちらに弾痕が刻まれ、その殆どは壁やら機甲種やらに撃ち込まれている。しかし、問題なのはそこではなく、俺からすれば久方ぶりに目にした我らが怨敵の姿がそこにはあった。

 惑星リリーパでよく見る虫の形をした黒い存在。

 宇宙の敵であり、アークスの敵、生命の敵。

 ダーカー。

 アフィンに撃ち込まれた弾丸は、ダーカーの体を食い散らかし、既に行動不能となっており、その体から黒いフォトンが漏れ出している。この黒いフォトンが死んでも尚、生命に害を及ぼすのだから、厄介なものだ。

 こんな場所にも奴等が居たのかと驚く事はしない。むしろ、リリーパに来て奴等を見なかった方が珍しいのだ。

 「弟君、怪我はないか?」

 「大丈夫です。でも、他にもいるかもしれないから、気を付けてください」

 だろうな。だが、俺の今の装備で奴等を相手にするのは些か面倒だ。ユクリータが言うようにこんな豆鉄砲で相手をするには荷が重い。これを使う位なら、素手ぶん殴った方がなんぼかマシだな。

 貨物室を見回し、残党がいないかを確認するが、どうやらアフィンが倒した奴等が全部らしい。他にそれらしいモノはいないようだが、

 「なぁ、弟君。これは何だ?」

 気になる物が置かれていた。

 貨物室の床に設置された機械。どうも見た覚えのある機械なのだが、何だったか。

 「それ、バリア装置ですよ」

 「バリア装置?なんでそんな物が此処にあるんだよ」

 「わかりませんけど、俺が倒したダーカーは、その中に入ってたんです」

 入っていた?

 バリア装置の中にダーカーが?

 「迷い込んだら、ネズミ捕りに引っかかっただけってわけじゃないようね」

 同感だ。

 周囲を見回しても、バリア装置が置かれているのは、この場所だけ。それもど真ん中に堂々と置かれている。奴等に本能があってもこれが罠だと理解する知恵があるとは思わない。採掘基地を襲う際は集団で襲ってくるが、あれは司令塔となるダーカーがいるから出来る事であり、単体ではそんな知能はないはず。

 「それじゃ、コイツは最初からこの中に居たって事なのかな……」

 「それこそあり得ないわよ。どんな理由があって、ダーカーを最初から輸送船に乗せる必要があるってのよ。魔除けじゃあるまいし」

 魔除けならもっとマシな物を乗せるだろうな。仮にこれを最初から乗せて出発する気なら、危険な爆弾を積んでいるようなものだ。

 ダーカーはその場に存在するだけで危険な爆弾となる。しかも、爆弾を量産する機能付きだ。

 奴等の発する黒いフォトンは各惑星の現地生物などに影響を及ぼす。その中でも一番厄介なのは、現地生物がダーカーに侵食され、新たなダーカーになる事も珍しいものではない。この場合、黒いフォトンに冒された者には、侵食核と呼ばれる毒針が撃ち込まれている。その核がその者をダーカーへと変貌させる。

 つまり、此処にこんなダーカーを置いて、このバリア装置が壊れるという最悪な事態が起こった場合、この起動していない改造機甲種の全てに侵食核が撃ち込まれ、全部がダーカーになってしまう、なんて笑えない状況になってしまう。

 そんな笑えない状況になったら、

 そんな笑えない状況になっていたら、

 そんな笑えない状況を目的としていたら、

 「ねぇ、ヴァン。私、凄い馬鹿な事を考えたんだけど」

 偶然だな、ユクちゃん。

 俺も同じ様なジョークが頭に浮かんだところだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode29『星霜ヲ蝕ス三重奏⑧呪縛呪園』

 絶対令、アビス。

 それはアークスの上位に立つ者が、持つ絶対命令権。

それが発動されれば、アークスはその身のみでなく、思考すらも命令に従う傀儡と化す。

 強制的な暗示ではなく、遺伝子に刻まれた機能の1つ。命令を受ければ、受諾する以外に選択肢がない。否、そもそも選択肢すら与えられない。

 その命令が正しく、それを行う自らも正当だと思わされる。迷いも生まれない、発動した瞬間に絶対という2文字が心を支配する。

 それだけにアビスが発動する事は殆どない。その行為は認められた行為でありながら、他者の想いを全て捻じ伏せる行為でもある。

 過去に使用された事もあり、最近では1年程前。

 現在のマザーシップが現れる発端となった事件。アークスがアークスとしての形を新たに組み替える発端となった事件である。その際に使われたアビスは、あるアークスの抹殺命令。オラクル船団にいたアークスの殆どがアビスに従い、そのアークスを抹殺する為に、同胞へと牙を向いた。

 例え同胞であろうとも、アビスがあれば簡単に殺す対象へと変える。どれだけ親交があり、どれだけ好んであろうとも、好きも嫌いも無関心も関係なく、命令を遂行するだけの機械へ変貌させる。

 それ故に、ジェリコが残したデータに刻まれた擬似アビスという言葉は、到底信じる事が出来ないものだった。

 擬似アビスという言葉が、現実にある言葉として認識するまで時間がかかった。

あまりにも荒唐無稽で、冗談の1つだとさえ思ってしまった。しかし、そこに残されたデータは擬似アビスという呪いが確かに存在している証拠を突き付けている。

 「……アークスじゃない俺には、このアビスというのがどういうモノなのか、あまり詳しくはないんだが、個人が作り出せるようなモノなのか?」

 クルーズの問いに始末屋は、否定する。

 「あり得ません。アビスはその性質上、簡単に表に出るようなモノではありません。そのデータは極秘中の極秘。仮にこれが外に漏れるような事があれば、どうなるか想像できますよね」

 「あぁ、最悪だろうな。人の意思に介入して、強制的に命令を執行させるなんぞ、胸糞悪い以外の何物でもない……お前等アークスは、こんなものを容認しているとしたら、神経を疑うぞ」

 「使用は禁じられていない、というだけです。私の様な者が言うのもなんですが、これはあってはいけない負の遺産です。少なくとも現在では封印対象の技術ですよ」

 新体制の構築により、幾つかの負の技術の使用を禁止する流れになっている。その指定になっているものは、人道的に反するモノが殆ど。その中でも最初に話題に上がったのはアビスであり、既に六芒均衡ですらアビスの使用は禁止、封印されている。

 「だが、ジェリコはこんなレポートを作っているぞ。擬似って事は、アビスに近い何かを作ったって事だろうが……アンジュ、どうだ?」

 『結論から先に言えば、ジェリコの言う擬似アビスは既に検証実験を終え、実用に値するレベルまで達している模様です』

 最低にして最悪な回答だった。

 「奴はそんな実験を何処でやっていたんだ?虚空機関の出身とはいえ、今の奴にそれだけの事を出来る設備も資金もないはずだ」

 「カンナさんが言っていました。虚空機関が解体された時にジェリコは実験を続ける為に必要なパトロンが現れたと……恐らく、そのパトロンが必要な物を揃えたんでしょう」

 「そのパトロン様のおかげで、裏で擬似アビスって奴をコソコソと開発してたってわけか」

 『いえ、それは違います。ジェリコは堂々と実験を行っていましたよ』

 アンジュの言葉に首を傾げる。

 堂々と実験を行う、そんな事が可能なわけがない。

 少なくともクルーズはそう思っていたが、

 『人形病ですよ』

 その言葉に不可能、という概念が吹き飛んだ様に思えた。

 人形病。

 何の前触れもなく、人が操り人形の様に意味不明な行動を始め、その後に糸の切れた人形の様に動かなくなる奇病。原因は未だに判明せず、人形病にかかった患者の回復例も報告されていない。

 『人形病の存在が確認されたのは数か月前。発病者は全てナオビに居る者だけ。レポートにも書いてある通りなら、ジェリコは擬似アビスの実験をナオビで行っていた様です』

 モルモットとなったのはナオビに居る老若男女、実験データを取る為に様々な人種の体を使って実験は行われていた。

 健康的な者達は勿論、何らかの病気、障害を持った者達も含まれ、様々なパターンの実験が行われており、その数は人形病の患者と同じ数になるだろう。

 「そのアビスはどのようにして機能しているのですか?」

 『ナノマシンです』 

 アビスは遺伝子そのものに刻まれたシステム。遺伝子に刻まれた情報が、外部から受けた命令によって発動する為、そこには本人の意思が存在している。命令を受け、その命令を受け入れるというシステムにより、意識そのものが書き換えられる。その為、発動及び解除で後遺症の様なものはない。

 だが、擬似アビスは本来のアビスよりも乱暴なものだった。

 運用方法として採用されたのは、医療用のナノマシンの応用だった。

 医療用のナノマシンは、体内に入った後に受けた命令を遂行した後、消化物として外部に排出される仕組みの物もあれば、その場で融解するタイプもある。だが、それまでは体で患者が不調を起こさない様に停止状態になっている。

 それと同じで何らかの方法で体内に入った停止状態のナノマシンは、命令を受けるまで体内で沈黙を続ける。

 『体内に入れる方法も色々ありますよ。空気散布は流石に無理の様ですが、カプセル状にして飲む方法もあれば、注射で体内に注入とか。そうなると医療用のナノマシンと同じ運用になるのは、必然でしょうか』

 「その後はどうなるんだ?」

 『沈黙を続けたナノマシンは、外部からのスイッチによって稼働を開始。小難しい理屈は置いておきますが、ざっくり言うと脳やら中枢神経に強制的に介入して、アビスと同等の効果を発揮するって感じです』

 強制介入、それが本来のアビスとの違いとなる。遺伝子レベルで命令を実行させるアビスと違い、擬似アビスは脳機能に強制的に介入している為、負担が大きい。

 『恐らく、人形病患者の多くが回復しないのは、強制的に介入された事への後遺症ですね。意思と反する行動を行うという事は、それだけ人の体に大きな負担を掛けます。それも他者の命令ならば尚更でしょうね―――はい、クルーズさん、わけわからんって顔しない』

 「勘弁してくれ……え~と、つまり……あれか。風邪薬の中に人を操る機械を入れたら病気になるって事か……」

 『まぁ、貴方がそういう解釈なら、私は何も言いませんよ。言いませんけど、後で報告書を書く時どうするか見ものですね』

 心なしか馬鹿にされた様な気がしたが、事実なのでぐっと堪える。

 対して内容を理解しているのか、始末屋はアンジュに尋ねる。 

 「それじゃ、クレアが持ち出した鞄の中身、あのフォトン結晶の粒の様な物が、擬似アビス。正確に言えば、擬似アビスのプログラムを持ったナノマシン、という認識で問題ないんですね」

 『それが微妙なんですよ。2人が持ち帰ったデータと、レポートにあるデータに若干の差異があるみたいなんです。最初はプロトタイプなのかと思いましたが、構造があまりにも違い過ぎるので』

 「なら、これは一体何なんですか?」

 小瓶に入った粒上の結晶。擬似アビスでもなければ、これは一体何に使う物なのか。 

 『あくまで推測なのですが、ワクチンなのではないかと思われます』

 「ワクチン?」

 『ジェリコは擬似アビスを細菌兵器の一種と仮定しています。まぁ、ナノマシンもある種では細菌の様なものですから、その考えも間違いではないでしょう。そして、ウィルスがあるならば、ワクチンもある。細菌兵器と仮定するなら、当然扱う側はワクチンを用意するのは常套手段ですから』

 そのプログラムが解明できれば、人形病の患者の回復に何らかの役に立つ可能性もあるが、現状ではその道筋は見えていなので、ある程度の時間は必要となるだろう。

 「アンジュ。その擬似アビスにはスイッチがあると言ってたが、具体的にはどういう物なんだ」

 『特定の周波数を検知する事で起動するように設定されているようですね。それがスイッチとなるなら、ナノマシンを持っている人の近くで周波を発生させる事で、起動させる事も可能です。同時に、』

 「街中にある電波もしくは音。そのどちらかが届く場所にその者がいれば、同じく起動する事も可能、ですか」

 人々が生活する中には無数の電波、音が飛んでいる。その中の特定の周波数で検知して起動するナノマシンならば、後者よりも前者を使用している可能性が高い。

 「それならナノマシンが起動する周波数の反対に、強制停止させる周波数もあるはずです。恐らく、それがワクチンという事になると思います。ですが、その場合は」

 良い澱む始末屋が、何を言いたいのかはわかる。

 その考えが正しい場合、ナノマシンの停止は可能だろう。だが、それはあくまで起動しているナノマシンを停止させるだけ。

 人形病の患者として病院に収容されている者達は、既にナノマシンが起動した後の段階。体内にナノマシンが残されている状態であったとしても、既に機能停止している可能性が高い。そして機能停止したナノマシンには壊れた体を回復させる機能など、あるはずがない。

 つまり、既に手遅れになっている。

 『こればかりは、どうなるかわかりませんね。そうなってしまったら自然回復に任せるしか手はないかもしれませんし……』

 「運を天に任せる様で嫌な感じです」

 『まったくです』

 その後、レポートを読み解く事でわかった事は、実験自体は終わっているが、擬似アビスは完全な物ではないという事。

 ナノマシンが体内にあり、特定の周波数を検知しても起動しない場合もあるらしい。機能不全か、それとも人側の問題かもわかってないらしい。

 この問題は未だに解決はされていないが、モルモットとなった者達の大多数が起動に成功している所から、僅か一部の例外として見る事は出来る。その為、完全ではなくても、後で色々と調整を行う事で解決する問題としておかれる事になった。

 「クレアのアパートで私達を襲った住人、あれも擬似アビスの被害者という事なら、それを使っているのは間違いなくイプシロンです」

 あの場で操られた住民達は、全員が示し合わせた様にヴァン達に襲い掛かってきた。それに対し、イプシロンは司令塔の様に振舞っている所を見るに、

 『まず間違いないでしょう。そして奴は擬似アビスを起動させるスイッチも持っている』

 「厄介だな。もしも、擬似アビスがナオビ全体にばらまかれでもしたら、住民全員が奴の操り人形だ」

 最悪の可能性は想定しておくべだろう。

 今後、連中がどのような方法で擬似アビスをばらまこうとしているか、それを考えて、策を練っておく必要がある。

 その為にはジェリコが残したデータの解析を―――そう考えた所でクルーズはある疑問に行きつく。

 「……なぁ、確かジェリコの残したデータは、それぞれが別々にされて、全て揃う事で何らかのデータになるって話だったよな」

 『えぇ、そうですけど』

 「だからと言って、個別のデータに意味がないって事じゃない。個別のデータにもきちんと意味がある……そうだな?」

 『勿論ですよ、何を今更―――』

 嫌な予感がした。

 擬似アビスという病原菌があると知った今、ジェリコが残したデータの中で一番最初に見つけたデータこそ、最悪な物に思えてきた。

 医療機関にある医療品のデータ。

 其処に載っている様々な医療品のデータ。

 そのデータを見直してみる。

 医療品の種類は膨大だった。特に多いのは医薬品関連。ナノマシンを使用している薬品や、使用しない普通の錠剤等もある上に、医療用の薬品の知識に乏しいクルーズが見ても、作用を知っている物は殆どない。

 そんな中で1つだけ、たった1つの薬品だけが見覚えがある。

 「これだ。アンジュ、レポートには実験日とか、具体的な日付はどれくらいある?」

 『日付ですか?そりゃ全部がそうですよ。実験データを残す以上、何日にどんな事をしたとか、そういうのを残すのは当たり前の事ですから』

 「だったら、そのレポートで一番最後に記載されている日付は何時だ?」

 『……一番最後の日付は、今から約2ヵ月前ですね。この時点で起動実験は終了、問題は多少残されてはいるが、実際に使用するには問題ない状態だと残されています』

 嫌な予感は、徐々に現実味を帯びていく。

 これが外れていると確信する為には、もう1つのデータが必要となる。

 「なら、次はこの医療品のデータだ。この中で実験終了後の日付に納品されている物を探してくれ」

 『探してくれと言われても、数が多すぎですよ。具体的に何の薬品か指定してください』

 クルーズが指定した薬品は、1つだけ。

 『わかりました。少々お待ちください』

 「何か気になる事でもあったんですか?」

 始末屋の問いにクルーズは、額に冷たい汗を流しながら答える。

 「連中は何かをしようとしている。それは既に確定の事実だ。そして、その何かが始まるのが何時はわからないが、時間はあまり残されていないだろう。それは連中が既に動き出しているからだ」

 「それはそうでしょうけど……」

 「俺達が持っている情報は全てじゃないが、この擬似アビスって奴は恐らく連中が一番重要視している物だ。つまり、これが有ると無いとじゃ、話が変わってしまう。だから、擬似アビスを使う事が想定されている以上、こいつの準備に一番時間を使うはずだ」

 イプシロンはクレアの部屋で大量の擬似アビスに感染した住民を導入した。一番重要であり、一番時間を使って準備した物を使っていた。

 「もしも、その準備が終わっているとしたら、どうだ?」

 クルーズは自分の頭を指さす。

 「既に俺を含め、ナオビの住民全てに擬似アビスが入っているとしたら、どうだ?」

 

■■■

 

 何かに追われているわけではないのに、俺達は荒野を走る。

 自身の速度に舌打ちしながら、一向に見えてこない採掘基地を求めて走る。

 「あり得るんですか、ヴァンさん!?」

 あり得ない話じゃないから、走ってるんだよ、アフィン。

 「ダーカーの襲撃を意図的に行うなんて聞いた事ないですよ」

 「俺も聞いた事はねぇよ。だが、あれはそういう仕掛けなんだよ」

 冗談みたいな話だが、不可能とは言えないのが厄介だった。

 あの輸送機は時限爆弾だ。

 改造された機甲種を乗せると共に、バリア装置に閉じ込めたダーカーを一種に宇宙に向けて放り出す。そうして指定された宙域まで行くと、バリア装置は解除され、中に入っていたダーカーは自由になる。

 そうすると次はどうなるか。恐らくはダーカーは同胞を増やす為に機甲種に侵食核を打ち込む。機能が停止している機甲種は一切抵抗しない。ダーカーにとっては実に簡単な仕事だっただろうな。

 そうして時間が経過すれば輸送船の中には複数のダーカーが生まれる。中にはダーカーになり切れない機甲種も居たかもしれないが、それでも殆どはダーカーと同じだ。

 そうした輸送船がその宙域に複数待機していた。

 ある一定の期間まで、ずっと。

 その間、輸送船がダーカーに破壊されるかどうか、それは博打だったのかもしれない。もしくは、そうならない計算がされていたのかもしれない。どっちかは俺にはわからないが、計画通りに輸送船は動き出す。

 「輸送船の次の座標は、オラクル船団の航路よ」

 ユクリータの言うように、次に指定された座標は本来ならば何もない場所だが、数日後にその場を通過する何か、つまりオラクル船団のアークスシップがあるなら話は別だ。

 爆弾を積んだ輸送船は、目的の宙域へと移動。その場を通過するオラクル船団と合流し、あるアークスシップへと着陸する。

 それがナオビだ。

 「頭おかしいじゃないの、これを考えた奴は」

 「テロって事なのかな?」

 あり得る話ではあるが、俺の脳裏に浮かぶのは、テロリストなんて生易しい連中ではなく、あの怪物達の姿だった。

 何が目的かは知らないが、連中はナオビにダーカーを放った。ただし、それはナオビを沈める為に行ったのではない。資料で見る限り、ダーカーの襲撃でナオビは傷を負ったが、その傷に反して死者の数は少ない。

 「アークスシップを沈める為じゃねぇな。何か別の目的があったんだろうよ。それが何かわからないが、嫌な感じがする」

 わざわざダーカーをけしかける理由は不明だが、ダーカーを放ったのは恐らく何かの下準備なのだろう。それによって確かめたい事があったのか、その行為こそが意味があるのか。

 どちらにせよ、早く採掘基地に戻らなければならない。

 例え、既に手遅れな事になっているとしても……

 

■■■

 

 「……可能性の話なら、無いとは言えません。ですが、具体的にどうやって住民全てに擬似アビスを入れるんです?アークスシップの住民は約100万人。全てと言わなくとも、その殆どにナノマシンを注入する方法なんてあるんですか?」

 さらに言えば、時間もかかるだろう。なにせ、数が数だ。100か1000か、100万に及ばなくとも、その全員にナノマシンを注入するとなれば、それ相応の時間が必要となる。

 「方法はあるさ。全ての住人が必ず挙って受けなければならない予防接種みたいなのをでっちあげ、全員が医療機関に訪れるようにすればいい。後は何も知らない医者連中が住民にナノマシンを注入する。もしくは医療機関じゃなくても、街中にそういう設備を置いておくだけで、勝手に住民は集まる」

 「……クルーズさん、何が言いたいんですか?」

 そう言いながらも、始末屋の頭にも嫌な予感というものが浮かんでいる。

 「ジェリコが意味の分からないデータを残して、それを組み合わせれば本当のデータが出てくるっていう仕組みを使った。それは意味がない物が無いって事だ。どんな事にも意味があるって事だ。少なくとも、アークスが殺された事にも意味があるように、今日まで意味が無かった事なんて、一度も起きてないってことなんだよ」

 もしも時系列に並べるなら、

 「最初に起こった事は何だ?お前が言っていたマザーシップのハッキングだ。そのハッキングは何者かが何らかの意図をもって行ったとして、どうして行ったのか……それはコイツなんじゃないか」

 クルーズが示すのは、擬似アビス。

 「アビスはお前が言うように重大な機密だ。そんな機密データがある場所は何処か。言うまでもない。マザーシップだ。他にも何かあったかもしれないが、マザーシップにハッキングを仕掛けた奴は、アビスのデータも手に入れたんだ」

 その言葉の正当性を表す様に、ジェリコの実験レポートでは、ある日付以降の擬似アビスの実験が面白い様に進んでいると記載されている。その日付はマザーシップへのハッキングが起きた後。反対にそれまでは失敗ばかりだった。

 「そして情報部の連中が動き出した。ハッキングした奴を捕まえる為にな。結果、連中は殺された。当然だ。もしも連中がハッキングの犯人を突き止め、盗んだデータにアビスっていう爆弾がある事を知れば、盗んだ側からすればアドバンテージを全て奪われることになる。当然、殺すだろう」

 擬似アビスというモノが全てを繋げていく。

 そうして繋がっていく中で、一番あり得ないと思い、一番関係ないと思った事件がある。

 「擬似アビスは不完全だが使用できる位には完成していた。少なくとも1ヵ月前の時点で、量産すらも終わっていた。なら、後はそれをばらまくだけ―――その方法は俺が言ったように、住民達が勝手に集まり、勝手に感染してくれるシステムを使う事だ」

 そう言うと同時に、アンジュの解析が終了した。

 解析されたデータ、医療品のデータが端末に表示される。

 「もしも病原菌が蔓延して、そいつが自分の死に直結するような危険な病気なら、誰だってすぐにでもワクチンを欲しがる」

 たった1つの医療品。

 その医療品はある日を境に大量にナオビの医療機関へと搬入されている。

 「そのワクチンをすり替えたら、どうなる?ナオビの住人全てが必要とするワクチンが、誰も知らない間に擬似アビスというウィルスにすり替えられていたとしたら……」

 荒唐無稽な考えだった。

 荒唐無稽だからこそ、可能だった。

 クルーズは言う。

 今まで起きた事で意味の無い事など無かった。

 全てが意味を持ち、全てが此処に繋がっている。

 大量の医療品がナオビに入り始めた日付。その日付を忘れる事が出来る者など、恐らくナオビの住人であれば存在しないだろう。

 「ダーカー因子の治療に使われるワクチン。お前等アークスと違って、フォトン適正が低い俺達は、ワクチンを使って治療しないと何時までもダーカー因子が体内に残るんだ」

 その日、ナオビは大きな傷跡を残す事になった。

 未だに癒えぬ傷を持ち、何とかそれを乗り越えようと皆が頑張ってきた。そんな者達の中に知らぬ内に悪意が紛れ込み、その身を冒していた。

 「―――馬鹿な考えだと笑えるだろ?だがな、俺はこの可能性は捨てて問題ない物だとは思えないんだよ。だってそうだろ?あの時を境に、俺達の中には既に別の悪が宿ってるんだからな」

 ナオビへのダーカー襲撃。

 それが意図的に行われた事件だとすれば、

 「準備期間はもう終わってるって事だ。連中は何時でも事を起こせる段階にいるんだよ」

 

■■■

 

 夜が明ける。

 ナオビに朝が来る。

 作られた太陽が空にゆっくりと現れ、街の全てを光で照らす。

 何事も無い様に人々は動き出す。

 今日も当たり前の様に1日が動き出し、当たり前の様に1日が終わると信じて各々が行動を始める。ある者が仕事をして、ある者は家事をして、ある者は遊び、ある者はアルコールに身を沈め、ある者は薬に溺れ、ある者は犯罪に手を染め、ある者は誰かを愛し、ある者は愛に答え、ある者は―――

 そうした当たり前の日常に、あるはずの日常を見つめる者がいる。

 その者は住民達の中に入り込み、皆が当然の様に日々を過ごす光景を黙って見つめている。その瞳に憂いもなく、怒りもなく、悲しみもない―――カメラのレンズの様に無機質で、観察するだけの機械の様だった。

 その手に握るモノを見つめ、もう一度街を見る。

 街を見て、もう一度手元を見る。

 スイッチが押される。

 街中に響く魔笛は、人の耳には届かない。

音を音と認識する事すら出来ないが、その魔笛は人の中に潜む悪魔だけに聞こえるのだ。

魔笛の音を聞いて、目を覚ます悪魔。

 

その瞬間、ナオビの街を歩く者達が―――停止した。

 

魔笛の奏者は、その光景を無機質な瞳で見つめながら、呟いた。

 

さぁ、始めよう

 




頭の悪いサスペンスの、頭が痛い答え合わせが終わったので、後は好き勝手に遊ぶだけ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode30『星霜ヲ蝕ス三重奏⑨直毘混沌』

 臨戦地区のカフェエリアは、早朝という時間のせいか人は少ない。

 カフェの従業員を抜かせば、客は僅か2人。

 その内の1人であるモニカは、夜間勤務をトラブルなく終わらせ、日中勤務の店員への引継ぎもあっさりと終わり、後は自分の部屋に戻るだけとなったのだが、その前に朝食を取る事にした。トーストとサラダ、軽めの朝食兼夕食となったものを胃袋に収め、最後はカフェモカから昇る湯気を見つめながら、静かな時間を満喫する。

 しばらくすればカフェも人が賑わう為、この僅かな時間に訪れる静寂が心地良かった。

 カフェインを取ってはいるが、眠気は僅かだがある。瞼が少しだけ重くなり、部屋帰ってしまえばすぐに寝てしまいそうだった。明日は久しぶりの休日。のんびりと過ごすのも良いが、何処かに出かけるのもいいだろう。

 色々なアイディアを頭の中で思い浮かべていると、

 「すまない、お嬢さん」

 突然、声を掛けられ、一気に目が冴えた。

 気づけば、モニカが座る席の前に男が立っていた。

 もう1人の客は背が高く、体格も良いが顔色が悪い。髪も灰色に近い白で、顔も白い。一瞬、病人かと思ったが、そうでもない。

 何処か透明であり、存在感が薄い男だった。

 「ゲートエリアに向かいのだが、どの転送装置を使えばいいのかわからなくてね」

 「―――あ、ゲートエリアですね。それなら、どの転送装置を使っても行けますよ。中に入って、目的地を選択すればすぐです」

 臨戦地区に設置されている転送装置は、街中に設置されている物とは少しだけ違う。

街中に設置されている装置は、一度に使用する人数も多い為、基本的に1カ所にしかいけない。その代わり、複数の行き先に行けるように並べて設置されている。

 対して臨戦地区の転送装置は、1つの装置から複数の場所に飛ぶ事が出来る。勿論、それ1つが置かれているわけではなく、複数の転送装置がそれと同機能を持っている。どの装置を使っても問題ないのだが、緊急時の際に優先的に使用される装置もある。

 初めて訪れた者にとって見れば、使用するのに迷うのも納得できる。

 「そうだったのか。なにぶん此処は初見でな……」

 アークス関係者だとは思うが、このような男は見た事がない。外の船から来た者だろうか。

 「宜しければご案内しましょうか?」

 転送先を間違えた場合、まったく関係ない場所に移動してしまう。現にモニカも同じような間違いをした事がある。

 「いや、食事を邪魔しただけでなく、そこまでしてもらうのは忍びない」

 「構いませんよ」

 カップの中には、まだ残されたカフェモカが残ってはいるが仕方がない。名残惜しいが食器と一緒にカウンターの返却棚に置いた。

 モニカは男と一緒に転送装置に乗り込む。

 「ゲートエリアですよね?」

 「あぁ、よろしく頼む」

 ふと思った。

 初対面の男性が相手なのに、何故か自分は普通に話す事が出来ている。自慢ではないが、初対面の者と話すのは苦手の部類であり、アイテムラボで接客でさえ未だに慣れないのだが、どうしてかこの男とは普通に話せている。

 前に会った事がある男だったかと思ったが、記憶にない。

 それとも、この男の存在感の無さが人と話しているという意識を失くしているのかもしれない―――なんとも失礼な事を考えてしまったと反省する。

 「お仕事ですか?」

 「そんな所だ」

 転送装置が起動し、一瞬で2人はゲートエリアに辿り着いた。

 ゲートエリアはカフェとは違い、多くのアークス達がいる。出撃命令が何時あるのかわからない為、この場所で長い時間を過ごすアークスも多い。

 アイテムラボの店員であるモニカが此処を訪れる事はあまりないが、ベンチに腰掛け談笑しているアークス達の顔は見覚えがある。

 「随分とのんびりとした空気がある場所だな。てっきり、常にピリピリしている様な場所だと思っていたよ」

 「私も最初はそう思ってましたけど、何もなければ結構賑やかな場所ですよ」

 「そうか―――その程度という事か……」

 一瞬、男の声が冷たくなった様な気がした。

 「案内してくれて助かった。ありがとう、お嬢さん」

 しかし、すぐに気のせいだと思った。

 「いいえ、それじゃ、お仕事頑張ってくださいね」

 そう言って、戻ろうとするモニカだが―――けたたましく鳴り響く音に、足を止める。

 突然の音に心臓が激しく打ち鳴らされ、何が起こったのかと周囲を見回す。天井を見上げれば、本来ならば宇宙が映し出されている天窓に、緊急事態を知らせるアラートが表示されている。

 アラートに驚いたのはモニカだけではなく、ゲートエリアにいたアークス達も同様だった。突然の警報に何事かとカウンターにいるオペレーターに尋ねるが、回答は芳しくない模様。

 「な、何が起こったんでしょうか……」

 不安そうに男に尋ねるが、男はモニカの問いには答えない。

 溜息を吐くように、

 「……機械の癖に時間も守れないのか、奴は」

 全てを把握しているかのような発言だった。

 その瞬間、モニカは隣に立つ男に対して言いようのない何かを感じた。

 それが何なのか、答えを出すまで時間がかかる。

 男は漸くモニカを見据える。

 「お嬢さんはそこを動かない方が良い」

 男の赤い瞳に写る自分の顔は、脅えが浮かんでいた。

 「此処まで案内してもらった礼もある。だから、動くな」

 それだけ言うと、男は歩き出す。

 その手に、輝く巨大な白刃を握り締めながら。

 

■■■

 

 魔笛が鳴り響く。

 魔笛が奏でる。

 巨大にして小さな箱庭に、魔笛が響き渡る。

 魔笛が奏でる旋律は、音よりも生き物が囀る声に近く、その音は箱庭で空高く舞い上がり、地を這う者達に向けて一斉に降り立つ。

 音を感じ取れる者はいなかった。

 音が耳に入り、鼓膜を破り、その奥に眠っている傀儡の魔物を刺激する。

 刺激された魔物は肉眼では確認できない程に小さく、それが動き出しても誰も気づかない。そんな中で蠢く魔物達は入り込んだ者達の体の中を這いずり、一気に脳へと到達する。

 

■■■

 

 魔笛が鳴り響く。

 魔笛が奏でる。

 幸か不幸か気づいた者は僅かにいる。

 例えば、若い男が1人。

 当たり前の朝だった。当たり前の様に起きて、当たり前の様に出勤する。家族はいないが、もうすぐ家族になってくれる者はいる。その者の為に働いて、その者に相応しい男になろうと想いながら、今日という日を歩く。

 当たり前の朝だった。

 当たり前に訪れる日常だと思っていた。

 当たり前に終わる日常では、なかったはずだった。

 突然、自分の前を歩く他人が急に立ち立ち止まった事で、事態に気づいた。最初は目の前の者が1人、急に立ち止まっただけかと思った。急にこんな所で止まるなんて迷惑な奴だと思う程度だった。だが、その者を避けて前に行こうとしたときに気づく。

 立ち止まっている者は1人ではない。その者以外の人々が足を止めている。視線の先に何かあるわけでもなく、空に奇妙な物体が浮かんでいるわけでもなく、茫然としているわけでもない。

 ただ、止まっている。

 その場に居る多くの者達が人形の様に立ち止まり、ピクリとも動かない。

 まるで墓標の中に立っていると錯覚する。

 物言わぬ墓石が、生きている者達が、一緒の存在だと認識してしまった。

 そうでないなら、自分以外の世界の時間が止まったのかと錯覚する方が普通かもしれない。自分だけが世界から切り離されたのではないかと錯覚するのも当然かもしれない。

 それは男が現実を理想として切り離す為に行った行為だった。しかし、それも限界がある。所詮は理想でしかなく、理性はそれを否定する。

 恐る恐る声を掛けても反応はしない。肩を叩いても、人々の前に立っても、何一つ反応する事なく、空虚な瞳が男を射抜く。それが恐ろしく、その場で叫ぶが誰も反応しない。自分だけが周りと違う事に恐怖すら覚える。止まらない、動かない事が正しいはずなのに、異常な事こそが正常だと思考が勝手に動き出す。

 何人にも、見ず知らずの他人に声を掛け、肩をゆすっても反応しない。どれだけやっても、どんな事をしても反応しない。

 そうしている内にその場に居る事が恐ろしくなり、走り出す。何処でも良い、何処でも良いから動いている者を探さなければならない。

 自分の足が鉛を付けた様に重くなる様に感じながら、いつものように正しい走り方も忘れ、何度も転びながら、走り回る。それでも動いている者は誰もない。走って、走って、走って―――そして、路地を抜けた先に広がる光景もまた、異質なモノだった。

 世界が止まってなどいなかった。

 交通量の多い道路は、悲惨な光景が広がっている。

 車が至る所に激突し、横転している車もあれば、車同士が激しくぶつかり、炎上している物もある。車はぶつかった後もタイヤは回転し続け、真横に転がっている車はタイヤが回転して壁を削っている。

 不意に響く爆発音。

 道路を走っていたであろうトラックが横転し、炎を吹いて燃えている。

 運転席に座っていたドライバーはハンドルを握りながら、他の者達と同じ様に動かない。運転席が炎に囲まれ、その身を炎に焼かれていても表情すら変わっていない。炎が皮膚を焼き、肌色が徐々に黒く染まり、眼球が熱で溶け、破裂したとても、動かない。動かないまま、焼かれ続けていく。

 見れば道路には車だけではなく、人も転がっている。

 車に轢かれたであろう者は、それこそ糸の切れた人形の様に転がっている。手足が折れ曲がり、捻じり切れ、体から流れるガソリンにも似た血液。その者にゆっくりと車が近づき、タイヤがその者を顔に触れ、タイヤが皮膚を削り、破き、肉を潰し、千切る。骨が異音を立てて壊れ、見慣れない桃色の果実が漏れ出す。

 そんな悲惨な光景を、周りの者は誰も気にしない。その者達の体に炎が移り、その身を焼いても反応しない。

 墓標が燃える。

 燃えて、燃えて、燃えて―――そこが限界だった。

 もう耐え入れないと胃液が逆流し、吐しゃ物をまき散らす。

 死の匂いが、モノを焼く匂いが周囲に充満し、思考が異常を受け入れようとしだす。それを拒否しようとすると体の動きが鈍くなり、動く事すら辛くなる。そんな思考に支配された時、何かが地面を踏む。

 人が歩く音ではなく、金属が地面を蹴る音。

 顔を上げると見えたのは二足歩行の生物ではなく、四足歩行の怪物。

 体を機械にしたキャストではなく、機械から生み出された鋼鉄の怪物が、その者を見下ろしている。四足の中央に光る球体が、その者を観測し、その者も機械の怪物を見つめる。この状況では、その存在こそが正しいモノに思えてきた。

 救いを求める様に手を伸ばす。

 伸ばされた手に、救いを求める想いに答える様に機械の怪物も、前足を伸ばす。

 伸ばされた鋼鉄の前足は、その者の頭を叩き潰す。

 幸か不幸か。

 その者は一瞬で絶命した。

 

■■■

 

 突如と訪れた異常事態に情報地区は混乱していた。

 アークスシップ内に居る殆どの者達が突如として、置物の様に動かなくなり、その現象により多くの被害が一気に情報の濁流となって襲い掛かってきた。

 市街地区の監視カメラに映し出された光景は、街中に無防備に立ち尽くす人々の姿。案山子の様に動かない者達の中に、数人だけ動く者の姿が見受けられる。

 その現象は情報地区に居る者達も例外ではなく、先程まで当然の様に動き、話している相手が動きを止めた。僅かな例外となった残された者達は、突然の事態に混乱し、対応が追い付かない。

 情報地区はアークスシップの管制を行う最重要区画であり、アークスシップのネットワークを管理するエリアでもある。そして、その重要な場所が今、その機能を担っている者達の半数以上が動きを止める事は、必然的に機能を停止する事となる。ある程度は自動化されているとはいえ、人の手が入らなければいけない箇所はある。そして、その箇所こそが重要なモノとなる―――それが、マヒしている。

 残った者達は何とかしようと、対応を追われているが人手が足りない。その為、緊急手段として情報地区の管理を一時的にオートマチックにする事で対処しようとした。

 人の手から離れ、機械がアークスシップを動かす。

 その緊急手段が、取り返しのつかない事態を引き起こす。否、それを狙っていたからこそ、そうなるように仕向けたからこそ、それは行った。

 混乱するシステムの中に、本来ならば絶対に居てはいけない存在が紛れ込んでいた。混乱している状況で、人の手を離れる瞬間をジッと待ち、人の手を離れた瞬間に、ソレは信じられない速度で広がっていく。

 病魔が起こした感染爆発。

 イプシロンという怪人の嗤い聲が、ネットワークに響き渡る。

 難攻不落の要塞が、たった1人の怪人によって破られる。破られた防壁はすぐさま自己修復、そして敵へと対応を開始する。多くの兵が怪人に向かって襲い掛かるが、怪人はそんな雑兵など相手にならないと蹂躙する。多勢に無勢のはずが、簡単に戦況をひっくり返される。

 怪人が進む道を妨げる者はいない。妨げる事が出来る者など1人もいない。

 怪人が要塞の中心部、心臓部に辿り着くのに時間は殆ど必要なかった。

 数か月前、マザーシップに仕掛けた攻撃よりも簡単に、イプシロンは情報地区の心臓部へと到達する。

 その瞬間、アークスシップの情報網は怪人の手足となり、ナオビの全システムを掌握された。すなわち、ナオビは完全に怪人の手に堕ちた。

 そして、その事に気づいた時には、既に遅かった。画面に映し出された奇妙な画像。人の様に見えて、人ではない存在。白い影のような怪人が、画面の向こうから自分達をじっと見つめている。

 『―――さぁ、ゲームスタートだ』

 宣言する。

 宣言の意味を知らずにいる者達の周囲で、異変は加速する。先程まで案山子の様に動かなくなった者達が、一斉に行動を開始する。無表情で、不気味な操り人形の様に動き出す。人形達は、自分達とは違う、意思を持って動く者達に次々と襲い掛かり、拘束していく。抵抗しようとする者には容赦のない暴力を振るい、動きを止める。

 悲惨な光景を白い怪人は楽しそうに見ていた。

 歪んだ笑みを浮かべ、ただただ楽しそうに笑っていた。

 

 

■■■

 

 船橋にあるオペレーションルームは、大画面に映し出された通信断の文字に、一瞬なにが起きたのか理解できなかった。

 アークスシップで起きた異常事態に対処する為、ナオビに所属するアークス達に指示を送っていたが、その通信が突然遮断された。メイン回線が何らかの影響で使えないのならば、サブ回線を使用すればと思ったが、結果は同じ。こんな時にネットワークトラブルかと苛立つが、冷静な部分ではあり得ないと否定している。

 つまり、このトラブルはトラブルでも、何らかの意味を持つトラブルであり、致命的な何かが起こった事を意味する。

 そして致命的な事が起きた時点で、既に手遅れとなっている事を知る。

 通信断となっていたネットワークが突然、復旧した。

 『―――さぁ、ゲームスタートだ』

 白い怪人が宣言する。

宣言と共に突如として復旧したシステムは、オペレータ達の意思に反して次々と様々なシステムの起動、停止が行われていった。

 最初に起動したのは市街地区の防壁システムだった。

地面からゆっくりと上昇する巨大な壁。この防壁が起動したのは1ヵ月前、ダーカー襲撃以来で、メンテナンスは入っていない。しかし、不幸な事に防衛装置は正常に稼働し、街を幾つものエリアに分断していく。

 更に壁と同時に出現した自動銃座が試運転とばかりに発砲を開始する。幸い、その銃撃はその場に居た市民には当たらなかったが、起動した全て銃口は的確に監視カメラを破壊する。

 同時に各地区に設置されている転送装置が次々と停止していく。市街地区だけではなく、工業地区、臨戦地区、情報地区、そしてアークスシップの前後にある、この船橋の転送装置も起動を停止してしまった。

 すぐに機能を復旧させようとしたが、システムは言う事を聞いてはくれない。オペレータの意思を嘲笑うかのように、混乱するアークスシップを次々と分断していく。

 他のアークスシップへ連絡を取ろうとするが、当然の様に応答はない。こちらからの通信が完全に切断されたのだろう。

 だが、この何が起きているかわからない状況でも、行動は迅速だった。

 船橋では転送装置が使えないならば、自らの足で他地区への移動をするしかない。全員が移動する事は出来ないので、一部のオペレータを残して、他の者達は必要となる端末、装備を持って移動を開始する。

 まず向かうべきは情報地区。

 情報地区とも連絡が取れない以上、転送装置が使えなくとも情報地区へと移動するしかない。歩きは無理でも、常備されている車両を使えば十数分で辿り着く。

 無論、問題はある。現在、防衛装置があちらこちらで勝手に起動している。起動している防壁を解除するには、防壁の傍にある端末から直接操作するしかないが、最短距離で進むには、どうしても避けては通れない。

 更に街中で起きている異常事態。

 市民は勿論、アークス関係者にも人形の様に動かない者がいる。それによって起きた混乱が、何らかの障害となる可能性が高い。

 障害は幾つもあるが、動かなければもっと最悪な事になる。

だからこそ、動く。

 だが、彼等が予想していない事態は、外ではなく内、船橋で既に起こっていた。

 銃声が鳴り響く。

 突然の銃声にオペレータ達は身を竦める。

 何事かと見れば、本来ならば立ち入る事がない者達がそこに居た。

 装甲歩兵と呼ばれる統合軍の兵士。

 何故、彼等が完全武装でオペレーションルームに居るのか理解できなかった。

 混乱する思考の中で、僅かに残った理性で導き出した答えは2つ。

 1つ目は、この状況で自分達に手を貸してくれる為に現れたという希望的観測。

 2つ目は、視界に移る情報を1つずつ拾っていけば簡単に出てくる答え。

 彼等の銃口は何故か自分達に向けられている。こちらが何事かと尋ねて、返ってくるのは言葉ではなく銃撃。銃弾は端末に襲い掛かり、その行為だけで彼等が手を貸す味方ではなく、自分達に害をなす敵だと認識する事が出来る。

 答えは1つ目ではなく、2つ目。

 この状況化において、彼等は明確な敵である―――それが答えだった。

 

■■■

 

 市街地区では、一部の統合軍兵士達が行動を開始していた。

 不幸にも人形になれなかった者達は、彼等に救いの手を伸ばすが、統合軍の者達はその手を振り払う。

 まるで最初からこうなる事が決まっており、どのように行動するかを示し合わせていたかのように統合軍の兵士達は動く。

 隊として行進していく兵士達は、縋り付く市民を振り払い、時には暴力を持って希望を奪いながら行進する。そして、その兵士達の傍に見慣れない物体が居る事に市民達は気づく。

 四足歩行の機械。

 アークスシップから外に出る事のない一般市民からすれば、それは統合軍の所有する兵器なのかと誤解するが、アークスから見れば、それはあり得ない光景だった。

 装甲歩兵と共に更新しているのは、リリーパにのみ生息している機械の住人、機甲種。その機械達が何故か統合軍と一緒に行動しているからだ。

 兵士達は装甲車に乗り込み、機甲種は走り出す車両と並走して動き出す。

 その移動先はバラバラ。

 ある部隊は情報地区、ある部隊は臨戦地区、ある部隊は工業地区へと移動する。

 船橋へと向かっていた部隊は既に制圧を完了しており、連絡を受けた部隊の内、情報地区へと向かう部隊は途中で2台の大型トラックと合流する。大型トラックは機甲種に守られるように移動しており、途中で大型トラックは二手に分かれる。

 1台は情報地区へ。

 1台は工業地区へ。

 それぞれの目的の為、移動していた。

 

■■■

 

 ゲートエリアで引き抜いた巨大な剣は、白い閃光を放つ。

 分かり易くする為だ。

 警報が鳴り響く中で、その要因となる者が目の前に居る事を知らしめる為だ。天窓に表示されたアラート表示を切りつけ、割れた破片が地に降り注ぐ。それだけで周囲のアークス達の視線を自分に向けてやる。

 このエリアから各キャンプシップへと向けて移動するアークス達は、当然この時点で任務に向かう装備を整えている。すなわち、今すぐにでも戦闘を開始する事が出来るのだ。だが、そんな状況であるにも関わらず、敵が自分達の傍に居るにも関わらず、茫然とする事は愚の骨頂。

 それを知らせてやった。

 幾人かのアークスがスパルタンへと視線を移す。

 その手に握られた剣が意味するのは、その剣から放たれた斬撃が破壊した天窓が壊れた意味は何なのか、それを理解するのに時間は僅かだった。

 スパルタンは剣を握り、剣先をその場に座り込んだモニカへと向ける。そして笑ってやる。モニカにではなく、アークス達に。

これだけして漸く武器を構える事を開始する鈍間な亀に視線を向ける。

 「お前達の仕事をしないのか?」

 そう言った瞬間、スパルタンは自身の凶器を放り投げる。否、投擲した。剣は回転しながらアサルトライフルを構えるレンジャーのアークスへと向かう。そのレンジャーは即座に剣を回避し、剣は背後にあるビジフォンへと突き刺さる。

 ビジフォンが火花を走らせ、爆炎を上げる。その瞬間にレンジャーが放つ銃弾がスパルタンへ向かって襲い掛かる。連続して射出される弾丸は、スパルタンのすぐ傍にいるモニカに当たらない様にした正確な射撃だった。それ故に弾道は読みやすく、スパルタンは銃弾の雨の中を駆け抜ける。

 15m以上離れた距離は、刹那の間にて零になる。

レンジャーの視界に写るスパルタンは消え、代わりに現れた彼の掌。スパルタンは顔面を掌で打ち抜き、踏鞴を踏む相手に肉薄すると同時に背後に回り込み、背後に身を隠す。同時に持っていたアサルトラフルを背後から奪い取り、引き金を即座に引く。

 運悪く近くに居たアークスは、放たれた弾丸に体を喰われ、膝をつく。

 自身の武器が仲間を襲った事が、僅かな思考停止を生み出す。その僅かな隙にスパルタンは首に手を回し、一気に捻じ曲げる。首が捻じられ、骨が軋み、折れる音はスパルタンが打ち鳴らす銃撃によって消された。

 銃弾は周囲のアークス達へと襲い掛かるが、即座に行動を開始した大剣を持ったハンターのアークスによって防がれる。大剣を盾に使いながら、一気にスパルタンへと向かって突撃してくる。フルオートで吐き出される弾丸ではあるが、大剣を貫通する事は出来ず、ハンターとスパルタンの距離は僅かになる。

 スパルタンは盾にした者の背中を蹴り、ぶつける様にハンターに向ける。既に死体となった味方を前に勇敢なハンターは、歯を食いしばりながら死体ごと大剣を突き出し、背後にいるスパルタンへと攻撃を仕掛ける。

 「いい判断だが、僅かな躊躇があるな」

 状況分析する様にスパルタンは言葉を発した時、既に彼は大剣を握ったハンターの真横にいた。

 「それと大事な武器を使えなくするのは、減点だ」

 大剣に向けて肘を叩き込むと、大剣は真っ二つに折れた。そして折れた刃先を握り、死んだアークスから引き抜くと同時に、相手の首に突き刺す。大剣の刃先は鋭く巨大。突き刺された刃は簡単に首を切断し、地面に落ちる顔は驚愕に染められ、残された首無しの体はその場に倒れ込み、血溜まりを作る。

 1分にも満たない時間、そんな僅かな時間の間に死体は3つになった。

 「―――次はどうする?俺の手には何もないぞ?」

 手を上にして無手を見せびらかす。

 残されたアークスの数は、戦力としては十分な人数だった。だが、それでも無闇に行動を起こせば返り討ちになると判断し、迂闊に攻撃してこない。互いに目配せし、無言でどのようにスパルタンに攻撃を仕掛けるかを確認する。

 「……まったく、鈍間な連中だ」

 呆れながらスパルタンは、ビジフォンに突き刺さった大剣を引き抜く。

 引き抜き、こちらを見据えるアークス達を指さす。

 「だから仲間が死ぬ」

 指先を上に、天井を指さす。指先に収束する黄色のフォトンは、指先から天井に向けて打ち出された。そして、その指を一気に振り下ろした瞬間、アークス達に向けて雷撃が堕ちた。

 間一髪、頭上に出現した雷のフォトンに反応したのか、全員がスパルタンの攻撃を避ける事が出来たと同時に、驚愕する。

 アークスシップ内では、アークスでさえフォトンを使用するには、制限が掛かっている。テクニックは勿論、フォトンアーツも同様。リミッターという機能がアークスシップ全体に存在し、並みのアークスではテクニックを発動する事すら出来ない。例外として、緊急事態の時のみリミッターが外される場合や、ある一定のレベルのフォトンを使う技術の使用を許可する事で発動できる限定解除という方法も存在する。

 そんな中でスパルタンが使用したのは、間違いなくテクニック。尚且つ、臨戦地区でのテクニック使用は未だに解禁されていない。つまり、この場でテクニックを使用するという事は、リミッターが発動していう状態ですらテクニックを使用が出来る程の相手、という事となる。

 そんな思考を巡らせる時間など、アークス達には残されていなかった。雷撃が放たれた瞬間、スパルタンの姿は視界から完全に消えていた。

 周囲を見回しても姿は確認する事は出来ず、一時の混乱を生み出す。だが、それでもすぐに立て直し、陣形を組んで対処する。

 あまりにもお手本通りの戦法に、スパルタンは落胆する。

 「お前達アークスは、得手不得手があまりにも分かり過ぎる」

 何処からか響く声が思考を乱す。

 「近接が得意な者、遠距離が得意な者、テクニックを得意とする者……その武器を見れば相手が何を得意とするか、何処までが間合いかを相手に教えている様なものだ」

 聞こえてくる方向がわからない。声だけではなく、鳴り響く警報が邪魔をする。

 「教科書通り、基本に則った陣形は、あくまで基本だ。そう、基本でしかない。その基本を馬鹿正直に守るなんぞ、阿保らしい。もう少し工夫というものをしたらどうだ?」

 相手が何処にいるかわからないが故に、即座に組んだ陣形はあまりにも疎かだった。周囲を警戒する近接武器と遠距離武器、その中央に位置するテクニックを扱う者。

 この場合、最初に潰すべき相手など、分かり切っている。

 風を切り裂く音と共に、何かが突き刺さる鈍い音。

 尖端が鋭く尖った導具が、彼方より飛来し、フォースの体に突き刺さる。突然の強襲に何が起こったのか理解できないフォースは、自身の胸を貫通している導具から発生られる赤いフォトンが何を意味するかわからなかった。

 わかった時には、既にテクニックが発動。フォースの体が爆弾となり、巨大な炎の塊が爆発し、周囲を吹き飛ばす。

 「ほら、固まって行動するからそうなる」

 その声は爆心地より響き、煙の中から出現した白刃がハンターの体を両断する。両断された体から即座に刃が抜かれ、そのまま真横に一閃。ガンナーがその刃を双銃で受け止めるが、受け止めた瞬間にスパルタンの拳が脇腹に突き刺さり、崩れ落ちる。

 背後からスパルタンに襲い掛かるファイターの拳。その一撃を踵で撃墜、体勢を崩して無防備になった体に、ガンナーから奪い取った双銃の弾丸が襲い掛かる。

 次々と倒れるアークス達。相手はたった1人だった。数は誰がどう見ても勝っているはずなのに、味方の数はどんどん減っていく。

 「お前は……一体、何なんだ?」

 血に染まった刃を携え、スパルタンは答える。

 「英雄だ」

 答えを聞いたと同時に、その者の体は地に堕ちる。

 




あけましておめでとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode31『星霜ヲ蝕ス三重奏⑩願望切望』

工業地区に統合軍のトラックが到着した段階で、殆ど制圧は完了していると言っても過言ではなかった。入口のゲートは人形と化した者達によって開かれ、トラックは何の妨害を受ける事なく工業地区へと進む。

 進むトラックの車内から見た外の光景は悲惨だった。

人形になれなかった者達は地面に倒れ伏し、未だに抵抗しようとする者、逃げ惑う者に無数の人形達が生きる屍の様に群がり、仲間だった者に襲い掛かる。

助けを求める声すら彼等に届きはしない。無残に、無機質に転がる死体が1つ増えるだけの簡単な工程だった。

「あんなモノにはなりたくないな」

「まったくだ」

 トラックが止まり、コンテナから武装した兵士達が降り立ち、散開していく。

「警戒は怠るなよ」

「抵抗する者がいた場合はどうします?」

「各自の判断に任せる。脅威になるようならば排除しても構わん」

秘密裏にナオビに搬入されていた機甲種、スパルダンAとスパルガンの改造型も散らばり、制圧された工業地区の警備を開始する。統合軍の兵士と擬似アビスが起動している者以外に対しての行動プログラムは、非常にシンプル。

 悲鳴が木霊する。それが答えであり、兵士はその声すらも無視して作業に取り掛かる。

 工業地区の中心地、この辺り一帯の建物や工業機器の稼働に必要なエネルギーを一手に担っている場所は、アークスシップの動力炉に直結している。

 兵士は、持ち込んだ機器から動力炉にアクセスし、その機器から動力炉のエネルギーの管理が問題なく行える事を確認し、何処かに通信する。

 「工業地区の制圧、動力炉の確保を完了。これより、防衛を開始する」

 

■■■

 

 工業地区の制圧が完了した事を確認したイプシロンは、情報地区の制圧状況を確認し、溜息を吐く様な仕草をする。

 「随分と手間取っているね。やはり、アークス側への擬似アビスの浸透率は高くないという事か」

 統合軍の兵士達が情報地区を制圧する為に動いてはいるが、状況は順調とは言えなかった。最重要区画という事で、当然この場所には戦闘可能なアークスが常駐している。数はそれほど多くはないが、1人1人の戦力は統合軍の装甲歩兵よりも上。1個中隊を投入してはみたが、

 「善戦しているとは、お見事だ。それとも統合軍の連中が腑抜けているだけか……」

 如何に情報地区のシステムを制圧しているとはいえ、あくまでシステム上の話だ。此処で統合軍が押し負ければ、物理的な方法でシステムを奪い返される可能性もゼロではない。

 擬似アビスで操った者達も投入してはみるが、所詮は非戦闘員。戦力と数えるには些か心許ない。

 「やれやれ、私がでしゃばるとヘソを曲げる奴も居るから、あまり手は出したくないんだけど……処理を分断して作業効率を減らすのも良くない」

 とすれば、使える駒となる者をこちらに呼ぶしかないだろう。

 「―――やぁ、スパルタン。そっちは1人で寂しいかな?」

 臨戦地区の制圧を任された英雄に語り掛けると、

 『無駄な事を聞いている暇があったら、状況を報告しろ』

 返答はそっけなかった。

 「ある程度は予定通り進行中かな。擬似アビスの稼働率は予想よりも僅かに低いね。ナオビの人口の約67%にしか効果が確認できない」

 ダーカー襲撃の際に、ワクチンとして住民達に打ち込んだ擬似アビスだが、当初は70%前後の稼働率を予定としていたが、僅かに低い。理由としてはナオビに常備されていたワクチンが想定よりも多かった事と、擬似アビスが完璧で無かった事と推測する。

 『所詮は不完全な模造品だ。むしろ、100%の稼働率を発揮されては予定が狂う』

 「まぁ、改善の余地ありって所で、今回は大目に見るよ」

 口ではそう言いながら、イプシロンは既に擬似アビスのプログラムの更新準備を秘密裏に行っていた。ジェリコの作ったプログラムから、余計な部分を削除し、より効率良く、より容赦のないプログラムを組み上げ直している。

 これをスパルタンや、もう1人の協力者に話せば確実に口出しされると判断し、口にはしていない。このプログラムは今後、別の機会に試してようと画策する。だが、今はその事をどうこうするべき時ではない。

 『各地区の制圧はどうだ』

 「工業地区は制圧完了。動力炉とアクセスできるルートも確保済み。あそこに居る連中の殆どはナオビの住人だから、簡単だったよ」

 『他は?』

 「情報地区がちょっと制圧に手間取っているよ。システムは制圧しているけど、あそこは常駐のアークスもいるから、統合軍と正面切って戦闘中。流石に装甲歩兵でもアークスには手間取るみたいだから、君が手伝いに言ってくれるかな?あそこを落とせないと、こっちも困るからね」

 『わかった……船橋は』

 「あっちは統合軍が抑えているよ。タイミングを見て航行システムを起動させ、移動を始めるよ」

 その為にも情報地区の制圧は必要不可欠。

 通信しながら状況を確認すると、アークス側が押している状況だった。やはり、烏合の衆はこの程度かとイプシロンは呆れる。

 「イクサは予定通り、ナオビの周囲を警戒中。タタラは既にナオビとのドッキングを解除しておいたよ。あれは別に居ても邪魔にはならないから、問題ないでしょ―――ところで、臨戦地区の制圧は終わった?」

 『ゲートエリアは制圧完了。だが、他にもアークスはいるだろうから、そいつらの処理を先にする。情報地区はその後で問題ないな?』

 「大丈夫、それなら事前に手を打っておいたから、すぐに片が付く」

 「―――お前、また余計な事をしたようだな」

 『時間は有限だ。ショートカット出来る部分はしっかりしておかないとね』

 

■■■

 

 イプシロンがそう言うと同時に、臨戦地区に巨大な振動が生まれる。

 地震などではない、何かが爆発した音。それも1つや2つではなく、あらゆる場所で爆発が起きている様だった。

 「……勝手な事をするな、イプシロン」

 振動により天井に亀裂が走り、落下してくる。

 『これも君の為さ。なにせ、そこにはアークス達が沢山いるんだ。彼等が君のいる場所まで来れば、君は彼等の相手をしなければならない。そうすると君がこちらに来るまで時間がかかってしまうだろう?』

 「そうしない為に貴様がいるはずだ」

 予定ではシステムを乗っ取った事で臨戦地区の各転送装置の停止し、各エリアの防壁を落として移動を妨害。同時にフォトンを抑制するリミッターの設定を変更、アークス達の戦闘力を削ぎ、その間に各地区を完全に制圧する時間を稼ぐ。

防壁を突破して来たアークスはイプシロンが対処する手筈だった。

 しかし、現状はそうなってはいない。

 『だから私が対処しているじゃないか』

 振動は未だに止まない。それどころかスパルタンの居るエリアでも爆発の影響が出ている。このままでは、臨戦地区そのものが使い物にならなくなるだろう。

 『―――生温いと思わないかい、スパルタン。英雄である君なら理解してくれるはずだ。敵は少ない方が良い。沢山いるなら効率よく消す方が良いに決まってるじゃないか』

 「これは奴が思い描いた状況ではない」

 『どうして奴の思い描く様に動かないといけない?』

 「……裏切る気か?」

 『裏切ってはいない。そもそも、私達はそういう関係ではないだろ?利害が一致しているだけ。私は私の存在理由を成す為の工程として、この件に協力している。君は君の存在理由の為に奴に協力している』

 だが奴は違う、とイプシロンは言う。

 『奴がしている事は実験さ。実に下らない実験だ』

 侮蔑する様にイプシロンは言う。

 『ねぇ、相談だけどさ。実はもっと面白い事が出来るんだけど、乗らない?』

 「―――貴様と話している時間は無駄だという事が良く分かった」

 『そう?なら、さっさと情報地区まで来てくれよ』

 耳障りな通信を切り、スパルタンは周囲を見回す。

 戦闘の後に起きた爆発によって、ゲートエリアの惨状は酷いものだった。

 爆発の規模は小さいが、小さい爆発が起こった個所が多いのだろう。イプシロンが何時の間にか用意していた爆弾が破裂した場所は、想像するに臨戦地区の重要エリアばかりだろう。どれだけの被害が出て、どれだけの死傷者が出たのかは想像するまでもない。

 そして自身の手で奪った命は、既に動かぬ物体となった数を数えるだけで十分理解する。

 「所詮、同じ穴の狢という事か」

 そう呟き、スパルタンは剣を握って歩き出す。その先に倒れているアークスが1人、僅かだが息はある様だが、致命傷を与えたと理解しているからこそ、命の灯は消えかかっている。

 剣を振り上げ、狙いを定める。

 僅かな慈悲の念を抱き、その頭部へと振り下ろす―――はずだった剣が、止まる。

 「言ったはずだぞ、お嬢さん。動くな、と」

 小動物の様に震え、脅え、それでも両手を広げて倒れたアークスを庇う少女を、スパルタンは冷たい瞳で見つめる。

 「も、もう……いい、いいじゃない、ですか……」

 殺せないわけではない。この程度の事で殺せない様な心など、既にない。だからこそ、自身の瞳に宿る冷酷な念は、それを見るだけで他人を恐怖させると知っている。しかし、そんな瞳を見返す彼女の瞳は、涙に濡れながらも、しっかりとスパルタンを見返している。

 「この、この人は、う、動けないんです……もう、戦えない、んです」

 「だが死ぬ。確実に」

 誰が見ても致命傷な傷。仮にこの場に医療班が来たとしても、治療する事の無意味さを痛感するだろう。

 「……助かるかも、知れない……まだ、助かるかも」

 内に潜む何かが囁く。

この愚かな小娘を切り伏せろと。

 戦場を知らぬ、戦いを知らぬ小娘を殺せと。

 「いいや、助からない。断言する。そいつは死ぬ。必ず死ぬ。このままでは死ぬのではなく、どう足掻いても死ぬ」

 居ないはずの、目にも見えない者達が囁き続ける。

 殺せ、殺せ、殺せ、と。

 「無駄な事をして命を散らすな。抵抗しなければ俺は君を殺さない。俺が殺すのは―――」

 殺せ、殺せ、殺せ、と

 「なんで勝手に決めるんですか!?」

 内の囀る声を吹き飛ばす様に、スパルタンの言葉を遮り、力無き少女は叫ぶ。

 「人の命を、この人の命を、どうして貴方が決めるんです!?」

 「俺が立ち、そいつが倒れているからだ。戦場では生殺与奪の権利は常に平等だ。勝者が生き残り、敗者は奪われる。君には理解できないようだが、それが戦場のルールだ」

 「そんなの、知りません……此処は、戦場なんかじゃなかった。戦場を勝手に持ってきたのは、貴方です!」

 その戦場を運んできたのは君だ―――そう口にしようとしたが、口は意思に反して動かない。

 どうした?

 どうして殺さない?

 お前は英雄なのだろう?

 俺達は英雄なのだろう?

 英雄である俺達がするべき事は、遠い昔から変わっていない。

 「どうしてこんな、酷い事が出来るんですか……」

 涙に濡れた声に対する言葉は、心ではなく体が知っている。

 「英雄だからだ」

 果たして何度この言葉を口にしただろうか。

 英雄という言葉、自身を表す言葉、そうなってしまった自分を蔑むような言葉。何度も何度も、聞かれれば簡単に答える事が出来てしまう言葉。

 「えいゆう?」

 「そうだ。俺は英雄だ。英雄は常に戦場に生まれ、戦場に立ち、戦場で命を奪う」

用意された台詞を呼んでいる気分になる。

こんなやり取りを何度も行ってきたからこそ、同じような台本ばかり演じてきたからこそ、考えるよりも言葉が先に出てくる。それは相手が次に何を言うかも知っている。知っているから先に言葉が漏れ出す。

「人を救う者を英雄と呼ぶ者がいるが、俺はそうは思わない。命を救う者は英雄じゃない。命を奪う者が英雄と呼ばれる」

 「違う……そんなの、英雄なんかじゃありません」

 「君にとってはそうだろう。だが、俺にとってはそうだ。俺達にとってはそうだった。人が望むのは救いだ。そして戦場で人を救う者は、救われる者以外の命を刈り取る事で、願いを成就し続けてきた……」

 英雄とはシステムなのかもしれない。

 望まれ、生まれ、結果を出すシステム。

 「それじゃ、貴方は誰を救ってるんですか?」

 「この現状を望む者を、だ。君達からすれば許しがたい相手である事は確かだろう。そして、それに与する俺もそうだ」

 いつしか、彼女の背後に倒れた者から、生の気配が消えた。

 この場において、スパルタンに敵対する者はいなくなった。

 「許さなくても構わない。そうやって俺は機能し続けてきたんだからな」

 目の前に居る、モニカを除けば。

 剣先は目標を変える。

 自身の行動を邪魔する者、すなわち自身の敵となるのは彼女だけ。

 「……私を、殺すのも……英雄だからですか……」

 「そうだ」

 「私を殺したら……また誰か、別の誰かを殺すんですか……」

 「そうだ」

 こんな状況など、何度も経験した。力無き者を殺し、その望みを打ち砕いた事など数える事が出来ない程、やってきてしまった。その行為を後悔してきたのかと問われれば、答えは否。後悔している事があるとすれば、

 「―――貴方は、英雄なんかじゃない」

 「―――そうだな。俺も英雄になどに与せず、死ねば良かったんだよ」

 

■■■

 

 順調に進んでいるナオビの制圧を確認していたイプシロンは、次の段階に進めていた。情報地区の制圧は完了していないが、未だにシステムは自分の手にある。そのシステムが万が一にも奪還される事はないが、念には念を入れて事を進める。

 先程、スパルタンに言ったようにナオビの航行システムを動かし、そこに新たな命令を加える。

 オラクル船団は100隻以上のアークスシップが、マザーシップを中心に航海をする魚の群れの様なもの。

 イプシロンが出した命令はその群れから抜け出す事。その際、他の船に激突するような失策は許されない。近くを移動する船の航路を確認し、自然な流れで船団を抜け出すルートを作成する。

 命令は出され、巨大な船舶はゆっくりと航路を変更し、船団から抜け出す。

 此処までは予定通り。次に行うのは抜け出した後のナオビの航路だ。しかし、イプシロンもこの後の航路が順調に、予定通りに進む事とは思ってはいない。思ってはいないが、順調に事が進んだ先にある光景を思い浮かべると、知性ある生き物の様に笑うのを抑える事が出来なかった。

 「―――ん?」

 一瞬だけ笑みは止まる。

 ナオビの移動に処理を回しすぎたせいか、街の監視が疎かになっていた。先程まで混乱していた市街では、未だに擬似アビスによって人形と化した住民がいる。それは問題ない。問題なのは、それ以外の住人の姿が見えないという事だ。

 理由は監視カメラの映像を見る事で、すぐに判明した。

 混沌の街で、混沌に染まらぬ者達が居る。

 その者達は人形とならなかった市民達を誘導していた。

 彼等は、

 「都市警備局……へぇ、想像以上に良い動きをするじゃないか」

 

■■■

 

 死を与える刃は、確実にモニカへと到達する。到達し、力無き彼女は何の抵抗も出来ずに死に至るだろう。この場において、死と終わりが蔓延する空間では彼女を救う者は誰もない。誰も立ち上がらず、誰も声を上げない―――はずだった。

 英雄として、多くの戦場を渡り歩き、死をばらまく病原菌だったからこそ、スパルタンは反応した。反応する事が出来たからこそ、その場から動く事はなかった。

 頭上から獲物に向かって襲い掛かる死神は、白刃の大剣を禍々しくも神々しい刃によって切断した。

 床に落ちる大剣の破片、そして地に降り立つ死神。

 英雄の前に立塞がり、力無き少女を守る死神が、其処に立つ。

 「―――なるほど、その能力は確かに脅威になるな。直前までお前が居る事に気づかなかったとは……恐れ入るよ」

 そう言うが、スパルタンは表情を崩さない。折れた大剣は放り投げ、双銃を出現させ、銃口を死神へと向ける。

 「シアさん?」

 偽りの名を呼ばれた死神は答えない。答える余裕がない。目の前にいる英雄から僅かでも意識を逸らせば、一瞬で命を持って行かれると理解しているからだろう。無言で刃を構え、スパルタンと対峙する。

 「お前が始末屋か。イプシロンが言うような弱者には思えんが……ふん、所詮は学習装置。それを理解するには遠い存在という事か」

 「随分と派手に暴れているようですね、貴方達は」

 「そういう筋書きだからな。お前がどれだけ事態を把握しているかは知らないが、このナオビは既にアークスシップとしての機能は期待しない方が良い。此処は既に1個の爆弾になった。残された時間はそれほど長くはない」

 互いに己の武器を向け合うが、動きはない。

 すぐにでも戦闘が始まってもおかしくない状況だが、この場で余裕をもっているのは1人だけ。英雄が故に慢心ではない余裕を見せつけている。それが腹立たしく、相手が如何に強大な存在かを見せつけられる。

 『スパルタン、早くして欲しいんだけど』

 不快な声に諭されるのは不愉快だが、この状況では間違った事は言っていない。

 スパルタンは双銃の銃口を下ろし、2人に背を向ける。

 「逃げるんですか……」

 「見逃してやるって事だ。此処でお前とやり合うのも構わんが、それでは戦力の差が生まれてしまう」

 何時でも斬りかかる事は可能だ。だが、始末屋の脳裏に浮かぶイメージに勝利の映像が出てこない。それが躊躇を生み出す。その間も無防備な背を見せ、優々と歩き出すスパルタンは言う。

 「お前達が足掻くのは、この先だ。これはあくまで開演のベルが鳴っただけに過ぎない。本番はこの後も続く。その為に役者を減らしては劇にならないだろ?」

 まだ始まったばかり。

 これだけの事が起こったというのに、まだ先があるのだと宣言する。

 「心配するな―――次は殺してやる」

 そう言い放ち、スパルタンは姿を消した。

 英雄が姿を消しても静寂は訪れない。鳴り響く警報と爆音、僅かに遠くから聞こえる助けを求める声、そして小さな呟き。

 「……どうなるんですか、私達は」

 モニカの問いに答える事は出来ない。

答えを未だに持っていない。

「すみません。止める事が、出来ませんでした……」

口から漏れ出すのは、自分達の力が及ばなかった事への謝罪。

誰に対するわけでもない謝罪だけが漏れ出す。

 

■■■

 

 情報地区、船橋の制圧完了。

 他アークスシップとのネットワーク遮断完了。

 アークスシップ内外の防衛システムの起動を起動完了。

市街地区及び各エリアの防壁及び自動銃座の起動完了。

各地区と連結する橋は防壁により移動不能を確認。

航行システムの更新は完了し、予定通りの航路を航行中。

防衛に必要な装甲歩兵部隊、改造機甲種の配備完了。

 工業地区の制圧完了。且つ、動力炉のアクセスを確保済み。

臨戦地区のアークスの戦力の大幅減を確認、各設備の破壊完了。

他地区の防衛は重要性が低い故、擬似アビスにて操作している市民にて代用済み。

 僅かだが抵抗勢力の存在を確認。

 排除を提案―――却下。

 排除を提案―――却下。

 排除を提案―――却下。

 了承。

 これより第2フェーズへと移行する。

 10時間後にナオビを旋回させ、マザーシップに向けて航行開始予定。

 マザーシップ到達予定時刻は24時間。

 24時間後、ナオビとマザーシップの衝突の可能性を計算中。

 「計算するまでもないだろう」

 静寂に包まれた部屋の中で、3人目は言う。

 「アークスが取る手段は1つしかない。たった一隻に住まう100万の命よりも重要すべきはマザーシップ。あれがある限り、アークスは存在し続ける。それ以外の答えはない」

 3人目は言う。

 「だが、彼女はそれを選択するだろうか?選択はせざるを得ないが、それなりに抵抗をするだろう。どんな抵抗をするかは見ものだが、それをしてくれなければ意味がない」

 3人目は言う。

 「それを証明してくれなければ意味がない。この事態を解決するほどの力が無ければ、アークスなど存在する意味がない」

 3人目は言う。

 「やり直しをしなければ、何かを救えないアークスなど、何の意味もない」

 3人目は言う。

 「さぁ、この挑戦を受けてくれよ、アークス。相手は用意してやった。過去の英雄、過去の遺物。この2つは君達の存在証明を確立するには十分な存在だ」

 3人目は言う。

 「ダークファルスだけが敵じゃない。それ以外の敵を前にして、またやり直しをするようなら君達に未来を守る権利などない」

 3人目は言う。

 「見せてくれ。失望させないでくれ。信じさせてくれ」

 3人目は言う―――願う。

 「この星霜が正しいものだという事を……」

 




一ヵ月近くサボると、色々と忘れてるもんだと気づく、今日この頃


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode32『星霜ヲ紡グ交響曲①小さな私が握る手』

 人が本当に絶望した時の顔を見たのは、これが初めてかもしれない。

 喜怒哀楽と言葉にする事が出来る感情とは違う、顔から表情が滑り落ちた虚無の顔。

感情を表に出す機能が巧く作動していないのだろう、ただ一点を見つめ続けるだけの人形の様だった。

 こんな顔にならない様に皆が動いているのだろうと思う。何かをしていないと自分もあんな顔、あんな色に染まってしまうのが恐ろしくて動いているのだと思う。思考を巡らし感情を動かす。動かし続ける事で拒否する。しかし、拒否をした所で何が変わるというのかと尋ねれば、きっと答えてくれる者がそう多くはない。

 すぐ後ろまで迫ってきている恐怖は、あまりにも巨大。その巨大な影を見ただけで人々は脅え、混乱し、逃げ惑う以外の道が残されてはないと錯覚する。錯覚した所で逃げ場などなく、錯覚する事で現実から逃げようとする。逃げようとして、捕まる。絶望に捕まる。そして顔を奪われる。

 奪われたくない誰かが叫ぶ。

 奪われそうな誰かが縋り付く。

 多くの人々が集う場所は、救いの場所にはなれない。此処は地獄から逃げ出し、楽園から追放された人々が身を寄せ合う掃溜め。

 ナオビで起きた異変から数時間、魔笛が鳴り響いた頃に比べれば、何も起きない静かなものだろう。だが、仮初の静寂など、所詮すぐに崩壊する。

 各地区で逃げ場を失い、救いの手を求めて皆が訪れる場所はたった1つしかなかった。アークス達が集う臨戦地区。

 市街がどんな惨状になろうとも、そこだけはきっと安全だと皆は思い込む。各地区の避難所に逃げ込もうとしても、防壁によって封鎖されて辿り着く事は困難な者は、皆がそこを目指すしかなかった。目指し、進んで、辿り着いて―――悲惨な状況を目にして崩れ落ちる。

 誰もが安全だと思って逃げ込んだ場所は、ナオビにおいてもっとも被害が大きい場所だった。外から見ても一目瞭然。あちらこちらから炎や煙が昇り、爆発による振動が心臓を締め付ける。

 助けを求めようにも手を伸ばす相手がいない。そこらに転がっているのは自分達以上に傷つき、動く事も出来ない死人ばかり。

 そんな中でもなんとか動ける者は居た。動ける者は集まった避難者達を見て、すぐさま動き出す。破壊された臨戦地区の中でも被害の少ないエリアを避難場所として、そこに人々を誘導する。決して安全とは言えないが、救いの手を差し伸べる事で何とか自分自身を保とうとしていたのか、救う事で救われようとしたのか、どちらにせよ、その行為は必ずしも幸運を呼ぶことになるとは限らない。

 僅かな安心を得た者達は、次第に苛立ちを覚えていく。奪われた日常は、あって当たり前のモノだった。

それが急に奪われたからこそ、助けを求めた。

 助けを求めれば、救われる―――身勝手な想いが爆発するのは、簡単だった。

 何とかしてくれ、助けてくれと叫んだ所で変わらない現状があれば、生まれる感情など良いモノではない。望んだ結果を得られない人々は、助ける側に牙を向く。

 言葉は感情。

 苛立ちは怒り。

 避難所で響くのは罵詈雑言ばかり。救おうとする者の心を蝕む、救われようとする者の感情。

 痛いから助けてくれ。医療品が足りない。すぐに身内を助けてくれ。動ける者がいない。この状況を何とかしてくれ。何とか出来るだけの準備が出来ていない。お前達が何とかしろ。何とかしようと頑張っている。頑張っているだけじゃ意味がない。何とかする。何とかしろ。何とかしてくれ。何とかするのがお前達の仕事だろ。何も出来ないじゃないか。何もしてくれないじゃないか。何も出来ない役立たずじゃないか。助けてくれ。助けろ。助けろ。助けてくれ。助けろ。助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ―――呪詛の様に響き渡る言葉に、モニカを耳を塞ぐ。

 毛布で体を包み、世界から身を守るように縮こまる。

 人はこんなにも身勝手な生き物だったのだろうか。

 助けてくれたら、感謝する生き物だったのではないか。

 救おうとする者に対して、救われている事に気づかず、ここまで傲慢となって刃を振り下ろすような生き物だったのだろうか。

 そして自分も、そんな生き物なのだろうか。

 ナオビで何が起きたのかは理解している。此処に逃げて来た人々の言葉から察するに、ナオビの住人の殆どは人形病となり、動かなくなった。それによって起きた混乱の中で統合軍が機甲種を率いて現れ、ナオビを占拠。更にナオビのシステムは何者かによって乗っ取られ、各地区は分断され、逃げ場が殆どない。外とも連絡が取れない。他のアークスシップからの救援もこない。

 そして、誰よりもモニカが知っている事実。このナオビにいるアークスの殆どは動けない状態になっている。自身を英雄と呼ぶ男によって蹂躙され、まともに動ける者は僅か。その僅かな人数で、この状況をひっくり返す事など出来はしないだろう。

 この事実を知っているからこそ、皆は我を忘れる。もしくは、本性を現すのかもしれない。追い詰められた極限状態の中で、生存本能が理性を凌駕したからこそ、この惨状を生んでいるのかもしれない。

 ダーカー、ダークファルスという脅威がこの宇宙に存在している。そんな存在がいるから人々は脅えて生活していかねばならない―――否、そんな事は無かった。そんな存在がいるとしても自分達は当たり前の様に生活していた。当たり前の様に日常が続くと思って生活していたいはずだ。

 それは何故か。

 どうしてそんな能天気な事が出来ていたのか。

 答えは単純だ。

 脅かす者がいたとしても、すぐ傍に守ってくれる者がいたからだ。

 自分達は守られている。自分達の生命を守り、生活を守ってくれる存在が居たからだ。アークスという存在。アークスという、居る事が当たり前の存在。アークスという、守ってくれて当然の存在。

 安心は与えられるモノではあるが、確実という言葉はそこにはない。

 当たり前という言葉も、其処にはありはしない。

 それなのに、当たり前だと思い込んでいた。守ってくれるのが当たり前で、守るのが当たり前だと思い込んでいた。その結果がこれだ。守る者がいなければ、どんな事になるかなど誰でも予想する事が出来たというのに、この状況だ。

 信頼は簡単に崩れる。

 信頼は願望の波に呑まれて、崩れ去る。

 この場において、アークスという絶対の防壁は存在しない。

 それを皆が知ってしまった。

 知ってしまったからこそ、

 『―――ナオビの諸君、元気かな?』

 悪魔は楽しそうにやってくるのだ。

 

■■■

 

 『こちらはナオビ全域に絶賛放送中の臨時番組。その名も『ナオビ24時間耐久生放送』だよ~』

 そのあまりにもふざけた放送を前に、皆が言葉を失う。

 『この放送は今から定期的に放送する大切な、とっても大切な放送です。どうしてかって?それはリスナーの皆にとって、とても重要な内容を放送する特別番組だからだよ』

 誰が喋っているのかはわからないが、こちらの神経を逆なでするような不愉快な声だった。向こうもそれを承知しているのか、精神をすり減らしている者達を煽るような言葉を選択している。

 『ところで皆はご飯をちゃんと食べているかな?怪我とかしていないかな?イライラして他の人に迷惑とかかけてないかな?そんな事ばっかりしていると、悪い大人になっちゃうから、すぐに止めるように。大人がやってるなら、すぐに大人を辞めるように―――なんちゃって』

 ふざけるな、という声があちらこちらから洩れている。怒りに油を注ぎ、混乱を煽る様な声の主に対しての怒りが膨れ上がっている。だが、そんな事など知った事かと放送は続く。

 『うんうん、良い感じに皆のアドレナリンが漏れているみたいだから、本番組で皆が知るべき重要なマップをドンっ!』

 避難所に置かれている端末から、映像が流れ出す。

 『現在、お客様が乗車しておりますナオビは、オラクル船団よりわずかに離れて航行中です。どうですか?周りに星しか映らない光景も、中々意気なものですよね?え?意気じゃない?それはお客様の心が寂しいだけですよ~』

 映し出された映像は、声の主が言うようにオラクル船団から離れるナオビの姿。その映像の脇にワイプの様に映し出されるレーダーの画面。

 『まぁ、それはさておき……ナオビはこれより数時間後、ぐるっとUターンをするんだけど、そうなるとナオビはどうなるでしょうか?別にどうにもならないけどね。ただオラクル船団の中にまっすぐ進むだけ』

 レーダーに映し出されるナオビの予定航路。

 それを見るだけでは、何を言いたいのか理解は出来ないだろう。

 一部の者を除いては。

 『おやおや?勘の良い人はもう気づいているみたいだね』

 不幸にも気づいた者は、言葉を失う。

 幸運にも気づかない者は、

 『その通り!これよりナオビはオラクル船団、もといマザーシップに向けて突っ込んでいきます!』

 そこで言葉を失う事になる。

 『これはドキドキですよ。果たして、ナオビは無事にマザーシップまで辿り着く事が出来るのでしょうか?ほら、途中で他のアークスシップとかに激突して、最後まで行けなくなっちゃうかもしれないじゃない?そしたらきっとナオビは爆発しちゃうかもしれないし、他のアークスシップの爆発に巻き込まれてドッカンな可能性も捨てきれない。まぁ、どっちにしてもゲームオーバーなわけ。だから、巧い感じにスルスルと通り抜けて、マザーシップに見事命中したら、ゲームクリアなんだけど……』

 言葉の意味が理解できない。

 この声の主は何を言っているのだろうか。

 ナオビはマザーシップに激突させる―――意味が分からない。

 現実味の無い言葉に、あり得ないと苦笑する者もいる。苦笑する顔が引きつっている事に気づかぬまま。

 『……ん~、なんかリアクションが薄いね。MCとしても盛り上がりに欠けるのは、ちょっと嬉しくないんだけど』

 そうだ、と声の主は言う。

 『もうちょっと盛り上がる様に、良い事を教えてあげようじゃ、あ~りませんか』

 楽しそうに囀る声が、自分達の体に群がる蟲の様に思えた。

 『実はこの状況、既に他のアークスシップは知っています。ナオビの状況は残念ながら教えてあげられなかったけど、皆が見ている航路図はちゃんと見せてあげたんだよ』

 蟲は足元に集まり、蠢く。

 『だからアークスもちゃんと理解しているんだ。このままじゃ、ナオビはオラクル船団に突っ込んできて、マザーシップに激突してちゃうよ。大変だぁ、何とかしないとなぁってね』

 ゆっくり、確実に足から這い上がってくる。

 『さて、問題です。アークスは皆を助けてくれるのか否か』

 カサカサを不快な音を響かせ、その肌に無数の足を突き刺し、昇ってくる。

 『ここは皆が一番知りたい所だよね。皆の味方、アークス。宇宙の味方、アークス。ダークファルスから皆と宇宙を守る、正義の味方アークス!!―――でもさ、』

 蟲の蠢く音が、

 『―――皆の中に、ナオビの皆は入っているのかな?』

 下劣な笑い声となって響き渡る。

 『だってさ、よく考えてごらんよ。皆は今、危機的状況に居るわけじゃん?でも、それ以上に危機的状況なのはオラクル船団じゃん?となると、此処で重要となるのは大か小。多いか少ないか。これが重要なわけなんだけど……皆の命ってさ、ちっちゃくない?』

 計算するまでもない、計算する必要などない。

 命は数ではない。多かろうと、少なかろうと、命は命。救うべき命。重い命。それが当たり前で、当たり前の道徳。

 そう思っている。

 そう思っている―――が、心の何処かで別の事を思っている。

 『単純な計算として、アークスシップの人口は平均100万人。それが100隻あるとするじゃない。すると答えは1億人って事になる。これは誰でも出来る計算だよ。なら、仮にナオビの皆が運悪く死んじゃった場合は、被害者100万人。これを多いと考えるのは良いけど、別の考え方をすると、たった100万人じゃない?』

 100万の命を乗せた船は、

 『だったらさ……その100万人を犠牲にして、残りを助けた方がお得だよねぇ』

 それを堕とすだけで、より多くの命を助ける事が可能となる。

 『あれ?だったら、アークスはどっちを取るかな?勿論、皆を助ける為に色々と動くだろうけど、どうしようもなくなったらどっちを取るかな?』

 単純な答え。

 『ナオビの皆を取る?』

 単純すぎる答え。

 『オラクル船団を取る?』

 単純すぎるが故に、絶望的な答え。

 『どっちを取るか楽しみだねぇ』

 そして声の主は、イプシロンは言う。

 『というわけで、今回の放送は此処まで。この映像はずっと流し続けるから、皆はアークスが助けに来ていると信じて、希望を捨てちゃダメだよ?信じる者は救われるのさ』

 

■■■

 

 もう何も見たくない。

 瞳に写る人々は、人に見えないおぞましい者に思えてならないのなら。

 もう何も聞きたくない。

 生きたいという願いが、こんなにも醜い言葉として響き渡るのなら。

 毛布を頭からかぶり、目と耳を塞いで世界の全てから切り離してしまいたい。心を支配する想いはそれだけ。生を願う事が、この場にいる人々を見るだけで薄汚れたモノと思えてしまうならば、もう目も耳も必要ない。

 助けを求める声を出したい。だが、それは罵詈雑言と同じではないか。

 救いを求めて手を伸ばしたい。だが、伸ばした手は握り拳となってしまうのではないか。

 そして何より、この状況を救える者が現れたとしても、英雄と呼ばれる救世主だとするのならば、それがあの英雄と同じ人種ではないのか―――そんな想いが過る。

 人を救う者が英雄だと思っていた。お伽噺に出てくるような都合の良い存在が、もしかしたら居るのではないかと思っていた。だが、現実に彼女の前に現れた英雄は、そんな都合の良い舞台装置ではなく、英雄とかけ離れた殺戮者だった。

 あんな者は英雄などではない。

 ただ殺して奪うだけの英雄など、英雄のはずがない。

 本当の英雄はいるはずだ。

 あんな英雄もどきではない、本物の英雄が。

 だが、こうも思ってしまう。

 救いを求める人々の願いが英雄を生み出すとしても、その英雄は本当に人々を救う英雄となってくれるのだろうか。この現状を見て、こんな人々を見て、助ける価値を見出してくれるのだろうか。

 誰であろうとも救う英雄など、存在するのだろうか。いや、そもそも誰であろうと救う英雄というのは、こちらが勝手に思い描く想像上の存在ではなかろうか。

 それはきっと、英雄という名のシステムでしかない。

 意思など存在しない。他者が想いだけをぶつけられる。こちらの意思など関係なく、意思の存在など関係なく、他者の求める救い以外は無視され、動き出す。

求めれば手を伸ばし、救い上げる無機質な機械。

 願望機。

 一番しっくりくる言葉だ。

 英雄なんかじゃない―――その言葉は、正解かもしれない。

 英雄という存在がそんなシステムであるとするならば、英雄など存在しない。

 英雄は救う者ではない。

 救う者は英雄ではない。

 なら、やはり英雄など存在しないではないか。少なくとも、救われたいと願う者だけなら、救おうとする者など存在するはずがない。

 助けて、助けろという言葉が木霊する世界において、それだけが真実の様に思える。

 だったら自分だって口にして良いはずだ。

 皆と同じ様に救いを求めて叫ぶべきだろう。

 醜悪な言葉を吐き捨てても―――その時、不意に聞き慣れた声が聞こえてきた。

 「随分と酷い光景じゃないか」

 その小馬鹿にするような声に、思わずかぶっていた毛布を取る。

 「ドゥドゥさん?」

 「君も無事だったようだな、モニカ君」

 そこに小綺麗な姿で立っている男は、まるでこの状況と完全に切り離された存在の様に思えた。だが、数時間ぶりに再会した同僚を見て、今まで塞き止めていた感情が一気には触れだす。

 他者の目など関係ない。ただ嬉しくて、そして縋りたくて、モニカはドゥドゥに抱き着いた。普段なら呆れられるような行動だが、ドゥドゥは何も言わずにモニカを受け入れる。まるで赤子をあやす様に、背中を軽く叩く。何度も何度も、モニカが落ち着くまで。

 「……無事だったんですね」

 「そうでもないさ。警報が鳴ったと思ったら、ショップエリアでも突然爆発が起こってね」

 小奇麗な恰好をしているが、良く見れば服の下に包帯が巻かれている。大怪我を免れたとはいえ、決して無傷というわけでもなかったようだ。

 「避難しようにも転送装置は動かない上に、防壁もあちこち降りている。怪我人を連れて此処まで来るまで随分と時間がかかってしまったよ」

 流石に疲れたと、モニカの隣に座り込む。

 「君も色々と大変だったのでは?」

 「私は……はい、大変でした」

 強がる気力も失せている今、話すだけで心が僅かな平穏を取り戻せるような気がした。自然と漏れる言葉は、今まで起きた全て。モニカ自身が見た、英雄の殺戮と、人々の混乱、そして絶望にも等しい状況。

 「私達は、どうなるんでしょうか……」

 「さぁね、どうなるかなど私が知るべき事ではないよ」

 他人事の様に言う。テレビの向こうで起きている出来事を、傍観する視聴者の様に言うドゥドゥに、モニカは少しだけ苛立ちを覚える。

 「……もしかして、こんな状況で落ち着いている方がカッコいいとか思ってます?」

 「どうしてそうなる?落ち着ているように見えるなら、それは私の性分だ。それとも私のあの輪に入って一緒に喚き散らせば満足なのか?」

 「そうじゃないですけど」

 「ならば余計な事を考えるだけ無駄な労力だ。それなら、ひと眠りして体力を温存しておいた方がよっぽど理想的だ」

 もしかしたら、外の人々はこんな考えをしているのかもしれない。この状況は非常事態である事には変わりはない。だが、内の人々と外の人々では置かれている状況が違い過ぎる。

 大変な事が起きている―――その程度の感想しか抱かない、他人事の感想を抱くだけ。テレビの向こうで起きている事件は、安全な場所から見る風景の1つとしか思われないのだろう。

 「なんか……すごく腹が立ちます」

 如何に他者の事を想おうとも、決して自分の事ではない。置かれている状況が最悪だとしても、他人と自分では決して置かれている状況が一緒とは限らない。

 あまりにも不平等ではないか、そんな想いが思考を埋め尽くす。

 「モニカ君、君に必要なのは休息の様だ。少し眠る事をお勧めするよ」

 こんな状況で眠る事など出来ない。

 一度眠ってしまえば、二度と目を覚ます事が出来ないような気がするからだ。

 膝を抱え、ただ見つめる人々の姿。

 じっと見つめる瞳に宿る、微かな暗い想い。

 そんなモニカを見て、ドゥドゥは言う。

「―――君は、私に落ち着いている方がカッコいいと思っているのかと尋ねるが……それはむしろ君が自分に向けて言うべき言葉ではないのかな?」

 何故か、顔が熱くなるのを感じた。

 「ああして喚き散らす人々を見て、自分はああはなるまい。あんな醜態を晒すよりも、こうして遠くから黙って観察する方がカッコいい―――そう思っているように見える」

 酷い侮辱の言葉に、暗い想いは徐々に深くなっていく。

 「なんですかそれ……なんで、そんな酷い事を言うんですか……」

 「客観的に見た事を口にしただけだが?」

 「私はそんな風に思ってなんかいません。勝手な事を言わないでください」

 「そうか、それは失礼した。仮にそんな事を考えているとすれば、今の君はなんとも無様で滑稽だと思ってね」

 火に油を注ぐ様な言い方は、何時もの彼と同じ。

 こんな時でも変わらない、上から目線の言葉だった。

 普段はもっと言い方はないのかと思っている程度だったが、今はそれ以上に腹立たしい。何か言い返そうかと思ったが、こちらが何を言っても口喧嘩で彼に勝てるとは思えない。だったら、そんな時間も体力も無駄なだけではないか。

 モニカはもう沢山だと、毛布を頭から被る。

 もう彼と話したくない、どっか行ってしまえという意思表示なのだが、

 「―――生きたいという想いは、綺麗である必要があるのかね?」

 ドゥドゥの言葉だけは、聞こえてくる。

 「彼等を擁護する気など全くないし、助かりたいという願いをあんな形でしか表せないのは、不憫とも思える……しかし、私は彼等の姿は君が想うよりも醜く悍ましいとも思えんな」

 当たり前の姿を見せているだけ。

 「こんな状況だ。形振り構っていられないのもしょうがないのだろう。生きたいという願いがあっても、自分ではどうする事も出来ない想いがあり、それを他者に求めるのも自然な形だ。我々には、人にはそれぞれで出来る事と出来ない事がある」

 命を持つ者として、当然の機能とも言える。

 「ただ喚くだけ。ただ縋るだけ。ただ願うだけ。自身の無力を知って喚く者もいれば、目を反らして縋る者もいる。他人にどう思われようとも、助かりたいという願いが強いと自然とそうなってしまう。まぁ、中にはそんな状況であっても、他人の為に動ける者達もいるが、それは意外と少ない。そして、少ないからこそ、そんな者に対して希望を持ってしまう」

 助かりたい、生きたいという願いを他者に願う。

 「だが現実はそう思うように事は進まない。縋り付いた相手が、単に強がっているだけかもしれないからね……それは時には裏切りに見えてしまうかもしれない」

 「……勝手ですね」

 「まったくだ。実に勝手な思い込みだ。そして、その思い込みを生み出すのは、その者が生きようと足掻いているからこそだ。諦めた者は何もしない。何もせずに黙って口を閉ざし、黙って身を任せるだけ」

 「それが私だって言いたいんですか?」

 「そう思うかどうかは、君が決めるべき事だ」

 毛布が捲られ、ドゥドゥの顔が見える。

 自分を見つめる、何時もの彼の顔。

 「どんな生物とて死ぬ。人であろうと、何だろうと。そしてどんな生き物も生存しようとする意思がある。思考せず、本能だけで生きる者もそうだ。そうしなければ先は失われる。何もせずに助かる事など出来はしない」

 きっと気のせいだとモニカは思った。

 何時も見ている彼の顔が、

 「ならば、生きたいと願う事が、綺麗である必要が何処にある?惨めに足掻いて、醜く縋って、そうやって少しでも生きようと願う人々を滑稽だと思うのは勝手だ。勝手だが、それ以上に滑稽なのは……勝手に諦めた者が、諦めない者を笑う事だ」

 何時もよりも厳しく、何時もより少しだけ、

 「それじゃ……どうすればいいんですか?」

 少しだけ優しく見えてしまったからこそ、縋りたくなってしまう。

 「私はどうすればいいんですか?」

 「残念だが、それを決めるのは私ではない。君が選ばなければならない。それとも、君はそれを選ぶ事が後ろめたいのかな?」

 周りばかりを見て、目を反らそうとした想いに気づく。

 「……もしも、もしもあの時、私があの人に手を貸さなければ……貸さなかったら」

 結局はずっとそれだけだった。

 非情な行為を働いた者を、どれだけ非難した所で変わらない事実が1つ。あの場でスパルタンに、何も知らずにしてしまったお節介が、この事態を招いてしまったのかもしれないという後悔。

 いや、それ以上にあるのは恐怖。

 「誰も君を責めてはしないよ」

 「でも…でも、私は!」

 自分勝手な恐怖が生まれていた。行ってしまった愚行を誰かが知り、この場の誰かが知り、怒りの矛先がこちらに向くかもしれない。そうなれば糾弾されるのは間違いなく自分だ。

 「私が、わ、私が……悪いのに……」

 それが怖くて、身を隠していたと自覚してしまえば、漏れ出す想いを止める事が出来ない。知られたくないという願いが強ければ、その反対にある想いも大きくなっていく。

 「死んじゃった、人も……いるのに、私のせ、いで……沢山、沢山の、人達が……」

 「……まったく、君はどうしてそうも不器用なのか。この状況を生み出したのは君ではない事など、誰もがわかってくれるというのに、そうやって自分自身を責め続ける。もう少し、自分勝手に考えても罰は当たらないよ」

 「そんな事は出来ません!」

 逃げ道を探して飛び込む様な行為は、あまりにも卑怯ではないか。

 「出来るわけ、ないじゃないですか……」

 「……やれやれ、普段の君もそれだけ強情なら幾分か楽に生きていけるのにね」

 混乱する思考に苦しめられ、視界が徐々に霞んでくる。情けなくて、悔しくて、それ以上に怖くて苦しくて、逃げようにも逃げ場がなくて。逃げようとしても足が動かなくて。助けを求めたくても、心苦しくて。

 どうしようもないから流れる涙が、止まらない―――その瞳が、ドゥドゥの背後に写る小さな姿を見た。

 小さな子供が立っている。

 茫然と周囲を見回す少女と、その少女の手を握る少年。兄弟だろうか、それとも友達だろうか。少年は喚き散らす大人達を見ながら、何か言いたそうにしているが何も言えずにいたが、思い切って大人達に何か言った。しかし、大人達の視界に少年の言葉は届かず、2人の存在にすら気づきもしない。

 少年は悔しそうに唇を噛む。届かない自分の声に悔しさを覚えたのだろう。だが、それでも少年の小さな手は、少女の手を握り続けている。

 ドゥドゥはモニカの視線を追い、同じ様に2人を見る。少年はその視線に気づくが、たった今、自分の声が届かない事に怖気づいてしまったのか、躊躇する様な顔をする。躊躇するが少年は少女の手を引いて2人に向かって歩き出す。

 ドゥドゥは立ち上がり、子供達を見下ろす。

 あまり子供受けの宜しくない彼の顔に、少年は僅かにたじろぐ。

「何用かね?」

相手が子供でも関係ないドゥドゥの問いに、少年の顔が一瞬だけ泣きそうな顔になるが、またぐっと堪えた。何かを伝えようと口を開くが、すぐに口を閉ざしてしまう。それを見た彼はしゃがんで少年の目線と同じになり、

 「何用かね?」

 もう一度、同じように尋ねた。

 少年は口を開かない。

開かない少年の代わりに、少女の口がゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「おかあさん……いないの」

 幼い瞳がドゥドゥを、モニカを見つめる。

 「おかあさん、どっかにいっちゃった……」

 今まで耐えていたのだろう、言葉にすれば壊れてしまう何かは、すぐに決壊してしまう。瞳から涙が漏れ出し、止める事が出来なくなる。

 混乱の中で母と逸れてしまったのか、それとも母も皆と同じように人形と化してしまったのか。それとも、もっと最悪な事が起きてしまったのか、どれが事実かはわからないが、少女は残されてしまったのだろう。

 少女の言葉に、少年も耐えていた想いが溢れそうになったのか、少女を握る手が震えだす。不安じゃないはずがない。怖くないはずがない。大人達が恐れている状況で、小さな 子供達が脅えないわけがなかった。

 「おかさん、どこ?おかあさん、おかあさん……」

心が締め付けられる。

 どんな言葉をかければいいかも、モニカにはわからない。大丈夫と言えばいいのだろうか。事実もわからず、ただの同情で優しい言葉を掛ける事が正しいのか。事実を告げて諦めさせれば正しいのか。

 正しさなど、何の救いになるかもわからないというのに。

 泣きじゃくる少女に救いの手を差し伸べる様な力もないのに、何かをしようとするのは正しい事ではない、そんな思考が逆に正しく思えてくる。

 全てが反転してしまったかのような思考に、言葉を紡ぐ事すら出来ないモニカは、目を閉じてしまいそうになる。

 「―――心配すんなよ。俺が見つけてやる」

 少年は笑う。

 「約束しただろ?」

 我慢して、我慢して、少女を不安にさせないように、我慢したような不格好な顔で微笑みかける。

 「でも……」

 「大丈夫だって。俺が何とかしてやるから、泣くなよ」

 何の根拠もない言葉で、説得力もない言葉なのはずなのに、少年の言葉を受けた少女は頷く。不安を抱きながらも、その言葉を信じて頷いた。

 「少年。君はこの子の兄かな?」

 ドゥドゥが訪ねると、少年は首を横に振る。

 「違うよ、知らない子。でも、父ちゃんに言われてるんだ。男は困ってる女の子を助けてやるもんだって!」

 「……そうか」

 この少年の親は何処にいるのだろうか、それを訪ねるような言葉は口にはしなかった。

「ならば、その手をしっかり握っていたまえ。今、この子を守っているのは間違いなく君だ……出来るだろう?」

少年は力強く頷き、ドゥドゥは2人の頭にそっと手を添える。

 「避難所は此処だけではない。此処にいなければ、他の場所にいるかもしれない」

 「ほんと?」

 少女の問いにドゥドゥは力強く頷いた。

 根拠もなく、ただ母に会いたい少女の為に。その少女を守ろうとしている少年の為に。

 「君の母親はそこに避難しているだろう」

 「それじゃ、その場所に行けばきっと―――」

 「いや、外は危険だ。だから此処にいるべきだ。もしも外に出て君達が怪我でもしたら、どうする?」

 「でも、おかあさんにあいたいよ」

 「君の母親も同じ想いだ。その想いに応える為にも、自分の身を守るべきではないか?」

 わかるだろう、とドゥドゥは少年を見る。少年は少しだけ迷ったが、

 「わかった。おじさんの言う通りにするよ」

 「それでいい」

 少年は少女の手を引いて、去っていく。

 その後ろ姿を見つめながら、

 「モニカ君、君は私の行為が卑怯な行いだと思うか?」

 ドゥドゥはモニカに問う。

 「今、嘘だらけの言葉で幼子らに希望を与えても、真実はもっと残酷かもしれない。あの少女の母親は、もう亡くなっているかもしれない。それを知った時、あの娘はどんな顔をするか、どれだけ絶望するか……そして、私はその責任を取れるのか」

 仮初の希望がどれだけ残酷なのか、言葉にした己が理解しているのだろう。あの場で何も言えなくとも、言葉を濁して伝える事だって出来たはずだった。

 「それでも私は、ああ答える事を選択した。それを卑怯な行いだと思うか?」

 「……わかりません。でも、もしもあの子のお母さんが―――」

 死んでいたら、どうなってしまうのか。

 「私は、そんな事は……言えません」

 「いいや、君も同じことを言うさ」

 少年と話した時と同じ様に、ドゥドゥはモニカと同じ目線になる。

 「間違いなく、君も私と同じ事を言うだろう」

 「言えませんよ……そんな事、言えるわけない。だって、だって私には何も出来ないんです。今、あの子のお母さんを見つける事も出来ませんし、助けてあげる事だって……」

 ドゥドゥは頭を振る。

 「そんな事は重要ではない。少なくとも、あの少年はそうだった。あの時、私も君もあの娘に何も言わなかった時、少年だけは真っ先に口を開いた。大丈夫とね。それが正しい行いでなく、何の根拠もない言葉だったとしても、あの場で少年の言葉だけあの娘の救いになった」

 「それは、そうかもしれませんけど……」

 「けど、なんだね?事実もわからず、曖昧に希望を伝える事が卑怯だというなら、あの少年も卑怯な行いをした。しかし、あの少年はそれでも選択した。いや、選択などという思考ですらないかもしれない。あれは、あの娘の為に少年が出来た事だ」

 その行為が卑怯、その行為が無意味などとは言わせないと、ドゥドゥはモニカを見つめる。

 「我々には英雄の様に、何事をもどうにか出来る力量などはない。出来る事だけしか出来ない。そして此処で必要とされるのは、そういうものではないのかな?」

 少女の母親を見つける事は出来ずとも、見つけようとする事は出来る。

 助けてやる事は出来なくとも、助けようとする事は出来る。

 道に迷い、何処に行けばいいかもわからない者に、道を示す事が出来れば苦労はしない。それが出来ないから目を反らすのか―――目を反らして、少しだけ考えて口を開けばいい。たった一言だけ。

 どうかしましたか、と。

 それだけで十分とは言えなくとも、それだけの僅かに何かが変わるかもしれない。

 それだけで少しだけ救われた気になるかもしれない。

 解決せずとも、少しだけ、本当に少しだけ。

 「誰かにしか出来ない事よりも、誰にでも出来る事が、此処で必要とされている事だ」

 ほんの少しで良い。

 傷ついた者がいれば、治療は出来なくとも大丈夫かと声を掛ける事は出来る。その者の治療をする事が出来る者を探す事も出来る。寒いと震える者がいれば、自分がその者よりも少しだけ余裕があれば、自分の毛布を渡してやればいい。余裕がなければ毛布を探してやればいい。空腹に飢える者がいれば、自分の食べている分の半分でも分けてやればいい。

 出来ない事は沢山あっても、出来る事が何もないわけではない。

 僅かな余裕しかなくても、その余裕を分けてやればいい。

 「モニカ君、君の苦しみを救う事など、私には出来ない。一緒に苦しんでやる事も出来ないだろう。それは君にしかわからない事だからだ。だから、私に出来る事は、」

 モニカに差し出す、手。

 「少しだけ君が縋り付ける様に、こうして手を差し出す事だけだ。そして君には、その手を握る権利がある。私が君に許す権利だ……それが誰にでもある、救われたいという想いだ」

 例え、その行為が卑怯でも。

 例え、その行為が卑劣でも。

 例え、その行為が醜悪でも、

 例え、その行為が許されない罪だとしても。

 「そうやって君の肩の荷が僅かでも軽くなったのなら……その分を誰かに分けてやればいい。少しだけ、出来る事をすればいい」

 この場所では沢山の救いを求める声が響く。綺麗とは言えないが、醜くとも救いを求める、生きようとする者達の声が無数に存在する。

 「……ドゥドゥさん」

 ドゥドゥを見るモニカは、

 「なんか、ドゥドゥさんのキャラじゃないですよ、それ」

 ぎこちなく、不格好ではあるが、僅かな笑みが生まれていた。

 「ドゥドゥさんは、もっとこう……そんなの知った事かッ!って感じで不敵なキャラですから……ちょっと気味が悪いです」

 「私のキャラを君にどうこう言われる筋合いはない」

 「まぁ、確かにそうですよね……はぁ、なんか私ってダメダメですね」

 「自覚していなかったのならば、良い機会じゃないか。これを機に何とかしたまえ」

 「そうですね……はい、わかりました」

 伸ばされた手を握る。握る程度の余裕が生まれた。僅かな余裕が生まれ、その余裕の分だけ何かが出来るような気がしてきた。

 たいした事は出来ないが、誰にでも出来る様な何かを。

 ドゥドゥの手を握り、モニカは立ち上がる。座っていた時間が長かったせいか、少しだけふらついてしまったが、何とか立っていられる。

 「―――ドゥドゥさん」

 「何かね?」

 「私、生きたいです。カッコ悪くて、情けないけど、生きていたいです―――みんなと」

 「そうか、なら精々頑張りたまえ」

 さて、何をしようか。

 出来そうな事は色々あるが、まずやるべき事はすぐ近くにあった。

 自分にかけていた毛布を手に持ち、それを誰かに渡す事だ。

 その最初の人は誰か―――決まっている。

 男らしく女の子を守っている少年と、彼を信じて手を握る少女に渡すという仕事。

 そこから始めよう。

 そこから始めて、頑張ろう。

 此処にはまだ、生きる事を諦めない、諦めの悪い人々が沢山いるのだから。

 

 これは『あなた』がいない物語

 

 星霜を紡ぐ、人々の物語

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode33『星霜ヲ紡グ交響曲②闘争求む、獣の群』

『普段動いているモノが動かないというのは、中々に不気味ですね』

 同感ですね」

 市街地のビルからビルへと飛び移る蒼い影。

『混乱も収まれば静かになりますが、見ていて気持ちが良いものとは言えませんね』

 防衛装置が起動した市街地には人々の姿。マネキンが並んでいる様にも見えるが、1人1人は生きた人。その人々は虚空を見つめ、意思のない人形として立ち続ける。まるで案山子、もしくは墓標だ。

 その周辺を機甲種が徘徊し、時々統合軍の車両が通過していく。

「あの機甲種は何なんでしょうか……」

『解析してみない事には分かりませんが、此処から見る限り、なんか私達の知っている機甲種ではない様ですね。人の手が入っている、魔改造されてる感じはします』

 「あんな物まで投入しているとは、予想外でした。擬似アビスに加え、統合軍の兵力だけでも面倒だというのに、機甲種までとなると……これは骨が折れそうです」

 『私は可能性としてあると思ってましたよ。ダーカー襲撃の際に侵食核が植え込まれていた機甲種の姿は確認されていたそうですから』

 「だとすれば、あの時点で改造されている機甲種が見つかってもおかしくはなかった……でも、そうじゃないという事は」

 『可能性は2つ。意図的に情報が隠蔽されていた可能性。もしくは確認が出来ないくらいに壊されていた。どちらにせよ、向こうにとって都合の良い方向に進んでいたんですよ、あの時点で』

 通信機を取りだし、スイッチを入れては見るは反応なし。

 『どれだけ試しても通信は出来ませんよ。ネットワーク網は完全に掌握されていますから、アークスシップとしての通信機能は完全にアウトです』

 ネットワーク網が掌握されている今、ナオビは外との連絡が一切使う事が出来ない。表向きの回線も、非常用の回線も全てが使用不可能となっている。

 外がどんな状況なのかもわからなければ、こちら側から中の情報を伝える事も出来ない。

 『私の方も人形庭園にアクセスは出来ていません』

 「貴女のデータをこっち側に落とすのが、もう少し遅ければアウトでした」

 現在、アンジュは彼女の言うように人形庭園から完全に切り離されている。それでもアンジュがこうして会話が出来ているのは、彼女のデータをネットワークから物理的端末に移動させた事によるもの。

 『不幸中の幸いとは、まさにこの事です。私の体の修理が完了したっていうガセ情報がなければ、私は蚊帳の外に置かれていましたから』

 都市警備局の技術班の手によって、確かにアンジュの体は修理されており、修理が完了したとの連絡も受けていた。だが、いざ見てみるとそんな事はなかった。修理されていたのは、あくまでメモリ領域、アンジュのデータを格納する為の擬似脳が直ったという程度に過ぎなかった。

 事実、未だに彼女は元の体に戻ってはいない。

 『早とちりも、時には役に立つんですね』

 「あの状態では、とても戦闘の役に立ちませんけどね」

 修理状況として、頭部を含めた上半身のみが突貫工事で直されたが、脚部は未だに未修理状態。このままでは自立する事すらままならないので、結果的にアンジュは未だに通信機と一緒に行動する状態だった。

『というわけで、私はお手伝いできませんので、ちゃっちゃと設置しちゃってください』

「わかっていますよ。まったく、人使いが荒い……」

 始末屋は背中に背負った大きなリュックを見て、溜息を吐く。

「それにしても、まさかこんな骨董品を使う事になるとは……」

 『仕方ありませんよ。アークスシップのネットワークを使用しない通信方法なんて、これ以外は見つからなかったんですから』

 リュックの中から取り出した棒状の機会を、ビルの屋上に置く。置かれた棒状の機器は、先端が伸びると円形状に広がり、アンテナとなる。

 「気持ちばかりの暗号化をしているとはいえ、2世代前の通信装置なんて当てになるかどうか……」

 『現状ではきちんと動いていますよ。まぁ、妨害しようと思えばすぐに出来るんですけど』

 「全然信頼できませんね」

 同様のアンテナは既に市街地区だけで数カ所設置している。このアンテナが中継装置となり、通信が可能となるのだが、

 「出力が低いのが難点ですよ、これ。受信範囲はあくまで3ブロック程度……これ、後どれだけ設置すればいいんですか?」

 『貴女だから出来る仕事じゃないですか。他の人ではこうはいきませんよ』

 既に1時間以上は市街地のあちらこちらを移動しているが、その作業の終わりは未だに見えない。しかも、この後は各地区にも同様の装置を設置する必要があるとすれば、骨が折れる。

 「最悪の場合、市街地区だけで終わらせる必要もありますね。敵の警備状況から見るに、市街地区はそれほど重要視されている様には見えません」

 『そりゃそうでしょう。重要地点は情報地区と工業地区。臨戦地区はどういうわけか敵の警備が手薄の様ですから……多分、これって舐められてますよ』

 「同感です。でも、そのおかげで避難場所として使う事が出来ます。クルーズさんから連絡は来てますか?」

 『逃げ遅れた人達の捜索は、一度終了させるみたいです。表立って移動できないので、ここらが潮時ですよ』

 ナオビ全体が敵の手に置いている状態で、都市警備局が移動に使っているルートは下水道しかなかった。あの悪臭漂う場所をずっと移動するのは、想像するだけで気が滅入るが、機甲種が徘徊する状況では、そこを使うしか方法はない。

 『それに都市警備局だけでは明らかに手が足りません。擬似アビスを摂取しなかった者が予想よりも少なかったとはいえ、対応できる人数が圧倒的に足りなかったんですから』

 アンジュの言葉に、始末屋はある疑問を口にする。

 「その件なんですけど、どう思います?」

 『都市警備局で擬似アビスを摂取した人数が少なすぎる事、ですか?』

 「はい。私が敵側だったのなら、確実に抵抗勢力を減らす為に都市警備局にも擬似アビスを使用します」

 擬似アビスの感染ルートが、ダーカー因子のワクチンである事は間違いない。ジェリコの残したデータと実際のワクチンの搬入データを照らし合わせても、否定する要素は殆どない。

 だが、それ故に抱く違和感はある。

 「私達の様にフォトン適正がある者や、貯蓄されているワクチンを優先的に使用されるアークス関係者が擬似アビスに感染していないのはわかります。ですが、それ以外に含まれる都市警備局の感染者が少ない」

 『奇跡的に―――なんてのは都合が良すぎますよね』

 擬似アビスが発動して数時間が経つが、都市警備局の局員達の半数以上が正常に動く事が出来ている。そのおかげでこうして避難民の救助などが出来ているのだが、

 「意図的にこうなっている、という事ですか」

 『何の為にそんな事を?』

 「……勝負にならないからでしょうね」

 臨戦地区でスパルタンが口にした言葉を思い出す。

 「連中は一方的な蹂躙を望んではいないのかもしれません」

 『それは変です。抵抗される事を想定しているのはわかりますが、抵抗する術を意図的に残すのは、戦略として愚の骨頂じゃないですか』

 「ですが、スパルタンはそれを望んでいる。いえ、向こうがそれを望んでいる……ゲームでもしているつもりなんでしょうか」

 『しているつもりかもしれませんね。さっきの放送もそうですが、絶対に性格悪いですからね、アイツは』

 

■■■

 

 「……ジェッド、弾の残りは?」

 クルーズが訪ねると、ジェッドは頭を振る。

 「そうか。まぁ、こんな豆鉄砲じゃ仕方がないか」

 手にした愛用の銃に残された弾数は2発。予備のマガジンは1つ。ジェッドの方は既に弾丸を撃ち尽くし、その手に握る銃は唯の玩具となっている。

 「まぁ、時間稼ぎとしては十分だな」

 「向こうと通信が繋がらないって事は、既に通信範囲外に出たって事ですからね。となれば、今頃は臨戦地区のすぐ近くに居るはずなんですけど……」

 「連中を信じろ」

 そう言うと、クルーズは背後に向かって残り2発の弾丸を撃ち込む。銃声が2回鳴ると、それが合図の様に無数の弾丸が襲い掛かってくる。

 クルーズとジェッドは縮こまって背後から襲い掛かる銃弾に耐える。背にした壁は既に限界なのか、クルーズがいる場所の壁が貫通した。

 「拙いな、ちょっと後退するぞ」

 「了解」

 ほふく前進しながら、更に奥にある建物に避難する。それと同時に先程までいた場所に綺麗なオレンジ色の爆炎が現れ、爆風が肌を焼く。

 「クルーズさん、これって完全に遊ばれてますよね」

 「だろうな。大方、他の連中を追うよりも、殿の俺達と遊んでいる方が面白いと思ったんだろうよ」

 勝敗など既に決している。

 こちらは2人、装備はオートマチックの豆鉄砲を抱えて隠れている。反対に向こうは全身を装甲で固めたボディスーツを着ている上に、巨大な銃を何丁も抱えて隊列を組んでいる。さらにその周りに機甲種達が命令を出せば、すぐにでも飛ぶ出す準備を整えている。

 「装甲歩兵に機械の兵隊ときたか。どう考えても勝ち目はないな」

 「ですね。白旗でも振ってみます?」

 残されたマガジンを銃に装填する。

 「これを撃ち尽くしたらな」

 絶望的な状況になると、不思議と余裕が生まれてくる。クルーズは懐から煙草を取り出し、口に咥える。

 「……吸うか?」

 「禁煙してるんで、結構です」

 「そうか、残念だ」

 煙草に火をつけ、有害な煙を吸い込む。

体に悪い煙ではあるが、連中がこちらに向けられている武器に比べれば安全も良い所だ。

 「はぁ、こんな事なら臨戦地区でゴミ漁りする方に立候補していれば良かった」

 「同感だよ」

 「あの、クルーズさん。一応聞いておきますけど、俺達ってこのまま死にます?」

 絶望的な質問ではあるが、ジェッドは既に諦めているのか、日常会話の様に聞いてきた。

 クルーズはしばし考えて、

 「お前、何かやり残した事ってあるか?」

 「あ、やっぱり……いや、連中が俺達を捕虜にするとかって可能性もあるかなぁって思ったんですけど、きっと無いですよね」

 「無いだろうな」

 そんな事は随分前から気づいていた。

 圧倒的な物量で攻めてくる統合軍の部隊だが、普通ならば早々に自分達を制圧しているはずだった。自分達の抵抗が激しく、苦戦しているというなら話は別だが、そんな事はあり得ない。

 「連中は遊んでるんだよ」

 耳を立てれば聞こえてくる機械の稼働音に混ざった笑い声。

 「狩りでもしているつもりなんだろうな」

 「俺達はキツネですか」

 「動物園に居るような飼いならされた方だな。野生動物を狩るよりはよっぽど簡単だが、遊びも少ない。だったら、遊べるように適当に追い回そうって腹だろ」

 だが、同時に気になる事もある。

 「なぁ、ジェッド。お前は気づいているか?」

 「何をですか?」

 「連中の中で一番後ろにいる奴だよ」

 陣形を組んでいる兵士達だが、その中で1人だけ奇妙な兵士が居る。他の兵士と同じ装備をしているのだが、その兵士は銃を構えても居ない。最初から今までずっと。

 「……部隊のリーダーって感じじゃないですね。」

 「恐らくリーダーは奴の前にいる色違いの奴だよ」

 同じようなボディアーマーを着ているが、1人だけ僅かに色が違う者がいる。

 「あれがリーダーだ……普通ならな」

 「羨ましいですね。リーダーに仕事させて部下はサボりですか。俺もそうしたいですよ」

 「やっても構わんが、後でどんな目に会っても文句は言うなよ」

 「はぁ、やる気のある上司の下にはつきたくないですね、まったく―――となると、尚更に変ですね。アイツ、どう見ても仕事してませんよ。通信兵や衛生兵ってわけでもなさそうですから、完全なサボりに見えます」

 話している内に煙草の煙が消え、地面に捨てる。残りの本数は少ないが、残しておくのは勿体ないので、2本目を咥える。

 煙草を吸いながら、クルーズはずっと気になっていた事を口に出す。

 「今回の件、ジョンドゥの息のかかった一部の情報部が絡んでいる事は知っている。そして統合軍の連中もそうだ。どんな旨味があるか知らないが、ジョンドゥは統合軍を自分側に引き入れている」

 「金ですか?それとも地位とか……」

 「それは知らん。知らんが現に統合軍は向こうについている」

 「……統合軍はどこまでジョンドゥについてるんですかね?」

 ジェッドの疑問は、クルーズも疑問に思っている事だった。

 「統合軍が敵なのか、イクサの連中が敵なのか……どっちだと思います?」

 「後者だろうな。統合軍全体がアークスに喧嘩を売っているなんてのは、割に合わない事だ。アークスも統合軍も互いに持ちつ持たれつの関係で、これを壊すのは統合軍側には旨味が少ない」

 「それじゃ、イクサの連中だけって事ですか」

 「……あくまで可能性の話になるが、その中でも一部の連中だけが今回の件に絡んでいるじゃないかと思ってる」

 「一部の連中だけ?上官クラスの奴って事ですか?」

 それが一番可能性が高いだろうが、クルーズは今の状況から別の可能性を見出していた。

 「軍隊は上官の命令が絶対だ。それが正しいか正しくないか別としてな。そういう世界にいるような連中に命令を出せるのは、間違いなくお前の言う様な上官クラスだ」

 しかし、それはあくまで正常な状態の軍隊の話になる。

 「だがな、ジェッド。必ずしも上官の連中が命令を出す必要なんてないんだよ―――今、この状況ではな」

 クルーズの言葉に、ジェッドもある可能性を見出した。

 「擬似アビスに操られているのは、ナオビの市民だけじゃないって事ですか……」

 「そういう事だ」

 ならば、自分達を襲っている部隊の奇妙な行動について説明がつく。

 「上官が部下に命令を出すのは当然だが、その前提が今は必要がない。上と下がひっくり返っている状態が、今の現状なんだろうよ」

 「上官に指示を出しているのは、下っ端って事か。なるほど、後ろでふんぞり返っているアイツは、上官気取りで命令してるってわけね」

 「そのおかげで、俺達はこうして生かされてるってわけだ」

 仮に今回の件が失敗に終わったとしよう。

 その場合、当然統合軍側で事件に関与した者達は裁かれるだろう。どんな刑に課せられるかはわからないが、軽い刑になる事はないだろう。そうなれば、誰が一番重い刑を受ける事になるのかと言えば、上に立つ者達になる。

 「下っ端だから許されると思ってんのかよ、アイツ等は……」

 「普通は無いだろうな。だが、下っ端だからこそ、逃げ道は幾らでもある。例えば、今回の件で死んだ者とかな」

 「……自分は死んだ事にして逃げるつもりですか」

 成功しようとも失敗しようとも、重い罪をかぶるのは下ではなく上の者達。下の者だからこそ、今回の件で死亡扱いにでもされれば罪には問われないと踏んでいるのだろう。

 「なんか納得いきました。ナオビが沈むかもしれないってのに、どうして連中はこんな事に手を貸してるのかとか、撤退の方法はどうするかとか、色々と綺麗さっぱり解決ですよ」

 「大所帯で逃げる必要はないからな。逃げるなんぞ、小型の船一隻で十分。残りの仲間は全員を見殺しにしてな」

 怒りもあるが、それ以上に呆れと哀れみが生まれる。

 「そんな連中に利用されてる統合軍の奴等が可哀そうですね、ほんと」

 「まったくだ。俺も気を付けないと部下に捨て駒にされるかもな」

 「それ、俺に言ってます?」

 「独り言だよ、独り言……」

 そして、その独り言が最後の言葉になるかもしれなかった。

 

■■■

 

 「―――なんだよ、全然撃ってこなくなったじゃねぇかよ」

 既に警備局の抵抗がなくなって数分が経った頃、唯一自分の意思で行動している兵士は、つまらなそうに呟いた。

 圧倒的な物量だからこそ、相手の必死な抵抗が面白かったのだが、その抵抗が無くなってしまった今、何の面白みもない事に気づいた。

 「つまらねぇな」

 毒を吐きながら、味方の兵士の背中を乱暴に蹴り上げる。蹴った相手は本来ならば自分の上官に当たる兵士なのだが、蹴られた上官は何の文句も口にしない。

 「おい、お前が様子を見て来いよ」

 武器を持つ敵の偵察を、上官に命令する。上官は何も言わずに前に進もうとするが、

 「ちょっと待て、銃は置いていけ」

 兵士はヘルメットの中でいやらしく笑っている。

 普段は自分に口煩く、上から命令する上官に対して、自分が命令を出す立場になっている事が快感になっていた。

 この兵士、本来はこの部隊の中で一番下っ端だった。特に優れた能力があるわけでもなく、むしろ部隊の足手まといになっている事が多いのだが、無駄に肥大化している自尊心は、自身よりも周りに責任を押し付けていた。

 そんな兵士は、今までの鬱憤を晴らす様に上官に命令する。丸腰で敵の様子を見て来い、と。上官はそんな命令にも口答えしない。そんな思考すらない。黙って部下の命令を聞き、丸腰と前に進む。

 「撃たれちまえよ、糞野郎め」

 暗い笑みを浮かべ、前に進む上官が殺される姿を想像する。それだけで楽しくてしょうがないのだ。そして兵士は自分にこの立場を用意してくれた、ジョンドゥとかいうアークスに感謝する。

 難い相手に復讐も出来れば、報酬も出るというのだ。そして自身の身の安全も保障されているとなれば、もう怖いモノなど何もない。

 この兵士だけではない。

 意思を持つ事を許された兵士の殆どが、この兵士に似た思考を持つ者達ばかりだった。その為、如何に今回の事態がとんでもないものだったとしても、どうでも良かった。ただ己の欲求を満たしたい者には、決して逃がす事の出来ないチャンスだった。

 ただ復讐したい者、ただ殺したいだけの者、ただ奪いたいだけの者、ただ犯したいだけの者、ただ壊したいだけの者―――ある意味では、ジョンドゥという男の人を見る眼は正しかった。

 この兵士を含め、自分達がどんな立場に置かれている事など気づきもせず、この状況を楽しんでいる。

 ジョンドゥにとってみれば、これ以上ない程の駒だった。

 ただ力に酔いしれ、道を踏み外した者ばかりが意思を持つ世界となったナオビ。

 そこにいる統合軍という者達は、もはや軍ではなく群。飢えた獣の群と化している。

 ただし、そんな獣の群には、1つだけ異質な獣が混じっている事に、まだ誰も気づいてはいない。

 そして、これからそれに気づくのだ。

 

■■■

 

 「―――ん?」

 不意に鼓膜を震わせるのは、エンジンの遠吠え。

 急加速して徐々に近づいてくる音に兵士は疑問を覚える。今、このナオビで走っている車は、事件の関係者でなければ統合軍の車両だけ。そして統合軍の車両であるならば、猛スピードで走らせる理由がない。仮にあるとするならば、何か問題が発生したのか。否、それならば通信機からすぐに情報が伝達されるはず。

 様々な疑問を抱きながら、音がする方を見れば、やはり統合軍の装甲車が見えた。幸いな事に、この周辺にナオビの住人はおらず、あの速度でも案山子の様に立ち尽くす住民達を跳ね飛ばす危険はない―――それ故に、装甲車は猛スピードで兵士達に向かって突っ込んできた。

 「は?」

 突然の事態に兵士は間抜けにも呆けてしまった。兵士が命令を出さなければ、他の兵士達は行動しない。それを知りながら、まっすぐ突っ込んでくる装甲車が何なのか、どうしてこっちに突っ込んでくるのだろうか、などという思考に陥ってしまった。

 無能な指揮官の代わりに動き出すのは、プログラムされた機甲種。彼等は即座に装甲車に向かって前進していく。スパルダンA型は装甲車を正面から止める為か、直進する。その横をスパルガン型が通過し、装甲車の側面に向けて銃口を向ける。

 装甲車は止まる気などないのか、尚も速度を上げる。その時点で兵士は漸く事の事態に気づいたのか、他の兵士達に自分を守る様に指示を出す。

 直進する装甲車の真横についたスパルガン型は、何時でも発砲できる状態になってはいるが、現状ではあくまで警告している状態。これが何らかの行動を装甲車側が起こせば、すぐさま攻撃を開始するだろう。銃口をまっすぐに装甲車の窓に向けた―――その瞬間、装甲車の窓ガラスが破裂し、スパルガン型を何かが撃ち抜いた。それも左右の窓が同時に、まったく同じタイミングでそれが行われた。結果、スパルガン型は道路に崩れ落ち、行動不能となる。

 何が起こったのか、そんなものは一目瞭然。装甲車のドアから真横に伸びた銃身が、装甲車の車内から外の敵を、窓ごと撃ち抜いたのだ。それを確認したスパルダンA型は即座に装甲車を敵と認識し、攻撃を開始する。だが、そのタイミングで、まるで予め決められた行動かのうように、別方向からも装甲車が現れた。しかも、その装甲車の屋根にはライフルを構えた銃者がいた。

 背後を取られる形になったスパルダンA型は、背後からあっさりとコアを撃ち抜かれ、沈黙する。

 機甲種は僅か数秒で鉄屑と成り果て、残されたのは兵士達のみ。

 「な、何だよ、あれは!?」

 当然、答える者など誰も居ない。そして、この程度の事態で混乱して指示を出せない無能に救いなど在りはしない。

 2台の装甲車は何の躊躇もなければ慈悲もなく、アクセルを全開の速度で兵士達を薙ぎ払った。如何にボディアーマーを纏った装甲歩兵とはいえ、全速力で突撃してくる装甲車にはねられた場合、簡単に宙を舞う。だが、その装備は優秀が故に車に轢かれ、地面に叩きつけられても致命傷にはならなかった。さらに擬似アビスによって操作されている今、兵士達に痛みで動けないという状況はない。

 地面に倒れながらも、不格好ながらも立ち上がろうとする兵士達だが、その中に無様に泣き叫ぶ者もいる。

 痛い、痛いと叫び、助けを求める兵士。対照的に苦痛を口にせず、命じられるがままに動き出す兵士達。対照的な存在となった者達を前に、装甲車のドアが開く。

 「驚きました。これでも動こうとするなんて兵士の鏡ですね」

 運転席から降りて来たのは、眼鏡をかけた女。着ている軍服から統合軍の兵士である事はわかるが、身内を装甲車で跳ね飛ばす行為をしておきながら、まったく悪びれていない。

 そんな女に対し、装甲車の屋根にいる銃者が訪ねる。

 「副長、どうします?」

 銃口は起き上がろうとする兵士達ではなく、もがき苦しむ兵士に向けられている。

 「コイツ、撃っちゃいますか?」

 「撃ってはいけません。彼からは色々とお話が聞けそうなので」

 そう言うと、女は腰に差したナイフを抜く。普通のナイフではなく、くの字に曲がっている変わった形のナイフ。ククリナイフと呼ばれるナイフを両手に持ち、装甲車に向かって尋ねる。

 「中尉、この連中はどうしますか?」

 車内から野太い男の声が発せられた。

 「知らん。処理はお前に任せる」

 簡単な命令を出すだけだったが、彼女にとってはそれで充分だった。

 何とか起き上がった兵士達の手には、しっかりと銃が握られている。そしてその銃口が向けられるのは、誰か決まっている。立派な敵対行動だった。自らの意思もなく、命令されるがままに銃口を向けた事で、彼等の運命は不幸にも決まってしまった。

 「了解です」

 女は、チェインは銃口を向けられた瞬間に行動し、僅か数秒で事を成す。

 一度ナイフを振るえば、兵士の首に刃が滑り込み、血が噴き出す。二度振るえば兵士の首は飛ぶ。三度目の煌めきが起れば、ボディアーマーの隙間にナイフが滑り込み、体を貫通させる。そして最後の1人が幸運にも引き金を引く事に成功し、銃弾がチェインに向かって襲い掛かる。だが、その銃口はすぐに目標とは違う方向、真上に向けられる。天に向かって無駄弾を撃ち続ける兵士には、彼女が投擲したナイフが突き刺さっていた。

 

■■■

 

 自分達を追い詰めていた統合軍の兵士達が、突然現れた別の兵士達によって殺された光景を見て、クルーズは考える。

 果たして連中は、

 「あれ、味方ですかね?」

 ジェッドも当然、同じ疑問を抱くだろう。

 「どうだか……ただの仲間割れって可能性もある」

 さらに言えば、この状況はこちらにとって更に不利になっている。自分達を狩りの獲物として扱っていた兵士と違い、明らかに統率の取れた部隊に見える。しかも、重装備の装甲歩兵をナイフ2本で始末する手練れの兵士も居る。

 「さて、どっちに賭けるべきかな……」

 ベットした結果、間違った方にベットしたと判明した時、自分達の命はないだろう。

 「とりあえず投降してみませんか?さっきの奴よりも話は通じそうですし」

 同感ではある。どちらにせよ、こちらは戦況を打破する術など残されていないのだから。ジェッドに待機するように命じ、クルーズは1人で姿を見せる事にした。

 降参するように手を上にして現れたクルーズに、屋根の上に居る兵士が銃口を向けるが、

 「待ちなさい。彼等は敵ではないわ」

 チェインはナイフに付着した血を払いながら、部下に指示を出と、兵士はすぐに銃口を下げる。

 「……お前等、統合軍だな」

 「えぇ、そうですよ。そういう貴方は都市警備局の局員ですね」

 「そうだよ」

 話は出来るようで少しだけ安心した。

 「手を降ろしても構いませんよ。私達はそちらと事を構えるつもりはありませんので」

 言われるがまま、クルーズは手を降ろす。その間もチェインから視線を逸らす事はない。

 「そう警戒しないでください」

 「この状況で警戒するなというのが無理な話だ……それで、そっちはどうして身内を手にかける様な事をしてるんだ?」

 「聞くだけ無駄な質問だと思いませんか?」

 「質問に質問で返されても困るんだが……」

そう言いながらも、クルーズの中で答えは出ている。

 「……お前等は、あの始末屋の仲間か」

 「仲間ではありませんが……まぁ、半分正解ってところですね」

 始末屋からイクサで起きた騒動については、ある程度は聞いている。その際に戦ったナイフ使いの事や、ヴァンの逃走に手を貸してくれた事も聞いている。

 「なら、礼を言わんといけないな」

 「お礼は結構ですよ。こちらは中尉の我儘に付き合ってるだけですから」

 「いや、そうはいかん。アンタ達にはこうして命を救ってもらっただけじゃなくて、部下を救ってもらった礼もある」

 「そうですか。なら、素直に受け取っておきますよ」

 此処で漸く安堵の息が漏れる。張り詰めた空気が少しだけ和らぎ、どっと疲れが沸き上がってくる。だが、休んでいる時間がない事は承知している。

 互いに軽い自己紹介をして、現状の状況について確認する。

 「イクサの搭乗員の殆どは、あんな感じになってます。どんな手段を使ったのか知りませんが、まともに思考を残していた兵士は僅かで、その殆どは早々に処理されてます」

 「指揮官クラスは軒並み駄目って事か?」

 「そういう事です。自身の意思でジョンドゥに協力している者もいますが、それも少数。私達みたいなのは、きっと他にはいないでしょうね」

 「アンタ達は擬似アビスがきちんと起動しなかったのか?」

 「擬似アビス?」

 チェインが首を傾げる。

 クルーズは自分達が得た情報を伝えると、チェインは納得するように頷いた。

 「そんな大規模な事をしていたとは、予想外でしたね」

 「てっきり統合軍側にも同じような処置がされていると思っていたが、違ったんだな」

 「時期も関係あるんでしょうね。私達が配属されたのはダーカー襲撃後ですから、ワクチンを接種する必要がなかったんでしょう……もしくは嫌がらせですかね」

 「嫌がらせ?」

 「こっちの話です。兎も角、大体の事情は把握しました―――中尉!」

 チェインが装甲車に向かって叫ぶと、車内から巨体の男が姿を現した。

 軍服を着てはいるが、その中に納まりきらない恵まれ過ぎた体格。

 「警戒しなくて取って食いはしませんよ。こちら、ライバック中尉。一応、私達の部隊の隊長です」

 「一応じゃなくて、ちゃんとした隊長だろうが、軍曹」

 そう部下に言いながら、クルーズに人懐っこい笑顔を向けた―――つもりだったのだろうが、傍から見れば獰猛な獣が笑っているようだった。

 「……クルーズだ」

 一体、どんな鍛え方をすればこんな肉体になるのか興味はある。そして、それは鍛えるだけではなく数多くの戦闘により得た力でもあるのだろうと、クルーズはライバックの体に刻まれた無数の傷を見て思った。銃で撃たれた傷もあれば、刃物で切られた傷もある。治りきっていないのか、打撲の跡が生々しく残っている。

 「現場で指揮を執ってるのはお前さんか?」

 「まぁ、そんな所だ」

 「だったら話が早い。色々とかっぱらって来たは良いが、何処に持って行けばいいのかわからなくてな」

 そう言って、ライバックは自分達が乗ってきた装甲車を指さし、

 「とりあえず此処には装甲車が2台。中には詰めるだけ銃と弾丸、爆弾もある。他にも5台の車と、大型トラックが2台確保している。これも中身はしっかりパンパンに詰まってるぜ。後は俺の部下が街中に居る連中から装備を奪ってくるから、数はまだ多少は増えるだろうな。そんでもって、俺の部隊の人数は俺を含めて20名。全員がそこで転がってる連中よりも使える事は保証するぜ」

 「かっぱらって来たって……こちらとしては助かるが、お前達は大丈夫なのか?」

 協力は確かに助かる。こちらの戦力を揃える事になるのは、こちらとしては大助かりなのだが、

 「そっちは身内とやり合う事になるんだぞ」

 「それが何か問題あるのか?」

 心の底から聞いている様だった。

 「こんなにも敵と味方がはっきりしてるんだ。相手が銃を持ち、それをこっちに向ける。例えそれが身内であるとなかろうと、銃口を向けられれば立派な敵だ」

 「これが私達の隊長の出した結論ですから、それに従うのは部下の務めです。あぁ、大丈夫ですよ。こういうのは慣れていますから」

 「……こちらは圧倒的に不利な状況だ。それでもお前達はこちらにつくか?」

 「いいじゃねぇか、圧倒的不利。圧倒的優勢よりも面白い事だ。面白いって事は大事な事だぜ、旦那」

 この状況を楽しんでいる様な言い方は気に入らない。気に入らないが、頼もしいとも思える。だからこそ、正真正銘の、心の底から遊ぶ事を楽しむ子供の様に笑うライバックという軍人が、こちら側につく事を歓迎しない理由などない。

 クルーズはライバックに向けて手を差し出す。

 「都市警備局は君達を歓迎するよ、ライバック中尉」

 その手をライバックの大きな手が握る。

 「感謝するぜ、都市警備局―――精々、楽しい喧嘩をしようじゃねぇか」

 

 




気が付けば結構な文量になったなぁ……なんでこんな長いのだろう?


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。