夕暮れの君は、美しく輝いて (またたね)
しおりを挟む

序奏─introduction
夢の無いドリーマー



近すぎるからこそ、触れ難い。

そんな恋も、あると思います。


1話 夢の無いドリーマー

 

 

 人は皆、何かに劣等感を抱えて生きている。

 大なり小なり違えど、自分の嫌な所があり、理想の自分とのギャップを抱えながら生きていくものだ。

 その過程で心が荒み、前へ進むことを諦めてしまっていく人だっている。

 

 

 だからこそ、俺には君が眩しく見えた。

 

 素直で、闊達で、明るく笑顔で俺の前を歩み続ける君が。

 

 

 そんな君の背中を、俺はただ見てるだけ。

 

 それでいい、それだけでいい。

 

 足の止まった俺が、君にかける言葉なんて。

 

 

 

 何一つとして、無いのだから。

 

 

 

 

「……ですから、この式は2次方程式の応用で解くことができ──」

 

 四月も終わりが近づき、木々の花が散って青葉の息吹を風と共に感じる季節へと移り変わり始めた。日中は蒸し暑い日が増え、学校指定の学ランでは額に汗を滲ませてしまう。 

 高校での新生活には約一月も経ってしまえば慣れてしまい、最初こそしっかり聞いていた授業も今はただの音として耳から擦り抜けていく始末。授業に集中するべきである思考は、今日の放課後のことや観たいアニメの続きなど、関係のない些細事へと分散していく。そんな中俺は、窓の外から差し込む木漏れ日へと目を向けた。

 生い茂る青葉が、光を反射しながら風に揺れる。俺はそんな有り触れた、極当たり前の日常的風景に潜む普段は気にしないような音が綺麗に感じられて、好きだった。こっちの方が、先程から教卓で甲高い声をわざわざ張り上げようとする数学の女性教師の話よりも、余程耳を傾けるべき“音”のように思える。

 

「ではこの問題を……宮代陽奈(みやしろはるな)ちゃん!答えてもらえるかしら」

 

 そんな微睡みをぶち壊す、教師の声。座席表に書かれた名前に従い、その生徒の名前を呼んだ。

 途端に教室が騒めき、クスクスと笑い声が響き出す。その状況に小さく舌打ちをした後軽く溜息を吐くと、俺は立ち上がり、教師を睨みつけた。

 

 

 

「先生……()()()()()()()()。この間違い、何回目ですか?」

 

 

 

 声色に苛立ちは隠さない。1回目ならまだしも、入学してもう1ヶ月経つんだぞ?何回授業してきたと思ってる。そしてその都度何回間違えば気が済むんだこの教師(ババア)は。そもそも、生徒呼ぶ時に“ちゃん”を使うな。“さん”で呼べばまだリカバリが効くだろうが。

 そんな俺の心の声はきっと届くことはない。俺の言及に、教師は申し訳なさそうに目を細めた。

 

「あら、ごめんなさい……!私ったら身内にはるなちゃんがいるせいでつい癖が……」

 

 申し訳ないが、何のフォローにもなってないんだその発言。“ハルナ”が女の名前だってことを改めて認識させることと、自分の間違いを正当化する発言にしか聞こえないから。

 まぁでも実際問題、どうしようもないことだというのはわかっている。寧ろこの教師、俺の名前が“陽奈”でハルナと読むとわかるだけマシなのだ。

 

 改めて自己紹介すると、俺の名前は宮代陽奈(みやしろはるな)

 そこそこの共学校に通う、立派な男子の高校一年生だ。

 見ての通り、“陽奈”なんて名前のお陰(せい)で、生まれてこの方15年、多大な迷惑を被ってきた。

 まず漢字。普通に読めばどう考えても“ヒナ”ちゃんです。ありがとうございました。よしんばこの変化球に気づき、“ハルナ”という読みに至ったとしてもまさかの性別が男だという隙を生じぬ二段構え。一の太刀を躱しても二の太刀が、名前を見抜いても性別が襲いかかってくるという教師絶対◯す仕様。名前をつけてくれた祖父曰く、『太陽のように、優しく寄り添う人間であるように』という願いが込められているとのこと(奈という漢字には、優しく温かくという意味があるそうだ)。祖父自身も破天荒で、女性らしいとか男性らしいとかいう考え方を非常に嫌っており、『陽奈は、陽奈らしく生きていけばいいんじゃよ』は祖父の口癖だった。

 しかしそんな祖父の願いとは裏腹に、学友は“オンナの名前をしたオトコ”に好奇の目を向けた。不幸にも容姿すら中性的なもので、周りのからかいは留まることを知らなかった。

 名前で弄られるなんてものはまだ可愛いもので、誕生日プレゼントに少女モノの鉛筆や下敷きを渡してきたり、外で遊びたい俺を女の名前だからと省ったりするなんてことも普通にあった。そんな男子を糾弾し、俺を庇ってくれるのはやはり女子な訳で、それもまた女に守られてる、男なのに女みたいだと馬鹿にされる始末。

 そんな日々を過ごしてきた俺は、この名前に込められた思いに僅かばかり感謝こそすれど、それ以上に陽奈という名前を嫌悪し、辟易していた。

 高校になれば多少は変わるだろうと思っていた環境も、どうやら小中時代と大差ないらしい。俺はいつまで、この呪縛に苦しめられればいいんだ。

 

 

 

 ──“こんな名前”になんて、生まれなければ

 

 

 自己肯定感の欠片もない、卑屈に歪んだ感情を遣り場のない怒りの炎に焚べながら、俺はもう一度だけ溜息を吐いて着席した。

 

 

 

 

 放課後になり、教室が再び騒めきを取り戻す。部活動に向かう人、その場で居残り勉強を始める人、何処かへ遊びに行こうと、色めいた声を上げる人。数多の感情や思惑が揺れ動くこの喧騒にも近い“音”も、俺は好きだった。その音を十分堪能した後、帰宅部の俺は帰路に着こうとカバンを片手に立ち上がろうとした……その時。

 

「──おーい、()()()()()!」

 

 級友からの呼び声に、反射的に眉を細める。

 

「今日そのまま帰り?それなら一緒に帰ろうぜ!」

 

 屈託のない笑顔を俺に向けるコイツは、このクラスでも比較的良好な関係を築けている方だ。ただ一点、どうしても看過できない点があるわけだが。

 

「……その呼び方、やめろって言ってるだろ?」

「いいじゃんか別に!呼びやすいし、ほら、“あの子”もそう呼んでただろ?」

 

 タチの悪いことに、コイツは本当に悪意のかけらもないのだ。俺を女の名前で弄りたいわけでもなく、本当に呼びやすいから俺を“ハルちゃん”と呼ぶ。そう呼ぶキッカケを作った元凶の顔を思い出し、俺は露骨に顔を顰める。悪いやつではないし、呼び方以外は普通にコイツのことが好きだし、仲良くしていきたいと思っている。だからこそ、この呼び方を本当に訂正していただきたいわけだが。

 

「はぁ……わかったよ、帰ろうぜ」

 

 よっしゃ!とガッツポーズをした後下駄箱へと駆け出した級友の背を目で追いながら、俺はゆっくりと教室の外に歩き出した。

 

 

 

 

「どっか寄ってく?」

「いや、今日は普通に帰るよ」

「そっか、今度お前の家遊び行ってもいい?」

「気が向いたらな」

 

 どこにでもありふれているようなごく日常的会話をしながら、俺たちは校門へと向かっていく。日没の時間も日に日に遅くなり、夕刻が近づいた今でもまだ空は青い。

 

「なぁ、今日は“来てないのか”?」

「なにが」

「またまたぁ、“あの子”だよ!前も迎えに来てただろ?お前のこと」

「あれはたまたまだし、約束とかも別にして……な……」

「ん?どうした?」

 

 

 級友を遇らいながら、ふと校門に目を向けると

 

 

 そこには彼女の姿があった。

 

 

「……来てる」

「うっそ、マジかよ!!」

 

 校門に寄りかかる、透き通った桃色の髪を靡かせ、両耳に刺したイヤホンから流れる曲に合わせて笑顔で鼻歌を口ずさむ少女。まるでモデルのようなスタイルと美貌を兼ね備えたその少女は、校門を過ぎる多くの学生達を魅了し、視線を釘付けにしている。

 そんな少女はややあって辺りを見回し、俺と目が合うと、その笑顔を一際輝かせた。

 

 

「あ!来た!おーい“ハルちゃーん”!」

 

 

 そして俺の名を“最悪な呼び方”で叫んだ後、こちらに向けて全力で手を振る。そのせいで、周囲の目線が一気に俺へと突き刺さった。横にいる級友もニヤけた顔を隠しきれずに俺の脇腹を突いてくる。その全てに苛立った俺は、それを隠すこともせずに顰め面で彼女へと歩み寄った。

 

「やっほー!ハルちゃん!遅かったね、何してたの?」

「……校門で待つのはやめてくれって言わなかったか?なぁ、()()()

「え、えぇ〜そうだったっけ?」

「言った。来るときは連絡しろとも言った。連絡したか?してないよな?おかげでこんなにも悪目立ちだ、どう責任とってくれるんだ?あぁ?」

「うっ……は、ハルちゃん、なんか怒ってる……?」

「安心したよ。俺を見て怒ってるのがわからないほど君が鈍感じゃなくて」

「ひぃ……っ!なんかわからないけどごめんなさいっ!」

 

 涙目になりながら、深々と頭を下げる彼女──上原(うえはら)ひまりは、幼少の時からの幼馴染だ。感受性豊かで素直、天真爛漫で笑顔がよく似合う、幼馴染である俺の目から見ても絶世の美少女に思えるコイツは……時折、いや、中々に空気が読めない。本人にしても悪気があるわけでなく、“良かれと思って”なのだから益々タチが悪い。

 現に今俺は女の子を泣かせたクズという無実の罪で、周囲から更に厳しい目線が突き刺さっている。

 ……いつものことだ、こんなこと。

 俺は今日何度目かになる溜息を吐いて、ひまりに声をかける。

 

「……で、何の用?」

「へ……いや、今日“練習”ないから一緒に帰れればなぁと思って」

「そのためにわざわざ来てくれたわけ?」

「う、うん……ダメ、かな?」

 

 涙目のまま、上目遣いで俺に問いかけるひまり。それを可愛いと思ってしまう自分が、本当に情けない。俺は後ろを振り返り、俺達の方へと近寄って来た級友に声をかけた。

 

「……ごめん、俺今日ひまりと帰るから」

「え、いいの?」

「わざわざ俺のために来てくれたんだろ?だったら一緒に帰ろうよ。ってなわけで、ごめんな」

「気にすんなって別に!せっかく“カノジョ”が迎えに来てくれたんだから!」

「彼女じゃねぇよ」

「……ほーんと冷めてんな。それじゃな、ハルちゃん!」

 

 弄りに反応しない俺が面白くなかったのだろう、少しだけ顔を顰めたものの、級友は最後笑顔で俺達の前から去って行った。

 

「……良かったの?帰る約束してたんじゃないの?」

「大丈夫だよ。アイツもわかってくれてるから。ほら、行こう?」

 

 ……そろそろ周りの目が本当にしんどいんだ。

 歩き出した俺の後ろを、ひまりは笑顔で追いかけて来た。

 

 

 

 

「“他のみんな”はどうしたんだ?」

「今日はもう帰っちゃったよ?私はハルちゃんを迎えに一人でここまで来たけど」

「あぁ……練習休みって言ってたもんな」

 

 家が近いので、帰る道も同じ。徒歩20分ほどの道のりを、俺とひまりはゆっくりと歩いていた。先程から会話に出てくる“練習”という言葉。気になっている人もいるだろう。

 何を隠そう彼女、ひまりは幼馴染5人で組んだガールズバンドのリーダーなのだ。その名を、『Afterglow』という。5人は小学校の頃からの友達で、ある1人の言葉がキッカケとなり、中学時代の文化祭で結成、以後も5人の絆を紡ぐ大切な居場所となっている。俺はひまり以外に面識はなかったのだが、ひまりを経由してバンドメンバー全員と顔見知り以上の関係となっている。

 

「……久々に練習、見に行ってみようかな」

「えっ、本当!?みんな喜ぶと思うよ!」

「誰が喜ぶんだよ」

「主に私だね!」

 

 えへへっ、とにこやかに笑ってみせるひまり。そういう勘違いさせるような事を素でやってくるコイツのそんなところが、俺はどこか苦手だった。

 最も、幼少期の荒んでいた俺を救ってくれたのは間違い無くひまりで、そんなひまりのことを苦手だと思うことはあっても、嫌いだと思うことは一度もない。

 

 

 ──彼女は、()()()()()()を沢山持っている。

 

「今度こそ、みんなで『ガルジャム』に出るって頑張ってるんだー!」

 

 嬉しそうに、皆で夢を追うことが楽しくてたまらないと言うように、ひまりは笑う。

 

「私も、ハルちゃんに見てもらうために沢山練習頑張ったんだよ!」

 

 俺の心の中も知らず、何時も変わらずに俺に接してくるひまり。嬉しさと嫉妬が入り混じった複雑な感情を抱えて、俺は苦笑いを浮かべる。

 

 ──彼女は、()()()()()()()()()()()()()を、沢山持っている。

 

 大切な仲間、自分が自分でいられる居場所、自分を表現する勇気……挙げ出せばキリがない。そんな彼女に向ける俺の眼差しは、きっと綺麗なものじゃない。喜び、妬み、情愛、嫉み……様々な感情のレンズを通して、俺は何年も、何年も君を見てきた。辛い時も、嬉しい時も、俺の側には君が居た。そんな君だったからこそ、俺の目には鮮烈に映ったんだ。

 

 

 ──そんな君を、後ろでずっと支えていけたら、なんて

 

 

 卑屈で歪んだ俺の心じゃ、こんな風にしか思えない。

 君の隣に立とうだなんて烏滸がましい事、今の俺には許されないことだから。

 君に恋するなんてこと、とてもありえない。

 

 

 そうするには君の姿は──余りにも、眩しすぎる

 

 

 

 

 もう一度改めて、俺の名前は宮代陽奈。

 

 

 夢はないけど、願い(ユメ)はある。

 

 

 これはそんな俺と、夢を追う彼女の物語だ。




初めまして、またたねと申します。
ひまりヒロインの小説少なくね?と思い至り、この度自分で筆を手にした次第です。
上原ひまりと、Afterglowの魅力を全力で伝えていくつもりですので、どうか応援よろしくお願いします。
宮代陽奈という少年が存在する、Afterglowの“もしも”の物語を、どうぞ楽しんでください。

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰色を彩る


Afterglowとひまりの魅力を全力で伝えていければと思います。


 

 

2話 灰色を彩る

 

 

「じゃーん!見てこれ!新商品のチョコレートパフェ!こっちはメロン味のシュークリーム!そしてこっちが」

「待て、理解が追いついてない」

 

 帰路に着いてからしばらく経ち、時刻は夜8時半過ぎ。

今俺の部屋には瞳を輝かせながらテーブル一面にコンビニスイーツを敷き詰めたひまりがいる。

 

 先程パンパンに詰まったコンビニ袋を片手に我が家を訪問(襲撃)してきたひまりは、お裾分けとばかりに俺の家族に袋の中のスイーツを幾許かばら撒き、俺の部屋へと突撃していった。この間僅か40秒程の出来事である。ひまりは家族ぐるみで仲の良い幼馴染で、俺の家族とも面識がある為に出来る所業だ。

 

「なんでこんな時間に来た」

「え?だってコンビニに行ったら新商品があったから、ハルちゃんと食べたいなーって思って!」

「……こんな時間に出歩いたら危ないだろ」

「大丈夫だよ、コンビニもハルちゃんの家もすぐ近くだもん!」

 

 純粋に俺に笑いかけるひまりに対して、俺が返すことが出来たのは何処か的外れな指摘。家もコンビニも近いことなんて、わかってるのに。手放しで喜びたくなるようなことを、素面で平然と言ってのけるこの幼馴染のそんな所が、俺はやはり苦手だった。

 

「ねぇねぇ、ハルちゃんはどれ食べる?」

「……俺はいいよ別に。好きだろ?コンビニスイーツの食べ比べ。昔から新商品には目がないもんな」

「えぇ!いくら私でも流石にこの量は食べきれ……ない、よ?多分……きっと」

「全部食べたいんじゃねぇか」

 

 しどろもどろな返答の後、気まずそうにひまりは目を逸らしたかと思うと、急に勢いよく立ち上がった。

 

「違う、違うの!確かにこれは私が食べたいものを買い並べてるから私が全部食べ切れるって思われてもしょうがないことはわかってるけど久しぶりにハルちゃんとお話ししたいから二人で食べようと思って買って来たわけで決して私が全部食べてしまいたいとか思ってるわけじゃなくてでもチョコレートパフェの中はビターなのかミルクなのかとか考えてしまってるしメロン味のシュークリームは中のクリームの色もオレンジなのかなとか考えてしまっている自分がいるのも否定しないけどそれ以上に私はハルちゃんと一緒にスイーツを食べたいからこうして沢山買ってきたんだってことわかってほしいって言うかむしろそっちの方が楽しみだっていうか」

「わ、わかった、わかったから!俺これ食べるよ、エクレア、食べるから!」

「えっ、本当?」

 

 慌てて早口で捲し立てるように顔を真っ赤にしながら反駁するひまりの様子をみて、なんだか可哀想に見えてしまった俺は机上に並んでいたものから適当にエクレアを毟り取り、ひまりの眼前に晒す。するとひまりは先ほどまでの動揺がまるで嘘かのように小動物のような瞳で俺の様子を伺った。

 

「食べるよ、君の思いはわかったし、折角俺のためにひまりが買ってきてくれたんだから」

「やったー!じゃあ私はこれとこれとこれ!」

「……結局殆ど自分で食べるんじゃねぇか」

 

 俺の返答に嬉しそうに笑った後、ひまりは机上のスイーツの中のいくつかを素早く選んで手元へと引き寄せた。普段と何も変わらないその様子に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「変わらないよな、ひまり。普段は別に大食いでもないのに、スイーツになると急に食い意地張るとことか」

「は、張ってないよ食い意地なんて!私はただスイーツに目がないだけなんだから!」

「それを世間一般で食い意地を張るって言うんだよ」

「むぅ〜〜!」

 

 頬を朱に染めながら膨らませ、如何にも不服といった様子でひまりは俺を睨んでくる。申し訳ないがそんな顔をされても申し訳ない気持ちにはならないし、寧ろもっと弄ってやりたい気持ちが加速するばかりだ。

 

「ふんだ!ハルちゃんなんて知らない!」

「そうかそうか、じゃあ気をつけて帰れよ?」

「………………やだ」

「なんで?」

 

 

「ハルちゃんと……もっとお話ししたいもん」

 

 

「……そうかよ。ほら、早く食べよう?温くなっちゃうから」

「うん!いただきまーす!」

 

 その素直な所が、苦手だけど、憎めない。

 動揺しかけた心をいつものことだと理性で宥め、俺は尋常じゃない素早さでパフェを食べ始めたひまりを追うように、袋の封を開いた。

 

 

 

 

「それでまたモカが私のことをからかってきたの!」

「はは……あの子もあんな雰囲気してからかい上手だからなぁ」

 

 談笑に花を咲かせること、数十分。高校に入ってからの出来事や、ひまりのバンド内での出来事などを話していると、時間が経つのはあっという間だった。会話の割合は俺とひまりで2:8といったものだったが、それもいつものことなので気にしない。あれだけあったスイーツも、気づけば8割が空になってしまっている。もちろん、殆どはひまりが食べた。

 

「ね、ハルちゃん覚えてる?幼稚園の頃の──」

「あぁ、あれな。あの時は──」

 

 そして話は、互いの昔話へとシフトしていく。

 俺とひまりは、幼稚園の頃からの付き合いだ。親同士が友人で、一緒に遊ぶことは勿論、家族同士で旅行することだってあった。最早俺にとってのひまりは家族同然の存在であり、一緒にいることが当たり前のようにさえ感じていた。

 しかし、小学校高学年にもなれば、同学年の女子と一緒にいる事に気まずさを感じ始める。ただでさえ“女みたいだ”とからかわれているのに、自分から女子に関わりに行くなんてことをしようと思えるはずもなかった。だから俺も少しずつひまりと距離を置き、普通のクラスの友達レベルにまで関わりを減らしていこうと画策していたのだが……

 

「ハルちゃーん!いっしょにかえろうよー!」

 

 相手が悪すぎた。そう、コイツは純真無垢の権化こと、上原ひまり。男子の思春期特有の機微なんて繊細なモノに、気付くはずがない。“今までだってそうしてきたから、これからだってそうしていく”。当時のひまりからすれば──もしかすれば今のひまりでもそう思うかもしれない──俺の行動は極めて不自然に映っていただろう。

 更にひまりは、同学年でも屈指の可愛さを誇る女子で、ファンも多かった。コイツが放課後俺を迎えに来る度に、俺が同じクラスの男子にどんな目を向けられていたか、是非とも同じ立場になったと思って想像していただきたい。不幸は重なるもので、ひまりのこの行動は、中学に入ってからも続いていく。俺のコンプレックスの一因を担っているのは、本人には言えないが間違いなく彼女の行動なのだ。

 

 

 そんな彼女に俺が抱く感情は、一言では表せない。

 

 

 ひまりは、良くも悪くも変わらない。

 俺に対する接し方も、気持ちの向け方も、幼い頃から何一つ変わっていない。

 ひまりが俺に抱く感情は、家族に対する情愛と何ら変わりないはずなのに、錯覚しそうになる。ひまりの俺への言葉が、態度が、接し方が、そうさせる。自分の感情に素直、そんなひまりだからこそその振る舞いに嘘や偽りがないことがわかるだけ、殊更。

 

 ──こんな俺なんかを、1人の男として好いてくれるはずがない

 

 時折魔が差して込み上げてくる()()()を、卑屈な感情が捻り潰す。現実的に考えてそうだろう。ひまりは美少女だ、俺なんかよりも相応しい人が、世の中には満ち溢れている。そんな彼女が俺に想いを向けてくれているなぞ、自意識過剰も甚だしい。こんな女々しくて、卑屈で、歪んでいる俺なんて、君の隣には相応しくない。

 

 

 ──それでも君を、支えていきたい

 

 そう思ってしまうことは、果たして許されないことだろうか

 

 

「──ちゃん、ハルちゃん!」

「え……あぁ、何?ひまり」

「もう、今の話聞いてた?」

「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしちゃって」

 

 大分考え込んでしまったようだ……ひまりの話が、途中で聞こえなくなってしまうほどに。

 

「大丈夫?どこか体調悪いの?」

「いや、本当に大丈夫だから」

「そっかぁ……それならいいんだけど」

 

 

 これが俺の日常で、これからもずっと続いていくんだろうなと、俺はぼんやりと考える。夢もなければ未来も見えない、俺が歩んできた道も、これから歩んでいく道もきっと灰色なのだろう。

 

 

 

 それでも君が、そんな灰色の日常を、笑顔で彩ってくれるなら

 

 それ以上は、望まない

 

 ただそれだけで、十分だから

 

 

 

 突然頭を撫でた俺に、ひまりは一瞬不思議そうな顔をしたけれども、次の瞬間にはもう、屈託のない笑顔を俺に向けてみせた。





投稿初日で、まさかこんなにお気に入りと評価を頂けるとは思ってませんでした。
ありがとうございます!
高評価を下さった、

穂乃果ちゃん推しさん、ヨルノテイオウさん

ありがとうございます、これからもよろしくお願いします。

それでは次回もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『Afterglow』


評価が嬉しくて二本投稿です。

邂逅回ですね。


3話 『Afterglow』

 

 それから1週間後。暦の上では5月になった。世間一般でいう金色の大型連休(ゴールデンウィーク)に突入したものの、俺の日常に何ら変化はない。友達と遊びに行くわけでもなく、帰宅部だから部活に汗を流すわけでもない。ただ悠々とその日にしたいことをしたいようにして、だらだらと惰性的に日々を送る。普段の学校生活と至って変化のない……言ってしまえば、クズのような生活を送っていた。

 しかしながら、今日はいつもと違う。

 

「ハルちゃーん!はやくはやくー!」

 

 人通りの多い都会の日中、ひまりに連れられるまま俺は歩いている。今日は前から約束していた、ひまりのバンドの練習を見に行く日だ。最後に見たのは、中3の秋。約半年以上が過ぎてしまっていた事に内心で驚く。それと同時に、久々に会う顔馴染み達に若干の緊張を抱いていた。

 彼女達との出会いは、中学一年生の頃だ。

 ひまりは小学校の頃からメンバーと友達で遊んだりしていたらしいが、その頃は俺に面識はなかった。そこから何度か練習に参加したり、彼女達の演奏を聴くことを繰り返して、顔馴染み以上友達未満といった関係に落ち着いている……と、思う。世間一般ではもう友達の域に入っているのかもしれないが。

 

「おいひまり……まだ着かないのか?」

「もう少しだよ!今日はいつも使ってる場所の予約が取れなかったから、ちょっと遠い場所になっちゃったんだよねー」

「なるほど。学校は空いてないの?」

「ほら、前話した『ガルジャム』って覚えてる?あれの選考会がもう直ぐ始まるから、出来るだけ良い機材で練習したほうがいいかなーって」

「確かに」

 

 俺たちが住む場所の近辺には、練習で使えるようなスタジオはそう多くない。普段は放課後の学校で練習することは可能だろうが、やはり機材の質や心置きなく声や音を出せないという点で、学校がスタジオに劣っている点は多い。本番が近いなら、尚更スタジオで練習するべきだろうな。

 

 そうこう話しているうちに、スタジオへと到着した。受付でひまりの名前を出すと中への扉へと案内される。他のメンバーはもう既に到着しているようだ。緊張が少しだけ強くなる。

 

 

「あ、やっときたー。ひーちゃんおそーい」

 

 

 1番最初に聞こえたのは、気の抜けてしまいそうな優しい声。緊張も何処かへとすっ飛んでしまったかのように、途端に気が緩むのを感じた。

 

「ごめんごめーん!途中寄り道してたらこんな時間になっちゃって」

「寄り道ー?」

「どうせコンビニで新作のスイーツを見つけたとかそんな理由なんだろう?」

「違うってば巴っ!ほら!今日はスペシャルゲストを連れてきましたー!」

「ゲスト?」

 

 ……ゲスト?まさかひまりの奴。

 入り口に視線が集まっているのを感じる。先程飛んでいった緊張も見事にお帰りなさい(カムバック)、はぁ、っと深呼吸をして俺は部屋へと入った。

 

「……やぁ、久し振り、皆」

「おぉ、陽奈!来てくれたのか!」

「ハルちーん、おひさおひさー」

「元気そうだな……巴、モカ」

 

 真っ先に声を掛けてくれたのは、紫赤(パープルレッド)の長髪を靡かせる宇田川巴(うたがわともえ)と、眠たそうな瞳を見開き、笑顔で手を振る灰白色の髪をした青葉(あおば)モカ。

 巴はとてもサッパリとした性格で、良い意味でサバサバしている。一見すると非常にドライに見えるものの情に篤く、頼まれたことは断らず、何とかして助けようとする優しい一面がある。ひまりの宿題が終わらずに泣きついてきたのを尽力していた場面を何度か見たことがある。ドラムの腕もそれなりで、素人目に見ても上手いのがわかる。

 モカは見た目や言動も非常にふわふわしているが、周りを気遣うのがとても上手い。本質を見極める目、と言うのだろうか、とにかく空気が読める。ひまりにもほんの少しだけその技能を分けてあげて欲しい、切実に。ギターの腕も確かで、このバンドの根幹を担っている。

 

「わ、陽奈くん!久し振りだね!」

「……………………」

「久し振り、つぐみ……それに蘭も」

 

 続いて声を掛けてきたのは、キーボードの羽沢(はざわ)つぐみ。このバンド、『Afterglow 』の生みの親であり、幼さを残す見た目とは裏腹に、メンバーの精神的支柱を担っている。5人の仲を大切にし、友情を繋ぐ確かな存在だ。

 そして俺を一瞥してギターの調整を再開したのは、黒髪の一部を赤くメッシュに染めた寡黙な雰囲気を漂わせる少女、美竹蘭(みたけらん)。ギター兼ボーカルを務める彼女は物静かで必要以上に口を開こうとしないが、その心の内には音楽への情熱と、メンバーへの厚い信頼を秘めている。

 

 ここにベースのひまりを加えた5人が、夕焼けの名を冠した五人組ガールズバンド、『Afterglow』だ。

 

「ひまり、皆に俺が来ること伝えてなかったのか?」

「ごめんごめん、サプライズにした方が喜ぶと思って!」

「……約1名、どう考えても歓迎してない奴がいるんだが」

 

 その言葉とともに蘭を伺い見ると、彼女と目が合った。蘭は気まずそうに目を逸らした後、そのままの状態で俺へと問いかける。

 

「……何しにきたの、ハル」

「何しにって……ただ君達の演奏を聴きにきたんだけど、ダメか?」

「……別に」

 

 そして蘭は、完全に俺に背を向けてしまった。まぁこれも割といつものことだから気にしない。

 

「ごめんな、陽奈。せっかく久し振りに会ったのに蘭の奴あんな態度で」

「君が謝ることじゃないよ、巴。それにほら、もう慣れたし」

「ふふふ、ハルちんはやっぱり優男だねぇ」

「やめてくれよモカ。別にこんなの普通だろ」

「ううぅ、私もハルちゃんと話したーい!」

「わっ……おい、ひまりっ!」

 

 2人を遮り、ひまりが俺へと飛びついて腕を絡めてしがみついて来た。突然の事に、動揺してしまっているのが自分でもわかる。コイツ、急に密着して来やがって……自分のスタイルの破壊力、わかってないのか?身体中の至る所が俺に触れてるんだよ。

 年齢不相応に発育した“ソレら”の感触に頬が上気していくのを感じる。腐っても思春期の男子高校生だ、性欲は年齢相応にある。極めて精神衛生上宜しく無い感触に変な気を起こしてしまう前に、俺は力を込めて無理矢理ひまりを自分の腕から引き剥がした。

 

「いきなり何すんだよ、危ないだろうが」

「だってー……」

「第一今日だって一緒にここまで来ただろうが。家も近いし話す機会なんていつでもあるだろ」

「うぅ……」

 

 そこまで強く言ったわけではないが、ひまりは翠玉の様な瞳に涙を溜めて俯いてしまう。その様子を見かねたつぐみが、慌てて俺達の間に仲裁に入った。

 

「ほ、ほら泣かないでひまりちゃん……陽奈くんも、ひまりちゃん反省してるみたいだし、ね?」

「いや、別に怒ってるわけじゃないんだけど……まぁ、つぐみが言うなら」

「……女の子泣かせるなんて、サイテーだね、ハル」

「うるせえぞ蘭、こんな時だけ口出して来るなよ」

 

 横槍を入れて来た蘭に軽く噛み付いて、俺は深く溜息を吐く。未だに顔を上げないひまりの頭に、俺はそっと手を乗せた。するとようやくひまりが頭を上げて、潤んだ瞳で上目遣いをしてくる。

 

「……帰り、コンビニでスイーツ買ってやるよ。俺の家で食べよう」

「ほ、ほんと!?」

「あぁ。だから機嫌直せよ、ひまり」

「約束!約束だからね!」

「わかったから。つぐみも心配してるし、早い事元気出せ」

「やったー!よーし、練習だー!」

 

 先程の泣き顔が一転、水を得た魚の様にひまりは笑顔で走り回り、喜びを表現している。(さなが)らスイーツを得たひまり、と言ったところか。

 

「……相変わらず、陽奈のひまりの扱い方は尊敬に値するな」

「お菓子で釣れば誰でも出来るさ、あんな事」

「それがハルちんじゃないと通用しないんだよね〜、アレ」

「え、そうなの?」

「そうそう〜。だからわたしらはいっつも自然回復するの待ってる」

「まぁひまりは回復も一瞬だから、それもあながち間違いじゃないな」

 

 初めて聞くバンドメンバーのひまりへの対処法に、思わず笑みが溢れてしまう。

 

「……まぁモカなら心配ないと思ってるけど、弄り過ぎも程々にな。ひまりが本気でキレると、俺でも手を焼くぞ」

「わかってるわかってるー。ハルちん程じゃなくても、わたし達も長い間一緒にいるんだもん」

 

 俺のお節介にも思える懸念を、モカは笑顔で笑い飛ばした。モカならヘマはしないと思ってはいたものの、その笑顔を見て俺は安心することができた。

 

 アレはいつの話だっただろう、俺が初めてひまりを本気で怒らせたのは、確か小学生の頃だった。ひまりの家に遊びに行った時、出来心でひまりが楽しみにしていたデザートを、ひまりがトイレに行っている間に食べてしまったんだっけか。それに気づいたひまりは、3ターン後に俺は死ぬんじゃないかと思うほどの声量で泣き喚い(滅びの歌を歌っ)て、尋常じゃないくらい臍を曲げてしまったのだ。それ以来、俺は2度とひまりのデザートを勝手に食べないと心に誓った。

 しかし本当に問題なのはは曲げた臍が元に戻ってからで、調子を取り戻したひまりは──

 

 

「ハルちゃーん!いっしょにおひるねしよ!」

 

 

「ハルちゃん、あーんしてあげる!」

 

 

「ハルちゃんハルちゃん、いっしょにおふろはいろー?」

 

 

 ──跳ね返りか何か知らないが、俺の理解の範疇を遥かに超えたレベルで甘えてくる。

 しかしこれを断りまた臍を曲げられたら……という悪夢の様なジレンマに陥り、ストレスがマッハで胃痛を催すのだ。中学生になってからもこれは変わらず(流石に一緒に風呂に入ろうなんてことは言ってこないが)、隙あらば俺の布団に潜り込もうとしたことも一度ではない。そう、ひまりのこの状態は俺にとって──

 

 

 

 ──クソほど面倒くさい(可愛い)のである。

 

 訂正、クソほど可愛い(可愛い)のである。

 

 失礼、本音g…クソほど面倒くさいのである。

 

 面倒くさいったら、面倒くさいのだ。

 

 

「……いつまでふざけてるの?時間は限られてるんだから」

 

 遠い過去を振り返っていた思考が、蘭の一声で現実へと引き戻される。確かにこれ以上時間を食うわけにはいかないだろう。部屋の時間もあるし、何より本番までの限られた時間を俺のために割いて貰う必要はない。俺は彼女達を邪魔しに来たわけではないのだから。

 

「……ハルも、しっかり聞いてて。昔のわたしたちと、今のわたしたちの違い」

 

 それと、と蘭が前置く。

 

「……あなたの“耳”は、頼りにしてる。どんな些細なことでもいい、何か気づいたら教えて」

 

 真面目な眼差しに、僅かばかりの不本意を滲ませて、蘭は俺に告げた。頼りにされる程大層な人間じゃないが、そんな真剣な目で見られたら、拒否なんて出来ない。

 

「……わかった。力になれるかわからないけど」

「大丈夫。あなたは聞いてくれるだけで良い」

「……久々だな。陽奈にアタシ達の演奏を聴いてもらうのは」

「うん、なんか緊張してきたっ!」

「…別に緊張することなんてないんじゃない?」

 

 蘭の呟きに、皆がそちらを伺った。

 視線を向けられても、蘭の無表情は変わらない。

 

「──ハルが居ても居なくても、わたし達のやることは変わらない。“いつも通り”、やればいいだけ」

 

 一見無愛想で、無感情に聞こえる蘭の言葉。しかし皆は知っている──蘭の言う“いつも通り”とは、いつもと何も変わらない、()()()()()()()()()()()()()()()()()だと言うことを。

 普段以上の成果を目指すわけじゃない、気負うわけじゃない。“いつも通り”にやれば、自分達は大丈夫だと。それに見合うだけの練習を、自分達は重ねてきたのだと。それが蘭がこのバンドに向ける掛け値の無い無量の信頼と、積み重ねた月日が保障する友情の証だと。

 

 それが“いつも通り”に込められた蘭の思いだと。

 

 先程までどこか緊張の色が見えたメンバーも、蘭の言葉を受けて柔らかい表情へと変わる。

 

「そうそう、大丈夫大丈夫ー。わたし達は、いつも通りやるだけ」

「そうだよ、折角の機会、存分に活かさなきゃ」

 

 モカとつぐみが各々の思いを述べながら、配置へと着く。巴とひまりが、その後に続き、最後に蘭が己のポジションへと向かった。軽く楽器を触り、音や感触を確かめると、皆はそっと目を閉じる。

 

 これは彼女達の、ルーティーン。

 

 己に問いかける──目指す場所、向かうべき場所は。

 

 仲間はどうだ──同じ景色を、共有してるか。

 

 やるべきことは──ただ一つ。

 

 

 今この瞬間、自分達のありったけを乗せて。

 

 

        「───行くよ」

 

 

 蘭の一言で、雰囲気が変わる。

 目を見開いた彼女達の表情が、目に見えて引き締まる。静寂が部屋を包み、聞こえるのは彼女達の雰囲気に飲まれ、早鐘の様に打ち鳴らされる己の心臓の音だけ。まるでこの場に“在る”音が、それだけしか無い様にすら感じられる、ある種異様な緊張感が部屋の中に充満している。

 互いが互いを伺い、今から始まる曲への意識を高めていく。常に高みを。“いつも通り”に、今の自分達の最高の成果を。そんな5人の意識が、最高潮へ達した時。

 

 ──カッ、カッ

 

 巴が、『1,2』のリズムで、スティックを打ち鳴らした。そして次の瞬間。

 

 ──極限まで張り詰めた緊張の爆弾が、5つの音で爆ぜた。

 

 彼女達の奏でる音の迫力は、ガールズバンドのそれとは思えない。ただ力強く楽器を演奏している訳ではない。単純な音の大きさ以上に、同じ高みを目指す5人の確かな思いがアンプとなって音を増幅させ、聴いている人間の心を、魂を強く揺さぶる……そんな“音”が、彼女達の唯一無二の武器だった。

 心地よい重みを持ちながらも、駆け抜ける様なイントロが終わり、マイクの前に立つ蘭が歌い始めた。

 蘭の歌声は、彼女の“(うま)”さを感じさせる。声楽的技量はプロに比べればやはり劣っている箇所があるものの、彼女は“感情を歌声に乗せる”事に関しては、遺憾無く才能の輝きを発揮している。Aメロ、Bメロはそんな蘭の歌声を殺さぬよう、荒々しいイントロに対してやや抑えめかつ丁寧に演奏されている。そしてその2つで作った流れが、サビが訪れた瞬間に身を結び、再び彼女達の“音”が炸裂した。

 目を瞑れば、容易に思い浮かぶ。

 夕暮れの屋上で、橙色の光に照らされながら、等身大の思いを掻き(叩き)鳴らし、叫ぶ5人の姿が。

 

 

 

 ──才能がある訳じゃない。

 

 まだまだ荒削りで、原石にも満たない稚拙な“音”かもしれない。

 

 ──だからどうした。

 

 他の誰にも邪魔させない、わたしが、わたし達が進む未来は、わたし達だけのモノだ。

 

 

 

 

 そんな蘭の、皆の思いが声になって、“音”に溶ける。彼女達の原点にして信念、そんなこの曲の名は。

 

 

 

 

 ──『That Is How I Roll(これが、私達のやり方だ) !』。

 

 

 

 

 曲が終わり、やり切った表情のまま肩で息をする彼女達に俺が出来ることは。

 

 唯々、賞賛の拍手を送る事だけだった。




名曲ですね。ひまり可愛いしやっぱAfterglowは最高です。

新たに高評価を下さった、

RILMさん、邪竜さん

本当にありがとうございます!評価文も含め、本当に支えになっています。

感想やお気に入りや評価等、目に見える形で皆様が応援をくれるので作者も頑張れます。

次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

凡人の“才能”


“宝の持ち腐れ”

そんな言葉に悩むお話です。


 

 

4話 凡人の“才能”

 

 

「今の、結構良かったんじゃない!?」

「ああ。ここ最近でも、一番の出来だった」

 

 息の荒いまま、喜びを露わにメンバーに問いかけたひまりに答えたのは、同じく息を荒くした巴だった。モカとつぐみも同様で、返事こそしなかったものの笑顔を浮かべている。様子が違っているのは蘭だけで、彼女は肩で息をしながら天を仰いでいた。やがて呼吸が落ち着くと、蘭は俺を見て真っ直ぐな視線で俺を射抜く。

 

「……ハル、評価」

 

 単語だけで綴られた、端的にも程があるその言葉に苦笑いを浮かべつつ、俺は問いに答えた。

 

「甘口、中辛、辛口。どれがお望み?」

「あまk」

「辛口。はやく」

「ひえぇ……」

 

 甘口を望んだひまりよりも早く、蘭が辛口を被せる。ひまりは良くも悪くも素直、キツイ評価に耐えられる自信がないのだろう。しかし周りのメンバーも辛口評価に異論はないようで、先程の浮かれた表情から一転、蘭同様真剣な眼差しで俺を見ている。俺なんかの意見が、果たして参考になるのだろうか。ふと卑屈に構えそうになる心に嫌気が指したが、彼女達の期待を裏切るわけにはいかない。俺は意を決して口を開いた。

 

「……総評65点、ってとこかな」

「65……」

「低くもないけど高くもない、って感じだねー」

 

 口調こそ普段と変わらないものの、モカを含め皆の表情に落胆の陰が刺す。先程自分達なりに良い演奏が出来た風なニュアンスの自評をしていたからまぁ仕方のない事だろう……いや、本当に俺みたいな素人の評価を真に受ける必要なんてないと思うんだが。

 

「まずひまり。ベースのチューニング、テキトーにやっただろ」

「えっ!?いや、そんなつもりは……」

「ギターと違って単音だから、音のズレがより際立つぞ?G()が半音とまではいかなくても僅かに高い。E()は明らかに半音低かった。ちゃんとチューナー使った?」

「使った……けど、途中から感覚で……」

「ひまりはずっとベースに触ってるから、確かに素人よりベースの音には敏感なはずだ。でも感覚でやり続けて、半音ズレた音が自分の中の正解で定まってしまったらどうなると思う?そこを基準に、他の音がズレ出したりしたら目も当てられないだろ?感覚に頼りたいのはわかる。でもどれだけ譜面通りに弾けても、根本的に楽器から鳴る音が違かったらどうしようもない。5人の音で“音”を作るんだ、音の調整は念入りにな」

「は、はいぃ……」

「でた!久々に見たな、陽奈の“超音感”!」

「さっすがハルちんだねー」

「……だから、そんな大層なものじゃないっていつも言ってるだろ?」

 

 “絶対音感”、という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 簡単に言うと、ある音を聞いた時、その高さを記憶を元に絶対的に把握する力の総称である。例えば今の事例を見れば、ひまりのベースの音を聞き、その音程と俺の記憶の中の音に相違を感じ、俺はひまりのチューニングミスに気づいた。この場面だけ見ると、俺は“絶対音感を持っている”と言えるのかもしれない。

 しかし俺のこれは、決して“絶対音感”ではない。5人の様々な音が縦横無尽に響き渡る状況で、確実に音を把握するなんていう芸当、俺には出来ない。そんなザマで絶対音感を名乗るなんてこと、絶対音感さんに失礼だ。

 今のだって、唯一譜面を見たことがあったひまりのベースに焦点(フォーカス)を当て、ベースの音だけに耳を傾け続けていたからこそ、あそこまで正確に音の違いを認識することが出来たのだ。他の皆の音を聞いたところで、俺の感覚では『あれ?なんか違くね?』程度の疑問を持つことしかできない。しかし俺は、もう1つの“音感”を用いて、他のメンバーの音の間違いも見抜くことが出来る為、5人から“超音感”などという大袈裟な呼び方をされている(蘭はそんな呼び方はしないが、俺の音感の高さを認めてはいる)。

 

 そのもう1つの音感の名が、“相対音感”。こちらは絶対音感と違って、あまり知名度は高くないのではなかろうか。この相対音感、実は誰もが持っている音感なのである。その定義は、基準となる音に対して相対的に音の高さを識別する力。こう書くと分かりにくいが、要するに音楽が綺麗とか、良い歌だとかを感じる力というわけだ。俺はその能力が、人より若干優れているだけ。

 ハモる、という言葉があるが、これは2つ以上な音の重なりが綺麗に聞こえる、という現象だ。そしてそのハモりが綺麗に聞こえるために必要な力が相対音感。俺はそこから更に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これ以上語ると専門的な話が必要になるので省くが、つまり5つの音が鳴り響く状況でも俺は、“ハモるはずの状況で、ハモっていない”という現象が起きれば、誰かが音を間違えていることがわかる、というわけだ。最もメロディーは例外を除いてハモり続けるはずなので、『あれ?なんか違くね?』と思ったら誰かが音を外しているわけだが。

 じゃあ誰が外しているの?という疑問を解消する為、俺が用いるのが先述の絶対音感モドキ。基準となる音に対して、ズレた音を出している人物が犯人(ホシ)ってわけだ。

 『あれ?なんか違くね?』というふわふわした疑問を元に、中途半端な絶対音感と、中途半端な相対音感、この2つを器用に用いて、ようやっと音の違いを探り出すのが、彼女らが崇める“超音感”とやらの正体だ。

 ……な?大層なものじゃないだろ?

 

「……大したものじゃないって言っても、演奏してる私達にも、そんな細かな音の違いなんてわからないよ?」

「俺は今、聞くことに集中してたからな。それに相対音感は経験で磨けるし、何なら絶対音感は努力で身につけることが出来る」

「えっ!?そうなのか?」

 

 絶対音感、と聞くと限られた人間に与えられる先天的才能、という風に感じるかもしれないが何て事はない、絶対音感は努力と研鑽で身につけることの出来る立派な後天的技能である。勿論生まれながらに持っている人だっているが、絶対音感で名を馳せる有名な音楽家たちも、後天的に身につけた人物が殆どである。

 

「どうやって!?どうやってやるの!?」

「落ち着けつぐみ……需要があるならまた今度教えてやるから。それにコレはあったら便利程度のもので、君達が舞い上がるほど凄いものじゃないんだ」

「……アタシ達からすれば十分凄いものだし、もう少し誇ってもいいと思うんだけどな」

「ハルちん、ホントに自分に自信ないよねー」

 

 ……自信なんて持てるはずもない。

 “コレ”があったところで、何の役に立つ?将来音楽を職にして行くわけでもない、ただの凡人の俺にこんな()()()()特技擬きがあっても何の意味もないじゃないか。

 彼女達の言葉に、内心で毒づく。しかしそれを口に出しても何の意味も為さない。芽生え始めた卑屈な思いを心の端に追いやり、俺は意識を切り替えて口を開いた。

 

「……次は巴だな。巴は──」

 

 そうして俺は一人一人に気づいた点を次々と口にしていく。その時全員が全員俺を音楽の先生を見るような目をしていたことは、本当に居心地が悪かった。

 

「……最後に全体としてだけど。音圧は天晴の一言。申し分ない迫力だ、自信を持って武器にして良いと思う。ただそれを差し引いても細かなミスが多すぎる。もっと巴のドラムとひまりのベースを聞いて、全員でリズムを整えること。逆に巴とひまりは、絶対にリズムをズラしちゃ駄目だ。あと、一曲を全身全霊でやり遂げる君達の姿は、見ていて心を打たれる。でも審査員の目に、それはどう映るだろうか。一曲に懸ける思いを賞賛するか、たかが一曲でこのザマかと酷評するか……こればかりは俺にもわからないから、みんなで考えて見て欲しい」

 

 言いたいことは、粗方言い終えた。

 皆は厳しい顔つきで、自らの課題や、バンドとしての課題、これからの練習方向について考えている。

 

「……最後に1つだけ。酷い事沢山言ったけど。

 

──俺は君達の“音”が好きだ。『Afterglow』の1人のファンとして、ずっと君達の演奏を聴いていたい。心からそう思う。自分達の原点を忘れないで、君達らしく歌い続けて欲しい」

 

 俺の言葉に、先程まで厳しい顔つきをしていたメンバーが笑顔に変わった。演奏中の、鬼気迫るような表情で自分達の思いを乗せる君達も好きだけど、やっぱり君達には笑顔が似合う。柄にもなく、そんな事を思った。

 





朝起きたらUAとお気に入りの伸びにびっくりしました。
どうやらランキングの方に乗っていたようで。本当にありがとうございます!

新たに高評価を下さった、

オリオールさん、T.さん、希ーさん、徐公明さん

ありがとうございます!これからも応援よろしくお願いします。

次回も早ければ今晩投稿しますので、よろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

渦中の花


Himari is GOD.

But,GOD isn't Himari.

Because, Himari is Venus.


5話 渦中の花

 

「……よし、じゃあ今日の練習はここまで!」

 

 ひまりの声で、メンバーの張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。あれから彼女達は俺からの指摘が多かった箇所や、自分の自信のない箇所を重点的に練習し、それが一通り終わった所で部屋の時間が尽きた。非常に密度の濃い練習だった。2時間程の練習の中で、休憩を挟んだのはほんの僅か。それも外から俺が言い出さなければ彼女達は2時間ぶっ続けでやり抜いていたことだろう。それほど練習に集中していた、ということだ。

 

「…………」

「モカちゃん、そのスタンドそっちじゃないよ」

「え?あー、ごめんごめん。ありがと、つぐー」

 

 その反動か、メンバーの皆は疲労の色が濃い。特にモカなんかは気を抜いたら眠ってしまいそうなほどだ。

 

「しかし、陽奈が来ると練習が捗るなー」

「うんうん!あっという間に練習終わっちゃった!」

「やっぱり私達だけじゃ気付けなかった場所も多いから、本当に助かるよ」

 

 巴とひまり、そしてつぐみが俺を見ながら笑顔で話している。所詮素人の意見だが、俺なんかのアドバイスでも彼女達の力になることが出来ているのだろうか。

 

「……ハル」

「ん、何?蘭」

「今日はありがと。本当に助かった。わたしも自分では耳が“良い”方だと思ってるけど、やっぱりあなたには到底敵わない」

「大したことしてないよ。邪魔になってないなら良かった」

「……良かったらだけど、学校練は無理でも、スタジオ練だけで良いから、ハルの都合がつく範囲で練習を見に来て欲しい」

「……!」

 

 驚いた。あの蘭がこんなお願いをしてくるなんて。何か裏があるのだろうか……なんて事を考えてしまう。

 

「……いいのか、俺なんかで」

「寧ろ、ハルが見てくれることに意味がある」

「俺が見ることに……?」

「わたし達は、ハルが見てくれるから頑張れる。わたし達の事を思ってくれてるハルの言葉なら、無条件に信じられる。だからお願い、ハル。

 

 

───わたしに、力を貸して」

 

 

「蘭……」

 

 普段から表情の変化が小さく、感情が読みづらい蘭。その言葉の真意は、顔馴染み程度の俺では殊更見抜くことができない。しかし俺を見据える、燃えるような真紅の眼に秘められた、このバンドに賭ける熱い情熱は、流石の俺でも感じ取ることができた。

 俺如きに、何ができる。

 その思いは、今でも消えない。だがここまで俺に信頼を向けてくれる蘭の思いを、俺には無理だと一蹴することはどうしてもできなかった。

 

「……わかった。俺で良ければ幾らでも練習見に行くよ」

「ありがと。嬉しい」

「だったらもっと嬉しそうな顔しろよな?」

「…………ごめん」

「冗談だよ」

 

 ばつの悪そうに目を逸らした蘭を見て、俺は笑う。そして皆の片付けを手伝おうと蘭の前から去った。

 

 

 

 

 

 

 

「わたしにとっては──最後の機会(チャンス)かもしれないから」

 

 

 

 

 

 

 蘭の呟きには、気付かぬままに。

 

 

 

 

 それから俺たちは各々帰路へと着いた。

 モカは行きつけのパン屋……やまぶきベーカリーだっけか、に寄ってから帰るらしい。つぐみもそれに着いて行った。

 蘭は俺たちと帰る予定だったが、途中誰かから電話が掛かってきて、『先に帰ってて』と言われた為、蘭とも別行動。

 ということで俺はひまりと、家の方面がある程度似通った巴の3人で帰宅している。

 

「陽奈、高校での生活はどうだ?」

「んー……まぁ、中学とあまり変わらないよ。でも友達は出来た」

「そうか……また先生に名前を間違えられたり、とかか?」

「もうこれに関してはお家芸みたいな所あるから、イライラしながらも自虐していくしかないね」

「ははは!随分前向きに捉えるようになったじゃないか!」

 

 冗談交じりに肩を竦めながら笑ってみせた俺を見て、巴も快活に笑い声をあげる。

 実は、というほどでもないが、俺はひまりの幼馴染4人組の中で、順位をつけるのもよくないとは思うけれども巴と1番仲が良い。

 4人の中で唯一同じクラスになったことがあるのが巴であり、彼女の気さくな接し方は俺にとって好感のもてるものだった。適度な距離感、というのだろうか、近すぎず、遠すぎない。そんな距離を保って付き合いを続けてきた彼女は、もしかして友達と言ってもいいのかもしれない……本人はどう思っているかはわからないが。

 俺が自分の名前を気にしていることをわかっていながら、それには触れない。至って普通の男子として俺に接してくれる巴の態度が、本当にありがたかった。

 

「久し振りに君達の演奏聴いたけど、想像以上に上手くなっててびっくりしたよ」

「その割には随分ボロボロに言ってくれたじゃないか?」

「辛口評価しろ、って言ったのは君達だろ?色々言ってしまったけど、俺は君達が下手なんて思ってないんだ、本当に。心から君達の“音”を堪能してたよ。ひまりには、感謝しなくちゃな」

「えぇっ!?わ、私?」

 

 (珍しく)空気を読んで俺と巴の話を聞いていたひまりが、急遽自分に話題が向いたことに驚きの声を上げる。

 

「今日は誘ってくれてありがとう。本当に良い“音”を聞かせてもらった」

「いやいや!私達も、ハルちゃんが来てくれて嬉しかったよ!ね、巴?」

「あぁ。久し振りに会えて良かったよ。にしても……陽奈の言う“音”って、アタシ達の思ってる音とはやっぱり違うモノなのか?」

「んー……感覚的な問題だから何とも言えないな。でもまぁ俺は綺麗な“音”が好きなんだ」

 

 音と“音”。俺が言う“音”とは、音と音が重なり合って奏でられる“音”のことだ。

 1つじゃ成り立たない、様々な音が重なって作られる、1つ間違えれば騒音になってしまいかねないそれが、俺にはとても心地よく感じられた。

 先程の演奏だってそう。ギターが、ベースが、ドラムが、キーボードが……それぞれが奏でる、全く違う性質を備えた音達が、1つになって重なる。そしてそれに、彼女達の思いを乗せた声という音が溶けて、最高の“音”と化す。そんな“音”を聴くことが、なによりも好きだった。

 

「ハルちゃん、ピアノやってた時からそれ言ってたよねー」

「え、陽奈、お前ピアノやってたのか!?」

「あー……うん、まぁ」

 

 流石安定のひまり節。俺の言って欲しくないことを簡単に言ってのける。そこに痺れもしないし憧れもしないが、驚いた様子の巴の声かけに反応した俺の言葉は、酷く曖昧なものになってしまった。それを補うべく、俺は言葉を続ける。

 

「小2から中2くらいまでかな。あんまり覚えてないんだけど、親に頼み込んで自分から始めたいって言ったらしい」

「ハルちゃん凄く上手で、コンクールでも何かしらの形で絶対名前を呼ばれてたんだから!」

「へぇ!凄いじゃないか!なるほど、陽奈の“超音感”のルーツはそこか」

「だから……あれはそんな大層なもんじゃないんだってば」

 

 褒め称える2人の言葉が、どうにもこそばゆい。

 

「なぁ、どうして辞めちゃったんだ?」

「…………」

 

 巴のその問いには、今度こそ閉口するしかなかった。まぁ浮かんで当然の疑問だろうな。

 辞めた理由を聞かれるのは、正直好きじゃない。だが相手が巴だったからだろうか、不思議と言おうという気持ちになれた。そして俺は、意を決して口を開く。

 

 

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「っ……」

 

 笑顔を作ったつもりだったが、どうやら失敗したらしい。巴の表情に明らかに影が刺した。

 

「……申し訳ない。言いにくいことを言わせてしまった」

「良いよ全然気にしなくて。巴に悪気あったわけじゃないの、わかってるし」

 

 巴のこういう所が、好感のもてる所なんだ。

 普段は俺の内面を全然気にしていない素振りを見せるくせに、咄嗟の場面で俺を心配してくれていることがわかるような反応を見せる。正に適切な距離感。巴のそんな配慮に、俺の心は救われていた。

 

「……でもやっぱり、私はハルちゃんがピアノ弾いてる所もう一回見てみたいなぁ」

「おいひまりっ……!」

 

 ひまりの呟きに、巴が焦った様子を見せる。その呟きは確かに俺の心にチクリと小さな痛みを及ぼした。

 

 

「──だってハルちゃんがピアノ弾いてる所、すっごく()()()()()んだもん!」

 

 

「っ───!」

 

 

 狙ってか、狙わずしてか。ひまりなら恐らく後者だろうが、コイツはいつも言ってくる。心の何処かで、俺が欲している様な言葉を。俺の劣等感を、拭い去ってしまいそうになる言葉を。

 微かな痛みの中に、確かに宿る暖かな感情。

 笑みを浮かべそうになる程幸せに思えるそれを、それより大きく主張を始めた感情が、無理矢理押し殺す。

 

 

 

 ──どうせひまりの言葉は、考え無しだ

 

 ひまりの何の慮りもない言葉に、勝手に救われた気持ちになるなんて

 

 

そんなの、ただ俺が惨めなだけじゃないか

 

 

 

 

「……嫌だね、俺はもうピアノは弾かない」

「えぇ〜!お願い、一回だけ!一回だけでいいからもう一回弾いてよ」

「あー煩い煩い。今からコンビニでスイーツ買って帰ろうと思ったけど、やっぱそのまま家に帰ろうかな」

「なっ……や、約束したじゃんひどいよハルちゃん!」

「そんな事より、ひまり今から俺の家でベースの練習するから。あの場じゃ言い足りなかったことがまだまだ沢山あるんだ。それが終わるまで勿論スイーツなんて抜きだからな」

「えぇーーー!!!そんなーー!!」

「終わったらスイーツなんだぞ?それを楽しみに頑張ればいいじゃんか」

「あっ、本当だ!よーし頑張るぞー!」

「……単純かよ」

 

 驚いたり悲しんだり、叫んだり喜んだり。

 本当に、表情豊かなやつだ。成長したのは外見だけで、中身は初めて会った頃から何も変わっちゃいない。どこまでも正直な君は、やはり俺には眩しい存在だ。

 

 

 

 『そんな君のようになれたら』という憧れと

 

 『そんな君が羨ましい』という嫉妬

 

 

 

 2つの思いが入り混じって、ぐちゃぐちゃになってしまった俺の感情に、まだ名前は付かない。

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

 ──陽奈も報われないな。

 

 巴は言い合いながら歩く陽奈とひまり、2人の姿を見ながら心中で呟いた。自分どころか、街行く無関係の人々から見ても、2人の仲の良さは感じられるだろう。それ程、2人の距離は──物理的には勿論、心理的に──近い。自分達4人もひまりと幼馴染だが、ひまりだけとの関係性に絞れば、自分とひまりの関係は、陽奈とひまりの関係には遠く及ばないと巴は感じている。

 

 初めて陽奈に出会ったのは、中学一年の時だった。

 

 それまでも、ひまりに仲のいい男子の友人がいる事は知っていたものの、その時になるまで実際に会ったことはなかった。だが実際にひまりに紹介されて彼と邂逅し、巴が抱いた陽奈への第一印象は──

 

 ──なんて憂いた眼をしているんだ。

 

 これに尽きる。彼の背景を知らない巴からすれば、見るからに捻くれているこんな少年とひまりが友人以上の関係だということが俄かには信じられなかった。第一印象は最悪、しかしそんな印象は、彼が最初に放った一言で一気にひっくり返ることとなる。

 

『──ひまりがお世話になってます。いつも本当にありがとう』

 

 捻くれた見た目からは想像もつかない、優しい笑顔と共に放たれた、心からの感謝の言葉。声色から感じる優しさに、嘘や方便は欠片も感じられなかった。それ以上に籠る、ひまりへの情愛と慈しみ。それを感じた時、巴は思った。

 

 ──あぁ、彼は心から、ひまりのことが大切なんだ。

 

 それがわかれば、見た目など関係ない。

 幼馴染の大切な友人だ、一瞬でも疑った自分が馬鹿だった。それから年月が経った今でも、彼の印象は変わらない。

 巴は知っている──陽奈は、ひまりにだけ自分達より厳しく、ひまりにだけ自分達より優しい。それは信頼と愛情の裏返しだと、第三者の巴から見てもわかる。

 恋愛感情を抱いているのかまではわからないが、少なからず意識しているのは間違いないと言えるだろう。何時からかはわからない。だが少なからず、自分と初めて会ったあの時には既に、そうだったのではないか。それならば、あの時彼から感じた思いにも、説明がつく。しかしそれを確かめる術を、巴は持たない。

 劣等感の鎧でガチガチに自分の心を塞ぎ切っている彼に、一体なんと声をかければいいのか。

 

『──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先程の彼の言葉が、脳裏に焼き付いて剥がれない。自分を慮ってくれたのだろう、陽奈は笑顔を見せたものの、それは巴にもわかる程乾いたものだった。

 己の失言を悟り、巴は激しく後悔する。少し考えれば、直ぐに答えにたどり着けたはずなのに。陽奈は、自分の名前を酷く嫌っている。彼はこの名前が原因で長い間からかいを受けてきたらしい。そして彼はその劣等感を拗らせ、自分の全てを否定する様になってしまった。

 

 もし。彼が自分のコンプレックスが原因で、ひまりへの思いを断ち切ってしまっているのなら。何とかしてあげたい、そう思ってしまう。陽奈はとにかく自尊感情が低い。大なり小なり自分の嫌いな所があり、認められないのが人間という生物だとしても、陽奈のそれは度が過ぎている。彼が自分自身に備わった“優しさ”を少しでも認めることが出来たなら、彼はひまりに向かっての最後の一歩を踏み出すことができるのではないか。

 

 

 逆に、ひまりは陽奈をどう思っているのか。

 

 

 これには、確信がある。

 何年も見てきた、ひまりが陽奈のことを話す時の嬉しそうな表情。ひまりが想い出を語る時、そこには必ず陽奈の名前が出てくる。ひまりが陽奈をどう思っているかなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

 

 

 ひまりにとっての陽奈は──大切な存在である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──()()()()、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで家族のように大切、ずっと一緒に過ごしてきて、それが当たり前。故に起こってしまった、成長の過程で得る、人間として異性に在って然るべき筈の感情の欠如。

 

 ひまりにとって陽奈は──()()()()()()()()

 

 だから、陽奈には恋愛感情を抱けない。異性としての目線を向けることは出来ない。何故なら、家族同然の存在だから。家族を恋愛対象として見ることは、決して出来ないことだから。そう思い続けてきた時間が、余りにも長過ぎる。

 

 

『──だってハルちゃんがピアノ弾いてる所、すっごく()()()()()んだもん!』

 

 

 陽奈の心の傷を、癒してくれるような言葉を、ひまりはいつも口にする。本人からすれば、そんな事には全く気づいていないのだろうが。ひまりは、ピアノを弾く陽奈を()()()()()ではなく、ピアノを引く陽奈が()()()()()あんなことを言ったのだ。これが陽奈の為を思って告げられた言葉なら、きっと彼はそれを受け入れることが出来る。しかし陽奈は、ひまりがそんな事を微塵も考えていないことを知っているのだ。故にその薬を、治療を、彼の歪んだ価値観が頑なに拒み続ける。

 

 ひまりにとって、陽奈は家族同然の存在。今更その認識を変えることが果たしてひまりに出来るのか。

 しかし、何らかのきっかけで変えることができたなら。ひまりの陽奈への想いが、恋愛感情へと擦り変わる時が来たなら。それはきっと、2人にとって幸せな道への第一歩となり得るはずだ。

 

 

 

 ここで、問いは繰り返される。

 

 もし陽菜は、()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──なんて残酷なんだろう。

 

 その恋は、今のままではきっと叶わない。

 

『陽奈なら、きっとひまりを幸せに出来る』。そう言うだけなら、簡単だ。だが陽奈の強すぎる劣等感が、決してそれを認めようとしない。そしてひまりの認識もそれを許さないのだ。これじゃ余りにも、報われなさすぎる。

 

 2人はこんなにも互いを思い合っているのに。

 様々な要因が2人の恋路を阻む。

 これが運命だというのなら、酷が過ぎる。

 

 

 陽奈にとって、ひまりへの思いを殺し続けることが“正解”だなんて

 

 

 そんなの悲し過ぎるじゃないか──

 

 

 

 当人ではない巴ですら、苦痛に顔が歪む。

 様々な仮説の上に成り立つ予測ではあるものの、多少の差異はあれど客観的に見て概ね間違っていないだろうという確信はあった。

 巴にとって、陽奈もひまりも大切な存在だ。だからこそ、2人の幸せを願ってやまない。

 今の現状を打破する様な切っ掛けを、巴は只々望んでいた。

 

 

 

 

 





陽奈のひまりへの思いと、第三者の巴から見た互いの思いでした。

ランキング13位ってまじですか?
みなさん本当にありがとうございます!

次回はひまりの独白回です。よろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

“introduction”は鳴り終えて──。


ひまりはヒロインであり、

もう1人の主人公でもあります。

そんな彼女が綴る、もう1つの第1話。


 

 

6話 “introduction”は鳴り終えて──。

 

 

 ──ハルちゃんはとても大切な存在です。

 

 私…上原ひまりは自信を持ってそう言える。

 幼い頃から、ずっと側に居てくれて、何をするにも2人で一緒。それが当たり前だったハルちゃん(宮代陽奈)。今までもそうで、これからもきっとそう。根拠なんてないけど、私はずっとそう思ってる。まるで家族みたいにかけがえのない存在が、私の中のハルちゃんの立ち位置。

 

 ハルちゃんは、昔から女みたいだってからかわれてた。艶のある綺麗な黒髪、中性的な顔立ち、同年代と比較しても線の細い体……極めつけは陽奈という名前。私達の同級生にも、女の子の“晴菜(はるな)ちゃんが居た事も相まって、からかわれてしまうのは最早当たり前だと言えるレベル。

 

 そしてハルちゃんはそれに屈する事もなく、かといって反抗する事もせず。

 

 

 ──それを()()()()()()()()と、受け入れてしまった。

 

 

 小学生にあるまじき、ある種達観した考え。

 そしてそのストレスは積み重なり続け、今の異常な自己嫌悪へと直結した。自分の名前を嫌い、自分の容姿(みてくれ)を嫌い──自分の全てを、嫌う様になってしまった。あんなに楽しそうにしていたピアノを、棄ててしまう程に。私はそれが、凄く悲しい。

 

 私はそんなに気にしなくてもいいのにな、って思う。だってハルちゃんは、それ以上に良いところがたくさんあるのを、私は知ってるから。

 

 私が泣けば誰よりも早く駆けつけて、『どうしたの?』と聞いてくれるハルちゃん。

 私の話を、いつも笑顔で聞いてくれるハルちゃん。

 私がバンドを始めた時、心から応援してくれたハルちゃん。

 私と喧嘩しても、仲直りするまでずっと側から離れないハルちゃん。

 私がワガママを言っても、なんだかんだ許してくれるハルちゃん。

 

 いつも私の味方で居てくれて、いつも私を支えてくれるハルちゃん。

 

 ──そんなハルちゃんのことが、私は大好き。

 

 優しいところが、一緒にいてくれるところが、私の話を笑って聞いてくれるところが、ワガママを聞いてくれるところが。

 

 ──ハルちゃんの全部が、私は大好き。

 

 女の子っぽくてもいい、無理して男らしく居ようとしなくていい。そんなことしなくたって、ありのままのハルちゃんが、私は大好きなんだから。

 

 

 

 

 

 ──でも

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 私にはわからない。ハルちゃんに抱えているこの気持ちが、1人の男性として向けているものなのか。そうだと言われればそんな気がするし、家族と同じだと言われればそんな気もする。答えを出すには、私達は一緒に過ごしすぎたんだ。

 

 でも、それでも。

 

 ハルちゃんを助けたい、っていう気持ちは、本物なの。

 

 ハルちゃんが自分を好きになれるように、何とかしてあげたい。

 

 

──『だってハルちゃんがピアノ弾いてる所、すっごく()()()()()んだもん!』──

 

 

 この言葉に、嘘はない。ピアノを弾くハルちゃんは、誰がなんと言おうとカッコよかった。私はよく口にしてから後悔することが多い。周りからは『空気が読めない』と言われてしまうこともあるし、現にコレもハルちゃんや巴には、いつもの考え無しだって思われちゃったに違いない。

 

 

 

 でも違う、そうじゃない

 

 例えこの気持ちに名前が付けられなくても

 

 ハルちゃんを思うこの気持ちは、確かなものだから

 

 

 

 私が大好きなハルちゃんを、ハルちゃん自身にも、好きになって欲しいと願うのは、私のワガママなのかもしれない。でもハルちゃんが苦しんでいるなら、助けてあげたい。そう思ってしまうことは、許されないことなのかな。

 

 ──薄々、わかっている。

 

 ハルちゃんは、私の事が好きじゃない。

 

 昔ほど、一緒に居られることが、嬉しそうじゃなくなった。私の言葉に、困った顔をすることが多くなった。素っ気ない態度をとることが年々増えていった。

 でもハルちゃんは優しいから、それを私に悟られないように振舞っている。自分がとてつもなく大きな劣等感を心に抱えていることにも、私に関わらせない様にと、気づかれない様にと意識している。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()

 

 

 私と何年一緒にいると思ってるの?

 隠し通せるわけのない優しい嘘は、私とハルちゃんの間に、互いの心に触れ合うことを許さない一枚の壁を築き上げ、その優しさ故に私を傷つけている。そのことには、きっとハルちゃんは思い至っていない。

 

 

 ──だから私は、気づかないフリをする。

 

 

 ハルちゃんが望んだように、ハルちゃんの思いに気づかない道化を演じ切る。それがハルちゃんの優しい嘘に対する、私の答えだから。

 

 

 それでも、ハルちゃんと一緒に居られるなら。

 

 それでいい、それだけでいい。

 

 

 その嘘を暴くには──余りにも優しすぎるから

 

 

 これはそんな私と、優しすぎる彼の物語だ。

 

 






これにて序奏─introduction閉幕でございます。
陽奈がひまりに抱く思い、ひまりが陽奈に抱く思い、第三者の巴から見た、2人の関係性。それぞれの共通点や差異を感じていただければ幸いです。ただ1つ揺るがないのは、互いは互いにとってかけがえのない大切な存在だという点です。
描写不足に感じる部分は、後々の伏線となりますので、読者様方で今後の展開を想像していただければと思います。

新たに高評価をくださった、

ガマハスさん、生ナマコさん、Wオタクさん、チンパン㌠さん

本当にありがとうございます!連続投稿することができたのも、お気に入りや評価をくださった皆様のおかげです。本当にモチベーションに繋がっています。

連日投稿は一旦ここまでです。次章は少し時間を開けてから投稿します。
と言いましても、2.3日の話ですが笑

長くなりましたが、次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1奏─“いつも通り”の向こう側
2人の距離


新章開幕です。



 

7話 2人の距離

 

 

「ハルちゃーーーーん!!見て、これ!!」

「……休日の朝から元気だな、おはよ、ひまり」

「ハルちゃんがねぼすけなんだよ!おはよ!」

 

 元気の良すぎる爆弾が俺の部屋へと投下されたのは、土曜日の11:00(ヒトヒトマルマル)の事だった。無許可で部屋へと突撃してきたことには、最早触れない。前日は溜まっていたアニメの消化の為に朝方近くまで起きていたので、俺は見事にひまりに叩き起こされた。

 ひまりが俺の家に来た理由はわかっている。あの日の練習から月日は流れ、今日は『ガルジャム』の一次選考の結果発表日だ。

 『ガルジャム』は“girls band jam”の略称であり、文字通り全国のガールズバンドが集うイベントで、ガールズバンドの登竜門とも言われる。実際ここからメジャーになっていったガールズバンドも多く、より高みを目指すならば『ガルジャム』は避けては通れない道だ。

 

 そんな『ガルジャム』だが、今年から予選が一次と二次に分けられている。

 一次は動画審査。各バンドごとに一曲を専用のタグをつけて動画サイトに投稿し、そのURLを本部へとメールで送信するという形だ。ここから選ばれた30バンドが二次審査へと進出する。

 

 二次は実地審査。ここでようやく実際に審査員の前で演奏することになる。一次を突破したバンドから出場を勝ち取ることが出来るのは、僅かに12バンド。半数以上が出場を諦める事になる。一次の時点で、応募は数百に及ぶので、その中から厳選されたバンドでも、半分は苦汁を舐める事になるという事実に、実際に出場するわけでもない俺も驚いた。それ程までに狭き門なのだ、『ガルジャム』は。そしてその一次審査の結果発表が今日、というわけである。

 ……まぁ、部屋に入ってきたひまりの様子で、なんとなく結果の想像はつくが。

 

「で、結果はどうだったんだ?」

「じゃっじゃーん!『Afterglow』は、無事一次審査を突破しましたーー!!」

「おめでとう、良かったな」

「これもハルちゃんのおかげだよー!本当にありがとう!」

「痛てて……叩くな叩くな」

 

 喜びの行く先が、暴力となって俺に襲いかかってきた。両手をブンブンと振り回し、俺の肩をリズミカルに叩くひまり。興奮の余り力加減が上手くいっていない。戯れの域を遥かに超えて、普通に痛い。いや、痛いから本当に。マジで。

 興奮冷めやらぬといった様子のひまりの両手首を握りしめ、無理矢理殴打を止める。

 でもまぁ、この興奮も仕方のない事だろう。ひまり含め、彼女達は『ガルジャム』の舞台を目指してこれまで頑張ってきた。そのための第一歩が、今形となったのだ、興奮するなと言う方が酷だ。

 

「改めておめでとう。じゃあおやすみ」

「うん!おやすみなさい!……え?ちょっと!」

「わっ、何すんだよ」

 

 ひまりにお別れを告げて、布団に包まろうとしたのだが、無理矢理引き剥がされてしまった。

 

「まだ眠るつもりなの!?もうお昼だよ!?」

「今はまだ午前中、故にまだ朝だ。証明完了、Q.E.D。Are you OK(理解したか)?」

「するわけないでしょ!?もう!いいから起きてってばー!」

「やめろぉぉぉぉ、寝かせてくれえぇぇぇ」

 

 俺の足を持ってベッドから引き摺り下ろそうとするひまりに、俺はベッドの淵を掴んで全力で抵抗する。頼む、頼むからまだ寝かせてくれ。朝日が昇る時間に寝たんだ、まだまだ眠り足りない…。

 

「ハルちゃん約束したじゃん!私達が一次審査通ったら、私のお願い聞いてくれるって!」

「……したっけか、そんな約束」

「したよ!絶対!」

 

 ……しただろうか。

 記憶を掘り返してみるも思い当たることは……あ、そういえば。

 この前、夜『結果発表が緊張して眠れない』とひまりが家に押しかけてきたことがあったな。その時俺はもう既に眠りについていて、半覚醒の状態のまま寝ぼけてそんなニュアンスのことを言って追い返した……気がする。

 うーん、約束を守らないのは良くないけど、よりにもよって今日か……。

 

「……覚えてないな、そんなこと」

「…………“そんなこと”?」

「え」

 

 覚えてないふりをして誤魔化そうとした途端、長年に渡って磨かれた俺のひまりセンサーが警報を鳴らす。今の口調は、ヤバイ。何度も聞いてきたコレは、俺がひまりの心の地雷を思い切り踏み抜いた時のものだ。

 

「ふーん」

 

 現にひまりは目を細めて、睨むような視線を俺に向けている。冷や汗が額を伝い、心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。

 

 

「ハルちゃんは、私との約束を無かったことにするんだ」

 

 

「い、いや、そんなつもりは」

「私との約束は、ハルちゃんにとって“そんなこと”程度のものだったんだね」

 

 

 ほ、本格的に不味い。なんとかしないと、ひまりが本気でキレる。そうなってしまったひまりがどうなるのかは、嫌という程経験してきた。

 た、対抗策、対抗策を!

 

「じょ、冗談だよ冗談!ほら、なんでも言ってみな?」

 

 ベッドから跳ね起き、ひまりの手を握りながら俺は全力でひまりの機嫌取りに走る。

 ひまりは一瞬驚いた顔をしていたものの、直ぐに先程の無愛想な表情に戻ってしまった。

 

「……無理しなくてもいいよ」

「大丈夫だって!無理なんてしてないから、な?な??」

「必死過ぎてバレバレだよ?ハルちゃん」

「うっ……」

 

 ジト目で俺を見つめるひまりに、何も言い返すことができない。しかし先程よりも、幾許か機嫌が良くなったように思える。

 

「はぁ……ごめんなさいは?」

「ごめんなさい」

 

 即答。恥も外聞もない。プライドの全てを捨て去り、三つ指をついて謝罪した。

 

「……まぁ、本気で謝ってるみたいだし、許してあげるよ」

「ほっ……」

「そのかわり!ちゃんと私のお願い聞いてね!」

「あ、当たり前じゃないか」

 

 機嫌を取り戻したひまりに安堵したのも一瞬、次はひまりの“お願い”とやらへの緊張が走る。いったいどんな理不尽をお願いされるんだ……?

 

「買い物」

「へ?」

 

 

 

「──買い物に行こう!ハルちゃん!」

 

 

 

 

 

 

「……ここって、楽器屋か」

「そうそう!ハルちゃんにもついてきてもらおうと思って!」

 

 あれから『支度してくる!15分後に戻ってくるから急いで準備してね!』と言い残し嵐のように去っていったひまり。遅れると次こそ取り返しがつかなくなる為、超特急で用意を済ませると、家の外にはもう既にひまりが待っていた。ベースを抱えてきたから何をするつもりなんだろうと思っていたが、成る程ここなら納得だ。

 

「ベースのメンテ?」

「うん!メンテナンスだけは欠かすなってハルちゃんの遺言、ちゃんと守ってるから」

「勝手に殺すな。生きとるわ」

 

 両手を合わせて空を拝み出したひまりの頭を軽く小突く。

 

「家でもメンテはしてるんだろ?どこか調子悪いのか?」

「んーん。家でも自分で出来る範囲はやってるんだけど、やっぱり本番前の願掛けも兼ねて一回専門家に診てもらおうかなーって……」

 

 そう言いながらひまりが、ケースからベースを取り出して俺に見せてきた。

 確かに本体には傷や埃1つ付いてない。ネックの反りや、弦の磨耗はしょうがないこととしても、この綺麗さはひまりが本当にこのベースを大切にしている証だった。

 

「……ちゃんと綺麗にしてるんだな」

「当たり前だよ!遺言通りにね!」

「だから死んでねぇって」

「あはは!でもハルちゃんホントにずっーーっと私に言ってたよねー。『手入れしないと、“音”が汚くなるからしっかりやれ』って。さすが“音フェチ”のハルちゃんだね!」

「音フェチ言うな。ん……?それ」

「あ、覚えてる?」

 

 ひまりのボケにツッコミを入れながらも、ひまりの指先が、何かを握っているのに気づいた。

 

「……まだ持ってたのかよ」

「当たり前じゃん!ハルちゃんが私にくれたピック!ボロボロだけど、御守りとしてずっと持ってるんだよ?」

 

 ひまりがベースを始めると決めた時、俺が彼女にあげたプレゼントが、ピック。指引きの方がゆくゆくは表現の幅が増えるということはわかっていたが、ひまりは女の子だ。指に怪我でもしたら……とかいう、今思えば過保護にも程がある感情の元渡したそれを、ひまりはえらく気に入ってくれていて。それを見た途端、俺は“あの日”のことを思い出していた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

『ハルちゃんは、私がバンドするとしたら何をして欲しい?』

 

 

 

 中学2年のある日。ひまりが俺に問いかけてきた。何を言ってるんだコイツはと首を傾げたが、存外真面目に聞いているのが伝わったので、俺は。

 

 

『んー、バンドのことはわかんないけど、俺はベースが好きだよ』

 

 

 自分の好きな楽器を、ひまりへと伝えた。

 俺は数ある音の中で、ベースの音が群を抜いて好きだった。ベースの無い音楽は、途端に曲としての厚みを失う。厚みのない曲は、耳で聞いた時に迫力を失うのだ。

 ギター・キーボード・ドラム、そしてベース。曲を単純に2つの要素に分解した時、メロディとリズムに分けることが出来る。その中で、メロディを作るのがギター・キーボード・ベース。そしてリズムを作るのがドラムとベース。

 

 もうお分りいただけただろう。

 

 ベースが無ければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 メロディとリズムを、自身の重厚な音で支えるのがベース。しかし、決してベースはメインではない。CD音源では、特定のパートを除いてベースの音は意識しても聞こえるか聞こえないか、そのぐらいの音量で調節してある。それが俺のCD音源を嫌う理由でもあるのだが、その話はまたいずれ。

 

 

 だが、ベースは確かにそこに在る。

 

 例え聴衆が見ているのが、ボーカルやギターだったとしても。

 

 確かに曲を創っているのだ。

 

 

 そんなある種仕事人の様なベースが好きだったから、ひまりにもそんな感じのニュアンスで説明をしたのだが、一通り話を聞いた後。

 

 

『わかった!じゃあ私、ベース始めるよ!』

 

 

  即決でこんな事を言われた俺の気持ちが、わかるだろうか。ひまりが幼馴染とバンドを組むことにしたことは、この宣言の後に聞いたことである。それ自体は別段悪い事ではないと思うし、俺も心からそれを応援していた。問題はこの仕事人の様なベースを、ひまりに務めることができるのか、という点。

 

 

 

 ──断言しよう。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

 ひまりがベースを始めると聞いて、俺はベースの猛勉強を始めた。ひまりが心配だったからというのと、力になってやりたかったから。ひまりが本気で頑張りたいなら、その手伝いをしてあげたいと思ったから。

 

 しかしそんな俺の支えなど必要としないほど、ひまりはベーシストとしての素質を持っていた。

 

 純粋で素直な性格は、四六時中ベースへとのめり込む熱意へと変わり。

 俺のピアノを真似する内に柔軟になった指は、複雑なフレットを抑える足掛かりに繋がり。

 周りを支えることのできる無意識のリーダーシップは、曲の屋台骨を担う、確かな音へと還元され……という風に。ひまりの持ち得る力の全てが、ベースの才能に転遷されていた。

 

 まさに、音楽の神に愛されているのだろう。彼女は、ベースを持つべくして手にしたんだなと、否が応でも思わされた。

 天才の域までは行かなくても、間違いなく非凡である。俺が好きなベースにここまで真剣になってくれるひまりのことを、嬉しく思う反面。

 

 その異常な才能に、俺は────。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「私がハルちゃんから初めてもらったコレ、2ヶ月くらいでダメにしちゃったんだよねー。あの頃はガチャガチャ適当に弾きまくってたからすぐこんなになっちゃったし」

 

 話し出したひまりは、俺と同じ様に昔を懐かしんでいたのだろう。適当に弾いてた、のレベルが素人のそれじゃなかったことには、触れないでおく。

 

「私がコレを変えたがらなくて、ずっと使おうとしてたのをハルちゃんが止めてくれたんだよね」

 

 ひまりが俺に笑顔を向ける。だが俺は今、どんな顔でひまりを見ているんだろう。

 

「それからもう数え切れないくらいピックダメにしちゃったけど、どうしてもこれだけは捨てられなくて……実は、今でもたまに使っちゃうんだ」

 

 えへへ、っとひまりが舌を出す。

 俺のあげたピックを、こんなにも大切にしてくれていることは嬉しい。だがそれを、素直に喜べない俺の心の卑屈さに、吐き気がする。

 

 “努力する天才”という言葉がある。

 ひまりは地でそれをいく存在だ。

 天才に追いつく為には、努力するしかない。努力すれば、天才に追いつける。そんな言葉は慰めだと、見せつけられる気持ちだった。

 そりゃそうだろう。天才に追いつくために必死で努力する凡才と、努力することが楽しくて仕方ない天才。才能に胡座をかくことなく、努力をする天才に、凡才“如き”の努力で、果たして敵うのか。その差が努力で埋まるなんて、そんなものは詭弁だ。

 

 

 ──じゃあ、凡才(オレ)はどうすればいい。

 

 壁にぶつかった時に、自分の支えになる努力すら否定されてしまうのなら。

 

 そんな存在を間近で見せつけられた俺は。

 

 

 

 

 何を理由にピアノを続けていけば良かったんだ

 

 

 

 恐かった。怖かったんだ。

 ただでさえ女っぽいと馬鹿にされ続けてきて、心が折れかけていたピアノという趣味が、ひまりの圧倒的センスを前にして、恐怖へと変わってしまった。

 ひまりが本気でピアノを始めて仕舞えば、きっとあっという間に俺なんか抜いてしまうだろう。だからこそ俺は、ピアノを……音楽を辞めてしまった。

 

「じゃあ私、これ出してくるね!」

 

 そう言ったひまりは、ベースを戻して受付へと歩いていった。その後ろ姿を見送りながら、俺は再び思案に耽る。

 

 わかってるさ。こんなの、ただの嫉妬だ。

 ひまりがピアノを弾いていたわけでもない。楽器の種類も違うのに俺はひまりの才能に勝手に嫉妬して、限界を感じて、そんな身勝手な感情で、ピアノを棄てた。それでも、そうさせてしまうほどの存在が、あまりにも身近過ぎて。そんな風にひまりを見てしまう自分が、本当に嫌で。

 

 そんな自分が、嫌いだ、嫌いだ、死ぬほど嫌いだ。

 

 ──でも。

 

 そんな音楽を捨てた俺が、未だに音感なんていうちっぽけなモノに縋ってまでひまりを、『Afterglow』を支えていきたいと思っているのは。

 

 

 ──それでもひまりと、一緒に居たい。

 

 

 ひまりと、離れたくない。

 そんな身勝手な感情が、俺を突き動かす。

 そうでもしないと、俺はひまりと居ることが出来ない、ひまりには触れられない。無償で側に居たいだなんて言えないほど、彼女は眩しすぎるから。

 

 だから俺は、支えよう。

 隣ではなく、後ろで。眩しすぎる君だから、俺にはそれが丁度いい。どうかそれだけは、許してほしい。

 

 

「お待たせ!1時間くらいで終わるんだって!」

 

 そんなことを考えていると、ひまりが戻ってきた。再確認した自分の歪んだ思いを心の隅に押しやって、俺はひまりに向き直った。

 

「そっか。これからどうする?」

「んー、ちょっと見て回りたいものがあるから、少しだけ時間もらっていい?」

「いいよ。それがひまりの“お願い”、だろ?」

「えへへっ、ありがとう!ごめんね、少し待ってて!」

 

 手の平を縦に立て、笑顔で感謝を告げたひまりは、二階へと上がっていった。そんなひまりを見送った後、俺は店内を歩き始めた。目的は、あるものを探すため。

 目当ての物はすぐ見つかり、悩むこと数分。ひまりが帰ってこないうちに、さっさと買ってしまわなければ。

 

「すいません、コレ、プレゼントでお願いしたいんですけど───」

 

 

 

 

 

 

「あー!楽しかったー!」

「満足したか?ひまり」

「うんうん!大満足!今日はありがとうハルちゃん」

 

 あれから楽器を受け取った後、暫く辺りを見回ってから帰路に着いた。テンションの高いひまりに付き合っていたが、気づけば夕刻を大幅に過ぎていたことに気づく。しかし夏が近づいたこの時期、空にはまだ沈みかけた夕日が浮かんでいる。

 

「よーし、ベースも万全になったし、『ガルジャム』に向けて練習頑張らなきゃ!」

「やり過ぎも程々にな」

「わかってるわかってる!ハルちゃんも、私の練習に付き合ってくれるよね?」

「ひまりの俺への態度と貢物次第だな」

「えぇっ!?無償じゃないのぉ!?」

「はは、冗談だよ。次の日学校に行けないくらい厳しく扱いてやるから」

「それも嫌だよ〜〜!」

 

 頭を抱えて悩んだように声を上げるひまり。その様子がやはり可愛らしくて、俺は思わず笑ってしまう。そして俺は、ずっとポケットに入れっぱなしだった“ソレ”に触れた。

 今日楽器屋で買ったコレ──タイミングを掴み損ねていたが、今の空気なら渡せる気がする。

 

「ひまり」

「ん?なーに?ハルちゃん」

「えっと……」

 

 ……何を緊張してるんだか。呼びかけた後ひまりと目があったことで、言葉が詰まってしまった。別に大したことをするわけじゃないんだから、ここはサクッと男らしく──。

 

「……コレ、やるよ」

 

 が、駄目。模範解答の、『はいコレ、プレゼント』からは程遠い、ぶっきらぼうにも程がある言葉とともに、俺はポケットからソレを取り出してひまりの掌に乗せた。

 

「えっ……私に?」

「私に」

「プレゼント?」

「プレゼント」

「ハルちゃんから?」

「俺から」

 

 今起きた出来事を、ひまりが少しずつ噛み砕いていく。そしてそれを完全に理解した時。

 

「えぇーーー!!嬉しい、ありがとう!なんで?なんで!?」

「……『ガルジャム』突破おめでとう記念。と、これから頑張れよっていう願掛け」

「わーー本当に嬉しいよ!開けてもいい?」

「どーぞ」

 

 ワクワクが止まらないといった様子で、ひまりが封を開ける。そして中に入ったソレを、ひまりが手に取った。

 

「……!これって……」

 

 

「──()()()。前に俺があげたやつ、もうボロボロだから捨てとけよ。こっちで我慢しろ」

 

 

「うわぁ、ありがとう!!よーし、大切にボロボロにするぞー!」

「おい待て、何だその矛盾」

「大切に使って、大切にボロボロにするんだよ!ちなみに最初のやつも捨てないで墓場まで持ってくから!」

「何だそりゃ……って、結局ボロボロにすんのな」

 

 苦笑と共に呟く。

 大切にするからこそ、ボロボロにするまで使い倒す。実にひまりらしい回答だった。

 

「ねぇ、ハルちゃん」

「ん?」

「……私のベースは、好き?」

「……!」

 

 少し不安げに、ひまりは俺へと問いかける。

 目を合わせず、俯き気味なひまりの態度が、その不安さを如実に伝えてくる。

 

 本当に、嘘が下手だな。

 

 最早、微笑ましいよ。そして俺は、彼女へ告げる。俺の抱える、ひまりのベースへの思いを。

 

 

「──あぁ、好きだ。君のベースが、俺は大好きだよ」

 

 

 ああ、そうさ。どれだけ歪んだ感情を抱えて居たとしても、俺はひまりのベースが大好きなんだ。君がこんなにベースを頑張ってくれてる姿を見るのが、俺にとっての幸せなんだ。

 ひまりが目を見開き、喜びを隠しきれないように表情が笑顔へと変わっていく。そして彼女は、満面の笑みで、俺へと言葉を返した。

 

 

「──私も!私も、ハルちゃんが私に教えてくれたベースのこと、大好き!」

 

 

 そう。君の言葉は、いつも俺を救ってくれる。

 

 悔しいけど、嬉しくて。

 苦しいけど、幸せだから。

 

 

 俺はこれからも、君を近くで見ていたいんだ。

 

 

 

 感極まって飛びついてきたひまりを振り払いながら、俺は空を見る。

 そこには、薄紫に染まり始めた茜空と、俺たちを照らす橙色の夕陽の2つの色があった。

 

 

 ──その色はまるで、俺の心の中のようだった。




こんなにも皆様に読まれていること、本当に驚いています。
これからも頑張っていきますので応援よろしくお願いします!

新たに高評価をくださった、

柊椰さん、パスタにしようさん、けいちょ→さん

ありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

些細なコト


『Afterglow』と言えばやはりこのエピソードですね。

今回はそれのプロローグです。


 

 

8話 些細なコト

 

 

 『ガルジャム』二次選考まで、残り3週間を切った。メンバーも練習に熱が入り、彼女達のやる気を感じさせる。曲の完成度も上がり、細かいミスもあまり目立たなくなってきた。だが、まだ遠い。彼女達の目指す場所は、未だ手に掴めない。それが分かっているからこそ、彼女達は努力を重ねているのだ。

 

「……っと、もうこんな時間か。よし皆、そろそろ片付けだ」

「えっ、もうそんな時間か?」

「あとちょっと、もう少しだけ……!」

「そうは言っても、スタジオの時間があるから。次の団体がいるって言ってただろ?もっとやりたいのはわかるけどほら、急いで急いで」

「うぅー……」

 

 いかにも不服といった様子の皆を宥め、片付けを促す。暫くそうしていたメンバーもやがて渋々と言った様子で片付けを始めた。

 ……やる気に満ちているのは、見るだけでわかる。だが俺には、何人か様子がおかしいメンバーがいるのが気になった。

 

 まずは、つぐみ。

 練習に集中していない、というわけではない。寧ろ、()()()()()()と言った方が正しい。つぐみは努力家だから皆の姿を見て、自分も頑張ろうという気持ちになっているのだろう。学校でも生徒会の仕事があるようだが、果たして本番まで体力が持つのだろうか。

 そしてもう1人は、蘭。

 蘭はつぐみと逆、どこか集中しきれていない様子が見受けられる。何を気負っているのかは知らないが、歌声に雑念を感じる。以前にも言ったが、蘭は歌声に感情を乗せるのが上手い。そんな蘭の歌声だからこそ感じた、微かな違和感。一体君は、何に()()()()()()んだ?練習中や、それ以外の場面でも苦しそうな表情を見せる蘭。俺が踏み込んでいいような問題ではないと思うが、どうにも心配でならない。

 

 本番に向けて、順調に回っているように思える歯車。だがそれはほんの少しだけひび割れていて、何かのきっかけで壊れてしまうような、そんな危うさを感じさせるものだった。

 

 

 

 

「……なんか最近の蘭、様子がおかしくないか?」

 

 蘭を除いた5人での帰り道、最初にそれを言い出したのは巴だった。

 

「うん、私もそんな気がするんだよね……なんか力が入り過ぎてる、っていうか、厳しい顔してるよね」

「蘭ちゃん、珍しく音たくさん外してたもんね……らしく、ないよね」

 

 ひまりの言った“力の入り過ぎてる”という点ではつぐみも当てはまるとは思うんだが……。

 

「確かに、らしくなかったな。モカはどう思った?」

「んー……これ、言っていいのかわかんないんだけどねー」

 

 一瞬モカが言い淀んだ気がしたが、モカの表情からその真意は読めない。

 

「蘭の家が、有名な華道一家なのは知ってるでしょー?」

「え、そうなのか?」

「ハルちゃん知らないの?その界隈では美竹家って凄く有名な家なんだよ?」

「俺と君達のパイプはひまりだけなんだぞ?ひまりが話してないことを俺が知ってるわけないだろ」

「あ……それもそうだね」

 

 バカにされたように聞こえたので強く反発しておくと、ひまりは申し訳なさそうに笑った。

 

「話の腰折ってごめんモカ。で?」

「うん。ハルちんは知らないみたいだから詳しく説明すると、蘭は華道で有名な“美竹家”の跡取りなんだー。で、蘭は前々から跡を継げって言われてたんだけど、最近はそれが激しくなってるみたい。練習中とかも電話がかかってくるんだってー」

「……もしかして、蘭が定期的に電話で練習抜けたりしてるのって……」

「そーいうことだねー。今日もそうだよ、多分」

「なるほどなぁ」

 

 ……蘭の歌声に混じっていた“苛立ち”の正体が掴めた気がする。蘭はきっと華道を継ぐことは本意じゃないんだろうな。アイツのこのバンドへ賭ける思いはホンモノだ。だが、果たしてこの問題、俺なんかが突っ込んでいいものなのか。

 『Afterglow』は幼馴染5人組バンド。彼女達の問題に、部外者の俺が突っ込むべきでは無いだろう。彼女達は出会ってすぐの友人関係ではない、幼馴染同士だ。俺が何もしなくても、きっと大丈夫だ。

 

「……あんま背負い込むのも良くないから、しっかり解決してやれよ?」

「そうだね。蘭ちゃん、いっつも抱え込んじゃうから……」

「アタシ達が、なんとかしないとな」

 

 そう言ってつぐみと巴が意気込む。そういえば、これだけは伝えておこう。

 

「つぐみ」

「ん、何?陽奈くん」

「頑張りすぎ」

「ひぇっ……?」

「心当たり、あるだろ?」

「そ、そんなことは……」

 

 口ではそういうものの、態度が正直すぎる。縦横無尽に目を泳がせながら、わたわたと慌てふためくつぐみ。

 

「あんまり焦るなよ?時間があるとは言わないけど、それは無理をしていい理由にならないからな?」

「う、うん……気をつけるよ、あはは……」

 

 ぎこちない笑みを浮かべるつぐみが、どうにも心配だ。そこからは他愛のない話をしながら、俺達は帰り道を歩いた。

 

 

 

 

「……で、なんで今日も来たんだよ、ひまり」

 

 そしてその日の夜。

 今日も今日とて、ひまりは家に来た。

 

「強いて言うなら、理由はない!」

「胸張って言うな」

 

 デカいんだから。何がとは言わないけど。目のやり場に困るんだよ。ナニがとは言わないけど。絶対に言わないけど。

 鋼の理性で、ひまりを軽く一瞥しただけに留め、先程までやっていた机上の宿題へと視線を戻した。

 

「何かないと、来ちゃダメ?」

「……そんな事はないけど」

「じゃあ、ハルちゃんと一緒に居たいから来た!これで立派な理由ができたね!」

「はいはい、ありがたいですよーだ」

 

 まともに取り合っても疲れるだけだ。適当に遇らい、俺はどんどんノートに筆を走らせていく。

 

「ね、ここで作業、してもいい?」

「いいけど、あんまうるさくしないでくれよ?」

「大丈夫大丈夫!ハルちゃんには迷惑はかけないから」

 

 作業?何をするんだろうか。自分の家でやればいいだろうに、なんでわざわざウチに。それからしばらくの間、互いに会話はなかった。

 

「……ハルちゃん」

「ん?」

 

 互いにこちらは向かず、手元を見たままで話す。

 

「私達、大丈夫だよね?」

「……どうしたんだよ」

「……なんか、嫌な予感がするの。良くないことが起きそうな……そんな気が。でも、私の気のせいだよね?」

 

 不安な声色で、ひまりは俺に問いかけてくる。これを相談したかったのか。

 確かに今、何か“良くない流れ”が、彼女達に流れているように感じる。ひまりのこのような精神状態含め、俺には今までにない大勝負や蘭の不調に、メンバー全員が浮き足立っているようにも思えた。

 

 “頑張ろう”が、“頑張らなきゃ”という焦りに変わってしまったら終わりだ。

 焦りがパフォーマンスに及ぼす影響は負の要素しかない。彼女達は今、俗語で言えば“ヤバイ”と言う漠然とした不安が心に巣喰い、焦りを感じているように見える。彼女達のレベルは十分高い。蘭のいつも言う、“いつも通り”に練習し、どっしりと構えていれば大丈夫なはずなのに。

 

 そんな彼女に、俺がかけてあげられる言葉は。

 

「ひまり──()()()()()()

「っ!」

「『Afterglow』のリーダーは、ひまりだろう?リーダーの君が、そんなに不安がってどうするんだ。こういう時に、皆を支えて行かなくちゃいけないのがリーダーじゃないのか?」

「ハル、ちゃん……」

「大丈夫だ」

「え……」

 

 俺の言葉を受けてみるみる内に表情が曇っていくひまり。そんな彼女に、俺は大丈夫だと声をかけた。

 

「ひまりなら出来るよ。『Afterglow』を大切に思ってて、皆の事が大好きなひまりなら、皆の支えになる事ができるから」

「皆の、支え……」

「それでも無理なら、俺が力になる。だからもっと自信を持ってくれ、ひまり」

 

 そう言って、俺はそっとひまりの頭を撫でる。俺を見上げたひまりの目には、涙が溜まっていた。それは不安が胸中から溢れ出たものか、俺の言葉に対しての安堵から出たものかはわからないけれど、その涙の中には、確かにひまりの優しさが含まれていて。何故ならどの道それは、ひまりが誰かを思うが故に流した涙であることに変わりないから。

 その優しさに心を打たれつつ、俺は彼女に微笑みを向けた。

 

「……頑張れよ」

「うん、うん……」

「もう泣くなよ」

「ハルちゃんが優しくするからだよ」

「頭撫でるの止めれば泣き止むのか?」

「それは悲しくて泣いちゃう」

「なんだよそれ」

 

 結局俺は、ひまりが泣き疲れて寝てしまうまで、頭を撫で続けていた。

 

 

 

 

「……ぃしょっと」

 

 眠ったままのひまりを器用に抱え、俺のベッドへと横にさせた。ひまりは、軽い。最近太っただの何だの言ってる割に、そして年齢不相応な発育の割に。非力な俺でも軽々と……は、嘘だけど割と普通に持ち上げられる程には。だがしかし。

 

「……ひどい寝顔してるなぁ」

 

 どんな夢を見てるんだろうか、ニヤケ顔に、だらしなく開いた口。君のファンがこんな顔を見たら発狂するぞ。重力に従って垂れそうになった涎を、枕元のティッシュで拭ってやる。と、その時。

 

「ん……これ、は」

 

 ふとひまりの目元を見ると、薄い化粧でさり気無く隠された、灰色の痣のようなものがあることに気付いた。

 

「……隈、か?」

 

 ひまりが徹夜……?ベースの練習?いや、それはないはず。深夜練は効率面と体力面、二重の側面で負の要素が大きい為、俺が口煩く止め続けているから、大丈夫だと思いたい。

 じゃあ、学業?いやいや、もっとあり得ない。テスト前でもないのにひまりが宿題で徹夜なんて天地がひっくり返ってもない。

 

 じゃあ一体何に、と考えた時。先程までひまりが続けていた“作業”とやらに思い至る。

 するとひまりが向かっていたテーブルの上には、やはりひまりの徹夜の証があった。

 

「……何だこれ」

 

 そこにあったのは、5つのクマと、それの作りかけが1つ。様々な彩りで作られたそれの足には、左右それぞれ『AG』という文字が刺繍されている……『Afterglow』の頭文字だろう。なるほど、お守りか何かか。それにしても。

 

「ぶっ飛んだセンスだな、相変わらず」

 

 これが可愛いかと言われると、素直には頷けない。不細工ではないのだが……そう、微妙。圧倒的に微妙だった。俺は苦笑いを浮かべながら、その中の1つを手に取り、じっとそれを眺める。

 

 それでもこのクマには、ひまりの『Afterglow』への思いが、強く込められているのを感じた。これを1つ作るのにかかる時間は、きっと数十分そこらじゃ足りない。それを計6つ──俺の分まで作ってくれているのがひまりらしい──何時間も、何時間もかけて作ってくれたのだろう。

 

 ──大丈夫さ。ひまりなら。

 

 俺は眠ったままのひまりの頬に触れた。

 柔らかくひんやりとした、それでも僅かに伝わる温もりを、手のひらにじんと感じる。

 

 

「──頑張れ、ひまり」

 

 

 あと1時間くらいは寝かせてあげよう。

 そう決めた俺はもう一度だけ頭を撫でて、再び机上へと向かった。

 

 





ガルパでのエピソードとは、一味違った展開になると思います。
ご期待に添えるものかどうかはわかりませんが、どうぞ楽しみにしていただければ。

新たに高評価をくださった、

エルーナさん、本当にありがとうございます!
皆様のおかげで、お気に入りが200を超えました!
次は300を目指して頑張ります(小心者)

次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

足りないモノ


ここからしばらく

とある“彼女”の回が続きます。



 

 

9話 足りないモノ

 

 

「あ、おーい陽奈くん!こっちこっち!」

 

 その週の土曜日。俺はまさかの人物から呼び出しを受け、近場のファミレスへと顔を出していた。

 

「ごめんね、休日に時間作ってもらっちゃって」

「いいよ、全然。珍しいな、つぐみが俺を呼び出すなんて」

 

 そう、俺を呼び出したのはつぐみだった。

 時期からして、『ガルジャム』に向けて何かしらの相談があるのだろうが、一体何の用だろう。

 

「確かにそうかも……ごめん、迷惑だった?」

「ああいや、嫌な気分にさせたならごめん。全然他意はないんだ」

「それならいいんだけど……でも私達、あんまり2人で喋った事ないよね」

「言われてみればそうだな」

 

 ……とは口で言ったものの。実はその事をずっと考えながら俺は家からここまで来た。

 俺とつぐみは、これまで沢山の関わりがあるわけじゃなかった。今日みたいに2人で話したことなど、片手で数えきれる程しかない。仲が悪いわけでもなく、かと言って物凄く仲が良いという訳でもない。だから俺は今日、かなり緊張しながらここへと向かってきたのだ。

 

「今日は聞いて欲しいことがあって呼んだんだけど……その前に、陽奈くんはお昼ご飯食べた?」

「いや、まだだよ」

「先にそっちにしない?私お腹空いちゃって」

 

 あはは、と申し訳さなさそうに笑うつぐみ。確かにもう時間は昼過ぎだ、朝から何も食べてない俺も空腹が限界に近い。

 

「そうしよう。俺もお腹が空いた」

「本当?よかった」

 

 つぐみから差し出されたメニューを受け取り、俺はそれに目を通す。空腹時のメニューは迷宮のように俺を惑わせる。この中にあるもの全てが自分の胃の中に収まるような気がしてならず、どれか1つに絞ることが非常に難しい。悩み抜いた末に俺はハンバーグの単品を注文した。つぐみはシーザーサラダとパスタを食べるようだ。

 

 暫く他愛ない話で談笑していると、注文したメニューが手元に届いた。それらを無事に食べ終えたところで、俺は改めてつぐみに問いかける。

「それで、俺に聞いて欲しいことって?」

「あぁ、うん。ええと……」

 

 困ったように笑った後、視線を泳がせるつぐみ。それほど言いにくいことなのだろうか。付き合いの短い、と言うよりは少ない俺にはそれを見抜くことは出来ない。やがてつぐみは意を決したように口を開いた。

 

 

「──私にピアノを、教えて欲しいの」

 

 

「……へぇ、どうして?」

「巴ちゃんとひまりちゃんから聞いたんだ。陽奈くん、ピアノやってたんでしょ?」

「なるほどな」

 

 アイツら、話したのか。

 それ自体は、別に良い。だが話すのなら、俺がピアノを忌避しているとかそこら辺も話して欲しかった。つぐみはきっとそれを知らないから俺にこんなお願いをしてきたんだろう。つぐみはそこまで空気が読めない子じゃない。

 

「ごめん、ピアノはもうやめ」

「わかってる」

「え……?」

「……あれだけ音感があって、“音”が大好きな陽奈くんがピアノをやめるなんて、それ相応の理由があったに決まってる。でも私は他に知らないの。陽奈くん程音楽の知識と、ピアノの知識を持っている人」

 

 苦しげな表情の中の一点、瞳に並ならぬ覚悟を宿し、つぐみは俺に言う。

 

「それに……陽奈くんは、私よりも、ううん、私達の誰よりもわかってるはずだから。()()()A()f()t()e()r()g()l()o()w()()()()()()

「……!」

「私なりに、考えてみたの。今の『Afterglow』に足りない物……それが何なのか」

 

 『Afterglow』は、何度も言うように幼馴染で結成された、5人組バンドである。故にバンドメンバーは結成当初から強い絆で結ばれており、5人で息を合わせると言うことに関しては間違いなく、プロを含めても高い水準にある。“息を合わせる”という一言で言えば単純だが、これは単純にして、必要不可欠な“技術”であることに、間違いはない。それが出来る『Afterglow』は、“いつも通り”に、ミスなく、自分たちの最高の演奏をする事が出来るようになっていると言えるだろう。

 

 ──だが、それでも届かない。

 

 彼女達の目指す場所へは、まだまだ触れる事も許されない。今の彼女達の120%が出せたとしても、その事実は揺るがないだろう。

 

 一体何故なのか。それは───。

 

 

 

「──()()()()()。一人一人の力が、まだまだ足りないと思う」

 

 

 

 言い切ったつぐみに、内心で舌を巻く。それを言い切るのに、どれだけの勇気が必要だった事だろう。

 

 ……が、その通り。『Afterglow』に足りていないもの、それは個々の技術だ。

 1+1+1+1+1は、5にしかならない。バンドの演奏が単純に足し算で表現し切れるとは微塵も思っていないが、それでも例え息がピッタリだったとしても、個々のレベルが高いバンドに勝てないのは事実なのだ。

 

 しかし、仕方ないことではある。

 寧ろ熟練の経験者がいた訳でもない素人集団で、ここまでの演奏が出来ることは誇るべき結果だ。指導者がいたわけでもないのに、あれだけレベルの高い演奏が出来るなんて、普通に考えておかしい。そうなったのは、やはり彼女達の努力の成果だろう。

 だが、今のままではソコ止まり。彼女達は、『レベルの高い演奏』を目指しているわけではない。『自他共に認める最高の演奏』を目指しているのだから、一皮剥けるために確実に必須となるのは個々のレベルアップなのだ。

 

「……そして、陽奈くんの“超音感”も、教えて貰いたいんだよね」

「俺の……音感?」

「うん。あれがあったら、陽奈くんが居ない練習の時でも、質の高い練習が出来るんじゃないかなーって。ほら、前に陽奈くん、努力すれば相対音感や絶対音感は身につけられるって言ったでしょ?良かったら、そのやり方を教えて欲しいの。私、なんとかしてみんなの役に立ちたいから」

 

 つぐみの唯一無二の武器、“努力”。

 何にでも全力で、誰かの為に頑張ろうとする。それが出来るつぐみは、本当に素晴らしいと思う。

 だがそれは、諸刃の剣だ。

 自分のキャパを超えかねないそれは、容量を間違えれば自分を苦しめる毒になりかねない。

 

「だからお願い、陽奈くん。私にピアノを教えてくれませんか」

 

 つぐみが頭を下げ、俺に懇願する。つぐみの気持ちは、痛いほどわかる。だが果たしてそれは、つぐみにとって本当にいいことなのだろうか。その様子に戸惑い、閉口していると、つぐみは更に言葉を続けた。

 

「──今の私は、確実にみんなの足を引っ張ってる。嫌なの、そんなの絶対に嫌なの……!」

「っ───」

 

 ここで“そんなは事ない”と言ってあげれば、彼女の心は救われるのだろうか。

 否。そんな慰め、つぐみは欲していない。

 

 『Afterglow』のパートは、ギター二本、ベース、ドラム、キーボード、ここにボーカルが加わる、非常にオーソドックスなスタイル。各パートごとに技術を厳しく5段階評価するならば、ボーカルの技量が3.5、ギターが3〜3.5、ドラムとベースが3.5、そしてキーボードは……2〜3と言ったところだ。

 

 巴とひまりは、楽器が肌に合っていたのだろう。特にひまりは心から楽しんで努力をしている分、足りない技能を補う事ができている。それでもまだ、未熟な面も多々あるが。

 モカは天才肌で、ギターもソツなくこなすことが出来ている。蘭は素質はあるのだろうがボーカルもしている分、モカに比べればまだ劣っている箇所が多い。ギターのみに集中すればまだまだ伸びていくのだろうが。

 そしてつぐみが下手かというと、そうではない。彼女は唯一のピアノ経験者で、ピアノの技術はかなり高い。今もピアノを続けている様子で、その技術は腐るどころか更に磨かれていると言ってもいいはずだ。努力をしていないのかというとそういうわけでもない。寧ろ努力家のひまり以上の努力を積み重ねていると言えるだろう。

 

 では何故、その評価点になってしまっているのか。その理由はきっと……。

 

 俺はそれを確認するべく、閉じていた口を開いた。

 

 

「一つ、聞いていいか、つぐみ」

「ん……?」

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「えっ……それは、キーボード……」

「だよな。じゃあつぐみ、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ……!」

「君がそれを意識しない限り……俺から何を教わっても意味はないんじゃないかな」

 

 つぐみは閉口し、思案を始めた。

 待つこと数分程、漸くつぐみが口を開き、震える声を絞り出した。

 

 

「私は……私はまだ、ピアノのつもりで、キーボードを弾いてる……っていうこと……?」

 

 

「なんだ、わかってるじゃないか」

 

 俺の言葉に、つぐみは安心したようにほっ、と息を吐いた。

 

 ピアノとキーボード。使う楽器は同じでも、その本質は似て非なるものだ。

 曲の伴奏、メロディ、リズム……曲を構成するすべての要素を、1人で担うのが、ピアノ。しかしキーボードは、他のパートと呼吸を合わせ、メロディの一環を支えるパートだ。簡単に言えば、曲の全てのピアノ、曲の一部のキーボードといったところで、それぞれに意識する内容が全く違う。

 

 それが、つぐみの上達に妨げになっている。

 

 キーボードは、ピアノの延長線上ではない。

 ピアノをやっていることは、確かにプラスの要素も多いだろう。譜面の読み方や、運指のやり方など、初心者が躓きがちな技能を最初から得ているのは大きい。

 だが、そのままではダメだ。ピアノのように自分の音を聞いているだけでなく、周りの音を聞き、呼吸を感じ、自分の音を周りの音に乗せて“音”とする。そんな意識がないと、キーボードをやり続けていくことは難しい。

 ピアノをやり続けているが故に生じた、思わぬ技術の停滞。逆に、意識さえ変えてしまえば、きっとつぐみはまだまだ伸びていく。

 

「さて、それがわかったところで、質問の答えだけど……俺でよければ、手伝うよ」

「え、ほ、本当に?」

「俺だってキーボードを知ってるわけじゃないし、俺が出来るのは、音を“音”にする為の意識や音感について教えることだけだ。それでもいいなら別に構わないよ」

 

 ……本当ならば、ピアノなんて弾きたくない。

 でもつぐみがここまで覚悟していってくれたんだ、それを断ることは許されないような気がした。

 

「それに、俺はいつも自分の音感を大したものじゃないし、別に無くても大丈夫って言ってるけど……あのメンツの中で、つぐみだけはそうじゃないかもしれない」

「えっ、それってどういう……?」

「『Afterglow』の楽器の中で、ピアノ……キーボードだけは、()()()()()()って言ったらわかるか?」

「あっ……!」

 

 そう、他の楽器……ドラムは音階が無いから例外として、ギターやベースは使う毎にチューニングを必要とし、それに失敗すれば正しい音が出ない。しかしキーボード、電子ピアノは違う。常に一定で、且つ正しい音階に則った音を出すことが出来る。

 

「君が音感を鍛えて、周りの音を聴くことができるようになったなら……今まで以上に周りを支えることが出来ると思う」

「なるほど……うん、私頑張ってみる!」

「じゃあ練習だけど……今日からやる?俺は1日空いてるけどつぐみは?」

「私も今日は空いてるし、本番まで時間ないから出来るだけ今日から教えて欲しい、かも」

「そっか、じゃあ場所だな。スタジオ行くか?」

「あ……今日は臨時休業日なんだって」

「んー、じゃあどこにするか……出来ればキーボード使ったほうがいいしな……」

 

 練習場所について色々と考えを巡らせていると、同様に黙っていたつぐみが突然大声を出した。

 

「あ、あの!」

「ん?」

 

 

 

「──よかったら、ウチに来ません、か……?」

 

 

 

 そしてその問いは、大きな波乱を巻き起こす事となる。

 

 





『Afterglow』の楽器の上手さ云々は、完全にオリジナルの話です。作者自身もそんなことは思ってません。みんな上手いよ!5だよ5!!

ここからしばらく、つぐみ回が続きます。つぐみとの関わりの中で果たして陽奈は何を見出すのか。どうぞお楽しみに!

新たに高評価をくださった、

サラ☆シナさん、TS憑依大好きマンさん、ありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初体験


初体験(意味深)

意味深じゃないです(意味深)


 

 

10話 初体験

 

 

「こ、ここがお家です」

「あ、あぁ……そういえば、実家珈琲店やってるって言ってたな」

 

 あれからファミレスを出た俺達は、2人でつぐみの家へと向かった。練習場所に提案された時は驚いたが、他に代案も出なかったので……何より、つぐみが勇気を出してくれたのだからと、結局つぐみの家で落ち着いた。

 にしても、俺は今まで異性の家を訪れたことはない。ひまりは例外として、だが。世の男子高校生は、こういうイベントに浮かれるのだろうか。浮かれるんだろうな、うん。俺にはまっっったくわからないが。先程から手汗が止まらず、何度もジーンズに掌を擦り付けている。

 

「ほ、本当にここでいいのか?」

「だ、大丈夫、大丈夫!私が誘ったんだから……ほ、ほら、行こう!」

「ああおい、つぐみ!」

 

 そそくさと中に入って行ったつぐみを追って、俺も店内へと入った。

 

 

 

 

 

「ここが私の部屋だよ。あんまり綺麗じゃないけど……」

「いやいや、全然綺麗だから。お邪魔しまーす……」

 

 通されたつぐみの部屋は、普通に整頓されている、いかにも女の子らしい部屋だった。ただ全体的に落ち着いたアースカラーで纏められており、ピンク等の鮮やかな色は少ない。女の子ながらも、大人しめの印象を持つ、如何にもつぐみらしい選色だと思う。

 部屋の中にはピアノとキーボード、両方が兼ね備えてあり、どちらにも譜面が載せてある。その譜面達は何度も捲られたことで紙の端が皺で縒れており、それを見るだけで彼女がどれだけ努力しているのかが伝わってくる。

 

「あ、あんまりジロジロ見ないでもらえると……」

「あ、あぁごめん!そんなつもりじゃなくて」

 

 落ち着かなさが態度に出ていたらしい、確かに人の部屋を眺めて回るなんて失礼だ。

 

「よいしょっと」

 

 そんなことを考えている間に、つぐみがキーボードの横に椅子を2つ並べた。

 

「これでよし!じゃあ陽奈くん、お願いしてもいい?」

 

 つぐみが笑顔で俺に問いかける。いかんいかん、いつまでも浮ついた気持ちではいられない。人に物を教えるなんて柄じゃないが、請け負ったことはしっかりとこなさないと。

 

「わかった──じゃあ、始めよう」

 

 

▼▽▼

 

 

「わかった──じゃあ、始めよう」

「っ……!は、はい!」

 

 明らかに雰囲気の変わった陽奈に、つぐみは思わず敬語で返事をしてしまう。その様子を見た陽奈は、柔らかな笑みを浮かべる。

 

「ははは……そんな緊張しなくていいのに。俺だって君となんら変わりないキーボードの素人なんだから」

 

 そうは言うものの、つぐみから見た陽奈は憧れの対象以外の何物でもない。的確にミスを見抜く“超音感”。自分達に足りないものを見抜き、アドバイスをしていく彼。彼の言う通りに改善してみると、確かに違いが分かる程自分達の演奏がレベルアップしていくのを感じた。つぐみも幼い頃からピアノを続けており、音感もそこそこある方だと自負しているが、陽奈のそれには遠く及ばないとも思っている。自分には、陽奈程的確にミスを見抜いたり、演奏を改善する事は出来ない。

 だからこそ、彼に教えを請えば、自分はレベルアップ出来るのではないか。そう考えたからこそ、つぐみは陽奈に今回の件を提案したのだ。

 

 しかしこれまで、つぐみにとっての陽奈は、とても触れ難い存在だった。

 

 陽奈と初めて出会ってからこれまでの3年間、つぐみは陽奈と個人的に関わりを持つ機会はそう多くはなかった。陽奈はひまりの幼馴染だが、だからといって『Afterglow』の五人と積極的に仲良くなろうとはせず、あくまでつぐみ達が『幼馴染のひまりの友人』に過ぎない、と言うスタンスを貫いていたからだ。

 悪い人ではない、寧ろとても優しくていい人だというのはつぐみも知っている。だが彼のどこか冷めたような、達観したような暗い態度がつぐみには少し怖かった。

 

 だからこそ、つぐみは今まで宮代陽奈という人間を、あまり知ろうとして来なかった。

 

 しかし先日改めて陽奈の音感に触れ、今まで目を背けていた思いに、向き合う事を決めた。

 

 この人は、いったいどんな人なんだろう。

 

 畏怖は憧れへ、憧れは興味へ。

 

 触れ難い存在を、ただの友人に変えるために。

 

 最初こそ、『Afterglow』の為に彼の力は必要だと思った。でも途中から、それだけじゃダメだとも思った。そんな利用するような関係性じゃなくて、1人の友人として仲良くできれば。そんな思いも、今回の提案の理由の1つだった。

 

 そんな事を考えていたつぐみに、陽奈が問いかける。

 

「……じゃあ先ず、キーボードの基本だけど。キーボードはピアノのように、メインじゃない。これはわかってるね?」

「うん……って言っても、本当の意味で意識し始めたのはさっきだけど」

「大丈夫だよ。今から意識していけばいいんだから。じゃあ、キーボードがないバンドの演奏は、あるバンドに比べてどうなると思う?」

「えっ?うーん、どうだろう……」

 

 キーボードの有るバンドと無いバンドの差異。

 つまりは、“キーボードの役割”という事だ。

 改めて聞かれると、返答に困る。何年間もキーボードに触っているのに、こんな問いにすら答えられないなんて。つぐみは、どれだけ自分が中途半端にキーボードを触ってきたのかと自省の念に駆られる思いだった。そんなつぐみの様子を見て、

 

「ま、難しいよな……俺が思うにキーボードは、メロディーを作ると同時に、曲の“ハーモニー”を作っているんだと思う」

「“ハーモニー”……?」

「ああ。キーボードはギターやベースと比べて出せる音の音域が遥かに広いし、様々な音を出す事ができる。俺は理論派じゃなくて感覚派だから上手いこと言えないけど、こう……“綺麗だ”って思わせるのに必要な音を出すことが出来るんだよ」

「う、うーん……?」

「ええと、ゴリゴリのロックバンドがあるだろ?ああいうバンドには、キーボードが無い。するとどうなるかっていうと、ロックサウンド……“カッコいい”曲が出来上がるんだ。そこにキーボードが加わることで、ただカッコいいだけじゃない、“綺麗なハーモニー”が出来上がるんだよ」

「なんとなくわかったかも……?」

 

 つぐみの言葉に、陽奈が安心したように息を吐いた。ひまりから“音フェチ”と称される陽奈の独特の音楽センスは、極限まで感覚派に振り切っている。それを言葉にして伝えるのは、非常に難しいものだった。

 

 だが陽奈の意見は、的を射ているものではある。ピアノの音というのは、日本人にとって非常に聞き馴染みのある音だ。

 以前紹介した“ハモる”という現象。もう少し専門的な話をすれば“ドとミ”がハモる、“ミとソ”がハモると言ったように、ハモる音が定められている。この“ド・ミ・ソ”などの纏まりを“和音”というのだが、他の楽器が複数本使った音を重ねて和音を作るのに対し、ピアノという楽器は両手……十の指を用いて音を出す楽器だ。つまり、理論上一度に10個の音を出す事ができるのだ。

 

 もうお分かりだろう。

 

 そう、ピアノは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人間の耳は、ハモりを綺麗に感じるように出来ている。故にバンドにおけるキーボードとは、曲が綺麗に聞こえるためのハーモニーを作る役割を担っているのだ。

 

「あとキーボードは、万能屋(オールマイティ)だってことも、わかってた方がいい」

「万能屋?」

「キーボードは、それ1つで多彩な音色を出せるだろ?それは使ってる?」

「ううん……あんまり。どういう風に使ったらいいかわからなくて」

「キーボードは本当に万能な楽器だ。ピアノ、オルガンをはじめとして、弦・金管・木管・打楽器……あと、エレクトロサウンドとかいろんな音を鳴らす事ができる。更に右半分がピアノ、左半分はトランペットの音みたいな細かい設定もお手の物。これを使いこなせるかどうかで、キーボードの技術の優劣が付くこともある。だから曲によってどんな音を使うかも皆で話し合ってみたほうがいいかもしれないぞ」

「なるほど……参考になるなぁ」

「あとは……そうだな、弾いてる時の意識だな。常に皆でメロディを作っているのを自覚し続けること。その中で、ここは自分の音が響いた方がいいのか、それともギターの音を押し出して自分は裏に徹した方がいいのか……鍵盤のタッチで音の鳴り方とかも変わるから、そこら辺の意識も大事にした方がいいと思う」

「あ、ちょっと待ってね」

 

 陽奈が語る一言一句を、つぐみは手元のメモへと書き記していく。

 

「……なんか恥ずかしいな」

「そんな!本当にタメになってるよ?」

「ならいいんだけど。じゃあ実践してみようか」

 

 陽奈はそう言うと、鞄から音楽プレイヤーを取り出した後、譜面台からある一曲を抜き取り、つぐみへと示した。

 

「確か二次審査でこれ歌うつもりだったよな?」

「うん、そうだよ」

「じゃあコレにしようか。他のパートの音源流すから、今言ったこと意識しながら弾いてみてくれ。あとで俺から色々言うと思うけど、あくまでそれは俺の感覚だから全部を鵜呑みにする必要はないからな」

「わかった……やってみるっ」

 

 陽奈に言葉を返すと、つぐみはキーボードへと向き直った。そして自らへと語りかける。

 

 

 ──キーボードは、曲の一部。

 

 自分一人で、全てを担うわけじゃない。

 

 場面毎に応じた、最高の音を。

 

 

 入念なマインドセットを終え、つぐみの指が鍵盤へと触れた。もう数え切れないほど練習で弾いてきたこの曲。しかしつぐみにはその音が、初めて聞くようにさえ思えた。そして彼女は自覚する。

 

 ──そっか。そういうことだったんだね。

 

 意識を変えるだけで、こうも曲が変わるものか。自分が今まで弾いてきたモノは、ピアノの延長線上に過ぎなかったのだと、心の底から感じた。譜面通りに弾けばいいだけじゃない、そんな事はわかっているつもりでいた。

 陽奈が口にする、『音が溶けて、“音”になる』という言葉。その本質を、つぐみは少しだけ掴んだ気がした。

 

 楽しい。

 

 ここ数日は焦りと苦痛しか感じなかったキーボードが楽しい。

 

 自分の中に流れ出した、燃えるように熱いキーボードへの情熱の奔流。それは今まで黒い靄に包まれていた心の中に、確かな光を示した。

 難しい。曲の場面場面で、最適な音を選び抜いていく。キーボードは、こんなにも難しいんだ。そんな感情すら、今のつぐみにとっては喜びに変わっていく。自分は、何も知らなかった。キーボードの難しさ、奥深さ、楽しさ……鍵盤に触れた指先から、様々な感情が音と一緒に自分の中に流れ込んでくる。今この瞬間、つぐみは新たなステージの扉を開いた。

 

 





長くなりそうだったので、前後編に分けました。

つぐみの陽奈への印象を捉えていただければと思います。

新たに高評価をくださった

親指ゴリラさん、ありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

息吹


ひまり誕生日おめでとう。愛してる。

本編に彼女は出てきません。



 

 

11話 息吹

 

 

 曲が終わり、つぐみは鍵盤から手を離しつつ、背を伸ばしながら安堵の息を吐く。その瞬間、体にどっと伸し掛かる疲労感。演奏中は集中しすぎて気づかなかったが、様々なことを考えながら演奏した分、普段よりも相当な体力を消費したことに今更気がついた。

 

「お疲れ。見違えたな、つぐみ」

「えへへ……陽奈くんのおかげだよ」

「意識を少し変えるだけで、やることがたくさん増えただろ?」

「うん、これまで全然気がつかなかったよ。でも、今までで1番充実してたかもしれない」

「ま、考え過ぎで根本的なミスも多かったけどな」

「えぇ……今それ言っちゃうの……?」

「はは、冗談だよ。さて、今の感想だけど──」

 

 陽奈の指摘に落胆しかけたつぐみの様子をみて、彼は笑う。そして先程の演奏に対して、いくつか改善点やアドバイスを述べていく。そしてつぐみはやはりその言葉をしっかりとメモしていくのだった。

 

 

「……とまぁこんな感じかな」

「なるほど……ありがとう、陽奈くん」

「いやいや。さっきも言ったけど、違うと思ったら従わなくても大丈夫だからな?つぐみなりの拘りとかもあるだろうし」

 

 つぐみの感謝に、居心地悪そうに笑う陽奈。

 そんな彼の様子をみて、つぐみは先程から気になっていたことを陽奈へと問うた。

 

「ねぇ、陽奈くん」

「ん?」

 

 

 

「──陽奈くんだったら、どんな風に弾くの?」

 

 

 

「え……?」

「少しだけ弾いてみてもらってもいい?」

「っ──!」

 

 純粋な疑問だった。『陽奈なら、どう演奏するのだろう』。例えつぐみでなくとも、その場に居たのならばきっと生じるはずのその疑問。そんな思いの元、陽菜にピアノを弾いて欲しいと頼んだその瞬間──彼の表情が引き攣った。

 

「あ……む、無理なら大丈夫だよ、陽奈くん」

 

 その表情に何かを感じたつぐみは、慌てて自分の発言を訂正する。

 

「い、いや、大丈夫。ほんの少しでもいい?」

「う、うん……本当に大丈夫?」

「平気平気。久々にピアノに触るからさ、ちょっと緊張するんだよね、あはは……」

 

 困ったように笑いながら、傍目から見ても言い訳だとわかるそれを口にする陽奈。そんな彼をつぐみが止めるよりも先に、陽奈はキーボードへと向き合い、椅子に座っていた。

 しばらくその状態のまま、彼は動かない。やがて彼は意を決したように微かに震えた両手で、鍵盤へと触れた。そのまま止まること一瞬、まずは右手の人差し指が白鍵を優しく、確かに押し込んだ。

 

「………………っ」

 

 鳴り響いた音に、怯えたように竦む肩。

 緊張しているなんて言葉では、説明出来ない程荒い息。それでも彼は一つ一つの指で、音を鳴らしていく。

 つぐみはそんな陽奈の横顔を覗き見ると、彼は何かを呟きながら鍵盤を叩いていることに気づいた。

 

「……違う、こうじゃない、もっと……こう……」

 

 指を開いたり、手首から先を振ることで無駄な力を抜いたりしながら、彼は何度も、何度も鍵盤を一つずつ鳴らしていく。それはまるで、重症患者が必死でリハビリで励む姿のように見えた。非日常へと堕ちたピアノを、日常へと引き摺り出す為のリハビリのように。

 少しずつ、少しずつ彼のピアノの音が変わっていく。その度に、荒い呼吸が収まっていく。彼の額に、大粒の汗が伝う。その余りにも居た堪れない姿に、つぐみがストップをかけようとした時──。

 

 

 タン────────。

 

 

 今までと一線を画した、濁りのない透明な音。

 その音はまるで、波一つ立たない静寂に包まれた池に、一石が投じられたかのような、寂寞と存在感を兼ね備えた、あまりにも綺麗な音だった。その音を聞いて、陽奈はニヤリと口角を釣り上げ、つぐみを振り返る。

 

 

「──おまたせ。始めるよ」

 

 

「え…………あぁ、うん!」

 

 陽奈の言葉に、“音”の世界へ誘われていたつぐみの意識が、現実へと引き戻される。そして彼の指示通りに、つぐみはプレイヤーの音源を再生した。

 

 そして始まる、陽奈の演奏。

 

 

 ───何、これ……。

 

 

 自分の演奏とは、まるで違う。

 キーボードから流れる音が、音源へと“溶けていく”。正解の存在しない音楽という概念に、まるで正解を叩きつけるような完成度。自分の理想が、模範が、彼の音で示されていく。

 瞳を閉じ、心地よい“音”を探し続ける陽奈。その音と後ろ姿に、つぐみは只々魅了されてしまっていた。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 少しだけ、と言いながらも陽奈は結局最後まで弾ききってしまった。彼の溜息で演奏が終わったことに気づいたつぐみは、我に返ったように賞賛の拍手を送る。

 

「凄い、凄いよ陽奈くん!」

「大したことじゃないって、別に……はぁ」

 

 再び溜息を吐きながら、彼は額の汗を拭う。たかが一曲を引いたに過ぎないが、陽奈を襲う疲労はつぐみ以上のものだった。そんな陽奈に、つぐみは演奏中疑問に思っていたことを問いかける。

 

「陽奈くん……この曲、いつ覚えたの?」

 

 そう、陽奈は今、この曲を完璧に弾き終えた。しかもつぐみが見た通りなら、彼はさっき、目を閉じて()()()()()()()()()()のだ。それはつまり、()()()()()()()()()()()()()という事実に他ならない。

 しかし彼はつぐみのこの問いに、驚くべき答えを返した。

 

「んー……強いて言うなら、()()()だよ」

「さっ、き……?」

「つぐみが弾いてくれた時。それだけじゃなくて、この曲は今まで何回も練習で聞いてきただろ?だから聞き馴染みもあったし、メロディも頭に残ってたから、つぐみの演奏を聴いて、わからなかった空白を埋めたんだよ」

 

 つぐみは、驚きを隠せない。

 つまり彼は、こう言っている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 歌や歌詞を聞いて覚えるとか、そう言う次元の話じゃない。もしCDを渡されて、これを聞いて楽譜を見ずにキーボードを弾けるようになってこいと言われたら、果たして常人にそれが出来るのだろうか。幾多の音が響く曲の中で、ピアノの音だけを聞いて覚えることができるのだろうか。はっきり言って、それが出来る陽奈は異常である。

 

 

 

 客観的に見たとして、彼がピアノを諦めるに至る才能を見せつけた上原ひまりを非凡とするならば。

 

 

 

 ──宮代陽奈は、充分天才の域に足を踏み入れている。

 

 

 

 大したことはないと豪語する、彼の音感や“音”に対する嗅覚は、他の誰にもない、類い稀なる唯一の才能(ユニーク)である。しかし彼を取り巻く環境と、歪んでしまった彼の自身への強烈な自己嫌悪、そして限りなく皆無な自尊感情が、それを是と認めなかったのだ。

 

 『自分には才能なんてない』、『男の俺がこんな女っぽいことを続けて何の意味になる』。

 

 彼は自身の才能を、自身の手で手に掛けてしまった。しかし音楽の神は、それでも才能を棄てた彼を愛し続けた。四肢を捥がれて尚、彼の才能は呼吸を続けていたのだ。そして数年振りに鍵盤に触れた彼の指を通して、彼の才能はその形を完全に取り戻す。

 しかし未だ、彼にとってピアノが恐怖の対象であることに変わりはない。故に最初、彼は鍵盤を押す指先が震え、冷や汗が止まらずにいた。だが、音を調整していくうちに、彼は確かに思い出したのだ。ピアノを弾くことの、楽しさを。それを思いだした彼は、今一体何を思うのか。

 

「……とまあ弾いて見たわけだけど。これはあくまで一例だから、つぐみはつぐみの弾きたいように弾いてみてね」

 

 遠慮がちに、つぐみに笑いかける陽奈。

 そんな陽奈の様子を見て、つぐみは思う。

 改めて、自分の目の前に立つこの少年は、自分が逆立ちしても届かない、凄いピアニストなんだと。

 

 ──だからといって。

 

 挫折するわけにはいかない。寧ろ、負けていられないと対抗心を燃やしている自分に気づく。この人から学べば、自分はもっとレベルアップできる。そんな確信がつぐみにはあった。

 

 才能を目の当たりにして、音楽を棄てた彼。

 才能を目の当たりにして、音楽に燃える彼女。

 

 相対する二人の思いの行く先は、一体何方へと向かうのか。

 

 

 

 

「……あれ、もうこんな時間か」

「え?あ、本当だ」

 

 二人がふと時計を見れば、時刻はもう19時を回っていた。実時間にして約4時間程、そんな時の流れを感じないほど二人はキーボードへと執心していた。

 

「今日はここまでにしようか。結局キーボードの話だけになっちゃったな。音感の話は、また今度って言うことで」

「うん、今日はこんな時間までありがとう!」

 

 満面の笑みを浮かべたつぐみ。彼女にとって非常に有意義な時間だったのだろう。そんな彼女の笑顔を見て、陽菜も思わず笑みを零す。

 

「……でもつぐみ、絶対に無理はするなよ?」

「えっ……?」

「君は頑張り屋だから、俺が帰った後も夜遅くまで練習するんじゃないか、って思って。違う?」

「え、ええと……その……」

「つぐみー?」

「わ、わかってるよ!無理はしない、しないからそんな目で見ないでよ〜!」

 

 言い淀んだつぐみを陽奈が軽く睨むと、つぐみはあたふたと弁明を始めた。その様子が可笑しくて、陽奈は更に笑う。

 

「それならいいけど。無理してもいい事ないからな?生徒会の仕事もたくさんあるって、ひまりが心配してたぞ?」

「わかってるよ、そんなに何回も言わなくても」

 

 笑顔で返すつぐみ。陽奈も安心したのか、それ以上その話題について言及することはなかった。

 

 

 しかし彼は気づかない。

 

 彼女のその笑顔には、若干の後ろめたさが含まれていた事に。

 

 

 ──ごめんね、陽奈くん。

 

 

 内心でつぐみは呟く。

 

 彼には申し訳ないが、残された時間はない。

 多少の無理は、しなくちゃいけない。

 自分で決めたことは、最後まで全力でやり通さないといけない。

 

 

 だから私は──()()()()()()

 

 

 奇しくも陽奈が以前懸念した思いを、つぐみは抱く。

 

 

 この日、陽奈が他人だからと遠慮せず、つぐみに多少きつく言いつける事が出来たのならば。

 

 

 

 

 ──暫くして訪れる悲劇は、避けられたのかもしれない。

 

 

 





どんどんと不穏な空気が……

本編でも言及した通り、陽奈の音楽の才能は天才と呼べるものです。しかし本人は露ほどにもそんなことは思っておらず、ひまりという身近な存在の才能を見てしまったが為に、自分の才能をも捨ててしまった、というわけです。悲しい話ですね。うん。質問等あれば感想欄にお願いします。ネタバレにならない範囲でお答えします。

今日は誕生日記念で複数話あげたいと思います!
ぜひ感想やお気に入りをよろしくお願いします!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友達になるために


つぐみ回も今回と次回でおしまいです

早くひまり書きたい。愛してる。


 

 

12話 友達になるために

 

 

 つぐみが、倒れた。

 

 その知らせを聞いたのは、あれから5日後のことだった。

 生徒会の仕事と、徹夜での自主練によるオーバーワーク。無理を重ねたつぐみの体は限界を迎え、遂に力尽きてしまったらしい。救急車で運ばれる事態にまでなったと言うことをひまりから電話で聞いた俺は、急いで病院へと向かった。

 

 病院に着くと、フロントに座る巴とひまりの姿が目に入る。

 

「巴、ひまり」

「陽奈……悪かったな、こんな所まで来てもらって」

「硬いこと言うなよ。俺だってつぐみが心配だし……それに、こうなった原因はきっと俺のせいなんだ」

「陽奈の……?」

 

 そう。俺が。

 俺がつぐみに、キーボードを教えたりしなければ。彼女が無理を重ねる事も無かったはずなんだ。

 

──『絶対に無理はするなよ?』──

 

 あんな言葉一つで、つぐみを止めた気になって、大丈夫だろうと安心して。

 つぐみの事を、何もわかっていなかった。

 ……いや、わかろうとしていなかったんだ。これはその報い、なんだろうな。

 

 俺の自嘲を表情から感じたのだろうか、巴は俺に声を掛けた。

 

「陽奈、自分を責めるな。オーバーワークは、最終的に自分自身の責任だろう?」

「よく言うよ……巴だって、自分を責めてるくせに」

「っ……!」

 

 今俺に向かって放った言葉は、きっと彼女自身も自分へと言い聞かせているはずだ。幾らドライな巴でも、仲間を、大切な幼馴染が倒れたのを本人のせいにしたりするわけがない。

 

「……互いに言えた話じゃないけど、自分を責めるのも程々にな?」

「あぁ……ありがとう」

 

 俺の問いかけに、巴は笑う。

 かく言う自分の思考は、もう自嘲から脱却しきっていた。倒れてしまったのは大変だが、ここからどうリカバリしていくかを考えていかなくては。少なくとも3日は安静だろうか、本番直前の3日は大きい……どこかで取り戻せるか。

 

 そんな事を考えていると、先程から全く口を開かないひまりの様子が気になった。

 

「ひまり?」

「え……あぁ、ごめん、どうしたの?」

「いやいや、君の方こそどうしたんだよ」

「えと、ちょっと考え事……えへへ」

「ならいいんだけど。そういえば、蘭とモカは?」

「先にスタジオに行ってたらしくて、そこで待機してるみたいだよ」

「なるほどな、じゃあ巴とひまりはそっちに向かって先に練習しておきなよ」

「えっ……?」

「心配で落ち着かないのはわかるけど、本番も近いんだ、ちょっとだけでも練習してた方がいい」

 

 何度も重ねるようだが、本番は近い。

 つぐみには申し訳ないが、僅かでも練習の時間を削る程の余裕は、『Afterglow』にはない。

 故に俺は、彼女達にとっての最善を提案した。

 

「……わかった。陽奈は?」

「俺は少しつぐみの所に顔を出したいんだけど……面会は出来そうなのか?」

「うん。もう意識は戻ってるみたいだよ?」

「なら良かった。つぐみは俺に任せてよ。君達は、自分のやるべきことを、ね?」

 

 俺の言葉に巴は頷く……が、ひまりは何やら不服といった様子で俺の方を見ている。

 

「……ひまり?」

「珍しいね。ハルちゃんがつぐを気にかけるなんて」

「えっ、いや、そうか?」

「そうだよ。ハルちゃん、つぐとの距離感を測りかねてたでしょ?少なくとも1人で面会に行こうなんて思う程つぐと仲良かったかなーって。何かあったの?」

「えーっと……」

 

 鋭すぎませんか??幼馴染の勘、ってやつだろうか、まるでエスパーかのように俺の心境の変化を言い当てたひまりに、俺は内心激しく動揺する。確かに以前の俺ならば、つぐみの面会に1人で行こうなどとは考えなかったはずだ。1人で行っても、特に話す話題も無く気まずい空気が流れるだけだろうから。

 

「……まぁちょっとこの前練習に付き合ったんだよ、キーボードの」

「えっ?個人練?」

「うん」

「2人で?」

「う、うん」

「ふーん……」

 

 質問を重ね、ふとそっと横へと視線を流したひまり。別に悪いことをしたわけではないのに、俺はどうにも居心地が悪くて咳払いをする。ややあって、ひまりは俺に向き直ると笑顔を浮かべた。

 

「なるほど!うんうん、良いことだと思うよ!」

「何の話だよ」

「何もない!じゃあ私達練習行ってくる!はら行こ、巴!」

「あ、おい待てよ、ひまり!」

 

 足早に病院を去って行くひまりを、巴が慌てて追いかける。一体何だったんだ……?考えても答えは出ない。とにかく今はつぐみの所へと急ごう。

 

「すいません、えっと……はざ、わ、つぐみの面会をお願いしたいんですけど」

 

 受付へと向かい、つぐみの名前を告げようとして、俺は彼女の名字すら満足に覚えていなかったことに気づく。内心驚きながらも、面会証を受け取り、教えられたつぐみのいる階へと向かう。

 

 ゆっくりと上昇を続けるエレベーターに乗りながら、俺は1人考える。

 

 ひまりの言った通り、俺はつぐみとの距離を測りかねていた。だが、それはつぐみに限ったことじゃない。ひまり以外の4人……巴はその中でも頭一つ抜けているが、彼女達は果たして俺の中の何なのか、3年に渡る付き合いの中でも未だに把握できていない。彼女達を、友達と呼んでいいものか。そしてそれを、彼女達は望むのか。

 

 そもそもとして、俺には友達を作ることに抵抗がある。

 

 小中学校に渡るからかいの中で、俺に友達と呼べる人物は限られたものになっていた。少なくとも、俺を名前でからかってくるような奴等を、俺には友達だとは思えなくて。そんな思いは、俺の“友達”という概念のハードルを跳ね上げていた。だから『Afterglow』の皆も、“幼馴染(ひまり)の友人”という認識をこれまで変えられずにいた。

 彼女達が、今まで俺を馬鹿にしてきた様な奴等と同列だとは、微塵も感じてなどいない。ひまりの、大切な幼馴染の親友だ、疑う事などありえはしない。

 

 しかし彼女達は、本当に俺と友達になる事を、望むのだろうか。

 

 彼女達にとっても、俺の認識は“幼馴染(ひまり)の友人”であるはずだ。俺たちの関係は、ひまりという共通概念によって結ばれた細い糸で繋がっているに過ぎない。

 巴とモカは、好意的に俺に接してくれている。普通に話しかけてくれて、軽い冗談で俺を笑わせてくれる。だがそんな好意を、俺は『ひまりの幼馴染だから気を遣ってくれているのではないか』と、考えてしまう時がある。その思いは、巴にすら未だに()ぎる

 だが蘭とつぐみ……特に蘭は、俺をどこか苦手にしている様な節が時折見られた。会話がないわけじゃない。寧ろ話す時は普通に話す。だがそれだけ。どこか間に壁を挟んだような接し方を、俺は2人と繰り返してきた。自分が万人に好かれる人間とは思っていない。寧ろ、2人の接し方の方が普通に思えるほど、俺は自分に自信などない。

 

 

 でも──この前のつぐみは、違った。

 

 

 俺なんかの話を、メモまで取って真面目に聞いてくれて。

 

 俺の冗談に、拗ねたように怒って。

 

 悩みが晴れた瞬間、楽しそうに笑って。

 

 知らなかった。真面目な顔、少し拗ねた顔。楽しそうに笑う顔……つぐみの、色々な表情(かお)

 

 

 

 久しい感覚だった。

 

 

──()()()()()()()()()()なんて。

 

 

 

 つぐみに湧いたこの“情”に、名前はまだ付けられないけれど。

 それでも俺の背中は、確かにその“情”に押されて、今彼女の元へと向かっている。

 

 

 エレベーターが開き、再び俺は歩き始めた。数十秒も経たずに、俺は彼女の部屋へと辿り着く。

 

「……はぁ」

 

 緊張している。卑屈なもう1人の俺が、心の中で躊躇させる。でも、それじゃあ何も変わらない、何も始まらない。意を決して、俺は戸を叩く。

 

 

「はーい」

 

 

 返事を確認し、俺はドアノブへとその手を伸ばした。

 

 

 

 





あと1話投稿するかもしれないです。

新たに高評価をくださった、

チンx4パレードさん、本当にありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

望んだコトバ


セーフ!セーフ!!

ひまり誕生日記念連続三話投稿です。


 

 

13話 望んだコトバ

 

 

「あ、陽奈くん!来てくれたんだ!」

「よ。思ったより元気そうで良かった」

 

 部屋に入った俺を、笑顔でつぐみが迎えてくれた。倒れた時は意識を失っていたらしいが、こうして笑いかけてくれた所を見ると、幸いにも大事には至らなかったらしい。

 しかし彼女の右腕には点滴の針が刺さっており、顔色は普段よりも青ざめている。まだたまだ本調子には程遠いようだ。

 

「大丈夫か?つぐみ」

「うん、今は大分落ち着いてる……心配かけてごめんね?」

「おう、心配した。凄く心配した」

「うぅ……ごめんってば……」

「ははは、冗談だよ。心配したのは本当だけど」

 

 わざと心配した事を強調するとつぐみは露骨に泣き出しそうな顔をしてしまった。

 

「……反省、してるんだろ?」

「……うん」

「何がいけなかったのかも、わかってるな?」

「はい」

「じゃあ俺からは何も言わない。早く元気になりなよ。せっかく合法的に学校休めるんだ、今の内に羽伸ばして、たくさん寝るといい」

「……はい、ごめんなさい」

 

 不服そうな返事だが、今回のことで皆に迷惑をかけてしまった事を重々理解しているのだろう、反論はなかった。これで無理を重ねようものなら某ガンジーさんも素足で逃げ出すレベルで平和主義の俺も、本気でつぐみを叱りつけねばならない所だったよ。

 

 ……それに。

 

「……謝らなくちゃいけないのは、俺の方だよ」

「え?」

 

 そうだ。結果的に見れば、俺がつぐみにキーボードを教えた事は、つぐみの無理を助長する形になってしまった。教える時期を間違えた、と言う他ない。本番を間近に控えたこの時期に、つぐみに新しい事を教えて、無理をするなと言って聞くはずがなかった。

 

「俺は君に、キーボードを教えるべきじゃ──」

 

 

 

「──言わないでッ!!!」

 

 

「え……」

 

 突如大声を張り上げたつぐみが、俺の言葉を無理矢理遮った。

 

「違う、陽菜くんは何も悪くない……!悪いのは、全部私なの」

 

 首を大きく横になり、全身で俺の言葉を否定するつぐみ。その様子を俺は只々黙って見ることしか出来ない。

 

「本番が近づいて、勝手に焦って勝手に無理して……本当、馬鹿だよね、私」

 

 つぐみは笑う。

 しかしその笑顔は自身を嘲笑っているようにしか見えない。

 

「……でも、私は嬉しかったの」

「……!」

「陽奈くんが私に色々な事を教えてくれて。自分の世界が拡がっていくみたいで、嬉しかったの、楽しかったの……!

 

──陽奈くんとちゃんと“お友達”になれて、嬉しかったのッ!!」

 

「っ……!」

「だから陽菜くん、言わないで……“教えるべきじゃなかった”なんて、言わないで……っ、無かったことになんて、しないでっ……」

 

 零れ出した涙を、つぐみが左手で拭う。止まらない激情が、絞り出すような嗚咽に乗って俺の心に叩きつけられる。その様子から、俺は目をそらす事が出来なかった。

 

 “友達”。

 

 彼女は今、俺に向けてそう言ってくれた。

 俺がずっと恐れて……ずっと求めていたその言葉を。

 

 

 

 一緒に居て、楽しいような人間じゃない。

 

 

 

 こんな女っぽい名前をした捻くれた俺は、君達5人の間に割り込めるような大層な人間じゃない。

 

 それでも。

 

 君がこんな俺を認めてくれるなら、友達だと言ってくれるなら。

 

 俺は勇気を出しても──良いのだろうか。

 

 

 そして俺は、つぐみの右手に、そっと触れた。

 

「っ…陽菜くん……?」

「ごめんな。君がそんな風に考えてくれてたなんて知らなかった。俺で良ければ、また色々教えるし、練習にも付き合うよ。だからつぐみ。

 

──俺と友達になってくれないか?」

 

「……!」

 

 俺の言葉に驚いたように、目を見開いたつぐみ。気付けば、彼女の涙はもう止まっていた。それからしばらくしてつぐみは──。

 

「──ふふふ、あはは……!」

 

 大声を上げて、笑い始めた。

 

「な……!べ、別に笑わなくてもっ」

「ははは!だって、私はもうそのつもりだったのに、なんか恥ずかしいよ」

「うっ……ごめん」

 

 ジト目で俺を睨むように見つめるつぐみ。以前までのどこか遠慮した様子から、明らかに接し方が変わった。それは俺たちの関係性か、少しだけ変わった事を意味しているのだろう。

 

「あーあ、私は友達だと思ってたんだけどなー。残念だよ」

「う、うるせえよ……俺にも色々あるんだよ」

「ふふふ……じゃあ」

 

 

 そしてつぐみは笑う。

 

 それは先程の自嘲めいたものではなく、今まで見たこともないような、可愛らしい笑顔で。

 

 

 

「──いつかその“色々”も、私に教えてくれたら嬉しいな。

 

 

私達は、“友達”なんだから」

 

 

 

「……ああ、いつかちゃんと、君には話すよ」

「えへへ、やったぁ!」

 

 満足そうにガッツポーズをするつぐみ。

 俺はそんな“友達”の様子を、笑顔で見守っていた。

 

 

 

 

「じゃあ俺、そろそろ帰るよ」

「あ、ごめんね!長く引き止めちゃって」

 

 それからしばらく、つぐみと他愛ない話で打ち解けた。病室を訪れて30分と言ったところだろうか、えらく濃密な時間の様に感じた。

 

「気にしないで。とにかくつぐみはちゃんと休め。いいな?」

「もう!何回も言わなくてもわかってるってば!」

「何回も言ったのに聞かなかったのはドコのドイツだよ」

「うっ……す、すいませんでした」

「……休んだ分は俺も練習に付き合うから、とにかく今は本当に回復に専念してくれよ?」

「うん、今回のことで流石に反省したよ……」

「なら、いい。じゃあまたね。今度はひまり達と一緒にみんなで来るよ」

「うん!楽しみにしてるね!」

 

 笑顔で手を振るつぐみに会釈を返し、俺は病室を後にした。

 病院を出る道すがら、俺は病室での出来事について考える。今日起きた事は、俺にとっても、彼女にとってもきっといい事だったはずだ。つぐみの頑張りすぎ(オーバーワーク)に関しての心配は、解消されたと言っていい。

 

 残す懸念は──蘭の事のみ。

 

 だがこれに関しては、殊更俺が介入する事ではないだろう。

 

 これは彼女自身の問題で、関わりの薄い俺が何かしたところで、何かを変えられるとは到底思えない。“他人事”と言ってしまえば何処か冷たい様に聞こえるかもしれないが、事実この問題に関しては俺は本当に蚊帳の外だから。

 

 でも──つぐみとの会話を通して、俺は彼女達と友達になりたいという思いを自覚した。

 

 だからいつか蘭とも、しっかり話そう。

 蘭とも……キチンと“友達”になりたいから。

 

 そんな後ろ向きか前向きかよくわからないような思いを抱きながら、俺は帰路に着く。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな“いつか”が、直ぐ側に迫っている事に。

 

 

 

 

 俺はまだ、気づかない。

 

 

 

 





陽奈の『Afterglow』への思いを、再確認するキッカケになる、つぐみとのストーリーでした。こんな長丁場になる予定ではなかったのですが……蓋を開けてみれば全部で5話。必要な話だったとはいえ、作者自身もつぐみがヒロインかと錯覚しそうになるレベルでした。

新たに高評価をくださった、

わるわるさん、本当にありがとうございます!

皆さんがくださる定期的なお気に入りや感想、評価のおかげでここまで短いスパンで投稿することができています。本当に感謝の嵐です。

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

他人事のように


この章の、メインとなる話です。

久々のヒロイン登場。


 

 

14話 他人事のように

 

 

 つぐみとの面会を終え、俺は家までの帰り道を普段よりも気分良く歩いていた。これまで友達という概念を、俺はえらく複雑に考えていたらしい。俺が『Afterglow』の皆に感じるこの気持ちに、友情という名を付けてもいい事を、改めてつぐみに思い知らされた。1人1人と、改めてゆっくり話したいな。

 

 そんなことを考えていると。

 

「……ん、雨か」

 

 頬が僅かに濡れる感覚を覚え、ふと空を見上げると空はどんよりとした灰と濃紺を混ぜた怪奇な色へ染まっていることに気づく。確かに天気予報でも今日は夜中に雨が降るって言ってたけど……まだ19時過ぎだぞ?

 

「本格的に降り出す前に、っと……」

 

 折り畳みの傘は常備しているが、多少心許ない。家までの距離はまだかなりある。急がなければと自分に言い聞かせ、俺は早足で帰路を歩いた。

 しかし不幸なことに、道半ばで小雨は本降りへと変わってしまう。

 

「っは、やばいなこの雨っ」

 

 慌てて折り畳み傘を開くも、あまりの雨量に折り畳み傘の面積ではカバーしきれていない。靴や鞄はもうびしょびしょに濡れてしまっている。不幸中の幸いと言うべきか、残り徒歩5分程で家には辿り着く。早く帰りたい、その一心で歩き続け、俺はようやく家へと帰り着いた。

 

 

 

 しかしそこには。

 

 

「…………………………は?」

 

 

 豪雨に打たれながら立っている、彼女がいた。

 

 

 

「…………ひま、り……?」

 

 恐る恐る呼び掛けると、彼女はゆっくりと俺の方に体を向けて、笑う。

 

「……お帰り、ハルちゃん」

 

 その笑顔は、()()()()()

 誰だ君は、と問い質したくなる程に。

 明るく、闊達な普段の面影は何処かへと消え失せてしまっている。

 

「どう、したんだ、こんな、雨の中……」

「ちょっと、当たりたい気分だったの」

 

 空を見上げ、彼女は呟いた。

 一体、何があったんだ──?

 

「……とりあえず、1回ウチに来い。話はそれからしよう」

 

 頑なに動こうとしないひまりの腕を掴み、俺は無理矢理自宅へと引きずり込んだ。

 

 

 

 

 

「……ほら、拭きなよ」

「…………」

 

 俺の部屋になんとか連れ込んだまでは良かったが、タオルを差し出してもひまりは顔を上げずに床に座り込んだまま。ひまりは結局一言も口を開かず、沈黙の真意は未だに謎に包まれている。

 

「……服、びしょ濡れだろ?着替えないと風邪引くぞ?」

「…………」

「……着替え、俺のスウェットでいいよな?ここに置いとくから着替えなよ。5分くらい部屋の外に出てるから、それまでに着替えてないと文句は受け付けないから。いい?」

 

 この言葉にも、返事はない。

 俺はため息を一つ吐くと、棚から適当にフリーサイズのグレーのスウェットを上下で取り出し、タオルと共にひまりの側に置いて部屋を後にした。

 

 

 部屋の壁に背をあてながら、俺は思案に耽る。考えるのは、ひまりの沈黙の原因だ。

 思い当たる原因としては、一つしかない。今日向かったスタジオで、メンバーと何かあったのだろう。

 蘭、モカ、巴……その場にいたメンバーを思い浮かべると、やはり蘭が怪しい。が、蘭とひまりが衝突する場面を想像する事が出来ない。彼女達と俺の関係性から予測できる範囲はここまでだ。あとは彼女本人に聞くしかない。

 

 律儀に携帯で5分を計り、部屋を3回ノックする。が、しかし返事はない。忠告はした。ここは俺の部屋だ、何言われても知らぬ。

 そっと扉を開くと、ひまりはしっかりと着替えてくれていた。無造作に脱ぎ捨てられた濡れた制服を拾い上げ、適当にハンガーへと掛ける。そして俺は、ひまりと対角になるよう、ベッドの淵へと腰掛けた。

 

「……で、どうしたんだ?」

「…………」

「言ってくれないと、わかんないぞ?」

「…………」

 

 再三による呼び掛けも、返答はない。

 果てさて、どうしたものか……と、考えていた時。

 

「……ハル、ちゃん」

 

 普段通りだが、普段と違うその呼び方。

 聞きなれない声色に、俺の表情は引き攣る。

 

「ん?どうした?」

 

 それでも努めて冷静に、平常心を装って俺は答えを返した。

 

 そして彼女は笑う。しかしその笑顔は、自分を嘲笑うモノ以外の何物でもなくて。

 

 

 

「───私、やっぱりリーダー無理だよ」

 

 

 

「……どう、して?」

「……今日ね、あれからスタジオで練習があったんだけど──」

 

 そこからひまりは綴る。

 要点を纏めれば、蘭と巴が衝突したらしい。曰く、練習に遅れた蘭を心配した皆に対して蘭が反発したことに、巴の堪忍袋の尾がついに切れた、と。蘭はここ最近、授業も受けずにずっと屋上に居続けているとか。それを言及したひまりに対して、蘭が口にした『みんなには関係ない』という言葉。この言葉が、巴の気に障ったらしい。

 そしてその後、蘭はそのまま外へと飛び出してしまい、モカは蘭を追いかけ、巴は頭を冷やしてくると外へ。そしてひまりは──。

 

「──私、何も出来なかった」

 

 乾いた笑顔のまま、彼女は言う。

 しかしその笑顔は、彼女の本当の心の内を隠すための、仮面に過ぎない。

 

「部屋を飛び出していくみんなに、私は何も声を掛けられなくて、ただ黙って眺めることしかできなくて……本当、ダメダメだなぁ。私、リーダーなのに」

 

 彼女の自嘲は止まらない。吐けば吐くほど、自分自身を傷つけていく。いや、寧ろ彼女はそれを望んでいるのか。

 

 

「何してるんだろ、私、本当に。情けないなぁ……リーダー失格だよ」

 何度も出てくる、“リーダー”と言う言葉。

 思い出すのは、いつかの会話。

 “リーダーなんだからしっかりしろ”。この言葉が、彼女を励ますと同時に──戒めていたものならば。

 

 ──俺は彼女に、なんてものを背負わせてしまったんだ。

 

「ははは………………ねぇ、ハルちゃん……っ」

 

 彼女の声が、震え始める。

 無感情を装う仮面が、溢れ出る感情を塞き止めることが出来なくなり始めている。

 

 

 そして彼女は、漸く俺を振り向き、呟く

 

 

 

 

 

 

 

 

       「────助けて」

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ──!」

「どうしよう……このまま元に戻れなかったらどうしよう……みんなバラバラになっちゃったら……嫌、嫌だよぅ……ハルちゃん……ハルちゃんっ……!」

 

 溜め込んだ不安が、ついに溢れ出した。

 仮面は決壊し、瞳から大粒の涙が零れる。

 何と声を掛ければいいかわからない。部屋の中には、只々ひまりの声を押し殺した嗚咽が響き続けている。

 

 

 

 

 ──なんだ、コレは

 

 

 俺は、何を見ている?

 

 

 ひまりが、泣いている

 

 

 何が、ひまりを泣かせた

 

 

 誰が、ひまりの笑顔を奪った

 

 

 

 この涙は、いつものとは違う。ひまりの優しさが如実に現れた、哀しみの涙。

 繰り返す自問自答。その中で俺は一つの答えへと辿り着く。

 

 

 

 ──俺はどこまで、他人事のつもりでいたんだ

 

 

 思い返せば、シグナルは多々あった。

 つぐみの過労も、蘭の不調も、全て前から気づいていた事だ。それを俺が口を出すことじゃないと、彼女達の問題だと決めつけて、大丈夫だと高を括って。剰え、つぐみが倒れた俺はそんな彼女達の心情を慮ることもなく、ライブのことだけを見据えて。

 

 

 ──巫山戯るのも、いい加減にしろ

 

 

 そんな俺の自分本位が積み重なって、ひまりの涙は生まれた。壊れゆく歯車に、俺が何か一つでも本気で働きかけたなら、彼女が涙を零す事はなかったかもしれない。

 

 

 俺はやっぱり、最低な奴だ。

 

 

 だが。だからといって、立ち止まっている暇は俺にはない。

 俺の他人事のような態度がこの結果を生んだのならば。俺のやるべきことは、1つしかないのだから。

 

 

 

 

 そして俺は、ひまりを強く、抱きしめた。

 

 

 

「……ハル……ちゃん……?」

 

 言葉は要らない。俺は返事をせずに、彼女の頭をいつものようにそっと撫でる。

 彼女の心に、温もりが伝わるように。

 自分を責め続ける彼女に、手を差し伸べるように。

 

「……ぇぐっ……んぐっ……ぅぁぁ……ぅあぁぁん…………」

 

 そんな思いが伝わったかはわからない。しかしひまりは、力強く俺を抱きしめ返して、再び泣き始めた。

 

 

 

 これは彼女達の問題?それがどうした。

 

 俺が口を出すことじゃない?だから何だ。

 

 俺に何が変えられる?そんな事は関係ない。

 

 

 

 ──ひまりが、泣いている。

 

 

 

 

 それだけで、俺が何かするには、十分すぎる理由だから。

 蘭の為じゃない、『Afterglow』の為じゃない。俺はただ、ひまりの為に。ひまりの笑顔を遮る何かから、ひまりを守る、ただそれだけの為に。

 俺の全てを以って、君が笑えるように。

 それが俺なりの君を“支える”ってことで、それだけが俺の行動理念となり得る確かな感情だから。

 

 だから俺は行くよ──君と、君の大切な居場所(『Afterglow』)と、大切な友人()を、守る為に。

 

 

「……頑張ったね、ひまり」

「違う、違うの……私は、何も“頑張れなかった”の……だからみんな、あんな、風にっ」

「そうじゃない。君の頑張りは、ちゃんと俺が見てたから。君が大好きなあの場所を、無くさせたりなんかしない。だからもう泣くなよ。君が笑ってくれないと、俺も元気になれないんだ」

 

 笑顔を向けた俺を、ひまりは未だに涙の止まらぬ瞳で、じっと見つめている。その涙をそっと拭い、俺は再び頭を撫でた。

 

「大丈夫。君は信じてくれればいい。俺をじゃない。君の大切な仲間を、信じるんだ」

「大切な……仲間……」

「皆だって、君と同じ気持ちさ。こんな形で離れ離れなんて、5人の誰も望んでない。だからひまり、大丈夫だ」

 

 意図的に、大丈夫という言葉を繰り返す。気休めにしかならないだろうが、その気休めはきっとひまりを救うはずだから。

 

「……落ち着いたら、家に帰りなよ。無理そうなら、このままここに居てもいい。俺は今から出掛けてくるから」

「出掛けるって……どこに?」

「ちょっとね。そんなにはかからないから安心して」

 

 俺の言葉にしばらくひまりは黙っていたものの、やがてひまりは、涙に濡れた笑顔で、俺に言う。

 

 

 

「──ありがとう。大好きだよ、ハルちゃん」

 

 

「……おう。俺に任せてよ」

「えへへ……」

 

 ひまりは再び、俺を強く抱きしめた。

 チクリと胸を刺す心の痛みを振り払うように、俺はかぶりを振る。

 

 

 ──ああそうさ、君が()()()()()()愛してくれる俺は。

 

 ──君の笑顔を、()()()()()()愛しているから。

 

 

 魔が刺しそうになる心に何度も言い聞かせ、理性の炎で灼き尽くす。集中しろ、余計な想いは全て棄てろ。俺は俺の出来ることをするだけだ。

 

 ──例え()()()()()()()()()()()()()

 

 俺はただ、君の為に動くだけ。

 

 

 暗い炎を心に燃やしながら、俺は“独り”、そう誓った。

 

 

▼▽▼

 

 

 

「……ただいま」

 

 時刻は、しばらく巻き戻る。

 スタジオを飛び出した後、追いかけてきたモカから逃げるように、蘭は家へと帰宅した。

 時刻は19時を回っている。普段なら日差しがまだまだ刺している時間帯だが、空を見れば厚い雲が点を覆い尽くさんとしている様子が見えた。深夜に雨が降ると言っていたから、その予兆だろう。

 

 そんな蘭に、玄関先で声をかけたのは。

 

「──まだ“そんなもの”を持って学校に行っているのか、蘭」

「……父さん」

 

 蘭の父、美竹一心(みたけいっしん)

 華道の名家『美竹家』の当主かつ、同名の流派『美竹流』の主である。

 

「何度も言っているだろう、いつまでも“そんなもの”で遊んでいないで、華道に専念しろと。お前は“美竹”を継ぐ存在なんだという事を早く自覚しなさい」

「……るさいなァ……わかってるってば」

 

 その言葉に、先ほどのメンバーとの衝突も相まって荒れていた蘭の苛立ちは、一瞬で最高潮に達した。

 

 “そんなもの”。自分の楽器を指して、父は確かにそう言った。それがどれほど蘭の心を傷つけているのかを、一心は知らない。

 “何の意味もない”、“ごっこ遊びに過ぎない”。

 その言葉は、蘭のプライドと反骨精神をズタズタに引き裂いた。反抗を拒否され、抑圧を強制された蘭の心には、1人では抱えきれないほどのストレスで満ち溢れている。

 

「何だその態度は」

「…………」

「待ちなさい、蘭ッ」

 

 一心の言葉には耳を傾けず、蘭は二階にある自室へと急いだ。

 

 部屋に入るなりカバンを床へと放り投げ、ベッドへと飛び込む。歯を食いしばり、右手で布団を強く掴んだ。

 

 苦しい、悲しい、悔しい。

 

 様々な思いが一緒くたになった蘭の感情は濁りに濁って、先の見えない暗闇の中に1人放り出されるようだった。

 

 それでも。

 

 寝返りを打ち、仰向けになると、両目を右手で覆う。

 

 ──泣かない。絶対に泣かない。

 

 蘭は強く自分に言い聞かせ続ける。負けてたまるか。自分に、父に、現実に。泣いて終わるような、弱い人間には、なりたくない。そんな取るに足らないような微かな意地が辛うじて蘭の心を繋ぎとめている。

 

 

 ──わたしは、酷く不器用だ。

 

 

 蘭は人に感情を伝えることが苦手だった。幼い頃から親の厳しい躾を受け、自分の意思がこれまで通った事など、皆無に等しい。その過剰な抑圧は、自分の思いを伝えようという意思と、その方法を知る術を根刮ぎ枯らし尽くしてしまった。15歳になって、信頼の出来る何より大切な幼馴染の出来た今でも、それは変わらない。

 

 それでも、彼女達は、理解してくれた。

 

 言葉足らずな自分の言葉を補い、その真意をしっかりと解釈してくれて。そんな彼女達の存在に、自分は何度も救われてきて。

 

 ──そんな彼女達に、自分は今日、酷い事をした。

 

 自分が本当に嫌になる。甘えて、依存して、傷つけて、手放して。身勝手にも程がある。しかし、それをどうしようもないほど、蘭の心は擦り切れてしまっていた。

 

 こんな自分になんて、生まれなければ。

 

 とある“彼”に似た卑屈な思いを抱きながら、蘭は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────♪

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……!!」

 

 突如鳴り響いたインターホンの音に驚き、蘭の体が跳ね上がる。疲れが溜まっていたのか、目を閉じている間に寝てしまったようだ。机上の時計に目をやると、時刻は20時半前。1時間程も寝てしまっていた。

 こんな時間に来客なんて、誰だろうか。しばらく考えて、蘭はどうせ父の関係者だろうと思い直し、制服を脱ぎ捨て、部屋着へと着替えることにした。そして着替え終わった瞬間。

 

 

『蘭、起きているか?』

 

 

「っ!?は、はいっ!」

 

 扉越しに聞こえた、父の声。予想外の事態に、蘭の背筋が見えない何かに引っ張られたかのように伸びる。

 

『そうか。お前に来客だ。通すぞ』

「へ、わたしに……?うん」

 

 そして開けられたドア。そこに立っていたのは。

 

 

「……へ?」

「……やぁ、蘭」

 

 

 濡れた黒髪に、ジャージ姿。

 そこには申し訳なさそうに笑う、宮代陽奈が立っていた。

 

 





ひまりの為に、蘭を救う。
歪んだ彼ららしい考えですね。

新たに高評価をくださった、

artisanさん、かってぃーさん本当にありがとうございます!!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嫌いだよ。


過去最長、1奏の山場です。


 

 

15話 嫌いだよ。

 

 

「……どうぞ。汚いけど」

「女の子ってみんなそれ言うよな、全然綺麗なのに。失礼しまーす」

 

 突如夜分に来訪してきた陽奈を、蘭は困惑しながらも自室へと迎えた。外は雨が降っているのだろうか、ジャージを着た彼の至る箇所が、染みを作るほど濡れている。そこまでして、彼は何の為に訪れて着たのだろうか。

 しかし当の陽奈は落ち着きなく部屋をぐるりと見回した後、蘭の机上のとある物を見つけた途端、吸い寄せられたようにそこへ駆け寄る。

 

「え!これ最新刊じゃん。蘭もこの漫画読んでたんだな」

 

 陽奈が手にしたのは、蘭が読んでいた週刊誌で連載されている少女漫画の最新刊。意外な食い付きを見せた陽奈に、蘭は驚きを隠せない。

 

「……ハルもそれ読んでるの?なんか意外」

「ひまりが面白いからって勧めてきて無理やり読まされたんだけど、ハマっちゃってさ。っていうか、蘭が読んでるのこそ意外だよ」

「わたしはつぐみから勧められて読んでるだけ。別に自分から進んで読み出したわけじゃない」

「で、バッチリ最新刊を買うまでにどハマりしてしまったわけだ」

「………………」

 

 面白いモノを見るようにニヤけた顔で自分を見てくる陽奈に、蘭は苛立ちを隠せずに視線を逸らした。

 

「別に馬鹿にしてるわけじゃない。この漫画面白いし蘭が読んでたって」

「で?何しに来たの、こんな時間に。そんな話するために来たんじゃないでしょ?」

 

 それまでの話題を唐突にぶち切って、蘭は本題を自ら提示した。言葉を止めた陽奈は僅かに苦笑いを浮かべると、手に取っていた本を机に置き、改めて蘭の正面へと座った。

 

「……巴と喧嘩したらしいな」

「っ……なんで知って……いや、別にいい」

 

 陽奈の自分達(Afterglow)に対する情報源など、聞くまでもなくひまりに決まっている。そう思い直した蘭は、追求を止めた。

 

「理由、教えてくれよ。俺はその場にいなかったからどんなやり取りがあったのか詳しく知りたくて」

「……それ聞いてどうするの?わたしに説教でもするつもり?」

「そんな権利、俺にはない。ただ、君らが喧嘩したままなんてのが、俺も嫌なだけだ。出来ることなら、何とかしてあげたいな、って──()()()()()()()、ね」

「っ……!」

 

 自身の家の事に関する話題が陽奈の口から出た途端、蘭の肩は強張る。その露骨な拒否反応を見た陽奈は、改めて問題の深刻さを再確認した。

 

「……蘭が実家の跡継ぎとして育てられて来たことは、皆から聞いた。そのことで蘭が悩んでるんじゃないかって……皆心配してたぞ?」

「…………」

 

 頑なに閉口する蘭。陽奈が自分を見ていることはわかっているが、目を合わせることはできない。

 

 ──そういうところが。

 

 蘭は内心で呟く。陽奈の諭すような、どこか達観したような目で自分を見るその態度が。

 

 ──美竹蘭にとって、宮代陽奈を好きになれない理由の一つだった。

 

 初めて会った時から変わらない。根暗で、卑屈そうなその目。自分の名前一つでここまで捻くれるなんて、と当時の蘭は思った。その様子は3年間の付き合いで多少の改善は見せたが、彼の本質は変わっていない。

 

 同い年のくせに、どこか大人びたように振る舞おうとする、背伸びしてスカした奴。

 

 3年経った今でも、その印象は変わらない。だが、そんな陽奈にも、尊敬できる部分があった。

 

 それが彼の卓越した音感。蘭もその事は認めていたし、不本意ながらも頼りにさせてもらっている部分だった。右も左も分からないまま、つぐみの提案で始めたバンドとしての活動が、なんとか軌道に乗ったのは陽奈の活躍が大きい。彼が定期的に練習を見てくれる事で、練習の方向性に見通しが持てた。その点では、蘭は陽奈に感謝している。

 

 しかし陽奈は──必要以上に自分達と関わりを持とうとしなかった。

 

 利害関係ではなく、一方的な利の提供。それが自分達と陽奈の関係を評する言葉に相応しい。何度か6人で遊びに行く機会はあったが、それはひまりの提案で渋々行くことになった酷く受動的なもので、彼自身の意思とは程遠い。汚い言葉を使わせてもらえば、自分達を避けている。蘭にはそれが、どうしても気に食わなかった。

 

 そんな彼が今、蘭の心の中へ手を差し伸べようとしている、踏み入ろうとしている。

 

 

 

 わたし達の手を振り払い続けたその手で?

 

 わたし達に近づこうとしなかったその足で?

 

 ──何を、今更。

 

 巫山戯るのも──いい加減にしろ。

 

 

 

「……関係ないでしょ、ハルには。それに、別に心配してなんて、頼んでない」

 

 吐き出した言葉は、酷く毒突いたものになってしまった。苛立っていたにしろ、自分を助けてくれようとした人物に対する仕打ちでは無い。そんな自分自身へと、蘭はますますフラストレーションを溜めていく。しかし彼の反応は、蘭にとって些か予想外なものだった。

 

「──そ。関係ないんだよ、俺にはね」

「え……?」

 

 蘭の動揺が、そのまま声になって漏れ出した。その様子を見た陽奈は、蘭に笑顔で答えた。

 

「俺は『Afterglow』のメンバーじゃないし、君の家の事にも関わりのない完全な第三者だよ。でも、他人でもないはずだ。遠すぎず近すぎず、そんな俺にだからこそ、話せることもあるんじゃない?ほら、壁に話すと思って、言ってみ?」

 

 ニコリと笑いながら、陽奈は蘭に問いかける。その様子が、蘭にとっては最早気味の悪い何かにしか映らなかった。だがそれでも、自分に酷い言葉を投げかけられて尚、彼は自分に手を差し伸べようとしているのだということだけは、彼女にも理解はできた。

 

 しかしそれでも、彼女はその手を取ろうとはしない。

 

「……わかるわけない」

 

 微かに、それでも確かに漏れ出した、自分の中の毒。それは意図してか、将又無意識か。

 

 

 

「──ハルにはわからない……!音楽の才能があったのに、誰に束縛されるわけでもなく音楽を続けられたのに!!()()()()()()()()()()()()、わたしの気持ちがわかるわけないッ!!!」

 

 

 

 陽奈は、音楽を棄てた。

 この事実を知った蘭は、尋常ではない怒りの炎を心中に燃やした。

 

 ──あれだけのモノ(才能)を持ちながら、それを身勝手に手放した?

 

 ──わたしにはハルみたいな才能はない。それでも、『Afterglow』を、大好きな音楽を続けていきたい。そう思ってるのに、コイツは……!

 

 陽奈の事情を知らない蘭からすれば、彼の行動は酷く身勝手で、自分本位のモノに見えた。自分は望んでも音楽を続けられないのに、周りから束縛もなく、自由に音楽を続けられたはずの陽奈の行動が、どうしても蘭には許せなかった。

 

 吐き出した毒は、もう自分の意思では止まらない。

 

「わたしもアンタみたいに、気楽に音楽を続けていける立場だったら良かったわよ!家の事も気にせず、ただみんなで歌っていけたら最高だった!!そんなアンタを頼れって?笑えない冗談はやめて!!」

 

 心無い言葉のナイフが、陽奈の心臓へと向けられる。その言葉は確かに陽奈の急所を抉らんとする為のものに他ならず、蘭の明確な拒絶の意思を具象化した物だった。

 

 しかしその言葉を受けた陽奈の表情は、蘭を激しく動揺させた。

 

 

 ──どうして。

 

 ──どうして、そんな顔で。

 

 ──困った顔で、()()()()()

 

 

 

「至極、真っ当な意見だ」

 

 至って冷静に、陽奈は言う。

 

「俺は棄てたんだ。ピアノを、音楽を、自分のくだらない嫉妬で。君の言うことは正しい。何の反論もない」

 

 何気なく、さも当然のように。

 どこか達観したような話し方をするこの男のそんな所が、蘭を只々苛立たせた。

 

「……確かに君の気持ちなんて何もわかんないけど、今の君の様子と、これまでの君の様子を見てこれだけはわかったよ。

 

 

 ──お前、逃げてんだな」

 

「っ!」

 

 陽奈の雰囲気が、変わった。

 蘭を優しく諭す口調から、蘭の言動に呆れ、僅かな怒りを孕んだ口調へ。

 蘭の心情を慮るような眼から、不甲斐無い蘭を諌める為の突き刺さるような鋭い眼へと。

 それを悟った蘭も、思わず身動いだ。

 そんな蘭が次に繋いだ言葉も、動揺を隠しきれずに。

 

「……は?わたしが、一体、何から……」

「それがわかんない程、お前は逃げてるってことだ。お前は何にも向き合ってないんだよ」

「勝手なこと言わないで……!ちゃんと説明して!」

「自分のことくらい、自分で考えてみろ。俺はお前の親でもないしカウンセラーでもないんだ」

 

 ──逃げてる……わたしが?

 

 蘭は思案する。一体自分が何から逃げていると言うのだろう。心当たりが()()()()

 

 だが、蘭は気づかない。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()だけだという事に。必死に気付かないフリをしているだけだという事に。

 

 そんな蘭の様子に、陽奈は呆れた様に溜息を吐いた。

 

「お前……本当にわかんないのかよ」

 

 陽奈の言葉に、蘭の苛立ちはさらに加速していく。射殺すような視線で陽奈を睨みつける蘭だが、その様子にも陽奈は何ら反応を示さない。そのことが殊更蘭を苛立たせる。

 

「わかんねぇなら教えてやるよ」

 

 しかしこの言葉には、蘭は息を呑んだ。

 蘭自身、薄々と感じているその“答え”を、彼は今口にしようとしている。

 

 

 

「──華道と家の事に悩むのが嫌でバンドの練習に浸って、かといってその練習も華道と家の事が頭を過って集中できない。こんなザマで、一体何に向き合ってるっていうつもりなんだ?1人じゃどうすることも出来ないくせに、皆に迷惑をかけないように全部1人で抱え込もうとして、結果的に皆を心配させて、練習の質を下げて迷惑をかける。その心配を、自分には必要ないと強がって、皆の和を乱す。

 

 

──なぁ、蘭。お前、何してんの?マジで」

 

 

「っぅ……!」

 

 図星を突かれた感覚、ぐうの音も出ない正論。全身を苛む敗北感が、蘭自身もそれを認めてしまっている証だった。

 

 

 ──『お前、何してんの?』──

 

 

 彼に言われたその一言が、頭の中を駆け巡る。複雑な感情が蠢く自分自身の行動の全ては、その一言へと収束される。

 

 

 ──わたしは、何をしているんだろう

 

 

 そんなことは、自分でもわかっている。自身の感情は様々な要因に抑圧され、やる事為す事全てが中途半端で宙に浮いたまま。厳しくも充実していて楽しかった練習が、苦痛でしかない。永遠に続いて欲しいと願っていた、『Afterglow』の皆との時間が限られたものだと、残り僅かだと悟ってしまった自分の心を襲う、どうしようもない寂寞。笑いながら歩いて行く皆の横に、自分は並んで歩けないのだと自覚する度に、涙が出そうになる程悲しさが込み上げる。

 その筈なのに、口から出る言葉は、接する態度は、そんな思いとは裏腹な棘のあるものばかりで、皆を傷つけてしまう。そんな自分が本当に嫌で、只々辛くて。

 

 

 

 でも。

 

 

 それでも。

 

 

 

 

「──じゃあどうすればいいのッ!!!」

 

 

 

 気付いた時には、既に絶叫していた。

 

 

「わたしだって、色々考えてる!みんなと一緒にバンドを続けていきたい!!でもわたしにそれは許されなくて……わたし達の音楽を、父さんは“ごっこ遊び”だって馬鹿にして……!わたしは、わたし達は、こんなにも本気なのにっ!!」

 

 誰にも言えずに、抱え込んでいた蘭の心中。

 極限まで揺さぶられた蘭の精神状態が、それまで硬く封じられていたその心の鍵を打ち壊した。

 

「何度口で説明しても、取り合ってすら貰えない……何度も、何度も何度も何度も!何度も!!その度に拒絶されて、それでも諦めたくなくて説得しようとして……!その都度潰されてきたわたしの気持ちが……!ハルにわかるの!?わたしにはもうっ……どうしたらいいかなんて、わからないんだよッ!!」

 

 叩き付ける。目の前の少年に、自分がこれまで抱えてきた紫色の泥のような負の塊を。抑圧されてきたそれは枷が外れた今、急速な膨張を繰り返し、(とど)まる事を知らない。吐いても吐いても、怒りと共に込み上げてくるそれを、蘭は只管に陽奈へとぶつけ続けた。そんな蘭の様子を見た陽奈は。

 

 

 

 

「──だったらどうしてそれをアイツらに相談してやらねぇんだよ!!!」

 

 

 

「……ぇ」

 

 3年の付き合いで初めて聞いた、陽奈の怒号。普段は冷静だが、温厚かつ優しい陽奈からは考えられない程の威圧感に、蘭は息を飲む。

 

「“皆に話してやる”。ただそれだけでいいじゃないか……!お前のその悩みを聞いて、一緒に手伝ってくれるのが友達じゃないのかよ、幼馴染じゃないのかよ!アイツらじゃないのかよ!!アイツらは、あんなにもお前のことを心配してくれてるのに!!

……お前さっき俺に言ったな、“心配してくれなんて頼んでない”って。そりゃそうだろ、心配は勝手にするもんだ、誰かに許可取ってするもんじゃねぇ……!いつまで意固地になってんだよ、アイツらの手すら取る事拒んだら、お前もう本当に何も残らないじゃないか……!!」

 

 苦しそうに、今にも泣き出しそうなほど表情を歪めて陽奈は蘭に訴える。

 

「ひまりは……アイツはお前の為に、皆の為に泣いてたんだ……!離れたくないって、ずっと一緒に居たいって!!それでもアイツらの心配を、お前は上辺だけだって切り捨てるのか!?そんな薄い付き合いを、お前達はして来たのかよ!?お前にとって『Afterglow』の皆は、その程度の存在なのかよ!!違うだろうが!!」

 

 息を荒げながら、陽奈は叫び続ける。

 反抗心は、込み上がって来なかった。蘭の頭ではなく心が、陽奈の言葉を是と認めてしまっていたからだ。そして陽奈は、こう言葉を続けた。

 

 

「大切なら、守ってみせろよ」

 

 

 諭されて。

 

 

「やりたいなら、最後まで貫いてみせろよ」

 

 

 絆されて。

 

 

「戦え、逃げるな。“いつも通り”、お前はお前のままでいい。自分の思いを曲げるな。外からの圧力なんかに負けてんなよ、お前らしくないんだよッ!!」

 

 

 言葉の一つ一つが、心に溶けていく。

 

 自分にとっての、皆の存在。

 

 自分達の原点(いつも通り)

 

 全てが圧縮されたような陽奈の言葉は、確かに蘭を救う道導となっていた。

 

 ──“お前らしくない”、か。

 

 

 “わたしらしさ”って、なんだろ。

 蘭は耽る。彼の見ている自分らしさとは、一体何なのだろう。それが何かは終ぞわからなかったけれども、その言葉は確かに蘭の腑に落ちた。

 

 

 ──そうだ。わたしは今、“わたしらしくない”。

 ウジウジと迷って、足が止まったままなんて。“いつも通り”に、全力で歌えない自分なんて。

 

 

「……ぅ……ぐす、んっ……」

 

 

 

 ──彼の叱責(優しさ)が嬉しくて、安堵の涙を流している自分なんて。

 

 

 そんなの、全然わたしらしくなんかない。

 

 

 幾多の言葉を拒み、差し伸べられてきた手を振り払い続けた蘭が、初めて誰かの優しさを素直に受け入れた瞬間だった。

 

「……なぁ蘭。お前、何がしたいんだ?」

 

 先程と同じような言葉、しかしその声色は蘭の心情を慮るように変わった、陽奈の問いかけ。

 

「“嫌だ”とか、“やりたくない”とか否定的な感情じゃなくて、“やりたいこと”って、お前の中には何もないのか?」

 

 陽奈は問いかける。蘭に“それ”を、自覚させるために。

 華道が継ぎたくない。父の言いなりになりたくない。

 その思いは最初から在った訳ではく、蘭の本当にやりたい事が阻害されたために生まれた副産物のはずだから。

 

 蘭の本当の思いは、最初から心の中にずっとあるはずだから。

 

 そんな陽奈を、蘭の揺れる瞳が見つめている。堪えている涙が、口を開けば今にも溢れそうだ。口を開いては閉じ、開いては閉じをしばらく繰り返したのち。

 

 

「…………みんな、と、一緒に居た、い……っ!」

 

 

 俯いた蘭の口から、遂に出た、彼女の本心。

 

 

「みんなと、ずっと一緒にいたい……あの場所(Afterglow)が、わたしの大好きなみんなとのあの場所が無くなって欲しくなくて、離れたくなくて、怖くて、嫌で、どうすればいいかわからなくて……わたし、わたし、みんなに、たくさんっ……酷いこと言っちゃって……っ」

 

 

 溜め込んでいた全てが、彼女の眼から、口から、涙と言葉になり溢れ出る。嗚咽が混じり、掠れる声が部屋の中に木霊していく。

 

「やりたい、みんなでっ、まだ、歌いたい……こんなところで……っ、終わりたくなんか、ないのにっ……なんで、っなんで、嫌だよ……嫌なんだよ………っ」

 

 そんな蘭の様子を、陽奈は痛ましい表情で、ただ見つめていた。そして彼は、蘭に改めて言葉をかける。

 

「その気持ちをほんの少しでも、アイツらに伝えてやりなよ」

 

 声色が、最初の優しく諭すようなものへと戻った。

 

「俺だって、『Afterglow』が好きだ。まだまだ君達を見ていたい。だから蘭、しっかりとお父さんを説得しないとな」

「でもっ、どうすれば……」

「あるじゃないか、君には。“感情を伝える事が苦手”な君が、“感情を伝えることの出来る”唯一無二の武器が」

「…………!!」

 

 陽奈の言葉に、蘭は驚いたように目を見開く。それは確かに、蘭の現状を打破してくれる一筋の光明となった。

 

「……君らしくないんだよ。言葉で誰かを説得しようなんてさ。ただでさえ言葉足らずなんだから」

「……うる、さいっ」

「だから蘭、“いつも通り”歌えばいい。君は君らしく、君達のやり方で。今までだって、そうして来たんだろう?」

「うんっ……うん……」

 

 今度こそ、我慢の限界だった。決壊した涙腺は、止めどなく涙を流し続ける。自分がこんなにも泣けるなんて、知らなかった。それ程までに今まで耐え続けて来たのだということを、目の前の、大嫌いな彼に教えられた。

 しかし不思議と、嫌な気分ではない。流石に恥ずかしさを感じた蘭が泣き止むまで、陽奈は只々、その様子を眺めていた。

 

 

 

 

「………………」

「ちょ、なんでそんなに不機嫌なわけ?」

「うるさい」

「えぇー……」

 

 あれから落ち着いた蘭は、自分の行動を恥じた。よりにもよってこの男の前でガチ泣きするなんて、時を遡ってあの時の自分を殺しに行きたい。そう思うほどに。

 それから帰ろうとする陽奈を流石にそのまま送り出すのは不味いと思い直し、極めて不本意ながらも渋々蘭は玄関先にまで陽奈を見送りに来た。

 

「んじゃ、帰るよ」

「……うん」

「練習、明日は来るよな?」

「……行く。巴にも、謝らなきゃ」

「なら良し。それじゃあ──」

 

 

「──宮代くん」

 

 

「え」

「っ!父、さん……」

 

 気づけば2人の後ろには、一心が立っていた。蘭の鼓動が急激に早まる。何せ自分達は今、バンドの練習の話をしていて──。

 

「わざわざこんな遅い時間に、ありがとうございました。雨も降っていますし、送っていきますよ」

「えっ、いや、わざわざ悪いですよ」

「気にしないでください。蘭の友人だ、丁重に持て成さなければ美竹の恥になります」

「は、はぁ……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね」

「いえいえ。お気になさらず……蘭。私は彼を送って来る。いいね?」

「う、うん」

 

 目の前で繰り広げられた光景を、蘭は理解できずにいた。父が陽奈を送って行くという、一周回ってシュールな状況に、蘭の心中はハテナで埋め尽くされている。

 

「では、車を用意して来ます。3分ほどで車を家の前に出すので、それまでここでお待ちを」

「はい。ありがとうございます」

 

 そう言って、一心は一足先に玄関を出た。

 残された陽奈と蘭の間に、なんとも言えない空気が流れる。

 

「……いい人じゃん、蘭のお父さん」

「……そう、みたい」

「蘭の話とか皆の話から聞くに、もっと堅物な人かと思ってた」

「……私もだよ」

「え?」

 

 陽奈が驚きのあまり素っ頓狂な声を出す。しかし蘭自身も、父にこのような一面があるとは思ってもみなかったのだ。

 

「……わたし、父さんのこと何も知らなかったんだって、改めて思わされた」

「……ちゃんと、話してやりなよ。バンドのことだけじゃなくて、楽しかったこととか、悔しかったことも……あの人は、ちゃんと蘭の話を聞いてくれる人だと思うから」

「そう、だね」

 

 蘭が微笑む。それをみて陽奈も満足げに笑った。

 

「じゃ、俺は行くよ。突然押しかけてごめんな」

「……ハル」

「ん?」

 

 呼び止められた陽奈が、蘭を振り返る。

 

 

 

「───わたしは、ハルが嫌いだよ」

 

 

 

「面と向かって言うかよ……」

「でもっ」

 

 陽奈が本気で傷ついた顔をする前に、蘭は声を発する。しかしそれから直ぐには言葉が続かずに、しばらく視線を泳がせた後。

 

 彼とは目を合わせず、頬を朱に染めた蘭は、小さく呟く。

 

 

「──頼りにしてる。だからこれからも、わたしの側にいて、欲しい……です……」

 

 

「なんで最後敬語なんだよ」

「う、うるさい!」

「ははは……ちょっとは素直になったみたいでお兄さん嬉しいぞ」

「同い年でしょ、からかわないで」

「へいへい」

 

 手をヒラヒラと振り、陽奈は蘭を軽くあしらった。そして蘭とは目を合わせずに、陽奈は蘭の名前を呼ぶ。

 

「……蘭」

「……何」

 

 

「──また明日な」

 

 

「……うん、また明日」

「ははっ、じゃあね」

 

 そして陽奈は今度こそ、玄関を後にした。

 その後ろ姿を眺めながら、思う。

 

 

 

 素っ気なくて、冷めてて、スカしてて。わたしの事なんて眼中にもない。

 

 それでも優しくて、世話焼きで、わたしのために、本気で怒ってくれる、大嫌いなこの男のコトを。

 

 

 ──わたしはどうやら、えらく信用しているらしい。

 

 

 柄にもなく、蘭はそんな事を思った。

 

 





美竹蘭と、宮代陽奈の物語でした。
蘭の陽奈に対する思いが伝われば幸いです。
後数話で第1奏が終わります。

新たに高評価をくださった、

天城修慧さん、本当にありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その裏側で


彼と彼女が本音を曝け出す。

その少し前と、少し後のお話。


 

 

16話 その裏側で

 

 

 そしてその次の日、彼女達は話し合った。 

 

 巴、ひまり、つぐみの出した結論は、『蘭の為にも、一時活動休止しよう』というもの。蘭の身辺整理がキッチリと済んでから、改めてみんなでバンドを頑張っていこう。これは『蘭の為』を思った結論である。

 一方蘭は、これに反発。蘭のこのバンドにかける思い、皆を大切に思う気持ち、これを涙ながらに語った。蘭は昨日心に決めたのだ。もう逃げないと。家の事も、父の事も、バンドの事も、大切な皆の事とも、全てと向き合って生きていくと。それが昨日、不器用な“友人”に気付かされた、蘭の決めた道だから。

 

 『Afterglow』の今後。各々が悩んで出した結論は、“続けていく”ということだった。

 

 そうなると課題となるのは、蘭の父に、どうやって活動を認めてもらうか。これに関しては、蘭は彼との語らいで答えを見つけていた。

 

──『あるじゃないか、君には。“感情を伝える事が苦手”な君が、“感情を伝えることの出来る”唯一無二の武器が』──

 

 歌う。父の目の前で。

 そしてぶつける。自分達の思いを、自分達の本気を、『ガルジャム』二次予選の会場で。

 思えば、彼のいう通りだった。

 “本気”を言葉で伝えるのは難しい。『百の言葉よりも一の行動』、『行動は言葉よりも雄弁である』。これらの言葉通り、彼女達の行動(演奏)でしか、一心の心は動かせない。

 だがその前段階……一心をライブ会場に連れてくるということは、残念ながら言葉を使うしかない。こればかりはどうしようもなかった。

 

 

 そしてあの日から2日後、蘭は父に告げる。『自分達のライブを、見に来て欲しい』と。どれだけ拒否されても、ここだけは譲らない。蘭は断固たる決意を持って説得に臨んだのだが──。

 

 

『──わかった。この日は空けておこう』

 

 

 父は呆気なく、認めてくれた。

 今までの態度からは想像出来ないほど、柔和な笑顔と共に告げられたこの言葉に、蘭はしばらく固まって返事をすることが出来なかった。そんな蘭に、一心は告げる。

 

『但し。やるからには全力でやりなさい。少しでも中途半端を感じたら、私は絶対にお前のバンドを認めない』

 

 再び威圧感の戻った父の声。しかしそこには、確かに蘭を慮る優しさも感じられた。

 

 ライブに父を無事に招待することが出来、心置きなく練習に専念することができると皆に伝えると、皆はとても喜んでくれた。ひまりなんかは、大声を上げて泣き叫んでしまう程に。その様子を皆で笑いながら、巴も、つぐみも、モカも、蘭も、皆で涙した。こんな風に泣いたのは、学祭の日、皆で屋上から見た夕焼けの日以来だ。改めて感じる思い。この5人が大好きで、ずっと一緒に居たいと。大きな衝突や事件を経て、5人の絆はまた一段と深く、強くなったことを皆は感じていた。

 

 そんな中、蘭は思う。

 

 5人を助けてくれた、一人の少年のことを。

 

 彼が居なければ、自分達はどうなっていたことか。

 

 父がすんなりと認めてくれた事も、きっとまた彼が“あの時”に何かしてくれたのだろう。

 

 

 だから、今は。

 

 

「──ありがとう」

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

「……うぇっくしゃい!!」

 

 蘭の家を訪れてから3日後。俺は絶賛風邪を引いてしまい家で寝込んでいた。原因として考えられるのは、やはりあの日の雨。ひまりと違い直に雨に打たれたわけでもないのに、濡れたせいで風邪を引いてしまったのだろう。ひまりは全然ピンピンとしているのに。解せぬ。

 

「……みんな、上手くやってるかなぁ」

 

 やれることは、全てやったつもりだった。

 蘭が何の懸念もなく練習に集中できるように。『Afterglow』がまた5人で一緒に居られるように。

 

 ──ひまりが、また笑ってくれるように。

 

 その為に、俺が考え得る全ての策を弄した。これで上手くいかなかったら、俺は2度と彼女達に、ひまりに顔向けできないだろう。そして俺は、あの日の夜のことを思い出していた。

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

 蘭の父、一心は娘の蘭のことを考えていた。

 蘭は華道を継ごうとはせず、幼馴染とのバンド活動に明け暮れるばかり。それは一心にとって、“逃避行動”にしか見えなかった。

 華道から逃げる為に続ける何かなぞ、何の意味も持たない。物事は真剣に取り組むからこそ意味を成すのだ。一心には、蘭のバンド活動が文字通り“ごっこ遊び”に過ぎないものだった。

 

 つまり、蘭がバンドをする事を否定しているのではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、一心は否定していたのだ。

 

 

 そんな事を考えていると。

 

 

 

 ──────♪

 

 

 

 インターホンが鳴らされる。時刻は20時半前。こんな時間に一体誰が。そう思いながらも、一心は玄関へと向かい戸を開ける。そこには。

 

 

「夜分遅くにすいません、失礼します」

 

 

 卑屈な目をした、黒髪の少年が立っていた。

 

 

「……君は?」

「宮代陽奈と言います。美竹蘭さんの……」

 

 そこで彼は一度言葉を止める。ややあって、彼は意を決したように口を開いた。

 

 

「──()()、です」

 

 

「……蘭の友人?」

 

 一心は懐疑的になる口調を抑えられなかった。蘭の交友関係に詳しい自覚はないが、目の前の少年が自分の娘の友人だとはとても思えなかった。少年は一心の口調に一瞬萎縮したような表情を見せたが、数瞬のうちに気を持ち直し、一心へと告げる。

 

「はい。蘭さんの友達の……ええと、モカやひまりを通じて、彼女と一緒に過ごさせてもらってます……蘭さんのバンド──Afterglowの手伝いをして、います」

「……なるほど」

 

 バンド。この一言が彼の口から出た瞬間、一心は懐疑こそ消えたものの、彼の悪印象が確定した。この子も、“ごっこ遊び”の一員か、と。

 

「……して、どう言ったご用件でしょうか」

「蘭さんと、話がしたいんです。今彼女は家にいますか?」

「ええ。1時間程前に帰宅して、今は自室の方に。蘭を呼びますか?」

「はい。そうしていただけると助かります」

「わかりました。では……」

「あっ、待ってください」

 

 蘭を呼ぶべく、二階へと向かおうとした一心の足が、少年の呼び掛けによって止まる。

 

「何か?」

「いえ……その」

 

 少年は再び言い吃る。別に態度を強めている自覚はないが、自分の姿が酷く威圧的に見えているのだろう。一心はそう考える。

 

 やがて彼は、その問いかけを口にした。

 

 

「──蘭さんがバンドを続けること、反対ですか?」

 

 

「……そうですね。今のままならば」

「今のままなら……?」

「はい。言葉通りの意味です」

 

 蘭が華道から逃げる為にバンドを続けていくのなら。一心は絶対にそれを認めない。口先でどれだけ本気を語ろうと、その本質が揺らぐことはないからだ。

 

 だが、それを一から懇切丁寧に教えるほどの義理は──彼には無い。

 

 これは蘭が自分で気づくべきことだ。他の誰かから言われるようなことではない。そう考えた一心は、敢えて言葉足らずな返答を彼へと返した。

 

 少年はそのまましばらく考え込むと。

 

 

「──そっか、なら良かったです」

 

 

 不意にニコリと、笑った。

 予想外の反応に、一心の表情が険しさを増す。

 

「……貴方は、()()()()()()()()()()()()()()、バンド活動を認めてくれるんですね?」

 

「っ──!」

 

 目の前の少年の、本質を見据えた答えに、今度こそ一心の表情が驚愕に染まる。その表情に、彼は自分の推論への確信を深めた。

 

「……ずっと疑問に思ってたんです。()()()()()()()()()()って。中学2年でバンドを始めた時の蘭さんには、華道を継ぐことに悩んでる様子なんて全くありませんでした。高校に入ったら本格的に華道の勉強を始める、とかいう約束をしてたんですか?」

「…………」

「まぁ、そこは別に大丈夫なんですけど。僕にとって、どうしてもそこが不自然でした。だから思ったんです。蘭さんのお父さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。もしそうなら、蘭さん達がバンドを始めた中学時代にすればいいんだから。本当に反対してるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

 

 浮かれるでもなく、安堵するでもなく、一貫して真顔を貫いて自身の予想を語る目の前の少年の様子が、一心には不気味に映った。

 

「だとすれば、僕に考えられる原因は2つしかありませんでした。1つは、()()()()()()()()()()()()()。これは約束したこと自体が予測なんでなんとも言えませんが、もう1つは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。さっきの貴方の反応から見るに、こっちで正解みたいですね」

 

 ──何者だ、この少年は。

 

 一心は内心で舌を巻く。一切の感情を廃し、事実と論理的思考から一心の考えを導き出した。齢15とは思えない卓越した推理。カマを掛けられたことに対する怒りなど湧いてこないほど、一心は動揺していた。

 

 

「……確かに今の蘭さんは、第三者の僕から見ても、逃げてます。貴方や自身の家の事……いろんなことから逃げる為に、バンドをやってるんだと思います。挙句練習中もいろんなことが気になって、満足に練習に集中できてない始末です。

 でもそれは、“今”の話です。彼女は本気で、全力でバンドをしてきました。彼女にとってあそこは、掛け替えのない場所で、本気をぶつけることのできる唯一の場所なんです」

 

 そこまで言い切ると、少年は深く頭を下げた。

 

「……すいません、僕……俺は今から、失礼な事をたくさん言うと思います。口調も悪くなると思います。でも、伝えたいんです。俺の思い……俺の“本気”を。聞いてくれますか?」

 

 改めて一心に向き直った彼の顔を見る。

 そこには、彼の卑屈な目に似合わぬ、覚悟の火が見て取れた。その火に魅入られた一心は、小さく無言で頷く。

 

「ありがとうございます。やっぱり、貴方は“いい人”だ」

 

 少年が見せた笑顔。それはぎこちないながらも、少年が初めて見せる感情の表れだった。

 

「蘭さん……蘭は今、悩んでます。“続けていきたい”という自分の思いと、“続けていけない”という現実に。それがストレスになって、蘭は日に日に荒れる一方です。現にそれで彼女達は言い争いになって、喧嘩をしました。それは蘭本人にとってもきっと不本意な事で、自分酷く責めているはずなんです。そうなった全ての原因は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、即ち()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 成る程、わざわざ前置くわけだ。

 彼の言葉はともすれば一心の行為を非難している言葉とも取れてしまう。が、それはきっと彼も本意ではなかったのだろう。

 

「勿論、これは貴方のせいじゃありません。これは自分の心と向き合えない、蘭の心の弱さが原因だと俺も思います。

 ……でも、貴方にバンドを認めてもらえないことは、やっぱり蘭にとって、苦痛極まりないことだとも思うんです。それが全ての悪循環の根源だと言ってもいい」

 

 無感情な声色に、少しずつ熱が宿る。

 ここからが、彼自身の本気なのだろう。一心は耳を傾けながらも、そう思った。

 

「……だからお願いです。蘭の思いに、向き合ってくれませんか。ただ“ダメだ”って否定するだけじゃなく、蘭がどう思っているかを、しっかりと聞いてあげて欲しいんです……!貴方からすれば、俺達の本気は、取るに足らない、くだらない努力なのかもしれない。口先でどれだけの言葉を並べ立てても、何も心に響かない戯言かもしれない……けど、俺達は本気なんです。本気で、高みを目指して頑張ってるんだ……!!」

 

 その言葉よりも、表情は、目は雄弁に語っていた。昂ぶった感情が抑えられずに、先程までの論理的思考は廃され、剥き出しの感情が全身から溢れ出している。

 

「……俺の大切な幼馴染は、泣いていました。このバンドを続けていきたい、みんなと離れ離れになりたくない、と……このバンドは、蘭だけのものじゃない、俺達皆の大切な居場所なんだ……!それを理不尽に奪われようとする蘭や俺達の気持ちを、少しだけでも汲んで欲しいんです、感じて欲しいんですッ!」

 

 語気を荒げ、少年は叫ぶ。

 そこには紛う事無き、少年の“本気”があった。

 

「……俺は今から、蘭と話します。その内容を、聞いていてくれませんか?そこで見せる蘭の本気にすら、貴方の心は揺れないなら……俺からもう、何も言うことはありません」

 

 失礼しました、と少年は頭を下げる。

 その様子を片隅に捉えながら、一心は思考の渦へと入り込んでいた。

 

 蘭の本気、か。

 

 確かに一心は、頑なに拒絶を貫いていた節を、自分でも感じていた。

 華道が嫌なのは目に見えていて、そんな様子でバンドを続けていくという蘭の様子を、頭ごなしに中途半端だと否定していた面は否めない。その姿勢が蘭の思いを伝えたいという意志を削ぐ結果になっていたのならば。やはりそれは、蘭や彼らにとってフェアじゃない。

 

 

「……失礼、もう一度名前をお伺いしても?」

「? 宮代、陽奈です……」

「宮代くん。君の思いは伝わりました。私ももう一度、蘭の思いと向き合ってみます」

「っ!本当、ですか……?」

「君との話し合いの中で、蘭がどのような本気を見せるのか……確かめさせてもらいますよ」

「ありがとう……ございますっ……!」

 

 深々と頭を下げる少年──宮代を、一心は蘭の部屋へと案内した。そこから少し時は過ぎて──。

 

 

 

 

「すいません、よろしくお願いします」

「いえいえ。構いませんよこのくらい」

 

 蘭と話し終えた宮代が、車の助手席へと座る。一心は笑顔で彼を迎え入れた。

 

「家はどちらの方に?」

「ええと、場所は───」

 

 宮代から告げられた場所を聞き、一心は目を見開く。

 

「そんな所から来たのですか?徒歩だと30分くらいかかるのでは?」

「そうですね。雨も降ってたので45分くらいかかっちゃいました」

 

 ははは、と笑う宮代。一心はただただ驚く。そこまでして、蘭の為に。

 

「……わざわざありがとうございます」

「いやいや、俺が勝手に来ただけなんで、寧ろ車で送ってもらうなんて申し訳ないくらいです」

「恐縮です。では、行きましょうか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 話をそこそこに、車を走らせ始めた。

 数分の無言を経て、宮代が不意に口を開く。

 

「……どう、でしたか。俺達の話」

「…………“若さ”を感じましたね」

「どういうことです、それ」

 

 一心の返答に、宮代は苦笑いを浮かべる。

 先程まで繰り広げられていた2人のやり取りを、一心は部屋の側で聞き耳を立てていた。

 

 まだ若く、青い2つの感情をぶつけ合う2人の姿に、一心は懐かしさを感じていた。感受性豊かな思春期に、あれだけ感情剥き出しで言い争える存在を持つことが出来ている蘭を見て、一心は少しだけ安堵する。

 

「……尤も、蘭は君のことが気にくわない様子でしたが、ね」

「……返す言葉もないです、はい」

「ははは、冗談ですよ。だが蘭は、君をえらく信用しているように見えた」

「信用……蘭が、ですか?」

「ええ。蘭はあんな性格ですから、滅多に自分の思いを打ち明けることはありません。でも、君は違った。それは紛れもなく、君が今まで蘭の“友達”で居てくれた証だ。改めて礼を言わせてください。ありがとう」

「いや、そんな……」

 

 一心の感謝に、歯切れ悪く返事を返す宮代。彼はその後、俯いたまま言葉を続けた。

 

「……俺、今迄ずっと、“友達”が居なかったんです」

「……?」

「俺、下の名前が陽奈……太陽の“陽”に“奈”って書いてハルナなんですけど、この名前のせいで、ずっとからかわれ続けていて……友達作るのが、しんどかったんですよね」

 

 宮代の独白を、一心は無言で聞いていた。

 

「……でも、蘭は、皆は違ったんです。名前なんて関係なく接してくれて、それがずっと嬉しかったんですけど……果たして俺と蘭達は友達なのか、ってずっと考え続けてて。でも最近わかったんです。俺は“蘭達と、友達になりたい”んだって。友達として、ずっと側に居続けたいんだって。こんな簡単なことに気づくのに、3年もかかっちゃいました」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべたまま、陽奈は語る。それが落ち着いた後、一心は静かに口を開いた。

 

「……君より大人の戯言だと、聞き流してくれて構わないんですが」

「え……?」

「……宮代くん。君は深く考え過ぎる節があると思います。それは君の思いやりと優しさを形作る長所であると同時に……自分傷つける、短所でもある。君はもっと、自分の存在を認めてもいい。

 君の過去について深く触れるつもりはありません。私から言えることは──君のその思慮深さと優しさで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「っ──!それじゃあ……!」

「はい。認めましょう。君達の本気を」

 

 一心は、笑顔で告げた。それを聞いた宮代の表情は、満面の笑みへと変わる。

 

「ありがとうございます!」

「ただ改めて、蘭に私の所に話をしに来て欲しい。今度は頭ごなしに拒んだりはしません」

「はい。蘭もわかってると思います。後は俺が何かしなくても……彼女達だけで、大丈夫なはずです」

 

 宮代は、小さく呟く。そこには彼の娘達に対する確かな信頼が見て取れた。

 

 ──私も、随分と強情だったものだ。

 

 泣き叫ぶ蘭の本心に当てられ、心が締め付けられなかったといえば嘘になる。娘の事を、何もわかっていなかった…否、わかろうとしていなかったのだという事を、自分よりも遥かに幼い目の前の少年に教えられた。

 

 ──定めるのは、彼女達の曲を聴いてからでも遅くはない。

 

 彼と彼女の“本気”は、確かに一心の心を動かしたのだ。

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

 蘭の父……一心さんに送って貰った後、部屋で寝ていたひまりをベッドに移し、自分は床で寝たのだが……どうやらそれがこの風邪の原因のような気がしてきた。鼻をすすり、俺は顔まで布団をかぶる。すると枕元のケータイが震え、メールの着信を知らせた。

 

 このご時世、意思伝達ツールとして専ら使われるのはトークアプリだろう。世はスマホ戦国時代、メールはガラケーと合わせて過去の遺物(オーパーツ)と成り果ててしまっている。今時メールでくる連絡といえば高が知れている……が、俺には今の着信に心当たりがあった。

 なんせ俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。送り主の名前を確認すると……想定通りだった。俺は本文を開く。

 

 

 ──蘭もびっくりするだろうなぁ。

 

 

 

《From:美竹一心 // 蘭が、私の所に来ました

 

 ライブを見に来て欲しいと、自分の口で私に伝えに来ました。これまでは違い、本気で私にぶつかって来ました。親として、娘の成長を目の当たりにしたようで、非常に嬉しい思いです。ライブは見にいく、と返事をしておきました》

 

 

 

 ──お前のお父さん、俺のメル友になってるんだけど。

 

 

 家に着いた後、一心さんとなし崩し的にメアドを交換することになってしまったのだが、見た目通りというかなんというか、割とマメに連絡してくるのだ、この人。ただこういうことには慣れてないみたいで、内容が日記みたいになってるのは最早愛嬌だ。

 だがとにかく、蘭がしっかりと一心さんと向き合って、バンドを続けていくと言う“本気”をぶつけられたのは、凄く良いことだろう。これで『Afterglow』の障害は──全てクリアされた。あとは約10日後まで迫った本番に向けて全力で努力していくだけだ……俺は早く風邪を治さなくては。

 

 そこまで考えて──俺は笑う。

 

 いつからだろう。

 

 彼女達の夢は──いつしか俺の夢に変わり。

 夢の無い俺にも、微かな夢が出来てしまった。

 ひまりの為。この言葉に嘘は無い。だが今回ばかりはそこに『Afterglow』や蘭への個人的な感情が付随してしまっていたのは確かだ。

 

 だが、俺の思いは酷く滑稽だ。自分が演奏するわけでも無いのに、彼女達のために全力を尽くすことで、彼女達と同じ土俵に立ったつもりでいるのだから。

 

 『Afterglow』という五人組バンドの中に、勝手に自分を括った気分になってしまっている自分に気づき、嫌気が刺す。ふと心に染みる疎外感を自覚し、俺は1つ、溜息を吐いた。

 

 何時もならば、この疎外感を自虐と共に噛み砕くことが出来ていたはずだ。でも何故だか今日は、俺の心がそれを許してくれない。それは雨垂れのように小さく、微かに、少しずつ俺の心を叩き、浸透していく。理由はもう、わかっている。俺はあの時の蘭のように気付かないふりなんてしない。

 

 

 俺は皆と友達になりたくて。

 

 だから今心に染みている疎外感が。

 

 

 

 ───()()()()()()()()

 

 

 

 以前の俺ならまず抱かなかっただろうその寂寞は、それでも今の俺にはストンと腑に落ちる。つぐみが、蘭が教えてくれたこの思いは、矛盾だらけの歪んだ俺の心に新たな波乱を呼び起こすものだったが、それでも手放したくなくて。この寂しさを、ずっと感じていたいようなそんな気すらして。

 

 

 

 自分の心に起こった心境の変化に、まだ整理がつかないけれど。

 

 

 

 俺と“彼女”と“彼女達”の関係は、もうすぐ変わる、変わっていく。

 

 

 

 そう思わせるような何かを胸に感じながら、俺は再び眠りについた。

 

 

 





第1奏は次で終わります……が!!
リアルの関係で少々間隔が空いてしまいそうです、本当に申し訳ありません……。

新たに高評価をくださった、

枳殻稲荷さん、マトリカリアさん、黒歴史のかまたりさん、アイスティーさん、k_oさん、風見なぎとさん
本当にありがとうございます!こんなにも高評価貰えて本当に驚いています。

次回もよろしくお願い致します!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信じてる


お待たせしました。




 

17話 信じてる

 

 

「うぅ〜緊張する〜っ!!」

「ひーちゃん気を確かにー。わたしらの出番はもう少し先だよ?」

「だっ、だってえ〜……」

 

 それから時は流れ、ついに今日は『ガルジャム』二次予選本番。控室は息苦しい熱気に包まれ、気を抜けば雰囲気に飲まれてしまいそうな程だ。それは彼女達『Afterglow』も例外ではなく、ひまりとつぐみは目に見えて緊張している。普段と何も変わらないように見えるのはモカだけで、巴も若干落ち着きなくスティックをクルクルと回しており、さらにはあの蘭も指先を軽く合わせて瞳を閉じ、ゆっくりと深呼吸をしている。

 かくいう俺もただ冷静を装っているだけで、指先は胸にかけられた『関係者』用のネームプレートを弄んでいる。彼女達の気負いの影響を、俺自身がモロに受けてしまっていた。

 今日は彼女達にとって運命の日。本選出場の件もそうだが、蘭の父にバンドとしての活動を認めて貰えるか。それも今日のライブの出来の如何に掛かっている。そう考えて仕舞えば、緊張するなという方が無理だ。文字通り、この二次予選には『Afterglow』の“命”が賭かっている。

 

 かける言葉が見つからない。そんな中俺たちに口を開いたのは。

 

「みんなどーしたの。今日世界が終わるわけでもあるまいし」

「モカ……?」

「蘭。そんな怖い顔しないの。スマイルスマイルー。わたし達は、“いつも通り”でしょ?蘭がそれを疑ってどうするの。自信持って。蘭には、わたし達がついてる」

 

 真顔なのかよくわからない顔で、モカは蘭にピースサインをしてみせる。それを見た蘭は、微かに表情を緩ませた。

 

「……何それ、全然わかんないし」

 

 そう呟く蘭の声色に、喜びが混じっているのには、皆気づいている。

 

「……でもなんか、勇気でたよ。ありがと、モカ」

「いっつもそんな風に笑ってれば可愛いのにー」

「うるさい、一言余計っ」

「ほげぇっ」

 

 ニヤけ面で茶化してきたモカの頬を、蘭がアイアンクローの要領で握っている。素っ頓狂な声を上げたモカの様子が面白くて、蘭以外の残りの皆が笑った。

 

「……わたし、今でもビビってる。こんなに震えてるのは今まで初めて。でもわたしの側には、“いつも通り”皆が居る。だから……大丈夫だよね?」

 

 そこで言葉を止め、俺達に笑いかけてみせた蘭。しかしその表情から溢れる不安を隠しきれていない。らしくない。そう言ってしまうのは簡単だが、今回彼女を襲うプレッシャーは普段の比ではない。言うなれば、首筋に刃を突きつけられた状況で、普段通りに歌えるか、と言う話だ。動揺するなと言う方が無理がある。

 

 

 

「──だ、大丈夫だよっ!」

 

 

 そんな空気の中、声を出したのはつぐみだった。

 

「つぐみ……」

「蘭ちゃんの言う通り、蘭ちゃんの後ろには私達がいるから……!()()()()()ずっとッ!」

「っ……!」

 

 これからも。

 その言葉に、つぐみの思いの全てが込められていた。

 

「今日で終わりなんて、絶対にならない!私達は、これからもずっと一緒に居る!だからお願い、信じて蘭ちゃん。頼りないかもしれないけど、私達はずっと蘭ちゃんの背中を支えてあげるから……!」

 

 つぐみが必死な様相で蘭に告げる。

 その鬼気迫るような熱気に当てられた蘭は一瞬驚いた表情をした後、つぐみに優しく微笑みかけると一度だけ大きく深呼吸をした。

 

「……つぐみはスゴイよね」

 

 そう言った蘭の表情からは、もう恐怖の色が抜けている。

 

「いっつもそう。私達が何かに迷ったとき、道を示してくれるのは、いつもつぐみだった……」

 

 当のつぐみは、蘭の言葉にぽかんとして首を傾げている。

 

「……()()()()()。つぐみ、みんな」

 

 信じてる。普段は気恥ずかしがって、蘭は決して口にする事はないだろうその言葉に、皆は驚きを隠せない。

 だがその言葉は、皆の心を奮い立たせるには充分過ぎた。

 

「っしゃぁ!一丁やってやろうぜ!」

「なんだか急に楽しみになってきたよ!」

 

 巴とひまりが笑う。それを見たモカとつぐみも、笑みを浮かべる。緊張と重圧に萎えかけていた心が、蘭の信頼(激励)で再び活力を取り戻した。

 

「『Afterglow』の皆さん!準備をお願いします!」

 

 その時、遂に彼女達の待機番が来た。

 誘導に従って皆が部屋を去っていこうとする。その背中に、俺は一言だけ声をかけた。

 

「皆!頑張れよ!」

「おう!しっかり見てろよ陽奈!」

 

 皆を代表して、巴が俺に言葉を返した。残りの皆が、後ろを振り返り俺に笑顔で手を振る。その中で、蘭だけはこちらを無言で一瞥し、何も言わずに再び部屋の外へと体を向け……やはり俺の方へと向き直すと、ツカツカと俺の方へ歩み寄って来た。

 

「ハル」

「な、なに」

 

 

「──ありがと」

 

 

「へ?」

「…………」

 

 それだけ言うと彼女は俺の胸に拳を軽くぶつけた後、小走りで部屋の外へと出て行った。本当になんだったんだ……?

 

 そんな疑念もそこそこに、俺は彼女達の演奏を聴くべく、ライブハウスのホールへと移動を始めた。

 

 

 

 さて、ここで二次選考の軽い説明をしよう。

 二次選考は文字通り、『ガルジャム』本戦への選考会ではあるものの、一般公開が行われている。流石に本戦程の集客は見込めないが(『ガルジャム』は幾千人もの人が集まる大規模なフェスだ)、マイナーなバンドやインディーズバンドに興味のあるロックオタクが約200人弱集まる。

 人数だけ聞けば存外少なく感じるかもしれない。だが考えて見てほしい。CDデビューもしていないようなバンドの演奏を求めて、200人近くの人数が集まるという事実。そこに『ガルジャム』というイベントの規模や集客力、リスナーからの信用が如実に現れている。

 

 そういうわけで、俺がホールに入るとそこは応援やコールの熱気で満ちていた。むわっとするような空気に若干顔をしかめつつ、俺は待ち人を探して辺りを見回す。すると最後列よりも更に数歩後ろ、熱気に参ってしまったかのような表情で壁に凭れ掛かるその人を見つけた。

 

「一心さん」

「あぁ、宮代くん。よく見つけてくれましたね」

「いえ。わかりやすいところに居て下さったのですぐに。ちゃんと水分補給してますか?」

「蘭からも家を出る前に言われましたが……正直舐めていましたね。まさかこれほどまでの熱気があるとは」

 

 額を伝う汗を、一心さんがハンカチで拭いながら言う。人数の集まったライブハウスは、冗談抜きの極暑だ。入場の際にドリンクを渡されるが、それだけではまず足りない。体調が優れなければ確実に熱中症を起こす。しかしそれでも、バンド好きな人間たちは、その熱気を求めてハウスへと通うのだ。

 そんな環境に慣れてはいないだろう一心さんに、俺は手に持っていたお茶を差し出した。

 

「本当は持ち込み禁止ですけど……飲んでください。関係者用のドリンクです」

「良いのですか?これは君の物では……」

「貴方に倒れられでもしたら、蘭に合わせる顔がないですよ。それに……ちゃんとアイツらの演奏を聴いてもらいたいので」

「そう、ですか……ではお言葉に甘えて」

 

 未開封のそれを一心さんは受け取り、封を開けて一気に煽った。大概喉が渇いていたのだろう。一心さんが落ち着くのを待って、俺は改めて声をかけた。

 

「……もう直ぐですよ、蘭達」

「そうですか……様子はどうでした?」

「えらく緊張してましたよ。二次選考そのものにも、一心さんが自分達を認めてくれるかどうかにも」

 

 俺のその言葉に、反応はなかった。一心さんはただ目の前のバンドの演奏を見ている。

 

「……俗っぽい」

「え?」

「私の“バンド”というものに対する印象です。それはこの場に立っている今尚、正直変わらない」

 

 それはともすれば、この場にいる全ての人間を否定するような言葉。しかしこの人は、そんなことを言いたいわけじゃないはずだ。そう思った俺は、無言でその続きを促した。

 

 

 

「──だが、確かにそこには“熱”がある」

 

 

 

「熱……」

「今日この日に向けて、血の滲むような努力をしてきたことが、素人目に見てもわかります。その熱が心を震わせることも、また間違いのない事実です。現に私の心は、見ず知らずの少女達の歌に、確かに震えた」

 

 淡々と告げられるその言葉は、きっと本心なのだろう。一心さんは尚も続ける。

 

「知りませんでした。歌が、こんなにも心に突き刺さるものだとは。蘭達も、そうであってほしい。これは私の……“願い”です。私は彼女達に、失望したくない。だが約束は約束だ、微塵でも彼女達に中途半端を感じれば……私は、君達を認める事は出来ません」

「……大丈夫ですよ、一心さん」

 

 俺の言葉に、一心さんは初めて俺の方を向いた。そんな一心さんに、俺は心から笑い掛ける。

 

 

 

「──俺の“仲間達”は、最高ですから」

 

 

 

「……心配、しないのですね」

「してますよ、こう見えても。ただそれ以上に、俺はアイツらを……()()()()()()()()

「……フフ、君も短い期間で変わったものだ」

 

 一心さんが、今日初めての笑顔を見せた。

 

 そう、俺が君達にかける言葉は、ただ1つだけでいい。

 

 

 

 ──信じてる。

 

 

 先程蘭が言ったように、俺も皆を信じている。

 俺は本気の努力を重ねてきた君達を、誰よりも近くで見てきた。だから大丈夫。その努力は、決して君達を裏切りはしない。

 

 

 一度だけ深く息を吐いて、俺は正面のステージを見据えた。

 




投稿遅れてしまい申し訳ありません……。
リアルが忙しすぎて週一投稿が限界になりそうです。
11月後半からは元のペースに戻していけると思いますので今暫くお待ちを……。
長くなりましたので、二分割させていただきました。
続きは明日投稿されます。
ところで皆さん、主人公の陽奈はどのような容姿をイメージされてますか?感想欄で教えていただければ幸いです。
作者に絵の才能があれば描き表したいのですが……無念です笑

新たに高評価をくださった、

ブラウン・ブラウンさん、本当にありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本当の声


第一奏これにて終幕。

一世一代の大勝負。


 

 

18話 本当の声

 

 

 

『──次は19番、“Afterglow”の皆さんです!』

 

 

 そんな話をしていると、彼女達の名前が呼ばれた。前のバンドの楽器が外に運び出され、彼女達の楽器が運び込まれる。約1分半程のセッティングを終えて、彼女達はステージへと上がった。そのままポジションに立ち一礼すると、各々楽器を触り、音の響き方やチューニングを確かめる。約2分程でそれが終わり、彼女達は改めて一礼した。場内で沸き起こる拍手。俺と一心さんもそれに合わせて手を打った。

 

 

『──皆さんこんにちは。初めまして、“Afterglow”です。よろしくお願いします』

 

 

 模範的挨拶だが、どこか固い。若干震えそうになっている声色が、蘭の緊張ぶりを明確に示している。

 それでもいい。今からやる事は、普段と何も変わらない。ただ“いつも通り”の演奏をするだけ。

 

 

 さあ、歌え。紡げ。

 

 

 “命”を賭けて、“魂”を震わせろ。

 

 

 

『それではいきます──“That Is How I Roll !”』

 

 

 瞬間、静寂が会場を包む。瞳を閉じること数秒、そうだ、“いつも通り”でいい。恐れるな、怯えるな。いつも通り、最高の君達を見せてくれ。

 

 そして響き渡る、彼女達の演奏。

 

 彼女達の演奏は五月の頭に聞いたあの時よりも遥かに研ぎ澄まされたものになった。曲に馴れ親しみ、自分以外の音を聞く余裕ができた事でより一体感が増した。その中で技量面での成長が著しいのは、つぐみだ。

 元々素質はあった。が、それは彼女自身の意識の問題で開花していなかった。その意識が改善された今、彼女の上達はまさしく鰻昇りの如し。表現力に色が付き、確実に曲のハーモニーを描き出している。

 

 しかし一際異彩を放っているのは──蘭の歌声だ。

 

 元より感情を歌声に乗せる才能があった蘭は、それまでその才を持て余している節があった。感情が歌声に乗る、故に蘭の心持ち次第で、曲の良し悪しが決まりかねない諸刃の剣。気分が“ノって”いれば、数多の敵を斬り払う業物となり、雑念が混じれば小兵にすら届かぬ(なまくら)と化す。それが蘭の“武器(才能)”だった。

 

 では、今日はどうなのか。

 

 極限の精神状態の中で、今日の彼女の状態は、一体如何程のものなのか。

 

 一言で言い表すならば。

 

 

 

 ──最高、だ。

 

 

 

 蘭の奴、まるでバケモノだ。ここ一番の大勝負で、自分の状態を最高に持ってきやがった。

 圧倒的に音才に恵まれているわけではない。天才には届かぬ、非凡止まりな彼女。

 しかし彼女の思いが、幼馴染との絆が、思い通りにいかない現実に涙を流した経験が、“本気”を刻んで来た月日が、彼女が今日まで費やして来た全てのモノが、そして──彼女の後ろで“本気”を奏でる最高の仲間達が、今、この瞬間に最高を齎す為に、彼女の背中を押している。

 

 

 

 ───負けたくない。

 

 ───終わりたくない……!

 

 足掻け、足掻け足掻け……!!

 

 まだまだ皆で、歌っていたい──!!

 

 

 

 

 歌声に宿る、蘭の魂の咆哮。それが“音”に溶けて、更なる迫力を生み出す。観客も呆気にとられたように彼女達の演奏に夢中になっている。間違いなく、最高のスタートを切れたと断言していいだろう。

 

 

『──ありがとうございました』

 

 

 今までとは一線を画すクオリティを誇る一曲目が終わり、一礼をする彼女達。会場を温かい拍手が包む。俺も拍手をしながら、横に立つ一心さんの様子をそっと伺い見ると、一心さんは手を叩くことなく、無言で彼女達を見つめていた。彼が何を考えているのか、俺には想像がつかない。

 

『──次の、曲です』

 

 荒くなる息を宥めようと、肩で息をしながら蘭は言う。二次選考は全部で2曲。次が最後の曲だ。

 

『最後の曲になります。この曲は、わたしが道に迷った時、側にいてくれた大切な仲間達を思って書いた曲です』

 

 その言葉にも、歌声と同じ様に芯が宿っている。緊張などもう微塵も感じさせない力強い声で、蘭は言葉を紡いでいく。

 

『……わたしはもう迷わない。絶対に逃げたりしない。全てに向き合って、前に進んでいく。大切な仲間達と一緒に……!!』

 

 バンドMCとしては、褒められたものではないだろう。だがその言葉は確かにメンバーを……そして俺を奮い立たせた。

 

 

 

 さあ、やってやれ、蘭。

 

 

 君の“本当の声”を、この会場に響かせろ──!

 

 

 

 

『聞いてください──“True color”』

 

 

 

 

 

 一曲目とは対照的な、静かな始まり。

 しかしそれは数小節を超えた後、彼女達らしい爽やかなアップテンポへと変貌を遂げる。ギターが刻むメロディを、ベースが支え、キーボードがハーモニーを彩る。基本にして王道、それが極めて高い次元まで鍛え上げられているイントロ。何度も何度も練習を重ねて来た彼女の努力の成果が、如実に表れていた。

 イントロが終わると、蘭が歌い出す。それはまるで、彼女の心境を吐露しているかのように聞こえた。それはそうだ、この詩を書いたのは蘭で、この歌は彼女自身の思いの丈が存分に込められた歌なのだから。彼女の本心が、歌声に乗って会場に響き渡る。その様相は、サビに入ってからは正に圧巻の一言だった。

 観客はもう、蘭の歌声の虜になっている。彼女の等身大の思いは、観客の心に確かに響いているのが伝わって来た。

 そしてサビ終わりに叫ぶ、『ありがとう』。

 渾身。正にこの言葉がふさわしい。

 言葉で感情を伝えられない少女に出来る最大の感謝がそこにはあった。

 

 

 

 ──君達はバンドを続けていけるか不安に思っていたかもしれない。

 

 でもきっと、大丈夫だ。

 

 君達の本気は、ちゃんと伝わっているから。

 

 

 隣で涙を流しながら演奏を聴いている一心さんの姿を見て、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、皆」

「ありがとー、ハルちーん」

「聞いたか陽奈、あの歓声!」

「あぁ。凄かったな」

 

 演奏終了後、控室に向かい、皆と合流した。

 

「上手く行ってよかったー!!」

「今日の蘭ちゃん、いつもより凄かったね!」

「……みんなのおかげだよ」

 

 つぐみの言葉に、照れたように頬を染めた蘭が目を逸らした。そんな中。

 

 

「……蘭」

「っ!父、さん」

 

 一心さんが、控室へと現れた。

 

「……皆さん、初めまして。蘭の父です。いつも蘭がお世話になってます」

「はーい、お世話してまーす」

「お、おいモカっ……!」

「ははは、構いませんよ。実際本当にそうなのでしょうから」

 

 モカの返答に巴が焦ったように声を上げるが、一心さんは全く気にする様子はない。

 

「……演奏、聞かせてもらいました。正直な話、高校生がやるバンドなど……と偏見を持っていたのは否めません。しかし、とても感動しました。君達の本気を、確かに感じた。蘭」

「っ!は、はい」

 

 

「───これからも、頑張っていきなさい」

 

 

「っ───!父、さん……」

「そして大切にしなさい。今お前の側にいる友人達を。いいね?」

「は、い……」

「私からはそれだけだ。それじゃあな……今まで、済まなかった」

「っ!!」

 

 それだけを告げて、一心さんは控え室を後にしようと振り返って歩き出した。蘭はしばらくそのまま硬直していたが、やがて我を取り戻したように叫ぶ。

 

 

「父さんッ!」

 

 蘭の呼びかけに、一心さんの足が止まった。

 

「父さん、わたし、華道も頑張るよ」

「……!」

「今まで逃げて来た分、ちゃんと向き合いたい。華道にも、父さんにも。だから、その……今まで、ごめんなさい」

 

 去り行こうとする背中に、蘭は深く一礼した。一心さんは、それでも尚振り向かない。そのまま暫く時は流れ、漸く一心さんが口を開いた。

 

「……どちらも本気で取り組むことだ。中途半端は許さないからな」

「うん……わかってるよ」

「ならいい。頑張りなさい、蘭」

 

 最後まで蘭を見る事はなかったが、最後一心さんは優しい声色でそう言うと、今度こそ控え室を後にした。

 

 その背中を最後まで見届けた後。

 

 ──蘭はその場に膝から崩れ落ちた。

 

「蘭……!」

 

 巴が駆け寄り、肩を支えた。そんな巴をまるで意に介さず、蘭は暫くただ呆然と父が去っていった後のドアを眺め続けていて。俺達の間に、突如沈黙が訪れた。

 

 

「……………………よかった……」

 

 

 そしてその沈黙は、雨粒が窓を伝うように零れ落ちた蘭の一言によって破られる。

 

 口から滑り出た安堵は、きっと無自覚だったのだろう。だがその言葉は確かに、蘭の心に沁みた。その安堵を自覚した途端、はらはらと蘭の瞳から涙が伝う。

 

 

「よかった、よかった……本当、にっ……よかった……」

 

 

 幾度も幾度も、噛み締めるように蘭の口から零れる安堵。それは確かな実感となって、重圧に負けじと争い続け、蘭の心の安定を保っていたピアノ線のようなか細い糸を、不意にプツンと断ち切ってしまった。

 

「怖かった……っ、不安だった……みんなと、離れ離れになったら……どうしっ、ようって……ずっと、怖くてっ、怖くて……!」

「蘭……っ」

 

 唇から形を成して零れていく安堵の言葉と共に流れ行く涙を、蘭が手の甲で拭う。拭えど拭えど涙は止まらず、泣き顔でくしゃくしゃになっていく蘭の表情。それを間近で見ていた巴は、そっと蘭を抱きしめた。その巴の頬も涙が伝っている。周りを見れば、皆も涙を拭っている様子が見えた。張り詰めていた気が、一心さんの言葉で一気に緩んでしまったのだろう。良かった。心からそう思える。彼女達の努力は、決して無駄ではなかった。

 

 それから彼女達は、不審がった周囲からの視線に気付くまで、只々泣き続けていた。

 

 

 

 

 

「クッソー!ダメだったかぁー!」

 

 それから全てが終わって会場を後にしてから。巴の落胆が、俺たちの間に響いた。

 

「14位……あと、ちょっとだったね」

「……届かなかったねー。残念」

 

 ひまりの悔しげな呟きと、モカの小さな声での呟き。『Afterglow』の結果は──30バンド中14位。本戦に進めるのは12バンドなので、あと少しだけ、手が届かなかった。重ねた努力は、確かに成果を結んだ。彼女達は、これからもバンドを続けていく許可が出たのだから。だがもう1つの目標……『ガルジャム』本戦出場という目標は、叶わなかった。

 

「悔しい、ね」

「……まぁ、これが今の君達の実力、ってことだな」

「ハルちゃん酷い!今そんなこと言わなくてもいいのに!」

「実際そうだろ?だって……今日の君達の演奏は、誰が何と言おうと、“最高”だったんだから」

『!』

 

 俺の言葉に、皆が驚き目を見開く。注視されたのが何とも恥ずかしいが、俺は伝える。今日の演奏で感じた、有りの侭を。

 

「……皆、最高だったよ。特に二曲目。鳥肌が止まらなかった。今日の演奏は、今の君達にできる最高の演奏だったって、心から思ってる。この結果は残念だけど……今日の演奏は、君達の誇りにしてほしい。本当に……お疲れ様」

 

 そう言って笑い掛けると、皆も笑顔を返してくれた……のだが。

 

「……んっ、ぐすっ、ふえぇ……」

「は?え、ひまり……?」

「悔しい、っ……悔しいよぉ、ハルちゃぁん……」

 

 ひまりだけは、何故か泣き出してしまった。そして彼女は、そのまま俺の胸に飛びついて来た。

 

「わっ、おい、ひまり……!」

「うわぁぁぁぁぁぁ……みんなと一緒にっ、『ガルジャム』本戦で歌いたかったよぅ……」

「ふふふふ……ははははは!」

「ちょ、泣くなってこんなとこで!おい巴!笑ってないでコイツどうにかしろよ!」

「泣かしてやれよ、陽奈。ひまりはずっと頑張ってくれたんだからな」

「って……えぇ……」

 

 困惑で自分の顔が歪んでいるのがわかる。そんな俺の様子を見て周りがニヤニヤとしているのも。何なんだよこの状況は。

 

「……ホント、“いつも通り”だね、ハルとひまりは」

「こんなのいつも通りにして欲しくないけどな、俺は」

「……でも、わたし達は、“その先”に行かなくちゃいけない」

「え……?」

「その先?」

 

 蘭の呟きに、つぐみとモカが反応した。そんな2人の反応を見て、蘭は言葉を続ける。

 

「……わたし達は、これまで“いつも通り”頑張って来た。その結果が今日のコレで、悔しい思いをして……わたし達は、今までみたいな“いつも通り”じゃダメなんだ。行かなきゃいけない……()()()()()()()()()()へ」

「いつも通りの……」

「向こう側……」

「だから行こう、みんなで一緒に。わたし達6()()で見ることが出来る、最高の景色を探しに!」

「っ!」

 

 力強く言い切った蘭は、今までに見たこともないほど朗らかな笑みを俺に見せた。6人。5人ではなく、彼女はそう言った、言ってくれた。

 

 

「──付いて来てくれるよね?ハル?」

 

 

 彼女が俺に、手を差し伸べる。周りの皆も、笑顔で俺を見ていた。その夢のような光景が、まだ現実だと理解できずにいる。

 

 こんな俺を、君達は認めてくれるのか。

 

 自分が嫌いで、君達との必要以上の関わりを、避け続けようとして来た俺に、手を差し伸べてくれるのか。

 

「……ハル、ちゃん?」

「ハルちん泣いてるの?」

「……うるさい」

 

 限界だった。感極まった心は、俺が涙を隠すことを許してはくれなかった。嬉しくて、暖かくて。そんな感情が心の中に現れたことは、卑屈な俺には最早数えるほどしか記憶になくて。

 そんな思いもそこそこに、俺は涙を袖で拭うと、蘭の手をゆっくりと取った。

 

「……俺でよければ、どこまでも付いていくよ」

「あの時の仕返しが成功した気分。ザマーミロ」

「今そんな空気じゃねぇだろ。蹴飛ばすぞお前」

 

 ドヤ顔を見せた蘭の手を振り払い、軽く噛み付いておく。その様子は、俺達に笑い声を生んだ。

 

「これも“いつも通り”、だねー」

「うんうん!そうだね!」

「よーし!帰ってスタジオで練習だー!」

「は!?今からするつもりか!?」

「いいじゃん。折角だしみんなで歌おうよ」

「お前ら……今日くらい休めよ」

 

 各々が自分の思いを述べていく。

 一見それまでと変わらないようなそれは、確かに俺達の絆が深まったことを示していた。

 

「よーし!みんな行くよ!競争だー!!」

「あっ、待ってよひまりちゃんっ!」

「ふふふ、みんな元気だねー。待て待て〜」

「っし、行くぞ!」

「陽奈!?お前も乗り気なのか!?」

「何してるの巴、置いてくよ?」

「お、おい、待てってば!」

 

 駆け出したひまりに続いて、皆で走る。

 

 そして俺達は向かうのだ、いつも通りの、『向こう側』へ。

 

 この6人でしか見られない、未だ見ぬ最高の景色を探して。

 

 

 

 

 黄昏を笑顔で駆け抜ける6人の背を、眩しい夕焼けが照らしていた。

 

 

 

 





というわけで、改めまして第1奏終幕です。
第1奏が終わり、彼と彼女達の関係は大きく変わりました。
これからの物語も楽しみにしていただければと思います。

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2奏─彼と彼女と彼女達の夏休み
夏だから?



新奏開幕です。

ひまりとイチャイチャしたい(血涙》


 

 

19話 夏だから?

 

 

「ハルちゃーん!」

「帰れ」

「まだ何も言ってないんだけど!?」

 

 1学期が終わり、夏休みに入った7月中旬のある日の日中。例の如く俺の部屋を訪ねて来たひまりに見向きもせず、俺はPCのオンラインゲームに執心していた。本格的に始まった夏の陽気は、ただ外にいるだけで滅入ってしまう程。だから俺は極力外に出たくないのだ。夏場と冬場は基本的にインドア派な俺を、対照的なひまりが外に引き摺り出そうとするのは今年から始まったことじゃない。故に俺は彼女を拒む。ひまりの次の言葉が、容易に予想出来てしまうから。

 

「遊びにいk」

「いかない。以上。さようなら」

「なんで!?折角の夏休みだよ!?」

「君と過ごしてきた15年間、俺が一度でも夏休みだから外に遊びに行こうと君を誘ったことがあったか?いや、無い」

「1人反語!?どういうこと!?」

 

 俺の言葉に一々大袈裟な反応を返すひまりに対して、律儀だなとか仰々しいなだとか、何処か他人行儀な感想を抱いている自分に気づく。それほどまでに、俺は今猛烈に外に出たくない。今プレイしているゲームのイベントが佳境を迎えている、という理由もあるが。

 

「要件が済んだら帰ってくれ。俺は今見ての通り忙しいんだよ」

「ただゲームしてるだけじゃん!ねーハルちゃーん、遊ぼうよぉ、ねぇってばーーー!」

 

 耳元でぎゃんぎゃんと叫び続けるひまりをシカトして、俺はPCに齧り付き続ける。今は1日1時間限定の、経験値効率が良いゲリラの時間帯なんだ、これを逃すと次の日まで待たなくちゃいけない。ここでレベルをいくつかあげて、開催中のイベントを有利に周回できるようにしなければ。俺はそこまでガチガチのゲーマーでは無いが、このような経験は、ソーシャルゲームやオンラインゲームに触れたことある人間ならば誰もが経験したことのあることだろう。尤も、ゲームに無縁なひまりにこの思いを理解しろというのは酷な事なのだろうが。

 やがて暫くして、ひまりは黙って後ろに数歩下がった。観念したか、そう油断していられたのは一瞬。

 

 ひまりから、とんでもない爆弾が飛び出した。

 

 

 

「───わかった。じゃあ私、脱ぐから」

 

 

 

「………………は?」

 

 咄嗟にマウスとキーボードから手を離し、俺は椅子の回転を生かして最速の振り返りを行う。すると俺の視界には、本当にサマーカーディガンのボタンに手をかけ、今まさにストリップせんとする幼馴染の姿が。

 

「お、おいひまり!?な、なにやって」

「ハルちゃんが遊んでくれないなら、私ここで脱ぐもん」

「支離滅裂だぞ!暑さで頭ヤられたか!?」

「私は至って正常だよっ!」

「正常な奴は異性の前で服脱いだりしないんだよ!!」

「じゃあ私と遊んでくれるの!?」

「話を聞けええええ!!!」

 

 余りにも話が通じなさすぎて、俺は思わず頭を抱えた。その隙にもひまりはカーディガンを脱ぎ終え、遂にはTシャツすら脱ぎ捨てようとしている。マズイ。本当にこんな所で脱がれたら、色々と問題になる。

 

 

 

「わかった、わかった!行く!遊び行くから!」

 

 

 

 ──降伏だ。

 これが計算された策なら、天晴れと言う他ない。俺の全ての選択肢を毟り取って行くようなその手腕。まぁひまりのことだから考えなしなのだろうが。

 そんな俺の降伏宣言を受けたひまりの手が、半分程Tシャツをめくった所で止まっている。そこから健康的で柔らかそうな白い肌やヘソが視界に飛び込んできて、俺は思わず目を逸らした。

 

「……本当に?」

「あ、あぁ。本当だよ」

「二言はないね?」

「微塵もありません」

「やったー!ありがとう、ハルちゃん!お礼に脱ぐね!」

「なんでそうなるんだよこの露出狂がァ!!」

 

 安堵したのも一瞬、再びTシャツを脱ぎ出したひまりを制止しようと椅子から飛び上がるも、もう遅い。そしてひまりの上半身から、遂にTシャツが剥がれた。先程よりも露出が増えて露わになったひまりの肌を見ぬ様、鋼の理性で目を閉じる。

 

「っ……!!」

「…………ハルちゃん?」

「何してんだ、早くTシャツ着直せよっ!」

「…………コレ、水着なんだけど」

「……………………はい?」

 

 目ぇ開けるぞ、とひまりに確認をしてから、彼女を見る。

 すると確かに下着にしては華美な装飾が施された彼女の姿が目に入った……いや、それでも十分すぎるほどに刺激的な格好な訳だが。ていうかいつの間に下も脱いだんだ。

 気恥ずかしながらも、相手は幼馴染だと心に強く言い聞かせ、至って冷静に俺はひまりの水着姿を見る。冷静ったら冷静なのだ。

 

 パステルピンクを下地に、水玉模様があしらわれているビキニタイプの水着。上は縁が半透明のレースがフリルのように飾り付けてあり、中心部に大きな茶色のリボンが付いている。下は腰回りとヘソの下あたりに、小さなリボンが施されてある。

 シンプルだが、そのシンプルさがかえってひまりのスタイルの良さを際立てている。冷静に分析をしていると、自然とひまりの水着姿を見ることが出来るようになっていた。中1くらいまでは普通に見られたんだけどな……ひまりの異常な発育が始まってからはまともに直視するのが気恥ずかしくなったっけ。特に学校指定のスクール水着をひまりが着ようものなら、それはもう凶器なんてレベルじゃない、殺戮兵器だ。本人にその自覚がないことがまた恐ろしい。

 

 そんなことを考えていると、ひまりは声を上げて笑い出した。

 

「ふふふふふふ、あははははは!ハルちゃんってばそんなに焦って面白ーい!ドキドキした?ねぇねぇ、ドキドキした?」

「……………………」

「ちょっと驚かせてあげようと思ったらこんなに驚いてくれるなんて!いやー、家から水着を着てきた甲斐があったよ!」

「………………………………………………」

「と、いうわけで!今日はハルちゃんとプールに行こうと思っ」

 

 

 

「………………………………………………………………」

 

 

 

「は、ハル、ちゃん?」

「……………………」

「も、もしかして怒っていらっしゃいますか……?」

「……………………」

「ご、ごめんなさいちょっとビックリさせて見たくて調子に乗りました待って待って無言でこっちに近寄ってきて何するつもりなの痛いほっぺはほっぺは痛いから抓らないでハルちゃんやめてごめんなさい許してくださいいたたたたたたたたたたたたたた!!」

 

 

 

 

 

 

「うええ……暑いよハルちゃんっ」

「しばらくそのまま反省しやがれ」

 

 俺の目の前には、このクソ暑い夏場に、俺の上下裏起毛のスウェットとフリースを着込んで、右頬を痛々しい赤色に染めたひまりが正座している。勿論冷房を切り窓を全開にして、蒸し暑い風が入り込むようにしている。俺をおちょくった罰だ。暑さに悶え苦しむがいい。

 

「うう、ちょっと揶揄っただけなのに……」

「まだ着込み足りないみたいだな」

「すいませんでしたっ!」

 

 勢いの良い土下座を見せるひまり。普段と立場が逆だからなんとなく愉悦を感じる。

 そしてそのままPCゲームに勤しむこと5分程。例のゲリラも終わったので俺はPCをシャットダウンして立ち上がり、手元に置いていた清涼飲料水をひまりに差し出す。それに気づいたひまりは、驚いたような声を上げた。

 

「えっ、これ」

「熱中症になられたりしたら困るからな。罰ゲーム終了だ、早く脱ぎなよ」

「ぷぷっ、さっきは着ろって言ったのにやっぱり脱がすんだね、ハルちゃんのえっち」

「やっぱ気が変わった一生それ着てろバカ」

「ごめんってばぁ!!」

 

 どうやら仕置きが足りなかったらしい。ニヤニヤしながら俺を再び弄ろうとしてきたひまりに踵を返すと、ひまりが泣きながら俺の足に縋りついてきた。

 

「馬鹿なこと言ってないで、さっさとしなよ……プール、行くんだろ?」

「…………え?行ってくれるの……?」

「君が言い出したんじゃないか。それにほら……約束も、してしまったし」

 

 自分で言いながらなんだか気恥ずかしくなってしまった俺は、思わずひまりから目を逸らした。嵌められたとはいえ一度約束してしまった手前、それを無碍にするのはなんとも後味悪い。だから俺は改めて自分から、プールに行くことを提案し直した。

 

 ……決して少し楽しみになってきたなんて。

 

 そういうわけではない。断じてない。

 

「ううう、やったぁー!ハールちゃーん!」

「だからなんでいつもそう飛びついてくるんだよ……!」

 

 今回は反応できた。立ち上がり俺に抱きつこうとしてきたひまりの顔を受け止める軌道で右手を伸ばし、寸前で止めることに成功した……が。

 

「うわっ!汗やばっ!!ベタべタじゃねぇか!」

「ええっ!?誰のせいだと思ってるの!?」

 

 ぬるりとした不快な感触に、俺は反射的に手を離してしまった。俺の指摘に、ひまりが顔を真っ赤にして──元から暑さで紅潮していたが──反駁する。

 

「何でこの季節にそんなに着込んでんの?バカなの?」

「理不尽が過ぎるよ!!着させたのはハルちゃんでしょ!?」

「でもその原因を作ったのは?」

「うっ……私、です……って今ハルちゃんも私のこと目一杯揶揄ってるじゃん!!」

「おお、気づいたか。少しは賢くなったじゃないか」

「ばーかーにーすーるーなーーーー!!!」

 

 必死な形相で腕をブンブンと振り回しながら喚いているひまりの様子がなんとも可愛……面白くて仕方がない。俺はそんなブンブン丸(ひまり)の頭を撫で、落ち着かせるように笑いかける。

 

「ごめんごめん、俺が悪かったよ。これでもうおしまいにしよう。いいね?」

「……………………うん」

 

 極めて不服と言った様子だが、継戦の意思は感じられなかったので、これにて終戦。俺は改めてひまりに提案を持ちかけた。

 

「よし、じゃあプールだな。今から急いで準備するから少し──」

「あ、ちょっと待って!」

 

 その前に〜、と口ずさみながら、ひまりはカバンから手帳を取り出して、あるページを俺に見せつけた……っていうかその前に早くスウェットとフリース脱げよ。見てる俺も暑苦しいわ。

 

「じゃじゃーん!これを一緒に作ろう!」

 

 俺はそのページにドデカく書かれた表題に目を通す。そこには───。

 

 

「──“私とハルちゃんのやることリスト”?」

「そう!ここに私とハルちゃんの予定を書き込むんだよ!」

「……はい?」

 

 非常に申し訳ないが、理解が追いついていない。予定を書き込むって、一体何のために?

 

 

 

「──今年の夏は、ハルちゃんといーっぱい遊びたいから、何をするか先に予定入れちゃおうと思って!やりたいことたくさんあるんだー、バーベキューでしょ、肝試しでしょ、スイカ割りでしょー…」

 

 

 

 つらつらとやりたい事を述べていくひまりの言葉は、半分俺の耳には入ってこなかった。俺の胸にあるのは、嬉しいような鬱陶しいような複雑な感情。俺と遊ぶことを楽しみにしてくれている喜びと、俺なんかと遊んで何が楽しいんだという疑問。ひまりの好意を、素直に喜べない自分が本当に嫌でたまらない。

 

「……いいのか、俺で」

「えっ?何が?」

「ほら、『Afterglow』の皆とかもいるだろ」

 

 

「──何言ってるの?私はハルちゃんと行くのを楽しみにしてるんだよ!もちろん『Afterglow』のみんなとも遊ぶけど、それ以上に私はハルちゃんと遊びたいのっ!」

 

 

 少し拗ねたように頬を膨らませてそう言った後、僅かに頬を染めたひまりが俺に笑いかける。

 

 

 ──いつもそうだ。

 

 

 俺が喜ぶ事を言ってくれる彼女の言葉を鵜呑みにする事が出来ず、2度3度の確認を通して噛み砕いてからしか呑み込めない。その咀嚼の間に彼女がくれる無償の喜びは形を失い、俺の心に響く事は一度としてなかった。ひまりは純粋だ。そんな事、痛いほどわかっているのに、その優しさすらまともに直視できない自分の醜さを嫌いながらもどうすることも出来なくて。

 

 

 そんな考えすぎる俺とは対照的に。

 

 ──彼女は()()()()()()()()

 

 

 ただ俺と居たいからこうして俺の家に来て、俺を揶揄い、俺を遊びに誘う。そこに異性としての感情は無く、在るのはどこまでも続く幼馴染としての延長線だけ。

 

 

 だから俺は認めない。

 

 気を緩めれば一線を越えそうになるこの心の中の想いを──()()()()()を求めそうになるこの想いを。

 

 何も考えなしに、いつも通りに俺に接しようとして来る君に、俺がどれだけの気を遣っていると思ってるんだ。君は俺に何も感じていないのに、俺だけが君に特別を求めるなんて、そんな惨めな思いはしたくないから。

 

 

 そんな思いと裏腹に心に居座る。

 

 

 『側に居たい』という真反対な自分の心。

 

 

 矛盾塗れな自分の心を、嘲笑するしかない。

 泥沼の花畑、豪雨の晴天、灼熱の凍土。相反し、真反対で意味不明、支離滅裂な自分の心。それでもそんな心はやはり、俺という歪んだ人間を形作る要素の一つだった。

 

 きっと俺は、一生このまま生きていく。

 醜く、愚かに、報われず。君と言う笑顔の美しい花を、側で眺めるだけで、俺と言う雑草は枯れ果てるのだろう。

 

 

 

 ──それでもいいと思った。

 

 

 

 そう思わせるだけの魅力が、君には在るから。

 それが許されるならば、それだけでいいと思ってしまうほど、俺は君に執心しているから。

 

 

「……わかったよ。じゃあそれ決めてから行く?」

「うん、そーしよ!ふふふ、楽しみだなぁ〜!」

 

 

 にんまりとだらしなくニヤけるひまりの顔を見て、俺は思わず苦笑する。そして俺達は夏休みの予定について話し合いを始めた。

 

 

 

 

 

 

 何処までも醜く歪んで、矛盾だらけな俺は。

 

 やはり君の隣には、相応しくないと思う。

 

 それでも君が俺を望んでくれるなら。

 

 俺は君の優しさに、甘えてもいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 これはそんな歪んだ俺と君が綴った、とある夏のエピソード。

 

 

 

 

 ──俺達の関係を変える、切欠となった物語。

 

 

 





と、いうわけで新奏です。
陽奈とひまり、そしてAfterglowの夏休みの物語です。
シリアス気味な話は今回まで、残りはただただひまりと陽奈が遊ぶお話です!ひまりの可愛さを前面に押し出せていければと思います!

新しく高評価を下さった、

Felishiaさん、ナッティーさん

本当にありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そのままで




ひまり×水着=???


 

 

20話 そのままで

 

 

 それからひまりと家で暫く話し合い、俺たちは近くのプールへと向かった。まぁ近くとは言ってもバスと電車を駆使し、約50分弱の時間がかかるわけだが。俺達の近所ではプールといえばこの場所で、俺自身も夏場は毎年ここに通っていた。

 ひまりとの約束の元、半分不可抗力で来ることにになってしまった今回のプール。確かに外出は面倒くさかったが、プールなら吝かではない。水は冷たいから涼しいし、暑さを紛らわすことができるし。別段泳ぐことが得意というわけでもないが、俺は昔から毎年通うレベルで海やプールが好きだった。去年は夏期講習で行けなかったものの、約2年ぶりのプールに俺は年甲斐もなくワクワクしている。そんな思考を遮るように1つの声が響き渡った。

 

 

 

「───おまたせー!ハルちゃーん!」

 

 

 

 ……公共の場で俺の名前を叫ぶのをやめろと何度言えば。これに関してはもう諦めの域に達しているので、強く言及するのは数年前にやめてしまったものの、やはり嫌なものは嫌なのだ。

 溜息を吐き──ひまりと居ると本当に溜息が絶えない──声の主の方を振り返る。そこに居た幼馴染の姿を見て、俺の思考は働きを失った。

 

 日焼け跡など微塵も無い、白雪のような肌の殆どを日に晒し、満面の笑みで俺に手を振るひまり。

 発育の暴力と称するに相応しい、異性の視線を一身に集めてしまうような抜群のスタイル……出るべき所がしっかりと出て、締まるべき所はしっかりと締まっているその姿をカバーする布の面積は、余りにも小さ過ぎる。

 先程家で見たにもかかわらず、やはり目のやり場に困った俺はペタペタとサンダルを鳴らしながら駆け寄ってくる幼馴染を直視することができなかった。

 

「ごめんね、待たせちゃって」

「い、いや大丈夫……っていうか、ずっとその格好なわけ?」

「えっ?プールに水着以外何か着るの?」

「ほら、上に何か着るとか、そういうのは……」

「あー、私ああいうやつ濡れたら重くなっちゃうからあんまり好きじゃなくて。だから今日は持ってきてないかな……もしかしてハルちゃん、この水着嫌い?」

「へ?い、いやそんなことはないけど?」

「よかった!ハルちゃんこっち見てくれないから嫌いなのかと思ったよ!」

 

 それは君の身体のせいです、なんて口が裂けても言えない。あと無闇に屈むな。そのまま俺の顔を覗き込むから見えるんだよ、“谷”が。

 改めて、こんな絶世の美少女が幼馴染で、俺のことを好いてくれている──無論、異性としてではない──事実が信じられない。俺の一生分の幸運の内半分はコレに吸い取られているに違いない。周りの男性から熱心に注がれる妬みの視線を一身に浴びながら、俺はそんなことを考えていた。

 

「それじゃあ、いく?」

「うん!よーし、まずはあそこだ!付いてきてねハルちゃんっ!」

 

 意気揚々と駆け出したひまり。そんな刺激的な服装で走るなよ。本当に自分のスタイルに頓着がないな、ひまりは。ブツが揺れてることに対しても、それを周りがガン見してることも、きっと何も気にしてないのだろう。

 

 でも何故だろうか。周りがひまりに下心丸出しの目を向けていることに対して──無性に腹が立つ。

 

 少しだけ、いや、本当に少しだけだが。

 そんなモヤモヤをかき消すように、俺はひまりの背中を追うように駆け出した。

 

 

 

 

「やっぱりプールといえば焼きそばだよね!」

「……なんで?いや本当に、なんで??」

 

 合流して早々、ひまりが真っ先に向かったのはフードコート。焼きそばを2つ手に抱えて席へと歩く彼女は大変ご満悦の様子。一方の俺は照りつける日差しと、フードコートにごった返す人々の熱気に滅入ってしまっている。あぁ、早くプール入りたい……。

 

「だってハルちゃん、お腹空いてないの?」

「いや、空いてるけど。プール=焼きそばっておかしくないか?」

「全然おかしくないよ!水着を着て食べる焼きそばほど美味しいものって他にある?」

「多分数え切れないほどあると思うぞ」

「えぇー!?どうしてわかってくれないの!?」

「感性が斜めに振り切れ過ぎなんだよなぁ、ひまりは……」

 

 わんわん喚くひまりの姿に苦笑していると、丁度2人分空いていたカウンター席へと辿り着いた。

 

「あ、飲み物も買わなくちゃ!」

 

 着席してから2秒、勢いよく立ち上がったひまりは、俺に『コーラでいいよねハルちゃん!』と言い残すと、答えを聞かずに再び売店へと駆け出していってしまった。本当に落ち着きない奴だ、周囲も何事かと俺に視線を向けている。それに対して丁寧に目礼を返していくと、何かを察したようにその視線は霧散していった。

 

 数分後、鼻歌交じりの上機嫌なひまりが駆け足で戻ってくる。その両手には2人分のコーラが握られていた。

 

「はい、どーぞ!」

「ありがと。じゃあ食べよっか」

「うん!もうお腹ペコペコだよ!いただきまーす!」

「いただきます」

 

 湯気と共に立ち上る濃厚なソースの香りが、俺の空腹を刺激する。そして俺とひまりは焼きそばへと口をつけた……いや、ひまりのペースがやばい。俺が一口食べる間に三口食べてるよコイツ。そんなひまりに、ずっと疑問に思っていたことを口にした。

 

「……っていうか、今日他の皆は?」

「んぇ?ふぉかにぉみんぬぁふとぅえ?」

「口一杯に頬張りながら喋るな。ほら、蘭とかモカとか……『Afterglow』の皆だよ」

「んー!むぁふほぼむぇ!」

 

 ひまりの暗号、ふぉかにぉみんぬぁふとぅへ?(ほかのみんなって?)を無事に解読した俺は、改めてひまりに問いかけた。ちなみにその後はむぁふほぼむぇ(なるほどね)、だ。

 頬をこれでもかと言わんばかりにパンパンに膨らませたとっとこひま太郎は、長い時間をかけてもぐもぐと咀嚼を続け、数十秒かけて飲み込み終えるとコーラを一口含み、ようやっと俺の質問に答えた。

 

「……昨日一応全員誘ってみたんだけど、みんな用事があるみたいで誰も来られそうになかったんだよねー」

「へぇ、珍しいな。全員用事があるなんて」

「うん。まぁ私の目的はハルちゃんとプールに行くことだったから大丈夫なんだけどね!」

「……そうかよ」

 

 ……毎度毎度本当にコイツは。

 満面の笑みで焼きそばを食べ続けるひまりを横目に見ながら、俺も目の前の焼きそばに箸を伸ばした。

 

 

 

 

「っしゃあ!何から行こうかハルちゃん!」

「……元気だな」

「ハルちゃんのテンションが低いんだよっ!」

「俺のテンションは多分君に吸い取られてるんだ」

 

 焼きそばを食べ終え、空腹を満たして上機嫌なひまりはテンションが高い。そんなひまりとは対照的に俺はもう暑さで思考回路が死にかけている。

 

「……ひまりどこいくか決めていいよ。今ちょっと頭回んない」

「えっ、大丈夫?」

「うん。多分水に入ればなんとかなる」

「ハルちゃん河童か何かなの?」

「はぁ?ふざけんなキュウリ死ぬほど食わすぞ」

「自覚あるんじゃん!!」

 

 俺の会心のボケツッコミに、ひまりは笑う。そんな会話もそこそこに、彼女は目の前の案内板に目を通していった。

 

「うーん……本当にどこでもいいの?」

「ああ。ひまりが行きたいところで良いよ」

「じゃあこれにしよう!『アルティメットビックバンアトミックギャラクシードラゴニックトルネードウォータースライダー』!」

「ちょっと待て何だその二郎系ラーメンみたいな全部載せのスライダー」

 

 かの有名なアブラナシヤサイカラメマシニンニクスクナメを彷彿とさせるようなカタカナの羅列。小学生より壊滅的なネーミングセンスだなオイ。しかもそれに最初に乗りたがるひまりも大概頭が壊滅的だな?

 

「ええと……多分あれじゃないかな?」

「……………………は?」

 

 ひまりが指差したのは、俺の背後。その指が示すままに後ろを振り向くと、そこには山があった。一瞬ひまりの言ったことを理解しかねるも、すぐに気付く。彼女の指先──山の中腹に存在する、まるでジェットコースターの如き猛烈な捻りや激しいアップダウンを兼ね備えた……文字通りバケモノののようなスライダーに。

 

「……なん、だ、あれ」

 

 俺が最後にここを訪れた2年前には、間違いなくあんなものは存在しなかった。高さは目測で約20m程だろうか。そして耳を澄ませば微かに聞こえる悲鳴。視覚・聴覚に訴えかけてくる恐怖に、俺は僅かに身震いする。

 

「……初っ端スライダーかぁ」

「ダメ、かな?」

「……いや、全然大丈夫。なんかゾクゾクしてきた」

「ハルちゃんビビりなのに絶叫系大好きだもんね〜」

「別にビビりじゃねぇよ」

「ビビりな河童……ぷぷぷ、自分が驚かす側なのに変なの〜!」

「………………」

「シカトは禁じ手だよハルちゃぁん!?」

 

 喚くひまりを他所に、俺は既に魔のスライダーヘと歩を進めていた。先に言っておくが、俺は残念ながらひまりの言うように、客観的にビビりと言われる部類の存在だ。が、しかしホラゲや恐怖系のアトラクションが大好物なのだ。怖いけど、辞められない……そんな感情を抱いている人間がいて何にが悪い。

 

 ツカツカと歩いている俺の後を、泣きそうな顔をしたひまりが走って追いかけてきた。

 

 

 

 

「はぁ、やっと着いたぁ〜」

「軽く登山だな、コレ」

 

 高度を稼ぐために、スタート地点は山の中に設けられていた。階段を歩く事5分程、ようやく待機場所に着いた俺達は、チケットを購入する。そこから更に待つこと10分、遂にスタート地点へと案内された。

 

「はい、ようこそ!お二人様ですか?」

「あ、はいそうです」

「かしこまりました、お一人様ずつと二人同時どちらになさいますか?」

「あ、二種類あるんですね」

「2人同時でお願いしまーす!」

 

 勝手に決めんなよ、という突っ込みを寸前で飲み込んだ。こういう類の事を訂正しようとすると、高確率でひまりは泣き出す。先出しされた時点で俺の選択肢など無いに等しい。俺は係員さんに向き直り、それで大丈夫です、と伝えた。

 

「二人同時ですね、かしこまりました!それではカップル用のソリをお持ちいたしますので少々お待ちくださいね!」

「へー、ソリに乗って滑るのか……カップル?」

 

 看過できない点があったので訂正しようとするも、もうそこに係員さんはいない。ひまりはどうなのだろうと様子を伺うもまるで気にしていない。本当に、無頓着な奴だ……俺みたいな奴の彼女扱いされてるのに。俺の方がひまりに申し訳ない。

 

「お待たせいたしました!」

 

 しばらくして戻ってきた係員さんは、その手に青色の小さなソリを持っていた。形状は縦長な長方形で、材質はプラスチックではなく、どうやらビート版のような素材でできている模様。そしてその先端に持ち手のような紐がくくりつけられていた。これに2人で乗るのだろうか……?

 係員さんはスタート地点にソリをセットして、改めて俺たちに笑いかけた。

 

 

「それじゃあ、彼氏さんが後ろから紐を持ってあげてくださーい!」

「えっ……!?」

 

 もう彼氏を訂正するのも面倒くさい、そんなことよりも、後ろから紐を持つ……?つまり、俺の前にひまりが座る?この狭いソリの上で?

 

 想像して欲しい。

 

 横幅30cm、縦幅60cm程の、ビート板のような素材でできたソリに、ひまりが前、俺が後ろで座る。その状態でひまりの後ろから手を回し、ソリの前面から伸びている紐を握る。

 

 つまり、ひまりと完全密着状態。

 後ろから抱きしめている形に近い。

 

 ──お分かり頂けるだろうか?

 

 相手は同性ですらなく、ましてや発育の暴力の化身、上原ひまりである。

 

 ──無理だ。色んな意味で。

 

 心が意識せずとも、体が意識する。ナニがとは言わないが。絶対に言わないが。

 

「……なぁ、ひまりが後ろに来ないか?」

「えっ?どうして?」

「ほ、ほら。スライダーって前の方が危ないからここは男の俺が危険な方を選ぼうと思ってだな」

「えー、でも私前の方が良」

「前は危ないですよねェ、係員さァんッ!?」

「は、はい!そうですね、前は最後水に叩きつけられる可能性があるので確かに危ないです!!」

 

 俺のあまりの剣幕に気圧された係員の女性が、ブンブンと首を縦に振りながら俺の言葉を肯定した。

 

「……な?だから俺が前に行くよひまり。いいね?」

「で、でも」

「い い ね ?」

「は、ハイっ」

 

 ……よし、これで後ろからひまりを抱きしめるという羞恥は避けられた。一先ずの危機を脱したことに俺は内心安堵の息を吐く。ひまりは不本意そうな顔をしているものの、必死な俺に何かを感じたのか、執拗に追求して来ることはなかった。

 

 しかしながら、数秒後俺はこの選択を激しく後悔することになる。

 

「よし、いいぞひまり」

「はーい。よいしょっと……」

「っ!?!?」

 

 ソリの前方に座った俺の後ろに、ひまりが着座する。その瞬間俺の背中に訪れた柔らかな感触。その時俺は、己の失策を悟った。

 

 

「それじゃあ、紐を握ってくださいね」

「わかりました!んー届かないなあ……えいっ」

「っ!?!?!??!?!!!?!?」

 

 紐に手が届かなかったひまりが、座る位置を僅かに前にズラした。この僅かが致命的であり、微かに触れていた柔らかな果実が、もはや明らかに俺の背中に当たって形を変えているのがわかるほどになった。

 

 

 ──こっちの方がアウトでは!?!?

 

 

 普段からひまりに抱きつかれて押し付けられることも多いが、今回は間に遮蔽物が無さすぎる。俺の背中とひまりの胸の間にあるのは水着という名の薄い布切れ一枚。こんなもの最早あってないようなモノで、感触がリアルに伝わって来る。後ろから漂う甘い匂いに、頭がクラつく。

 悲しいかな、一瞬で臨戦態勢に陥ってしまった我が聖剣(エクスカリバー)のポジションを刹那で整え、応急処置を行う。俺だって健全な男子高校生だ、幼馴染だといえど許してほしい。ひまりにバレていないか内心気が気じゃないものの、ここまできたら後には戻れない。覚悟を決め、俺も両手でソリの紐を握った。

 

「それではいってらっしゃーい!」

「え、なんか準備はいいですか的なやつはないんですk」

「えーい!」

「わーーーーーーーい!!」

「うおわあああああああああ!?」

 

 俺の質問に答えることなく、無情にも係員さんはひまりの背中を押す。抵抗の間もないまま、俺とひまりはスライダーへと一直線。ソリが着水した瞬間、殺人的な加速が俺たちを襲った。

 は、速いっ、速すぎる!!確かに水流の勢いは凄いがそれを加味しても絶対に水流に対して速度がおかしいッ!!ソリの紐を握りしめ、縦横無尽に振り回される身体をなんとか平行に保つように努めていると、俺はスライダーの下を流れている水の違和感に気づいた。

 真水にしては、不自然な(ぬめ)り。この滑りがこのスライダーの異常な加速の根幹を為している。その滑り、宛らローションのよう。そのローションが促す、スピン・ターン・スライド・ロール……全部載せは伊達じゃない、体内のあらゆる液体がシェイクされて、先程食べた焼きそばが一気に込み上げてくるような不快感が俺を襲う。

 

「わーい!いけいけーっ!」

 

 そんな不快感を感じていないのか、後ろでワイワイと燥ぐひまり。それを注意したいが、そんな余裕すらない。不幸なことにその水が、新たな二次災害を生み出していた。

 

 

 

 ──俺の背中で、ヌルヌルと(すべ)るのだ。スライダーの不規則な動きに振り回される、彼女の豊かな2つの果実が。

 

 

 

 落ち着かねぇえええええええええ!!

 もうスライダーどころの話ではない。速度による恐怖よりも、背中を襲う殺人的な柔らかさと弾力に抗うことの方が遥かに困難だった。

 更に良くないことに、ひまりはもう紐から手を離して俺の胴に腕を回している──即ち、俺は後ろからひまりに抱きつかれているのだ。ひまりからすれば、何気ないいつも通りのスキンシップ感覚なのだろう。だが今、この状況、この格好でそれをやられるのは、色々とマズイ。お、落ち着け……素数を数えて落ち着くんだ……2,3,5,7,11……。

 

「あ、ハルちゃんゴール見えてきたよ!」

「ゑ?」

 

 孤独な数字と戯れて平静を取り戻そうとしているうちに、スライダーの終わりが見えてきた。それを見た瞬間、俺は思わず笑みが溢れる。

 

「──冗談だろ……?」

 

 ──笑みは笑みでも苦笑いだが。

 俺が今視認しているスライダーの終わりは、若干の()()()で道が途切れている。普通の公園にあるようなすべり台が、登り坂で終わることが果たしてあるだろうか。一般的には、地面に平行になる形で終わるだろう。ではそれを登り坂にしたら果たしてどうなるのだろうか。ましてやそのすべり台を滑っている人間が──()()()()()()()()()()()()()()()()()()ならば、どうなるのだろうか。

 

「──飛ぶよー、ハルちゃんっ!」

「気づいてたんなら早く言えやあぁあああ!!」

 

 全力の抗議は既に手遅れ。俺達という弾丸は、速度相応の勢いを以って射出された。

 

「いやっほーーーー!!」

「おわぁぁあああああああああ!!!」

 

 楽しそうに叫ぶひまりと対照的な、情けない俺の悲鳴。実際には数秒だろう滞空時間は、まるで永遠のように思えた。そんな浮遊感が終わると、俺とひまりは思い切りプールに叩きつけられる。それは勢いよく着水しても大丈夫なように、存外深く作られていた。全身を押し出されるような浮力に従い、俺は水面へと浮上する。

 

「っぷはぁっ!!」

「はーたのしかったぁ!」

 

 すると既に浮上していたひまりの姿を見つけた。彼女は如何にも満足といった風に笑い声を上げていて。

 

「ねーねー、もっかい乗ろうよハルちゃん!」

「……悪い、パス」

「えー!?なんでなんで!?

「ちょっと、休憩……」

 

 休まねば、まずい。

 

 ──主にメンタル的な意味で。

 

 

 

 

「はー、たのしかったね!ハルちゃん!」

「…………そうだな、疲れたよ俺は」

 

 それから色々な場所を回る内に、気がつけば営業終了時間間際を迎えていた俺たちは急いで身支度をしませ、今は帰りのバス停へと向かって歩いている途中だった。日中燦燦と降り注いで居た太陽も傾き、青空には茜が差し始めている。

 

「今日は付き合ってくれてありがと。ごめんね、いきなり家に押し掛けて連れ出しちゃって」

「なんだ急に。今に始まった事じゃないだろ?」

「う……そう、だけど……っ」

 

 どうしたんだろう。急に歯切れ悪くなったな。

 

「……今日、割と無理やり外に連れ出しちゃったから、ハルちゃん嫌な思いしてないかなぁ、ってふと思ったの。もしハルちゃんが嫌だったんなら、今度からそういう事はしないようにしていく、つもり、です……」

 

 

 

 

 

「ふふふふ、あははは……」

「な、なんで笑うの!?」

 

 ひまりには申し訳ないが、可笑しくてたまらない。俺からすれば、本当に“何を今更”、なのだ。

 いつもそうだった。やると決めたらやる、何事にも一途な君は思い立てば即行動。脇目も振らず一目散に走り続け、ふと立ち止まって後ろを振り返った時。そこで初めて、“後悔”がきみに追いついて来る。そんな君に振り回された経験は、きっと桁が2つじゃ到底足りない。

 それを今更君が悔いているというのなら。

 反省し、変えていきたいと思っているのなら。

 

 

「……ひまり」

「っ、はい」

 

 俺の声色が変わったことに何かを感じたのだろうか、ひまりが立ち止まってぎゅっと目を瞑っている。

 

 

 俺はそんな彼女の頭を、一度だけ撫でた。

 

 

 

 

 

「──また、遊びに連れてってよ。楽しみにしてるからさ」

 

 

 

「……!」

「後悔なんて、しなくていいよ。少なくとも俺にだけは。俺の前だけでは、ありのままの君でいて欲しい」

 

 紛う事無き本心が、俺の口から零れ落ちた。確かに俺を振り回す君に、多大な迷惑をかけられてきた。幼い頃はそれが原因で何度も喧嘩したことがある。

 

 

 ──それでも俺は、君のそんな所に救われた。

 

 

 鬱屈な俺を縦横無尽に振り回す君の純粋さは、暗闇に溺れた俺の、ただ一つの確かな光だった。

 それは間違いなく、俺には無い、君の魅力の1つだから。

 俺がずっと側に居たいと願う、君という人間を形作る大切な物だから。

 

 

 

「──君はそのままでいいんだよ、ひまり」

 

 

 

 

 俺は君のそんな所が─────。

 

 

 そこから先の言の葉は、今はまだ形を成さない。

 

 

 

「……うん、うん!わーいハルちゃん大好きー!」

「だから飛びついてくんなって……うわっ、髪汗でビショビショじゃねぇか汚ねぇ!」

「どうしてそう何度もデリカシーのない事言うかなあ!?しかもこれ汗じゃないよ、プールで濡れてるだけだよっ!」

「ちゃんとタオルで拭けよバカ」

「それはごもっとも……ふふふっ」

 

 そんなやり取りが面白くて、俺達は2人で笑う。

 

 

 俺達の夏休みは、まだ始まったばかりだ。

 

 

 






宮代陽奈巨乳好き説。あると思います。

新たに高評価をくださった、

エル@EsiRさん、ぶたまん茶葉さん

本当にありがとうございました!そして以前目標に掲げていたお気に入り300件をこえ、400件に到達しました!高評価含め、モチベーションは上がりまくりです。これからもヒソヒソと頑張っていくので応援よろしくします!

それでは次回もよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

GT in the FR



タイトルの意味はなんでしょう。


 

 

21話 GT in the FR

 

 

「あ、来た!おーい蘭!こっちこっち!」

「……ごめん、遅くなった」

 

 陽奈とひまりがプールで遊んでいる頃。蘭は巴に呼び出されて近所のファミリーレストランに来ていた。手を振る巴の元に近づき、席へとたどり着いたところで、軽く謝罪を入れる。

 

「遅かったねぇー、蘭」

「モカ。それにつぐみも……2人も来てたんだ」

「うん。私達も巴ちゃんに呼ばれて」

「なるほど……『ひまりから誘いが来ると思うけど断ってこっちに来い』なんて。おかしいと思ったらそういうことだったんだ」

 

 巴からの“お願い”は今言ったように、まるで不思議な内容だった。だが余りにも必死な巴の様子に気圧された蘭──モカやつぐみも同様だ──は、そのお願いを鵜呑みにせざるを得なかった。

 

「……で?そこまでしてわたし達を呼び出した理由は何?」

「あーあ、わたしもプール行きたかったな〜」

「悪い悪い……ただ、どうしても話したいことがあってさ」

 

 モカのぼやきに、巴が申し訳なさそうに笑う。その様子を見ながら蘭は思案する。巴がここまでして呼び出した理由、興味がないといえば嘘になる。プールに未練がないわけではないが、今の蘭にとってはこちらの方が重要なことだった。

 

 

 

 

「……それって」

「陽奈くんと……ひまりちゃんのこと?」

 

 

 

 

 モカの言葉をつぐみが繋ぐ。答えられることが想定内だったのか、巴は大きく驚く様子もなく頷いた。

 

「……アタシらの中だけでも、ハッキリさせたほうがいいんじゃないかって思ってな」

 

 神妙な面持ちで、巴は言う。つぐみがブンブンと首を振りながら頷き、モカもなるほどねー、と相槌を打っている。その中で蘭だけは──内心首を傾げていた。

 

 

 

 ──え?何を?何のこと??

 

 

 

 蘭の脳内を駆け巡る疑問符に、答えを示す存在はこの場にはない。陽奈とひまりのことについて、この4人で話し合い──?蘭には皆目見当もつかなかった。

 しかしこの空気、『何の話?』なんて事を言える雰囲気ではない。故に蘭は考える。今3人は、何に対しての共通認識を持っているのか。

 

 

 陽奈とひまりの事で話す内容。客観的に考えれば、2人の関係性のことだと直ぐに思い至るはずだ。だが蘭には残念ながら、この2人の微妙な距離感を感じられていなかった。

 陽奈と比較的仲の良い巴、人の心の機微に敏いモカ、漫画等から得た知識で恋愛に興味が深いつぐみと比較すれば、気付く要因にあまり恵まれていなかったとも言える。それは蘭自身が、これまで陽奈と必要以上に関わろうとしていなかったと言う面も大きい。

 もしこの話を持ちかけられたのが、今日ではなくもう暫く経ってからだったならば、蘭も気づいた可能性はある。蘭は家の事を通して、少しずつ陽奈と向き合っていこうと決めたのだから。だが今日(こんにち)の蘭がその事実に思い至るには、余りにもピースが欠けていたのである。

 

 

 足りないピースを予想で補いながら、蘭は必死で頭を回す。不信に思われぬよう、表面上は無表情を装いながら。しかしそんな中、次のモカの言葉は蘭にとって衝撃的すぎた。

 

 

 

「──まー、少なからずひーちゃんはどう見てもハルちんラブ、って感じだよねー」

 

 

 

「はァ!?」

「え……どうしたの?蘭ちゃん」

「あっ……い、いや、なんでもない」

 

 さも当然のように告げられたモカの言葉に蘭は驚き、椅子を鳴らしながらその場に立ち上がる。その様子を不信がったつぐみを、ぎこちない笑顔で誤魔化した。

 

「ラブって……す、好きってこと……?」

「いや、そうだけど……もしかして蘭、お前気づいてなかったのか?」

「ばっ、バカなこと言わないで。気づいてたに決まってるじゃん…」

 

 そうは言いながらも、蘭は内心動揺が止まらなかった。“気づいてたに決まってる”。

 

 ──そんなわけがない。

 

 蘭にとって陽奈とひまりの2人は、なんか仲いいなぁ、ぐらいの認識しかなかった。

 2人が家族ぐるみで仲が良いと言うのは知っていたし、この関係はその延長線上だろう。そんな風にしか考えてなかった蘭に、今の言葉は耳を疑うものだった。

 そんな蘭の動揺を、モカは見逃さない。

 

 

「……はっはーん、そっかそっかー、蘭は昔からこういうのは興味なかったもんねぇ。気づかないのも無理ないよ〜」

「だ、だから気づいてたって言ってるでしょ!?」

「無理無理、諦めなよ〜。蘭がわたしに、隠し事できるわけないでしょ〜?」

 

 ニヤニヤと笑いながら揶揄ってくるモカに蘭は強く反発するも、モカはそれを意に介さない。ここで食らいつき続ければ、痛い目を見るのは自分自身だ。今までの経験からそのことを理解していた蘭はぐっと怒りを飲み込んで溜飲を下げた。

 

「……で?ハルとひまりがどういうワケなの」

「やっぱり知らなかったんじゃーん」

「静かにして、モカ」

「ははは……んじゃま、蘭にもわかるように説明するか。ま、アタシの予想も入ってるけど、納得してもらえるとは思うぜ?」

 

 

 それから巴は話した。陽奈とひまりは、恐らく互いを意識しているであろうということ。

 陽奈はひまりに恋心を抱かないように、心の何処かで一線を引いているのではないかということ。

 一方ひまりは間違いなく陽奈の事を好いているが、それは恋心ではなく、家族に向ける情愛と等しいものだということ。

 

 以前にも言ったように、巴はこれを我が事のように感じている。第三者から見てもお似合いの2人だ。是非とも幸せになってほしい。なんとか出来ることなら、なんとかしてあげたい。そんな思いが、確かに巴の中にあった。

 

 

「……だから、アタシ達でなんとかしてやれねーかなって思ってさ」

 

 

 ──なるほど、ね。

 

 巴の話を聞き終わり、蘭は頬杖をつきながら窓の外に視線を移した。確かに出会った頃から2人の距離の近さに関しては認識していた。流石にそんな複雑な事情を抱えているなんて事は想像していなかったし、今でも若干信じられていない節もあるが……周りの反応を見るに、どうやらあながち間違いでも無いらしい。

 もしも今の話が事実なら、確かに何とかしてやりたいと思う。だが今の話を聞いた蘭には、どうしても看過できない点があった。

 

「……確かに何とかしたいと思うけどさ、()()()1()0()0()%()()()()()?」

「どういうことだ?」

「ひまりの方はまぁ、どう見てもハルのことが好きなんだとは思う。恋愛感情は置いといて。でもハルの方は本当にそう思ってるのか確認したわけじゃ無いんでしょ?ハルは、本当にそれを望んでるワケ?」

 

 語調を荒げないように努めてはいたが、それでも疑う気持ちを蘭は抑えきれなかった。

 陽奈は果たして、ひまりと結ばれることを望んでいるのか。その疑問は、蘭の中で拭いきれない懸念だった。取り越し苦労ならまだしも、余計なお世話だった場合、それは今の自分達の関係を壊しかねない爆弾となりうる。

 そんな危険な綱渡りを積極的に行おうとは、蘭にはどうしても思えなかった。

 巴は蘭の言葉を受けて考え込む様子を見せたが、しばらくしてゆっくりと口を開く。

 

「……確かめてはない、けど……やっぱり、()()()()()()よ、陽奈が」

「可哀想……?ハルが?」

「……アタシは多分、みんなの中で1番陽奈と接する機会が多かった。その分、少しだけ陽奈と仲がいい気がしてる、向こうは知らないけどな。だからアタシは、アイツがどんなコンプレックスを抱えてるのか、自分のことをどんな風に思ってるのか……何となくわかるんだ」

「ふぅん……」

「ひまりはあんな性格だから、何も考えずに言ってしまうんだよ──陽奈のコンプレックスを、根本から拭い去ってしまうような言葉をさ」

「だったら、ハルもさっさとそれを受け入れればいいじゃん」

「そうはいかないんだよ……アイツはさ」

 

 至極真っ当な意見を返したつもりの蘭だが、困ったように笑う巴の様子を見て首を傾げた。

 

「どういう……こと?」

「もしひまりが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、まだ可能性はあったかもしれない。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんてこと、アイツは絶対に認めない。陽奈は、そういう奴なんだよ」

 

 苦しそうに、さも自分の事であるかのように、巴は顔を歪めながら言葉を続けていく。

 

「この前見たんだよ、アタシ。ひまりが何気なく言った、自分を認めてくれるような言葉に対して、苦しそうな顔をしている陽奈を。きっとアイツは長い間、そんな顔をしてきたんだろうなって考えると……可哀想じゃないか。アタシは、何とかしてやりたい。陽奈がアタシ達を、助けてくれたみたいに」

 

 

 強く言い切った巴。その瞳は、蘭にはわからない何かを見据えているように見える。そんな決意は確かに立派で、高尚なモノなんだろうと蘭は思った。

 

 が、しかし蘭はこうも思う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()と。

 当人から聞いたわけでもない予測だけを並べ立て、それを十割是として語る巴に、僅かばかりの違和感を覚えた。そしてそれに頷く、モカとつぐみにも。陽奈の気持ちも、ひまりの気持ちも、本人にしかわからないじゃないか。

 

 ───幼馴染だから。友達だから。

 

 確かに便利な言葉だし、事実その通りではあるのかもしれない。だが、万物すべてがそうじゃないだろう。寧ろ、ソレであるが故に見えないことも、沢山あるのではないか?現に自分達は、それで一度分裂の危機に陥ってしまったというのに。『きっと』、『多分』。そんな仮定と推論に塗れた決意を持って進んでいく道は、果たして正しいものなのだろうか。巴の話には、確かに芯がある。だが、芯を裏付ける根拠が、余りにもフワフワとしている。論拠に含まれている感情の割合が大きすぎる。そんな印象と疑念を、蘭は抱いた。

 

 

 ──しかし蘭は、その疑念を口にしなかった。

 

 

 理由は1つ。例えどれだけ疑念を抱いても、巴の言葉のとある部分にだけは強く共感することが出来たから。

 そう、蘭にも確かにあったのだ──陽奈を助けたい、という感情が。自分は確かに宮代陽奈という少年に、心の底から救われたから。そんな彼が何かに悩んでいるのなら、苦しんでいるのなら。助けてあげたい、彼が自分にしてくれたのと同じように。そう思ってしまうのも、仕方ないことだと言える。

 そして蘭は疑念と信念、その2つを秤にかけ。

 

 

 ──信念(救い)を、選び取った。

 

 

「……わかったよ、私も協力する。あの2人が結ばれるのは、確かに嬉しいしね」

 

 蘭が巴に微笑みを返す。

 

「っしゃあ!みんなが協力してくれるならアタシも嬉しいよ!」

「……でも巴ちゃん、具体的な策はあるの?」

 

 沈黙を保っていたつぐみが、心配そうに問いかけた。

 

 

「まずは、さっき蘭も言ってくれたけど陽奈の気持ちを確認することから始めていこうかなって。これに関しては責任とってアタシがやるよ」

「……なんかアテがあるみたいだね?」

「そういうわけじゃないけどな。アタシが言い出したことだし、お前らに任せるのも申し訳ないし」

 

 言葉通りに申し訳なさそうに笑う巴。そして彼女は、今度こそ名案を思いついたとばかりに言う。

 

「そうだ、今度“アレ”があるじゃないか」

「んー?アレってなーにー?」

「あ、もしかしてひまりちゃん考案の……」

「あぁ、アレか」

「そうそう!いい機会だ、アレを使って陽奈に確認するキッカケを探してみる。蘭はここで2人の関係を意識しながら見てみろよ。アタシらが言ってること、少しはわかってくれると思うからさ」

「……そう、だね」

 

 ぎこちなく笑う蘭。彼女らが言う『アレ』の正体がわかるのは、もう少し先の話である。

 

「……それはそうとさ、蘭」

「ん……何?」

 

 話題が変わるのだろう、そんな雰囲気を感じた蘭は、巴から質問を受けたにもかかわらず、完全に油断しきっていた。

 

 その質問が、完全に蘭を殺しにきているとも知らずに。

 

 

 

 

「───蘭は陽奈のこと、どう思ってるんだ?」

 

 

 

「…………はぁッ!?」

 

 

 質問の意図を汲めず呆然としていた蘭は、それを理解した瞬間に頬を一気に染め上げて声を荒げた。

 

「なっ、なんでわたしにそれを聞くわけ…?」

「……蘭反応デカすぎ〜」

「蘭お前……もしかして」

「ち、違うっ!誰があんなヤツなんか……!」

 

 からかいに走ったモカと巴を睨みつけ、蘭は勢いよく反駁する。しかしそれは意味をなさず2人のニヤニヤとした顔は止まらない。

 

「らーんー、早く白状しちゃいなよ〜っ」

「だっから……!本当に違うんだって!」

「必死過ぎて逆に怪しいんだよなー」

「本当だって!あんなヤツこっちから願い下げ」

「……そこまで言うか?」

「そうだよ。少なくともわたしはあんな根暗でスカしてるヤツとどーにかなりたいとは思わない……でも」

 

 怪訝な顔で聞き返した巴に、蘭は必死に言い返すが、それは段々と尻すぼみに小さくなっていく。そして蘭は頬を紅潮させたまま、他のメンバーに目を合わせることなく、窓の外を眺めながら答えた。

 

 

 

「──幸せになればいいとは、思ってる。

 

悔しいけど、わたしはアイツに助けられたから。アイツが居たから、今のわたしがある。だから……報われて欲しい、かも……っ」

 

 

 

「……蘭、お前いつの間にツンデレを身に付けたんだ?」

「ツンっ……!誰が、どこが!」

「お前の、そういう反応するところだよ」

「ふふふ、蘭ってば可愛いんだから〜」

「笑うなーーーっ!!」

 

 巴やモカは、蘭に申し訳ないとは思うものの、にやけ笑いが止まらなかった。そんな2人に、以前顔を真っ赤に染めたままの蘭が全力で噛み付いた。

 

「はぁ、笑った笑った」

「アンタ達、覚えてなさいよ……!」

「ごめんってば……ん?つぐ、さっきから静かだけどどうかしたのか?」

「……へっ!?あっ、ど、どうしたの?」

「つぐみ……?」

 

 我に返ったように慌てるつぐみの様子に、流石の蘭も違和感を覚えた。

 

「何でもないよ!ごめんね心配かけて!」

「何もないなら別にいいんだけどさ」

 

 強情に何でもないと言い張るつぐみの様子を見て、皆もそれ以上の追求はしなかった。

 

 それから話は、『アレ』を使った作戦の話し合いへとシフトしていく。

 

 

 

 ───もしもの話になるが。

 

 

  蘭が、今日感じた疑念を、口に出していたのならば。

 

 

  彼と彼女が迎える結末が、少しだけ変わっていたのかもしれなかった。

 

 

  だがその事を、今の彼女は知る由もない。

 

 

 

 

 ──彼と彼女の想いを巡る夏休みは、彼女達の加入を皮切りに、大荒れを見せることになる。

 

 

 

 

 





Girls
Talk
in
the
Family
Restaurant

でした。

投稿遅くなって申し訳ありません!実はとある小説の執筆に力を注いでおりまして……宣伝も兼ねて、言い訳させてください。

私またたねは、薮椿氏主催の企画、「ラブライブ!〜合同企画短編集〜」に参加させていただくことになりました。総勢32名もの作家の方々が、作品を持ち寄って1日1話ずつ投稿される、非常に大きな企画となっています!ラブライブ!の作者はもちろん、バンドリ作品の作者の方々もたくさん参加されています!私が昔からお世話になっている「お気に召すがままに」でお馴染みのかさくもさんも参加されています!

もうご察しかと思いますが、そちらの作品の執筆に時間を割いていた関係で、こちらの更新が遅くなってしまいました……本当に申し訳ありません。
私またたねの企画小説の方は、本日21時に公開されます!つまり、もう公開されているのです!笑 この作品を読んだその足で企画小説の方も読んで頂ければ非常に嬉しいです!リンクを1番下に貼っておくので、ぜひよろしくお願いします!

新たに高評価をくださった、

お伽の闇さん 本当にありがとうございます!!

次回もよろしくお願いします!!


企画のリンクはこちら↓
https://syosetu.org/novel/175458/



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夕暮れの夏祭り


夏といえば。

ひまりかわいい。


 

 

 

22話 夕暮れの夏祭り

 

 

「っとやば、もうこんな時間か」

 

 

 先程まで続けていた身支度を終え、振り返りざまに壁時計を見た俺は呟く。

 時刻は18時45分過ぎ。日照時間が1日の半分を超えた8月の初旬。空は茜に染まりかけてはいるものの、まだまだ暑い日差しが地表をジリつかせている。

 

「早く行かないとやばいな……」

 

 遅刻でもしようものなら……考えたくもない(ブッ殺される)。財布と携帯、僅かばかりの携行品を入れたウェストポーチを引っ手繰るように肩に掛けると、スニーカーの踵を踏み潰しながら、駆け足で外へと飛び出した。

 

 太陽というのは、沈み出せば一瞬だ。先程までは地表を焦がしていた日差しも幾分か鳴りを潜め、微かではあるが、俺にとって外出しやすい気候になった。

 何度も言うが、俺は夏場に外に出るのが非常に嫌いである。理由はただ1つ、暑いのが嫌いだから。余程の理由でもない限り、個人的に外出なぞしない。そんな俺が、駆け足で目的地へと向かう。個人的には天変地異レベルの出来事である。

 その理由は───。

 

 

「あ、来た!」

 

 

 目的地へと辿り着いた途端、彼女の姿は目に入った。それは向こうも同じだったらしく、おーいとこちらに大きく手を振っている。

 夕暮れに染まる空、橙色の光が照らす世界の中。確かに彼女は、笑っていた。

 

「あ、陽奈くーん!」

「おっそいよー、もーう」

「ごめんごめん、家から近いから油断してたよ」

 

 

 ──『夕暮れ』を冠した、彼女達と共に。

 

 

「18時53分、集合2分前か。ギリギリセーフだけど男としては失格だなぁ、陽奈」

「うるせぇよ巴。俺にも色々あったんだよ」

「ふーん……色々って?」

「ああ!それってハネクリボー?」

「いや、誤魔化し方下手過ぎだろ」

 

 巴と会話しているうちに、駆け足のせいで上がっていた息が少しずつ戻ってきた。たかがこの程度の距離で息の上がる自分が本当に情けない。やはり夏場でも嫌だと言わずに少し体を動かすべきなのだろうか。

 そんな事を考えていると、如何にも不服と言わんばかりに頬を膨らませたひまりが後ろから俺に飛びついてきた。

 

「とうっ!」

「わっ!なんだよひまり、いつも飛びつくなって言ってるだろ?」

「もう、ハルちゃん私達の服装見て、なにも感想ないわけ!?」

「ぐふっ」

 

 抱きしめると言うよりは、ホールドすると言った方が正しいひまりの抱擁から解き放たれたことに安堵したのは一瞬、背中から突き飛ばされた衝撃に、肺の中の空気が一気に押し出され、大きく前につんのめった。倒れるなんてそんなダサい真似は出来ぬ、たたらを踏んでバランスを取り転倒を回避すると改めて後ろを振り返り、そこに立つ五人組の姿を見た。

 

 

「じゃじゃーん!どうどう?私達の()()姿()!」

 

 

 

 自信満々に笑うひまり。

 いぇーい、と言いながらピースをするモカ。

 恥ずかしそうだが笑顔を見せたつぐみ。

 やれやれ、といったように笑った巴。

 頬を染めたまま、目を合わせようとしない蘭。

 

 それぞれが多様な反応を見せた。

 

 そう、今日は彼女達と夏祭りに来ているのだ。

 

 

 事の発端はやはり彼女(ひまり)

 『お祭りに行こう!みんなも連れて!』と言う彼女の言葉のままに、今回のイベントが設けられた。お祭りと言うのは俺とひまりの家の近所で毎年行われている夏祭りのことで、神社の境内の中と隣接した小学校のグラウンドの二箇所に渡って中々の規模で開催されているものだ。たかが近所の祭りと侮る事なかれ、普通に見て回るだけでも数時間はかかる上に、最後には打ち上げ花火も空に花を咲かせる。この小さな町のどこからそんな金が出ているのかと不思議に思ったのは去年の事である。

 例年はひまりと2人で行っていたが、今年は『Afterglow』の皆も一緒にお祭りを回ることになったのだ。

 

「どうだいハルちーん、あたしらの浴衣姿は」

「……似合ってるんじゃないか?」

「えぇ〜、それだけ〜?」

「それだけもなにも、本当にそう思ってるんだよ」

 

 正直な話、『Afterglow』のメンバー全員のルックスのレベルは非常に高いと思う。全員がクラスのマドンナを張れるレベルで。

 そう思うとこんな浴衣姿の美少女5人組と、俺如きが一緒に夏祭りを回らせて頂くことは、もしかすると非常にありがたいことなのではないかと思い始めた。

 

「じゃあさ、ハルちんは誰の浴衣姿が1番似合ってると思うの〜?」

「は?」

「おっ、確かに気になるな!陽奈は誰の浴衣が好みなんだ?」

「巴まで、何言って」

「……早く決めなよ」

「蘭さーん?不機嫌そうに俺の背中を押すのはやめようなー?」

 

 多方面からの圧力により、完全に俺が誰かを選ぶ空気になってしまっている。『みんな可愛いよ』なんて言葉じゃきっと満足しないんだろうということもなんとなくわかってしまう。不本意だが、どうやら覚悟を決めるしかないらしい。

 

「んー……」

 

 改めて、5人の姿を眺める。甲乙付け難いものの、ややあって俺はある1人を指名した。

 

 

 

 

「──つぐみ、かな」

 

 

 

「へっ!?わ、私っ……?」

「うん。柄もお洒落だし、髪飾りも浴衣に合ってるし。何より、君に似合ってるよ」

「そ、そうかな……えへへっ」

 

 俺の言葉に、彼女は心底嬉しそうに笑う。  

 俺なんかの言葉でこんなに喜んでくれるなら悩んだ甲斐があったってもんだ。

 

 そんなつぐみの浴衣は、淡い青色を基調として、黄色い花や錦の魚型で彩られたやや薄手の布地で作られたものだ。髪型は普段と変わらないが、浴衣と色合いを合わせるように青い花弁があしらわれた髪留めをつけている。華美ではないが、その大人し目の色合いが、つぐみにぴったりだと思う。

 

「あーあ、あたしも自信あったのにな〜」

「だから、最初に似合ってるって言っただろ?」

 

 冗談混じりだが残念そうに呟くモカの浴衣は、普段彼女が来ている日中の青空のような色をしたパーカーとは打って変わった、星空を思わせる濃紺の浴衣だ。それと対比になるような眩い色遣いの帯と、黄色や白で鮮やかに彩られた花が、とても良いアクセントになっている。更に髪も普段のラフなそれとは違って丁寧に編み込まれており、モカってやっぱり可愛いんだなぁと、改めて思わされた。

 

「なるほど、陽菜の好みはシンプルな柄っと」

「そんな情報なんの役にも立たないぞ、巴」

 

 悔しがる様子もなく、一貫して俺を揶揄う様子でいる巴の浴衣は、彼女の髪色よりも少し暗めの、ともすれば茶色に見えてしまうような赤色だった。普段の振る舞いや言葉遣いから忘れがちだが、やはり巴も整った顔立ちをしている。可愛いというよりも美人といった印象を抱く。『Afterglow』の衣装のようにパンクな服装も似合っているが、個人的には髪型までオシャレに着飾った此方の方が似合っているように思える。

 

「…………何」

「いや、着こなしてるなぁって思って」

「褒めても何も出ないし」

「いやいや、純粋な感想だよ」

「…………」

 

 朱い頬のまま、俯きがちに視線を横に流した蘭の浴衣姿は、とても綺麗だった。他の皆とは違う、“着慣れている”感がある。やや赤みがかった桃色の浴衣にあしらわれた細やかなススキの装飾。布地が他の皆とは違い、触らずにしてわかるような高級感が漂っている。実家の……華道で使うものなのだろうか。髪も普段とは違ってメッシュに染めた赤い髪を丁寧に編み込み、そこに花飾りをつけている。語彙力がまるでないが、可愛い。そう形容する以外になかった。

 

「ねぇねぇ、私は!?」

「……フツー」

「えぇ!?なんで!?」

「いや、君の浴衣姿は毎年見てるから新鮮感がまるで無いし、しかも毎年俺に感想求めてくるじゃんか。もう語彙が尽きたよ俺は」

「えぇー、そんなぁー……」

 

 俺の言葉を真に受け、涙目で俺を見つめるひまり。可愛そうだとは思う、だが仕方ないだろう?少しは分かって欲しいんだ。

 

 ──毎年毎年、普段の何倍も可愛い君の姿を見せられる俺の心労を。

 

 可愛いんだよ、似合ってるんだよ。かなり、とても、凄く、止ん事無しに。

 ただあまりにも可愛いその姿を上手く形容できるような言葉が、俺にはもう考え付かないんだ。

 つぐみが1番似合ってる。ああ、確かにそう言ったさ。でもその中に、()()()()()()()()()()

 

 

 君の浴衣姿は、俺にとって別格だ。他の誰も並ぶ事はない。

 

 

 ──そう言えたなら、どれだけ楽な事か。

 

 

 

 邪魔をするのだ。プライドが、心が、見栄が、羞恥心が、『俺に言われたところで何になる』という卑屈な感情が。

 故に俺が取る行動は1つ。“何も言わない”、これに尽きる。しかし。

 

「陽奈くん、ひまりちゃん頑張って浴衣選んだんだよ?何か言ってあげなよ」

「え、つぐみ……?」

「そうだぞ陽奈、男としての人格を疑うレベルだぞ?」

「男らしくないと思いまーす」

「巴もモカも……」

「ハル、サイテー」

「蘭まで!?」

 

 全員からのバッシングを受けてしまった。まるで俺が悪者みたいに扱われてしまっている……いや、事実そうなのだろう。自分でも何か言わなければとは思っているのだから。

 改めてひまりを見ると、彼女は涙目のまま俯いていた。俺のせいでひまりが泣きかけている。確かにそれは本意ではないし、決してあってはならない事だ。

 

 俺はひまりへ歩み寄ると、そっとその頭に手を乗せた。

 

 

「──似合ってる、可愛いよ」

 

 

 圧倒的小並感。それでもその言葉が俺の正直な感想だった。そんな俺の言葉を受け、ひまりはゆっくりと顔を上げると。

 

 

 

「──えへへぇ、嬉しいなぁ」

 

 

 

 頬を紅潮させながら口元を緩ませ、だらしなく笑うひまり。

 ──単純かよ。

 口から飛び出しかけた言葉を、寸前で飲み込んだ。だがひまりの表情は、彼女の喜びを如実に示している。こんな言葉でも喜んでくれるなんて。俺は嬉しさと恥ずかしさが入り混じった苦笑を思わず浮かべてしまう。

 するとその様子を見ていた巴がニヤニヤと笑っている姿が視界に入った。それに気づいた俺は口元をキュっと締め直し、巴を睨む。それに対して巴は、ペロっと軽く舌を出して

返してきた。まるで『反省はするけど謝罪はしない』と言わんばかりに。

 

「……しっかし、結構人が多いんだなここの祭り。正直舐めてたぜ」

 

 そして何事も無かったかのように、巴は不満混じりに呟く。

 

「確かに町とかじゃなくて地域単位でここまでデカイ祭りはそうないかもな」

「これだけ大きければ、美味しい食べ物も沢山ありそうだねぇ、ふふふ〜」

「私イチオシのたこ焼き屋さんがあるよ、モカ!一先ずそこに行く?」

「うん、私達はどこに何があるかわからないから、とりあえず陽奈くんとひまりちゃんに付いて行くよ」

「……人酔いしそう」

「元気出せ蘭。ここにいる全員観客だと思えば大したことないだろ?」

 

 そして俺達は談笑しながら歩き出した。

 

 例年通りの、それでも例年とは一味違う、俺とひまりの夏祭りが、始まった。

 

 





夏祭りの導入ということで今回は短めです。

前回お知らせした企画小説の方に感想が届いていました!本当に嬉しいです!まだ読んでないよという方、是非読んで感想を頂ければ嬉しいです!リンクを1番下に貼っておきますのでお時間のある方は是非に是非に。

新たに高評価をくださった、

マトリカリアさん、なめりんりんさん

本当にありがとうございます!評価39になりました、サンキューです。あと少しで40……!

次回もよろしくお願いします!


企画小説はコチラ↓
https://syosetu.org/novel/175458/2.html


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

触れたくて


メリークリスマス。

まだまだ続く夏祭り。




 

 

23話 触れたくて

 

 

 それから暫く俺達は出店を回り、大量の食べ物を買い漁った。焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、りんご飴、綿飴……正直6人でも食べきれるか怪しい量だが巴、モカ、ひまりが食べ切る気満々なので恐らく大丈夫だろう……大丈夫だと信じたい。

 

「ねぇねぇ!次は何食べよっか!」

「はぁ?まだ食べるのかよ」

「ひ、ひまりちゃんその辺にしとこうよ……」

 

 俺の指摘に同意するように、つぐみは引き攣った笑みを浮かべながらひまりを諌める。無理もない、それほどまでにひまり達が抱えている食べ物の量が凄いのだ。なんてったって、コイツらは律儀に()()()食べ物を買って回っている。つまり、1人一品は確約されているというわけなのだから。蘭なんかも口にはしていないものの露骨に顔を顰めて歩いている。

 

「まぁ確かに、これ以上は食いきれるか怪しいし、この辺にしとこーぜ」

「えぇー、まだまだ美味しいものたくさんあるのにーっ」

 

 そんな俺たちの様子を見かねて、巴が助け舟を出した。ひまりは頬を膨らませながらも多数が反対しているこの様子は本意ではないらしく、若干の不本意を表しつつもこれ以上の買い足しを諦めてくれたようだ。

 

「あ、ひーちゃんそれ持つよー。重いでしょ?」

「あぁ、アタシも持つぜ」

「へ?あぁ、ありがとう2人とも!」

 

 ひまりが抱えていた大量の食べ物を、モカと巴が受け取った。3人で分担、というわけではなく、2人がひまりから完全に持ち去った形となる。持つものが無くなったひまりがあたふたと2人に自分も持つと交渉している姿を尻目に、俺は正面に向き直りながら感慨に耽る。

 

 去年までは、ひまりと2人で回るだけだった夏祭り。それだけで充分楽しかったが、やはりみんなで回るのとはまた違った楽しさがある。俺自身が楽しさを感じるというのもあるが、それよりも。

 

 俺は再び、そっと後ろを振り返る。

 

 そこには心から楽しそうに笑う、幼馴染の姿。

 

 ──その笑顔が、たくさん見られるから。

 ひまりは、よく笑う。『Afterglow』の皆と一緒にいる時は殊更。

 

 ──その笑顔は、俺にとって唯1つの守りたいものだから。

 

 

「ハルちゃん!次はどこに行く?」

 

 そんなことを考えていれば、後ろから追いついてきたひまりに声をかけられる。

 

「んー、まぁとにかく大量に買い込んだ食い物食べる場所探すところからじゃないか?」

「確かに!立ちながら食べるには厳しい量だもんね!」

「……その量を買い込んだのは誰だよったく……」

「ん?何か言った?」

「何も言ってませんよ?」

 

 この話題を続けるのは色々めんどくさそうだった俺は早々に切り上げて後ろを振り返り……気づく。

 

 

 

「……あれ?」

「みんなは?」

 

 

 

 ふと振り返れば、皆の姿が消えていることに気づいた。この場には俺、ひまり、蘭しかいない。

 

「……なんか行きたいとこがあるみたい。わたしにそう言ってからどっかに行ったよ」

 

 俺とひまりの疑問に答えるように、蘭が呟く。

 

「ふーん……どこ行ったんだ?」

「わたしも聞いてない。すぐ走って行ったから見失っちゃった。戻ってくるときに連絡するとは言ってたけど」

「そっか、なら折角だし3人で回るか」

「花火までにみんな戻ってきたらいいねー」

 

 ひまりの呟きに、首肯を返す。こうして俺達3人だけでしばらくの間祭りを見て回ることが決定した。

 

 

 ──その後ろで蘭が頻りに携帯を扱っている様子が、俺には若干気がかりだったが。

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

『計画通り、3人で回ることになったよ』

 

 

 蘭から届いたメッセージを見た巴は、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「っし、上手いこと事は運べてるみたいだな」

「ハルちん、本当に気づいてないのかねぇ〜」

「確信はないはずだぜ?そうならないように立ち回ったんだからな」

「でもなんだか2人に悪いことしちゃってる気分だね……」

 

 満足気な巴、やや不安気なモカ、申し訳なさそうなつぐみ。彼女達は陽菜達と接触せぬよう彼等とは真反対の方向へと、人混みに身を隠しながら歩いていた。

 

 4人の考えた計画とはこうだ。

 先ず、陽奈とひまりがどのような接し方をしているのかを確認する為、祭りの途中で会えて蘭以外の3人は2人から距離を置く。そして監視役の蘭が2人の様子をじっくりと観察し、2人の思いを見定める。計画というには余りにも稚拙なものだが、単純かつ明快なそれは現に確かな効果を見せていた。

 最初監視役は責任を取るとの宣言通り巴が担っていたのだが、途中で蘭が自ら立候補した。彼女は4人の中で唯一陽奈とひまりの関係性に思い至っておらず、またそれに疑念を抱いていた。そこで自分の目でそれを確認したい、そんな思いから巴に対して自分から立候補したのだった。

 

「さぁ蘭、上手くやってくれよ……?」

 

 孤軍奮闘する蘭に対し、巴は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

「ハルちゃん!これ食べる?」

 

 

「あ!ハルちゃん射的だよ!あれ取ってー!」

 

 

「ハルちゃーん!ふふふ、呼んだだけー!」

 

 

 

 

 

 ──これ、もう付き合ってるんじゃないの?

 

 目の前で繰り広げられる余りにも甘々な光景に、蘭は内心で辟易しきっていた。以前までの蘭ならば『やっぱ仲良いなぁ』くらいにしか思わなかっただろうし、ましてや本当に付き合っているわけではないことは重々理解している。

 しかし“2人は互いに意識し合っているのではないか”というフィルターを掛け、改めて2人の接し方を見れば、どうして今まで気づかなかったのだろうと思わず溜息が溢れる。

 以前ファミレスで陽奈とひまりを除いた4人で話し合った際、蘭だけが2人の曖昧な関係性について気付いておらず、またその説明を受けても俄かには信じ難いことだった。故に自ら今回の“監視役”を買って出たわけだが、なるほど確かに皆の言うことは理に適っているのかもしれないと蘭は納得していた。

 

 

 ──少なくとも、ひまりに関しては。

 

 

 蘭はこうも思うのだ。『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』と。

 確かにひまりの方は、陽奈にくっついて回ったり、陽奈にワガママを言ったり、陽菜が喜ぶような事を、意識せずに言ったりしている。

 だが彼の方はどうだろう。楽しくなさそうな顔をしているわけじゃない、寧ろ笑顔も見受けられる。反面、時折影が差したように暗くなる表情が、そしてそれを隠すために必死で作る、どこか苦しそうな笑顔が蘭にはどうしても見過ごせなかった。ファミレスで巴が言っていた事───

 

 

 

──『やっぱり、()()()()()()()、陽奈が』──

 

 

 

 ──この言葉も、今なら腑に落ちる。今の陽奈の表情を見て、可哀想と感じることは極めて当然のように思えた。

 

 陽奈は心の底から、ひまりとの時間を楽しむことが出来ているのだろうか。

 お似合いだし、幸せになって欲しい。

 そんな思いも確かにある。だがそれ以上に、陽奈がひまりと結ばれることで、より苦しい思いをするのなら。それは果たして陽奈に、2人にとって本当に良いことなのだろうか。

 

 ──本当にハルを救いたいのなら。

 

 わたし達がするべき事は、2人を結びつける事じゃなくて、ハルの心の問題を解決してあげる事じゃないの───?

 

 

「……ん、蘭!」

「へっ?」

「へ、じゃねぇよ。返事してくれ。大丈夫か?」

 

 深く考え込んでいた蘭は、目の前まで接近していた陽奈の存在に気づくことが出来なかった。

 

「あっ、ごめん。ボーッとしてた」

「大丈夫か?さっき人多いって言ってたし……人酔いでもしたんじゃないか?」

「い、いや全然。大丈夫だから気にしないで」

 

 ぎこちない笑みを、蘭は陽奈へと返す。自分が発した何気ない一言さえ覚えていて気に掛けてくれるなんて。急速に熱を帯びていく頬を自覚した蘭は、手に持っていたペットボトルで冷やすようにそこへあてがった。

 

 ドクドクと走る自分の心音が、喧騒に満ちたこの空間の中でも嫌に鼓膜を震わせる。煩わしくも心地よい、そんな感情を抱えている自分のことが、蘭にはうまく理解できない。

 

「蘭、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。心配しないで、ひまり」

 

 蘭がそんなことを考えていると、ひまりが心底不安そうに彼女の顔を覗き込んだ。

 それはただ一心に蘭を思っている表情で、陽奈との会話を邪魔されたなんて邪な感情は一切混じっていない。その表情に、蘭は益々わからなくなる。ひまりの真意が──()()()()()()()()()()()()()()が。

 

 ──好きだから、付き合いたい。

 

 自分には縁のない感情だが、世間一般の女子高生の考えは、こういうものなのだろう。自分達の中でも一際女子高生らしいひまりなら尚更そういうふうに考えているのではないか。

 

 彼女は陽奈に、好意を抱いている。

 それは間違いないのだろう。

 だがその好意の正体は、わからない。

 

 そして彼はひまりにどんな感情を抱くのか。

 

 今の蘭では、そこまでしか辿り着けなかった。

 

 

「お、おい蘭。本当に大丈夫か……?」

「……うん」

「どう見ても大丈夫には見えないけど……」

 

 自分は今、どんな顔をしているのだろう。

 2人の反応を見る限り、少なくともまともな顔はしていないのだろう。

 

 ──悔しい。

 

 圧倒的に及ばない、大切な友人への理解。

 これまで他人のことを何もわかろうとしていなかった自分の態度を、嫌でも感じさせられる。

 

 こんなにも一緒にいるのに。

 

 こんなにも大切なのに。

 

 今の自分じゃ──2人は、陽奈は救えない。

 

 

 今でも思い出せる、自分の心に触れた彼の手の暖かさ。悩み、苦しみ、荒んでいた自分を救ってくれたのは、確かにその暖かさに違いなくて。だからこそ。

 

 

 ──彼の心に触れたい

 

 

 そう思うのは、間違ったことなのだろうか──

 

 

 

「…………うぅっ」

「蘭、おい、蘭ッ!」

「蘭!?しっかりして……!」

 

 気づけば蘭の膝は折れ、その場に崩れ落ちてしまった。外気、熱気、人酔い、知恵熱、過度の心へのストレス……様々な要因が積み重なった蘭は自分でも気付かぬうちに体調を崩してしまったようだ。

 陽奈とひまりが、驚愕を隠しきれぬ表情のまま蘭に駆け寄る。

 

「ごめ、ん……」

「謝らなくていい。ひまり、これ持ってくれ」

「え、う、うん!」

 

 陽奈が自分のポーチをひまりに預けると、崩折れた蘭の肩に腕を回し、自分を支えにして立ち上がらせた。

 

「ここで止まってたらかえって危ない。歩けそうか?」

「…………歩ける、よ」

「無理そうだな。ほら、乗れよ」

「えっ、でも」

「いいから。ひまり、俺はどっか蘭が座れるとこ探すから君は」

「うん、わかった。水分を買って、みんなを探してくるよ」

「頼んだ。何かあったらケータイに頼む」

 

 正に阿吽の呼吸。陽奈の言わんとすることを一瞬で察し、ひまりは2人から離れていった。

 その後ろ姿を見えなくなるまで見送った陽奈は、改めて蘭に言う。

 

「ほら」

「……多分重いけどごめん」

「何言ってんだお前」

 

 恥ずかしいしこんな男に負ぶわれるなんて、と言う思いは微塵も消えないが自分じゃ歩けないのも事実。観念した蘭は照れ隠しの的外れな謝罪を陽奈に告げ、ゆっくりと彼の首に手を回した。

 中性的な容姿と華奢な体──本人には死んでも言えないことだ──に反して、自分と比べてやや筋肉質な体。あぁ、やっぱり男子なんだなぁとぼんやりとした頭で蘭は考える。そして訪れる、ふわりとした浮遊感。陽奈におんぶをされていると言う事実に、蘭は益々頬を赤らめる。

 

「……っし、ベンチとか近くにないかな」

 

 そう呟いて、陽奈は歩き出す。

 

 

 かくして、6人は3人へ、3人は2人へ。

 

 

 

 ──夏祭り最大の、波乱が幕を開けた。

 

 

 





おや、蘭の様子が……?(B連打)
遅くなり申し訳ありません。
続きは半分ほど書きあがっているので2.3日以内には投稿します。

新たに高評価をくださった、

Miku39さん、ナウいゆうさん

ありがとうございます!
次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

気付かずに、終わってく


前回のあらすじ

美竹蘭、進化Bキャンセルチャレンジ。


 

 

24話 気付かずに、終わってく

 

 

「……? 蘭のヤツ、急に連絡つかなくなったな」

 

 蘭からの連絡が途切れて、15分が経過した。巴やモカ、つぐみも蘭に電話をかけるものの、一向に反応はない。

 

「充電が切れたのかな?」

「可能性としてはなくもないけど……とりあえず、ひまりと陽奈に電話してみるか」

 

 そう呟いた巴は、先ず陽奈へと電話をかけた。コールが鳴ること数度、電話が繋がる。

 

「おっ、繋がった!もしもし、陽奈?」

『あっ、巴!もしもし?私、ひまりだよ』

「ひまり……?何でお前が陽奈のケータイに?」

『ちょっとこっちで色々あって……今どこ?そっちに行ってから詳しく説明する!』

 

 焦った様子のひまりを不審に思いながら、巴はひまりへと場所を告げる。存外近くにいたようで、繋いだままにすること2、3分でひまりは巴達の元へと辿り着いた。

 

「よかったー!こんな所に居たんだねみんな」

「あぁそうなんだけど、陽奈と蘭はどうしたんだ?」

「それがさっき蘭が倒れちゃって……」

「倒れた!?」

「うん……それで私がみんなを探してくることになったんだけど、ハルちゃんのケータイ私が預かったカバンの中に入ってて連絡が取れないの。蘭のケータイは繋がらない?」

「そーなんだよねー。蘭が出なかったから、ハルちんとひーちゃんのケータイにかけることにしたんだけど」

「そうなんだ……どうしよう、だいぶ動いたから元の場所に戻るのには時間がかかるかも」

「結構かかりそうなの?」

「うん……しかもあんまり正確な場所もわかんない。ここ広いし、景色も同じような感じだから」

 

 申し訳なさそうに告げるひまりの声に、3人の表情も厳しいものへと変わる。ひまりを責めているわけではない。ただ自分達が計画を実行することがなければ、こんなことにはならなかった。そんな後悔が、3人の心を苛む。

 

「……それじゃあ、ハルちんと蘭は今2人きりってわけだねー」

「……!」

 

 何気ない──もしかしたら意図的かもしれないが──モカの言葉に、巴はハッと息を呑む。そうだ、不謹慎なのは重々承知だが、これでひまりの陽奈への思いが明らかになるかもしれない……そう思った矢先。

 

 

 

「──うん、でも2人ならきっと大丈夫だよ!心配だけど、ハルちゃんが付いてるしね!」

 

 

 

 笑顔と共にひまりが口にしたのは、蘭の心配と陽奈への信頼だけ。男女で2人きりなど、そんな事実は微塵も気にしていない。本当に何も感じていないのか?自分達にそれを悟らせないように努めているのか?巴はひまりの真意を悟ることが出来ずにいた。

 

 

「とにかく合流できたし、2人を探しに行こ?ハルちゃんは多分蘭を休憩させるために何処か座るとこ探すと思うんだよね。私、この神社の地理なら詳しいし、頑張って歩き回れば見つけられると思う!」

「あ、あぁそうだな。じゃあ2人を探しに──」

 

 

 動揺しながらも、今は2人を探すことが優先だと自分に言い聞かせ、巴はひまりの意見に同調した。しかし、その歩みを止めるように、彼女はひまりへと声をかける。

 

 

「……待ってよひまりちゃん」

「ん……?どうしたの、つぐ。早く2人を」

 

 

 

「ひまりちゃんは……!陽奈くんが他の女の子に取られてもいいの……っ!?」

 

 

 

「お、おいつぐ……?」

「確かに陽奈くんは、ひまりちゃんの幼馴染かもしれない……でも、()()()()()()()()()()()()()んだよ……?一緒に居られることは、当たり前の事なんかじゃない。それって凄い奇跡なんだってことを、ひまりちゃんはわかってない……!

 

 

──陽奈くんは、きっといつか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ?

 

 

ひまりちゃんはその事を、本気でわかってる……?」

「…………」

 

 絞り出すような声で、つぐみはひまりに問う。

 尋常ならざる真剣味を帯びたその言葉を受けたひまりは、呆然としたような……それでいて疑問を感じているような、不思議な表情のままつぐみを見つめている。息を呑むような沈黙。巴もモカも、二人の会話に割り込むことができない。そんな空気が、確かに2人の間に流れている。それを先に破ったのは、つぐみだった。

 

「……“その時”が来て初めて気付いても、もう手遅れなんだよ?手が届かない所に行ってしまった後に気付くなんて、そんなのきっと悲しいよ……だから」

「やだなぁ、つぐってば」

「え……」

 

 話を途中で遮られたつぐみは、俯いていた顔を持ち上げてひまりをそっと見る。するとそこには、笑顔でこちらを見つめるひまりの姿があった。

 

 

 

 

 

「──わかってるよ、()()()()()()()()

 

 

 

 

「……!!」

「……確かに私はハルちゃんの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもないよ?でも、()()()()()()()()。私はただ、ハルちゃんが幸せになってくれればそれでいい、そんな“未来”が訪れて欲しい。私はその未来に自分が居ればいいなんて事、少しも思ってない。ハルちゃんを幸せに出来る人は、私以外にきっと居るはずだから。私はハルちゃんの幼馴染のままでいい。ハルちゃんが幸せになるのなら、それ以上は望まない」

 

 淡々と、粛々と。

 まるで評論文を音読するかの如く、倩倩(つらつら)とひまりは自分の考えを述べていく。

 

「……私は、ハルちゃんと一緒に居られる“今”が幸せ。例えそれがいつか無くなる日が来ても、私はきっと笑顔でハルちゃんを送り出すことが出来る。だって私は──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 えへへ、と舌を出しながら、頬を染めてひまりは笑う。その笑顔は陰りなく、今の言葉が紛う事なき本心であると、つぐみ達は痛感させられていた。

 

 

 

「──そんな私が」

 

 

 一転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ハルちゃんが幸せになる未来を

 

 

 

 

        私が拒む理由が

 

 

 

 

     ど こ に あ る の?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ……!」

 

 柔らかい言葉と相反する、つぐみを射るように見開かれた、闇だけを掬い上げたように明かりを灯さない瞳。表情こそ笑顔だがその瞳は微塵も笑っていない。

 地雷を踏み抜いた。つぐみだけではない、巴やモカもそのとき全てを悟った。自分達は、()()()()()()()()()()()ということに。

 

 本人すらもきっと無自覚。大好きなんて言葉じゃ生温い。その言葉で表現できるひまりの陽奈への想いは、ほんの氷山の一角に過ぎない。

 それほどまでに、宮代陽奈という存在は、上原ひまりという少女の中で大きなものだったのだ。

 だからずっと蓋をしている、気づかないフリをしている。大好きな彼が、大切な彼がいつか自分の前から消えてしまうかもしれないという事実、ずっと一緒には居られないという事実を。

 ひまりはそれをわかっていると口にしながらも、その本質をわかろうとしていない。嫌だと思いながらも、寂しいと思いながらも、彼女は“未来”よりも“今”を選び続けているのだ。陽奈と離れ離れになる“未来”を考えることよりも、陽奈と一緒に過ごせる“今”が幸せだから。

 その想いの表面を、つぐみは今明確に撫でた。それはひまりにとって触れてはならない見えざる核であった。

 

 

 そしてひまりは、気付いていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それを()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 感覚が麻痺した陽奈への想いは、ひまりの中でネームドさ(名付けら)れないまま、只管に膨張と肥大を繰り返し、彼女自身にも認識出来ないほどの大きさへと成り果てた。

 

 彼女は彼を、確かに愛している。

 

 それを恋心と名付ける事は、今のひまりには出来ない。そうするにはもう、この想いは大きくなりすぎた。家族への愛、幼馴染としての愛、友人としての愛……そして、異性としての愛。

 

 そう──彼を想う幾多の愛情の中に、“恋心”が含まれてしまっている。

 

 それがひまりの、陽奈への想いの、正しい表現だったのだ。これを恋心と呼ぶことは、広大な愛情の森林の中から、ただ一本の木だけを見つけるという行為に等しい。だからひまりは、陽奈に恋愛感情を認識することが出来なかったのだ。

 

 

 恋心を抱いていないわけじゃない。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それが上原ひまりの、宮代陽奈に対する想いの、正しい認識だったのだ。

 

 

 

 そこまで思い至ったのは巴のみ。だが残りの2人も、ひまりの尋常ならざる想いをひしひしと感じていた。

 

 

 

「……ほらみんな!早く2人を探さなきゃ!」

 

 

 

 そんな緊張感の中真っ先に口を開いたのは他でもないひまり本人だった。ひまりは先程までの凍り付いたような眼差しを次の瞬間にはいつも通りの柔らかな笑顔へと変え、まるで何事もなかったように歩き出す。その後ろ姿を、残りの3人はすぐに追いかけることはできなかった。

 

 

 

▽▼▽

 

 

 

「ある程度の地理はわかるから、どこにいるかさえわかればな……蘭、体調はどうだ?」

「ん……まだ少しクラクラする……けど、さっきよりは大丈夫」

「そっか。ならいいんだけど」

 

 ひまりと別れてから暫くして。2人はゆっくり休める場所を探し、あわよくば皆と合流すべく、宵が深まり益々人でごった返す祭会場をふらふらと歩いていた。しかし、縦横無尽様々に行き交う人々の多さに、2人の歩みは殆ど進んでいない。それとは別に、蘭が以前陽奈に背負われたままである、ということも要因の一つにあるのだが。

 同年代と比較して、余りにも細い線。しかしその見た目とは裏腹にやや筋肉質な、異性であることを如実に感じさせる陽奈の背中。負ぶわれている時間と比例するように、蘭の心音は益々高まっていく。

 

(うぅっ……なんかわかんないけど、めちゃくちゃ恥ずかしい……は、ハルは何も感じてないわけ……!?)

 

 勿論、美竹蘭の生涯の中で、これ程まで異性と近づいたこと──物理的にである──はない。未だに体の火照りが止まない一因を、今現在の状況が担っているのは間違いなかった。因みに空気の読めない幼馴染(上原ひまり)の、ともすればセクハラ紛いな度を超えたスキンシップを常日頃から受けている陽奈にとって、今更同年齢の女子を背負うことくらい、どうってことはない。故に蘭ほど緊張も動揺もしていないのだ。

 

「ねぇ、ハル」

「ん、どうした?」

「あたし、重く、ない……?」

「何言ってんのお前。寧ろ軽すぎてビビってるくらいだ、もっとメシ食べろよ」

「……うるさい」

「ん?なんか機嫌悪くなってない?」

「……はぁ、もういいよ、なんでもない」

「え、ちょっと、蘭?」

 

 そんなことには毛頭気づかない蘭は、この状況を何とも思っていない陽奈に対して、小さく溜息をつく。動揺している自分が、馬鹿らしいとさえ思える。何度も自分の名前「呼ぶ陽奈を無視し、漸く平常心を取り戻した蘭は、改めて現状について思案する。

 ひまりを除く幼馴染4人で計画した、今回の“作戦”。途中で頓挫はしたものの、目標自体は概ね達成できたと言える。ひまりの気持ちと陽奈の気持ち、何となくだが検討はついた。

 

(……にしてもハルの背中、暖かいなぁ……)

 

 そんなことを思った刹那。再び自分の心の中のナニカが、じんわりと熱を持ちはじめたことに気づく。その暖かさを自覚した途端、自分の頬が赤く染めるほど熱を持ち始めた。

 まただ。蘭は内心舌打ちする。陽奈のことを考えると、自分がわからなくなる。理解の及ばないこの暖かさ。苦しくて、重たくて、捨ててしまいたいのに、それでも自分の意思ではなく、心はこの暖かさを手放すことを望まず、寧ろ安心感や、ましてや幸せを感じてしまっている。

 ……否、本当はもうわかっているのかもしれない。それをただ、認めたくないのかもしれない。

 

 

──『──また明日な』──

 

 

 初めてだった。本気で叫んで、ぶつかって、本音を曝け出したのは。そうさせてくれたのは気に食わなくて大嫌いな、目の前の卑屈な冷たい目をした彼。自分の全てを憂い、達観しながらも誰かの為を思い、優しく手を差し伸べてくれる彼に、蘭は確かに救われたのだ。そんな陽奈に、蘭があの時抱いたのは、信用。でもきっと、正確には、それを超えた何かだという事に、気づき始めている。陽奈は、優しい。その優しさで心を撫でられて、蘭の中の何かが変わってしまった。でもそれを認めれば、自分たちの関係は、どうなるんだろう。触れ合う体から伝わる陽奈の熱で熱を帯びる、優しさで触れられた蘭の敏感な心の一部分は蘭に囁き続ける。認めろと、認めろと。

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 何もわからない。

 

 自分のことも、陽奈のことも、ひまりのことも、みんなのことも。

 

 何が最善で、どうするべきなのか。

 

 

「──ねぇ、ハル」

「ん、やっと機嫌直してくれたか」

 

 

 だからなのか。聞くつもりもなかったその言葉は、勝手に口から滑り出てきた。

 

 

 

 

「──ハルはひまりのこと、どう思ってる?」

 

 

 

 瞬間、陽奈は息を呑んだ。顔は見えなかったけど、触れている陽奈の体が強張ったのが蘭には伝わってきた。誰にも踏み込まれることを良しとはしない、陽奈の中の地雷原。そこへと今、蘭は明確に一歩踏み出した。陽奈は、何も答えない。背負われている蘭には、どんな顔をしているのかもわからない。怒っているのか、悲しんでいるのか。

 蘭にとって永遠とも思える沈黙。それを破った陽奈の言葉は、あまりにも予想外なものだった。

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()

 

 

 

「え……?」

「“聞いてきた”ってことは、()()()()んだろ?いや、元からバレてるとは思ってたけどさ」

 

 何を、とは陽奈は言わない。勿論蘭も。蘭の頭は、自嘲めいた彼の言葉を反芻し続けている。返答ナシを肯定と判断した陽奈は、『内緒にしてくれよ?』と前置いて、言葉を続けた。

 

「……いつか君らの中の誰かが触れてくるだろうなとは思ってたんだ。でもまさか蘭が最初だなんてな。流石に予想外だったよ」

「何ソレ。わたしが気づいてないとでも思ってたわけ?」

 

 そうだけど、とは口が裂けてもいえない。

 勘違いしたままの陽奈には、そのままでいてもらうことを蘭は決めた。

 

「ごめんって。蘭はあの4人の中じゃ1番俺とひまりの関係には無頓着だと思ってたからさ」

「………………………………そんなことないけど」

「ん、何だ今の間は」

「別に。それで?どういう意味なのさっきのは」

「あぁ……俺とひまりは、物心ついた頃から一緒にいる。遊ぶのも喧嘩するのも出かけるのも、隣にはいつもひまりが居た。最早アイツは、宮代陽奈(オレ)の世界を構成する一部だと言ってもいい。それはひまりにとっても、同じことなんじゃないかな。だからアイツはいつまで経っても俺にべったりで、馴れ馴れしくて、遠慮しない。どこまでも純粋で、俺がどう思ってるかなんて、きっとひまりは二の次なんだ。そんなアイツが側にいれば、嫌でも自分の心の醜さ感じて嫌気が刺す」

 

 こっちがどれだけ苦労してると思ってるんだ、と不機嫌を微塵も隠さずに陽奈は吐き捨てる。その言葉に蘭は、自分が感じた陽奈のひまりへの思いの違和感は、間違っていなかったと感じた。

 

「……けど俺は、心のどっかでそれを心地良く感じてるのも本音だよ」

「……!」

「ずっとこんな日常が続けばいいのになって、そんなことばっかり考えてる。そしてその度に俺は、『あぁ、やっぱりひまりの側にいたいんだな』って痛感するんだ」

「……そう、なんだ」

「あ、勘違いすんなよ?俺はひまりの隣にいたいとか、そんなことは全く思ってないから」

「え……?」

 

 

 

「俺は──ひまりの()()に居たいんだ」

 

 

 

「後、ろ……?」

「そ。俺はひまりと付き合いたいとか結婚したいとか、そんなことはマジで()()()()()()。ひまりが絶望した時、倒れないように支えてあげたい。ひまりが悩んでる時、背中を押してあげたい。俺が望むことなんて、ただそれだけだよ」

 

 ……きっと嘘ではない、本当にそう思っている。陽奈が紡ぐ言葉の端々に感じる想いの熱に、蘭は嫌でもそう感じさせられた。余りにも衝撃的な彼の心中、齢15とは思えない達観した思想。自分の幸せとひまりの幸せを秤にかけ、何の躊躇いもなく自分の幸せをかなぐり捨ててひまりの幸せを願う、自己犠牲を超越した献身的な陽奈の思いに、蘭は胸を締め付けられるような痛みを覚えた。

 

 ──狂っている。

 

 こうまでして、人は誰かの為を想うことが出来るのだろうか。蘭は狂気染み、歪んだ陽奈の思いを聞いて、寒気すら覚えていた。

 

 

「……歪んでるよな」

「えっ」

「わかってるんだよ自分でもさ。俺の思いは、ひまり以上に自己中で、微塵もひまりの為になんてなりやしない、ただのワガママだ。なんて汚穢狡(きたな)い人間なんだって、いっつも思ってる。縋ってるんだよ、俺は」

「縋ってる……?」

「過去……いいや、今に。未来のことなんて、怖くて考えたくもないんだ。来なければいい。ずっとこのままでいい。未来(ソレ)を考えてしまえば、俺はきっと壊れてしまう。だから俺は……今のままでいい」

 

 

 蘭は知る由もないが、奇しくも陽奈とひまりは、同じことを考えている。先の見えない“未来”よりも、心地良さを覚える“今”。大切にしたいのはただそれだけ。互いに相手の事を考えているにもかかわらず、その線は交わる事のない平行線を描く。その真実を知る者は、今はまだ誰もいない。

 そして蘭は、自分の思っている以上に複雑な陽奈の思いを聞いて、ただ閉口することしかできなかった。

 

「……お、あったぞ蘭、ベンチ」

 

 そして当初の目的であった、休憩できる場所を見つけた陽奈は、それ以上心中を語ることもなく、蘭を下ろして腰掛けさせた。

 

「少しは良くなったか?」

「うん……さっきよりは」

「そっか、ならもう少し座っていよう」

「大丈夫、もう歩けるよ……あっ」

「っ、と!」

 

 ベンチから立ち上がろうとした蘭を、猛烈な立ち眩みが襲う。ぐらりとした浮遊感に平衡感覚を失い、再び膝から崩れ落ちかけた蘭を、陽奈が後ろから手を回し支える。

 

(っ……あ、れ……?)

 

 先程まで、陽奈に触れて高揚していた自分の心。そこからまた陽奈に改めて触れられた自分の心の違和感に、蘭は気づく。

 

「無理すんなって。ひまりは俺と同じくらいこの場所に詳しいし、待ってればそのうちここにも着くさ」

「……そうだね、ごめん」

「謝んなくていいよ。大人しく座っててくれ」

 

 陽奈は笑顔で、蘭にそう言った。

 そんな彼の優しさに触れた蘭の心は──先程までと、まるで異なった心中を描き始める。

 

 

 

 

 ──違う。

 

 コレは、そうじゃない。

 

 今ハルが、わたしに向けるこの優しさは。

 

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 陽奈は、優しい。

 その優しさに、蘭は、つぐみは、巴は、ひまりは、『Afterglow』は救われた。その優しさが、確かに自分達を繋いでくれた。

 だが、その優しさには、決定的な違いがあることを、蘭は嫌でも理解させられてしまった。

 

 ──冷めていく。

 

 心の芯で微かに熱を帯びていた何かが、北風に吹かれたかのようにゆっくりと。

 火照った思考が、クリアになっていく。今この場に置かれた状況を、客観視できるようになっていく。自分はただ、幼馴染の友人に過ぎず、陽奈はただ、大切な幼馴染の友人に親切を働いているだけなのだと。行動指針はただ一つ、“上原ひまり”。それ以上も以下もなく、ただそれだけの為に。頭ではなく、心がそう告げている。

 

 そして蘭はただ呆然と、ひまり達を探してキョロキョロと辺りを見回す陽奈の横顔を見つめる。

 ──感じない。高揚も、不快感も、何も。先程までの感情が錯覚だと言われても、疑問を抱かずに首肯してしまいかねないほどの無だけが蘭の感情を占めていた。

 

 

 そして蘭は気付かない。

 

 

 

 

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 芽吹く前に、気付く前に。

 

 1つの恋の終わる音が、熱気に溢れる喧騒の中に、溶けて消えた。

 

 





チ ャ レ ン ジ 成 功

遅くなりまして申し訳ありません。
この先のストーリーを練り直し、構成を考えていると思うように筆が進まなくなり、あれよあれよという内に半年……次話も遅くなるとは思いますがどうか気長にお待ちいただければと思います。

今回もありがとうございました!
感想評価アドバイスお気に入り等お待ちしております!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 5~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。