サーゼクス暗殺計画 (キュウシュ)
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序章
プロローグ


 広大な屋敷の執事の一人。

 彼のことを説明するなら、これが一番分かりやすいだろう。

 彼は今日も執事業に真面目に取り組む。そうでなければ、厳しいメイド長に怒られてしまう。それは彼に与えられたミッションに少なからず背くことになってしまう。だから、彼は小言が言われないように真面目に働くのだ。

 窓を一点の曇りもなく綺麗に磨き、次は床を拭こうと雑巾に手をやろうとしたところで、彼は足音に気づいた。

 音がした方を向くと一人のメイドが歩いてきていた。職場だからなのか元からなのかは分からない鉄面皮を彼が見る限り毎日している女性。新人の頃はかなり怒られていたので怖くないというと嘘になるが、それ以上に彼女は美しかった。バランスの良い顔立ち、そして綺麗な銀髪を携えた彼女はいかにも出来る女という風格を見せていた。なによりも彼女といったらその大きすぎる胸だ。メロンといってもいいくらいの立派なものをつけているので彼は重くないのか、とたまに考えたりする。

 胸に目がいきそうになるが、そうすると彼女に気づかれてしまう可能性があり、それはすなわち彼女に嫌われてしまうことを意味するのでしっかりと彼女の目を見る。

 目を見るというのは意外に大切なことだ、と彼は思っている。誠意を持って相手に接していると伝えることが出来るからだ。

 

「おはようございます、メイド長」

「おはよう」

 彼女は立ち止まりもせずにそう口に出し、歩いていってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、彼は頭を悩ませた。

 

「……不倫させろって無理だろ」

 メイド長──グレイフィア・ルキフグスを恋に落とす。それが彼──ライの任務だったりする。

 

 ◆

 

「スパイですか?」

「あぁ、そうだ」

 ライはこうべを垂れるように片膝をつきながら任務内容を聞いていた。

「我々は真なる魔王の血族だ。だが、忌々しくもその名は今は我々の元にはない。新たなる魔王と名乗っている奴らのせいでな‼︎」

 ライの上司である彼は怒りのせいで魔力が漏れ出していた。近くにいるライは表情には出さないが、怒りがこちらに向かないことを祈りながら恐怖していた。ライは悪魔の中で弱いというわけではない。部類でいうなら中級悪魔であり、それなりの戦闘経験を積んでいる。だが、目の前に立っている悪魔には絶対に勝てない。

 なにせ彼曰く本当の魔王の一族なのだから。

 

 ライにとってはどちらが本物か偽物かはあまり気にしていない。

 弱者にとってはそんなこと考える暇もない。ただただ上の指令に従うだけだ。裏切れば殺されると分かっているから。

「出来るのなら今すぐに奴等を殺しに行きたいが、先の大戦で此方の被害は甚大だ。それに認めるのは癪だが、奴等は……サーゼクス・グレモリーは強い」

 

「そこで、だ。わざわざ我等が手を下さずとも内から奴を排除しようと考えた」

「内からですか? しかしそんな隙を見せるでしょうか? 身内には甘いとは良く聞きますが、だからといって勝てるとは……」

「まぁ待て。話は変わるが。奴には妻がいるのは知っているか?」

 

 ライは突然話が変わったので、不思議に思いながらも首を縦に振った。

「男とは夜の営みの時は誰であろうと油断する。私でもそうだ。だからサーゼクスも同じ筈」

「は、はぁ」

「今回の命令を説明する。奴の妻──グレイフィア・ルキフグスを恋に落とせ。お前なしにはいられないほど、お前の命令ならどんな事でも従わせられる程に。そして実行可能だとお前が判断したのならグレイフィアを使ってサーゼクスを殺せ」

 

 ライは命令内容を聞いても、了解とは即座には言えなかった。なぜなら、あまりにも不可能な事が多い。

 

「し、失礼ながら申し上げます。……無理です」

「何故だ?」

 命令を拒否されたにも関わらず叱責の一つもない。ライは断った時点で殺される事を覚悟していたので一安心して理由を言い始めた。

「サーゼクス・グレモリーとグレイフィア・ルキフグスの大恋愛の話は悪魔ほとんどが知っています。敵同士であったにも関わらず、現在は夫婦である事からそれは事実である事は疑いようもありません。その二人の片割れを落とせというのはあまりにも現実的ではありません」

 

「ふむ、一理ある。だがそれは今は、の話だろう? 愛とはいつかは冷めるものだ。初めは両者、愛し合っていたが時を重ねるにつれて想いは薄くなっていくというのはよく聞く話だ。何もすぐに落とせと言っているわけではない。三〇〇年、いや最大で五〇〇年お前にやろう。その間でお前はグレイフィア・ルキフグスを手に入れろ」

 

 それでも、かなりの難題には違いなかった。ライは今まで恋愛なんてものに時間を使う余裕など無かった。恋愛というのは時間を持て余した裕福な者がするものだと思っていたし、実際にそうであった。毎日馬車馬の如く働かされ、死は常に自分の隣にあった。

 というのにも関わらず、こんな頭がお花畑のような命令を突然下され困惑しない方が難しい。

 しかしライには断るという選択肢はなかった。断った瞬間自分の命は終わりだという事は知っているから。

 それによくよく考えてみるとそこまで悪い話ではないように感じた。死ぬ危険性がある仕事から、サーゼクスの下で何かしらの仕事に就く。おそらくは、使用人かそこらであろう。危険とは程遠い仕事だ。それに五〇〇年時間がある。いざとなれば逃げる事も出来るかもしれない、とライは高速で頭を回し、結論を出した。

 

「了解しました」

 

「あぁ、そうだ。裏切らないように身体に爆弾を埋め込め」

 

「了か、……は?」

 

 ◆

 

 

 ライはサーゼクスが住んでいる館の前で大怪我をし、サーゼクスに助けられるというマッチポンプで館に潜入することに成功した。そして記憶喪失を装いサーゼクスの館で働かせてもらうことを願い出た。

 ライ自身怪しい事は分かっていたが、サーゼクスの館で働くにはその方法しか思いつかなかった。

 心優しいサーゼクスは疑いもせず、ライを雇う事を決めた。

 

 雇われたのは良いが、やはり周りの執事やメイドからは疑いの目を向けられた。だから、まずは周りを信頼させなければと思い真面目に働いた。

 一年、十年、五〇年。怪しい事など一切せずにひたすら普通に働いた。周りから見れば、サーゼクスに対して恩を返すために頑張っている悪魔という風に見えた事だろう。

 

 そして六〇年程、働いた所で同じ執事仲間から飲みに誘われる事に成功した。

 ライは勿論断る事などせず、笑顔で了承した。

 そこからは早かった。執事達とは言え、男だ。

 下ネタの話をするだけで仲良くなれた。

 

 そして執事達がメイド達にも大丈夫、的な話をしたのだろう。今まではまったく話しかけられもしなかったメイド達からも話しかけられ、ライは笑顔で対応した。

 ライは中々整っている顔立ちだ。人によってはサーゼクスよりも格好いいと言う悪魔もいるかもしれない。それ程の美形だった。

 ……その事もありこの様な任務を与えられたのだが。

 

 ライ本人もそれは自覚していたので、少し優しくしたらメイド達はころっと懐いた。

 

 ここまで、およそ百年。長いか短いかは人によって違うだろうがライ本人は順調だと思っていた。

 屋敷の悪魔を掌握したライは漸くグレイフィアに接近する事を決意した。

 そして、冒頭に戻る。

 

 ◆

 

 正直、打つ手がないというのがライの本音だった。

 グレイフィアはそもそも館にあまりいない。サーゼクスのお供だったり、サーゼクスの代わりに出席したり、サーゼクスと共に出掛けたり。

 ──グレイフィアさんはサーゼクスさんのこと好きすぎないか?

 

 週に一回、出会えたら幸運な方だったりする。つまり年に良くて五〇回しか話すチャンスはない。しかしそれも挨拶だけで終わり仲良くなるチャンスなど無い。

 というかグレイフィアがサーゼクス以外と仲良く話しているのをライは見たことがない。

 ──友人はいないのだろうか?

 何か、仲良くなるチャンスはないだろうかとライは考えていた時に同じ執事に話しかけられた。

 

「ライ、話聞いてたか?」

「すみません、聞いてませんでした」

「仕事のしすぎじゃないか? まぁそれはともかく、来週一週間は仕事は休みだ」

「え⁈」

 一週間の休み。それはつまり五〇回の内の一回がなくなるという事を意味する。ライはがっくしという擬音がつきそうなくらい肩を落とした。それを見た執事はサーゼクスに尽くしている──振りなのだが──ライを見て信頼をさらに高めた。

 

「まぁそう落ち込むなよ。来週は休みとは言ったがただの休みじゃないぞ。執事とメイドの普段の頑張りを評価してくれたサーゼクス様が特別に人間界の別荘に連れて行ってくれるらしい」

「本当ですか? 執事とメイド全員で?」

「そうらしい。なんでもサーゼクス様が人間界の視察に行くからそのついでに俺達もだっていう話だぜ」

 

 サーゼクスが行くという事はグレイフィアも来るという事を知っているライは思わず笑みを浮かべた。

 

「それは楽しみですね」

 

 ──千載一遇のチャンス。

 こんなチャンスはもう来ないかもしれないほどの幸運。

 最悪でも今より仲を深めたいライの挑戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 



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休暇1

リゾート施設行くって前話に書いたけど、よく考えてみたら過激派との戦争が終わったのが数百年前ーー今小説では四〇〇年前と仮定していてます。
だから百年経過してもまだ、西暦一七〇〇年代だ。
この時代、リゾート施設なくね? という事に気づきました。

なので前話のリゾート施設に行くという設定をリゾート施設から別荘に変更しました。



「人間界もたまには悪くないな」

 ライは光り輝く海を見ながら呟いた。

 

 ライがいるのは冥界ではなく人間界。サーゼクスの好意で執事、メイド一同は連れて来てもらっていた。

 悪魔が人間界に来るには様々な手続きが必要なので早々来ることができない。今回連れられて来た者の中でも初めて来たという悪魔がほとんどだった。

 そんな彼ら、彼女らからしたら人間界のあらゆる物が初めてのオンパレードだった。

 海にはじまり、青い空、技術的──人間界で言うところの一七〇〇年代のため──には悪魔より劣っているのでそれほど目新しいもの建物などはなかったが、人間独自の食べ物や文化に興味が尽きる事はなかった。

 だが良い事ばかりというわけでもなかった。

 常に彼らの上空にある太陽。これによる影響だ。

 上級悪魔レベルになれば話は別だが、下級・中級悪魔にとって太陽の下で活動するのは少々疲れる事であった。太陽下で活動するのが初めてなのに加えて、人間界に来るのも初めてではしゃぎすぎた彼らはサーゼクスが人間界の拠点の一つにしている別荘に着いた頃には皆、疲労困憊という様子だった。

 別荘まで転移すればその様な疲労など味わわなくても済んだのに、せっかくの人間界なのでもったいないという意見からゆっくり移動した彼らが悪いので自業自得だったりする。

 

 別荘は海の側にあり、別荘から海を見渡す事が出来た。

 別荘には使用人が住んでいないらしく、食事や洗濯などは全て自分たちの手でやらなくてはいけないらしいが、そこは本職が使用人である彼らにとっては大した苦労にはならなかった。

 人間界でしか出来ない事を彼らは満喫した。冥界にはない海で泳いだり、人間界独自の遊戯……蹴鞠や野球というモノを四苦八苦しながらも楽しみ、子供の様に遊び倒した。

 

 人間界に来れて楽しいという者がほとんどなのだが、ライはというと実はそういうわけではなかった。たしかに人間界は楽しい。しかしライの本当の目的は自分が遊ぶことではなく、グレイフィアを恋に落とす事なのだ。だというのに、人間界に来た初日にサーゼクスと一緒にいるのを見た後は影も形もない。元々、サーゼクスの人間界への視察と、とある人物に会うためらしいのでそれに付き合っているので仕方ないのだろうが、ライにとっては面白くない展開だった。

 予想では一日に一度は顔を合わせられると思っていたのでこの現状にショックを受けていないというなら嘘になる。

 

 

 ややブルーな気持ちになりながらも一日、二日、三日と時間は無情にも流れていき本日で人間界に来て四日目となった。

 グレイフィアのグの字も見当たらない現状にとうとう、ライは今回の休暇ではグレイフィアの事を諦めた。

 ──まだ四〇〇年ある。

 そう焦る必要はないと自分に言い聞かせて、ライは釣りをしていた。

 特に釣りが好きなわけというわけではなかったが、表面上親しく接している執事やメイドからの誘いをやんわりと断るためにひとりで釣りがしたいという言い訳を思いつき実行していた。

 ライという悪魔は仕事に必要な事だからほかの悪魔と接しているが、実はひとりでいる方が好きだった。

 

 岩に腰掛け、釣り糸を垂らして早一時間未だ二匹しか釣れていないが、陸釣りなので仕方ないかと思いながら海を見ていた。

 殺伐とした生活をしていた百数年前からは想像が出来ないような暮らしをしている事に思わず口が緩んでいると背後から大きな気配が近づいているのを察知した。

 戦闘を行う者なら少なからずもっている第六感的な感覚。それが告げていた。

 ──絶対に勝てないと。

 

 おそらく本人は無自覚なのだろうが、ライにとっては存在しているだけで圧迫される様な重圧を感じる。だが、それに対して恐怖を抱いてはいなかった。なぜなら、この感覚を知っているからだ。

 ライは振り向きながら片膝をついた。

 

「おはようございます、サーゼクス様。何かご用でございますか?」

 サーゼクス・ルシファー。ライにとっての最終的な暗殺目標であり、恋敵のような存在でもある。

「おはよう、楽にしてくれ。今はプライベートなのだからね」

 サーゼクスは優しく諭すように言うが、魔王の前で気をぬくなど出来るわけもなかった。そんなライの態度にやや苦笑いしながら、釣った魚を入れているバケツの中を覗いた。

 

「ほう、生きの良いのが釣れてるね。ライは魚を捌けたりするのかな?」

「はっ、一通り料理技術は習得済みなので可能です。この後宜しかったらお召し上がりになって下さい」

「それは楽しみだ」

 端正な顔に優しい笑みを浮かべたサーゼクスを、もし女性が見たのならたちまち虜になる事間違いなしだろう。

 

「君と出会ってもう百年か。時間が流れるのは早いものだ」

「その節は誠にありがとうございます。これからも誠心誠意仕えさせてもらいます」

 サーゼクスは先程までライが座っていた場所に腰掛けた。

 

「記憶はどうだい?」

「残念ながら……」

「そうか……。実はね、君の事について私の方でもいろいろ調べて見た」

 調べたと聞いて、反応しそうになる体を無理やり押さえつけながら黙って話を聞いた。

「……だが、経歴はおろか生まれすら分からなかった」

 

 旧魔王派に属していた時は顔を隠せるフードを常に着用していたり、名前や顔を魔法で変えたりしていた事が幸いしたのだろう。一番知られたくない事は隠し通す事が出来ていると知ってライは一安心した。と、同時に魔王ですら自分の出生が分からないのかと驚愕した。

 

 ライは物心ついたときから旧魔王派──当人たちは旧とは思っていないが──に従属していたのだが、実は両親の顔を知らない。「いつのまにかいた」というのは元同僚の言だ。生きる事に必死でそんな些細な事など考える余裕もなかったのに加えて、自分を捨てたのであろう両親について興味もなかった。

 だが、サーゼクスは違った。

 

「下級悪魔ですら身分証明書の発行が義務となっているのにも関わらず、その痕跡すらない。君は既に私の大切な使用人だ。経歴が分からないという理由だけでどうこうするつもりはないが……少し気になる事があってね」

「それは一体?」

 ライ自身調べれば両親の事くらいすぐにわかると思っていたので、それでも分からない生まれについて少し気になり始めていた。

 

「君はどこかチグハグなんだ。弱いのかと思うと強かったり、逆に強いと思うと弱かったり」

「は、はぁ?」

 まったく思い当たる事がないので気の抜けた返事になってしまう。

 

「一番気になっていたのは君の顔だ。悪魔は魔力に余裕があるものなら容姿の変更も容易いが君はそういうわけではない。なのにその端正な顔立ちというのは必然的に生まれつきという事になる。悪魔という種族は初代ルシファーの実験により作られた者たちが所謂純血の上級悪魔と言われ、皆容姿に優れている。……その事から君も何処かの上級悪魔の血を継いでいるのかもしれない」

 

「そ、そうですかね? 自分には特に優れた能力などありません。サーゼクス様のような消滅の魔力やフェニックス卿のような不死の力もありません。そんな自分が血を継いでいるとはとても……」

 

 これはライにとって本心から出た言葉だ。魔力量も平均と比べると少し良いくらいで身体能力もそこそこである。これは修練してようやくこのレベルに達する事が出来た実力だった。元々のライは下級の中でも更に下級の実力程しか持っていなかった。だがそれではいつ死んでもおかしくないという事にすぐに気づき、毎日血の滲むような努力を行いようやく中級悪魔レベルの実力を手に入れられていた。

 そんな自分が偉いところの血を継いでいるとはとても思えなかった。

 

「……というのは私の想像だ。こうであったら胸が踊る展開とは思わないかな?」

 一転、ライをからかうような顔をした。

「……脅かさないでください。サーゼクス様の冗談は冗談に聞こえません」

 ライは騙されていたということに気付き、怒るというよりは寧ろ安心していた。

 

「さて、長い事話してしまっていたね。もうすぐお昼時になるからそろそろ帰らない……ライ、釣り竿が何か軋んでいないか?」

 サーゼクスの言う通り、釣り竿が今にも海に落ちそうなくらい引っ張られていた。慌てて竿を抑えるが中々の大物らしい。力づくで引っ張ると糸が切れてしまいそうになる。

 ライは慎重に慎重に魚の体力を削っていき、五分ほど戦いようやく釣り上げる事に成功した。

 

「これは何という魚なのかね?」

 ライはこういう時のために買っておいた魚図鑑を開き、見た目が一致する魚を調べていった。

「おそらく、鮪という魚ですね。本来こんな浅瀬にはいない魚の筈ですが……」

「実際に釣れたんだから細かい事はいいじゃないか。身が引き締まっていて美味しそうだ。さぁ早く屋敷に戻ろうじゃないか」

「畏まりました」

 

 意気揚々と帰っていくサーゼクスの後を数歩離れながらもライはついていった。

 

 ◆

 

「サーゼクス様、この後のご予定は?」

「今日はもう仕事はないよ、屋敷でゆっくりしようと考えていたけれど?」

「人間界には食欲を増進させるために事前に飲むお酒──食前酒なる物があると今回の休暇で知りました。なので、良かったら如何でしょうか?」

「ふむ、そうか……では頂こうか」

「畏まりました」

 

 ライはサーゼクスに見えない所で口角を上げた。食前酒の特徴についてライは嘘を言っていないが本当の目的は食欲増進などではなかった。酒を飲む事で口は普段よりは軽くなる。そこでサーゼクスからグレイフィアの話を聞き出そうという魂胆だった。

 そこで、ふと気付く。

「そういえば、グレイフィア様は何処にいらっしゃるのでしょうか?」

 いつも必ずといっていいほどサーゼクスの近くにいるグレイフィアがいない。

「グレイフィアなら先に屋敷に戻っている。あまり使われていなかった別荘だからね。もう一度清掃したいといって、先に帰ったよ」

 

「そうですか、ではグレイフィア様の分もお食事を用意させていただきます」

「頼んだよ」

 

 屋敷内には執事もメイドも誰もいない。皆人間界を散策しに外に出かけているからだ。だから屋敷にはグレイフィア、そして今から帰るサーゼクスとライのみになる。

 サーゼクスをどうにかしたらグレイフィアと二人きりになる最大のチャンスといえよう。半分諦めていたライにとっては先の鮪などより余程幸運な出来事だった。

 

「では料理の準備のため、お先に帰らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「そこまで急がなくても構わないよ。今日は君も休暇なのだからね、私に気を使わなくてもいい」

「畏まりました」

 ──な、なんだと。

 グレイフィアと二人きりになるために先手を打ったライだが、阻止されてしまった。サーゼクスの優しさが裏目に出た瞬間だった。

 悪態をつきたくなるライだったが、表面上には決して出すことはしない。

 

 サーゼクスを排除する方法をひたすら考えるが、良い案は思いつかない内に別荘へと到着してしまった。

 

 別荘の前には当たり前のようにグレイフィアがサーゼクスを迎えるために玄関の前で待っていた。

「おかえりなさいませ、サーゼクス様」

「ただいま。グレイフィア、今日は君も休日にしてあるだろ? メイドとして振る舞わなくても構わないよ」

 グレイフィアは一瞬迷ったような顔をしたが、それもそうかと納得したようで何時もの一切表情を変えない顔から少しだけ表情がわかる顔になったような気がした。

 

「では自分は料理をお作りに行きます。準備が出来ましたらお呼びいたしますので、それまでごゆっくりしてお待ち下さい」

 

 

 ◆

 

「では、まずは食前酒でございます。あまり度数が強くないものをご用意致しましたので、酔うことはないと思います」

 

 ライは当初、かなり度数が高い酒を飲ませようとしていた。実際、高い度数のお酒を飲む方が一般的らしい。だが、サーゼクスとグレイフィア両名のお酒に対する耐性をライは知らなかった。もし酒に弱いのに強い酒を出して酔わせてしまったら無礼な行為に当たるため執事をやめさせられかもしれない。

 そんな理由からこんな所でリスクを負うのは危険だと判断して度数が低いモノを用意した。

 

「それでは今日の昼食をご説明させていただきます。先程、幸運にも生きの良い鮪を釣ることができたのでお刺身という日本食を用意させていただきました。生の魚の身を醤油というものにつけて食べるという奇異な料理ですが、味は絶品なのでぜひ、お召し上がりください」

 

 ライは綺麗に盛り付けられた刺身を二人の前に出し、そして日本の主食であるお米そして味噌汁というものも一緒に出した。

 二人はやや食べるのを躊躇しているようだった。

 冥界にはそもそも海がない。湖はあるが数はそこまで多くはないので魚は冥界では貴重な食材だ。なので魚料理を食べるのはなかなかない。魔王ともなれば調理されたものは食べたことはあるが、生は初めてだった。

 なので総合的に見ればお刺身というものはリスキーな料理と言えるだろう。だが敢えてライは刺身を出した。

 いくつか理由はあった。

 まず、単純に美味しいという点。

 ライは道中にこの料理を食べて体に電気が流れるような気がした。それほどまでに美味かったのだ。

 だから調理手順を見て覚えた(・・・・・)

 

 そして最大の理由は不思議な物を食べさせられたという事で顔を覚えてもらうという点だ。

 サーゼクスは何やらライの事をしっかり覚えていたらしかったがグレイフィアはどうなのか分からない。

 だから先ずは下地を作ろうと画策し、この様な戦法をとった。

 

「うむ、美味しい」

「わぁ、本当。サーゼクス、食べさせて!」

 好評なようでライは一安心……する前にグレイフィアの様子が少しおかしいのに気付いた。

 普段では絶対にありえないサーゼクスに甘えるという行動。プライベートだからという理由も考えられるが、先程まではかけらもそんな気配はなかった。

 何かおかしいと思いライがサーゼクスに訊ねようと思った時にサーゼクスが手を耳に当てて、空に向かって話し始めた。

 

「それは、本当ですか? ええ、……分かりました。今から向かいます。ええ、はい、では」

 

 ライはサーゼクスの行動に首を傾げていると当の本人から説明がきた。

「急用が入ってしまった。私は今すぐ移動する。料理、美味しかったよ。グレイフィアは……すまないが、グレイフィアの面倒をよろしく頼む」

 そう言ってサーゼクスは転移して何処かに行ってしまった。

 残されたのはライと少しおかしなグレイフィアのみ。

 意図しない形でグレイフィアと二人きりになれたが、グレイフィアを頼むという謎のセリフをサーゼクスが言ったのが気になる。

 

「あれ? サーゼクスは? サーゼクス……」

 サーゼクスがいない事に気付いたらしいグレイフィアは小さい声でサーゼクス、サーゼクスと言い、目尻には涙が溜まってきていた。

 

「……サーゼクスに捨てられた」

 

 ──面倒な事になった気がする。

 ライはグレイフィアがいるにも関わらず大きなため息を吐いた。

 

 




豆知識
食前酒……欧米では本当にかなり高い度数で飲まれます。しかし日本ではそのような飲まれ方はされず、低い度数で飲むのが殆どです。

補足 酔っちゃってるのでグレイフィアさんはちょっと混乱してます。


追記
裏設定を。

魔法を使う魔女や魔術師の勢力は相当古い時代からありました。なのでその古い時代から魔女も存在していたという事です。そこに歳若い段階で才覚を見せた少女、いわゆる魔法少女が存在していた。
というような伝承が書き連ねられていた書物をセラフォルーが見つけ、魔法少女の事を知った。というような設定を考えていたんですが結局長ったらしかったので省いていたのですが、不思議に思わせてしまったようで申し訳ありません。

つまりこの小説では人間界の漫画のようなもので登場するよりはやく魔法少女という言葉は作られていました。
それをセラフォルーがこんなのなら良いなと妄想した結果、ああなりました。

追記二
悪魔が使う魔力はとても便利なモノなので、空間を切りとって紙に描く事ーー写真ーーが出来る道具は発明されていたのではないか、と作者は考えていました。

「カメラ」や「写真」という名前が同じなのはご都合主義です。

どちらも感想欄で不思議に思われた方がいたので、後書きに載せました。


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休暇2

 涙をボロボロと流すグレイフィア、そしてそれを見守るライ。

 今の現状を説明するならそのような事になっている。

 ライとしては何故、グレイフィアが泣いているのかよく分からないが取り敢えず慰めなくてはならないという事だけは分かった。

 グレイフィアと仲良くなるためという理由もあったが、何よりグレイフィアに泣いていて欲しくないという気持ちが不思議とライにあった。

 グレイフィア用に用意していたハンカチをポケットから取り出して彼女の手に渡した。

「グレイフィア様、落ち着いて下さい。サーゼクス様は少し用事があるとの事で一時的に席を離れただけです。決して貴女を一人にしないお方です、安心して下さい」

 

 ミッション遂行のためには一番やってはいけない、サーゼクスの事をヨイショするという行為だったが、今のグレイフィアをどうにかするにはサーゼクスの名前を出すしかライには案がなかった。

「え、ええ分かってる、分かってるのよ……でも、それでも……」

 

 ──グレイフィアが泣いているのはサーゼクスがいなくなったからだとばかり考えていたが、そうではない?

 では何故、グレイフィアは泣き止まないのか。全く分からないライは必死に考えた。

 ──そもそもおかしくなったのは食前酒を飲んでから。ということは酔っているからなのか? でも明らかに酔っているという理由だけじゃない気がする。

 考えても考えてもグレイフィアについて知らないライには答えは出なかった。そう、ライはグレイフィアについて知らなさすぎるのだ。

 百年同じ職場で働いていても合計で一時間も話したことはない。そんな悪魔について何もかもなんてことはありえない。

 

 ライには今のグレイフィアにかけてあげられる言葉は何もなかった。だからこそ、グレイフィアには思う存分泣いてもらうことにした。

 何が原因かは分からない。でも泣きたくなるような事情があるなら我慢などせず、吐き出した方が楽になる。

 そう考えたライはグレイフィアの手を握った。

 安心させられるように。

 

 ライはグレイフィアの手を握ることしか出来ることがなかった。

 

 ◆

 

「落ち着かれましたか?」

 ソファに座ったグレイフィアに水が入ったコップを手渡した。

「え、ええ。その、ありがとう」

「いえ、当然のことをしたまでです」

 目は赤く、明らかに泣いた跡だなと分かる顔になっていた。普段のグレイフィアからは想像もつかない姿だった。

「それで、何があったのですか? いえ、何を隠しているんですか?」

 

 突然泣かれて、はい終わりでは何も解決にはならない。そう思い、涙の訳をグレイフィアに問いただす。

「いえ、別に……」

「誰かに話した方が楽になる事もあります。貴女様から聞いた事は誰にも話さないと誓いますので、理由を話して下さいませんか?」

 しっかりと相手の目を見て言葉をつないだ。

 

「…………私とサーゼクスとの出会いって知ってる?」

 集中してないと聞き逃してしまいそうな小さな声でグレイフィアは話し始めた。

「ええ、勿論です。サーゼクス様が新魔王派、そしてグレイフィア様が旧魔王派に属していたにも関わらず大恋愛の末にご結婚なされたという話ですよね。冥界では知らない者などいないでしょう」

 

「……私にはサーゼクスしかいない。サーゼクスしか信頼できない。でも彼にも嫌われたくないの……」

 

 まだ混乱しているのか要領が悪く、何を伝えたいのかがイマイチ分からないライは自分なりに噛み砕きながらグレイフィアの考えをまとめた。

「えっとですね、つまりグレイフィア様が信頼できる悪魔はサーゼクス様しかいない。ですが、サーゼクス様に日頃のストレスや何やらを言ってしまったら唯一の存在が離れていってしまうかもとお考えになりそれを言えないと。そしてそれらが色々限界に達して先程のような事態になったという事で宜しいでしょうか?」

 

 グレイフィアは首を縦に振った。

 

「グレイフィア様は元々旧魔王派という事で難しい立場にあるだろう事は分かるのですが、信頼できる悪魔はサーゼクス様以外にもいるのでは? グレモリー卿やグレモリー夫人、あとセラフォルー様とも仲がよろしいと聞いた事がありますが?」

 

「ただでさえグレモリー卿達には迷惑をかけているからこれ以上面倒をかけたくなかったんです。セラフォルーとは別に仲は良くありません」

 セラフォルー・レヴィアタン様。四大魔王の内のひとりで実力はグレイフィアと拮抗しているという事で度々戦ったことがあるという事を知っていた。だからなんだかんだ、仲が良いとライは考えていたのだが、そうではないようだ。

 

「なら、メイド達に相談すればよろしいのでは? 同じ職場で働く者同士なら何かと相談しやすいと思いますが?」

 

「……そもそも主人の嫁がメイドなんて立場にいるということ自体、他のメイドからしたらとても扱いづらい存在だと思うんです。実はその事についても悩んでいて。だから当の本人達にそれを相談するのも……無理です」

 

 ──あぁ、もう面倒くさいな!

 と、言えるのなら言ってやりたい気分になってきた。だが今そんな事を言ってしまったらグレイフィアはずっと殻に閉じこもったままだ。やるなら今しかない。

 人前で泣き、自らの弱みを晒してしまった相手というのはグレイフィアにとって何の気兼ねもない存在であるはず。

 ライは自らの直感を信じて、グレイフィア攻略を始めた。

 

「では、自分に言ってください。自分はグレイフィア様の事を迷惑だなんて思いません。相談や愚痴何でも言ってくれて構いません。むしろ一緒にいられて光栄なくらいですから!」

「……でも」

「なら……自分と友達になってくれませんか?」

 急に話の展開が変わってグレイフィアはキョトンとした顔になった。ライも自分の口がこんなに回るとは今まで知らなかったので内心驚いているが、顔には絶対に出さなかった。

 

「友達?」

「はい。友達なら相談にのるのは当たり前だと聞いた事があります。使用人に話したくないという気持ちはなんとなく分かります。なら使用人という関係以上ならいいんじゃないでしょうか」

 

「それが、友達?」

「はい。グレイフィア様と自分が友達になったらグレイフィア様は自分に相談出来て、自分もグレイフィア様に相談が出来るというWin-Winな関係になれるんじゃないでしょうか?」

 

「貴方も相談したい事あるんですか?」

「それは勿論ありますよ。必死に努力しているのにグレイフィア様の足下にも及ばない自分の力のなさについてだったり、自分の生まれのことについてだったり、話そうと思ったらいつまでだって話していられるくらいにはあります」

 

「だから自分と友達になってくれませんか?」

 

 ライは頭を下げて手をグレイフィアの方に差し出した。本来中級悪魔であるライが最上級に位置するグレイフィアに友達になろうなんていう事自体無礼極まりない事である。普段のグレイフィアなら悩む余地もなく断られていただろう。

 だが、今この弱っているグレイフィアなら話は別だ。

 自分が困っている時に親身になってくれ、そして相手の方から友達になってくれと言ってきている。

 謂わば、目の前に誰もがよだれを垂らす高級料理が置いてあるような状態である。それを目の前にした者の行動は一つしかない。

 

「よろしくお願いします」

 ライの手にはしっかりとグレイフィアの手が握られていた。

 大丈夫と考えながらも絶対の確信はなかったので、手を握られた瞬間ホッとしてつい笑みが溢れてしまった。

「良かったです。友達を作るの初めてだったんで断られたらどうしようかと思いました」

 戯けたようにグレイフィアにそう言った。

 

「初めてなんですか?」

「はい、お恥ずかしい話ですが」

「ふふっ、私もです」

「え?」

「私も貴方が生まれて初めての友達です。お揃いですね」

 グレイフィアはライの前で心の底から笑った。

 その自然な笑みにライはドキッとしながら、ライもグレイフィアと一緒に笑いあった。

 

 

 




グレイフィアさんってかなり複雑な立場だと思うんですよね。旧魔王派だった悪魔なのに新魔王派に鞍替えしている。それについてよく思っていない悪魔ーー主に上の老害──に嫌味を言われていたらセクハラされていたりされていてもおかしくないと思いこのようなストーリーになりました。

ここまでの話で本当のプロローグ終わりといったところでしょうか。
ここから三人──人じゃないけど──の関係はどうなっていくのか……。お楽しみに!




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イベント1

 人間界での休暇の日々から時間はたち、ライはまた普段通りの執事業へと戻っていた。

 前とほとんど変わらない風景に見えるが、変わったことが一つあった。

 

 それは……。

 

「サーゼクスがセラフォルーにベタベタ接してるんだけど、どうしたら良いと思う?」

「サーゼクス様とセラフォルー様は昔からの馴染み、いわゆる幼馴染というやつなんですよね? 少しのスキンシップは仕方ないのでは?」

「サーゼクスにそういう気はないのは分かっているけど、やっぱり妻としては嫌なの」

 

 月に一度、夜遅くにグレイフィアがライの部屋へと訪れるようになったことだ。

 ライが住んでいるのは離れにある使用人専用の館である。サーゼクスお抱えの使用人は皆それぞれ一つの部屋が与えられている。そこに住むかどうかは個人の自由なのだが、ほとんど全ての悪魔はここに住んでいる。

 なので、グレイフィアは堂々とライの部屋に来ているわけではない。ライとグレイフィアが友達──周りには秘密にしている──という関係だとしても男と女である事には違いない。

 グレイフィアはライの事を男として好きだと思っていないし、ライの方もまだ時期ではないと判断して単純に友好関係を深めようとしているだけなので、間違いなど起こるはずがないのだが。

 度々グレイフィアがライの所へ訪れていては風聞が悪い。という事で、ライの部屋へ来る時はグレイフィアは転移の魔法でひっそりと移動してきていた。

 

「ねぇ、聞いてる?」

「はい、聞いてますよグレイフィア様。そうですね……サーゼクス様はおそらくですが、グレイフィア様との恋が初だったのではないでしょうか。だから経験値が欠けているために、そのへんの女性の気持ちが分からない、と。言葉は少し悪いですが、心が少し子供なのだと思います」

「じゃあ、どうすればいいのよ」

「そうですね。解決案としては……セラフォルー様が結婚なさるとかですかね」

結婚している女性にはどんな男性でも少しは距離をとるものだ。

「ふふ、セラフォルーにそれは無理よ」

 セラフォルーを軽く小馬鹿にしたようにクスッと笑みを浮かべた。

 

 その顔を見て大分自分の前で表情を出すようになったなと、ライは思っていた。

 こうして夜遅くに会い始めた頃は表情を一切変えずに淡々と愚痴を吐いていた。無表情で毒を吐くグレイフィアはいつもの数倍怖かった。

 しかし、十、二十と回数を重ねていくにつれて慣れてきたのか何なのかは分からないが休暇の時のような親しみを持たれていると分かる雰囲気に変化した。

 その頃からグレイフィアは自然と敬語を使わなくなっていった。

 

「では、このまま放置ということに?」

「それはダメよ。あんなにベタベタして……」

「サーゼクス様に直接仰ればいいのでは?」

「それはもう試したわ」

ご愁傷様ですとつい口に出そうになる。

 

 改めてグレイフィアと話していて思う。

仲は良くはなったと。だが仲良くなるにつれて、グレイフィアのサーゼクスへの愛の強さも分かるようになってきてしまった。

 

 サーゼクス命と言えるほど愛が深いという事が……。

 サーゼクスとの惚気話を何十回も聞かされて、これ無理じゃね、と何度も思ってきた。

 だが、やらなければいけない。

 爆弾──心臓の近くに埋め込まれていて、起爆条件は爆弾の事を誰かに伝える、自ら外そうとする、任務を放棄するなど(・・)らしい、と埋め込まれる時にライは聞かされた──で死にたくはないからだ。

 

 そのような理由から、必死こいて考えた結果いくつかの案をライは考えついていた。

 一、グレイフィアとこのまま仲良くなる。

 今行なっているのはこれになる。王道──人妻を口説くことが王道とは言えないが──である親密になるという事は当たり前のように見えて意外と難しい。どんなに仲が良くても秘密の一つや二つはあるものだ。ライはグレイフィアと秘密の共有ができる程仲良くなろうとしているのが今である。

 二、サーゼクスとグレイフィアの仲を悪くさせる。

 逆転の発想で思いついたのがこの案である。グレイフィアと仲良くはなれるが、それ以上になれるかどうかは未知数、いやかなり低い確率であろうとライは考えている。だから、サーゼクスへの愛が弱くなればなるほどグレイフィアには隙ができ、そこにライが入るチャンスがあるかもしれない。

 しかしそもそも仲を悪くさせる方法を思いつかないので現段階では保留になっている作戦だ。

 三、サーゼクスに浮気をさせる。

 二の作戦を応用させたのがこの作戦である。サーゼクスが浮気をしている所をグレイフィアに目撃させ、落ち込んでいる所をライが慰めるというのが本作戦の概要である。出来るのなら体の関係にまで持っていくのが理想だ。サーゼクスが浮気をしているなら、私も。となってくれないかなぁとライは都合の良い想像を働き、これを思いついた。

 しかしサーゼクスはグレイフィア一筋であり女の影すら見えないので、これも現段階では保留になっている。

 四、グレイフィアを襲う。

 快楽で虜にさせる作戦だ。エロ漫画のヒロイン並みにチョロかったのならこれでもいけるかもしれないが、そんなわけはない。そもそも襲おうとしても実力差がかけ離れすぎている事もあり、返り討ちになる危険性がある。

 これは最後の手段である。

 

 この他にもいくつか作戦はあったが、現実的に不可能なものばかりだったのでライの脳内で却下された。

 まだ、時間はあるが攻略の糸口さえ見えない現状に段々と焦り始めてきていた。

 ──せめて、何かイベントがあればなぁ。

 

「そうよ。この手があったわ!」

 急に大きな声を出したグレイフィアに考え込んでいたライはビックリした。ちなみに防音対策はしっかりしているので声が外に漏れる事はない。

 

「貴方がセラフォルーを誘惑しなさい!」

「へ?」

「ライ、貴方は自分では気づいてないかもしれないけど、とても魅力的な外見をしているわ」

 ──知ってます。

「それに気が利くし、優しいし」

 ──そりゃ命かかってますから。

「貴方ならセラフォルーと結婚できるわ!」

 ──そんなわけねーだろ!

 

「自分はセラフォルー様に一度もお会いした事はありません。そんな者とは突然恋愛に発展したりしません。そういうのは絵本の中だけの話ですよ、グレイフィア様」

 

 何故、口説こうとしている相手にお願いされた相手を口説かなければいけないのか。頭がおかしくなりそうになる。

 

「貴方って特定の相手とかいないのでしょ?」

「それは……そうですけど」

「一回だけ、一緒に遊びに行ったりしてみてくれない? セラフォルーの予定とか諸々は私がなんとかするから!」

 

「そんな事言われましても……」

「お願い、一回だけ何でも言うこと聞くから」

 

 ──何でも、だと⁈

 

 ライの体に激震が走った。

「それは、サ」

 ──ーゼクス様暗殺も含まれますか?

 とつい本音を言いそうになってしまった。

 そんな事ない、というのはライもわかっている。グレイフィアが言う何でもというのは子供の言う「大きくなったらお嫁さんになる」と同レベルの意味しか持たないことも。

 しかし思わぬ幸運から口がひとりでに話してしまうところだった。

 額からよく分からない汗が吹き出したライはグレイフィア用にたくさん持ち歩いているハンカチで汗を拭った。

 

「……なんと言ってセラフォルー様を呼び出すおつもりですか?」

「そうね、魔法少女に興味を持っている悪魔がいるっていう理由かしら」

「魔法少女?」

「魔法を使う女の子の事らしいんだけど、セラフォルーはそのコスプレにとても強い興味を抱いているの。恥ずかしいらしいから、まだ周囲には秘密にしているらしいんだけど」

 

 魔法少女と聞いてもいまいちライにはピンときていなかった。魔法を使う女の子というのは、魔力を扱う女悪魔もカウントされるのだろうか。

 そしたら見た目は若いグレイフィアも魔法少女であると言えよう。

 

 ──それに憧れる、とは一体?

 

「どうして、グレイフィア様はその事をお知りになられたのですか?」

「材料の売場が分からないから私に聞いてきたの。その時に少しね」

 ライは少し冷静になって考えてみる。魔王と知り合いになれるチャンスと考えれば、今回の話は悪くない。サーゼクスを最終的に暗殺出来れば良いのだしセラフォルーにやってもらうという手も取れる。

 グレイフィアも本気でセラフォルーが恋するとは思ってないだろうしとライは考えていた。せいぜい男性と接する機会を作り、女性の気持ちを思い知ってほしい程度、だろうと。

 

 デメリットとしては、グレイフィアの前──前であるかどうかはわからないが──で女性を口説かなければいけないという事だけだ。

 それにしてもグレイフィアのお願いでやる訳なのでないに等しい。

 

「ダメ、かしら?」

「……仕方ないですね、分かりました。はぁ、友達の頼みだから引き受けるんですからね」

 暗に貴女じゃなければ絶対にやらないという意味を込めた言葉を発し、加えてやれやれという手の動きもわざとして見せた。

 

「ありがとう」

 顔を明るくさせたグレイフィアはなんとも言い難い可愛らしさだった。

 

 

 




グレイフィアさんの対等な友達との会話が原作にはないので、口調はこんな感じかなと予想して書きました。



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イベント2

UAとお気に入りがとんでもない事になっていて嬉しいというよりも、
とてもビックリしている作者です。

業が深い(人妻もの)、今小説を読んでいただき本当にありがとうございます!




 あれから一月が経ち、いよいよセラフォルーとの初対面の日になった。

 ライはこの一月の間で魔法少女について勉強をした。魔法少女について興味を抱いている悪魔という理由でセラフォルーと会う予定なので、実はまったく知りませんでしたというわけにもいかない。ボロが出ないレベルまで知識を蓄えようとしたのだが、魔法少女に関する情報は思いの外少なかった。

 

 ──魔法少女とは、魔法などの不思議な力を使い事件を解決する少女である。

 

 主にこのような事柄が書いてあるだけで、具体的にこういうものだ、という参考例を見つけることができなかった。

 探し方が間違っているのかと思い、様々なアプローチで情報を集めようとした。魔法の事から始まり、魔女、はたまた魔法使いの組織……灰色の魔術師──メフィストという悪魔が理事をしている──についても調べたが魔法少女について先の事柄以上の事は分からなかった。

 人間界の事かと考えてそちらも調べてみたが、そちらも手掛かりはなし。

 

 どうして、グレイフィアとは関係のないところでこんなに悩まなくてはいけないのかとライは逆ギレしそうになった時期もあったが、胸に手を当て自らを落ち着かせ、怒りを外に出すことをしなかった。

 怒りとは基本的に良くないものだとライは思っている。彼に出来るのは冷静に頭を使う事のみ。力もない地位もない、金もない。

 自らにできる事はそれしかないと悟っているから、それを手放すわけにはいかない。

 

 冷静になった頭で考えた結果、ライは魔法少女の事を調べるのを諦めた。

 その代わり、セラフォルーについて情報を集める事にした。何が好きでどんな事柄を好むのか、出来る限り調べ尽くした。

 どんな会話がきてもアドリブで回避できるように、趣味が合うとても良い悪魔と認識してもらうために、保険になってもらうために、グレイフィアの期待に応えるために。

 

 ライはカフェテラスで優雅にコーヒーを飲みながら、セラフォルーを待っていた。これを計画したグレイフィアはメイドとしての仕事があるためこの場にはいない。

 初めての接触だったので一緒にいてほしいという気持ちは少なからずあったが、逆にグレイフィアの前でナンパのような事をしなくていいということでもあったので文句は言わなかった。

 

 心を落ち着かせるためにもう一口、コーヒーを飲もうとした時、ライはサーゼクスの側にいるときにも感じる、魔王の気配を察知した。

 グレイフィアと比べると身長はやや低いように思える。だがそれでも彼女を弱そうだとは微塵も思えなかった。

 

「グレイフィアが言ってた子って君の事?」

「はい、初めまして。サーゼクス様の館の使用人をさせて頂いてもらっていますライと申します。セラフォルー様、この度はお会いできて光栄です」

「そんな堅苦しい喋り方しなくても大丈夫! 私のことはレヴ……あ、いや……」

 セラフォルーは何かを言おうとして、口ごもり頰を赤らめた。

 

「……グレイフィアちゃんから聞いたけど、ライちゃんって魔法少女に詳しいってほんと?」

 ──いや、まったく。

 寧ろ基礎情報しか持ち合わせていない。教えてもらいたいくらいだった。

「そうですね。平均以上には、と言ったところですかね」

 だが、言葉の端々から魔法少女に詳しい悪魔であってほしいという感情が漏れ出ていたため、嘘をついた。

 しかし、魔法少女の事を知っている悪魔は冥界全土含めても両手で数えられる程度といったところだろうか。平均が限りなくゼロに近いので、平均以上という言葉もあながち嘘ではない。

 

「ほ、ホント! 実は魔法少女の事について話せる友達っていなかったの! ライちゃんに会わせてくれたグレイフィアちゃんにはハグしたくなってきた。今日は存分に語り合おうね!」

「お手柔らかにお願いします」

「またまたー! それじゃ行こっか」

「行くとは?」

「私のお(うち)に! せっかくだから私が作った魔法少女コスを見てもらいたいなって」

「え?」

 

 あって数分もしていないが、既にライは帰りたい気持ちでいっぱいだった。

 

 ◆

 

 

「おぉ、すごい数ありますね!」

 オーバーリアクションなどではなく、本当にライは驚いていた。結局、本当にセラフォルーの家に連れて来られたライはセラフォルー案内のもと衣装部屋──という名前のコスプレ部屋──に来ていた。

 

「これ、全部自分で作ったんですよね?」

「うん! 気づいたらこんなにいっぱい出来ちゃった!」

 せいぜい数着と予想していたのだが、実際は数十着という膨大な数のコスプレ服であった。

 これを全て自作という事からもセラフォルーの魔法少女好きの深さがわかる。

 ライは何気無い風を装って服を見ているが、内心では……。

 ──魔法少女ってこんな服着るの⁈

 ライの思っていた魔法少女像がガラガラと崩れていた。

 

「ライちゃん見てみて! これが一番の自信作なんだ!」

 セラフォルーが持ってきたのは、布地が少ないピンクの魔法少女服だった。自信作というだけあり、デザインもワッペンの位置も市販品にしか見えないレベルのものだった。

「本当に凄いですね。これ、実際に着てみたりしたんですか?」

「ううん。私の周りに着てくれそうな人いなかったし……」

「?? セラフォルー様が着ればいいんじゃないですか?」

 

 そう、ライが口に出すも、凄い勢いで首を横に振るセラフォルー。

「わ、私は作る担当だけ! 着るのは流石にキツイかなぁって」

「……そうですかね。セラフォルー様は可愛らしいですし、とてもお似合いになると思いますが」

 セラフォルーは着たくないと言っているがライの目にはそうは見えなかった。魔法少女が好きでコスプレ服を作るまでのオタクなのだ。

 着たくない訳がない。

 だが、恥ずかしさや何やらのせいで着れないと思われる。

 だからライは理由を作った。セラフォルーが気兼ねなく魔法少女になれる理由を。

 

「そ、そう?」

「はい! 魔法少女好きの自分が保証します!」

「なら、着てみよっかな」

 セラフォルーは服を持って奥の部屋へと入っていった。

 

「今のところは順調だな……」

 誰もいない部屋でライはひとりごちた。

 セラフォルーと仲良くなるというのは概ね上手くいっている。グレイフィアのように話しかけるなオーラを出しているわけではないセラフォルーはライにとってかなり楽な標的だった。

 というより、グレイフィアという無理難題に取り組む内にライのコミュニケーション能力はいつしか上昇していたのだ。

 

 ──出来ることなら定期的に会うレベルに達せられればベストだけど、それは流石に望みすぎ、か。

 

 

 そんな事を考えていたらセラフォルーが帰ってきた。

 まだ恥ずかしいのか、体を抱きしめながらライの方向に歩いてきていた。今の頰を赤らめているセラフォルーはとても魔王には見えず、ただの女の子の様に見える。

 そして肝心の魔法少女服だが、スタイルが良いセラフォルーが着ると、なんとなくエロい感じが醸し出されていてライは生唾を飲んだ。

 

「ど、どうかな?」

「とてもお似合いです! これこそ魔法少女って感じがしますね」

「そ、そう!」

 ライに褒められて悪い気はしないのか口を笑みの形に変えた。

 

「写真でも撮りますか? せっかくですしポーズもして」

 こんな時のためにライは懐に用意していたカメラを取り出して、提案した。

「え、それは流石に恥ずかしかったり」

「でもこの機会を逃すと写真なんて撮れないんじゃないですか?」

「そ、そうかも。じゃ、じゃあお願いしちゃおっかな!」

 ライのことば巧みな話術についつい乗せられたセラフォルーは撮影を行うことになった。

 

 

「良いですね! その表情! 出来ればもっと笑って」

「こ、こう?」

「ええ! 流石魔王様!」

 セラフォルーを褒めて煽てている内にライもだんだんテンションが上がってきていた。普段の彼ではとても言わないだろう事を口走るくらいには。

 

「何か決め台詞か、何か無いですか? そしたらもっと良い物が撮れそうな気がするんですが?」

「そ、それじゃ一つ」

 コホンと一つ咳払いをしてセラフォルーは覚悟を決めた。

 

「魔法少女マジカル☆レヴィアたん! 月に代わってお仕置きしちゃうぞ☆」

 

「良い! 今、冥界一輝いています! セラフォルー様!」

 

 そんな調子で何時間も撮影会を行った。

 

 ◆

 

「今日は楽しかったよ☆」

「いえ、何だかすみません。最後の方は気安く話しかけたり、無茶な要求をしたりしてしまって」

 冷静になったライは魔王という自分とはまさしく格が違う相手に馴れ馴れしい態度をとってしまった事を反省していた。

「ううん、私も楽しかった! 自分を曝け出すって気持ちの良い事だね☆」

 だが、セラフォルーはそんな些細な事は気にもしていなかった。

 

「……あの、もう魔法少女になりきらなくてもいいんですよ?」

 いちいち会話の終わりに決めポーズをとるセラフォルーにつっこまずにはいられなかった。

「……もう、自分を偽らない事にしたの。自分がやりたいのはこれなんだってみんなに知ってもらいたい☆ だから、普段から魔法少女になりきろうかなって」

 

 シリアスなムードを作っていたがライには何を言っているのか意味が分からなかった。

「そうですか、凄いですね」

 ライは優しい笑み──グレイフィアのために極めた、愛想笑いに見えない愛想笑い──をセラフォルーにするしかなかった。

 

 ──キュン!

 その時のセラフォルーの胸の音を言い表すならこの様な感じだろうか。セラフォルーはライを見ているだけで、なぜか心がポカポカしてきていた。じんわり身体に広がっていく熱さ。

 人はこれを──と呼ぶが、彼女はまだその言葉を知らなかった。

 

「あの、ライちゃ……ライくん。また会えないかな?」

「ええ、休日だったら付き合いますよ」

 魔王との繋がりが欲しいライは即座に頷いた。

 

「それじゃ、また会いましょう。セラフォルー様」

「……セラって呼んで。セラフォルーだと長いでしょ?」

「では、セラ様と」

「うん☆」

 

 ライはセラフォルーに背を向けて館へ歩き始めた。

 セラフォルーはそんなライの背中を見えなくなるまでずっと見ていた。

 




グレイフィア百年→友達
セラフォルー一日→??


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イベント3

ファンタジア文庫主催のハイスクールD×Dのトークショー面白かったですね。


 ──今までの修行は修行じゃなかった。

 今まで一度も手を抜いて修行をしていたわけではない、とライは断言できる。

 生き抜くためには力が必要だったが、ライは魔力も少なく身体能力にも優れているわけでもなかった。

 だが、死にたくはなかった。

 そんなライが己を鍛えるのは当然の帰結だろう。死なないために修行を行っているのに、修行で死にそうになる程の事をしていたのだが、努力の甲斐虚しく微々たる成長しかしなかった。

 己の才能のなさに軽く絶望しながらもここまで生き残る事が出来たので運だけは良いと思っていたのだが……。

 

「マジで、はぁはぁはぁ、マジで死ぬ」

 

 ライは産まれてから一番の命の危機に瀕していた。

 

 何故、こんなことになったのかを知るためには数時間前に戻る必要がある。

 

 ◆

 

「九百、九十、九! 千!」

 目標を達成してライは地べたにうつ伏せになるように倒れこんだ。長時間腕立て伏せをしていたせいで、腕どころか体を動かすのすら億劫になっていたので体を起こす事はせず、床に寝そべった。

 ──ああ、気持ちぃ。

 地面から伝わる冷たさが、運動で熱を持った体を冷やしているのがとても気持ちが良かった。良い感じの疲労にライは意識が落ちそうになるが、汗がベトベトのまま眠るのは流石に気持ちが悪いので風呂にでも入ろうかと考えていた時、部屋の地面が光った。

 この光を見てもライは別段驚く事もない。既に何十回と見てきた光景だったからだ。

 光が収まるとそこには銀髪の女悪魔──グレイフィアが立っていた。

 

「ど、どうしたの?」

 上半身裸で汗でびっしょりなライを見て、グレイフィアは驚いた顔になった。裸の事と汗をかいている事のどちらの事を聞かれているのかライには分からなかったが、とりあえず無難な返事をした。

 

「すみません、少しトレーニングしていて……」

 寝そべっていた態勢からすぐに起き上がり、汗をタオルでさっと拭いて服を着た。

 

「今月は早いですね。どうかしましたか?」

 二人が合う日時は月の終わりの週の休日と決めていたので、まだ月半ばなのにも関わらず、転移してきたグレイフィアをライは不思議に思っていた。

 何かを考えていたグレイフィアはライの言葉に我を取り戻し、本題に入った。

「貴方、セラフォルーに何をしたの?」

「魔法少女談義と撮影ですけど、セラフォルー様に何かあったんですか?」

「いや、そう言うわけじゃないのだけど。……まぁいいか。サーゼクスから離れるようになったからお礼を言いに来たの」

「お礼を言われる程の事はしてませんよ。それにセラフォルー様とも友達になったので寧ろこちらの方がお礼を言いたい程です」

「セラフォルーと友、達になったの?」

 グレイフィアは頭を金槌で叩かれたような気がした。

 

 唯一の友達であるライが新しい友達を作ってしまった。喜ぶべきことであるはずが、グレイフィアはあまり喜ぶ事はできなかった。ライがいつか自分など放っていってしまうかもしれないという不安から。

「そ、その。セラフォルーと私とどっちが一緒にいて楽しい?」

 

「それは、もちろん……」

 ──セラフォルー様です。

 魔法少女という意味不明なモノの話しか二人はしなかったが、それでもライは一緒にいて楽しかった。それこそ、任務のため一緒にいなければいけないグレイフィアよりも。

 だが、グレイフィアが求めている答えがそれではないのをライは分かっていた。

「グレイフィア様ですよ」

「そう!」

 嬉しそうなグレイフィアを見て、正解を引いた事が分かりライは胸を撫で下ろした。

 ニコニコ顔のグレイフィアは上機嫌でサーゼクスの惚気話を何十分か話していたのだが、ライの腕がピクピクと震えていることに気づいた。

 ──トレーニングしてたって言ってたからかしら。

 そこで、グレイフィアはふと気になった事を尋ねた。

 

「ライはどうしてトレーニングなんてしてたの?」

 いつか起こるであろう旧魔王派と新魔王派との戦争のため、とライは答えたいところだがそんな事を言ったら爆弾が起爆しそうなので、偽のストーリーをでっち上げて語り始める。

「そうですね……。自分は自らの力の無さを知ってます。グレイフィア様の足もとにも及ばない、戦場に幾らでもいるような雑兵です。でも、そんな自分でも守りたいものや悪魔が出来た。守りたい悪魔の方が今は強いですし自分なんかが守るなんて烏滸がましいのも分かってる。でも彼女(あなた)を守りたい。だからもう失わないために、ずっと側に居て欲しいから自分は強くなりたい」

 

 我ながらそう悪くない話が出来た事に内心ガッツポーズをした。

 

「そう、そんなに彼女(セラフォルー)が好きなのね」

 グレイフィアは側にいるライにも聞こえない程小さな声でそう言った。

 ライとしてはグレイフィアに言ったつもりだったのたが、グレイフィアには一ミリも伝わっていなかった。そして残念な事に両名ともすれ違っている事に気づくことはなかった。

 

「修行をつけてあげるわ」

 なんだか心なしか気合いが入っているように見えるグレイフィアはそんな事を言い出した。

「グレイフィア様が、ですか?」

「ええ。貴方には色々助けられてきたし、その恩返しみたいなものよ」

 グレイフィアに修行をつけてもらう。先の言葉がグレイフィアに効きすぎたようだ、とすぐに悟ったライはなんとか回避しようと思い言葉を発する。

「いえ、流石に申し訳ないです」

 体に爆弾を埋め込まれてからは激しい鍛錬は行なっていなかった。どの程度の負荷で爆発するのか分からないからである。だがそんな事とはつゆ知らないグレイフィアと修行するというのは危険すぎる。

 ──下手したら……下手しなくとも死ぬ。

 

「そんな遠慮しなくても良いのよ。私と貴方は一番仲の良い友達、でしょ?」

「そう、ですけど」

「なら、決まりね!」

 ライとしては仲の良いというところに対して頷いたのだが、グレイフィアには修行を行う事を了承したと勘違いしてしまった。

 

 してしまったのだ。

 

「善は急げ、ね」

 グレイフィアはライの腕を掴み、無理やり転移した。

 

 ◆

 

「ここは?」

 突然見える景色が変わった事に焦り、ライは辺りを見渡した。

 木どころか草すら生えていないただただ広いだけの荒野、それがここだった。

「冥界の端の端。ここには誰も住んでいないから思う存分、修行が出来るわ」

 ──今何時だと思ってんだ、この女。

「明日の仕事にも差し支えますので、やるとしてもまた今度という事で……というかやりたくないんですけど」

「あら? 明日は休暇になるって知らなかったの?」

 ──業務連絡ちゃんとしろよ!

 ライは先輩執事を後で一発殴る事を決意した。

 

「それじゃ、始めるわね!」

 その瞬間、ライの真横を魔力弾が通過した。

 ただの魔力弾ということからもグレイフィアが様子見ということがわかるが、それでさえライは反応する事さえ出来なかった。

 視界の端には若干掠っていたらしく、髪の毛がチリチリになっているのが見える。

 

 もう、こうなったら止める事など不可能だった。だからライは意識を戦闘用に切り替える。

 

 この至近距離であの魔力弾が体に当たったら命の危機だと判断したライはすぐさま距離をとった。グレイフィアを視界に入れるため後ろを向きながら距離を取っていたのだが、その間は先の魔力弾が来ることはなかった。

 しかも手加減のつもりなのか、グレイフィアはその場から動くということはなかった。

 距離にして五〇メートル。

 離れ終わったところで、グレイフィアからの攻撃が再開される。

 

 ──至近距離ではムリでもこの距離なら、まだ避けられる。

 油断したわけではなかった。現状を確認して、一つ息を吐いただけだった。

 瞬間、直ぐ目の前に魔力弾迫ってきていた。

 一発目に隠れるように二発目を撃っていたらしいその魔力弾を回避する間はない。

 だが、体には当たると死ぬかもしれない。

 その思いから左腕を着弾地点に持っていった。

「────っ」

 ライの体には声にならない程の激痛が走った。

 痛いなんてものじゃなかった。左腕が消し飛んだかと錯覚するほどの痛み。

 蹲ってしまいたくなる体を無理やりその場から移動させる。

 直後、先程までいた場所に三発目が着弾した。

 ──止まっていたら、マズい。

 

 足を動かしながら現状を打開するために頭を働かせようとするも、痛みで上手く考えがまとまらない。

 ライの行く先を読んでいるらしく、一方向ばかりに移動していては捕捉されるのでライは縦横無尽に回避し続けた。

 

 ◆

 

 ──どれだけ避け続けたのだろうか。

 時間感覚など、遥か昔に消え去り一日以上動きっぱなしのような気がライはしていた。それでも動き続けられるのは日頃の鍛錬のおかげだった。

 グレイフィアは魔法使いや魔術使いではない。一般的な悪魔と同じで手のひらから魔力弾を撃つ。だから、手を向けている方向を見て予測しながら回避するという技術をライは習得しつつあった。

 

 痛み──痛覚が半分死んでいるのでもう痛いのかすら分からない──がおさまり、働くようになった頭で現状をどうにかする策は実はもう分かっていた。

 グレイフィアは何もライを殺そうとしているわけではない。これはあくまでも修行──ライにとっては死行──なのだ。

 

 ライが半べそかきながら降参するのならグレイフィアも攻撃をやめてくれるだろう。

 ──だけど。

 そんな無様な姿をグレイフィアに見せるわけにはいかなかった。グレイフィアの事であるから、ライを慰めてはくれるのだろう──まるで母親のように。

 そうなってしまったら任務遂行は絶望的だ。

 最も安全な方法もとれない、となると残された手段は一つしかなかった。

 

 ──グレイフィアを倒す。

 

 不可能に近い事はライも分かっていた。だが、これしかない。

 そう決意したライははじめて、グレイフィアに向かって走り始めた。

 行く手を阻むように魔力弾がライを襲うが、既に何十、何百という数を避け続けてきた。この距離なら恐るには値しない攻撃に成り果てていた。

 

 近づくにつれ次の魔力弾への時間は早くなり、回避行動が難しくなる。体にはいくつも魔力弾が掠り始めてきて、服などもはや布切れになってしまっている。足にも相当な疲労が溜まっているはずだ。だが……。

 

 ──あと、少し。

 

 走り続ける事はやめなかった。

 

 十メートル。この距離まで近づいてしまうと、もはや手の動きで攻撃を予測など意味をなさない、一瞬で攻撃がくる。

 

 それでもライには当たらない。

 百年と少し、グレイフィアの事を見続け考え続けてきたことにより、なんとなくだがライは攻撃が来そうなところを直感的に把握した。今のライなら目を瞑っていても攻撃を回避出来ると確信できる程には。

 

 残り五メートル。ここで初めてライは魔力を使うのを決心した。

 ──爆発するイメージ。

 

 遠距離からの攻撃をライは出来ないわけがない。だがグレイフィアに通じるとはとても思えなかった。だからこそ、ここまで魔力を温存してきた。

 ──この距離なら!

 

 魔力弾を放った瞬間、グレイフィアが防御壁を作ったのがライには見えた。

 放った魔力弾が防御壁とぶつかり爆発した。

 

 ライは砂埃が舞ったせいでグレイフィアを見失ったが、それは相手も同じ事。

 魔力もつき、体力も残り少ないライに撤退という選択肢はなかった。

 グレイフィアがはった防御壁は一方向のみ。防御壁がない場所に回り込みグレイフィアに接近戦を挑もうと近づいた。

 

「気づかないと思った?」

 背後を振り向くことすらせずに一撃を加えようとしたライにグレイフィアは魔力弾を放った。

 

 確実に鳩尾辺りに当たる攻撃だった。他の四肢で庇うことも出来ないタイミングで。

 そして事実、体には当たった。

 

 ──幻のライに。

 

 ここで初めてグレイフィアは表情を変えた。見たことの無い技。今のは何か、特別な力だった。

 ──ただの幻覚ではない。

 確実にそこにライは存在していた。だが、幻だった。

 聡明な彼女だからこそ、今のがどれだけ異質だったかを理解出来、そしてそれに意識を割かれてしまった。

 

 空から落ちてきているライに気付くことなく。

 

 

 

 ライ自身、何が起こったのか理解はできていなかった。当たると思った瞬間気づいたら上空にいたから。

 それに加えて謎の現象に体力も魔力も全て持っていかれて受け身を取ることすら出来そうにない。

 ──グレイフィア! 気づけ!

 グレイフィアに受け止めてもらいたくて、声を出そうとしたが疲れすぎていて声すら出せそうになかった。

 

 どんどん二人の距離は近くなりグレイフィアがライの存在に気づいたのは、不幸なことに二人が衝突する直前だった。

 ライの額がグレイフィアの額にぶつかる。

 

 疲れ切っていたライはぶつかった反動で意識を失ってしまった。

 一方、グレイフィアはかろうじて意識があったのだが、思いがけない男性の重さに耐えられず立っている事は叶わずライに押し倒されてしまう。

 

 グレイフィアは目と鼻の先にいるライと──していた。

 

 

 

 



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眷属1

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 ──なんだろう、あたたかい。

 

 ライは後頭部に柔らかくそれでいて温かいモノを感じた。ずっとこのままでいたくなる謎の安心感がそこにはあった。

 もう一眠りしようと、寝返りをしようとしたところで、背中に硬いモノを感じ段々と意識が覚醒していった。

 

「グレイフィア、様?」

 ライが目を開けて最初に見たのは、グレイフィアの顔だった。

「おはよう、体は平気かしら?」

 ライは視界にはいるグレイフィアの顔……より少し下にある大きい胸に目を一瞬奪われた。だが、グレイフィアに気づかれない程はやく、視線を横にした。そこで、ようやく自分がグレイフィアに膝枕をされていることに気づいた。

 名残欲しいという気持ちもあったが、慌ててグレイフィアの膝から跳ね起きる。

「す、すみません。お膝をお借りしてしまい」

「そんな事気にしないで平気よ。それで、体調はどう?」

 やけに心がこもっていないグレイフィアの話し方にライは首を傾げながら、自らの体の調子を確かめてみる。かすり傷からの出血で見た目は凄いことになっていたが、実際のところ動く分には特に問題がなかった。むしろ、なんだか今までより体が軽くなったような気さえした。

「問題ありませんが、勝負はどうなりましたか? なんだか記憶が曖昧で……」

 ライは頭痛が酷く頭を抑えながら、グレイフィアに尋ねた。

「覚えてないの⁈」

「たしか、グレイフィア様に向かって走っていこうと決めた所までは覚えているんですが、そこから記憶が……」

 

 ライは自らの記憶を辿ろうとするが、ある地点でぷつりと途切れてしまっていて微塵も思い出せそうになかった。

 ──この頭痛が原因なのか?

 

「……貴方は軽い脳震盪を起こしていたのでその影響でしょうね。……本当に何も覚えてない?」

 何度も確認してきていることにライは疑問を抱いた。おそらく、何か忘れてしまった間に大事なことがあったのだろうことは推測できるのだが、忘れてしまっているので推測の域を出る事はなかった。

「はい、残念ながら」

「なら良いわ! 私だけが覚えてる、のね……」

 グレイフィアは誰に言うのでもなく、そう呟いた。

 

「それで、グレイフィア様はどうしてこんな事を?」

 突然、襲いかかってくるという意味のわからない事をしてきた理由をライは問いただした。結果的に生きているからいいものの、普通に死んでいた可能性もなきにしもあらずなのでちゃんとした理由が欲しかった。

「一先ず、貴方の実力が試したかったからかしら。魔力量や身体能力だけでその悪魔の強さは分からないもの。総合的に判断するなら実際に手合わせするのが手っ取り早い」

 まぁ確かにそうなので、ライは反論のしようがない。というか手合わせしたくない理由が体に爆弾があるからというライの事情が特殊すぎるのが悪いといえば悪いだろう。

 

「戦い方、魔力量、身体能力から見て……甘く見積もって中級上位ってとこかしらね。ただ……」

 ──あれ(幻覚)を除いての話だけれど。

「貴方って何か不思議な技というか奥の手みたいなものって持ってる?」

 奥の手というものは、誰も知り得ないから奥の手足り得るのである。だから、グレイフィアもライがその事を隠していた場合、答えづらいと考えてこのような遠い言い回しをした。

「奥の手ですか? そんなものないですよ。あったらもっと早い段階でグレイフィア様に使ってます」

 

 ライの顔に変化はない。グレイフィアから見てライが嘘をついているようには見えなかった。

 ──ならば、あれは?

 潜在能力の覚醒、力の真の解放、土壇場での思いつき。この辺りがグレイフィアの考えられる理由だが、どれにしても常軌を逸していた。

 魔王クラスの実力を持つグレイフィアに通用する技というだけでも珍しいが、どういう技かすらグレイフィアには解析出来なかった。

 ──彼は強くなる。

 最上級、はたまた魔王クラスまで昇ってくるかもしれない。初めはライの心意気に感化されただけの修行だったが、本当に強くなるというならグレイフィアにも利がある。サーゼクスの持つ力が増えすぎて困るということは無いのだから。

 ──サーゼクスにライの事を報告。いや、彼の生まれをもう一度調べさせるべきですかね。

 

「また来月も修行をするので、覚悟しといてくださいね」

 ライの顔が引きつったのはしょうがない事だろう。

 

 ◆

 

「ライくん、すごい疲れてるけど何かあったの?」

 どこからかライが休みだということを入手していた、セラフォルーが修行から帰ってきて休んでいたライにメッセージを飛ばしてきた。セラフォルーからということもあり、ライは断ることをしなかったのだが滲み出る疲労をセラフォルーに見抜かれてしまった。

「いえ、まぁ少しやる事がありまして。あまり寝ていないんです」

 

「なら、紅茶でも入れて休憩にしよっか☆」

 魔法少女の撮影をするよりも嬉しそうに茶会の準備をセラフォルーは始めた。ライはセラフォルーに準備をさせるのは申し訳ないと思い代わろうとしたのだが、楽しそうに準備しているセラフォルーを見て任せることにした。

 

「ライくんはさ、『悪魔の駒』って聞いたことある?」

 セラフォルーが淹れてくれた紅茶──ライの予想とは反してとても美味しかった──を飲んでいる時に唐突にそんな言葉を投げかけられた。

「たしか……何百年か前に作られた、モノでしたよね。駒には不思議な力が宿っていて使われたものには力が与えられる。そして一番の特徴は他種族を悪魔に転生できるモノだと記憶していますが。なんらかの欠陥で一時生産が中止されていませんでした?」

 魔王の一人であるアジュカ・ベルゼブブが開発したその駒は冥界の危機ともいえる子孫繁栄の打開策になりうる事で一時期とても話題になったのだが、欠陥があるという事が本人から説明されて悪魔の駒の配布がなくなった。

 しかもかなり早い段階でその欠陥に気づいたために、初期の悪魔の駒はある特定層──貴族やそれ以上の者たち──にしか手に渡らなかった。

「欠陥という欠陥ではなかったんだけどね」

「セラ様は知ってるんですか?」

「そりゃ魔王様だから知ってるよ☆ そうだなぁ、例えばライくんは自分の力が何百倍にも強くなれるアイテムがあるとしたらどうしたい?」

 

「強くなれるですか?」

 ──めっちゃ欲しいです。

 おそらくその欠陥というのは力の増幅。いや増幅しすぎる事だ、とライはセラフォルーから読み取り、それでいてセラフォルーにとって好ましい回答を行う。

「なんだか少し怖いというのが本当のところですかね。努力して得たものや元々生まれ持つ力ならともかく、誰かの手によって得られた力というものを自分はあまり使いたくはありません」

 

「それで、なんでも手に入るとしても?」

 

「力で手に入るものは所詮そこまで大したものじゃありませんよ。力というものは持っているだけでは凄いわけではないと思います。それをどう使うのかが大事なわけであって……すみません、大した力もない自分なんかがこんな偉そうな事を言ってしまって……」

 

「でもこれだけは、はっきり断言できます。サーゼクス様やセラ様のように誰かの為に使える者が本当の意味で強く、そして優しいんだと」

 自分が考える優しい悪魔が言いそうなことを考えて話したライは、話しすぎて疲れた喉を潤すために紅茶を飲んだ。

 一方でセラフォルーは涙を目に浮かべていた。

 

「ライくーん!」

 セラフォルーは叫びながらライに抱きついた。

「私、感動した! 私なんかが魔王になって良かったのかいつも考えてた。けど、今日初めて魔王で良かったって思えた。もうもうホント好き☆」

 セラフォルーは直ぐに失言に気付き、ライに対して撤回した。

「いや、好きってあれだからね。悪魔として好きみたいな、ね」

 ワタワタしているセラフォルーを見てライはセラフォルーの前で心から笑った。

 

 ◆

 

「なんか話が脱線しちゃったんだけど、本題に入るね☆ 最近生産された分で私も悪魔の駒を持ったんだけど眷属はまだ、誰もいなくてね……。それで、良かったらなんだけど……ライくん私の眷属にならない?」

 

「自分がですか?」

 思っても見なかった提案にライは目を大きく見開いた。

 

「信頼できる悪魔なんてあんまり私いないんだけど、ライくんの事がぱっと頭の中に思い浮かんだんだ。それで、さっきの話を聞いたらもっとその想いは強くなったの。だからもし良かったらなんだけど……私の眷属にならない?」

 何のしがらみもない状態だったのならライは即答していた。魔王の下僕というのはそれだけ価値のある事だ。だがライには任務がある。

 

「……自分は魔王様の下僕に相応しくないと思います。力も知恵も足りていない悪魔が魔王の下僕だと知れ渡ったのならセラ様の名声が落ちてしまいます。なので……」

「そんなの私は気にしない! 力は私が持っているし、知恵もこれからつけていけばいいじゃない。心から信じられる悪魔が私には欲しいの」

 

 本当の自分を見てもらっているわけではないと、ライには分かっていた。それでも、誰かに認められるというのが嬉しかった。

 

「サーゼクス様には恩があります。少し考えさせてください」

 

 

 ◆

 

「という、話があったんです。グレイフィア様は誰かの眷属になったりしているんですか?」

 他人にはあまり話したくない事だったが、グレイフィアにだったら良いかと思い、珍しくライの方から呼び出して相談を行った。

「私はサーゼクスの女王に、と昔から誘われてるわ。正式に配布された悪魔の駒が上級悪魔全てに行き渡ったら使わせてもらうつもり」

 

 それを聞いていてライは突然湧いた質問をグレイフィアに行った。

「グレイフィア様は主になる資格はおありなんですよね? 最上級悪魔ですし」

 上級悪魔なら誰もが眷属の主になる資格がある。それはグレイフィアも例外ではないはずだ。

「私はサーゼクスの側にいないといけないから眷属を作ってもあまり主らしい事は出来ないわ。それに信頼できる悪魔も貴方ぐらいしかいないし、そもそも眷属が集まらない」

 ──という事は作れないわけではないのか。

 任務の都合上、グレイフィアの近くにいるのが達成への一番の近道であるのは間違いない。だから、なれるのならグレイフィアの眷属になるのが最高の選択肢である。

 そして、グレイフィアも眷属をまったく作らないと思っているわけでもない。ライが口八丁で上手く誘導すれば、眷属を作ろうと思い直すかもしれない。そうなったのなら、十中八九ライに声が掛かる。

 

 ──だが。

 セラフォルーの勧誘を断りたくないという気持ちも、ライにはあった。

 

 ──任務を選ぶか、私情を選ぶか。

 

 

 ライは一度目(・・・)の分岐点に立っていた。

 



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眷属2

「お願いします。恩を仇で返す事になるのは承知しています。それでも自分は彼女の力になりたい。なので、お暇を頂きたく、ここにきた所存です」

 ライはサーゼクスの前で片膝をついて跪いていた。

「……私は元々、恩を作りたくて君を助けたわけじゃないからね。ライがここを去りたいというなら止めはしないよ」

「ありがとうございます」

 認められた事で一安心し、ライは肩の力を抜いた。

 

「それで、詳しい訳を聞いてもいいかね?」

 

 ◆

 

「ライがセラフォルーの眷属に、か。面白い」

 サーゼクスは顔を笑みの形に緩めた。

「面白いですか?」

「あぁ、最高の組み合わせといってもいいかもしれない。セラフォルーが感情で動くのに対し君は理性で行動するタイプだと私は思っている。だからこそ君達が思っている以上に噛み合う組み合わせだと思うよ」

 ライが理性で動くタイプというのは間違っていない。

 今回のセラフォルーの眷属になるという事も、セラフォルーに求められたという感情的理由だけで決めたわけではなかった。

 ライにとって一番大事な事は任務──グレイフィアを恋に落とす──の達成である。そのためにサーゼクスの使用人として働いてきて、グレイフィアと仲良くなることに成功した。

 だが、逆に言えば仲良くなることしか出来てはいなかった。

 それが何故なのかを今回の決断の前にライは改めて考えてみた。

 

 時間がまだ足りない。

 ──サーゼクスとの関係はもっと短かったはずだ。

 外見的問題。

 ──自分の方が、女ウケは良い筈。

 金銭の差。

 ──グレイフィアがお金に困っているとは思えない。

 強さの問題。

 ──無くはないが、それだけか?

 

 いくつも問題を提起し、それに対して議論をし続ける事をした結果、ある結論にライは辿り着いた。

 

 ──グレイフィアは弱い。

 グレイフィアは弱いのだ。物理的な強さではなく、心が。

 いつの日か見た泣き崩れる姿。サーゼクスへの重い愛。寂しがりや。

 絶対に負けない程強い、大木の様に寄りかかっても倒れない悪魔だからこそグレイフィアはサーゼクスに惹かれた。

 ライはそう結論づけた。

 確かに容姿や家格、諸々の要素もあるのだろうがグレイフィアは潜在的に一人になりたくないという想いが強い。

 サーゼクスへの想いを断ち切るためには強くなり、グレイフィアを安心できるほど成り上がる必要がある。それはサーゼクスの下で働いて

 いては絶対に成し遂げられない事である。サーゼクスの下で働いていては、結局サーゼクスが凄いという印象で終わってしまいグレイフィアになんの影響も与えない。

 だからこその執事を辞めるという今回の提案だった。

 執事を辞めたところでグレイフィアはライに相談しに来るであろうし、場所が変わるだけでライにとっては何も変わりはしない。

 

 

「そういえば、セラフォルーとはどういう繋がりで知り合ったんだい?」

「ちょっとした、趣味で……」

 魔法少女趣味という理由で知り合ったという事をサーゼクスに言う事が少し恥ずかしかったので、ライは言葉を濁した。

 

「これからは、セラフォルーの所で働くという事でいいのかな?」

「いえ、少し修行をしようと思っています」

 サーゼクスは理由を聞きたいようで、話の続きを目で促してくる。

「……魔王様の眷属になる最低基準というものがあると自分は思っています。しかし、それに到達できていない自覚があります。そんな自分をセラ様は受け入れてくれるでしょうが、周りは違うと思いますし、自分自身も納得できない」

 己を不甲斐なさに拳を強く握りしめ、悔しがる……フリをするライ。

 最低基準については本心でライはそう思っているが、本当の理由ではない。本当の理由はグレイフィアより強くならなければいけないからだ。結局、成り上がるためには強くならなければならない。そこを補うためにライは修行を行うことにした。微々たる成長しか望めなくとも、何十、何百という膨大な年数を注ぎ込めばいつかは強くなれる。約四〇〇年の時間がライにはまだあるからこその決断でもあった。

 

「なので、何年か修行をして力をつけたら、セラ様のところで働こうと思っています」

「……たまたま君が訓練をしていた所に出くわしたグレイフィアと手合わせをしたという報告は受けている。彼女は君の事を褒めていたよ。もっと強くなれる可能性が君にはあるらしい」

 サーゼクスの視線がライを、その内側を見抜こうとしているのを感じ冷や汗が流れる。

 ──というか、グレイフィアは嘘の報告を?

 グレイフィアの方からライの修行を持ち出したにも関わらず、サーゼクスには嘘の報告がいっている。

 グレイフィアとライの関係をサーゼクスは知っているものとばかりライは考えていたが、サーゼクスには言っていないらしい。

 ──男と密会するというのをサーゼクスに話したくなかったから、か?

 何も知らないサーゼクスからしたら、それはグレイフィアが浮気をしているように見えるかもしれない。本当に健全なことしかしていないが、グレイフィアの行動だけを見ればかなり怪しい。

 だからサーゼクスには友になったということすら話してはいなかったという事か、とライは推測する。

 

「いえ、自分はそんな褒められるような才覚はありませんが」

「君が気づいていないだけだよ。……そこで、だ。私も君がどこまで強くなれるのか気になっているし、何よりも強くなってくれたら悪魔の未来を担う存在になってもくれるとも思っている。そんな予感がある。だから、一年間だけグレイフィアを君に貸そう。その間、グレイフィアとみっちり修行をしてきなさい」

 予期していない展開にライは目を見開いた。

「そこまで甘えるわけにはいきません。グレイフィア様がいないとサーゼクス様のお仕事にもさし障るかもしれません。自分なんかのためにそこまでお力をお借りするわけには」

 グレイフィアと修行。確かに効率的な問題の削減にはなる。ライはこの前の死闘を経て枷が一つ外れた様な感覚がすると同時に明らかに強くなったという実感があった。

 だから、強い者と修行をする効率については理解しているが……強くなる前に殺されてしまいそうでもあった。

 それが、これから一年間というのは殺されるイメージしかライにはなかった。

 断固としてお断り案件だったが、相手は魔王。魔王の提案を無下に断る事など、万死に値する。だから、サーゼクスに提案を取り下げるようにライは舌を回す。

 

「何、たった一年だけだ。それだけなら大したことではない」

「いえ、グレイフィア様はサーゼクス様の右腕。いなくなれば、対外的にも不審がられるでしょうし、やはり不味いかと」

「なら、こうしよう。君に願いがある、上級悪魔になれ。その対価としてグレイフィアに一年間指導してもらう、というのを前借りする形にするのはどうかな?」

 ライはその願いを断るわけにはいかなかった。

 悪魔とは人間の願いを叶える生き物である。魂レベルでの本能というべきか、義務といってもいい。ただ、今回の願いを叶えるのは人ではなく悪魔である。しかしそれだけサーゼクスは本気という意味でもあったのをライは言葉の裏から理解した。

 ここまで言わせてしまっては、ライに断るという選択肢は残されていなかった。

「……サーゼクス様がそう仰るのであれば、ありがたく受け入れさせてもらいます」

 

 ◆

 

「ホント⁈」

 セラフォルーはライに詰め寄った。

「セラ様の眷属になります。ただ……」

 セラフォルーは抱きつきたい気持ちを抑えて話の続きを聞いた。

「それは自分が強くなってから、です」

 ライはサーゼクスに話した事を同じようにセラフォルーにも話した。

 

 

「そんな奴らぶっ飛ばせばいいよ☆」

「いえ、そういうわけにはいきませんよ」

「私、ライくんのためなら何だってやっちゃうよ☆」

 

「貴女を守りたいんです」

 セラフォルーの手を握りながら、目を合わせた。

「傷一つついて欲しくない。だから、少し時間を下さい。貴女を守れるような男になるまで」

 セラフォルーは顔をうつむかせて、ライに表情を見せる事はしなかった。

「……もうしょうがないな、待っていてあげる☆」

「心から感謝を」

 ──ありがとうございます。そして、ごめんなさい。

 

 ウソではないが、本当の事を言ってもいないライは罪悪感を抱いていた。だが、セラフォルーには本当の事を話すわけにはいかなかった。それをしたら、ライという悪魔の何かが無くなってしまう気がしたから。

 

 

「いってきます」

 ライはセラフォルーに背を向けて歩き出した。

「女には気をつけてね!」

 そんなセリフを聞きながら。

 

 ◆

 

「正式にサーゼクスからのお願いという形ですので、バシバシ鍛えていきますからね」

 ライはグレイフィアと共に以前来た荒野と似たような場所に立っていた。違いは森と荒野の境目にログハウスが建てられていることだった。ここはグレイフィアが昔、隠れ家に使っていた場所らしく誰にも見つかる心配はいらないという話だった。何年も使われていなかったが中は腐敗などはしていなく、まだ使える状態だったので修行場所をここに選んだ。

「よろしくお願いします」

 ここまできて、うだうだ言っていても仕方ないのでライは覚悟──死なない為──を決めた。

 

「それで何をすれば?」

「そうね。先ずは貴方の限界を把握したいわ。魔力が尽きるまで魔力弾を放つ事をした後、身体能力の確認ね」

「……前の戦闘はそれも含めて把握するために行ったのではなかったのでしょうか?」

「……一応よ」

 ──なんだそりゃ。

 ライは不思議に思ったが、グレイフィアの言う事には意味があると思うと共に、体の謎の好調を確かめても見たかった。

 

 

「前より、魔力量、増えてませんか?」

 疲労により膝を地面につきながら話しかけた。

「……こんな早く成長するものなの? ありえない。いえ、これは……」

 グレイフィアは独りごちながら、ライの成長を分析する。魔力量も鍛えれば成長はするが、たった一日で中級悪魔程度の量が上級悪魔の下位レベルまで上がるわけがない。

 ──成長ではなく、開放だったら……。

 

「身体能力、もですよね」

「ええ、そうね」

 ──何者かに力を封印されている?

 グレイフィアが見たところその様な痕跡は見当たらない。考え過ぎかとも思うが、何か予感がする。

 大きな力が背後にいるような。

 

 

「お祝い? 自分のですか?」

「ええ、魔王の眷属になるというのは出世と同義です。とてもめでたい事ですし、修行初日くらいなら羽目を外してもいいでしょう?」

「そ、その。ありがとうございます」

 お祝いなどされた事もないライは困惑しながらも、胸が温かくなった。

「ちょっと張り切り過ぎて、いっぱい作りすぎちゃった」

 ログハウスの中に予めグレイフィアが用意していたらしい料理はテーブルいっぱいに置かれていた。

「今日はお酒も用意したわ!」

「……大丈夫なんですか?」

 グレイフィアが酒に弱いという事をライが知っているからこその言葉だった。

「度数が低い、ほとんどジュースみたいなモノだから平気よ」

 グラスに並々注ぎながら、余裕綽々な物言いだった。

 ──ま、グレイフィアもお酒飲みたいのかな?

 酒に弱い自覚があるグレイフィアは滅多なことがない限り、自ら酒を飲む事はない。だが、今回はそれ程までにグレイフィアにとっても嬉しい事だった。

 唯一の友が魔王の眷属になるのだから。

 ライにとってもグレイフィアが酒を飲むのを特に止める理由はないので、見逃した。

 

「貴方の未来に、乾杯」

「乾杯?」

「ふぅ、美味しい! これくらいなら私でも飲めるわね」

「本当にただのジュースみたいな感じですね。初めてアルコールを飲みますが、これくらいなら何杯でもいけそうです」

 

 料理を食べながら、会話を行い、酒を飲む。

 小さな食事会だったが、静かで心が休まる時間を二人は過ごした。

 

 ◆

 

「うっ」

 頭痛によってライは意識を覚醒させた。

 昨夜の記憶が混濁していてハッキリしないが、おそらく飲みすぎたのだろう。

 そう思い、ベッドから出ようとした時にライは自らが裸な事に気付いた。

 上だけでなく、下も。

 嫌な予感が半端なく、ライの背中には冷や汗がダラダラと流れていた。主にライの横にある掛け布団の膨らんでいるところを見ながら。

 そうでないように祈りながら、ライはゆっくりと布団の中を見た。

 

 

 グレイフィアが裸で寝ていた。

 

 

 ──え、マジで?

 




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修行1

サーゼクス様にはアブノーマルな趣味はありませんよ。



 ──本当に致してしまったのか?

 穏やかに食事をしていた時の事しかライには思い出せず、今の現状に困惑していた。最近、記憶が思い出せない事が多いなと現実逃避しながらこれからの行動をどうするか思考を加速して考え始める。

 

 そもそも分からないことがライには多すぎた。本当にやってしまったのか、グレイフィアとの合意の末なのか。諸々不思議な事が多い。

 やってしまったとしたらグレイフィアも合意の可能性が高い。ライが無理やりというのは力関係的に無理である。なのでやってしまっていたとしたらグレイフィアも合意の筈である。

 ──なら、いいのか?

 だが、ライはここまで考えてまったく別の推測が思い浮かんだ。

 

 グレイフィアも酔っていたパターンだ。

 ライは昨日の夜が初めて酒を飲んだので、自らがどれだけ酒に弱いのかを知らなかった。なので、グレイフィアよりも酒に弱いと仮定して考えていた。だがグレイフィアと同じくらい弱いもしくはグレイフィアの方が弱いと仮定し直すと、酔ったグレイフィアをライが無理やりやってしまったかもしれないという推測が生まれてしまった。

 ──自分は下半身にそんなに弱いのか?

 ライは普段常々、しっかりとメリット、デメリットを判断してから行動に移している。酒に酔っている程度でそれを忘れて、性に素直になるのだろうか。

 例え、グレイフィアが裸でどうぞ! という様な格好をしていても飛びつかない自信が平静状態のライにはある。何故なら、任務の達成に必要なのは行為ではなく、グレイフィアを従順な状態にする事だからだ。ここで手を出したら今までの苦労が全て水泡になる。

 

 ──もしくは……。

 酔っていたがどちらも意識がハッキリしていて行為をした場合。何らかの会話があり、ライ自身も考えた上で行為に及んだという可能性も考えられた。体の関係を作るのがこれからの為になると判断したのならライ自身、手を出したかもしれないと思ってしまった。

 

 様々な考えが頭を過るが、一番ベストなのはどちらも酔っていて単に裸になって同じベッドに入ってしまったという可能性であり、そうであって欲しいとライは願っていた。

 

 何はともあれ、この状態のままずっといるわけにもいかないので服を着ようとライは体を動かそうと思った時、隣で何かが動く気配があった。何かではなくグレイフィアだが……。

 ここでまたしてもライの体に電撃が走った。

 もし、グレイフィアが何も覚えていなかったらライの今の現状はかなり不味いのでは、と。

 

 起きたら友達だと思っていた男性が裸でこちらを見ている。

 

 もしかしなくとも消される可能性がある。

 ──不味い、不味い、不味い!

 どうしようもない現状にも関わらず、諦めの悪いライの脳味噌は考える事をやめなかった。

 ──今から逃げる……無理。何食わぬ顔をする……無理。サーゼクスの振りをする……殺される。

 ライの右目の端にはだんだん起き上がっているグレイフィアの姿がスローモーションのようにゆっくりしながら見えていた。

 重度の緊張によりライの口の中はカラカラになっていた。

 ──死ぬ。

 死を覚悟したライは目を瞑った。

 

 ◆

 

「おはよう、サーゼク、ス……」

 グレイフィアはいつも隣に寝ているサーゼクスに挨拶をしようと思ったのだが、横には裸──下半身は布団で隠れている──で寝ているライの姿があった。

 グレイフィアの頭の中は真っ白になった。

 ──え? え? え?

 グレイフィアは自らにかけられている布団の下をチラッと確認してみると隣に寝ているライと同じく裸であった。

 ──もしかして、もしかして。

 グレイフィアは昨日の事を思い出そうとして見たが、どうにも記憶が混濁していて思い出せそうになかった。

 

 グレイフィアにはわからない事が多すぎた。

 この今の光景を見るだけだと、完全に行為の後の朝である。だが、グレイフィアには夫──サーゼクスがいる。グレイフィアは自分の事をかなり硬派な女だと判断している。そんな自分がこんな事を酔っているからといってするわけがない、と思っていたのだが。

 チラッと寝ているライの顔を見るグレイフィア。

 唯一の友であるライとならもしかしたらがあり得るかもしれない。

 気心の知れた相手であり、顔も悪くない。それでいて酔っていてその様な雰囲気になったのならもしかしたらがあるかもしれない、とグレイフィアは推測を立てた。

 なにより……。

 ──ご無沙汰だったし。

 悪魔という種族は妊娠率が極めて低い。結婚当初はサーゼクスとグレイフィアは毎日のようにしていた行為だったが、子宝に恵まれない事や魔王としての仕事の忙しさのせいで半年程していなかった。

 それなのに、更に一年もの間ライの修行に付き合わさられることになることになる。ライの修行に付き合うことは特に苦ではないが、悪魔としては比較的若く欲を持て余しているグレイフィアは、会えなくなるから一晩寝てくれても良いのにとサーゼクスに内心苛立っていた。

 

 そこに良い男がいたら食いついてしまったかもしれない、とグレイフィアは顔を青ざめた。

 ──不味い、不味い。

 サーゼクスに浮気をしてしまった事もそうだが、何よりも自らが友達に欲の発散のために襲いかかってしまったかもしれないという事だった。

 ライとの関係はグレイフィアにとってとても居心地が良い空間であった。自らを晒け出せる相手であり、それをライは優しく聞いてくれる。理想的な友と呼べる存在だった。

 そんなライとやってしまった。

 ──かもしれない、よ。

 

 グレイフィアは改めて体を確認してみる。ベタベタしている様な所はなく、カピカピもしていない。体は……。

 グレイフィアのお腹辺りにかけられている掛け布団に何やら見覚えのある色のモノがかけられていた。

 ──これは……。

 グレイフィアは一瞬にして魔力を使い、この世から消し去った。

 だがグレイフィアの背中には汗がドバドバと流れていた。

 

 ──お、落ち着きなさい、私!

 この行為が互いに合意しているか、もしくはライが獣になった可能性をグレイフィアは考えた。

 だが、即座にグレイフィアはあり得ないと断定する。

 

 グレイフィアはライの事を本当に男なのかと最近まで疑っていた。

 グレイフィアは男性に変な目で見られる体つきをしていると自覚していた。男性からの視線を受けない日は無い程に向けられるので慣れてしまった程だった。それはサーゼクスも例外ではない。

 だが、ライという悪魔からは一切その様な不埒な視線を向けられたという事がない。

 ライの部屋でかなりゆるい服を着ていても、唯の一度さえだ。

 グレイフィアはこのことからライの事を女には興味がない所謂あっち系の人だと思っていたのだが、つい最近変化があった。

 ライがセラフォルーと仲良くなった事だ。

 本人は気づいていないだろうが、セラフォルーの話をしている時の彼はとても嬉しそうであったのをグレイフィアはよく覚えている。

 

 漸くライに春が来たと内心喜ぶと同時に男性である事を確認できて安心した。

 そういった理由も込めてグレイフィアは昨夜、お祝いの席を開いた。

 ──なのに、私が食べてしまうなんて。

 せっかくの春が真冬になってしまう。

 グレイフィアは最善策が何かを考え始めた。

 

 ──そもそもライは昨夜の事を覚えているの?

 グレイフィアはライの顔を横目で見るが、何やら魘されているようで眉間にシワが寄っていた。飲み過ぎた影響でこうなっているとしたら、自らと同じく覚えていないという可能性がある。

 そうであってほしいとグレイフィアは心の底から願う。

 ──いや、覚えていなくともこの状況は不味い!

 

 グレイフィアは全裸である。何も覚えていない男性が目を覚ました時、隣に裸の女性がいたとしたらまず間違いなく混乱する。

 グレイフィアは自らの服が扉の近くにあるのを瞬時に発見し、ライを起こさないようにゆっくりとベッドから出ようとしたその時だった。

 

 ライが寝返りをうったのだ。

 しかも体をグレイフィアの方に向ける形で。

 不幸なことに、グレイフィアはライが寝返りをうった瞬間に反射的に振り返ってしまった事でグレイフィアもライの方を向いてしまった。

 今にも目が覚めそうなライを刺激するわけにはいかなかったグレイフィアはゆっくりと、頭を枕に戻した。

 しかし、このことで二人の顔の距離は十センチメートル程。ほとんど、目と鼻の先だった。

 ──ま、不味い。

 グレイフィアは焦りにより荒くなった吐息がライの顔にかかっているのに気づいていたが、一種のパニックを起こしていたので止めることなど出来なかった。

 

 ライの瞼が開こうとしているのが、スローモーションのようにゆっくりとグレイフィアには見えた。

 もう、どうする事も出来なかったグレイフィアは裁きを受けようと思い目を瞑った。

 

 ◆

 

 約十分。

 目を瞑り続けたライは自らに何も起こらないことからグレイフィアがまだ起きていない可能性について考えた。

 ──起き始めてるように見えたけどな。

 まだ目を開けるには不測の事態が怖かったので、一度寝返りをうってみた。これで起きているのなら何かしらのアクションがあるはずだと思い、しばらく待つ。

 

 待っていると、突然ライの顔に生温かい息がかかった。全身に鳥肌がたち、思わず動きそうになるが気合で挙動を止めた。

 しかし、何が起こっているのか知りたいという感情が先走り、目は開けてしまった。

 しばらく目を閉じていたので、少し白んでいた視界が段々とクリアになっていく。

 ライの目前にグレイフィアの顔があった。

 ──きめ細かい肌だな。

 よくわからない現状に若干現実逃避してしまう。

 

 ──落ち着け、落ち着け。

 自分に言い聞かせるように内心呟いた。

 ライは先程、確実にグレイフィアの寝ぼけた声を聞いた。これから判断するに確実に起きていると思っていたのだが、実際はやけに接近しているグレイフィアというものだった。

 寝言と言うにはあまりにもはっきりと話していた事から察するに……。

 ──寝たふり、だな。

 自らと同じような戦法をとっていると確信した。

 

 しかし、何故という疑問がライには残る。

 魔力弾の一つでも撃ってきそうな光景なのだが、それがない。

 ──もしや、グレイフィアも覚えていないのか?

 グレイフィアも覚えていない可能性は推測していたが襲ってこないとは思っていなかった。

 

 ──襲う以前に状況を理解できなかったのか?

 グレイフィアも覚えていない為にどうするか悩んでいたら、自らが起きそうになったために寝たふりをしたということか、とライはグレイフィアの取った行動を推測した。

 ──だとした、何でこんなに近いんだ?

 

 まるで、目が醒めるライを誘惑するような体勢である。

 現にグレイフィアのメロンがライの胸板に潰れているのだが、それをライはサーゼクスの裸を想像することにより、なんとか戦闘態勢に入るのを抑えている。

 だが、長くは持ちそうになかった。

 

 ──あ!

 

 ここでライに悪魔のような──悪魔である──発想が思い浮かんだ。

 グレイフィアが覚えていないなら、自らの都合の良い様に捏造できるのではないか、と。

 自らの発想力の凄さにライは微笑を浮かべた。

 そして、ライの渾身の演劇が始まったのだった。

 

 まず、ライは目の前のグレイフィアを抱きしめた。抱き枕に抱きつく様に優しく、不自然に感じられない程度の力で。

 ここで、グレイフィアの体がピクリと動いた。

「ん? もう、朝か……」

 その動きによってあたかも今起きたかのような声を出した。ゆっくりと目蓋を開けると、グレイフィアも既に目を開けていた様でバッチリと目があった。

「グレイフィア? グ、グレイフィア様⁈」

 態と敬称をつけない名前を呼びをした後、意識がハッキリしてきたと思わせるためにもう一度、今度は敬称をつけて名前を呼ぶ。

「お、お、おはよう」

 流石のグレイフィアも平静を保っていられず声が震える。

 抱きついているため耳元に囁かれている様な感覚で全身に鳥肌がたちながら、慌ててライはグレイフィアから離れた。

 ここで、ライは二日酔いアピールのため頭を手で抱えた。

「その、昨日の事って覚えてる?」

 おそるおそるといった様子でグレイフィアは問いかける。

 これで覚えていない事は確定だ、と内心悪い笑みを浮かべるライ。

 

「……はい、覚えてます。その、昨日は申し訳ありませんでした」

 突然の謝罪にグレイフィアは困惑した。

「えっと、その何があったのか私、覚えてないの。何があったか教えてくれないかしら?」

「……分かりました。昨夜、度数が低いお酒をグレイフィアがお持ちになった事は覚えていますか?」

「ええ」

 ベッドの上でライは上半身裸で下半身は布団に隠し、グレイフィアは布団で胸を隠しながら話し合う。

「用意されたお食事がとても美味しかった事や会話に花が咲いた事もあり自分達は水のようにお酒を飲んでいきました。度数が低いと言ってもお酒には変わりありません。飲みすぎた自分達は当然のように酔っぱらってしまっていて、とある話をし始めました」

「そ、それは?」

 

「……互いの性活動について、です」

 グレイフィアは口を開けて唖然と言った様な顔をした。ライもこんな話をされたら、同じような顔になるなと思いながら、話を続ける。

「まず、グレイフィア様がサーゼクス様との活動が如何に素晴らしいかの話を力説しました」

 顔から火が出るのではないかと思うほどグレイフィアの顔は真っ赤になっていく。

「愛を囁いてくれる、相性が良い、開……」

「そ、それで?」

 当てずっぽうで言っただけだったが、グレイフィアには何かしら思いたる節があるようで途中で遮られた。

「その後は自分に話を振られましたが……その、お恥ずかしい話ですが自分は経験がないので、そういう旨を伝えたところ……」

 ライは逐一、恥ずかしがる演技などを混ぜることにより真実味を増す演出を行なっていく。

「夜の修行を行う、とグレイフィアは仰りました」

 グレイフィアはあまりの恥ずかしさに布団を引っ張って顔を隠してしまった。

「グレイフィア様は自分を抱えてベッドに行き、服を脱ぎ始めました。自分はこれは不味いと思い止めようとした時にグレイフィア様が持ち歩いていた酒を飲まされて意識を失い。……それで目が覚めたら、ここに」

 

 沈黙が訪れた。

 グレイフィアはやってしまった事の責任故。

 ライは自らの優位に立てるような話をしたのは良いが、その後どうするのかを考えていなかった故に。

 

「……ごめんなさい」

 ライの考えが纏まる前にグレイフィアがポツリと呟いた。

「……謝って許される事ではないと思うけど、謝ることしか出来ないから」

「その、まだやったとは限らないので……。それにどちらかというと襲われたのはグレイフィア様ですし、謝るのは自分の方です。すみませんでした」

 

「いえ、今回は確実に私がいけないわ。……もう、貴方とは会わないわ」

 ──は?

「彼女とのこれからの道に私みたいな女が邪魔をしたくないから。今日の事は悪い夢だと思って忘れて」

 グレイフィアが思った以上に責任感を抱いていて焦るライ。

「そ、そんな。待ってください、今回のことは事故みたいなものじゃないですか。自分はそこまで……」

 しかし、ライの言葉に耳を貸さないグレイフィアはベッドから立ち上がり裸のまま、どこかへと転移しようとし始める。

 

「ちょ、待てよ!」

 

 グレイフィアの手を握り、ライは自らの方へ引っ張り……。

 

 

 そして、キスをした。

 




……補足。
グレイフィアは確実に行為があったと思っています。……痕跡から。
男の初めてを女性と同じくらい大切だと思っています。
ライがセラフォルーの事を好きーー恋愛的にーーだと思っています。
逆レイ……したと思っています。
こういう行為は結婚してからだと思っています。
しかも原因は自分が持ってきた酒。

よってグレイフィアは軽く死にたくなっています。
分かりづらかったら女性と男性を逆にして考えてみてください。

ライがこのような話をしたのは、関係があったかもしれないと話す事により、今までと違い男性として意識してもらおうという発想からです。ですが、グレイフィアには効きすぎました。

本当に行為があったのかは、ご想像にお任せします。


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修行2

 持っている強さとは裏腹に女性らしい肩に手を置いてキスをした。

 唇を触れ合わせるだけのキス。

 ライは今まで誰ともそのような事をしたことがなかった。旧魔王派に属されていた時は勿論そんな余裕は無く、執事時代も館のメイドと仲良くなる事はあれど、グレイフィアの事もあり男女の仲には発展しなかった。

 なので、ライからした事とはいえしばらくの間、頭が真っ白になった。

 グレイフィアは突然の事に弾き飛ばそうとしたが、自らの行いからされるがままに受け入れた。ライの気がすむのならそれでもいいとさえ思っていた。

 ――サーゼクス、ごめんなさい。

 愛する夫を思いながら。

 

 だが、グレイフィアの想像に反してキスはすぐ終わった。

 息継ぎのタイミングが分からなかったライはキスをする時は呼吸を止めていたので、唇を離した瞬間に盛大に息を吐いた。

「……落ち着きましたか?」

 そう話しかけたライの表情は普段の冷静な顔を崩していなかったが、寧ろ自らキスをしたライの方が混乱していた。

 

 そんな事とは露知らないグレイフィアは問いかけに頷いたと同時に転移の為に練っていた魔力を霧散させた。

「自分はグレイフィア様と離れたくありません。貴女との絆をこんな事で切りたくない。ずっと側に居てください。……それだけが自分の望みです」

 頭が働かないライは思った事をそのまま口に出した。

 ここまで積み上げたモノを切りたくないし、暗殺の為に必須のグレイフィアとは離れたくない。何一つ嘘を吐いていない。

 グレイフィアはライの心からの発言に少し胸をときめかせた。

 だが、夫を思い出す事で頭をすぐに切り替えた。

「それでも、貴方にした事は許される事じゃ……」

「先ほどのキス。それで、今回の事は無かったことにしましょう。……修行に行ってきます」

 グレイフィアの言葉を遮り、ライはそう一方的に告げると部屋から出た。

 

 ◆

 

 

 ライは朝食──といっても既にお昼頃だったが──をとることもなく外に急いで出た。

「はぁー」

 ライはこの任務を開始してから初めて外で溜息を吐いた。今までミスらしいミスをする事なくグレイフィアと仲良くなれてきていたので、少し油断していなかったといえば嘘になる。

 油断していたからこそあのような発言をしてしまい、運が悪かったのならそれで任務が失敗していた。

 加えて、初めてのキスで動転してしまった。

 ──落ち着け、ライ。

 胸に手のひらをあてながら、自らに言い聞かせた。

 

 ──自分の命もかかってる。

 浮ついている余裕なんて自分にはない。

 ライは現状をしっかり把握した事により普段の冷静さが戻った。

 そして、ここでようやく自らが裸のまま外に出ている事に気付いた。上半身は勿論のこと、下半身も丸出しのままだった。

 裸で外に出ている事にすら気づかないほど、慌てていた自分に苦笑しつつ、何か身に付けるものを探す。だが、辺りには服など落ちているわけもなくライは頰をかいた。

 しばらく何か隠すものを探していたが、何もなかったので諦めた。

 人は誰も居なく、寒くてどうしようもないというわけではなかったという事と、まだ戻りづらいあの家に帰りたくもなかったので、このまま修行を始めることに決めた。

 

 先ずは体を温めようと思いランニングをしたのだが、何も抑えるものがないので、ナニがブラブラとしてしまい即座にやめた。

 

 仕方なく、魔力関係の修行を始めた。

 

 魔力とはイメージ次第で、如何様にもなる。

 ライは地面に腰を落とし、瞑想を始めた。辺りは悪魔はおろか生物すら住んでいないような僻地なので集中するにはとても便利な場所であった。深く深く心の中へと入っていく。誰の声も届かないような深くへと。

 ライは普段から暇があれば瞑想を行っている。深く自らの中に入っていくと真っ暗な場所に自分が存在しているような感覚を常に覚えていた。そこでは、あらゆることをイメージする事が出来るのでライは好んで入っていた。

 しかし、今回はそこに扉が三つ思い浮かんできた。

 真っ暗な世界なので、何もライには見えない筈なのに何かある事が感じ取れる。分厚い分厚い鉄のようなもので出来た扉。それが左前、正面、右前という風に並んでいて、左前の扉のみ開かれていた。

 ──これは?

 何か懐かしいような気分を味わったライは開かれている扉へと近づいていった。ライの背丈の十倍はありそうな扉に息を呑みながら、中を覗いてみる。当然、真っ暗であるから中を見る事は出来ない……が、入る事は出来るような感覚がした。

 入って中に何があるのかを確かめたい。その一心でライは暗闇へと足を踏み入れた。

 

 ◆

 

「貴方は────の子供なの。だから、将来はきっと立派な悪魔になれるわ!」

「うん、頑張る!」

「じゃあ、今日も頑張りましょうね! イメージして。貴方には言葉を交わした相手を惑わす力がある。疑ってはダメよ。自らの力を信じる事が強くなるための一歩だから。誘導して、誘惑させて、誘引して、誘致して、誘発させる。貴方には造作もない事よね。惑わしつづければきっと、貴方はその先へと行ける。そこに辿り着ければ、貴方は──。……私の子供なんだから、それくらいは出来るわよね。だって、貴方はそう────だから。あぁ、あぁ! なんて素敵なのかしら。本当に本当の悪魔になれるわ。あんな名前だけの奴らじゃない、真の悪魔に。上手くいってよかったわ、伝承再現魔法────。なんて麗しい、美しい、逞しいのかしら。貴方を見てるだけで鼓動が高鳴る。早く大きくなってね。そしたら、私が……食べてあげるから」

 

 ◆

 

「は!」

 ライの意識は突然、現実へと戻された。額には尋常ではない量の汗が流れていた。

 ──何だ、今のは。

 優しい雰囲気の女性だと思っていたら、なんか実はヤバそうな奴だった。端的に言えばそんな事である。

 

 ──夢?

 即座に否定する。夢にしてはあまりにも現実感があった。生々しいあの声はとても夢とは思えなかった。

 ──なら、自分の内なる欲望?

 ライには母親好きの趣味はないし、頭のおかしい奴を好きになる趣味もない。そもそもライは扉に入ったら突然、あの光景が見えてきたのだ。ライ自身は何も考えてはいなかった。

 ──イメージじゃない?ㅤ記憶?

 覚えていない記憶の中の出来事。そう考えると何故か酷く納得した。声しか聞こえなかったので、ハッキリとした事は分からないが自らの声に似たような声も聞こえたのでほぼ間違いない。年代は幼少期くらいの頃だと思われる。

 

 ──なんというか、悍ましいな。

 狂気を孕んだ、母親と自ら言っていたモノの声を思い出してライは体が震えた。強さ的には大した事はないかもしれない。だが内包している性質が悪すぎるように感じた。

 ライは額から出ている汗を拭いながら、空を仰ぎ見た。

 ──今日の運勢、最悪だな。

 朝はグレイフィアと一悶着あり、昼は修行しようとしたらよく分からない記憶が蘇る。ライは何もかも全部投げ捨てて、セラフォルーと魔法少女談義したくなった。

「セラ様元気かな?」

 数日前に会ったばかりなのにもう何十日も会っていないような気がするライ。それだけ今日の出来事はインパクトのある事だったという事もあるが、セラフォルーとの日々がそれだけ楽しかったのだ。

 セラフォルーはライから見て……というより誰から見ても、頭のネジが何本か外れているような悪魔である。端的に言うと少しアホっぽいのだ。魔王としての公務をしている時はどうだか知らないがライといる時は大方これである。

 だからこそ、ライはグレイフィアと話している時と違い頭を使わなくても話せる。つまり、楽なのである。

 疲れない楽でもあり、楽しい楽でもある。

 セラフォルーの前では本当の自分を……見せているわけではないが、大体は見せている。その様な理由からセラフォルーと話すときが最も楽しい時間であった。

 

 ライは地面に寝転がりながら、手を上に向けた。

「もっと、早く会えていたらな……」

 旧魔王派はライが覚えている限りでは意識がハッキリしていた事から生まれて直ぐに所属していたと思っていたが、先の記憶からそうではないのかもしれない事がわかった。何処か別の場所で産まれていた。あの母親の言い分だとライを手放すとは思えないので、何かあったと思うべきだろう。紆余曲折あり旧魔王派に属することになったというわけだ。

 ──何故、旧魔王派なのだろうか?

 ライから見て旧魔王派に属する下級悪魔の命の価値はゴミみたいな扱いをされていると理解している。そんな所に入れないで、セラフォルーの様な新魔王派に入れて欲しかった。

 そんなあったかもしれない妄想をしていたら、辺りは既に真っ暗になっていた。

 家に帰ろうと思い、ライは立ち上がろうとした時だった。

 

『やっほー☆ㅤ聞こえてるライくん?』

 頭の中に直接話しかけられた気分を味わい、ライは再び地面に腰を落とすことになった。

『あれ?ㅤ聞こえてないの?ㅤおーい☆』

 この聞き覚えのある声と喋り方で思い当たる悪魔をライは知っている。

「……セラ様。どうしたんですか、というかどうやって話しかけてきてるんですか?」

『話したくなっちゃったから、頑張ってみたの☆』

 意味分からん、と言いたいがグッと我慢した。自分が知らない技術でなんかやってるんだろうなと納得させて会話を続ける。

「……自分もセラ様と話したいなってちょうど思ってました。なんだか無性に会いたい、と」

『ほ、ホント!ㅤなら会いに行くよ☆ㅤ場所はどこどこ?』

「いえ、修行中ですので申し訳ありませんが……」

 セラフォルーが来たら修行どころでは無くなりそうなので、丁重にお断りした。

 

『……もう男の子って本当……。しょうがないなぁ、我慢してあげる☆ㅤじゃあ声聞きたかっただけだから、バイバイ☆』

 本当に声を聞きたいだけに連絡をしてきたセラフォルーにライは苦笑しつつも嬉しくなった。だから、ライは口を滑らせた。

「……セラ様の声を聞いて元気が出てきました。グレイ……色々と頑張ります!」

『え?ㅤグレイフィアちゃ……』

 突然、会話の途中で声が途絶えてしまった。ライは首を傾げながらも、話が終わったから切ったのかと一人納得して家へと歩き始めた。

 

 ◆

 

 ログハウス前に帰ってきたライだったが、中に入ることはせず扉の前でドアノブに手を掛けたまま停止していた。

 ──なんて、声を掛けようか?

 一方的に話して家から飛び出して行ったので、何とも入りづらかった。うーん、と頭を悩ませていると扉が勝手に開き始めた。

「おかえり、なさ……」

 どこかぎこちなく笑うグレイフィアはライの姿を見て固まった。上から下までじっくりと見られ、何かと思いライは自らの体を見た。

 

 裸であった。

 

 裸であったのだ。

 

 一先ず、大事なところを手で隠して告げた。

「…………グレイフィア様のエッチ?」

 ライの顔面に魔力弾が放たれた。

 

 ◆

 

「その、すいませんでした。なんだか元気がなさそうだったので、励まそうと……」

 自らが裸であった事を忘れていたライは瞬時に判断し、何が最善かと思考を回した結果があの言葉だった。恥ずかしがったら気まずい空気になり、怒るわけにもいかない。ライ自身、ベストな選択だと思ったのだが……。

「いえ、気にしてませんから」

 感情が一切感じられない、冷たい反応をされてしまった。

 グレイフィアが作ってくれた晩御飯を痛いくらい静かな部屋で黙々と食べる。沈黙というものをライはどちらかというと好んでいるが、この様な沈黙は別だ。

 

「あの、今朝の件はその、ごめんなさい」

 グレイフィアが唐突に口を開いた。

「いえ、あれは事故みたいなものですから。もういいですよ」

 まだ気にしている様子のグレイフィアを見てライはため息をつきたくなる。

「……やってしまったから、やられてしまっても文句は言わないわ」

 暗に抱いても構わないと言っているグレイフィアに目を見開いた。鋼鉄の精神力を持っているライだから良いもののそこらの悪魔に言ったものなら即ベッドコース間違いなしな台詞である。

「冗談もほどほどにして下さい。自分はそんな事を望んでません。普通に明日から修行をつけてくれるだけで大丈夫ですよ。……と言いたいところですが、こう言ってもグレイフィア様はずっと気にしてしまいそうなので一つだけお願いがあります」

 項垂れているのを直ぐにやめて、ライの方を見るグレイフィア。

 

「その……一緒に寝てくれませんか?」

「え?」

「あ、いや、その変な意味ではなくてですね。修行中に少し変なモノを思い出してしまって寝るのが……少し怖いんです」

 いつまで経っても気にするグレイフィアに対してライはなんとか良い塩梅のお願い事が無いか、考えたところこれに落ち着いた。

 今のグレイフィアの精神的に、押したら事が出来そうな気配はあるが大局的に見るとそれは罠であると理解している。なので先ずそれは却下であった。

 だが、罪悪感を消すにはグレイフィアの心情的にかなり恥ずかしい事をする必要があった。

 恥ずかしいが怪しいことでは無い際どいラインがライには要求されていた。そこで、一緒に寝る──所謂、添い寝を思いついた。

 ライとしてはグレイフィアに甘える子供の様なモノをイメージしてしまいあまりしたくはなかったのだが、これしか思いつかなかったので実行に移した。

 

 余談であるが、この作戦はそう悪いものでもなかったりする。ライはグレイフィアに対して常にクールで優しい悪魔として接してきた。そんなライが甘えてくるというシチュエーションは中々に悪く無いものだったりするのだが、ライとしてはそんな発想はなかった。

 

「……分かったわ」

 グレイフィアとしても罰──であるかどうかは微妙であるが──を受けたかったので、首を縦に振った。

 

 ◆

 

「そういえば、変なモノって?ㅤ何を思い出したの?」

 お風呂に入り終わり、綺麗になった二人は今朝と同じベッドに今度は自らの意思で入った。ライとしての添い寝のイメージは肩が触れ合う程度だったのだが、何を勘違いしたのかグレイフィアは何かと体──というより胸をくっつけてきた。ライも男であるので反応しそうになる部位を今度は芋虫の大群を想像することにより相殺させる。

「昔の、無くしてしまった記憶です。確か、惑わす力があるとか、自分を食べるとか何とかよく分からない事ばかり言ってました」

「……もっと詳しく教えてくれない?」

 グレイフィアは何やら興味津々な様子であったので、ライは瞑想を始めた時の事から詳しくグレイフィアに説明をした。

 

「そう……。その話、貴方の力の謎についてかなり大事な事ね」

「自分の力って何の事ですか?」

「あぁ、そういえば言ってなかったわね。実は……」

 今度はグレイフィアがあの模擬戦の最後に見せたライの不思議な技について説明をした。

 

「そんな事が……。自分にそんな力が」

「まぁその力の謎も気になるところだけど、今はそれよりも貴方が感じた扉の方が重要ね」

「どういう事ですか?」

 謎の力の事について頭がいっぱいで、扉の事など考えてもいなかったライはグレイフィアに聞き返す。

「おそらく、その扉は力の封印よ。前々からおかしいと思ってたの。貴方はかなり昔から鍛錬をずっと続けていたにも関わらず中級程度の実力しかない事に。どんなに才が無い悪魔でもそれだけ年月をかけたのならもっと強い筈。その開かれていた扉は貴方の成長力の阻害とその惑わす力の封印だと考えられる」

「つまり、前より強くなっているのはそれが解放されて力が還元されたという事ですか?」

「そういう事だと思うわ。更に貴方の感覚ではまだ封印はされてある。それを解除させる事が出来たら短時間で強くなれる」

 自分の体の事なのに何一つ理解していなかった事に対して愕然とした。だが、今はそんな事はどうでも良かった。強くなれるのなら強くなりたい。旧魔王派の柵も何もかもをどうにか出来る気がしたからだ。

 

「どうすれば、解除できるんでしょうか?」

「……この間、貴方が寝ている間に気になったから体を解析してみたけれど、外側からは封印されていることすら気づかなかったわ。……だから、やるとしたら中からね」

 ライの背中に一筋の汗が流れた。体を解析している時に爆弾の存在に気づかれていた可能性もあったからだ。気付かれていたら条件を満たしたと判断されて爆破されていたかもしれない。

 幸いな事と言っていいかはわからないが、旧魔王派が仕掛けた爆弾はグレイフィアにも発見できないレベルのものか、どうかはわからないが発見されなかったようであった。

「中というと、どうやってですか?」

 体をかっ捌いたりするのなら、流石にお断りしたいライだった。

「──よ」

 ライは小さな声過ぎてよく聞き取れなかった。

「すみません、もう一度言ってもらっていいですか?」

 

「……貴方の体の一部を……私の体に入れるの」

 

「それってつまり……」

 

「……性行よ」

 

 ライはあまりにもあまりな行為に唖然とした。

「それは流石に不味いです。……キス程度ならまだしもそれは……」

「体の最も深い所同士で繋がる事で互いを把握して、そこから封印を破壊するの。だから、上部だけの繋がりだと意味がないわ」

「その方法しかないのなら、このままで平気です」

 性行為しなくては手に入らない力というのなら、どうしても欲しいというわけではなかった。それにあるかどうか分からない封印を出来るか分からないのに試すというのもする事に躊躇う要因だった。

 

「……いえ、やるべきよ。今の貴方がセラフォルーの眷属に相応しい悪魔かと聞かれると微妙な所よ。力が手に入る可能性があるならやるべきよ」

「うっ」

 それを言われるとかなり痛い所だった。力が足りないのはライも理解している。

 だが、その為の修行であり今の現状である。なのにその事を言い寄って行為を迫ってくる理由は……。

 

「……グレイフィア様は性行為をしたいんですね。罪悪感を拭いたいから」

「……」

 今度はグレイフィアが言葉に詰まる。先からの身体的接触も全てはライが手を出してくれるのを狙っていたのだ。ライが手を出したらした事の条件は同じになるから。

「……サーゼクス様に申し訳ない、そう思わないんですか?」

「……サーゼクスも大事だけど、貴方も大事なの。このままだと貴方が遠くに感じる!ㅤ貴方との関係が崩れるのは……耐えられない。また、貴方といつもみたいな関係に戻りたいの!ㅤだから……」

 

 ライは目を瞑った。

 想定以上に好かれているのは良かったが、ライはここで手を出していいのか悩んだ。

 今まで手を出すのを拒んでいたのは、関係が遠くなる事を恐れたから。だが、寧ろグレイフィアが望んでいて、更にしなくてはいけない理由がある。

 しかし早すぎるような気もする。

 ライは長い間──時間にして十分ほど──考えた(・・・)

 

 

 

 

 

「……分かりました。……二人だけの秘密ですからね」

「うん」

「今だけは自分の事だけ見て下さい」

 二人は封印の解除に挑んだ。




遅くなりました!
録画していたもののけ姫を観て、心が浄化されてしまい書けない状態になってしまっていました。

やっぱ、ジブリすごいなぁ。

今回もお読みいただきありがとうございます!


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修行3

アニメ、ハイスクールD×D new12話のアイキャッチがグレイフィアさんなんだけど、これがとても好きです。
AbemaTVであと2日くらいは無料なのでぜひ見てみてください。

今回ネタバラし回。ちょい短いです。


 結果を端的に言うと、解除は成功しなかった。

 グレイフィアの想定通り、中からの解析で封印の痕跡を見つけることは出来たが思った以上に強固だったからだ。

 夜明け前まで、深く入れてみたりと色々な方法で試してみたが解除には至らなかった。

 しかし部分的に隙間を開けることには成功した。これは流石グレイフィアというべきで、解除がムリだとすぐに気づくや否や少しづつ削っていく方法に切り替えた。

 その甲斐もあり、翌朝ライの魔力量は目に見えて増えていた。

「ありがとうございました」

 ライは疲労していてベッドに体を横たえているグレイフィアに感謝を告げた。この短期間で成長、更にはまだ成長の余地がある事を知れたことに対しての礼だった。

「いえ、当たり前の事をしたまでよ。……それにまだ終わってないじゃない」

 まだ、終わっていない。確かにまだ終わってはいないのだが……。

「……自分の感覚では今回の穴は全体の何万分の一くらいの大きさしか出来ていません。この方法ではキリがないです。もっと、封印に詳しい方に話を聞きに行きましょう。もう、性こ……」

 ──ういはやめましょう。

 そう言いかけたライの口をグレイフィアが指で押さえた。

「これはそんな不埒な行いじゃないわ。だって貴方は昨日私に何もしてないじゃない。何も出してない、ただ私の中に貴方のものが留まってただけ。違わない?」

「違くはないです、けど」

 必要だったのは連結という事象だけであるので、それ以上はしてはいなかった。なのだが、昨日以上に今日のグレイフィアは少しおかしいようにライには見えた。前とは何か変わってしまったような。

 

「……貴方の力になりたいの。だからまた、ね」

「もう……」

 断りの言葉を言おうとしたライの口をグレイフィアの口で塞がれた。長い長いキスをして、ようやくグレイフィアは唇を離した。

「ど、どうしたんですか。こんな、急に」

「どうって? したい事をしているだけよ。それがどうかしたの?」

 ライには今のグレイフィアが酷く不気味なものに見えた。普段から、何かとあればサーゼクス、サーゼクスと言っているグレイフィアがこんな浮気の様なものを自らの意思で行うとはとても思えなかった。だが、現状行なっている。

 心がサーゼクスからライへと移ったと考えるのなら、全てに納得がいくのだが、果たしてそうなのかどうかは分からなかった。

 ──本人がしたいのなら断る理由もない、のか?

 

 グレイフィアの謎について、ライは頭を回そうとするが上手く頭が働かない。考えてみれば、昨日から少し頭の冴えが良くはない。

 ──自分に何か起こっている、のか?

 ライの直感は警鐘を鳴らしているのだが、それが何かは分からない。考えれば考えるほど、ドツボにハマっていくような感覚をライは味わっていく。

 

 考えて考えて考えて考えて、考えぬいてライは自らの欲求に従った(・・・・・・・・・)

「また、夜にやりましょうか」

「うん!」

 

 ◆

 

 それから、ライとグレイフィアは幾度も交わった。交わる毎にライの魔力量は上がっていった。そして交わる毎にお互いを求めあった。

 朝、昼は魔力の基本的な扱いや記憶にあった惑わしの力の練習を行う。いつの日かの様な模擬戦ではなく、グレイフィアが行ったものをライが真似をするといった様な安全なものばかりであった。ライは拍子抜けして、一度模擬戦はやらないのかをグレイフィアに聞いて見たところ、「そんな気分じゃない」というよく分からない理由でやらないらしかった。ライとしてもあまり危険な目にあいたくない事もあり、深くは言及しなかった。

 だが一ヶ月、二ヶ月と日々体を交わらせていくうちに段々と修行の時間が短くなっていった。その代わりに夜の時間が増えていく。

 安全に魔力を増やせるやり方、先ずは魔力を増やしてから。そんな理由から修行を行うより、性行に力を注ぐ様になっていった。

 この辺りからはライもグレイフィアの中に入れているだけでは我慢ができなくなり動かし始める様になる。

 グレイフィアはそれを止める様な事は言わず、寧ろ歓迎している節があった。グレイフィアとしても動かす事なく中に入れられただけというのはもどかしいという面もあるのに加えて、二人の体の相性が良かったという事もありここから性行為は加速する。

 朝昼晩と交わる生活になっていった。

 

 それが終わったのは、半年が過ぎた頃だった。

 

 ◆

 

 

「ライくーん! ここに居るよねー?」

 ライとグレイフィアが例の如く交わっていると、家の外から大きな声が聞こえてきた。

 

「今のって、セラ様?」

「……そうね。一体何の用かしら」

 三戦目に入ろうとした所を邪魔されたグレイフィアは若干言葉に棘があった。

「……この状況不味くないですか?」

「……早く着替えましょう」

 パッと着替えられる事が出来たライが先に玄関まで向かい、ドアを開いた。案の定、セラフォルーが立っていた。

 

「あ☆ ライくんだ! 久しぶり!」

 会えて嬉しかったセラフォルーはライに抱きついた。

 セラフォルーの柔らかい感触に少したじろいだ。

「お久しぶりです、セラ様。どうかしたんですか? こんな突然。とりあえず、ここで話をするのも何ですので中にお入りください」

 セラフォルーは言葉に従い家の中に入ったと思ったら、後ずさって再び外に戻った。

「……どうかしましたか?」

 不思議な動きをするセラフォルーに疑問が湧いた。

「……これってライくんが何かしたの?」

「これ、とは?」

 セラフォルーが家の中を見ながら「これ」というものを指をさして問いかけてくるが、ライにはセラフォルーが宙を指差している様にしか見えない。

「これだよ! この小さな魔力の球。家の中にいっぱいあるんだけど、大丈夫なの?」

 ──魔力の球?

 

 セラフォルーに指摘され、振り返ると部屋中に魔力の球が浮かんでいるのが見えるようになっていた(・・・・・・・・・・・)

 ──なんだ、これ?

 試しに触ってみるが、痛みなどは全くなかった。だが、こうもびっしり浮かんでいると入るのを躊躇するセラフォルーの気持ちも少しわかる。

 セラフォルーの言う通り、この魔力はライの持っている魔力と質がとてもよく似ていた。だがこんなものをライは出した記憶がなかった。というか、そもそも今の今まで気づいてすらいなかった。

 なんだか、気味が悪かったのでライは魔力が消えるように念じてみた所、部屋中の魔力の球は瞬時に消えた。

 

 

 

 と、同時に冷静な思考が戻ってきた。

 

「は?」

 ライは今まで何をしていたのかを思い出した。思い出したという言い方は正しくない。正確に把握したという方が適切かもしれない。

 ──自分は? どういう事だ?

 気が動転して、ライは地面に倒れこんだ。それを見てセラフォルーが何事かと助けに入るがそれを気にする余裕がライには無かった。

 

 ──何をしていた、自分は……。

 グレイフィアと修行をする予定でここに来ていた、筈だった。当初は本当に純真な気持ちで強くなりたい、とそう思っていたはずだった。

 ──だが、一体何をしていた?

 自らの魔力量を増やすという名目で爛れた事ばかりしていた。グレイフィアという最高の指導者がいるにも関わらず、そんな事しかしていなかった。魔力量なんて後からでもどうにか出来る事であるのに。

 互いに互いの体を求める言い訳にしていた。 

 ──いや、問題はそこじゃない。

 問題はそこではない。

 そもそも、この現象は何かという事。

 だが、これは直ぐに分かる。ライの魔力に関係している事だと。部屋中の魔力の球がライとグレイフィアに何かをしていたという事も。

 ──何をしていた?

 ライは何ヶ月か前に思い出した記憶を掘り起こす。あの母親と自称していた女はライの魔力の事を『惑わす力』と呼んでいた。その後に『誘導して、誘惑させて、誘引して、誘致して、誘発させる』事が出来るとも。

 

 そこから推測するにライとグレイフィアは誘導、もしくは誘惑されていた。だが……。

 ──魔力の持ち主である自分まで?

 持ち主にまで牙を剥く力などあるのだろうか。ライの惑わす力というものはサーゼクス──というよりバアル家──の滅びの力と似ていると予想していた。そして、サーゼクスはその力を身に纏えるという話をライは聞いた事があったため、自らには効果を及ぼさないと思っていた。しかし、見ての通り自らも術中にはまってしまっていた。

 

 ライは頰を一度叩いた。

 今考えるべきであるのはそこでもない。

 いつからこの現象が起こっていたのか。そして、具体的な効果内容が最優先で考えなくてはならない事だ。

 最も可能性が高いのは記憶を取り戻した日だと考えられた。思い出したと同時に体から先の魔力の球が無意識に放出されていたのかもしれない。

 しかしこれだと腑に落ちない点があった。グレイフィアがこの事に気付かなかったという事だ。セラフォルーとグレイフィアの実力はそう離れていないとライは思っている。そしてセラフォルーは家に入る前に直ぐに気付いたにも関わらず、グレイフィアは気付かないという事はあるのだろうか。

 何か見逃している事がある、と思いライは再びあの日の事を思い出す。

 

 ──グレイフィアが性行為を誘うような事なんてありえるのか?

 冷静に考えるとグレイフィアは罪悪感を拭うために性行為を自らするような性格ではないような気がしてくる。ライから見てグレイフィアはサーゼクスの事を溺愛していた。それなのにサーゼクスを悲しませる事になる事をグレイフィアがした、という事がそもそもおかしい。この時点で既に術中にはまってしまっていたのかもしれない。なので、これより前にあった出来事を思い出す。

 ──あの、酔っ払ってしまった日か。

 酔っ払った拍子にこの力を無意識に使った。そう考えるのが自然な気がしてくる。思い返すと、あの次の日から少し自分はおかしかった。まだ仲良くなる時期であると分かっていたはずなのに、体の関係を偽装してみたりと……。だが、まだそこまでなら良かった。それ以降の出来事など酷すぎて目も当てられない。毎日毎日飽きもせずに、ベッドをギシギシさせ続けていた。

 

 そこでライは気づいた。

 自分の意思がはっきりと戻っているのなら、グレイフィアもそうであるのでは、と。

 

 地面に手をついて視線を下に向けていたのを戻す。セラフォルーがワタワタとしているのがまず見えて、次に奥の部屋からグレイフィアが歩いて来ているのが見えた。

 

 

 

 

 

 そして死がやってくる。




次で序章が終わりだと思います。

数話前から何かとポカをやらかしていたのはこんな理由からです。



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修行4

今回は長いです。一万字を超えてます。
分かりやすいように丁寧に書いていったらこんな文字数に……。
前回の予告通り、今回で序章が終わりです!
どうぞ!


 ライは自らの方へやってくるグレイフィアを見た。普段の意図的に作っている無表情ではなく、心から何も考えていないかのような顔をしていた。

『サーゼクスのため』

 ライの耳には実際に聞こえた訳ではなかったが、そんな言葉が脳裏を過ぎった。その瞬間、ライに向かって魔力弾が放たれた。

 ライの体より大きいサイズの魔力弾がやってくるが、ライは冷静だった。爛れた日々を過ごす前にちゃんと行なっていた修行でこれと同じくらいの魔力弾をグレイフィアが見本として見せてくれていたからだ。

 ライは右手に同サイズの魔力弾を作る。半年前とは比べものにならない程、魔力が増えたライにとって大した苦労にはならなかった。それをグレイフィアが放った魔力弾の真ん中よりやや下を狙って撃つ。威力は溜め無しで作ったライの方が低かったが、グレイフィアの魔力弾を上手く真上へと弾き飛ばした。そのせいで、家の屋根が吹き飛んでしまったが相殺に成功する。

 

 ──やれる。

 

 ライは無意識に少し笑った。半年前は手も足も出なかったグレイフィアと魔力戦が出来ている。状況は最低であり、命の危機でもあったが強くなれている事に対して少なくない喜びがあった。足に、そして腹にグッと力を入れて立ち上がった。

 ──とりあえず、何か話さないと。

 グレイフィアの主観では自らを意図的に操っていたように感じている筈だ、とライは考えていた。ライが悪意を持ってグレイフィアを誑かしていて、それが解除されたから怒っているのだと。信頼していた友達から裏切られたからこそ怒っている、と。

 だが、ライにはそんな意図は無い。確かにいつかは誑かしてサーゼクスを暗殺させようと思っていたが、それはこんな暗示させてやらせるような下衆い方法を使うつもりは毛頭無かった。

 グレイフィアをしっかりと恋に落として幸せにして、納得させた上でと。そうライは思っていた。

 

 先ずはそれを説明しないと何も始まらない。思い至ったライは口を開こうとしたが、開けなかった。

 

 空間が死んだ。

 

 そう錯覚するほどの重圧を感じたからだ。発生源はライの前方。すなわちグレイフィアだ。

 体からオーラが迸っていた。そのオーラが風を引き起こし小さい台風の様でもあった。

 ライはその場に留まっているので精一杯だった。物理的に風が凄まじいというのもあるが、逃げ出したいという気持ちを抑えきるのに必死だったからだ。

 ──勝てるわけがない。

 何を勘違いしていたのだろうか。強くなった。確かに強くなった。だが、それだけだった。

 

 どれだけグレイフィアは手を抜いてくれていたのか。普段、生活している時もライに力の使い方を教える時もずっとライに負担にならない様にこんなオーラは出していなかった。そんな事に気付かなかった自分がとても恥ずかしかった。

 そして、この魔王級のオーラを出している意味をライは正確に読み取ることが出来た。

 ──殺すつもり、か。

 手加減する気は毛頭ない、というのは一目見れば分かった。それに対抗する力をライは持っていない。よく分からない力を使えばどうかは分からないが、使い方が今ひとつ分かっていないものに頼れるほど精神的に余裕はなかった。

 

 グレイフィアの手のひらには見たことがない魔法陣が浮かんでいた。見たことすらなく、解析も不可能。魔力で出来ているのかそれとも別の理論の元構成されているものかのかすらライには分からない。だが、必殺たり得るものだということだけは分かってしまった。

 

 ──それでも、何もしないで死ぬという事だけはしたくない。

 

 魔力で盾をイメージしたものを前方に作り出す。攻撃するという手も取るには取れた。だが、到底今のグレイフィアに通用する気がしなかった。

 魔力で出来た盾。だが、イメージ次第で高硬度になる。

「はぁ!!」

 体の中の魔力全てを使い切るつもりでライは構築した。そうでもなければ、一瞬すら持たない。そんな予感がしたからだ。

 

 薄く透けている盾越しにグレイフィアの攻撃が迫ってくるのがライには見えた。ライの方向にやってくる余波で辛うじて残っていた家が吹き飛んでいった。右手を盾の方向に向けながら、衝撃に備えた。

「う! お、おおお!」

 ぶつかり合った瞬間、すぐさま接触面が崩壊した。ライは残り少ない魔力で持ちこたえようとしたが、衝撃波によって真後ろへと吹き飛ばされた。

 

 うつ伏せの態勢で顔だけ上を向いた。

 ──もう……。

 痛みに耐えるためにライは目を瞑った。

 

 瞬間、辺りは極寒の真冬になった。

「グレイフィア、ちゃん? ……最初は修行だと思って見ていたけど……。今、貴女私のライくんを殺そうとしたよね? したよね?」

 ライはグレイフィアに対処するために全神経を張り巡らせていて、セラフォルーの存在が頭から抜け落ちていた。自らを守るように立っていたセラフォルーの声を聞いて漸く思い出した。のだが、いつものセラフォルーの優しさが今のセラフォルーには無かった。

 ──不味い。

 ライは様子がおかしいセラフォルーを止めようと立ち上がろうとしたが、体に力が入らなかった。体が死を覚悟した事により、一時的に活動を妨げていた。

「セ、ラ、様」

 なんとか声だけでセラフォルーを止めようとするが、声がかすれてうまく話せない。

「大丈夫だよ。私がちゃんと……殺してくるから」

 優しい笑みを浮かべているが、宣言してくる言葉は恐ろしい。

 セラフォルーに手を伸ばすが、それが届くことはなかった。

 

 そしてセラフォルーからもグレイフィアと同格のオーラが吹き荒れる。普段はおちゃらけていて、強さのかけらも見せない彼女だがそれでも魔王。弱いわけがない。

 オーラとオーラの、それも莫大なモノ同士が至近距離に存在しているという事と体に力が入らないことも合わさり、ライは息をすることすら難しかった。

「グレイフィア、今謝るなら苦しまずに殺してあげるけど?」

「…………」

「そう、謝る気はないのね……」

 

 セラフォルーの右手からはとてつもない冷気を帯びた氷がグレイフィアに放たれたのだが、それをグレイフィアは同じく右手から炎を出して相殺した。

 相殺の際に湯気が煙のように発生しライの視界は真っ白になった。しかし耳には先と同じような氷が溶ける音や魔力弾がぶつかり合う音が聞こえる。

 ──止めないと。

 

 二人が離れ、ゆっくりと自分のペースでゆっくり息をして心を落ち着かせることで、体の硬直が漸く収まったライは二人の戦闘を止めたいのだが、ライからは二人の姿が全く見えない。

 

 そもそもライには二人の戦闘を止める力はない。戦闘の間に割り込んだらグレイフィアに即殺されるだろう事はわかる。だから止めるのならセラフォルーになる。

 だが、視界が悪すぎてどこに居るのかが分からない。

 

「セラ様! こんなことやめてください!」

 必死に声を張り上げるがセラフォルーからの返事はなく聞こえるのは戦闘音だけだった。戦闘音自体は割と近くから聞こえているので声が聞こえないという事はなさそうだったが、返事はない。そんな余裕がないのか、止める理由にはならないから無視しているのかはライには分からないがどちらにしても良くはない。

 

 セラフォルーが来てくれそうな話題を必死に考えるがとてもくだらない事──魔法少女──しか頭には浮かばない。セラフォルーとは殆どくだらない話しかした事がないからであるが、それが今裏目に出た。セラフォルーが攻撃を中断してまで、冷静になってくれるような話題。今までのセラフォルーとのやり取りを全て思い出してライは思考を回す。

 

「セラ様、今来てくれないと自分は下僕になりません!」

 

 その瞬間、戦闘音は止んだ。効果があったのか、とライが思った瞬間自らの方へ魔力弾がやってきていた。ライが張り上げていた声にグレイフィアが気付き、そこを狙われたのだ。

 瞬き一回する前に着弾しそうな程近いので回避は不可能だった。

「うっっ!」

 だが、ライのお腹に当たったのは魔力弾ではなく、セラフォルーの頭だった。セラフォルーにタックルされて弾の軌道から外れる事ができ、着弾を避けることが出来た。

 自分の上で抱きつくような態勢で動かないセラフォルーを見てどうしようかと悩むライだったが、場所が分からないグレイフィアが四方八方に攻撃をしてくるので一先ず彼女を抱えてこの場から離れた。

 

 

 セラフォルーを抱えながら──所謂お姫様抱っこ──ライはセラフォルーに声を掛けた。

「すみません、さっきのは嘘です」

 胸に顔を埋めていたセラフォルーはおずおずと顔をライに見せた。

「ホント? ……嘘じゃない?」

「嘘じゃありません。自分は貴女以外の下僕になる気はありませ。それほど、貴女に惚れ込んでいますから」

 一度、ぎゅっとライの体を抱きしめた後いつもの様な人懐っこい顔に戻った。ライはその顔を見て、冷静になったと判断して今の状況を説明し始める。

「それでですね。グレイフィア様が今襲ってきているのは全部自分の所為なんです。だから、殺すなんて事はしないで下さい」

「……グレイフィアはライくんの事を殺そうとしてるのに?」

「それでもです」

「……しょうがないな☆ 将来の下僕のお願いだから、聞いてあげる!」

 ライは安心から表情が少し緩んだ。

「ライくんはさ、何をしたの? グレイフィアちゃんの怒ってるの……ううん、グレイフィアちゃんがあんなに哀しんでるの初めて見るよ」

 ──哀しい?

 こんなに攻撃してくるのは怒っているとばかり考えていたライにとってグレイフィアが哀しんでいるとはとても思えなかった。

「……実はですね……」

 

 ライは自らの魔力の性質やそれによりグレイフィアを意図せず誘惑させていた事をセラフォルーに話した。だが、グレイフィアと体の関係までしてしまった事については秘密にし、キスだけはしてしまったと嘘をついた。

 

「ライくん……」

「その、すみません」

 何故か、セラフォルーに謝ってしまった。

「……はぁ、謝るのは私じゃないでしょ! グレイフィアちゃんにだよ、まったく!」

 再びセラフォルーは険しい顔をグレイフィア、そして今回はライにも見せたがすぐに鳴りを潜めた。

「それで、ライくんはグレイフィアちゃんに謝りたいって事でいいの?」

「はい」

 

 そう言った瞬間ライは悪寒を感じ、右へ跳ねるように避けた。今までいた場所を見るとピンポイントで地面が抉れていた。

「……でも、この通り近づけないんです」

「うーん、結局グレイフィアちゃんを倒さなくちゃいけないって事かな☆ でもグレイフィアちゃん強いからなぁ」

 勘とそしてグレイフィアという悪魔の思考を読みダンスを踊るように軽快に攻撃を避けながら逃げながら作戦を考え始めた。

「セラフォルー様と同じくらい、ですか?」

「うん。だから正直なところ、勝てるか分かんないかも」

 魔王と同じくらい強い。噂で知っていた事とはいえ本人から聞かされるとやはり衝撃を受ける。

 そんなライの心境が分かっていたのか、セラフォルーは言葉を続けた。

「……私だけならね。でも今はライくんがいる! 私とライくんが組んだらグレイフィアちゃんに絶対勝てる!」

 ライはセラフォルーやグレイフィアと実力差がありすぎてセラフォルーと組んだところで、寧ろ足を引っ張ると思った。

 自分なんかがいたところで、と……。

 

 だが、ライはセラフォルーが信じた自分を信じたかった。

 出来ると計算したわけではないのはセラフォルーを見れば分かる。

 ただただ、そう信じている。そんな目をしていた。

 戦闘においてもリスクを計算しながら戦うのがライのやり方だが、今はそれを無視した。

 

(キング)は貴女だ。貴女がそう信じているなら自分もそれを信じます。勝利への指示を下さい」

 ライの心の中には既に怯えの感情は無くなっていた。

 

「うん! じゃあ先ずはこれ!」

 セラフォルーは胸元をゴソゴソとしてあるモノを取り出した。

「『悪魔の駒』?」

「そう! 兵士の駒以外を使ったなら特性が付与されるから、強くなれるよ」

 

「……セラ様と約束しましたよね。強くなってから貴女の眷属になる、と」

「さっきのライくんの魔力の波動を見たけど、もう上級悪魔でも通用するほど強いからクリアでいいよ☆」

「貴女は良くても自分が良くないんです」

「今、ライくんが受け入れてくれないと私は死んじゃうかもなぁ☆」

「……あぁ、もう分かりました。そもそもこの状況は自分のせいですからね。でも必ず貴女を守れるほど強くなります、必ず」

 約束を破る様でかなり情けないのだが、こんな状況で強くなれるのならとプライドは投げ捨てた。

 ここで、ライはふと疑問が浮かんだ。

「悪魔の駒ってそこまで性能が上がるものなんですか?」

 この土壇場の時に取り出すという事はかなりのパワーアップアイテムなのか、と期待したライは声を若干高めた。

「うーん、あんまり!」

 じゃあ、なんで今出したんだよ。とツッコミを入れたくなるライ。

「……それなら、今じゃなくても良くないですか?」

「えー、今が良い!」

「なんで⁈」

 駄々をこねるセラフォルーにライは遂に敬語ではなくなってしまった。

「絶体絶命の時に眷属にするっていうシチュエーションにすっごく憧れてたの!」

 ──その眷属が私を助けてくれるっていうのもね……。

 

 あんまりにもあんまりな理由でライは口を開けっぱなしにした。

「駄目?」

 胸の前で抱えている現状、セラフォルーはライを上目遣いで見ていた。その姿を見て、少し動揺してしまいライは断る言葉が出なくなってしまった。

「……分かりました! やりましょう。こうなったら、何でもやってやりますよ!」

 少しテンションがおかしくなったライは頷いた。

 

「えーっと、女王の駒で良いよね?」

「いいで……いえ、兵士の駒らへんにしません?」

 思わず肯定しようとしたが、悪寒がした事により否定した。

「絶対ダメ! 一番信頼してる悪魔は女王なの☆」

 目に込められている意志からセラフォルーが断ることはないという事が分かったライは渋々受け入れた。

 

「我、セラフォルー・レヴィアタンの名において命ず。汝、ライよ。我が女王としての責務を果たすことを誓え」

「私、ライはセラフォルー様の女王として貴女に絶対の忠誠を、そして貴女のお力になる事を此処に誓います」

「なれば、我が下僕として新たな生を歩め!」

 

 ライの体に女王の駒が入った。セラフォルーの言う通り元々それなりの強さを持っていたライにとってはそれほど大きな変化ではなかったが、今までとは確実に違った。それは強さという点もであるが、セラフォルーの下僕になったという意識の違いでもあった。

「それでご主人様、如何様に?」

「もう! 今まで通りセラって呼んで☆ それじゃ作戦を説明するね☆」

 

 普段のセラフォルーとは違い真面目な顔をしているのでややライは驚きながら、作戦を聞く。

「……分かりました。それでいきましょう」

「やった☆ それと……えい☆」

 セラフォルーの手のひらにはライが見た事がない魔法陣が浮かび上がる。と同時に、ライの体が光に包まれた。

「これは?」

 体のうちから力が湧き出てくるような感覚に少し戸惑いながらセラフォルーに尋ねる。

「これはね、魔法少女にしか使えない魔法だよ!」

 相変わらず意味が分からないので、ライは頭が痛くなる。

 

「まぁ何でもいいです。それじゃお願いします」

「了解☆ 零と雫の霧雪(セルシウス・クロス・トリガー)

 その瞬間、セラフォルーの前方にあるモノは全て凍りついていく。

 まるで、セラフォルーから雪なだれ──しかもとてつもない冷気の──が起こっていると錯覚する程だった。ライはこれで勝てるんじゃと甘い想像を一瞬するが、グレイフィアのいるであろう場所に技の効果が及んだ時、膨大な湯気が発生したのを見てその考えは無くなった。

 ライはセラフォルーの命令通りの行動をする。

 

 ◆

 

 グレイフィアは以前にもこの技を見たことがあった。なんだかんだでセラフォルーとは長い付き合いなので、相手が使える技くらいは知っている。

 ──セルシウス・クロス・トリガー? だったかしら。

 突然、攻撃が無くなり自らを殺す気が無くなったと思っていたが、この技を使ってくる辺りそういうわけでもないのかとグレイフィアは考えた。セラフォルーが使った零と雫の霧雪は威力、そして何より範囲がえげつない技である。名前の通りセラフォルーが得意としている氷の魔力による技であるのだが、本来は個人に向けられる技ではない。敵多数を仕留めるためにセラフォルーが考えた技であり、技の範囲は小さい島なら全てを凍りつかせる事が出来るほどだ。

 だが……。

 ──私なら……。

 威力という点においてはそこまで強いとは言えない。これはグレイフィアにとってはという事で、一般的に考えたら威力も恐ろしいレベルなのだが、範囲攻撃の技という事からどうしても威力が分散されてしまう。それなら、同レベルの力を持っているグレイフィアなら対処のしようはある。何故、セラフォルーがこんな意味のない攻撃をしたのかを考えるが、目の前に迫ってくる攻撃を見てそれは後回しにする。

 

 グレイフィアは両手を前に突き出し、来たる攻撃を相殺するべく炎を生み出す。

 セラフォルーと同じく、尋常ではない熱さの炎を広範囲に展開して放った。炎と雪が衝突し先とは比べ物にならない程の湯気が発生する。もわもわとした空気が肌に触れ少し不快であると共にセラフォルーの姿を視認することが出来なくなった事に焦りを覚える。

 風を生み出して視界の確保をしようとしたグレイフィアに魔力弾が飛んできた。威力はそこまでないので手で振り払うのだが、次々と魔力弾がやってくる。セラフォルーからもグレイフィアの位置が見えていないので、数打ちゃ当たるとばかりになんとなくいるであろう場所に無差別に放っていた。

 

 ──何でこんな事を?

 グレイフィアにはこの攻撃の意味が分からなかった。こんな魔力弾は当たったところでグレイフィアにとっては痛くもかゆくもない。膨大な魔力量を持っているとはいえ、悪戯に魔力を消費するのは得策ではない。セラフォルーの真意が読み取れなかった。

 だが、やられっぱなしというわけにもいかないので、セラフォルーから放たれている魔力弾から場所を逆算して居場所を突き止めそこに魔力弾を放つ。

 再び魔力の撃ち合いが始まるのだが、先ほどとは違いセラフォルーの魔力から殺意を感じなくなった。まるで、殺さないようにしているような……。

 ここで、グレイフィアの耳は自らに迫ってきている音を聞き取った。風を裂くような音の発生場所を思い至り、上を向いた。

 未だ湯気がひどく目には見えないが確かに何かが降ってきている。

 

 左手を上に向けて物体を撃ち落とすべく魔力弾を撃つ。しかしグレイフィアには当たった感触を感じ取れなかった。

 ──当たらなかった?

 もう一度確かめようとした時、セラフォルーからの攻撃が強まった。まるで上にあるものを狙わせないかのように。

 セラフォルーの狙い通り、片手では対処が出来なくなったグレイフィアは両手を使って迎撃をするしかない。だが、セラフォルーの行動から何か致命的なモノが上から降ってきているのは分かっていたので、視界は上に向けていた。

 

 段々と落下の際に湯気が辺りに散っていき落下物の正体が見えてくる。グレイフィアはそれを見て驚き、そして殺意を抱く。

 セラフォルーへの攻撃をやめて、一旦その場から離れる。グレイフィアの周囲はまだ湯気が晴れていないので攻撃をしないのであればセラフォルーからは探知できない。落下の軌道を予想してその地点までグレイフィアは移動をする。

 

 到着したグレイフィアは両手に魔力弾を作り放つが、落下物──ライは既に翼を広げていて空を自由に飛び回っているので当たらなかった。

 数を撃っても当たらない可能性を考慮したグレイフィアは当てる事に力を注ぐ。小さいサイズの魔力弾を空気中に散布するかのように撃つ。一つ一つの威力はそこまでだが、当たる可能性がグンと高まる。

 逃げるという事は作戦上出来ないライは回避不可能を悟ったのでら腕を体の前でクロスして衝撃に備えた。心臓付近にあるであろう爆弾だけは死ぬ気で守るために。

 

「くっっ!」

 グレイフィアにとっては弱くともライにとってはそれなりの威力を秘めている攻撃であるので、かなり痛い。だが、耐えられないほどではなかった。それは女王の駒の効果とセラフォルーの身体強化の恩恵だった。

 魔力弾が敷き詰められている空間を乗り切ったライはグレイフィアへと一直線で降下する。落下によるスピードを最大限まで活かす。

 グレイフィアは今度こそ本当の必殺たり得る技をライに放とうとする。あのスピードでは空中で回避は不可能というのを確信していたから。

 

 だが、そんなグレイフィアの体に魔力弾が撃ち込まれた。全く把握していない所からの攻撃にモロに食らってしまったグレイフィアは膝をつく。

「グレイフィアちゃん、隙だらけだね☆」

 あれだけバンバンと魔力弾を撃っていればセラフォルーからはグレイフィアの居場所を突き止める事は造作もないことだった。そして、ライに注力している時に近づく事も。

 ──彼は最初から囮か。

 ライを殺すのに執着しているグレイフィアは彼を発見したのなら攻撃するであろうと判断したセラフォルー。予想通り攻撃したグレイフィアはセラフォルーから意識をそらしてしまった。

「グレイフィアちゃん、もう止めよう。こんな事してもムダだよ!」

「何もムダなんかじゃない! 何も知らないくせにしゃしゃり出て来ないで!」

「ううん、全部聞いたよ。あのね……」

「ぜ、んぶ?」

 ここで不幸な勘違いが生まれた。セラフォルーにとっての全部とは能力の暴走の結果キスしてしまった事だが、グレイフィアにとっての全部とは能力の暴走の結果数ヶ月のベッド修行の事を意味していた。

 

 グレイフィアは腹に感じる痛みを無視して翼を広げ飛び立つ。セラフォルーとしてはここまでの戦闘に関しては全て計算通りで、ここでグレイフィアと話して和解しようと思っていたので突然のグレイフィアの行動に対処出来なかった。

「ライくん!」

 だが、ライは違った。セラフォルーを信じていなかったというわけではない。これは、グレイフィアの怒りの程を知っていないセラフォルーと知っているライとの差だった。

 だから更に次の手をライは考えていないわけがなかった。

 

 ライは体の中からなけなしの魔力をなんとか捻りだす。だが、よく分からない魔力の性質を使うわけではなかった。ライとしてはグレイフィアにしてしまった事や自らにも作用してしまう力は怖かった。トラウマとも言えるかもしれない。

 だから魔力本来の使い方をする。先程見て覚えた(・・・・・)セラフォルーの魔法的なモノを使う。

 構造を理解したライはセラフォルーの優しさを知った。この魔法は対象の体を理論上はどこまででも引き上げることが可能であるのだが、使用後にリバウンドがくるのだ。つまり、筋肉痛かもしくはそれ以上の事になる。セラフォルーは使用後、ほとんど体に支障がない程度の強化のみしか行っていない。それで十分だと判断したからだ。

 

 だがこちらに迫ってきているグレイフィアと対峙するには今のままでは役不足すぎる。リスクを背負わないで勝てる相手ではない。

 両手で魔法陣を展開する。効果内容は身体能力を引き上げる。倍率はおよそ十倍で、おそらく効果後は筋肉断裂くらいは余裕であるであろう事をライは把握していたが、力を得るには相応のリスクを背負うのは当たり前だと判断して気にしなかった。

 ライは既に落下し終わり地上に降り立っている。そこにグレイフィアが鬼気迫る表情で魔力弾を飛ばしながら迫ってくる。身体能力が上がった事により余裕を持って回避する。元々上級悪魔ともやりあえる程度の身体能力だったので、それが引き上げられているのでそれくらいは余裕であった。

 

 ライも勝負をつけるべく、グレイフィアに迫る。近接戦に関してのグレイフィアの実力は未知数だが、遠距離にいるよりはまだ勝率が高そうだと思ったからだ。

 グレイフィアは猛スピードで迫ってくるライに対処する方法を考える。属性を伴う攻撃はただの魔力弾を撃つよりグレイフィアの体感速度的にやや遅くなってしまう。そして今グレイフィアとライの距離はほんの数十メートルといったところだ。現在のライの性能なら数歩で移動できる距離でしかない。一瞬で攻撃の取捨選択をしたグレイフィアは迷わず魔力弾を撃つ。背後に感じるセラフォルーの気配からライに攻撃が出来るのはこれが最後だと判断したグレイフィアは自らの力を全て込めていた。

 

 威力、スピード、大きさ。全てが異次元の魔力弾だった。魔力弾は悪魔の基本的な攻撃の一つであるが、単純だからこそそれを防ぐ方法も限られてくる。大きく分けて、防御か回避か相殺である。

 魔力弾のサイズ、そして射出されたスピードから回避は無理だとライは見た。だが、ライには既に魔力は無い。残っているのは己の体だけ。

 

 魔力弾に向かってライは強く地面を踏み抜く。反動で地面は深く抉れた。そしてライは右腕に全ての力を込めるように筋肉を膨らませた。

 衝突の瞬間ライは右の拳で魔力弾を殴る。

 

 手には未だ魔法がかけられているので、魔力弾によって手が焼けるという事はなかったがライの想像以上に弾は重く弾き飛ばせない。

 魔力弾と拳が膠着しあい、一瞬静止したが段々と威力に負け始めライが後方へと押し戻されていく。

「こ、の! 負けられ、ないんだ!」

 左の拳を固く握り締めて魔力弾を下から上へ殴った。魔力弾は右の拳で威力を大分相殺されていたこともあり、ライの思惑通り上に弾き飛ばす。だが、ライはそれを見る事なくグレイフィアへと足を進める。

 

 ボロボロになってしまった拳を再度握り込み、グレイフィアに向かって振り下ろそうとする。が、ライの拳はグレイフィアの顔の前で止められていた。

「……自分には貴女を傷つける事なんて出来ない」

「……なんで、今更そんなこと言うのよ。セラフォルーに全部話したくせに」

「話してません。セラ様に全部は話してません」

 グレイフィアの耳元で囁いた。

「そう、なの?」

「口付けをした事は言いましたが、それ以外は何も。グレイフィア様にとっての汚点になり得る事を自分が話すわけありません。こんな事をしてしまってあれですが……信じてください」

「……そう、なのね。あぁ、最初から……」

 グレイフィアの体から力が抜け、ぺたりと地面に座り込んでしまった。ライはグレイフィアに向けていた拳を戻し、同じく地面に座る。

 

 

「その、話を聞いてください。あの力は態とやったんじゃないんです。気づいたらあんなことになってしまっていて……。決してグレイフィア様とそういう事をしたいからというわけではなくてですね……」

「その、とにかく申し訳ございませんでした。……謝って済む事ではないと思いますが……」

 

「貴方の力が意図せずやった事っていうのは分かっていた。……ライに無理やりそういう事をさせられたから殺したいって訳じゃないの」

 ライは目を大きく見開いた。

「そうなんですか?」

「私、ライの事……っ、嫌いじゃないもの」

「では、何故?」

 グレイフィアは怒り故に殺そうとしていたわけではないという事はわかった。だが、尚更何故殺そうとしたのかがライには分からなくなってしまった。

 

「私が魔王の妻だから」

 

「……貴方や一般悪魔は知らないかもしれないけど、新魔王派は酷く不安定なの。魔王と言っておきながら、魔王の上にいる古い世代の悪魔たちの方が政治的影響力を持っている。四大魔王は民衆の為の仮初めの王みたいなもの。そうでしょ、セラフォルー?」

 いつのまにか近くに来ていたセラフォルーにグレイフィアは確認を取る。

「そう、だね」

「だから、魔王なんて実際誰でもいいのよ。彼等からしたら。自分達が扱いやすくて、民衆受けがよかったら……」

 ライは段々と話の終わりが分かってきた。

「でも、魔王の妻がこんな事をしてしまったのがバレたなら民衆の信頼は無くなるわ。そしたら彼等は躊躇いなくサーゼクスを魔王から下ろす、かもしれない。それだけは阻止したかったの」

 それはライも分からなくはない事ではあったが。

「自分は誰かれ構わず話したりはしません。セラ様には話してしまいましたが、セラ様の事は最も信頼しているからでして。自分を、友達を信じてください」

 ライはセラフォルーにも全ては話していない。その事はつまり最も信頼している悪魔にも話さなかったという事である。ライの言葉の裏からグレイフィアはしっかりとその事を理解していた。

 

「……そうね。だけど、信じる事が出来なかった……だから私は貴方を殺そうとした」

 グレイフィアは「でも」、と言葉を続けた。

「ライは殺そうとした私をそれでも害そうとはしなかった。だから、今更だけど信じてもいい?」

「勿論です」

「私を許してくれる?」

「勿論です。というか、最初の修行の方が死にかけましたよ」

 ライは軽く戯けた。

「ありがとう」

 

「そして、さようなら。私の唯一の友達」

「え?」

 ライは固まった。

「もう、貴方とは会わないわ。ライといると……今回の事でそれがよく分かった」

「え? 待ってください! どういう事ですか?」

「……」

 背を向けたグレイフィアを止めようと立ち上がった時、ライは地面に倒れこんだ。魔法の効果が遂に切れたからだった。

「そんな……待ってください!」

 ──ここまでの成果が水の泡になる!

 倒れながらもライは腕をグレイフィアに伸ばした。グレイフィアは一瞬だけライを見るために振り返るが、すぐに顔を隠すように向き直り、そのまま何処かへと転移していってしまった。

 

「クソ!」

 伸ばした手を地面に叩きつけた。ライは怒りを抑えることが出来なかった。こんな訳の分からない力のせいで、そして訳の分からない理由でこれまでの成果が無くなったからだ。しかも、セラフォルーへ仕えることに決まってしまっているので今までのように直ぐに会える立場でもなくなってしまった。

 自らのミスでこうなってしまったのなら諦めもつくが、理由が理由なのでライの目には一筋の涙が流れる。

 ──これから、どうすればいいんだよ。

 

 セラフォルーはライの涙を見て、グレイフィアとライの関係が自分が思っていたよりも深い事を知った。それがどこまでの事かは分からないが自分なんかより深いと言う事を。

 セラフォルーは胸に鋭い痛みを感じた。




お読みいただきありがとうございました!
次回は時間が飛び、この話から五〇年が経ちます。

序でに補足しておきます。
グレイフィアの会わないというセリフは話さないという方が的確です。
お互い魔王のクイーンという事で、グレイフィアが会わないように逃げ続けても、どうしても会ってしまう機会はあります。
ですが、グレイフィアは無視、もしくは最低限の会話で済ますようになってしまいます。詳しくは次の章で……。


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二章
魔王の眷属1


遅くなり申し訳ございません!
とりあえず、二章のプロローグを。
 



「……んー!」

 セラフォルーは心地の良いベッドの上で目を覚ました。昨夜は自らの女王と魔法少女談義をしたため、睡眠についたのが朝六時だった。寝惚け眼でセラフォルーは今の時間を確かめる。

「ん? 三時……」

 見間違えだろうかと思い、目をゴシゴシ擦ってからもう一度見たがあいかわらずその時計は三時を指し示していた。

 ──そっか、まだ夜の三時か☆

 寝起きだからという理由ではなく、現実逃避のためにそうセラフォルーはそう思い、自室のカーテンを開けた。

 空はいつもどおり、紫色である。人間界とは違い、日光がささないのは悪魔にとって暮らしやすいのでとても便利なのだが時間がわかりづらいという点において少しセラフォルーは不満を持っていた。

 視線を空から、下へと移動させていく。

 魔王ということもあって、望んではいないのだがそれ相応の屋敷を求められる。視線の先には美しい草木、そして手入れされている花があった。

 ──あの青い花綺麗だなー。

 しかし当の屋敷の主にはその美しさの機微がわかっていないのだが。

 なんとなく、視線をさまよわせていると見慣れた姿が視界に入ってきた。

 

 スラリとした体躯の男性である。

 しかし、その体はとても筋肉質であるのをセラフォルーは知っている。

 なんでも過去の出来事のせいで見た目上、筋肉が付きづらいらしい。彼はそのことを少し気にしているのだが、セラフォルーは実は嬉しかったりしている。筋肉をつけるのが嫌だというわけではないのだが、彼の鍛錬の仕方からして途轍もない筋肉が付くのは目に見えている。

 爽やかな顔にゴリゴリの体というのは何ともアンバランスになってしまう。

 今のままが一番好きだよと慰めたのは一、二回の話ではない。

 そんな彼は一人で今日もまた鍛錬をしていた。

 逆立ちを指一本で支えながら、指立て伏せをしている。思わずセラフォルーは自分の指を見て顔を渋く変化させた。

 ──よくできるなぁ。

 一回ぐらいなら自分でもと考え、やっぱり無理だと思い直した。折れるか、その前に体が地面にたたきつけられるだろうことが容易に頭に浮かび、苦笑する。指に体を持ち上げる力があったとしてもどういうバランスをしていたら、逆立ちをしていられるのだろうか。心底不思議に思う。

 ……それに彼は自分の重さ(、、)だけじゃないはずなのにとも。

 

 そんな彼をジッと見つめていると、彼は逆立ちをやめて辺りを見回して、すぐに視線のもとをつきとめたのかこちらと目が合った。視線の主がセラフォルーだと気づいた彼は微笑を浮かべながら、軽く一礼をした。それを見て、心が暖かくなるのを自覚した。寝起きにそれはずるいと毎度思う。

 しかしそんなことは微塵も表情には出さない。遠慮されて、格式ばった対応をされては困るからだ。魔王ということもあって、内心を隠すのは上手いのがこんなところで役に立つとは昔の自分は思ってもみなかったことだろう。

 セラフォルーは自室にある鏡に向かって、タタッと小走りしていき身嗜みを整える。自らが起きたということを知った彼は鍛錬中であろうが、自分に会いに来るということをこの五十年で知っているからである。

 人前で良く結んでいるツインテールではなく、実は彼が好きなポニーテールに髪を結び終わると同時に部屋にノック──大きすぎず、小さすぎない、ノックに関しては冥界一だとセラフォルーは認定している──の音が響く。

「入っていいよ☆」

「失礼します」

 執事の見本のような振る舞いの男──ライが立っていた。

「おはよ、ライくん☆」

「おはようございます、セラ様……休日だからといって寝すぎではありませんか? いえ、文句があると言うわけではありませんが」

 この言葉を聞くのは今日だけではなかった。休日の日はだいたい、このくらいに起きているので毎度このやり取りをして、いわばちょっとしたコミュニケーションである。

「うぅ……と、というかむしろライくん早く起きすぎだよ☆ 今日も朝早くから鍛錬してたんでしょ! ちゃんと寝たの?」

 自分と同じかそれより遅くに就寝したであろうはずなのに、自分よりもずっとはやく起きている。ちゃんと寝ているのか心配になる。

「しっかりと寝ていますよ。昔からの習慣ですから、キツイというわけでもありません」

 たんたんと言うので本当にたいしたことがないように聞こえる。

 事実、ライが昼間に眠そうにしているというような場面には出くわしたことがない。むしろ、自分のほうが眠そうなところを見られまくっている。

 ダメ押しとばかりに彼は言葉を続けた。

「……それに、あなたに相応しい強さになるためですから、むしろ楽しいですよ」

 セラフォルーはそう言われると、何も言えなくなってしまう。自分のために強くなろうとしている男を止めるのは女としてやってはいけないような、そんな気がするからだ。

 だが、だからといって自分の身を大事にしないような鍛錬はやめてほしいものである。なので、セラフォルーはこう返した。

「もうずっと前から、ライくんのこと認めてるよ。私だけじゃなくて、他のみんなもね☆ だから、もっと自分に優しくなろ」

 こう言ったのはライのためだけではない。彼の体が心配というのもあるが、なによりも……

 ──消えてしまいそう。

 そんな予感があるからこその言葉だった。

 

 微かにやわらかい顔をした彼は「ありがとうございます」とだけ言った。

 

 □

 

「……セラ様、魔王ともあろうかたがみっともないですよ」

「ん? なにが?」

 セラフォルーは何を言っているのかわからないというような返答をしたが、何のことかは理解していた。それは今、まさに口に咥えている食べ物のことだということくらい。

 だが、それを止めようとは一寸たりとも思わなかった。他の領ならともかく、自らの領ならそれくらいダラけてもいいかな、という思いからだ。

「まったく」

 止める気がないということに気づいたのか、あきれたような声でライは言った。と思っていたのだが、彼はポケットから一枚のハンカチを取り出して、セラフォルーに近づいてくる。

 せめてもの反抗のために、食べ物を加える力を強くしたのだが、彼の目的はそれではなかった。

「せめて、鼻についてるのは取ってください」

 そう言うや否や、ライは自らの鼻についていたクリームをハンカチで拭こうとしてくる。突然の行動に、一歩引きさがりそうになるがそれを見越して彼が一歩近づいてきたことにより、回避することはできなかった。

 優しく鼻にハンカチをあてるだけだったが、セラフォルーは目を強く瞑ってしまった。

「はい、だいじょうぶですよ」

「……」

 最近、よく感じるようになったのだが、ライの自分の扱い方がまるで小さい子供に対するようだなと。もちろん、ちゃんと敬意をもって接せられているのではあるのだが。そのおかげ──いや、せい──もあってか、距離は近くなったのだが、なんだか違うなぁと思ってしまうのはどうしてだろうか。

「あ! あれも美味しそうだよ☆ 行こ行こ、ライくん」

 しかし、美味しそうな食べ物があるからという理由をつけて、セラフォルーは考えることを放棄する。

「お金持ってるのは自分なんですから、先行しないでください」

 こうして一緒にいられるのだから、不満なんてものはまったくないのだ。

 

「これも美味しい☆」

 セラフォルーは見たことがない、食べ物を口に入れながらそう感想を述べる。自らの領内にあるといっても、全てを把握しているというわけではない。なので、たまに視察も兼ねての買い物での発見は彼女にとっても目新しくて楽しかったりする。

 そこで、セラフォルーは隣にライというか、彼の小言──口に物を入れながら喋らないでくださいね──がないのに気づいた。

 けれど、後ろを振り返ると、すぐに彼を見つけることができた。

 小走りしながら近づくと子供──ライに隠れるようにしていたので見えなかった──の姿が見えた。

 どうやら、迷子らしい。

「大丈夫かい?」

「……だいじょうぶ」

 そう言ってはいるが、半分ベソをかいているのを見るかぎり、大丈夫のようにはとても見えなかった。

 セラフォルーはどうしようか少し悩む。身近に子どもがいなかったこともあり、接し方がいまいちわからないのだ。口をもぐもぐと動かしながら、考えていたのだが結局魔法少女という方法しか思いつかなかったのだが、それをここでやるのはさすがのセラフォルーも躊躇いがあった。

 主が悩んでいたからなのか、自らが発見したからなのかわからないがライが先に動く。

 子どもと同じ目線になるためか、膝を地面につけた。

「自分の手を見ていてください」

 至極優しい声でライは子どもに話しかけた。視線は彼の言ったとおり手に向けられる。

 流れるように手を動かして、ライは指を鳴らした。

 そのことにやや驚いたような子どもの顔がセラフォルーには見えた。自分もまったく同じ気持ちだった。ライは何がしたかったのか。

 疑問に首を傾げた、セラフォルーはそらしていた視線を彼に戻して、気づいた。

 子どもと自分が驚いていた事柄が違うことに。

「これをどうぞ」

「わぁ!」

 ライはいつのまにかクリームたっぷりのお菓子を手に持っていた。それを子どもは嬉しそうに頬張っている。

 だが、セラフォルーの関心は今はそこにはなかった。

 ──いつのまに? 

 指を鳴らしたときは視線を外してはいなかった。少年の顔を伺うために少し目を離した以外は彼から視線をそらしてはいない。ならば、必然的にそこの間にライが何かしたということになるが……。

 彼は両手に何も持っていなかった。

「しつじさん、なにしたの?」

 食べ物をもらって少し落ち着いた、子どもからもっともらしい質問がやってきた。内心、その子どもにナイスと叫ぶ。

「魔法だよ」

 なんてことないふうにライはそう言った。そんな振る舞いに子どもが尊敬の念をライに向け始めているように見えた。

 けれど──

 セラフォルーはライに話しかけようとしたとき、遠くから子どもの親らしき悪魔が走り寄ってきた。

「あ、おかあさんだ!」

 少年もそれに気づき、走り出そうとしたがライに振り返った。

「しつじさん、ありがとう!」

「どういたしまして」

「うん! またね」

 子どもと母親は何かしらを話していたのが、一度こちらを向いて驚愕の表情に変わった。子どもは知らなかったかもしれないが、親の方は当然自分の顔くらい知っているだろうからだ。

 ──それにライ君もいるからかな? 

 

 気づいてからはペコペコと何度も頭を下げていたのだが、セラフォルーが手を横に振って構わないと合図したつもりだったのだが、うまく伝わらなかったようでさらにその速度を加速させる。困り果てたセラフォルーはライの方を見た。彼も承知とばかりに即座に行動した。

 したのはいたって簡単。

 人差し指を自分の口に当てただけ。

 ──と本人は思っているが、母親のその行動に思うところがあったのか、微笑を浮かべたのをセラフォルーはしっかりと見ていた。それには当然、母親も気づいている。その証拠に頬に赤みが増したように見える。

 舌を思わず鳴らしそうになるが、すんでのところで抑えた。これはけっしてライに対して、変な感情を持ったであろうあの悪魔に対する感情による行動ではない。彼女とその子どものために働いている夫に申し訳ないと思わないのかといういらだちからくるものだ。セラフォルーは首を前後に動かしながら、結論付ける。

「申し訳ありません。お手間をとらせました」

 中腰になっていたライはスッと立ち上がってそう言った。

「ううん☆ ライくん────優しいね」

「……あなたの眷属として恥ずかしくない行動をしたまでです」

「──そっか」

 セラフォルーはできるかぎり優しく言うように気を付けた。

 

 そんなとき、目立ちすぎたのだろう。

 周りの悪魔が自分達を取り囲んでいた。民衆に迷惑がかかると思い、若干の変装──魔法少女のコスプレ──をしていたのだが、先のやり取りでバレてしまったようだった。

「魔王様! いつもありがとうございます!」

「魔王様! 可愛い!」

「頑張って、まおう様」

 セラフォルーの周りにはやはり恐れ多いのか、若干距離が開いていた。

 ……のだが。

「執事さん! これ貰ってくれ!」

「あなた様のファンなんです!」

「いよ! 俺たちの星」

 過去のとある出来事のせいで、生まれが特別なものではないという事が知れ渡っているライは、揉みくちゃにされていた。

「ありがとうございます。ファンになってくれて、ありがとうお嬢さん。頑張ります」

 それに対して和かなまま、全員に対応しているライ。

 自分に群がっているヒトとライに群がっているヒトとでは彼の方が多い事に対してちょっと悔しかったりするが、それ以上に嬉しかった。

 ライが頑張ってきた事の証みたいなものであるからだ。

 密かな今日の目的を達成してご満足なセラフォルーだったが、あまりにもヒトのせいで二人はかなり距離が開いてしまった。

 それこそ、視界に映らないくらいには。

 

「──ライくん」

 だから、そう小声で彼の名前を囁いた。別に本人に届くとは思っていなかった。さながら、迷子の子供が無意識に母親の名前を呼ぶのと同じようなモノだった。

「──何ですか、セラ様」

 だが、ライは来た。

 聞こえている訳がない距離であった。あったにも関わらず、ライはセラフォルーの側に一瞬で移動して来ていた。

 セラフォルーの呼び声──いや、来て欲しいという思いが通じたかのように。

 ただ、側に来た。たったそれだけの行為のはずなのに、セラフォルーの胸はとても暖かい気持ちで溢れていた。

「ん☆」

 無性に抱きつきたい気分になったので、それを実行する。

「どうしたんですか?」

 ライは抱きつかれたにもかかわらず、眉ひとつ動かさず冷静にそう問いかけたのだが、周りのヒト達はそうはいかなかった。

 ──ヒュー! 

 辺りからそんな口笛やら何やらが響き渡ってくる。

 少女──見た目だけ──が青年に抱きついた。事情など微塵も知らないが、観衆は色恋沙汰だと勘違いをしてしまった。

自分の顔がとても熱くなっているのを自覚した

それを見てライは何を思ったのか、セラフォルーのことを横抱きにしてその場を空高く跳んだ。そして、瓦で出来ている屋根に軽やかに着地する。自分の頭が彼の胸にかすかに当たっているせいなのか、彼の鼓動がよく聞こえる。

ライは民衆にペコリと一礼して、再び跳んだ。

「……セラ様」

「どうしたの?」

「すみません、ただ呼びたかったので呼んでみただけです」

少しの沈黙の後、彼はそう笑いながら答えた。




読んでいただきありがとうございます!

前章とは文章の書き方や漢字の使い方を少し変えました──というか前がおかしかっただけなんですが。
次もすぐに更新できるように頑張ります。


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魔王の眷属2

補足説明。
ハイスクールD×D hero のBD特典だったと思うんですが、そこで過去の物語が語られるものがありました。そこでセラフォルーさんはソーナが生まれる前は喧嘩っ早くて口調が荒いという設定と明らかになりました。
私はふぁっと思いました(笑)

ですが、今セラフォルーさんは魔法少女に出会っているのがずれていたり、大事な存在の出現によりいろいろ違います。

また、上記のの理由によりイベント1を改正しました。(本筋には関係ないので読まなくてもok。


 ライと何気ない日常をすごした次の日、セラフォルーは彼を連れて首都リリスへと訪れていた。魔法少女の恰好──ではなくしっかりとした正装で。これは、私室からいたって何でもないように出てきたセラフォルーをライが引き止め、そして長時間説得したことで渋々、着させられたものである。

「もう、ライくんのせいで時間ぎりぎりだよ☆」

「……なら、ちゃんとした服を着てください」

「でも、ライくんがありのままでいいって言ってくれたんだよ」

 ライは額に手を当てた。

「わかりました」

 セラフォルーはどうして急にライのテンションが下がったのかがわからなかった。けれど、自分の中で都合よくとらえた。

 ──今度からは魔法少女の服でいいってことかな☆

 軽くステップを踏みながら、そしてその後をなぜかどんよりとしたライが歩きながら目的地へと進んでいった。

 

 セラフォルーはもう少しで到着というところでとある悪魔から声をかけられた。

「やぁ、セラフォルー。久しぶり……と言ってもいいかな」

 紅い髪をのばした青年悪魔──サーゼクス・ルシファーだった。ちらっと彼の後ろを見ると、あの女──グレイフィア・ルキフグスもいた。魔王同士の邪魔をしないためか声には出さなかったが、セラフォルーに向かって小さく頭を下げてくる。おそらくは自分の後ろにいるであろうライもサーゼクスに頭を下げていることだろう。

「おはよう、サーゼクスちゃん」

 ライと会話しているときより、声音を三段階くらい低くしながらセラフォルーは挨拶を返した。

 別に、嫌いとかそういうわけではない。

 ただ、一時期やんちゃな時期に喧嘩を売りまくっていたので若干気まずいのだ。簡単にいうと、いまいち距離をつかみかねている。当のサーゼクスも常にニコニコとしているのも会話しづらいことに拍車をかけているので自分だけのせいではないとは思うのだが。

 うんうんと勝手に納得しながら、歩いているとふと気づく。すぐ近くにサーゼクスがいるのだ。具体的には肩がくっつきそうなくらい近く。

 前々から距離が近い男だと思っていたが、ここ数年はそれがやけに顕著なような気がする。というか近い。

 ライの前であるし、やめてほしい。

 ──あれ、何でライくんのこと考えたんだろ。

「サーゼクスちゃん、近くない?」

「なに、君とも仲良くしたいとそう思ってね」

 ふーんと言いながら、セラフォルーは二歩ほど横にずれる。こういう明るい性格の悪魔の距離の取り方はなかなか独特で自分には心底あわないなと思う。仲良くなりたいときは、だからこそ一定の距離を保つべきだと。

 そういうところもライは優れている。

「それで、今日はどんな理由で私たちを集めたの」

「雑談を……おっと、ちょっとした冗談だよ」

「それで?」

「あぁ……いや、まずはふたりと合流しようか」

 サーゼクスの視線は今日の集合場所であり、会議場所に向けられていた。

 

 すでに室内にはふたりの魔王が椅子に腰かけていた。

 アジュカ・ベルゼブブ。それにファルビウム・アスモデウス。

 どちらも男性であり、冥界屈指の実力者でもある。特にアジュカ、そしてサーゼクスは実力が飛びぬけている。セラフォルーが本気を出したところで手も足も出ないと思わせるほどに。

「セラ様、お二方とは初対面なので挨拶をしたいのですが、よろしいですか?」

 セラフォルーの思考を途中でさえぎるように、背後から声がかけられた。

 ──そうよ、ライくんがいるんだからお淑やかに、うん。

 一呼吸いれて、彼の理想の魔王の顔になる。

「アジュカ……さん、ファルビウム……さん。少しいいですか?」

「……さん?」

 今まで、普通に呼び捨てにしていたけれど、ライの前なので敬称をつけたのだがアジュカには不審に思われたかもしれない。

 こほんと一度咳払いをして、注意をセラフォルーに向けさせる。

「私の眷属を紹介します」

「初めまして、ベルゼブブ様、アスモデウス様。セラフォルー・レヴィアタン様の女王──ライと申します。お会いできて光栄でございます」

 セラフォルーの隣まで歩いて、ライはそう言った。のち、浅いけれど失礼にならない深さの礼をする。

 アジュカはほうと値踏みの視線を送る。

 彼に見られる。

 それの意味を知っているのかライは体に少し力が入ったように見える。

 数秒見た後、一言つぶやいた。

「おもしろいな」

 ライの表情は困惑へと変わった。それはセラフォルーも同じであった。いや、事情を知っているぶん、セラフォルーのほうが度合い的には大きかったのかもしれない。

 天才の例にもれず、アジュカという悪魔も変人である。物を作ることに自分のほとんどをつぎ込んでいるような悪魔で、それですら作り終わったものについてはどうなろうと知ったことかというような奴である。興味をもつのは他者が作ったおもしろい技術品、もしくはサーゼクスのことくらいであろうか。

 そんな彼がおもしろいとライを評価した。

 どういう受け取り方をすればいいのか、セラフォルーにはわからなかった。

 

「さて、挨拶も済んだところで会議に移ろうか」

 やりとりを見守っていたサーゼクスが頃合いだと思ったのか、口をはさんできた。

 等間隔に配置された椅子にそれぞれの魔王が座り、その後ろに各女王が立つが──

「それとたまには魔王だけで話したいんだ」

 暗に女王は出ていけとサーゼクスは指示した。それにいち早く、応じたのが彼の女王であるグレイフィアだった。

 セラフォルーはライの方を振り返り、頷いた。ライは一瞬悩んだようなそぶりを見せたが、すぐに頷き返してくる。そして、ちゃんとしといてくださいよというような目線を送ってくる。

 それにセラフォルーは頬が緩みながら、送り返す。

 ──任せてよ☆

 けれど、それは通じなかったのかやや心配そうな表情でライはこの部屋を後にした。

 残るふたりの女王も部屋から退室し、この部屋には魔王しかいなくなった。

「それで、サーゼクス。今回の議題はなんだ?」

「その前に世間話でもしないか?」

 またかと思って、セラフォルーが口を開こうとする前に、アジュカが声を発した。

「どうでもいい……と普段なら言うところなのだがな。セラフォルー」

「……何」

「彼をどこで拾ってきた」

 彼が誰を意味しているのかはすぐにわかった。というか犬を拾うみたいな感覚で言わないでほしい。

「まぁ。ちょっとした伝手からね。あぁ、もとはサーゼクスちゃんのところにいたんだったわね」

「私の所有している屋敷で働いていたんだ」

 サーゼクスが補足してくる。アジュカは顎に手をあてて何かを考えているようだった。

「アジュカ、彼の何が君の興味を引いたのかな?」

「……わからない。いや、上辺の部分は俺には見えた。君のあれとかな」

 さすがにアジュカには見えてしまっていたか。セラフォルーの施したものは彼にはバレバレだったようで少し悔しい。

「だが、中が──」

 そこでアジュカは話すことをやめた。セラフォルーも知らない──ライ自身も知らないだろう──ことなので気になるのだが、彼はもう話すような雰囲気ではなくなっている。

 舌打ちのひとつでもしたくなる。

「ライといえば、この前のあれはすごかったね」

 代わりとばかりにサーゼクスが口を開いた。彼が言うあれとはおそらくあのことだろう。

 

 □

 

 ──これは、冥界全土が知っている話だ。

 セラフォルーはライを自らの女王に据えたのだが、しばらくの間はこのことはほんの数人しか知らない秘密にしていた。

 理由は簡単で、ライが納得していなかったからである。

 あのグレイフィア強襲事件──セラフォルー命名──の後、彼は表面上は落ち着いていたがかなりショックを受けていた。

 そして傷が癒え、一つの願いを彼は言った。

「──────」

 それをセラフォルーを受け入れた。

 

 初めての経験でこちらも痛かったけれど、なんとか上手くいった。

 

 それから三十年ほど経ち、セラフォルーは冥界全土に自らが女王を選んだことを報告した。偽りのないまますべて説明したのだが、それが全ての始まりだった。

 セラフォルーは比較的、魔王の中ではまともな部類と思われていた。いろいろ頭のおかしい紅いの、自分勝手な技術者、怠け者。

 このメンツであるので当然と言えば当然なのかもしれないが。

 そんなこともあり、他の駒はともかく女王の枠にはそれなりの地位の悪魔がつくと誰もが思っていた。魔王の眷属になれるというのは名誉なことであるのだが、他三人の魔王は個人的な事情で選んでしまっていた。

 ならば、他は仕方ないにしてもセラフォルーのところぐらいはちゃんとした家系の奴をいれるべきだろうというなんとなくの思惑があったからだ。

 しかし、そこには名も知られていない下級悪魔が枠を奪ってしまった。

 貴族階級の悪魔は猛反発した。

 そのほとんどは下級に栄誉ある魔王の眷属に慣れたことへの嫉妬であることは明白ではあったが、何はともあれその反発は半端ではなかった。

 セラフォルーは反対する悪魔の意見を長い間、無視し続けた。こういうのは時間が解決してくれるものだと思っていたからである。のだが、それとは逆に反抗は強まっていく。誰かが裏から糸を引いているのではないかと思うほど、ひどくなっていった。

 当初はライへの文句が占めていたのが、時間が経つにつれセラフォルーへの不信の声が広まっていくようになった。これでもなお、セラフォルーは何かをしようとは思っていなかったのだが、ライの我慢の限界がやってきた。怒ることのない彼がとても冷たい目をしていたのを今でも覚えている。

 ライは反発している悪魔たちを集めて、ひとつの取り決めをした。

 ──決闘をしましょう。それに自分が負けることがあれば、女王の座から自ら降ります。

 爽やかな笑みさえ浮かべながら、彼は集まった悪魔たちにそう告げた。

 そんなことを言うとは露ほどにも思っていなかったセラフォルーは、屋敷に戻ったあとに激怒した。自分でも怖いなと思うほどに怒っていたような気がする。

 けれど、彼はいっさい謝らず、こう言った。

 ──セラ様が貶されるのだけは耐えることができませんでした。

 ──自分より大事なものができたのはこれが初めてなんです。

 ──それに、あなたの前では自分は負けませんよ。

 あーとかうーとか言いながらセラフォルーはぽかぽかとライを殴った。

 

 決闘は冥途全土で放映することになった。これは相手貴族の連中が提案したことで、ここの会場に来れなかった悪魔にも観てもいたかったとのこと。魂胆が丸見えで反吐が出そうであった。

 決闘に参戦する悪魔の総数は百は軽く超えていた。主に貴族やその眷属の強者。

 さすがに常識は備えていたらしく、大勢対一人で決闘を行うということにはならず、一対一を百回行うことになった。連続で。

 常識があると言ったのはどこの誰だったのだろう。

 下馬評は圧倒的に貴族側が有利、もしくは試合にならないとさえ言われていた。これを信じていなかったのはとある四人だけだった。

 

 手柄を得たいからなのか、侮っているのかは定かではないが、一戦目は誰もが志願して戦おうとした。ライはそれを黙って見守っていた。

 大分時間がかかった後に対戦相手は決まった。いかにもなめくさっているようなのが初戦でセラフォルーは少し安心した。先は長いのだ。体力の温存はできたに越したことはない。

 試合の開始の鐘がなる。

 相手は動かない。ライのことをなめているからこその行動だと思われる。たいして、彼はそれを見るやすぐに動く。

 二歩。日常の何気ない日の散歩のごとく歩いた。

 呑気なやつと思われてしまいかねない動きだった。

 そう思っていたら、ライは敵まで急接敵していた。なんてことはない、身体能力の賜物であるが、その速度差によって油断していると絶対目が追い付いていかない。

 驚いた敵がのけぞった隙に、再び加速して懐に入り込み、えぐりこむように拳を腹にいれた。おもしろいように飛んでいき、壁にぶつかって動かなくなる。

 セラフォルーこそが最もいかに成長したかがわかる悪魔だと自負している。三十年前と比べて、変わったのは大きく二つ。

 一つは身体能力。毎日、暇があればトレーニングをしていることの成果がようやく実を結び始めた。身体能力は今の状態でも上級悪魔のトップクラス──に勝てるレベル。最上級悪魔には一歩届かないといったところである。

 これだけ特訓を積んでこれだけしか強くなれないことに彼は自らのことを才能がないと嘆いていたが、セラフォルーからしたらまったくそうは思わない。

 所詮は下級悪魔。その認識は今の一撃とともに砕け散った。

 

 十戦やっていまだにライに攻撃を与えることはできていなかった。

 やっていることはそう難しいことではない。見て避けて、懐に潜り込んで殴る。ただ、それだけなのに、倒せない。

 いや、避けるにしても攻撃するにしてもライの動きはなめらかすぎる。いかにして自分の体を上手く動かすか、どうやったら攻撃にいちばん力が載るのか熟知しているかを的確につく技術が伴っている。

 ──違うかもなぁ。

 けれど、それを習得したのはそういうことのためではないような気がするセラフォルーだった。

 三十を超えて誰かが言った。

 ──そいつ魔力使えないんじゃないのか。

 ライは確かに一度も魔力を使っていなかった。そのことにある程度の信憑性を持った決闘者たちは試合開始とともに勢いよく後ろに跳び、距離をとりながら遠距離からライを攻撃し始める。

 さすがに魔力弾の弾幕を張られてしまうと攻撃を受けないというのは難しい。避ける隙間を作るために最低限の数弾き飛ばさなければいけないからだ。

 それによって、微少ながら体に負担をかけてしまう。ライはこれから先もまだまだ戦わなくてはいけないのでその程度の負担ですらしたくない場面。

 よって、魔力が使えるのなら魔力を使うタイミングというのは相手の予想通りであった。しかしライは魔力を使わなかった。

 

 使えなかった(、、、、、、)

 

 数度魔力弾をくらったところでライは平気な顔で立ち向かう。しかしそこに突破口を見出したのか、皆そろって同じような戦い方にシフトし始める。それも相まって、なかなかすぐには倒せなくなってきていた。

 五十を超えて疲労が出始めたのか、ライの息がやや乱れてくる。そして運悪く──もしかしたら作戦だったのかもしれないけれど──固有能力の上級悪魔が増えてくる。

 爆破。氷結。雷。岩石。炎。

 前半は上級悪魔の中でも低レベルの者たちだったのが一気にレベルが上がってくる。普段のライならなんなく倒せる相手だが、疲労もありすぐには倒せず試合が長引いてくる。

 

 残り人数はまだ五十以上。セラフォルーは自らの手をぎゅっと握りしめていた。

 ライは真正面から立ち向かった。何度被弾しようと足を止めることなく。

 七十を超えて、相手の本来戦う予定のなかった上級悪魔の中の強者が出始めた。

 このあたりから、接近戦の悪魔も出始める。インファイトに自信のあるものたちなのだろう。

 遠距離に対応していたことや、そもそも強者との戦闘経験のないライは苦しみ始める。

 しかし、見に徹することで時間を稼ぐことでなんとか凌ぐ。そして、ライには一度した動きを再現することができる頭と器用さがある。よって二度同じ攻撃は通じない。相手の攻撃をトレースすることにより時間と体力を使い、そして怪我を負うことによって勝ち進んでいく。

 

 セラフォルーは思わず口から悲鳴が出そうになった。

 怪力に優れた一族の悪魔による一撃がもろに体に入ったからだった。この戦いのなかで最も重い一撃が入ったことは明白であったが、ライは即座に反撃して相手を倒す。

 ──頑張れ! 

 セラフォルーはここでようやく気がつく。会場がライを応援していることに。決闘開始時は声援なんてものはなかった。

 しかし、今はどうだ。

 ほとんど全ての悪魔が彼を応援しているように見える。

 ──君のひたむきな行動がみんなを変えたんだ。

 彼らにならい、セラフォルーも声を出した。

 

 体に掠った魔力弾により、血を流し。直撃したものにより火傷を負う。剣に体を切り裂かれ、骨を折られる。

 けれど、それでもなお勇敢に立ち向かう。

 百を超えて、体からの出血が常に垂れ流され続けている状態に。けれど、彼は堂々と二本の足で立ち相手に向かい合った。

 走るたびに血が宙を舞った。決して綺麗なものではないはずの血液がこの時だけはどんな絵具より綺麗なものに見えた。

 宙を画用紙に絵を描く画家のように。

 

 最後に舞台上に立っていたのは、ライだった。

 会場からは歓声が沸く。

 セラフォルーは見守っていた場所から飛び降りて、ライに駆け寄った。満身創痍という言葉がまさに当てはまるほどにひどい状態だった。こうして立っているのが不思議なくらいに。

 すぐに医務室に連れて行こうとしたのだが、その前にライが片膝をついた。そしてセラフォルーの手の甲にそっと口づけをした。

 ──セラフォルー様、自分はあなたのことを終生お守りすることをここに誓います。

 ──えぇ。よろしくね、私の王子様(クイーン)

 




補足二回目。
少し前の話でセラフォルーさんがグレイフィアさんに魔法少女の服装をつくるために材料の売り場を訊くという場面がありましたが、セラフォルーさんは当てがなかったので、仕方なくグレイフィアさんにききにいきました。

セラフォルーさん視点だととてもいい話だな。


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魔王の眷属3

ハイスクールD×Dのソシャゲにグレイフィアさんのカードが今出ているのですが、とても美しいです。

やっと主人公の三人称視点に戻れました。ここからが本格的に二章の始まりです。


 部屋から出たライはすぐに確認をした。もちろん、グレイフィアの居場所のだ。

 眼球だけを動かして、瞬時に見る。

 グレイフィアは退出した部屋の扉から少し離れたところで立っていた。いつ魔王たちが出てきても対応できるようにとの考えからだろう。ついでに他の女王の動向も探ってみるが、ふたりとも隣の部屋に行ってしまった。そこは小さい会議室のようになっているので、そこで待っているつもりなのだろう。

 自分はどうするかを考えて、即座に対応する。

 選んだのはもちろん扉の前で待つほうだった。何年かぶりの二人きりになれるチャンスなのだ。ここで引くのは悪手に他ならない。

 ライはグレイフィアとは十メートルほど離れた場所に立った。近すぎると警戒されて話しなんてできないのはわかっているからだ。

 ──あぁ、ほんとやっちまったよなぁ。

 あのとき、変なことをしなければもしかしたら今頃はお役御免になっていたかもしれない。ライもしたくてやってしまったわけではないのだが、後悔の気持ちでいっぱいだった。

 ライは頭を一度横に振って、意識を切り替える。

 今するべきなのは、グレイフィアとまた仲を深めることだ。そのための思考をしろ、と自分に言い聞かせる。

 

 まず大事なのはなんて声をかけるか。

 普通の挨拶では無視されるか、頭を下げるかくらいの反応しかしてくれない。相手が話す気がないので、それ以上会話が続かない。しつこく粘ったりなんかした日には下心があるのに気づかれてしまうだろう。

 なので条件としては、グレイフィアが声を出さざるを得なくてそれでいて普通の会話である。この状況においてはこんなことですらとても難易度が高い。

 ライはセラフォルーからも認められているその頭脳をフル回転させる。

 時間はそう残されていない。なぜなら十分以上沈黙が続いてからの会話というものは、誰でもぎこちないものになってしまう。それは話し下手であり友達がいないグレイフィアの場合、顕著である可能性は高い。

 残り一分。それまでに最適解を見つけなければいけない。

 ライは目を瞑った。真っ黒な世界が広がる。グレイフィアの思考をトレースすれば自分には達成可能なミッションだと思い込んで、考えを巡らせる。

 そして、そのときがやってきた。

「グレイフィア様……サーゼクス様は体調を崩しているのでしょうか?」

 言ってからライは唾液を音がしないように飲み込んだ。

「…………どういうこと?」

 しばらく考えを巡らせたのであろうグレイフィアは何拍かおいて訊き返してくる。声が聞けたことに内心、狂喜乱舞しながら表情筋を引き締める。

「いえ、ここに来るまでの間、後ろで観察していて気づいたのです。サーゼクス様の体の重心が平常時よりややずれていることに」

 

 ──……無論、そんなことに気づけているわけねぇのである。

 歩いている途中でサーゼクスの異変に気づけるほど、ライは彼のことを知ってはいない。

 かといってこれが嘘になるわけでもないとライは踏んでいた。セラフォルーの仕事を押し付けられてわかったことであるが、魔王の仕事は尋常でないほど多い。こんなの魔王がやる必要なくないかと思うことは日常茶飯事だ。

 セラフォルーでそうならば、サーゼクスもそうであるはずなのは明白。なら、疲労がたまっていてもなにも不思議ではない。部下に仕事を放り投げるような鬼畜では無ければの話ではあるが。

 それにまったく疲れていない場合でも問題はないはずだ。

 おそらくこの話を信じてもらえたのなら、グレイフィアはサーゼクスに体調は如何かと訊くだろう。そうしたのならあのサーゼクスのことだ、爽やかな笑みを浮かべて平気さとかなんとか言うに違いない。しかし、そんな言葉はむしろ説得力の欠ける言葉になる。

 最終的にグレイフィアは疲れているのだと判断して、ライの言葉に感謝──できればお礼の一つでも言いに来てほしいがそれは高望みしすぎ──すること間違いないだろう。

 

 ここでの問題はグレイフィアがサーゼクスの体の重心とか何とかを把握することのできる知識を持っている場合だ。そうなったら、ライの嘘はすぐにばれてしまい、信用も今よりも下がるだろう。

 その点についてライも考慮しなかったわけでない。けれど残されている時間もそうあるわけではないので、いまの停滞している状況からすぐにでも抜け出す必要があった。

 ある程度のリスクを負わなければ、リターンを得られるわけがない。だからこその曖昧な嘘だった。

 

「──」

 顔は扉の方を向きながら、考えているようだ。今の話が本当かどうか。いや、それに気づけなかった自分を責めているという可能性もなくはない。

 ダメ押しとばかりにそれっぽいことを言ってみる。

「サーゼクス様は常に美しい姿勢を維持しておられる方なので、それがずれているというのは何か外的要因があると思ったのですが……」

 少し深刻そうな顔をすることで、話の信憑性をあげれるようにした。

 いつかの百人抜きよりよほど緊張して、手に汗をかいている。

 成功か失敗か──

「そう……後で訊いてみるわ」

 こうして、二人の間での言葉のやり取りは終わった。

 これを会話と呼んでいいのなら、まる五十年ぶり以来のことだった。声を聴けただけでなく、会話することもできた。予想外すぎるが最高の結果に終わってライの鼓動は尋常でないほど動き続けている。

 鼓動を身体操作で鎮める。これくらいの出来事で動揺しているようでは、あの関係に戻るのなんて不可能だ。

 横目でグレイフィアを見てみるがにこりともしていない。

 けれどこれは大きな前進だ。

 

 かなり後退したけれど、まだ前に進める。そう思って一安心しているところに突然水を差された。

 一般悪魔だろうか。足音が近づいてきていた。

 この場所は知らないでこれるようなところではない。確実に魔王がいるとわかっていて接近してきている。すわ戦闘かと思い、来ている方向へ体を向ける。グレイフィアも気づいたのだろう。侵入者の方に注意が向いていた。

 近づいてきてわかったが、その悪魔は息をかなり乱していた。長距離走ったのだろうか。距離にもよるが走っただけで息を乱すようなやつが強いわけがない。ライはやや危険度を引き下げる。

 その悪魔はふたりの存在に気づいたのか、ペコペコと頭を下げながら走ってきた。

「あの、緊急の伝令です。魔王様に謁見をお願いしたいのですが」

 止まるや否や、すぐにそう切り出してきた。

「魔王様方は大事な会議中です。その間は何者も入ってはいけないと言われています」

 グレイフィアはたんたんと告げた。

「でも緊急なんです!」

「では、自分たちに一度話してくれませんか。それでその件を今すぐに話すかどうかを判断しますので」

 このパシリっぷりは若き日の己を見ているようで、心が痛んだライはフォローに回った。そんなこととは露知らない悪魔は救世主来たりという顔を向けてくる。

 微笑みながら、話をしろと促す。

「私は辺境の──本当に辺境の場所にある家を持つ下級悪魔です……」

 グレイフィアが手を出して話を止めた。

「どうしてここにたどり着けたのですか。ここは場所を知らなければ来ることのできない術がかかっている場所です。どうやって?」

「そのお恥ずかしいことですが、私は都市に来たことなどなく、通行人に魔王様の場所を訊いたところ、この場所にいると言われたので来た次第です」

 この場所は途中の道から認識阻害の術までかけられている。ここに入ることを見られることはありえない。なら、その通行人はどうやってこの場所を知ったのだろうか。

 その通行人については怪しいことこの上なかったが、目の前の悪魔は一般人のようなのでその話は後で訊くとして、ひとまず話を続けさせるように言った。

 悪魔はうなずいて続きを話し出した。

「私は小さい畑で農業をして暮らしているのですが、ここ最近おかしなことが続いていているんです。畑の物が盗まれていたり、地面がえぐれていたり」

「そのくらいなら、どこにでもあることです。近くの子供がいたずらでもしたんじゃないんですかね」

「いえ、私もそう思いまして近くを探ってみたんです。そうしたら……」

 その悪魔は急に体を震えさせる。何かに怯えるかのような反応にライは困惑する。

「何があったんですか?」

「……」

 怖がっていてなかなか話してはくれない。じれったいなと思うものの、世間には優しい悪魔として通っているライはせかすということはしたくなかった。

 代わりにグレイフィアが脅す。

「それで?」

 語気を強くしたわけでもないが謎の迫力に悪魔も震える相手が変わったように見えた。

「え、あっと…………龍──ドラゴンをみ、見ました」

 思ってもみなかった言葉にライは驚きを隠せない。

 ドラゴンはどの個体もかなり強いと言われている。あの伝説上の赤い龍、白い龍はもちろんのこと下級のドラゴンですら一般の悪魔では手も足も出ないだろう。

 それが本当の話ならば。

「ドラゴンは確かに恐れるに値する存在です。しかしあなたが見たのは本当にドラゴンなのでしょうか? そのほとんどは魔王様や堕天使、天使によって封印、もしくは殺されています。この冥界に存在しているとはとても思えません。ドラゴンに似たものと間違えているのでは」

 冥界に存在している脅威になりうるドラゴンは悪魔も馬鹿ではないので全て把握している。ならば、外からの可能性という線も考えられなくはないが、それも極低いものだと想像できる。冥界は他の空間とつながっているわけではない。飛んでこれるということは絶対にありえない。悪魔の手助けかもしくは人間界に存在している優秀な魔術師の力が必要だ。

 しかし、悪魔側ではそのような申請はされていないので可能性はない。また、秘密裏にドラゴンを搬入していたとしたら、あまりにも管理が杜撰すぎる。確実に見つからないような場所で隠してもいいはずだ。

 そして、人間がやったとしてもドラゴンを冥界に放って何がしたいのかという話になる。いずれ退治されてしまうのは明白だ。そんなことをする理由は少なくともライには思いつかなった。

 そういった理由から、ドラゴンの可能性は低いと思った。

「いえ! あれは絶対にドラゴンでした! 本当です! 信じてください」

 けれど、その悪魔は頑なにドラゴンだと主張してくる。ライは顎に手を当てて、悩む。個人的にはドラゴンではないと思っている。

 しかし、それを目の前の悪魔に話したところで信じてくれないような気がするのだ。なぜなら、彼は実際に見たのだから。

 どうするのか悩んでいたライとは違い、グレイフィアは考えが決まったのか移動し始めた。

 魔王がいる部屋へ。

「グレイフィア様、良いのですか?」

 その背中に問いかけるが、ライの返事はまるで聞こえていないかのように無視される。

 ノックをしてグレイフィアは部屋の中へ入っていった。

 ライは部屋の中には入らずにその場で待つことにした。説明なら彼女ひとりだけで事足りるだろうから。

 数分経ったときに、再び部屋の扉は開かれた。

 出てきたのはサーゼクス、グレイフィア、そしてセラフォルーの三人であった。

「サーゼクス様、会議中申し訳ありません」

「構わないよ。それにしてもどうしようかね」

 どうしようかとは言っているが、困っているようにはまったく見えない。いちおう、この相談に来ている悪魔からしたら死活問題なので真剣に考えてもらいたいのだが。

「セラフォルー様、どうしたらよいと思いますか?」

 こういうときはセラフォルーに意見を求める。いい意味で彼女は何も考えていないので話が進展しやすい方向に持って行ってくれるからだ。

「うーん、そうだな……とりあえずそこに行って確かめてくればいいんじゃないかな☆ ドラゴンでもなんでもいたらいたで話し合いでもなんなりすればいいし、いないならいないでいいじゃない?」

 まぁ、それが一番解決が早そうではある。

「わかりました。ではそれでいきましょう。ということでサーゼクス様、自分はこれから彼がドラゴンを見つけたというところに行ってまいります。会議を抜けることになってしまいますが、ご容赦ください」

 初めから席をはずせと言われていたのだから、構わないだろう。護衛という点に関しても、セラフォルーにはほとんど必要がないようなもであるし。

「えー、ライくんが行っちゃうなら私も行こうかな」

 セラフォルーがいつものノリでそんなことを言い出した。

「セラ様は会議中じゃありませんか。自重してください」

「む、ケチ」

「申し訳ありません。それと移動の魔法陣を出してもらっていいですか」

 セラフォルーは文句がありそうな顔をしているが、渋々納得してくれたようで、指を鳴らして魔法陣を出してくれた。

 それに入って、転移しようとしたとき、サーゼクスに呼び止められる。

 

「ライ、グレイフィアを連れて行ってくれ」

 突然の提案にライは固まる。

「どうして、サーゼクスちゃん」

 自分も疑問に思ったことをセラフォルーが訊ねてくれる。しかし先ほどまでの和やかな雰囲気は消失してしまっていた。

 セラフォルーは怒っているように見えた。

「捜索するのなら手が多いに越したことはないだろ?」

「見かけた場所に行って少しその周りを見て回るだけで事は終わる話でしょ。ライくんだけで十分よ」

「もし、本当にドラゴンがいたとしてもかい?」

 セラフォルーは言葉に詰まった。

 万が一、本当にドラゴンがいた場合、強さにもよるが今のライでは苦戦は免れないかもしれない。

 セラフォルーはこちらに目線を送ってきた。それに対して、首を横に振って答えた。

 ──まだ、早いですよ。

 それでもなお、セラフォルーは納得してくれはしなかった。

「なら、私が行くわ。会議なんて三人もいれば十分でしょう」

「それはダメだ。この後、大王と会う予定になっているからね」

 セラフォルーは小さく舌打ちをした。彼女がなぜそんなに賛成してくれないのかがライにはわからなかった。

「なら、私の眷属を今から呼ぶわ。それなら……」

「セラ様、自分の目を見てください」

 真正面から彼女の目を見た。

「大丈夫ですよ」

 そこに含まれる意味は多岐に及ぶ。

 グレイフィアの危険性の無さや、自分から彼女に喧嘩を売ったりしないことなど。

「むう、ライくんはなんにもわかってないからそんなこと言えるんだよ」

 セラフォルーはため息を吐いた。けれど、先ほどまでの剣呑さはなくなっていた。

「大王との話しが終わったら、すぐにそっちに行くからね」

「えぇ、お待ちしています。我が王」

 普段は言わないような言葉を使って、少しからかってみる。そうしたら、完璧にいつもの魔法少女のことしか考えていない彼女に戻った。

「では、グレイフィア様。ご一緒していただいて構いませんか」

「魔王様の命令に異を唱えるつもりはありません」

 そうして、ライとグレイフィア。そして張本人の悪魔はドラゴンがいるという地へ転移した。



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