COLORLESS (AASC-LEVEL:0)
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1

 設定が似てて面白いからね。仕方ないね。レイシアすこすこのすこ。


 まどろみの中、アラトはいつも二つのものを夢に見る。

 

 一つは室内を埋めて膨れ上がる、紅蓮の炎だ。世界そのものが燃え上がったように、炎の赤と炭の黒で視界が塗り潰されていく、悪夢だ。

 

 もう一つは、彼を見上げて尻尾を振る白い仔犬の思い出だ。

 全身に大火傷を負い、彼は入院した。病院は鼓動すら感じないほど静かで、時折しか会いに来ない家族のことがしょっちゅう思い出された。どうしようもなく寂しくなると、事故に巻き込まれたという事情も考慮して、色相を濁らせないための薬が打たれた。

 

 強力な精神作用をもつ薬と、鎮痛剤。二つの薬を併用したとき、アラトの世界はとても静かになった。

 

 その寂しい世界に、その仔犬は現れた。

 

 「この子が、アラトくんとお友達になりたいって」

 

 顔を覚えていない、若い女性の看護師がそう言った。

 

 かわりに、犬の甘ったれた仕草は覚えている。頭を撫でると、短い前足を動かして顎のほうを撫でるように催促してくるのだ。ふわふわした毛玉みたいな尻尾を千切れそうなくらい振り回して、跳ねるように駆けてくる。アラトは、すぐに向精神薬が不要になった。

 

 アラトの色相がクリアカラーに落ち着いてから何日か後に、同じ看護師に連れられてきた同い年の男の子のことも、アラトは鮮明に覚えている。

 痩せて手足の細かった彼を、病人のようだと思った。口をきつく引き結んだままの彼にどう対応していいか分からず、ただぼぅっと立ち尽くしていた。看護師のひとも、ただニコニコと笑うだけだった。犬だけが興奮して、どちらと遊ぶのか決めかねて、跳ね回っていた。

 

 「すごい楽しそうだね」

 

 静かな世界の中で呟く。今よりもっと静かな世界で、この犬はやっぱり楽しそうで、その動きに、人間ではない"もの"の動きに、アラトは救われた。

 

 自分もこうして楽しそうにしていれば、世界までが楽しくなるのだろうかと思った。

 

 アラトのこころは、人間の心理状態を解析する超高度AI《シビュラ》によって、健全であると判断された。だが、肉体の方は、人間の医者に、依然として鎮痛剤の服用を勧められる身だった。包帯でぐるぐる巻きの腕を伸ばすのは冒険だった。

 

 それでも、静かな世界を壊してみたかった。

 もっと、いい世界にしたいと思った。

 だから──手を伸ばした。

 

 「ぼく、えんどう(遠藤)アラト」

 

 アラトは、痛みに対するものだけではない勇気をもって、踏み出した。

 

 「ぼくと、ともだちになってよ」

 

 

 ◇

 

 

 「暑いな。まだ四月だってのに···」

 

 日当たりのいい教室の机で、アラトは呻き声を上げながら伸びをした。

 

 「授業をまるまる夢で過ごして、まだ不満か。よくもまぁ、堂々と寝られるな」

 

 すぐ隣に、制服のシャツを第二ボタンまで開けた少年が立っていた。長めの前髪を垂らした、軽そうな二枚目の彼は、クラスが今の2年C組に替わってから、一週間に一人、合計二十人のクラスメイトの女子に声を掛けまくる──口説いて回るという偉業(?)を成し遂げた、海内遼である。

 

 「同じくらい熟睡してた人が言う台詞ですか、それ?」

 

 アラトのすぐ後ろの席で、村主(すぐり)ケンゴが呆れたように言った。

 

 「俺は、昨日のうちに予習で終わらせてるからな」

 

 「いいなぁ···無駄に頭いいのって」

 

 涼しげに言ったリョウが、アラトの誉め言葉の皮を被ったやっかみを受けて、照れ臭そうにする。

 

 「そう誉めるなよ。どうせ、頭が良くたって、就く仕事は全部AIが決めるんだから」

 

 超高度AI《シビュラ》は、他の超高度AIとは違い、専用の『触角』となる端末(インターフェース)を持つ。その端末を通して世界を見るため、外界から情報的に隔離されていないのも、他の超高度AIとは違う点だ。

 《シビュラ》は、サイマティック·スキャンによって人間の"こころ"を読み取り、数値化する。その数値や心理傾向に基づいて、『職業適性』が割り出され、発行される。大体の企業は適性B以下は採用しないし、公務員ともなればA判定が必要だ。

 サイマティック·スキャンが割り出すのは、職業適性だけではない。

 《シビュラ》は、人間のストレス状態や心理傾向から、『犯罪係数』を算出する。これが100を超えた瞬間、その人間は『潜在的犯罪者』として、確保拘留される。

 《シビュラ》の目となり耳となるスキャナーやドローンが、既に町のそこらじゅうに配備されている。これを『ハザード』、産物漏出災害だとする声は未だに絶えない。だが、《シビュラ》は『安全管理を嘱託された道具』であるという見方をするものも多い。たとえば、IAIAの『超高度AIを管理する超高度AI』、《アストライア》。彼女が《シビュラ》の全面稼働時に警告を発しなかったのは、そういうことだろう。

 

 《シビュラ》は人間に使われる道具である。道具を見極める道具は、そう判断した。

 

 

 ◇

 

 

 その日の帰り道、アラトとケンゴ、リョウの三人は、少し寄り道をすることにした。発端は、つい先ほど、アラトがヒューマノイド(h)インターフェース(I)エレメンツ(E)のパーツを見つけたことにある。

 

 hIEは、その名前通り、"人のかたち"をした"モノ"だ。その片腕が、無造作に路地裏に捨てられていた。千切れたような断面からは、神経の代わりにコードがぶら下がり、血液の代わりによくわからないオイルみたいな液体が流れ出ていた。

 

 だが、それは、言ってしまえば自転車のフレームが空き地に落ちているようなもので、もっと簡単に言えば、空き缶のポイ捨てと何ら変わりない。強いて違いを挙げるなら、hIEは高価で、その破損──破壊となると、器物等損壊としてかなりの罰金が課せられるだろうと言うことか。

 

 「警察を呼ぼう」

 

 アラトが二人にそう言ったのは、しかし、そういう観点からではない。彼は、

 

 「ほっとけよ」

 

 「そうですよ。誰かが通報しますって」

 

 と言う二人に、こう返した。

 

 「放っておいたら、可哀想だろ」

 

 まるで"人のかたちをしたもの"が、本当に人間であるかのように、彼はその錯覚の死に、あるはずのない痛みに、共感し悲哀を覚えていた。

 

 悲哀は、色相を濁らせる。

 

 ケンゴもリョウも、アラトという底抜けた友人は大切だった。せめてその幻影を取り除き、色相を守ろうと思った。

 という訳で、彼ら三人は、たこ焼きをつまみながら、国内最大手のhIE関連企業(ファクトリー)『ミームフレーム』社の社長の息子、リョウの講義を聞いていた。

 

 「いいか、アラト。hIEに"こころ"はない。接触感知センサーや熱感知センサーはあるが、"痛み"はない。表情は歪むが、"恐怖"はないし、"人のかたち"はしてるが、"死"という概念はないんだ」

 

 「けど、ロボットにだって自己保存の欲求はあるはずだろ」

 

 「ロボット工学三原則のことか」

 

 ロボット工学三原則、というものがある。SF作家が作り上げたそれは、第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならず、人間に及ぶ危害を看過してはならない。第二条、ロボットは第一条に反しない限り、人間の命令に従わなければいけない。第三条、ロボットは第一条と第二条に反しない限り、自己を守らなくてはならない。という三項から成り、実際のロボット工学においても適用されている。

 

 だが──

 

 「いいか、アレはあくまで『こうしなければならない』というプログラムだ。アンドロイドに"こころ"はない。hIEってモノは、合理的に組まれたAASCで管理された行動しかしない」

 

 「人の"かたち"をしているからって、それは人であるという事にはなりませんよ、アラト」

 

 「hIEは死なない。そもそも死ぬという概念を持ち合わせないからだ」

 

 ケンゴが参加し、アラトを説得しにかかる。実は、この光景は珍しい訳ではない。だが、今日は──"人のかたちをしたモノ"が壊されているのを見てしまった、今日は、なるべくそこに触れるべきではなかった。

 

 『ストレス値が上昇しています。メンタルケアの受診が推奨されます』

 たこ焼き屋の店内に設置されていたドローンが、デフォルメされたキャラクターのホログラムを纏って、アラトたちの付くテーブルの横に来ていた。

 

 「すいません、大丈夫です。大丈夫···」

 

 アラトは反射的に謝りながら、たこ焼きを口へ運んだ。

 こういう時は、美味いものを食べるに限る。経験的に、そう知っていた。

 

 『ストレス値が上昇しています。メンタルケアの受診を···』

 

 聞く者に不快感を与えないように周波数をコントロールされた機械音声が、不意に途切れる。ここに色相判定を行うスキャナーがあれば、アラトの色相が一転してクリアになったのが分かるだろう。

 

 「すまん、アラト。言い過ぎた。···それにしても、相変わらず羨ましいな」

 

 「そうですね、色相が濁りにくいって、結構職業判定で有利らしいですし」

 

 一定以下の環境でも問題なく働けるからだが、それはまぁ、いいだろう。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その夜のことだった。東京湾第二埋め立て島群、ミームフレーム社東京研究所。そこで、突如として爆発が起こった。膨大な量の機密情報を守る電磁波遮断ファイバー建材製の壁に、大穴が開く。

 

 即座にミームフレーム社が契約している民間軍事会社(PMC)ハンズ·オブ·オペレーション(HOO)に出動要請がかかる。だが、それだけで終わる訳もない。

 上空には、四機のヘリが飛行している。うち二機が、重機関銃や空中爆雷などの装備を有するHOOの武装ヘリ。うち二機は、警視庁公安局が──延いては、彼らに指示を下す《シビュラ》が有する、輸送ヘリだ。中には武装した警官が乗っている。そして──

 

 「降下準備完了」

 

 「降下五秒前···二、一、降下!!」

 

 高度を落としたヘリからロープが垂らされ、総勢12人の警官がそれを伝って地面へ降り立つ。5.56ミリの高速ライフル弾にすら耐えうるボディーアーマーに身を包み、頭にはHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の付いたヘルメットを被っている。腕や脚にも、ボディーアーマーと同じ装甲が付けられている。だが、それだけの重武装をしておきながら、彼らが持つ武器は、翠玉色に発光する拳銃の一挺だけだった。

 

 「クリア」

 

 「クリア···エリア·クリア」

 

 彼らはHUDに映る熱源スキャンの映像を頼りに、完全に停電した東京研究所を進んでいく。公的機関である公安局が出張ったことで、民間機関に過ぎないHOO部隊は、上空で、無人機すら降ろさずに待機していた。

 

 「エネミー·イン·サイト」

 

 六人ずつに別れた警官隊のうち、先行する部隊の、先頭を行く警官が告げる。

 彼の視線の先には、爆破された大穴から差し込む月光に赤い髪を煌めかせる、女性型のhIEがいる。華奢な体格だが、ロボットである彼女の膂力が人間のそれと同様に、骨格や外見上の筋肉に左右されないことは、考えるまでもない。証左として、彼女の側には、彼女の身長を優に超す、黒光りする大型の槍が突き立っていた。

 

 「ッ···囲まれてる」

 

 残る五人は、それぞれが担当する方向を油断なく警戒していた。だが、彼らの視界に、突如として四機のhIEが現れた。緑、金、オレンジ、薄紫。それぞれが異なる髪色をしているが、そのどれもが一様に、整った風貌だった。"造られた"美しさを振りまいていた。

 

 『対象の驚異判定が更新されました。執行モード:デストロイ·デコンポーザー。対象を完全排除します、ご注意ください』

 

 警官たち全員が構える拳銃が、ひときわ大きく光を放ち、変型する。彼らだけに聞こえる指向性音声は、《シビュラ》が五機のhIEを『この世から消し去るべき存在』として認識したことを示すものだ。

 だが──どういう訳か、拳銃がもう一度、ひときわ大きく発光する。

 

 『ssss執行mモード:riノンリーs···』

 

 震えるような声を発して、そして、光が大きく衰えた。

 《シビュラ》の目であり手である、携帯型心理診断鎮圧執行システム、通称ドミネーターは、所詮は電子機器だ。充電が切れれば、ただの高価なガラクタに過ぎない。とはいえフル充電ならば二十四時間以上連続稼働できる代物であり、彼らも当然、任務に際してフル充電のものを用意している。

 

 「おい、どうなってる!?」

 

 「充電切れか!?」

 

 「いや···違うぞ!? バッテリーはフルのままだ!!」

 

 警官たちは、各々がもつドミネーターを叩いたり振ったりしている。彼らは、超高度AI《シビュラ》に、絶大な信頼を寄せている。だが人間は、システムというものを末端を通してしか認識できない。つまり、彼らの《シビュラ》に寄せる信頼は、ドミネーターありきのものだった。

 そして、その末端は、大元から切り離されて沈黙している。

 彼らの持つドミネーターは、もはや《シビュラ》の末端などではなくなっていた。

 

 「応援を···ッ」

 

 無線手を努める男が、肩に付けた無線機のプレストークスイッチを押した。

 不通だった。

 

 「やれ、メトーデ」

 

 「誰だ!?」

 

 暗がりから、人間の男の声が聞こえた。咄嗟に沈黙したドミネーターを向ける者が二人居る。それは、声が聞こえた方の警戒を担当する二人だった。自分の役割に忠実に、彼らは銃口を向け──爆発するように死んだ。

 

 「なんだ!?」

 

 溢れる炎。燃える世界。

 オレンジ色の視界の奥に、中年に差し掛かりそうな年齢の男が、口を歪めて立っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 HOOの部隊と、警官隊の後詰めの六人は、一様に暇をもて余していた。

 

 「動き、ありませんね」

 

 「だな」

 

 警官の二人が煙草を燻らせながら話すのを、HOOに所属するパイロットのトマは、同じく暇そうに眺めている。

 

 「いいなぁ、タバコ。吸いてぇなぁ」

 

 「馬鹿野郎、前を見てろ」

 

 彼の上官にあたるシェストが、呆れたように叱責する。

 

 「イエス·サー···ッ!?」

 

 ヘルメットの後ろを小突かれ、どう返すか迷っていると、いきなりヘリのローターの回転数が落ちた。慌ててエンジンを噴かし、高度を取り戻し姿勢を制御する。あと数秒遅ければ、完全に機体が回転して復帰できなくなるところだった。

 

 「何してる!?」

 

 「制御不能になったんスよ!! クソッ!!」

 

 トマが粗っぽくヘルメットを脱ぎ捨てる。HMDが沈黙していた。

 

 『おい、あれは何だ』

 

 もう一機のパイロットから通信が入る。HMDが死んでいるせいで視界マーキングが出来ないが、『あれ』が指すものが何か、すぐに見当がついた。

 

 「hIE···なのか?」

 

 彼らHOOは、民間軍事会社ではあるが、構成する社員は叩き上げの軍人が多い。シェストも、その一人だ。彼は世界中を飛び回り、いろいろな戦場を見てきた。その中で、何度か軍事用hIEを見たことはあった。だが──違う。彼の見てきたどの無人機より可憐で、どのhIEより凶悪な武器を持っていて、そして。

 

 「不味い、高度を上げろ!!」

 

 金髪のhIEが、長大なライフル状の武器を構える。それが発する翠玉色の光を、シェストは一度だけ見たことがあった。

 

 「デコンポーザーだ!! 短いが当たれば終わるぞ!!」

 

 短い、というのは、射程を表す言葉だろう。実際、公安局の刑事たちがもつドミネーターの切り札である分子結合崩壊光(デコンポーザー)は、10メートルも飛べば良い方だ。だが、射程を代価に、それは万物を消し去る力を有する。

 そして、拳銃型ではなくライフル型のドミネーターを、金髪のhIEは構えている。ライフルの方が拳銃よりも射程が長く、威力も強いのは自明なことだ。シェストは、直感的に悟った。

 

 あれは、届く。

 

 「撃たせるな、弾幕展開!!」

 

 ヘリに搭載された20ミリ重機関銃が火を噴きはじめ、隣を飛ぶヘリは空対地ミサイルを発射した。

 金髪のhIEは、表情を変えないまま照準をずらす。銃口が輝き──hIEのグループを消し飛ばす量のミサイルが、消滅した。稼いだ時間の全てを、全力後退に費やす。金髪のhIEは、銃を下ろした。射程外に出たということだろう。

 

 「クソ、なんだってんだ」

 

 「知るか···おい、あれはなんだ?」

 

 『今度はなんだ!?』

 

 通信越しに、別機のパイロットが叫ぶ。

 

 「花だ···」

 

 眼下に、色とりどりの花が咲き乱れる、花畑が広がっていた。だが、その場所は、ちょうど

 

 「公安はどうした?」

 

 警視庁公安局の刑事たちが降り立ったはずの場所で、まだ六人の刑事たちが残っているはずだった場所だ。

 

 『マスター·ブリーダーより、ホーク·ワンおよびホーク·ツーへ。帰投しろ』

 

 「イエス·マム」

 

 部隊長直々に命令が出たHOOは、後退から撤退へと方針を変えた。無人機も降ろさず空中爆雷も積んだまま、何の情報も得られず、彼らは夜闇へと消えていく。それは、五機のhIEも同じだった。

 東京研究所から、一切の人影が消えた。残ったのは、咲き誇り、花弁を風に舞わせる無限の花たちだけだった。

 

 




 読みやすくなったはず。


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2

 二十二時三十分。

 

 遠藤アラトは、妹のユカに説教をしていた。料理を作っている間に、気付いたら材料が消え失せてしまっていた。

 

 「お前バカなの? つまみ食いってレベルじゃないだろ」

 

 遠藤家には、彼ら二人しかいない。母親は彼が小さいときに他界し、父親は仕事が忙しく滅多に帰ってこない。

 妹が寂しくないように、アラトは幼少期から必死に妹の世話を焼いてきた。結果、とんでもない甘えッ子が出来上がってしまった。

 

 「お兄ちゃんがご飯を作ってるとき何を考えてたか、言ってみなさい」

 

 「ひゃっはー、肉だー」

 

 「野性的だな、おい」

 

 酢豚の豚肉が消え失せたいま、彼らに取れる方針はふたつだ。

 酸っぱい味付けの野菜をおかずに、ご飯を食べる。

 あるいは、買い物に行くには少々遅い時間ではあるが、材料を調達しに行くか。

 

 「ご飯が遅すぎるんだよー」

 

 悪びれずに言ったユカが、テレビのチャンネルを替える。

 

 「うわ、すご。爆発した」

 

 テロップには、『第二埋め立て島群で爆発事故』とだけあった。オレンジ色の炎が画面越しに瞬き、アラトは顔を背けた。

 

 「第二埋め立て島群ってさー、近いようで遠いよねー」

 

 「アホか、近いよ?」

 

 直線距離にして10キロくらいか。自然事故なら気にすることもないが、最近は何かと物騒だ。数年前には、"標本事件"なんて呼ばれる連続殺人事件もあったくらいだ。

 

 「今日は焼きうどんにするか」

 

 アラトは、それを妙案だと思った。豚なし酢豚を有効活用でき、そこまで不自然な料理にもならない。

 

 「二日連続で焼きうどんはヤダ」

 

 不評だった。

 

 「お兄ちゃんご飯買ってきてよー、あと、ついでにアイスも」

 

 「どんな"ついで"だよ、それは」

 

 言いつつ、アラトはハンガーに吊るされていたダウンジャケットを羽織った。

 

 「行くんだ?」

 

 「仕方ないだろ。言っとくけど、普通はお前が買いに行くべきなんだからな」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 「ちょっと甘やかし過ぎたな···って、それでアイスまで買っちゃう僕も僕なんだけど」

 

 アラトは、二十四時間営業のスーパーで、食材と"ついで"のアイスも買っていた。レジ袋を片手に来た道を戻っていると、見慣れた後ろ姿を発見した。

 

 「マリエさんも買い物ですか」

 「あら、アラトくん。そうなのよ、うちも切らしちゃってて」

 

 マリエさんというのは、この辺り一帯の地主が所有するhIEだ。幼い頃から変わらない中年女性の姿に、アラトは特に疑問をもつこともなく"そういうモノ"として付き合ってきた。hIEが普及し始めた頃から稼働しているらしいが、ミームフレーム社の《ヒギンズ》が常時更新するAASCのお陰で、ハードウェアの古さを感じさせない。

 

 「そうなんですね、うちもユカが···あれ?」

 

 アラトが足を止める。突如として視界いっぱいに、色鮮やかな花弁が舞い散ってきたからだ。

 

 「あらあら、綺麗ね···」

 

 マリエさんが──超高度AIが適宜行動を管理している"道具"は、そんな感想を漏らして、ずんずんと舞い散り降り積もる花弁の雨の中を歩いていく。アラトもそれをみて、ビル林の中でいきなり降り出した花の雨に打たれる。

 

 「ん?」

 

 痒みに近いくすぐったさ。アラトがそれを覚えたのは、花びらの付いた手の甲だった。

 

 「···!?」

 

 手にくっついたそれを、何とはなしに見つめていると、『それ』が急に動き出した。花弁に、百足やダンゴムシに似た無数の節足が生え、蠢き、アラトの手を伝い、袖口へと侵入しようとしていた。

 

 「うわぁぁぁぁ!?」

 

 半狂乱で腕を振り、レジ袋を振り回して、群がる花弁を吹き散らす。だが、そうしている間にも、花弁は空から降ってきている。

 

 「マリエさん、この花、なにか変ですよ!」

 

 アラトが視線を向けた先で、女性型hIEが花に集られていた。

 

 「マリエさ──え?」

 

 呼んだ声に反応して、それはゆっくりと振り向いた。人間であれば不可能な動きで、首だけが180°回転する。モーターか関節か、どこかに異常な負荷が掛かっているのだろう。樹脂がみしみしと軋む嫌な音を立てながら、人外の動きでhIEが向かってくる。身体を前に、首だけをこちらに向けて走ってくるその姿は、過去の悪魔払い系ホラー映画を彷彿とさせた。

 

 「マリエさん···?」

 

 ゾンビか、悪魔憑きか、あるいはもっと別なクリーチャーか。何にせよ人間に対して害を為すことがお約束の怪物じみたヴィジュアルのそれ。

 だが、それは紛れもなくアラトの知る、昔から良くしてくれた近所のおばさんの姿をしている。

 

 「···ッ!?」

 

 後退りすると、何かにぶつかった。

 

 車だ。

 

 旧世代の、エンジン音が全くしない車が、その性能通り無音で背後に停まっていた。

 

 「す、すいません。あの···!?」

 

 謝ってから、運転席に座る人の顔を伺う。

 無人だった。無人ではあるのだが、それが『操るものがいない』ということではないと、アラトは直感的に理解する。

 運転席に、無数の花弁で構成された花の塊が鎮座していた。気付いた瞬間に、車が微かに振動する。

 

 「うわっ!?」

 

 運転席に花を載せた車が、アラトをボンネットに押し付けて発車する。咄嗟にボンネットに全身を乗せたアラトを振り落とそうとするかのように、車は加速し──女性型のhIEを撥ね飛ばし、ビルの外壁に突っ込んで停止した。

 衝撃でアラトは天井を転がり、車の後ろへと落下する。バックすれば即座に轢き潰される位置から、アラトは這うようにして退いた。

 

 追撃は、無かった。

 

 「なんなんだ──うっ!?」

 

 いや。()()()()()()()無かった。

 撥ね飛ばされた女性型hIEが、裂けた人工皮膚とその下を這うチューブや導線からオイルを滴らせ、まさにゾンビといった風情になりながら、アラトの首を締め上げた。

 AASCの軛から解き放たれているのか、あり得ない力で、片手だけでアラトの身体を浮かせた。

 

 「あ···け···」

 

 これ程の異常時だというのに、何故か、ドローンの一体も現れない。アラトの色相は、未だにクリアだとでも言うのだろうか。これだけの暴力に晒されても、なお。

 アラトの背後で、ボンネットをひしゃげさせた車が爆発した。ガソリンが溢れていたのか、それとも燃性の高い素材なのか、造花の虫が一斉に炎を上げる。辺りが紅蓮に染まる光景を見るのは、もう二度目だった。夢もカウントするなら、何十では利かない。

 

 「助けて···」

 

 誰もいない、花だけが降り注ぐ、狂った機械が跋扈する路地で、アラトは乾いて痛む喉に鞭打って、焼けた空気を吸い込んで叫んだ。

 

 「誰か、助けて!」

 

 みし、と、叫び声に反応してか、アラトの首を締め上げるhIEの腕に力が籠り、骨が軋む。ギャリギャリギャリ、と、不快な擦過音がして、二台の車が狙い済ますように、路地の両側から挟みこむ形で進んできた。

 エンジンが爆発的に回転数を上げ、正面から車はバックファイアすら吹かしながら、同時に殺到する。

 

 「───ッ!!」

 

 金属の擦れ合う、甲高い音。鈍い衝突音。タイヤの擦過音。解放された喉を全開に、焼けて乾いた空気を貪る荒れた呼吸音。幾つもの不快な音が、無数の花の虫が立てるサワサワという音と共に、夜の路地に満ちる。

 

 「あなたは、助けてと求めました」

 

 その路地には似つかわしくない、涼しげな声が、跪いて肩で息をするアラトの頭上から投げ掛けられた。

 顔を上げると、アイスブルーの瞳と視線が合った。

 

 「わたしは、レイシアです」

 「僕は、遠藤アラト」

 

 土下座にも似た姿勢のまま、アラトは名乗りを受け、返した。ごく普通のことなのに、状況と状態が、異常に過ぎる。

 目の前でアラトに手を差し出した、レイシアと名乗る少女。彼女は化粧っ気がないのに、目鼻立ちと肌の艶だけで目を惹き付ける、凄味のある美貌を備えていた。

 

 「立てますか」

 「···ごめん、ちょっと待って」

 

 右足が鈍痛を放っていた。どのタイミングか思い当たる節が多すぎて推測できないが、どうやら痛めたらしい。

 

 「肩を貸しましょうか」

 「い、いや、大丈夫だって」

 

 初対面の女性にそこまでしてもらうのは、と、アラトは意地の力で立ち上がった。意志の力で、ではない。外れかかった骨が、それでもなんとか所定の位置に返ってきた状態の足首は、少し体重をかけるだけで、それを支えることを放棄する。

 

 「それより、ここから逃げないと。この花に触れると不味い」

 「わたしは──」

 「待って、えっと、レイシア···さん」

 

 アラトが左足だけでなんとかレイシアに近付き、その身体を這い上がり、花冠を作り上げていた花の虫を、彼女の頭から払いのけた。

 

 「逃げよう、この花は危険なんだ」

 「···いえ、遠藤アラト。私には、この状態を打開する力があります」

 

 はぁ? と、そう言いたげな表情になるアラト。辛うじて口に出さなかっただけマシだが。

 

 「ですが、実行にはオーナーによるデバイスロック認可が必要です」

 「なら、オーナーに連絡してくれ···って、hIEにそんな機能あったっけ」

 

 大抵のhIEに、自己の機体だけで通信ができる能力はない。ごく一部の高級機や軍用レベルは知らないが。

 

 「機能的には可能です。ですが、私には現在、オーナーが存在しません。そこで、あなたに要請します」

 「何をすればいい。僕に出来ることなら、なんでも言ってくれ」

 

 そこで、レイシアはちょっと首を傾げた。

 

 「どうして、簡単にわたしを信用できるのですか」

 

 一部のhIEには、サイマティック·スキャンを可能にするセンサーや権限が与えられている。レイシアがそうだとしたら、アラトの色相が明るくなった──つまり、安堵した、心底からレイシアの言葉を信じた──ということが分かるだろう。

 

 「え? あ、いや、なんでだろう。初対面なのに、可笑しいよね。ははは···って、言ってる場合じゃない! 出来ないなら逃げよう」

 「···では、遠藤アラト。貴方に要請します。わたしのオーナーになってください」

 

 



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3

 「所有者(オーナー)って、僕のものになるってことか」

 「わたしにとって、あなたが最初のオーナーに適切であると判断しました」

 

 前にも後ろにも、燃え盛る造花の虫と暴走した車。みしみしと音を立てながら、歪なフォームで歩み寄るゾンビもどきのhIE。この場に彼女が居なければ、アラトは少なくとも3パターンの死因で死んでいただろう。その恩を返すという意味でも、この場から逃れるという即物的な意味でも、首を横に振るという選択肢はない。だが。

 

 「そんなこと簡単に決めちゃ駄目だろ。僕のことも君のことも、お互いに何も知らないのに」

 

 そんな彼女を、保心と保身を理由に利用することが許されるはずがない。

 

 「知らなくても、あなたはわたしを信じると言いました」

 

 炎を背に立つレイシアが、アラトへ一歩近付く。詰められた距離ぶんだけ、彼女の存在しない体温を感じたような気がして、アラトは一歩退がる。

 彼女は、アラトを助けてくれた。その彼女が、アラトの助けを必要としている。けれど、それは彼女を自分のものにしていい免罪符ではない。他の方法があるのなら、その方がいいに決まっている。hIEである彼女は、あくまで現状打破の最適解としてアラトを選択した。ならば、アラトはその先を見た最適解を選ぶべきではないのか。

 

 「遠藤アラト、再度要請します。わたしのオーナーになってください。」

 

 だが、そんなものはアラトの頭では考え付かなかった。前にも後ろにも、過去の記憶を掘り起こし抉る炎が舞うこの場では、スペック通りに脳が回っていても答えが出せない計算など、出来るわけがなかった。

 

 「わかった!」

 「意思決定であると判断しました。許諾契約事項を確認します。あなたに直接の負担はかかりません。あなたの目的を、わたしが遂行します。あなたに求めることは一つです。わたしは道具で、責任を取ることができません。」

 「その責任を取ればいいのか」

 「はい」

 

 レイシアの背後から突っ込んできた車が、地面に無造作に立てられていた黒い棺桶に衝突して動きを止める。デバイスの底部が、地面に杭を突き立てて盾になっていた。

 

 「オーナーの生体情報を取得します。わたしが確認を取ったら、二度、了承しますと答えてください」

 

 レイシアがアラトの手を取って、自分の胸元へと誘う。アラトは咄嗟に身体を硬直させたが、レイシアが一歩近寄ることでカバーする。彼女は、アラトの人差し指を自分の首もとに付いたデバイスへと挿入した。鍵穴のような金属パーツは、彼女の身体を覆うボディースーツのデザインとして自然に馴染んでいた。

 

 デバイスがセルリアンブルーに発光し、アラトの手首ほどまでを幾何学模様の光学投影(ホロ)が彩る。

 

 「登録市民遠藤アラトを、class Lacia(レイシア級) humanoid Interface Elements Type-005のオーナーとして登録します。hIE主機およびデバイス《Black monolith》は自律判断ユニットであり、その行動の責任はすべてオーナーが負うことになります。了承しますか」

 「り、了承する」

 

 答えると、レイシアの髪飾りも似たような輝きを放ち始めた。

 

 「オーナーのライフログを取得開始します。この記録は、手続きに則った法的請求を受けたとき開示され、訴訟を受けたとき裁判所に提示されます。デバイスのロックを解除するにはこれを了承する必要があります」

 「了承する!」

 

 勢いを増す炎に急き立てられて、アラトが吼える。

 レイシアのスーツの腰部に固定された、四枚の小さな羽を組み合わせたような金属の枷が、レバーを上げるように捻られた。そのパーツと、髪飾り、そして漆黒の棺桶がひときわ大きく輝きを漏らす。

 セルリアンブルーの光を浴びながら、レイシアは背を焦がそうとしていた炎から離れるように動く。その一歩で、アラトとの距離がまた縮まる。残り一歩ほど。パーソナルスペースを無視した振る舞いを、彼女をこの場において最適な行動を取る装置たらしめるAIは、どうして選択したのだろうか。

 その答えは直ぐに明らかになる。

 巨大なデバイスを持って踏み出したレイシアが、ほんの数秒前までいた場所。そこに、燃え上がる炎が産み出した上昇気流に乗って、造花の虫がひと束、落ちてきた。

 

 「現在、我々を攻撃している子ユニット群を無力化するため、光通信を遮断することを提案します。社会的·物理的な損害を出すリスクが最も小さいと判断しました」

 

 何を言っているのか、アラトには全く分からなかった。だが、この場を打開する策であることは察せられた。

 

 「やってくれ」

 「光通信をメタマテリアルの三次元制圧射撃(バラージ)で遮断しますが、効力範囲の無線給電も停止します。生命維持装置を使用している人間が居た場合、それを停止させることになります」

 

 人を殺すかもしれない。それもきっと、無関係な人を。

 その葛藤は、炎を潜り抜けて現れた、全身に花を纏わりつかせた奇怪なオブジェ──hIEと車と街灯をくっ付けたと思しき、機械の混合獣(キメラ)が現れたことで霧散する。

 

 「責任を取るのは、僕なんだな」

 「わたしには、その能力がありません」

 

 アラトが、アラトが助かるために、アラト以外の人間を殺す。──()()()()()()

 所詮は可能性の話であり、アラトの記憶と土地勘が正しければ、この周囲に病院はなかったはずだ。その計算の結果か、目の前の恐怖から逃れるためか、アラトはその分析を放棄して叫んだ。

 

 「わかった、やれ!」

 

 命令の了承を、レイシアは頷いて示す。

 彼女が掲げた棺桶が、分厚い外殻を開く。傘が開くのに近い動きで変形したそれは、金属の木が枝を開いたようにも見えた。

 それをアラトが見た次の瞬間に、世界は変わっていた。

 

 「消えた···?」

 「説明はあとでします。スキャナーが再起動する前に離れましょう」

 

 これだけのものを見て、これだけの体験をして、色相が濁らない訳がない。レイシアはそう判断したのだろう。だが、その懸念は杞憂といえる。

 

 「···驚きました。色相が好転しています。犯罪係数の悪化は見込まれません」

 

 レイシアは本当に驚いたように表情を変え、次いでアラトを安心させるように微笑みかけた。

 

 「ですが、《シビュラ》は自分の目が一時期に潰されたことに気付くでしょう。すぐに公安局がやってきます」

 「警察が来るなら話が早い。この惨状を説明しなきゃ」

 

 アラトが言うと、レイシアはその微笑を困惑混じりのものに変えた。何か不味いことを言ったかと、アラトは慌てる。

 

 「とにかく、一度離れましょう。説明はそのあとでします」

 「わ、わかった」

 

 



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