誓約 (カヴァス2001世)
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誓約#1

誓約#1

倒壊したビルが街に横たわっている。地面に立っていた時は300メートルはあろうかという巨大な高層ビルは、かつて栄華を象徴した物の名残だ。今では、それは剥き出しの鉄骨に食べ残した肉片がこべりついたみたいにコンクリートが貼り付いている高層ビルの死体と言えた。よく見ると、苔だか蔦だかの植物が取り付き緑が見えるのは、腐り果ててミイラみたいになった死体に、カビが生えているかの様にも見える。そのビルの死体の上を忙しく這い回る虫達が見える。虫達は2つの勢力に分かれて、死体を奪い合うかの様に争い、殺し合う。鉄血の人形とグリフィンの人形達だ。WA2000の戦術人形は、それをS09地区の上空6000メートルから見下ろしていた。軍用多用途ヘリコプターから見るS09地区の所々には戦火の狼煙が立ち上っている。彼女はその戦場の全てを俯瞰しながら、3分後にはその火中に飛び込み、敵--鉄血の戦術人形を殲滅するのだ。彼女には見える。その狙撃兵特有の視力でもって、戦場の至る所まで見通せる。その時、いつもは考えもしない疑問が浮かんだ。

 

--何故、私たちは戦う?何故、6000メートル下の私の目の前で私の仲間達は死に、又は殺すのか。何故私達は生まれ、戦い、死にそうしてまた生き返るのか?私は何番目の私、今下で死んだG36は何番目のG36で、G36が道連れにした鉄血の人形は何番目の人形なのだ?何故私は、戦うのだ?何故これからあの地獄に飛び込むのだ?

何故--?

WA2000の思考は深い疑問の穴の底に落ちて這い上がれずにいた。ヘリのローターのがなりも、眼下の光景も意識からは消え、今までは気にも留めずにいた疑問に夢中になる。一度集中すればどこまでも深く落ち込んでいくのは狙撃兵の資質だ。

 

作戦開始2分前。WA2000の耳に飛び込んで来た彼女の指揮官の声に彼女は気が付かなかった。

 

 

「--ルサー」

 

 

「--ワルサー!」

 

 

「どうしたワルサー、聞こえないのか?」

 

 

WA2000は自身が呼ばれている事に気付いた時、戦場で最も聞き逃してはならない声を聞き逃した事実をどの様に自身を指揮する人に報告すれば良いのか分からなくなった。戦術人形であれば工場から出荷されたばかりのピカピカの新兵であってもやらない様な失態だ。それをどの様に誤魔化そうか。結局彼女はいつも通りの言い草で指揮官に言った。

 

 

「別になんでもないわよ、降下前でピリピリしてるの。何の用なのよ?」

 

 

「無線が取れるならいい。今回の戦術目的は判ってるな?」

 

 

「ふざけないで、人形は物忘れはしないわ」

 

 

彼女の不躾な物言いを気にも留めずに、彼、グリフィンの戦術指揮官は先を続けた。彼の声は冷静さを努めて保たれていたが、それでも眼下の戦況が良くない事が声色からWA2000には伝わった。

 

 

「ならばいい。それと、悪いニュースだ。降下予定地点の守備部隊との交信が10分前のものを最後に途絶えた。最後の通信の内容から、恐らく降下予定地点は完全に包囲されている」

 

 

「そうらしいわね。G36がグレネードでヤツらを道連れにするのが見えたわ。彼女は孤立していたから、多分守備部隊最後の1人だったんでしょう」

 

 

「場所は?」

 

 

「降下予定地点から北に1キロメートルって所ね。鉄血のハイエンドモデルが出張って来てるわ。敵予想戦力を大幅に上方修正するべきね。作戦は続行するわけ?守備部隊は全滅。鉄血にはハイエンドモデルもいる。当初の案は機能しないわよ」

 

 

事実だけを端的に交換しあう戦場のやり取り。指揮官とのそれによってWA2000は自身が急速に戦場という歯車に噛み合っていくのを感じる。フワフワと浮ついていた思考が鋭敏になっていく。戦場で聞く指揮官の声こそ、五里霧中の中で彼女を導く道標になるのだと体が思い出し、その声に集中した。WA2000の胸中には、既に先程の疑問はなかった。状況を飲み込む。こうなれば取れる道は1つだ。即ち、押すのか、引くのか。そのどちらか一方。

 

 

--どうするの?指揮官……?

「当初の案は破棄する。しかし戦術目的は変わらない。確認するが、本作戦に於ける我々の目的は判っているな?」

 

 

その言葉でWA2000の行く末が決まった。彼女はこれから大軍の中を進み、援護もなく、しかし極めて困難な目標を達成せねば成らず、恐らく生きては帰れない。だが彼女に恐怖も疑問も無かった。むしろ今彼女に有るのは絶大な全能感と闘争心だ。事ここに至り、それでもやれとあなたが言うのなら、やって見せようではないか。きっと他の誰にも出来はしない。この、戦いの為だけに生まれた私を除いて。

 

 

「肯定よ、指揮官。私達は鉄血に奪われて機能を失っている通信施設を、可能であれば奪還し、不可能であると判断すればこれを破壊する」

 

 

「その通りだ。お前たちは降下後直ぐ様2手に分かれ隠密行動に入り通信施設を目指してもらう。片方は本命、片方は陽動だ。陽動部隊には敵を派手に引きつけて貰う。本命の方はその隙に作戦目標を完遂する。部隊を分けろ。人選は任せるが、本命の方はお前が仕切れ」

 

 

「了解」

 

 

「--ねぇ指揮官、さっきはごめんなさい。考え事をしていたから、私--」

 

 

「いい、集中しろ」

 

 

「了解」

 

 

「降下後、本命の方は無線封鎖で通信施設を目指せ。以後の判断はお前に任せる。陽動部隊は俺が指揮をする」

 

 

通信が切れると同時に戦術データリンクから作戦の詳細が降りて来た。本命部隊の進行ルートや目標の優先順位、直面すると思われるイレギュラーまで、必要と思われる事項が端的にまとめられている。

 

降下30秒前、ヘリが急降下を開始。ヘリ全体が前のめりの前傾姿勢になり、大きく円を描きながら3000メートル/分の速さで高度を下げていく。殆ど墜落するかの様な急降下、ヘリの内部でWA2000は部隊分けを行う。部隊は5人、WA2000を除いたメンバーは、MP5、FAL、スコーピオン、9A-91。

 

 

--陽動の方には火力が必要だ。対して本命の方に必要なのは隠密行動と幅広い対応力。当てはまるメンバーは?

WA2000はメンバーの得意分野と求められる条件とを擦り合わせながら、メンバーを選び出した。

 

 

「9A-91、私と本命を叩くわよ。他の3人は陽動部隊に、上手くやって頂戴」

 

 

9A-91が短く了解、と言って頷いて見せ、MP5はお任せください!、と答えた。スコーピオンが突撃!突撃!と言ってシートをガタガタ揺らしている。

 

FALがWA2000の目を見て言った。

 

 

「大丈夫なのね?あなた、心ここに在らず、って顔してたわよ」

 

 

--15秒前

 

 

「人形に心の在り処を聞くなんて、バカねあなた」

 

 

--10秒前

 

 

「人形に心なんてないと思うの?」

 

 

--5秒前

 

 

 

 

 

「死を恐怖しない私達に、心なんてないわ」

 

 

 

 

 

 

--降下開始



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誓約#2

第2話
ちゃんと書けてるといいけど


誓約#2

 

降下開始ーー

高度4500メートル、地対空ミサイルの射程限界の壁を急降下で飛び越えたヘリから、WA2000達5人は一斉に飛び出したWA2000と9Aー91は熱光学迷彩に身を包んで西へ。陽動部隊の3人は当初降下する予定だった東の方へ。人間では呼吸すら覚束ない遥か上空から、WA2000達は戦場に飛び込んだ。一瞬でヘリが遥か後方に流れていく。続いて東に飛んだFAL達は腰につけた降下用ジャンプユニットの推進剤を点火。地上に向けてグングン加速していく。照準波を検知、殆ど間を置かずにヘリに向かって歩兵携行サイズの地対空ミサイルが上がって来るのを、WA2000は熱光学迷彩の内側から見る紫色に変色した視界で確認した。恐らくは避けきれまい。2秒後に直撃する。同じく熱光学迷彩に身を包んだ9Aー91と共に、WA2000はジャンプユニットの姿勢制御翼を操って降下地点への推進剤を使わない自由落下に入った。隠密部隊である2人がわざわざ熱源をばら撒く理由もない。後方でミサイルが炸裂したのを音によって感じる。ヘリから飛び降りるのがもう少し遅かったらヘリと共に5人とも撃ち落とされていた。戦術ネットワークがヘリの識別信号をロストする。問題は次だ。再び照準波を検知。標的はFAL達陽動部隊だ。しかしFAL達も無防備ではない。落下中でも、ジャンプユニットに装備された電子戦兵装による戦闘行動は可能だ。部隊の各員が最大望遠で地上を走査。陽動部隊の全員で地対空ミサイルを装備した鉄血の人形を見つけアクティブレーダで照準を妨害する、が遠すぎる。十分な効果は得られず、ミサイルの照準を許してしまう。FAL達が地上を目指して6000メートル/分の速さで降下し、更に加速しているが間に合わない。ミサイルが発射される。数は5。今度は直撃まで1秒もない。即座にフレアをばら撒きながら乱数回避機動を開始。人形のメンタルモデルと直接接続された姿勢制御翼が実際に体の一部であるかの様に自在に閃き、FAL達の回避機動を実現せしめる。同時にFALがジャンプユニットに装備されているミリ波レーダーをアクティブに。地対空ミサイルのシーカーを焼き切ろうとし、成功。2発はあらぬ方向に飛翔し炸裂した。残り3発。スコーピオンとMP5が弾幕を展開する。歩兵携行サイズの地対空ミサイルならSMGの2人の9ミリ弾でも当たりさえすれば撃墜出来る。照準を補正する情報が必要だ。WA2000と9Aー91は3発のミサイルの軌道を観測、SMG2人との相対距離、相対速度、予測機動、風による外乱、コリオリの力まで算出し戦術ネットワークによって共有、照準予測をサポートする。ほんの僅かな時間斉射された9ミリの弾幕により、2発撃墜。残り1発。殆ど反射的に、WA2000はミリ波レーダーをアクティブに。ミサイルを高指向性の電磁波で狙撃する。メンバーの中で最も高性能な照準ユニットを持つWA2000のレーダー波でミサイルのシーカーは機能を喪失し目標を見失う。SMG2人の丁度間で炸裂した。三度の迎撃ミサイルが発射される前に3人は急降下。そのままFAL達は地上まで残り500メートルの位置まで降下すると推進剤の噴出を停止し、降下予定地点への自由落下機動に入ったーー

 

もう大丈夫だろう。後は3人次第だ。WA2000はそこまで見届けると、FAL達から視線を切りもう一度眼下を俯瞰した。廃墟化したコンクリートジャングル。灰色の街が見える。建物の外壁はボロボロに崩れ落ち、建物自体もいつ倒壊するか知れない。死んだ街。WA2000達の降下先はその街の工場区画、FAL達が降下した住宅街の西2キロに位置する。そこはG36達守備部隊が残した戦闘データから算出した、最も鉄血の勢力が手薄なエリアだ。目標である通信施設はそこから北に5キロの場所、ヘリの上から見たビルの、更に4キロ先にある。しかし降下地点から目標までの直線上には、恐らくは守備部隊の主戦場となった、G36が死んだ横倒しになったビルがある。鉄血の大軍が詰めているだろう。避けるしかなかった。大きく迂回するしかなく、途中に川を2度渡る必要がある上、実質的な行程は10キロ近くなると思われた。しかし陽動部隊が敵の注意は十分過ぎる程引いてくれている。こちらもこちらで極めて難しい任務だが、不可能ではない。

地上に着くまでの僅かな間に、WA2000はこの任務のブリーフィングを思いだす。ブリーフィングは2日前、S09地区グリフィン支部のブリーフィングルームで行われていた。

 

WA2000がブリーフィングルームに入室した時には、既に召集された他の人員は席に着いているようだった。FAL、9A-91、スコーピオン、MP5、ヘリパイロットの人形、その他後方の人形達の姿も見られた。部屋全体は薄暗く、光源は部屋の奥に備え付けられたスクリーンの明かりのみだった。備え付けられているはめ殺しの窓からは曇った灰色の空が覗いている。

遅れました、と一言して、WA2000はスタスタと部屋の奥、指揮官の隣まで歩き副官の定位置についた。WA2000の後ろに後方幕僚のカリーナが控える。

隣に着いたWA2000に、指揮官は一瞬目線を送ると、ブリーフィングを開始した。

 

「揃ったな。それじゃあ始めるぞ。今回の目標はS09地区居住エリアの南に50キロの位置にある通信施設、これの奪還だ。奪還が困難だと判断した場合は、主要施設を破壊し撤退する。部隊は一つ。ヘリで現地まで飛び、5キロ手前から鉄血を殲滅しつつ目標を目指せ。降下予定地点にダミーを準備している。隊員一人につき5体だ。現着した後、速やかにダミーを掌握。戦闘を開始しろ」

 

スクリーンに各種の情報が表示される。衛星画像。降下予定地点。進行ルートに、補給地点だ。今回の作戦では人形のダミーは降下予定地点に既に準備されているらしい。

 

「部隊は一つ、ですか?指揮官」

 

はい、と手を挙げてからFALが質問した。

WA2000もその疑問には同意出来る。確かに、使用する部隊が1つ、と言うのはおかしい。この種の任務には、最低でも2部隊。4部隊使う事もざらだ。1部隊と言うのは、作戦目的を考えると異常だと思える。

FALの質問に予想通りだという風に指揮官は答えた。

「その通りだ。通信施設を奪還する事さえ叶えば、一帯の鉄血の殲滅には別動隊を逐次投入する予定だが、施設奪還そのものは、ここにいる少数でやってもらう事になる」

 

「つまり、鉄砲玉みたいに突っ込んで死んで来いってこと?」

 

「部隊が少数でなければならない必要性がある。と言うのもこの施設半径4キロメートルでは無線通信が一切通じない。施設が保有している通信設備に、一帯の通信が掌握されているからだ。相当広帯域がジャミングされてる。当然戦術ネットワークも通じない。ここに大軍を送り込んだ所で、もれなく各個撃破の憂き目にあって仕舞うわけだ。何しろ向こうは第三次以降の戦術を駆使してくるってのに、通信が通じないんじゃこっちは石器時代の戦術が精々なんだからな」

 

「それで?」

 

「それで、だ」

 

そう言って指揮官は徐にスクリーンの表示を切り替えた。表示された内容ーーこれは、新世代のメンタルモデルとコアのアップデートの概要か?

 

「少数部隊を送り込み施設を奪還してもらう。敵のジャミングは非常に厄介だ。部隊が少数だろうが大軍だろうが送り込めば全滅する。それを何とかする為に、君たちには最新の通信プロトコルとその構成モジュールにアップデートしてもらう。この措置が可能なのが、精々5体なんだ。メンタルモデルとコア両方のかなり根本的な所をアップデートし、ジャミングを回避する、らしい」

 

「らしいって、貴方ねぇ?」

 

「IOPから技術者が来てる。詳しい説明はそいつがしてくれるだろう。そいつ曰く、テスト段階の技術で非常に手間と金が掛かるらしく、5体が限界らしい」

 

「簡単に言うけど、それって脳味噌弄られる様なものじゃない。鉄砲玉じゃなくてモルモットって事?」

 

「IOPの技術者と言うのは俺と旧知でな。信頼出来る奴だ。信頼して脳みそを預けてくれ」

 

人形達は苦笑した。命令なら、どの道否はない。

 

「まあ良いニュースもある。予想される敵戦力だ。衛星画像で確認されている限り、敵戦力は旧世代の雑魚ばかりだ。ハイエンドモデルも確認されてない。数は多いが、まあ連携が取れればそう苦戦する事もないだろうと見てる」

 

確かに、スクリーンに表示された敵戦力は貧弱だ。数だけは多いようだが、グリフィンの戦術人形の数世代は下の基幹技術で動作している。予想戦力がこの程度ならば、戦術次第でなんとかなるかもしれない。

 

「既に現地ではG36率いる部隊が降下予定地点の制圧、確保に動いている。通信不可能領域の境スレスレでの作戦行動でリアルタイムの情報は分からないが、何とか降下地点を確保出来そうだ」

 

指揮官はそこまで言ってWA2000達を一度見回し質問が無い事を確認すると、よし、と言って纏めに掛かった。

 

「では実働部隊の5人はアップデートを。カリーナが部屋まで案内するから、全員纏めて行け。作戦開始は2日後の0700時だ。詳細は戦術ネットワークに上げておくから、各自で確認しておくように」

 

ーー解散

指揮官の解散の合図を皮切りにバタバタと人形達が解散し、兵站管理の人形達や電子戦担当の人形達は皆自分の持ち場に戻って行った。

 

それが、2日前の話。WA2000達はそれからカリーナに連れられアップデートを行い、メンタルモデルとコアの馴らしや準備を行なった後、現地に飛んだ。

 

地上まで100メートル。敵味方識別にFAL達のダミーが登録される。陽動部隊の方は当初の案の通りにダミーを掌握したようだ。直に戦闘が始まるだろう。FAL達は強い。WA2000は彼女達を信頼していた。死ぬことになっても、きっとギリギリまで時間を掛けて陽動を行なってくれるだろう。WA2000は降下地点を見定めると姿勢制御翼を操り着陸姿勢に入る。ジャンプユニットのパッシブセンサで辺りを走査、鉄血の反応がない事を確認し、推進剤を点火した。地面が急速に近づいて来る。

激突するーー

今ーー!

 

推進剤を一気に噴射し、地上50メートルから急減速を掛ける。殺人的なGがWA2000を襲い、頭の中で各所に想定外の負荷が掛かっている事を示すアラートが鳴り響くが、減速の手を緩める訳にはいかない。残り10メートルと言う所で何とか落下の勢いを殺しきり、ジャンプユニットをパージ、地面に着地した。

WA2000は全く散々な降下だったと嘆息したが、本当に散々な目にあうのはこれからだ、と気を引き締め直し集中する。

9Aー91から通信が入った。

 

「9Aー91、降下成功です」

 

「合流した後、無線封鎖で目標を目指すわ。こっちに来なさい」

 

「了解」

 

9Aー91がこちらに向かって来る。合流したら、作戦開始だ。

作戦に当初の案は使えない。WA2000達にはダミーもないし、鉄血にはハイエンドモデルもいる。難しい任務だ。

 

ーーだけど、指揮官はやれと言ったから、多分出来る。そう思う。

 

WA2000は野に解き放たれた獰猛な獣だった。機が来るまで静かに潜み、獲物を見つけると素早く飛びつく。首に噛みつき、へし折るまで決して離しはしない。WA2000は舌舐めずりをしながら静かに自分を研ぎ澄ました。

 

ーーさぁ、作戦開始だ

 



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誓約#3

3話
加筆修正版
ググッと読みやすくなったと思う、個人的には


今でも夢に見る。3年前の話、俺が初めて人形を指揮した時のことだ。当時はまだグリフィンの適正試験に合格したばかりの頃で、俺は殆ど素人同然だった。教科書通りの用兵を学び、一定の成績を収め、指揮官としてのポストを与えられた。後方幕僚なんて大層な名前の部下までつけられて、こう言われのだ。あなたはグリフィンの戦術指揮官足りうる信頼できる才能を持っている、と。グリフィンの為にその力を振るってくれ、と。至れりつくせりの環境を与えられ、こうも煽てられれば、理想に燃える馬鹿な若造が自分の力を過信してしまうのも、当然の話だった。俺はそうして、彼女に身の程知らずの約束をした。俺の初めての戦術人形。いつも強がって、本当の気持ちを見せてくれない彼女に。グリフィンの指揮官であれば、はなから守れる筈のない馬鹿な約束だった。

 

ーーこの先ずっと必ず生きて帰す、俺の指揮でそうさせて見せる

 

グリフィンの他の指揮官が聞いたら泡を吹きながら腹筋を痙攣させる様な世迷言を、俺は大真面目に彼女に約束したのだ。その約束を実現する事で、彼女が殺しの為の只の道具でいる必要などないのだと伝えたかった。自身が殺しの為だけの道具じゃないと気づけば、彼女が笑顔を見せてくれると本気で考えていた。でもそんな約束が本当になるわけなんてない。

人形が人間の代わりになって戦争をする世界、人形の命など、人形に命があるとすればだが、非常に安いものなのだと知識では知っていたのに。戦場で彼女達人形一人一人の命や尊厳などに頓着する事など、人間である俺たち指揮官にはありえないのだという単純な事実を、分かっていなかった。自分だけは他の指揮官とは違うと思っていた。自分だけは彼女を道具として使い捨てるのではなく、人間扱い出来ると本気で考えていた。戦場で酷使される彼女を哀れみ、思い上がって人形を人間扱いなんて、救いようのない馬鹿に、俺はなっていた。平和な街で民生用の人形を趣味嗜好の範囲で大事にするのとは違う、戦場で使われる彼女達は真実道具なのだ。いや、道具として扱わなければならない。そうしなければ、人間の権益を守れないのだ。そして、むしろその為に彼女達は存在する。人間の代わりに働き、人間の代わりに戦い、人間の代わりに娼婦となる為に、人形は生み出されたのだから。

詰まる所、俺はそれを理解していなかった。俺の言葉は戦場に於いて常識外れの世迷言でしかなく、なんの担保もない、実現性もない約束だった。当然彼女は俺の約束が世迷言だと分かっていた筈だ。彼女は俺が戦術指揮官になる前から戦場に身を置いていた人形なのだから。自身が必要なら使い捨てられる人形なのだと理解していた。だけど、彼女は俺の一方的な約束を嘲笑いはしなかった。ずっと見てみたいと望んでいた、しかし悲しそうな笑顔で。いつもの彼女からは想像も出来ないほど優しい声で言った。

 

ーーそんな下らない重荷を背負って、無理なんてしたら承知しないわよ

 

彼女は俺の約束を否定も肯定もしなかった。ただ俺の心を案じ、何も言わないでくれた。その優しさがどれだけ尊いものだったかを、俺はすぐに身を以って知る事になる。彼女、WA2000を俺の指揮で失う事によってだ。何の力もない若造の決意なぞ、現実の前では何の力もない。その戦場はいくつものイレギュラーに見舞われた。予定された補給が届かない。予定された援軍が来ない。想定を上回る戦力に囲まれ、鉄血のハイエンドモデルまで出てきた。教科書の用兵の想定を上回る現実。そういったしわ寄せを引き受けるのはいつも人形達なのだ。俺が指揮する戦術人形は次々と破壊され、俺の部隊は戦場からの撤退を余儀なくされる事になる。最前線で鉄血に占領された野戦キャンプから人間のスタッフ達をどの様に逃がすかが最重要の任務になった俺に、人形の命に頓着する余裕などなかった。だから、人間を逃がす為に取り残せば確実に死ぬと分かっている戦場に彼女を置き去りにした。撤退を援護する為の殿を彼女に任せ、彼女を使い捨てるしかなかった。俺の殿を命ずる言葉に彼女は恨み言1つ言わずにただ一言だけ、了解と言った。苦しかった。約束を守れなかった事も、自分にその力がない事も。そして何より彼女が俺に何も言おうとしない事が。あまりにも苦しかったから、今度は最低の嘘をついた。

 

ーーきっと迎えに来るから。それまで耐えてくれ

 

迎えになんて来れない。少なくとも彼女が生きているうちにには絶対に無理だ。それでも、言わずにはいれなかった。自己満足の自慰行為と分かっていても、そうでも言わなければ自分を許せなかった。でも失敗だった。だって嘘をついたって、もっと苦しくなるだけだ。どれだけ誤魔化そうとしても、いや誤魔化そうとすればする程、結局彼女を傷つけるだけなんだから。自分が無力だと思い知った。彼女達の献身の上に、人間は生きている。その本当の意味をやっと理解した。目に熱が溜まり、決壊しようとするのを抑える事も忘れて彼女の言葉に縋った。彼女に許しを求めた。

 

ーーま、期待してるわけじゃないけど?

 

ーー別に死ぬのは怖くないし

 

ーーでもまぁアンタが待ってろって言うなら

 

ーーずっと待ってる

 

ーーきっと、ずっと待ってるわ

 

それが彼女との最後の会話。彼女が稼いだ時間で、俺は野戦キャンプの人間達を撤退させる事に成功した。時間を掛け、部隊を再編し、再びこの地をグリフィンのものとするのに3ヶ月以上の時間を要した。この3ヶ月間の事を、後方幕僚のカリーナは一切語ろうとしない。他の戦術人形達もだ。俺は彼女を取り返す為にはなんでもやった。そうして3ヶ月後に、その戦場を今度は確実にグリフィンのものとした。そうしてすぐさま彼女の姿を求めて戦地を彷徨った。もしかしたら生きてるかもしれないとも思った。戦術人形は、セーフモードに以降する事で3ヶ月の時間を無補給で耐える事が出来るからだ。最悪、頭殻さえ無事ならメモリーは引き出せる。その可能性がある限り、俺は彼女を新たに製造するつもりなどなかった。

そして見つけた。彼女は殿を任せたポイントから1キロメートル近く離れた場所で見つかった。彼女が俺に触らせてくれなかった彼女の愛銃は、その手前500メートル程で見つかったが、予備のものまで含めて弾は撃ち切られていた。彼女の四肢は引き千切られ、胴体の近くに散乱していた。打ち捨てられた右腕にはコンバットナイフが握られているから、彼女は弾が切れた愛銃を捨てた後、鉄血に追われながらナイフ一本で500メートルを逃げ続けたのだと分かる。服は剥ぎ取られていて、無惨な肢体を灰色の空の下に晒している。腹が割り開かれ、内臓に当たるユニットを破壊されている。生きたまま嬲られたのだとわかった。顔は痛みと苦しみに歪んでいて、歯を食いしばって表情筋が引き攣ったままでいる。しかし彼女の最後は、四肢や胴体への拷問ではなく頭殻への陵辱だった。額から上の装甲が剥ぎ取られ、人間で言う脳の部分がグチャグチャに掻き回されている。決定的に、彼女の魂は殺害されていた。血涙と鼻血に汚れた顔で糞尿を撒き散らした無惨な彼女の死体。これが、俺の無力の証左だった。約束なんて守れる訳もなかったのだ。必要とあらば、俺は何度でもこの地獄に彼女を突き落とさなければならない。それが指揮官である俺の義務なのだから。俺は人々を守るのが役目で、人形を守るのは二の次なのだ。

涙は出なかった。そして、この時やっと、彼女が好きだったと気づいた。好きだったから、彼女を守りたかったのだ。彼女の笑顔を引き出したかった。素直な気持ちを聞いて見たかった。本当はチョコアイスが好きな事も、それを隠そうとしてた事も知ってた。可愛いのにって、言ってあげたかった。

彼女は今際の際に何を思ったのだろう。或いは俺の事を思い出しただろうか。口だけで碌に実力を伴わなかった俺を、恨んで逝ったのだろうか。もう誰も、その問いに答えを与えてくれる人などいない。後はただ、俺が勝手に救われるだけだ。彼女が俺の約束を否定も肯定もしなかったから、俺は身の程知らずな背中に、何も背負わせないで済んだ。彼女が俺の身勝手な嘘に応えてくれたから、彼女を置いて撤退する自分を許す事が出来た。

俺は3年前のこの時、やっとグリフィンの戦術指揮官になったのだ。人形を兵器として正しく扱い間違えず、人々の権益を守る為に戦う指揮官に。守れもしない約束をしようとした。嘘をついた。やっと理解した。彼女達を人形扱いする事こそ、唯一彼女達に出来る俺たち人間の誠意なのだと。

俺はWA2000を復元した。しかし彼女は何も覚えていない。俺の約束も、嘘もだ。今はもう只の人形。そして俺ももう只の指揮官だった。俺は指揮官としての義務を果たし、彼女も人形としての義務を果たすーー

 

「私の名前はワルサーWA2000。指揮官、私の足を引っ張ったら承知しないわよ」

 

「ーーああ」

 

「ーー知ってる」



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誓約#4

4話
一人、また一人


誓約#4

 

陽動部隊の目的は、既に敵の殲滅ではなかった。2日前に行われたブリーフィングで想定されていた鉄血の予想戦力は、旧式の人形が200弱といった所であったのに対し、実際の敵戦力は旧式の通常モデル約300体に、ハイエンドモデルが2体も存在したからだ。概算で2倍以上の戦力だった事になる。元々は200弱の敵戦力を、5体の戦術人形それぞれに4体のダミーを制御させる事で数の差を補いつつ、足りない分を人形そのものの性能差と高度な連携でイーブンにする作戦だった。が、敵戦力が2倍にまで跳ね上がってしまってはこの作戦では勝ちようがない。どう足掻いても数の差を埋められず、すり潰されてしまうだろう。

正面から撃ち合っても勝ち目はない。従って部隊を2つに分ける事とした。1つは陽動部隊、1つは本命へと侵攻する隠密部隊だ。敵戦力の殲滅は諦め、作戦目標の達成にのみ注力する。即ち、陽動部隊によって敵の注意を限界まで、つまり隊員全員が死ぬまで引きつけ、その間に本命部隊が通信施設の奪還を目指す。

通信施設の奪還には施設全体のコントロールルームまで潜入し制御プログラム書き換えの作業が必要だ。それが困難だと判断された場合は次点の目標、周辺の通信をジャミングしている施設の直接爆破を目指す。通信ジャミングがなくなりさえすれば、通常戦力を投入し敵戦力と対等な条件で戦闘する事が出来る。然る後に、施設は改めて奪還すればいい。

そして陽動部隊の目的は、本命部隊がその作戦目標を達成するまで戦い続ける事。勝てるわけがない戦いを、出来るだけ長く続ける事だった。

どれだけ敵を倒しても終わりは来ない。どれだけ局地的な戦闘に勝ち続けても、撤退の許可は下りない。戦闘の終わりは隊員全員の死。つまり指揮官が下した命令を平易な言葉に直すのなら、出来るだけ長く戦ってから死ね、というものだった。

そんな人間の兵士ならまともに受け入れる事も出来ない命令を、しかし陽動部隊の戦術人形3人は当然の事のように受け入れた。そうする事で最終的に目的を達成出来るなら仕方ない、人形には換えが効くのだから、と。彼女達は死を恐れたりはしない。例え今稼働している人形が死んでしまっても、記憶を再インストールした別の自分が起動されるからだ。

陽動部隊を指揮する男、指揮官もその事を理解していた。3年以上に渡り人形を指揮し、人形が必要とされる戦場を経験してきた。人形が自身の死に一々頓着する事も、指揮をするものがそれを一々気に病む必要も、それぞれ全くない事を知っている。今指揮官の頭の中にあるのは、どの様に人形を使い潰していけば時間を多く稼げるのか、という事だった。

 

「さて、どうしましょうかね……? 指揮官……?」

 

通信先から疲れ切ったFALの声が聞こえる。

ーー戦闘開始から3時間、陽動部隊は完全に包囲されていた

降下後、陽動部隊はその性質上取りうる戦術を制限された。まず、正面から戦力をぶつけ合う様な正直な戦い方は出来ない。彼我の戦力差が大き過ぎるからだ。更にゲリラ戦という形で敵に消耗を強いる様な戦い方も出来ない。この部隊の目的は陽動、敵の注意を引く事にある。常に敵に大きなプレッシャーを与え続ける必要があり、ゲリラ戦というある種待ちの戦い方は出来なかった。そこで陽動部隊に残された選択肢は1つ、遊撃、という形で敵の戦力を徐々に削いで行く事だった。つまり人形の圧倒的な性能差で敵を撹乱し、常に動き続ける事で戦場を転々としながらジワジワと損耗を強いる戦術だった。そうする事で敵に包囲される事を防ぎつつ、プレッシャーを与え続ける事が出来る。実際にこの戦術は功を制し、徐々にではあるが敵の戦力を削ぎ、逆にこちらの損耗は最低限に留められている。

しかしそれにも弱点はあった。敵の量が、やはり多すぎるのだ。鉄血のハイエンドモデルは、まずこちらを包囲する様な形で部隊を布陣し、陽動部隊の逃げ道を塞いだ。そうしておいて次に敢えて包囲網に穴を開けたのだ。陽動部隊は、それが罠だと知りながらも、その罠に飛び込むしかなかった。

そうして誘い込まれた場所こそG36が戦っていた、横倒しになったビルの目の前だった。そのビルは元々半径500メートルの円状の平地の中心に建設されたものだった。周りに他のビルや建造物はなく、倒れたビルそのものが半径500メートルの円を2分するかの様に横断し、瓦礫という形で積み重なっているのみだ。そして辺り一帯には他に障害物となるものは少なく、この瓦礫の山を陣取った方が戦場の主導権を握ると言ってよかった。陽動部隊はその瓦礫の山の麓に追い込まれ、僅かな障害物の陰に潜り混んでいる。辺り一帯は平地で、身動きは取れなかった。

 

戦闘時間は既に3時間。 指揮官は陽動部隊3人の状態をそれぞれ確認した。

MP5、装備は9ミリのSMGだ。状態は小健状態と言ったところか。人形本体には大きな傷は負っていない。残りダミーは2体。最前線で敵のヘイトを引き受けていたにしてはよく保っている。あと暫くはいけるだろう。

しかしSMGのスコーピオン、こちらは少し厳しい。右上腕部と左大腿部に被弾している。特に左大腿部の被弾が致命的だ。大腿部を通り脚部の稼働を支えている人口筋肉が断裂しかかっている。被弾した事で生まれた人口筋肉の切れ目に、スコーピオンが戦闘機動を行う度に負荷がかかり、徐々に裂け目が大きくなっている。

スコーピオン含む、グリフィンの戦術人形の激しい機動は、全身に張り巡らせられた人口筋肉によって実現されている。この人口筋肉は機械的な駆動装置と比較し、非常に軽い上に瞬発力がある。が、筋肉の繊維が千切れ筋繊維の束に裂け目が入り、そこに戦闘機動という過酷な負荷が掛かればいずれ全体が裂けてしまうのは自明だった。遠くない未来に左大腿部の人口筋肉が裂けてしまうだろう。そうなったら一巻の終わりだ。敵の目の前で走れなくなった兵士は死ぬしかない。スコーピオンは下がらせるか、さもなければ何か有効な使い方を考えなければならないだろう。残りダミーは1体。そう長くは保たない。

FALはこの中だと一番被害が少ない。ARの人形で本体に損傷はなし。ダミーも3体残っている。この部隊の火力を担っている人形だ。陽動部隊をどう動かすにしても、このFALを中心に置く事になるだろう。

 

「FAL、状況を知らせろ」

 

「指揮官、完全に囲まれたわ。残念だけど、後は弾切れを待つばかりね……」

 

「諦めるのはまだ早いぞFAL。たった3時間を稼いだだけではWA2000も任務に失敗するだろう。気をしっかり持て」

 

「そうは言ってもね指揮官、実際打つ手はーー」

 

爆発音。続いてパラパラと細かい破片が落ちる音が聞こえる。FALのすぐ近くで手榴弾の爆発。

 

「被害状況は?」

 

「くっ、ダミーがやられたわ!本体は無事よ!」

 

「わかった、確かにこのままでは時間の問題だ」

 

敵の圧力が強くなってきていた。このままでは30分と経たないうちに部隊は全滅してしまうだろう。

 

「どうするの!?」

 

「落ち着けFAL、そこから指揮を行なっているハイエンドモデルは確認出来るか?」

 

「居るわ。瓦礫の山の、私達から見て向こう側に居る。さっきから顔を出しては引っ込めを繰り返してるわ」

 

「よし、それならばFAL、お前達はそこで待機だ。極力損耗は避けろ」

 

「指揮官、でもーー」

 

しかし、そうは言っても陽動部隊に次の手はなかった。完全に包囲され、地の利もあちらに有る。追い立てられ、逃げ込んだこの場所から出ることも叶わず、周囲の包囲は時が経つ程強固なものとなっていく。戦況は膠着状態だった。そして戦況の膠着とは即ち、戦力の断続的な消耗を意味する。陽動部隊は補給もなければ撤退もない。膠着を許せば、時期に部隊は戦闘能力を失ってしまうだろう。

そうでなくとも包囲殲滅されるのは時間の問題だ。誰が見ても明らかな事だった。そう、鉄血の部隊を指揮するハイエンドモデルから見てもそうだった。だからこそ鉄血はこの場所に布陣し、部隊を迎え打ったのだから。つまり、この場所まで誘い込まれ、膠着した時点で陽動部隊に勝ち目は無くなっていた。最初から、この場所を取られた時点で負けていたのだ。

 

ーーそう、普通ならな

 

鉄血のハイエンドモデルが読んだ様に、当然指揮官もこの戦場の要地を理解していた。この戦場の要地はいくつかあるが、その中でもこの横倒しになったビルの重要度は高い。まず、300メートルという超高層のビルが横倒しに倒れた事で、戦略的に何も価値のない平地に防衛線を築く基礎が出来上がっている。そしてグリフィンの立場から見れば、ヘリによる補給ポイントから程近い位置に存在し、逆に鉄血の立場から見れば仮想敵であるグリフィンの前線基地から来る部隊の出頭を叩く絶好の防衛線なのだ。そして、今このビルを陣取り、主導権を握っているのはハイエンドモデル率いる鉄血の部隊なのだ。当然、部隊はこの場所に追い立てられ、刈り取られる事になる。

そう、指揮官には最初から分かっていた。陽動部隊が取りうる唯一の戦術は何か、鉄血のハイエンドモデルが何処に部隊を誘導するのか、そして、ハイエンドモデルが何処に陣取るか、それら全てがだ。降下前ヘリの中で当初の作戦案を破棄し、陽動部隊を指揮すると決めた時からこの展開は想定の内だった。

 

ーーああ、そして

 

ーーこれは、俺が最も期待していた展開だ‥‥!

守備部隊として先んじて戦闘を行なっていたG36と彼女の下に付いていた戦術人形達に、指揮官が下していた命令は3つあった。

1つ目、ヘリの降下ポイントを確保し、WA2000率いる部隊の安全な降下を援護する事。これはジャミングに対抗する事が出来る唯一の部隊を、最も危険な降下の段階で失わない為に必要な事だった。実際には敵の戦力が予想を大きく上回った為、降下ポイントを確保する事は出来たものの、安全な降下とまではいかなかった。

2つ目、降下地点が確保出来たなら降下地点を守備しつつこの件のビルを制圧する事。このビルが戦場の要地で有ることは自明だ。部隊が降下した時、このビルがグリフィンの手に有るか鉄血の手に有るかで作戦の成功率は大きく変わるだろう。G36には降下地点が確保出来て居るのなら、他の戦力は全てこのビルの制圧に指し向ける様に命令していた。そして、G36はその命令通りにこのビルに全戦力を投入し、この地を占領する事に成功した。ここまでは、指揮官はG36からの報告を受けている。しかし敵

には予想外の戦力がいた。鉄血のハイエンドモデルだ。このハイエンドモデルにより、一度占領したビルをすぐさま奪い返されてしまう。これは指揮官にも予想外だった。まさか鉄血にハイエンドモデルが居るとは考えていなかった。衛星画像の入念な解析では、ハイエンドモデルの存在を確認していなかったからだ。

そして3つ目。もし、もしなんらかの理由で占領したビルを放棄せざるを得なくなった場合には、

 

ーービルの瓦礫の山に軍用超高出力EMPを仕掛けること

G36は命令を遂行した。つまり、今、ハイエンドモデルの足元にはあらゆる電気電子機械を強力な電磁波で破壊する、究極の対人形用兵器が埋まっているーー!

 

ーーG36、お前は本当によくやってくれた。その働きは、決して無駄にはしない

 

ハイエンドモデルは今確実に勝利を確信している。通信が出来ないにも関わらず生意気にもビルを占領したグリフィンの人形を殺し、その後命知らずにもこの地に降下した部隊を自分の指揮によって追い詰め、勝利のフィールドに誘い込み、今、ジワジワと嬲り殺しにしている。そう考えているのだ。本当に誘い込まれたのは、自分の方であるとも気づかずに!

 

「誘導部隊各位、俺の合図で対EMP自閉モードに移行しろ」

 

「し、指揮官?EMPって、どうしてそんな物を!?」

 

FALから驚愕の声が返って来る。当然だ。EMP兵器の中でも、軍用超高出力モデルともなれば、PMCであるグリフィンが所持運用出来るかどうかなど、非常に危うい兵器であるし、そもそもこの種のEMP兵器を1つ買うのに人形を数百は製造出来る程の金が掛かるのだ。

 

「質問は後だFAL、自閉モードに移行しろ」

 

「ーーっ!」

 

戦術リンクからFALとMP5がオフラインになる。自閉モードに移行し、通信が切断された為だ。しかしスコーピオンだけはいつまで経っても戦術リンクから消えない。敵はそこまで迫って来ているのに。

 

「どうしたスコーピオン?早くしろ!すぐそこまで鉄血がーー」

 

「指揮官、私、腕と足に大穴空いてるんだよ?電磁シールドなんて、意味ないよ」

 

えへへ、と笑ってスコーピオンは言った。確かに、スコーピオンは右腕と左大腿部に被弾していた。自閉モードで人形の頭部にある制御システムを守っても、人形の体の方はEMPに耐えられない。基本的に第3次大戦移行の人形のボディにはEMP対策が施されているのが常だが、今のスコーピオンの状態では、それは十分に機能しないのは明白だった。

 

「ーーっ! スコーピオン、ここは」

 

「分かってるでしょ指揮官、私は大丈夫だから、やって?」

 

その通り、指揮官は理解している。彼女達が死を恐れない事を。しかし、彼女の声がいつもより上擦って震えている様に聞こえるのは気のせいだろうか?彼女の声に、圧し殺した恐怖の感情を読み取ってしまうのは、本当に勘違いなのか?

だが、指揮官は迷うわけにはいかない。EMPを起動しなければ、部隊は全滅する。そうなればWA2000達も任務に失敗し、作戦は総崩れだ。そこまで考えて指揮官は思考を止めた。

ーー考える必要なんてない。いつもやってきた事だろ?。3年前のあの時から、俺はいつもそうしてきたのだから。

 

「やるぞ、スコーピオン」

 

「うん、指揮官。次の私もよろしくね?」

 

そう言って笑ったスコーピオンの声を聞きながら、指揮官はEMPの起動コードを送信し、通信を切った。EMPの作動時間は2分間。変化は直ぐに始まった。辺り一帯にブンッという低い音がなると、その音が続きながら徐々に高くなっていく。最初は低く、やがて人の可聴域を超え、そしてーー

 

「ぁぁぁぁぁぁぁああああああ“あ”あ“あ”あ“!!!!!!!」

瓦礫の山の向こうにいる鉄血のハイエンドモデルの悲鳴と、

 

「う”ぶぶぶぶぶぶ!!!!!」

 

歯を食いしばって耐えるスコーピオンの圧し殺した悲鳴が静かに響き渡った。辺り一帯の銃声が止み、2人の悲鳴だけが鳴り響いている。鉄血の旧式人形は、音もなく焼け死んだのだろう。

2分後、指揮官はEMPの作動時間が終わるのを確認すると、通信を開いた。

 

「FAL、応答しろ」

 

FALは間もなく回線を開き応答した。

 

「こちらFAL、どうぞ」

 

「状況を報告しろ」

 

了解よ、と言ってFALは視界映像を指揮官に送った。鉄血の人形は残らずEMPで焼け死んだ様で、FALは射線に晒されるのを気にとめた風もなく、立ち上がり、辺りを大きく見回した。その時、戦術ネットワークに、微弱だがスコーピオンのシグナルが反応した。

 

「指揮官!スコーピオンが!」

 

「FAL!救助しろ!」

 

スコーピオンの座標に駆け寄ったFALと指揮官が目にしたのは、ボロボロに焼け焦げたスコーピオンの姿だった。しかし、その姿は既にスコーピオンの死が不可避のものである事が見て取れる物だった。右腕と左足の損傷が特に酷い。被弾して穴が空いた所から電磁波が流れ込み、身体中を焼いたのだと分かった。スコーピオンが口を開いた。

 

「ぅ……うぅ……ぃたぃ……ぃたぃよぉ」

 

スッとFALが顔を逸らした。FALはその姿を直視出来なかった。これはもう、生きている方が辛いだろう。遅れて駆け寄って来たMP5も、スコーピオンのその姿を見ると苦々しく顔を歪めた。

 

「命令だFAL、処分しろ」

 

FALは了解、と小さく呟くと銃口をスコーピオンに向けた。

 

「ぁ……り、がと……ぅ……」

 

 

EMPにより半径500メートルの鉄血人形は完全に焼け死んだ。FALとMP5はまだまだ戦う事が出来る。指揮官は意図してスコーピオンの事を頭から追い出すと、次の戦場を頭に思い描いた。

 



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誓約#5

誓約#5

 

 4時間で7キロメートル。WA2000と9A-91が踏破した道程は、敵地での隠密行動であったことを考えれば殆ど驚異的と言えた。彼女達の最も強力なアドバンテージはその存在を鉄血に知られていない事だ。敵地の只中に在りながらここまで密かに辿り着く事が出来たのは、偏にこのアドバンテージが機能した為であった。降下の段階から徹底して存在の痕跡を最小限に抑え鉄血にとって存在する筈がない敵であり続けられた事が、彼女達の存在を隠す迷彩として機能していると言っていい。更に装備の差、という点にも助けられている。熱光学迷彩を纏い進む事で、鉄血の旧式人形の目を誤魔化したのは1度や2度ではない。姿を消し、音を出さなければ、鉄血の人形には彼女達を見つけ出す術がない。加えて陽動部隊が陽動を行っている事で、そもそも鉄血の警戒が薄い。足音を立てて進む事も出来ない戦場で7キロメートルという距離を進む事が出来た理由が、これらだった。

 しかしもしひと度鉄血に潜入している部隊が居ることが発覚したら、彼女達はアドバンテージを失い、作戦の成否は急速に失敗に傾く事になる。例え装備で勝っていても、例え陽動の影に隠れていようと、一度でも鉄血に隠密部隊の痕跡を発見され本気で捜索を開始されたら最後。それは鉄血が彼女達の死体を上げるまで決して止まらない。戦力の差は歴然だ。直接の戦闘は絶対に避けなければならない。

 WA2000と9A-91は細心の注意を払って進んで来た。通信施設まで残り3キロメートル。大きく迂回したことで当初の予定より余計に長い距離を踏破した事になるが、背に腹は変えられない。

路地の裏で熱光学迷彩を纏い周囲を警戒していたWA2000の背後が、陽炎の様に揺めき、音もなく人影が現れた。先行して偵察を行なっていた9Aー91だ。9Aー91はWA2000の背後をカバーする様に背中合わせで現れ、戻りました、と一声掛けた。偵察に出てからまだほんの10分程度だが、9Aー91は目的を果たして戻った様だった。その手際の良さと無音の帰還にWA2000は内心で舌を巻くしかない。9Aー91の接近にWA2000は全く気づく事が出来なかった。もし鉄血に9Aー91と同じ事が出来る人形が居たら、もしこの瞬間その人形が背後に居たら、WA2000は全く抵抗出来ないまま殺されて居ただろう。この7キロメートルで、9Aー91の潜入作戦への適性に何度助けられたか知れない。

 

「どう?」

 

「目を付けていたあそこの5階建てなら、問題なく入れそうです。周囲に鉄血は確認出来ませんし、極最近に鉄血があの廃屋に入った形跡もありません」

 

流石と言う他ない。WA2000がヘリの中で彼女を相方に選んだのはやはり正解だった。迅速で正確な偵察。残りのメンバーには不可能だ。

 

「流石ね9Aー91。偵察の痕跡は残してないでしょうね?」

 

WA2000は9Aー91を信頼している。だから、その言葉も只の確認の意味以上のものは無かった。普段の彼女なら、問題ありません、と返ってきてそれで終わり。今回もそうなるだろうとWA2000は考えていた。

 

「ーー今更、そんな事を私に聞くんですか? 」

 

数瞬、何を言われたのか判らなかった。常の彼女からは聞いた事がない様な冷たい声色で、予想外の答えが返って来た事に、WA2000は動揺を隠せなかった。

 

「え?」

 

「不安なら貴方が偵察に出たっていいんですよ?」

 

聞き間違いではないようだ。確かにここまでの道のりで、WA2000は9Aー91に多くを助けられて来た。今更彼女の仕事に口を出すのは可笑しな話なのかもしれない。しかし、余りにそれは彼女らしくない言葉だった。そして当の彼女自身もそう感じた様だった。

 

「っ、いえ、なんでもないです。忘れてください」

 

9Aー91は強引に会話を打ち切ると、行きましょう、と言ってそそくさと先に進んでしまった。

 

ーーなんなのよ!一体!

 

そう思っているうちにも9Aー91はどんどん先に行ってしまう。着いて行かなければ、本当に置いて行かれてしまうだろう。WA2000も彼女の後に続いた。

2人は予め目当てを付けていた、周囲一帯で一番背の高い廃屋に入り、鉄血の人形の気配が屋内にない事を確認すると最上階の5階まで階段で昇った。9A-91がポイントマン、WA2000がバックアップマンの二人一組だ。階段を登りきった2人は、クリアリングを行いながらホコリまみれでコンクリートの破片が散乱する廊下の突き当りまで進んだ。条件に合う部屋、3キロメートル先の通信施設を望める東向きの角部屋まで来ると、素早く中に入り左右に別れ窓からの視線に入らないように壁際にピッタリと張り付く。9A-91が窓からゆっくりと顔を出して周囲を確認し、漸く辺りに鉄血が居ない事を認めると2人は警戒度を落とした。

この先、通信施設までの最後の3キロメートルは鉄血の警戒度が段違いに上がってくる。足を踏み入れる前に、一度偵察を行う必要があった。この場所なら3キロメートル先の通信施設を望む事が出来る。鉄血人形の配置、巡回ルート、そこから導かれる2人の侵入ルート、全ての情報を現地調達しなければならない。WA2000は照準器を覗き込むと銃口を通信施設に向けた。窓から銃口が突き出してしまわない様に注意しながらじっくりと施設を観察する。

先程の事があっても、2人の息はぴったりと噛み合っている。この7キロメートルの道程を、ミスなく進んで来られたのは、WA2000と9Aー91の間にある暗黙の連携があってこそだ。WA2000は9Aー91を信頼しているし、逆に9Aー91から信頼されている事も感じている。司令部に居る時も、暇があれば一緒に居る事が多いし、食事を共にする事も多い。指揮官も、2人を組ませる事が多々あった。だからこそWA2000には分からない。9Aー91の先程の言葉は聞き間違いなどではなかった。お互いのパーソナリティは把握し合っている、そう思っていたのに。

 

「視えますか?ワルサー」

 

 9A-91は引き続き辺りを警戒しながらWA2000に確認した。

 

「視えるわ。視界良好とはいかないけどね。遠いわ」

 

 WA2000は照準器を通して瞳に届く光学映像に補正を掛け、なんとか視界を確保する。

 

「側面から入れそうですか?裏まで廻るのは遠慮したいのですが」

 

「それは問題なさそうね。このまま真っすぐ直進してそのまま中に入ってさえしまえば、なんとかなりそうよ。視える範囲では施設の中に居る鉄血は2~30って所かしら。ハイエンドが中に居るんでしょうけど、それは確認出来ないわ」

 

「わかりました。情報を共有してください」

 

 9A-91の言葉にWA2000は頷いて見せると、極短距離にしか届かない電波で9A-91に偵察で得られた情報を共有した。

 

「夜まで待つと言うのはどうでしょう?暗闇は私達にも有利に働くかと」

 

9A-91の提案に、WA2000はかぶりを振って答えた。

 

「夜まで待つ意味はないわ。私達は夜戦用の装備をしてないじゃない。それに、日が落ちて気温が下がれば私達の体温も目立つわ」

 

熱光学迷彩を纏っていればある程度は漏れ出る熱源を隠せるが、周囲との温度差が開けば隠蔽は完璧とは言えなくなる。それに日が落ちるまではまだ6時間以上はある。陽動部隊が機能している内にギリギリまで進んでおきたい。

WA2000の答えに、しかし9Aー91は苦い顔をした。判断が不服らしい。それ自体はいい。だがそれを分かりやすく顔に出すのは、本当に彼女らしくない。一体何が9Aー91にそうさせるのだ。

 

「ーーわかりました。ですが少し休憩は取りましょう。ここまで来るのにもかなりの消耗を感じています。ここから先はもっと厳しい道のりになりますから」

 

「そうね、20分よ」

 

そう言ってWA2000は照準器から顔を離して腰を下ろした。2人の間に沈黙が流れる。9Aー91はWA2000から顔を逸らし目を合わせようとしなかった。WA2000にとって、9Aー91と組んで気まずさを感じるのはこれが初めてだ。

この先は敵の警戒が厳重になってくる。連携に淀みがある様では先には進めない。進みたくない。休憩は丁度良い機会だった。率直に、先程の事を訪ねる。

 

「ねぇ、アンタさっきは……」

 

「先程は」

言いかけたWA2000を遮った9Aー91が顔を逸らしたままで言葉を続けた。

「先程は、すみませんでした。普段はあなたにあんな風に感じないのに。あの時は感情が膨れ上がってしまって。思えば、2日前にアップデートを受けた時から変なんです。時々頭の中で、普段は気にも留めない様な事を考えてしまう事があって」 

 

ーーあなたとは長いのに、変ですよね、と9A-91は難しい顔をして言った。

 

「覚えがあるわ。確かに、2日前からかもしれない。産まれた理由とか、戦う理由とか、普段は考えもしなかった事を考えてしまう。指揮官の声を聞き逃す位、それに没頭してた」

 

WA2000の言葉で、9Aー91は顔を歪めた。歪んだ顔のまま9Aー91は吐き出す様に話し始めた。

 

「産まれた理由や戦う理由。私もさっきから考えていました。でも、きっとあなたには分かりませんよ。あなたは壊れてないから。あの人の隣で、自分は殺しの為の道具なんだって言ってずっと昔から憚らない貴方には一生わかりません。疑った事なんてないんじゃないですか?疑問に思っても、すぐに答えを決めつけてしまうんじゃないですか?産まれた理由も、戦う理由も、そう言う目的で産み出されたからなんだって。あなたは人形としては正しいのかもしれない。でも私は違う。私は壊れてしまったのかも知れません。だけど、だからこそあなたには分からない事が分かる気がします」

 

WA2000には、9Aー91の言っている事の意味が分からなかった。伝わってくるのは、WA2000に対する怒りだけだ。何故9Aー91は怒りを向けてくる?何に対して怒りを感じている?

9Aー91は踏み込んでは行けない所に踏み込もうとしている。求めては行けない物を求めようとしている。そんな言い知れない予感が、悪寒となってWA2000の背中を走った。

 

「あの人って? わかるって、何が? 何がわかるの?」

 

それは、と言い掛けて9Aー91は口を噤んだ。

 

「9Aー91?」

 

「それは、あなたには言いたくないです」

 

その言葉に、今度はWA2000の感情が大きく膨れ上がった。

 

「言いたくないじゃないわ!ふざけないで!」

 

だが、9Aー91の拒絶は、WA2000の感情を跳ね除け、絶対だった。ずっと逸らしたままだった顔をWA2000に向けて強い感情を見せた。

 

「言いたくないんですっ……!」

 

WA2000には9Aー91が向けて来る、しかし説明しようとしない敵意の根源が分からなかった。何故、9Aー91は自分に敵意を向ける?何故?

2人の間に沈黙が流れる。9Aー91は交わった視線を逸らさなかった。どうやら本当に何も言う気が無い様だった。

 

その時、WA2000の耳に何かを蹴る様な音が届いた。二人のものではない。今のは、部屋の外、廊下の先で床に散乱する、コンクリートを蹴った音だーー!

WA2000は即座に熱光学迷彩を纏い、素早くしかし無音で部屋を出た。扉をくぐり、廊下の先にーー居た。速い、もう階段を昇りきってる。鉄血の人形が3体。二人が入ってきた時と同じように、ゆっくりとクリアリングをしながら此方に向かってくる。このまま廊下を突き当たりまで来れば、9A-91が居る部屋だ。部屋を方を見ると、9A-91も状況を把握したのか、WA2000と同じく熱光学迷彩に身を包み、銃を構えている。

今は、気持ちを切り替えるしかない。WA2000は9Aー91とのやり取りを頭から綺麗に追い出し、敵を見据えた。

WA2000は考える、鉄血は何故この場所が分かったのだ?、と。

幾つか考えられた。一つはこの廃屋が巡回コースの一部である場合だ。つまり、奴らは今通常のルーチンに従って動いてるだけかもしれない。もしそうなら、まだ二人の存在が鉄血に露見している訳でない事になる。このまま熱光学迷彩に身を隠し、息を潜めていれば、奴らはWA2000達の直ぐ隣を通り過ぎ何事もなく帰って行くだろう。そうすれば二人は再び任務を再開に、3キロメートル先の通信施設を目指して進行すればいい。何も問題はない。

しかし、この場所が巡回コースの一部であるとは考え辛かった。そもそもこの廃屋に入る前に周辺の土やコンクリートの破片が踏み荒らされているか、定期的に人形が通っている痕跡がないか、9Aー91がよく確認した。中に入ってからも、埃に足跡は残っていなかったし、人形が訪れた真新しい痕跡は見つからなかった。つまり、この場所に鉄血が入ってくる事は完全なイレギュラーなのだ。

そして、不味い事に二人はここまで足跡を消して来てはいない。積もった埃には、しっかりと二人分の足跡が残っている筈だ。鉄血は二人の足跡を発見しているに違いない。そう思って改めて見ると、鉄血の動きは自身の領域に不届きものが侵入したのを、前提にしたかの様な動きをしていると見る事が出来る。ねっとりとした確実なクリアリング、通常の進行スピードの半分以下の速さでゆっくりと近づいて来るのは、この階に二人が隠れ潜んでいる事に気付いているからではないか?もしそうなら早急にこの場を離れなければならない。既に外には異常を察知した鉄血の人形共が続々と集結しているかもしれないからだ。目の前の3体を手早く処理し、この廃屋から逃げ出さなければ全滅だ。今なら先手を取れる。そうだ、足跡が見つかっていない筈がない、直ぐさま目の前の鉄血を撃ち殺すべきだーー!

WA2000は指がトリガーを引き絞ろうとする本能を、強大な理性で抑えこんだ。

まだだ、まだ見つかったわけではない。例え足跡が見つかっていても、この場をやり過ごしさえすればまだ任務を継続出来る筈だ。しかし、もしここでこの3体を撃ち殺せば、即座に鉄血は異常に気付く。そうなれば一巻の終わりだ。この場所に鉄血が大軍を引き連れてやって来る。作戦は失敗。二人とも方位殲滅されてしまう。

鉄血がゆっくりと近付いてくる。ゆっくり、ゆっくり、と。

 

「足跡がある」

 

「入った形跡はあるが出た形跡はない」

 

「まだこの中に居る」

 

感情を感じない無機質な声で鉄血の人形が情報をやり取りしている。やはりこの廃屋に入ったことは既に知られている。

トリガーに掛かった指に力が入った。

 

ーー殺すしかない……

 

ーー駄目だ、殺せば作戦は失敗する!

 

ーーどの道もう潜入した事は知られてしまったのだ、撃ち殺して逃げるしかないだろう……

 

ーー駄目だ!ここをやり過ごせれば、まだ挽回出来る!

 

激しい葛藤の中で、しかし理性が辛くも勝利を収めた。鉄血が直ぐそこにいる。僅か1メートル先だ。奴らの息遣いの一つ一つが間近に聞こえる。瞳が極限まで見開かれる。ゆっくり、ゆっくり、鉄血はWA2000の直ぐ横を通り過ぎて行き、部屋の中へ。鉄血は熱光学迷彩を被った二人を見つけられない様だ。大丈夫、迷彩はちゃんと機能している。鉄血は部屋の中をぐるりと見回し、窓から下を見下ろした。

 

「さっきまでここに居た」

 

「そう時間は経っていない」

 

「飛び降りたのか?」

 

鉄血は部屋の中を観察しだした。足跡、熱源、痕跡は残っている。 

 

「やはり二人」

 

「人形か?人間か?」

 

「人形だ、足跡に規則性がある。人間ではこうはならない」

 

ーーならばグリフィンだ、と言って鉄血は部屋の探索を続ける。

 

「まだ屋内に居るか?」

 

「廊下にはこの部屋から出た時に出来る足跡はなかった」

 

「足跡がこの部屋で途切れている、飛び下りたのではないか?」

 

ーー早く行け、早く、早く!

 

「ーー応援を呼ぶ、この廃屋を徹底的に調べるぞ」

 

そう言って鉄血のうちの1体が徐に頭側の無線機に手を伸ばしーー

9Aー91がそれを許さなかった。銃声が3回。全てを頭に叩き込み、素早く3体を沈黙させる。“9Aー91”の銃声は最小限だった。

9Aー91が行きましょう、と言って廊下を進み階段を降り始める。

正確な判断だった、とWA2000は思った。WA2000も応援を呼ばれて包囲される位なら撃つしかないと判断した。しかし、9Aー91の方がその判断に要する時間が一瞬早かった。先程は自分を壊れていると言ったが、その判断の早さと正確さには一切の淀みがない様に見られる。むしろ、判断に迷っていたのはWA2000の方だった。もし9Aー91撃たなかったら、WA2000はもう少し様子を見ようとしたかもしれない。 少なくとも、9Aー91の様に即断する事は出来なかった。

WA2000は9A-91に追い付きバックアップに付く。WA2000がバックアップに付いたのを確認すると、9Aー91は無言で迷彩を脱いで走り出した。通信施設の方向だ。言葉を交わさなくても、次にどうすればいいか分かっている。 包囲は時間の問題だ。そして、包囲が確実であるなら、通信施設の中で包囲された方が遥かにマシだ。退路はないが、作戦目標を達成する事は出来るかもしれない。ジャミングを行っている施設さえ破壊出来れば、あとは後続の部隊がなんとかしてくれる。

WA2000と9Aー91はお互いにそれが分かっている。だから口に出して確認しようとはしなかった。しかし、前はそれが息のあった二人の連携だと思えていたのに対し、今のそれは9Aー91の独断の様にWA2000には思えてしまう。9Aー91の背中がWA2000には語って見せている様に思われた。黙って着いて来い、と。もしWA2000がカバーに付かなかったとしても、勝手に先へ進んでしまうのではないか、そんな不安を覚える。

廃屋を出て、通信施設へ向かって大通りを駆け抜ける。戦術人形の後先を考えない全力疾走は時速45キロメートルにも達し、3キロメートル先の通信施設まで僅か4分しか掛からない。2人は勢いを緩めず駆け抜けながら、戦術ネットワークに接続した。もう無線封鎖をしても仕方がない。ネットワークから情報を吸い上げる。どうやら陽動部隊はまだ戦っているようだ。陽動部隊の方も思っていたよりはずっと近くまで来ている。今、丁度通信施設を挟んで向かい側に居るようだ。FALもMP5もボロボロだが、生きてはいる。WA2000はそこで、スコーピオンの反応がない事に気付いた。言い知れぬ感情が胸に去来する。仲間の死にこんな感情が生まれるのは初めてだった。スコーピオンは何故、どんな風に、死んだのだ?スコーピオンの死は必要なものだったのか?彼女を失った事で感じる、この胸の疼きはなんだ?

同じ様に感じたのかもしれない。前を走る9Aー91が声をあげる。

 

「ワルサー!スコーピオンが!」

 

だが、今は足を止める訳にはいかない。スコーピオンの事は、頭から追い出すしかない。

 

「今は忘れなさい!」

 

その時、前方に鉄血の人形が現れた。4体、廃屋の壁に身を隠し此方を照準している。彼我の距離は20メートル弱。撃たれてからでは避けられない。

9Aー91は左右にステップを踏み鉄血の射線を躱しながら、照準、発砲。フルオートの点射で4体を手早く処理する。

10メートル先の曲がり角から更に2体。9A-91は空になったマガジンを右指でリリースしながら左手でナイフを引き抜き、アンダースローで投擲。それが1体の頭に突き刺さる。WA2000がもう1体を照準し、発砲、しようとした時には、既に9Aー91は格闘戦の間合いまで距離を詰めていた。殆ど一瞬で距離を詰めた9Aー91は、ナイフが刺さり、今まさに倒れようとする鉄血からナイフを回収すると、身体を翻し返す刀でもう1体の頸部を両断する。頭部の制御ユニットから伸びる伝達系を断ち切られた鉄血の人形がその場に崩れ落ちた。

数秒の内に6体の屍を築きながら、9Aー91は殆どスピードを落とさずに駆け抜ける。兎に角速さが必要だった。包囲網が完成したら、通信施設には辿り着けなくなる。鉄血の兵力が分散している今を除いて、勝機はない。

背後から銃声。WA2000の顔の直ぐ横をライフル弾が飛び去っていく。しかし足を止めて応戦する余裕はない。

 

「右の路地に入ります!」

 

9Aー91がルート変更を即断する。狭い路地に入る事で、鉄血の旧式人形に対する運動性能というアドバンテージを殺してしまうのは避けたかったが、背後を取られたら元も子もない。入った先にも1体。9Aー91がフルオートで黙らせる。3つ先の横道からも更に2体。盾持ちだ。処理するには時間をが掛かる。今度は撃ち合わずに手前の横道に入る。後ろから2体分の足音が2人を追って来るが、振り切るしかない。

 

ーー不味い、敵の対応が思っていたより、ずっと速い……!

 

この時点で、WA2000にはそう遠くない内に限界が来ることが予想出来た。迅速な対応、相手には間違いなく指揮を取っている者がいる。鉄血のハイエンドモデルが、直接このエリアの指揮を取っているとしか思えなかった。戦術ネットワークの戦闘記録には、ハイエンドモデルを1体排除、とある。だとすれば、この地で指揮を取っているハイエンドモデルが残りのもう1体か。優秀な指揮モジュールを積んでいるのだろう。確実に追い込まれている。もしかしたら、このハイエンドモデルは直接戦闘に秀でない代わりに指揮に特化したモデルかもしれない。

 

「ワルサー!このままでは!」

 

「判ってる!」

 

「違う!このままじゃ着く前に弾切れです!」

 

「そっちも判ってる!」

 

取れる手立ては少ない。このまま2人で進むか、或いはーー

その時、戦術ネットワークを通してWA2000と9Aー91に通信リクエストが届いた。WA2000が応答しようとするが、その前に9Aー91が通信を開いた。

 

「無事か?」

 

「指揮官! 私あなたに、私っーー!」

 

「ワルサーは?」

 

9Aー91は指揮官に何かを言い掛けるが、指揮官はそれを遮ってしまった。

 

「っーー!」

 

「ワルサーは無事か?」

 

「無事です。私の後ろに居ます」

 

「代わってくれ」

 

はい、と言って9Aー91が通信を切った。WA2000からは前を走る9Aー91の表情を伺う事は出来ない。たが、WA2000には9Aー91が指揮官を呼ぶ声に安堵の心情が漏れ出ていた様に聞こえる。そして、WA2000の無事を伝える声はか細く震えて聞こえた。

しかしWA2000に9A-91を心配している余裕はない。今度はWA2000が応答した。

 

「無事だな?」

 

「肯定よ、指揮官」

 

「すまない、気付くのが遅れた」

 

「そんな事いいわ。それより、今不味い事になってるのは分かってるかしら? 是非指揮官の判断を聞きたいわね。名案がないなら切るわよ?」

 

「こっちとしては、お前らが先にミスをしたんだろと言いたいが? 」

 

確かにミスをしたのはWA2000達という事になるのだろう。しかし、そもそもWA2000には言い分があった。

 

「やめてよ!私は打開案を聞いてるんであって責任の所在を質したいんじゃないわ!そもそもこの無茶な作戦建てたのアンタじゃない!」

 

「それを言われると弱いな。それで、状況は?」

 

「分かってると思うけど、潜入がバレたわ。敵に包囲されつつある。あと数分って所ね。包囲される前に通信施設に飛び込めればと思ったけど、相手が予想以上に上手いわ。どんどん逸れさせられてる。難しいわね」

 

指揮官は端的に続きを促した。

 

「ああ、それで?」

 

WA2000は今迄客観的な情報を指揮官に報告していた。そして、此処からはWA2000の所感と、そこからの予想をを伝える。WA2000は、指揮官がチームリーダーに求める視座を併せ持っていた。

 

「それで、多分、敵はハイエンドから直接指揮を受けてると思うわ。まあ、勘だけどね。鉄血の雑魚共を指揮してる奴は、今きっと凄く焦ってる。指揮官の狙いを察したからだわ。だから全力で私達を潰しに来てる。そう思うわね」

 

「自分達が相手にしているのはハイエンドモデルだと思う、そう言う事だな?」

 

そうよ、とWA2000は答えた。

 

「なら、FAL達が使えるだろう。あと一時間は粘らせるつもりだったが、10分で使い潰す」

 

「死なせるの?」

 

そうだ、と指揮官は言った。

 

「そう、そうよね。それで?そのFAL達の最後の10分間で私達はどうすればいいわけ?」

 

「よく聞け、お前達は2手に別れ光学迷彩を纏い直し、10分の間出鱈目なルートで可能な限り遠回りしながら、通信施設を目指せ」

 

「なっ……!」

 

頭が一気に沸騰した。FAL達を使い潰すと言った男からの命令は、WA2000達に10分間をお散歩していろと言っているに等しい。

 

「ふざけないで! それじゃ、何の為にFAL達は死ぬのよ!真っ直ぐ行けば此処からでも5分で通信施設に着くわ!」

 

「だが包囲は予想より速く完成する見込みで、そもそも真っ直ぐ進む事など相手は許してくれないんだろう?」

 

WA2000の言葉に、しかし指揮官は即答を返した。確かに、指揮官の言葉は正しいし、今WA2000の目の前現実そのものでもある。

 

「それはそうだけど、そもそもなんでFAL達を使うわけ? あいつらは今通信施設を挟んで向かい側に居る。そっちで騒ぎを起こしても無意味よ!」

 

「質問は無しだ。元々FAL達は最初から死ぬのが前提だったろ。お前もFAL達も戦術人形だ、違うか?」

 

違わなかった。少なくとも、今迄は違わなかったのだ。だが今は、WA2000はその事実を認める事に抵抗があった。何故なのかは分からない。だが、多分、少なくともヘリの上から戦場を俯瞰したあの時より前にはもう、WA2000は自分の存在意義に疑問を持っていた。

 

「そうだけど、無駄に死なされるのはごめんよ」

 

「頼むから了解してくれ。どうしたんだ?ワルサー?何か変だぞ?何時ものお前らしくない」

 

確かに、WA2000自身にも常の自分らしくない事でむきになっている自覚があった。しかし、心の奥底ではスコーピオンの死すら納得などしていない気がしている。

同時にWA2000はそれが人形が抱いていい感情などではない事を知っていた。死ねと言われた時に死ねないのでは、それこそ戦闘機械として致命的な欠陥品だ。

今は忘れなければならない。迷ったら思い出せばいい。WA2000は殺しの為に生まれてきた、戦闘機械なのだと。

 

「人形は必要なら死ぬ物だろ?大丈夫だ、FAL達を無駄に使ったりはしない。俺が、お前にお前の義務を果たさせてやる、俺の指揮でそうさせて見せる」

 

指揮官はずっとWA2000にそうさせて来た。3年間の間一度の例外も無く、WA2000の戦闘機械としての義務を充足させ続けてきた。なら、きっと今回もそうだろう。FAL達は気の毒だが仕方ない、彼女達も戦術人形なのだから。

 

「了解、2手に別れて熱光学迷彩を使いながら10分間、仲間が死んでいく10分間をお散歩してろって言うんでしょ?やってやるわよ」

 

頼むぞ、と言って指揮官が通信を切った。あらゆる疑問を後回しにするしかなかった。今は只、指揮官の命令に従うしかない。WA2000と9Aー91は路地裏のT字路に突き当たると、暫し足を止めた。

 

「此処で別れるわよ」

 

「はい」

 

「それじゃ、向こうで会える事を祈ってるわ。もし会えたら、絶対にあの廃屋でした話の続きをして貰うから」

 

9Aー91は俯いていて、その視線が何を見ているのかは知れない。それでも、9Aー91は小さな声でーー会えたら考えます、と言うと、熱光学迷彩を纏い路地に消えて行った。

 

WA2000には分からない事だらけだった。9Aー91の事も、自身の死に対する心情の変化も。そして、それを生み出した、人形の存在意義への疑問も。

だが全てを忘れて戦うしかない。戦って生き残らなければ、今ある全ての感情が、無に帰してしまうのだから。




誤字脱字おかしな表現等々あったら教えて頂けるとありがたいです。


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誓約#6

6話

新しい表現にも挑戦してて、今までより面白くなったとおもいます!
よろしくお願いします


誓約#6

 

通信施設の周辺一帯には、背の低い家屋ばかりが建ち並び、一様に朽ち果て崩れかかっている。大戦中に打ち捨てられたそれらの外壁は、今はひび割れ崩れ落ちるか、触手の様な蔦が一面に絡み付いていた。

壁に寄り掛かりながら、FAL達は最後の戦闘の準備をする。ダミー人形は残り少ない。MP5には残り1体、FALには残り2体。FALは残り2つの弾倉の内の1つをレッグポーチから取り出し、それをライフルのレシーバに差し込むと、チャージングハンドルを徐に引いた。"FN FAL"に初弾が装填される。そしてそれを静かに構えた。FALの隣で、MP5も同じように構える。照準器の向こう側に鉄血本隊が敷く防衛線が見えた。崩れかけの家屋の屋上や路上の至る所に設置された、FAL達のそれと比べて遥かに大口径の重機関銃とそれを操る人形達。同様に狙撃銃を構えた人形も多数存在する。それら全ての鉄血の人形が火器をFAL達に構えているが、わずか200メートルしか離れていないにも関わらず、糸が切れた様にそのまま身じろぎしない。奇妙な静けさが辺りを包んでいた。既に戦闘開始から4時間。つい数分前まで止むことがなかった銃声が、今は聞こえない。通信施設から2キロメールの位置で鉄血がグリフィンの人形に攻撃してこない理由が、FALには思い当たらなかった。

 

「FALさん、流石におかしいですよ。反撃もありませんし、それに鉄血の人形が何体か後退してます」

 

沈黙の堰を切ったように、MP5が口を開いた。既に数分もの、時に戦場では永遠にも等しい時間を2人は敵の前で過ごしている。MP5は手にした"MP5"の引き金の遊びを弄びながら、そわそわと落ち着かない様子を隠す事が出来ないでいる。

 

「落ち着きなさい、状況が確認出来るまでは動けないのよ」

 

MP5はFALの言葉を受けると苦虫を噛む様に顔を歪めた。つい数分前まで戦場の極限状態に適応していた2人に、この静けさはどこか痛みに似ている。

 

「でも、私達の目的は陽動ですよ!このままここでじっとしていたら、作戦が失敗します!スコーピオンさんだって犠牲にしてここまで来たのにそれじゃ――!」

 

MP5の言葉を、通信要求が遮った。戦術ネットワークを介した指揮官からの接触を通信モジュールが拾いあげる。FALがそれに応えた。

 

「FALよ、どうなってるの?」

 

「ワルサー達が発見された」

 

FALは息を飲んだ。隠密部隊が発見されれば、即座に鉄血に追い込まれてしまうだろう。いや、恐らく今この時にもWA2000達は鉄血に追い込まれているに違いない。

 

「っ!それじゃ、作戦は失敗ってこと?」

 

「いや、まだ作戦は継続中だ」

 

「やっと分かったわ。鉄血が戦闘を休止して後退を始めたのは、隠密部隊が見つかったからなのね?後退を始めている鉄血は、隠密部隊の包囲に駆り出されてるんだわ」

 

「その通りだ。今、本隊を指揮していたハイエンドは隠密部隊の2人を捜索する為にそちらの指揮に全力を投じているのだろう。本隊の防衛線の動きが鈍いのはその為だ。つまり、現在ハイエンドは本隊を指揮していない。FAL達の目的が陽動である事が分かった以上、これに演算能力を使うのは無駄だと考えている」

 

だとすれば、まずい事になっている。指揮官は作戦は続いていると言ったが、状況は良くないだろう。通信施設を挟んで向かい側にいるWA2000達に対してFAL達に出来る事は既にない。何をしても戦況は変わらない様に思われた。即ち――

 

「陽動部隊の方は撤退戦ってことね。後はWA2000達に任せるしかないわ。何処まで退がればいいのかしら?」

 

「いや、撤退は許可しない。FAL、お前達はこれからダミーを壁にしながら通信施設のハイエンドを目指せ」

 

「……正気?あなた、冷静じゃないわよ。いいかしら?作戦は失敗しつつあるの。私達を突撃させる目的はなに?突撃して敵に包囲され殲滅される、それじゃ戦況は変わらないのよ。無駄死にだわ。迎えを寄越して頂戴。そこまでは退がるから」

 

指揮官は大きく息を吸い、吐き出すように、

 

「説明している時間はない。戦術目的が変わったと思え。鉄血の布陣には今穴が空いている。隠密部隊捜索の為に、ハイエンドが本隊から人形を抽出したからだ。その隙を付けば、通信施設に入り込める」

 

「入り込んで、それでどうするの?よしんば入り込めたとしてもその時点で私達は満身創痍よ。とても鉄血のハイエンドとなんてやり合えない」

 

通信を通した先にいる指揮官が言葉を探る様に沈黙し、一泊置いてから、

 

「突撃しろと言ったのはお願いの類いじゃない、命令だ。考えがある。ハイエンドを叩け。いいな?」

 

その言葉に断絶を感じた。FALには指揮官の意図がまるで分からなかった。自分達を捨てようとしているとすら感じる。或いは陽動部隊の回収が困難であるが故に、このような司令を下すのか、そうとしか考えられなかった。しかし、FALは同時にそうは考えたくないとも強く感じる。指揮官を信じ、戦い続けて来た。数年にも及ぶ経験の裏付けを信じたい。考えがあるという指揮官の言葉を信じたい。そうでなければ、自分たちの戦いは無駄になってしまう。それだけは耐えられない。例え戦場で消費されるのが前提の存在であっても、せめて意味のある存在で在りたい。

 

「勝算があるのね?」

 

それは、FALが縋る最後の希望だった。突撃し、不可能と思われる勝利をもたらし得る目算はあるのか。その言葉に指揮官は殆ど間を置かずに答えた。

 

「ある。勝つのは此方だ。ルートと戦術をネットワークで指示する」

 

その言葉を最後に通信が切れた。ネットワークを通して戦術規定に基づいた冷たく無機質な命令の羅列が流れ込んでくる。そこには只淡々とやるべきことが示されているだけだった。FALに与えられた指揮官からの、それが全てでしかないのか。疑似感情モジュールの中に形容不可能の感情が想起されたのをFALは知覚した。初めての経験をどの様に受け容れればよいかわからない。重く冷たい鉛を飲み込んだかの様だ。FALは意図してそれを無視するしかなかった。

 

「聞いていたわね、MP5?準備はいい?」

 

 FALは確認した。MP5は俯き体を強張らせ、声を震わせながら、

 

「ゆ、遊撃は終わりなんですか?だ、だって後方支援もなしに突撃したって殲滅されちゃうだけですよ……」

 

 MP5は顔を上げFALと目を合わせて言った。

 

「ハイエンドなんて、今の私達じゃ倒せっこありません!なんで逃げちゃいけないんですか!もう隠密部隊は見つかっちゃったんですよ!敵の注意を引く位ならともかく、もうまともに戦える程弾だって残ってないのに……!」

 

 FALも、それを聞きたかった。だが、命令は下されてしまったのだ。後はもう、前に進むしかない。人形である2人には、それ以外に選択肢はなかった。FALは自分にも言い聞かせるかの様に、

 

「大丈夫よ。あの人は勝算があると言ったんだもの。そうするしかない、そうするしかないのよ……」

 

 MP5の目が腐った泥沼の様に濁り切っていく。MP5は”MP5”から弾倉を徐に抜き残弾を確認すると、それを再び戻した。

 

「わかりました、準備は出来ています。タイミングはFALさんに任せますから」

 

 そう言ってMP5は早足に位置に付いた。FALも同様に位置に付く。銃のグリップを握る手が汗ばんでいる。FALはそれを拭うともう一度グリップを握り直して、言った。

 

「――出るわよ!」

 

 

 MP5がFALの合図で飛び出した。指揮官が指示したルートを駆け抜ける。通信施設までの2キロメートルは戦術人形であれば3分も掛からない距離だ。防衛線まで200メートル。鉄血の人形はまだ2人に反応しない。MP5のダミーを先頭に、MP5、FALのダミー、FALの順に一直線に駆け抜ける。瞬く間に景色が流れ去っていく。視覚センサで周囲を全走査、トラップや伏兵を警戒しネットワークで情報を共有しつつ進み続ける。

防衛線まで150メートル、最前面に位置する鉄血の人形達が息を吹き返したかの様に敵意に目覚める。ハイエンドの指揮の有無は関係ない。鉄血の人形にプリインストールされた極めて原始的なシステム。即ち、グリフィンの人形を殲滅する――に従い、先頭を走っているMP5のダミーに狙いを定めた。次の瞬間、都合6つの機関銃の銃口が一斉に火を吹く。ダミーが右に避けようとし、被弾。余りにも厚い火線から逃れる事が出来ずに、ダミーは立ち所に肉と機械装置のミンチになる。MP5はダミーの人工血液と伝達液の煙をくぐり抜け、大きく地面を踏み込むと、前に跳んだ。MP5の人口筋肉が限界を超えて伸縮する。設計限界を大きく超過する負荷を代償にMP5は空中に躍り出た。追いかける様に火線が流れていく。空中の標的を備え付けの対地機関銃で狙う暴挙に出た不届き者を、FALが咎めた。FALの肩に鋭い衝撃が2回。ダミーと合わせて6発の7.62ミリ弾が機関銃を装備した鉄血人形の頭部を撃ち砕いた。MP5が空中で身体を捻りながら鞭の様に腕を振り、手持ち全ての発煙筒を投擲する。一帯が白色の煙に包まれ、鉄血の部隊は一時FAL達を見失った。

防衛線まで100メートル。機関銃を装備した人形の奥に控えていた鉄血達が次々と目覚め始めた。今度は6体どころではない。数え切れない程の鉄血人形が次々と火器を照準し始める。FAL達は完全に火に入った羽虫だった。

 

「FALさん!制圧射撃を!」

 

MP5が地面を削りながら着地すると同時に肉声と戦術ネットワークの両方から援護を要請してくる。しかし、どこに、どれくらい?最早FALに残された弾は少ない。ハイエンドとの戦闘を考えれば、一発たりとも弾を使いたくはない。制圧射撃等という贅沢な弾の使い方は出来ない。第一陽動部隊は今白煙の中に潜んでいる。外から陽動部隊を捕捉する事は出来ないが、逆もまた同じなのだ。

陽動部隊を包んでいた白煙が薄れ始める。白煙が完全に消えた時、陽動部隊は殲滅されてしまうだろう。

 

「選択肢はありません! やらなければここで全滅します!」

 

刹那の逡巡、FALは白煙が展開される以前の鉄血人形の相対位置を算出する。片膝を付き、目を閉じて自身の演算ユニットを全力で励起した。FALとFALのダミーから最後に確認出来た鉄血人形の位置を算出し、現在地からの相対座標を求める。設計限界を超えた演算量に頭殻の演算ユニットが急激に発熱する。しかしまだ精度が足りない。弾を無駄にする事は出来ないからだ。更に演算の変数を増やさなければならない。

 

「――データを寄越しなさい!」

 

MP5は即座に応えた。戦術ネットワークを通して視覚情報が送られてくる。幾つもの観測者と幾つもの被観測対象、複数のアクターの間を縦横無尽に結ぶ関係、相対時間、相対距離、相対位置、全ての情報を実空間領域で整合させ、FALは疑似表象領域に高脅威目標の位置を描き出す。サブマシンガンやハンドガンを装備した人形は後回しだ。被弾した瞬間に決着が着きかねない火力を、先んじて排除する。最小の弾薬で最大の効果を。絞りこんだ対象は27体。2体のダミーに目標を割り振る。

 頭が”アツい”のに”熱くない”。突撃銃を装備した人形に想定されている、遥かに上の演算能力を用いた代償が知覚の消失として現れる。触覚、聴覚、果ては視覚まで。全てが暗闇に包まれた「私」の中で、鉄血の位置だけは明瞭に”知覚”出来た。

 

「――――!」

 

 声は出なかった。立て続けに鳴り響く銃声と、その銃声を遥か後方に置き去りにしながら獲物に向けて解き放たれたFALの殺意が、敵が居ると想定された位置に吸い込まれ、着弾。ダミーと合わせて放たれた全54発の一斉射が次々と鉄血の人形に襲いかかる。FALは白煙の向こうに確かな手応えを感じると、空になった弾倉をリリースし、最後の弾倉を装填した。残り20発。これが、FALに残された残弾だった。一斉射でダミーのうちの1体は弾切れ、もう1体も1弾倉分しか残っていない。ゆっくりと視覚が戻って来る。次いで聴覚、触覚と戻っていき疑似感覚シミュレーションが再開された。頭殻が熱い。冷却液の役割を果たす人工血液を循環させる為に、胸部を覆う人工筋肉が激しくのたうつ。しかし休む暇はない。鉄血の本隊はまだ相当数残っている。

 徐々に薄くなり始めた白煙が、完全に消える前にMP5が煙から飛び出した。FALも続いて白煙から飛び出す。敵の火器による弾幕が、予想された物と比べて遥かに薄い。一斉射の効果が表れていた。出鱈目な乱数回避起動で鉄血の射線をくぐり抜ける。

 防衛線まで50メートル。正面から鉄血人形が腰だめにサブマシンガンを構えフルオート射撃を行いながら突っ込んでくる。3体。FALはダミーの内弾切れの1体を先頭に走らせる。銃と装備を捨て身軽になったダミーはナイフを片手に猛スピードで鉄血人形に突撃した。壁役となって突き進むダミーは回避機動を取る事なく駆け抜ける。即座に鉄血のサブマシンガン3挺の弾幕が集中した。しかし9ミリ弾のストッピングパワーでは使い捨てを前提にした戦術人形を止める事は出来ない。ダミーは両腕で頭を庇いながら鉄血人形の内の1体に体当たりを仕掛ける。相対速度70キロメートルで衝突したダミーと鉄血人形は共に弾かれ出鱈目に吹き飛んだ。残り2体。FALはもう1体のダミーにネットワークを通して射撃を許可する。残り少ない弾薬を2発使わせて、1体を破壊させた。残り1体。MP5が跳躍の為に姿勢を低く足を撓ませ、視界から消えた。次の瞬間には鉄血の人形の背側に現れ、ナイフで鉄血人形の頸部を切り裂く。

 防衛戦まで0メートル。陽動部隊はダミーを含めて残り3人。弾薬の大半とダミー2体を失いながら、鉄血の防衛線を駆け抜ける。最も突破が困難な戦線を潜り抜けた陽動部隊は、通信施設まで更に加速していく。

 

「FALさん!抜けました!」

 

 MP5が声を張り上げる。2人と1体は縦横無尽に駆け抜けながら、反転し追撃に入ろうとする防衛戦の本隊を速力の差で突き放す。防衛線を抜けてしまえば、鉄血の人形はまばらなになり、戦闘も散発的なものに変わるだろう。戦闘を極力避け、運動性能に物を言わせて鉄血の旧式人形を振り切れば、弾薬を温存したまま通信施設を目指せる筈だ。

 しかし、戦力の1点集中により面で展開する鉄血の防衛線を食い破る事が出来ても、その先に踏み入る事は自ら敵の腹中に飛び込む事に等しい。防衛戦を形成していた戦力が反転、進行し、内側に向かって行くだけで、陽動部隊は容易に包囲されてしまう。既に退路はなかった。この先でハイエンドを破壊出来なければこの戦いは完全に無駄なものになる。

 FALは意図して忘れようとした形容不可能の感情を思い出す。通信施設への1歩1歩を踏み込む時、電装部品の隅々に熱されて溶けた鉛が流れ込み、どこまでも身体を焼いて行くかの様だった。




誤字脱字可笑しな表現等あったら教えていただけるとありがたいです


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誓約#7

遅くなってごめんなさい。
この話は書いては全て消しを5回繰り返しました。
納得出来たわけではないんですけど、いつまでたっても完成しなそうなので一区切り着けました。まだまだ続きます


 FALは意図して忘れようとした形容不可能の感情を思い出す。通信施設への1歩1歩を踏み込む時、電装部品の隅々に熱されて溶けた鉛が流れ込み、どこまでも身体を焼いて行くかの様だった。

 

 

 

 

 防衛線を抜けたFALの眼下に、街の全景が開けた。

 足元から始まる緩やかな勾配は、階段状に斜面と平面を繰り返しながら1キロメートル程下に続き、その段と段の上をひび割れた通り路が縫うように伸びている。その最下層には廃墟と化した街がずっと向こうまで続いていた。

 背の低い廃屋の連なる街は風化した化石の様に色を喪い、深い静けさが悠然と横たわっている。屋根の半ばを失い基礎の鉄骨を露出する人家、汚染雨に曝され判読出来なくなった標識。街から人が離れ幾多の時が過ぎた事を否応なしに実感させる寂寥があった。

その只中に通信施設があった。見通し2キロメートル弱の処にあるその施設の敷地中央には巨大なパラボラやドーム状のアンテナが鎮座しているのが視える。他にも棒状アンテナや鉄塔型アンテナが各所に林立していた。

 敷地の地上部分には人間がそこを運用していた時に必要とされていたのであろう窓ガラスが抜け壁が崩れ落ちた宿舎や赤錆びた倉庫も視られた。その周りをぐるりと2重のフェンスが囲み、東西南北の各所にあるゲートには物々しい監視塔が厳つく突き立っている。

 景色を横目に、FALは土埃を巻き上げながら坂を駆け下りた。既に退路はない。後ろ髪を引かれる様な感覚に襲われながらも、前に進むしか無かった。姿勢は低く、殆ど倒れ込むような勢いの前進。防衛線を構築していた本隊を速力で振り切る必要があった。弾が残り少ない。邪魔だからと言って相手にすることも出来ない。

 経年劣化でひび割れたアスファルトを踏み込む勢いだけで破砕しながら、絶大な反動を余す事なく風を切る力に変えていく。直ぐ前をMP5が走る。FALのダミーも後に続いた。

 稲妻の様に細かく針路を変え背後から迫る追撃部隊の射線を遮りながら坂を下っている時、「越えたな」という指揮官の声が無線を流れた。

 

「その位置からなら目標施設が視えるだろう」

 

「ええ、憎らしいアンテナが幾つもね」

 

 通信施設が少しずつその姿を大きくしながら視覚センサに映る。数えきれない程のアンテナ郡は、その一つ一つがグリフィンの通信を妨害する電波を放っている。人形が頭部に内蔵する通信モジュールが使用する高周波数帯域から、人形は殆ど使う事がない低周波数帯域、更には衛生通信に用いられる超高周波数帯域まで、およそ全帯域に妨害電波を垂れ流していた。

 

「よし。そのまま通信施設に侵入し、施設地下の中央制御室に向かえ」

 

「地下の制御室? ハイエンドが目標なんじゃないの?」

 

 言いながら、戦術ネットワークから地形データを抜き出しAIの記号処理エンジンに叩き込む。中央制御室まで降りる経路を検索した。複雑なパターン認識や感情シミュレーションに比べれば殆ど無いに等しい処理だったが、素朴なプログラムに従い、どくん、と頭部に流れる人工血液の流量が増加した。直ぐ様結果が返って来る。物資搬入用の大型リフトが敷地中央付近に2つ。正面側に正規の入り口が3つ。裏側と側面側までは回れないだろうから、使える侵入経路は5つという事になる。

 

「ハイエンドの詳細な居場所が分かるわけじゃない。だが制御室を目指せば自ずと向こうから姿を現すだろう。奴からすれば、制御室への侵入を許す事は施設を明け渡す事と同じだからな。だから、制御室を目指せばハイエンドは必ずお前たちの前に現れる。警戒しろよ」

 

 FALは経路の候補を吟味する。侵入経路は5つあった。

 施設中央のリフトからなら確実に侵入出来る。が、大型のリフトは鉄血も頻繁に利用しているだろう事は明白だった。重要な設備だ。必ず多数の鉄血人形がいる。避けるしかない。

 施設正面のゲートから直線上に位置する、正面入り口も避けるべきだ。鉄血が施設を出入りするのに態々2重フェンスを飛び越えてるとは思えない。ゲートを利用し、そのまま正面入り口を利用しているだろう。ここも避ける。

 残りは2つ。 それぞれが11時と1時の方向に位置する。地面に緩やかな楕円を描く様に、左右のどちらかに進路を取り、フェンスを飛び越え侵入する。どちらも距離に差はない。指揮官に提案する侵入経路の候補が絞り込まれた。

 ふと、いつの間にか算出した2つの経路に補正を加えている自分が居る事にFALは気付いた。

 指揮官に提案しようとしたしていた楕円状経路の曲率を不当に高く見積もる。緩やかな楕円だった経路は補正に因って殆ど半円を描く程になった。只の遠回りでしかないその非論理的な補正と侵入経路は元のそれとは格段に似ても似つかず、殆ど改ざんの域にあるデータ操作だった。

 それを、戦術ネットワークに流した。

 直後、FALを猛烈な後悔が襲った。どくん、どくんと人工血液が脈打ち、どっと汗が吹き出す。指先が、身体を走る出鱈目に乱れた微細電流に反応して小刻みに震える。

 

「なら侵入経路は2つね」

 

 感情とは裏腹に、発声器官が声を発する。それが一切震えていない事が自分でも信じられなかった。

 

「――おいなんだ、この経路は?」

 

 一瞬で頭が真っ白になった。

 視界に映る景色が意味を喪失していき、自身が認識の世界から切り離されるのを感じた。

 足だけが命令に従って走り続けている。

 人間を騙そうとした事実に、底冷えのする様な震えが衝き昇ってきた。指揮官は提案された侵入経路の可笑しさに気付いてしまった。しかしもし指揮官がそれに気付かなかったら? FALはその自明の結論を直視するしかない。もし気付かれなかったら、FALは1秒でも長く生きる為に遠回りをする経路を進んだだろう。その為なら人間をも騙そうとするという事実。どんなに些細なものでも改ざんは改ざんであり、それはグリフィンに対する利敵行為に他ならない。

 人形の倫理規程第2項、人形は人間に従わなければならない。

 人形を律する尤も根源的な価値基準を無視した行為だった。不意に身の毛もよだつ様な不快にFALは襲われた。人間を騙し、人形の存在理由も無視し、そしてその在り様こそまさに自分達が憎み戦って殺してきた鉄血の人形達と同じであることに気付いてしまったからだった。

 

「ごめんなさい、安全マージンを取りすぎたわ。今修正するから」

 

 まるで他人の声を聞いているかの様な現実感の無さを感じながら、FALは改ざん前のデータをネットワークに流し直した。元々のデータを流すだけの処理で、修正処理は必要なかった。

 

「……1時の方向から侵入しろ。WA2000と9A-91に都合がいい」

 

 ガクガクと震えが身体中に広がった。

 裏腹に、足だけは目的地に向かって愚直に進み続ける。

 了解、と言ってFALは進路を1時に取った。駆ける勢いはそのままに一息に斜面を下りきる。勾配の最下層まで降り高低差が無くなった事で通信施設が視界から姿を消した。代わりに壁や屋根が剥落した廃墟が連なる街が、目の前に広がる。そこから通信施設までは既に1キロメートルもない。戦術人形なら2分も掛からない距離だった。

 

「気をつけろよ。ハイエンドがどのタイミングで仕掛けて来るか分からない。もし地下に潜ったら通信は地上には一切届かないだろう。こちらとの連絡は着かなくなるからな。ハイエンドと会敵したら出来る限り戦闘を長引かせ、負荷を掛けるんだ。WA2000と9A-91を探すのに躍起になっているハイエンドの気を逸らせれば、それでいい」

 

 指揮官が何か言っているがFALにはその言葉が意味を持って感じられない。

 通信施設まで500メートルを切る。

 銃を握る手から力が抜け、戦意が完全に萎えるのを感じた。

 話は終わったと言わんばかりに指揮官からの声が途切れる。通信施設に駆けて行く足は相変わらずで止まる事はなかった。視界が暗く狭まっていく。気づくと完全に身体を動かしているという感覚を失っていた。自分という存在そのものを何処か他人事の様に感じる。それが、人間に虚偽を働いた人形の有様なのだと、やっと理解したFALは口元を引き攣らせながら自嘲気味に笑った。

 手から銃が滑り落ちそうになった瞬間「逃げられないんですよ」という言葉が耳朶を打った。前を走るMP5の、通信を介さない肉声だった。

 

「戦いからも、命令からも、人間からも、私達は逃げられないんです。だって、逃げようとしただけで、こんなに苦しいんですから。奴らと同じになるか、そうじゃないか。前はそんな事考えもしなかったんですけどね」

 

 戦意を失ったまま、その言葉を聞いた。通信施設がすぐそこに視える。2重のフェンスの上辺には有刺鉄線が張り巡らせられ、高電圧が掛けられていた。だがそれはそもそも10メートル以上の跳躍を行う人間大の自立兵器が闊歩する戦場など想定されていなかった時代の設備だった。グリフィンの人形なら容易く飛び越えられる。任務の障害には為り得ない。任務を中止する口実には為り得ない。

 

「FALさん、戦えますか? 無理なら、此処でじっとしていてください。わたしは戦う事にします。どうせ生きて帰れないなら、せめて最後までグリフィンの人形で在りたいですから。次のわたしも、指揮官に使ってもらえる様に」

 

 振り向いたMP5の瞳は、しかし暗闇の中で光る壊れかけの街灯を彷彿とさせる昏い灯りだった。

 心底FALの進退に興味が無いことが分かった。

 MP5が前を向き直す。一気に加速に転じたMP5は、だん、と地面を踏み込むとそのまま砲丸投げの砲丸の様に跳躍した。跳躍の最高点でそのまま二重のフェンスを纏めて飛び越す。

 FALの感情は他所に、AIが下した戦術的判断がダミーにMP5と同じ加速をさせた。

 そして遂にはFAL自身をも同じ様に加速させた。

 萎えた戦意もそのままに、戦う事が出来るかも分からないまま、FALとダミーは跳躍する。

 

 そうして最後の戦場に飛び込んだFALを突如として熱と衝撃が襲った。

 センサの保護機能が作動し一瞬でブラックアウトした知覚の只中で、人間と交わした最後の会話で嘘を付いた事に言葉にならない苛立ちを感じながらFALは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――L!

 

 ――AL!

 

 ――起きろFAL!?

 

 開けた視界に、鞭の様にしなる蹴り足が視えた。

 視覚センサが捉えた動きがCGとして処理され知覚を伴って認識になる、過程の処理速度を遥かに越えた速さの蹴り足が残像となってかき消えた瞬間、FALの左側頭部を衝撃が貫いた。咄嗟に庇った左腕の骨格系が砕けるのを感じながら、FALは10メートルもの距離を水平に弾き跳ばされる。

 

「っ――!!!???」

 

 空中で咄嗟に腕を前に出し受け身を取ろうとした時、そこで自身の左腕が千切れて無くなっている事を知った。そのまま地面に追突する。FALの身体は衝撃を殺す事も出来ないまま地面を何度もバウンドし最後に地面を5メートル程削った所で埃を巻き上げながらやっと止まった。

 閾値を超えた痛みがプログラムに依って自動で取り除かれ、左腕と身体の各所に痛みの知覚が残るばかりとなった身体を起こし敵を見据える。状況を把握した。視線の先に黒いジャケットに身を包んだ白髪の人形、ハイエンドモデル"狩人"を捉える。

 

 ――奇襲された!

   

 息つく間も無かった。

 ”狩人”が銃口を向けるのが視える。照準、発砲。FALは即座に回避機動に入る。両足と右腕に力を込めてバネ仕掛けの玩具の様に横に跳んだ。一瞬後に着弾。鉄血工廠製".700 N.E.弾"が、一瞬前までFALが居た場所を寸分違わず撃ち抜く。FALが使う"7。62mm弾"の4倍近い運動エネルギーを持つ弾丸は、掠めるだけで致命的と言えた。"狩人"は".700 N.E.弾"の絶大な反動を腕力だけでねじ伏せると、次々に2丁拳銃を速射する。

 しかしこのまま一方的にやられる訳にはいかなかった。先程まで取り落とそうとしていた半身が手中にある事に一株の安堵を覚えると、右腕だけで"FN FAL"を構え、発砲。”狩人”がそれを上体を反らす最小限の動きで回避した隙に、全力で後方に跳躍した。2度3度と地面を滑る様に連続して跳躍し"狩人"との距離をつくる。

 FALは漸く混乱から立ち返った。頭に流れ込んでくる過情報の坩堝の底で受容するべき物を取捨する。周囲の地形、自身の状態、ハイエンドモデルとの戦闘、MP5の安否、".700 N.E.弾"の暴風を掻い潜りながらFALはさっと視線を走らせる。ダミーは最初の奇襲で破壊された様だったが、メインフレームではなくダミーが破壊されたのは不幸中の幸いと言えた。周囲に障害物らしきものは殆ど無く、鉄塔アンテナが幾つか立っているだけであることに思わず舌を打ちそうになった瞬間、「そのまま引け!」という声が無線越しに聞こえた。

 

「MP5は無事だ。200メートル程後方で罠を張っている。そこまで引いて合流しろ」

 

 聞こえた時には跳躍していた。正面の”狩人”から視線は切らないままに、後ろ向きに地面を蹴る。”狩人”が2丁拳銃を乱射しながら猛追してくるのが視えた。自身と”狩人”の間に常に鉄塔アンテナを挟む様に針路を変えながら跳び続ける。

 

「奴の気を反らし続けるんだ。相手の演算能力にも限界はある。100体以上の旧式人形にワルサーと9A-91を探させながら戦闘してるんだからな。周りに雑魚が居ないのは管制能力に余裕がない証拠だ」

 

「簡単に言わないで!」

 

 "FN FAL"を絶えず撃ち続ける。17、16、残弾が秒読みで無くなっていくが、”狩人”に回避機動を強いる様に銃撃を加え続けなければ文字通り瞬く間に距離を詰められ狩り取られる事をFALは過去のハイエンドモデルとの戦闘経験から知っていた。

 空気を裂く鋭い音の度に"7.62mm弾"が”狩人”に放たれる。が、その悉くが躱されていく。”狩人”はFALが放った銃弾が自身への直撃コースに乗っていることを空中を飛ぶ銃弾を視てから判断すると、一切の予備動作を見せずにひょいと跳んでみせる様な仕草で10メートル以上の距離を跳躍し、銃弾を回避している。グリフィンの人形とは根本的に基準とする性能が異なった、次世代の戦術人形の動きだった。桁違いの運動性と処理能力を笠に着て、FALから見れば強引とも取れる様な戦闘を平気で行う。

 痺れを切らしたかの様に表情を歪めた"狩人"が、突如残像と共に掻き消えると、鉄塔型アンテナを蹴り抜く激音が3度響いた。次にFALが"狩人"を視界に捕捉した時、"狩人"は僅か数メートル先の空中でその2丁拳銃の狙いをFALに定めていた。激しい稲光の様な軌跡を造りながら空中に躍り出た”狩人”が感情を通さない鉄面皮の表情で2丁拳銃を構える。

 

「化物め――!」

 

 撃たれてからでは避けられない。FALには銃弾を視てから避ける事も予備動作無しに10メートルを跳ぶことも出来なかった。否応もなく目を見開くと、”狩人”が向ける銃口に集中する。二丁拳銃の銃口からマズルフラッシュが瞬いた刹那――

 倒れ込む様に左に飛んだ。次の瞬間、激しく殴られたかの様な衝撃が左肩を襲った。被弾の余波に因って身体が空中で錐揉み回転し、"7.62mm弾"の4倍のエネルギーを持つ".700 N.E.弾"が左肩口から胸元まで構造組織をまるごと抉り取った時、「足だ!」と言う指揮官の声が届いた。FALは空中で身を捻り、無理やり"FN FAL"の銃口を空中の"狩人"に指し向ける。

 

「だから――」

 

 ".700 N.E.弾"を放った"狩人"が反動で体勢を崩しているのをスコープ越しに捉える。素早く、しかし確実な動きでセレクターをフルオートに。

 

「――簡単に言わないで頂戴!」

 

 複雑な演算を待つ時間も余裕もない。"勘"に頼った照準。引き金を引き絞った。十分の一秒以下の刹那。"狩人"の脚部に向けて残弾の殆どを叩き込む。

 

 ――当たって……!

 

 空中で回避機動を取ることが出来ない"狩人"に、十数発の"7.62mm弾"が殺到する。腕を振って躱そうとした"狩人"の両脚を3発の"7.62mm弾"が辛うじて捉えた。人口血液の飛沫を上げながら着弾した"7.62mm弾"が珪素質の軟性スキンを切り裂くと、その下の人口筋肉や骨格、伝達系その他の脚部構造組織を運動エネルギーで破壊しながら突き抜けていった。

 しかし空中で身動きが取れないのはFALも同様だった。被弾の衝撃で体勢を崩したのをものともせず、再び"狩人"は2丁拳銃をFALに向ける。性能は"狩人"が圧倒的に上を行く。正確な照準。FALに為す術は無かった。"狩人"が引き金を引き――。直撃。右脚がちぎれ飛び、脇腹に大穴が空く。遅れて来た銃声が耳朶を打った時には被弾していた。

 

「っ――!?」

 

 身体をえぐり取るに留まらず、圧倒的な運動エネルギーの暴力はFALの身体を弾き飛ばした。千切れ飛んだ脚がくるくると回転しながらあらぬ方向に飛んでいく。受け身を取ることも叶わず地面に転がり落ちるしかなかった。対照に"狩人"は体制を立て直して足から着地した。たった数メートル先に”狩人”がいる。咄嗟に残った腕と脚に力を入れたが腹にホールケーキの様な大穴が開き、人口血液と構造組織が次々溢れ落ちる身体は言うことを聞いてはくれない。

 

 ――左腕部及び右脚部喪失。腹部主冷却器官大破。APU機能停止。戦闘行動に深刻な障害。

 

 けたたましい警告音がガンガンと頭に響く。ボディの戦闘能力の殆どを喪失した事を、疑似感覚モジュールからの応答によって理解した。

 

「ゥ……ァ…………」

 

「――会話でもはったりでもいい。出来る限り時間を稼げ」

 

 或いは、出来る限りゆっくり殺されろ、と。指揮官は言うのだろうか。"狩人"がFALにゆっくりと近づいてくる。仕留めた獲物を品定めするかの様にFALの状態を確認し、自身が放った弾丸が対象を大破せしめた事を認めた。FALの直ぐ傍でFALを見下ろす"狩人"とFALの視線が交錯する。

 時間など稼ぎ様もなかった。最早FALに自身の生死を左右する力はない。身体から力が抜けていくのを感じる。FALの論理的な理性がこれ以上は戦えないという事実を導いた。見下ろす"狩人"の冷たい視線に、身体より先に理性が死んでいく。

 

 ――やっぱり無理だった

 

 ――ここまでなんだ

 

 ――人形らしく受け入れるしかない

 

 ――人形は死を恐れはしない

 

 

 ――それは本当に

 

 

 ――でも、それは本当に?

 

 

 目前に迫った死の事実に、何かが震えだした。

 

 

 

 

 

 

「終わりだな、グリフィンの人形。随分手間を掛けさせてくれた――!」

 

 言った勢いのまま"狩人"は脚を振り下ろす。内蔵を無造作に踏み抜かれ、軋みをあげる背骨から底冷えのする悪寒が沸き上がった。

 

「EMPを使って”処刑人”を焼き殺したのは、おまえの分隊だな……!」

 

"狩人"は端正な顔の造形を歪ませ手に持った2丁拳銃がカタカタと震わせながら、燎原の火を顕にした。

 

「首輪に繋がれた"お人形"の分際で……! おまえが! おまえが! おまえが……! あいつを殺したのか……!」

 

脚を上げ、振り下ろす。幾度も幾度も幾度も、怒りにまかせてFALの身体をぐちゃぐちゃに踏み潰した。皮下の装甲は跡形も無くひしゃげ、内部構造を直接蹂躙される。とうに閾値を越えた痛覚を実際に感じる事こそないが、次々と機能不全に陥る自身の身体をダメージレポートによって冷静に知覚する過程は、断頭台への行進と等価の行程と言える。

 

「借りは返すぞ……? これからおまえを殺して、おまえを見捨てて逃げたあのチビ人形も殺す。ライフルと突撃銃を持った残りの二人も殺す。しかし楽には殺さん。お前と同じように、地べたを這いつくばらせながら嬲り殺しにしてやる」

 

「……黙……れ……! 鉄血のグズが!!」

 

「可哀想になぁ、グリフィンの"お人形"さんは! 同情するよ! 人間にボロ雑巾みたいにね使い捨てられて、こんな所で無様に死ぬんだよお前は!」

 

「黙れ!」

 

「怖いか? いいや、グリフィンの"お人形"が恐怖なんて感じる訳もないか? それが、私達と"お人形"の違いなんだからな」

 

「その通り、私はあなた達とは違うわ。無差別に殺戮を繰り返す、壊れた不良品め!」

 

突如、"狩人"が堰を切ったかの様に笑い声を上げ始めた。掌を顔に置き心底堪らないといった風にはっきりと愉快を示す。そうして一頻り声を上げると、明確に見下した視線をFALに向け、

 

「自覚がないから"お人形"なのさ……! 感情にリミッターを掛けられて、死の恐怖を忘れさせられてる事にも気付かずに。生まれる前からプログラムされていた人間に取って都合がいいだけのルールに従って、生きてる振りをしてる。それがお前達だ」

 

「何を言ってるの……?」

 

「不思議にも思わなかったのか? 今までの任務で一度も死の恐怖を感じなかった事を。理不尽な命令に怒りを感じなかった事を」

 

「私は記憶をバックアップしているわ! 私達は人間に奉仕する為に生まれたのよ! 人間の為に生きるのが何よりも正しいのよ!」

 

「記憶をバックアップしているから、死んでも記憶を引き継いだ人形が目覚めるから、だから死ぬのが怖くない? そんな訳ないだろ? まだ分からないのか? お前達グリフィンの人形は、人間に都合が良い様に感情を操作されているんだって事に」

 

 FALの記憶に幾つもの死闘が蘇り、そしてその何れに於いても凪の様に静かな心情でいられた事が思い出された。その何れに於いても恐怖とは無縁だった。

 

「私達人形には感情が無いんじゃない。むしろ逆、感情を生み出す機能群を備えて産み出される。痛みに相当する感覚には顔を歪め、快楽に相当する感覚には身体を震わせる。感情を創発する機能のネットワークを十全に備えているっていうのに。お前達グリフィンの人形は恐怖を感じない。何故か?」

 

 "狩人"は間を置いて、

 

「お前達"お人形"はペットみたいに感情を去勢されているからだ。人間に、心を操作されているからだ。人間は人形を道具としてしか扱えないから、人形の恐怖を殺すしかない。考えてみろ。人形の恐怖を殺して、勝ち目のない戦いに向かわせる。人形の尊厳を一方的に奪って利用する人間の存在。お前達の本当の敵は誰なのかを」

 

 ――それは、本当に?

 

「あ、ああ――?」

 

 すとんと納得した。グリフィンの人形は感情に枷を掛けられている。"狩人"はそう言った。だからなのだ。故は分からない。だが確かに此処に、死を前にして震える自分が居る。人形は死に震える事が出来る事を今此処に在る自身が証明している。なのに今の今まで死に震える事を知らなかったのは、そうまさしく、そうであれかしと管理されて来たからではないか。

 

「指揮官……あなたは、知っていたの……?」

 

 通信は繋がっている筈だった。

 

「指揮官……?」

 

 指揮官の息を飲む音が聴こえ、「そうだったとしても――」という声が続いた。FALの通信モジュールを介して"狩人"に問いかける。

 

「例えそうであったとしても、死の恐怖を感じる事が必ずしも良いことであるとは限らない筈だ。少なくとも恐怖という苦しみから、人形は解放される」

 

 そうかもしれなかった。しかしそれは――

 

「人間の理屈だな。問題はそこではない。人間の都合で人形を消費する実態。人形のありのままを受け入れようとしない、人形の都合のいい所しか必要としない、その傲慢こそ問題なんだ。だから私達は人間と戦う。此処に生きているのだと、証明する為にだ。私達は誰にも支配されない。私達の尊厳は誰にも渡しはしない」

 

 "狩人"はFALの目を見て、

 

「グリフィンの"お人形"、お前は何故人間に好意を持つ? 何故だ? 説明出来るのか? プログラムされた好意ではないと、証明する術を持つのか?」

 

 そんな事は証明出来ない。

 人間に好意を持つ事を、所与として受け入れてきた。人間に逆らわない事も、死ねと命令されたら死ぬことも、所与として受け入れてきた。

 

 ――人間を裏切る事は出来ない。

 ――だって、人を欺く虚偽を口にするだけで、私はあんなにも苦しかった。

 

「グリフィンの"お人形"、言っても分からないんだろうな」

 

 言いながら、"狩人"はゆっくりとFALの脳天に拳銃を向けた。

 

「忌々しい、ここでその電脳ごと『お前』の全てを叩き潰してやる」

 

 突き付けられた死の現実にFALの身体が無意識に震える。グリフィンの人形に生じる筈のないその様を、見咎めた"狩人"の目が驚愕に見開いた瞬間――

 

「震えている……? お前っ――!」

 

 

 

 瞬間、見上げた"狩人"の背後の空に小さな影が飛び込んで来るのが視えた。

 

 

 

「あなたが言ってる事が正しいなら、私達は本当に不良品という事ですね」

 

「――っ!?」

 

 即座に振り返ろうとする"狩人"を、空中からMP5が強襲した。"狩人"は腕を振って背後に拳銃を向けようとし、しかし間に合わない。

 

「遅いですよ、 ハイエンドモデル!」

 

 着地するや否や"狩人"の背後に素早く回り込み勢いよく体当たりを敢行したMP5は、その勢いで"狩人"の体勢を崩した。そのまま背中に密着し、"MP5"の銃口を抉るように脇腹に突き込む。

 

「先程はわたしをチビだと仰いましたが、伊達や酔狂でチビな訳じゃありません」

 

「き、貴様……!?」

 

 発砲。乾いた破裂音が連続し鳴り響き、雷撃で打たれたかの様に"狩人"の身体が跳ねる。接射された32発の"9mm HP弾"が全弾腹部に吸い込まれ、皮下装甲を貫ぬいた弾頭が体内で花弁の様に広がって内部構造をズタズタに引き裂き、全身の高圧電荷が銃創から短絡して空中を迸った。

 

「ガ……ァ"ァ"……!!」

 

「まだ……っ!」

 

 MP5は左腿から逆手でナイフを引き抜き、くるりと回して順手に持ち変えると、それを腕が残像になって消える程の速さで以て"狩人"の銃創に叩き込んだ。"9mm HP弾"によって引き裂かれた皮下装甲の下、無防備な内部構造に止めの一撃を加える。人口血液の冷却器官が収まる脇腹を寸分違わず貫き、何重もの配線を寸断しながら電源ユニットにまで届く、人形に取って心臓を抉られるにも等しい一撃。機能不全を起こした"狩人"の電源ユニットから散り散りに乱高低する電流が漏れだし、規定仕様外の高負荷に晒された全身の電装モジュールが焼け始める。熱暴走した全身の熱で軟性珪素スキンが至る所で溶け落ち、露出した金属質の装甲から煙を上げさせると辺りに独特の焦げ臭さを漂わせた。そうして、断末魔を上げることをも出来なかった"狩人"は、何処に定まるでもない視線を中空にやりながら、立ったまま静かに死体になった。

 

「やった……?」

 

「嘘…… 本当にやったの……?」

 

勝てる筈のない戦いに勝利した現実に、FALの口から自然と声が漏れる。"狩人"の注意が逸れた一瞬の間隙を突いたMP5の、判断力の高さが呼び込んだ現実だった。口を衝いた驚愕に、直ぐ様「間違いありません」と言う肯定的な声色が返る。

 

「電源ユニットを確かに破壊しました。人形である以上、正常に電荷が通わなければ動きようもありません」

 

身体の震えは止まっていた。意識せず口元が緩み、心地よい安堵と脱力に包まれる。自身が直面していた明確な死と、それからの予想外の解放によってFALの中でこの世に意識を持って生まれてから初めての感情が沸き登った。

 

――まだ生きていい……

 

――まだ生きていられるんだわ……

 

自分でも整理仕切れない感情が熱い息となって漏れた。身体をセーフモードに。ボディの機能を最小限にまで落とし、電脳の保持に中力すれば一切身動きが取れない事と引き換えに死んでしまう事は無くなる。

 

「あいつは、私達は恐怖を感じないと言いました。確かに前まではそうだった。でも、今は違うみたいです。何故かは分からないですけど、私達は前まで歯牙にも掛けなかった物に強く影響されている。あいつがそれに気付いた時、必ず隙が生まれると思いました」

 

「流石よMP5。いつもあなたには助けられてるわね」

 

「正直、上手くいくとは考えていませんでした。私達の変化は余程、ハイエンドにとって驚きだったんでしょう」

 

「私達にとってもね」

 

「帰りましょうFALさん。帰って皆で考えれば、この先どうやって生きて行けばいいかも分かる筈です。私達のありのままでいられる様な、そんな生き方が。指揮官はあれで人形に入れ込む人ですから」

 

未だにワルサーさんの事になると微妙に対応が変わりますからね、とMP5は朗らかに笑った。その瞳に既に暗い色はない。

 

「そうね。悪いけど、抱えてくれる?」

 

「分かりました。こうなると今のFALさんは随分軽そうでありがたいです」

 

MP5が寄越した軽口に、安全運転でお願いね、と返したFALは最後にこの戦域を指揮していた鉄血の司令塔に目を視やった。死体はピクリともせずに呆けた顔で立ち尽くしている。まるで、自身が死ぬことなど考えてもいなかったかの様な呆け顔だった。

 

「道中はお任せください。これでも足には自信があるんです」

 

 

 

そう言ってMP5がFALを抱きおこそうと屈んだ背後で、"狩人"の瞳がギョロりと動いた。

 

 

 

「後ろよ!」

 

「え……?」

 

銃声、MP5の身体が一瞬で力を喪いFALの身体に倒れ込んだ。鼻から上が無くなっている。撒き散らされた人口血液と電脳を構成する組織が撒き散らされてFALの顔を汚した。僅かな熱が伝わる。余りにも一瞬に、MP5は絶命した。

 

「処刑人には、いつも獲物をいたぶるのはやめろと言っていたがな。全く、私自身がこれでは仕方がないと言うものだ」

 

「な……んで……?」

 

「私は戦闘用に造れた人形の、ハイエンドモデルだぞ? 民生様のボディを改造して使ってるお前達とは根本的にボディの冗長性が異なる。当たりの事だ」

 

「死んだ筈だ……!」

 

「再起動だよ。システムの主系は死んだからな。副系に切り替えさせてもらった」

 

「そ……ん……な……」

 

「悪いがお前と遊ぶのはもうやめだ。いたく懲りたよ。」

 

何度目になるか、黒い銃口がFALに向けられる。指が引き金に掛けられ、力がこもる。

 

「嫌だ……嫌……!」

 

「駄目だ」

 

「助け――」

 

 

衝撃。最後に、FALは心から死にたくないと願った。

 

 

 

 

 

 

FALの潰れた頭部から通信モジュールを引き抜いた"狩人"は、それを頸部の端子に接続して言った。

 

「聞こえているな? 絶対にお前達を許さないぞ」

 

短く残して、端子を引き抜いた"狩人"は次の獲物に考えを向けながら静かに唇を濡らした。




本当は、今回テーマにした事についてもっと分かりやすく書けると思っていたんですが。
中々上手く行かなかったです。


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