桃色の魔王と腐敗の刹那 (鬼怒藍落)
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黄昏の夢
――――僕の耳は波の音を拾った。
目を開けると、そこには……夕焼けに照らされている綺麗な海が広がっていた。
ここは、何処だろうか? 波のせせらぎや、鳥達の声が聞こえる……一度も訪れたことのないはずの黄昏の浜辺。
本当にここは何処なんだ? 僕が暮らしている街には海があるが……こんな綺麗なものではない。それに、ここの空気は日本の物じゃないし……ああ、そうか。これは夢か……うん、これは夢だ。
僕はこの世界を改めて見渡してから、そう結論付けた。
だってこんな綺麗な世界は夢じゃなければありえない。それに、ここに一度でも訪れたことがあるなら……僕は決して、忘れないと思うから。
僕は海の方に視線を移した。海には太陽が沈んでいた。水平線に半身を沈めながらも決して落ちることのない太陽が淡い色をした赤を放ちながら堂々とした姿で存在していた。
波が寄せられては引き返される……どこか現実味が欠けた潮騒……もう、これは完全に夢だろうな。
永遠に続くような黄昏と、決して落ちる様子のない太陽。
この空間は幻想的で……初めてきたはずなのに、妙に心が落ち着き安らぎを感じる。
僕は、この世界で特にやることもないから、砂浜に腰を下ろして波の音を聞く事にした。
――――――そして、僕が感じたのは……よくわからない既知感。
この場所に始めてくるはずなんだ。なのに、もう知っているようなそんな既知感が僕を襲う。
これは夢だったからいいんだけど、もしも現実だったらと思うと……何とも言えない不気味さがある。
「…………この夢は覚めるのかな?」
十分ほど僕は海を何もしないで見た後に、そんな言葉を口にした。
でも、この夢が覚めなくても別にいい。この代わりもしない空間が……僕の心を安心させてくれる。この美しい瞬間を、少しでも長く感じる事が出来るならそれでいいから。
僕は立ち上がった。
この世界に他に何があるかが知りたくなったからだ。
ふと、僕の耳は歌声を拾った。
この世界に会っているとてもきれいな歌声だ。
僕はその声がする方に振り向いた。
言葉が出なかった。
言葉が出なかった。否、目を奪われるという言葉は、この時のためにあるのだろうな、僕はそう悟った。
僕の視界に入った少女は、一言で表すなら女神だろうか? どんな人間でもこの世界でこの少女を見たとするなら、誰でもそう思うに違いない。
純黒の夜の闇のようなドレスを纏った銀の髪の少女……そのドレスはこの少女以外に似合う物がいないと断言できるほどに少女に合っていた。
黄昏の世界に染め上げられた白銀に輝く髪、陶器のように白い肌、穏やかな光を宿す紫色の瞳。まるで、人形のようだった。
甘く脳髄を溶かすような声で少女は歌う。天使のような切ない声で少女は歌い続けていた。少女は微笑みながら何かに祈るように歌を紡ぐ。聞いたことのない歌だ、だけど……何度も聞いたことがあるかのように、僕の中にその歌は響いていく。
とても綺麗だ。
この少女は人間じゃない――――人間なんかではなく、もっと神秘的な者だろう。
だけど、僕は大事なものを忘れていた。
黄昏刻とは人間ではない魔物の時間――――――この少女は女神なんてものではない。もっと違う恐ろしいものだ。
「血、血、血、血が欲しい。
ギロチンに注ごう飲み物をギロチンの渇きを癒すために。
欲しいのは血、血、血」
少女は邪気もなくそんな歌を歌っていた。異国の少女は、そんな歌を無邪気に歌っている。これは呪いの歌だ。これは聞いてはいけない。飲まれてしまう。
「欲しいのは――――血、血、血、血」
頭が割れる。呪いの歌が……頭の中で反響する。
そんな状態でも僕は今で少女に目を奪われていた。
白銀の髪が海風で乱れている。そんな中で僕は目にしてしまった。首に走る斬首跡――――ギロチンの痣を。
この少女は何だ? この少女は何者だ?
ここから一刻でも早く離れなければいけない。殺される――――僕はそう確信してこの場から急いで離れようとした。
それが、まずかった。
この空間に、僕の足音が響く。その音は歌っていた少女の耳に届いてしまったのか少女はこちらに目を向けた。
そして――――笑った。
その視線を向けられた僕は、蛇に睨まれた蛙のように体が一切動けなくなる。
動かなければ、逃げなければ……そんな思いを裏切って僕の体は動いてくれない。
少女は僕の方に向かって来る。
一歩一歩、確実に……僕の方へ歩を進める。
そして、二十秒で僕の元に辿り着いた。
「はじめましてね……戒」
少女は僕に見惚れるような笑みを浮かべてそう言った。だけど、今の僕にはその笑顔がたまらなく恐ろしい。
少女はそんな僕の様子にむっとして。頬を膨らませた。
「挨拶を返してくれないの? 酷いわね……もしかして、私が怖い?」
僕は声を出す事が出来ない。
その様子を少女はやっとわかったのか、少し残念そうにしてからこう言った。
「まあいいわ。やっと貴方がここに来てくれたのだから……それだけでよしとするわ」
少女は変な納得の仕方をしてから。もう一度僕に笑いかけて来た。
そんな、少女の腕には杯が握られていた。
黒い泥で満たされた金の杯が――――その杯からは歌が聞こえる。先程少女が歌っていた歌だ……老若男女ありとあらゆるものたちの声でその杯から声が溢れる。
「ほら、みんなも喜んでるわよ? 貴方が来てくれたことがよっぽど嬉しいみたいだわ……そうだわ、せっかくここに来てくれたんだし、何か上げないといけないわよね……どうしようかしら――――――そうね、私と同じになりましょう戒」
同じ? どういうことだ?
何をされるか分からないが、よくない事だけはわかる。逃げろ! 僕は必死に自分の体に命令する。だけど、僕の体は動かない。どういう理屈か分からないが僕の体の主導権は少女が握っているらしい。
「だからね戒。一回死んで?」
少女は今まで見たことのないような笑みを浮かべてそう言い放った。
その瞬間に、僕の頭は鈍器で殴られたような衝撃を受けて意識が消えていく――――――。
そして……。
僕は広場の中央に拘束されていた。
僕を拘束しているのは処刑台。それを取り囲む群衆のざわめきを聞きながら僕はギロチンに固定されいた。
そして周りにいるのは人間では無かった。
――――――それは黒い泥でできた人型達だった。
それらからは狂喜と恐怖と嫌悪を感じ見るだけで嫌になってくる。
そのまま僕の耳に入るのは呪いの歌の大合唱。
『血、血、血、血が欲しい。
ギロチンに注ごう飲み物を
ギロチンの渇きを癒すため
欲しいのは血、血、血』
泥の群衆は狂気的にその歌を歌い続ける。この泥たちは皆、首に斬首跡を持っていた。今から僕もこうなるのだろうか?
そんな中で目立つのは白銀の髪を持つ少女。その少女は手に剣を持ち、ゆっくりと処刑台に近づいて来る。歌を歌いながら――――ただ、真っすぐと。
その様子に僕は再度、目を奪われる。
やがて少女は僕の目の前に現れて、僕を見下ろしてきた。
「ねぇ戒。大好きよ? 私はあなたを愛してるの……だから、同じになりましょう? 大丈夫よ、一回死ぬだけだから」
いまだ、僕は声が出せない。
少女は剣を振り下ろし、ギロチンを支える紐を斬った。それによ、刃が落ちて、僕の首は――――黄昏の空間の中で空に舞った。
一切の痛みを感じないまま、僕の首が胴体から離れて転がっていく。見上げる体からは血が噴水のように流れだし、周りを床を紅く染めあげる。
――――――まだ、僕の意識は残っている。
そんな僕の頭を少女は愛おしそうにに抱え上げて。口づけをしてから――――――。
「私はレティシア……これで一緒ね戒。もう、離さないから」
その言葉を最後に、僕の意識は完全に途絶えた。
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穏やかな朝
僕は目覚ましの音で目を覚ました。
「あぁ―――おぇ…………あ」
目を覚ました途端に僕を襲ったのは異常なまでの吐き気と痛み。僕は反射的に首元へとを伸ばして首がつながっているかを確認する。
「はぁ――――よかった……夢だ」
力が抜けていく。
よかった。僕は生きている。でも、何の冗談だ? あんな夢……今まであんな夢を見たことないし何よりも趣味が悪いよ。何とか意識を別の事に移さなければ……そういえば今は何時? デジタル時計は六時十分を表示していた。
「あ、どうしよう。寝坊した」
いまだ吐き気は収まらないが……僕はそれから逃避するように、そんな言葉を口にした。あれ? この状況けっこやばくないかい? いつも僕は五時には起きて朝の支度をしている。僕がやらなければ……大変なことになるからだ。
「戒君どうしよう! 卵焼きが炎を放ってる!」
あぁ、やっぱりか……遅かった。
今頃我が家のキッチンは地獄になっているだろう。嫌だな、見たくないな……でも、そんなこと言っていても仕方がない。起きたことは変わらないのだから。僕は急いで下に向かう。
そこには僕の予想どうりの地獄が……広がっていた。フライパンの中にはこの世の物とは思えないほどドス黒い
そして、それは全てを燃やすかのような業火を放ちながら燃え続けていた。
「…………姉さん。今度は何やったの?」
「違うんだよ戒君……私はレシピを見てちゃんと作ったんだよ?」
「レシピを使ったなら、こうはならないと思うな」
「戒君、本当にレシピ見たんだよ?」
姉さんは真面目な顔でそう言った。
――――どうやら、それは本当らしい。僕がよく使う料理本も用意されているし卵焼きのページも開かれている。それなら本当に、どうしてこんな状況になったんだろうか?
「姉さんその話は信じるけどね……どう間違えたらこんなふうになるの?」
「うぐぅ――――本当にレシピの通りちゃんと作れたんだよ……でもね焼き時間を待つのが面倒でね……それで……その……コンロの最大火力とガスバーナーで焼きました」
「馬鹿なの……姉さん」
僕は心底冷めた目で姉さんを見た。
姉さんはそれの視線を受けてバツが悪そうな顔をしたかと思うと、すぐに顔を逸らしてからこういってきた。
「大体、戒君が悪いと思うのですよ私は」
いきなり何を言い出すんだろうこの人は……まだ十九歳なのにボケてしまったのだろうか?
「私は探偵の仕事を徹夜でこなして……いつものように戒君のご飯を楽しみにしていたのです、なのに机を見てあったのは虚無だけ……戒君は! 私がどんなにつらい思いをしたのか、わかっていないのです!……それでも、やっぱりお腹がすきましたので作ろうとしたのですが……ご覧の有様です。こうなったのも全ては、戒君が私の女子力を奪ったのが悪いのだよ!」
がおーと獅子のような威嚇をしながら姉さんはそう言ってきた。
何だこの人、暴論でしかないよ。全く僕は悪くないと思うんだけど……悪くないよね。あと女子力ってどうやって奪うの? 形のないものは奪う事は不可能だよ?
「文香姉さん、そんなに疲れているなら、今から何か作るから待っててよ……僕が寝坊したのも悪いしね」
今更だけど、この人の名前は藤井文香。僕を孤児院から引き取ってくれた人で、二年ほど一緒に暮らしている。蒼の瞳を持った茶髪の女性だ。
「ほんと? コーヒーも淹れて?」
「さりげなくコーヒーを所望するのはさすが姉さんだね、まあいいけど」
「砂糖とミルクを入れて、私は苦いの飲めないから」
「はいはい、分かってますよ」
コーヒーを淹れて軽く朝食を作った僕は、椅子に座り姉さんと向かい合っていた。姉さんは、ふーふーとコーヒーに息を吹きかけたりしながら、角砂糖を三個入れてゆっくりと混ぜている。
「飲まないの姉さん? 冷めちゃうよ?」
「待って戒君……まだ砂糖が溶けてないの、これじゃあ少し苦いよ。私はマシュマロを所望する」
「昨日姉さんが全部食べたから無いよ、今日学校が終わったら買って来るから」
「さすが我が弟。私は家でグダグダしておくから学校頑張ってねー…………戒君それなに?」
姉さんの声質が低いものになった。添えは今まで聞いたことのないもので僕の体は強張ってしまう。なんだろう? 何か癪に触るようなことしてしまったのかな?
「姉さん……どうしたの? 僕、何かした」
「――――ごめん勘違い、なんでもないよ戒君。そうだ……今日は早く帰ってきてね寄り道しちゃだめだよ?」
「分かったよ姉さん。あれ? マシュマロはいいの?」
「うん、大丈夫。今日休みだから私が買いに行くよ。戒君、もうそろそろ学校だよ……バスに遅れたら困るから早く準備しようね」
本当だ。時計を見てみると、もう七時二十分になっていた。いつの間にこんなに時間が経っていたのだろうか?
そして、バスが来るのは七時三十分。あと十分しかない。急がなければ……。
僕は急いで部屋まで走り、部屋にある鞄を持ってから急いでバス停まで向かった。
何分かかったか分からないが、僕はバス停に辿り着くことが出来た。
よかった。まだバスは来ていないようだ。その証拠に僕以外の生徒がバス停の椅子に座っている。その中には見知った顔もちらほらと……。
そんなふうに僕は周りを見渡していたら、不意に肩を誰かに叩かれた。とんとんと軽くだけど……誰だろう?
「戒君、おはようなの!」
僕は後ろを振り向いた。
そこには満面の笑みを浮かべる茶色い髪を持った少女がいた。髪をツインテールにしていて、見ているだけで、こっちも元気がわいてくるようなこの少女の名は高町なのは、僕が姉さんに引き取られる前からの付き合いで、簡単に言えば……幼馴染という関係かな?
僕がそんなことを考えていると、なのはが僕の顔を覗き込み真っ直ぐと見つめて来た。数秒ほど僕たちは見つめ合った後に、なのはが不思議そうな顔でこう言ってきた。
「戒君、体調悪そうだよ大丈夫なの? つらそうだよ?」
何でばれるのかな?
僕の体調は夢のせいであまりよくない。それはそうだ、夢の中だが首を刎ねられたのだ。気分が悪くなるに決まっている。ここまで走ってきたのも合わさり、僕は立ち眩みに襲われていた。姉さんにはばれなかったのに、何でなのはにはばれたんだ?
「大丈夫だってなのは、僕はいつも通りだよ?」
「戒君、私にその嘘は通じないの。私は戒君の事分かるからね……バスで休憩しよう?」
このまま何か言っても無駄な気がしたので、僕はその言葉に従う事にした。そのタイミングでちょうどバスが来て、僕たちはそれに乗り込んで私立聖祥大附属小学校に向かっていった。
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願い
時間が止まればいいと思った。
正直、僕みたいな年齢の子供が考える事ではないと思うけど……時折、酷くそう思うことがあるのだ。まだまだ長い人生だ。この先何が起こるかなんて僕にはわからない。こんなことを願ったって、世界は進み続けるし……時なんか止まらない……だけど、僕はそんなことを願ってしまう。
失うのが恐ろしいから。今まであった
いったい、この願いはいつ生まれたんだろうか? この願いを思い出す度に、そんな事を決まって考える。
でも、生まれた理由はわかっている。
その理由は今が好きだからという簡単なものだ。
ただ、特別何かがあるわけでもない平凡とした毎日が好きだから、その日常を誰かと分ける事が嬉しいから。
だから、僕は何もいらないのだ。ただ、今を過ごしていればいい。この日常が続いていればそれでいいのだ。
――――もしも、この日常を壊す者が現れたり出来事が起きるなら……僕はどうするのだろうか? 僕の力ではかなわない存在、ただ見守るしかない現象、それら全てが僕の日常を壊すとしたら――――僕は逃げるのだろうか? 挑むのだろうか? それはわからない。だって、そんなことが普通は起きると思わないし……簡単に起こってしまったら、それは異常ではなくなる。
――――でも、本当に起こったりしたら……僕は日常を守れるのだろうか?
もしも、力があったのなら……僕はそいつを日常のために殺すだろう。何の躊躇もなく塵のように。こんなことを考えている僕は、狂っているのかな?
これは夢だ。こんなことを思い出すのは夢でしかない。
僕の願いを振り返る夢……二度寝するなんて僕らしくないな。
よほど、朝の夢が堪えていたらしい。
多分、今はバスの中だろうな。最後の記憶がそれだし、そろそろ起きないと……もう学校についているかもしれない。 そんな気が緩んだ時だった。
僕の体に何かが纏わりついた。その何かは耳元で囁いて来る。
「大丈夫よ、戒。貴方には力があるの。私の名を呼んで……それだけでいいのよ?」
優しく蕩けるような声、その声は人を魅了して、堕落させるもの……逆らえない。この声に従うだけで全てが手に入るという、錯覚まで覚えるほどに……その声は蠱惑的で魅力がある物だった。
影が体を飲み込む始める……違う、これは影というより泥だ。黒く、暗く、恐ろしい、一度浸かると抜け出せないような深い泥――――この声に従えば、すぐに泥にのまれ。
「大丈夫よ? そんなことしないわ、私は貴方が好きなだけだから……貴方が望めばなんだってする、貴方が欲しがれば私が持ってきてあげる。戒。私を呼んで。私を抱きしめて?。私を見つけて。私を愛して。怖くないの……だって、そうすれば楽になれるのよ?」
声が……溶けていく。
僕という器にその声は毒のように溶けていく。抵抗は無駄だし、そんなことをしても苦しくなるだけ……だったら、早くこの声の言う通りに名を呼べば――――――。
「そうよ……戒。そうすれば貴方は救われる。無理をする必要はないの、だって本当の貴方はもっと
声は話し続ける。僕の体を飲み込みながら――――声を聴く度に、意識が沈んでいく。体が溶けていく。
抜け出す事はもう、できない――――だって……この中は、凄く気持ちが良いから。
◇◇◇
「戒、ちょっと戒! 起きなさい。なんで、こんなに起きないのよ、もう! 学校着いたわよ!」
そんな声を聴き僕の意識は戻ってきた。頭痛がする……頭が正常に働かない。さっきまで僕は、何をしていたんだろう? あれ? 何も思い出せない。記憶が全て消えていた。家を出たところまでは覚えている。だけど、それ以降の記憶が、何かに喰われたように消えている。
だも、感触は残っている。何かに喰われたような感触が……これはなんだろう。
「戒……いい加減、起きろ!」
とっさに拳を避けた。僕がさっきまで居た場所には拳があり、座っていた席の背もたれには窪んだ跡が出来ていた。
危ない……避けていなかったら、今のの拳が僕に刺さっていたかと思うと、寒気がする。
今の出来事で、先程まで考えていたことすべてが吹っ飛んでしまった。こんなことするのは誰だろうか?
「ちっ、避けたわね。相変わらず無駄に身体の力が高いんだから……」
あからさまに、舌を打ち褒めているようで、貶しているような言葉を吐く少女が僕の目の前にいた。金の髪を持った気の強そうな少女だ。少女の様子は明らかに不機嫌で私、怒っていますという雰囲気だった。この少女はアリサ・バニングス。一年の頃になのはから紹介されてから、友達になった少女だ。言い方はきついがいつも周りの事を気遣ってくれる。そんな子だ。でも、今はどうして……。
「ア、アリサ? どうしてそんなに怒ってるのかな?」
「怒ってないわよ!」
絶対嘘だ……絶対にアリサは怒っている。 僕は何かしましたか? 全く分かりません。
「アリサちゃん、みんな見てるよ」
「え? 嘘よね、なのは?」
「にゃはは」
なのはは、笑って誤魔化した。そしてアリサは機械のようにゆっくりと周りを見渡して――――。
「っ――――」
アリサは顔を真っ赤にしてm涙目になり僕の事を睨んできた。拳をプルプルとさせて殴るのを我慢しているようだが……皆それを少し暖かい目で微笑みながら見ている。
哀れアリサ。
「戒のせいよ!」
「何でさ」
唐突に話が降られて、僕は自然にそんな言葉を返した。
「なんか……ごめん」
「私も悪かったわ、戒が魘されてから心配で……いくら声をかけても起きなくて、自分でもわかんなくなって……それで、動転してたの……ごめん、戒」
そうか、僕は魘されてたのか……それでアリサを心配させちゃったと、悪いことしたな。うん、今度何か作ってあげよう。
「アリサ……やっぱり優しいね。ありがとう」
「なっ、私は優しくないわよ!」
「それだけはないよ、アリサは優しい。僕が保証する……安心して?」
「戒にそんなこと言われる必要ないわ……もう、かなり時間たっちゃ経っちゃたじゃない。早くいくわよ」
「はいはい……」
「あれ? なんでみんな、そんな笑いを私に向けるの? ってなのはまで、やめてよ……なんか恥ずかしいじゃない」
「にゃはは、アリサちゃん早く行こう遅刻しちゃうよ?」
「なのは……笑わないでよ。私先行くわよ」
「待ってよアリサちゃん、戒君も行こうね」
「了解だよなのは」
僕はそうしてバスを出た。先程の夢を全て忘れて。
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崩れゆく日常
僕達は教室に辿り着き、席に着いた。
僕は時計を確認する……今は八時十五分、先生が来るまであと二十分くらいだ……まだ眠いな、少し寝よう。僕はすでに二回寝たが、まったく眠気が収まらなかった。寝ても逆に疲れてしまうが、本当に頭が痛くて……正直、今すぐにでも倒れたい。寝ないとやってられない状況というのはこういうことを言うんだなと、僕はそんなことを考えた。
そうと決まれば早速、目を瞑り机にうつ伏せになる。僅かにひんやりとした机が気持ちよくて僕の意識は落ちてい――――。
「…………いたい」
意識が完全に落ちる瞬間に僕の頭を何かが叩いた。バサッという音がしたし。多分がだけど、僕を叩いた物体は教科書だろう……こんなことをやる人間は一人しか心当たりがない。
僕は拳を構えて後ろに向かって重い一撃を放った。
後ろにいる人物はそれを軽く手で止めてから馬鹿にしたような感じでこう言った。
「おっと……危ないな親友、眠りかけていたダチを、手間をかけて起こしてあげた聖人に何をするんだ?」
僕は後ろに視線を送る……そんな僕の後ろには金髪の少年がいた。片手に丸めた教科書を持ち僕の拳を空いている右手で受け止めている。そんな彼の顔はにやけていて、僕の事をおもちゃのように思っている気がする。
「…………その手間というのは、僕の頭を教科書で叩くことなのかい? もしそうだったら、僕は君との付き合い方を考えなければいけないよ」
「ははは、知らねぇ」
この少年の名前は
「それで戒、朝から美少女と登校してたが、ご感想は?」
「特にないけど、いつもと変わらないよね……皆と登校するのは」
「……そういえばそうだったな、それより戒話は変わるんだが、お前結構悪いだろ?」
司狼の今の言葉には、主語は抜けているが…………言いたいことはわかる。司狼も僕の体調が悪いのを今のだけど会話だけで悟ったのだろう。かなり隠しているはずなんだけど、何でばれるのだろうか? 幼馴染という関係は奥が深いのだろうか?
「戒……幸いお前は俺の後ろの席だ、というわけで……今日は後ろで寝てろ先生が来たら適当に俺が誤魔化すから、安心しろよ?」
「大丈夫だよ司狼……僕は全然大丈夫、この程度で倒れるほど僕は弱くないから。それに、僕は学校の授業好きだしね」
「あぁ、そうだったな。お前好きだしな日常がこうやって、教科書読めば簡単に理解できるよなことを何度も繰り返すのが……うん、やっぱりお前は変人だわ。体調悪いならサボればいいのによ……まぁこれでこそお前なんだが……」
「……司狼、僕は今の言葉で褒められたのかい? それとも馬鹿にしたの?」
「なんだ親友? どう考えても褒めているだろ?」
「僕がおかしいのか分からないけど、まったく褒めているように聞こえないんだけど」
「大丈夫だそれは気のせいじゃないからな」
そうなのか……結局褒めてないってことだよね、これ。そんな僕たちの元になのはとアリサが歩いてきた。アリサが軽く司狼に手刀を喰らわせてから溜息を吐いてこう続けた。
「馬鹿司狼、それまったく褒めてないわよ……ていうか戒はやっぱり体調悪かったのね、先生に言って保健室に行く? 連れてってあげるわよ」
「大丈夫だよアリサ……少し休めばすぐ良くなるから、だから少しだけ眠らせて……できれば起こしてくれると助かるんだけど、頼んでもいいかな?」
「別にいいわよ戒。でも私は席が少し離れてるから、なのはに任せるんだけどね、なのはいいかしら?」
「別にいいよ? 私も寝るかもしれないけど……多分大丈夫なの」
「私は少し心配になったけど、そこはなのはを信じるわ」
二人はやっぱり仲が良いようだ。軽い漫才のような物をしている……ここにすずかもいれば、もっと面白くなるんだけど、まだ今日は来ていないらしい。大丈夫かな?
「……戒、オレたち空気だな。このまま授業サボろうぜ?」
「オレ達って、何で僕もまとめられているの? あと、どうしてそうなったんだい?」
「だって俺たち親友だろ?」
親友ってなんだろう? あぁ、親友か…………。
そんな時に教室の扉が元気よく開かれた……入ってきたのは紫色の髪を持つ少女だった。少女は走ってきたようで、息が荒い。少女は僕たちの方に歩いてきて話しかけて来た。
「はぁ……はぁ……皆おはよう……まだ授業はじまってなよね」
「おはよう、すずかちゃん。大丈夫だよ、まだ先生来てないし始まってないよ」
「よかった間に合った……今日は機械いじりだから楽しみで寝れなくて」
「にゃはは……それは大変だったね、すずかちゃん」
すずかは荒い息を吐きながら近くの席に座った。それが面白かったのか司狼は笑い始めて、すずかはそれを少し睨んだ。あぁこのいつもの日常が心地よい。そろそろ先生が来ていつも通り授業が始まるだろう。
そして、僕は午前の授業をすべて終えて皆で屋上に来ていた。僕たちは屋上にあるベンチに座り昼食をとる。
司狼に僕の弁当が半分奪われてしまったが……それはいつもの事なので諦めているだけどね。そんな僕の様子を見たなのはが弁当を分けてくれた。珍しいな、なのははいつもおにぎりとかなのに、今日は弁当なんだ……すごい美味しいこのお弁当。桃子さんが作ったのかな?
「なのはありがとう。このお弁当美味しいね」
「にゃはは、頑張って作ったんだよ」
「え? なのはがつくったのかい? いつの間にこんなに腕を上げたんだい?」
「ふふふ、私も負けてばかりじゃないんだよ。こんどはもっと美味しい物を食べさせてあげるよ楽しみにしててね戒君」
「それは楽しみだねなのは、僕も負けないよ」
僕も今度なのはにお弁当を作らないと、貰ってばかりじゃ悪いからね。僕達がそんなやり取りをしていると司狼が僕達の方を見てアリサと何かを喋っている。耳を澄ませてみよう。
「なぁアリサ嬢や」
「……なによ、司狼。あとその呼び方は何?」
「気にするな、それで混ざらなくていいのか?」
「……何によ。混ざるって何?」
「いいや、何でもない気づかないならいいぜ?」
「……だから、何が言いたいのよ?」
あの二人はやっぱり仲がいいな……あんなに笑いあっていていつからあの二人は仲良くなったのかな? すずかの弁当は……やっぱり豪華だね……なんでいくらが……さらにかなり高そうなやつだし。
「あれ? 戒君、首に変な痣があるよ、どうしたの?」
僕がすずかの方を見ていたらすずかがそんなことを聞いてきた。痣? なんだろう。僕は首に触れた。そこには何かを繋げた痕みたいなものが存在した。これを触った瞬間に僕の事を頭痛が襲い始めた。叩かれるような、内側から響くような酷い味痛みが僕の頭を攻撃する。それに加えて朝の夢がまた頭を遮る。僕の首を刎ねた少女の姿が頭の中に浮かんでくる。僕の口は自然に動きその忌まわしい呪われた名を口にした――――してしまったのだ。
「レティシア」
(やっとね、戒。これから……よろしくね。私の戒)
僕の体が内側から壊されていく体の臓器が痛み血が逆流する。胃から何かがこみあげてきて僕はそれを吐き出した。――――それは黒い泥だった。夢で見たあの黒い泥だった……僕はそれを吐いた直後に地面に倒れてしまう。
「戒君!?」
「おい、戒! いきなりどうした!?」
そんな二人の声をきき僕の意識は完全に消えた。
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悲劇
体中に泥が纏わりついている。僕の体を蝕みながら、僕の体を腐らせる。思考がぐちゃぐちゃになり自分という物が維持できない。そんな状態で僕は自然に歩き始めた。何処を目指すかはわからない。だって今の僕には自分という物が見つけられないから。
足は動き、思考を腐る。歩くたびに体が腐り落ちて、この砂浜に僕の肉片が散乱する。酷い痛みが僕を襲っても、足の肉がなくなっても、口から泥を吐き出しても、それでも僕は歩いていく。
僕の思考はそうしてこの痛みを忘れ、別の事を考え始めた。
そうだ、悲劇の定義について考えてみよう。
簡単に結論を出すとするなら、おそらくだけど重度の喪失を指す概念。大事な何かや、もしくは誰かを失う事で生物はその形をした穴が開く。心の隙間とでもいえばいいのかな? それが生じる出来事が、一般的に悲劇と呼ばれるものと僕は考える。
だけど、これだけが全てじゃない。人の価値観なんて多種多様で、一概に大事な物、家族、友人、恋人などを失っても何一つ感じない人種も存在する。
ならさ、万人に共通する悲劇という物は何だろうか? 家に有った本には何をなくしてよりも、どのようにして無くしたかが重要という事が書かれていた。落としたりそれが見つからなくなるよりも奪われ壊されたりする方がより強い悲劇なのだそうだ。
でも、僕はあんまりそんなことは思わない。加害者が存在する悲劇には怒りや憎悪などといった悪感情を相手に抱くという逃げ道が存在しているからだ。
簒奪者を憎めば悲しみを忘れられる、更に言えば今まで何も目標がなかった人物に復讐という目標を与えてくれさえするのだ。
そんな物が、純粋な悲劇だといえるのかな? 僕は日常を愛する中で偶にそんなことも考えていた。悲劇という物をもっと深く知ってみたかったのだ。
僕は小さい頃に親を失った。首が刎ねられて、体中に毒が回っていたらしい。そして、僕はその現場にいたそうだ……だけど、僕はそのことに関して無関心なんだ。親が死んだ……たったそれだけ、気づけば孤児院に預けられて文香さんに引き取られて今に至る。僕は親が殺されたはずなのに怒りもなく、悲しみもなく……ただただ、無関心。
話がそれてしまった……戻そう。
人間は悲劇が起こり心に穴が開けば、歪であっても何らかの形でその穴を修復する。普通の人間にとって悲劇とは過ぎ去る物で治せるもの。
ならば――――塞がらない亀裂、癒えない傷口、常に出血をし続けている悲劇とはどんなものなんだろう。
もしも、そんな物がるなら、きっとそれは最初から悲劇という運命を持たされた存在。最初から欠けていているから癒さないし、何もその手にはつかめない。
それ永遠の咎人と、言えるのではないだろうか?
僕はそんなことを考えているうちの泥に完全に体を包まれて。
その咎人に当てはまる少女の夢を見た。少女の誕生と呪われ祝福された……その短い人生の記録を夢として。
1791年のフランスのサン・マロに、一組の夫婦が存在した。
次回から進ませていく。
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断頭台の歌姫
1791年のフランスのサン・マロに、一組の夫婦が存在した。
夫は人当たりが良い好青年で、妻は美しく気立てのよい女性だった。二人の生活は幸せだと言えただろう。稼ぎも順調で夫婦の仲もよかった。
だが彼らの幸せには今の時代からでは考えられない異質なものが含まれていた。
何時間も前からギロチンの足元に陣取って編物をしながら“首が落ちる瞬間を見る”という事である。
これは、当時のフランスの民衆の間で広く抱かれていた革命思想が吹き荒れる真っ只中のことであった。
その革命思想とは貴族や僧侶と言った上流階層の人間を絶対悪とするものだ。
市民たちはそれを強く信じ、また彼らの子にも同じようにそれを言い聞かせて育ていた。
この夫婦が処刑の見物を幸せと感じるのはこの為だ。
そして、二人は今日もギロチンによる処刑を見に行った――――その日の処刑はいつもと違った。四つの普通のギロチンと黒い刃を持つ異質なギロチンが広場に並んでいたのだ。五つの処刑器具に罪人が固定され。異質なそれ以外の物の後ろには執行人が並んでいて、あと一人の黒いそれを使う執行人を待っていた。
――――しかし、いつまでたっても執行人は現れない。
十分待ってもその姿は現れず、その待ち時間の間に妻は激しい陣痛に襲われた。妻は嘆いた。あのギロチンが恐ろしいからって、逃げたのかと……。民衆は落胆に襲われるがあのギロチンが恐ろしくて誰も名乗りを上げることはない。役人が呼びかけても、恐怖が勝り誰も動けないでいた。
夫はそんな妻の陣痛に苦しむ姿を見て自ら名乗りを上げた。
“私がやりましょう!”
そう叫び、処刑台の上に駆け込んだ夫の姿に妻はあの歌を歌いながら夫の帰りを待つことした。
“血、血、血、血が欲しい
ギロチンに注ごう飲み物を。
ギロチンの渇きを癒すために
欲しいのは血、血、血”
それと同じリフレインを民衆は歌い、処刑を行う英雄の姿を見守ることしたのだ。呪いの歌の大合唱が広場に響く。
“血、血、血、血が欲しい
ギロチンに注ごう飲み物を。
ギロチンの渇きを癒すために
欲しいのは血、血、血”
そんな呪いの歌を聞きながら妻は女児を出産した。夫は処刑を終わらせて妻の元に戻った時に女児を見て感激して涙を流した。
処刑台の元で生まれた呪われた子供。その子供の首には歪な斬痕が刻まれて、それは生涯消える事はない。
やがて、女児は少女にまで成長して……この世のものではない容姿を手に入れた、白銀に輝く髪、陶器のように白い肌、穏やかな光を宿す紫紺色の瞳。まるで、人形のような少女。喋る事はせずに街に出向き、歌を歌う生活を繰り返していた。やがて少女は有名になり、少女の歌を聞き心に残そうとはるか遠くからやってきた物もいた。
そんな少女を誇りに思い、夫婦は大金を使い少女の為に劇場を借りた。役人も少女の歌をえらく気に入っており、それに賛同して街で一番大きい劇場を借りる事が出来た。
劇場には、かなりの人数が集まり、大規模なものとなった。
当日、少女は舞台の上に極黒のドレスで着飾り上った。
観客は少女の歌を、今か今かと待っていると、少女が何かを取り出した。それは金色の杯だった。何かで満たされた黄金の杯。それはこの世の悪意を全て混ぜたようで、見るだけで精神が狂うような代物。 それに満たされた物を見た人間たちは、本能的にこれが何かわからなくても恐怖した。
――――それを見て少女は笑みを浮かべた、慈愛に満ちたような、心からそれらが愛おしいような……そんな感情を舌で転がしながら少女は歌い始めた。
「血、血、血、血が欲しい
ギロチンに注ごう飲み物を。
ギロチンの渇きを癒すために
欲しいのは血、血、血」
少女がその歌を紡ぎ出すと、杯の中から中身が溢れ出した。それは形を得て人型や異形の姿を作り出した。それらは観客を殺し始め……その中で少女は歌い続ける。歌うたびに泥の生物は生まれ続けて人々を殺し続ける。
その恐怖により逃げ出した人々がいる。その逃げ惑う人々を泥が追い殺し続け、何人かの人間が元凶である少女を殺せば収まると錯覚し少女を殺そうとした。
――――しかし、少女に触れた人間は……例外なく首が飛んだ。
ギロチンの加護。ギロチンの足元で生まれたこの少女が持つもう一つの呪い。
触れたものを全ての首を刎ねるという最悪の呪い。人が死ぬ度に杯が泥で満たされる。死体は全て泥に喰われ、人間は全て泥となる
少女はその光景を満足そうに見守り、歌をつづる。
やがて歌が終わりその場所には何も残らなかった。
いつまでたっても人が戻ってこないことに、おかしいと思いその劇場に人が見に来た時には、血に染まる劇場で静かに眠る少女の姿だけが存在していたのだ。
その姿を見た人間から少女はこう呼ばれるようになった……死の歌姫と。
それから少女が一歩外に出るたびに、町は全体が静まり返る。
恐怖と、嫌悪と、忌避と、憎悪と……今まで抱かれていた感情とは違う悪感情に晒され続けた少女だがそれが心地よいように振る舞い続けまた呪いの歌を歌い続け、その歌を聞いた人間は気が触れて少女に触ると首が斬られる。
少女はその事件が起こってから、今までより多く町中を徘徊するようになったが、その間……少女は何も口にすることなく寝る事さえしなかった。
だが少女は……やつれる事も、朽ちる事もなく、完成された芸術品のように、その姿は変わることはなかった。
“この少女は人間では無く悪魔だ”
そう言われるのも、自然だったのだろう。
悪魔、魔女等と、様々な呼ばれ方をした少女は……断罪される事になった。その少女による被害が既に千を超えていたからだ。
ついに人々は少女を捕らえる事を決意した。
何人もの犠牲者を出して……少女は捕らえられ、処刑場へと引き立てられる。
少女には触れる事が出来ないので、その扱いは必然的に器具を介したものになり、人間として扱われていないのが見て取れる。
そんな扱いを受けても、少女は抵抗しなかった。彼女がその気になりさえすればこの場に人間を全て皆殺しにする事が出来ただろう。
ならば、なぜ少女が抵抗しなかったというと……答えは単純。少女にとって死は当たり前だったから。自分の周りで人が死ぬのは、日常で……例えそれが自分であっても変わることはないからである。
少女は自分が生まれた、黒いギロチンが用意された処刑台の上に乗り、黄昏の時間に夕日を眺めながら……また心から歌い出した。
断頭台の元で祈るように、血のリフレインを……。
それが歌い終わった少女はとても美しい声で……。
「あぁ……これが私の始まりなのね。どうしたの? 早く殺さないの……今なら簡単よ?」
その言葉が僕の耳に残り焼き付いて離れない。それにせかされるように執行人が刃を落としその少女の首を刎ねた。この瞬間に、少女という花は散り――――少女が持っていた呪いが解き放たれた。泥が無尽蔵に溢れ出して、全てを漆黒が塗りつぶした。この黄昏の空間が世界から切り離され、以来彼女は杯共に、永遠の黄昏で死の歌姫として歌い続ける。甘く、切なく、今もずっと。
そんな少女が僕に宿ったのだ。
そして、僕は――――その少女の在り方に惚れてしまった。こんな人生を常人が見たら、同情するか、恐怖するはずだ。
なのに、僕は惚れたのだ。この少女、レティシアの人生に心の底から……これは僕が嫌う非日常のはずなのに、この少女の人生が僕には、とれも美しく見えたのだ。
ギロチンに人生を狂わされた悲劇の歌姫の人生が、僕が今まで感じたどんなものよりも…綺麗で、美して、素晴らしかった。
「やっぱり戒は素敵ね。私を見られるのは貴方しかいない」
僕はその言葉を否定する事が出来ない。僕もそう思ったからだ。この夢を見るまであんなに怖かった少女が、今は全く怖くない。
「戒、唯一私を愛してくれる……愛しい人」
少女はそう言って、僕に抱き着いてきた。
「これからは、一緒ね」
この少女の人生を知り、僕は狂ったのだろうか?
これから何が起こるかはわからないが、この少女と共に居たいと思ってしまったから。
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