Ewigkeit Schlacht (羽月天夏(ユキア))
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プロローグ

「東西戦争」の際に発生した、二つの未来。

 東西の子供達が、お互いを刺して死んだ未来。

 お互いを刺さずして戦いが起こらなかった未来。

 これは、刺さなかった未来の、数ヶ月後の物語。

 

 永遠。

 それは、誰しもが一度は求める時の果て。

 老いることも死ぬこともなく、このままの姿で生きることを望みたい。

 愛する人と末永く幸せでありたい。

 そのような純粋な願いが、いつしか永遠を求めるようになっていった。

 だが同時に、永遠とは限りなく不確かなものだ。

 人間は未来を見据える力を持っていない。だから全てのことが永遠に思えてしまっても、いつの日か必ずそれは終わりを告げる。

 そして宇宙から見れば、人間はひどく短命だ。人間にとっての一年は、もしかしたら宇宙にとっては眠りの間に見る夢のように、長いように思えて短いのかもしれない。

 永遠。

 それは、不確かな存在の象徴そのもの。

 

 

 闇に染められた部屋に佇むのは、ただ一人の少女。

 ある少女の目には、微かに光を放つ一体の人形が映り込んでいた。

 透明で奥深い、真っ赤なドールアイ。一本一本が繊細に作り込まれている真っ白なドールウィッグ。高級感溢れる素材で作られた、白いドレス。

 そして人形は光を帯びていた。まるで、少女に見つけられることを望んでいるかのように。

 小さな人間とも受け取れるその人形を目にした少女は、その場で固まっていた。同時に、哀れな目付きをした。

「……可哀想……こんな暗いところに閉じ込められて。今すぐ連れて行ってあげるね」

 人形に話しかけても、当然ながら人形は何も答えない。ただ無造作に転がされているだけだ。

 それでも少女は、人形に対して笑いかけながら、人形の方へと歩み寄る。

 ────少女が人形を抱きあげようとした、その瞬間。

 バアン、という痛い音と共に、外から大量の光が差し込んできた。

 人形を即座に抱き上げた少女の姿が明確になる。雪のように白く長い髪、純白のワンピース。黄金のように煌びやかな金目。

 そんな少女を、乱暴に開け放たれたドアから威嚇する者がいた。

「そこで何をしてるの?」

 金髪を紺のリボンで二つに束ねた青眼の少女────アイユキアリス、もといユキアが、少女の腕の中にある人形を睨みつけながらそう問いかけた。

 白髪の少女は、人形を力強く抱きしめた。我が子を離さんとする母親のように。

「……あなたは、誰?この子を奪いに来たの?」

 少女の身体は小刻みに震えている。恐怖に襲われていないとは、到底言えなかった。

 だが、少女は弱々しい風貌をしていながらも、ユキアのことを睨めつけていた。

「その人形は危険物なんだよ。そいつをここに置いて、大人しくしてなさいな」

 片手を腰に当てて、ユキアはもう片方の手に黄金の剣────戦女神の神剣を構えた。

 ユキアは普通の人間の姿をしているが、実際は何万年も生きている戦女神であった。人間の姿のままでも戦闘力はあまり変わりない上、戦女神の時よりも動きやすい。その為に、ユキアはほとんど神の姿にはならない。

 目の前にいる少女が何者なのか、ユキアは知らない。彼女からすれば白髪の少女は、危険物である人形を持ち出そうとした、いわば犯罪者である。こんないたいけな少女が人形を持ち出そうとするとは、ユキアも半信半疑だった。

「…………」

 少女は人形を離そうとしない。両腕に抱えて、じっと動かない。

 はぁ、とユキアは大きくため息をついた。

(……もう、やるしかないかな)

 こんな幼子を手にかけるのは、さすがにユキアも気が進まなかった。当然のことだ。端から見ても、この少女が犯罪者だなんて誰も思わないだろう。

 だが、この少女を見逃してやったところで、いいことなんて一つもない。むしろ状況が悪化するだけだ。

 少女の持っている人形が、どれだけ危険なものかを知っているから。

(……やむを得ないよね)

 念を押すように心の中で呟いて、ユキアは剣を握りしめる。それもまた、意を決するために自分を追い込む行為だ。

 一瞬で終わらせて、あの人形をあの子の手から離してしまおう。そうすれば、何も困らない。

 それはあまりにも浅はかな考えだった。

 

 ────一歩踏み出した、その時だった。

 

「ッ!?」

 ユキアが剣を振り上げた時、刃の先には誰もいなかった。おかしい、そこにはあの子がいた。確かに彼女を狙った。

 なのに、何故?

 瞬間移動、透明化。あらゆる事象を考えてみるも、ユキアには断定できない。

 彼女が何者か知らない。だから、彼女が何の能力を操るのかを知らない。これぞ負のスパイラルだ、とユキアは焦り始めた。

(どこ……!?)

 不意を突かれたら、こちらの調子が崩れる。それだけはなんとかして避けなければ。そう思い、ユキアは辺りを見回す。

 しかし、見えない力のようなものが、ユキアの運命を一瞬で変えた。

 ────ユキアの背中を、ドン、という小さな衝撃が押し出した。

 目の前には、ブラックホールに似た漆黒の穴が現れる。

「えっ……!?」

 抵抗する暇も与えられず、ユキアは穴の中に放り込まれる。穴はユキアごと、闇に吸い込まれるかのように消えていった。

 人形を強く抱き締めて、少女は薄く笑う。

「────私はまだ、終わりたくないの」

 その呟きが誰に向けられたものなのかは、少女以外の誰にも知る由はなかった。

 

 

 何一つ輝くことのない闇の中で、誰かが平面に寝そべっていた。暗闇に支配された世界の中で、双眸を静かに見開いている。

 四肢を広げ、平面に身を投げ出すのは『少年』だった。

 彼は、僅かに口を開く。

「さあ……終わりの始まりだよ」

 何も見えない世界で、少年は微笑を浮かべた。

 その言葉の意味を知る者は、少年以外には誰もいなかった。



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第一章「復讐 - Rache -」(前半)

 何も見えない。

 失明したわけでもなく、私は黒だけを視界に入れていた。

 身体が言うことを聞かない。四肢は愚か、指一本さえ動かすことができない。

 骨折でもしたのかな、と私は思う。動かそうとすると、激しい痛みが身体を突き抜けるのだ。こんな状態では、まともに動くこともできない。

 誰か助けてくれたらいいのに。

 どうせ誰も助けてはくれない。

 相反する二つの思いが、私の中で火花を散らす。

 無駄なことだ。助けを呼ぶこと自体間違っている。私がこうなったのは私のせいだ。他の誰のせいでもない。

 だけど、いつまでもこうしてはいられない。そう思い、私は鋭くなった痛覚に耐えながら身体を起こす。

 

 ────私が目を覚ましたのは、薄暗い森の中だった。私は、図太い木の根の上にうつ伏せになっていた。腹に木の根が当たって、臓器が圧迫されているような感じがした。

「あれ……ここ、どこだっけ」

 根の上から身体を起こして、辺りを見回してみる。だが、ここは私の知っているところじゃない。

 年老いて背の高い木々が、鬱蒼とした森の雰囲気を作り出している。空気もどこか淀んでいるし、吸っていていい気分にはならない。空も、分厚い雲に覆われて薄暗い。

 ここは、この世界は、一体どこ?

(私が知らない場所ってことは……そんな前にできた世界ではない、ってことか…)

 今となっては半分ほどの力を失っているとはいえど、私は『創世の光の戦女神』だ。何万年も生きている私は、様々な世界を知っている。古代から存在する世界から、ついこの間できたような新しい世界まで。

 だが、この世界は知らない。こんな暗い雰囲気の世界に来るのは久しぶりだ。それに。

「なんか、変な気配がする……」

 誰の気配なのかということまでは分からない。ただ、今まで感じたことのなかった妙な気配だ。そう、例えるならば。

 ────生命のエネルギーが、少しずつ失われていくような恐怖感。

「とりあえず、安全なところに行かなきゃ……」

 私は痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がり、ふらつく身体を木の幹に寄りかからせる。

 視線を下ろすと、自分の身なりはひどいものになっていた。

 ジャケットや服は土や砂で汚れているし、黒タイツはあちこち伝線を起こして大きく穴が空いている。

 こんな格好じゃ誰にも会いたくないや、と私は笑みを零す。笑えない状況なのに、何故か笑ってしまう。きっと私は、自分が意識している以上に心を病んでいるのだろう。

 痛みのせいで言うことを聞かない身体を無理やり動かし、戦女神の神剣を召喚する。普段持つときは軽々と扱える剣も、満身創痍である今の私にはとても重く感じた。ダンベルを引きずるのと同じくらい辛い。

 だが、こうでもしなければ応戦できない。魔法だけでは限界がある。相手が万能属性で耐性を持っていたら終わりだ。よく分からない世界では、剣を使って戦った方がいくらかマシだ。

 歩く前に、自分を回復させる呪文を言い放つ。

「『ルクス・ヒーリングシールド』」

 温かな光が私を包む。それと同時に、痛みが少しずつ引いてきた。私は息をふうと吐いて、回復しきるのを待つ。

 といっても、この魔法は回復効果のついているバリアを自身に張るものだ。戦っている際でも、ダメージを受ければ自動的に回復してくれるし、バリアが持続さえしていれば死ぬことは少ない。

 大方回復すると、痛みはほとんどなくなった。剣を普通に持ってもいつも通り軽く感じるし、剣を引きずる必要もない。

 剣を構えつつ、私は薄暗い森の中に足を踏み入れる。

 

 ────どのくらいの時間、私は森の中を歩き続けているのだろうか。

 辺りは暗くなってきている。恐らく夜が訪れようとしているのだろう。天気が曇りだから、余計に暗くなるのが早くなっているのかもしれない。

 私は戦女神とはいえ、今は人間の姿だ。歩き続けていれば疲れてくるし、脚も棒のように動かなくなってくる。だから、宛もなくいつまでも歩き続けていては効率が悪い。

「……誰もいないな」

 暗くなるまで歩いていたのに、この世界に来てから私は誰にも会っていない。敵は愚か、鳥や狼といった動物でさえもいない。まるで、私以外の生命が存在していないかのようだ。

 ふと、私は思った。

 どこまで独りで歩き続ければ、この静寂は終わるのだろう、と。

 風もほとんど吹いておらず、木々の枝や葉は揺れていない。だから、何の音もしない。自分が歩けば足音がしたりはするが、それとは違う自然が紡ぐ安らかな音が、耳にすんなり入ってこない。

 そして何より、人の話し声といった人が紡ぐ音が何もない。

 それはあまりに寂しいことだ。

「……ちょっと、休もうかな」

 脚の痛みが酷くなってきたので、私は一本の木の下に座り込む。持っていた戦女神の神剣を隣に置いて、痛みがあるままの両足を抱えた。

 ……ただ単純に、寂しいとだけ思った。

「……どうして、誰もいないの?」

 相手もなしに、私は尋ねる。当然ながら、誰も答えない。

 身体を丸めて、私は込み上げる寂しさに耐えようとした。

「……嫌だよ」

 そう呟いてから、私は過去に言われたことを思い出した。確か相手は、機械神のデウス・エクス・マキナだ。

 

 “ユキアは独りだった時間が短いからそんなことが言えるんだよ”

 

 その通りだった。私は初めて生まれてからしばらくした後で、たくさんの仲間ができた。独りだった時間は、数年単位だ。

 けれど、あの子は違う。ずっと独りだった。誰よりも、誰かの傍にいることを望んだのに、彼女に限って独りだった。

 独りになってしまった今なら、マキナの気持ちはよく分かる。

 それがどれだけ苦しくて、残酷なものなのか。

「……なんで…」

 独りには慣れていると思っていた。そう思って自分を誤魔化していた。だけど誤魔化しに過ぎない。私はいつの間にか、自分の心を誤魔化すことに慣れてしまっていたみたいだ。

「なんでだろ……急に…」

 涙が溢れてきた。両足を抱えていた手で涙を拭うが、いくら拭っても溢れ出てくる。

 私、どうしちゃったの?

「…馬鹿みたいだ……独りになったぐらいで」

 涙を抑えようと、私は自分の心を抑えつける。泣いたって、誰かが来るわけがない。そんな都合よくことは進まない。

 ずっと誰かと共にいたせいだろうか。多少の孤独は慣れていたはずなのに、孤独への耐性がなくなっていたようだ。

 ……脚の痛みがある程度消えていた。いつまでもここにいても仕方がない。私は涙を止められぬまま、戦女神の神剣を手にして歩き始める。

 

 しばらく歩いていると、涙も止まってきた。目はきっと赤く腫れていることだろうけど、そんなことを気にしていられる余裕がなさそうだ。

 ────何か、生命の気配を感じる。

「……味方じゃないな」

 とは言ってみたものの、私には気配だけで相手が敵か味方かなどといった招待は判断できない。透視魔法でも使えばできるだろうが、相手の姿が分からなければ、使ったところで相手を把握することができない。

 私は戦女神の神剣を力強く握りしめる。緊張によって滲み出た冷や汗で、手から滑り落ちてしまいそうだった。

 ……気配が、殺気を帯びて近付いてくる。やはり、この気配は敵か。

「お願い……トイフェル!」

 聞き覚えのある声と共に、私の頬を鋭い何かが切りつけた。

「っ、『光神斬』!」

 戦女神の神剣を振りかざし、襲い来た何かを追い払う。剣は手応えがない。恐らく逃がしたのだろう。

 小さく舌打ちをして、切られた頬に指を這わす。その指には、鮮血の雫が乗っかっている。受けた傷も、熱を帯びている。

「……誰なのかはもう分かってる。出てきなさい」

 私はトイフェル、という言葉に聞き覚えがあった。この世界に来る前に、ある少女が持ち出した、危険物に認定されている人形の名前だった。

 私に呼びかけに応えたのか、先程の声の主は姿を現した。

 やはり、私の予想通りだ。

「やっぱり……あんたが私をこの世界に送り込んだのね……」

 目の前に現れた声の主を、私は静かに睨みつけた。

 白髪と金目の白い少女……そうだ。彼女が、人形────トイフェルを持ち去ったのだ。

「……アイユキアリス」

 少女は私を目にすると、虚ろな瞳で私の本当の名を呼んだ。この名を知っているということは、彼女は私の世界の者だ。そして同時に、ただの能力持ちの人間ではないことも分かった。

「あんたは何者なの?その名を知っているということは、あんたも神か何か?」

「……あなたなら、知っていると思ってたけど……私、ついこの間生まれたばかりだからね。知らないのも無理はないかもしれない」

「…質問に答えたらどうなの?」

 戦女神の神剣を向けて、私は少女を威嚇する。トイフェルを抱きしめたまま、彼女は動かずに、ただ私だけを見つめていた。自分を見つめてくる大きな目が、綺麗どころか気持ち悪いと思えてくる。あまりにも目が大きくて、まるで監視されているようだった。

 少女は宙に浮き、一本の大木の枝の上に乗る。地面から剣を構える私を、上から見下ろす。私は無性に腹が立った。

「……私はシュルス。終焉を司る女神」

「シュルス……?それがあんたの名前?」

「……そうだよ。あなたは知らないだろうけど」

 彼女────シュルスの言う通りであった。終焉の女神などという二つ名は聞いたことがない。彼女がつい最近生まれたということは、どうやら本当のことのようだ。今更気付いたが、彼女の言動や振る舞いがどこか幼い。神にしては珍しいケースであった。

 神というのは、最初からある程度知識を与えられているものだ。神には、普通の人間齢で十五歳程度の知識が生まれたときに頭に入っている。そこから色々なことを学び、徐々に知識を身に着けていくのだ。

 だが、シュルスは恐らく、通常とは異なったケースで誕生している。彼女はまるで幼い子供のようだ。物静かだから分かりにくいかもしれないが。

「……あんたの目的は何?私をこんな世界に落として、どうするつもり────」

 尋ねている途中で、私ははっと息をのんでその場を飛び退く。

 ────私が立っていた場所から、鋭くとがった岩が飛び出てきたのだ。

(あれに当たったら、ひとたまりもないだろうな……)

 岩は地面を食い破って、容赦なく突き出ている。自然に起こるとは到底思えない。間違いなくシュルスの仕業だろう。

 彼女は、私を殺す気でいるのかもしれない。

「……答える気はないんだね」

 シュルスは黙るままだ。否定する気もないのだろう。

 彼女が私を殺しにかかるのなら、私も応戦しなければ当然殺される。殺されるといっても、私の元の身体は神だ。人間化している状態でも、死んでも生き返るし、ある意味不死身といってもいい。

 だが、だからといって殺されてもいい理由にはならない。

「まあ、よかったよ。鬱憤晴らしができる相手が現れてくれて」

 わざとシュルスを挑発するが、彼女は何も反応を示さない。ただ強く、トイフェルを抱きしめているだけだ。これ以上何か言っても、彼女に精神的な攻撃は無駄だろう。

 ならば、直接手を下すまでだ。

「『ルクス・ブラストブレイク』!」

 戦女神の神剣から、眩しいほどの光がほとばしる。爆風に近い衝撃が、剣から放出される。正直ここのような森の中で使う魔法ではないのだが、もし木が燃えたら魔法で消せばいい。このぐらいやらなければ、神は倒せない。

 爆風によって土と砂が舞い上がる。おかげで視界がかなり悪くなった。私は剣を持っていない方の腕で砂煙を払うが、あまり効果は見られない。

 私は魔法で宙に浮く。砂煙が薄れるところまで上に上がる。森を見下ろすと、砂煙が派手に舞っているのが見えた。

(ここまでやって無傷だったら……勘弁してほしいもんだよ)

 『ルクス・ブラストブレイク』は私がよく使う攻撃魔法だ。誰か敵に出会ったときは、私は迷わずこれを使う。光属性だから邪気も払えるし、威力も結構上位の方だ。

 これを食らって無傷だというなら、相当な手練れだ。

(まあ、あんな人形に頼っているようじゃ、私には敵わないだろうけどね…)

 トイフェルも完全じゃない。あの人形ができるのは、惨い虐殺だけだ。さっきの私のように、ちょっと傷をつけられる程度で済む場合もあるが、大抵はあの程度じゃ終わらない。私は運が良かっただけだ。どのくらいの惨状にされるか、何度も目にした私はよく知っている。大国が一夜で滅ぼされるところを、一度目撃したことがある。トイフェルが危険物に認定されて捕らえられたのは、その直後のことだった記憶がある。

 どこの誰に作られたのか、何故あんな強力な能力を持っているのか、私もよく知らない。だが、危険物であることに変わりはない。だから、一刻も早くトイフェルを捕まえて、シュルスのことも止めなければならない。

 そう思い、砂煙が収まってきたところに降りようとすると。

 ────トイフェルを抱きしめたシュルスが、一直線に私の元へ突撃してきたのだ。

 しかも、彼女もトイフェルも無傷だ。

「っ!?あれを受けて……!」

 戦女神の神剣を咄嗟に構え、空中で防御の姿勢をとるが。

 

「私のことを馬鹿にしたら、そのうち死んじゃうよ?」

 

 いつの間にか、シュルスの顔が目の前にあった。大きく丸い金目が、また私を見つめる。金縛りにあったかのように、私の身体が硬直する。

 これもまた、彼女の持つトイフェルの仕業?どうにかしないと。距離を詰められれば、ゼロ距離で攻撃される。

「まずっ────」

 目の前が、真っ白になった。

 最後まで言葉を口にする暇も与えられず、腹のあたりに強い衝撃が襲い掛かる。私は耐えられず絶叫し、地上に叩き落とされる。

 視界が回る。吐き気がこみ上げる。重力に身体が耐え兼ねて、壊れてしまいそうだ。

 勢いよく墜落し、私の身体は強く地面に叩きつけられる。頭がぐらんぐらんと揺れて、意識が朦朧とする。脳震とうでも起こしただろうか。うつ伏せに地面に転がって、私は痛みに耐えながら拳を握り締める。そのとき気が付いたが、持っていた剣がない。恐らく墜落した途中に落としたのだろう。

 さすがに人間の身体では限界がある。神と人間の身体は全く同じ構造ではあるが、衝撃や能力に対する耐性が異なる。神ならこの程度の衝撃に耐えることなどたやすいが、人間であれば下手すれば死んでしまう。人間化していたのが仇であった。

 起き上がることもできず、ただ奥歯を噛みしめる。じゃり、と感触に違和感を覚える。口の中に砂が入っているのかもしれない。それに鉄の味もする。

「……私の…バカ…」

 こうなることが分かっていたなら、初めから戦女神化していればよかった。いくら何度でも生き返ることができるとはいえ、死ぬときの痛みは何度経験しても耐えきれない。静かに死ぬことのできる病気とは違う。外傷的な原因の死は、人間も神も苦しいと感じるものだ。

 いつも肝心な時にこうなる。あの時だってそうだ。数年前、別世界でとある賢者によって受けた呪いのせいで、私は一度膿を吐き続けて死んだ。あれは正常な臓器を無限的に回復されたことによって起こったことだが、戦女神化していればまだマシな結果になっただろう。人間化していた故に、あんな目に遭った。

「……どう、して…!」

 痛みによる苦しみと悔しさが混じった声で、私は地面を睨みつけた。

 かつん、と靴音が聞こえた。まずい。きっとシュルスだ。私を身体を引きずってでも逃げようとする。だが、あまりの痛みに身体が動かない。もしかしたら、今度こそどこか骨を折ったのかもしれない。

 逃げたくても逃げられない無様な私の頭上に声が降ってきた。

「……早く、死んじゃった方がいいんじゃない?」

 声は、確かにシュルスのものだった。彼女は今、私のことを見下しているのだろう。

 いやだ、と私は声を絞り出す。

「死にたくなんか、ない…死んで、たまるもん、か……私には、まだ……!」 

 やるべきことがあるんだよ。

 魔法を発動しようにも、声がうまく出せなくて失敗するかもしれなかった。魔力は無尽蔵に近いほどあるが、無闇に放出したところで吸収されでもしたら終わりだ。

 こんなところで終わってたまるもんか。死んでも記憶は引き継がれるが、死ぬ痛みはもうたくさんだ。願わくば、もう死にたくない。

(こんなところで、終わるもんか────)

 やけくそになって、魔法を発動させようとした瞬間。

 

 ────ただならぬ冷気を放つ氷塊が、私の傷付いて動かなくなった身体を真上に吹っ飛ばした。

 

(へ……?)

 吹っ飛ばされるまで、気配も何も感じなかった。冷気に思わず身が震えたが、助かったのだと安堵した。

 そして次の瞬間、私の腹のあたりに銀色の鎖がぐるぐると巻き付いてきた。その鎖は、森の奥の方から伸びているようだ。

 一体誰の仕業だろうと思わぬうちに、ある程度巻き付くと、鎖が森の奥へ引き込まれる。当然、鎖が巻き付いた私の身体も自動的に引き込まれていく。

「きゃあああぁぁぁ!?」

 さっき、地面に叩き落されたときと同じくらいのスピードで、今度は横に引っ張られている。息ができなくなりそうだ。気分が悪くなって、目をぎゅっとつぶる。唇や舌を噛まないように口を固く閉じて、重力に逆らえない手足をなんとか引っ込めようとする。

 そうこうしているうちに、私の身体は急にスピードを失う。同時に、背中と脚あたりに温かい温度があるのが分かった。

 目を開けようと、重い瞼を持ち上げる。

 私の身体が、浮いている。そして、目の前には誰かの顔。

(あれ、誰だろう……?私、助かったの……?)

 ずっと目を開けていられず、顔が誰のものかも分からずに、私は意識をふっと手放した。



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第一章「復讐 - Rache -」(後半)

 重たい瞼を無理矢理持ち上げると、木が少し開けた場所で眠っていたことに、私は気付いた。

 額のあたりに冷たい温度を感じる。身体中が傷ついたせいだろうか、あちこち熱を帯びていたが、額だけは異様に冷たかった。

 その正体が気になって、私は自分の額に手を伸ばす。手に触れたのは、固く冷たいものと雪解け水。

(氷……?)

 硬い何かは、きっと氷塊だ。その証拠に、私の額の上にはいくつもの小さな氷の塊が乗っかっている。

 起き上がってみると、重力に耐えきれず零れ落ちた氷塊が、服の上に落ちる。服が濡れてしまうのも嫌だったので、氷塊を地面の上に置いておく。

 身体には、まだ痛みが残っている。回復しているわけではなさそうだ。だが、さっきよりは遥かに楽な状態だ。

「一体、誰が私のことを……」

 意識を失う直前、私は誰かの顔を見たような気がする。恐らくは私を助けた人物だろう。もうその時は視界もぼやけていたので、誰なのかを考えても全く分からない。

 カサカサッ。

 ふと、人為的な草音が耳に入って、私は思わず座ったまま身構える。しかし、急に動いたせいか身体に痛みが走り、地面に倒れかかてしまう。

「目が覚めたんですね」

 聞き覚えのある声だった。シュルスとは違う。シュルスに続く、この世界で会う誰か。

 現れたのは────

「ジーン君!」

 過去の戦争で何度か一緒に戦った、ジーンという名の青年だった。私が人間化した状態でい言えば、大体同年代くらいだ。

 彼の姿を見て、いくつか確信したことがある。

 私のことを助けてくれたのは、ジーン君だ。

 私がシュルスに殺されそうになった時、私の身体は誰かの鎖によって移動させられた。あの銀色の鎖は、ジーン君の能力だ。過去の戦争で何度か見た事がある。今回助けられたあの時は、頭が真っ白になっていたから何も思い出せなかったのだ。

「そういえば、なんでこの世界にいるの?ここ、ジーン君の世界じゃないよね?」

「ええ、確かに俺の世界じゃありませんよ。でも…いつの間にかここにいたんです。黒い何かに吸い込まれたと思ったら、この森の中に落とされて……」

 ようやく私と同じ状況の人に会えて、少し安堵した。

 彼も、私とほぼ同じ方法でこの世界にやってきたのだろう。私もここにやってくる直前、確かに何か黒いものが目に映った。

 もしかしたら、他にも誰か同じような状況の人がいるかもしれない。

「誰か他に人はいる?」

「ああ、天華さんと翔藍さんがいますよ。しばらくしたら様子を見に来てくれ、とは言いましたが……」

 カサカサッ。

 ジーン君の言葉が終わらないうちに、また人為的な草音が聞こえてきた。しかも、今回は複数人。

 私は思わず身構えてしまうが。

「あぁ、いたいた!……って、やっぱりユキアだ!」

 草むらの中から出てきたのは、金髪金目の白服の青年────天華だった。彼にも何度か会ったことがあるので、目に映った瞬間彼だと分かった。数か月経った今でも、優しそうな目つきは変わっていない。

「天華君!?じゃあ……」

「当然、俺もいる」

 天華君の後ろを追ってくるように現れたのは、青髪青目の青年────翔藍だ。天華君と同じく、彼も何度か会ったことがある人物である。右手には、一冊の本が抱えられている。前会った時と大して変わらぬ冷静な雰囲気を纏ったままだ。

 天華君と翔藍君が一緒にいるということは、やはり『彼』も来ているのだろうか。

「君たちがいるってことは……ハル君も来てるってことだよね?」

 私は念のために彼らに尋ねる。

 彼も来ているのなら、相当心強い。何度かしか一緒に戦ったことはないが、戦女神の私でさえも凌駕する能力を持つ彼ならば、この事態をどうにかできるかもしれない。

 天華君達の代わりに、ジーン君が私の質問に答えた。

「ハルさんですか……実は俺達も、あの人がどこにいるかよく分からないんですよ」

「えっ!?」

 予想外というわけではなかったが、今は少し困った状況だということを、今更ながら理解した。

「ハルは、今僕達が探してるところだよ。この世界に来た時、確かに一緒にいたんだけど……『この世界を探る』って行ったっきり、戻ってこなくて…」

 失踪の前によくある動機だな、と私は小さくため息をついた。天華君の表情も曇っている。

 確かに前々から、彼がどこかに行ったっきりしばらく戻ってこないということはよくあった。その理由の大半が、「知らない世界に来たらその正体を探る」ことだったりする。私も心配していないわけではなかったが、彼やジーン君達と一緒にいる時は大体戦争の時だったから、探す暇もなかったのだ。

 天華君の隣で、黙っていた翔藍君が口を開いた。

「しかし、何かあったのか?格好がひどいことになってるぞ」

 私に向けられた言葉だと即座に理解した。

 あ、と私は今更思い出す。タイツは穴が開きまくってるし、ジャケットもシャツも砂と泥だらけだ。髪の毛もぐしゃぐしゃになっている。とても、人に会えるような身なりではない。

 急に恥ずかしくなって、私は少しだけ身を縮めて訳を話す。

「……シュルスって奴にやられただけ…直す暇もなかったんだっての…」

「シュルス?誰ですか、それって」

 ああ、そういえば彼らにはまだ何も話していなかった。彼らの今までの言動からすると、自分達が誰によってこの世界に送られてきたのか、恐らく三人は知らないのだろう。仮に知っていたとしても、こうなった経緯と今の状況を話さないわけにはいかない。

「ここに居続けるのも少し危険だし……歩きながら話すよ」

 私がそう提案すると、ジーン君達は少し戸惑ったような素振りを見せながらも、最終的に黙ってうなずいた。

 

 何故このような状態に陥ってしまったのか、私は歩きながら大体の説明をした。

 私達が今いる世界は、つい最近できたばかりの世界で、誰が作ったのかは分からない。私達をこの世界に送り込んできたのは、シュルスという女神の仕業である。

 シュルスは私の世界の神で、終焉を司る女神である。つい最近生まれた女神らしいのだが、彼女の言動や行動がどこか幼くて違和感を感じた。

 彼女は私の世界から、「トイフェル」という人形を持ち去った。トイフェルは私の世界で危険物に認定されている代物で、人形そのものに強大な魔力を秘めている。戦闘機能も備え付けられているトイフェルだが、あまりに力が強すぎて人間にも神にも制御しきれず、トイフェルの力が使われればその場は大虐殺の跡地になってしまうほどである。シュルスはそんなトイフェルを私の目の前で持ち去り、奪い返そうとした私をこの世界に落とした。

 落とされてきた当初、私の周りには誰もなかったし、私の人間としての体力もかなり削られていた。一人で行動している中でシュルスに鉢合わせし、彼女に問い詰めてもそんなに有益な情報は得られず、逆に殺されかけたところをジーン君に助けてもらったのである。

 

「なるほど……ユキアの世界の神だったんだね」

 私が大方話し終わると、天華君が静かにそう言った。声色は冷静だったが、天華君の顔には驚きの色がにじみ出ていた。天華君だけじゃない。ジーン君の顔には焦りが見えるし、翔藍君でさえも冷や汗を流していた。

 当然のことだ。こんな突拍子もない話をされれば、誰だって驚くに決まっている。私だってそうだ。私がジーン君達の立場であったら、きっと驚きの声を上げずにはいられなくなるだろう。

 一通り話を聞いて、翔藍君は呆れた顔をする。

「そんなに危険な代物を追っていたとはな……それなら、何故今まで一人で動いていたんだ?ジーンがいなければ危なかっただろ」

 一人で動いていた理由。そんなものは簡単だ。

「これは私が起こしてしまった戦いなの。だから、私が全て終わらせる。そのつもりだったから」

 それは他の三人だけに向けた言葉ではない。私自身に向けたものでもあった。

 シュルスは私の世界の神だ。トイフェルも私の世界でのみ問題にされている代物だ。ジーン君達の助けを借りなくとも、アイリスやアリアのような、私の世界の誰かに手伝って貰えばいいかもしれない、とは何度か思った。

 だけど、今回ばかりはそうはいかない。私がシュルスの罠にはまったからこの世界にいるわけだし、彼女を取り逃がしたせいでジーン君達を巻き込んだ。ジーン君達だけじゃない。きっと、彼ら以外にもこの世界を彷徨っている誰かがいるかもしれない。

 私のせいで皆が苦しんでいるのなら、私がこの騒ぎを鎮めなければならないのだ。少なくとも、私はそう考えている。

 はあ、とため息が聞こえた。翔藍君のものだ。

「……そんな身体で何ができる?満身創痍なのは分かってるぞ。お前一人で戦ったところで、さっきの二の舞になるだけだ。下手したら死ぬぞ」

「私は死んだって生き返れる。でも、皆は────」

「ユキアさん一人の問題じゃないでしょう」

 ジーン君の一言で、私は何故か黙り込んでしまう。特別強い口調でもなかった。なのに、言葉のみでねじ伏せられたような気がしたのだ。

「巻き込まれてしまったからには、俺達も手伝いますよ。あなたには何度も助けられていますから、その恩返しと思ってくれれば十分じゃないですか?」

 そうだけど、と私は曖昧に答える。自分でも、どう説得すればいいのか分からなくなってきた。私を助けようとする彼らの考えを変えさせるのは、やはり罪悪感がある。

 それに、と天華君が口を開く。

「ユキアだけに任せるのは嫌だからね。僕達だって元の世界に帰らなきゃいけないし、目的は同じだもん。一緒に動かない理由はないよ」

 ちょっと面倒なことにはなるだろうけどね、と彼は余計に言葉を付け足す。

 ────この人達は本当に親切だ、と思った。

 私の世界の人間達は、私のような神に協力してくれる人もいれば、他人事だと思って傍観するだけの者もいる。おまけに、神への協力者などごく少数派だ。何もしないで見ているだけなくせに、文句ばかり言い放ってくる者達ほど厄介で、残酷なものはないだろう。

 だけど、彼らは違う。他の世界の者である私を助けようとしている。端からみればお人好しだろうけど、今の私にとってはとても心強いと思った。

 さっきまで、私は何を馬鹿なことを考えていたのだろう。翔藍君の言う通り、一人で戦ったところでまたやられるだけだ。助けてくれる人がいるのはありがたいことである。助けてほしくても助けてもらえない苦痛と悲しさを、私はよく知っているはずだ。

「……分かった」

 彼らの思いを無駄にはできない。だから、私はそう答えた。

 ジーン君達が、ほっと胸を撫で下ろしたように息をついた。私が思う以上に心配させていたらしい。

「もう、変な心配させないでよね……どうなっちゃうことかと思ったよ」

「ま、俺は知ってましたけどね。心配しなくても、きっと分かってくれるって思ってましたから」

「……俺も、天華ほどは心配していなかった」

 三人の言葉に、私は微笑を浮かべた。やはり、彼らは初めて出会った日から変わっていない。世の中は目まぐるしいスピードで変わり続けていると言うのに、ほとんど変わらないのは賞賛に値するだろう。

 ────この時まで、四人で色々話していたわけだが。

 

 何か、ただならぬ気配を感じた。

 

「……!」

 突然、翔藍君がその場から飛び退き、右手に持っていた本を開いた。…いや、開いたと言うよりは、「開かれた」というべきか。自動的に、本のページがぱらぱらと捲られていく。

「『代行者《電撃》』」

 翔藍君の冷静な声と共に、本から文字通り電撃がほとばしる。雷電は、「何か」に直撃する。

 私達は敵襲だと思い、それぞれ武器を構えたりして戦闘態勢になる。私は戦女神の神剣を、天華君は白い槍────天澪槍を構える。ジーン君も、彼自身の能力である氷を発現させた。

 正体の分からぬものに対して、すっかり警戒態勢になった私達の目の前に現れたのは。

「……シュルス!!」

 両手に人形のトイフェルを抱えた、宙を浮いている白髪の少女。さっき、私を地上へ叩き落とした敵。

 終焉の女神────シュルスが、私達の目の前に現れたのだ。翔藍君が放った電撃を受けたのは、恐らく彼女かトイフェルだろうが、どちらも無傷だ。

「生きていたのね…さすが、『創世の光の戦女神』様」

 シュルスの言葉には、若干ではあるが、やはり子供のような無邪気さを感じる。同時に、私達を陰から監視しているような大きな目も、不気味さを醸し出していた。

 天澪槍をシュルスに向け、天華君は彼女を静かに睨みつけた。

「……お前が、僕達を陥れた奴ってこと?」

「そうだよ。邪魔な人は、皆私が滅ぼすんだから」

 カタカタ、と物音がした。シュルスの腕の中にあるトイフェルが、不自然な動きをしていたのだ。損壊しているロボットが無理やり動くように、トイフェルも望まぬ動きをしているように見えた。

 ────見覚えのある雷電が、私達の目の前に襲いかかってきた。

「『ルクス・リフレクトサークル』!!」

 私は咄嗟に詠唱し、攻撃を反射させるバリアを出現させた。襲いかかってきた電撃は、シュルスとは別の方角の方に飛んでいった。

「さっきの電撃……翔藍さんが放ったものですね」

「あの人形に吸収させた、ということか…やはり、あれは相当危険だな」

 ということは、こちらが攻撃をしてもトイフェルに吸収されて、こちらにその攻撃を返してくるのだ。私が反射できるバリアを張り続けていればやられることはないだろうが、それではどちらかが力尽きるまで攻撃し続けなければならないのだ。おまけにどちらにもダメージがほとんど入らない。

 人数的にはこちらが圧倒的に有利だが、シュルスの力は未知数だ。トイフェルが強力なのは分かるが、やはり戦闘力の大きさが分からないシュルスと一緒にしてしまうと、どう対処すればいいのか分からない。

「……あんたは、何を企んでいるの?私達を殺して、どうするつもり?」

 私は時間稼ぎがてら、シュルスに目的を問い詰めた。答えようが答えられなかろうが、正直どうでもいい。無限ループに相当するような攻撃を続けるくらいなら、答えられる確率の低い問いをした方がいくらかマシだ。

 トイフェルを強く抱きしめて、シュルスはそっと口を開いた。

 

「私は…自由を手に入れるの。誰にも奪われることのない、永遠の自由を……」

 

 永遠の、自由。聞いただけで、私はすぐに胡散臭いと思った。

 自由になること自体は素敵なことだろう。だが、そこに「永遠」という単語が入っただけで、実現することのない虚構と化すのだ。

「永遠、ねぇ。ずっとそうでいられる確証なんかないのに、どうしてそう言えるのかな」

 天華君は自身の武器を下げたが、シュルスを睨む目は変わっていなかった。

 シュルスは私達のうちの誰かに目を向けた。誰に目を向けているのかは、私から見たのでは分からない。

「確かに、永遠なんてないかもしれない……だけど、私はそれでも…永遠の自由が欲しいの。その為なら……何だってするわ」

 そうシュルスが宣言した、その刹那。

 あんなに大事そうに抱きかかえていたトイフェルを、いとも簡単に手放した。天華君達だけでなく、私も驚いた。あの人形を手放して、どうするつもりなのか。

「……私の敵を、あなたの炎で燃やして」

 シュルスの声に反応して、手放されて自立したトイフェルが、眩い閃光を放つ。その光が何故かとても熱くて、太陽の強い光が自分に向かって突き刺さってくるかのようだ。

 ただ確信できたのは、このままじゃまずい────それだけだ。

「『アイシクル・ガードサークル』!」

 青白い冷気を纏った、ドーム状のバリアを張る。さっきのシュルスの言葉通りなら、トイフェルは炎を放ってくるはずだ。ならば、属性的に反対に値する氷を盾にすればいい。

 ────文字通り、紅蓮の炎が私達四人を襲ってきた。

「っ……!?あっつ…!?」

 氷のバリアに直撃してくる炎は、私達の目の前を眩しい赤で覆ってきた。バリアを維持するために魔力を放出する両手に、尋常ならぬ熱が漂ってくる。やけどしてもおかしくないだろう。

「手伝いますよ、ユキアさん!」

 私の隣にジーン君が立って、手の平から冷気を放つ。そうだ、彼の能力は鎖と冷気……私が魔力を弱めてもいいわけではないが、たった一人でバリアを維持するよりはずっと気楽であった。

「……『代行者《氷結》』」

 背後から強い冷気が押し寄せてくる。一瞬態勢を崩しそうになったが、天華君が咄嗟に私の肩を支えた。

「大丈夫?」

 ありがとうという代わりに、私は静かに笑った。ついでに軽く後ろを向いてみると、やはり冷気を追加で放ってくれたのは翔藍君だった。彼の持つ本から青白い光が放たれている。

 トイフェルは大虐殺を平気で行えるような力を有している。大勢の人間を殺せるような存在に、やはり私一人で立ち向かうのは無謀だっただろう。

 だが、今は違う。共に戦える仲間がいる。それがどれだけ恵まれていることか、さっき殺されかけた私にはよく分かる。

 ……しばらく氷のバリアで耐えていると、翔藍君が口を開いた。

「天華、テレポート頼めるか?一旦引くぞ」

「え?……そうだね。このままじゃ、どっかで焼ける」

「それでいいか?二人共」

 私もそれで構わない、と縦に首を振った。ジーン君も、「分かりました」と了承の意を示した。

 確かに、このまま耐え続けても無意味な気がしてきた。トイフェルの魔力がどこまで持つのかは知らないが、シュルスが共にいるのなら正体が不透明で危険だ。一旦退却して、作戦を立てた方がいいかもしれない。

 天華君は槍をどこかにしまう。

 

「『永久《複数転送》』」

 

 温かな光が私達を包んだ時には、目の前が深緑になっていた。あの熱気も、どこかに消え失せた。

 魔力の放出をやめ、私は辺りを見回す。ジーン君、天華君、翔藍君は無事だ。先程までいた森と同じだろうが、森のどこなのかは分からない。ただ分かるのは、自分達が無事にシュルスから逃げて来られたということだ。

「はあ……どうにか助かったね」

 天華君はほっと胸を撫で下ろした。彼のおかげで、あの灼熱の炎から逃れられたのだ。今この瞬間だけは、安心させてもいいだろう。

「しかし……困ったな。ハルもいないし、またあのシュルスに出くわすのも厄介だ。しばらく、この辺りに潜伏していた方がいいかもしれないな」

 本を閉じて、翔藍君がそう提案する。確かに、こんな鬱蒼とした森の中をうろうろするのは自殺行為だ。翔藍君の言う通り、この辺りで休憩や作戦会議などをするのがいいかもしれない。

「そういえば、ユキアさんの身なり直すの忘れてましたね……ロアがいれば復元できるんですけど」

 自分でも忘れていた。自分だけでなく仲間の身も危なかったから、自分にばかり目を向けていられなかったのだ。

 確かに、服も髪もボロボロなままじゃみっともない。髪は自分でどうにかするにしろ、服は魔法でぐらいしか直せない。自分が知っている魔法の中で、復元する術式があったかどうかすら覚えていない。

 どうしようか考えていた時、翔藍君が本を開いた。

「そのくらいなら、俺でもできる。『代行者《復元》』」

 言葉と共に、白い光が私を包む。すると瞬時に、穴が開いていたタイツもボロボロの衣服も元に戻った。

 ようやく、人の前に出られなさそうな格好から逃れられたと言うわけだ。

「す、すご……!ありがとう、翔藍君!」

「……別に、どうってことないだろ」

 照れもしなければ笑うこともしない。思えば、彼が笑うところは見たことがない。常に冷静だし、誰かと話していたとしても真面目そうな話しかしていなかったりする。

 でも、だからといって冷たい人間であるとは限らないのだ。私はそういった人間を何人も知っている。

「これからどうするの?」

 疲れたのか木の根元に座り込んだ天華君が、私達のうちの誰かに聞いた。どうしようね、とかそういう曖昧な返事ばかりが思いつく。

 作戦を立てるのが最適だろうが、私にはまだ気になることがあった。

 

 ────この復讐劇に、何の意味があるのだろうと。



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第二章「夢想 - Träumerei -」(前半)

 どこからか、花の匂いがした。

 

 鼻に突き刺してくるような、少しきつい匂いだった。何の花なのか、俺には分からない。ただ、この花の匂いは好きになれない。それだけは確かだった。

 この匂いのある場所から離れたい。離れたくても、身体全体が何かにのしかかられたかのように重かった。

 これは夢か?現実か?

 どっちでもいい。いっそこのまま寝てしまおう。そうすれば花の匂いは入ってこない。また別のところで目が覚めるかもしれない。

 そう思い、俺は再び目を閉じた。

 

 ────どうやら、神様は俺を寝させる気はないらしい。

 身体が重いということは、自分はそれだけ疲れているということだ。現に俺は今、とてつもなくだるい。こんな状態でなくとも、いつもだったら、寝転がれば三秒くらいで夢の世界なのに。

 寝たいときに寝られないほど、腹が立つことはない。

「ったく……何なんだよ……」

 あまりの寝られなさに、無意識に俺はそう呟いていた。

 場所が悪いのかもしれない。そもそも、こんな花の匂いが充満している所で寝られるはずがない。寝る場所を変えれば、少しは安眠できるだろう。

 移動するために、重たい身体を持ち上げた。瞼を開けると、目の前に真っ赤な百合の花が大量に植えられていた。尋常じゃない量の深紅は、俺の視界を赤に染めている。

「なんだ……ここ」

 俺はうつ伏せに倒れていたのだろう。ふらつきながら立ち上がってみると、俺の倒れていた場所の百合は呆気なく潰されていた。 当然ながら、犯人は俺だ。

 そして、目を地面から離して周りの景色に向けてみると。

「……花畑?」

 俺が倒れていたのは、真っ赤な百合の花畑であった。遠くの方には森があって、この花畑は森に囲まれているのだと分かった。

 そよ風が、百合と俺の髪を撫でた。妙に肌寒くて、身体がぶるっと震える。知らない風に、知らない匂い。灰色に覆われた広い空。

 ────俺の知っている世界じゃない。今確信できるのは、それだけだ。

「……あれ」

 身体よりも頭の方が寒くて、俺は頭に手を伸ばす。あったはずのものがなくなっている。被っていたものがなくて、もう片手で探しても何も掴めない。

「兜がない……」

 俺は真っ赤な花畑の中に手を突っ込んで、兜の固い感触を探す。兜の色は白と青だから、赤の中から探すことは容易いだろう。

 百合の花畑に顔を近づける度、鼻にきつい匂いが突き刺さる。さっきまで意識が朦朧としていた時の匂いは、百合の花から出ていたものだったのだ。やはり、ずっと嗅いでいると気分が悪くなってくる。百合に毒があるなんて話は聞いたことがないから、毒ではないのだろうけど。

 早くこの百合畑から逃れたいと思いながら兜を探していると、目線の先に、薄い青が見えた。深紅の中で、僅かに浮き上がっているように見える。

 慌ててその青を手に取ると、それは紛れもなく俺の被っていた兜であった。

「こんなところに……?」

 兜を被って、俺は何か違和感を感じた。頭の寒さが引いたとか、そういうことではない。むしろ頭から肌寒さが消えてすっきりした。

 ────サクッ、と物音がした。

「……誰だ?」

 俺は立ち止まって、後ろを振り返る。今の音は、俺が出した音ではない。俺とは違う別の誰かが、百合を踏んだのだ。

 俺が振り返った先には、白い少女がいた。背中まで伸びている白髪に、滑らかな純白のドレス。その細い腕には、何か抱きかかえられていた。人の形をしているということは、恐らく人形だろう。

「あなたこそ誰なの……?」

 少女は人形を強く抱きしめて、震える声で問い返してきた。彼女の金目は恐怖の色に染まっている。警戒されているのだろう。

 変に怖がられては、得られる情報も得られない。とりあえず俺は、口元を緩める。

「俺はカツオブシってんだ。嬢ちゃん、こんなところで何やってんだ?」

 そう尋ねてみるが、少女は黙りこんだ。表情も、恐怖の色は消えたが、逆にそれ以外の感情が現れたようには見えなかった。要は無表情になったということだ。

 しばらくの沈黙の後、少女は小さく口を開いた。

「……あなたには、多分分からない」

「へぇ……?ま、無理に教えろとは言わんさ」

 無理やり情報を聞き出したところで、彼女から正確な情報が得られるかどうかなんて分かったもんじゃない。むしろ、変に怖がらせて誤った事実を聞かされる方が無駄なことだ。ここは彼女を敵に回さぬように、冷静に対話をすべきだろう。

「ちょっと聞きたいんだけどさ。ここってどこなんだ?」

 普通の初対面の人間からしたら馴れ馴れしいと思われるような口調で、俺は少女に尋ねた。彼女からすれば、こうして親しみを持ってもらった方が安心できるだろう。それに、彼女を敵にせずに済む。

「……私が作った世界だよ」

「…へぇ?お前が作ったのか」

 少しどころか、結構驚いた。こんな小さい娘が、この世界を作っただと?にわかには信じられない話だ。だとすれば、この嬢ちゃんはただの人間ではなさそうだ。ちょっとばかし危険な能力者か、あるいは神か────。

 もう少し何か聞いてみよう。これだけでは、情報があまりにも不足している。

「お前の他に、誰か住んでる奴とかいないのか?」

 少女の顔が、一瞬こわばった。

 本当に一瞬で、また元の無表情に戻ってしまったが。確かに彼女は今、知られたくない秘密を悟られたような目つきをしたのだ。

「……それを知って、あなたはどうするの?ここから逃げるの?」

「何を、バカなことを────」

 言いかけて、俺はとある現象に気が付いた。

 身体が、勝手に震えている。俺の顔には、何か雫のようなものが伝っている。きっとこれは冷や汗だ。目の前にいるのは、見た目だけは何の変哲もないであろう少女だ。なのに、身体が不自然に震えているのだ。

(なんなんだ…こいつ)

 俺は何かを怖がることなど滅多にない。だから、こんな少女にここまで恐怖心を抱くことなど異常でしかないであろう。

 人形を抱える目の前の少女は、薄笑いを浮かべた。

「……あなたも、あの人たちと同じようにしてあげる」

 はっと息を飲み込んだ。これ以上はもうだめだと、一瞬で悟る。

(むてきバリア!)

 俺は自身の能力で、透明なドーム状のシールドを張る。その直後に、巨大な氷の槍が俺に向かって突撃してきた。バリアのおかげで槍は防げたが、これが破られればたちまち俺は槍の的にされてしまうことだろう。

(くそっ……なんなんだよ、あいつは……

!)

 氷の槍の向こうにいる少女は、先程とほぼ変わらぬ様子であった。何の心の色も見えぬ無感情の目付きをして、なんとも子供らしからぬ雰囲気を纏っていた。

「……トイフェル……」

 少女が何かを口にした。だが、俺には当然その言葉の意味は分からない。

 ────何故か威力を増した氷の槍は、そんな俺の疑問と共にバリアを打ち壊した。

「かはっ……!?」

 バリアが壊れた衝撃で、俺の身体は百合の花畑の上に乱暴に投げ出された。バリアもろとも砕けた氷の槍の欠片達は、容赦なく俺の身体中にざくざくと突き刺さってくる。鋭い氷の欠片によって小さく引き裂かれた肉からは鮮血が噴き出してくる。

 現実とは到底思えなかった。このバリアは今まで、破られることはそうそうなかった。ほとんどの攻撃や能力はいとも簡単に打ち消せていたし、俺が今日この日まで生き残れたのはこのバリアのおかげと言っても過言ではないからだ。

 サクッ、と百合の花が踏まれる音が再び。知らなかったはずの殺される恐怖が、心の底から滲み出てくる。

 仰向けに倒れた俺のことを、少女が上から見下ろしていた。黄金の双眸が、ひどく冷徹であった。

「ここで……俺を殺すのか?」

 自分は当然、こんな化け物じみた子供に殺されたくなどない。死ぬならもう少しまともな死に方をしたいものだ。「子供に追い詰められて死にました」なんて、いくらなんでも情けなさすぎる。

 少女は人形を抱きかかえたまま、俺の元に歩み寄ってきた。俺は身をよじってこの場から離れようとする。動くたびに鮮血が溢れ、複数の小さな痛みはやがて激痛へと変わる。

 この場から退かなければ死ぬのみだ。なのに、起き上がろうとすると何度も身体が崩れ落ちかける。俺の身体には、もう逃げる体力すら残っていないらしい。

「抵抗しなければ……楽になれるのに」

 少女の言葉はあまりにも残酷なものだった。楽になる、とは要は「死」だ。俺にとって、死ぬことは「楽」ではない。命を失うのに、何故それが安息とされるのだろう。それではただの逃げだ。

 彼女に俺の言葉は届かないだろう。だが、それでも構わない。聞こえるか否か、そんなものは些細なことだ。

「嫌だね……俺を殺したところで、いずれお前も死ぬんじゃないか?」

「……あなたはもう動けない。でも、私はまだ動ける。結果なんて、とうに見えてるはずだよ」

「そんなの単なる未来予測だろ……やらずに後悔するのは、もう沢山なだけだ」

 何の感情もなかった少女の唇が、強く引き結ばれた。金目が淡く光を放っている。

「……あなたは、何も知らない。私を知らないから、そんなことが言えるの」

 腕の中の人形を強く抱きしめて、少女は俺が苦痛にもがく様をただ見下ろしていた。先程の氷の槍以外に、何か危害を加えるつもりはないようだ。

 だが、それが逆に腹立たしかった。殺せる相手にさっさととどめを刺せばいいものを、彼女は何も手を出さない。

「……殺らないのかよ」

「死にたいの?」

「そうじゃねぇよ。俺が失血死するのを待ってんのか?」

「……別に。そういうの、私にはよく分からないし……まあいいよ。死にたいなら、今この場で楽にしてあげるから」

 違う、と俺は無言で拳を握りしめた。

 身体に刺さった氷の欠片はじきに溶けてなくなるだろう。だが欠片が消えたところで、体が受けたダメージは尋常ではない。逃げ切れたとて、きっと再び追い回される。

 どうすれば生き残れる?

 どうすれば────

「じゃあね」

 少女の言葉が放たれる。あまりにも残酷で、無慈悲な一言。一分一秒早く俺を殺そうと向けてくる冷たい形相。

 ここで殺されるのを覚悟して、俺は静かに拳を握った。

 

 ────ガキィン────

 

「……?」

 手が下されると思いきや、俺には何の痛みもなかった。むしろ、身体に刺さっていた氷の槍が溶けて消えていた。

 不思議に思って、俺は少女の方に目を向けた────だが、そこにいたのは少女ではない。

 黒髪の青年が俺に背を向けて、少女の攻撃を防ぎ掻き消していたのだ。

「全く……知り合いにひどいことしてくれるね」

 青年の声には聞き覚えがあった。それどころか、よく知っている人物のものだ。

 

 目の前で俺を守った青年は────ハルだった。

 

「お前……もしかして、ハルか?」

「もしかしなくともそうだよ。カツオブシさん」

 俺の方に振り向いて、ハルは微笑みを見せた。

 前髪の所々は紫と白銀に染まっていて、俺が知っている人物の中でも珍しい奴だ。その目は、さっきまで俺に危害を加えてきた少女のものと同じ黄金である。

「……あなた、誰なの」

 少女が人形を強く抱きしめて、新たに参戦してきたハルのことを威嚇した。自分の攻撃が防がれたからだろうか。俺に何者かを問うた時よりも、緊迫した空気が漂っていた。

 ハルも真剣な顔つきになって、少女の方に向き直る。

「君には名乗る必要もない。それより、君は一体何者だ?ここは君が作った世界だろう?」

 知り合いの中でも、ハルは上位の力を持つ者だ。一対一で戦ったことがないから分からないが、敵にその力の矛先が向けられた際には必ずと言っていいほど相手はやられる。恐らく彼にとって、誰が作った世界なのかを判断することくらいなら容易いことなのだろう。

 はぁ、と少女はため息をついた。

「……すごいね、お兄ちゃん達。ここに『呼び寄せて』正解だった」

「……は?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。呼び寄せて?どういうことだ?

「私が永遠の自由を手に入れるために、お兄ちゃん達の存在は邪魔なの。強い人がいる世界に、私の求めるものはないの」

「……これまた、現実味のないものを欲しがるんだね」

 ハルはやれやれとした口調で呟く。

 永遠の自由。まるで頭の中が花畑の奴が言うような言葉だった。自由ならまだ分かる。ほんの少しだけならば、何にも縛られぬ時を過ごすことはできるだろう。

 だけど、それが長く続くなんて現実では有り得ないだろう。ましてや、永遠なんてあるようでないものだ。この少女の言うことは、一種の夢物語だ。

 ハルは黙って俺に手を差し出した。その手を掴むと、俺の身体を引き起こしてくれた。……まだ身体に痛みはあるが、先程より幾分かマシになった。

「悪いけど。……君のその甘ったれた夢に巻き込まれる筋合いはないね。僕も、彼も」

「…………甘ったれた夢……」

 相も変わらず無表情な少女は、相も変わらず人形を強く抱き締める。ずっと抱き締められているのを見ていると、なんだか人形の方が可哀想に感じてきた。

 そんな彼女の様子を眺めていたら、ハルが俺に目配せをしてきた。

(今のうちに逃げるよ、カツオブシさん。こいつからなんとか逃げないと)

 脳内にハルの声が響いてきたが、恐らくこれはテレパシーの類だ。俺もどうにか、彼に思念を送ろうと試みる。

(分かった。テレポート、任せられるか?お前に頼んだ方が、長い距離飛べるだろうし)

(うん……構わないけど……っ!)

 息をのむ音は脳内にではなく、直に聞こえてきたものだった。

 何かが爆裂する音と共にぎゅっと目をつぶった。次の瞬間、俺とハルの身体は空中にあった。ハルは右腕で俺の左腕を掴んで飛んでいるが、彼の左腕からは血が滲み出ていた。彼に傷を与えられるなど、感心している場合ではないが大したものだ。

「ハル……!その傷は」

「あいつにやられた……というよりは、あの人形の力かもしれない」

 人形が?そんな馬鹿なと思いつつ、俺は少女の方に目を向けた。────人形が、少女の腕の中で煌めいている。目を疑いたくなるような光景だった。

 少女は俺たちの目の前に飛んできて、その大きく丸い目を見開いた。

「私の夢を……バカにしないで」

「うるさいな。僕は……本当のことを言ったまでだ!」

 鮮血に染まった左腕を少女に突き出したハルの顔つきは、珍しく焦りが垣間見えていた。彼に傷をつける人間などそうそういない。そう考えると、少女と人形の力はとてつもなく強大なものだと確信できた。

「創世の業《転送》!」

 少女が再び何か攻撃を仕掛けようとしていたが、俺達は瞬く間に彼女から幾分か遠い場所に転移した。



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第二章「夢想 - Träumerei -」(後半)

 ……身体が冷たくなっていくのと共に、俺は──を見た。

 寒い中にいるからだろうか、自分が吹雪の中に立ち尽くしている。見渡す限りの白銀。

 いつの間に、こんな場所にいたのだろう? 俺はさっきまでどこにいたんだろう? そんなことばかり考えていると、身体の末端が違和感に襲われる。

 見ると、身体が氷漬けにされていく。動くこともできない。肌に突き刺さるように覆っていく冷気は、俺の心さえも蝕んでいく。

 救いようのない、残酷な冷気だった。

 

 

「かはっ……!! ごほっ……」

 水の中から引き揚げられて、俺の身体は草の上に投げだされる。息が上手く吸えずに、咳き込んでは息苦しさに悶える。

 周りを見渡してみると、辺り一面木々が広がっていた。後ろには、泳げない人間が入ったらすぐに溺れそうな程に深い湖が広がっていた。

「ごめん。湖の中に放り込むつもりはなかったんだけど」

 俺の身体を横からさすって、ハルが謝罪の言葉を口にした。

 ……そうだ。確か俺は、あの少女と人形に殺されかけて、途中でハルに助けてもらったのだ。だが、彼の力を以てしても彼女を退けることはできなくて……俺達はここまで逃げてきた。ようやく、自分たちの置かれた状況を冷静に理解することができた。

「いや、俺は別に平気だ。ただ、なんか変な夢を見た気がする」

「夢?」

「……なんでもない。大した夢じゃないから」

 そうだ。本当に大した夢ではないのだ。ただ、自分が氷漬けになっていくのは見ていて恐ろしいものだった。もしかしたら正夢になるのではないかと考えてしまう。

 だが、彼みたいな仲間に余計な心配はかけたくない。それに、正夢なのかどうかは、夢の内容が実現されてからでなければ分からないのだ。実現されないように願うことくらいしか、俺には対処できそうにないが。

「カツオブシさん、傷は平気? よければ僕が回復するけど」

「いや、正直動くのはちょっと辛いわ……というか、ハルはいいのか? 左腕がひどいことになってる」

「あぁ……見た目ほどひどくはないよ。まぁ、回復しておくに越したことはないけどね……『創世の業』《復元》」

 黄金に近い光が、俺とハルを包んだ。先程の夢とは違う、温かい光だ。氷の破片で傷付いた身体は元通りになってきて、ハルの左腕も元に戻っていた。

 よかった、と俺は安堵のため息をついた。

「ありがとうな。お前がいなかったら、多分危なかったわ」

「そうか……まぁ、正直僕もギリギリだったけどね」

 ハルは苦笑する。笑える余裕もあるのだから、少しは気楽になれたような気がする。敵が今目の前にいない状態はどれだけ安堵できるものか、今ならしっかり噛み締められる気がする。

「そういえば、カツオブシさんはあの子のこと知ってたの?」

 ハルの問いに、俺は黙って首を振る。

「知ってたら、あんなに苦戦はしないだろ」

「そうかい? ……そっか、知らなかったのか。じゃあ、あの子はどこの世界の子なんだろう」

「この世界を作ったんだろ?なら、この世界の子なんじゃないのか?」

「うーん……そう考えるのが妥当なんだけどね。あの子の気配が、なんとなくユキアさんに近かったような気がしたんだけど」

 えっ、と俺は息を飲んで立ち上がった。

 予想外の事実だ。ユキアに気配が似ている? それは、つまり────。

「あの嬢ちゃんは……ユキアの世界の……」

「可能性は高いね。最も、僕らに危害を加えようとしてきた時点で、ユキアさんがけしかけたとは考えられないけど」

 腕を組んでハルはそう諭す。

 俺には、相手がどの世界の人間かを判断する能力などない。アイテムを使えば別だろう。だが今俺が知っているアイテムの中で、似たような効果を持つ物はあるだろうが、相手が敵だった場合、それを咄嗟に出すことは少し困難だ。

 ユキアは俺達の味方なはずだ。裏切るような動機も思い当たる節はないし、たとえ裏切ったとしてもこんなに回りくどい手段は選ばないはずだ。

 俺は誰にも聞かれないような声で、ボソリと呟く。

(……誰か、他に仲間がいればいいんだが)

 そのとき、森の奥からガサガサと物音がして、俺達は咄嗟に身構えた。敵襲だろうか。今この状況で、できるだけ敵との衝突は避けたいが────。

 草むらの中から、二つの影が顔を出した。

「……敵ではなさそうだね」

 ハルの言葉で、無意識に俺の緊張が解かれた。

 森の奥からやってきたのは二人の男女であった。一人は金髪赤眼の青年で、黒の装束とシルクのマントを纏っている。額の少し上辺りに飾られている、紅玉の宝石が着いた黄金の装飾が印象的だ。

 もう一人は、アッシュブロンドとすみれ色の双眸の少女だ。深い紫のローブを深々と纏っており、青年の腕にしがみついている。

 傍から見れば少し不審な二人組であろう。

「……誰だ、お前ら?」

 俺達の存在に気付いた青年が訝しげな目をする。少女の方は、まるで今の状況を把握しようとしているかのように、辺りをきょろきょろと見回していた。

「……まさか、君」「あーっ、ちょっと待てよハル」

 俺は何か言おうとしたハルの言葉を遮る。その様子を見て、青年の表情はさらに渋くなった。

「……どうしたの」

 今まで口を開かなかった少女が、心配そうな表情をして青年に尋ねる。大丈夫だ、と答えると、青年は少女の身体を離す。

 ハルが俺の肩を叩く。

「ちょっとカツオブシさん、どういうつもり?」

「ん?ちょっと拳で会話をしようかと思ってね」

「なんでさ? あの人達は敵じゃない。戦う必要なんかないのに」

 いいから俺に任せとけ、とだけ言い放って、俺は青年に向き直る。青年もまた、俺に歩み寄ってくる。

「お前、まさか俺に喧嘩売る気か? それなら相手してやってもいいけど」

 どこからか現れた剣を青年が握る。漆黒の柄に白銀の刃。切られたら一溜りもなさそうな程、手入れがしっかりとされている。

 戦う気は十分あるみたいだ。

「喧嘩、っていうかさ。俺もちょっとは活躍の場が欲しいわけよ」

「「……は?」」

 青年とハルが同時に間抜けな声を漏らした。俺の発言に戸惑っているのだろう。だが、そんなことはどうだっていいのだ。

「あのなぁ、俺はここに来てから全然役に立ててねぇんだよ。ちっちゃい嬢ちゃんに殺されかけるわ、せっかく助けに来てくれた仲間を守れず傷を負わせるわ……ほんと、どうにかなっちまいそうだよ」

「……それがどうしたんだよ」

「だから、お前らが敵になれ。俺の力が今回の強敵に打ち勝てるものなのか教えて欲しい」

 多分、これは無茶苦茶なことかもしれない。必要のない戦いになるかもしれない。

 俺が自分自身の力量を理解できれば、それでいいのだ。

 その場にいるくせに仲間の役に立てないことほど、むず痒い思いをするものはないのだから。

「なるほどねえ。……そうだな。仲間の力になれなかったら……辛いよな」

 一瞬、青年が変な顔をした。笑いの取れる意味の方ではない。どこか、辛い過去を思い出したかのような────。

「はあ……力不足の解消ってことか。ま、どの道力は必要になるだろうね。最後の戦いの時にね」

 ハルの奴、もうそんなところまで考えていたのか。別に彼のやることだから、珍しくもないことではあるが。

 最後の戦い、か。

「おい、やるんだろ?」

 青年の声が、俺の意識を現実に引き戻した。彼の手の中にある剣が炎を纏っている。

 勝つのは難しい。それでも、俺はどうにかして力を得なければならないのだ。

 そう思うと、自然と口元が緩んだ。

「よろしくな。俺はカツオブシだ」

「カイザーだ。カイザー・グランデ」

 お互いに自己紹介を済ませると、青年──カイザーは、剣をゆっくりと構えた。俺も戦闘体勢になる。

 

 そして、二人同時に踏み出した────その刹那だった。

 

「危ない!」「あうっ!」

 ハルの咄嗟の叫びと、少女の小さな悲鳴。

 次の瞬間、何かが爆発した。

 鼓膜が破れてしまいそうな程な破裂音、思わず目を塞いだ爆風。

 正直、何が起こったのか分からなかった。

(なん、で……!!)

 こんな状況こそ、何か行動を起こさなければならないのに。爆発なんかに立ち止まっている場合じゃないのに。

 動かなければ────!

「スーパースター!!」

 爆風の中で、俺は黄金の星を手にする。爆風の効果が薄れてくる。俺は目の前にいるカイザーの腕を掴み、爆風の中から脱出する。

 その先には、湖のすぐ近くで少女を抱き抱えるハルの姿があった。少女はどうやら気絶しているらしい。

「カイザー!? 大丈夫か!?」

「す、すまねえなカツオブシ……助かった」

 その言葉を聞いて、自然と口が綻んだ。だが喜んでいる場合じゃない。爆発した場所の真上にいる人物に、俺達は顔をしかめる。

 爆風による砂ぼこりがやんできた頃、その人物の姿が明確になってきた。

 白黒の仮面に覆われてはいるが、うっすらと嘲笑が見える。俺達を見下ろしている。

 どこか見覚えのある姿だった。

「……ペーパー」

 目を見開いたハルが小さく呟いたのは、あの嘲笑する仮面の男の名前だった。

 正直、半信半疑だ。俺の仲間にペーパーと戦った者がいる。その際に聞いたペーパーが今目の前にいることそのものが、まるで夢を見ているかのようだった。

 仮面の男──ペーパーは口を開いた。

「久しいな。確かお前は……」

「……ハルだ。覚えているだろ?僕の仲間が、お前を助けたり、殺そうとしたりしたんだから」

「……ああ。あの青髪の奴の仲間か。似たような気配を感じたからな」

 ハルとペーパーが話している内容は全く分からない。それはカイザーも同様のようで、彼も首を傾げて二人を見ていた。

「何故ここにいる?お前はこの世界の人間じゃない。それとも、ここにはいないただの幻か?」

「……さすが、物わかりがいいね」

 そう答えたペーパーの身体の輪郭が、うっすらと空気中に融けた。俺とカイザーは、ほぼ同時に「ええっ!?」と声を上げた。

「やはりな……あの娘が生み出した幻だ」

 ハルが冷静に呟いて、俺ははっとなる。

 あの娘……俺を殺そうとしてきた白髪の少女のことだ。あいつが、俺達に幻のペーパーをけしかけたということだ。

 俺達を何がなんでも殺そうとしてきているのは分かり切っていることではあった。しかし、まさかこんな手法を用いてくるとは思わなかった。

「さあ。お話はここまでだ。四年前の恨み……ここで晴らさせて頂きましょう」

 ペーパーが俺達に向かって突進してくるのが見えた。俺の横にいたカイザーが、剣をペーパーに向けて怒鳴る。

「俺達を鬱憤晴らしに使うんじゃねえ!!『死苦火葬(アインエッシェルング)』!!」

 その刹那、紅蓮の炎が刃から噴き出した。熱気がこっちにまで及んできて、火傷してもおかしくはなかった。

 だが、不思議とこちらに被害はない。代わりに、ペーパーの身体が炎に包まれ、ペーパーは空中に止まった。

「くっ……こんなもの、消し飛ばせば……」

 ペーパーは腕を振り回したり飛び回ったりして、炎を消そうと足掻く。

 だが、炎は消える気配を見せない。

「っ……どうなっているんだ、この炎は……!」

「その炎は、お前が死ぬか、俺が命じない限り絶対に消えない」

 カイザーの淡々とした口調が気に入らなかったのか、ペーパーが炎に包まれながら拳を振るおうとする。

(天空の剣!)

 俺の手に一本の片手剣が現れ、その剣でペーパーの攻撃を受け流す。ペーパーは攻撃を受け流された反動で、湖の中に投げ出される。ばしゃあん、と水飛沫を上げて、ペーパーは湖の中に沈んで行った。

 熱気で俺の顔が火照っている。あまりの熱気に顔が溶けそうだった。

 この剣──天空の剣は、剣そのものに何かしらの特殊能力があるわけではない。その代わり、物理的なダメージは多く与えることができる。おかげで、カイザーにペーパーの攻撃が当たらずに済んだ。

「やったか?」

 俺は湖の中を覗き見る。ペーパーが落ちた場所からは、こぽこぽと水泡が浮いてきていた。一応、倒せたかもしれない。

 敵を倒せた安堵感の中、ハルが深刻そうな表情をした。

「……カツオブシさん、カイザーさん。僕はこの世界の詳細を探りに行く。だから、この娘をお願い」

 抱き抱えていたローブの少女をカイザーに任せると、ハルは灰色の空へと飛んで行った。

 俺もカイザーも何も言わなかったが、俺はどうにも不安で仕方がなかった。力強い戦力であるハルが離脱したこともあるのだが、それとは別に不安なことがもう一つあった。

 それは────

 

「カツオブシッ!!」

 

 カイザーの声が俺の耳に届いたのと、魔の手が俺に迫ってきたのは同時のことであった。

 水に濡れた漆黒の棘だった。

(なんだ、これ)

 紛れもない凶器が、俺の腹を抉り、そして突き抜けた。鮮血が腹と口から溢れ出るのが分かった。

 嘘だろ。

 なんでこんなことになってんだ?

 訳が分からずに、俺はその場に崩れ落ちた。目の前が朧げになって、身体もまともに動かせない。

 力を振り絞って、下唇をぎゅっと噛んだ。近い所か遠い所で、誰かが俺の名を呼んでいた。それが誰なのか、もう考えることもできない。

 悔しい。終わりたくねぇや。

 呆気なさすぎて笑いたくなった。笑う体力もないけれど。

 

 死にたくない。

 

 そう夢見て、俺は目を閉じた。



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第三章「少女 - Mädchen -」(前半)

 頬を、叩かれた。

 暗闇の中で一回だけだ。ぺちん、と情けない音を立てて、俺に小さな痛みを与えた。

 ────また、頬を叩かれた。今度は複数回、しかも連続で。

 誰かが俺を呼んでいる。起きなければ。そう思い、俺は目をうっすらと開けた。

 

 

「ターナー!!」

 突然はっきりとした声で呼ばれると、視界が一気に明るんだ。

 灰色に覆われた空と、深緑の木々が見える。目だけを動かして辺りを見回すと、見覚えのある顔があった。

 男だ。それにしては長いブロンドに、漆黒の双眸。雪同然に白い肌には何かの模様が刻まれている。

「おい、ターナー! 何とか言え、おい!」

 男──ガリウスは、俺の頬を手で叩いた。……ああ、さっきまで頬を叩いていたのはこいつだったのか。

「……ガリ、ウス」

 相棒の名を呼んではみるが、声が枯れていた。というよりは、上手く声を発することができない。そもそも、何故俺は気を失っていたのだろう。前後の記憶がぽっかりとなくなっていた。

「ターナー? ……よかった、生きてたぜ」

「勝手、に……殺すな」

「おっと、無理に動くんじゃねえぞ? お前、敵にやられて派手な怪我負ったんだからよ」

「……派手?」

 寝転んだまま両腕を上げてみると、確かに両方血に塗れて薄汚れていた。といっても、俺の場合右腕はバトルアーム(正式名称はサイバネティックアーム)である為に、生身である左腕の方を怪我している。

「壊されたのは腕だけじゃねえ。脚も両方やられてるし、臓器だって怪しいぜ。ほんと、ロアとノヴァードがいなかったら危なかったな」

 ……ロア? ノヴァード? 人の名前だろうが、どちらも知らない名前であった。ガリウスの言うことが本当ならば、恐らく共に戦った者なのだろうが……。

「……ターナー? お前大丈夫か?」

「何が」

「何って、どうしてそんなに何もかも忘れてやがるんだ? ひょっとして、記憶ぶっ飛んじまってるのか?」

 それすらも分からない、と俺は首を横に振った。

 恐ろしい程何も覚えていない。この大怪我が、今はとある戦いの後であるということを俺に訴えてきているのはよく分かる。だが、この怪我を負って気絶する前まで、自分が誰と、どのように戦っていたのか。そこだけ記憶を取られたかのように、思い起こすことができないのだ。

「……まあ、実際に会えば分かるんじゃないか。ロアとノヴァードに」

「…………」

 俺が黙りこくっていると、ガリウスが「おーい! こっち来い!」などと叫んでいるのが聞こえてきた。まだ俺は何も言ってないし、これから何か言う気もないのだが。

 しばらくすると、二人の人影が視界に入ってきた。

 一人は金髪緑目の男だ。深緑のマフラーを首に巻いていて、今の季節では珍しいな、とだけ思った。

 もう一人も男だ。こちらは黒髪赤眼。黒の革ジャンと銀か何かでできている十字架のネックレスが印象的だ。

「あの、ターナーさん。僕らが誰か分かりますか?」

 金髪緑目の青年が、彼自身を指さして俺に問いかけた。姿を見ても、思い出せるものは何一つない。

「……すまないな。何も思い出せない」

 正直にそう言うと、ガリウスの大きなため息が横から聞こえた。そんなものは気にも留めず、黒髪赤眼の青年は黙って微笑む。

「それじゃあ、もう一回自己紹介するしかないね。私はノヴァード。よろしく」

 黒髪赤眼の青年──ノヴァードはどこか素っ気ない雰囲気を纏っていたが、俺は気にせず「よろしく」とだけ答えた。

 次は僕ですね、と金髪緑目の青年が挙手をする。

「僕はロア。ロア・ブレームです。よろしく!」

 金髪緑目の青年──ロアは、軽く礼をする。俺も頭を僅かに動かして、礼をしているように見せる。

「さて、と。まずはターナーの回復が先だな。ロア、復元頼めるか? さっきは急だったからダメだったが」

「大丈夫ですよ、ガリウスさん。『復元』!」

 ロアの両手の指先から発せられた、温かな緑の光が俺の身体を包み込む。そして、身体中の痛みが少しずつ引いていくのを感じた。

 ……やがて傷が回復しきると、俺はいとも簡単に起き上がることができた。自分の身体を軽く確認してみると、気絶する前とは何も変わっていない。全て復元されたらしい。

 これには少なからず驚いた。

「すっげぇ……ありがとう」

「いえいえ。助かって良かったです」

 お礼の言葉をかけると、ロアは柔らかな笑みを浮かべた。

 全快した俺は勢いをつけて起き上がる。傷が開く気配もない。

「んじゃ、行動開始……と言いたいところだが、ターナーの記憶が一部ぶっ飛んでいる。まずはこいつに状況を説明するのが一番だろうな」

 ガリウスが真面目な顔つきになって、俺の肩をぽんと叩く。

 確かに、何も分からない状態では行動しても皆の足を引っ張るだけであろう。それに無駄なことにはならない。彼らも状況の整理ができるだろうし、俺が記憶を失くしたことがよかったわけではないが一石二鳥だ。

「さて。じゃあ、私が話そうか」

 そう言って、ノヴァードはゆっくりめに語りだした。

 

 ノヴァードの説明を要約するとこうだ。

 俺達は何かの拍子に、この世界に迷い込んできた。俺はよく覚えていないが、皆はこの世界に来る前に、何か黒いものを見たという。当然ながらその正体も分からない。

 初めは皆バラバラで、俺とガリウス、ロア、ノヴァードでそれぞれ行動していたところ、数時間前に鉢合わせした。ここまでは、何となく朧げな記憶がある。その時に、確かにロアとノヴァードに会ったような気がする。

 だが、お互いの自己紹介を済ませた直後、自分達の前に敵が現れた。白髪で黄金の瞳を持つ、十代前半程の少女……女の子の人形を抱えていたのだという。

 正直、俺がノヴァードからこの事実を耳にしたとき、何か作り話でも聞かされているのだろうかと思ってしまった。一度、冷静に考えてみてほしい。自分達より明らかに年下の少女に、俺達大人(といってもロアは恐らく成人はしていないだろう)が負けるはずがない。余っ程のことがない限り。

 今回俺が大怪我を負ったのは、その「余っ程のこと」の中にあの少女による攻撃が入っていたからであろう。ノヴァードによれば、俺はバトルアームのミニガンモードで何度か発砲した後、少女の切り裂き攻撃によって負傷し、一瞬のうちに気絶したのだという。その後、ロアの能力の一つである瞬間移動で逃げ出せた。そして今に至る。

 

 話を一通り聞いて、俺は深く、長く息をついた。ノヴァードのおかげで、大体のことは思い出せたような気がする。

 よくよく思い返してみれば、彼女は剣のような刃物は一本も持っていなかった。切り裂く攻撃をする手段なんてないに等しいはずだ。それに、彼女が代わりに手にしていたのは人形だけだ。とても大事そうに強く抱きかかえていたような気がするから、余程大事なものだったのだろう。あの人形には、何か特別なものが隠されていたりするのだろうか。

「しっかし、あのガキは俺のタイプじゃねえんだよな」

 ガリウスが突然、先程までの話題とはほとんど真逆の話をし始めた。こちらは拍子抜けしてしまって、肩ががくんと下がる。それは、ロアもノヴァードも同じだったようだ。

「あの襲ってきた女の子のことですか? ……って、なんでそんなことを今話すんですか」

「まあ、ちょっと聞けよ。なんか、あのガキはレディーって感じがしねえんだよな。そりゃ、まだ子供ってのもあるんだろうけど。でも、なんかこう、違うんだよ」

「どう違うんだよ」

 俺はバトルアームの小さな汚れを指先で軽く払いながら、ガリウスの愚痴にも似た雑談に参加する。こいつの言うレディー、というのは「大人の」女性だ。無論、人によってはそれ以外の女性も当てはまるのだろうが、彼の価値観からしたらそれがほぼ正しい。

 ガリウスはほんの少しだけ間を置いて、口を開いた。

「……人間としての感情みたいなものが、あいつからは感じられなかったような気がする。抑揚のない喋り方をしていた。まるで人形みたいだったんだよ。気味が悪いったらありゃしない」

「なるほどね。……まあ、それは分からなくもない。子供にしては、純粋さとか無邪気さみたいな、そういうもの全部ひっくるめた『心』があまりにも乏しく見えた」

 ノヴァードはそう語りながら虚空を仰いだ。ロアは膝を抱えて黙り込む。俺には、何一つ分からない。

 少女の姿や言動をはっきりと覚えていないからだろうか。ガリウスやノヴァードが言っていることが理解できない。人間としての感情がない。抑揚のない喋り方。人形のよう。気味が悪い。心があまりにも乏しい。

 よく、分からない。

 それは人間というのだろうか。感情のもたない人間は、果たして人間として認められるのだろうか。俺はそうは思えない。笑いも怒りも、泣きもしない人間など、人間ではない。ただの人の形をした、動く人形だ。

 ただの。

「ただの、人形じゃないのか」

 場が凍り付いた。

 それに気付き、俺ははっと口をつぐんだ。何をバカなことを言ってるんだ、俺は。

 ガリウスが黙って俺の顔の前に手を近付けて、

「いてっ!?」

 額をデコピンした。俺は無意識に手で押さえたが、デコピンを受けたところが僅かに熱を帯びていた。

「なーに感傷に浸ってんだ。お前らしくねーぞ」

「は!?」

「そんな真面目に考えたってしょうがねえだろ。相手は敵なんだ。変に情が移ったら、倒しづらくなっちまうだろ」

 確かにそうだな、と俺は顔を俯かせた。

「なんか、ごめんな」

「どうしたんですか、急に?」

 ロアが疑問の声を上げた。ノヴァードも俯き気味だった顔を少し上げた。

 膝と膝の間に顔を埋めて、俺は泣きそうな声で呟いた。

「俺、ここに来てから皆に助けられてばっかりだ」

 バトルアームを付けた右腕が、なんとなく痛む。復元で皆治してもらったのだから、何も異常はないはずだ。なのに、何故かズキズキと痛むのだ。まるで、俺の心がボロボロに引き裂かれていくように。

「……別にいいんじゃないか」

 誰にでもなく呟いた言葉に返してくれたのは、ノヴァードだった。俺は顔を膝から上げる。

「助け合うのは別に悪いことじゃないさ。どんな人でも、人生のうち一回は必ず誰かの助けを受ける。これは必然だろ。そんなの、何回繰り返したって同じさ」

 相も変わらずどこか素っ気ない態度でノヴァードは語るが、なんだか俺は気が楽になったような気がする。漫画の中にあるような名言を聞いたような気分になった。

「……そうだな。ありがとう、だいぶ楽になった気がするよ」

「そうかい? ……私は本当のことを言っただけだけどね」

 口ではそんな冷めたことを言うが、実際ノヴァードの口元は綻んでいる。満更でもなさそうだ。俺も少しだけ微笑んだ。

「さて! こんなところにいてもしゃあないし、動こうぜ」

 大声を張り上げて、ガリウスは勢いよくその場を立ち上がった。思えば、どのくらいこの場で動かずに会話していたのだろう。俺が倒れていた時間も含めると、相当長い時間ここにいるような気がする。

 皆次々に立ち上がったので、俺も慌てて立ち上がる。

「動くといっても、どこに行くんです? またあの女の子に鉢合わせしたら」

「ん。大丈夫さ。仲間を探しに行こう。私達だけでは心もとない。それに、ロアは仲間も探しているだろう?」

「そ、そうだけど……」

 ノヴァードとロアの会話からして、他にも何人か仲間がいるようだ。確かに、ロアの言う通り、俺達四人だけでは敵の能力には不相応すぎる。この世界にいるかもしれない、他の誰かを探すのが最適だろう。

「…………あれ」

 うっすらと生じた違和感に、俺はその場を振り返った。後ろには、誰もいない。

「どうした?」

「誰か……いたような気がする」

 ガリウスの問いに、できるだけ冷静に答える。ロアとノヴァードも俺の振り向いた方向に目を向けた。

 ……しばらく、俺達の間に沈黙が漂った。謎の気配を纏う誰かを見極めるために、皆が黙り込んでいる。

 いつまで経っても出てくる気配のない誰かをおびき寄せようと、バトルアームをミニガンに変形させようとした、その時だった。

 

「わあっ!!」

 

 ガサッ、という短い草音とともに聞こえてきたのは、短い悲鳴だった。恐らく転んだのだろう。

 急に心配になって、俺は無意識に声の主の方に歩み寄った。途中ガリウスの制止が聞こえたが、俺はまるっきり無視して歩みを止めない。

 長めの草を掻きわけると、俺ははっと息を呑んだ。

 

 

 ────悲鳴の主は、短い白髪の少女だったのだから。



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第三章「少女 - Mädchen -」(後半)

第三章「少女 - Mädchen -」(後半)

 

 

「おいおい……ターナー、何やって……って、こいつ!!」

 突然のことに呆然としていた頭が、ガリウスの声ではっきりとした。ガリウスの方を振り向くと、彼は驚愕した顔をしている。

 俺は改めて、少女に向き直る。一瞬取り乱しそうになったが、今目の前で倒れている彼女は敵の少女ではない。

 ノヴァードから聞いた少女の特徴は、長い白髪に金の瞳、そしてロリータに近い白いドレス。女の子の人形を持っている。

 それに対し、俺達の前で倒れている少女は短い白髪だ。目は閉じているから色までは分からないが、着ている服は至って質素な白い長袖のワンピースだ。身の丈に合っていないのか、袖から手の甲が半分程しか出ていない。それに、人形がどこにも見当たらない。

 この少女は、俺達の敵である少女ではない。また別の誰かだろう、と確信した。

「この子……気絶してるのかな?」

 ロアが少女を抱き抱えて呟いた。少女の表情は少し苦しそうだ。

「お、おい、そいつは敵じゃあ……」

「大丈夫だ、ガリウス。この子はあの人形持ちの子じゃない。また別の子だ」

 慌てふためくガリウスに、俺は冷静に事実を伝えた。

 ロアが少女を抱いて、木の下に寝かせる。少女は目を覚ましてはいないが、表情は少し楽になったように思えた。

 

「う……うーん」

 十数分経ったときのことであった。たまに交代しながらで少女の様子を見守っていたら、少女が呻き声を上げた。そしてそれから間もなく目を開けた。────金色だ。

 その時様子を見ていた俺は、少女が目を覚ましたと皆に知らせた。少女は集まってきた俺の仲間達を目にして、きょろきょろと辺りを見回していた。殺気も、攻撃してくる気配もなさそうだ。

「……気がついたみたいだね」

 ノヴァードが微笑みながら呟くと、少女は首を傾げた。

「あれ……おにいさんたちは、だれ?」

 少女の声は優しく、明るいものだった。元気そうで何よりだと、俺達はほっと息を撫で下ろした。

「僕達が君のことを助けたんだよ。僕はロア。君は?」

 ロアが優しい口調で少女の問いに答えた。少女はその大きな金目を輝かせて、こう答えた。

「ツィスカ! わたし、ツィスカっていうの!」

 純粋な子供の型とも言えるようなその姿に、俺達全員が静かに、だけど大袈裟に驚いた。

 

 白い短髪の少女──ツィスカは、俺達に自分のことを色々と教えてくれた。

 自分は八歳だということ。この世界にある城に住んでいるということ。両親はどこかに行ってしまって、ここにはいないということ。一人ではあるが、森の獣達が助けてくれるから寂しくはないということ。

 正直、言葉が出なかった。こんなに小さいのに、ツィスカは一人で生きているのだ。森の獣がいるから孤独ではない、といっても彼らは人間ではないし、意思の疎通も怪しいところだ。

 なのにこの子はよく笑う。どんな話をしている時でも、笑顔はほとんど絶やさない。

 一体、何がこの子をそれ程にまで元気づけているのだろうか。

 

「ノヴァードおにいさん!」

 森の中を歩いている道中。ツィスカは、俺に後ろから抱きついた途端そう呼んだ。

 出会ったばかりだから無理もない。彼女はまだ、俺達の顔と名前が一致していないのだ。先程も、ガリウスのことをロアと間違えたり、ノヴァードのことを俺と間違えたり。

「あ、あまりくっつくな……それと、俺はターナーだ」

「あ……またまちがえちゃった。ごめんなさい」

「いや、いいよ。会ったばっかりなんだから」

 しょげるツィスカの頭を、俺は苦笑いしながら優しく撫でる。

 俺自身が子供に慣れていないせいだろう。ツィスカ相手になると、どうも挙動が不自然になる。苦手、という程ではない。ただ、どう接すればいいのか分かっていない。だから距離をとりたくなる。

 先頭を歩くガリウスが振り向いて、数秒間ニヤニヤと笑いかけてきた。……無性に腹が立つ。

「ターナーおにいさん?」

 今度は間違えなかった。無音の腹立たしさを無音で抑え込んで、大丈夫、とツィスカに笑いかけた。

 ツィスカは次に、俺の右腕を興味深そうに見つめた。

「ターナーおにいさん、みぎうでだけみんなとちがうね」

 ああこれか、とツィスカにバトルアームを見せた。

「バトルアームって言うんだ。銃とか剣に変形するんだよ」

「そうなんだ……なんで、バトルアームなんてつけたの?」

 ……言葉が詰まった。何も言葉が出ない。冷や汗が伝ってきた。

 あの形容しきれない苦痛と、凄惨な情景が蘇ってきたのだから……。

「ターナーおにいさん?」

「…………なんでもないよ。ちょっと、嫌なこと思い出しただけだ……」

 

 バトルアームは本当に便利だ。これを付けるようになってから、俺は凡人にはできない多彩な戦い方を身に付けた。皆の役にも立てるようになった。

 だが、その代わりに失ったものと得たものが、俺には身に余るぐらい辛いものだった。

 悪魔を召喚した為に千切られた生身の腕。一時の希望。失われたのは、そんなものだった。だけど、それに関してはあまり後悔していない。当然の罰を喰らっただけだ。

 俺にとっては、得たものの方が要らなかった。バトルアームは無論必要なものだ。要らないのは────血塗れの過去。

 腕を失った付け根からは、大量の鮮血が溢れ出た。失血死してもおかしくなかった。付け根を中心に、猛烈に広がっていく熱。立てなくなるほどの苦痛。目の前が真っ暗になりそうな、絶望のどん底。

 それが今でも、悪夢として俺を苛ますことがある。せめてツィスカの前だけでは、こんな俺の惨めな姿を見せたくはない。

 

 ────どのくらいの時が流れたのだろうか。

 俺達はほとんど何も話さずに歩いていた。敵がどこにいるか分からないから、騒がしくする訳にはいかなかったのだ。

 張り詰めた空気に耐え難かったのか、俺の左手を握っているツィスカは小さく鼻歌を歌っていた。何の歌かは知らないが、楽しげな曲調であった。だが、その表情はどこか陰っている。

「…………♪」

 俺達はそんなツィスカの鼻歌を黙って聴いていた。彼女は誰に向かってでもなく、ただ寂しさを紛らわせるために歌っている。俺達が勝手に、少しでも気楽でいられるように聴いているだけだ。

「…………♪」

 ツィスカの歌声が空気中にこだまする。小さく、だけど確実に響き渡っている。俺達はそれを聴いている。言葉の一つも発さずに。

「…………♪」

 まだ、歌っている。誰に向けられたものでもない歌を、少女は歌い続けている。呆然としているように、俺達は静かに聴き続ける。

「…………」

 やがて、歌声がやんだ。俺は自分の手を握るツィスカを見下ろした。

 彼女の双眸から大粒の雫が溢れ出ていた。

「……ツィスカ?」

 俺はそっと声をかける。なんでもないよ、とツィスカは自分の涙を拭った。

「なんでかな……? かなしいことがあったわけでもないのに、どうしてないちゃうのかな……」

 皆の歩みが止まった。ツィスカの異変に振り返る。

「ん? ツィスカ、どうしたんだ? ターナーにいじめられたか?」

 ガリウスがツィスカの前にかがんで、どさくさに紛れて何やらひどいことを尋ねた。この場で一発殴ってやろうかと思ったが、そんな場合ではないのでやめておいた。

 ツィスカはちがうの、と首を横に振った。

「こわいよ……こんなところにいたくないよぉ……こわいひとがくる……」

 俺達ははっと息をのんだ。空気がさらに張り詰めたものになる。ツィスカの不安を鎮めようと、俺は握っているツィスカの小さな手を離すまいと握りしめた。

 しばらくの間、俺達四人は辺りを見回していた。 地上だけでなく、空からも敵が来るだろう。360度、何も見落とさぬように注視する。

 

 ────それがツィスカを目掛けて刃を向けてきたのは、一瞬のことであった。

 

「やらせっかよ!!」

 ガリウスが掌から何か閃光のようなものを放った。その隙に、俺はツィスカを隠すように茂みの中に逃げ込んだ。俺はツィスカに、「ここで隠れてろ」と念を押して、敵の元に向かおうとしたが。

「うわぁぁぁん!! やだよ、いっちゃやだ!!」

 大声で泣き叫びながら、ツィスカは俺の右腕にしがみついた。先程まで、彼女はここまでわがままではなかった。相当怖がってるのかもしれない。俺も敵からの襲撃に対応しようと、ツィスカの手を離そうとしたが。

「ロア、ターナー! ツィスカを守って!」

「わかった……!」

 初めて聞いたかもしれないノヴァードの大声と、きりっとしたロアの声だった。……ああ、そうだ。こんな小さな子を置いて戦いに行くなんて、よく考えたら無情なことだった。俺は争いに慣れている。だけど、ツィスカは違う……。

 この子の悲痛な顔が見ていられず、俺は右腕を引いてツィスカをかがんで抱きしめた。ツィスカはまだ、俺の腕の中で泣いている。どうしかして泣き止ませねば────。

「ッ!!」

 背後に殺気が漂う。ツィスカを左腕に抱いたまま、俺はバトルアームをミニガンに変形させる。

 パパパパパンッ!

 振り返って何発か撃つと、殺気は少し遠ざかった。だが、まだ近くにいる。

「ターナーさん! 大丈夫ですか!?」

 茂みの中に入ってきたのはロアであった。平気だ、と答えておく。

「くっ……ガリウス!!」

「わかってらあ!」

 召喚システムで喚んでやる前に、彼自身が俺の目の前に飛んで来た。そして掌から何かを放った。今度は高圧線のようなものだ。殺気を纏った敵らしきものに着弾すると、何本かの木諸共爆裂した。

 砂ぼこりが濃く舞っていて、遠くの方は何も見えない。

「やったか……?」

「いや、まだ動いてる」

 ガリウスの問いに無慈悲な答えを返したのは、茂みにそっと入ってきたノヴァードだった。皆が周りにいて安心したのか、ツィスカも泣き止んで俺に抱きついて震えている。

 彼の言う通り、ふわふわと鬱陶しく舞う砂ぼこりの向こうには、確かに人影がある。俺は目を凝らして、人影の正体を見定める。

 体格は子供だ。ツィスカより少し背が高いくらいだろう。膝下までのドレス、そして腕には何かを抱きかかえている。

 ……まさか、あれは。

「……残念。また殺し損なっちゃったね」

 背筋に悪寒が漂った。この声……どこかで聞いたような気がする。そう遠くない昔に聞いたものだ。

 砂ぼこりが晴れてきて、敵の姿が露わになる。白髪金目、白いドレス、そして女の子の人形。

 俺を大怪我まで追い込んだ敵の少女の特徴と、全てが合致していた。

「……今度は絶対やらせねえ。ここから黙って去って行ってくれたら、大いに助かるんだがな」

 ガリウスは俺達の前で片手を上げ立ち塞がる。少女は表情を変えない。──まるで人形のように。

 こうして対峙してみると彼女はやはり、子供は愚か人間にすら思えない。ガリウスやノヴァードの会話からなんとなく想像はできていたが、これほどにまで感情が欠如しているとは思わなかった。これじゃあ、動く人形と大差ない。

 少女はふう、と小さく息をついた。

「そこの義手の人には用はないの。後で皆まとめて消せばいいんだから。私が今、消したいのは────

────そこの女の子」

 少女が俺達の方のどこかを指さした。辿った先は、俺の腕の中の震える少女──ツィスカだ。

「へ……?」

 ツィスカは訳の分からぬ顔をした。当然、俺達にも状況が呑み込めない。

 ……何故この子が狙われている?

「その子はね、私が永遠の自由を得るために一番邪魔な存在なの。どうしてそんな姿をしているのかな。ほとんど私と同じじゃない」

「あ……ち、ちがう……わたしは……」

「何も聞きたくないな。別に『あなた自身』に恨みがある訳じゃないけれど……私の求める世界には必要のないものだから」

 ツィスカの身体も声も、恐怖でぶるぶると小刻みに震えている。

 一見、ツィスカとあの人形持ちの少女は何か断ち切れぬ縁があるように思えた。ツィスカは何も事情を知らないみたいだが、相手の方はツィスカを殺したがっているみたいだ。事情が分からないせいで、何も分からない。

 それに、彼女の「求めている世界」とは一体……。

「ツィスカに恨みがあるのか何だかは知らないが、これ以上彼女を怖がらせるのはやめてくれないか」

 しばらく黙っていたノヴァードが、少女を睨みつけながら言った。少女は相変わらず無表情のままで、俺達に視線を向けた。

「どうして? あなた達には関係ないはずだよ。その子を庇うっていうなら、予定を早めて消してあげてもいいけど」

「……こっちこそ、何も知らないまま死ぬのはごめんだ」

 俺が呟くと、少女の目が細められた。ツィスカは俺のことを不安そうに見ている。周りの皆も、戦闘態勢になりつつも誰も飛び出そうとはしていなかった。

 これは一種のチャンスかもしれない。

「お前は誰だ? 一体、何が目的だ? 全部答えろ」

 少女は人形を強く抱きしめた。

「私はシュルス。終焉を司る女神。目的は……誰にも奪われない、永遠の自由を得ること。だから、私の邪魔する人は皆滅ぼす」

 永遠の自由。物語の中でよく出てきそうな言葉であった。それ故に、そんな実在するかも怪しいようなものを求める人形持ちの少女──シュルスのことがますます理解できない。

 こんなことのために、俺の腕の中で震えるこの子は……。

「そのために……そんなもののために、ツィスカを殺すのか?」

 ツィスカを抱きしめながら、俺は震える声で尋ねた。シュルスの表情は、やはり全く変わらない。

「……あなたも、私の夢をバカにするんだね」

「当たり前だろ。よく考えてみろ、シュルス。永遠って何だか、真剣に考えたことあるか?」

 ガリウスの問いに、シュルスは何も答えない。

「人間に限らず、全ての生きとし生けるものには必ず終わりがやってくる。それが何であってもだ」

「……どうして? だって、神は長く生きてるじゃない。この子だって、ずっと昔からあの場所に閉じ込められていたのに」

「お前は神を分かっていない。神であるくせにな。その人形はどうか知らんが」

 シュルスは下唇を噛んだ。腕の中の人形を見て、少しだけ悔しそうな顔をした。──完全に無感情、というわけではなさそうだった。

「……なんで」

 騒々しい中だったら必ずと言っていい程聞こえないであろう、小さな声だった。

「なんで、私の夢を誰も分かってくれないの……?」

「シュルス……」

 ロアがそっと名を呼んだ。彼女は悪い物を振り払うように、横に首を振った。

「違う、違う。私は間違ってなんかない。ずっと、それが正しいと信じて頑張ってきたもの……なのに、それが間違いだなんて、信じたくもない……!」

 ふと思った。

 ────シュルスは、感情が全くないのではない。「少しだけ抜け落ちている」だけだ。

 ただ、幸せや楽しみといった「正の感情」がほとんど見られない。逆に怒りや怨みといった「負の感情」が残っている。

 彼女は、人形じゃない。人間だ。

 

「…………もう、嫌……いつか、皆────」

 

 そう言い残して、シュルスは森の中から飛び去って行く。呆然とした俺達をその場に残して。

 ……疲れて眠ったのか、恐怖のあまり気絶したのか分からないツィスカを静かに見守りながら、俺は思った。

 

 ────自分達はとんでもないことに巻き込まれてしまったのだ、ということを。



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第四章「傍観者 - Schaulustiger -」(前半)

 灰空の元、風が妙に生ぬるい。そんな気味の悪い風は、僕や草木をそっと撫でていく。

 あまりにも静かだった。崖に佇んでいる僕の周りには誰もいない。何もいない。

 あるのは、少しの後悔と有り余る探究心だけだった。

 

 この世界を探索していて、いくつか分かったことがある。

 一つ目は、この世界にはいくつか境界のようなものがあることだ。一度だけ、僕は限界まで空に飛んだ。その時、何キロメートルかの地点で頭がぶつかった。そこを調べてみたら、魔力で空間が断ち切られていたのだ。地上も似たような状態で、山を越えようとしたら結界のようなものでその先には進めないようになってきたのだ。

 二つ目は、森ばかりでなく城や街もあるということだ。だが、街には誰一人として人間がいない。いわゆるゴーストタウン状態だ。街の中も少しだけ覗いてみたが、どの建物に入っても皆もぬけの殻だ。ちなみに、城にはまだ赴いていない。街から森を挟んで、だいぶ遠い距離にあったのだが、何か嫌な雰囲気が漂っていたので後回しにした。

(カツオブシさんには悪いことしちゃったな……)

 僕がカツオブシさん達の元を去ってから、何時間か経った。僕は山々の近くの崖の淵に座って、この世界の全体を眺めていた。

 この世界を探りに行くと言い残して、僕はカツオブシさん、カイザーさん達の元から離脱した。その直後、カイザーさんがカツオブシさんを呼ぶ声が僅かに聞こえた。焦り混じりの声だったから、恐らくカツオブシさんに何かあったのかもしれない。

 それにも関わらず、今僕はこの場にいる。当然罪悪感はあるが……今更戻ったところで、僕の本来の立場を崩すだけだ。

(……何を考えているんだ、僕は。僕は誰の味方でもない。ましてや敵でもない)

 

「傍観者、だろう?」

 

 僕ははっとして振り返った。ここには誰もいないはずだ。

 ────しかし、僕の目線の先には確かにいるのだ。僕らの敵が作り出した幻である『ペーパー』が。

「……ペーパー」

「おや?お前はさっき、他の仲間と一緒にいたんじゃないか?なんでこんな所にいるんだ」

「……お前に言ったって、何にもならない」

 僕は崖の淵から立ち上がって、ペーパーの元に歩み寄った。ペーパーは近付こうとも、遠ざかろうともしない。逆にこちらが誘われているようで、どうも気味が悪い。

 僕は少し気になっていたことを、彼を睨みつけながら口にした。

「……カツオブシさんを刺したのは、お前だよな」

 ペーパーは、ああそうだよと答えた。

「いとも簡単に油断してくれたからな。殺すのも楽だったよ」

「よくも平気で、そんなことを……!」

 僕は勢いよく、かつ空高く飛び上がる。ペーパーの姿が豆粒に近くなると、僕は意を決して目を見開いた。

「『創世の業』《剣召喚》」

 唱えると、黒ずんだ剣が僕の周りに何百本も喚び出される。その内一本を手に取って、剣を空に掲げた。

(この程度でペーパーは倒せないだろうな……それに幻だ。戦ったって無意味かもしれないけれど)

 戦う意味はないかもしれない。何も得られないかもしれない。……否、そもそも戦いは何も得られないのだ。意味もない。

 ────それを意味がある、得るものはあると正当化させるのが、『戦争』なのだ。

 僕は黙って、掲げていた剣を下に振りかざした。ペーパーの元に、剣が黒い雨となって降り注ぐ。……普通の人間がこの技を受ければ、間違いなく死に至る。

 剣が大体地面に突き刺さり終わると、僕は地面にゆっくりと降りた。黒の剣は地面の草木諸共、ペーパーの胴体を容赦なく貫いていた。

「ふっ……やはり、お前は強いな」

 血を口から垂れ流しながら、彼はそう僕を称えた。僕は最後のとどめを刺そうと、自らの手にある剣を握り締めた。

「やるのか?」

「お前を倒さなきゃ、皆が困る」

「皆? ……誰のことを言ってるんだ? まさか、別の世界の奴らのことを言ってるのか?」

 ────何を言っているんだ、こいつは。

 言葉を詰まらせていると、ペーパーは掠れた声で続けた。

「お前は自分のことを『傍観者』だとしているな。お前の中での傍観者というのは、敵にも味方にもならない者のことだろう。この混沌とした戦争には何も手を出さず、ただ行く末を見守るだけ……そういう存在だ」

「…………」

「でも、お前はあの時、シュルスから奴を守った。『仲間』を助けた。そしてその後も、何度か『仲間』を助けた。……この時から、既にお前は『傍観者』ではなくなっていた」

「……何が言いたい?」

 剣をさらに強く握りしめた。ペーパーは「まだ分からないのか?」と嘲笑する。 

「────お前はもう、見て見ぬフリはできないってことだ」

 次の瞬間、ペーパーの身体が輪郭を失った。僕は剣を振りかざそうとしたが、ペーパーを斬ろうとする頃には、もうそこにペーパーの姿はなかった。鮮血が垂れていたはずなのに、地面からもペーパーを刺していた剣からも、一滴残さず消滅していた。

 思えば、あのペーパーは幻だ。いつ消えてもおかしくない存在だった。だから今更消えたところで、別にどうってことはない。

 能力を解除して、地面に突き刺した大量の剣と自分の剣を消した。

(……僕はもう傍観者ではない、ね。……馬鹿馬鹿しい)

 僕が何者であるかなんて、他人に決められるようなことではない。これは僕自身が勝手に望んだことだ。事態をいいように動かすには、どちらの勢力にも肩入れしないのが一番都合がよい。

 誰に何と思われようとも、この戦争が終わればそれでいいのだ。

(……そういやペーパーの奴、シュルスとか言ってたな。あの人形持ちの奴のことか)

 なるほど。ペーパーと戦って収穫がなかった訳ではなかったようだ。

 シュルス……人名のように聞こえるが、恐らく違う。彼女が何者かはよく分からないが……このぐらい広い世界を作れるのだ、神か何かだろう。神など見慣れているし、自分も似たような存在だから、今更驚きはしない。

 ……僕が一歩踏み出そうとすると、背後に殺気が漂った。

「!!」

 僕は振りかざされた拳の手首を咄嗟に掴んだ。思わず素手で止めてしまった。能力なしで敵の攻撃を止めておくのは少し堪えそうだ。

 しかし今はそれよりも、襲撃してきた人物に驚きを隠せなかった。漆黒の単発と鋭い黒目、灰と白で構成された装束。どこか見覚えがあるものだった。

「ガルテ……!?」

 そうだ。何度目かの戦争の際に僕らの最後の敵となった、古の世界出身のガルテという人間だった。何度か姿は見たことがあるからすぐに分かった。だが……彼の後世となる人物を別の誰かが殺したために、彼の完全復活は免れたはずだ。それに最後に何者かが倒した。だからこの世界にいるはずが──。

「よお、あの時はよくも邪魔してくれたなあ……?」

 はっ、と僕はもう一つの可能性を思いついた。

「くっ……シュルスの幻か……!!」

「正解。さて、どうする? 俺はもう一度、『お前ら』と戦ってみたいんだがね」

 拳を勢いよく跳ね除けて、僕はその場を飛び退いた。即座に『創世の業』で拳銃を複数召喚し、その内一本を手にした。すべての銃を、ガルテに狙いを定める。

「戦ってくれるんだな。俺の好みのスタイルじゃないが」

 ガルテは楽しそうに言った。ふん、と僕は鼻で笑い返した。

「正直、こんなところで遊んでいる場合じゃないんだよね。お前はシュルスに生み出された幻に過ぎない。恐らくは、僕を惑わせるための……ね」

「それなら、何かを賭けてみるのはどうだ?」

「何?」

 僕がガルテを睨みつけながら問い返すと、ガルテは掌に黒い炎を発現させた。

「お前が勝ったら、この世界の全てを教えてやろう。シュルスのこともな」

「……! じゃあ、もし僕が負けたら……?」

「さあね。その場で死んでもらうくらいがいいかな。どうせもう、この戦争で一人犠牲者が出ているんだ。今更一つ死体が増えたところで、そんなに変わらないだろ?」

 僕はそっと下唇を噛んだ。……やっぱり、悔しい。僕が知る人を……仲間を守り切れなかったことが。

「……僕は、絶対に死なない。死ぬもんか。死んだら、この戦争はもう……」

「止められない、ってか。ククッ、どんだけ自分の力に自信があるんだか」

 ガルテは乾いた声で嘲笑うが、そんなことは関係ない。いくら嗤われようと、僕は僕のやるべきことを止める気はないのだから。

 ────僕は黙って銃の引き金を引く。複数の破裂音が、ガルテを一瞬で貫いた。

 ガルテの身体は複数の弾丸を受けて、痙攣するようにうねった。その顔は痛みにひきつっているのか、笑っているのか分からない。

 ある程度撃ち終わると、僕は銃を撃つのを止めた。ガルテの身体は当然穴だらけになって、あちこちから血が噴き出ていた。到底動ける状態ではない……はずだが。

「へへっ……酷いなあ。こんなボロボロにしやがって」

「……!」

 あれだけ撃ったのに、口減らずなのは変わっていない。動きはおぼつかないのに、まるで口だけ元気のようだ。

 さすがは古の世界を滅ぼしただけはある、と感嘆した。

「でも……足りねえなあ。あの時の力はどこいった?」

「あの時? ……どの時だ」

「思い出せないなら別に構わないさ。手加減してるんだかしてないんだか……はっきりしない奴だな」

 僕は何も答えなかった。

 思い出せないのではなく、文字通りとぼけた『フリ』をしたのだ。ガルテの言うことは、あながち間違ってはいない。

 これ以上の力を行使したことなど、数え切れないほどある。独り身で小国を壊滅させたことだってある。必死に足掻く弱者達を無慈悲に滅ぼしたこともある。

 僕が「全て終わらせて」しまえば、この程度の戦争など簡単に終わるだろう。

「……何故、本気を出さねえんだ」

 ガルテの声が急に冷静なものになった。攻撃しようとする素振りも見せない。それでも警戒を解かない僕は、銃をガルテに狙いを定めたまま後ずさる。

 目の前にいるガルテは幻だ。だが今この瞬間だけは、その方が都合がよかった。

「……皆を、殺したくないんだ」

 ────ガルテの双眸が映している景色を『彼女』が見ていると信じて、僕は口を重く開いた。

 ガルテの目が、ほんの少しだけ見開かれた。

「へえ……お前もそういうこと考えるんだな。てっきり、仲間の生死はどうでもいいとか思うような奴かと思っていたよ」

「じゃあ、僕は余程無慈悲な人間に思われていたんだね。……もしそうだとしたら、今すぐにでもカツオブシさんの元に飛んで行きたいだなんて、一欠片も思いやしないさ」

 僕は自嘲してそう呟いた。ガルテは興味なさそうに「ふーん」と息を吐いた。

「……やっぱりなあ。俺じゃお前を惑わすのは難しかったか」

「え? ……一体、何の」

 次の瞬間、強く両肩を叩かれ、肩を握り潰すのかと言えるような勢いで掴まれた。滅多に感じることのない殺気が漂っているのが分かる。複数の気配が、僕に殺意を向けている。

 掴んでいるのは男の手だ。訳が分からず、振り返ると────。

 僕は一瞬の内にして青冷めた。

「なっ……、どうして……ここに……」

 複数の気配は兵士の風貌をした男達だった。二十代ぐらいの若者から五十代の中年まで、年齢は様々だった。彼らの目は血走っており、表情は皆、荒んでいる。

 ……もう一度振り返って、ガルテがいるはずの方向を見た。だが、彼の姿は透明になったかのように消え去っていた。シュルスに都合よく消されたのかもしれない。

 ようやく捕まえたぞ! さっさと殺しちまえ! いや待て、じっくりいたぶる方がいいんじゃないか。そんなのどうだっていい! まずは色々吐かせろ! そうだな、死人に口なしって言うしな。

 兵士達から放たれる全ての言葉には、明確なる殺意が込められていた。

「……そんな……まさか……」

「そのまさかだ」

 頭上から声が降ってきた。驚いて振り返ると、僕の肩を掴んでいる男が僕のことを見下ろしていた。その顔に見覚えがない……はずだった。

「覚えていたとはな。少し意外だったよ」

 低く渋い声も聞き覚えがある。間違いない。僕は彼を……、

 『彼ら』を、知っている。

「お前は我らの国を滅ぼした張本人。ここで、国の皆の無念を晴らそう」

「嘘だ……そんなはずない。お前達は死んだはずだ。僕がこの手で、一人残らず消し去った……! なのに、どうして」

「……少し黙らせろ」

 肩を掴まれる力が消えたその刹那、僕の身体に殴られるより強い衝撃がj加えられた。少し遠くに点在している大岩に背中から叩きつけられた。かはっ、と声なき声が出た。僕の身体は力なく地面に崩れ落ちて、即座に吐き気がこみ上げてくる。

 僕はすぐに、おかしいと思った。僕の能力の一つに、物理的な衝撃や能力による干渉はほとんど適用されないものがある。それが元の効果の半分以上機能していないのだ。だからこうして、ありえない力を掛けられた。

「……この……っ」

 地面の固い砂利を握りしめながら呻くと、兵士達の中の一人が倒れた僕に近付いてきた。さっきまで、僕の両肩を掴んでいた男だった。

「無様なものだ。我らには太刀打ちできなかった目障りな異能も、あのお方の力で封じてしまえばなんてことはないな」

「やっぱり……シュルスの仕業か……!」

「左様。我らは、あのお方の力で目覚めたに過ぎない」

 シュルスは一体何が目的なのだろう。僕だけではないかもしれないが、僕の周りにばかり幻が現れるのは、きっと偶然ではない。彼女の意図していることが分からない。

 男は僕の目の前に、腕を組みながら立っていた。惨めな姿になった僕を見下ろしている。

 自分へのダメージを軽減する能力がいつ封じられたかは知らないが、少なくとも今は、抵抗したところで余計に痛い目を見るだけだ。

 僕は上目で、男のことを睨みつけた。

「……僕をどうするつもりだ」

「さあね。こうして追い詰めてから、どうすればいいのか分からなくなるのだよ」

 ざくっ、と僕の顔の真横に何かが突き刺さった。……ナイフだ。鈍色の刃の反射が、ぎらりと薄く光っていた。

 殺せ、と向こうの兵士達の誰かが言った。憤怒の形相で、僕を睨みつけているのが分かった。

 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 

 恐らくは全ての兵士が、僕を呪っている。見下ろすなと思う自分がいる反面、僕が過去にやったことを考えれば当然の報いだと考える自分もいる。

 僕の目の前の男が地面のナイフを抜いて、今度はそれを僕の首元に突き付けた。

 そして冷ややかな笑みを浮かべながら言うのだ。

「過去の罪、今ここで償ってもらおうか」

 僕は口元を緩く上げた。

「お前達はもうこの世にはいない。シュルスに造られた幻に過ぎない。今この場で僕を殺したところで、復讐を果たしたことにはならないよ」

「……ふっ。確かにその通りだな。今の我らは仮初の肉体を与えられただけの存在だ。いわば、ゾンビのようなもの」

 ゾンビ、か。僕からすれば、ゾンビよりもタチが悪い。奴らは知能が低いのに対し、この兵士達は人間なのだ。だから罪悪感も一緒についてくる。

 男はナイフを首から離すと、すうっと大きく息を吸った。初めは深呼吸か何かと思った。

 だがそれは、空気を激しく振動させる怒号へと化す。

「お前が我らの国を滅ぼさなければ、我らは間違いなく幸せのままでいられた!! お前から見れば平凡で陳腐なものだったろう、だが我らにとってはそれが至高だったのだ!!」

 まるで獣の咆哮を間近で聞いているかのように、うるさくて鬱陶しかった。耳を塞ぎたくなったが、そうしたら身の安全が保障できそうにない。

 この男の言い分は分かる。確かに、彼らの命まで一緒に奪ったのは残酷なことだった。今になって愚かなことをしたと思う。

 もう、何も耳に入れたくない。僕は呻くように呟いた。

「……、……やめろ」

「我らの幸福を壊した大罪に罰を下せ!! 国民の怒りを、悲しみを知れ!!」

「やめろって言ってるんだよ!!」

 腹が立ったあまり、僕は無意識にそう喚いた。片腕を地面に勢いよく叩きつけると、そこを起点に大地から鋭い岩が地面を突き破る。連鎖的に出現する岩の棘は、やがて男と兵士達を薙ぎ倒し、身体を容赦なく貫き、虚空へと吹き飛ばす。当然赤黒い液体が噴き出て、地面と僕の身体中を赤く染めた。

 静まり返った大地の上で、僕はゆっくりと立ち上がる。自分でも驚いていた。珍しく、息が荒くなっている。ここまで怒鳴ったことはなかったかもしれない。

 だが逆に落胆してしまった。幻とはいえ、彼らを二度殺してしまった。幻ゆえに、彼らの身体は一片たりとも残っていない。男が持っていたナイフも、跡形なく消えていた。

『────お前はもう、見て見ぬフリはできないってことだ』

 先程のペーパーの言葉が脳裏をよぎる。確かに、自分が気に入らないものから目を背けることは許されなくなった。かつて自分が滅ぼした彼らを思い出してしまった今、存在もしていない彼らに見られているような気がしてならない。

(……ああ、風が冷たいな)

 僕は逃げ出すようにその場から駆け出して、森の中に入る。空気が冷えていて、少し肌寒かった。

 しばらく走った後、僕は森の中で立ち止まった。運動にはなったが、気分は落ち込んだままだ。このモヤモヤは、多分しばらく晴らすことはできない。

 ふと、ガサガサと草音がした。僕が咄嗟にその方向に目を向けるが、音がしたところには何の姿もない。気のせいか、と再び歩き出したその時。

 ────後ろから誰かが、僕の腕を掴んだ。

 

「ねえ、おにいちゃん、ぼくたちのおとうさんしらない?」

 

 背後から聞こえた声にはっと目を見開いた。振り返ると、僕よりずっと背が低い黒髪の少年がいた。大きな瞳には何の感情の色も宿っていない。無垢で何も知らない、子供の目そのものだった。

「え……、なんで、そんなこと」

「ねえ? どうしておしえてくれないの? おにいちゃん」

 まとわりつく嫌なものを払うように、僕は首を横に振った。彼らも幻だ。シュルスが僕を陥れようと仕組んだ罠に過ぎない。そう自分に言い聞かせた。

「ねえ、おにいちゃん、おとうさんはどこ?」

 知らない。声もなくそう言った。

「ねえ、おにいちゃん、どうしてここにいるの?」

 なんでだろうね。声もなくそう答えた。

 僕は少なからず気付いていた。少年に掴まれている自分の腕が、小刻みに震えていることに。

 ────今この場に、巨大な魔力が流れ集まっていることに。

「ねえ、おにいちゃん」

 僕は逃げようと飛び退こうとする。だけど、

 

「いっしょにおとうさんたちのところにいこうよ」

 

 行動を起こすのが遅すぎた。

 その場が爆風と閃光に包まれた時には、僕の意識は暗闇に投げ出されていたのだから。



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