響が可愛いと思ったから勢いだけで思わず書いちゃったような艦これ二次 (水代)
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クーデレ娘って可愛いよなと思ったら愛が溢れて書き綴った第一章
Да. (ダー)


おかしい、俺、メガテンの続き書いてたのに、気づいたら艦これの二次が書きあがってた。


 くるくると手の中でペンを回しながら弄ぶ。

 執務室の椅子に背をもたれながら退屈な時間を持て余す。

 ぶっちゃけて言えば…………やることが無い。

「あー…………暇だ」

 椅子にもたれかかりながら呟く。執務室の窓から見える景色は日々変わることなく、毎日毎日同じ海ばかり見ていい加減これで退屈を紛らわすのも限界だった。

「ったく…………どっかから深海棲艦が沸いてこねえかなあ」

「…………朝から物騒だね、司令官」

 愚痴を口にしていると、執務室の入り口から聞こえた声。

 視線を向けるとそこにいたのはセーラー服に白い帽子を被った銀髪の少女。

 氷のようなアイスブルーの瞳で、いつものごとく無表情にこちらを見つめてくる。

「ヴェルか………………また来たのかお前。自分の部屋があるだろ」

 呆れたようにそう言うが、ヴェルことヴェールヌイは特に答える様子も無く部屋の端に置かれた椅子を持って自身の机の前まで持ってくる。

 それから執務室に置かれた本棚から一冊の本を持って来ると、先ほど自分で置いた高さの合っていない椅子に座り、床に届かない足をぶらぶらとさせながら持っていた本を開き、読み始める。

「…………ねえ、なんで執務室でやんの?」

「………………暇なんだろう? いいじゃないか」

 済ました無表情でそう返し、ページをめくる。

 いつものことと言えばいつものことであり、今更深く突っ込む気もなければ、特に追い出す理由も無いので放っておくことにする。

「何か飲むか?」

「ならロシアンティーを」

「はいはい…………」

 これもまたいつものこと。まあロシアンティーなんて言っても、所詮紅茶とジャムをセットで用意するだけだ。

 日本人の多くが勘違いしているがロシアンティーと言うのはジャムの入った紅茶…………ではない。

 本来ロシアではジャムをスプーンで直接舐めながら紅茶を飲む、と言うのが正式らしい。

 余談ではジャムを入れて飲む飲み方はポーランドやウクライナらしい。

 自身もヴェルに紅茶を入れるまではそんなことは知らなかった。

 だったら何故知っているのか、間違った知識で作ったロシアンティーを口に含んだヴェルがこう言ったからだ。

 

「知ってるかい、司令官。ロシアンティーと言うのはね、名前とは裏腹にロシア以外の地方でも飲まれているんだよ。だから司令官が勘違いを起こすのも仕方ないさ。紅茶に直接ジャムを入れて飲む飲み方はポーランドやウクライナで主流の飲み方でね、ロシアはジャムと紅茶を別々にするんだよ。ティーカップとは別に一人分ずつ小さな器に供されたジャムをスプーンですくって直接舐めながら、軽く口に含んだ状態で紅茶を飲む。 紅茶はかなり濃い目のものをカップの半分程度にティーポットから注いだ後に、サモワールって言う湯沸し器から熱湯を加えて好みの濃さに調整する。ジャムはベリー系のものが主流だがだいたい個人の好みで、同時に様々な種類のジャムを用意して飲み比べながら風味の違いを楽しむのもまた一興だよ。薔薇の花のジャムなんていうものも香りが良くて私は好きだよ。身体を温めるためにジャムに少量のウォッカを混ぜたり、ジャムではなく角砂糖や蜂蜜を用いる地方もあるんだよ」

 

 これなどまだ序の口で、それから凡そ一時間に渡ってロシアンティーの淹れ方や、日本で知られているロシアンティーの勘違いについてなど淡々と一つ一つの間違いを(あげつら)うように説かれていった。ただ、ロシアンティーの歴史は別にいらなかったのではないか、とは思うが。むしろ前半5分の話以外全部いらなかったのではないか、と今となっては思わなくも無いが。

 と、まあそんなことがあったせいで、ヴェルに出す紅茶はどうにも気を使う。

 とは言っても、ヴェル自身そこまで我侭を言うような性格でもなければ、高級志向があるわけでも無い。

 淹れ方や飲み方など前提となる部分さえ守っていれば、極論を言えばスーパーで買ったティーパックの紅茶とビン詰のジャムでも普通に許容できるらしい。

 

「ほらっ、ここ置いとくぞ」

Спасибо(スパシーバ)(ありがとう)」

 ビンから小鉢に移したジャムと、濃い目に作った紅茶と執務室の隣の給湯室で沸かしたお湯の入った急須を置くと、自分でテキパキとカップを取り出し(執務室の棚に置いてあるマイカップ…………最早こいつの私物置き場である)、紅茶を注いでいく。

Вкусно(フクースナ)(美味しい)」

 カップを傾け、口へと紅茶を含む、そうしてそれを呑み込んだ第一声がそれだった。

「以前よりも美味しいよ、司令官」

「そうかい…………そりゃあんだけ言われれば多少淹れ方を勉強しようって気にもなるわ」

 ヴェルの怒り方は静かだ。普通のやつのように爆発するような怒り方ではない。冷静に、一つ一つ相手のダメなところを延々と論っていくので、普通に怒られるよりも精神的ダメージが残る。

 カップに注いだ自身の分の紅茶に口つけ、息を吐く。

 すぅ、と喉を抜けていく紅茶の香りが僅かに気分を高揚させる。

「確かに…………以前よりは美味いな」

 安売りで買ったティーパックの紅茶とは思えない味に、自画自賛した。

 

 * * *

 

「しかし、暇だなあ」

「先ほども同じことを言ってたね」

 時折カップに口つけながら、それでも視線を机の上に置いた本から離さずヴェルが自身の呟きに応える。

 机に突っ伏し、腕を枕にして目を閉じる。

「やることないし、寝るわ」

Спокойной(スパコーイナイ) ночи(ノーチ)(おやすみ)」

 ヴェルの言葉を聞きながら、寝入ろうとした…………その時。

 

 ピリリリリリリリ

 

 執務室に響く電子音。

 その音に自身は伏せていた顔を上げ、ヴェルも本から視線を外していた。

 音の出所は…………机の上の電話。

 ヴェルと顔を合わせ、一つ頷くと、受話器を取る。

「もしもし?」

『ああ、朝早くから済まないね、私だ』

「おやこれはこれは中将殿。こんな朝から何か御用でも?」

 電話の主は自身の知った声だった。自身がこんなところで退屈をもてあましている元凶である男、中将。

 この男からの電話と言うことは間違いなく厄介ごとか面倒ごとのどちらかだろう、それが分かってか無表情のヴェルも心なしか先ほどよりも不機嫌そうな雰囲気(オーラ)が出ている。

『ああ、それなんだがねえ、キミの鎮守府が担当する海域に深海棲艦が向かったらしくてねえ、悪いんだけど、ちょっと行ってきて沈めてきてくれないかな?』

「深海棲艦が…………向かった? 現れたじゃなくて?」

『ああ、私の担当する海域に現れた深海棲艦を討伐しに行ったんだけどねえ、途中で敵が逃げ出してキミのところに行ってしまったんだよ。けどキミの担当水域に私の艦隊を勝手に入れるわけにもいかないだろ?』

 いけしゃあしゃあと…………と心の中で思うが、口にはしない。そんなことを言っても無駄なのは過去が証明している。

「私に中将殿の尻拭いをしろ、と?」

『これはキミのためでもあるんだよ? ここで功績を挙げればもしかすると新しい艦が回されるかもしれない、まだキミのところは初期の一人だけだったよねえ?』

 そうしているのはお前だろ、と言いたい、言いたいが言っても惚けられるのが関の山だ。

『ああ、毎回のことだけれど、これは命令だ。キミに拒否権はないよ? 少佐殿?』

「………………了解です」

 自身の答えに満足したように、うむ、と漏らし、中将が電話を切る。

 と、同時。

 

「死に晒せ、あの糞ったれ提督!!!」

 

 電話を切ると同時に思わず叫ぶ。

「今度は何を言われたんだい? 司令官」

 こちらを見ていたヴェルに電話の内容を説明すると、ヴェルがやれやれ、と言った風な呆れた様子を見せる…………まあ表情は変わらないが。

「やれやれ…………では、出撃かな?」

「ああ…………悪いな、こんな面倒な司令官で」

「…………どうしたんだい? 突然」

 自身の零した言葉に、ヴェルが不思議そうに首を傾げる。

「別に…………ただ、自分の不始末にお前を巻き込んだようなものだからな、色々気にする部分もあるってことだ」

 やったことを後悔しているわけではないが、そのことにコイツまで巻き込まれたことだけは反省している。

 自身のその言葉に、けれどヴェルは特に気にした様子も無く…………珍しく微笑んで答える。

「司令官が思ってるほど、私はここに来たことを後悔してるわけではないよ」

 とん、と開いていた本を閉じ、その表紙をそっと撫でる。

「ここで本を読んでいる時間も、司令官が入れてくれた紅茶も…………そうしてゆったりと過ごしている日々は、私は嫌いじゃないよ」

 本を胸に抱き、椅子から飛び降りるとこちらへと向く。

「気にする必要はないさ…………だから行こうか、司令官」

 数秒沈黙し…………自身も笑う。

「ああ、そうだな…………出撃だ、ヴェールヌイ」

 そうして。

 

Да(ダー) (了解)」

 

 互いに肩をすくめた。




「可愛い響だと思ったのかい? 残念、ヴェールヌイだよ」


うん、ぶっちゃけどっちも可愛いです。



感想で提督としては位が低すぎる、とのことだったので左官まで上げました。


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До свидания. (ダ スヴィダーニャ)

艦これイベント始まったね。
水代は現在E-2で苦戦中だよ。
ようやく攻略の目処が立って、明日が勝負ってとこだよー。


 夢を見ている。

 夢の中にいて、自身はそれを自覚する。

 暗い暗い闇の中、自分は一人そこに立っている。

 辺りには何も無い、ただただ闇が広がっており、けれど自身の姿だけは不思議と見えた。

 手を伸ばす。意味は無い、ただそうしなければいけない気がした。所詮夢の話だ、理屈などは無い。

 そして、伸ばした手を誰かが握る。顔を上げるとそこにいたのは……………………。

 

(あかつき)

 

 彼女の名を呼ぶ。けれど彼女は自身の手を握ったまま、寂しそうに笑い…………そして繋いだ手を離し、振り返って歩いていく。

「待って、暁!」

 歩き出した彼女を追いかけようと、自身の足を踏み出…………せなかった。

 どうしてか、自身の足はまるで鉛にでもなったかのようにピクリとも動かなかった。

 やがて暗闇の中へと消えていく彼女の背を見つめながら、ギリリ、と奥歯を噛み締める。

 そして硬く握った拳、をけれど包み込む手のひら。

 振り返れば、そこに彼女がいた。

 

(いかずち)

 

 いつも笑顔だった彼女の表情は、けれどいつもと違ってとても寂しそうで。

 自身の手を包み込んでいた両手を解くと、彼女もまた自身に背を向け去っていく。

「待って、雷!」

 追いかけたい…………だと言うのに、この足は一歩たりとも前へと進んではくれない。

 やがて、彼女も闇の中へと消えていき、また自身だけが取り残される。

「待って…………待って…………」

 自身の声だけが辺りへ響き、そして誰も戻ってはこない。

「…………………………っ」

 震える。全身が………………得も知れぬ感情が自身の心を抉る。

 歯をかみ締め、唇を固く結び、嗚咽を漏らさないように必死に堪える。

 

 そして…………………………。

 

(ひびき)

 

 呼ばれる、自身の名。途端に自由になる自身の体。

 すぐさま振り返る、そこにいたのは…………。

 

(いなづま)

 

 半ば予想していた彼女だった。

 けれどそんな彼女に、一体自身はなんと声をかければいいのか分からず、戸惑う。

 そして自身がそんな風に戸惑っていると、彼女が寂しそうに笑い、告げる。

 

「さようなら、です」

 

 目を見開く。自身に背を向け、歩き出す彼女へ向かって走りだす。

「行かないで、電。私を、一人にしないで!!」

 けれど、その手が彼女へと届く直前…………彼女の姿は闇へと飲み込まれ、自身の手は空を切る。

「う…………あ………………あああああ…………」

 限界だった。堪え、耐え、溜め込んできたものが一気に決壊しそうになり…………。

 

「ヴェル」

 

 呼ばれたその名に、感情が噴出しそうになるのがピタリと止まる。

 彼女たちと違って、姿は見えない。

 だが、その声を間違えるはずも無い。

 

「ヴェル」

 

 不思議と心が安らいだ。

 先ほどまでまるで時化(しけ)のように荒れ狂っていた感情が。

 彼の声を聞いただけで、まるで凪のようにピタリと収まる。

 

「ヴェル」

 

 三度目の声。

 ああ、そうだ…………いい加減、起きないといけない。

 だから、そう、言葉にしよう。

 

 過去に別れてしまった彼女たちに。

 

 過去に捕らわれ続けていた自分に。

 

До() свидания(スヴィダーニャ)(さようなら)」

 

 

 * * *

 

 

「ヴェル、起きろ、ヴェル」

 目を閉じ、瞑想する彼女の肩を揺らすとやがて、その閉じられていた目がゆっくりと開き、アイスブルーの綺麗な瞳がこちらを見つめる。

「…………おはよう、司令官」

「ああ、おはよう。リンクはできたか?」

Да(ダー)…………肯定だよ」

 呟きつつ、半分ずれた白い帽子を抑えながら、ヴェールヌイが立ち上がる。

 その背や脇に取り付けられた武装、先ほどまでは無かったそれを見て、思わずため息を吐く。

「相変わらずの様子だな、同調は…………だが慣れてくれ、こればっかりは」

「仕方ないさ…………装備がなければ戦えない。けれど艦娘の存在意義は戦いなんだから」

 自嘲気味に呟き、けれどどこか憂鬱そうにため息を吐く。

 

 艦娘とはそれ単体で深海棲艦と戦える…………のではない。艦娘にはそれぞれ、自分のためだけの装備と言うものがあり、それを装備することで初めて擬人化した艦隊と呼ばれるその強さを発揮できる。海に浮かぶ能力も、敵艦隊を轟沈させる攻撃力も、敵の砲撃から身を守る力も、全てその装備がなければ発揮できない。けれど非戦闘時にまでいつもいつも装備を着けているわけではなく、出撃前にそれを装着してからいざ進撃…………と言う形を取っているところが主だ。まあ一部、前線の戦闘の激しい地域はいついかなる状況でも出撃できるよう常に装備を着けたまま、と言うことが往々にしてあるらしいが。

 

 問題は、その装備を装着して数秒程度だが、艦娘は夢のようなものを見るらしい。それは、装備と艦娘自身が同調している証拠であり、艦娘がその真価を発揮できるようになった、と言う合図のようなものでもある。

 それは記憶のフラッシュバックであり、当時の艦隊である自身に焼け付いた思いであり、何よりも忘れてはならないことである。だから、ヴェルの場合、それは悪夢だった。

 駆逐艦響ではなく、駆逐艦ヴェールヌイであること、それは何よりも守りたかった大切な仲間たちを守れなかった後悔と、そしてもう一度機会を与えられた時に、今度こそ守りぬくと決めた誓いである…………とヴェルは言っていた。

 

 戦いなんて、しないにこしたことは無い。

 昔、響がそう言っていた。そして、だからこそ彼女はここに送られてきたのだろう。

 だが戦わなければならない…………それは彼女たちに定められたものであるから。

 だからこそ、ヴェルは今日もまた出撃していくのだろう…………。

 

「ほら、元気出してけ…………これから出撃なんだからな。そんなんじゃ、またやられて帰ってくることになるぞ」

 だとすれば、提督としての自身の仕事は、そんな彼女のモチベーションを戻してやることだろう。

「む…………それは嫌だね、負けたらまた司令官に特訓させられるし、何より、負けるのは好きじゃない」

 多少やる気を取り戻したのか、ヴェルが少しだけ気合を入れて、深呼吸する。

 

「準備はいいな?」

「ああ、いつでも行けるよ」

 港出口の海の上に浮かぶヴェルの言葉に、自身は腕時計を見つめる。

「現在午前一○○○(ヒトマルマルマル)。作戦は鎮守府近辺の海域に紛れ込んだ深海棲艦の撃破。もし一二○○(ヒトフタマルマル)までに見つからなかった場合、一度戻って来い、以上だ、質問は?」

「いや、無いよ」

「そうか…………なら、駆逐艦ヴェールヌイ、出撃だ」

Верный(ヴェールヌイ)、出るよ」

 ヴェルが呟き、その足に力を込めた…………と、同時に初速30キロ毎時ほどの速度で海を滑り始める。

 そうして、速度がぐんぐんと上がっていき、あっと言う間に見えなくなる。

「速い速い……………………さて、ではヴェルの無事を祈りつつ、俺は何をしようか」

 

 そうだな…………まずは、疲れて帰ってくるであろう、あいつのために、昼飯でも作っておくか。

 

 

 * * *

 

 

 高速で海面を滑る。

 風を切り、波を避け、水面を揺らしながら進んでいく。

 現在時刻一一二○(ヒトヒトフタマル)、すでに出撃から一時間以上もの時が経っている。

 この海域に紛れ込んだ深海棲艦とやらの姿はまだ見えない。

 時間的に見えても、この区域にいなければ一旦帰ったほうが懸命かもしれない。

 状況を冷静に判断する、それを誤れば待つのは死だけだ。

 周囲を警戒する。遠くに見える敵の艦影を見逃さないように。

 そうしてしばらく目を凝らしていると、遠くに何かが動くのが見える。

「………………нашёл(ナーシォル)(見つけた)」

 やがてはっきりと見えてきたそれは、巨大な砲をいくつも下げた人型。

 人型であって人ではないソレ、ソレに気づいた瞬間、思わず呟く。

「…………戦艦ル級」

 否、ただのル級ではない。赤く光るあの目、あれは…………。

 

「戦艦ル級elite…………」

 

 単艦でいるところを見ると、どうやら取り巻きは倒されたらしく、一人さ迷ってきた…………否、こちらに誘導されたのだろう。

 戦艦は砲撃戦の主力として作られた艦だ。その船体も、砲身も、操行も、自身などとは比べ物にならないほどに大きい。

 こちらの12.7cm連装砲の砲撃が百発当たっても戦艦の装甲を貫ける気などしないが、戦艦ル級の16inch三連装砲に一撃でも当たれば自身の薄っぺらな装甲などいとも容易く貫かれ、大破することは簡単に予想できた。

 駆逐艦対戦艦。それが一対一と言う条件である以上、誰が見たって絶望的としか言い様が無い。

 

 それが、艦隊同士の戦いなら…………だが。

 

shturm(シュトゥールム)(突撃)」

 

 それは号令。自身のスイッチを切り替えるための。

 ココロは熱く、アタマは冷たく。

 自身の出せる最高速度で戦艦へと突進していく。接敵まであと三十秒。

 高速艦である自身は、その最高速度は戦艦とは比べ物にならない。

 最速として有名な艦船と言えば駆逐艦島風だろうが、けれど勘違いをしている提督も多い。

 島風は最速ではあるが、それは長い目で見た話である。人間と同じだ、艦船だって全力疾走を続ければすぐにバテて動けなくなってしまう。速度と維持と燃費、それら全てを兼ね備えているからこそ島風は最速であり、さらにはそこに攻撃性能までもをも両立してしまっているからこそ、島風は駆逐艦の最高峰なのだ。

 つまり、何が言いたいか、と言うと。

 

 後々のことを考えないのなら、ヴェールヌイにだって超高速は出せる。

 自身が航海していくための命綱である燃料が目減りしていくのを感じ取りながらも、さらに速度を上げる。

 その速度に波が派手に巻き上がり、さすがの戦艦ル級も気づいたらしい。

 その砲身がこちらに向けられ…………そして。

 

『艦隊なんて言っても所詮は人型。戦艦なんて言って敵も人型、だったらいくらでもやりようはあるだろ?』

 

「まずは、意図を外せ…………だよね」

 急制動をかけながら、体を半回転させる巻き上がった波が一時的に自身の姿を隠し、砲撃を撃とうとした戦艦の手が止まる。

 それから次は…………。

「撃てっ」

 さらに急発進、波を突っ切り、一直線に戦艦へと向かう。

 そして、移動しながら12.7cm連装砲を戦艦へと向け、撃ちだす。

 射程にはまだ少し遠いが、戦艦ル級の手前辺りの海面を荒らし、このままでは当たる、とでも感じたのか、ル級が少し下がる。当たり前ではあるが、長距離射程砲を持つル級の攻撃は多少下がっても十分攻撃範囲内である。

 今度こそ目の前の相手を撃ち抜こうとル級が構え…………。

 

『目で物を見てるんだ、だったら目の動きで狙いは分かるだろ? しかもエリート以上は電探持ってて狙いが正確って言うなら逆に避けやすいだけじゃないか』

 

「簡単じゃ…………ないけどね!!!」

 16inch三連装砲が火を噴いた瞬間に進路を横にずらす。

 こちらを正確に狙っていた敵の砲撃が先ほどまで自身のいた場所を吹き飛ばす。

 だがこちらへの被害はゼロだ。せいぜい波で少し濡れた程度である。

 ル級が二撃目を装填しようとしているのが見える。だがもう遅い。自分はここまで近づいた。

 ここはすでに…………。

 

「私の射程だよ」

 

 相手へと狙いを定め、魚雷を発射する。

 袖口にある魚雷発射管から複数の魚雷が発射され、一直線に戦艦へと向かう。

 火砲を装填中で、しかも低速艦である戦艦にそれを避けるような俊敏な動きはできず…………。

 

 ドドドドドォォォォォォォ

 

 巨大な水柱が上がり、戦艦ル級が崩れ落ちる。

 魚雷は射程が短いものの、一撃で戦艦の船体に穴を空けることもある強力な武装だ。

 それを数本まとめて叩き込まれたのだ、さしものエリート戦艦であろうと耐久の限界に達していた。

 倒れこみ沈んでいく敵艦を複雑な表情で見つめる。

 やがてその姿も見えなくなったころ、一度目を閉じ、そして開く。

「…………帰ろうか」

 私たちの家へと。

 

 言葉にはしなかった、だがしなくても良いのだと思う。

 

 ぎゅっと、手を握り締める。

 生きている、それを実感する。

 ル級が沈んで言った場所へと振り返る。

 数秒それを見つめ、もう一度だけ目を閉じ。

 

До() свидания(スヴィダーニャ)(さようなら)」

 

 今度こそ振り返らなかった。

 

 




異論は聞こう、感想でな。


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Очень приятно(オーチン プリヤートナ)

なんかシリアスが続くけど、次回からは普通にのんびりまったりな感じになると…………思う?


 

「ただいま」

「ああ、おかえり」

 帰港してきたヴェルを出迎える。

 それはヴェルが出撃するたびに必ずやっている自身にとっての習慣だ。

「戦果は?」

「戦艦ル級eliteを轟沈させてきたよ」

 その言葉に目を見開く。それはそうだろう、戦艦ル級、しかもelite。それは明らかにこんな鎮守府周辺海域に居ていい存在では無い。

「あのクソ提督、そこまでするのか…………?」

 この鎮守府の総責任者は提督である自身の役割だ。だが、鎮守府は提督と艦娘だけで回っているわけではない。

 整備班、開発班、入渠班、補給班、改装班と必須のものだけ上げてもこれだけのものがある。

 この鎮守府にいる艦娘はヴェル一人なので、他と比べても人数は少ないが、それでも十数人の人間がここに勤めている。

 こんな孤島に建てられた鎮守府だ、もし深海棲艦が攻め寄せてきたら逃げ場など無い。

 つまり、俺たちの命を守り抜くための札は、ヴェルたった一人なのだ。

 

 当たり前ではあるが、普通は駆逐艦で戦艦など倒せない。不可能ではないが、無理がある。そんなこと戦艦と戦ったことのある提督なら誰でも知っている。

 実際、ヴェルは戦艦を沈めてきたが、その代償として装備のあちこちに無理をさせている。修理のために数日は出撃できないだろう。

 今回は戦艦一隻だったからそう言った無理ができたものの、もしもう一隻、重巡洋艦でもいればヴェルも帰ってこれたかどうか甚だ疑問だ。

 そしてもしヴェルがやられれば…………残された俺たちはもうどうにもならない。

「この鎮守府潰す気か、あいつは」

 ここが潰れて一番困るのは隣の海域を守っているあのクソ提督自身だと言うのに。

「考えなんて無いんだろうさ…………司令官に意趣返しできればそれで構わないんだろうね」

 互いに顔を合わせて、はぁ、とため息を吐く。

「…………とりあえず、お疲れ様、だな。昼飯作っといたから、食べにいこうか」

「ああ、それは楽しみだよ」

 そうして二人並んで鎮守府へと戻る。

 ヴェルは先に装備を外してこなければならないし、自身は自身で顛末をまとめた報告書を書き、中将殿に一報入れる必要があるので、執務室へと戻った。

 

 

 * * *

 

 

「ただいま」

 そんな風に彼へと言うのもこれで何度目だろうか。

「ああ、おかえり」

 そんな風に彼から言ってもらうのもこれで何度目だろうか。

 

 独りである、と言うのはとても寂しく、けれど楽だ。

 何より守るものが無ければ、失うものも無くて済む。

 

 けれどそんな風に考えてみても、それは無理だといつも首を横に振る。

 人は常に他者と繋がって生きている。それは艦娘であろうと例外ではない。

 否、艦娘のほうが顕著であるとすら言える。

 装備を整備してくれるのも、修復してくれるのも、新しい武器を開発してくれるのも、燃料と弾薬を補充してくれるのも、いつも自分でも司令官でも無い、他の人たちだ。

 

 この鎮守府に艦娘は自身一人しかいない。

 理由は簡単だ、司令官がとある上役から嫌われているから。

 だから新しく艦娘を建造することすら許されない。

 と言うか、そもそも建造の技術を持った人材を回してもらえない。

 いつまで経っても自身一人。

 そのことに不満があるかと言われれば、実はそうでもない。

 頼るべき仲間がいない、と言うことは守るべき仲間もいない、と言うことだ。

 少なくとも…………自身の知らないところで仲間が沈んだなどと知ることもなければ。

 

 自身の目の前で沈んでいくことも無い。

 それは最後まで生き残ってきたからこそ思うこと。

 

 もし次に仲間たちが沈むようなことがあるなら…………まず最初に沈むのは自分であって欲しい。

 そう考えたのが駆逐艦響であり。

 

 仲間たち守り抜く…………もう絶対に誰も傷つけさせはしない。

 そう誓ったのが駆逐艦ヴェールヌイである。

 

「ヴェルちゃん、お帰りなさい」

 ふと、自身に声をかけてきたのは、整備班の中の一人の女性。

「ただいま」

 そう言って返すと、無事で良かった、と漏らす彼女の言葉に、けれどそれはこちらの言葉だと内心思う。

 先も言ったが、ヴェールヌイはこの鎮守府唯一の艦娘だ。

 島を改造して作られたこの鎮守府だ、もし敵に攻められれば逃げ場も無く、みなやられてしまうだろう。

 鎮守府から出て行く度に思う。

 自身が出撃している間に、敵がやってきたりしていたら…………。

 ありえない、とは思う。深海棲艦は海上の標的を優先して狙ってくる。

 それに普段から出現の確認が取れると即座に潰している。だからこの周囲に敵がいるなんて可能性はありえない、とは思う。

 だが絶対とは言い切れない。そんな保障誰もできない。

 だから怖くなる。

 

 もしまた、守りきれなかったら。

 

 今度こそ、自分はどうにかなってしまうだろうから。

 

 

 * * *

 

 

『ああ、そうか。ご苦労だったね』

「それで? 新しい艦を回してもらえると言う話は?」

『それなのだがね、残念ながら上に掛け合ったところ、そんな余裕は無いそうで、残念ながら今回の話は流れてしまったよ』

 今回の…………ではなく、今回も、の間違いだろう。そんなことを内心で思いつつ、歯を軋らせる。

「それにして、中将殿のところにはえらくたくさんいるようですが?」

 艦隊数37隻。俺の知る限り、国内でも有数の艦隊数だ。

『ふむ、残念だがね、私の担当する海域はキミのそれより広いのだよ、分かるかね? つまりそれだけ広範囲だと必要になる艦隊の数も必然的に多いのだよ』

 俺の担当する海域よりも三倍は広いのは確かだが、それでも20隻もあれば十分なはずではある。

 何せ三分の一を駆逐艦一隻で担当できるくらいなのだから。

『だがキミのところの艦隊は優秀なようだな、駆逐艦で戦艦を倒してしまうとは。いやはや、これなら今後も期待できそうだね』

 つまり、また何かあったら俺に押し付けるつもりか、この野郎。

 では、そう言って電話が切られると同時にドンッ、と机を思いっきり叩く。

「……………………」

 歯を軋らせる、それでも怒りが収まらず…………。

「司令官?」

 声をかけられ、はっとなる。目の前にヴェルがいた、今の今までそんなことにすら気づかなかった。

「ああ、ヴェルか………………来たなら、昼飯でも食いに行こうか」

 そう言って椅子から立ち上がる。そうして入り口まで歩くが、ヴェルは動かずその横を通り過ぎる。

 立ち止まり、振り返る。机の前からヴェルは動かない。

「ヴェル?」

 動かないヴェルに首を傾げつつ、声をかける。

 数秒の沈黙、やがてヴェルがその帽子を取り、被り直す。

「いや…………そう言えば、あの時もこんな感じだったな、と思い出してたよ」

「あの時?」

 心当たりが多すぎて、さて、どれだろうか、と考える。

「初めてあった日だよ」

 ヴェルのその言葉に…………ああ、と呟き、目を閉じた。

 

 

 * * *

 

 コンコン、と部屋の扉をノックする。

「はあ、それで? はい、今日からです」

 けれど返事は無い。

「…………ええ、それで何人くらい…………はあ? 一人?」

 コンコンコン、ともう一度ノックする。

「いや、それは………………はあ、それで種類は?」

 返事は無い、耳を澄ませると、どうやら電話中らしい。

「……………………冗談ですよね?」

 仕方が無いので扉に手をかけ、開く。

「……………………ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 中に入る、執務室と言うからもっと広いかと想像していたが、他の部屋となんら変わらない広さ。置かれているものも、正面の机に壁際の本棚、それくらい。他の提督は自身の勲章などを執務室に飾っているらしいが、この部屋にそれらしきものは一つとして無かった。

「いや…………っな!? そんなバカな話が!! ちょ、ま…………き、切られた?」

 そして机に備え付けられた椅子に腰掛け、受話器を見つめて呆然としている男性、それが恐らく自身の身を預ける相手なのだろう、そう予想した。

「クソったれ中将! 地獄に落ちろ!」

 電話に向かって先ほどまでの相手を激しく罵りながら、その顔を上げ…………こちらを目が合う。

 改めて正面から見る、男性の顔。こうして見ると、男性と言うより青年と言ったほうが合っているのかもしれない。そのくらい若く見える。提督なんて誰も彼もが四十路を過ぎたような中年男性ばっかりだと思っていたので、目の前の青年は自身にとって多少予想外だった。

 さらに言うなら、よく見れば間違えることは無いだろうが、初対面で一瞬見たくらいなら女性かもしれない、と思ってしまうくらいにはその顔は中性的だった。

 ただ椅子に背を持たれ足を組む、そう言う一種尊大にも見える態度や雰囲気のせいで、すぐに目の前の人物が男性であることは分かるだろう。

「あー? 誰だ?」

 そう尋ねるのは目の前の青年。まあいきなり自身の部屋に知らない女がいれば当然の反応である。

「駆逐艦響、今日からこの鎮守府に来ることになったよ」

 だから答える、自身の名を、自身の存在を。

 

Очень(オーチン) приятно(プリヤートナ)(はじめまして)、司令官」

 




E-3攻略済んで、E-4だ!!! …………とはなりませぬ。
攻略の終わったE-3周回して、翔鶴さんのドロップを狙いまする。
あと資源も増やさないと、ボーキサイトが2000切った…………orz


>>艦隊数37隻
ゲームだと100隻あってもオーバーフローする艦娘ですが、基本的にこの世界だと同じ艦娘と言うのはいないので、現存する艦娘の実に三割以上になります。


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Нереально(ニルェンノァ)

おかしいなあ、ほのぼの系ハートフルストーリーが書きたいのに、全然書けない。


 

 

 撃ち出されたゴム弾を半身を捻り避ける、と同時に右足を大きく開きその距離を縮める。

 右足に体を引き寄せると同時に右腕を下から弧を描くように伸ばしその腕を掴む。

「っあ」

「取った」

 掴んだ腕を引く、と同時に体勢を低くしその懐へと潜り込む。

 伸ばした左腕をその華奢な腰に添えて…………。

「よっと」

「う、わぁぁ」

 ヴェルを軽々と投げる、その体が空中で回転し、背から地面に叩きつけられる直前に掴んだままの腕を引き、その威力を大幅に殺す。

「まだまだ甘いな」

「あいたた…………なんで艤装をつけた艦娘(私たち)と平然と戦えるのか、そしてなんで勝てるのか、全くもって疑問だよ」

 

 あまり他の鎮守府では行われていないことではあるが。

 うちの鎮守府では艦娘の訓練と言うのをやっている。演習ではなく、訓練である。

 まあ他の鎮守府では実践こそが最大の訓練、みたいな感じでやってる、と言うか訓練をしているほどの暇が無い、というのが実態なのかもしれないが、うちの鎮守府は滅多に出撃など無い上に、駆逐艦が一人しかいないと言う有様である。必然的にそのたった一人であるヴェールヌイが出撃することになるので、実践で覚えろ、なんて無茶は言えない。何せヴェールヌイしか戦えないのだから。どうやっても慎重になってしまうのも無理は無いだろう。

 だからこそ、時折こうして訓練の時間を設ける。射撃訓練や機動訓練ならヴェールヌイ一人でもできるが、戦闘訓練となると相手が必要になる。

 演習相手にすら事欠く離島の鎮守府である、当然ならまともな相手がいるはずもなく、苦肉の策で始めたのが提督である俺とヴェールヌイの格闘中心の模擬戦闘である。

 最低限の装備だけ持って艦娘としての力を持たせ、さすがに連装砲を使われると死ぬのでゴム弾を装填した拳銃を代わりに持たせた実践形式の訓練だ。

 艦隊決戦、などと言っても海上で戦っているのは人型なのだ、体の動かし方、咄嗟の状況での動き方などを教えるこの訓練は意外と役に立つとはヴェールヌイの言だった。

 

「まあ動きが素人だからな、いくら身体能力が劣ってるからって、体術だけなら負けねえよ」

Нереально(ニルェンノァ)(ありえない)、いつも思うが提督は本当に人間かい? それとも私が知らないだけで、提督って言うのはみんなそうなのかな?」

 数秒考える、そして考え出した答えは。

Нет (ニェートゥ)(いいえ)…………かな。けど、俺の親父は俺より強かったな」

 そんな俺の答えに、ヴェルが少しだけ表情を変える。

「提督の…………父親? 初めて聞いたけれど、どんな人だったんだい?」

「ふむ…………あのクソ親父のことか。どんな人か、って言われたら」

 

 無茶苦茶な人だった。

 親父を知る人知る人全員がそう言った。

 海軍南方総司令、二十年ほど前にできたばかりのやっつけ職ではあるが、この国の南の海域全域を守る提督たちの頂点、それが俺の親父の役職だった。今の俺の上司である中将殿も、昔は俺の親父の部下…………それも側近だったらしい。

 霧中の決戦。親父のやった業績の一つにそれがある。三十九と言う異常な数の深海棲艦を配下の提督三人を引き連れ計二十四の連合艦隊で打ち破った。十五も数で上回られた戦力差でありながらも勝利を拾うだけでなく、一隻も轟沈させなかったその最大の理由は、霧の中で戦ったことにあるとされる。

 自ら率いる駆逐艦群で霧の中で敵へと砲撃、敵を霧の中へとおびき寄せ、霧の外から配下に半包囲させた戦艦群で敵を殲滅する。

 無茶苦茶だ。作戦とも呼べない、こんなもの、ただの特攻だ。

 だが事前の海域調査、空母群による当日の綿密な下見、そして最新鋭の電探を用いた正確無比な砲撃により、それを成したとされる。

 生きた伝説。なるほど、業績だけ聞けばたしかにそう呼ばれるだけのことはある。

 

 俺の覚えている親父の姿と言えば、テトラポッドで釣り糸を垂らす昼行灯な背中だった。

『いいか、坊主』

 自分の息子の名前すらほとんど呼ばない。

『海はこんなにもでっけえのに』

 父親らしいことなんて、ほとんどされたことも無い。

『俺たち人間はこんなにも小せえよ』

 最後の最後まで母さんに心配かけっぱなしで。

『だからさ、お前は』

 死んじまった。

『この海に負けないくらいでっかい男になれよ?』

 

 ただの、クソ親父だ。

 

「どんな人か、って言われたら…………ただのロクデナシだな」

「ロクデナシ…………かい?」

「ああ、ろくでもない、本当に…………ろくでもないやつだったよ」

 今でもそう思っている、ろくでもない親父だった、と。

 それと同時に、尊敬もしている。

「ああ、でも」

 そう、今の自分ではひっくり返ったって真似できない。

 

「とんでも無いやつだったよ」

 とんでも無いやつだった、と。

 

 

 * * *

 

 

 午後からは久しぶりに埠頭に座って、釣り糸を垂らしていた。

 親父の話をしたせいだろうか、無性に釣りがしたかった。

「で、なんでお前までいるんだ?」

「いけないかな?」

 隣に座るヴェールヌイを見てそう呟くと、膝に開いた本から視線を移すことも無くそう答える。

「はあ…………勝手にすればいい」

「じゃあ勝手にさせてもらうよ」

 服と同じ真っ白な帽子をしっかりと被り直し、ヴェルがそう言って本のページを捲る。

「………………………………」

「………………………………」

 そうして生まれたのは沈黙。俺は黙々と釣り竿をくい、くい、と動かし、ヴェルは黙々と本に書かれた文字を視線で追いページを捲る。

 一体どれだけの時間そうしていたのだろうか、五分か十分か、それとも一時間か。

 静寂を破ったのは俺でもヴェルでも無かった。

 くい、くい…………と竿を引っ張る力。

 かかった、そう気づいた瞬間、竿を引き上げる。

 リールなんて便利なものはついていないので、完全に自力である。

 ばしゃばしゃと海面を叩く水の音。

 糸が切れないように時に力を抜き、時に引き、それを繰り返して徐々に魚を追い詰めていく。

 そして。

「………… Молодец( マラヂェーツ)(お見事)」

 バケツに釣った魚を入れるとそれを見ていたヴェルがそう呟く。

 本から視線を外し、興味深そうにバケツの中で泳ぐ魚を見る。

「珍しいか?」

 そう尋ねると、一つ頷く。

「潜水艦ならともかく、水上艦は基本的に海の中なんて見ることは無いからね。生きた魚を間近で見たのは初めてだよ」

 まあいつも鎮守府にいるし、海に出てもそれは出撃の時なので優雅に海を眺めている余裕も無いだろう。

 街に出るわけでもなければ、水族館などの娯楽施設など行ったことも無いだろう。

 そう考えれば確かに珍しいのかもしれない、こう言ったものは。

「ヴェルもやってみるか? 釣り」

 そう提案したのは、ほんの気まぐれであった。

 恐らくやったことは無いだろうし、偶にはそう言う体験をしてみるのも悪くないのでは、そんな風に思っただけ。

 けれど、俺のそんな言葉にヴェルが目をまん丸にして。

「………………そうだね、やってみたい、かな?」

 そう言ってはにかんだ。

 

 * * *

 

 駆逐艦ヴェールヌイ。

 それが自身を示す名前、標識だった。

 深海棲艦を倒すために建造された艦娘…………兵器。

 それは自身の役割…………存在意義(レゾンデートル)であった。

 同時に守り抜くこと、仲間を、居場所を、今度こそ守り抜くこと。

 それが自身が自身に課した誓約(ゲッシュ)であった。

 けれども、今の自分は迷っている。

 自分自身を兵器だと認識していたからこそ。

 兵器としての自身よりも、人としての自身を必要とするこの鎮守府に就いて。

 守る仲間もいない、居場所だってそう簡単に無くなったりしない。

 だからこそ、揺らいでいる。

 このまま兵器でいる必要があるのか。

 そう思ってしまうのは結局。

 兵器である自分が嫌だから、なのだろう。

 

 鎮守府に来て本ばかり読んでいるのは、戦う以外の意味を自身に見出すためでもあると、司令官は知らないのだろう。

 

 Нереально(ニルェンノァ)(ありえない)。

 とんだ欠陥兵器である。戦うことを放棄したいと願っているのだから。

 だからこそ、意味を見出したかった。

 私たちが戦うこと以外に存在する意味。

 存在しても良い理由。

 見つけて、言ってやりたかった。

 私たちが生きているのは、戦うためだけではない、と。

 だから、少しだけ嬉しかった。

 

「ヴェルもやってみるか? 釣り」

 

 こうして、出撃以外で司令官と共に過ごすことが。

 戦わなくても、自分の居場所がちゃんとここにある、そんな風に思えて。

 少しだけ…………嬉しかったのだ。

 

「ねえ司令官」

「なんだ?」

 

 司令官の持ってきた竿を海に向け、垂れた糸の先を見ながら隣に座る司令官に言う。

 

「ここは良い鎮守府だね」

 

 そんな自身の言葉に、司令官が数秒沈黙し、やがて苦笑いしながら答える。

 

Нереально(ニルェンノァ)(ありえねえよ)」

 

 




因みに毎日ヴェールヌイと一緒に過ごしてるので、提督も聞きかじり程度にはロシア語呟ける、と言う設定。

久々に艦これ書いたせいで、今一キャラがつかめてない気がする。


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Плохо(ブローハ)

まだだ、まだほのぼの路線は残されている!!!

今回の山を乗り切れば、その先にはきっとほのぼのが見えると作者は信じている!!


「提督」

 自身を呼ぶ声に、閉じていた目を開く。

 実に十八時間ぶりの休憩は、ものの五分で次の仕事が舞い込む。

「提督宛てに連絡がきてるみたいよ」

 自身の秘書艦である少女の言葉に思わず天を仰ぐ。

「これはあれかな…………私を休ませず過労死させようとする新手の殺人の手段なのかな?」

 さきほど部下の持っていった山のような書類を思い出し、ようやく片付いた机の上。

 綺麗に片付いていたそこに載せられた書類に目を細める。

「私に言われても知りませんよぉ」

 そんな自身の愚痴をさらった流した上で、呆れたように呟く少女に体が脱力する。

「休ませて…………」

「これで今日は最後だからもうちょっと頑張ってください、提督ぅ」

「じゃあ島風も手伝って」

「私の仕事じゃありませんから」

「反抗期?」

「私、提督より年上なんですけど」

 そんな他愛無い言葉の掛け合いをしながら、一枚、また一枚と書類を捲っていく。

「また上は頭の悪いことを考えているみたいだね……………………反抗作戦だなんて、今のこの国のどこにそんな戦力がいるのやら」

「提督のことを頼りにしてるんじゃないんですかぁ? だって、この国の全戦力の三割は提督が掌握してますし」

「あの娘たちをあの阿呆どもに貸してやれって? それは私にあの娘たちを殺せと言ってるようなもんだよ」

 論外だ、またあの時のようなことになったら…………。

 ぴしり、と手に持っていたボールペンがへし折れる。意図せず手に力が入っていたらしい…………それも思いきり。

 そんな自身の様子に、少女が無表情に見つめてくる。

「大丈夫…………大丈夫だから」

「本当に大丈夫?」

「うん…………大丈夫、大丈夫な…………はずだよ」

 俯き、小さく大丈夫、と呟く。荒れ狂いそうになる心を落ち着けようと、手を握り締め口を固く結ぶ。

 そうして目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。深く、深く、心も体も冷やしていく。

 ようやく落ち着いてきた、目を開き、再度深呼吸し…………。

 

 ジリリリリリリリ

 

 電話が鳴った。

 すぐ様受話器を取る、少女もすでにこちらを注視しており、いつでも動ける体勢でいた。

「私だ」

『…………………………!!』

「…………何?」

 電話の向こう側から聞こえてきた声に、眉を潜める。

『………………、…………………………!! …………………………………………………!!!」

「っ!!!」

 固く結んだ口から悲鳴を漏れそうになるのをこらえる。

「分かった…………すぐに対処する」

 受話器を置く、と同時にドンッ、と机を思い切り叩き付ける。

「あの馬鹿たち!!!」

「提督、何があったの?」

「反抗作戦を推奨していたやつらの一部が先走って作戦を敢行した挙句惨敗、敗走しながら南方(こっち)に向かってる…………敵を引き連れながらね」

 自身の言葉に少女を目を見開く。そうしてすぐに険しい表情になる。

「それで、数は?」

「………………戦艦四隻、重巡八隻、軽巡五隻、駆逐艦十三隻、潜水艦二隻、軽空母四隻に正規空母二隻の三十八隻だそうだよ」

「………………………………」

 少女が絶句する。私だって聞いた時は絶句した、そして悲鳴を上げそうになった。

「けどさらに問題がある……………………」

「これ以上まだ何があるって言うんですか!?」

「進路だよ…………東方海域の奥からこっち向かって敗走してるらしいけど、南方と東方の海域の境目には」

「………あっ」

 少女も気づいたらしい。そう、()の海域だ。いざ、と言う時に東方のあの人にも助力してもらえると踏んで配置したのだが、まさかそれが仇になるとは。

「どうするつもりですかぁ? まさか見捨てるなんて言いませんよね?」

「当たり前だよ…………東のあの人に助力を頼む、そうしてこっちとあっちから挟み撃ちにしようと思ってる、けどそのために、どうしても足止めをする必要がある」

 だが三十八隻もの敵艦隊の足止めなどどうすればいいのだ。

 こちらの全戦力を使えば可能ではあるが、損害が激しすぎる。

 この一回を勝てばいいと言う話ではないのだ。

 この一度の戦闘の後もまだまだ自身の守る海域を守り続けなければならないのだ。

 ここで全戦力を失うわけにはいかない。

 

「…………………………頼みがあるんだ」

 思考に思考を重ねた上で出した答え。

「前置きはいりませんよぉ…………私は何をすればいいの?」

「彼のところに行って、あの島の人たちの脱出を手伝ってきて…………敵がやってくるまでに」

「了解、島風、出撃します!」

 理由も聞かず、必要なことだけ聞くと同時に少女…………島風が走って執務室から飛び出す。

「………………………………っ」

 それを唇をかみ締めながら見送る、見送ることしかできない。

 ダメなのだ、最速の名を持つ彼女でなければ…………間に合わない。

 自身の準備不足、予測が足りなかった、危機意識が低かった。

 まさかこんなにも早く彼らが暴走するとは思わなかった。

 そんな甘い予測のせいで、また自身は彼女たちを危険に晒す。

「最低だね、私」

 そしてこれから、さらに最低なことをするのだ。

 ぎりっ、と歯を軋ませる。

 受話器を取って番号を押していく。

『もしもし』

 出てきた相手、彼の声に申し訳なさを感じながら。

 

「やあ、私だよ…………こんな時間に悪かったね」

 

『これはこれは中将殿。私に何の御用で?』

 

 ごめんね、心の中でそう呟いて。

 

「キミに命令を伝える、尚これは私の最上位権限を持っての命令であり、貴官に拒否する権限は無いと知った上でのものであると理解しておいて欲しい」

 

 その言葉を呟いた。

 

「鎮守府を破棄せよ」

 

 

 

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 告げられた言葉のあまりの唐突さに、思考が、理解が追いつかない。

「…………………………は?」

 疑問、疑心、疑念、疑惑。様々なものが渦巻く胸中、そこから搾り出たのはその一言だった。

『聞こえなかったのかね? それとも、聞こえないフリでもしているのか? もう一度言おう」

 

 鎮守府を破棄せよ。

 

 瞬間、全身の血が沸騰する。

「ふざけるな!!!!!」

 鎮守府中に響くのではないか、そう思えるほどの大音量。

 こんな夜に出すには非常識な声。それは分かっていても抑え切れない。

「いくらなんでもそんな命令には従いかねます!!!」

『キミは先ほど聞いた言葉をもう忘れたのか? 貴官に拒否する権限は無い、これは命令だ』

「承服しかねます! 一体何故そんな命令を仰るのですか!」

 理由を尋ねた自身の言葉に、中将が一瞬躊躇する、だがすぐに返答する。

『東方より敵の大群がやってくる。実に三十八隻もの大群だ。キミの鎮守府で受けきれるはずも無いだろう?』

 そうして返って来た答えに絶句する。

 どういうことだ? そんな疑問すら吹き飛ぶ。

 

 深海棲艦と言うのは確かに徒党を組んでいる。だが密集はしないはずだ、凡そ三から六体で編成を組み、特定海域を動かない。つまり縄張りのようなものがあるはずなのだ。基本的に一度定めた縄張りからは出てこない。こちらから攻撃を仕掛けても撤退が容易なのはそう言う理由もある。

 だから、本来ありえないのだ…………三十八隻もの敵がやってきた、などと言う事態。

 

「冗談だろ……………………」

『冗談かどうかはもう一時間もすれば分かることだ。現状が非常事態であることを認識したのなら早く全員の非難を優先したまえ』

 無意識に飛び出た言葉を中将が拾い、そうして現実を叩きつけてくる。

「……………………一つ聞きたい」

『何かね?』

「この鎮守府を破棄した場合、俺たちは…………いや、駆逐艦ヴェールヌイはどうなるので?」

『大した錬度のようだからな………………別の鎮守府で働いてもらうことになる』

「…………そう、ですか」

 自分でも声に力が無いことを自覚する。けれどそれが一体何故なのか、その理由が今の自身には理解できなかった。

『さて、理解したなら迅速に行動してくれたまえ、時間は刻一刻と最悪へ向かって過ぎていくのだから』

「…………了解しました」

 最早反論の言葉は無かった。状況の絶望性が分かってしまったから。

 受話器を置く手が震える。歯が軋り、握った拳に痛いくらいに爪が食い込む。

 

「…………………………くそったれ!!!」

 

 そうして俺は、思い切り机を叩く。

 

 最早、それしかできなかった。

 

 

 

 受話器を置くと同時に深くため息を吐く。

「……………………最低」

 自己嫌悪で死にたくなる。自分で自分に唾を吐きかけたくなるほど、自身のやっていることのひどさが理解できてしまう。

 この状況を招いたのは自身なのに、その負債は全て他人に払わせようとしている。

 もしかしたら、彼なら…………あの人の息子である彼なら、この状況を何とかしてくれるのではないだろうか、などと勝手に期待して、けれど彼の答えに裏切られた気分になった。

「勝手な女…………最低だよ、死ねばいい」

 心底をそう思う。だがまだ死ぬわけにもいかない。

 まだ、死ねない。

 だってまだ…………約束は果たされていない。

 

『約束…………破ちゃってごめんなさい』

 

 まだ、この国は危機に瀕している。

 

『約束…………勝手に押し付けちゃってごめんなさい』

 

 だから、まだ死ねない。彼女との、最後の約束を果たすまでは。

 

『勝手なやつで…………面倒な女で、ごめんね、司令官』

 

「…………まだ死ねない、そうだよね…………雷」

 

『大好きよ、司令官』

 

 

 

「…………私の耳がおかしくなったのかな? 今何て言ったんだい?」

 目を見開いたヴェルが、自身へと問い返してくる。

 けれど何度問われようと、答えは変わらない。

「…………現時刻を持ってこの鎮守府を破棄。駆逐艦ヴェールヌイは鎮守府の全員の避難を遂行した後、別の鎮守府に配属されることとなる」

「………………冗談、にしては面白くないよ?」

 ヴェルが帽子を手で抑え、顔を隠してそう言う。

 その帽子の下で、一体どんな表情をしているのか。

 それが想像できてしまい、けれど告げるべき事実を変えることができない自分が惨めだった。

「冗談でもなんでもない……………………凡そ一時間後、三十八と言う数の敵深海棲艦がこの島にやってくる、それまでに全員の避難を終えなければならない、時間が無いんだ」

「……………………………………に」

 ぽつり、とヴェルが呟き、部屋から出て行く。

 

 バタン、と扉が閉められ後には自分一人が残される。

 

「…………………………くそっ」

 

『ここでなら、私は見つけられると思ったのに』

 

 最後に呟いた、ヴェルの一言が…………やけに耳に残っていた。

 

 

 

 びゅうびゅうと風が吹く。

 遠くに見える工廠でいつも自身を助けてくれている人たちが慌しく動いていた。

「……………………どうして」

 そう呟かずにはいられなかった。

 折角、ここでなら変われると思った。

 兵器としてではない…………ただのヴェールヌイとしての自身を見つけることができると思っていた。

 自身の中で何かが変わっていくのが好きだった。

 それが何なのか、名前をつけることはできなかったけれど。

 いつか、それに名前をつけることができるようになるのだと、そう思っていた。

 

 けれど、そんなもの、幻だった。

 

 所詮、戦わなければ何もかも失ってしまう世界だった。

 そんな当たり前のこと、今更思い出して…………。

 

「とうちゃーく!! さすが私、はやーい!」

 

 声が…………聞こえた。

 聞き覚えのある声。

 懐かしい声。

 まだ昔、自身が「響」と呼ばれていた頃の…………。

 

「あれ? 響、こんなところで何してるの?」

「…………島風」

 

 駆逐艦の最高峰島風。

 自身の…………以前の職場の仲間。

 ()()()()()、彼女の秘書艦をやっていると聞いていたが…………。

 

「どうして島風が?」

「提督が避難の手伝いをしろって言うから、まあ島風は速いから」

 

 変わってない、どこも変わっていない。

 どこか自慢げに、けれどいつもより表情は固い。

 

「本当なのかい? 敵がやってきている、と言うのは」

 

 そして。

 

「この鎮守府が破棄される、と言うのは」

 

 その問いに。

 

 彼女は。

 

 こくり、と頷いた。

 

Плохо(ブローハ)(最悪だ)」

 

 




Неплохо(ブローハ)
ご機嫌どうですか? と聞かれて、良くない、と答える場合にНеплохо(ブローハ)と言います。

今回の場合、この状況に対してヴェルが「最悪だ」って言ってるわけですね。

因みにこれが中将ツンデレ説。別にツンデレでもないっていうか、むしろ病んでるけど。

多分、誰かしら感想で言うと思いますが、中将は女ですよ? ただし主人公提督は男だと勘違いしています。声がきっとアルトなんですね。


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Товарищ войны(タヴァーリシシ)

3600字。

5000字なんてなかったんや。

一つ言っておく。

水代は王道展開って割りと嫌いじゃない。

そして水代はまだほのぼのを諦めてはいない。


 

 誰もいない鎮守府。

 真っ暗で、空っぽで…………そして冷たい。

「…………………………」

 単純な寒さの話ではない、いつもどこか感じていた温かみ、人のぬくもりとでも言うものが、最早無かった。

 がらんどうの工廠、寂しげな廊下、空白の食堂、そして…………空っぽの執務室。

 

 否。

 

 空っぽではなかった。

 暗くて一瞬気づかなかったが、確かにそこに…………一人の男がいた。

 

「…………司令官」

 

 この鎮守府の提督で()()()男。

 男は執務室の椅子に腰かけたままこちらに気を払うこともせず黙して窓の外を見つめていた。

 びゅうびゅうと、風の音が煩い。

 雲の流れは早く、雲と雲の切れ間から一瞬だけ月がその姿を覗かせる。

 

 差し込む月光、瞬間、ヴェールヌイは息を飲む。

 

「…………司令……官……?」

 

 一瞬の光、そこに見えた男の横顔…………。

 笑っていた。どこか、人を馬鹿にしたような笑み。

 そして、男が口を開く。

 

「バカみたいだよな」

 

 

 

 クソみたいな人生だった。

 左遷同然に飛ばされた敵も味方もほとんどいない孤島。

 けれど、ここに着てからのことを思えば、それ以前なんて本当にクソのような人生だった。

 守っていこうと思っていた。

 これからも守っていけると思っていた。

 けれど…………現実なんてこんなものだ。

「…………高望みだったのか? ずっとこのままで、そう思っていたのは」

 不満があるとすれば、ヴェルを独りのままにしていることくらい。それ以外は…………自身には何の不満も無かった。

 元々前の職場に愛着など欠片も無かったので突然の左遷にも対して動揺は無かった。

 そうして飛ばされたこの地で、響と出会い、そうして平々凡々な、誰もでも味わえるような人並みの幸せと言うものを知って…………。

「………………やっぱ俺は何も望むべきじゃなかったのか? 望めば壊れる、そんなこと分かってたはずなのにな」

 昔からそうだった。希望を抱けば砕かれる。まるで宿命のように付きまとう、俺の業。

「今度こそ、守り抜きたかったのになあ…………」

 愚痴っぽく呟く。

 ヴェールヌイが聞いているが、別に構わない。

 

 どうせこれで最後なのだから。

 

 そう、内心で吐露し。

 

 ふと、背後から手が回される。

 この部屋にいるのは、俺と後一人だけ。

 

「………………………………諦めないで」

 

 ふと呟かれた言葉。

 ぎゅっ、と強まる力、押し付けられた体が震えていることに今更気づく。

 

「私は…………まだここにいたい」

 

 告げられた言葉。首に伸びたヴェールヌイの腕に自身の手を重ねる。

 

「司令官が望まなくても、私が望む。だから、お願いだから……………………諦めないで」

 

 口を開き、言葉を紡ごうとし、けれど声は出なかった。

 なんて言えば良いのか分からなかった。

 そうして、どっぷりと保たれた沈黙、それを破るのは自身の言葉だった。

 

「分かってるのか? すでに命令が下されているんだぞ?」

 

「分かってるさ…………けど、けど…………うまく言葉にできないけど…………私は、ここが良い」

 

 さらに沈黙。今度の沈黙は一分以上に渡って続き…………。

 

「……………………………………………………はあ」

 

 ため息。

 

「…………………………死ぬ気で戦え、けど死ぬな…………それが条件だ」

「……………………ああ、了解だよ!」

 

 折れたのは、自身だった。

 回された腕の力が強まる。

 ぎゅっ、ぎゅっ、とヴェールヌイのか細い腕が自身を強く締め付ける。

 

「ありがとう、司令官」

 

 耳元から聞こえるヴェールヌイの呟きに苦笑する。

 

「バカヤロウ…………」

 

 こっちの台詞だよ。

 

 

 

 

 電話が鳴る。

 その音に、途中だった作戦立案書を書く手を止めて受話器を取る。

「私だが?」

『どうも、中将殿。先ほどぶりですね』

 聞こえてきた彼の声に、僅かに眉をひそめる。

 一体何の用事だろうか?

 避難に何か不備が出たのか?

 けれどそんな心配は杞憂だと言わんばかりに、彼が続ける。

『現時点を持って本官と駆逐艦ヴェールヌイ以外の避難を完了したことを報告します』

「そうか…………なら、貴官と駆逐艦ヴェールヌイも早く帰還するように」

 用件は終わり、と電話を切ろうとして…………。

『一つ尋ねたいことがあるのですが』

 そんな言葉に手が止まる。

「何かな?」

『中将殿は一体どうやって三十八と言う敵を打倒するつもりでしょうか?』

「ふむ…………まあ良い、答えよう。東の総司令殿に救援を要請した。現在十九隻の艦娘を率いてこちらにやってきている。こちらも現在南の提督たち全員を招集している。まだ十三隻しかないが、最終的に三十隻を超える予定となっている。そして然る後、東方と南方から敵を挟み撃ちにし、これを殲滅する予定だ」

 現状のモアベターを探すならこれしかなかった。

 と言うか、他の方法では損耗が大きすぎる。一撃限りの大激戦となるが、それでも小規模に当てて各個撃破されるよりは犠牲は少ないと思っている。

『では、もし…………もし、敵をこの鎮守府海域で足止めできたなら、その時は鎮守府の存続を認めていただけますか?』

「……………………何?」

『中将殿としても、折角拡大した戦線を引き下げるのは本意ではないと思いますが?』

「貴官は寝ぼけているのか? 三十八隻もの大艦隊を? 貴官のところで足止めする? 駆逐艦一隻しかない鎮守府が?」

『…………勝算はあります。それに上手く事を運べば、敵が分断、各個撃破できるかもしれません』

「却下だ、話にならん。そんな博打染みた話に付き合う道理が無い」

『だが、中将殿のやり方では犠牲が出る…………それは中将殿と言えど厭うことでは?』

 もし、もしも本当に敵を各個撃破できるなら、たった一人の轟沈すら出すことなくこの状況を乗り切れるかもしれない…………だが、本当に信じていいのか?

 勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になって、そして実際に彼は遅くなりはしたが期待通りの言葉をくれた。なのにそれを信じていいのか分からなくなっている。

「………………………………………………………………勝算は?」

『五割…………いえ、六割でしょうか』

「島風を送る、八割まで引き上げろ」

『……………………それなら、うちの鎮守府のものを戻してくれるとありがたいのですが』

「本人たちの希望を聞いておく」

『了解です』

「ただし、基本的に私は失敗を前提に動く。十分な戦力が召集されるまでは動かない」

『十分です。ああ、それと逃げてきた艦はどうしましょうか?』

「私の権限で許す、使え」

『感謝します』

「………………………………期待させてもらおう」

 電話を切る。しばし目を瞑り、再度開く。

 作戦立案書を見る。

 

 某鎮守府の破棄

 

 訂正線を引き、書き直す。

 

 某鎮守府海域にて敵の足止め

 全艦隊速やかに目標海域を目指すべし

 

「………………頼んだよ、島風」

 

 こちらに戻ってきてすぐに再度向こうへと向かってもらった秘書艦のことを思い。

 

「………………母さん、雷ちゃん、頑張るから」

 

 そう呟いた。

 

 

 

「ヴェル、海域地図。それと潮流データも…………ああ、それに天候データもいる。くそっ、急げ急げ!」

 鎮守府の一室。執務室は大忙しだった。

「司令官、敵の情報に海域情報持ってきたよ」

 そこにいたのは一組の男女。

「残り時間は…………くそ、マジで時間がねえ!!」

「焦らず行こう、絶対に失敗できない」

 忙しそうに机に広げた地図に何かを書きこむ男、と言うか自身。

 慌しく机と本棚を行ったりきたりしている少女、ヴェールヌイ。

「…………よし、夜だったのが幸いした、ヴェルでもなんとかできそうだ」

「けど、夜間の潜水艦は厄介極まりないよ? さすがの私でも倒すのは…………」

「大丈夫だ、そっちはすでに考えてある…………それよりも問題は重巡洋艦だ」

 夜戦の重巡洋艦は下手すれば戦艦以上に厄介だ。

「…………ったく、考えれば考えるほど問題が山積みだな」

「でも………………不思議と楽しそうだね、司令官」

 そんなヴェルの言葉に、自覚する。

 

 今、自分が笑っていることに。

 

「……………………こういうのは血、なのかねえ」

 厄介ごとに巻き込まれるところも含めて。

 ふと腕時計で時間を確かめる、もう時間は少ない。

「時間が無い…………ヴェル、そろそろ行動するぞ」

Уразуметно(ウラズミェートナ)(了解)!!」

 そうして互いに席を立ち上がったその時。

 

「とーちゃーく! 駆逐艦島風最速で参上しましたよぉ!」

 

 扉が開かれると同時に一人の少女が入ってくる。

 見知った顔だ、と言うかさっきも会った。

「島風…………? どうしてここに」

「俺が要請した…………協力感謝する、駆逐艦島風」

 協力、と言う言葉にヴェールヌイが少しだけ驚いた様子を見せる。

「………………良いのかい? 私たちの我が侭につき合わせて」

「構いませんよぉ、私は今でも響のことを仲間だと思ってますから」

 そんな島風の言葉に、ヴェールヌイがしばし黙り…………。

 

спасибо(スパスィーバ)(ありがとう) Товарищ войны(タヴァーリシシ)(戦友)」

 




いい加減…………ロシア語のタイトル考えるのが難しくなってきた。

と言うか、ロシア語と意味は簡単なんだけど、発音を探すのが難しい。
カタカナで発音書いてくれてるサイト探すの大変なんだ…………。

でも今のタイトル形式けっこう気に入ってるから、あんまり変えたくないんだよなあ。


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контратака(コントラァタッカ)

神通さんの戦歴見てたら思いついたので久々に執筆。

ども、昨日から適当に2-5掘って、今朝目覚めに一回行って捕鯨に成功した水代提督です。

最近ずっと弥生更新してたので、たまにはこっちを。


 

 駆逐艦一隻の鎮守府。

 そんなものが今まで深海棲艦に滅ぼされずに残ってきたのは、そもそもこの海域にはあまり深海棲艦が存在しないからだ。

 ヴェールヌイは艦娘の中でもかなり錬度の高い艦娘ではあるが、それでも駆逐艦一隻である。その駆逐艦一隻でも何とかなる程度の戦力しか今までは戦ってこなかった。

 それは、時に戦艦ル級などと言う強敵と戦うこともあったが、それでも単艦であったりと、これまではとかくこちらにも勝因があった。

 

 だが、現状はどうだ?

 

 敵の数は戦艦ル級四隻、重巡リ級八隻、軽巡ホ級五隻、駆逐イ級十三隻、潜水カ級二隻、軽空母ヌ級四隻に空母ヲ級二隻の三十八隻。

 

 どう考えたって、駆逐艦一隻で勝てるはずが無い。

 中将殿のところから島風が応援に来ているが、それでも駆逐艦二隻だ。

 駆逐艦の最高峰と呼ばれる島風だが、それでも()()()の最高峰だ。

 性能だけ見れば戦艦と張り合えるはずも無い。

 駆逐艦が最も力を発揮する夜戦だと言うことを差し引いても…………否、敵に潜水艦がいることを考えれば、まだ昼戦のほうが良かったかもしれない。

 

 つまり、どう足掻いても絶望しか見えない…………そんな局面なのに。

 

 だと言うのに。

 

「く…………くくっ…………くくく」

 口から笑いがこぼれる。自分でも何がおかしい、と思うそれを止められない。

 もしここにヴェルがいれば、なにを笑っているのか、と冷めた視線を向けてこられること請け合いだろうが、残念ながらすでに出撃していいない。

 

 そう、出撃して。

 

 三十八隻と言う深海棲艦の大軍に、

 

 たった二隻の駆逐艦で突撃しろ、

 

 そんな自身の命令を、

 

Да(ダー) (了解)」

 

 たった一言で了承したあの馬鹿な娘は、

 

 今は…………いない。

 

「………………バーカ…………」

 馬鹿なやつ、と内心思っている。こんな辺境の左遷で飛ばされる流刑地同然の鎮守府の何がそんなに気に入っているのか。

 そんなものを守るために、本気で戦おうとしている、まったくもって馬鹿らしい。

 だが、そんな彼女の願いのために、あんなに必死になった自分もきっとまた馬鹿だ。

 そして、そんな馬鹿である自分が決して嫌いではないと思ってしまうのはきっと、大馬鹿である証だろう。

 

「くく…………くくく…………」

 

 また笑いがこみ上げてくる。

 ああ、やっぱり血筋なのかもしれない。自分の息子の顔もろくに認識しているかも怪しい、ロクデナシだったが。

 それでも、親父の立てた作戦だけは完璧だった。

 少なくとも、自身の知る二十二戦で、一度足りとて外したことの無いその実績は、かつて海軍の英雄と呼ばれるだけのものが確かにそこにあった。

 そして、そんな父親の血が、もしかすると自身の中にも引き継がれているのかもしれない。

 

「何だろうな…………数時間前まであんなに不安で不安で、もうこの世の終わりだ、なんて思えるくらいに落ち込んでたのに」

 

 今は、気分が高揚して仕方ない。

 

 恐れなど無い、そもそも自身の作戦が外れるはずが無い、とすら思っている。

 

 傲慢な考え方だ。だが、それを当然だと思っている自身がいる。

 もし中将がこの時の自身の心境を知ればこう言ったかもしれない。

 

 蛙の子は、やっぱり蛙だね…………と。

 

 

 * * *

 

 

 海の上を滑るように進む。

 夜だけあり、墨をたらしたように黒一色に染まる海は、まるで自身たちの未来を現すように、先を見通すことができなかった。

 ただ隣で共に走る戦友の存在と、自身が信頼する男の言葉だけが、この闇の世界の恐怖に打ち勝つ勇気を与えていた。

 思うことはただ一つ、負けられない。

 あの島には今、彼がいる。自身があの島にやってきてからずっと共に過ごしてきたあの男が。

 目の前で失われた自身の最も大切なもの。それをまざまざと見せ付けられ、喪失感に苛まれ、自身の無力に嘆き、絶望し、そうして療養の意味で送られたのがあの島だった。

 そこで出会った彼は、一度は折れた自身の心を、また立ち上がらせてくれた。

 

 いいさ、この安い命…………お前にくれてやるよ。

 

 だから、負けられない。自身の命だけではない、自身は彼の命をも背負っているのだから。

 だから…………絶対に、

 

「負けられない」

 

 呟いた言葉は、けれど共に進む戦友の耳には届いていたようで。

 気づけば、島風がこちらをじっと見つめていた。

 

「なんだい?」

 

 そう尋ねれば、島風がいや、と前置きし。

 

「正直、安心したわ」

 

 なにが? そんな自身の問いに、島風が水上を滑りながら思案をする、と言うなんとも不思議なポーズをとり、やがて答える。

 

「響がまた立ち直ってくれたこと、かなぁ?」

 

 思わず口を閉ざす。島風の言っている意味が分かってしまうからこそ、黙ってしまう。

 

「私は、もう響は戻ってこれないと思っていたから、だから意外だったわ、またそうしてやる気を見せることが」

 

 島風はあの時一緒にいた。だからこそ、余計にそう思うのだろう。そしてそれはこちらとて同じだ。

 

「島風はどうしてまだ戦っているんだい?」

 

 島風の言葉に明確な答えを返さず、逆に問いを投げかける。最早分かりきった答えを。

 あの時はどうしてか、分からなかった。けれどあの島に着てからは分かるようになった、その答えを。

 島風はそんな自身の内心を知ってか知らずか、けれどあっさりと答える。

 

「提督のために決まってるじゃない。そのために、島風は一日、一時間、一分、一秒だって止まらない…………止まれないわ」

 

 そう胸を張って、駆逐艦の最高峰たる少女はさらに速度を上げる。

 それに離されないように、自身もまた速度を上げる。

 そして、激しく波立つ音に負けないくらいの声を張り上げ告げる。

 

「私だって、同じだよ…………司令官がいるから私はまた立ち上がった。司令官が私の手を引っ張ってくれたから、私はまた立ち上がれた。だから私は司令官のために戦うよ」

 

 戦わないならそれが一番だ。平和とはなによりも尊いと知っている。私が知らなくとも、()()()()()()()の記憶が知っている。

 けれど、戦わなければ守れないと言うのなら。

 

「今度こそ、絶対に守ってみせる」

 

 もう、あんなのは嫌だから。

 

 もう、目の前で姉妹を失うのは嫌だから。

 

 もう、大切なものを守れないのは嫌だから。

 

 そんな自身の思いに、決意に。

 けれど島風がつまらなそうにそっと呟いた。

 

「そんなの…………島風だって同じに決まってるじゃない」

 

 

 * * *

 

 

「いらっしゃい…………ようこそ、私の鎮守府へ」

 目を開いた時、まず目に入ってきたのは、一人の女性だった。

 それが始まりだった。それが、()()()()がこの世に生を受けて最初に見た光景だった。

 とても小さな鎮守府だった。とても有名な鎮守府と同じ読みをしながら、けれど誰も聞いたことも無いような小さな小さな鎮守府。けれど、そこには暖かさが、優しさが、温もりが溢れていた。

 自身は3番目に建造された艦であり、その時、部隊の旗艦は彼女が勤めていた。

 

 駆逐艦雷

 

 自身の妹であり、自身の手の届かないところでいなくなってしまった最愛の姉妹の一人。

 そして自身のすぐ翌日に建造されたのが彼女だった。

 

 駆逐艦電

 

 雷と同じ自身の妹で、自身の目の前で沈んでいった最愛の姉妹。

 

 純粋に喜んだ。姉となる暁はいないが、それでも特3型駆逐艦四隻中三隻も一つの鎮守府に揃っていたのだ、喜ばないはずが無い。いつかは暁もやってくるだろう、と縁さえ感じていた。

 

 そう、本当に大切な…………なによりも大切な家族たちだった。

 

 その、はずなのに…………。

 

「なんで…………どうして…………」

 

 分からなかった。それがどうしてなのか、自身には理解できなかった、理解したくなかった。

 

「馬鹿ね…………だって、私、響の家族だもん…………簡単なことでしょ?」

 

 ほんの少しの見落としだった。逃げていく敵、艦隊の勝利は確実で、けれど敵の最後の足掻きにも等しい魚雷。

 油断していた。もう敵は逃げるだけなのだと。そんな油断をしていた。

 気づけばもう避けることのできない距離まで魚雷は迫っていて…………。

 

 そんな自身の前に、雷が立ち塞がった。

 

「…………やめて、また私を置いていかないで、雷」

 

 そんな自身の言葉に、けれど雷は苦笑して。

 

「ごめんね、響」

 

 そう呟いた。

 

 

 * * *

 

 

「準備はいいかい?」

「誰に聞いてるのよ、そっちこそ、いつまでも準備に手間取ってないでしょうね?」

 互いに愚問だと答え、手にしたソレをぎゅっと握り締める。

 夜の闇を切り裂く砲撃音。三十八隻もの深海棲艦が砲撃し、雷撃し、空爆するその轟音が嫌でも耳に入ってくる。

 逃げる味方は見えないが、攻撃の音がする、と言うことはまだ生きているのだろう。

 今からあの深海棲艦の群れへと突撃する。そう考えると、体が恐怖で震えそうになる。

 だが、恐怖を押さえつける。守らなければいけない、その意思と意志で体を奮い立たせる。

 

「本当に上手くいくのかな?」

 

 ふと呟いた島風の弱音。先ほどまでなら一緒になって同調していたかもしれない、が。

 

「いく…………いや、必ず上手く行かせる」

 

 成否は関係ない、自分たちがそう導くのだと、結果を奪い去っていくのだと、そう決意し、返した。

 

 

 

 必死だった。ただ、ただ必死だった。

 これまで個々単位の鎮守府でしか行ってこなかった深海棲艦の討伐。故にこそ、その討伐数もたかがしれていた。

 そして、増え続ける深海棲艦に防戦が続く現状を打破するためついに複数の鎮守府で連合艦隊を組み、深海棲艦討伐のための遠征部隊が組まれた、それが駆逐艦暁が所属する艦隊は、つまりそれだった。

 序盤は良かった、連勝に続く連勝、中盤も良かった、多少の被害は出たがそれでも連勝し続け。

 

 あっさりと、連合艦隊は敗北した。

 

 計二十八隻からなる連合艦隊は。

 

 たった一隻の深海棲艦に完全なる敗北を喫した。

 

 黒いフードのついたレインコート状の服の悪魔。

 

 目を閉じれば今でも思い出せる、脳裏に焼きついた悪魔の笑みが。

 

 悪魔の放った航空部隊に、味方の艦載機が次々と落とされ空母が沈黙した。

 悪魔の撃った先制魚雷に、味方の戦艦が戦う前から撃沈された。

 悪魔の放った砲撃に、味方の艦隊が脆くも崩されていった。

 悪魔の撃った至近魚雷に、味方は総崩れとなった。

 

 勿論こちらだって攻撃しなかったわけではない。むしろ、激しい攻勢をかけ、あの悪魔を倒そうと奮闘した。

 

 だが、味方の攻撃を受けてなお、悪魔にはかすり傷ほどのダメージしか無かった。

 

 至近距離で駆逐艦、軽巡洋艦、重巡洋艦の魚雷を全てぶつけても平然とした表情で笑っているその姿に全員が理解した。

 

 この悪魔には絶対に勝てない、と。

 

 そうなった連合が瓦解するのは一瞬だった。

 

 けれど普段なら決して自身たちの決めた海域を出ることが無いはずの深海棲艦が、ハイエナのように後ろから追ってくる。それが連合艦隊を壊滅させた。

 あの悪魔はすでにいない。あの笑みを全員の脳裏に恐怖と共に刷り込み、姿を消した。

 だが、恐怖のこびりついたその様で、追ってくる深海棲艦に立ち向かえるものなどいなかった。

 やがて夜が来る…………長く、永い、夜が。

 

 瓦解した連合艦隊のすでにほとんどが深海棲艦により轟沈され、残ったのは暁を含め、僅か三隻。

 後ろから追ってくるのは当初の自分たちの連合艦隊よりもさらに多い、三十を超える深海棲艦の群れ。

 暁自身は小破程度で済んでいるが、他の二隻はダメージが深く、戦闘続行など不可能に近い。

 つまり、どうやったってこの先に待つのは、自分たち三隻の轟沈だった。

 

 もし、もしも、だ。

 

 この二隻を見殺しに、囮に、暁だけ逃げ出したのなら。

 確率は低いが、それでもまだ助かる見込みはあった。

 幸い暁のダメージは浅く、そもそも未だ逃げ切れていないのは、他二隻が低速艦だからだ。

 敵も反撃をもらわないように付かず離れずの嫌な位置でこちらへと砲撃をし続けている。まさしくなぶり殺しだ。

 だから、もしも暁だけ逃げ出せば、まだ逃げ延びるチャンスはあった。

 

 そんなことができれば、だが。

 

 振り返る。先行して海路を確保する自身のすぐ後ろには、傷つきながらも敵の弾を必死で受け止める長門と、その長門に抱えられたぐったりとうなだれた様子の瑞鳳。

 ぐっと拳を握る。できるわけが無い。仲間を見捨てて自分だけ逃げるだなんて、できるはずが無い。

 だが、このままではジリ貧だ。いくら敵がなぶるようにある程度距離を開けて撃っているせいで被弾率が低い、と言ってもそれでも当たる時は当たる。すでに中破した長門が一体あとどれだけ持つのか。

 もし、長門が航行不能となれば、すでに自力で動けない瑞鳳と長門の二人を暁が引っ張っていくなどと言うこと駆逐艦には不可能だ。

 その時は、三人揃って海へと沈んでいくことになるだろうと考え、身震いする。

 そんな未来は嫌だ、そうは思っても、現状、逃げるしかできることが無い。

 反撃など無意味だ。あの数を相手に、この距離で、どんな攻撃ができるのだ。

 相手は戦艦の間合いからこちらへと一方的に砲撃してきている。長門の装備はすでに損壊してしまっており、当初持っていた自慢の46cm三連装砲も砲身が曲がってしまっている。唯一無事な15.5cm三連装副砲も戦艦同士が砲撃するようなこの距離では意味を成さない。

 

 このままではいつか遠くない未来に詰む。

 

 それを避けるためにもどうにかしないといけない。

 

 だが、どうやって?

 

 歯を食いしばり、必死に思考を巡らせていた…………

 

 …………その時。

 

 

Ура(ウラー)!」

 

 懐かしい声が聞こえた。

 まだ一度も会ったはずは無いのに、その声を、けれど懐かしいとそう思った。

 それはもしかすると、()の記憶なのかもしれない。

 感じているのは、声ではなく…………自身に似た存在がいる、と言うその魂のようなソレなのかもしれない。

 

 そして、声が聞こえた直後。

 

 ズバァァァァァ

 

 少し遠くで、水飛沫の上がる音が聞こえる。

 

「五連装酸素魚雷!いっちゃってぇー!」

 

 次いで聞こえる声、そして直後に聞こえるのは一際大きな水飛沫の音。

 

 足は止めなかった。そんな余裕は無かった。けれど、振り向いた先で、確かに見た。

 

 自身たちとほぼ同じようなデザインの制服に、白い帽子を被った蒼い瞳の少女。

 

 そして、少女がぽつりと呟く。

 

контратака(コントラァタッカ)(さあ反撃だ)」

 




戦況分析

味方
ヴェールヌイLv85 島風Lv99 
暁Lv45(小破) 長門Lv50(中破) 瑞鳳Lv40(大破)



空母ヲ級2隻 戦艦ル級4隻 重巡リ級8隻
軽巡ホ級5隻 駆逐イ級13隻 潜水カ級2隻 軽空母ヌ級4隻


ちょうどいい区切りなので、あと二、三話で第一章終了にします。何よりも、ロシア語でタイトル考えるのが凄く面倒になってきた。
特に、綴りと意味はいいんだけど、カタカナの読みを探すのが非常に難解。
と言うわけで、完結したら、第二章として暁ちゃんメインにヴェルヌイ添えた普通のタイトルのをやっていこうと思います。

あとどうでもいいけど、作中に出てきた連合艦隊を一方的に倒した深海棲艦。
分かりますよね? 現在5-5でしか出てこないあの深海棲艦です。
正直、28隻相手に単艦で勝つとかどんだけだよ、とも思ったけど、艦隊の平均レベルが40~50くらい、と過程するとマジで勝ってもおかしくないのが彼女の怖いところ。でも可愛いから許される。


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Нормально.(ナルマーリナ)

本当はこれで戦闘終了予定だったんですけど、1万字以上書いてまだ終わらなかったから、二話に分けました。


 暗い薄闇を切り裂くように、ぱっぱっ、と照明灯が点灯していく。コールタールのような黒一色に染まった海を白い光が照らす。同時に、そこに立つ人影も。

「急げ、六隻編成が完了した艦から随時出撃、集合地点にて再集結した後、陣形を組み直せ!」

 慌しく人の群れが動く。正確には、人の(カタチ)をしたものたちが。

 その中でも数少ない人間、中将と呼ばれる人物は、港口の先に立ち声を張り上げていた。

「………………間に合うか?」

 自身に問う、答えは否。少なくとも自身では無理だ。

 だが、もしかしたら、と言う希望はある。彼の息子ならば…………。

 

 彼の息子、か。

 

 自嘲するように呟く。

 その言い方は、まさしくかつての自分が嫌っていた色眼鏡である。

 彼女の娘、と言う言い方をかつでの自分は嫌っていた。

 だってそうではないか、それはまるで自分を見ていない。自分を通して別の誰かを見て、それに自分を重ねているだけだ。だが今、自分はその嫌いだった見方をしている。

「雷に怒られるな、こんなことじゃ」

 組織の上に立つ人間となってから…………否、()()()()()()()()、自分と言う人間はどこかおかしくなってしまった。

 心が錆び付き、思いが軋んだ。けれど想いだけは決して変わらない、だから自身はまだこの場所に立っていられる。

 

「大丈夫…………絶対に約束は守るよ、雷」

 

 慌しく人の群れが動く。正確には、人の(カタチ)をしたものたちが。

 その中でも数少ない人間、中将と呼ばれる人物は、港口の先に立ち、そう呟いた。

 

 

 * * *

 

 

 闇に染まった夜の海。

 そこに照らされる光は良くも悪くも目立つ。

 夜戦において光と言うのは多大なメリットと甚大なデメリットをもたらす。

 そもそも夜戦と言うのは、駆逐艦や軽巡洋艦と言った小型の艦が戦艦や空母と言った格上の相手を倒すことのできる数少ないチャンスである。

 何故そんなことができるのか、その最大の理由は距離だ。その最大の原因は視界だ。

 夜の海にまともな明かりなど月明かりくらいだ。だがそれで一体どれほどの範囲が見渡せる?

 敵影を捉えることができる距離は、昼戦よりもかなり近くなる。そしてその距離は、魚雷を直撃させることのできる至近距離である。もしも魚雷が何本も直撃すれば例え戦艦であろうと沈没は免れない。だからこそ、夜戦は恐ろしいのだ。何せそのメリットは敵だけに与えられるものではない。極論を言えばこちらの砲撃や魚雷だって確実に命中するような距離なのだ。

 夜戦時において明かりをつけると言う行為は、そのメリットを消すことができる。近づく敵がはっきりと見えるのだから、当たり前だろう。だがそれを上回るデメリットが存在する。

 簡単だ、暗い海の上で一箇所だけ明かりがついていれば誰だってわかる、そこに船があるのだと。

 デメリットは簡単だ…………全ての敵から狙われる。当たり前だ、どこにいるか分からない船より、はっきりとそこにいると分かる船を狙うに決まっている。

 以上が夜戦に置ける光のメリットとデメリットである。

 そして、そんなことは分かっている。何せこの身は駆逐艦なのだ、夜戦は自分たち水雷戦隊の本領と言っても良い。そのメリットも、デメリットも十二分に理解している。

 夜戦の距離で、もし戦艦の砲撃を食らえば、いくら錬度を上げたこの身と言えど一撃で大破、最悪轟沈だろう。

 その危険性は十二分に理解している。分かっているのだ、自身も…………()()()()()()()

 

「それが分かった上でこんな作戦立てるんだから、本当良い性格してるわ、響の提督」

 自身の隣で島風がそうぼやく、だがその表情に悲壮感は無い、いや…………寧ろ…………。

「いや…………きっと、信頼してくれているんだと思うよ?」

 自身も、そして島風も。暗にそう言うと、島風がくすり、と笑う。

「当たり前じゃない、私を誰だと思ってるのよ?」

 そう言って、太股に装着したソレに手を伸ばす。その危険性を知っていながら、それでも躊躇無く手を伸ばせるその姿は、まさしく駆逐艦の最高峰の名に相応しい。

「行くのかい?」

「島風が提督から言われたのは、あなたたちを手伝うこと…………それが提督の命令ならやるわ、だって提督のためだもん」

 それに、と言葉を続け、ニィと笑う。その表情は、子供が悪戯をする時のそれであり。

 

「誰も島風には追いつけないわ…………だって速いもん」

 

 呟きと共にソレにスイッチを入れる。

 

 暗い夜に、光が生まれた。

 

 

 探照灯。言ってみればただの艦娘用に調整された照明だ。

 スイッチを入れると前方およそ5000m程度までは光が照らしてくれる。

 たったそれだけの装備。だが夜戦においてこれを装着することにより、敵を発見することができる、そして敵に発見されることになる。つまり、注意を自身一人に集めることができる。

 長距離魚雷の先制により敵は一時的に混乱している。自分たちが今まで追ってきた艦が逃げていくのを見逃すほどに。

 そしてその状態で明かりをつけた島風が現れる、するとどうなるのか?

 答えは簡単だ。闇に消えて見失った暁たちの代わりに島風へと狙いをつけ始める深海棲艦。

 次々と砲撃の音が響く。そしてそれと同じだけの着水の音も。

 すでに高速で移動してしまっている島風の姿ははっきりとは見えないが、遠くで光が縦横無尽に動き回っているのが見える。

 

 ここまでは作戦通り。

 

「さて…………ヴェールヌイ、次の作戦に移行する」

 

 一人呟き、砲撃音の鳴る方向へと向けて、全ての魚雷を発射した。

 

 

 

 魚雷と言うのは本来それほど命中の高い武器ではない。

 六十本一度に発射して、命中したのはたったの一発、なんて話もあるくらいだ。

 だがそれは長距離で撃った場合の話だ、近距離で撃てば命中の低さはカバーできるし、夜戦で至近距離から放たれる魚雷は避わすことも困難だ。

 つまり魚雷と言うのは基本的に近接武器だ。だからこそ駆逐艦など射程の短い砲しか積んでいない船に載せられ、戦艦など射程の長い船からは外されている。

 だが、例え大雑把な照準しかできなくとも…………三十八もの敵が密集しているのなら。

 長距離から装填された魚雷、その全てを放てば。

 一体、どれほどの数が当たるだろうか?

 

 轟音、そう呼んで違い無いほどの爆音が一帯に響いた。

 

 発射管の問題で、それほど多くの魚雷は一度には撃てないが、それでも敵の中心部で大爆発を起こした、相当に混乱しているだろうことは予測できる。砲撃と違い、敵の間近で爆発する魚雷は遠くから撃っても威力が変わることが無い。今のは相当なダメージになっただろうことは容易に想像できる。

 だがそれも敵の総数からすればまだ無視できる程度のダメージだ。自身たちの絶対的な不利は変わらない。

 

「さあ、ここからが第二段階だ」

 

 呟き、自身の太股につけた探照灯のスイッチを入れる。

 

 闇の中に二つ目の光源が生まれた。

 

 

 * * *

 

 

「第一段階は、敵と味方を分けることだ」

 三人だけの執務室で、司令官がそう言った。

 机に広げられたのは大きな地図。この周辺の海域が詳細に書かれた地図だ。

 地図の中心よりやや右下のほうにある地図の中で一番大きな島がこの鎮守府のある島。

 そして鎮守府を中心として、島とも呼べないような小さな小さな島が海域のあちこちに転々と書かれている。

 さらに地図の左上のほうに赤い三角の置物が置かれている。これは敵らしい。ならば一緒に置かれた青い三角の置物は味方…………恐らく、現在敵に追われこの海域に逃げ込んだと言う艦たちだろう。

 司令官が赤と青の三角の置物を引き離す、それから緑色の三角の置物を地図上の鎮守府の上に置く。

「まずヴェルと島風は共に出撃、恐らくこの辺りにいるだろう敵を見つけてくれ、三十八もの大群だ、この暗闇でも発見は難しくないはずだ」

 つつ、と指で緑の三角を動かし、赤と青の元まで持ってくる。

「そうしたら遠方から魚雷発射、照準は大雑把でいい、どうせ敵は密集してるんだ、どれかに当たるだろうし、当たったらそれでよし、当たらなくてもこちらの脅威を見せ付けれればそれでいい」

 そうして緑の三角の隣に、もう一つ、緑色の三角の置物を置く。

「次に島風とヴェルは二手に分かれてもらう、次の目的を考えると島風がいいな…………島風は探照灯を点灯、敵の注意を引き付けながらこの地点までやってくる」

 緑の三角を一つ、つぅ、と動かして、赤の上側にまで持ってくる。

「島風がこの辺りにやってきたらヴェールヌイは魚雷全発射。これで敵を混乱させる、この間に味方は脱出できるだろう」

 青の置物をやや右側へと移動させる。

「そしてここからが第二段階だ」

 仮想で島風だと告げた上のほうの緑に指を置き。

「島風はこう言う海路を取って進行」

 すぐ傍の島を上周りで迂回するようにし、そこから南東へと進み、中央辺りでさらに転進、北東へと動かす。

「最終目標地点はこの辺りになるな」

 地図の右上の端のほうを指差し、とんとん、と指で叩く。

「で、問題はだ、島風には敵の水雷戦隊を引き付けて欲しい。高速艦を相手に逃げる以上、相手よりも速いことが条件になるからな、ヴェールヌイよりもさらに速いその足に期待している」

「任せて! やっぱり私じゃないとダメよね、だって速いんだもん」

 自身でも常々自慢している足の速さを褒められたからか、どん、と薄い胸を叩いて島風が得意げに告げる。

 実際にやってみて、ちゃんと水雷戦隊が島風のほうへと向かうのかどうか、そんな自身の疑問に司令官が答える。

「まず前提として今追われている味方は高速艦と低速艦が混じっているらしい。そして敵も高速艦と低速艦が混じっている。この状況でここまで逃げてきた時点で、敵が今すぐ味方を倒そうとしていないことは分かるな?」

 こくり、と頷く。本当に沈めたいなら、軽巡洋艦や駆逐艦などが接敵してしまえば足止めもできるし、最悪そのまま魚雷で倒せる。被害を考えなければ、味方はいつ沈められてもおかしくはない。

 それでも未だ味方が生きているのは、敵が被害を嫌っているからか、それとも…………。

「いたぶっているのか…………そんなものは知らない。ただ、敵が低速で味方を追っている、これが重要だ」

 そしてこの状況の敵に向けて魚雷を発射、注意を島風に引き付ける。そうなると…………。

「島風が逃げる素振りをすれば、敵の水雷戦隊が出てくるはずだ」

 敵の構成の中で高速艦で、かつ夜戦でも戦えるのは、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦の三種類だ。

 と言っても本当に島風が全速力を出すとまともに追いつけるのは駆逐艦くらいになるが。

 と、それはさておいて、なるほど、司令官が水雷戦隊が出て来ると言った理由には納得がいった。

 それを察したか、司令官も次の説明を始める。

「さて、最も危険なのはヴェールヌイだ…………ヴェールヌイの役割は簡単だ。島風とは別ルートを通って島風に追いつけない艦たちを集合地点に連れて行くこと」

 島風についていけない艦たち、それはつまり。

「戦艦と、潜水艦…………」

 最強の艦たる戦艦と、夜戦で無敵を誇る潜水艦の両方を相手にしないといけないと言うこと。

 だがそんな自身の不安をかき消すように、司令官が大丈夫だ、と告げる。

「ヴェールヌイには南周り…………こんなルートを通ってもらう」

 

 

 * * *

 

 

 戦艦の砲撃の音が響き、直後に自身の周囲で激しい水飛沫が上がる。

 だが当たらない、夜の闇の中、例え明かりで居場所がばれたとしても。

 その距離感はとことん曖昧だ。近距離ならともかく、戦艦の砲撃の間合いならば余計に。

 避ける、避ける、避ける。

 島風が北周りに向かったので、自身は南へ向けて速度を上げて、けれど戦艦たちでも付いてこれる程度の速度に留めて、その分、飛来する砲撃を避けることに意識を裂き、ただひたすらに進む。

 進む先に見えてくるのは、暗い闇の中でも尚、僅かな星々の明かりが照らすその巨大な影。

 この海域で最も密集した島々だ。当たり前だが、小さな島とは言え人間大の自身からすればその大きさは規格外だ。スイスイと海の上を滑り、島の周囲へと回り込む。

 後ろから追ってくる戦艦たちと自身の間に島を挟むようにして進む、これでもう戦艦たちの砲撃は届かない。

 目視もできない上に、生半可な角度では島に当たるだけ、もし向こうからこちらを撃つなら、砲をかなりの角度上げて撃つ必要があるが、こちらが見えていない以上、そんな砲撃滅多に当たるものではない、と言うかまず当たらない。

 昼間にこのあたりに来ると敵の姿が見えず、慎重に探さないといけないハメになるのだが、今回は逆の立場だ、探照灯のせいで見失われる危険性はほぼ無いが、けれどあまり引き離しすぎても不味い。

 はぐれられても困るのだ、何せこの戦いをやり過ごしても、敵の残党がいるのでは、いつ鎮守府が襲われるか分かったものではない。

 断続的に響く砲撃音で敵がまだ付いてきているのは分かっている、逆に言えばこれが鳴り止んだらはぐれてしまったことになり、またこちらから探しに行かなければならない。

 速度を僅かに緩める。直後、自身の真横に砲弾が落ちてくる。

「っ?!」

 驚き、反射的に速度を上げる。後ろを振り向けば、いつの間にか敵の戦艦たちがか近づいてきていた。当たる気配の無い砲撃に業を煮やしたか。

Успокойся(ウスパコーィスィヤ)(落ち着け)…………大丈夫、まだ大丈夫」

 加速度的に増える砲撃、だが避ける。当たれば一撃で大破だってあり得る。だから避ける、時に島を影にして隠れながら、速度を上げて敵との距離を徐々に開けていけば、また当たらなくなってきた。

 そうこうしている内に、見える島が少なくなってきた。方角はあっているので、航路は問題ない。

 つまり、ここからさらに危険地帯に突入することになる。

 

 と、その時。

 

 ピロン、と電子音。

 司令部からの通信? 速度を上げ、敵との距離を取り、一旦探照灯を消してからそれに応ずる。

「司令官かい? 状況に変化でもあったかい?」

『ヴェールヌイ、無事みたいだな、今問題ないか?』

「明かりは消してあるから少しなら大丈夫だよ…………今、予定の南下を終えたところだよ、これから次の北進を開始する」

『そうか…………こちらは朗報だ。中将殿より、あと十五分ほどで予定地点への艦隊の集結が終了する、との連絡があった』

「そうかい、それは良かった…………それと、暁たちは?」

『彼女たちなら、こちらの鎮守府に無事到着した。損傷の大きかった艦には入渠に入ってもらっている』

 その言葉に、最大の懸念事項が解決されたことを知り、思わず安堵する。

 だが、それに釘を刺したのは司令官だった。

『お前が無事たどり着くまでは息を漏らすな、気を抜くなよ?』

「うん…………分かってるさ。ちゃんと帰ってくるから、だから、安心してくれ」

 と、瞬間、また聞こえてくる戦艦の砲撃音。どうやらこちらが見つけられず、やたら滅多ら撃ち出したらしい。

「どうやら敵がお待ちかねみたいだ、もう行くよ」

『…………頼むから死んでくれるなよ? お前が帰らなかったら、暁になんて言えば良い?』

「…………そうだね、なら司令官、ちょっと頼みがあるんだけど」

『………………なんだ?』

 実を言えば、不安はあった。自身でも手が震えるのが分かる。

 こんな暗い海で…………独り沈むのは寂し過ぎる。砲撃の音がするたびに、自身の精神が削られていくのが理解できていた。

 だから、安心が欲しかった。勇気が欲しかった、ちゃんと自分の足で立てるだけの力が欲しかった。

 それをくれるのは…………いつも彼だった。

「ティニアドゥナー、ヤーフスィグダーリャーダム…………そう言ってくれないかい?」

『どういう意味だそりゃ?』

 その言葉に、ふふ、と笑う。それは秘密だ、だって恥ずかしいから。

「ただのおまじないだよ、頼むよ」

 自身のあからさまな誤魔化しに、けれど一つ嘆息し、そして通話の向こう側から言葉が聞こえた。

 

Ты не одна(ティ ニ アドゥナー) я всегда рядом(ヤー フスィグダー リャーダム)…………絶対に帰って来い、ヴェールヌイ」

 

 聞こえた言葉と同時に、通話が切れる。だがそんなことは問題ではない。

「…………え?」

 何だ今の発音。ヴェールヌイの記憶を浚ってみても、かつてロシアで覚えたものとほぼ遜色の無い発音。

 意味も分からない、聞いたことも無い人間ができる発音ではない。何せ、今自分が告げた繰り返してと言った言葉は、多少発音をぼやかしていたのに、それを聞いて完璧な発音を返してきた。

 それはつまり。

 

「司令官…………もしかして、知っていた?」

 

 それはつまり、その意味も知っていた、ということで。

 顔に熱が集まる。先ほどから砲撃音が響いているが、もうそんなもの気にならないほどに羞恥で体が震えた。

 意味が分かっていて、それでも言ってくれた、意味が分かっていて、それでも言った。

 二重の意味で顔が熱い。だが少なくとも、もう怖さは無い。

 

 元気は十分すぎるほどにもらった。

 

 行けるかい?

 

 そんな風に自分に問い、そして笑う。

 

Нормально.(ナルマーリナ)(何も問題ない)」

 

 

 




因みに、ロシア語の発音は、基本的にネットで適当なところ調べて書いてるので、本当に正しいかなんて知りません(

Ты не одна(ティ ニ アドゥナー) я всегда рядом(ヤー フスィグダー リャーダム)

これの意味は多分、次話で出すと思います。これは適当に2文を切って張ってつなぎ合わせただけだけど、まあ多分単語単語で意味は拾えるからナルマーリア。
調べてもいいけど、ちゃんとした訳になるかは不明。
まあ、水代の意図した言葉通りに訳せたら、ヴェールヌイが赤面した理由とか分かります。
ちょっとだけ言うと、シュチュエーション次第ならプロポーズ一歩手前な台詞。


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победа(パビエーダ)

あーうん、なんでか知らないけどむしょうに書きたくなって2時間半ほどで6000字ほど。まあ悪くない速度だったんじゃないだろうか。


 

「ヴェールヌイには南周り…………こんなルートを通ってもらう」

 そう言って司令官がもう一つの緑の三角形の置物に指を当て、地図上を南へと動かす。

「この辺りには小さな島が密集していてな、島の影を縫うように進めば敵に狙いをつけさせることなく進むことができる」

 戦艦の射程は全艦種の中でも飛びっきり長い。だがその長さを逆手に取って、島を遮蔽物にしてそれをやり過ごす、確かにこれなら戦艦は問題なさそうだ。同時に潜水艦の魚雷も直進しかしないので、島が防いでくれる。

「そしてここが重要なポイントだ、そこから必ずここを通れ」

 密集した島々を迂回しながら進んでいた緑の置物を、今度は北北東へと進める。そこには、赤いペンで大きな丸が囲ってある地点があった。

「ここは……………………なるほど、そういうことか」

 自身の守る海域のことだ、そこに何があるのか、よく分かっている、なるほど、それを使うのか、と思わず納得したが、隣の島風は何のことなのか分からず疑問顔だったので、説明する。

「…………珊瑚礁、だよ」

 珊瑚たちの大規模な岩礁がそこにある。成長し、海面ギリギリまで届くそれらは、水上艦にとってそれほど問題は無くとも、海中を進む潜水艦にとってはさぞ進みにくいだろうことは簡単に予想が付く。

「あわよくば岩礁に激突してくれると楽なんだがな…………夜だし、ヴェールヌイの明かりだけを見て進んでくれたら可能性は十分あると思うんだが」

 まあ楽観的な考えだな、と呟き、緑の三角をさらに進める。

「ここからはもうひたすら突っ切れ、敵の攻撃を避けながら島風と合流するまで被弾することなく突っ込めれば、俺たちの勝ちだ」

 そして、薄く笑みを浮かべ、そう告げた。

 

 

 * * *

 

 

「そら…………浮かべ浮かべ」

 ソレに一つずつ丁寧に火をつけて空を浮かべていく。

 ふわり、ふわりと浮いていくソレは、高く高く、夜空へと上っていき、風に吹かれてゆっくりと進んでいく。

「…………風向きはしばらく変わりそうにないな、ヴェルの移動速度と現在地を考えればジャストのはずだ」

 空を漂っていくソレらを見上げながら、目を閉じる。

 カチン、カチンと頭の中でパズルのピースがはまっていくような感覚。

 だが、足りない、まだ完成には足りない。

 だから、次のピースを埋めよう。

 

 鍵となるのは…………彼女だ。

 

 そう、自身の背後でこちらの様子を伺っている、彼女。

 

「この戦いに勝つために、一つ頼まれてくれないか?」

 

 振り返り、そう尋ねる。

 あちこちに傷がある。服もあちこちと切れ、破れていて、どこか痛々しい。

 けれど、目だけは光っていた。まだ戦意は失っていなかった。まだやれると、そう告げていた。

 

「なあ…………暁?」

 

 痛みをこらえるようにぐっと歯を食いしばり、けれど、少女はこくりと頷いた。

 

 

 * * *

 

 

「とうちゃーく! さすが私ね、はっやーい!」

 後ろの敵駆逐艦、軽巡洋艦、重巡洋艦が追随していることを確認し、探照灯を消して島風は不敵に笑う。

 ここに来るまでに数百の砲撃、数十の魚雷が自身へ向けて放たれてきたが、けれどただの一度すら掠ることすら無く全て回避していた。

 過去、()()()()()は至近弾や機銃による機体へのダメージにより、浸水、航行不能へと至り、最終的に機関部の過加熱により、爆発轟沈、と言う最後を辿っている。

 だが、島風は駆逐艦島風とは違う。その記憶は持っている、だが今の島風は()()()()では沈んだりしない。

 否、そもそも至近弾など当たりはしない。何故なら近寄らせることがそもそも無い。

 提督がくれた新型高温高圧缶は、妖精たちの技術により整備も万全であり、かつてのように整備不足のまま出撃するようなことも無い。

 

 そしてその最速と呼ばれる速さ故に、常に単独での運用しかされなかった彼女にとって。

 この広い海を縦横無尽に駆け巡ることができる以上、負けは無い。

 公式戦績九二勝三八敗、敵撃沈数四五。

 非公式戦績二六八勝零敗、敵撃沈数五七六。

 火野江の最終兵器と呼ばれる島風(カノジョ)にとって。

 夜戦だと言うことを考慮しても、この程度の敵では問題にすらならない。

 公式錬度九十九。艦娘の限界へと迫ったとされる、その力。

 非公式錬度百五十。その限界をも超え、前人未到の領域へと到達したその力。

 その力が今、この瞬間より、牙を向く。

 

「連装砲ちゃん、一緒に行くよ」

 

 12.7cm三連装砲が火を噴く。それが当たっているのかどうか、なんて知らない。

 とっくに探照灯は消してあるので、敵も自身も互いの姿は見えない。

 だったらどこを狙って撃っているのかと言われれば、勘だ。

 けれど、それは外れない、明らかに三連装砲の射程距離外のはずのその距離で、敵を視認することすらせず、けれどその弾丸は敵駆逐艦を確実に射抜き、沈めて行く。当たり前だが、島風がその様子を見ることは無い、けれど当たっていると確信している。否、外れるはずが無いと確信している。

 距離はまだ遠い、昼戦ですら三連装砲で敵を狙うのが困難な距離。けれど、島風は魚雷発射管を前面に押し出し。

 

「五連装酸素魚雷! いっちゃってぇー!」

 

 九三式酸素魚雷と言う大威力長射程の魚雷を五連装にしたかつて駆逐艦島風だけが持っていた秘密兵器。

 そこから発射される魚雷が夜の海を切り裂き、直進していく。

 入れ替わるように闇の奥から幾多もの魚雷がやってくるが、けれど狙いが雑過ぎて、動くことを止めた島風から遥かに反れて魚雷が通り過ぎていく。

 

「どこ狙ってるの?」

 

 当たらない雷撃、届かない砲撃、ほぼ一方的な虐殺。だがそれでも数の利とは大きい。

 敵三十八隻の内の二十六隻がここにいるのだ、いくら島風が強かろうと、けれど限度はある。

 特に、重巡と軽巡の射程は駆逐艦よりもさらに長い。駆逐艦である島風にとってこの距離を当てることは奇跡的だとしても、重巡と軽巡からすればこの距離は通常の砲撃の距離でしかないのだ。

 だから、じわじわとだが押され始める。砲撃による弾丸の雨が降り注ぐ。当たりはしない、がじわじわと後退を余儀なくされる。

 すでに目的の地点は目の前だ、だがまだそこにはたどり着けない。

 そもそも島風がここまで敵を連れてきたのは三つの意味がある。

 一つは追われている味方を助けるため敵と味方を分断する意味。

 二つはこちらに注意をひきつけ、敵に鎮守府を発見させない意味。

 そして、三つは集結した味方艦隊の元まで敵をおびき出す意味。

 

 一つ目と二つ目はすでに解決している、追われていた味方から敵は引き剥がしたし、残った敵も響が上手くやっているだろう。鎮守府はすでに通り過ぎているので、敵に襲われる心配も無い。

 問題は三つ目だ。これは味方の集合にあわせて移動をしなければ、少数の味方の元へ二十を超える敵を連れて行っても各個撃破されるだけだった。

 だからこそ、ここで敵を留めておく必要があった。

 夜闇の海上を自慢の足で素早く移動しながら、敵の的を散らさせる。

 時折、探照灯を点灯させ、こちらがまだいることを知らせると同時に、敵の位置を確認する。

 そうして、避わした弾丸が千へと至ろうと言う、その時。

 海上移動のために必須であるはずの燃料がそろそろ底が見え始め、島風がやや焦りを覚えたその時。

 

『まだ生きてるな? 味方艦隊集結完了、もう一度言う、味方艦隊集結完了だ! すぐに集合地点へ急げ』

 

 聞こえた通信に笑う。ようやくか、と。

 

「おっそーい! いつまでかかってるのよ」

 

 自身だったらこんなにかかることは無かったのにな、と思いつつ、それを他人へ強制するのは不可能だと分かっているから、それを言うことは無い。

 だがとにかく、これで目標は完遂した。後は集合地点へと急ぐだけだ。

 幸い、と言うべきか、目と鼻の先の距離である、少なくとも自分にとっては。

 燃料も尽きる前で助かった、そんな風に安堵の息を漏らす。

 

 だから、一瞬気づくのが遅れた。

 

 自身へ向けて伸びる、一直線のソレに。

 

 目を見開く。

 

 けれど。

 

 ()()

 

「あの娘の台詞じゃないけどさ」

 

 連装砲を伸びるソレへ向け。

 

「島風は沈まないよ」

 

 撃つ。

 

 海中を進む魚雷へ、けれど連装砲から撃たれた弾丸が直撃し。

 

 爆発する。

 

 その光景に背を向けながら、島風が再び海上を滑り出す。

 

「もう…………提督を独りにさせないから、だから」

 

 呟き、そして海上を駆けた。

 

 

 * * *

 

 

 暗い暗い海上を独り進んでいく。

 怖い、と素直に思う。少女、暁にとって、戦いとは仲間と艦隊を組んで戦うことが当たり前であり、たった一人での戦闘などしたこともなかった。

 大丈夫なのだろうか、そんな不安に押し潰されそうになる心はけれど、決して潰されはしない。

「……………………みんなのために、やらなくちゃいけないのよね」

 自身へと語りかけるように独り呟き、そうしてきゅっと拳を握る。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。当たり前だ、先ほどまでこの一寸先すら見えないような闇の中を仲間と共に生死を賭けて…………文字通り、命がけで逃げていたのだ。

 だと言うのに、その海域へと、今度は自らの足で赴かなければならなかったその心境など、言うに及ばずである。

 否、赴かなければならなかった、などと言う言い方は間違いだ。

 確かに暁は自ら選んだ。否と言えばあの鎮守府で傷を癒すことだってできた、仲間と共に休むことはできた。

 だがそれを蹴って自らこの海へと足を踏み出したのは暁自身だ。

 

 理由は二つある。

 

 一つは仲間の安全を確保するためだ。

 長門と瑞鳳は現在、逃げ込んだ先の鎮守府で入渠している。最低でも十時間は戦線に復帰することは不可能だろう。特に瑞鳳の傷が酷い、死んでしまう一歩手前だと言われても納得できるほどに激しく大破している。

 少なくとも、丸一日か、それ以上の入渠に、最低一ヶ月以上に療養は必須となるだろう。

 だが自身たちを追ってきた、そして彼女たちが引き付けてくれた深海棲艦たちがいつあの鎮守府へとやってくるか分からない。しかも鎮守府に所属する唯一の艦娘が出払っている以上、あの鎮守府にはもう防衛能力が無いことは明白だ。戦艦一隻でもやってくればあっさりと落ちるだろう。

 だからこそこちらから打って出て、敵を鎮守府に近づけさせないようにしなければならない。

 

 と言うのが建前である。

 一つ目の理由だけなら、鎮守府周辺を哨戒していればいいだけの話だ。敵を早期に発見し、交戦すればいい。こちらから打って出るにしても、こんな海域の奥地まで行く必要は無い。

 

 理由は二つ、と言ったが、暁にとって本当に重要なのは二つ目だった。

 

 二つ目の理由、それは…………自身の姉妹艦である響のことだった。

 助けなければいけない。それは最早本能とも言って良かった。

 ただただ心配だった。ただただ無事を願った。

 そして自身のやることが響のためになると知ってしまったら。

 

 最早選択に否は無かった。

 

「あの子…………ずっとこんな気持ちで戦ってたの?」

 海上にたった独りと言う不安。頼れる仲間がいないと言う孤独。自身の敗北が鎮守府の陥落にすら直結しかねない重圧。

 たった一度の戦闘ですら自身はこんなにも苦しいのに、こんなにも寂しいのに、こんなにも怖いのに。

 これまで何度も、何度も、そうやって戦ってきたのだ。

 守るために、今度こそ、守るために。

 

 ()()()()は、特Ⅲ型駆逐艦の中で最も最初に沈んだ艦だ。

 

 だから、自身がいなくなった後の姉妹艦たちのことは、話の中でしか知り得ない。

 最初にいなくなってしまった自分には分からない。最も大切だったものたちが次々といなくなっていくその気持ちが。自分には分からない、目の前で大切なものが消えていくその気持ちが。自分には分からない、自分だけが最後まで生き残ってしまったその気持ちが。

 けれど、想像することはできた。何せ姉妹のことなのだ、自身にとっても最も大切な姉妹たちのことなのだ。

 

 実感できなくとも(わからなくとも)理解できない(わからない)はずがない。

 

 ヴェールヌイと、名を変えてまで戦うその意味を、自身は理解できてしまった。

 それだけのものを負わせてしまったのだと、理解できてしまった。

 沈み、もうどうにもならなかった過去(かつて)ではない。

 今自身の手には戦うための武器がある、海の上を疾るための足がある。

 だったら、行くしかないではないか。

 

 守るために…………共に戦い、大切な妹のその心を守るために、戦い抜くしかないではないか。

 

 与えられた役割はたった一つ。

 絶対にやらなければいけないこともただ一つ。

 

 戦い、勝利し、生き残ること。

 

「今度は一緒よ…………響」

 

 呟き、そして眼前の敵へ向けて、冷徹な視線と共に砲を向けた。

 

 

 * * *

 

 

 決着は早々に訪れた。

 

「片手落ち…………と言うのかな、こういうのは」

 

 居並ぶ深海棲艦の戦艦たちを前に、一人静かに笑う。

 予定通り、島々の密集地帯を抜け、珊瑚の岩礁地帯へとたどり着き、そして最後のラストスパート、味方艦隊へとの集合地点まであと一息、そんな時だった。

 戦艦の砲撃が真横を通過していく、そんな精神を削るような攻撃に、たった一度だけ生まれた隙。

 気づけば敵の砲撃が直撃、機関部が大破し瞬く間に海上を移動するその速度が落ちた。

 あと少しだった。あと数分で集合地点へと到達していたはずだった。

 だがよりによって機関部がやられた、これでもう自身は歩くほどの速度でしか進むことしかできない。航海不能になるよりはマシと言った程度だが、この状況に置いてはほぼ誤差である。

 当たり前だが、そんな状態の自身が戦艦たちから逃げられるはずも無い。

 敵が近づいてくる。確実に当てるために、かは知らないが。

 

「最後に一隻でも道連れにはできそう、かな?」

 

 最早この期に及んで生還できるなどとは思っていない。

 いくらなんでも詰んでいる。独力でどうこうできる状況ではない。

 所詮は艦、いつかは沈むのも分かっている。

 

Извините.(イズヴィニーチェ)…………ごめんなさい、司令官」

 

 通話越しに呟く声に力は無い。満ちていたのは諦観の声。

 同時に、戦艦たちの主砲がこちらを向く。もう外すことのないその距離。

 最後の抵抗とばかりに魚雷発射管を敵へと向け。

 

『諦めるなこのバカ!』

 

 唐突に聞こえた声。

 

 そして。

 

 空から光が降ってきた。

 

 

 

 艦載機? 空と言うものから想像したのはソレ。

 けれどそれはやけにゆっくりと落ちてくる。気づけば深海棲艦たちもソレに目を奪われ、こちらを見ていなかった。

 と、その時、とんとん、と肩を叩かれ、はっと我に返る。

 そして、振り向いたそこに。

 

「響、大丈夫?」

 

 島風がいた。どうしてここに? 思ったのはそんなこと。

 けれど、島風は自身の状態を把握したのか、そのまま自身の手を引いて走りだす。海上に浮くことで精一杯な自身はバランスを保つのが精一杯で、後ろの敵を気にかけている暇すら無い。

 ふと自身の真横に降ってきたその光を間近で見て、ようやくその正体を知る。

 

 小さな小さな気球だった。まるで子供の玩具のような。それが空に何十、何百と浮いていた。

 

「これって何?」

 島風が空を見ながら呟く。その頃、ようやく深海棲艦たちがこちらに気づき、砲撃を撃って来たが、すでに距離が開けてしまったこの状況ではそう簡単には当たらなくなっていた。

「島風…………敵が」

 そんな自身の言葉に、島風が笑う、もう大丈夫、と言わんばかりのその笑みに、思わず呆気に取られ。

 

 ズドォォォォン、と()()()()砲撃音が響く。

 

「もう、みんな遅いから困っちゃうよねー」

 

 島風が味方の艦隊を連れてきたのだと、そう気づいた瞬間。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドド、と言う続きに続き、最早一つの音の羅列となってしまった砲撃音が響く。

 

 ふと後ろを見れば、次々と着弾し、敵が沈んでいく。

 

 呆然とした様子のまま、それを眺める自身の下に、ピロン、と先ほど切ったばかりの通信の音が入る。

 

 ほぼ反射的にスイッチを入れ、通話状態へと移行し。

 

『なんとか間に合ったか…………大丈夫だな? 生きてるよな?』

 

「あ…………ああ、うん。大丈夫だよ」

 

 自身の言葉に、通話越しに司令官が息を吐いた。

 

「これで…………終わり?」

 

 どこかそれを信じられない自身の言葉に、けれど司令官が、ああ、と前置きして、言った。

 

победа(パビエーダ)(俺たちの勝ちだ)』

 

 

 




誰だよ、エピローグも書くとか言ったの(お前だよ)。
あと一話、次が第一章エピローグです。今回はタイトル決まってるから楽。


>>あの気球何の意味があったの?
敵の的になればいいなあと思って提督さんがやったけど、落下速度遅すぎてすぐに脅威として見られなくなった。ただ注意を反らせて結果的にヴェールヌイ助かったので結果おk。要するに提督さんの保険。

>>なんであの気球はあのタイミングで落ちてきたの?
ちゃんと天候データ欲しいって準備段階で言ってたでしょ?
まさか気象予報士の資格がこんなところで役立つとは、とは提督さんの言(適当)

>>ぜかまし強すぎない?
え? だって艦これで島風って最初からチートじゃね?

>>あの娘の台詞じゃないけどさ、ってどの子?
僕は死にませーん、じゃないけど、そんなこと言ってるげっ歯類がいたはず。

>>暁ちゃん可愛い!
暁ちゃんを撫で撫でしたい!
「頭をなでなでしないでよ!もう子供じゃないって言ってるでしょ!」

>>こんな終わり方でいいの?
水代にはもうこれが限界だった。そもそもどうやって解決するかも考えずに、ノリと勢いで深海棲艦の大軍なんて出したから、どうやって勝つのかまったく思いつかずにこんなにも時間かかった。
もうご都合主義で許して(

>>ヴェールヌイprpr
ヴェールヌイ可愛い、でも水代の嫁は弥生だけなんだ(



因みに某ドラマCDだと、暁型って姉妹っていうより友人ぽかったけど、この小説内では姉妹設定でヨロです。


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Верный(ヴェールヌイ)

一章最後のタイトルとして、これ以外あるのか? と思うくらい、思いついた瞬間には即決定していた。


 くるくると手の中でペンを回しながら弄ぶ。

 執務室の椅子に背をもたれながら退屈な時間を持て余す。

 ぶっちゃけて言えば…………やることが無い。

「あー…………暇だ」

 椅子にもたれかかりながら呟く。執務室の窓から見える景色は日々変わることなく、毎日毎日同じ海ばかり見ていい加減これで退屈を紛らわすのも限界だった。

「ったく…………どっかから深海棲艦が沸いてこねえかなあ」

「…………朝から物騒だね、司令官」

 愚痴を口にしていると、執務室の入り口から聞こえた声。

 視線を向けるとそこにいたのはセーラー服に白い帽子を被った銀髪の少女。

 氷のようなアイスブルーの瞳で、いつものごとく無表情にこちらを見つめてくる。

「ヴェルか………………また来たのかお前。自分の部屋があるだろ」

 呆れたようにそう言うが、ヴェルことヴェールヌイは特に答える様子も無く部屋の端に置かれた椅子を持って自身の机の前まで持ってくる。

 それから執務室の置かれた本棚から一冊の本を持って来ると、先ほど自分で置いた椅子に…………高さの合っていない座り、床に届かない足をぶらぶらとさせながら持っていた本を開き、読み始める。

「…………ねえ、なんで執務室でやんの?」

「………………暇なんだろう? いいじゃないか」

 済ました無表情でそう返し、ページをめくる。

 いつものことと言えばいつものことであり、今更深く突っ込む気もなければ、特に追い出す理由も無いので放っておくことにする。

「何か飲むか?」

「ならロシアンティーを」

「はいはい…………」

 これもまたいつものこと。まあロシアンティーなんて言っても、所詮紅茶とジャムをセットで用意するだけだ。

 日本人の多くが勘違いしているがロシアンティーと言うのはジャムの入った紅茶…………ではない。

 本来ロシアではジャムをスプーンで直接舐めながら紅茶を飲む、と言うのが正式らしい。まあどうでもいい話ではあるが。

 

「お仕事持ってきたわ」

 

 とその時、部屋の中に入ってくるのは、紫の髪の少女。ヴェールヌイと良く似た服を着ていた。

 駆逐艦暁、それが少女の名前だ。ヴェールヌイの姉妹艦であり、

 抱えた紙の束に、思わず目を丸くする。

「え? なんでそんなにあるんだ?」

 自慢じゃないが、この鎮守府に回される仕事なんてものは滅多に無い。

 出撃も月一回あるか無いかだし、本土との連絡も最低限、故に書類仕事だって鎮守府の管理のためのものが大半であり、それだってヴェールヌイ一隻しかいない鎮守府故に、大した規模では無かった。

 だから、この鎮守府にやってきてこの方、抱えるほどの書類と言うのはお目にかかったことが無かった。

 そういう意味での質問だったのだが、暁は不思議そうに首を傾げる。

「そんなに多い? 暁は少ないな、って思ってたんだけど」

 そう呟く暁に、それは暁の元司令官はな、と内心で呟く。

 

 そう、元、司令官だ。

 なら現司令官は誰だ? そう尋ねられれば。

 自身だ、そう答えるしかない。

 そう、とうとう自身の鎮守府は所属艦娘がヴェールヌイ一隻と言う状況から開放されたのだ。

 

 先の深海棲艦の大侵攻。ヴェールヌイの大破と言う大事もあったが、それでも一隻も轟沈させること無く敵の足止めを全うし、さらには敵を分断し、各個撃破することを可能とさせたその功績により、自身の鎮守府は存続は許され、さらに駆逐艦暁の転属が認められたのだ。

 あそこまでして? とも思うが、それが上からの命令ならば仕方ない。建造で錬度の低い艦娘を一から育てるよりは手間が省けるか、と思えば幸運と言えなくも無い。

 

 面倒だなあ、と思いながらも束と積まれた書類の一番上のものを一枚手にとって見る。

 暁の転属手続きだった。

 

 そもそも、艦娘の転属と言うのは滅多に行われるものではない。

 理由など簡単だ、せっかく手塩にかけて育てた自身の艦隊を他人にやるなど冗談ではないからだ。

 艦娘と言うのは非常に数が少ない、全国を見渡しても百名いるかいないか、と言うところだ。対する鎮守府も全国に20と無い。

 故に一つの鎮守府にあまりにも多くの艦娘がいた場合のみ、時折だがそういうことはあるが、暁のようにそれなりの錬度を持った艦娘が他の鎮守府に転属してくる、と言うことは基本的にあり得ない。

 ならばどうしてそんなことがあり得たのか、と言うと、理由はなんとも呆れた話で。

 

 全員懲戒処分されたのだ。

 

 暁の元司令官も、長門の元提督も、瑞鳳の元提督も。

 

 そもそも全ての鎮守府にとって、出撃とは提督の一任で行えるものである。勿論、後々報告書の作成などは必要だが、鎮守府近海にすら敵がやってくるのに、大本営からの許可を一々取っていては迅速に動けない、と言うような理由から基本的には提督の任意で行う。

 だが、どの海域に出撃するか、と言うのは実は大本営から許可をもらう必要がある。

 それは実力の証明であり、保証である。

 海域ごとに敵の強さが違う、と言うことがわかってから、無謀な出撃を抑えるため、全ての提督は、許可された海域までしか出撃してはならない、と決められている。

 最初の提督が許可されているのは鎮守府近海だけであり、現状の自身がこれに当たる。

 

 だが今回の連合艦隊の出撃海域は、その制限を無視した形となった。

 

 敵中枢を電撃戦で叩けば、全体を混乱させることができる。まあ分からなくもない案ではあるが、そもそも深海棲艦に中枢などと呼べるものがあるのか、あるとして、それは一体だけなのかそれとも複数体いるのか。

 などなど、考えれば割とすぐに分かりそうなボロの出る案ではあったのだが。

 どっかの中将(自身の上官とは別の)が暴走したらしく、強権で押し通して連合艦隊を組まされることとなったらしい。

 

 今回の出撃で二十八隻からなる連合艦隊の内に十三隻が轟沈確認、八隻が行方不明、結局生きて鎮守府にたどり着いたのは、うちの鎮守府にやってきた三名を入れてもたったの七名。

 行方不明となった艦娘は、中将(自身の上官)殿が中心となって進めているが、成果は芳しくないようで、生存は絶望的とまで言われている。

 

 つまり。

 

 国内の艦娘の実に二割がこの一度の出撃で居なくなってしまった。

 

 これにはさすがの大本営も驚愕し、即座に暴走した中将とその部下以下八名を軍法会議へとかけ、中将は免職、その部下たちは中将に無理矢理従わせられていた、と言うこともあり、多少の温情も加えられ半年間の停職処分が下った。

 無理矢理だったのだから処分は無しでも良いのではないか、と言う意見もあったらしいが、命令を発令したのは中将であろうと、実際に指揮を執ったのはその部下の提督たちであり、出世や功績に目が眩み、無謀な進撃を命令したのは彼らである、と言うことでこの結果は覆らなかった。

 とは言え、暁から聞いた話では艦娘たちですら士気が高く、イケイケな雰囲気だったらしい。

 いや、だからこそ司令部が慎重になるべきだったのかもしれないが。

 

 だが今さらそのことをとやかく言ったって仕方ないだろう。

 結局、一番問題だったのは艦隊を組んだ艦数だ。基本的に深海棲艦と言うのは一隻から六隻の間で集まって海を徘徊している。

 それにあわせてこちらも艦隊として組んでも良いのは六隻までと決められている。

 これが何故なのか、疑問に思ったことは、勿論全ての提督にはあるだろう。

 だってそうではないか、十隻、二十隻で艦隊を組んで敵と戦えば、敵は最大でも六隻なのだから数の利を生かした有利な戦いができる。誰だってそう思う、自身だってそう思った。

 

 だがそれができない理由がある。

 

 過去にも同じように大艦隊で深海棲艦と戦った提督がいたのだ。

 その提督は現在の艦隊二つ分、十二隻の艦隊を組み、深海棲艦の討伐を行ったらしい。

 だがそれは最悪の結果に終わる。

 結果だけを言うならば、艦隊は壊滅。十二隻中、僅か一隻を残し、全ての艦が海の底へと沈んだ。

 連戦連勝を重ね、必勝の艦隊と呼ばれていたはずの艦隊のまさかのその結果は全ての鎮守府に衝撃を与えた。

 だがどうしてそうなった? と言う疑問にぶち当たる。

 そして当時、唯一生き残った艦娘の証言をまとめると、こうだ。

 

 倒しても倒してもどこからとも無く次々と深海棲艦が現れ、気づけば自身の艦隊の三倍以上の数の深海棲艦に取り囲まれていた。

 その中には、本来この海域にいるはずの無い敵までもが混じっており、最終的に、百を超える敵の集中砲火を受け、自分以外はみな沈んでしまった。

 自身も本来ならば沈んでいたのだろうが、砲撃を受け、気を失ってしまい、次に目が覚めた時にはどこかの孤島に漂流しており、すでにその海域に深海棲艦たちの気配は無かった。

 

 この証言を受け、話をまとめると、あまり多くの艦を率いて戦っていると、敵を刺激してしまうのではないか、と言う結論に落ち着いた。

 深海棲艦にも縄張りのようなものがあり、大軍で押しかけると、それを無闇に刺激し、結果的に海域中の深海棲艦を呼び寄せることになるのではないだろうか、と言うのが通説で、そのボーダーラインが六隻と言われている。

 

 そんなこと士官学校で習うはずのことだ。勿論、中将じゃその部下たちも知っていたはずだ。

 だが、それを偶然やデマだと思ったのか、それとも倍数以上の数を揃えたから油断したのか。

 その結果が、無駄に深海棲艦を刺激し、海域を越えても追ってくるあの惨状だ。

 

「自業自得…………と言うべきだな」

 

 誰にも聞こえないようにぽつりと呟いた言葉。

 まったく、そのせいで鎮守府を破棄することになりそうだって自身たちにとっては、とんだとばっちりだ。

 まあ、それは今置いておくとして、だ。

 一年の停職処分を下された提督たちはそれで良いとしても、その配下の艦娘たちはそうはいかない。

 もうそれほど半分以下になってしまったとは言え、艦娘がいるのだ。その艦娘たちの処遇をどうするか、を考えなければならない。

 普通に考えれば他の鎮守府に預けてしまえばいいのだが、困ったことに今回ばかりは一年で停職が解けた提督たちが戻ってくる。

 と、するとまた艦娘たちは元の所属に戻さなければいけなくなる。そうすると、また編成のし直し。かと言って、錬度の高い艦娘を遊ばせておく余裕も現状この国には無い。

 というわけで、編成数が六に満たない鎮守府、特に編成数が少ない鎮守府にこうして割り振られることになり、自身の鎮守府にもようやく二人目の艦娘がやってくる運びとなったのだ。

 

「やれやれ…………で、次のはっと」

 

 ぱらぱらと書類の束を捲っていく。

 引継ぎの書類の他には、いつもの資材管理の報告書や、この間の戦闘の報告書の写し、その際に使ったもののリストなどなどとにかく色々とある。

 そうしてぱらぱら、と書類を捲っていたその時、はらり、と書類の中から一通の便箋が落ちる。

「…………なんだこの手紙…………って…………な?!」

 思わず声を荒げた自身に、暁と、そして部屋で本を眺めていたヴェルまでもがこちらを見てくる。

「どうしたの?」

「どうかしたかい?」

 目をぱちくり、と瞬かせながらそう尋ねる二人に…………ヴェルに向かい、きゅっと口を結んでその便箋を…………一瞬迷ったが、差し出す。

 自分に? そんな様子で手紙を受け取り、口を(つぐ)んだ自身の様子にどこか戸惑いながら便箋を裏返し…………そこに書かれた差出人の名前にヴェルが硬直する。

 そんな自身たちの様子に暁が不思議そうに首を傾げ、ヴェールヌイの手元の便箋に視線をやる。

 

「あら、()()()? なんて書いてあるのかしら?」

 

 その名前が出た瞬間、ヴェルが蒼白な顔をして部屋から飛び出す。

「ひ、響?」

 鬼気迫るその様子に暁が目を丸くして、その後ろ姿を見つめ、自身はその後を追って飛び出す。

「暁、ちょっと待っててくれ」

 そう言い残し、戸惑う暁を部屋に置き去りにする。

 艤装をつけていないとは言え、全速力で走るその後ろ姿を追うのは一苦労で、ようやく足を止めたのは波止場だった。

 

 はあ、はあ、と二人息を荒くしながら、コンクリートの地面に座り込む。

「…………………………………………」

 呼吸を整え、荒い息を抑え、けれどヴェルは黙していた。

「…………………………………………」

 自身もそれを黙って見つめていた。

 手に持った便箋の封を、ヴェルが開き、中に入っていた手紙一枚を広げる。

「……………………なんて書いてある?」

「……………………帰ってこないか、って」

 その言葉は、予想の一つとして考えたいただけに、それほど驚きはしなかった。

 

 先ほど転属なんてそうそうあり得ない、なんて言ったが。

 

 ヴェールヌイ…………否、駆逐艦響は元は中将殿の艦娘だった。

 

 あまり思い出したくないので、詳しくは語らないが、そこでとある事件があり、心を患った。

 そして新しく鎮守府に着任した自分の元へと送られてきた。

 着任したばかりの自身と転属されたばかりの響。

 最初の仕事は、自殺志願のような特攻を繰り返す響をどうにか生き残らせることだった。

 次の仕事は、着任の時以来、全く口を開かない響とどうにかコミュニケーションをとることで。

 そうして会話が成立したら、少しずつ仲を深めた。中将殿に何があったかは聞いていたので、近づきすぎれば拒否反応が出るだろうことは予想できたので、本当に少しずつ、亀のような歩みで少しずつ距離を近づけていった。

 そこまで行くのに半年かけた。ようやく日常的に会話ができるくらいまで絆を深め、ようやく根本的な問題に近づいた。即ち、前の鎮守府のことだ。

 

 一つ、約束をした。

 

 改造を繰り返し、ヴェールヌイと名を変えても、まだ守り続けられる約束。

 放っておけばどこかに消え去ってしまいそうな響の心を繋ぎとめる重し。

 だからこそ、不安になる。

 

「…………どうするんだ?」

 

 ヴェルに問う。けれど答えない、否、答えられないと言ったところか。

 ぽん、とその頭に手を置き帽子の上からくしゃくしゃと撫でる。

 

「…………なあ、あの時の言葉、覚えてるか?」

「…………どの時だい?」

「おまじない、だよ」

 

 告げた瞬間、ヴェルがびくり、と震える。

 

「ああ…………覚えているよ」

Ты не одна(ティ ニ アドゥナー) я всегда рядом(ヤー フスィグダー リャーダム)…………あの言葉に嘘は無い」

 

 Ты не одна(ティ ニ アドゥナー)(お前は一人じゃない) я всегда рядом(ヤー フスィグダー リャーダム)(俺はいつだってお前の傍にいる)。

 約束を交わしたあの日から、ずっとそうだった。いつだって二人だった、いつだって二人で頑張ってきた、いつだって二人で乗り越えてきた。

 

「だから、約束を変えよう」

 

 守るべきものを見失った少女に、あの日くれてやったこの命は、もう返してもらう。そんなものもうこの少女には必要ないだろうから。

 

「いつかまた帰って来い…………その時まで、ここは守り抜いておいてやる」

 

 悩み、迷う少女の背を押す。

 

「だから、約束だ」

 

 その名前は信頼。

 

「お前の名前にかけて」

 

 自身と少女の絆の証。

 

 だから、行って来い。

 

「Верный(ヴェールヌイ)」

 

 




本当は、響残す予定だったんですけど。なんでいなくなるみたいな展開になってるんだろう?
本当は、一回響が中将のところに行って、で、最終的に戻ってきて「おかえり」みたいなこと言って終わるはずだったのに、なんでこうなった…………。
ホント、自分はプロットとか立てるのがとことん性に合わないらしい。


と、言うわけで第一章終了です。

過去編に関してはこれ以上詳しくはやりません。
もう既出した情報だけで想像してください。

あと、ロシア語に日本語訳出しましたが、前も言った通り適当な訳です、本来と違うからと怒らないでください(


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背伸びしてるロリっ子が愛らしくて鼻から愛が流れそうな第二章
暁の出番ね


と言うわけで、今回から第二章です。
始めたころは、章分けするとか全く思ってなかったので、タイトル考えてませんでしたが、二章始まったので、章ごとにタイトルつけました。


 ぷかぷかと波間に漂う浮きを見ながら、一つ欠伸をかみ殺す。

 波間に揺れるだけで一向に食いつきを見せない浮きを、けれど暢気な様子で呆けているのは、まさに釣りを楽しんでいると言えるのではないか、などとバカらしいことを考えてみる。

 釣り、と言うのは案外提督たちの間でも流行っている娯楽である。海と言うのは現在深海棲艦の蔓延る危険地帯であり、その海に面する鎮守府でまともに遊べる海での娯楽と言われれば釣りくらいしかないからだ。

 常に鎮守府に居続ける提督にとって、娯楽の数が少ない。そもそも仕事があるのだから、娯楽の時間も少ない。だから偶の休日に海に糸を垂らすだけでも十分な休養であり、娯楽なのだが…………。

「………………飽きたな」

 通常の鎮守府の十分の一も仕事の無い、我が鎮守府では時間に余裕がありすぎるせいで、だいたい普通の提督が一週間に一度程度の頻度で竿を握っているのに対し、自身はほぼ毎日ここで糸を垂らしている。

 それでもほとんど釣れた試しが無いのは、自身が下手すぎるだけなのか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 くわあ、と欠伸を噛み殺し、そのまま背を倒す。日に焼かれたコンクリートが程よい温かさを背に伝えてくる。

「………………あー、これはやばいな」

 日差しが、風が、気持ちよ過ぎて、釣りどころでは無い。

 このまま寝てしまおう、そんなことを考え、竿を持ち上げようとして…………。

 

「あー、またこんなところにいた!」

 

 聞こえた声に、動きを止める。首だけ動かし声にしたほうを見ると、鎮守府のほうからこちらへとやってくる一人の少女の姿。

 少し前までこの鎮守府にいた彼女と同じような服装をした少女の名前を暁と言う。

 暁が小走りにこちらへとやってきて、ふうふうと僅かに荒げた息を整えてから告げてくる。

「あなた宛に手紙が着てるわよ」

 ここに来る途中散々振り回し、よれてしまった手紙がこちらに渡してくると。

「それじゃ、暁は仕事に戻るわ」

 そう告げて鎮守府へとまた走っていく…………別にもう走る必要はないだろうに、などと思いながら、封の閉じられた手紙を視線を落とす。

 

 差出人は、ヴェールヌイ。

 

「……………………どれどれ」

 封を開けて、中に入った一枚の紙を開く。

 目を落とし、そこに書かれた内容に笑みを浮かべる。

 手紙には、現在の鎮守府…………中将殿のところで、どんな生活を送っているか、と言う簡単な報告と、こちらの安否を気遣うもの。

 そして、最後の一文に目を通した瞬間、笑みが苦笑に変わる。

 

 こちらは大丈夫。それから、司令官も暁…………姉さんと仲良くやってくれていると嬉しい。

 

 そう書かれた一文に、それはどうだろう、と思う。

 別に喧嘩をしているわけでもない。

 何か険悪なわけでもない。

 自身が何かしたわけでもなければ、暁が何かしたわけでもない。

 命令には従うし、出撃もすでに何度かあったが、一切の問題は無かった。

 極普通の提督と艦娘の関係、傍から見れば誰だってそう言うだろう。

 だが、けれど、それでも。

 

 暁は、この鎮守府にやってきてから、一度も自身を司令官と呼んだことはない。

 

 彼女(あかつき)が自身を呼ぶ時、いつも必ず『あなた』と呼ぶことに違和感を覚えていた。

 過去に響と言う問題のある艦娘と接してきた経験からか、その理由も薄々分かっている。

 

 つまり、それは――――――

 

 

 

 パタン、自室の扉を閉め………………そのままずるずると扉に背を預け崩れ落ちる。

「……………………………………なにやってるのよ、暁は」

 本当に、一体何をやっているのだろうか。

「……………………気づかれなかったかな、しれ…………あの人に」

 司令官、と口に出そうとして、けれど言葉にならず、結局あの人などと呼ぶ。

 本当に自分が一体何をやっているのか分からなくなる。

 あの人は妹の響が最も辛い時を共に過ごし、励まし、助けてくれた人だ。

 響から何度も話を聞かせてもらった、その度に優しい人なのだと、良い人なのだと、そう思わされた。

 さらに言うなら、あの人は深海棲艦に追われ、沈むだけだったはずの暁や仲間たちを助けてくれた。実際に助けてくれたのは響や島風でも、そういう風に作戦を立てたのはあの人だ。

 例えそれが、後から戦力として期待されたからのものであろうと助けてもらったのは事実だ。そもそもあの人は強制しなかった。命令できるだけの権限がありながら、その立場にありながら、それでも暁に言ったのだ、響のために力を貸してくれ、と。

 良い司令官だと思う。人柄も良く、能力も申し分無い。十分過ぎるほどに信頼に値する人物だ。

 

 だと言うのに。

 

 どうして自分は言えないのだろう…………どうして自分は呼べないのだろう。

 

 ただ一言、司令官、と…………彼のことを呼べないのだろう。

 

 わけが分からない、なんてそんなはずがない。

 

 本当は分かっていた。

 

「………………違うのよ、司令官は…………暁の司令官は…………」

 

 ―――――出撃だ、暁

 

 初めてそう言われた時、違和感があった。

 

 ―――――よくやったな、暁

 

 そう褒められた時、()()()()()、と思った。

 

 ―――――暁

 

 違う、そうじゃない。

 

 ―――――暁

 

 誰だ、お前。

 

 ―――――暁

 

 なんで(あかつき)の名前を司令官以外が呼ぶ?

 

「………………………………司令……官…………」

 

 つまり、結局のところ。

 

 駆逐艦暁にとって、自身の司令官とは、今は停職している彼に他ならない。

 

 それだけの話なのだ。

 

 なんて不様。

 

 自分からこの鎮守府を希望して転属しておきながら、もし司令官の代わりに自身を指揮してもらうなら彼が良いと決めたのは自分自身なのに。

 

 なのにどうして…………自分はあの人を認めることができない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 だから代わりの司令官を一時的に司令官と呼ぶ、それだけの話なのに。

 

「…………………嫌…………だなあ」

 

 彼以外をそう呼ぶことを、けれど認めることはできそうに無かった。

 

 

 * * *

 

 

 自室にぽつんと置かれた椅子に腰掛け、ハードカバーの本を膝の上で開く。

 一ページ、一ページとめくっていきながら、その内容に目を通す。

 今日の本はとあるスポーツ選手の自伝だが、基本的に読むジャンルと言うものは雑多だ。軍学など自身にも関係のあることもあれば、経済学、小説、歴史本から雑誌や写真集のようなものまで、特にえり好みせずに読む。

 それは()に言われて始めた習慣のようなものだった。

「……………………それで、何か用かい? 司令官」

 本から視線を外さず、自室の入り口にいる女性に向かってそう問う。

 白い軍服を着た長い黒髪の女性。陸軍のカーキ色とはまた違ったその白い軍服は、海軍のものである証であり、この鎮守府でそんなものを着ている人物はただ一人、すなわちそれは提督であることの証左であった。

 この鎮守府に戻ってから二週間、初日に挨拶をしたきり一度も自身と顔を合わせなかった彼女。ヴェールヌイも積極的に顔を合わせようとはしなかった。自身も彼女も、まだ完全に振り切れてはいない、否…………きっと一生振り切ることはできないだろうから。顔を合わせれば辛いだけなのは、分かっていたから。

 けれどそんな彼女が会いに来た、きっとそれは…………。

 

「…………………………そうだな、聞きたいことがある」

 苦々しい声で絞りだすようにそう呟き、そしてその先の言葉を口にする。

「…………電のことを、聞かせて欲しい」

 その言葉に、ページをめくる手を止める。やはりそうだったか、そんな感想が心中に沸く。

 駆逐艦電。自身の妹である艦であり…………。

 現在の自身の最大の悩みの種でもある少女。

 最後に会ったのは昨日。だが何よりも衝撃的だったのは、二週間前の…………初日のことだった。

 

 

「おかえりなさいです、響」

 満面の笑み。こちらの鎮守府に戻ってきて最初に見たその笑みに、猛烈な違和感を感じた。

「突然他所の鎮守府に転属なんて言うから驚いたのですよ?」

 続けて告げた言葉に、何か嫌な汗が流れる。

「そう言えば…………」

 そして。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 その言葉に、自身の予感が間違っていなかったことを確信した。

 

 

「電…………は…………」

 言って良いのだろうか? 分からない、自分には分からない。

 何よりも大切な半身を失った電と、何よりも大切な相棒を失った司令官。

 そんな彼女たちの気持ちを、()()()()()()()()が伝える資格など、あるのだろうか?

 分からない、分からない、分からない。

 

 どうすればいいのかな、司令官。

 

 心中で呟いたその言葉に、はっとなる。今自身が自然と司令官と呼んだのは、目の前の彼女のことでは無かった。そのことに気づいてしまったからこそ、目を大きく広げる。

 と、同時に思い出す。そうだ、何を逃げようとしている…………全部自分のせいなのに、何を一人だけ楽なほうへと逃げようとしている。

 一体自分は何のためにここに戻ってきたのだ、一体自分は何のために彼の元から去ったのだ。

 

 全部全部、このためではないか…………。

 

 もう遅すぎるのかもしれない。もうダメなのかもしれない。

 それでも、今諦めれば取りこぼしてしまうものがある。

 それでも、今諦めなければ掬えるものがある。

 ヴェールヌイの名に賭かけて、今度こそ守らなければならないものがある。

 

 だから告げなければならない、だから言わなければならない、だから逃げてはならない、だから言い訳してはならない。

 

「…………電は」

 

 そうして、自身、ヴェールヌイは。

 

「雷のことを…………雷がもういないことを」

 

 その、最悪の事実を。

 

「忘れてしまっている」

 

 告げた。

 

 

 * * *

 

 

「…………………………ふーむ」

 机の上に広げた地図と睨めっこすることすでに十数分。

 地図の上に赤いマーカーで書き足された文字で地図の半分以上が埋まっている。

「…………えっと、これは何かしら?」

 不思議そうに小首を傾げながら地図を見る暁に、次の出撃の地図だ、と答える。

「出撃?」

「ああ、ちと厄介なことに、この前の戦いの討ち漏らしがいるらしい」

 この前の…………暁がこの鎮守府へとやってくる切っ掛けとなった戦い。

 駆逐艦、軽巡洋艦、重巡洋艦の高速艦たちは島風が引きつれ、殲滅した。

 戦艦、そして空母はヴェールヌイが引きつれ、殲滅した。

 そして道中の岩礁地帯に残してきた潜水艦を、負傷しながら戻ってきた暁を使って追い払ったのだが、今回の討ち漏らしと言うのはその潜水艦のことだった。

「…………この辺り、とこの辺り。特に南西の島の密集地帯。この辺りに潜んでいると思ってる」

 ただ広い海のど真ん中に潜るだけでは、爆雷の良い的でしかない。適当に爆雷を撒くだけで終わる。

 敵だってそんなこと分かっているからこそ、そう簡単にやられるような場所には逃げ込まない。

「敵を逃がさないように、探信儀(ソナー)を使って敵を探しながら北へと迂回。逃げ道を封鎖するように少しずつ探索範囲を広げていってくれ」

「了解よ」

「敵の魚雷にだけは気をつけてくれ、深追いする必要はない。敵の総数は少ないとは思うが、それでもどれだけいるのかも不明なんだからな」

 分かってるわ、と暁が不敵に笑い(微笑ましく)、呟く。

 

「暁の出番ね」

 




今日も鎮守府はあっちもこっちも問題だらけです(

暁ちゃんを二章に据えた時点で、実は三章が電ちゃんメイン、四章が雷ちゃんメインと言う構想が出来上がってしまったので、もう完全にタイトルからかけ離れてますけど、第六駆逐隊の面々を中心に書いていきます。

3-4&4-4クリアしました。羅針盤が最凶だった。


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暁だって分かってるわよ

 

 

 

「これで最後か?」

 自身の問いに、暁が頷く。机の上に置かれた報告書の最後の一枚に目を通し、確認のサインを書くと、重ねた紙をトントン、と軽く叩いて整えファイルに挟む。

「じゃ、これで終わりだな…………お疲れ」

「ええ…………お疲れ様」

 一礼し、暁が部屋を出て行く。

 いつもいつも朝のうちに仕事がなくなってしまう我が鎮守府だが、最近は出撃の回数が多いせいか、報告書の確認までしているともう夕方、と言うことが多くなってきた。

 基本的に、出撃をした日は報告書を出してしまえば休んで良いと暁には言っているので、ここからは自分一人の仕事なのだが…………。

「やれやれだな…………」

 同じ部屋にいて、二時間以上共に仕事をして、けれど仕事以上の話は一切無い。

 ヴェルの場合、呼んでもいないのに勝手にやってきて困ったが、これはこれで困る。

「円滑な人間関係…………どこに行ったのかねえ」

 くるくると、片手でペンを弄びながら呟く。全くもって度し難い。

「なんで俺のところに来る艦はみんな問題も一緒に持ち込むんだ?」

 ヴェルと言い、暁と言い…………たまには普通の艦娘は来ないものだろうか。

 いや、今回の場合、中将殿が意図的につれて来たのとはまた違うのだから中将殿にどうこう言うのは筋違いなのだが、どうにもこの負の連鎖はあの人から始まっているような気がしてならない。

 

 まあ…………ヴェルと出会ったこと自体は、それほど悪いことでもなかったが。

 

「………………て、今はそれは置いておくとして、問題は暁だよな」

 そう、それは今関係ないのだ。今の問題は暁のことである。

 一番良いのは暁の元司令官…………処分された提督がまた提督として着任し、その艦隊に暁が戻ることだろう。

 手っ取り早、手軽で、一番効果がある。だがそれは出来ない、少なくとも後半年は…………。

 次善策としては、別の呼び方をさせる、と言うのもある。

 そもそも自身は、暁に自分を司令官と認めさせたいわけではない。ただ、暁との間に広がる重苦しい空気を何とかしたいだけであって、それさえ解決するなら別に暁がどう思っていようと構わない。

 だったら、それほど難しい問題でも無いのではないか、と思うのだ。

 まあそもそも、対話の席を設けること自体が一番難しい気がするのだが…………。

「逃げそうな気がするんだよなあ…………」

 駆逐艦と言うのは、その外見に比例するように、精神年齢も幼い部分がある。

 だから触れられたくない部分に触れようとすれば、逃げてしまうのではないだろうか、とそんなことを思うのだ。

「…………仕方ない…………向こうから接触してくるまで待つか」

 結局、結論は同じところに向かうのだ。そして未だにその気配は無い。

 まあ最悪半年後には元の艦隊に変えるのだから、気長に待とう。

 そう考えていたのだが…………。

 

 案外、その機会は早くに訪れた。

 

 

 * * *

 

 

 いつまでこんなことを続けるのだろう。

 脳裏の浮かぶのは、笑みを浮かべる狂ってしまった…………否、狂わざるを得なかった姉妹艦。

 全て自分のせいだと分かっている。

 それでも思わざるを得ない。

 

「響、最近雷の姿を見ないのです…………何か知らないですか?」

 

 まるでフィルムを焼きなおしたように、決まって同じ台詞を毎日のように呟く電の姿を毎日間近で見て。

 じくじくと心が痛む。あの時の自分の僅かな油断が、ここまで大きくなっていることに。

 

「雷なら、遠征に出てるよ…………近い内に帰ってくるさ」

 

 そうして私は嘘を吐く。

 毎日毎日、狂ったように嘘を吐く。

 少しずつ、少しずつ、心が軋んでいく。悲鳴を上げる。

 そうして、その度に思うのだ…………。

 

 いつまでこんなことを続けるのだろう。

 

 そう…………思ってしまうのだ。

 

「だったら」

 いっそのこと。

「本当にことを」

 言ってしまえば。

 

「……………………Нельзя(ニリジャー)(ダメだ)」

 

 それでもし、電が現実を受け止めてしまったら。

 

「…………今度こそ、電が壊れてしまう」

 

 それこそ、取り返しがつかなくなる。

 じゃあどうすれば?

 そう考えても、答えは出ない。

 分からない、分からない、分からない。

 それでもこれが、自分のしなければいけないことだ。

 自分の過ちの償いなのだ。逃げだすことは出来ない。

 それでも、ふと弱音がこぼれそうになる。

 

 助けて、司令官。

 

 溢れ出そうになった言葉を口を閉じ、押し戻す。

 それではダメだ、と思う。

 誰かに…………司令官に頼っていては、何のためにここに来たのか分からない。

 

「私が…………やるんだ」

 

 目を閉じ、呟く。やるべきこと、なすべきこと、ただやるだけ。

 

 コンコン

 

 そうして今日も、電の部屋の扉を叩いた。

 

 

 * * *

 

 

 ざあ…………ざあ…………と波の音がする。

 夜の海に聞こえる漣の音、と言うのも風情があって悪くないな、なんてそんなことを思いながらテトラポッドに座りながら独り、漆黒に染まった海を眺める。

 時刻はフタフタサンゴ…………二十二時三十五分と言ったところか。

 ここ最近いつも夜はここで一人、酒を飲んでいる。と言っても緊急時にいつでも動けるよう、嗜む程度でしかないが。

 以前はこんなことはしなかった。飲みたいなら、鎮守府の中で飲めば良い。ならどうして今はこんなところで独り杯を傾けているのか、と言われると、なんとも言い難い理由なのだが…………暁と出くわさないようにだ。

 と言っても、自身は別に暁を避けているのではない、むしろ暁が自身を避けている。狭い鎮守府だ、どうしても廊下などですれ違うことはあるはずなのだが、暁がやってきてからこのかた、夜間、業務終了後に出会ったことがほとんど無い。どうも一々出くわさないように気をつかいながら移動しているらしい。

 思わずため息の一つも吐きたくなるが、暁の抱える問題を考えれば、自分に出来るのは暁が自身で問題を解決するのを待つことだけであり、そのためならこのくらいの譲歩はしても構わなかった。

 と言っても、はっきりと暁の抱える問題がこれだ、と分かっているわけでもない。凡そこんな感じなのだろう、と言う程度ではあるが、けれど少なくともそれが暁自身の問題でしかなく、自身が外からとやかく言うようなことでも無いことは分かっている。

 暁自身が歩み寄ってきたなら手を引いてやることくらいは出来るかもしれないが、暁が拒絶している間は何を言っても暁自身には届かないだろう。

「若いな…………全く」

 と言うより、幼いと言ったほうがいいかもしれない。暁に限ったことではないが、駆逐艦と言うのはどこか精神的に幼い部分がある。

 冷静で大人びた雰囲気のあるヴェールヌイだったが、それでもふとした拍子にはその幼さが垣間見えることもあった。

「子供っぽい…………とでも言うべきか」

 そんな自身の一人零した呟きに。

 

「暁はもう大人のレディーよ、子供扱いしないでちょうだい」

 

 背後から返ってくる声があった。

 

 

 

「…………よお」

「…………こんばんわ」

 互いに視線を合わせ、反らさない。まるで時が止まってしまったかのように、互いにじっと見詰め合って、けれど動かない。語らない。黙したまま、漣の音だけが辺りに響いていく。

 暁がどういうつもりかは知らないが、自身のことを言えば面食らっていた。

 そのうち自分なりの答えを持ってくるだろう、とは予想していた。だがそれはもっと先のことだろうとも思っていた。まさかこんな早くやってくるとは思っても見なかったし、そんな素振りも無かった。

 だから、一体どういう心境の変化が起こったのかと思ったし、暁の考えがいまいち読めず、迂闊な言動が出来ずにいる。

 こんなところまで受身でしか動けないことに、僅かに眉根をひそめるが、すぐに戻す。

「………………………………」

「………………………………」

 互いに沈黙を貫く。一体何をしに来たのだろう? と本当に頭を悩ませる。何か言いたいことがあったから、心境に変化があったから来たのだと思っていたが、けれど何も語ろうとはせず、ただ自身の後ろに佇んでいる。

 衝動的に動いた? まだ悩んでいる? そんな可能性を思いつく。そう考えれば現状にもまだ多少納得はいく。

 だとすると、こう言う場合選択肢は二つだ。踏ん切りが付くまで待つか、それとも背を押すか…………。

「…………………………なあ」

 沈黙を切り裂き、声を発する。暁が背後でぴくり、と反応するのが分かる。

「俺はな、基本的にお前らに何か無理強いをするつもりは無い。そもそもお前らにたいしたことは求めちゃいない」

 何を言われるのか、そう身構えていた暁が呟かれた言葉にきょとん、と首を傾げる。

「そもそもがこんな左遷先みたいな鎮守府だ、細かいことを一々言うつもりは無い。極論だけ言って、俺の命令を聞いて出撃だけしてくれるならそれ以外は全部お前らの自由に任せたって良い」

 まあそんなことは出来ないがな、と口元を吊り上げ呟く。

 軍隊と言うのは規律と仕来りが多い。仕来りに関してはほぼ無視しても構わないが、規律を破れば相応の罰がある。自身だけでなく、鎮守府自体にも、だ。

「俺はな…………ヴェールヌイと…………響と分かれる時に一つ約束した。悩んでるアイツの背を押すために、一つ約束した。

 

 いつかまた帰って来い…………その時まで、ここは守り抜いておいてやる

 

 そう、約束した。

 だから守らなければならない。守り抜かなければならない。

 アイツが…………ヴェルがまたここに戻ってくるまで、何人からもこの鎮守府を守らなければならない。

「だから」

 そう、だから。

「俺のために、なんて言わない。お前自身のためだ、なんてことも言わない」

 ただ…………そう、ただ。

「ただ響のために戦ってくれ。暁…………お前の妹のために、この鎮守府を守ってくれ。それ以外に俺はお前に何も言わん。お前の思った通りにすれば良い。()()()()()()()()()()()()()、俺は別に構わん」

「……………………っ!」

 核心を突いたであろう自身の言葉に、暁が大きく震える。

 飲みきって空っぽになったビール缶を握りつぶし、立ち上がる。

 今宵はこの辺りでお開きだろう。暁自身、まだ飲み込めない部分もあるだろうし。

「……………………ゆっくり考えろ。どうせまだ半年あるんだから」

 まあ半年経てば出した答えも無駄になるのだろうが…………そんなこと言っても仕方ない。

 とにかく、言いたいことだけは言えたのでこれで良しとしよう。

 一人納得し、佇む暁の横を過ぎ去っていく。

 

「…………………………っ」

 

 後に一人、何か言おうとして、けれど言葉を飲み込んだ暁を置き去りにして。

 

 

 * * *

 

 

 波の音が耳をくすぐる。

 月の光に照らされて、少女は一人ため息を付く。

「……………………………………はぁ」

 泣きたいような、怒りたいような、それとも悲しみたいのか。

 そんな複雑な気持ちをない交ぜ、思わず叫びたい衝動をため息と言う形で発散する。

 見抜かれていた、と思うべきなのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 とあの人は言ったのだから。多分、自身の心情など見抜かれていたのだろう。

 その上で、あの態度であの台詞なのだから、複雑だ。

「どうすればいいのよ…………もう」

 頭を抱える。暁は元来それほど深くものを考える性質(たち)ではない。そういうのは妹の響の領分である。暁はどちからと言えば情動的に動く性質だ。理屈よりも感情を優先する。だからこそ困っている。

 これまで感情の面で今の司令官を認められず、理性の面で認めると言う相反する思いを抱いてきた。

 だがその感情の面を許された、認められた。だったら良かった、じゃあそうします。なんて素直に思えるほど暁は能天気ではない。

「…………なんで優しいのよ…………暁は…………私は…………」

 いっそ嫌いになれれば良かった。いっそ憎めれば良かった。

 なのにどこまでのあの人は善人で、妹の恩人で、そして自身にとっても良き司令官だった。

 

 結局、どこまで言っても認められない自身が子供で。

 

 どこまでも許容してしまうあの人が大人過ぎる。

 

 なんて、言い訳だろうか。

 

「分かっているのよ…………暁にだって」

 

 認められない自分が悪いのだ。

 

「分かってるのよ…………」

 

 認められない自分が子供なのだ。

 

「………………暁だって分かってるわよ」

 




なんか長いこと執筆してなかったから、この作品書くのにえらく時間かかりましたが、なんとか投稿です。


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ホントどうすればいいのかな

 

 

 驚愕と言うのは予想を超えた事態が起こった時に沸く感情だ。

 そう言う意味では、この心に走った衝撃を驚愕と言うのだろう。

 勤めて表情を崩さないようにしてはいるが、それでもこの衝撃を隠しきれている自信は無かった。

「こうして会うのは久々だな? ようこそ、私の鎮守府へ」

 そう言って、目の前の女性…………火之江(かのえ)中将は不敵に笑った。

 

 女性の軍人と言うのは、過去から見ればあり得ないようなことだったらしい。

 と言うか、今でも陸軍と空軍では滅多に見ないと言っていいほど珍しい存在である。

 だがこれが海軍となると意外と少なくない。彼女たちは全員が提督になるか、ないし、提督を目指している。と言うかそれ以外に道はほぼ無いと言っても良い。正確には、提督と言う立場に女性を増やそうと海軍が積極的に動いているのだ。その理由としては分かりきったことではあるが、艦娘の存在がある。

 当たり前だが、艦娘と言う名の彼女たちは女性しかいない。そして提督と言うのは艦娘にとって非常に密接に関わっており、艦娘にとって最も近い距離にいる存在と言っても良い。

 つまりあれだ…………艦娘とそういう関係になる提督と言うのが過去続出したのである。中には艦娘と致してしまった提督までいる。

 艦娘と言うのは個々の見解はともかく、海軍全体からすると兵器である。つまり所有者が存在する。それは提督ではなく、国家と言うもっと規模の大きいものによって管理されている。つまり、国家から貸与されている形なのだ。

 その艦娘に手をつける、と言うことは即ち貸与物の私物化、横領に値する…………らしい。一応法に照らし合わせるとそうなるらしい。そんな感じに処分された提督が過去続出したらしい。さらに、艦娘は先ほども言ったが女性人格しかいない。その精神性もまた女性のソレであり、男性提督とは反りの合わない潔癖症のような艦娘と言うのも中にはいて、まあそんなもろもろの事情を一まとめに解決するために海軍が推奨したのが女性提督だ。

 そもそも同姓ならそんな関係にもならないだろうし、同じ女性ならば艦娘の気持ちも理解してやることができるだろう、と言うある意味艦娘の気持ちを汲んだように見えてその実、艦娘相手のカウンセリングを整備、などと称する辺り上層部の艦娘の扱いと言うのが伺える。

 まあそんなこんなで海軍には女性提督が増えている。だが基本的に女性提督と言うのは昇進しにくい。中佐以上の女性提督なんて今まで数えるほどしかいない、と言っても過言でないほどだ。

 理由など簡単である。女が自分と同じ地位に、あるいわそれ以上に立つことを認められないやつらが上に居座っているからだ。こればかりは陸海空どの軍でも共通だ。

 そんな中で女性でありながら中将と言う地位に上り詰めた目の前の人物は、つまりそれほどの傑物である、と言う証左でもあった。

 

 そう…………女性である。当たり前だがこれでも上官である、何度も会ったことはある。

 だが、いつも帽子で髪は隠れていたし、いつも同じ軍服姿でしか会わない故に気づかなかった。

 目の前の上官殿が、自分とは違う性別の持ち主であると言うことを。

 いや、だからどうした、と言う話ではある、あるのだが…………それでも驚愕するしかない。

 男だと思っていた人間が女だった、言葉にすればそれだけなのだが、実際に衝撃で思考が止まった。

「あ、の…………中将……殿……?」

 ぱくぱくと、驚きのあまり開いては閉じるを繰り返す口からやっとのことで漏れた言葉がソレだった。

「どうかしたか?」

「あ、いえ…………その…………その、髪…………いえ、なんでもありません」

 今日の中将殿は珍しく帽子を被っていない。そのせいか、肩ほどまで伸びた黒い艶やかな髪がはっきりと見えていて。そこでようやく気づく、自身のこれまでの勘違いに、そして目の前の人物の性別に。

 会うたびに無愛想な…………機嫌の悪そうな表情をしていたから、こうして笑みを浮かべているのを見るのも初めてだが、こうして見ると相当な美人であった。それこそ、艦娘と呼ばれる彼女たちと比べても遜色無いほどに。

「ふむ、そうか…………まあいい。とにかく今日はよく来た。存分に歓迎させてもらおう」

 そう言って、目を細める中将殿。その目は表情とは裏腹にどこか真剣な色があり、一体何故自分がここにいるのか、思わず考えてしまうくらいには自身を困惑させた。

 

 そう、そもそもの始まりは昨日唐突にやってきた島風だ。

 

「………………これは?」

「読んだそのままよ?」

「招待状と書いてあるが?」

「だから、そのまま」

 事前の連絡も一切無く唐突に現れた島風に、自身もそして暁も慌てて島風の元へと向かった。

 事前連絡も無いということは、何か緊急性の高い…………そう、この間の大海戦以上の出来事でも起こったのかと危惧したからだ。

 暁を伴い、島風と面会する。そうして挨拶も抜きに、差し出されたのは一通の手紙。

 一体何なのか、そんな戸惑いはあったが、島風に焦った様子が見られないことから、火急の事態と言うわけでも無さそうだと判断すると、手紙の封を切る。

 そこに書かれていたのは、招待状と表紙に銘打たれた折りたたまれた紙。

 招待している相手は…………中将殿。

「…………………………これは何かの手の込んだ悪戯か何かか?」

 あの中将殿が、自身を、招待?

「それとも、ついに自分をクビにでもするつもりか?」

 この間の海戦の時、中将殿に歯向かったのが今頃問題になったか?

「…………はぁ、本心言わないから、こうやって曲解されてるのよ、あのバカ」

 そうやってあれこれ考えていたせいか、机を挟んだ向かいに座る島風の呟きを聞き逃した。

 だが、形はどうあれ、上官からの直接名指しによる召集だ。行かない、と言う選択肢は無いだろう。

 

 と、まあそんなことがあり、翌日、暁を伴い中将殿の鎮守府へと移動してきたわけだ。

 到着して早々、自身は応接室へ。暁は艤装のメンテナンスのために工廠へと案内役の艦娘に連れて行かれた。

 応接室で手持ち無沙汰にすること十五分ほど。ノックと共に扉が開かれる。

 来たか…………そう、心中で呟き、そちらへと向いて…………。

 

 入ってきた女性の姿に、驚愕した。

 

 

 * * *

 

 

 カツ、カツ、と革靴で石畳を叩きながら一人の男が薄暗い廊下を歩く。

 天井に吊るされた電球に、けれど電気は通っておらず窓から差し込む僅かな陽光だけが廊下に明かりをもたらしていた。

「………………………………………………」

 黙したまま、目を伏せて一歩ずつ、まるで死刑台に上る囚人のような足取りで男は進む。

 進んで、進んだ先には一つの扉。ドアノブに手をかけ、回す。

 がちゃり、と音を立てる…………カギはかかっていない。

 けれど男は扉を開かない、よく見ればドアノブを握るその腕は僅かに震えていた。

 やがて意を決したように男がそっと扉を開く。

 

『あら、司令官、おかえりなさい』

 

 そこにあったのは誰もいない部屋にぽつんと置かれた大きな机と椅子。

 締め切られたカーテンに遮られ、室内は暗い。

 片隅にぽつんと置かれていたのは、最近買ったばかりの本棚。

 

『難しい本がいっぱいね…………へ? よ、読めるに決まってるじゃない、私はもう大人なんだから」

 

 ふと机に置かれた洒落た電気スタンドに視線が止まる。

 

『可愛くない? そんなことないわよ、とっても可愛いじゃない。もう、司令官ってば紳士じゃないわよ?』

 

 脳裏に蘇る記憶に体が震える。

 どさり…………と、体が崩れ落ち、膝を付く。

 そして独り、震える声で呟く。

 

 すまない、と。

 

 すまない………………暁。

 

 

 * * *

 

 

 気まずい。中将殿の二人きり、応接室で机を挟んで向い合うと言うこの状況に冷や汗が流れる。

 胃がキリキリと痛み、唾液を何度も飲み込んだ口内はカラカラに乾いている。

 すでにこうして向い合ってゆうに三分は過ぎている。

 秒に直せば百八十秒…………いやもう二百秒は過ぎたはず。

 なのに会話は一度も無い。中将殿も入ってきた時に声をかけてきたものの、ソファに座ってからは黙りこくり、口を噤んでいる。

 こちらから話かけたほうがいいのだろうか? とも思ったが、けれど何を話せばいいのか分からず黙りこくる。

 そうしてさらに一分、二分と経過して、自身がこの部屋に入ってきて五分は経とうと言うその頃。

 

「…………………………キミは、私を恨んでいるのだろうね」

 

 ふいに、中将殿が口を開いた。

 その唐突な始まりに、そしてそのあまりにぶしつけな内容に、数秒思考が止まった。

 そんな自身に畳み掛けるように中将殿が続ける。

 

「まあ正直言えば、恨まれるようなことを言っている自覚はある。だからそのせいでキミが私を恨むと言うのなら、それは完全無欠に正しいことだろう」

 

 いきなりそんなことを言って来る中将殿の意図が掴めずに黙り込む、だがすぐに考えを改める。

 少なくとも、このまま決め付けられたままでいるのは、我慢は出来ない。

 

「自分は、あなたが嫌いです」

 

 はっきりと、言葉と言葉に合間に差し込むようにそう言うと、中将殿が面くらったように目を見開き、そうしてやはり、と言う表情を浮かべた。

 

「けれど………………別に恨んじゃいません」

 

 そんな自身の言葉に、はっきりと中将殿が驚きの表情を浮かべる。

 正直言えば、自身はこの人が嫌いだ。あんな状態の響を自身の鎮守府を送り込んだことは許せそうに無い。

 どうして自分たちで響を助けようとしないのか、生きることが辛い、そんな表情を浮かべる彼女を見るたびに、自身はそう思い、彼女を自身の下へと送ってきた中将殿を嫌った。

 だが同時に信頼している。中将殿がどれほどこの国の平和を願っているか、それを知っているだけに。どれほど艦娘と言う存在を大事にしているか、それを知っているだけに。

 まあだからこそ、どうして響だけあんな捨てるような真似をしたのか、そう思ってしまう部分もあるのだが。

 中将殿が声にもならない声で口を開く…………どうして、と。

 

 懐から一通の封筒を取り出す。紙がくたびれ、すっかりよれてしまったそれは、その古さを思わせる。

 すでに口を切られた封筒の中から一枚の便箋を取り出すと、それを机の上に置く。

 

「…………これは?」

()()()()()()()

 

 その言葉に、驚愕と言う言葉すら生温いほどに衝撃に打たれる中将殿。

 

 翔鶴型航空母艦2番艦、瑞鶴。

 

 自身が生まれた初めて出会った艦娘の名であり。

 

 自身の父の秘書艦を勤めていた…………第一艦隊旗艦を長らく勤めていた少女の名であり。

 

 

 

 中将殿が撃沈させた艦の名でもある。

 

 

 

 * * *

 

 

 窓の外を見ればすでに夕暮れ時。

 夕日が眩しいと感じる、だがそれでも窓の外を…………そこに広がる海を見続ける。

「提督? どうしかしたの?」

 秘書艦である島風が不思議そうに尋ねてくるが、ちょっとね、とだけ答え、そのまま黙する。

 自身の雑な答えに島風が不満そうにこちらをジト目で見てくるが、それを気にする余裕すら自身には無かった。

 

 瑞鶴。

 

 その名をまさか今頃になって聞くことになるとは、あまりにも予想外過ぎた。

 そしてその遺言をまさか彼が持っているとは、想像も付かないことだらけで、頭の中は混乱しきっていた。

 結局、彼と碌な話もできないままに最初に会合は終わってしまっていた。

 渡された一通の手紙、彼曰く、()()()()()()()()()()()

 

 どうして今頃、そう尋ねる自身に、彼は笑ってこう答える。

 

 だって、自分はあなたが嫌いですから。

 

 全く持って自業自得だ。彼に嫌われるようなことをしたのも自分なのだから。

 例え、()()()()()()()()()()()があったとしても、だ。しかもその理由が自分()がりな一方的な理由なら尚のこと。

 手の中で封筒を弄ぶ。夕焼けの空へと掲げ、それを眺めていると、横から封筒がすっと抜き取られる。

 視線をやると、島風がこちらを不満そうに見つめながら頬を膨らせていた。

「てーとく! いい加減、返事してください」

「島風、返してくれる?」

 そう言って封筒へと手を伸ばすが、島風がずいっと封筒を持った手を下げて遠ざける。

「……………………島風?」

 じと、とした目を彼女を睨む。だがそれに怯まないどころか、それ以上に気迫でこちらに詰め寄ってくる。

「さっきからおかしいですよぉ! これが原因ですか?」

 ついっと、手元の封筒に視線をやる。ギッ、と視線を光らせると、おもむろに口の閉じた封筒の封を破り…………。

「止めろ島風!!」

 とっさに呼び止めたせいか、自身が思っていたよりも大きな声が出た。そんな自身の声にびくり、と驚き目を丸くする島風。

「あ、いや…………その、本当に大丈夫だから。それを渡して」

 極力刺激しないように、そっと手を差し出す。だが島風はふるふると震え黙るだけで…………。

 あ、不味い。そう思った時にはもう遅かった。

 

「提督の馬鹿! もう知りません!」

 

 机の上に封筒を叩きつけ、風のようにあっという間に部屋を飛び出していく。

 後に取り残されるのは、ぽつんとそれを眺める自身だけであり…………。

 

「ああ…………もう…………ホント、私の馬鹿」

 

 どうしてこうなった、と思わず帽子を手で抑えながら、ずるずると椅子の上で崩れ落ちた。

 彼を呼び出しておきながら碌に話も出来ず。

 もう過ぎ去ったはずの過去が思わぬところから蘇り。

 挙句の果てには、最も信頼している秘書艦に逃げられる。

 本当にどうしてこうなった…………。

 

「…………………………ホントどうすればいいのかな」

 

 




珍しく中将殿のターン。
そしてここにきてまさかの新キャラ瑞鶴。

自分の勝手なイメージですけど、中将は中将の鎮守府周辺の海域の鎮守府に着任している佐官たちのまとめ役みたいな感じです。というか、中将の子飼いの佐官を自分の鎮守府の周辺に着任させている、と言うべきか。ただまとめ役にしては島風色々動かし過ぎですけどね。

この間投稿した時感想来なくてさびしかったので、感想お待ちしてます。


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もうちょっとだけがんばってみるさ

 何も言えなかった。彼女を前にして、何と声をかければいいのか悩み、答えは出ない。

 そんな自身に彼女は笑って告げる。

「なに難しい顔してるのよ、提督さんのせいじゃないわ…………なるようにしてなった、それだけのことなのよ」

 どうして彼女は笑えるのだろう。

 

 今から死んで来い、とそんな命令を自身から出されておきながら、どうして彼女をそんな風に笑えるのだろうか、それが自身には分からない。

 

「私が命じたんだ…………キミに死んで来いと、助かる見込みの無い戦場へ行って来いって、私が命じたんだ。例えキミがそう言ったとして、それは提督としての私の役割だ。そこを譲れば私は提督なんかじゃない」

 だからこそ、背負わなければならない。そして彼女に対して保証しなければならない。

 ああ、ようやく彼女へとかける言葉が見つかった。

 

「約束しよう、瑞鶴。キミが戦ったその意味を無駄にはしない。必ず助けてみせるし、必ず終わらせてみせる。キミの守ろうとしたもの全て、キミが愛したもの一つ残らず、全て私が守り通そう、私が守り抜こう」

 

 だから、そう、だから…………安心して、死ね。

 

 そう告げた自身に、瑞鶴がふっと笑う。

 

「そう…………なら、頼んだわね、提督」

「ああ…………頼まれるよ、狭火神(さかがみ)提督の代わりなんて、私程度に勤まるかは分からないけれど、けどやってみせるよ」

「そっか…………ねえ、提督」

「なんだい?」

「…………ありがとう、それと…………うん、さようなら、火火(ほのか)

 

 そうして自身たちは別れた。自身は鎮守府へと戻っていき、彼女は単身、海へと繰り出していった。

 

 それが彼女と交わした最後の言葉だった。

 

 それが彼女を見た最後の光景だった。

 

 分かっていた、もう帰ってこないと。

 

 そうなったのも全部私のせい…………とは言わない。

 狭火神提督の突然の死による周辺鎮守府の混乱、それにあわせたかのような深海棲艦の侵攻、そして狭火神提督の権益を狙う上からの圧力。

 内憂外患の状況、内からも外からも足を引かれ、どうにもこうにも動けない状況を打開し、ようやく自由に動くことができるようになったその時にはすでに深海棲艦の領域は致命的なまでに広がっていて…………。

 こうして人類は狭火神提督の起こしたいくつもの奇跡のような海戦によって獲得した海域の半数以上を失い。

 

 狭火神提督が率いていた最強の艦隊の最後の一隻であり、狭火神提督の最も信用し、重用していた秘書艦瑞鶴をも都度十数回の海戦の末、失った。

 

 

 * * *

 

 

「言い訳がましい…………かな」

「何がでしょうか、提督?」

 何でも無い、と首を振り目の前の彼女を見据える。

 翔鶴型航空母艦一番艦翔鶴。自身の艦隊に最も後から合流した少女の名であり、瑞鶴の姉の名でもある。

「ねえ、キミは私を恨んでる? キミの妹を守れなかった、キミの妹に死ねと命じた…………キミの妹を殺したも同然の私を、恨んでいるかい?」

 そんな自身の問いに、翔鶴が沈黙する…………その目から感情は読み取れない。

 だがそれも数秒のことであり、すぐに翔鶴が首を振る。

「恨んでなんていません、私たちは艦娘ですから…………戦うことこそが本領である私ですから、戦いの中で沈むのなら、なるべくしてなった、としか思いません」

 だから、提督を恨むなんて筋違いです。そう告げる彼女に、机に下に隠した手に持った手紙を出そうとし、少しだけ悩む。

 これは確実に劇薬だ。恐らく先ほどのは翔鶴の本心であり、彼女なりに割り切った部分もあるのだろう。実際、艦娘は人間にように見えて、人間とは多少違った精神構造をしている。と言うか、自身の存在意義(レゾンデートル)を最初から戦いと決めているので、普通の人間よりも思考が物騒である。

 つまり、多少マイナス方向に偏っているとは言え、翔鶴の精神はこれで安定しているのだ。自分が戦えと言えば戦うだろうし、死ねと命じれば多少動揺はするだろうが、それもまた戦時の常と割り切って死ぬだろう。

 だからこれを見せるのは結局、自分の感傷だ。自分だけが抱えるには重すぎるから、他人に知ってもらって少しでも共有してもらって、自分の重荷を軽くしようとしているに過ぎない。

 それでも、見せようと思う。例え感傷でも良い。例え逃げだとしても良い。

 

 妹が(カゾク)へと宛てた手紙を、握りつぶすなんて真似、自分には出来なかった。

 

 逡巡し、止めていた手を机の上に出す。

 翔鶴の視線が動く、自身の手を見、そしてそこに握られた手紙を見る。

「これを」

 なんと言って渡せば良いのか、考え、けれど答えは出ず、結局出たのはそんな簡素な言葉。

「これは?」

 翔鶴が小首を傾げながら手紙を受け取る。開けてみろ、と言うと翔鶴が口を開いた封筒から一枚の紙を取り出す。

 そうして、その内容に目を通し…………目を見開く。

「…………嘘」

 漏れ出したその声に、一体どんな心境なのか、伺い知ることは出来ない。

 だが視線は手紙に固定されており、最早完全に自身の世界に入っていた。

 瑞鶴の遺言、そう言って彼から手渡された手紙…………封筒は一通。

 その中に入っていた紙は二枚。一枚は自身へ宛てた手紙、そしてもう一枚が…………まだあの頃は建造されてもいなかった彼女、姉の翔鶴への手紙。

 最初は驚いた。何せ自身が翔鶴を建造したのは、瑞鶴が沈んだ三年も後のことである。瑞鶴と最後に会ったあの頃はまだ存在してもいない姉への手紙が入っていたのだ。

 予想していたのか、それとも、もしもの時のためのものだったのか。

 内容は読んでいない。翔鶴宛の手紙だと言うことは、最初の一文を読めば分かったので、その時点で読むのは止めていた。他人へ宛てた遺言を読むのは、さすがにプライバシーの侵害だ。

 

 翔鶴は自身が最後に建造した艦だ。だから必然的に付き合い事態は最も浅い。

 だがそれでも数年来の付き合いだ。互いにある程度以上の信用はあると思っている。

 だがそれでも悩んだ。彼女の遺言を本当に渡して良いのか、と。

 

 察せているかもしれないが、建造して最初に翔鶴には妹である瑞鶴のことを話している。

 自身が以前いたところに瑞鶴がいたこと、瑞鶴の提督が亡くなったこと、そして瑞鶴を自身の命令で殺したこと。

 それでも彼女は自身に従ってきた。自身が折れた時も傍で励まし、助けてくれた。

 そんな彼女だからこそ、躊躇ったのだ。遺言で彼女の態度が変わってしまうことを恐れたのだ。

 結果なんて分かっていても、もしかしたら、と言うこともあるかもしれない。

 

 結局、そんなこと無いなんて、分かっていたのに。

 

「提督」

 翔鶴が自身を呼ぶ、顔を上げ翔鶴を見やると、丁寧に折りたたみ、封筒に戻したソレを返しえてくる。

「……………………いいの?」

 手紙を返す、それはつまり、もう読み終わった、と言うことであり、これ以上読む必要はない、と言う意思だった。

「はい、あの娘の…………瑞鶴の本心を知れた、それだけで満足です。提督、あの娘の言葉を届けてくれて、ありがとうございます」

 そう言って微笑む翔鶴は、けれどどこか寂しそうであり、思わずため息を吐く。

「…………やれやれ、キミも私にそう言うんだね」

「はい? えっと、何のことでしょうか?」

「ああ、いや…………うん、なんでもないよ。用事はそれだけだから」

「はあ…………そうですか、では失礼しますね」

 部屋を出て行く翔鶴の後ろ姿を見ながら、そしてその姿が扉の向こうに消えていくのを見ながら、思わず呟く。

 

「…………ありがとう、ねえ。どうしてキミたちはそんなこと言えるんだろうね」

 

 殺したのは私なのに。

 

「これだから艦娘って言うのは分からない」

 

 だとするなら、キミは一体どんな気持ちだったのかな?

 

「ねえ……………………雷ちゃん」

 

 自身しかいないその部屋で、一人、自嘲気味に、そう呟いた。

 

 

 * * *

 

 

「面倒くさい」

 通された客間に戻り、ひとりごちる。窓の外を見れば日は沈みかかっている、夕暮れの空はけれど夜の闇へと塗り替えれていく途中であり、どこか物寂しさを感じさせた。

 差し込む夕日に目を細め、カーテンを閉めてしまう。そうして思うのは、どうにも最近、以前とはうって変わって面倒ごとが増えた気がする、と言うことだ。

 暁のことと言い、中将殿のことと言い、以前はヴェルと二人でのんびりと老後の生活のような生き方をしていたはずなのに。

「けど…………ようやく渡せた」

 瑞鶴が自身に託したもの、十年前のその時からずっと隠していたソレ。

「やっと渡せたぞ、瑞鶴姉」

 

 

 七歳の時、母さんが死んだ。

 鎮守府へ行ったまま戻らない父親の代わりにずっと自身の面倒を見、育ててくれた母さんは、けれど死んだ。

 引き取られた先は、当然ながら残った父親の元であり、つまりは鎮守府だった。

 本来なら子供とは言え、部外者を鎮守府に入れることなどできるはずも無い。ましてやそこで生活などもってのほかだ。

 だがそれを押し通すだけの権限を持っていたクソ親父の手によって、自分は鎮守府へと引き取られた。

 けれど、提督としての腕は確かでも、人の親としては最低のクソ親父がまともな子育てなんてできるはずも無く。

 そんなクソ親父の代わりに自身を育てくれたのが、瑞鶴と言う名の少女だった。

 まだ幼かった自身にとって、彼女は姉のような存在で、彼女もまたそんな自身を弟のように可愛がってくれた。

 今になって思い返せば、瑞鶴が良く話していた、父親の片腕の少女、と言うのは中将殿のことだったのだろう。今日の今日まで中将殿のことを男だと思っていた自分はそのことに気づきはしなかったが。

 そんな姉のような存在が死んだ。

 どうして? 何よりも先に思ったのはそんな言葉だった。

 まだ彼女たちをのことを、彼女たちと言う存在をよく知らなかった自分にとって、それは理不尽としか言い様の無い別れだった。

 

 

 

 …………………………キミは、私を恨んでいるのだろうね。

 

 与えられた客室の寝台に寝転がりながら悶々と考える。

 恨んでいる…………のだろうか、自身は。

 

 自分は、あなたが嫌いです…………けれど………………別に恨んじゃいません。

 

 そう、あの言葉に嘘は無いはずだ。そう、そのはずだ。自身で言った言葉だが、少しだけ自信が無い。

 彼女が死んだのは他でも無い、彼女自身の意思だった。

 そのことは自身に充てられた遺言に書かれていた。国のため、人のため、そして何よりも鎮守府の仲間たちのために彼女は戦った。戦って、そして死んだ。

 艦娘とは不思議な存在である。人の感情を宿していながら、死を恐れない。否、恐れない、と言うのは少し語弊がある、正確には戦った結果死ぬことを悔いない。戦った結果の死を受け入れるその姿は、軍人の鑑と言えるだろうが、けれど人としてみるならそれは異常でしかない。

 

「ああ…………もしかして」

 

 もしかして、自身はそんな彼女のことがわからないから、そんな彼女のことが知りたくて今の場所に立っているのだろうか? 明確な目標があったわけでもない、ただ漠然と進んだ道だったが、今更ながらそんな理由を思いついた。

 ぐるぐると、形にならない言葉が脳裏を巡っては消えていく。

 そうしてどれほどの時間思考を続けていただろうか。

 

 コンコン

 

 扉のノックされる音に、思考が打ち切られる。

 ふと時計を見れば、たっぷり三十分は時間が過ぎていた。考え込みすぎたか、と内心反省しつつ扉の鍵を外し、扉を開く。

 そうしてそこにいた人物を見て、目を丸くする。

 雪のような銀髪、アイスブルーの瞳、そしてセーラー服と帽子。見覚えのある…………見覚えがありすぎる少女が、ヴェールヌイがそこにいた。

 ヴェールヌイは今、中将殿の艦隊に戻っている。だったら今この鎮守府にいることは何もおかしくは無い。そもそも自分が中将殿と会っている時、暁はヴェールヌイに会いに行っていたのだから、居ることは知っていた。

 多分会いに来るだろうとは思っていたが、こんなに早く来るとは思わなかった。暁はどうしたのだろうか? 正直、今日一日は久々に姉妹に会えるとテンションを上げていた暁が放してくれるとは思わなかったのだが。

 

「……………………やあ」

「……………………よう」

 

 以前見た時より、少しだけ陰を落としたその表情に、僅かに眉を顰めるがすぐに部屋の中へと入れてやる。

 ヴェルもまた何も言わずに部屋へと入り、一つしかない椅子に座ってしまう。

「暁は?」

「私の部屋で寝てるよ……………………ずっと話してたら疲れたらしい」

 子供か、と言いかけて、子供だったな、と気づく。ヴェルも大人びているようで子供な部分もあるので良く似た姉妹だと思う。

「久しぶりだな」

「ああ、うん……………………そうだね、久しぶり」

 少しだけ詰まったその言葉に僅かに首を傾げつつ、ヴェルとの会話を続ける。

「元気…………そうじゃないな」

 そんな自身の言葉にヴェルが少しだけ戸惑い、苦笑する。

「ああ、そうだね…………少しだけ疲れたかな」

「進展は…………無さそうだな、その様子だと」

「悪化してる気がするよ、本当に困った話さ」

 そう呟き、ヴェルが疲れた息を漏らす。その表情は苦悩の心情を見て取れ、かなり精神的にやられている様子が伺えた。

 だからと言って自分がどうこうできることではない、他所の鎮守府の話だし、ヴェールヌイが過去と向き合うためには避けては通れない物だから。

 だから、そう…………自身にできることなんてこのくらいだろう。

 

「お疲れ様」

 

 そう言って、その頭を優しく撫でてやる。

 椅子に背を預けたヴェールヌイの肩から少しだけ力が抜ける。

「うん…………そうだね、少しだけ…………そう、少しだけ、疲れたよ」

 珍しく弱音を吐いた目の前の少女の頭をゆっくり、ゆっくりと何度も撫でてやりながら、諭すように呟く。

「頑張れ…………きっと電もいつか立ち直るさ」

 お前がそうだったように、言葉の裏にそんな意味を込めて呟いた言葉に、ヴェルが、ああ、そうだね、と頷く。

 

「もうちょっとだけがんばってみるさ」

 

 




ちょっと情報が錯綜して、話が迷走してる感じがあるけど、そろそろ第二章の終わりに向けて話を進めていきます。



簡易情報まとめ


瑞鶴→十年ほど前に轟沈。主人公の父親の秘書艦をしていた。母親を亡くした少年時代の主人公を親失格な父親の代わりに育てた主人公にとって姉代わりの母代わりのような存在。

中将殿→実は女。そこは別にどうでもいい。まだ仕官学院を出て数年しか経っていない頃にはすでに主人公の父親の片腕として活躍中。主人公の父親が死んだ十年前の混乱の際、その後釜として混乱を収拾、同時期に発生した深海棲艦の侵攻を、瑞鶴を始めとした主人公の父親の元第一艦隊の面々を使って足止めした。その際、たった一隻、瑞鶴だけ轟沈した。瑞鶴の轟沈後、混乱を収拾させた中将(当時大佐)が反転、攻勢に出て敵の大群を打ち破る。

翔鶴→中将殿が自身の鎮守府を持ってから最後に建造された艦。瑞鶴が沈んだかなり後の話であり、翔鶴自身は瑞鶴が沈んだことを知っている。その心中は?


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まだ大丈夫、平気さ

 

「先日は途中で終わってしまったからね…………改めて話をしようか」

 昨日とは打って変わった様子の中将殿の執務室で、豪奢な机を挟んで二人向かい合って座る。

 昨日までの動揺は一切見せず、まるで何事も無かったかのような表情で、中将殿が話を切り出す。

「あまり余計な話は端折って言う、今回キミをこの鎮守府に呼び出した件についてだ」

 あの招待状と言うのはやはり(てい)の良い召集令状だったらしい。

「まず前提として、今の海軍の現状、と言うのは知っているか?」

 中将殿の言葉に、自身は首を振る。と言うか、知っているはずも無い。

 何せ提督となって最初の鎮守府があの孤島で、本土との接触もほぼ皆無だ。

 さらに言えば、自身は未だ少佐。提督となってから昇進もしていないので、鎮守府を放り出してまで本土へと行く用事も無い。精々こうして、近隣の海域にある中将殿の鎮守府にやってくるくらいだろう。

 そんな自身の状況を察してか、中将殿が苦笑する。と言うか、自身の現状の原因の半分以上は目の前の人物なのだから、そのくらい分かっているはずだ。つまり分かってて聞いているのだから、性質が悪い。

 

「まず現状、海軍には三つの派閥がある」

 そう言って中将殿が人差し指を立てた。

「一つ、深海棲艦の脅威に対し、積極的に攻勢に出、これを撃破。この海より深海棲艦を根絶やしにしようとするタカ派」

 続けて中将殿が中指を立てる。

「一つ、深海棲艦を排除よりも、本土の防衛、海域の確保を優先し、専守防衛に徹しようとするハト派」

 さらに中将殿が薬指を立てる。

「最後に、両方の意見を取り入れ、本土の防衛と敵深海棲艦の撃破、海域の制圧を並行して行おうとする中立派」

 そこまで言って、中将殿が言葉を止める。そして机の上のソーサーに置いたカップにポッドから珈琲を注ぎ、こちらの目の前に置いて来る。それから一度立ち上がり、部屋の壁際に置かれた棚からもう一組のカップとソーサーを取り出すと、同じように珈琲を注ぎ、また座る。

「ここから少し面倒な話になる。珈琲でも飲んで落ち着きながら聞いてくれ…………ああ、ブラックで大丈夫だったかな?」

 そんな中将殿の問いにこくりと頷きつつ、言われた通りにカップに口をつけると、珈琲特有の苦味が口の中に広がる。だが決して悪くは無い、否、むしろなんとも形容し難い、癖になりそうな美味しさがあった。

 提督になる以前は良くインスタントコーヒーを飲んでいたが、うろ覚えに覚えているその安物の珈琲とは全く違う味わいに、少しだけ値段を聞くのが怖くなった。

 そんなこちらの心情を知らず、中将殿が慣れた仕草でカップに口をつける。女性だと知った今、こうしてその仕草を見ていると、確かに何となくだが女性らしい気品のようなものがある。まあそもそも今までこうして中将殿と二人で飲食を共にする場面など無かったので気づかなくて当然なのかもしれないが。

 ふう、と中将殿が一つ息を吐き、こちらを見つめる。どうやら話の続きをするらしいことを察した自身も身を正す。

 

「一つ尋ねるけれど、少佐はこの中で最大派閥と言うのがどれだと思う?」

 

 そう言って中将殿が尋ねてくるが、こちらとしては正直分からない、と言ったところだ。

 だが海軍の現状、と言うよりも、現在のやり方を考えれば…………。

「中立派、ですか?」

 その答えに、中将殿が頷く。どうやら合っていたらしい。

「今の海軍の体制を考えれば分かるとは思うが、全体の半数以上が中立派で占めている。特に三人の元帥の内の二人、十人の大将のうちの七人が中立派と言われている」

 上層部までもが中立派で圧倒しているとなると、タカ派もハト派も相当に厳しいのだろうことは分かる。まあそんな派閥消えてしまったほうが自分的には助かるので同情も無いが。

「タカ派は藤枝宗一郎元帥を筆頭に、副島雄大大将、二之島遼平大将などが代表的だよ。名前くらいは聞いたことは?」

「確か三年前の空軍第三の解体に反対していた人でしたか」

 深海棲艦が現れて以来、陸軍も空軍も非常に立場が低くなった。と言うか、海軍の立場が急上昇した結果、相対的に低くなったと言うべきか。

 いや、陸軍は本土防衛の最後の砦と言う名目があるが、空軍はそれより酷い。

 何せまともに飛べることができるのは、本土の上空だけと言う有様である。

 どんな航空機を使っても、海上に出た途端、機械類が異常な係数を示し、通信やレーダーと言った電波を使う機材類は一切使えなくなる、深海棲艦の出現が理由とされているが、具体的な原因は不明。さらに深海棲艦の艦載機と戦闘しても、艦娘の砲撃でも無ければ艦娘の放った艦載機でもない、普通の航空機ではその機体の十分の一どころか五十分の一にも満たない敵の小さな艦載機に勝てない。

 理由は分からないが、深海棲艦の艦載機は海上以外には飛んでこない。だが海上に出ればいとも容易く撃墜される。何せレーダーが使えない以上、肉眼で捉えるしかないが、その大きさは五十センチにも満たないのだ。広い海、広い空、そこから点のような小さな艦載機を見つけることなど、ほぼ不可能と言っても良い。

 この狭い島国は、海と空を奪われている。そして僅かながらではあるが、海を取り戻した海軍と未だに空を取り戻す目処の立たない空軍。どちらが重要視されたかなど言うまでもない。

 そして三年前の夏。航空自衛隊首都防衛第三航空隊とかそんな名前の空軍の部隊の解散が政府への議案として出題された。

 その際、最も強く反対をしていたのは勿論空軍のトップであるが、意外なことにその次に反対を強めていたのが先ほど名前の挙がった海軍元帥藤枝宗一郎。いや、意外と言うほどでもないのかもしれない。何せ空軍の元帥と彼は仕官学院時代の級友だったらしい。

 そんな風に自身の思い出す限りの情報を口に出すと、中将殿が頷く。

「大よその認識はそれで構わない。そして次にハト派、これが現在の最大の問題でな」

 挙げられた名前は、けれど自身には聞き覚えの無い名前ばかり。

「ではこの名前は? 斑鳩正輝大将」

「え?」

 不覚にも、聞き覚えのある名前に、声が口をついて漏れた。

 と言っても、直接面識のある人物ではない。

 ただ斑鳩正輝と言う名前は…………自身の父親の盟友と呼ばれた人間の名前である。

 目の前にいる自身の父の右腕だった女性を思わず見ると、中将殿が頷く。

「気づいたか…………そう、キミの父親、狭火神大将の友人と言われていた男だよ」

 目を丸くする、と言うよりも、目を見開く、と言ったほうが正しい自身の様子を無視し、中将殿が話を進める。

「ハト派と言うのは基本的理念として専守防衛を掲げている。だがその中でも真面目に国のことを考えているやつらは本当に一握りでね、大半は政治家の息のかかった人間が首都防衛を声高に主張するだけのやつらだ」

 つまり、外敵に恐怖した政治家たちが軍に干渉してきた結果生まれた派閥なのだと言う。

「正直言えば、害悪だよ…………これまでの彼らの主張で一番凄かったのは、国有戦力の一極化、だったかな?」

 国有の戦力の一極化、つまり全ての軍を一極に集中させる。そしてその戦力の手綱を自分たちに握らせろ、と言う話らしい。

「そしてその集中させた戦力を在中させる場所が首都東京。何がやりたいか分かり易すぎて最後まで主張するより早く却下されたけどね」

 あまりに、と言えばあまりになその様相に、さしもの中将殿も疲れた表情で珈琲を口に含んだ。

「冷めてる…………淹れ直そうか」

 小休止、と言ったところか、中将殿が席を立ち、ポッドを片手に執務室の隣の部屋へと向かう。

 自身のところの鎮守府と同じ作りなら、恐らく給湯室があるはずの部屋、先ほどの言葉から察するに珈琲を淹れ直しに行ったらしい。

 独り部屋に残された状況。少しばかり頭の整理が必要だったので、好都合と言える。

 まず前提として、現在の海軍は三つの派閥がある。タカ派、ハト派、中立派。

 そして最大派閥は中立派。恐らく現在最もまともな派閥と言える。

 そして最もまともじゃない、あの中将殿が害悪とさえ言い切った派閥がハト派。

 ハト派は政治家との癒着が激しく、政治が軍事に干渉してきている現状を中将殿は良く思っていない…………まあそれを良く思う人間なんて早々いないとは思うが。

 それと何故か父親の盟友と呼ばれた人間がハト派に属している。

 そして自身は中将殿によって何らかの目的があって呼び出された。そしてそれは、中将殿が前提と言ったようにこれらの派閥のことに関係があると思われる。

 

 そこから予想するこの後の展開は…………。

 

「どう考えても、ろくなことじゃねえな」

 

 そんな予想が簡単に出来てしまい、思わずため息を吐いた。

 

 

 * * *

 

 

 駆逐艦暁は一人、鎮守府内に用意された客室で佇んでいた。

 一緒にこの鎮守府にやってきた青年はこの鎮守府の提督と面会中であり、現在時間は無い…………まああっても仲良く肩をつき合わせて話すような仲でも無いが。

 昨日は何週間かぶりに出会った妹の響と話している内に眠ってしまっており、まだ少し話し足りないのだが、響は響でこの鎮守府の艦娘としてやらなければならないことがあるはずだ、つまり時間は無い。

 少し背の高い椅子に座って足をぶらぶらとさせながら考え込む。

 

 その時、ふと思い出されるのは昨夜の響との会話だ。

 

「ねえ、響は――――――――」

 

 

 * * *

 

 

「響は確か最初は今の司令官のところにいたのよね?」

 姉妹二人で一つのベッド、と言うのは中々良いかもしれない…………そんなこと思考の端で考えながら暁は尋ねる。元来、人の温もりが恋しい性質だからか、同じ布団に包まって眠る包まれるような暖かさに、どこか心地よいものを感じていた。

 と、まあそれは置いておき、そんな暁の答えに、ヴェールヌイ……響が頷く。

Да (ダー)(そうだよ)…………私はこの鎮守府で建造されたんだ」

 響の肯定に暁が、じゃあ、と前置きして再度尋ねる。

「司令官が変わった時、違和感とか感じなかった?」

 そんな暁の問いに、響が少しだけ考え込み、あっけからんと答える。

「無かった、かな………………いや、それどこじゃなかった、って言うのが正しいのかもしれない」

「それどころじゃ、無かった?」

 暁が不思議そうな顔をしているのを見て、響が苦笑する。その笑みに、暁がバカにされたように感じ、頬を膨らませる。

 けれどすぐに内心の怒りも収まる。そのアイスブルーの瞳の中に響の…………妹の悲しそうな感情が見て取れたから。

 ああ、何かあったんだ、そんな察しはすぐに付いた。仮にも姉妹だ、仮にも姉を自称しているのだ、そのくらいは分かる。

 この話題は不味い、そう考えた暁はすぐに話題を移すことにする。

「えっと、じゃあ今の鎮守府に戻ってきてからは? 何か感じたかしら?」

 その暁の問いに、響が少しだけ言葉に詰まった。先ほどと同じように考え込んでいるようにも見えるが、暁にはそれが躊躇しているのだと何となく分かった。

「言い辛い?」

「いや…………そんなこと無いけど」

 その言葉に、その様子に、何となく分かってしまった。

 響もまた自身と同じような感覚を覚えているのだろう、と。

 だからこそ、素直になれた。

 

「あのね、響…………私ね――――――――」

 

 

 * * *

 

 

「暁が来てるのですか?」

 ふとした会話の中で電がこぼした一言に、ヴェールヌイが僅かに目を見開く。

 そんなヴェールヌイの様子を気にした風も無く、電が笑う。

「私たちの姉妹の中で、暁だけいなかったから、これで四人揃ったのです」

 嬉しそうに、嬉しそうに、電が笑う。

「どこで聞いたんだい? 暁のこと」

 ヴェールヌイがそう尋ねると、電があっけからんと答える。

()()()()()()()()()()()()()()()

「……………………気のせいじゃないかな?」

「そうなのですか?」

 首を傾げる。だが動こうとはしない。例えそんな気がしていた、としても。

 彼女はこの部屋から出ようとはしない。

 恐らくほぼ無意識的に、彼女はこの場所に閉じこもっている。

 

 この場所を出て、現実を知るのを恐れている。

 

 そうして彼女はずっと繰り返している。

 

 雷が沈んだ、あの日を。

 

 きゅっと歯を食い縛る。

 分かってはいる、早急な対処法は無い。少しずつ、少しずつ、時間が癒してくれるのを、彼女が事実を受け入れるのを待つしかないのだと。

 けれどこうして、目の前で姉妹の無残な姿を見せ付けられれば、そしてその原因が自身にあると自覚しているからこそ、辛い。

 何とかしてやりたい、けれどどうすればいいのか分からない。否、どうすることも出来ない。

 助けて、司令官。そう言ってしまいたくなる、けれどそれを口には出来ない。

 自分の責任から逃げることはできない。いや、もう逃げたく無い。

 

 もう一緒に沈んでやるなんてこと、できやしない。

 

 今の自分の、信頼の名を裏切るわけにはいかないから。

 

 だから、今度こそ、守り抜くんだ。

 

 そう決めたから。

 

 Успокойся(ウスパコーィスィヤ), всё хорошо(フスィヨー ハラショー)(落ち着け、問題ないさ)

 

「まだ大丈夫、平気さ」

 

 

 




いい加減話進めようと思う。

今回人の名前いっぱい出ましたけど、覚えなくてもいいです。
どうせもう出ませんし(
まあ出すとしても、ちゃんともっかい詳細書きますから(


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キミに任せたよ

 

「前線の提督たちとしては現状のまま…………中立派がトップであり続ける現状が一番望ましい、それはキミも同じだと思う」

 珈琲を淹れ直し、戻ってきた中将殿の言葉。問われた言葉にこくりと頷く。

 確かに三つの派閥の考え方を聞く限り、中立派と言うのが最もまともな派閥であることは明白だ。

 まあ、最も、今中将殿が言ったことが全てだとすれば、だが。

「そして今起こっている問題が、この三派閥のパワーバランスが崩れていること」

 ことん、と中将殿が手に持っていたカップをソーサーに置く。さらに一つため息、どうやら相当に面倒な話らしい、と察する。

「少佐、キミは先の連合艦隊を覚えているかい?」

「まあ、忘れられるものじゃ無いですね」

 ヴェルと島風が救助のため出撃し、暁が編成されていた例の艦隊。近年稀に見る大事だったあの事件をそうそう簡単には忘れられそうには無い。

「あの連合艦隊はタカ派の一世一代の博打でね、それがものの見事に失敗した」

「あの連合はどこぞの中将の暴走と聞いていましたが?」

 自身の知らされていた情報との食い違いを尋ねると、中将殿が、ああ、と思い出したように呟く。

「あれは表向きだよ、まさか海軍の元帥の一人が、独断で大攻勢をかけた、なんてこと言えるはずがないからね」

 まあ確かにそんなことが表沙汰になれば、海軍の威信と信頼が失墜することは避けられないだろう。特に、失敗してしまった以上は。

「一世一代の博打に負けたタカ派は今、窮地にある。勢力を大幅に減衰させてるんだよ。で、問題はその減衰させた分だけハト派が勢力を伸ばしたこと。つまりあれだよ、焦って出撃してほら見ろ、やっぱり失敗したじゃないか、と言うことだよ」

「そりゃあ、あんな無理のある出撃をすればそうでしょうに」

 後から知ったことだが、情報も不十分のまま練られた戦略、制圧した海域を守るための後詰も無く、練度の低い艦ばかりを護衛につけた狙ってくれと言わんばかりの補給艦など、杜撰にもほどがある出撃である、失敗して当然と言える。

「それが分からないから害悪どもの巣窟なんだよ、あそこは…………それより問題は今回の件で鎮守府の縮小を提議してきたことだ」

「鎮守府の、縮小?」

「つまり戦力の集中だね。個々の鎮守府ではいざと言う時、深海棲艦を抑えきる力が無いから鎮守府を統合して、戦力を集中させようと言う考え…………つまり、前線を下げろ、って言ってきてる」

 思わず目の前が真っ暗になりそうだった。中将殿も同じ気持ちなのか、目頭を抑えている。

「人類が一進一退を繰り返して、ようやくここまで押し戻した前線を引き下げる? それで、次はどうやって押し戻すんですか?」

 なんとなく予想はできたが、それでも敢えて聞いてみる。そして答えは案の定だった。

「防衛を繰り返し、戦力を増強させ、しかるべき後反撃へと打って出る、らしいね」

「その具体的な方法は?」

 問うた言葉に、一瞬だけ中将殿が躊躇し…………。

 

「同一艦の建造、だよ」

 

 眩暈がした。

 

 

 * * *

 

 

 同一艦建造と言うのは、過去にはごく普通にあった。

 理由としては簡単で、そのほうが戦力が高まるから、だ。

 だが最悪に最悪が重なり、結局それは禁止となった。

 その元となった出来事のせいで、一時期海軍と言う組織そのものが消滅しかけたほど、だ。

 彼が知っているのは半分の事実。そして自身が知っているのはもう半分の真実。

 

 切欠はとある提督の鎮守府だ。同一艦と言うのは文字通り、全く同じ艦を生み出すこと。

 つまり、同じ名前、同じ姿、同じ顔、同じ能力の艦が複数存在する、と言うことだ。

 個々の鎮守府ではともかく、海軍全体としては艦娘とは兵器として扱われる。故にそれ自体にはなんら問題は無い、ように思えた。

 

 まずは事実を述べよう。艦娘が狂い提督を殺した。

 

 その艦娘には同じ鎮守府に姉妹艦がいた。とても仲の良い姉妹で同時期に建造されたこともありいつも一緒、練度も近いこともあり、出撃まで一緒と何かと密接な関係を気づいていたらしい。

 だが、ある時、その姉妹艦が撃沈された。提督の些細な判断ミス。否、本来ならミスとも呼べないほどのこと。だが偶々その時、事故が起こった。偶然に次ぐ偶然、全てタイミングが悪かった、と言って片付けれるほどのこと。

 だが沈んだ。それが全てだった。姉妹艦を失ったその艦娘は酷く悲しんだ。落ち込み、嘆き、けれど、それでも自身の本領を発揮しようと戦場へと向かった。

 そんな艦娘を何とかしてやりたいと思っていた提督がある日、その艦娘を連れて工廠へと向かう。

 そこにいたのはかつて沈んだ姉妹艦と同じ名、同じ姿、同じ顔のけれど同じ記憶を持たない別の艦。

 そんな姉妹艦を見て呆然とする艦娘に提督が言う。

 

 良かったな、また会えて。

 

 そうして艦娘が狂い、提督を殺す。その艦娘は他の艦娘によって取り押さえられ、解体処分にされた。

 

 と言うのが事実。半分の事実。

 

 そしてこれが残った半分の、真実。

 

 狂い、絶望した艦娘が深海棲艦へと変わった。

 

 絶対に秘されなければならない、本当に極少数の人間しか知らない真実。

 

 死んだ者を起こしてはならない。

 

 それは遥か昔、神話の時代から語り継がれてきた禁忌だ。

 

 そうしてようやく海軍上層も理解する、艦娘とは兵器であっても、生物なのだと。

 血も涙も心もある生きた存在なのだと。血も涙も情けも容赦も無く、ただ命令じられるままに殺す心の無い物では無いのだと。

 艦娘は提督に絶対服従ではない、その事実を何よりも恐れた。

 深海棲艦とは、今自身たちが戦っているものとは、元は何なのか、それを知られてはならなかった。

 艦娘が絶望し、深海棲艦へと変わるだなんてこと、決して気づかれてはならなかった。

 人に知られてはならない、提督に知られてはならない、何よりも、艦娘に知られてはならない。

 その事実を知る鎮守府の艦娘は全て解体された。そして絶対の沈黙を約束とし、今はもうただの人として生きている。故にこの事実を知るのは、海軍の中でも特に上層にいる一握りのみ。

 

 目の前の彼を見る。彼の知る事実は半分だ。

 

 だが敢えて教えることも無い。元より禁じられていることもあるが、何よりも。

 艦娘に対して真っ直ぐなその思いを、余計な事実で捻じ曲げてしまいたくない。

 彼だから、響も今こうやって立ち上がってこれたのだろう。

 彼だから、暁もあの鎮守府への移動を希望したのだろう。

 彼ならば、電ももしかすれば何とかしてしまえるのかもしれない。

 彼女の姉妹たちには出来るだけ幸せに生きてほしい。

 残念ながら自身ではそれは出来そうにないから。

 だから、彼に託す。勝手に、身勝手に。

 

 頼んだよ?

 

 心中で呟く声は、けれど彼には届かない。

 届かなくても良い、何も知らなくていい、嫌われていようが、憎まれていようが。

 どうせ自分は、彼女に託されたこの道しか歩けないのだから。

 

 だから、キミはキミの道を歩いて。

 

 その道中で、彼女の姉妹たちを幸せにしてくれれば。

 

 自分はこれでいいのだ。

 

 

 * * *

 

 

「話合ってみるしかないんじゃないかな?」

 自身の抱く思いそれを聞いた自身の妹はそう言った。

「暁が今思ってること全部司令官に言ってみないと、多分、いつまでも悶々と抱えることになると思うよ」

 それに、と妹が目を閉じ、少しだけ考える素振りを見せ、そして口を開く。

「きっと司令官は気づいてると思うよ?」

 と、過日の夜の出来事を思い出させる言葉に、妹がどれだけ彼を理解しているのか、よくよく思い知らされた。

「……………………話、合うって」

 こんなこと言えるわけない。けれどもう気づかれているのに、今更何を隠すのだろう。

 つまりそれは結局のところ、自身に意気地が無いだけではないか。

 

 

『俺のために、なんて言わない。お前自身のためだ、なんてことも言わない』『ただ響のために戦ってくれ。暁…………お前の妹のために、この鎮守府を守ってくれ。それ以外に俺はお前に何も言わん。お前の思った通りにすれば良い。お前の司令官が誰であろうと、俺は別に構わん』『……………………ゆっくり考えろ。どうせまだ半年あるんだから』

 

 

 過日の言葉が頭を過ぎる。先に歩み寄ってくれたのは、向こう。

 それからずっと自身(あかつき)の言葉を待ってくれている。

「きっとそれって暁自身が納得できないとどうにもならない話だけど、暁一人じゃどうにもならない話だから」

 自身より随分と大人びてしまった妹は、そう言って言葉を〆た。

 きゅっと、口を噤む。ぐるぐると考えこんでしまって、思考が迷路(まよいじ)に入り込んでしまっていた。

 けれど以前より問題がはっきりしてしまっていることも自覚している。

 結局、話すか、話さないか。

 その二択なのだ。

 そして、話さなければずっとこのもやもやを抱えたまま。

 となれば、実質一択。

 結論を出してしまえば、前よりもすっきりとはした、が。

「あーうん…………話し合う、のよね」

 どんな顔して話せばいいのだろう、それはそれで悩んでしまうのだった。

 

 

 * * *

 

 

「実を言うとね、建造自体はそれほど問題じゃない」

「問題じゃない…………?」

「言ってしまえば、問題のありそうな組み合わせを作らなければいい。こちらで数を限定して…………そう、例えば現状で轟沈してしまった艦娘だけ新しく建造し、新しい鎮守府に配備する。その組み合わせをこちらで決めて、マズそうな組み合わせを作らなければ問題は起こらない」

 まあ希望的観測ではあるけれどね、そう言って苦笑する中将殿。だがその眼は全く笑っていなかった。

 中将殿自身、かつては瑞鶴…………それに雷を轟沈させてしまっている。存外彼女にとって、それは大きな出来事なのだろう。今までそう言った見方をしたことはなかったが、彼女の秘書官の島風をあそこまで育てたのだ、ただ嫌味なだけの凡庸な提督なはずがない。正直、第一艦隊に居たはずの響がこちらの鎮守府に預けられた時だってすでにレベル40を超えていたのだ、あれから数年、現在彼女の旗下の艦隊は練度九十を超える猛者ばかりと言うことを考えれば、相当な敏腕である。

 だからこそ、そんな彼女がたった一人沈めてしまった雷と言う艦娘が際立ってしまう。

 まあヴェールヌイから良く聞いていたこともあるのだが。

 

 それはさておき。

 

「問題なのは同一艦を作ってしまうことだ。それを認めてしまったら艦娘の数が今よりも莫大に増えてしまう。そうなればどうなると思う?」

 心底面倒そうな表情で中将殿が自身にそう尋ねる。そうして聞かれたことに対し、少し考えてみる。

 例えば、今自身が建造ができるようになったら。六隻の艦隊を揃え、さらに遠征用の予備艦隊の作成などもできる。少なくとも駆逐艦一隻で戦うなんて真似しなくても良くなる。

 では自身以外…………例えば、ハト派と呼ばれる連中にとっては? 例えば、タカ派と呼ばれる連中にとっては?

「……………………ハト派からすれば、政府が動かせる艦娘がいくらでも作れる。例えば、()()()()()()()()()()()()()()()ことだってできるかもしれない。タカ派からすれば今まで以上に激しく攻勢に出れる、何せ()()()()()()()()()()

 そんな自身の答えに中将殿が苦々しい表情で一つ頷く。

「どちらにしても最悪だ。だから何としてもこれを止めないとならない」

「けれど、どうやって?」

 それが問題だ。現状、すでに膨れ上がったハト派の勢力を急激に落とすことなんてこと簡単にできるはずがない。

 中将殿がカップに残った珈琲を一気に飲み干し、コトン、とカップを置く。そしてこちらを見やり、硬い表情のまま告げる。

「証明すれば良い。そもそもハト派の主張は、タカ派の失敗のこじつけ、現在の個々の鎮守府には深海棲艦と戦っていくだけの力が無いと言っているに過ぎない。つまり、個々の鎮守府の力で十分に現状を維持しつつ、さらに新しい海域の制圧が可能であると証明できればそれだけで崩れる理論だ」

 まあそんなに簡単には行かないだろうけれどね、と中将殿は言うがそれでも反論のための材料にはなるだろう。

「さて、前置きが非常に長くなったがようやく本題に入れる」

 そう言って中将殿が両手を組み換える。先ほどから何度か見ているが、話を変える時の癖のようなものらしい。

「今日より三週間以内に中立派の六隻以上の艦隊を要する鎮守府各位にて深海棲艦の大規模討伐作戦、通称“あ号作戦”の敢行が決定された」

「は? 失敗した作戦を、また繰り返すのですか?」

「つまりだ、あの作戦は失敗したのではない、ただの偵察、前哨戦に過ぎなかった、とそう言い訳するための作戦だよ」

 国内の艦娘の二割から三割を使った前哨戦など、普通に考えればあり得ない。だがあの件はまだ表には出ていない案件ではあるし、何よりも成功してしまえば確かにどうとでも言い訳は付く。少なくとも、現状よりはぐっと良くなるだろう。

「このあ号作戦には私自身も参加する。第一艦隊を使ってさらに戦域を広げることとなるだろう」

 中将殿の第一艦隊は、現状国内でも最強クラスの戦力だ。旗艦の島風を初めとして、五航戦翔鶴、ビッグ7長門など層々たる面子を揃えている上にその全員が練度九十を越す精鋭ばかりだ。

 この艦隊が動くとなれば、作戦の成功率も大分上がるだろうとは予想できる。

 だがそれだけで勝てる、とは思わない。何より、この作戦は中将殿一人でやっているわけではないのが余計に気になる。だがこの中将殿が作戦も無しに艦隊を動かすとも思えないし、恐らくその辺は大丈夫なのだろう。少なくとも俺の心配するところではない。

 それよりも気になるのは、それを自身に話して結局何を頼みたいのか、だ。

「その上で、キミに頼みたいことがある」

 きゅっと、中将殿の組んだ腕に力が入る。どこか緊張すら窺える様子の中将殿が、そして告げる。

 

「キミの鎮守府で電を預かって欲しい」

 

「……………………はい?」

 言われたことを理解するまでに数瞬、時間をかけた。

 だが誰をどうして欲しいというそのことを気づいた瞬間、眼を見開き中将殿を見る。

「…………本気、ですか?」

「ああ、彼女は今、まともに生活することすら難しい状態だ。第一艦隊が全員出撃すれば彼女の傍には誰もいなくなる」

 彼女を除いてね、そう告げた言葉が指す人物が誰なのか、すぐに気づいた。

「また、投げ出すんですか。そうやって、他人に任せるんですか」

 かつての響と同じように。暗にそう言って目の前の女を睨む。

 だがどこか寂しげな、悲しげな表情で中将殿が呟く。

「無理なんだよ、私には、どうやったって…………」

「それは…………あまりにも無責任、でしょう」

「………………分かっているさ、でもね、頼むよ」

 怒りを堪える。堪えることができたのは、中将殿のその姿を見てしまったからかもしれない。

 寂しげで、悲しげで、今にも泣きそうな、その姿を見てしまった。

 直感的に理解する。自分も同じだったから、瑞鶴と言う、自身にとっての姉代わりを亡くした時、自身もこんな顔をしていた。

 理解する。この人も同じなのだろうと。失くしてしまったものがある。受け継いだものがある。

「もう、その道しか行けないんですか?」

 きっとその道は、失くした誰かに託されたものなのだと容易に予想が付いた。

 尋ねた言葉に中将殿が一瞬驚いた顔をしたが、すぐに寂しげに苦笑して頷く。

「ああ…………私はもうこの道しか選べない。だからせめて、響も電も救われて欲しい。せめてもの、贖罪だから」

「………………………………」

 ああ、もうダメだ。この人は何を言ってもダメだ。それを理解する。

 この人の中でもう決着が付いてしまっている。この人の中でもう完結してしまっている。

 だからもう無関係の自身ではどうにもならない。例え自から茨の道へと進もうとしている彼女を見ても、けれどその歩みを止めることはできない。

 もう憎めない、もう恨めない、もう嫌えない。

 この人は自分と同じなのだと分かってしまったから。

 

 だから、せめて……………………。

 

「分かりました、電をこちらの鎮守府で引き受けます」

 

 そう返す、その答えに僅かに安堵を見せる中将殿。

 

「ああ、頼んだよ…………護衛と言っては何だけど、響…………ヴェールヌイは再度そちらの鎮守府へ戻ってもらって構わない」

 

「分かりました………………それでは」

 

「ああ、それでは」

 

「武運長久を祈ります」

 

「キミに任せたよ」

 

 




久々に筆が載った。いいペースで書けた。
と言うわけで中将殿と主人公の和解回。

作中でも書きましたが、主人公別に中将殿を恨んではいません。
過去のことは瑞鶴の遺言で少なくとも、瑞鶴が死んだのは自分の意思だと言うことはわかっているのであまり良い感情は無いですが、少なくとも嫌ってはいません。
逆に響のことは、失意の響をこちらに投げっぱなしにした無責任さに腹に据えかねてたので、その実、ちゃんと理由があったと理解したのでそれを許しました。

なんで中将が響を主人公に寄越したのか、とかはまたいつか補足するかと。

と言うわけであと4話くらいで二章は終了。
暁編のはずなのに、暁の出番が少ない暁編でした。
大丈夫、次からはもっと増える…………はず?


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会いたいよぉ

 

 

「響が帰ってくるの!?」

 一日ぶりの自身の鎮守府に戻り、たった一日空けただけだというのに懐かしさと安心を覚えた翌日。

 まだここに来て五年も経っていないと言うのに、すっかりこの場所が自身の居場所だと思っている自分に僅かに驚きを覚える。

 執務室へと戻る途中、珍しくこちらと会話しようとしている暁にふとこぼした一言に暁が目を見張る。

「ああ、響と…………それから、電もな」

「え…………あ…………電、も?」

 響が戻ってくると聞き、どこか嬉しそうにしていた表情から一転、戸惑いを見せるその様子に、どうやら響から思ったよりも色々聞いたらしい、と理解する。

「ああ、一度こちらで会ってみようとは思う。程度の如何にもよるが、暁にも手伝ってもらうつもりだから頼むぞ」

「まかせてよね…………電だって、暁の大事な妹なんだから」

 そう言って意気込む暁だが、実際のところどうなるか分からない。

 何せ数年もの間、誰も手を付けられなかったほどの重症なのだ。

 今更自身が何か言ったところで簡単に変わるとも思えなかった。

 

 だからって、何もしないわけにはいかない。

 

「……………………」

「…………? どうしたの? 暁の顔に何かついてる?」

 

 今日はやけに会話が続く、この少女とのことも含めて。

 

 

 * * *

 

 

 今更な話だが、自身の鎮守府には人員が少ない。提督である自身、そして艦娘である暁、後は補給や整備、後は生活……主に食などを管理する人員など、全部ひっくるめて六人ほどしかいない。

 それで基本的に回ってしまうからこそ、これ以上の増員が無く、そしてだからこそ、回らない部分がある。

 例えば、新しく来た艦娘をどこに置くか、とか。

 基本的に艦娘と言うのは鎮守府にある専用の寮のようなところで一緒くたにまとめて()()される。

 逆に提督は鎮守府内に自室があったりする場合が多い。緊急の事態に際して、一番最初に動き判断を下すのが提督だからだ。

 だが自身の鎮守府にはその寮が無い。何故かは知らないが、無い。そして今までヴェールヌイ一人しかいなかったので、適当な鎮守府の開いた部屋を改装して自室として使わせていたのだが、そこに暁が入るようになった。

 当初は暁にも個室を使わせようかと思ったのだが、本人がヴェールヌイと一緒で良いと言い、ヴェールヌイも了承したので二人で一室を使わせている。つまり、その時は結局新しい部屋は用意しなかった。

 だが今回はさらにそこに電が加わる。さすがに三人で一室は狭すぎるが、だが電の状況を鑑みるに、一人で放置するのもどうかと思う。

 どうしようかと少しだけ悩む、方法は二つ。一つは暁かヴェルどちらかが別室に移り、電と一緒の部屋で暮らす。二つ目は、少し広い部屋を用意して、そこに三人一緒に入れる。

 どちらを取るかは実際に電に会って、状態を確認してからにしようとは思うが、どの道、どこか一室は新しく用意するこになる。だが先ほども言ったが、基本的には上手く回っているこの鎮守府にも回らない部分がある。普段使わない各部屋などその際たるものだろう。

 客室などヴェールヌイと暁に貸した一室以外埃被っていることだろうし、それ以外にも使ってない場所を中心にところどころ手入れの行き届いていない場所がある。

 

「と言うわけで、帰って早々だが掃除するぞ」

 

 自身の告げた言葉にぽかん、と目を見開く暁。

 数秒そうして呆けていたが、やがてはっとなる。

「それって私たちがやるようなこと?」

「なんだ? 戦いさえすればそれでいいとでも? 他はそれでいいにしても、この鎮守府じゃ通用しないぞ」

 そもそも戦うこと自体稀である。出撃が二週間に一度あるか無いかとか他の鎮守府じゃ絶対にあり得ない。

 いくら鎮護の鎮守府とは言え、さすがに少なすぎる。

「因みに暁が来た時、暁のために部屋を整えたのはヴェルだぞ」

「響が?」

 自分の姉が来ると言うことでいつもより少しだけ柔らかい表情だったのは印象的だ。あいつがあんな笑みを見せることは少ないので貴重と言えた。

「大部屋のほうは他のやつらにやらせるから、暁は個室の掃除を頼む、後日こっちで模様替えしておくが何か希望はあるか?」

 壁紙、床、椅子や机、窓やカーテン、装飾、家具など模様替えに使うようなものはだいたい買える。家具コインと言う支給品を使うので、実際の懐は痛まないのだが、これらの品は基本的に執務室の模様替えのための品として扱われている。中には職人を呼んで特注してもらうようなものまであるのだが…………カタログの中に何故ビニールプールや風呂、リゾートセットや雛人形、布団や枕等々があるのか。色々ラインナップがおかしいとしか言えない。

「カタログあるから適当に希望してくれ、好きなの買ってくれて良いから」

 そう言って部屋の隅の本棚から家具カタログを出すと暁に手渡す。

「うわ、おもっ…………これ本当にカタログ? 図鑑じゃないの?」

 ずしんと手の中に来る重さに暁が思わず声を上げる。だが図鑑ではない、カタログである。

「取りあえず部屋の掃除、それが終わったらそのカタログ見て何をどうするか決めてくれ。要望を聞いてから発注をかける、それと掃除道具の場所なら他のやつに聞いてくれ、俺には分からん」

「んー、まあ分かったわ」

 流れで押し切った感はあるが、それでも暁が頷き部屋を出て行く。

 

 そうして暁がいなくなったのを確認してから座ったまま椅子を引き、机の引き出しを開け、そこから取り出したのは一部の新聞。

 重巡洋艦青葉と言う艦娘が自主制作しているもので、海軍内で起こった日常的な出来事から、非日常的なことまで様々な情報が憶測混じりで書いてある。

 まあ新聞とは言っても、ゴシップ記事ばかりの週間紙のノリで、発刊も書くことが決まったら、とか何か起きたら、とか気まぐれかつ不定期なもので、海軍内の娯楽代わり程度にはなるので、自身も時たま購入している。因みに値段は家具コイン200枚だ。

「えっと確か…………この辺りに……」

 昨日この鎮守府へと帰ってきたのだが、思ってたよりも遅くなってしまい、後回しにしていたのだが、先ほど暁が来る前までさらっと流す程度に見ていたのだが、少しだけ気になる記事があったので、暁の居ない今の内に確かめておきたかったのだ。

「…………あった、これだ」

 

 一面記事はやはりついこの間起こったばかりの連合艦隊の敗北について。

 

 二面記事は軍内部での動き。特に今回の敗北によって責任を取らされた者たちについて。

 

 そして三面記事は………………

 

「無人鎮守府の盗難事件」

 

 先の連合艦隊に加わり停職処分を受けていた新垣提督の鎮守府に何者かが侵入した形跡を巡回の憲兵が発見。海軍の調査によると鎮守府内にあった物品数点が紛失しており、侵入者による盗難事件と断定された。

 犯人の目星は立っておらず、依然捜査が続行されている。

 しかし記者の調べによると、その鎮守府に着任し、当時停職処分を受けていた某提督がその日以降自宅に戻っておらず、事件に何らかの形で関わっているのではないかと推測される。

 

 胡散臭い。と言うのが正直な気持ち。

 事件以降某提督が自宅に戻っていないと書いてあるが、人海戦術のできるマスメディアならともかく、姉妹艦と二人でこの新聞を作っている以上、あまりまともな調査をしているとは思えない。

 ただ公表されていない部分がある、と書いてあると言うことは、公表された部分もあると言うことであり、それは即ちこの事件が表沙汰として扱われていると言うことでもある。

 ならば少し調べればこの事件のことが分かるかもしれない。

 

 本来こんなこと自身の知ったことでは無い。こんな左遷先のような鎮守府に飛ばされた提督の知ったことではないのだ。自身が知ったからと言って、と言う部分もある。

 だが、提督が停職処分を受け、機能を停止している鎮守府で起こった盗難事件。これだけならまだ他人事で済むのだが。

「この鎮守府って…………確か」

 確か、暁が元々所属していた鎮守府だったはずだ。

 その元鎮守府で起こった盗難事件、そして何よりもその日以降姿を消した提督。

「……………………気のせい、だよな?」

 なんと無しに嫌な予感がしてくるが、恐らく気のせいだろう。そう、思いたい。

 ふと新聞から目を離すと、それなりの時間が経っていた。そろそろ暁が掃除を終えるかもしれないので、この新聞はまた隠しておくことにする。

 そうして引き出しの中へと新聞を放り込んだ、その時。

 

 ピリリリリリリリ

 

 部屋に響く電子音。タイミングがタイミングだけに、まさかな、と言う思いを抑えきれない。

 そして、こういう時に限って、予感と言うものは当たるものだ。

 

「もしもし?」

『ああ、私だ』

 

 聞こえてきた声で、相手が中将殿だと言うことにすぐに気づく。

「ああ、先日ぶりです。えっと? 電のことで何かありましたか?」

 昨日の今日での電話、そして相手から考えられる話などそれくらいしか思いつかなかったのだが。

『いや、そちらも問題ではあるが、今日はそっちじゃない…………キミのところの暁に関連する話だ』

「は…………あ、暁のですか?」

 まさか、まさか、そんな内心を肯定かのような中将殿の言葉に、思わずどきり、とする。

 そしてどこか困ったような声音で中将殿が続ける。

『端的に言おう、新垣提督がキミとの面会を希望して今日うちの鎮守府にやってきた』

「は? 新垣提督が俺…………いえ、私にですか?」

『ああ、まあキミが拒否するのならそれでも構わない、会うと言うのならそれでも構わない。選択はキミに任せるが、どうする?』

 そう言われ、考えてみる。だが、その前に尋ねることがあったので、訊いてみる。

「そもそもどうして自分に?」

『今暁を預かっている司令官であるキミに会いたい、とのことだよ』

 理由は案外普通だった。ただどうして今頃、と言う疑問はある。何せ停職になったのは、暁がこちらの鎮守府に来たのはもう二週間近く前に話だ。

 だが、こちらもいくつか聞きたいことがある。多少の疑念はあるが、都合が良いのは確かだ。

「了解しました。面会の日時はどうしましょうか?」

『あちらからはできるだけ早く、とは言われたけれど、そっちの都合に合わせて良いよ』

「……………………では――――――――

 

 

 * * *

 

 

「…………うーん、やっぱりこっちのほうがいいかしら?」

 ピカピカに掃除した部屋の中で、暁が図鑑のような本と部屋を視線で往復していた。

 部屋自体は多少埃を被っていたが、家具らしい家具は一切無かったので、窓を開け、床を掃くだけと言う比較的簡単なもので済ませることができた。

 実際に使うのならば、ここに電を含む二人で住むことになるらしいので、取りあえず寝具は二つ必要だろう。

 それから机もあったほうがいいだろうし、本棚のようなものだって欲しい。

 お洒落な壁紙も良いし、壁に飾る装飾品も面白そうなものが多い。カーテンが無いのでカタログにあるもの中でも魅力的なものをいくつかピックアップしている。

 ただあれこれと考えてはいるが、この一人部屋ならともかく二人で使用するには若干手狭な十二畳ほどの空間に全ては収まりきらないので、ある程度取捨選択する必要はあった。

 そうして悩むことしばらく。

「うん、これで良いわね」

 ようやく納得の行く構想が出来上がったので、それを伝えに執務室へと足を向ける。

 そうしてたどり着いた執務室の扉に手をかけようとして…………。

 

『ああ、先日ぶりです。えっと? 電のことで何かありましたか?』

 

 どうやら電話中のようだ、と思わず手を止める。

 扉の向こうから聞こえる声に、さて少し時間を置いてまた来たほうが良いだろうか、そう考え。

 

『は…………あ、暁のですか?』

 

 聞こえた自身の名前に、何事かと電話に内容に興味を惹かれる。

 

 そして―――――――――

 

『は? 新垣提督が俺…………いえ、私にですか?』

 

 聞こえたその名前に、目を見開く。

 

『そもそもどうして自分に?』

『了解しました。面会の日時はどうしましょうか?』

『……………………では――――――――

 

 電話が切られる。

 だが暁は扉の前から一歩も動くことが出来なかった。

 

「なんで…………どうして」

 

 湧き上がる疑問。

 

 どうして今、彼の口からその名前が出てくる?

 

「…………司令官」

 

 ようやく話し合おうと思ったのに。

 やっとこの思いの丈全てを伝えれると思ったのに。

 覚悟を決めたはずの心が揺さぶられる。

 固めた決意はあっという間に崩れ去り。

 扉の前から逃げるように走り去る。

 

 否、逃げ出したのだ。

 

 どうすればいいのか分からなくて。

 

 そうして口から言葉が溢れる。

 

「会いたいよぉ」

 




積極的に女の子を追い詰めていくスタイル。

因みに、最近気づいたけど、自分の書く艦これ二次に登場する艦娘って、大半がなんかの地雷持ち。
一つ間違えると発狂エンド迎えるような綱渡りなやつらばっかりだな(


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さて、どうする?

 

 

 新垣(あらがき)(のぞむ)陸軍准尉にとって、それは決死の戦いだった。

 海より現れた化物。人類最大の敵。海上の覇者。海底の亡霊。

 呼び方は色々あるが、軍が定めた正式な名前はたった一つ。

 深海棲艦。

 本来なら陸軍の人間である彼が銃を持って化物に立ち向かうのは、ひとえに海軍が突破されたからに他ならず、それはつまり化物たちの本土上陸を意味していた。

 陸軍十二中隊、自身の配属されたその部隊が戦うのは海岸沿いに立てられた防衛線。張り巡らせたバリケードの手前から遅々と歩みを進める化物ども相手にけれど撃ち込む鉛弾はなんの効力も見せない。

 死ね、化け物が。そう叫んだ誰かは化物の放つ砲撃に貫かれ死んだ。

 助けて、そう叫び逃げ出した誰かもまた同じように死んだ。

 死んで、死んで、死んで、死んで、死んで、死んで、死んで、死んで、死んで。

 世界に死が溢れていく、視界が死に(まみ)れていく。

 地獄のようなその場所で、最終的に戦車隊まで引っ張り出し、そしてようやく追い返した敵。

 そう、追い返しただけ。倒せなかった、たったの一体さえも。

 全く通じない、と言うわけでもない。衝撃で損傷した敵もいた。

 だが、倒せない。どうやっても致命傷へと至らない。

 後に残ったのは海岸に打ち捨てられた人の死骸の山。

 そして、僅かに生き残った兵士たち。

 

 今でも鮮明に思い出せる。 

 

 まだ艦娘と言う存在が生み出される一年前のことだ。

 あれから一体何年経ったのか。

 陸軍から海軍へと転属を果たし、仕官となり、提督となった。

 艦娘と言う化け物たちへの絶対の牙を手に入れ、ただ殺して殺して殺し続けた。

 それは復讐だった。かつて殺された仲間たちの復讐。

 生き残ってしまった自身の最後の役目だと思っていた。

 死んでしまった仲間たちへの最後の手向(たむ)けだと思っていた。

 

 そんな私情に巻き込んでしまった彼女たちのことを、今更になって気づいたなんて。

 

 なんて滑稽な話だろうか――――――――

 

 

 * * *

 

 

 新垣提督との面会は電話の翌日に行われた。

 場所は中将殿の鎮守府。道中は島風に送迎してもらい、たどり着いた鎮守府の応接室。

 つい四日ほど前に中将殿へ遺言を渡したその部屋で。

「急な面会に応じてもらったこと感謝するよ」

「いえ、こちらも色々と聞きたいことがあったので、お答えいただければ幸いです」

 その男、新垣望提督と出会った。

 

 

 新垣望海軍大佐。

 過去、三隻の艦娘を率い、北方海域にて多くの深海棲艦を葬ったことにより、一度は勲章すら与えられた男。

 元は陸軍所属であり、転属、そして現在へと至った少し変わった提督だ。

 齢四十となるその外見には、停職中と言う事実を知る自身でさえ思わず唸るような一種風格のようなものすらあった。

 一番印象的なのはその目だろう。

 一昔前の海賊の船長のような眼帯で右目を隠しているため、視界に映るのはその左目だけではあったが、ただ視線を向けられているだけで射抜かれるような強い眼光は、一度見ればけっして忘れられないだろうだけのインパクトがあった。

 っと、ふと自身のその右目への視線に気づいたのか、新垣提督がすっと眼帯へと手を当てた。

「この右目が気になるかな? 不恰好なのは重々承知している、すまないが許してくれ」

「あ、いえ、そう言うわけでは…………失礼ですが、その右目は」

 見えないのだろうか、そう暗に問うた自身の言葉に新垣提督が苦笑する。

「っふ…………見えない、のではなく、無いのだよ」

「…………は?」

 告げられた言葉に理解が追いつかず、呆けたような声が漏れる。

「私はかつて陸軍にいてな、その最後の戦いでやつらにやられたんだ」

 陸軍、最後の戦い、その言葉で思い出すのは深海棲艦からの本土防衛作戦。

 まだ自身が生まれたばかりのころに起こったと記憶する、現在の陸軍が行った最後の作戦だ。

 

「キミの父親にも世話になったよ、狭火神提督」

 次いで告げられた言葉に、目を丸くする。そしてそんな自身の反応に、意外だとばかりな反応を示す。

「おや、知らなかったのかな? まあ二十年以上前の話だ、知らなくても仕方ないのかもしれない。海軍の敗北と共に本土へと攻め寄せてきた深海棲艦(やつら)と、それを水際で止めようとした陸軍(わたしたち)。始終押されっぱなしだった私たちを助けてくれたのが、惨敗した海軍の中で唯一最小限の被害のみで海戦を切り抜けたキミの父親、狭火神大将…………当時は中将だったか、彼の艦隊だよ」

 初めて聞いた自身の父親の話、そして自身と目の前の提督との間接的な繋がりに驚かされる。

「怠慢と無能ばかりが揃う海軍の中でも、キミの父親の艦隊だけは違った。戦略、戦術、練度、どれを取っても図抜けていた。まあそのせいで上官に嫌われ、当時の海戦ではまともに作戦に関わらせてもらえなかったようだがね」

 苦笑するその姿は、先ほどまでの威圧感は薄れており、どこか愛嬌のある、どこにでもいるような中年の男のような笑みだった。暁が慕っていたのはこう言う部分なのだろうか、などと考える。

「それでもやつらを殺すことはできなかった」

 そして、その言葉と共に、先ほどよりも強烈な威圧感が自身を襲う。否、威圧などと言う生ぬるい言葉では語りつくせない。言うなればそれは殺意。背筋がぞっとするような感覚、そして提督の残された左目に宿るのは怒気。

「何人、何十人、何百人もの仲間が殺された。私の所属していた部隊も私を残し壊滅、私を残し全員死亡したよ」

 だんっ、と新垣提督が自身の膝丈ほどの高さしかない応接室の机に思い切り拳を叩きつける。

「だから私は決めた、やつらを殺しつくす。殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して…………この国から、この海から、この地球上からやつらが最後の一体が絶えるまで殺しつくすと!!!」

 感情的な口調で、声を荒げ、叫ぶようにしてそう告げる。半分腰を浮いていた、それほどまでに感情が篭っていたその言葉に、けれど自身は言葉を返すことができなかった。

 そして、直後、溢れんばかりに満ちていた怒気が、殺意が、途端に消え去る。

 

「だが」

 ゆっくりと、そして深く、新垣提督が応接室のソファに座りなおす。

「失敗した。ああ、復讐に捕らわれ、目が曇っていたのだ、私は」

 深く、深くため息を吐く。そこから感じられる感情は、後悔。

「艦娘、彼女たちはまさに当時の私にとっては希望だった。誰にも殺せなかった化け物を殺せる唯一の牙。それを手に入れるために私は海軍へと転属した。やつらを殺す、それが生き残った自身の果たすべき役目で、先に逝った彼らへの手向けだと思っていた。だから戦った、いや、戦った気になっていた。戦っているのは私ではなかった。目に見える戦果、撃沈したその数に、自尊心が満たされていった、その戦果を挙げたのが誰なのかも忘れて」

 まるで老人のような枯れ果てたその雰囲気、それがここに至るまでの彼の歩いてきた道の険しさを示しているようであり、そんな提督に自身は口を開かない。

 

「私のような提督は海軍の中でも少数だろう、だがいないわけでもない。より効率的な戦果を上げるために連合艦隊を組む、その発想に至るのは当然の成り行きだっただろうな。さらなる戦果、そんな目先のものに捕らわれた結果がこれだ」

 連合艦隊の敗北。国内の艦娘の三割近くを失う大敗。その責を目の前の提督だけに押し付けるのは酷と言うものだろう。だが責が無いとは言えないのもまた事実だ。新垣提督が連合の中でどれだけの力を持っていたかは知らないが、それでも戦略の不透明さ、情報の拙さ、補給路の不備など連合の欠点をちゃんと認識していれば、生存する艦娘はもっと多かったはずだから。

「私にとって艦娘とは兵器だった。感情を持つことは知っているし、相応の扱いもしたが、根本的に彼女らを使()()ことに何の疑いも持っていなかった」

 

 いなかった、と言う過去形。つまり、今は…………。

 

「だが、連合の敗北、そして私の艦隊も三名中暁を残して撃沈してしまった。その時、初めて気づいた。彼女たちが生きていること、そして人であること、何より――――――

 

 僅かに言葉を止め、

 

 ――――――何よりも、この復讐は私のもの、だがそこに彼女たちを巻き込んでいたことに、気づいてしまった」

 

 艦娘とは深海棲艦を倒すための兵器。それは一つの事実として間違いは無い。

 だが艦娘は生きている、そして生きている以上、死もある。

 その事実を認識し、恐怖する提督と言うのは、意外と少なくない。

 自身の言葉一つで、自身の手の届かない場所で、少女たちを死に追いやる。

 仕官学院では習わない、否、意図的に伏せられている事実。

 理由は簡単だ。海軍にとって、艦娘とはただの兵器。決して()()()()()()()()()()()()()()()

 

 新垣提督は気づいてしまったのだ。

 艦娘が人であることに。

 

「私は」

 

 復讐したいのは誰だ?

 それは新垣提督自身だ。

 

「自身の復讐のために」

 

 提督の復讐のために戦っているのは誰だ?

 それは新垣提督に従う艦娘たちだ。

 

「彼女たちを戦わせ」

 

 挙げられた戦果は誰だのものだ?

 艦隊提督の新垣提督のもの、だがそれを挙げているのは艦娘たちだ。

 

「無謀な作戦で」

 

 その復讐に付き合わされて死んだのは誰だ?

 新垣提督の命で、連合艦隊に参加した艦娘たちだ。

 

「彼女たちを殺したんだ」

 

 気づいてしまった。

 

「私が、彼女たちを殺したんだ」

 

 気づいてしまったのだ。

 

「そしてたった一人、暁を残してしまった、あの子になんて詫びればいい、こんな私の都合に付き合って、彼女の仲間は死んだ」

 

 一体私は、なんて詫びれば良い。

 

 そう呟き深くうな垂れる新垣提督、そんな彼の姿を見下ろし、そうして自身はようやく口を開く。

 

「だ、そうだが、何か言うことはあるか? 暁」

 

 

 * * *

 

 

 話は前日まで遡る。

 

 電話を終えた後、しばし執務室で考え込む。

 明日、暁の元提督と会う。そのことを暁に言うか否か。

 と言っても、言わなければ恐らく、完全に信頼を失うことになるだろう。

 言えばまた揺れることになるだろう、昨日今日と少しずつ歩み寄ってくる姿勢を見せているものがまた以前に戻ることになる。

「なんて…………考える必要も無いな」

 メリットとデメリットを考えれば、どちかが良いかなど明白過ぎる。それに俺はこれはチャンスでもあると思っている。

 良くも悪くも暁の抱える問題に、一石を投じることになるだろう。それが良い方向に転がれば、一気に問題が解決するかもしれない、なんてのは夢の見すぎだろうが、多少の改善は見せることは確かだろう。

 考えをまとめ、部屋を出る。扉を開き、そして気づく。

「…………これ、カタログの栞か」

 自身が暁に渡したカタログに入れていた栞。それが何故ここにある?

 出て行く時に落とした、それならまあ良い。

 だがそうでないとしたら…………。

 

 掃除を終えた暁がここに戻ってきていたとしたら。

 

 だとすればどうして入ってこない?

 そんなの一つしかない。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「……………………手間が省けた、なんて、言えないよなあ」

 むしろ前置きが無い分、余計に混乱しているかもしれない。

「で…………どこ行ったんだ?」

 考え、とりあえずと言うことで、暁の部屋へと向かう。

 だが居ない。部屋に鍵がかかっており、中から人の気配はしない。

「ここじゃない、とすればどこだ?」

 自室には居ない…………と、すれば。

 

 そうして向かった先、将来的に電の部屋となるその場所に暁はいた。

 

「暁」

 声を掛けるが何の反応も無い。

 一人には少し広い部屋の窓辺に立ち尽くしたまま、呆けたように窓の外を見ている。

 一歩、一歩と近寄り、その後ろに立つ。

「暁」

 再度その名を呼ぶ。

「なんで」

 そうして返ってきた言葉は疑念だった。

「なんで司令官以外が暁を呼ぶの」

 くるり、と暁が振り返る、キッとこちらを見るその目から涙が溢れていた。

「なんで、どうして、司令官じゃないの」

 慟哭するように暁が叫ぶ。

「分からないの、もう何もわからないのよ!」

 わんわん、と泣きながら、あまりにも突然、自身の司令官と引き離された幼い少女が叫ぶ。

「会いたいよぉ、司令官に、会いたいよぉ」

 立って居られないと暁が床に座り込み、泣き出す。

 ずっと我慢していたものが決壊してしまったと言わんばかりに。

 そしてその原因は確実に先ほどの電話であり。

 

「会いたいか?」

 

 尋ねた言葉に、暁が泣きながら頷く。

 数秒、口を閉ざす。すすり泣く声だけが部屋の中を満たす。

 そうして、再度口を開く。

 

「なら、会わせてやる」

 

 その言葉に、泣き声がぴたりと止む。

 

「明日その司令官殿と会うことになっているから、その時会わせてやるよ」

 

 ただし、と言葉の最後の付け足す。

 

「こっちの言うことを良く聞くこと。お前が先走れば、俺も、相手の提督も厄介なことになるからな」

 

 そうして、答えの分かりきった問いをする。

 

「さて、どうする?」

 

 




そろそろ感想が恋しい今日この頃。
暁ちゃんが可愛い。ndndしたい。


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すまない、暁

 ゆっくりと、応接室の扉が開く。そして開いた扉の向こう側から、少女…………暁が部屋へと入ってくる。

「……………………暁」

「…………司令官」

 互いの姿を認め、そして呼び合う。

 暁が部屋へと入ってくると同時に、自身が立ち上がり、扉へと向かう。

 そうして、暁とすれ違い様に耳元で呟く。

「三十分ほど出てるから…………言いたいことは全部言っとけ」

 こくり、と頷く暁と呆然と暁を見る新垣提督を残し、部屋を出、扉を閉める。

 バタン、と応接室の扉を閉めると、思わず息を吐いた。

「お疲れ様、司令官」

 そして目と鼻の先にヴェールヌイがいることに気づき、思わず仰け反ろうとして、執務室に扉に軽く頭を打った。

「っつう」

Ты(ティー) в порядке(フパリャートキ)(大丈夫かい)?」

「…………っつ、ああ、問題ない。と言うか、近い近い、もうちょっと離れろ、キスするんじゃねえんだぞ」

 思わず仰け反ったが、あのまま顔を突き出していたら、本当にキスでもしていたかもしれない距離。

 そのことに少しだけ違和感を覚えたが、頭の片隅に留めるだけにしておく。

「それで、お前が案内でいいのか?」

 自身の問いに、ヴェルが少しだけ、そう、ほんの少しだけ口を閉ざす。

 視界の中、揺れる瞳、そこから読み取れる感情は…………躊躇い。

 けれど、すぐにその感情はなりを潜め。

Да (ダー)

 肯定した。

 

 俺が暁と新垣提督を合わせたのには半分は暁自身のためでもあるのだが、もう半分はこの状況…………暁の目から逃れたこの状況を作り出すためでもあった。

 俺が今から向かう場所、そこに暁がいることに不都合を感じる可能性があるかもしれない。

 そう言う意味で、暁が新垣提督と会いたいと言ったのは非常に都合が良かった。

 鎮守府本館から連絡通路を通り、ヴェルに案内され向かうのは、通路の先にある別館。

 簡単に言えば、艦娘の宿舎だ。と言っても複製艦が禁止されている現状、百人規模の収容が可能な宿舎に、住人は十名にも満たないと言う有様ではあるが。

 宿舎の二階、その一番手前、階段のすぐ隣にある部屋。

 

「ここか?」

 

 その部屋の前で立ち止まったヴェルにそう問いかけ――――――――

 

Да (ダー)(そうだよ)…………ここが、電の部屋だ」

 

 ――――――――ゆっくりと、何かを堪えるようにヴェルがそう言った。

 

 

 * * *

 

 

「済まなかった」

 そう告げ、こちらに頭を下げる彼をきゅっと口を噤み、見つめる。

 ずっと会いたかった。ずっと声を聞きたかった。ずっとずっと、ずっと言いたかったことがあった。

 今ようやく会うことができたのに、どうして、どうして?

「なんで、謝るの…………司令官」

「彼女たちが沈んだのは、私のせいだからだ」

 先ほども、扉の外で似た言葉を聞いた。だから、言える。

「違う、違うの」

「何も違わない、私の目が眩んでいたから、私が己の復讐に目が捉われていたらから」

 

「違うの!!!」

「何も違わん!!!」

 

 思いの丈をぶつけ合うように、互いが叫び、そして。

 

 ゴンッ、と扉から響いた鈍い音に、びくり、と互いが反応する。

「……………………」

「……………………」

 僅かに瞠目し、そしてその間のお陰か、互いが冷静さを取り戻す。

「…………………………聞いて欲しいことがあるの、司令官」

 先に切り出したのは暁のほうだった。

 男…………新垣はゆっくりと暁を見つめ、やがて一つ頷く。

「あのね……………………」

 言い難そうに、口篭り、けれど意を決したように口を開く。

「全部、暁のせいなの」

 震える声で、暁が呟く。

「何を言う、それを言うなら私の…………「違うの!!」…………暁?」

 さすがに雲行きがおかしいと感じたのか、新垣が眉をひそめ、暁を見やる。

「本当はね、もっと助かってたはずなの…………」

 呟くその言葉が、過日の連合のことだとすぐに気づく。

「暁のせいなの…………暁が、暁が勝手をことをしなければ…………そうすれば」

 

 鳳翔さんも、那智さんも、無事に帰ってこれたはずだったのに。

 

 呟いたその言葉に、男が、新垣が目を見開く。

「……………………どう言う、意味だ」

 

 呟く自身の司令官の言葉に、そうして暁が回顧する。

 ほんの数週間前に起きた、悪夢のことを。

 

 

 * * *

 

 

 戦況を一言で言えば、最悪だった。

 連合艦隊の前に現れたたった一体の深海棲艦の手により、連合は半壊。

 すでに三隻の艦が撃沈され、敗色濃厚となった現在、連合艦隊旗艦の長門の号令により撤退する艦娘と、それを追う深海棲艦の群れ。

 距離があるため一撃で撃沈されるような大ダメージは無いが、それでもじわじわと装甲が削られていくそのプレッシャーに誰もが精神的疲労を感じていた。

 夜。それは水雷戦隊が最も力を発揮できる時間帯だ。

 空を見れば、すでに日も暮れ始め、夜の帳が下りてきていた。

 現状を鑑みる。後方の敵の大部隊、そして前方の味方部隊。

「…………………………」

 自身は駆逐艦である。戦力的に見れば、一番最弱の存在。そして最も装甲が薄く、生存率も低い。

 残った艦隊の面子は、長門、加賀、瑞鳳、鳳翔、那智、筑摩、愛宕、天龍、そして自身、暁。

 一隻でも多くの戦力を残すために、真っ先に切り捨てられるべきは、恐らく自身だろう。

 駆逐艦とは戦艦、空母たちの護衛艦の役割であるべきはずだから。

 だから、足を止める。

「暁ちゃん!?」

「暁、何をしている!?」

 それに気づいた鳳翔と那智が足を止めようとし…………。

「先に行って!」

 暁の言葉に目を見開く。

 そうして暁の行動の意図に気づき、叫ぶ。

「バカなことは止めろ!」

 そう叫ぶ那智にけれど、暁はそれを無視して反転。

 迫りくる敵を見て、僅かに逡巡するが、それでも。

「お願い、生きて」

 そう言い残し、敵の波へと向かっていく。

 

 それで終わるはずだった。

 少なくとも、暁の中では。

 否、艦隊としてみればそれは正しい行動だったとも言える。

 駆逐艦と戦艦、駆逐艦と空母、駆逐艦と重巡洋艦、それらの価値が同等とは決していえない。

 育てるためのコストも、そもそも生み出すためのコストも、そして使っていくためのコストも、何もかもが違う。

 戦力的な意味合いでもそれらは大きく違う。だから戦力を温存するために、一番弱く、換えの効く部分から切り捨てて行く、それは戦術的な意味では正しかった。

 

 だから、そう。予想外だった。

 だから、そう。間違っていたのは彼女たちなのだ。

 だから、そう。予想できなかったのは暁だ。

 

「どうして」

 暁には分からなかった。

 どうして彼女たちが反転したのか。

 どうして彼女たちが自身を庇ったのか。

 どうして彼女たちが自身の腕を引き、逃げたのか。

 分かっていたはずなのに、敵に近づいた暁をつれて逃げようとすれば敵の猛攻に会うことを。

 分かっていたはずなのに、暁の腕を引いたその速度の落ちた状態で敵の猛攻を凌げるはずも無いことを。

 分かっていたはずなのに、そんなこと暁が望んでいないことを。

「分かってたでしょ、なのに、どうして」

 泣き叫び、慟哭し、そして最後にそう呟いた暁に、今にも沈んで行きそうな鳳翔が告げる。

「だって、暁ちゃんは仲間じゃない」

 

 本当は、分かっていたはずなのに。

 暁の自慢の仲間たちは。

 

 決して仲間を見捨てるはずが無いって。

 こんな捨石なやり方、見過ごすはずが無いって。

 

 そんなこと、暁が一番分かっていたはずなのに。

 

 結局、なるべくしてなった。

 

 

 * * *

 

 

「あの時、あのまま逃げていれば、或いは三人とも生きて帰れたかもしれない」

 勿論そうじゃない可能性だってある、むしろそうじゃない可能性のほうが高い。

 何せ、暁たちが僅かに稼いだ時間の分だけ先に逃げた六隻のうち、長門と瑞鳳を除く四隻は撃沈してしまったのだから。

 けれど、そんなものいくら考えたって結論の出るものでしかない。

 或いは、こんなこと言いたくは無いが、長門と瑞鳳の代わりに、鳳翔と那智が生き残ったかもしれない。

「それでも、二人があの場所で沈んだのは…………暁のせいなの」

 それが、目の前の司令官以外、誰にも言えなかった本音。

 新しい()()()である彼にすら言えなかった、暁の後悔。

「…………知っていた、分かっていたわ。司令官が深海棲艦(アイツら)が嫌いなのも、憎んでいるのも、復讐しようとしていることも」

 みんな知っていた。鳳翔も、那智も、そして自身(あかつき)も。

 そんな言葉に、新垣提督が驚愕する。

 ずっと隠していた自身の本心を、それを知られていたことに驚いた。

 だが何よりも、知られていたことに気づけなかった自身に悔悟の念が過ぎる。

 どうして自分はもっと彼女たちを見てやれなかったのか、と。

 そして、自身の復讐心を知っていながら、それでも戦場へ向かってくれた彼女たちに、また情念が沸く。

 

 だが。

 

「でもね、司令官」

 

 そんな思いは。

 

「一つだけ言わせて欲しいわ」

 

 目の前の少女によって。

 

「ふざけないで!」

 

 ばっさりと切り落とされた。

 

 

 * * *

 

 

 コンコン、と扉をノックする。

 そうして中から「どうぞ」と返ってくるのを確認し、扉を開く。

「入るよ、(いなづま)

 ヴェルがそう言い、部屋の中へと入っていき、その後ろをついて行くように俺も部屋へと入る。

「おはようなのです、響…………と、そちらの方は?」

 ヴェルを見て、そしてその後ろをついてくる自身へと視線を向け、首を傾げる電。見て、そしてすぐに気づく。

 目が淀んでいる。目は口ほど物を言うというが、あれは本当だ。

 表情を隠せる人間は世の中意外と多いが、目の色を隠せる人間と言うのは本当に僅かしかいない。

 まあかと言って、目の色からはっきりとした感情を読むことは難しいのではあるが。

「ああ、そのことなんだけど…………しばらく電と私はこちらの司令官の鎮守府へ行くことになった」

「狭火神海軍大佐だ、よろしく」

 本題へいきなり切り出すヴェルに、大丈夫なのか? と一瞬思ったが、ここ数週間ずっと電を相手をしてきたヴェルが大丈夫と判断したならそれを信じるしかない。

 そして電の様子を伺うが、特に問題は無かったようで、そうなのですか、と頷いている。

「今うちの鎮守府には、君の姉の暁もいる。どうか仲良くやってくれ」

「暁もいるのですか?」

 どこか嬉しそう、そう言う電のその姿だけを見れば、至って普通の様子に見える、けれど。

「ああ、ところで…………雷は一緒じゃないのですか?」

 そう尋ねた彼女の目を見て、それが違ったのだとすぐに分かった。

 先ほどよりも暗く、淀んだ目。まるで吸い込まれそうなくらいにどんよりとした、底なし沼のような瞳。

 思わず気おされ、そして質問の答えにあぐね、隣のヴェルを見やると、すぐに頷く。

「雷なら今、遠征に出ているよ」

「ああ、そうだったのですか」

 瞳に明るさが戻る。そうして認識する。彼女の現状、そしてその危うさ。

 

 壊れてしまっている。

 

 今の短いやり取りを見ているだけで理解できてしまうくらいに、はっきりと分かってしまった。

 言動よりも何よりも、目が全てを物語っている。

 全うな人間のする目じゃない。失った物の大きさに心が壊れかけている。

 

 だがまだ完全に壊れているわけでもない。

 

 壊れてしまう前に、心に蓋をした。目を背けた。だから辛うじて生きている。

 例えるならそんな感じだろうか。

 蓋も出来ず、けれど受け止めることも出来ず、重圧に押しつぶされていた響とはまた違う。

 下手に触れれば今度こそ、死んでしまう。体はともかく、心が。

「………………………………厄介な」

 しかも響と違って、背負う物が無い。心を留めるための引っかかりが無い。

 かつて俺は響と約束した。この命をくれやるから、今度こそ守って見せろと。

 もし響が死ぬようなことがあれば、俺も一緒に死んでやると。だから死ぬな、精々生き足掻け、と死に場所を求めていた響に対してそう言った。

 元々鎮守府には響一人しか戦うための力が無い。響が負ければそのままこちらへ攻め寄せてくる深海棲艦に立ち向かう術は無い。

 そう言う意味で、物理的にも精神的にも響を縛り付けて、勝手に落ちて行ってしまわないように、少しずつ少しずつ、人並みの日常と言うものに触れさせ、人との交流をさせ、そうして少しずつ響にとっての大切なものを増やして行き、それを守らせることで充足を得させていった。

 一年以上そうした地道な努力の結果、壊れかけた心は、継ぎはぎながらも修復されたのだ。

 だがそれはある意味、自身のせいで死なせてしまった響の後悔と言う引っかかりがあったからこそできた対処法だ。加害者であるからこそ、罰を与えることで清算をさせて行った、と言っても良い。

 けれど電の場合、それが無い。そもそもが目の前の現実から目を背けているせいで言葉が届かない、思いが届かない。そして現実へと目を向けさせるためには、恐らく、傷口を抉るような真似を…………雷が死んだことを突きつけなければならない。

 だがそんなことをすればどうなるか…………恐らく、辛うじて保っていた電の心が完全に壊れる。

 

 だからきっと電が立ち直るために必要なのは――――――――――

 

 

 * * *

 

 

「ふざけないで!」

 少女が叫んだその声の大きさに、篭められた感情の強さに、そしてその泣きそうな表情に度肝を抜かれる。

 泣きそうになりながら、それでもきっと強い眼差しでこちらを射抜くその視線に、体が硬直する。

「暁たちはね、守るために戦うの! 艦娘はね、深海棲艦と戦うための力なの! 私たちは、戦うことが存在意義なのよ! それなのに…………なのに…………司令官がそれを否定しないで!」

 そう叫ぶ暁の目から零れる涙を見て、気づく。

 自身が彼女たちに対して、何を言ったのか。

「司令官は戦えって言ってくれれば良いの! そのために暁たちは、私たちはいるんだから! だから、お願いだから……………………鳳翔さんが、那智さんが…………暁が戦ったことまで否定しないで」

 弱まっていく声に、零れ落ちる涙に、震えるその体に。

 自身が言った言葉がどれだけ彼女を傷つけたのか。

 自覚し、認識し、そして震えた。

 

「すま…………ない…………」

 

 そうして気づく――――

 

 ――――またしても自分は、間違ったのだ。

 

「すまない、暁」

 

 

 




じ、次回で…………終わる、よね?
おわる、はず?


と言うわけで暁ちゃんのネタバラシ。

間違ってないからこそ、辛い。間違えてしまえなかったからこそ、痛い。
最善であることが、最良であるとは限らない。
最良であることが、最善であるなんてあり得ない。

間違っていると言ってほしかった。これが最善だなんて言ってほしくなかった。
だってそうではないか。

彼女たちが間違っているだなんて、認めなくなかった。

彼女たちが死ぬことが、最善だなんて、認めなくなかった。

誰か教えて欲しい。

暁は間違っているとなじって欲しい。

そして。

暁の“本当に”最善だった行動を――――

――――“あの二人を救えた”はずの行動を教えて欲しい。


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よろしくね、司令官

暁ちゃんndnd


 

 どれほど頭を悩ませようと、最良と最善は交わらない。

 もし交わったように見えたなら、それは最善に見えるだけの最良か、最良に見せかけた最善だ。

「また間違えていたのか…………私は」

 深く、深く、何十年心の内に溜め込み続けてきた懊悩を吐き出すかのような、溜め息。

 何もかも、全て終わったことばかり。もう取り返しもつかない、悔やんでも悔やみ切れない後の祭り。

 

 始まりは決意。

 

 切欠は復讐。

 

 結局、自分で空回っていただけなのだ。

 本人たちの気持ちも考えず、自分の考えを信じ、そうして勝手な決断をする。

「司令官は…………司令官は、私たちが戦ってきたのは無意味だって言うの?」

 否、否だ。あれこれ考えすぎて、けれど一周して思考が澄んだらしい。今ならはっきりと言えた。

 彼女たちは戦ってきた。それは誰の命令で? そう聞かれれば、提督である自身の命令で、そう言える。

 

 だが、誰がの意思で?

 

 そう尋ねられれば、きっと彼女たちはこう言うのだろう。

 

 自らの意思で、と。

 

 だとすれば、その思いを自身が一方的に否定するのは彼女たちへの侮辱に他ならない。

 どうやら自分は考えすぎて、また目が曇っていたらしい。

 そうして、思考がまた走り始めると、分かってしまうことがある。

 

 例えば、目の前の少女の心中…………だとか。

 

 それは当然のことだ。あまりにも当然過ぎて、どうして今まで気づかなかったと思ってしまうほどで、愚鈍な自身を縊り殺したくなる。

 

 少女(あかつき)が泣いている。

 

 当たり前ではないか。暁は自分のせいで二人が死んだと思っている、少なくともあの時もっと何か方法があったのではないか、と言う思いを抱え、けれどこうなるに至ってしまったその後悔を抱えている。

 それをどうにかするのは、提督たる自分の役目のはずだったのだ。だと言うのに、自身がその役目を投げ出し、あまつさえ目の前の少女に逆に諭される始末。

 何をしているのだ、己は。そう自嘲する。本当に、呆れるほどの愚鈍だ。なんと言う自己中心的な存在なのだ。

 目の前で泣いた女一人放って置いて、何を感傷に浸っているのだ。

 提督だとか、軍人だとか、そんなことすら関係無く。

 

 男として、それはどうなのだ。

 

 っふ、と口元を歪める。

 涙を堪える少女のその頭上に手をやり…………。

 

「あっ」

 

 そっと帽子ごしにその頭を撫でてやる。

「ああ、済まなかったな。心配かけた…………もう大丈夫だ」

 多分、自分は苦笑いしているのだろう、己の阿呆さにどんな表情を作ればいいのか分からず、けれどそんな間抜け面を目の前の少女にだけは見せたくなくて、だから苦笑い。

「大丈夫だ…………大丈夫だから」

 だから、そう、だから。

「もういいんだ…………お前が一人で傷つくことじゃない。あの二人のことも、この結果も、全部、お前のせいじゃない」

 だから、だから、だから。

「もうありもしない答えは探すな…………全部、私が悪かったんだ」

 例え百万回繰り返したところで、きっと暁の探した答えは見つかりはしない。

 そもそもその状況に陥った時点で、きっとそれは()()だったのだろう。

 そしてその状況に陥らないようにするのが、提督たる自身たちの役目だったはずだ。

 

 だからあの日、言えなかった言葉を今ここで言おう。

 

「よく帰ってきてくれた、暁…………お前が生きていてくれて、本当に嬉しかったよ」

 

 生きて帰った、そのことに一切、負い目を感じる必要は無いのだと。

 二人はもう居ないけれど、それでも、暁が居てくれることが喜ばしいのだと。

 だから、もう自分を傷つけるのは止めるのだ、と。もう良いのだと。

 

 いくつもの言葉を飲み込み、けれどいくつもの意味を乗せて。

 

 そう、暁に告げて。

 

「う…………あ…………あ……ああ……あああああ、ああああああああああああ」

 

 少女の声が、響いた。

 

 

 * * *

 

 

 どうして?

 

 そう尋ねた自身の言葉に、けれど彼は困ったように笑った。

 

 失ってしまったからだよ。

 

 そんな彼の答えに、まだ全てを失ったわけではない、と告げるが、それでも彼は首を振った。

 

 そうじゃない、そうじゃないんだ。

 

 そう言って、微笑していた彼のその笑みの意味を。

 

 けれど、理解することは今になるまで終ぞ無かった。

 

 

「感謝する…………狭火神提督」

 憑き物が落ちたようなすっきりとした表情の新垣提督と入れ違いに出て行った暁の雰囲気から、互いに話し合いは出来たのだろうと予想する。

「いえ、こちらとしても暁のことがありましたので、構いません」

 元は目の前の提督の艦娘とは言え、現状は自身の配下なのだ。二人を合わせたのは自身の打線も多分に混じっていることは間違い無い。

「ああ、ところで…………結局のところ、自身に何の用があったのでしょう?」

 暁との再開で有耶無耶にしたが、元々は新垣提督が俺に面会を希望する、と言うからここに来たのだ。

 当然、何かこちらに用事があると考えていたのだが…………。

「ああ…………そのことか」

 思い出したかのように、顔を上げ一つ頷く提督…………そして。

「キミの人となりを知りたかったのだよ、安心して暁を預けることが出来るのか、それをな」

 和らいでいた眼光がジロリ、と自身を見つめる。まるで先ほどの初対面の時のような、鋭く、射抜くような視線に自身は無意識に喉を鳴らした。

「同時に、キミに言っておきたいこともある」

 そうして、一度目を瞑って…………。

「敗走する連合を…………否、暁を助けてくれたこと、感謝する」

 提督が、頭を下げた。

 驚くのは自身である。同じ佐官とは言え、自身は少佐、相手は大佐。地位的に言えば、天と地ほども違う。

 特に今の時勢、海軍で中佐以上の地位に付けるのは、ある程度以上の功績を残した傑物だけだ。故に、同じ提督と言う立場にあっても、少佐以下と中佐以上では大きな隔たりがある。

 当たり前だが海軍も軍隊である以上、縦割り社会であり、上下関係は絶対だ。

 だからこそ、驚愕なのである、上官が自身に頭を下げた。その事実が、どれほど彼にとって今回の件が…………暁が大事だったのかを示していた。

「……………………頭を上げてください、大佐殿。確かに礼は受け取りました」

 あの作戦は、自身の鎮守府を守るためにも絶対に成功させる必要のあるものだった。だからそう言う意味では、別に暁を助けようとしたと言うわけではなく、作戦を成功させた結果、暁が助かった、と言ったところなのだが、けれど目の前の大佐殿にはそんなことは多分関係無いのだろう。それが分かるからこそ、自身も素直に礼を受け取った。

「後から作戦展開を見せてもらったが…………博打が過ぎる、とは言えあの状況では致し方ないとしか言えん上に、成功させてしまっている以上、誰もが認めざるを得んだろうな」

 自身の言葉に姿勢を戻した提督が、続けて言葉を紡ぐ。

「見ていてすぐに理解したよ、事前にしっかりと情報を集めた上での確信的な行動であると」

 キミの父親にそっくりだな、そんな提督の言葉に目を細める。

 人としては嫌いだが、提督としては尊敬している、そんな父親に似ていると言う言葉に喜びと怒りがない交ぜになり、複雑な心境だったが、手腕の話だと割り切って喜んでおくことにする。

「こうして直接話していても、なるほど…………昔の狭火神大将を見ているような錯覚を覚えることがある」

「父に…………ですか」

 実を言えば、自分は父親の仕事場での姿と言うのを良く知らない。

 当たり前だが、父親が生きていた頃はまだ自身は幼い頃だ。そしてそんな子供の自身を仕事場に連れ込むことなどあり得ない。基本的に自身は与えられた個室で日がな一日、本を読んだり、寝ていたり、たまにやってくる瑞鶴と遊んだりと言った日々を過ごし、父親に会うのは休日の時くらい。つまりプライベートな時だけである。

 仕官学院時代は、人伝に聞いた父親の姿と、自身の知る父親の姿が合致せず、首を捻ったものだ。

 だからこそ、こんな時、父に似ていると言われてもいまいちピンと来ない、釈然としないものがあった。

「まあ先ほどあんなことを言ったが、キミの人となりについてはそれほど心配していない。狭火神大将の息子だと言うこともそうだが、何より」

 一旦言葉を止め、ふっと笑う。

「暁から色々聞いていたからな…………どうやら暁がキミのところに配属されたことは幸運だったらしい」

「…………そう言ってもらえるのは喜ばしい限りです」

「ああ…………これからも暁を頼むよ」

 そう告げる提督の言葉に、ふっと引っかかりを覚える。

 これからも…………半年もしないうちに再び、大佐殿のところへと暁は戻るはずなのに、その言葉は少しおかしくないだろうか?

 思考し、そして導き出した答えに、まさか、と顔を上げて…………。

 

「気づいたか…………ああ、実は私は軍を辞めるのだよ」

 

 清々しい表情で提督がそう告げた。

 

 

 * * *

 

 

 まるでいつかの日の焼きまわしのようだ。

 

 暗く深い夜の海、そしてそれを煌々と照らす月。

 ざあざあとさざめく波の音に耳を傾けながら、酒瓶を傾ける。

 あまり行儀が良くない、とヴェルに言われたこともあったが、これが自分なりに性にあった飲み方と言うものなのだから仕方がない。

 以前にもこんな日があった。そう確か、ヴェルがいなくなって一週間ほどした日のことだったか。

 あの日もこうして波の音を聞きながら酒を飲んでいた。

 酒と煙草とギャンブルは、とかく規律と規範に縛られた軍人にとって、唯一にして至上の娯楽だ。

 その内、喫煙の習慣も無く、必要以上に博打は打たない自身にとって、残された娯楽など酒くらいのものだった。

 だがそんな男臭い娯楽は、けれど女子にとってはあまり受け入れられないものらしく、その話をしたヴェルは表情こそ崩しはしなかったが、目が呆れの視線を送ってきていた。

 まあ何が言いたいかと言えば、こう言う俺の些細な楽しみは、あまり異性には受けないと言うこと。

「そんな顔するなよ、暁」

 つまり、隣に座る彼女にもあまり受け入れられる話では無いと言うことだろう。

「レディーにする話じゃないわよ、全く」

 ジト目でこちらを見てくる暁は、ヴェルよりも表情豊かではあるが、けれどヴェルより感情を隠すのが上手い。

 まあ普段あまり隠しはしないから、判別つけ辛い時もあるのだが、腹の中で何を考えているのか読めない時、と言うのが時折ある、ただそれは、彼女なりに必要と判断した時だけのものであり、先ほども言ったが、基本的には隠さない。

 だから、ストレートに呆れの表情を出しているが、これは本心なのだろう。

 

「で? どうだった?」

 唐突に出た問い、けれど暁は分かっていると言った様子で、少しだけ考え。

「司令官といっぱいお話できたわ、ありがとう、会わせてくれて」

 素直に礼を言ってくる暁を、びっくりした目で見ると、それを即座に悟った暁が何よ、とジト目で見てくる。

「別に、お礼はちゃんと言えるし」

 拗ねた様子の暁に、悪い悪い、と謝罪しつつまた酒瓶を傾ける。

 とくん、とくん、と喉から胃へと流れる熱い液体に、喉が焼け付くような感覚を覚える。

「美味しいの?」

 酒臭いのか、片手でこちらを仰ぎつつ、空いた手で鼻を摘む暁。少しだけ傷つく反応である。

「ああ…………美味いよ。止められないわなあ、これだけは」

 飲んでみるか? そう尋ねると、好奇心を刺激されたのか、暁が頷く。先ほどまで暁が飲んでいたジュースの入っていた空きビンに一口分ほどの酒を流してやると、ビンの口から匂いを嗅ぎ、顔をしかめて、それでもビンに口付け、傾ける。

 僅かばかりビンに入った液体が、暁の口へと流れ込み…………。

「ぶっ…………けほ、けほ…………なにこれぇ、にがぁい」

 思い切り表情を歪め、咳き込む暁。その顔が真っ赤になっているところを見ると、どうやら酒に弱いらしい。

「大丈夫か?」

 背中を軽くさすってやると、すぐにふらふらと揺れだす。

「だ、だいびょーぶに、ひまってるじゃなひ…………」

「は? もう酔ったのか?!」

 訂正、とんでもなく酒に弱いらしい。

 仕方ないので、立ち上がり、暁を背に負うと、酒瓶を片手に鎮守府へと戻ることにする。

 

 とん、とん、と人の気配の無い波止場に足音が響く。

 

 そうして、鎮守府へ戻ろうと、少し歩いた時。

 

「…………ねえ」

 

 ふと、背中の暁が声を漏らす。

 

「どうした?」

 

「例えば…………例えばの話だけど」

 

 躊躇いながら、それでも少しずつ、少しずつ、暁が言葉を紡ぐ。

 

「もし自分のせいで、誰かが死んだら、どう思う?」

 

 随分と抽象的な言葉、そう思ったけれど、きっと期待しているのはそんな言葉じゃないのだろうと直感的に察する。

 

「そうだな…………自分のせいだって言うなら、償おうと必死になると思うぞ」

 

 死、と言う言葉の重みを考えれば、人が一生をかけて償うべきほどのものがあることは確かだ。

 

 けれどそんな自身の言葉に、暁がさらに言葉を重ねる。

 

「じゃあ、もし…………正しいことをしたのに、誰かが死んだら、それは、自分が悪いのかしら」

 

 その問いに、数秒沈黙が続く。即座に答えは返せなかった。それはきっと、暁にとってとても重要なことなのだろうから。

 

「…………そう、だな。もしそれで自分が後悔したのなら」

 

 それはきっと。

 

「間違っちゃいなくても、それでも、正しくなかったんだろう、少なくとも…………自分にとっては」

 

「……………………………………」

 

 自身の背で暁が沈黙する。必然的に自身も沈黙するので、静寂と、漣の音だけが辺りに響く。

 

「……………………そっか、そっかぁ」

 

 静寂を破り、困ったような、けれどどこか嬉しそうな声でそう呟いた暁。

 

「ねえ、下ろして」

 

 とんとん、と肩を叩きそう告げる暁を下ろす。まだ酒が抜けてないからか、少しフラフラした様子の暁だったが、自身の目の前にまで歩き。

 

「今さらだけど…………言い忘れてたわね」

 

 そんなこと呟くと、服の埃を払い、帽子を被りなおし、そうやって服装を正す。

 

 そして。

 

「特Ⅲ型駆逐艦一番艦暁よ」

 

 ぴし、と敬礼し。

 

「挨拶、遅れちゃったけど」

 

 告げた。

 

「よろしくね、司令官」

 




悪とは主観が決めるものである。
正義とは状況が決めるものである。
そして、正しさとは自分で決めるものである。




と言うわけで、第二章、暁編終了です。
実はちょっと書き忘れたところあるので、三章でちょこちょこ出すかもしれないけれど、とりあえず二章は終了です。
ところでふと気づいたんですが、この小説の一話投稿したのって去年の11月1日らしいです。
そう気づけばもう一年経ってたんですよ、まだ二十話しか書いてないのに。
ま だ 二 十 話 し か 書 い て な い の に (大事なことなので

因みに、二章始めたのが7月3日なので、だいたい4ヶ月で10話…………遅すぎ(

そして次が難題の三章。電編です。

な、なるべく早く終わるといいなあ(白目)


まあそれはともかく、質問感想待ってます、


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大人しめな性格の子を猫可愛がりしたくて愛が止まらない第三章
To be or not to be, that is the question


というわけで、三章のスタートです。

因みに、何故か今朝徹夜してたらふと天啓が降りてきて十話までのタイトルとプロットが完成したので、多分、これまでより早いペースで投稿できるような気がしないでもない。

まあ今日は作者風邪引いて、頭痛と喉の痛みと咳とくしゃみと吐き気でやばいので、もう書かないけど。


 

 

「全砲門開け…………ってえ!」

 ドォン、ドォン、と砲撃の音が鳴り響く。

 飛来し、着水する砲火。そして被弾し、沈んでいく敵の姿。

 最前線の中でも最も激戦区とされる南方海域。現在までに開拓された海域の最先端は中部海域ではあるが、それもタカ派…………つまり強硬派の一部の提督たちが南方海域を強引に突破した結果であり、その提督たちも中部海域半ばで撤退をしている。結果的に、まだ優勢のまま推し進めていた南方海域制圧から、いきなり中部海域への勢力が抜け、一進一退の攻防が繰り広げられている。

 その均衡が崩れたのは、先のタカ派の連合の敗北。正確には、連合が踏み込んだ、サーモン海域北方。

 そこは、作戦名東京急行によって鼠輸送を成功させ、補給を受け士気の上がった連合艦隊が敵中枢を一息に撃破し、一度は敵勢力圏の後退に成功させたサーモン海域で最後に残った敵の勢力圏。

 正確に言えば、この南方海域を開拓したのは先のタカ派の連合。そしてその一部が勢いに乗じて制圧にかかったのが中部海域。そして連合の敗退により中部海域より撤退が行われ、中部海域は完全に敵の勢力下に、南方海域は一時的に空白地帯と化していたのだが。

 サーモン海域北方より再度海域を奪おうと進出する敵部隊と、一度は制圧した海域を奪われてなるものか、と南方海域へと進出する味方艦隊との衝突により、現在南方海域では決戦が行われていた。

 

 

「厄介、だな」

「ああ、厄介だ」

 遠方にまで続く海、そして水平線を見つめながら自身と、そして長門が呟く。

「状況はこちらの優勢、すでに幾度と無く勝利は掴んだ…………けれど」

 広げる海域の地図。並べる青い三角形と赤い三角形。数だけ見れば青…………つまり味方のほうが多い。

 

 だが。

 

「敵の主力艦隊が後方から動かない。タカ派の連合を一方的に敗北させたと言うあの主力艦隊が」

 ちらり、と長門に視線を向ける。何を隠そう、長門はあの時、連合艦隊の一員としてあの場所にいた。

 連合艦隊、そのまとめ役、そして中立派からの監視の役割も兼ねて、長門はあの戦場へと出向していた。

 そして、だからこそ、分かっているはずだ、連合艦隊を敗北させた敵の強さ、と言うものが。

「これまでに見たこともない敵…………大本営は戦艦レ級と名づけたあれは、これまでの敵とは一線を隔す敵だった」

 深海棲艦は、戦艦や空母と言った重量級艦種ほど人に近い形を取る傾向にある。中でも姫、と呼ばれる存在は深海棲艦の中でも一線を隔する強さを持つ。

 今回現れた新種の敵、当初付けられた名前は姫と言う文字が入っていた、だがそれはすぐに取り消された。

 理由は簡単だ…………上位艦の存在があったから。

 

 深海棲艦には現状で三種類のタイプがある。

 通常級、上位級(エリート)旗艦級(フラグシップ)

 一番分かりやすい違いは目の色だろう。エリートは目が赤、フラグシップは黄色と分かりやすい違いがある。

 姫と呼ばれる存在にはこれが無い、故に姫と呼ばれるのは敵の指揮官のような存在であり、他の深海棲艦たちはそれらに纏められる兵隊的位置づけなのではないか、と言う推察が立つ。

 

 そして話を戻すが、現在戦艦レ級と呼ばれる存在は上位級の存在が確認されている。故にこれらは姫ではなく、兵隊なのだと考えられるが…………。

「馬鹿げた話だ」

 長門が呟く。その表情は苦悶に満ちている。

「火力でビッグセブンたるこの私と張り合い、航空戦力で一航戦たる赤城たちと張り合い、さらには雷撃戦で重雷装巡洋艦である北上たちと張り合う、たった一隻でそれだけのことができる存在がただの兵隊、だと?」

 あれはまさしくバランスブレイカーだ。たった一隻で戦場の趨勢を変えることすらできるほどの怪物。

 いずれあれが随伴艦としてずらずらと並び、あれよりもさらに凶悪な姫がそれを率いてやってくる日が来るのだろうか?

「…………真面目な話をするが提督。建造は早い内に解禁したほうが良い。今後あれらが増えて来たとき、現状ではそれを止めることのできる艦が少なすぎる」

「大和は死んだ…………武蔵は本土防衛の役目がある、大鳳もだ。だからこそ連合艦隊旗艦はキミの役目となっている…………()()()()

 久しく呼ばれていなかった懐かしい呼び方に、長門は胸中で懐かしさを覚える。

「赤城も加賀も前回の連合の敗北によって沈んだ、飛龍や蒼龍はまだ健在だが西南諸島沖の抑えや北方海域の防衛に手がいっぱいだ。金剛たちは西方海域で苦戦してるし、陸奥はもう居ない」

 この国の主力と呼ばれる存在たちの半分はすでに戦没し、半分は現状の維持に必死だ。

 建造を禁止したことにより、この国は一時の平穏を得た、だがそれにより戦線の拡大を行うための戦力が足りないと言う現状がある。いや、減る一方で増えることが無い以上、どんどん戦線は下がっていると言っても良い。

「例のドイツ艦はどうなっているんだ、提督」

「あれらはまだ練度が足りていない、この海域の敵を相手取るには圧倒的に力不足だよ」

 ドイツよりやってきた艦娘、駆逐艦Z1、そして同じく駆逐艦Z3、そして戦艦ビスマルクの三隻は現在、北方海域キス島で練度を磨いている。前線に投入できるようになるまでにまだ半年は必要だろう。

「安心して良い、今、南方海域で前線を維持していた提督たちから援軍を募った。航戦たちを含めた艦隊が応援に来てくれるはずだ」

 と言っても前回の連合の愚を真似るようなことをしてはならないので、同時出撃は無いだろうが、それでも交代要員がいると言うのが精神的な安定をもたらしてくれる、重要なことである。

「練度は?」

「全員六十以上、一番高い扶桑が八十だそうだ」

 自身の言葉に、長門が少しだけ驚いた様子だった。まあそうだろう、扶桑型と言うのは欠陥戦艦などと呼ばれ、性能も他の戦艦たちに比べると一段劣る。そんな扶桑型を練度八十まで育てようと思ったら、かなりの根気が必要になることは間違いないだろう。

 それだけに、そこまで育て上げられたと言うのはある意味それだけでも実績だ。

「なかなか頼りになりそうだな」

「そうだな、前回の連合と違って、今回は約二ヶ月の長期戦を予想してやっているからな…………補給と交代要員による戦線の維持が何よりも大事になってくる、が…………だ」

 一度言葉を区切る。そして視線を長門にやると長門も分かっていると言った風に頷く。

「結局、あいつら…………戦艦レ級エリート率いる敵主力艦隊を叩かないことには南方海域の制圧はあり得ない」

「分かっている」

「…………正直な話、勝算は?」

 自身のその言葉に長門が沈黙する。咄嗟に言葉が返せない。それだけ長門が慎重に戦力計算をしている、と言うことであるし、何よりも、あの強気な長門が勝てる、と即断できないほどに敵が強いことでもある。

「はっきり言えば…………三割、と言ったところだな」

 それは七割の確率で敗北するし、勝ててもかなりの損害が出る…………最悪轟沈がまたあるかもしれない、と言うこと。

「これ以上、私の前で死者は出したくない…………戦力が減ればそれだけ守ることが難しくなる」

 心情的にも、実情的にも、轟沈者を出すのは望ましくない。それは長門も分かっているからこそ、頷く。

「だが正面からまともに戦えばそうなる、それだけは分かってくれ」

「…………何か作戦を考えないとな」

 思案する自身を他所、ふと長門が思い出したように呟く。

 

「そう言えば、電はどうしている?」

 

 呟いたその言葉に、自身の思考が止まった。

 数秒沈黙し、そして告げる。

「彼に預けた」

「……………………そうか」

 彼のことは長門自身よく知っている。

 

 何せ、彼女の妹、陸奥は、元は狭火神大将の配下だったのだから。

 

 そして長門は狭火神大将の部下だった自身の二番目に建造された艦であり、妹陸奥と共に、狭火神大将の死後、陸奥が沈むまでずっと戦ってきたのだから。

 大将の息子だった彼のことは知っている。実際に会ったこともあるのだが、幼い頃だったから、恐らく彼は覚えていないだろう。彼にとって記憶に残っているのは瑞鶴だけだろうし。

 

「電について、前から不思議に思っていたことがある」

 

 ふと、長門がそう呟いた。

 

 

 過去、戦艦長門は妹を失っている。

 それは戦う者としてはいつか辿る結果であるし、長門自身、自身もいつかはそうなると分かっていた。

 悲しみが無いわけではない、当たりまえだが、まだ死んで欲しくなかった。生きていて欲しかった。

 だが、陸奥は戦い、沈んだ。その時、長門が思ったことは…………。

 

 ああ、今度は戦いの中で沈むことが出来たのか、陸奥。

 

 かつての戦艦陸奥は、戦場で無く、停泊中の事故で沈むと言う最後を遂げた。

 だからいつも陸奥は、死ぬなら戦場で死にたい、そう口にしていた。

 どれほど人の形を取り繕おうと、艦娘の本質は艦船、つまり戦うことだ。

 だから、長門は妹が沈んだ時も悲しみはしたが、嘆きはしなかった。

 戦う者として本懐を遂げた妹を誇りはしても、その生き方を否定しなかった。

 艦娘の中には、戦いたくない、と言う者もいる。電などその例だろう。

 だが、戦わない、と言う者はいない。

 明石や間宮など、そもそも戦闘向けの艦ではない艦娘はその例に無いが、少なくとも戦うために作られた艦娘の中で、戦うこと自体を拒否した艦娘などいない。

 だからこそ、疑問なのだ。

 

「何故電があそこまで壊れてしまったのか」

 

 姉妹艦が沈んだ、ああ、確かに悲しいだろう。長門と違って嘆きもするかもしれない。

 だがそれでも戦うことは止めない。それは艦娘にとって本能のようなものだから。

 

「そもそも、電は過去にも暁と雷を先立って失っている、その記憶は確かにあるはずだろう」

 

 それは電がまだ駆逐艦電と言う艦船だった頃の記憶。

 暁が沈み、雷が沈み、電が沈み、そして響だけが残った。それが第六駆逐隊の結末。

 

「慣れるものではない、だが初めての経験でもない、だと言うのに、何故電はあそこまで深刻な状態に至った?」

 

 それが、長門の疑問。

 事実に対して、起きた症状が深刻過ぎる。簡単に言えば、それだけの話なのだが。

 

「だからこそ、何かが理由があるのではないかと勘繰る、そして提督、提督はそれを知っているのか?」

 

 そんな長門の問いに対して、自身は…………。

 

 

 * * *

 

 

「こっちよ、こっち、電ならきっとこっちのほうが良いって言うわ!」

「いや、電の性格からすればきっとこっちのほうが似合うと思うよ」

 二人が互いに指を指しながら叫ぶ。ここ数日の二人はずっとこんな感じで、いい加減にしてくれ、と言いたい。

 暁もヴェールヌイも普段は仲が良い。姉妹艦なのだから当たり前なのかもしれないが。

 そして、だからこそ、喧嘩する理由も姉妹艦にあった。

 

 始まりは電も荷物を運ぶためにこちらにやってきたヴェールヌイが、こちらの鎮守府に作った電の部屋を見た時の一言である。

「あまり電の好きそうな雰囲気じゃないね」

 その一言に、デザイナー暁がむっと来て、それから毎日、ヴェールヌイが電の荷物を運びにこちらにやってくる度にこんな言い争いをしている。

 だが、止めはしない。部屋の雰囲気一つとっても、心に与える影響と言うのはけっこう馬鹿にできない。

 電にとって一番良い部屋と言うのがどんなものなのか、俺自身には分からないが、それでも、二人が一生懸命意見を出し合って決めた部屋ならきっと電は喜ぶだろうし、そのほうが精神的にも安定する…………かもしれない。

 正直なところ、俺は電に何をしてやればいいのか分からない。

 ああ言った、精神的な問題は、明確な解決方法が無い。それを探すためにも電のことを知っていなければならないのだが、俺が知る電と言う少女はこの間出会った時に話したこと以外、ヴェルからの又聞きでしかない。

 だからまず最初にしなければならないのは、この鎮守府で電を問題なく暮らさせること、そしてその次に電のことを少しずつ知ることだろう。

 

「電…………か…………」

 

 駆逐艦電。暁型四番艦。性格は大人しい。かつての来歴からか、敵すらも助けたい、と言う願いを抱いている。

 これが俺の知る電の大雑把な情報。

 

 そして。

 

 同じ暁型三番艦の雷とは特に仲が良く。

 その雷が目の前で沈んでいくのを見た。

 

 それが、心が壊れた原因。

 

 本当に、そうなのか?

 

 疑問。

 

 たった一度だけ出会った電。

 あの日見た彼女の目に浮かんでいた感情は。

 雷の名前を出した時に浮かんだ、淀んだ瞳の中に隠れたあの感情は。

 

 自責。

 

「…………気のせい、なのか?」

 

 自身の見た物にいまいち自信が持てず。

 

 そう、呟いた。

 

 





生きていくか死ぬかそれが問題だ

To be or not to be, that is the question


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There is nothing either good or bad, but thinking makes it so

八時くらいには書き終わってたのに、回線の不調で今まで投稿できなかった不具合(


 

「彼女は…………私を恨んでいないんだろうね」

 少し、肌寒くなってきた夜の海辺。波止場に立ったヴェルは、悲しそうに、寂しそうに、そう呟く。

「勿論、全く私のせいだと思っていない、なんてことはないだろうけれど…………それでも、心底恨んではいない」

 だって、彼女は――――――――

 

「優しいから、彼女は」

 

 だからこそ、それが。

 

「辛いんだ」

 

 泣きそうな表情で。

 

「苦しいんだ」

 

 寂しそうな表情で。

 

「痛いんだ」

 

 苦しそうな表情で。

 

 そう呟くヴェルが、あまりにも儚げで、今にも消えてしまいそうで。

 

 だから、そう。

 

 放さないように、どこにも消えてしまわないように。

 

 この場所に引き止めるかのように、抱きとめた。

 

 

 * * *

 

 

「完成ね!」

 どこか誇らしげに胸を張る暁。目前に広がるのは少女趣味に改装された電の部屋(予定)。

「まあいいんじゃないかな?」

 姉妹で妥協点を見つけ出したらしく、ヴェルも納得したように頷いている。

「…………はあ、まあいいがな」

 支給されてこれまでに溜め込んでいた家具コインのほぼ全てを消費したことに、少しだけ(おのの)くが、まあこんなことでもなければ使わないだろうし、別に良い…………良しとしておく。

「わあ、素敵な部屋なのです」

 そして今日ようやく正式にこちらへとやってきた電が部屋の中を見て、目を輝かせる。

 

 中将殿との会談から約二週間。

 すでに中将殿の語った“あ号作戦”は一部で始まっており、中将殿も戦艦長門を率い、一週間前には南方海域へと向かって行った。そして今日、電の移転準備が完了し、電がこちらの鎮守府へと移動するのにあわせ、島風率いる残りの第一艦隊も中将殿と合流するらしい。

 

「さて、遅くなったが駆逐艦電、貴殿の着任を歓迎する」

 場所を移して執務室。ここにいるのは提督である自身と電も二人だけ。

 ヴェルと暁は部屋に置かれた電の荷物の紐解きを先にやってもらっている。

「はい、駆逐艦電、着任したのです」

 そう言って笑う少女の姿は、至って普通に見える。

 だがこの少女に異常は、先の件で知っているので、油断は出来ない。

 だからこそ、慎重に言葉を選びながら話を続ける。

「さて、電の仕事だが、基本的には中将殿の預かりという扱いなので、ここにいる間は気にしなくても良い。まあ場合によっては出撃してもらうこともあるかもしれないが」

「了解なのです」

 ヴェルや中将殿かた聞いた話では。

 電はここ数年一度も出撃をしていない。戦闘を行っていない。練度自体は当時すでに四十を越えていたそうなので、力不足と言うわけではないのだろうが。

 つまり、精神的な問題なのだろう。だから、迂闊に出撃させるわけにもいかない。電にはああ言ったが、実際のところ中将殿が帰ってきても電が向こうの鎮守府に戻る確率は低いと思っている。

 

『キミの鎮守府で電を預かって欲しい』

 

 あの時の中将殿の台詞が頭の中で繰り返される。

 多分、もっと前から、それこそ、ヴェルをこちらに寄越した時から、決めていたのだろう。

 

『無理なんだよ、私には、どうやったって…………』

 

 自分には、無理だって、そう理解(わか)ってしまっていて。

 

『だからせめて、響も電も救われて欲しい。せめてもの、贖罪だから』

 

 それでもせめて、二人をなんとかしてあげたくて。

 

『ああ…………私はもうこの道しか選べない』

 

 けれど自分で自分が変えられないことが分かっているから。

 

 それは…………あまりにも無責任、でしょう

 

 そんな自身の言葉は、きっと彼女の胸を抉っただろう。

 自分でそんなこと分かっているからこそ、俺の言葉が突き刺さっただろう。

 それでも、もうどうしようもないと分かっているから。

 もう俺しか頼れないから。

 

『………………分かっているさ、でもね、頼むよ』

 

 彼女は選んだのだ。

 他の全てを切り捨ててでも、遺志を受け取ることを。

 けれど、それでも、捨て切れなくて。

 だから、俺を頼った。

「不器用な人…………だな」

「なにか仰いましたか? 司令官」

 自身の零した言葉に、電が首を傾げるので、何でも無い、と返す。

 

 ああ、でも俺がそれを非難する資格も無いだろう。

 

 受け取ることも、受け継ぐことも、拒否することも出来なかった俺が。

 

 彼女の…………瑞鶴の、姉と慕った女性の最後に立ち会うことすら出来なかった俺が。

 

 残された遺言をただ渡しただけの俺が。

 

 何一つ、自分じゃ選らんじゃいない(ガキ)が。

 

 向けられた遺志を受け取り、選んだ彼女を、否定する資格など、無い。

 

「…………戯言だな」

「考え事ですか? 司令官さん」

「いや…………大したことじゃないさ」

 再度誤魔化し、電に戻って良いと告げると、電が部屋を出て行く。

 

 そうして、一人ぽつんと部屋に残され。

 

「……………………くだらねえ」

 

 そう呟いた。

 

 

 * * *

 

 

「少し、肌寒くなってきたね」

「そりゃ、風がきついしな、ここは」

 夜の海辺と言うのは案外恐ろしい。特に今夜のような月が無い日は、本当に黒一色に染まってしまっているから。

 波打ち際、波止場に波が押し寄せては帰っていく音と、風が唸る音だけが辺りに響く。

 海辺と言うのはとにかく風が良く吹くものだが、だからこそ、僅かな温度の変化が良く分かる。

 先日雨が降っていたせいだろうか、今日の風はどこか冷たい。

 今日は降っていなかったが、一日中曇っており、月が雲に隠れて見えはしない。

 

 夜、ヴェルを探し部屋へと行くと、誰も居らず電のところへ行けば暁と電が二人で話し込んでいた。二人の話によれば夜風に当たってくると言って出て行ったらしいので、多分ここだろうと当たりをつけてきてみれば、波止場の端にヴェルが一人座り込んでいた。

 そして、こんなとこにいたのか、そう告げ近づいた自身への第一声が先ほどのそれだった。

「やあ司令官、こんばんは」

「ああ…………こんなところで何やってるんだ?」

「少し夜風に当たりに、ね」

 後は考え事とかさ、そう告げるヴェルに、考え事? と尋ね返す。

「多分、司令官と同じだよ…………電のことさ」

 どうやら自身がここに来た用件まで察せられているらしい。さすがに付き合いが長いだけはある。

「恐らくだが、中将殿が今回の件を終えて戻っても、電はこの鎮守府に残ることになると思う」

 余計な前置きを省いた自身の言葉に、ヴェルがそっか、と漏らす。こちらに背を向けているので、その表情は伺い知れないが、恐らくいつも通りの無表情なのだろう。

「電はそのことを知っているのかな?」

「いや、中将殿が戻るまでだと説明してある…………正直、どう説明したものか考えあぐねている部分もある」

 そんな自身の弱音にも似た言葉に、ヴェルがなるほど、と頷く。

「当面の方針としては、待機だ。これは電にも言ってある。中将殿から預かりってのは間違いでも無いし、しばらくはこれで問題ないだろう」

 そしてだからこそ、今のうちに聞いておかないといけないことがある。

「電はお前がこっちに来る前後辺りから一度も出撃をしていない、だから、もし出撃した場合どうなる?」

 正直、あの精神状態でもし海に出れば、下手すればフラッシュバックでも起こして発狂するんじゃないだろうかと心配している部分もある、だからこそ今のうちヴェルに聞いておきたかった。

 そしてそれに対するヴェルの答えは…………。

 

「分からない」

 

 それだった。

 

 

「分からない…………つまり、本当に一度も出撃させてないってことか」

Да(ダー)…………少なくとも、私の知る限り、一度も出撃したことは…………」

 と、そこで、ふとヴェルが黙り込む。二秒、三秒と時間が過ぎていき、十秒も沈黙が続いたところで。

「っ!!! 司令官!」

 ヴェルにしては珍しく声を荒げた様子でハッとなって、こちらを向く。いつもよりも大きく見開かれたアイスブルーの(まなこ)が、ヴェルの心情を、焦りをそのまま示していた。

「違う、あった、一度だけだけど、電が出撃したことが!」

 その言葉に、こちらも大きく目を見開く。

「そうだ、思い出したよ…………あの頃は私もいっぱいいっぱいでうろ覚えだけど、夜に電が一人で勝手に出撃したことがあるんだ」

「一人で、勝手に?!」

 基本的に出撃とは提督の命令によって行われる。しかも、艤装の装着、整備に燃料弾薬の補給など事前準備が必要なので、一人でやるには少々骨が折れる。

 だとすればどうして電は一人で出撃などしたのか。

「それに…………思い出したよ、電が、電がああなったのは」

 

 

 あの出撃の後からだ。

 

 

 ヴェルの言葉に、今度こそ驚愕する。

「元々、雷の死で病んでしまっていた部分があったから、分かりにくいけど、それでも一度だけ電に謝りに行ったことがある、まだああなる状態の前の電に」

 その当時のヴェルも自責の念で押しつぶされそうになっていたのではっきりとは覚えていなかったが、今ほど危ういものは電には感じなかったらしい。

「あくまで気のせいかもしれない。もしかしたら私が居ない間に少しずつ悪化したのかもしれない、出撃だって何事も無かったのかもしれない」

 はっきりしたことは言えない。そう悔しそうに呟くヴェルだが、こちらとしてはとんでもない情報だった。

「一つ聞くが、その出撃って一体どこへ行ったんだ」

 現在の出撃先と言えば、鎮守府近海、南西諸島沖、北方海域、西方海域、南方海域のどれか辺りに限定される。

 だが一人で飛び出し、無事に戻ってきたと言うなら北方海域、西方海域、南方海域あたりは無いだろう。

 一番ありそうなのは、鎮守府近海だろうが、そう疑問に思い、ヴェルに尋ねるが、ヴェルは分からない、と返す。

「出撃したって話を聞いただけで、電にはしばらく会えなかったから」

「なるほど…………いや、これは後で中将殿に確かめておく」

 そう言うと、いや正確には中将殿の名を出すと、ヴェルの表情に影が差す。

「中将…………火野江司令官」

「中将殿がどうかしたか?」

 尋ねるが、ヴェルが戸惑った様子で話を切り出さない。

 

 そう言えば、とふと思い出す。

 

 ヴェルから中将殿の話を聞いたこと、余り無いな。

 妹の電のことは良く聞かされていた、鎮守府の他の艦娘についても時々聞くこともある。

 だが、司令官だった中将殿の話を聞いたことはほとんど無い。

 それも、電や自身のことのついでに出ただけで、中将殿自身を主題に置いた話と言うのは一度も聞いてないかもしれない。

 

「彼女は…………私を恨んでいないんだろうね」

 搾り出すように、悲しみように、寂しそうに、ヴェルがそう呟く。

「勿論、全く私のせいだと思っていない、なんてことはないだろうけれど…………それでも、心底恨んではいない」

 今まで触れなかった言葉が、溜め込んでいた内心が、堰を切ったかのように溢れるかのように。

 

「優しいから、彼女は」

 

 だからこそ、それが。

 

「辛いんだ」

 

 泣きそうな表情で。

 

「苦しいんだ」

 

 寂しそうな表情で。

 

「痛いんだ」

 

 苦しそうな表情で。

 

「責めて欲しかった、私のせいだって。なじって欲しかった、お前のせいでこうなったって。泣いて欲しかった、悲しいんだって」

 

 そう呟くヴェルが、あまりにも儚げで、今にも消えてしまいそうで。

 

「でも、私が弱いから、私が頼りにならないから、彼女は全て背負ってしまった。悲しいなら泣けばいい、嘆いてるなら叫べばいい」

 

 だから、そう。

 

「救ってあげたいんだ、助けてあげたいんだ、彼女のことを好きだったのは雷だけじゃない、私たちだって彼女が苦しんでいるのを、それを必死になって隠しているのを見続けるのなんて嫌だった」

 

 放さないように、どこにも消えてしまわないように。

 

「もう良い、もう良いから、ヴェル」

 

 この場所に引き止めるかのように、抱きとめる。

 

「でも、そんな資格私には無いんだ、彼女は私を守る対象としか見ていない。そんな私が彼女に何を言ってもきっと届かないから」

 

 抱きしめて、受け止めて、それから…………。

 

「ヴェルは…………中将殿のこと、どう思っているんだ?」

 

 それを問うたのはある意味必然だったのかもしれない。先ほどの疑問が浮かんだ時点で、連鎖的に出てくるであろう程度の問い…………だからこそ、ヴェルの反応は予想外としか言うべき他なかった。

 

「それは…………その…………」

 

 戸惑っていた、口篭り、言葉を濁し、表情にすら迷いを滲ませて。

 

「好き…………だったよ」

 

 だった、と。過去形にしたヴェルの内心は俺には分からないが、それでも。

 

「そうか…………」

 

 ここに着たばかりの響なら顔を青褪めさせて、まず答えられすらしなかっただろう。それを思えば、確かにヴェルは過去から進んだのだと、そう思えて。

 

「そうか」

 

 頑張ったな、そう言いたくて、でも言えなくて、だからそっとその頭に手を乗せた。

 

 

 * * *

 

 

「ねえ司令官」

 自身の腕の中にすっぽりと納まった小さな体が僅かに身じろぐ。

「なんだ」

 腕の中に感じる暖かさに、確かにそこに生きた感覚があって、少しだけ安堵する。

 先ほどまでの彼女は、今にも消えてしまいそうだったから、なんて恥ずかしすぎて口が裂けても言えないが。

 

「私は、司令官がいてくれて良かったよ」

 

 そうして、ヴェルの漏らした言葉に目をぱちくりとさせる。

「なんだそりゃ…………」

「司令官がいてくれたから、私は今こうしてここに居られるんだと思うから、だから」

 ありがとう司令官。そう呟く彼女の言葉が、まるで――――――――

 

「まるで結婚でもするかのような台詞だな」

 

 どこかに嫁ぐ前に親に言うかのような台詞に、思わず苦笑してしまう。

 そして、だからこそ、ヴェルの一言に度肝を抜かれる。

 

「私には愛とか恋とか、よく分からないや…………それとも」

 

 司令官が教えてくれるのかい?

 

「…………………………………………………………」

 何の邪気も無くそう尋ねてくるアイスブルーの瞳に飲み込まれ、一瞬世界が止まったかのような錯覚すら覚えた。

「司令官?」

 思考は完全に止まっていて、けれど腕の中で身じろぎする彼女の存在にハッと我に返る。

「あ、うん、そうだなあ…………」

 

 愛とか、恋とか。

 

 まあ前者はともかく、後者は…………。

 

「俺にも分かんねえや」

 




物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。

There is nothing either good or bad, but thinking makes it so


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Out, out, brief candle! Life’s but a walking shadow

回線不調だったので、ウイルスチェックかけたら重過ぎて、執筆くらいしかできなかったので、書いてたら、なんかもう一話書き終わっちゃった不具合(

前回の話で、響のケッコン台詞を言わせることが出来た俺は勝ち(何に

そしてここに来て新キャラ登場(


今さらですが、二話連投です。前話見てない人はそっちを先にどうぞ。


 戦況は一言で言えば悪かった。

「正直言って、後何度戦えそうかな? 長門」

 自身が提督の問いに、戦艦長門が数秒思考し、答える。

「あと三度、四度が限界だな」

 ここにいたるまでに都合十度にも渡る深海棲艦との激突があった。

 当初の優勢はどこに行ったのか、現状を簡潔に言えば押されていた。

「一時押し返すことは可能だろう…………だが、やつらが動かない以上、そこまでだな。戦線を支えきれず、防衛ラインを後退させるしかないだろう」

 長門の言うやつらは、敵の主力艦隊のことだ。ことここに至って、まだ敵の主力は動かない。

 まるで何かを待っているかのように。

「………………………………………………………………」

 思案にふける自身の提督の思考を邪魔しないように戦艦長門は口を噤み、そして海を見る。

 現在自身たちが仮宿としているこの鎮守府から見える範囲に敵の姿は無い。

 だが少し海域を進めばすぐに敵の姿が見えてくる。

 連合が押し返され始めたのはいつからだっただろうか。

 最初は勝っていた…………否、()()()()()()()()()()

 けれどかつてのミッドウェイの時のように連戦連勝により油断するどころか、気が抜く暇すら無いのが現状だ。

 止まらないのだ、敵の増援が。

 最初に一週間で倒した敵の数は五十を超える。この時点がかなりの数ではあるが、水雷戦隊ばかりの軽量級の敵ばかりだったからか、たいした被害も無く当初は士気も上がって問題無かったと言える。

 一週間し、こちらの増援がやってきてからさらに百の敵を倒した。二つの艦隊が交互に出撃を繰り返し、敵勢力を削っていった結果だったのだが、そこでおかしなことに気づく。

 敵の数が一向に減った様子が無いのだ。倒しても、倒しても、敵が増えているような錯覚すら覚える。

 

 それが錯覚でないと気づいたのが今週に入ってから。

 

 明らかに敵が増えている。しかも軽空母や重巡洋艦なども混じり始めており、徐々にだがこちらの被害も増えてきていた。

 そして今日の戦いではついに敵に戦艦が混じった。それによりこちらの駆逐艦が一隻中破され、現在入渠中である。

 すでに倒した敵の数は三百を超えている。戦果で言えば、先の連合艦隊をもはるかに超えた結果と言える。

 だがそれでも…………下手をすれば海域から敵の姿が一掃されるほどの数を倒したのにも関わらず、敵の数は増え続けていた。

 それは長門の脳裏に先の連合の敗北の切欠となった出来事を思い起こさせ、長門が背筋を震わせる。

 このままで大丈夫なのか、とも思う一方でけれど、提督なら大丈夫、とも思う。

 その提督に再び視線をやった瞬間。

 

「よし」

 

 提督が口を開く。細めた目から伺える瞳は、強くギラついた光が感じられ。

 

「決戦だ」

 

 戦艦長門の口に笑みが浮かぶ。

 

 ああ、これだ。

 

「亡霊どもが…………この私を、舐めるなよ」

 

 この目が、いつも自身を惹きつけて止まないのだ、と。

 

 

 * * *

 

 

 ぎーこぎーこと、アームチェアが揺れる。

 電の部屋の改装の時についてに買ったものだが、存外気に入っている一品だ。

「ふぁ…………ねむっ」

 揺ら揺らと揺られていると、思わず欠伸が出る。

 昨夜はこの鎮守府に珍しく電話がかかってきており、その対応とその後の処理のせいで少しばかり寝不足だ。

 簡単に言えば、今日この鎮守府に人が尋ねてくる。

 そのために出向かえの準備をしようとしていたのだが、電話がかかってきた時刻がすでに十時を超えており、うちの艦娘たちは全員就寝していたのだ。

 現在暁、ヴェル、電の三人には応接室の掃除をやってもらっている。

 自身は昨晩の応対で遅くなってしまったので、今少しだけ休んでいた。

 あまり本格的に寝入るのも不味いかと思い、この間買ったばかりのアームチェアを引っ張り出してきたのだが、存外気持ち良く、正直寝入ってしまいそうだった。

「不味い…………本気で寝そう…………」

 起きないと。内心でそう思うも、睡魔に抗えず段々と意識が薄れて行き…………。

 

 

「しれーかーん、終わったわよー」

 扉を開けて暁が室内へと入る。だがいつもそこに座っている男の姿は無い。

「あら?」

 疑問に首を傾げ、傾げたまま視線を横に移すと、そこにアームチェアに座る男の姿。

「って、いるじゃない…………司令官、掃除終わったわ……よ?」

 声を上げながら近づく。そうして気づく、よく見れば男が寝ていた。

 近づく。顔を見れば目を閉じ、浅く呼吸している。

「寝てるわね…………」

 目をパチパチとさせながら、ふと鎌首をもたげたいたずら心で頬をつついてみる。

 ぷに…………と言う感触に「あ、思ったより柔らかい」なんて内心で思いながら、意外と癖にになりそうな感触に何度と無くぷにぷにとつつく。

「…………ん…………」

 さすがにつつきすぎたのか身じろぎする男に、暁が手を止めるが、起きる様子の無い自身の司令官に口元が吊上がる。

「ふふーん…………やわらかーい、なんか思ったより癖になりそうで怖いわ」

「何がだい?」

 と、瞬間、背後で聞こえた声に暁が飛び上がりそうになるほど驚き硬直する。

 バッと振り返り、そこにいた自身の妹に思わず脱力する。

「ひ、響…………いたの」

Да(ダー)…………終了の報告に行くと言ったままなかなか帰ってこないから様子を見に着たんだよ」

 と、そこで響が眠ったままの司令官に気づく。

「…………寝てるね」

「寝てるわね」

 じっと司令官を見ていた響が、ふっと手を伸ばし、その頬に触れて…………軽く引っ張る。

「…………柔らかいね」

「……………………そうね」

 やっぱこいつ私の妹だわ、目の前の言動で思わずそう思ってしまった自分は悪く無いと暁は考えた。

 

 

 * * *

 

 

「おねー…………まだつかないのー?」

 船に揺られながら、退屈そうに海を眺める少女が問う。年の頃十代後半と言ったところか、二十代と言うにはまだ少し幼さの残る顔つきと雰囲気である。長い黒髪を伸ばすがままにしており、腰の辺りまで伸びた黒髪が風に靡く。

「もう少しよ、もう少し、さっきも同じこと聞いたじゃない、もうちょっと堪え性を持ちなさい」

 それに答える(おねー)と呼ばれた少女は、操舵室の椅子に座ってタバコを咥えていた。外見は年のころ十代前半と妹よりも幼く見えるが、全身をだらしなく伸ばし、タバコを咥えながら面倒そうに天井を見つめるその姿は(いささ)か若さと言うものが欠けて見えた。また妹と同じ長い黒髪を一つ括りに、自分の前側に垂らしては指先で弄んでいる。

 どちらにも言えることだが非常に手持ち無沙汰と言った様子で、退屈そうにしている。

「って、さっきも聞いたけど、さっきももう少しって言ってたじゃん、ていうか場所分かってるの?」

 疑わしげな妹の問いに、姉はさも当然と言った様子で、妹とは違い平坦な胸を張りながら。

「お姉ちゃんに任せなさい」

 そう言う。一体どこからその自信が出てくるのは妹が呆れた表情で見つめながら、広大に続く海を眺める。

「…………もうすぐ会えるね、灯夜くん」

 楽しみだ、と言わんばかりに笑う妹の様子に、姉が苦笑する。

 と、その時。

司令(しれぇ)! 五時の方向、敵です!」

 もう一人、船に搭乗していた少女が海を指差しながら叫ぶ。

「あー? 面倒だし無視でいいよ、それとも()っときたい? 雪ちゃん」

「いやー正直もう時間が不味いですしぃ、無視でもいいんじゃないでしょーか?」

「じゃ、直進、直進、かっ飛ばしていこう」

「よーそろー!」

 ギアを上げ、唸りを上げるモーター。激しい水飛沫を撒き散らしながら、海上を一隻の船が爆走していく。

「おねー、そろそろ昼だよー」

「あいあいさーって私ゃ(わたしゃ)女だ!」

司令(しれぇ)? さっきから何を言ってるんですか?」

「なーんでもないよ、それ全速前進だ雪ちゃん!」

「はい!」

 

 

 * * *

 

 

 唸り声が聞こえたような気がして、思わず海を見る。

「…………今何か聞こえなかったかい?」

「何かって…………聞こえるわね」

 暁も気づいたのか、音の聞こえる方向…………海を見る。

 二人して顔を合わせ、頷く。

「行くわよ、響」

「分かってるよ、暁」

 部屋を飛び出し、波止場を目指して走る。

 そうして、さして広くも無い鎮守府だ、すぐに波止場へと出て…………。

 

 水平線の向こう側から猛然とした勢いで迫る一隻の船に目を丸くする。

 

「え、何あれ?」

 暁が思わず漏らした言葉は、まさしく自身の内心と全く同じものだった。

「司令官が今日は昼からお客さんが来るって言ってたけど…………もしかしてアレ?」

「どうだろう…………けど、ここに来る人なんて滅多にいないはずだから、多分そうなんじゃないかな」

 少なくとも、自身がここにいた数年の間に来た客など本当に数える程度でしかない。

 だからきっと、間違いは無いのだろうが…………正直間違いであって欲しい。

 そうこうしているうちに船は物凄い勢いのままどんどん近づいてきていて…………。

「ってあれ…………私の見間違いじゃなければ、全然減速してないように見えるんだけど」

「正直見間違いであって欲しかったけど、私にもそう見える」

 ここにいるのやばくない? と暁が目で訴えかけてくる。正直全く同意見だったので。

「「逃げよう」」

 さすが私の姉だ、ここであっさり見捨てる選択肢が出るあたり、と内心で思いつつ二人して波止場から退避する。

 そして二人して安全なところまで退避した直後。

 

「いやっふううううううううううううううううう!」

「おねえええええのばかあああああああああああああああ」

「あははははははははははははははは」

 

 絶対に関わりたく無い集団が船に乗って突っ込んできて…………。

 

「ドリフトォォォォ、スピィィィィィィ、アクセルゥゥゥゥ」

 

 なんか適当なことを叫びながらブレーキをかけながら舵を切る。

 車じゃないし、と言う内心のツッコミは当然届きはしないが、急な方向転換に船体が傾き、そして。

 

「あ」

「きゃあああああああああああああああああああ」

 

 デッキに腰掛けていた少女が船体から放り出される。

 

「雪ちゃん、ゴー!」

「了解です 司令(しれぇ)!」

 

 と、同時に別の少女が船体から飛び出し、空中で投げ出された少女をキャッチして、無事波止場に降り立つ。

 直後、見事傾いた船体を持ち直した船がその速度を緩め、波止場へと船体を付ける。

 そしてさらに別の少女が降りてきて…………。

「ってあれ、雪風じゃない」

「え?」

 その光景を見ていた姉がふと呟いた名前に驚く。

 駆逐艦雪風。自身と同じ、生き残った駆逐艦。そして、駆逐艦どころかほとんど全ての帝国海軍の艦船の中でも一種の伝説となった船。

 

 簡単に言えば、不沈艦の代名詞たる存在だ。

 

 

 * * *

 

 

 起きたら目の前に今日来る少女二人がいた。

「………………………………なんで居るんだ?」

「やだなー今日来るって言ったじゃん」

「全く灯夜くんは相変わらず抜けてるわけねえ」

 腕組みしながらうんうんと頷く姉妹に、頭が痛くなってくる。

 時計を見ると時刻は十二時。確かに時間的にはぴったりではあるのだが…………。

「なんでうちの艦娘二人があそこで疲れた顔してるんだ?」

「可愛かったから…………ついね」

 またこの人の悪い癖が出たのか、と即座に理解する。可愛いもの猫可愛がりして、可愛がりすぎた猫のように、相手にストレスを抱えさせるのがこの人だ。

「っと…………いい加減おふざけもここまでにしておこうか、狭火神少佐」

「ふざけてるのそっちだけだろって文句はどうせ聞かないんだろうな…………瑞樹葉少将」

「司令官、この人たちは?」

 っと、そこでようやく気力が回復したらしいヴェルがこちらへとやってくる。

「ああ、瑞樹葉(みずきば)(あゆむ)少将とその妹の瑞樹葉柚葉(ゆずは)だ」

 と俺の説明にヴェルが納得しかけたところで、当の本人から待ったがかかる。

「一つ訂正、柚葉は今年から少佐になったのよ」

「瑞樹葉柚葉少佐でーす、よろしくね」

 そう言って敬礼する少女に僅かに驚く。確か彼女は…………。

「柚葉はまだ十八だろ? いくらなんでも、そんな無茶な」

 正直、自身の年…………二十三で少佐と言うのですら早いといわれるくらいなのに。

 確かに昨今の海軍では深海棲艦と艦娘と言う存在によって既存の制度が一度ぶち壊されたせいで、仕官学院さえ出ていれば少佐の地位程度までならすぐにでもなれるが、それでも十八と言うのは早すぎる。

 そんな自身の問いに歩があっけからんとした表情で。

「ああ、それは私のコネね」

 なんの悪びれた様子も無くそう言われると、呆れるしかない。

「さすがにそれは不味いだろ」

 だがそんな自身の言葉に、ふふん、と鼻を鳴らして返す。

「灯夜くん、何か勘違いしてるわね…………別に、私だって妹可愛さでこんなことをした…………分も半分くらいはあるけど」

「半分もあるのかよ」

 ジト目で見ると、げふん、と咳払いをし。

「とにかく、ちゃんと能力も加味して選んでるわ。あなたが思ってるよりもこの娘は優秀なのよ」

「なのよー」

 姉に合わせて笑う目の前の少女にそんな雰囲気は無かったが、まあこの人がその辺りで嘘をつくとも思えないので、本当なのだろう。

 と、そんな自身たちのやり取りを見ていたヴェルが首を傾げつつ。

「なんだか、随分親しげだけど、知り合いなのかい?」

 そう尋ねる。まあそう思われても仕方ないか、と思いつつ。

「まあ、ちょっとした知り合いだよ」

 そう誤魔化した、直後。

 

「お姉ちゃんです!」

「妹でーす!」

 

 この姉妹は人の誤魔化しを嘲笑うかのように、あっさりと告げる。

 さしものヴェルも驚愕に目を見開き、こちらを見てくるので、頷く。

「まあ正確には、両親が居なくなって引き取られた先の家の姉妹だ。だから別に本当の姉と妹ってわけじゃない」

 それでも、家族として自身を扱ってくれたことには、感謝している。

 

 愛も恋も分からない、とヴェルが言っていた。

 

 確かに俺にとっても恋と言うのはよく分からない感情だが…………少なくとも愛は分かる。

 

 母さんと目の前の二人が、俺にくれたものだから。

 

 なんて、本人たちの前じゃ絶対に言えないけれど。

 

 後一つ。

 

 暁やヴェルたち(おまえら)も、俺の家族だなんて。

 

 そんなこと、思ってても絶対に、言わないけれど。

 

 




消えろ、消えろ、儚い灯火!人生は動き回る影に過ぎぬのだ。

Out, out, brief candle! Life’s but a walking shadow


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One sorrow never comes but brings an heir. That may succeed as his inheritor

風邪辛い、もう一週間経つのにまだ治らない(

ところで、最近、タイトルの名前負け感がひどい。


『第二艦隊、守れ、守れ! 敵の侵攻を遅らせろ!』

『第一艦隊、下がれ、正面から敵とぶつかるな!』

『来るぞ、第二波、砲撃用意、てぇ!』

『第三陣壊走、今のうちにこちらも下がる、全軍後退』

『来た、やつらだ! 全員に通達、あの化け物を止めろ!』

『ぐ……あ…………化け物……め……』

 

 カチ、と音を立て、レコーダーが止まる。

 時が止まったかのように静まり返る執務室、そして顔を青くしたヴェルを気にかけつつ、目の前の女性に尋ねる。

「これが…………これが、今日来た理由、ですか?」

 目の前の女性…………瑞樹葉歩が頷き、机の上に置いたレコーダーを懐にしまう。

 鎮守府にやってきた二人、歩と柚葉に対して今日の用件を問うた自身、そんな自身にレコーダーを取り出し再生する。その内容が先ほどの誰かの声。否、誰かなどでは無い。

 

 あれは………………。

 

「今より十五時間ほど前のフタヒトマルマル時、集結した深海棲艦の大群と火野江中将率いる連合艦隊が交戦、連合艦隊が敗北した」

 

 あれは…………。

 

「敗走した艦隊は散り散りに追いやられ」

 

 あれは、

 

「総司令官である火野江中将も行方不明となった」

 

 中将殿の声だ。

 

 

 * * *

 

 

 逃げて行く相手を前にして、ソレはあえて追えと言わなかった。

 それは絶好の機会だった。毎日の交戦で削られ、一向に溜まり切らない戦力に業を煮やしていたソレにとって、ここが勝機だと確信した。

 自らが出陣し、散々に蹴散らした相手たち、だが逃げて行くそれらを追って、また戦力を分散させるのではこれまでの二の舞である。

 だからこそ、逃げる相手はあえて無視し、今ある戦力で一気に相手の懐深くまで突き進む。

 それは例えこの攻勢が失敗しても、次にまで残る確かな傷になるだろう、と言う確信がソレにはあった。

 

 ニィ、と笑う。

 

 突き進んでいく自身たちが味方の姿を見送りながら、自身たちもまた進む。

 すでに他の区域でも連動して味方が動いている。

 例年にない規模の大攻勢に、勝っても負けても今回の戦いで出るこちらの被害は、きっと相当なことになるだろう。

 だがそれでいい、だって相手の被害も相当なものになるだろうから。

 殺して、殺して、殺して、殺して、殺す。ただそれだけが自分たちの全ての共通する意識。

 そうして海上の悪意が動き出す。うねり、轟き、覆う波のような怒涛の勢いで。

 

 嗤うソレに、味方からの応援要請が届いたのは、そのしばらく後だった。

 

 

 * * *

 

 

 シグナルレッド。

 要警戒緊急事態を知らせる、軍内秘匿コード。

 それが発令されたと言うことは、この件が海軍の危機のみならず国家存続にすら関わりかねない件だと判断されたと言うことだ。

 要警戒事態(シグナルオレンジ)や、要注意自体(シグナルイエロー)とは格が違う。

 本当の本当に数十年に一度レベルの緊急事態だ。

 少なくとも、俺が生きている間に発令されるのは初めての事態。

 

 深海棲艦の大侵攻。

 

 言葉にすれば簡単で、言ってみればいつものことだ。

 だが今回は能動的だった。その違いは非常に大きい。

 

 深海棲艦は基本的に、自身が縄張りとする海域があり、そこから出てくることは無いと言われている。

 深海棲艦の侵攻は、数を増やし、生息海域から溢れ、溢れた先を縄張りとする、と言う非常に受動的で自発的な要素があまり無い。

 だが極々稀に、こうして深海棲艦が自発的に動くことがある。

 

 そこには、強力なリーダーの存在がある。

 

 敵の中心となる存在。それが下位の深海棲艦に命令を下し、初めて自発的な侵攻を開始する。

 恐らく中将殿が最後に言った化け物、とはこのリーダーを指すのだろう。

 歩からもたらされた情報から推察するに、間違っていないとは思う。

「じゃあ、ここにも来るんだな?」

 そんな自身の問いに、歩が頷く。その顔は先ほどまでのふざけた表情は抜け落ち、真剣な表情へと入れ替わっている。

「ええ、間違いないわ、敵の侵攻予想ルートがばっちりここに被っている…………どうやら向こうは一直線に本土目指してきているみたいね」

 一直線に攻め入り本陣を叩く、と言うこれまでとは違う、明らかに戦術を感じさせられる動きに、表情が険しくなるのが分かる。

「こちらとしては鎮守府からの撤退も見ているけれど…………どうする気?」

 そう尋ねる歩に、沈黙する。敵の数は不明だが、大侵攻と言っている以上、恐らく以前の時以上と考えていいだろう。五十…………いや、下手をすれば百を超まあえるかもしれない。

 それに対抗するこちらの戦力は駆逐艦が三隻…………いや、電は出撃できないのでたった二隻。

 しかも今回は前回と違って援軍の当ても無い。

「防衛ラインは?」

「まだ作られていないわ…………予定としては……………………この辺りに作るつもりね」

 言葉の途中で地図を取り出すと海の上を指でなぞる歩。予定とされる防衛ラインはこの鎮守府よりも大分後方であり、それはつまりこの防衛ラインより前の鎮守府を全て破棄するつもりなのだと理解する。

「かなり後退してるな…………本気か? それとも、ここまでしなければならないほどの規模なのか?」

 このラインではもし侵攻に勝ったとしても、再び元の海域まで押し上げるのに、さらに二十年はかかるのではないかと予測できるほどに後退した防衛ラインに、思わずそう問う。

「ええ、もう上のほうでも決定されたラインよ…………今回予測できる敵の総数は千を越すわ」

「千っ!?」

 告げられた言葉にさすがに驚く。本当にこれまでで最大規模の侵攻である。否、侵攻自体が元々大規模なものであるが、これほどのものは歴史上初めてだろう。

「大よその侵攻ルートは三つ。それぞれ三百ずつほどに分かれて侵攻中よ。これでも火野江中将のお陰で侵攻自体は遅くなったから、道中の鎮守府に撤退命令を出せて人的被害はこれまでのところゼロよ」

 だが襲われた鎮守府はもう使えないだろう。立て直すしかなくなるし、奪われた海域は再び取り戻すのに時間がかかる。

 だが、だからと言って、ここに留まるのは絶対に無理、不可能だ。

 

 援軍も無い、支援も無い、力も無い。そんな状況でこの場所を守り抜くことなど出来ない。

 

「……………………………………」

「まあどうする気、なんて聞いたけれど、それでももう選択肢なんて無いわよね」

 そう、選択肢は無い。すぐにでもこの鎮守府から引き払うべきだ。

「一応言っておくけれど、この鎮守府から撤退した場合、うちの指揮下に入って防衛ラインの死守に参加してもらうわよ」

「了解…………そう、だな。とりあえず撤退の方向で動く」

 そう告げると、歩が頷く。まあ分かっていた答えだろうから、驚きは全く無い。

「そう…………良かったわ、灯夜くんの直接の上司である火野江中将が居ない以上、私に命令は出来ないから、残るって言われたら説得が大変だったところだわ」

 良かった良かった、そう呟きながら広げた地図を片付ける歩。

 そうして立ち上がり、こちらを向いて。

「それじゃ私たちは次に鎮守府へ行かないといけないから、もう出るわ…………行くわよ、柚葉、雪ちゃん」

「うん、分かったよ、おねぇ」

「了解です、司令(しれぇ)

 次々と立ち上がり部屋を出て行く、そうして最後尾の柚葉が部屋を出ようとして。

「じゃあね、灯夜くん、向こうで待ってるよ」

 笑ってそう告げ、部屋を閉める。

 そうして後には俺たち三人だけが残された。

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 …………………………………………。

 

 沈黙が部屋の中を支配する。

 あまりに気楽に。

 あまりに気軽に。

 あまりにあっさりと。

 そうして告げられた情報の重さに、正直俺たち全員が理解が追いついていなかった。

 

「とりあえず、準備だけはしよう…………撤退の準備を」

 

 そう告げると、半ば呆然としながら二人が頷き、部屋を出て行く。

 まだ俺自身頭が混乱している部分がある。

 

 けれど現実はどこまで残酷であり、個人の事情なんてものは置き去りにして時間は流れる。

 

 抗い続けねば奪われる、弱肉強食こそが真理たるこの世界で、そんな当たり前のことを思い出さされたのは。

 

 そう…………翌日のことだった。

 

 

 * * *

 

 

「…………………………………………」

 あまりにも非現実的な光景に、絶句するしかなかった。

 それは隣にいるヴェルもそうだし、暁だってそうだろう。

 いつもは何かにつけて動じないヴェルが目を見開き、ぴくりとも動かないのだから相当である。

 

 海が黒かった。

 

 何を言っているのかと言われるかもしれないが、見たままを言ってそれである。

 敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、どこを見てもいる敵の姿。

 海が深海棲艦で埋め尽くされたその光景に、さすがに絶句するしかない。

 だが呆けていた頭がようやく現実を認める。ようやく思考が回りだす。

 

「……………………敵だ!!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。声を張り上げて、叫ぶ。

 それに応えるように、ヴェルが、暁が、目をぱちくり、と一度(まばた)かせ…………そうして遥か遠く水平線の彼方を埋め尽くす敵を見据える。

 

「全艦出撃準備! つめれるだけの燃料と持てるだけの弾薬を持って、今すぐ出撃だ!!!」

Да(ダー)!」

「了解!」

 

 一度動き始めれば歴戦の(つわもの)たちだ。体が無意識に戦いへと動き出す。

 艤装を装着するため駆け出す二人を見ながら、ようやく動き始めた頭を全力で回す。

 

 あれを一体どうする?

 

 昨日聞いた話から察するに、数は三百以上。。当然、戦力比としては話にならない。

 だったら撤退するしかないのか? すぐに撤退できる程度の準備はしてある。

 あの雲霞の群れのごとき集団がここに到着するまでどれほどの時間がかかるだろうか?

 一時間? 二時間? それとももっとか?

 なんにせよ、時間との勝負。急がなければならない。

「そうと決まればさっさと撤退の…………」

 そう呟いた、その時。

 

「……………………ちょっと待て」

 

 ふと、視界にソレが入った。

 海上を波に揺られながらこちらへとやってくるボート。

 

「………………嘘だろ」

 

 先ほどはそのずっと奥のほうの敵の群れのせいで気づかなかったが。

 

「…………………………………………中将、殿」

 

 やってきたボートに乗っていたのは、中将殿だった。

 

 

 * * *

 

 

「中将殿?!」

「……………………やあ…………少佐」

 ボートが波止場に到着する。すぐ様駆けつけると、小さな人一人が乗るのが精一杯なゴムボートの上に血塗れの中将殿が乗っていた。

「中将殿、怪我を…………すぐ治療します」

 呟き、救命胴衣を着けた中将殿をボートから引きずりだす。そうして波止場の上に寝転がせ、すぐさま救命胴衣を脱がせると、出血場所を探す。

「…………不味いな」

 服の下からあふれ出る血が染みになっていてすぐに場所は分かった。脇腹、それと右足だ。

「…………失礼します」

 女性の服を捲ることに一瞬抵抗があったが、けれど人命優先と考え、すぐに邪な考えを捨てる。

 そうして露出した白い肌、その一部が痛々しく赤く染まってはいるが、出血は止まっているようだった。

「脇腹の傷は浅かったみたいだな…………それでも真水で洗わないと不味いな」

 そうして次は足の出血を確認しようとして…………。

「…………こいつは」

 思わず顔を顰める。酷い出血だ。よりによって大動脈を切っている、下手すれば失血死だ。

「不味い、不味いぞこいつは」

 よく見れば右足を脱いだ上着で縛ってある。簡易止血はしてあるが、それでも溢れ出る量が多い。

「すぐに医務室へ…………病院に連れて行きたいところだが」

 こんな孤島に病院なんて無い。本来なら集中治療室にでも担ぎこまれるような大怪我だが、仕方ない。

「ちょっと失礼します、よっと」

 中将殿を背中に乗せ、そのまま立ち上がり背負う。

 出来るだけ揺らさないよう、けれど急いで医務室へと急ぐ。

 

「少佐」

 

 そしてその道中に。

 

「命令……だ」

 

 中将殿が呟く。

 

「ここを…………五日間、守り抜け」

 

 そう言ったきり、背に負った中将殿の力が抜ける。

 

「……………………中将、殿?」

 

 どうやら気絶したらしい。そう気づいて…………。

 

 先ほど言われた言葉を反芻する。

 

 五日、この鎮守府を守り抜け?

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 …………………………………………。

 

「相変わらず無茶ばっか言ってくるな、アンタは!!!」

 

 その意味に気づいた瞬間、思わずそう叫んだ。

 

 




悲しみは独りではこない、必ず連れを伴ってくる。その悲しみの跡継ぎとなるような連れを。

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The worst is not so long at we can say ‘This is the worst’

日刊17位になってて割とびびった。
というか、評価とか伸びる割に、感想来ないよなあ、と思う今日この頃。

そしてあとがきにサブタイの意味書いて、察せれるかもしれませんが、次回、ついに電ちゃんの最大のトラウマ発症、電発狂、作者大狂喜、読者阿鼻叫喚、いやあ、楽しみですねえ(


 海上に巨大な水飛沫が上がる。

 一瞬送れて聞こえてくる轟音。

 沸き立つ荒波に、ヴェルと暁が足を取られそうになりながらも何とか戻ってくる。

「………………凄い威力ね」

「それでも、現行兵器じゃあいつらには通じない。この程度で死ぬようなやつらなら、こんなに苦戦しないさ」

 ズドンズドン、と次々に上がる水飛沫。ヴェルと暁に向かわせ、先んじて海中に撒いた機雷がきちんと発動しているらしい。

「それで、司令官…………その…………あの人は?」

 ヴェルのやや臆するような呟きに、けれどそれを無視して答える。

「医務室で寝かせている…………どうも最後の命令で体力の限界だったらしいな」

「最後の命令…………ねえ…………」

 暁が胡乱気な目でこちらを見てくるので肩を竦めて答える、正直自身に言われても困る。

「五日ここを守れって…………守ったらどうなるのよ」

「分からん」

「五日守ったら、全部解決するの?」

「知らん」

「解決しなかったら私たちここでお終いなんだけど」

「俺に聞くな」

「じゃあ誰に聞けばいいのよ…………?」

 ジトーっとした目で見てくるが、それでも上官に命令されたのであればそれに頷くしかないのが軍隊と言う縦割り社会だ。

「そもそも守りきれるの?」

 不安そうに、暁がそう尋ねる。気づけばヴェルもまたこちらを見ていて。

 上の不安とは下である兵士にも伝わる、そんなの昔から使い古されてきた当然の話で。

 だから、強がりでも。

 

「ああ、任せとけ」

 

 そう言うしかないのだ。

 

 

 * * *

 

 

 まあそんな弱音吐いても目の前の敵がどうにかなるわけではない。色々考えて、実行してみるしかないのだ。

 先ほどの機雷もその一つだ。敵がやってくる大よそ三時間の間に暁に任せた潜水艦対策に設置した水中機雷、そしてヴェルに任せた水上に置く浮遊機雷。水中に撒いた機雷のほうが普通の接触型だが、浮遊機雷のほうは機雷同士をブイのように線で繋がっており、この線をある程度の力で引くと爆破する。

 この浮遊機雷を鎮守府の正面を半包囲するように囲み、二重三重に設置することで、正面から来る敵に対する備えとする。

 だが先ほども言ったが、通常兵器は深海棲艦に対して、さしたるダメージを与えることが出来ない。

 だからこれは、敵の心理を突くための配置であり、実際の被害はそれほどでもないだろうことは簡単に予想できている。

 

 今回の深海棲艦の侵攻は、中将殿が指揮していた連合艦隊の敗北を切欠としている。けれど侵攻の速度を考えると、どう考えても深海棲艦は敗北した連合の追撃をしていない、つまり追撃より侵攻を優先している。

 この情報からのただの推測だったが、もしかすると、この鎮守府を落とすのに梃子摺るなど、何らかの理由で侵攻速度に遅れが生じるようなら敵はこちらを後回しにするのでは? と思ったのだが…………。

「半分当たり、半分ハズレってとこか」

 大よそ三百数十と言った数の敵が三列に分かれていた。

 一列はこの鎮守府に右側を、一列は左側を抜けて本土を目指していく。

 ここまでは予想通りだ。こう言う展開を望んでいたのだ。

 

 機雷によるダメージは敵には無い。だが、先ほど機雷が爆発した時に、ヴェルと暁が転びそうになっていた。俺が狙ったのはソレだ。艦娘だろうが、深海棲艦だろうが、人型程度の大きさしかない以上、波の影響と言うのは大きい。基本的に多少の荒波程度なら艦娘だって平気で移動するが、機雷による爆発で起こった波はその想像を絶する荒々しさがある。

 それにダメージはなくとも、爆風で押し戻されるのは確かなのだ、戦艦級や空母級でも出てこない限り、その圧力には抗うことなど出来まい。

 だからそう、鎮守府の脇を抜けて行く、と言うのは大よそ予想通りなのだが。

 

「………………これは予想外もいいとこだわ」

 

 鎮守府正面の海に残った敵…………およそ五十ほどだろうか。

 そして何より最悪なのが、敵の一番後方にいる一軍。

 

「…………主力部隊が残るとか、本当に予想外だわ」

 

 戦艦レ級。そう呼ばれる最近確認されたばかりの新種、サーモン海域の覇者が三体。

 正直言って、駆逐艦で相手するような敵ではないのは絶対だ。

 並みの戦艦ですら梃子摺る相手…………勝つだけならともかく、倒そうと思うならば大和辺りでも連れて来ないといけないような相手。

 

「………………五日、五日ねえ」

 

 その五日で、何があるのか。五日経てば何が起こるのか。

 全く分からない、予想も付かない。

 だが、上官からの命令だ。そして何よりも…………。

 

 敗北したはずの中将殿の目がまだ死んでいなかった。

 

 目が死んでいる、なんて…………漫画の読みすぎかもしれないが、けれど実際に人と相対すれば、目はとても素直に感情を浮かべているものだ。

 中将殿の目はまだ死んでいなかった、まだ勝つ気だった…………否、そもそも負けた気すら無かったのかもしれない。そんな風な不敵な目をしていた。

 

「ただの強がりか…………それとも、本当に何かあるのか」

 

 どの道もう遅い。逃げ出そうにも、右にも左にも前にも後ろにも敵だらけだ。

 だったらもう、腹を括って戦うしかない。

 けれどそうなると、不安ごとがいくつもある。

 以前の連合の敗北の時も相当な無理があったが、今回はそれに輪をかけてきついものがある。

 普段から使わないだけに、燃料も弾薬も高速修復剤もまだ有り余っている。補給の意味では心配は無い。

 だから問題は、戦力的な意味だ。

 最初から分かっていたことではあるが、駆逐艦二隻と言うのは致命的過ぎる。

 何よりも、五日連続で戦うと言うのは、いくら艦娘でも無理がある。

 疲労が溜まれば、性能だって落ちるし、結果的に被弾も増える。

 だが交代要員がいない。前回の撤退戦との違いはそこだろう。

 たった一度の交戦で済むか、それとも継続的な交戦が必要となるのか。

 

「……………………仕方ない、博打に出るか」

 

 決断は一瞬。どうせジリ貧したって二日で落ちる。真っ当にやればどうやったって五日も持たせられないのだ、だったら真っ当じゃないやり方でやるしかない。

 

 そう決めたなら、早速ヴェルと暁を呼ぼう。

 

 今回の博打の成否は、彼女たち次第なのだから。

 

 

 * * *

 

 

 ヒトロクサンマル、十六時半から始まった戦闘は、けれど機雷に足を阻まれ、列を分けた深海棲艦たちの動きによって一度の終息を見る。

 そして訪れるのは夜。深海棲艦にとっても、夜と言うのは活発に動く時間ではない。人とは違い、文明を持たない深海棲艦にとって、夜の暗闇は視界を閉ざしてしまうからだ。

 すでに半包囲の済んだこの状況で、深海棲艦は特段無理して攻めなければ状況でもない。部隊の大半はすでに鎮守府脇を通過して過ぎ去っており、ここに残ったのは、自身たちが鎮守府から出て来れないように封じ込めるための部隊だと半ば予想している。倒せなくても最悪本体が本土へと進むまで自身たちがここで立ち往生していればいいのだ、だからこそ、無理してここを攻める必要も無い、となれば夜戦は避けてくるだろうことは予想できた。

 

 そしてそれとは逆に、自分たちはここを守らなければならない。

 

 深海棲艦の勝利は自分たちの敗北だ。だからこそ、このまま守っていてはジリジリと削られていくばかりである。

 

「だからこそ、ここで一手打ち込む。楔の一手、これが決まらなきゃ、俺たちに明日は無い」

 

 だからどうか、無事に行ってくれ。そう祈りつつ、自身の準備を行う。

 少しでも作戦の成功率が上がるように、彼女たちが無事に戻ってこれるように。

 今自身に出来ることをしよう、だから。

 

「後は頼んだぞ、ヴェル、暁」

 

 

 

「…………本当に、無茶ばっかり言うわね、司令官も」

「…………仕方ないさ、状況がすでに無茶苦茶だからね」

 水面に足を伸ばす。当たり前のように水面の上に立つ、と言う感覚。

 艦娘ならば当たり前なのだが、司令官にとってはこれが不思議に見えるらしい。

「…………作戦は頭に叩き込んだわね?」

Да(ダー)(勿論)」

 すでに互いに準備は終わった。司令官が今頃細工もしているだろう。

 後は仕上げを御覧じろ、と言ったところか。

 その仕上げも全て自分たちにかかっているのだと思うと、僅かに身震いする。

 

 それでも、行くしかないのだ。

 

 守るためには…………この日常を、守るためには。

 

 戦うしか、無い。

 

Верный(ヴェールヌイ)、出るよ」

「暁、出るわ!」

 

 

 * * *

 

 

 シューシューと、音がしたことに、ソレは気づいた。

 すでに時刻は夜。空には月が昇り、僅かな光を海上へともたらしている。

 その僅かな光を追って、音のした方向を見やる。

 

『?』

 

 そこにあったのは小さな船。駆逐イ級よりもさらに小さな小さな船。人ならそれがラジコン操縦の船だと言うことに気づいたかもしれないが、ソレにとっては見たことも聞いたことも無い未知である。

 よく見ればその船に筒のようなものが括りつけられており、その筒がシューシューと煙を吐き出していた。

 

『…………』

 

 艤装を船へと向け、撃ち抜く。ダァン、と重低音が響き、船が粉微塵に消し飛ぶ。

 波が揺れ、後には何も残らない。

 ソレが満足し、艤装を戻した…………瞬間。

 

Ура(ウラー)!」

 

 目の前に、白い少女がいた。

 

 

 

 目の前の敵に向かい、全ての魚雷を撃ちだす。

 どうせこの一瞬しか攻撃できないのだ、だったら出し惜しみも無く、全て使ってしまえ。

 魚雷発射管から飛び出した魚雷が、一直線に目の前の敵へと向かって行き…………。

 

 大爆発を起こす。

 

 巨大な水飛沫。響く轟音。だがそれでも周囲には見えないのだろう。

 

 いくつものラジコンボートに括りつけられた発煙筒がこの周囲に煙を吐き出し続けているのだから。

 まるで計ったかのように凪の現状、風が止まっているせいで煙は晴れない。

 

 と、その時。

 

 ドォォォォン、とすぐ近くでも響く爆発音。

 どうやら暁もやったらしい、そう気づくと同時に、撤退を開始する。

 煙のせいで視界は悪いが、それでも方向だけは間違えないように気をつけていたお陰で、煙幕から一直線に抜け出ることに成功する。

「ぷはぁ!」

 同じく抜け出てきた暁を見やり、互いに頷く。

 鎮守府正面は機雷が大量に設置してあるので、迂回して、鎮守府のある孤島の裏側へと向かう。

 

「成功ね、響」

Да(ダー)…………けど、無茶な作戦だったよ、本当に」

 

 

 司令官の立てた作戦は簡単だ。

 初日の夜戦、駆逐艦が最大の力を発揮できる状況で、敵の中心的部隊…………戦艦レ級たち率いる部隊に夜襲をかけ、敵全体を混乱させる、と言うものだ。

 言うのは簡単だが、五十前後の敵の固まった場所に近づき、正確に敵の中心部隊だけを叩いて、なおかつ無事に戻ってくる、と言うにはかなりの無茶であることは明白だった。

 けれど、これが成功しない限り…………敵が組織だって動く限り、二日だって守りきることは出来ない、と言う司令官の言葉に、現状の自分たちを鑑みてみれば、やるしかなかった。

 

 正直、今互いに無事でいられるのは全くの偶然に過ぎない。

 

 何か一つでも間違えば、どちから、もしくは両方ともここで沈んでいたかもしれない。

 それほどのリスクを負った行動だった。

 そして、だからこそ、リターンも大きい。

 

 先ほどから遠くで砲撃音が聞こえる…………司令官の思惑通りに。

 

 混乱した敵が、見えない敵を探して同士討ちを始めたのだ。

 それを増徴させるために、ラジコンボートに張りぼての人型を作って突撃させるとか言っていた。

 この間の撤退戦の時も思ったが、一体司令官はいつの間にあんな用意をしていたのだろう。

 昨日や今日で急に始めて作れるようなものではない、前もって準備しておいたものだろうが、自分も暁もいつ司令官があんなもの準備していたのか全く記憶に無いのだ。

 特に機雷など、普通に兵器である、どこから仕入れたのか、どこに保存していたのか、どこから出してきたのか、本当に謎である。

 と言うか、あんなもの使って戦う司令官など他に見たことが無い。

 

 だがそれも当然なのかもしれない。何せ、この間までこの鎮守府の戦力は駆逐艦一人だったのだから。

 

 ラジコンなんて玩具、人によってはふざけているように見えるのかもしれない。

 

 だが、それでも司令官は司令官なりに本気で使っている。

 

 そして現に結果が出ているのだから、問題ないのだろうとも思う。

 

 まあ。

 

「それでもやっぱり変だけどね」

「ラジコンは無いわね、ラジコンは」

 

 そうして、二人して苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 どうやらヴェルと暁の攻撃した相手はかなりのダメージを負ったらしい。

 敵はかなり混乱したのか、激しい同士討ちの被害が多数、そして二日目の朝、まともな攻勢を仕掛けてこない。

 だがそれでも散発的にはやってくる敵がいる。それでも一隻か二隻かずつであり、ヴェルと暁だけでも対処は可能だった。

 二日目夜。本来ならもう一度夜襲をしたかったが、さすがに二回目は警戒されているだろう。だから、最後の最後、五日目の夜だろうと結論付ける。

 発煙筒と張りぼてボートを出して、混乱を長引かせるようにする。それでも散発的な攻撃があり、夜中に機雷が爆破、その音で目が覚めた。幸い鎮守府に近づかれる前にヴェルと暁を出したが、連戦で少しばかり辛そうだった。

 三日目朝。混乱が終息に向かっているらしい、昨日よりも激しさを増した敵の攻撃。六隻編成でやってくる敵に、ヴェルと暁で迎え撃つ。どうやら戦艦や空母と言った主力艦は本体のほうに言ったらしく、ここにいるのは駆逐艦や軽巡と言った水雷戦隊がメインのようだった。これはまだ幸いだった部分だろう、少なくともこちらも駆逐艦で対処できる範囲である。

 間を見て、新しい機雷を設置するが、大分減ってきている。足止め効果も限界が見えてきたかもしれない。

 だがさすがに連戦に続く連戦である、もう三日も戦いっぱなしなのだ、さすがに疲労のピークが見えてきた。

 三日目夜。波止場で敵の様子を伺う。双眼鏡では正直、夜の闇のせいでほとんど見えないが、それでも近づいた敵を発見するくらいはできるかもしれない。

 そう考え、双眼鏡を眺めていると、暁がやってきた。

 

「司令官」

 呟く声にいつもの元気が無い。当たり前だ、ほとんど不眠不休で戦っているのだから、正直良くやっているとしかいい様が無い。

「大丈夫か、暁? 敵が着たら知らせるから、もう休んでいろ」

 そう告げるが、暁が首を振る。力無さそうに、自身の隣に座り、それから――――――――

 

「電に、手伝ってもらいましょ」

 

 ――――――――そう言った。

 

 




「これがどん底」などと言える間は、本当のどん底なのではない。

The worst is not so long at we can say ‘This is the worst’






鎮守府からの夜襲により三章ボスが弱体化しました


戦艦レ級elite  中破 先制雷撃不可、艦載機数半減
戦艦レ級
戦艦レ級     大破
軽巡ヘ級flagship 小破
駆逐イ級elite
駆逐イ級elite


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Shall I compare thee to a summer's day?

二章でちゃんと伏線は張っておいた。
察しの良い人だったらもう気づいてたんじゃないだろうか、王道っちゃ王道展開だし。

というわけで、今回は電ちゃんの過去編。


けどどうしよう、なんか思ったよりヌルくなったなあ、もっと絶望マシマシにしないと詰まらん(


 

「了解なのです」

 出撃命令を下した自身に対して、電は不安を感じさせない声音でそう言った。

 本当に大丈夫なのだろうか、そんな疑問はある。

 だがそれでも、もうヴェルも暁も限界が近い。あと二日、戦い抜ける余裕は無い。

 暁の提案に、もう頷く以外の道は無いのだ。

「…………………………」

 それでも、心苦しい。本当ならもっとゆっくりと、時間をかけて対応したかった。

 けれど現状がそれを許さない。それに、医務室で眠ったままの中将殿のこともある。

 中将殿はあの日から三日三晩眠り続けている。いつ目覚めるかは分からないが、一応傷の処置はしてあるが、少なくとも軽々しく移動させていい体ではない。

 守らなければならない、場所も人も、時間も。

 だから、これは仕方ないことなのだ。そう言い訳して、俺は電に命ずる。

 

 戦え、と。

 

 

 * * *

 

 

 電の砲撃で、敵軽巡が大破する。すかさずヴェルがフォローへ入り、大破した軽巡にトドメを刺す。

 魚雷発射、そして残りの敵軽巡も轟沈させる。その様子を遠巻きに見ていた俺は安堵の息を漏らす。

「…………どうやら、思ってたより問題なさそうだな」

 順調に敵を倒していく二人の姿を見ながら、それでも一抹の不安は残したまま双眼鏡の視点をずらす。

 そこに見える敵の中枢艦隊はまだ動かない、それでもいつ動くか分からない以上、見張りは続ける必要があるだろう。

 もうすぐ日が暮れる。敵の攻勢の手も緩んできたし、一度二人を戻す必要もあるだろう。

「…………司令官」

 と、その時、背後から聞こえた声。振り返ればそこにいたのは暁だった。

「暁、まだ寝ていて大丈夫だぞ?」

「ううん、もう十分寝たから大丈夫よ」

 すでに艤装を装着し、いつでもいけると言う心持ちで立っていたことに僅かばかりの頼り甲斐を感じ、苦笑する。

「それで…………その…………電は、どう?」

 その問いに、なるほど、と得心した。つまるところ、自分の意見で電を戦場に出すことになったのが気になって、おちおち寝ていられないと言うことなのだろう。

「思ったより問題ない、ヴェルと二人でよくやってるよ」

 その答えに、暁が安心したようなため息を漏らす。そして安心したらまた眠気が出てきたのか、暁が欠伸を漏らす。

「眠いならもう少し寝ていていいぞ?」

「ん…………そうするわ」

 と、艤装を一旦外し、自身の隣に座る。寝るんじゃないのか? とそう思った自身へと寄りかかり…………。

 そのままぽすん、自身の膝の上に頭を乗せた。

「おやすみ、司令官」

 そう言って目を瞑った少女に、仕方ないな、と苦笑して。

「ああ、おやすみ、暁」

 そう呟いた。

 

 

 異変が起きたのは、夜だった。

 夜の海の警戒と言うのは想像以上に厳しいものがある。

 何せ海上は闇に包まれ全く見えない上に、音だって波の音にかき消されるのだ。

 慎重に、慎重に、神経を研ぎ澄ませ、どんな些細な変化も見逃さない。

 そう言う神経をすり減らすような作業感がある。

 だがそうは言っても、実際に戦うのは俺ではない、艦娘だ。

 実際に命を賭けているわけでもない俺なのだ、この程度で泣き言は言っていられない。

 そうして警戒を続けていたからこそ、すぐに気づく。

 

 敵だ。

 

 深海棲艦も積極的に夜戦を仕掛けてくるようなことは無い、だがたまに群れからはぐれたような敵がぽつりぽつりと機雷原を突破してこちらへやってくることがある。

 

「…………数は駆逐級が一隻か」

 

 夜戦とは言え、この程度なら問題ないだろう。

 暁は三日間の連戦の疲労がまだあるだろうし、電に行ってもらうことにする。

 因みにヴェルは暁と交代で鎮守府の中で眠っている。

 

「電、頼めるか?」

「了解なのです…………電、出ます!」

 

 すぐそばに待機していた電が海へと向かっていき、海上に立つ。

 そうして夜闇の中へと消えて行った。

 

 

 * * *

 

 

 駆逐艦電は敵のすぐ傍までやってきていた。

 夜戦と言うのはとにかく目視がし辛い。夜目に慣らせば、辛うじて何か見えるかもしれないが、それでも昼戦と同じ距離での正確な砲撃や雷撃など望めるはずも無い。

 だから近づいて一撃のうちに敵を落とす。夜戦と言うのは必殺の一撃の叩きつけ合いであり、だからこそ、先手を取ると言うのは重要なことだ。

 幸い相手は一隻、これが二隻も三隻もいるようなら、一隻を攻撃している間に他の敵から攻撃を受けると言う危険性もあったかもしれないが、一隻なら一撃で決めてしまえば問題ない。

「…………嫌な感じなのです」

 電とて元が軍艦である以上、敵と戦うことは当然だと思っている。だがそれでも戦争は好きではない、命を奪うことは好きにはなれない、負けたいわけではない、だがそれでも助けることのできる命は助けたい。

 だから戦うことは好きではない。否定はしない、だが肯定も出来ない。

 かと言って、自分一人が何か言っても何が変わるのだ、と言う話ではあるが。

 

 ああ、こんなことを考えたのもいつ以来だろうか。

 

 ふと頭を捻る。一体自分は、いつからあの部屋に居続けたのだろう。

 それは止まっていた電の時間が、動き出した証である、だが電にそんな自覚は無い。

 いつから自分は、戦わなくなったのだろう。いつから自分は、あの部屋の外を忘れていたのだろう。

 気づけば火野江司令官の鎮守府にある、自室にいるのが当たり前になっていた。

 あの部屋に居る時の自分は、半分くらい眠ったような状態であり、ぼんやりとした頭で時間間隔など忘れてしまっていたから、どのくらいの間、あの部屋で過ごしていたのかは分からない。

 というか、そもそも話。

 

 どうして自分はあの部屋に篭っていたのだろう?

 

 疑問を持った。持ってしまった。元々、違和感などいくらでもあった。それを全力で見ないようにしていただけで、疑問などいくらでもあったのだ。

 外を見てしまった、海を見てしまった、あの部屋から出てしまった。薄い心の壁をけれどいとも容易く崩してしまった。

 だから、思い出す、だから気づく、だから理解する。

 

「……………………ああ…………雷は、もう…………居ないんですね」

 

 目の前に敵がいる。すでにこちらは砲を構えている。

 後は引き金を引けば良い。不思議と心は冷めていた。助けたいとか、殺したくないとか、いつもならそんなことを思うのに。

 心が鈍化していることに、その時はまだ気づかなかった。

 あっさりと、引き金を引く。

 砲口から吐き出された弾丸が敵を貫く。

 

 瞬間。

 

『ア■ね…………い■■ま…………■■し■、コ■……■テ』

 

 いつかの、どこかの“覚えの無い”光景がフラッシュバックする。

 

 ぞくり、と体が震える。

 

 それを“思い出してはいけない”と頭が拒絶する。

 

 “忘れてはならない”と本能が絶叫する。

 

「あ、あああ…………ああああ…………う、あ、ああああ」

 

 ぺらり、ぺらりと、薄皮を捲るように。

 

「あああああああ、ああああああああああああああああああ…………あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああ」

 

 少しずつ、少しずつ、思い出す。

 

「ごめんなさい」

 

 決定的に、徹底的に、絶対的に。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 電が、壊れた瞬間を。

 

「ごめんなさい…………雷」

 

 瞬間、電の意識が途切れた。

 

 

 * * *

 

 

 Shall I compare thee*1 to a summer's day?(君を夏の日に喩えようか)

 

 Thou art more lovely and more temperate(君は更に美しくて、更に優しい)

 

 Rough winds do shake the darling buds of May(心ない風は五月の蕾を散らし)

 

 And summer's lease hath all(また、夏の期限が余りにも短いのを) too short a date(何とすればいいのか)

 

 

 駆逐艦電にとって、姉である雷とは自身の自慢だった。

 戦艦長門や五航戦翔鶴のいる第一艦隊で駆逐艦でありながら旗艦を勤めることもそうだったし、何よりいつも艦隊の中心にいて、みんなを盛り上げる明るく優しいムードメーカーだった。

 みんな雷を頼りにしていた、司令官だって雷を信頼していた。時には戦いに負けることがあっても雷が次は頑張ろうと奮起してくれればみんな笑って次の戦いに備えることが出来た。

 電は内気な性格で、あまりそうやってみなを鼓舞するような性質(たち)でもないし、姉のような真似はとても自分には無理だと思っていた。

 だからこそ、それを自然体でやれてしまう姉が本当に自慢だった。

 

 電から見た響と言う少女は、一言で言うならば、道に迷って泣きそうになった子供だった。

 雷と同じ、暁型の姉妹ではあるが、その実、電は響のことをあまり姉だと意識したことが無い。

 勿論姉妹だと思っている、別に妹だと思っているわけではない。

 ただ、言うなれば、双子のように上下間の差と言うものを明確に意識したことが無い。

 それはほぼ同じ時期に建造された艦だからなのかもしれない。

 それでも、電にとって響は尊敬できる姉妹の一人で…………。

 

 同時に、負い目のある相手の一人だった。

 

 残してしまった最後の姉妹。

 

 一番上の姉である暁も、一つ上の姉である雷もいなくなって、残されたのは電と響だけになって。

 それでも、戦争は終わらなくて。だから最後まで一緒に戦って、生き抜いて、響を一人にしないって、そう決めたはずなのに。

 再び会った響は、一人取り残され、どこに向かえばいいのか、どうやって生きればいいのか、それも分からず、膝を抱え、泣きそうになった子供のように見えた。

 建造されたばかりで、まだおぼろげな意識の中で、自身より先に建造されていた響を見て、抱きしめた覚えがある。

 

『いきなりどうしたんだい、電?』

『なんでもないですよ…………会えて良かったです、響』

 

 電は二人の姉が好きだった。何よりも大好きで、何よりも大切で、何よりも重要だった。

 

 だから、雷が死んだ時、目の前が真っ暗になった。

 

 

 目の前で沈んでいく雷を見て、頭が真っ白になった。

 ごめんね、そう呟く彼女へと咄嗟に伸ばした手は、けれど空を切った。

 鎮守府に戻ってからもずっと、部屋に篭って泣いていた。

 二日、三日と立ち、数日が立って、ようやく心の整理がつく。否、つけなければならなかったのだ。

 自身はまだ良い、だが目の前で、しかも自分を庇って雷を沈んだのを見てしまった響は…………。

 一人にできない、そう思った。

 だから、立ち上がらなくてはらない。苦しくても、辛くても、それでも、響を…………また、響を一人に出来ない、今度こそ、一緒にいてやるのだと。

 そう決心した、その晩。

 

 電は、ソレに出会った。

 

 ぬらり、と海面に漂うソレに、電はふと気づく。

 時刻は夜。すでに皆が寝静まっている時刻。

 電の部屋の前にも、響の部屋の前にも鎮守府の仲間がしょっちゅう様子を見に来ていたので、誰にも邪魔されず響と二人だけで話す機会と言うのはこうして夜中に抜け出しでもしないと得られないと思ったのだ。

 そうして廊下を移動するその最中、ふと窓の外に見えた海で動く影。

 夜闇に紛れ、それが何なのかすぐには理解できなかった、けれど理解したと同時に目を見開き、走る。

 

 深海棲艦。

 

 自身たちが戦う敵の名前。すぐさま艤装を装着し、走りだす。

 この時、仲間を呼ぶと言う選択肢が頭から抜けていたのは、幸運だったのか不運だったのか、後から考えてみても電には分からなかった。

 走り出す、敵は先ほどの位置からは動いていない。

 そうして外へと飛び出し、敵へと近づいていく。

 ちゃぽん、と水音がする。ふと見やれば敵がこちらに気づいていた。

 瞬間、主砲を向けて…………。

「いナ……ヅ……ま……」

 引き金にかけた手がピクリと止まる。そして即座に隙を見せたと気づいた。

 だが敵は攻撃してこない。それどころか、逃げ出そうとしていた。

「待つのです!」

 それを追いかけて飛び出す。今考えれば無謀も良いところだが、その時はとにかく目の前のソレを追いかけるのに必死だった。

 ずっと追いかけている間、ソレはこちらに攻撃の一つもしてこなかった。

 何かおかしい、先ほどの声も空耳かと思ったけれど、違うのかもしれない。そんな疑心が浮かび上がってくる。

 そうして追いかけ続けて、どこかの孤島でソレが止まった。

「…………………………」

「…………追いついたのです」

 ソレへと砲を向けながら、油断無く待つ。

 さっさと攻撃してしまわないのは、先ほどの声が気になっていたからなのか。

 もしここで撃ってしまったらならば、きっと電は辛い過去を持ちながらも、それでも気丈に響を支え、戦っていただろう。

 けれど、それはあり得ないIFだ。

 

「さっき、私の名前を呼んだあなたは、誰なのですか」

 

 尋ねた、尋ねてしまった、だからそう、この先のことは必然なのだ。

 

「…………ワたし、ヨ…………イカ……づち」

 

 紡がれた言葉に、電のピタリと止まる。

 

 けれどそんな電を他所に、ソレは…………彼女は告げる。

 

 

 

「アノね…………いなヅま…………ワタしを、コろ……しテ」

 

 

 




君を夏の日に喩えようか

Shall I compare thee*1 to a summer's day?


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Thou art more lovely and more temperate

ぐわああああああ、あと三話で収まりきらないいいいいいいい。
エピローグ本来の半分にカット、四章の伏線もカット、それでようやくギリギリツメツメにして収まり切るはず(震え声

くそ、さっさと雷殺すだけだったはずの過去編が無駄に長くなりやがって…………。

お陰で本来これ6話で終わってなきゃいけない話だったのに、一話分丸まるプロットよりずれてるよ(


 

 生きていることが辛いと思ったのは…………さて、いつからの話だっただろうか。

 かと言って、死にたいとも思わなかった。

 雷が沈んだ日から、自身の胸に到来したのは虚無感。

 ただどうしようも無く、全てがどうでも良かった。

 生きていようが、死んでいようが。それでも淡々と仕事はやっていたらしい辺り、それはもう習慣と言うか、自身の癖のようなものになっているらしい。

 電がいなくなった、部屋の様子を見に生かせていた長門からそれを聞いた時、ああ困ったな、と思う程度の認識しかなかった。

 いなくなった、と言っても艦娘である以上、自殺などするとも思えないし、あの電が無謀な行動に走るとも思えない。

 だから、楽観していた、と言うより深く考えていなかった。

 ただ、予想の付いた事態の一つだったが故に、予め細工はしていた。

 一番厄介なのは、海に出られること、だから艤装には発信機のようなものを取り付けておいた。

 同時に盗聴器のような機能もあり、現状の向こうの様子が音として聞ける。

 慌てることもせず、イヤホンを耳にはめ、盗聴機能のスイッチを入れて…………。

 

『久しぶり、電』

 

 聞こえた声に、心臓が止まるかと思った。

 

 

 * * *

 

 

 目の前で徐々に人の形へと変わっていくソレを、電はただ呆然としながら見ていた。

 自身と同じ服装、そして艤装、容姿も良く似ていると言われる。

 けれど自身と違って活発そうな印象を受けるその姿は。

 

 紛れも無く、自身の姉、雷だった。

 

 こんな時だと言うのに、こんな状況だと言うのに、こんな場合だと言うのに、どうしてそんな嬉しそうな表情が出来るのか、どうしてそんな楽しそうな表情が出来るのか、どうしてそんな明るい笑みが浮かべれるのか。

 電には理解できない、目の前の姉の姿をしたナニカを、電には理解できない。

 それでも分かる、直感でわかる、感覚でわかる、目の前のソレを自分は繋がっている。つまり紛れも無く、目の前の彼女は姉だ。それだけは分かる、偽者なんかじゃない、新手の深海棲艦なんかじゃない、紛れも無く駆逐艦雷その人だ。

 だからこそ、余計に理解できない。

 

「どうして…………雷は沈んだはずなのです」

 

 確かに沈んだ、絶対に沈んだ、目の前の伸ばした手はけれど雷の手を掴めなかった。

 だとすれば、目の前のこいつはなんなのだ? どうして雷だと分かってしまうのだ。

 そんな、自身の疑問も含んだ言葉に、けれどソレは…………雷はあっさりと頷く。

 

「そうね…………確かに私は一度沈んだわ、でもこうして復活したのよ」

 

 深海棲艦として。

 

 呟かれた声に、頭が真っ白になった。

 

「でも…………そうね、もう私が私でいられる時間は長くないわ」

 

 だから、そう…………だから、と続け。

 

「ねえ電…………私を、殺して?」

 

 そう言った。

 

 

 * * *

 

 

 聞こえてくる会話に、すぐさま鎮守府を飛び出す。

 長門の静止も聞かず、即座に備え付けられた船に飛び乗り、発進させる。

 先ほどまでの遅さは一切無く、ただただ無心に発信機が示す座標へ向けて船を走らせた。

 

 深海棲艦の支配する海域には、電波障害が起こる。

 だがこうしてきちんと電波を受信している、と言うことは、この鎮守府からそれほど離れた場所ではないと言うことだ。

 ゆったりとした速度で向かっても。いつもなら気にならない程度の時間で着くだろう。

 だが、今は…………今だけは、たったの一分、否、僅か一秒すらも惜しかった。

 

「…………………………」

 

 遅々としか縮まらない距離にイラつきながら、急げ、急げ、と心の中で念じ。

 そうして再び、盗聴機へと耳を傾けた。

 

 

 * * *

 

 

「嫌…………です、無理、です…………できないですよ」

 

 声が震える。当たり前だ、最愛の姉が、自分を殺せと言ってくるのだ、受け入れれるわけがない。

 だが雷はそんな自身の答えに、一つため息を漏らし…………。

 

「なら、代わりのお願いがあるんだけど」

 

 そう言ってくる。代わりのお願いと言うのが何なのか分からない、だが少なくとも雷を殺せと言うお願いよりはマシだと思い、それが何か尋ねる。

 自身の問いに、雷の形をしたソレがニィと口元を吊り上げて。

 

「私の代わりに、死んでちょうだい?」

 

 砲をこちらへ向け…………何の躊躇いも無く、撃った。

 

「っ雷!?」

 向けられた砲に驚き、咄嗟に飛び跳ねていた。そのお陰か、直後に放たれた弾丸は自身へと当たることなく、彼方へと飛んでいく。

 だが電の頭の中は、混乱でいっぱいだった。

 

 撃った? 雷が? 撃たれた? 雷に? どうして? 死んで欲しいから? なんで? なんで? なんで?

 

 そんな自身の混乱を見て、雷が嗤う。

 

「何を驚いているの、電…………私、今は深海棲艦よ? だったら艦娘(あなた)を撃っても何の不思議も無いじゃない」

 

 嗤う、嗤う、嗤う。醜悪なまでに引き攣った笑みで、残酷なまでに楽しそうな表情で。

 電にはそれが雷だとは思えなかった。少なくとも電の知る雷はそんな笑みをしない。

 これはきっと偽物なのだ、そう理解する。

 だから、何の躊躇いも無く、雷へと砲を向けて…………。

 

「っ!!!」

 

 その顔が雷であることに、引き金を躊躇った。

 そうして代わりに、雷の砲が放たれ、直後、自身の肩に衝撃と激痛が走る。

 

「ぐ…………あ…………あぁ!」

「痛い? 辛い? そうね、私も痛かったわ、辛かったわ、だからそう…………ねーえ、電、私と一緒に行きましょうよ」

 

 痛みでかき乱される思考の中、けれどどうしてか、一緒に、その言葉だけが、やけに耳に残る。

 

「…………一緒?」

「そうよ、電も沈んでしまえば…………深海棲艦になれば、ずっと一緒よ?」

 

 普段ならば一蹴するような言葉、だってそれは鎮守府の皆と決別すると言うこと。本来なら聞き耳を持つことすらないだろう言葉。

 けれど、今はどうしてかそれが酷く魅惑的だった。

 

「…………一緒…………雷と…………お姉ちゃんと…………」

 

 ああ、それもいいかもしれない。

 そう思った自分は、すでに彼女の言葉に取り入られてしまっていた。

 

「そう…………だから、ねえ、電…………お願い、死んで?」

「……………………うん」

 

 気づけば、頷いていた。そしてその答えに安心したのか、嬉しそうに笑う雷が…………ほんの数日前まで見ていた笑顔で、近づいてくる。

 そうして目と鼻の先まで近づいてきた雷が、ゆっくりと主砲を自身の腹部に当てて…………。

 

 

 ああ、自分はここで死ぬんだ。

 駆逐艦電は焦るでも無く、憤るでも無く、ただ淡々とした様子でその光景を受け止めた。

 まるで他人事。意識と体が分離してしまったような錯覚すら覚える。

 そうして夢を見る、生まれてきてからの夢、記憶。

 走馬灯と言うやつだろうか。

 

『特Ⅲ型駆逐艦の四番艦、電なのです』

 

 建造された直後の記憶や。

 

『第一艦隊、第一水雷戦隊。出撃です!」

 

 初めての出撃時。

 

『なるべくなら、戦いたくはないですね』

 

 一時秘書艦として、司令官の仕事を手伝ったこともあった。

 

『響! 久しぶりなのですよ』

 

 そして…………彼女と出会った。

 

「…………ひ……び…………き…………」

 

 ああ、そうだ。

 

 ()()()()()()()()()

 

「一緒に行きましょ…………海の底へ」

 

 そう、雷が呟くと同時に。

 バァン、と砲が鳴った。

 ぽたり、ぽたりと、血が流れる。

 

「…………どうして?」

 

 ()()()()()()、だが。

 

「…………どうして撃ったの? 一緒に死んでくれるんじゃないの? ねえ、電」

 雷が尋ねる。その表情は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。

 寧ろ逆に――――――

 

「嘘吐き」

 

 ――――――嬉しそうに見えたのは、電の気のせいだろうか。

 

「ごめんなさい」

 

 声が震えた。手も足も、ガタガタと震える。自身が姉を撃ったと言う事実を、体が理解することを拒否していた。

 

「ごめんなさい」

 

 再度呟く、けれど雷からの答えは無い。代わりに…………。

 

「いいのよ」

 

 抱きしめられた。優しく、抱きとめられ、電の体から力が抜ける。

 

「いいのよ…………これで。だって電は、まだ生きているんだもの」

 

 優しく髪を梳くその手が懐かしかった。強く背を抱きとめるその手が大好きだった。

 

「わた……し…………わだ……じは…………」

 

 気づけば、涙が溢れていた。呂律が回らないくらいに声が溢れそうで、けれどそれを押し殺そうとして、結局、失敗して。

 

「わだじ…………ああああ、うわあああああああああああああああああああああ」

 

 結局、声が溢れた。けれど雷は優しく笑って、自身の背を撫でた。

 

 自身が泣き止むまで、ずっと、ずっと。

 

 

 背中を摩ってくれる手が、あまりにも優しくて。

 髪を撫でてくれる手が、たまらなく嬉しくて。

 もし出来るのならば、このまま眠ってしまいたかった。

「ごめんなさい…………雷」

 呟いた声に、いいのよ、と返ってくる。

「…………本当は、一緒に行きたいです」

 本当に、ここで沈んで一緒に行けるのなら、行ってしまいたいと思う。

 それはダメよ、そう呟く雷の声に、やっぱり先ほどまでの言動は嘘なのかと気づく。

 

 ああ、やっぱり惜しいなあ…………そう思う。

 一緒に行きたい、彼女と共に…………そう思う。

 それでもダメなのだ、やっぱり行けない…………そう思う。

 

「響を…………残して行けないのですよ」

 

 その言葉に、雷が微笑む。雷が時々見せる優しくて温かい…………電が一番好きだった笑みだ。

 

「そっか…………ねえ電、私からもお願い。響を一人にしないであげて」

 

 了解なのです、そう呟くと、雷が安心したように頷いた。

 そうしてふと気が抜ける。言いたいことを言ってしまったのもそうだが、大好きだった姉に包まれている感覚が、雷が沈んでからずっと張り詰めていた電の緊張を解していく。

 そうして突如襲い掛かる睡魔に、抗うことが出来ず。

 

 全身から力が抜け…………最後には、意識まで暗転した。

 

 

 * * *

 

 

 たどり着いた場所で見たものは、雷の腕の中で眠る電と、電を腕の中に抱く雷の姿だった。

「…………雷ちゃん」

 咄嗟に出た呼び方は、一番昔、自身がまだ新人だった頃のものだった。

 そんな呼び方に、雷が一瞬目を丸くして…………微笑む。

「あは…………司令官、なんだか懐かしいわね、その呼び方」

「……………………戻ってきてたんだ」

 雷が微笑み…………そして苦笑する。

「うん…………どうしてこうなったのかは分からないけど、そうね…………気づいたらこうなってたわ」

「それで、どうして電を」

「鎮守府のほうへ見に行ったら、偶々この子が一人で歩いてたから、わざと見つかったの」

 話したいこともあったしね、そう告げる雷、なんて答えればいいのか分からず、言葉に詰まる。

 と、その時、彼女の足からふっと力が抜ける。

「雷ちゃん!」

 咄嗟に近づき、彼女の体へ触れ…………

 

 その冷たさにぞっとした。

 

「…………あ、気づかれちゃった…………ごめんね司令官。もうそんなに長くないんだ」

 気づけば、彼女の腹部には大きな穴が開いていた。

 先ほどまで盗聴していた音から察するに、電が撃った穴だろう。

「実はもうね、目も見えてないんだ…………司令官、ここにいるのよね」

 体を支える自身の手に触れて、その感覚を確かめるように撫で、そうして安心したように笑う。

「多分、これが最後だから…………だから、司令官、お願いがあるの」

 少しだけ辛そうな表情で、少しだけ悲しそうな表情で、雷がそう呟く。

「みんなを守って…………司令官の大切な人も、司令官を必要としてくれる人も、守ってあげて、それはきっと…………司令官があの人から受け継いだ大切なものだから」

 どくん、と心臓が跳ねる。

「それと…………その守ってくれるものの中に、響と電を入れてくれたら、嬉しいわ」

 早鐘を打つ心臓を押さえながら、待って、と呟く。

「うん…………ごめん、きっと何か言ってると思うんだけど、聞こえないの、もう」

 だから一方的になっちゃうけどごめんなさい、そう呟きながら、続けて。

「帰って来るって約束しちゃったのに、守れなかったわね」

 待って、待って、と呟く声は、けれど彼女の耳には届かない。

 

「約束…………破っちゃってごめんなさい」

 

 待って。

 

「約束…………勝手に押し付けちゃってごめんなさい」

 

 お願いだから。

 

「勝手なやつで…………面倒な女で、ごめんね、司令官」

 

 私を、置いて行かないで。

 

「大好きよ、司令官」

 

 いか……ずち…………。

 

 

 

「いかずちいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 

 叫ぶ、と同時に目が覚める。

 荒い呼吸を吐きながら、滴る汗を腕でぬぐい、寝たきりの体を起こす。

「…………ここは」

 先ほどまでの光景が夢だと気づき、目を細める。同時に周囲を見渡し、ここがどこか考える。

「確か、私は…………」

 そうだ、彼の鎮守府に辿りついて、それから…………どうなった?

「くそ、思い出せない」

 僅かばかりの記憶が脳裏にちらつくが、それが何かはっきりと思い出せないジレンマに苛つく。

 仕方ない、とばかりに体を起こそうとし。

「っつ」

 痛みに歯を食いしばる。痛みの元に目をやると、足に巻かれた包帯に目が行く。

 ああ、思い出した、敵の攻撃を受けて、足が貫かれたのだった。

 あと脇腹もそうだったと服を捲ると、包帯が巻いてあった。

「良く生きてたものだ」

 何度か死ぬかと思った、それでも雷との約束を果たす日まで死んではならないと決めている。

 だから、感謝しよう、こうして生きていることに。

 

 そうして、一度落ち着いて…………気づく。

 

「…………誰が手当てしたんだろう」

 

 一応生物学的に、自身は女に分類される。

 響や暁、多分無いと思うが電ならまだ良い。だがもし彼に手当てされたのだとしたら。

 

「…………まあいいか」

 

 軍隊などそんなものである、一々性別など気にしていられない。

 とりあえず、ここから動こう、現状を理解しないと気になってオチオチ眠ってもいられない。

 辺りは真っ暗で、まだ夜中なのだろうが、誰か起きているだろうから、探しに行くことにしよう。

 決定し、医務室のベッドから抜け出して、そうして部屋を出た。

 

 




君はさらに美しく、さらに優しい

Thou art more lovely and more temperate


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The miserable have no other medicine but only hope

本当はこの章で五日目終了してるはずだったんだぜ(

今回はちょっと無理やり感あるかなあ、と思わなくも無い。

つか電ちゃん、原作とキャラちょっと違うとな、と思うけど、こんだけいろいろな目にあってれば、そりゃ性格も多少変わるよな、と一人で納得した。


 

 目を覚ました時、真っ先に視界に映ったのは、自身が雷と天秤に載せて傾けた少女だった。

「…………目を覚ましたかい?」

 安心したように呟く白い少女に、電はそっと手を伸ばす。

「……………………電?」

 差し伸ばし、頬に当てられた手に戸惑う響を見ていると、思わず涙腺が緩む。

 そんな自身の様子に慌てた様子の響に、苦笑いする。

「大丈夫、なのですよ、響」

「本当に大丈夫なのかい?」

「大丈夫なのです…………それより、私が倒れた後はどうなったんですか?」

 敵駆逐級を沈めたところまでは覚えている。だがその後、気を失って…………それからどうなったのだろうか。

「司令官が様子を見ていたからね、すぐに暁が出て電を引き上げたんだ…………二人とも慌ててたから、後でお礼を言っておいたほうが良いよ」

「はい、なのですよ」

 自身がそう答えると、すぐに響が次の言葉を紡ごうと口を開き…………そして閉じた。

「どうかしたのですか?」

 そう尋ねる自身に、けれど響はどこか言い難そうに言葉を濁す。けれどいつまでも黙ってはいられないと思ったのか、意を決したかのように口を開き…………。

「何があったのか、こちらも聞いていいかな?」

「何が、ってなんのことですか?」

 質問に質問を返すようで悪かったが、一体何を聞かれていたのか本気で理解できなかった。

 そうして響が、そう返す自身に、少しばかり表情を歪めならが慎重に尋ねる。

「軽く調べたけど、外傷は無かった、けど電は実際に気絶している…………何があったのか、覚えているかい?」

 恐る恐ると言ったその様子に、ああなるほど、と一人納得する。

 響と二人だけで会話していた頃の自分…………つまりあの部屋でずっと時が止まった生活をしていた頃の自分のことを考えれば、こういう反応も出るのかもしれない。

「…………何か、ですか…………少しだけ、嫌なことを思い出しただけなのですよ」

 本当は思い出したくも無かった、自分の手で姉を殺した記憶なんて。

 

 けれども。

 

「ねえ、響」

「何だい?」

「大丈夫なのですよ」

「えっと…………何がだい?」

 不思議そうな響の反応にくすりと笑う。そんな自身に、響がどこか驚いたような目で見てくるので首を傾げる。

 電は自分では気づいていなかったが、響はすぐに気づいていた。

 今しがた、電が浮かべた笑みが、かつての雷に良く似ていることに。

 そんなことには気づかないまま、電が続ける。

私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 紡いだ言葉に、響が目を見開く。その口が開き、何かを言葉にしようとして…………けれど何も言葉は出ない。

 

「“雷との最後の約束”ですから…………“もう二度と響を一人にしない”って」

 

 今度こそ、響が完全に硬直した。驚きすぎて、いつも被っている帽子が転げ落ちるが、それを拾う余裕すらない。

「……………………電、今…………雷のこと…………」

 うわ言のように呟く響の言葉に、苦笑を投げ返す。

 

 十秒、二十秒と沈黙が流れる。

 

 きっと昔の響では理解しきれなかっただろう。

 それでも今の響ならちゃんと飲み込めるのだろう。

 それはきっとあの司令官のお陰なのだろう。

 狭火神司令官。一人ぼっちになった響の司令官となった青年。

 この鎮守府で青年と響の間に何があったのかは知らない、けれど少なくとも今の響は孤独ではない。

 司令官と響の間には確かな絆がある、だから電の送った手紙で戻ってこれたのだろう。柔な絆なら繋がりが切れるのを恐れ、司令官に縋り付いて嫌がっただろうから…………それくらい当事の響の精神はボロボロだった。

 けれど、だとすれば火野江司令官は一体どうしたのだろう。それが分からない。

 今も司令官を続けているようだし、実際長門や島風と言った当時のメンバーもいる。なのに響と電だけがこちらの鎮守府に送られた。その意図が良く分からない。

 

 そうして、思考を張り巡らせていると。

 

「電…………一つ、聞いてもいいかな?」

 

 響が、自身も良く知るアイスブルーの瞳でこちらを見つめていた。

 

 

 * * *

 

 

 何を思い出したんだい?

 

 そんな自身の問いに、電は笑っているような、泣いているような、そんな曖昧な表情をする。

 ああやっぱり、とそう思う。電のその表情で、何を思い出したのか、検討がついてしまった。

「…………雷のこと、だね」

「…………そうなのですよ」

 あっさりと、電が頷く。先ほど言っていた、雷との約束、と言う言葉。電はもう雷がいないことを思い出したのだろう。

 そう考えれば、ふいに目元が熱くなる。

「………………響?」

「………………………………良かった」

 思わず漏れた言葉は、それだった。

「良かった…………電が、元気になって…………良かった…………」

 ずっと自分を責めていた。自分のせいで雷が沈んだあの日から、電の変わり果てた姿を見て、こうなったのは自分のせいなのだと。

 自分があの時、もっと周りを見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

 また自分だけみんなに置いて行かれるかもしれない、何よりもそれが怖かった。

「響は…………お姉さんなのに、甘えん坊なのですよ」

 そんな自身の内心を知ってか知らずか、電が苦笑する。そうしてぎゅっと自身を抱きしめるその姿は、やっぱりいつかの雷を思い起こさせる。

 みっともないくらいに、縋り付いて、泣きつきたかった。

 けれど、それはしなかった。決めたのだから、今度こそ守りきるのだと…………信頼の名に誓ったのだ。

 みっともないところは見せられない。何よりも、自分の妹にそんな姿見て欲しくない。

 

 だから、出てきたのは内心とは違う言葉だった。

 

「ねえ、電…………雷が沈んでから、一度だけ電が無断で出撃したこと、あったよね」

 

 こくり、と電が頷く。その瞳からは何の情報も読み取れない。ただこちらが何を言うのかそれによって反応を決める、そんな様子だ。

 

「あの日、何があったの?」

 

 それは、もしかしたら、の可能性。もし電が病んだ原因が、あの日にあるのなら、と言うただの可能性。

「……………………雷に会ったのですよ」

 だから、電の口から出た答えに、思考が止まった。

 

 

 電の口から語られた、あの日の出来事。

 正直、驚愕なんて言葉じゃ生温いくらいの衝撃を受けた。

「…………艦娘が、深海棲艦になる?」

 一瞬冗談かと思った、けれどそんな性質の悪い冗談を電が言うはずもない、だとすればそれは事実なのであり…………。

 だとすれば艦娘とは、深海棲艦とは…………。

 

「響」

 

 最悪の思考へと突入しかけた自身に、電が待ったの声をかける。

 顔を上げると、電が物悲しげな表情で首を振った。

 

「深海棲艦は…………もう生きてないのですよ」

 

 それは、電自身が一番割り切れていないのだろう。辛そうに、悲しそうに、痛そうに、けれどそれでもそれに耐えるようにそう告げる。

「…………うん、大丈夫だよ、もう、大丈夫」

 ぽんぽん、と電の背を軽く叩いてやると、自身を抱きしめる力が弱まる。

「ごめん、電…………」

 気づけば、謝罪の言葉が口から溢れていた。

「何がですか…………」

「私のせい、だね」

 雷が沈んだのもそうだし、電が雷を殺すことになったのも、火野江司令官がああなってしまったのも、結局は自身のせい。

 結局、自分は周りを不幸にしてばっかりだ。とんだ疫病神だ、なんて内心自嘲する。

「響のせいじゃないですよ」

 電が口にする慰めに、けれどそれを否定する。

「お願いだから」

 ああ、どうか、お願いだから。

「電だけは私を許さないでくれ」

 みんなみんな、優しすぎるから、だから…………だからどうか、姉妹であり、雷を一番大切にしていたキミだけは、許さないで欲しい。

 許されてしまったら、やるせないから。渦巻いた感情が行き場を失ってしまうから。

 だからどうか許さないで。

 

 だからどうか、お願いだから。

 

「キミの荷を、私にも背負せて欲しい」

 

 苦しまないで、全部全部私のせいだから。

 傷つかないで、全て私が悪いのだから。

 泣かないで、今度こそ守りぬくから。

 

 だから、だから、だから。

 

「笑ってくれ…………電、昔みたいに」

 

 私にはもう、それだけでいいから。

 

「………………響」

 

 電が、何か言おうとして、口を開きかけた…………。

 

 瞬間。

 

 バンッ、と音を立てて扉が開く。

 突然の事態に驚き、目をやると入り口に司令官が立っていた。どうやらかなり焦って来たらしい、息を荒げ、肩が揺れている。

 そして自身たちがいるのを確認すると――――――――

 

「敵主力が動き出した、今すぐ戦闘準備!」

 

 ――――――――最悪の知らせをもたらした。

 

 

 

 海上に揺らめく敵の姿。その中にあって、初日からずっと最奥にいた敵の主力たちがゆっくりと前進してきているのが見えた。

 時刻は午前四時。まだ朝日は顔を見せていないが、けれどすでに薄暗い程度の明るさを取り戻している海上の様子は、鎮守府からでも良く見えた。

 ついに敵の主力が動き出す、その事実に冷や汗が流れる。

 幸いと言うべきなのか、その前進速度は非常に緩やかで、部隊の一番奥にいただけあって、実際に交戦を開始するのはまだ先だろう。

 それでも今日中に昼戦を一戦、夜戦を一戦することは確定だろうし、五日目が終わったからと言って即座に戦闘が終わるわけでもない、実際何があるのか自身たちは知らないのだから。

 

「電、出れるか?」

 

 勝とうが負けようが、きっと今日が最後の戦いになるだろう、これが文字通りの決戦だとするなら、電も出ることになるのは必然であり、昨日倒れたばかりの電の体調を聞く司令官の問いは、自然なことだった。

「大丈夫なのですよ」

 笑んで、そう返す電に、そうかとだけ呟き司令官はまた海を見つめる。

 

「響」

 

 と、その時、自身の隣に電がやってくる。

 

「やっぱり、私は響を許してあげたいのですよ」

 

 それが先ほどの続きだとすぐに気づき、顔をしかめる。

 

「でも…………私は」

「だから」

 

 自身の言葉を、電が強引に遮って続ける。

 

「約束しましょ?」

 

 その言葉に、目を見開く。

 

『なら、約束だ』

 

 かつて、同じことを言われた記憶がフラッシュバックする。

 

「私はもう二度と響を一人にしないのです、ずっとずっと響と一緒にいます、だから」

 

『俺のちっぽけな命、お前にくれてやるよ』

 

 だから。

 

「守ってください、今度こそ」

『守ってみろよ、今度こそ」

 

 聞き覚えのある言葉。

 

 聞き覚えのある言い回し。

 

 だから答えも決まっている。

 

Да (ダー)(勿論さ)」

 

 それが、私と彼女の決着だった。

 

 

 * * *

 

 

 決戦の始まりはその日のヒトマルマルマル…………十時からだった。

 旗艦ヴェールヌイを先頭とした単縦陣のよる突撃。

 最も危険な先陣を旗艦が勤めていると言うこの危険な方法は、けれど彼女の司令官の提案だ。

 単純に駆逐艦三隻と言っても、その練度は大きく違っている。

 良い司令官の下で戦ってはいたが数年もの間出撃をしていなかった電は練度四十五。

 強行思考のあった司令官の下で、数年戦い、こちらの鎮守府に着てから何度か出撃している暁は練度五十五。

 数年もの間、この鎮守府に降って沸く敵との交戦を一手に引き受け続けて来たヴェルは、練度八十。

 練度の差とは実戦経験の差であり、生存率の差に近い。

 敵は戦艦レ級が三隻に軽巡ヘ級が一隻、駆逐イ級が二隻だ。レ級の内一体とイ級二体は目が赤い、上位級(エリート)の証であり、ヘ級は全身に黄色の炎のようなものを揺らめかせている、旗艦級(フラグシップ)の証である。初日の夜戦での奇襲により、レ級の上位級が中破、通常のレ級の一隻が大破しているようだったのは幸いと言えたかもしれない。

 戦艦レ級はたった一撃の砲撃の直撃で、こちらの艦隊が即座に死につながるかもしれない危険な相手だ。特にレ級の上位級はたった一隻で連合艦隊を敗北させたほどの力を秘めている。中破しているとは言え油断など全くできない強大過ぎる敵であることには間違いなかった。

 一応全員に応急修理要員を一つずつ装備させているが、どう足掻いても大破確定の状況で生き残り戻ってこれるとも思えないので、基本的に一撃が死に直結すると思ったほうが良いだろう。

 だからこそ、一番練度(レベル)の高いヴェールヌイを一番先頭に出す。

 先頭故に敵からの攻撃が集中するかもしれないが、他の二人よりも生存率が高いだろう、と期待してのことだ。

 実際、その作戦は功を奏したと言っていいだろう。

 次々と飛んでくる敵からの砲撃を、けれどヴェールヌイは、右に左に巧みに避けていく。

 

『目で物を見てるんだ、だったら目の動きで狙いは分かるだろ?』

 

 いつだったか彼女の司令官が言った言葉を思い出す、いつの間にか彼女には司令官との特訓により相手の意図と言うか狙いのようなものを敏感に察知する技能が身についていた。

 

『艦隊なんて言っても所詮は人型。戦艦なんて言って敵も人型、だったらいくらでもやりようはあるだろ?』

 

 魚雷を発射する。距離は遠く、とても当てれる距離ではない。

 だが、海中を進む魚雷へ向けて、主砲を撃つ。

 

 ダァァァァン、と音と共に水飛沫が派手に舞い上がり、互いに艦隊の視界を隠す。

 

 それも一瞬のこと。だがその一瞬の出来事に意表を突かれ、こちらの姿を見失った敵は、攻撃の手が一瞬止まる。

「撃てっ」

 そのチャンスを逃さないヴェールヌイの号令でヴェールヌイ、暁、電が主砲を掃射する。

 狙いは敵駆逐級二隻。視界が隠された状態で撃ったため半数以上の砲撃は外れたが、それでも何発かは駆逐級一隻に当たり、大破させる。残念ながらもう一隻のほうが小破止まりだ。

 お返しだとばかりに敵からの砲撃が飛んでくる。駆逐艦の小口径砲が届く距離だ、敵の長距離砲の命中が先ほどよりもあがっている。

 だがだからこそ…………その狙いが正確だからこそ、ヴェールヌイは避ける。

 だがそれも限界が近いのはヴェールヌイ自身分かっていた。

 いつもと違い、敵は一隻ではないのだ。視線から敵の狙いを読む技術はある程度の集中を必要とする、複数の敵から同時に狙われては片方しか外せない。

 

 いずれ限界は来る。だからせめてそれまえに一隻でも多く敵を倒し、夜戦まで持ち込む。

 

 それがヴェールヌイとその司令官の立てた作戦とも呼べない作戦だった。

 

「…………砲撃開始!」

 

 再度ヴェールヌイの号令で砲撃を放つ。

 

 戦いはまだ始まったばかりだった。

 

 




不幸を治す薬は希望より外にない。

The miserable have no other medicine but only hope


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The night is long that never finds the day

やばい、次の話で終わりにしないといけないのに(
また余計な展開付け足して、話伸びてしまった(

ラスト一話は明日更新(予定)。

つか、今回でこのヌイヌイ二次のラスボス倒したから、四章は平和(笑)になる予定。


 

 それを防げたのは奇跡と呼んでも差し支えないだろう。

 否、完全に防げたわけではないのだが、即死級の砲撃を着弾直前に打ち落とし、小破に抑えたのだから奇跡と呼んでも差し支えないだろう。

 それでもその一撃は、命中直前だった電とそれを撃ち落した自身に小さくは無いダメージを与えた。

「響! 電!」

 暁が心配そうにこちらを見てくるが、問題無いと返す。

 航行自体に問題は無い、それでもダメージを負ったことには代わりは無い。

 そう言う意味では、暁だって心配するのも当然なのだが…………今の状況がそれを許さない。

「まだ動ける…………だから、立ち止まっていられない」

 自身たちの向こうに敵がいる。こちらを倒そうとギラギラと視線を光らせた獰猛な敵がいる。

 だからまだ止まれない、動かなければならない、戦わなければ生き残れない。

「あと少しで日が暮れる…………だから、それまでなんとか繋ぐんだ」

 大破した艦は夜戦に参加できない。簡単に言えば、索敵能力などの低下により、相手を捉えることすらできないし、そもそも禄な攻撃もできないのに無闇に相手に近づいても死ににいくようなものだ。

 現在自身が小破、暁が掠り傷、電が小破。まだ全員夜戦で十分な力を発揮できる状態だ。

 逆に相手は、レ級エリートが中破、レ級一体は大破、もう一体は無傷、軽巡ヘ級フラグシップが掠り傷、駆逐イ級エリートの一体が大破、もう一体は小破。

 現状、夜戦で戦える戦力は、こちらが三、相手が四…………まだ不利だ。

 

「…………近づいて、雷撃戦をする。そうしたら反転して日が暮れるまで逃げるよ」

 

 暁と電が了解と言って頷く。

 せめて相手の軽巡と駆逐をここで落としておきたい。

 相手の散発的な砲撃を回避しつつ、距離を詰めていく。

 敵軽巡や駆逐もそれが好都合とばかりにこちらと距離を詰め、逆に戦艦レ級たちは動かない。

 実に好都合。後は…………。

 

「雷撃、発射!」

 

 互いの魚雷が、どこまで相手にダメージを与えられるか、だ。

 白い軌跡が交叉する。自身へと向かってくる雷跡を見、予測し、射線上から逃れる。

 着弾までの僅か数秒、それができるだけの練度は積んでいると自負している。

 だがそれができない艦も確かにいることを、失念していた。

 

「キャアァ」

 

 悲鳴、同時に轟音。魚雷の爆発に飲み込まれた仲間…………電の姿に、目を見開く。

 

「電!」

 

 駆け寄り、すぐ様抱きとめると、電が大丈夫と返してくる。

「まだ中破程度なのです…………まだ動けるのですよ」

「…………鎮守府に戻ったほうが良い。そんな怪我で夜戦なんてしたら…………」

 苦言を呈する自身、けれど電が苦笑して。

「響…………私情に走っちゃダメなのですよ、響は私たちの旗艦なのです」

 確かに、中破ならばまだ夜戦で動ける。戦力的なことを考えればまだ戦える電を下げるべきではないことも分かっている。

「…………けど」

 それでも、そう呟く自身に、電が首を横に振る。暁がどうする、と視線で聞いてくる。

 数秒悩み…………けれど、どうやっても電は首を縦には振らないだろうことが分かってしまうから。

「…………続行する、ただし電は私の傍にいて、なるべく離れないように」

 そうすれば、いざと言う時守れるから。

 そんな自身の思いを見透かしてか電が数秒黙りこみ…………了解、と頷いた。

 

 

 * * *

 

 

 夜間戦闘においてもっとも重要なのが、相手の位置だろう。

 基本的に夜戦は先手必勝。必殺の距離からの一撃の繰り出しあい故に、先に手を出せば勝てると言う状況が多い。

 だからこそ、相手の位置と言うのは何よりも重要だ。そして同時に、敵に味方の位置を知れられると言うのは何よりも恐ろしいことだ。

 

「…………本当にやるのですか?」

「ああ、思いきりやって欲しい」

 

 鎮守府から出てすぐに港で、目を覚ましたらしい中将殿がそう言う。

 三日も眠りっぱなしで、相当に空腹だったらしく、先ほどから自身が渡した携帯食を次から次へと空にしていく。

 そんな様子を見て、よく食べる、とその健啖ぶりに少し呆れながらも手元のコードを繋いでいく。

「断線時の配線なんて良く覚えているものだね」

「まあ誰かさんのお陰で、こんな孤島に来ましたから、いざと言う時の備えは必要でしょ?」

 暗にあんたのせいだよ、と言いながらジト目で見つめるが、カラカラと笑って流される。

 本当に肝の据わった人だ、と思いながら最後のコードを繋ぎ…………。

 

「最後に聞きますが、本当に良いんですね?」

 

 そう尋ねる。中将殿もあっけからんとした様子から一転、真剣な表情で頷き。

 

「ああ、やれ」

 

 そう答える。それが最後の答え。そうして自身は。

 

了解(イエスマム)

 

 スイッチを押した。

 

 

 * * *

 

 

 呆気に取られていた。

 

 自分だけではない、暁も電も、目を見開き、硬直していた。

 どころか、深海棲艦たちさえもその動きを止めていた。

 

 海が光っていた。

 

 一体何を言っているのかと言われても仕方ないが、海の底が青白く光を放ち、深海棲艦たちの足元を照らしていた。

 後方に下がっていた自分たちからもはっきりとその位置が見える。

 それに気づいた時、それが誰の仕業なのか、理解した気がする。

 

Спасибо(スパシーバ)(感謝するよ)…………司令官」

 

 光は一分ほど続き、やがて消える。深海棲艦は突如の事態に警戒し、動きは無い。

 逆にこちらは誰がやったのか、察することができたので、さほどの混乱も無く動くことができる。

 動かない敵へ、一気に距離を詰めて行く。

 正直先ほどの光のせいで、余計に視界が悪くなった感じはある。だが敵の位置が分かっているのだ、さほど問題でもない。

 

「距離二百、攻撃用意」

 

 敵接近のためここからは口を閉ざす必要がある、故にこれが最後の号令だ。

 接敵まで残り五秒。

 

「私の砲撃と同時に、全艦()()()()()()()

 

 四秒、三秒と時間が過ぎ。

 

 接敵、もはや白兵戦の距離と言っても良いほどの近さ。

 

 故に最初は………………。

 

 一番近くにいた小破止まりだった駆逐イ級を()()()()()

 

 声すら上げることなく、音も立てず、駆逐イ級が吹き飛び、道が出来る…………敵旗艦へと続く道が。

 

 砲撃を使わなかったため、こちらに気づくのが一瞬遅れた敵たちが自身たちを発見するが、もう遅い。

 最早目の前まで接近していた敵旗艦に向けて砲を構え――――

 

Ура(ウラー)!」

 

 ――――右手に持った砲を敵旗艦、戦艦レ級エリートに押し付け引き金を引く。さらに右の砲が弾を撃ちつくすと同時に、左に持った砲をさらに押し付け、引き金を引く。

 

 ダダダダダダダダダダダ、と絶え間ない連続音が響く。

 

 そんな自身の砲撃を合図に、暁と電も砲撃も開始される。

 

 最初の駆逐イ級の排除から僅か数秒の遅れで、敵が動き始める。だがその数秒で敵旗艦、戦艦レ級エリートは完全に戦闘不能になっていた。もう放って置けば勝手に撃沈してくれるだろう。

 

「鎮守府まで下がるよ!」

 

 敵旗艦を撃ち落したなら、一旦下がる。敵の密集したこの距離は正直危険極まりない。

 幸いと言うべきか、敵は先ほどの光を警戒して、動こうとしない。ならばこのチャンスを生かすべきだ。

 そうして自身の号令と共に、暁も電も撤退を開始しようとして…………。

 気づいてしまう、戦艦レ級が砲撃をしようとしていることに。

 

 その対象は…………電。

 

 だが電は撤退に気を取られ、気づいていない。

 

 電はすでに中破している。戦艦の一撃を、しかもこんな近距離で食らえば撃沈は免れない。

 ダメコンを積んでいたとしても大破状態、そんな電を敵が目の前でみすみす逃すはずも無い。

 

 死ぬ…………電が…………死んでしまう。

 

 また…………自分の…………目の前で。

 

『守ってください、今度こそ』

 

 ダメだ!!!

 

 瞬間、体が動く。

 同時にレ級の砲が火を噴く。

 電の前に立つ、同時に自身の体が四散するかと錯覚するほどの衝撃に襲われる。

 

「響っ!!!」

 

 電がこちらを見て、目を見開く。

 

「いな……づま…………下がるんだ!」

 

 最後の力を振り絞り、叫ぶ。

 

 全身に感じる虚脱感。力が入らない。大破したか、と内心で思う。恐らくダメコンで即死を免れたと言ったところか。自分でいつ発動したのかどうかうろ覚えだが、死んでないと言うことは多分そう言うこと。

 けれどもうダメコンは無い。次食らえば確実に死ぬ。

 逃げないと、そう思うのに体に力が入らない。思うように動かない。けれど敵へ迫ってきていて。

 

 これは、無理かもしれない。

 

 そんな諦観の念が過ぎった、その時。

 見た、見てしまった。軽巡ヘ級がこちらへと砲を向けるのを。

 軽巡洋艦とは言え、夜戦でこの距離、しかもこちらは駆逐艦。

 

 終わった。

 

 悟った。これは無理だ、いくらなんでもここから生き残れる芽などもう無い。

 顔が引き攣るのを自覚する、けれど、まあいいか、とも思う。

 

 少なくとも、姉妹二人は守れた。

 

 今度こそは、守れた。

 まだ自分が響だった頃、思っていたことがある。

 

 もし次に仲間たちが沈むようなことがあるなら…………まず最初に沈むのは自分であって欲しい。

 

 それはある意味諦観だ。戦う以上はいつか死ぬ。そんな当たり前のことを当たり前として受け入れていた頃の自分。

 そんな自分だったのだ、仲間を守って死ねるなら、それはそれで良い終わり方なのだと思う。

 

 二度目の衝撃。

 

 全身がバラバラになっていくような感覚。

 ああ、終わったのだ、と理解した。

 自分はここで死ぬのだと、そう理解して…………何故だか恐怖した。

 あれ? と自分で疑問に思う。自分はもう死んで良いと思っていたはずなのに。

 仲間を守って死ぬ、名誉の死だ。何より姉妹たちの死を目の当たりにしながら最後まで生き残ってしまった自分には最上級の死に方ではないだろうか。

 少なくとも、満足な死に方だと思った、はずなのに。

 

 何でこんなにも嫌なのだろう。

 

 どうしてこんなにも否定しているのだろう。

 

 何がこんなにも怖いのだろう。

 

 分からない、分からない、分からない。

 

 考えて分からず、けれど与えられた時間はもう無い。

 

 沈んでいく意識の中、けれど最後にふと視界の中に映るもの。

 

 沈んでいく敵の姿、そしてそこにいるのは…………。

 

「…………しま……かぜ……?」

 

 いるはずの無い、彼女の秘書艦で。

 

 必死そうな表情で、自身に何かを叫んでいる。けれどもう何も聞こえない。

 

「ごめん…………しま、かぜ」

 

 そんな顔をさせてしまったことに、少しだけ罪悪感を刺激されながら。

 直後、猛烈な睡魔に襲われ…………ヴェールヌイの意識は、闇の飲まれていった。

 

 

 * * *

 

 

 走った。走って、走って、走って。

 それでもそこは遠かった。

 遠くから聞こえる砲撃の音。すでに戦闘が始まっているのだと気づき、仲間を置き去りに走った。

 彼女の一番は彼女の司令官だ。それは変わらない不動の立ち居地。

 けれどだからと言って、移動してしまった昔の仲間が大切じゃないわけでも無いのだ。

 むしろ別れ方が別れ方だっただけに、ずっと心配していた。

 そんな彼女が戦っている場所を少しでも早くたどりつきたい。

 自分たちのせいで彼女たちに苦労を押し付けてしまっているのだ、その負い目がある部分も確かにある。

 だから走った。誰よりも早く戦場へとたどり着ける彼女だからこそ、仲間すら置き去りにして走ったのだ。

 そうしてたどり着いた場所で見たものは…………。

 

 沈んでいく、昔の仲間の姿だった。

 

「響!  響ィ!!!」

 

 叫ぶ、仲間の名前を、叫ぶ。

 けれど、焦点の合わない目でこちらを見ながら、響は沈んでいく。

 

「っく、この!」

 

 魚雷を発射し、再度響を狙おうとしてた敵の軽巡を即座に落とす。

 

「…………しま……かぜ……?」

 

 そうしていると、こちらに気づいたのか、ぼんやりとした目でこちらを見ながら響が自身の名前を呼ぶ。

 

「響! しっかりしなさい! 響!」

 

 何度と無く、名前を呼ぶ、けれど自身の声に何の反応も示すことも無く、ぼんやりとした表情のまま――――

 

「ごめん…………しま、かぜ」

 

 ――――何に対しての謝罪なのか、分からない、けれど響はそう呟き。

 

 海へと消えていった。

 

 

 * * *

 

 

「来た…………来た!!!」

 突如、中将殿が立ち上がって叫ぶ。

 その口元は吊り上っている、それだけに恐らく凶報ではない、吉報のほうだろうと認識する。

 と、同時に、このタイミング、そしてあの様子からすると。

「五日間、ここを守れ…………その命令、完了しましたか?」

 恐らくそれに関することだろうと察し尋ねると、中将殿が嗤い、答える。

「ああ、良くやった、本当に、良くやってくれた」

 海の向こう側で砲撃の音が響く。

 

 ヴェールヌイは、暁は、電は大丈夫なのだろうか。

 

 そんな自身の心配を他所に、中将殿が呟く。

 

「チェックメイト…………だ、亡霊ども。言っただろ? この私を、舐めるなと!」

 




この世に明けぬ夜は無し。

The night is long that never finds the day


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All's Well That Ends Well

書くこと多すぎて、1万字超えちゃったwwww
そしてあと10話でこの作品終了なのに、30話書いて初めてのヴェルヌイのデレシーン。
まあとにかく、これで三章終了です。
次の四章10話で多分、最終回。
もしかしたら番外編で五章やるかもしれないけど。

因みに三章最後だから言うけれど、三章のサブタイトルは全て、シェイクスピアの作品の台詞とかタイトルから取ってます。まあ気づいてる人もいっぱいいるだろうけど。

名言集とかでシェイクスピア見ると、言い回しが天才的過ぎると思う。いや、日本語訳してる人がいるからその人のセンスもあるんだろうけど、大本の台詞はシェイクスピアなわけで、すごいセンスを感じるので、作品自体に興味はなくて是非名言だけでも見てみることオススメです。


 

 

 間に合わなかった。

 

 響が沈んだ、島風のその言葉に、自分たちが間に合わなかったことを理解させられた。

 だからと言って、やることが変わるわけでも無い。

 自身の不甲斐なさに、歯を噛み締めながら、戦艦長門は砲撃を開始する。

 敵旗艦は響たちの活躍によりすでに討ち取られている、さすがだな、と思うより他無いが、それでも残りは三十隻ほどいる。水雷戦隊ばかりとは言え夜戦な上にこの数だ、正直厳しいとしか言い様が無い。

「…………………………済まない、響」

 口にした言葉は、けれど砲撃の音に掻き消されていく。

 

 今はただ、無心に敵を撃つ。

 

 それが唯一の、逃避だった。

 

 

 * * *

 

 

「響が…………沈んだ…………?」

 愕然とした様子で、中将が膝を突く。

 電と暁によってもたらされた情報、敵旗艦の撃破、そして響の撃沈。

 それを受け取った中将の様子がそれだった。

「そんな、バカな…………雷だけじゃない…………響まで…………」

 呆然として、うわ言のようにそんなことを呟く中将の姿を、電が心配そうに見る。

 代わりに暁は、何も言わず、黙したままの自身の司令官を見やる。

「………………………………」

 能面のように無表情なその顔から、感情は読み取れない。

 言葉も漏らさず、表情も変えないその姿に、けれど暁はじっと見つめる。

 そうして。

 

「……………………そうか」

 

 吐き出した言葉がそれだった。

 そうして、不意にその表情が歪む。

 

 笑みへと。

 

「電は中破か…………すぐにドッグで高速修復剤を使って来い。暁はその間に、補給。五分で準備を終えたらもう一度出撃しろ」

 

 その笑みの意味が分からず、そしてこの状況で何故笑みが出てくるのか分からず、呆然とする暁と、それを見た電に、早くしろ、と告げる。

 数秒考え込む様子を見せた暁が、先に言ってて、と電を促し、呆然としたままのフラフラと電がドッグへと向かうのを見届けた後、暁が自身の司令官に向かって問う。

 

「分かってるの? 司令官、響が沈んだのよ?」

 

 なのにどうして笑えるのか、そんな暁の問いに、司令官が答える。

 

「大丈夫だ、何も心配はいらない…………ヴェルはお前らが思ってるより強いし、ヴェル自身が思っているよりも強い、つまりそう言うことだ」

 

 答えになっていない答えに、暁がまたじっと司令官を見つめる。だがすぐさまその身を翻し。

 

「信じるわ、だから裏切ったら許さないから」

 

 そう呟き、鎮守府へと戻っていく。

 

「怖い怖い…………ま、問題無いだろ」

 

 後に残ったのは、二人の提督。そして男が女に向かって呟く。

 

「中将殿、今の内に一つ、謝っておきます」

「……………………何をかな?」

 

 女の問いに、男がニィ、と笑って、口を開き――――――――

 

 

 * * *

 

 

 やばっ、真横からやってくる敵を見つけ、島風は思わず身震いした。

 戦力差六対二十八。五倍近い数の敵がいる上に、敵味方入り混じっての乱戦状態。

 だが真正面からやっても数が違いすぎて、不利になるばかり、数の差を潰すには今の乱戦状態が一番都合が良かった。

 夜が明けるまでもうそれほど時間は無い。だが旗艦を潰され、統率を失った敵が一斉に鎮守府にでも襲い掛かられると、数に劣るこちらでは持ちこたえることが出来ない。

 つまり、ここで足止めするしかないのだ。

 

「っ舐めないで!」

 

 無理矢理方向転換をし、身を捻って横からの敵の砲撃を回避する。返す刀にこちらも火砲を撃ち、敵のまた一隻撃沈させる。

 

 乱戦と言うのは、数を生かせない状況である。だがかと言って、数の差が覆ると言うわけでも無い。

 数に劣ると言うのは結局、どんな状態でも不利であるし、四倍以上の数の差がある現状、デメリットも勿論ある。

 

 つまるところ、気づけば三隻の敵に包囲されていた。

 

「ちっ、まずっ」

 

 いかにレベルが高かろうと、当たる時は当たる。

 良く言うではないか、勝負は時の運、と。

 特に艦隊決戦と言うのはそう言う面が強いのも確かだ。

 

 だから、いかにレベルが高かろうと、死ぬ時は死ぬ。

 

 かと言って、島風とてむざむざここで死ぬつもりも無い。

 二発までは、避ける自信はある。

 だが三度目は正直、自信が無い。冷静に自己分析をして、けれどどうやってもそれ以上は無理だと返ってくる。

 恐らく当たっても即座に轟沈、とは行かないだろう。

 だが大破するかもしれない。最低でも中破はするだろう、何せこの距離だ。

 そうなれば、一気に戦力が落ちる。島風が抜けてしまえば、四倍以上の戦力差が五倍以上の戦力差に変わる。

 その差はただでさえ厳しいこの状況を絶望的へと変えてしまう。

 

 それだけは、嫌だ。

 

 避けろ、避けろ、と頭から命令が飛ぶ。

 

 一発目、サイドステップで避けた。

 

 二発目、体を倒し、姿勢を低くしてギリギリのところで避ける。

 

 そして三発目、二度の行動ですでに体はどこにも動かない。

 一度上体を起こし、足幅を縮め、そうして動く。その三工程が必要となるが、敵の砲撃は最初の一工程目で放たれる。

 どうやっても避けるのは無理だ。

 

 くっ、と歯を食いしばる。最悪中破ならまだ戦闘はできる。

 

 覚悟を決め、来る衝撃に耐えようとして…………。

 

 目の前で、三発目を放とうとした敵が、爆発した。

 

「!?」

 

 突然の事態。誰かが助けてくれたのだと気づいたのはその直後。

 即座に状況を判断、残った二体を砲撃で片付ける。

 沈んでいく敵を無視し、こちらを狙ってくる敵の姿が無いことを確認し、さて誰が助けてくれたのかと振り向いて。

 

 硬直した。

 

Ты(ティー) в порядке(フパリャートキ)(大丈夫かい)?」

 

 だって、そこにいたのは。

 

「………………ひび……き?」

 

 沈んだはずの戦友だったのだから。

 

 

 * * *

 

 

「一つ聞いてもいいかな?」

「はい?」

 戦場を見つめる中将殿が、ふとそんなことを呟く。

 さて、一体なんだろうか、先ほどの一件のことでまた何か聞かれるのだろうか、そんな風に頭を捻っていると。

「どうして響だったんだい? レベル的に言えば電のほうが低いし、暁だって決して安全だとは言えない。逆に響の練度は一番高い。なのにどうして響に持たせたのか、それが分からないんだよねえ」

 ああ、そんなことか。と内心で呟きつつ、“理由”とやらを簡単にまとめる。

「簡単な話ですよ。ヴェルは、自分を見捨てれても、他人は見捨てれないから、それだけの話です」

 ましてそれが守ると決めた姉妹なら、なおさらだ。

 

 俺が予定していたヴェルの役目は最初から沈むことだ。

 

 どうせ他の役目を振っても、最終的にそうなると予想できていたから、だったら最初からそうすれば良いと思っていた。まあそれでも、沈まないにこしたことは無いが。

「でもそれを響に伝えなかったのは何故だい?」

「最初から備えてあるなんて言ったら、どうせあいつのことだから、電や暁に持たせろって言いますから。差があることを意識させちゃいけなかったんですよ」

 はっきりと伝えてくる分には良い。だが勝手に装備を入れ替えられでもしたら全ての予定がパーだ。

「しかし随分と思い切った作戦を考えるね…………そもそも私のほうの作戦すら伝えてなかったはずなのに」

「まあ中将殿がここを守れ、と言った時点でだいたいの察しは付いてましたし。どういう方法か明確には分かりませんが、だいたいこういう流れになるだろうことは理解していました」

「なるほど…………やっぱりキミは、あの人の息子だね」

 そう言えばこの中将殿はうちの親父を知っている人物だったか、と内心で呟きつつ顔には出さない。

「まあ少なくとも、戦術や戦略だけは尊敬しています」

 そんな自身の言葉に中将殿が苦笑する。

「まああの人は確かに、私生活ではあまり尊敬できるタイプじゃなかったかもね…………特にあの人を見ていると、親としてやっていけるのか不安に思うこともあったし」

「やっていけてないから、今こうなってるんですよ…………正直、瑞鶴がいなかったら提督になんてなってませんよ」

 そんなくだらない話を交わしている内に、戦場で聞こえてくる砲撃音が減ってきていることに気づく。

「そろそろオーラスだね」

「ですね…………うちの三人もすでに戦場で暴れてるころでしょうし」

「まあ色々あったけど…………やっぱりキミを頼って正解だったよ」

 他の人じゃあ無理だっただろうしね。と言う中将殿の言葉に、目を細める。

 それは確かな信頼。自身だったら大丈夫だ、と言う信頼。それがどうにもくすぐったい。

 だから照れ隠しに、頭をかいて、呟く。

「そりゃ、どうも」

 

 

 * * *

 

 

 意識が戻ると、視界いっぱいに、星が映っていた。

「……………………綺麗」

 思わず呟いた自身の耳に、轟音が響く。

 聞きなれた砲撃音。すぐさま戦闘中だと言うことを認識する。

 と、同時に、あれ? と思う。

「私は…………沈んだんじゃ」

 思い出す、電を庇って砲撃の直撃を受けたこと。そして海へと沈んでいったこと。

「体が、なんとも……無い……?」

 そうしてようやく気づく、傷が全て治っている。減ったはずの燃料や弾薬も補給されている。

 不可思議にもほどがあるが、戦闘続行可能と言う事実に、すぐに戦わなければならないと思う。

 電か暁か…………それとも最後に見た島風か。

 向こうで誰かが戦っている。

 だから、戦わなければならない。

 

 そう決心し、戦場へ向かったのが先ほどのこと。

 

 戦場にたどり着き、最初に見たのは島風を囲う三隻の深海棲艦。

 咄嗟にその内の一体を砲撃で沈める。残り二体もすぐ様、島風が沈め。

 

Ты(ティー) в порядке(フパリャートキ)(大丈夫かい)?」

 

 そう尋ねた自身に、こちらを見た島風が目を見開き。

 

「………………ひび……き?」

 

 そう呟いた。

 

 

 * * *

 

 

「一から十まで、説明して欲しいかな」

 最後の夜戦から十日ほど経った夜。ようやく訪れた平穏に、安堵し、鎮守府に所属する全員で祝勝会と称して一通り騒いだその晩。

 

 決戦の結末は、実にあっけないものだった。

 夜が更け、暁が到来する。薄暗い視界、けれど夜は過ぎ去った今、戦艦や空母が最大の力を発揮できる。

 夜戦で敵中心部隊は最初のうちに徹底的に叩かれたので、残った敵は水雷戦隊ばかり。

 夜を過ぎ去った時点で、敵に勝機など無かった。

 そこから始まる殲滅戦。そうして鎮守府周辺の敵を一掃した中将殿の艦隊は、そのまま防衛線で食い止められた敵本隊へ向けて発進。背後から急襲された敵本隊は混乱に陥り、タイミングを逃さなかった瑞樹葉少将ら率いる防衛艦隊からの逆襲もあり、敵本隊壊滅。それが鎮守府の防衛から三日後のこと。

 そこから一週間かけて敵残党の殲滅。はぐれ敵部隊まで含めた今回の侵攻で現れた敵を一体残らず倒していき、旧前線ラインまでの防衛ラインの押し上げを完了した時点で、要警戒緊急事態体制(シグナルレッド)が解除された。

 

 まあその殲滅戦には、うちの鎮守府には一切関わってないのであまり関係ないと言えば関係ない話なのだが。

 

 一方その頃うちの鎮守府と言えば、全員爆睡していた。

 ほとんど不眠不休で戦い続けていたのだから、当たり前と言えば当たり前であるが、丸二日、誰も起き上がることが出来ないほどの有様で、三日目になってようやく空腹に耐え切れず動き出す人間がぽつりぽつりと現れる。

 仕事時間の関係上、あまりバッティングしない鎮守府の人間たちが珍しく一同揃って食堂に現れる様は、ここ数年で着任初日以来のことだった気がする。

 そして空きっ腹を満たした人間からまたぽつりぽつりと自室に戻り爆睡。

 鎮守府全体が再稼動できる状態になるまでおよそ五日かかった。

 と言っても、さらに五日後にシグナルレッドの解除が通達されるまで、いつまた次の戦闘が起こるかわかったものではないので、鎮守府周辺をヴェル、暁、電の三人交代で斥候に回らせ、五日後の今日ようやく警戒態勢が解除され、鎮守府全体の空気も安堵に満ちた、と言うわけだった。

 

 戦場の空気、と言うのは意外と後を引きやすい。

 戦場で戦った兵士たちが、平和な日常に戻ってきてからも、戦場にいた時の癖が出たり、居もしない敵の幻影を警戒したり、些細な雑音に過敏に反応したりと、生死のかかった状況に長く身を置いた人間は、その状況の記憶がいつまでも焼きついて離れないことが度々ある。

 だからこそ、祝勝会と言う名の食事会を開いた。用は気分転換だ。そして同時に区切りでもある。

 もう大丈夫なのだ、と言う。もう安心して良いのだ、と言う。そう言った区切りであり、日常と非日常を区切るためにも盛大に行った。

 超零細鎮守府であるところのうちの食堂があそこまで賑わったことなど初めてと言っても良い。

 ヴェル、暁、電たちに飾りつけなどもさせたり、見た目にも華やかになるように少しばかり奮発した。

 まあさすがに女子供もいる場なので、酒は自粛させたが…………まあ、こうして後になって独りで飲む分には構わないだろう。

 

 そうして賑わった祝勝会も終わり、何故か後夜祭的なノリで全員で遊び始めた艦娘や職員たちに、こいつら意外とノリが良かったんだな、などと長年過ごしてきて初めて知った事実に驚きながら、その場を抜け出す。

 ようやく静かになった海を肴に独り杯を傾けている、そんな時にやってきたヴェルの第一声が最初のソレだった。

 

「一から十まで…………と言われてもな、具体的には何を説明して欲しいんだ?」

「それじゃあ一番疑問だった…………どうして私は生きているのか、と言う説明が欲しいかな」

 問われた言葉に、数秒思考が止まる。酒が入っているせいか、と言われるとまた違う。

「は…………? え? 気づいてなかったのか?」

 自分のことなのに、まさか気づいていないとは思わなかったのだ。

 そんな自身の態度に、ヴェルが首を傾げる。どうやら本当にわかっていなかったらしい。

「お前が生きてる理由なんて簡単だ、ダメコン装備がお前を守ったんだよ」

「でも私の持っていたダメコンは一つ。けれどそれはすでに発動した状態で、その後に沈んだはずだ」

「ふむ…………まあ簡単に言えば、お前はお前が思っているよりも強いってことだよ」

 恐らくそれは、ダメコンが発動していないはずだ。発動していたらさすがにすぐに気づける、何せ。

「お前に載せたのは、中将殿からパクった応急修理女神だからな」

「……………………女神? 要員じゃなくて?」

 46cm三連装砲、試製41cm連装砲、天山一二型(友永隊)、彗星(江草隊)、震電改、試製晴嵐、53cm艦首(酸素)魚雷等々、飛びぬけた性能を持つ装備と言うのは多くあるが、その中でも最高クラスに飛びぬけた装備を一つ上げるなら、今言った応急修理女神だろう。

 簡単に言えば、ダメコンだ。装備した艦娘が轟沈しそうな時に発動し、轟沈を防いでくれる。

 それだけなら応急修理要員と同じ、そこにさらに追加効果があるのが応急修理女神で。

 なんと艦娘の耐久や装備を全て修理し、全回復してくれる。しかもどこから持ってきたのか、燃料や弾薬すらも補給してくれると言う不可思議すぎる仕様の装備だ。

 一度しか使えない使い捨て装備ではあるが、大規模作戦で功績を挙げた一部の提督にか与えられない超稀少装備である。

 

『中将殿、今の内に一つ、謝っておきます』

『……………………何をかな?』

 

 だから謝ったのだ。

 

『中将殿の持ってた応急修理女神、勝手に使っちゃいました』

『……………………………………………………え?』

 

 さすがの中将殿も、唖然とした表情をしていたが。

 まあ、あの規模の敵から五日も鎮守府を守れなんて無茶振りされたのだ、そのくらいの協力があっても良いだろう。最悪処罰されるにしても、ヴェルの轟沈は免れる。

 そんな打算的な考えだったが、さしもの中将殿も今回の命令は厳しいと思っていたのか、特にお咎めなしだった。

 と言うか、何故あの中将殿は応急修理女神なんて持っていたのだろうか。

 と言う疑問だったが、どうやら連合艦隊の敗北時、使えそうなものをとりあえず持ってきたのだが、その中で一番手軽に持ち運べそうなのがあれだったらしい。

 

「ま、つまり最初の一撃はダメコン発動してなかった、お前の勘違いってことだ」

 

 こいつ自身、あまり自覚がないのかもしれないが、ヴェルには俺が知っている限りの体術を教え込んでいる。

 咄嗟の状況で、被害を軽減させたとしても別に不思議ではない。と言っても、前後不覚になってしまうほど大ダメージだったようだが…………まあ役に立ったようで何よりだ。

「自覚しろ、いっつも独りで戦ってたから分かり辛いかもしれないけれど、お前はお前が思っている以上に強いんだ」

 体の動かし方を覚えさせた、練度が上がって力の使い方も分かった。今のヴェルはレベル以上の強さがある。

 レベルが高い艦と言うのは、被害を受けにくい。避けやすいのもそうだが、受け流し方が上手いのだ。

 これまでずっと独りで戦わざるを得なかったからこそ、俺はヴェルに攻撃の避け方と受け流し方を教え込んだ。人間同士の戦いだが、かといってまるで実戦に流用できないわけではない。

 

「ま、そういうことだ。二撃目で本当に轟沈しかけて、ダメコンが発動。つっても相当に前後不覚みたいだったからな、体は治っても意識が戻るのが遅れたんだろ」

 

 つまりそれがことの真相。

 そして同時に、ヴェルが疑問を抱いたようで口を開く。

 

「だったら、どうして、電か暁にそれを装備させなかったんだい? 実際、電は中破してたんだよ?」

 

 なんというか、本当に予想通りな質問をしてくる。最初から分かっていたことだけに、答えは用意してある。

「あの三人の中で、一番生存率が高いのが練度の高いヴェル、お前だろうな…………でも一番死亡率が高いのも、お前だよ」

 今度こそ守ってみせる、そう決めているからこそ、俺はヴェルに応急修理女神を装備させた。

「あれだけの敵に対して、こちらの戦力を考えれば、絶対に誰か大破…………最悪轟沈することは予想できてた」

 元々が無茶だったのだ。初日の夜戦で無事でいられたのは、初日で疲労が無かったこと、そして暁とヴェルの二人だけの隠密行動だったこと、そして発煙筒などを使ってかく乱していたことが大きい。

 元々こちらの戦力は駆逐艦しかいないのだ、戦艦が三隻もいる相手に夜戦をしかけて無事で帰ってくるだなんて、あまりにも楽観的過ぎる、否、そんなものもう現実を見てすらいない。

「じゃあ誰が大破するか…………誰が轟沈するか」

 女神は一つしかない。轟沈を回避した後、無事に帰ってこさせるためには出来れば女神で万全の状態にまで戻っているのが望ましい。大破状態にまでしか戻せない応急修理要員ではもう一撃受けただけで本当に轟沈しかねない。

「だから発想を逆にした、誰が轟沈するか分からないなら、轟沈する役目を一人作ってやれば良い」

 つまりこの場合、旗艦。戦闘にたって真っ先に突っ込む役割、そして敵の盾になる役割。

「それをお前に割り振ったんだよ。色々考えたんだがな、どう考えても目の前で暁や電が沈みそうになれば、お前絶対に庇うだろ、旗艦だろうと何だろうと」

 そして予想通り、二度も電を庇ってダメコンを発動させている。

「電は咄嗟に仲間を庇えるほど練度が高くない。暁の場合、先陣切って生き残れるか不安な部分がある」

 だからヴェルしかいないのだ、性格的にも、練度的にも。

「理解したか? それとな、お前…………納得しただろ」

 してなければ、ここまでの憤っている。今こうして、何のことか分からず首を傾げている時点でもう納得してしまっているのだ。

 

 自分が沈むことに。

 

「お前は仲間守って沈めて良い気分かもしれないけどな、お前はそれで終わりでも、暁も電もお前が目の前で沈んでいくところを見て、またトラウマ作ることになるかもしれないんだ」

 

 目の前で雷を失った電。

 

 自分のせいで仲間巻き込んでしまった暁。

 

 この上さらにトラウマを塗り重ねるなら、もう二人とも戦闘に出せなくなる。

 

「仲間を守れ、鎮守府を守れ……………………その上で、お前自身も守れ」

 

 それが本当の、守るってことの意味だ。

 

 そう告げた自身の言葉に、ヴェルは目を閉じ、黙する。

 

 数秒、そうして考え込み。

 

Да (ダー)

 

 しっかりと、確かに頷いた。

 

 

 * * *

 

 

「ところで、あと一つだけ疑問があるのだけれど」

「なんだ? ついでに言ってみろ」

「どうしてあのタイミングで島風たちが?」

 そう問うた自身に、司令官が、ああそのことか、と一つ頷く。

「つまり、あれが中将殿が今回の侵攻に対して立てた作戦ってことだよ」

 作戦? と首を傾げると、噛み砕いて説いてやる、と司令官が説明を始める。

 

 曰く。

 

 まず今回の作戦は、以前中将殿が言った通り、タカ派の連合艦隊敗北を切欠として行われた中立派による“あ号作戦”だ。

 最初の一週間は連戦連勝を続けてきた中将殿たち連合艦隊だったが、その頃から、一向に動かない敵中枢艦隊に不安を抱いていた。

 何せ中枢艦隊は、前連合艦隊敗北の切欠となった敵だ。その動向に気を配るのは当然だろう。

 二週間経ち、ようやく違和感を覚え始める。

 

 敵の数が増えている。

 

 三週間経ちそれが気のせいでないことに気づいた。

 敵の構成部隊に、空母や重巡洋艦なども入り混じり始めた。

 この時点で中将殿は敵が集結している理由をいくつか考えていた。

 理由は分からないが、敵の中枢艦隊は味方の集結を待っている、と言う予測はすぐに立ったので、作戦を考えた。

 それが今回の作戦だ。

 

 それまで連合艦隊を組みながら、二艦隊が同時に出撃したことは無かった。

 だが艦隊決戦を挑むに際し、両艦隊を使い、そして被害がひどくならない内に早々に撤退した。

 つまり、わざと敗走を装ったのだ。

 

 そこにいたるまでの考えはいくつかあるのだが。

 敵の集結がいつ終わるのか分からないが、これ以上増え続けるのは不味いことになる。

 中将殿は何よりもまずそう考えたのだ。

 そこで、目の前で敗走して見せることにより、深海棲艦の行動の切欠を作ったのだ。

 

 ここでもさらに敵の行動によってこちらの対応パターンを作っていた。

 一つはもし敵が動かなかった場合。その場合、再度集結し、素直に大本営に援軍要請して、一大決戦が始まっていただろう。

 一つは敵が敗走したこちらを追ってきた場合。その場合、両艦隊合わせて十二隻が一隻ごとに周辺の鎮守府に逃げ込み、防衛に当たっていた。

 そして一つは、敗走したこちらを無視して侵攻を開始した場合。今回はこれに該当した。

 もしこれが起こった場合の対応は、わざと侵攻させること。

 大本営にすぐ様状況を知らせ、早々に防衛ラインを引かせる。そして敵を足止めしつつ、バラバラになった艦隊を別の場所で集結させて、背後から急襲する。

 

 そして中将殿だが、島風と共に小型ボートで移動。敵がどこに向かうのか追いつつ、敵中枢艦隊がどこへ向かうのかを確認した後、島風を連合艦隊の元へ向かわせ、案内役とする。

 中将殿は近くに避難…………する予定だったのだが、中枢艦隊がいたのが、自身の鎮守府だったので、こちらに来たらしい。

 なんであんな大怪我していたのかと思ったら、敵の脇を通ってきたらしく、その際攻撃されたらしい。

 正直、バカじゃないのか、と思ったが曲がりなりにも上官なので黙っておいた。

 

「で、五日間守れってのは、連合艦隊の離散から五日で集結、さらに島風からの連絡と移動で二日、それから攻撃開始って感じで予定組んでたらしい」

 だから初日時点でちょうど二日目、そこからさらに五日耐えろ、と言う話だったらしい。

 一応あれでも、連合離散から三日目で島風が連絡に動いたので、少しは早かったらしいが、本当にギリギリだ。

 もしあの時、島風たち第一艦隊が来なかったら、最悪、敵のど真ん中で自分だけ復活してたかもしれないのだから。

「第二艦隊は? 確か居なかったはずだけど」

「三方向に分かれて侵攻されてたからな、第二艦隊は別方向の敵を叩きに行った。それから敵本隊を叩く時に合流って感じだったらしい」

 

 ようやく納得いったので何度無く頷く。

 と、その時、強い風が吹き付ける。その冷たさに、一瞬背筋を震わせる。

「寒くなってきたな…………そろそろ戻るか」

 司令官が呟きつつ、酒瓶片手に立ち上がる。

 

「ほら、戻るぞ、ヴェル」

 

 振り返り、そう呟くその姿に、ふと思い出すのは海へと沈んでいく時にふと過ぎった思い。

 

 死ぬのが怖かった。

 

 否、死ぬこと自体が嫌なのではない、そんなものは当の昔に覚悟できているはずだ。

 

 だから、死ぬこと自体ではなく、死んでしまうことによって起こる何かを無意識に嫌がっていた。

 

 ソレがすごく嫌で、だからこそ怖かった。

 

 あの時には分からなかったけれど、今ようやく理解できた。

 

「司令官」

 

 呟く言葉に、彼が振り向く。そんな彼に走り寄り…………空いている片手を握る。

 

 自分は…………司令官と離れるのが嫌なんだ。

 

 ずっと内包していたのだろう、そんな思いを、今初めて自覚した。

 

 それを自覚すると、不思議と心が温かで、けれどどこか自分が自分じゃなくなってしまいそうな、そんな怖さがあった。

 

 それがなんて感情か、今はまだ分からないけれど。

 

「どうした?」

 

 自身の行動に不思議そうな表情をしている彼に、なんでもないと呟きつつ。

 

 今はまだ、これで良い。

 

 そう思った。

 




終わりよければ全てよし

All's Well That Ends Well


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母性たっぷりなロリに愛され過ぎてダメにされそうな第四章
平穏


遅くなりましたああああああああああああ(土下座

いや、違うんですよ、久々にモンハンフロンティア始めたら面白すぎて、時間足りなかったんですよ(何が違うんだ

あと、実はまだ六話までしかプロットが書けてないんですよね、最後一番大事にメインパートをどうやって進めて、どうやって〆るか、それがいまいち思い浮かばなくてだらだら日時ばっか過ぎてしまって、このままじゃ全く進まない、と思ったので、とりあえず書けるところまで書いてしまおう、と言うことで一話ようやく書き終わりました。


 * two day after *

 

 目を覚ましたそこは、暗い場所だった。

 鼻腔をくすぐる鉄と油の臭い。そして響いてい来る重低音な機械の駆動音。

 カラカラの喉が一つ息を吸っては吐き出し、また吸っては吐き出すを繰り返す。

 密室の淀んだ空気に、咳き込みそうになったが、何とか抑える。

 上体を起こすと、薄らぼんやりと見える周囲に光景に首を傾げる。

 

「……………………ここ、どこ?」

 

 見覚えの無い景色。まるで異世界に紛れこんでしまったかのような。

 いや、そもそも、だ。

 

「……………………私、誰?」

 

 呟いた瞬間、頭が沸騰した。

 

 直後。

 

 コンセントの抜けたテレビがぶつん、と音を立てて切れるかのように。

 

 意識が暗転に包まれた。

 

 

 * one day A *

 

 うだるような暑い夏。

「……………………………………」

 工廠はサウナもかくやと言わんばかりの蒸し風呂状態である。

「て、提督、大丈夫ですか?」

 扉を開いた瞬間通り過ぎていく熱風に思わず崩れ落ちそうになる自身を工廠長が支える。

 

「だ、大丈夫だから…………それで、ようやく終わったんだよね」

 焼けるように暑い鉄製の取っ手をけれど倒れないように握り、工廠へと入る。

 建造ドッグは工廠の人間しか入れないので、入り口の当たりまでだが、ようやく完成した初めての艦だ、自分の手で迎えに来たいと思ってしまうのは無理も無いと思う。

 

 これが、本当の意味での、自身の初めての部下。

 

 そう思うと少しだけ緊張もする。

 本当に自分はやっていけるのだろうか。

 それは誰にだってある軽い不安。

 首を振って鬱屈とした感情を振り払う。

 

「物事は何事とて初めこそが肝心と知れ、だね」

 

 それは自身の尊敬する人物の言葉。

 未だ遠く、もう決して追いつくことの出来ないその背中は、きっといつまで経っても自身に焼きついたままなのだろう。

 あの人の後継だなんてまだまだおこがましくて言えないけれど。

 けれどそれが必要とされるのなら、あの人が望んだことならば。

 

「なってやるさ…………それがケジメだ」

 

 呟き、最後の扉を開く。

 

 建造ドッグから出てきた艦娘がロールアウトされる場所。

 

 だから、その扉の先には――――――――

 

「初めましてかしら?」

 

 彼女がいるのだ、そんなこと、()()()()()()()()()()()()()

 

「暁型駆逐艦三番艦(いかずち)よ」

 

 だってこれは。

 

「よろしくね、司令官!」

 

 ()()()()()

 

 

 * today *

 

 うっすらと汗ばんだシャツに着心地の悪さを感じながら、目を覚ます。

 暗い部屋の中、仮眠代わりに寄りかかっていたソファから体を起こすと、あちこちと体が固まっているので軽くストレッチして解きほぐす。

 血流の巡りを感じ、ビリビリとした痺れに顔を歪めながら机の上に置かれた電子ケトルのスイッチを入れる。

 

「相も変わらずホテルみたいだな」

 

 海軍本部、その中にあって将校たちに与えられる部屋の一室。火野江中将に与えられた部屋は、与えられてからほとんど内装を弄ってはいないが、その様はまるでどこぞの高級ホテルを思い起こさせる。

 あるのは部屋の中央にドンと置かれたベッド、壁際に寄せられた人一人分ほどの大きさの机と冷蔵庫、あとはトイレと簡易風呂とまさしくホテルだ。さすがにテレビまでは置かれてはいないが、申請を出すか、持ちこみでもすればそれも揃うだろう。

 

 まあ仕方ないのだろう。将校クラスになると、本部での会議に数日単位で拘束されることも多い。

 下手に長引けば一週間、時には一ヶ月近くにもなることだってある。

 それを考えれば、こうした環境を整えておく必要があるのかもしれない。

 

 汗ばんだシャツを取り替えようと、上着を脱ぎ捨てる。

 持参していた荷物の中から着替えのシャツを取り出し袖を通す。

 

「っくし」

 

 くしゃみを一つ。汗で濡れた体が急速に冷えていくのを感じ、思わず身震いする。

 寒くなってきた、そんなことを内心で呟きつつシャツを着ると、ふと枕元の時計を見る。

 時刻は七時ちょうど。一般人にはまだ早くても軍人ならばすでに起きている時間だ。

 多少寝過ごしたとも言えるが、将校クラスならばこれくらい普通、いや、早いほうだろう。

 

「そもそも昨日も日付が変わるまで決着が付かなかったしね」

 

 現状議会は均衡している。だがそれも今日までだろう、どうせ最終的には結果の決まった議会なのだ、向こうの派閥だってソレが分かっているからこそごねているのだろう、少しでもこちらの有利を打ち消そうと。

 

 議題は簡単だ。

 複製艦の建造許可。

 正確には現在国が所持している艦娘の中で、轟沈、ないし解体されて減った分の艦娘の建造、だ。

 この議題について、海軍はタカ派、ハト派、中立派の三派閥に分かれて互いに議論を交わしている。

 

 中立派の意見は先ほど述べた減った艦娘の補充。

 逆にハト派の意見は、艦娘の無尽蔵な建造、つまり建造の完全解禁。

 だがそんなことは認められない。中立派が反対要素として出した過去にあった不幸な事件など、こじつけの材料でしか無い。

 本当は、ハト派に建造させないための処置である。

 

 と、言うのも全てこのハト派の行いに問題があるからだ。

 

 端的に言えば、ハト派が増徴すれば、この国が滅ぶ。

 それは言いすぎだと思うかもしれない、だがこれに関しては誇張は一切無くそうなのだ。

 ハト派のやり方は言うならば徹底的な防衛戦術。

 彼らは本土さえ守れればそれで良いと思っている。本土の守りさえ固めればそれで良いと思っている。

 

 無限に湧き続ける敵に対して、そんな消極的な姿勢を見せた時点で。

 受けに回った時点で、それは滅びが決定する。

 確かに防衛に徹すれば早々に滅ぶことは無いだろう。

 だが敵の数が無限に等しい以上、いつかは決壊するひび割れたコンクリートダムに等しい。

 

 守り続ければいつか敵がいなくなる。

 

 そんな曖昧な言葉を信じているのが彼らだ。

 主導権を渡せるはずも無い。

 しかもそれが本気で国を思い、何か策があってのことではなく。

 ただ単純に、自分たちの身が可愛さに、自分たちのいる本土を守れ、そう言っているのだ。

 まだタカ派のほうがマシと言うものである。

 

「だからと言って、タカ派を認めるわけにもいかないんだけれど」

 

 もう少し分別があればこちらとしても歓迎できるのだが、あの有様ではもう理性の無い獣も同然だ。

 幸い、と言うべきなのか、タカ派自体は複製艦の建造に反対側の立場だ。

 意外、と言われるかもしれない。過激派だからこそ、戦力の補充に反対する、と言う事実がおかしいのだ。

 

 そもそもハト派が海軍の腐敗と政治との癒着によって作られた派閥であるのに対し、タカ派は真反対、深海棲艦によって大事な人を亡くし、深海棲艦への恨みを共通点として結成された派閥である。

 その成り立ちは主に二つに分けられる。

 

 一つは深海棲艦によって家族ないし友人など親しい人物を亡くした人間。彼らは深海棲艦への抑えきれない憎悪を持って深海棲艦の最後の一匹に至るまで殲滅せしめる、と言う思想で動く。

 一つは深海棲艦との戦いによって仲間を失い、復讐を誓った人間。前者が民間人からの志願が多いのに対して、こちらは元陸軍、海軍の別部署からの出向が多い。簡単に言えば、部下や同僚を深海棲艦に殺された軍人だ。その中には当然の話だが、艦娘を失った提督と言うものもいる。

 

 両者とも一部を除けば複製艦の制限解除に賛成するはずの立場の人間だ、だが。

 人の感情とは移ろいやすい。これは実際にタカ派の人間の一人に聞いた言葉だが、いざ艦娘を率い戦い始めると、艦娘に対しての情が移り、彼女たちを単純な戦力(どうぐ)として使うことに忌避を覚える人間が多いらしい。

 

 つまるところ、今回の議題、賛成の人間と反対の人間の違いは非常に分かりやすいラインにある。

 

 即ち、艦娘と人としてみるのか、道具としてみるのか、だ。

 

 

 * * *

 

 

「なんか久々だな」

 

 穏やかな午後のひと時。

 なんだかこうして、ヴェルとゆったりと時間を持て余すのも久しぶりなような気がする。

 そうだね、と俺の背後で呟くヴェルは俺の渡した釣竿を持って、海面へと糸をたらしている。

 

「最近は忙しかったし…………たまにはいいんじゃないかな?」

 

 そう言って笑みをこぼすヴェルに、こちらも苦笑する、と手元の竿がくい、くい、と引っ張られる。

「っと、ヒットしたな」

 糸を切られないように、慎重に糸をリールを巻いていく。

「ヴェル、網くれ」

 背中合わせになったヴェルにそう声をかけると、 Да (ダー)(了解)と返事が返ってくる。

 ヴェルが網を取ってこちらへと来る、と重心が移動してか、ボートがぐらぐらと揺れる。

 自身が手繰り寄せている糸の先を追って、ヴェルが網を伸ばす。と言っても少し距離がある、必然的にその体勢は前のめりになって…………。

 

「お、おい、ヴェル、ちょっと下が――――――――」

 

 それほど大きくも無いボートに二人で乗っているのだ、いくら小柄なヴェルとは言え、人一人分の体重を片側に傾ければそれだけ揺れもする。

 咄嗟にヴェルを抱えてボートに背から倒れこむ。ギリギリのところで重心が戻ったボートはその船体を大きく揺らしながらけれど、徐々にそれも納まっていく。

 

「…………納まった…………か?」

 

 波に揺られながら、けれどもう転覆の心配はなさそうだと理解でき、ほっと一息を吐く。

 と、自身の胸の中でごそごそと何かが動く…………視線をやると、ヴェルがいる。

 そう言えば先ほど咄嗟に抱きかかえたのだと気づく。

 

「し、司令官…………その、放してもらえないかな? さすがにこれは…………その、恥ずかしい」

 

 いつもの鉄面皮とは違う、頬を僅かに赤らめたヴェルの姿に、目を丸くし…………すぐにはっとなって手を放す。

「っと、悪い」

「いや、こちらこそ悪かったよ…………不注意だった」

 ボートの中に転がった帽子を拾い、潮風にたなびく髪を抑えながらヴェルが帽子を被る。

 ふとしたそんな仕草、別に見るのが初めてと言うわけでもない。

 けれど今はどこか――――――――

 

「司令官?」

 

 ヴェルがこちらを見て首を傾げる。呼ばれ、ハッとなり、すぐになんでもないと誤魔化す。

「あー…………逃げちまったな」

「すまない、次は気をつけるよ」

「仕方ないな、まあ中々良いポイントみたいだし、その内また釣れるだろ」

 

 言えるわけが無い。

 

 髪をかき上げ、抑え、帽子を被りなおす。

 

 そんな仕草に、それも、ヴェル相手に…………。

 

 色っぽかった、なんて。

 

 そんなこと、

 

 言えるはずが無い。

 

 

 * * *

 

 

「電と暁は演習、戻ってくるのは明日だな」

 そう告げる自身の司令官に了解(ダー)と頷く。

 受話器を肩で挟みながらメモ帳に書かれた番号を押していく。

 休憩がてらに司令官が釣りをしようと言い出した時は多少驚かされたが、良い気分転換になったのか今日の仕事は粗方終わっていた。

 後は司令官自身がやることだけであり、秘書艦の仕事はすでに終わったので、退室することにする。

 

「分かっているとは思うが、出撃の予定は無いから今日はもう上がっていいぞ…………まあ緊急事態になったらコールするから、連絡だけはつくように鎮守府近辺にいてくれ、って今更こんなこと言うまでも無いか」

 

 本当に言うまでも無い。何年共に過ごしてきたと思っているのだか。

「分かってるさ」

 苦笑し、部屋を出る、扉をくぐり、それから閉めて…………硬直する。

 

「……………………どうしたんだろう、私は」

 

 呟きながら、ふと自身の胸に手を当てる。

 とくん、とくん、と心臓が鼓動を刻んでいる。その脈はいつもよりも随分と速い。

 別に運動したわけでもない、呼吸が苦しいわけでもない。

 けれど。

 

「胸が、苦しい」

 

 どうしてだろうか。どこか悪いわけでも無いのに、どこも悪くないのに。

 けれど、どうしてか、胸がチクチクと痛い。

 分からない、分からない、分からない。

 

 分からないけれど、けれど…………。

 

 あの時だけは不思議と痛みは無かった、苦しさは無かった。

 あの時、自身が海に落ちそうになって司令官に抱き寄せられた時。

「…………………………………………」

 思い出すだけで気恥ずかしくなってくる。

 それでも、思い出すだけで、どうしてか、胸の痛みは和らいだ。

 

「……………………分からない」

 

 いつからこうなのだろう、ふとそんなことを考える。

 そうして思い当たるのは…………。

 

「あの日、かな」

 

 一度沈んだあの日、覚悟していたはずの死を恐怖したあの日。

 自身の意思を、あり方をはっきりと自覚したあの日。

 あの日からずっと、自身がこうだ。

 

 ずっと考えても分からない、けれどどうしてか、それを暁にも、電にも、司令官にも尋ねる気にはなれなかった。

 

 こんなにも苦しいのに。

 

 こんなにも痛いのに。

 

 けれど、自身はこの苦しみが、痛みが、大切なものなのだと無意識的に思ってしまっていた。

 

 もう一度、胸に手を当てる。

 

 とくん、とくん、と心臓が鼓動を打つ。

 

 ぎゅっと、身を抱きしめる。

 

 そう言えば、司令官にも抱きしめられたな、なんて先ほどのことをまた思い出して。

 

 とくん

 

 不思議と、心臓の鼓動が、速まった気がした。

 

 

 




なんで恋愛描写入れてるんだろ(

いや、当初恋愛要素なんて入れるつもり全く無かったんですが、友人の一人が
「え? ヴェルと司令官くっつかないの? 恋愛無いの?」
ってすごい驚いた顔されたので、一応考えていた五章へのフラグとして恋愛要素入れてみるか、と愚考してみました。
問題は恋愛描写なんてほとんど書いたことがないこと。お互い意識してる、みたいな感じが上手く伝わるといいんですけどね。個人的に恋愛するなら何ステップか踏んで欲しいところ。でもこの二人って一章からすでに3ステップも4ステップも踏んでる感じだよなあ、と思ったり。


それはそれとして、これ年内に終わるだろうか。
一日二話投稿しないともう無理って領域なんだけど…………。
帰省とかもあるのに、本当に大丈夫かなあ(


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決議

やっべ、どうやっても今年中とか無理(

モンハン楽しすぎるし(


 

 * two day after *

 

 意識が戻る、と同時に、僅かな頭の痛みを感じ、思わず頭に手を当てる。

 気休め程度だったが、痛みが和らいだ気がして、ようやく周囲を見る余裕が出来る。

 工廠だ。()()()()()()

 この薄暗さと鉄と油の臭い。響き重低の機械音。間違いないだろう。

 

「……………………どこの工廠かしら」

 

 ふと呟いてみるが、けれど答えは出ない。

 体を起こしてみるが、特に異常は無い。先ほどまであった頭の痛みもすっかり消えている。

 起き上がり、工廠から出ようと記憶を頼りに歩く。薄暗くどこに何があるのかおぼろげにしか見えないが、まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ので大丈夫だろう。

 

 一度気を失っていたせいか、まだどこかフラフラとする体を引き摺りながら工廠の出口へと歩く。

 どうやら記憶に遜色は無かったようで、無事工廠の出口らしき扉が見える。

 取っ手に手をかけ、ゆっくりと引いて――――――――

 

「……………………えっ」

「あっ……………………」

 

 扉の前に少女が立っていたことに驚き、そしてその少女の顔に、二度驚いた。

 

 

 * one day A *

 

「ご苦労様」

 自身がそう告げると、彼女が満足げに頷く。

 手元の書類をとん、とんと整えて全て同じファイルに入れ、次のファイルからまた別の書類を取り出すと、彼女がそっと自身の手元を覗き込む。

 

「司令官、これも?」

「そうだね…………うん、とりあえず誤字がないかだけ確認お願いしていいかな?」

「もっちろん、もっと頼ってくれていいのよ?」

「仕事全部部下に投げ出してたらダメ人間だよ」

 

 苦笑しながら書類の半分、まだ終わってないほうは手元に残し、加筆の終わったほうを彼女に渡す。

 頼られる、と言う行為が嬉しいのか、彼女は良くもっと頼ってと言うが、実際のところ、彼女に頼りきりで申し訳ないと思ってしまう。

 まあ彼女にとってそんな感情は不要なのだろうが、それでもあまりなんでもかんでも任せてしまうのも良くないとは思っている。

 

 特Ⅲ型駆逐艦三番艦雷。それが自身が建造した彼女の名だ。

 陽気で明るい性格であり、司令官である自身を信頼してくれているし、自身もまた彼女の信頼に応えれるように努力を重ねている。

 良好と言っても良い関係。能力的にはともかく、性格的にはかなり当たりと言っても良い部類だろう。

 

 一枚、二枚と書類に目を通し、サインをする。

 そんな単調作業を繰り返していると少しばかり目が疲れてくるのだが。

 

「はい、司令官」

 

 そう言って彼女が水で濡らしたタオルを持ってくる。

 因みに自身は何も言っていない。本当に良く気が利く秘書艦である。

 謝辞を述べながらタオルを受け取り、目に当てる。

 すっと冷えたタオルの冷気が溜まった熱を吸い取っていくようで、パチパチと目を瞬かせると、先ほどまでとは違いスッキリとしていた。

 

「ありがとう、雷ちゃん」

 

 タオルを返しながら、彼女にそう告げる。

 そして彼女もまたにっこりと、太陽のような笑みを浮かべ。

 

「どういたしまして」

 

 そう言って笑う。

 

 そんな夢を見た。

 

 

 * today *

 

「右旋回、ほら、遅い、何やってるの、速く速く速く!」

 叫ばれた声に、すぐ様に体が反応し、動き出す。

 けれど遅い、遅いと島風が叫ぶ。

「左舷、砲撃撃てぇ! 遅い! もっと速く狙いをつける」

 

 付いて行くだけで精一杯。けれどそれが不可能な行動ではないことは、目の前で島風が実演して見せている。

 つまり自分たちが遅いだけであり、自分たちが下手なだけなのだ。

 圧倒的なまでの練度の違い、だから彼女(しまかぜ)に出来て、自分たちにはまだ出来ない無茶。

 けれどその無茶を望んだのは、自分たちであり、島風はその自分たちの無茶な願いを手助けしてくれているだけだ。

 

「砲撃終わりから三時方向進め、だからー、遅いって! そんなんじゃ相手からの反撃もらっちゃうわよ!」

 

 矢継早(やつぎはや)に飛んでくる言葉に翻弄されながら、それでも意地でも食らいついていく。

 足りない、足りない、足りない。力が足りない、強さが足りない。

 敵を倒すことも、仲間を守ることも出来ない。そんな自分が嫌だったから。

 だから、意地でも食らいつく、強くなる、そう決めたから。

 

 もう目の前で妹が沈む姿は見たくないから。

 

 電の前では決して見せなかったが、それでもショックを受けないわけが無いのだ。

 最愛の妹の一人が、目の前で沈んでいくのに、何もできない、逃げることしか出来なかった無力感。

 これで二度目だ…………二度も目の前で仲間が沈んでいく光景を見せられ、それでも逃げることしか出来なかった。

 もう嫌なのだ。もう逃げたくない。もう誰も沈ませたくない。守りたい、守りたい、守りたい。

 

 固く決めたなら、行動は迅速に。

 

 前新垣司令官の言葉である。

 だから暁は現狭火神司令官に頼み込んだ、強くなりたい、と。

 そうして司令官が向かえと言われた場所がここ、火野江中将の鎮守府。

 待っていたのは同じ駆逐艦、島風。

 そして始まったのが島風、暁、電の三隻で鎮守府周辺の深海棲艦を倒して回り続けるという、島風曰くの特訓である。

 

「と言うか、どうしてこの周辺こんなに深海棲艦がいるのよ」

 

 先にあった掃討戦でかなりの数が駆逐されたはずなのに、次から次へと沸いてくる深海棲艦に思わず辟易とする。

 けれどそんな自身に、島風がなんでも無いように言う。

 

「何言ってるのよ、一つの海域を全滅させたって翌週にはもう復活してるようなやつらよ、一月も経てば完全に戻ってるに決まってるじゃない」

 

 理不尽なまでに出鱈目な相手だとは分かっていたが、それでも実際こうして体感するとため息の一つも付きたくなる。

 けれどそうしてため息をつく余裕があること自体、島風が手加減している証拠なのだろう。

 実際先ほどから出てくる敵は駆逐艦が二、三隻で艦隊を組んでいたり、稀に軽巡洋艦、それも出てきても一隻だけだったり、随伴艦に駆逐艦を一隻だけだったり、さらに言うなら上位級(エリート)旗艦級(フラグシップ)も出てきていない。

 

 仮にも練度五十以上はあるのだ、今更その程度の敵に遅れを取るはずも無く、つまり本当の本当に訓練なのだろう。やっていることは実戦でも。

 実際問題、この訓練を始めてから一週間近くになるが、確かに以前より体が動くことを自覚している。

 練度もすでに六十に差しかかろうとしている。たった一週間でそれだけ伸びる。

 恐らく一人で同じように戦ってもダメなのだろう。

 

「後退急いで、敵魚雷発射確認、来るよ、回避! 急いで!」

 

 悔しいけれども、島風の動きを見て、指示を聞いて、そうして動くことで、自分の動きとの違いを実感する。

 そうして少しずつ自身の動きの中から余分を省いていく。

 見て、真似て、実感して、そうして最適化していく。

 自身の前を走る彼女は、文字通り自身よりもずっと先の領域にいるのだと思い知らされる。

 同じ駆逐艦なのに、まるで別の艦種のような性能の違い。

 

 島風と言えば、駆逐艦の最高峰と呼ばれるほどの性能を有している。だがそれでも駆逐艦の範疇だ。

 同じだけのスペックを自身たちが発揮する、と言うのは難しくても、それでも同じようなことはできるはずなのだ。何より今目の前で見せられている動きは、性能でなく、技術だ。ならば同じことはできるはずなのだ。

 けれど今自身の前を行く彼女の動きは、自身たちとはまるで別物であり、それはつまり今の彼女と自身たちの明確な差だった。

 

 同時それは、自身たちの可能性でもある。駆逐艦と言うのは、基本的に弱い艦種だ。装甲も薄く、火力も低い。

 必殺の魚雷を当てるためには、敵の砲火を潜り抜けて、敵へと近づく必要がある。

 もう一度言う、駆逐艦と言うのは基本的には弱い艦種だ。

 

 だが目の前の彼女を見て、弱いなどと言える者がどれほどいるだろう。

 その圧倒的な強さを見て、弱いなどと誰が言えるだろうか。

 

 それでも彼女は駆逐艦だ。

 

 自身たちと同じ駆逐艦。

 

 つまり、自身たちだってこれと同じようなことが出来るはずなのだ。

 

 つまり、自身たちだって、もっともっと強くなれるはずなのだ。

 

「回避遅い、動作が大きいから次の行動に繋がらないじゃない、もっとコンパクトに、速く速く速く!」

 

 だから、歯を食い縛って。

 

 拳を握り締めて。

 

 それでも食らいつくのだ。

 

 もう二度と、姉妹を水底へ沈ませたりしないように。

 

 今度こそ、大切な仲間を守れるように。

 

 強く、強く、強く。

 

 拳を握りしめた。

 

 

 * * *

 

「賛成二、反対七…………よって、今議題は否決ということでよろしいかな?」

 部屋の上座に座る男、元帥海軍大将である神代がそう告げると、その場の全員が頷く。否、全員ではない、先ほどの議題に対して賛成の意を示した二人の男の片方、海軍大将の山吹だけは射殺さんばかりの視線で周りの人間を見ている。

 けれどいくら山吹がそうして周りに視線を寄越しても、何も変わらない。

 すでに決まったことだから。

 

「全く…………時間の無駄だったな、同一間建造の制限解除など可決されるはずも無かろうて」

 

 反対の意を示した七人の一人、元帥海軍大将常葉がそう呟き、自身の長くたくわえた白い顎髭(あごひげ)を軽く摘む。

 そんな挑発的な常葉の言葉に、山吹が強烈な視線を送るが、そよ風ほどにも気にした風も無く、視線を受け流す。

 

 かくして議会が終了し、会議室からは人が退室していく。

 

「……………………………………」

 

 入り口の扉を開き、扉が閉まらないように手で抑えた自身。

 ふと顔を上げると、一瞬だが男がこちらを見ていた気がした。

 一瞬のこと、それだけなら気のせい、とでも思うかもしれない。

 けれどそれが、その人物が、先ほどの議会で最後の議題で賛成の意を示した二人のもう片方ならば、また話は別である。

 

 海軍大将斑鳩。

 

 狭火神元大将の親友だった男。けれど狭火神元大将の死後、中立派を抜けハト派に移った男。

 狭火神元大将の部下をしていた時、実は自身も二度三度会ったことがある。気の良いやり手の青年と言った印象を当時は受けた。

 その彼が何故今、ハト派へと加わっているのか、それは分からないが。

 

「…………見られていた?」

 

 気のせいならそれでも良い、だがそうでないなら…………さて、その意図は一体どこにあるのやら。

 

「ご苦労だったな、火野江中将」

 

 少しばかり思考に意識を裂いていると、声をかけられ意識を戻す。

 振り向くとそこにいたのは五十代の男性。短く刈り上げられた黒髪の中に幾分か白髪の混じる男だ。

 

「そちらこそ、ご苦労様でした…………澪月大将」

 

 澪月(みおづき)(はじめ)海軍大将。現中立派のトップ、と呼んで差し支えの無い人物であり、言うなれば自身の上官に当たる。

 澪月大将もまた、元を辿れば狭火神元大将からの縁であり、自身が名実共に狭火神大将の後継として認められたのは、彼がいたからと言っても過言ではない。

 

「しかし、これでようやく、と言ったところですか」

 建造の許可も出た。これにより国有戦力は一気に増大する。特に、過去に撃沈された戦艦や空母を再び建造できるのは大きい。

 

「正直、なんとも言えない気分ではある。大和ともう一度会えると思うとね」

 澪月大将は、過去、戦艦大和の指揮を取っていたこともある人物であり、大和に信頼され、大将もまた大和を信頼していたと言う。事情により一時提督業から退いていたが間に、大和が撃沈した時は大層嘆いていた。

 

「正直、あの時の大将を知っているからこそ、今こうして中立派のまとめ役をしていることが意外ですね」

 あの時の大将は本当に()れていた。(すさ)んでいた。

 怒りと憎悪に滾っていた。だからこそ、タカ派でなく中立派にいることが意外でならない。

 そんな自身の感想に、澪月大将が苦笑する。

 

「そういうキミこそ、雷が沈んだ時は、一度倒れるまで仕事に没頭していたそうじゃないか、憎くなかったのかい? やつらが。怒りは湧かなかったかい? やつらに」

 

 試すようなそんな口調に、少しだけ考えて、そして首を振る。

 

「それどころじゃありませんでしたから」

 

 響のこともそうだし、電のこともそう。それ以外にもあれもこれもどれもそうだ。

 正直、雷の影響があまりにも大きすぎて、下手をすればあの日で鎮守府の機能が完全停止していてもおかしくはなかった。

 

 ただ。

 

『みんなを守って』

 

 たった一つ、約束したから。

 

 だからあの日からずっと、自身は走り続けている。

 

 立ち止まることなく、振り返ることも無く。

 

 一心に、遮二無二に、走って、走って、走って。

 

 その先に……………………何があるのだろう?

 

 



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建造

夢の中で見る私はいつだって幸せそうで。

けれどそれは本当に私なのか、それが分からない。

私は私、けれど私は私、だったら私は一体誰なのだろう。


 * one day A *

 

「意外ねえ」

 目を丸くし呟く雷の言葉に、心外だと言わんばかりに両手を広げる。

「私が料理ができることがそんなに意外かい?」

 食堂の机の上に並べられた作りたての料理の数々を見せ付けるように、指差しながら尋ねる。

 いただきます、と口々にしてどっさりと料理の盛られた皿へと手を伸ばす。

 

「あら、美味しい」

 なんとも、意外、と言った風な雷に思わずジト目になるが、箸で摘んだ料理を一口、口へと放り込む。

 うむ、美味しい。と自賛しながらさらに一口。

 零細鎮守府である、自身の鎮守府では食堂はセルフサービスだ。上もわざわざこんな小さな鎮守府に間宮を回してくる余裕は無いだろう。

 つまり飯が食べたいなら自分で作れ、と言うことであり。

 

「まあたまには良いじゃないか。いつも雷ちゃんが作ってくれるんだから、こうして私が作ったってさ」

「もう、もっと頼ってくれていいのに」

「だから、もう十分に頼ってるって」

 

 常日ごろからせっせと甲斐甲斐しく人の世話を焼く彼女がいつもは料理しているのだが、今日は出撃の日だったので偶には、と自ら腕を振るってみたわけである。

「で、お味は?」

 そんな自身の問いに、先ほどまでどこか不満げだった表情を一転させ、花が咲き誇ったような明るい笑みで雷は答える。

 

「美味しいわよ、司令官」

 

 そんな、ある日の夢である。

 

 

 * today *

 

 この鎮守府が開かれておよそ三年以上経つが、今日この日ほど工廠が賑わったことも無いだろう。

 工廠と言うのは、艦娘の建造、装備の開発などに使用する場所であり、どんな鎮守府であろうと必ずあるだろう施設である。うちの鎮守府も例に漏れず、手狭ながらも二本の建造ラインと専用の開発ドッグがあり、燃料や弾薬、鋼材、ボーキサイトと言った資源も、あまり出撃しない上に駆逐艦しかいないうちの鎮守府では支給されても使いきれず、結果的には潤沢に余っている。

 

 いつでも建造ができる状況。

 だが鎮守府の開港から三年、一度も建造が行われたことは無かった。

 理由は簡単だ、建造施設がありながら、建造を禁止されているからだ。

 その理由は過去の色々にあるのだが、とにかく、軍の規律で建造自体を禁止されているので、大型建造の出来ない型落ち気味な施設ながらも、それでもまだまだ現役で使えながら、ずっとお蔵入りしていたのだ。

 

 だが、先日の海軍本部で行われた会議において、条件付の建造の許可が行われたらしい。

 そのことを知ったのは、昨日晩にかかってきた、中将殿からの電話だった。

 

 

 * * *

 

 

『至急建造に取り掛かれ』

 突然かかってきた電話、そして受話器を耳に当てて、もしもし、の二つ目のも、を告げるより先に言葉が告げられた。

 名乗りも無しのいきなりの口上だったが、声から察するに電話の主は中将殿だろうことはすぐに分かった。

 

「とりあえず、説明いただけますか。中将殿」

 

 少しばかり首を傾げながら、丁寧な口調で問いかけると、少し落ち着いた様子の声で中将殿が続ける。

『ん、ああ、すまない、少々先走ったようだな。ただなるべく急いだほうがいいのも事実だ、手短に説明すると、先ほど本部で行われた会議で、先の議題…………建造についての許可が条件付きで出た。条件は、中立派の要望でもあった、同一艦の複製の禁止。もし現存している艦の同一艦が建造された場合、これを解体すること。と言うことになった』

 

 なるほど、と思う。妥当なところだろう。建造と言うのはある程度の艦種を絞って作り出すことはできても、特定の一種類を狙って作ることはほぼ不可能なので、こういったやり方になるのは確かに納得である。

 そして同時に、どうして中将殿が急かすのか、その理由も理解する。

 

 つまり、単純な椅子取りゲームである。

 同一艦の存在しない艦娘、つまり今回の建造で建造される対象となっている艦娘、と言うのはこれからどんどん増えていく建造ラッシュによって、次々と埋まっていくだろう。

 

『もう分かったとは思うが、周りから遅れを取るほど建造しても良い艦と言うのは減っていく。そしてこれが一番重要だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……………………………………はい?」

 

 受話器から聞こえてきたとんでもない一言に、目が点になる。

 

『いや、こちらとしても予想外なことではあるのだが、ハト派の連中からの提案でな』

 

 驚天動地、と言うわけではないが、それでも馬鹿だろ、と言いたくなる。

 個々鎮守府内での建造数の制限が内、それはつまり、場合によっては一つの鎮守府に複数の建造艦が偏ることになる。

 たしかに、個々の鎮守府ごとに建造数を制限すれば割合的に言って、最も数の多い中立派の鎮守府が最も多くの艦を得ることになるだろう。

 ああ、そう言う意味では一発逆転を狙うことの出来る手である、上手くやれば少数派鎮守府が一気に大きな力を持つことができるのだから。

 

 だが、それでも、だ。はっきり言って無謀としか言い様が無い。

 全ての鎮守府が一斉に建造を開始すれば、段々と建造しても良い艦は減っていく。

 つまり狙いが絞られてくるのだが、建造自体にそれを絞る方法は資源配合(レシピ)くらいしかない。

 残りはどうやっても運の要素が絡んでくる。

 そして運の要素、確率が絡む以上、数が最も多い中立派が最も優位であることは自明の理だ。

 

『と言っても、可能性は低くともハト派、タカ派が大きな力を持つことにもなりかねないし、何よりここで中立派がより多くの建造を成功させれば、一層ハト派、タカ派との勢力差も開けることができる、よって我々として一隻でも多くの艦を建造することを推奨している』

 

 と言うのが中将殿の言。なるほど、たしかにそれは重要なのかもしれない。

 少なくとも、中立派と言うのは最もマシな部類のものであることは否めない事実である。

 

「了解しました、と言っても、こちらも零細鎮守府ですので、あまり数は作れませんよ?」

 

 冗談めかしてそう告げると、中将殿が電話の向こうで苦笑して返す。

 

『まあそう言わず、期待しているよ』

 

 

 * * *

 

 

 建造と言うのは意外と時間がかかる。

 まず準備以前の問題で、建造計画を練らなければならない。

 それを書面にまとめ、それに従って建造を進め、最終的にその書面を報告書と共に上司に…………この場合、中将殿に提出し、何の艦娘が出来上がったか、と言うのを知らせる必要がある。

 その計画を練るのに三十分。長いように思えるかもしれないが、軽々しく出来ない上に今後の自身の戦力となる艦の製造なのだから

 そこからさらに狙う艦種を建造するための資源配分を過去のデータから探す。

 

 この資源配分…………レシピと呼ばれるものが非常に厄介なもので、建造は通常、燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイトと開発資源を使って行われる。

 その時、投入する燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイトの割合、配分によって建造される艦種と言うのが変わる。

 さらには、数量1単位での調整によって、さらにそこから出やすい艦と出にくい艦と言うのが決定されていったりするのだ。

 

 最終的には全部運次第なのだが、それでも建造時間と言うのは意外と長い上に資源も大量に使うことになるので、早々頻繁には出来ないのだ。

 特にうちの鎮守府のように、海軍からの配給のみに頼って、遠征も禄にしない鎮守府にとって建造と言うのは一大事なのだ。

 

 そう言った諸々のことを処理していると、結局のところ、実際に建造が開始されたのが午前五時。

 

 初めて稼動する建造ラインの駆動音は、少しばかり新鮮な印象を受けた。

 普段、あまり仕事の無い工廠だったが、今日ばかりはみな慌てふためいている。

 

「作業時間240分…………建造完了予定時間四時間後か」

 

 提示された作業終了時間を見て、一眠りするか考える。

 何せ昨晩から徹夜なのだ、とりあえずの報告は終わったので、建造終了まで仮眠でも取ることにする。

 作業終了は大よそ九時…………まあその頃には全員起きてきているだろうから、一度全員を集めて伝えるべきだろう。

 なんて軽く寝かけた頭で考えながら自室へと廊下を歩いていると。

 

「司令官?」

 

 前方にヴェルがいた。

 ヴェルと自身の部屋は真反対にあるので、どうしてこんなところにいるのかは知らないが、すでに服はいつもの物に着替えが済んでおり、髪も梳かして身だしなみは整えてあった。

 

「早いな、こんな時間に」

「ちょっと早く目が覚めたから…………散歩でもと思って。司令官こそどうしたんだい、こんな朝早くに」

 

 時刻五時。まあ確かに早いだろう。

 窓から差し込む朝日が目に眩しい。徹夜明けだからか思わず欠伸を一つ。

 そんな自身の姿を見て、ヴェルを首を傾げる。

 

「司令官、もしかして徹夜かい? 昨日は早くに仕事は終わったと思うのだけれど」

「夜に中将殿から電話がかかってきてな、急な仕事だ」

 

 後から言おうかと思っていたが、先にヴェルにだけは話を通しておいたほうが良いかもしれない。

 ヴェルはこの艦隊の旗艦、建造される艦はヴェルが率いることになるのだから。

 

「今のうちに言っておくか…………昨晩、建造の許可が全国の鎮守府に出された」

 

 そう告げる自身の言葉に、無表情だったヴェルの表情が僅かに驚いた様子に変わった。

 この鎮守府が開港して、一番最初にやってきた艦娘がヴェルだ。自身がここで提督をやっている期間とヴェルがここで過ごしてきた期間はほぼイコールで結ばれている。

 それだけにこれまで一度も行ったことの無い建造に驚いたのだろうし、興味が惹かれたのだろう。

 

「うちの鎮守府でも先ほど建造を開始してきた、マルキュウマルマルぐらいには終了予定だ。第一艦隊に組み込むことになると思うからマルキュウサンマル時になったら全員集めて執務室に集合してくれ」

Да(ダー)

 

 軽い命令、それに敬礼を返してくるヴェルを微笑ましく思いながら、自室へと向かって再び歩き出す。

 と、一歩、足を踏み出した瞬間、体が崩れる。

 

「あ、お…………え…………?」

「司令官っ!?」

 

 ふらり、と世界が回り、平衡感覚が無くなる。

 とすん、と尻持ちをつく。驚いて目を丸くしながら起き上がろうとするが上手くいかない。

 すぐ様駆け寄ってきたヴェル。自身の脇に手を差し込み、崩れかけた自身の状態を起こすと、そのまま壁に寄りかける。

 すっと伸ばした小さな手を自身の額に当てると、顔を歪めた。

 

「熱がある…………風邪かな、司令官。とにかく医務室…………より司令官の部屋のほうが近いね、そっち良いかい?」

「…………っつ、悪いな」

「問題無い、このまま連れて行くけど、歩けるかい?」

 

 頷く自身に肩を貸しながら、壁伝いにゆっくりと歩く。

 幸いと言うべきか、俺の部屋までそう距離は無い。すぐに部屋へとたどり着き、そのままベッドに横になる。

 先ほどまで気づかなかったが、自身が不調であると気づいた途端、体中が重くなってくる。

 思わずため息の一つも吐きたくなるが、口から漏れる吐息は熱く、荒い。

 

「大丈夫かい? 司令官」

 

 ベッドの脇に椅子を持ってきて座るヴェルがそのアイスブルーの瞳で自身の目を覗き込みながらそう呟く。

 あんま大丈夫じゃないけどな、と軽口を叩きながら、こっちに来いと手で合図してやるとヴェルが近づいてくる。

 

「移ると不味いからな、先に必要事項だけ伝えるぞ…………一つ、マルキュウマルマル時に工廠に行って建造結果を見てきてくれ。二つ、それを電話で中将殿に伝えて欲しい。三つ、万が一建造結果が不可だと中将殿に言われたなら建造のやり直しを工廠へ伝えてくれ、四つ、もし許可が出たら先ほども言ったが建造された艦娘を他の二人に顔を通しておいてくれ」

「一つ、マルキュウマルマル時に工廠で建造結果を見てくる。二つ、それを火野江中将に伝える。三つ、それが不可だった場合、建造のやり直しを工廠へ伝える。四つ、もし許可が出たら他の二人に新造艦の紹介する」

 

 一つ一つ心に書き留めるように、ゆっくりとヴェルが頷き、最後に復唱する。

 内容に間違いが無いこと確認するヴェルに、一つ頷く。

 

「悪いが少し寝させてもらう、後は頼んだぞ、ヴェル」

Спокойной(スパコーイナイ) ночи(ノーチ)(おやすみ)…………司令官」

 

 呟くヴェルの声を、どこか遠くに感じながら。

 睡魔に襲われた頭は、抵抗空しく、飲まれていく。

 ゆっくりと目が閉じられていき…………記憶はそこで断絶した。

 

 




前書きにあまり色々書かないでって言われたので、あとがきに色々と書くことにする。
前書きには意味ありげなことを適当に書いておく(おい

とりあえず、遅くなって済みませんでした。いや、自分としては新年始まる前に終わらせるつもりだったんですが、帰省して実家で書けなかったので一番の誤算だった。
とりあえずまたぼちぼち更新していきます。あと七話で完結なので、最後まで見てやってください。


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姉妹

彼女の咲き誇る花のような明るい笑みを今でも思い出す。

彼女の包み込む海のような優しい笑みを今でも思い出す。

彼女の微睡む日溜りのような暖かい笑みを今でも思い出す。

今でもはっきりと覚えている。

だとすれば、

冷厳なる北海の氷のような冷たさを秘めた今の彼女の笑みは、

一体誰の笑みなのだろう?


 * one day B *

 

「司令官、私の姉妹が建造できたって本当!?」

 扉を開くと同時に机で頬杖を突きながら何か考え事をしている自身の司令官へと一気に詰め寄る。

 突然やってきた自身に驚き、司令官が目をぱちくり、とさせる。

 

「い、雷ちゃん? え、あ、うん…………さっき建造が終わって、雷ちゃんの姉妹の一人が――――」

 

 驚きながらも自身の質問にしどろもどろに答える司令官から、聞きたい部分だけを聞き取った段階で、即座に部屋を飛び出す。

 

「――――建造されたところだって連絡が…………ってもういない。余程嬉しかったのかな?」

 

 自身の飛び出した後の部屋で、司令官がそう呟いた声は、けれど自身には届かなかった。

 走って、走って、走って。息を切らせながら工廠へと走る。

 艦娘と言えど、艤装も無しに全力疾走すれば、息も切れるし汗も流れる。

 けれどそんなことも気にせず工廠の扉を開こうと、手をかけて…………。

 

 瞬間、向こう側から扉が開く。

 

「えっ?」

「んっ?」

 

 掴んだ取っ手の軽さに驚き、そして視線を上げると、目の前に白い髪の少女がいた。

 自身と同じ服装、そして纏う雰囲気にすぐに自身の姉妹だと気づく。

 そしてその白い髪、そしてアイスブルーの瞳。だが初めて会ったのだ、外見だけでは誰だか分からない。

 だからまずは自分のことを告げる。

 

「私は雷、あなたは?」

「私かい? 響だよ、また会えて嬉しいよ、雷」

 

 そう言って響が微笑む。

 それにつられるように自身も笑い。

 

 そんなある日の夢。

 

 

 * today *

 

 朝食を食べ終えると、さて何をしようかと考える。

 現在時刻は七時半。工廠での建造完了時刻までまだ一時間半はある。

 朝食前にもう一度司令官の様子を見てきたが、ぐっすりと眠っていたので当面は大丈夫だろう。

 まあお昼になったら、何か軽く胃入るものと薬でも持っていくべきだろうが、それは今すぐ考えるべきことではない。

 かと言って、司令官があの有様では、まともに仕事なんてありそうも無いし、本当にやることが無い。

 

「何だか懐かしいな」

 

 ふと呟き、そんな自身の言葉に苦笑する。

 まだ電も、暁もいなかった、本当にこの鎮守府に艦娘が自身一人だった頃は、よくこうして暇していたものだ。

 はて、あの頃の自分は一体、何をしていたのだろう、どうやって暇を潰していたのだろう。

 そんなことをふと考えて…………思い出す。

 

 いつも執務室で…………否。

 

 ()()()()()()何かしていたのだ。

 

 本を読んだり、お茶を飲んだり、のべんだらりと無駄話をしたり。

 そんな些細なことが楽しかったのだ。

 そんな些細なことが、今となっては懐かしい。

 

「……………………後一時間半、か」

 

 久々に本を読むのもいいかもしれない。

 最近ずっとごたごたが続いていたせいで、いくつか読み終えてない本もあることだ。

 そんなことを考えながら、食堂を出て、途中執務室へと寄り、壁際の本棚から適当に本を一冊取り出すと、司令官の部屋へと向かう。

 

 司令官の様子を見ておいたほうがいいかな?

 

 そんな理由(いいわけ)を内心で呟きながら、けれどその足取りはどこか軽かった。

 

 

 * * *

 

 

 目を覚ますと言う行為を懐かしいと感じる感覚に、ここ最近毎朝のように戸惑っている。

 まあだからと言って、それでどうにかなるわけでもない、別に寝不足になるわけでも、感情が乱れるわけでもない。ただ慣れない感覚に、少しばかり戸惑うだけだ。

 

 目を開いた時、いつも過去を思い出す。そのたびに自分は今まで夢を見てきたのではないだろうか、と思い、けれどこれまでが現実なのだと思い知る。それが自分の寝ぼけ方なのだと、ここ最近になって気づく。

 まあ実に数年、夢遊病のような、起きているような、寝ているような、そんな生活を続けてきたせいか、寝起きの頭は実に夢と現実の境目を曖昧にしてしまう。

 

 それでも窓から差し込む朝日の眩しさに、思わず目を閉じると、ゆっくりと開く。

 

「…………明るい…………朝なのですか」

 

 どうやら今日も自分は現実へ戻ってこれたらしい。

 同じベッドで安らかな表情で眠る(あかつき)の姿に微笑ましいものを感じ、同時に心が満たされていくような暖かさを感じる。

 長らく忘れていた思い。そう、この感情を自身の知る言葉に当てはめるのならきっと家族愛と呼ぶのだろう。

 優しくて、暖かくて、心地よい…………そんなどこか幸せすら感じられる感情。

 

 ベッドから抜け出すと、部屋の冷たい空気に身を震わせる。

 秋も終わりかかり、もうすぐのところまで冬が近づいてきている。

 窓から差し込む朝日の中に暖かさを感じつつ、窓のカーテンを閉め、寝間着(パジャマ)を一枚一枚脱いでいく。

 下着のみを残した半裸状態になると、部屋の寒さが一層身に染みるが、すぐさまいつもの制服に着替える。

 

「うう…………寒いのですよ」

 

 思わず呟くが、かと言って寒さが変わるわけでも無い。

 艤装でも装着すれば気にもならなくなるのだが、そんなことのために艤装を使う許可が出るはずも無い。

 かと言って、寒くて艤装で誤魔化したいから戦闘させろ、と言うのはあまりにも不謹慎だ。

 

「今度司令官さんにヒーターの購入を希望するべきでしょうか」

 

 エアコンは一応あるのだが、暁があまり好きでは無いため使っていない。

 その暁は基本的に体温が高いらしく、多少の寒さではあまり気にならないらしい。

 赤ちゃん? とふと過ぎった疑問を暁が鋭く察して、子供じゃないわよ、と誰も何も言っていないのに反論していた姿は記憶に新しい。

 とは言うものの、暁は平気でも電はそうでも無い。どちらかと言うと、手足が冷えやすい体質で、鎮守府内にいても靴下や手袋を付けたがる。

 

 そんな二人が妥協案として互いが譲り合った結果が、自身と暁が同じベッドで寝ることである。

 

 実際暁と同じベッドで寝ると、なんとも暖かい。入って五分もしないうちにお布団が暖かくなるのはなんとも都合の良い体をしている、と思う。何故か表現がいやらしくなったが、別に電にそう言う意図は無いことは今明言しておく。

 

 着替えを終え、着終わったばかりの寝間着を畳む。

 それを部屋の端に置いてある籠に入れる、この籠に入れておくと、職員の人が洗濯して戻してくれる。

 艦娘は兵器である、だからこそ、その整備は人間によって行われる。

 そう言う意味では楽な生活と言えるのかもしれない、家事全般は他人にやってもらって、請け負うべき戦闘もこの鎮守府ではあまり起こらない…………まあ、こちらに来たばかりの時のような例外もあるのだが。

 

 

 と、その時。

 コンコン、と部屋がノックされる。

 

「はい? 誰ですか?」

 

 ノックの主にそう問いかけると、私だよ、と返事が返ってくる。

 自身の姉、響の声だと分かると、すぐに鍵を開け、扉を開く。

 

「どうしたのですか、響」

 

 昨日演習から帰ってきたばかりで、自分も暁も今日一日は休みのはずだったが、こんな朝早くから部屋に来ると言うことは何かあったのだろうか?

 そんな風に身構えていると、響が苦笑して答える、

 

「そう身構えなくてもいいさ。悪いことじゃない…………いや、むしろ良いことだよ」

 

 響がそう言うと、ようやく息を吐く。

 こんな朝早くから来るから何事かと思ってしまったが、まあ悪いことでないのなら良い。

 けれど響が言う、良いこと、とは一体なんだろうか、それは少し気になる。

 それを尋ねる自身の言葉に、響が笑いながら言葉を濁す。

 

「まあ後になれば分かるさ…………それよりマルキュウマルマル時に執務室に集合して欲しい」

「マルキュウマルマル時…………あと一時間くらいですか?」

 現在時刻がマルハチマルマル時。今から朝食を摂って、一息ついていればすぐだ。

 

「了解なのです」

 頷く自身に満足したのか、それじゃあ、と会釈して響が廊下を歩いていく。

 足取りの軽いその後姿を見送りながら、平和だなあ、と内心呟いた。

 

 

 電がこの鎮守府にやってきて一月以上が経つが、本当に出撃が少ない。

 年単位で夢遊病を発症していたので、その間のことはあまり覚えていないのだが、それでも過去、電がまだバリバリ出撃していた頃は、三日に一度は出撃し、敵の掃討、艦娘の練度上昇を繰り返していたものだ。

 それがこの鎮守府では、二週間に一度出撃があれば良い方、数年ほどこの鎮守府に勤めていた姉の響の言によれば、酷い時は数ヶ月単位で出撃が無いこともあるらしい。

 

 ただそれはこの鎮守府が建てられた理由にもあるらしく、元々この鎮守府は、東と南に進出する二つの鎮守府の中間に建てられたものであり、その役割は東と南の鎮守府が押し広げた前線を鎮守府を建て、維持することにあるらしい。

 そのためこの鎮守府では積極的な攻勢よりも、むしろ拠点防衛のほうが重要らしく、担当海域に敵が現れればそれを討ち、海域の外へ敵を倒しに行くことは無いらしい。

 

 なるほど、と思う。そう考えれば、この鎮守府の戦力の少なさにも納得がいく。

 元々侵出を考えていないのならば、防衛のための戦力だけでいい。

 仮に維持しきれなくても、その時は東と南の鎮守府から援軍がやってくるわけだ。

 

「とは言っても…………さすがに駆逐艦一隻と言うのはありえないのですよ」

 

 そしてそれをさせていたのが自身の元司令官だと知った時はさすがに呆れた。

 恐らくあの司令官が何も考えずにそんなことするはずないので、何か考えがあったのだろうが、その考えが誰にも読み取れないのだから、傍かた見ればただの嫌がらせだ。

 

「………………………………本当は」

 

 本当は、いたのだ。たった一人だけ、彼女の考えをそれとなく汲み、フォローに走ってくれる、あの司令官の最高のパートナーが。

 

「……………………雷」

 

 結局、失ったものの大きさだけが、身に染みるのだ。

 

 

 * * *

 

 

 工廠と言う場所は、ヴェールヌイにとってあまり馴染みの無い場所だ。

 何せ建造が禁止されてしまったからには工廠で出来ることの半分が失われているし、開発だって駆逐艦一隻のこの鎮守府で一体なにを開発するのだ、と言う話である。

 一応、ヴェールヌイ自身も、駆逐艦響として工廠で生まれたのだが、けれどそんな記憶、遥か彼方に押し込められており、印象は薄い。

 

 だから、工廠の扉を前にすると、不思議とその威圧感に飲まれる。

「……………………大きいね」

 鎮守府から半独立した専用の施設として作られているせいか、その大きさは、鎮守府内にあって最も大きい。

 かと言って、ここでしり込みしていても何も始まらない。

 すでに時刻は午前九時を過ぎようとしている。建造はすでに終わっているはずなので、建造結果は分かっているはずだ。

 

「さて、行こうか」

 

 決心し、工廠の扉へと手をかけて…………。

 

 握った取っ手は、嫌に軽かった。

 

「ん?」

「え?」

 

 扉が向こう側から開かれたのだと気づくと同時に、聞こえた声に顔を上げる。

 

 そこにいたのは――――――――

 

「……………………いか……ずち……?」

 

 かつて沈んだはずの自身の妹と同じ姿、同じ顔の少女がそこに佇んでおり。

 

「……………………………………響」

 

 同じ声、同じ調子で、自身の名を呼んだ。

 

 

 * * *

 

 

 執務室に全員集合。

 そう響から号令がかかり、執務室へと向かう。

「それにしても、何でわざわざ紙に書いたのかしら、直接言えばいいのに」

 部屋の扉に挟まっていたメモ用紙を手の中で弄びながら呟く。

 すでに電は先で向かっており、自身としても急がなければならない。

 

「だいたい電も、行くなら行くって言ってくれれば良いのに」

 

 何度となく起こそうとして、けれど寝ぼけたまま朝食に向かってしまい、結局時間がないのでメモだけ挟んで電が部屋を出てきたことを暁は知らない。

 それどころか、寝ぼけたままの暁の髪を梳いて、服を着替えさせ、身だしなみを整えたのが電だと言うことに未だに気づいていない。

 本日の暁の記憶は口に含んだジャムをたっぷりと塗ったパンの甘さから始まっている。

 

「姉として、遅刻だけは許されないわ」

 

 姉の尊厳に賭けて、とすでに存在しない物を守ろうと無駄な決心をしながら、少しだけ歩く足を急がす。

 と、その時。

 

「……………………あれ? 電?」

 

 もう目の前には執務室。いつもは閉められた扉が、けれど今は開きっぱなしになっていて。

 そして扉を開いた状態のまま、硬直している電。

 

「どうしたの、電。そんなところで立ち止ま…………って…………」

 

 電越しに部屋の中を見て、そして自身も立ち止まる。

 部屋の中には先客が二人。

 一人は響。いつもにも増した無表情で、じっと電ともう一人を見ている。

 そしてもう一人は…………司令官、ではない。

 いつもいるはずの司令官はおらず、代わりにいたのは一人の少女。

 

 自身たちと同じ服装の少女。それだけで少女の正体を察することが出来る。

 同じ服装、つまり自身たちと同じ、暁型駆逐艦の艦娘。

 そして自身たち四姉妹の中で、長女たる(わたし)はここにいて、部屋の中には次女の響、そして四女の電が目の前にいる以上、残るはたった一人だけだ。

 

「……………………雷、なの?」

 

 電よりも僅かに濃い髪の色をした、電に、響に、そして自身に良く似た少女。

 

「…………………………暁ね、初めまして、それとも久しぶり? 雷よ」

 

 冷たい冷たい目をした、ぴくりとも動かない無表情の少女。

 

 そして、そんな少女を見て。

 

「……………………誰ですか」

 

 電が呟く。

 

「あなた…………誰なのですか」

 

 そんな電の呟きに、

 

 雷が、

 

 “嗤った”

 




急転直下。

ようやく物語が回り始めた感。

新キャラ雷ちゃん(ダウナー系)

むしろツンドラ系?


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料理

一体私は誰なのだろう。

その問いに答える者は居ない。

だから私は求めている。

私が一体何者なのか、それを決定してくれる誰かを。


 * one day B *

 

 これを何と表現すべきだろうか。

 目の前に並べられたスープ皿に並々と盛られた料理に、思わず生唾を飲み込み…………無論、悪い意味で。

 赤い、それを表現するとしたら最早それ以外の言葉では語ることなどできないだろう。

 

「えっと、これ…………何? トマトの溶岩煮、とか?」

 

 シチューの中に、赤い絵の具をチューブ一本丸ごと溶かしたような、そんな赤さにスプーンを持った手が思わず震える。

 そんな私とは対象的に、これを作った本人はさも不思議そうな表情でこちらを見て首を傾げている。

 

「何って…………ボルシチさ、私のは美味い」

 

 何とも自身満々に呟き、スプーンを手に取ると、いただきます、と告げて赤いスープを一掬いし…………口に運ぶ。

 その様子をマジマジと見ながら、けれど何事も無いようにスープに口をつける少女…………響を見ていると、どうやら食べれる…………らしい?

 

「美味しいの?」

 

 思わずそんな質問をしてしまう、すると響がまた首を傾げて、それから頷く。

 

「だったら、もっと美味しそうな表情しなさいよ」

 

 そんな無表情に咀嚼されては、区別が付かないではないか。と内心で呟きつつ、自身もまた勇んでスプーンでスープを一掬い。

 目の前まで持ってきたスプーンに溜まる赤い液体に少しだけ鼻白むが、意を決して口へと運ぶ。

 

「……………………あら、美味しい」

 

 目をぱちくり、とさせて呟くと、響がでしょ? と言った感じのことを目で訴えかけてくる。

 見た目のインパクトが凄すぎて気後れしてしまうが、味は意外とまとも…………いや、むしろ美味しいと言っても良い。

 

「案外甘いのね」

「甜菜を使ってるから甘いんだよ」

 甘い、甘くはあるが、決して不快な甘さではない。トマトの風味と合っていて、むしろ良い。

「でもちょっと甘すぎるわね、もうちょっと塩気を足してみたら?」

 そんな自身の提案に、響が考慮してみる、とだけ答える

 スプーンでさらに一口、少しだけ不満を漏らしたが、けれど実際のところこれはこれで十分美味しい。

 

「これ、あとどれくらいあるの?」

 

 そう尋ねると、響が自身の傍らに置いた鍋の蓋を開けてみせる。

 中にはまだまだたくさんのスープが入っているようだ。

 あと五人分くらいじゃないかな、そう呟く響の言葉に、頭の中で数を数える。

 司令官の分を入れてちょうどだ。何とも用意が良いと言うか、計算が速いと言うか、

 

「じゃあ私、これ後で司令官に持っていくわね」

 

 トントン、と指先でスープ皿を軽く叩くと、響が頷く。

 スプーンでもう一口、掬って口へと運ぶ。

 

「…………うん、美味しいわね」

 

 悪くない、素直にそう思った。

 

 そんな、ある日の夢。

 

 

 * today *

 

 

「みんなでお料理しましょ?」

 

 突然の暁の提案に、その場にいた全員が一瞬呆け、雷の手からぽろり、と棒付きキャンディーが落ちた。

 

 時刻は午前十一時ぐらい。あの気まずい執務室から場所を移して食堂。

 

「あなた…………誰ですか」

 

 そんな電の言葉、そして明らかに様子のおかしい雷。

 そんな緊迫した空気をいとも容易く裂いたのは、やはり暁だった。

 パンパン、と手を叩く。それだけ両者の気勢が一瞬殺がれる。

 その瞬間を逃さず暁が続ける。

 

「こんなとこで顔付き合わせてても仕方ないわよ、ほら、食堂でも行きましょう? 今ならまだ朝ごはん何かあるかもしれないし、雷はお腹減ってない?」

 

 そんな暁の言葉で、私たち四人は食堂へと移動する。移動中に電がチラチラと雷のほうを見ていたが、雷はそんな電に一度も視線を向けず、ただどこを見ているのか分からないような視線で廊下を歩いていた。

 食堂に着くと、すでに片付けが始まっていたら、暁が職員の一人に駆け寄って少しばかり会話すると、職員が苦笑して一人分の朝食と、それからいくつかのお菓子の詰め合わせを盛り付けた皿を持ってきてくれる。

 

「わあ…………これ食べていいの?」

 

 そう尋ねる暁が一番嬉しそうであったのは、何とも微笑ましい。

 そんな暁の様子に幾分落ち着きを取り戻したのか、電も微笑して…………雷の表情は変わらなかった。

 それでも空腹には耐えられないのか、雷が小声でいただきます、と呟き箸を手に取ってトレイに載せられた皿に盛られた料理に手を付けていく。

 

「………………………………美味しい」

 

 ぽつり、と雷がそう零す。

 それは誰かに聞かせるためのものではなく、ただ不意に出た言葉。

 けれど、その言葉にはこれまでの冷たさは無く、ただただ安堵の感情が多分に含まれていた。

 それがどういう意味を持つのか、今の自身には分からない。

 ただ、それがとても重要なことなのだと、なんとなく理解する。

 今はまだ分からなくても、いつか分かるかもしれない、そんな予感を携えながら。

 

 そうこうしているうちに、雷が食事を終える。

 一通り綺麗に食べ終えると、ごちそうさま、と呟きトレイを食堂の奥へと持っていく。

 そうして雷が戻ってくると、暁が立ち上がる。

 

「それじゃ、雷に鎮守府内の案内をしましょ…………雷も施設の場所くらいは覚えるべきだし」

「あ…………うん…………まあ、よろしく」

 

 会った時から変わらない冷めた目で、お皿に山盛りにされたお菓子をそっとポケットに移す暁を見る。もしやあれで気づかれないと思っているのだろうか、別に私としては堂々とやってしまっても構わないと思うのだが。

 気のせいだろうか、心なしか雷の視線の温度が下がっているような…………まあ気のせいだろう。

 

 そうして一箇所ずつ、雷へと鎮守府内を案内して回る。そう規模の大きい鎮守府ではないとは言え、行く先々で職員の人たちと話していては遅くなるのも当然で、結局全て回り終えて食堂に戻ってきたのが十一時近く。すっかり長くなってしまったと思う。そしてその原因の大部分は暁にあると思う。

 

「あはは…………いっぱいねえ」

「暁、どれだけ可愛がられてるんだい…………」

 

 行く先々で職員の皆様が暁にお菓子を渡して来るのだ。何だかんだで司令官と同様、彼ら彼女らとも長い付き合いではあるが、何とも意外な一面を見せられた気分であり、そんな一面をあっさりと引き出せるのは、やはり暁の魅力なのだと思う。

 鼻歌すら歌いながら戦利品の菓子類を机の上に置かれた、お菓子の盛られた皿に上に追加していき、早速とばかりにその中から一つ取って、袋を剥く。

 

「まだ食べるのかい?」

 

 案内中にもポケットに忍ばせていた菓子を食べていたと思うんだが、あれでも足りないらしい。

 けれど昼食前に少しだけ何か食べたい気分でもあるので、一つ欲しいと言うと、ケーキ生地でマシュマロを挟みチョココーティングした某お菓子会社の有名なお菓子をもらったので、早速袋を剥いて一口。

 電もいつの間にか海苔の巻かれた煎餅を齧っているし、雷すらも頬杖を付きながら棒付きキャンディーを片手で弄びながら食べていた。

 

 なんとなく穏やかな雰囲気。つい二時間前までと比べると天と地ほどの差だ。それもこれも暁のお陰と言えるだろう。

 いつもはなんと言うか、妹の間違いなんじゃないかと思う姉だが、こういう時は頼りになるものである。

 

「幸せ~♪」

 

 ……………………頼りになるのだ。

 

 それはさておき、雷である。

 はっきり言って、今自分が冷静でいると言う自信が無い。

 何せ目の前に雷がいるのである。

 例え“彼女”とは違うのだとしても、それでも平常心でいられるはずが無い。

 そんな自身の視線を感じたのか、雷が顔を上げて…………じっとこちらを見る。

 

「……………………何?」

「いや………………何でもないさ」

 

 何か言おうと思っても、けれど何を言えばいいのか、それが分からず結局言葉を濁す。

 はっきり言って、目の前の雷に大して、自身がどんな感情を抱いているのか自分でも良く分からない。

 好いているのか、それとも嫌っているのか、関心が無いのか、それとも興味津々なのか。

 どんな言葉で例えても合っているようでもあるし、けれどピタリとは嵌まらない。

 

 そんな自身の内心に、同じテーブルについている他の面々も薄々察したのか、電が食べる手を止めてどこか居心地悪そうにしているし、暁は……………………。

 

「そうだ――――――――」

 

 パン、と手を叩く。自然と注目がそちらへと向いて…………。

 

「みんなでお料理しましょ?」

 

 突然の暁の提案に、その場にいた全員が一瞬呆け、雷の手からぽろり、と棒付きキャンディーが落ちた。

 

 

 * * *

 

 美味しいものを作るのは難しい。

 人の好みとは千差万別であり、万人に受け入れられる味、と言うのは中々無いからだ。

 

 だが食べれるものを作るのは意外と簡単だ。

 多少好みの問題はあっても、基本的にどんな料理でも、余計なことをしなければ大抵のものは食べることは出来る。

 食べれないほど不味い、と言うのは素人が勝手な判断で余計な物を付け加えるからこそ起こることであり、本当に料理の上手な人間ならば作る前から味の予想が出来ている。後は味見をしながら味を調整するだけであり、その過程で創作的な工夫を凝らすことはあっても、その結果がある程度以上予想できていて初めて料理が上手だと言える。

 

 まあつまり、何が言いたいかと言うと。

 

「暁、それはいけない、それだけは止めるんだ」

「大丈夫よ、響。私に任せなさい」

「それは暁の台詞じゃないから、それだけは止めるんだ」

 

 甘いほうが良いと言って鍋に味醂(みりん)を増し増しにし、さらに上白糖まで加えようとする暁を必至で止めようとするその隣では。

 

「…………えっと、こう、なのですか?」

「…………………………違う、それだと手を切るわ」

 

 電と雷が包丁を使って野菜の皮むきをしている。

 慣れない作業に苦戦する電だが、意外にも慣れた手付きで野菜の皮を剥いてく雷が時折注意しているお陰か、何とか怪我はせずに済んでいるようだった。

 雷も雷で、目の前で作業する電の危なっかしさに、ついつい口が出てしまうらしく、冷めた目では見ているが、けれどその雰囲気は先刻までよりも幾分かさらに和らいでいるようにも感じられた。

 

 切った材料は玉ねぎ、人参、ジャガイモ、そして牛肉。それを炒めて醤油と味醂で味をつけ、料理酒を入れて煮込むだけ。

 

「ねえ、これ何を作ってるんだい?」

 

 ふと感じた疑問。よく考えたら、暁は料理を作る、と言ったが何を作るとは具体的には言っていない。

 そんな私の疑問に、三人が一瞬考え込み。

 

「肉じゃが?」

「シチュー?」

「…………カレー?」

 

 見事に意見がバラバラなことが発覚した。

 まあそんなこんなと色々あったが、最終的に完成したのが。

 

「私のボルシチは美味い」

「え? なんであそこからその結論になったの? え? え?」

 

 戸惑う暁を置いておいて、鍋の中には赤々としたスープがたっぷりと入っている。

 時間も中々良いこともあって、四人で机を囲む。

 だが、暁と電は目の前に置かれた皿の中に入ったボルシチを前に目をぱちくりと瞬かせるだけで手をつけようとはしない。

 

「食べないのかい?」

 

 ずっと目の前の皿を注視する二人にそう声をかけると、二人がびくり、と反応する。

 そんな二人を見る自身に、雷がぼそりと呟く。

 

「見た目のインパクトに引いてるんでしょ…………トマトの溶岩煮じゃないこんなの」

 

 どこかで聞いたような台詞を呟く雷は、平気そうな…………いや達観したような冷めたような表情をしているせいでいまいち感情が読み取り辛いが、特に表情を表に出さずに、平気そうな顔で食べている。

 そんな雷の様子に背を押されてか、二人もおずおずと目の前の皿にスプーンを伸ばし。

 

「あら?」

「美味しいのです」

 

 恐る恐ると言った様子でスプーンを口に運んだ二人だったが、すぐに目を丸くする。

 それからすぐに二口、三口と食べていき、大丈夫そうだと判断したのか普通に食べ始める。

 それから早々に自分の分を食べ終わると、食器を流し台へともって行き、さらに別の皿に半人分ほど注ぎ終えると、トレイにペットボトルに入れたお茶を載せる。

 

「あらどこか行くの?」

 

 そんな自身を見止めて、暁が声をかけてくる。

 すでに皿の中身も少なくなってきているので、自身が戻ってくるころには皆食べ終わっているころだろうと予想する。

 

「司令官のところに持っていくのさ」

「ああ、風邪引いたらしいわね、後で私も様子を身に行くわ」

 

 そんな言葉を交わして、食堂を出ようと思った、そんな時。

 

「響」

 

 ふと、名前を呼ばれた。

 振り返る、その声にどこか懐かしさを覚える。

 

「雷…………どうかしたかい?」

 

 問う。自身の言葉にけれど雷はそっぽを向いて。

 

「……………………。なんでも無い、料理美味しかったわ」

「ん…………そうかい、ありがとう。でも作ったのはみんなさ」

 

 そう返すと雷は、そう、とだけ呟き。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言い残して、食堂を出て行く。

 後ろで暁が、雷どこ行くのよ、と言って慌てて皿に残ったスープをかきこみ、むせて電に背を摩られているが、そんなこともう自身の頭には入っていなかった。

 

「……………………………………どういうことだい」

 

 呟いた言葉、過ぎった疑念はけれど、晴れそうに無かった。

 

 




日常回。難産だった。
個人的に、日常的な会話って言うのが一番ハードル高いのは作者がコミュ障だからだろうか(

因みに作者はボルシチ食べたこと無いです。なので味はだいたい適当な想像で書いてます。
まあ実際、材料とか調べた限りの評価とか考える限り、だいたいの予想は付きますけど。

ダウナー系毒舌雷ちゃんと言う新ジャンルに、いいなあ、とか思ってる自分。

あと書けば書くほど暁が一番可愛く思えてくる。と言うわけでそのうちまた一本ネタで暁メインを書くかも(設定カキコ中


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疑念

守るんだ、今度こそ。

三度、目の前で姉妹が沈んで行った。

その後悔は今でもこの胸に焼き付いて。

今でもこの胸を、肺腑を焦がす熱となるのだ。


 

「で、ヴェルがあんなことになった原因を知らないか? 雷」

 暗い暗い夜の海と言うのは、存外考えごとをするのに向いている。

 だから何かあると時折こうして海を見ながら思考を巡らせている…………のだが。

 今日は一人、付き添いがいた。

 ヴェルではない、気づくといつも隣にいる彼女は現在ここにはいない。

 

「どうして私に聞くのかしら、司令官?」

 代わりにいるのは、彼女、雷だった。

 退屈そうで、悲愴で、感情的で、激情的で。

 内心でもやもやと感情が渦巻いて爆発しそうで、吐き出してしまいたくて、けれどそれを閉ざしている。

 そんな内心を見せないように表情を笑顔を覆い隠して、彼女はそう告げる。

 

 人の感情なんて分からない、なんて言うが、今目の前の彼女の内心なら手に取るように分かる気がする。

 何故なら、今の雷は――――――――

 

「お前ら二人で出撃して、それからああなったんだ、ヴェルがあの状態じゃお前に聞くしかないじゃないか」

 なんて、そんな本音を隠した上っ面だけの言葉、通じるわけも無く、雷がへーとジト目でこちらを見つめてくる。

 はっきり言って、大よその察しは付いている。そんな俺の考えを察したのか、雷が嗤う。

 

「ねえ司令官、逆に聞くけど」

 

 どうして響はああなったんだと思う?

 

「……………………………………」

 

 質問に質問で返す雷を一瞥し、少しだけ口を閉ざす。

 けれど雷だって全部分かっているだろうし、俺だって察している。これ以上の問答も無用かと思い、そうして自身の答えを語る。

 

「気づいたんだろ、いや…………それとも雷が気づかせたのか? ()()()()()()()()()()()

 

 少し迂遠な俺の言い回しに、雷が僅かに驚いた様子で瞠目する。

 そうして、どこか諦観したように嘆息して。

 

「ええ……………………そうよ、司令官の察しの通りよ」

 

 自身の言葉を、肯定した。

 

 

 * 事は朝まで遡る *

 

 

 ごほん、と軽く咳をすると、隣のヴェルが視線を大丈夫? と寄越してくる。

 問題ない、と手を軽く振るとようやく書類へと視線を戻す。

 机の上に溜まった書類はいつもの三倍近い。

 さすがに二日も風邪で寝込んでいると仕事も溜まるな、なんて考えながら無心に手を動かし続ける。

 と言っても元々少ない量なのだ、三日分でようやく他の一般的な提督たちの一日分。恐らく中将殿あたりと比べたら半分以下と言ったところだろう。あの人も何だかんだで多忙なようだし。

 

 まあそれでももう半分ほどは終わっている。元々手際はそれなりに良いほうだと自負しているし、ヴェルも長年秘書艦として勤めてきた経験からか、少々の事務仕事ならこなしてくれるありがたい戦力だ。二人でやれば当然の結果と言えた。

 この調子なら昼過ぎには終わるな、なんて内心で呟きながら、時計から再び書類へと視線を落とした、その時。

 

 ピリリリリリリリ

 

 執務室に響き渡る電子音。何事かと受話器を取り耳に当てる。

 聞こえてきたのは中将殿の声。以前会った時とは違う、昔のような事務的な口調、声質。

 

 つまり。

 

「出撃だ、ヴェル」

 先の殲滅戦で倒した敵の残党勢力。その一部がこちらに向かっているとの報にすぐさま出撃命令を下す。

 そしてそんな自身の命令に、ヴェルが口を挟む。

「敵の数は?」

「水雷戦隊が三ほどとのことだ。内訳は軽巡洋艦一、駆逐艦二」

Да(ダー) (了解)。Верный(ヴェールヌイ)、出撃する」

 

 そうして執務室を出て行くヴェルを見送ったのが午前のこと。

 

 

 そうして、ヴェルが大破して戻ってきたのが、夕方のことだった。

 

 

 * * *

 

 

「ぶっちゃけて言うが、大破したこと自体は別にそこまで問題じゃない。確かにうちの最高戦力がいきなり抜けるんだから穴は大きい、けど言ったって当たる時は当たるし、壊れる時は壊れる」

 

 そして。

 

「どんなに強くても、死ぬ時は死ぬ」

 

 少なくとも、その危険性がある場所に彼女たちを送り出していることだけは、提督である限り覚えておかなければならない。それが彼女たちに命令を出す人間の義務であり、彼女たちの命を預かる人間の責務である。

 正直ヴェルがいなくなるだなんて、考えたくも無いが、それでも考えている。いつかそうなるのだと覚悟している。

 俺が提督である限り、いつか俺の部下の誰かが死ぬだろうし。ヴェルたちも艦娘である限り、いつかどこかの戦場で命を落とすのだろう。

 

「お前、みたいにな、雷」

「……………………」

 

 投げかけた言葉に答えは無かった。それはそうだろう、だって正確には。

 

「正確には、お前の前任者のように、か?」

「……………………っ!!」

 

 言い換えた言葉に、今度こそ、雷が明確な反応を見せる。

 そうしてその反応で、いくつか考えていた仮説のうちのいくつかが有力になっていく。

 そして同時に、ヴェルが恐らく勘違いしているだろう、ことも理解した。

 

「……………………前任……者……ねえ」

 

 けれども、そんな俺の仮説を崩すように、予想を覆すように。

 

「ねえ司令官、以前の私が私じゃないのだとしたら」

 

 雷は、一切の感情を消した、無表情で尋ねる。

 

「じゃあ私は、誰なの?」

 

 

 * * *

 

 

「入渠自体はもう終わったから良いとしても、工廠からの報告によると艤装の修理に三日。そしてお前自身の健康を鑑みて、一週間は療養しろ、とのことだ」

 報告書片手にそう告げると、ヴェルが待ったをかける。

「今日逃した敵はどうするんだい?」

「倒したのは敵軽巡洋艦のみ、残りは駆逐艦二隻か…………ちょうどいい、演習ばかりさせていたが、そろそろ暁と電も実戦で今の自分の力ってのを試してみるべきだろう、あの二人にやらせてみよう」

 

「私も行く」

 

 自身が言葉を告げ終えるのと入れ替わりに、ヴェルが発した言葉に、一瞬呆気に取られる。

 視線を報告書からヴェルへと移す。いつもの無表情とは違う、どこか気迫すら感じられるそんな表情。

 

 だが。

 

「ダメだ」

「司令官?!」

「当たり前だろ、お前の艤装は現在動かせる状況じゃない、それにお前の体にも相当なダメージが蓄積されている、それを抜かないとまた今日と同じことになるだけだ」

 

 いつものヴェルならそれくらい分かっているはずのこと。

 けれど、今日はヴェルはそれでも食い下がる。

 

「駆逐艦二隻程度なら問題無い、それに――――

 

 

 ――――いざと言う時、盾くらいにならなれる」

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 

「あ”?」

 目の前の少女が、自身の秘書艦が、長年の相棒が告げた言葉が一瞬理解できず、十秒近くたっぷりと沈黙。そしてその意味を理解した瞬間、おかしな声が漏れたのを自分でも自覚できた。

 それほどまでに、あり得なかった、目の前の少女の告げた言葉が、絶対にあり得ないはずだった、目の前の少女がそんな言葉を口にするなど。

 

「お前、何言ってるんだ」

 

 だから、そう聞き返すのも、当たり前のことだった。

 

 

 * * *

 

 

「雷は雷だろ?」

 そんなありきたりの言葉に、雷が苦笑する。

 いつもの冷たい微笑でも無い、ただ、どこまでも諦観した笑みである。

 正直言えば、酷く気に入らない。

「そうね、(わたし)(わたし)よ。でも今の雷は前の雷と同じなのかしら?」

 

 まるで言葉遊びのような言い回し、だがそれは同一艦と言う存在に常について回る問題の一つでもある。

 

 自己同一性(アイデンティティ)の欠如。

 

 自分と同じ自分が存在している。だったら自分が自分である必要などあるのか、自分が自分である保障がどこにあるのか、要はそう言った思考に付随して回る感情の乱れである。

 

 だがこれには一つだけ解決法がある。

 

 結論だけ言えば、記憶だ。あまり人道的な言い方とは言いがたいが、公式的には練度と言っても良い。

 同一艦は根本を同じ船に起因している。だからこそ、大本は同じ存在になる。だが艦娘として誕生してからの記憶、環境によって表面的な変化は当然現れてくる。

 だからこそ、その記憶こそが同一艦のアイデンティティを埋めてくれる大事なピースとなり得る。

 

 そう、本来なら。

 

 もしそのピースが生まれる前から埋まっていたなら、どうだろう?

 

「私は私。でも私は前の私でもあるのよ、だったら私は本当に私なの? 前の私は私じゃないのかしら?」

 

 そんな彼女の問いに、けれど自分はふっと笑って答えた。

 

「少なくとも、前の(おまえ)はヴェルから聞いた雷とは似ても似つかないな、だったら人格まで受け継いでるわけじゃあるまいし、だったら今ここにいるお前こそが雷なんだろうよ」

 

 さっきも言ったが、まるで言葉遊びだ。

 互いが互いを(けむ)に撒こうとしているかのような言葉の連なり。

 だがそれは本人にとっては何よりも真剣で、何よりも重要で、だからこそ今こんな状況になっているのだ。

 

 そして、だからこそ。

 

 雷の諦観の笑みは、変わらなかった。

 

「記憶も、人格も、思いも、強さも、ぜーんぶ受け継いでるって言ったら、どうするのかしら? 司令官?」

 

 先ほどまでは打って変わった、暗い夜の闇の中でもはっきりとその存在を主張するような、明るい太陽のような笑みで、人懐っこい表情で――――――――

 

 

 ――――――――()が、そう言った。

 

 

 * * *

 

 

「お前、何言ってるんだ」

 そんな自身の問いに、けれどヴェルはどこか悲愴な表情で、呟く。

「嫌なんだ、もう」

 自身が沈みそうになったからこそ、否、一度沈んだからこそ、尚更強く思うのだ、と。

「守りたいんだ、守らないといけないんだ」

 悲愴な顔で、悲痛な面持ちで、口からは悲嘆が溢れていた。

 けれどそんな言葉はもう自身の頭へと入ってこない。

 

 ただ、愕然としていた。

 

 もう大丈夫だと思っていた少女の、とんでも無い…………特大級の地雷に気づいてしまった。

 

「……………………………………………………」

 

 沈黙が室内を支配する。自身も、ヴェルも、ただ押し黙ってしまって、口を開こうとしない。

 けれど黙っていても何も好転しない、そんなことは分かっている。

 だが何を言えば良いのか、分からなかった。

 だって、これは…………こればっかりは…………。

 

 そう考えた時、自然と口は開いていた。

 

「駆逐艦ヴェールヌイ、お前を第一艦隊旗艦から外す」

「なっ?!」

 

 告げられた言葉に、驚愕に目を見開き、声を漏らすヴェルに構わず、俺は続ける。

 

「旗艦は代行で暁にやってもらう、一週間ゆっくりと休め、()()()

 

 命令、と言う言葉を強調して聞かせる。

 軍隊は規律が重視される。時に現場の判断と言うのもあるのかもしれないが、それは緊急措置であって、今のような状況で使うものではない。

 だから、この命令は絶対だ、絶対のはずなのだ、少なくとも俺の知っているヴェールヌイにとっては。

 

 だが。

 

「嫌だ…………」

 

 反抗する。

 

「絶対に、嫌だ!」

 

 子供のように、逆らう。

 

「私は、私は…………!!」

 

 そんな彼女に。

 

「…………………………もういい。無期限の謹慎だ、今すぐ部屋に戻れ」

 

 最後通牒を付き付ける。

 告げられた言葉に、ヴェルの体が震える。

 

「ヴェールヌイ!」

 

 呼ばれた名前に、大きく体を震わせて。

 

「どうして…………司令官…………」

 

 そう呟いた声を、けれど俺は無視した。

 

「分からないか? もしこのままずっと分からないのなら」

 

 その時は。

 

「お前、もう戦うな」

 

 その言葉が意味するものは、つまり。

 

 解体処分。

 

 艦娘にとって、実質上のクビである。

 

 項垂れ、部屋を出て行くヴェルに、けれどさらに言葉を続けた。

 

「考えろ、考えて、考えて、考え抜け()。でなきゃ、今のお前に信頼の名(ヴェールヌイ)は重過ぎる」

 

 

 * * *

 

 

「何で黙ってたんだ?」

 ある意味自身にとてつもない衝撃をもたらしてくれた雷を横目で見ながら尋ねる。

 すると雷もうーん、と首を捻って答える。

 

「分からない? 分かるでしょ? 私の存在がどれだけ厄介事を引き起こすのか」

 

 そう言われれば否定は出来ない。性質どころか、記憶も、人格も、能力すら受け継いだ同一艦。

 もしそんなものの存在が本部に知られたら、艦娘を物として扱う現在の海軍では禄なことにならないことは明らかだ。

 

「それでも、その記憶と人格がある以上、中将殿にだけでも筋を通しておけばいいと思うがな」

 

 そんな自身の言葉に、雷が苦笑する。

 けれど答えは返さない辺り、雷の中でも何やら色々葛藤があるらしい。

 そしてさらに言葉を重ねようとしたところで。

 

「それより、いいの? 響のこと」

 

 雷が尋ねてくる。

 まあ姉妹のことだし、気にもなるのだろう、しかも記憶と人格がある、と言うことは以前のヴェルについても知っている、と言うことであるから、尚更だろう。

 

「前世の記憶に引き摺られるのは艦娘としての業みたいなものだ。特にヴェルは終戦まで生き残った数少ない艦だ、その記憶も、思いも、遺志も、何もかもがこの鎮守府で最も強いんだろうさ」

 

 駆逐艦響、そしてヴェールヌイ。

 終戦を経験した数少ない艦の一隻。

 姉妹たち全員の最後を看取っていった彼女の心境は、簡単には計り知れない。

 

 だがそれでも。

 

 それでもこれは、こればっかりは。

 

「結局自分自身、ヴェル自身の問題なんだ、今回ばかりは俺にもどうしようも無い……………………だからもし、本当にどうにかしようとするなら」

 

 自室にいるだろうヴェルを思い、そして淡い願望を込めて、告げる。

 

「変わるしかないんだよ、ヴェル自身がな」

 

 




途中まで書いてたら一回フリーズでデータ全部消し飛んで、もう一回書き直したらこんな時間だよ(
明日11時から授業なのに(

というわけであと4話です。
あと4話で話をまとめて完結させないといけないですよ(

本当はこんな話じゃなかったんですけどね。
ふと、主人公とヴェルと喧嘩したことないよな、と思ったので仲たがいさせてみようと思ったら、意外と話思いついちゃって、結局こういう感じになりました。
因みにこれが終わるといよいよヴェルの地雷が全部解除されるので、【ヴェルの】恋愛フラグは解除されます。
まだ他に必要か、だと? 恋愛は一人じゃできないよ? 五章で【主人公の】恋愛フラグを解除してください(
五章はもし書くとしたら、だけど二章とか三章にちょいちょい入れてた設定とか伏線とかを回収しながらの予定。


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孤独

夢を見ることの幸せを忘れたのはさて…………いつからだっただろう。

現実を見ることの辛さを忘れたのはさて…………いつからだっただろう。

死んでいないことと生きていることは違うのだと…………あの人は言った。

その意味を、けれど自分は今でも理解していない。

今でも理解できない。


 閉じられた部屋に独り取り残された少女。

 開け放たれた部屋に独り居残ることを決めた男。

 

 さて、どちらが孤独だろうか?

 

 現実に生きながら夢を見続け、現実の見えない少女。

 夢に生きながら現実を見続け、夢を見ることさえ許されない女。

 

 さて、どちらが辛いだろうか。

 

 

 * * *

 

 

「随分と強引ね」

 冷めた目で俺を見ながら、暁が呟いた。

 突然の旗艦交代を聞き、暁が突然のごとく執務室へとやって着て――――

 

「説明してもらうわよ!!!」

 

 ――――と(のたま)ったので、一通りの事情を説明してやった結果が今の一言だ。

「強引…………なあ。強引か?」

 そんな自身の言葉に、暁がハッ、と鼻を鳴らして答える。

「命令、なんて言葉使っておいて良く言うわ、司令官と響の関係なら、一から説得していけばそんな言葉必要ないでしょうに」

 呆れたような、冷めたような、そんな目でこちらを見ながらそう答える少女に、少し感心する。

 良く見ているものだ、いつも妹たちに弄られているが、それでもこの少女はこの鎮守府で一番回りを良く見ているかもしれない。

「それに、もう戦うなって、司令官が響に何を求めてるのかは知らないけど、もし響がこのままだったら本当に解体するつもり?」

 軽く漏らした言葉、けれどその目は真剣そのもの。自身の妹のことだ、当たり前と言えるのかもしれない。

 

 そして、だからこそ。

 

()()()()()

 

 正直に答えた。

 

 そんな自身の答えを意外だった、とでも言うように暁が目を丸くしている。

「何を驚いてる? するぞ、するに決まっている。今のままのあいつじゃこの先、戦闘には出せない、戦えないなら解体するしかないだろ?」

 戦うことが、艦娘の役割なのだから。なんて、そんなことは口には出さないけれど。

 内心の動揺をようやく治めた暁が、恐る恐ると言った風な様子で尋ねてくる。

「本当に、本当にそれでいいの? 響がいなくなって、司令官大丈夫なの?」

 そんな彼女の問いに、本当に聡い少女だと、笑いながらけれど俺はいとも容易く答える。

 

「ああ、問題ない。その時は責任取って俺も辞職するからな」

 

 今度こそ、暁の表情が完全に凍った。

 

 

 * * *

 

 

 分からない。

 ただ頭の中でぐるぐるとその言葉だけが渦巻いていた。

 

 “分からないか? もしこのままずっと分からないのなら――――――――お前、もう戦うな”

 

 司令官が言った言葉の意味が分からない。

 いや、分からなくも無い。と言うか理由自体は冷静になればすぐに分かった。

 

 “いざと言う時、盾くらいにならなれる”

 

 あの一言が引き金だったのは間違い無い。

 どう考えたって悪いのは自分だろう。

 だけれども……………………。

 

「私はもう、誰も沈んで欲しくない」

 

 その考えだけは、どうしたって変えられそうに無い。

 

 分からないのなら――――――――お前、もう戦うな

 

 分からない。分からない。分からない。

 どうして司令官がそんなことを言ったのか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なのに、どうしてそんなことを言うのだろうか。

 

「分からないよ、司令官」

 

 考えてみる、けれど答えは出ない。

 だからと言って、思考を止めるわけにもいかない。

 

 “考えろ、考えて、考えて、考え抜け響”

 

 司令官がそう言ったのだから。だから、考えるのだ。

 考えて、考えて、考えて、考えて、考えて。

 

「……………………………………分からないよ、司令官」

 

 けれど答えは未だ出なかった。

 

 

 * * *

 

 

『キミは………………雷なのかい?』

 

 彼女のその問いに、けれど私は(つい)ぞ答えることが出来なかった。

 

「私が誰か、なんて…………そんなの私が知りたいわよ」

 

 波打ち際。海面に浮かぶのは弧を描く月。

 少しだけ、自身の話をしよう。

 駆逐艦雷の始まりの記憶は、暗いドッグの中だ。

 

 目を覚ましたそこは、暗い場所だった。

 鼻腔をくすぐる鉄と油の臭い。そして響いてい来る重低音な機械の駆動音。

 カラカラの喉が一つ息を吸っては吐き出し、また吸っては吐き出すを繰り返す。

 密室の淀んだ空気に、咳き込みそうになったが、何とか抑える。

 上体を起こすと、薄らぼんやりと見える周囲に光景に首を傾げる。

 

「……………………ここ、どこ?」

 

 見覚えの無い景色。まるで異世界に紛れこんでしまったかのような。

 いや、そもそも、だ。

 

「……………………私、誰?」

 

 呟いた瞬間、頭が沸騰した。

 直後。

 コンセントの抜けたテレビがぶつん、と音を立てて切れるかのように。

 意識が暗転に包まれた。

 

 恐らくその時だったのだろう。

 彼らが前任と呼ぶ(わたし)との記憶、人格、意識、感情その全てを自身が()()()()()()()

 そのあまりの情報量に、処理の追いつかなくなった脳が、強制的に意識を断って自己を保った、と言ったところか。

 

 意識が戻る、と同時に、僅かな頭の痛みを感じ、思わず頭に手を当てる。

 気休め程度だったが、痛みが和らいだ気がして、ようやく周囲を見る余裕が出来る。

 工廠だ。見覚えがある。

 この薄暗さと鉄と油の臭い。響き重低の機械音。間違いないだろう。

 

「……………………どこの工廠かしら」

 

 ふと呟いてみるが、けれど答えは出ない。

 体を起こしてみるが、特に異常は無い。先ほどまであった頭の痛みもすっかり消えている。

 起き上がり、工廠から出ようと記憶を頼りに歩く。薄暗くどこに何があるのかおぼろげにしか見えないが、まあだいたいどの鎮守府も同じような構造をしているので大丈夫だろう。

 

 一度気を失っていたせいか、まだどこかフラフラとする体を引き摺りながら工廠の出口へと歩く。

 どうやら記憶に遜色は無かったようで、無事工廠の出口らしき扉が見える。

 取っ手に手をかけ、ゆっくりと引いて――――――――

 

「……………………えっ」

「あっ……………………」

 

 扉の前に少女が立っていたことに驚き、そしてその少女の顔に、二度驚いた。

 それは、目の前の彼女が、自身の姉妹であることを直感的に理解したのもあるし。

 目の前の彼女の顔を、初めて会ったはずの私が知っていることに対する驚きでもあった。

 その時、初めて自分の中に自分の知らない自分があることに気がついた。

 

 それからの日々は他の皆が知っての通りである。

 

 そして時間は飛んで、昨日の出撃である。

 

 記憶の中の自分はともかく、今の雷には初めての出撃である。

 広がる海、遠く遠く彼方に見える水平線。

 覚えたのは感動、それから憧憬。

 自分じゃない自分の記憶、だけではない。

 駆逐艦雷としての記憶。

 

 覚えた懐かしさに、自然と口元が緩む。

 

 だがそれも長くは続かない。

 自身の前を行く少女の存在をすぐに思い出す。

 駆逐艦響…………いや、今はヴェールヌイだったか。

 

 自身の記憶の中にもある少女。

 

 “記憶の中の雷が轟沈する原因ともなった少女”

 

 それに関して、思うところが無いわけではない。

 けれど沈んだ雷が自分のことである、そんな自覚も無い以上、彼女を責めるつもりも無い。

 そう自覚は無いのだ。以前の自分が自分であると言う、そんな自覚は。

 けれど、記憶も、思いも、意思も、何もかも持っているのだ。

 だからこそ、分からなくなる。

 

 “私は一体誰なのだろうか”

 

「聞いてもいいかい?」

 

 そして、そんな自身の内心の動揺を読み取ったかのようなタイミングで、ヴェールヌイが口を開く。

 一瞬、有耶無耶にして誤魔化そうかと思ったが、ここは大海原の只中。

 煙に巻いたところで、逃げ出すことも出来ない。

 タイミングを計った、と言うよりこの状況をセッティングされたと考えるべきだろう。

 まあつまり、いっぱい食わされた、と言ったところか。

 

「何?」

 

 諦めて口を開く。漏れ出る声は、記憶の中の自身よりもずっと冷たい。

 それは過去の自分に対する精一杯の抵抗だった。

 私は彼女とは違うのだ、自分でも疑念を抱きながら、必死にそう思い込もうとしている、故の抵抗。

 少しでも過去の自分とは違う自分でいること、それが今の自分の態度だった。

 

 そんな自身の態度に、ヴェールヌイが僅かに瞳を揺らすが、表情を崩さず続ける。

 

「雷は…………雷は、前の雷のことを覚えているのかい?」

 

 揺れる瞳。隠しきれない内心の動揺。だがそれはお互い様である。

 

「前の私って…………一体どの私のことかしら?」

 

 口から出た言葉は、けれどそんなどこか言い訳染みた、誤魔化したような、けれど底の浅い言葉で。

 

「火野江司令官の秘書艦だった雷のことに決まっている」

 

 当然誤魔化せるはずも無い。

 

「……………………………………それは」

 

 覚えている。正確には、()()()()()()

 当然過去のヴェールヌイ…………響と過ごした日々も記憶している。ただ、そこに実感は無い。

 だからどう答えればいいのか、一瞬迷った。そんな自身の様子をどう考えたのか、ヴェールヌイがさらに言葉を重ねる。

 

「キミは………………雷なのかい?」

 

 今度こそ、私は完全に言葉を失った。

 もし答えるならば、私はなんと答えたのだろうか。

 彼女のその問いに、けれど私は(つい)ぞ答えることが出来なかったけれど。

 それでももし答えるならば…………きっと私は、何かの答えを出せていたのだろう。

 

 だって。

 

 記憶の中の雷にとって、響は間違いなく特別だったのだから。

 

 結局、答えを言葉にする間も無く。

 

 やつらが現れた。

 

 深海棲艦。

 私たち艦娘が戦うべき敵。

 人類から制海権を奪った敵。

 どうして気づかなかったのか。

 それほどまでにヴェールヌイの言葉に動揺していた。

 気づけばもう敵はすぐ近くまで迫っていて。

 

 まるでいつかの焼き直しだった。

 

 放たれる深海棲艦たちの魚雷。

 そして。

 

 私の前に立ちふさがるヴェールヌイ。

 

 結果は、知っての通りである

 

 

 * * *

 

 

「ひーびーきー? 元気ー?」

 こんこん、とドアをノック。そして返事が返ってくるより先に扉を開く。

 部屋の中には、部屋の隅に置かれたベッドですやすやと眠る妹の姿。

 

「ってあら…………寝てるのね」

 

 ここ数日毎日のように様子を見に来ているが、時折こうして寝ていることがある。

 そう言う時は大抵の場合。

 

「…………ずっと考えてるのね」

 

 考え込んで、考え込んで、疲れてしまった時だ。

 枕元に置かれた響の帽子に手を伸ばす。

 少しだけよれてしまったそれを伸ばしてもう一度置き直す。

 

「………………ん…………」

 

 身じろぎした時、漏れた声にふと視線をやる。

 何とも安らかな寝顔だ。いっそこのままずっと寝ていたほうが幸せなのかもしれない。

 

 けれど。

 

「それじゃ、ダメなのよね」

 

 司令官はそう考えている。

 実際問題、自分ではそこまで深く、響の心に立ち入ることは出来ない。

 姉妹艦でも…………否、姉妹だからこそ、余計に。

 自分にはやれることが無い、なんてあの司令官は言うが、司令官にしかもうどうにも出来ないのだ。

 司令官にそう言ってみたが、反応は良くない。

 けれどあの司令官が響のことを考えてないはずが無い。

 

 “その時は責任取って俺も辞職するからな”

 

 少なくとも、その覚悟は見せてもらったのだ。

 その上で司令官が自身たちに言ったことはたった一つだけだ。

 

 “一日一回でいい、響の様子を見に行って、大丈夫そうならあいつと話してやってくれ”

 

 そんなこと、言われるまでも無くするつもりだった。

 そしてそんなことをわざわざ命令する、と言うことは。

 

「これに何か意味があるのかしらね?」

 

 所詮自分ではあの司令官の考えていることなんて分からない。

 頭の回転が違う、とかそう言う問題ではなく、また自分ではあの司令官と確固たる絆を結べていないからだ。

 目の前の彼女と比べて、単純に過ごした時間が違いすぎる。過ごした時間の密度が違いすぎる。

 だから司令官がどんな考え方をしているのか、どんなことを思いつくのか、その想像が全く出来ない。

 

 けれど、それでも。

 

「信頼だけはしてるのよ? 司令官」

 

 そっと眠る妹の頭の上に手を載せる。

 そのままゆっくりと撫でてやると、響が小さく声を漏らす。

 そんな妹の様子に苦笑しながら、手は止めない。

 

 司令官には恩もある、義理もあるし、謝辞もある。

 だからと言ってそれだけなら信用はしてもここまで信頼することも無かった。

 暁が自身の司令官を信頼する理由はたった一つだ。たった一つのシンプルな理由。

 

 司令官は響たちに…………艦娘に対して真摯に向き合う。

 

 それこそ、人として対等に向き合って見せる。

 それがどれだけ凄いことで、どれだけおかしなことなのか、本人は分かっていないのだろう。

 だがそれで良い。そんなもの自覚して欲しくない、する必要も無い。

 

 そして、だからこそ、安心して妹のことを託せる。

 

「だから…………お願いよ司令官」

 

 どうか、お願いだから。

 

「響も、雷も、電も…………どうか私の妹たちを泣かせないで」

 

 それが今の暁の、

 

 やっと手に入れた平穏の中で祈る、

 

 “たった一つの願いなのだから”

 

 

 




暁ちゃんマジ聖女。

モンハンとスレッドが俺を誘惑してくる(


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家族

得た答えの意味など、まだ知らなくても良い。

それが分かる頃には、すでに何もかも遅いのだから。

だからと言って、それが無意味なわけではない。

意味など分からなくても、確かにそれは、自身の心にあるのだから。


 

 何度と無く海へと足を運ぶが、その度に暁は不安を感じる。

 過去ずっとその不安は付き纏っていたが、それを明確に感じたのは仲間が沈んでしまったあの時からだ。

 つまり、この鎮守府にやってくる少し前のこと。

 それからずっと感じてきた不安は、そして過日、現実となった。

 響の…………妹の轟沈と言う形で。

 幸いそれは司令官の采配により回避されたが、それ以来ずっと思っていた。

 

 これが終わりだなんて、そんなはずが無い。

 

 と。

 

 司令官だって言ってた、戦う以上いつかは死ぬ、その覚悟だけは持たなければいけない。

 

 自分たちもだし…………司令官自身も、だ。

 最も、司令官は鎮守府にいるのだから、その危険性は極めて少ない。

 代わりに、無力感も感じるのだろう、と最近になって気づいた。

 

 自分たちが戦っている時、そんな時に何もしてやれない、ただ鎮守府の執務室で報告を待つだけ、それはどんな気持ちだろうか。

 昔の暁には分からないだろう、なまじ自分で戦う力があるだけに、ここに来た直後でも分からなかったかもしれない。

 けれど、今なら分かる気がする。

 

 妹一人残して、戦場を退避する無力さを今でも覚えている。

 

 あの時、自分に力があれば、何か変わったのだろうか?

 

 そう考えてみて、けれど何も変わらないだろうと思う。

 あの状況なら仕方ない、そう仕方なかった。

 

「そんな風に割り切れたら、楽なんでしょうけれどね」

 

 そんな後悔はもう二度目だ。

 言わずもがな、一度目は那智と鳳翔が沈んだあの時。そして二度目は先も言った通り、響を置き去りにしたあの時。

 仕方なかった、そんな言葉で割り切れたら楽なのだろう、ああ本当に、楽なのだろう。

 けれど、そんなの。

 

 ふざけるな!!!

 

 考えた途端に湧き出てくる思い、つまりは怒り。

 仕方なかった、だと。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!

 だったら…………だったら…………。

 

 那智さんや鳳翔さんが沈んだのも仕方ないで済ませるのか?!

 

 出来るはずが無い、そんなこと、出来るはずが無い。

 もう嫌なのだ、あんな風に、今日居た誰かが昨日に取り残されるのも、明日には居なくなっているのも。

 そんなもの、もう嫌なのだ。

 

 だから願ったのだ。

 

 “強くなりたい”

 

 

 * * *

 

 

「ひーびーきーいるー?」

 部屋がノックされ、こちらが返事をするより先に扉を開いて、暁がやってくる。

「暁、ノックしたなら返事くらい待ったらどうだい?」

 少しだけ呆れながらそう言うが、暁はどこ吹く風、と言った様子で笑う。

 

 そんな姉の姿に、少しだけ心が癒されるのを感じる。

 ここ最近はずっと部屋で考え事ばかりしているので、こうして家族とのコミュニケーションは一時の清涼剤となっている。

 未だ司令官の言葉に対する答えは見つからない。

 そのことに焦る気持ちはあるが、それでもこうして姉妹が着てくれた時くらい、考え事を止めて話に興じたいと思う。

 

「今日はね、出撃してきたのよ」

 

 それは暁の話すここ最近の鎮守府での日常の一コマの一つだった。

 ただそれが自身にとっては聞き逃すことが出来ない言葉だった、と言うだけで。

 そんな自身の内心に気づかないまま、暁が続ける。

 

「電と二人で、相手は駆逐艦が二隻だったわね」

 

 自身たちが逃した敵だ、すぐに気づく。

 そうして目を見開き、暁へと視線を向け、口を開こうとして。

 

「それがね、思ったより簡単に倒せたの、私も電も。一撃も反撃されずに倒したのよ?」

 

 止まる。どうやら無事だったようだ、と少しだけ安堵。

 

「最近演習ばっかりで分かりにくかったけど、前より強くなれたわ」

 

 どこか自慢げな暁の表情。

 

 そして。

 

「ねえ、響」

 

 気づけば、暁が自身を覗き込んでいた。

 そのことに驚くよりも早く、暁が二の句を告げる。

 

「今度は…………ううん、今度こそ絶対に一緒よ」

 

 一瞬、何のことか分からず目をぱちくりとさせる。

 そんな自身の思考を読み取ったのか、暁がだから、と続け。

 

「今度こそ、響一人置いていったりしないわ」

 

 思考が止まる。表情が凍る。

 

「一ヶ月前の戦い、あの時、響をあの場所に残して離脱した時からずっと思ってたわ」

 

 そんな自身の内心を、恐らく無視して暁が続ける。

 

「強くなりたい、響を…………ううん」

 

 そうして。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その口から出た言葉は。

 

 かつで自身が誓った言葉にとてもよく似ていて。

 

 そして今も自身が抱いている言葉に良く似ている。

 

 なのにどうしてだろう。

 

 同じような言葉なのに、違和感があった。

 

 

 * * *

 

 

 誰もが何度と無く思うことだが…………この鎮守府は狭い。

 別に貶しているわけではない、この鎮守府の用途とそしてそこに必要な人数を考えれば適性とも言える程度の規模はある。

 ただ普通の鎮守府よりは狭い。必要な施設を除けば、だいたい十人前後の人間が住むのがやっとと言うところだろうか。艦娘用の寮と言ったものも無いので、鎮守府内の空き部屋を改装して個々の自室に割り当てているくらいだ。

 

 まあつまり、何が言いたいのかと言うと。

 

「こんにちわ、雷」

「そうね…………こんにちわ」

 

 こうして、同じ艦娘同士、出会うことも多々ある、と言うことだ。

 駆逐艦雷に対しての駆逐艦電の心境は複雑と言うより他無い。

 

 かつて自身たちの旗艦だった少女と同じ姿、同じ顔、同じ声をしていながら、けれど全く別の性格をした別人。

 

 そんな雷を初めて見た時に漏らした言葉はさすがに失礼だったと思っている。

 だからだろうか。

 

「あ、あの、雷」

 

 すれ違い様、ふと電が雷を呼び止めたのは。

 

「…………何?」

 

 きょとん、とした表情で首を傾げる、そんな仕草が彼女と被って見えて。

 だからこそ、納得できてしまった。電には、納得できてしまったのだ。

 そして、だからこそ。

 

「あの、少しお話しないですか?」

 

 雷に対して、そう尋ねた。

 

 

 * * *

 

 

「出撃から帰ってきたところかしら?」

「あ、はい…………駆逐艦二体が相手だったのですよ」

「なら私たちの討ち漏らしね、ありがとう、って言うべきかしら?」

 

 さすがに廊下で話すのも何なので、場所を移して雷の部屋。

 電の部屋は、暁と共同で使っているので、勝手に入れるのも気が引けたのだが、まさか雷の部屋に入れてくれるとは思わず、さすがに驚く。

 

 と言うよりも、初めて会った時より随分と態度が軟化している気がするのは、気のせいだろうか?

 以前の雷ならば、先ほどの電の問いに対して、あっさりと首を横に振っていたと思うのだが。

 けれども、こうして話す機会を与えてもらったのだ、その機会は生かすべきだろう。

 

 だから。

 

「あの、雷」

「何?」

 

 真っ先に。

 

「ごめんなさい、なのです」

 

 頭を下げた。

 

「…………………………えっと、いきなり何?」

 さすがに面食らったのか、険の取れた声でそう呟く雷に、電が言葉を続ける。

「最初に会った時、失礼なこと言ってしまったこと、謝るのですよ」

 そう告げると、雷がああ、とようやく思い当たったのか納得したように頷き。

「別に良いわよ、気にしてないから、いいから頭上げなさい」

 雷に言われるままに頭を上げると、少しだけ苦笑した様子の雷。

 それがまた、彼女と重なって見えて――――――――

 

 やっぱりそうなのだと、電はもう一度納得する。

 結局、昔も今も変わらないのだ。

 

「やっぱり雷は、雷なのですよ」

 

 自身の中で結論出た言葉を呟くと、雷の動きが止まる。

 

 

 * * *

 

 

「やっぱり雷は、雷なのですよ」

 

 それは、彼女…………電にとって何気無い一言だったのかもしれない。

 それでも、私…………雷にとっては聞き逃すことの出来ない一言で。

 

「私は、以前の雷を知ってます…………今の雷も知ってます。けど、やっぱりどっちも雷なのですよ」

 

 優しくて、強くて、大切で、大好きで、最愛な――――

 

「――――私のお姉ちゃんなのですよ」

 

 そんな、記憶の中の(じぶん)ならば一笑してしまうような一言。

 けれど、過去と現在の自身の定義に揺れる今の雷には。

 

 そんなたった一言が、何よりも大切だった。

 

「……………………あはっ」

 

 建造さ(うま)れて早一週間近く経つが、ずっと悩んでいた。

 そのせいで姉妹たちに嫌な思いをさせたことも多々あっただろう。

 それなのに、だと言うのに。

 

 妹の一言で、自身の悩みはあまりも呆気なく、終わってしまった。

 

「ねえ電…………もう一度だけ聞いてもいい?」

 

 そんな自身の言葉に電が首を傾げ。

 

「私は…………誰なのかな?」

 

 そうしてさらに不思議そうに首を捻って。

 

「雷は、雷なのですよ。例え昔の雷と今の雷が別人だとしても、やっぱり雷は雷なのです。電の大好きなお姉ちゃんなのですよ」

 

 そうして告げられた言葉に。

 

「あは…………あはは…………あははははははははは!!!」

 

 笑う、笑う、笑う。

 目から涙すら零しながら、叫ぶように、謳うように、笑って、笑って、笑った。

 

「あはははははははははははははははは!!!」

 

 電が目を見開き、びっくりしたようにこちらを見る。

 けれど、そんなことすら気にならないくらいに、自身の心が歓喜で溢れていた。

 そうして、ようやく気づく。

 

 (じぶん)と言う存在は、今日初めて生まれたのだと。

 

 

 * * *

 

 

「やっほー、響。元気ー?」

 

 突然開かれた扉に、また暁か、と一瞬思ったがけれど先ほど来た時と声が違うことに気づき、手元の本から扉のほうへと視線を移し…………そうして、硬直する。

 それはあまりにも予想外な人物だったから…………と言うのもあるし、何より彼女の顔が、あまりにも似すぎていたから。

 

「い…………雷?」

 

 ようやく搾り出した声で呟く彼女の名前。

 けれどそんな自身の困惑を置き去りにして、雷が部屋へと入ってくる。

 

「へー、意外と物が多いのね、昔はそんなに私物なんて無かったのに」

 

 そんな呟きに、え? と思考が止まる。

 

「あ、でもまだこの本持ってるのね、昔一緒に買いに行ったやつじゃない」

 

 壁際の本棚を見て、そんなことを呟きつつ、一冊の本を取り出して手に取った。

 その本は確かに以前に雷と買いに行ったものだ。

 

 ただし、この鎮守府に来る前に、だが。

 

「……………………雷…………キミは…………」

「昔のこと…………覚えてるか、って聞いたわよね」

 

 戸惑う自身の口から漏れた言葉を遮るように、雷が口を開く。

 手に取った本を本棚に戻し、くるりと身を翻してこちらを向き。

 

()()()()()()()

 

 そう告げた。

 

「……………………………………え?」

 半ば、予想の一つとしてあったはずの考えだったが、余りにも非現実的で、あり得ないと内心思っていたその答えを、けれど肯定されたことに、数秒理解が追いつかなかった。

 そんな自身を置いて、雷が言葉を続ける。

 

「記憶はある、人格もある、意思もあるし、思いもある…………でもね、過去の私と今の私が同じだと言う実感は無いのよ」

 

 だから。

 

「覚えているか、と言われれば覚えているわ。けど昔の私なのか、と言われれば分からないとしか言い様が無いわ」

 

 そんな雷の答えに、一体自身はどんな感情を覚えたのだろう。

 安堵したような気もするし、そうでも無いような気もする。

 落胆したような気もするし、そうでも無いような気もする。

 自分でも色々な感情が渦巻いていて、一体自分がどんな感情を抱いているのか、はっきりと答えられない。

 ただ口から出た言葉は。

 

「そう…………かい」

 

 それだけだった。

 少なくとも、自分の言葉はそれだけだった。

 けれど、雷の言葉はそれだけでは無かった。

 

「けどね」

 

 ゆっくりと、雷がこちらへと歩いてくる。

 

「さっき電に言われたわ」

 

 そうして自身も座るベッドへとやってきて、そのまま自身の隣に腰を下ろす。

 

「昔の私も今の私は違っていても同じだって」

 

 その表情は笑みだった。とてもとても嬉しそうな笑み。

 

「どっちの私も同じ雷で、電の姉妹なんだって」

 

 だから。

 

「だからね、私も響に同じことを言うわ…………今の私が響の知っている昔の私と同じとは言えない、けどね、それでも(わたし)は響の妹で、響は私の姉さんよ」

 

 そっと、雷が両手で自身の手を包みこむように握る。

 

「だから同じ雷として、姉さんの妹として言うわよ? 昔の私は、姉さんのことを恨んじゃいないわ。ただ姉さんを、家族を守れたって安心して沈んでいったわ」

 

 その言葉に、大きく目を見開く。

 それはあの日から、ずっと聞きたくて、けれどもう聞けないと思っていた問いの答え。

 恨まれているのではないかと思っていた。

 だって雷が沈んだのは、(じぶん)のせいなのだ。

 

「そして、今の私が昔の私の代わりに言うわ。姉さんのこと、もう許したから、だから、もう自分を責めないでいいのよ」

「……………………恨んでないのかい? 許せるのかい? だって、雷が沈んだのは」

 

 私のせいなのに、そんな言葉を続けようとして、雷の指が自身の唇を押さえる。

 

「恨むわけ無いじゃない。許さないわけ無いじゃない、だって」

 

 だって、響は――――――――

 

「――――――――家族じゃない」

 

 そんな言葉に、不覚にも、体が震えた。

 溢れ出る涙をこらえようとして、けれど止まることを知らない雫がぼろぼろと瞳から溢れる。

 漏れ出る嗚咽を止めようとして、口を閉じるけれど、それでも溢れ出る感情が口から漏れた。

 

「……………………ねえ、響」

 

 そっと、雷の両手が自身の背に回される。

 

「何度だって言うわ」

 

 そのまま、ぎゅっと自身を抱きしめて。

 

「私はもう許したから、だから、もう自分を責めなくていいのよ」

 

 そこが我慢の限界だった。

 

 




二日連続更新が無いなどと誰が言ったのか(
次の更新は二月かなあ、とか思ったら大間違いだ。気分が乗ったら書ける、乗らなきゃ書けない。そう言うものである。


ところで水代は家族愛と言うのが大好きです。ええ、とっても好きです。
だからこの小説で少しでも家族の絆と言うものを感じてもらえることができれば嬉しい。
ところで暁ちゃんって、本当は十六人くらい妹がいるんだっけ? どっかでそんな話聞いたような(
まあこの小説の中では暁型四人だけ、と言う単位で行きます。


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回答

その思いはどこまでも真っ直ぐで、前だけを見ている。

そして、だからこそ、彼女は気づかなかったのだ。

自身の隣に、そして後ろにいる彼女たちに。



 

「………………本当に良いんだな? 雷」

 そんな自身の問いに、雷が頷く。

「ええ、お願いするわ、司令官」

 正直、自身で言っておいて、本当にこれで良いのか俺自身よく分からない。

 

 ただこのままでは良くない、と言うのは思っているし。

 けれど同時に、このままにしておいたほうが良い、とも思っている。

 結局、どっちが良いかなんてこと、分かったものではないのだ。

 

 結果は推して知るべし、なんて言うが、結果なんてそう簡単に推測できるならば誰も苦労はしない。

 やってみるまで分からない、なんて言うが、そんな無責任な行動はできるような安易な案件でも無い。

 

 それでも、今の雷が良いと言うならば、自分自身でそう言ったのならば。

 

「俺はお前の意思を尊重しよう」

 

 少なくとも、この件に関しては、苦言を呈することはあっても勝手な真似だけはしまい、と決めているのだから。

 だからこそ、雷が自分から言い出したことは意外だった。

 

「なら…………送るぞ? 中将殿に」

 

 そんな自身の問いに雷は、はっきりと頷いた。

 

 

* * *

 

 

 コンコン、と部屋の扉をノックされる。

 時刻はすでに深夜十一時を回っているくらいの時刻。

 暁か、雷か、それとも電か。

 さて、誰が来たのだろうか、そう考えつつ、どうぞ、と入室を促し…………。

 

「入るぞ」

 

 その声に響の動きが止まる。

 姉妹たちの誰のものでも無い、男性の声。

 それは即ち、司令官の声以外にあり得なかった。

 

「司令……官……?」

「なんだ、たった一週間で俺の顔を見忘れたか?」

 

 冗談めかし、司令官がそんなことを言うが、そんなはずが無い。

 例えどれだけ時間が経っても自分が司令官の顔を忘れるはずが無い。

 一週間ぶりに見たその姿は、けれど自身の記憶の中にあるその姿と何も変わらない。

 そのことに、懐かしさを覚え、同時にどこか安堵している自分がいることに気づく。

 

 とくん、と心臓が鼓動を打つ。

 

 その意味すらまだ分からないままに。

 

「……………………えっと…………久しぶり、かな?」

「ああ、一週間ぶりだな」

 

 どうしてだろう。

 久しぶりの司令官との会話なのに。

 どうしてなのだろう。

 こんなにも緊張してしまうのは。

 最後に会った時のやり取りのせいだろうか、そうも思ったが。

 

 けれど、どこか違う気がする。

 

 それが一体何なのかも分からないけれど。

 

「…………ああ、うん。やっぱり…………久しぶりに話せて嬉しいよ、司令官」

「そうだな…………俺はまあ…………いや、俺もだよ」

 司令官と向き合っていると、自然とそれを嬉しく感じる自分がいる。

 そして司令官もそうだと言ってくれたことを歓喜する自分がいる。

 

「……………………」

 けれど同時に、緊張の色が強くなる。

 どうしてだろう、何を話せばいいのか分からなくなる。

 司令官との会話は自身にとっての日常だったからこそ、今更こうして意識してしまうと何を話せばいいのか分からなくなる。

 

 そしてそんな自身の戸惑いを他所に、司令官が口を開く。

 

「謹慎から一週間だ…………何か答えは出たか?」

 

 その言葉に意識が裂かれると、自然と緊張は解けたが、今度は別の意味で緊張してしまう。

 

 “分からないか? もしこのままずっと分からないのなら――――――――”

 

()()()()()

 

 そんな自身の言葉に、司令官がふっと笑って続ける。

「そうか、なら一つだけ質問だ」

 響、ずっと昔からの自身の名を呼んで。

 

「“お前は一体何を守りたいんだ?”」

 

 そんな、司令官の言葉に、一瞬だけ考えてみて。

 

 答えは一つだけだった。

 

「私は――――――――」

 

 姉妹を守りたかった。

 

 ずっと過去の後悔の記憶を抱えたまま生まれた(じぶん)と言う存在は、他の何よりもそれを思っていた。

 その思いが強すぎて、ずっと忘れていたことがある。

 ある意味、自分だって電のことをとやかく言えない。

 ずっとずっと夢を見ながら生きてきたようなものだ、生まれたその時から、現在(いま)に至るまで。

 

 夢から覚めたのはいつのことだっただろうか。

 

 “家族を助けることができるくらい強くなりたい”

 

 きっと暁のその一言が切欠だった。

 自身と同じような言葉、同じような思い、同じような決意だと思っていた。

 けれどどこか違和感を覚える。どちらに、そう言われれば。

 

 自分自身の決意に。

 

 比較してみて、初めて自分の言葉の違和感に気づいた。

 

 けれど何が違うのか、何がおかしいのか、どこに違和感を感じているのかが分からない。

 考えて、考えて、考えて……………………そこに雷がやってきた。

 

 “恨むわけ無いじゃない。許さないわけ無いじゃない、だって”

 

 ずっと欲しかった言葉。

 

 ”家族じゃない“

 

 そこに答えはあった。

 

 

 * * *

 

 

「私は――――――――家族を、ううん、仲間を守りたい、いや、守ると決めたんだ」

 

 響が…………否、ヴェールヌイが、ぽつりとそう呟いた。

 

「私はずっと過去を見ていた」

 

 生まれた時から、ずっとずっと。覚めることの無い過去(あくむ)を見続けていた。終わることの無い願い(ゆめ)を抱き続けてきた。

 

 “もし生まれ直せるのなら、今度こそ――――”

 

 それは、俺と初めてあった時からずっと抱いていた願い。

 けれどそれを、俺はずっと雷を守れなかった後悔、つまり過去の延長だと思っていた。

 けれども、それが違うことに気づいた、気づいてしまった。

 

 ヴェルは、今いる姉妹を見ていない。

 

 ただ、暁と言う艦娘に、雷と言う艦娘に、電と言う艦娘に

 

 守れなかったかつての姉妹艦を重ねているだけだったのだ。

 

「目の前にいる家族のことさえ、見ていなかったんだ」

 

 その弊害と言うべきなのだろう、艦隊行動に置いて…………否、戦う兵士として致命的な問題が見つかった。

 それこそが俺がヴェルに戦うな、と言った理由であり、謹慎までさせた理由である。

 

 つまるところ。

 

「お前は、同じ艦隊の仲間を見ていない、だからこそ、そこに信頼も無い」

 

 同じ艦隊の仲間をまるで信じていないのだ。

 

 旗艦ともなれば、その仲間を纏め、生かして返すのが役割のはずなのに、仲間をまるで信じず、全て自分でやろうとする。

 

「そんなやつ、戦列に加えれるわけ無いだろ」

 

 ヴェルなら分かっていたはずだ、駆逐艦二隻程度ならば暁と電の練度があれば十分勝てると。

 ヴェルなら分かっていたはずだ、今自分が無理をする場面では無いと。

 ヴェルなら分かっていたはずだ、ここでまた出撃すれば今度こそ撃沈する可能性だってあるのだと。

 ヴェルなら分かっていたはずだ、そんなことになればこの鎮守府の戦力が一気に落ちることを。

 

 分かっていて、それでも尚、出撃しようとする。

 それはつまり、暁のことも、電のことも信じていないからだ。

 

「仲間のことすら信じられないやつが信頼(ヴェールヌイ)だなんて失笑もんだろ」

 元の意味が違っていようと、それでも響はこの場所で、この鎮守府で、確かに誓ったのだ。

 

 今度こそ守ってみせると、その信頼の名に誓って。

 

「あの日の誓いは思い出せたか?」

 そんな自身に問いに、ヴェルが苦笑して。

Да(ダー)…………大丈夫、もう忘れたりしないさ」

 そう告げる。その眼は確かな決意があり、だからこそ、俺も苦笑する。

 

「そうか、なら出撃の準備をしろ。またこの前の敵の残党がやってきたらしいぞ」

 

 そんな自身の言葉に、一瞬だけ眼をぱちくりと瞬かせ…………。

 

Да(ダー)

 

 珍しく笑みを浮かべた。

 

 

 * * *

 

 

 一週間ぶりの外。冬に差し掛かっているからか、夜の冷たい空気に背筋を振るわせる。

 かつてもっと寒い国に行ったことのある記憶だってあるが、それにしたって寒いものは寒いのだから仕方が無い。

 けれど、そんな寒さも正直言えばそれほど気になっていない。

 むしろ、外気の冷たさと反比例するかのように、気分は高揚していた。

 久々に背負う艤装の重さがどこか心地よい。

 

「それじゃあ行ってくるよ、司令官」

 

 出撃準備完了と、後ろの司令官にそう声をかける、と。

「ああ、ヴェルちょっといいか」

 何か用か、と司令官のほうを振り向いて。

「ほれ、寒いだろ、これ着けてけ」

 そう言って首元に巻きつけられたのは…………。

 

「マフラーかい?」

「ああ、暁が寒い寒い言ってたからな、試しに四人分取り寄せてみた、どうだ?」

 そう言ってマフラーを巻いてくれる司令官、ただマフラーを巻けるくらいの距離だからか、その顔がすぐ目の前にあることに、僅かに頬が暑くなる。

「うん、暖かいよ、司令官、Спасибо(スパシーバ)(ありがとう)」

 不思議と暑くなる頬に手を当てつつ、冷えたのだろうか、なんて考えて。

 

 ぎゅっと、体を締め付けられる圧力に、眼を見開く。

 

「司令……官……?」

 

 司令官が自身を抱きしめているのだと気づくのに、数秒かかる。

 そうして、気づくと同時に、動けなくなる。

 どうしてだろう、分からないけれど。

 何故か体が強張る。

 怖がっている? 否、そんなことは無い。

 だって相手は司令官なのに、どうして怖がる必要がある。

 だったら、どうして自身は…………。

 

「なあ、ヴェル」

 

 そんな自身の葛藤を他所に、司令官がそっと呟く。

 

「頼むから、もう二度と自分の身を投げ捨てるような真似はしないでくれ」

 

 耳元で囁かれる言葉に、体が萎縮する…………けれども、それもすぐに無くなった。

 

「死ぬかもしれない場所にお前たちを送り込んでる俺が言う言葉じゃないかもしれない」

 

 だって、その言葉は、その声は。

 

「司令官である以上、お前たちを戦わせてる以上、いつかは起きることと覚悟するべきなのかもしれない」

 

 震えていて。

 

「それでも、俺は」

 

 悲しげで。

 

「――――――――お前がいなくなるなんて、絶対に嫌なんだよ」

 

 今にも、泣きそうだったから。

 

「だから、なあ…………ヴェル、頼むから」

 

 だから、そう、それはほとんど無意識だった。

 

「お願いだから………………」

 

 その先の言葉を司令官が紡ぐよりも先に。

 

「っ!?」

「……………………」

 

 自身の唇を重ねて黙らせた。

 たっぷりと、十秒近く経ってから、司令官から離れる。

 幸い今の衝撃で、腕の力は緩んでいたので簡単だった。

 そうして、今尚軽く放心状態の司令官に向かって告げる。

 

「約束しよう司令官」

 

 昔のように。

 

「私は必ず司令官のところへ帰ってくる」

 

 かつてあなたが私にしてくれたみたいに。

 

「何があろうとも」

 

 今度は、私から。

 

「絶対に、だ」

 

 そうして身を翻し。

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

 

 暗い夜の海へと飛び出した。

 

 

 * * *

 

 

「提督、提督宛に連絡が来てるわよ」

 朝から元気な目の前の少女から渡されたファックス用紙。

 机の上に積まれた書類を一部どかしてスペースを作ると、用紙に目を通し、さらにそこに赤ペンで書き込んでいく。

 一通り目を通し、赤ペンを入れたところで再度目の前の少女、島風へと用紙を渡す。

 

「番号間違えないようにね」

「わかってまーす」

 

 ファックスを操作している島風から視線を手元に戻し、再度書類に目を通していく。

「…………ん? 彼のところか」

 最近建造をしたばかりの彼のところの報告書。

 建造結果には驚かされはした、だがそれでも。

 

「別の子…………なんだよねえ」

 

 駆逐艦雷。かつての自分の秘書艦と同じ艦を建造したと言うのは奇妙な縁だと思う。

 否、それともあそこには響、暁、電の三人がいる。存外それは必然だったのかもしれない。

 そこに思うところが無いわけでもない。

 だがそれでも、彼のところにいる彼女は、自分の知る彼女とは別人なのだと分かっているから。

 

 と、その時。

 

「提督」

 

 ふと呼ばれたので、視線を上げると、机の前に島風が立っていた。

「送ってくれた?」

 そんな自身の言葉にも答えることなく、ただ一枚のファックス用紙をこちらに渡して。

「ちょっと出てくるから」

 そういい残して、部屋を飛び出していく。

 

「え…………え? 一体何さ?」

 

 わけが分からず事態についていけない自身だったが、取り合えず島風の渡してきたファックス用紙を目をやって。

 

「…………………………え?」

 

 言葉を失くした。

 

 そこに書いてあった言葉の意味を、一瞬頭が理解を拒否した。

 

 だってそうではないか、まだ性質の悪い悪戯だと言われたほうが納得できる。

 

 けれど、彼がそんな無意味なことをするだろうか?

 

 とてもそうは思えない。

 

 だとすればこれが事実だと言うのか?

 

 

 “某月某日 フタヒトマルマル時 我ガ最後ノ場所ニテ待ツ”

 

 

 言うなればそれは、招待状だ。

 

 差出人は…………駆逐艦雷。

 

「……………………冗談、でしょ」

 

 呟いた言葉は、けれど執務室の沈黙の中に消え去っていった。

 

 




ずっきゅーん、って効果音が欲しいところ。

と言うわけで三十九話目投稿完了。
あと一話にて本編完結となります(多分)。

来週試験だから、今週中に投稿したいところ。まあ今日は実技テストあるので、書くとしたら夜だけど。



そして今更な話なんですけど、中将殿の名前は火野江火々と言いまして、作者の書いてる別の作品、オリ主スレッドの第二回スレ主…………の転生云々の設定を抜いたキャラです。
雷ちゃん元秘書だったり、現秘書島風だったりとかはその辺から来た設定ですね。

少しだけ解説すると、元々は主人公に難題を吹っかけてほのぼのしたまま島から動かない主人公たちを動かす、つまり物語の歯車的存在でした。
第五話あたりまではまだこの物語二種類のルートがあって、ほのぼのルートとシリアスルートの二つに分岐し、そのどちらでも中将殿の設定は変わりました。
ほのぼのルートだと悪役続行で、ほのぼのしてる二人を適度にかき回す狂言回し役。
シリアスルートだと「実は全部主人公を成長させるためのフラグだったんだよ」「ナ、ナンダッテー」と言うありがた迷惑なやつ。

で、実際に一章終わってみると、これどっちのルートもちょいちょい統合して第三ルート開拓してやれとなって、で、その時に「タイトルこれだけど、一時的に響がいなくなるなら、次どうしよう? あ、なら暁連れてこよう」みたいな感じで、第二章暁ちゃんメインが決定。そこから芋づる式で「なら三章は電、雷は死んでるから四章で追悼編みたいなにするか」みたいな感じで全四部構成が決定。まあ途中途中でちょいちょい予定を変えながら今までやってきました。

さて、じゃあここまでのルートの中将殿の役割を言うと、“終わった物語の主人公”です。

つまり、元とは言え中将殿も主人公格なわけですよ。

そしてここまで書いといて何が言いたいのかというと。

次回、中将&雷メインです(長い

主人公? えっと、誰でしたっけ? 今回ちゅーされてたリア充? 呪われればいいと思うよ(


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終結

なるようになり、あるべきようにあって、そうして帰結する。

そんな必然は好きではない。

起こり得ないからこそ偶然であり。

それでも捨てきれない願いを抱いているからこそ、素晴らしいのだから。


 目を疑った。

 かつて彼女が亡くなったその場所に。

 また彼女が立っているのだから。

 けれど、そんなの錯覚だろう。

 

 だって。

 

「あら」

 

 彼女は。

 

「こんばんわ」

 

 死んだのだから。

 

「…………(いかずち)

 

 

 なのに。

 

 

「こんばんわ、火々(ほのか)

 

 だと言うのに。

 

「良い夜ね、ちょっと寒いけど」

 

 どうして。

 

「そんなに長く時間を取るつもりは無いから、だから、ね?」

 

 こんなにも。

 

「少しだけ、お話しましょ?」

 

 彼女と重なるのだろうか。

 

 

 * * *

 

 

 ことここに至って、雷と言う少女について言及する意味も無いだろう。

 故にこの場のもう一人の主役、火野江火々と言う女性について語ろうと思う。

 

 火野江(かのえ)火々(ほのか)と言う女の半生は、極めて特殊だったと言える。

 自身の生まれなど覚えてもいない。気づけば児童養護施設で育っていた。

 ただただ無気力な子供だった、いっそ虚無的と言っても良いかもしれない。

 ある意味、才能と言うものを全て詰め込んだような少女で、やろうと思えばなんでも出来たし、望めばどんなものでも手に入った。

 けれどそれは子供ながらの狭い世界だったから、なんてこと彼女自身が早々に気づいていた。

 そして、気づいていたが故に何もしなかった。

 

 必死になれるものが欲しかった。

 

 手に入らないものが欲しかった。

 

 出来ないことが無い故に、全てが無意味で。

 手に入らないものなど無いが故に、全てが無価値だった。

 

 意味のあるものを求めた、価値のあるものを求めた。

 

 けれどきっと、そう簡単には手に入らないものだとも思っていた。

 それが間違いだったと知ったのは彼女が十三になるかどうかと言った頃の話。

 

 一人の女が施設にやってきた。

 

 彼女と同じ、施設出身の女。傍に一人の少女を携えてやってきたその女は、真っ白な軍服に身を包んでいた。

 火野江花火。当時の海軍大佐。狭火神(さかがみ)(しのぶ)海軍少将の同期であり、狭火神少将に最も信頼され、竹馬の友でもあった女。

 その日、偶々玄関先で女に出会った彼女に、女が言った。

 

「お前、私の家族になれ」

 

 そうして彼女はその日から、火野江火々となった。

 

 

 * * *

 

 

「どういうつもりか、聞いてもいいかい?」

 火々と、確かにそう呼んだ。基本的に苗字と階級のみで呼ばれることの多い軍では、下の名前など滅多に呼ばれることも無い。

 少なくとも、自身の知る限り自分を下の名前を呼ぶのは親と元上司であるあの人と、後は…………。

 

「あら? だって二人の時はいつだってそう呼んでたじゃない、今更そんなこと聞くの?」

 

 かつての自身の秘書艦である雷だけだったはずだ。

 

「キミは……………………」

 なんて言葉にすればいい? 私の知る雷なのか、なんて聞けるはずも無い。

 

 そんなことが有り得るはずも無いのだから。

 

 そんな自身の心中の言葉を知ってか知らずか、雷があら? と首を傾げ。

「しばらく会わないうちに頭が硬くなったのかしら? あの招待状でもう察してると思ったのに」

「………………………………有りえない」

 彼女が言葉を紡ぐ度に、有りえないと一蹴した思考が脳裏に過ぎる。

 無い、そんなことは、絶対に無い。そう反論する度に、けれど心のどこかでそうあって欲しいと願う。

 

「有りえない、雷は確かに沈んだんだ…………もう帰ってくるはずが無い」

 

 口に出してしまえば、それは認めてしまったようなもので。

 だってもう、内心で止めて置けないと言うことの裏返しでしかないのだから。

 

「そうね、確かにそうよね…………私だって以前の私だなんて言うつもりは無いわ」

 それを認めたようなそうでもないような、雷が言葉を曖昧にしながらけれど口を閉ざす気配無い。

「でもね、覚えている以上、そして認めてしまった以上、黙っているのも不義理じゃない、少なくとも彼にはそう言われたわ」

 それがどう言う意味を持つのか、きっとそれは雷本人にしか分からない、少なくとも自身には分からない事柄ではあるが。

 

「覚えている…………何を?」

 

 聞き捨てならない言葉に、思わず問い返し、そんな自身の言葉に雷が笑った。

 

「全部よ、司令官」

 

 自身の知る、太陽みたいな明るい笑みで。

 

 

 * * *

 

 

 この世に自分ですらどうにも出来ないことがある。

 

 彼女がそれを知ったのは、後に母となる女、花火と出会ってから三年ほどしてからだった。

 女…………花火は無茶苦茶な人間だった。

 一見博打に見えてその実極めて理詰めの狭火神提督とは真反対、何も考えていないように見えて本当に勘だけで動きまわるような女だ。一体どうして付き合っていられるのだろうと思うが、その実この二人が竹馬の友だと言うのだから世の中分からないものだ。

 

 正直言えば彼女は狭火神提督と同じ、理詰めで動き、合理性を考えるタイプの人間なので、火野江花火と言う人間の考えはまるで理解が出来なかった。

 けれど、それを不気味に思うことも、恐れることも、憤ることも無かった、むしろそれを喜んだ。

 この世界に未知があること、それもこんな身近にそれがあることを彼女は喜んだ。

 

 花火に拾われてからの三年間は彼女にとって最も充実した日々だったと言っても良いだろう。

 

 その日常が壊れたのが何度も言うように三年後のことだ。

 

 その日は海域調査のために航海へ出た花火が帰還するはずの日であった。

 寮の一室、彼女のために与えられた部屋で花火の帰りを待つ時間。

 けれど予定の時間を過ぎても帰ってこない。

 一時間待ち、二時間待ち。

 

 そうして彼女は思考する。

 

 思考を巡らせ、何かあったのではないかと考えて。

 

 そんな時、彼女の元にやってくる一つの知らせ。

 

 航海へ出た艦の消失。

 

 船員全員行方不明。

 

 彼女の母は帰ってこなかった。

 

 

 * * *

 

 

「……………………結局のところさ、キミは何がしたいんだい?」

 もしかしたら、万が一、否、億が一程度に過去の記憶を引き継いだ艦娘と言うのがいたとして、それが目の前の彼女だとして。

 だとしたらどうしてこれまで黙っていたのか、そしてどうして今頃になって自身の呼び出したのか。

 それが分からない、目的も、意図も読めない故に、どう言う姿勢で彼女に望めばいいのかも判断が付かない。

 

 そんな自身の問いに、雷がうーん、と人差し指を口元に当てて、少しだけ戸惑ったような表情をし。

「まあ色々言ってみても…………うん、そうね。ケジメをつけにきたのよ」

 ケジメ? そんな彼女の問いに、鸚鵡返しに問い返すと、雷が頷く。

「電に言われて一応納得したけれど、それでもやっぱりケジメって大事じゃない?」

 じゃない? と言われても、こちらとしては何を言っているのかが良く分からないわけで、どんな反応をすればいいものか、分からず戸惑う。

 

 そんな自身を置いて、雷が言葉を続ける。

「私の中にね、火々と…………火野江司令官と一緒だった時の記憶がある、意識もある、感情だってあるし、意思だって残ってる」

 あっさりと、そんな風にあまりにも簡単に、自身が一番気になっていた言葉を告げる雷に、絶句する自身。

「けどそれが私なのか、それとも過去の私じゃない私なのか。それが分からなくてずっと悩んでたわ」

 

 でもね、と彼女は続ける。

「電が言ってくれたわ、今の私も過去の私も、どちらも同じ雷であることには変わりないって。だから私、考えないことにしたの、どっちの私も本当の私、雷であることには変わり無いわ。だから、この記憶の中にいる私は、私。今ここにいる私も私。そう決めたの」

 笑みを浮かべたまま、けれどどこか辛そうに、そうして雷は言葉を紡いだ。

 

「ごめんね、火々」

 

 そうして出てきた言葉は、それだった。

 

 

 * * *

 

 

 義母の行方不明。

 彼女を乗せた船は、その航路の帰路にて消息を消した。

 その知らせは彼女にとってどうしようも無い無力感をもたらした。

 

 この世に自分ですらどうにも出来ないことがある。

 

 それを初めて知ったのだ。

 まだ少女と呼べるような年齢である彼女に初めて立ちふさがった壁であった。

 

 ずっと知りたいと思っていた挫折は、それまで挫折を知らなかった彼女の心に多大な衝撃を与えた。

 常人ならばそれでもう立ち上がれなかったかもしれない。

 けれど彼女はそれでも立ち上がった。

 

 初めての喪失感、失った物の大きさに、確か心が痛んだ。

 生まれて初めて感情を取り乱し、声を上げて泣き叫んだ。

 

 けれど、彼女の聡明な頭脳ほどに、彼女の物分りは良くなかった。

 

 失ったなら取り戻せ。

 

 すぐにフル回転し始めたその明晰な頭脳は、彼女に足りないものを次々と論っていく。

 そうして手に入れた手段が、義母と同じ提督と言う立場であったのは、ある意味必要だったのだろう。

 彼女がその溢れんばかりの才覚を発揮し、中佐となったのは二十歳と異例の速さであった。

 だが才覚ばかりでは異例のスピード出世を遂げるにはまだ足りない、その影には彼女の義母の友人であった当時の狭火神提督の尽力があった。

 

 狭火神仁海軍中将。

 義母を失った彼女の後見人となった男。

 もし本来よりもあと数年男が生きていたならば、彼女を自身の養子とし、完全に自身の後継として決める、そんな未来があったかもしれない。

 尚そんな未来があったのなら、彼女と男の息子である彼とは姉弟と言うことになるが…………まあそんなもしもの未来はけれどもう有りえないので割愛する。

 

 中佐と言えば現在であるならばもうすでに一つの鎮守府を任せられてもいい程度の地位だろう。

 だが過去はそうはいかなかった、今よりも艦娘と言う存在が普及しておらず、試験的にいくつかの鎮守府が開放されたばかりだった頃の話だからだ。

 その試験的に普及された鎮守府の提督の一人に彼女の義母も入っていたのだが、けれど義母の死と共にその鎮守府は別の人間に受け継がれた、その人間こそが狭火神提督であり、そして後に彼女が受け継ぐことになるのだから、人生と言うのは分からないものである。

 

 本当に、人生と言うのは何が起こるのか分からないものである。

 

 狭火神提督が亡くなったのは、彼女にとって人生で二度目の衝撃であった。

 事故だった、と言われているが、どんな状況で死んだのか、と言う情報は一切出回っておらず、未だにその死については謎も多い。

 だがとにもかくにも、海軍にとって大きな抑止力を失くしたのは事実であり、後に沸いて出た深海棲艦の大侵攻。それを瀬戸際で食い止めたギリギリ攻防。

 狭火神の後継として、彼女が周辺を鎮守府を纏めるようになったのは、ある意味当然の帰結と言えた。

 

 

 * * *

 

 

 突然の謝罪に、何のことか分からず、思わず疑問符を浮かべる自身に、雷が続けて告げる。

「勝手な約束押し付けてごめんなさい」

 

 そして。

 

「それでも、守ってくれてありがとう、司令官」

 

 告げられた言葉に、言葉を失った。

「あ…………ぅ…………」

 目の前の少女に何か言葉を返さないといけない。そう思っているのに。

 

 今口を開けば、嗚咽が漏れてしまう。

 

 どうしていきなりそんなことを言うのだ。

 思わずそう思ってしまった自分が悪くないはずだ。

 そんな不意打ち気味に言わないでくれ。

 だって、こんなの、こんなの…………。

 

「ホントはね、ずっと後悔していたわ」

 

 ずるい、素直にそう思う。

 けれど言葉は出ない、口を開けない。

 そうこうしているうちに雷は言葉を続ける。

 

「だってそうじゃない、司令官は優しいもの、あの状況であんなことを言えば必ず叶えようとすることなんて分かってたはずなのに」

 

 そう、それが。

 

「どんな無茶なお願いだって」

 

 

 * * *

 

 

 駆逐艦雷は知っている、ずっと彼女の傍で長年秘書艦として過ごしてきたからこそ、知っている。

 なまじ能力が高いからこそ、彼女は諦められないのだと。

 時間をかければ、いつかは出来てしまう…………()()()()()()

 いくら彼女でも出来ない、かもしれない。

 決して出来ないとは言い切れない、だからこそ努力しようとする。

 それを駆逐艦雷は知っている。

 

「でもね、もういいのよ」

 

 あの日、姉である響を許したように、今度は彼女にも告げるのだ。

 

「司令官は十分約束を守ってくれたわ」

 

 電も、響も、自分の大切な家族は皆同じ場所で笑っている。

 雷にとってそれだけで十分なのだ、それ以上は高望みが過ぎると言うものだ。

 そして決して直接的では無いとは言え、それを為してくれた一端は、彼女にもあるのだから。

 

 だから、

 

「私には、もうそれだけで十分だから」

 

 だから、

 

「だから、司令官」

 

 お願いだから、

 

「もう雷との約束に拘らなくてもいいの」

 

 もうそれは必要無いのだ。

 

「ごめんなさい、ずっとあなたを縛ってきて」

 

 実感は無くとも、それは自身だと決めたのなら。

 

「でももういいの、司令官は司令官のために生きてもいいの」

 

 だからこそ、伝えなければならない。

 

「私の姉妹を守ってくれて、ありがとう、司令官」

 

 謝罪を、そして感謝を。

 

「もう私たちは大丈夫だから」

 

 そして、もういいのだと、伝えるのだ。

 

 

 * * *

 

 

 火野江火々と言う名の彼女には、一つの目的があった。

 そのために海軍に入隊し、そして提督となったと言っても過言ではない。

 

 即ち、行方不明(MIA)となった義母の捜索である。

 

 そう決めてから早十数年が経つが、未だに遺体や遺品が見つかってない以上、彼女は義母の生を信じている。

 けれどいつまでも生きているなんて保証が無いことも分かっている。

 きっと生きている、きっと死んでいる、二つの思いを抱えながら、それでも未だに義母を見つけ出すと言う目的だけは欠片も揺らいではいない。

 

 提督となって最初の一年はその目的のために邁進していると言う自覚があった。

 けれど二年経ち、三年経つころには舞い込んでくる厄介ごとの山に埋もれ、自身が完全に立ち止まってしまっていることに気づいた。

 だからこそ、時間を見て、少しずつでも捜索を進めていった、時には自ら足を運んだりもした。

 

 けれど狭火神大将の死を切欠として、それも完全に途絶えた。

 国防のために身をやつす毎日、それが必要なことだと知っているからこそ、手を抜くことも出来ない。

 そして狭火神大将の代理としての重責に耐え、必要とされる度量の大きさを兼ね合わせ、さらには狭火神大将の元部下たちからも信頼を得ている人物など彼女の他にいないせいで、誰かに任せることも出来ない。

 

 そこに来て一番信頼していた秘書艦である雷の撃沈、第一艦隊を任せていた響と電の戦力外通告など、立て続けに起こった災難。

 

 そして…………雷との約束。

 

 火野江火々は最早、完全に目的を諦めていた。いや、雷とのことが無くても、もう近いうちに諦めていただろう。雷との約束はあくまで切欠であり、最早その状況にまで追い込まれていたのだから。

 

 どうあってもこの先、数十年単位で忙殺されるのは目に見えている。

 そしてそこまで時間を延ばしてしまえば、例え義母がこの十数年生きていたとしても最早人としての寿命を迎えているだろう。

 自身だってどうなっているか分からない、あの義母もそうだし、狭火神提督ですらすでに故人なくらいなのだ。

 

 だから、諦めていた。

 

 もう無理なのだと、唯々諾々とそれを受け入れていた。

 

 勿論それを他人に悟らせることなんて無かったけれど。

 

 けれど、一人だけ、それに気づいていた存在がいたことに、彼女ですら気づかなかった。

 

 

 * * *

 

 

「ねえ火々」

 司令官、と呼ぶのを再度止めた雷が、自身を見つめる。

「もっと私を頼っていいのよ?」

 それは昔、まだ彼女が自身の秘書をしていた頃に、同じような台詞を聞いた覚えがある。

「少なくとも、狭火神司令官は了承してくれたわ」

 何を? そんな自身の問いに答えるかのように、雷が笑んで告げる。

 

「今度は私が火々を助けるから」

 

 だから、

 

「もう一人で頑張らなくてもいいわ」

 

 だって、

 

「今度は、私も一緒に背負うから」

 

 そんな一言、ふと蘇る記憶がある。

 

 “ほら、もっと胸張って、自信のある顔で行きましょうよ”

 “司令官がそんな顔してたんじゃ、私たちだって笑えないわよ、だから、ね? 笑顔、笑顔!”

 “そうそう、もっと笑って、笑い飛ばして、明日からまた頑張りましょう”

 

 “一緒にね”

 

「……………………ふふ」

 思いだして、思わず笑いがこみ上げる。

 そんな自身に雷が首を傾げるが、これが笑わずにいられようか。

「…………全く、電も良く分かってるじゃないか」

 全く持って、電の言う通りである。

 

「キミは本当に変わらないねえ、雷ちゃん」

 

 そうして、今日初めて、彼女の名前を呼ぶ。

 彼女なりの拙い言葉、けれどそれなりに胸を打つものがあったらしい。

 雷の居なくなったあの日から感じていた肩の荷がすっと軽くなっていることに気づいた。

 ずっと昔から感じていた、胸の中の焦燥感にも似た感情が、和らいでいることに気づいた。

 

「…………本当に、キミなんだね、雷ちゃん」

「…………ええ、ごめんね、こんなに遅くなって」

 

 苦笑しながら首を傾ける雷ちゃんに、自身も笑っていいよ、と言って返す。

 

「本当にいいのかい? 私の荷は軽くないよ?」

「私との約束だって、そんなに簡単でも無かったわよ」

 

 そう言う雷だが、あれは自身のやったことなどほとんど無い。

 だってあれは――――――――

 

「狭火神司令官が尽力してくれたことは知ってるわ、でもそんな狭火神司令官をずっと守ってきたのは、火々でしょ?」

 

 なんて、何とも軽い口調で、今までずっと隠してきたことを当ててくるのだ。

 だから彼女に隠し事は出来ない。

 

 

 狭火神灯夜。狭火神仁のたった一人の息子。

 今でこそ狭火神大将の後継として自身が居るが、それでもかの生ける伝説のたった一人の息子が海軍に入隊したのだ、当時から彼と接触を持とうとするものは多くいたし、中には悪意を持って彼に近づこうとする人間だっていた。

 

 そしてそれを裏から手を回し、彼が理不尽な悪意に晒されないように最大限の注意を計っていたのが、自身ともう一人の人物である。

 彼が少佐となった時、真っ先に自身の近くの孤島のような鎮守府に彼を押し込めたのは自身だ。

 本土から離し、自身の庇護下に入れることにより、余計な横槍を入れられることを防ぐためだ。

 領海防衛を目的とした鎮守府ならばそれほど出撃が多くなくとも許されるし、それで文句を付けるような輩なら自身の力で黙らせることだってできる。

 

 そして戦力として、自身のところから響を出向させた。

 当時心身的には病んでいた響ではあるが、電と違って出撃自体には問題なかったし、練度的には着任したての提督には破格のものがあった。

 それに、狭火神大将の息子ならば、自身にはどうにも出来ない響を救ってくれるかもしれない、なんて淡い期待を勝手にしていたのもある。

 

 結果的にそれが功を奏したのは、全くの偶然であり、もしもの時のために、最初の二ヶ月は島風を同海域に配置していつでも助けに入れるようにしていたのだが、全くの杞憂であった。

 彼のことを真に認めたのは、恐らくタカ派の連合艦隊の敗北の撤退戦の一件だろう。

 自身の鎮守府でも最強クラスである島風を送ったとは言え、たった二隻で本当にあの大群を足止めするとは予想外にもほどがあった。

 

 そして自身の知らぬ間に電の出した手紙により、響が鎮守府に戻ることになるのだが、ほとんど入れ替わり気味に暁が彼の鎮守府への移籍を希望しており、彼女を要求する他の鎮守府を黙らせて彼の鎮守府へと移した。

 まあそんな暁も、割と問題有りだったようだが、さすがにそこまでは責任は持てない、それに彼自身で何とかしたようだったし。

 

 さらにはその後、自身たち中立派の起こした掃討戦、そしてそれに伴う敵の逆襲。

 敵の中心部隊を足止めし、その撃破に一役買った彼を引き抜こうとする勢力は意外と多いかった。狭火神の名がまだまだ健在であると言う証拠でもある。

 それら全てから彼を守り抜くのは中々に骨が折れたが、自身の無茶振りを聞き入れて鎮守府を守り抜き、響に続き、電の心すら癒してくれた彼には頭が下がるばかりである。

 

 

「こう考えてみれば、私の借りのほうが多いんじゃないかな」

 とは言うものの、やはり幼少の頃より守ってきた彼がこうして立派に成長している姿は感慨深いものがある。

「そうだね…………守ってきた、そう言うのかもしれない」

 ずっと見守ってきた、狭火神大将の代わりに。大将がそうであったように。

 自身に父親の代わりなんて出来ないけれど、それでも親を失った自身に大将がしてくれたように。

 傍に置いて、見守る。その程度しかできなかったけど。

 

「彼は…………気づいてるんだろうね」

 

 多分、今更言っても仕方ないなんて思ってるんだろうけど。

 それでも、以前言われたことがある。

 

 “もう一人の大人ですから、いつまでも守られてばかりってわけでにもいかないですよ”

 

 気づいてるのだろう。それでも、それをはっきりと言わないのは…………。

 

 その答えを出すより早く、雷が呟く。

 

「火々が守ってきた狭火神司令官が私たちを助けてくれたのよ、だったらそれって間接的に火々のお陰でもあると思わない?」

「さて、ね…………そんな恩着せがましいこと、言えないよ」

 

 そんな自身の言葉に、雷が笑う。

 

「火々も、素直じゃないわね」

 

 そんな雷の言葉に、きょとんとして、やがて言葉を返す。

 

「誰かに似てね」

 

 そうして、苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

「うし、全員準備は大丈夫かー?」

 

 冬だと言うのに、朝から日差しがきつい。

 今日は暖かい日になりそうだな、と思いつつも、やはり海の傍だからか風が吹くと肌寒い。

 こんな寒い日に出るとか本当にお疲れ様だな、と思いつつも目の前にいるこいつらに悟られないよう、表情には億尾にも出さないよう徹底する。

 

「いつでも行けるわ、司令官」

 

 そうして暁が、大声で返事を返す。

 こいつとは以前色々あったが、今ではこうして仲良くやれている。

 色々と頭を抱えさせられもしたが、それでも今では鎮守府内のムードメーカーだ。

 

「こっちも大丈夫なのですよ」

 

 続いて電が返事をする。

 初めて合った時は、今にも消えて無くなってしまいそうな儚い印象を受けた。

 触れれば壊れてしまいそうで、どうすればいいのか分からなくて、けれど今ではすっかり元気になっているようで、今日も末っ子は姉妹から可愛がられている。

 

「オッケーよ、司令官、いつでもいけるわ!」

 

 最後に雷が元気に返す。

 正直言って、こいつが一番の曲者ではあったが、それでも今では姉妹仲良く出来ているようで良かった。

 それに、中将殿とのことも一通りの決着を見せたようで、二人きりで会って以来、時折電話で話しをしているようだった。

 

「では、旗艦を暁とし、以下二名に特定海域探索の命を下す」

 

 三人に向け、そう告げると、三者が敬礼をし。

 

「「「了解!」」」

 

 と元気に返し、海へと出て行く。

 その姿を見送りながら、さて、戻ろうか、と思ったところで。

 

「……………………いたのか」

「姉妹の見送りくらいするさ、これから三日以上会えないんだから」

 

 自身の背後に、いつの間にかヴェルがいた。

 

「声、かけなくて良かったのか?」

「ん…………ジンクスは大切にするほうでね、みんなが帰ってきてからゆっくり労いの言葉でもかけるさ」

 

 海のほうを一瞥し、そうしてまた視線を戻す。そうしてヴェルと共に鎮守府へと歩きだす。

 

「十数年前に行方不明になった船の捜索、だっけ?」

「ああ、火野江中将直々の命令だ。と言っても、ゆっくりやってくれていい、とのことだから、それほど無理させるつもりも無いがな」

 

 三人には敵がいるようなら、様子見、無理そうなら帰還しても良いと言っている。

 調査が難航するようなら、凡そ三日前後で戻ってくるだろう。

 

「と、言うことは、最低でも三日は私たち二人か」

「まあ職員全員、一度本土に戻ってるしな」

 

 現在、何故か全員バラバラな理由で鎮守府で働く人間全員が一斉に休暇を取っていた。

 と言っても、短期的な話であるし、火急を要する用件も無い上に、いざとなれば中将殿のところに連絡すれば大概の問題は片付くので、まあ良いか、と許可したのは自身だが。

 

「…………ふむ」

 

 と、何故かヴェルが立ち止まり右手を顎に当てて考える仕草。

 そうして視線をちらりとこちらに向け。

 

「二人きりか…………この間の続きでもするかい?」

 

 この間、と言う言葉が何を指すのか一瞬考えて。

 

「…………っ、ば、バカか。するかアホっ」

 

 過日の出撃の際のやり取りのことだと気づき、思わず顔を紅くする。

 

「だいたいお前、好きとか良く分からんとか言ってただろ」

 

 あの時の行為を思い出すと、明らかにそう言う類のものではないかと思ってしまうが、それでもヴェル自身が以前そう言ったものが良く分からないと言っていただけに、混乱してしまう。

 そんな自身の問いに、ヴェルがふむ、と呟き。

 

「司令官」

 

 自身を呼ぶ。

 

「何だよ」

 

 そんな投げやりな返事に、少しだけ戸惑ったように言葉を止めて…………続ける。

 

「前にも言ったけど、私には愛とか恋とか、よく分からないよ…………だから司令官に対するこの感情になんて名前を付ければいいのか今の私にはまだ分からない」

 

 でもね、そう呟き、さらに続ける。

 

「この感情を一言で言い表すのは簡単なんだよ」

 

 一歩、ヴェルが自身との距離を縮める。

 

「ねえ、司令官」

 

 その両手を自身の頬に当て。

 

「大好きだよ」

 

 再び、口づけした。

 




最終話とエピローグ分けようかと思いましたが、無駄に更新が遅れそうなだけな気がしたので、ついでに書くことにしました。
と言うわけで今回はどどん、と増量して1万字です。

そして今話をもって"響が可愛いと思ったから勢いだけで思わず書いちゃったような艦これ二次”本編は完結です。

ついでなんで、あとがき&登場人物紹介を投稿しときます。
ほら、やっぱり色々と設定付け加えたり? あとオリ主設定とかありましたし?
それと無意味な伏線はそこでバラします、五章(番外編)の伏線はバラさないようにしますけど。


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キャラ設定&あとがき

最終話を見ていない人は、一つ前の第四十話を先に見てください。


警告:今回は登場人物設定と、作品完結後のあとがきとなっています。ネタバレや暴露話ばかりなので、本編を読み終わってない人は見ないことを推奨します。


キャラ設定

 

 

狭火神灯夜(さかがみ-とうや) 23歳 男 身長175cm 体重63kg

 

主人公。辺境の孤島に立てられた鎮守府に着任した提督。

幼少の頃に母を亡くし、鎮守府で提督としている父親の元へ引き取られる。その際、育児放棄気味の父親の代わりに、その秘書艦である瑞鶴に半ば育てられ、瑞鶴のことを慕っていた。

父親が死亡し、瑞鶴が撃沈してからは、瑞樹葉家に引き取られ、瑞樹葉姉妹と家族同然に育てられる。

仕官学院を出てすぐに提督となり、中将殿の計らいにより現在の鎮守府に着任する。

自身の父親のことを「親としては最低だが、提督としては尊敬している」と言っており、その戦術的な才覚はしっかりと受け継いでおり、誰もが認める戦略を描く才能を持つ。

瑞鶴や瑞樹葉姉妹によって家族愛はしっかりと学んだが、来歴が来歴だけに、恋愛感情と言うものを全く知らずに育ってきた。だからか、ヴェールヌイの好意に、時折戸惑う。

 

「何で戦うのかって? さあ、何でだろうな? 俺にも分からん」

 

 

ヴェールヌイ

 

ヒロイン。守れなかった後悔を抱えていたところを提督に、俺の命を守って見せろ、と言われ、戦う。

そうして少しずつ、守れたものを増やして行くことで、守れなかった後悔を薄れさせ、今度こそ守りぬく、と言う

決意へと換えさせられた。響からヴェールヌイへと変わったのはそう言う決意の表れと言える。

その実、自身が姉妹たちに過去守れなかった姉妹艦を重ねて見ているだけだと言う事実に気づく。

今の姉妹たちを今度こそ守りぬくのだと、再度誓った。

作者が埋め込んだ地雷は全て撤去されたので、恋愛スイッチはいつでもオンにできる。

 

「今度こそ守りぬく、この信頼の名は、そのためのものだから」

 

 

 

可愛い。ndndしたい。かつての連合艦隊の敗北時、自身の行動のせいで仲間二人が死んだことをずっと悔やんでいる。誰かに糾弾でもされれば少しは罪の意識が薄れたのかもしれない、お前の行動は間違っていたとそう言われればマシだったのかもしれない、けれど無情にもその局面での暁の行動は決して間違っていなかったからこそ、そして間違っていたのは仲間たちのほうだったからこそ悔やんでも悔やみ切れずにいる。

姉妹の中でも弄られて涙目になることが多いが、シリアスな時は一番頼りになるお姉ちゃん。

かつての後悔からか、人の機微…………特にマイナス感情には非常に聡い。

 

「間違ってないから苦しい、正しいからこそ痛い。いっそ間違いだって、そう言ってくれたら後悔だってできるのに」

 

 

 

なのです。目の前で雷を失った悲しみから心を閉ざしてしまった少女。その現実を認めてしまうのが怖くて、心を閉ざし、現実から目を逸らすことで心を守っている。そんな彼女に必要なのは、優しさでも厳しさでも無い。

逸らした現実を向き合う、心の強さ、それだけだ。

 

「怖いのです…………もしそれを認めてしまったら、本当に雷が死んでしまうみたいで、怖かったのですよ」

 

 

 

お艦。響を庇って作戦行動中に死亡。後に、複製艦に魂だけが宿り、記憶だけ持って主人公の鎮守府で復活する。

とか予定立ててたけど、思ってたよりダーティーになっちゃった子。雷の性格は二通りあって、一つは通常通りの明るい元気っ子(ただし腹の中では黒いもの抱えてる)、と本編通りのダーティー&ダウナー系毒舌少女。本編はまあ見ての通りになったけれど、過去の人格も引き継いでいるので、軽く二重人格気味になった。

 

「恨むわけ無いじゃない。許さないわけ無いじゃない、だって、響は――――家族じゃない」

 

 

火野江火々(ひのえ―ほのか) 3?歳 身長163cm 体重??kg

 

以前のあとがきにも書いたけれど、オリ主スレッドと言う作者の他作品の主人公の一人。

元々は主人公に難題を吹っかけてほのぼのしたまま島から動かない主人公たちを動かす、つまり物語の歯車的存在。

ただ向こうから中将が出張らなくても向こうから勝手に難題が降りかかってくるので、速やかに善人ルート&協力者へと成り代わった。

作者的立ち居地は“終わった物語の主人公”。彼女の物語は、彼女の母親が死んでから主人公が提督になるまでの十数年の間に終わってしまっている。

 

「頑張るから…………だから見ていて、母さん、雷ちゃん」

 

 

瑞樹葉歩&柚葉(みずきば―あゆむ&ゆずは) 25歳&18歳

 

主人公の両親が死んでから、引き取られた先の家の姉妹。瑞樹葉と言うのは海軍の中でも代々有力な提督を輩出してきた家系で、その直径の二人にも海軍への入隊が期待されていた。本人たちも満更でも無いので、入隊。歩は二十五と言う異例の若さで少将になるし、柚葉も姉のコネで十八で少佐と言う異例の出世をする。

彼女たちは三章でちょっと出てきただけだったが、本来は五章でこそ出番が多い。

と言うわけで、もし五章を書くときは彼女たちのことを思い出して欲しい。

ところで、最終話で主人公を守ってた人物は中将殿ともう一人と言ったが、瑞樹葉姉妹の父親のこと。

 

「やだなー今日来るって言ったじゃん」「全く灯夜くんは相変わらず抜けてるわけねえ」

 

 

 

 

あとがき

 

さて、何を語るべきか。正直もう眠いのでさっさと書き終わって寝たい気分なんですけどね。

これで完結作品は二作目ですね。え? 一作目? あれは小説家になろうのほうに掲載してたんですけど、もう消しました。にじふぁん消滅の煽りを受けて、色々面倒になったので。

一度はハーメルンでも復活させてたんですけど、どうにも稚拙さを目立つのでもういいや、と思って消去しちゃいました。

まあそれはさておきこの作品ですよ。

最初に思いついたのは公式の四コマですね。響がヴェールヌイになった回の話見て、あ、そうだヴェールヌイと適当にほのぼのしながらほのぼのする小説書こう、と思い立ったわけですね。

本当に突発的に思いついたからタイトルなんてアレですよ(

まああれはあれで味があっていいかな、と思ってたり。

基本自分の書く艦これ二次のタイトルって長い上に話の内容そのまんまなのばっかですね。

で、まあどうして今のような微妙にシリアスな話になったかと言うと…………ぶっちゃけ自分にはほのぼのなストーリーと言うのが思いつかなくて、なんか適当に更新してたらいつの間にかシリアス展開に。

更新日見てもらえると分かると思うのですが、三話から四話が二ヶ月、六話から七話の間が五ヶ月開いてますよね?

これぶっちゃけ、話に詰まった期間です。で、息抜きに書き始めたメガテンが熱が入りすぎて、って感じですね。

基本的に自分の書く作品は、だいたい次の展開って決まってるんですよね。この小説の場合、第二章書き始める前にはすでに四章までの終わり方が決まってました。後はその間の隙間と言うか道筋を埋めていく作業、みたいな。

元々十話で終わろうと思ってたこの小説が四十話まで続いた原因を語るとするなら、多分ヴェールヌイがノリと勢いで中将殿の鎮守府へ行ってしまったまま終わったことですね。

ぶっちゃけ、あそこで終わろうと思えば終わってました、簡単に言うと、ヴェールヌイが中将殿の鎮守府へ行ってしまった、その数ヶ月後、ヴェールヌイが帰ってきた、そして出迎える主人公、再会する二人、最後は「おかえり」「ただいま、司令官」で終わり。ここで終わってたらマジで十話完結になってました。

何故続けたのか、そこまで書くには思ったより文字数が伸びそうだったから(

ぶっちゃけそれだけの理由です。そこまで書くと八千字か九千字行くかなあ、だったらもう行ったままで終わりでもいいかな、と思って一章終了。そして行ったままじゃ終われないから、二章やるかとなって、でも響が鎮守府以内以上はどうやって話し進めるんだ? となった時に、暁ちゃんメインが決定。その瞬間、三章電、四章雷メインと言う構想が出来上がりました。

で、話は二章に移りますが、正直言って、この時はまだ暁ちゃんの問題って何にするか全く決めてませんでした。

じゃあ実際どこで決めたの? と言われると、なんと暁ちゃんと暁ちゃんの元提督が出会って昔語り始めてそのままアドリブで書いてたら決まってました(驚)。

そしてそのまま、三章のフラグのために、電をこっちで引き取る話とか入れ込んだりして、二章は終了。

最後に暁ちゃんに、主人公を司令官、と呼ばせることで、過去との決着が付いた、と言うことを表現したんですが、意図伝わったのかな?

因みに、暁ちゃんの過去が決まる八話くらいまで迷走しまくってたので、暁ちゃんの所属してた鎮守府に入った窃盗とかほぼ死に設定になってます。なんか思いついたら五章で採用するかもしれないけど(

そうして話は三章へ。ここ何気に8日でプロット立てて、二十一話投稿開始から三十話までに二十日かかってないって言う珍しくプロット作ってその通りに書けた回なんですよね。自分の中でも記録的な活動でした。

実は例によって電が雷ちゃんを殺したと言うのは、プロット時点ではそんなものありませんでした。

プロットの中には、電が過去について語る、みたいなことしか書いてないので、その詳細なんて決めてませんでした。

と言うか普通に姉を亡くしてで、いいかと思ってたけど…………まあ某チャット部屋で絶望が足りない、とかほざく妖怪がいたので、それに染まってさらにえぐい設定を思いついてしまいました。

ええ、また半分くらいアドリブです。思いついたその日に書きました。

深海棲艦しながらまだ半分くらい意識のある姉を妹の手で殺す、なかなかキツい過去が出来上がったと思ってます。

特に電のような気性の大人しい優しい性格の子だと心が壊れてもおかしくないくらいの衝撃だったのではないかな、と自分になりに考えながら書きました。

ついでに一章でさらっと書いてた雷ちゃんの台詞もここで回収できました。

ぶっちゃけ雷ちゃんの深海棲艦化は、何も考えずに書いてしまった結果起きた、過去の矛盾について解消するためのものです。

要するに、雷ちゃんは響の目の前で沈んだのに、中将殿が死に際の言葉を知ってる、と言うこの矛盾を解消するために、雷ちゃんには二度死んでもらう必要がありました。

それを解消するための方法が深海棲艦化。そしてついでに電のトラウマのために、電の手で殺してもらう。

と言う感じで三章は出来上がりました。

因みに、一章でもやりましたが、戦術とか戦略は作者の頭の妄想の中で起こったことなので、こんなの現実的じゃねえよと言われても分かりません(

そしていよいよ最後の四章です。

実は当初、四章は過去編の予定でした。だってメインの雷ちゃん沈んでるし。

だから三章自体で本編は終わりにして、四章は過去編で〆ようと思ってたんですけど…………。

「あれ? 雷ちゃん転生させればよくね?」とふと気づいて、急遽こんな感じの話になりました。

ただ、四章だけは本当に難しかったですね。プロット練って見ても五話より先が思いつかないんですよね。

ぶっちゃけた話、雷ちゃんの転生に気づくのは、主人公か響かのどちらかでした、そこから話が漏れて中将殿の耳にも入る、みたいな感じだったんですが、その切欠を料理として五話が作られてたんですが、あれ本当はプロットの中では三話だったんですよね、お陰で予定が押した押した。で、巻きを入れつつ色々思考しながら作ったのが八話です。

毎度のことながら、雷ちゃんの地雷どうやって解除しよ? とか思ってたんですが、電に「雷は雷、お姉ちゃんであることには変わり無い」ってノリで言わせたら「あれ? これって雷の求めてる答えじゃね?」と気づいて「あ、だったらもうこれこのまま行こう」ってゴーサイン出したら今のような感じになりました。

そして九話、十話ですよ。ヴェルがいよいよ主人公に恋愛要素を出してきます。

ぶっちゃけ恋愛描写ってのが凄く苦手なんですよね、だから今の作者にはこれが精一杯でした。

十話は十話で中将殿の過去を入れつつ書いたらとんでも無く長いことに…………()

まあそれでも、中将殿のことを少し知ってもらえたかな、と思えば(

これで最初から読み直せば少しは、印象が違うのかもしれない…………かな?

 

と言うわけで、あとがきというか、ただの暴露話になってましたが、これでもってヌイヌイ二次は本編完結です。

みんなが期待する番外編ですが、取り合えず構想だけは練って、弥生二次やメガテンを進めていき、ある程度都合が良い時に書いて投稿する、と言う感じでやっていきたいと思います。

 

では、最後に。

 

ここまで読んでくださった読者の皆様に、厚いお礼と感謝を。

 



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バレンタイン編 「大好きだよ」

バレンタインから二日遅れのバレンタイン特別編(
ど、土日は忙しかったから(震え声)


 

 

「……………………愛って何さ?」

「決まってるじゃない、ためらわないことよ!」

 自信満々に答える雷に、思わず言葉を失う。

「……………………」

「……………………」

 ニコニコと笑う雷に、思わず閉口し、そう、とだけ言葉を残し、部屋を去る。

 

「…………怒ってた、かな?」

 

 朝早くから悪いとは思ったが、けれど雷以外に相談できそうな人物がいないのだから仕方ない。

 いや、そもそもどうしてあんな質問になったのだろうか?

 もっと最初は別のことだったと思うのだが。

 

 そう考えてみて…………。

 

「愛って何だろう?」

 

 その疑問に行き着くのだ。

 

 

 * * *

 

 

 ことの発端は、まあ言ってしまえばバレンタインと言う西洋の風習の一つだ。

 こと日本においては、女性から男性へチョコレートを送ると言う風習で、そう言った知識を本土から取り寄せた雑誌で手に入れた暁がまあ例のごとく触発されて姉妹四人でチョコレートを作ることになったのだが。

 

「…………………………ふむ」

 

 チョコレートには色々種類があるらしい、それは別にブラックチョコだ、アーモンドチョコだ、ホワイトチョコだなど言う区分ではなく、送る相手に対してどんな意味を込めるか、と言う区分だ。

 基本的に好きな相手に贈る愛の告白の意味を持つような本命チョコ。

 お世話になった人たちに付き合いや挨拶的な意味で贈る義理チョコ。

 友人などに対して友愛を込めて贈る友チョコ、など形は様々である。

 

 なんでも家族に対して贈る家族チョコなるものがあるらしいので、姉妹全員で作ってお互いに交換し合うと言う良く分からないイベントを経験し。

 

「そう言えば司令官にも贈らないといけないわね」

 

 そんな暁の一言が今回の懊悩の原因とも言える。

 

 一口にチョコを贈る、と言ってもそれぞれが司令官に対して抱いている感情などバラバラであり、だったら全員それぞれ自分で作って贈ればいいじゃないか、と言う話になった。

 

 で、問題は。

 

「…………これは、何チョコって言うんだろう?」

 

 正直言って、司令官への感情と言うのはあまりにも色々ありすぎて、複雑極まりない。

 家族、と言っても自身は頷ける。戦友、と言っても頷けるし、上司と部下、でも正しい。

 

 じゃあ、恋愛感情は?

 

 以前司令官に伝えたことがある。司令官への気持ちを一言で言い表すならば。

 

「大好きだよ」

 

 それだけは事実だ、絶対だ、司令官にならキスだってできる。

 けれど、それが恋愛感情なのか、そう言われると。

 

「…………分からない」

 

 答えは出ない。

 

 そうして結局、行き着く疑問は。

 

「愛って何だろう?」

 

 それになるのだ。

 

 

 * * *

 

 

「…………なんで俺に聞くんだ?」

「雷がダメな以上、他に聞く人がいないからね」

 朝。執務室へやってきたヴェル。

 開口一番の台詞が。

 

 司令官、愛ってなんだい?

 

 である。一体何事かと思いつつ、まあマジメに考えてみる。

「そうだな…………こういうのは自分で、と言いたいところなんだが」

 きっとこいつの場合、本気で考え続けて、けれど答えなど出ないのだろう。

 

「あーそうだな…………一般論というよりは、俺の持論でいいか?」

 

 こくり、とヴェルが頷くのを確認してから続きを語りだす。

 

「愛ってのは、与えたいと言う感情だと思う」

「与えたい?」

「無性の愛、なんて言葉あるだろ、見返りを求めず、ただ好きな人に自分の持っているものを与えてあげたい、と言う感情。それが愛だと思ってる」

「なんだか、随分と即物的な感情だね」

「与えるものが物質的なものとは限らないだろ…………ちょっと来い」

 

 手招きするとヴェルが素直にやってくる、そうしてやってきたヴェルの頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でていく。

 

「どうだ?」

「えっと…………何が、だい?」

「こう言う肉体的な接触ってのは、相手への好き嫌いってのが良く現れる、お前、これが嫌か?」

 

 そう問うと、ヴェルが数秒考えて、頭を下げ。

 

「いや…………嫌じゃない、かな? むしろ安心する……かな……?」

「親がさ、こうやって子供の頭を撫でてやるだろ? 物質的に何か与えてるわけじゃない、けど子供からすれば、親の愛情を確かに感じられる」

「私は子供かい?」

「半ば家族みたいなもんだろ、言葉の綾だよ、許せ」

 

 少しばかり不満そうなヴェルに、悪い悪いと笑いかけながら話を続ける。

 

「他人の気持ちなんて分からない、けどだからこそ、持てるものは全て与えたい、その中の一つでも相手が喜んでくれたら嬉しい…………愛ってそう言うもんだと俺は思っている」

 

 そうだな――――――――

 

 つまるところ。

 

「相手に尽くしたい、と言う感情かな?」

 

 それはつまり、俺がずっともらってきた感情。

 普通なら出来ないようなこと、けど好きだから、大好きだからできる。

 つまりそう言うことだろう。

 

「だったら」

 

 そんな俺の答えに、納得したのか、できないのか、わからないが、ヴェルが首を傾げ、再度尋ねる。

 

「恋ってなんだい?」

 

 けれどその答えは、残念ながら持っていなかった。

 

 

 * * *

 

 

「恋、ねえ…………」

 ようやく機嫌を直したらしい雷が、少しだけマジメな表情で考える。

「そうね…………たった一人、そう決めた特別、かしら?」

「たった一人の、特別?」

 少しだけ困ったように、雷が首を傾げ。

「そうね、恋って言い方が悪いのかしら、良く言うじゃない、恋愛感情なんてただの錯覚って」

 きっとあれは本当だと思うの、雷はそう言う。

 けれどそれは、今の自身には少なからず影響を及ぼす言葉であり、簡単には鵜呑みに出来ない言葉だ。

「と言っても悪い意味じゃないのよ? ただ恋も愛…………もっと言えば嫌悪だって同じ、特定の人を特別と区別するものでしょ? 嫌よ嫌よも好きのうち、なんて言うけどそれってつまり、本質的には好きも嫌いも同じ、相手を特別視する感情でしょ?」

 まあ私は同じだとは思わないけどね、と苦笑して告げる雷に、結局何が言いたいのか、それが分からず首を傾げる。

「そうね、ちょっと回りくどかったけど、要するにね、恋って言うのは、たった一人に定めた特別な人へ向ける愛情だと思ってるわ」

 なるほど、と頷く自身に、けれど雷がけどね、と続ける。

「これだと多分、普通の人が言う恋とは違うのよ。だって極論を言えば、私の言い方じゃ家族にだって恋できることになるもの、でもそれって普通の人の言う恋じゃないわよね。その差ってね、単なる勘違いだと思うの」

「勘違い?」

「恋と言う言葉に定着してしまったイメージって言うのかしら? 本来の恋ってもっと自由な感情だと思うのよ」

 だから、雷はそう言う。

「だからね、響。あなたにとっての恋を間違えないようにね」

 そう言った雷の言葉を、けれど今の自身には理解することはできなかった。

 

 

 * * *

 

 

『それで、私かい?』

 電話越しに女、火野江火々は苦笑した。

『そうだね、響には多分、辞書に載っているような言葉じゃ意味がないんだろうね、けどそうするとね、愛とか恋って百人いれば百通りの解釈があるんだ、だからこれから言うのだってその一つだ。キミの解釈はキミが自分で導き出さないといけないから』

 だからこれは、その手助けに過ぎない。そう電話の先の彼女は呟き。

 

『私もね、二人の意見には賛同できるんだ。愛とは与える感情、そうだね、私もその通りだと思う』

 

 そして。

 

『その上で言うなら、恋とは求める感情だと思う』

 

 与える感情と求める感情、それでは愛と恋とは真逆のものではないのだろうか。

 

『そうだね、でもね、雷ちゃんが言ってたでしょ? 愛も恋も同じだって、私も同意するよ』

 

 それでは、先ほどの言葉の矛盾は?

 

『愛とは恋の延長。恋とは愛の前提。これが真逆に見えるのはね、響が一つ忘れてるからさ』

 

 忘れていること?

 

『恋愛って言うのはね、一人じゃ出来ないんだよ。恋とは求める感情。二人が互いに求め会う、そう言う関係を恋人って言うし、二人がお互いに与え合う…………つまりお互いを分かち合う関係、それを夫婦って言うんだよ。ほら、何も矛盾しちゃいない。矛盾しているようでちゃんと繋がっているのさ』

 

 …………なるほど。

 

『その上でキミに聞いてみようか。ねえ、響』

 

 なんだい?

 

『キミは彼を愛しているのかい? それとも恋しているのかい?』

 

 ……………………。

 

 ……………………………………。

 

 ……………………………………………………。

 

 

 * * *

 

 

「司令官」

「…………ん、ああ、お前か。どうした?」

「これ、渡しておくよ」

「…………チョコレート? ああ、バレンタインか。変な質問してくるなとは思ったが、そう言うことか」

「まあそういうことだね」

「それで、色々考えてみたみたいだが、結局これは何チョコになるんだ?」

 

「…………ふふ、秘密、だよ」

 

 それはつまり、まだこの感情は私の胸の中にしまっておくべきだと思ったからであり。

 

「ねえ、司令官」

「ん? なんだ?」

 

 

 それでもいつか、彼に伝えることができればいいと思う。

 

「大好きだよ」

 

 彼に、届けばいいと思うのだ。

 




水代・ザ・フィロソフィー。

あくまで水代の考える愛と恋です。

あまり深く考えないでください(


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今書いたらきっとこんな感じになる響二次

まず最初に。
五章二話を期待した方、申し訳ありません。
書いてるのは書いてるのですが、今ちょっと煮詰まっててなかなか難航してる途中です。
そしてそんな最中、ふと仕事中に妄想が降りてきて、思わず勢いでこうやって全く関係ないもの書いてしまいました。

テーマは、響二次を今一話から設定も変えて書き直すならきっとこんな感じ、です。


 

 

 くるくると手の中でペンを回しながら弄ぶ。

 執務室の椅子に背をもたれながら退屈な時間を持て余す。

 ぶっちゃけて言えば…………やることが無い。

「あー…………暇だ」

 椅子にもたれかかりながら呟く。執務室の窓から見える景色は日々変わることなく、毎日毎日同じ海ばかり見ていい加減これで退屈を紛らわすのも限界だった。

 と、そんなことを呟いていると、すぐ傍でぱん、と本を閉じる音がする。

「やれやれ…………さっきから独り言が多いね」

 呆れたような表情でこちらを見てくる銀髪の少女。その真っ直ぐこちらを射抜くアイスブルーの瞳に、思わずたじろぎ、視線を反らす。

 そんな自身の様子を見て、少女がくすくすと笑う。

「相変わらず見られることになれてないね…………だからいつまで経っても童貞坊やなんだよ」

「うっせえよ…………その口閉じてろ」

 口を突いて出る憎まれ口に、けれど少女がくすくすと笑って軽く流す。

 と、少女が閉じて膝の上に置いた本を机の上に置き、立ち上がってこちらにやってくる。

 思わず身構える自身をあざ笑うかのように、その小さな体躯で自身の膝の上に乗る。

 人一人が乗っているなんて思えないほど軽いその体に、僅かに驚きながらその手が自身の頬に伸ばされていくのをただ呆然と見ているばかりで。

 

「全く…………私ならいつでも相手になってあげるのに」

 

 耳元で囁かれる言葉に、瞬間頭が沸騰しそうなほどに熱くなり…………。

 

「さっさとどけろこのロリババア!!!」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように、部屋中に怒声が鳴り響いた。

 

 

 * * *

 

 

「相変わらず可愛いね」

 くすくすと笑いながら鎮守府の廊下を歩くのは、先ほどの銀髪の少女一人。

 さすがに少々からかい過ぎたか、と対して反省はしていないが男の怒りが沈静化するまではどこかに行ってようと部屋を出たもののさして用事があるわけでもなく、目的も無くぶらぶらと歩いているのが現状だ。

 さて、どこに向おうかと考えている最中、ふととある部屋が目につく。

「ここでいいか」

 そうと決めたら早速、とんとん、と扉をノックする。

 するとすぐに中からはーい、と声が返ってくる。

「入るよ」

 言うと同時にドアノブを回し、扉を開く。

「ん…………あら、いらっしゃい」

 中はこじんまりとした部屋となっていた。ベッドが一つ、クローゼットが一つ、机と椅子が一つ。本当にそれだけの部屋に住人は一人となっている。

 ただ部屋中に散らばった本のせいであまり広いとは言えない。足の踏み場も無い、と言うほどでも無いが、本棚が無いせいか、そこかしこに本が積み上げられており、一部崩れているものもあって雑多な印象を受ける。

 足元に転がった本を一冊拾い上げ、すぐ傍の積み上げられた本の山に置くと、ベッドの上で転がって焼き菓子を咥えながら漫画に目を通す黒い髪の少女を見て、やれやれ、と息を吐いた。

「また散らかってるね」

「んー…………そう?」

 少女の言葉に、漫画から視線を外し、部屋を見渡す。

「…………あー、そうね。次の休日に片付けましょうか。もうすぐ本棚も届くし」

「いつから読んでるんだい?」

 少女の言葉に、首を傾げ、指を折りながら数えるその姿に、またか、と内心で呟く。

「キミはちゃんと片付けるからあまり言わないけど、それでもあまり散らかすのは良くないよ、暁」

 その言葉に、暁、と呼ばれた黒髪の少女は苦笑するようにはにかむ。

「あはは、そうね。気をつけるわ…………と言っても、さすがに暇が多いのよね、ここ」

 ここ、つまりこの鎮守府。まあ確かに余暇は多い。出撃など一月に一度あるかどうか、と言うレベルであるし。

 

 すでに練度は極まってしまっているので、本当にやることが無い。

 

「そう思うでしょ? 響」

 暁のその言葉に、銀髪の少女、響が苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 響が部屋を出て行ってからしばらく。

 まだ熱を帯びた頬に手を当て、ため息を吐く。

「あーくそ…………冗談だって分かってるのに」

 分かっているのに何度も騙されてしまう自分が情けない。

 いや、原因は分かっているのだ。分かりきっているのだ。分かり易すぎるくらいに理解できている。

 

 初恋で、なおかつ現在進行形で好きな相手からあんなこと言われて、舞い上がらないわけが無かった。

 

 生まれた時からずっと傍にいて。

 ずっと共に生きてきて。

 気づけば彼女が好きになっていた。

 自分でも馬鹿だとは思う。だって彼女は人間ではない、艦娘だ。

 それでも、好きになってしまった。

 ずっと傍に居てくれて。

 嬉しい時は共に喜んで祝ってくれた。

 悲しい時は共に悲しんで慰めてくれた。

 辛い時は励ましてくれた。

 怒った時は冷静に諭してくれた。

 生きてきた時間の半分以上を彼女と過ごしてきて。

 そうして気づけば自身は彼女に恋をしていた。

 

「…………難儀だよなあ」

 

 自分でもそう思う。他人が知ればきっとそう言う。

 だからずっと押し込めていた。押し込めてきた。

 表に出さないように。所詮彼女にとっては自身は家族でしかないのだから。

 だからあんな冗談言えるのだろうから。

 

 そんなことを考え、また頭を悩ましていると。

 

 ピリリリリリリ

 

 ふと、電子音が響いた。

 

 

 * * *

 

 

「で、また司令官のこと口説いてたの?」

 問われた瞬間、頬が紅潮するのが自身でも自覚できた。

 そんな自身の分かりやすい反応に、暁が苦笑する。

「どうして分かったんだい?」

「だってここまで司令官の声が響いてきたもの。だから前から言ってるでしょ? あんな言い方じゃ本気にされないわよ、って」

「それは分かってるけど…………」

「はいはい、恥ずかしいのよね。難儀よね、好きになった相手がよりにもよって子供の時からずっと面倒見てきた子だなんて」

 彼が時折自身をロリババアなどと言うが、あれは決して間違いとは言えない。

 例え自身の見た目は十代前半の少女だろうと。

 艦としての歴史と、そして艦娘として建造されからの歴史、合わせればとっくにそう呼ばれてもおかしくない程度には生きている。艦としての続きとしての自身と言う自覚を持っている以上、思った以上にそのことに対して違和感は無かった。

「まあでも、少なくとも中将は反対してないんでしょ? 気長に行くしかないわね、どうせまだまだ時間なんていくらでもあるんだから」

「…………そう、だね」

 時間などいくらでもある、そんな言葉を暁から聞いたのが、どうしてかとても違和感があって。

「響」

 そんな自身の心情に気づいてか、暁が何時に無く優しい表情をしてそっと自身の頭に手を乗せる。

「大丈夫よ」

 前置きも無く、付け加える言葉も無いそんな一言に。

 けれどどうしてか心が穏やかになっていく。

「随分と長いこと生きてると思うけど…………それでも、やっぱり暁には勝てる気がしないや」

 そんな自身の言葉に、暁がにかっ、と笑って答える。

「当たり前でしょ、だって暁はお姉ちゃんだもの」

 

 本当に、自身はこの姉には敵わないのだ。

 

 

 * * *

 

 

 電話の音に、受話機を取る。

「もしもし?」

『ああ、朝早くから済まないね、私だ』

「おやこれはこれは中将殿。こんな朝から何か御用でも?」

 電話の主は自身の上官に当たる人物からだった。

 上官と言うだけあり、差し当たりの無い言葉を選んだつもりだったが、けれど電話口から聞こえる声には不満の念があった。

『まあそうなんだけれど…………どうせ他に聞いてる人間もいないし、プライベート用のほうでも良いんだよ?』

「いえ、仕事の話となればこちらで、公私は分けたいので」

 そう、と納得したような声ではあったが、不満の念は隠しきれていなかった。

「それで、用件は?」

『…………まあいいか、出撃命令だよ。当該海域に深海棲艦が侵入したのでこれの殲滅を頼むよ』

「敵の数は?」

『軽巡三、駆逐三だね』

 敵戦力の確認と共に、自身の戦力を数える…………が、足りない。

「それだと少々厳しいものが」

『分かっている。彼女たちが共に向ってくれているから合流してくれ』

 彼女たち、と言う言葉でそれが誰のことかすぐにピンと来る。と、同時に足りなかった戦力が埋まっていくのが理解できた。

「了解しました。ただちに出動させます」

『うむ、頼むよ……………………ところで仕事の話は終わったけど』

 用件が終わったのに電話も切らずに、未練たらたらでそう言ってくる中将に、さすがに苦笑する。

「分かりました…………分かったよ、久しぶり、母さん」

『うんうん、久しぶりだね、灯夜。元気だった?』

「ああ…………まあな」

『響とは仲良くやれてる?』

「………………あーうん、まあ?」

 曖昧に答える自身の言葉に電話の向こうで苦笑する声が聞こえる。

『…………ふふ(隠してるつもりなんだろうけど、響のこと好きなの知ってる身としては見ていて面白いことこの上ないねえ)』

「…………?」

 意味深に笑う電話の向こうの主の意図が読めず、思わず首を傾げる。

『大事にするんだよ? 響のこと(何気に両思いなの知ってるんだけど…………まあ自分で気づかないと意味が無いよねえ、こう言うのって)』

 その後少しだけ他愛無い会話をして電話を切る。

 最後まであの意味深な笑いをしていたが…………。

 

「何だったんだ?」

 

 けれど今の自身には分からないことだった。

 

 

 * * *

 

 

「やあ、童貞坊やのご機嫌は治ったかな?」

 くすくすと笑いながら戻ってきた響の姿に、一瞬ドキン、と鼓動が弾けたがそれを無視してうっせえよ、と返す。

「それより響、出撃だ」

 告げた瞬間、響の目が細まる。先ほどまでと違う、鋭い目つき。

 戦いこそが本領の彼女たちだ。いざ戦闘になれば気構えから一気に変わる。

「敵は軽巡三、駆逐三の水雷戦隊。中将殿のところから彼女たちも来ているから暁と合流して四人で行って来てくれ」

「ダー、響出るよ」

 かしこまって敬礼する響。そんな姿に凛々しいなあ、などと考えていると、響がすっと近寄ってきて。

「じゃあ、行ってくるよ、司令官」

 耳元で囁かれた声、と同時に頬に僅かに感じた感触。

 それが何か、理解するよりも早く、響が部屋を出て行く。

 

「………………………………っ!!!」

 

 自身が何をされたのか、気づいた瞬間、全身が沸騰したように熱を帯びた。

 

 

 * * *

 

 

「暁、出撃だよ」

 彼女の部屋でそう告げると、咥えていた御菓子を口の中に含み、すぐに身支度を整える。と言っても、帽子を被って制服の皺を軽く伸ばすくらいだが。

 ものの数秒で支度を整え、暁が行けるわ、と返してくる。

 じゃあ、行こうか。そう告げようとしたその声を、けれど暁が遮ってくる。

「響、何か顔赤くない?」

「…………気のせいじゃないかな」

「…………………………ふうん、そう」

 どこか意味深な表情でこちらを伺ってくる暁の視線をかわし、背を向けて部屋を出て行く。

 

「……………………やってしまった」

 

 なんて後悔を呟きつつ。とにかくこの赤くなった顔を彼女たちと合流する前になんとかしなくては、そんなことを思いながら。

 

「…………行ってくるよ、灯夜」

 

 誰にも聞かれないように、そっと呟いた。

 

 

 




あれ? これ作者の当初予定してたほのぼのじゃね?


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男主メインな番外編って誰得だよな第五章
それは秘密かな?


「釣れないな」

 竿を持ち上げ、括られた糸の先を見るが餌が残ったままの針がついているだけだ。

 時折こうして港の端っこで糸を垂らすが、これだけ時間をかけて全く当たりが無いのはさすがに初めてだ。

「…………今日はそう言う日なのかもな」

 つまらない、と言ったイントネーションを暗に含みながら針と糸を回収する。

 多分このまま垂らしていても何も釣れないだろう、今日はここまでにしようと考える。

 まあ、そうとなれば。

「なあ」

 先ほどから背中にかかる重みに、向かって口を開く。

「楽しいか?」

 そうして、その言葉の先には、背中合わせに座り、膝の上で本を開くヴェル。

「…………さあ、どうだろう?」

 首をかしげながら呟くヴェルに、ぽりぽりと頭を掻く。

 

 最近どうもヴェルが引っ付きたがっている気がする。

 普段は姉妹たちと仲良くやっているのだが、気づけば俺の隣にいて、特に何か用事があるわけでも無く、本を読んだり呆けながら外を眺めたりと、よく分からない。

 

「最近良くこっちにいるな、ヴェル」

「…………そうかい?」

「いつもは姉妹のところにいるじゃないか」

 そんな自身の言葉に、ヴェルがその眼を僅かに細める。心なしか、アイスブルーのその綺麗な瞳が一瞬、揺れた気がした。

「司令官のいつもは、いつのことなんだい」

 そう呟き、ヴェルが立ち上がる。その意味を問い返すよりも早く、その身を翻して鎮守府へと去っていく。

 その後ろ姿を見ながら、一人ぽつねんと残された俺は首を傾げる。

「何だったんだ?」

 どことなく不機嫌そうな、その様子に疑問は尽きないが…………。

「まあそんなこともあるだろ」

 ヴェルだって木石では無いのだ、機嫌の悪い日くらい偶にはあるだろう。

 そう考え、一瞬過ぎった思考を頭の隅へと追いやった。

 

 そう、きっと気のせいだろう。

 

 ヴェルが…………寂しそうに見えるなんて。

 

「んなはず、ねえよ」

 

 思わず過ぎった思考を鼻で笑い、そうして自身もまた立ち上がり、鎮守府へと戻っていった。

 

 

 * * *

 

 

「あー、司令官、やっと見つけた!」

 鎮守府に戻って早々、こちらを見て大声を上げるのは暁だった。

 その視線が俺の持つ釣り道具に向けられると、視線に呆れが混じる。

「また釣れもしないのに釣りしてたの?」

「失礼なことを言うな、偶には釣れてる」

「本当に偶にじゃない…………下手の横好きってやつかしらね」

 ぼそっと呟いた後半の台詞だったが、普通に聞こえている。少し不満げな視線を送るが、そんな俺の意図も無視して、暁がとてとてと詰め寄ってくる。

「そうよ、それどころじゃなかったわ、司令官、電話が着てたわよ」

「電話?」

 

 暁の話に寄ると、廊下を歩いているとピリリリリ、と言う電話の電子音が聞こえたらしい。

 いつまで経っても収まる様子の無いその音を辿っていくと執務室。ドアノブを回してみれば施錠はされておらず、中には誰も居ない。

 仕方ないので代理と言うことで暁が電話に出ると、電話の相手は中将殿だったらしい。

 

「で、用件は?」

「よく分からないけど、お客さんが来るらしいわよ?」

何時(いつ)?」

「今日」

 

 その言葉と同時。

 

「こんにちわ」

 鎮守府の玄関に一人の少女がやってくる。

 

「久しぶりね灯夜くん、ダメよ? ちゃんとお仕事しないと」

 

 海軍の白い軍服の上から同じく白い外套を羽織ったタバコを咥えた少女…………否、年齢を考えれば女性。

 瑞樹葉歩少将がそこ鎮守府の玄関口に立って、羽織るだけで袖も通していない外套をゆらゆらとはためかせていた。

 その視線がふっと動き、自身の傍に立つ暁へと向けられる。瞬間、以前の仕打ちを思い出したのか、暁が顔を青ざめさせて自身の影へと隠れる。そんな暁の様子にタバコを咥えたまま器用にニィ、と口元を吊り上げる少将に暁がびくりと肩を震わせる。

「いや、何やってるんですか、少将」

 暁に戻っていいぞ、と言って背を押すと、そそくさとその場から離れる。そんな暁を見て少将が一瞬惜しそうな目をしたが、すぐにこちらへと視線を向けてくる。

「元気そうだね」

 くすくすと笑いながら少将がそう言うと、ええ、と返す。

「それで、本当に何の用件で?」

 いい加減話を進めようとそう尋ねると、ああうん、と少しだけ少将が言葉を濁し。

 

「ねえ灯夜くん。お見合い、しない?」

 

 そんなことをのたまった。

 

 

 * * *

 

 

「…………ふわあ」

 日差しのまぶしい窓を眺めがら、少年があくびを一つ漏らす。

 床に転がった玩具の船を一つ拾い上げ、窓から差す光へとかざす。

「……………………」

 少しだけ(ほう)けたような視線でそれを見つめていると、たった一つしかない部屋の扉が開かれる。

「やっほ、灯夜…………って何やってるの?」

「船…………見てる…………」

 入ってきたのは一人の少女。歳の頃は十代の後半と言ったところか、どこか不敵そうな目つきがどこか印象的な少女。

「瑞姉」

 少年が少女へと呟く、と同時に少女が部屋の中へと入ってくる。

「船…………って、ああ、プラモデルね」

「…………船…………瑞姉たちと同じ」

 少年の呟きに、少女が苦笑する。

「まあ私たちは軍艦だからその貨客船とはまた違う船だけど…………まあ同じ船ではあるわね」

「…………けど」

 そして少女の言葉に少年が首を傾げる。

「瑞姉…………これと違う」

 船の玩具と目の前の少女を見比べながら呟く少年の言葉に、少女がああ、とどこか納得したように呟く。

「艦娘だからねえ…………」

「……………………ねえ」

「何?」

「瑞姉は…………船なの? 人なの?」

 そんな少年の言葉に。

 

「……………………さあ、どっちなんだろうね?」

 

 少女は曖昧に笑った。

 

 

 * * *

 

 

「まず最初に」

 生憎応接室なんてものはこの小さな鎮守府には無い。

 だから執務室のほうに椅子と机を運んで向かい合って座る。

「何がどうなってそんな話が沸いて出たのか、その辺を教えてもらえますか」

 いきなり見合い話、などと言われてもすぐさまはいそうですか、と言えるはずも無い。

 義理とは言え自身の姉からの突然の話に、さすがに驚かされたが、それだけの理由で頷けるほど軽い問題でもないだろう。

 だからそうして理由を問うと、瑞樹葉少将がそう言えば、と一つ頷いて答える。

「その辺言ってなかったわね」

 そうしてもう一つ頷いて。

「まずこれが最初の用件よ、狭火神()()

 そうして差し出されたのは一通の封筒…………と、その前に。

「…………中佐? 自身は少佐ですが、もしかして」

 視線を落とす。封筒を見つめ、それから視線を上げると、瑞樹葉少将が一つ頷く。

 封筒を受け取り、封を破ると中に入った紙を取り出す。

 そうしてそこに書かれた内容を目を通し…………。

「昇進…………ですか」

「ええ、おめでとう、狭火神中佐殿」

 中佐、まだ二十過ぎの若造が…………そんな自身の内心に気づいてか、瑞樹葉少将がくすりと笑う。

「非公式とは言え、連合艦隊の撤退を見事成功させ、壊滅状態にあった連合艦隊の一部を救出するだけに止まらず連合艦隊を追ってきた三十を超える深海棲艦を足止め。大侵攻してきた敵深海棲艦から五日間鎮守府を守り抜き、敵主力を足止め、及びその撃破に一役買ったキミが、そのキミが、功が無いなんて誰が言えるんだい?」

「…………いえ、ですがあれは中将殿の協力もあってのことで」

「まあ受け取っておきなさい、本来ならいきなり大佐まで昇進するはずだったのよ?」

「…………二階級…………それはいくらなんでも」

 と、その言葉に瑞樹葉少将がさらにいくつかの封筒を差し出してくる。

「…………これは?」

「読んでみたら?」

 先ほどまでとは違う、少しだけ冷たくなった声に違和感を覚えながらも封筒を受け取り、封を破る。

 そうして中身に目を通し…………。

「…………これは」

 一言で言えば、勧誘だ。

「中将さんの一派からの寝返りの勧誘。詰まらない、本当に詰まらない。手紙の内容もそうだし、それを私に届けさせるって言うのが本当に詰まらない連中」

「……………………」

 何を言えばいいのか分からず、黙り込む自身にけれど少将が続ける。

「ただの少佐程度に勧誘なんて普通来ない、中佐でもそう。大佐以上になってようやくその手の誘いが始まる。だから私たちはキミの上司である中将殿と相談して中佐位に押しとどめた…………のはずだったんだけれどね」

 実際にはこうして勧誘が着ている。それはつまり、どういうことなのだろうか。

「分かる? この手紙の意味。これはね…………狭火神の名が未だに海軍内で大きいことの証左なのよ。どの派閥もみんな狭火神の名を欲しがっている。狭火神大将の後継者はすでにあの中将殿に決定されているわ、だからこそ、まだ派閥に所属していない狭火神大将の息子である灯夜くん、キミを誰もが欲しがっている」

 少将のそんな言葉に、少しだけ目を細める。

 

 少しだけ、ため息を出そうだった。

 

 

 * * *

 

 

 狭火神、と言う名は海軍の中でも少し特殊なものになる。

 と言うか、狭火神仁と言う男の名が特殊だ。

 今の海軍ならば海軍大将狭火神仁の名を知らない者などほとんど居ない。

 死して十年以上経っても未だにそう、なのだ。

 当時まだ現役だった現在の上層部にとっては、最早伝説に等しい名である。

 繊細にして大胆、緻密にして不敵。相反するような言葉を作戦の中に織り込み、数々の功績を打ち立てた男の名。

 その後継を決める時、けれど意外にも揉めることは無かった。

 あまりにも分かりやすい、目に見える形でそれを示した人物が居たから。

 火野江火々現海軍中将。当時海軍大佐。

 狭火神の死を皮切りにしたかのような深海棲艦の大侵攻をたった一人で艦隊を指揮し食い止め、撃破したその実力、そしてその非情なまでの徹底的に正しいだけの戦略は、誰がどう見ても彼女以外に狭火神仁の後を継ぐ人間は居ない、と思わせるだけのものがあった。

 

 少しだけ、言い方を変えよう。

 狭火神とは、伝説を打ち立てる者の名だ。

 常人にはとても理解はできないような考えで、

 普通に考えれば気が狂ったような着想で、

 そうして成果を出し続ける。

 

 そんな存在(イメージ)が彼らの頭の中には根付いている。

 だから彼女以外にその後は継げなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんなこと、他の誰にも真似できなかったから。

 

 けれど、最近になってそれが他にもできそうな人物が出てきた。

 現海軍少佐()()()灯夜。

 狭火神仁のたった一人の息子。

 火野江中将とは違う、正真正銘、狭火神仁の血を引く狭火神の名を持つ者。

 

 これまでは注目されていなかった。

 目に見える功績が無かったから。

 狭火神とは伝説を打ち立てる者だ。功績が無い狭火神など意味が無い、説得力が無い。

 それこそが火野江火々が狭火神灯夜をあの小さな鎮守府へと押しやった理由の一つだと、大半の人間は気づいていないが。

 それでも、真に能力がある人間ならばいつまでも隠しはできない。

 タカ派の連合艦隊の敗北、その撤退戦を切欠として徐々に狭火神灯夜の名は広まっていく。

 そうすると今度は名に意味が出て来る、説得力が増してくる。

 そうなれば欲しがる人間は増える。

 言うならば、箔付けだ。

 狭火神の名を持つ者が所属している。それだけでその派閥の格が上がる。

 狭火神灯夜本人にその気が無くとも、周囲がそう思ってしまう。

 彼の不幸なところは、父親が偉大すぎたことだろう。

 本人の意思とは無関係なところで、父親の影響が広がっていく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だからお見合いだよ」

 そう告げる自身の言葉に、彼が少し呆れたような表情をするがけれどこれは冗談でもなんでも無い。

「キミがはっきりとどこかの派閥に属している、と言うことが明らかにならない限り、この問題は避けられない。結婚って言うのは、一番手っ取り早い解決方法なんだよ」

 例えば、今彼がタカ派の人間もしくはその親族と結婚すれば、周囲の人間は彼はタカ派に属した、と思うだろう。ハト派ならハト派に、中立派なら中立派に、結婚と言うのは明確な繋がりを示す上で、かなり強固な証拠になる。

「別に本当に結婚までいかなくてもいい、最悪婚約止まりでも良い。それだけで周囲からの見方は明確に変わる」

 自身の立場と言うものの理解がいまいち低いようだが、頭の回転は悪くない彼なら自身の状況についてもう理解はしただろう。

 だから、次に出た言葉はこんなものだった。

「もしそうだとして……………………相手は?」

 お見合いだから、二人いないとできない。だからこそ、その質問は当然来ると予想していた。

 そしてだからこそ、苦笑しながら、こう告げるのだ。

 

「それは秘密かな?」

 




なんだか不調。なかなか難産だった。


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いかないで

社会人になると執筆時間が取れないのが難点。あと引越しのせいで環境変わって、いまいち作業に集中できない。結果的に更新が遅れると言う。


 

 

「…………これは、困ったことになったね」

 ふかふかクッションのついたソファチェアをぎしぎしと揺らしながら虚空を見上げながら火野江火々は呟く。

 その言葉に傍に控えていた島風が反応し。

「お見合いのこと?」

 そう尋ねると、火々が頷く。

 そうあの瑞樹葉少将の持ってきた()の見合い話が今回の頭痛の種である。

 

 まず前提として知っておくべきこととして、海軍には三つの派閥がある。

 深海棲艦の殲滅を目的とするタカ派。本土防衛を目的とするハト派。そしてそのどちらも重要視している中立派。

 タカ派は深海棲艦への遺恨などを原動力として動いているためやることなすことが過激で、味方への被害を無視して暴走する部分があり。

 ハト派は政治と癒着し、政治家の言いなりとなっている部分があり、彼らの意見を通すと軍が機能しなくなり、ゆるやかに破滅を呼ぶ危険性が大きい。

 中立派はそのどちらの思想も理解できない、余り物たちの集団であり、比較的まともな思考をしている分、その折衷案のような意見が出やすい最大勢力だ。

 

 で、問題は。

 

 中立派は余り物の集団であり。

 決して全員が全員同じ思想の元に集まっているわけではない、と言うことである。

 結束力、と言う部分で中立派は他二勢力よりも劣る。

 

 それでもここまで中立派はなんとか優勢を保ってこれたのはそれでも中立派が全体の半数以上を占める最大勢力であり。

 タカ派、ハト派の極端な意見のどちらも廃し、その中間的な意見を内部ですり合わせてきたからに他ならない。

 

 つまるところ、中立派の内部でも意見をすり合わせなければならないほど思想のぶれはあり。

 そしてそれが中立派という一つの派閥の中で、さらに複数の派閥を作っている結果に繋がっている。

 

 中立派のトップは現在澪月始海軍大将、と言うことになっている。

 だが実際は、そのすぐ下に他数人の大将、中将が居り、意見調整を行った結果を議会で話しているだけに過ぎない。

 そして現在の中立派は二つの勢力が他を圧倒している。

 

 一つは澪月始大将をトップとし、その部下である自身もまた所属している改革主義。

 一つは()()()雪信をトップとし、その娘瑞樹葉歩も所属する血統主義。

 

 そう、つまるところ、これが今回の最大の問題なのだ。

 

 

 

「そもそも、今は提督がちゃんとした後継って認められてるのに、狭火神提督にそこまで拘る意味ってあるんですかぁ?」

 島風が不思議そうに首を傾げる、だがそれに対して深く息をついて返す。

「ダメなんだなあ…………これが。多分このことは私を含めて、ほんの一握りの人しか気づいてないと思うんだけどね」

 机の片隅に置いたマグカップに入った珈琲を呷る。口内に広がる苦味と、冷めてしまって増した酸味に顔をしかめながら、一息の飲み干すと、とん、とカップを机に置いて再び口を開く。

「まあ確かに? 狭火神大将の地位も、名誉も、残してくれた繋がりも、大体は私が引き継いだ。これも立派に狭火神大将の遺産だと言える」

 でもねえ、と口にしながら片手でくるくるとペンを回す。狭火神大将が昔やっていたように。

「一番大切なものは、私じゃない、彼が持ってるんだよねえ」

 その呟きに島風が疑問符を浮かべる。一番大事なもの、とは何か考えているようだが、答えは出ない様子だった。

「血統…………いや、才能と言い換えてもいいかな」

 仕官学院に入る前よりずっと彼のことを見てきたからこそ、分かる。

 彼は自分には無い才能を持っている。

 現在の海軍の仕官学院の教育の中に、艦隊戦闘の仮想演習がある。

 実際に艦娘たちを使って戦うわけではないが、それぞれの性能を設定された艦のデータを使って、電子空間内での仮想戦闘指揮を行う、と言った…………要するに一昔前のPCゲームのようなものだ。

 これが現実に全て反映される、わけではない。そもそも勝敗によって成績が決まるわけではなく、指導されたことをちゃんと組み込んで反映できているか、と言った確認程度のものだ。

 当たり前だが、彼もこれを過去に経験している。その際、彼がどんな指揮をしたのか、気になってログを見させてもらったことがある。当時すでに狭火神大将の基盤を継いでいたし、将校が青田買いの参考にこう言ったデータを見ることは珍しくも無いので当時行ったおよそ二十戦分のデータログを見て…………そうして驚愕した。

 

 直感的で、理論的で、矛盾しているようで整合されている。

 とんでも無い博打のように見えて、それでいてどこまでが計算ずくなのか分からない。

 見れば見るほどに自身の上司だった男を彷彿とさせるその指揮。

 だがまだ甘い。実戦を知らないのだから当たり前だが、ミスも多い。結果だけ見ればそれなりに優秀、と言った程度。飛びぬけた結果があるわけでもない。だから他の将校たちの目にも留まらなかった。

 けれど、自身だけは…………狭火神大将の元でずっと共に働いてきた自身だけには理解できる。

 

 これは大将の指揮だ。

 

 まだ未熟だからこそ大多数は気づかない。

 だがいずれ経験を積み、その才を開花されていけば誰もが理解することになる。

 狭火神の再来を。

 

「正直さ、もう十年もしないうちに、彼には指揮で勝てなくなると思う。それくらい才覚…………()()()()()()()()()()()

 狭火神仁の指揮の秘密の一端を火野江火々は知っている。

 正直、彼女には全く理解できない事柄ではあるが、恐らく彼には理解できるのだろう。

 

「計算、なんだよね」

「計算?」

 自身の漏らしたその呟きに、島風が何のことかと呟き返す。

 そうして返って来た言葉に、一つ頷き続きを話し始める。

「狭火神大将…………そして彼の作戦立案、そして指揮の正体だよ。全部計算してるんだよ、それが他人には理解できない。他人には見えない、他人にはできない。勿論、私にも」

 

 火野江火々の指揮とは、パズルだ。

 最終的な目標(わくぐみ)を設定し、そこに自身の持てる札(ピース)を当てはめ、一つの流れを作る。

 足りない物があるなら、代わりのもので補うか、もしくはどこからか引っ張ってくる。

 全てのピースがはまれば強い、が応用性は無い。補えなければそれだけで瓦解してしまう諸刃の剣。

 火野江火々はそれを補うための根回しをする才覚を持っていた。だからここまでやってこれた。

 それもまた一つの才能。

 

 だが分かりづらい。そして地味だ。

 

 勿論分かる人間には分かる。必要なことで、重要なことだと理解もされる。

 

 だが大多数に理解されるような才能ではない。戦略を、そしてその先を描く、どちらかと言えば上の人間に求められる資質である。

 

 狭火神大将の、そして彼の才能はその真逆だ。

 

 今ある手札とそして敵の戦力、さらに場の状況、時間、その他全ての情報を理解し、その全てを思考し、計算する。いわゆる、シミュレーションだ。それも精密の極地に至ったような。

 狭火神大将のそれはほぼ未来予知と言っても過言ではない、未来予測演算である。

 先の状況も、敵の動きも、全て計算し、予測…………否、最早予知した上で味方を動かすのだ、それはもう戦場を好き勝手にできる。さらに味方を動かした場合の敵の反応まで計算し、思考し、予測し、その対処まで考えるのだから、狭火神大将の動かす戦場では奇跡のような部隊機動が何度も見せ付けられると言うものである。

 その弱点は、手札が無ければ取りうる対処法が極端に減っていくこと。

 だが逆に手札に制限をつけない。

 

 火野江火々がその才覚で手札を揃え、その手札を持ってして狭火神仁がその才覚で手札を切る。

 

 そんな状況にできるのなら、無類の強さを見せ付けることができる。

 それは誰にでも分かりやすい、現場の強さ。戦術が戦略を塗り替えるかのような派手さがある。

 

 言うなれば、与えられた手札で最大限のパフォーマンスをし、最大の結果を出すのが狭火神親子の才で。

 決められた目標を達成するために、手札を揃えることができるのが火野江火々の才だ。

 

「そしてこの半年弱の激戦でその才覚がどんどん研ぎ澄まされてる」

 

 先ほど、自身が勝てなくなるのに十年もかからないと言ったが、あと一度か二度、この間の撤退戦や防衛戦のような激戦を潜り抜ければその時点でもう勝てないだろう。

 

 思い出されるのはあの鎮守府の防衛戦。

 

「あり得ないにもほどがある。艦娘の轟沈を計算に入れてダメコンを積み。そのダメコンからの復帰までの時間まで計算に入れて他二人を動かす…………なんだそれ、と思わない?」

「……………………」

「五日待って何があるのか、彼は知らなかった。それでも何かあることは理解していた。そしてそれを漠然とだけど察していた。そこも計算したんだと思うよ、意識的か無意識的かは知らないけど。そして一番可能性の高い援軍と言う選択肢を頭に入れて、さらに演算。結局彼は、初日から五日目まで終始戦場をコントロールしていた。一度たりとも予想外を入れなかった。そしてその流れは、()()()()()()()()()()()()()()()

「は?」

「だから、初日に防衛命じてすぐに五日間の流れを計算しきって、あとは細かい調整だけ入れながら実際に五日間、一度も予想外を起さずに鎮守府を守りきったんだよ」

 その言葉に、さすがに島風も言葉を失う。

 そんな島風の様子に、自身も同じような気分だよ、と内心で呟きながら。

 

「狭火神の血の怖さ、か」

 

 思考するようにそっと目を瞑った。

 

 

 * * *

 

 

「…………こんなところにいたのね、響」

 後ろから聞こえた声に振り返ると、自身の姉がいた。

 港の端、今日はどうにも海風が強いらしい、帽子が飛ばされないように抑えたままやってくる姉の姿を横目で見つめながら佇んでいた。

「大丈夫?」

「…………何がだい?」

 そんな言葉を返すが、何が、なんて本当は分かっている。

 

「司令官のお見合いのこと」

 

 ズキン、とその言葉を聞いた胸が一瞬痛みを叫ぶ。

 けれどその意味を自身は知らない、知らないから理解できない。

 だから、どうしてこんなにも心が苦しいのか分からない。

 どうしてこんなにも胸が痛いのか分からない。

 どうしてこんなにも心が乱れるのかが分からない。

 

 ヴェールヌイはこんな感情知らない。

 

 痛くて、苦しくて、辛くて、けれど甘くて、切なくて、雪のように溶けてしまいそうな柔からかな感情。

 

 ヴェールヌイはこんな思い知らない。

 

「お見合いって…………やっぱり結婚するのかな、司令官」

 

 口に出して、言葉にして、もしかしてと思っていたその考えを、けれどはっきりしてしまえば、余計に胸が締め付けられる。痛みが増す。思わず表情が歪むくらいに。

 そんな自身の様子を、じっと暁を見て…………見つめて…………そうして、ため息を吐く。

「なんだい、暁、何か言いたいことがありそうだけど」

「いやぁ、私もね、本当は放って置こうって思ってたのよ? こう言うのって本人同士の問題だし? 横から余計なお世話焼くのもどうかなって、レディーならそんな野次馬みたいなことしないで、見守るのも大事かな、って思ってたのよ?」

 まるで呆れたような…………いや、実際に呆れていると目が告げて暁が言葉を選びながら続ける。

「でもね、ここまでお互いニブニブだといつまで経っても変わらないと思うのよねえ。特に二人の場合、安定してた期間が長かったから、もうお互いが落としどころを見つけちゃって進展させようと言う気持ちすらないのかと思ってたし。だから今回の件、突然だったし、驚いたけど、何か変わるかもって言う期待があったのよ?」

「…………えっと、一体何の話だい?」

 まるで意味の分からない、暁の言葉に首を傾げるばかりの自身だったが、それを見て暁がまたため息を付く。

「本当に鈍いんだから…………二人が二人して、お互いの気持ちどころか、自分の気持ちにすら気づいてないんじゃそりゃ進展なんてしないわよね」

 本当に、何のことかは分からない、分からないが…………何か憤っているようにも見える。

 どうしたんだろうか、と首を傾げる自身を見て、やはり暁が何度目かのため息を吐く。

「本当に気づかないのね。妹ながらここまで鈍いと呆れる以外ないわ」

 やれやれ、と言った様子の暁が自身の両肩を掴む。

 そうしてその双眸で自身を見据え。

 

「いい加減気づきなさい。響、あなた司令官に恋してるでしょ」

 

 そう言い放った。

「……………………は?」

 突然の問いに、思わずそんな声が漏れ出た自身は悪くないだろう。

 それほどまでに唐突だったのだ、自身にとって、その言葉は。

「…………悪いけど暁。私には恋なんて分からないよ」

 口から出たそんな反論に、暁がはあ、とまたため息を吐く。

「分からないだけで、知らないだけで、存在しないわけじゃないでしょうに」

 あのねえ、と片手で軽く頭を抑えながら暁が続ける。

「司令官のこと好きでしょ?」

「うん」

「司令官にならキスできるのよね?」

「ああ」

「で、司令官がお見合いするって聞いたら胸が苦しいのよね」

「そうだね」

「それを恋以外のなんて言うのよこのお馬鹿!」

 そう言われて、初めて気づく。

 先ほどから自身を締め付けるこの感情の正体。

 嫉妬だ。知らない誰かに司令官を取られてしまうと言う可能性に、そして司令官を取ってしまう誰かに、嫉妬しているのだ。

 どうして? どうして嫉妬するのだろうか?

 

「響は、このまま司令官が誰かと結婚しちゃっても平気なの?」

 

「っ!?」

 ズキリ、と今までに無いくらいに胸の痛みが強くなった。

 まるで触れて欲しくなかったことだったかのように。まるで今までずっと考えないようにしていたこと、目を反らしていたことを当てられたかのように。

 

 否、まるで、などではない。

 ことここにいたって否定などできようはずも無い。

 どうしてこんなにも苦しいのか、どうしてこんなにも辛いのか、どうしてこんなにも痛いのか。

 ヴェールヌイは知らない。

 けれど、暁は知っていた。

 

「…………恋、なのかな、これが」

 

 呟いた言葉が、すっぽりと胸の内にはまっていく。

 

 恋。

 

 自身の知らない感情…………いや、()()()()()()()()

 

「こんなにも苦しくて、辛くて、痛い感情が恋なのかい?」

「そうよ、その苦しくて辛くて痛くて、それでも暖かくて優しくて触れ合いたくなるような気持ちを世間一般では恋って言うのよ」

 

 暁が言ったそれはまるで自身が司令官へ向ける気持ちによく似ていて。

 

「…………なるほど」

 

 だからこそ、納得もできた。

 

「どうやら私は司令官に恋していたらしい」

 

 そうして初めて自覚した。

 

「あっちはこんな簡単に済めばいいんだけどね」

 なんて暁が呟いていたが、それすら気にならない…………否、気にする余裕の無いくらい感情が暴れ狂っていた。

「…………暁」

「何?」

「もしかして私は、これまで司令官にかなり恥ずかしいこと、していたのかな」

「…………ようやく自覚したの?」

 以前に船の上で釣りをしていた時、司令官に抱きしめられたことがあったが、司令官への最近の自身の言動を振り返ってみるとあの時と同じ恥ずかしさ…………羞恥心を感じ、思わず帽子で顔を隠す。恐らく今、かあ、っと顔が赤くなっているのだろうと自覚する。

「ところで響。自覚したところでもう一度だけ聞くけど…………このままで良いの?」

 

 このまま…………このまま司令官が自分の知らない誰かと結婚したら。

 

 そう考えたら、自然と体が震えた。

 

「…………嫌だ」

 

 司令官の隣に、自分じゃない誰かが立っている。

 そうなった未来を考え、怖くなる。

 その時、自分はどうするのだろう…………どうなってしまうのだろうか。

 

「嫌だ」

 

 震える唇ではっきりと、けれど弱弱しく。

 

「お願いだから」

 

 呟いた。

 

「いかないで」

 




未来予測演算は某エロゲから引っ張ってきた。一度は使ってみたかった個人的イケメンスキル。
そしてヴェルヌイはすでに地雷撤去済みなので比較的簡単に恋愛スイッチが入る。
そろそろ弥生更新したいなあ。因みにオリ主スレッドは現在80レスあたりまで書いてます。

前書きにも書いたけど、お仕事いそがったり、環境変わって集中できなかったり、アイギス面白すぎたり、シビラちゃんが可愛すぎたり、シビラちゃんが最強すぎたり、シビラちゃんが素敵過ぎたりでいまいち更新滞ってますが、ゆったりやっていきますので気長によろしく。


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好きなんだよ

「…………どうしよう」

 駆逐艦ヴェールヌイのその日の第一声はそれだった。

 ヴェールヌイに割り当てられた個室、最近は時折暁も泊まりに来るその部屋で、まだベッドの中で布団に包まれながらヴェールヌイが呟く。

 

 夢を見ていた。

 

 眠っている間ずっと。

 

 懐かしい夢。

 

 まだヴェールヌイが、響だった頃の…………この鎮守府に自分と司令官しかいなかった頃の夢。

 今でこそ、ここで働く職員の数もそれなりにいるが、自分がやってきた当初、本当にこの鎮守府には司令官しか居なかった。

 当時の自身に、それを気にする余裕すらなかったから何も言わなかったが、今になって思うと、相当に無茶な話である。

 

 あの頃はずっと海ばかり眺めていた。

 

 自身の身代わりとなった彼女の沈んだ、その海を…………ずっと、ずっと。

 朝から晩まで、日がな一日中。

 それでも問題無かったのは、この鎮守府だからでは、と言ったところか。

 本当に毎日毎日、海ばかり見て。けれどそこに何の意味があるのか、自分でも分からなかった。

 

 その意味を教えてくれたのは…………司令官だった。

 

 “お前、いつもここにいるな”

 

 あの頃から釣り好きだった司令官は、時折自身の隣に座って糸を垂らす。

 その日、司令官がやってきたのは夜だった…………ああ、よく覚えている。

 

 (わたし)が死んで、ヴェールヌイ(わたし)が生まれた日だから。

 

 海を見なくなったのは何時からだっただろう。

 鎮守府の小さな部屋の中で、押しつぶされそうな重さを感じなくなったのは…………何時からだろう。

 

 “命を大事にしないやつは嫌いだ”

 

 あの時、司令官はだからそう言ったのだろう。

 

 “自分から死ぬような真似をするやつは大嫌いだ”

 

 海に惹かれたのは、水底に共に落ちて生きたいと願ったからだろうか。

 

 “それでも”

 

 それとも。

 

 “命を賭けなければならない時があることを知っている”

 

 果たしたかったのだろうか。

 

 “命を投げ出したくなるほどの無常があることも知っている”

 

 今度こそ。

 

 “きっと…………お前に必要なのは重みなんだろうな”

 

 今度こそは、と。

 

 “だから…………響”

 

 

 くれてやるよ、俺の命を。

 

 

 あの日、あの時、あの場所で司令官はそう言った。

 

 

 * * *

 

 

「ぷろぽーず?」

 自身の部屋に集まり、昔をことを少しだけ話した暁の第一声がそれだった。

「…………いや、違うと思うけど」

「だって、俺の命をやる、なんてほとんどプロポーズだと思うんだけど」

 まあ言われてみるとそんな風に聞こえないことも無い。

 けれど司令官にそんなつもりが無かったのは分かっている。

「もういっそ響もプロポーズしちゃえば?」

「なにがいっそ…………なのか知らないけど、それが一足飛びどころの話じゃないのは理解できるよ」

 そんな暁の言葉に少し呆れたように返すと、雷が同調するように言葉を続ける。

「そうよ、それにやるなら指輪も用意しないと」

 訂正…………同調に見せかけた裏切り者だった。

「ならまずは指輪買わないとダメなのですよ」

 電までそんなことを言い出すので、ちょっと待った、と三人を止める。

「話が脱線しすぎだ」

「っと、そうね。司令官のお見合いをどうするかの話し合いだったわね」

「暁が昔の話聞きたいとか言うから脱線してたわね」

「でも、あの頃の響はそんな感じだったのですか」

 わいわい、がやがや。第一回姉妹会議と銘打たれたその騒がしい会合は、いつまで経っても本題へと入らないまま脱線を続ける。

 それを唐突に収束を迎えるのは雷の一言。

 

「まあそれも全部、司令官が響の気持ちに応えるのなら、だけどね」

 

「「……………………」」

「…………分かってるさ」

 ピタリ、と口を閉ざす二人とは対称的に、一つため息を零す。

 そもそも、まだ自覚したばかりのこの気持ちを伝えてすらないのだ、だから一足飛びどころか、まだ前提すら満たしていない状態だ。

「真面目な話、司令官は受け入れると思う?」

 むむむ、と少しだけ強張った表情で暁が他二人へと問う。

「…………どう、かしらね」

 難しい表情で右手を口元に当てて考え込むポーズをした雷がそう呟く。

 

 そう、実際問題。

 

 例え司令官にこの気持ちを伝えたとして。

 

 司令官が同じ気持ちを抱いているのか、そして自身を受け入れるのか。

 

 その可能性は、決して高く無い。

 

 だって。

 

「…………私たちは、艦娘ですから」

 

 電の零した一言に、部屋の全員が沈黙した。

 

 

 * * *

 

 

「暁の見た限りだと、司令官だって決して嫌なわけじゃないと思うんだけどなあ」

 響の部屋を出て、電を自室に送り、そうして雷と二人で鎮守府の外へと出る。

 びゅう、と風が吹き、二人の髪を揺らす。当たり前だが海辺に面している以上、風が良く吹いている…………が、まあ今日はまだ穏やかなほうだろう。

 空を見上げればいつも鮮やかに夜空を彩っていた白く輝く月は、どうやら今日は雲に隠れて見えない。

 

 絶好の密談日和ね、なんて内心で呟きながら。

 

「そうね…………私も司令官と響が信頼し合っているのは感じてるわ…………ただねえ」

 

 そう、ただ、が付いてしまう。

 

 暁の見立てでも、雷の見立てでも、二人ともかなり深く信頼し合っている。絆が結ばれている、と言ってもいいだろうか。暁にとっての引退したかつての司令官のように、雷にとってのかつての中将のように、長く付き合えば付き合うほど、お互い深く、深く、繋がっていく。

 その信頼は確かに好意にも繋がる、例え表面上は事務的なやり取りしかできなくたって、内心ではお互いを重いあっている、なんてこといくらでもある。

 だがそれを恋愛に結びつくかと言われればそうではない。

 

 例えば、暁は自身の以前の司令官…………新垣提督のことを未だに好きでいる。それはきっと永劫変わらない事実だろう。長く秘書艦として付き合ってきたからこそ、その内面まで含めてよく知っているし、その人柄を好いてもいる。

 だがそれが恋愛感情かと言われると、全く持って違うと断言する。

 そもそもあの提督は妻子持ちだし、そう言う意味では、二人の表面上は艦娘を兵器としてみようとしていた新垣提督のこともあってあまり穏やかとは呼べるものではなかったが、その内心ではどこか親子のように思いあっていた部分がある。

 

 雷の場合もっと単純だ。好きだった、だがそれは恋愛的な意味ではなく、単純に信頼、そして友愛。

 単なる上司と部下の関係ではない、互いが心底信頼し合い、荷を任せあう、親友にも似た関係だった。

 

 このように提督と艦娘の関係性というのは、存外一つの枠には収まりきらない。

 だから逆接的に言えば、その関係の一つに恋愛関係、があっても確かにおかしくは無いのだが。

 

「内心は…………いまいち確信は持てないけど、それ以上に」

「司令官が受け入れるか、ってことね」

 

 暁も、雷も、元司令官たちとの関係性がすでに固定化されていた。だから安定していた、だからその関係性のままに真っ直ぐ進めば良かった。

 

「私、響に余計なこと言っちゃったのかな」

 

 けれど司令官も響も、その関係性にはっきりとした名前がついていない。

 

 親友? どこか違う。

 家族? 何か違う。

 上司と部下? 確かに合ってるけど、違和感がある。

 

 あやふやの関係のまま、それでもここまで続いたのは、最初は響が壊れそうだったから。関係を結ぶ以前の問題だったから、だからまずは響を元に戻すことから始めた。

 そして響の心が完全に戻るより先に、暁や電、雷と言った別の問題を抱えた艦娘たちが来てしまい、結局二人の関係に決着はつかない、あやふやの関係のままここまで引き伸ばしてきてしまった。

 きっと二人のままで、あと一年、ないし二年、時間があれば自然とその関係性に行き着くのであろうが…………どうにもあの司令官の周りは騒動が向こうからやってくるらしい。

 

 今回のお見合い話を良い機会だと言った暁の言葉に嘘は無い。

 だがここまで保たれてきた均衡が崩れるのではないかと危惧して焦った部分があるのも、また事実なのである。

 けれど、今思えばあのあやふやな関係のままでも、あれはあれで安定していたのだから、余計なことを言ってそのバランスを崩してしまったのかもしれない、とも思ってしまう。

 

 けれどそれを否定したのは、雷だった。

 

「…………多分、暁が何も言わなくても、いつかは同じことになってたわ」

 

 それくらい、今の二人は歪なのだ。

 折れた骨をろくに添え木もせずに治してしまったかのように。

 正常に戻る前に、その状態で固定されてしまった。

 

「確かに多少強引だったかもしれないけど…………それでも」

 

 二人の関係性を正常な形に戻そうと思うならば。

 

「いっそ、ショック療法でもしてみないとダメなのかもね」

 

 そう言って苦笑する雷に思わず暁もつられて笑う。

 

「まあでも」

「結局」

 

 ふう、とため息を吐き。

 

「「あの二人次第、なのよね」」

 

 やれやれ、と肩を竦めた。

 

 

 * * *

 

「いよいよ明日か」

 

 夢、そう夢だ。

 

 夢を見ていた。

 

 昨日の晩の夢。

 

「準備はもう良いのかい?」

 

 司令官への気持ちを自覚して、初めて二人きりで過ごす。

 その事実に対して、想像以上に自身の心臓が鼓動を激しく刻んでいる。

 

 とくんとくん、とくんとくん

 

「準備つってもなあ…………正直、着ていく服くらいしか用意する物無いしな」

「そうなのかい? 正直、お見合いに行く人なんて初めて見るから、勝手が分からないや」

「俺だってこんなの初めてだよ」

 

 いつも通りの風で話せているだろうか、表情にこの思いが漏れ出ていないだろうか、そんな風にぐるぐると思考を回しながら。

 

「……………………………………………………一つ聞いてもいいかい?」

 

 ふと、一つ、疑念が過ぎった。

 理性はそれを、危険だと咎める。

 けれど、心はそれを抑えきれない。

 

「ん? どうかしたか?」

 

 司令官が何てことないような顔で、尋ねてきて。

 

 だから、余計に胸が苦しくなる。

「司令官は」

 余計に辛くなる。

「明日逢う相手と」

 こんなに苦しいのが恋だと言うのか。

「…………その」

 こんなに痛いのが。

「結婚、してしまうのかい?」

 恋だと言うのか。

 

 まだ結婚なんて早い。

 もしかすると、そんな言葉を期待していたのだろうか。

 そもそもお見合いに参加するだけで、別に結婚まで決めてしまうわけではない。

 そんな淡い期待は、けれど。

 

「……………………ああ、そのつもりだよ」

 

 そんな司令官の言葉にあっさりと打ち砕かれる。

 

「…………どうして?! だって相手の顔も知らないんじゃ」

「…………………………………………」

 

 そんな自身の問いに、けれど司令官は答えない。

 

「……………………分からない、分からないよ、司令官」

「……………………ヴェル?」

 

 きゅっと、その裾を掴む。そんな自身の様子がおかしいことに気付いたのか、司令官が訝しげな表情をし。

 

「好きなんだ」

 

 呟いた言葉に、伸ばされた手が止まった。

 

「ずきずきと胸が痛い。痛いくらいに、司令官が好きなんだ」

 

 その表情が凍りつくのにも構わず。

 

「もうわけが分からないよ、思いが、想いが、ぐちゃぐちゃになって、滅茶苦茶に混ざって。苦しくて、辛くて、痛くて、悲しくて、好きで、好きで、好きで、もう止められないんだ、溢れ出して来る。気持ちが、思いが、溢れ出して来る」

 

 ぐっと、裾を握った手に力が篭る。

 

「私はどうすればいいんだい、分からないよ、司令官。こんな気持ち、初めてだから、分からない」

「……………………………………………………」

 

 司令官は答えない、司令官は応えない、司令官は…………。

 

「知るか」

 

 ぱしん、と裾を握った手を払いのける。

 

「………………お前、もう今日は寝ろ」

 

 そう告げ、自身を部屋の外に追い立て、がちゃん、とそのまま部屋の鍵を閉める。

 

「………………………………………………………………」

 

 何も言えない、何も言わない。

 自分の中でもまだ整理が付き切れていないだけに。

 

 ただ一つだけ分かったことがある。

 

 自身は司令官に拒絶されたのだ。

 

 そのことに気付いた瞬間、扉に背を預け、そのままずるずると崩れ落ちる。

 

「…………………………………………っは、はは…………分かってた…………分かってたのに…………なあ」

 

 こんな結末、分かりきっていたのに。

 

 感情に歯止めが利かなくて、吐き出してしまった本心。

 

 分かっていたのに。

 

 こんなこと。

 

 分かっていたのに。

 

「………………………………………………っ………………ぅ…………ぁ…………」

 

 声を押し殺す。扉越しに聞こえてしまわないように。

 

 拭っても拭っても溢れ出た涙が熱かった。

 

 何より。

 

 胸の痛みは、いつまでも治まりそうになかった。

 

 

 * * *

 

 

 思い出す、昨晩の出来事を。

 

「どうしよう」

 

 本当に、あんなこと言ってしまって。

 今日から一体、どんな顔をして司令官と会えばいいのだろうか。

 

 言うべきでは無かった、そんなことは理解していた。

 

 それでも。

 

「…………好きなんだ」

 

 漏れた声は、心から溢れた想いそのものだった。

 

「司令官」

 

 悲しくて、辛くて、苦しくて、痛くて。

 

 それでも。

 

「好きだよ」

 

 諦めることなんて出来そうに無かった。

 

「好きなんだよ」

 

 



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私と結婚してください

 

 部屋の扉を開けた暁を待っていたのは、むせ返らんばかりに部屋から溢れ出す白い煙草の煙。

 そしてそんな部屋の中で一人煙草を噴かせる自身の司令官であった。

「けほっ…………けほっけほっ、ちょっと司令官、窓開けて!」

「ん……………………ああ、すまん」

 どこかぼんやりとした表情のまま、のっそりとした動きで窓を開くと、冬の朝の冷たい風が流れ込んでくる。

「換気! 換気よ!」

 そのゆったりとした動きに業を煮やした暁が部屋の窓を片っ端から開いてくと、途端に室内の温度が下がり、冷え込んでいく。

「う…………さむっ」

 とは言ったものの、大分煙も薄まり、呼吸が楽になる。

「全く…………人を呼びつけておいて、朝から何やってるのよ、司令官」

 声に少しだけ怒気を混じらせながら、暁が言いつつ、ふと気付く。

「司令官…………煙草なんて吸ってたの?」

 暁がこの司令部に配属されて一月以上が経つが、司令官が喫煙している姿など初めて見た気がする。

 軍人なら酒と煙草は最高の嗜好品である、故に佐官である目の前の青年がそれをしていても不思議ではない、実際飲酒している姿だけなら割合頻繁に見る。だが煙草だけは初めて見たので、思わず目を丸くする。

 そんな暁の問いにどこかぼんやりとしたまま自身の手に持つ、まだ煙のもくもくと立ち昇る煙草を見て、んん、と一つ喉を鳴らす。

「たまーにだけど…………な。どうしてもストレスが溜まって仕方ない時だけ、モクで誤魔化すんだよ」

 口をつけ、大きく、そして深く煙を吸い込んでいく。

 そうして、大きく息を吐く。

「対して好きでも無いんだけどな…………それでも気休めくらいにはなる」

 表情を見ると、喫煙者に良くある至福、と言った様子は無い、むしろ不味いものでも食わされたような顔。

「……………………大丈夫なの?」

 その言葉に、心配そうな表情をして尋ねる暁に、司令官がくつくつと笑い声を漏らす。

「そこでその言葉が出る辺り、お前、本当に気遣いの出来るいいやつだよ」

 

 ストレスが溜まって仕方ない時だけ吸う煙草を吸っていると言うことは、つまりそう言うことで。

 

 何があったの? とは聞かない。言いたくないことなんていくらでもあるし、言うべきならばすでに口にしているだろうから。だから、ただ一言、大丈夫? と聞くのだ。

 その原因をいくつか考え、どれだろうと恐らく言いたくないだろうから。

 

 いつもは無い、机の上の灰皿に煙草を押し付け火を消す。

 と同時に、こちらを見つめる司令官に即座に姿勢を正す。

「良し、本日イチマルマルマルより哨戒任務を行う。場所はこの鎮守府周辺海域。時間は本日イチロクマルマルまで。旗艦は駆逐艦暁とし、以下ヴェールヌイ、雷、電の三隻を随伴にて作戦を行う」

 何か質問は? と問うてくる司令官に、少し考え。

「ヴェールヌイも出すなら、ヴェールヌイに旗艦を任せたほうがいいんじゃないのかしら?」

「今回はお前らの訓練も兼ねるからな。今の内に旗艦の役割に慣れておけ」

 他に質問は? と尋ねる司令官に、暁が数秒考え、けれど首を振る。

 

 本当は、色々聞きたいことはある。

 昨日何かあったのか、とか。

 今日がお見合い当日だがどうなのか、とか。

 

 それでも。

 

「……………………言えないわね」

 

 今の司令官の表情を見ていると、とてもではないが言えない。

 焦っているような、何か堪えているような。

 感情がない交ぜになっているようで、その内心をはっきりとは察することは出来ないが…………。

 

 いっぱいいっぱいって顔ね…………司令官。

 

 本当に、何があったのだろうか…………いつもの司令官のような余裕が無い。

 今にもぷつん、と切れそうなほどに張り詰めた糸を連想する。

 触れれば今にも切れてしまいそうなその危うさが、暁の内に沸く疑問を押し潰させる。

 

「…………何も知らないし、何も聞かないけど、一度外の空気でも吸ってきたら?」

 

 それだけ告げて、部屋を出る。

 ふと部屋を出る直前に見た時計で確認した現在時刻はマルハチサンマルと言ったところ。

「…………余裕のあるうちに通達だけしておきましょうか」

 呟き、姉妹たちの部屋へと向う。

 

「…………大丈夫かしら」

 

 先ほどの司令官の表情を思い出し、もう一度呟いた。

 

 

 * * *

 

 

「…………外の空気か」

 

 こつん、と石畳を叩く靴音が響く。

 以前の防衛戦の時、徹夜明けに見た朝焼けの海は、それはもう輝いて見えたものだったが、けれどさすがに九時近くになった現在では、ただ眩しいだけのただの見慣れた海だ。

 

「…………頭冷やせってか」

 

 冬の到来と共に空気が一気に冷え込んできた。海辺だけに僅かな温度差で風の感じ方もまるで変わる。

 混じる潮の香りも、いまやもうすっかり慣れてしまって、意識の端にも引っかかるようなものではなくなってしまった。

 

「…………ホント、慣れちまったな、こんな生活に」

 

 この孤島に来てすでに二年近く経つのだろうか。

 初めて来た時、真新しい鎮守府の司令官と言うことで多少緊張していたのを覚えている。

 本州から離れた海域にある孤島。と言っても、最初の任地なのだ、そのくらいのほうが存外気が楽かもしれない、などと思っていた。

 実際に着てみて思ったのは、本当に真新しい建物だと言うこと。

 玄関に埃一つ落ちていない、鎮守府を囲う壁に染みの一つも無く、入り口を閉じる鉄門はピカピカで錆びた部分など見当たらない。

 中も中で床に使われた木材やカーテンなどの新品特有の香り。

 壁に塗られた塗料はどこにも剥げた箇所など無く、つるつるとした手触りをしていた。

 

 ああ、今日からここが俺の城か。

 

 思ったのはそんなこと。

 人気の無い鎮守府の中を一通り歩く。

 それこそ、個室の一つ一つから、風呂の中、食堂の奥の調理場に至るまで全てだ。

 国からの貸借と言う形とは言え、今日から自身がこの場所の主となるのだ。そのことに興奮しなかったと言うと嘘になる。

 

 興奮冷めやらぬままにそのまま一日が過ぎ。

 

 そして、響が鎮守府へとやってきたのだ…………。

 

「…………響…………ヴェールヌイ」

 その名は自身にとってとても大切なもので、とても特別なもので。

 

“好きなんだ”

 

 だからこそ。

 

“ずきずきと胸が痛い。痛いくらいに、司令官が好きなんだ”

 

 だからこそ。

 

“分からないよ、司令官。こんな気持ち、初めてだから、分からない”

 

「…………認めない」

 ぽつりと呟き、唇をかみ締める。

 

 ふと腕時計に視線をやれば時刻はもうすぐ十時。

 

「…………行くか」

 

 見合いの時間が近づいてきた。

 

 

 * * *

 

 

 まず、大前提として。

 瑞樹葉と言う家について、少しだけ話しておきたいと思う。

 

 陸の火神(各務)、海の水牙(瑞樹葉)、空の風視(風見)、政の土門(怒紋)

 

 かつてそれぞれの領分において、絶大な支配力を持っていたと言われる四つの家柄。

 

 これを四家と称する。

 

 ほんの十数年前。

 深海棲艦の出現により、陸海空、それぞれの軍事バランスの崩壊が起こるまで、続いていた支配者の一族。

 

 瑞樹葉とは、そう言う家柄である。

 

 深海棲艦、その出現により海軍の権限が増大、それと共に四家のバランスも傾き、瑞樹葉はこれまで以上に大きな力を得るはずだった。

 

 本来なら。

 

 それがどうしていまや、分裂した内部派閥の長程度に収まっているのか。

 その理由もまた、深海棲艦である。

 

 いや、正確には…………艦娘だろうか?

 

 瑞樹葉が握っているのは、既存の海軍の力。

 

 つまり、船だ。

 

 そして現在の海軍で最も必要とされる力。

 

 つまり、艦娘。

 

 たった一度、瑞樹葉は間違いを起こした。

 十数年前、人類と深海棲艦の最初にして、現在に至るまでで最大の決戦と呼ばれる戦いにおいて。

 

 瑞樹葉は海軍を半壊にまで追い込んだ。 

 

 けれど…………それは事実ではあるが、あまりにも一方的な見方かもしれない。

 当時の誰が同じ立場になったとしても、同じ決断を下しただろう。

 至極全うに告げただろう。

 

 全艦出撃。

 

 まさか誰にも予想できないだろう。

 深海棲艦のその強さ、そして数。

 既存の軍艦の分厚い装甲を容易く撃ち抜くその破壊力。

 ミサイルの直撃に、けれどほとんど被害の無いその不可思議な装甲。

 そして、ほぼ同一の能力と比較して圧倒的とも言えるサイズの違い。

 

 軍艦と同じかそれ以上の能力を持つ人型の存在が海上を蠢いているのだ。

 

 戦いになるはずが無い。

 巨大な船体は急速な加速は出来ず、その巨体は撃ち抜けるだけの火力を有するならただの釣瓶打ちの的でしかない。

 逆にその小さな体躯は出鱈目な進行を可能とし、さらには精密無比な射撃をして尚当たりはしない。

 

 完全敗北。

 

 日本はたった一戦で海を失った。

 

 きっと誰がやっても同じになっただろう一戦。

 けれど敗北の責任は誰かに押し付けられる。

 そうして当時の瑞樹葉家当主…………瑞樹葉歩、柚葉両名の祖父が全ての責任を負う形で軍を退役。

 代わって二人の父親が瑞樹葉新当主を襲名。だがその時には、海軍内での瑞樹葉の権力は大きく削がれていた。

 まあこう言っては何だが、自身の父親にもその理由の一端はある。

 

 艦娘と言う新しい力、それにいち早く適応し、結果を叩き出した当時の澪月海軍少将や狭火神海軍大佐。

 

 当時頭角を現していた幾人もの新しい世代。

 

 瑞樹葉が落ちたのではない、周囲が浮きあがったせいで相対的に落ちてしまっただけなのだ。

 

 だが一度絶対ではなくなった以上、最早従来通りの瑞樹葉の一党独裁とは行かない。

 

 落ちた四家は今もかつての復権を求めている。

 

 だから、これは…………このお見合いは、幾人もの人間の思惑の合致した結果だったのかもしれない。

 

 

 * * *

 

 

 見合いの会場となるのは、自身の鎮守府から一番近い本土の港、その港のある街のとある旅館だった。

 通達自体はすでに一週間以上前から来ていて、迎えも向こうが寄越してくれた。

 久々に乗った船の揺れ心地に、久々に自身が海兵なのだということを思い出す。

 

 海兵隊がいつでも船に乗っているわけではないが、それでも海兵である以上、いつしか軍艦の上船員となる。

 それが昔の海軍の当たり前だった。

 今となっては、軍艦などほぼ建造されていない。何せ海から押し寄せる敵と戦うには余りにも無意味だから。

 かつて軍艦を建造するために費やされていた莫大な資材は、今は鎮守府の設立、提督の養成、そして艦娘の増強に重点を置かれている。

 

 ともあれ、自身の鎮守府からおよそ二時間。ようやくついた旅館に圧倒される。

 

「……………………まだこんな旅館が残ってたんだな」

 

 和式という言葉を色濃く残した、言うなれば古き良き、と言った感じの外観。

 庭も枯山水を意識したらしい和風庭園。鹿威(ししおど)しなど見たのは、本当に幼少の頃以来かもしれない。

 

 かつての敗北で日本周辺の海上は深海棲艦の領域と成り果てた。

 海上を封鎖された島国など、ゆっくりと干上がっていくしか未来は無い。

 特にかつての日本はその小さな領土と比べて、余りにも人口が多すぎた。

 艦娘の登場、そしてかつての海軍の勇士たちの奮闘によって大陸との航路の確保に成功しなければ十年内に日本と言う国は滅んでいたとすら言われるほどだ。

 当たり前だが、そこまでの窮地に陥って、生活様式はこれまで通り、とはいかない。

 

 文化的にも、技術的にも、この国は前時代と比べ一段劣ったこの国は、首都東京、そして大規模な鎮守府が備えられた横須賀、呉、佐世保、舞鶴を中心としてかつての規模を取り戻しつつはあるが、それ以外の場所では未だに領海封鎖の影響が大きい。

 特に一番痛手なので、石油石炭の輸入の制限により、先に上げた都市部以外での電力供給が大幅に減ったことだろう。

 

 かつて第三次産業によって経済が回っていたこの国は、そのほとんどが第二次産業、そして第一次産業へと移行する運びとなった。

 そんな時勢にこれだけの規模の旅館を保っている、と言うのは中々に驚きなことであり、後日理由を聞いて納得することとなる。

 

 つまるところ、軍上層部や政治家たちの会合場所に使われる施設の一つなのだ、ここは。

 本当に、昔から無駄なところにだけ金かけるよな、あいつら。なんて感想を後日抱いたものである。

 

 まあそれはさておき。

 

 旅館の従業員の案内に従い、通された部屋。

 

 そこにいた人物に目を見開く。

 

「…………あ」

 

 彼女がこちらに気付き、そうして嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「灯夜くん」

 

 そこに。

 

「単刀直入なんだけどね」

 

 瑞樹葉柚葉がいた。

 

「私と結婚してください」

 




………………。


…………………………。


………………………………………………。


……………………………………………………おなかすいた。


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だってもう好きな人いるでしょ?

 

 

 瑞鶴が死んだ。

 自身が姉と慕った少女が死んだ。

 

 どうして?

 

 子供だった自身には、その事実が許容できなかった。

 だからずっと考えていた。

 

 どうして? どうして? どうして?

 

 考えたって何も変わらない。現実は残酷なほど淡々と過ぎ去っていく。

 

 “じゃあ、またね、灯夜”

 

 それが彼女と交わした最後の言葉だった。

 

 うそつき。

 

 ぽつりと呟いた言葉は、けれどもう彼女の元へは届かない。

 その日から狭火神灯夜の空虚な日々が始まる。

 愛すべき母も、憎むべき父も、慕っていた姉すら失った自身の、何も無い、空っぽな日々。

 

 そんな空っぽの自身の心を埋めてくれたのは、そう遠くない未来に出会う、二人の少女だった。

 

 

 * * *

 

 

「おにー」

 呼ばれた声に、またか、と内心で呟く。

「…………柚葉」

「こんなところで何やってるの?」

 こんなところ…………街に残った数少ないゲームセンター。

「こんなとこにいるんだから、やることは決まってるだろ」

 最早時代の遺物とすら言えるかもしれない貴重な場所である。

 こんなものがあるとはさすが首都東京と言える。因みに、以前母親と住んでいた地方にも、父親の引き取られた先の鎮守府周辺の街にも無かった。

 

 ちゃりん、と一枚、投入口に硬貨を入れると画面が変化する。

「お前も良く来るじゃねえか、ゲーセン」

「だっていつもおにーがいるからね」

 レトロなBGMと共に始まるのはシュミレーションゲーム。戦略ゲー、とでも言うのか、NPCと互い違いに海上に配置されたマス目に従って船を動かしていき、敵を全滅させていく。

 未来の話だが、海軍の仕官学院で同じようなものをやることになり、割と驚くことになる。

「またそれやってるんだ、好きだよね」

「頭の中で試行錯誤するのは性に合ってるんだよ、逆に格ゲーなんかは合わねえなあ」

 お前は好きそうだがな、と暗に視線を巡らせると、その視線に柚葉が首を傾げる。

 

 瑞樹葉柚葉は考えるのが苦手だ。代わりと言っては何だが、直感に非情に優れる。自身が今やっているような二手、三手先を詰めていくようなゲームは苦手だが、反面その場その場の最適解を探すような…………瞬間的な判断力が物を言う格闘ゲームのようなものは得意としている。

 姉の瑞樹葉歩はどちらもそれなり、と言ったところか。だが代わりに非情に手堅い。戦略ゲーなら戦力を十二分に揃え、自軍と敵軍の戦力差と被害を考慮に入れながらじわりじわりとその差を開けさせていくような、格ゲーならば守りを固めじっくりと敵の隙を狙っていくような、天才的ではない、反面非情に手堅く隙の無いやり方を好む。代わりに自分以上の読みと直感を持つ相手には脆い部分がある、戦略ゲーで俺に勝てないように、格ゲーで柚葉に勝てないように。格上相手に噛み付く武器が無い。

 

「そういや歩は?」

「おねー? なんか今日は用があるって先に帰っちゃったよ」

「…………そうか、まあそうだろうな」

 歩はもうすぐ仕官学院に入学することになる。その手続きなどだろう、と予想する。

「おにー、まだ帰らないの? 暗くなっちゃうよ?」

 柚葉の言葉にちらりと時計を見る、時刻はすでに五時近い。冬も半ばと言った今の季節からして、確かにそろそろ暗くなってしまう。

「ん…………そうだな、もう終わらせるか」

 卓に付けられたパネルを一つ押し、画面の中の船を一つ操作する。

「終わりっと」

 まるでパズルのように、一つの船の動きが敵の配列をかき乱していく。

 あとは消化試合、とでも言うようにこちらが一つ動かすたびに画面上に表示された敵のアイコンが一つ、また一つと消えていく。

 最後の一つが消えると同時にゲームオーバーの表示。

「負けちゃったの?」

「いや、勝った。このゲーム勝っても負けてもゲームオーバーって出るから紛らわしいけどな」

 ゲームオーバーとは本来、ゲーム終了のことであり、別に勝っても負けてもゲームが終わったのなら、ゲームオーバーと出るのは意味合い的には正しい、正しいのだがこの国では基本的に負けた時に表示されることが多いのでゲームオーバー=敗北みたいな意味合い思われている。

「ほえー…………おにーはすごいね、ゆずこれ苦手」

「八歳児のするようなゲームじゃねえしな、まあ年齢差し引いてもお前は考えるのが苦手そうだがな」

 直感と山勘だけで生きているような野生の八歳児である。因みに運も良いのか賭け事も滅法強い。

 

 ゲームセンターを出ると、うっすらと闇が世界を覆っていた…………と言うと何だか意味深だが、単純に夜が近づいてきただけのことである。

「おにー、たいやき」

「夕飯前に食ったら棗さんに怒られるぞ」

「うーお母さん怖いからなあ」

 二人、手を繋いで帰る。

 繋いだ手の暖かさを感じる。

「おにー?」

「なんだ?」

「なんで笑ってるの?」

 そんな柚葉の一言に、自身が笑っていることに気付く。

「…………………………なんで、か」

 

 そんなの。

 

「決まってるだろ」

 

 分かりきっている。

 

「幸せだから、だよ」

 

 そんな自身の言葉に。

 

「そっかあ」

 

 柚葉が笑んだ。

 

 そんなある寒い日の思い出。

 

 

 * * *

 

 

 母親が死んで、父親が死んで、姉代わりが死んで。

 

 そうして自身が引き取られた先は、瑞樹葉と言うお屋敷だった。

 そこで自身は二人の姉妹と出会う。

 

 一人は瑞樹葉歩。

 

 “そう、今日からあなたは私の弟になるのね。よろしく、灯夜くん”

 

 自信に満ち溢れ、どこか悪戯っぽい、けれど誰よりも早く自身を受け入れた度量の大きな義姉。

 

 そしてもう一人は瑞樹葉柚葉。

 

 “あ、あの…………その…………よろしくね、おにー”

 

 人見知りで気の小さい、自身を兄と呼ぶ、恥ずかしがりやの義妹。

 

 二人がいたから、自身は腐らなかった。

 二人がいたから、自身は生きてこれた。

 二人がいたから、自身は…………。

 

 

「何の冗談だよ」

 片手で顔を覆いながら思わず呟いた言葉に、柚葉が苦笑する。

「冗談じゃないよ、冗談でこんなことしないよ」

 その時、初めて柚葉の姿をまともに見る。

 この間のような軍服ではない、いつもの私服でも無い。

 この日のためにあつらえただろう着物に身を包んだ、自分の知らない女性がそこにいた。

 

 もうお互い子供じゃないんだよ?

 

 彼女の笑みから、そんな幻聴すら聞こえた気がする。

「…………本当にお前が相手なのか、柚葉」

 最後の確認だった。姉の…………歩のいつもの冗談、そんな風な期待もした。

 けれど。

「挨拶が遅れて申し訳ありません、私は瑞樹葉柚葉。狭火神灯夜さん、あなたの今日の相手です」

 自身が見たことも無い綺麗な笑みで、自身が聞いたこも無い綺麗な声で、自分が知らない柚葉の女の部分を見せられた気がした。

 姿勢を正し、今まで聞いたことも無いような言葉遣いで一礼する彼女を、ただ綺麗だと思った。

 

 もし互いに了承すれば。

 

 俺は目の前の美しい女と結婚するのだと。

 

 その時、初めて意識した。

 

 

 * * *

 

 

 鎮守府を出てすでに三時間が過ぎる。

 時刻はヒトサンサンマルを過ぎた頃と言ったところか。

「いないわね」

 呟く自身の声に全員が確かに、と頷く。

 

 哨戒任務である以上、敵と戦うことが目的ではない、正確には領海の安全を確かめるのが目的である。

 だから敵がいないと言うのは別に問題のあることでは無いのだが。

 

 さて、どうするか…………少しだけ考える。

 

 と言っても、司令官が何故自分たちにこんな用事を言いつけたのか、だいたい理解できているので。

「…………戻りましょうか」

 暁のその一言に姉妹たちが、えっ、と声を合わせる。

「良いのかい?」

「一通りは視て回ったわ…………領海に敵影無し。司令官にはそう言えば良いわ」

 元々哨戒任務を任されのはいいが、いつまで、と言うのは特に無かった。

 つまりどこで切り上げるかは旗艦である暁の裁量で決めて良いと言うことだろう。

 連絡が付くならば司令官に聞くのも良いだろうが…………。

 

「ま、どうせ今頃は鎮守府にいないだろうし」

「え?」

 

 自身の呟きを聞き取った電が目をぱちくり、とさせるが何でもないわ、と返す。

 響と雷は自身の呟きの意味を理解したようだった、雷はなるほどと目を閉じ、響は俯いていた。

 

 ふーん…………。

 

 内心の呟きを表に出さないように気をつけつつ、帰還の号令をかけ鎮守府へと帰投していく。

 その帰り道、ちらり、と響の様子を伺い見る。

 

 無表情に見える顔は、けれどどこか影を落としていた。

 

 

 * * *

 

 

「一つ聞きたいんだが」

「何かな?」

 旅館の一室。親族も誰もいない、最初から最後まで二人きり、なんておかしな見合いの席で。

 先ほどまでの衝撃で忘れていたことを問う。

「これは、瑞樹葉家の意向なのか?」

 今の海軍において、未だに狭火神の名が知れ渡っていることは中将殿からも聞いている。

 そして一度没落してしまった瑞樹葉家がどうにかしてかつての威光を取り戻そうとしていることも知っている。

 ただ一つだけ不可解なことがある。

「あの人が、そのためにお前を使うってのが信じられなくてな」

 

 瑞樹葉雪信海軍大将。一度没落しかけた瑞樹葉家を再びかつての、とまではいかなくとも一つの勢力となるまでに押し上げた立役者。瑞樹葉歩、柚葉の父親でもある。

 あの人に関して、俺が言えることは少ない。俺が瑞樹葉家に引き取られたのは没落した瑞樹葉家を復興させるのに最も忙しかった時期であり、特に俺は十代後半は仕官学院の宿舎で過ごすこととなったため、それほど顔を合わせる機会が無かったのもある。

 ただ彼がどう言った人間が、数度の邂逅で良く分かっている。

 

「だってあの人」

 端的に言えば、彼は。

「極度の親バカだろ?」

 自分の娘たちを何よりも愛している。

 だからこんな政略結婚のような見合いをあの人が娘に強いるようには思えなかった。

 そんな自身の疑問に柚葉がきょとん、となり…………やがて笑いだす。

「あ、あはは…………あはははははは、灯夜くん、そっか、気付いてなかったんだ、あははははは、あはは」

 目頭に涙すら浮かべて柚葉が笑う。

「気付いてないって…………何がだよ」

「うんうん、そうよね、とーさんがそんなことするはずないよね」

 自身の問いを無視しながら、二度、三度柚葉が頷く。

 それから、その顔に笑みを貼り付けたままに柚葉が口を開く。

「でもね、それは勘違いだよ」

「勘違い?」

「そうだよ、このお見合いはとーさんにとって都合が良かったのもあるけど、私自身にとっても都合が良かったんだよ」

 柚葉にとっても都合が良い? 俺との見合いが? そんな言葉の意味も分からず首を傾げていると。

「あー、本当に分からないのねー、ホント灯夜くんは鈍いんだから」

 

 良い? よく聞いてね?

 

 その口元が弧を描く。

 

 そうして。

 

「私は異性として灯夜くんのことが好きなんだよ」

 

 そう告げた。

 

 

「…………………………………………………………………………………………は?」

 

 

 たっぷりと十秒近く沈黙を保ち、出た言葉はその一文字だった。

 文字通り、頭に無かった、そんな可能性を突きつけられ、思考が止まる。

 そんな自身の様子に、柚葉が苦笑する。

「本当に鈍いなあ…………ずっとずっと前から私は灯夜くんのこと好きだったのに」

「………………ずっと前って…………いつから」

 自身が柚葉と過ごしたのは瑞樹葉家で過ごした六年ほどだけ。その後、仕官学校に入ってからはほとんど合っていない。

 だとすれば。

「何時からだろうね、昔はずっとおねーや灯夜くん(おにー)の後を付いて歩いて…………気付いたら好きになってたんだよね。はっきりと自覚したのは灯夜くんが士官学校に行った後くらいかな?」

 それはつまり、少なくとも七年近く前にはもうそうだったと言うことだろうか。

「ホント、気付いた時には灯夜くんとほとんど会えなくて、困ったよ…………だからおねーとかとーさんに無理言ってたまに会ってたんだけどね」

「…………ああ、よく歩たちが訪ねてくると思ったら」

 あれは柚葉を連れてくる口実だったのか。

 今更ながら理解する当時の事情に、頭を抱えたくなる。

 

 今更ながら、本当に目の前の彼女が見合い相手なんだなあ、と思ってしまう。

 

 本当に今更だ。

 

 さて、簡単に話を整理すると、向こうは乗り気のようだ。

 

 後は自身の意思次第、と言うことである。

 

「ん。そろそろいい時間だね」

 

 彼女が時計を見てそう呟く、時刻はそろそろ正午と言ったところか。

 

「ねえ、灯夜くん、もう一度言うよ?」

 

 それまでと雰囲気を一変させ、感情の無い表情で彼女が尋ねる。

 

「私はアナタが好きです、だから…………私と結婚してください」

()()()()()()

 

 そんな彼女の問いに、即答で答える。

 一秒だって寸断せず、刹那ほどの寸分も置かず。

 

 瞬間、彼女の全身から力が抜ける。

 

「……………………そっか」

 

 呟き、彼女が笑む。

 

「そっか」

 

 まるで。

 

「……………………フラれちゃったかあ」

 

 泣きそうな笑みで。

 

 彼女のその言葉に、思わず動揺する。

「フラれたって…………り、了承したろ、何…………言ってんだよ」

「うん、了承したね。でも、うん…………灯夜くん別に()()()()()()()()()()()()

 

 目端から涙を零しながら笑う彼女に、言葉が震える。

 

「ううん、それじゃ正確じゃないよね。灯夜くんの好きって、家族の好きだよね」

「…………………………………………」

「ほんのちょっとでも溜めてくれれば…………ほんの少しでも悩んでくれたならまだ良かったのに、けど灯夜くん即答だったよね、灯夜くんが即答する時って何か答えを最初から決めてる時だし、そんな義務感みたいな感情で結婚されても、私嬉しくもなんとも無いよ」

 

 否定は無い…………できるはずも無い。

 

「灯夜くんにとって、私は判断に迷わないくらい、本当に一考するほどの価値も無いくらい女としては見られてないんだよね、そんなのフラれたようなものだよ」

 

 だから彼女は続ける。

 

「私は灯夜くんが好きだよ、でもそれを灯夜くんに強いたいとは思わない。灯夜くんが自然に私を思ってくれたなら最高だけど…………」

 

 そうして、彼女は。

 

 その一言を告げる。

 

「私は他人の恋の鞘当になんて付き合わないよ」

 

 びくり、と体が震える。

 

「…………何言ってんだ、お前」

「灯夜くんこそ、何言ってるの?」

 

 だから彼女は暴き立てる。

 

 深く押し込め、自分自身認められない。

 

 そんな自身の本心を。

 

「だってもう好きな人いるでしょ?」

 

 

 




時系列忘れた(


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こんなの間違ってるよ

 

「あーあ…………もったいないことしたかなあ」

 人気の無くなった和室で、女…………瑞樹葉柚葉が呟く。

 誰に聞かせるわけでもない、ただの独り言。

「当たり前でしょ…………言質取ったならさっさと結婚まで持ち込めばよかったのに」

 呆れたような声音が返って来たことに、けれど柚葉は驚きもしなかった。

「いたんだ、おねー」

「弟と妹が結婚するかもしれないって時にのんきに仕事なんてしてられないわよ…………まあ結果はこの通りだったわけだけど」

 うぐ、と言葉に詰まった柚葉を、瑞樹葉歩は見やる。

「………………本当に、いいのね?」

 そしてふと素に返り、呟いた一言に、柚葉が首を傾げる。

「良いって…………何が?」

「灯夜くんのこと…………それでも柚葉が望めば、きっと彼は居てくれると思うわよ?」

「あはは…………そんな愛の無い結婚は嫌だよ」

 苦笑しながら、呟く柚葉の言葉に、けれど歩は目を細め。

「辛くない?」

「もう終わったんだよ、私じゃ灯夜くんを振り向かせられなかった、そう言うことなんだよ」

 笑みを貼り付けたまま答える。ぴくりとも動かないその笑みはまるで、能面のようでもあった。

「………………………………」

「もう、そんな顔しないでよ、おねー。本当に…………これで良かったんだよ」

「…………納得してるなら、そんな顔するはずないでしょ」

 本当に良かったのなら。

 

「涙なんて流すはずないでしょ」

 

 告げられ、柚葉が初めて気付く。

 

 自身の目から零れる熱いものに。

 

「………………あれ…………どうして…………」

 堪えようとするほどに、止めようと思うほどに。

 溢れる、堰を切ったかのように、止め処なく溢れ出す。

 

「それだけ本気で好きだったから…………そう言うことでしょ」

 

 呟かれた姉の言葉に、心がきゅっと締め付けられた。

「…………………………」

「だから、聞いたのよ…………本当に、良かったの?」

 ぐっと、歯をかみ締める。

 痛いくらいに締め付けられた胸の苦しみは、自身が手放したものの大きさを雄弁に語っているようで。

 

()()()

 

 それでも、と、そう呟く。

 

「良いんだよ、私は…………何よりも、灯夜くんに幸せになって欲しい。出来るなら私がしてあげたかった。でも灯夜くんはもう見つけたんだよ、幸せを。だから…………良いんだよ。これで…………良いんだ」

 

 それもまた本心。

 過去に彼がくれた幸せ以上のものを、彼に返してあげたい。

 自分はもうたくさんもらったから、それ以上を彼にあげたい。

 それもまた、瑞樹葉柚葉の偽らざる本心。

 

「…………それでも」

 

 やはり。

 

「胸が痛いよ。おねー」

 

 痛いものは、痛いんだ。

 

 内心の呟きに代わるかのように、つぅ、と涙が頬を伝った。

 

 

 * * *

 

 

「で、司令官と何があったの?」

 鎮守府に帰投して早々、姉妹全員を自室に連れ込んだ暁の開口第一声はそれだった。

「何って…………何が」

「昨日の晩、私たと解散した後、司令官と何かあったんじゃないの?」

 出切れば触れてほしくない部分をそのままずばりと切り込んできた暁に、思わず顔をしかめる。

 いつも表情の変化に乏しい自身のその様子に余計に確信を抱いたらしい暁が。

「で、何があったの?」

 そう尋ねてくる

 

 何気なく、簡単に聞いてくるものだ。

 

 そうは思うが、姉のその様子を見る限り、何かがあったことを確信しており、その上でこちらを心配してくれているようでもある。

 ことここにいたってだんまり…………と言うのは無いのだろう。

 

 数秒の沈黙、そうして諦めたようにヴェールヌイが息を吐き出し。

 

「昨日、正直に気持ちを打ち明けただけさ」

 

 昨日のやり取りの全てを話し始めた。

 

 

 …………………………。

 

 ………………………………………………。

 

 ………………………………………………………………。

 

 

 ヒトロクサンマル。

 すでにお昼を回り、夕方も近づいてくる時間。

 司令官が鎮守府に戻ってきたとの知らせに、秘書艦であるヴェールヌイが出て行き、特Ⅲ型駆逐艦の姉妹三名だけが残される。

 全て話して少しだけ心の整理がついたらしいヴェルとは対照的に、眉根を顰め、訝しげな表情になってしまった暁と雷、そしてそれを不安そうに見ている電。

「どう思う?」

「ばっさり切り捨てた…………とも見えるし、動揺して追い返した、とも見えるわね」

 雷の答えに、暁が頷く。

「今朝の様子を見る限り、脈有りなんじゃ…………とも思うけど」

「私もそう思うわ」

 

 ただ、分からないのが。

 

「どうして拒んだのかしら?」

「そこよね、問題は。多分、艦娘だから、なんて理由じゃないと思うんだけど」

 あの司令官は艦娘のことを人として扱っている。だからこそ、そんな理由ではないとは思うのだが。

「響のこと女の子として見てない、とか?」

「それは…………無いともうけど」

 色々想像は出来るのだが、どれもいまいち不透明でこれだ、と言えるものが無い。

「電はどう思う?」

 ふと暁が会話中ずっと聞き役になっていた電に尋ねてみる。

 問われた電が驚いた表情になり、けれど数秒考えて答える。

「良く分かりませんけど…………けど、一緒にいると司令官さんも響も幸せそうなのですよ」

 だから、二人には一緒になって欲しい、それが電の願い。

 

 かつての出来事で、電は心を壊した。

 何もかも投げ捨てた、けれど幸か不幸か投げ捨てたからこそ、何もかも忘れ、苦しむことなく生きてきた。

 

 けれど響は歯を食いしばって耐えた。

 罪の意識に苛まれ、失ったものの大きさに苦しみ、家族が一人居なくなった悲しみに打ちひしがれ。

 それでも拳を握り締め、歯を食いしばって、心を固くして、壊れることなく生きてきた。

 

 響は電に罪悪感を感じているのだろう。

 雷が許した今でも、完全には拭い切れてはいない。

 電の心が壊れる決定打となったのは雷本人だったとしても、その切欠となったのは響自身なのだ。

 自分の油断が原因で姉妹を傷つけた。その事実は永劫響の心に重しとなってのしかかる。

 

 だが同時に電もまた響に罪悪感を感じている。

 何もかも投げ出した、その中に響もまた入っていたのだから。

 響が苦しんでいるのも忘れて、自分だけ何もかも投げ出して過ごしていたこと。

 姉妹が苦しんでいる時に助けて上げられなかった、支えてやれなかったことを悔いていた。

 

 だから、せめて。

 

「響には…………幸せになって欲しいのですよ」

 

 戦時中、姉一人残して逝ってしまった妹の、小さな願いは。

 

 人の身となった今でも、確かに受け継がれているのだから。

 

 

 * * *

 

 

「おかえり、司令官」

 鎮守府に戻り、執務室の扉を開けると、中にいたヴェルの姿を見て自然と気が抜けていく。

「ああ、今戻った」

 

「本土は…………どうだったんだい?」

 そう問いながら、ヴェルが隣にある給湯室から二人分の急須と湯のみを持ってくる。

 それを机の上に置くと、部屋の端にある椅子を引っ張り出してきて向かい合うように座る。

「本当に久々に鎮守府から出たからな、中々様変わりしてた…………ああ、それと土産買ってきたんで後で全員に持って行ってくれ」

 疲れた、と呟きながらハンガーラックに上着をかけると、そのまま自身の椅子に深く座り込む。

 

「お疲れかい? これでも飲んで、落ち着くと良いよ」

「ああ、助かる」

 ヴェルの差し出してきた湯のみを受け取る、湯気立った緑茶が注がれており、息を吹きかけながら一口含む。

 喉を通る焼け付くような熱さが、けれど胃に落ちると同時に体全体に熱を広げてくれるようで、どこか安心感を生んだ。

「ああ、美味い」

「そうか、慣れない緑茶だが入れた甲斐があったよ」

 そんなヴェルの言葉に、そう言えば紅茶類は良く飲む(ロシアンティーなどで)が、緑茶を飲んでいる姿は珍しいと思った。

「そう言われれば今日はロシアンティーじゃないんだな」

「まああれもいいんだけど…………司令官が以前飲みたいって言ってたからね、先週頼んでおいたんだ」

 これでも日本国籍だからね、緑茶も嫌いじゃないさ。そんなヴェルの言葉に苦笑する。

「お前のその容姿で日本人って言われても違和感アリアリだけどな」

 まあそんなもの艦娘の半数以上に言えることではあるが。

 

 いつも通りの空気だった。

 昨日あったことをまるで感じさせないような。

 けれど、それは無かったことにはならない。

 確かにそれは、あったことなのだから。

 その事実は覆らないのだ。

 

「ところで司令官…………ご結婚おめでとう、と言ったほうがいいのかい?」

 そんなヴェルの問いに、思わず渋面を見せる。

 俺の表情から何かを察したのか、ふむ、と考え込んだ様子を見せる。

 

「…………フラれたのかい?」

「ちがっ……………………いや、そうなのかもしれないな」

 

 次いで発した言葉に、思わず反応しかけるが。けれど良く考えるとそうなのかもしれないと思い直す。

「結婚申し込まれて了承したらフラれた」

「………………………………???」

「いや、そんな首傾げられても俺にも良く分からん」

 事実を端的に言ったまでなのだが、何故かヴェルには首を傾げられた、いや当然か、実際俺自身にも良く分かっていないのだから。

 

「……………………つまり、結婚しないのかい?」

 

 その問いに答えようとして、気付く、気付いてしまう。

 自身の答えを待つヴェルの真剣な眼差しに。

「……………………………………」

 関係ない、と切り捨てることは簡単だった。昨日だって驚きと動揺の余りそうしてしまっているから。

 けれど待って欲しい、今更俺とこいつはそう簡単に切って捨てられるような間柄だっただろうか。

 だからこそ、悩む。

 

 正直に言えば、俺はこいつとそう言う関係になることを全く考えられない。

 

 ヴェルでは無いが、俺には恋なんて分からないのだ。だからこいつのことは大事な家族としか扱えない。

 まさかここにいたってこんな風にすれ違ってしまうとは思わなかった。

 だから決めかねている、俺とこいつの関係性の落とし所を。

 

「あのなヴェル」

 

 しっかりと、ヴェルを見つめ。今度は逃げずに答える。

 

「俺はお前と共に生きていくことは出来る、けれどそれは提督と艦娘と言う関係でだ。共に死んでやることも出来る、けれどそれは戦友としてだ。俺にとってお前は大切な家族だ、だからどうやったって俺はお前の想いには答えられない」

 

 ――――だってもう好きな人がいるでしょ?

 違う。

 

「だからもう、諦めろ…………捨てろ、なんて言わない。簡単に捨てれるものでもないだろう、けど、もう諦めろ。俺はお前のその思いを受け入れることは出来ないから」

 

 ――――だから。

 

「諦めるんだ」

 

 そんな俺の言葉に。

 

()()()

 

 震えるような声が返って来た。

 

 

 * * *

 

 

 ねえ、どうして?

 

 そんな少年の言葉に、少女は答えることができなかった。

 

「……………………あーもう、何やってんのよ私!」

 どん、と八つ当たりに廊下の壁を殴ってはみても、何も変わらない。

 

 どうして?

 

 そんなこと、分かりきっているのに。

 他の誰かに聞かれれば即答できていただろう答え。

 けれど、少年にだけは答えることができないのは、少女の…………瑞鶴の弱さか。

 

「………………あーもう、これも全部提督さんのせいじゃない!」

 

 八つ当たりの次は責任転嫁。

 とは言う物の、確かに瑞鶴に責任がある、と言うものではない。

 

 結局、決めたのは当人同士なのだ。

 

「なんでよ…………どうしてなのよ」

 

 けれど、当人たちだって決して望んでいたわけではないだろう。

 それでも、切っても切れぬ宿業と言うものがある。

 

「どうして私たちは平穏に過ごすことが許されないのかしらね」

 

 きゅっと、唇をかみ締める。

 ただただ無力感が辛い。自身たちの不甲斐なさ、と言うよりもそれを許さない現状に対して毒づきたくもなってくる。

 けれど天に唾を吐きかけてありったけの呪いの言葉を呟いても何も変わりはしないのだ。

 

 迫り来る敵の侵攻に対して、やらなければならないことはシンプル…………たった一つだけである。

 

「……………………敵を倒す、それ以外に私たちの役目はないわ」

 

 そんな自身の内心の声を拾ったかのように、余りにもタイミング良くかけられた声に、思わず振り向く。

 そこにいたのは一人の女性。銀の髪を腰まで伸ばし、瑞鶴と同じ袴をはいて弓を持った…………。

 

「翔鶴姉…………」

「瑞鶴、そんな顔しないで…………これは私が決めたことなのだから」

「でも!」

 

 瑞鶴の抗議に翔鶴が首を振る。

 それでも瑞鶴は止まれない、どうしようも無いくらいに溜まった想いがあふれ出して。

 

「でも!!! ()()()()()()()()()()()()()()()!!!?」

 

 そんな瑞鶴の言葉に、けれど翔鶴は首を振る。

 

「あの人も戦っている、あの子がここにいる。だったら、私がもう一度戦わない理由なんて、どこにも無いわ」

 

 呟いた瞬間。

 

 ぶー、ぶー、とブザー音が鳴り響く。

 

警報(アラート)?!」

要警戒自体(シグナルレッド)…………いよいよ、と言うことね」

 

 それは凶兆の証。

 

「お別れね、瑞鶴」

「待って、翔鶴姉! 本当に、本当にこのままで良いの?!」

 

 瑞鶴の言葉に部屋を出ようとした翔鶴が立ち止まる。

 

「…………ええ、良いわ。私が戦って、あの子の未来が守れるなら」

 

 何度だって命を賭けて見せる。

 

 振り返り笑うその笑みに瑞鶴は絶句する。

 

 翔鶴が出て行く。

 

 その後ろ姿を見ながらも、容易に想像が付く。

 

 彼女はきっと笑っているのだろう。

 

 この世の何よりも強い。

 

 母親の笑みで。

 

 だからこそ、瑞鶴は呟かざるを得ないのだ。

 

 こんなの。

 

「こんなの間違ってるよ」

 

 




ちょっとずつネタバラシなう。

でも今回の話で気付いた人はきっと気付いた。それほど明確に書いたわけでもないけど、やっぱり隠してるわけでもないし。
なんのことか分からない人は次を待て。



ところでE5攻略中に嵐出た。
代わりにつぇっぺりんがでない。
あとツェッペリンだけ出ればそれで終わりだけど、燃料が足りないので遠征なう。


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後悔だけはしないようにね?

 

「…………くそ」

 日々増える紫煙の量に、思わず毒づく。

 昇進を機にやらなければならない仕事量も増えてきたので、これまでほど毎日暇しているわけではない。

 けれどここ一週間は出撃もないので、それも頭打ちになってくる。

 そうして出来た余暇に、思わず考えてしまうのはここ最近の自身の秘書艦のこと。

 

「……………………俺は」

 

 呟く声に力は無い。

 本当は自分でも分かっているのかもしれない。

 薄々自身も認めざるを得ないと思っているのかもしれない。

 

 それでも。

 

 俺は……………………。

 

「司令官、いる?!」

 

 思考を遮るように、扉が突然開かれる。

 やってきたのは暁。最近はヴェルに変わって少しずつ旗艦をやらせているのだが、その報告だろうか?

 目を大きく開き、汗をかいている様子から何かあったのかと眉根を顰め。

 

「見つけたわよ!」

 

 その言葉に、目をぱちくりとさせた。

 

 

 * * *

 

 

 時は少し遡る。

 

 キス島と言う島がある。

 かつて深海棲艦に包囲された時に島の守備隊を収容、撤退させるために幾人もの提督たちが水雷戦隊を飛ばした島。

 放棄された島にはすでに人の姿はなく、深海棲艦の支配下に置かれた海上には敵がまばらに点在している。

 今となっては駆逐艦のみで編成された部隊で敵の包囲を潜り抜け、島にたどり着いて戻ってくることが一種の試験代わりとして利用されており、あえて海域を取り戻していない場所でもある。

 

 因みにこの海域を無事突破するのに必要とされる練度(レベル)の目安はおよそ二十五から三十と言われている。

 すでに六十をとうに超えた暁や電、以前の連度を引き継いでいるせいでそれほど出撃回数が多く無くともすでに連度九十の雷。そしてすでに連度九十九、ついに限界までその性能を引き出しているヴェールヌイからすれば包囲を抜け島にたどり着くことなどそう難しいことでもない。

 勿論道中には敵戦艦などもおり、決して容易いとは言わないが。

 

「あそこ、行ってみない?」

 

 切欠は暁の提案である。

 

 無人島に行ってみないか、などと一体彼女は何を言っているのか、普通ならばそう思うところだろうが、今回の…………と言うかここ最近の出撃の意味を考えると決しておかしなことを言っているのではない。

 missing in action…………作戦行動中行方不明(MIA)となった人物の捜索、それがこの出撃の意味である。

 

 行方不明、それも二十年近くも前のこと。

 普通に考えれば生きているはずも無い。

 

 火野江花火元海軍大佐。雷の元司令官火野江火々中将の義母。

 

 それが捜索対象の名前。

 

 過去、まだ深海棲艦の存在が今ほど大きく広まっていない頃。

 彼女は任務で軍艦に乗り、そしてそのままこの場所、北方海域のどこかで船ごと消えた。

 

 暁とて何の考えも無くこんなことを言っているわけでもない。

 いや、確かに普段それほど多くを考える性質(たち)でも無いのは確かだが、少なくともこと任務に関しては暁だったその思考を精一杯に回すのだ。

 

 前提として、だが捜索対象である火野江花火が行方不明になった時、実はそれほど深く捜索が行われていない。

 具体的に言えば、北方海域の本当に入り口部分程度と言ったところか。

 理由としては割りと簡単で、その頃すでに深海棲艦が現れ始めていたこと、そしてまだ艦娘と言った存在がほとんど認知されていなかったことが挙げられる。

 

 現行兵器のほとんどが深海棲艦には通用しない。正確には通用するレベルの物となるとそう簡単には使えないような強力な兵器ばかりなのに、深海棲艦はほぼ無限に沸いてくる。その上、海に囲まれたこの島国ではほぼ全ての方向から敵が迫ってくるのだ。

 本土への上陸を阻止できただけでもほぼ奇跡と言って良いだろう、もし完全に上陸されていれば本土の土地ごと敵を吹き飛ばすしかなかったのだから。

 

 そしてその後に正式に海軍に現れた艦娘の存在によって戦いの舞台は海と陸の狭間から完全に海へと移された。

 全国に鎮守府も建てられようやく本土の安全が確保された。

 だがまだそれだけだ。

 

 火野江中将が何年経っても探しきれなかった、そして諦めかけていた理由、所以(ゆえん)がここにある。

 

 有体に言って、防衛に大半の戦力を回し、残った少数の戦力も海域の制圧に回される。

 こんな状況で人一人探すために艦娘を使った捜索隊など組めるはずも無かったのである。

 

 ようやく、なのだ。

 先の連合艦隊の敗北でタカ派の勢いが殺がれ、その配下の艦娘がこちらに流れてきた、暁だってその一人。

 建造の再開で数の上回る中立派がハト派を押さえ、足りない手をより多く補充した、雷だってその一人。

 そしてそれまで戦力外通知を受けていた電が復帰し。

 ヴェールヌイこと響を含めこれで四人。

 

 司令官の鎮守府の周囲には滅多に敵が来ない。来たとしても鎮守府以外に何も無いような海域である上に隣の海域には火野江中将の鎮守府もあり、今はそちらが海域の防りをしている。

 

 そうしてようやく四人、手漉(てす)きの艦娘が出来、それを持ってようやく本格的な捜索が可能となった。

 

 ここまでが前提。

 そしてここからが暁の考え。

 

 暁他三名は話し合っていた。

 任務として捜索を受けたが良いが、具体的にはどこを探すか。

 北方海域、と単純に言ってもその範囲は広大だ。

 時間は特に制限をかけられていないのは恐らく依頼した中将自身は半ば生存を諦めているかもしれないから。

 だからこそ、彼女たちは最初に条件をつけた。

 

 “捜索対象が生存していることを前提とした範囲”

 

 そもそも死亡しているなら結局後から探しても同じなのだ、だったらまずそれから行うべきだと暁と…………そして何よりも雷が強く弁じ、電も響もそれに異論は無かった。

 その条件で人が十数年生きていられる範囲を考えると、候補は意外と多くは無い。

 

 人が生きていくのに必要なのは衣食住。

 身を守るための衣服と活動するための食料と安全な寝床だ。

 

 北方海域は名の通り、日本のさらに北側、北海道よりも北に位置する海域だ。

 極寒と言っても過言ではないその場所で人が生きようとすれば必然的に位置は限定されてくる。

 

 そうして見繕った候補地を一つ一つ探して行き。

 

 そうして今日、暁の提案により次の目的地がキス島へと決定された。

 

 

 

 島への上陸はそう難しくは無かった。

 いくら深海棲艦が多いとは言え、一度に襲ってくるわけでもない、深海棲艦同士である程度テリトリーのようなものを作っており、戦うとして二度か三度と言ったところ。

 その内の一度は戦艦ル級と言った危険な敵もいたが、ヴェールヌイが接敵、近距離からの魚雷で一瞬で倒してしまったので残りの水雷戦隊を遠くから撃つだけの容易い戦いではあった。

「キス島…………か…………」

 島へ上陸したヴェールヌイがぽつりと呟く。

「響?」

 どこか遠くを見るようなその視線に暁が首を傾げる。

「いや…………なんでもないさ」

 一度目を閉じ、ふっと苦笑しながらヴェールヌイが首を振る。

「そう、なら行くわよ」

 それ以上は何も聞かず、暁もまたそう声をかけて進みだす。

 すでに雷と電は周囲の捜索を開始している。

 

 本来ならあまりやりたくは無いのだが、キス島は広大だ。否、それほど大きな島とは言えないが、それでも少人数で捜索するには十二分に広い。故に四人バラバラに動きたいところだが、どんな危険性があるかわかったものではない、最近では深海棲艦が陸上に上がってきたという報告は無いが、過去にあった以上、今回も無いとは言い切れないのだ。だが四人固まって動いていては何時になったら捜索が終わるのかわかったものではない、故に二人一組になって捜索をしているのだが…………。

 

「それにしても凄いところ」

「そうだね…………まあ、ロシアだって同じようなものだよ」

 見渡す限りの雪、雪、雪。この上で季節が変わればさらに霧まで出てくると言うのだから、最早そうなっては視界など無いに等しい。気温は極寒と言っても過言ではなく、艦娘の身ではあるが身を切る寒さが痛いほどである。

 本当にこんな場所に人がいるのだろうか?

 暁の脳裏のそんな言葉を過ぎる、だがそれを表には出さない。出してはならない。

 

「うーん、どこかしら」

 暁が首を捻る。

 キス島がかつて守備隊が居たと言う話は先ほどしたと思うが、だとすればそのための居住施設、防衛拠点のようなものがどこかにあるはずなのだ。

 もし捜索対象がこの島にいるとすれば恐らくそう言った居住性のある場所を拠点にしてる可能性は非常に高い。

 故に最優先で探しているのはそれなのだが…………。

「見つからないわね」

 島の中心は山なりになっており、その山どころか島全体が雪で覆われている。無闇に探し回って迷っては正直こちらの命すら危ういのでまずは海岸線から、と二人で歩いているのだがソレらしき建物は見つからない。まあ海岸線にあったならば深海棲艦に見つかっていただろうから確認程度の物ではあったのだが。

「………………ん」

 その時、ふと隣を歩くヴェールヌイが顔を上げる。

 眼前の光景をじっと見つめ、景色を確かめるかのように何度か動きながら視線だけは同じ方向を見る。

「どうしたの響?」

 そんな妹の様子を訝しげに思った暁が尋ねる、とそんな暁の言葉に答えず、ヴェールヌイが一言返す。

「あっちだ」

「え、何が?」

 呟き、黙々と島の中心のほうへと歩き出したヴェールヌイの後を暁が目を(しばた)かせながらついて行く。

「ちょ、ちょっと、響?!」

 何かに急き立てられるように先を急ぐ妹の様子に違和感を感じながら、暁はその後を追い。

 

 そして。

 

「……………………え」

 

 ぽつりぽつりと山間に隠されるように建てられたいくつかの木造りの小屋があった。

「…………やっぱりここなのかい」

 目を細め、呟いた妹の言葉が印象的だった。

 

 

 * * *

 

 

「やーれやれ、ってとこかい」

 ぱちぱちと燃える火が室内を煌々と照らす。

「提督、戻りました」

「ん…………おかえり、二人とも大事ないかい?」

「問題ありません、明日も行けます」

「こっちも問題ありません、けど…………」

 少女が口を引き絞る、飲み込んだ言葉の意味を、けれど提督と呼ばれた人物は分かっていると頷いた。

「やっぱり燃料の残数だけはどうにもならないねえ」

 近くに鋼材の集積所はある。ボーキサイトも弾薬も少し遠出すれば掻っ攫ってくることはできる。

 だが無いものは最初から無い。燃料だけはどうしても不足しがちになってくる。

「近々またあれをやる必要が出てくるねえ」

「けど…………」

 提督の言葉に、けれど少女は逡巡する。

「…………いや、その必要ももう無いかもしれないね」

「そんな!?」

 その言葉の意味するところ、それに至った少女が悲鳴を上げるような声で呟く。

「十七年…………良く持ったほうだと思うよ。けど、さすがにこれだけ長い間誰も探しに着てくれないんじゃ、もうワタシの籍は無くなってると考えるほうが自然さね」

 そうして提督…………老女、火野江花火は自嘲するように呟いた。

「ああ、だけど勘違いしないでくれよ? 別に諦めてるわけじゃない」

 そんな女の言葉に、二人の少女が疑問符を浮かべる。

 意味が分からない、そんな二人の様子に老女、火野江花火は苦笑し。

 

「お迎えが来る、そう言ってるんだよ」

 

 直後。

 

 キィィ、と。

 

 木造の扉が軋んだ音と共に開かれた。

 

 

 * * *

 

 

 上から下から蜂の巣をつついたような騒動とはこういうことを言うのだろうか。

 十数年前に行方不明になっていた人間の発見。それも中将殿の義理とは言え母親。

 特に中将殿はあまりの衝撃に、椅子から崩れ落ちてその場にいた雷に抱き起こされるまで呆然としてたほどだったらしい。

 キス島。そこで発見されたのは中将殿だけではない、二人の艦娘も一緒である。

 軽巡洋艦阿武隈、そして駆逐艦風雲。この二人がいたからこそ、火野江大佐(母親の方、死亡が確認されていないので二階級特進もしていない)も十数年もの間、あの敵だらけの地で生きてこれたらしい。

 後は昔の軍隊仕込のサバイバル術がどうのこうのと言っていたが。

 

 まあともかく、無事発見できたまでは良かったが、たどり着いたのが駆逐艦四隻。当たり前だが、人一人連れて戻れるほどの装備も無いので、暁の判断で島の守りにヴェールヌイと電を残し、雷と二人で帰投。そのまま雷は中将殿の鎮守府へ向ったらしい。

 そして冒頭の報告へと繋がるわけである。

 

 雷を中将殿のところへ向わせたのは、まあ二人の関係性を考慮に入れて、だろう。

 余り多くを言っているわけではないが、暁なりに察している物があるのだろう。この自称姉の一番艦は存外そう言った察しが良い。

 

 翌日には中将殿の編成した配下の艦隊がキス島へと向かい、全員無事に連れて帰ることに成功。

 

 

 そして時間はさらにその夜に跳ぶ。

 

 

 * * *

 

 

「本当に…………本当に感謝するよ」

 もう何度目になるのか分からない感謝の言葉。

 あの中将殿が電話越しとは言え、泣いている様子など初めてだった。

「お礼なら彼女たちに…………特に、雷は熱心だったようですし」

 雷としても過去に自身が追わせた重荷の負い目もあるのだろうし、それ以上に中将殿のために何とかしてやりたいという気持ちもあるのだろう。電は電は助けられる命があるならば助けたいと思っていただろうし、暁は暁でそんな妹たちのために何とかしてやりたいと思っていただろう。ヴェルは…………さて、どうだろう。少なくとも、彼女たちの力にはなってやりたいとは思っていただろうが。

 

 静かだな、それが今の感想。昼間では滅多に人の居ないはずの鎮守府は人でごった返していた。

 まあ海域防衛担当の鎮守府である以上、そう簡単にはそこから離れられないのは事実であり、だとするなら出頭命令を出せない以上向こうからこちらに来るしかないのだから何かあれば人が増えるのは仕方の無いことである。

 更に言うなら、保護した火野江大佐はすでに高齢であり、長年の極限での生活によって体力的にも限界を迎えており、中将殿の鎮守府まで送り届けるよりもこちらの鎮守府のほうが近かったためこちらに迎えた、と言うのもある。

 隣の海域、とは言ったものの、人一人連れて行くとなると数時間の船旅になる。

 ただでさえ北方海域から連れ帰っているのにそれ以上の負担は今は、と考えた中将殿がこちらで預かって欲しいと言ったのもまあ無理も無い話しである。

 昔ならばヘリコプターなどで救助し、物の数時間で本土まで連れて帰れたのかもしれないが、深海棲艦が海上を支配している現在ではそう言ったことも難しいのが現状だ。

 

 そうしてまだ諸々のやることは残っている物の、どうにかひと段落着いた中将殿がこちらの鎮守府にやってきたときには時刻はとっくに夕刻を越えていた。

 

「それにしても、良かったのですか? あんな簡素な言葉で、十数年ぶりなのだから、もっと色々言いたいこともあったのでは?」

 

 “おかえり…………母さん”“ああ、ただいま”

 

 俺の知る限り、二人の今日の会話はこれだけである。

 だからこその疑問。本当に言いたいこと、聞きたいこと、やりたいことたくさんあるだろうに、とは思うのだが。

「まだちょっと実感が沸かないんだ…………触れればまた消えてしまいそうで、そうだね…………怖くもある」

 

 ――――今のキミと同じだよ、狭火神中佐。

 

 呟かれた言葉に、背筋が凍った。

 

「まあ何、とは言わないさ…………キミ自身で分かっているだろうから。私も昔そうだったよ、雷ちゃんが沈んだ時もそうだし…………それ以上に、またこうして目の前に現れた時、もっと怖くなる」

 

 ――――また居なくなるのかもしれない、ってね。

 

「……………………でもそれを怖がってちゃダメなんだ、諦めてちゃ何も変わらない。私は理解したよ、雷ちゃんに教えてもらった、だから母さんは帰ってこれた」

 

 実際もう限界は近かった。十年持っただけでも奇跡だった、ましてそれ以上など。

 

「あの人は昔から直感だけで生きてるような人だからねえ。ある意味生存本能の強さなのかもしれない。でもそれでも諦めてたらそれも全てお終いさ」

 

 あの日、雷ちゃんが覚悟を決めてくれなければ、再び出会うことが無ければ、今日と言う日は無かったのだろう。

 

「だからさ、さっきも言ったけど深くは言わない、詳しくは聞かない。それでも言わせて欲しい、それでも聞いて欲しい」

 

 どうか。

 

「もっと信じてあげて欲しい、キミが育てた彼女を」

 

 それを聞くか聞かないかは結局キミ次第。

 

 けれど、それでも。

 

「後悔だけはしないようにね?」

 




母親見つからなかったら六章が始まってた。
けどちょっと長くなりすぎる上に、他の執筆も溜まってるので全部消化することにしてこれで無理矢理終わらせる。




いい加減、弥生書きたい!!!

弥生prprしたいんだ!!!


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帰って来い、もうそれだけで良い

「これは?」

 目の前に差し出された小さな箱に、視線をやり、それからまた中将殿に視線を戻す。

「今回のお礼、だよ」

「でしたら、自分ではなく彼女たちに」

「彼女たちはキミの命令で動いてたんだ、だからキミに渡して間違っちゃいないさ、もし彼女たちを(ねぎら)いたいならキミ個人でやるべきだ」

 いいから受け取れ、と暗に伝えてくる中将殿を一瞥し、僅かに躊躇するが結局小箱を受け取る。

 開けてみても? そんな自身の視線に、中将殿がこくりと頷く。

 ぱかり、と小箱を開き…………そして中にあったものを見て硬直する。

「ちゅ、中将殿…………これは…………いや、けれど」

「確かちょうど条件を満たしていたはずだ、良いタイミングだったよ」

 苦笑しながら中将殿が帽子を目深(まぶか)に被り直す。

 帽子を両手で左右に動かしながら位置を直すと、くるりを振り返り。

「それじゃあ、そろそろ帰るとするよ」

 呟き、歩き出す。すぐにはっとなり、その背に口を開き。

 

「中将殿俺は――――」

「――――結論はキミが決めれば良い。退くも良し、現状維持でも良し、進むでも良し。どんな選択をしようと、私はキミを支持する。少なくとも、それだけのことをキミはこれまでにしてくれた」

 

 こちらの言葉を遮るように、中将殿が背を向けたまま告げる。

 

「最早一個の英雄を必要とする時代は終わったんだ。集団戦術と軍団戦略を持って、私はこの海を取り戻して見せる。それが私の約束」

 

 だから、と呟き、中将殿が振り返る。

 

「キミはキミの思うとおりにすれば良い」

 

 ――――後悔の無いように、ね?

 

 それだけ呟き、再び中将殿が歩き、部屋から出て行く。

 

「………………………………後悔の無いように、か」

 

 独りごち、手の中の小箱を弄ぶ。

 

 胸元から煙草を一本取り出し、咥える。

 胸ポケットのライターを取り出し、火をつけて…………。

 

「…………………………………………何だかなあ」

 

 一口も吸わず、そのまま灰皿に押し付けた。

 

 

 * * *

 

 

 こつん、こつん、と廊下を歩く自身の足音が響く。

 別にこの廊下が石畳で出来ている、だとか自身の靴が女性の履くような特別音が出やすいものだとかそう言うことは無い。

「静か…………だね」

 ただただ人気の無い鎮守府には静寂が広がる。

 自身が彼をこの鎮守府に着任させたとは言え、実際にこの鎮守府内をこうしてゆっくりと歩くのは初めてかもしれない。

「…………そっか、やっぱり違うんだねえ」

 違う、口に出したその言葉がやはり一番的確な気がする。

 自身の鎮守府とどこか違う。物寂しい雰囲気を感じるのは恐らく、抜本的に人が少ないせいもあるだろう。

 昼の人の多さも相まって、より一層静けさを感じてしまう。

 廊下を歩き、途中にある扉をノックする。

 数秒待ち、中から入りな、と声がしたのを確認して扉を開ける。

 

「…………アンタかい」

「…………やあ」

 

 そこにいたのは一人の老女。六十歳手前と言った風体。自身の覚えているソレより幾分か老けてはいるが、けれどその眼だけは変わらない。

 深い、深い、吸い込まれそうなほどに深く、真っ黒な瞳。その瞳からははっきりとした意思の強さだけが伝わってくる。

 自身の知る通りに、記憶の中の過去の姿と何ら変わり無く、瞳だけがギラギラと自己主張していた。

 十数年…………十七年にも及ぶ苦行の生活に、全身はすでにボロボロで。医者からは生きていること自体が奇跡だと言われるほどに蓄積した疲労とダメージは、最早この先軍人として生きていくことは出来ないとさえ言われた。

 声も枯れ果て、手は皺だらけになり、顔には深い苦労の跡だけが残り。

 

 それでも、眼だけは輝いているのだ。

 

「……………………変わらない、本当に、変わらないよ、母さん」

「……………………アンタは、随分と変わったね、火々(ほのか)

 

 母だ、間違いなく、疑いようも無く、疑念の余地すら無く。

 

「本当に生きてたんだね」

「当たり前だよ…………私が死ぬはずないだろ?」

 

 過剰なくらいに自信に溢れていて。

 

「十七年だよ? それだけ音信不通なら誰でも死んだと思うよ」

「それでもアンタは探してくれてたんだろう?」

 

 不思議なくらい察しが良くて。

 

「約束したさね、帰ってくるって、私が一度でも約束破ったかい?」

 

 凄く、凄く、格好良い――――――――

 

「全く…………遅すぎるよ」

 

 ――――――――私の憧れていた人。

 

「すまんさね…………だがまあ、お陰で戻ってこれた」

 

 ぽすん、とその皺だらけのやせ細った腕が自身の体を包む。

 ぎゅっと抱きしめられたその腕は、その見た目よりもずっと力強くて、場違いながら少しだけ驚いてしまう。

 

「良くやった、本当に…………良く頑張ったよ」

 

 呟かれた言葉に、すとん、と足の力が…………否、全身の力が抜けた。

 

「…………本当に……………………帰ってくるのが遅すぎるよ」

 

 両手を伸ばし、義母を抱きとめる。その暖かさに安堵すると共に、ようやくソレが現実味を持ち始める。

 

 つまり――――――――

 

「おかえりなさい、母さん」

「ああ、ただいま、火々」

 

 あの日から十七年、ようやく母が帰ってきてくれたのだと、火野江火々はこの時になってようやく実感し。

 

「……………………これで、全部取り戻したよ」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟いた。

 

 

 * * *

 

 

 左遷された。

 

 それがこの鎮守府にやってきた当初の俺の心境であった。

 仕官学院もいよいよ卒業、と言った頃のことだ。

 火野江中将から声をかけてもらったことがある。

 

 曰く、うちの鎮守府にやってきて働かないか、とのこと。

 

 その時は学校経由で話が来たので中将とは直接会わなかったのだが、父親や瑞鶴の件もあって名前くらいは聞いていたので俺も興味を持って話だけでも、と言う向こうの話乗って中将と会う機会を得た。

 

 得た…………のだが。

 

 結果だけ言うと、思いっきりすっぽかした。中将殿を待ち合わせ場所で二時間も待たせた挙句、である。

 

 まあ色々と理由はあったのだが、その一件もあり、中将殿からの話はそれで流れた…………と思っていた矢先にこの人事である。

 孤島、しかも本土から離れた場所にあり、さらに言えば中将殿の鎮守府の隣。

 よく言えば左遷、悪く言えば一発で追い詰められた。

 

 その時のことについては未だに何度となく中将殿に謝るし、中将殿も今となっては気にしてはいないと言ってはくれているのだが、当時は少しばかりいらっとしていたのは事実らしい。

 けれどそんな私情は抜きにして、こちらに色々言ってきていたのは当初の予定通りだったらしい。

 

 実際、あの撤退支援作戦…………俺が自身の鎮守府を守るために、中将殿から島風と借り、ヴェールヌイと二人で行ったあの作戦が切欠となり、中将殿がこちらを頼ってくるまで、ほとんど用事らしい用事も言われたことは無かった、それこそ時折来る深海棲艦の相手など海域の防衛を担当する鎮守府として当然のこと程度である。

 最近になるまで気付けなかったが、確かに言うほど無茶は言われていない。

 

 と、まあそれはさておき。

 

 そんな頃だったのである、ヴェル…………響と出合ったのは。

 

「駆逐艦響、今日からこの鎮守府に来ることになったよ」

 

 それが始まり。

 

 響は良く無茶をするやつだった。

 それは当時から響が抱えていた自壊衝動にも似た何かが響を突き動かしていたせいだろう。

 

 最初に与えたのは重し。

 

 “くれてやるよ…………俺の命を”

 

 そして次に与えたのが――――

 

 

 * * *

 

 

 ごつ、ごつ、と波の音に混じってアスファルトを叩く二つの靴音。

 真冬の空は煌々と照らす月と星々の明かりで照らされていながらなお暗い。

 ぼっと、闇を切り裂くように灯された明かりはライターの物。

 煙草に火をつけ、消されると同時に再び辺りは暗闇に包まれる。

 

 すぅ、と一つ吸って。

 はぁ、と一つ吐く。

 

「なんだい司令官…………急に呼び出して」

 そんな自身の沈黙に耐え切れなくなったのか、ヴェルが尋ねる。

 そんなヴェルの問いに答えず、一つ吸って、一つ吐く。

 それを数度繰り返し、火の付いた煙草を足元に落とし、靴で踏みにじる。

 

「一つ、試してみようと思ってな」

 

 大きく息を吸い、そして吐く。真冬の夜の冷たい空気が肺腑を冷やしていくのが心地よかった。

 

「試す? 何をだい」

 

 そんなヴェルの呟き、自身は苦笑して答える。

 

「信頼を、だ」

 

 呟きと共に右拳を放つ。真下から、弧を描くように振り上げ、そしてそのまま振り抜く。

 

「っな…………?!」

 

 驚きの表情と共に、咄嗟に突き出した手で、ヴェルが拳を払う。

 さすがに反応、だがそれで片手は動かせなくなり…………。

 即座、右手を戻す勢いを反動に左の掌底を突き出す。

 拳を払った片手は弾かれ、すぐには動かせない。かと言って片手では掌底を防ぐのも難しいだろう。

 故に――――

 

「避けるしかねえよな」

 

 仰け反り、攻撃を避ける。

 余りにも予想通りに。

 

「だから、こうする」

 

 仰け反った上半身を支えるために不安定になっているその両の足の…………手前側を真横に蹴る。

 ばん、と弾かれたような音と共にヴェルの片足が真横に流れていく。そしてその勢いのままに体が崩れ落ちようとして…………。

 ばん、と体勢を崩しながらも片手を突いて転ぶのを止めるのと、右足を一歩前に出し拳を振り上げるのが同時だった。

 

 

 何もかもが余りにも唐突だった。

 突然連れ出されたかと思えば、突然の拳である。

 さしものヴェールヌイも混乱してしまうのも無理は無い話である。

 まるで操り人形か何かのように、司令官の思うがままの対応をさせられている。

 そのことにヴェールヌイは気付いていた。

 片足を掬われた時点で、体勢を崩したところで拳が振り下ろされるところまで気付いていた、否理解していた。

 そう言うパターン教えたのは、他ならぬ司令官なのだから。

 

 だから、その返し方もまた、知っている。

 

 “眼を反らすな”…………それが彼の教えだった。

 

Ура(ウラー)!」

 

 地面に突いた手を思い切り突く。その反動を利用しながらさらに身を深く沈め、一気にその懐にまで潜り込む。

 

 “体格差を利用しろ、大きければ良いこともあるし、逆に小さければ有利になることだってある”

 

 さらに足を開き、司令官に背を向けるような体勢になると。

 

 その伸ばされた腕、そして襟元を掴み…………投げた。

 

 背負い投げ。柔道によくある技の一つ。元々柔道にそれほど力は要らない。柔道と言うのは極論、重心(バランス)さえ崩してしまえば後は掴んだ体が落ちないよう支える程度の力だけあれば、後は体の動きだけ、力の流れだけで投げることが出来る。

 

 司令官の体が弧を描くように(くう)を流れ…………。

 

 そして空中で体を捻りながら、すたっ、と足から着地した。

 

「……………………は?」

 

 今かなり人間的に有り得ないような動きをしたような気がしたのだが…………気のせいだろうか。

 投げられたことにより、自身と司令官の間の距離が少しだけ開く。

 まだ来るか、とも思ったが、ふう、と一つため息を吐き、司令官がその場に座り込む。

 どうやら終わりらしい、と様子を見ているとぽんぽん、と自身の隣を叩いてくる、どうやら来いと言うことらしい。

 司令官の隣に座ると、びゅうと風が吹く。

「冬だね」

「ああ…………そうだな」

 風が冷たい、けれど決して乾燥した風ではない。海辺と言うこともあるからだろうか。

 空を見上げれば星が綺麗だ。月も明るい。

 そんな空の下、司令官と二人きりだと思うと、少しだけ動悸がした。

 

「…………強くなったなあ、お前」

 

 そして始まりはそんな一言だった。

「正直、もう俺じゃ勝てんなあ」

「さっき途中まで一方的だったと思うけど?」

「不意打ちして追い詰めきれないんだ、正面からやって勝てる気がしねえわ」

 そんな彼の本音を、弱音を、少しだけ珍しいと思った。

 意地っ張りで、負けず嫌いな司令官がそんな風に言うなんて。

「なあヴェル」

「なんだい?」

 少しだけ、彼が躊躇ったかのように、黙す。

 けれどそれを急かしたりはせず、こちらも黙して待つ。

 躊躇いはしても、それでもきっと話してくれると思っているから。

 だから。

 

「本音を言うけどさ…………俺は怖いんだよ」

 

 唐突なその言葉の意味を、理解することが出来なかった。

「…………怖いって…………何が?」

「…………お前の感情が」

 とくん、と仕舞っていた感情を呼び起こされ、心臓が跳ねる。

「お前に好きと言われるたびに怖くなる、どうすればいいのか、なんて俺が聞きたい」

 吐き出される言葉(ことのは)は猛毒となって自身の胸を侵して行く。

 ふと気付く、司令官のその体が震えていることに。

「ああ言うさ、今だけは言うよ。俺は…………お前が好きだよ。お前に好きと言われるたびにどんどん好きになっていく。どんどんお前を意識する。どんどんお前に惹かれて行く」

 震える、どんどんと、大きく。

「その度に怖くなる。好きが大きくなるたびに、怖くなる。お前を受け入れたとして、お前を好きになったとして――――――――」

 

 ――――――――お前を失ったら、俺はもう生きていけなくなる。

 

「――――――――――――」

 告げられた言葉に、絶句した。

 

「言ったよな? 前に確かに言ったよな? 艦娘である以上、戦う以上、いつか必ず沈む日は来る。例えどれだけ強かろうが、一瞬の不注意で簡単に沈む。もう帰ってこない。戦ってるお前らが一番わかってるはずだ、そして提督ってのはそれを覚悟しながら生きてるやつらだ」

 

 だからこそ、怖い。

 

「今ならまだ一線引けるんだ。そのいつかを許容できる、お前は俺の大切なパートナーではあるが、秘書艦ではあるが、それでも俺の部下で、俺の戦友で、俺の――――家族だ」

 

 だからこそ、いつか自身の手から離れていくことを許容できる。

 

「けれどもし、お前を受け入れたなら、俺はもうそれを許容できはしない」

 

 醜いほどに執着し。

 

 浅ましいほどに渇望する。

 

「なあヴェールヌイ」

 

 司令官の口が、弧を描く。

 笑っているように見えて、けれどその実泣いているようにしか見えないその笑みが、どうしてか痛かった。

 

「暁も、雷も、電も捨てて俺と一緒に退役するか?」

 

 もしそれを選択したなら、この先一生彼が隣にいてくれるのだろう。

 なんて魅力的な選択だろうか。

 

 だから。

 

Нереально(ニルェンノァ)(有り得ない)」

 

 そんな選択肢は有り得ない。

 姉妹たちを見捨てるだなんて、そんな選択肢が有り得るはずが無い。

 そんなことは司令官も分かっていると頷き。

 

「だから…………試してみたんだよ」

 

 試す、先ほどの一連のやり取りのことだろうか。

 

「結果は…………まあ少なくとも俺じゃもう敵わないってことは分かっただけだったけどな」

 

 それを成とするか否とするのか。

 結局のところ、それは。

 

「……………………なあ、ヴェル」

 

 司令官が、自身を。

 

「俺にお前を」

 

 ――――信じれるかどうか。

「――――信じさせてくれ」

 

 何度目になるか分からない口付け。

 

 けれど今度のキスは司令官からしてくれたもので。

 

 ――――なんだかいつもより甘い気がした。

 

「帰って来い、もうそれだけで良い」

 

 




ちょっと無理矢理まとめた。尺が足りないので(
これ以上だらだら続けても仕方ないですしね。

と言うわけで次が最終話。


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喜んで

 昇進して、中佐になって。

 仕事量もいくらか増えた。

 位階とは権限であり、そして責任である。

 だから、以前と比べてやれることも増えたし、やらなければいけないことも増えた。

 そこまでは良い。

 

 だが。

 

「…………現状が変わらない以上、それでも半日内で全部終わるのは変わりないんだけどな」

 

 防衛主体の鎮守府、そして所属は駆逐艦四隻。

 やれることも少なく、やることも少ない。

 意図的に中将殿がそう配置したのは知っているし、特に出世などに強い願望があるわけでもないので現状をありがたいとは思ってはいるが

 

「暇だけはどうしようもねえなあ」

 

 くるくる、くるくると、机に突っ伏しながら片手でペンを弄ぶ。

 と言うか、ここしばらく色々問題が立て込んでいて、暇を感じている余裕すらなかったわけだが、それらが解決してしまうとこうして時間を持て余してしまう感じはある。

「深海棲艦の情報もここ数日は無いしなあ」

 別に出てきてほしいわけではない、いないならいないで平和と言うことでもある。あいつらが危険にさらされることも無いと言うことで、それはそれで喜ばしいと思う。

 ただどうしようも無い時間の余裕がくだらない思考をさせているだけのこと。

 

「……………………だらけてるね、司令官」

 

 隣で聞こえた声に、顔だけそちらへと向ける。

 そこに少女がいた。白銀の髪とアイスブルーの瞳が印象深い少女が。

 座高の高い椅子に座り、床につかない足を宙でぶらぶらとさせながらハードカバーの本を開いている。

 

「…………お前がここで本読んでるのも久しぶりか? ヴェル」

 

 昔は当たり前で、ここ数ヶ月は見なかったその光景を懐かしみ、頬を緩めながら呟く。

 

「そうだね…………最近は、まあ忙しかったから」

 

 それでもようやく元の日常が戻ってきた、そのことに安堵もする。

 突っ伏していた体を起こし、椅子を引きながら立ち上がる。

「茶でも入れるか。何がいい?」

 なんて、こいつに聞いたって、決まってるのだが

 

「「ロシアンティー」」

 

 分かってるよ、とばかりに声を被せると、珍しくヴェルが目をぱちくりとさせ…………微笑する。

 

 そんな日常の一幕。

 

 

 * * *

 

 

「なんと言うか…………動きが無さすぎじゃない?」

「ホントよね。ここまで散々苦労してきたのに、いつもと変わらないじゃない」

「でも二人とも、幸せそうですよ?」

 

 そして男と女の日常を垣間見る三対の視線。

 暁型の姉妹たちである。今日は出撃も遠征も無いので暇を持て余していたのだが、苦労の末ようやく結ばれあった二人の様子を観察しようと雷が言い出し、レディーに拘る暁がそれを反対するも本心では気になっていることが丸分かりで雷の説得にあっさりと陥落、最後に電が止めても無駄だと察し、せめてストッパーになろうと付いて来て今に至る。

 

「それは認めるけどさあ…………司令官ももっと積極性出していかないとダメじゃない」

「いやいや何言ってるのよ暁、今の時代、待ってるだけの女なんて置いていかれるだけよ、響のほうからもっと積極的に行かないと」

 互いが互いの意見に一理あると頷きつつ、廊下からの覗きを止めない二人。

「…………もういっそ押し倒しちゃえばいいのに…………」

「…………良いわね、今夜の二人の食事に色々混ぜて…………」

「暁も雷も、二人に何させる気なのですか…………」

 

 長女と三女が囃し立て、末っ子が呆れた視線でそれを見る。

 

 私が二人をしっかりと見て止めないと、なんて決心をしたり。

 何だかんだで一緒に中を覗き、幸せそうな二人の様子に笑みを浮かべたり。

 そんな末っ子の様子を実はこっそり見ていた姉二人が顔を合わせて笑ったり。

 

 これもまた、日常の一幕。

 

 

 * * *

 

 

「たまにはこう言うのも良いねえ」

 窓から見える夜の海はけれど鎮守府の照らすライトによって一味違ったものとなっている。

「久々に飲む酒だ、それも娘と二人で、っつうのもポイントが高いね」

「久々って…………拠点に投棄されてたお酒ちびりちびり飲んでたって話は二人から聞いてるよ」

 そんな呆れたような娘の視線に、けれどカカッと豪快に笑う。

「あんなもん飲んだうちに入りやしないよ、寒さ凌ぎに飲むような酒は、嗜みにもならない」

 ビン口を直接咥えて呷るようにラッパ飲みをする。ごくりごくりといくらか腹に溜まったアルコールが喉を焼くような感覚に、ぷはぁ、と実に美味そうな表情で息を吐く。

「女捨ててるねえ。母さん」

 そんな義母の様子を懐かしんでいるような、呆れているような、そんな視線で見つめながら娘…………火野江火々は苦笑する。

「アンタにゃ言われたくはないさね…………そろそろいい歳なんだ、男の一人でも掴まえたりしていないのかい?」

 語るべきことはすでに語った。言うべきことはすでに言った。だからこれは親子の触れ合いの時間で、かつて失ったはずの時間を今急速に取り戻しているだけに過ぎない。

 

 だからそう言った下世話な話になるのもまあ仕方ないのかもしれないが。

 

「狭火神のとこの坊主はどうなんだい? あの男の息子にしちゃあマシな顔してたじゃないかい」

 

 火野江花火が狭火神の坊主こと狭火神灯夜と出会ったのは全てが終わった後。彼と彼女の関係に清算がついた後のことである。自身の鎮守府に迎え入れておきながらその鎮守府の主と出会うのが遅くなったのは、衰弱が伺える母のことを気遣った部分もあるし、娘である火々を優先してやりたかった部分もあったのかもしれない。

 ともかく、恐らく後数日出会うのが早かったら…………彼と彼女の関係に清算がつく前のあの苦悩した彼を見たなら母が彼を殴り飛ばしていた可能性もあるので、今となってはギリギリのところでセーフと言ったところか。

 

 火野江花火とはそう言う人間である。豪快と言う言葉を当てはめたような性格で、さすがはあの狭火神大将の親友だったと思わされるほどの破天荒な人間だ。

 

「彼はちゃんとお相手がいるから…………ダメだよ? 余計なことしたら」

「何だい、すでに売約済みかい。なら仕方ないねえ」

 

 彼と彼女は今頃どうしているのだろうか。

 

 あの二人のことは長いこと見ているが、どうにも何時もどおりに過ごしていそうな気がする。

 

「二人とも奥手…………と言うより、軽く枯れてるからねえ」

「ん? 何の話だい?」

 

 なんでもないよ、なんて苦笑しながら。

 

 コップに注がれた透明な液体を揺らす。

 

「良い夜だ」

 

 呟く声に、母が答える。

 

「ああ、そうさね」

 

 そんな母と娘の日常の一幕。

 

 

 * * *

 

 

「どうするのか、決めたか?」

「んーん、まだ分かんないや。でも…………うん、もうしばらく雪ちゃんと頑張ってみるよ」

 少女、瑞樹葉柚葉の答えに、男、瑞樹葉雪信はそうか、とだけ返した。

「何と言うか…………私もまだ宙ぶらりんだからね。もうしばらくはおねーみたいにやりたいこと、探してみるよ」

 それでいいよね、お父さん? そう問う少女に、男は構わないと一つ頷いた。

「俺から何かを強いることも無い…………お前たちは好きにやればいい」

 それを手伝ってやるのが、親の役目だ。

 

 そう言って微笑する父に、娘が笑う。

 

 それもまた父と娘の一幕。

 

 

 * * *

 

 

「火野江さんが生きていた…………か」

 澪月始が懐かしさに笑みを浮かべる。

「保護したのは狭火神中佐のところの艦隊のようですわ」

 女、瑞樹葉歩の言葉に、澪月が目を細める。

「そうか…………あの狭火神中佐が、か」

 

 大将が生きていれば何と言っただろうか。

 

 ――――やるじゃねえか、坊主。

 

「いや、想像は簡単だったな」

「…………は?」

 呟いた独り言に首を傾げた歩に何でもない、とだけ返す。

「それで、キミはどうしてここに? 瑞樹葉歩少将。血統派の代表格であるはずの瑞樹葉の人間が改革派の私のところに何の用だい?」

 尋ねられた言葉に、歩がニィと笑い。

 

「簡単です、同盟を持ちかけにきました、血統派と改革派のね?」

 

 これもまた、彼らにとっての日常の一幕。

 

 

 * * *

 

 

「恋愛ってさ」

 

 唐突、彼がぽつりと呟いた。秘書艦の仕事、と言うのは本来ならば夜遅くまで続く。時には二十四時間常に司令官の傍に寄りそうことだってある。だがこの鎮守府の仕事量からして、秘書艦の仕事と言うのもお察しと言うもので、夕方には基本修了する。

 

 ただ。

 

 少し…………そう、ほんの少しだけ、それを惜しく思ったのは事実だ。

 だから、部屋を出ようとする彼の袖を引き。

 気付けば彼の私室に招かれていた。

 

 以前に入った時は司令官が風邪で倒れた時だったか…………長年共に過ごしてきて、けれどお互いの私室と言うのは滅多に入ることの無い場所だった。何となく司令官とは執務室で会うのが当たり前だと思っていたのもある。

 だから同じ間取りながら、見慣れない他人の…………それも、異性の部屋に入ることに多少どぎまぎしてしまっても仕方ないことでは無いだろうか。

 そんな内心の言い訳を考えながら、司令官に言われ部屋にぽつんと置いてあるベッドに腰掛ける。

 

 脈が速い、司令官がいつも寝ているベッド…………そこに座っていると言うだけでドキドキが止まらない。

 上着だけ脱いでクローゼットに掛けて戻ってくる司令官に、ついてきてしまったは良いが、どうしようかとこの先のことを何も考えていなかっただけに、焦りが生まれる。

 

 ぽすん、と自身が何か言おうと考えている横で司令官がベッドに…………自身の隣に座り込む。

 

「恋愛ってさ」

 そして唐突に先ほどのような台詞を呟く。

 

「惚れたら負け…………何て言うが、その実、両思いになれたのなら、それって惚れさせたほうの勝ちだと思わないか?」

 そんな司令官の言葉に、何と答えたものか答えに困窮した自身を見て、司令官が苦笑する。

「いや、悪い…………別に困らせるつもりは無いんだ、たださ――――――――」

 

 ――――――――お前の隣は、何だかドキドキするよ。

 

 告げられた言葉に、顔が茹だったかのように熱くなるの感じた。

 

 告白したのは自分自身だ。そう望んだのは間違いなくヴェールヌイ自身である。

 それでも…………普段の司令官からは考えられないような台詞だけに、その落差(ギャップ)にヴェールヌイの鼓動が跳ねた。

 ぶるり、と身震いすらしてしまうほどに、ドキドキが止まらない。

 

「俺は…………うん、やっぱり恋ってのが良く分からない、お前のことは好きだけど、その好きの意味が色々ありすぎて、明確に恋してる、なんて言えない」

 

 どこか達観したような表情で、司令官が呟く。

 その台詞に、少しだけ不安を滲ませて司令官を見て――――。

 

「それでもお前といると感じるこのドキドキは、お前に恋してる証拠なんだろうな」

 

 今何か液体を口に含んでいたら絶対に吐き出してしまっていただろう。

 鼓動がうるさくて思わず俯く。こうなると室内だからと言って帽子を脱いできたのは失敗だと思う。

 帽子があれば、少しはこの紅くなった顔も隠せると言うのに。

 

「私も」

 

 これ以上ドキドキさせられたら、自分の心臓は止まってしまうんじゃないだろうか、なんて考えながら。

 だから、反撃だ、と司令官の袖をぎゅっと掴んで。

 

「私も…………司令官と一緒にいると、ドキドキが止まらないんだ」

 

 上目遣いに司令官を見つめる。いつもなら、うっ、と顔を背けるのだが。

 

「そっか…………なら、やっぱり…………嬉しい、のか?」

 

 少し照れたように微笑して、自身の頬に手を当ててくる。

 

 …………………………………………何だか悔しい。

 

 さっきから自分ばかりドキドキさせられっぱなしで。

 でも普段とは違う彼の姿を見ることが出来ることが嬉しくて。

 

 ああ、やっぱり恋愛なんて。

 

「惚れたほうの負けだと思うよ」

 

 そんな自身の言葉に、そうか? なんて首を傾げながら。

 

「ねえ司令官」

 

 何だ、と彼が言うより早く。

 彼の頬を寄せ、唇を重ねあわせる。

 

 たっぷり数秒、重ねた唇が離れて。

 

「「…………………………………………」」

 

 言葉が続かなかった。

 互いが好きあっている、それを確認しあっただけなのに。

 それはこれまでのどんなキスよりも強烈で。

 眩暈がしそうなくらい、頭がくらくらした。

 

 直後、ぼふん、と音を立てて彼がベッドに背から倒れこむ。

 

「あー……………………くそ、何かもう…………本当に…………」

 

 何か言いたいのか、それとも言いたくないのか。曖昧な言葉ばかり出てくる彼に思わず苦笑する。

 だってそれは自身も同じ気持ちだから。

 胸がいっぱいで言葉が溢れてきそうなのに、けれど頭がくらくらしてそれは言葉として意味を成さない。

 

「…………幸せ、ってやつだね」

「…………ああ、なんか分かるわ」

 

 互いに呟き、それからふふ、と笑いあう。

 

 ドキドキはまだ続いている。

 

 それでも先ほどまでの緊張は無い。

 

 代わりにあったのは、たった一つの思い。

 

 彼が好きだと言う、暖かい想い。

 

 それはきっと、彼も同じなのだと信じている。

 

「…………なあヴェル」

 

 そして何かを決めたような表情で、彼が起き上がる。

 そのままベッドから立ち上がり、傍の机の引き出しを開く。

 それを黙ってみていると、取り出したのは一つの小箱。

 

「……………………本当はどうしようか、最後まで悩んでたが、決めたわ」

 

 それを自身のところまで持ってきて、そして目の前で小箱が開かれる。

 

「…………司令……官……?」

 

 入っていたソレに、目を丸くする。

 

「受け取ってくれるか? ヴェールヌイ」

 

 そこに入っていたのは……………………。

 

「喜んで」

 

 




と、言うわけでこれが最終話。


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“とーや”

前回が最後だと言ったな。

あれは本当だ。

一応五章本編は前回で終わり、これは本当に最後の最後。

蛇足と番外編を足したようなものだと思ってください。

因みに最初から書くつもりではあった、気付いた人もいるかもしれないが、一章は十話構成で、最終話が九話目だったのだ。と、言うわけで今回の十話目を入れて五章は終了です。


 

 

 マグカップに注がれた淹れたての珈琲を飲みながら、足を組む。

「それで」

 呟きと共に、正面に向かいあうように座る自身の娘が顔を上げる。

「何の話だったかねえ」

「もうボケちゃったの母さん? 狭火神大将の話だよ」

「ああ、そうだったね」

 狭火神仁と言う人間について教えて欲しい。自身の娘にそう告げられたのが、つい十数分ほど前のこと。

「今更あの悪ガキについて何が知りたいのさね?」

「私があの人に会ったのは、母さんがいなくなってからだからねえ…………元々多少の興味はあったんだよ、母さんと大将たちとの過去」

 ただそれだけでは行かなくなった。最近になって沸いてきた一つの疑念が、それを許さなくなった。

「狭火神灯夜の中佐への昇進の際、改めて彼の簡単な来歴を上に出すことになったんだけどね、その時に調査した彼の家族について少し気になるところがあったんだ」

 

 母

 平成■■年■月■日死去

 

「一点目、公式資料…………それも政府が管理する戸籍情報にも関わらず名前が書かれていない。これについては当然問い合わせた、けれどお答えできません、の一言で返って来た、仮にも海軍中将の私相手に、だよ?」

 それだけでも相当におかしな話なのだが、何よりもその先。

「この資料が事実なら彼の母親は彼が六、七歳の頃に亡くなっている。実際彼が狭火神大将の鎮守府に引き取られたのはちょうどその頃だ」

 けれど、だとしたらおかしな事実がある。

「当時狭火神大将が葬儀を開いた事実が存在しない。内々に、とも思ったけど、そもそも当時の大将を知る人間に話しを聞いてみても、誰も大将の身内が死んだと言う事実を知らない…………いくら何でもおかしな話だよね」

 そして最後の一点。

「母親が亡くなった日…………そう、ちょうど十七年前くらいだね。本当に奇遇だね」

 

 母さんがいなくなった日と同じなんだよね?

 

「…………………………………………それは、偶然だねえ」

「そうだね。偶然だね」

 ニコニコと笑う娘の表情に、口元を吊り上げ、ニィと笑う。

 笑って…………ふう、と息をついてマグカップの中身を呷る。

「まあ、大体察しは付いてるんだろうね…………全く、相変わらずのようだね、昔っから妙なことに鋭いったらありゃしない」

 娘が貸してと手を出してくるので空っぽになったマグカップを渡すと、新たに温かい珈琲が注がれて返ってくる。

 何も入れていない、ブラックコーヒー。この味が分かるようになってくるのは、一度でも書類仕事で徹夜した人間だけだろうと勝手ながらに思っている。どうやら自身の娘も、その域にまで当にたどり着いているようなのは、母親として嘆けばいいのか、

「しかし、あの悪ガキが大将ねえ…………そりゃ私も歳取るはずだよ…………勝手に逝っちまいやがって、大馬鹿が」

 目を閉じ、僅かながらに表情を歪める。

 亡き戦友のことを思いだそうとすると、決まって同じことを思い出す。

「そうだね…………まあ最初に話すことは決まってるんだ」

 

 ――――あの熱い熱い夏の日のことを。

「――――あれは、熱い熱い夏の日の出来事さね」

 

 

 * * *

 

 

 しゅぼ、と煙草に火をつけながら、ちらりと横目で見やる。

「…………ん、何だよ」

 そこに同じように煙草を吸いながら、こちらを見ている男がいた。

「…………なんでも無いさね。それよりアンタ、こっからどうするんだい?」

 散乱した船の残骸。すでに何隻と沈められ続けた海軍の軍艦は、残り数少なくなっている。

「くく…………“やまと”の敗北の一件でようやく上も方針を変えたらしい、こっからは俺の采配で動かせる」

 先の戦いで死んでいった仲間たちを想い、それでも男はくつくつと笑う。

 大多数の人間がこの男をろくでもない、と称すのはそう言った部分を曲解しているからなのだろう。

 有体に言って、この男、狭火神仁は仲間の死を悼んでいないわけでも悲しんでいないわけでもない。

 ただそのことを引きずらないだけのことである、それに引きずられれば、男自身はともかく男の仲間たちが死んでいくことを男は知っている。

 だから切り替える。上に立つ人間にとって重要なことではあるが、この男の場合切り替えが早すぎて、仲間の死の直後には立ち直ってしまう。だからその余りにも速すぎる切り替えに情の無い男だと思われてしまうのだ。

 そのことを女は知っている。戦いが終われば男はまた泣くのだろう。心の中で、誰にも涙を見せずに。

「…………ふん、無理して倒れないように精々気をつけな」

 そんな自身の言葉に、男がはん、と鼻で笑って。

「こんなところで終われるかよ」

 そう呟いた。

 

 

 決戦戦艦“やまと”。日本海軍が総計六千五百億注ぎ込んで作り上げたまさしく海上を動く城である。尚この船を作るために上級仕官の特別給与(ボーナス)がカットされたとか言う本当かどうか分からないエピソードがあったり無かったりする。

 “やまと”の名を与えたことからも、海軍がこの戦艦をどれほどまでに頼みとしていたのかと言うのが分かる、対深海棲艦における海軍の希望だった船。

 海軍の威信を背負い海軍横須賀港にて進水してから一週間。

 

 そう、たった一週間で海軍の希望は海の藻屑となった。

 

「…………瑞樹葉のご老公が全ての責任を取って座から降りるようだな」

「かっ、あんなくそジジイにいつまでも居座られても迷惑だからな、都合が良いってもんだ」

「各務の分家からすれば、ご老公は敵、と言うわけか」

「はん、あんな家どうでも良いんだよ…………陸軍(各務)とは反する海軍に入った各務の分家で逆各務(狭火神)ってか…………くっだらねえ、俺は俺だ、狭火神仁以外の何者でもない、各務も瑞樹葉も…………狭火神すら知ったことかよ」

 

 紫煙と共に吐き捨てた言葉は、けれど誰の耳にも届かない。

 この浜辺には男と自身以外の人間はいない。

 有るのはおびただしい死体だけだ。

 

「…………それじゃあ…………いよいよってことかい」

「ああ…………いよいよだ」

 

 直感する、そして確信する。

 

 明日は歴史を変える一日となるだろう、と。

 

 

 狭火神仁海軍少将率いる十八隻の艦隊が横須賀港を発進した。

 奇しくも“やまと”と同じ港からの出航。そして相手はあの“やまと”すら打ち崩した深海棲艦。船員の士気が下がるのも無理の無い話であった。

 けれど艦隊の先頭を切る旗艦に乗り、甲板で悠々不敵に海を眺めるその物怖じしない姿は、徐々にだが船員たちに勇気と希望を与える結果となる。

 

 そうして激突した艦隊と深海棲艦との果て無き戦い。

 

 人類初の勝利。

 

 その日から狭火神仁の名は伝説となった。

 

 

 * * *

 

 

「ま、後のことはアンタも知っての通りさね」

「“やまと”はどうして沈んだのかな? 当時の資料読んだけど、ぶっちゃけかなりおかしいスペックだったよね」

 あれは最早船と言うか城である、と言う製造者たちの言葉は決して間違いではない。

 海上要塞と言われても納得できるだけのサイズと武装、そして居住性がそこにはある。

 正直、深海棲艦の群れに襲われた程度で沈むような柔な船ではなかったはずなのに。

「まあ正確には沈んだ、では無く沈めた、が正しいさね」

「沈めた? それって意図的にってこと?」

 

 簡単に当時の事情を説明すると、決戦戦艦“やまと”を旗艦とした凡そ六十を超える艦隊が深海棲艦との雌雄を決するために横須賀海軍港を発進した。

 最初は当然ながら連戦連勝、海域の殲滅、制圧を目的とした“やまと”の圧倒的な火力を持って敵を面制圧していき、破竹の勢いで海域を攻略していったらしい。

 だがそこに来て問題が発生した。

 

 敵の潜水艦の攻撃に、こちらの補給艦が撃沈させられてしまったのだ。

 しかも撃沈されたタイミングが、ちょうど補給を行おうとしていた頃、つまり燃料も弾薬も心元なくなってきた頃だった。

 どれほど強大な武装を詰んだ城のような船だろうと、燃料が無ければエンジンは動かないし、弾薬が無ければ武装も使えない。つまり補給が無ければただの置物だ。

 

 この件に関して、“やまと”の防御力を生かし、“やまと”を前線の押し出しながら後続の部隊で補給艦を護衛する、と言う狭火神仁の進言は却下され、護衛部隊で“やまと”を守り、その圧倒的な超長距離火砲で敵を殲滅し補給部隊を敵を殲滅してから連れてくる、と言う攻撃的な戦法が完全に仇となった形であった。撃ち漏らした潜水艦の存在を発見できず、気付いた時には時すでに遅し。

 最寄の補給基地から二百海里以上離れた敵の海域のど真ん中で燃料も弾薬も心もとないまま立ち往生することとなり、隙を突くかのように次から次へと現れる敵深海棲艦に次々と護衛艦隊が沈められていき、最後に残ったのはただの巨大な的と化した“やまと”だけである。

 船員は完全に逃げ場を失う前に、数隻の護衛艦と共に海域から離脱していたが、船体があちこちに穴が空き、中は浸水しあらゆるところに飾られていた調度品なども全てガラクタとなり、武装などもほとんどボロボロに壊れたソレは最早軍艦としての役目を果たすことは無いだろう。

 

「で、こっちが取った戦法はいたって簡単だ。まともに戦わないまま海上に漂う“やまと”にありったけの爆薬詰め込めるだけ詰め込んで…………海域から離脱したら後は超長距離砲でずどん、だ」

 

 ほんの一瞬ではあるが、海が割れたと言う。

 海中に隠れていた潜水艦すら全て残らず巻き込まれて消え去った。

 

「そして…………私たちは倒した敵の残骸の中から、見つけたんだ」

「見つけた?」

「そう、見つけたんだ、私たちの希望を」

 

 つまり。

 

「艦娘を」

 

 その言葉に、娘が目を剥いた。

 

 

 * * *

 

 

 ぎーこ、ぎーこと小船が揺れる。

 船体はそれほど大きく無い、俺とヴェルも二人が乗ったらほとんどスペースもなくなってしまうほどのもの。

「何だか随分と久しぶりの気がするね、司令官」

「…………そーだなあ…………でも実際は雷の時が最後だろ? まだ一月も経っちゃいねえけどな」

 海に船を浮かべ、のんびりと釣りでも楽しむ、などと言う贅沢を許されるのは、こんな離島の鎮守府の提督だけの特権だろう。

「…………あー、のどかだ」

 釣り、とは言っても釣竿を持ってきたのは片方…………それもヴェルのほうだけと言う珍しい状況である。

 

 本日の鎮守府は休業だ。先日の件で、ヴェルだけでなく暁や雷、電も良くやってくれた、と言うことで全員に休暇を与えた。代わりに海域の警戒は誰がするのかと言うことで、中将殿に電話すると、そう言うことならこちらでやっておく、とのこと。

 

「良かったのか?」

「何がだい?」

「暁たちと一緒に本土に行かなくて」

 

 それと、本土にある遊園地の招待券を人数分用意してくれる、とのこと。

 日本一有名な某ネズミの国すら深海棲艦による制海権の喪失の煽りを受けて閉鎖してしまった現在の日本で、まだ残っている遊園地なんて本当に希少中の希少な存在である。

 真面目に入場料だけで俺の給料一月分丸まる飛ぶほどの、お偉いさん一家御用達しのためだけに存続しているような場所である。

 そもそも遊園地の癖に一見様お断り、完全紹介制と言うあたり、最早遊園地と言う定義が昔とは根本的に変わってしまっている、今や遊園地とは庶民には遥か彼方にある天上の楼閣なのである。

 その招待券が送られてきたのがその一時間後と言う余りに早さに、思わず顔が引き攣ってしまったのはまた別の話。

 そしてその話をし、テンションが突き抜けた暁、中将殿のところにいただけあってその価値を知っているからこそ目を丸くして硬直する雷、暁の様子を見ながら楽しそうに笑む電、そして相変わらず無表情のヴェル。

 

 まあ今までの話を言えば分かると思うが、ヴェルだけ残った。正確には、俺は中将殿に頼んであるとは言え、緊急の要件に際して対応する必要があるため、鎮守府周辺から無許可で移動するわけには行かないし、そもそも与えたのは艦娘たちの休暇であり、自身の休暇はまた別のところに申請する必要があるため、今日すぐに、と言うのは無理がある。

 正直、いい歳して遊園地なんて、と思っている部分もある。

 

「良いんだ…………司令官が残るなら、それに付き添うのも悪くない」

 

 そして俺が残るなら、と言って自身も残ると言い出したのがヴェルである。

 最初は暁も一緒に行こう、と言っていたのだが、雷が何か耳打ちすると、途端にニヤニヤとした表情になり、あっさり意見を翻し、三人で本土へと出発していった。

 一体何を言ったのか、最後まで俺とヴェルの二人を見てニヤニヤとした笑みを浮かべていたが。

 

「…………やれやれ。まあお前が良いなら良いさ」

「ああ、構わないよ…………司令官と一緒なら私はどこでだって構わない」

 

 ……………………思わず抱きしめようかと思った。

 けれどこんな小船の上で大きく動けばまた船が揺れるので何とか自制する。

 

「最近お前、ストレートになってきたな」

「司令官が不意打ち気味に色々言ってくるからね、迂遠にしてたら負ける」

 

 お前は一体何と戦っているんだ、と言いたいが、我慢。

 それにしても…………。

 

「司令官、かあ」

「…………それがどうかしたのかい?」

「うーむ……………………ちょっとした思い付きなんだがな」

「ふむ」

 

 名前で呼んでみてくれないか? そう告げた瞬間、ヴェルが硬直した。

 

「………………………………名前」

「まさか俺の名前忘れたとか言わないだろうな」

 

 恋人が自分の名前を知らないなど、仰天ものである。さすがにそれは無いのか、ヴェルがぶんぶんと首を振る。

 

「…………………………………………う、うう」

 

 声を絞り出そうとヴェルが口を開くが、けれどうめき声と共に苦悩した様子が見て取れる。

 因みに顔はもう紅潮とか通り越して爆発寸前と言った様子だ。

「名前呼ぶだけだろう、何が恥ずかしいんだ? ヴェールヌイ」

「いや…………そうなんだが…………けど…………」

 苦悩し、懊悩し、散々呻き、やがて、ぽつり、と口を開く。

 

「……………………とーや」

 

 蚊の鳴くような小さな声で囁かれた名前は、けれど俺の耳に確かに入ってきて。

「…………っ」

 顔を真っ赤にさせ、帽子で顔を隠そうとして隠しきれていないヴェルがそっと呟いたその一言に、何故かこちらまで気恥ずかしくなってくる。

「…………名前呼ぶだけでそんな恥ずかしがるなよ、こっちまでなんか気恥ずかしくなってくるだろ…………ヴェル」

 最後に名前を呼ぶと、どうしてだかヴェルを直視できなくて視線をつい、っと反らす。

「恥ずかしいものは恥ずかしいんだ…………とーや」

「それでも、何時までも司令官なんて呼び方するわけにもいかないだろ」

「…………それって」

 少しだけ、そう、ほんの少しだけ驚いたような表情で、潤んだ瞳で、熱っぽい吐息で、ヴェルがこちらを見る。

 

 とくん、と心臓が跳ねる。

 

 自身が言ったその言葉の意味を自分で理解し…………。

 

「あ、いや、ちが…………くは無いが、いや、でもそれはまだ気が早すぎてだな…………」

「………………………………」

「………………………………」

「………………………………」

 

 互いに言葉を失くす。口を開けど言葉は紡がれず、思考を回せど空回りするばかり。

 

 だから。

 

「あーもう!」

 思い切り後ろに伸びた。がこん、と船が揺れる。

「っと」

 その揺れに小柄なヴェルが押され、こちらへと倒れてきて…………。

 

「……………………えと…………ごめん、司令官」

「……………………名前」

「………………………………とーや」

 

 まるでヴェルに押し倒されているような状況。

 すぐ傍にヴェルの顔がある。少し上体を起こせばそのまま顔と顔が触れ合いそうなほどに近い。

 手を伸ばす、伸ばした手がヴェルの頬に触れ、その頬にかかるさらさらとした髪を梳かす。

 

「俺が呼んで欲しいんだ、それじゃ、ダメか?」

「……………………ダメじゃない、よ」

 

 “とーや”

 

 “なんだ?”

 

 “すきだよ”

 

 “おれもだ”

 

 




リア充爆発しろ









いいし、俺も弥生といちゃいちゃしてくるし(
因みにもう絶対に続きは書きません、本当の本当にこれで最後。気が向いてももう書かない。東方でそれはもう懲りた、終わる時は本当にきっぱり終わらせないと、ずるずると惰性が続くと。












と、言うわけでネタバラシのコーナー。

見たくない人、興味ない人は別にここで終わって構いません。
感想に疑問が着てて、なおかつ本編では書けなかった(尺の都合で)部分をネタバラシしようかと思います。



という訳で、多分一番疑問に思われてることで、主人公の母親関連の話です。

はい、ずばり翔鶴さんです。正確には、今中将殿のところにいる翔鶴さんの先代です、今代は別に雷ちゃんと違って記憶継承したりはしてません。というわけで何気に主人公は、人間と艦娘の子供と言うおもしろ設定混ざってます。
五章ラストで響が司令官人間離れしてないか、とか言ってたけど、艦娘の身体能力というか不思議パワーが少しだけ影響してる。そのせいで常人よりもはるかに身体能力は高い。あとは身体能力を軍でフル活用する術も覚えたので、戦闘能力もけっこう高め。
因みに翔鶴さんが母親だってことは、主人公知ってます。七歳の時に鎮守府で瑞鶴と一緒にいる時に一度だけ翔鶴さんと会って、一瞬で気付きました。ちょっと鋭すぎますな(
因みに主人公が七歳まで預けられてたのは火野江花火です。なんで中将殿とバッティングしてないの? と言うと、中将殿が住んでたのが軍の寮、宿舎みたなもので、主人公が預けられてたのが火野江の実家だったから。案外実家は近かったようです。任務とか言えば数日あけてても別に不思議がられないので、お互いに行ったりきたりしてたらしい。
さらに因みに、どうして主人公は火野江家に預けられてたかと言うと、翔鶴さんと会ったら絶対に母親と気付かれると父親が危惧したからです。艦娘との間に子供作ったなんて絶対に周囲には秘密な出来事、できれば子供自身にも気付いてほしくないけど、でも自分の子供ならその辺鋭そうだな、とか思った父親が生まれてから火野江家に預けてた、と言う経緯。やってることは最低だが、実際に会って一瞬で気付いてしまった辺り、やはり見る目はある模様。

翔鶴さんは今回の話で語られた敵深海棲艦を倒した時に拾った、いわゆるドロップの中の一人です。
主人公の父親の初代秘書艦、そして色々あった末、愛してあって解体、と言う形で翔鶴さんは退役。そして主人公の父親と密かに結ばれ、代わりに瑞鶴が秘書艦になった。
で、前に過去回想で出てましたけど、主人公が十歳くらいだったかな? の時に深海棲艦の大侵攻があって、その時にもう一度艤装をつけて艦娘として戦って死にました。はい、死にました。因みに父親のほうも死にました。

何で死んだかって?

翔鶴さんが死んだから。

狭火神仁は雪風以上の異能生存体なので、自殺すら出来ません。不可思議なくらい何故か生き残ってしまうので、最終的に【主人公に殺してもらいました】。
この辺は語られないエピソード。まあ読んでる方のほうで勝手に想像してくれていいです。

そういや、主人公も同じこと言ってましたよね、ヴェルが死んだら生きてけない、って。
実は全然考えずに書いてたけど、良く似た親子だわ(

と、まあ本編じゃ語られなかった部分はこれくらいかな?

もしまだ何か疑問に思うことがあったら感想ください(感想乞食

はい、それでは次は別に作品でお会いしましょう。

До свидания. (ダ スヴィダーニャ)


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