今日から俺が美少女戦士!? (トロ)
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プロローグ【綺麗な華が、ぶん殴る】

毎日0時、更新予定。こちらも一章ラストまで毎日更新します。


 

 

 ――ここは、地獄だ。

 

 至る所から湧く怒号と銃声、砲火の旋律によって心胆すら震わせる戦場の只中で、先週よりここの監視塔に新兵として着任したばかりの青年は体を丸めて体を震わせていた。

 

「撃て撃て! 何としてもここで食い止めろぉ!」

 

「畜生! 援軍はまだかよぉ!」

 

 傍では必死の形相で重火器を撃つ先任の兵士が居るが、彼らの顔に浮かぶ表情も、蹲る青年が浮かべているものと全く同じであった。

 それは絶望。

 どんなに足掻いても無駄でしかない現実を理解して、彼らの誰もが自分達はここで死ぬのだと理解していた。

 青年と彼らの違いは、兵士としての練度の違い、あるいは絶望に屈するほうが怖いことを知っているためか。

 

「■■■■ッッッ!」

 

 それでも、弾幕と砲撃の中から現れて咆哮するそれらを見た瞬間、兵士の誰もが青ざめた顔で言葉すら失った。

 彼らに迫りくるのは、人間でも機械でもなかった。そのどれもが、かつては漫画やアニメでしか見たことも無かったような異形の怪物だった。

 人に近い形をしていながら、顔に存在すべきパーツを全て喪失し、縦に真っ直ぐ走った亀裂から無数の触手を覗かせる金色に輝く異形の怪物。

 

 この怪物こそ今より100年以上昔、突如として空に浮かぶ月に穿たれた巨大な穴より漏れだした光より現れた者、『月光獣(ルー・ロウ)』。かつて、僅か数年で人類の数を半分も削った化け物の群れの尖兵が、魂すら凍りつかせる咆哮をあげながら、徐々に兵士達へと近づいていた。

 

「撃てぇぇぇぇぇぇ!」

 

 悲鳴のような号令に我を取り戻した兵士達の手元にある銃が唸る。放たれる弾丸豪雨には虎の子である戦車による砲撃すらも混ざっている。その集中砲火は、彼らの拠点である監視塔すらも数分もせずに破壊しつくすことが出来るだろう。

 だがそのいずれもが、月光獣の肉体はおろか、皮膚を裂くことすら叶わない。そのビニールの中に肉を詰め込んだようにツルツルとした見た目に反して、弾丸は甲高い音をたてて弾かれ、砲撃は弾頭が先にひしゃげ、発生した爆発も表皮すら焼くこともできない。

 彼らの持つ武装では、月光獣を倒すことはおろか、足止めさせることすら出来ていないことは明白であった。そんな怪物が兵士の人数に匹敵、あるいは凌駕する程の群れとなって迫りくるのは絶望という言葉ですら言い表すことも出来ない程の最悪。

 モデル・ヒューマ。人型を模したこの月光獣の脅威としてのランクは、最底辺より3番目の戦闘力しかない雑兵。

 だが、その程度の雑兵の足止めすら出来ないのが、百年前より成長したはずの現行兵器の限界であった。

 

「怯むな! 近づかれたら終わりなんだぞ⁉」

 

 それでも抵抗しなければならない。無駄と知っていても、それを止めた瞬間、まるで舌なめずりするように蠢く触手に貫かれ、生きたままあの化け物の腹の中に収まるのだと分かっているから。

 

「あぁぁぁぁ! もう嫌だぁぁぁぁ!」

 

「おい待て!」

 

「ひやぁぁぁぁ!」

 

 直後、先程まで蹲っていた青年が、背後に忍び寄る死神の吐息に耐えきれず、悲鳴をあげながら逃げ出した。

 本来なら敵前逃亡によってその場で処罰されてもおかしくないのだが、彼にとって幸運、あるいは不運なことに、月光獣に対する弾幕を展開する兵士達は彼を追う余裕すらない。

 だから青年はその場を逃れて走り出す。それが現実逃避でしかないことは頭の冷静な部分で分かっている。しかし、この現実にじりじりと押し潰されるくらいなら、発狂して逃げ惑った方がはるかにマシだった。

 

「死にたくない! 死にたくない死にたくない死にたくないぃぃぃぃ!」

 

涙と鼻水を流し、股間すらも濡らす醜態を晒しながら青年は逃げる。

 だがそんな彼の歩みは、突如として止まることとなった。

 

「■■■■ッッ……」

 

 静かな唸り声と共に、初めからそこに居たかのように、モデル・ヒューマが現れる。

 

「あ……」

 

 人型を模しているとはいえ、全長2メートルを超すモデル・ヒューマを見上げた青年は、先程までの狂騒が嘘だったかのように言葉を失って愕然とした。

 さらに青年を取り囲むようにモデル・ヒューマが次々に現れる。

 監視塔の裏から逃げだしながら、背後より月光獣が現れた。それが意味する事実はつまり、監視塔は完全に月光獣によって包囲されたということに他ならない。

 だがそんな事実など青年には最早関係なかった。周囲を取り囲む絶望。手にしたアサルトライフルは豆鉄砲よりも頼りなく、どうしようもない終わりに銃を落として膝をついた。

 真の絶望に陥った時、人は一切の思考を手放す。生きるという当然の本能すら霧散し、そこにあるだけの肉と骨の塊と成り果て、果てて、死ぬ。

 モデル・ヒューマの口が開く。その口で轟く無数の触手と、口内にぎっしりと生えた鋭い歯の数々。

 アレに掴まり、アレの中で咀嚼され、ゴミのように貪られるのだ。

 青年はもう何も考えようとはしなかった。先程まで響き渡っていた銃声と砲撃の音も一切聞こえなくなったこともどうでもよかった。

 どうせみんなここで死ぬ。

 その絶望を最期の思考として、月光獣の触手が青年に向かって――。

 

「うるぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 瞬間、月光獣の雄叫びすら食らい尽くす野性の猛りと共に、轟、と世界が震撼した。

 そして青年の命を終わらせるはずだったモデル・ヒューマの脳天から股までが一直線に切り裂かれる。

 それでも勢いを落とさずに地面に着弾した何かが、世界を震撼させた一撃の正体。あまりの破壊力に地面が割れ、隆起し、発生した風圧が青年を吹き飛ばそうとした瞬間、その背中を受け止めた何かがその場を一瞬にして離脱した。

 

「テメェはクソなだけにウンが良いぜぇ。なんせハデなショーのトクトーセキだ。汚(きたね)ぇケツついてしっかり見てな」

 

 モデル・ヒューマの群れより離れた場所で降ろされたところで、青年は自分を救った誰かが呟くのを聞く。それはまるで天使の歌声のように清らかな声だというのに、出てきた言葉は品性を疑う程に下品なものだった。

 

「あ、え……あ」

 

 ――君は一体誰なんだ。

 

 その正体を知ろうと振り返ると、長い黒髪が視界の片隅を流れていった。

 黒い流星となったソレがモデル・ヒューマの群れの中へと埋もれていく。直後、先程よりも苛烈な衝撃と共に、弾丸も砲撃も通じなかったモデル・ヒューマ達が、腹を大きく抉られて虚空へと飛ぶのを見た。

 地鳴りと轟音に合わせて月光獣が次々に打ち上げられていく。いずれも絶命の一撃を受けて散っていくが、月光獣も座して死を待つわけではない。突如として現れた脅威に対して触手はおろか四肢を使って殺到するが、いずれも音に合わせて散っていくのみ。

 まるでダンスだ。人の天敵を打楽器にして、踊るように奴らを駆逐している。

 知らず、青年は両手を力強く握っていた。力を失ったはずの足で立ち上がり、絶望で満たされた心の底からこみ上げる激情のままに目を輝かせる。

 そして散っていくモデル・ヒューマの群れの隙間から、ついに青年は自分を救った者の正体を知る。

 

 黒のタンクトップと膝丈のハーフデニムというラフな格好から覗く健康的に焼けた小麦色の四肢に纏うのは、昂る感情を表すように燃焼する真紅の帯。その両手足をもってして月光獣を悉く一撃で薙ぎ払っている。

 その鬼神の如き戦いぶりは鮮烈にして激烈。だが何よりも、青年はそのあまりにも美しい姿に目を奪われた。

 一纏めにした長い黒髪を月光獣がぶちまける汚物で染め上げ、鋭くも大きく愛嬌のある目を苛烈な殺意で輝かせ、犬歯を剥いて下劣な哄笑をあげている。

 だが、そんな姿にすら心臓が高鳴る。

 それ程までにその少女は、完膚なきまでの美麗だった。

 

 この世に存在するありとあらゆる宝石ですら足下にも及ばない珠玉の美。女神がそのまま降臨したかのような神々しさと、人を誘惑する魔性の妖艶が合わさった究極の造形。

 そんな美少女が、醜悪の極みに一歩も引くことなくその拳で殲滅していく姿に、興奮しないわけがない。繰り出される豪打の砲撃。殺到する怪物を破砕しつくして哄笑する美少女を見ていた青年は、ふとその姿を何処かで見たような気がして、思い出す。

 監視塔に着任する少し前、極東の地である大和を、いや、世界中を騒然とさせるニュースが発表された。その内容は人類の約半分が不可能と知りながらも望み続けた――。

 

「彼女、い、いや、()は……」

 

 ――100年前の登場より現代に至るまで、既存のあらゆる兵器では有効打を殆ど与えられなかった月光獣。その脅威に追い立てられる人類だったが、月光獣の出現から数年後、とある兵器の誕生によって反撃が始まった。

 その名を、『美麗装飾(びれいそうしょく)』。

 名の通りに、美しさより抽出される『乙女力(ヒロイン・ブラッド)』という物理法則すら意のままに改変させる力を発生させる兵器を操る者達が、月光獣を圧倒したのだ。

 これにより大物の月光獣への有効手段が核弾頭クラスしか存在しなかった人類は、美麗装飾の開発に成功した極東の島国、大和皇国を中心として反撃し、現在は6つの国家群と大和皇国による自治に落ち着くまで復興に成功した。

 だがその復興の影で、一つの問題が発生する。それは、美麗装飾という兵器が、美女、美少女と呼ばれる見目麗しい者達――つまりは、女性のみしか扱えないことからくる、女尊男卑の価値観の形成だった。

 ただでさえ月光獣との戦争で数を減らした男達は、人類救済の矛と盾の役割を文字通り根こそぎ奪われたことで、かつて男らしいと言われた全ての要素を失っていた。

 

 しかし現代、ここに、一つの異常事態が発生する――。

 

「とどめぇぇぇぇ!」

 

 一際気合いの入った咆哮を乗せた拳が、最後のモデル・ヒューマを、空を飛ぶ流星へと変える。

 ここまでものの1分弱。たったそれだけの時間でモデル・ヒューマの群れを殲滅した美少女は疲れなど微塵も見せずに、興奮して目を輝かせる青年に近づく。

 その月光獣の返り血で汚れながらも微塵も損なわれない少女を前にして、あまりの緊張に青年は言葉を詰まらせた。

 

「サイコーだろ? クソッタレはもれなくお空の星さ」

 

 だが少女は気楽な感じに不敵な笑みを浮かべると、労うように青年の胸を軽く小突く。戦車の砲撃すら効かない肉体を容易に貫いた拳だというのに、胸を叩いた拳は、自分なんかよりも小さな拳だった。

 

「じゃあな。アンタのツレはダイジョーブだから気にすんなよ」

 

 言って、少女は青年に背を向けるとそのまま去ろうとする。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 その背中に思わず声をかけていた。振り返った少女は不思議そうにこちらを見ている。その綺麗な黒曜の瞳に見惚れそうになって、唾を飲み込んでグッと自分を保つと、「ありがとう、君のおかげで助かったよ」と絞り出すように呟き、頭を振る。

 いや、違う。そうじゃないんだ。青年は頭を振る。言いたいことはそれだけではなかった。

 感謝だけではない。この胸の衝動は、人類の敵を屠ったことへの興奮だけではない。

 

「君は、お、俺の、いや、俺達の!」

 

 希望、と叫ぼうとして、それも違うと言葉を飲み込んだ。

 それでは変わらない。月光獣より逃げ出した哀れな自分はいつまでたっても変わらないと知ったから。

 だから、告げる言葉は違うのだ。

 本当は今だって信じてはいない。その見た目はあまりにも美しく、あまりにも可憐で、美麗を纏うに相応しい絢爛豪華な乙女である。

 だがこの胸を叩いた拳の熱は嘘ではない。

 伝わった衝撃が、自分が生まれるはるか前に自分の――男から失われた熱だと、体でも頭でもなく、魂で理解したから。

 だから、青年は叫ぶ。

 自分より小さな、だがこの世界で誰よりも気高き者へと。

 

「俺も、君みたいに強くなってみせる!」

 

 魂を絞り出すような青年の言葉に美麗の担い手は数回瞬きをすると、すぐに向日葵のように眩しい笑顔を見せた。

 その笑顔に鼓動が跳ねる。

 太陽よりも輝き、灼熱よりも燃え上がる猛き強さに、憧憬する。

 だからこそ力強く告げた誓いに嘘はない。

 無理は承知だ。

 不可能は知っている。

 だが、その不可能を体現した者がここに居るから、青年に迷いはない。

 強くなると。

 他でもない、誰よりも強い者へ向けた言葉に対して、返ってきたのは嘲笑でも軽蔑でもない。

 こんな自分を、まるで好敵手でも見るかのように、その瞳を歓喜に濡らして真っ直ぐと。

 

「言うねぇ……だが、そいつぁムリな話ってもんだ」

 

 弱者の戯言と切って捨てない。同じ熱を抱いた同士として、だからこそ紅蓮の帯を纏った拳を力強く掲げると――。

 

 ――1999年7月18日、恐怖の大王である月光獣の出現と共に、世界の常識は砕かれ、美しさと悍ましさが既存の兵器を過去の物とする。

 人々を脅かす恐るべき怪物、月光獣。その脅威に唯一対抗できるのは、最新にして最強、そして唯一無二の存在。美しき女性にのみ操ることが出来る謎の兵器『美麗装飾』。その奇怪極まりない不可思議な兵器を纏う乙女達。

 人々は彼女達を羨望と畏怖を込めて――『絢爛美姫(プリマ・ヒロイン)』と呼んだ。

 そんな世界で、たった一人の例外はあるがままに己を主張する。

 

「なんせ最強は、この俺ってキまってんからよ」

 

 迷いなく告げる言葉に偽りなどは存在しない。

 時は現代、2101年。

 これは、美麗の乙女達が魑魅魍魎の跋扈する世界を守る新たなる矛と盾となった世界に殴りこんだ――たった一人の『(おとこ)』の物語である。

 

 

 



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第一章【綺麗な華には、アレもある】
第一話【君よ、美麗の剣を掴め】


 大和皇国本土直通の車両は、今日も今日とて満席状態である。

 十年前は大和に侵攻してきた月光獣の最前線であった大和最北の地も、現在では当時の絢爛美姫の一人によって創造された海上線路、通称『希望の橋』を通じて、ようやく定期的に交流がなされる程度には復興していた。

 本土へと繋がる線路の上、発進した機関車は漆黒の煙を吐き出しながら目的の土地を目指して車輪を回している。

 所々塗装の禿げた車両はその至るところに年季を感じるものの、整備士達の丁寧な仕事のためか、見た目程の不安定さを乗っている者には感じさせない。ただ、線路との摩擦だけはどうにもままならないのか、時折甲高い鉄の擦れる音色と共に振動が響いていた。

 そんな機関車に乗っているのは、いずれも荒廃した北の大地に見切りを付けて、ある者は成り上がるため、ある者は北に残した家族を養うため、ある者は平穏な生活を思い、各々が抱いた夢を叶えようとしている男達ばかりだ。少なからず女、子ども、老人も居るが、大抵は家族であったり誰かの恋人であったりする。

 だが未来を夢見て窮屈な車両内に座っている者の一部は、胸に抱いた夢すらも忘れて、呆けたように車内を颯爽と歩くスーツ姿の美女へと向けられていた。

 絵に描いたような美女とはよく聞くが、実際にその美女は絵画から飛び出したような美しい容姿であった。口紅を薄らと塗り、眉を整える程度はしているが、それ以外の化粧は一切施していない。だがそこに居た男性は彼女が化粧をしていないのではなく、化粧をする必要がないのだと即座に理解した。

 それほどにその美女は美しく、そして視線を集めている美女、佐々野ササミも自分がそういった存在であることを自負していたし、羨望と爛れた欲望の眼差しで見られることに慣れていた。

 

「……見世物じゃないってのに」

 

 同時に、タイトスカートより覗く足に向けられる露骨な視線を向けるしか出来ない男達の浅ましさにはほとほと呆れているのだが、そうした感情は一切顔には出さずに、だが口の中で小さく悪態をつきながら、車内の様子を、正しくは研修中の生徒達の様子を見て回っていた。

 人々を月光獣の脅威より守護する最強の剣にして盾である絢爛美姫。その養成学校の一つでは、入学したばかりの一年生をクラスごとにこうして蝦夷より大和本土へと出る月に一度のみの定期便を護衛するという名目での研修が行われている。とはいえ、名目としては機関車の護衛ではあるものの、実際は十年前に行われた一大反抗作戦、蝦夷決戦と呼ばれる大規模戦闘の跡地を見学させ、彼女達に自分達がどういった存在となったのかを意識させるのが主な目的である。

 

「どう?」

 

「はい、問題ありません」

 

 一般客が居るフロアとは別に、学生用に簡易的にだが作られた客室に居た生徒達に問題は無いか聞いて回るが、無論問題など出てくるわけがない。確かに十年前まで、およそ半世紀近くも本土から隔離されていた無法地帯の者とはいえ、彼らも絢爛美姫が圧倒的な力を秘めているのは知っている。例え相手が入りたての新人とはいえ、絢爛美姫が傍に居るというのに問題を起こそうとする者は殆ど居なかった。

 

「そう、本土まで後一時間と言ったところだけど、一応注意だけはしておきなさいよ?」

 

「でもササミせんせー。これまでこの機関車が月光獣に襲われたことってないんですから大丈夫ですよー」

 

 お気楽な生徒の言葉に苦笑。だがすぐに表情を引き締めて、少女の額を軽く小突いた。

 

「そう言った油断が良くないのよ。確かにこれまで月光獣に襲われたことはないけど、何事にも万が一っていうのがあるの」

 

「だけどせんせー」

 

「だけども、しかしも、止めなさい。別に貴女達に常在戦場の精神を持てとはまだ言わないけど、そうした気持ちも少なからず持っておくこと、良いわね?」

 

「はーい」

 

「わかりましたー」

 

 間延びした返事に少々不安が残るが、本来なら高校に入ったばかりの少女達だ。あまり目くじらを立てても仕方ないと納得して、ササミは「じゃ、何かあったら連絡をすること」と言い残して生徒達の客室を後にした。

 直後に扉越しに少女達の笑い声が響いて頭を抑える。

 あれを三年でそれなりの戦士に仕上げなくてはならないとは、これからを考えると頭が痛くなるばかりだ。

 その時、上着のポケットに入れていた携帯が震えた。一先ず今後の悩みは置いておいて、ササミは生徒からの電話に出ることにした。

 

「もしもし。何かあったのかしら」

 

『あ、先生ですか。えっと、三号車のツユですけど、何か人混みが出来ていて……』

 

「人混み? そんなの混雑して席に座れなかった客が溢れてるだけじゃなくて?」

 

『それが、空席は多いんです。何と言うか、一つの席に人が集まっているというか……』

 

「席に? 状況は確認した?」

 

『あの……』

 

「何よ、歯切れが悪いわね」

 

『男の人ばかりで……臭そうで……』

 

 ――愚か者が! 貴様、その程度で躊躇するとは軟弱にも程があるぞ!

 

 思わずかつての口調で叱咤しそうになって、グッと歯を食いしばって言葉を飲み込む。落ち着け、相手はまだ入学から二か月も経っていないひよっこだ。まだまだ自覚がないだけ。そういうこと。

 

「……めんどくさ」

 

『先生?』

 

「あー、はいはい聞いてるわ。すぐに行くから貴女達は客室に戻ってて。とりあえずその程度で電話してきた根性に免じて私が様子見てあげるから」

 

『ホントですか! ありがとうございます!』

 

「ただし、後で覚えてなさいよ」

 

『え、ちょ、せんせ――』

 

 返事を聞かずに、少しだけ強めに通話終了のボタンを押す。生徒に対して砕けた口調なので勘違いされがちだが、幾らなんでも将来人々を護る絢爛美姫の候補生が、臭いがきついというだけで教師に助けを求めるのを仕方ないで済ませられる程器は大きくない。

 帰ったら訓練内容を厳しくしよう。そう心に強く決めたササミは、問題である三号車に向けて八つ当たりするように床を強く踏み鳴らしながら向かうのであった。

 それから一分もたたずに目的地である三号車に辿り着いたササミは、確かに奇妙な光景に一瞬だが当惑してしまった。

 大和本土へと向かう機関車内は常にいっぱいというわけではないが、少なくとも時折座れない乗客が出る程には毎度混雑している。だが、三号車の車内では、空席が目立つというのに通路の一角にだけ人混みが出来ているという奇妙な状況が生まれていた。

 だが何かしら喧騒が起きているというわけではない。むしろ、他の車内に比べて異様な程静かなくらいである。

 そして人混みを作る男達にこの車両には珍しい女性も混ざっているのもそうだが、何よりもいずれもがまるで時が止まったように視線を固定して惚けていたのが奇怪であった。

 何があるというのか。ササミはくだらないトラブルだと思っていた生徒の『おねだり』が思いの外面白そうになってきたなと、内心で少なくないワクワクを抱きながら人ごみに向けて手を鳴らした。

 

「はーい、ちょっと退いた退いた。余計なトラブルを起こしたくないから席に戻ってちょうだい」

 

 このまま死ぬまで永遠に動かないと思っていた人々も、鈴が鳴るように心を震わせるササミの声には反応した。まるで夢から覚めたように正気を取り戻した人々がササミの方へと視線を向ける。

 そしてきっといつもの下衆な視線が自分を嘗め回すのだろう。何となく覚悟したササミだったが、不思議なことにそこに居た男達は軽く自分を一瞥した後に、露骨に残念そうな表情を浮かべて、それぞれの席へと戻っていくのであった。

 

「……何よ、あれ」

 

 確かに下衆でいやらしい視線は気に入らないが、だからと言って絢爛美姫として美しさを見出された女性として、あの残念そうな表情は逆に不愉快なものであった。

 ササミは首元で切りそろえた栗色の髪を弄りながら、一部不満げな顔をしている者を大きな瞳で一瞥する。

 ただそれだけで男達は何も言うことなく視線を逸らして散り散りに車内の何処か別の場所に消えて行く。そんな彼らの姿を見て、ササミはわざとらしく肩を竦めてみせた。

 

「ったく、人を外れ商品みたいな眼で見て失礼しちゃうわ……って――」

 

 そこでようやく、ササミは人混みを作り出していたのが何だったのか気付いた。

 車窓にもたれかかるようにして、流れる風景を眺める少女。

 向かい合う形の座席に座る彼女の周りにだけは誰も座っていない。そのせいで今も座れない者達が居たのだが、ササミは何故彼女と同じ席に座るものが居なかったのか頭で考えるより早く魂で理解した。

 服装は車内の人々とそう大差はない。ボロボロの黒いシャツに生地が薄くなって穴の空いたジーパンに汚れきったスニーカー。だが、それを着こなす少女は、車内の誰よりも異彩を放っていた。

 シャワーすら満足に出来ないために薄汚れた男達とは違って、健康的に焼かれた小麦色の肌、そして細くはあるが必要な筋肉を備えた体は黒豹のように魅力的だ。清水の如く電車の揺れに合わせて流れる、腰まで伸びた黒髪からも、少女自身の放つ健康的でお日様のような香りを放っている。

 そんないずれも美しさに引き寄せられる肉体の中で、一際注目を集める強い意志を感じさせる切れ長の眼と眉は、今は憂いを帯びたように窓の外へと向けられていた。

 

「ふぅ……」

 

 不意にその小さくも瑞々しい唇より零れた吐息に、ササミはおろか席に座っていた者達も呼吸すら止めて聞き入った。吐息一つでその場の人々を魅了する自然体の色香。年齢は十五程にしか見えず、未だ発育しきっていない幼さの残る身ながらも、その少女は既に傾国の妖艶さを手にしている。一方で少女の周りに誰も近寄らないところから、触れ得ざる神聖な雰囲気も同時に持ち合わせていた。

 人を惹きつけながら近寄ることすら躊躇わせる美少女。夢とはいえど凡人が抱くような泡沫の夢など、この少女を見ては一瞬で消え去るのは自明の理であるのは明白だった。

 

「……あっ」

 

 ――綺麗。

 思わず、見惚れる。

 

「ッ……何を」

 

 先程まで居並んでいた男達と同じく、その美しさに引きずり込まれそうになって、ササミは慌てて顔を振って正気を保つ。

 突然現れた美少女。しかも美女には見慣れているはずの自分すら一瞬とはいえ呆けてしまう美しさに、正気は保ってみせたもののどうすればいいかしどろもどろしていると、不意に景色を見ていた少女の視線がササミの方を向いた。

 

「何だ、おい。人のツラぁジロジロ見やがって……」

 

 見た目に反して、あるいは見た目通りと言うべきか。口が悪いと自覚しているササミよりもぶっきらぼうで乱雑な口調だというのに、一流のオーケストラの演奏の如き耳に心地よい声色にササミは僅かに喉を鳴らした。

 

「えっと……前、座ってもいい?」

 

「キョカいるもんじゃねぇだろ」

 

「じゃ、じゃあ失礼するわ」

 

「おう」

 

 そう言って、少女は前に座ったササミに見向きもせず、再度景色のほうに視線を向けて黙ってしまった。

 ――こっちのことはまるで興味なしってこと……!

 自分は少女に見惚れたというのに、相手は自分のことなど眼中にすらない。絢爛美姫としての美しさを自覚しているササミのプライドを傷つけるには充分ではあったが、だからとてここで何か言うのも負けた気分になる。ササミはこみ上げる理不尽な憤りをグッと堪え、改めて目の前の少女を見た。

 まるで絵画から出てきた美女が自分だとすれば、目の前の少女は高名な絵師であっても再現することは不可能な美貌。ここまで美しいと普通は見た目に反して心が汚くなりそうなものだが、この少女は見た目の美しさに見劣らぬ強い心を持っているのが、景色を眺める瞳の輝きからでも充分に察せた。

 傲慢ではなく、高潔。孤独ではなく、孤高。全体の印象から感じたのは神話に出てくるような狼。全てを隷属させる力を持ちながら、周囲など眼中になく、己の在り方だけを貫く美しき獣か。

 

「……んだよさっきから。テメェもそこでモジャってたカス共と同じ口か?」

 

 そんなササミの視線など既に気付いていた少女は、眉を顰めて射抜くようにササミを睨んだ。

 

「それは心外ってものよ。私は単純な美的好奇心から貴女を見ていただけですからね!」

 

 心ごと射抜くような視線に動揺しかけるササミだったが、それ以上にあの男達と同列に見られていることへの怒りが勝り、食い入るように身を乗り出しながら反論する。

 少女はこれまでとは違った彼女の反応を見て驚いたのか、僅かに目を見開いた少女はその直後に微かに尖った犬歯を剥いた獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ビテキコーキシン、ね。ケケッ、ムズカしい言葉はわかんねーが、気に入った」

 

「へ?」

 

 どういうことだと首を傾げるササミに、少女は間髪入れずその右手を差しだす。

 

「俺ぁ早森。早森ハルだ。アンタは?」

 

「えっと、佐々野ササミ、だけど……」

 

「ササミね。俺のことぁハルでいい。ダチは皆そう呼んでる、だからアンタもそう呼べ」

 

「え、えぇ。光栄だわ」

 

「そうそう。コーエーだコーエー。へへへっ」

 

 ササミが握った掌は見た目とは裏腹に硬く、ごつごつとした印象を受けた。思わず目を剥くと、そんなササミの反応が気に入ったのか、少女、早森ハルはしてやったりといった感じに喉を鳴らした。

 

「ケケッ、アンタ、北の人間じゃないね。だけど、北に来るカスと同じじゃねぇ」

 

「……どうしてそう思ったのかしら?」

 

「そのツラだよ。アンタ、キレーなカッコしてんからな。あそこじゃそういうのを着てんのは、フッコーっていうゴタイソーなことゲロするくせぇ口で、人のナワバリん中でケツからクソをあされってメイレーしてくるオエライさんだけだ」

 

 辛辣な物言いだが、今の言葉でハルが本土の人間をどう思っているのかある程度察することが出来た。北部の一部では復興目的という都合のいい言葉で現地に暮らしている難民達の土地を強引に奪っているということも知っている。

 

「あぁ、アンタにとやかくとかじゃねぇんだ。悪ぃな、アニキからもテメェの口はケツの穴と変わんねぇって言われるくれぇ口が汚ぇんだが、こればっかはどうしようもねぇ。カンベンしてくれ」

 

「あ、あら、そう」

 

 最初の印象と違って随分と舌の回る少女らしい。だが本人の言う通り生まれのせいなのか、生まれてから絢爛美姫として育てられたササミにとっては、思わず口を閉ざせと突っ込むのをグッと堪えるのが精いっぱいなくらいには下品な言葉の羅列であった。

 

「へへへ、まぁそんなのはともかく、アンタの拳はいつもコギレーにふんぞり返ってた本土のノグソみてぇにゼーニクまみれでコギレーなのとは違ぇ。カタくて強ぇ、テメでヤれるヤツの手だ。気に入ったぜ」

 

 だが本人はまるで気にした様子も無く、握った手を解くと嬉しそうに目尻を緩めて笑いかけてくれる。

 ――その笑顔はずるい。

 内心でササミがぼやくのも無理はない。ササミを見るハルの眼差しは、初めの印象とは逆転して無邪気で愛くるしい暖かさに満ちている。思わず胸元に抱きしめなかったことを褒めてもらいたいと自画自賛したくらいには、その笑顔の破壊力は壮絶であった。

 それに言葉が悪いだけで悪い子ではないらしい。むしろ男女問わずに良く褒められる見た目ではなく、鍛錬で硬くなって傷の多いこの手を褒めるところが良かった。

 あるいは、ハル自身が傾国の美少女であるからこそ、他人を見た目で判断しないのかもしれない。

 今も現役で活躍しているエースと呼ばれるような絢爛美姫と同じ気質。美しいからこそ、他人の本当に美しい部分を即座に見出すことが出来るハルに対して、ササミは俄然興味が沸く。

 だからこそ、疑問があった。

 

「……貴女、本土には一人で?」

 

「ん? あぁ……ケッコー前に本土行ったお姉ちゃ……姉貴がこっち来いって言ってきてな。あっちがどうなってるのかキョーミもあったしね」

 

 先に本土で稼いだ者が、北方に残した家族たちを呼び寄せることはよくあることだ。現にこの本土行きの車両に乗っている母子の幾つかはハルと同じ理由で乗っているのだろう。

 

「もう一つ、いいかしら?」

 

「おう、何だい」

 

「貴女、絢爛美姫になろうとは思わなかったの?」

 

 長年、絢爛美姫として数々の美女、美少女を見てきたササミですら見惚れる程の美貌の持ち主。さらには長年月光獣の脅威に晒されてきた土地に住んでいた少女が、美麗装飾という唯一無二の刃を手に取ろうとしなかったのか。

 身を守るために、あるいは外敵を排除するために、もしくは多大な金銭を得るために。

 理由は無数にあれど、絢爛美姫を目指さない理由は殆ど存在しない。

それに、周囲の者がハル程の美少女を絢爛美姫にしようと思わなかったのだろうか。

 

「絢爛美姫?」

 

 ササミの問いにハルは小首を傾げる。そして数瞬の後、何故か盛大な溜息を吐いて、疲れた風に何かを言おうとした瞬間だった。

 

「あれ! あれって!」

 

「嘘だろ! 何で! これまでは!」

 

「いや、いやぁぁぁぁぁ!」

 

 反対側の席に座っていた乗客達のほうから悲鳴があがる。その声に驚いたハル達が視線を向けた先、誰もが窓から外を覗いて絶望の表情を浮かべていた。

 

「これは……!」

 

 突然のことに窓側が見えない乗客は当惑するが、ササミだけは人々の恐慌と、何よりも長年の経験から肌を泡立たせる嫌な気配から、それが何なのかを即座に理解したのも束の間だった。

月光獣(ルー・ロウ)だぁぁぁぁぁ!」

 

 窓越しに見えたのは、海を泳ぐ巨大な異形だった。海面より覗くその身体は海の水とは違う粘性の何かで濡れ、異形の証たる無数の眼球と触手が得物を探すように蠢いている。

 誰もが一目で分かる程の怪異は、当然のように線路を走る車両に狙いを定めているのは、無数の眼球が車両に注がれていることから明白であった。

 

「ッ……窓から離れろぉ!」

 

 咄嗟にササミが叫ぶも全ては遅かった。

 海面から巨大な影が飛び出す。露わになった異形は、例えるならば体毛を触手と化した巨大な獅子の如き姿だった。

 その真紅の眼に宿る感情は、人間に対する激情。悪意でも、好意でもなく、灰になるまで燃え続けるが如き炎の感情こそ、かつて世界を落としかけた災厄の先兵。

 

「■■■■ッッ!」

 

 月光獣。モデル・リオン。

 本来は前線のみでしか見られない小型の月光獣を統率するレベル4の化け物は、咆哮を轟かせながら車両の横っ腹に体当たりを仕掛けてきた。

 

「うわぁぁぁぁぁ!」

 

「いやぁぁぁぁぁ!」

 

 車両が大きく揺らぐ。ササミの居た車両の隣に激突した巨大な何かによって、機関車そのものがレーンを外れて横転した。

 中に居た人々の悲鳴すら掻き消して、横転した車両が希望の橋に火花を散らす。捕えた昆虫をいたぶるように車両内部をもみくちゃになる。

 時間にして僅か数秒も無い回転地獄の後、あと少しで海から落とされるといったところで、車両は停止した。

 

「ぐっ……状況、報告……!」

 

 先程までの騒音が嘘のように、か細い呻き声と小さな子どもの泣き声が響く中で、何とか人の波に飲まれることが無かったササミは、切れそうな意識を何とか保ちながら情報を知ろうとして、自分の他に実戦を経験した絢爛美姫などここには存在しないことに気付いた。

 

『痛い、痛いよ……』

 

『助けて、よ、せんせー……』

 

『返事をしてよアサヒちゃん! 先生! アサヒちゃんが!』

 

 生徒達の美麗装飾より伝わる言葉の数々の殆どは自分に助けを求める声だ。それ以外は怪我の痛みに悶える者しかなく、誰も戦いに臨もうという気概を見せようとする者はいなかった。

 

「……月光獣の襲撃だ! 動けるなら怪我人よりも先に外に出て着装しろ!」

 

 本来なら怪我人の治療を優先したいが、月光獣を前にそんな悠長な真似をしている暇はない。

 だが生徒達からの返事はそのどれもが自分達に精一杯なばかり。誰一人として戦う意志を見せないことにササミは歯噛みする。

 その時、ササミの対面の席が押し込まれた憤怒のマグマに押されるようにして吹き飛んだ。

 

「……ぁぁぁあああああああ! いってぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 悲鳴と慟哭が支配していた車内で、生気に満ち満ちた怒号が響き渡る。その声の主であるハルは、美声を殺意で犯しながら鼻息荒く起き上がると、突然の叫び声に唖然とするササミを他所に憤怒の形相を浮かべていた。

 

「上等だクソボケがぁ! ゴキゲンなヨロシクでクソハッピー決まったぞ⁉」

 

「ハ、ハル⁉」

 

「誰だか知らねぇがそのくっせぇケツをぶち抜いてヒりだしたクソをクソくせぇ口ん中に――ん? よぉササミ! テメェ元気だったかよ!」

 

「そっちは……聞くまでもなさそうね」

 

「あぁ、パーペキにキちまってるぜ。いきなり人のケツにでけぇのかましてくれたクソヤロウのケツにこっちも一発キメてやりたくてウズウズしてたまらねぇ」

 

 驚きのあまり声を裏返らせるササミに気付いたハルは、まるで手負いの獣の如く犬歯を剥いた笑みを浮かべた。

 美人の怒る様は何よりも恐ろしいとは言うが、ササミをして心胆が凍るような笑みである。その一方で、怒号によって周囲の注目を集めたハルの笑みは、一瞬にして恐慌状態にあった人々のざわめきを沈めていた。

 

「で? これぁどういったことだ?」

 

 当然ながら周囲の注目など眼中にすらとどめずに、ハルは横転した車内の様子を見てササミに問いかけた。

 その問いに我に帰ったササミは、戦場にあって状況を忘れるといった自分を心中で自嘲しつつ、ハルに現状を説明しようと口を開く。

 

「■■■■ッッッ!」

 

 だがササミの言葉よりも雄弁な月光獣の咆哮によって、ハルとササミの両者は己のやるべきことを全て察していた。

 

「悪いが説明している暇はない……!」

 

「あぁ……! 親のアイサツより聞いたイカくせぇ声だぜ、こいつぁよぉ……!」

 

「ともかく一度外に出ないことには何もわからないが……」

 

 不意に言葉を濁したササミの視線がハルに移る。

 ――戦おうという意志はあるか?

 喉元まで出かけた言葉をササミは自身への侮蔑の言葉と共に飲み込んだ。

 

「……貴女は待っていなさい」

 

 偶々乗り合わせた少女を戦線に駆り立てる。例えその美しさが即戦力として通じようとも、一般市民を戦場に出させる絢爛美姫にその美麗を名乗る資格は無い。

 月光獣の襲撃に気付かなかったことも含めて、どうやら自分はハルという極上を前にして腑抜けてしまったらしい。

 

「ここからは、私達絢爛美姫の役割だ」

 

 そんな己への自嘲を腹の底に押し込んで立ち上がろうとしたササミは、突如右足に走った激痛に崩れ落ちてしまった。

 

「つぅ……」

 

 咄嗟に座席に掴まって持ちこたえるが、ササミは感情だけでは耐えきれない激痛を発する右足に目を向けて、顔をさらに歪めた。

 月光獣の衝突で砕けたガラス片が脹脛に突き立っている。しかも家庭用の包丁の如き大きさというオマケ付きだ。

 

「迂闊……!」

 

 傷を自覚した瞬間に冷や汗が全身に滴り激痛が思考を乱す。本来なら泣きわめく程の怪我にも関わらず、表情を歪めるだけで堪えているのは戦士として積んだ場数のおかげだろう。

 

「■■■■ッッッ!」

 

 しかし、ササミの怪我など考慮しないリオンの雄叫びが再度鳴り響く。次いで幾つもの悲鳴が車両の外から轟いた。

 時間は殆ど残されていない。思考が長くなることによって、力無き人々が容赦なくその命を散らされることは明白だ。

 

「ハル!」

 

 だがそんなことを抜きにして、ササミに迷いは無かった。

 間髪入れずに指輪を抜き取ったササミは、絶望に言葉を失っている乗客達の中、唯一違った覚悟を秘めたハルの手を掴んだ。

 

「ササミ⁉」

 

 突然のことに動揺を露わにするハルの眼を真っ直ぐに見つめる。その眼には、ハルと同じ覚悟の炎が灯っていた。

 

「無責任は知っている! 罵詈雑言も受け止めよう! しかし、今この場で唯一『諦め』に潰れず立つ君にだから、私は頼む!」

 

 ササミは強く握ったハルの掌に自分の掌を重ねた。

 沸騰した血液で滾ったように熱い少女の掌は、見た目は柔らかに見えながら、その実鍛錬によって硬く粗い。

 だからこそ信頼できる掌だった。

 きっとそれは、彼女が自分に言ったように、その掌もまた、己で道を切り開ける力を宿しているからこそ。

 

「今この時だけでいい。どうか、世界を護る美麗の刃を振るってくれないか⁉」

 

 ササミが掌を退けると、ハルの手の中には小さな指輪が置かれていた。

 美しさを力とする人類最強の刃、美麗装飾。

 この世の理を超えた力を持つ異界の獣に対して、唯一力を振るうことが許された異端の証が今、ハルの手には乗っている。

 

「ササミ、こいつぁ……」

 

「説明する暇はない! 想像しろ! 自分が信ずる強さの象徴を!」

 

 もう時間は一分も残されていない。こうしている間にも咆哮は近づいており、呆けていれば次に断末魔をあげることになるのは自分達なのだ。

 だからササミは初めてハルが見せた動揺を振り払えるように叫んだ。

 

「吐き出せハル! それが君の力だ!」

 

「俺の……」

 

 直後、鋼鉄がひしゃげる音と共に、腹の中を掻き毟るような不快な鳴き声が空気を震わせた。

 無数の触手がハル達の車両の天井を剥ぎ取り露わになる。そしてその不気味な鬣の奥で蠢く真紅の双眸が、恐怖に怯える人々を見下す。

 誰もが恐怖に言葉を失った。

 悲鳴すら無く、聞こえるのは風切り音と触手より垂れる鮮血が床に跳ねる音ばかり。

 

「■■■■ッッッ……」

 

 触手の奥の口が開かれる。蔓延する腐臭に混じった血潮の香りは、啜った絶望の放つ残滓。

 誰にも抗う術はない。

 誰もが抗うことを忘れた。

 

「あぁ畜生……」

 

 しかし、ハルには残っている。

 ササミが託した小さな刃こそ、この絶望に抗う唯一無二と知るならば。

 

「ササミぃ……!」

 

「■■■■ッッッ!」

 

 物理的な衝撃を発生するリオンの咆哮に髪をなびかせて、ハルは握った拳を空に掲げる。

 まるで確信した勝利を証明するように。

 きっと、己の勝利に続く未来を信じて。

 

「どうなっても……知らねぇぞぉぉぉぉぉぉ!」

 

 少年(・・)は、美麗を刃に絶望へ叫んだ。

 

 その瞬間、天井から顔を突っ込んだリオンの体が何かに弾かれた。

 全長五メートルには届く体躯が木端の如く空へと吹き飛ぶ様は異常の一言。きっと知能があったのならば驚愕に思考も纏めて飛ばされていただろう衝撃の中心部から、閃光が吹き荒れる。

 

「すごい……」

 『乙女力(ヒロイン・ブラッド)』と呼ばれる輝きは、その放出量が多ければ多い程能力の高さを現す。上位の者となれば物理的な衝撃すら引き起こすことも可能だが、まるで台風のように周囲の物を巻き込んで逆巻く乙女力の奔流は、数多の絢爛美姫を見てきたササミをして、見たことのない力だった。

 最早、疑う余地など何処にもない。その輝きの中心に立つ者が振り切った拳の軌跡が全て。

 

 新たなる美麗の担い手。

 最新にして、おそらく最強になる道を辿るだろう戦士の覚醒は劇的に。

 絶望を掻き消す光を秘めて、早森ハルはその切れ長の眼で空を見上げ、次いで、自身の姿を見て絶句していた。

 

「あー………………ってなんじゃこりゃあ⁉」

 

 くたびれたシャツとボロボロのジーパンにスニーカーといった服装だったはずが、今やその姿は本人からすれば絶望的に、周囲から見れば天使の如く豹変していた。

 あの着古した衣類は消滅し、ハルが今着ているのは膝丈のヒラヒラした黒のスカートにそこから覗く黒のスパッツ。シャツも黒をベースに青色の線が入ったセーラー服になっており、胸元と長い黒髪を纏めた二つの真っ赤なリボンが映えている。

 それ以前の服装でも充分な美少女だったが、こうして女装をすると、絶望すら忘れて乗客達が見惚れる程の完全無欠の美少女とハルは化していた。

 

「ササミぃ! こいつぁどうなって――」

 

 だがハルが己の服装への疑問を投げかける前に、重力に引かれて空より落ちてきたリオンが、車両の横に落下した。

 再度現れる絶望に上がる悲鳴。だがハルは砕けた窓ガラスの向こう側で痙攣するリオンを苛立ち混じりに睨みつける。

 

「……まぁ、今はいい」

 

 服装は何であれ、ハルの全身には力が漲っている。

 冗談でも無く、今なら何が襲い掛かろうと叩き潰せる自信があった。

 まるで初めて踏み抜いたアクセルのように、最高速へと上がった体内の加速は、尚も届かない頂へと向かうように速度を上げ続けている。

 その高揚に応じるように、虚空で収束した乙女力が真紅の帯となった。さながらハルの魂をそのまま質量にしたかのような紅蓮。奮い立つ心のままに乙女力の炎を噴き出すその帯は、飛び立つ力を欲するハルの両手足に巻き付いた。

 

「こいつで俺ぁ……テメェをぶん殴れるわけだ!」

 

 四肢に巻かれた美の結晶が燃焼する。この前進を止められる存在は誰も居ないと、ハルは迷いなく踏み込んだ足で空へと飛び出した。

 

「お、ぉ……⁉」

 

 軽く飛んだはずが、開いた天井を超えてさらに天井までの高さの数倍もの高さまで飛翔して目を剥く。

 だがそれこそ自分に秘められた限界知らずの力だと認識したハルの顔には即座に会心の笑みが浮かんだ。

 そう、何であろうと関係ない。

 やるべきことは、決まっていた。

 

「よぉ、ゴキゲンだぜテメェ?」

 

「■■■■ッッッ……!」

 

「ガキみてぇにギャーギャーとうるせぇなぁオイ? これから気持ち良くウレションさせてやるからよぉ」

 

 リオンの前に、歓喜と怒りを昂らせる戦士が降り立った。

 ゴキゴキと拳を鳴らしながら一歩一歩近づくハルに、リオンが怯えたような鳴き声をあげる。

 その触手に覆われた顔の一部は、ハルの一撃を受けて触手ごと抉れ、粘着質な青色の液体を流していた。

 脳を揺らされたせいか、立つことすらままならずにか細い威嚇の唸り声を張ることしか出来ない。既に満身創痍の体を見せているリオンを、ハルは嘲笑にて応じた。

 

「面白れぇなぁワンコロ。そうやって『オスワリ』すればメシにありつけるって嬉しいオチをゴショモーってかぁ? ――そいつぁザンネンだったなぁ」

 

 ハルは、リオン以上に獰猛な眼光を放ちながら、握った右拳を天に掲げた。

「テメェのメシは……俺の拳だぁぁぁぁ!」

 

 体内に蓄えられた乙女力が、ハルの溢れる感情を体現したように拳へと収束する。

 さながら理不尽に蹂躙された弱者達の怒りも乗せるように、初速から最大速の弾丸と化したハルは勢いそのままリオンの頭上へと飛んだ。

 

「■■■■ッッッ……!」

 

 だがリオンもそのままハルの一撃を甘んじるつもりはない。動けない身体の代わりに、体毛代わりの無数の触手がハルへと殺到した。

 

「ハッ!」

 

 一本一本が弾丸の速度に匹敵し、バズーカの如き火力を有するリオンの触手群に真っ向から立ち向かうのは、戦闘慣れした絢爛美姫ですら難しい。しかしハルは嘲るように鼻を鳴らして、視界を埋め尽くす汚らしい触手へと拳と蹴りを叩き込んだ。

 触手の雨を弾ききる肉体の嵐。渦巻く螺旋の軌跡を両手両足に纏った赤熱の帯で描く。

 

「遅ぇってんだ!」

 

 そしてハルは全ての触手を叩き落すと、最後の一本を足蹴にしてそのままリオンとの距離を一気に詰めた。

 空を貫く一筋の赤い雷。リオンごと希望の橋すら砕かん勢いで突貫するハルは、触手の防御を失ったリオンの顔面を拳で貫いた。

 

「■■■■ッッッ⁉」

 

「いいツラで泣くねぇ! ゾクゾクするぜキモワンコよぉ!」

 

 抉った傷口に突き刺した拳をぐりぐりと捩じる度に上がるリオンの絶叫と青い血液で全身を濡らしながら、ハルはリオンの邪悪な顔立ちよりも凄惨な笑みを浮かべてその絶叫に酔いしれた。

 リオンはこれ以上の痛みから逃れるために暴れ狂ってハルを振り払おうとする。その動きにハルは抗うことなく従うと、勢いのまま弾かれた体を器用に一回転させて静かに着地をした。

 

「よーやく慣れてきたぜ」

 

 暴れ狂う力の方向性を確かめるように、ハルは数度拳の握り具合を確かめた。

 本来、ハルのように初めての着装を行った者は、酷い者だとこれまでとは雲泥の差がある身体能力の差に、歩くことすら難しい場合もある。それも当然であり、適性ぎりぎりの絢爛美姫ですら、初期着装の時点で鍛え上げられた男性軍人の数倍以上の身体能力と化す。そのため、適性が高ければ高い程、逆に習熟速度が遅くなるという難点がある。

 だがハルは既に己の中の力の動きを把握し始めていた。それは彼が物心ついてからこれまでに鍛え上げた武術の賜物。肉体を操るという一点を築いたハルの体は、突然沸き上がった力にすら対応を見せていた。

 

「それじゃ、ジュンビタイソーは終わりでいいな?」

 

「■■■■ッッ!」

 

「へっ! イキが良いなぁオイ!」

 

 敵との間に左手を軽く開いた状態で掲げ、右手は拳を象り腰の位置へ。半身を向けるようにして両足は肩幅で開き、軽く腰を落とす。空手の基本に似た構えを取ったハルは、ダメージを引きずったままのリオンが立ち上がるのを待つことなく、初めの一歩で一気に間合いを詰めた。

 

「初めはグーでぇ!」

 

 迎撃の触手を最小限の動きと拳で弾くことで掻い潜り、懐に入ると同時に掌底でリオンの顎を打ち抜く。小さな掌が奏でたとは思えない重低音を響かせつつ、半身が浮かび上がったリオンへさらに一歩踏み込んだ。

 

「次は足ぃ!」

 

 勢いに乗って体を回転させつつ、リオンの腹に追撃の足刀が突き刺さる。

 その一撃で身体全体が浮かび上がったところで、ハルは根を張るように両足で地面を噛みしめた。

 

「お次でラストぉ!」

 

 気迫と共に限度を知らない乙女力の輝きがさらに膨れ上がった。

 最早、太陽をその身に宿したかの如く閃光を放つハルは、迫りくるリオンの巨体目掛けて、大きく拳を振りかざし、

 

「全ッ力全開のぉぉ!」

 

 拳を叩き込むと同時、溜めこんだ力を爆発させるようにハルの四肢がリオンへと殺到した。

 

「乱れ撃ちぃぃぃ!」

 

 拳が舞う。

 蹴りが駆ける。

 ハルの四肢が霞む程の全力攻撃は終わらない。

 正拳、肘打ち、鉄槌、手刀、掌底。

 回し蹴り、膝打ち、後ろ回し蹴り、足刀。

 地面に屈することも許されずに浮遊し続けるリオンに反撃の手は残されていない。腹部で発生する美麗の絨毯爆撃は、醜悪の結晶が砕けても止まらない勢いを保ち続ける。

 そしてその最期、きっかり十秒も続いた浮遊地獄を終わらせたハルは、猫のように後方に飛び、リオンの巨体の影を脱すると空高く舞い上がった。

 

「こいつぁオマケのぉ!」

 

 リオンの落下に合わせて、虚空に舞ったハルの体が回る。その回転に合わせて、伸びあがった蹴り足は、必殺の閃光の尾を引きながら、自由落下に身を任せたリオンの脳天へ、

 

「俺様ジマンのイチモツだぁぁぁ!」

 

 その一撃こそ、新たなる美麗があげた誕生の産声。。

 

 砕くでも割るでもなく、ハル渾身の胴回し回転蹴りはリオンの頭を地面に擦り潰すのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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第二話【光り輝け男の子】

 

 

「……あ」

 

 ササミは微睡みの中でゆっくりと目を開いた。

 一体何があったのか。自分はどうして倒れているのか。霞む思考で一から全ての情報を引きずり出したササミは、最後にハルの背中を思い出して上半身を勢いよく起こした。

 

「ハル! ……ッ⁉」

 

「おい、まだ無理すんじゃねぇよ」

 

 無理に起き上がったせいか右足に走る鋭い痛みに顔を顰めると、その様子に呆れた素振りを見せたハルが肩を竦めていた。

 

「ハル。これは……」

 

「おう、やりきったぜ」

 

 遠足の感想を聞かれた子どものような笑顔を浮かべたハルの言葉を聞き、救助をし合っている人々の姿を見渡したところでササミはようやく安堵の溜息をついた。

 

「本当に、やったのか。……感謝する、早森ハル。君は私だけではなく……あー、ありがとね、ハル。貴女はこの場全ての人間の命の恩人よ、本当に、ありがとう」

 

 戦闘中の軍人のような口調から、生徒向けの気さくなお姉さん風な口調に変えたササミの感謝に、ハルは擽ったそうに鼻を擦ってみせた。

 

「よせやい。大したことじゃねぇよ」

 

「あら、それだとその大したことも出来なかった私の顔が丸つぶれね」

 

「ツブしとけツブしとけ。俺のアニキが言ってたぜ。面子なんかじゃ『ここ』は騙せねぇってな」

 

 そう言って胸を叩いたハルに、ササミも観念したのか微笑みながら頷いた。

 

「ふふ、魅力的な言葉ね。戒めの意味も込めて、『ここ』に刻んでおこうかしら」

 

「ケケッ、チョーシの良い女だぜ」

 

「あら、年下の言葉も受け止める女性は嫌いかしら?」

 

「いいや。好きだぜ、そういうの」

 

 冗談めかした言葉に、笑いながらも真っ直ぐに答えるハル。その無邪気で華やかな笑みで、ササミの胸が僅かに高鳴った。

 

「って危ない危ない」

 

 慌てて首を振って『相手は女の子相手は女の子』と念仏を唱えるように繰り返すササミ。

 そんなササミの様子を訝しんだハルだったが、ふと己の服装のことを思い出して、顔を仄かに赤くしているササミに詰め寄った。

 

「それよりテメェ! これはどうなってんだよオイ⁉」

 

「相手は女の子……って顔が近い!」

 

「んなことはいいからこいつ何とかしろよ! スースーして気持ち悪い!」

 

 スカートとセーラー服を握り締めて訴えかけるハルの形相は必死そのものだ。だがササミからすればどうしてハルが困惑しているのかが分からずに首を傾げるばかりである。

 だがすぐに自分が美麗装飾について説明していなかったことに気付いたササミは、申し訳なさそうに頬を掻きつつ、咳払いを一つした。

 

「コホン……えっとねハル。説明は省いたけど、貴女も美麗装飾と絢爛美姫は知っているわよね?」

 

「あ、あぁ……ってそれが――」

 

「話を聞いて。実は貴女に渡したあの指輪が、絢爛美姫を絢爛美姫足らしめる武装、美麗装飾なのよ」

 

「な……」

 

「勿論貴女程に可愛い子なら起動は問題ないとは思ってたけど、まさかあのレベルの乙女力を発揮して、しかもそのままモデル・リオンを倒すなんて――」

 

「なにぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉」

 

 その悲鳴は、ササミの説明どころか周囲で動いていた人々の動きすらも止める程に強烈なものであった。

 あまりの大声に脳ごと揺らされたように視界が揺れるササミを他所に、ハルは次いで「ありえねぇ……」と己の胸元で開いた両手を見下ろして目を見開く。

 

「なんじゃそりゃ……ありえねぇ……いや、もしかしたらって姉ちゃんも言ってたが……マジか……いや、マジか……! マジなのか⁉」

 

 リオンを前にしても屈することも無かったハルが頭を抱えて失意に膝を折る姿というのは驚愕以外の何物でもなかったが、ササミも含めた誰もが何故ハルがそれ程までに絶望しているのか分からない。

 だがしかしその答えは単純明快。続いてハルが口走った一言にあった。

 

「俺ぁ男だぞ!」

 

 瞬間、誰もが口を開けて言葉を失った。

 男。

 今、男と言ったのか、この美少女は。

 

「そりゃ俺だってテメェでテメェのツラが男らしくねぇってのは分かっちゃいたが! それでも俺ぁ男だ! 男らしい男を目指す男なのにプリケツヒロインだって⁉ ジョーダンじゃねぇ! そんなのスジが通らねぇ!」

 

 暴露される真実が耳を超えて脳に伝わるが、情報の処理が追いつかずにハルを除いたすべての人間が固まったまま動かない。ちなみにプリケツではなくプリマだというツッコミをする余裕もなかった。

 だが、そんなことはどうだってよかった。

 何せ、男なのだと言う。

 口は悪いが、誰よりも美麗で可憐な完全無欠の美少女にしか見えないハルが、自分は男だと言う。

 抱きしめたくなる程に愛くるしく、触れることすら躊躇われる程に美しい。

 そんな美少女が、よりによって男?

 

「いや、それはないわ」

 

 そして、ハルの一人芝居を見ていた誰かが呟いたその言葉で、氷河に飲まれたかのごとく動かなかった人々の思考が氷解されていく。

 そう、それはおかしい。

 何せハルは誰が見ても美少女だ。

 口は悪いが、そんなことなどどうでもよくなるレベルの天使である。

 悲哀に歪む表情は胸が締め付けられる愛らしさ。

 左右に振られる頭に合わせて揺れるポニーテールは蛾を誘う光源が如き神秘。

 そこにセーラー服に黒のスパッツ(とても重要)のダブルコンボでフィニッシュ。

 三百六十度何処から見ても美少女で、美少女という生命体の完成系こそ早森ハル。

 そんな美少女が、よりにもよって男?

 

「ぶふっ……」

 

 初めに我慢できずに笑い出したのは、その姿を一番間近で見ていたササミであった。

 それを切っ掛けにするように、周囲に笑いが連鎖していく。月光獣との遭遇によってただでさえ混乱していた頭が、どいつもこいつもハルの爆弾発言によって不謹慎を怒るどころかむしろ笑えてくる状況になっていた。

 

「いや、男はねーわ」

 

「ないない、良くても若作りの美女とかでしょ」

 

「あー、巷で噂のロリババア」

 

「ロリババアとか! 笑える!」

 

 極限状態では些細な切っ掛けで負の方向に振り切れることもあれば、逆に爆笑状態になることもある。

 そして今回はどうやら冗談にしてももっと上手い冗談があったはずなのに意味不明なことを言ったハルの発言は、その場に漂っていた沈痛な空気を一気に爆笑の渦に巻き込んでしまったのだ。

 

「ギャハハハハハ! あのお姉ちゃんが男なわけねぇだろ!」

 

「というか仮に男だとしたら美麗装飾を纏えるわけないわよ!」

 

「そうだそうだ! もしも男に纏えるなら俺だって纏ってやる!」

 

「テメェはむさ苦しすぎて不可能だろハゲ野郎!」

 

「人の欠点をあげつらうなデブ野郎!」

 

「そんなことより男の娘って超萌えね?」

 

「可愛い服装で困ってるからってその冗談はちょっとねぇ?」

 

「うん。誰も信じないよねぇ?」

 

「ホント男の娘ヤバい」

 

「おいこの男の目つきやべぇぞ! 男ってことに興奮してやがる!」

 

 ――なんだ、これは。

 ハルは怒りよりも先に、爆笑する周囲の人間達のノリに付いて行けずに言葉を詰まらせた。

 なんだこれは、と言いたくなる。だがしかし、その空気の中心に居る自分が、誰からも男だと認識されておらず、むしろなんだかちょっと可哀想な子を見るような生暖かい眼差しで見られているのが――。

 

「ハル」

 

 ポンッ、と優しく肩を叩かれる。

 振り返れば、こちらもまた生暖かい眼差しで自分を見つめるササミが、優しく語り掛けてくれた。

 

「流石にそれはないわ」

 

 と言った瞬間、周囲を見渡して腹を抱えて笑い出した。

 核弾頭レベルの笑いの爆発である。

 一時的にだが誰もが笑い、呆れながらもやはり堪えられずに笑い出し、怪我人すらも口許に笑みを湛えて痛みに悶える始末。

 ――なんだ、これは。

 何度目になるか分からない心の呟きをしながら、ハルはようやく、己が男だと認識されていなかい事実に肩を震わせた。

 

「て、テメェら……!」

 

 しかし、怒りに震えながらも堪えることが出来たのは、そう思われるのに慣れているからということがあったからだった。

 認めよう。

 確かに自分は女顔である。それはハル自身も自覚していたし、昔は嫌いだったが今はむしろこれも自分の個性だと自覚している。そして己の美しさもしっかりと高めたうえで、それすら上回る男らしさを得ようとして、男を磨き上げていったつもりだった。

 だから、別に慣れている。

 あぁそうだ、昔からそうだった。男だと言ったところで信じてもらえないことなんてそれこそ毎度のことだった。

 勿論、笑われたことだって何度もある。

 この容姿のせいで得したこともあれば、こうして損したことも山ほどだから。

 だから、この程度、大丈夫だ。

 

「あははははは!」

 

 この程度、大丈夫だ。

 

「ぎゃはははは!」

 

 大丈夫だから。

 

「ひゃはははは!」

 

 大、丈……。

 

「テメェらぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 爆笑の渦を貫く一声が何もかもを飲み込んだ。

 ハル渾身の咆哮に一時的に笑いが止まり、彼らの視線が肩で息をするハルに注がれた。

 怒っている。愛らしく美しい顔を怒りの色に染め上げて、怒髪天を衝くようにハルが全身で怒りを露わにしている。

 

「ハ、ハル? ごめんなさい、別に悪気があるとかじゃなくて流石に誰も信じないっていうか……」

 

「だったら見晒せぇ!」

 

 流石に笑いすぎたとササミが代表して謝罪しようとしたが、それよりも早くハルはさらに注目を惹きつけるように叫ぶと、スカートとスパッツを右手と左手で握り締めた。

 瞬間、これから起こるだろう狂乱、あるいは喜劇を前に悲喜こもごもの声が幾つも漏れた。

 

「ちょっとハル⁉ 貴女まさか……⁉」

 

「おう、こうなりゃとっておきしかねぇ」

 

 ――あ、これ、やる気だ。

 ササミはハルが次にする行動を脳で考えるよりも早く理解した。

 何をやる気なのか、言葉にするのも躊躇されるアレだ。

 衆人環視の元。

 ササミの眼前で。

 屈んだササミの顔の前に丁度、例のアレが露出されるだろうポジションで。

 

「え、ちょ、ま……」

 

 その瞬間、これから起こることを悟ったササミが顔を真っ赤にして慌てふためくが全ては遅い。

 最早、賽は投げられたのだ。

 嘲笑われた己の存在を証明するため。

 何よりも、男としての栄光を取り戻すために。

 

「テメェらに……」

 

 スカートを握った右手が上がる。

 

「たっぷり拝ませてやらぁ……!」

 

 スパッツを握った左手が下がる。

 

「この俺自慢の!」

 

 そして、一糸纏わぬ下半身をもってして。

 ハルは、己の性を世に猛る。

 

「男の子ぉぉぉぉ!」

 

 そして、さながら獲物を前にした虎の口が如く、暴かれた神秘の奥より『雄々しき野獣』が現れた。

 何故だか収束した乙女力にて金色に光り輝く男性自身(ゴールデン)

 男が男たる存在理由。

 誰もが信じなかった、早森ハルが男たる絶対の証明にて。

 

「きゃあああああああああああ!」

 

 ササミの悲鳴を皮切りに、この日最大級の悲喜こもごもの絶叫が海上ど真ん中にて轟き渡るのであった。

 

 その日、2101年2月8日。これが、世界初の『男性』絢爛美姫が公表される約2ヶ月前に起きた初実戦が、公式記録より抹消された理由の一つだと知る者は――あんまり存在していなかったりする。

 

 

 



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第三話【いざ、乙女の園へ】

 

 世界初の男性絢爛美姫出現。

 絢爛美姫が現れてから一世紀が過ぎ、その間に一度たりとも聞いたことのない事態に、現場より伝達された一報を聞いた誰もが耳を疑った。

 一世紀、およそ百年。美麗装飾が現れてからというもの、数々の研究がされた中で不可能と断じられた結果が覆されたのだから驚愕するのも無理はないだろう。

 そしてハルが初めて美麗装飾を纏ってから一日も経たずに、本土に設立された絢爛美姫養成専門の都市、大和学園都市にて今回の事件についての緊急会議が早くも始められていた。

 当然と言えば当然なのかもしれないが、揃った面子の誰もが女性かつ美女である。

 

「まずは車外に搭載されていた映像端末より得られた映像をご覧ください」

 

 進行役の女性が言うと、空間投影された映像より瀕死の月光獣と、堂々と歩み寄るハルの姿が映し出される。それだけで室内の至る所からハルの可愛さに見惚れた者達の溜息が木霊した。

 

「えー……彼が佐々野ササミの報告にあった男性適合者、早森ハルです」

 

「男? いや、どう見ても少女じゃない⁉」

 

 映像を見た誰もが思ったことを代弁した美女の一人に、進行役の女性もまた御尤もであると乾いた笑みを浮かべた。

 

「ですが先程上がった身体検査では生物学上、彼が男であることが判明しています」

 

「では、彼女……彼は、見た目は少女だが、男であると?」

 

 言ったままの言葉をオウム返ししてしまう程度には混乱しているのだろう。だが混乱するのも無理はないと、事前に情報を知っていた進行役の女性は思った。それどころか今ですら信じられないという思いが勝っている程である。

 

「ふざけているの⁉」

 

「確かに大和は北方の件のせいで諸外国に絢爛美姫の質で追いつかれつつあるが……あからさまにばれる

嘘では周囲への牽制にすらなりませんよ?」

 

「そもそも適性がA+ランクならば、男性と偽らなくとも、期待の新人として紹介すればいいだけではないですか」

 

 そして彼女ですらそうなのだから、映像を見ただけの会議室の面々は尚更信じられないでいるのだろう。

 これでは報告どころではないなと、半ば進行役の女性も些事を投げようとしたその時であった。

 

『はいはーい。少し黙ってねー』

 

 白熱する議論に機械合成された音声が割り込んできた。暴走しかけた会議室の面々が一斉に会議室の入り口へと向けられる。そこに立っていたのは、この場どころか世界の何処に居ても場違いと思われるような恰好――端的に言うと、宇宙服の如き物で全身を隠した珍妙極まり無い人物であった。

 

『やっほー。元気してる?』

 

 続いて、僅かなタイプ音の後に再度同じ感情の起伏が感じられない声が続く。他人を小馬鹿にするような見た目と、パソコン音声で喋るというふざけた態度だが、誰もそのことについて文句を言うような人間はいなかった。

 何故ならその珍妙な恰好をした者こそ、大和学園都市の理事長である。だが、もしこの人物が理事長でなかったとしても、誰も文句を言おうとはしなかっただろう。

 何せ全身を宇宙服もどきで隠し、声すらも合成音声を使って肉声すら分からないというのに、宇宙服程度では抑えきれない美しさの魅力は、場を黙らせるには充分であったのだから。

 彼女の名を水木カグヤ。噂では指先を覗かせるだけで誰もが幸福に酔いしれ、肉声を聞けば昇天するという、現代の怪異とさえ言われる謎の美女である。

 

『それで、男性絢爛美姫の話だったよね』

 

「は、はい理事長。ただいま、真偽を調査中ではありますが――」

 

『とりあえず、ウチで引き取っちゃおう』

 

 カグヤの発言に再び会議室が沸き立った。だがカグヤが指揮者の如く片手を挙げると、操作でもされたように誰もが黙る。

 

『まぁ小難しいことは色々あると思うけどね。でも考えてみなよ、審査は文句なしの最高値、A+。戦いのほうも録画されていた映像を見る限り文句なし。本人のやる気はこの際放っておいて、こういう人材こそ今の絢爛美姫には必要よ』

 

 手元のキーを怒涛の勢いで叩いて言葉を出力させていく。その姿は捲し立てる機械音声と相まって有無を言わさぬ勢いが込められていた。

 

『というわけで、彼に関しては私の権限で夕凪学園に編入手続きしてね』

 

 そして最後に軽快な音をたてて合成音を打ち終わったのも束の間、『では解散。お疲れ様』とカグヤは音声を打ち込むと、突然のことに呆ける面々を置いて、さっさとその場を後にする。

 扉を開いた向こうでは、黒のスーツを着た男装の麗人が直立不動で立っていた。鋭い眼光は油断なく常に警戒を怠っておらず、そこだけ張り詰めた緊張感で充満しているようだった。

 

「……お疲れ様です」

 

 美女はカグヤが姿を見せると、軽く会釈をしてその隣に並んだ。

 

『ありがと。しかしこの様子じゃ暫くは騒いでいそうね』

 

 直後、賑わいを取り戻した会議室の声を背中に受けてカグヤは肩を竦めた。おそらく問答無用なカグヤの発言の裏を探ろうとしているのだろう。

 だが傍らに立つ美女は、カグヤが単純に面白そうだからという理由で夕凪学園への編入を決めたことを知っている。

 だからこそ頭が痛いのだが。美女は額を抑えて溜息をつくと、ご機嫌な様子のカグヤの背中に声をかけた。

 

「まぁ貴女の言があったとしても、普通は男性の適合者の存在等信じられないのでしょう」

 

『彼女達は仕方ないわ。表向きは学園都市運営を担っているけど、あくまで操りやすい駒でしかないもの』

 

「……では、他の方々は?」

 

『確認済みで、了承済み。さらに学園都市で好きに暴れてもらえると万々歳だねって満場一致だったわ』

 

「全く、昔から貴女達は感性が子どもすぎて、対処するこちらの身にもなってほしいものですよ」

 

『あら、上司に向かって遠慮なしねぇ。でも、そういう貴女が昔からストッパーとして居てくれるから、私達も無茶が出来るの。これからも期待しているわ』

 

「頭が痛くなる激励だ……」

 

 男装の美女は溜息混じりに微笑を浮かべると、見た目通りに宇宙を漂うかの如くふわふわと歩き出したカグヤの背を追って歩き出すのであった。

 

 

 

 

 

 人生とは何が起きるか分からないものであるとは誰が言った言葉であろうか。

 常日頃から周囲の人に『お前はオツムが圧倒的に足りない』と言われ続けてきたハルがそんな哲学的なことを考える程、今の状況は滅茶苦茶だった。

 あの局部露出より暫く、救助が来るのも束の間、ササミと共に研究施設に連れ込まれたと思ったら、数日も問答無用での軟禁生活だ。

 尤も、ササミが毎日のように面会に来たことと、こちらを検査する科学者達がハルを王様か何かのように扱っていなかったら今頃大暴れして脱走していただろうが。

 そんな軟禁生活が終ったと思ったら、今度は連日美麗装飾を用いたデータ取りである。これは軟禁生活で募ったストレスを発散することもあり、嬉々としてハルは協力したのだが、あまりにも考えていた上京生活とは違う日常に、そろそろ慣れてきたころである。

 

「というわけで、転校生よー」

 

 ササミが朗らかな笑顔を浮かべて拍手をすると、無数の黄色い声と共に盛大な拍手の波がハルの体を叩いた。

 

「カワイー!」

 

「顔ちっちゃい! 目が大きい!」

 

「髪が柔らかそう!」

 

「何より可愛い!」

 

「背も低くて抱き心地良さそう!」

 

「それよりもすっごい可愛い!」

 

「とっても可愛い!」

 

 ――何だこれ。

 茫然とするハルの隣でササミが沸き立つ少女達を手拍子で静めた。

 

「ほら、貴方もボーっとしてないで挨拶くらいしなさい」

 

「オイ、ササミ……」

 

 待て。

 これは何の冗談だ。

 というかそもそもここは何処だ。

 言いたいことは幾つも脳内に浮かんだが、有無を言わせぬササミと少女達の急かすような視線に耐えきれず、ハルは疑問を一先ず放り出して周囲を見渡した。

 先程はハルのことを可愛いと言っていたが、そこに居る少女達も誰もが認めるような美少女ばかりが揃っていた。一番ぱっとしない少女ですら、学校一の美少女と言われるような容姿である。誰も彼もが歩くだけで人目を惹きつける程の愛らしさだ。

 だからこそハルは余計に混乱していた。勿論、混乱しているばかりでなく、何となくだが、ここが学校であるということは理解するくらいは状況を見ていたのだが。

 だがしかし、何故自分がここに居るのか。

 そもそも、何故男が一人も存在しないのか。

 

「……ハル」

 

 小声で隣のササミに急かされて、今度こそ進退窮まったハルは覚悟を決める。

 もうごちゃごちゃ考えるのは止めた。そも、考えたって状況が良くなるわけでもない。

 

「早森ハル………………です」

 

 ――だからと言って、納得いくわけじゃねぇぞ!

 腹の底で煮え立つ怒りを抑え込みながら、ハルは再度沸き立った少女達の歓声にぎこちない笑みを浮かべてみせるのであった。

 

 大和学園都市。大和の首都の一角に作られたこの学園都市には、国内だけではなく海外からも数多の美少女達が集められており、総人口は百万人以上。そしてその大多数が美麗装飾の適性を通った美女、美少女であることから、人々は様々な意味を込めて『花園』と呼んでいた。

 

「とまぁここはその花園にある学校の一つである夕凪学園と言うんだけど……ここまでで質問はある?」

 

「死ね、くたばれ」

 

「よしよし。ちなみに私は先日の件で貴方の監督役にも選ばれたから一週間前よりここで教鞭をとることになったの。うふふ、共に転校したばかりという事で仲良くしましょう」

 

「死ね、くたばれ」

 

 苦虫を噛み潰して飲み下したような表情をしながら、ハルは荒々しく手元の空のペットボトルを握り潰した。

 

「つまりあれか? トートツにラチられてガッコーにぶち込まれたけど、ゴキゲンに学生をしろってことかよ?」

 

「ちなみに、転入手続きのあれこれについてはこっちで全部処理したから安心してね」

 

「死ね! くたばれ!」

 

 遂に我慢の限界を超えたハルは握りつぶしたペットボトルを廊下に叩きつけた。

 突然発生した音に周囲の学生の視線が集まるが、ハルが威嚇するように唸りながら周囲を睨めば、蜘蛛の子を散らすように消えて行く。だがそれでも物陰からこそこそと覗く少女達の視線に、ハルは舌打ちした。

 

「不機嫌ねぇ。あんまり苛立っても状況が変わることはないんだから諦めなさいな」

 

「それではいそーですといけるほど、俺のウツワは広かぁないぜ?」

 

「なら広さじゃなくて深さにでも期待しましょうか。それに、今は気分が良くないかもしれないけど、普

通の男の子なら天国みたいなものじゃない?」

 

「テンゴクねぇ」

 

「納得いかないかしら? だってちょっと歩くだけで普通なら拝めないような美少女ばかりよ?」

 

 ササミに言われて辺りに視線をやったハルは、ちらちらとこちらを伺う少女達の顔を見た。

 確かに常識的な美的センスがあるならば、誰も彼もが美少女だ。何せここに在学する生徒達は、誰もが絢爛美姫としての適性を認められた美少女である。生徒だけではなく、ササミも含めた教師陣も美女揃いときている。健全な男性、しかも思春期まっただ中の男の子ならば、まさに夢に見た光景とでも言えるだろう。

 

「ケッ、どいつもこいつも人をサルでも見てるようでウザってぇ。……オイ! ミセモノじゃねぇぞボケ!」

 

 羽虫のように寄ってくる少女達を何度目か分からない怒声で追い払い、ハルは疲れた風に肩を落とした。

 常日頃から己自身という極上を見ているハルにとっては表面上の美など些細なものなのだろう。むしろ好奇の視線に対する不快感ばかりが募っているようであった。

 

「ふふ、そう言うわりには自己紹介の後はちゃんと質問にも答えてたじゃない」

 

 ササミが言う通り、学校開きから一ヶ月という微妙な時期に転入してきた生徒、しかも特上の美貌であるハルは、自己紹介も早々に始まった女子特有の質問攻めに、額に青筋を立てながらもなるべく丁寧に答えていた。

 ササミとしては質問の最中に怒って喚き散らすとことも想定していたために、意外なハルの対応に、粗暴で荒々しい性格という評価を改める程だ。

 

「引っ越しの心得、我慢できるまで郷に従え、ただし悪意は我慢するな」

 

 ハルは叩きつけたペットボトルを拾うと、ササミから視線を切りながら呟いた。

 

「あら、それはお兄さんが?」

 

「違ぇ。姉ちゃんが言ってたんだ。アレでワルギがあるならキレてたが、そうじゃねぇならできるだけガマンするさ。なんたって俺ぁヨソモノだからな」

 

「殊勝なことね」

 

「シュショーだかシショーだか知らねぇが、俺をヨソサマにさせたのはテメェらのせいだってこと忘れるなよ……ったく、なんで姉ちゃんに会いに来たのにこんなことになったんだか……」

 

「それについては本当に申し訳なく思っている。私の力不足だ」

 

 ハルの鋭い視線にササミは日頃被っている陽気な雰囲気を脱いで、真摯に謝罪をした。

 誤魔化してはいたが、ササミだって罪悪感を覚えていないわけではない。むしろ自分の不覚のせいで戦いに巻き込んで、そのまま勝手に学園都市に連れてきたのだ。常識人であるササミの心が痛まないわけがない。

 さらには肉親に会おうと本土まで来た彼を無理矢理こちらの都合に合わせてしまったのだ。ハル自身がそこまで気にしていないからいいが、本来なら拉致だなんだと騒がれてもおかしくない話である。

 故に上層部に無理を言って、ハルが編入することになったここ、夕凪学園の顧問になったのだが、それを言って己の気を楽にするつもりはササミには無かった。

 

「……まぁいい。正直、あんな何もねぇところでジッケンとやらに付き合うよりかはマシだからな」

 

「そう言ってくれると助かるわ……ごめんなさいね」

 

「あー……クソが。それ言われたら何も言えねぇじゃねぇか」

 

「……えっと、ごめんなさい」

 

「だからもういいって言ってんだろうが!」

 

 ササミの謝罪にむず痒さを感じたハルは思わず誤魔化すように大声をあげて再度ペットボトルを廊下に叩きつける。

 

「だからこっち見んなバーカ!」

 

 その声に引き寄せられてたちまち再度集まってきた少女達に一喝したハルは、八つ当たり気味な自分の態度を恥じるように表情を歪めた。

 

「ともかくもうなっちまったもんはいいから、これからどううすりゃいいのか教えろや」

 

 未だにここに来た目的が分からない。おおよその理由は察することが出来るが、研究目的ならあのまま施設に入れておけばよかったはずだ。

 

「うーん……普通に学生楽しむとかは?」

 

「おい、ジョーダンはそろそろやめようや」

 

「……ごめんなさい。正直言って、私も何故貴方が学園都市に連れてこられたのか分かっていないのよ」

 

 だがハルの疑問はササミにとっても同じ事であった。

 ハルが絢爛美姫と報告をしたのも束の間、性別確認後は本人の許可すらなく研究施設送りである。それほど、男性でありながら絢爛美姫となったハルの存在は異例であり、長年不可能とされた男性適合者は格好の研究対象なりえた。

 

「……それに、これまで存在を秘匿しながら、ここに来てメディアに大々的に情報を回したのもおかしいわ。貴方は知らないでしょうけど、研究施設に行ってる間、テレビに新聞にネット、おそらくは国家間ですら貴方の情報が出回らなかったのよ? だというのにここに来ることが分かってから、世界中に向けて情報が発信されたのはおかしいわ」

 

「テレビにシンブンにネット? それが何だってんだ?」

 

 ネットどころかテレビに新聞すらない環境で育ったためか、それがどういったことなのか分からずにハルは首を傾げた。

 

「えっと……つまり、世界で初めての男性絢爛美姫だから、誰にも知られないように秘密にしていたのに、いきなりいろんなところに貴方のことを喧伝……教えて回ったのよ」

 

「よーするにテメェのキンタマをテメェの手で丸出しにさせたってことか。そりゃおかしいわな」

 

「色々とおかしくて不潔な言い方だけど認識としては合ってるわ。それをした張本人である貴方がそれを言うことも含めてね。……まっ、だからこうして注目を集めるのも仕方ないって諦めなさい」

 

「……そりゃわけわからねぇって話だぜ」

 

 言っている傍から目の前を通って行った少女達が、ちらちらとこちらを見ながら声を抑えながら笑い合う姿に乾いた笑みが漏れる。

 

「こういうの、ゼントタナンってのであってる?」

 

「百点よ、その調子で学生らしくしてもらえる?」

 

「悪ぃがガクセーってのをしたことねーからカンベンな」

 

 我慢しきれなかった怒りごと、振り上げた片足を足下のペットボトルに叩き込む。

 トドメとばかりに踏み抜かれてボロボロになったペットボトルが、雄弁にハルの苛立ちを現しているのであった。

 

 

 

 



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第四話【噂のあの子が可愛くて】

 

 夕凪学園高等部1年I組は、高等部からの編入組に設けられた枠である。故に他の組と違って絢爛美姫としても初心者であるI組の生徒達は、夕凪学園に置いては下位ヒエラルキーに位置する。これは単純に、彼女達が高等部より編入されたために、未だ絢爛美姫として未熟なためだ。

 家庭の事情から適性があったのに入学できなかった者、適性をクリアしたが入学を辞退した者、未だ不安定な大和の土地で適性審査を受けられずにいた者、あるいは何かしらの問題を起こした者等がI組の生徒達である。そのため、他のクラスからは蔑まれるか眼中にすら入っていない組だったのだが、現在、夕凪学園はおろか、世界中でこのI組は最も注目されているクラスとなっていた。

 学校どころか世界中からの注目を集めている原因こそ早森ハル。世界初の男性絢爛美姫にして、適性検査では最高ランクのA+を叩きだした期待の新星だ。

 

(……怖いなぁ)

 

 そんな注目の的の隣の席に座っている少女、華(はな)槇(まき)ナナエは大股開きで椅子の背にもたれるハルを横目にして、息を顰めるように身を縮めた。

 彼女も立ち位置としてはハルと同じく、適性検査を受けられない場所から見出された美少女の一人である。当然ながらその容姿は整っており、美しいというよりは愛嬌のある顔立ちと、男性の欲望を駆り立てるような肉感的な体つきという、幼さと妖艶さを併せ持った美少女だ。彼女の容姿も普通ならば地域一番の美少女と言われる程であるが、残念ながらこの大和学園都市群では他より少しだけ目立つと言った程度でしかない。

 

(うー……ただでさえ有名人の隣ってだけでも緊張するのに、こんなに怖そうな人だなんて最悪だよぉ)

 

 そして、見た目と同じく気弱な性格であるナナエは、見た目は可愛いのに態度や素行そのものがヤンキーそのものであるハルに勝手に怯えていた。それは隣の席だというのに、朝のホームルーム後に始まったハルへの質問攻めに一切関わらなかったことからも明白である。

 むしろ、ハルがいつ堪忍袋の緒を切断して暴れ、そのとばっちりを食うか戦々恐々していたくらいだった。

 

(……でも、意外と授業は真面目に受けて……いや、あれはそういうのじゃないよね)

 

 気付かれないようにちらりとハルの横顔を伺えば、一般人ですら感じられる程の殺気を滲ませた鬼気迫る表情を浮かべ、映像を空間に投影する携帯端末を使わず、紙のノートに鉛筆で授業内容を書き写している。田舎者ですら小型の携帯端末を使う時代に対してあまりにも前時代的で驚いたものだ。だがそもそも絶世の美少女にしか見えないハルが男であることや、性格がヤンキーそのものであったりすることに比べれば些細なことであった。

 ようするに慣れである。尤も、ハルの美貌といまどき田舎にも居ないヤンキーの態度は未だに慣れないが。

 

「はぁ……」

 

 無意識に漏れ出した溜息は、ナナエの心労を如実に物語っていた。

 ともかく疲れていた。そもそも田舎で畑を弄っていた生粋の田舎娘であるナナエは、友人に騙される形で受けた適性審査で適性ありと認められ、父と母に都会を知るいい機会だと説得されて来ただけである。大した志もなく、卒業後はさっさと田舎に帰ろう程度にしか考えていなかったのに、何故か世界で一人しかいない美少女、いや、美男子の隣の席に座っているのが何かの間違いなのだ。

 

(おうちに帰りたいなぁ……)

 

 窓の外、蒼穹に広がる空を辿った先では、いつも通りに両親が畑を弄っているはずだ。

 あぁ、懐かしき土の匂い。むしろ今なら土を舐めることすら喜ぶくらいの心意気が――。

 

「あ……」

 

 その時、顔を歪めながらノートを書いていたハルの肘が、机に置いてあった消しゴムを弾いて床に落としてしまったのにナナエは気付いた。

 ハルは気付いた様子も無く鉛筆を動かしている。鬼気迫る様子は勿論そのままだ。

 声を、かけようか。いや、でももし声をかけてあの物凄い形相で睨まれたら私絶対にお漏らしする。間違いない。この歳で涙と鼻水流しながらついでに股も濡らしたくはない。でも気付いたのに放っておくのも後味が悪いし、だけど余計なことをするなって言われたら私絶対に泣いちゃうし、でもでも気付いたのに放っておいたことに気付かれて怒られたらどうしようというか、

 

(あぁもう……!)

 

 悩んでいても仕方ない。ナナエは混乱した思考を振り払うと、落ちた消しゴムを拾ってハルの机にそっと置いた。

 

「あ、あの……」

 

「あ?」

 

「消し、ゴムが……ですね……落ち、て……みたいな?」

 

 鋭い眼光に喉が詰まる。美人の怒り顔は怖いとは良く言うが、ハル程の美人が凄味を聞かせた眼差しは人を石化させる力でもあるのか。

 などと余計な思考に逸れて現実逃避をし始めたナナエを訝し気に見たハルは、ナナエが机に置いた消しゴムに気付いて目を丸くした。

 

「……何だ、落ちてたのか?」

 

「あ、は、はい……」

 

 ガチガチに固まりながらも必死に口を動かして返事するナナエ。

 一体何をそんなに緊張しているというのか。ハルとしては普通に接しているつもりなので理由が分からず不思議だ。

 

「サンキュー。助かったぜ」

 

 だが、消しゴムを拾ってくれたのは事実だ。ハルはしかめっ面を淡い微笑みに変えると、素直に感謝を口にした。

 その時、ハルという華が咲いたとナナエは確信した。

 

「あ、ひ……はい」

 

「? よくわかんねぇけど、クラスメートなんだからケーゴなんて……ってやべ」

 

 緊張が一転して顔を赤らめて視線を逸らして俯いたナナエにそう告げると、ハルはこうしている間にも進み続ける授業内容を再びノートに必死の形相で写す作業に戻った。

 

(か、可愛い……! 今のすっごい可愛かった……!)

 

 だがナナエと言えば、不意にハルが見せた微笑みに、先程までとは違う思考の堝に陥っていたために、授業どころではなかった。

 転校してきてから、笑顔と言えば初日に見せたぎこちない笑顔だけである。それからはずっと常に不機嫌そうに眉を顰めているか、今そうしているように親を殺した敵でも睨むような形相で授業に取り組む表情ばかりであった。

 それがどうだ。あの愛くるしい笑顔だ。台風が過ぎた後の晴天のように、見る者を惹きつけて離さない笑顔。思わず視線を逸らすことで堪えたが、後一瞬でも遅れたら間違いなく抱き付いて撫でまわして頬ずりしてからおでこにチューしたよホントマジ。

 

(ずるすぎるよ! 早森君……ううん、ハルちゃん可愛すぎるよ!)

 

 これがA+ランクの適性を叩きだした歴代最高の美人(男)の力なのか! 自分とは文字通りに次元が違う美麗の結晶を魅せられたナナエは、そのまま暫く網膜に焼き付いたハルの笑顔を反芻し続けたのだったが、不意にその肩を軽く小突かれて我に帰った。

 

「何です……」

 

 折角の至福の時間を邪魔するのは一体誰だ⁉ ハルの笑顔で思考が馬鹿になったのか、授業中に呆けていた自分を棚に上げてナナエは横を向いて、再び思考を漂白させた。

 

「おいテメェ、指止まってんぞ」

 

 見れば、体を乗り出して自分の肩をゆするハルの顔がすぐ傍にあった。

 

「……あ」

 

 肌、綺麗な小麦色

 眼、大きくて吸い込まれそう。

 唇、瑞々しくて柔らかそう。

 頬、もちもち。

 髪の毛、超、さらさら。

 導き出される結論は――。

 

「か」

 

「か?」

 

 何だこいつとばかりに小首を傾げるハル。

 だがその小動物のような仕草によって、ナナエは自分の中にある、千切れたらいけない類の糸が千切れる音が鳴り響いたのを悟った。

 

「可愛すぎるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」」

 

 結論、めっちゃ抱きしめたい。

 というか、既に脊髄反射の勢いでハルを両手で抱き締めたナナエは、突然のことに驚愕するハルを含めたクラスメート等気にした様子も無かった。

 

「はぅぅぅぅぅ! 凄い! 可愛いよぅ! ハルちゃん可愛すぎるよぅ!」

 

「なんだボケェ! テメ、んが⁉ ムネ……! デカすぎて……! 息……!」

 

「よぉぉしよしよし! お姉ちゃんがギュッてしてあげるからね! いっぱいいっぱい抱き締めちゃうからね!」

 

「死……死ぬ……! パイ死とかジョーダンにも……」

 

 見た目とは裏腹に存在を高らかと主張する豊満な胸にハルを埋めて、その髪を撫でながら恍惚とした顔をするナナエ。だが抱き締められたほうとしては窒息寸前。手足をばたつかせて抵抗するが、可愛さにやられたナナエの暴走は止まることはない。

 

「あぁん! このままお持ち帰りを――」

 

「おい」

 

 言葉通りにハルを抱きしめたまま教室を飛び出そうとしたナナエは、背後からかけられた絶対零度の声に動きを止めた。

 

「貴様、今が何の時間か言ってみろ」

 

 ゆっくりと振り返る。

 

「あ、ひ……」

 

 そこに立っていたのは、湯だった頭を一瞬で凍結させる眼差しでナナエを見下ろすササミ。

「私の授業の時間にいきなり発情期ぶちかますなんてなぁ。丸くなったとは言われてきたが、その気にいらない態度に対して切れない緒は生憎と持ち合わせておらん」

 

「あ、あのですね……これは、ですね」

 

 しどろもどろになりながら、それでも胸元に抱きしめたハルを離さないあたり中々の筋金入りである。

 だが今となってはそれも火に油。内心、この状況でもハルを手放さない胆力に少しだけ感心するササミだったが、それとこれとは話は別であった。

 

「言い訳結構」

 

 胸の前でゴキゴキと指を鳴らすササミを見て、ナナエはこれから己の身に起こることを想像して、身震いした。

 

「少しばかり、お灸が必要だな……この馬鹿者がぁ!」

 

 怒声に合わせて鈍い音が二つと「んぎゃぁ!」「なんで俺まで⁉」という悲鳴が廊下にまで鳴り響くのであった。

 

 

「はぁぁぁぁぁあ……」

 

 夕暮れの帰り道。学生寮への帰路を辿るナナエの足は重かった。

 授業中に突如隣の席に座っていたハルを抱擁するという珍事は、ササミによる鉄拳制裁によってその場では解決したものの、それから放課後までの間、隣に座るハルを見ることすら出来ず、というか生きた心地すらナナエはしなかったものである。

 何せ、完全に自分のせいでとばっちりを食らったのはハルだ。あれから一言として言葉を交わしていないが、隣から(勝手に)感じる殺気とも呼べるオーラにナナエの心労は積み重なっていた。

 

「わぉ! すっごい溜息だねナナエ」

 

「だってさぁ……はぁぁぁぁぁぁ……」

 

「まっ、あんなことやらかしたんだから気持ちは分からんでもないけどさ」

 

 その時のナナエの姿を思い出して、隣を歩いていた友人である円(えん)城(じょう)トモカは笑みを堪え切れずに噴き出した。

 ナナエが春の陽気の如き暖かな美少女なのに対して、トモカは夏の日差しを彷彿とさせる明朗快活な美少女だ。ナナエよりも頭一つ以上高い背丈だが、肉感的なナナエと違って全体的に細くてスレンダーだ。しかし、健康的で野性を感じさせるその見た目は、ナナエとは違った魅力が滲み出ていた。

 

「でもまさかナナエがあんなことをするなんてねぇ」

 

 悪戯っぽく笑うトモカの言葉が皮肉に聞こえたのだろう。ナナエは己を恥じ入るように身を竦めて頭を抱えた。

 

「お、終わりだよ。私のイメージ諸々が終わりだよぅ」

 

「そこでまだ自分のイメージを気にすることが出来るなら、まだまだ余裕そうに見えるけどなぁ……」

 

「そうだよ! どのみちこのままじゃハルちゃんにボッコボコだよ!」

 

「あ、こりゃアタシの話聞いてないね」

 

「おしまいだ! 諸々がおしまいだ! 多角的にね!」

 

 そう叫んで「きっと放課後に学校裏に呼び出されて、『ぐへへ、今日はよくもやってくれたなアバズレめ、お返しに素敵なプレゼントだぜぇ』とかなんとか言ってボッコボコだよぉ」などと顔を青ざめさせる。

 

「やっぱ余裕あるじゃん」

 

 あるいは混乱しすぎて冷静な思考をする余裕もないのか。

 どっちにしても転校初日にしていきなり抱き付かれたハルのナナエに対する評価は最悪だろう。そう他人事のように考えているトモカに、ナナエはすがるような視線を送った。

 

「私どうしたらいいのかなぁトモちゃん」

 

「荷物を纏めて今すぐ逃げるってのはどうかなぁ」

 

「それって根本的な解決にならないよね⁉」

 

「じゃあいっそあっちに責任転嫁とか? 君が可愛すぎるのがいけないんだぁ! とか言ってもう一度抱き付くのさ!」

 

「なるほど……って駄目だよ! 状況の悪化だよ! 解決どころか間違いなく招いちゃうね! やばいやつ!」

 

 一瞬だけだが、その案はありかもとか思ったナナエのハルへの入れ込みは重傷だろう。

 だが、トモカはそれも無理ないかと納得した。というか、ハルの姿を見てそう思わない人間は美的感覚が一般人とは違う方向に向いてるとしか思えない。

 

「でもさ。ナナエが抱き付いちゃうのも仕方ないって。だってハルっちの笑顔に我慢できなかったんでしょ? 私もそれは我慢できないかもねぇ」

 

 冗談染みた口調で呟きながら、事実、トモカもナナエと同じ立場ならきっとやらかした確信があった。

 初めて現れたその瞬間、事前にテレビやネットなどでその姿を見ていたにも関わらず、クラスの全員がハルの美しさに飲まれてしまった。正直、少しばかり心にあった『自分は絢爛美姫に選ばれる程の美少女なんだ』という自尊心は完全に砕かれ、隔絶した美しさに嫉妬心すら沸かなかった程である。

 

「あぁいう子こそ、絢爛美姫って呼ばれる子なんだからさ」

 

「そうだねぇ……」

 

 だが、男だ。

 その事実に二人同時に至って苦笑する。

 

「あれで男の子って反則だよ」

 

「だよねぇ。しかもヤンキーだよヤンキー。アタシ、漫画以外で初めて見ちゃった。あんな男の子がまだ居るなんて驚きよ」

 

「いやでも実は女の子っていう線も」

 

「アタシもそっちの線を疑ってるよ。ていうかそうじゃないとおかしいよさ。あんな女らしい勝気な子(・・・・・・・・)なんて今時の男とは思えないよ」

 

 男の不良という存在などこの世にどの程度存在するだろうか。絢爛美姫が世に出て既に一世紀。百年という月日は、既に男という存在から男らしさ(・・・・)という牙を、女から見れば薄っぺらな虚栄心を剥がすには充分な時間だった。

 確かに美女、美少女が望まれる現代では、俗に言うイケメン等は女性よりもてはやされるものの、現代におけるイケメンとは線が細く儚げな存在で、スポーツで活躍している男性などはあまり好まれなくなっていた。第一、身体能力が如何に優れていようとも、絢爛美姫に成りたての少女の足元にすら及ばないのだから。

 最早、男は女を守る存在ではなく、女によって守られるのが常識なのだ。そう言った世界で、ハルのような粗暴でガサツなヤンキー的なといった存在は、絶滅危惧種と言っても過言ではない。

 

「だから余計に明日が辛いんだよぉ」

 

「……たはは」

 

 再度、肩を落として暗い雰囲気を纏うナナエに掛ける言葉が見つからず、誤魔化すようにトモカは小さく笑った。

 だがナナエ程ではないにしろ、それはトモカも含めたクラスメート一同が共通して抱いている問題であった。

 隣の席であるナナエはおろか、敵意をむき出しにするようにして授業を受けていたハルの雰囲気に飲まれて、誰もが授業に集中しきれていなかった。実際に、ナナエの暴走によってナナエとハルが共に廊下で反省の意味を込めて立たされた時、安堵の溜息が幾つか教室内に漏れたのを聞いている。

 絶世の美少女が苛立っているのは、それだけでプレッシャーなのだ。

 他にも、これまで夕凪学園の余所者が寄り集まっただけでしかないI組の生徒達は、ハルの転入によって他クラスの視線にさらされていることも重荷となっていた。

 

「明日からも大変だろうねぇ。あー、めんどくさ」

 

 トモカも含めて、I組の面々は絢爛美姫としての自覚に乏しい者ばかりだ。夕凪学園、いや、大和学園都市の上層部が何を思ったのかは知らないが、はっきり言っていい迷惑だとトモカは思っていた。

 

「……ごはん食べよう」

 

「さんせー」

 

 陰鬱な思いを抱きながらも、気付けば二人が暮らしている学生寮まで到着していた。

 Aクラスの生徒に与えられる高層ビルの如きマンションとは違って、三階建てのボロボロのアパートである。当然ながら一人部屋ではなく相部屋だ。

 

「何かこう、ドッと疲れちゃったね」

 

「心の疲れってやつだね。アタシとしてはもっとこう気楽に生きていたいものなんだけど」

 

「あはは、本当だよね」

 

 自宅に戻れたという気の緩みからか、柔らかくなった表情で二人は言葉を交わす。

 

「でもまぁアレだよね」

 

「何だい?」

 

「確かにいきなり抱き付いた私も悪かったけど、トモちゃんの言う通りやっぱりあんな可愛い早森君にも責任はあると私は思うわけよ」

 

「おっ、言うねぇ」

 

 同意を得たナナエは「当然、だって可愛いは罪だよ?」などとだんだん調子に乗り始めていた。

 

「まぁでもナナエ、それを言うならアタシ達だって絢爛美姫に選ばれたわけだしさ、罪深き女ってやつになるんじゃない?」

 

「何を言ってるの! ハルちゃんと比べたら私達なんて生ゴミみたいなもんだね! 常識的にさ!」

 

「それはそれで罪深くね? つーかさり気にアタシもディスったよね?」

 

「あー! ハルちゃんのバカヤロー!」

 

「聞いてねぇわこの子」

 

 だが、元気になってくれたのなら一安心だ。例えそれがやけっぱちなものであったとしても、ナナエに活力が戻ってきたことにトモカは内心で安堵しつつ愚痴を聞いている間に、I組の生徒達が全員寝泊りしている寮へと帰ってきたのであった。

 いずれ行われる月光獣との戦いは、基本的にクラス単位で当たることが多い。そのため、こうしてクラス毎に交流できるように共同生活をさせているのだ。クラスによってはそのせいで逆にクラス内で派閥が出来るなどの問題も発生していたりするが、今年度より美麗装飾に触れることとなった生徒ばかりで構成されているI組の仲は概ね良好だ。

 

「私のポテチ食べたの誰⁉」

 

「今日はハンバーグだってー」

 

「あー、寮のご飯美味しいから太る」

 

「太ったらササミ先生のありがたいダイエットコースが待ってるよ」

 

「う……それでも今日もお代わりしたい……!」

 

「まぁ気持ちは分かるけどさぁ」

 

「ねぇ誰か私のポテチ! コンソメのポテチ!」

 

「コムギちゃんがコンソメ味持ってたよ」

 

「コムギぃ!」

 

「早くご飯食べたいなー」

 

「あ! コムギちゃんが窓から逃げたよ!」

 

「コムギぃ!」

 

 玄関の傍にあるクラスメートの憩いの場となっている食堂は今日も賑やかだ。いつもならそこに混じって会話に花を咲かせるところだったが、今日のナナエは今すぐに部屋に戻って布団にくるまりたかった。

 

「まっ、気を落とさないで明日会った時に謝りなよ」

 

 トモカもそんなナナエの心情を察したのだろう。それ以上は何も言わずに騒がしい食堂へと向かっていった。

 

「……部屋に戻ろ」

 

 今はそっとしてくれるトモカの気遣いが心に染みる。友人の優しさに内心で感謝しながら、ナナエは重い足取りで自室へと帰った。

 ともかくもう疲れた。部屋に入ると同時に鞄を放り捨てて制服をパパッと脱ぐ。シャツ一枚だけのあられもない姿だが、女所帯の寮生活では気にすることではない。

 

「……あー」

 

 このまま何も考えずに布団にダイブしたい。

 だが春先とはいえだいぶ暖かくなってきたこの頃、流した汗の不快感を抱いたままなのも嫌である。

 せめてシャワーくらいは浴びよう。

 そう考えて、ナナエはタオルだけを手に脱衣所への扉を開き――。

 

「……え?」

 

 その瞬間、思考が完全に消し飛んだ。

 ナナエの視線の先、そこに立っていたのは全裸の女神の後ろ姿だった。無駄な贅肉など一切ない小麦色の肌の体には、当然ながら傷も染みも一切存在しない。全身の何処を見ても見惚れる美しさだったが、特に足先から臀部までのなだらかながらしっかりと肉感が感じられるラインに思わずナナエは息を飲んだ。次いで、タオルで髪を纏めたことで覗いたうなじの色香に目を奪われる。

 

「あ?」

 

 そこでようやくナナエに気付いたのか、怪訝な表情で振り返った女神に、思考を失ったナナエの脳裏に雷鳴が轟いた。

 露わになった胸は、女性らしい膨らみは存在しない。だがそれがどうした。それがどうしたと声を大にして叫びたかった。最早、この領域に至って女性の象徴など無駄なのだとナナエは理解した。

 これはもう奇跡だ。

 ちっぱいって凄いんだって、そういう奇跡なんだ。

 おぉ神様、私、今目覚めちゃいました。おっぱいなんて只の飾りなんだって胸を張って言い切れます。

 というわけでこの美の結晶を私は見てもいいんですよね⁉

 感動に涙すら滲ませて、さらに意味不明な理屈で裸体鑑賞を続行したナナエの視線は、そのまま下へと向かっていき――。

 そこに、圧倒的な存在感を放つ『野獣』を見つけてしまった。

 

「き……」

 

「き?」

 

「きゃあああああああああああああああああ⁉」

 

 瞬間、ナナエの口から身を切るような悲痛な絶叫が放たれた。

 

「あばばば! あばばばばば! うわぁぁぁぁ!」

 

「ちょ、テメェいきなり現れて叫ぶなんざ……!」

 

「ひぇぇぇぇ! ナマモノ! ナマモノだぁぁ!」

 

「人の一等をナマモノほざくんじゃねぇ!」

 

「う、うぉぉぉ……うぉぉぉぉ……!」

 

「お、男泣き……⁉」

 

 もう、何が何だか分からない。というか、何故裸を見られた自分ではなく、勝手に人の部屋に入った相手が絶望しきっているのか。

 

「……ホント、シンザンモノにはきついぜ」

 

 そう呟いて、むせび泣くナナエを他所にいそいそと着替えだした女神こと早森ハルは、喧騒を聞きつけたトモカが来るまでの間、拳で解決できない難事を前に困惑するしかなかった。

 



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第五話【友達と呼んだ日】

 

「あの……」

 

「……」

 

「あの、ですね……」

 

「……」

 

「本当に、ごめんなさいぃ!」

 

 絶対零度の視線で見下ろされるのに耐えきれず、ナナエは飛ぶようにして地面に両手と額を擦りつけた。

 

「えっとね、ナナエはなんというか、うっかり部屋が隣だったのを間違えただけであってね。決して君の素肌を覗こうとしたわけじゃなくてね。それで、えーっと」

 

「……」

 

「うん、はい。頑張れナナエ……」

 

「トモちゃぁん……」

 

「いや、どう見てもアンタが悪いからさ……」

 

 その隣で友人の弁明を試みたトモカが、無言のハルの圧力に負けて微妙な笑顔を浮かべた。

 現在、場所は変わって食堂の中央にて、椅子に座って両腕を組むハルを中心に、遠巻きにクラスメートが緊迫した状況を見守っていた。

 

「……ハァ」

 

 あまりの威圧感に空気が破裂しそうだったが、そんな空気を気だるそうなハルの溜息の音色が震わせた。そして放っていた威圧感がみるみるうちになくなっていく。様子を伺っていた少女達も安堵の溜息を吐き出していた。

 まぁ、過ぎてしまったことは仕方ない。そもそも、裸の一つや二つ見られた程度のことを気にする程、自分の器は小さくない。

 ハルは溜息と共に「もういい、面上げろや」と呆れた風に呟いた。

 

「あ、ありがとう……」

 

 許しを得たナナエがおずおずと顔を上げれば、怒りの矛先を何処にぶつけるべきか眉間に皺を寄せて悩むハルの困り顔である。少しは文句を言いたかったものの、有無を言わせず土下座を決めた少女を罵る程、ハルは嫌な男ではないのだ。

 そんなハルの葛藤も知らずに、ナナエは目の前で魅せられた美少女の悩んだ表情に思わずまたキュンと高鳴る鼓動に慌てて顔を横に振る。許された直後にまた同じ過ちを繰り返せば、今度こそナナエに対するハルの評価は最低値を更新するはずだ。

 

「まっ、過ぎたことはもうしゃーねぇよ。それに俺が隣に来たこと知らなかったんだろ? だったらそういうこともあんだろ。ジュギョーのほうは……せっかくのベンキョーが出来なくて残念だったけどよ」

 

 隣でハルの様子を見てきたナナエからすれば、勉強できなくて残念だったというハルの呟きは意外なものだ。何せ、この少年は授業中ずっと不愉快な表情で授業を受けていたのである。その表情とノートを必死で取るギャップが案外面白かったのだが、少なくとも好んで授業を受けているようには見えなかった。

 

「……えっと、早森くんは」

 

「ハルでいい」

 

「じゃ、じゃあ、ハルちゃんは……授業受けるの嫌いじゃなかったの?」

 

「ハルちゃんだぁ?」

 

「あ、ご、ごめ――」

 

「いや、もうそれでいいや……。それでベンキョーだっけ? むしろ好きなほうだぜ?」

 

 あまりにも意外な答えに、ナナエ達は目を丸くして驚きを露わにした。

 

「えー! 親の敵でも殺すような勢いで授業受けてたのに⁉」

 

「あれは末代までぶち殺した後に来世でもついでにすり潰すって覚悟を決めたような表情にアタシも見えたなぁ」

 

「あんなに怖い顔してて授業好きってのはちょっと分からないよね」

 

「彼の前の席コムギちゃんでしょ。あの子、授業始まってからずっと顔面真っ青だったしね」

 

「いっつも馬鹿やってるんだから、たまには鬼に睨まれてすくみ上るくらいがちょうどいいのよ、あのおバカは」

 

「というか何処まで逃げたのよアイツ。ポテチ返せよ」

 

「食べちゃった代わりのポテチ買ってくるってさ」

 

「コムギぃ……」

 

 ササミとトモカの言葉を皮切りに次々と繰り出される少女達の戯言に、ハルの体が怒りに震える。

 

「こっちがイラついてんのにテキトーなことピーチクパーチクとテメェらはよぉ……」

 

「あわわ……。えっと、ハルちゃんは悪くないよ! それにあの顔もホラ……大嫌いな食べ物を頑張って食べようか悩んでる顔、とか?」

 

「そ、そうそう。好きな食べ物をお預けされたワンちゃんの顔、みたいな?」

 

 他にも「可愛いから帳消し帳消し、恐いけど」「可愛いは正義だからね。小鬼って感じでどう?」「生意気なコーギーでしょ」「チワワは違うよねぇ」「豆柴とか?」といった少女達のフォローしているのか分からないフォローが入るが、火に油を注ぐように例えにハルの額に青筋が浮かんだ。

 

「俺に聞くなよ! つーかどっちにしろひでぇのは変わんねぇだろボケぃ!」

 

「ヒィィィ! ご、ごめんなさぁぁぁい!」

 

「あはは、ごめんねぇ」

 

 絶世の美女が般若のように怒る様は、ヤクザ者の睨みすら超えた末恐ろしいものがある。堪らず涙目になって深々と土下座を再開したナナエが小動物のように震えて許しを乞うのも、無理はないというものであった。一方、トモカと遠巻きで見守る少女達はハルとナナエのやり取りを面白がっているようだ。

 

「チッ……ともかく俺ぁベンキョーはイヤじゃねぇ」

 

「そ、そうなの?」

 

 恐る恐る顔を上げたナナエが見たのは、まるで自嘲するように笑うハルの横顔だった。

 

「ベンキョーなんてまともにできるとこじゃなかったからな。どいつもこいつもその日のメシのタネを探すほうがダイジだったよ」

 

「それって……」

 

 世界全体として見ても、絢爛美姫発祥の地である大和にて、勉強すら出来ない土地で思い当たる場所等一つしかない。

 ハルは見上げてくるナナエに視線を戻して、小さく頷く。

 

「あぁ、テメェの言いてぇことで合ってるよ。俺ぁ海の向こうのゴミ生まれのゴミ育ちなクソガキってことさ」

 

 それはまるで己自身への悪態が混ざっているようにナナエとトモカには聞こえた。

 

「海の向こうって……」

 

「ってことは……北部の、隔離地域?」

 

 少女達の表情が暗くなる。

 本土に住んでいた者からすれば、やはり数年前まで文明から隔離されていたような場所の人間など恐ろしいだけなのだろう。僅かに揺らいだ二人の瞳の色と暗い表情を見て、ハルは嘲るような笑みを湛えた。

 どうやらこいつらも北部復興とやらで人の縄張りに遠慮なく踏み込んだ『小奇麗な人間』と同じなのだと。

 

「ハッ、北のヤバンジンはおっかねぇか?」

 

「そ、そうじゃないよ! そうじゃないけど……」

 

 皮肉気味なハルの言葉に、ナナエは慌てて首を振って答える。

 だが言葉は続かない。困ったように俯くナナエに、ハルはつい声を荒げて視線を鋭くした。

 

「じゃあ、何だってんだ?」

 

「勘違いしちゃってたなぁって思ったの」

 

 ナナエはそう言って、苦笑を浮かべながら頬を掻いた。それは、ハルが想像していたものとは違う返事。

 

「私、ハルちゃんが怖いだけの人かなぁって思ってたんだ。勉強だって嫌々やってるようにしか見えなかったし、仲良くなろうとした皆を怒って突き放したし……」

 

 言って、自分がとんでもないことを言ってるのではないかと気付いたナナエだったが、しかしここまで言っては最早止まれない。

 お、怒られる。

 またあのすっごい可愛いのに滅茶苦茶怖い顔で怒られる!

 

「あわわ、わわ」

 

 どうしよう。

 いや、どうしようもない。

 ならどうするか?

 このまま喋り続けていくしかない!

 沸騰したように混乱した思考のまま、ともかく伝えたいことを伝えなければという気持ちだけが先走ったのだろう、ナナエは怒るではなく驚いた様子のハルには気づかずに、滅茶苦茶に言葉を並べ始めた。

 

「で、でもね。それって勘違いだって今分かったの! 顔が怖かったのは勉強に一生懸命なせいって分かったし、いつも不機嫌なのも良く考えればハルちゃん男の子一人だけで大変なのに遠慮しなかった私達のせいだし、なのにハルちゃんたら私に声かけてくれたよね。笑顔でさ。だからきっと本当は優しいんじゃないかなって思い始めたの! えへへ、勝手な言い分だよね、でも私はハルちゃんが笑ってくれて嬉しかったし、クラスの誰よりも勉強頑張ってるのは横に居るから知ってるから、きっと言葉が粗大ゴミみたいに汚いだけでってあわわ今のはあれね、言葉の綾というもので決してハルちゃんを――」

 

「お、おい……」

 

 沸騰したように顔を赤らめて捲し立てるナナエを止めようとするが、ナナエはハルの制止に気付かずに最早話が脱線し始めてよくわからなくなった言い訳とも取れない何かを言い続ける。

 

「だからハルちゃんってば可愛くて小っちゃくて思わず抱き締めてキスしちゃうのもこりゃもう仕方なくて正直さっきも先生に止められなかったらほっぺにチューくらいしたかったというよりもしていましたということでしてね! さらに裸を見れて私の脳内フィルムは大盤振る舞いで脳内動画は容量一杯な感じで私ってば超ラッキーみたいな! えぇ、言われなくても変態なのは自覚してますよ! 悪いですか⁉」

 

「え、お……おう」

 

「そうですね! そりゃ私が悪いですよね⁉ 冷静に考えなくてもさ! はいはいそんなこと知ってますぅ! ごめんなさいねぇ!」

 

 ――なんで逆切れしてるんだよこいつ。

 最早、嫌悪感や怒りすら沸かない。

 むしろ、いつの間にかハルの口許には楽しげな笑みがあった。

 訳が分からないし意味不明で逆切れだ。しかもそれが下手したらまた授業中に抱き付く発言だというのだからタチが悪い。

 だが少なくとも、ナナエが北部の出身だということだけでハルを差別していた者とは違うのだということは、分かった。

 

「つまり、私の友達になってくださいって言いたかっただけなの!」

 

 そんなことを思い始めていた矢先、涙目になりながら告げたナナエの締めの言葉に、ハルはおろか、隣で唖然とナナエの告白を聞いていたトモカもとうとう堪え切れずに腹を抱えて笑い始めた。

 

「ぎゃはははははは! なんじゃそりゃ!」

 

「あははは! ちょ、ちょっとナナエ! 流石に締めの言葉にそれはないって!」

 

「え? え?」

 

 突然笑い出したハルとトモカを見て、てっきり怒っていると思っていたナナエが今度は驚く番となった。

 

「ひゃひゃひゃひゃ! メチャクチャ言ったオチがダチになってくれだって? 俺もバカだがテメェのオツムもよっぽどバカじゃねぇか!」

 

「えっと、その……ありがとう?」

 

 良く分からないが、ハルの機嫌が良くなっている。

 だがそんなナナエのよく分からないところがハルには心地よかった。

 よくよく考えれば、自分の態度が悪かったにも関わらず、少し話しただけで抱き付いてくるような大馬鹿だ。

 しかし、ハルはそういった馬鹿な奴が好みらしい。

 

「ひー、ひっひ……あー、笑える。ジュギョーをメチャクチャにして、勝手に俺のとこ入ってゲロしたくせにダチになりてぇだって? 笑いすぎて怒りもわかねぇバカだなテメェ」

 

「当然よ、なんたってアタシの友達なんだからさ」

 

 同じく爆笑していたトモカが得意げにそう言うのに、ハルは「そうかい」と笑みを滲ませたまま応じる。

 

「だったら、このバカのダチっていうテメェはどうなんだい? 俺みたいなヤツぁダチに合わないとか?」

 

「そういう憎まれ口聞いても意味無いよ。アタシの友達が友達になりたいって言った子なんだ。だったらアタシも友達になりたいのは当たり前でしょう?」

 

 迷いなく言い切ったトモカの瞳も、ナナエと同じくハルを偏見なく真っ直ぐに見つめている。

 

「ダチの言ったことを信じるってか」

 

「跨いだやり方みたいで気に入らない?」

 

「いいや……」

 

 ハルは薄く笑うと。

 

「俺も同じだ。ダチのダチなら、ダチになりてぇよ」

 

 その言葉にナナエが目を丸くする。トモカと全く同じ言葉をハルが言ったのだ、つまりは――。

 

「えっと……お友達に、なってくれるの?」

 

「んだよ、もうダメっつってもイヤだからな?」

 

「う、ううん! そんなこと……そんなことないよハルちゃん!」

 

 遠回しながら、ハルはナナエの友人となることを受け入れたのだ。

 

「そんな、こと……ぐすっ」

 

「お、おい」

 

「う、うぅ……ありがどぉぉぉぉ、ぞれどごべんなざいぃぃぃぃ」

 

 色々と混ざり合った感情にとうとう堪え切れずに号泣し始めたナナエを、ハルとトモカは苦笑混じりに見守る。

 

「おい、テメェのダチってのはどいつもこんなんなのかよ?」

 

「だとしたら疲れちゃうかなー」

 

「そりゃそうだ。まぁだからこそ……一人くらいでいいぜ、こんなダチはよ」

 

 ハルは未だに泣き止まないナナエの隣に座ると、その頭に優しく片手を乗せた。

 

「だからよ、これからよろしく頼むぜ」

 

「ハ、ハルちゃん……その……」

 

「ん?」

 

「……ありがと」

 

 真っ赤になった頬を隠すように俯きながら、か細く囁かれた感謝の言葉。普段ならば、声が小さいと文句の一つでも言ったのだろうが、不思議とナナエという少女には言う気にはなれず。

 

「ハハッ」

 

 ――案外、俺もちょろい奴だったな。

 

「いいってことよ、ナナエ」

 

 涙を拭うナナエの手を無理矢理取って握手を交わす。

 

「あ、あの……早森君、私もお話が……」

 

「私も私も! 便乗しちゃう形になっちゃうけど!」

 

 その時、周囲で見守っていたI組の生徒達もわらわらと集まってきた。そして口々にハルの傍に近寄ってきて、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ごめんなさい! 私達も勝手に早森君のこと勘違いしちゃって……」

 

「ホントはね。ナナちゃんだけじゃなくて皆が君に謝りたいって思ってたの」

 

「うんうん! だって見た目は男の子には見えないけど、男の子だとしたらきっと息が詰まるだろうなって思ってたんだ!」

 

「だから最初はこっちからどんどん詰めよれば仲良くなれるって……誰が言ったんだっけ?」

 

「あ、そういえば私そんなこと言ってたような」

 

「ナナエ⁉ 自分で言っときながら一人だけ逃げてたの⁉」

 

「酷いよナナちゃん! 一人だけ勝ち逃げじゃん!」

 

「ご、ごめんなさぁぁぁい!」

 

「……ハッ」

 

 だが謝っていたのも最初の内だけ。いつの間にか賑やかに話し始めた少女達の輪の中で、ハルはこれまでの気苦労が何だったのかと思うくらいに呆れて乾いた笑みを浮かべた。

 そんなハルの表情を見た少女達が「ハルちゃん笑った!」「早森君可愛い!」「ちょっと! もう騒ぐの止めなって!」「でも可愛いよぅ!」と(主にナナエが中心となって)沸き立つ。

 そして話題の中心であるハル当人を置いて勝手に賑わいだした彼女達を他所に、椅子の背もたれに体重を預けた。

 確かに五月蠅い。一々騒いでいて何が楽しいのやらとも思う。

 

「こういうの、嫌い?」

 

 いつの間にか隣の椅子に腰かけたトモカが、麦茶の入ったコップをこちらに差し出してきた。

 

「ケッ……」

 

 こちらを見透かしたように笑いかける瞳にハルは鼻を鳴らすと、

 

「言ったろ……イヤじゃねぇよ」

 

 奪うように貰ったコップに口をつけて、トモカには聞こえないように囁く。

 その口許は、本人も知らない内に微笑みを象っているのだった。

 

 

 



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第六話【日本語読みはおとめちから】

 

 美麗装飾。

 それは、女性の美しさを乙女力と呼ばれる特殊なエネルギーに変換し、その有り余る力を制御可能とする兵器、正式名称は『乙女力出力制御装置』である。

 そしてその適合者は現在、中位の個体ですら弾道ミサイルでも効果が薄い月光獣に対して、唯一有効打とも言える攻撃をすることが可能であり、それは百年以上が経過した現在においても変わることがない。

 何よりも、その戦闘力は現代においてもあらゆる兵器群を凌駕した性能を有していた。

 劣勢に追い込まれた戦場に現れた最初の適合者は、投入された核弾頭ですら表面を焼くことすらできなかった大型月光獣を一撃で貫いたと言われている。無論、火力だけではなく、戦闘機を凌ぐ速度を出しながら、物理法則を無視して縦横無尽に飛行することが可能な者、戦車を紙屑のように薙ぎ払う月光獣の一撃を平然と受け止める守備力を誇る者等、その能力はいずれも当時の現行兵器を遥かに凌駕しており、それは現在でも変わりない。

 当然、そうした存在はごく一部の優秀な絢爛美姫のみだが、それでも美麗装飾を初めて纏っただけの少女ですら、総合的能力で戦車一台に匹敵する。月光獣への有効打が無いとしても、その戦闘力は破格の一言だ。

 兵士一人の鍛錬と兵器製造を行うコストよりも安価でありながら、戦車と同等の戦力を即座に投入することも可能。そして美麗装飾の個数も、候補も含めた絢爛美姫全員に配布しても問題ない数が製造されている。今後、絢爛美姫がさらに増えたとしても、製造が追いつかないという事態にはならないだろう。

 そんな代物が人類の天敵である月光獣への唯一の対抗策であるのだから、産まれた経緯、月光獣の登場に合わせて現れたとしか思えないご都合的な展開に対して目を瞑って有り余る魅力的な存在なのだ。

 しかし、まさに兵器として完全無欠なものでありながら、美麗装飾には唯一にして絶対なる欠点が存在した。

 それは、美麗装飾を起動するには美しい女性以外に不可能であるという点だった。

 何故、美女、美少女と呼ばれる者達でなければ起動できないのかは現在でも不明である。しかしありとあらゆる実験の結果、国ごとの美女、美少女と呼ばれる存在だけが適合者たりえるという答えしか分からなかった。

 しかもその美しさは整形手術や化粧等によって得られた物では起動は行えず、生まれ持った美しさが一定の基準を満たして初めて、美麗装飾を起動することが可能なのだ。

 そしてその解答がもたらした問題こそ、女尊男卑、より正確には美女とその他の圧倒的な格差という社会問題だ。月光獣による一方的な蹂躙劇による男性人口の減少もそれに拍車をかけていた。

 一方では世界の危機を救った英雄として。

 一方では世界中の国家のバランスを崩壊させた危険分子として。

 そして現在、最強の盾と矛の性質を秘めた美麗装飾、それを纏った美しき乙女達を指して――。

 

 人々は彼女達を『絢爛美姫(プリマ・ヒロイン)』と、畏怖と羨望を込めて呼んだ。

 

 

「以上が簡単に纏めたけど美麗装飾と絢爛美姫っていう名称についての説明だよ。ハルちゃん的には質問とかある?」

 

「もっと短くすると?」

 

「綺麗な女の子が超強い! ハルちゃん可愛いから強い! なでなでぇ!」

 

「オッケー、よくわかった。俺に近づくなよクソビッチ」

 

「うわぁぁぁぁん! でも諦めない私!」

 

「くたばれユルケツ」

 

 手元のノートに『つまりアニキと姉ちゃんがサイキョー!』と書きなぐったところで、ハルは凝り固まった体をほぐすように伸びをした。ついでに頭を撫でてこようとにじりよってきたナナエの頭にチョップを入れて制止。

 その様子を呆れた風に見ていたトモカにハルは乾いた笑みを向けた。

 

「んで、俺ぁアレか。よくわからんけどテキゴーしたってことだな」

 

「実際なんでハルっちが適合したのかについては、出回ってる情報を信じるなら不明らしいけどね。というかネットとかじゃ絶対に男じゃなくて女だろって意見が大半だよ」

 

 携帯端末で開いたネットの様々な呟きを見ながらトモカは答える。そのいずれもが、ここ十年で絢爛美姫の質が落ちてきたとされる大和が、再びトップに返り咲こうとして嘯いたのではないかというものであった。他には、近年問題視されている女尊男卑問題の溜飲を下げるためとも言われている。

 中には『男とか萌えるだけだろ!』『ヤッター! 男の娘ヤッター!』『男だからいいんだろ⁉』『可愛い(可愛い)』みたいな特殊な性癖を発揮するネットの書き込みも存在するが、それをあえて教える程トモカは非道な人間ではなかった。

 だが特殊な性癖の者達ではないけれど、トモカから見てもハルが男か女かというのは些細な問題だと思う。あの土下座外交とも言えるナナエの自爆より数日、友人となって話し始めれば、口は悪いものの決して悪い人間ではないことがよくわかったのは自分だけではなく、クラスの全員が理解した。そして当の本人であるハルは、一度友人だと認めると、態度は変わらないが優しくなるという不思議な人柄の少年でもあった。

 つまりツンデレだ。トモカは一人納得しながら、色々と書いてあるノートと睨めっこするハルの肩を軽く叩いた。

 

「まっ、それはともかく、絢爛美姫としてもう一つ知っておかなきゃならない知識があるんだけど、聞く?」

 

「ゴキゲンだなトモカ。そんな言い方されて聞きたくないってダダはこねねぇよ」

 

「そうでなきゃ」

 

 ピッっと人差し指を立てたトモカは、教師にでもなりきったかのようにないはずの眼鏡の縁を持ち上げる仕草まで付け加える。

 

「ここまでで絢爛美姫がどんな存在なのか分かったかと思うけど、実は絢爛美姫の本質は着装よりもう一歩進んだところにあるの。……それが、一定の能力を有する乙女にのみ展開出来る武装、乙女装甲(ニーベルング)』ってやつよ」

 

「にーべ……げり? なんだそのゲザイで溶かしたクソみてぇなのは」

 

「何その最低な武器……じゃなくて、ところがどっこい、この乙女装甲を展開出来る絢爛美姫と、展開出来ない絢爛美姫とでは、単純に比較してもその戦力に十倍以上の開きがあるって言われてるのさ」

 

「テンカイ? 着るんじゃねぇの?」

 

「違うんだなこれが。ふりふりのドレスじゃなくて……うーん、何と言うか、ワンオフの武器というか、一説だと心の鋼を武装とするって言われてるというか」

 

「なんつーかヨウリョーをえねぇ言いぐさだな」

 

「それは面目ないってね。まぁ原理はともかく、一流の絢爛美姫だけが使える凄い武器ってイメージかな? ほら、有名どころだとテレビにもよく出てる九条院キサラ先輩、ウチの学院の三年生のさ」

 

「クジョーイン? 知らねぇよそんなヤツ」

 

 興味なさげに呟きながら、しかしハルはノートにしっかりとトモカの発言を書き記していく。

 

「なんであれ……つまり、その乙女装甲ってやつを使えたら強いってことでいいわけか?」

 

「まぁね。だけど、この乙女装甲は簡単に使えるものじゃなくて……」

 

「その続きは、私が話すことにしよう」

 

 少女達の喧騒は柔らかくも鋭い一言を放った美女、ササミによって鎮まった。

 

「というより、そのための実地訓練なんだけど……貴女達、いつの間にかそんなに仲良くなったのかしら?」

 

 自分に集まる視線を見渡して、その中心に座って自習に励むハルにササミは困ったような、だが嬉しそうな笑みを見せる。

 ハルを中心にしてI組の生徒が団欒している姿は微笑ましい。最初はどうなるかと思っていたが、こうして仲良くしているところを見ると、どうやら何かを切っ掛けに良い方向に進んだみたいだ。

 そんなことを思いながら、ササミは咳払い一つすると「ほら皆、席に着きなさーい」と手を叩いて生徒達に促す。

 そして全員が座ったのを確認してから、ササミは改めてトモカの解説を引き継いで語りだした。

 

「円城の言う通り、乙女装甲というのは絢爛美姫の象徴たる主兵装よ。だけど、今年から訓練を始めた貴女達は当然として、熟練の絢爛美姫ですら乙女装甲を出来ない者は大勢存在するわ」

 

「それはあれか、テキゴーリツってナニがねぇとアレできねぇからか?」

 

 意外にも律儀に手を挙げて質問してきたハルにササミは苦笑混じりに頷きを一つ返す。

 

「抽象的言い方過ぎだけど、大まかには正解よハル。最高ランクのA+(プラス)から最低ランクのH-(マイナス)まであるランクで、乙女装甲を展開出来るランクはおおよそCランクから。それですら最短で数か月、遅いと数年以上かかるとされているわ」

 

「へぇ……だけどよ、使えねぇヤツぁどいつもこいつも拳でクソ共とタイマンをキメんのか? まぁ俺ぁ気にしねぇが、タイテーは拳でやるのはビビるんじゃねぇの?」

 

「いい質問ね。確かにこれでは乙女装甲を使えない者は全員、素手に乙女力を纏って戦う以外の選択肢がないわ。だから絢爛美姫が現れた当初はオリジナルと呼ばれる最初の絢爛美姫の誰もが乙女装甲を使えたから問題にはされなかったけど、美麗装飾が世界中に広まってから、乙女装甲を使えない者達のための武装の開発が急がれたの」

 

 ハルの言葉通り、素手で月光獣という気味の悪い怪物と戦うのは精神面にも負担がかかる。だがこの問題は問題として浮かび上がった直後に解決されることとなった。

 

「じゃあ、その説明と実際の訓練も兼ねて……これから訓練場に行くわよ皆」

 

 これまで入学してから着装訓練しかしてこなかった少女達がササミの言葉に浮足立つ。

 そしてハルも同じく、あの日、ササミに手渡されたまま譲り受けた美麗装飾を嵌められた指を見下ろし、あふれ出す高揚感を抑え込むような薄い笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 大和学園都市群にある学園はいずれも一風変わった校風で、似たような学園は存在しないと言われているが、唯一の共通点として、大小はあるものの戦闘訓練用の施設が必ず一つ以上常設されていることが挙げられる。

 美麗装飾にも使われている『呼吸する鉄(ミスリル)』と呼ばれる乙女力を吸収して強度を増す金属で作られたこの施設は、訓練用でありながら緊急時には簡易的な拠点としての機能も持つ優れものだ。

 絢爛美姫の卵ですら、戦車一台分の戦力を秘めている世界だ。訓練をするにしても、相応の場所があるのは至極当然であり、特に夕凪学園は学園トップの実力者を輩出する学園として、巨大な敷地に無数の訓練施設を有している。

 そして今回ハル達が使用することになった訓練場は、学校の体育館とほぼ同じサイズだった。これでも夕凪学園の有する施設の中では下から数えたほうが早いのだから驚きであると、初めて訓練場を訪れた少女達は嬉しそうに騒いでいた。

 

「しかし変な感触だよな」

 

 ハルはクラスメート達がしているのと同じく、踏み締めた床の不思議な感触に首を傾げた。

 見た目は白く塗装した金属のようであり、実際の感覚も鋼鉄に相応しい硬さだ。だが力を込めて踏み締めると、感触は木のような弾力となり、勢いよく踏み抜くと、衝撃を吸収するように軽く弾んだ。

 

「それが貴女達の使う美麗装飾にも使われている『呼吸する鉄(ミスリル)』の特性よ。私も原理は詳しく知らないけど、この金属は乙女力の物理法則改変を受けやすい金属なの。この特性を生かして柔らかくなったり硬くなったり、あるいは質量そのものを増やしたりってことが出来るのよ。そして訓練場の場合は、通常は金属の硬さを有しながら、衝撃に対しては柔らかくなることで威力を分散させる仕組みになっているわけ」

 

「よくわかんねぇけど、すげぇってことだな」

 

「これに関してはその認識でいいわ。実際、これの加工をしている技術者も詳しいことは分かっていないのよ。採掘、加工、運用、ここまで出来ながら、何故乙女力に反応するのかという根本の原理は不明。乙女力と同じ、完全なブラックボックスってことね」

 

 ササミは何度も足踏みを繰り返すハルに苦笑した。事実、ササミも呼吸する鉄も含めた美麗装飾の構造については詳しく知らない。今言った言葉も、機密を守るためというわけではなく、彼女も含めたベテランの絢爛美姫ですら詳細は知らないのだ。

 そもそも、呼吸する鉄以外にも明らかにされていない謎は無数に存在するのだが――そこまで考えて、ササミは脱線しそうな思考を、頭を振って放り捨てて授業に改めて集中した。

 

「さっ、それより時間も無いから着装訓練を始めるわよ」

 

 ササミに促されて少女達がそれぞれの美麗装飾を意識する。ネックレス、指輪、イヤリング、腕輪等、一見すればファッションの一部にしか見えないそれらこそ、美麗を強さへと象る人類の最終兵器、美麗装飾。

 

「準備が出来たら各自着装を開始」

 

 その号令の直後、一斉に『着装!』という可憐ながらも気合いの入った声が響いた。

 直後、至る所で乙女力の発する閃光が放たれる。その眩さに僅かササミが目を細めると、収束した乙女力の中から、まだまだ初々しさの残る絢爛美姫の卵たちが現れた。

 着ているのはハルが初着装時に着ていた服と殆ど遜色がない。これは美麗装飾に登録されている一般的な戦闘装束であり、大体の少女達はこの状態を基本としている。とはいえイメージによってある程度デザインを変えることも可能で、色や細かなデザインの違いがI組の少女達の戦闘装束にも表れていた。

 思った通りの光景にササミも特に言うことは無い。一部の絢爛美姫はデザインを完全に変えてしまう者もいるが、今年より絢爛美姫となった彼女達にそこまでを望むのは――。

 一通り見渡したところで、ササミの視線が一か所で停止した。

 

「うわぁ……」

 

 うわぁ、である。思わず出てしまった言葉を誰が非難できようか。

 

「おっし! 気合い入ったぜ!」

 

 そんなササミの呆れたような視線に気づかず、ハルは着装を終えて力強く掌に拳を打ちつけた。

 黒のタンクトップにハーフデニム。しかも足に至っては完全に生足丸出しだ。I組という初心者集団の中でさらに初心者であるはずのハルが、既に完全なデザイン変更を終えていることへの驚きはある。おそらくは研究目的で軟禁されていた時に完成させたのだろうが、それでも既にそこまで美麗装飾を使いこなしているとは素晴らしいとすら思う。

 しかし、だ。

 それでも、その服はどうなんだろうか。

 勝気な表情も相まって、今はごく少数しかいない男のチンピラそのもの。というかちょっとダボついたタンクトップから微妙なチラリズム。隣で鼻息荒くしてガン見しているナナエを必死にトモカが羽交い絞めにしているのが担当教師として情けない。「見た! 聞いた! 後は触れるだけぇぇぇ!」落ち着け変態(ナナエ)。

 

「あー……ハル? 確かに貴方は男の子だけど、ちょっとそれは刺激的すぎないかしら?」

 

 傍で騒いでいる変態はさておき、ハルの装束は、これでは動くだけでタンクトップの下が覗き放題になってしまう。別に男だから問題ないとは思うが、いやはやしかし相手は男のくせして絶世の美少女、いやでも男だし。どうしたものかと思考の袋小路に嵌まり、ナナエが頭を悩ませているのも知らず、ハルは無邪気な笑みで自分の胸を軽く叩いた。

 

「へへへ、そりゃアニキのイッチョーラをイメージしたからよ、シゲキテキなのもトーゼンってもんさ」

 

「あー、うん。……そうね」

 

 ササミの言葉を血の香りがするとでも解釈したのだろう。それを喜ぶのもどうかと思うが、もうツッコムのも疲れたササミはそれでいいやと納得した。第一相手は男の子、女である自分では根本的に考えが分からないものかもしれない。うん。そういうことでいい。

 

「全員無事に着装が済んだことだし……それじゃ今日は簡単な動作チェックから始めるわよ。各自で好きに歩いたり走ったりしなさい」

 

「はーい!」

 

「わーい! ねぇねぇ、早く鬼ごっこやろうよ!」

 

「子どもかよ……って言いたいけど、絢爛美姫で鬼ごっこって楽しいんだよね」

 

「よぉし、じゃあまずはじゃんけんから……」

 

「ちょっと! 勢い凄いと風圧来るから止めてよ⁉」

 

「ぎゃー!」

 

「早速コムギちゃんが壁に激突した⁉」

 

「きゃー⁉」

 

「しかも壁に弾かれた勢いでそのまま巻き込み事故! ってこっち来たぁ⁉」

 

「コムギちゃん止まって! 止ま……止まれぇ!」

 

 早速このあり様である。乙女力の出力を制御しきれずに暴走、転倒、その他事故は当然だ。だが子どもが怪我をしながら危険を覚えるように、ナナエの教育方針は基本的に体に覚えこませることにある。そういう意味では、無難に準備体操をしている者達よりも、ハデに転んだりぶつかったりしている者のほうが好ましく感じていた。

 とりあえず暫くは様子見でいいだろう。ナナエも着装状態で後方に飛んで距離を置くと、幼稚園児のように騒ぐ少女達の姿を優しく見守るのであった。

 

 



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第七話【軽め軽めに模擬戦を】

さて、アタシ達はどうするナナエ?」

 喧騒に感づいて足早に一歩距離を置いたトモカは、クラスメートを他所に隣でストレッチをするナナエを見た。

 

「うーん。やっぱりランニングからかな。まだ全力疾走は怖いし」

 

「アタシはもう慣れたけどなぁ」

 

「トモちゃんは運動神経が良いからね。私に構わないでもいいよ?」

 

「ううん。アタシもまずは準備体操がてらランニングから始めるよ。ハルっちは……」

 

 そこでトモカは言葉を失う。どうしたのかと同じ方向を見たナナエも、その先に立つハルの姿に息を止めた。

 

「ふぅ……」

 

 ハルは周囲の喧騒から切り離されたような静寂の中に居た。目を閉じ、呼吸を整え、静かに構えると、ゆっくりと足を持ち上げた。

 伸びていく足は、そのまま地面に付いた足とほぼ百八十度の高さまで上がる。まるで一本の大樹の如くその状態を維持したハルは、続いて逆の足でも同じことを繰り返した。

 そしてそれらを終えた後、ハルの動きは徐々に激しくなっていく。初めは軽い正拳突きから、次第に足技を織り交ぜた動きは、離れていても感じられる風圧と、腹に響く轟音を伴った打撃の連打へとなる。

 その時にはトモカとナナエだけではなく、周囲の美少女達もハルの動きに目を奪われていた。玉のような汗を幾つも滲ませながら動くハルはそんな彼女達の視線等気にも留めない。激烈の打ち込みは終わりを見せず、速く、重く、鋭く、雄々しく。

 相手が男、しかも初心者であることは既に脳裏から消えていた。

 あの姿こそが絢爛美姫のあるべき姿。対峙する怪物を容赦なく蹴散らす美麗の輝き。

 

「凄いわよね」

 

「ササミ先生」

 

「私のことは気にしないで見てなさい。闇雲に動くのもいいけど、あれを見るのもいい勉強になるわ」

 

 そう軽い口調で呟くが、ササミの内心も見た目程穏やかではなかった。I組の少女達の大多数がEランク前後で、初着装より数度の訓練を経て、ようやく動きに慣れてきた程度。

 対して、A+ランクという最高の適性を誇るハルは、まるで熟練の絢爛美姫の如く自由自在に拳打の演舞を続けていた。

 最高位の美貌だけではない。増大した身体能力を容易く乗りこなす天賦の才すらこの少年は持っているのだ。

 生徒とは違って、一人の戦士として見るササミは僅かに嫉妬の念すら抱き、すぐに自分の愚かさに苦笑する。

 だがそれでも思わずにはいられない。

 

「天才、か」

 

 自分があそこまで動けるようになるのにどの程度の鍛錬が必要だっただろうかと。

 

「せいっ!」

 

 数分後、最後に気合いの込めた正拳突きを放ったところでハルの動きが止まった。ゆっくりと残心を経て、呼気を整える。普段の荒々しい口調や乱暴な仕草に反して、そこまでの動きはどこまでも洗練されていた。

 

「流石ねハル。私も思わず見惚れちゃったわ」

 

「オセジがうまいなササミ。まっ、これくらいはトーゼンってヤツよ。アンタらにはムリだろうがな」

 

「謙遜もしないとこが清々しいわね。でも驚いたわ。随分と綺麗な動きが出来るのね。もっとガサツな感じだと思ってたけど」

 

「アニキのおかげさ。拳だけで拳を気取るな、テメェの全部を叩き込むから拳なんだってよ」

 

「……良いお兄さんだったのね。着装してすぐに動けたのは長年の稽古の賜物ってところかしら」

 

 幼少の頃から武術を学んでいたからこそ、ハルは急激な能力の変化にも短期間で対応できたのだろう。機密事項なのでこの場では聞けなかったが、着装直後に月光獣を撃破したのは、長年の鍛錬のおかげだったのだとササミは納得しようとして――絢爛美姫の使用に耐えうる武術を扱う男という事実に首を傾げる。

 とりあえず今は気にしなくてもいいか。

 出来ればどんな師匠だったのか聞きたいところだが、今は授業中で、自分は教師である。ササミは自分達のやり取りを見ている少女達に振り返ると、軽く手を叩いて呆けたその表情を覚ましてやった。

 

「はいはいいつまでも呆けてないの! 確かにハルは凄いけど、貴女達もトレーニングを重ねれば似たようなことは出来るのよ。……勿論、彼の動きを超えることだってね」

 

 最後の呟きに背後でハルの気配が動いたのを感じたが、あえてササミはその気配を無視すると、事前に運び込ませて壁際に置いていた大型のコンテナへと近づいた。

 そしてコンテナの扉をロックする暗証番号付きの錠を手慣れた手つきで解除して、中に入り、その中にあった武器を一つ掴んだ。

 

「それを可能にするのがこれ……絢爛美姫専用の武装よ」

 

 そう言ってササミが取り出したのは、長大で肉厚の両手剣だった。刀身の長さと厚さだけでササミの全身を隠せる程の質量の塊は、常人ならば持ち上げることすら不可能だろう。

 

「これは乙女装甲を展開出来ない絢爛美姫達に向けて作られた武装の一つ。他にも色々な種類があるけど、総称として『仮装乙女(アインヘリア)』と呼ばれているわ。この訓練場と同じく『呼吸する鉄』製の武器で、乙女力を纏うことで硬度や威力を上げることが出来るの」

 

 他の特徴として今ササミが持っている大剣と同じく、いずれも常人では扱えない程に巨大かつ、絢爛美姫の剛力でも重さを感じられる質量が挙げられる。これは基本的に月光獣が群れであること、そしてハルが戦ったモデル・リオンのように巨大な姿であるためだ。

 

「この大剣だけでも重量は百キロを優に超えるわ。でも、絢爛美姫の力ならこの通り」

 

 言って、ササミは細い枝でも操るように勢いよく大剣を振り回す。その圧倒的な質量が生み出す暴風は、離れて見ている少女達が思わず一歩距離を離してしまうほどだ。

 

「ちなみに今ここにあるのは、成りたての絢爛美姫用に作られた訓練用の仮装乙女よ。見た目に反して絢爛美姫として扱うと嘘みたいに軽いから試してみなさい。それと、仮装乙女は美麗装飾にストックすることも出来るから、今日使う仮装乙女は私からのプレゼントよ。……それじゃ、名前順に好きな武器を取ってねー。あ、ちゃんと美麗装飾に登録するのを忘れないでよ?」

 

 ササミがそう告げると、少女達が一列になって一人ずつ仮装乙女を手にしていく。好きな物をと言ったが、あるのはササミが使った大剣と大きさでは大剣より一回りもさらに大きな戦斧である。特に迷うと言った様子も見せずに次々と仮装乙女を少女達が手にしていく中、ハルだけは見向きもせずに、演舞を再開した。

 

「ハルちゃんは使わないの?」

 

 どちらも大剣の仮装乙女を手にしたナナエとトモカがハルに声をかける。それにハルは動きを止めることなく「キョーミねぇ」と返した。

 

「俺ぁそもそもこいつしか使えねぇからな。足りないオツムをヨソに使うヨユーはねぇのさ」

 

 こいつとはつまり、己の五体そのものだろう。確かに、ササミが先程巻き起こした暴風以上の風を四肢の動きだけで発生させたハルだ。その発言が決して驕りではないことは証明されている。

 

「なら、ちょっとばかり試させてもらってもいいかしら?」

 

 その時、ササミが大剣を肩に担いでハルの真正面に立った。

 

「……へぇ? そいつぁ、つまり……俺とヤろうってことでいいのか?」

 

「そこまで大層なものじゃないわ。ただね、このクラスで貴方の鍛錬に付き合える子がいない以上、担任の私が付き合うのが当然ってものじゃない?」

 

「そりゃオキヅカイどーも」

 

 気楽な口調でありながら、漲る戦意はまるで得物を前にした獣の如く、静かながら、ササミを見据える眼光の鋭さは、訓練と知りながらササミの背中に冷や汗を流させる。

 だがそんな様子など一切見せず、ササミは不敵な笑みを浮かべて大剣を両手で構えた。

 

「じゃあ、軽く手合わせ、しちゃいましょう?」

 

 直後、数メートルの距離を隔てていたはずのハルが一瞬にしてササミの懐に現れた。

 時間を切り飛ばしたような踏み込みと既に放たれた拳。しかしササミは振り抜かれる拳の前に大剣の腹を合わせることで防ぐ。

 

「ッ……⁉」

 

 だがまるで小型の爆弾がさく裂したようなハルの一撃に、ササミは大剣ごと後方に飛ばされた。

 

「これで着装後の戦闘訓練が無いのか……!」

 

 絢爛美姫同士の試合は初めてでありながら気後れせずに奇襲の一撃。しかも遠慮のない一撃にだまし討ちへの苛立ちより賞賛の念がこみ上げる。

 度胸に武術に美貌、これでまだまだ初心者絢爛美姫なのだから、末恐ろしい才能だ。

 

「己の未熟と今の一撃は甘んじた……」

 

 かつての低く固い口調に戻っていることにも気づかず、ササミはたった一撃で体感したハルの力に戦慄と歓喜を混ぜた笑みを浮かべた。

 

「だが一日の長はこちらにあるぞ!」

 

 追撃してきたハルの拳がササミを攻める。軽い手合わせと言ったはずなのに、狙われる箇所はいずれも人体の急所。その明確な殺意にむしろ好意すら沸くが、いつまでも甘んじるササミではない。

 

「狙いが単調だぞハル! 猪走りで潰せる愚鈍と侮ったか⁉」

 

 正中線を狙った拳を、大剣の腹を滑らせる巧みな技で受け流す。幾ら重く、速い拳でも選択肢が絞られていれば対処は容易い。そして、勢いごと流されたハルの体は前のめりに崩れる。

 好機を逃す愚かはしない。相手が生徒だからと手心を加える優しさは見せず、前に崩れたことで晒されたハルの背中目掛けて渾身の振り下ろしをしようとして――殺気に感づく。

 

「なっ⁉」

 

 前に崩れた勢いを逆に利用して、勢いよく半回転したハルの右足が、大剣よりも早くササミの顔面へと迫る。

 胴回し回転蹴り。

 その技の名が脳裏を過るのと、辛うじて間に合った大剣が激突するのは同時だった。

 

「うるぁぁ!」

 

 激烈に負けぬ咆哮が大気を揺らす。急所に的を絞らせるという狡猾な手口。そこから一手間違えれば己が窮地に陥る大技へと繋げる胆力。何よりもそれらを可能とした技の粋。いずれが欠けても成功しなかっただろう一撃は、受けに回った大剣をガラスのように砕き、そのままササミの大剣の腹に添えていた掌ごとその胸部へと炸裂した。

 悲鳴すらあげられず、ササミが床をバウンドししながら試合場の端の壁まで吹き飛ばされる。

 誰もがその一連の動きに言葉を失い、壁に激突してそのまま崩れ落ちたササミへと視線を向ける。

 早森ハルが、佐々野ササミに勝利した。明白な事実がそこにはあった。

 

「凄い……って先生⁉ 大丈夫ですか先生ぃぃぃ⁉」

 

「先生死んだ⁉」

 

「死んでないから救出してぇぇ! 後、あそこでまだ暴れてるコムギ(バカ)も早く止めて!」

 

 誰もが茫然とする中、倒れたササミにトモカが、続く形でナナエと他の少女達が駆けよる。

 

「流石と言うべきだなハル。君は……あー、貴方はいつだって私を驚かせるんだから」

 

 だがそんな生徒達の心配を他所に、立ち上がったササミは痛みに悶える素振りすらなかった。

 

「チッ……やっぱりか」

 

 当然とばかりに舌打ちするハルに周囲が驚く。唯一ササミだけが嬉しそうに笑みを返した。

 

「分かっちゃった?」

 

「カましたカンカクが足りなかったんだ。これで分からなかったらクソ以下だろ? それよりもササミ、俺の拳はまだ楽しめるぜ? シッポリとキメねぇかい?」

 

 挑発的に笑いながら、隙を一切見せずに構え直すハルに対して、ササミは軽く肩を竦めると砕け放った大剣の柄をくるくる回した。

 

「この通り獲物が砕けたしね。私の負けよ、ハル。貴方の強さは充分堪能させてもらった」

 

「……なんつーかムカつくな。ショーカフリョーだぜ」

 

「でも一人で修練するよりは、多少絢爛美姫というものが分かったでしょ?」

 

 そう言われて、ハルは顔を顰めながらも否定は出来ずに舌打ちを返した。

 実際、軽くとはいえ手合わせした感覚で分かったが、やはり絢爛美姫は生身とは基礎となる身体能力が圧倒的に違う。そしてそれは自分だけではなく相手にも言えることだった。

 確実に決まったはずの胴回し蹴りだった。大剣もろとも砕いた一撃は、冗談ではなくササミの体も砕くつもりで放っていた。

 だが現実は、砕くどころかササミの美貌には苦悶の表情すら浮かんでいない。

 

「あぁ、イヤってほどによくわかったよ」

 

 これが絢爛美姫としての経験を積んだ者の余裕。そして、敵の攻撃に対して後方に自ら飛ぶという荒業をこなせるのも、絢爛美姫という超人が為せる技。

 つまり、これまでの常識で――人と人との当たり前の喧嘩で考えてはいけないということだ。

 

「分かってくれたなら充分よ……それじゃ残りの時間は各自好きなように運動するように。見ていて分かったと思うけど、戦闘訓練はしないようにすること。いいわね?」

 

 一応ササミは釘を刺したが、「はい!」といういつもと違って真剣な返事に杞憂だったと内心で思うと、再度ハルの不満げな顔に微笑みを向けた。

 

「特にハル。ここに居る娘は貴方の訓練に付き合える地力はないから無理に付き合わせないこと、いいわね?」

 

「ナメるなよササミ。俺ぁテメェより弱いヤツにケンカ吹っかける程クソじゃねぇよ」

 

「知ってるわ。だけど性分なのよ、ごめんなさいね」

 

「だからそのゴメンナサイってやつ止めろっての」

 

「ふふふ、謝られるのは苦手なのね。それじゃ、私はもう行くわ。面倒事はお早目にってね」

 

「さっさと消えろ!」

 

 顔を逸らしてまるで虫を払うように片手を振るうハルだが、照れ隠しなのはバレバレだ。

 だからこそササミは軽く会釈をすると颯爽とその場を後にした。

 

「……しかし、私も鈍ったかしら? 仮装乙女を壊されちゃうなんてねぇ……」

 

 あるいは、ハルの能力が想像以上だったためか。

 訓練場の喧騒を背中に、周囲に人が居ないのを確認したナナエは先程ハルの胴回し蹴りを受けた胸の部分を軽く抑えた。

 

「ッ……騙し合いは私の勝ちと誇らせてもらおう」

 

 抑えた胸の部分は酷い青痣になっている。骨までは影響はないが、響く鈍痛は決して軽いダメージなどではない。

 あの時、後方に飛んで威力を軽減させたが、それでも完全に受け止めることは出来なかった。ハルの一撃はそれほど強く、鋭く、何よりも重かった。

 もしも着装を解除すれば痛みでまともに動くことも出来ないだろう。そんな姿を生徒達に魅せるわけにもいかなったからこそ、着装を解かずにそのまま訓練場を後にしたのだ。

 勿論、砕けた仮装乙女の報告も嘘ではない。一先ず治療のために保健室に行くのが先だが。

 

「ふふ、忙しくなりそうね」

 

 荒削りに見えて、自分よりも精錬された一面すら見せるダイヤの原石。その輝きが示す先を思い浮かべれば、この程度の痛みなど蚊に刺された程度にしか感じなかった。

 

 

 



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