売れない営業マンが幻想入り (池沼妖怪ブレインロスト)
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神隠しとその応報

おちつけ、これは、とうほうのにじそうさくだ!


 心を磨くには何をすれば良いだろうか。

 そんなことを考えても仕方がないというのに、ボサボサ頭で中肉中背の男は、ただひたすらに考えていた。

 心が磨かれた結果の定義もままならず、普段の生活の中で、ただひたすらに呆然と考えていた。

 

 橋田金次郎の今日の仕事は果物屋の手伝いだった。駄賃のおまけでもらった梨が美味い。

「えっ。俺が寺子屋で授業っすか?」

「ああ、神隠しで生き残る人間はなかなか貴重でな。子供達に外の世界について少しばかり教えてやってほしい」

 彼は今、寺子屋の美人教師からお願いをされていた。

「頼む!私も興味があるのだ」

 手をパチンと合わせて頭を下げる慧音。橋田はそのままの視線から見える胸元に注目する。

「む。上白沢さん。胸おっきいんですね。眼福です」

「まったく。里の評判通りだな、君は」

 言われて気づいたのか、慧音は顔を持ち上げ直して胸をかばった。

「いやぁ、すみません。この癖を治したいのですがね。どうにも治らんのですわ。幻想郷風に言うならば、『思ったことを口にする程度の能力』ですかね?」

「それは君の性癖であって、能力ではない。で?受けてくれるのか?」

「いいもの拝ませてもらいましたしね。やらせていただきますよ。勿論、駄賃は別個で」

「わかった。ありがとう。為になる話を聞ければ多少は色を付けてやろう」

 慧音は呆れながら橋田に感謝をする。口ではセクハラをしつつも、本気では欲情した目で見ていないのが警戒心を緩めてくる。慧音が橋田に思う第一印象はそれだった。なかなか面白い男である。

「可愛い子を紹介してくれたり?」

「馬鹿を言うな。現実的なものだ」

「言ってみただけですよ」

 肩をすくめながら橋田は答えた。

「では、翌週頭にお願いする。もう少し時間が欲しいとお前か私達が思えば、また翌週にお願いする事になるが良いか?」

「構いませんよ?よろしくお願いますね?」

 

 

 大きな経済危機を何度も襲った激動の平成の世で、橋田金次郎は売れない営業マンをしていた。

 売れるはずのない高額な商品を、上司にどやされつつもひたすら売り歩いていたのである。

 客から断られ、上司にどやされ、同期や事務員達から白い目で見られるなか、これ以上馬鹿にされまいと橋田は表面上飄々としていた。

 名前というのもあって、よくハシタガネなどと言われていたが、橋田は気にせず働いていたのである。

 

 だが、仕事中に一人きりになると、ついぽろっと出てしまうのだ。

「何処か遠い場所に行きたいな。誰か連れてってくれねぇかな」

 それが橋田の本音だった。

 歩き疲れ、職場の人間の目が届かない神社の裏手でガムを噛みながら口に出していた。

 

「その願い、叶えてあげましょう」

 唐突に声が聞こえ、橋田は頭を一気に上げる。

「大正時代のお嬢様みたいですね、貴女」

 足の先程度しか出ないほどのロングスカートに、頭をぽっかり覆うふわふわ帽子。太極図のような陰陽か描かれた前掛けと、和洋中ごちゃ混ぜな格好は、一般的にはコスプレと言ってしまう洋服だったが、その少女が着ているそれは、さまになっていた。

「あら、似合ってないかしら?」

「いえ、似合っていますよ?お嬢様」

 橋田に褒められた少女は嬉しそうに一回転する。服を見せたいようだ。

「こういうのはお嫌い?」

「よく言われる言葉ですが、ぶっちゃけ胡散臭いですね。貴女もよく言われるでしょう?」

「そうね。1日に3回は言われるかもしれないわ」

「じゃあ多少は信用できるんでしょうね。私は1日30回は言われますし」

 橋田の答えを理解したのかしてないのか、少女は愉快そうに笑う顔を扇子で隠す。

「じゃあ、貴方、古臭いのは嫌いではないのね?」

「好物と言っても良いかもしれないですね。私は酒と本と弦楽器さえあればどこにだって行けますよう」

 橋田はペンペンと弦楽器を弾く真似を少女に見せる。

「流石に弦楽器は用意できないけれども、酒と本はあるところよ」

「売っているのであれば買いますよ」

「じゃあ連れてってあげるとしましょう。今の暮らしに心残りはなくて?」

 少女の言葉に橋田はしばし考える。

「なさそうですね。どこに行けばいいです?」

「落ちたらそのまま何も気にせずに真っ直ぐ歩いていけば良いわ。門をくぐればそれでオーケーよ。そこからは自由にしてもらっても結構。琵琶を買って弾いても良いし、三味線もあったかしらね?」

 少女は顎に指を乗せて考えた風で答える。とても優雅だ。

「落ちるだの何だのは分かりませんが、分かりました。まぁ、得意ではないんですがね。楽器は」

 と言ったところで橋田は落ちた。

 

 外の空気に晒されて硬くなった木の根っこに尻を打ち付けて痛がったところで気づく。

「落とすなら落とすと言ってくれよ」

 そうぼやきながら橋田は少女に言われた通りに歩いて行った。

 森の中だ。

 途中、女の子の声がしたり、人のようなものを見たりしたが、橋田は気にせず門とやらが見えるまで歩いて行ったのである。

 

 そういうわけで、橋田金次郎は神隠しにあい、幻想郷入りした。

 



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営業マンとは何か

思いついた事や夢で見たことを書いていきます。
ネタやなんやらでキャラ崩壊起こすことがしばしばありますのでご注意下さい。


「わぁ、寺子屋というのは教卓もあるんですね?」

 橋田は座敷に座り教卓を撫でながらそんな感想を口に出した。

「外の世界の学校というものは教壇が無いのか?」

「ありますよ?何言ってんですか?」

「君は鬱陶しいな。一言多いとよく言われないか?」

 慧音はそう言いながらも笑う。別段不快感はない様子だ。

「言われますね。さて、じゃあ時間も勿体無いし、始めるとします?」

「そうだな。じゃあ、皆知っているかもしれないが、これは外の世界から幻想郷入りした橋田金次郎氏だ。今日は外の世界について話してくれる。聞きたいことは事前にまとめておいたが、話を聞く中で思いついたら質問してやってくれ」

 皆、慧音の話を聞きながらジッと橋田を眺めている。

 寺子屋に通う子供達だけではない。橋田が話をすると聞いてやってきた里の人間達などもやってきている。

 今回の橋田の仕事は寺子屋の講師だ。以前、慧音と契約した仕事である。

 

「と言っても話すことなんて思いつきませんが…何話せば良いですかね?」

 橋田はヘラヘラと笑いながら聴衆に質問する。

「仕事は何やってたんだね?」

 イカツイ顔をした爺さんが橋田に聞いた。

「仕事かぁ。仕事は営業マンをしてましてね。営業マン。分かります?」

 爺さんは首を振るう。

「人ん家に高い品物売り歩く商売人みたいなやつですよ。たまにいませんか?やたら高い壺売りつけるやつあんな感じです」

「じゃああんたは詐欺師なんかね?」

 爺さんの横にいた恰幅の良い婆さんがそう聞く。

 橋田はその言葉に苦笑しつつも答えた。

「おお、痛いところ付いてきた。半分くらい正解ですなぁ」

 橋田の答えに室内がざわついた。

「いやいや、私は人様からお金をふんだくる仕事はしませんよ?その商品が欲しいと思わせて買ってもらうのが仕事なんです」

「それじゃまるで洗脳してるみたいじゃないか。そんな能力があるんかい?」

「いやいや、私なんかは売れてない人間だったんで、そこまで上手じゃあなかったですよ。まぁ、でも似たようなもんですかねぇ?」

「何を売ってたんだい?」

「何でも。そこいらのペンやら毛筆やら、車やら家やら」

「よくわからんが、何でも屋ってのはわかった」

 イカツイ爺さんはうんうんと頷きながらぼやいた。

「そういうもんです」

 

 橋田は居住まいを正すと、胸ポケットから筆を出した。

「せっかく仕事の話をしたので、私がどうやって仕事をしていたのかをお話ししましょう」

 その筆を目があった少年に渡した。

「君ぃ。この筆を私に売ろうとしてくれ。私が欲しいと思ったら、3倍の値段で買ってあげよう」

「えっ」

 渡された少年は戸惑いながら橋田と筆を見比べ、ついに言った。

 

「こ、この筆は弘法大師が使ってたのと同じものだから良いものだよ。欲しくないですか?」

「いらないなぁ…残念賞。はい飴ちゃん」

 橋田は少年の答えに残念がると、飴を渡し筆を受け取り、今度は庄屋の若旦那に移した。

「えっ。儂かね?あー、あー…」

 若旦那は突然のフリになかなか答えが出せず、あたふたしている。

「これは…!これは!すごい…ぞ!すらすら書けて、毛もハゲにくい!」

「そんなもん、どの筆も一緒ですね…残念賞は飴ちゃんです」

 若旦那は貰った飴をコロコロしながら、先ほどの少年の横に座った。

 

「じゃあそろそろ私がやりましょうか。この中で一番の金持ちは誰ですかね?」

 橋田は手を上げてキョロキョロする。

「私じゃないかしら?」

 声が上がったのは、紫の髪をした少女からだった。

「お嬢さんですか。じゃあ貴女がこの筆を欲しいと思ったら、3倍の値段で買ってくれますか?」

「良いでしょう。どうぞ?」

 少女の答えを聞いた橋田は、筆をまた胸ポケットへしまい、尋ねる。

「ところで、お嬢さん名前は?」

「稗田阿求よ。よろしく」

「ひえだのあきゅう…すんません。私勉強不足でしてね、せっかくお得意さんになるんだし、名前を覚えときたいんだけれども字が分からん。この紙に書いて教えてくれますか?」

 橋田からそう言われると阿求は自分の荷物をガサガサ探し始めた。

 が、目当てのものが無いのか、ハァと軽くため息をついて橋田のほうを向いて言った。

「良いけれども、書くものが無いわ」

「ここに」

 阿求の言葉を待っていたかのように、橋田は筆の持ち手を阿求へ向けた。

「じゃあそれを…」

 ちょうだい、とセリフが続くのだろうが、彼女は何かに気がついたように言葉を小さくしていった。

「このくらいの値段でお譲りしますよ?」

 阿求の目の前にあった筆は、紙に金額を書いていった。その金額は相場の3倍の値段であったことは言うまでも無い。

 しかも、ご丁寧に『稗田阿求 様』と宛名も書かれている。

 

「…ああ。降参よ。面白いわね」

 筆を受け取った阿求は、その金額を支払い、満足そうに橋田へ笑いかけた。

 ほぉ。だの、へぇ。だのと感心する大衆だったが一部だけは様子が違っていた。

 橋田の売り方は、外の世界より遅れた幻想郷でも珍しくもなんともないやり方であった。

 客の状態をさぐり、需要をその場で作り出し、客の意識が商品に向いたところでその品物を勧める。

 商売をする上で基本的なテクニックの一つだった。

 勿論それがわかっていた商人らは、橋田が阿求の字を聞いたところあたりからニヤニヤしていた。

 

「ありがとうございます。まぁ、私の仕事はこんな感じですね。別段新しくも珍しくもなんともない売り方です」

 こういったのを自然にできるのが一流の商売人であるが、どこかパフォーマンスじみているのが橋田が二流以下であるという証明だった。

 

 他には特に珍しい話が無かったが、橋田の講演会(?)は盛況に終わったのだった。




筆のくだりは、レオナルドデカプリオ主演の映画、『ウルフオブウォール・ストリート』の中の一節。
「デカプリオ 映画 駄作」で調べるとまず一番最初に出るのでオススメ。
時間を潰したい方はどうぞ。
営業時代に、需要と供給、営業トークの勉強の為に観ろと言われて観させられた映画です。
わりとドギツイ下ネタが多いので、お一人で観るのが懸命です。


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何処でも寝れるのが営業マン

人が門の前で倒れている。

散歩が日課の爺さんが、血相変えて大声で助けを呼んでいた。

日が昇って間もなくの早朝である。

秋の神がそこいらで遊んでいるのを目撃され始めた頃くらいの、肌寒い程度の朝である。

やかましい耄碌爺いの叫び声で起こされた里の人間たちは、眠い目をこすりつつ、なんだなんだと出ていった。

 

「ほんとに人だよ…爺さん、怒鳴って悪かった」

門の柱に背を預け、空に顔全面を向けてダラリと身体を垂らしている。

目は開いているが、意識がないのか白目になっていた。

着ているものは、いわゆるスーツである。幻想郷で着ているものはあまり見かけないものであった。

 

「おい、おいあんた。大丈夫かい?」

ひとりの男性が、倒れている男の肩を軽くゆする。

揺すられた反動でカクンと頭を倒した男は、そのまま膝に顔を当てて動かなくなった。

そして出る男からの音。

 

ぐう。

 

その音を聞いた人々は、男は倒れているのではなく、眠っているという事に気がついたのだった。

「なんとまぁ…こんな寒空の下で」

「こんなところで寝たら妖怪に喰われるかもしれないってのに、呑気なもんだ」

「外の世界の人ってのは案外丈夫なんだね」

 

そう。おそらく彼は外の世界の人間である。

里であまり見かけない姿と格好の人間が、なんの警戒心もなく門前でぐうすか寝ていたのである。

外の世界から人間の里へやってくる人間は少ないが。無いと言うことはない。

妖怪だのなんだのを信用せずに、ふらふらと里の外へ出て行き、喰われて死んでしまうのが大抵ではあるが。

 

「おい、おいあんた。起きな!こんなとこで寝てたら風邪ひくよ!」

寝ていると分かっている今、男性のゆする力に遠慮は無かった。

ゆさゆさガクガク。

それでも男が起きないと、今度は頰をペチペチ叩きはじめる。

「んんん…ん?」

ようやく目が覚めたようで、男はもぞもぞ身体を動かしながらゆっくり伸びをし、目を開いた。

 

「おはようさん。やっと起きたかい。しかしまぁ、よくこんな寒いとこで寝てたもんだ」

ため息混じりに男性は男にそう言う。

「ああ、いやまぁ、どうも。慣れてまして。すんません。今どきますから」

よっこいしょと男は立ち上がり、尻を払う。そして門と大勢の人を見てから首をかしげた。

 

「どくっつったって何処に行くんだ?一人で外でたら危ないぞ?」

男性は首を90度傾けたままの男にそう言った。

「・・・」

男は状況理解できていないのか、男性の質問に答えず、しばらくそのままだった。

「ああ。そうですか。えっと…?」

自分の状況がようやく分かったのか男性と大衆をキョロキョロ見比べている。

 

「ここは人間の里だ。あんた、外の世界の人だろ?格好がそんな感じだ」

「はぁ。外…」

「神隠しってやつだ。外の世界の人間が、突然この幻想郷にやってくることをそういうんだよ」

「へぇ…」

 

ぐぅ。

 

今度は腹の音だった。

「ところで、何か食べ物ありませんかね?お金無いんですけど」

 

こうして橋田金次郎は無事、幻想入りしたのだった。



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営業マン、今日のお仕事

「あんたこれ、ちょいとまけておくれよ」

 恰幅の良いおばちゃんが橋田にねだった。

「良いですよ、これも買ってくれたらおまけしちゃおうか」

 橋田の今日の仕事は、道具屋の店番だった。

 

 人間の里に来て以来、なんとか仕事を探そうと始めたのは業務請負だった。

 いわゆるアルバイトである。

 門前の騒動を機会に仕事を募集し、ボロの空き家長屋を二足三文で借りて、そこを事務所兼生活スペースとして暮らしている。

 家には表札の代わりに看板が置いてあり、

『仕事請け負います 橋田金次郎』

 とあった。

 金額は応相談である。

 のんびりと時間の流れる人間の里でも、割と人手が欲しいところも多く、食いっぱぐれる事がない程度には稼ぐ事が出来ていた。

 過剰サービスが蔓延っていた現代社会に慣れた橋田は、清掃だの陳列だのを馬鹿丁寧にやってくれるので、店番や売り子を頼んだ店からはそこそこ好評である。

 

「すみません、インクを一ついただけませんか?」

「はいただいまー」

 橋田が皿の位置を気にしていたところに、凛とした少女の声が聞こえてきた。

「すんませんね、お使い…じゃあなさそうですね」

 文房具屋は近所にあるが、もちろん道具屋にも万年筆のインクは売っている。

 ただ、種類が少なく値段も割高な道具屋に行く必要がないので、インクを買い求めに来る客は大抵小坊主かお使いの子供である。

 

 しかし、今回の客はそうでもなかった。

 身につけている衣装は昭和初期の新聞記者だ。

 こげ茶のジャケットに、ひざ下程度のパンツ。全く同じ色のハンチング帽。

 一見女の子が無理して仕事衣装を着ているように見えたが、なかなかしっくりと自然な風に着こなしている。

 浪漫派、そんなイメージだ。

 どことなく里の人間とは違った者のように橋田は感じた。

 里の人より都会的な服装をしているわりには人間臭さがなく、山の香りがする。ちょこっとばかし浮いている感じだ。

 

「またこりゃ全時代的な新聞記者だ」

 橋田は見たままの感想を口に出していた。

「失礼」

 早速怒られていた。第一印象を口に出して不興を買うのは分かっていたはずなのにどうしても出てしまうのだ。

 今も少女はムッとしている。

「すんません。で、貴女は?」

 橋田の質問に少女はこほんと咳払いをし、持ち直してから名刺を差し出した。

「私、こう言うものでございます」

 

 名刺を受け取った橋田は中身を読み上げた。

「社会派ルポライター 射命丸文」

 ただそれだけが書いてあった。会社名だの住所だの、そんなものは一切ないシンプルな名刺だった。

「はい。清く正しい幻想郷最速の記者、射命丸文でございます」

「最速ぅ…はぁ。すごいですなぁ」

「ええ!」

 橋田のどの言葉に気を良くしたのか不明だが、先程の尖った唇はくわっと開き、自信満々にそう答えた。

「やっぱり記者ですか。いるんですねぇ、幻想郷にも」

「まぁ、趣味みたいなものですが、『文々。新聞』という新聞を発行しておりまして」

「ああ!鈴奈庵の!あれですか」

「読んでいただいてます?」

「人並みには」

『文々。新聞』は、人間の里で唯一と言っても良い新聞だ。

 鈴奈庵という貸本屋と契約しているらしく、そこで販売されている。

 仕事中によくもらうので活用させていただいている。

 窓の汚れは新聞で拭くとよく落ちるのだ。

 

「その記者さんが…もしかして私に用事です?自意識過剰でしたか」

「いえ、合ってますよ。貴方について取材をさせていただきたく」

 インク代を払うと早速それに万年筆をつけてメモ帳を取り出す。文花帖と書かれている。自分の手帳にタイトルをつける珍しいタイプだ。

 一瞬、手帳の中身が見えてしまった橋田は、スッと自然に目をそらす。

 あまりにも一瞬だったのでよく見えなかったが、馬鹿でかい絵をぶん投げている女の子の写真に、『漢は黙って金閣寺』と書かれていたような気がする。多分橋田の見間違いだろう。

 

「いやぁ、インタビューなんて生まれて初めてだなぁ。私生活とか聞かれるんですよね?ああ、緊張するなぁ」

「いや、別に貴方の生態だの何だのはどうでも良いのですが」

 話を聞いてみると、どうやら橋田が人間の里に現れた前後の話を聞いてみたいようだった。

 神隠しはどういった感覚なのか、幻想入りした時は何処にいたのか、何故無傷の状態で門前で寝ていたのか。

 テンポの良い応報だったので、橋田は店番も忘れて文の質問に答えていったのだった。

 

「なるほど。ありがとうございました!」

 質疑応答が終わり、文はパタンと手帳を閉じて挨拶をした。

「ギャラはくれないんですか?」

 橋田は当然の疑問を口にした。店番をサボって答えてやったのだ、それなりの見返りは欲しい。

「んー、そのインク代で」

 文は橋田に手渡したお金を指差した。思わず橋田は自分の手の中を見てしまう。

「こんなの使え…」

 橋田が顔を上げた頃には既に少女は消えていた。

 まさに一瞬だった。文がそこにいた形跡はどこにも見当たらない。

 

「はぁ。苦手だなぁ。ああいうタイプは」

 店内に戻った橋田はため息をつく。

 文のような、出来の良い人間は苦手だった。

 もっと言うと、出来が良いのを自覚していて、自信に溢れた態度を取っている人間が苦手なのだ。

 多くの人は、そういった人間を賞賛し、憧れ、慕うのだろうが、橋田はそれになれない自分を無意識に比較してしまう為、近くにいたり会話したりすると、愚かな自分を恥じてしまうのだ。

 外の世界で働いている時は、そんな人間が成績を上げていた。

 楽しそうに仕事をして、周囲に影響を与える。そんな事は橋田には出来ない。嫉妬に近い何かだった。

 

「とりあえずは今の仕事しないとね。落ち込むのは仕事が終わってからだ」

 橋田は気持ちを切り替えて皿の整頓に戻った。

 今日の橋田も好評だった。



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くうねるたべるしょくじする

 だんご、まんじゅう、おかき、あめだま。

 橋田の趣味は食べ歩きだったりする。

 文明の遅れた幻想郷でも、美味いところは美味いのだ。

 人気の店は後回し、人の来ないところに率先して行くのが橋田流だ。

 

「む、このみたらし団子うまい。美味いよおばちゃん!」

「ありがとね」

 褒められただんご屋の婆さんは素っ気なく答えた。やってらんないというような風である。

「嬉しそうじゃないね。どうしたんだい?」

 橋田は素直に疑問を口に出した。褒めた方は相手が喜ばないと、褒めただけ損をした気分になるのだ。

「それがね?お迎えの蕎麦屋さんに福の神がやってきたみたいでね。客が全部取られちまったんだよ」

 婆さんの返事を聞いた橋田は声を上げて笑ってしまった。

「あっはっは!だんご屋と蕎麦屋比べたらかんよおばちゃん」

 笑い飛ばす橋田の言葉を聞いても、婆さんは不貞腐れたままだった。

「でもねぇ…不公平じゃないのさ。なんで迎えのうちには来てくれないのかねぇ?」

「そんなもん福の神とやらの気まぐれだろうよ。富くじみたいなもんさ。隣近所の人が当たっても恨むなんて事しないだろ?それと一緒さ」

「けどねぇ…」

「ま、嫉妬するのは自由だけどね。あんま妬みすぎると嫉妬の妖怪に食われるよ?そんなのが居るかどうか知らんけど。ごっつぉうさん。客寄せ欲しいならウチんとこに来てくれよ。じゃ」

 橋田は代金置いて店を出た。

 

「いやぁ美味かったぁ」

 満足そうに腹をさすりながら帰路につく橋田は、しばらく歩いたところで、だんご屋の方を振り向く。

「しかしまぁ…」

 だんごの串で歯の間をシーシーしながら口を開いた。

「あの味で、店の空気が良かったらもっと人来るのにな。いやぁ勿体無い。まいっか。人気の店は好きじゃない」

 橋田はそう言いうと、踵返して自宅へ戻っていった。

 

 

「ヤツメウナギの屋台ですか?」

 年が明けてからいく日か経つが、まだまだ里の外で雪女が元気に飛び回っている頃である。

 外套無しの外出はご遠慮願いたい程度の気温だった。

 橋田が持ち帰りの注文を受けていたところにその話が舞い込んできた。

「ああ、それだけ外食が好きなら知ってるかと思ったんだがな」

「存じ上げないっすねぇ」

 橋田はそう答えると、霧雨魔理沙にだんごを手渡す。

 先日訪れたあのだんご屋で、呼び込みと売り子をしていたのだ。地道な営業努力が実った瞬間である。

「ま、普段から里の中で引きこもってればそうなるか」

 だんごを受け取った魔理沙は、ひいふうみいと注文通りの数を数えながらそう返した。

「里の外に用事がないもんでねぇ」

 橋田はぽりぽりと頭をかいて答える。

「じゃあちょうど良いかもな。今度、神社で花見があるだろ?あの時にヤツメウナギの屋台も出るそうなんだ」

「花見…ああ、梅の花の。いやぁ、風流ですねぇ」

「そうか?」

「言ってみただけです。万葉集とかだとやたら人気ですしね」

 暇な時には必ずと言っても良いほど外食に行く橋田は、幻想入りして間もないというのに知人が多い。

 自らを普通の魔法使いと名乗るこの少女もまたその1人だ。

 居酒屋で得体の知れないキノコを食わされる程度には交友があった。

 

「しかしヤツメウナギかぁ。ヤツメウナギって言うんだから、鰻ですよねぇ?」

「そう…なのかな?分類としては多分そうだぜ」

 自分の回答に自信がないのか、曖昧模糊な言い方を魔理沙はした。

「鰻かぁ。そういやぁ、幻想郷に来て以来食ってないなぁ」

 鰻は川で取れるのを橋田は知っているが、幻想郷ではあまり取れないのか、里で売っているのを見かけないのだ。

 以前河童が屋台で売っていたような気がしたが、なんとなく食べそびれてしまっている。

「好物なのか?」

「そりゃもう。数ヶ月にいっぺんは食わないと死んでしまうってレベルで」

「ふーん」

 どうでもいいやという風でだんごをしまい、ホウキにまたがろうとする魔理沙を、橋田は腕を掴んで止めた。

「ん?何?」

「お代。まだもらってないんで」

 手のひらを魔理沙に向け、ほいほいと軽く上下させる橋田を見て、バツが悪そうに彼女は代金を支払ったのだった。

「ちぇ、バレたか」

「まいどー」

 代金をきっちりもらい、飛んでいく魔理沙を見送る橋田は、空高く飛び上がった彼女を眺めながら、

「最近、飛ぶ人見てもなんとも思わなくなったなぁ」

 などとぼんやり呟いたのだった。

 

「しかし、ヤツメウナギか…。鰻。鰻…。うう。思い出したら食いたくなってきた…。嗚呼…はやく梅見の日になってくれないもんか…」

 遠く彼方の記憶に残っている鰻の味を思い出しながら、橋田は屋台の並ぶ日を楽しみにしつつ、その日その日の仕事をこなしていくのであった。

 

 

 そして待ちに待った花見当日。

 

 

「あったあった。ヤツメウナギ」

 目当ての屋台を見つけ、一目散に駆けていく橋田。

 境内に来るまでに続いたやたら長い階段に苦労させられたことなどとうに忘れ、ゼエゼエだった息使いは鼻歌に変わっている。

 

 ヤツメウナギの屋台の店主は妖怪だという噂だったが、橋田にとって店主が誰かだなんてのはどうだって良い情報である。

 あるのは一つ。とにかく美味い食い物をよこせ。

 それだけだ。

 ジュウジュウと炭火で焼かれた蒲焼の音と、砂糖醤油が焦げた香りに思わず橋田は生唾を飲んでしまう。

 屋台の横には水槽が置いてあり、どうやらそこでヤツメウナギを保存しているらしい。

 橋田の頭の中は8割がた『食う』という単語でいっぱいであるが、でも食う前に自分が食すものがどんなものなのか一目見てみたい気もあったので、ちらりと覗き込んでみた。

 

「これがヤツメウナギ…」

 水槽の中の石に張り付くヤツメウナギを見て、橋田はげんなりしていた。

 はっきり言って食欲を無くすくらい気持ち悪い生物である。

 吸盤型の口が頭の下半分をしめており、口内はギザギザの集合体だ。

 胴体の途中から急に細くなるので、鰻というよりはオタマジャクシをそのまま大きくしたようなものだった。

 イメージ的には、大きなオタマジャクシにヒルの要素を足したような感じだ。

「それでも…」

 見た目が悪いものほど美味い。だから食う。それも橋田流だ。

「まぁ…この姿を見た後ではなんとなく勇気がいるが、せっかくこれのために楽しみにしてきたのだから買わなければ損だ!すんません、蒲焼一つ」

 橋田は、一つずつ丁寧に焼いていた少女に代金を渡しながら注文した。

 

「はい!おまち!」

 しばらく待っていると、ちんまい手に握られた蒲焼が橋田の目の前に現れた。

「ああ、どうも。いただきます」

 橋田の動きに躊躇は一切なかった。受け取ってから間をおかず、はむっと行ったのだ。

 そして咀嚼する。

 食感、香り、味、舌触り。全てを楽しむために、何度も噛んでいく。

 ようやく飲み込んだ。そこで出た感想が、

「む。鰻じゃない」

 だった。

 そりゃそうだよと笑う屋台の娘に橋田は頭を下げ、もう三つ四つ蒲焼を注文したのだった。

 

 たしかに鰻ではない。

 が、美味い。

 食感はコリコリとしており、モツを食っているようだった。

 風味は味付けが同じだからか、あまり鰻と変わらない気がする。

 味は形容しがたい。これがヤツメウナギの味だ。としか言えない。

 それが橋田の感想だった。

「これは…酒のツマミだな。米には向いてない」

 

「だったら向こうの店で酒を買えば良いさ。世にも珍しい、伊吹瓢の酒が売ってるぜ?」

 ホカホカした器を持った魔理沙が、ほろ酔い加減で橋田に声をかけて来た。

「魔理沙さんじゃあないか。良いのかい?未成年が酒なんか呑んで」

「未成年ってなんだ?私は大人だし、子供のような大人だ」

 いつにも増して魔理沙の機嫌は良い。

「相変わらずこの幻想郷での酒の年齢制限が分からない。というか誰も彼も皆年齢不詳だよ。目の前を走っていった3人の子供のような者もガッツリ酒を飲んでいるしね」

「あれは妖精だ。年齢なんてあってないようなもんだ」

「余計わからなくなってきた…。あー!どうしようもない時は酒を飲むに限る。その珍しい酒とやらがどこにあるか教えてくれよ」

「はーい!一名様ご案内!」

 どうやら橋田は客寄せに引っかかってしまったようだった。

 引っかかってしまったのは仕方ない。と諦めながら、魔理沙の勧める店へと赴いていくのであった。

 



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婚活女子は嫌われる

「おお…これが天衣無縫…」

 縫い目の無い羽衣という矛盾だらけの物体を手にして、橋田は感極まっていた。

 

 橋田の今日の仕事は呉服屋の手伝いだった。

 滅多に見られない掘り出し物があるという宣伝を出したので、客が押し寄せるかもしれないから手伝って欲しいとの事だった。

 そんな馬鹿な。呉服屋に人が殺到するなど聞いた事がない。などと橋田は思いながらも了承したのだった。

 

 そして今に至る。

「いくらでも触って良いけど、目だけは絶対に離さないでくれよ?本当に貴重なんだからね」

 雇い主の若旦那が橋田に注意をする。

 橋田自身は反物に詳しくはないが、これほど最上級という言葉が似合う物は無いというのは手に取って分かった。

「いやぁ、こんな素晴らしいのを手伝いごときが触って良いなんて恐縮ですね」

「中途半端に着物の知識があるやつより、全くない人間の方が信用できるのさ。取り扱いが分からない人間の方がネコババしないんだよ」

「なるほど」

 橋田は透ける羽衣越しに若旦那を見て頷いた。

 

 この若旦那、一言で言ってしまえばイケメンだ。

 呉服屋のボンボンらしいといえばらしい。

 肌は色白で良く手入れされており、鼻は良い具合に高く、目は細い。

 すらりと伸びた背は、平均より一段高く。しかし威圧感がない。

 結っている髪は多少の遊びがあり、垂れている前髪が色気を出している。

 女遊びも人並み程度は出来る、余裕のある男だった。

 外の世界にいれば、雑誌モデルや俳優業などをやってそうだ。

 老若男女問わず、隠れファンも多い。

 中肉中背、ボサボサヘヤーで、その日暮らしの橋田とは比べようもないくらいの色男である。

 まさに月とスッポン。

 橋田的には食えるスッポンの方が好きなので良しとする所ではあるが。

 

「しかしまぁこんな見事なもの、何処で手に入れたんです?」

 橋田は見ても飽きない不思議な物体をいじくりながら、当然の疑問を口に出した。

「そ、それは…」

 普段は余裕を振りまいている若旦那が突然うろたえはじめた。

 橋田は鈍感でないし、また正義感に溢れている出来た人間でもないので、入手先をこれ以上聞くのはヤボだと判断した。

「ああ、まぁ、教える必要はないですよ。なんかヤバイのが来るとか、そんなのじゃなけりゃ私はどうでも良いです」

「ヤバイのかい?ああ…ん…まぁ…来ない…かな?」

 なんとも歯切れの悪い答えが返ってくる。

「若旦那。私はボディーガードでもなんでもないんで、若旦那を出せと言われたら何のためらいもなく出しちゃいますよ?」

 若旦那の反応をいぶかしんだ橋田はそう言った。

「あ、ああ。分かってる。大丈夫だよ。その羽衣さえ返さなければ…」

 若旦那は最後まで言わずに言葉を切った。

 橋田が若旦那の方を向くと、口を押さえて、しまった!という顔をしている。

 どうやらこれは盗ったものだったらしい。と橋田は判断した。

 

「天女から盗んだんですか?すんません旦那。私、盗品の転売屋はお断りしてるんですよ。申し訳ないが、この仕事辞めさせてもらいますよ」

 橋田は羽衣を箱にしまって店から出ようとする。

 帰り支度をしている橋田の表情は、普段のニコニコばかりのものからは想像もできない、恐ろしい無表情だった。

 若旦那はその表情に怯えながらも橋田を止める。

「い、いや、違うんだ!待ってくれ!これは盗ったわけじゃあない!落ちてたんだ!」

「落ちてたって、地面にか?」

 橋田は一度敵とみなすと、その相手には恐ろしく冷たい態度をとる。

 彼の評判も普段外で見る温厚な人柄も知っていた若旦那は、そのギャップにひどく恐怖した。

 まだ商売経験の浅い人であるから、そういう人間も少なからずいるのだと知らなかったのもあるだろう。

 震えた声で若旦那は答える。

「いや…その…川辺の木の…枝に…」

「この事、大旦那さんは知ってるんですかねぇ?」

「落ちてたとだけは…」

「木の枝にって、それ、天女さまが行水してたんと違うんじゃないですか?」

「い、いや、断じてそれはない!何回も確認したんだ!あの羽衣以外置いてなかったし」

「じゃあ忘れもんじゃないか?幻想郷の神様とか仏さんとかってわりとおっちょこちょいだしな」

「さぁ…?」

「さぁ?ってあんた…」

「とにかく!これは盗んだものじゃあないんだ。忘れ物なら忘れた輩が悪いだろう?仮に落とし主が取りに来たら、それは渡せば良いんだから。だから、良いんだ」

 若旦那が羽衣を橋田に押し付けた。橋田に言われてようやく羽衣の危険さに気がついたらしい。

「呑気なもんだ。じゃあこれは若旦那が管理していてください。私は離れて別のもんの売り子やるんで。こんな爆弾持たせないでください」

 橋田は羽衣を若旦那に押し戻し、ほかの反物のコーナーへ移っていこうとした。

「い、今の倍だそう」

 ピクっと橋田の動きが止まった。

 橋田が振り返ると、汗びっしょりの肩で息をしている若旦那がいた。心なしか口角が上がっているように見える。

「安心した顔してんじゃあねぇ。そんなので人様の命が買えるかよ。10倍だ」

「そ、そんなのは法外だ。ウチと縁を切りたくなかったらもう少しまけてくれ。せめて3倍」

 橋田が凄むと、若旦那の額からまた汗が吹き出していた。

 しかし若旦那も商売屋の息子だ。金についてはがめつい。

「8倍」

「3倍が限界だね。我が家はそこまで裕福じゃあないんだ」

 橋田は若旦那の顔全体をジッと見ていた。

 若旦那はそれに負けじと睨み返してはいるが、威迫に負けてどうしても視線があちらこちらに向いてしまう。

 瞬きも増えてきたし、汗もなかなか引かない。

 

「…分かりました。5倍で手を打ちましょう。これ以上は下げられん。経費で出せない分は若旦那の懐からいただきます」

 そしてついに橋田がそう口にした。

「ぐ…ま、まぁ、そのくらいで命と今の地位が買えるなら安い。分かった。契約成立だ。はぁ…この話は他言無用だよ?」

 若旦那は苦虫を噛み潰したような顔でそう答えた。

「私が本格的に命の危険を感じたら、即逃げさせてもらいますよ?契約料もきちんといただいた上でだ」

「う…し、仕方がない。今回だけだぞ!?」

 若旦那が橋田に指差して言った。

「はぁ…元はと言えば若旦那が悪いんでしょう。どうなっても私は知りませんからね?」

「あぁ…ああ。よろしく頼むよ。私は父に君の手間賃について話してくるから」

 若旦那はそう言うと、そそくさと奥の部屋へ行ってしまった。

「さて、お仕事しますかね」

 若旦那を見送った橋田は、いつも通りの笑顔に戻り、鼻歌なんぞを歌いながら開店の準備を始めたのだった。

 その姿は命の危険があるものを取り扱う者のようには見えなかった。

 

 

「そこの人間。この羽衣を何処で手に入れましたか?」

 開店してしばらく。

 呉服屋の宣伝が効いたのか、本当に客が多かった。

 誰もが羽衣を眺め、圧倒され、値段を見て驚愕し、渋々他の反物を買っていく。

 そんな客足も途絶えてきた昼中であった。

 ピンクのフリフリシャツに紫の髪をした美女がやってきて、橋田に声をかけたのだった。

 明らかに里では浮く格好である。基本的に人外の格好は里では浮いたものだと橋田は理解している。

 

「さぁ?ここの若旦那が拾ったって聞きましたが」

 橋田は素直に答えた。危険なので人外は騙すだけ損なのだ。

「これは我々のものです。お前たち人間には飾るくらいしかできない無用の長物なのだから、今すぐに返しなさい」

「そりゃもちろん。と言いたいところですが…貴女は本当に天界の方で?」

「見て分かりませんか?」

 美女は己が着ている服や羽衣をピンと張って強調した。

 着ている服は、装飾以外に縫い目の無いものであるし、何より羽衣を着けている。

 つまり、今貴様が持っているものと同じものを私は着けているんだ、馬鹿じゃないのかと言っているのだ。

「そりゃそうなんですがね?ただ、確信が無いんですよ。私は天女様の専門家ではありません。空飛べる輩なんか数えるのが馬鹿らしいほど居ますし、大地を揺るがす程度は朝飯前にやる人間も知っていますから。申し訳ありませんが、これは商売人として譲れないのです」

 

「何をしたら信用してくれるのかしら?」

 美女はため息混じりに質問した。

「そうですねぇ…この見事な羽衣が何処のものかを教えてくれたら、もしかするとと思うかもしれませんね」

「そんな事ですか。それは私のものではありません。天界で作られ、厳重に管理されていたものです。愚かな部下が不慮の事故で手離してしまったので取りに来たわけです」

「その不慮の事故とは?」

 橋田は身を乗り出して聞いてみる。

「言う必要がありません」

 美女はツンと顔を背けた。

「そうですか、残念です」

 残念そうにハァと橋田はため息をつきながら羽衣を包み、美女へ渡そうとした。

 やっとかと美女は安堵の息をつき、腰に手を当てる。

 

 と、突然、橋田が思いついたかのように美女へ語り出した。

「ところで、全く関係ない話なんですが…近頃、婚活なんてのが外の世界ではブームでして…」

「それ以上は言わないで。何処で知ったかは分からないけど…。つまりお前は何が言いたいのですか?」

 予想外の話をされて驚いた美女は、慌てて橋田の話を止めようとした。

 橋田はいつもの笑顔を崩さず、綺麗に包装された羽衣を美女に渡しながら言った。

「別にたかりたいわけではないのです。ただ、これを無償で返してしまうと、大旦那さんの怒りを買うことになって私の生活が苦しくなってしまうわけですよ」

「はぁ…人間というのはやっぱり欲の塊ね。個人的には一発ズドンと落としてやりたい気分だわ」

 額に手をついてやれやれとする美女へ、照れたように頭をかきながら橋田は反応する。

「いやぁ、下賤な身分でお恥ずかしいです」

「わかりました」

 ごそごそと美女が懐へ手を入れ、あるものを取り出し、橋田へ押し付けた。

「それは天界でのみ採れる桃です。人間が食べればたとえ一つでも、十数年程度は長生きできるようになるでしょう」

「これと交換ですか?」

「足りなければ貴方の分くらいなら余分にくれてやっても良いですよ?」

「ああ、結構です。旦那様に渡してきます。少々お待ちを…」

 橋田は立ち上がると、そのまま奥へ行ってしまった。

「驚いた。人間のくせに長寿が恋しくないなんて」

 永江衣玖は、仙桃に興味を示さなかった人間を生まれて初めて見た事に驚愕したのだった。

 

 

「いやはや、色をつけもらうってのも気分良いなぁ」

 呉服屋のバイトが終わり自宅へ戻った橋田は、パンパンに膨れ上がった財布を眺めてニヤついていた。

 

 実を言うと、橋田は人間の中も極少数派の一部にカウントされる事をしていた。

 外来人だというのもそうなのだが、もう一つある。

「しかしまぁ、この新聞はやっぱり購読して良かったなぁ」

 取り出したのは、『花果子念報』という名の新聞だった。

 橋田は里で出回っている新聞より、この花果子念報の方が好みであった。

 文が苦手というのもあるが、それよりも天狗が書いた記事というのもレアだし、里で人気の『文々。新聞』みたく評論など入れず、そのままの事態を書いてある公平な記事だし、何よりネット記事風のフォーマットなので現代人の橋田は読みやすかった。

 梅の花見の縁日で、河童の屋台が鍋敷きに使っているのをもらい、この新聞を知ったのだ。

 流石に天狗の新聞を読んでいるのがバレると何を言われるか分かったものではないので、里の人間には内緒で購読している。

 寝る前に料金を玄関に置いておくと、朝起きる頃には新聞に変わっている。

 この不思議な購入システムも橋田が気に入ったものの一つだ。

 

 さて話は戻る。

 橋田が取り出した花果子念報の記事には、『羽衣婚活伝説』と題目があった。

 内容は、一部のヤンチャな天女が婚活のために羽衣をわざと置いておき、気に入った男が手に取ったら無理矢理婚約を迫ろうとするもので、天界はその身勝手な天女に手を焼いているというものだった。

 この記事を見るに、若旦那は天女のお眼鏡に叶う顔立ちではあったそうだ。

 記事の中には人間の里の長者が注意喚起する描写もあったが、そんなもの聞いたこと無いし、若旦那が誰にも会わずに拾ったと聞いたのもあって、記事の内容は半信半疑であった。

 しかし、羽衣を置いて待っていたところに何かしらのハプニングがあった可能性や、実は若旦那が迫る天女を出し抜いていたなどという可能性も否定出来ない。

 記事を信用するなら、取り返しに来る天女は下級のものだろうし、最悪博麗の巫女を頼ればなんとかしてくれるかもと、比較的安全に見える博打を打ったわけだった。

 結果、記事の中でインタビューを受けていた永江衣玖が店に訪れ、何事もなく返却することができた。

 更には、実際に婚活の道具として使われてしまっているのが本当だと知り、橋田は大満足だった。

 高官であろう衣玖が来たのには内心驚いたが。

 

「この新聞のおかげで儲けさせてもらったし、今日は天狗の好物も一緒に置いといてやるか。んー…天狗の好物ってなんだ?小さい子供くらいしか知らんぞ…」

 橋田は、まぁとりあえず、と里で売っている一番高い酒を一升ほど、玄関に置いてから床についた。

 願わくば花果子念報の記者である姫海棠はたてとやらが酒好きである事を、と思いながら、橋田はゆっくりと夢の世界へ落ちていったのだった。

 

 翌日、酒と代金はしっかり無くなっており、本日分の記事が置いてあった。




花果子念報の羽衣婚活伝説という記事は、東方求聞口授の中に出てきます。
久しぶりに読み返して、この話を書きたくなりました。


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騒音ライブを見に行こう

「ぎおんーしょうじゃのかねぇのこえぇぇ」

 ベンベン

 忘れかけていたが、橋田が好きなものは酒と本と楽器である。

 楽器が好きだと言っても下手の横好きで、物を集めるばかりで戯れ程度にベンベンと弾くだけなのだが。

 

 そういえばしばらく触ってないなぁと、冷やかしに入った骨董屋で琵琶を見つけた橋田は、ついベンベンと弾いてしまったわけだ。

「しょぎょーむじょーのひびぃきぃありー」

 ベンベン

「若いの、そこまでだよ。それ以上は琵琶が可哀想だ」

 あまりの下手くそっぷりに店主に止められた。

「すんません。琵琶なんてあると思ってなかったんで、つい」

「はぁ。下手の横好きって本当にいるんだね。音を聞いて頭が痛くなったのは初めてだ」

 店主は頭をしばらく揉むと、橋田から琵琶をひったくった。

「冷やかしなら返ってくれ」

 

 骨董屋の店主に追い出されて外へ出た橋田は、あてもなくぷらぷら散歩をしていた。

「やれやれ、しばらくはあの店には行けないなぁ…ん?」

 橋田はいつのまにか里の外れまで来ていた。

 夜な夜な妖怪達がよくライブをやっている場所に近い。

 一度だけ見に行ったが、なかなか洗練されていて面白い印象があったのを橋田は覚えている。

 里の人間の中にも少なからずファンはいるという話だ。

 

 橋田が目にしたのは、4人の女子が何やら話し合っているところだった。

 その内3人は似たような服装だ。色合いやデザインは多少違えど、小学生とかお人形さんの楽団が着ているような可愛らしい服だ。

 残りの1人は比較的現代風の姿だ。ブレザーにミニタイトスカート。上下どちらも真っ白である。

「全然違うけど、なんとなく椎名◯檎っぽい」

 カジュアルなスーツ姿だし、真っ赤でウェーブのかかったショートヘヤーをしているので、なんとなくアーティスト風だ。服装からか、彼女がリーダー格のような雰囲気がある。

 そんな感じのちぐはぐな面子が固まっているので目立つのだ。

 橋田が少しだけ近づいてみると、作戦会議(?)のようなことを話していた。

 

「だからね、一旦解散するのさ」

 リーダー風の女性が自信を持ってそう発言した。

「なんでよ?メンバー増やすだけならそれだけを伝えれば良いじゃない」

 黒い楽団風の子がそう返す。

「それだけじゃダメ。注目されるのには話題性が必要なわけ」

「でも解散するって話なら理由絶対聞かれるよ?どうするの?」

 今度はピンクの子が発言した。

「そんなの、雑に答えちゃえば良いのよ。そうねぇ…『音楽性の違い』とかで良いんじゃあないかしら」

「えぇ…そんなふわっとした理由で良いの?」

 赤い子がリーダー(風)の案を聞いて不安そうに言う。

「良いのよ。そういうのが逆にミステリーさが出て話題になるから」

 リーダー風の女性は自信満々だ。

 

「まるでインディーズバンドの会話みたいだな」

 話を遠くから聞いていた橋田は、幻想郷ではほとんど出会う事のない現代風の会話を聞いて、思わず感想を口に出してしまった。

「む。あ、人間」

 橋田の声が聞こえたのか、会話をしていた4人が一斉に橋田の方を向いた。

「ゔっ…」

 不穏な単語を聞いた。人間が人間に対して『人間』なんて三人称を使うわけがない。

 ということは十中八九、妖怪等々の人外なわけである。

 やたら現代風の衣装につい気を許してしまった。

 この幻想郷では現代風の衣服は特異なものであることを橋田はすっかり忘れていたのである。

 たった1人で複数の人外に囲まれるというのは、すなわち死を意味する。

 幻想入りして以来、妖怪というものはそれはそれは恐ろしいのだと口酸っぱく言われてきた橋田は、自分が今非常に危険な盤面になっているという事を理解していた。

 橋田はいつも以上に己の悪癖を呪ったのであった。

「どうしようか、逃げられるかな…」

 絶望的な状況に、足がすくみ冷や汗が出てくる。

 

 橋田が頭を発熱させて生き延びる方法を考えていると、

「ああ、大丈夫。あたし達は別に人間を襲うもんじゃあないから」

 リーダー風の女性は慌てながら己の無害さを伝えた。

「そうそう!騒がしくするくらいしかやれる事ないんだから」

「まぁ…聴きすぎるとどうなるかわかんないけどね…」

「付喪神と騒霊だから、人を食べるとかないない」

 続けて赤、黒、ピンクの順に少女達が橋田の説得を試みる。

 たしかに襲いかかってくるそぶりはない。

「はぁ、よくわからんですけど、とりあえず私は食われないで良いです?」

 

「そうね。安心して良いわ。ところで…」

 ツカツカと橋田に歩み寄ったリーダーらしき人物(物々?)は、真っ赤な髪をなびかせながら言った。

「インディーズバンドみたいな会話って言ったわね?」

「む。手のタコがすごい」

 相変わらず橋田は思ったことを口にしてしまう。

「ちょっと!話聞いてる?」

 そうやってまた怒らせてしまった。

「ああ、すんません。馬鹿にしてるつもりは無かったんですけど…」

「ふん。まぁいいけど。あなた、外の世界の人間?」

「そうですね。外の世界から落ちてきましたね」

「落ち…?よく分からないけど、良い話があるの」

「仕事ですか?良いですよ」

 仕事の話になると途端に元気になる橋田。仕事人間とまではいかないが、稼ぐのは嫌いでないのだ。

「内容聞かずに了承するのね」

「美人と金持ちの依頼は代金によっては断らないんですよ」

「そう」

 リーダー風の女性は小さな笑顔を作ってみせた。

「あなた、人間の里で宣伝してくれないかしら?」

「宣伝?何を?」

「ダメ?」

「何を宣伝するかはわかりませんが、代金さえ払っていただければなんとかしますよ。私は業務請負屋なんでね」

 ここからは仕事の話が続いた。

 楽団衣装の3人は、橋田とリーダー(と思われる)の会議を聞きながら、なんとなく自分たちのプロデュース方法を理解したのである。

 

 

 付喪神との契約から幾日かが経ち、橋田はここ数日、里の商店街で露店を開いていた。

 何を売っているのかというと、生活必需品ばかり売っている里ではあまり見かけないものばかりであった。

 妖怪楽団のポスター、レコード、ラッパやバイオリンや鍵盤などのミニチュア、写真集。

 こんなもの何に使うのかと通り掛かる人々は首をかしげるばかりだった。

 中には物好きが嬉しそうに買っていくのを見かけるが、大半の里の人間にとってはガラクタを売っているのと変わらなかった。

 中でも特異なものが、光る棒だった。

 いつまでも光っているのなら照明代わりに使えるのだろうが、たかだか数時間で灯りは消えてしまうらしい。

 その度に河童のところへ持っていって金を払い、エレキテルだか何だかを補充しないといけないそうだ。

 革新的なものかもしれないが、ガラクタには間違いない。

 だが商品を買っていく客のほとんどが、他の商品にプラスしてその棒を買っていき、なにやら待ち遠しい感じでそそくさと帰っていくのである。

 そういった光景を見ている通行人は、なんだなんだと少しずつ橋田の店へおもむくのだった。

 

「まいど!そういやぁお客さん、プリズムリバーって知ってます?ああ知ってますか。何やら音楽性の違いで解散しちまったんですってねぇ」

 普段仕事中は愛想を振りまくばかりで会話は多くない橋田が、今回に限ってはやたら客と雑談している。

「風の噂で聞いたんですが、近いうちに騒音ライブやるみたいですねぇ。知ってました?これ、そのチラシ」

「来週やるライブで新しいバンドが出るらしいですよ。バンド?若い人がやる楽団みたいなもんですよ」

 なんだか橋田の声がいつもよりでかい。通行人の耳にも意図せず入っていく。

「え?この店?楽団の関連商品を取り扱ってますよ。いわゆるグッズショップってやつですかね。私はその手伝い」

「ライブってのは…楽団の発表会ですよ。普段騒げない輩がその日に集まってこの光る棒を振るんですわ。楽団が奏でるリズムに聴衆がみんなして乗るんですよ。あ、いや、歌なんて誰も知らないですよ。ただ空気を味わうって言うんですかねぇ」

「外の世界にもライブってあるんですよ。いっぺん行きましたが、あれはもう興奮しますね。演奏してるバンドの曲なんて全く知らないのに声が枯れるまでワーって盛り上がりましたよ。来週あるんで行ってみてはどうです?」

 これだけ橋田が言えば、外の世界の人間なら気付くであろう。

 つまり橋田はライブの為に用意されたサクラである。いわゆるステマである。

 プリズムリバー楽団や鳥獣戯楽などの関連グッズを並べ、雑談風にライブの宣伝を行う。

 雇い主の4人と相談して決めた宣伝方法である。

 

 物販露店はそこそこ人が集まり、しばらく里の人間の間で話題になったおかげか、売り上げは上々だった。

 噂を聞きつけやってきた博麗の巫女が来店した時は、流石に橋田はビビった。妖怪グッズを売って良いものかとあまりにも凄むのである。

 しかしこれも雇い主と対策済みであった。

 橋田は妖怪が雇い主だと言うことは知らぬていで通すことになっていた。

 橋田から雇い主の情報を聞いて飛んで行った博麗の巫女は、すぐに露店に戻って店に問題なしと公言することとなった。

 何故そうなったのかは橋田は知らない。

 橋田の露店はライブ前日まで続いた。

 

 

 そしてライブ当日。

 演奏が終わり、満足そうな笑顔で舞台の裏へ降りていったホリズムリバー楽団の面々。

 ちなみに橋田は今回のライブの裏方も頼まれていた。勿論別料金である。

「ありがとう。おかげで沢山の人間がライブに来てくれたわ」

 リーダーの堀川雷鼓は、まだライブの興奮が冷めないのか、肩で息をしながら橋田に礼を言った。

「いえ、そんな。私はあんまり力になれませんでした」

「物販であれだけ宣伝してくれたじゃない。感謝しなきゃだわ」

「恐縮です。しかしまぁ、良いドラムでしたねぇ。もしかしてドラムの神さまの付喪神ですか?」

 妖怪も息が上がるもんなのかと感心しながら橋田は答える。

「さぁ?外の世界のドラムから魔力をもらって生きているけど、どんな人のものなのかは分からないわ。ドラムの神さまなんて言われてる人、何人もいるしね」

「そうですか」

 

「それで、代金の方だけど…」

「お渡しした物販の売り上げは既に私の分引いてありますよ。だいぶ儲けさせてもらいましたし、これで結構です」

 雷鼓はかぶりを振り、帰ろうとする橋田の足を止めた。

「いえ、あれだけ宣伝してくれたもの。何かお礼がしたいわ。そうねぇ…。そういえばあなた、下手くそな琵琶を弾いていたそうね」

「うっ…。よくご存知で」

 誰から聞いたのか恥ずかしい事を聞いてくる雷鼓の言葉に、橋田は顔を赤くした。

「付喪神ネットワークは偉大なのよ?もし良かったら琵琶の講師を紹介してあげるわ。どうかしら?」

「そうですねぇ…」

 雷鼓の提案に橋田は内心かなり困っていた。

 危険だと言われている妖怪と、必要以上に直接的な接点を持ちたくないのである。

 花果子念報は直接対面しないのでまだまだセーフの領域だろうが、今回は講師である。流石にアウトではなかろうか。

「お心遣い感謝します。ですが残念ながら極めるつもりはないもんで結構です。でもあれですね、プロの演奏には興味があります。月に一度程度で良いので、琵琶の先生の演奏を聴かせてもらえませんでしょうか?」

 謙遜や辞退は日本人の美徳だが、あまりやりすぎるとかえって不快感を与える。

 凡人である橋田が、この短い時間で考えたにしてはまぁまぁな案だろう。

 丁度良い距離感をなんとか保てるはずだ。

 雷鼓は笑顔のまま橋田の手を握り上下にブンブン振った。彼の提案に満足したのだ。

「オーケー。それで良いなら。ライブにも出ていた九十九姉妹よ。天狗は『女子二楽坊』なんて変なグループ名付けてたけど」

「思っくそパクりですね」

「まったくね。あの2人は琵琶と琴の付喪神なの。きっと気にいると思うわ」

「楽しみです」

 いついつの何時と約束をして、堀川雷鼓は去っていった。

「さて、俺も帰るか」

 

 

「やれやれ、妖怪の手伝いというのも大概普通なんだな」

 橋田は自宅に戻り、晩酌を楽しんでいた。

「…」

 ふと部屋中の散乱している物を見回した橋田は、突然酒を片付け、掃除を始めた。

「付喪神ネットワークか…。壁に耳ありどころじゃないぞまったく。誰がいつ見てるか分かったもんじゃあないな」

 誰に見られても何を言われても恥ずかしくないように、ちゃんと物は大切に扱って、部屋は綺麗にしておこうと思った橋田であった。

 

 




がばがば距離感。
鈴奈庵みたいに妖怪と距離を置く感じにしようと思いながら書いていたのに何故か妖怪との交流ができていく橋田。
構成が未熟な己の力を感じざるを得ません。
これからどうなっていくんだろうか…。


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営業マンは視野が広い?

 珍しく仕事が無い日が続いた。

 初夏に入り、バタバタとしていたのが少しずつ落ち着いてきたからなのか何なのか。

 橋田がやっているような仕事は、とかく人々の忙しさに左右されやすい。

 暇な時はとことん暇なのである。

 とは言っても、別段金欠ではない。

 呉服屋の若旦那からぼったくったり、付喪神のグッズを売ったりと、ここのところ実入りの良い仕事が続いていたので、半年は遊んでいても問題ないくらいは余裕がある。

 が、働けるうちは稼いでおきたいのが橋田の心境だ。

「まぁ、長期休暇だと思ってゆっくりしようか」

 仕事が無い心細さを払拭するように橋田は商店街へ向かいながらそう呟いた。

 

 幻想郷の初夏は涼しい。

 コンクリートも排気ガスも無く、木々に囲まれ、人口密度もそこそこだからかもしれない。

 とはいえ、少しずつ暑くなっているのは間違いない。

 橋田が歩いていると、少しずつ、じわりじわりと汗ばんでくる。

「こう汗かくと、風呂に入りたくなるな…。む。温泉に行きたい」

 そういえば、と橋田は思い出す。

「博麗神社の裏手に温泉が湧いているとか聞いたな。若干遠いけど行ってみるか」

 そう思い立った橋田は、カラカラと下駄を鳴らしながら、博麗神社へと赴いたのである。

 

 

 結果から言うと、無駄足だった。

「有毒ガスだかなんだか分からんが、そんなもん出てくれるなよ…」

 温泉の入り口付近には看板が立っており、

『キケン!"有毒ガス充満につき死にたい奴だけ近寄ってよし"』

 とあったのだ。これでは温泉を楽しむどころではない。

「あぁ…!賽銭代…」

 タダで温泉を使わせてもらうのは悪いと思い、橋田は銭湯の入浴料程度の小銭を賽銭に入れ、お参りしたのだった。

「まぁ、仕方がない。賽銭は賽銭だ。浄化してもらってその分ご利益をもらうさ」

 汗を流す為に汗をかいて神社まで行くという、汗のかき損したところで、橋田は気持ちを切り替えた。

「里で美味いもんでも食うか」

 橋田は首をこきこきしながら、この長ったらしい神社の階段をたらたら降りていった。

 

 

 さて、人間の里である。

「んー。最近できたとかいう団子屋に行こうか」

 なにやら同じ系列の店が、隣り合ってそれぞれ違う種類の団子を売る競合スタイルで経営している珍しい店らしい。

 買い手市場の狭い幻想郷でも、そういった経営努力するところもあるというのはなかなか面白くはある。

 店員も美少女だというので、それを聞いた橋田はそこそこ楽しみなのである。

 

「おー。並んでんなぁ…。ん?」

 ようやく目当ての団子屋にたどり着いた橋田は、並んでいる人の列に対して妙な違和感があった。

 列の間にヒト1人分、不自然にスペースがあるのだ。

 初めは停止線か何かがあるのかと思ったが、やっぱりおかしい。

 列が動くのにつれてその空間もずれるのだ。

「んー…?」

 橋田が謎の間を観察していると、いつのまにかぴょこりと少女が見えてきた。

 影に隠れてたまたま見えなかったのか何なのか。とにかく、隙間の正体は彼女だった。

 

 少女は順番が待ち遠しいのか、列の頭の方を見る為にぴょんぴょん跳ねたり、腕を後ろで組んで左右にゆらゆらしている。

 結構落ち着かない感じで、彼女の前後はなかなか鬱陶しいのではと橋田は思ったのだが、どうやら何にも気にしていないようだ。

 というより、彼女の存在に気がついていないような感じがする。

 小柄な体とはいえ、彼女は結構フチの広くて真っ黒な帽子を被っており、服装も蛍光色なので、一度気がつくとかなり存在感がある。

 だが隣近所の人間達は、まるで何もないかのように振舞っているのだ。

 おかしい。

 

 そしてとうとう彼女の順番が回ってきた。

 普通に注文するのかと思いきや、

「それ美味しそう。一本ちょうだい!」

 と団子屋の娘に手を出しただけだった。

 そう言われた団子屋の娘は少女へ視線を一切合わせず、他の客の相手をしている間に、唯一暇だった左手で持っていた団子を、ホイっと一瞬だけ少女へ向けるように渡したのだった。

 まるで無意識に動いているかのように。

 

 橋田ははじめ、団子屋の娘はあの少女と知り合いで、好意で一本恵んでやっただけだと思っていた。

 しかし、それは間違いだとすぐに気がついた。

「あれぇ?一本無くなってる」

 団子屋の娘は、少女に渡した筈の団子を勘定に入れず、突然一つ無くなったような素振りを見せたからだ。

 側から見ていると酷く滑稽に見えるが、困っている本人は、いたって大真面目に困っている。

「これはいよいよ不思議だぞ」

 謎の出来事に興味が行った橋田は、団子を持って行った少女から話を聞こうと追いかけたのだった。

 

「ちょっと、お嬢ちゃん」

「ん?何?」

 件の団子屋からしばらく離れたところに少女は座っていた。

 橋田の声に返事をしながらも、彼女は少し大きめの三色団子をちまちま食べている。

 団子を食べる一口一口に、いちいち顔を輝かせる少女。

「む、君はやたら美味そうに食うな。そんなにお団子美味しい?」

 橋田はそんな彼女の反応を見て、思わず聞いてしまった。

「うん!」

「そうかそうか。それは良い情報を聞いた。ところでお金は払わなくても良かったのかい?」

「だってもらったし、何も言われなかったし…」

 と言い終わるか終わらないかの所で、突然少女が橋田の方に顔を向けた。少し驚いた顔をしている。

 

「あれ?気づいてる?」

「そりゃあれだけ堂々としてりゃ気づくわさ」

「えー?そうなの?」

「そういうもんじゃあないの?」

 少女はまた、団子へ視線を戻した。もうそろそろ食べ終わる。

「おじさん、細かいってよく言われるでしょ?」

「言われたことないねぇ。胡散臭いとは昔死ぬほど言われたことはあるけど」

「ふーん。じゃあいろんなところ良く見る癖が付いてるのかな?」

「ああ、そうかもしれないねぇ。人ん家の靴の数とか、洗濯物とか、玄関周りとか。そこらへんの細かい場所見てたしな。仕事がら、そういう能力は身に付いていたのかもしれん」

「そっかー」

 少女は食べ終わった串を橋田へ渡し、よいしょと長椅子から降りて手を振った。

「じゃあ、私帰るね。ばいばい」

「ああ、気をつけて帰りなよ」

 ニコニコと可愛らしい笑顔を向けられた橋田は、同じく笑顔で挨拶を返し、彼女を見送った。

「ん?なんで普通に見送ったんだ?ていうか誰を見送ったんだっけ?」

 橋田は今までの出来事をスコンと忘れていた。

 いつのまにか持っていた竹串を見つめつつ、3秒ほど首を傾げながら考えていた。

 が、最早どうでも良くなったようで、団子屋の方へ歩いて行った。

「まぁ、いいや、団子食うぞ団子を」

 温泉を楽しめなかった分を団子で補うつもりで、橋田は列に並び始めたのだった。

 

 

「ただいまー」

 地霊殿に戻った古明地こいしは、愛しい姉の後頭部へダイブした。

「ごふっ!ああ、こいし。帰ったのね。帰ったらちゃんとただいまと言いなさい」

「言ったもん。ただいまー!」

「はい、お帰り」

 古明地さとりは背中から妹を下ろし、一息ついた。

「今日ね、私のこと見つけた人が居たよ」

「あら、珍しい。どんな妖怪だったの?」

「人間の里でね?人間に見つかったの」

「に、人間!?なんで?」

 妹の発言に、さとりは腰を抜かしそうになった。

 人間自体は怖くないが、その人間から話を聞いた霊夢とか魔理沙とかが襲撃してくるのが怖いのだ。まぁ、彼女達も人間ではあるが。

「さぁ?なんとなく温泉に入りたい気分だったみたい。うちの温泉に連れてったら分かるかな?」

「んんん?相変わらずよく分からない事言うわねぇ」

 さとりを後ろから抱きしめながら、んー。と考えているこいしの腹から、きゅう。と可愛らしい音が鳴った。

 彼女の腹時計は今、夕食の時間を示している。

「今日のご飯何?」

「ハンバーグの伯邑考風よ」

「なにそれ?」

「さぁ?昔流行ったらしいけど」

 姉妹は仲良く手を繋いで、皆のいる食堂へ歩いて行った。

 




古明地姉妹が人間を食うのか食わないのかはわかりません。
妖怪さとりは食わない気がする。


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本の虫は本を書けるのか

「外来人が出入り自由だと!?」

 仕事が終わり、自宅で鼻毛をいじりながらダラダラしていた橋田は、この驚愕の記事を読んで飛び起きた。

 寝耳に水とはこの事である。

「別に外の世界には全く未練もクソも無いが、出入り自由ならそれはまた考えものだぞ」

 幻想郷と外の世界では通貨が違う。が、金が無くったって遊べるものは遊べるのだ。

 図書館に行ってスマホを充電しながらネットサーフィンしたり本や新聞を読んだり、海に行って釣りをしたり、古本屋で立ち読みしたりと、やる事は数え切れない。

「実際どうなんだろうな、とりあえずこの宇佐見何とかって子に会ってみないとわからんが…。ていうかなんて読むんだ?この名前」

 正直、食指が動かない。威風堂々とした少女の姿が映る記事の写真を見るに、橋田が苦手とするタイプである。

「まぁ、頻繁に出入りしているなら、いずれ会えるさ」

 嫌なものからはなるべく逃げる。

 凡人橋田の人生はそんな程度なものだった。

 

 

 翌日である。

 今日の仕事が終わり、帰りに本を借りて帰ろうかと思い、橋田は鈴奈庵に立ち寄った。

「アガサクリスQ?推理小説ファンの同人かな?」

「ご存知なんですか?」

 一番目立つ位置に置かれていた小説を手に取って呟いた橋田を見て、本居小鈴は首をかしげる。

「ん?ああいや。海外の有名な小説家にね、アガサクリスティーって似たような名前の人がいるんだよ」

「へぇ〜」

 小鈴は興味なさそうだ。

 橋田が小鈴の方を向いた時には既に、手元に置いていた本の続きを読んでいた。わけのわからない絵文字(?)が並んでいる本だ。

「どれどれ…」

「あ!橋田さん、立ち読みはダメですよ!」

 中身を開き、そのまま立ち読みしようとした橋田を小鈴が止めた。

「あ、ああ。すんません。いくらだい?」

「アガサクリスQの小説は、いま大人気なのでちょっとお高めです。こんなもん」

「結構足すねぇ。まぁ、人気の本ならそんなもんか。はい、どうぞ」

「まいど!」

「どらどら…」

 代金を支払った橋田は、時計を見てまだ閉店の時間まで余裕があるのを確認してから、店の端にある椅子にヨイショと座り、じっくりと読み始めた。

 店の中には本の虫が二匹、全く動く気配はない。

 チコチコと鳴る時計の音と紙が擦れる音だけが、流れている時間を証明している。

 

 針がどれだけ進んだのだろうか、店の玄関がガタガタと音を鳴らした。

「いらっしゃいませ!あー。あんたか」

「私、一応客なんだけど。これ返却ね」

 入ってきたのは稗田阿求であった。

 分厚い四角になった風呂敷を小鈴に渡した。

 阿求は持ってきた本が重かったのか、手放して一息ついていた。

「あら、橋田さん。こんにちは。珍しいわね、こんなところで」

 阿求はごく自然な動作で店の脇に移動しようとしたところで、移動先にいる橋田を見つけた。

「ああ、稗田のお嬢さんですか。こないだはどうも」

 筆代をぼったくってから、何度か稗田家でアルバイトをしていた。橋田にとっては仲良くしたいお得意先である。

 阿求の常連らしい行動を察知した橋田は、席を譲るために立ち上がろうとした。

 

 立とうとする橋田を手で止めた阿求は、彼が読んでいた本を目ざとく見つけた。

「貴方もアガサクリスQの小説を読んでるのね。面白いかしら?」

「ええ。流行りに乗ろうかと思いまして…。まだまだ序盤ですからなんとも言えませんなぁ。ただ…」

 橋田は本の表紙を撫でながら話し始める。

「文章の書き方がとても秀逸ですね。読みやすい。普段から字に触れている人が書いてるんでしょうな。知識も豊富だし、展開も丁寧だ。推理小説というのは伏線をどう書くのかが重要になってきますから、それがどう表現されるのかがこれから楽しみですね。まぁ、これは私の推測ですがね?この小説は鈴奈庵という貸本屋からの出版なんで、読み直して伏線に気がつくというよりも1回目でその伏線に気がつけるような細工がなされていると思いますよ。この作者はそう思える程度には腕が良い」

 橋田は素直な感想を述べた。伊達に本が好きと公言しているわけでなく、それなりに評価が出来る程度には読み漁っているのだ。ただ、早口で言っているので若干キモい。

「そう。読者からそんなに褒めてもらえるなら作者は嬉しいでしょうね」

 橋田の率直な感想を聞いた阿求は、鼻を膨らませ、口角をわずかに上げ、頰をヒクヒクさせていた。心なしか嬉しそうなのである。

 その阿求の変化に気がついた橋田は、読書でいっぱいになっていた頭を一時中断して、少しばかり思考を巡らす。

「む。んー…?アガサクリスQ?アリス級?ア級?アキュウ?阿求?すんません、稗田のお嬢さん。貴女、アガサクリスQだったりします?」

「あ、え、えっ?なんでそう思ったのかしら?

 橋田の質問にギョッとなった阿求は、若干緊張した雰囲気を出しながら橋田に聞き返した。

 

「いえ、なんとなくです。単純にアガサクリスQって、sの発音の後にkの破裂音がくるのが二回もあるので言いにくいんですよ。そういう発音が面倒な時、人間ってよく無理矢理縮めてそれをニックネームにするんですが、私が雑にアガサクリスQを略すと『アQ』になったんですよねぇ。なのでそうなのかなと。『アキュウ』だと、仮にアクセントの違いはあったとしても、口の形は開いた状態から閉じるものへ自然に移っていきますから言いやすいですし」

「へぇ〜」

 橋田の雑学に感心したような声を小鈴が出した。読めない本の作家の話よりも、身近な雑学の方が興味あるらしい。阿求の方をチラチラと見ながらニヤニヤしている。

「まぁ、たわけの戯れ言ですよ。忘れてください。稗田のお嬢さんだったら、そのまま稗田阿求で出されますよね。なんたってもう出してるんだから。ハッハッハ!」

 橋田は自分の推論を否定して笑い声を上げた。

「そうね。ほほほほほ…」

 阿求もそれに乗っかって、上品に笑っていた。ちなみに否定はしていない。

 

 そうしているうちにまた、店の入り口から人の気配がしてきた。

「邪魔するぞい」

「あ、いらっしゃいませー」

「今日も今日とて、外来本の買取を頼みにきたんじゃが」

「良いんですか!?いつもありがとうございます!」

 丈の高い女性が入ってきた。小鈴の反応を見るに、どうやら常連らしい。

 少々古臭い喋り方をするが、厚着している上からでもわかるほどのモデル体型な美女だ。腰から上がすらりと伸びていて良いプロポーションである。

 袴や上着などは男性的なファッションセンスだが、立ち居振る舞いが堂々としているのも相まって、彼女くらいの背丈だと良い感じになる。なにかの女頭領かと思うくらいだ。

 何故か頭に木の葉をくっつけているが、そんなことどうでも良い。

 彼女は眼鏡をかけているのだ。眼鏡は良い。とても良い。素晴らしく良い。最高だ。幻想郷では普段から眼鏡をかける習慣無いのか眼鏡っ子は貴重な存在なのだ。橋田は眼鏡をかけている女性が大好きだった。

 

 が、

「む。獣(けも)臭い」

 橋田の声はしっかり女性に聞こえていた。

「おぬし、よく人から失礼な人間だと言われんか?」

「ああ。すんません。なんとなく貴女から臭っ…じゃない、すんません、すんません。忘れてください。ほんと」

「ふん。まぁええじゃろ。儂はそんな器量の乏しいのではないからな。しかし若いの、よく覚えておくが良い。口は災いの元じゃぞ?」

 持ってきた本を小鈴に渡した女性はズイッと橋田に詰め寄り、脅すような顔で諭した。

「ご厚意、痛み入ります。こないだも、話の途中で相手の手にあったタコが気になったのを口に出してしまって怒られた事がありまして。ハハハ。なんとか改善したいのですがね…」

「タコ?ああ、頭が痛くなるほど下手な琵琶を引く輩とはおぬしのことじゃったか?」

 女性は橋田の話を知っていたのか、自嘲気味に笑う橋田に聞いてきた。

「む。そうですが…もしや貴女は妖か「ああ!なんとなんと!堀川のから聞いとったがこんな偉丈夫じゃったかー!いやはや良い男じゃ!腹もこんなポヨポヨしておるしのぉ!ハッハッハ!」

 妖怪なんですか?と聞こうとする橋田の口に手を当て、腹を思い切り掴みながら遮った。

「儂は今人間に化けとるんじゃ。不用意にバラそうとするでない」

 コショコショと橋田の耳元で己の正体を明かす二ツ岩マミゾウは、若干の冷や汗をかきつつ、橋田の腹から手を離した。

「あ、き、気をつけます」

 

「して、おぬしは外来人らしいが、あの娘と知り合いでないのか?」

「あの娘とは?宇佐美なんとかって子ですか?」

 前日に読んだ記事に出てきた名前を口に出した。

「そうそう、そんな名前だったか。外の世界の人間は、長い時間幻想郷に存在するのが稀だと聞いてな。もしやと思ったのじゃが…」

「私の知り合いにあんな若い女性はいませんなぁ。まぁ、会ってはみたいですね」

「ほう…。いや、変なことを聞いたな。失礼した」

 そう言いうマミゾウは、清算が終わった小鈴の元へ戻っていった。

 

 受け取った金の勘定が終わり、店を出かかるという時に、マミゾウはまたコショコショと橋田へ言った。

「あの娘に会いたいなら、香霖堂に行くと良いぞ?よくそこに出没するらしい」

「なるほど、香霖堂…。けったいな店主がいると噂のあそこですか」

「らしいな。よくわからんが」

「まぁ、いつか行ってみます。ありがとうございます。教えていただいて」

「いやぁ、なんのなんの!代わりにじゃが…」

 礼を言う橋田から頭を離し、嬉しそうな顔で言葉を続けた。

「儂らも手伝って欲しいと思った時には、おぬしの店を訪ねれば良いかのう?」

「ええ。美女と金持ちの依頼なら、代金次第で断りませんよ」

 橋田はいつもの調子で営業をする。

「そうかそうか。それならいつか頼むぞい。いつになるかわからんが」

「心よりお待ちしております」

「うむ。良い心がけじゃ」

 金の入った袋をチャラチャラ鳴らし、ホクホク顔でマミゾウは出て行った。

 

 

 鈴奈庵が閉まり、橋田は阿求もといアガサクリスQの二巻目を持ちながら帰路に着いていた。

「ふぅ。眼鏡なのは良いが、獣臭くてかなわんのが残念だったなぁ。あ、いかんいかん。壁に耳あり障子にメアリー…。付喪神が何処で聞いとるのかわからんからな。陰口は言うもんじゃあない」

 橋田は首をこきこきしながら、また別の事を思い出していた。

「しかしまぁ、香霖堂か…暇を見つけて行ってみるか」

 まだまだしばらくは仕事が入っている。

 とはいえ、今日みたく昼過ぎに終わる日だってあるのだ。

 しかし、橋田は会いたいようで会いたくない。のんびりと行こうじゃないかと楽観的に行くのであった。




雷鼓とマミゾウに交流があるのかは知りませんが、たぬきと付喪神は相性が良いらしいです。


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宗教家は藁にもすがられる

 心を磨くというのはどういう事なのだろうか。

 幻想郷に来てからだいぶ落ち着いてきて、食うものに困らなくはなっている橋田はまたこの事を考えていた。最早癖である。

 橋田が外の世界であくせく働いていた時は、1日に何度も考えていた。

 やれお前が成績低いのは精神が腐っているからだの、成績の良い後輩は人間が出来ているだの、心が汚いから客から好かれないだのなんだの。

 もちろん橋田は、そんな戯言(ざれごと)など気にしてはいなかった。

 好成績を収めていた後輩は、客を完全に騙す詐欺一歩手前の商売を仕掛けていたし、私生活では女を取っ替え引っ替えした挙句いざ女が孕んだら逃げていた事が何度もあった。

 上司は客を馬鹿にして笑うクズだった。パワハラで何人もの社員を鬱にさせている。

 だから心が汚いだの何だのという事を言われたところで、お前が言うなと思ってしまうのだ。

 何度か口に出してしまい殴られたこともある。

 

 しかし何度も言われると若干は気にしてしまうようになるのだ。

 橋田は本当に売り上げが悪かった。月末になると何時間も説教を食らうのが毎月の恒例行事だった。

 それでもへこたれる事なく、時間が無いなりに営業の勉強をしたり、客から好かれるように努力はしていた。

 足の悪い客の為に無償で引越しの手伝いなんかもしていたし、担当地域でゴミ拾いのボランティアなどもやっていたのだ。

 その結果、売れた客は橋田を何度も褒め感謝していた。

 だがそうやっても橋田の売り上げは最下位で、ノルマなんてものは本当に運が良かった月以外達成する事が無かった。

 こうなってくると自分はもしかすると本当に心が汚い奴で、世間様はそれを見抜いているから売れないのだろうか。

 もしかすると上司や後輩は善人で、自分は悪い部分しか見ていないだけで、世間様はそれを信頼しているから売れるのだろうか。

 そう思ってしまう事が少なからずあった。

 ただ、ずっとそれを思ってしまうと自分自身が保てなくなるのは知っていたので、それにかすった事を考えるようにしていた。

 心を磨くとは何なのだろうか。と。

 

 

「涅槃会なんてもんが命蓮寺で開催されるんだ。お前さんも来てみると良いよ」

 橋田の今日の仕事は、商店街の清掃だった。2週間ほどかけて行う(人間の里にしては)大プロジェクトだ。出資者は商店街の店全部だ。

 かなり割りの良い仕事であるが、流石に橋田1人ではなく何十人と雇われている。

 側溝の掃除をしていた橋田は、そんな話を一輪車にヘドロを乗せている者から聞いた。

「ねはんえ?何だいそれ」

「釈尊が入滅された日の事だとさ。その日は小さくお祝いをするのさ」

「ああ。ガウタマシッダールタが北枕で横向きに寝てるあれか。へぇ、熱心な仏教徒はお祝いするんだねぇ」

 橋田は側溝のヘドロをどんどん地上に出しながら彼の話を聞いている。

「ふふふ。今年の涅槃会は一味違うぞ?我々が聖様にお願いしてだな、ようやく叶ったんだ。何がとは言わんが楽しみにしておくようにな。飛び上がるほど凄い物が見られるぞぅ?」

 ちなみに一輪車を持っている彼は、命蓮寺の檀家である。

 もちろん橋田にしていた話は他の人間にも宣伝している。

「へぇ。面白そうだなぁ。まぁ、宣伝も良いけどよ。早くこいつを持ってってくんねぇか?臭くてかなわん」

 シャベルを脇に立てかけて一息ついた橋田は、仕事を忘れて宣伝をしていた男に注意したのだった。

 

 

 ようやく清掃プロジェクトが終わり、流石の橋田も休息が欲しくなった日である。

「う…おおお。お?」

 普段より遅めに起きたからか体が鈍いので伸びをしていたところに外からガヤガヤと人の声が聞こえてくる。いつになく騒がしい。

「おー…?ん?」

 戸を開けて顔を出すとまだ息も白い二月だというのに朝っぱらからワラワラと大勢の人間が歩いていた。それも同じ方向に。

「やぁ、おはようさん。みんなしてどこに行くんだい?」

 ちょうど顔見知りの男が来たので橋田は聞いてみることにした。

「ああ、橋田くんかい。おはよう。今日はね、命蓮寺で涅槃会やってるのさ」

「ねはんえ?何だいそれ?」

 と言いながら橋田はデジャビュを感じていた。

 こんなこと前にも聞いた気がする。

「あれ?命蓮寺の檀家から聞いてなかったっけ?散々宣伝してたからてっきり橋田くんも聞いてるもんだと思ってたよ」

「ああ!涅槃会ね。涅槃会。聞いた聞いた。あまりにも興味が無かったもんですっかり忘れてたよ」

 話を聞いた橋田は頭をボリボリかきながら思い出す。

 ブッダの入滅の日より目の前の仕事の方が大事なのもあって、スコンとその話を忘れていたのである。

 興味の無い事は数歩どころか一歩足踏みする前に忘れてしまう。橋田の記憶力は鳥頭も鼻で笑うレベルである。

「今年の涅槃会はなかなか凄いみたいだよ?大仏」

「大仏!?」

 思わず聞き返してしまった。そんなものが幻想郷にあるのかと。

 

「ほぉ…!これはすごい」

 門前に出ていた河童の屋台でしこたま食べ物を買い込んで列に並んでいた橋田は、口の中にあった最後の大判焼きを飲み込んでからそう言った。

 正直な話、そんな大層なもんでもないだろうとたかをくくっていた橋田は見事に圧倒されていた。

 奈良や仙台などにある大仏を何回か見ていたが、あれらは座している姿のものだった。

 だが、横になっているものは生まれて初めて見た。

「横に長いと、座っているものとは違う迫力があるな…」

 もちろん橋田だけでなく、他の人間なんかも同じく驚いており、中には手を合わせて般若心経なんかを読んでいる者もいる。

 そして何故か大仏の隣に、博麗の巫女と守谷神社の巫女が屋台を出して菓子を売っていた。

「神仏分離令とは一体…」

 どうやら幻想郷は明治政府の声が届かなかったようである。

 こないだまで宗教戦争と言いながら弾幕ごっこを毎日やっていたので、わりと仲が良いのかもしれない。

 

 ぼけらっと大仏を眺めていると、橋田はある事を思いついた。

「そうか、相談か」

 よく寺の坊主が法話や相談会などをやって、信者から話を聞いたり話をしたりすると聞く。

「んー。命蓮寺もそういった事をやってないだろうか。とりあえず聞くか」

 思い立ったらすぐ行動するのが橋田の数少ない良いところである。

 キョロキョロと見渡して、命蓮寺の関係者を探す。

 目当ての人物はすぐに見つかった。

 大仏の側に尼さんが立っているのを橋田は目視できたのである。

「なんか今、大仏に話しかけているように見えたが…すんません、そこのお方」

 早速橋田は尼さんに声をかけた。

 

 

 涅槃会が終わった翌日。

 橋田は命蓮寺の客間に通されていた。

 客間は独特の静寂が支配していた。

 里の喧騒から離れ、シンとする空気が橋田の聴覚を抑える。

 世俗から離れたこの部屋は、ただ座っているだけで橋田自身も静寂に溶け込んでいるような気になる。

 空気が重たいわけではない。むしろ座っているだけで心が穏やかになり、内へ内へと思考が中に入っていく。自然と己を省みる事ができるのだ。

 小鳥がさえずっている。

「失礼します。お待たせしました」

 住職の聖白蓮が客間に現れた。

「あら、瞑想のお邪魔でしたね」

 あぐらをかいてジッとしている橋田を見た白蓮は、少々驚いた風であった。まさか客が客間で瞑想してるもんだとは思うまい。しかも座禅ではなくあぐらだ。

 普通の人間なら何やってるんだと不快感を口に出すのだろうが、白蓮は憤慨することもなく、ただただ感心していた。

「あ、いえ、すんません。えらく静かな部屋だもんで飲み込まれてしまいました」

「いえいえ、心を落ち着かせる事は良い事です。待たせてしまったのはこちらですし」

「ありがとうございます。ああ、すんません。橋田と申します」

「これはこれはご丁寧に。聖白蓮です」

 名前を聞いて橋田は少し驚いた。

 涅槃会の時に声をかけたのは、雲居一輪という尼僧であったが、まさか寺の住職が直々に話を聞きにくるとは思わなかった。ましてや橋田は檀家でもなんでもない。

「こちらのお寺は托鉢しないので?とても尼僧とは思えない髪色ですが」

「…噂通り歯に衣着せない物言いをする方ですね。髪が気になりますか?」

 少しだけ白蓮はムッとして自分の髪を触った。橋田はまた怒らせてしまったようである。

「ああすんません!あまりにも見事な髪だったのでつい…!すんません。こないだも怒られたばかりなんですが…」

「かまいませんよ。これも修行です…」

 白蓮は、ふぅ。と吐き出してから座り直した。

「今日はお悩み事があるのだとか?」

「ええ。しかしよろしいのですか?私は檀家でもなんでもないのに住職様が…」

「大丈夫です。今日は何も予定が入っていないので」

「そうですか?では、その…。私、ある事をずっと考えていてですね、それの答えが見つからないというので悩んでおりまして…」

「ほうほう…」

 橋田は思い悩んでいる事を素直に話した。

 心を磨くという事。それについて考えるに至った経緯。外の世界での行動。幻想入りしてからの行動。そして帰結のない思考。

 白蓮は相槌を打ちながら橋田の話を興味深そうに聞いていた。

 

「なるほど…つまり貴方は自分の心は汚いものなのではないのか、綺麗な心とはどういうものなのか、心を磨いた先の到達点は何なのか…。これらを知りたいというわけですね?」

「概ね間違っておりません」

「ふぅむ…難しい話ですね…。おそらくですが、これは人によって答えが変わってくるものだと思います」

「というと、住職様でも答えが分からないという事ですか?」

「橋田さんの言う磨かれきった心と、私の言うそれはまた違うとは思いますが、私の場合は簡単に言えます。涅槃に入る事ですね」

「ハハハ。私には到底できそうもありませんね」

「そうですね。これは僧侶である私だから言い切れる事です」

 橋田は思わず笑ってしまった。それもそうだ。僧侶と一般人では目指すものが違うのだ。

 僧侶の場合は己の欲を捨て切って、無の状態で死ぬ事…つまり涅槃(ニルヴァーナ)なのである。一般人の橋田はそんな事できないし、やる必要がそもそも無い。

「ですが、これに関してですが…一つお話しできることがあります」

「なんでしょうか?」

 答えがありすぎて答えが無いとした上で、解答の一つの話を始めた。

「浦島太郎のお話を知っていますか?」

「えっ。玉手箱を開けたら爺さんになったというやつですか。知ってますよ」

「では、あの話に出てくる玉手箱は、中に何が入っていたのかはご存知ですか?」

「…さぁ?考えたことありませんなぁ…。老化する薬…あるいは毒とか?」

「おそらく、それは正解の中の一つなのでしょう。なにせおとぎ話ですから」

「はぁ…」

 白蓮の言葉に困惑しながら、橋田はボリボリと頭をかきながら白蓮の次の言葉を待っている。

 

「私の知っているもので、大昔に知人から聞いた話です。玉手箱の中身は、何でもないただの鏡だった。そういう説があるそうです」

「鏡…」

「ええ。とても宗教家らしい説ですよね?」

 そう言うと白蓮はくすりと小さく笑った。

「そう…ですかね?そうなんですね」

 橋田はあまり理解していない。

「ええ。因果応報と言えば分かりますか?」

「浦島太郎が老人になったという結果がですか?」

「それも含めて…ですね。浦島太郎が善行を積んだ結果、竜宮城で幸せな時間を過ごせた事。竜宮城から帰った後、自身の家も、家族も、友人も消えて無くなった事。その二つどちらも因果応報。そういうことです」

 そこまで白蓮の話を聞いた橋田は咄嗟に答えが出てきた。

「鏡とは、経過した時間の証明ですか?」

 橋田の質問は、どうやら彼女が言いたいことだったらしい。白蓮は微笑から満足そうな笑顔になって話を続けた。

「面白いでしょう?玉手箱が鏡ということは、浦島太郎自身が竜宮城から戻った時には既に老人であったという事になるのです。あまりの楽しさに一瞬に思えた竜宮城でのひと時が、実は浦島太郎が老人になってしまうほど時間が経っていた。現実社会から離れていた浦島太郎が、何十年と経った後にいざ戻ってみれば…当たり前ですが何も残ってはいませんよね?」

 白蓮は湯呑みに手をつけた。

 

「善行も怠慢も、巡り巡ってそれ相応の結果が返ってくる。つまり因果応報。そういう解釈ですね」

 白蓮は手に持った湯呑みを口につけて少しだけ飲んだ。

 少しだけお茶を飲んでから湯呑みを置くと、橋田へ顔を向けて話を続けた。

「だから努力家や善人は報われるのです。だから誰も見ていないところでも努力をしたり善行を積んだり出来る者が(たっと)ばれるのです」

 やんわりとしていた白蓮の顔が一気に引き締まったものになっていた。

 どうやら大切な話らしい。

 そう思った橋田は崩れかかっていた姿勢をきちっと直し、白蓮の言葉を待つ。

「努力は報われない。恩は仇で返される。などと努力家や善人を否定し、屁理屈こいて諦める者にはそれ相応の結果しか返ってきません。なので余計にその者の理屈が拗れるのです」

「なるほど…」

 そう言われると、橋田は自分がどういう人間なのかを振り返りはじめた。

 そうなってくると、一番先に出てきたのは己の逃げる精神だ。

 宇佐美何某(なにがし)の話題が最近上がったのもあるだろう。

 苦手な人間ではあるのだが、彼女に会う事でメリットがあるのは大きいかもしれない。

 もし頑張って、仮に良い結果であればそれで良いし、彼女と上手く意思疎通が取れないなどの悪い結果になったとしても、それはそれで縁を切れば良い。

 まずは結果を出してみないと何も始まらないのだ。

 因果応報…。

 やらなければ何も返ってはこまい。

 橋田が考え込んでいるのを白蓮はしばらく黙って見ていた。そして頃合いというところで彼女は口を開く。

「これは単なる慰めの言葉ではありません。努力したものは己の自信となり、善行は人徳となり、結局後々になって役立ったり助けられたりして報われるものなのです。なので我々のような者は皆『善行を積みなさい』と言うのです。己の自尊心を満たす為ではなく、助言をした相手が幸せになるように心の底からそう言っているのです」

「なるほど」

「これが解答となるのかどうなのかは甚だ疑問ですが、考え方の一つとして捉えてみてはいかがでしょうか?とはいえ、善行を積めとは言っても、貴方は商売人ですから人を騙すような事もするのでしょう?生きるという事は必然的に手を汚す事になります。必要悪という言葉も覚えておいてくださいね」

「ええ覚えておきます。まぁ、騙す商売人もいますが私はどうも苦手なようで…。人に害を与えない程度に嘘をついて、納得してもらってようやく買ってもらうというスタンスでやってます」

「そうですか」

 橋田の答えを聞いた白蓮は、少しだけ頰を緩めていた。橋田の言葉が嘘ではないと見抜いたのだろうか。

「もしそれが本当であれば、いつか報われる日が来るのかもしれませんね」

「そうですねぇ。それまで精進するとします」

 橋田はゆっくり立ち上がろうとして、まだお茶が残っていることに気がついた。

 すぐに座り直し、ずずっと一気に飲んでから静かに立ち上がった。

「どうも、ありがとうございました。また、迷った時には法話を聞きにきてもよろしいでしょうか?」

「是非いらしてください。命蓮寺はいつでもウェルカムですよ?」

 橋田の言葉を聞くと、白蓮は嬉しそうに答えてくれた。

 入信者はカモンカモンらしい。

 橋田は白蓮へ丁寧に挨拶すると、テクテクと帰って行った。心なしか足取りは軽い。

 

 

「まぁ、彼の場合…」

 橋田を見送った後、残っているお茶を片付けようと、白蓮は客間に戻った。

「幻想郷に来た時点で報われているのかもしれないけれども」

 白蓮は残っているお茶を飲み干した。もう冷たいので一気に飲める。

 白蓮は檀家や居候などからいろんな妖怪や人間から噂話をよく聞くのだが、その中に橋田の情報もあった。

 そして今日の橋田の相談である。

 橋田の話を聞いていた中で白蓮が連想した言葉は、『因果応報』。まさしくそれだった。

 辛く苦しい仕事をしながらも努力し、善行を積んだ事で、幻想郷という心を平穏に保てる程度には落ち着いた居場所を見つける事ができた。…のかもしれない。

「彼は浦島太郎になるかしら?あの様子だと…それもなさそうね」

 空になった二つの湯呑みをお盆に乗せ、音もなく静かに歩いていった。




鏡の話は、以前私が法話を聞く機会があって、その中でとても面白いと思った話でした。
実際に浦島太郎にそんな話のバージョンがあるのかは分かりませんが。


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営業マン、地元の飯を作る

 橋田の住む部屋は台所が無い。

 というより、本当の意味で何も無い。

 鍵も何も無い木製の戸をガタガタと開けると4〜5足の靴を置けば埋まってしまう程度の玄関があり、そこから一段上がれば部屋である。

 床は畳なんて高価なものではない。フローリングと言えば聞こえは良いが、ただ単に木の板がベンベンと並んでいるだけである。

 それだけだ。

 見事なワンルーム長屋と言えよう。

 トイレは共有。長屋の両端にあり、丁度ど真ん中の部屋を借りているので、橋田がもよおした際には小走りで端まで行かねばならない。

 もちろん風呂は無し。銭湯に行って汚れを落とすのだ。

 

 橋田は食うのが好きだが、作るのもそれなりに好きなのだ。

「自炊がしたい」

 そんな事をボヤいていた。

「おや、橋田さん。料理できるんかい?」

 里の飯屋で昼飯を食いながら橋田の独り言を聞いた店主のおばちゃんが橋田に声をかけた。

「そうよぉ。外の世界で暮らしてた頃はほとんど毎日作っとったって」

「ああ、そんじゃあさ、ウチの仕事手伝ってくれんかねぇ?」

「なんだい?」

 どうやら、博麗の巫女が異変解決をするたびに、博麗神社の仲間内で宴会をするそうで、今回の異変解決に伴ったその宴会に出す料理を依頼されたのがこの食堂なのだそうだ。

 霧雨魔理沙からの依頼らしい。

 

「予算はもうもらってるんだけどねぇ、結構品数多いから、その日に作ろう思うと大変なのよ」

「良いけど俺の腕とか知らなくて良いのかい?」

 橋田はヒゲを手でじょりじょりとしながらおばちゃんに言った。

「そんなもの、野菜とか肉とか切れて炒めるだのなんだのができればそれで良いよ。味付けは私らがやるんだし」

「そんなんで良いなら分かったよ。いつからだい?」

「来週なんだけどねぇ」

 

 おばちゃんの返事を聞いた橋田は、懐からメモ帳を取り出し予定を確認した。

「お、丁度手伝えるよ。お代はこんなもんでどうだい?」

「ああ、そんなもんでいいのかい?」

 橋田は紙に依頼料を書いて、おばちゃんに見せた。

「最初はお試し料金だ。良いと思ったら色つけてくれればいいや。そのかわり、また手伝いが欲しかったら呼んでくれよ?」

「まぁ、べらぼうに高い割に全然使えないよりは良いかね。じゃあよろしく頼むね」

「分かりました!よろしくお願いします!」

 そう言った橋田はすぐさま起立してピシッと直角に腰を折り、おばちゃんに頭を下げた。

 

「おや、いきなり丁寧になったね。どうしたの?」

「そりゃお客さんになったんだから、ちゃんとしないとね」

「なんだかむず痒いねぇ」

「…いつものが良いかい?」

 ボリボリと頭をかいて言う橋田。大真面目にかしこまったのにそれを受け流されるとこっぱずかしいのだ。

「そうだねぇ。そっちのがやりやすいよ」

「じゃそうするか」

 橋田はおばちゃんに勘定を払い、食堂を出て行った。

 

 

 そして、宴会当日の昼間。

「困ったねぇ…」

「どうしたよおばちゃん」

 おばちゃんは台にある野菜を眺めながらため息をついていた。

「食材が余っちまったのさ。これだけ使うって約束なんだけどね、私らが作れるもん作ったらこれだけ余っちまったのよ」

「ふぅん」

 余った野菜を手に取りながら橋田は相槌を打つ。サツマイモ、カブ、コンニャク、ショウガ…etc

 どれもこれも単体で出せる料理がおばちゃんには思い浮かばなかった。

「橋田さん、あんた外の世界の料理でこれだけの食材使ったもん作れないかい?」

「出来るよ」

 橋田は即答した。

「じゃあ頼むよ。ここにある調味料なら全部使っちまって問題ないから。…ああ。薪代も気にしなくて良いよ」

 

 よしそれなら!と橋田は腕まくりし、調理に取り掛かった。

 まずは賽の目に切ったサツマイモを器に入れる。

 その中に少量の塩と砂糖を加えた小麦粉を入れ、水を少しずつ入れながらかき混ぜていく。

 そうやって角を作れば形が残る程度の粘り気を残したゆるめの生地を作る。

「で、あとはこの生地を好きな大きさに分けて、それを蒸すだけだ。紙か板を敷いとかないと蒸し器にくっつくから注意な」

「なんだ簡単だねぇ。お菓子かい?」

「そうそう。これが美味いんだ」

 蒸している間に他の食材に取り掛かる。

 

「橋田さんやい、ちなみにこれは使えるかい?」

 おばちゃんが肉の包みを指差した。

「肉屋さんにおまけでもらったんだよ。使い道無いからって」

「へぇ。美味そうな牛すじじゃないか」

 じゅるりとよだれを吸った音を出しながら、橋田は手を揉んだ。

「見た目は良いけど硬くて食べられたもんじゃあないよ。おまけに煮ても臭いのよね。おでんの時期にはまだ早いし、面倒なんだよ」

「まぁ、そうかな?俺の地元じゃ牛すじをおでんに入れるなんて勿体無いことしないぞ。おばちゃん、八丁味噌あるかい?」

「八丁味噌?ああ、あの辛くて不味い赤味噌ね。あんなもんよく知ってたね」

「まぁね」

 橋田に頼まれたおばちゃんはテコテコと奥から引っ張り出してきた小さい容器を持ってきた。

「私なんか何十年とお味噌屋さんと付き合いあるけど、八丁味噌なんてついこないだ初めて見たよ」

「そんなもんか。でもこんなもんどこで手に入れたんだい?」

 受け取った味噌をまじまじと眺めながら橋田はおばちゃんに聞いた。

「味噌屋さんが香霖堂で買ってきたって。外から来たみたいよ?試しに買ってみたけど、辛いし変に味が残るから使いにくいのよねぇ…」

「また香霖堂か…」

 橋田は思わず口に出した。『香霖堂』は今の橋田の中で一番気になるワードなのだ。

「何か言ったかい?」

 ボソッと一言放った橋田の声はあまり大きくなかったからか、おばちゃんが聞いてきた。

 特におばちゃんには関係の無い話なので、橋田は料理の話に戻した。

「いや。この味噌は味噌汁にしても美味いが、本領発揮するのは煮込み料理だ」

 そう言うと、橋田は味噌の香りを嗅いでウンウン頷き調理に戻った。

 

 牛すじを酒と水でグツグツと水気が無くなるまで煮た後、角切りにしたカブとコンニャクが入った鍋に入れ、また水を入れ火をかける。

「んで沸騰してしばらくしたら、この赤味噌を入れてまたしばらく煮込む。水が具材の半分未満くらいになったかなぁというところで完成だ。お好みで刻んだショウガとか一味唐辛子を入れれば良いぞ」

「へぇ、良い香りだねぇ。でもここまでやらないと牛すじの匂いは取れないんだねぇ」

「まぁ味噌と酒で大分臭みが取れるが結局ちびっとは残る。けどこの臭みが酒に合うんだよ。ホレ、食ってみぃ」

 おばちゃんは小皿に移された牛すじを口に入れ、しっかりと味わう。

「ああ…牛すじってこんなに柔らかくなるんだねぇ、味は…ちょいと癖があるけど、まぁ米や酒には合いそうな味だね。美味しいよ」

 一回単体で煮込んだだけあって、本来は硬いスジがホロホロになっていて柔らかい。

 味噌の香りと後味が肉の旨味を引き立てる。

 塩っ辛い味噌と、それが十二分に染み渡ったカブや味噌が絡まったコンニャクも箸を進ませる。

「薪代はかかるが、これほど酒に合うものは無いってくらい美味いだろ?」

「…まぁ、好みは人それぞれだよ。とにかくありがとさん。もうしばらくしたら、霧雨のお嬢さんが取りに来るそうよ。持ってってくれないかい?」

「はいよ」

 作った料理をせっせと器に詰めて、準備を終わらせる。

 後は運ぶだけだ。

 

 

「ほうほう、今日のはアンタが作ったのか?んー!美味いな。酒が進みそうだぜ」

 受け取りにやってきた魔理沙は珍しそうに橋田の作った物をつまみ、感想を口にした。

「一部だけな。そういやぁ魔理沙さんって魔法使いだろ?あんたがつまんだその料理は温めても美味いから、火を出すなりしてやってみてくれ」

「わかった。ありがとさん。じゃあ手伝ってくれ」

「何を?」

 突然の魔理沙の頼みを橋田は理解できなかった。腕を組みつつキョトンと90度に首を折って質問する。

「乙女にこれだけ全部運ばせるのか?頼むよ」

 エヘンと偉そうに腰に手を当てて踏ん反り返える魔理沙。

 おおよそ、物を頼む人間の姿ではない。

「駄賃はいくらで?」

「サービスだろ?」

「そんなのは食堂からの依頼の内に入ってなかったもんでね。残念ながらタダ働きは無理だ。ボランティアの方々に頼んでくれ」

 顎をかきながら橋田は答える。

「男なんだし、力あるんだろ?良いじゃないか」

 笑顔は崩さず魔理沙は食い下る。

「魔法使いなんだし、空飛べるんだろ?運べるじゃないか」

 同じくらいにこやかな笑顔で橋田はそう返す。人間はまるまる同じ風にやり返されるのが弱いのだ。実際魔理沙も折れた。

「わかったよ。悪かった。安くても良いんだな?」

 魔理沙は本当に駄賃程度の金額を提示した。

「ええ。そんなもんで結構ですよ」

 ニコニコと橋田は金を受け取ってから、料理を運び始めた。

 

 実際のところ、サービスはできなくもないし簡単にやれてしまう。

 しかし一度無償奉仕の前例を作ってしまうと、その話を聞いた他の客にもサービスしないといけなくなる。

 そうなってくると、いよいよをもって都合の良いボランティアマンの出来上がりだ。

 金持ちなら何とかなるが、あいにくと橋田はその日暮らしの貧乏人である。

 安くても良いから金を取った方が後々面倒にならないのだ。

 

「こんな駄賃程度で運んでくれるのは結構だが、妖怪がかなりいるからな、ビビるなよ?」

 ルンルンで運んでいた橋田は、その魔理沙の一言で凍りついた。

「やっぱもうちょいもらって良いですかね?」

「ダメだ。それで契約したんだ。ちゃんと働いてくれよ?」

 魔理沙はニヤニヤと笑いながらそう返す。そのニヤついた顔を見た橋田は理解した。

「仕返しですかい。くそぉ!」

 もはやヤケクソで博麗神社までの階段を登っていった。

 

 魔理沙と一緒に大量の料理を運んだ橋田は博麗の巫女への挨拶もそこそこに、妖怪が集まりきる前にさっさと帰っていったのであった。

 

 

 後日、橋田は報酬を受け取りに食堂へ赴いていた。

「あんた雇って良かったよ。霧雨のお嬢さん喜んでたわ。これ、おまけね」

 渡された金はそこそこあった。かなり色をつけてくれたらしい。

「そういえば…。あれ、あの二つのやつ、なんて名前だい?」

「あれ?鬼まんじゅうとどて煮」

「おに?なんだって?」

「鬼まんじゅうと、どて煮だよ。愛すべきわが故郷の郷土料理さ」

 橋田は少しだけ得意そうに言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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物を売るときは納得してもらってから

「ついに来たか、香霖堂…」

 橋田は久しぶりに里を出て、魔法の森の入り口まで出向いていた。

 到着地は香霖堂。目的は例の宇佐美ナニガシとやらに会うためだ。

 いるかどうかは分からないが。

「しかしまぁ…。これは…」

 橋田はため息をつきながら店の外観を眺める。

 店の入り口に商品(?)が乱雑に置かれていた。

 

 橋田の経験上、入り口が汚い家や店の主人は厄介な人間が多い。

 経験上なだけで勿論例外もある。別段、統計したわけでも心理学だのを勉強した結果に基づいた思考ではない。

 単純に経験値だけではある。

 しかし、これが結構当たるのだ。

 ヤンキーな家庭、ぐうたらな家庭、だらしない家庭、金に汚い家庭、金に疎すぎる家庭…etc

 お世辞にも良い人間の住む家庭とは言えないところが多い。

 反対に、政治家や資産家の家はもちろん、中流家庭でもちゃんとした主人のいる家庭は入り口が綺麗なところが多い。

 

 そういうのがあって、橋田は結構身構えていた。はじめから気合いを入れていかないと気圧されるからだ。

「よしっ!行くぞ!」

 橋田は香霖堂の扉を押して中に入った。

 

「…」

 静かだった。客が入ってきたのにもかかわらず、挨拶は無い。というより、店主が居なかった。

 物が乱雑に置かれている割には歩きやすい店内だった。

 道具屋というだけあって、日用雑貨から何から色々置いてある。

 食器、筆記用具、傘、剣、炭、ノーパソ、キーボード、ウィジャ盤…。

「マリクが使ってたやつだ」

 里でよく見かける道具だったり、よく見かけなかったり、よく分からない物だったり、外の世界でよく見たものだったりがてんでバラバラに置かれていた。

 陳列という言葉を使わないのには理由がある。値札が無いのだ。

「お、手回し充電器がある。ちょっと欲しい」

 橋田が幻想入りした時に持ち込んでしまったスマホの充電が可能な物がそこにはあった。人力で電力を生み出す災害用のものだ。もちろん値札は付いていない。

 

 橋田がしげしげと道具を物色していると、奥からトコトコと歩いてくる音が聞こえてきた。

「やぁやぁ、すまなかったね。丁度客が来ていたもので。いらっしゃい…おや?」

 奥から出てきたのは、丈の高い青年だった。どうやら彼が店主の森近霖之助らしい。

 水色のボサボサ頭でザッパなイメージを一瞬持たされるが、服装を見るとそれが払拭される。

 手の込んだ装飾こそ無いが、キチンと手入れされているような清潔感が出ている。

 髪の色に合った色合いで、それが彼の神秘さを出している。

 そして何より…。

「眼鏡をかけている」

 眼鏡は良い。男も女も、眼鏡はかけるだけで魅力が何倍も何千倍も増す。人類が生み出した世界最高のマジックアイテムである。

 もちろん霖之助も例外ではない。眼鏡をかけている彼は、非常に知的な雰囲気を醸し出し、物静かな美青年というイメージを湧かせる。いい男だ。

 ちなみに橋田は男色家ではない。

「かけていてはダメか?君はいつも初対面の者にそんな態度を取っているのかい?」

 橋田の一言を聞いた霖之助はもちろん怒る。人差し指で眼鏡のふちをいじりながら顔をしかめていた。

 橋田は褒めているつもりでも、『眼鏡をかけている』だけでは微塵も伝わらない。霖之助には真逆なイメージが伝わってしまうのだ。

「ああ、すんません!眼鏡が似合っている珍しい方だったので、つい…」

「ほ、褒めていたのかい?それは失礼した。ところで…」

 

 霖之助はズレた眼鏡を指で上げ、言った。

「君が噂に聞く最近来た外来人かな?」

「どんな噂かは存じ上げませんが、たしかに最近外から来た人間ですね」

「そうかぁ…惜しかったね」

「何がです?」

「いや、つい先程まで君と同じ外来人が来てたんだよ。もう帰っちゃったけどね。君がもう少し早く来てくれたら会えたかもしれないって意味でね」

「ああ、残念ですねぇ。ちなみに来てた人間というのは宇佐美なんとかって子ですか?」

「へぇ、よく知ってるね。もしかして天狗が書いた新聞読んでたりするのかな?」

「あはは…まぁ、人並みには…」

「妖怪並みにはって所かな…いや、妖怪もしっかり読む輩はそんなに多くはないから…妖怪以上だね。超越者だよハハハ!」

 

 自分で言った冗談に笑う霖之助を橋田は警戒する。

 良いか悪いか判別がつかないので隠していたので、バラされると面倒なのだ。

 橋田が少し引いていぶかしんだ顔をしたのを見て、霖之助は手をヒラヒラと降って橋田の反応を否定した。

「あ、いや、別に警戒する必要はないよ。僕は半分妖怪だからね。里の人間にバラす事もなければ、妖怪の情報を知っているからと言って喰うわけでもないよ。そもそも天狗の書いた新聞なんて大した情報でもないから隠すようなものでもないし」

「はぁ、何やら貫禄があるなと思ったら、妖怪だったんですね」

 橋田は警戒を解き、頭をボリボリかきながら霖之助にそう言った。

「半分ね。半分は人間さ。里の寺子屋の教師と似たようなものだよ」

「さようですか」

 橋田は顎に手を当てて、寺子屋の教師とやらを思い浮かべた。

 教師というと1人しか居ないような気がしたが…。すると彼女は半分妖怪だったのかと。

「さようだよ」

 霖之助はクククと拳を口に当てて笑っていた。何が面白いのやら分からないが、何かが面白かったらしい。

 

「ところで…宇佐美君の名前が出てきたって事は、君は彼女に会いにきたのかな?」

「概ねあってますよ。外の世界と行き来が自由だと聞いて、どうやっているのか知りたくてですね」

 橋田がそう答えると、霖之助は腕を組み、少しだけ難しそうな顔をした。

「むぅ。彼女の場合は特殊だからねぇ…。君には難しいかもしれないな」

「それならそれで結構なんですよ。持ち運びができるならやってもらいたいことがありますし」

「そうかい?そうしたら彼女が来たら伝えておくよ。次はいつ来るんだい?」

「次ですか?さぁ…て…」

 橋田は懐から手帳を開き、パラパラと予定を見ていた。

 残念ながら、来月まで毎日仕事が入っていた。休みはない。

 

「んー。丁度予定が埋まってるんで、来月になりますねぇ」

 ため息をつきつつ手帳をしまいながら言った橋田を見た霖之助は腕を組み、椅子の背に深くもたれた。

「それは残念だ。まぁ、彼女はかなり頻繁に来るからいつでも来ると良い。丁度今くらいの時間だ。外来人はこの時間よく寝てるのかな?」

「寝てる?」

 霖之助の言葉に首をひねる橋田。

「ああ、彼女は幻想郷には夢を見るという形で来るんだよ。一応、物の持ち運びは出来るみたいだけどね」

「なるほどなぁ、たしかに私には無理ですね。夢を使って移動するなんて出来ませんから」

 

 宇佐美氏の特殊能力を聞いて少しだけ残念に思った橋田だが、それほどのショックは受けていなかった。

 橋田が気にしている点はその事実ではない。

「それにしてもこんな時間に寝るのか…」

 こんな時間に寝られる宇佐美氏についてである。

 新聞の写真を見た感じ、行って20代程度の女の子である。

 はたしてそんな娘が寝られる職業なんてあるものだろうか。

 そう考えていた。

「こんな時間に寝られるなんて学校に通ってる子供か外回りの営業くらいですよ」

「そうそう。彼女は高校生(?)とか言ってたね。外の世界の中等教育(?)とやらを受けている学生さんらしいよ」

「なるほど、不真面目な生徒だ」

 高校生なら今くらいだと、ちょうど昼飯が終わって5限目が始まった程度の時間だろう。

 頻繁にくると言うのだから、授業の内容なんてものは全く聞いていないだろう。教師泣かせである。

「なのかな?分からないけど、寺子屋のような授業が1日中ずっとあると思うと、寝てしまうのも分かる気がするけどね」

「たしかに」

 橋田は一度だけ寺子屋の授業を聞いていたが、慧音の話があまりにもつまらないので眠っていたのを思い出した。

 過去の話を文章読み上げソフトのように淡々と読み上げていくだけなので、睡眠導入にはぴったりのものだったのだ。

 授業の途中で目が覚めたのだが、それは額の痛みに気がついたからだ。

 目を開くと慧音氏の無表情な顔が眼前に映っていた。彼女の額は若干赤くなっていた。

 慧音を目視した瞬間に謝った橋田は賢明と言えよう。

 

「というわけで、今日はもう帰ってしまったからまた今度来ると良いよ。何か伝えときたい事あるかい?」

 橋田が慧音の頭突きを思い出していると、霖之助が伝言を提案してきた。

 しかし、橋田には特に宇佐美氏へ伝えたい事は何もない。

 橋田自身が外の世界へ戻れない事と、宇佐美氏は物の持ち運びが可能という情報で十分ではあったのだ。

「そうですねぇ…。まぁ、特に何も伝える事はありませんよ。私が訪ねてきたって事だけを言ってくれれば」

「わかった。君が彼女を訪ねに来るかもしれないという事を言っておこう」

「ありがとうございます。ところで…」

 橋田はずっと手に持っていた充電器を霖之助の目の前に置いて言った。

「これ、いくらですかね?」

 

 

 そして日が暮れ、人間の里が静まる時分。

「しかしまぁ、今月の生活費の8割持ってかれたな…。使い方も知らないのによくもまぁあんな金額を出せるよな」

 じーこじーこと手回し充電器を回しながらぼやく橋田がそこにはあった。

 持ち金のほとんどの値段を言われた橋田は、迷いもせずに充電器を購入していた。

「おっ。ようやくついた」

 長い間電気が供給されなかったスマホに光が灯った。

「電波も来てないし、使い道は…。音楽聴くのと手帳とそろばんの代わりくらいか。後は…。計測と照明だな」

 スマホに電源が入っても、じーこじーこと動かす橋田の手はまだまだ止まらない。十分に溜めておきたいのだ。

「でも、行って良かったな…。出来ないことと出来ることが分かったし、充電器も買えたし」

 じーこじーこ。まだ充電は終わらない。

「森近さんはなかなか良い青年だったなぁ。まぁ、経験則なんてもんはアテにならないんだな」

 じーこじーこ。そろそろ満タンになる。

「よし、満タンだ。ああ!疲れた!明日は貸本の回収か。さっさと寝るかぁ」

 100%と表示された充電の表示を見て満足した橋田は、そのままパタンと後ろに倒れ、眠ってしまった。

 なんだか外がざわざわとしているが、それも気にならない程度には橋田は疲れていた。

 明日も早い。

 橋田の意識は少しずつ落ちていった。



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情報操作は常套手段

時系列順には書いてません。てんでバラバラです。


「だからね、餅の硬さとか味が決め手なんだよ!」

「人間は飽きやすい生き物なんだからそんなの気にしないよ、種類が多い方が売れるんだって!いつか逆転するんだから!」

 二匹の兎が何やら言い争っている。

 彼女たちの目の前にあるつきたての団子と帳簿についての口論のようだ。

 唾を飛ばしながらワーキャーと互いの理論をぶつけ合う二人の姿は軍人の気迫が垣間見える。

 絶対に負けないという気概で満ち満ちている空気だ。

 

「情報部の私が言うんだから間違いないって!」

 黄色の服を着た少女が豊満な胸を張ってえばる。彼女の手には、モチモチとして大きな団子があった。

「人間と一番接点あるのは私だもん!」

 青い服を着た少女はドンと畳を打って前に出た。彼女の横には別々に味付けがされた串団子が置かれていた。

 黄色の少女は青の少女の横にある団子を一瞥し、フンと鼻を軽く鳴らしてから手に持っていた団子を一口で食べた。

「MGMGごくん。それなら試してみようか?」

「望むところよ!」

 青の少女はそう喧嘩を買うと、横にあった団子の一つをはむっと勢いよく食べた。

 

 

 幻想郷は、外の世界と比べて食べ物屋の種類が極端に少ない。

 土地の広さの限界もあるし、物流が制限されているものもあるし、知識が入ってこないという理由もある。

 また、狭い世界なので大半の食事処には特筆すべき事は無く、里の商店街を歩いても、蕎麦屋から十軒ほど歩いたらまた同じメニューしか置いていない蕎麦屋があったりするのだ。まぁ、フランチャイズが蔓延る外の世界でも往々としてある話ではあるが…。

 

 反面、同じような食べ物を提供しているだけあって、常にライバルとの差を離す為の努力や情熱の入れようは外の世界よりも強い。

 同じ蕎麦屋でも、混ぜるうどん粉の量を変えたり、だしの味付けを濃くしたり薄くしたりなどと、日夜顧客の研究に勤しんでいる。

 また、娯楽が少ないので食い物屋に行くしかないというのもある。

 だから違う団子屋が同じ場所に併設されていても、そこまで互いの店のダメージは少ないのだ。

 もちろん、客は二つの店舗にばらけてしまうので多少は売り上げが減ってしまうのは確実なのだが、目に見えた競争が無かった人間の里では互いが互いを常に意識しながら営業しているスタイルが新鮮だったのか、団子屋にしてはかなり盛況な方であった。

「とは言い過ぎかな?」

 己の考察に対して、橋田が一人で勝手に照れながらそう言った。

 

 橋田は今、二つの並んだ団子屋を眺めている。

 黄色い服を着た少女が経営している鈴瑚屋と、青い服を着た少女の店の青蘭屋の二つである。

 開店当初から、美少女二人が売り上げを競って商売していると、娯楽に飢えた里の人間達が集まっていた。

 その美少女団子屋のバトルを眺めていた。もちろん二つともの店から団子を買ってからだ。

 団子の食べ比べという糖質制限をしている人間にとっては発狂ものの愚行を犯している橋田は、その危うさを感じながらも楽しんでいた。

 青蘭屋の団子は種類が豊富だ。

 何も付いてないもの、アンコ、きな粉、三色…etc

 見ていて飽きがこない。

 一方の鈴瑚屋は、何も付いていないただの焼き団子一つのみで勝負している。職人魂を感じる商売だ。

 どちらも橋田の舌を楽しませる程の味である。

 

 美少女団子屋が出来てからひと月ほど経っているが、現在は鈴瑚屋の方が優勢である。

 行列の半分以上は鈴瑚屋に行っている。

 理由は味の質と食感らしい。団子の甘みと大きさと食感が良いとの事だ。

 しかし橋田はそのあたりが全く分かっていない。

 というのも味だのなんだのについては、里一番の食いしん坊で美食家を自称する長屋の大家が『団子の甘みがうんぬんで、食感がうんたらで、大きさはなんたらで…だからこっちのが美味い!』と鈴瑚屋の団子を食って、うんちくを述べたからである。

 大家の舌はそれなりに参考になるという事で、里の人間はそっちの方の団子を中心に買い始めた。

 次第に里の人間達の間では『鈴瑚屋は味が良い』という風潮が流れていた。

 

 が、橋田が気に入っているのはもう片方である青蘭屋の団子だった。

 劣勢な方に着きたいという橋田のひねくれた性格もあるのだが、1番の理由は味の種類が豊富だからである。

 橋田は食うのは好きだが味の違いは分からない。

 非常に不味いかそうでないか程度でしか分からないのだ。

 だから団子の違いを言われても、食べ比べても、味はどちらも一緒だと思うのだ。

 だから、同じ団子しか売ってない鈴瑚屋よりも、様々な味付けがなされている青蘭屋の方が好きなのだ。

 

 橋田は二つの店の売れ行きや、買った帰りの人間の会話なんかを聞きながら、もぐもぐとしていた。

「正直、買ってる民衆の大半も味の違いなんて分かって買ってねぇよなぁ」

 三本目の団子を食べ終えて、ふうと茶の苦味を楽しんでいた頃にそう言った。

 すると団子を売っていた二人の美少女に、付け耳のようなものが現れてピクピク動いているように見えた。一瞬で消えてしまったが。

 すぐに見えなくなった兎のような付け耳だが、一度見えてしまうと以降も謎の違和感があるように見えてしまう。

 そこで橋田は気がつく。団子屋の美少女達は、人間に付いているはずの位置に耳が無かった。

 はじめは髪に隠れて見えないだけなのかと思っていたが、やはり無い。というより、そもそも耳なんかわざわざ見ないのでさっぱり気がつかなかった。

 

 妖怪と何度か交流のある橋田は、美人・美少女で珍妙な格好をしているのは大抵人に化けた妖怪であるというのに最近気づいた。

 となると、

「あれ…兎の妖怪なのか…」

 という帰結になる。

 兎の妖怪と気づき改めて団子屋の方を見てみると、青蘭屋の娘の方が橋田の方をジッと見つめていた。

 すると何処からともなく『そこにいろ』と聞こえてきた。

「また妖怪関連の仕事の匂いがする」

 橋田は少しだけ身構えることにした。

 

 

 結論を言うと橋田の予感は当たっていた。やはり美少女団子屋の二人は妖怪で、やはり妖怪が商売を持ちかけてきた。

「あれってどういう事?」

 団子屋が閉まった夕刻。青蘭屋の少女が声をかけてきた。腰に両手を当て眉を吊り上げて、何故か憤慨している様子である。

「え?ああ、団子屋のお嬢さんですか。あれって?」

「みんな味の違い分かって買ってないって」

「ああ。やっぱりその耳聞こえてたんですね」

「質問に答えて」

 青蘭屋の少女は何処からともなく大きな杵を出し、橋田の目の前に突き付けた。

かなり重いように見える杵だが少女は軽々と扱う。明らかに橋田よりもパワーがあるし、下手に怒らせると間違いなく死ぬのは明白であった。

 

 橋田はなるべく落ち着いた表情を見せて説明する。

「そのままの意味ですよ。大衆のほとんどは味の違いなんて分かって買ってない。あれは情報を買って食ってるんですよ」

 これまで妖怪と相対しても、直接武器やらなんやらを突き付けられた事が無かった橋田はかなり緊張している。脂汗がじわじわと橋田のひたいを埋めていく。

「じょ…何を言ってるの?」

「美味いと聞いたから美味いのだろうと思い込んで美味いと言って買ってるんです。…言ってて自分が混乱してきた」

「えっ…?人間ってそんなに単純なの?」

「やっぱり妖怪でしたか」

「ゔっ…。仕方がない、貴方を拘束する!」

 少女はそう言いながら杵の持ち手を引っ張ると、ジャラジャラと鎖が出てきた。

 

 橋田は少女が使うトンデモ武器に驚きながらも、まぁまぁと少女をなだめた。他人を落ち着かせると自分も落ち着いてくる。

 しっかりとお互いに落ち着いた所で、橋田は説明を再開した。

「良いですかい御嬢さん。あれは味の違いがわかる里の男がうんちく垂れて高評価したって時点で、既に貴女との店の差が付けられちまったんですよ」

「んんん?言ってる意味わかんないんだけど?」

「んー。あれはいわゆるサクラというヤツです。外の世界風に言うならば、ステマというヤツです」

「えっ、あれが?」

「そう」

 そう言って橋田は腕を組みため息をついた。

 

「あれは効果絶大ですよ。何がって、美食家と知れ渡ってる里の人間を起用したんですからね」

「で、でも一人の人間が宣伝したってそんなに広まらないでしょ?」

 少女は杵を何処かへ仕舞って橋田の話を聞く姿勢に入った。もう安全だろうか。橋田は話を続ける。

「普通はね。あれの酷い所は、知名度のある買い手側の人間を使ったって事なんです。そんじょそこらの人間を使ってやったり、売り手側の輩が散々宣伝したりしても、ほとんどの人間は耳に入ってこないんです」

「ふーん。なんで?」

「例えば貴女のとても親しいご友人が蕎麦屋を紹介するのと、見知らぬ蕎麦屋自体が客引きするの。どっちの方に耳を傾けますか?」

 

橋田がそう聞くと、少女は目をパチクリして橋田を見た。何言ってんだコイツ?というような顔である。

「そりゃ…友達だよ」

 少女は顎に人差し指を当てて、不安そうに斜め上を見上げながら答えた。

「そうですよね。で、今回の場合は大家の旦那がその友達の役をかったわけです」

「買い手側の人間が宣伝したってこと?」

「そういうわけです。しかもあれは宣伝していないんですよ」

「え?宣伝してなかったっけ?」

「いや、大家の旦那は『こうこうこうだから鈴瑚屋の団子の方が美味い』と言っただけです。感想を口にしただけで、買えとは一言も言ってないんですよ」

 

 日も落ちかけて肌寒くなってきた。行燈に火を灯す店もチラホラ見えてくる。

「人間ってのは、押されると引く習性がありましてね。『買え』って言われると購買意欲が無くなるんですわ。だから上手い宣伝の多くは直接的には言わずに『私はこれが気に入った』というのを表面に出します」

「ふーん。で?」

「専門性の高い人間がその商品を推すと、それに関して知識の無い人間の大半は、その推された商品が本当に良いものだと思い込むんです」

「じゃあ、貴方の言ってる事をまとめると、里の人間の中でも食に関して有名な人が遠回しに大衆を扇動してるって事になる?」

「ま、そんな感じですなぁ。扇動とまでは行きませんが、似たような事やってるわけですよ。つまり貴女は情報戦に負けたという事ですね」

「かぁ〜!鈴瑚の奴、なんかやけに自信あるように見えたのはそういうわけか!」

 少女は指をパチンと鳴らして悔しがった。妖怪のくせにアメリカンスタイルである。

 

 そんな少女を見ながら橋田は頭をボリボリかきながら言う。

「まぁ商売なんてのは、本当の良し悪しなんてのは関係無くて、情報操作が大事ですからねぇ」

「そんなの関係ないと思ってた…」

 橋田の言葉を聞いて意気消沈する少女。

「商品の良し悪しだけの世界だったら、iPh◯neやダイソ◯なんて日本で売れてませんよ」

「言ってる意味がわかんない」

 ぶすぅと頰を膨らます少女。とても可愛らしい。このように可愛らしくする事で妖怪は人間の警戒心を薄めるのだ。

「ですよね」

「むー。じゃあどうするべきか…」

「まぁ、同じ戦法を取るか、反対に向こう側の評判を落とすかどっちかですかねぇ?」

「評判落とすってのはやだな…。鈴瑚可哀想だもん」

「じゃあ自分とこの評判あげますか?」

「そうしようそうしよう!で、どうするの?」

ぴょんぴょんと嬉しそうに飛びながら橋田に寄っていく少女。

「む…。私で良ければ…なんですが、得意ではないんですよねぇそういうの」

「手伝ってくれるならお願いするよ。聞いてるよ?貴方、外来人のフリーターでしょ?それなりに知名度あるんじゃない?」

「知名度はあっても専門性も説得力もありませんからねぇ…。あ、お手伝いするならこういう条件はどうでしょう?」

「なになに?」

 人間と妖怪は日が暮れて暗くなった団子屋で、近くの店の灯りを頼りに作戦を練っていった。

 

 

 そして幾日が経った日である。

 相変わらず鈴瑚屋は盛況で、一方の青蘭屋は大したことのない列ができていた。

 炭焼きの串団子に甘醤油を付けた団子を橋田は満足そうに持っていた。

 それを見た里の人間の一人が橋田に声をかける。

「おや、橋田さん、その団子はなんだい?」

「これ?青蘭屋の新商品さ。みたらし団子。俺の故郷の味付けでね、青蘭屋の娘さんに頼んで作ってもらったんだ」

 橋田は醤油色に染まった串団子を男性に見せた。

 焼いた醤油の香ばしい匂いがふわりと漂ってくる団子は、空きっ腹でもないのに食欲が湧いてくる。見せつけられた男性は自然と口の中に唾が溜まってきた。

 

「これがみたらし団子?普通甘ミツをかけるんじゃあないのかい?しかも結構買ったねぇ」

 男性は橋田の手元を見て言う。たしかにいくら橋田が大食漢だとはいえ、彼の手の中にはみたらし団子が十何個とあった。

「俺の地元じゃあこれがみたらし団子なんだよ。何個食っても何年経っても飽きない味がたまらないんだ。家族とか仲間内とか隣近所に配って食うんだよ。…む、ああ…。懐かしいなぁ」

 団子を飲み込むたびにハァとため息をつきながら懐かしむ橋田を見た男性は、たまらず青蘭屋に飛び込んだ。

 すいているのですぐに買いに行ける。

 

「お嬢ちゃん、みたらし10個ちょうだい!」

「はいー10個ですねー!ありがとうございます!」

 青蘭から包みを受け取った男性は、持ち帰るのも待ちきれずに早速一本口の中に入れた。

「硬いしもちもちはしてないけど、磯辺焼きみたいな甘い醤油が焦げた香りが良いなぁ…。餅みたくやわっこくないからどんどん入るね。橋田さん、美味しいよこれ!」

 必要以上に好評する男性であるが、べつに橋田と同じサクラではない。単純にこんな性格の男なのである。

 橋田はそれを知った上で、あえてこの男性の目の前で青蘭屋の新商品を食っただけなのだ。

「嫁さんに食わせてやりなよ。最近夫婦仲良くないって聞いたし、これで話作りなよ」

 橋田の言葉に、そうするよと返事をした男性は意気揚々と帰っていった。

 

 男性を見送った橋田は青蘭の方を振り返り、ニヤリと笑った。

 月の兎である青蘭から受けた仕事はもちろんサクラである。

 橋田が目をつけた人間の前だけで団子を食べ、少々オーバーに感動する。

 それに感化された人間に感想を言わすのだ。

 もちろん、鈴瑚屋のサクラをしたであろう長屋の大家の前でもやった。

 効果は絶大…というわけではなかったが、日が経つにつれ鈴瑚屋に並んでいた客が少しずつ青蘭屋の方へも並ぶ者が増えていった。

 

「ありがとう。おかげで少しずつだけどお客さん増えたよ!貴方、人間にしてはよく考えてる人なんだね」

「上手くいくかは博打でしたけど、なんとかなりましたね。いやぁこんな緊張する仕事、これで最後にしたいですよハッハッハ!」

 今回の仕事は契約料をいくらいくらと決めて取ってはいない。

 橋田自身慣れている仕事ではなかった為、閑散期より増えた売り上げの何割かをもらうだけにしていた。

 効果が無かった場合に責任が取れないからだ。

「鈴瑚の奴、悔しがってたよ。『何でバレたー!?』って。ふふふ」

「そりゃ良かったですねぇ。悪巧みを悪巧みでやり返すと面白いでしょ」

「うんうん!あと、新商品の提案もありがと。美味しいね、あれ」

「私の好物の一つですからねぇ。どうしても食いたくなったんですよ。こちらこそ、作ってくれてありがとうございます」

 橋田と青蘭は互いに負けじと頭をペコペコ下げて礼を言った。

「じゃ、また何かあったらよろしくね!仲間にも宣伝しておくよ!」

「それは…まぁ、あ、ありがとうございます。巫女に退治されない程度でお願いしますね?」

「あ、そっか、貴方人間だもんね。わかった!バイバイ!」

「どうもどうも」

 青蘭はブンブンと腕が飛んでいきそうなほど振り、橋田は腰が折れそうなほど会釈して別れの挨拶をした。

 2人は別れていった。

 

 

 しばらくして、二つの美少女団子屋は里の人間達の中で上手い具合に住み分けがされていった。

 鈴瑚屋は、行事や来客用に出す良質な団子を扱う店。

 青蘭屋は、家族や仲間内に買っていくような気軽に買える団子を扱う店。

 そんな風潮が流れていった。

 

 

 今日も二つの団子屋は、どちらも盛況である。




青蘭の武器はテキトーに考えました。
こんな武器あったらなぁ。と。


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言っても聞けない事柄

 橋田が幻想郷の生活に慣れきった頃くらいだろうか、木枯らしがカラカラと鳴いている時期である。

「そろそろ冬支度を考えないとなぁ。いやぁ、去年は散々だったし」

 などと部屋でゴロゴロしながらボヤいていると、隣近所の男性が焼く前の煎餅を持ってやってきた。

「よお橋田。暇か?」

「忙しそうに見えるかい?今日は羽休めの日さ」

「そうかそうか。それは重畳だ。ツマミ持ってきたからよ、飲もうぜ?」

 男性は嬉しそうにそう言うと、奥から火鉢を取り出し火をつけはじめた。まさに勝手知ったる人の家である。

「昼間から酒なんてヤクザな事できるのは仕事のない日だけだし、どうせなら悪友の酒を飲んでやろうと来たわけか」

「いやぁ悪いな橋田。こんな時分に酒をしこたま飲んでも怒らないのはお前だけだし、潰れるまで飲める量の酒をストックしてるのもお前だけだしな。つまりお前が悪い」

「言ってろ」

 そう言いながらも橋田は笑いながら奥から一升瓶を取り出した。

 無類の酒好きな橋田は事あるたんびに酒を買うのだが、コップ2、3杯飲んだ程度でヘロヘロになってしまうほどなので、酒のストックは増える一方なのである。なので定期的に長屋の仲間を呼んで小さな宴会をしていたりするのだ。

 

 パチパチと煎餅が膨らむのを眺めながらチロチロと舐めるように酒を飲む。

「ほい、醤油」

「ありがとさん」

 ほろ酔い加減になってきた頃合いで、焼けた煎餅に醤油を塗ってバリッといく。

 外の世界でよく食っていた硬い煎餅も好きだが、この柔らかい煎餅もまた絶品だ。

 酒がすすむ。

 

 日が沈みはじめ、橋田もいい加減に酔いが回ってきた頃である。

 煎餅の焼ける匂いと酒臭い談笑に気づいた長屋の飲み仲間どもがツマミを持ち寄り集まり始めた。

 魚だの鶏肉だのなんだのを焼いたりしてツマミを作っていると、1人が橋田に言った。

「そういやぁ橋田、キミは竹細工屋の爺さんの話を知っているかい?」

「竹細工ゥ?野菜なんて焼肉ん時に焼くなよ。そんなに野菜が焼きたいなら焼き野菜屋に行けェ!」

 橋田はもうヘロヘロである。瞼も半分以上閉まっており、閉店時間までのカウントダウンが始まっていた。

「野菜じゃないって、竹細工!」

「焼き野菜じゃねぇの?生野菜か!?生野菜が食いたかったら生野菜屋に行けよ!」

 もう橋田は人の話を聞いてすらいない。完全に呑まれている。

「ガハハハ!そりゃ八百屋じゃねぇか橋田!」

 別の男が橋田にツッコミを入れる。ガヤがうるさい。

「フヘヘ!たしかに!じゃおやすみ!」

 と橋田が言った途端にバタンとひっくり返って大イビキをかいて眠りこけた。酔っても挨拶は忘れない変に几帳面な男である。

「まったく…。ああ寝てろ寝てろ!酒は僕等が責任を持って処分しておくからさ!」

 騒がしい夜は更けていった。

 

 

 寒い。チチチと小鳥がさえずるのが目覚ましとなって、橋田はむくりと起きあがった。日が沈む前に寝たのもあって快眠である。

「エッホエッホ!イビキかいて寝ちまってたなこれは…。うわぁ…」

 自分の部屋を見回して、小宴会の惨状に言葉を失った。

 空の瓶を抱いて寝ているものが数名。土間に頭を垂らしてうつ伏せになっているのが1名。寒かったからなのか、男同士で抱き合ってイビキの掛け合いをしているのが何組かあった。宴会のたんびにこうなるので、最早見慣れた光景ではある。

「おう!起きろ!お前さんがた、今日も仕事じゃねぇの?ほら!」

 べしべしと蹴って、まだ酒の臭いが残る野郎どもを起こしにかかる。

「や、やめたまえよ橋田…。頭に響くじゃあないか」

 一番はじめに起きたのは会計士の男だった。頭を抑えて深いため息をついている。完全な二日酔いである。

「そういやぁお前さん、竹細工屋の爺さんがどうとか言ってなかったかい?」

「ああ…。でも今度にしてくれ。今は…口を開けたくない」

「 吐くなら便所に行けよ」

「うん…ゔっ!」

 えずいた男を便所へぶち込み、橋田は片付けを始めた。

 ちなみに橋田も今日は仕事である。

 

 

「そういやぁ、橋田さんて竹細工の話を知ってるかい?」

 大工の奥さんからそう言われたのは、昼飯を食い終わって茶で口をゆすいでいる時だった。

「なんだって?」

「ここいらで最近みんなしてる話さ。銭湯帰りの男が、竹細工屋の爺さんが売り物の籠を持って厠へ駆け込んで行くのを見てね」

「おおい、母ちゃん。そんな話は後で良いからさ、仕事に戻らせてくれよ」

「そうだね、ごめんねぇ父ちゃん、橋田さん」

 今日の橋田の仕事は新しい長屋を作る手伝いだった。

 意外にも橋田は力仕事もいける。大工の手伝いはなかなか単価が高いので結構な頻度で受けるのだ。

「いや、こっちこそすんません。じゃあ親方、手伝いますよ」

 飲んでた茶を置き、橋田は材木を取りに行く。

 昨日の今日聞いた話をまた聞いたので、なんとなく後ろ髪を引かれる思いだ。

 

 親方が急かすのも仕方がない話で、つい先日に長屋で火事があったのだ。

 長屋の火事は後処理がいろいろ面倒で、火の手が長屋全体に広がらないように火の進行方向にある部屋を潰すのだ。

 その為、最低でも火元の部屋+両端の部屋も潰れてしまうことになるので、そこに暮らしていた住人は追い出されてしまう形になってしまうのだ。

 幸い長屋は簡素な作りなので、一週間と待たずに修復は終わるのだが、大工の方はさっさと直さないと住人からブーイングが飛んできてしまうので焦るのだ。

 というわけで、まったりしている暇は無いのである。

 

「しかし気になるなぁ」

 橋田は人の話をする時、話半分で聞く。仕事や自分の事などの重要だと思った会話だけしっかり聞くのだ。

 だが、今回の奥さんの話はなかなかに興味をそそられた。

 やたら中途半端なところで止まったのだ。気になるに決まっている。

「おおい橋田ァ!クギ取ってきてくれぇ!」

「はいー」

 が、今は仕事が忙しい。親方が怒る前に世間話は一旦忘れて仕事に集中するのが吉だ。

 

 

「いてて」

「悪い橋田、若いのがやっちまって…」

 親方に謝られながら橋田は腕を冷やしていた。屋根に登って作業していた大工が手を滑らせて、材木を橋田の頭の上で落としたのだ。

 とっさに腕で庇ったのでなんとか怪我は腕だけで済んだが、その腕が痛くて仕事にならない。

「いや、仕方がないですよ。こういう仕事してたらこうなるのは分かってやってますから。気にしないでください」

「すまんなぁ」

 親方はため息をついた。他所からの応援に怪我をさせると後々面倒なのを知っているからだ。橋田の事はある程度知っている親方でも杞憂してしまう程度に。

 それは何かというと、怪我して怒った応援や手伝いが、あらぬ噂を立てて評判を落としたりするのだ。

 そんな程度とは思うかもしれないが、商売は評判で成り立つ。落とされたら食いっぱぐれてしまうのだ。

 橋田自身はそんなつもりは一切無いのだが、親方の方は気が気でない。

 

「腫れてるからまぁ大丈夫だろうが、念のため医者に診てもらうと良いぞ。永遠亭に行けばちゃんとしてくれるだろう」

「医者ですか。医者ねぇ…」

 医者と聞いた橋田はあからさまに嫌な顔つきをして、痛くない方の手でボリボリと頭をかいた。

「なんだよ橋田。医者嫌いなのか?」

 橋田の反応を見た親方は訝しむ。それはそうだ。医者が嫌いな人間は大抵ガキンチョか偏屈ジジイなのだから。

「ええ…まぁ。私らが分からない知識を持ってて、それを基に診断されるのは嫌で嫌で」

「言ってる意味がよく分かんねぇが、まぁヤブ医者かどうかなんてのは素人目にはわかんねぇのはわかる。それが言いてぇってことか?」

「まぁ、そんな感じです」

「馬鹿じゃねえのか?くだらねぇこと考えてないでさっさと行ってこい。永遠亭の永琳先生は名医だから安心しろ。ほら、金は出すから」

 親方に背中をはたかれ、医者へと促された橋田は不承不承腰を上げるのだった。

「ところで、永遠亭ってどこにあるんですか?」

 

 

 しばらくして…。

 橋田は痛みが続く腕をさすりながら、迷いの竹林の入り口で人を待っていた。

「アンタが案内頼んだ人か?」

 ぼけらっと空を眺めていた橋田に突然声がかかる。凛とした若い女性の声だった。

「ああ、すんません。そうです。永遠亭まで案内をお願いします。橋田と言います」

「そう。じゃ、付いてきて」

 少女はそう言うと、モンペのポケットに手を突っ込んだまま、竹林へ入っていった。

 会話に無駄がない。というよりコミュニケーションを取りたいという気概が見当たらない。

 橋田はまじまじと彼女を見ていた。

 

 くるぶし辺りまで伸びた白髪を大きなリボンでまとめているのと、お札のようなものが貼ってある真っ赤なモンペが特徴的なこの女子は、橋田の記憶にある人物だった。

 たしか名前は藤原妹紅だったような気がする。天狗の新聞に何度か載っていた。不老不死という非常にインパクトの強い特徴を持つ女性だったので記憶に残っていたのだ。

 

 実物を見て、こんなにクールなのかと若干感動していたのだった。

「あ、ハイ。よろしくお願いします。ええっと…よろしく」

「行くよ」

 橋田がもたついていると、彼女はしっかり止まって橋田の様子を見てくれていた。どうやら口下手なだけの女子らしい。

 途中で速度を緩めてくれるがそれでもサクサクと進んでいく妹紅を見失わないよう、橋田はしっかりと付いていく。

 

「藤原さん。これって本当に永遠亭とやらに着くんですか?」

「妹紅で良いよ。苗字で呼ばれると何かむず痒いし……?」

 妹紅は足を止めて振り返った。無表情だったのが明らかに怒った顔つきに変わっている。

「なんで名前知ってんの?」

 当然の疑問である。知らない男から教えたはずのない名前を言われると不快感しかないだろう。

「あ、すんません。花果子念報という新聞で妹紅さんを拝見しまして…」

「ああ、ブン屋の売れてない方か。里の人間も読むんだね」

 橋田に言われた妹紅はそれで納得していた。

 そういえば撮られてたよと妹紅は言う。何回追っ払ってもしつこく付きまとってきた時があり、面倒臭くなって相手をしなくなったのだとか。

「ええ。妹紅さんの事かっこよく書かれてましたよ。それで覚えてたんです」

「へ、へぇ。私がかっこよく?」

 橋田に褒められると、妹紅は憮然とした顔つきから若干緩んだ顔になった。

「ええ。浪漫溢れる風でした。良いですねえ」

「そっか。私がかっこいい」

 嬉しそうだ。

 本当に口下手なだけで、会話のきっかけがあれば話せる人なんだと橋田は感じ、ツラツラと歩きながら会話を続けていくのだった。

 

 

 そこそこ歩いていって、会話もするすると進んでいた頃くらいに、そういえばと橋田は切り出した。

「ああ、妹紅さんって竹細工屋の爺さんの話ってご存知ですか?」

「竹細工ぅ?…ああ、最近里の人たちが言ってるあれか。あれがどうかしたの?」

「いや、なんとなく最後まで聞けなくて、妹紅さんは知ってるかなって」

「私も話半分に聞いてたからあまり詳しくは言えないけど…。なんだっけな?えーっと…。銭湯帰りのおっさんが、竹細工屋の爺さん売り物の籠を持って厠へ行くのを見たんだ」

「ああ、そこまでは聞いてます。それで?」

「せかすな。えーっと…。おっさんが竹細工屋の爺さんに『爺さん、なんでそんなもん持って厠へなんか行ったんだい?』って聞いたんだ。そしたら…」

 言うか言わないかのところで、橋田の視界から妹紅が消えた。本当に一瞬で消えた。

「あれ?妹紅さん?」

 辺りを見回しても妹紅の姿はない。妹紅が元いた場所を見てみると、そこの地面だけやたら暗かった。

「えっ。落とし穴か?」

 

 いわゆる落とし穴だった、しかもなかなかに深い。

 橋田が中を覗き込むと、うっすら白い影が見えた。おそらくアレが妹紅だろう。

「も、妹紅さん?」

 返事はない。

 橋田が目を細めて見てみると、妹紅の首は明らかに人間が動かせる角度を向いていなかった。落ち方が悪かったらしい。後頭部が背中にくっ付いていた。

「あ…の…だい…も、妹紅さん?」

 死んでいるのは見てわかる。呼びかけようがなにしようがピクリとも動かないし、人間がとって良いポーズをしていないのだ。

 だがそう言ったものに耐性のない橋田はなかなか頭で理解できなかった。

 汗が噴き出す。

 足の体温が一気になくなり、縮み上がる感じがする。

「ハハは…足がすくむとはこういう意味なのか」

 

 一歩、二歩、橋田は後ろに下がり、ドカリと柔らかい土の上で尻餅をついた。そして頭を抱え、震えはじめた。

「ど、どうする?俺のせいか?いや、あれは事故だ。そうだ。そうだ…よな?俺悪くない…のか?」

「大丈夫だよ。私が落ちちゃっただけでアンタは悪くない」

 凛とした声が橋田にかかる。

「で、ですよねー!いやぁ安心しましたよ妹紅さん…て?」

 目の前には落ちて死んだはずの妹紅が立っていた。

「ゆうれい?」

 指を妹紅の頭に指して言う橋田。

 それを見た妹紅は、腰に片手を当ててフンと鼻を鳴らした。

「失礼だなアンタ。永遠亭まで送ってやらないよ?」

「あ、す、すんません。でも死んだんじゃ…」

「死なないよ。一瞬気絶してただけさ」

「そうですか。あ、そういやぁそうでしたね。いやすんません。ですよね。あまりにも突然だったんで気が動転してました」

「ん?んー。うん。そうか。よくわかんないけど、納得してるなら良いや」

 妹紅はそう言うと服についた土をパンパンと払い、じゃあ行こうかと何事もなかったかのように案内を再開した。

 

 

 とうとう永遠亭に到着した。

「じゃあ、私はこれで。帰りは永遠亭のものに頼むと良いよ」

「どうもありがとうございました。お礼はまた後日」

「別に良いよそんなの。じゃ」

 妹紅は手を振りながらザクザクと竹林の中へと戻っていった。

 結局、妹紅からは竹細工屋の爺さんの話は聞けずじまいであった。

「まぁ、あんなけ話しを聞く機会があったんだ。いつか全部聞けるさ」

 ふぅとため息をつき、橋田は永遠亭に入っていった。

 

 

 その後も橋田は何度か竹細工屋の爺さんの話を聞く機会はあったものの、上手く最後まで聞くことができず、次第に忘れていった。




赤い洗面器の話の話は私は好きです。


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対象を取る恐怖

本文に書くといろいろ面倒だったので、あとがきに移しました。
稲川淳二の話し方はすごく勉強になります。
話の元ネタはちゃんとありますが、話自体は私の創作です。


 粘っこい空気が肌を舐めるような夏だった。

 湖を凍らせる妖精を崇める者も少なくなってきた頃である。

 暑がりな橋田は今とても快適に仕事をしている。

 普段なら肌の穴という穴から無尽蔵に湧いて出てくる水滴をひたすらぬぐいながら仕事をしていたのだが、今回そうはなっていない。

 何故ならば橋田は今、ひんやり涼しい冥界にいるからである。

 

 

 本日の橋田の業務は、冥界にあると言われる白玉楼で雑務全般をこなしていた。

 死んだわけではないし、魂を囚われているわけでもない。血色豊かな生身の人間である。

 盂蘭盆シーズンだからというので、普段白玉楼で雑務をこなしている亡霊どもが家族の元へと帰ってしまう為、人手(霊手?)が足りないとの事だった。二週間だけの住み込みバイトなのだ。

 

 突然博麗神社に呼び出されたと思ったら、博麗の巫女と橋田を幻想入りさせた少女が現れるなり、

「冥界へ行ってもらうわ」

 と言われ、ストンと落とされた。そして落ちた先にいた刀を携えている少女から事の経緯を説明されたのだった。

 ちなみに橋田を落とした少女からは厚々の金一封を。博麗の巫女からは、取り殺されないようにとお札を頂戴した。

 

「そこまで心配してくれるならこっちのスケジュールの心配もしてほしかった」

 などとぶうたれながら橋田は食事を用意していた。

「それにしても作る量が多いな」

 軽く見ても10人分はあるが、これが当主一人分の、しかも一食分だというのだから笑ってしまう。

「泣きながら礼を言う亡霊なんてものは今後一生見られないだろうなぁ」

 調理を手伝うと言い出した途端に女中風の亡霊どもが泣き崩れてしまったのを思い出しながら、橋田は煮物をくつくつと煮込んでいた。

 相当な重労働だったのだろう。彼女達は嬉しさのあまり橋田が調理をする陰でそのまま成仏しそうな雰囲気である。手伝って良かったのか悪かったのか。

「しかしまぁ、夏の間はこうやって住み込みで働けるなら良いなぁ。暑くて寝られないなんてこともないし…毎年お願いしようか?」

 逆盂蘭盆である。

 

 

 亡霊どもはもちろんのこと、白玉楼の主人である西行寺幽々子や、お付きの剣士兼庭師だという魂魄妖夢とも良い関係を築けている。

 時には仕事をしながら雑談したり、お茶や菓子をいただきながら談笑したりもする。

 こんなんで金もらって良いのかと橋田が心配するくらい楽な仕事だ。

 

 そんな折である。

 稗田家主催の百物語イベントがあったらしいと橋田が聞いたのは、夕食が終わり、綺麗にさらえられた皿たちをヨイショと運んでいる時だった。

「はぁ、百物語。私が知らん間にそんな面白そうなイベントが」

「そうなのよぉ〜。この子ったら、自分がどういう存在なのかもすっかり忘れて怖がるんですもの、面白くて面白くて」

 西行寺幽々子は真っ赤になって固まっている魂魄妖夢の頬を突っついていた。

 真っ赤になって顔を隠し、反論しないあたり事実なのだろう。

 

 橋田は失笑しながらもちゃっちゃと片付けを進め、さあさあ話しましょうと3人分の茶を出した。ちゃっかり自分の分まで揃えている。

「そういえば、貴方、外の世界から来たのなら外の世界の怖い話はご存知なの?」

 幽々子の言葉にヒクッと反応する白髪の少女。どうやら本当に怖いものが苦手らしい。見ていて微笑ましくはある。半分幽霊だというので警戒を解くことはないが。

「む。怖い話…最近巷で話題の都市伝説とかですかね?」

「そうそう。いくつか教えてくれないかしら?」

「んー。私は語り部でも何でもないんで上手く伝えられるか不安ですが…仕事とあれば…」

「あ、あの!」

「なぁに、妖夢?」

 橋田が話をするかとした途端に妖夢が思い切り身を乗り出し、話をぶった切った。

 と同時に幽々子の柔らかい笑顔の中に潜む鋭い眼光が妖夢を襲った。さすが亡霊どもの主人だ。恐怖心を掌握するカリスマ性がある。

「えぅ…なるべく怖くないのでお願いします」

 上司の視線に当てられた妖夢は少しずつ小さくなって、ちょこんと元いた場所へ座り直した。

 

 

「都市伝説ですか…。そういえば、都市伝説の定義ってご存知ですか?」

 ふうむと腕を組んだ橋田から尋ねられた2人はフルフルと首を振った。

「じつはキチンと研究されている民俗学者がそこそこいましてね。都市伝説の定義とは『都市部の民族間で噂される、誰も体験したことの無い体験談』というものなのです。それは怪談だろうが何だろうが、全部含めた噂話で、情報の発信源を辿ろうと思っても辿り着けないのが都市伝説の特徴です。

 まぁ、近年では外の世界はインターネットなんてものもできましてね、日本全国の人間と気軽にやり取りできる時代だもんですから、都市からネット上に変わりましたけどね」

「すみません。そのインターネットとかネットとかいうものは何なのでしょうか?」

 妖夢が手を上げて橋田に質問する。怖い話というよりは寺子屋の勉強みたいなのでまだ元気だ。

 

「ああ、インターネットというのは、幻想郷風に言うと、いつでも誰でも何処でも見られる瓦版みたいなもんです。ネットってのはそれの略称。こないだの異変で命蓮寺の尼さんがつかってた八尺様なんかは、そのネット上で出回った噂話です。で、今回する話もネット上で私が拾った話なんですがね」

 橋田は居住まいを正してから、ずずずと茶を飲んだ。

 それを見た幽々子と妖夢も、話を聞く体制に入った。

 幽々子は肘掛けに体を預けリラックスした風に。

 妖夢はきっちりしていた正座をさらに正し、膝の上で手を固く丸めていた。

 

 

 …

 

 

「面白かったわ。こんな話し方もあるのね。話し慣れてない感じはあるけど、ちょっとだけ引き込まれたわ」

「ありがとうございます。外の世界で人気だった怪談専門の語り部が居まして、真似してみただけなんですが…いやぁ、楽しんでもらえて何よりです」

「ほら妖夢、妖夢、終わったわよ?」

「あ、あい。あの。はい」

 妖夢は固まってこそいなかったが、話の世界から頭をうまく切り替えられないようだった。膝を握っている手がプルプルとしている。

「足痺れてないかしら?えい」

「あぅぅぅぅぅ!」

 扇子でパシンとはたかれた妖夢が一気にこけた。

 

 

 もうしばらくで白玉楼でのバイトが終わる。

 橋田は快適な空間を惜しむように、大事に一日一日を働いて過ごしていった。

 




外の世界じゃ、テレビゲームぅ…なんてものが流行ってまして、テレビゲームってのは…なんて言うんですかねぇ…動いたり音が出たりする絵巻のようなものの中身を人間が操作して遊ぶものぉ、なんですがね?
弾幕ごっこなんかもぉ、テレビゲームで擬似体験できる優れものなんですよ。
でそのテレビゲームっていうのは、中の登場人物にぃ名前を付けることが出来る作品もままありましてね。
自分の名前を付けて作品に自己投影したり、ヒロインに意中の人の名前を付けたりと、自由に名付ける事が出来るんです。
まぁ、その名付けが今回のお話につながってくるんですが…

いやでもあれは…何年前だったかなぁ…。私が学生の頃でしたよ。
インターネットが普及してしばらく経った頃くらいです。
ちょうどその頃ぉ私はそのテレビゲームに大ハマりしていましてね、テレビゲームについての情報を集めていた折にぃ、友人の友人から聞いたお話なんです。

都市部の大学に通うとある学生2人が居ましてね。
分かりやすいようにぃ彼らをA君とB君としましょうか。
彼らも私と同じようにぃテレビゲームが大好きでして、A君の方はテレビゲームは勿論のこと、怪談話も大好きで、よくB君に怖い話を面白がってするわけです。
一方のB君は怖い話が大の苦手でして、A君の話を「あーあー聞こえない聞こえない」などと耳を塞ぎながら聞き流していたりしていたそうなんですねぇ。
ある日、いつもの如くA君がニヤニヤニヤとしながら「おいB君、聞きたまえよ」。B君に話をふるわけです。

「また怪談か」
「それはそうだが、今回は是非君に聞いてもらいたいんだ。耳を閉じるのをやめて聞いてくれ。今回はテレビゲームの話だ」
大好きなテレビゲームの話だもんですから?B君は耳から手を離して聞いちゃったんですねぇ。
「なんのゲームの話だい?」
「いや、特定のゲームの話ではないんだ。名前がつけられる全てのゲームに言えることなんだよ」
A君は話したくて辛抱たまらなかったのか、もったいぶらずにすぐに言うんです。
「この世には絶対にキャラクターに付けてはいけない名前なんてものがあるらしいんだ」
「それで?」
「その名前を使ってゲームをプレイすると、そのプレイヤーに不幸が訪れるらしい」
「…へぇ」
「なんだ、つれないじゃあないか。少しは興味を持ちたまえよ」
「つれないとは言ってもねキミ。どうせキミのことだから、その名前を試してみようとか言うんだろう?」
「よく分かっているじゃあないか。是非とも試してみたくてね」
「しかしねぇキミ。そういうのは面白半分に首突っ込むとよろしくないと聞くが…」
「分かってるよ怖がりめ。ほどほどにしておくさハハハ。じゃあ早速今日やってくるよ」
そう言ってB君はA君と別れたわけです。

翌日、B君はいつも待ち合わせしている大学の食堂でA君を待っていると、「よう」と言いながらダカダカダカァッとA君が向かってくるわけです。
「どうだったんだい?」B君は聞くわけです。もちろん、その名前を使ってゲームを遊んだのかですよ?
「なんともなかったよ。やっぱりネットの噂はアテにならないかな。まぁ、何日か試してみるさ」A君は得意満面で言います。しばらく2人はなんやかんやと駄弁りながら別れていったんです。

さらに翌日。
いつものようにB君はA君を待ってたんですねぇ。
しかし来ない。待てども暮らせもA君はやって来ないんです。連絡を取るも返事がないんですよ。
普段は几帳面なA君は連絡すればすぐさま返事を入れるんですが、今日に限ってそれがない。
おかしいなぁ。変だなぁ。なんて思いながら、待っているうちにね?まぁ調子を崩して動きたくないのだろうと思い直して、仕方のない奴だなぁ明日も来なければ見舞いにでも言ってやるかぁとB君は帰っていったんです。

また翌日。
やっぱり来ない。「いよいよ変だぞ?」B君は講義を休んでA君が住む寮へと赴いたわけです。
トントントン、トントントン、「おーい!A君!いるかい?」B君はA君の部屋の扉を叩いて呼び出します。
出てこない。
試しにB君は扉を開けようとした。

ギィィィィっ

開いた。

A君は、自分が部屋にいるうちは鍵はかけない人間ですから?B君は彼が部屋にまだいると思ったわけですねぇ。
「おおい、A君。いるなら返事をしたまえよ」B君は部屋にトントントントンと入って行く。
おかしい。
誰もいない。
でもね、人けはあるんです。
靴は置いてあるからぁ外には出ていないだろうし、暖房も付いている。

それにテレビゲームにも電源が入っているんです。

「おーい。A君?」またA君を呼びます。返事がない。
少し奇妙に思いながら、B君はまずテレビゲームの方に目をやります。
付いてるんですよ。画面が。やっぱり、好きなのだから気になるじゃあありませんか。
どうせA君は近くに買い物行ってるんだろうとB君は思ってですね、よいしょとテレビゲームの前に座ってカチャカチャやるんです。

付いていたゲームはB君も大好きな名作だったんですが、主人公の名前はB君が聞いたこともない名前に変更されていたんです。
ははぁ、これが例の使ってはいけない名前だなとB君はゲームを進めるわけです。
しばらくすると、なんかおかしいなぁとB君は気づくわけですよ。
ゲームの中では主人公はある街にやってきて、人々から話を聞こうとするんですが、だーれも話をしてくれない。
普通ならそこで誰かに話しかけるとその街の情報を教えてくれるんですが、そうじゃあない。
あーれ?おかしいなぁ。変だなぁ。壊れてるのかなぁ。B君はそう思うわけです。
すると…

コト…コト…

っと隣の部屋から音が聞こえてきたんですよ。
とても軽い何かがこっちに近寄ってくるような、そんな音だった。

ゾゾゾゾゾっ

怖がりなB君は震え上がって、そっちの方も見れずに音がした方に声をかけた。
「…A君かい?」返事はない。

コト…コト…

非常にゆっくりだが絶対に何かがこちらに向かってきている。
やだやだやだやだこわいこわいこわいこわいっ!
B君はたまらずダダダダダダッ!寮から一目散に逃げてしまったんです。
自宅へ戻って、A君にひたすら連絡を取ろうと震えつつ一晩過ごしました。

A君からはいつまで経っても連絡はありませんでした。


しばらくして、
B君のもとに連絡が来たんです。
「どうも、Aの母ですが、Bさんでよろしかったでしょうか?」
「はい。Bは私ですが」
「ああ、どうも、倅がお世話になっておりました」
「ああ、こちらこそお世話になっております」
「あの…Bさんは…倅が…自殺した…というお話は…?」
「ええ!?」
B君はびっくりするわけなんですねぇ。
そりゃそうですよ。そんな話聞いていなかったし、彼が失踪するほんの前日まで仲良く話していたもんですから。
「Aからは大切なご学友と聞いておりました。お渡ししたいものもございますので、いついつに通夜がございます。来ていただけませんでしょうか?」
「はい、はい、それはもちろん」

通夜に行き、A君のご両親から話を聞くと、どうやらA君は電車という…まぁ…猛スピードで走る牛車みたいなもんです。それに自ら突っ込んで死んでしまったらしいと。そんな内容でした。
「ご学友の貴方は何か心当たりがありますか?」
「いえいえいえ、失踪する前まで元気に駄弁っていたくらいですからなんとも…」
もちろん嘘です。B君には心当たりがちゃあんとあるんです。
ただ、そんなオカルトな話をしても信用されませんから?あえて話さなかったんですねぇ。

「あの…これはAの遺品なのですが…」
と、A君のお母さんはあるものをB君に渡しました。
B君はそれを見てサーーーーッと真っ青になった。
それはね。例のテレビゲームなんですよ。
A君の部屋に付けっ放しで放置されていたあのおかしなゲームなんですよ!
「あ、あの…これは?」
「Aが暮らしていた寮に置いてあったものです。捨てるよりは、ご友人の方にあげた方が良いと思いまして…。これを見るとAを思い出してしまいますので…」
B君は恐る恐る受け取ります。
いやぁ、とんでもないものをもらってしまった…。

B君はその日のうちに神社へ持っていき、そのゲームとB君自身をお祓いしてもらったそうです。
その話をしたB君は、私の友人の友人に、
「あの名前は絶対に使うな」

「ツナカユリコという名前は遊び半分で使っていいものじゃあない」

そう言ったそうです。


どうも、ありがとうございました。


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動物好きの動物嫌い

飼っていたペットを捨てるやつは一生ご飯抜きですからね。毎日掃除して餌をやって可愛がって環境を整えてあげて…が出来ない人。
つまり精神的・経済的・知能的に育てられる自信のない人は絶対に飼おうと思ってはいけません。
その動物も、周囲の人間も、環境にさえも迷惑をかけてしまいます。


 橋田は動物は嫌いではない。

 いきなり何のことだと読者は思うだろうが、とにかく聞いてほしい。

 橋田は動物が嫌いではないのだ。

 

 読者諸君はタヌキの頭領、二つ岩マミゾウに会った際の橋田を覚えているだろうか。

 彼はマミゾウの体臭に辟易していた。

 それだけの描写を見ると、マミゾウ自体が酷いタヌキ臭を発している半人前の妖怪のように見られたかもしれない。

 だが、真実は違う。

 橋田以外の里の人間達はマミゾウの体臭に対しての不快感は無く接しているのだ。獣臭いと言っているのは橋田ただ一人である。

 それに気づいた読者は皆無に等しいだろう。

 当たり前である。筆者はそんな描写してないのだから。

 

 では橋田は獣臭い動物が嫌いなのかと言われると、全く違う。

 外の世界で仕事していた頃は、休日なんかに鳥やら魚やら猫やら犬やらの動画を日がな一日眺めていたりしたり、猫カフェやらフクロウカフェやらなんやらに出かけてわちゃわちゃしていた経験もある。

 また、無責任に飼っていたペットを放逐して生態系を乱す無責任な飼い主や、密猟やらなんやらで罪もない動物達の個体数を減らす悪人どもに対して尋常ならざる怒りを覚えている。

 いわゆる好きの部類である。

 

「猫、はぁ…猫。飼い猫は良いなぁ。可愛いし、変な臭いするのは糞だけだからなぁ」

 橋田は人一倍鼻が効くだけなのだ。

 都会っ子なので、畑を荒らす犯人であるタヌキや兎や猪などを見ても殺意は湧かない。むしろ眺めて癒される方である。

 が、臭くて近寄れないのだ。

 

 今は広場の端の方を陣取り、猫と戯れていた。

 たまたま大通りを歩いていたら、首輪をしている黒猫がいつのまにか着いてきており、離れようとしないので折角だからと撫でてやってたり手ぬぐいをチラチラさせたりして遊んでいるのだ。

 撫でればゴロゴロと喉を鳴らして橋田にじゃれつくし、手ぬぐいをバサバサ振ってやれば夢中になる。

 なんとも人懐っこい猫である。

「この辺りで飼っているなんて聞いたことないが…お前さんはどこから来たんだい?…ん?」

 ペシペシと橋田の膝を叩き、橋田を見上げる猫。何かを訴えるようである。

 しばらく眺めていたら、今度はニャゴニャゴと小さく鳴きながらまたペシペシ橋田を叩くのだ。

 ぐうと橋田の腹が鳴る。

「そうか、昼飯の時間か。仕方がないやつだなぁ。お前の分も買ってやろう」

 橋田は猫に叩かれた膝を払い、立ち上がった。

 

 

「万歳楽?」

「ああ、そうさ」

 猫の昼飯と橋田の餌を受け取った橋田は、店主から耳寄りの情報を聞いたのだった。

「雅楽のアレですか?」

 ペシペシニャゴニャゴと橋田の足を叩く猫に目を向けながら橋田は質問した。

「何それ?万歳楽ってあれだよ、やたらでかい魚のことさ」

「へぇ、魚」

 椅子の上に風呂敷を広げ、包みの上に餌を広げる。途端に猫はニャムニャムと餌を頬張り、噛み締めていた。

「もうさ、うんとデカいんだ。人間と同じか少し高いくらい」

「はぁ〜。すごいんですなぁ」

 美味そうにハグハグと昼飯を食っている猫を眺めながら橋田は雑な回答をする。

「それにな、魚のくせに鱗が無いんだ」

「ほぉ、鱗が」

 もはや意識は7割ほど猫に持ってかれている橋田は、言葉尻だけを捉えて反復するだけの機械である。

「ああ。それに頭も良くってさ、人間や河童の真似もするんだ。あ、河童が飼ってるんだがね?」

「ふぅん、河童が」

「聞いてるのかい!?」

 バンと椅子を叩く店主。

「ひぃ!聞いてますよ。今ちょっと猫に餌やってたんで。ほら、暴れて品物に傷つけたらダメじゃあないですか」

「しかしね君、上の空だからって、はぁひぃふぅへぇほぉ、なんて適当な相槌を打つんじゃあないよ」

「いやぁ、すんません」

 こればっかりは橋田が悪いので、しっかり謝っていた。

 猫はヒゲについた餌を手で落とし、満足そうに丸くなっていた。

 

 蕎麦を食べきりキッチリつゆまで飲み干してから、ハァと満足げに息を吐いていた橋田を眺めながら、蕎麦屋の店主は目を細めながら口を開いた。

「で、万歳楽のショーは見に行くんだろ?」

 つゆを飲み切ってしまった橋田は、そば湯をそのまま飲んでいた。想像してたのより熱かったのかゴフゴフとむせていた。

「ああ、ちょっと気になりますね。海の生き物なんですよね?」

「なんで分かったんだい?」

「まぁ、外の世界でも似たような生き物がいまして。鱗が無くって頭が良くってデカい魚と言えば何種類かありますんでね。全部海の生き物なんですが…なんで海の無い幻想郷に来たのか気になりまして」

「ふぅん。なんだ、ちゃんと話聞いてたんじゃあないか」

「へへへ。ところで、その万歳楽とやらのショーはいつやるんですか?」

 

 

 ショーを見た時、歓声の中で橋田は思わず「うおお懐かしい!」と叫んでしまった。

 ゴマフアザラシが川魚を食っている姿はどこか違和感があったがあれは大昔に見た、何とか川にしばらく住んでいはずのナントカちゃんだった。

 住民票も獲得した愛らしい生物である。

 頭も良かったのか河童にキチンと調教されたからなのか、水族館さながらのショーをやってみせていた。

 バシャバシャと跳ねた水が時おりかかったが、まだ暑さが残る夏の終わりというのもあってそこそこ心地よかった。

 海水ではないので変に粘つく事はない。

 

 20分少々の短いショーであったが、珍しい外の世界の有名人(?)だったものと出会えて橋田は満足していた。

「今からやるならさっさと言ってほしかったなぁ。遅れそうだったじゃあないか。なぁ?」

 終わったショーの片付けを横目にしながら、両手に抱えていた猫と戯れていた。

 猫はかかった水が気になるようで、くしくしとしきりに気にしていた。

「む、濡れたのか。拭いてやろう」

 橋田は懐から手ぬぐいを取り出し、やさしく猫の顔を拭いてやった。

 

 猫にかかった水がいい感じに乾いただろうというところで、橋田の腕の中から飛び出してトコトコと歩いていった。

「おおい、何処にいくんだ…って飼い主のところに決まってるわな。じゃあまたな猫ちゃん」

 黒猫はしばらく橋田の方を向いた後、てってと何処かしらへ駆けていった。

 風のように去っていく猫の後ろ姿は一瞬、猫の尻尾が二つあるように見えたのだった。

 よくよく観察したかったが、とうに過ぎ去った後はである。

 もしやとは思ったが、深く考えないことにした橋田であった。



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赤い月の大迷惑

「うん。この未来は見えてた。というより、簡単に予測できていた。多分将来的にそうなるんだろうなぁと」

 いつもより薄く、そして香りの悪い紅茶をすすっと飲みながらパチュリー・ノーレッジは親友兼家主に対してそう冷たく言い放った。

 彼女の言葉を聞いた紅魔館の主人は、沸騰した怒りを放熱するかのように机を叩きつける。

「ちょっとパチェ!何その言い方!分かってたのなら何とかするとか考えなかったの!?」

「貴女も視えてたのなら紅魔館の主人として動くべきだったんじゃあないのかしら?この結果はレミィの怠慢から来たものなのよ」

 スパンスパンと切り返すパチュリーの正論に、レミリア・スカーレットは何も言い返すことはできなかった。

 

 彼女の言った事は事実だ。サボってしまったのは自分であるし、これもまぁ運命だよと開き直っていたのもレミリア自身が楽観的に考えすぎていた為であった。

「う…ぐぅ…」

「へぇ、ぐうの音は出せる程度にはまだ元気なのね。そんな余裕があるのはとてもとても素晴らしい事だけれども、この状況を打開しようとする余力は存在しないようね」

 パチュリーは、パジャマの裾をぎゅうっと握りながら歯噛みしている友人をズバズバ容赦なくのべつ幕なしに口撃していく。

「し、仕方がないじゃない!いくら視えると言ってもこんなに突然訪れるなんて思わなかったんだから!」

 あやふやと釈明にならない釈明を撒き散らすレミリア。床をダンダン地団駄を踏み鳴らし、杭を打つようにバンバン机を叩きつける。比喩でもなんでもなく、本当に机が床に打たれそうになっている。

 

「そんな過去の事はどうだっていいの!問題は今なの。今!今この状況を打開する事が必要なのよ!もう問題は深刻な状況まで来てしまっているのよ!その証拠にパチェ、貴女ちょっと臭うわよ?服を取り替えてくれる人間が居なくなったとはいえ、レディとしてそれはどうなのかしら?」

「ゔ…」

 不意をつかれたレミリアの指摘に思わず口撃を止めて、腕で顔を隠してしまうパチュリー。

 たしかに言われてみれば、数日ほど着替えられてなかったのでちょっと臭い。毎日しっかり風呂に入ってはいるが、さすがに同じ服を着ているのは色々と限界がある。

「まぁ、私は不出来な生物と違って、老廃物が出るなんてことのない完成された不死の生命体だから?毎日着てもそんな風にはならないけれどもね」

 立場逆転と、レミリアは鼻をふふんと鳴らしながらクルっと優雅に一回転して一礼する。

 行動は優雅であるが、くちゃくちゃになった寝間着姿の高貴なるイモータルというアンバランスさは少々見苦しい。

 

 黙って眺めている親友の視線が痛かったのか、レミリアは情けなく広がったパジャマの裾をピンピンと張り直し、ため息をついた。

 それを見たパチュリーも額に手を当て、もにゅもにゅと頭を揉みながら言った。

「ハァ…これは早々に何とかしないといけないかもね」

「うん…なんかごめんなさいね」

 ちょんと着席し、冷めた紅茶を手にしながらレミリアはそう言った。

 冷めてしまった紅茶なんて生まれて初めて飲んだかもしれない。普段であれば、いつまでも温かい茶葉の香りが口腔をくすぐり楽しませてくれるのだが…。

 それにお茶受けも無い。

 ふわふわカリカリのスコーンも無ければ、それに付ける甘々ジャムも無い。お茶に垂らす血液だけは何とか確保出来てはいるが…それもそろそろ尽きてしまいそうだ。

 そんな暗くてくしゃくしゃとしたことを考えながら味気ないお茶を仕方が無しに飲んでいると、図書館の扉が空気を揺らす轟音とともに開かれた。

 

「お、お嬢様ー!パチュリー様ー!ふ、服!着替え!ようやく見つけましたー!あう!」

 小悪魔がバタバタと綺麗に洗濯された服を両手に抱えて持ってきた。

 急ぎすぎて、乱雑に転がっている本に足を引っ掛けて思いっきりずっこけてしまった。

 困ったものだ。とそれを眺めていた2人は同時に大きなため息をついてしまう。

「まさか咲夜が倒れちゃうなんてね…」

 天井を見上げながら顔を手で覆うと、レミリアはそう言ったのだった。

 

 

「はぁ、住み込みバイトですか?まぁこの数週間は空いてますし、今日からでも行けますけど…」

「本当ですか!?」

 橋田の予定を聞いた依頼人は真っ赤な長髪をふおんと揺らし、簡素な机に手の平を叩きつけて身を乗り出して言った。勢いが良すぎて彼女が被っていた帽子がころんと頭から落ちてしまった。

「え、ええ。帽子、落ちましたよ?カッコいい帽子ですね」

 橋田は自分の手元に転がってきた帽子を紅美鈴に手渡した。

「ありがとうございます」

 美鈴は丁寧に帽子を受け取り、しっかりと被り直した。どちらの意味で礼を言ったのだろうか。

 

 橋田の元へきた依頼者の話を聞くに、紅魔館では現在深刻な人事不足に悩まされているという。

 普段1人で主人の世話から炊事洗濯掃除家事親父の全てを行なっているメイド長がいたそうなのだが、その人間が倒れてしまったようなのだ。

 現在は永遠亭にて入院中らしい。

 紅魔館というものを霧の湖へ赴いた時に遠目から見たが、掃除だのなんだのというのはとても一人でこなせるようなものではないような大きさであった。

 しかし、倒れた女性はそれをやってのけていたという。それも何年も。

 どんな化け物だと思っていたら、なんと人間らしい。

 幻想郷は本当に常識では推し量ることが難しい土地である。

 

 メイド長が不在となって数日が経過した現在の紅魔館は、橋田の目の前に座っている門番と司書が主人達の身の回りの世話をやったり清掃したりと分業しているそうなのだが、いかんせん手が回らない。

 紅魔館に勤めているメイド妖精どもは自分の事を自分でやってるだけらしく、家事ができて頼れる妖怪もそれほどおらず、里の人間なんかは怖がって近寄らない。

 どうするべきかと悩んでいたところに、妖怪相手にも商売をする人間がいるらしいと風の噂を耳にし、橋田の元へとやってきたそうだ。

「でもどこからそんな噂がやってきたんですかねぇ?」

「妖精なんかも噂好きですから」

「ああ」

 納得のいく回答であった。

 橋田は最近、何故か金を持っていた妖精のいたずらを手伝ったばかりなのだ。

 が、その話はまた後日としよう。長くなる。

 

 ボリボリと頭をかきながら橋田はもごもごと言いづらい風に言った。

「えっと…1つ聞いておきたいんですが…」

「なんでしょうか?」

「あのー、非常に聞きにくいのですが…。血を吸われるとか…喰われるとかは…」

 美鈴は橋田の質問を聞き終える前に大笑いし、手を振りながら橋田の懸念事項を否定した。

「あはは!ないない。ありませんよ。我々の当主とそのご友人は、契約した相手には危害を加えようとはしません。人間だろうがなんだろうが、無礼を働かない限り大切に扱っていただけますよ!」

「そうですか。いやぁ、それを聞いて安心しました!お受けいたしますよ。よろしくお願い致します」

「わー!ありがとう!ありがとうございます!それじゃあ今からでも良いんですよね?案内します!」

 そう言ってバタっと立ち上がった美鈴は、部屋を破壊せんばかりの速さで外に出て橋田に手招きを始めた。

 橋田は彼女の行動にギョッとしながらも、看板に不在日数を書き込み、最低限の荷物を持って美鈴と共に紅魔館へ赴いたのである。

 

 

 吸血鬼の住む屋敷ということで、おっかなびっくりで仕事を受けた橋田だが、それが杞憂であったとすぐに知ることとなる。

 紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットというのは、人間であれば誰でも血を吸いたくなる野蛮な吸血鬼ではないそうで、橋田は好みではなく血が欲しいとも何とも思わないのだという。

 また、図書館の住人らしいパチュリー・ノーレッジは、はなから橋田に興味がないようだった。

 なので彼女らを怒らせないように立ち回れば安心という美鈴の話を、働いて初めて理解した橋田であった。

 

 住み込みバイトなるものは橋田にとって生まれて初めての経験だが、やる事は普段の仕事と大差ない。

 食事や洗濯などの主人の直接的な世話のほとんどは、元いる従者が行なっているので、橋田のやる事といったら掃除と整理整頓くらいだ。たまに彼女らの話し相手になる事もあったりはするが、それもほとんどまれであった。

 

 1日の流れはこんな感じである。

 まず夜明けと共に起き身を整える。

 美鈴と門番を交代し、その間に彼女がレミリアとパチュリーの着替えと朝食を世話する。

 橋田の方は、時折門前に来る妖精や魔法使いの相手をしながらムシャムシャと朝食を取る。

 昼前、美鈴と交代し、清掃。その後昼食。

 夕暮れ前、また美鈴に主人組の世話を任せる間、門番を交代する。

 夕食を手早く済ませて、就寝。

 このような形である。それなりに忙しいのもあって、身の回りが妖怪だらけなのに怖がる暇もなく、数日が瞬く間に過ぎていった。

 

 

 紅魔館で過ごすこと一週間。

 橋田も要領が分かってきて自分の仕事の他に手伝える余裕が出来てきた頃合いである。

 

 たまたま庭の掃除に手をつけ始めた頃が午後のティータイムと被っていたのか、主人組がテクテクとやってきて呑気に熱々の紅茶を飲みはじめたのだ。

「あら、ちょうど庭掃除するところだったのね」

「はぁ、すんません。どきますか?」

「いや、いい。庭の景色も見飽きたしちょうど良いわ。仕事を続けなさい。面白い感じで、アクロバティックに」

「えぇ…まぁ、できる限り激しくは動きますよ」

 武芸家でもなんでもない橋田は、己の中でできる拙い動きを混ぜながら、できるだけスタイリッシュに掃き掃除を始めた。

 

 はじめのうちはレミリアも橋田の素人パントマイムにケラケラ笑っていたのだが、数分もすると完全に飽きて親友との会話をはじめたのだった。

「しかしまぁ人間一人が入るだけでこれだけ余裕ができるというのも驚きだけれども、アイツがいなくなって咲夜が戻ってきたとしたら、またすぐに咲夜が病院送りになるのも目に見えているな」

 将来を憂いながらすっと紅茶をすするレミリア。

「そうね掃除くらいは手伝ってくれる何かが欲しいわね」

 レミリアの言葉にパチュリーは橋田のカクカクした動きを横目にしながらそう返した。

「パチェ、貴女何か良い感じの人形とか作れないの?ほら、あの人形師みたいな」

「無理。物を持つだけとか喋るだけとかそういう単純なものは作れるけど、人間のように家事とかいろいろできるゴーレムやオートマタなんて作れないわ。だから彼女は自立が出来る人形を作る研究をいつまでも続けているのよ?」

「ふぅん。魔法も案外制限多いのね。そうなると結局何かを雇うしかないのか…お前はこの屋敷に永久就職する気ない?」

 パチュリーの答えを聞いたレミリアは、カチャリとカップを置いて橋田の方を向いて言った。

「申し訳ありませんが…」

 もちろん橋田は妖怪の巣窟にずっといる気はない。なるべく丁寧に断わった。

 

 レミリアは橋田の返事が分かっていたのか、鼻をフンと鳴らし、

「じゃあ代わりに何か良い案とか話とか出しなさい」

 と無茶振りをした。

「えぇ…」

「何かあるでしょ?里の人間を拉致するとか。ほらほら」

 レミリアは手のひらを上にして出せよ出せよと困惑する橋田に迫った。

「拉致ねぇ…そういえば拉致で思い出しましたけど、里から座敷わらしが突然消えたとか戻ったとかなんとか」

「座敷わらしぃ?そんな話今は関係ないでしょ?」

「いえ、座敷わらしの代わりにって博麗の巫女だったか誰だったかが、ちっこい妖怪を連れてきたんですよ。家事とかやってくれるみたいで」

「へぇ。人間の里でもそういうの雇うんだ」

「いやぁ…実はそうでもなくて。ホフゴブリンとか言ったんですが、見た目が悪すぎて座敷わらしほど人間にはウケなかったんですよ。幻想郷に連れて来られた彼らは路頭に迷ってる感じですね」

「ふぅん。能力も見ずに見た目だけで判断するなんて、相変わらず人間は抜けているわねぇ」

 橋田の話を聞いたレミリアは、手のひらに小さな顔を置き、しばらくンーと考え始めた。

 そして何か閃いたのか、指をパチンと鳴らし、納得した風に橋田へ言った。

「…そうか!それをうちで雇えばいいってこと?」

「そういう事ですなぁ」

「ふふん。あぶれた在野の有能な人材を拾い集めようなんて、私にピッタリの行動ね」

 レミリアは得意げになって腰に手を当てる。

 

「で?何処にいるの?ホフゴブリンは?」

 早く行動しなければとワクワクしながら橋田に当該の妖怪の行方を訪ねるレミリア。

 しかし橋田はそれを聞かれると一気に真顔となり、歯切れの悪い風になった。

「む…」

「何処よ?」

 レミリアは眉をひそめて再び訪ねる。最早尋問に近い空気である。

「えー…んー…」

「分からないのかしら?」

 橋田の言いにくそうな顔を察したパチュリーは横から口を挟んだ。

「ええ…まぁ…そう…ですね」

 橋田のもごもごとした返事を聞いたレミリアは、一瞬目を丸くして直後に口を動かした。

「つっか…!」

「みなまで言わないでください。居場所聞かれた時点で私もそう思ったんですから」

 橋田はレミリアの言葉を聞き終わる前にぶった切った。

 自分で解決策を提案しておいて竜頭蛇尾に終わるのが非常に恥ずかしかったのだ。

 つっかえないわねぇ!と言われても仕方がない。

 

持ち主の顔よりも大きな本に目を通しながら、パチュリーはボソッとつぶやいた。

「ま、そんな事だろうと思ったわ。人間がいちいち妖怪の動向を把握しているわけないもの」

そんな親友を横目に鼻を鳴らし、カップを置くレミリア。

「ふん!こんな事でいちいち怒ってられないわ。なんとかしてホフゴブリンの目を紅魔館に向かせないといけないわね…。お前、話を振ったのだから奴らを寄せる方法を言いなさいよ」

「む…そうなってくると掲示板とかに広告出すしか無いですかねぇ?」

「ふうむ広告ねえ。そんなもので来るのかしら?」

 あまり乗り気でないレミリアは、背もたれにガッツリもたれかかり眠そうに言った。

 

 橋田はまぁそうなんですがねと枕を置いた上で話を続けた。

「広告ってのは、直接客とかユーザーを増やすのを狙ってるわけじゃあなくって、認知度を上げるためにやるものなんですよ」

「そうなのパチェ?」

「聞いたことは無いわね。というか専門外よ」

 肩をすくめるパチュリー。

「多くの人間は気にしないのが当たり前ですが、その中でも広告に目がいく人物は必ずいる。どういう人間だかわかりますか?」

「周りの目を気にする人間?」

「残念ながら不正解です。正解はその広告に関連した悩みや欲求がある人間です。そんな人間を探すのが広告の役割なんですよ」

 首をかしげるレミリアに橋田は柔らかく笑いながら話を続ける。

「だから上手い広告というのは、その悩みや欲求に訴えかけたり解決できそうな文句を書いたり絵を描いたりしています。という事を踏まえた上で、紅魔館が訴えるべき内容は?」

「ん…パチェ?」

「私に振らないでよ。そうねぇ…。衣食住が保証される程度かしらね?」

「だそうよ?流石パチェね」

 まるで自分が出した回答であるかのように橋田へと返すレミリア。得意げになって可愛らしくえばる彼女を見た橋田は若干苦笑いを浮かべながら、そうですかと返事をした。

 

「じゃあそれっぽい文句を書いて広告を出してちょうだい!」

「そいつは依頼ですね?」

「え?それは勿論」

「じゃあ…その…大変恐縮ですが…依頼料を…」

「当たり前じゃない。住み込みバイトとは依頼内容が違うんだから。また別に払うわよ」

「ご理解いただけて感謝します」

 

 数日後、里のはずれに1つの看板が立っていた。

 

『職も住処も何も無い妖怪・妖精・ホフゴブリン

  紅魔館までいつでもどうぞ』

 

 看板にはこう書かれていた。

 橋田が出した広告である。

 

 橋田の広告が功を奏したのかどうかは不明である。

 しかし、無事に退院した十六夜咲夜が紅魔館に戻って来る頃には、行き場に困っていたホフゴブリン達がこぞって紅魔館に住み着くこととなった。

 見えない所が綺麗になっていて快適ですわ。とメイド長談である。

 後日、報酬を美鈴から受け取った橋田は、その話を聞いてなんとなく安心したのだった。

 

 紅魔館は平穏に戻っていった。




肩をすくめるアトラスという小説を買ってしまいました。
古い小説は読みにくいので読破するのには難儀しますね。


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幼い心は破裂する

「芸術は爆発だ!希少価値だ!」

 星条旗とピエロを合わせたような服を着た妖精が松明をブンブン振り回しながらそう言った。

「なにそれ?」

「どういう意味よ?」

「放火が芸術なの?」

 三匹の妖精たちはクエスチョンマークを浮かべながら、クラウンピースの言葉の意味を聞いたのだった。

「昔そんなことを言う人間がいたらしい」

 腕を組みながら問われた彼女がそう言った。

 

 ルナチャイルドが口を栗型に開く。

「芸術って人間が無条件に好むわけのわからないやつでしょ?絵とか石とか字とか」

 彼女の言葉にクラウンピースはうんうんと頷いた。

「それと同じで爆発も人間好きってことなのね?」

「そうそう」

 サニーミルクの両手を上げて爆発のモーションを見て、満足そうにクラウンピースは相槌を挟む。

「爆発を使ったいたずらをすれば、あたい達は楽しいし、人間達はかんどーする。これって最高じゃないか!」

「凄いわ!ウィンウィンってやつね!でも爆発って火使うじゃない?クラウンピースが神社の下で火を焚いてたら霊夢さん怒るのは何故なのかしら?」

「きっと芸術が分かってないんだよ、何せ芸術とは無縁の貧乏巫女だからな!」

 スターサファイアの疑問を得意になって返すのもやっぱりクラウンピースだった。

「人間に害のない程度の爆発ならアイツにも怒られないんじゃあないかな?」

「でもそんなものってあるのかしら?」

 うーんと4匹揃って考え込みはじめた。

「そういえば」

 サニーミルクがふと顔を上げて口を開いた。

「妖怪相手に商売するシゴトウケオイニン?って人間がいるみたいだけど、そいつに聞いてみたらいいんじゃないかしら?」

「それだー!」

 目標が決まればすぐに動く。

 大樹の家から飛び出して、件の人間が居るという人里へと向かったのであった。彼女達の行動は早い。

 

 

 初めからそこに居たのかと思うほど突如としてポツリと姿を表した4(匹?)の妖精たちを見て、橋田は苦笑いをした。

「突然現れるとびっくりしてしまうんでやめてもらっていいですかね?」

 妖怪相手の商売が増えてくると、何処からともなく突然姿をあらわすのが多い為、普段からある程度の心構えはしているのだが、流石に自宅の中から現れるのは予想外すぎた。

 未だ胸の裏側をバクバクと叩いている心臓の音を肌で感じながら居住まいを正す。

「やれやれ。付喪神ネットワークとやらを間に受けて本当に良かった」

 普段から清廉潔白に過ごしているからこそ、突然の客にも即座に対応することができる。勿論、部屋の中に現れたとしても。

 

 妖精は一般的に知能がそれほど高いわけでなく、短略的で自由奔放であると橋田は聞いたのだが、出されたお茶をおとなしく行儀よく飲んでいる彼女達を見るとそんな感じはしない。

 案外人の話も信用ならんものだ。

 などと橋田が考えていると、赤い服を着たのが机から身を乗り出してきた。

「ねえねえ、あなた妖怪とも仕事するんでしょ?だったら妖精とも仕事できるよね?」

「む…まぁ、料金と内容次第ですがね…」

 橋田は腕を組みながらそう答えた。

 自分のところに来たのだから十中八九そうなのだろうと予測していたので、割と平常心である。

「お金さえあれば良いの?」

「人や妖怪達に危害が及ばないなら構いませんよ。そういうスタンスですから…え、持ってるんですか?」

 橋田がそう問うと、妖精たちはふいっと顔を見合わせてから橋田に向き直り、答えた。

「さあ?」

 橋田は思わずこけた。膝に手を乗せてたのをずりっといくという古臭い反応である。

「待ってな!」

 星条旗とピエロを合わせたような妖精が勢いをつけて立ち上がり、決め台詞を吐き、外へと飛んで行った。

 

 

「ほい!これで足りる?」

 3匹の妖精と一緒になってゆっくり茶をすすっていると、二杯目を用意しようかというところでピエロの妖精が戻ってきた。

 彼女が投げて寄越したのは、橋田の顔くらいほどの大きな巾着袋だった。

 3匹と1人はあまりの迫力にほわあああとため息を馬鹿みたいに漏らしていた。

 ジャラっと緩くなっていた袋の口からお金が漏れてきた。

「えっ。本物?」

「なに言ってんだよアンタ。お金に本物もクソもないでしょ?」

 ピエロの妖精は眉をひそめながら言った。

 流石にこれだけ出されたら橋田も断るわけにはいかなくなった。

「んー。まぁ、じゃあ約束通り手伝いましょうかね。何をやるんです?」

 諦めたふうにため息をつきながら、橋田は仕事の内容を聞いてみた。

「爆発!!!!!」

 嬉しそうに揃って言う妖精どもの姿を見て、橋田は目を丸くしたのだった。

 

 

 人間に怒られない程度の爆発ができるのを考えろとクラウンピースから言われた橋田は、うむむと考え込みながらたらたらと里の郊外を歩いていた。

「妖精のいたずらに手を貸すことになるとは…。いくら金のためだからってそんな事をしても良いいのか?」

 そんな事を今更考える橋田であるが、もう貰うものも貰って話を進めてしまっている。遅いどころの話ではない。

 というより、ピエロのような妖精が持っていた松明を眺めていたら、何故か心の奥底から気力が溢れ出て気持ちが高ぶり、

「そんなもんテァーっとやったるでよ!待っとりゃー!」

 と気の向くままに了承してしまったのである。

 

 妖精から受け取ったやたらずっしりと重い巾着袋を開けると、中には橋田が半年ほど暮らせる金額が入っていた。

 ここまでもらってしまうと流石に辞めるとは言いにくい。

「うーん…しかし爆発かぁ…爆発…爆発…。あ、あれが食いたい。アー。なんだっけな。あれ、あれ。まだ香霖堂にあるかなぁ?」

 爆発からあるものを連想した橋田は、口に溜まった唾をゴクリと飲み込み、腹をなでなでしつつ香霖堂へと赴いたのだった。

 

 

 三妖精は、満面の笑みを浮かべている橋田を見てギョッとしていた。

 もう少し詳しく言うと、大砲のようなものを抱えてニコニコしていた橋田が気色悪かったのでドン引きしていたのだった。

「な、なにそれ?」

「撃っちゃう?弾をドーンって?」

「爆発するのを頼んだけど、危ないのはダメだって貴方が言ったじゃない!」

 目をキラキラさせて大砲のようなものの周りをふよふよと飛んでいるクラウンピース以外は、思い思いの言葉を口に出して橋田に聞いた。

「ああ、ドーンとはしますが大砲なんて物騒なもんとは違うんですよ」

 橋田は笑いながら大砲のようなものをポンポン叩き、そう答えた。

「皆さんは甘いものは好きですか?」

「大好き!!」

「じゃあ作りましょうか」

「どうやって?」

「こいつで。大砲の弾の代わりに甘いお菓子を飛ばします。河童に調整してもらって、試運転もやってるんで安心して使えますよ」

 

 

 買い出しで賑わう商店街も落ち着きを見せ始めた昼下がり。

 何処からともなく甘い香りが漂ってきた。

 飴を作っているような、そんな砂糖まみれのかぐわしい香りだった。

 風に乗って鼻腔を撫でる甘い香りに心を癒されていた里の人間達に、突如として肌の端々まで伝わる轟音が襲った。

「な、なんだ!?何の音だ!?」

「ちょっと!何!?爆発!火事!?火消し火消し!」

 そしてまた漂ってくる甘い香り。

 騒然とした商店街の人間達は、爆発の出所まで駆けて行った。

 

「はーい!出来立てホヤホヤのポン菓子だよー!今日だけ特別のポン菓子屋さんだよー!」

 こんもり盛られた白い何かを、橋田は笑顔になって4つの妖精達と配っていた。

「橋田さん、何やってんだい?」

 薬屋の爺さんが橋田に声をかけた。

「妖精の気まぐれでね。ポン菓子作って配ってんだよ。爺さんも食ってって」

 爺さんにそう答えた橋田は、ほいっと器を押し付けた。

「ポン菓子ねぇ。そういやぁ久しく食ってなかったなぁ。む。甘い」

 爺さんが小さい粒をチマチマ食っていると、橋田は妖精にせっつかれていた。

 どうやらまた新たにポン菓子を作るらしい。

 

「はぁい!ポン菓子出来ますよー!耳が悪い人は耳に指突っ込んで口開けてねー!」

 大砲の口にカゴを設置して、カウントダウンを始める。

 人間達は橋田達と一緒に数を減らしていく。

「さん!にぃ!いち!はいドーン!」

 橋田がレンチで大砲の頭についた出っ張りの横を叩くと、また里を襲った爆発音が響いた。

 カゴの中には、圧力と熱で膨らんだ大量の米粒が溢れていた。

 妖精はそれをせっせと鍋に運んで水飴に絡めていく。

 

 しばらく続けていると、どこぞのなにがしが酒だのなんだのを持ってきて、ポン菓子を囲んだ大宴会がいつのまにか始まっていた。

 4匹の妖精達は、爆発にいちいち驚く人間たちを大いに笑い、甘くて柔らかくてパリパリしているポン菓子を堪能し、ただ酒を飲んで大満悦であった。

 彼女たちのそんな様子を見ながら、橋田は一人、ほっとため息をついたのであった。

 ポン菓子を作る機械や材料費などで、妖精からもらった費用の8割ほどが無くなったが、なんとか成功して良かった。

 そういう安堵の息であった。

 

 ポン菓子祭りは日が沈むまで続いた。



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初詣はどちらへ?

あけましておめでとうございます。
言ったもん勝ちなんですよ。こういうのは。


 無事に一年が終わり、また新たな一年が始まった。

「いやぁ、いよいよ幻想郷ではじめての正月だなぁ」

 橋田は十数分前に食い終わった蕎麦の器を片付け、おせちを引っ張り出すとバクバクと食い始めた。

 外の世界のと比べると大分質素であるが、美味いのには変わりはない。

 塩辛い漬物や、甘く煮た豆が酒をすすめる。

「美味い!元旦はこれだよ」

 1人でチロチロ酒を舐めながら盛り上がっている。

 

 ある程度おせちを食い尽くし、さて外に出て牛丼屋か何かで新年初の外食でもするかと外に出た時にはじめて気がついた。

「…もしかして、三が日まで何処も閉まってるんじゃあないか?」

 そう橋田が言った目の前には、明かり1つ無い真っ暗になった商店街が存在した。

「おせち…結構食っちまった…」

 おせちとは、どの店も閉まっている三が日の間に食べる為の保存食であるという話を外の世界で聞いたことがある橋田は、自分の貪欲な腹と無計画さに加えて、一年近く幻想郷で過ごしていたのにもかかわらず、自分がまだ外の世界で年越しをしていた気分になっていた事を激しく後悔したのである。

 

 ほろ酔い気分だった橋田の頭はもう完全に冷え切ってしまっている。

「そ、そうだ!初詣!神社なら…!屋台があるはず!」

 今更ながら幻想郷と自分とのジェネレーションギャップを感じながら、橋田はすがる思いで博麗神社へと向かったのである。

 駆け込み寺ならぬ、駆け込み神社。

 

 ちなみに本来神を祀るための土地なので、神社には迷える子羊を救ったり、煩悩から解放させるとか、そんな救済機能は無い。

 あくまで神中心なのである。

 祀るべき神がたまたまそこにいたから出来上がった土地なのである。

 うっすらと見えてきた明かりを目視して安心し始めた橋田にはそんな事を考える余裕が出てきた。

 

 

「あはははは!はははは!!」

 まさに抱腹絶倒。さっきまで追いかけてきた不安感など霧散した。それほど橋田は大笑いしていた。

 それもそうだろう。

 つい先日までただの神社であったのに、年明けの本日行ってみると出来損ないの遊園地が出来ていたからだ。

 しかも今にも壊れそうなガラクタ観覧車や、猛獣に乗るメリーゴーランド(メリー?)など、テーマの定まらない遊覧物ばかりなのである。

 カッパの屋台もあるにはあるが、店も客も少なく閑散としている。

 あまりのギャップに橋田は腹を抱えて爆笑していた。

 閑古鳥が鳴いている状態で、呆然と立つ関係者らしき人物の存在でさらに笑い袋をくすぐってくる。

 それも博麗の巫女や霧雨魔理沙など、知らない顔ではない者達が棒立ちになっているので、それが更に笑い袋をつついてくる。

 仮に橋田が飯を口の中に入れていた状態でここに来てしまったらたまらず吹き出してしまうだろう。噴飯ものとはまさにこの事であろうか。

 橋田の他にも参拝客はいたのだが、爆笑する橋田の様子に驚いたのか、変わり果てた神社が理解できなかったのか、ドン引きした様子で、賽銭を入れたらそそくさと帰って行くものがほとんどであった。

 

 

「そ、そんなに笑う事ですか!?」

 ピンクの髪をした女性が橋田に詰め寄った。大笑いをしている橋田を見て冷や汗かきかき駆け寄ってきたのである。

「いや、すんません。あまりにも場違いで、しかも閑散としてますんで…つい」

 そう答えた橋田の口元はまだにやけたままである。

 そんな橋田を見て女性は深いため息をする。

 

 奇抜な格好割に生真面目そうな女性である。

 そんな印象を橋田は受けた。

 白地のシャツの上に中華風の刺繍が入った赤い前掛けをしており、スカートは暖かそうな緑色だ。

 更に特徴的なものは、彼女の両腕であった。

 右腕は肩から指の先まで綺麗に包帯が巻かれている。

 左腕の方は地肌であるが、鎖のついた鉄の腕輪を付けている。

 その為なのか、線の細い体型であるのにもかかわらず、何処かしら底冷えするような厳つさが見えてくる不思議な女性であった。

 よく、ゲームなどで身体の大きな囚人などが付けている手錠のような、力強さを感じさせる変わったアクセサリーである。新手の防犯グッズなのだろうか。

 彼女の存在を前々から知っていた橋田であるが、声や性格などは今ここで初めて知った。

 人間の里にちょくちょく降りて来ているらしく、遠目から何度か見ていたのである。

 里の人間曰く、茨木華扇という仙人なのだそう。

 俗世間との乖離を楽しむのが仙人だと思うのだが、彼女の場合はそうでもないのだろうか。

 里の人間と愛想よくくっちゃべっている光景を目にしていた。

 

 などという事を考えながら、落胆しきっている彼女に橋田は声をかけた。

「神社なんてものは、その存在自体が特別なんです。だから余分なもん足す必要は無いんですよ」

「そんなものかしら?」

 頭に手を当てながら、白い息を吐いた。

「えっと、ところで…仙人様ですよね?何故神社で商売なんかしてるんです?」

「え?ええ。いろいろあるんですよ仙人には」

「はあ」

 自分の質問に困惑したような顔をして返す彼女を見て、橋田は頭をかいた。

 また思った事を口に出して相手を困らせてしまった。

 そういう感情だった。

 

 そんなこんなやりとりをしているうちに、魔理沙がこちらにやってきた。

 いつもの調子は何処へやら行って、完全にしょげきっている。

「やぁ、魔理沙さん。あけましておめでとう」

「ああ。今年もよろしくお願いするぜ。しかしまぁ…大失敗だな」

 橋田と新年の挨拶を交わした後、魔理沙は腕を組みながら首を傾げてぼやく。

「まぁ、単純に考えて需要に合わなかったんでしょうね」

「需要?」

「仙人様は俗世間と離れて暮らしていらっしゃるのと思いますんでご存じないでしょうが、客商売は需要と供給というのがあるんですよ」

「そのくらい知っています」

「ああ、すんません」

 構いませんよと華扇は手を上げて頭を下げる橋田を制した。

「ということは、私たちがやっていることは需要に叶ってないという事なのかしら?」

「そうですね。私が大笑いしたり、来る人間が皆引いていたりしていたのは、期待外れすぎてまともな反応が出来なかったからなんじゃあないでしょうかね?」

「ま、そういう事なんでしょうね」

 華扇はホッと口から白い息を吐きながら腰に手を当てて言った。

 

「じゃあ何すれば良かったんだ?守谷神社に対抗するにはさ」

「守谷神社?ああ、なんかそんなのありましたね」

 橋田は視線を上に向けながら思い出した。

 里で若い巫女がやたら宣伝していた気がする。

 神社というものは宣伝はすれど、その他変に手を加えるべきものではないと橋田は思っているので完全に無視していたのを覚えている。

「ふつうに神社やってれば良かったんですよ。こういうもんは」

「そういうものかしらねぇ…」

「新年早々駆け回って遊びたがる人間はそうそう居ないと思いますよ。私は。どちらかというと、のんびり参拝してちょこっとばかし美味いもん食ってまったりしたいですよやっぱり」

「食いたいのはアンタばっかだと私は思うぜ?」

「はぁ、すんません」

「まぁ、今回は気合の入れすぎでうまく需要に噛み合わなかったという事で…今日はもう解散!」

「ちょっと待ってください!」

「何だよ」

「せっかくだからアトラクション楽しんできていいですか?」

 照れながらそう言う橋田の言葉に2人の女性はずっこけた。

 

 

 果たして閑散とした遊技場など楽しいものなのだろうか。いやそんな事はない。

 寂しい雰囲気をそもそも感じさせないのが遊技場であり、人が居ないのは楽しむ要素の1つを消し去っているのである。

 それでも橋田は全力で楽しんでいた。

 博麗の巫女へ新年の挨拶を済ませた後は、ただひたすらに意味のわからないアトラクションを満喫していた。

 

「あの、あの、仙人様」

 ランランとスキップを踏みながら満面の笑みでやって来る橋田に戸惑いながらも華扇は答える。

「なんでしょう?」

「その…非常に恥ずかしいお話なのですが…あそこにいる虎ちゃんやらなんやらは、仙人様が飼ってらっしゃるものでしょうか?」

「え?ええ」

「触っても大丈夫なんでしょうか?」

「ん?良いですよ。今日はその為に連れてきた者達ですから。よく躾けてありますから噛むとかそういうのはありません」

 華扇の答えを聞くないなや、橋田は目を輝かせながら、

「感謝します!」

 と一目散に彼らの元へと駆けて行った。

 散々愛でられた猛獣達は撫でられすぎて毛玉が出来そうになっていたのは言うまでもない。

 普段触ることのできない大人しい猛獣を愛でることができ、大満足で帰った橋田は、先の心配事などすっかり忘れて初日の出を見る事なくグッスリといったのである。

 

 

 ちなみに橋田が悩んでいた食事の心配は杞憂に終わった。

 長屋近くの食事処はしっかり営業していたので食いっぱぐれる事は無かった。

 おせちは保存食だとかなんだとかは一体なんの話だったのだろうか?

 大方、年明けくらいゆっくりしたいという人間が広めたデマとかそういうものなんだろう。

 と橋田は思いながら、煮豆の山から一粒を取りもぐもぐしていたのだった。

 

 また新しい一年が始まったばかりだ。

 橋田は煮豆の甘さに舌鼓をうちながら、次の仕事の時間まで楽しみに待っていた。



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メタ回

「ねえ霊夢。もしこの世界が作り物で、私たちが偽物の生き物だとしたら…貴女はどう思うかしら?」

 縁側に座ってまったりお茶しているところに、八雲紫はよく分からない言葉を投げかけてきた。

 突然で意味不明な爆弾を受けた博麗霊夢は目をパチクリさせて質問を返す。

「は?どういう意味?」

「質問を質問で返してはいけないと寺子屋で習わなかったかしら?まぁ、予想はついていたけれども」

 紫は微笑を崩さないまま、お茶を一口すする。

「つまりはそのままの意味よ。私達自身やこの幻想郷の存在は偽物で、別のどこかにオリジナルが居るとしたら、それを知ってしまったら、貴女はどう考えるかしら?」

「それは…大問題…?なのかしら?でも私は私だしね。普通に生きて、普通に食べて、普通に寝て、普通に異変解決する。特にはどうとも思わないわ。それに、会ったこともないものに偽物だとか言われたところでピンと来ないわよ」

 霊夢の答えを聞いた紫は目を細めて、

「そう」

 とだけ答えた。

 

 冷たさと暖かさが入り混じった穏やかな風が、ふわふわと桜を揺らしている。

 舞い上がった花びらが紫の湯のみへとひらひら落ちていった。

「この世界は木の実なのよ。大きな大きな木から生まれたたくさんの小さな木の実の1つ。それが土に落ちて芽を出し、成長したの。それがこの世界なのよ」

 冷めかけの湯のみにひたりと落ちた花びらを眺めながら紫は言った。

「そう。あんたがそう言うならそうなんでしょうね。私は分からないけど」

「そうなのよ」

 雑に返す霊夢の言葉に明るく反応する紫の表情は、穏やかな笑顔のまま、カチコチに固まっていた。

 

 

 今日の橋田は寺子屋で臨時講師を任されていた。慧音が訳あって不在になるという事で、たまたま空いていた橋田に声がかかったのである。

 臨時講師とは言っても、文字の読み書き・計算を見ているだけではあったのだが、知らないおっさんがやって来て講師をするというのはなかなかに新鮮だったのか、子供達は満足そうに橋田の話を聞いていた。

 

 そんな拙い臨時講師を終えた橋田は、晩飯を手元にぶら下げ自分の部屋の扉を開けた。

「お邪魔してます」

 橋田を幻想郷に連れ込んだ少女が優雅にお茶をしていた。ごくごく自然に。

 橋田が楽しみに取っていた大福もちゃっかり御茶請けで机の上に置かれている。

 普通の人間なら驚愕だの何だので、自分がいない間にくつろいでいる者に対してマイナスな感情が出てしまうだろうが、橋田はそうではなかった。安堵のため息をついていたのである。

「ああ、掃除しといて本当に良かった。すんません。お客様にお茶用意させちゃって」

「いえ、良いのよ。美味しいお菓子もいただいたし、そもそも用意したのは私じゃあないから」

「どなたか居たんですか?」

「ええ。私の部下がね」

 しれっと答える紫を見て、はぇぇと間抜けな音を口から出しながら橋田は感心していた。

「まぁ、あがらしてもらいますね」

「どうぞ」

 手をチョップして空を切りながら橋田が部屋に入っていく。どちらが家主だか分からない光景である。

 

「どうも。この度は私を幻想郷入りさせていただきありがとうございます」

 目の前の少女に手と膝をついて深々と頭を下げる橋田の姿は、最大の恩人に対しての敬意が感じ取れた。

「別に良いのよ。外の世界は恋しくない?」

 紫はそんな橋田を眺めながら肘をついて笑みを浮かべている。

「いえ。これ以上ないってくらい楽しくやらしてもらってるので、これっぽっちも」

「そう」

 紫が残り少ない大福を口にするのを見て、橋田も自分の大福をつかもうとした。

 

 橋田の指が空を掴むと、ポトリと橋田の大福は紫の手のひらの上に落ちた。

 これで全部の大福が、紫の胃の中へ無事に収まることになる。

 諦めた顔で橋田が尋ねた。

「で、本日はどのようなご用件でしたか」

「貴方は自分の存在について考えたことないかしら?」

「存在…ですか?」

「ええ。自分がこの世界から見てどういった存在なのか。自分から見てこの世界とはどういった存在なのか…自分は空想の存在ではないか。とかいろいろよ」

「ありますね。それって例えば、自分が本の中の登場人物だとしたら…とかそういう意味ですよね?」

「そうよ。よくわかったわね」

「ありがとうございます。しかしまぁ…自分の存在ですか」

 橋田は腕を組んで考え込んだ。

「自分自身が実在しているかの証明はできるのかというのはなんとなく考えたことあります。で、出た結論は。おそらくできない。私はそう思ったんです」

 橋田の答えにならない答えを聞いた紫は、最後の大福を飲み込んで言った。

「証明ね。なるほど。そう考えるわけか。感性の部分でなく…。その答えは、過去に大勢の哲学者たちが出した結論とほとんど同じね。なんていうか、良い意味でありきたりだから落ち着くわ。あの子や式と話しても面白くないもの。貴方くらいよ。ちゃんと話してくれるのは」

「はぁ、どうもありがとうごさいま…す?」

 橋田は頭をボリボリとかきながらそう答えた。

 

 さて、と紫は湯のみを上品に置き、口を開いた。

「例えばの話、私達の存在がオリジナルでないとしたら貴方はどう思うのかしら?」

「面白いですね。自分達が本物ではなくて、クローンだとか、はたまた別の生き物なのか…なんでもいいですけど、本物はまた別の空間に居るって事ですか。信じられるし信じられないですね」

「その理由は?」

「やっぱり証明が出来ないからですよ。自分達が偽物で、本物が本物だという証明が出来ない。今私にできる範囲内であればの話でですよ?私達は自身の記憶を持って生きています。でもその記憶は本当に自らが体験した記憶なのかというのが分からないんです。実は別の誰かが体験した、もしくは作った記憶を元に私達は動いていて、私は三十何年生きている記憶がありますけど、実は生まれて数ヶ月…もしかすると1日2日かもしれない。でも誰もそんな事は言わないし教えてはくれない。三次元の存在である私たちが四次元以上を知覚できないのと同じように、私たちが偽の記憶を持った偽の存在であると知覚する事が出来ないんです」

 橋田の話はまだ続く。一旦得意なことを喋り始めると止まらないし止める気もないのが橋田だ。

 そんな橋田を紫は楽しそうに眺めている。

「ちょっと昔の映画でシックスデイというSFアクションがありまして…ご存知ですか?」

「いいえ」

「クローン技術が発達した近未来で、実は人間のクローンを作ることが出来るようになっていたっていうSF映画なんですが、その映画の中ではクローン自身はオリジナルの記憶を持って生きて居ますし、自分がクローンだと教えられなければ自身がクローンだと気づかないんです」

 橋田がベタベタとうんちくを語る間、紫は目を細めながら彼の言葉に耳を傾けていた。

 橋田がお茶に手をつけて口が止まったところで、紫は扇子で頭をトントンしながら言った。

「自分自身がクローンね。なるほど。興味深いわ。ではこんなのはどうかしら?もし私達幻想郷の住人や幻想郷は偽物だったとします。でも、その偽物だらけの中で、唯一貴方だけがオリジナルだとしたら。それを貴方や他の者たちが理解してしまったら。貴方はどう感じるかしら?これは貴方の感性を答えていただけたら嬉しいわ」

「ゾッとしますね。殺されるかもとかそう思います」

「そう。偽物に恨まれたオリジナルの運命というかなんというか…それを想像したわけね?」

 

 扇子の先でピッと指された橋田はドギマギして居住まいを正しながら紫に質問する。

「ええ…まぁ。何故そんな話を?」

 橋田の言葉を聞いて、少し間を置いた紫は扇子をゆっくり広げ、口元を隠しながら言った。

「この世界は木の実なのよ。大きな大きな木から生まれたたくさんの小さな木の実の1つ。それが土に落ちて芽を出し、成長したの。それがこの世界なのよ」

 紫の不思議な回答に目をパチクリさせながら、橋田は湯呑みの中身を煽り、軽くなったのを机に置いた。

 また頭をかく。今度は少しばかり強めにかいていた。意味を考えているようだ。

「んー。でもそれって、もはや別物ですよね」

 しばらくした後に出た橋田の回答を聞いて、紫は目をつぶりそのまま答えた。

「…そうね。そうね。ふふふ。馬鹿なこと考えていたわね」

「馬鹿なのかはよく分かりませんけど、いくら同じ木の実だとしても、結局は全く同じ形や大きさの木にはなりませんから」

「その通り。何を考えていたのかしら?」

「さあ?でもその何かを解決できたみたいですね」

 橋田は首を90度横向きにして言う。今度こそ紫が何を言っているか分からないので、それっぽい感じの言葉を返してみた。

 それを聞いた紫は、扇子を何処へとしまい、橋田にお茶のお代わりを頼んでいた。

 

「ところで、幻想郷の住み心地はどう?」

 二杯目のお茶を半分まで飲んだところで、紫は口を開いた。

「おかげさまで心身ともに幸せにやらさせてもらってます。お礼をさせてもらいたいんですが…どうしましょう?私で用意できるものがあれば」

「じゃあその押入れに詰め込んでいるお酒を全部ちょうだい」

 紫が扇子で指した先は所狭しと並べられた橋田のコレクションの群れであった。

「こんなのでよろしければ是非是非。運ぶの手伝いますよ」

「いえ、もう終わったから結構よ」

 橋田が紫の顔から押し入れに視線を戻すと、何十とあった未開封の酒瓶は、全て消え去っていた。

「む。流石ですね。酒なんかで良かったんですか?」

「ええ。お酒は大好きですもの。幻想郷の住人は皆お酒が死ぬほど好きなのよ。古今東西の酒好きが集まってくるのがこの幻想郷なのよ」

「酒好きが集まる…ははは。そうですね」

 

 そろそろ正面の長屋からも明かりが見えてきた頃である。

「それじゃあ。くれぐれも妖怪には気をつけて。外来人はよく食べられちゃうの」

 紫はやおら立ち上がり、帰り支度を始めた。

「はぁ。なんとか気をつけています。接触は多いですが…」

「死なない程度なら妖怪と関わっても問題ないわ。死ぬか死なないか。その境界を踏み間違えないように」

「どうもご丁寧ありがとうございます。それじゃあお送りしますよ」

 橋田も立ち上がり、玄関の扉まで身体を動かした。

「結構よ。こちらで自由に帰らせていただくから。今日はどうもありがとう」

 紫の声は言い切るかそうでないかのところで突然途切れた。

「そうですか。なら…」

 橋田が振り向くと少女は消えていた。

 

 

 自宅へ戻ってきた紫は、LEDのついた明るい部屋に安堵していた。

「藍。帰ったわ」

「お帰りなさいませ、紫様。先ほど届いた大量の酒はいったい…」

「今日はとても気分が良いの。模造品とは違うことが分かってね。藍も飲みなさい。今日は祝い酒かしらね」

「そ、そうですか。かしこまりました。肴になるものを作ってまいります」

「そう。よろしくお願いね」

「風呂の準備もできています。先にそちらへ」

 藍が台所へ移動するのを見送った紫は、鼻歌を歌いながら入浴の準備に入った。

 

 紫が目の当たりにした事実は、心臓の奥底までヘドロに沈められていくような絶望感を彼女に与えた。

 しかし、考え方を変えることでその事実を受け入れられることができた。

 憑き物が落ちたとはこういった感覚なのかと紫は思う。

 背中を流すたびに心が軽くなっていく。

「そう思うのもそう書かれているからなのだけれども」

 紫はそう呟くと、クスクス一人で小さく笑っていた。

 

 夜はまだ長い。



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人を食ったような妖怪

「すまんがこの時期は人手が欲しくてね」

 きこりのじいさんから言い渡されたのは、材木集めだった。なんでも良いのでとりあえず燃えるものを集めてきてほしいそうだ。

「ちょうど暇だったから良かったですよ。お互い様です」

 枯葉がカラカラと鳴き、山々の紅いのが目立ってきた頃である。夏の格好で出かけると、鳥肌が立つ程度の風が吹いてくる。

 だのに橋田といったら額に汗をカキカキ、じいさんが切り落としていった木々をひたすら集めていたのだった。

 別に急いで集めなくても乾いた木などは本格的に寒くなっても採れるのだが、そうなってくると命の危険も出てくるのでなるべく回避したいらしい。

 冬の間に用いられる幻想郷の燃料は、主に炭である。

 木炭屋は木炭屋で里の端にあり、木こりは毎年この時期になると彼らから大量の材木を寄越してくれと受注があるのだそうだ。

 というわけで、人手が欲しいのである。

 

 

「この辺りは人喰い妖怪も出るから重々気をつけてな」

 コンコンと木を樵りながらそう言ったじいさんは、明日の天気の話をしているかのような風だった。

「いや、そんな。兎とかタヌキとかの可愛らしい獣が出るみたいな感じで物騒な話をザックリと言わないでくださいよ」

「いや悪ぃ悪ぃ。でもよ。気ぃつけな?俺らの仲間に息子食われたやつ居てっからよ。お前みたいに若いのはよく狙われるんだ」

「なんか対策とかないんですか?」

「ねぇな。神さんとか仏さんとかに祈るしかねぇわな。それか、食えない人間だってアピールするしかねぇわな」

 そう言われて橋田は顔を青くして木こりのじいさんを見つめていた。

「そうビビるな。滅多に出ねぇから。怖いんならさっさと仕事片付けちまえばいいんだから。ほらほら」

 じいさんは顔面蒼白の橋田を見て顔をしかめながら、筋骨隆々な腕で橋田の持っていた籠を軽く叩いて押した。

「そう…っすね。ちゃっちゃと終わらせます」

「頼んだ」

 メキメキゴリゴリと音を立てて倒れていく木を眺めていたじいさんは、しっかり自分の計算通りに倒れていった大木を見て満足そうに笑っていた。

 

 

 帰路である。

 ボロボロになった服を見回し、ため息を吐きながら木こり小屋を後にする橋田の足取りは重い。

 木こりのじいさんと喧嘩してきたのだ。

 橋田に手渡されたバイト代が、契約時の言い値より少なかったからだ。

 じいさんの言い分は、売った材木の値段が下がっていたからその分割り引きしろというものだった。そんな無茶苦茶な言い分通じるかとゴタゴタ言っていたら、最終的に取っ組み合いになってお互いの顔をボコボコ殴っていたのである。

 最終的に満額出させたは良いものの、二度と顔を見せるなと追い出され、腫れた頰を撫で撫で帰路についているわけだ。

「こっちのセリフだくそじじい」

 半ば強引に受け取った金を懐の中でチャリチャリ鳴らしつつ、橋田はそうぼやいていた。

 

 そんな一件があって気分が落ち込んでいるからなのだろうか。

 やたら帰路の林道が暗く、不安を煽るような色になっているように橋田は見えた。

 まだ夜の帳が下りるには早い時分である。少しずつ橙に変わっていくお日様と、烏の鳴き声がいやに気になる。

「一言で言うなら『不気味』だな」

 苦笑いを浮かべながら橋田は足を早めた。

 さわさわと不意に草木が音を発した。風は吹いていない。

 獣か何が動いたのか、それとも…

「やめろやめろ。帰る。早く帰るぞ」

 ジャリジャリと踏む足を少しずつ早めていく。

 一度不安に思うと、どうしようもなく更に不安が重なってしまうのが人間である。現に橋田は不安すぎて誰かがこちらを見つめている気がさっきからしてたまらないのだった。

 

「や、はは、早く行くぞ」

 小さく動かしていた足を、橋田は次にえいやと大きく踏み出した。

 大きく出した右足が地面を踏んだ途端、橋田全体を大きな闇が通過して行った。

 一瞬の出来事であった。橋田の目の前か、足元か、それともまた別の何処からか、突如として漆黒が現れ、そして消えていった。

「今のは…?」

 意図しない出来事に目をしぱしぱさせ、闇が消えていった方を向きながら呆然と立っていた。

 汗が吹き出る。

 すると、

「ねぇ」

 キンと通るガラス瓶を弾いたような未成熟で綺麗な声だった。

 橋田はすぐに顔を正面へ向けた。

 彼の前には小さな女の子が立っていた。

 真っ赤で大きなリボンを付けた、金髪の少女であった。

 鬱蒼とした林道にふさわしくない、質の良い白黒の洋服を着ていた。

「明らかに妖怪だよな。こんなん…」

 薄暗い空間で無邪気な笑顔を向けている少女には底冷えする恐ろしさがあった。

 

 彼女は表情を動かさないままこう言った。

「あなたは食べても良い人間?」

 死ぬ。

 少女の言葉を理解した瞬間。橋田は覚悟した。

 妖怪には何度も会ってきたし、一緒に商売をしたりしていた。

 しかし、そのどちらも橋田の安全が確保されていたからこそ出来た行いである。

 今は何も無い。橋田を守ってくれる人も物も何も無い。自分で自分を守るしか無い。

 橋田は額からじわじわと降りてくる汗を拭いながら、悟られないようごくごく冷静になって返事をした。

「どちらかというと食べられたくない方ですかね」

「ふうん」

 ふわりと宙に浮くと、少女は橋田の右横に降りて橋田の腕をつかみ匂いを嗅いできた。橋田を掴む力はとても強く、振りほどけそうもない。

 少女からはわずかに血の匂いがした。

 

 身体が震えそうになるのを必死にこらえて橋田は言葉を続ける。

「良薬口に苦しって言葉をご存知ですか?」

「いいえ?」

「つまり私は貴女にとって苦い薬なんですよ。今貴女の体調はどうですか?」

 いただきますと言わんばかりに大口を開けて橋田の腕にかじりつこうとする少女だったが、橋田の言葉に反応してピタリと止まった。

「何処か、お腹が痛いとか、頭が痛いとかありますか?」

 少女は橋田から手を離しかぶりを振る。何処か心配そうな表情になっている。

「じゃあ大丈夫ですね。私を喰う必要はないですよ。薬は健康な時に飲むと逆に身体を壊しちゃいますから。死ぬほど身体が悪くて虫の息のタイミングで飲まないとダメなんですよ…」

「そーなの?」

 少女は橋田の言葉を信じて良いかどうか迷っている様子である。

 突然そう言われたら信じられないのは当たり前であるが、しれっと言う橋田を見ると、もしかすると本当なんだろうかと思ってしまう。

「そーなのです。じゃ、帰って良いですか?」

 迷っているうちにさっさと逃げねばと、橋田は余裕綽々なふりをして少女を通り過ぎようとしていた。

 が、当然がっちりと腕を掴まれて止められてしまう。

 ゆっくりと振り返ると、少女はずっとうんうん考え込みながら手だけはしっかり伸ばして橋田が逃げないようにしていた。

「ええと。本当に薬なの?」

 難しい表情をしながらそう言う少女を見て、橋田の冷や汗は少し引いた。

 強気に出た方が良い。

 そう思い、橋田は一歩前へ出る。

「え?食べます?」

「えぅ…でも」

 さっきまで目の前の獲物を食おうと前のめりになっていた少女は、近づいてきた橋田から一歩引いてしまっていた。

 しかしまだ腕を離さない。

 

「もしかして、私が薬だって信じてませんね?」

「そうだよ。だって今までそんな人間いなかったし」

「あちゃー…よく生きていますね。余程運が良いんだ」

「えぇ…」

 橋田が空いている方の手で顔を覆い大げさな動作を取った。

「人間の中には一定数、妖怪にとって毒にも薬にもなる人間がいるんですよ。おおよそ人間全体の32%くらいですかね。それに当たらなかっただなんて、貴女はよほど幸運だったってことですね」

「そ、そんなの見分け付かないじゃない!嘘よ!」

「ごくごく簡単な見分け方はあるんですがねぇ…。はぁ…仕方がありませんね…本当は怖いからやりたくなかったんですけど、貴女のためを思って特別に教えてあげますよ」

「お、おお。お願いします」

 頭をボリボリかきながらオーバーかつ残念そうにため息をつく橋田を見て、少女は彼の腕からおずおずと手を離し聞いた。

 それを見た橋田は自分の腕を少女の鼻先へと持っていく。

「ほら、この臭いですよ。わかりますか?」

「にお…?ただの人間の匂いじゃない」

「そうじゃあない。私の臭いですよ。独特でしょう?」

「え?」

「え?」

 少女はぽかんとほうけた顔で橋田を見ていた。

 橋田の方も想定外の反応だというような素振りをしている。わざとらしく腕を組みながら唸っていた。

 

「分からないんですか?人間マイスターの貴女が。分からないとは…うーん困ったな」

「ど、どういう匂いなの?」

 くんくんと必死に臭いを嗅いでいるが、少女は一向に分からない様子である。

 橋田は自信満々に答えた。

「ゲンナリの葉の臭いですよ」

「ゲン…?」

「ゲンナリです。漢字だと、減るに生ると書きます」

「そ、そんなのがあるなんて聞いたことないよ!!」

 当たり前である、橋田のハッタリなのだから、そんな人間がいるのかどうかというより、そもそもそんなもの存在しないのである。

「ああ…そうかもしれませんね。新参者と妖怪にはあまり出回らない話ですから…。里の人間達はみんな知ってるみたいですよ。私もつい最近知りました」

「そ、そーなのかー…」

 頭をボリボリかきながら話す橋田を見ながら少女は必死に臭いを覚えようと嗅いでいる。

 しかし分からない。脂の乗った美味い人間独特の匂いはすれど、橋田の言う独特な臭いが分からないのだ。

 皆目見当つかないまま、いつまでも嗅いでいる少女は少し泣きそうになっていた。

 

「もう分かったでしょう。よろしいですか?よかったですね、死なずに済んで。それじゃあ」

 弱々しく掴んでいた少女から優しく腕を離し、橋田は別れの挨拶をした。

「あ…じゃ、じゃあ。ありがとう。教えてくれて…」

「くれぐれも、ゲンナリの葉の臭いがする人間を食べようとしちゃダメですよ。消えて無くなっちゃいますから」

 90度にお辞儀をし、踵返して橋田は林道を下っていった。

 少女は橋田を見送るしかできなかった。

 

 少女から離れてしばらく。

「まぁ、良薬なんて言っても、効くか効かないかなんて治ったとしても分からないがね」

 里が見えてきたところで、橋田はそう呟いた。

 医者嫌い独特のセリフである。

 橋田は落ち着いた心臓の音を聞きながら、ゆっくりと家に帰っていった。

 

 

 後日、稗田阿求に会う機会があった橋田は話のタネの1つとして彼女に聞いてみた。

「え?ゲンナリの葉ですか?よくご存知ですね。あれは人食い妖怪が食むと歯がボロボロになってしまうといわれる退魔の葉です。幻想郷だと…今は旧地獄くらいにしか無いんじゃあないかしら?何百年も昔は里でも育てていたみたいですけど…。どうしてそんなこと聞くんです?」

 阿求の説明を聞いて目を丸くした橋田は、直後に大笑いしていた。

 

 

 橋田がそんな出来事もはるかかなたの記憶になってきた頃、人食い妖怪に会った時は、大声で『げんなり、げんなり、げんなり』と唱えると、その妖怪は去っていくぞ。

 そんな噂が里の中で流れていた。



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モンスターペイシェント

 橋田は医者嫌いである。

 医者というだけで偉ぶるし、彼らの判断が正しいのかそうでないのかが素人目には皆目見当付かないからだ。

 あくまでもこれは橋田の意見である。

 

 スポーツ選手やエリートサラリーマン。弁護士や会計士などの腕の良さはよく分かる。すげーよく分かる。

 結果だけがモノを言う世界だからなぁ。

 だが、一般人が関わる機会の多い医者は全く良し悪しがわかんねぇのはどういう事だぁぁー!?超ムカつくぜぇぇぇ!!

 体調悪いからって心音聞いただけで分かるっつうのか!?畜生が!

 自分の身体も100パーセント分かってないのに他人の身体が完全に分かるわけねぇじゃあねぇか!

 自分達だけで知識を独占しやがってよぉ〜、マジに許せねぇよなぁぁー!?

 だから医者の処方する薬は飲むなとかなんとかいうわけのわからねぇ本が売れる世の中なんだよクソがぁぁ!!

 などとまでは思っていないが、それに近いような感情を橋田が抱いているのは間違いない。

 

 こうも橋田が医者不信になったのには理由があったりする。

 

 橋田がまだ社会に入りたてのピカピカ新人営業マンだった頃だ。

 朝目が覚めると体全体が動かず、かろうじて動いた指を動かし、手元の携帯電話で119を押したのだった。

 救急車って119ですよねなんて呑気なこと言いながら病院に搬送された橋田は、あれやこれや検査を受けた。

 が、専門医は休暇を取っており処置も出来ず、結局時間が経つにつれ体が動くようになった橋田はそのまま返されたのだった。

 あげく金だけはしっかり取られる始末である。

 寮に戻ると、放置されていた携帯電話に上司からの着信が五分おきに入っていた。

 報・連・相は大事だろうがと怒鳴り散らされたのにうんざりしていた橋田は、寝ぼけた声で、ちゃんと食べておきますと返した後の上司の反応は言うまでもない。

 

 その日より、橋田は病院や医者に対してあまり良い感情を持たなくなっていた。

 運ばれた当時は、自分は休みの日だろうとなんだろうと、上司や客から電話があればすぐに飛んで行っていたこともあってか、キチンと休む医者と運ばれた患者に適当な処置もせずに返す病院に対しての憤りは凄まじいものだった。

 俺は休みも関係なしに働いているのに、中途半端にほったらかして金を取るだけ取って、医者ってやつは責任感もクソも無い奴らだ。

 と言うのが当時橋田が抱いていた所感であった。

 考え方が変わってきた数年後の現在でも、少なからず不信感を抱いたままである。

 

 

 そんな橋田は今現在、藤原妹紅に別れを告げ、振り返った途端にため息をついたのだった。

 彼の目の前には件の大嫌いな診療所が建っていたわけである。

 竹林に囲まれたその建物は診療所と言うよりは隠居人が暮らす庵のような雰囲気だ。

 しんしんとする緑の中にポンと存在を忘れられたかのように置かれている建物である。

 橋田は看板を見た。

「永遠亭ね。なるほど」

 看板の通りかどうなのか、時を感じさせない物静かな形である。

 しばらくぼけらっと眺めていた橋田であるが、そろそろ腕の痛みを思い出し、診療所の中へと入っていったのだった。

 

 

 だんご屋かどこかで見たことのある似たようなうさ耳に案内され、橋田は八意永琳の診察を受けていた。

 腕の怪我なんてものを内科医が診るのかと思っていたのだが、話によると彼女は内科とか外科とか関係なしのオールマイティだとか。

 有り体に言って、とても美しい人だった。

 細い線の眉、潤んだ唇、キリと尖った目には大人の色気というものが見えていた。

 流し目でこちらを見られるとドギマギしてしまうほどのものだ。

 縦に藍色と赤で色分けされた服装は、彼女のボディラインを強調し、スタイルの良さをアピールしていた。

 髪は長くて絹のように滑らかな銀髪で、大きく後ろに三つ編みで束ねられていた。

「そういうことか」

「何がかしら?」

「いえ、ちょっと考え事を」

 橋田は一人で納得していた。

 里の男どもがだらしのなく笑いながら彼女の腕の良さを語るのを思い出す。

 

 大きな落胆があった。

 美人女医という時点で医者としての評価は低い、それに加えて総合内科的なオールマイティときた。

 橋田は過去に運ばれた先の病院にいた、頭の悪い総合内科の若い医者たちと、やけにプライドの高い美人女医を思い出した。

 血液検査だのなんだのをいろいろやった挙句、体の動かない橋田に向かって、

「貴方に異常は見られません。数値を見る限り正常です」

 と言ってのけた若い医者達にはほとほと呆れ返っていた。

 また、その後の通院で、いろんな意味で頭が高い女医から食生活などを散々馬鹿にされて橋田を激昂させたのも古い記憶の中で大事にしまってある。

 

 頭の中で頭を抱えながら、しかし表面上は平静を装いながら彼女の診察を受けていた橋田であった。

「そんなに時間がかかるものなんですか?」

 意味もなく大きなため息をわざとする橋田に、永琳は眉をひそめながら答えた。

「ええ。かなり深いところまで切れていますから、傷から菌が入って化膿するといけませんし、しばらくはこのままで安静になさってください」

「なんていうか…塗っただけで治るとか、そんな薬は無いんですか?医者ですよね?」

「貴方は医者をなんだと思ってるの?」

「そりゃ医者ですよ。金もらって診てるんだから、即効性を求められるのは当たり前の話じゃあありませんか?」

「呆れた…。稀にクレーマーも来るけど、貴方は飛び抜けてひどい人ね。そんなに医者が嫌いなら来なければいいのに」

「私だって来たくて来たわけじゃあないですしね。付き合いですよ。こんなもん」

「とんだとばっちりだわ」

「あのね、病気や怪我というものは基本的に自然治癒に任せるだけなの。塗っただけで治るとか、飲んだだけで回復できるとか、そういうものは存在しないし、もしあったとしてもそれは人間には強すぎて使えない薬よ」

「さいですか」

「なんでそんなに医者が嫌いなのよ。貴方の場合はっきり言って異常よ?」

「まぁ、散々裏切られてきましたからねぇ。医者には」

「外の世界でどんな医者に会ってきたのかは分からないけれども、人それぞれという言葉を覚えてほしいわね」

「貴女は良い医者なんでしょうか?」

「はい?」

「いえ、腕の良い医者なのか、悪い医者なのか、素人には皆目見当がつかないので疑わしいんですよ」

「そんなものを疑っていたら何の医者にもかかれないじゃあない!」

「でも分からないものは分からないんですから。仕方がないですよ。インテリの言うことは間に受けてはいけませんしね」

「ああ、なるほど」

 橋田の返しを聞いた瞬間。永琳は何かに納得したような様子を見せた。

 その反応に橋田がいぶかしんでいると、橋田から視線を逸らしながら永琳は言った。

「そんな見た目して学歴コンプレックスなのね貴方」

 

 唐突に言われた言葉にしばらく目を見張っていた橋田だが、しばらくしてモゴモゴと言いずらそうに口を開いた

「言われたことは…」

「ないでしょうけど、貴方の根本的な考え方としてそんな印象を受けるわ。貴方、勉強や仕事ができる人間嫌いよね?」

「いや…まぁ…そう…ですね」

「妬みというものは憧れが悪い方向に進みすぎたもの。薬と一緒で、適度に扱うなら人生において最善の手になり得るものよ。深く考えすぎないことね」

 永琳は、ひどく動揺している橋田の肩に手を置き、彼に落ち着くよう言った。

「努力できる人はそういった習慣が身についているから努力できるのよ。そうじゃあないなら自分で考えて努力できる環境を作らないと何も出来ない」

「そんなこと言われましても、努力できる人だから言えることであって、努力できない人からそう言われないと説得力のかけらも無いですし…」

「自分が感じていないだけで、他人からすれば努力と取られるものもあるかもしれないわ。例えば貴方は妖怪相手の商売もするのでしょう?噂で聞いているわ」

「ええ、まぁ、自分の命が保証されてる前提の仕事だけですが…」

「その安全はどこで担保するのかしら?」

「そりゃ、書物とか伝聞ですよ。稗田の方々が書かれた幻想郷縁起とか、博麗の巫女とかに聞くとか」

「それは普通の人間にできることなのかしら?」

「さぁ?特には気にせずやっていましたが、でも自分の命がかかっているんですから、当たり前の行動だと思いますがね」

「それは貴方の才能よ。誇って良いわ」

「はぁ」

 橋田は頭をボリボリかいて答える。

 あまり意味がわかっていない様子だ。間抜けな顔して考えながら、永琳の話を続けて聞いている。

「外来人の多くが幻想入りしてすぐに死んでしまう話は聞いていると思うけれども、貴方はそれを聞いてどう思ったかしら?」

「そりゃ、それだけ危険なんだから注意しないととは思いますよね」

「そうね。でも外来人のほとんどはそれを間に受けずに妖怪に喰われて死んでしまうのよ。外来人は月に何人か来る。貴方が幻想郷にやってきた後にもね。でも貴方以外の外来人とは会ったことがないでしょう?」

「忠告を守らずにすぐ死んでしまうんですね」

「その通り。貴方のように、人の話をしっかり聞いた上で適度に妖怪と接するということは、里の住人にとっても難しい事なのよ。幻想郷縁起なんて読む人どころか存在自体知らない人の方が多いのではないかしら?」

「そういうもんですか…」

「誇っても良いかもね。それは貴方だけが持っている才能であり、努力の証なのだから」

「すんません。なんか心配していただけたようで」

「これでも医者ですから。患者さんの心の病を治すのも務めです」

「はぁ。すんません。で、なんの話でしたっけ?」

「腕の痛みは忘れた頃に取れますから、そのままで結構よ。お大事に」

「あ、ああ。そうですか。ありがとうございます」

「帰りはうちの兎が案内するから、それに従ってくれれば問題ないわ。それでは」

 

 

 迷いの竹林から戻った橋田は部屋に戻り、綺麗に巻かれた腕を眺めていた。

「学歴コンプレックス…言われてみればだな」

 医者が嫌いだったのは過去の経験に加えて、その気があったからなのだろうか。

 彼女の言葉を思い出しながら、疑問も持ちながら、己の医者に対する見方について考えていた。

「八意先生だけは医者として信用しても良いのかもしれないな。はぁあ。しばらくは仕事を休もう。先生がそう言っていたからな」

 

 ゴロンと横になった橋田は、そのまま目を閉じて夢の中へと落ちていった。

 

 

 



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夢の世界へようこそ ようこそ夢の世界へ

寝る寸前の人とか寝言を言っている人って、しっちゃかめっちゃかな言葉言うじゃあありませんか。何で何でしょうね。くりのから


「今は夢の中にいます」

「ええ。」

「夢は中にいますか?」

「いいえ?」

「では外から取ってきてください」

「わかりました」

 

ふわんと揺れる帽子のポンポンに気を取られながら、橋田は夢と書かれた箱の中から外を取り出した。

橋田は夢の中に居た。

それを自覚しているのではあるが、うまく頭と体が動かせないのだ。

明晰夢とは初めての体験であったが、ここまでわけのわからないものだとは思いもしなかった。

それだけ普段の刺激が強いのです。まとまってよかったですね。

ドレミー・スイートが橋田の外を食べながらそう言った。

 

「不思議な味のする外ですね。これは何を入れていますか?」

「二枚二倍の羊毛布団です。羊毛が二倍で長さも190cmあります。当時としては画期的な長さの羊毛敷布団です。関取が宣伝していました」

「ええと…ほんとうによくわかりませんが、とりあえず貴方がカオスに身を委ねすぎて面白いことになっているのは分かります」

 

 

橋田が夢の中で自身の意思に気がついたのは、白黒のワンピースの寝間着を来たドレミー・スイートが現れてからだ。

彼女は自身を夢食いのバクだと言って、忘れたい食い物をよこせと言ってきたのだ。

橋田がうんうんと考え込んでいるうちに、ポンポンと黒くて大きな夢の塊が空から登ってきた。

降ってきたのではない。登ってきたのだ。

落ちてないのだ。

心の奥底の戸棚にしまってある記憶が悪意の塊となって登ってきたのだ。

ドレミーはそれを1つずつ味わいながら美味いうまいと食っていく。

「今の今まで食べたことのないものばかりです。やはり外来人は幻想郷の住人と違って食文化が進んでいます。この大判焼きのようなものもとても美味しいです。白あん?これは何が入っているのですか?」

「、それは御座候です。読者向けに書くなら、ござそうろうと読みます。大判焼きではありません。松坂屋の地下で売っています。2度と間違えないでいただきたい」

「…あ、え、ええ。ごめんなさい」

夢を見ている癖に妙なところで細かい男ですね貴方は。「白あんは白インゲン豆を潰したものらしいです、これは事務の行き遅れババアどもが俺の悪口を後輩にメールで送った記憶です。早々に辞めた後輩が「大丈夫すかこれ…」と非常に申し訳なさそうに突き出してきたメールの内容です。ふふふ。職場では悪口を言わない方が良いですね。良い教訓になりました」

橋田は社会人らしく人間の暗い部分を見ては学習する生き物なのだ。

学習はすれど、それを実生活に活かしきれていないのは橋田ならではのクオリティである。

 

「美味しい悪夢でした。私は良い夢は残します。良い夢は麻薬です。甘美な味わいですが、取りすぎるととり殺されるからです。美味しすぎてそれしか考えられなくなるのです。それはダメでしょう?たまには味わうのも良いですが、それは悪人の良い夢だけなのです。私はバクですから」

「なるほど。貴女も大変なのですね。ではこちらの外はどうでしょうか?」

「んーどれどれ?おやこれは…冷たいうどんですね?」

「コロです。

「は?」

「コロと言います。名古屋では冷たいうどんをコロと呼びます。うどん屋に行けばどこでも食べられます。美味しいです。コロです。2度と間違えないでいただきたい」

「…あ、え、ええ。ごめんなさい」

ちゅるちゅる。

んー!もちもちのコシと適度なひんやり感と、それに見合った程よい濃さのだしがいくらでも喉を通り過ぎていきます!これは失恋の夢ですね?とても美味しいです。

「生まれて初めて出来た恋人が、知らない間に男友達と同棲していました。首元や手首にキスマークや歯型をつけて、敢えて僕に見せようとするのです。」

「打ちのめされて、また打たれて、コシが出るまで引き伸ばされて、うーん!ていすてい!というやつです。こんな記憶は食べきってしまえますわ!」

 

「食べても残りカスは残ります。それをどうしましょう?」

「恥を上塗り、臭い物に蓋をして、七転八倒しましょうか。そのうち過去の誰も取り出せないところにポツンと置き忘れられ、誰も取りに行くことはできないでしょう」

「わかりました。」

「ハイは一回でよろしい」

「ハイ!」

 

ところで、とドレミーが手袋をはめてつま先を立てると橋田の方を振り向いた。

「貴方は夢はありますか?」

「今見てますが」

ポンポンと音が鳴った。

 

ポンポン

 

「そうですね

 

私が言いたいことをわかっている癖にそこでおちゃらけるのは妖怪慣れしすぎたせいかしら?」

「はぁ、すんません」

「人に見せられる人間になりたいですね」

橋田が答えると、ドレミーは大声で笑い始めた。

アッハッハとドレミーが笑うと橋田の夢も笑い出した。

つられて橋田も笑いだす。

アッハッハ

 

笑えよ橋田。

アッハッハ。

 

「はぁ〜。そういう人間なんですね。現代が抱える病気だわぁ。子供の頃から抑えられ、平等になるように比べられ、社会に出たらまた頭を抑えられる。鞭を打たれる。素晴らしい」

教育が悪い。

なぜかそう言われる。

何故なのか。理由は簡単で勉強できる者規律を守る者しか教師になれないからだ。

勉強できるから勉強できない人間に教えることができない。

規律を守るから守れない人間について行くことができない。

メガネの似合うやたら規律を意識する口やかましい学級委員長を思い浮かべてほしい。

それが全員教師になったら…

地獄である。

普通を目指す。

社会に出て役立つ普通は、普通に存在する多くのサラリーマン。

だから普通を目指すのだ。

外れる人間は焼却場へ。

しかし、普通を目指す癖に普通とかけ離れた上位者には弱い。

スポーツができる者、芸術の才能がある者、広義的に見て優秀とされる者には甘々の弱々なのだ。

だから普通以下の人間たちは上位者を羨み妬む。

これが社会の縮図だ。

学校はそういうところなのだ。

 

 

「貴方がその夢になれる確率は、貴方自身が貴方である以上不可能です。また、貴方が貴方以外の貴方になる事も不可能です。よってその夢は叶わないでしょう」

「残念です。分かってはいましたが。せめて夢なら夢を見させてほしかったです」

「私にとっては夢は夢としての現実ですから」

「恐ろしい。そろそろ覚めてもよろしいですか?仕事が入ってますから。「ええ良いでしょう。文章は重なっても読めますが、音声は時間の流れと共にありますから。」

 

 

起きた橋田はすっかり爽快であった。

夢の中身もすっかり忘れていたが。

それでも橋田は爽快だった。

現実は夢と同じで甘くない。

そういう、感触だった。

 

 



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反乱分子

 その日、橋田は異様に気分が良かった。

 特に理由があったわけではない。

 ただいつものように仕事が朝から晩まであっただけだし、特別力を使う仕事でもなかったし、変に緊張する場面があっだけでもない。

 平穏無事な、変わらない一日だった。

 

 ジメジメと続く暑さが少しずつ遠のき、乾いた風が人々の身体を吹くような季節だった。

 この季節になると突然活発的になる神々が、あちらこちらで元気を振りまいている頃合いだろう。

 もう何度目だろうか。と橋田はひいふうみいと指を折り、自分が幻想入りしてからの年月を数えていた。

「随分といたんだなぁ」

 ほぅと橋田がため息をついた。

「変わったところは……」

 自分の身の回りをさぐりさぐり、顔を撫で、足回りを見回し、腹をポンポンと叩いてから一人笑う。

「老けたな!」

 ハッハッハと笑う橋田の横には、博麗神社へと続く階段があった。

「記念に一度参って行くか」

 よしと橋田が意気込み、神社の階段を降りていった。

 

「ん?」

 降りていたのだ。

 決して誤字ではない。

 橋田は間違いなく、博麗神社の階段を降りていたのだ。

 登ったつもりで1段目を踏んだのだ。

 

「なぁアンタ」

 唐突に頭の上から声をかけられた。

 橋田が振り返ると、逆さま立ちをしたまま階段の淵に座っている奇妙な少女がいた。

「私ですか?」

「そうだよ。よくわかったね」

 器用な格好でいる少女は、黒髪の中にわずかに入った白髪で、一見地味な紅白の格好をしていたが、ちらと見える角や、その不可思議な姿勢のせいであからさまに妖怪だった。

「そりゃ……もう妖怪の相手は慣れましたから」

「ハッハッハ! 神の数だけ居る妖怪を、人間に危害を与える妖怪を慣れたってか! 妖怪のこの私に対してよく言う奴だ」

「あ、っと。申し訳ありません」

 気分が乗ると余計なことまで口に出してしまう。橋田の悪い癖だった。

 ボリボリと頭をかきながら橋田は謝る。

 少女は笑顔のまま、普通の姿勢に戻り、歩いてきた。

「良い。良い。それでこそ私が求めていた人材だよ」

「人材? 商売の話ですか?」

「そうだ。ビジネスだ。だがアンタが普段やってるような1日何文何銭の世界じゃあない。もっと規模の大きなものさ」

 ケラケラと下品に笑う少女は橋田の肩を軽く叩きながらそう言った。

「へぇ、ビッグビジネスってやつですか。で、いくらもらえるんで?」

 この時期は大口契約が少なくなってきており、金が稼げると聞けば少しだけ気にはなる橋田であったが、少なからず、この少女を怪しんでいた。

 大抵そういう話を大げさに且つフレンドリーに持ってくる輩は、裏系や危ない系の仕事である。

 そういうのに手を出すと必ず身の破滅が同時に訪れる。

 橋田はこういった仕事には手を出さないスタンスだった。

 金は楽に楽しくは稼げないのだ。

 間違いなくこの少女もそういった仕事を持ってくるに違いない。橋田は心の中で身構えていた。

「聞いて驚くなよ? 私が貴様にやれる報酬はこの幻想郷さ」

「……私は鼻は良いが耳は悪くてね、申し訳ありませんが、もう一度教えていただけますか?」

「何度も言わせるな。私は本気だぞ?」

 少女は大真面目に憤慨していた。

 その姿を見て、橋田は口の中で小さく舌打ちをした。

 正直言って、橋田は思いの外の言葉に頭を抱えていた。

 規模が大きすぎて理解が出来ないし、興味もなかった。

「……私は妖怪相手の商売も平気でしますが、それは自分の身の安全という担保があるからやってるわけで、それがないものであれば、悪いが神社に駆け込ませていただきますよ?」

「やってみろ。神社の石段を登った所を降ろしてやる」

 少女は右手の親指を下に下げて、そのまま首を横になぞった。

 昔ゲーセンで流行ったゲームのボスが勝った時によくとっていたポーズだ。

「殺しはしないんですね」

「貴重な人材だからな。私は力で従えられないとなると強硬手段に出る大間抜けな強者とは違うんだよ」

 コレからどう逃げるか。そればかりを橋田は考えていた。

 そんな橋田の考えがやっぱり滲み出ていたのだろう。

 あちらこちらと動く橋田の視線を追うと、少女はニタニタと生意気な笑顔を浮かべながら橋田に詰め寄ったのだった。

 

「なぁ、聞いてくれよ? 橋田とやら。所詮この世は弱肉強食。強い者ばかり得をし、弱いものだけが外ればかり引かされる。そんな事思った経験ないか?」

「いや……」

 橋田が否定しようとしたのを、少女は人差し指を橋田の唇に当てて止めた。

「嘘は良くない。良くないぞ橋田金次郎。お前はあるはずだ。思った事が。例えばほら、射命丸とかいうブン屋。アイツ見てどう思ったか正直に言ってみろ。私は知っているぞ? ほら」

「苦手です」

 橋田は緑の少女に連れられて、地底に連れて行かれた時のことを思い出した。

 ばったり会った嫉妬の妖怪に散々突っつかれて気分が悪くなったのである。

 それと似たようなセリフを今この少女は吐いていた。

 何処かで橋田の知ったのだろう。妖怪のネットワークは想像を絶する広さだ。プライバシーの侵害もはなはだしい。

 まだ、少女の攻撃は続く。

「何故? 何故だ? お前はこう思った筈だ。『嗚呼、自分の能力と自信のある者は本当に羨ましいなぁ。アレを見てると本当に自分がちっぽけな存在にしか思えなくなるなぁ。俺はなんでこんなにも弱くて能力が低くてみじめなんだろうか』ふふふ。手に取るようにわかるぞ。私がブン屋の名前を出した一瞬、顔をしかめた。それはお前自身が」

「で、何のお話でしょうか!?」

 橋田のコンプレックスを刺激しまくった彼女はつとめて冷静で、まぁまぁと橋田をなだめた。

 もう橋田は逃げることを考えていない。これが人を勧誘するテクニックの一つだとも理解することなく、少女に対しての怒りでいっぱいなのである。

 

 誘いに乗った橋田を見て、少女は下卑た笑顔をさらに歪めた。

「怒るな怒るな。嫉妬の橋姫が湧いて出てくるぞ?」

「本当に神社に行きますよ」

 橋田の脅しも聞かず、少女は話を続ける。

「お前は自分の人生を悔やんでる。勉強もせず、立身出世出来ずにゴミ溜めのような所で働かざるを得ず、ガキの頃に遊んでいた分を取り戻そうと苦労して年を食ってから勉強を始めたがとうにおそい」

「今、俺はお前を本気で嫌ってますよ。妖怪じゃあなかったら殴りかかってた」

 反り返るほどの高笑いをした少女は、橋田の胸を人差し指でトントンつついた。

「弱い!」

 そういうと今度は親指で自分を指して、

「強い!」

 と自慢をしたのだ。

「意味がわからん。何をやりてぇんだコイツは……」

 嘆息を吐く橋田を面白そうに見つめながら、少女はまた意地汚い笑顔を見せながら橋田を煽る。

「来いよ弱者! 殴ってこい。そんなのだからお前は弱者なのだ」

「殴りませんよ。妖怪に勝てるわけがない。馬鹿じゃあるまいし」

「じゃあお前が強者になれば私を殴れるんだな?」

「教えてくれるんですか?」

「ならせてやるよ。出来る。私ならな。なんたって私は何でもひっくり返す程度の能力を持っているのだから」

「何でもって……」

「大事な大事なお仲間だ。名乗っておこう。私は鬼人正邪。天邪鬼だ」

 そう名乗ると、少女はブリッジの一歩手前まで反り返るという変な礼をした。

 素っ頓狂なお辞儀に橋田もつられて礼をしてしまう。

 ちなみに橋田がしたのは普通の礼だった。

 自分の行動を真似させてしまうという行為。これはもう完全に天邪鬼の流れである。

「私は弱いものが勝つ時代になってほしい。強いものは負ける時代になってほしい」

「何を突然」

 突然、正邪が手を打った。

 大きく乾いた音が橋田の言葉を遮ったのだ。

「橋田金次郎。アンタは今まで妖怪と商売している時に、一回でもお前は名前を呼ばれたことはあるか? 付喪神やタヌキの頭領、河童や天狗に魔法使い。いろんな奴らと仕事しただろう。だが、一回でもお前の名前を呼んだ奴が居たか? 居ないんだ。奴らはお前を見下しているからだ。それは何故か。答えは強者だから。弱者のお前を無意識のうちに見下していたからだ。お前に敬意もクソも何も持っちゃいない」

「言われてみれば……」

 正邪の言葉に橋田は自分の記憶を思い出し、うつむいていた。

「だが、私は違う。同じ弱者同士の橋田金次郎殿とは対等でありたいし、弱いなりに浮世を生き抜く根性に対して敬意を抱いている」

「あ、ありがとうございます」

「な? 橋田殿。我々は協力者だ。同士だ。命運を共にする仲間だ。我々は弱いが弱くない。数が集まれば弱さも強さとなるんだよ。どうだ? 人間の世界からと妖怪の世界からの板挟みで強者を追い出してみてはどうだ? 策は考えてある。な? 試しにやってみてはどうだろうか? なに、迷惑はかけんよ」

「そ、それは……」

 正邪の言葉に橋田が困惑していると、彼女は橋田の肩にしなだれかかった。

「橋田殿ぉ……橋田殿は生まれて初めて、強者に立つという幸福を味わえるのだぞ? みじめな下の世界とはもうおさらばさ。弱者が上に立ち、強者を虐げる。思い出してみろ。橋田殿のジョウシとやらを。省みてみたか? 橋田殿のコウハイとやらを。お前は上、奴らは下なんだ。楽しみだなぁ。橋田殿が人を選ぶ側になるんだ。弱者の気持ちがわかる弱者が上に立つのさ。きっと良い世の中になる」

 

 食い下がる正邪を前に、橋田はついによしと心を決めた。

「分かりましたよ。詳しい話を聞きましょう」

 そんな彼を見た正邪は先ほどとは打って変わって、少女らしいカラッとした笑顔を見せた。

 どうやらこれが彼女の本来の笑顔らしい。

「さすがは橋田殿だ! これからよろしく頼む! では、私の隠れ家へ案内しよう。これでも追われている身でね」

 

 何の色気もない男女の二人組は、夜の森へと消えていった。

 

 

 

 青々としていた葉もとうに紅く染まってきた頃である。

 人里離れた洞穴の中で正邪は待っていた。

 洞穴の入り口に人の気配を感じた彼女は、ワクワクをこらえきれないというような表情で出迎えの準備をしていたのだった。

 小悪党らしくない、威風堂々とした様子で、待つべき来訪者に背を向けて出迎えていた。

「やぁ、同士。ついに今日が決行される日だ。逆転劇の始まり始まり。インディペンデンスデイというやつだ。ん? 違うかな?」

 カラカラと心底楽しそうに話す正邪を前に、来訪者達はコクリと頷いた。

「さぁ! 下克上の始まりだ!」

 一人で拍手をしながら振り向いた正邪は一瞬、己の目を疑った。

 しかしそれはまぎれもなく、彼女にとって不都合な事実が彼女の目の前に展開されていたのである。

「そもそもおかしいのが、妖怪が人間相手に下克上の話をもちかけるというところかしら?」

「人間より強い存在が、弱者救済・改革・革命を訴えても心に響く事がない事くらいわからないのでしょうか?」

「なんていうか、残念な結末だぜ」

 正邪の目の前には、紅白、白黒、緑色などの女性陣が展開されていた。

 声をかけた覚えのない。

 かけるはずのない存在が、洞穴の出口を塞いでいたのだ。

 

「おお、お前ら! なんで!?」

 そう言い終わるか終わらないかの所で、彼女が大嫌いな針が頬をかすった。

「わからない?」

「くそぉあの人間! 裏切りやがって!」

 天邪鬼が放つ虚しい叫びは、激しい弾幕にかき消されて消えていったのだった。

 

 

「あ、いや、裏切ったわけじゃあないんですよ? 霊夢さん」

 すずっと薄いお茶を楽しんでいる博麗霊夢に、橋田は汗をカキカキ答えていた。

「そもそも私は協力するとも何とも言ってないんですから。ああやって言わないと離してくれなさそうで……」

「それでも危ない橋を渡った事には変わりないわ。そもそも貴方、妖怪相手に商売しすぎ。妖怪は人間の天敵なのだから、もっと気をつけなさい!」

 ピシャリと言う霊夢の言葉に、橋田はぐうの音しか出せなかった。

 

 橋田は正邪の作戦を聞いた後、すぐさま神社に駆け込み、寝ぼけまなこの博麗の巫女に平謝りしつつ説明したのである。

 いち妖怪の革命作戦にしてはかなり凝っていたので、橋田の説明を霊夢は真剣に聞いていたのである。

 

「まぁ、貴方の場合、向こうから寄って来るのがほとんどだと思うけれども。はぁ〜。めんどくさい」

「はぁ、どうもすんません」

 嘆息をつく霊夢に、橋田は頭をボリボリとかいて答えた。

「別にいいのよ。妖怪の怖さが分かっているからこその行動だと思うし」

 お湯と変わらないくらいの何番煎じか分からないお茶をグイッと飲み干して、橋田は立ち上がった。

「じゃあ、今回は助かりました。ありがとうございます」

「お代は賽銭箱に入れておいてね。あとちゃんとお参りしていって。お願いします」

「はぁ。じゃあ、失礼します」

 

 石段をタンタンと降りながら、橋田は浮ついた気持ちを落ち着かせていた。

 どうにも博麗霊夢に会うと変な気持ちになる。

 恋とかそんな青春くさいものではない。

 浮世離れしている綺麗な自由人なのが彼女なのだ。

 あの手のタイプは苦手である。まだ妖怪の相手をした方が気楽だった。

「ああ、いかんいかん。さっき言われたばかりじゃあないか」

 妖怪は恐ろしい存在である。

 気を引き締めていかないと足元をすくわれるのが妖怪なのだ。

 

 頭をフリフリ、橋田は長い長い石段をゆっくり降りていった。

 

 かさかさと揺れて落ちる木の葉は、北風と共に空へと舞っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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主に人間が悪い

 幻想郷に入るにはどうしたら良いのか。

 簡単な質問である。

 人々から忘れられれば良い。

 意識の奥底にしまわれ、記憶の中から引き出し開けようともされない寂しい存在になるだけで良い。

 答えるのは簡単だが実践はなかなか難しいだろう。

 現代社会で生きている以上、必ず何者かに存在を知覚される。

 生きている状態で忘れ去られるというのは必ずしも簡単ではないのだ。

 また、幻想郷の存在を知る方法も多くはない。

 外の世界から幻想郷に資料がやってくることはあれど、その逆は、忘れ去られたものがやってくるという特異性により極めて稀、ないし、あり得ないのだ。

 だのに知る人は知っている。何故なのだろう。

 もしかすると、外の世界と幻想郷を自由に行き来できる者が、餌欲しさにわざと情報を流しているのかもしれない。

 

 

「暇すぎる」

 鼻毛を抜きながらごろんと横になっている橋田は、今更ながらに閑散期というものを思い知っているところだ。

 毎年恒例の白玉楼の住み込みバイトも終わり、里での仕事もだんだんに減ってきた頃合である。

 何処に営業かけても虚しい返事しか返ってこない。

 幸いにして妖怪がらみの仕事が重なってきたおかげで財布の中身には余裕があるのが救いだ。

 日課になった部屋掃除も隅から隅まできっちり終わってしまったし、向こう半年分の酒は貯蔵してある。

 ものぐさ太郎な橋田が幻想郷に来て唯一成長した部分が部屋掃除と前準備である。

 乾かしていた雑巾を片付け、茶菓子を広げて一息つこうかとしたところで扉が突然開いた。

「おおい、橋田。客来てるぞ?」

 大家の息子が突然橋田の部屋の扉を開けて言う。

 プライベートもクソもあったもんじゃあないのが長屋の常識だ。

「はい、はい!いらっしゃい…?」

 大家の息子の横に立っていたのは、サラリーマン風の格好をした青年だった。

「あ、どうもはじめまして!先輩!」

 

 

 とりあえず立ち話もなんだからと家に上げた橋田は、己の愚行にとんでもなく後悔した。

「客でもなんでも無い見ず知らずの人間を上げても良いことなんかなんもねぇな」

 橋田はボリボリ頭をかきつつぼやきつつ、青年の為におかわりの茶菓子を準備していた。

「いやぁ、変なところに来ちゃいまして、おっかなびっくり歩いてたら声かけられましてね?僕と同郷の人が居るからって案内されたんですよ」

「はぁ。そうですか」

 橋田とは違い、仕事をしていたらいつの間にか幻想郷へ来てしまったのだと言う。

 出された茶菓子をバクバクと平らげる青年の姿には遠慮のかけらも見当たらない。橋田自身が遠慮がちな分、遠慮を知らない人間を見ると少なからず腹が立つ。

「まぁ、迷い込んじゃった以上ここで暮らすしかないんでしょ?電気とか普通になさげだし、大変っすよねぇ」

「まぁ、ね。そうらしいですよ」

 物足りなさそうな顔で最後の一つを食った青年は、やおらスマホを取り出しポチポチしていた。

「チッ。充電切れそうだし、圏外だし、やる事無いっすねここ。充電器あります?」

「ないね。俺はもう捨てたよ。それ」

 もう橋田は我慢しない。橋田はこの青年とまともに相手をする気がほぼほぼゼロとなった。彼の頭の中は、青年の対応をする事から、雑に扱ってさっさと追い返す方向にシフトしている。

「もったいないっすね。捨てたってどこに?」

「河童にやった」

「かっっっぱっっっっ!?マジすか?いるんすか?」

 馬鹿にしたような青年の口調に橋田は眉を吊り上げながら話を続ける。

「妖怪だのなんだの、面白おかしい輩が普通にいるところだぞ。河童くらい平気でいるさ」

「ヘェ〜。橋田さんとこにいく途中で色々教えてもらいましたけど、マジにいるんですねぇ」

「そういうところだからな。言っとくが、妖怪には注意しなよ」

「えっ。でも橋田さんて妖怪相手に商売して儲けてるんすよね?」

「なんか知らんが成り行きでそうなっちまったんだよ。それに里の人んたちが言うほど儲けてもないさ」

「ふぅん」

 青年は目を細めて、うろんげだと言わんばかりにいやらしい相槌を打った。

「とりあえず仕事とか住む場所紹介してくださいよ。なんかあるんでしょ?」

 久々に烈火のごとく怒り狂った。

 長屋の住人どもがわらわらと集まる程度にわめき散らし、ふうの空けてない酒瓶と一ヶ月生活するには問題ない程度の金を思い切り叩きつけ、引き戸を蹴飛ばして風通りを良くしたところで青年をぶん投げた。

 二度と俺に顔見せんなと中指を立てて追い立てた橋田だった。

 橋田の怒る姿をほとんど見ない長屋の住人どもは、なんだなんだと引き戸を直しながら事情を聞いてきた。

「橋田ぁ、そんな程度で沸騰するもんじゃねえぞおい。同郷だろ?」

 いまだにフーフーと怒りを肩で示す橋田を笑い飛ばしながら、隣の大工がまぁまぁと何処からともなく団子を彼の口元に持って行った。

 

 

 最悪の出会いから数ヶ月。

 年の瀬が近づいており、仕事が忙しくなりホクホクの橋田であったが、最近里の住人からの視線が時おり刺すようなものになっているのを肌で感じていた。

 橋田が茶屋の長椅子に座りながら饅頭を食っていると、ちょっと良いかい?と茶屋の婆さんが声をかけてきた。

 

 兎にも角にも、日本人というのは老若男女問わず偏見を持ちやすい。

 やれ外国人は危ないだの、年上は踏ん反り返ってるだけだの、若者は苦労もせず年上を敬わないだの、ご近所の何某さんは一家共々ウンヌンカンヌンなんやかんやエトセトラエトセトラ。凝り固まったイデオロギーの中で己らの存在感を示して生活している。

 閉鎖空間で繁栄した民族独特の世界観なのだろうか。そう思いながら、目の前で落ち込む婆さんの話し相手になっている今日の橋田である。

 というのも、近頃里の人間達からの橋田に対する信用度がなんとなく低くなってきている様子なのだ。

「外の世界の人間てのは、薄情なんだねぇ」

「橋田さんは…いやなんでもない」

 原因は分かっている。あの無遠慮な青年だ。

 件の青年は、この幻想郷で商売を始めたらしいのだが、その商売方法に問題があったのだ。

 主なターゲットは若い男性らしい。

 外の世界の商売をそのままこちらに持ってきたと本人は言うらしいのだが、話を聞くとどうにも怪しい。

 支払いに困った若者達が親兄弟にすがりついてまで工面するようになっているというのがよく聞く話だ。

 外の世界でよく聞いていた話だ。

 全く現実的ではない金儲けの話を用意して、高い授業料を取るのだ。

 信憑性を持たせるために、あえて激しい浪費をするのがコツである。

 成金趣味の装飾品を買い漁り、服装は毎日新しいものを着る。食事や宿は豪勢に行く。

 そんなことをやっていれば必ず目立つ。

 噂の渦中で少しずつコミュニティを作り、屋根なき経営塾を立ち上げたのだ。

 いったい何処にそんな資金があるんだろうかと橋田は考えたが、そういえば結構な額叩きつけたっけかとすぐに思い出す。

 おそらくあの青年はあの金を元手に悪巧みをしたらしい。

 聞けば聞くほど外の世界で流行った商材ビジネスを丸々取り入れたんだなぁと橋田はあごひげをゾリゾリ撫でながら感心していた。

「まぁ、アレはそのうち痛い目見るよ。婆さん婆さん、息子さんの金は勉強代だと思って諦めた方がいいよ。若いのは騙されて初めて世間から教えられるのさ。人生はそんなに上手くいかないってさ」

「はぁ…同郷のよしみでなんとかならないのかい?橋田さん」

「いやいや、全然同郷じゃあないよ。俺は名古屋でアイツは東京だよ。どっちかっていうと、東京モンは俺らを見下す存在なんだ」

「納得いかないねぇ…。やっぱり外の世界の人は情が無いんだねぇ…」

「それは偏見だよ婆さん。俺だって外の世界から来てんだ。まぁ、俺も東京には偏見だらけだけどな」

 ハッハッハと笑って橋田は婆さんの肩を軽く揉んで帰った。

 

 

 幾日か経過して…。

 いよいよ翌年まであと何日といったところである。

 貸本屋から正月楽しむ分の本をたっぷり借りていたところで、後から入ってきた狸の頭領からこしょこしょと耳打ちされた。

「霧の湖に行ってみると良い。面白いものが見れるぞい」

 何が見れるんです?と尋ねても、良いから行けとニタニタ子供がイタズラを隠しているかのようににやけているだけだった。

 そこまでされると、気になるのは橋田の性分である。

 妖怪に騙される事がよくあるが、大したものでもないし時には大笑いすることもあるので楽しみと言えば楽しみなのである。

 若干警戒もしていたので念のために神社におもむき、霊夢に一声かけてから行く事にした。

 博麗神社の貧乏巫女は、最近橋田が来ると団子をねだるようになった。顔を合わせるたびに手土産で団子を買ってきているからである。

 親戚のおじさんのような扱いだ。

 橋田の話を聞いた霊夢は、興味がまるでない風にハイハイと手を振って橋田を送り出した。

 問題ないらしい。

 

 

 さて、期待を少しだけ持ちながら霧の湖へとおもむいた橋田である。

 冷たく湿気った雑草を踏みながら聞いた場所に近づくと、怒気をはらんだ甲高い少女の声が聞こえてきた。

「お前!嘘をついたな!!!」

「嘘だなんてそんな。貴女が勝手に勘違いしただけでしょうが」

 何ヶ月か前に聞いた嫌味のある男の声が続いたのを聞いて、橋田は何となく察した。

 おおかた、あの問題だらけの青年が妖怪にまで手を出したのだろう。

「そんなもの詭弁だ。お前は初めから嘘をついて私を騙したんだ!何が損はさせないだ。お前、私らに嘘を言ったらどうなるか分かってるだろうな?」

「何って何です?僕の肉でも食べますか?」

 木陰から彼らの様子を覗いた橋田は思わず苦笑してしまった。

 青年は完全に目の前の鬼を舐めきっている。

 いかつい角が頭に2つ付いているとはいえ、見た目が可愛らしい少女だからだろう。青年はいやらしく目を細めながらわざとらしい感じで肩をすくめていた。

 伊吹萃香は怒り心頭といった様子である。目を真っ赤にし、肩で息をしながら青年に詰め寄った。

「食ってほしいのか!?良いだろう!食ってやる!ただし!」

 萃香は怒りに身を任せて青年の足を思い切り踏んづけた。

 直後、腹の底まで響いた。鈍く低い轟音が木々を揺らしていたのだ。

 もちろん地震ではない。

 鬼が鬼たる力でただの人間の足を思い切り踏みつけたのだ。

 ただ事ではない。青年の片足は甲から先が潰れ千切れていた。情け無い金切り声を上げながら青年は萃香の足元に倒れ込んでいた。

「私はお前の肉なんか食わない」

 ひいひい言いながら這いずる青年を見下し、冷たい声で言った。

「お前を食うのは私の手下達だ!」

 気がつくと、辺りに数匹の妖怪が湧いていた。何処からか呼ばれて集まったらしい。

 流石に突然横を通られると、橋田もビビる。

 ヒィと声を上げ尻餅をついたら当事者2名がこちらを振り向いた。

「なんだ、アンタか」

「ど、どうも、ご無沙汰してます」

 萃香とは妖怪の中でも若干特殊な関係を橋田は築いている。

 梅見の縁日で酒を振舞っていた彼女は、弱いくせして出す酒出す酒バカスカ飲みまくる橋田を気に入って声をかけてきてからの飲み仲間だった。時々仕事を受ける事もある。

「何処で聞いたんだい?里の人間がこんなところ、たまたま散歩していたわけじゃあないだろう?」

「はぁ、二ツ岩の頭領さんから聞きまして…」

「ああ、寺の…」

 納得した様子の萃香の下で、うめき声をあげながら掠れた声で橋田に助けを求めている青年を見て、橋田はため息をつきながら口を開いた。

「馬鹿だなぁ。妖怪には気をつけろとあれほど言ったじゃあないか」

「それ、妖怪の私の前で言うのかい?」

 橋田の独り言に、にやけながら萃香は言う。

「はぁ、すんません。つい思った事が出てしまいまして」

「良いさ、本音を言う人間は珍しいからな」

 青年が逃げないように腕を蹴飛ばして切り離す萃香は笑いながら橋田にそう返した。

 

「た、助けて…助けてくれよ!なぁ!」

 手も足も千切り取られ、患部から濁流のように血を流す青年は、橋田の方に顔を上げ、しゃがれた声で懇願をはじめた。

「ちなみにさ、これアンタの仲間?」

「いや、親しいわけじゃあありませんよ。鬱陶しかったし、食っちゃっても良いかもしれません」

「そうかい」

 萃香は周りの妖怪達にゴーサインを出すと、待ってましたと言わんばかりに青年へ群がった。

「それにしてもあんた、人間同士なのに情ってもんが無いんだね」

 下半身からじわじわと食われていく青年を眺めながら萃香は橋田に尋ねる。

 橋田は青年から目を背け、今にも吐きそうだと言わんばかりに口元を抑えていた。

「こういう奴は生かしといても良い事無いんですよ。あ、博麗の巫女には内緒にしといてくれますか?」

「もう知ってるから遅いよ」

「えっ」

「あ、いや、忘れろ。まぁ、そういうもんなんだよ、霊夢と私らは…んっん!これ言うなよ。私が言ったって。聞かれちまったら…まぁ…答えても良い」

 失言を取り消せないし、話せば話すほど墓穴を掘るので、諦めて素直に話すことにしたらしい。

「でも後から釘刺されるかもな。アンタも私ら妖怪相手の商売はほどほどにな」

「気をつけます。ありがとうございます」

「と、言ったそばからなんなんだが、仕事頼んでくれないかい?」

「なんでしょう?」

「宴会用の酒が欲しいんだ。里の安酒で良いから10樽くらい仕入れちゃくれないか?もちろん金は払うよ」

「10樽…飲みますなぁ」

「何日か連チャンでやりたいからね。あの人数であのメンツだとそんなもんすぐ無くなるから心配しなくても良いよ」

「いや、用意できるかどうかですよ。とりあえず聞いてみますけど、足りない分はそちらで用意してもらう形で良いですか?」

「ああ、構わないさ。できるだけ頼むよ」

 骨だけ残して綺麗さっぱり妖怪の腹のなかに収まったものを見て、萃香は満足そうに答えたのだった。

 

 

 

「仕事は順調のようで何よりだわ」

 萃香に頼まれた酒を納品していると、橋田の横にいつのまにか彼を幻想入りさせた少女が立って言った。

「あの青年はなんで連れてきたんですか?」

「私が入れたわけじゃあないわ。アレは勝手に入ってきたのよ」

「えっ。でも外の世界からこっちに来る為には」

「そうね。どうにか苦心して外の世界から忘れ去られたみたいだけれども、入ってからはダメダメみたいだったわね。貴方を見習っていればもう少しは生きながらえたかもしれないのにね」

「はぁ。そんなもんですか」

「いい餌だったわ。それなりにヘイト高めてくれたのは大きいわね。恨みつらみを食べて生きている妖怪もいるし、最近皆んなが飢えてたみたいだからちょうど良かったのよね」

「おかげさまで里の人達は外来人に対して偏見が強くなって仕事しづらくなりましたがね」

「人の噂も七十五日よ。そのうちまた普通に戻るかもしれないのに怒らないでくださらない?」

「はぁ、すんません」

 ボリボリ頭をかきながら橋田は謝る。妖怪と話すと大抵これをやる。もはや癖である。

「それで、何の用ですか?」

「貴方に用事はないわ。私は宴会に呼ばれて来ただけよ」

 橋田がまばたきをしたら、少女は消えていた。

「よく分からん人だなぁ…いや、よく分からん妖怪だなぁ」

 

 しっとり冷えた空気は年の暮れをはっきり伝えていた。



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使い古されたお話

「橋田さん、ちょいと聞いて良いかしら?」

 橋田が貸本屋でたむろしていると、突然霊夢から声がかかった。

 時折出入りしているのは見ていたが、まさか博麗の巫女から自分に話しかけられるとは思ってもみなかった橋田は声を上げて驚いてしまった。

「そ、そんなに驚くことはないでしょ!?何?私が妖怪か何かと思ったのかしら?」

「いえ、まさか自分が話しかけられるとは思ってもみなかったもんで…」

「もう、こっちがビックリしたじゃない」

「はぁ、すんません」

 橋田は頭をガシガシとかきながら霊夢に謝った。

「いいわよ別に。ところで貴方、口が耳元まで裂けている長身の女性の怪異って知っているかしら?」

「口が…?口裂け女の事ですか?あのポマードポマードって言うと逃げていくやつ」

「聞こうと思った事まで言ってくれたわね。そう言うと退治できるのね?」

「んー…いや、逃げていくだけとしか聞いたことありませんね。というか都市伝説ですからよく分からんのですが…」

 橋田が髭をなぞりながら答えると、霊夢は橋田を指差して言った。

「そう!それ!都市伝説!知り合いも言っていたけれども、なんなのそれ?」

「何と言われてもなぁ…外の世界で有名だった…いわゆる民間伝承ってやつですよ。それがどうしたんです?」

 霊夢曰く、近頃里で恐ろしい怪異の被害がしばしば出ているとのことだった。それの筆頭が口裂け女であり、具体的な対処法・解決策を模索していたそうだ。

「で、なんで私が知ってると思ったんです?」

「んー…勘?」

「はぁ」

「で、貴方はその都市伝説とやらと会ったこと無いの?」

「里で?いやぁ…ないなぁ。もしかすると妖怪と間違えて見てるかもしれませんね」

 霊夢は橋田の台詞を理解できなかったのか、首を可愛らしく首を傾げた。

 橋田にとって、都市伝説に出てくる怪異は妖怪の現代版という認識だ。いちいちこれが妖怪だ、これが怪異だなどと判別しないのである。

「でもなんで都市伝説の怪異が今更になって出てきたんですかね?」

「さぁ?ところで、他にもあるの?その都市伝説とやらは」

「あるにはありますが…」

「教えてちょうだい。もし他の怪異が出たら対処しないといけないから」

「構いませんが…」

 遠慮なく頼む霊夢に橋田は少しだけ不満げである。

 何かを含むような返事に、霊夢は橋田に聞いた。

「なに?」

「いくら出してもらえるんですか?」

 橋田のろくでもない質問に困ったような顔をした霊夢は、深いため息をついてしばらく考え込んだ。

 カウンターの奥から「お金とるんだ…」と小鈴の声が聞こえた。

 

 

 場所を橋田の家に移し、彼の知りうる限りの都市伝説を伝え終わったところで、橋田はお茶請けのおかわりを出した。

 晩飯代にもならない端金しかもらえなかったが、客は客である。里の影響力もあることもあって、霊夢を丁重にもてなしていた。

「でもなんで今更になって口裂け女なんか出てきたんですかねぇ?」

「さぁ?」

「あんなもの、使い古されすぎて話のネタにもならないのになぁ…」

 橋田の呟いた言葉に反応して、ポンと手を打って納得したのは霊夢だった。

「ああ、そういうことだったの」

「はい?」

「幻想郷は、忘れられたもの達の楽園よ」

「はぁ…そうですか」

 それだけを言うと、霊夢は満足げな表情で神社へと戻っていった。

 

 

 近頃、見知った顔が空中で戦闘を繰り返している場面をよく見るようになった。その中で聞いたことのある都市伝説的な怪異を見受けられた。どうやらよく分からない原理で怪異を使いこなして戦闘に生かしているらしい。

 具体的に何時ごろからそんな状態になっているのかはっきりとは知らない。

 が、橋田が一瞬思ったのは、霊夢に都市伝説の話をしてからくらいだなぁ。と、それだった。

 恐らくそんなことはないだろうと橋田は考え直したし、ぶっちゃけ全く見当違いだった。

 

 橋田が宇佐見某についての新聞記事を読んだのはそれからだった。

 

 

 

 



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グレた妖精は夏が涼しい

 ひまわりが元気にお日様を向いている様子を見ながら、橋田は大きなため息をついた。

 暑すぎる。外の世界ではクーラーのある部屋に引きこもっていたばかりに、そんな便利道具の無い幻想郷に若干嫌気がさしていた。特にこの夏は暑い気がする。それでも外の世界よりは涼しいのだろうが…

 死と隣り合わせの緊張感に包まれながら、太陽の畑で仕事をした後だからか、橋田は上半身だけ水をかぶったかのように汗でずぶ濡れだった。

 求聞史記で危険度極高とまで書かれていた大妖怪の相手をしていたのである。割りの良い仕事だろうが何だろうが、もうあんな仕事はコリゴリである。

 さっさと日陰があるところへと思いながら橋田は家路を急いだ。

 

 あちいあちいと言いながら立て付けの悪い自分の部屋の扉をガタガタ開けたら、家主の帰りを暇そうに待っていた3人の妖精達がいた。

 以前ポン菓子を作ってやった妖精達である。

「知り合いが日焼けして黒くなったんだけど、どうしたら治るかしら?」

 開口一番そんな事を聞いてくる青い服の妖精に、理解が全く追いつかなかった橋田は、とりあえず挨拶を済ませてから部屋に上がる。

 妖怪相手の仕事の後すぐにまたそれ関係の話は勘弁してくれ。などと心の中でぼやきながら、橋田は詳しく彼女達の話を聞いたのであった。

 なんでも、氷の妖精チルノなるものの様子がおかしいらしい。普段なら夏の間は比較的大人しくしている筈なのだが、今年はやたらと元気いっぱいで、おまけに肌がしっかり日焼けしてしまっているとの事だ。

「そりゃあ…心配になるのもわからんでもないですねぇ」

 氷を司る妖精と聞くと、橋田がすぐにイメージしたのが儚く可憐で色白の美少女であった。

 そんな子が突然活発になり、肌を黒くするまで焼くなどという不良な行為に走るようになっては、友人としても不安だろう。

 今回はわりと珍しく、商売っ気よりも彼の親切心が働いた。

 基本的に橋田は子供好きである。厳密には子供とは言えないが、彼女達妖精の言動や姿形は子供そのものであるため、彼女達の相談に乗ってやろうと思ったのである。

「とりあえず、様子を見させてもらいましょうか。危険でないんですか?」

「大丈夫よ。力が溢れて仕方がないみたいだけど、ブンブン振り回してるわけじゃないから」

 黄色の妖精が栗のような形に口を開き、橋田を安心させる。

 少しだけ不安であった橋田は、最悪彼女達に守ってもらえば良いかと表示を戻した。

「なら安心ですかね」

 座っているだけでも汗が吹き出すし、氷の妖精に会って涼みたいのもあったため、さっさと移動することにした。

 里から出る途中、橋田はチルノなる名前になんとなくデジャブのような何かを感じた。

「何かの本かなんかでみたような…」

「どうしたの?早く行こうよ」

 橋田が謎の違和感に首を捻っていると、赤いスカートを履いた妖精が橋田の袖をくいくい軽く引っ張り、案内を始めた。

「あ、はぁ…すんません。まぁ、どうでも良いか」

 余計な考えをぽろっと忘れつつ頭をボリボリと掻きながら、橋田は先を行く三妖精達について行ったのである。

 

 

 霧の湖は里と比べると、じっとりと肌に粘っこくまとわりつく湿気がよりひどく感じられる。

 着替えたばかりの服をびっしょりと濡らしながら、妖精に案内されながら橋田が歩いていくと、今の時期には似合わない冷気が不意に感じられた。心地よい冷気に余裕が出てきた辺りで橋田はふと視界に入った異常に気がつく。

 草葉に霜が降りていた。

 それに気がついた橋田は、一人で納得していた。

「ああ、だから具体的な場所が分からなくても案内できたんですね」

「え?」

「近くに来るとひんやりするから」

「うん。大体いる場所は変わらないもんね」

 そんな感じで成立しているのかしていないのかよく分からない話をしながら更に進んでいくと、唐突に橋田の足がつるりと滑り、盛大に尻餅をついてしまった。

 腰の痛みに顔をしかめながら地面に手をつくと、ついた橋田の手のひらに冷たい感触があった。

 驚いて周囲を見渡すと、そこそこの範囲で地面が凍り付いていたのである。

 ずっこけた橋田を見てケラケラ笑う妖精たちを無視しながら凍った範囲の中心地を探すと、そこには大きな氷塊が出来上がっていた。

 氷の上には、真っ黒に日焼けした少女がガースカいびきをたてながら昼寝をしていた。実に気持ちよさそうである。

「あれがチルノ?」

 橋田が三妖精達に聞くと、彼女達はそろってうなずいた。

「チルノー!あーそぼー!」

 3人が一斉に声をかけると、チルノはズビビっとよだれを吸いながら目を覚ました。

「稗田の娘さんが書いた本に載ってたなそういやぁ」

 デジャブの正体に納得したと同時に、イメージしていた様子とは程遠い氷の妖精の姿を見た橋田は、深いため息をつきながら、氷の上を滑らないように及び腰になりながらも彼女の元へと歩いて行ったのである。

 

 

「あたいがなんで日焼けしたかって?」

 真っ黒に焼けた健康優良児の出で立ちをしている氷の妖精チルノは、橋田からの質問に目を細めて聞き返した。

「そうそう。なんでなんですかねぇ?」

「そりゃあ…」

 初めから分かっていたかのような口ぶりを一瞬してからなかなか言葉が続かないチルノ。言い淀んでいたわけではなく、本当に何も思い付いてなかった様子だ。

 彼女が答えるまでしばらくかかった。

「ジージーとうるせぇなぁ」と橋田がセミに意識を持っていかれる程度には長かった。

「あたいが天才だからよ!!!」

 言葉が詰まった後のはずだが、自信満々に答える彼女がひどく可愛らしく見えてしまい、橋田はついチルノの頭をくしゃくしゃと撫でてしまった。

 バカだこの妖精。しかも答えになってない答えを言って満足そうにしている。

 あまりにもおバカすぎて幼稚園児を見ている気分になった橋田は、幼い子供を褒める時のように、彼女の頭をつい撫でてしまったのである。冷やっこくて気持ちが良い。

 

「ねぇ、シゴトウケオイニンさん。日焼けしたチルノってずっとこのままなのかしら?」

 栗の口をした妖精からそう聞かれたときに、橋田はふとアメコミのキャラクターなどが出てくる格闘ゲームを思い出した。

「日焼けしたんなら瞬獄殺でも使えそうなんですがねぇ…」

「何それ?」

「いや、二作目の話です」

「意味がわからないわ。さっぱりよ」

「まぁ、そうでしょうな」

 頭にハテナマークを浮かべながら首を傾げる三妖精達を流しながら、橋田は考える。

「今のあたいなら永久凍土も朝飯前に作れちゃうわ!お夕飯は食べたいけどね!!」

 訊いてもいないことを得意げに語るチルノに橋田が和まされていると、ふと妙案を思いついた。この時期にこれだけ涼しくできるのだから、なんとかならんものかと。

「じゃあ絶対に溶けない氷なんてもんは作れますかね?」

 氷の妖精チルノへ橋田は問いかけた。想定外の返しにチルノは一瞬言葉に詰まる。

「えっ」

「あ、無理なのかぁ〜。残念だなぁ〜。さすがの天才でも出来ないもんは出来ないもんなぁ〜」

「な、なにおう!?天才で最強のあたいがそんな事くらい出来ないとでもいうの!?」

「じゃあ作って見せてもらえますか?」

「見てろよくそう」

 最強なら絶対に溶けない氷を作ってみせろとハッパをかけると、ムキになって作り始めたのである。

 

 ムムムと唸りながらなにやらを練っているチルノを眺めながらしばらくの時間が経った。

「どう…!?こ、これが、あたいの最強の氷よ!まさに『完璧な氷(パーフェクトフリーズ)』ね!」

 ぜえぜえと肩を上下にしながらえばる彼女の前に出来上がったものは、長さは橋田の腕くらい、厚さは橋田の靴ほどの長方形の氷塊だった。

「普通の氷じゃないか。どこがパーフェクトなのよ」

 赤い妖精ができたての氷を触った瞬間、カチンと彼女が凍ってしまった。

「周りを凍らせる完璧な氷よ!空気も凍らせるから溶けることはないんだ。触ったお前は一回休みね」

「こりゃ…原子力発電並みに危ない代物ですね…」

「こんなもの何に使ってどうやって運ぶのよ!バカじゃないの!?」

「そんなことも分からないのね、これだから天才じゃないやつは…」

「じゃあどうやって運ぶのよ!!」

「そりゃあ…」

 黄色い妖精に突っ込まれて自信満々に答えようとするチルノだが、その後がまったく続かない。

「いやあ、これだけの冷気があれば助かる。持ち運ぶのは引っ張るなりなんなりすればできるさ」

 橋田が手を揉み揉み話に割って入った。 

「何に使うのかしら?」

「これを吊るして部屋の冷房にできんかなと」

 橋田の案に、はぇぇ…と口を開きながら橋田を見上げて感心する妖精達だった。

 橋田に上手いこと乗せられた妖精達は、よいしょよいしょと彼の家まで運び込み、冷房をセットしたのだ。

 ついでに、橋田はチルノにまた同じ氷塊を頼み、保冷庫を作った。

 

 

 そんなこんなで、数日が経過した。

 何故かは分からんが橋田の家が涼しいらしいと、長屋の住人たちが噂をし始めた。

「それもなんだがよ、橋田のやつ、キンキンに冷えた冷酒を出しおったのよ。外が暑いのもあって昇天するほど美味かった…」

「良いねぇ、私んところも冷えるようにならないかねぇ…」

「しかしまぁ、うまくはぐらかして教えないからなぁ橋田やつ」

「俺は隣だからよぉ。ちびっと冷たい空気が入ってきて心地良いぞ」

 

 橋田は、今回の仕事に大満足していた。

 金こそもらっていないが、それ以上の代物を手に入れたのだから。

 あれからチルノは日焼けが突然治り、いつも通りの肌の白さに戻り、いつも通りの夏に弱いただの氷の妖精に戻ったという。ちなみに解決にあたって橋田は全く解決の役に立っていない。

 適度にひんやりした部屋の中で、橋田は気持ちよく夢の中へと入っていった。




日焼けしたサクラがわかる方は、天空璋をやってニヤッとしたと思いたいです。


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巷説幻想郷物語

京極夏彦の文庫本は、その厚さに驚きますが、案外読みやすいのですぐに読み終わります。


 技術の進歩と共に我々現代人は大きな労力を必要とせず生活ができるようになってきた。反面、それまで培ってきた知識は廃れていくようになる。

 技術の変革が起こり、人々の暮らしに更なる利便性が向上すると、それまで一般的で不便であった技術が淘汰され、廃れていく。

 普段の生活の中で調理をする際、木の摩擦や火打ち石で火をおこす者は稀だろう。ゼロからの火起こしは、現代生活の中では必要の無い特異な技術・知識なのだ。覚える必要が無いのが当たり前なのだから、上手くできなくて当たり前である。

 

 とか何とかグチグチ言いながら、橋田は慣れない手つきで火をおこしていた。

 いくら外の世界と隔絶され、文明が遅れているとはいえ、それが幻想郷の最先端技術なのだ。火起こしも摩擦や火打ち石ではなくマッチだし、そう考えるとまだ楽な方ではあるが、火起こしなんぞ小坊だか中坊だかでやった野外合宿の時にしか経験がない。

「おおお!やっとか!」

 何とかパチパチと火が立つまでになったのを見て、橋田は今日一日分の仕事が終わったかのような達成感に包まれた。

 後は大量にもらった芋を投げ入れるだけである。ついでに買ったは良いが火が使えなくて食えなかった鹿の干し肉も、炙っておく。

 しばらくすると、焼かれた芋の甘い香りがふよふよと漂いはじめた。干し肉もチリチリと炙られ、赤黒くコゲがつきはじめ良い具合に火が通っている。

 

「やあ、美味そうなのやってるな」

 ふわふわと上からやって来た霧雨魔理沙が橋田に声をかけてきた。

 風に乗った香りが彼女を呼び寄せたらしい。

「お得意さんから沢山もらったんでね。食くかい?」

「勿論、そのつもりでもらいに来たぜ」

 相変わらず遠慮もクソも知らない少女だが、何かしらの形で礼はするし、そもそも本気で相手を怒らせるような振る舞いはしないため特に不快感は無い。遠慮しないのも相手が怒らない範囲を考えてやっているのだ。

 頭の良い娘だ。伊達に実家を飛び出して独り立ちしたわけではないということだろうか。

 橋田は彼女の行動力と自信を羨みながら、上手に焼けた干し肉を魔理沙に手渡した。

 

 ホクホクに焼けた甘い芋と、塩辛い干し肉を交互に食べながら酒を飲んでいると、木陰からチマチマと豆狸が出てきた。マミゾウの仕事を手伝っているとたまに見かける小さな狸だ。

「仕方がない、お前も食うか。ほれ」

 得意先の部下なだけに追い払うわけにもいかず、橋田は底の方にあった芋を放り投げてくれてやった。

「野良狸に餌付けすると後々面倒だぜ?アイツらは恩を与えるとそれにもたれかかって来るからな。今度は体良く騙したり集団で来たりするぞ」

 熱々の芋を器用にくわえながらそそくさと退散していく狸を眺めていると、魔理沙からボソッと警告された。橋田が振り返ると、去っていった狸を睨みつけていた魔理沙がいた。

「ま、まぁ、周りをうろちょろされても面倒だし、さっさと帰ってもらえればと思っただけだよ。善意もクソもないからね」

「ふぅん。別に良いけどな、私は関係ないし」

 最後のひとかけを口の中に放り投げると、そういえばと魔理沙は話を切り替えた。

「狸で思い出したんだが、最近里で変な噂を聞かないか?」

 そう言われて橋田はあごひげを右手でなぞりながらしばらく考える。

「ん、ん、ん、んー……。ん?」

 たっぷり十数秒考えて出なかった。

「噂とは?」

 間抜け面で聞き返す。キメ顔で橋田に尋ねた魔理沙だったが、拍子抜けという風にガックシと肩を落とした。

 ざっくりと噂と言われても、思い当たりすぎて何が目的の話題なのかが分からないというのが橋田の本音である。

 そもそも異変だなんだと幻想郷では摩訶不思議な事象が起こりまくる。そんな破茶滅茶な土地で、細かい噂など覚えていられないのだ。

「ま、まぁ、いいさ。アレだよアレ、若いのが何人もひどい目あってるやつだ。長屋の息子が川に突き落とされたり、味噌屋の娘がくるぶしを切られたり、道具屋の若旦那が帳簿を食われたりするやつだ」

「ああ、アレですか。噂というか、アレ妖怪の仕業だって話じゃあないですか」

「それだよ。私も少し気になって調べてみたんだが、どうにも違うような気がしてな」

「はぁ、何でわかるんです?」

「妖怪はわざわざ襲った人間の懐に罪状なんか入れないよ。そんな悪人だけ狙った丁寧な妖怪なんていないのさ。妖怪は皆平等に人間を襲うからな」

「随分と妖怪についてご存知ですね」

「ん?まぁな、私は妖怪退治の専門家だぜ?」

 橋田が魔理沙の考察に感心していると、彼女は不自然に一瞬固まって言葉を繋いだ。

 ごく自然に振る舞っている魔理沙だが、橋田の経験上、大抵そんな反応をする時は後ろめたい事がある時だけだ。

 とはいえ、具体的に散策するつもりもない橋田は、あえてその反応に突っ込まず、話の続きを大人しく聞いていた。

 

「霊夢なんかも最初のうちは調べてたんだけどな、妖怪のせいじゃないと判断した瞬間にさっさと手を引いて神社に引きこもってたぜ」

 やれやれとわざとらしくかぶりを振りため息をついた魔理沙を見て、橋田はなんとなく彼女の言いたいことを察した。

「で?俺が調べろと?」

「悪いな。人手が足らなくてな。ほら、アンタなら顔も広いし」

 可愛らしく手を合わせてこちらにお願いしてくる魔理沙を見ながら、橋田はため息をつきながら答える。

「私は業務請負ですよ?探偵の真似事はやってないですって」

「いや、そこをなんとか……」

「なんとかって言われてもねぇ、ノウもハウも無いわけで……」

「金はこんなもん出す。な、な、いいだろ?」

 魔理沙から提示された金額は、橋田が数ヶ月暮らしていける程度のものだった。

「結構出しますねぇ」

「そりゃ、金持ちどものセガレやらなんやらが被害にあってりゃそうなるわな。私は味噌屋の大旦那から頼まれたのさ」

「どんなけ抜いたんですか?」

「ろ、6割ほど……」

「全部もらえるなら受けますよ」

 

 生まれて初めて探偵の真似事をした橋田である。

 推理物は好きだったので何をするのかは大抵わかる。紙の上の話だと、大体聞き込みに回るのだ。

「あれか、商家の聞かん坊どもが妖怪に襲われたやつだろ?怖いっちゃ怖いが、正直今回ばかりは妖怪さまさまだと思うよ。なんでって、橋田お前知らなんだか?あいつらに泣かされた人間なんていくらでもおるでよ」

「あまり良い噂は聞かなかったけどねぇ、ドラ息子だよ。いわゆるね」

「反物屋のせがれだけじゃあないか?まともな商家のガキなんざ」

「金があるからって自由にしすぎだったのよ、当然のしっぺ返しさね」

 里の住人達から話を聞いて回ると、被害者達はそれほど里の者達から同情されていない事がわかった。むしろいい気味だと言わんばかりに陰口を叩いていたのである。よほどやりたい放題だったらしい。

 

 聞き込み中に思い出した事だが、橋田自身も商家のドラ息子どもから被害を受けた事があった。

 幻想郷に入ってまもなくの頃、商店街の居酒屋で晩酌を楽しんでいると、やたら舐め腐った物言いで橋田の食事を邪魔したり突っかかってきたりした若者がいたので、顔の形が変わるまで殴ってしまった事があった。

 翌日から月の終わりまで入っていた仕事のほとんどが何故かキャンセルとなり、しばらく食うのに困ったことがあったのだ。

 後から聞いた話であるが、どうやら殴った若者こそが商店街を牛耳る地主の息子だったそうで、酒が入っていたとはいえ暴力はダメだったなあと、その当時は若干反省していた。

 とはいえ、権力を振りかざすのはよろしくない。痛い目にあって正解なんだろう。なんてことを橋田は思いながら聞き込みに回っていたのである。

 

「しかし、2日3日足を棒にしながら捜査まがいの事をしているが、何もわからんな」

 聞き込みをしたほとんどの里の人間は、橋田の質問に対して親切に答えてくれている一方、すべてを語りきらずに何かを隠している風であった。

 橋田のなんちゃって捜査は確実に行き詰まっていた。

 

 

 うっぷんばらしも兼ねて大衆食堂で昼飯をたらふく食っていた橋田の前に、「そんなに注文しても食いきれんだろうに、ワシが手伝ってやるぞい」などと二ツ岩マミゾウがふらりとやってきて、恩着せがましく飯をたかってきた。

 普段から仕事で世話になっている身分である。橋田は苦笑しながら、調子の良い彼女の為に追加注文したのであった。

 

「なんじゃおぬし、似非妖怪事件を嗅ぎ回っとるのか?」

「はぁ、そうなんです。素人が刑事の真似事しても、何ともならんのですねぇ」

 ベラベラと話している中で、行き詰まっている旨をぽろっと漏らしてしまった。

「おぬしはダメダメじゃのう。嘘を見抜けても、本音を聞き出せぬのでは意味がないではないか」

「昔から苦手なんですよねぇ、本音を聞き出すの」

「ほんっっっっとうに売れない営業マンだったんじゃな、ぬしは」

「ぐうの音も出ませんです。ハイ」

 訪問販売において大事なのは、お客との信頼関係を作り、本音が聞き出せる事である。

 それが出来ない営業マンは、まともに商品の紹介もできず、お客にも信頼されず、まったく売れないのだ。

 橋田はその部類だった。本質なんぞ言えば簡単なことであるが、いざやってみると難しい。本質が分かっていても無理なものは無理なのである。

 

 爪楊枝でシーシーとしていたマミゾウが、呆れた顔を橋田に向けた。

「まぁ、それができぬのであれば、誰かに頼るしかなかろうて。例えば情報通の狸の頭領とかな」

「頼ってもよろしいので?というより、今回の件は頼れるもんなのですか?」

 マミゾウの言葉に目を丸くした橋田は、思わず身を乗り出して聞いた。

「我々狸は昔から付喪神と仲がええんじゃ。彼らから事の真相も聞いておる。まぁ、うちの若いモンに芋をくれてやったと聞いておるしの。恩はそれなりの恩で返さねばな」

 なんと、マミゾウは答えを持っているという。今までの時間はなんだったんだと橋田は頭を抱えそうになった。

「して、さっきからはぐらかしておったみたいじゃが、ここのお代はどうするつもりかな?」

 頬杖をつきながら橋田をニヤニヤと見つめるマミゾウに折れた橋田は、ため息をつきながら口を開いた。

「教えてくれるなら是非奢らせてもらいますよ。なんなら追加で酒でも頼みますか?」

 

 日も暮れ、りんりんと虫の鳴く音を聞きながら、橋田はマミゾウから聞いた場所に来ていた。

 変哲もない商店街から少し外れた、長屋の角部屋である。

 4・5人の男女がよろしくない雰囲気の中でコショコショと話し合いをしていたのだった。

 

「なんだ、本当にこんなところで会合してたのか」

 橋田の声に中の人間たちは驚き、あわてて橋田の前にやってきた。

 はじめのうちは大騒ぎ一歩手前の状態だったのが、橋田を見ると落ち着きを取り戻し、彼らの正体について語り始めた。

「アタシらは自警団では取り締まれない輩を成敗する、いわば裏自警団みたいなもんさ。裏で悪さをする金持ちのボンどもをこらしめてやるんだ!」

 勝気な町娘が橋田に喧嘩腰で答えた。別に喧嘩を売っているわけではないし、買うつもりもないので適当に流しながら橋田は橋田で聞きたい事を聞く。

「別にいいけどよ。なんで妖怪がやったように見せかけるんだ?変に隠さなくても良いじゃあないか」

「妖怪が関わればやばいと思うのは当たり前じゃないか」

「ん?」

 答えになってないし意味がわからない。

「それに、間違っても関係ない里の人間が疑われるなんてことがあったら申し訳ないしな」

「んー……?」

 彼らの言い分が妙に納得出来ず、首を90度に曲げて唸っていた。

 里の人間たちが疑われるのがダメで、何故妖怪は良いのだろうか。そもそも妖怪の仕業にみせかけたところで、人間がやったと誰も考えないのだろうか。こいつら頭が悪いんじゃないか。

 などと橋田は思いながら、珍しく返答に困っていた。

 

 ふと、冷たい秋風が吹いた。

 

「ああ」

 橋田の疑問が解決したきっかけは、先程風を受けた彼らが必要以上に驚く姿からだった。

 突発的で予想外の出来事に対して、過敏に反応するその姿が橋田を納得させた。

 つまり外の世界からやってきたばかりの橋田と、恐ろしいものだ恐ろしいものだと散々教育されてきた里の人間達とでは、根本的に妖怪に対する考え方や恐怖心がまるで違うのだ。

 里の人間からしたら、妖怪は強くて恐ろしく、見られたら死を覚悟しないといけない恐怖の対象である。

 河童などは多少交流があるものの、やはりどこか人間どもが壁を作っている側面があるのだ。

 マミゾウの話や花果子念報の記事なんかから察するに、妖怪たちも逆に人間たちと壁を作っているような感じである。

 幻想郷はそういった壁ができることによって調和を保っているのかもしれない。

 などと大層な事まで飛躍しながらも橋田は考えていた。

 

「どうするかなぁ……これ」

 橋田は非常に悩んでいた。これを素直に味噌屋に伝えれば半年は遊んで暮らしていけるレベルの報酬をもらえるが……、弱い彼らを守る為には黙っておかないといけない。

 里の人間達もそれが分かっているので、橋田に真実を話さなかったのだろう。里ぐるみの犯罪である。

「頼む!橋田さん!俺たちを見逃してくれ!これはなんの権力も無い俺たち里の住人たちの希望なんだよ!」

 橋田はかつて無いほど非常に悩んでいた。

「そんなこと言ったって依頼主に結果を言わないと報酬が……」

 ここまで言ったところで、橋田はふと気がついた。

 そうだ。依頼主に報告すれば良いのだと。

 

 

「そんなこと!大旦那に言えるわけないじゃないか!」

 魔理沙は橋田からの結果報告を聞いて頭を抱えていた。

「そういうことで、後は頼みましたよ魔理沙さん。私はこれで依頼完了ということで」

 大元の依頼主は味噌屋の大旦那だったが、橋田が請けたのは魔理沙からだった。

 どうせ元請けからもらった金は全額払うとか言っておきながら何割か抜くのが彼女である。

 ならせめて、一番面倒なところは彼女にやってもらおうという橋田の魂胆である。

「な、なぁ、私の代わりに大旦那のところに行って……」

「や、や、魔理沙さん。そりゃ契約違反ですよ。貴女が受けた仕事なのに、私が行ったら、大旦那が混乱しちゃいますよ。じゃあ、よろしくお願いしますよ」

 受け取った報酬を財布に入れ、チャリチャリと小気味良い音を鳴らしながら橋田は霧雨魔法店を出て行った。

 

 

 後日、魔理沙から事の顛末を聞いた橋田は少々驚いていた。

 どうやら主だった商家の子供達は、真面目に教育がなされてき始めていたようだった。

 魔理沙が上手く味噌屋の大旦那に報告したらしい。

 ビジネスというのは権力者だけでできるものではない。その下につく労働者が無ければビジネスが成り立たないし、権力なんてものは存在しなくなるのである。労働者は権力者を、権力者は労働者を守らねばお互い潰れてしまうのだ。

 それを彼女は反発が起こらないよう、上手く里の権力者達に言って回ったそうだ。

「おかげで私にも追加報酬が出てウハウハだぜ」

 と彼女談である。

 調子の良い事だ。橋田は苦笑しながら、残り一つとなった饅頭を口に運んだのである。

 



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ギャグ回

「今回はギャグをふんだんに取り入れた話となってるわ、霊夢」

ジリジリと肌を焼く太陽と、セミの鳴き声にうんざりしながら足をパタパタさせていた霊夢は、紫の意味のわからない発言に「は?」とぶっきらぼうに答えた。

霊夢の冷たい返しにめげた素振りも見せず、紫は話を続けた。

「ギャグで一番作りやすくて面白いのは、メタ発言なのよ。次元の壁を越えて、読者に直接訴えかける事が一番面白いの」

「言っている意味が分からないし、暑いからどっか行って」

霊夢は紫を追い払うように、やる気なく手をパタパタさせた。

「その次にスルーね。これも簡単だからはなしもオチも作りやすくて助かるわって筆者が言ってる気がするの」

「無視しないでよ」

「そうね、悪かったわ」

紫は何番線じかすら分からなくなってきているお茶を飲み干した後、湯呑みを優しく縁側の側に置いた。

「ところで霊夢、私、外の世界でゆかりんと呼ばれる事があるの。ゆかりんとゆうこりんって似てないかしら?つまり私はゆうこりんと同じ目で見られている可能性があるわけで、不特定多数から可愛いと思われている事になるわ。やだ…ゆかりん困っちゃう」

次の瞬間、霊夢の弾幕が紫を襲っていた。

「ちなみに、私ゆかりんはメタ担当だから!能力的にわかりやすいでしょ?じゃあね」

そう言うと、ゆかりんはスキマの中へと消えていった。

 

 

スキマ妖怪に精神をかき乱されまくった霊夢は心を落ち着ける為に、少し濃いめのお茶を飲んでくつろいでいた。

サワサワと風で木の葉が揺れる音が、ざわついていた霊夢の心を落ち着かせる。

 

ふと、葉の音が不規則に凪いだ。

「うおおおお忍ぶぜぇぇぇ!!超忍ぶぜぇぇぇ!私は最強の普通の魔法使い(泥棒)だぜぇぇぇ!」

どうやって音を出しているのか、箒をブオンブオンとふかしながらゴッドファーザーのテーマ曲を流す白黒が、神社に突っ込んできた。

「やかましい!忍ぶなら少しは黙りなさい!」

「霊夢、今日はギャグの日らしいぜ、誰もがふざけて良い日だそうだ」

魔理沙は霊夢の話を聞く事なく、脈絡もない話を続けた。

「今日の私はYHDだぜ!」

「何それ?」

「やかましい(Y)普通の(H)泥棒(D)」

本日一番、霊夢の爆発が炸裂した。

 

 

気分転換に神社を離れた霊夢は、妖怪の山の麓まで来ていた。

珍しく、河城にとりが他の河童共を集めて、足だけムキムキの雄の河童を披露していた。

見た目がリアルだが、いまいち顔の作りが悪く、明らかに作り物だと分かる。何の素材を使ってその筋肉河童を作り上げたのかは分からなかったが、とにかく河童共は興奮を抑えきれない様子で、にとりの力作を囲んでいた。

「愚作と秀作の違いがわかるかしら?」

「秀作は、わかりやすくて共感が持てるもの、愚作はただ発想が傑作を模倣しただけの、子供の妄想だと思ってます」

「その通り、つまり筋肉は?」

「科学だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!うおおおおおおお!!!」

文脈とは?

河童共の品評会(?)を覗いていた霊夢は、一瞬そう思ったが、考えるだけ無駄というか、頭が痛くなるだけなのでその場を離れ、人間の里へ行く事に決めた。

 

 

「道徳の時間だオラァ!」と叫びながら寺子屋のドアを蹴破って入場する幻想郷の書記。

「実は私の炎って、寿命削って使ってるんだ」と笑えない冗談を言う不老不死のモンペ妖怪。

「あたいの同僚ん家の仏壇が倒れたんですよ」「それはほっとけないですね」などと漫才を始める死神と閻魔。

右を見ても左を見ても、老若男女、妖怪も人も神様も、ふざけている者ばかり。

里もこんな状態なのか。と霊夢はいよいよをもって気が動転しそうになっていた。

 

そういえば。今回はまだ橋田が出てきていない。

現在彼は気分がノリに乗っており、自室で昔覚えたアイドルのダンスを踊っていた。

フリフリと可愛らしく艶かしいダンスを踊る橋田。

充電が完了したスマホの中にたまたま入っていたライブ動画を見ながら踊りを完成させようとする橋田。

別段、橋田は可愛らしい容姿をしている男性ではない。ただの中肉中背のおっさんである。

「ふふふ…完璧だ」

フィニッシュが決まったところでつぶやいた橋田は、ここでようやく彼の部屋の扉を開けて唖然としている霊夢に気がついた。

「あの…」

霊夢は橋田を慰めようと無理矢理声を出すが、続く言葉が見当たらず、彼女の言葉はそのまま流れてしまった。

「えっと…一緒に踊りますか?『きゅんっ!ヴァンパイアガール』」

橋田は橋田でしどろもどろになりながら己のフォローをしようと必死で、あられもない言葉を吐いてしまう。

己に素直になれない男は情けないぞ橋田。

「その…遠慮するわ」

静かに扉を閉める霊夢。橋田は何もできなかった。

 

おっさんのダンスを見て、なんとも言えない気分になったまま霊夢は里を練り歩く。相変わらず周囲はギャグとやらにのまれている。

橋田の所業を見て、かえって落ち着いていた霊夢はふと気がつく。

普段とは違う方向でふざけている知り合い達。

安っぽい素人喜劇に出てくる登場人物であるかのように振る舞うその様は、まるで何者かが常識を改変しているかのような違和感が、それに気づき始めた途端に押し寄せる疎外感と不快感。

「これ、もしかして異変?」

そう気づいた霊夢は、心当たりのある者へと尋ねていったのである。

 

 

「で?その常識を改変させた厄介者をこらしめたと」

水で冷やされた竹筒羊羹を食べながら、魔理沙は霊夢に訊いた。

「誰なんだよソイツは?なあなあ、教えてくれよ」

ゆさゆさとうつ伏せでいる霊夢を揺らしながら魔理沙は訊くが、霊夢は疲れ切っているのか答えようとしない。

「やかましい、YHD」

そういうと、そのまま霊夢は寝入ってしまった。

 

 

「紫様、どうして顔を両手で隠しているのですか?」

「恥ずかしいからよ」

「何に対してでしょうか?」

「自分自身によ」

「はあ…さようでございますか…?」

 

今日も幻想郷は何一つ変わらない、異変の日だった。



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温泉に行かれた

 硫黄の臭いが橋田の顔を歪める。

 久しく感じたことのなかった、あの腹を壊した時の屁のような臭いが、ただえさえ腹が立っているのにもかかわらず容赦なく鼻の中に入ってくるものだから余計に頭に血が上る。

「てめぇ!俺をおちょくるのも大概にしろよ!」

 橋田は目を真っ赤にしながら珍しく声を荒げ、目の前で薄ら笑いを浮かべている茶髪の少女を睨みつけた。

 

 ここまで橋田を怒らせるのは何事か、そもそも今現在橋田がいるこのあばら屋温泉街は何処なのか、読者はそれを知る必要があるだろう。

 休み無しの数ヶ月連チャンの仕事が終わり、寝たり食べ歩いたりなどして休暇を満喫していた橋田が、不意に温泉に入りたいと出かけた。

 温泉を探してあっちをフラフラこっちをフラフラ、幻想郷中を歩き回り、ほぼ無意識的に、この温泉街へとたどり着いたのだ。道中の事は全く覚えていない。気がつけば異常な体の疲れに戸惑いながら、地霊殿と書かれた看板が上がっている御殿の前に立っていたのだった。

 何をどうするか考えていると、北の方の民族衣装のような装いの耳が尖った茶髪の少女が橋田に声をかけてきたのである。

 

 やけに橋田自身について聞いてくる少女だった。

 格好からして妖怪然とした女性だったので、初めのうちは気味が悪いと感じながらも低姿勢で話していた。

 話が続いているうちに、その少女は橋田のコンプレックスをつつくような物言いをするようになってきたのだ。

「妖怪なんてものは力が強いってだけで大変だ」とか「文屋のような要領の良い者になりたいわ、不出来な身からすると」などと、橋田の様子を観察しながら明らかに言葉を選んで橋田を遠回しに煽ってくる。

 いい加減、橋田が頭にきたところで冒頭のそれであった。

 

 

「おちょくってないわ。あなたが変に反応しただけでしょ?」

 少女はやたら楽しそうに笑いながら橋田を指さす。

「うるせぇ!もう我慢できねぇ。何が妖怪だクソッタレ!ぶっ殺してやる!」

「殴るの?へぇ。くだらない世間話で勝手に怒って、勝手に手をあげるだなんて。怒りっぽいのねあなた。もっと冷静に物事に対処したら?」

 もう橋田は、目の前にいるものが橋田の腕力では到底勝ち目のない相手だというのも忘れ、右腕を思い切り振りかぶった。

 

 しかし、右腕が橋田の顔の横を通り過ぎるかしないかするところで、背後から何者かが強烈な力で橋田の腕を掴んだ。

 橋田が振り向くと、そこには紫の髪色をした背の小さな少女がいた。目を模した小さく真っ赤な丸型のポシェットを肩にかけている、少し疲れたような顔をした不思議な少女だった。

 橋田が自分の腕を見ると、その少女の細くて可愛らしい手がしっかりと彼の腕にくっついていた。

 橋田がどれだけ力をこめて振り解こうとしてもピクリとも動く事はなかった。

 振り解こうとしばらく奮闘していた橋田だが、そのうち頭の熱も冷めてきて、今現状の自分がどのくらい危うい状態になっているのかをやがて理解し始め、顔を青くしながら力を抜いた。

 

 その様子をぼやっと眺めながら見ていた紫髪の少女は、橋田が大人しくなったのを確認すると、茶髪の少女に声をかけた。

「困りますよパルスィさん。恐らくうちのお客さんの嫉妬を煽るのはよしてください」

 紫髪の少女は、表情に合わせたような少し疲れたような話し方だった。

 紫髪の少女にパルスィと呼ばれた少女は、一瞬恨みがましい顔を紫髪の少女に向けた後、今度は橋田をチラリと見て満足そうな顔に変えた後、ふわりと飛んで消えて行った。

「そのまま消え去っちまえクソアマ」

 橋田は消えた後に暴言を吐き、掴まれていない方の手で中指を立てた。

 しばらく肩を怒らせていた橋田であったが、紫髪の少女の手が解かれたときにハッと自分が拘束されていた事を思い出した。

 正真正銘のアホである。

 橋田は改めて紫髪の少女の方を見ると、彼女は2、3歩下がった位置で橋田をまじまじと見ていた。

「あの……ありがとう……ございました」

 妖怪の持つ力に改めて思い知らされた事や、大人気なく吠えていた恥ずかしさや、不思議ちゃん系少女に直視される辛さなど、いろいろ面倒な感情がごちゃ混ぜになったお礼だった。

 紫髪の少女は橋田の言葉には特に反応せず、一人納得したような様子を見せ、口を開いた。

「……なるほど。やっぱり。妹が失礼しました。……パルスィさんではありません。死なない程度に満喫していってください。ここは温泉もありますから」

 妹がさっきの茶髪の少女かと橋田が思った瞬間に訂正された。

 紫髪の少女はそれだけ言うと、橋田を置いて御殿の中へと入っていった。

 彼女は何に納得したのか、そもそもどうすれば良いのか、

 御殿の中へ入って良いのか。

 橋田は何もかもわからないまま突っ立ったって途方に暮れていた。

 

 ふと橋田が気がつくと、いつのまにか足元に毛並みの綺麗な黒猫がいた。

 猫は橋田の足元に座り込んで、じっと彼を見上げている。

「猫ちゃんや。俺はどうしたら良いと思うかね?」

 橋田は一瞬のうちに破顔してしゃがみ込み、気色の悪い猫撫で声で問いかけながら猫をなぶる。

 猫は嫌がりもせず、橋田の手に甘えてくる。

 2、3分ほど猫は橋田の手にじゃれついていたが、突然、何かを思い出したかのように橋田の手を離れ、トコトコと御殿へ歩いていった。

 御殿に入る直前になって、猫は橋田の方を向き、また座り込みじっとしていた。

「着いてって良いんかな。まぁ、行くか」

 考えてもしかたがないと思い、橋田は猫の案内に従う事にした。

 

 正面から歩いてくる猫の性別を判断するにはどうしたら良いのか。簡単な話だ。誰でも良いからその猫の後ろにいる人に声をかけて、猫の金玉があるかないかを聞けば良い。すぐに答えが返ってくる。仕事でも同じだ。分からないこと、行き詰まった事があれば、誰でも良いので教えてもらう事が仕事ができる人間になるまでの近道だ。分からない事があればすぐに訊く事だ。

 橋田が新社会人になったばかりの頃、そう教えられた時は「なるほどなぁ」と納得したものだが、今となっては穴だらけの馬鹿らしい理論だと考え方を変えている。

 そもそも、猫が去勢していればオスかメスか知識がない人には分からないし、仕事も同じだ。わからない事を聞いても返ってくる言葉は大抵「知るか」だった。

 猫だの金玉だのの下手くそなたとえ話を持ち出した先輩も「自分で考えろ」の考えさせられるご回答であった。馬鹿らしい話である。

 橋田の歩行速度に合わせて大人しく彼の前を歩いている黒猫を見て思い出した話がそれである。

 今思えば、先輩達に媚びへつらったり肩揉んだらして気持ち良くさせてから教えをこへと言う意味だったのかと考えを改める。

「まぁ、そうであったにせよ、アホらしくてやってられないな」

 橋田は深くため息をついた。

 

 案内された場所は、誰一人も居ない大浴場だった。

「温泉か。そういやぁさっきの紫の人も言っていたな」

 橋田は案内してくれた猫にお礼を言おうと探すが、どこを見渡しても猫は居なかった。

「残念だ。餌でも買ってやろうかと思ったのに。しかし温泉か。家主かどうかは分からんが許可は降りたようだし、入ってやるか」

 橋田は、結局この場所は何処なのだろうかだとか、危険ではないのかとか、体を拭う物がないだとか、深く考える事なくすっぽんぽんになり、身体をしっかり洗い、汚れを落としてからざぶんと湯船に浸かった。

「注文が無さすぎて不安になる風呂屋だな」

 橋田は何故か宮沢賢治を思い出しながら、先ほどまで怒り狂っていた事も忘れ、気分良く満喫していった。

 

 

「いい湯だった。そろそろ帰らんと飯屋が閉まるかな」

 風呂から上がり、何故か橋田の服のそばに置いてあった手拭いで体を綺麗に拭き、よしと服を着たところで外から誰かが来るような気配を感じた。

 やってきたのは橋田を助けた(?)紫髪の少女であった。隣には何処かで見たような気がする大きな丸帽子を被った緑髪の少女もいる。

 何処で見たっけ?紫の子と似ているし、多分あの子が妹だよなぁ。あの子がここに連れてきたのかなぁ。あんなインパクトがでかい見た目なんか忘れるはずないんだけどなぁ。などと思いながら少女たちに礼を言う。

「やぁ、すんません。勝手に入らせていただきました」

「そうですか」

 紫髪の少女は橋田の言葉に被せるようなタイミングで返事をした。

 怒っているよなぁ。やっぱり断りもなく風呂に入ったのは失礼だっただろうか。謝っとこうなどと呑気に橋田が考えていたら、別に怒っていないと紫髪の少女は答える。

 また思っていたことを口に出していたかと頭をボリボリかいた。

 丸帽子の少女がニコニコしながら姉の横で橋田を見ている。

 

 そういえば姉妹で心を読む妖怪が居たなぁ。と橋田が名前を思い出しながら腕を組んでいると、古明地さとりは橋田に仕事の話を持ちかけてきた。

「私の事務作業を手伝ってください。貴方のある程度の能力はわかりました」

「あー……すんません」

「対価は仕事が終わり、貴方が里に戻るまでの期間、貴方の安全を担保しましょう。ついでに温泉も入りたい放題です」

「えっと」

「10日間を目処としてください。……私の能力が便利だんて思わないように……うっぷ……私の近くで二度とチーズバーガーフライなんて胸焼けするようなもの思い浮かべないように」

 さとりは鳩尾あたりをさすりながら橋田の思い浮かべた内容に対して律儀に答えていった。

 

 橋田が仕事を請けるかどうしようか迷っていると、古明地こいしに手を取られ、簡素なベッドが置いてある部屋に案内された。

「請けていただいて助かります。短い間ですがよろしくお願いします」

 請けるなんて言った覚えは無いが、どうやら道すがら無意識に請けると橋田が答えてしまったようだ。

 橋田は古明地こいしの能力に恐ろしさを感じた。

「言質を取られてしまったのでは仕方がないし、貴方がたが暮らす旧地獄から安全に帰れると言うのなら従うしかないでしょう。まぁ、よろしくお願いします」

 橋田は頭を下げて挨拶をした。

 

 久しぶりの机上業務は橋田にとって新鮮な物だった。

 動物が沢山いる地霊殿は居心地も良く、気持ちの良い温泉もある。

 年に一回程度ならあっても良いかなと思った瞬間に、姉妹から年次の契約をさせられてしまったのは橋田の御愛嬌だ。

 

 仕事を終え、契約通り無事に里に戻った橋田は、荷物の中から丁寧に綴じられた封筒を見つけた。

 中を開くと、さとりの字で、

『来年の冬ごろ、またお迎えにあがります』

 とあった。

 内心楽しみにしながら、橋田は封筒を大切にしまうのだった。




「橋田さぁん!あんた大丈夫だったか!?」
「何が?」
「ぼけらっとしながらふらふら里中歩き回ってて、こっちが声かけても上の空だったんだよ。そうしたらなんか消えちまったもんでよ。なんか悪いもんに取り憑かれたかもしれんと里のみんなで噂してたところなんだ」
「…」
「頭痛いのか?博麗の巫女さんを呼ぶか?」
「いや、自分で行くよ」


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個人事業主は計画的に

 橋田が幻想入りして間もなくの頃である。

 里の入り口に寝転がっていた橋田を、里の人間達は慣れた風で里の長のもとへ案内した。

 里の人間たちは橋田の処遇を話し合い、とりあえず何が出来るかわかるまで長屋の不人気な部屋に置いておく事に決めたのであった。

「やれやれ、こういった仕事はアルバイト雇ってやれば良いのに、全部全部自分らでやるのは経済としてどうなんだろうな。居候の身で文句言うのもアレだが、金ももらってねえのに真面目にやろうとは思えんな」

 長屋の大旦那の元で手伝いをしていた橋田は、小間使い的な仕事に少々辟易していた。

「アルバイトか……そうかそういやぁ、里じゃあ見たことなかったな」

 橋田はこの時に仕事を請負うという仕事を思いついたのだ。

 思いついたら吉日と、さっさと空き部屋の掃除を済ませて大旦那の元へかけて行った。

 

 

「旦那、私やれる事が見つかりましたよ。それでちょっとお願いしたいことがありまして……」

「おお、外の世界の人間にしては仕事を決めるのが早いな。もうしばらくかかるもんだと思っていたよ。それで私にどうしろと言うのだ?」

「旦那のツテで仕事を斡旋してくれませんか?何でも良いですよ。店番からドブさらいでも、力仕事でも、帳簿だってつけられますよ」

「つまり、簡単な仕事をもらってそれを生業とするのか?小間使いとなんも変わらんと思うが」

「いや、小間使いはずっと家にいるじゃあありませんか。私は別ですよ。いる時、必要な時だけ代金を払って私を一時的に雇うんです。雇われた私は決められた期間や量をこなすまで一時的に仕事を請け負うという形ですな」

「ふぅん。なるほどね。そんな上手く行くかね?」

「分かりません。が、このまま旦那の厄介になるわけにはいきませんし、私が今できることを出来るようにするだけですよ」

「そうであればわかった。橋田くんは外の世界の人間にしては、我々の言うことを聞いてくれるし、よく働いてくれているからね。思い当たる人間に声をかけてみようじゃあないか」

「ありがとうございます」

「言っておくが、私は声をかけるだけだ。当たり前だがそれ以外の面倒は君が見るんだ。これからは今いる部屋の代金も取っていくし、払えなければ問答無用で追い出す。良いかね?」

「もちろんです。承知しております」

「そうか。ではいつからだい?」

「早ければ本日からでも」

「分かった。丁度今晩里の寄合がある。君も参加しなさい」

「ありがとうございます」

「しっかりやりなさい」

 

 

 日も暮れ、屋台の提灯が目立つ頃になると、里の有力者どもが集会所にゾロゾロと集まってくる。

 各々店の印が入った羽織りの袖に腕を通しながら、小寒くなったな。今日は珍しく外来人が議題だそうだ。などと顔馴染みの商売仲間と世間話をぼちぼちしながら屋内に入っていく。

 全員が揃ったところで、橋田は丁寧に挨拶を個人個人にしていく。そろそろ挨拶も済ませたというところで、里の人間たちに仕事の請負について必死に説明した。

 契約の内容もしっかり考えて伝えてある。

 契約料は必ず決めてから仕事を請け負うこと、契約をした以上は元請けの都合によって金額を変える事は禁止とすること。

 支払いは物では出来ず現金であること。

 契約期間や作業量に関しては、いついつまで仕事をする、いくつまで仕事をするといった明確な取り決めをすること。仮に期間が伸びたないし仕事内容に変更があった場合は都度協議し契約金額を再度見直すこと。

 橋田が仮にミスをして損害を出した時には、橋田が賠償をすること。

 同じ仕事内容でも繁忙期や閑散期などのタイミングによっては金額が変わってくること。

 エトセトラエトセトラ。

「基本的な金額は人工(にんく)計算でやります。一日1人分いくらいくら。仕事内容に得意不得意あったりだとか、誰でもできるのかそうでないかだとかそういったので値段は変わってきますが……まぁ、要相談ですな」

「なるほどな。とりあえず仕事ぶり見てみるかね。長屋の大旦那、彼はどうだったね?」

「よく働いてくれている。若いし経験もあるから、我々の動きを察して先手先手で動いてくれる事もある。特段優秀というわけじゃあ無いが、金を払って文句が出る程度の能力ではないな」

「ふむ。じゃあ試しに使ってみるかね。橋田さん。少々危険だが、ウチの倉庫掃除を任されてくれんか。物を雑に置きすぎて使用人どもを近づけさせられんくらい不安定なんだ」

「分かりました。請けましょう」

 こうして橋田はゼロからのスタートを切ったのだった。

 

 

 しばらくして、橋田が請負人商売にも慣れてきた頃合いである。

「橋田くんや。今回の支払いだが、少しばかりまけてはくれんかね」

 と依頼人が声をかけてきた。

 もうそろそろ仕事も終わる時分にだ。

「え?どのくらいですか?」

 数ある選択肢の中でも1番駄目な返しをしてしまったと、後の橋田は振り返る。

「ちょっと支払いが立て込んでいてね……。半分しか払えないんだ」

 橋田の中で二日三日程度もつ計算だった請負金額が、半分となるとかなり苦しい。橋田は申し訳なさそうな顔つきで答えを返す。

「それは困りますよ旦那。私は旦那と違ってその日その日で暮らしてるもんですから」

「頼むよ。橋田くん。今後も贔屓にしておくから。な?」

 今後もと言われると、交渉ごとに慣れていない橋田は、まぁ一度くらい許してやっても良いだろうと思ってしまい、

「じゃあ今回だけですよ旦那」

 と許してしまったのだ。

 

 この判断ミスが、しばらくの間、橋田の仕事が無償ボランティアへと変化してしまった第一歩であった。

 値切りを許した事実を依頼者が広めてしまったせいで、俺もまけろ、ついでにこの仕事もサービスで、今後の為に下げてくれとケチな商売人共からカモにされてしまったのだ。

 働けど働けど懐はさみしいまま、早朝から夜遅くまで働き、ついには身体を壊して寝込んでしまうまでに至った。

「なんでも請け負うと大口叩いておいて身体を壊すとは、やはり外の世界の人間は軟弱だな」

 体調不良を理由に断りを入れた時、最初に値切られた依頼人から吐き捨てるようにそう言われた。

「てめぇらが小銭程度で俺をこき使うせいだろ!!」

 と顔面を怒りで真っ赤にしながら言った。

 次の瞬間、依頼人は顔を真っ青にしてその場から逃げるように立ち去っていった。

 自分の怒りの形相に驚いて逃げていったと思った橋田は、若干気が晴れていた。

 

「ここが何でも仕事を請け負ってくれるお店かしら?」

 橋田が満足した顔を浮かべていると、逃げていった輩の反対方向から若い女性の声が聞こえてきた。

 橋田が振り返ると、真っ赤な髪の少女がそこに立っていた。

 黒のシャツに髪と同じ色のスカート、そしてまた黒のロングブーツ。赤黒赤と目立つのか目立たないのかよくわからない色合いをしている。

 そしてケープマントというのだろうか、腰高程度の短い外套を羽織り、何故か襟を立てていた。

 首元を不自然に隠しているような形である。羽織っている外套も、また髪と同じ真っ赤であった。

「はい、そうですが……今は体調を崩しておりまして、休業中です」

 初見の相手なら確実に請けておきたいが、生憎と橋田の身体は休みを求めている。

 心底申し訳なく謝ると、彼女は片眉を吊り上げ首を振る。彼女の頭が動くと大きなリボンがふわふわと動いた。

「んーそうか。人間は都合が効かないね」

「はぁ、すんません」

 橋田は弱々しく頭をぼりぼりとかいた。

「ちなみに何のご依頼だったんですか?」

 何処か彼女の言葉のチョイスに引っかかりを感じながらも、とりあえず依頼内容を聞いておきたいので少女に話しかけた。

「友達が住んでいる湖が外の世界から流れ込んできた物で汚れちゃってね、あんな広い所私らだけじゃ大変だから誰かに掃除を手伝ってもらいたかったんだけど……。頼りの人間がこんな調子じゃあ掃除なんて土台無理ね」

「腹立つ言い方をするやつだ。そこまで言うなら2、3日後にお請けしますよ。そのかわり、金はしっかり働いた分いただきますから」

 彼女の何処か斜に構えた物言いに橋田はムっとして返した。

 橋田の返事を聞いた少女は、またわざとらしく片眉を吊り上げて言った。

「へぇ、妖怪の私に結構な事言うじゃあないか。怖くないの?」

「へ?何処からどう見ても普通のお嬢さんです……が……!?」

 橋田が言い終わるか終わらないかのタイミングで、少女の首がゴロンと地面に転がり落ちた。

 あまりにも唐突に落ちたので橋田は一瞬理解できなかった。

「これを見ても人間だって思うのかしら?」

 地面に転がった生首が橋田の方を向いてしゃべり始める。

 そうしてやっと橋田は理解する。自分はとんでもないモノに口ごたえをしてしまったと。

 橋田は真っ青な顔で彼女の首が元あった箇所を見上げる。

 そこにはまた普通の首が生えていた。

「あら、他の人間みたく大袈裟に驚かないのね。……いや、単純に、食われるかもって怖くなってるだけみたいね。馬鹿みたい」

 橋田がいる場所は長屋の狭い土間である。

 殺されるし、逃げることもできない。幻想入りする前から口は災いの元と何度も何度も言い聞かせていたのに、またこうして自分の首を絞めている。絞めるどころの話ではなくなっている。

 今更後悔しても遅い。自分は妖怪の反感を買って食い殺されてしまうのだ。嗚呼、最後にあそこの蕎麦屋のメニュー全品制覇しておきたかったなぁ。

「もしもし。口に出して猛省しているところ恐縮なんだけれども、結局仕事は請けてくれるの?」

「はい?」

 途中から口に出していたらしい。橋田はふいをつかれて変な声を出しながら返事をした。

 しばらく考えて、この妖怪は橋田を食う気が無いないのと、仕事を依頼してくれているという事を理解した。

「あ、ああ。食べないんですか?食べないなら請けさせていただきますよ。お金は量にもよりますが、1日につきこの金額で良いですか?」

 少々吹っかけてある。下手したら食われて死ぬかもしれないし、何より金がない。

 妖怪は、金額を提示されて少しだけ考えていた。左手で顎をトントンとつつきながら、右肘を反対の腕で支えて可愛らしい仕草にみえる。

 里の人間ではあまり見かけない整った顔立ちなので、何をしても可愛らしく見える。妖怪でも可愛い子いるんだなと橋田は変に感心していた。

「いいよ。ただし、ちゃんと働かないとその場で食うからね」

「もちろんですよ。契約成立ですね」

「じゃあ三日後に霧の湖に来てほしいの。紅魔館わかる?あそこの西側なら分かりやすいところあるから、そこに朝集合ね」

「わかりました。よろしくお願いします」

 橋田と握手を交わした後、妖怪は少しだけ口元を吊り上げてこう言った。

「逃げたら食い殺すからね」

 それだけ言うと、妖怪は立ち去って行った。

 

 妖怪が立ち去った後、橋田はあまりの恐怖に土間でへたり込んでしまった。

「がんばろう。やるしかない」

 橋田は恐怖で笑っている膝を軽くはたいて気合いを入れた。

 

 

 まさかの妖怪からの仕事を安請け合いしてしまい、後悔する三日間だったが、いざ仕事が始まってみると大した内容ではなかった。

 別に食われる事もなく、依頼人(依頼妖怪?)である首の妖怪に加えて、人魚の少女と人狼の少女の3人と一緒になって湖の掃除をした。

 何処からどう繋がっているのか橋田には分からなかったが、兎にも角にも外の世界から流れ着いた物が散乱していた。

 ほとんどが橋田が懐かしいと感じる玩具や道具であった。

 使える物は里で売れそうな為、ネコ(一輪の荷車)に乗せ、ゴミはゴミでまた別に仕分けをしていった。

 プラスチックなどの自然分解されない物はどうするのかと少女達に尋ねると、墓場に持っていけば何でも食う妖怪がいるので大丈夫だとの事だった。

 便利な妖怪がいたものである。

 人間にこき使われていた時よりも楽な内容で、報酬も過分にあり、少々ケモ臭いが美少女達に囲まれながら仕事ができる最高の環境だった。

 

「ありがとう。貴方働き者だね。予想よりもかなり綺麗になったよ」

「こちらこそ、しっかり報酬もいただきましたし、また機会があればお仕事をいただきたいです」

 橋田が照れながらそう言うと、少女達は満面の笑みでまたよろしくと返した。

「でも、私が言うのも何だけど、あまり妖怪を信用しすぎない方が良いよ。妖怪の事をちゃんと調べてから請ける請けないを判断した方が良い」

 情けない顔で頭をかいている橋田に、人狼の少女がそう言った。

「調べるって……どうやってです?」

「博麗の巫女に訊くだとか……阿求が私達の事まとめた本があるらしいから、それを読むとか……そんなところかしら?」

 人魚の少女が橋田の質問に答えた。

「なるほど……今回は運が良かったわけですか」

 橋田の言葉に少女達は頭を縦に振って同意した。

「わかりました。せっかくの助言ですし、これから勉強させていただきます。ありがとうございます」

 橋田は丁寧に頭を下げて、妖怪達と別れた。

 

 妖怪たちの助言に従い、自宅に戻る前に貸本屋に寄って本を探す事にした。

 阿求なる物の著作物は無いかと店番している娘に尋ねたら、すぐに数冊出てきた。

 かなり分厚い本である。値段もそこそこだったが、命を守る為にケチってはいけないとしばらく借りることにした。

 

 

 こうして橋田は妖怪に対して適度な距離感をさぐりながら、彼女達から仕事を請け負っていくのである。

 正直な話、橋田にとって人間よりも妖怪相手の仕事は割りが良いものばかりだ。

 ただ、命をいつ奪われるか分からないのが恐ろしい為、なかなかそれ中心に請けることが出来ない。

 それはそれで人間と妖怪の付き合いとしては良いのかもしれない。

 今日も橋田は人間相手の仕事の後に、妖怪の仕事を請けていた。



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風邪になると健康を忘れる

 喉の痛みを我慢しながら、あつあつの粥を掻き込むと、橋田はゲホゲホと汚く咳き込んだ。

 結構激しく咳き込んだはずだが、なんと口の中に掻き込んだ米が橋田の口の中から出る事はなかった。

「なんで風邪の日の粥はこんな美味く思えるんだろうな」

 また喉の痛みを我慢しつつ、今度は熱いお茶を啜った。

 流石にお茶は痛すぎたのか、上品に年季の入った机に湯呑みを置き、冷まし始めた。

 今の時期はすぐに冷めるので、パンパンに膨れた喉には丁度良い季節だ。

 ふぅ、とため息を吐きながら溶けるように椅子へもたれかかると、橋田は豪勢なシャンデリアを見上げた。

 風邪をひくと、美しく装飾された家具も非常に煩わしく見える。

 

 

 橋田は体型に似合わず年に一度は風邪をひく。

 だが、食欲は止まらない為、結構すぐに回復するのだ。

 世間様では風邪をひくと少々なりとも食欲が無くなるので、病み上がりなんかは少し痩せたりするのだろうが、橋田といえば食って治すというスタンスなので、風邪が治る頃には体重が増えている。

 風邪をひいたからって何が食べられないとかも稀だ。

 隣人などが心配して差し入れ何が欲しい、と訊くと、

「どこそこのおはぎが食いたい。おはぎを食ったら治る気がする」

 などと肩でゼーハー息をしながら酷くダルそうに言うもんだから、橋田のチグハグな言動は、いつも見舞いに来る人間をあきれされていた。

「ダルそうな演技しやがって。元気じゃねぇか」

 などと言われてしまう始末である。

 非常に見舞い甲斐の無い男が橋田だ。

 

 

 地霊殿で書類仕事をしていたこの日も、たまたま橋田は風邪をひいていた。

 泊まり込みの仕事であったので橋田にあてがわれた部屋で療養させてもらっているわけである。

 そういう季節ではあるが、人間に合うことも稀だし、うつされた記憶がとんとない。

 せっかく仕事を請けたのに風邪をひいてしまうとは、と橋田は古明地さとりに謝ろうとしたのだが、

「いえ、風邪はあなたのせいではありません。まずはしっかり療養して回復してください」

 などと、ブラック企業でしか働いた記憶のない橋田、あまりのホワイトな返答に呆けてしまっていた。

 さとりだけではなく、見舞いに来る妖怪すべてが橋田に何故か優しかった。

 災難だったな。とか、気をつけようがないもんな。とか。

 とにかく橋田の体調管理を揶揄するような物言いをする者は居なかった。

 中には、

「いやぁ、なんだかすまないねぇ、飲みの席だとどうしてもね。あんまり近づかないよう注意するよ」

 などと何故か謝る者さえいた。

 金髪の、茶色のスカートが異様に膨らんでいた少女だった。

 鬼と飲んでいた時にそこそこ会話をしたような気がする。

 たしか名前が、黒谷ヤマメとかいう名前であったか。

 彼女はスカートをふわふわさせつつ、少し困ったような顔で橋田の枕元にりんごを置いて出て行った。

 服の色合いもあってか、大きく膨らんだスカートが蜘蛛の尻に見えてくる。

 意味はよくわからないが、風邪をひいただけで皆から心配されて優しくされるなんぞ、小坊の頃以来の出来事である。

 日頃から女性に優しくされる事が稀な橋田は、なんだかむず痒くなってしまい、さっさと治そうと無理矢理腹に食事を収めていった。

 

 

 翌日、気合いで風邪を治した橋田は意気揚々と仕事に向かおうとしたが、さとりにもう1日寝ていろと部屋に戻されてしまっていた。

「貴方は天邪鬼のような気質ですね」

「はい?」

 ちょこんと橋田の対面の椅子に座ったさとりは、いつものように少し疲れたような顔のまま橋田に言った。

「普通の人間は、見た目の良い少女達に囲まれたり優しくされたら良い気分になるのではないですか?」

「そうだと思いますよ」

「でも貴方は嬉しいと思うのと同時に、居心地が悪い、気色悪いなどと、嫌がっている感情が強くあります。意味がわからない」

 さとりはティーカップを口元に持って飲もうとするが、すぐに小さな口からティーカップを離した。

「近寄られる意図が分からない。褒められると本心が気になって素直に受け止められない。……なるほど、過去の経験から女性に対して警戒心を持っていると」

 カップをソーサーに置くと、さとりは椅子に背を預けた。

 人の話を待たずに話す彼女にしては珍しく、橋田の口が開くのを待っている。

「人間不信ですね。営業マンやってた頃は、合う人間全てが敵に思えて過ごしてました」

「幻想郷に来ても同じようですね。里の人間はどこまでいっても利己的で信用できませんか」

「妖怪相手の方が気楽です。人間より力がある分、嫌っていれば私から離れていきますから」

「人間は嫌っていてもコミュニティを崩壊させないよう、陰で溜まった膿を吐き出すと。それを貴方は強く嫌悪し、怖がっているわけですか」

 そう言うと、さとりは目頭を軽く揉んだ。

 柱時計の秒針がコチコチと音を鳴らしている。

 

 しばらくすると、お燐が人間の姿で茶器を下げに入ってきた。

 さとりは疲れたようにその様子をしばらく眺め、静かに席を立った。

「先程も言いましたが、貴方は今日まで休みなさい。貴方が手伝ってくれたおかげで、急ぐものはほとんど無くなりましたので」

「はぁ、いろいろとすんません。明日からまたよろしくお願いします」

 橋田はボリボリと頭を掻きながら答えた。

「それでは」

 そう声を橋田にかけると、いつも通り、少し疲れたような顔でさとりは部屋を出た。

 

 

「ある意味私達も同じような感覚でいるわけだけれども」

 夕食を楽しんでいる中で、ふとこいしに話を振った。

「何が?」

「あの人間の人間不信が」

 こいしは彼女の言葉の意味をしばらく考えていたが、すぐに分かったらしい。

「面白いよね。私は皆の心が分かるから心を閉ざしてるのに、あのおじさんは皆の心が分からないからって距離を置いてるんだもん。能力を交換できたらきっと幸せになる気がするよ」

 こいしは楽しそうに言いながら箸をすすめている。そんな様子を眺めながらさとりは言った。

「心を読めるようになれば、人間不信も治るのかしら」

 そうでもないような気もするが、たかが人間のためにいろいろと考えてやるのもおかしいので、さとりは食事を再開する事にした。

 しかし不思議と、あの橋田のことが気になる。

 愛おしさとかそんな甘ったるいものではなく、単純に知的好奇心から、あの世捨て人のような発想をする人間が気になるのだ。

「手伝ってくれてるのもあって、多少なりとも愛着が湧いてるのかしら」

 食事を続けているこいしを見やる。

 さとりの視線に気がついたこいしは、笑顔を崩さずに言った。

「あのおじさん、また今度も呼んでね」

「そうね。貴女もペット達も気に入ってるようだし、あまり深く考えないようにしましょう」

 綺麗に片付いた仕事部屋を思い返しながら、こいしと食事を楽しむ事にしたさとりであった。



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食は百楽の頂点

 何事も当たり前のことに対して何か疑問を感じたり、嫌悪感を抱くことは稀だろう。

 人が起きる意味は何なのか、何故食事をしなければならないのか、自分の話す言葉は何故日本語なのか、何も無いのに歩くのが非常に不愉快だ。などなど。

 何も探求する事がなく、純粋にただ発生した疑問を疑問のままで置いておく事や、他者だけを頼りに回答を求める行為は愚者の発想である。

 ただ、それら当たり前を大真面目に考え、偉大な学問としている事も事実だ。それはそれで学問としての形体を取っている以上、無駄なことではないのは明白だ。

 その当たり前に疑問を抱いたり、その当たり前は正しいのか、他文化では忌み嫌われているものではなかろうかと意識する事は悪いことではない。

 ただ、普通の発想かどうかと言われると、一般のサラリーマンなどには無いものだと言える。

 いや、必要のない物である。

 普通な物を普通ではない視点で捉え、探求する能力は、商社などの営業、経理、事務、製造には必要ない物だと言える。

 社の方針に従い、利益の大きい売り方を考え、手間を減らす方法を発案する事が大切だ。

 故に資本主義的な職種には必要がない。

 

 では、サラリー(賃金)をもらわずに、旧文化的な生活する人間はどうだろうか。

 まず賃金供給の大元となる会社が存在せず、利を得るには心許ない資源しか出回っておらず、減らせるリソースも技術も無い文化圏だ。

 それが幻想郷である。

 世の中のCEOや証券マンは絶対に入りたくない世界が幻想郷である。

 さて、いよいよ幻想郷という名前が出てきたところで、ようやく現実を少しばかり忘れていただける時間ができた。

 前述のサラリーマンという適性について、橋田は全く不向きな性格である。

 なぜなにがそこそこ多い人間であった。

 こだわりがそれなりに強いのも営業マンとしては失格である。

 しかし、幻想郷に来たからというもの、その性格がようやく適合する事が出来るようになった。

 特に妖怪相手だと、その発想が喜ばれる事がままある。

 

 

 今日も今日とて妖怪の仕事を終え、帰宅しようとした所で、一人の少女から食事に誘われた。

 女性と同じ席での食事という経験を久しくしていなかった橋田は、奢りだったというのもあり、相手が妖怪だというのも忘れかけてルンルンで着いてきたわけである。

「予算余ったし、いくらでも食って良いからね」

 と案内された店は、いつぞやの縁日で出ていたヤツメウナギを出す少女がいる店だった。

「やっぱり妖怪の女将さんだったわけですか」

 などと何かに納得した橋田は、なんの警戒心も無いまま、店の奥の席へ通された。

 

 ヤツメウナギが売りの店かと思いきや、他の料理も悪くない。

 大根やナスの漬物、ゼンマイの天ぷら、うどの酢味噌和え、沢蟹の唐揚げ。

 米とオカズ間を橋田の箸が忙しなく動いている。

 近いうちまた来よう。

 そんな風に思いながら橋田は少女達との会話を聞きながら、せっせと食事を楽しんでいた。

 

「時々思うんだけどね」

 首の妖怪(と橋田は思っている)こと、赤蛮鬼がそう切り出したタイミングが、ちょうど橋田が米を口に運ぶ寸前であった。

 橋田は相槌を打つために仕方がなしに箸を器に戻した。

「食事処で同じ机に知らない人間が何人も座るじゃない?」

「はぁ」

「で、同じような食事が机の向こう側からポンポンと同じようなタイミングで出されるわけじゃない?」

「そうですね」

「そうなったら皆、一斉に出された食事の方に頭を向けて食べるわけ」

「まぁ、そうしますね」

「私、それで時々、なんかその人間たちの様子が、豚だとか鶏だとかの家畜に見えてきたりするわけ」

「そんな馬鹿な」

 橋田は蛮鬼の話から、内容が知れてると思い、漬物に手を伸ばした。

 この店の漬物はしっかり漬かっていて塩っけ抜群だ。

「よく考えてごらんよ、家畜どもは決められた場所で横並びに整列して、餌が来たら頭を餌箱に突っ込んで物を食うわけでしょ? それって食事処でも同じように人間は横並びに頭を突っ込んで飯を食ってるわけ。似てると思わないかしら?」

 そう投げかけた蛮鬼は、体を橋田の方に向けて彼の様子を眺めていた。

 橋田がムムムと考えている中、蛮鬼は少し小馬鹿にしたようなしたり顔をして、漬物を指でつまみ、お猪口に残っていた残りをあおった。

「まぁ、妖怪だからそう思えるのかもしれないけど……。影狼はどう?」

 鳥の小骨を一心不乱にかじっていた今泉影狼は、突然話を振られたせいで小骨を飲んでしまい盛大にむせた。

「何? そんなの全く違うじゃない。家畜は骨肉や排出物を搾取される為に餌が与えられてるわけでしょ? 人間は自身の腹を満たす為に対価を払ってその食事を得てるんだから。まるきり違うわけ」

「いや、そうじゃないのよ。概念じゃない。分からない? そのように見えるってだけ。餌箱に頭を突っ込む姿が、丼の器に頭を向けて食い散らかす姿が似てるって言ってんのよ」

 蛮鬼の説明になんとなく合点がいった橋田は影狼と一緒に何度も頷いた。

「ああ、それは思う。でも私たち妖怪より文化的だわ。家畜も人間も。だって私たちは地べたに横たわってる者を、よくそのまま食ってるわけだし。今は違うけど」

 影狼のセリフにドキッとした橋田は、一瞬、キョドキョドと目を泳がせた。汗を少しかいている。

 しかし箸は止めず。

 恐怖で味なんか分からないのに、食う事で恐怖を飲み込んでしまおうと言う魂胆である。

 勿論意味など無い。

 急に恐怖で体を縮こませた橋田の反応を見た少女達は、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべた。

「満腹?」

 蛮鬼は影狼に訊く。

「全然。やっぱり人間の肉が一番ね」

 そう言うと影狼は席を立ち、ゆらりと橋田の背後に移動する。

 あまりにも自然に橋田の後ろに立った。

 小さく荒い呼吸をしている橋田の肩に手をそっと置き、少しずつ爪を立てていく。

 爪が橋田の肌に食い込むほど、橋田の血の気は引いていく。

 冷たい。空気もそうだ。握った湯呑みの熱さなどまるで感じない。

 橋田の吐く息が震えはじめた。

「ここに脂の乗った良い肉があるらしいんだけど、貴方、知らないかしら?」

 影狼が橋田の耳元でささやく。

 

 顔の真横まで詰められた橋田は、今までの恐怖の他に、ある感覚が橋田を支配した。

 それはそれは橋田にとって重要でないが、恐怖以上に逃れられない感性であった。

「ん……ケモ臭い……」

 思わず言ってしまった。

 橋田の小声が聞こえてしまった影狼は、橋田の頭をぺしんとはたいてしまった。

「失礼!」

 おそらく謝罪と説教と両方の意味だろう。

 3回橋田の頭をペシペシはたいた後、2、3歩下がり、自分の臭いを嗅いでいた。

 存外自身の体臭はわからない物である。

 しかし、影狼も女性である。化粧にはこだわるし、臭いも種族柄敏感だ。

 そんな中で臭いなどと言われると非常に不愉快だ。

 しかも、うだつの上がらない中年男からそんな事言われたのではショックもはなはだしい。

 とはいえ、何故恐怖しているタイミングでそんな事が言えるのだろうか。

 影狼は、あわあわと袖や胸元を嗅いだりして臭いを確認している。

 横で眺めていた蛮鬼は、その展開を見てはじめは驚いていたが、今の今まで見たことのなかった影狼のうろたえ方に笑ってしまっていた。

「散々怖がっててそれは無い!!」

「狼女が狼狽してるアハハハハ!!」

「えっ、えっ、なんでその言葉が出るの!?」

「はぁ、なんかすんません」

 空気が軽くなったのを感じた橋田は、頭をぼりぼりと掻きながら影狼に謝った。

 とりあえず、危機的状況は脱したのだろうか。

 笑いが少し引いた蛮鬼が、笑い涙を目尻に溜めながら橋田に言った。

「単に怖がらせようとしただけだよ。貴方、まるきり警戒心無かったからさ、妖怪舐められちゃ困るってね」

「そうよ! 怖がりなさいよ! なんなのよ臭いって!」

「い、いやあの、本当、女性に対して言うなと、狸の頭領から言われたばかりなのに、すんません。いや、本当に怖かったです。本当」

 橋田も影狼に釣られてあわあわとしてきた。

「アハハハハ。いやいや、本気で怖がっていたのは分かるよ。私らは妖怪だからね。人間の恐怖心には敏感なのさ。でもね、気をつけなよ。私らみたいな、人間に対して食欲そんな湧かないのは稀だからさ」

「はぁ、気をつけます」

 実際怖かった。まだ恐怖が手元に残っていて、箸先が少し震えている。

 それを見た蛮鬼は、空になったお猪口に酒を足し、満足そうに飲み干したのだった。

「貴方は里の人間とはやっぱり考え方が違うね。私たちの感性で物を話しても、真面目に受け止めてちゃんと考える」

女将に勘定を渡し、蛮鬼は立ち上がった。

「今日は珍しい酒が飲めたよ。次も仕事頼む事あるから、その時はまたお願いね」

「あ、ああ、ご馳走様でした。またよろしくお願いします」

橋田が頭を下げると、蛮鬼は片手を挙げ、店を出て行った。

影狼も後を追うが、その前に軽く橋田をはたいてから、

「じゃあまたね」

と一言だけ言って出て行った。

 

 

 数日の後、橋田が仕事をしていると、噂好きの大工の女房から里の中で『臭い女』の怪異が出ているとの話が出た。

「どんな物なんだい? それは」

「あら、橋田さん知らないの? 今すっごい襲われてるって話よ」

 橋田が聞くに、里の人間が竹林を歩いていると、突然黒衣の女が現れ、

「私、臭い?」

 と唐突に聞いてくるそうだ。

 違うと言えば、鼻が物理的に潰れるまで臭いを嗅がせようとするし、そうだと言えばズタズタに切り裂かれるとのことだ。

「厄介な変質者だなぁ」

 橋田は一瞬、口裂け女を連想した。本当に傍迷惑な人物である。

 おちおち竹林を散歩できないではないか。

「博麗の巫女がそろそろ解決に行くかもって話よ。いっぺんそういう異変を解決してる所見てみたいわ」

「やめといた方がいいよ奥さん、危ないから」

「そうよねーホホホホ」

 

 春の空気が次第に湿気を帯びてきた時期には、噂の怪異は語られなくなっていた。

 今日も幻想郷は平和になっていた。




以前にも書きましたが、橋田は動物の臭いに敏感なだけです。


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