ワレ、西住三番 (友爪)
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ワレ、西住三番

これで西住家も安泰じゃ(毛利並感)


 名月が出ている。

 凛とした月光は、夜の沈黙をより強調するかの様に、さめざめとした光を庭園に射し込んでいた。

 これを眺める二人の男女が居って、炬燵を囲い、酒を酌み交わしている。言葉は無い。ひらすら無言で、ひらすら杯を傾けている。お互いに視線を交わす事すらせず、相手の盃が空くと見るや、熱いのを注いでやる。すると、注がれた方は一息に飲み干す。

 やり取りといえば、それだけだった。二人にとってはそれだけで十分だから、それだけだった。

 

 さても今年の冬は、一等冷え込んだ。

 寒さに馴染まぬ火の国の者共は、戸口どころか唇まで閉ざして、酷寒が過ぎ去るのをじいっと待ち侘びた。どうやら時計にまで霜が張ったらしい──無闇に遅い針に恨み言を繰りながらも、ひたすら辛抱した。

 人の体内時計が冷えていようが温まっていようが、本当のところ、自分の調子を一切乱さないのが時間というものだ。どれだけ永く感じようとも、刻一刻と時が進むのは理である。

 窓硝子を通す陽光に、これまでと違った温かみを薄ら感じて、もぞもぞ炬燵から顔を出してみる。おや、もう春だろうか。草花の萌える甘い匂いを夢見て、すわ関門を開いてみると、八寒地獄が待ち構えている。

 あなや抜かった、尚且つ世間は冬将軍が天下也、と首を引っ込めるのはスッポンの有様であった。

 

 時ならば、その頃である。

 久方ぶりの夫婦水入らずだった。この男女二人の上が西住といって、下はそれぞれ、しほと常夫といった。夫婦である。夫婦には子が二人居る。歳がそれぞれ一と零、名をまほとみほといった。「健やか」を形にしたかの様な娘達だ。親として、それ以外子に望むべくは何も無い。

 

 伴侶に恵まれ、子に恵まれた夫婦であった。従って、要らぬ弁舌をしなかった。杯がかように早いのは、照れがあるからだ。

 各々が多忙なる身である。こうして腰を据えて面と向かう機会はごく稀だ。夫婦が恋人と呼ばれた時分より、ずっと少ない。

 しかし今さら限られた時間を惜しむ様な関係でも無い。お互いがお互いに愛しいのは、この世の誰より知っている。

 だから、照れるばかりなのだ──既に二人の子持ちであるというのに、しようのない夫婦だった。

 

 常夫は不意の帰宅だった。先方の不手際で、事の他時間が空いてしまったのだ──という言い分を、しほは玄関先で直に聞いた。

 それなら一報をなさい。と叱りつけても、細かいからこそ労力を割かない性格のこやつには無益だろうと、はにかみ顔の夫を見て妻は思った。

 しほは露骨に不機嫌な顔をした。何せ心構えというものが出来ていないのだ。急の来訪というのは、何というか、困る──この場合の彼女の不機嫌面は、嫌悪感ではなく、むしろ真逆の感情に拠った。その事実を知るのは西住家中には少ない。

 

 全く、本当に、この人は。

 妻の方が、上げて干した盃を音高に置いた。乾いた盃をじっと見つめてから、彼女の鉄面皮は初めて夫を向いた。

 

「酔いました」

 

 それだけの言葉が出るのに、幾本の銚子を要しただろうか。ただ月光に照らされた頬が、幽かに上気している。

 夫が、ふっと炬燵の中で腕を伸ばすと、やはり妻も伸ばしていて、その指先に触れた。

 笑いかけると、妻は目を逸らした。不機嫌そうな赤ら顔だった。そして、あの頬の赤らみが、酩酊のせいばかりではないと知れる程には、西住常夫は愛妻家であった──

 

 

 ◆

 

 

 はて西住夫婦とは何ぞや。

 

西住夫婦:甲斐性の塊。三年連続で子を作って、戦車道界と社会問題に貢献した凄く偉い人たち。おしどり夫婦に見えたり見えなかったりする。

 

西住しほ:甲斐性の塊その一。出来人を三年続けて産んだ世のママの憧れ。その事で褒められるのは満更な様子。夫の前だと不機嫌面をしたり酒を飲んだりする。

 

西住常夫:甲斐性の塊その二。出来人を三年続けて仕込んだ世のパパの憧れ。その事で褒められるのが満更でない様子。妻の前に突然現れては喜ばせている入婿の鑑。

 

 

 ◆

 

 

 かの西住に三柱あり。

 

 

 ◆

 

 

 キューポラから頭を出してみると、遠く砲声が轟いた。

 このなだらかに連なる丘陵の麓より更に離れた地点、およそ此方とは関わり合いのない地点で、砂塵と硝煙が巻き上がっている。

 通信回線には、にわかに血気が走った。これを察するに、練りに練られた作戦が見事に当たり、味方主力が完璧な会敵を果たしたと見て良いだろう。

 彼我とでは間に背の低い林を挟み、実際の光景として窺えはしないが、それは敵とて同じ事である。恐らく敵は、我らの存在にすら気付いていないであろう。

 なるほど理想的な『後詰』と言うわけだ。

 

 だからこそ、逸見エリカは爪を噛む。

 

 愛車であるティーガーⅡが、今にも暴走して全速前進して行きそうなのを必死で押さえ付けている──エリカは正にその心中にあった。

 友軍が攻勢へと転じた、今なればこそ余勢を駆りて丘陵を下り、状況をより決定的にすべきである。これぞ王道を進む者の決断だと、銀髪の少女には確信があった。

 しかし、確信を実行に移すための命令権を彼女は保有していない。その限り、此処で歯噛みして辛抱する他ないのだ。

 唯一それを有するは──と、エリカは真横を見やり、同時に言った。

 

「絶好の好機だわ、前進するべきよ」

「へえ、何のために」

 

 全くのんきで、それで少し生意気に、隣に並ぶ一年生(こうはい)は即答した。返答が敬語で無かったので、エリカは鼻白んでから、重ねて推した。

 

「どう考えてもその局面でしょうが。この一押しが最後の一押しになるのは間違いない。それともこのまま、指咥えて見てるとでも言うの?」

 

 発言に酷い棘が出たな、とエリカは自覚したが、眼光が声色以上に鋭利だったため心配は全く無意義なものに終わった。最も、受け手は小揺るぎもしなかったが。

 

「今から行ったとして、仕事が残っているとは限らないよ。あの二人(・・・・)の術中にド嵌りして長く持つとは思えない」

「それじゃ余りに……」

「余りに?」

「……消極的でしょ」

 

 激しい眼光とは裏腹に、先輩が随分と時間をかけて言葉を選んだ風だったので、後輩は闊達に笑った。

 

「逸見先輩、私は恥を知っているよ」

 

 敢えて言葉の裏の部分にまで応えてから、後輩は続けた。

 

「今の所は圧倒的優勢だ。このまま余力を残して勝てるのなら越した事はないし、戦車道の王者として面目も施せる。逸見先輩、そうじゃないかな」

 

 この理屈が己の筋道に通るか通らないかを考えて、やはり通す訳には参らなかった逸見エリカである。やり返す言葉を探しているうちに、しかし、後輩は顔を正面に戻してしまっていた。

 一方的に論じる気を無くしたらしい横顔を、エリカは睨み付けた。視線に気が付かない訳でもあるまいに、飄々とした半面である。

 

 常ならば、これでもかと反骨精神を掻き立てられるエリカだったが、しかし、この相手に限っては何故だか「馬鹿馬鹿しい」という気持ちが優った。結果として、大概容赦してしまう──竹を割った様な独特の雰囲気というのか性格というのか、どうあれ、そういう後輩なのだった。

 

 それにしても横顔は本当に似ているな──取り留めを無くした視線で、エリカはぼんやりと思った。

 短めに切りそろえた頭だが、局所的に両耳へと垂れかかる髪束は、三姉妹で揃いの格好だ。違いと言えば色合いが深い黒である事と、その方面に無精と知れる、処々の跳ね返り位だった。

 その頭髪の中にある眉目、これがまた似通っている。二人の姉の、ちょうど中間位の目の開きで、鼻の高さは同じ位。特に今の様に、何の表情も浮かべていない時などは、一瞬判別に悩んでしまう。

 ただし、一度表情筋が稼働するとなると、その動作の溌剌たるや……上の二人と断然違うので、受ける印象まで似た風には決してならないのだった。

 

 ついと、彼女の下半身を埋める乗り物に視点を下げてみる。想像と寸分違わぬ巨体がそこに鎮座していた。大きく、強く、そしてとろい(・・・)。独戦車の灰汁を煮詰めた様な戦車──固有名で呼ぶならば『Ⅶ号戦車レーヴェ』。

 現実に有ったんだか無かったんだか、どちらかと言えば無かった──と陰口される程度の代物で、愛用する物好きをエリカは一人しか知らない。

 

 そのたった一人の愛車は、灰に染め上げられていた。

 

 市街地であるならば迷彩効果を発揮しそうなものだが、此処、野戦領域では殆ど意味が無い。もっとも、それは迷彩効果を期待すればという話であって、この場合別の意味を狙っていた。

 灰色のレーヴェ、その前方に陣する戦車横隊──全車輌は灰で備えられていた。

 

灰色鉄騎兵(グラウ・キュラシェーア)

 

 全灰色の部隊は、ヤークトティーガー、エレファントなどの駆逐戦車、それも頭に重の付く車輌で編成されていた。

 それらが真一文字に横列を組む光景は、まるで一分の隙もない鉄壁と見える。明らかに防御に偏重した組立は、黒森峰戦車道において、ある役割を帯びる故であった──即ち『最終防衛線』という。

 鉄壁の一枚内側に入るレーヴェには、正に試合の要となるフラッグが高く刺さり、悠々と微風に流されている。あの旗が倒される瞬間を、未だ誰も見た事がない。

 防御戦闘術。

 西住流の末子は、とかくそれに長けた。

 

『──こちら隊長車、応答せよ』

 

 矢次に騒がしい通信無線の中にあって、それでも聞き間違えようがない、ぴんとした声があった。隊員らは不意に、頭と足を掴まれて伸ばされる気持ちがした。

 黒森峰総指揮官にして、全黒色の最大突破力《黒色槍騎兵(シュバルツ・ランツィラー)》率いる、西住まほの一声である。

 なんだ姉貴か──とでも言いたげなぞんざいさで《灰色鉄騎兵》部隊長は、咽喉マイクまで指を運ぶ。

 

『応答せよ。こちら隊長車、サン、応答せよ』

「聞こえてるよ隊長、状況はどう」

『少し、いや大いに(まず)い』

「おんや、なにごと」

 

 適当だが適当な言葉で聞き返すと、新たな周波が飛び込んできた。

 

『ごめんサンちゃん、敵フラッグ車を取り零しました! そっちに向かってます!』

 

 下の姉貴が、あからさまに焦った調子で、だがいまいち深刻さに欠ける柔らかい声質で言った。

 黒森峰副隊長、及び陽動遊撃統括《褐色驃騎兵(ブラウン・ハサー)》指揮官、西住みほである。

 

『包囲作戦は成功したが、フラッグ車含む一部を逃がした。此方での殲滅は間に合いそうにない。悪いが其方で対応してくれ』

『終わり次第追撃します、それまでは、サンちゃん、そちらで』

 

 西住の姉二人はほぼ同時に『通信終わり!』と告げて、回線を閉じた。二人共、最終盤における不慮の事態に、大きな危機感を抱いているらしい(・・・)

 一人の妹は喉から指を離すと、エンジン音に掻き消される程度で舌を打った。

 

「要らぬ気遣い」

 

 向かって来るは、こちら後詰の位置も知らぬ、それもフラッグ車を含んだ、程々に消耗した敵──限りなく完全な作戦が、絶妙のタイミングで、理想の人材によって実行されたはずだ。これが果たして戦場の『摩擦』と呼べるものか。

 

「拙い事になったわねっ」

 

 ぶっきらぼう此の方だった逸見エリカが、必要以上に大きな声で報告した。辛うじて口元は緩んでいないが、目の輝きが明々白々だ。

 目の前に肉塊を放られたシェパード犬がこんな表情をするのだろう──と横目に眺めた方は少々辛辣な感想を抱いた。

 

「けれど二部隊の手が塞がっている以上、こちらで対応せざるを得ない」

「そうだね」

「相手はこちらの位置を知らない、なにふりかまわずの遁走だわ。もはや主導権は完全に此方にある。先んじて散々に踏み潰してやりましょう」

 

 部隊指揮者は黙り込んだ。

 先輩の言は正しかろう。そうしたのならば、まず試合は落着する。『フラッグ車を仕留めたフラッグ車』として持ち上げられるかもしれない。もしかすると、天才との評価を欲しいままにする姉二人と対等に列せられるやも。

 名声? 要るか、そんなもん。

 

戦車後退(パンツァー・ヒンター)! 我々は既に勝っている、前進の要無し。繰り返す、我々は既に勝っている! 命令す、ワレ、西住三番!!」

 

 指揮者としての決心と、個人的な反抗心が混じった表情で、西住家末妹『西住三番』は溌剌と命じた。《灰色鉄騎兵》は別段驚いた様子も無い。横隊を寸分乱さず、速やかに微速後退を始めた。

 

「ちょ、な……」

 

 取り残されかかったティーガーⅡが慌てて後退を始める。一時身を沈めて、操縦手にレーヴェの横に付ける様に怒鳴ってから、エリカは再び半身を外に出した。

 口惜しさが余り奥歯が軋る。これが王者の戦いと、西住流と呼べるものか。今度ばかりは勘弁ならぬ。

 

「こんなもの西住流とは呼べないわ!」

 

 急速沸騰したエリカが、そう喧嘩の口火を切ろうとして、怯んだ。後退しながらも、ただ黙して前方を臨む部隊指揮者の視線に気が付いたのだ。

 ああ、この目(・・・)だ。

 三者三様極まる姉妹が、ただ迫る敵を前にした時だけ浮かべる、同じ目の色。その奥に宿る鋼の意志。其れ、即ち──

 

「敵見ゆ」

 

 エリカの思考に被さる様に《灰色鉄騎兵》次席指揮官、ヤークトティーガー車長が、双眼鏡から両眼を離しつつ報告した。

 低く落ち着いた声である。それを聞いた部隊に緊張が走った様子もない。伊達に黒森峰最精鋭の集う部隊ではないようだった。

 三番は、がむしゃらに迫り来る敵集団を自らで目視しつつ「よろしいね」とだけ応じた。下すべき全ての命令は既に下している。

 

 やがて有効射程に接すると、敵の激しい砲撃が始まった。しかし、行進間射撃である。激しく撃つ割には滅多に命中しない。稀に当たったとしても、何の狙いも無い偶発である。装甲厚いドイツ戦車に響いた様子は微塵も無かった。

 一方味方の応射は最小限に止められた。弾の無駄であると一同知っていたからだ。結果として《灰色鉄騎兵》は敵の突撃を実に柔らかく受け止める形となった。

 何の進展の無いまま、会戦はずるずると長引き、敵の決死の突撃陣形にはいよいよ乱れが生じてきた──西住三番は潮目を見逃さない。

 

「全車反転、一斉射」

 

 寸分秩序乱れぬ重駆逐戦車、灰色の壁が、一挙に火を噴いた。敵方の特に抜きん出て駆けていた一輛と、巻き添えの一輛が戦闘不能に陥った。

 元より統率を乱した敵は瞬く間に壊乱状態と化す。進むも退くも決断できないうちに、左右後方からは《黒色》と《褐色》が現れた。

 西住まほ、みほの両名が、手元に残ったものを殲滅し尽くして追撃をかけてきたのである。

 三方向からの同時攻撃を受けた敵は、フラッグ車を含め、文字通りすり潰された(・・・・・・)

 世間的には、この度も雌雄を決したのは、まほ・みほ両名の追撃という事になるだろうか。

 

「姉さんたちは流石だね、強い、強い」

 

 闊達な笑顔で喜ぶ三番を眺めて、エリカは微妙な気持ちに囚われていた。

 初めは、半ば無理矢理に後輩の下に付けられて、不平も不満もたらたらであった──しかし、エリカは戦車の道を知っている。

 

 部隊損耗ゼロ(・・・・・・)

 

 果敢に一番槍を務めた、華麗な戦術を駆使し勝敗を決した、等というものより、それが如何に異様な事実か。

 試合開始から隠れ続けていたのならまだしも、この終盤に差し掛かるまでは矢面に立ち続けていたのである。

 

 そして、微速後退から最後の三方向包囲殲滅──何と惚れ惚れする様な采配であったか!

 起死回生の希望をチラつかせながら、決して無理攻めはせず、かといって離さず、攻勢限界に達したと見るや即座に反転し、狼狽えたと同時に囲んでしまう。

 フラッグ車の振る舞いとして、およそ完璧だ。黒森峰の勝利を導いたのは、間違いなく彼女なのだ。

 知見を経た熟練(じょうきゅう)生が、こぞって《灰色鉄騎兵》入隊を希望するのは、この辺りに理由があるのだろう。

 

 西住三姉妹の要とも言える西住三番──しかし、世の評価はそうと限らなかった。

 もっぱら世間で喜ばれるのは視覚的に衝撃のある『突撃』と『奇襲』であり、その役割を担う《黒色槍騎兵》と《褐色驃騎兵》であり、即ちまほとみほであった。

 実を言うと今日という日まで、エリカも世間寄りであったのだ。

 

「お前はサンに見習う点が多いだろうから、勉強してくるといい」

 

 と、西住まほ隊長の言葉がエリカの脳裏に思い出された。《黒色槍騎兵》を体良く放逐されたと絶望したものだが、今なら隊長の考えが理解出来る。

 彼女の得物とする戦いとは、高い統率力と、冷徹な眼力と、何より徹底的な無私(・・)が必要な戦術であるのだ。

 この中の何一つとして、エリカに備わってはいないものだった。

 

「──即ち、西住流に後退なし」

 

 エリカは、あの時の三番の視線を想起して呟いた。前進に至るための後退、戦車にはかの様な道もあったのだ。

 三番は不審そうに首を傾げ、唐突に我が家の家訓を口に出した先輩をぱちくりと眺めてから、

 

「最終的にはね」

 

 と控えめに自己流を付け足したのだった。

 

 

 ◆

 

 

『西住三番』というのは、言わずもがな、本名でない。本名でないが、紛れも無く事実(・・)である。

 

 これは三姉妹が小学生の時分、小癪な男子に上から西住一番二番三番とからかわれたのに由来する。上の二人、まほとみほは、西住姓と言って一緒くたにされるのを嫌った。

 ただでさえ家名で敬遠されがちなのに、これ以上個性が失われては堪らない。

 

 まほは、賢いもので、気に入らない呼びかけは完全に無視した。男子は、どんなに茶化してもまほが全く振り向いてくれないので、寂しくなって止めてしまう。

 

 みほは、来る日も来る日もいやいやと反発し続け、最後には泣き出してしまった。

 男子としては、可愛い女の子をぷんぷん怒らせはしたいが泣かしたくはない。気が不味いので、ぼちぼちやめてしまう。

 

 しかしながら、末っ子だけは受け取り方が違ったらしい。

「西住三番と言うのはバランスが良くって、しかも奥ゆかしい」

 と言う……何だか理屈がいまいち分からないが、気持ちの良い態度で言い放ってみせたものだった。

 以来、姉たちは名で呼ばれるのに、彼女だけが『西住三番』と渾名される事となったのである。

 

 中学高校と上がっても、呼称の更新はされなかった。古い友人が今までと同じく呼び、新しい友人もそれに倣うので、今もそれで通っているのである。呼称とは奇妙なもので「本来どうであったか」よりも「皆がどう呼んでいるか」が優先されるらしかった。

 

 期末テストの名前欄に渾名そのままを書いた事があった。この奇行には、当然ながらお叱りと苦笑いを頂戴したのだが「要するに誰だか分かれば良いのでしょう」という、屁より実体が無い理屈(と言うより駄々)を強行させて及第点をもぎ取った。

 別に彼女にしたって、先生に渾名で通すなんて痛々しい真似が本当にしたかった訳ではない。テスト中に手を挙げて「すみません、私の名前は何でしたっけ?」と聴く方が、どちらかと言えば恥ずかしかっただけだ。

 つまり、本人ですら本名のど忘れが頻発するのだから、他人では尚更だという話なのだった。

 

 

 ◆

 

 

『西住三番』だなんて安直な渾名だって? 詮無い事を言わないでよ、本名だってそう変わらないのに──本人談

 

 

 ◆

 

 

『発展型金床戦術』

 最近年の黒森峰の必勝戦術である。

 従来の金床戦術と異なる点は『金床』が絶対に破れない点。その役をあい務めるは、西住三番率いる《灰色鉄騎兵(グラウ・キュラシェーア)》。

 

 この全灰色の部隊、相対戦力において実に六倍の敵を二時間強縛り付けるという、変態的防衛偏重部隊。

 相対する敵としては、それだけの戦力と時間を《灰色鉄騎兵》に割かれれば戦線が崩壊する(しかも結局破れない)し、かといって無視すれば、あちらから進んできて轢殺される。

 

 しょうがなしに、最小限の戦力で足止めしつつ他に対処すると言っても、西住まほの《黒色槍騎兵(シュバルツ・ランツィラー)》と、西住みほの《褐色驃騎兵(ブラウン・ハサー)》は片手間で相手に出来るほど甘くない。

 みほに散々撹乱された挙句、まほに木っ端微塵に粉砕される(最悪三方包囲される)のが終着なのだ。

 

 つまり《灰色鉄騎兵》の戦術的価値とは「初めから敵に不利な状況を強いる」と定義される。

 既に黒森峰戦車道において前提条件(インフラ)と化しており、日常の有難みこそ少ないものの、欠けてしまうと死活問題。

 

 押しも押されぬ西住三姉妹。

 

 島田流の明日はどっちだ。

 




やべえよ……やべえよ……(尼子並感)


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