古明地こいしの有効範囲 (サクウマ)
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第一編 登場:フランドール・スカーレット

ほのぼのこいフラ、だと思います。初出:pixiv


「フランちゃんって、可愛いよね」

 

 こいしのそんな言葉が聞こえてきた。

 

 私は読んでいた本から顔を上げて、こいしの顔をじっと見つめて、ついでに頬を軽く抓ってみて、

 

「……はあ?」

 

 ようやく声を上げた。

 

 

 

 

 

    【フランドールは繕わない】

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ないけど、聞き間違えたかもしれないからもう一度言ってもらえる?」

 

「うん? だから、フランちゃんは可愛いなって」

 

 こいしの言葉は、注意深く聞いてもやはり先程と同じ内容だった。つまり聞き間違いではないということだ。

 

 ……はて。

 

「私が?」

 

「フランちゃんが」

 

「可愛い?」

 

「とっても」

 

「……どこが?」

 

「顔とか?」

 

 私は頭を抱えた。

 

 何故疑問形? という疑問は置いておこう。こいしは前からそういうやつだ。

 

 それより問題は内容だ。私の顔が可愛いって? そんなことこの500年少々の妖生の中で一度たりとも言われたことがないのだが。むしろ怖いだの恐ろしいだの鬼夜叉のような顔だというのが一般的な評価だ。年頃の多感な少女に向かってなんて評価だ、あんまりだ。なんて言ってみたところで仕方ないけれども。

 

 自己評価? 吸血鬼は鏡に映らないのだ、察しろ。

 

 ……確かに最近はパチェの蔵書などを漁って可愛い表情とはどうやって作ればいいのか調べ上げ、それを実践に移してはいるが。今のところ私の注いだ努力の量とは対照的に、まるで結果は出ているように感じられないが。それがようやく効果を発揮してきたのかもしれないが。

 

 ああ、なるほど、つまりようやく効果が出始めたのか。なんて私は思い至った。

 

「でも私からすれば、お姉様の顔の方がずっと可愛らしいと思うけど」

 

「レミリアさん? レミリアさんかー……」

 

 思わずぽつりと漏らしてしまった私の一言に、こいしはうーんと唸って言った。

 

「レミリアさんの顔はちょっと嫌い」

 

「嫌い」

 

「だってあれは誤魔化してる顔だもん」

 

 あのひと自身は嫌いじゃないけどね、とこいしはにこにこしながら言った。

 

 なるほど確かにそういえば、こいしは元々はサトリ妖怪だ。その時の感性が残っていたっておかしくはない。

 

 でも待てよ、と私は考えた。それなら私の頑張って作り上げた表情だって好きだとは限らないのではないか?

 

 では、それならこいしの可愛いと言ったのは、一体どういった顔だ?

 

「……こいしは、私のどんな顔を見て可愛いと思ったの?」

 

 私が恐る恐る尋ねると、こいしはえっとね、と呟いて言った。

 

「最近はあまり見せてくれないけど、あのフランちゃんが微笑んだ時のギロリと目を剥いてニィと歯を見せつけるような顔が、鬼さんみたいでとっても可愛いと思うの」

 

「待ってそれ私の知ってる可愛いと違う」

 

 私は思わず言葉を遮った。

 

 こいしの言っていることが分からないのはいつものことだけど、今日のそれはとびきりだ。

 

 地底訛りか? 旧地獄の方言では可愛いというのが怖いだか恐ろしいだか格好いいだかの意味を指すのか? いやどんな訛りだそれ。

 

「だって、その顔が一番、フランちゃんの心に正直な顔だもん」

 

 私の言葉に軽く首を傾げてから、こいしはそんな風に続けた。

 

「正直な顔?」

 

「うん。正直な顔」

 

 私は少しばかりぽかんとした。

 

「こいしは、正直な顔が可愛いって思うの?」

 

「そうよ?」

 

「……可愛い顔って、どんな顔?」

 

 私の質問に、こいしはうーんと唸った。

 

「なんていうか、ほっとする顔、みたいな?」

 

「なるほど、そういうことなのね」

 

 私はここにきてようやく納得した。つまりはいつものこいし語だ。普通の言葉のふりをした、こいしの脳内独自の語彙だ。

 

 古明地こいしは、今でこそ無意識妖怪なんて名乗ってはいるけれど、その根本は心の読めないサトリ妖怪だ。嘘を吐かれるのは、それが言葉でない表情だけのことであっても、とても不快なのだろう。加えて言えば、今は心が読めない分、より嘘の香りが苦手なのかもしれない。

 

 そうすると、こいしには少し申し訳ないことをしたな、と私はちょっぴり反省した。私がだんだんと顔を取り繕うようになったのを見て、こいしはどう思ったのか。もしかすると、心を閉ざされた、なんて感じさせてしまったかもしれない。

 

「こいし。貴女の言う可愛いって言葉は、誉め言葉として受け取ってもいいのよね?」

 

「勿論」

 

「そう」

 

 にこにことしながら即答するこいしに、少なからずほっとしながら私は続けた。

 

「なら私は、こいしの前では顔を取り繕わなくてもいいのね」

 

 

 

 

 

 こいしは少しだけぽかんとして、それからとびきりの笑顔で頷いた。

 

 

 




可愛い女の子の凶暴な表情、とっても素敵だと思いませんか? 俺は思います。


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第二編 登場:古明地さとり

勢いだけで書き上げた、変な話です。初出:東方創想話


 

 

 私には、こいしのことがよく分かりません。

 

 せめてこいしの心が読めればなあと考えたことは、両手の指を2進数にしてもまだ足りないほどです。

 

 

 

    【こいしの心は幼くて】

 

 

 

「聞いてよお姉ちゃん」

 

 こいしが久々に地霊殿に帰ってきて、その開口一番の言葉です。

 

「なんですかこいし、そんなこの間まで流行っていたギャグ動画の入りみたいなことを言って」

 

「なにそれ」

 

「知らないならそれでいいです。ちょくちょく外界に出ている妹に合わせようと外の流行りものを懸命に勉強したものの妹の文化圏を読み違えていた哀れなお姉ちゃんがここにいるというただそれだけのことですから」

 

「よく分かんないけどお姉ちゃんってノってくると早口になるよね」

 

「きもいですかそうですかそれが姉に対する態度ですかそんな娘を育てた覚えはありません」

 

「お姉ちゃん楽しそうでなによりだなって」

 

「こんなに優しい妹を持てるなんて私は果報者です」

 

 隣でお燐が笑い死にかけていますが、それは無視です。誰が手のひらドリルですかまったく。

 

「えーっとそう、それでねお姉ちゃん」

 

 こいしは大真面目な顔です。嘘です。こいしの表情なんて難しいもの、私には到底分かりません。

 

「私は無意識の海でついに真実を見つけたのです」

 

 私は紅茶で喉を潤しました。

 

「真実ですか」

 

「そう、真実」

 

「人間とお友達になるのは難しい、とかですか?」

 

「それはお姉ちゃんの性格の問題」

 

「そんな残酷な真実には気付きたくありません」

 

「耳を塞がれるのはちょっと予想外かなー」

 

 冗談はともかく。

 

「であれば、何の真実ですか?」

 

「あらゆるものの真実よ。世界や宇宙や全ての答え」

 

 ふむ、とここで私は思案しました。こいしったらまた命蓮寺みたいな変な宗教に入信させられたのでしょうか。お姉ちゃん心配です。

 

「それで、その真実とは何だったのですか」

 

 私は尋ねました。一瞬ですが、こいしの目からハイライトが消えました。

 

「42」

 

 私は今でも、その言葉の意味を考えています。

 

 

 

   ・ ・ ・

 

 

 

「えーお姉ちゃん、まだオカルト持ってないの? おっくれてるー」

 

「ああ、ついにこいしにも反抗期が……お姉ちゃん悲しいです。ぐすん」

 

「きゅうりのきゅうちゃん丸かじりーの顔で言われても困っちゃうんだけど」

 

「こいし、あなたいつからサトリ妖怪に戻ったのですか」

 

「私としてはいつの間にお姉ちゃんがサトラレ妖怪になったのかが知りたいかなー」

 

 はあと溜め息をついて私は言いました。

 

「いまさらこの眼以外の能力なんて要りませんよ。思い出に勝てる者なんてそう多くはいません」

 

「異変の時は2連敗したのに?」

 

 それを言われると厳しいのですが。

 

「それに勿体ないよお姉ちゃん。都市伝説を入れ食いなんて贅沢なことをできるのは今だけだもの」

 

「今だけ、というのはどういうことですか」

 

 私は首を傾げました。オカルトボールに使用期限なんてあるのでしょうか。

 

「もうすぐシンギュラリティーが起こるの。そうなったらもうこれまでよろしく一筋縄にはいかなくなるわ」

 

「技術特異点? どうしてここでAIの話になるのかしら」

 

「そっちじゃないよ。私が言っているのは虚構の特異点。サイエンスの情報量をフィクションの情報量が上回るの。言わば産業革命の逆再生、怪異の天下の再来よ」

 

「はあ、そうですか」

 

 時折こいしはこういうことを言います。私をからかっているのか、それとも大真面目に言っているのか。どちらにせよ、私には預かり知らぬことですが。

 

「その気のない返事は信じてないね?」

 

「逆に聞かせてほしいのですが、どこに信じられる要素があるのですか?」

 

「ならこっちも言わせてもらうけど、妹のことを信じてあげられないお姉ちゃんってどうなのかな」

 

 私は黙って両手を挙げました。降参のサインです。

 

 所詮は私とてお姉ちゃん、妹には勝てない生き物なのです。とほほ。

 

 その後、私はこいしと一日かけて相談し、最終的には「妖怪1足りない」を私のオカルトとすることを決めました。これは勢いに乗っている相手の足を軽く引っ張ってみたり、注意を軽く逸らしてあげたり、はっと冷静にしてあげたりするだけの怪異です。それだけなら大したことはありませんが、私の読心の力と組み合わせたなら恐ろしいほどに効果てきめんでしょう。なおそれをこいしに言ったところ、珍しく分かりやすく神妙な顔で「なんともお姉ちゃんらしいチョイスだね」と返されたのはよく分かりません。傍でそれを聞いて「……うわあ」などと心の中で引いていたお燐には後で罰を与えましたが、それはまた別の話です。

 

 

 

   ・ ・ ・

 

 

 

「お姉ちゃんって、私が生まれた時のことは覚えてる?」

 

「残念ながら覚えていないのです。恥ずかしいことです。私は薄情者です。ごめんなさいこいし、私はもう罪の意識に耐えられそうにもありません」

 

「お姉ちゃんの三文芝居はどうでもいいんだけど、それはともかくお姉ちゃんは覚えてなくて当然だよ。だって私は生まれた頃から無意識の妖怪だったもの」

 

「そうですね、眼を閉じる前のあなたと閉じた後のあなたは殆ど別人ですからね」

 

「そういうことじゃないから」

 

 あのね、と言ってこいしは語りだしました。

 

 

 

 

 私は鬼の宴会場で生まれたのよ。うん、変なことを言っている自覚はあるわ。でも本当のことだもの。

 

 当時のお姉ちゃんは、それはそれは恐ろしい存在だったのよ。規律の違反者を厳しく断罪し、細かいこと言うなよなんてからから笑う鬼さんたちの心を想起でずたずたにして、怨霊に少しでも怪しい動きがあれば数百回にも及ぶ死の記憶の再生で反抗心を根元からへし折っていたの。鬼よりも鬼畜な妖怪だとか、鬼神も怯える少女だとか、裏ではそんなとんでもない二つ名で呼ばれていたのよ。まったく今の穏やかなお姉ちゃんには似ても似つかないよね。

 

 そんなわけだったから、鬼の酒宴のなかでお姉ちゃんの話題が出た時には、なぜお姉ちゃんはあんなに強いのかとかなぜあんなに容赦がないのかとかが主な議題に上がっていたんだけどね。そんな折に一人の鬼さんがぽつりと言ったの。

 

 まるで、子連れの母熊だよな、って。

 

 お姉ちゃんの実態はむしろ、退屈しのぎという面がかなり強かったんだけど、鬼さんたちはその言葉に深く納得したの。なにせ地霊殿は一人で住むには無駄に広いし、それにその説は分かりやすかったものね。

 

 当時はもちろん地霊殿にはペットなんていなかったから、お姉ちゃんの守っているものってなんだろうということになった時には当然、縁者だろうという結論に達したの。それも恐らく子供じゃあないだろう、父親がいないのは少々妙だし、それに子供は手がかかりすぎる。となれば、妹あたりがいちばんありえる話だろう。そんな風にして、お姉ちゃんの守っているものはどんどん設定が膨らんでいったの。

 

 曰わく、我々が今まで気付かなかったのはそういう能力をもっているからに違いない。

 

 曰わく、姉とは違って人懐っこいに違いない。

 

 曰わく、人懐っこい娘にサトリの眼は負担が重すぎるに違いない、恐らく彼女はサトリの眼を閉ざしているのだろう。

 

 曰わく、彼女が人懐っこくて気付かれないように振る舞う能力を持つのなら、地霊殿の外を出歩いていてもおかしくないだろう。

 

 とまあ、こんな風に。

 

 それでね、それだけだったら単なる与太話で終わったはずなんだけど、面白がった鬼さんの一人が酒の注いだ杯を一つ余分に置いてみたの。その空想上のお姉ちゃんの妹がもし本当にいるならば、そいつの席も用意しておかねば困るだろう、なんて言ってね。

 

 そこに更にもう一つ。その鬼さんが暫く放っておいた杯を何の気なしに見てみると、なんだか少し減ってる気がしたんだって。まず間違いなく気のせいだったんだろうけど、あろうことかその場のみんながそれを信じちゃった。

 

 そう、「何かがいる」と認識しちゃったの。

 

 妖怪の発生は認識から。そこで鬼さんたちが私の存在を信じちゃって、私の存在を認識した、そのことによって私は生まれたの。

 

 だから、つまり私は鬼の宴会場で生まれたというわけなのよ。

 

 

 

 

 こいしは話し終えると満足したのか何処へともなく去っていきました。

 

 それを確認して、私ははあと溜め息をつきました。今度の話はどこからどこまでが本当なのでしょうか、と。

 

 こいしにこういう類の話を聞かされるのは、今回で3度目です。ちなみに1回目はこいしが友達ができないことを嘆いて自分の眼を潰した話で、2回目は自分と他人の区別のつかなくなったこいしを救うために私がこいしの眼を潰した話でした。

 

 まったく、こいしの与太話好きは困ったものです。私にはこいしの心は読めませんから、こいしの話がどこまで本当でどこからが嘘か、どれが本当なのかみんな嘘なのか、まるでさっぱり分からないのです。

 

 せめて私がこいしの生まれた時のことを覚えていたなら、或いは私がこいしの心を読めたなら。そうすれば、こんな気苦労も少しばかりは減るのですが。私はやれやれと首を振りました。

 

 

 

   ・ ・ ・

 

 

 

「ねえこいし」

 

「どうしたのお姉ちゃん」

 

「こいしは、地上や外の世界に行くのは楽しいですか」

 

「そりゃもちろん。楽しくなければ行かないって」

 

「そうですか」

 

「お姉ちゃんって、たまに変なこと訊くよねー」

 

「否定はしません。では変なことついでにもう一ついいですか」

 

「うん、いいよ」

 

「こいしは、地霊殿にいて楽しいですか」

 

「……分かってないなー。ねえお姉ちゃん、私にとって地霊殿は世界の基準点なのよ。私にはここに帰らない生活なんて想像できないわ」

 

「そうですか」

 

「そんなにあっさり返されると熱弁を振るった私の立場がないんだけど」

 

「嬉しさのあまり言葉が出なくなったのです。それくらい察してほしいものですね」

 

「……そっか」

 

「そうです」

 

「……ねえお姉ちゃん」

 

「なんですかこいし」

 

「子供ってね、好きな相手には意地悪しちゃうのよ。嘘吐いたり、からかったり」

 

「……」

 

「私も、きっと子供なのね」

 

「……そうですか」

 

 

 

   ・ ・ ・

 

 

 

 私には、こいしのことがよく分かりません。

 

 けれども時折、分からなくてもいいのではないかと、そんなことを思うのです。

 

 

 




何を考えているか曖昧なところも、こいしちゃんの魅力だと、俺は思います。


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第三編 登場:古明地さとり、火焔猫燐、フラン

初出:東方創想話


ところで、こいしちゃんの姿って、どう見えますか?

髪の色は、白髪?空色?それとも黄緑?

コードの巻き方は? 服の色は?




自分の頭の中に、イメージはちゃんと浮かびましたか?




では、それを努々忘れぬように、どうぞお気を付けください。


 

    【妖怪少女の幻影】

 

 

 

 

 このあいだ偶然さ、こいし様が出かけるところに出くわしたんだよ。そう、ほんと偶然。つってもこいし様からしたら偶然じゃないのかもしれないけどさ。あたいにそれは判断つかないよ。こいし様だし。

 

 ともかくさ、そういうわけで声かけたんだよ。こいし様、おでかけですかー? ってね。

 

「あーお燐、見て見てーほらポニーテール!」

 

 するとさ、こいし様も気付いてそんなことを言いながらまとめた髪を振って見せたんだね。そう、こいし様ったらいつの間にか髪型変えてたんだよ。

 

 あたいはちょっとびっくりしたけど、まあそういうこともあるかなって思ったし、それに実際似合ってたからね。なかなかいいですね、さとり様にはもう見せました? とまあこんな風に返したんだ。でもそしたらこいし様、「お姉ちゃんはどうせ気付いてもくれないもの」なんて言うんだよ。こいし様たら相も変わらず不思議なこと言うなあ、さとり様はあんなにしっかりこいし様のこと考えてるじゃないか。そう思ったんだけど、口に出そうとしたときには既にこいし様はいなくなっていたからね。その場ではこいし様の言葉の真意は分からずじまいだったのさ。

 

 

 

 

 そう、その場ではね。

 

 

 

 

 その後にさ、さとり様のところへ行く用があったんだよ。だからそのときついでにね、こいし様が髪型を変えて、ポニテにしてましたよ。なかなか似合っていましたよ。なんて伝えたんだ。でもさとり様、あんまし反応がなくてさ。あたいがどうしたのかと思ってたら、ふいに言ってきたんだよ。

 

 

 

 

 「お燐には、まだ、こいしが人型に見えるのですね」って。

 

 

 

 

 「羨ましいですね」って。

 

 

 

 

すごく怖かったね。ならあたいの見ていたこいし様はなんだったのかとか、もしかしてあたいもさとり様から見れば人型じゃないのかもとか、とにかく色んな考えがばーって頭の中を駆け巡ってさ。さとり様が背中を撫でて落ち着かせてくれなかったら、脳みそが焼き切れてたかもしれないよ。

 

 

 

 

え?

 

どうしてそんな話を聞かせたのかって?

 

いやさ、落ち着きはしたんだけど、でも未だにちょっぴり怖いんだね。あたいに見えているのは本物なのか、他のやつと同じものが見えているのか、ってさ。

 

 

 

 

だからさ、聞かせてほしいんだ。

 

 

 

 

ねえお空。こいし様って、どんな姿だったっけ?

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

ええ、そうです。

 

私には、こいしの姿が、どうしても人間のものとは見えないのです。

 

こいしのことですから、恐らくあれは私への意地悪なのでしょう。全くあの子も性格が悪くなったものです。私に似て、と喜んで良いものか、それとも悪いところばかり、と悲しめばいいのか。それは、いまいち悩ましいところではありますが。

 

ああいえ、昔からというわけではありませんよ。少なくとも、こいしが眼を閉ざしてから100年程の間は、あの子の姿はひとの形として私の目に映っていたのです。

 

ですが、あれはいつ頃だったでしょうか。

 

ある時、こいしが一週間ほど帰らずにいたことがありました。今でこそそのようなことは多々ありますが、当時は本当に珍しいことだったのですよ。

 

私はこいしが帰ってこないことに不安を覚えました。迷子になっているのではないかだとか、事故に遭ったのではないかとか、そういったことを一人悶々と考えていたのです。そうしてそのうちに、私は人探しの立て札を出した方がいいのではないかと、そんなことを思いついたのです。

 

幸か不幸か私は絵心というものも一応は持ち合わせていましたから、すぐに画材その他を用意してさあこいしの姿を描こうと意気込んだのですが。

ええ。これが失敗でした。

 

最初に一度、最後まで描ききってみたのですが、これがどうにも違和感がある。ならばともう一度描いてみると、むしろ更に違和感が増す。描いても描いても違和感は消えるどころか増していくのです。

 

今だから分かりますが、あれは私の認知によるものだったのでした。こいしは私の能力を受けつけない、こいしの心は私には読めない。それは形容し難い質感として私の眼には映るのですが、絵の中のこいしにはその質感が足りなかったのです。

 

しかし、それに当時の私が気付くことはありませんでした。ただただ違和感を感じながらも、そこで理由を考えることもなく、そのまま何度となく描き直していたのです。

 

気付いた時にはもう手遅れでした。私の頭はゲシュタルト崩壊の様相を呈していて、こいしの姿を思い出すことすら困難になっていました。それまでに描いたこいしの絵も、記憶とはまるで違うものに思えて、思わず私はそれを全て火にくべてしまったのです。

 

「お姉ちゃんただいま」

 

こいしが帰ってきたのは、その時でした。

 

私は振り返って、こいしの姿を目にして、その姿に違和感を持って、それが私のこいしを見ることのできた最後の瞬間でした。

 

私の視界の内のこいしは、見る間にその姿を書き換えて、形容し難い――敢えて形容するなら、蛸と蜘蛛と蛇を掛け合わせて立方根で括ったような――姿にそのかたちを書き換えたのでした。

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

まったく、お姉ちゃんは偏屈すぎていけません。私がこんなひねくれた意地悪をするようなタマだとでも思っているのでしょうか。思っているのでしょうねお姉ちゃんあの性格ですし。いやはやひどい姉もいたものです。そこも含めて好きなんですけどね。まあそれはともかく。

 

ええ、そうです。お姉ちゃんのあれは、私の能力の影響です。それについては間違いありません。しかしながら一つだけ、あれはわざとじゃないということだけは主張させてほしいのです。

 

そうです。これ、私の制御がきかないんです。

 

いやほんと、どうにも厄介で仕方ないのですが、しかしこういう類はどうすることもできないものです。昔の読心の能力に比べれば遥かにマシではあるのですが、でも面倒なことには変わりありません。

 

……まあ、しかしてそこまで困ったことは、お姉ちゃんの件以外にはないのですが。

 

まずもって件の能力というのは、「相手の想像通りに私の姿を見せる」というものとなっているわけでして。これは案外、悪い能力ではないのです。

 

例をあげれば、そうですね。まず人里で子供たちと遊ぶ時には、私の姿は端からすれば「普通の人里の女の子」に見えているわけです。一方、妖怪の私を知っているひとというのはほぼ例外なくお姉ちゃんのことも知っていますから、「古明地の妹」と名乗れば相手は勝手に私の姿を脳内補完してくれる。とまあ、皆さんはちょっとばかし言葉を並べれば概ね同じような姿かたちを想像してくれますから、ふつうは特段の問題もないわけなのです。

 

なのですが。

 

ほんと、お姉ちゃんの件に関しては暴発としか言いようがないのですよね。或いは、げに恐ろしきは疑心暗鬼、と言ったところでしょうか。

 

何があったのか未だに私は知りませんが、お姉ちゃんは私の姿にあるとき疑問を抱いたのでしょう。そうして訝しみを抱いたままに私の姿を見たのです。そうすると、私の姿は想像に依りますから、疑う分だけ姿はぼやけます。ぼやけた姿はお姉ちゃんの疑いを確信へと塗り替えて、そうして騙されていたという恐怖が、ありもしない私の実像をお姉ちゃんの脳内に生み出したのでしょう。

 

それが、自身の心の生み出した虚像であるとも知らずに。

 

……しかし面白いですよね。ひとの心を武器にするサトリ妖怪ともあろうものが、その実自分の心に苦しめられているなんて。

 

まるで寓話みたいです、と私はくすりと笑いました。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そういえばさ、フランちゃん」

 

私は、ふと疑問を抱いて訊きました。

 

「フランちゃんにはさ、私って、どんな風に見えてるの? 」

 

つまり、お姉ちゃんを写真ですら見たことのない、どころかひとを見たことすら僅かしかない、そういう相手には私はどう見えるのでしょうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいしは、こいしよ」

 

 

 

 

 

 

 

私は、フランドール・スカーレットは、部屋の片隅に転がった石ころに向かって、そう応えた。

 

 

 

 

 




「妖怪って、本当は不気味なものなんだよ」


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第四編 登場:スカーレット姉妹

一時間で書きました。初出:pixiv


 

 

    【真冬のプレゼント】

 

 

 

 

 ギコギコ、ギコギコと、鋸の音が響きます。

 

 鋸を持つのは紅魔が館のメイド長。その歯の切るは、近場に植わる常緑樹。

 

 一体何をしているのか。私は数瞬、頭に疑問符を浮かべましたが、しかしすぐに理由を察するところとなりました。

 

 時は12月末。その日はクリスマスイブが前日。つまりその木は、クリスマスツリーとなる木であったのでした。

 

 

 

「なるほど、紅魔館はクリスマスを祝うんですね」

 

「いきなり現れて一番に言うことがそれか? もっと他に言うことがあるだろうに」

 

 レミリアさんは、私の言葉にため息混じりにそう返しました。

 

「まあいい、お前がそういうやつなのは前からだ。それで、どうした古明地の。何か私に訊きたいことでもあるのか?」

 

「レミリアさんっていつからサトリ妖怪になったんですか?」

 

「お前が丁寧語のときは、決まって用事がある時だからな」

 

「よく見てらっしゃる」

 

 流石は一城の主、という風格ですよね。好き勝手生きてる私としては、流石としか言いようがありません。

 

「それで? まさかそれを訊きに来たわけじゃあないだろうに」

 

「はい。それでなんですけど、クリスマスってことはプレゼントの送り合いとかもするんですよね?」

 

「……それで?」

 

 私の言葉に、レミリアさんの顔が一瞬歪んだ気がしたんですけど、……気のせいですよね。きっとそうです。

 

「フランちゃんって、どういうプレゼントを喜ぶんでしょうか」

 

「自分で考えろ」

 

 しまったと私は口を抑えました。さっきのはどうやら気のせいではなかったようです。

 

 これは、レミリアさんのこの顔は。

 

「用はそれだけか? ならほら帰った帰った」

 

 面倒くさいと思っている時の顔でした。

 

・ ・ ・

 

「とまあ、そんなことがあったのよ」

 

「……あっそう」

 

「うわフランちゃん冷たい」

 

 と言われても、私にどうしろというのだ。私は呆れてため息をついた。そもそもクリスマスはプレゼントを送りあう祭ではないのだが。……まあ、これはこいしに言ってもどうしようもないか。

 

「それで?」

 

「それでって?」

 

「プレゼント、あるんでしょ?」

 

 私の言葉に、あーそうだったとこいしは巾着袋から小さな箱を取り出した。

 

「はいこれ」

 

「ありがと」

 

 お礼を言いながら箱を受け取る。

 

 実際、プレゼントを貰うこと自体は嬉しいのである。なにせ、こんな機会はなかなかないのだから。

 

 とはいえ。

 

「なにこれ」

 

 貰ったものに良さがあれば、だが。

 

 箱の中身は、真赤の蝙蝠の、なんというか、ださいバッジであった。

 

「なにって、バッジよ?」

 

 それは分かる。

 

「どうしてこんなださいバッジなのかって訊いてるの」

 

「あ、良かった。やっぱりださいでしょこれ」

 

 意味が分からないとばかりに首を振ると、まあまあと言いながらこいしはもう一つ箱を取り出し、中身を見せてきた。

 

 七色のクリスタルが星形に並んでいるバッジだった。

 

「後でレミリアさんに、これをプレゼントするの。いいでしょ」

 

 なるほどと私は納得した。つまりこれは、お姉様のモチーフバッジか。

 

 そうしてもう一度手元のバッジをよく見れば、なるほどなかなか愛嬌がある。

 

 なにごとも愛着、と言ったところか。

 

「……よく見てるわね」

 

「照れるー」

 

「ありがと、嬉しいわ」

 

「どういたしまして」

 

 お礼を言って、私はバッジを帽子に付けてみた。

 

「……似合わないね」

 

「知ってた」

 

 

 




目を閉じた方が見えるものも、きっとあるのでしょうね。


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第五編 登場:古明地さとり

静かな部屋で、ゆっくり読むのがいいと思います。初出:東方創想話


 

 

 

 

    【4分33秒】

 

 

 

 

 最後の書類を書き上げて、私はふうと息を吐きました。

 

 時計を見れば、もう日付も変わっていたようでした。

 

 都合4時間も、私は書類と格闘していたらしいのです。

 

 それを自覚した途端、私は心地よい疲労感に襲われ、くわ、と欠伸をしかかって。

 

 その開きかかった口を、何者かの手に塞がれたのです。

 

 いえ、何者かなど、考えるまでもありません。

 

 私に気付かれずにここまで近付き。

 

 あまつさえ、心を読まれぬままに私の口を塞ぐなんてことができるのは。

 

 私の愛しき妹、こいし以外にはありえないのです。

 

 こいしは私の口から手を離すと。

 

 今度は私の唇に、指を一本当ててきました。

 

 静かにして、と言いたいのでしょう。

 

 分かりました、と私は静かに頷きました。

 

 辺りはしんと静まり返っていました。

 

 ペットたちの鳴き声ひとつ聞こえないのです。

 

 もしやこいしはペットたちをどこかに連れて行ったのかしら。

 

 私の頭にそんな考えがよぎりましたが。

 

 すぐにそれは間違いだと分かりました。

 

 私の耳が静寂に慣れるにつれて。

 

 ペットたちの息遣いが、あちらこちらから聞こえてきたのです。

 

 ただ、その心の内までは、聞こえてくることはありませんでした。

 

 こいしの仕業でした。

 

 私のサードアイが、何者の心も映さぬように。

 

 こいしはその眼を、その手で覆っていたのでした。

 

 不思議な感覚でした。

 

 誰の心も聞こえぬ静寂を、私は久々に経験したのでした。

 

 そしてそれはその昔、まだここにただの一匹のペットすらいなかったあの頃の静寂とは。

 

 まるで、異なるものだったのでした。

 

 

 

 

 

 

 針が時を刻みました。

 

 

 

 ペットの身じろぎが聞こえました。

 

 

 

 廊下に足音が響きました。

 

 

 

 遙か旧都の辺りから、微かに騒ぎ声が届きました。

 

 

 

 

 

 

 静寂がこれほど雄弁だとは、私は今まで知りませんでした。

 

 否。

 

 もはやここにあるのは、静寂とは異なるものでした。

 

 この空間を表現する言葉を、私は持ち得ませんでした。

 

 ああ、こいしはこれを聴かせたかったのですね。

 

 私はようやく、それに思い至ったのでした。

 

 

 

 

   ・  ・  ・

 

 

 

 

 かちり、と後ろから音がしました。

 

 私には、それが何の音なのか、とんと判別がつきませんでした。

 

 ただ、この不思議な時間が終わりを迎えたということだけは、おぼろげながら察することができました。

 

 私のサードアイから、こいしの手が離れて、そのまま肩に軽い衝撃が走りました。

 

「……こいし」

 

 こいしが、私の肩に寄りかかってきたのでした。

 

「ねえお姉ちゃん、どうだった? 生命の鼓動の演奏会」

 

 こいしの言葉に、ようやく私は、あの不思議な時間を表す言葉を知りました。

 

「ええ、素敵な時間でした」

 

「とっても?」

 

「もちろん」

 

「そっか」

 

 良かった、とこいしは小さく呟きました。

 

 私の世界にはあっという間に、いつもの喧騒が戻ってきました。

 

 ペットたちの鳴き声があちこちから上がり、かれらの様々な心情が私のサードアイに映し出され、ついでに私は思い出したように、くわと欠伸が漏れました。

 

「私はそろそろ寝ることにします。お休みなさい、こいし」

 

「うん、おやすみ」

 

 私はそれに、言葉にし難い安堵の念を感じていました。

 

 しかしその一方で、近いうちに私がまた、あの不思議な演奏会を恋しく思うであろうことも、何となくですが察していたのでした。

 

 

 

 

   ・  ・  ・

 

 

 

 

 お姉ちゃんと、2人で奏でた、4分33秒。

 

 それを録音したカセットテープは、こいしちゃんの宝物です。

 

 

 




実験芸術とこいしちゃんは、とても親和性が高いと、そう俺は思います。


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第六編 登場:封獣ぬえ、聖白蓮、ほか命蓮寺組

ちょっぴり長めのお話です。
時間表記については後書き欄にまとめてあります


「そういえば聖さん、昨晩は油舐め妖怪が出たんでしたよね」

 

 あの後は、大丈夫でしたか? と。

 

 こいしが唐突にそんなことを言うものだから、私は思わず咽せてしまった。

 

 

 

    【正体不明「油舐め」】

 

 

 

 古明地こいしが定期的にここ、命蓮寺を訪れるようになってからしばし。私や一輪やムラサあたりはこの間まで地底住まいで一応こいつとは面識があるし、聖も妙に気に入っている。だからこいしはあっという間にここに馴染んで、時折なんかは布教活動も手伝うぐらい。でもその割には帰依していたりするわけでもなくて、肉も食べるし酒も呑む。寺としてはかなりのイレギュラーだけど、まあイレギュラーなりにしっかり馴染んでる、というのがここ最近の話。

 

 そういうわけで、今朝に起きたら当然の顔してこいしが来てて、端の空き部屋から顔を出しつつ手を振ってても、まあよくも悪くもいつものことで。星は慣れた手つきで予備のお皿を一枚出して、皆で揃って朝餉をしていたわけだけど。

 

 からの、これだ。

 

 勿論私だって油舐め妖怪ぐらいは知ってるけど、それが家で言われるか、或いは寺で言われるかでは少々意味合いが異なってくる。

 

 要するに、寺における油舐め妖怪というのは、言うなれば一種の隠語なわけで。

 

 寺の僧とて所詮は人間、欲望にはすぐ負けるもの。肉が恋しくなることなどはざらにある。でもだからといって買いに走るのは難しく、狩りをするのも非効率。そもそもすぐに欲しいのだからその場にあるもので錯誤する。その結果たどり着くのが、灯りの油を舐めること、というわけ。

 

 されどこれとて障害は多い。口を閉ざせば油の減りが理に合わず、正直に告げれば戒律破り。故にこういう辻褄は、妖怪のせいと転嫁される。元々が、そうして生まれたのが油舐め妖怪なんだけど。

 

 そうなると、つまるところ、こいしは聖の戒律破りを暴露したわけで。

 

「……うっそだあ」

 

 私がそんな声を漏らしたのも、仕方ないことだと思う。

 

 なにせ、あの聖だ。戒律を恐ろしいまでに愚直に守り、一輪が隠れて酒を呑めば拳を脳天に叩きつけ、ムラサがこそこそと肉を食えばバイクを唸らせ引きずり回し、私がついつい悪戯すれば一時半は説教を続ける、あの聖だ。有り得ないでしょ、とマミゾウと顔を見合わせて、それからはたと皆の様子を見回すと、最初に口を開いたのはまさかの星で。

 

「あらら、それは大変でしたね」

 

 いや、お前の頭の方が大変なんじゃないの?

 

 まあ無理もない。うちの御本尊さまは有能だけど、なにせ常識に疎いのだ。私たちが地上に出てきた時なんて、夜盗の演技に騙されてまんまと宝塔を奪われていたぐらいだから、まあ相当なものなわけ。そんな星なら、まあ知らなくてもおかしくない。

 

「うわー大変ですね! 聖姐さんのところにそんなんが出たんなら、私のとことかムラサのとことかにも出るかもですね!! あーいやだなー困っちゃうなー!!」

 

 一拍置いてそんなオーバーリアクションを見せたのは、一輪。あれはまず分かって言ってると見ていいかな。

 

 一輪の言いたいことは、こう。「自分がやっておいて、人がやったら叱るなんてことはないですよね?」

 

 いやはや、なんというか、一輪らしい。流石に血眼で戒律の抜け穴探してるだけはある。分かるよ。美味しいもんね、お酒。

 

「困っちゃうなー!!」

 

 そしてそいつをリピートするのが、ムラサ、ではなく響子。こいつは絶対分かってないね。「ところで油舐めってなんですか?」って顔してるし。一輪の言葉に呼応したのは、山彦の習性がつい出ちゃったんだろう。

 

 ムラサの方は、黙ったままに困った顔して笑ってる。一輪に乗っていいものか、ちょっと逡巡してるみたい。ああは見えてもムラサって基本的には慎重だしね。そういう意味では納得の判断。

 

 そして聖は、ちょっと顔が強ばってる。反応を見るに、こいしの言ったのは本当みたい。いやはやびっくり、まさか本当にあの聖が、ねえ。やっぱり所詮は人間ということなのかな。

 

 でもやっぱり流石は聖というか、すぐ我に帰ると表情を取り繕って。

 

「ええ、あの後は大丈夫でしたよ。どうにか説き伏せて去って頂きました。ですが、いつまた現れるかも分かりませんからね、皆さんもくれぐれも気をつけてください」

 

 うん、模範解答。話を合わせて、あの後はやっていないことを暗に伝えつつ、やりすぎたら怒りますよと警告してる。随一とまでは言えないけれど、流石に住職やってるだけはあるよ。

 

 ちなみにこの直後、ある意味予想通りに響子が「ところで油舐め妖怪ってなんですか?」と言い始めたので、それでこの話は有耶無耶になった。私だけは食後にこいしに声をかけて本当なのかと尋ねたけど、こいしは「しばらくすればぬえちゃんにも分かるよ」とにこにこするだけで、私にはさっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 

 こいしが聖の秘密を暴露した、とは言え。

 

命蓮寺というのは、そんな程度でなにか変わるほどやわじゃない。実際、その日は何もない、呆れるほどにいつも通りの一日だった。こいしはいつの間にかいなくなっていたけれど、まあこいしは元々そういうやつだ。

 

 次の日も特にはなにもなかった。前の日に油舐め妖怪のおどろおどろしい与太話を聞かされた響子が一人で寝れずに星に添い寝してもらったり、一輪が「昨日は私のところに来ましたよあの油舐め妖怪! まあ気付いた時に拳骨落としてやったらすぐ消えましたけどねガッハッハ!!」などとほざいてたりしていたけど、まあそのあたりは誤差の範囲で。

 

 更に次の日も、なにもなかった。ムラサが「油舐め妖怪、私のところにも来ましたよ。あいつの服って水を弾くんですね。面白いなあ」なんて言うので、一輪にしろよくもそんな与太話が臆面もなくできるなあなんて私は感心したんだけど、でもそのくらいの驚きなんて日常にでも溢れてる。だからあくまで、いつも通り。

 

 妙なことになったのはその次の日、こいしの暴露から三日目の朝のことで。

 

「ねえぬえ、あんた昨日の夜は何してた?」

 

 朝食の前、物陰に隠れて、一輪が私に尋ねてきたわけ。

 

「何って言われても、ねえ」

 

 私は昨日は、マミゾウと飲みに行っていた。確か夜雀亭とかいう名の屋台で、酒もつまみもなかなかの味。勿論マミゾウは化けているし私も種を使っているから見られてしまっても問題ない。こうやって保険をかけておくのが、一輪たちとは違うところなんだけど。

 

「あーやっぱりいいわ。その反応でだいたい分かった」

 

「なにその癪にさわる言い方」

 

「気付いてないなら言うけどね、あんた隠し事下手なのよ。私は別に構わないんだけど、正体不明としてそれはどうなの」

 

 痛いところを突かれてしまった。確かに私は隠し事の下手なところがある。だから悪戯をするときだって仕掛けでほとんど済ませちゃうし、聖に問いただされた時にはすぐ正直に白状しちゃう。まあ、そこまで深刻に困ってはないから、いいんだけど。

 

 それよりも、と私は一輪に問いただした。

 

「それはどうでもいいからさ、教えてよ。なにかあったわけ?」

 

「まあ、そうね。ぬえの仕業じゃないって分かったわけだし、言っちゃったって問題ないか」

 

 途端、一輪の顔が深刻さを帯びて。

 

「油舐め妖怪が出たのよ。比喩じゃなくて、ほんとに」

 

「へえ?」

 

「いやはや話には聞いていても、いざ遭遇するとびびるわね。一発殴ったらどっか行ったけど、おかげであんまし寝れなかったし」

 

 一輪はそう言って、やれやれというように首を振った。

 

 一輪はどうにも、驚かされるのにほとほと弱い。地底時代にはこいし以外にも、釣瓶落としとかその他諸々の驚かしてくる妖怪達と会っていたし、そろそろ耐性つく頃じゃないかと私なんかは思うけど、一輪としてはどうにもそうじゃないらしい。胆力は随分あるのにね。元人間はこれだからよく分からない。まあ元から妖怪だったとしても分からないやつは分からないけど。

 

 でもまあそれは重要じゃない。問題なのは、油舐め妖怪が本当にいるらしいということ。こうなってくると、こいしの言葉が俄然意味を持ち始めるわけで。

 

「……これは、こいしに連絡取るのがいいかもね」

 

 私は一言呟いて、それはそれとて朝餉に向かった。

 

 

 

 

 朝餉を終えて、一息ついて、さあこいしを呼ぼうとなって。私は押し入れから、紫色の黒電話を取り出した。

 

 電話線はない。接続するような穴もない。何故かといえば、必要ないから。

 

 番号を打たずに、そのまま受話器に手をかける。じりりりり、と呼び鈴が響き、続いてぴっと電子音が鳴った。

 

「もしもし、私こいしちゃん。今こころちゃんと遊んでいるの」

 

「やほ」

 

「あ、やほーぬえちゃん」

 

 この電話は、私がこいしから貰ったもので、いつでもこいしに連絡できる道具らしい。曰わく、メリーさんのオカルトを応用させてできたものだとか。なにしろこいしは風来坊だから、どこにいるかなど分かりやしない。だからこいしは友人知人みなにこれを渡しているというわけで。

 

「いやちょっとさ。こないだの油舐めの話について、詳しく聞かせて欲しいなって」

 

「……あーそっか、今日で三日目だったっけ」

 

 私の言葉にこいしはしばし、考え込むように黙りこくって。

 

「おっけーちょっと四半刻待って。このゲーム終わらせちゃってすぐ向かうから」

 

 続いて何事もないように、軽い調子で言葉を紡いだ。

 

「なんのゲームしてんのさ」

 

「人生ゲーム。今こころちゃんが旧地獄行きになったところよ」

 

 どんな人生ゲームだそれ。

 

「そんなにすぐに終われるわけ?」

 

「大丈夫よ。もし間に合わなければ木の下に埋めてもらっても構わないわ」

 

「はいはい、じゃあ折り返し電話待ってるよ」

 

 がちゃり、と受話器を置く。ああは言ったけど、あれでこいしも地底の住人だ。鬼と同様に約束を違えることを厭うし、遅れることはないと思う。

 

 ……ちなみに、こころの家、つまり神霊廟からここまでは相当に距離が離れていて、少なく見ても一刻はかかる。人里というのも、そのくらいには広いわけで。

 

 であれば、こいしは何故、四半刻で着くなどと言ったのか。それも簡単、こいしの能力があれば可能だという、それだけのこと。

 

 じりりりりん、と黒電話が絶叫した。

 

 私が受話器を手にした途端、辺りの空気が凍りつく。慣れ親しんだ感覚――怪異の前兆だ。

 

 

 

 

――私、メリーさん――

 

 

 

 

 そのまま受話器を耳に当てると、酷く無機質な声がそう告げる。

 

 種を知り、更に恐怖を糧とする私ですらも、背筋が冷えるほどの不気味な声。薫子とやらは、初めて幻想郷を訪れたときにこいしと出逢ったらしいけど、それはいくら私でも、流石に同情を禁じ得ない。

 

 

 

 

――今、あなたの――

 

 

 

 

 声がぶれる。受話器から聞こえてきたはずの声が、辺りで反響し干渉し、発生源を曖昧にする。

 

 

 

 

――後ろにいるの――

 

 

 

 

 そして、最後の言葉は、明らかに後ろから聞こえてきた。

 

 

 

「お邪魔しまーす」

 

「はいはい」

 

 振り返ると、こいしがいた。

 

 認知に準拠する妖怪の性質と、認知を改変するこいしの能力、それに定点移動を行う「メリーさんの電話」という怪異の性質。それらを組み合わせるなんて高度なことをして、結局やるのがワープ移動というところは、なんというか、こいしらしい。

 

「じゃあまあ、ちゃっちゃと準備をしちゃおっか」

 

「いや、なんの?」

 

 私は訊きたいことがあると言っただけで、何ひとつ内容には触れてないんだけど。

 

 そんな疑問符を言外に含んだ私の言葉に、こいしはにこりと笑って応えた。

 

「もちろん、妖怪退治のよ」

 

 

 

 

 日が暮れて、皆が寝静まった頃。

 

 私はこいしの後に続いて、端の空き部屋に向かっていた。

 

 こういうとき、こいしの能力は便利だとつくづく思う。ひとを起こすこともないし、相手に感づかれることもない。

 

「聖さんのところに油舐めが出たのはほんとのことよ。けれどもね、聖さんの説得で姿を消したのは勘違い。あれに聖さんの言葉を解する意識なんてなかったもの。実際のところ、それは私がやったのよ。私はそのとき聖さんとそもさんせっぱしてたのだけど、続けるにはあれが邪魔だったのよ。だから本能をちょっと弄って、一旦退席してもらったの」

 

 こいしはあの日の裏事情を、そういった風に語っていった。

 

「すると、聖には悪いことをしたな。戒律破りなんていう、全くの濡れ衣を着せちゃった」

 

「そうね、悪いことをしちゃったわ。そうなることを分かったままに、私はそう言ったんだもの」

 

「へえ?」

 

「そしてあわよくば、噂話をすり替えたままに油舐め妖を消そうとしたの。聖さんは殺生を嫌うけど、あれは消滅させないとただ厄介なだけだから。でも直接手を下すのは流石にどうかなって思うから、だから自然にそうなるよう仕向けたのだけど」

 

「でも、そうはならなかったわけね」

 

「ええ。一輪さんの戒律破りに聖さんが気付いてくれて、それで説教をしてくれてたら良かったのだけど。やっぱり駄目ね。知慮謀略はお姉ちゃんの専門、私にはちょっと荷が重いわ」

 

「じゃあ、こいしの専門は?」

 

 私の質問に、こいしは振り返り笑って応えた。

 

「古今東西、妹の仕事なんて決まっているものよ。姉をむむむと困らせることと、姉を裏から支えること。つまり、悪いことと、お膳立てよ」

 

「……なるほどね」

 

 私は納得して頷いた。どちらもこいしの得意なことだ。

 

「さ、ぬえちゃんの準備はできた? 今日の主役はぬえちゃんなのよ。しっかりやってくださいな」

 

「分かってるって」

 

 私はこいしと笑いあって、それから部屋の戸を開けた。

 

 

 

 

 油舐め妖怪は、坊主の姿を象っていた。しかしながらも、その頭こそ人間らしいが、その胴体は猫のそれだった。要するに、人面猫。それが舌を三尺ほども伸ばして、缶の油を舐めとっている。なるほどこれは一輪でなくとも、枕元にいたらびびるわな。

 

 対して私も、鵺の姿を象る。顔は猿または猫か牛。胴は狸で鶏で虎。手足は狸であり虎でもあり、尻尾は狐と蛇と成る。

 

 まったくもって支離滅裂、けれどもそれこそが私の本質。未知の権化であり、混沌の体現であり、正体不明の存在。それこそが鵺妖怪の原点というわけ。

 

 そしてこの支離滅裂さこそが、今回の話の鍵となる。ここまで多くの姿があれば、今更猫の四肢や胴などが加わることとて問題はない。

 

 そもそもの話、鵺妖怪のそのものが、妖獣を食らって我が力とした存在なれば。

 

 こんな小物妖怪の一匹など、食らえぬ方がおかしいというもの。

 

 勝負は一瞬。抵抗する間も与えぬままに、猿の口が、猫の口が、牛の口が、油舐めをくわえ込み嚥下する。

 

 妖怪食らい。弱い妖怪が力を得るための手段にして、人が妖となる術にして、対象をこの世から抹消する手法。

 

 これで命蓮寺を困らせる小妖怪はいなくなった、とはいえ物語はまだ残っている。物語あるところ妖怪あり、語られる限り油舐め妖怪は復活し得る。

 

 だからこその、後始末。物語を書き換えて、主役の席を置き換える。聖はきっと怒るだろうな、なんてぽつりと思いながら、私は昼間に買った油の缶の、その中身をいいかんじに調節した。

 

 

 

 

「えー!? ってことは、あの油舐め妖怪って、正体はぬえだったの!?」

 

 一輪は思わず立ち上がって、私を指してそう叫んだ。

 

「うん、そういうこと」

 

「嘘だ、だって昨日のあの顔は絶対に知らない顔だった、ぬえがあんなポーカーフェイスできるはずが……」

 

 失礼なことを並べ立ててくる一輪は、しかし次の瞬間閃いた顔で頭を抱えた。

 

「――しまったあれマミゾウさんだ! 確かに昨日はマミゾウさん出かけてるなって思ったけど、やられたまさか成り代わられているなんて!!」

 

「一応私だって千年生きてる大妖怪なんだけど?」

 

 くそー見事に出し抜かれた、ぬえだからって甘く見てた、と悶絶する一輪に、私は思わず文句を言った。

 

 要するに、今回の件は私の起こした悪戯ということで片付けたわけだった。舐めとっていった油は部屋の缶に溜めていたということになっていて、そのまま聖に渡したから、まあ後は聖がどうにかごまかしてくれると思う。

 

 で、その聖は。

 

「ぬえ、着いてきなさい。話があります」

 

 私に呼び出しをかけてきた。

 

 まあ、当然の結果と言えるかな。悪戯したなら説教があるし、殺生したならなおさら。ただあくまで私は聖のためにやったのだし、そこは考慮してほしいけど。

 

 

 

 

「事情はこいしさんから聞きました。正直私も、あなたの考えは分からなくもないです」

 

 聖はそう口火を切った。

 

 てか、こいしそれ言ったんだ。一体いつの間に。

 

「ですがぬえ、やはり殺生はいけないことですよ。私としてはもっと他に、離れた場所で離してあげるとか、そういう平和な方法を考えて欲しかったです」

 

 聖はそう言うけれど、実際それは現実的じゃない。人に迷惑をかけるのは妖怪の性。本能だけで生きてるやつなんてなおさらだし、そういう奴らは加減もできない。よしんば遠くへ追いやったとして、やつはすぐまた命蓮寺に戻ってくるか、または人里に移動して、霊夢に消し飛ばされるのが落ちだ。

 

 とはいえ、流石に私もそこまでは言わない。聖に恩のある以上、その理想を一蹴するのは野暮なこと。それに聖も無理を承知で言っているのだし、であれば私に言うことはない。

 

「でも、ほっぽって消滅させなかっただけ、私としては褒めてほしいな」

 

「消滅?」

 

「あれ、こいしから聞いてないんですか? 最初はあれ、存在自体をなかったことにしようとしていたんですよ」

 

 要するに、響子ちゃんのやられたことを、油舐め妖怪に再現するの。とはこいしの弁だ。

 

 一日目は空室に誘導する。二日目は頭の切れる人のところに連れて行って、こちらの意図を察してもらう。一輪たちはその間に油をつまみ食いするだろうから、それを聖に叱ってもらう。それによって油舐め妖怪のことを隠語として周知させ、怪異としての油舐めを消滅させる。というのがこいしの描いていたシナリオで、私の介入は次点だった。正直えげつないことするなと思ったけれど、どうもそれには聖が気付かず、不発で終わったみたいだった。

 

 私がそう伝えたところで、聖はすっと立ち上がった。

 

「どうしたのさ」

 

「少々用事ができました」

 

「叱りに行くの?」

 

「戒律破りを見てみぬふりはできかねますので」

 

「私はいいの?」

 

「ムラサと一輪の方が悪質ですから」

 

 そう言って聖は駆けて行った。相変わらずの超加速だった。私には、止める暇すらなかった。

 

「……あれ、でもさ」

 

 私はふっと違和感に気付いた。

 

 一日目には空室に連れ込む、とこいしは言った。二日目は頭の切れるひとのところ、三日目は様子を見るため良く反応して騒ぐひとの部屋、四日目は退治のために自分の部屋へ、とも。

 

 一日目、これは恐らく響子の部屋のこと。怪談話に踊らされて、星の部屋に向かうことを、予期していたのに違いない。

 

 三日目が一輪なのは知っている。本人が言ったから間違いない。

 

 問題は、二日目。こいしの意図を汲んでくれるひと、清濁併せ持つ切れ者。概ね、マミゾウか、ムラサのことに違いない。

 

 けれど、マミゾウはよく外泊する。空室になるのもありではあるけど、でも意図を察してもらうにあたって、勝算の低い方に賭けるだろうか。

 

 それにあの日のムラサの言葉も、なにやら妙なところがあった。油舐め妖怪はそもそも服を着ていなかったし、それに初日に乗らなかったムラサが二日目に突然、一輪の悪巧みに乗った理由は?

 

 そこまで私が考えたところで、鈍い音が時間を置いてきっかり二つ、向こうの方から聞こえてきた。

 

「……ムラサに謝っておかないとなあ」

 

 私はぽつりと呟いて、それはそれとて遊びに出かけることにした。

 

 

 

 




こいしとぬえと寺の関係はこのくらいが丁度いいんじゃないかなと、そんな風に思います。

時間表現……
一時半:約三時間
四半刻:約七分半
一刻:約三十分


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第七編 登場:パチュリー、スカーレット姉妹

初出:東方創想話


 

    【少女成長論】

 

 

 

「いやはや全く、完敗だ。フランに友人ができたことは知ってはいたが、まさかああも強いとはね」

 

 負けた、と言う割には随分楽しげに、レミィはそんなことを言った。

 

「何か用?」

 

「つれないことを言うなよパチェ。親愛なる友人がこうして歓談に来てやったんだぞ? お茶でも振る舞うのが礼儀じゃないか」

 

「小悪魔、レミィはお冷やをご所望よ。頭からかけてやりなさい」

 

「オーケー流石におふざけが過ぎた。悪かったからそれは勘弁してくれ」

 

「冗談よ」

 

 私は本に栞を挟んだ。続きが気になるのは確かだけど、レミィの無駄話に付き合うというのも、時にはなかなか悪くない。

 

「それで、何があったのかしら」

 

「いやな、久々にフランが外に出たいと言い出してな」

 

「はあ。……はあ?」

 

 レミィが事も無げに言うので、一瞬理解が遅れてしまった。けれど、それは。

 

「負けたの?」

 

「勿論フランには圧勝だったとも」

 

 そうではない。

 

「訊き方を変えるわ。結局フランはどうなったの?」

 

「出て行ったよ」

 

 そういうことは早く言え、と私は眉間を抑えた。レミィのお喋りに付き合ったのは間違いだったのかもしれない。

 

「……美鈴を雇って正解だったわね。あの子は水を統べる種族だもの、いくらフランでも突破できやしないわ」

 

「いや、恐らく美鈴も突破されてる」

 

 当然のようにそんなことを言うので、私はついに絶句してしまった。

 

「どうやらフランの友人とやら、認知を操るらしくてね。戦闘の音も聞こえないし、抜けられたと見ていいだろう」

 

「駄目じゃない」

 

 呟いて私は席を発った。空気塊にもたれて浮かび、そのまま図書館の出口へ向かおうとしたところでレミィに止められる。

 

「おいおいパチェ、話はまだ途中だぞ?」

 

「あのねレミィ、貴方状況分かってる? 今はそれどころじゃないでしょ」

 

 呑気な態度のままのレミィに、私は思わず声を荒げた。

 

 フランが外に出るというのは、正直なところかなりまずい。彼女の能力は非常に危険だし、幻想郷のルールの理解も微妙なところで、それより何より前科がある。外の世界で、街を一つ壊滅させたのは、誤魔化し通すのが大変だった。ここ暫くは落ち着いているけど、幻想郷内でそんなことをされてしまってはたまらない。

 

 だというのに。

 

「いやいやパチェ、大丈夫だよ。大したことにはならないさ」

 

 レミィは平然とそんなことを言うのだ。

 

「根拠はあるの?」

 

「私のサイドエフェクトがそう言っている」

 

「……幻想入りさせるのは勘弁して頂戴。私は続きが読みたいの」

 

「大丈夫、私もだ」

 

 すっかり馬鹿馬鹿しくなってしまって、私は椅子に舞い戻った。もうどうにでもなれ。責任は全てレミィにある。

 

「まあ冗談はともかくとして、なあパチェ。そろそろフランも独り立ちすべき頃じゃないか?」

 

 私が落ち着いたのを見て、レミィが話を続ける。

 

「そうかしら。私はそうは思えないけど」

 

「そうともさ。前にフランが霊夢や魔理沙とやりあった時を思い出してみるといい。負かされたにも関わらず、反則の一手も取らなかったんだ。前準備としては十分じゃないか」

 

「まあ、それはそうかもしれないわね」

 

「そうだろう?」

 

 加えてそれに、もう一つ。そう言ってレミィは指を立てた。

 

「フランの部屋に書き置きがあってね。どうやら二人は、旧地獄に向かったらしい」

 

 私は首を傾げた。レミィの意図が分からない、と。

 

「つまり?」

 

「簡単なことだよパチェ。鬼の住処に吸血鬼の一人くらいは、潜り込んだって誤差だろう?」

 

「まあ、一理なくはないわ」

 

「そういうことさ」

 

 そう言うとレミィは腰を上げた。どうやら雑談は終わりらしい。

 

 その背中を見て私はふと、そこまで考えていて何故レミィはフランに立ちはだかったのだろうと、そんな疑問を頭に浮かべた。

 

 一瞬、レミィに質問をぶつけてみようかとも思ったが、私はすぐに考え直した。よく考えればわかることだ。レミィに訊いても、はぐらかされるに決まっている。

 

 

・ ・ ・

 

 

「パッチェ」

 

 数日後。一冊読み終えて伸びをしていると、横から声をかけられた。

 

「フラン。帰ってきてたの」

 

「今帰ったところよ。部屋に戻る前に、本を借りようと思って」

 

「そう」

 

 私の返事に頷くと、フランは本棚の物色に取りかかったようだった。しばし、静かな時間が流れる。

 

「世界は広いのね」

 

 唐突にフランが呟いた。

 

「私の拳を受けきるやつがいるなんて、思わなかったわ。おかげで少し熱くなってしまったわ」

 

「そう」

 

 私はその勝負事の余波でどれほどの被害が出たのだろうと想像した。責任の一端が紅魔館の側にもあることを考えれば、それはなかなかぞっとしない話だった。

 

「太陽を放つ烏も死体を操る猫も、その噂話も知らなかった。私は本当に狭い世界で生きていたのね」

 

 淡々と話すフランに、私は酷く違和感を覚えた。彼女はこうも理性的だっただろうか、むしろ激情家ではなかったか、と。

 

「欲を言えば、もっと世界を広げたかったけど。でも暫くはお預けね。流石にこれ以上出歩いていると、お姉様が怖いもの」

 

「……そう」

 

 私は迷って、結局相槌だけ打つことにした。レミィの言葉を伝えようかとも思ったが、なにしろフランの静かな様子が私にはどうにも不気味だった。

 

 

・ ・ ・

 

 

「こんにちは」

 

 声をかけられて顔を上げると、見慣れぬ少女の姿があった。

 

「どちら様?」

 

「フランちゃんの友人よ。それ以外の情報は不要よね」

 

「まあ、そうね」

 

 見慣れぬとはいえ見覚えはあった。間欠泉の異変の直後に、守屋神社で見たのだったか。同時に彼女の能力を思い出して納得した。なるほど侵入も逃亡も防げないわけである。

 

「すごい数の本ね。お姉ちゃんが見たら喜びそう」

 

「持ち出しは禁止よ。心を読まれるのも勘弁願いたいわ」

 

「そんなことしないわよ、魔理沙じゃないんだから」

 

「そう」

 

 私は本に目を戻した。正直なところ、彼女にあまり興味はない。

 

「あらら、構ってくれないの?」

 

「フランみたいなことを言うのね」

 

「そうかしら」

 

「ええ」

 

 私は本に目を向けたままにそう応え、

 

「そっか、フランちゃんにもそう接しているのね」

 

 悲しいわー、と続けられて思わず顔を上げた。

 

「貴方には関係ないことでしょう」

 

 ついつっけんどんに返したのは、それがあまりよくないことだと分かっていて、けれど直せやしないから。それに気付いているのか否か、フランの友人という少女はじっと私と目を合わせたまま言葉を続ける。

 

「フランちゃんには言葉が足りないの。言葉を交わした経験が足りないの。今は本から補っているし私もよく話してるけど、やっぱり絶対量が足りないの。世間話でも物語でも、いっそ魔法論でも構わないわ。言葉を交わしてあげないと、いつまでもフランちゃんの心は欠けたままよ」

 

 そんなことは、私とて分かっている。フランの精神に欠けたところがあることも、それが他者との交流の不足に起因することも。

 

 けれど、私にはどうもできない。

 

「フランちゃんも頑張ったのよ。私の能力まで借りて、感情を制御する術を学んだの。その努力に報いてくれないの?」

 

 それが本当であるならば、素晴らしいことだと私は思った。彼女の能力は、感情的に扱うには、少々危険に過ぎたから。

 

 けれど、それでも。

 

「私には無理なのよ。そもそも私は話し下手だし、世間話も物語もこの図書館には殆どないわ。魔法を教えることこそできなくはないけど――」

 

 私は首を振った。

 

「――それは魔法使いにとって、自殺することに等しいの」

 

「そっかー、残念ね」

 

 少女は本当に残念そうにそう言って、それでも私と目を合わせ続けた。私は何とはなしに目を逸らそうとして、頭が動かないことにようやく気付いた。

 

「フランちゃんも嫌がるだろうし、本当はこんなことしたくないんだけど。でもそこまで言うなら仕方ないわ。どうか悪くは思わないでね」

 

 私の意識は、そこで唐突に途切れた。

 

 

・ ・ ・

 

 

「まさか、フランが水行に適性を持っているとは思わなかったわ。吸血鬼なのに」

 

「私からすれば、パチェの心変わりの方が不思議だけどね」

 

「そうかしら」

 

 私は首を傾げてみせた。そこまで大きな思考の変化があったわけではないのだけど。

 

「まさかパチェがひとに魔法を教えるとはね。魔法使いの魔法とは個性であり知識であり存在意義、それを譲り渡すのは自殺に等しい。そう言ったのはパチェだろうに。己の死期でも悟ったか?」

 

「そんなことはないけど。単に今は気が向いただけ、気が向かなくなったらすぐに止めるわ」

 

「気が向いたから、ね」

 

 レミィは少しばかり考え込んで、それからやおら立ち上がった。

 

「レミィ、まだ話の途中よ」

 

「悪いねパチェ、少し用事ができたんだ」

 

「どんな用事よ」

 

 呆れてついそう文句を漏らすと、レミィはそれが聞こえたのか扉の前で口を開いた。

 

「私にとってはさ。如何にフランが大切な妹と言えど、パチェはそれ以上に大事な親友なんだよ」

 

 そしてそのまま、レミィは私の反応も見ずに図書館の扉を潜っていった。

 

「……何が言いたかったのかしら」

 

 私は呟いて溜め息を吐いた。

 

 まあ、けれど分かっていたことではあった。レミィにものを尋ねたところで、はぐらかされるに決まっている。

 

 

・ ・ ・

 

 

 扉の裏で、レミリアは虚空に声をかけた。

 

「だから、悪いね無意識の。私としてはお前の一手を、否定させてもらうよ」

 

「――貴方のそういうところ、私はとっても悲しいわ」

 

 虚空から、そう返事が聞こえた。

 

 

 




妖怪にとって、自己の変質は、即ち死。
つまり、こいしちゃんは昔に一度死んでいるのです。
そんな彼女が、他人の精神的な死を軽く見るのは、ある意味当然なのかもしれません。


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第八編 登場:フランドール・スカーレット

相互不理解な話です。初出:東方創想話


 

 

    【死んだ先には】

 

 

 

「こいしでも死ぬことは怖いのかしら」

 

 ふと寂しそうな声音で、フランちゃんはそう尋ねました。

 

「別に、今では怖くはないわ。ただ遠くへ行くのが少し悲しいだけ」

 

「詩的ね」

 

「そうかしら」

 

 惚けてみせるとフランちゃんはくすりと笑って、それからすこし遠い目をして再び口を開くのです。

 

「私は太陽が怖いの。でもそれは本質的には死ぬことへの恐怖と変わらない。なら死ぬことが怖くなくなれば、太陽も恐ろしくなくなるかしらと、そう思ったのよ」

 

 話が見えずに、私は首を傾げます。そんな私を、フランちゃんはじっと見つめてきました。

 

「こいしは感情を持たないのよね。それなら、死ぬことへの恐怖だとかもないんじゃないかと思ったのだけど」

 

 思った通りだったわ、なんて呟くフランちゃんに、私は苦笑いしながら違うって、と口を挟みます。

 

「私だって心は動くし、死ぬのが怖くないのは単に死んだことがあるからよ」

 

「……よく分からないわ」

 

 呆れたようにフランちゃんは言って、それから興味を失くしたように黙って本を開きました。

 

 一応これでも、そのままのことを言ったのですけどね。別にいいのですけれど。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「妖怪にとって、自己の変質とはそれ即ち死に等しい。知ってる?」

 

「当然よ」

 

「良かった」

 

 莫迦にしているのかとこいしを睨めつけてみせたが、それでもこいしは軽い笑顔を崩さない。或いは外ではそれは常識ではないのかもしれないが、それは私には分からないことだ。

 

「あれは具体的にはね、それまでの記憶が自分のものと、どうにも感じられなくなるの。感性も能力も変わるのだから、当然なのはそうだけど」

 遠くを見るようにしてこいしは言う。なかなかに珍しい表情だった。

 

「見てきたように言うのね」

 

「見てきたもの」

 

 言われて、そういえばと思い出す。こいしの姉は、曰く心を読むという。私とお姉様は能力こそ違えど同じく吸血鬼であるけれど、読心妖怪の妹が心を読めないというのは、考えてみればおかしな話だ。

 

 結局こいしは何なのだろう。いつだったかに感じていた得体の知れない不気味さが、再び襲ってきたようだった。

 

「こいしは、何者なの?」

 

「フランちゃんは、どう答えて欲しい?」

 

 私の感情を見透かしたような返答と、それでも変わらぬ空虚な笑顔に、いよいよ私は恐ろしさを感じていた。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 どうやら面倒になって追及をやめたらしいフランちゃんを見て、私はむうと唸りました。フランちゃんの期待通りに答えを出すというのは、これはなかなか難しいなあ、と。

 

 もちろん、私の言葉が応え難い質問だったのは承知の上です。けれど、私は何者かという問題は、これはなかなかにややこしいわけでして。つまり、私には幾つもの本質があるものですから。

 

 フランちゃんの傍に現れる私は、例えば少女の孤独を癒す存在、イマジナリーフレンド。

 

 先の質問に応えた私は、例えばサトリであるのを止めた存在、不覚の怪。

 

 幻想郷を徘徊する私は、例えば無意識を操る妖怪。

 

 旧都で鬼さんと遊ぶ私は、例えばただの妹妖怪。

 

 私という存在というのは、一言で表せるような、そんな単純なモノではないのです。

 

 ――或いはもしやフランちゃんは、貴方の友達と、そんな答えを待っていたのやも知れませんが。

 

 それはもう、心を読めない私には、ちっとも分からないことなのでした。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「たとえばさ」

 

 ふと、こいしが口を開いた。

 

「たとえばの話、フランちゃんがある日突然、そう、龍だとかになってしまったらさ。レミリアさんは、どんな反応を寄越すんだろうね」

 

 私にはどうにも、こいしの意図は分からなかったが、けれど答は決まり切っていた。

 

「軽く一回喧嘩して、それで終わりよ。なんにも起こりやしないわ」

 

「そっか」

 

 やけに穏やかな表情を見せられて、良く分からないと首を振った。

 

 大して素敵な話ではないのだ。私にこの破壊の能力がある限り、私はここに閉じ込められたままだという、それだけの話。ついでに言えば、あいつはどうせ私に興味もないのだろうから。だから私が何になろうと、どうだっていいに違いない。

 

 ただそれだけの、つまらない話だ。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「……そっか」

 

 私はもう一度呟きました。

 

 フランちゃんは、とても愛されているのです。なにか行事のあるたびに、どうにかフランちゃんも楽しませてあげようと、そう苦悩するレミリアさんを、よく見ますから。

 

 きっとその愛はフランちゃんにも届いていて、だからあんなに迷いなく、種族が変われど愛は変わらずと、そう断言できるのでしょう。

 

 翻って、己が身を振り返ってみて。

 

 私に二度目の死を強要してくる、優しくも噛み合わない姉のことを顧みて。

 

「羨ましいなあ」

 

 ぽつりと私の口の端から、そんな言葉が漏れました。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

 私と違って、何者にも縛られず生きるこいしは、きっと幸せなのだろうなと、そう思った。

 

 

 

 私と違って、愛を受け入れられるフランちゃんには、幸せになって欲しいなと、そんなことを思いました。

 

 

 




心を読むことを自ら止めたこいしちゃんは、それ故にひとは分かり合えないという考えを持っているのではなかろうか、などと、そんなことを思います。

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・告知
 例大祭申し込みました。サークル「絡繰工房ガラパゴス支店」の「サク_ウマ」です。こいしちゃん短編まとめ本を出す予定ですのでよしなに。当落出たらまた告知します。


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第九編 登場:スカーレット姉妹

たまにはちょっと前の作品を。初出:東方創想話



 

 

 

「ねえお姉様」

「うん?どうしたフラン」

 お姉様は、私の問いに食事の手を止めて声を返した。

 吸血鬼には、別段食事は必要ない。月に一度、カップ1杯ほどのヒトの血肉さえ摂取すれば事足りる。けれどそれではつまらない、というのはお姉様の弁で、だから私もお姉様も三度の食事と三時のおやつは欠かさない。私とて普通の食べ物というのは好きであるからそれについては満足であるが、それはともかく娯楽を毎日欠かさないなんて実に貴族らしいななんて思ったりする。ついでに出来の悪い妹を幽閉するあたりも貴族らしいと嘯いたところ喧嘩になったことは記憶に新しい。

 閑話休題。

「お姉様は、私より早く生まれたのよね」

「ああそうだ」

「ならお姉様は、私の生まれたところは見てた?」

「…そうだが、それがどうした?」

 お姉様は、若干ながら警戒気味である。私が妙なことを訊いているからだろう。とはいえ、別段気にすることなんて何もないと思うのだけど。私はただ、ちょっと尋ねてみたいだけなのだから。

「私は、どんな風に生まれたの?」

「…うげえ」

 勘弁してくれよ、と言わんばかりの顔である。そんなに嫌がるようなことでもないだろうに。よほどのトラウマでもあるのだろうか。

「訊いたらいけないことかしら」

「できれば一生訊いて欲しくはなかったね」

「けれど自分のルーツを知っておくに越したことはないわ」

「それは大人になってからでも遅くはないさ」

「495歳児(笑)」

「オーケー分かった降参だ、今のは確かに失言だったよ」

「分かってくれればそれでいいのよ」

 お姉様は両手を上げて、観念したかのような顔で口を開いて、

「本題の前にまずは、それまでの私の話をしなくてはならないな」

「あ、それは飛ばしていいわ。知ってるもの」

「なんだって?」

 口を開けたまま固まった。

「話した覚えはないんだが」

 当然である。私とて話してもらった記憶などない。然らば何故知っているかと言えば、それは至極単純なことである。つまり、盗み聞きだ。

 なんてことは、勿論口には出さないけれど。

「甘くみられちゃ少々困るわ、誰の妹と思ってるの?」

「ああ、畜生、いやまったくその通りだ。またしても一本取られたな」

 そしてこの返しである。

 一応これは、冗談のつもりだったのだが。そんな大仰に返されると、私もどうにも反応に困る。一体お姉様の自画像というのはどんなことになっているのだろう。

「であらば、何処まで知っている? 知らないところから始めるが」

「ええ、そうね」

 私は頭を整理する。

 当時の西欧ではペストが流行っていたことは知っている。その恐ろしい流行病への恐怖がお姉様を形作ったことも知っている。それから数年の間、お姉様が一帯で暴れまわっていたことも知っているし、そして恐怖を振り撒いた後に退治されかけて這々の体で逃げ延びたことだって知っている。

それに、同様の災禍への畏れから私という存在が生じたことさえ知っている。とすれば、私の口に出すべき答えは。

「全部?」

「なら訊くな」

 まったくである。

「だって訊きたかった話はそれじゃないもの」

「うん?」

「ルーツじゃなくて見た目の話よ。どんなときに、どんな風に、どんな様子で生まれたのか。それが私は知りたいの」

一応私は最初から、そういうつもりで言っていたのだが。どうやらお姉様には、通じてはいなかったらしい。私の姉ながら察しが悪くて悲しい限りである。

「……勘弁してくれ」

 お姉様は、もはや嫌悪を通り越して懇願するような顔である。いつものカリスマが台無しである。視界の端に一瞬だけカメラを持った咲夜が見えた気がしたが恐らくそれは気のせいである。写真に収めたい気持ちは痛いほど分かるがそれはそれとして気のせいなのである。私は何も知らない。そういうことになっている。

「そういうフランは生まれたときのことを覚えていないのか?」

「覚えてはいるけどそうじゃないの。私はお姉様の見たものを知りたいのよ」

「クソッこいつ読み切ってやがる」

 当然である。お姉様とは違って私には考える時間が山とあるのだ。逃げ道を塞ぐ準備などは無論しているに決まっている。

「そんなに嫌?」

「ああともさ」

 即答である。まったくどれだけ強情なのやら。私はやれやれと肩をすくめた。

「仕方がないわね、今のところは諦めるわ」

「……なんだ、やけにあっさり引くじゃないか」

「私とて引き時は弁えてるのよ。また暴れられたら堪らないわ」

 主に咲夜が。

「フラン、ついに気遣いというものを覚えたか。大人になったな」

「でも次訊く時は覚悟してほしいわね」

「前言撤回」

 感嘆した顔から、一気に苦々しげな顔へ。お姉様の表情というものは、くるくると激しく切り替わって、わりあい飽きない。

咲夜の気持ちも分からなくはないな、なんて思いながら、私は食事の手を再び動かした。

「……言いたくなくもなるさ。屍の山から這い出してきたのを見たのが初めての出会いだなんてな」

 お姉様の呟きが聞こえた気がしたけれど、それは恐らくは気のせいだった。

 

 ・ ・ ・

 

「しかしお姉様ったらあんなに渋って。別段大した話でもなしに、すぐに話せばよかったのよ」

 文句を吐きながら、私は部屋の扉を開けた。

「あなたもそうは思わない?」

「ソウダネ」

 返ってきた声の方を見れば、クマの人形が宙にぷかりと浮かんでいる。周囲は白くもやがかっていて、そこに何かがいることを主張してくる。

 生まれたての怪異だ。ほとんどまったく何もできない、ただ私に言葉を返すだけの怪異。

 おおかたメイド妖精あたりが、私の話し声を聞いたのだろう。他には誰もいないはずなのに、一人で話していると思しき私。端から見ればそれこそ狂人のように見えたはずだ。

 物語は感染し、認識は怪異を生む。私が見えない誰かと話していると噂が広まって、人形とでも話しているのだと認識が広まって、故にこれが生じたのだろう。

 とはいえ。

「けれどあなたはお呼びでないわ」

 別に私は、それと話がしたいわけではない。そもそも人形と話していたわけではないし、狂人だなんてとんでもない。ならばどういうわけか?

 単純な話だ。

「ねえこいし、あなたに訊いてるのよ」

 認識できない誰かがいる。それだけである。

「ほんと、フランちゃんたらよく気付くよね。一応隠れてるつもりなんだけど。目が絡繰にでもなってるの?」

「一応言うけど見えてはないのよ。ただ痕跡に気付いてるだけ」

「探偵さんみたいね」

「そういうこいしは怪盗っぽいわ」

 そう軽口を叩きながら、こいしが姿を現した。

 こいしとは、いつだったかに不法侵入しているのを見つけた時からの仲である。いつの間にやら入ってきて、暫く喋って帰っていく。何がしたいのかさっぱりであるからある時問いただしてみたものの、古明地のこいしは人恋しのこいしなのよーなんてはぐらかされてしまった。よくわからないやつではあるが、別段迷惑なところもなし、暇つぶしには丁度いいので未だにこうして交流がある。

「とまあこういうわけなの。呆れた話よ」

「そっちのお姉ちゃんも面白いわね」

「まあ面白いのはその通りだけど」

 こいしに経緯を聞かせてみるも、返ってきたのはそんな言葉である。そういう話ではないのだが。

「こいしは自分のルーツとか、そういう話に興味はないの?」

「興味はあるよ? 私の場合、知れる手だてがないだけで」

 ふむと首を傾げた私を見て、こいしは更に言葉を重ねた。

「私は私にとって私であるが私が私であるが故に私が私であることを証明できないのである」

「ゲルタシュト崩壊でも狙っているわけ?」

「フランちゃんがそんな意地悪を言うから無意識にゲシュタルトをゲルタシュトって言い間違える呪いをかけられるんだよ。私に」

「よく噛まないわね」

「照れるー」

 はあと私は溜め息をついた。

 こいしの言動は難解だ。単純かと思えば複雑で、示唆的かと思えば無意味である。まるで、矢継ぎ早にパズル問題を投げつけられている気分だ。

 一つ一つは興味深いが数が積もれば身が保たない。だから考えるのもそこそこに私は尋ねる。

「つまるところ?」

「私は無意識の怪だからね。私のことは誰も知らないし、言わんや無意識に身を任せている私とて、というわけ」

「ふうん」

 相槌を打ってはいるものの、いまいち理解できてはいない。しかし理解しようとしてみたところでこれよりヒントは増えぬだろうし、ならば一人となった時にじっくりのんびりかんがえればよい。その場であまり考えないのが、こいしと話すコツである。

「それにしても、どうしていきなりそんな話を尋ねたの?」

 こいしの言葉に、私はふむと記憶を探る。

「こいつの生まれるところを見られなかったから、どんな様子だったのか気になったのよ」

 言いながら指差したのは、人形の中に生じた怪異。

「他の例でも聞いてみれば、想像できるかと思ったの。でも、」

「でも?」

「正直どうでもよくなったわ」

 そう言って、私は人形ごと怪異を破壊した。

「わー勿体ない」

 がわの布だとか、中のビーズだとか、そういうものがあたりに散らばる。こいしはそれを、呆れたような笑っているような、曖昧な顔で眺めていた。

 私はそれを見ながら思案にふける。

 私はあらゆるものを破壊できる。お姉様の起こした破壊への、人々の恐怖から生まれたから。

 お姉様は運命を操れる。ペストの病は、逃れられない運命の如くに見えたから。

 しかし、こいしはなんなのだろう。何から生まれて、無意識を操る力を持ったのだろう。

「フランちゃんどうしたの? 変なものでも見えちゃった?」

「ええ、古明地こいしという変なものが」

「それはたいへん、すぐ逃げなくちゃ」

 お姉様は私のことを理解できないと評するけれど。

 私はけらけらと笑うこいしを眺めながらぽつりと思った。

 私なんかは、まだまだ軽いものなのではないのだろうか。

 

 

 



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